アクセル・ワールド・アナザー 曼殊沙華には祈らない (クリアウォーター)
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僧兵追憶篇
第一話


 第一話 ささやかな幸せ

 

 

「大悟は《子》を作らないの?」

 

 ある日の晩。床に就いて間もなく、隣からそんな言葉を投げかけられた大悟(だいご)は閉じていた瞼を開けた。

 首を横に向けると、布団に入った自分とそっくりの顔が、睡眠に支障のない程度まで絞られた部屋のライトの下でこちらを見ていた。

 鏡を見ているのではない。大悟の目に映っているのは、双子の弟である経典(つねのり)だ。部屋の両端に位置する、それぞれのベッドで二人は横になっている。

 一卵性双生児である如月(きさらぎ)大悟と如月経典は、初対面の人間が見ればまず見分けがつかないほどに瓜二つである。しかし、目つき(大悟は吊り目気味、経典は垂れ目気味)や仕草などから、少し観察すれば判別するのはそう難しくはない。

 下手をするとこれまでの人生で、今年に小学校へ上がったばかりの妹はおろか、両親よりも多く見ているかもしれない顔に向かって、大悟は口を開いた。

 

「何だよ藪から棒に」

「もー、そんな嫌そうにしなくたっていいじゃんか。まだ怒ってるの?」

「別に。お前が俺に黙って《子》を作るのに、俺の許可がいるわけじゃないしな」

 

 ぶっきらぼうに返す大悟に対し、経典は場を和ませようとしたのか、にへらと笑みを作った。

 この話題は二人の間で今に始まったことではないが、今回はやや事情が異なる。

 

「彼女、良い子でしょ? アバターも面白いタイプだし」

「……脆すぎるだろ。少し小突いただけであんなにダメージ入るんだぞ。ああいう特殊なのは晩成型なんだろうが、俺の見立てじゃ、レベル4になれるのかも怪しいね」

「そこは手助けしていこうよ、僕らでさ」

「僕『ら』だぁ……?」

 

 大悟は眉を吊り上げ、より不機嫌な態度を経典に示した。

 

「何だって俺まで新米(ニュービー)の世話なんかしなきゃならねえんだ。俺の《子》でもなし」

「可愛い双子の弟の《子》だよ? 大悟にしてみれば《姪》、彼女にしてみれば《伯父》に当たるわけだよ」

「気色悪いから自分で可愛いとか言うな。大体、姪だの伯父だの《ブレイン・バースト》に存在しない単語だろうが」

「それを言っちゃあ《親》も《子》も、いろんなステージの名前も、僕ら《BBプレイヤー》が勝手に付けた名称だろ? そのBBプレイヤーって単語自体もね」

「む……いや、話が逸れてきてるぞ。呼び方なんかどうでもいい。とにかく俺があれの面倒を見る義理はない」

 

 対戦ならいざ知らず、この手の口論で弟を負かせた試しはほとんどない。今も徐々に経典のペースに嵌っていることを察して、もう会話を切り上げようと大悟は寝返りを打った。

 ところが、経典の声は大悟の背中をつついてきて逃がそうとしない。

 

「そんなこと言わないでさぁー。彼女に全く興味がないわけじゃないんでしょ? ……アバター見た時、ちょっと見惚れてたの知ってんだからね」

「…………」

 

 何を言っても肯定になりそうな気がして、振り返らずに大悟はただ押し黙る。

 確かにあの姿に目を引かれたのは間違いない。一点の曇りもない透明な装甲や諸々のパーツ群、それらを身に着けた華奢な素体を芸術的とまでは言わずとも――元より芸術に対する審美眼が自分にあるとは思っていないが、素直に綺麗だと思った。

 それ故に、およそ戦闘向きではないと思ったのもまた事実である。基本戦闘からして中距離タイプとしても遠距離タイプとしても中途半端、近接戦闘など論外だ。

 それ故に「まるでガラス人形だ」と言って、アバターを操作する彼女を怒らせてしまったが、そもそも生身での彼女とのファーストコンタクトからして、失敗してしまったことは否めない。

 

「別に付きっきりで、手取り足取り教えろって言ってるわけじゃないよ。対戦のノウハウとか、対戦フィールドのギミックとか、それとちょっとした対戦のマナーとか……。軽いアドバイスをしてあげるだけでいいんだ。僕とは少し違う視点でさ。できればタッグパートナーもしてもらいたいけど……まずは通常対戦を自分の力だけで勝っていかなきゃ、先なんてないしね」

 

 少しだけ真剣な調子で経典は言う。

 ――ただただ甘やかす気だけは最初(ハナ)から無いってか。

 一応《親》としての方針は持っているらしい経典に、大悟はわずかに感心してから考える。

 弟以外の初めて現実世界(リアル)で対面したBBプレイヤー。それがあっさりと《加速世界》から消えてしまったとして、寝覚めが悪くならないと言えば嘘になる。

 成長すれば独特な戦闘方法も対戦相手として楽しそうだし、仮にタッグパートナーになれば経典とはまた違うコンビネーションによって、自分の戦略の幅が広がるかもしれないと考えると、それもまた面白そうだ。こちらにメリットが全くないわけでもない。

 更には、あからさまに敵意を見せた初対面のこちらにも臆せずに――厳密には少し声が震えていたが、自分の気持ちを伝えられる度胸もある。そんな人間は嫌いではない。

 少し探すと、肯定理由はどんどん見つかっていく。

 聞けば経典は、一ヶ月程度の会話の中で彼女の人となり知ったらしい。自分よりも人を見る目のある弟が選んだ者ならば、まず悪い人間ではあるまい。

 

「……そこまで言うなら、稽古の相手くらいはしてやるよ。……暇があればな」

「さっすが大悟! 話が分かるぅ」

 

 しばらくの思考の末に渋々返答する大悟に、すぐさま経典が嬉しそうな声を出した。

 

「ただ、向こうが何て言うかね。あんな初対面じゃ、俺の顔なんぞ見たくもないだろ」

「そんなの、これからどうとでもなるさ! 見方を変えればこれ以上悪くはならないってことだろ? 次に会うのが楽しみだなぁ、きっとこの出会いは僕らにも彼女にも良いことになると思うんだ」

「分かった分かった。分かったからあんまり興奮するなよ。今に母さん達が飛び込んでくるぞ」

 

 大悟は再び寝返りを打って、首元に装着している量子接続通信端末、《ニューロリンカー》を指で軽く叩きながら、喜びのあまり声を弾ませる経典を窘めた。

 あまり心拍数が上がると、ニューロリンカーと通信状態にあるホームサーバーを通して、バイタルサインの異常を知らせるアラームが鳴ってしまう。

 そうなれば、居間にいるはずの両親が、真っ先にこの部屋へ駆けつけてくるだろう。

 両親に要らない心配をかけるのが嫌なのは、兄弟二人共も同じなので、経典はすぐに声を抑えた。

 

「ごめん、ついね。それで話は戻るけどさ、大悟は《子》を作らないの? ゆくゆくは《親子》でタッグ対戦なんて、楽しそうだと思わない? それとか《上》に行ってさ――」

「経典。加速世界(むこう)ならともかく、生憎と俺はお前ほど現実(こっち)で社交的にはなれないよ。いつ発作が出るか分からない。学校には通えてない。同年代の奴らと机を並べて、授業もまともに受けられないってのに」

「でも……」

 

 経典をクールダウンさせる意味合いも兼ねて、場を盛り下げることを承知で大悟はそう言うと、三度目の寝返りを打って経典に背を向けた。

 

「そりゃお前は見つけたけどよ。そうそう《子》を選ぶことなんてできる生活じゃないだろ俺達は。分かったらいい加減もう寝ろよな。俺は眠い」

 

 八歳になってまだ三ヶ月も経っていない子供である大悟達が、先程から子を作るだの作らないだの、傍から聞けばとんでもない会話内容だが、対戦がどうと言っているように、これは現実の話ではない。とあるゲームアプリのコピーインストールについてのことである。

 ただし、このゲームは本当の意味で、ただのゲームではなかった。

《ブレイン・バースト2039》。

 今よりおよそ一年前に送信元不明のアドレスから送られてきた、このアプリケーションプログラムは、当時の東京都に在住する百人の小学一年生に、今や日本国民の大多数の人間が所持するデバイスである、ニューロリンカーを経由して配布されたものだ。

 ちなみに大悟と経典は当時、小学二年生に該当していたのだが、ブレイン・バーストプログラムは届いた。

 入学から今に至るまで、《特殊学級》と呼ばれる特別な制度で小学校に籍を置いているからなのか。実際の理由は二人でいくら推測しても分からなかったので、以前に経典は「早生まれで年齢が合ってるから、ギリギリOKだったんじゃない?」と、一周回って適当な結論を出していた。

 それよりも重要なのは、このブレイン・バーストはアプリを起動するコマンドを唱えることで、脳の思考速度を現実の千倍の速さに《加速》するということだ。

 そうして思考を千倍に加速させた状況の下、日本全国に配備された治安維持監視装置、《ソーシャルカメラ》の映像を基に再構成された、加速世界と呼ばれる仮想世界で、加速を行う為に必要な《バーストポイント》を取り合う対戦格闘ゲームを行うのである。

 どうしてそんな世間に出回っていない、驚異的な技術を年端もいかない子供達に、それも無料のゲームという形で配布したのか(ついでに今では前時代的な格闘ゲームというジャンルで)。理由はおそらく、プレイヤーの誰も知らないだろう。

 このブレイン・バーストは誰にでもコピーインストールできる代物ではなく、生後間もなくからニューロリンカーを装着していて、かつ大脳の反応速度が一定以上であることが条件とされている。

 二つ目の条件は別にしても、幼児用のニューロリンカーが一般に販売されたのが約七年半前の二〇三一年の九月なので、必然的にそれ以上の年齢にはコピーは不可能。対象は自ずと大悟達を含めたそれ以下の子供に絞られる。

 そして、生まれた頃から体の弱い大悟達は、小学校に籍こそあるものの通学をしていない。もっと言えばできない。

 いくら体調が良い日が続いても、気管支拡張を始めとした諸々の薬を手放せない。病院への入院がなかった月など、生まれてこの方一度もない。

 就寝中の今だって、バイタルチェックの役割を果たしているニューロリンカーは外せず、わざわざ外装シェルの保護に、極薄のパッドを取り付けているのだ。もっとも、大悟達にとってこれは物心つく前から続いている日常なので、煩わしささえ感じていないのだが。

 そんな生活で、どうやってコピーインストール先の人間を見つけろというのだろうか。

 確かに同じ境遇の経典が《子》となる人間を選び、すでにプログラムのコピーインストールまで行っていたのは、大悟にとって寝耳に水ではあったが、これはごく稀のケースであって、自分にはとても参考にはできそうにない。

 

「大悟……」

 

 先程までに比べると、ずいぶんと小さくなった経典の声が、大悟の背中に当たる。

 

「その、さっきの……約束だよ?」

 

 遠慮がちに念押しする経典に、大悟は何も言わず、ただ布団から出した手をひらひらと振った。

 それだけで経典は大悟の意を汲んだようで、安堵したような溜め息と、布団を被り直す衣擦れの音がする。それから数分もしない内に規則的な寝息が聞こえてきた。

 ――寝つきのいいこと……。

 別にずっと《子》を持たずとも、それで良いと大悟は思っている。

 ブレイン・バーストの開始から約一年。あの世界で、もう現実の人生とほとんど同じくらいの時間を過ごしてきた。

 いくら跳ぼうが走ろうが、呼吸が苦しくなることはなく、飽きることなく数々の光景と発見を見せてくれる場所。弟と幾人かのライバル達がいて、レベルを上げてより強くなりたいというモチベーションも持っている。

 それで充分だ。多くは求めない。ささやかで良いのだ。

 たとえ不自由な現実が変わらなくても、あの自由な世界があれば。

 改めてそう思いながら、大悟も経典の後を追うようにして、ゆっくりと眠りに落ちていく。

 部屋の住人の睡眠を検知したホームサーバーのAIにより、わずかに灯っていた部屋の明かりが完全に消え、如月兄弟の部屋は穏やかな寝息とやさしい闇に包まれた。

 



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第二話

 第二話 ミステリアス・レディー&ハイテンション・ボーイ

 

 

 ふと、大悟は意識を取り戻した。

 夢という形で甦った、もう一年以上前になる記憶。今は亡き弟とのやり取りに何とも言えない感情が湧き上がり――すぐに収まってその場で体をがばっと起こす。

 大悟は現在、ブレイン・バーストにおける真の戦場と呼ぶ者もいる、《無制限中立フィールド》にフルダイブしていた。

 普段の対戦で訪れている限定的な加速空間、《通常対戦フィールド》。それとは異なる《無制限フィールド》、あるいは《上》とも呼ばれている、永続的な加速空間。オープンワールドと言っても差し支えないだろう。その範囲は、ソーシャルカメラが普及している日本全国と、並のゲームの比ではないが。

 今の大悟の体は、現実のひ弱な少年のそれではない。ブレイン・バースト内で活動する仮想体、《デュエルアバター》の姿となっていた。

 これまた信じがたい理屈で、デュエルアバターはシステムがプレイヤーの心を反映させて創り出すのだという。故に姿は千差万別、似通いこそすれ唯一無二。性能もそれぞれ異なる。

 大悟のデュエルアバター名は《アイオライト・ボンズ》。

 沈んだ青色を基調としたアバターカラーに、上は着物型、下は袴型の装甲。首と両手首足首に青みの強い(すみれ)色の数珠を巻き(胴体にも帯代わりに巻かれている)、頭部は布を巻きつけた頭巾で覆った僧兵にも似た姿。ただし今は、体のあちこちに傷と汚れが付いている。

 

「あら、起きた?」

 

 すぐ近くで声がして、素早く大悟が立ち上がると、淡紅色(たんこうしょく)のイブニングドレスを纏ったF型、つまり女性型のデュエルアバターが肘掛け椅子に腰かけ、ライムグリーンのアイレンズをこちらに向けていた。

 組んだ足先にはハイヒール。首元にはボリュームのあるストール。やや癖がついたセミロングのヘアパーツの右側には、小さな花弁が手毬状に寄り集まった装飾。

『対戦』という言葉からは大分かけ離れた姿だ。一応、花弁に似た小ぶりな装甲が申し訳程度にドレスの各所に着いてはいるが、戦場よりも社交会の方が似合う。

 そんなアバターの細い指には細長い煙管(キセル)が添えられ、先端から白煙が薄く揺蕩(たゆた)っていた。

 先程からほのかに香る甘い匂いはあれが原因か、と鼻を軽く擦る大悟は、意識を失う前のことを思い出す。

 ここ最近の大悟は、無制限中立フィールドへ頻繁にダイブしては、何ヶ月も居続けていた。

 なにせここは現実の千倍の速度で時が流れる空間。仮に一ヶ月をこちらで過ごしたところで、現実では一時間にも満たない。

 ただしダイブするには、ブレイン・バーストにおける生命線でもあるバーストポイントを支払って上昇させる、デュエルアバターのレベルが4以上であることと、一度のダイブに十ポイントを消費してコマンドを唱えることが条件だ。

 だが、そんなことは今の大悟にとって些末なことである。

 ――何日もぶっ通しで《エネミー》を狩り続けて……それでここは……? 

 無制限中立フィールドにはエネミーと呼ばれる、プログラムによって生成される生物型のプログラムAI達が存在している。

 それらを相手取ってフィールドを駆け巡っていたというのに、ここは家屋の中だ。おそらくはこのデュエルアバターの、ないしはその仲間と一緒にポイントで購入した《プレイヤーホーム》なのだろうと、大悟は軽く周りを見回す。

 一軒家とはいえ、内部はそう大きくもないワンルーム型。長方形のウッドテーブルやF型アバターの座る椅子の他、いくつかの家具も揃えられているが、寝具もない。それ故に自分は木目張りの床にそのまま寝転がされていたらしい。

 ブレイン・バーストにおけるステータス画面、《インストメニュー》を開いてログイン時間を確認し、少し安堵する。どうやら何時間も眠りこけていたわけではなかったようだ。

 

「……何が目的だ」

「ま、ご挨拶だこと。その様子だと倒れる前の記憶ははっきりしているんでしょうけど、だったらお礼の一つくらい言ってもバチは当たらないんじゃない?」

 

 現実では最年長でも十歳のはずなのに、どこか艶っぽい声をしたF型アバターは、言葉の割にさして気分を害した様子もなく、警戒する大悟に構わず会話を続ける。

 

「エネミーの群れと戦っていたのを見ていたら、いきなり倒れるんだもの。びっくりしちゃった。その時のエネミーは何もしてなかったのにどうして?」

 

 デュエルアバターは長時間活動しても、発汗や排泄などの生理的欲求は持たない。よほど無理な動作をしない限りは身体的疲労も蓄積されず、己の意思に反して長時間意識を失うことも基本的にはない。

 だが、一週間以上も不眠不休で活動していた大悟は精神的疲労がピークに達し、とうとう気絶同然に意識を失ってしまっていたのだった。

 とはいえ、それを素性も分からない者にわざわざ説明する義理もない。

 

「どうしてはこっちの台詞だ。見ていたのは別にいい。だが、面識もない俺を助けた意味が分からん。だから何が目的だと聞いている」

 

 エネミーはいくつかの階級がBBプレイヤー――もとい呼び名が変わりつつある、《バーストリンカー》の中で定義されており、最弱の階級であっても単身での撃破は非常に困難だ。その上、倒したところで手に入るポイントは微々たるもので、はっきり言って実入りはほぼない。しかも倒されれば、こちらは相手の種類を問わず十ポイントを失う。

 こうも塩辛い設定なのは、ブレイン・バーストはあくまでも対人の戦闘がメインだと、プレイヤーに対戦を推奨する働きがあるのかもしれない。

 そんなエネミーとの戦闘で発生したダメージがそのままであることから、大悟は自分が無制限中立フィールドにおける《死亡》をしていなかったことも把握している。

 基本的にエネミーを倒すよりも、デュエルアバターを倒した方が得られるポイントは遥かに多い。

 エネミーとの戦闘で弱った自分を標的にするのならまだ分かるが、それさえもせずに自らが標的になる危険を冒してまで自分をここまで運んできたらしい、F型アバターの意図が大悟には読めなかった。警戒を解けと言う方が無理な話だ。

 憮然とした態度を崩さない大悟に、肩をすくめてから煙管に口をつけるF型アバターは、溜め息と同時に煙をフゥと吐き出す。

 

「……別に、私だってわざわざ助ける気なんてなかったの。あの子の『パトロール』に付き合っていたら偶然あなたを見つけて、そしたらあの子が――」

 

 その時、ホーム入り口のドアノブが音を立てて回った。

「噂をすれば」とF型アバターが呟くと、扉が開いて新たなデュエルアバターが姿を見せる。

 

「どう? 起き……てるー!!」

 

 大悟を見て、少年特有の高めな声を出して驚いたのは一体の男性型、M型のデュエルアバターだった。

 明るめな水色のアバターカラーと比較的小柄な体格を、頭頂部がスパイク状をした兜と西洋鎧の形態をした装甲で固めている。一言で表すと少年騎士といったところか。

 

「いや、よかったよー! ここに運んできたはいいけど、軽く小突いてもうんともすんとも言わないからさ、もうどーしたもんかと……。起きるのを待っててもしょうがないから、パトロールの続きをしたのはいいけど、気が気じゃなくて切り上げてきちった。あっ、パトロールってのは俺がここにダイブしたらやってるここら辺の見回りのことでね、そこのダフネは意味ないでしょーって毎回言うんだけど、何だかんだ言って大抵付き合ってくれんだ。あんた運ぶのは手伝ってくんなかったけど。ほら見てよダフネ、こうして一人助けたろ? いやぁ、人助けすると気分が良いもんだなぁ。やっと実感が湧いてきた……あ、人じゃなくてデュエルアバターだ。まっ、どっちでもいっか。それでさっきのさ――」

「待った待った――待てっつうに!」

 

 口を開くや否や、とめどなく話し続けるM型アバターに、大悟は面食らいつつ両手を突き出して話を遮った。

 

「よし落ち着け。まず、お前さん――あー……名前は?」

「俺? 《デュー・ウッドペッカー》、レベルは4。無制限フィールドに来れるようになったのは今年の春過ぎで――」

「そうかウッド……長いな、それじゃデュー。とにかくお前さんが善意で助けてくれたことは分かった。ありがとう。それじゃ、このあたりで俺はお(いとま)するから……」

 

 これ以上関わるのは面倒だと、大悟は感謝を述べつつこの場を立ち去ろうとするが、M型アバターことデューが止める。

 

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、待ってくれよぅ。まだ本題を話してないんだから。せっかちだなぁ、まだあんたの名前も聞いてないってのに」

「俺? 名前? あぁそうだったな、アイオライト・ボンズだ。それじゃ――」

「アイオライト・ボンズ!?」

 

 大悟がアバター名を名乗ると、これまた唐突にデューは大声を上げてオーバーリアクションをする。

 

「聞いたことある! 確かえっとえっと…………そうだ《荒法師》! あ、法師って坊さんのことか。そういや見た目も……俺、てっきりサービスって(てい)で対戦相手をひっちゃかめっちゃかにする人なのかなって思ってた」

「それじゃあ《荒奉仕》だろうが。いや何だよ荒奉仕って。しかも聞いたことあるって言っといて、俺のこと碌に知らないじゃねえか」

 

 素っ頓狂なことを言い出すデューに、大悟はつい冷淡なツッコミを入れてしまう。二つ名で呼ばれるようになって久しいが、そんな読み方の間違いをされたのは初めてだ。

 

「デュー、そこの彼のこと本当に知ってるの?」

 

 これまで二人のやり取りを黙って見ていた、デューにダフネと呼ばれたF型アバターがクスクスと笑い出す。

 それを受けて、心外だと言わんばかりにデューがすぐに反論を始めた。

 

「し、知ってるよ、ずっと前に兄ちゃんから聞いたんだ。世田谷の方にそう呼ばれてる第一世代の、《オリジネーター》のバーストリンカーがいるんだって……直接見たことはなかったけど。あ、あと最近だとく、くるー? ……そう、《拳鬼(クルーエル)》だとかも呼ばれてるって、前に《ギャラリー》で聞いたな。ところで世田谷の方って、あんま人のいない《過疎エリア》なんでしょ? そういや何でまた今日は港区エリアに――あれ!? ちょっと!」

 

 いい加減付き合いきれなくなり、大悟は黙ってホームから出ていった。

 無制限中立フィールドは通常対戦フィールドと異なり、定期的にフィールドのステージ属性が変化をする。現在は《魔都》ステージ。星を覆う曇天の夜空に、金属質な青い尖塔群が立ち並ぶ光景となっていた。

 ――ったく何なんだ……。

 現実の千倍の速度で時間が経つ無制限中立フィールドにおいて、示し合わせることもなく他のバーストリンカーと遭遇するのは稀である。もっと言えば、つるんでいた仲間達と行動してなくなって以来、大悟が無制限中立フィールドで会話をするのは本当に久し振りだった。

 

「おーい、待ってよー!」

 

 扉を開けたホームから飛び出したデューが、慌てて追いかけてくる。

 

「まだ本題に入ってないんだってば。ちょっとは話を聞いてくれよ」

「充分聞いたろ。ベラベラとお喋りな奴だな」

「いやぁ、へへ……つい癖で。俺ってば、いっぺんにいろんなこと伝えようとしてとっ散らかちゃうんだよね。学校の先生にも『話は落ち着いてしましょう』ってよく言われんだ」

「その先生の教えはあんまり身に付いてなさそうだな」

 

 硬質なタイル貼りの地面を早足に歩く大悟が顔も向けていないのに、横に並んで付いてくるデューはまるでめげない。いつまで経っても本題とやらは出てこないし、そろそろ走り出して撒いてやろうか、と大悟は思い始めていた。

 

「なぁ頼むよ、アイオライト・ボンズ。その腕を見込んで頼む、じゃなくて……お願いします! 俺を鍛えてください!」

「あぁ……?」

 

 デューからの予想外の懇願に、大悟はとうとう動かし続けていた足を止めた。

 それは困惑からだったのだが、デューは大悟が話を聞く気になったと勘違いしたのか、やや興奮気味に話し始める。

 

「さっきあんたがエネミーと戦ってるとこ見て、すっげー! って思ったんだ! 俺なんか《小獣(レッサー)級》一体だって倒せたことないのに……。さっきだっていきなり倒れなかったら、あんたはあの群れも蹴散らせてたと思うぜ」

「だから強くなる為に、そんな俺に鍛えてもらいたいと」

「そういうこと! な、な、良いだろ? 助けると思ってさ」

「断る」

 

 すぐに自分の意図を察してくれたことで、嬉しそうにこちらを見るデューを、大悟は一蹴した。

 

「そ、そんなこと言わずに……」

「やなこった。無茶苦茶なこと言ってる自覚あるか? どうして俺が会って数分の、それも縁もゆかりもないお前さんをいきなり鍛えにゃならねえんだ」

「こうして縁ならできたわけだし……お願いします! 俺、強くなりたいんだ!」

「そうかい、奇遇だな。俺ももっと強くなりたいんだ。だからお前さんに構っている暇はない」

 

 しつこく食い下がってくるデューに、取り付く島もなく応じる大悟は、これなら一度エネミーに殺されていた方が、まだマシだったかもしれないとさえ考え始めていた。

 無制限中立フィールドで死亡したデュエルアバターは、加速世界での一時間の待機状態の後にその座標で復活する。その場から動けないことやポイントの減少、ダメージを受けた際の痛覚が通常対戦フィールドの二倍になるというデメリットも、こうも面倒ごとになるなら甘んじて受け入れられそうだった。

 

「強くなりたきゃレベルを上げろ。それだけ対戦をこなせ。以上だ」

「そんなこと言わずに、少しくらい付き合ってあげてちょうだいよ」

 

 つかつかとヒールを鳴らして近付いてくるダフネが助け舟を出した。てっきりホームに残っているものと思っていたが、ちゃんと後から追ってきていたらしい。

 

「一応、私達に借りがあるわけでしょう?」

「頼んでもいなかったけどな」

「それでも危ないところを救われたのには変わりはないじゃない。だったらせめて、一度戦って実力を見てあげるのはどう? それで見込みがあったら期限を設けて……とか。ねえ?」

 

 どこか挑発気味な、ダフネの妥協案めいた交渉に大悟は顔をしかめた。

 突っぱねることは簡単だが、変に遺恨を作り、知らないところで陰口を叩かれるのは面白くない。そう考えるのは、他でもない大悟自身が借りを作ったという、わずかな負い目を持っているからでもあった。

 ――いっそ、その方が後腐れもなくていいか……。

 

「…………なら、一度相手しよう。少し開けた場所か、障害物のある入り組んだ場所か、どっちが良い?」

「えっ、いいの!? やった……って今? でもフェアじゃないんじゃ……」

 

 ダフネの提案を大悟が仕方なく了承すると、デューは喜んでからすぐに動きを止め、無傷ではない大悟の体を上から下へと見回してくる。

 

「構わない。戦闘には支障ないし、そっちはレベル4でこっちはレベル6。そのハンデだと思っておけばいい。ただし負けたら、鍛えるって話はこれですっぱり諦めろよ」

 



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第三話

 第三話 硬い嘴、軽い羽毛

 

 

 数分後。

 大悟達は建物群に左右を挟まれた、車線が多く幅員が広い通りに移動していた。

《魔都》ステージは比較的エネミーが少ないフィールドだが、ステージに関わらず大きな幹線道路などは大型エネミーが徘徊している傾向が強い。それらの道路と比べたら、まだこの辺りはエネミーの乱入によって対戦が中断される可能性は低い。実際、地面に薄い霧が発生している通りはしんと静まり返っていて、今のところは自分達以外の気配は感じられない。

 

「よし、いつでも来い」

 

 道路の真ん中に移動すると、早速大悟はおよそ三十メートルの距離を空けて立つデューを前に、半身になって構えた。

 

「フー……よし! ダフネ、頼むよ」

「はいはい、それじゃカウントいくわよ。十、九、八……」

 

 一度深呼吸し、やる気に満ち溢れるデューに促され、形だけの審判役であるダフネがカウントダウンを始める。

 

「来い、《ペック・ランス》!」

 

 叫んだデューの五指を広げた右手に水色の光が集まると、光は一本の槍となった。

《強化外装》と呼ばれるエンハンス・アーマメント・アイテム。これらはデュエルアバターが所持する武器や防具の総称で、初期装備やレベルアップ時のボーナス選択肢の一つ、ショップでの購入などの入手手段が存在する。

 デューの手にした槍は東洋のそれではなく、西洋の馬上槍(チャージ・ランス)の形状をしていた。先端は一度先細ってから、更に鋭角になった円錐形。

 ──さて、貫通力に秀でているのは間違いなさそうだが……。

 強化外装の名前や形状から、大悟はその武器の持つ特性や能力を分析し始める。乗り気ではなかったが、こうして始まった以上は負けるつもりは毛頭ない。

 今回、大悟達は無制限中立フィールドで対戦をするにあたって、いくつかのルールを設定した。

 制限時間は通常対戦同様の三十分間。相手の体力ゲージをゼロにした方が勝者なのは当然として、制限時間を過ぎてどちらも生き残っていればデューの勝利とする。

 これは自分以外の体力ゲージが見えない無制限中立フィールドでは、体力差による判定が正確にはできないからだ。

 ただし逃走による明らかな逃げ勝ちを防ぐのに、故意に三分以上相手に姿を見せない場合は反則というルールも設けた。体力が相手より多い状態で逃げに徹することも戦略の一つではあるが、デューの実力を見ることも兼ねた今回の対戦の趣旨からは外れてしまう。

 元よりエネミー狩りをしていた、大悟の体力ゲージは残り五割強。デューはまだ無傷だそうなので、レベル6と4の差を差し引いても大悟が不利ではある。だが、大悟はその程度のハンデは望むところだった。

 ──これもまた修行だ。良い経験になるのなら御の字、負けたら……いや、そんなこと考えるな。俺には──。

 

「三、二、一、ゼロ」

 

 ──あいつの分まで強くなる義務がある。

 

「たああああああああ!」

 

 ダフネによるカウントダウン終了と同時に、槍を構えていたデューが威勢よく突進してくる。

 シャープな形状とはいえ、自身の身の丈よりもやや長いランスを持っていながら、重心の不安定さは皆無。デュエルアバターの色である水色からして、接近戦を得意とする《近接の青》に属しているのは間違いなさそうだ。

 三十メートルの距離をあっという間に縮めて迫る少年騎士に、大悟は半身に構えた状態から最小限の動きで右に躱す。そのまま体の向きを変えて大きく後退。

 デューはすぐに足を止めて大悟に向き直り、再び突進を仕掛けた。

 これを限界まで引き付けてから、大悟はこちらを貫こうとするランスを紙一重で避ける。すると──。

 

 ガガガガガガガガガガギャン!! 

 

 連続で響く耳障りな硬質音。その理由を、音の出どころを見て大悟は納得する。

 

「なるほど、そういう槍か」

 

 大悟の真後ろにある建物の壁に、デューのランスが全体の四分の一近くも突き刺さっていた。

 

「大した貫通力だな、キツツキ(ウッドペッカー)

 

 おぼろげだったウッドペッカーの日本語を思い出した大悟は、素直にその威力を称賛する。

 キツツキは硬い木の幹に、その嘴で穴を空ける。その名を冠したデューは驚くことに、全ステージの中でも相当に硬い部類に入る、《魔都》ステージの建物に簡単に穴を空けたのだ。たった一度の突きであったのに連続して響いた音からして、おそらくは強化外装の持つ特殊効果か。

 

「まだまだ……!」

 

 ──ん……? 

 ランスを壁から引き抜くデューの戦意は全く衰えていない──のだが、どこか余裕のなさが大悟には感じられた。

 しかし今の段階では何も結論付けられないので、大悟は気を取り直して右の正拳突きを出す。

 

「ふっ!」

 

 一度休んだ(気絶していた)からか、思う通りの威力で攻撃が出せている。

 これをデューはランスを盾代わりにして防いだ。強化外装は特性として独自の体力ゲージが存在しており、単体で攻撃を受け切った場合はデュエルアバターにまでダメージが通ることはなく、代わりに強化外装には攻撃相応のダメージが溜まる。

 大型の近接武器となれば、そう簡単に破壊はできないだろう。この一撃を防がれることは大悟にとって想定内。一つ確認したいことがあったのだ。

 ──やっぱり多段ヒットの効果があるのは先端だけか。突きにさえ気を付けていれば……。

 側面から触れる分には問題ないと判断し、大悟は両手でランスを掴みにかかる。

 

「あっ! 何すんだこの……!」

 

 デューも自分のランスを奪われまいと両手で強く握り、両者が武器を取り合うような形になる。

 だが、そこは下駄を差し引いても百八十センチを超える、大型アバターの部類に入るアイオライト・ボンズと、スパイクが垂直に突き立った兜の天辺を含め、どうにか百六十センチに届くくらいの、小柄なデュー・ウッドペッカー。体格差、加えてレベル差による基礎能力の違い。

 大悟は力づくにランスの先端を上方に向かせると、ランスに妨げられていないデューの胴体部分へ前蹴りを入れる。

 蹴り飛ばされながらも、デューは己の得物を離しはしなかった。見上げた根性ではあるが、裏を返すと強化外装へアバターのポテンシャルが相当に割かれているので、手放すと一気に不利になるのだとも取れる。

 加えて大悟が蹴りをして分かったのは、小柄なデューが見た目通りの軽量級なのは元より、長いランスも見た目以上に軽い物だということ。

 ──助走を付けた突進さえ受けなけりゃ、そうそう大ダメージは食らわないか。槍持ち相手に距離を取るのは悪手だし、インファイトが無難だな。

 

「さぁ、今度はこっちからいくぞ」

 

 相手のおおよその戦闘方法を理解した大悟は本格的に攻勢に出始めた。デューが再び突撃をする間も与えず、一撃の威力に重きを置くのではなく、隙が少ない連撃を繰り出していく。

 

「ぐぐっ、くぅっ……!」

「そらどうした! 間合いに入られたら何もできないか!?」

 

 防戦一方のデューに対して、攻撃と同時に焚き付けるように言葉を投げかける大悟。

 傍から見れば大悟がデューをいたぶっているようにしか見えないだろうが、攻撃が当たっているのはほとんどが装甲の厚い部分やランスで、度々鎧の上から喉や鳩尾などの急所を狙っても、しっかりと回避や防御をされていた。その上、デュエルアバターのカラーサークル上は《防御の緑》に次いで防御力の高い青系アバター、そう簡単に装甲が砕けたりはしない。

 思った以上の実力は持っていたが、それでもダメージはしっかり与えている手応えはある。このまま向こうの体力ゲージを削り切る勢いで大悟はより苛烈に攻めようとした。ところが──。

 足下に向けて薙ぎ払われたランスを避けるのに大悟が半歩退いた瞬間、デューの姿が水色の残像に変わった。

 何事かと目を見張ると、いつの間にかデューは二十メートル以上も後方に移動しているではないか。いかにスピード型のアバターでも、静止状態からここまでの速度は出せないはずだ。

 デューはこちらに向けてランスを構え──再び水色の残像。

 

「ぐっ!?」

 

 反射的に回避行動をしたが完全には避けられず、大悟の左腕に鋭い痛みが走る。

 ──これは……! 

 続けて後方から悪寒を感じ取り、額に意識を集中させると、頭巾に覆われた大悟の額に黄色い光が発生する。そうして振り返ることなくその場で素早くしゃがみ込むと、背中に何かがぶつかったことで衝撃に襲われた。

 

「うっ」

「うわあっ!?」

 

 ズザザザァッ! と派手な擦過音と共に驚く声。

 大悟が立ち上がると、前方には地面に腹這いになっているデューの姿があった。

 衝撃を受けた背中をさすりながら、傷付いた左腕の状態を確認する。二の腕の一部が袖の短い着物型の装甲と共に抉れてはいるが、傷は比較的浅いので動かす分に支障はない。

 そうしている間にデューも起き上がり、こちらを見るやいきなり指を差した。

 

「痛てて……なんで後ろを向いたまま避けられたんだ……って頭が光ってる!?」

「頭じゃねえ、額だ」

 

 どうにも心外なので、布で形作られた頭巾を捲り上げ、露わになった頭部で薄く発生している黄色い光を消す。これで光の発生源となっていた、枯れ草色のアイレンズに似たパーツがデューからは見えるだろう。

 

「《天眼(サード・アイ)》。発動するとあらゆるものがよく見え、よく感じ取れるようになる、俺の《アビリティ》だ」

 

 この《天眼》も、推測するにデューの異常な移動速度も、デュエルアバターが先天的か、ボーナスなどで後天的に備える能力、アビリティによるものである。このアビリティ一つが対戦の勝敗の要因になることも少なくない。

 大悟の《天眼》アビリティは、ステージ内のオブジェクトを破壊するか、敵へダメージを与えるか、逆にダメージを受けることで溜まる必殺技ゲージを消費して発動することで、自分の一定範囲内の物体の動きを感知することができるというもの。

 この効果により、たった今デューが仕掛けた真後ろからの攻撃も、目視しないで対応できたのだ。

 結果、大悟がいきなりしゃがみ込んだので、上半身を狙っていたデューは大悟に蹴躓いて地面を転げる形となったのである。

 

「お前さんのアビリティ、こうも基本戦術と噛み合うものになるとさすがに厄介だが、あれだけのスピードじゃ複雑な軌道は描けないだろ」

「な、何度か見ただけで、そこまで分かるのか……」

「あぁ、本当にそうなのか」

「分かってなかったのかよ! カマかけるなんてズルいぞ!」

 

 アビリティの欠点を自白してしまって喚くデューに、誘導した大悟は全く悪びれずに鼻を鳴らした。

 

「ズルいもんか、お前さんが勝手に喋ったんだろうが。そうじゃなくても別におおよその見当は付くし」

 

 頭巾を被り直した大悟の額に、再び光が灯る。

 

「さぁ、勝ちたいなら全てを出し尽くせ。さもなきゃ負けるだけだぞ。お前さんのポイントを貰って俺は帰る」

「…………!!」

 

 その時、場の空気がわずかに強張(こわば)った。ランスを構え直すデューから醸し出される雰囲気が変わったのだ。

 決死の覚悟に近い緊張が、フェイスガードの奥に宿るアイレンズからもありありと見て取れる。ただ挑発に乗ったにしても、大悟にはどうにも違和感があった。

 ──決めてくるか。

 よく目を凝らして相手の動きを待っていると、デューの足下に舞い散る羽のようなエフェクトがきらめいた。瞬間、例の高速移動が再開される。

 ──真正面からの突撃。勝負を焦ったか、さすがに芸がなさすぎだ。

 少し残念に思いながら、大悟は迫るデューとの距離を見計らい、その場で上半身を右側に大きく傾けつつ左腕で掌底を放つ。《天眼》を発動しているこの状態ならば、カウンターのタイミングも合わせられる自信があった──のだが。

 大悟の掌底は空を切るだけだった。その直後に迫るのは、嘴のように細く鋭いランスの穂先。

 もう引くことも間に合わない伸ばしきった左腕を、止むを得ず大悟はランスの先端に合わせる。

 

「がっ……あぁっ!?」

 

 左手にランスが触れた瞬間、立て続けに衝撃を感じた。左手どころか左腕、左肩まで一直線にランスで貫かれる過程で、接触箇所が爆発したかのように弾け飛んでいく。その勢いのまま大悟は後ろに倒された。

 転がりながら立ち上がって振り向くと、その先には停止したデューの姿。

 地面には破片になった大悟の左腕が辺りに飛び散り、すぐに光の欠片に変じて消えていく。

 ──こいつ、フェイントかましやがった……! しかも……。

 自分の攻撃が外れた理由を、大悟は理解していた。

 デューは突進中、急停止をして到達のタイミングをズラしたのだ。大悟が驚いたのはその方法。デューは何もない空中を、足で強く踏みつけたことで停止したのである。

 高速移動のアビリティによる足運びが、大気の壁にぶつかることを可能にしたのか、元々宙を蹴ることのできる副次効果があったのか。何であれ、結果的に大悟はまだデューが自分の間合いに入ってもいないのに攻撃を繰り出し、空振りしてしまった。

《天眼》アビリティは身体機能を強化するわけではない。あくまで感知をするだけだ。把握はできても、体が対応できるのかは大悟次第。今回は気付いた時にはもう回避は不可能だった。

 片腕を失っても、すぐに立ち上がってきた大悟を警戒していているのか、デューはすぐには追い打ちをかけようとはせず、しかしいつでも動けるようにランスを構えている。

 

「くっ、くくく……」

 

 そんな状況下で、大悟は思わず笑みを漏らしてしまう。デューのことを侮っていた己の慢心具合に。

 レベル差とその言動から、軽く揉んでやる程度の気持ちでハンデまでつけた結果、こうして片腕を吹き飛ばされている。

 どころか、もしも先の攻撃が左肩までに留まらず、急所である心臓部に届いていれば負けていた。これを慢心と言わず、何と言うのか。

 ただ、同時にこの対戦を楽しくも思い始めていた。エネミーとの戦いとはやはり違う、こうして対戦するまでに試行錯誤を重ねて戦法を考え、今日まで生き残ってきたバーストリンカーとの攻防。

 たとえ現実ではないゲームの中であっても、今をこうして生きている実感が湧いてくる。

 ──勝ちたいなら全てを出し尽くせなんて、我ながら偉そうなことを言ったもんだ。そうしなきゃならないのはこっちも同じだろうに。

 残り体力は三割以下。大悟はこの対戦に勝利する為に腹を括った。

 



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第四話

 第四話 面倒事

 

 

「……どうした、俺はまだ生きているぞ。決着を着けようぜ」

 

 残った右手で手招きをする大悟。

 

 

「…………」

 

 いきなり笑い始めたかと思えば、左腕を失っているのに、挑発までしてくる大悟を理解できないのか、デューは無言のまま走り出す。それにしても、対戦前まではあれだけお喋りだったのに、対戦が経過するに連れて口数は少なく、余裕がなくなっているのは何故か。

 ともかく攻撃はやはりランスをこちらに構えた、愚直なまでの突進。それがデュー・ウッドペッカーというデュエルアバターの一番勝率の高い、最適解の戦法なのだろう。

 今回はアビリティを用いた高速移動ではない(それでもデュエルアバターの移動速度としては充分に速い部類だが)。その理由が読めた大悟も《天眼》を発動し続けたまま、デューめがけて走り出す。

 両者が互いの間合いに入る前に、先に仕掛けたのはデューだった。

 

「《スパイラル・チャージ》!」

 

 デューの右腕で握るランスが、うねる水色の光を纏っていく。

 これは《必殺技》だ。時に優勢を確固たるものにし、時に劣勢を覆す、アビリティと同等かそれ以上に戦局を左右する対戦の華。発動には基本的に必要量の必殺技ゲージとモーション、技名の発声が必要である。

 デューが必殺技を発動すると同時に、大悟も声高に叫ぶ。

 

「着装、《インディケイト》!」

「はあああああ!!」

 

 直後、デューが突き出すランスから放たれた、螺旋状のエネルギーが膨れ上がり、《魔都》ステージの硬質の地面さえ抉っていく。だが──。

 

「……っ!? ああああっ!!」

 

 叫んだのは大悟ではなく、デューの方だった。

 デューの左脚が太腿のあたりから両断されていたのだ。大悟の手にしている、青紫色の薙刀によって。

 大悟はデューの必殺技の餌食にはなっていなかった。デューの必殺技が溜めの段階で走りつつも右方向へスライドして、デューとのすれ違いざまに召喚した強化外装の薙刀を振るっていたのである。

 

「派手な必殺技だ、羨ましいな」

 

 振り返った大悟は薙刀を肩に担ぎながら、うつ伏せに倒れているデューの元へと歩いていく。すでに《天眼》の発動を止めたことで、額から漏れる光も消えていた。

 

「ただ、発動するのが丸分かりだった。こっちの体勢を崩すなり、隙を突いた状態で当てるべきだったな」

 

 今回の一合で大悟が一方的にデューへダメージを与えられたのは、ひとえにデューが必殺技を発動してくると、あらかじめ分かっていたからだった。

 高速移動のアビリティを発動せずにそのまま走ってきたのは、必殺技ゲージを温存する為。一気に勝負を決めようと、自身の持つ一番攻撃力の高い一撃を選択するのだろうという推測は容易に立つ。

 しかし、ただ強力な攻撃を出せば勝利できるほどに、ブレイン・バーストの対戦は単純ではない。

 

「すまなかったな。はっきり言ってお前さんのことを舐めていた。ここまでやる奴とは思わなんだ。今度通常対戦をする機会があれば──」

「う……うう……!」

 

 侮っていたことへの謝意を含めつつ、再戦を約束しようとする大悟だったが、当のデューは聞いていないようだった。大悟に背を向けたまま、ランスを杖代わりにしながら片脚で立ち上がると、右足に羽の散るエフェクトがきらめく。

 

「うわっ! くっ……」

 

 高速移動を行い、一気に大悟から離れるデュー。だが、片脚では踏ん張りが効かないのか、数メートル先で再び倒れ、そのまま這いずりながら移動を開始する。

 こちらを振り向くデューと、大悟は目が合う。その兜の奥に光るアイレンズに浮かんでいた感情は、恐怖だった。その見覚えのある眼差しへの対象が、厳密には自分ではないことはすぐに分かった。

 ──こいつ、もしかして……いや、それならどうして無制限フィールドなんかに──。

 

 パァン。

 

 大悟が何となくデューの行動と表情の理由について見当をつけていると、乾いた破裂音とほぼ同時に、袴型の装甲に守られている右脚の大腿部に何かが当たった。続けて、そこから焼けつくような痛みが走る。

 

「ぐ……!?」

 

 被ダメージはわずかであるにもかかわらず、大悟は持っていた薙刀を取り落としてその場に倒れる。

 痛みの熱が全身へ急速に巡っていく同時に、じわじわと体力ゲージが削れていく。一体何事かと目を向けた右脚には、赤い飛沫痕が付着していた。

 誰の仕業かは考えるまでもない。この場にいるのは大悟とデューの他には、一人しかいない。

 

「……良い銃だな。名前はなんてんだ?」

「あら、ありがと。《メゼレオン》っていうの」

 

 倒れている大悟の元へと歩いてきたのは、今まで大悟とデューの戦いをずっと見守っていた、F型アバターのダフネ。その右手には銃身の短いオートマチック型の拳銃が握られ、大悟の手元にある薙刀が届かないように足で転がしていく。

 

「メゼ……? 聞き覚えがないな……」

「セイヨウオニシバリっていう植物の英名。赤い実が成るんだけど、人間には有毒よ。食べたら死んじゃうくらいの」

「あぁ……やっぱり毒か……」

 

 ゆっくりと減っていく体力ゲージを見ながら、大悟は弱々しい声で納得する。麻痺の効果があるのか、体がうまく動かせない。おまけに舌まで痺れている感覚があって、発声も少したどたどしくなる。

 

「お前さんの名前……まだ聞いてなかったな。ついでに教えてくれよ……」

「んー? 言いそびれてたっけ? 《ダフネ・インセンス》。レベルは5よ」

「なんだか……外国人にいそうな名前だな」

 

 やはり頭部の花飾りといい、植物系のアバターだったらしい。肝心のダフネという花の和名を大悟は知らず、字面の率直な感想を口にする。

 そんな雑談を続ける大悟に、ダフネが不思議そうに首を傾げた。

 

「横入りされたことには何も言わないんだ?」

「そう、焦るない……ちゃんと聞くつもりだった。お前さんが俺を倒したら勝ちなんてルールは……作っていなかったと思うが? ……お前さんの横槍が入った時点で、今回の話は破棄されたと……捉えて良いんだろうな?」

 

 今回の決着の条件は、大悟かデューのどちらかが相手を倒すこと。あるいは制限時間までにどちらも生き残っていれば、デューの勝利となるという二つ。

 この二つの条件以外では勝利を認めないとも、ダフネが参戦してはいけないとも明言していなかったが、この場合は決めていなかったことは認めるべきではないだろう。そうでなければ、初めからルールが意味を為さなくなってしまう。

 

「そうね。でも、あの状態じゃもう、デューが負けるのはほぼ確定だったし、どちらにしても話はお流れだったでしょ? だったら、あの子がポイントまで失うのはちょっと可哀想に思えちゃって」

 

 少し離れた所で、斬られた脚を抑えてうなだれているデューに目をやりながら、ダフネは物憂げそうに溜め息を吐く。

 

「ズルいやり方だけど、今回はそのままやられてちょうだい」

「どうも分からないな……あいつは……お前さんの《子》じゃないだろ?」

「あら、どうしてそう思うの?」

「さっきホームであいつは俺のことを……『兄ちゃん』から聞いたと言っていた。そいつが《親》だと考える方が自然だ……」

 

 ブレイン・バーストプログラムの譲渡は、二つのニューロリンカーを繋げるXSBケーブルを用いた《有線直結通信》、直結と通称される方法でコピーインストールするしか方法はない。

 この直結とは、ニューロリンカーのセキュリティのほとんどを無力化してしまうので、基本的に親密、あるいは信用の足る相手としか行われることはないのだ。例えば、家族のような。

 

「へぇ……」

 

 そんな大悟の推測に、ダフネは少し感心したような声を漏らした。

 

「案外耳(ざと)いんだ。てっきり聞き流してるかと思ってた」

「まぁな。ただ、今回は時間稼ぎとしての話のネタだが」

「え? ──きゃっ!?」

 

 突っ伏した状態から大悟は突然ダフネの左脚を両脚で挟み込み、その場でぐるんと転がりながら捻り倒した。

 ダフネが驚きながら短い悲鳴を上げる間に薙刀も回収し、毒入り銃を握る右手首を踏みつける。この状態なら下駄底の二つの歯が、がっちりとダフネの手首を挟んでいるので、銃を撃つことはできないだろう。

 

「っ……人が悪いのね、毒が効いている演技なんて。耐毒性能があるアバターには見えないけど?」

「話の途中まではしっかり効いていた。《恒常性(ホメオスタシス)》アビリティだ。俺は耐性があるんじゃなくて、そこからの回復が早いのさ。毒に限った話じゃなく」

 

 大悟はダフネの言葉に首を振る。実際、毒による痛みと体力ゲージの減少はあった。ただし、会話中にそれらはすでに止まっている。

 生物には外部環境の変化にかかわらず、肉体の状態を一定に保とうとする、恒常的な状態を維持しようとする性質を持っている。

 例えば人間は、夏の強い日差しに照らされて体温が上がれば、発汗によって体温を下げようとする。風邪などの感染症の際には、体温を上げて体内の病原菌を殺そうとする。その他にもホルモン物質の分泌など、いくつもの複雑な生理機能によって、人間の健康は保たれているのだ。

 大悟は以前のレベルアップ・ボーナスで、この働きに似たアビリティを取得していた。

 相手が物理攻撃しか攻撃手段を持たない場合は意味を為さないが、物理的拘束を除くほとんどの妨害効果から、他のデュエルアバターよりも遥かに短時間で回復できる。

 また、《天眼》のように必殺技ゲージを消費せず、常時発動型のアビリティであることも強みの一つだ。

 

「要は状態異常(デバフ)からの立ち直りが早いってこと。反対にかけられた支援効果(バフ)もすぐに消えるがな。お前さんにしてみれば俺は天敵。倒したけりゃ、さっさと仕留めるべきだった」

 

 大悟は残った右腕で握る、薙刀の反り返った段平(だんびら)の刃をダフネに突きつける。さも問題ないように振舞ってはいるが、体力はすでに二割も残っていない。実際はかなり綱渡りの状態だ。

 幸い、遠距離攻撃が得意な傾向にある《遠隔の赤》に属する、淡紅色のアバターカラーであるダフネは、この状況ではどうすることもできないのか、抵抗もしてこない。銃を持つ右腕を斬り落とさずに押さえ続けているのは、必殺技ゲージの上昇をさせない目的もあったのだが、元々必殺技ゲージ自体が溜まっていないのかもしれない。

 思い返せばホームからこの場所に来るまで、ダフネはオブジェクトを破壊したりなどのゲージのチャージ行為もしていなかった。

 そんなダフネの首めがけて大悟は薙刀を──。

 

「待って!!」

 

 張り上げられた声に、大悟はすんでのところで腕を止めた。

 声の主はダフネではなく、離れた場所で動かずにずっと黙っていたデューだった。

 一度は逃げた片脚のデューは、ランスを杖代わりにしてこちらに近付いてくると、そのまま跪くように両手両膝を地面に着いて、顔を大悟へと向ける。

 

「ダフネが俺の身代わりみたいになる必要はないよ。俺の負けだ。俺を倒してそれで終わりにして」

「…………」

 

 少し震えてはいても顔は背けず、真っすぐにこちらを向いたまま、少年騎士はそんな懇願をしてきた。

 仲間が倒されても何も言わずに逃げ出すのなら、そのまま追いかけて止めを刺そうと大悟は思っていたのだが、最低限の恥なり矜持なりは持っているらしい。

 しばらくデューをじっと睨んでいた大悟は、持っていた薙刀の着装を解除し、自身のアイテムストレージに戻した。同時に、ダフネを押さえていた足もどかす。

 

「……三十分、経っちまったな」

「え……?」

「確か、制限時間を過ぎてもお互い生きていたら俺の負けだと、俺自身が決めたんだったなぁ」

 

 理解が追いついていない様子のデューに、わざとらしく振舞っていた大悟は溜め息を吐いた。

 

「俺の負けだ。少しの間だけ、面倒見てやる」

 

 

 

 加速世界から帰還した大悟が目を開くと、自分の部屋の天井が映った。

 ──我ながら、面倒な約束をしたもんだ。

 大悟はデューを鍛えるにあたって、いくつかの条件を出した。

 まず、会うのは無制限中立フィールドのみに限る。

 通常対戦は現実の土地の、システムにより区分けされている同じ《戦域(エリア)》にお互いが存在していないとできない。

 大悟の身では、そう簡単にデューが住んでいるらしい港区近辺まで行けないということもあるが、逆にデューを自分の住んでいる世田谷まで呼び出すのもまた(はばか)られた。

 それはバーストリンカーにとって自分の素性、リアルを知らせるのは非常にリスクがある行為だからだ。

 加速世界ではどんな強力なデュエルアバターも、現実では小学四年生以下の無力な子供でしかない。

 話でしか聞いたことはないが、プレイヤーの中にはリアル情報を売買し、その標的となった者のポイントを現実で奪おうと暴力で迫る、《物理攻撃者(フィジカル・ノッカー)》と呼ばれる存在までいると聞く。

 それだけ思考を千倍にさせる加速という能力は、現実でスポーツや勉強、果てはケンカにまで利用でき、子供達にとっては人生そのものに多大な影響を及ぼすツールでもあるのだ。もっとも、大悟も含めて大多数はブレイン・バーストを純粋にゲームとして楽しんでいるのだが。

 次に、会う日はお互いの予定などを考慮したものであることは前提として、週に一度までとした。これはどちらかというと大悟よりもデューの為でもある。

 無制限中立フィールドにダイブするには、毎回十ポイントを消費する上に、内部で死亡した場合は更に消費するポイントが増えることになる。

 聞けば、最近勝率があまり芳しくないらしいデューにとって、ポイントの消耗は特に避けたいだろう。

 最後に、これらリアル割れとポイント消費のリスクを最低限にする為の二つの条件の他、デューを鍛える期限を最低一ヶ月は確約した。ただし、その後はどうするかは決めていない。

 大悟もさすがに、ずっとデューに付き合うつもりはない。最大で四度会っていろいろと教える時間を作るというのなら、充分に義理は果たしたと言えるだろう。

 ──どうせ気まぐれだしな。

 大悟はベッドに寝転がったまま首だけを横に向ける。約半年前まで自分の使っているものと同じ規格のベッドがあったその場所には、使い出してから間もない真新しいルームランナーが設置してある。

 ここ数ヶ月の大悟は小学校から送られてくる教育カリキュラムをこなす(かたわ)ら、虚弱体質と喘息の克服に打ち込んでいた。医学的治療はもちろんのこと、食事や日常生活の行動など、とにかく効果がありそうなものを片っ端から試している。

 ルームランナーも体力づくりと心肺機能向上の一環だ。ただし一日の稼働時間は限られ、最大でも徒歩程度の速度にしかならないように設定されている。おまけに万が一大悟の脈拍が規定した数値を超えれば、アラートがホームサーバーを通して通知され、即座に救急車が手配されるようになっていた。

 大悟のこうした一連の行動は今から半年前、経典が亡くなってから熱を入れ出したものだ。

 それは、弟の分まで生きなければならないという気持ちがあったからに他ならない。

 家族が立ち直るまで相当の時間がかかった。毎日のように泣いていた妹も、ようやく放課後には友達と遊びに出かける程度には元気になった。それでも、家族の誰の中にも悲しみは消えてはいないだろう。もしかすると、生涯消えないのかもしれない。

 自分まで経典の後を追ってしまうことは、絶対にあってはならない。さもなければまた家族が悲しみに暮れることになるのだから。

 丁度その時、玄関の扉が開く音がした。この時間帯では共働きの両親はまだ帰ってこないから妹、それか様子を見に来た伯母や祖母だろう。

 大悟はベッドから起き上がり、部屋を出て居間へと向かった。

 時は二〇四一年七月下旬。今の大悟にはほとんど関係のない、夏休みがもうすぐ始まる。

 



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第五話

 第五話 呼び方

 

 

 港区エリアの片隅に建つ一軒のプレイヤーホームに、大悟は再び訪れていた。入口の扉を軽くノックすると、すぐに「どうぞ」と招く声が返ってくる。

 

「いらっしゃい」

 

 ワンルームの内部には、すでに待ち人達が到着していた。

 一人はダフネ・インセンス。このホームの所有者で、自分も都合が合うときならば、ここを待ち合わせ場所にするといいと提案した人物。初めて会った時のようにクッション張りの肘掛け椅子に腰かけ、ほのかに甘い芳香のする煙を煙管からふかしていた。

 もう一人は──。

 

「来た来た!」

 

 ダフネ同様に椅子に座っていた小柄な騎士アバター、デュー・ウッドペッカーが大悟を見るなり、弾かれたように立ち上がる。

 

「いやーいよいよだね! それでどんなことするの? 筋トレ? って冗談だよ。デュエルアバターに筋肉がつくかってってね! 昨日は緊張でなかなか寝付けなかったんだぁ。あ、返したメール見てくれた? 返信なかったけど」

「あんなとっ散らかった長文読めるか」

 

 前回の対戦での口数の少なさはどこへやら、会うなりまくし立てて喋るデューに、大悟は素っ気なく返す。

 それは昨日のこと。

 前回の対戦後に教え合っていたメールアドレスから、明日予定が空いているかデューへ確認すると、何行にも連なった長文メールが返ってきた。すでにこちらからのメールで待ち合わせる時間と場所は指定しており、それに対しデューが了承したことだけは確認して、大悟はメール画面を閉じていた。

 ──もう帰りたくなってきたな。

 まだ何もしていないのに気力が削られている大悟だったが、約束は守らねばならない。

 

「それじゃあ……始めるか」

「はい! よろしく、師匠!」

「それじゃまず──なんつった?」

 

 意気揚々と妙な呼び方をするデューに、大悟は眉をひそめた。

 

「師匠? 俺が?」

「だってボンズは俺を鍛える人。俺はボンズに鍛えられる人。ならボンズは俺の師匠で、俺はボンズの弟子ってことじゃん?」

「そりゃ理屈じゃそうだろうが……」

「えー、やだ? それじゃあね、えっと……」

 

 呼ばれ慣れない呼び方に渋る大悟に、デューは新たな提案を出そうとする。

 

「あっ、じゃあアニキは?」

「却下。お前さんの兄貴になった憶えはねえ」

「じゃあ……オジキ?」

「張り倒すぞ」

 

 次の案が出るたびに悪化している。そんなやり取りに、ダフネがケラケラ笑っていた。

 

「あぁ、分かった。じゃあ師匠でいい。アニキだのオジキだのよかマシだ」

「よっしゃ、じゃあ改めてよろしく師匠!」

 

 師匠と呼ぶならせめて敬語くらい使えと言おうとしたが、また話が脱線しても面倒なので、大悟はもう口を閉じた。

 

 

 

「ぎゃああああああ!」

 

《砂漠》ステージの乾いた空気によって雲一つない夜空の下、エネミーに追いかけられているデューが悲鳴を上げて逃げ回っていた。

 そんなデューへと、少し離れた小高い砂丘から大悟は声を荒げて指示を出す。

 

「逃げるだけで敵が倒せるかぁ! さっさと反撃しろ反撃!」

「んな無茶な──ひっ!」

 

 デューを追うのは砂地に溶け込む淡い黄色をした、全長二メートル半のサソリ型エネミー。甲殻全体が仄かに発光しているエネミーの伸ばした鋏が背中を掠め、デューは大悟への反論の途中で口を閉じた。

 

「せめてランス返してくれよぉ!」

「それじゃ修行にならないだろうが! 素手である程度ダメージ与えたら返してやる!」

 

 デューの懇願を却下し、大悟は先端部を砂中に突き刺しているデューの強化外装の柄をぐりぐりといじくる。

 

「ねえ、本当に意味あるの? メインウェポンなしでの戦いなんて」

 

 隣に立つダフネが訝しげに訊ねてくる。

 

「さっきもホームで言ったろ。対戦で勝つのに、手札は多いに越したことはない」

 

 デューを鍛えるにあたって、まず大悟は改めてデューの戦い方やアビリティなどの確認から始めた。一度は対戦をしていても、それだけでは知らないことの方がずっと多い。

 デューのアバターとしての強みは大きく三つ。

 一つは馬上槍型の強化外装、《ペック・ランス》。

 ある程度の勢いで対象を突くことで、先端のみに数秒間の連続ヒット効果が発動し、その貫通力は折り紙付き。システム的に破壊不可能でなければ、大抵のオブジェクトは破壊できるだろう。必殺技ゲージを消耗しないのも使い勝手が良い。

 二つ目に必殺技の《スパイラル・チャージ》。

 腕を大きく引いてから突き出すモーションで発動し、螺旋状のエネルギーを纏った突き技。現在のデューの放つ一撃で最高の威力と攻撃範囲を持つという。

 最後にデューが唯一所持するアビリティ、《羽歩法(フェザー・ステップ)》。

 発動すると高速移動が可能になり、なんと発動時の一歩目だけは地面のみならず、何もない空中も足場にできるそうだ。

 大悟との対戦で見せた、減速によるフェイントの原理がこれだ。ただし一定距離を走らないと再発動ができないので空を駆けたりはできず、燃費もあまり良くないらしいが、より使いこなしていけば大いに戦法の幅が広がるだろう。

 

 ──『槍以外の攻撃方法も伸ばすべきだな』

 

 そんなデューの性能を確認してから、大悟が出した今日の課題がこれだった。

 強化外装に頼りきりになってしまうと次の手は読み易くなるし、破壊された場合は勝利から大きく遠のくケースが多い。

 強化外装にアバターのポテンシャルほぼ全てが注がれた、『剣が本体』とまで言われる規格外のバーストリンカーも存在するが、アレは参考になるまいと大悟は口には出さなかった。

 相手と距離を取る遠隔系アバターならともかく、相手に接近しないことには始まらない近接系アバターであるデューならば、素の格闘能力も上げるに越したことはない。

 幸いにもデューの装甲はかなり頑丈で、多少殴られたところですぐには砕けないのは、以前の戦いで実証済みだ。

 

「ランスの間合いの内側に入られたら、即座に格闘で対応する。これができるだけでも地力は上がる」

「そうは言うけどねぇ……いきなり相手がエネミーっていうのはどうなの」

「向こうは手加減なんてしてくれないからな。こっちも死ぬ気で挑む必要がある。必死にやるから技術は身に付くんだ」

「スポ根チックな理屈ねぇ……」

 

 ようやくエネミーに攻撃し始めたデューを眺めながら、大悟の説明を聞いたダフネが半信半疑といった様子で首を傾げる。

 基本的に現在のバーストリンカーで等級を問わずエネミーを単体で倒せる者は、ハイランカーしかいないとされているが、案外そうとは限らない。

 頑丈なデュエルアバターの体力を一撃でごっそり削り取り、逆に渾身の必殺技を受けてもほとんど体力の減らないエネミー達ではあるが、その動きはプログラムされたAIによるもの。対戦相手達の、人間の思考回路ほどに複雑ではない。

 攻撃パターンを把握すれば、全く手が出ないわけではないのだ。無論、エネミーが高位になるほどにこれに当てはまらなくなってくるが。

 

「それに小獣(レッサー)級なら、身体的構造からかけ離れた動きはそうそうしない。動きさえよく見ていれば、時間はかかっても勝てない相手じゃ──どうした?」

 

 不思議そうな視線を向けるダフネに、今度は大悟が首を傾げた。

 

「いや……思ったより真面目に付き合ってくれてるんだなって」

「何だよ、適当に言いくるめて放っぽった方が良かったか?」

「そうじゃないけど……それになんだか手馴れているというか、ちょっと意外。前にも同じように誰か教えたことがあるの?」

「……さてな」

 

 大悟と同じく近接系のデューとは違い、経典の《子》であった彼女はアバターとしてのタイプが正反対なので、よくこちらの助言が参考にならないと衝突したものだ。

 そんなことは話す気にはなれず、さりとて嘘でもそんなことはないとも言えず、大悟はただはぐらかすだけだった。

 

「うおおおおぅ!?」

 

 デューの慌てふためく声が響く。

 サソリ型エネミーが掲げる尾の先端から、オレンジ色の光線を発射していた。地面に着弾する度に、派手に砂が撒き散らされている。

 

「ビーム撃った! ビーム撃ってくるんだけど!? ねえ!?」

「身体的構造が……なんだっけ?」

「はっはっはっ。尻尾が急に増えたわけじゃないだろ。エネミーなんだからビームくらい出すさ。どれ、ぼちぼち手を貸してやるか」

 

 先程までと少し違うことを言いながら、笑ってごまかす大悟はデューのランスを砂から引き抜いて加勢に向かった。

 

 

 

 それからも大悟はデューをエネミーと連続で戦わせていった。危ない局面になると手を貸しつつも、援護以上に手は出さず、時には逆にエネミーをけしかける。

 そうしておよそ丸一日を生かさず殺さずの状態で過ごしたデューは、ズダボロになりながらも一度も手足の欠損や死亡はせずに十ポイント以上を稼ぐことに成功した。

 

「…………」

「今回はこんなところだな……おい、起きろ」

「へうっ!?」

 

 砂漠のあちこちに転がる岩の一つを背もたれにして放心状態になっている、デューの頬を軽く叩いて意識を引き戻す大悟。

 

「しゃんとしろ。今回得た経験を活かして対戦に勝って、そこで初めて成果になるんだからな。それに何匹かエネミーを倒したからって、連戦連勝できるなんて過信はするなよ……って何をニヤけてんだ」

「えっ? いやいや、そっちからこっちの表情なんて分かんないだろ。アーマー被ってんだから」

「雰囲気で分かるわ。ちゃんと話聞いてたんだろうな?」

 

 激しく首を縦に振って頷くデューを見て、大悟はまぁ良いかと肩をすくめる。

 

「今日はもうログアウトして休め。通常対戦もしない方が良い」

「ええっ!? なんでよ? 体が覚えている内に──デュエルアバターの体だけど……教わったことをすぐに実践した方が良いじゃん!」

「あぁ?」

 

 不満そうに異を唱えるデューを、大悟はじろりと睨みつけた。

 

「一晩経って忘れるものを、身に付いたと言えるのかよ」

「うっ……そりゃそうだけどさぁ……」

「丸一日ほぼ休まずに動いたのは今日が初めてなんだろ? 生身の体が疲れるわけじゃなくても、働かせたオツムはきっちり疲れてんだ。休むのも鍛錬と思え」

「うす……」

 

 大悟の指摘に、デューは渋々といった様子で頷いた。

 今は動き通しで、多少なりランナーズハイに近い状態であるのだろうが、一度現実に戻れば精神的疲労がどっと押し寄せることは、大悟もかつて身を以て経験している。

 それでも今回せっかく死亡しなかったデューが勢いで対戦を誰かに仕掛け、疲労でうまく回らない頭が原因でみすみすポイントを失うのも忍びないと思い、念押しをしたのだ。

 

「じゃあな、また連絡する」

「あ、ちょっと。そっちじゃなくてこっちの方が《ポータル》に近いよ?」

 

 結局デューと大悟がエネミー相手に戦っているのを、終始見ているだけだったダフネが、立ち去ろうとする大悟の進行方向とは反対側を指差した。

 無制限中立フィールドでは、自由にログアウトして現実に戻ることはできない。基本的には各所に設置されている、ポータルと呼ばれる離脱ポイントまで移動する必要がある。

 

「いや、俺はもう少し体を動かしてから帰る。デュー、俺の言ったことしっかり守れよ」

 

 そう言って大悟が歩き出すと、しばらくして後ろから声がした。

 

「またねー師匠!」

 

 無邪気なデューの声を受けても、大悟は振り返らずに挙げた右手を軽く振るだけで、砂地を歩き続けた。

 ブレイン・バーストをプレイしていて、誰かに「またね」と再会の言葉を告げられたのはしばらく振りだった。それに──。

 ──師匠、ね……。

 そう呼ばれるのを案外悪くはないと思っている自分に苦笑しながら、大悟はその場を後にした。

 



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第六話

 第六話 果てなき世界

 

 

 一回目の鍛錬の数日後。大悟の元にデューからのメールが届いた。

 内容は、ここ数日の通常対戦で勝率が少し上がったというもの。文面だけでも(いくらか話が脱線気味になってはいたが)喜びの感情が見て取れて、次はいつ会えるのかという言葉で締めくくられていた。

 それから一週間後の現在。二人は二回目の鍛錬の真っ最中だ。

 

「たああぁっ!」

 

 威勢の良い気合が辺りに響き、デューの突き出すランスが、エネミーの鉤爪のついた前肢に突き刺さる。

 今回の相手は、あちこちが隆起した岩のような質感をした巨大な甲羅を持つ、ワニガメに似たエネミーだ。攻撃を受けたエネミーは低い唸り声を上げると、たるんだ皮が皺を刻む太い首がぎゅるんと伸びた。

 そんな伸ばす前では想像もつかない長い首の先、ジャキンと裁断機のような音を立ててエネミーの口が閉じる前に、デューはすでにランスを引き抜いて、噛みつきから逃れている。

 

「よしよし、深追いしすぎないように」

 

 不気味にねじくれ、淀んだ黄色をした腐り気味の木の上から、大悟はデューの戦闘を見守っていた。

 現在のステージは《腐蝕林》。同系統の木属性である《原始林》よりも毒々しく、周りの背景は黄緑気味で発酵臭も強い。最大の特徴は、地上の至る所に紫色をした毒の沼が広がっていることで、踏めば当然体力が減少することになる。

 ──しかしまぁ、思った以上に成長が早い。

 デューの成長ぶりは、大悟の見立てよりもかなり上だった。

 足場の良くない《腐蝕林》ステージでもしっかり立ち回り、エネミーの攻撃を避ける動きにも危なげがない。自分の教え方との噛み合わせが良かったようだが、本人の素養による面もかなり大きいと見える。

 大悟がそんなことを思っていた矢先、デューが攻撃をしようと飛びかかると、エネミーが頭と四肢を甲羅の中にすっぽりと収納してしまった。

 大型のカメというのは、大抵が甲羅から出た部分を引っ込めることができなくなるものなのだが、仮想の生命体であるエネミーにそんな理屈は当てはまらないらしい。

 

「うわあっ!?」

 

 そのままその場で高速回転し始めたエネミーに、デューは攻撃を弾かれて吹き飛ばされた。その先には発酵ガスが泡立つ濁った毒の沼。

 

「足を下に向けろ!」

 

 大悟の指示に、デューは体を折り曲げ、足を地面へと向けた。直後に足裏に羽のエフェクトが舞う。

 

「な……んのっ!」

 

 毒沼に突っ込む寸前、デューは《羽歩法(フェザー・ステップ)》を発動して足場のない空中を跳躍する。そのまま回転の止まったエネミーの元へと放物線上に跳んでいき──。

 

「《スパイラル・チャージ》!」

 

 ランスを天に突き上げた状態で必殺技を発動した。ランスから放出される水色のエネルギー体の勢いに押される形で、デューの右足がエネミーの凹凸だらけの甲羅に着弾する。

 その威力はわずかにだが、このエネミーの体で一番強固な部位であろう甲羅に亀裂が入るほどだった。

 更にデューは地面に着地してもそのまま止まることをせず、疾走から再度アビリティを発動して、エネミーの吐き出す泥の弾丸をも飛び越えていく。

 

「ここだぁっ!」

 

 そうしてエネミーの甲羅、亀裂を入れたばかりの場所めがけて、ランスを突き立てた。

 

 ガガガガガ……バキィン!! 

 

 連続ヒットの効果を持つランスが甲羅の亀裂に深く刺さっていき、数秒の後に亀裂が甲羅全体に一気に広がった。体力ゲージを大きく削られ、エネミーが激しく暴れる。

 

「おぉ!」

 

 これには大悟も思わず驚きの声を上げた。

 おそらく普通に必殺技の《スパイラル・チャージ》をエネミーの甲羅にぶつけたところで、与えられるダメージはそう多くはなかっただろう。

 そこでデューは必殺技を推進力として利用し、硬い甲羅に衝撃が加わりやすい蹴りを選択した。そうして小さいながらも亀裂が入り、その場所へ威力が一点に集中する貫通力に秀でたランスによる追撃。

 結果、対象が小獣(レッサー)級とはいえ、エネミー相手に大ダメージを与えることに成功したのだ。

 大悟はデューに、発動時の一歩目のみは空中であっても着地可能な《羽歩法(フェザー・ステップ)》で、毒沼への落下を防ぐように指示を出した。

 だが、そこまでだ。そこから先は他でもないデュー自身が考え、行動に移し、成果を出した。

 二週間近く前のデューとは完全に別人の動きだ。この動きや判断が対戦でもできれば、レベルアップもそう遠くはあるまい。

 大悟がそんなことを考えている間にも、デューとエネミーの戦いは続き、徐々に後退していくエネミーが、辺りに点在する中でも一際広い沼に足を踏み入れた、その瞬間だった。

 沼から飛沫が柱になって上がり、何かが飛び出してきた。

 現れたのは、紫色の斑模様をしたヤツメウナギに似たエネミー。沼から出ている部分だけでも高さは四メートル、尖った牙がぐるりと並ぶ円形の口の直径は一メートル近い。

 

「これはまずいな……」

 

 現在デューの相手である小獣(レッサー)級のワニガメエネミーの上、《野獣(ワイルド)級》よりも更に一段階上位のエネミー、《巨獣(ビースト)級》エネミーの登場に大悟はすぐさま木から降りる。

 ヤツメ(仮称)はデュエルアバターのデューではなく、ワニガメエネミーへと襲いかかった。

 察するにこの広めな沼がヤツメの縄張りで、デュー相手に後退していたワニガメエネミーが足を踏み入れたことで攻撃してきたのだろう。エネミーが別種のエネミーを襲う場面というのはかなり珍しいが、真偽を調べる時間も、呑気に観察している暇もない。

 

「な、なん──べっ!?」

 

 暴れる二体のエネミーが撒き散らす毒沼の飛沫が、この光景に呆気に取られていたデューの顔面へ直撃した。

 

「……ったく何やってんだ」

「うぅ……べぺっ」

「ほれ、逃げるぞ」

 

 慌てるデューの元に到着した大悟は、デューの顔に付いた毒液を拭ってやると、すぐにこの場から離れるよう促す。

 ところが、デューは首を横に振った。

 

「はぁ!? 嫌だよ! せっかくあそこまで追い詰めたってのに! あのやたら頑丈なのをあそこまで体力削るのにどれだけ時間かけ──痛ってえ!?」

「馬鹿野郎! あんなデカブツ、二人だけで相手できるか!」

 

 喚くデューに大悟は拳骨を降らせて黙らせる。

 巨獣(ビースト)級ともなると、よほど相性が良くなければ、仲間が二十人はいないと勝負にすらならない。

 

「それに見ろ、お前さんの相手はもう駄目だ」

 

 大悟が指差す先で、ヤツメは口をワニガメエネミーの甲羅にへばりつけると、ゴリゴリと氷を砕くかき氷機のような音を立てながら穿ち抜いてしまった。

 甲羅の中の心臓部まで貫かれたのか、ワニガメエネミーが光の欠片となって消えていく。

 その奥からこちらを覗くのは、魚特有の感情の窺えない目玉。

 デューももう文句は言わずに大悟と二人、逃走を開始した。

 背後から聞こえてくるのは、ヤツメが長い胴体をずるずると引き摺る重い音と、頭部左右に規則的に並んでいた丸い鰓孔(えらあな)から出ているのだろう、ヒューヒューという空気音。

 

「ししし師匠! アイツ追いかけてくんだけど!? 意味分かんねえサカナのくせに!!」

「粘液のおかげでしばらく陸でも行動できるのかもな。そんなのどうでもいいから前向け前! 後ろに気ぃ取られて沼にでも嵌ったら追いつかれるぞ!」

 

 ヤツメは縄張りの侵入者を誰一人逃がすまいと、時折木々をなぎ倒しながら執拗に追いかけてくる。

 どうにかして振り切らなければ死亡は免れない。そんな状況下で、前方に人影の姿を大悟は捉えた。

 湿気による薄い霧の向こうにいたのは、ホームに残っていたダフネだった。気が向いたら見物に来ると言っていたが、暇になって出てきたのだろうか。それにしても間が悪い。

 

「おい逃げ──」

「やった……! ダフネ、頼むよ!」

 

 その場を動かないダフネに大悟が逃走を促そうとするより先に、デューがどこかほっとした声を上げた。

 

「師匠、ダフネの技を受けないように横に避けるよ。一、二の……三!!」

 

 自信ありげなデューに言われるがまま、大悟は質問せずにダフネの直線上から横に逸れると、距離にしておよそ四十メートル前方、煙管を握るダフネが鋭い声を飛ばす。

 

「《セダティヴ・フレグランス》!」

 

 ダフネが煙管を大きく横に振ると、その火皿から薄青色をした煙が噴出した。

 大悟とデューが横に跳んでも、その巨体故にすぐに止まれなかったヤツメは、ダフネの必殺技による煙に突っ込んだ。

 途端に地面を高速で這いずっていたヤツメの動きが緩慢になる。とうとう前進を止め、まるで忘我状態のようにゆらゆらと頭を揺らしだした。目と鼻の先にいるダフネを襲う様子もない。

 本来はデュエルアバター対象の必殺技だろうに、巨獣(ビースト)級エネミーにここまで効果を及ぼす(さま)に目を剥きながら、大悟はダフネの元に歩いていく。

 

「……一発でエネミーを非攻性化なんて凄い技だな」

「単純な相手ほど良く効くの。前に気絶していたあなたを助けた時もコレ使ったんだから。でもこれだけ大きいエネミーだと、あんまり効き目は長くない。ちょっと小突いただけですぐ我に返るから──」

 

 ダフネが少し得意げに解説していると、ミシミシと何かが軋む音がした。

 音の発信源は未だに動く様子のないヤツメの後方に立つ、ねじくれた一本の木。ヤツメが体をくねらせて前進していた拍子にぶつかりでもしていたのか、時間と共に不自然に折れ曲がっていく。

 

「ねえ、これヤバいんじゃ……」

 

 大悟の隣でデューが呟いた。

 どんどん曲がっていく木の根元近くには、ヒレのついたヤツメの尻尾。

 

「ダフネ、さっきの必殺技は?」

「ゲージが足りないから無理ね……連続でやっても効果が薄くなるし」

「じゃあ逃げるぞ」

「え? きゃあ!? ちょ、ちょっと!」

 

 大悟はすぐさまダフネを肩に担ぎ上げ、じたばたと暴れられるのも無視して逃走を再開した。デューもすぐに続く。

 その数秒後にはズゥン! と重い物が倒れる音と振動の後、倒れた木に尻尾が下敷きになったヤツメの奇妙な鳴き声が辺りに響き渡った。

 

 

 

「はぁー……」

 

 どうにかヤツメを撒いて、ダフネ所有のプレイヤーホームに戻ってから、大悟はデューを連れて、また出かけていた。

 ダフネも誘ったが、後ろ向きの状態で大悟に担がれていたことで、追ってくるヤツメとしばらく見つめ合ってしまったせいで気力が削がれたと、ホームに戻るなり椅子にぐったりと体を預けて動かなくなってしまった。

 

「はぁ~あ~……」

 

 これ見よがしに溜め息を吐き続けて後ろを歩くデューに、無視していた大悟は仕方なく後ろを振り向いた。

 

「いつまで引き摺ってんだ」

「だぁってよ、今回は師匠の補助なしで……口でアドバイスはあったけど、一人でエネミーを倒せるとこだったんだよ? それをさー、あのウナギがさー。……あー、なんだか腹減ってきた。夏バテにはウナギが良いって言うよね、土曜の牛の日……あ、今日土曜日だ。誰か傷心の弟子にウナギご馳走してくれる師匠がいないかなー?」

 

 別に土曜日のことを指してはいない上に、今年はもう過ぎている土用の丑の日を持ち出して、中々に図々しいことを言い出したデューに、今度は大悟が溜め息を吐く番になる。

 

「アホなこと言ってんな。デュエルアバターに水も食事も必要ないだろうが」

 

 デュエルアバターが栄養不足で餓死をすることなどまずないのだが、無制限中立フィールド内にはショップをはじめとして、食料品や食材アイテム、飲み物などの飲食物を入手することはできる。実際に大悟も飲み食いの経験は幾度となくあるものの、デュエルアバターの身には空腹は無視できるものだ。

 ところが、デューは「えー?」と異論を唱えだす。

 

「でもさ、食べることは栄養を摂る以外にも生きる上での楽しみだって言うよ? ちょっと前にダフネがスープ作ってくれたことがあってさ、あれうまかったなぁ……味も具の触感もリアルと変わらなかったし」

「生きる上での楽しみ、ねぇ……」

 

 所詮は娯楽の域を出ないと断じるのは簡単だが、長時間の鍛錬の中で休憩も兼ねて軽食を摂ることは、モチベーションの維持に効果があるのかもしれないと、大悟は一考する。

 ──……今度何か用意しておくか。確か前に握り飯が売っていたショップがあったような……。

 

「……ところで、今どこに向かってんの? まぁまぁ歩いたけども目的地はまだ? もしかしてこのステージでしか出現しないエネミーとか探してる?」

「ん……あぁ、もう少しで着く。今の食べ物の話じゃないが、ずっと戦い通しで根を詰めすぎるのも良くないからな。少し息抜きだ」

 

 訊ねるデューにそう答えてから、しばらくして大悟が足を止めた場所は、現実の高層ビル群に該当する巨木が立ち並ぶ場所だった。

 その高さを見上げるデューがげんなりとした様子で呻く。

 

「息抜きって木登り? 何もこんなバカでかいのを登らなくたって……」

「《腐蝕林》ステージは建物進入不可能だからな、エレベーターが無いんだ。いいからもう少し付いてこい」

「もう少しって?」

「一番上まで」

 

 巨木の一つに足をかけ、大悟は瘤などの突起によって見た目よりもずっと登りやすい幹をひょいひょいと登り始めた。下を向くと、デューがいかにも渋々といった様子で付いてきている。

 登ること数十分。二人はようやく木の天辺に辿り着いた。

 

「ひぃ……や、やっと着いた……」

 

 乗っても問題ないほどに繁茂している濃い黄色の枝葉の上で、デューが大の字に寝転がった。

 大悟もその場で胡坐をかき、軽く息を整えてから指を差す。

 

「ほれデュー、景色を見てみろ」

「景色ぃ……? そんなの見たって腹膨れないじゃん」

「いいから、ほれ」

 

 大悟に促され、のろのろと体を起こすデュー。いかにも乗り気でなさそうな様子はすぐに変わった。

 目線の先に広がっているのは、世界。緑色した空の下、どこまでも広がるジャングル。少し向きを変えれば、更に広い海が見える。

 

「…………すげえ」

「たまには良いもんだろ? こういうのも」

 

 大悟は長く加速世界に留まるときは、時折このような高い場所に登って景色を眺めることがある。エネミーとの戦いや技の修練の中でのわずかな休息、気分転換。また、今回のようによじ登ることもアバターの動きや機能を理解するという点で、まったく無駄な行為というわけではない。

 

「本当にどこまでも広がってるみたいだ」

「ブレイン・バーストはソーシャルカメラの範囲内だから、日本の領土までしか存在しないはずだがな。ステージが変わるだけで、この場所から見る景色も大きく様変わりする。《腐蝕林》は特別見栄えの良いステージでもないんだが、それでも中々……」

「へぇー……見てみたいなぁ、もっといろんな場所」

 

 デューの様子を見るに、どうやら連れてきた甲斐はあったようだ。

 じっと景色を眺めるデューを横目に、大悟は咳払いをしてから口を開く。

 

「……それとな、さっきのエネミー相手の動きはかなり良かった。成長が目に見えていた。レベル4になって間もないのに、あそこまで立ち回れる奴はそうはいないはずだぞ」

 

 ──あ、しまった。あんまり褒めると……。

 つい褒めすぎたかと大悟は思ったが、もう遅い。

 こちらを向いてぽかんとするデューが、ゆらゆらと体を揺らしだす。

 

「へへへー。えーなんだ師匠ってば、俺が落ち込んでるからってわざわざここに連れてきてくれたんだ。無愛想に見えて、なんだかんだ弟子思いなんだからこのこのー。もっと素直になれば良いのに。あ、あれだね、いわゆるツン──あだだだだだ!?」

 

 肘で小突いてきたり、ばしばしと背中を叩いてくるデューの右腕を取って、大悟は関節を極めた。

 

「調子に乗るな」

「イ、イエッサー! イエッサッサー!」

 

 大悟はギブアップ、と自由な左手でタップをするデューを離してやる。

 

「俺をからかおうなんざ百年早いぞ」

「ひー痛てて……冗談通じないんだからもう……」

「そういえばお前さん、そこまで強くなりたいってのは、何か目標でもあるのか?」

 

 ただ何となくだった。そんな疑問が頭に浮かんで、大悟はデューに訊ねてみた。特に深い意味もなく、会話のネタ程度のつもりで。

 

「……うん。俺にはどうしてもやらなくちゃならないことがある。あいつを……《全損》させる。俺の《親》をそうしたように、今度は俺が《ブルー・ナイト》を永久退場させてやるんだ」

 

 そんなことを口にするデューのアイレンズに、大悟は一瞬だけ昏い炎が燻っているように見えた。

 



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第七話

 第七話 樫に啄木鳥、鉱床に金糸雀

 

 

 大悟は一人、来た道を戻っていた。もう帰っている可能性も高いが、彼女に話を聞きたかったのだ。

 幸いなことに大悟が着いた時には、プレイヤーホームからダフネが出てくるところだった。丁度帰るところだったらしい。

 

「あら、一人でどうしたの? 出かけてそのままログアウトするって言ってたのに。デューは一緒じゃないの?」

「ポータルから先に帰らせた。少しお前さんと話したいことができてな」

 

 デューと一緒に登った巨木には、木の中腹辺りにできた(うろ)の中にポータルもあったので、大悟はデューを先にポータルへ進ませ、自分はダフネのプレイヤーホームへと戻ってきていたのだ。このことはデューには伝えていない。大悟が自分の後に、ポータルをくぐっているとしか思っていないだろう。

 

「そんなに私と二人で話したかったの? やだ、告白でもされるのかしら……」

 

 いかにもわざとらしい動きで、両手を頬に当てて首を振るダフネに取り合う気はなく、大悟は単刀直入に話を切り出す。

 

「デューの《親》について知りたい」

 

 途端にダフネがぴたりと動きを止め、こちらへの視線が真剣味を帯びた。

 

「……中で話しましょうか」

 

 ダフネに促され、本日三度目のホームへの入室をする大悟。

 椅子に腰かけると、テーブルを挟んで対面する形になったダフネが先に口を開いた。

 

「あの子が……デューが何か話したの?」

「熱心に強くなろうとする理由が、《親》の敵討ちだと」

「それを聞いて止めなかったの?」

「別に止める理由はないからな。本人相手に根掘り葉掘り聞く気もなかった。そこまで野暮じゃない」

「そう……」

 

 少しだけ憂鬱そうに、ダフネは煙管を取り出して口につける。どういった仕掛けか、火皿から勝手に煙が出始め、室内に甘い匂いが薄く香っていく。

 

「……《オーク・シェルフ》って名前のバーストリンカー、聞いたことある?」

「シェルフ? あぁ、何度か対戦したことはあるな」

 

 唐突にダフネが出した名前を、大悟は知っていた。

 オーク・シェルフ。カラーは防御に秀でる緑系で、木刀を用いた打撃をメインに、団栗(どんぐり)に似た形の指弾を撃ち出す牽制まで行う、どのレンジの相手にも対応できる万能型のデュエルアバターの名だ。性格は生真面目で、正々堂々とした真っ向勝負をする男だった。

 

「去年の年末頃だったか。その時期くらいからほとんど見なくなったが、そうか……もういないのか。あいつ……」

「そう、デューの実のお兄さんで、《親》……だったの」

 

 ダフネが溜め息と同時に煙を吐く。

 大悟には分からないことがいくつかあった。

 デューの《親》であるシェルフは、新宿周辺で主に活動するブルー・ナイト率いる《レギオン》に所属するメンバーの一人だったはずだ。

 レギオンとは、四人以上のバーストリンカーが特別なクエストによりシステムから承認された、他のゲームでいうところのギルドなどに該当する集団。必ずしも誰もがそうではないにしても、メンバー間の仲間意識はそれ以外の者達に比べて強いものになる。

 その上ナイトは、現在のブレイン・バーストにおいて最強とされる《純粋色(ピュア・カラーズ)》の一角であり、実力は元より性格も戦い方もまさに王道中の王道。実直なシェルフとは性格上の相性は良いはずなのだ。少なくとも大悟には、二人が仲違いする光景が想像できない。

 にもかかわらず、ナイトがシェルフをポイント全損に追いやった、とデューは言っていた。

 バーストポイントを全て失った者は、ブレイン・バーストがニューロリンカーから自動アンインストールされ、二度とインストールすることができなくなる。

 加えてもう一つの『ペナルティ』も合わせて、バーストリンカーとしての完全なる『死』であることは間違いない。

 

「シェルフがどうしてナイトに全損させられたのか、お前さんは知っているのか?」

「直接は知らないけれども、理由は……なんとなくはね。でも……」

「デューが慢性的なポイント不足なのと、何か関係があるのか?」

 

 大悟の質問を受け、ダフネがライムグリーンのアイレンズを大きく見開いた。

 

「どうしてそれを……ううん、いつから分かっていたの?」

「初めて会った日の対戦。対戦開始から、終始あいつは必要以上に張り詰めていた。負けが込んでポイントが枯渇した奴の典型だ」

 

 あの時のデューは対戦開始直後から無駄口を叩かず、余裕がなかった。こちらの方がレベルは上であったし、いくらか緊張すること自体は別段おかしなことでもないのだが、それを加味しても大悟の目にはやけに過剰に映ったのだ。

 特に片脚を斬り落とされてから見せた、あのパニックにも近い狼狽振り。あれはもはや異常と言っても差し支えない。

 この理由について、大悟は確信に近い形で見当が付いていた。

 

「日常生活で加速能力を使っているんだろう? で、ポイントを稼がないといけない焦りから、プレッシャーで負け越しが続いていたと」

「…………」

 

 ダフネは何も言わない。その沈黙が正解と言っているようなものだった。

 バーストリンカーはニューロリンカーを装着状態で《バースト・リンク》のコマンドを唱えることで、一ポイントを消費し、一度で最大一.八秒間の思考を千倍に、つまりは体感でおよそ三十分間にすることができる。

 この際に《初期加速空間(ブルー・ワールド)》と呼ばれる周囲が青一色に染まった仮想空間内で、ブレイン・バーストプログラムを開き、システムに区分けされた同エリアにいるプレイヤーと対戦をマッチングする。だが、ここではそれ以外のことも可能になる。

 そこでは肉体の現在位置からネットアバターの体で、ソーシャルカメラの映る空間であれば移動が可能であり、外部プログラムを立ち上げることもできるのだ。テストの答えを知ることなど造作もない。

 あるいは自身の思考のみを三秒間のみ十倍に加速する、《フィジカル・バースト》のコマンドを使えば、体感時間が三十秒に伸ばされるので、スポーツではとっさに下さなければならない判断を、余裕を持って行うことができる。それは取っ組み合いのケンカにも通じるだろう。その引き換えは五ポイント分の消費。

 どちらのコマンド使用によるポイント消費もわずかな損失だ。それが一度や二度で済めば。

 多用すれば、ポイントなどあれよあれよと消費していってしまう。そして、人間は一度得た利便性を手放すことは非常に難しい。

 だからこそ、バーストリンカーの中にはこれを理由に、ブレイン・バーストを失わないように必死でポイントを稼ごうとする人間が一定層存在する。

 それはこれから小学校高学年、中学生、高校生と成長と共に年齢層が上がるにあたって、更に増えていくのだろうという懸念も大悟にはあった。

 

「あぁ、いや。話したくないのならいい」

 

 沈黙するダフネを、大悟は小さく手を振って制した。リアルに関わる言いたくもないことを、無理に聞き出してまで知ろうとは思わない。だが、もう一つのことについては別だ。

 

「分からないのは、どうしてそれだけポイントに余裕がない奴が、ここに足を運んでいたのかってことだ。そこだけはどうにも気になってな」

 

 この無制限中立フィールドへダイブする為の、《アンリミテッド・バースト》のコマンドを唱えるには、十ポイントを必要とする。エネミーを倒して補填はできても、口で言うほどに容易ではないし、通常対戦に比べればコストパフォーマンスは遥かに悪い。

 

「……エネミーの群れと戦うあなたを見つけたのは、パトロールの最中だったって、前に言ったでしょう?」

「パトロール……あぁ、この辺りを見回っているってやつか。そういえばそんなこと言っていたな」

「ほぼ毎度あの子はそれをするんだけど……要するにデューは《親》の、シェルフの背中を今でも追いかけているの」

 

 ようやく口を開いたダフネの説明を受けても、まだよく分からない大悟は首を傾げた。

 その様子が可笑しかったのか、小さく笑ってからダフネが続ける。

 

「シェルフも同じことをしてたの。週に一度はこっちにダイブして、どこかにエネミーに倒されそうなデュエルアバターがいないかどうかって見て回る。以前にエネミーに襲われてピンチだった自分が、他のデュエルアバター達に偶然助けられたからだそうよ。そんなことを、デューは駆け出しの頃から話にだけは聞いていたみたい」

「なるほど、《親》の影を追っているわけか」

 

 ──《親》なしのオリジネーター(おれ)には理解できない行動だな。

 なるほど、とは言いつつも大悟にはあまり意味のある行為には思えなかった。千倍の加速空間で誰かと出会う確率はおそろしく低い。それでポイント枯渇に近付いているのなら、元も子もないだろう。

 

「聞いても意味不明って顔ね」

 

 そんな気持ちが頭巾を纏った顔にも出ていたのか、大悟の考えはダフネに読まれていた。

 

「私も同感。でも利益とかに関係なくても、そうしたいって気持ちはきっと誰にも止められないこともあると思う。人は感情で生きることも多いから」

「…………」

 

 その言葉に何故だか反論ができず、今度は大悟が黙る番となる。壁掛けのアナログクロックの秒針を刻む音だけがホーム内に響く。

 

「──自分で言うのもなんだけど私ね、結構モテるの」

「あん?」

 

 しばし流れた沈黙を破ったのは、ダフネのそんな発言だった。

 

「本当に自分で言うのもなんだな。藪から棒にどうした」

「まぁまぁ、ちょっとした雑談だと思って聞いてよ。小さい頃から家族も周りの大人達も友達も、みーんな私を可愛いって言ってくれるのね。謙遜もかえって嫌味みたいに受け取られるから、そのうち上手く流すことを覚えたんだけど、それはブレイン・バーストでも同じ。このデュエルアバターも、結構な美人の部類に入ると思わない?」

「んー……まぁそうだな」

 

 じっと目の前のダフネを眺めてから、大悟はそんな生返事をする。

 イブニングドレスに纏った装甲兼装飾品の他、光沢のあるセミロングヘアー、細身ながらしっかりと女性的ラインが目立つプロポーション。その容姿とさして乖離しない、大人びた立ち振る舞い。

 魅力があると言って差し支えないのだろう。ただ、それ以上の感想を大悟は抱かなかった。何も出会いを求めてブレイン・バーストをやっているわけではないので、そんなことは正直どうでもいい。

 

「で、そんな私は学校でも一部の男子にはちやほやされて、一部の女子にはやっかみを受けるわけ。気付くとリアルで友達と思えるような人はいつの間にかいなくなってた」

「やっかみねぇ。そういうものか?」

「女の子は特にそのあたり早熟だからね。加速世界でもリアルほどじゃないにしたって似たようなものでね。でも別に《親》や《姉妹》達がいたから寂しくはなかった。いつも一緒に行動しているわけじゃなかったんだけど、全員がF型で花の名前が付いていたこともあったからなのかな、性格はバラバラなのに妙に馬が合ったの」

 

 これまでブレイン・バーストのコピーインストールは回数制限がなかったのだが、今年の春過ぎ頃から一回のみしかできなくなったらしい。プレイ人口が千人ほどになって、この数が『あらゆる意味』での上限なのではないかというのが、バーストリンカー間で一番多い定説となっている。

 つまりブレイン・バーストでは現状、もう新たに《親》を同じとする《兄弟》や《姉妹》という存在が増えることはないのだ。

 

「……でも一年以上前に《親》が全損して、しばらくは頑張って彼女の夢を継いでいこうと活動もしたけど、拠点になる領土も確保はできなくて、結局《姉妹》もバラバラになっちゃった」

「それで一人か……《子》は作らなかったのか?」

「話ちゃんと聞いてた? 女子からは敵意持たれて、そうでなくとも一緒にいて目を付けられたくないから関わってこないのがほとんどで、男子に至っては直結なんてした日には、面倒くさいことにしかならないでしょうが。別に進んで好かれようとは思わないけど、自分から嫌われにいく気もないの」

「お、おう悪い……」

 

 むっとした様子でまくし立てるダフネに圧倒され、大悟は思わず謝ってしまう。特殊学級に籍を置き、同年代と集団生活をすることがない大悟は、このあたりの機微には基本的に疎い。

 

「で、それからしばらくして私は隠居生活をすることに決めた。プレイヤーホームを買ってのんびり過ごして、たまに対戦してポイントを補填するようなね。でもホームって高いじゃない? 保有ポイントだけじゃ、とてもじゃないけど足りなかった。だから対戦をして稼ごうとしたんだけど、それでも中々貯まらない。このか弱い細腕じゃあね」

「毒入り弾撃ってくる奴が何を言ってんだか」

 

 少なくとも大悟はこれまで、か弱い『だけ』のF型になど会ったことがない。

 たとえ腕力では劣る華奢なアバターであっても、その他の何かで補われているものがデュエルアバターであって、そこに男女の差はないと大悟は思っている。

 鼻で笑う大悟に対し、ダフネは軽く肩をすくめるだけだった。

 

「それでも常勝とはいかないのは分かるでしょ。そんなこんなで去年の秋の終わり頃には、当初の目標ももう諦めかけてた。そんな時に対戦相手としてシェルフと初めて会ったの」

 

 ここで再びオーク・シェルフの名が出てきて、さすがに大悟でもこの後の展開が読めてくる。

 

「それからもちょくちょく対戦するようになって、ある日ギャラリーで一緒になって話す機会があった。ホーム購入について話すと、彼は手伝うと言ってくれてね」

「そうしてこのホームを買ったと。それまで誰かに協力を頼んだりしなかったのかよ」

「確かに他のプレイヤーに手伝ってもらうこともあった。というより向こうからタッグに誘われることの方が多かった。私が遠距離攻撃や支援系の必殺技が使えるから、近接系アバターには特に。でもね……」

 

 いきなりダフネの歯切れが悪くなるので、大悟は不思議に思いながら続きを促す。

 

「でも?」

「んー……自意識過剰? って言われればそれまでだけど、組んで何度か対戦していくとその人の私を見る目が変わってくるというか……態度が必要以上に慣れ慣れしくなるというか……なんだかイヤな感じになっていくの。一番ひどいものだと、対戦開始早々にいきなりハグしてきた上に顔を近付けてきたバカがいてね」

「それはまた……とんでもないのがいるもんだな」

 

 ご愁傷様です、と他人事のように(実際そうだが)大悟は苦笑いした。

 ダフネは直接的な言葉を使わないが、要するにタッグパートナーから惚れられてしまうらしい。しかもダフネにはその気がないのに一方的に。

 それだけ向こうの頭がおめでたかったのか、はたまたダフネの仕草が向こうに勘違いをさせてしまっていたのか。

 

「それでその後どうした」

「大事なとこ蹴り上げてから、ありったけの銃弾をそこにぶち込んだわよ。それからそいつとは二度と組まなかったし、話もしなかったし、会っても逃げた。探せばそんな人ばかりじゃないんでしょうけど、私はもう嫌になっちゃって。そんなことのあった後だから、最初はシェルフの申し出も断ったんだけど……『困っている人をみすみす放っておけない』だとか、『君の力になりたい』とか言ってくるわけ」

 

 そういえばそういう奴だったと、大悟はシェルフの人となりをより詳しく思い出す。

 融通の利かない超がつくほど真面目な男。そのくせ、対戦では柔軟な対応や多彩な動きをするのだ。個人的にはかなり対戦しがいのある相手だった。

 

「あんまりしつこいからこっちが折れて、何度か一緒に戦ったらコンビも自然解消しようと思っていたんだけど……」

「そうはしなかったわけだ」

「いやまぁ……うん。実際に勝率はぐんと上がったし、戦い方のアドバイスとかもしてくれたし、それまでの人達みたいに接し方が変わることもなかったし? 悪い人じゃないかなって。それでこうしてホームも買えて、デューとも知り合って──」

 

 煙管を手の中で(もてあそ)びながら話すダフネは大悟を見ず、努めて何気ない様子で答えていたが、すぐに大悟の視線に感づいたのか顔を上げて、大きく咳払いをする。

 

「……なによ?」

「別に。それでお前さん、結局何が言いたかったんだ?」

「別に? オチなんて求めないでよ、芸人じゃないんだから。そんな損得勘定なしに動く人もいて、そんなことがあったってだけの話。言ったでしょ、ただの……雑談よ」

 

 そう言ってから煙管を咥えつつ、窓に顔を向けたダフネの横顔が、大悟には泣きそうになるのを堪える少女のそれに見えた。

 

 

 

 石ころだらけの坂道をひたすら走る。

 これが夢であると、すぐに理解していた。デュエルアバターの体ならいざ知らず、生身の姿である自分が、こんな急勾配の荒れ道を走り続けていられるはずがない。

 目線の先、一羽の鳥が先を飛ぶ。

 鮮やかな黄色い羽毛をした小鳥だ。必死で足を動かしていても、距離は段々と遠くなっていく。一本道を鳥が真っすぐに飛んでいることだけが、未だに見失っていない理由だ。

 やがて坂道が終わった。

 目の前には岸壁が左右に見渡す限り広がっていて、正面に人ひとりがどうにか通れそうな裂け目があった。その裂け目の中に鳥は入っていく。

 鳥を追いかけて、裂け目の中に入る。

 日光が届かなくなる寸前の場所に一本の松明(たいまつ)が灯っていた。真っ暗な奥を見て少しためらうも、松明を持って先に進む。

 分かれ道がいくつか続いていても、足が勝手に道を選んでひたすら進んでいく。いつしか時間の感覚も曖昧になっていった。

 道が途切れた。

 通り道の天井から地面までを、一つの大岩が塞いでしまっている。いくら叩こうが押そうが微動だにしない。仕方なく来た道を戻ろうと振り返る。

 黄色い鳥が地面に落ちていた。

 松明を放り捨て、慌てて鳥に駆け寄って両手で拾い上げるが、瞼を閉じた鳥は全く動かない。どうしたらいいのか分からずにいると、鳥の体は淡い輝きを放つ光へと変わり、消えてしまった。

 何故だかひどく悲しくて、胸に疼くような痛みが走ると、背後を風が撫でた。

 それまで道を塞いでいた大岩が消えている。

 大岩の向こうは暗闇ではなかった。六畳程度の広さの空間、そこの至る所から発光する鉱石が突き出ている。透明に輝く六角柱型のそれは水晶だ。

 空間の中心には一際大きな水晶があった。その水晶の奥に人影が見えて、思わず手を伸ばす。

 水晶が触れる寸前に砕け散った。

 連鎖するように周りの水晶群も砕けていく。まるで自分に触れられるのを、拒否しているかのように。

 周囲が完全な闇に包まれた。

 背後に置きっ放しだった松明もいつの間にか消えていて、何も見えない真っ暗闇の中、足元の地面が消えたことを感覚で理解する。

 奈落の底へと頭から落下していく。

 上の方で誰かと誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、助けは求めなかった。勝手に離れていった自分には、そんな資格がないと思ったから。

 汗だくになった大悟が自室のベッドの上で目を覚ますまで、あと三秒。

 



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第八話

 第八話 貪欲なる王

 

 

 次に大悟がデューの鍛錬を行うことになったのは、盆を過ぎた八月中旬のことだった。詳しくは確認しなかったが、デューもデューで忙しかったらしい。

 ようやく都合の合った当日の待ち合わせの時間になり、大悟は無制限中立フィールドに赴いたのだが──。

 

「遅い……」

 

 薄青色の空の下、大悟は一人呟いた。

 デューによると今回ダフネは来られないらしいので、これまではプレイヤーホームが出現していたこの場所は、今は何もない空き地である。ブレイン・バーストでは、ホームの鍵を所有する者が接近しない限り、施錠されたホーム自体が出現しないのだ。

 それでも変わらずにここを集合場所にしたのだが、デューは待てど暮らせど現れず、大悟はこうして待ちぼうけをくらっていた。

 前回も前々回もデューは先に待っていたのに、今回はどうしたのだろうか。そう考える大悟は一つ心当たりを思い出した。

 ──パトロールってやつかな……? 

 無制限中立フィールドにダイブしたら毎回行っているという、周囲の見回りをしているのかもしれない。それでも時間になって来ないのなら何かあったと考えるべきだろう。

 このままこの場所にいるのにも焦れてきた大悟は、ここは一つ探し回ろうと決めた。

 まだ着いて三十分そこそこだが、待たされるのは好きではない。ここではリアルのようにニューロリンカーで連絡を取ったり、暇を潰すこともできないので尚更だ。

 入れ違いになるのも考慮して、ストレージから一本の筆を取り出す。自動で墨汁が染み出すそれで、大悟はこの場を離れる旨と離れた時点でのリアルでのおおよその時刻を、一つの岩に書き込んだ。

 この《砂塵》ステージのほぼ唯一のギミックである、巻き込まれれば全身を鑢がけにされた末に死亡する危険もある砂嵐が通りさえしなければ、メッセージが読めなくなることもないだろう。もし結局出会えずじまいになったのなら仕方ない、そんな日もあると諦めることにする。

 

「どこで油を売っているのやら。理由によっちゃ拳骨だな」

 

 そうして、砂嵐を回避しがてら、現実の建物が変化した褐色の巌窟で休憩を一度挟みつつ、適当な方角に足を運ばせることおよそ一時間。大悟の気を引き締める事態が起きた。

 

「これは……」

 

 現実では港区の白金台、広い敷地を持つ《自然教育園》よりも少し北東に位置する、大悟の記憶では何かしらの研究施設か病院だったはずの敷地内。

 この場所の岩や地面にいくつかの妙な黒ずみが見られた。その部分はまるで溶けたかのように不自然に形が崩れているのだ。顔を寄せてみると、かすかに()えた匂いが鼻をつく。

 そしてすぐ近くの地面に、心当たりのあるサイズをした足跡を見つけた瞬間、大悟の胸中を嫌な予感が占めていく。

 分かったのはデューが『何か』に遭遇し、戦闘になったということ。この足跡はデューが強く踏み締めたことでついたものだろう。

 問題はそれがいつのことなのかということと、デューの所在だ。

 ──この黒いの、そう古いものじゃないが二、三時間でできたものでもないな……。

 大悟が黒ずみに触れても、その表面の細かい砂粒しか指には付かない。

 無制限中立フィールドでデュエルアバターが死亡した地点に発生する《死亡マーカー》は見当たらない。この場から逃走したのなら、大悟との待ち合わせ場所に着いていただろう。

 交戦中に戦闘から離脱できたのはいいものの、ダメージを受けすぎたので一度ポータルでログアウトした後に、全快の状態で集合場所に戻ろうとしている。そんな線も有り得ない話ではないのだろうが、そう楽観的にもなれない。

 どうしたものかと考える大悟は、ふと粘っこい視線を感じ、はっと顔を上げた。

 前方の岩の陰より現れたのは、乾いた血のような赤黒い鱗に覆われた、四つの首を持つヘビ型エネミー。大きさからして小獣(レッサー)級か野獣(ワイルド)級か。

 エネミーは大悟を見るなり四つの顎を外れそうなほどに開くと、見た目にそぐわない速度で襲いかかってきた。

 

「ったくこんな時に……!」

 

 今はエネミーの相手をしている場合ではないのにと、迫る四つの頭を舌打ちして避けた大悟はあるものを見た。避けたエネミーの頭の着弾地点。そこが砂埃だけではなく、紫の煙を上げる。すぐに収まった煙の発生元には、周囲に見られるものと同じ黒ずみ。

 そして、すでに二割ほど削れている、エネミーの体力ゲージ。

 ほんの一瞬だけそれらに目を奪われた隙を突かれ、エネミーの首の一つから吐き出された、どす黒い液体を大悟は完全には回避しきれず、右脚に液体が降りかかる。

 

「ぐっ……」

 

 強い酸か毒か、焼けるような痛みと共に大悟の体力が削られる。

 続けてエネミーは四つの首がそれぞれ大悟の手首足首に巻きつくと、どういうことか大悟を捉えたまま移動を開始した。

 

「この……放せ!」

 

 大悟は手足を動かしてエネミーを引き剥がそうとするが、エネミーに振り払う方向に合わせて首を器用に動かされてしまい、力が乗らない。

 一体どこへ連れていこうというのか。大悟がエネミーの奇妙な行動を理解できずにいると、エネミーはすぐ近くの巌窟群のひとつに入り込んだ。

 内部は入るなり地下へと続く斜面となり、薄暗い下り道を進めば進むほど、入った直後から感じていた饐えた匂いがどんどん強くなっていく。

 やがて坂道が平地に変わると、大悟はエネミーに唐突かつ無造作に放り投げられた。

 転がった大悟は素早く立ち上がってエネミーと対峙しようとするが、エネミーはそのまま大悟を見向きもせずに出口へ向かっていってしまった。しかも、出口にはもう一体同じ姿をした四つ首ヘビのエネミーがいて、大悟を運んできた個体を通すと、すぐに移動して出口を塞ぐ。

 その時、訳が分からないでいる大悟は背中にひどい悪寒を感じた。

『何か』が、こちらを見ている。『何か』に、見られていた。

 振り向きつつ周囲を見渡す。壁に括られた松明に照らされた広い空間。現実での建物の上下数フロア分を全てぶち抜いて作られた──おそらく建物の地下部分全体がワンフロアになっている地下空洞を、規則的に並んだ柱が支えている。

 その奥にとんでもないものがいた。

 赤黒い鱗に覆われたでっぷりと肥えた巨大な胴体が、鎮座するように床へ横たわっている。左右からは三本ずつ生えている四本指の肢。胴体とは相対的にあまりにも細く、明らかに胴体を支えて移動することはできそうにない。

 そこに繋がる、いつぞやのヤツメウナギ型エネミーよりも太い首は、およそ六メートルまで持ち上がって鎌首をもたげており、後頭部に環状に並んだ突起は冠を被っているようにも見えなくない。

 そして、頭に対してとても小さな、純度の低いガーネットのような両眼。その卑しげにこちらを睥睨(へいげい)する視線こそが、大悟の感じた悪寒の正体だった。

 遅まきながら三段の体力ゲージと《バジリスク》と読める英名が、視線の端に表示されていることに大悟は気付く。

 固有名を持ち、巨体に見劣りしない、全身から発せられる威圧感。それは巨獣(ビースト)級よりも更に上のエネミー、《神獣(レジェンド)級》エネミーのそれに他ならない。

 世界各地の神話に登場する神魔霊獣(しんまれいじゅう)の名を持つエネミー達は、そのほとんどが無制限中立フィールドにそれぞれが縄張りを持っていて、中にはダンジョンのボスとして君臨する存在さえいるのだが──。

 ──こんな所にこんな奴がいるなんて聞いたことがない。特定のフィールドでしか出現しないタイプか? それとも遭遇して生きて帰った奴がいないのか……いや、今はそんなことはどうだっていい。逃避をするな、どうにかしてこの状況を乗り切る方法を考えろ! 

 

 気圧される心を奮い立たせようとする大悟は、そんなヘビとトカゲが融合したような怪物バジリスクの少し前方に、くるくると回っている水色をした物体が目に留まった。エネミーの巨体と威圧感に目を奪われ、これまで気付けなかったそれが、死亡マーカーだと大悟が理解した直後。

 六十分の死亡待機時間を終えたマーカーが、全身を鎧に包んだ小柄な騎士型アバターへと変わる。

 

「デュー……!」

 

 蘇生したデューは大悟の声に反応しなかった。それどころか、目の前のエネミーが見えていないはずがないのに、両膝を着いたまま動こうとしない。

 待ちわびたとばかりに、ぐばぁっと湿った音を立ててバジリスクが大口を開ける。そのまま眼前に提供された料理を食そうとするかの如くゆっくりと頭部が下がって──。

 

「デュー!」

 

 大悟は駆け出し、バジリスクの頭が届く寸前にデューを小脇に抱えると、そのままカーブを描きつつ、全速力で元居た場所まで引き下がる。デューが軽量級でなければ間に合わなかっただろう。

 

「何やってんだ、しゃんとしろ!」

 

 大悟が激しく肩を揺さぶると、ようやくデューはこちらを振り向いた。しかし、そのアイレンズには恐怖と、それ以上に諦観の念が感じられる。

 

「……師匠? どうしてここに……」

「お前さんが来ないから探し回っていたんだよ。それよりこっちの台詞だ、どうしてこんな所に──」

「ギャジャラララララ!!」

 

 大悟の質問は獲物をかっさらわれて怒り狂う、バジリスクの空気をかき鳴らす叫びに遮られた。首を揺らし、駄々っ子のようにばたつかせた六本肢が地下全体を揺らす。背後の出口を塞ぐ四つ首のヘビエネミーも、同調するかのようにシューシューと空気を吐き出していた。

 

「集合時間の一日前にダイブして……エネミーを何体か狩ろうとしたんだ」

 

 デューが消え入りそうな掠れ声で口を開き、ぽつぽつと事情を説明しだした。

 

「……それで戦ったんだけど捕まって、ここに連れてこられて……ランスも壊されて……何度も俺……俺、もうポイントが…………あと五ポイントしかないんだ」

「っ!?」

 

 つまりデューは待ち合わせより早く──といっても現実では一分半にも満たない時間差で、無制限中立フィールドにダイブしていた。しばらく間の空いた鍛錬前にほんの準備運動、体を温めるつもりで単独でエネミー狩りをしようと考えたのだろう。

 そうして戦闘時に大悟同様に隙を突かれて捕らえられ、神獣(レジェンド)級エネミーの前に連行され、今まで殺され続けていた。

 責められはしない。縄張り外からバーストリンカーを引き込むエネミーなど、大悟は聞いたこともない。あの戦闘の痕からデューが奮闘したことも窺えられた。

 ともかく結果的にデューは《無限EK》に陥ってしまったのだ。

 EK(エネミー・キル)。その名の通り『エネミーに殺される』ことで、強力なエネミーの縄張り奥深くで死亡してしまい、復活後にすぐに同じエネミーに殺されることを繰り返す状態。故に無限EK。

 少し前までは《無限ED(エネミー・デス)》と呼ばれていたのが、エネミーを利用して別のバーストリンカーを連続で殺させるという事態が何度か起きたことで、呼び名が少し変わった経緯がある。

 この場の出口は一つで、そこを他のエネミーが守っている。しかし、そちらに長く意識を向けようものなら、バジリスクに殺されてしまう。

 かといって、正攻法で倒そうにも相手はエネミーの中でも上位の強さ。経緯はどうあれ、この場所に入ってしまった時点で無限EKから逃れるのは非常に困難だ。それでも──。

 

「……デュー、大丈夫だ。絶対にここから逃がしてやる。だから立て」

「…………」

 

 デューからの返事はない。

 無理もない。残りのバーストポイントが一桁になるまで殺され続けたのだ。そうでなくとも日常的にポイントを使用していると思われるデューでは、元々の保有ポイントもそう多いものではないのだろう。

 だが、過ぎたことを嘆いていられないのも事実。

 まずは、と大悟はデューに向かって手を伸ばし──。

 

「うっ……!?」

 

 うなだれているデューの額にデコピンを食らわせた。

 本来なら拳骨をかますところを、今のデューには体力ゲージの一ドット分すら貴重なので、その貴重な一ドット分を ──デューの体力ゲージは見えないので、大悟の見立てで消費して活を入れる。このまま心が完全に絶望で埋め尽くされれば、デュエルアバターを完全に動かすことができなくなる《零化現象(ゼロフィル)》を起こしかねない。

 

「お前さん、兄貴の仇討ちがしたいとか言っていたよな。だったら、ここで全損するわけにはいかないだろうが」

 

 発破をかける意味で以前聞いたことを持ち出すと、こちらを見上げるデューの未だ諦観の消えないアイレンズに、わずかに光が戻った。

 

「……戦えとは言わない。ただアレには近付かず、攻撃は避けろよ。できる限りターゲットがこっちに向けられるようにする。……よっと」

 

 デューの両脇を抱えて無理やり立たせると、大悟は前に出て蛇の王に改めて向き合う。

 

「よう怪物、同じものばかり喰うのも飽きただろ。一つ口直しはどうだ? 喰えるもんならよ」

 

 この状況は大悟にとって思いがけずに起きた、ある種の正念場だ。己の研鑽してきたものが神獣(レジェンド)級エネミーにどこまで通じるのか、という。

 その答えを出す為に、そしてデューと生きてここから出る為に。

 これまで誰かに話しかけられたことなど、一度としてないであろうエネミーに、大悟は効果があるのかも分からない挑発をしてみせ、戦闘体勢を取るのだった。

 



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第九話

 第九話 この身に涙は流れない

 

 

 近接系アバターが基本的に相手へダメージを与えるには、何をするにもまず相手に近付かなければ始まらない。たとえその相手が、強大なエネミーであろうとも。

 バジリスクが何発か吐き出した黒い塊を避け、大悟は接近していく。

 見るからに粘っこいコールタールに似た物体は床に落ちるなり、ジュワワ……と音を立てながら煙を上げていく。最低でも触れた部分が、腐蝕なり溶解なりすることは明白だ。

 

「喝!」

 

 まずは挨拶代わりにと、バジリスクの真正面、鱗のない蛇腹に大悟は掌底を打ち込んだ。走る勢いが加算された、大悟にとっては渾身の一撃にもかかわらず、結果は体力ゲージ一段目の一割にも満たない欠片程度を奪うだけに終わる。

 ──さすがにこうも肉が分厚いと(とお)りが悪いか。まともにダメージ与えるにはやわそうな目玉か口の中だな。となると……。

 分析をする大悟をバジリスクの六本肢の内、手前側の二本が襲う。鉤爪には紫色の汁がじわりと滲んでいて、明らかに有害なものが含まれている。どうもこのエネミーは、やることなすこと全てに毒系統の追加効果を加えてくるらしい。

 

「着装、《インディケイト》」

 

 大薙刀を召喚し、そのリーチを生かして大悟は迫る毒爪を打ち払い、体に近付けさせない。そうして隙を見て一度下がってから、切っ先を地面に突き立てる。

 

「《(シン)》」

 

 そんな短いコマンドを唱えた瞬間、薙刀の柄は如意棒よろしく伸び上がり、柄を握る大悟の足が床を離れた。

 この薙刀《インディケイト》はコマンドを唱えて必殺技ゲージを消費することで、最大十メートルまで柄の長さを伸ばすことができる。これにより中距離での戦闘もある程度は行えるので、取得以降は大悟の戦闘の幅はかなり広がった。

 

「《(シュク)》」

 

 棒高跳びの選手さながらに、空中の大悟はたわんだ薙刀を元の長さに戻すと、同じ目線に位置するバジリスクの頭に照準を合わせ、もう一度コマンドを唱える。

 

「《伸》!」

 

 閃光のような速度で伸びた薙刀が、バジリスクの右眼に突き刺さった。

 

「ギャラララララァ!」

 

 首を激しく振り乱しながら、バジリスクがさかんに吼え立てる。

 今度は初撃よりもやや多めにゲージを削るも、すでに目玉から薙刀を引き抜いていた大悟はこの成果に納得がいっていなかった。

 

「……おいおい、一番やわそうな部位で半分も刃が刺さらねえってのはどういう了見だよ」

 

 握る薙刀の刃渡りおよそ八十センチの厚い刀身、先端側から三分の一ほどが少しだけ濡れている。この部分のみがバジリスクの目玉に刺さった箇所ということだ。

 ダメージこそ与えたものの、それ以上に相手を怒らせた気がしてならない。着地した大悟が思っていると、案の定怪物は空気を裂くようにシューシューと喚きながら、肢をばたつかせていた。しかもそれだけでは終わらない。

 大悟が何もしていないのに、六本肢の手前二つの肢が太い胴体の根元から取れたのだ。肢の付け根がぼとりと音を立てて床に落ちると、すぐさま変化が訪れる。

 取れた肢が二回りほど大きくなり、四本指の爪先がヘビの頭に変化していった。数秒後には四つの首を持つヘビ型エネミーが二体できあがる。その姿は大悟をここまで運んできたエネミーやここの出口を塞いでいるエネミーとそっくり同じ姿。

 

「そういうことか……」

 

 大悟は自分が誤解していたことに気付いた。これまで見た四つ首ヘビのエネミーは、別のエネミーではない。バジリスク自身から分離されたものなのだ。

 つまり、バジリスクの縄張りはこの地下空間だけではない。現実でのこの施設の敷地内──全体ではさすがに広すぎるので、おそらくはその何棟かまでが縄張りなのだろう。

 縄張りの範囲外から他のエネミーが獲物を運んでいるよりも、切り離した肢である分離体が外を徘徊し、侵入した獲物を捕らえて本体の元に持ってくるという方が、まだいくらか納得がいく。

 それにしても、兵隊が元は自分の体の一部というのは、頭に冠(らしき突起)をつけた王にしては、少しむなしいものがあるが。

 ともかく、よりまずいのはこれから戦っていく内に、少なくとも肢の数からして、あと四体は注意をしなければならない対象が新たに増えるということ。もしかすると、外で徘徊している分離体もまだ複数いて、それらが参戦してくるかもしれない。

 ──悠長に戦っていたら手詰まりになる。隙を見てズラかりたいところだが……。

 バジリスクの分離体達が床を這い、二体が挟み込む形で大悟へ襲いかかる。

 計八つの口から剥き出た毒牙を、大悟は薙刀で捌いて応戦していく。

 レベル6になったボーナスで選択した強化外装は、最初の頃よりだいぶ扱えるようになっていた。それはそうだ、無制限中立フィールドに数週間、時には数ヶ月間籠ることで、手足同様に扱うべく腕を磨いたのだから。持て余す強化外装など、荷物も同じだ。

 そうして分離体と戦っている内に分かったのは、分離体にダメージを与えることで、バジリスク本体にもわずかながらダメージが入るということ。体の一部であるなら当然だろうが、これは防御力の高い本体のみを相手取るよりも、いくらかやりやすいかもしれない。

 

「……?」

 

 大悟が分離体を相手取りながら、バジリスク本体の肉弾攻撃が届かない位置に距離を取って戦っていると、離れている本体が俯き、えずくように腹の肉を上下させている仕草が目に留まった。

 直後に胴体部分に繋がる首元が膨れ上がる。その膨らみが上へ上へとせり上がっていき、バジリスクが下に向けた口を百八十度近くまで開いた瞬間──。

 

 ボシュウウウウウウゥゥゥゥ!! 

 

 噴射音と共に、凄まじい勢いで薄紫の煙が吐き出された。地下空洞全体を包み込んでいく煙を避けることなどできるはずもなく、もうもうと立ち込める煙が大悟に触れた直後、体力ゲージが減少を開始した。

 窓などあるわけもない、空気が流れない空間での毒ガス攻撃。この環境下では悪辣極まる戦法だ。さほど視界を遮るわけではなく、体力の減少速度もかなり遅いものの、体力回復の手段がほぼ限られるブレイン・バーストでは非常に深刻なものとなる。

 アイオライト・ボンズの《恒常性(ホメオスタシス)》アビリティも、すぐに毒状態から回復をしたところで、原因であるガスが残留し続けているこの状況では、再び毒状態になってしまうので効果は薄い。

 しかも分離体は体力が減ることなく、ガスの充満する中でも構わず攻撃してくる。自身の毒に耐性があるのは当然か。

 

「いよいよタイムアタックじみてきたな。こうなったらもう……ん?」

 

 大悟を攻撃する分離体が一体。前方の奥に本体確認できる。では、目の前にいる一体と一緒に攻撃してきていた、もう一体の分離体はどこにいるのか。

 ──しまった……! 

 大悟が慌てて振り返るとガスの中、距離がある分さすがに鮮明には姿が見えないデューの元へと、分離体が一体向かっていた。

 やはりと言うべきか、バジリスクはこの場にいるもう一体の獲物を忘れてはいなかったらしい。

 

「その場で伏せろ、デュー!」

 

 大悟は命中精度の底上げに《天眼》を発動し、下手に動いて狙いがずれないように、デューへその場に留まるようにと指示を飛ばす。

 

「おおぉ──らあっ!!」

 

 もう《インディケイト》を伸ばしても間に合わない距離にいる分離体に対し、大悟が下した選択は投擲だった。数歩の助走をつけてから、握りしめた薙刀を全力で投げつけると、一直線に飛んでいって分離体の背中へと突き刺さる。

 

「デュー、前言撤回だ! そいつの相手を頼む!」

「えぇ!? そ、そんな無茶な、俺……」

「それを貸す! 丸腰よりかは心強いだろ! ただし俺以外が使っても伸びないから、そこだけ注意しろよ!!」

 

 問答無用で分離体一体の相手を押し付けられたデューに迷う時間はない。暴れる分離体の背中に突き立てられた《インディケイト》を引き抜くと、デューは戸惑いながらも戦闘を開始した。

 大悟としても本意ではないが、このような状況になってしまってはデューにも戦ってもらわなければならない。幸い薙刀と普段扱う馬上槍では勝手が違うとはいえ、同じ長物という共通事項があることから、デューの動きはある程度の水準に達しているように見えた。

 デューの闘志はまだ残っている。それがやむを得ない状況に置かれたことによるやけっぱちなのか、はたまた大悟の戦闘がいくばくかの発奮材料になったのか。何にせよ、それに応えなければならない。

 そう《天眼》を維持し続ける大悟が、改めて気を引き締めようとした矢先。

 分離体が大きく後退した。初めはたった今、頭の一つを蹴り飛ばしたからだと大悟は思ったが、そうではない。

 バジリスク本体がこちらに額を向けている。まるでこちらに(こうべ)を垂れているかのように。ただし、先程までと大きく違うところが一点。

 ひび割れた瘡蓋(かさぶた)に似た赤黒い鱗と鱗の間を押しのけるように、巨大な乳白色の半球がせり出てきている。不意に半球が下方向に回転すると、半球の中心に縦長の黒線が入った濃い黄色の円が現れ、ぎゅるぎゅると動き出す。

 その正体を大悟はすぐに理解した。形は違えども、自分も毎日鏡で目にするからだ。あれは──眼球だ。黒い線と黄色い円の部分は、瞳孔と虹彩だ。

 

「……額に眼って俺と被って──」

 

 そうぼやきながらも、ここに立っていたら死ぬと大悟が反射的に右に跳んだ直後。

 直径一メートル近い巨大な(まなこ)から、赤い光線がキィンと音を立てて発射された。

 爆発は起きない。発射音も小さいものだ。

 ただ、結果として一直線に進む光線の軌道上にあった大悟の左手――人差し指から小指までのほぼ付け根より先の感覚が消えていた。消し飛んだのではなく、石になっている。

 それも何年も風に晒されて風化寸前の石よりも脆い。触れてもいないのに体から取れ、床に落ちた衝撃で更に細かく砕け、すぐに光となって消えた。

 ──……発射の直前で目玉が動きやがった。多分防御もできないな、回避しかないがこれは……。

 体力ゲージが削れても大悟にはほとんど痛みはなく、それ以上に欠損時特有の喪失感に加えて不気味さの方が強かった。

 今の発射時間は一秒そこそこだったが、これでもっと長く発射し続けられたり、発射中に目玉を動かすのは無理だとしても、首を動かしてこちらを追えるのであれば、もう《天眼》で先読みしても避け切れない。

 あの額の眼は一刻も早く無力化しなければならない。

 未だこの場に残る毒ガスも相まって、もう大悟とデューに猶予は残されていなかった。切り抜ける方法は一つ。大悟は《天眼》を止め、精神を集中させる。

 

「──《天部(デーヴァ)風天(ヴァーユ)》」

 

 静かにそう唱える大悟の両脚に蒼い光が瞬き、足の下駄の歯が二本からやや太く長い一本のものへと形が変化した。

 これは必殺技ではない。ブレイン・バーストにはごく限られた者しか存在を知らない、とある力が存在する。

 通称《心意(インカーネイト)システム》。心より()ずる、意志の力。

 原理はデュエルアバターにおける、人体には存在しない部位や特異な体を十全に動かす為の補助機能、《イマジネーション回路》に己のイメージを押し付けることで、ブレイン・バースト内にて《事象の上書き(オーバーライド)》を引き起こすというもの。

 一言で表せば裏技、又はバグ技。

 いずれにしても真っ当なものではなく、何故プレイヤーの精神がゲームのプログラムに干渉できるのかも、徐々に(そして密かに)技術体系まで確立され始めているのに、運営側が何の対策をしないのかも大悟には分からない。詳しい原理だってほとんど理解していない。

 それでも大悟は、この心意システムを利用した心意技の修得にもこれまで時間を割いてきた。

 強くなる。手に入れられる力は全て修める。それは経典がこの世を去る前に、結果的にバーストリンカーとしての経典に引導を渡す形になった者として、大悟が己自身に課した責務でもあった。

 現実でも加速世界でも、弟の分まで生きると決めたのだ。そして、ブレイン・バーストでは強くなければ生き残ることはできない。

 一度下がっていた分離体が再度攻撃を開始した。二つの頭からは毒液が吐き出され、もう二つの両端に位置する頭は口を開けて左右から迫る。

 エネミーの攻撃が届く寸前、大悟はその場から消えた。《過剰光(オーバーレイ)》と呼ばれる心意技の証明でもある光の残像だけがその場に残り、それもすぐに消え失せる。

 攻撃が届く前に、大悟はすでに分離体の横を通り抜け、バジリスク本体の元に辿り着いて小山のような背中を駆けていた。

 本来、アイオライト・ボンズの基礎能力では出せるはずのない速度での走力は、心意技の《第一段階》である基本能力の拡張の一種、《移動速度拡張》によるものだ。

 大悟が自らの体の上にいることをバジリスクが気付いた頃には、大悟は長い鎌首を登り切って跳躍していた。跳躍力も強化された大悟は地下空間の天井まで到達し、体を反転させて天井を足場にする。

 重力によって地面に引き戻されるより先に、大悟は深呼吸をしてから全身に力を込め、一本下駄の両足で強く天井を踏み締めてから、バジリスクめがけて矢のように落下していった。足が天井から離れた瞬間、大悟が吼えるようにして叫ぶ。

 

「《天部(デーヴァ)火天(アグニ)》!」

 

 両脚に纏っていた光が消え、一本下駄から通常のものへと戻り、入れ替わるように両腕から蒼い炎が噴出する。

 

「喝!!」

 

 気合と共に大悟の二つの掌が、バジリスクの額の眼に叩き込まれた。

 眩い炎は熱を持ってはいない。これもまた心意の過剰光(オーバーレイ)によるもので、先程とは異なる《攻撃威力拡張》の技である。

 だが、大悟が《風天(ヴァーユ)》で強化した脚力と重力を加算した、全体重を乗せた攻撃を繰り出しているのにもかかわらず、バジリスクの魔眼は最初に掌底を打ち込んだ蛇腹よりも硬く、潰すことができずにいた。

 ──くそ……まだ技を切り替えて間がないと、技の完成度が落ちるか……! 

 心意技の発現とは容易なものではなく、大悟も複数の技を持ってはいても、どれも大悟自身が思い描く完全な修得に至っているわけではない。

 求められるイメージは単なる想像力程度ではなく自分に断言できるほどに、世界(システム)を騙すほどに強固なものでなくてはならないのだ。

 そして、そこまでして繰り出した技も、エネミーが高位になるほど効きは薄くなってしまう。

 

「あ、あぁ……ああああああああ!!」

 

 それでも今の大悟には、これが最大威力の攻撃。バジリスクは倒せなくとも、石化光線を発射する眼だけは潰そうと、大悟は限界以上に両腕に力と心意を込めた。

 衝突から数秒。とうとう頭上から降ってきた衝撃を受け切ったバジリスクが、首を振って無情に大悟を払いのける。

 大悟はどうにか受け身を取りながら、地面を転がってダメージを最小限に留めるも、心意の炎は両腕から消えていた。

 休んではいられない。大悟がどうにか次の手を考えようとしていると、心意技を受け切ったバジリスクが体を捩じらせた。

 続けて痙攣をし始めると同時に頭部から砕けた破片が飛び散り、バジリスクの体力が大きく削れる。乳白色の欠片はバジリスクの額の眼だ。大悟渾身の心意技はしっかりと届いていたのだ。

 ──よし……逃げるなら今だな。デューを連れてさっさと──…………? 

 実際のところ、大悟は己の力を試そうとしてはいたものの、元より神獣(レジェンド)級エネミーを単独で倒せるなど露ほども思っていなかった。

 数十人規模のパーティーを組んでようやく対等。一つミスをすれば、その均衡も容易く崩してしまう相手。レベル6が一人で勝てると考えるのは只の驕りでしかない。

 それでも、かの難攻不落の《帝城》を守護する最強の《超級》エネミー達に比較すれば、いくらかマシだ。そう認識していた。

 今が好機とデューの元へ行こうと振り向きかけた大悟は、その直前にバジリスクの額から発生した赤い柱を見て、それもまた驕りであったと認めざるを得なかった。

 

 ッギュオオオオオォォォォン!! 

 

 勢いよく水を出すホースが人の手を離れた時のように、先ほどより十倍は太い光線がバジリスクの額から放出された。

 

「ギャジャイイイイィィ!!」

 

 更には絶叫するバジリスクが滅茶苦茶に首を振り回す。

 額の眼は石化光線の発射装置であると同時に制御装置でもあったのだと、周りがスローモーションになる感覚に陥りながら、心意技による無茶な動きをした反動で即座に動くことができない大悟は分析していた。

 バジリスクの首が下を向いた状態から、角度を変えて上がっていく。その軌道上にいる自分は間違いなく即死だ。大悟がそう観念した次の瞬間──。

 

「うっ!?」

 

 横から強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。

 そのまま床を滑り、止まってから体に何かが乗っかっているのを感じて上半身を起こす。

 

「デュー!?」

 

 その正体はデューだった。《羽歩法(フェザー・ステップ)》による高速移動のタックルで、光線の軌道上から逃がしてくれたらしい。だが、その行動により腰から下を失い、石化して砕けた下半身の残骸が大悟の立っていた場所に落ちていた。

 

「へへ……よかった間に合った……。ごめん、貸してくれてた薙刀……石になっちゃってさ」

「デュー……おま──」

 

 弱々しく笑うデューに大悟が口を開くと、デューは腕を動かして出口を指し示した。

 地下空間全体が石化光線によってそこかしこが石化し、出口を塞いでいたバジリスクの分離体は全身が光線に呑み込まれたのか、出口には散らばる石の塊しか残っていない。

 残る二体の分離体も、デューが戦っていたものは四つの首が無い状態で倒れていて、大悟が心意技を発動する直前まで相手をしていた方は、胴体が二つに分かれた状態でのたうち回っている。

 そして、バジリスク本体ももう光線は出していないが、未だに狂乱状態で大悟達に意識を向けるどころではないようだ。

 この場を支える柱の一部も、石化により倒壊するものが一部見られ、どの道この場にいては危険である。

 大悟はデューを右肩に担ぎ上げ、怪物の住処から急いで逃げ出した。

 薄暗い坂を駆け上り地上に出ると、空は薄青色から濃い灰色へと変わっていた。饐えた匂いがたちまち霧散していくほどの風の強さからして、おそらく《砂塵》ステージ特有の砂嵐が近くまで来ている。

 

「待ってろデュー、すぐにポータルに──おい、お呼びじゃねえよ……」

 

 デューに呼びかけながら、記憶ではここからだと一番近いポータルがあるはずの、《目黒駅》を目指そうとする大悟に近付くものが一つ。

 大悟達を捕らえて本体の元に連行した、バジリスクの分離体だ。意識が独立しているのか、本体が操っているのかは不明だが、せっかく捕らえた獲物を逃がすまいと追いかけてくる。

 ──とにかく縄張り内から出れば、もう追いかけて来ないはず……。

 だが、戦闘で負傷した体でデューを担いでいては、普段の全力疾走と同じとはいかない。

 

「……《天部(デーヴァ)風天(ヴァーユ)》」

 

 大悟が動かし続ける脚に強く意識を集中させると、先程よりも弱々しい光と共に下駄の形が変わる。今の大悟には長時間継続して心意技を発動することは難しく、無理に発動する分だけ質も落ちるが、この状況では背に腹は代えられない。

 走る速度がやや上がった大悟が縄張りを抜けても、尚も諦めずに分離体の吐き出す毒液が完全に届かなくなったところで、ようやく一安心と思ったのも束の間。

 

「ったく、次から次へと!」

 

 風がどんどん強くなる中、とうとう砂嵐が後方から姿を現した。巻き込まれればさすがにただでは済まないのか、バジリスクの分離体は猛烈な速度で本体のある神殿の方へ逃げていくのが見えた。

 本来なら大悟もどこかの巌窟に飛び込んで避難するところだが、デューの息遣いは苦しそうだった。まだ食らった毒ガスの効果が消えていないのだ。

 やり過ごす時間も迂回する時間もない。大悟は最短距離でポータルを目指し、引き寄せられまいと必死に脚を動かして砂嵐から逃げる。

 

「ボンズ……師匠……」

「集中しているから後にしろ」

 

 元から大悟の進行方向と同じではなかった砂嵐が徐々に逸れていくも、未だ油断のならない状況、掠れ声を出すデューを大悟は見もしない。万が一にも何かに足を取られて転倒するわけにはいかないからだ。

 

「その光る技……凄いね……。俺にもできるかな?」

「……そう良いことばかりの技じゃない。まぁ……そうだな、その内に教える機会もあるだろうよ」

「…………俺さ、少し前まで対戦でも……エネミー相手でも……ちょっと不利になると、すぐビビっちゃって……」

 

 口を閉じずにデューは勝手に喋り続ける。

 

「……それで負けが込んでてさ……。でも師匠に会えて、鍛えてもらうようになってさ……エネミー相手でも……師匠が後ろにいてくれるだけで怖くなくなって…………。性格は全然違うのに、兄ちゃん……兄ちゃんがギャラリーで見ててくれた時みたいで……」

 

 デューの独白が続く中、とうとう砂嵐が巻き込まれる心配のない距離まで離れたところで、両脚の蒼い光は大悟の意思と関係なく消えた。それでも走り続けて断崖の角を曲がると、ようやく目黒駅と思わしき横に広く伸びる巌窟が見えてくる。

 

「よし、もう少しの辛抱──!?」

 

 少し安堵して右肩に担ぐデューをちらと横目に見た瞬間、大悟にバジリスクの魔眼を目にした時以上の戦慄が走った。

 デューの体からアバターカラーと同じ、水色に光る長い帯が立ち昇っている。その光を、大悟は今までに何度か見たことがある。

 所有するバーストポイントがゼロになったデュエルアバターが、リボン状の微細なバイナリーコードに変換されていく、デュエルアバターの《最終消滅現象》。ブレイン・バーストを強制アンインストールされる、永久退場の証

 状況は異なるのに、何故かその姿が半年前に《カナリア・コンダクター》──経典を倒した時と重なった。

 

「──駄目だ」

 

 肩にかかる重さが急速に軽くなっていく。言葉は口を突いて勝手に出ていた。

 

「駄目だ! 駄目だ駄目だ!!」

 

 すでに限界であることも頭から吹き飛び、大悟は死に物狂いで足を進める。消滅現象が始まっている以上、もうどうにもならないと分かっているのに。

 

「ダフネには……世話になったって、それと……いろいろ迷惑かけてごめんって…………謝っておいて──」

「うるさい黙れ、そんなこと言うな! これからだ。レベル4なんてほんの入り口だ、お前さんはこれからなんだよ! もっといろんな景色が見られる! すぐそこのポータルに入ればまだ……」

「……────」

 

 砂嵐が離れていなかったら、絶対に聞こえていなかった声量での呟きが最後に聞こえた。

 その一言を残してデュー・ウッドペッカーは、大悟を師匠と呼んだ少年はブレイン・バーストから去っていった。

 右肩にかかる重さと腕が触れていた鎧の感触が、完全に消えても走り続けていた大悟がようやく足を止めたのは、遥か後方から鳴り響く鐘か、いくつもの薄い硝子が砕け散るような音がした時だった。まるで、とうに時間切れだとシステムが大悟へ、現実を無慈悲に伝えているかのように。

 無制限中立フィールドで数日おきに発生し、フィールド属性を変化させる現象、《変遷》が起きている。

 音はどんどん大きくなっていき、やがて棒立ちのまま振り返らない大悟を揺らめく七色のオーロラが包むと、景色が一変した。

 天も地も深みのある青に染まっている。

 これは《塩湖》ステージ。建物は軒並み内部構造の存在しない、白い岩塩に変貌するかなり珍しいステージで、大悟もまだ数度しか目にしたことがない。今はそんなことに何の感慨も湧かないが。

 地面を覆う深さ十センチ程度の浅い水も塩水で、尋常でない反射率が鏡のように空を映しているので、一面が青一色。更には地形全体の高低が平均化され、見渡す限りの水平線に岩塩の山が立ち並ぶ。

 そんな風景を、微動だにせず眺め続けていた大悟はその場で俯いた。

 水面に映っているのは己の分身、アイオライト・ボンズだけ。当然、他には、隣には誰もいない。

 大悟はおもむろに右脚を頭上高くまで上げてから、水面に映った自分を思いきり踏み付けた。衝撃が半径数メートルにまで及び、発生した水柱が全身を包む。

 立ち上った水柱は重力に逆らえず、地面と大悟に降り注いだ。

 

「……何がオリジネーター。……何が《荒法師》…………」

 

 全身に塩水を被って大悟は一人、ぽつりと呟く。

 デュエルアバターの体は生物としての生理的欲求を持たない。故に排泄も発汗も行わない。

 

「何が……………………師匠だ」

 

 だから今こうして頬を滴り流れ落ちているものも、《塩湖》ステージの塩水に過ぎない。

 照りつける太陽によって体にかかった塩水が蒸発し、塩の結晶へと変わっても、大悟はその場を一歩たりとも動かず、胸中で自分にそう言い聞かせ続けた。

 



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第十話

 第十話 抗えざる感情

 

 

「どうぞ」

 

 大悟が扉をノックすると、やや間を置いてから以前と同じ台詞が返ってきた。

 

「いらっしゃい」

 

 これもまた以前のように、大悟はこのプレイヤーホームの所有者、ダフネ・インセンスから出迎えの言葉を受ける。

 ダフネの手にはやはり常の如く煙管が添えられ、家中に甘い芳香が広がっていた。

 

「よう、久し振りだな……まぁ実際は数週間と少しだが」

「そうね。正直、もうここには来ないかと」

 

 そう言いながらも、ダフネは座るよう片手で促し、大悟は以前のようにテーブルを挟んでダフネと対面する形で椅子に腰かける。

 

「なにせ約束もしていないから、もう会いようがないと思ってたんだけどね」

 

 ダフネの言うことはもっともで、流れる時間の速度が現実と千倍の差がある無制限中立フィールドでは、示し合わせでもしない限り、意図してその人物と会うことはほぼ不可能である。

 また、リアル割れを防ぐ為に必要以上に連絡先などの個人情報を周りに伝えるのは、この超高度情報化社会において、ブレイン・バースト関係なく論外なことだ。

 それ故にダフネの連絡先を知らない大悟が、彼女との接触を図るのに取った行動はかなり効率の悪いものだった。

 

「ここ何日か、何度もこの場所に来ては何時間か待ってを繰り返してな。今回こうしてようやくさ」

「そんな頻繁にこっちにダイブを? ポイント大丈夫なの?」

「ダイブの度に十ポイント分はエネミーで稼いでいるから問題ない。俺がお前さんに会うにはこの方法しかなかった」

 

 この港区にあるホームを購入したあたり、おそらくダフネは現実でもこの近辺に住んでいるのだろうが、以前にホームを買った理由が隠居したいからだとか話していたので、現在は対戦を頻繁にしているとは考えにくい。そうなると、こうでもしなければ大悟には、ダフネにコンタクトを取りようがなかったのだ。

 

「確かにね。……それじゃあ、あの日に何があったのか教えてちょうだい」

 

 大悟が接触を図ろうとそれなりに苦労していたことに対し、ダフネは「そうまでして熱心に私に会おうとしてくれていたなんて」などといった軽口も叩かず、早々に本題を切り出してきた。

 大悟はこれに頷き、デュー・ウッドペッカーのポイント全損による永久退場についてダフネに話していく。

 会話の途中でダフネの相槌や質問を挟みつつでも、全容は数分で伝え終えてしまった。長々と話していたところで仕方ないのだが、自分にとって濃密で重大な出来事も、後から纏めると案外短いものである。

 

「──世話になった。それといろいろ迷惑かけてごめんと、お前さんにそう伝言してくれと頼まれた」

「…………こっちは向こうを知っているのに、向こうはこっちを憶えてもいないって、辛いものね。何度経験しても慣れそうにない」

 

 事の顛末を聞き終えた、ダフネの第一声がそれだった。

 

「デューと直接の面識は?」

「ないわ。やり取りはメールだけ。あの日、特訓はどうだったかを訊ねたメールを送ったら、何時間も後にいろいろと書かれた返信が来てね。私のことはオンラインゲームで接点のあった人程度の認識しかなくて、メール履歴を見てもピンと来ないらしくって。困ってるみたいだから、最後にはこっちから今後連絡はしないことを伝えて、アドレスも消しちゃった」

 

 寂しそうにそう答えてから、ダフネは煙管に口をつけた。

 バーストポイントがゼロになった者は、自動でアプリがアンインストールされ、再インストールもできない。

 そして、アンインストールされた者は『ブレイン・バーストに関わる記憶を失う』。

 これこそが、バーストリンカーが加速の能力を失うことと同じか、それ以上にポイント全損を恐れる理由だった。

 しかし、その事実は現実で面識があったり、連絡先を知っているなどの繋がりのある人物がポイント全損しなければ知ることはない。人間の記憶にまで影響を及ぼすゲームアプリが存在するという信じ難さから、実際に自分が体験しなければ眉唾と思うのは無理からぬことである

 

「……すまない」

「どうしてあなたが謝るの?」

「いや……《親》じゃないお前さんに言うのも筋違いだろうが、曲がりなりにも預かっていたあいつをみすみす全損させた俺に非がある」

 

 (うれ)いの気配を帯びるダフネに、大悟は頭を下げた。彼女がデューの《親》ではないとはいえ、目をかけてそれなりに大切に思っていたのは間違いではないだろう。

 これを受けたダフネはゆっくりと首を横に振る。

 

「今の話を聞いてあなたが悪いなんて、とてもじゃないけど言えないわ。強いて言うのなら間が悪かった。よりによってダイブした時間に、よりによってそのステージで、よりによってそんなエネミーが、よりによってそうした攻撃を……『よりによって』と思う事態が重なるのは、いつだって間の悪い時」

 

 苦笑気味に、それでも大悟を責める様子もなく、ダフネは言ってのけた。

 我ながら情けないと思いながらも、そう言われたことで大悟はいくらか心が軽くなったように感じる。

 

「よりによって、か。確かにな……」

「それよりも残されたあなたが気に病んで、ヤケを起こしてないかの方が私は心配だったけどね。その様子じゃ杞憂だったみたいだけど」

「あぁ、それはもうやったから問題ない」

「ふぅん、ならよか──ん?」

 

 大悟の返答に、納得しかけていたダフネが首を傾げた。

 

「え? やったって何を? しかもどうして過去形?」

「腐った気分はさっさと発散するに限るよな」

 

 ここ半年の努力により生来の虚弱体質が改善されてきているとはいえ、小学校へ登校もできていない現実の大悟には、二十三区内であっても別の区に足を運ぶのは容易なことではない。体調の良い日が連続で続いていることを前提に、大人達に連れていってもらっているのが現状である。その分、別の区での通常対戦はしこたま行うのが常だ。

 デューの永久退場から一夜明けての翌日。そんな大悟は両親に適当な理由をつけ、新宿方面に赴いた。

 この地域は元より西東京の対戦のメッカとして栄え、夏休みであることも加わって対戦相手はより取り見取り。大悟は家族の目を盗んでは、マッチングリストに載っていたバーストリンカーと片っ端から対戦していった。一日一度までの乱入制限も解除をして、普段以上に苛烈に。

 短いインターバルを挟みながら、何度も現実と加速世界の行き来を繰り返し、ややあって新宿周辺に根を張る、ブルー・ナイトのレギオンに所属する上位メンバーに当たる。そこには大悟の目論見通り《観戦予約登録者》、すなわちギャラリーとしてナイト本人の姿も見られた。

 大悟は暴れる理由をまともに話すことなく、メンバーをこき下ろし、更にはギャラリーを扇動することでレギオンとの《連続対戦》にこぎつけた。

 連続対戦は通常対戦後に勝者とギャラリー内のプレイヤー間で合意があれば、一つの対戦後も加速停止して現実世界に戻ることなく、続けて対戦を行えるというもの。

 勝利さえ重ねていけば、一度の加速でより多くの対戦が可能になり、勝利の数だけある種の箔も付くが、精神的消耗は対戦数を重ねた分だけ大きくなっていくので勝率は下がる傾向にあり、基本的に推奨される対戦形式ではない。

 そんな連続対戦を大悟は挑み、相手との相性の他、ステージギミック等の運の要素も絡み、時には紙一重で勝利すること実に九度。

 最後は十人目の対戦相手であるナイトの一刀の下に斬り伏せられ、その日間違いなく悪役(ヒール)であった大悟は倒れた。対戦の最中、ギャラリーには聞こえないようにナイトと二人で後日会う約束を取り付けて。

 それらの経緯を大悟はダフネに説明してから、更に知った事実を伝える。

 

「……シェルフの奴は、違法ツールを利用した対戦を行うようになっていたそうだ。それで勝率を上げていたんだと」

 

 それがギャラリーの存在しない無制限中立フィールドで、オーク・シェルフとデュー・ウッドペッカーの《親子》について関わりを持ったいきさつを大悟が話した後、ナイトから聞かされた内容だった。これにはまだ続きがある。

 

「ただ、そのことを自ら打ち明けて処罰を申し出たらしくてな。ツールを渡してきた、裏でPK集団と関わりを持っていたレギオンメンバーも告発して、ナイトはそいつもとっくのとうに《断罪》していたそうだ」

 

 レギオンの長であるレギオンマスターは、特権として所属するメンバーのみに発動することのできる特別な必殺技を持つ。

 それが断罪。正式には《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》と呼ばれるものである。

 効果は対象のポイント数を問わずゼロにして全損させるというもの。無論、滅多に使われるものではなく、多用するような暴君であれば即座にレギオンは瓦解するだろう。

 

「あのナイトのことだ。これが嘘や作り話とは俺には思えん」

「…………前に一度、シェルフがリアルの身の上を話してくれたことがあってね」

 

 以前にシェルフ全損の理由を大悟が訊ねた際に、心当たりのある様子だったダフネは特段驚いたりはせず、少し迷うような素振りを見せてから話し始めた。

 

「シェルフとデューの両親はずっと前に離婚していて、去年シングルマザーだったお母さんが再婚したの。それで、それまで住んでいた新宿区から港区に引っ越してきたんだけど、新しいお父さんは教育に厳しい人みたいでね。二人を遠隔講義塾に入れて、テストの成績が悪ければ学校以外で外出はさせないし、グローバルネットにも接続させないらしくて。きっとそれで二人は……」

「学業にポイントを利用するようになったわけか」

 

 たとえ加速世界でいくら名を馳せようが、バーストリンカーはもれなく子供。シェルフ達のケースといい保護者の影響力は強く、そうでなくとも現実ではとても無力な存在と言っても過言ではない。

 境遇は違えども、その一点だけは大悟も痛いほどに理解できる。

 

「他にも分かったことがある。デューはナイトを《親》の仇と言っていたが……本当はシェルフが、自分から永久退場させられたことを知っていたそうだ」

「知っていた?」

 

 これはさすがに予想していなかったのか、ダフネは寝耳に水といった様子で、アイレンズを大きく見開いた。

 

「どういう……それならナイトを恨むのは筋違いだって、あの子も分かるはずじゃ……」

 

 大悟がナイトに話を聞いた時と、全く同じ感想を口にするダフネ。その困惑はもっともである。

 

「ナイトが言うには、断罪させられる前にシェルフはデューにメールで、メッセージを残していたらしくてな。魔が差して──といっても一度や二度じゃないだろうが、元々は生真面目な男。良心が咎めたんだろうよ。この件とは無関係な、残されるデューが自分と同じ道を辿らないように事実を知っておいてほしかったんだと」

 

 反面教師とでも言うのだろうか。裁かれる前にデューへメッセージを作成していたシェルフの心境は、大悟には窺い知れない。

 対戦以外で接点はほとんどなかったが、大悟の知る限りは安易に不正に手を染めるような男ではなかったはずだ。にもかかわらず誘惑に負けたのは、それだけあらゆるプレッシャーに追い詰められていたからか。

 ちなみに件のツールもパッチが当てられ、とっくに使用できなくなっている。加速世界の黎明期の時点で、考え得る限りの『ポイントを楽に稼ぐ手段』は使用できなくなったと思っていたが、未だに逃げ道はあるらしい。そういったシステムの穴を探す集団でもいるのだろうか。

 

「それでもデューには納得ができなかった。正にその通り、筋違いだ。前にお前さんが言っていたように、こういうのは理屈じゃないんだろう。頭では理解していても感情は別物。理由は何であれ、ナイトによってシェルフがブレイン・バーストを失ったのは事実で、ナイトもそれを承知していた」

「じゃあ……ナイトはデューがブレイン・バーストを続けるモチベーションとして、憎まれ役を受け入れていたってこと?」

「そういうことになるな。確かにシェルフのやったことは良くないことだろうさ。それでもシェルフはデューにとっては最高の兄貴で、ナイトにとっては大切な友人だった。だから二人はシェルフの永久退場の理由を周りに口外しなかったし、俺達以外に事実は今も知られてはいない」

 



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第十一話

 第十一話 薫るは沈香、名乗るは師匠

 

 

保安官(モラリスト)不祥事(スキャンダル)、か……。ゴシップ記者とかなら尻尾振って飛びつきそうな話題ね」

 

 ダフネがやるせなさそうに呟いて煙管を咥えてから、口から煙と溜め息を同時に吐いた。

 出会った当初から度々見せるその仕草は、どう多く見積もっても現実では小学生だというのに、妙に様になっている。

 ちなみにナイトはシェルフ断罪については伏せた状態で、ほぼ同時期にシェルフへツールを渡していたメンバーの断罪したことをレギオン内で公表しているそうなので、何となく察している者がいるかもしれない。

 しかし、敢えて自分から嫌な気分になろうとする者もいないだろう。実際、ナイトも深く追及をされはしなかったと聞く。

 

「シェルフの時も……それより前から思ってたけど、ブレイン・バーストを失った人達は、うまくやっていけるものなのかしらね。バーストリンカーだったことも、加速世界の存在も忘れてさ。デューについてもそれだけが心配」

「まぁ、今まで通りとはいかないだろうが……案外どうとでもなるものだと俺は思うね」

 

 気を抜くとすぐに場の空気が重苦しいものになりそうなので、大悟はそれまでと一転した調子であっけらかんとダフネの疑問に答えた。

 

「ブレイン・バーストの開始から二年と少し。総人口がようやくおよそ千人になった。それって日本の子供の──東京の二十三区だけでもいい、全体の何パーセントになる? まして、現実で日常的に加速を利用している奴は全体の中で何人になる? ほとんどの人間は加速なんてしなくてもやっていけてんだ。人間、無いなら無いで欠けた穴を埋めようと知恵を回すさ」

「だったら失ったことに気付いてないのは、ある意味で救済なのかもね。変に執着することもないし」

「救済……どうなんだろうな。実際のところは自分がその境遇に置かれていたこと自体憶えてないだろうから、当人にも聞きようがないが……」

 

 依存していたものに振り回される心配がないという点は、確かに不幸中の幸いなのだろうが、大悟にはダフネの言うように救済とまでは思えなかった。

 煩わしい広告収入もリアルマネーの課金もない、プレイヤーに一切の見返りを求めている様子のないこのゲームが、アンインストールした者の記憶まで消しているのは、間違ってもプレイヤーを気遣ってのことではなく、ある種の口封じのような気がしてならないのだ。

 これまで運営が介入してきたことは、他のアプリを利用したポイント収集方法へのパッチ当てなど、ごく少ない頻度でしかない。

 バーストリンカーならば大なり小なり、そんなブレイン・バーストの運営や製作者について気にしたことがあるだろうが、今はまだ小学生である自分達に調べる術はほとんどなく、今回のような機会がなければ栓のないことだと、大悟もほとんど考えることはない。

 

「ただ、デューの奴はさ……礼を言ったんだよ」

「礼?」

「消える直前で俺に『ありがとう』ってな。デュエルアバターの体が消えていく中で、シェルフの件も含めて恨み言の一つも口には出さなかった。だからきっと、あいつは大丈夫だと俺は思う」

 

 今まで大悟が対戦相手やギャラリーとして最終消滅現象の現場に立ち会った際、中には悪態を吐き、散々喚き散らして消えていく、ブレイン・バーストを単なるライフハックツールとして、多分に利用していると思わしき者もいた。

 無論、デューも全く未練がないわけではなかっただろう。第一、あんな結末を望んだわけがない。

 それでも最後の最後で人に感謝ができる者であるなら、加速の力を失ってもやっていけるはずだと、大悟はそう信じたかった。

 

「ふーん? 短い付き合いだったのに、あの子のこと随分と信頼してるのね。お師匠さんてば、やっぱり寂しい?」

「師匠ね……」

 

 多分に希望的観測の入った大悟の言い分に納得できるところがあったのか、ダフネは少し明るく、からかうように訊ねてくる。

 確かにデューは自分を師匠と呼んでくれていたが、振り返ってみれば、自分は彼を一度も弟子とは呼ばなかったし、認識していなかった。

 きっと心のどこかで、自分は誰かにそう呼ばれるような存在ではないと自覚していたのかもしれない。あるいは自ら弟子と口にしないことで責任から逃げていたのか。

 

「そう呼ばれるには、まだまだ未熟だったな」

「連戦重ねた上で《純粋色(ピュア・カラーズ)》の一角相手にまで立ち回っておいて、未熟なんて言われてもねぇ。……そういえば聞きそびれてたけど、どうしてわざわざ連続対戦なんてしたの? ナイト一人に話をすればそれで済んだでしょうに」

 

 ダフネの言う通り、真相を知るならそれだけで良かった。

 大悟も別にデューに代わって、ナイトやレギオンメンバー達を討とうなどと考えていたわけではない。

 訳がありそうだったから大っぴらに聞くのは憚られた。

 仮にシェルフがメンバー内の誰かに嵌められていて、そのメンバーがまだ在籍しているのなら一度倒しておきたかった。事実は異なっていたし、とうにナイト自身が片付けていたが。

 そういった理由があるにはある。

 だが、結局のところは大層なものではなかった。それはただ、何ということはなく──。

 

「一言でまとめれば、ただの八つ当たりだよ。頭と体を──生身じゃなくても動かさないとやってられなかった。それだけ」

「えぇ……? そんな子供じみた理由なの?」

「別に良いだろ、子供なんだから。あぁ、それともう一つ話すことがあった」

 

 予想した通りに呆れたような声を出すダフネに、大悟は開き直ってみせてから、ここを訪れたもう一つの、ついで程度の報告をする。

 

「何日か前、訳あって俺が一方的に離れていった、それまでつるんでいた仲間の二人とほぼ半年振りに会ったんだ」

 

 新宿エリアで散々暴れた日から二日後。大悟はいくらか気が晴れはしても、まだいつも通りの調子とはいかなかった。

 そこで経典が亡くなって以降は何となく避けてしまっていた、自分の住む世田谷エリアで対戦をすることにした。すると即座に、大悟が経典や他のバーストリンカー達とで作った、一種の《サークル》メンバー二人に乱入を仕掛けられたのだ。

 後に聞いたところによると大悟の新宿での行動を知ってから、近い内に世田谷エリア(じもと)に顔を出すかもしれないと見計らっていたらしい。実際、それは的中した。

 

「それでもう一度、一緒に活動しようってことになってな」

「ふんふん、その人達に慰められて傷心から立ち直ったってわけね。良い人達じゃない」

「いや、めちゃくちゃ殴られた。しかも対戦二回続けて」

「仲直りしたんじゃないの!?」

「したとも。それがあいつらとの和解の仕方だったんだよ」

 

 ダフネの言うように、最後は大悟と仲間の二人はしっかり仲直りをしたのだが、それは約半年間の音信不通の(みそぎ)として、対戦で一度ずつ殴り倒された末のことである。

 これを大悟は抵抗せずに甘んじて受け入れた。

 心が荒んだ状態で真っ向からぶつかってくれる存在が──だいぶ物理的ではあったが、大悟にはありがたく、何より嬉しかったのだ。……決して二人の剣幕に圧倒されたわけでなく。

 

「──で、俺らにもプレイヤーホームがあってな。お前さんさえよければ、たまに顔を出すと良いって伝えておきたかったんだ。一人でここにいるだけじゃつまらないだろ? 場所は世田谷の第四エリアで──」

「あー……悪いけど、それは無理」

「……もちろん無理強いはしないが、そいつらも別に誰彼構わず殴ったりしないぞ? 普段は気の良い奴らだし」

「ううん、そうじゃなくてね……」

 

 おっかない印象を持たせてしまったかと付け加える大悟だったが、ダフネは歯切れの悪い遠慮を何度か繰り返してから、言い辛そうに切り出した。

 

「その…………私ね、アメリカに引っ越すんだ。明日にはもう発つの」

 

 引っ越し。しかも海外。これもまた、子供にはどうしようもない事情だ。

 

「親の仕事の都合でね。もう何ヶ月も前から決まってて、本当は夏休み前には日本を発つ予定だったんだけど、向こうの物件で何かトラブルがあったらしくって。それで予定が大きく延びちゃって……今回が最後の加速のつもりでダイブしたの。まさか誰かに会うとは思ってなかったけど、最後にこうして話せて良かった」

「最後って……日本には戻ってこないのか?」

「もちろん里帰りに日本に戻ってくることもあるだろうけど、両親の実家は両方とも関東圏内じゃないし、現時点だと少なくとも高校卒業までは東京にはもう……戻らないと思う」

 

 ダフネが『最後』と言うのには理由があった。

 バーストリンカーの人口が東京に集中している現状、東京から離れた分だけ対戦相手に出会う確率は低くなり、ポイントを増やすには無制限中立フィールドでエネミーを狩るくらいしか選択肢がなくなってしまう。

 これを《引っ越し引退》とも言い、こうなると大抵はジリ貧になって、じきにポイント全損に陥るケースがほとんどだろう。しかも海外となると、状況はより深刻になる。

 ブレイン・バーストが生み出す加速世界は、日本全土にまで広がっている。しかし、今のところ加速世界を創り出すソーシャルカメラが普及しているのは日本のみ。そして、ソーシャルカメラ・ネットワークに接続できない海外では、ブレイン・バーストプログラムの起動自体が不可能なのだという。

 

「デューはこのことは?」

「……いいえ。中々言い出せなくて、結局言えずじまいになっちゃった。機会はいくらでもあったのに、バカみたいでしょ?」

 

 自嘲気味に笑ってから、ダフネは煙管を持っていない左手に鍵を一つ出現させた。このプレイヤーホームの鍵だろう。

 現代日本で『鍵』という存在は、ニューロリンカーなどの端末を介した電子式が主で、実物を見る機会はほとんどない。大悟もこれまで父親の実家である寺の敷地内に建つ、道場や倉庫などの錠を外す鍵ぐらいしか直接見た憶えはなかった。

 

「本当はデューに渡すつもりだったけど……よかったらあげる。もう私が持ってても仕方ないし、バーストリンカー辞めるには頃合いかなって」

「…………」

 

 差し出された銀色の小さな鍵を大悟はじっと見つめてから、やがて首を横に振った。

 それを見て、ダフネは少しだけ残念そうに鍵を摘まんだ手を引く。

 

「……そう。まぁ、ホームがあるって言ってたし別に要らないよね」

「いや、キーは貰う。ただし一つだけ、サブキーの方をな」

 

 そう言って大悟は手をダフネへと差し出した。

 プレイヤーホームの鍵は二つあり、二つ目をホーム所有者が誰かに譲渡することもできる。ちなみに複製は不可能である。

 

「一つはお前さんが持っていな」

「いやでも、私は……」

「先のことはどうなるか分からない。また東京に戻ってくる可能性もあれば、もしかしたら何年かしてソーシャルカメラの技術が海外にも普及して、アメリカまで加速世界が広がるかもしれない。だからまだ、バーストリンカーであり続けてみないか?」

 

 この加速世界はまだまだ楽しめる可能性を秘めていると、大悟は確信している。

 きっかけが偶然でも成り行きでも、ここでの人物達との関わりさえ忘れてしまうというのは、あまりにむなしいではないか。

 

「記憶を持ち続けるのが辛くて、ポイント使い切って適当に死んでアンインストールするっていうなら、それは止めない。だが、手放すにはいろんな意味で勿体ないと思う。良い思い出だって沢山あったはずだ。このホーム一つとっても」

 

 購入までの過程やその後のこの場所で過ごした日々。それらの時を誰かと分かち合って今がある。

 その中の一部には大悟も含まれている。ダフネやデューとはもう赤の他人ではないのだ。

 

「お前さんがここをもう一度訪れるその日まで、俺がここのハウスキーパーを請け負おう。どうだ?」

「……っ!」

 

 はっと息を呑んだダフネは俯くと無言になり、やがて肩を震わせ始めた。そして──。

 

「……………………っく」

「…………うん?」

「っあはははは! あーっはっはっはっはっ!!」

 

 爆笑した。爆笑された。

 大悟には意味が分からない。てっきり感極まってしまったのかと思っていたら、ダフネは煙管をテーブルに放り、両手で腹を抱えて大笑いしている。

 

「いや、笑うところじゃないだろ……ないよな?」

「だっ……だって! は、は、ハウスキーパーって……!」

「そこかよ!」

「だ、だめ……! もうその頭巾が……掃除する時の三角巾にしか見えない! あっはははは!!」

 

 何がそこまで面白いのか、笑ってはむせて、また笑ってを繰り返すことおよそ一分。ようやくダフネの笑いは収まった。

 

「はーあ……ごめんって。そんなに拗ねないでちょうだいよ」

「拗ねてない」

 

 謝るダフネに大悟は憮然と返す。人間、何が笑いのツボになるのか分からないものだ。まさかあの状況で大笑いされるとは夢にも思わなかった。

 

「あーあ、ったく。ガラにもないこと言うもんじゃないな」

「ううん、言葉のチョイスはともか──ふふ、嬉しかったわ。確かに……捨てるには勿体ないものね。はいこれ」

 

 思い出し笑いを堪えながら、ダフネはテーブルの上に鍵を置いて大悟の方へと差し出した。

 半ば不本意な気分になってしまったが、一応自分の言葉が彼女に響いたらしいので良しとし、大悟は鍵を受け取る。そこでふとある物が目に留まった。

 

「……なぁ、それ少し見せてもらっていいか?」

「え? これ? いいけど……」

 

 テーブルに放られたままだったダフネの煙管を、許可を得た大悟は手に持ってみる。前々から面白い強化外装だと思っていたのだ。

 未だ火皿から薄く立ち昇る煙の香りが、大悟の嗅覚をくすぐった。

 

「お前さんのアバターネームのダフネ・インセンス。直訳すると『沈丁花の香炉』ってところか?」

「正解。わざわざ調べたの?」

「知らない英単語だったからな。でもこの香りには憶えがあった」

 

 初めてこのホームを訪れた(厳密には運ばれた)時から漂っていたこの匂いに、大悟はどこかで嗅いだ記憶があると思っていた。

 その日のログアウト後に辞書アプリでダフネという単語について調べ、ようやくその理由が分かった。

 園芸が趣味の祖母が育てている花の一種に沈丁花があったのだ。記憶の中の小さな花弁が寄り集まった形状は、ダフネの頭部にある花飾りの形にとても似通っていた。

 

「これ吸ってみてもいいか?」

 

 大悟は煙管をためつすがめつ眺めながら、ついでとばかりに訊ねる。

 呼吸器系の弱い生身でする気はさらさらないが、古い映画などで目にする喫煙の仕草には少しだけ憧れがあった。このあたりの感性は大悟も年相応である。

 

「どうぞ」

「どれどれ──ぶっ!? げぇっはぁっごほっ!!」

 

 ダフネに確認を取ってから、口元の頭巾を下げて吸い口に口を付けて軽く吸うと、大悟は一瞬でむせた。

 それを見てダフネがまた笑っている。

 

「おま゛……わがっでだな゛ぁっ! げっほっげぇほっ!」

 

 特に迷いもせずに快諾したあたり、ダフネはこうなると承知の上だったのだ。

 一杯食わされた大悟は咳き込みながら煙管をテーブルに放り、今後一生、喫煙はするまいと自分に固く誓った。

 

「はー、おっかしいの。ていうかさりげなく間接キスだね。てっきり裾とかで拭くかと思ったのに」

「そんなの気にするか。デュエルアバターじゃ尚のことな。子供かお前さんは」

「ふふん、子供だもーん」

 

 開き直るダフネ。

 そんなやり取りにどこか可笑しさがこみ上げて、今度は大悟も一緒に笑う。

 たとえ今日がこの先、二度と会うことがない別れの日だったとしても、辛気臭い別れよりも笑顔で別れた方がずっと良いものだと、ダフネと笑い合う大悟は思うのだった。

 一週間後、これまでの長い治療やリハビリの甲斐あってか、この年の九月半ばより大悟に通常登校の許可が出ることになる。

 時は二〇四一年八月下旬。今までの大悟にはほとんど関係のなかった、夏休みがもうすぐ終わる。

 

 

 

 五年後、四月某日。

 紅葉が舞い散る石敷きの小道に大悟は立っている。

 ここはブレイン・バーストプログラムが作り出す通常対戦フィールド。視界上部には自分と対戦相手の名前、体力と必殺技の二つゲージバー、そして千八百秒の制限時間がカウントダウンを刻んでいる。

 対戦相手は三日前にひょんなことから出会った、大悟が《子》として選んだ少年である。

 昨日ブレイン・バーストをコピーインストールしたのだが、詳しい説明をする前に、今朝すでに他のバーストリンカーに対戦を仕掛けられて、訳も分からない内に惨敗したらしい。

 そのため再戦に備えて、加速世界での顔合わせとレクチャーも含めた対戦をすることにしたのだ。

 ちなみに現実の大悟と少年は、駅前の喫茶店で有線による直結通信で対戦をしているので、このフィールドにギャラリーは存在しない。

 やがて十メートル以上離れた相手の方角を示す、青い三角形の《ガイドカーソル》が消えると、すぐに一体のデュエルアバターが姿を現した。

 視界に表示された名前の通り、やや白みを含んだ透明な装甲群と、額から伸びる二つの角が鬼を思わせるフェイスマスクを装備したアバターだ。こちらの姿を眺めながら不安げな足取りで歩いてくる。

 

「──ここは《平安》ステージって呼ばれているフィールドだ。この姿とマッチしているから俺は割と好き」

 

 大悟はデュエルアバター姿の少年にステージ名を紹介しつつ、改めて向き直る。

 

「っと、改めてよろしくアイオライト・ボンズだ。加速世界ではそうだな……」

 

 ──『はい! よろしく、師匠!』

 

 大悟の脳裏に浮かんだのは、無邪気に返事をする少年騎士。体感的には遥か昔の、されど忘れられそうにない光景の一つ。

 

「──『師匠』とでも呼んでくれると嬉しい」

 

 ほんの少しだけ迷ってから、かつて一人にだけそう呼ばれた呼称を出した。

 この加速世界で少年を導く存在になろうという、大悟なりの決意の表れでもある。いつか師匠などと大仰に呼ばせている理由を、目の前の彼に教える時は来るのだろうか。

 

「よ、よろしくお願いします、如……師匠」

 

 そんな大悟の心情を知る由もない少年が、こちらの苗字を言いかけながら、ぎこちなく挨拶を返した。

 これが大悟と少年の、加速世界におけるファーストコンタクト。

 この少年と加速世界だけでなく現実でも深い絆を結び、大悟が抱え続けていた、とある悔恨を氷解させるきっかけとなるのは、これよりまだ先の話となる。

 



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日々対戦篇
第十二話


 第十二話 チョコレート・ディスコミュニケーション 前編

 

 

 厚い防寒具が手放せない二月の寒空の下、手袋をした制服姿の少年が一人歩いている。

 少年──御堂(みどう)(ごう)が東京都の世田谷区へ引っ越してきて、あと一月半もすれば一年が経つ。

 冬が過ぎれば、ゴウは東京で過ごす二度目の春を迎える。もっとも、それまで暮らしていたのは神奈川県だったので、県隣りの東京都とで何がどう違うわけでもないが。

 そんなゴウの歩くペースは、心なしか常よりも少し早い。その『原因』が入っている、肩にかけた学生鞄をちらりと見やる。

 ──別に持ってきちゃってよかった……よな? 

 それが目に付いた瞬間、とっさに鞄の中に詰め込んでしまったが、もしかしたら手違いだったかもしれないと、今更ながらに思い悩み始めるゴウ。

 ──でも今から学校に戻るのもなんだかなぁ……。

 表情と足取りは変わらないまま、ああでもないこうでもないと悩み続ける。

 傍から見れば、どこにでもいる中学一年生。実際その通りである。

 多くはなくとも同学年の友人達がいて、勉強はニューロリンカーによる早期教育のおかげかそれなりにできて、運動は平均から良い意味でも悪い意味でも大きく逸脱する点はない。身長はクラスで下から数えた方が微妙に早く、顔立ちは彫りが浅めな丸顔で、髪は短髪の黒(最近白髪が何本か生えていることに気付き、少しだけショックを受けた)。

 そして、首元にはマットグレーのニューロリンカー。

 西暦二〇四七年の日本では、どこにでもいる十代男子の一人だ。そんなゴウが周囲のほぼ全ての人間と明確に違う点を、一つだけ挙げるとするならば──。

 

 バシイイイイッ!! 

 

 唐突にゴウの耳を、脳内をそんな音が叩いた。視界が暗転する。

 この合図によって、もう一つの世界に呼ばれたことをゴウは一瞬で理解した。

 何故ならゴウは世界でおよそ千人しか存在しない、思考を千倍に加速させる対戦格闘ゲームアプリ、ブレイン・バーストをニューロリンカーにインストールしたプレイヤー、通称バーストリンカーの一人だからである。

 

【HERE COMES A NEW CHALLENGER!!】

 

 暗闇の中央で発生した炎が、そんな文字を象った。

 

 

 

 視界が回復すると、それまで歩いていた街並みは、石造りの建物が並ぶ景色に変わっていた。壁の一部は朽ちて崩れ落ち、あちこちが苔や蔓に覆われている。

 ブレイン・バーストのシステムが作り出す対戦フィールドの一つ、《古城》ステージと呼ばれているフィールドだ。

 地形同様、ゴウの姿も生身の人間ではなく、ブレイン・バースト内で活動するデュエルアバターの体に変化している。

 名前は《ダイヤモンド・オーガー》。

 全身には白みの混じった透明な装甲。頭部は額の両端から二つの角が伸び、鬼を思わせるフェイスマスクを装着している、ゴウの魂から創り出されたデュエルアバターだ。

 登下校中に通常対戦をするのがゴウの平日の日課となっているが、今日は自分から対戦を仕掛けようとは考えていなかった。

 それでも一応グローバルネットに接続はしていて、自宅に着くまで他のバーストリンカーから対戦を仕掛けられる、いわゆる《乱入》をされるかされないか、一人で運試しをしていた。

 元より挑戦を受ける姿勢は取っているので、乱入されるならそれで良し。されなくてもそれもまた良し。どちらにせよ、ゴウにとってはマイナスの無い賭けだ。対戦に負けさえしなければ。

 

「どれどれ相手は……」

 

 一体誰が乱入してきたのかと、ゴウは視界上部の左側に位置する自分のアバターネームと体力ゲージとは反対側に表示された、相手のアバターネームを確認する。

 知らない名前のアバターだ。レベルは4で、今月に入ってレベル5になったゴウの一つ下。いかに一つだけとはいえ、レベルが上の初対面の相手に挑むとは、それだけ自信があるのか。

 世田谷住まいのバーストリンカーか、それとも他地区のバーストリンカーか。

 過疎エリアとも呼ばれる世田谷エリアでも、現実で電車やバスでの移動中に、エリア内に入った他地区住まいのバーストリンカーが対戦を行うことは間々ある。そのため学生の登下校の時間帯には他の時間帯よりも、一時的かつ他地区に比べてわずかにではあるが、マッチングリストに載るバーストリンカーの数が増える傾向にあるのだ。

 ただ、周囲に他のデュエルアバターの姿も気配が感じられないことから、今回はこの対戦を観戦するギャラリーはいないらしい。タイミングが合わなければ、こういったこともまた珍しくはない。

 そんなことを考えていると、相手の必殺技ゲージがわずかにチャージされた。

 すでに制限時間三十分の対戦は始まっている。ここに留まり続けても始まらないので、ゴウは対戦相手の大まかな方向を指す、水色をした三角形のガイドカーソルが示す方向へと小走りで進み出した。

 そこから城壁の崩れている箇所を殴る蹴るで破壊しながら、対戦相手を探すゴウだったが、五分を過ぎても対戦相手の姿は見えない。それどころか、ガイドカーソルはせわしなく向きを変えてほとんど同じ方向を指さない。

 どうも相手はこちらから逃げ回りつつ、必殺技ゲージの確保に専念しているらしい。

 身を隠せる背の高い城壁が多く、崩れた部分を通って先に進みやすい《古城》ステージは、そういった行動をするのに適しているフィールドだ。

 相手はフィールドの特性をしっかり把握している、つまりはそれなりに場数を踏んでいる者と考えた方がいいのかもしれない。

 

「僕のことを知ってて対抗策を用意してるのか、それとも他に何かあるのか……。よーし……」

 

 おいそれと相手を優位に立たせるわけにもいかないので、このあたりでゴウは強硬策に出ることにした。

 

「着装、《アンブレイカブル》」

 

 右手を広げ、コマンドを唱える。

 すると、右手に白い光が発生し、縦に伸びていく。すぐに光は消えると、代わりにゴウの右手には、鋲のように丸い突起が規則的に並んだ、全長百五十センチほどの透明な金砕棒が握られていた。

 ゴウは強化外装を両手で握ると、目の前の壁めがけて思いきり振り下ろす。

 

「ふっ!」

 

 ダイヤモンド・オーガーの持つ常時発動型アビリティ、《剛力(ヘラクリアン・ストレングス)》による膂力と、重く頑丈な金棒《アンブレイカブル》の組み合わせは、バカァン! と派手な音を立てて、《古城》ステージの壁に大穴を作った。

 ゴウはすぐに穴を通ると一直線に進んでいき、その先でシステム的に破壊不可能な建物以外が阻めば、また金棒を振るって砕いていく。

 力技なショートカットを続けた末に、ようやく表示され続けたガイドカーソルが消えた。対戦相手が自分の十メートル以内に入った証拠だ。

 一体どこにいるのかと、ゴウが曲がり角に出たところで首を動かすと──いた。

 不意の遭遇に、ゴウも相手も一瞬だけ硬直。わずかに相手の方が早く動き出し、その場から離れていく。

 

「あ、待て!」

 

 さすがにこれ以上の鬼ごっこは御免であるゴウは、重いので走る分には不利でしかない《アンブレイカブル》を、自分のアイテムストレージに収容してから追いかける。

 しかし、もう相手も逃げるつもりはなかったらしい。

 すぐに開けた場所に出て足を止めた相手の姿を、ゴウはようやくをまともに見ることができた。

 かなり小柄なF型アバターだ。ボンネットタイプの大きな鍔付き帽子に、左右に長く伸びた髪パーツ、下半身は大型のスカート装甲。

 そしてその全身の装甲色は、表示されているアバターネーム通りの──チョコレート色。

 

「……お初にお目にかかりますわね。わたくし、《ショコラ・パペッター》と申しますわ!」

「え?」

 

 唐突かつ堂々としたお嬢様口調の、実際にお嬢様のような出で立ちをしたショコラ・パペッターなるアバターの名乗りに、ゴウは思わず疑問の声を漏らしてしまう。

 何故なら、ゴウの視界に表示されている相手のアバターネームは《Chocolate Puppeteer》となっているからだ。

 

「ショコラ・パペッター? 《チョコレート・パペッティアー》……じゃなくて?」

「その読み方で合っていますけれど、ショコラ・パペッターの方が可愛いし言いやすいでしょう!」

 

 有無を言わせない物言いだった。それまで逃げ回っていたとは思えない、断固とした口振りである。

 

「ところであなた、ダイヤモンド・オーガーで間違いない……ですわよね?」

「そうだけど……そっちから乱入したんじゃ……」

「…………」

 

 こちらの名前を確認すると、パペッティアー改めパペッターはいきなり黙り込んでしまった。

 そちらから対戦を仕掛けてきておいて、今になって名前の確認とはどういうことなのか。

 

「──したの」

「はい?」

「リストの名前を押し間違えましたの! 選ぼうとした相手の一つ上にあった、あなたの名前を押してしまいましたのよ! これ、ギャラリーがいないから白状してるんですからね!」

「え、えぇー……?」

 

 文句あるかと言わんばかりのパペッターの剣幕、あるいは開き直りに、思わずゴウは気圧されてしまう。

 今まで何度も対戦を仕掛け、仕掛けられてきたゴウだったが、マッチングリストで間違えられて選ばれたというのは初めてのことだ。少なくともこれまで対戦相手にそう言われたことはない。

 

「わたくしだって久々の対戦で、あの《アウトロー》のメンバーを相手しようなんて思ってませんでしたわよ!」

「あ、アウトローのことも知ってるんだ」

「もちろんですわ。世田谷のバーストリンカーでアウトローを知らない人なんて、新米(ニュービー)くらいしかいませんわよ。それにしても……あぁ、よりによってミンミンもプリコもギャラリーにいない時に……」

 

 後半の方の独り言は小さすぎてゴウにはよく聞き取れなかったが、ともかくその言いようからして、パペッターは世田谷で活動しているバーストリンカーらしい。

 ──住んでいる地区でも、一年足らずじゃまだまだ知らないバーストリンカーはいるんだなぁ。

 

「──ともかく。こうして対戦することになった以上、相手が誰であれ負けるつもりはありませんわ」

 

 覚悟を決めたらしく、パペッターの醸し出す空気が少しだけ変わった。

 ここからがようやく対戦の始まりだと、ゴウも意識を切り替える。

 

「もしもわたくしがひたすら逃げ回ることしかできないだけだとお思いなら、大間違いでしてよ!」

 

 意外にもパペッターの方から先に仕掛けてきた。

 ゴウの見たところ、カラーサークル上でのタイプは《遠隔の赤》と《間接の黄色》の中間なので、近接戦闘より距離を取って戦うタイプのアバターだと思っていたからだ。

 

「シッシッシッ!」

 

 小柄なアバター特有の軽快さでゴウとの間合いを詰めたパペッターは、両腕を構えた状態で左ジャブを三連続で繰り出してきた。

 かなりキレがある動きに驚きながらも、ゴウは右腕の装甲で受けながらジャブをいなし、出の速い左フックを繰り出す。

 すると、この動きを読んでいたのか、パペッターはバックステップで回避。そのまま動きを止めることなく、今度は左脚でミドルキックを放ってきた。

 

「ハイイイッ!」

「ぐっ……」

 

 気合と共に出された蹴りに今度はガードが間に合わず、横腹に衝撃と痛みが走る。

 体力の五パーセントにも満たないダメージだが、初撃を本来は遠隔型か支援型と思わしきデュエルアバターとの近接戦で食らうのは、ゴウには予想外のことだった。

 

「まだまだですわ!」

 

 更にパペッターは両腕でゴウの首を押さえにかかる。

 ──この体勢……そうか! 

 ようやくパペッターの近接戦闘スタイルを理解したゴウの腹部に、膝蹴りが二発続けて叩き込まれた。

 もう一撃を食らう前に、ゴウは反撃に動く。

 まずはこちらの首を押さえている、パペッターの両腕の内側に自分の両腕を滑り込ませる。あとはそのまま──。

 

「せあっ!」

 

 ゴウが両腕を外側に大きく振り払うと、さすがにそこは腕力の差、パペッターの両腕から首が解放された。続けて一歩だけ下がって左脚で前蹴りを決めると、それだけで軽量級のパペッターを数メートル先まで吹き飛ばす。

 今のゴウの蹴りがパペッターに与えたダメージは一割。

 特に頑丈そうな見た目ではないのにもかかわらず、ダイヤモンド・オーガーの力でそれだけしか体力が削れていないのは、蹴りがパペッターのフレアスカートの装甲に当たったからだ。

 ──打点が微妙に外れた。しかも今の感触、衝撃が吸収されたような……。

 あのチョコレートに似た装甲は、打撃に対して多少の耐性を持っているのかもしれない。その点は、繰り出す攻撃がほぼ打撃しかないゴウにとって相性の悪い相手である。

 蹴り飛ばされたパペッターはすぐに体勢を立て直し、握った両の拳を肩より上の位置で構えた。

 

「その動き、ムエタイ使いか」

 

 ゴウはこれまで、対戦の参考にメジャーな格闘技の動画を一通り目にしている。首相撲と呼ばれるクリンチ状態からの膝蹴りは、ムエタイの基本技の一つだ。

 

「その通り……と言いたいところですが、使い手を名乗れるほどではありません。総合格闘技を習っている友達から少し教わっていますの。その子はわたくしの一.三倍は強いですわよ」

 

 ゴウに格闘スタイルを言い当てられ、微妙な情報を付け加えながらパペッターは頷いた。

 

「少しでも体力が削れれば儲けものと思いましたが、本格的な格闘戦ではあなたに勝てそうもありませんし、もう一度同じようにやってもダメージを与えるのは難しそうですわね」

 

 そう言いつつ、パペッターは構えを解いて腕を下げた。その行為が勝負を諦めたわけではないことは、あのピンクに光る丸いアイレンズから窺える。

 

「ここからはこちらの本命の技でいきますわよ。《カカオ・ファウンテン》!」

 

 声も高らかにパペッターが広げた右手から、アイレンズよりも眩いピンク色の光が(ほとばし)った。

 



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第十三話

 第十三話 チョコレート・ディスコミュニケーション 後編

 

 

 ショコラ・パペッターが《カカオ・ファウンテン》なる必殺技名を叫ぶと、その右手からキラキラと輝くピンク色の光が放たれた。光はパペッターの数メートル手前の地面に落ちていく。すると──。

 ぽこ、ぽこと続けて音を立て、焦げ茶色の液体が地面から湧き出した。

 液体はどんどん湧き続け、パペッターと距離を取るゴウとの間に直径九メートル程まで広がっていく。

 

「…………泥?」

「チョコですわよ!!」

 

《古城》ステージの地面を覆う焦げ茶色の液体を見て、率直な感想を述べるゴウに、パペッターが食い気味に返してきた。

 

「どうして今の流れで泥になりますの! ファウンテンって言ったでしょ! あなた、チョコレートファウンテン知りませんの!?」

「す、すみません……ファウンテンってアレか、言われてみれば……」

 

 さすがに泥呼ばわりは心外だったらしい。確かに甘い匂いもする、まごうことなきチョコの湧き水だ。

 ただ、フルーツやマシュマロをくぐらせる程度のチョコの噴水とは、規模こそ桁違いだが、見たところゴウの目にはさしたる脅威には映らない。

 もうチョコの湧出は止まっている。どういう効果を持っているのかまでは知らないが、この手の物体を生成する補助技は、それそのものに触れなければ怖くはない。

 

「それで、チョコの池でこっちの動きを制限しようって? でも肝心の僕にまで届いてないじゃないか」

「そんな悠長なこと言えるのも今の内ですわ。《パペット・メイク》!」

 

 パペッターがチョコの池に向けて、びしっと三本の指を立てた。すると、それに呼応するかのように平坦だったチョコの池の三箇所が盛り上がっていく。

 どんどん隆起していくチョコの池は、反比例するように範囲を縮小し、やがてチョコの池が消えた代わりに三体の人形が作り出された。

 身長百五十センチ程のチョコ人形は三体とも全く同じ形で、全身は凹凸がなくのっぺりとしている。他には丸い頭に光る花のようなマークが付いていることぐらいしか、特徴らしきものはない。

 

「さぁ、《チョペット》達! あなた達を泥と間違えた不届き者をコテンパンにしておやりなさい!!」

 

 パペッターの指令を受け、それまで棒立ちだったチョペットなるチョコ人形達は、目も鼻もない顔をゴウに向けると、一斉に走り出した。

 一方、ゴウも迫るチョペット達を迎え撃つべく、両脚に力を込める。

 ──自律人形を作り出す技……。驚きはしたけど、向こうから突っ込んできてくれるなら好都合だ。

 小技でパペッターの体力を削っても、それで必殺技ゲージがチャージされれば、また新たなチョペットを生み出すかもしれない。一体の戦闘力はまだ不明だが、数が増える分だけこちらが不利になることは間違いないだろう。

 となれば繰り出すべき攻撃は、自分が出せる一番威力の高い一撃。

 ──一気に攻めて勝負を決める。

 

「《ランブル・ホーン》!」

 

 レベル5になった際のレベルアップ・ボーナスで選択した必殺技を発動すると、駆け出すゴウの前方に向けた額の角が一気に伸長した。

 このままチョペット達をなぎ倒し、本体であるパペッターを背後の城壁と挟んで押し潰す。これならば、あのチョコレート装甲に打撃への耐性があっても、カバーはしきれないだろう。

 ところが、五十センチ近く伸びた角がチョペットの一体に触れた瞬間、ゴウの算段は崩れた。

 

「えっ?」

 

 ずぶり、と粘土のような柔らかい感触に、ゴウは思わず声を漏らす。走りながら上目遣いで確認すると、必殺技の効果によって脚力も上がった突進により、両の角がチョペットの胸部にほとんど根元まで突き刺さっていた。

 

「そのまま体勢を崩しなさい!」

 

 パペッターが命令をした瞬間、通常のアバターなら急所へのダメージで、ほぼ即死級の傷であるのにもかかわらず、チョペットは全く動きを止めず、両腕と両脚をゴウの体に絡ませて、体重をかけてくる。

 続けて、前の見えない状態のゴウは腰の辺りに二度の衝撃を感じた。残り二体のチョペットがタックルをしてきたらしい。しかもそのまま脚にしがみついてきた。

 

「う、うわあっ!」

 

 前も見えずに走っている時に三体がかりで体勢を崩されれば、どうしたって転倒は必至だ。まとわりついたチョペット共々、地面にスライディングする形でゴウの必殺技は不発に終わる。

 元の長さに戻った角を引き抜き、体を捩りながらチョペット達を振り払って立ち上がると、ゴウは更に驚きの光景を目にすることになった。

 チョペット達がゆっくりと起き上がる。その内の一体、ゴウの《ランブル・ホーン》によって、角が貫通したチョペットの胸部にできた二つの穴が、みるみるうちに修復されていくではないか。

 正確には傷の周辺が融解し、液状になって塞いでしまったのだ。他の二体も地面を擦った時にできたらしい体表面の擦過傷が、すぐにつるりとした滑らかなものへと戻っていく。

 

「そんな、傷が治るなんて……」

「その子達には斬撃も打撃も貫通も、物理的攻撃は一切効きませんわよ」

 

 驚くゴウに、チョペット達を挟んで立つパペッターが付け加えた。

 

「見たところ、あなたは物理攻撃しか持たないようですわね。もし本当にそうでしたら、チョペット達をわたくしに作り出させた時点で勝機はありませんわ」

 

 口では強気なことを言いつつも、パペッターの声には警戒の色があり、油断をしている様子はない。

 ──ど、どどどど、どうしよう……。物理無効? ホントに? 

 対するゴウは内心、大焦りだった。

 パペッターの言う通り、ダイヤモンド・オーガーの攻撃手段は近接での物理攻撃に限られる。こちらの攻撃が通らないチョペットが盾になっている限り、パペッターにダメージを与えるのはほぼ不可能だ。

 

「いきなさい!」

「くっ……」

 

 パペッターの号令の下、チョペット達が再びゴウに襲いかかってきた。

 対抗策も思い浮かばないまま、ゴウは右腕を腰元に構える。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 正面のチョペットの顔面めがけ、必殺技の正拳突きを打ち込んだ。

 だが、ゴウの光り輝く拳が、腕が頭部を貫通したのに、チョペットは一度仰け反っただけで動きを止めない。花に似たマークのある頭部に核でもあるのではとゴウは睨んだのだが、当ては外れたらしい。

 頭部にも胸部にも攻撃を受けてダメージが無いとなると、いよいよお手上げだ。おそらくは再度《アンブレイカブル》を召喚したところで、状況は変わらないだろう。

 ゴウは慌ててチョペットの頭部に刺さった腕を引き抜き、三体のチョペットに応戦していく。

 チョペットの攻撃手段はそこまで複雑なものではなく、精々がパンチやキックなどの打撃だけだ。しかし、いかんせん手数の、人数の差がある。一人で三体の攻撃全てを逐一防ぐことはできず、じわじわとゴウの体力ゲージは削れていった。

 パペッターはチョペットに混じって攻撃もしなければ、この場を離れもしない。下手にダメージを受けるリスクを避け、司令塔に徹するつもりなのだろう。

 ──どうする! どうする! チョコの性質、弱点。何かないか!?

 一対一の通常対戦で袋叩きにされるという、普通なら有り得ない状況で必死に体を動かしながら、ゴウは考える。

 パペッターは先程、チョペットには斬撃も打撃も貫通も効かないと言っていた。物理攻撃しかできないゴウに勝機はないとも。

 相手はチョコの池から作られたチョコ人形。

 ならば、熱で溶かす、凍らせて粉々に砕くという案が真っ先に思いつく。だが、どちらもゴウ単体ではできないことだ。ステージが《溶岩》や《火山》、あるいは《氷雪》なら良かったのだが、この《古城》ステージの気温は標準的なので、フィールドを利用することはできそうもない。

 ──リキュールさんやキューブさんだったら、こんなに苦労はしてないだろうな……。

 火や氷を扱える仲間達の顔が思い浮かぶも、当然ながらこの場にはいない。

 今は一人で切り抜けばならない時。この場にいない仲間に甘えている状況では──。

 

「甘える……甘い……?」

 

 ふと、ゴウの頭にとある案が浮かんだ。というより魔が差した。何にせよ、他に対抗手段が思いつかないので、半ばやけくそ気味にやるだけやってみようと思い立つ。

 まず、チョペット達の攻撃を受けながらも一体の腰をしっかりと掴む。幸い、掴んだ部分を腕が突き抜けるようなことはなく、そのまま持ち上げて乱雑にぶん投げた。

 続けて二体目も同様に放り投げる。一体目と同じ場所に投げたので、二体のチョペットはもみくちゃになってすぐには立ち上がってこられない。

 残る最後の一体は投げ飛ばさず、パンチを繰り出してきた右手を受け止めると、ゴウはマスクの口元をガパァ、と音を立てて開けた。

 

「ちょっ、あなたまさか……!」

 

 こちらの考えに気付いたらしいパペッターにも構わず、ゴウはチョペットの拳を掴んだまま、その右手首を口元に寄せ──。

 

「おやめなさ──」

「あぐん」

 

 一口でチョペットの手首を齧り取った。同時にゴウの口の中に甘味、それとほんの少しの苦味がじんわりと広がる。紛れもないチョコレートの味だ。それもかなり高品質の。

 

「うまいなコレ……」

 

 ゴウはぽりぽりと音を立ててチョペットの手首を咀嚼し飲み込むと、続けてパンチを受け止めた時から握っていた、手首を齧ることで体から切り離されたチョペットの右手も口に放り込んだ。

 食べながらチョペットを見ると、その右手の先は再生していない。

 ゴウの思いつき通り、普通の攻撃であれば、その部分の周りが押し出される形で広がった後に元へ戻りはするが、食べられて消失しまった部分は再生しないらしい。

 ──そりゃ食べたら無くなるよな。あ、ゲージちょっと増えた。

 チョコを食べた副次効果か、少しだけゴウの必殺技ゲージが充填されていく。

 そんな中、右手を食べられたチョペットも、投げ飛ばされてから立ち上がった二体のチョペットも、目のない顔がこちらへ釘付けになって向いているだけで襲ってこない。自分達を食べる敵に警戒しているのだろうか。

 ゴウはパペッターの方を振り返り、じーっと見つめる。

 

「ひっ!?」

「んぐ……その装甲も食べられる?」

 

 ゴウはチョコを食べ終えた口を再び大きく開けてから、威嚇するようにがちん! と顎を鳴らした。

 

 

 

「うぅ……まだ残ってる気がする……」

 

 対戦終了後、帰宅したゴウは自室で呻きながら胃の辺りをさすっていた。

 対戦中に体のどこかが集中的に攻撃を受け続けた場合、加速を終了してもその部位にしばらく痛みが残ることはある。

 しかし仮想世界でとはいえ、食べ過ぎと胸やけの苦しさまで引き摺ることになるとは考えもしなかったし、対戦でそんな事態になるとは夢にも思わなかった。

 あの後はチョペット達に加わったパペッターを交えた乱打戦の中で、ゴウはひたすらチョペットを食べていくことになったのだが、初めは美味しく食べられたチョコの塊も、五口目あたりからはもう苦行でしかなくなっていた。当たり前だ、チョコレートを一度に何キロも食べられる人間はいないし、できる者は人間ではない。今回のゴウはデュエルアバターの身であったが、それでも苦しい。

 さすがに体全部は食べ切れる気がしなかったので、腕や腿を齧り取り、分離した手足を遠投で捨てていくことで、ゴウはチョペットを無力化していった。

 ところが、戦闘でゲージが溜まったパペッターが再度発動した《カカオ・ファウンテン》の中に入ると、チョペットは欠損部分が回復してしまうので、またゴウは食べなければならないという、ある意味で壮絶なイタチごっこをする羽目になってしまったのだ。

 そんな泥仕合ならぬチョコ仕合を、パペッターに「鬼ー! 悪魔ー! チョペット殺しー!」と散々罵倒されながらも、食べることで少し溜まる必殺技ゲージを駆使したこともあって、何とか勝利することができた。

 ちなみに、対戦の中でパペッターの腰の入った右ストレートを一発腹に食らったのだが、内臓のないデュエルアバターの身だったからか、食べたチョコを吐き戻さずに済んだ。

 

「それにしても……チョコレートのアバターか。よりによって今日遭遇するなんて、タイムリーと言うか、何と言うか……」

 

 ベッドに座ってそんなことを呟くゴウの前には、ベッドの上に置いた包みが一つ。これこそが、帰り道でゴウの頭を悩ませていた『原因』そのものだ。

 今日は二月の十四日。バレンタインデーである。

 日本ではチョコレートを贈る風習として定着した文化。相手が友人だったり、同じ職場の同僚や上司だったりと様々だが、主に女性が男性に贈ることが一般的だろう。

 ゴウも小学生時代にチョコを貰ったこともあるにはあるが、いずれも義理チョコだ。

 その中にはゴウの友達が本命で、ゴウや他の友達にも渡すことでカモフラージュをする者や、徳用のチョコ袋を用意してクラスメイト全員にそれを数個ずつ配ることで、ホワイトデーにお返しを求めてくる猛者もいた。ちなみにゴウはこれまで貰う度に、律儀にお返しを用意してきている。

 また、ゴウの母親にバレンタインデーの習慣はなく、代わりにバレンタインデー前後は家の戸棚にストックしてある菓子類に、チョコ系統の品が増えるだけである。

 ともかく、下駄箱に入っていたというのは、ゴウにとって初めてのケースだ。パステルカラーの包みを視認した瞬間、流れるように鞄のジッパーを開けて中に入れて上履きと靴を履き替えるという、自分でも驚くほどに自然な動きで行動していた。

 ──誰かに見られてはいないはず……多分。クラスの誰かがからかって用意したのか、誰かが下駄箱の場所を一つ間違えて入れたのか、それとも本当に…………いやそんなまさか……。

 帰り道と同じことをまた繰り返して考えていることに気付き、とうとうゴウは腹を括って中身を開けることにした。

 中に他の誰か宛のメッセージでもあれば、明日の朝早くに登校してその人物の下駄箱に入れておけば良い。もしも宛名がなければ仕方ない、もう儲けものと思って貰っておこう。そう考えながら、ラッピングされている紐を解く。

 包みの口を開けて逆さにした袋の中身を取り出すと、合成紙製の紙袋と、紙袋にテープで貼り付けてある一枚の小さなプラカードが出てきた。カードに書いてある内容をゴウは読んでいく。

 

【御堂君へ

 大兄ぃと一緒に作りました。よかったらどうぞ。

 ハッピーバレンタイン 如月蓮美】

 

「……………………」

 

 全部でたった三行の短い文章を何度も読み返してから、自分でも何が理由かよく分からない溜め息を吐きつつ、ゴウはベッドに仰向けに倒れ込んだ。

 如月(きさらぎ)蓮美(はすみ)はゴウと同学年で隣のクラスの女子生徒だ。そして、カードに書かれている『大兄(だいに)ぃ』とは、同じ中学校に通う学年が二つ上の蓮美の兄、如月大悟。

 大悟は去年の四月、ゴウにブレイン・バーストプログラムをコピーインストールした《親》にして、師匠でもある人物だ。受験生であったが、すでに中学校と同区内の公立高校への入学が決まっている。

 嬉しいには嬉しいのに、少し拍子抜けしたような複雑な気分だったが、気を取り直してゴウは体を起こし、兄妹の合作だという物が何なのか確認する。

 

「何だこりゃ?」

 

 入っていたのは、やや膨らんだ円盤状をした焦げ茶色の物体が一つ。紙袋の中からする匂いからしてチョコ菓子なのは間違いないが、この厚みと手のひらから少しはみ出るサイズにしては軽い気がする。

 ゴウは袋から半分ほど菓子を取り出すと、意を決し小さめに一口齧った。

 ぼりん、という固い食感。噛む度に口の中一杯に広がるのは、滅茶苦茶な甘さ。

 

「あ、あっっっま……」

 

 齧った断面を確認すると、表面の焦げ茶色とは異なり、たくさんの気泡の跡による空洞が目立つ黄土色。ここでゴウはようやくこの菓子の正体が分かった。

 これは、チョコレートで表面をコーティングしたカルメ焼きだ。

 しかも、熱した砂糖を重曹で膨らまして作るカルメ焼きに塗られているのは、それ単品でも充分に甘いミルクチョコ。チョコのわずかな苦味など、カルメ焼きの甘さが完全にかき消している。

 ──貰っておいて何だけど、塗るならビターチョコ方が良かったんじゃ……。

 決して不味くはないが、加速世界でしこたまチョコを食べた後にこれは厳しく、ゴウはひとまず菓子を袋に戻した。

 

「これ食べたら、しばらくチョコはいいや……」

 

 その後に聞いた話では、カルメ焼きの担当は大悟、チョココーティングとラッピングを担当したのは蓮美という、ひたすらに甘い贈り物をゴウは三日に分けて完食。一月後のホワイトデーには蓮美と大悟、それぞれにお返しを渡すのだった。

 ちなみに今回の対戦によって、対戦相手であるショコラ・パペッター及び、対戦の顛末を聞かされた彼女のレギオン《プチ・パケ》のメンバーから、ゴウとゴウの属するアウトローが一層恐れられることになっているなど、当人であるゴウは知る由もなかった。

 



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第十四話

 第十四話 対戦相手は少女A

 

 

 薬を飲まないと目と鼻が大変なことになる、花粉症のピークもようやく過ぎ去った、五月上旬の土曜日。

 日本では週休二日制度から土曜日の半日勤務や通学、いわゆる『半ドン』が再開されて久しい。午前の半日授業を終えたゴウは居残りをするでも、帰宅するのでもなく、自宅や学校のある世田谷区の北方面に位置する、練馬区へと赴いていた。

 電車を乗り換えること数度。《桜台駅》に到着したゴウは、マップビューのホロウインドウを出して、目的地の場所を確認してから歩き出す。

 ほどなくして、小規模な商店街に佇む目的地へと辿り着いた。

 

「ここかな……うん。店の名前も合ってる」

 

 実際の看板と仮想デスクトップに表示されたホロタグの名前が一致していることを確認し、ゴウは一軒の店舗──ケーキショップへと入店する。自動ドアが開き出すと同時に、ドアベルを模した合成音声が鳴り響いた。

 

「いらっしゃいませ」

「あの、予約をしていた御堂ですが……」

 

 ケーキが並ぶショーケースの前まで進み、その向こうに立つ女性店員の一人にゴウは名乗る。

 接客担当らしい女性店員達は何故か、ダークチェリーの上着とロングスカートに、白いエプロンとカチューシャ、胸元にクリムゾンレッドのリボンという、メイドの恰好をしていた。経営者の趣味なのだろうか。

 

「本日《苺の迷宮(ラビリンス)》の六号サイズをご予約されていた、御堂様でお間違いないでしょうか」

 

 宙に指を走らせ、仮想デスクの予約リストを確認した店員は、ゴウが「はい」と頷くと、「少々お待ちください」と言い残して店の奥へと向かっていった。

 何故ゴウが直径十八センチのホールケーキを購入しに、わざわざ練馬のケーキ屋に来ているのかというと、ひとえに母からのお使いである。

 なんでも、今日は母の友人達が午後から家に来るらしく、口コミなどで評価の高いというこの店のケーキをお茶請けに選んだそうだ。

 しかし、今日の午前中は母はパートで父も仕事なので、一番早くに体の空くゴウが引き取りに行くこととなった。ほぼ強制指名ではあるが、一応報酬(小遣いとケーキの一ピース)が貰えるので、ゴウとしては特に不満はない。

 カウンター横で品物を待つゴウは、別の店員と他のお客がやり取りをしている中、様々な種類のケーキの並んだショーケースへと目をやった。彩り豊かな数々のケーキの中に、今回予約したケーキのカットサイズも並べてある。

 ──何とも苺だ。苺まみれだ。一切れだけで上に苺が三つも載ってら。

 上部へ放射状に敷き詰められた苺の量が暴力的なまでに多いケーキをまじまじと見ていると、その下に絞ってある純白のクリームが格子状に見えることがこのケーキの由来と、説明書きのホロウインドウが視界に表示される。当たり前だが、コンビニやスーパーで売っている物とは品質が(もちろん値段も)段違いだ。

 ──でも僕、どっちかと言うとショートケーキ系より、あんまり果物の載ってないのが好きなんだよな。チーズケーキ、ミルクレープ、モンブラン……。

 どれも小洒落た名前がついたケーキをゴウが順繰りに眺めていると、はしゃぐ声が聞こえてきた。

 

「シェアしよシェア! ひとくち交換!」

 

 店内の半分は、椅子とテーブルが設置されたイートインスペースで、注文した商品を店内で食べられるようになっている。ゴウが振り返ると、奥のテーブルに座る暗紅色の制服に菜の花色のスカーフをした女子学生達が、ケーキを食べながら談笑を楽しんでいた。

 

「はいっ。りぃたん、あーん。そんであたしもあーん」

 

 明るい栗色の髪を二つに結った活発そうな女子が、前に座る薄い金髪のふんわりとしたロングヘアーの女子へと、かなり大きめに切り分けられたケーキの一欠片を刺したフォークを差し出し、自分も口を大きく開ける。

 少し戸惑っている様子の小柄な金髪女子の方は、その髪のボリュームと角度の関係で、ゴウの位置からはほとんど後ろ姿しか見えない。

 

「優子、もう少し声のトーン落として。それとそんな大きい塊、リーリャの口に入らないよ」

 

 セミショートの黒髪に、凛々しげで中性的な顔立ちをした女子が、隣に座る栗毛の女子をやんわりと窘める。

 

「じゃ、胡桃ちゃん。あーん」

「いやだから大きいってば」

「そお? これくらい……んあーむ、ンムグムグ…………いやー、ちあちあも来られれば良かったんだけどねえ。あっ! りぃたんありがとね。んーおいひい!」

「家の用事なら仕方がないさ。今日買っておいても明日は日曜だからね、味が悪くなってしまう」

「…………」

「そうだね。次は四人みんなで来よう」

「はいっ、りぃたんお返しー。これくらいのサイズならおっけーでしょ?」

 

 女三人揃えば(かしま)しいとはよく言ったもので、何とも楽しげな(主に栗毛の女子の)喧噪が響く。

 そんなやり取りを聞いているのも束の間、ケーキの入った箱を持って店員が戻ってきた。

 

「大変お待たせいたしました」

 

 保冷剤を用意したこと、ケーキの消費期限などを説明しながら、店員はてきぱきと箱を手提げ用の袋に入れると、ショーケース隣のレジカウンターへと移動する。

 表示される会計ウインドウの確認ボタンをゴウが押すと、キャッシュレジスターの動作音を模した小気味よい音が鳴り、事前に母からチャージされていた電子マネーが消費された。

 

「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしています」

 

 それまでやや鋭めだった目つきが若干柔らかくなり、口元を小さく微笑ませた女性店員から袋を手渡されたゴウは軽く頭を下げ、ケーキショップ《パティスリー・ラ・プラージュ》を後にした。

 

 

 

 これまで足を向ける機会のなかった場所に来たのだから、ただお使いをこなすだけで帰るのは少し勿体ない。とはいえ、要冷蔵の食品片手に街をぶらつくわけにもいかないし、そんな時間もない。

 そんな中でも一.八秒というごくわずかな時間でワンゲームができるブレイン・バーストは、時間的なコストパフォーマンスにおいて右に出るものはないゲームと言えるだろう。

 桜台駅から電車に乗ったゴウは、空いている座席を見つけて腰を下ろす。

 ケーキの入った手提げ袋は膝の上、鞄の平坦な面を上にして置く。これならば、自分の体温がケーキに伝わることもない。

 ゴウはニューロリンカーのボタンを押し、通信を切っていたグローバルネットに再接続をする。

 駅を降りてからケーキを購入するまでの間は、店の場所の確認や会計に必要なのでグローバルネットへ接続していたが、他のバーストリンカーから乱入されることはなかった。そこでここは一つ、自分の方から対戦相手を探してみることにする。

 

「……《バースト・リンク》」

 

 周囲には聞こえないように電車の扉が閉まる音に合わせ、声のボリュームを最小限にしてゴウはコマンドを唱えた。

 バシイイイッ! という音がゴウの耳だけを叩き、視界が青一色に染まる。ブレイン・バーストプログラムを起動したことによって、ゴウの思考速度が千倍に加速された証拠だ。

 電車内に設置してあるソーシャルカメラの映像によって再現された初期加速空間(ブルー・ワールド)で、肉体から押し出されるようにして出現した、ネットアバター姿のゴウは電車の座席から立ち上がった。

 去年の四月までは簡素な甚平を着ているだけのネットアバターだったが、何度かのカスタマイズを経て、現在は灰色の地をした和服に白の羽織を着けた着流し姿になっている。

 これに鬼のお面でも頭に括りつけようとも考えていたゴウだが、大悟にリアル割れ防止の観点から「あんまりデュエルアバターに寄せすぎないように」と忠告されたので、それは断念した。しかしそれを言うなら、背広姿はともかく頭部が数珠のアバターを使っている大悟も大概ではないかと思っているのは秘密だ。

 そんなネットアバターの姿で、ゴウはサーチングを終えたマッチングリストを確認する。

 現在地である練馬、それに隣接する中野第一エリアはブレイン・バーストのエリア分布では、バーストリンカー最高峰のレベル9、《王》と呼ばれる者達がマスターを務める大レギオンの一角、赤のレギオン《プロミネンス》の領地となっている。

 せっかくだから同レベル帯のプロミネンスメンバーか、名前も知らない未知のデュエルアバターでもいないかとゴウはリストを眺めていく。ただし前者は領土内の《マッチングリスト遮断特権》があるので、乱入を受け入れている者に限るのだが──。

 

「んー……レベル4か5が理想なんだけどなぁ。3……こっちは7か。そうなると……お?」

 

 上下にスクロールさせたリストの、一体のアバターネームに目を留める。レベルは4で、どうもスペルからしてF型のようだが、知らない名前だ。他はレベル3以下や6以上か、対面はしていなくとも知っている者しかいない。

 向こうから選ばれる形の乱入される側ならともかく、自分が乱入する側となると、いくらか打算が働くのはバーストリンカーの間ではよく聞く話であり、それはゴウも例外ではなかった。

 

「まぁ……食わず嫌いも良くないしな。よし!」

 

 どうしたものかとゴウはしばし悩んでから、対戦相手の名前をタップした。

 この選択が吉と出るか凶と出るか。

 半ば運に身を任せ、ゴウは通常対戦フィールドへと続く暗闇に身を委ねた。

 

 

 

 今回の対戦ステージは、しんしんと雪が降る《氷雪》ステージ。

 建物進入禁止の特性があるので、リアルでは電車内にいたゴウは、ダイヤモンド・オーガーとなって駅のホームだった氷のトンネル内に出現した。

 対戦ステージによっては動いていることもあるが、今はただの氷塊でしかない電車の上から降り、対戦相手を探し始める。

 今回は相手のアバターカラーさえ名前を見ても分からないので、遠距離からの攻撃が来ないか警戒をしながら進んでいると、対峙の時はすぐに訪れた。

 向こうも自分を探していたらしく、駅から少しだけ離れた場所で、正面から姿を現した対戦相手の姿を捉える。

 今回ゴウが対戦を申し込んだデュエルアバター──《アイリス・アリス》はゴウがマッチングリストに表示された名前から予想した通り、F型アバターだった。

 後ろの先端が少し外にはねたロングヘアーパーツに、水色と白の生地で織られた、ボンネットタイプの帽子とノースリーブのドレス。まるで西洋人形を思わせる出で立ちである。

 身に着けているのは、数ヶ月前に対戦したショコラ・パペッターとは異なり、服を模したタイプの装甲ではなく本物の繊維品のようだ。おそらくは無制限中立フィールドに点在する、どこかの《ショップ》で購入したファッションアイテムだろう。

 アバターカラーはやや紫寄りの青。小柄で華奢な体型は接近戦が得意なようには見えないが──。

 

「よっしゃあ、いったれアリスちゃーん!」

「今日も可愛いよ頑張ってー!」

「キャー! ほら見て、こっち向いたよ!」

 

 ゴウがアリスの性能を推測していると、氷の崖の上からギャラリー達の声援が降り注いだ。しかも全てアリスに向けて。当のアリス本人はギャラリーの応援に困惑した様子で、キョロキョロと首を動かしている。

 どうやら彼女は、この辺りでは結構な人気者のようだ。確かにリアクション一つとっても、かなり愛らしい。応援したくなる気持ちは分からなくもない。

 

「アリス、ファイトー!! ママがついてるかんねー!! ほらダンサーも!」

 

 赤いマフラーを巻いたオレンジ色の竜人型アバターが、ギャラリーの中でも一際目立つその体格に見合う大きな声を上げた。その隣に立つフェイスベールを着けた紫色のF型アバターは、アリスに向けて異様に指が長い手を小さく振っている。

『ママ』と言うからには、彼女ら(若干のエフェクトがかかってはいるが、竜人アバターも声からしてF型らしい)がアリスの《親》か《親》代わり、あるいは同じレギオンのメンバーなのだろう。

 そんなことをゴウが考えていると、正面のアリスが更に近付いてきて、数メートル前で止まった。ほとんどのアバターが即座に攻撃へ移れる距離だが、攻撃をするでもなく、興味深げにこちらを見つめているアリスに、ゴウの方が先に声をかけた。

 

「あのー……何か?」

「……!」

 

 何も言わず、アイレンズを見開いてあたふたとしだすアリス。その動きは知らない場所に連れてこられた小動物を思わせる。

 レベル4にもなって未だ対戦に慣れていないとは考えにくいが、どうしたのだろうかとゴウは訝しんでいると、ようやくアリスは口を開いた。

 

「……つの」

「え?」

「つの、かっこいい。そうこうも、きれい」

 

 鈴の音のように澄んだ高い声だ。言葉が若干たどたどしく片言気味なのは、日本人ではないのか。それとも海外育ちなのか。はたまた単に話すのが苦手なのか。

 

「あ、ありがとうございます。えっと……そちらの服もよく似合っています……よ?」

 

 ダイヤモンドとは言っても、輝く宝石としてカット処理されたものではなく、曇りガラスのような色合いに、粗めに削り出された原石に似た装甲を『きれい』とまで褒められたのは初めてのことだったので、ゴウは思わず敬語で返答してしまう。

 すると、ギャラリーから「お見合いじゃないぞー」と囃し立てられ、はっと我に返った。正にその通りだ。ゴウが申し込んだのは対戦である。

 ──いかん、どうもペースが崩れるな……。

 仕切り直すように頬を両手で軽く叩いてから、ゴウは体をアリスに向けて半身で構える。

 それを受け、アリスも棒立ちから足を開いてすぐに動ける体勢になると、両手をぐっと握って意気込んだ。

 

「わたし、あなたをかんぷなきまで、たたきつぶし、ます……!」

「…………え?」

 

 悪意をまるで感じさせないあどけなさとは裏腹な、そこそこ過激な発言内容にゴウは呆気に取られ──。

 

「え?」

 

 その一瞬の間に、アリスが目と鼻の先まで接近していた。

 



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第十五話

 第十五話 対戦相手は怪物(しょうじょ)A

 

 

 ──速い! 

 アリスに一瞬で間合いへ入り込まれたゴウは、とっさに腕を上げて防御体勢を取る。

 ところが、アリスは何もせずにゴウの横を素通り、背後へ通り過ぎていってしまった。

 その動きもまた途轍もなく速い。これまで対戦してきたデュエルアバターの中でもトップクラスかもしれないと、ゴウはその動きに息を呑む。

 これはレベルが一つ上の分有利などと考えては痛い目を見ると、後ろに回ったアリスへゴウは接近し、右腕で正拳突きを出す。

 

「シッ!」

 

 ところが、アリスは少し体を傾けるだけの必要最低限の動きで、これを簡単に避けてみせた。続けて攻撃を繰り出していくも、アリスは全て回避し、ゴウの手足はスカートの端にすら掠らない。

 ──僕の動きを……『見て』動いているのか? 

 アリスはこちらの繰り出す攻撃を、そのアイレンズでしっかりと見ている。

 これらの動作から、アリスはアバターの性能だけではなく、自身が持つずば抜けた反射速度によって、こちらの攻撃を見切っているのだとゴウは分析する。

 ブレイン・バーストをインストールできる人間には二つの絶対条件がある。

 一つは生後間もなくからニューロリンカーを装着し続けていたこと。

 もう一つは大脳の神経反応速度が高いこと。

 前者は明確な条件だが、後者に関しては具体的な基準や数値というものは設定されておらず、運動が苦手な者やゲームが苦手な者でも、ブレイン・バーストをインストールできたという話は聞いたことがある。ゴウ自身、特別に人より反応速度が高いと自覚したことはない。

 だが、このアリスに関しては動きを見る限り、その適正が明瞭だ。

 天性のものか、後天的に身に付けたものかまでは知らないが、アバターに依らないバーストリンカーとしての『武器』を持っているアリスに、ゴウの警戒度合いがもう一段階上がる。

 その時、ふとゴウはアリスと目が合った。

 ──笑った……? 

 アリスの白いアイレンズが細められた気がしたのだ。降りしきる雪の粒が重なって、見間違えたでもしたかとゴウが思ったのも束の間。

 アリスが一度距離を取り、ぽつりと呟く

 

「きて、《クイーンズ・アストロロジー》」

 

 またすぐに突撃をしてきたアリスの目の前に何かが降ってくる。

 アリスは躊躇なくその飛来物を掴むと、止まることなく掴んだ物体をゴウに叩き付けてきた。

 

「ぐおっ!?」

 

 攻撃をまともに受け、体力ゲージを削られながらゴウは吹き飛ばされる。

 そんな横っ飛びの状態から受け身体勢を取ろうとするゴウの視界の端を、青い何かが通り過ぎた。首を反らせると、その先にはアリスの姿が。

 

「嘘だろ……!?」

 

 攻撃して吹っ飛ばした相手の到達地点に先回りしているアリスの動きに、ゴウは驚きの声を漏らした。

 初撃を繰り出す寸前までとの違いは、両手にハンマー型の強化外装が握られていることだ。

 王冠に星型のアクセントや模様があしらわれた先端部分と、持ち手のあたりに三日月か、大きなクチバシをした鳥の頭に似た鍔。まるでアニメに出てくる魔法少女のステッキを思わせるが、片手で軽々と振るえるようなそれとは異なり、大きさが尋常ではない。

 何より使用用途は魔法を使うのではなく、殴打だ。

 

「がっ!」

 

 ぐるんと一回転をしながらの、たっぷりと遠心力が乗った一撃がゴウの頭部を襲う。

 そのまま錐揉み状に回転しながら、ゴウは氷の壁に激突していった。

 

「出たぁ! 一人ハンマーラリー!」

 

 恒例の技なのか、ギャラリー達がわっと盛り上がる。

 実際、洒落にならない威力だ。防御姿勢も取れなかったとはいえ、ハンマーでの二撃と壁への激突によるコンボによって、ゴウの体力ゲージはほぼ三割も削られていた。

 ダイヤモンド装甲の性質上、あの打撃を何度も食らっては装甲にヒビが入り、そこへ追加の衝撃を与えられたのなら、一気に装甲は砕けてしまうだろう。そうなれば、防御力が下がった分だけ体力ゲージが更に削られていくことになる。

 ──でも、これではっきりした。まずはあの強化外装からどうにかしないと。

 これまでの動きから、アイリス・アリスというデュエルアバターの特徴について、推測を立てたゴウは立ち上がる。

 

「うおおおおっ!」

 

 今度は先に動いたのはゴウ。

 一方アリスは、威勢よく声を上げて突貫するゴウを見て、先端を地面に着けていたハンマーを振りかぶった状態のまま走り出す。

 アリスは正面からゴウと衝突することはせず、ゴウの間合いの外から背後へと抜けた。

 ゴウが振り返ると、ハンマーを振った慣性を利用して、速度を落とさずに方向転換をしたアリスが背後から迫る。

 やはり速い。だが、素手の時とは異なり強化外装を手にしていることで、複雑な軌道で移動できなくなった分読み易い。

 

「着装、《アンブレイカブル》!」

 

 アリスのハンマーがぶつかる寸前、ゴウの右手に召喚された金棒がこれを阻んだ。

 

「……ッ!?」

 

 アリスのアイレンズが驚きに見開かれ、ガァン! と二つの武器の衝突音が響き渡る。その瞬間をゴウは逃さなかった。

《アンブレイカブル》にぶつかったことでアリスの動きが止まり、ゴウは左手で彼女の持つハンマーの柄を引っ掴む。

 

「捕まえ……たああぁっ!」

「……ッッ!?」

 

 そのままハンマーを握った左腕を、ゴウは逆袈裟斬りの要領で下から上に大きく振るった。

 小柄で軽量なアリスは、《剛力》アビリティにとってはさしたる負荷にもならず、腕を振るった勢いで強化外装を手放してしまい、地面を転がりながら氷の壁にぶつかっていった。

 ──うわ、一気に削れたな。ここまで脆いのか。

 図らずも先程の意趣返しをした形となるが、アリスの体力ゲージの減少具合はゴウとは比較にならず、一気に七割も減少していた。

 ゴウの推測した通り、アイリス・アリスは機動力に特化している、しすぎているデュエルアバターなのだ。装甲らしきものは見当たらず、予想していたよりも遥かに打たれ弱い。

 最初に接近された時も、こちらのガードは間に合っていなかったにもかかわらず、アリスは何もしなかった。連撃を全て回避した時も、あの反射速度なら一撃くらい入れられるはずなのにそれもしなかった。

 つまり素手での攻撃力も、レベルに対して非常に低いのだろう。

 ──それを補うのが、この強化外装なわけだ。

 ゴウは左手で持っている、奪う形になったアリスのハンマーへと目を落とす。

 最初はこちらの攻撃を避けながら推し量り、対応可能だと判断すれば強化外装で連続攻撃を繰り出していく。それが彼女の基本スタイルなのだろう。

 まさか殴られてから先回りされ、更に殴られるとは思わなかったが、きちんと自分の弱点をカバーしつつ長所を生かしていることに、ゴウは素直に感心した。ここまでピーキーな特性なら、レベルを上げるのには相当な苦労をしたはずだ。

 

「でも勝負は勝負。悪いけど……」

 

 ゴウは雪が浅く積もる地面にアリスのハンマーを落とした。それから《アンブレイカブル》を両手で持って振り上げ──。

 

 ガァン! ガァン! ガァン! ガキン! 

 

 同じ部分に打ち付けること四度。音が変わったところで柄の先端側を持ち上げ、打ち付けた場所めがけて、相撲の四股のような形で一気に踏み付ける。

 集中的に同じ箇所へダメージを受けたことで、《クイーンズ・アストロロジー》なるハンマーの柄は折れ、耐久値が尽きた強化外装は光の欠片になって消滅していった。

 これで相手の攻撃の手を潰した──が、まだ対戦は終わっていない。

 よろよろと起き上がったアリスは鍔付き帽子が取れ、服もあちこちが破けている。しかし、アイレンズの奥に諦観の念が見えない。対戦を投げていない証拠だ。

 ──まだ何か手があるのか。…………? 

 ふと違和感を抱き、ゴウは周囲を見渡す。やけに静かだ。

 少女型アバターを武器から引っぺがす形で投げ飛ばして壁に叩き付け、その武器を容赦なく(当たり前だが)破壊したのにもかかわらず。

 このシチュエーションなら大抵は、冗談半分でもゴウに向けて野次を飛ばしてもおかしくないのに、ギャラリーの面々の中にははらはらと見守っている者こそいるものの、大半は何かを期待しているように見える。

 ──なら、下手には動かない。受け止めてからカウンターで一気に勝負をつける。

 おそらくはあともう一撃でも入れられれば、こちらの勝利は確定するとゴウは判断し、握る金棒を真正面のアリスに向けて構える。

 始めから接近戦を仕掛けてきた以上、何をするにしてもアリスはこちらに近付かざるを得ないはずだ。

 やがて作戦の算段が付いたのか、アリスが動き出す。見たところ脚にダメージは負っていないようで、先程までの移動速度と遜色はない。

 アリスの迫るタイミングを見計らい、ゴウは金棒を縦に振り下ろした。衝撃で舞い上がった雪が視界を遮らない程度に白く染める。手応えはない。

 ──後ろか。でも問題は──!? 

 背後からアリスが回り込んでくることは、ゴウにも予測できていた。だから油断はしていなかったし、ダメージを多少受けたとしても、アリスを捉えられるなら問題はないと思っていた。

 ところが、ゴウの一撃を躱して背後に回り込んだアリスが繰り出したのは、およそ攻撃と呼べるものではなかった。

 

「わ」

 

 ゴウの口から漏れたのは、その一言だけ。体力ゲージは一ドットたりとも減っていない。

 しかし、右脚に感じた軽い衝撃は、ゴウのバランスを崩して両手両膝を着かせてみせた。

 ──ひ、膝カックン……? 

 背後から相手の膝裏へ、曲げた膝なり足なりを軽く当てる。誰もがやったこと、やられたこと、見たことのいずれかがあるだろう、いつ誰が考案したのかも分からない子供のイタズラを対戦の場で行う意味。それは──。

 

「《イート・ミー》……」

 

 聞こえた声に、そのままの体勢でゴウが首だけを向けると、アリスの右手にいつの間にか握られている、リボンのついた透明なビンが割れるのが見えた。同時に先程の大ダメージでフルチャージ状態だった、アリスの必殺技ゲージが一気に空になる。

 瞬間、悪寒が体に走ったとゴウは思った。だが、厳密には違った。

 これは本物の冷気だ。低温下にある《氷雪》ステージの気温が更に一段階下がっている。

 その冷気の発生源であるアリスの体が氷に包まれていき、成長していく氷塊は段々とアリスの姿を不透明にしていく。

 

「こ、これは──……!?」

 

 ゴウが慌てて四つん這いの姿勢から立ち上がろうとすると、引っ張られる感覚があった。見ると、地面との接地部分に氷が張り付き、凍結しかかっているではないか。

 幸いなことに更に力を入れると剥がれたので、急いで立ち上がってからアリスへ向き直る。彼女を包んだ氷はすでに、ゴウの背丈の倍以上もの高さにまで大きくなっていた。

 どこまで大きくなるのかとゴウが思ったその矢先、氷の小山の上半分が砕け散り、割れた下半分も外側に傾いた。

 自然に砕けたのではない。内部からの押し出す力で氷が弾け飛んだのだ。

 その証拠に、氷塊から這い出てきたのは可憐な少女ではなく、ゴウの眼前に巨大な怪物が顕現していた。

 



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第十六話

 第十六話 アイスブレイク・ダイヤモンド

 

 

『不思議の国のアリス』という、英国の児童小説がある。

 原作小説を読んだことはなくとも、絵本やアニメーション、実写映画などの様々な媒体で目にした日本人も多いだろう。ゴウもまだ幼児だった頃に、読み聞かせの機能が付いた絵本アプリに入っていた物語の一つとして読んだことがある。

 ざっくりとした概要は題名にもあるように、少女アリスが不思議の国に迷い込み、様々な奇妙奇天烈な登場人物と出会いながら、不思議の国を冒険していくというものだ。

 そんな物語の中でアリスは、何度も体が小さくなったり、大きくなったりする羽目になる。

 原因は興味本位や止むを得ない理由から、不思議の国のケーキを食べたり、キノコを食べたり、そして小瓶に入った液体を飲んだり。

 ゴウはこの物語に特別な思い入れがあるわけでもないので、詳細はうろ覚えなところも多い。

 だが、少なくとも瓶の中身を口にしたアリスが、怪物に変身する場面がなかったことだけは、今でもはっきりと断言できる。

 

 

 

 冷気は今や、吹雪と呼べる規模にまで勢いを増していた。《氷雪》ステージは時折吹雪くこともあるが、それでもここまで激しいものにはそうそうならない。

 そんな吹雪の発生源であるアイリス・アリスは、対戦当初の少女型アバターであった面影は全く残っていなかった。

 こちらを簡単に鷲掴みできる手と鋭い爪に、太く長い腕。

 背中には棘付きの湾曲した突起が何本か生えている他、用途不明なレイピアか槍のような、武器らしきデザインの物体が複数本刺さっている。

 逞しい体つきをした全身は、ハート型の柄をしたリボン状の模様が巻き付くように走り、頭部から長く伸びる耳らしき突起を差し引いても、全長は優に四メートルを超えている。

 ただし体は上半身までしかないらしく、胴周りは冷気によって発生した氷が逆立ち、雪上から生えるような形になっていた。

 吹雪を振り撒く、氷と巨人とウサギをミックスさせたような怪物に姿を変えたアリス。そんな彼女が頬まで裂けた大口を開けて吼えると、ギャラリーの一人である、アリスの《親》と思わしき竜人型アバターが声を張り上げる。

 

「いっけぇー! 《ミーちゃん》モードで反撃だぁ!!」

 

 他のアバターも続けて歓声を上げた。

 つまり先程までの静寂は、固唾を呑んでこの展開を期待していたということなのだろう。

 ピンチからの逆転という展開は、対戦で最高に盛り上がるパターンの一つである。

 ──ミーちゃんって、さっきの《イート・ミー》ってコマンドから来てるのかな……。

 何故かそんなどうでもいいことがゴウの頭に浮かんでいると、頭上から巨大な握り拳が降ってきた。

 

「うっ……!? ぐぅううっ!」

 

 ゴウは金棒《アンブレイカブル》の両端を持つ形で頭上に掲げ、アリスの一撃を受け止めようとしたが、接触した瞬間に片膝を着いた。

 ──さっきのハンマーよりずっと重い! 

 同レベル帯のデュエルアバターとの純粋な力比べで競り負けたのは、ゴウには随分と久し振りのことだった。この対戦開始の時点では考えもしなかったことだ。

 そんなゴウに、今度はもう片方の腕が振り下ろされる。衝撃が全身に一気に伝わっていく中で、すでに高々と持ち上げられているアリスの片腕が見えた。

 このままでは《アンブレイカブル》はともかく、手足の方が保たない。ゴウは次の攻撃が来る前に、自分を押し潰そうとしているアリスの握り拳から脱出しようと立ち──。

 

「っ!? 氷が……」

 

 アリスが怪物の姿で顕現した状態になってから一層強くなった吹雪は、先程よりも地面を通して凍結する勢いも早くなっていた。

 接地している右足裏と左脚の膝から下を包みかけている氷を、ゴウは力尽くに引き剥がし、間一髪でアリスの拳を避ける。そのまま片脚を軸に半回転し、その太い腕めがけて金棒を叩き込んだ。

 弾かれる怪物の腕。しかし、クリーンヒットした一撃であるのにもかかわらず、ダメージはほとんど与えられていなかった。感触はまるで、緑系のぶ厚い装甲部分に攻撃した時のようだ。

 不意に、下から掬い上げるように繰り出されたアリスの左手の甲が、ゴウの体を宙に浮かせた。

 

「あっ」

 

 その拍子に手から離れる金棒。仰け反る体。真上から降ってくる、怪物の掌。

 

「ぐっ、ああああああ!!」

 

 雪上に叩き付けられ、そのままプレス機ばりの圧力によって、ゴウの残り体力がじりじりと減少していく。まるで質量を伴った、寒風そのものを押し当てられているかのような冷たさを感じる中、実際に接触面から体に氷が張り付き始めていた。アリスはこのままこちらを押し潰す魂胆らしい。

 

「さ……せる…………かあああっ!!」

 

 ゴウは下敷きにされなかった両腕の肘から先を動かし、アリスの左手を左右から掴むと、渾身の力を込めて持ち上げにかかった。

 予想外の抵抗にあったからか、一瞬だけ力が緩んだアリスの隙を突き、ゴウは更に持ち上がったアリスの左手と地面の間に、両脚を折り曲げて滑り込ませる。

 そうして四肢で同時に、一気に押し上げることで巨大な手を跳ね除けた。すぐさまその場を転がり、立ち上がる。

 絶体絶命の状況下から逃れたことで、ゴウの脱出劇にギャラリーからどよめきの声が広がった。

 

「マジか、《反転》状態のアリスちゃんだぞ!?」

「吹雪と氷が動きを妨害するのに、よくあそこまで動けるな、あいつ。この辺のリンカーじゃないだろ。どこのレギメンだ?」

「あたし聞いたことある。確か世田谷の──」

 

 ──反転……? そうか、そういうことか。

 ギャラリーの発した一つの単語が耳に届き、ゴウは合点がいった。

 あの状態のアリスはただ変身したのではなく、アバターとしてのパラメーターが反転しているのだ。

 少女型だった時は敏捷性に極振りだったパラメーターは、今の怪物形態になることで攻撃力と防御力が跳ね上がった強靭な体へと変化する。

 代償としてそれまでのスピードは失われ、下半身がないことからその場を動けなくなるか、這って動くことしかできないのだろうが、その鈍重さをカバーするのに吹雪を常時発生させて相手の動きを阻害する。

 変身時には必殺技ゲージを全て消費していたが、元に戻るときも同じようにフルチャージする必要があるのか、それとも一度変身したら対戦中は戻れないのかまでは不明。

 ただ、今のゴウにとって、そこはどうでもよかった。

 現在ゴウは胴体を基点に、あちこちの装甲はヒビだらけ、胴体正面の全てと背面の一部に至っては、装甲が完全に破壊されて素体が露出している。

 圧力に強いダイヤモンド装甲も、強力な打撃攻撃によって一度亀裂が走った部分に負荷が加わってしまうと、割とあっさり砕けてしまうのだ。

 ──ここまで全身ボロボロになったのは久し振りだな。

 新米(ニュービー)の頃によく陥った、そこまで古くもない記憶を思い出し、ゴウは口元が緩む。

 現在ゴウの体力は残り四割弱。アリスの体力は残り二割半近く。

 ゴウはこの状況を、あまり悪くは受け取っていなかった。体力的にはまだ有利だから、ではない。この吹雪の中から離脱して逃げ切ることができれば、こちらの判定勝ちになる可能性が高いから、でもない。

 今日この時間、練馬区で加速してマッチングリストに名前が表示されていなければ、もしかしたらアイリス・アリスというバーストリンカーを知る機会はなかったかもしれない。

 相手は条件があれども、己の得意分野である力比べにも勝る怪力。

 こんなバーストリンカーもいるのかと、加速世界の一期一会の貴重さを実感する。

 これに挑んで勝利ができたのなら、さぞ達成感があるのだろう。

 バーストリンカーであれば誰しもが対戦で勝利を望むものだが、対戦でのぶつかり合いに重きを置いているという点が、加速世界において師匠と呼ぶ男と、知らず知らずの内に似通ってきていることをゴウは自覚していない。

 一方、アリスはこちらに注意を向けつつ、ゴウが手放してしまった強化外装、《アンブレイカブル》を殴りつけて破壊を試みていた。しかし金棒は何度殴っても壊れず、今度は拾い上げて両手で折りにかかっても砕けず、いよいよ業を煮やしたのか、ギザギザな牙が並んだ口で齧りついている。

 その奮闘する様子に、当初は恐ろしげだった見た目が、ゴウにはどこか愛嬌も含んでいるように見えてきた。

 

「今の状態の君でも、それを力尽くで壊すのは骨が折れるよ」

 

 ゴウの指摘に、アリスは齧るのを止めて数秒だけ金棒を凝視すると、ぽいと投げ捨てる。中量級アバター一体分並みに重い《アンブレイカブル》は放物線を描きながら、アリスの後方数十メートル先まで飛んでいってしまった。やはり相当な腕力である。

 ただ、今回の対戦の残り時間は、素手で行うとゴウは決めているので問題ない。この身だけで勝利する算段はついた。

 

「さぁ、第二ラウンドだ。いくぞ!」

 

 足に氷が張り付かないように、会話の最中もその場で足踏みし続けていたゴウが一歩を踏み出していくと、アリスも即座に腕を振り上げた。

 ゴウは振り下ろされた右腕も、横なぎに掴まえようとしてくる左腕も躱し、アリスの懐に潜り込む。長い腕を戻すまでの合間は必殺技を放つチャンスである。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 地面に張られた氷を踏み砕き、鬼の上段正拳突きが怪物のマッシブな胴体に打ち込まれた。

 

「ッッッ……!?」

 

 ゴウの上方から、唸り声と呻き声が混ぜ合わさった吐息が聞こえてくる。

 いかに緑系の装甲並みに頑健な体でも、鳩尾に一撃を入れれば有効だ。他のデュエルアバターに比べると少ないが、確かにダメージが入ったその時──。

 

「うわっ!?」

 

 アリスの胴体周りに発生している氷が一層隆起した。

 ゴウが慌てて飛び退き、尖った氷の群れを回避すると、巨大な右手に左脚を太腿までがっちりと鷲掴みにされる。

 

「しま──ぁぁあああああぁぁ──がはぁっ!!」

 

 不覚を取ったことを自覚した瞬間、ゴウはアリスに高々と持ち上げられ、フリーフォール顔負けの勢いで雪が固まった氷上に叩き付けられた。今度はゴウの口から呻き声が漏れる。

 相手の脚を掴んで持ち上げて、地面に叩き付ける。膂力が持ち味のダイヤモンド・オーガーがこれまでの対戦で散々使ってきた戦法だ。

 確かにこれは痛いと、体力ゲージの減少を確認しながら、内心で不条理具合と有効さを実感する。

 しかもこの戦法は基本的に一度では済まない。再びゴウの体が地面から剥がされ、続けて叩き付けようとするアリスの腕がすぐに持ち上がっていく。

 これを阻止するべく、ゴウは額に伸びる右角に手をかけた。脱出のチャンスは一度のみ。

 ──二度続けては……食らわ……ない! 

 ゴウが右手で角を固く握り締め、歯を食いしばって一息で腕を下へ引くと、嫌な感触と同時に半ばまで角が折れた。先程のハンマーの一撃でダメージを受けていなかったら、こんなすぐには折れなかっただろう。そこは不幸中の幸いだ。

 そして、アリスの腕の高さが頂点まで到達し、勢いよく振り下ろされるまでの一瞬。

 体が浮遊感に包まれたのを見計らい、ゴウは折った角をアリスに向けて投げつけた。

 

「ッ!?」

 

 角の破片が右眼に刺さりまではせずとも命中したことで、怯んだアリスの握力が一瞬弱まり、ゴウは巨大な手から左脚を引き抜いて逃れることに成功する。そのままアリスの頭上に落ちながら、ゴウは右腕を腰元まで引き──。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 アリスの脳天に、エフェクトが輝く拳の正拳突きが決まった。

 それから反撃をされないように、ゴウは速やかにアリスの長い耳──引っ張ると普通に曲がったので、やはり角ではなく耳らしい部分を掴み、着地の補助にしながら体勢を整える。

 ゴウの思った通り、今のアリスは相手から近接戦を仕掛けられるのに、慣れていないようだった。おそらく今までは、この形態になればほとんど一方的に勝利を収めてこられたのだ。

 もちろん相手が吹雪の範囲外から攻撃できる遠隔系などの場合はその限りではないのだろうし、勝利への後押しや決め技としての変身をするものなのだろうが、ゴウがこれまで相手にしてきた格闘型アバター達に比べると、動きの洗練さは数段劣る。

 通常の少女型のときであれば容易く回避できる攻撃も、小回りが利かなくなった大きな体では受けざるを得なくなり、アバター自身の頑丈さに頼っている面が大きい。

 更にはこれまでの攻撃パターンは、腕を振り上げて地面に向かって殴るか押し付ける、または横から掴もうとする動きにほとんど限られている。

 これは相手を殴り飛ばすなどして間合いの外に出した場合に、一撃で勝負を決められなかったり、体力差でまだ相手の方が有利であれば、機動力がほぼゼロな自身が追撃するまでに逃げられてしまう恐れがあるからだろう。故に最低でも、吹雪の外へ逃がすことはない攻撃しかしてこなかった。

 もっとも、互いの体力ゲージが残りわずかになったこの状況なら、もうその限りではない。

 ゴウの体力、残りおよそ二割半。片やアリスの体力、残りおよそ一割強。

 二人は極低温の寒風吹き(すさ)ぶ中で、再度正面から向き合う形になっている。

 耳元を駆け抜ける風によって、ゴウには周囲のギャラリー達が何を言っているのかほとんど聞き取れないが、声の様子からして一進一退の対戦を楽しんでいるようだった。

 足踏みをしながら目線の高いアリスの頭部を見据えると、その裂けた口が吊り上がる。それだけで、戦い始めてからほぼ物を言わなくなった彼女も、対戦を楽しんでいることだけはゴウにも伝わった。きっと、対戦序盤で目にした笑顔も見間違いではなかったのだろう。

 ──この一合で勝負が決まる。

 そう悟ったゴウが足を一歩前へ踏み出した瞬間、この対戦でアリスが初めて右腕を後ろに引いた。

 今の体力で受け切るのは不可能。大きく避けてはもう片方の腕が来る。紙一重で避けて攻撃に移ることしか、ゴウの選択肢には残されていなかった。

 本来の動きを出させまいと纏わりつく雪風を全身に浴びながらも、ゴウは前進を止めない。

 力を溜め終えて迫る大質量の右ストレートを、よく見る。見る。見──極める。

 ゴウはアリスの拳へ接触する瞬間、少しだけ右方向にスライドし、曲げた左腕を前に構えた。

 相手の攻撃を真芯ではなく、端を掠めるようにして軌道を逸らす。

 かつてレベル3の頃に伸び悩み、相手の攻撃を『受け止める』ことしかしてこなかったゴウが、次のステップへ進む為に扱うようになった『受け流す』技術が、ここでも活きた。

 結果として、二の腕の半ばまでもぎ取られた左腕と、その分の体力を犠牲にしながらも、ゴウはアリスの攻撃を逸らし、切り抜けることに成功した。

 この一撃でアリスは大きく前傾姿勢を取っており、姿勢制御で食い込まんばかりに氷上へ爪が突き立てられている左腕は、即座に持ち上げることはできまい。

 勝機は今。そう確信したゴウは、一つだけ失念していた。

 アリスの必殺技ゲージの使用用途が、なにも怪物の姿への変身だけとは限らないということを。

 

「《スノウ・デビル》……!!」

 

 多分にエフェクトのかかった少女の声が響くと、アリスを中心とした全方位に《暴風雨》ステージばりの突風が巻き起こる。それに並行して、今まで以上の速度でゴウの足下から氷が這い上り始めた。

 ──しまった、ここで必殺技……! 駄目だ、立ち止まったら負ける! 

 ここまでくればもう一か八かしかないと、負けじとゴウも必殺技を発動する。

 

「《ランブル・ホーン》!!」

 

 途端にゴウは両脚へ更に力を込め、自分をその場に縫い留めようと暴れ狂うブリザードを受けながらも進撃を再開する。

 右の角を根元近くからへし折ったことで、アンバランスな形で伸びた両角が目指すのはアリスの左胸──急所の心臓部。

 そこからの記憶は、後に振り返ろうとしてもコマ送りにしかゴウは思い出せない。

 止まない暴風。

 一歩進む度に、一瞬で足裏へ張り付いてくる氷。

 構わず進み続け、突き刺さした左角。

 視界の右端から迫る、巨大な拳。

 もう一歩だけ踏み出した右足。

 右側面にぶつかる硬い感触と全身に伝わっていく衝撃。

 そして最後にゴウの目に映ったのは、全くの同時に爆散する自分と相手の体と、視界中央に表示された【Draw!!】という文字だった。

 

 

 

 バタンと閉まる電車の扉と暖かな春の陽気が、ゴウの意識を猛吹雪の加速世界から現実世界に引き戻させた。

 加速世界では片腕まで無くしていたボロボロの体から、怪我一つない男子中学生の肉体に戻ったゴウは静かに溜息を吐く。

 ──引き分け……引き分けかぁ……。

 互いが了承した上で行われる《ドロー申請》での無効試合や、体力の残量が等しい状態でのタイムアップならともかく、両者同時に体力が尽きる相討ちという結末は、ゴウにとって初めてのことだ。

 引き分けの場合は対戦者間のポイント変動もないので、敗北よりはマシなのだろうが、白黒つかなかったという点に、ゴウは少しモヤモヤとした感情を抱いていた。

 ──あとちょっとだったんだけどな。対戦フィールドが向こうに分がある《氷雪》ステージじゃなかったら、また違ってたかも……いや、レベルはこっちの方が上だったわけだし、結局イーブンか。……そもそも一つだけでもレベルが下の相手にこっちから挑んでおいて、結果は負け寸前ってどうなんだろ。彼女がもっと場数踏んでいたら、引き分けに持ち込めたかも怪しいし、情けない? カッコ悪い? ダサい? うーん……。

 対戦終了後の常である脳内での一人反省会が、ただの自己嫌悪になりかけているところで、いけないいけないとゴウは軽く首を振る。

 学生鞄を敷いた膝の上に置いたケーキの袋を眺めながら、袋越しにケーキの入った箱に指で触れると、店で少し多めに用意された保冷剤の冷気がひんやりと伝わった。

 アイリス・アリス。途轍もないスピードと反射神経を有する少女であり、吹雪を撒き散らしながら相手をなぎ倒すパワーを持った怪物でもあった、二つの面を持つバーストリンカー。

 始めてからかれこれ一年以上経つが、こうした多種多様なデュエルアバターがまるで尽きないという点一つとっても、このブレイン・バーストというゲームはまるで飽きる気配がないと改めて思う。

 ゴウは電車に揺られながら、アリスといずれ再戦することを望む。次はきっと勝ってみせると意気込みながら。

 ──それにしても……開口一番に『あなたを完膚なきまで叩き潰します』だもんなぁ。あれにはびっくりした。……なんだか難しい言葉使いたがる子供みたいだったけど、もしかして小学生だったのかな。ちょっと片言っぽかったから外国人、それともハーフ? 帰国子女とか? ハーフのバーストリンカー……そんな人とさすがにリアルで知り合う機会はないか。今だって、リアルでバーストリンカーの知り合いなんて大悟さんだけだし。

 他人事のようにどうでもよさげに、そんなことを考えるゴウが乗る電車は世田谷方面へと向かっていく。

 そんなゴウが、これまで加速世界で何度も鎬を削った仲の一人であるバーストリンカーの正体が、クォーターの少女と知ることになるのは、これよりおよそ一ヶ月後のことである。

 余談だが、その日の晩にゴウはお使いであり、その報酬の品でもあるケーキ《苺の迷宮(ラビリンス)》を食べた。

 ふんだんに使われた苺と甘すぎないクリーム、その他の諸々の要素が見事にマッチした美味しさに、未だ今回の対戦結果を微妙に引き摺っていたゴウは一ピース分をすぐに食べ終えて、ちょっぴり元気になるのだった。

 



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第十七話

 第十七話 金剛鬼(アダマスキュラ)

 

 

 二〇四七年、六月三十日。

 この日、ゴウと仲間のバーストリンカー達は、加速世界の変革を目論んだバーストリンカー率いるレギオンと、さるダンジョンで全面衝突をする運びとなった。

 結果として戦いはゴウ達の勝利に終わり、アウトローにはバーストリンカー二人が加入と再加入をすることで、一連の騒動は人知れず終結した。

 今回はその前日の六月二十九日。先週に紆余曲折あって予定外のレベル上げを行ってしまったゴウが、バーストポイント回復の一環で新宿にてタッグ対戦をしていた時の出来事である。

 

 

 

 立ち並ぶ廃屋と化した建物群。軒並み割れている窓ガラス。陥没とひび割れだらけのアスファルトの道路。折曲がったガードレールや標識。交差点を塞ぐ瓦礫群。あちこちに点在している燃えるドラム缶。

 ありとあらゆるものが蹂躙された空間。『大破壊後』がテーマとされる対戦フィールド、《世紀末》ステージの街並みをダイヤモンド・オーガーとなったゴウは歩いている。

 青のレギオン、レオニーズの領土であるここ《新宿第三エリア》は、東京二十三区内でもとりわけ人口密度の高い場所ということもあってか、バーストリンカーの数も休日は平日に輪をかけて多い。

 その為タッグチームもそれ自体が中々見られない世田谷とは異なり、ゴウ達以外で一組二組ではなく、様々なチームと対戦することができた。

 今回の対戦チームの内一人はゴウの顔なじみのデュエルアバターで、もう一人は名前も知らない相手である。

 

「結構歩いたのに、まだ会わないね」

 

 そう言ってゴウの隣を歩く、F型アバターが対戦相手を探す道すがら、必殺技ゲージのチャージに道端に転がるドラム缶を蹴り飛ばした。

 細身の体型ながら発達した両脚、腰から下に伸びる一房の尻尾、糸目状の赤いアイレンズをした頭部は狐の頭。そして、全体の色合いは夜空を照らす、薄い青を含んだ白い月のよう。

 彼女は本日のゴウのタッグパートナー、《ムーン・フォックス》こと早稲倉(わせくら)宇美(うみ)。ゴウより少し前にブレイン・バーストを始めた中学三年生で、ゴウの対戦デビュー戦の相手。そしてつい先週、《親》である大悟は別にして、初めて現実で直接対面したバーストリンカーである。

 

「そうですね。もうそろそろこっちが見つけても、向こうに見つかってもおかしくないんですけど……」

 

 ゴウも周囲に気を配りながら宇美に同意し、視界に表示された対戦時間がすでに三分過ぎたことを確認する。

 ブレイン・バーストのジャンルは対戦格闘ゲームなので、とにもかくにも相手を見つけないことには始まらない。

 対戦チームもまた自分達を探しているはずなので、もういつ戦闘が始まっても不思議ではないのに──と噂をすれば。ガイドカーソルが消えてからすぐに、真正面から何者かがゴウ達の前に姿を見せた。

 やや濃い目な紫色をした、海賊を思わせるデザインのM型アバターだ。最大の特徴は左手に装備されている、創作の海賊よろしく義手代わりの鉤爪――ではなく船錨。ちなみにあれは強化外装ではなく、実際にあのデュエルアバターの体の一部である。

 

「ふっ」

 

 三角帽子型のヘッドアーマーに、右目へ眼帯を装着した頭部をゴウに向け、デュエルアバターは小さく笑う。

 

「久しいな、《金剛鬼(アダマスキュラ)》よ。ここしばらく見ない内に、俺様と同じレベル6になったか。壮健そうでなによりだ。そしてぇ……そのダイヤモンド装甲も、なっ!」

 

 ズビシィッ! と効果音でも付きそうな勢いで、ゴウを右手で指差す海賊アバター──《グレープ・アンカー》が嬉しそうに声を張り上げた。

 秋葉原のとある雑居ビルには、『バーストリンカーの対戦の聖地』とも呼ばれるローカルネットが密かに存在する。

 そこにおけるゴウの初めての対戦相手であるアンカーは、自分の見た目である海賊としての(ロール)を楽しみながら、ブレイン・バーストをプレイしているタイプのバーストリンカーであり、宝=ダイヤモンド装甲を纏うゴウは、彼にいたく気に入られて(しまって)いるのだ。

 ゴウも別にアンカーが嫌いなわけではないのだが、面識のあるバーストリンカーの中でもとりわけ強烈なインパクトを持つキャラクター性には、何度会っても未だに圧倒されてしまう。

 そんなアンカーが発した聞き慣れない単語に、ゴウは挨拶を返す前に首を傾げた。

 

「アダ……? 何ですそれ」

「《金剛鬼(アダマスキュラ)》だ。金剛の鬼と読む。ダイヤモンドの別名『アダマス』に、貴様のその筋力、すなわち『マスキュラー』が掛け合わせられた貴様の二つ名だ」

 

 そんな二つ名が自分に付けられているとは、ゴウは露とも知らなかった。いよいよ自分も異名が付くまでに有名になったのかと、嬉しさ半分、気恥ずかしさ半分が胸中を占める。

 

「は、初耳だ……」

「そうだろうとも。俺様が所属レギオンを始め、方々に広めている最中だからな。今月の頭あたりからだから、広め始めてからそろそろ一月になるか」

「あぁ……そう……」

 

 自信作だ、と胸を張るアンカーをよそに、ゴウは急速に喜びの波が遠ざかっていく。

 二つ名とは周囲から自ずとそう呼ばれるようになるものであって、一個人が意図的に広めるのは何か違うのではなかろうか。

 

「すんごいキャラの濃い人と知り合いなんだね、《金剛鬼(アダマスキュラ)》さん」

「からかわないでくださいよ」

「良いじゃない。経緯はともかく私はカッコ良いと思うよ」

 

 そう言いながらも、どう見ても面白がっている様子の宇美に続き、「そうだそうだー」「《金剛鬼(アダマスキュラ)》頑張れぇ」「キレてるよー、仕上がってるよー!」と、いつの間にか建物の屋上や瓦礫の上に姿を現したギャラリー達にまで囃し立てられる。

 この件に関しては圧倒的なアウェー感を抱きながら、ゴウは気を取り直してアンカーに訊ねた。

 

「まぁいいや……ところでアンカーさん、パートナーはどこですか?」

「ん? 貴様らの後ろだが」

「「え?」」

 

 ゴウは驚き、宇美と声を重ねて後ろを振り向いた。

 驚いた理由の一つは、聞いておいてなんだが、アンカーがあっさりと自分のパートナーの居所を喋るとは思っていなかったから。姿を見せなかったのは、作戦の一環で身を隠しているからではなかったのか。

 もう一つは、自分と宇美の後ろから何者かが飛びかかってきたこと。厳密には、一体のデュエルアバターが『空中』からの急降下による強襲をしてきたことだ。

 

「くっ!」

 

 右手に握られた細身なショートソードを突き出してきたアバターの一撃を、ゴウは交差させた腕で防御した。

 

「オーガー!」

「大丈夫です!」

 

 どうにか特に装甲の厚い前腕部分で防御できたので、不意打ちによるダメージはほぼ無傷で済んだ。

 宇美が謎のアバターへ反撃しようとするも、相手はすぐさま剣を引き戻してこちらの攻撃範囲から離脱し、アンカーの隣へと並んだ。

 ここで両陣営が真正面から対峙する形となり、ゴウは改めてアンカーのタッグパートナーの姿を確認する。

 背丈はダイヤモンド・オーガーよりやや高いアンカーと同程度だが、がっしりとした体格のアンカーとは対照的にすらりとしたフォルム。

 側頭部には耳のような大きめな菱形のパーツが左右に付いており、アイレンズは切れ長のオレンジ色。

 最も目を引くのは、足首まで届こうかという丈の長さをした黒いマントを羽織っていること。その裏地はダークパープル基調のボディカラーとは異なり、上部から下部にかけて順に、暗い群青、紺碧、茜色と、まるで日没寸前の空模様を切り取ったかのようなグラデーションカラーという、非常に珍しいものだった。

 しかし、その姿と色は対戦開始時からゴウの視界に表示されている、アバターネームとがっちり当てはまる。

 

「……初対面故な、ここは一応名乗らせてもらおうか」

 

 象牙色の刀身に紅色の柄と、牙と歯肉を思わせるショートソードを腰元に提げている鞘へと納め、芝居がかった調子でデュエルアバターは口を開いた。

 

「ワガハイは《トワイライト・ヴァンパイア》。《フリークス》のレギオンマスターを務める吸血鬼にして──いずれは加速世界において知らぬ者なき存在となる、《夜の王》である!」

「「……………………」」

 

 ゴウも宇美も即座にリアクションができなかった。

 ──あぁ……。匂いが……同じ匂いがする……。

 漫画であれば背景に集中線が描かれそうな勢いでマントを翻し、名乗りを上げたヴァンパイアの姿に、ゴウはその隣に立つアンカーの同類だと一瞬で理解する。

 派手な自己紹介はギャラリー達のほとんどに受けたようで、声援と拍手、指笛まで送られていた。

 

「うむ……うむうむ。片やワガハイの奇襲をものともせずに防ぎ、片や間髪入れず攻撃に動いた。アンカー、貴公が褒めるだけはある」

「そうだろうよ、俺様の心の友だからな。片割れの方は初見だが。むぅん……珍しい代物だが、あいにく毛皮にはいまいち食指が動かんな……」

 

 ──し、知らん内に、心の友にされてる……。

 これまでもアンカーからのゴウへの呼び名は『ライバル』、『友人』とちょくちょく変化していったが、とうとう『心の友』にまでなってしまった。これでは『兄弟』と呼ばれる日が秒読み段階になって(しまって)いるのかもしれない。

 

「ベタ褒めじゃん。良かったね、こ、心の友……」

 

 宇美はいよいよこちらを見ずに肩を震わせている。というかもう声を出さずに笑っている。

 当事者のゴウとしては、訳も分からぬうちに好感度がバンバン上がっていることに、極々わずかながら恐怖さえ覚えているのだが。

 

「他人事だと思って……それより毛皮は興味ないって言ってますよ。良いんですか?」

「変な気に入り方されるよりはね。その方が良いよ。……でも眼中にないって話なら、それは面白くないね。ここにいる全員、レベルは同じなわけだし」

 

 宇美は仕切り直すように一度咳払いをしてから、加速世界では希少な毛皮装甲の尻尾を一回、ぶんと振る。そろそろお喋りの時間は終わりという意思表示だ。

 ゴウも相手のペースに呑まれるまいと、一度深呼吸をしてから構えを取る。

 

「……良い闘気だ。やはりここまで活気ある場所での対戦は、常とは違う緊張感に胸が躍るわ」

「さぁ、略奪の時間だ。勝てば成果はポイントに、おまけはダイヤに毛皮と来た。貴様じゃないが確かにわくわくするぜ、ヴァン」

 

 ゴウと宇美の意思表示を受け、ヴァンパイアはショートソードを抜き直し、アンカーは腰に提げている幅が広く刀身が短めな舶刀──カトラスを右手で抜き放ち、左手の錨も構えるという、各々の臨戦態勢を取った。

 両チーム、四人全員がレベル6。数値の上ではイーブン。

 あらゆるものが破壊された《世紀末》ステージで、ギャラリーを除いて命あるものは四人のみ。

 路肩に転がり燃えている、一個のドラム缶。中身が不明な何かを燃やす炎が大きくパチン! と弾けると、それを皮切りに四人全員が一斉に動いた。

 



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第十八話

 第十八話 翼、牙、従僕

 

 

 今回の対戦でゴウ達が乱入『された』側として、対戦フィールドに降り立った直後のこと。

 確認した相手チームの一人にグレープ・アンカーの名前が表示されていたので、ゴウは宇美に自分の知るアンカーの戦闘スタイルについて教えていた。

 メインウェポンは対面すれば分かる通り、左腕の肘から先に装備されている錨。これは射出が可能で、錨の尻に繋がっている鎖によって自分の元に回収することもできる。

 重量があるので打撃属性の威力もさることながら、歪曲した左右の先端は釣針状に尖っているので、アンカーの手元に戻る際などにこちらへ向いた先端が掠めると、最悪その部位が抉られてしまう。

 必殺技も錨部分が基点となり、紫カラーの特色通り中・遠距離まで届く強力な攻撃を行ってくる他、たとえ砕かれても必殺技の一つである《リボーン・シンボル》によって、錨部分のみに限るが、修復までできる。

 その他には、ショップで購入したアイテムや強化外装を装備していて、例えば右目に着けた眼帯。あれは実はアンカー側からちゃんと見えているので、死角と思って回り込んで攻撃しようとすれば、こちらが逆に不意を突かれるということもある。実際にゴウも初戦で騙されたものだ。

 そんなトリッキーな戦いをしてくるアンカーもさることながら、彼と組むトワイライト・ヴァンパイアはゴウも宇美も初見なので、いかなる戦法や連携をしてくるのかは全くの未知数。警戒度合はアンカーよりも上だった。

 だが、そんな警戒など嘲笑うかのように、アンカーの掲げた錨を掴み、射出された錨共々上空へ舞い上がるヴァンパイアに、ゴウは改めて度肝を抜かれた。

 ヴァンパイアは十五メートルを優に超える高度まで到達すると、その身に着けたマントの形状が大きく広がり、風に棚引く柔らかそうな材質から、風を掴むまでに張りがある、コウモリの翼のような形状へと変化したのだ。

 そのまま重力に従って落下することもなく、トンビよろしく緩やかに旋回を始める。

 

「やっぱり飛べるのか……?」

 

 信じ難いが、そうであればあのファーストアタック時の奇襲についても納得がいく。

 空を舞うデュエルアバターと言えば、黒のレギオン《ネガ・ネビュラス》に所属する、《シルバー・クロウ》がほとんどのバーストリンカーの頭に真っ先に思い浮かぶだろう。

 彼の登場は、それまで雲隠れしていた彼の《親》である《黒の王》が再び姿を現したことを差し引いても、バーストリンカー達に大きな衝撃を与えた。

 それはクロウが、金属フィンで形成された背中の翼によって空中を自在に移動できる、加速世界において初となる完全飛行型アバターだからだ。

 高い跳躍能力やワイヤーの類による、三次元的な動きをするアバターは数あれど、現在でも未だ《飛行》アビリティはクロウ唯一無二ものとされている。

 今年の四月には、あるデュエルアバターがその翼を手に入れて数日間猛威を振るったらしいが、それはクロウからアビリティを《強奪》したことで得たものであり、結局クロウにアビリティは返還されたという。

 では、今こうして飛行してみせているヴァンパイアは、真の二体目となる完全飛行型アバターなのか。ギャラリー達もにわかに騒然とし出していたが──。

 

「…………ん?」

 

 旋回を続けるヴァンパイアに、ゴウはどこか違和感を覚えた。

 ──何か変な気が……でもどうして……あ、そうか──。

 

「オーガー、左!」

「はっ!?」

 

 宇美からの鋭い声に、ヴァンパイアに意識を割いていたゴウは振り向きもせずに前方へ飛び退き、数度の前転をしてから片膝を着く。

 横を向くと、ゴウのいた地点を通過していく、アンカーが射出した錨が見えた。

 

「すみません助か──」

「キィィィエェイ!」

 

 宇美に礼を言おうとした直後。甲高い気合と共に、ヴァンパイアがゴウへ向かって急降下を仕掛けてきた。

 こちらの頭を狙っているショートソードの切っ先を、ゴウはこの体勢からではもう躱せないと判断し、せめてもの抵抗にと軌道上に左手を突き出して掲げる。

 直後に掌に突き刺さる剣の感触。続いて襲いくる衝撃に、片膝を着いたままでは──たとえしっかりと両の足が着いていても、堪えられたかは難しいところだが、ゴウは耐え切れずにアスファルトの地面を磨り下ろされるようにして滑っていく。

 

「ぐっっつうううううううう!!」

 

 ようやく地面への滑走が止まると、左手には焼けるような痛み。ヴァンパイアの剣が手の甲を抜けて貫通している。それでも何もしなければ、今頃は頭を貫かれていただろう。

 

「仕損じたか」

 

 残念そうに短く呟いたヴァンパイアは、すぐさま剣を引き抜いて距離を取った。

 ──貫通攻撃には強い方だけど……ここまでの勢いが乗った攻撃だとさすがに防ぎ切れないか。

 ゴウは立ち上がって周囲を確認すると、少し離れた場所で宇美がアンカーと応戦している。カトラス刀と錨、二つの得物を振り回すアンカー相手に、宇美は攻めあぐねているようだ。

 

「先よりも速度を乗せたのだがな。やるではないか」

「それはどうも……ところであなたのそれ、自由に飛べるわけじゃないですよね?」

 

 ゴウの指摘に、ギャラリーの数名がどよめいた。しかし、その声の数もさほど多くはないので、おそらくはギャラリーの何人かもゴウと同じ結論に達しているのだろう。

 ヴァンパイアも興味深げに首を傾げた。

 

「ふむ、どうしてそう思うのかね?」

「あなたはマントを翼みたいに変えられるけど、そこから一度も羽ばたかなかった。多分グライダーみたいに滑空しかできないんだ。そうでないなら、初めから一人でも離陸できたはず」

 

 トワイライト・ヴァンパイアはシルバー・クロウと違い、自力での飛翔や空中でのホバリングはできない。それがゴウの出した結論だった。

 高所で風の流れに乗ることで旋回しながら水平の状態を保つ、パラシュート代わりに落下の減速をする、地面と平行の状態から体を傾けての急降下などはできても、再度上昇することはできないのだろう。

 

「……上昇の工程を短時間で行うのにアンカーの手を借り、貴公らの注意を上方へ向ける為に旋回行動をしていたとは考えないのか?」

「マントの形を変えても、変えていた間にゲージは消費されていなかったし、僕が接近戦主体のアバターであることもアンカーさんから聞かされているはず。だったら、今こうして地に足を着けているよりも、空に戻った方が安全です。それをしないということは……」

 

 指摘にも動じずにゴウが言い返すと、ヴァンパイアはゆっくりと頭を振ってから、ククッと喉を鳴らす。

 

「よく見ている。そうとも、このマントはある程度形を変えられる、一種の装甲なのだ。硬質化後に形態を変えるには、一度マントの状態に戻さねばならない。風が強く吹くステージであれば、気流を利用して自力での上昇も可能なのだが……このステージでは貴公の言う通り、滑空が精々だ。まぁ、アビリティでも何でもない機能だからな。音に聞こえし《超速の翼(スピード・スター)》と張り合えるまでに空を駆けたいなどと、そこまでの贅沢は言うまいよ。では──」

 

 片手で摘まんだマントをひらつかせながら、飛翔のメカニズムに補足を加えるヴァンパイアは、剣尖を上にして正面に構えた。続けてフェンシング選手のように、剣の切っ先を再びゴウへと向ける。

 

「今度はワガハイの剣の腕前を見せてくれよう。いざ!」

 

 そう言うなり、踏み込みからの突きを連撃で繰り出すヴァンパイア。

 

「キキキキキキキキキキェイ!」

 

 ゴウはヴァンパイアがマントについて説明している最中に、すでに召喚していた《アンブレイカブル》で迎撃をしようと試みるが──。

 ──速い! 

 突きという『点』の攻撃でありながら、連続で放たれることで『面』の攻撃に昇華されている──とまでは言わないが、いかんせん速い。

 長いマントを掴もうとしても、先程の説明通りヴァンパイアはマントの形を微妙に変えて、ゴウに触れさせようとはしなかった。

 刺突のほとんどは金棒を構えて防げても、何発かは隙間を縫ってゴウの体に到達し、反撃は横に後ろにとステップ移動によって回避される。

 しかも、ゴウがダメージを受けるのと同時に、先程の空中からの急襲による衝突の反動でヴァンパイアの方もわずかに削れていた体力ゲージが、微量ながら徐々に回復していく。

 

「如何かな? 我が牙にして愛剣《ブラッド・サッカー》は、相手へダメージを与えると同時にワガハイの体力を回復する。このままでは体力に差が開く一方だが、どうするね!?」

 

 わざわざ強化外装の持つ体力吸収(ドレイン)能力の説明までしてくるということは、つまりは明かしたところで問題はないのだろう。むしろ明かすことで、こちらの焦りを誘っているのかもしれない。

 このヴァンパイアというバーストリンカー、奇特な言動や行動で分かり辛いが、ミドルランカーと呼ばれるレベル6に上り詰めるだけの場数を踏んでいることを感じさせる強敵である。

 ──相手は速いし身軽だ。でも、その代わりに攻撃は一発の威力はそれほどでもないし、体型からして多分打たれ弱いはず。まともに必殺技が当たれば一気に逆転もできる。……問題はどう当てるかなんだけど。

 ダメージを受けている分、ゴウの必殺技ゲージもじりじりと充填されていく。

 だが、不意を突くなり体勢を崩すなりしなければ、スピードタイプのヴァンパイアに必殺技はまず当たらないだろう。それは向こうも分かっているのか、深入りはせずに地道に削るような攻撃しかしてこない。

 宇美やアンカーのゲージを確認すると、向こうも拮抗しているようで、互いの体力は大きな変動はなく徐々に減少しており、相応に必殺技ゲージも溜まりつつある。

 どちらも目の前の相手にかかりきりで、パートナーの助けに行く余裕はない。

 そんなゴウにとって嫌な膠着状態を突如として崩したのは、数分後に響いたアンカーの声だった。

 

「ヴァン、いいぞぉ!」

「来たな、任せよ!」

 

 ヴァンパイアは今までより大きく後退すると、左手でマントの裾を掴んでから大きく持ち上げる。

 

「《アサルト・バッツ》!」

 

 必殺技のコマンドの後、黄昏色をしたヴァンパイアのマントの裏地に黒点が現れる。黒点は次々に増えたかと思えば、マントの中から黒い物体が大量に飛び出してきた。それは――

 

「コウモリ!? うわっ!」

 

 一体一体は翼を広げても二十センチ程度をしかない、しかし何十何百ものコウモリの群れが甲高い鳴き声を上げながら、ゴウをあっという間に取り囲んで牙を突き立ててくる。

 しかもその標的は、ゴウだけではなかった。

 

「きゃっ! なにこれ!?」

「フォックスさん!? この……!」

 

 離れた場所から聞こえてくる、慌てふためく宇美の声。

 ゴウはコウモリ達を払い落とそうと、金棒を大きく振り回す。

 十数匹のコウモリが金棒を打ち据えられて地面に落下すると、ハエのように叩き落とされては敵わないとばかりに、ゴウの前方にいた残りのコウモリが距離を取っていった。

 視界がいくらか晴れ、声のした方に首を向けると、やはり群れ全体の半分ほどのコウモリが宇美にも纏わり付いている。

 

「フォックス──」

 

 背中にへばりついたコウモリを引き剥がしながら、ゴウは宇美のフォローに駆け寄ろうとしたが、それは無用だった。

 黒い塊の中から白い物体が突き出ると、縦横無尽に動いてコウモリを弾き飛ばしていき、白い毛並みをした尻尾を膨張させた宇美の姿が露わになる。

 テイルパーツを巨大化、分裂、硬質化などができるムーン・フォックスの《変幻尾(トランス・テイラー)》アビリティによるものだ。

 ひとまずはほっとして──いる場合ではない。

 

「二人共どこ行った?」

 

 ゴウがコウモリの群れに襲われ、払い除けながら宇美の状態を確認するまでの時間は、さほど長いものではない。にもかかわらず、相手チームの二人の姿が見当たらなくなっていた。

 コウモリ達が未だこちらを囲むようにして飛び回る、この《アサルト・バッツ》なる必殺技は非常に厄介ではあるが、それは撹乱用の技としてであって、決め手とするには明らかに火力に欠ける。つまりは次の攻撃への布石となるのが役割のはずだ。

 ではヴァンパイアとアンカー、どちらがその攻撃を行うのか。どこから行うのか。

 ──……しまった! 

 その答えにゴウが至るのと、答えである声が上から降ってきたのはほぼ同時のことだった。

 

「《ギャンブル・キャニスター》!」

 

 一軒の廃ビルの屋上。錨から大砲に変化したアンカーの左腕から、一発の砲弾が発射される。

 ゴウはそれを視認していない。砲弾の正体を知っていて、全力疾走で宇美の元へ駆け出していたからだ。

 黒光りする砲弾が地面へと着弾した瞬間、《世紀末》ステージの道路の一角を大爆発が揺らす。

 爆音に混じって、声高に叫ぶアンカーの声がゴウの耳に微かに届いた。

 

「こいつは大当たり(ジャックポット)だ! ハーッハッハッハァ!!」

 



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第十九話

 第十九話 タッグパートナー

 

 

「う……」

 

 気が付くとゴウの目の前には、揺れる自身の両腕と、右から左へと流れていくアスファルトの道路があった。

 続けて、両足の爪先が地面を擦る感覚と、背面を中心とした熱と痛み。

 

「起きたね」

 

 呻いたゴウに反応した宇美の声がする。

 ここでゴウは、動物系アバター特有の必殺技である《シェイプ・チェンジ》によって、二足歩行の人型形態である《ノーマル・モード》から、四足歩行の獣形態である《ビースト・モード》になった宇美の背中に乗せられ、運ばれていることを理解した。

 ──気絶してから十秒も経ってないか。……背中痛い。

 ゴウは対戦の残り時間を確認して、意識が飛んでいた時間を確かめる。

 アンカーが放った《ギャンブル・キャニスター》は、その都度に威力や効果がランダムに変動する砲弾を撃つ必殺技だ。

 今回のような特に威力の大きい大爆発を引き起こすこともあれば、追加効果で全方位に拡散する散弾、有毒ガスや閃光弾になり、またある時は爆竹程度の熱と光しか発生しないこともある。

 また、砲撃という攻撃形態でありながら、射程は数メートル程度しかなく、物陰越しで発射しなければ威力の高い砲弾が出た場合、アンカー本人さえも巻き込まれてしまう危険がある。

 とにかくあらゆる面で博打要素の強いものなので、派手かつ予想ができない分ギャラリーの受けも良い。受ける側の対戦相手としては、たまったものではないが。

 今回はヴァンパイアの《アサルト・バッツ》による陽動の間に、鎖付きの錨を利用して建物の屋上まで一気に移動、その上で発動をしたのだ。

 ヴァンパイアの姿は確認できなかったが、おそらくは巻き込まないように、同じ場所に移動していたのだろう。仮に必殺技がハズレの威力だった場合、続けて空中から襲撃が可能になる。

 

「お客さん、どちらまで?」

「……じゃあ、そこの角まで」

 

 最近ではAI管理の無人運転車にほとんど取って代わられた、タクシー運転手のノリで宇美に訊ねられ、リクエスト通り廃ビルの角を曲がった所で、ゴウは足を止めた宇美の背中から降りた。

 

「どう? 動けそう?」

「はい、動かない箇所はなさそうです。……助けに入っておいて、文字通りのお荷物になってすみません。よりにもよって意識が飛ぶくらい凄い爆発が出るとは……」

 

 人型に戻っていく宇美に訊ねられ、ゴウは体の稼働具合を確認していく。

 宇美にもアンカーの必殺技については事前に説明はしていたものの、襲撃するコウモリ達に気を取られていたあの状況では、まともに爆発を受けていただろう。

 故に相手チームの狙いを察したゴウは、一直線に宇美の元まで走り抜け、押し倒す形になりながらも盾になることで庇ったのだ。

 結果として全身を打つ衝撃と吹き飛んだ際の当たり所が悪かったらしく、短時間とはいえ気絶状態に陥ってしまったのは誤算もいいところだったが。

 

「いや、危ないところだったから実際助かったんだけどさ……で、それだけ必死になってフォローに入ったってことは、私に何かやってほしいことがあるってことで良いの?」

 

 察し良く訊ねる宇美にゴウは頷いた。助けようとした側が死亡することになれば本末転倒だろうが、ゴウも全くの考えなしに助けに入ったわけではない。

 

「今の段階でフォックスさんが大ダメージを受ける展開は避けたかったんです。今回の対戦で決め手になるのはフォックスさんなので」

「それはあの空飛ぶヴァンパイアの相手をしろってこと?」

「はい。好き勝手に空中に居座られる限り、僕らの攻撃は基本的に届かないし、その分だけ勝率はぐんと下がります。だから一撃で決めるなり、あのマントを無力化しないといけない」

 

 タッグ対戦では自分達の連携と同等に、相手の連携を妨害するのも重要になる。シナジー効果を形成していたり、それに近い戦法を扱ってくるチームなら尚更だ。

 

「そこでちょっと考えがあるんですけど、聞いてもらえますか?」

 

 ゴウが提案した作戦を話していくと、最初は興味深そうに聞いていた宇美の顔色が段々と怪訝なものに変わっていく。

 

「……それ本当に上手くいくの?」

「まず間違いなく食いつきます。万が一向こうが乗ってこなくても最低限の役割は果たせますし、それにフォックスさんもさっき昼飯の時に『見たら警戒するしハッタリになる』って言ってくれたじゃないですか」

 

 信じられないと思うのは当然のことだ。ゴウだって同じ立場なら「嘘だぁ」と言う。

 しかし、ゴウには向こうが乗ってくるという確信があった。

 渋っていた宇美も、現在は体力の総量差で劣勢、言い合いをしても時間の無駄と判断したのか、最終的には折れてくれた。

 

「もし失敗したら、後で何か奢ってよ?」

「んー、じゃあこれが勝因になったらジュースでも奢ってください。逆なら僕が奢ります」

「おっ、良いね。じゃあ賭けよう。恨みっこなしね」

 

 妙な賭けを成り行きでしてしまったが、ともかくゴウと宇美は反撃に移るのだった。

 

 

 

 対戦時間が半分を切った現在、四人の対戦者の体力ゲージ。

 高い順からおおよそで、ヴァンパイア、九割強。アンカー、八割強。宇美、八割弱。そしてゴウ、四割半。

 ヴァンパイアもアンカーも逃げたゴウ達を追跡してくることはなかった。このまま対戦時間が終了すれば、体力ゲージの残量によって自ずと判定勝ちになるからだ。ゴウ達が勝利するには戻ってこざるを得ないことを、承知の上での行動である。

 破壊された物だらけの《世紀末》ステージを、更に破壊した爆心地跡にアンカーは立っていた。

 ヴァンパイアは一軒の建物の屋上からこちらを見下ろしている。おそらくはあそこが先程アンカーの必殺技を放った場所だ。いつこちらが戻ってきてもいいように待機していたらしい。

 

「おう、戻ったか。……オーガー、貴様一人か? 相方はどうした」

「ちょっと野暮用があるんで、僕だけで来ました」

「ふぅむ……?」

 

 アンカーは傾げた首を、ヴァンパイアの方へ向けた。

 すると、屋上のヴァンパイアは少しだけ間を置いてから、ゆっくりと頷く。ゴウにはどういう意味合いなのかは分からなかったが、それだけでアンカーは満足げに頷き返した。

 

「まぁ、そういうことにしておこうか。ときに、貴様のあの金棒……ダイヤ棒? ともかくあれはこちらでいただいておいたぞ。どうしても返してほしければ……あそこにあるから持っていくといい」

 

 ふっふっふっ、と不敵に笑いながら、アンカーは親指を立てた右手で狭い通路を示す。

 アンカーの必殺技から逃れるのにゴウが手放していた《アンブレイカブル》は、アンカーの指差す路地裏の先にあるらしく、道路に引き摺った痕跡もうっすらと見られた。十中八九そこは行き止まりの袋小路だろう。

 持ち主の手放した強化外装は、大概が必殺技ゲージを消費するアクションはできなくとも、単純な武器の形をしている場合、一時的に奪って扱うこともできる。

 だが、非常に重い《アンブレイカブル》はダイヤモンド・オーガーと同等以上の腕力がなければ十全には扱えない。左手が錨になっているので片手でしか持てないアンカーにも、パワータイプではないヴァンパイアにもまともに使えないのだろう。

 むざむざ回収しに行けば攻撃の逃げ場はないので、実質使用不可能にされたと言っていい。ダメージを度外視してまで回収しに行く余裕は、今のゴウの体力にはないからだ。

 

「……アンカーさん、僕はこれから必殺技で攻撃をします」

「なにぃ?」

 

 ゴウの宣言に、アンカーのみならずギャラリー達もいきなりどうした、とざわつき出す。

 自己申告してから攻撃するなど、基本的にそれだけその攻撃に自信があるか、相手を侮っているかの二択だ。ゴウとしては厳密にはどちらも違うが、強いて言えば今回は前者である。

 

「これを避けるか、受けて立つのかの判断は任せます。じゃ、いきます。──《モンストロ・アーム》」

 

 ゴウが肩より上に挙げた右腕を大きく引いて、右肩に左手を添えると、途端に右肩が盛り上がり、腕が膨れ始めた。そうして自分の背丈と同程度、太さは胴体の三倍にまで巨大化した右腕は、アンカー、ヴァンパイア、ギャラリー達の注目を一身に浴びる。

 

「おお……おおおおおおおおおお!!」

 

 そのまま巨大な右腕を構えたまま、雄叫びを上げるゴウはアンカーに──ではなく、ヴァンパイアが屋上にいる廃ビルに向かって前進を始めた。向かってくるゴウに、ヴァンパイアが身構える。

 そんな中、纏うダイヤモンド装甲も同じく巨大化した鬼の腕に、釘付けになる海賊が一人。

 

「おおぅ、それがレベル6のボーナスで取った必殺技ということか。まったく、大きいは正義とはよく言ったものよ。貴様という奴は……ことごとく俺様のツボを心得ているなぁ!」

 

 その重量故に機動力が著しく下がり、軽く地響きを立てて走るゴウの前へと先回りし、心底嬉しそうにアンカーは立ちはだかった。

 

「そのダイヤの腕、貰い受けるぞ。粉々にしてなぁ! 《バトルシップ・アンカー》!!」

 

 錨が付いたアンカーの左腕全体が紫色に輝くと、巨大化した錨が発射された。左右の先端が勢いよく炎を噴き出す推進機となった錨はそのまま、足をより強く踏み締めて振り抜いたゴウの右腕と衝突する。

 錨と拳。身の丈よりも大きくなった、体の一部による攻撃同士の膠着は、ほんの数秒のことだった。

 

「なっ、なにいいいい!?」

 

 声を上げたのは、アンカー。船乗りの魂、その象徴と豪語する錨が砕け散る。

 ゴウがこれまでのアンカーとの対戦で、この《バトルシップ・アンカー》と真っ向からぶつかり合い競り勝ったのは、これが初めてのことだった。

 しかし、ゴウが先週にレベル6となると同時に取得した必殺技《モンストロ・アーム》はこれだけでは終わらない。

 振り抜いた異形の腕による一撃は強力な拳圧が変じた空気砲を生み出し、直線上の離れた敵にさえ攻撃ができるのだ。

 これにより空気の塊に直撃したアンカーは、見えない車にでも撥ねられたかのように、声を上げる間もなく物凄い勢いで背後の建物まで吹き飛んでいった。

 

 

 

 ゴウとアンカーの必殺技がぶつかり合う少し前。

 宇美はゴウと共に相手チームのいる場所には戻らず、百メートルほど離れた建物の屋上にいた。

 建物内部には侵入できない《世紀末》ステージだが、外付けの階段が設置されている建物も存在するので、そうした階段があり、かつヴァンパイアのいる廃ビルの何軒か隣に位置する場所を選んでいる。

 ややあって、事前に合図と決めたゴウの雄叫びを、三角形の耳が捉えた宇美は行動を開始した。

 

「《シェイプ・チェンジ》」

 

 唱えたコマンドにより体は白い光に包まれ、狐頭をした人型から骨格が変形し、狐そのものの姿へと変わった瞬間。宇美は一気に駆け出す。

 その勢いのまま隣の建物へと飛び移り、脚を止めることなく、そのまた隣の建物へと移動していく。

 一軒目、二軒目、三軒目。デュエルアバターの、まして脚力が発達したビースト・モードであれば、多少の高低差を加味しても十メートル以下の幅跳びなど造作もない──が、下を見れば脚が竦んでしまいそうなので前方だけを見る。

 今日一日、宇美がゴウとタッグを組んで対戦をしているのは、ゴウへの借りを返すという目的もあった。

 先週、宇美とゴウは、自分達のそれぞれの《親》とコンビを組んでのタッグ対戦を行うこととなった。それも現実で対面し、ギャラリーを完全に排除した直結による対戦である。

 ゴウはこの対戦の最中にレベルアップ、次いでボーナスの取得を行うという、ある意味でとんでもない暴挙に出た。

 それは頑なに口に出そうとしない苦悩を抱えていた、宇美の《親》である岩戸(いわと)晶音(あきね)を説得するにあたって、本気でぶつかる為であり。

 アウトローの元メンバーであった晶音を助けてやりたいと考えている、《親》である大悟の助力をしたいという想いがあったと、後にゴウ本人から宇美は聞いた。その大悟は宇美が見るに、晶音に仲間以上の感情を抱いているようだったが、それは別として。

 バーストポイントを大量消費する行為であるレベル上げも、レベル一つ上げる際に一つ選択できるレベルアップ・ボーナスの取得も、バーストリンカーにとっての今後を左右する重要なものであって、間違っても対戦中に突発的に行うべきものではない。

 近い内にレベルアップする予定があって、最低限度の安全マージンを確保していたとしても、結果的に選択したボーナスに満足したとしても、それを差し引いたところでだ。

 ゴウ本人は気にしていないようだが、そうさせてしまった原因を突き詰めてしまえば、自分が晶音についての相談をゴウ達に持ちかけたからであり、負い目を持つなという方が宇美には無理な話だった。

 だからこそ、宇美はバーストポイントの譲渡を申し出たのだが、それも自分で選択したことだからとゴウには断られ、落としどころとしてポイント補充の手伝いをと、今日タッグを組む段取りをつけたのだ。

 現在までの対戦結果は収支の上ではプラス。この対戦も勝利して、またポイントを勝ち取ってみせる。

 ただ、宇美が意気込むのは、それらの義務感だけが理由ではない。

 ──ゴウ。私はね、あなたを──。

 宇美の前方から必殺技を叫ぶ声、続けて硬い物同士がぶつかり合う音が大きく響いた。本当にゴウの狙い通り、アンカーは誘いに応じたらしい。

 続いて派手な破壊音と共に、大きく揺れ始める廃ビルへと飛び移り、とうとう宇美はヴァンパイアがいる建物の屋上に着地した。

 前方にいるヴァンパイアも、十メートル以上離れていたことで出現していた、宇美を示すガイドカーソルが消えていることは把握しているはずだが、特に周囲を見渡すなどの行動を起こさない。

 構わず宇美は四脚を駆り、ものの数秒でヴァンパイアの背後まで到達した。そのまま首元に牙を突き立てるべく、大きく口を開けたその時。

 裏地は宵闇迫る黄昏時の空模様、表地は艶のない黒色をしたマントが、ついと横に動いた。宇美の目の前の景色が、突如として向かい側の建物に切り替わる。

 速度が乗ってブレーキの効かない宇美は、次の瞬間にはまるで投身自殺でもするかのように屋上から身を躍らせていた。

 

「フフフ……ハハハハハハハハハハ!! とうっ!」

 

 宇美が空中で首だけをどうにか向けると、哄笑するヴァンパイアが、宇美に続いて屋上を離れる。宇美との唯一の違いは、マントが変化した翼によって落下していないということ。

 

「読んでいたとも! 貴公がワガハイに奇襲をかけてくることなど!」

 

 一人が姿を見せているのにもう一人がいないのだから、襲撃を予期するなど当たり前だ。そうでなくとも《シェイプ・チェンジ》発動中は必殺技ゲージの減少が確認できるので、警戒を抱くのもまた当然。

 だが、背後から迫るこちらを全く見ずに、こちらの自爆を誘うジャストタイミングで避けたとなると、何らかのアビリティで位置を把握されていたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、人型に戻った宇美は落下していく。

 奇襲は失敗した。後はもう、いかにして落下ダメージを抑えるかぐらいしか、宇美には選択の余地は残されていない。

 ただしそれは、この対戦がシングルの場合なら。

 この対戦はタッグ戦、宇美は一人ではない。

 

「フォックスさん!」

 

 宇美が下を向くとそこには、こちらを見上げるパートナー。そのアイレンズには動揺の色など、毛ほども浮かんではいなかった。

 

「足をこっちに!」

 

 前傾姿勢で落下地点に陣取るゴウの指示に従い、宇美は落下しながら体勢を入れ替え、地上に足を向ける。デュエルアバターの身体能力に加え、小学校三年生まで習っていた器械体操の経験が、空中での柔軟な動きを可能にした。

 そして、ゴウが前方に構えた腕へ宇美の足裏が接触する。

 宇美は折り曲げた両脚へ、ゴウは落下の勢いが加算された宇美の全体重が両腕へ、それぞれ一気に負荷が加わる。それらは被ダメージにまで至るが、互いに怯みはしない。

 

「いっ……きますよ、せえぇぇのっ!」

「《ハント・ダイブ》!!」

 

 ゴウがバレーボールのアンダーハンドパスにも似たフォームから腕を上げ、宇美が必殺技を発動。それらが絶妙のタイミングで重なり、常ならざる加速を得て跳躍した宇美は、アイレンズをかっと見開くヴァンパイアの元へと急接近していった。

 

「なっ!? なん──ぐぶふぅおぉぉぉ!!」

 

 逆バンジーどころか、ロケットもかくやという勢いで迫る宇美をヴァンパイアは回避できず、腹部への突撃をまともに受けて、体がくの字に折れ曲がる。

 宇美はそのままヴァンパイアの腰にしがみつくと、《変幻尾(トランス・テイラー)》アビリティを発動させ、最大三本まで増やせる尻尾を二本に増やした。更には先端のみを硬質化させ、杭状に尖った尻尾を伸ばしてヴァンパイアのマントに左右から突き立てる。

 

「な、なんとぉ!?」

 

 宇美が尻尾を引き抜くと、いかに硬質化していたところで元々薄いマントは、二つの大穴が空き、もはや役割を果たせない。驚愕するヴァンパイアに、宇美は大きくした尻尾を自分ごと巻き付けて、共に頭から錐揉み状に地上へと落下していった。

 

「く……離さんか、この……! 貴公、ワガハイをこのまま道連れにする気か!?」

「まさか。心中なんて趣味じゃないの」

 

 ムーン・フォックスの必殺技《ハント・ダイブ》は、ロングジャンプによって高所へ一気に到達することや、その落下の勢いを利用した攻撃を行うという、非常に地味なものであるが、実は隠れた効果がある。

 それは、この必殺技は跳躍から着地までがワンアクションで、発動終了までは『着地時の衝撃によるダメージ』は受けないというもの。

 仮に百メートル以上の高層ビルの屋上から《ハント・ダイブ》を発動して地上に落下しても、ダメージを受けることはないのだ。

 ちなみにこの技は発動中でも必殺技ゲージさえ足りていれば、アビリティも同時に発動できる。

 ただし、空中や水中などの足場がない場所での発動は不可能であり、あくまで受けないのは落下ダメージのみなので、ジャンプ中でも相手の攻撃を受ければ普通にダメージは通る。

 つまり今回の場合は、宇美にしがみつかれてもがいているヴァンパイアだけが──。

 

「は、離し……ひっ、ギイヤアアアアアアアアアア!!」

 

 絶叫しながら脳天から地上のアスファルトに激突したヴァンパイアは、ムーン・フォックスの体重も加算された落下のエネルギーに耐え切れず、爆散した。

 

 

 

 ゴウと宇美の二人はそれまでいた《新宿中央公園》から移動を始め、《新宿駅》に向かう道中で自販機が目についた。

 丁度良いかと飲み物を買い、互いのペットボトルを軽く当て合って乾杯してから、キャップを開ける。

 

「ねぇ……やっぱりそっちが賭けに勝ったのに、私に奢ったら意味なくない?」

 

 未だ腑に落ちない様子の宇美の金髪のポニーテールが揺れる。金色なのは髪だけではない。眉毛も睫毛も同じく金色。鼻はゴウよりずっと高く、瞳の色はかなり明るい茶色。

 宇美は生まれも育ちも日本だが、イギリス人の祖母を持つクォーターなのだ。容姿も白人のそれで、先週彼女と初めてリアルで対面した時は、その場にいた大悟と共々それはもう呆気に取られたものである。

 そんな宇美に、ゴウはジュースを一口飲んでから首を横に振った。

 

「賭けには僕が勝ちましたけど、勝った僕が奢っちゃ駄目なんて決めてないし、対戦に勝てた理由の半分は宇美さんのお陰じゃないですか。だからこれでいいんです」

 

 尚も宇美のヘーゼルの瞳は納得していなさそうな目線を向けてきたが、それ以上の追及はしてこない。

 ヴァンパイアの撃破後、ゴウは宇美と二人がかりで残るアンカーと交戦した。

 アンカーは必殺技《リボーン・シンボル》によって砕けた錨を修復し、一人になっても抵抗し続けたものの、ゴウとの必殺技の撃ち合いで受けたダメージもあって死亡、ゴウ達は対戦に勝利することができた。

 ゴウが考えた作戦とは、こちらがヴァンパイアについて知らなかった為に意表を突かれたように、向こうが知らないものを駆使して不意を突くというもの。

 具体的にはダイヤモンド・オーガーの新しい必殺技と、ムーン・フォックスの諸々の能力である。

 アンカーとて《モンストロ・アーム》の威力を知っていれば、いかに興味を惹かれていようと、さすがに正面から挑んではこなかっただろう。

 ヴァンパイアが背後からの宇美の奇襲を、ああも簡単に避けたのは予想外ではあったが、向こうにしても二十メートル以上の高さにいたのに、直接取り押さえられて墜落させられるとは思ってもみなかったはずだ。

 勝負事で相手の手札を知っているのと知らないのとでは、そこに雲泥の差があるのはブレイン・バーストも例外ではない。もちろん、今回はあくまで相手には初見だったから上手くいったのであって、次に対戦したときはこうはいかないだろう。

 

「さて……あともう一、二回対戦したら今日はお開きにしようか」

「そうですね。あんまりのめり込んで明日に支障が出ても困りますし」

 

 宇美に同意し、ゴウはどこか座れる場所でもないかを探しながら歩き出す。

 

「それにしてもまぁ、二人して濃いキャラだったね。背脂たっぷりのラーメンと分厚いステーキをいっぺんに出されたくらい濃いし重かったよ」

「まぁ類は友を呼ぶと言うか……さすがにそう何度も会うことはないでしょうけどね」

「そりゃあね、日に何度も見たら胸やけしそう」

 

 あははは、とそんなふうに笑い合い、楽観するゴウと宇美の意に反して、二人はトワイライト・ヴァンパイアとほどなく再会することとなる。具体的には今から十数分後のギャラリー観戦で。

 このヴァンパイアとの出会いがきっかけとなり、ゴウは後に『とある存在』との邂逅を果たすこととなる。

 



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無法賀宴篇
第二十話


 第二十話 僧と鋏と鰐梨

 

 

「はぁい、ではこれで本日の検査は全て終了になります。お疲れ様でした」

 

 若い女性看護師が検査器具の片付けや測定データの送信をてきぱきとこなしていく中で、大悟はやっと終わったかと軽く伸びをした。

 病院という所は何につけても、とにかく待ち時間が長い。土曜日の半日授業が終わったその足でここに来て、数種類の検査を行っただけでもう十四時を回っている。

 これから自宅に向かっていては、十五時からの『集会』には間に合わないので、今回はこの辺りでどこか適当なダイブスペースを探し、そこから無制限中立フィールドに向かわねばなるまい。

 ──まぁ、この辺は家からダイブするよりホームに近いが……。

 そんなことを考えていると、データを確認していた中年の男性医師が大悟に向かって声をかけた。

 

「うん、見た限りは異常ないね。詳しいデータのまとめは、いつもみたいに後日親御さん経由で送るから」

「どうも」

 

 大悟は毎年、学校の健康診断とは別に、個人で呼吸器系の検査を受けている。虚弱体質と小児喘息が改善されてからもうだいぶ経ち、以来大きな異常が見つかったことはないものの、両親には高校卒業までは毎年検査を受けるように言われているのだ。

 もうほとんど風邪も引くことさえなくなった今、正直なところ面倒ではあるが、親としてはいろいろと心配なのだろう。費用を出してもらっている以上、これで文句まで言うのはあまりに贅沢だ。

 

「しかし大悟君、また大きくなったねぇ」

「へへ、成長期っすから」

 

 この医師とは、ここ《国立成育医療研究センター》で入退院を繰り返していた頃から、年月ではもう十数年来の付き合いなので、大悟の口調も砕けたものになる。

 

「高校入って、バスケとかバレーとかやらないの? そんなにガタイが良いと勧誘とかされない?」

「いやぁ、でかいなら勝てるってものでもないでしょう、スポーツは。それに球技系はあんまり得意じゃないもんで」

 

 とうに声変わりを終えた、同年代に比べてもかなり低い声で大悟は苦笑する。

 ブレイン・バーストを始めた頃は、生身とアバターの体格差に感覚が慣れるまで少し手間取ったが、いつの間にかデュエルアバターと同程度の体格にまで成長していた。今や身長は家族三世代の中で一番大きく、父親の背もわずかに上回っている。

 

「じゃあ中学と同じで帰宅部?」

「ええまぁ」

「そうかー。もう運動しても問題ないわけだし、その体格で帰宅部は勿体ない気がするなぁ……って、これはお節介か」

「いえいえ。それにこっちでも筋トレとか軽い運動くらいはしてますから」

「ん? こっち?」

「あ、いやー……フルダイブゲームの方が現実より体動かすってことです」

 

 こちらの言い方に引っかかりを覚えた様子の医師に、大悟は説明を付け足す。

 

「ああ、そういう……。僕、ゲームはもう長いことやってないなぁ。この仕事してるとねぇ……」

 

 幸い、日々忙しい医師は過去を懐かしむだけでタイトル等の諸々を追及してこなかった。

 バーストリンカーでない人間には、仮に直結をしたところでブレイン・バーストのアイコンさえ目にすることはできないので、説明するのも難しい。《フィジカル・バースト》のコマンドを唱えれば、その尋常ならざる反応速度によって証明になるかもしれないが、そんなことをしたところでただの悪目立ちにしかならない。無駄なポイント消費だ。

 秘匿が第一であるブレイン・バーストをごまかす言い訳を考えずに済んだ大悟は、それから世間話もそこそこに診察室を後にした。

 

 

 

「《バースト・リンク》」

 

 大悟は一階ロビーの長椅子に座ると、即座に最小の声量で加速コマンドを唱えた。

 衝撃音が耳を叩き、人々や周囲の景色が青一色のほぼ停止した世界、初期加速空間(ブルーワールド)に移動する。スーツにネクタイを締めた背広姿に、頭はデュエルアバターと同色の沈んだ青色で、バレーボール並みの大きさをした一粒の数珠という、フルダイブ用アバターの姿で大悟は早速マッチングリストを開く。

 

「よし、いたいた。ん? これは……」

 

 リストには目当てのデュエルアバターの名前は存在していた。何度か加速しなければ名前が出てこないか、そもそも今日は現れないかもしれない可能性も大いにあったので、一度目の加速で見つけられたのは運が良い。仲間達との集会を終えた後にも探すつもりだったが、その必要もなくなった。

 その相手は、リスト下にあるアバターとタッグチームであることを示すマークで繋がっていた。タッグチーム相手にはソロ側からなら挑戦することは可能だが、一対二では当然ながら勝率は下がる。

 

「……まぁいいか」

 

 少しだけ考えてから、大悟はマッチングリストに表示された名前を軽く叩いた。

 大悟の乱入をシステムが承認し、世界が青から暗転、続けてブレイン・バーストの対戦フィールドへと変わる。

 フルダイブアバターから僧兵のデュエルアバター姿に変わった大悟のアイレンズに、色とりどりの光が入り込んできた。ライトやレーザーイルミネーション等の無数の光が、低い位置で立ち込める雲と夜闇を染め上げる、《繁華街》ステージだ。建物内進入不可ステージなので、一階のロビーにいた大悟は十数階建ての屋上に座標が移動している。

 おおよそ現在位置は同じ敷地内に建てられた病院と研究所の内、北の方角を上として見ると、L字の形となっている病院の直角に曲がった部分。

 相手が二人なので、二つ表示されているガイドカーソルの矢印は、どちらも奥側の病棟部分を指していた。一つの方向しか指していないのは、単に同じ方角にいるからか、それとも同じ場所にいるからか。おそらくは後者だろう。

 大悟はある程度の段差を登り降りしながら移動を開始した。

 そこから四隅を真上に向いたサーチライトが照らす、約二十五メートル四方のヘリポートに辿り着き、中心地点で対戦者達を待つこと数分。カーソルが消え、対戦相手である二体のデュエルアバターが到着した。

 片方のアバターが左右の腰に一本ずつ装備した大型ナイフの片方を手に取ると、それを金網に向けて円形に大きく一閃。切り裂いた金網を蹴破ってヘリポートに足を踏み入れた。

 長身細身のF型アバターだ。リング状のグリップ部分がやけに歪曲しているナイフは腰に戻さず、体のラインが目立つ赤紫色をしたリボン状の装甲が巻かれている全身で、唯一露出している口元で唇が真一文字に結ばれている。

 穴の開いた金網の向こうから、更にもう一体のアバターが続く──。

 

「ん!? うーん……んんん……!」

 

 続き──。

 

「んんんぬ────……!」

 

 続──。

 

「ん──っ……! だぁっ!!」

 

 続いて低い唸り声と共に、穴を更に押し広げて出てきた。元々かなり大きい穴だったのだが、なにせそのアバターは規格外の大きさなのだ。

 高さは二メートル半、横幅が一メートル半はある深緑色の巨大な卵形に、体と比較して短い手足が付いているという異形の──声質からしてM型のアバターは、体の真ん中あたりから横に大きく裂けた口を半開きにして、浅く吐息を漏らしている。

 ──はー、こりゃメディックよりも卵みたいだな。

 独特なフォルムを大悟が物珍しく思いながら眺めていると、F型アバターが横に並んだ巨大なアバターの方へ首を向けた。

 

「チョット狭かったかしら。悪かったわね、アボ」

「だいじょうぶ。おれ、通れたから」

「初めましてだな、《マゼンタ・シザー》。それに《アボカド・アボイダ》」

 

 視界上部に表示された、自分のアバターネームの反対側に表示されている二つの名前を大悟が呼ぶと、二体のアバター──マゼンタ・シザーとアボカド・アボイダが揃ってこちらに注目した。

 

「……まさかハイランカーのアナタが、こんな場所にワザワザ現れるなんて思わなかったわ、アイオライト・ボンズ」

 

 アボカドを気遣っていた時とはまるで異なる、警戒心の込められた硬い声でマゼンタは応じた。

 

「こんなギャラリーもいない過疎中の過疎エリアに来てどうしたの? この病院、アナタのかかりつけなの?」

「まぁ、そんなところだ。で、都合が良かったから、そのついでにお前さんの顔でも見ておこうかと思ってな。《ISSキット》ユーザーのマゼンタさんよ。あぁ、今はもう元ユーザーか」

 

 ISSキット。正式名称、インカーネイト・システムモード・スタディキット。

 装備すれば誰でも、強力な二種類の心意技が扱えるようになる強化外装。そして使用者の負の感情を増幅させて精神にまで影響を及ぼし、更には増殖機能まで備えていることから、王達もその存在を危惧した代物。

 マゼンタ達が口を開く前に、大悟は更に続ける。

 

「まずはポイントも使ったことだし、対戦といこう。話はそれからだ」

「……別にワタシはアナタと話すコトなんてナイわよ。何一つね」

 

 戦闘体勢を取る大悟に冷たくそう言い放つと、ヘリポートの南東端に立つマゼンタはこちらからは聞き取れない小声でアボカドに何やら伝えつつ、もう一本のナイフを腰から外した。

 

「おおおおおおおおおお!!」

 

 片やアボカドはマゼンタの指示に体ごと頷くと、雄叫びを上げながら大悟に向かって突進を開始する。向こうがレベル5とはいえ、軽い地響きを立てて迫る巨体とまともにぶつかり合えば、レベル8のこちらでも押し負けるだろう。

 横に目いっぱい両腕を広げて更に表面積を増やしているアボカドを、大悟はギリギリまで引き付けてから横に跳んで躱した。そうして、自分が立っていた場所を通過するアボカドの無防備な背中に回り込み、勢いをつけて殴りにかかる。ところが──。

 

「あん?」

 

 大悟は驚きと疑問で声を上げた。打ち込んだ拳がめり込むどころか、前腕部までアボカドの体に埋まってしまったのだ。粘土かパン生地のような、粘りと弾力のある感触に包まれた右腕がゆっくり押し戻される感覚がある。しかも立ち止まったアボカドの体力は全く減っていない。

 

「これは……随分と風変わりな装甲──!?」

 

 ジャキキキン! という音が聞こえたと同時に、大悟は背中に鋭い痛みが数回走った。

 アボカドから右腕を引き抜いて振り向くと、マゼンタが両手で持った巨大な鋏をこちらに向けている。あれは二つのナイフを交差させて重ね合わせた、二本の大型ナイフだったものだ。アバターネームの通り、鋏があのアバターの武器か。

 続けて何度か開閉した鋏の延長線上に、大悟は数珠型の装甲が巻かれた手首を動かした。今度はダメージがなかったが、装甲越しに音と衝撃が響く。

 ──鋏を閉じると距離無視の斬撃が発生するのか。接近して一気に片付けたいところだが……。

 マゼンタの攻撃を分析しながら、開けた場所を選んだのを少し後悔し始める大悟。情報通の仲間から、マゼンタがこの《世田谷第五エリア》を中心に活動していることを教えてもらっていたが、どういった戦闘スタイルなのかまでは聞かなかったし、彼女の対戦を観戦したこともない。

 相手方がこうも強力な遠隔攻撃を繰り出してくるのなら、遮蔽物がある場所に移動するべきだが、ここは開けたヘリポート。それに今更簡単に移動させてはくれまい。

 大悟の推測を肯定するかのように、アボカドがぱっくりと開けた大口で齧りつこうと迫る。アボカドの口内は、夜のステージながらほとんどの場所が昼並みに明るい、《繁華街》ステージの照明群にも照らされない真っ暗闇で満たされていて、本能的に入るとまずいと悟った。

 ばぐんっ、と音を立てて閉じられた口元へ回し蹴りを入れるも、やはり軟らかい感覚が衝撃を包み込んで無力化してしまう。

 

「ぐ……!」

 

 その隙を逃さずに、実体のない鋏が立て続けに大悟の脇腹へと喰らいつく。

 それからは突進や噛みつきを行うアボカドの攻撃を避けながら、ヘリポートの端を回って延長線上にアボカドを極力キープし続け、マゼンタの斬撃にも対応するという展開が続いた。たまに大悟の避けたマゼンタの攻撃が、アボカドの巨体にも当たるのだが、装甲表面に切れ目が入るだけですぐに修復してしまう。これでは同士討ちも望めない。

 打撃を吸収してしまう軟質装甲に、対応し辛い不可視の遠隔斬撃。どちらもアイオライト・ボンズには相性の悪い相手だ。

 だが、大悟はこれまで相性の悪いデュエルアバターなど、腐るほどの数を相手にしてきた。

 ──そろそろいけるな。

 戦況を変えるべく、大悟は額に意識を集中させて《天眼(サード・アイ)》アビリティ発動した。頭巾越しに黄色い光が薄く漏れ出し、アボカドの巨体をじっと『視る』。

 

「ははぁ、なるほど。そういう……」

「だあああ────っ!」

 

 大悟は攻撃無効化のカラクリを理解し、ボディプレスを仕掛けてくるアボカドの体に沿って、独楽のような足運びで背後へ回り込んだ。そして無防備な、しかし打撃を無力化してしまう背面に右の掌を軽く当てる。

 ひゅっ、と呼気を一拍。同時に腕は動かさずに、右足をその場でぐっと踏み込む。

 その見た目ではほとんど動きのない動作で、アボカドの軟質装甲が内部から弾け飛んだ。

 



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第二十一話

 第二十一話 きっかけは些細でも

 

「アボ!?」

「っうう゛……!?」

 

 突如として装甲が内側から弾け飛び、ゲージの半分近くが一気に削れたアボカドの体力減少に、大悟の急な移動に追従が遅れていたマゼンタが足を止め、困惑の声を上げる。今いる位置では倒れ込んだアボカドが陰になって、こちらが何をしたのか見えていないだろう。

 攻撃を受けたアボカド本人も何が起きたのか、理解できていない様子で戸惑いと苦悶の入り混じった呻き声を漏らし、大ダメージの衝撃にがくがくと体を震わせていた。

 大悟の眼前には、軟質装甲が弾けたことで、その五十センチ近い厚みをした装甲の奥に埋まった、茶色い塊が露出している。《天眼》で確認した通り、装甲とは違う質感。おそらくはこれが、アボカド・アボイダというアバターの素体、本体の部分だ。

 普通に打撃を与えてもダメージが無いのも当然だ。アバター本体まで攻撃が届いていなかったのだから。『防御(ガード)されていた』というよりは『回避(アボイド)されていた』の方が表現としては正しいかもしれない。

 それにしても、脂質性を多分に含んだ装甲に、その中心に核に当たる素体があるとは、正にアボカド。これほどまでに『名は体を表す』アバターもそうはいまい。

 諸々の考えが頭に浮かびつつ、今の攻撃の有効性を確認した直後、残りの装甲が弱点を覆い隠してしまう前に、大悟はむき出しとなった本体へ左腕で貫き手を放っていた。

 掌底での攻撃と同等か、それ以上の速度で残り体力が消し飛ぶ。やはり緩衝性の高かった装甲と引き換えに、アボカド本体の耐久性はほぼ皆無だったらしい。

 爆散するアボカドの巨体を突っ切って、大悟はもう一体の対戦相手の元へ突貫する。

 迫る大悟を視認したマゼンタが、両手で持っていた大バサミから右手を──一瞬だけ離しかけてから、慌てたように握り直した。開いた鋏をこちらに向け、リボン装甲から露出している唇が動く。

 

「《ルースレス──」

「遅い!」

 

 大悟の飛び蹴りが、必殺技を発動する寸前だったマゼンタを、金網のフェンスに叩き付けた。

 着地した大悟はその拍子にマゼンタの手から離れた、鋏の強化外装を拾い上げてフェンスの向こう側、地上めがけて放り投げた。使用者の手元に戻ってくるような機能がなければ、この対戦中はもう回収不可能のはずだ。それに回収できたところで――。

 

「ぐ……くっ……」

 

 蹴りを受けた右肩を左手で押さえ、フェンスに背中をうずめたまま、マゼンタは立ち上がってこない。装甲の奥まで砕けた感触があったので、もう右腕は動かせないだろう。

 マゼンタは憎々しげな視線をだらんと下がったままの右腕から、《天眼》の発動を止めて正面に立つ大悟へと向けてきた。

 

「……アボにダメージを与えた一撃目、何をしたの?」

「弱点が装甲の内部にあると分かったから、そこに向けて打撃を(とお)した。『暗勁』ってやつだな。《浸透打法》とかいうアビリティ持ちの知り合いほど華麗にはいかないが……。じゃあ次は俺から質問だ」

 

 現時点での残り体力差による判定では、今回の対戦は大悟の勝利となる。アボカドが倒れ、マゼンタも強化外装を失い片腕も動かない以上、残り時間で逆転されることはおそらくないだろう。

 

「お前さん、どうしてISSキットなんぞに手を出した? しかもコピーをそこかしこに派手にばら撒いたりして」

 

 最低限の警戒はしたまま大悟が訊ねると、マゼンタの唇がどこかニヒルな笑みを形作った。

 

「本当はもう何人か『仲間』を増やしてから、『アナタ達』のプレイヤーホームも襲うつもりだったケド、やらなくて良かった。もうキットは使えないし、どの道返り討ちに遭うダケだったもの。どうせ心意技もお手の物なんでしょ?」

「自己防衛程度にはな」

「ジコボウエイ、ね。そうでなくても二人がかりでこのザマじゃあ……」

 

 大悟の返答に鼻を鳴らしてから、マゼンタは左手で自分の右手を持ち上げてから離す。ぼと、と右腕が床に落ちる鈍い音。

 

「片方の腕が使えなくなるだけで、アビリティまで使えなくなる。二つ揃わないと役に立たない。……つくづくイヤになるわ」

「そう自分を、自分のデュエルアバターを卑下するものじゃない」

「アナタに……『アナタ達』にワタシの行動理由を話したところで、理解なんかできやしないわよ。好き勝手に行動できるダケの力を持ったデュエルアバターで生まれたような連中にはね」

 

 声こそ荒げていないが、マゼンタの言葉には強い負の感情が込められているのが伝わってきた。その左手で動かない右腕の手首を、握り潰さんばかりの力で掴んでいる。

 

「どうせこう言いたいんでしょ? 時間をかけて努力して、成長して、そうやってバーストリンカーは強くなっていくものなんだって。ケド、そうしても埋められない差があるし、そもそものスタート地点からして、それができない境遇に置かれた人もいる。ワタシは別にいい。でもアボは……あのコは──」

 

 マゼンタはいかにも口惜しいといった様子で、それでもぽつぽつと、大悟に語って聞かせてくれた。

 この医療センターで入院や通院をしている、又は経験があるバーストリンカーらで結成した小規模レギオンに所属していたこと。自分以外の仲間達に、その見た目を理由にアボカドが一方的にいたぶられていたこと。その状況を解決し、曲がりなりにも力を与えてくれたのがISSキットであること等々。

 そして、デュエルアバター間の能力や外見による格差を是正、均質化することで、加速世界に『真の平等』をもたらす為にキットを広めようとしたこと。時には受け取りを拒否した者に無理やり植え付けてまで。

 

「──結局、キットはワタシの手に負えるモノじゃなかったケドね。それでも、それでもワタシは……」

 

 何かを言いたそうに、しかしうまく言語化できないといった様子で、マゼンタの声は尻すぼみになっていく。

 実のところ大悟は、マゼンタのある程度の素性については仲間から拠点場所と同時に聞いている。

 動機についても、数日前の《ISSキット本体破壊作戦》に参加していた一人である旧友から事前に聞いていた。作戦時に起きた詳細な内容については他言無用と口止めされているので、マゼンタにそのことを説明するわけにはいかないが。

 それでも所属レギオン内での事情などの知らない部分はあったし、何より本人自身の口から直接話を聞いておきたくて、大悟は敢えて対戦を仕掛けてまでマゼンタに訊ねた。結果としてこうして対面した限りでは、キットを私利私欲の為に扱っていたとは個人的には思わない。

 マゼンタの話を聞き終え、大悟は重々しく口を開いた。

 

「……少なくとも、俺はお前さんもアボカドも、弱かったとは思わない。ただ、俺がアボカドを倒してお前さんに接近した時。お前さん、必殺技の前に右手を上げかけただろ」

「…………」

 

 大悟の追及に、マゼンタは沈黙したまま、左手の尖った指先を胸の中心に当てた。

 マゼンタはあのとっさの状況下で、すでに失われたキットの力を無意識の内に使おうとしてしまったのだろう。

 闇のレーザー、《ダーク・ショット》で大悟を撃ち抜こうとしたのか。それとも闇の拳、《ダーク・ブロウ》でカウンターを取ろうとしたのか。

 

「あれでケチがついた。あれがなけりゃ、少なくともこの一合で勝負が決まることはなかったろうよ」

 

 あの動作がなければマゼンタの必殺技は発動され、大悟も最短最速の一直線で彼女の懐に入り込むことはできなかった。ブレイン・バーストに限った話ではなく、勝負事はその一瞬の差が勝敗を分けるのだ。

 

「生憎と俺にはお前さんの悩みの根本を解消してやることはできない」

「コッチだってしてもらいたくもないわよ」

「だろうな。が、少しばかりの助言くらいならできる」

「何をエラそうに……そんなコト、別に頼んでない」

「なに、ちょっとした老婆心だ。聞くだけならタダ。興味がないなら聞き流せ」

 

 こちらの物言いが癇に障ったようで、突っぱねた態度のマゼンタを大悟は軽くいなし、咳払いをしてから語りかける。

 

「まずは自分のアバターを受け入れてやれ。欠点を認めるなり、自分の中で折り合いをつけるなり、どういう形であれな」

 

 マゼンタが「それができれば苦労しない」と言わんばかりに睨んでくるが、大悟は構わずに続ける。

 

「結局、強くなるには自分の持っているものを総動員していくしかない。その研鑽と発展の先で新しい力が手に入る……こともある。キットみたいな付け焼き刃じゃないものがな。お前さんもアボカドも、経緯はどうあれ、まだバーストリンカーとして生き残っている。だったら、(ねた)(そね)みに囚われているよりも、前を向いた方がいくらか建設的だろうよ。あ、そうそう」

 

 もうすぐ対戦時間が終了し、このフィールドも消滅する。その前に言うだけ言っておこうと、大悟は更に付け加えた。

 

「もし手合わせがしたいなら、無制限フィールドのうちのホームに来な。相手は俺以外でもいい。カチコミする予定があったなら、居場所も活動時間も知ってんだろ。いつでも歓迎するぞ。それか普通に世田谷第三に来れば、俺か俺の《子》とも対戦できる。アボカドも一緒にでもいいぞ」

「どうして……ワザワザそんなコトを……?」

 

 主語のないマゼンタの問いが、「どうしてそんなことを自分がしなくてはならないのか」なのか、「どうしてそんな言葉を今日が初対面の自分にかけるのか」なのか、あるいは他の何かなのかも確認せず、大悟はあっけらかんとした調子で答えた。

 

「そりゃあ、世田谷エリア(じもと)で活動している奴らが、ましてやレベル6まで成長したのに、つまらないことで消えていくのは惜しいからな」

 

 

 

 エントランスの自動ドアを抜けて屋外に出ると、雲は多くても、夏に片足を突っ込んでいる強めの日差しがしっかりと地上を照らしていた。

 無制限中立フィールドへ向かう為のダイブスペースをどこにしようかと考えつつ、大悟は先程までの対戦相手達のことも同時に考える。

 あれからマゼンタは一切口を開くことなく、そのまま制限時間が過ぎて対戦は判定で大悟の勝利となった。

 キットを失った今、今後マゼンタがどういった行動に出るのかは分からない。尚も加速世界の均一化による平等を目指し、別の手段を模索するのか。諦めてブレイン・バースト自体を捨てるのか。それとも他の目標を掲げるのか。

 ──あれこれ言ったが、どこまで届いたのやら……。

 言葉とは誰に言われたのかも重要な事柄だ。初対面の相手と少し会話したところで、そうそう相手の心の奥深くまで響きはしないだろう。ましてや、実質一撃で自分を無力化した相手に「お前は強い」と言われたところで、嫌味としか取られなくても不思議はない。

 ──そう考えると、あいつはよくあんな出会い方で俺と話をする気になったもんだな。

 大悟の頭に、ブレイン・バーストにおける《子》として選んだ少年の姿が浮かぶ。

 少年は去年の春、公園のトイレで不良の集団からカツアゲされていた。

 そこに遭遇してその現場を録画しつつ、外見と仕草による虚仮脅しで不良達を追い払った大悟は、怯えながらも不良達の要求には応じなかった少年に、直感的にブレイン・バーストを受け取れる素質を感じ取ったのだ。コピー可能な条件云々ではなく、内に宿る秘められた闘志を。

 だが、大悟がそれを見出したところで、少年がコピーに応じなければ話が始まらない。かなり印象の悪いファーストコンタクトになってしまった大悟から、その場を適当にやり過ごして逃げることもできただろう。

 それでも少年は後日会う約束を承諾し、その時点では正体不明なプログラムのコピーインストールを受け入れてくれた。その時の本人の心境はどうあれ、大悟を信じてくれたのだ。

 ──まぁ、人間きっかけひとつでどうとでも転ぶもんだわな。

 少年を意識の端に移動させた大悟は一度足を止め、自分が出てきた病院を振り返る。

 マゼンタ達が自らを動かす『きっかけ』を自分で見つけるのか、それとも『きっかけ』の方から訪れるのか。そこはもう大悟のあずかり知らぬところである。

 不意に視線を感じ、大悟はその先にあるベージュ色をした病棟の方を向いた。ところが、入院室の窓からこちらを見下ろす顔は見つからない。

 しばらく振り返ったままでいた大悟はやがて前を向き、ダイブスペースをどこにするか決めるべく病院を後にした。

 



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第二十二話

 第二十二話 百薬の長、百毒の長

 

 

 一対一の対戦が基本であるブレイン・バーストも様々なゲームの例に漏れず、複数人で構成されるコミュニティが数多く存在している。

 基本操作を説明するマニュアルもチュートリアルも存在しない分、新たにブレイン・バーストを始めた新人(ニュービー)は、《親》を始めとした先輩バーストリンカーから教えを受けるのが自然な形になるからだ。

 特に四人以上の特別なクエストを達成して代表たる一人と、その他のメンバーとで構成されるレギオンは、システムから正式な集団として扱われ、週末には《領土戦争》によってエリアを獲得しようと集団戦を繰り広げている。その他にもエネミー狩りやダンジョン探索を専門分野とするなど、各々のレギオンはそれぞれのスタンスで日夜ブレイン・バーストをプレイしている。

 そんな中、無制限中立フィールドは世田谷エリアの片隅にある、一軒のプレイヤーホームに集まって活動する、レギオン登録をしていない一つのコミュニティがあった。

 名前は《アウトロー》。

 ゴウが半ばなし崩し的に、しかし確実に自分の意思で入ることを決めた、『加速世界を自由に楽しむ』ことを信条とする集団である。

 

 

 

「えー、思わぬ来客があったりなんだりでゴタゴタしたが……」

 

 ほぼ毎週土曜日の十五時がアウトローの定例集会となった経緯は、特に何があったわけでもなく、自然にそう決まっていったとゴウは聞いている。

 もちろんそれぞれの都合があるので、毎回必ずしも全員が出席するとは限らないが、基本的に集まりは良く、本日七月六日は新メンバーを含めた十人全員が集まっていた。

 集団名と同じ名前であるプレイヤーホーム、アウトローはコンビニほどの面積をした木造建築のワンルーム形態の平屋で、内装は備え付けられたバーカウンター、天井には部屋を照らす複数の白熱電球、まばらに設置されたソファーや椅子にテーブルと、どこか西部劇の酒場やイギリスのパブ小屋を思わせる。

 

「改めまして、この度アウトローに新メンバーとしてムーン・フォックスが加入。また、《クリスタル・ジャッジ》が再加入することになりました。はい拍手ー」

 

 僧兵姿のアバター、アイオライト・ボンズこと大悟の、形だけはやや畏まった紹介の後に、暖かな拍手がメンバー達の前に出た二人に贈られた。

 拍手を受けるのは、ムーン・フォックスこと宇美。

 そして、その《親》であるクリスタル・ジャッジこと岩戸晶音である。

 身に着けた法服タイプの装甲は無色のシースルー、頭に被った角柱型の帽子は曇り硝子状。それらで透けて見える華奢な体に着いた装甲も硝子のように透明という、職人の細工が光る芸術品を思わせるF型アバターだ。今は宇美と共に拍手を受け、照れくさそうに頭を下げている。

 拍手が収まると、「さて」と前置きをしながら大悟が手を止め、指を宙に走らせ始めた。

 

「せっかくだ。こいつで乾杯といこう」

 

 自身のストレージを操作した大悟の目の前に用意されたテーブルに、複数のアイテムが出現すると、「おおー!」とゴウも含めたメンバー達の歓声が上がる。

 現れたのは、栓がされた花瓶のような黒塗りの陶器。同じく陶製で同色の小さな容器が二つ。それと木製の長細い柄杓(ひしゃく)が一本。

 液体の入った(かめ)に、杯であるお猪口、そしてカメからお猪口に液体を注ぐ為の柄杓である。

 

「お酒……? ショップで買ったものですか?」

「容器はな。中身は富士山の中腹に湧く、加速世界の世でも珍しい酒の泉から汲んできたものだ。結構貴重なんだぞ」

 

 しげしげと酒カメを眺める晶音に、大悟が少し得意げに説明しながら栓を引き抜くと、独特な香りがほんのりと広がる。

 なんでもその昔、その場所を知り合いのバーストリンカーから聞き、家族旅行で静岡を訪れた際、物のついでにと無制限中立フィールドへダイブして汲んできたものらしい。

 

「お酒が湧く場所なんてあるんだブレイン・バースト……あっ、じゃあ容器をいっぱい用意して汲んだものを東京(こっち)で売ったりしたら儲かるんじゃないの?」

「聞けば、それをしようとした奴らは全損しかけるくらいにひどい目にあったんだと。何があったのかは、口にも出さないとかなんとか。おぉ、くわばらくわばら」

 

 だからこれに入る分だけしか持って帰らなかったんだ、と以前ゴウが質問した内容と全く同じことを訊ねる宇美に、一升分は入りそうな酒カメを大悟は持った柄杓で軽く叩いてみせる。

 

「何年か前から、年明け一回目の集会で出すようになってな。ただ杯は二つしかないんで……メディック、適当にコップ出してくれ」

「はいはーい」

 

 大悟に呼ばれたのは、薄く赤みの入った黄色のボディカラーに、縁がギザギザなヘルメットとボトムアーマーを装着した、まるで鶏卵を割って中から出てきたような姿のF型アバター、《エッグ・メディック》。

 このプレイヤーホームのマスターキーを所持し、暫定的な『管理人』を務める彼女がホームのストレージを操作すると、テーブルに色も形も違う様々なコップがテーブルに出現した。

 水と変わらない透明度をした液体が柄杓から注がれていき、コップが順々に配られていく。そして最後に宇美と晶音の前にはお猪口が置かれたところで、晶音がはっとして声を上げる。

 

「いやいやいや、待ってください! 我々全員未成年なのに、なにを平然と飲酒なんてしようとしているのですか!」

「言うと思ったよ。別に良いじゃねえか。お前さん、加速世界で過ごした年月足せばとっくにハタチ超えてんだろが」

 

 何を今更、と呆れた様子の大悟。ちなみにその理屈だと、ゴウは加速世界で過ごした累計時間を加算したところで、二十歳にはまるで足りていない。

 

「ジャッジ~、めでたい席に硬いこと言いっこなしだぜ、おい」

「ハードドリンクはショップでも売っている所じゃ売っているわけだしね。それに、日本の法律は加速世界で適用されないもの」

 

 メンバーの中でも特に大柄で、目元部分にバイザーゴーグルを装着した深緑色のM型アバター、コングの愛称を持つ《フォレスト・ゴリラ》と、四角いアイレンズを囲む黒縁が眼鏡のようになっている薄墨色のM型アバター、《インク・メモリー》が大悟に続く。

 

「ていうかさー、銃刀法違反だのー、殺人? 殺アバター? だのしまくりのブレイン・バーストで、法律も何もーあったもんじゃないよねー」

「そりゃあキューブおめえ、ゲームだかんな。まぁセロ指定もねえし、ワシも仮想世界で酒の一杯や二杯、気にするこたあねえと思うが」

 

 立方体の氷に頭部全体が覆われた青緑色のM型アバター、《アイス・キューブ》の言葉の端々が間延びした意見に、赤茶色のレンガのような質感をした装甲を纏う小柄なM型アバター、《クレイ・キルン》がぶっきらぼうな口調で返す中、晶音は考え込んでいるのか、むむと唸っていた。

 

「し、しかしですね……うう、これが同調圧力というものでしょうか……」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ。どこぞの雑な飲み会じゃあるまいし、どうしても嫌だって奴に無理に飲ませやしないわ、勿体ない。もうこの中、残り半分もないんだぞ」

 

 大悟が心外そうに鼻を鳴らしながら、酒カメを揺らしてみせた。

 それで特に空気が険悪になるわけでもなかったが、ワインレッドを基調としたバーテンダーのような姿のF型アバター、《ワイン・リキュール》がフォローを入れるように慌てて晶音に声をかける。

 

「ジャ、ジャッジさん、お正月にお屠蘇(とそ)を飲む感覚だと考えたらどうです? どうしても口に合わなかったら、他にソフトドリンクも沢山ありますし。ね、メディックさん」

「そうよぉ、リキュールちゃんてば良いこと言うわね。お屠蘇よ、お屠蘇。ジャッジちゃん、無理強いしちゃうのは駄目だけど、物は試しにと思って、ね? 口直しもいっぱいあるわよ、ほーら」

 

 リキュールに同意したメディックが、カウンターに他の飲み物の入った様々な容器を出現させていく。

 

「私は貰うけどね。こういうのちょっとワクワクするなぁ、盃で交わす兄弟の契りって感じがして」

「あのフォックスさん、アウトロー(ここ)は別にそういう任侠とか極道じゃないですよ……」

 

 清酒の入ったお猪口をひょいと摘まんだ宇美にゴウがツッコミを入れていると、乗り気な《子》を前にして腹を括ったのか、渋々といった様子で晶音もお猪口を持ち上げた。

 すると、手元のコップを持つ他のメンバー達の視線が晶音に注がれる。無言で音頭を取るように促しているのだ。

 それを察した晶音が咳払いをしてから口を開いた。

 

「では僭越ながら……この度は私、クリスタル・ジャッジとムーン・フォックスの為にこのような席を──いえ、堅苦しいのはよしましょう。気の利いた挨拶はできませんが皆さん、これからよろしくお願いします。乾杯!」

 

 乾杯!! と声を揃えて一斉に杯が掲げられ、ゴウも中身をぐいと呷った。

 ほのかな甘みと苦みが舌を撫で、じんわりと喉を通り胃の腑まで到達していく。この感覚がゴウは嫌いではない。むしろ好きだった。

 古来より鬼は酒好きと相場が決まっているが、鬼に似たアバターである自分もその例に含まれているのだろうか。

 

「んー……? 変な味……」

「…………」

 

 一方、宇美は期待したほどの味ではなかったのか首を傾げ、見るからに乾杯前よりテンションが下がっている。対して晶音の方は無言だが、特に機嫌が悪くなったようには見えない。

 

「飲み物だけじゃつまらないからな。大皿料理とまではいかないが……」

 

 大悟が再び指を宙に走らせると酒カメと柄杓が片付けられ、代わりに瓶や蓋付きの鉢、小皿が箸と共に実体化し、コングがテーブルに置かれた品々を興味深げに覗き込んだ。

 

「おっ、ボンズこれどうしたんだよ。どれどれ……塩辛? こっちは……タコワサか?」

「みたいなやつだ。あとは酢の物っぽい何か、つくだ煮モドキ、わさび漬けらしきもの。今朝《豊洲エリア》のショップで見つけてな。何が原材料かは知らんが、店頭でできた味見じゃどれも悪くなかったぞ」

「やぁねぇ、おつまみっぽいのばっかり。居酒屋じゃないんだから」

 

 今度は呆れ気味のメディックが甘いもの、塩気のあるものと様々な菓子類を出していく。

 無制限中立フィールドに点在するショップの通貨はバーストポイントなので、戦闘に全く関係ない嗜好品を買い漁れるのは、それだけポイントを蓄えたハイランカーの証の一つとも言える。

 それからは先週に全員が参加した戦いで、離れ離れになってしまった後にどう行動していたのかという報告会が、ちょっとした宴会の様相を呈した形で始まった。

 ゴウは用意されたハードとソフト両方のドリンクを交互に飲みながら、ちょくちょく食べ物をつまんでいく。

 他のメンバーが別れた後に遭遇した敵との戦いを聞き、同じように自分も話し、時々席を移動してテーブルに置かれたものを食べて飲んで。この時間がゴウは楽しく、何より嬉しかった。

 下手をすれば誰かが、あるいは全員がポイント全損する可能性もあった戦いを乗り越え、またこうしてホームに集まって笑い合えていることが。

 それに大悟やコングやメディックと、アウトローを共に創設した晶音がまたこの場所に戻ってきたこと。これは特に大きい。

 新人(ニュービー)時代からのライバルである宇美の《親》が晶音であったという繋がりから、一度は絶たれてしまった縁が戻ったことは、都合のいいことを承知で言わせてもらえるのならば、《子》同士の繋がりから《親》達の関係が修復されたという、ある種の奇跡のようなものさえゴウは感じてしまう。

 ──経典さん、あなたにもこの場所に居てほしかった……。

 アウトロー創設者の一人である、今は亡き大悟の弟であり晶音の《親》であった、カナリア・コンダクターこと如月経典。

 現実世界でも加速世界でも直接は対面したことのないゴウは、いかに無理な相談であっても、ここに彼もいたのなら完璧であっただろうと思わずにはいられず、しかしすぐに首を横に振った。

 ──いけない……湿っぽくなるのはよそう。こんなおめでたい席で暗くなるなんて、それこそ経典さんは喜ばな──。

 

「ふふ……あっはははははは!」

 

 突然の笑い声にゴウが意識を引き戻されると、晶音が口元を手で隠しながら大笑いしていた。仕草こそ上品で、楽しそうで何よりなのだが、少し様子がおかしい。

 ゴウと同じことを思ったらしく、宇美が近付いて晶音に声をかける。

 

「あの、ジャッジ? 大丈夫?」

「んー? もちろんですよ。万事問題ありません」

 

 そう言って首を傾げる晶音のアイレンズは分かり辛いが、焦点が定まっていない気がした。いよいよ他のメンバー達も何事かと注目し始める中、宇美が片手を晶音に突き出す。

 

「ジャッジ……これ何本に見える?」

「変な質問ですね、見れば分かるでしょう。えーと……六、いえ七本です」

 

 宇美が立てた指は四本。それにムーン・フォックスの指は人間同様に五本までしかないので、どう転んでも七本にはならない。

 

「……………………ひっく」

 

 皆の注目を一身に浴びながら、自分の発言に何の疑問も抱いていなさそうな晶音が盛大にしゃっくりをした。

 



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第二十三話

 第二十三話 酒乱Q

 

 

 一同の視線を気にも留めず、晶音は唐突に椅子から立ち上がり、ホームのドアへと歩き出した。その足取りは平時と変わらずしっかりとしている。

 

「待て待てジャッジ、お前さんどこ行く気だ」

 

 すぐに近付いた大悟が手を掴み、晶音を止めた。

 

「ちょっと風にぶつかるだけですよ。少しばかりで戻るます」

「いや日本語変だぞ。風にぶつかるってなんだ」

 

 外の風に当たってくるという意味だろうか。喋り方も普段と変わらず流暢なのに、言葉の端々がおかしい。

 

「もう、なんなんなんですか離してください。一人で万々歳ですから」

「大丈夫って言いたいのか知らんが、全然大丈夫じゃないぞお前さん。とりあえず座って水か何かを──」

「むぅー……やっ!」

 

 とうとう駄々っ子のように大悟の手を振り払い、晶音はドアを開けて外に飛び出してしまった。

 間髪入れず、扉の外から白い物体がホーム内に向かって突き出て、追いかけようとした大悟や他のメンバーの足を止める。

 これはクリスタル・ジャッジに付けられた二つ名でもある、《水晶鉱脈(クォーツ・ヴェイン)》アビリティによって生み出された石英だ。しかもこれは必殺技ゲージを消費して発生させたもので、ゲージを消費しないタイプと異なり一定時間で消えない上に、頑丈なオブジェクトとしてその場に残り続けるものである。

 

「あぁ! 今なら私、風になれる気がする! もはや誰一人にも止まりません!」

 

 そんなことを口走り、遠ざかる晶音の声と足音。

 

「ジ、ジャ……ジャ──────ッジ!!」

 

 数秒間沈黙から我に返った、宇美の叫びがアウトローに響き渡った。

 

「酔ってる! どこをどう見ても酔ってるでしょあれ! あんなになるまで飲んでたっけ!?」

「さ、最初の一杯以外で、アルコール類は飲んでなかったと思いますけど……!」

 

 取り乱す宇美によって、両肩をがくがくと揺さぶられながらゴウは答える。

 

「お猪口一杯でー? そんな漫画じゃーあるまいしー」

「つうかよぉ、あれはそんな強い酒じゃないぜ」

「そこは個人差だろ。そんだけ耐性がなかったってこった」

「あのう……もしかしたらジャッジさん、『場酔い』したんじゃないかと」

 

 キューブとコング、キルンが話していると、リキュールが手を挙げた。アバターのカラーネームにも固有ネームにも酒に関する単語が入った彼女は、酒に一家言あるのだろうか。

 

「人が酩酊……つまり酔っぱらってしまう場合、必ずしも摂取したアルコール量と比例するとは限りません。あまり食べ物を胃に入れていない状態で飲んだ場合の他に、周りの雰囲気でテンションが上がったりして、酔いが一気に回る場合があります。もちろん本人の体質にもよりますけど」

「なるほど。酒が原因であることに変わりはないけど、状況次第で酩酊具合は変化すると。いくら弱いにしても、ああも変わるのはさすがに不自然だし、その説が正しいとしたら納得がいくね」

 

 リキュールの説明にメモリーが補足を加えていくと、大悟が額を手で抑えた。

 

「デュエルアバターじゃ、顔に赤みも差さないからな。いや、そのあたりも人にもよるのか。何にせよしくじった。まさかあんなエキセントリックな大虎になるとは……」

「ちょっとちょっと! 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! ジャッジちゃん追いかけなきゃ! いくらなんでも、あんな状態で一人にしてフィールドぶらつかせるわけにはいかないわよ!」

 

 メディックの一喝に、ゴウも他のメンバーもはっとする。その通りだ。理由の議論より優先すべきものがある。

 いかにベテランのバーストリンカーとはいえ、エネミーが徘徊する無制限中立フィールドで、正常な状態ではない今の晶音を歩き回らせるのはあまりに危険だ。

 ただし、追いかけるにしても一つ問題があった。

 このホームの窓は小型アバターでも通れない小さなものなので、唯一の出入り口が扉なのだが、そこが晶音の出した硬い石英で塞がれてしまっている。

「ふん! ……くっそ、砕けるけど硬えな」

 

 石英の壁をコングが何度か殴りつけ、一度に握り拳程度の破片がいくつも散らばるも、中々一気には砕けない。

 威力の高い必殺技はその分必殺技ゲージの消費が激しく、第一に今そこまでゲージが溜まっているメンバーはいなかった。

 時間をかけずに石英を破壊する手段は一つしかない。

 

「……《黒金剛(カーボナード)》」

 

 ゴウは意識を集中させ、静かにそう呟いた。すると、体から白く輝く光が発生し始める。それだけでなく、全身のダイヤモンド装甲がより厚みを増した漆黒に染まり、形も原石に近い粗さが残るものから、カット処理を施された流線型のフォルムへと変化した。

 

「全員下がってください。一気に壊します!」

 

 メンバー達を下がらせ、黒い姿となったゴウが石英へ拳を打ち据えると、石英に大きな亀裂が走る。そのままブルドーザーと削岩機を合体させたような勢いで、殴る蹴るを続けて石英を砕き散らしていき、あっという間に塞がれていた扉が開通した。

 レベル8のコングさえ手間取る石英の破壊を、レベル6のゴウが短時間で行えた理由。それは自らの強いイメージによって、ブレイン・バースト内の法則を《事象の上書き(オーバーライド)》する力、心意システムを発動させたからに他ならない。

 心意システムによって発動した心意技は、必殺技やアビリティなど程度の差はあれ、システムの規定したものを上書きしてしまう。今回の場合は、ゴウに攻撃された晶音の石英が、攻撃に含まれた心意の干渉によって形を維持できずに破壊されたのだ。

 その力はゲームバランスを崩壊するにあまりあり、基本的に秘匿とされている技術である。

 その為アウトロー内でも、万が一心意技を使う相手に遭遇した際の自衛手段以外での使用は半ば禁じられているのだが、緊急事態である今回は心意技を発動させたゴウを責める者は誰一人いなかった。

 心意技を解いて元の姿に戻ったゴウを先頭に、扉から続々と外に出るアウトローの面々がホームの全方位に目を凝らしてジャッジを探す。

 現在のフィールドは《工場》ステージ。周囲はかつての高度経済成長期以上の工業地帯に変わっていた。

 所々が錆びた鉄板の外装に、無秩序に張り巡らされたパイプや太いチューブは、繋ぎ目から時折蒸気が噴き出し、遥か遠くの工場群から突き出た何本もの煙突からは、鍛冶作業時のキルンの窯から発生する煙とは比べ物にならない規模で、薄暗い空に向けて黒煙を吐き出している。

 また、それら建物の内外問わず歯車やコンベア、ピストン等が休みなく稼働し続けており、それら機械群から成るオブジェクトは素手で破壊しようすると、防御力の高いアバターでなければ逆にダメージを受ける場合もある。これが今回、皆が必殺技ゲージをほとんど溜めていない理由の一つでもあった。

 そんなスチームパンクなフィールドに、ジャッジが飛び出してからまだ二分も経っていないというのに、もうその姿は見当たらない。

 

「──捉えた」

 

 その一言に全員が振り返ると、最後にホームから出てきた大悟の額から、眩い枯れ草色の光が発生している。その光こそ、先程のゴウから発せられていた白い光と同質の、心意技を発動している証明となる《過剰光(オーバーレイ)》である。

 

「ここから西に向かって約七百メートル先……千鳥足だが、ほぼ一直線に走っているな」

「分かった、西ね。《シェイプ・チェンジ》」

 

《天眼》アビリティをより強化した形になる大悟の心意技、《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》の広範囲探知により得た情報を聞くが早いか、宇美がビースト・モードに変形する。

 

「とりあえず先行くね。皆は後から追いかけてきて」

「あっ、ちょっと待ってフォックスちゃん。《キュアー・カプセル》」

 

 宇美を呼び止めたメディックの手に、サイズもフォルムも鶏卵に似た楕円形のカプセルが出現する。このカプセルは、割れてから発生する光に触れた対象のステータス異常を回復させる、メディックの持つ必殺技だ。

 

「ゲージが足りないから、一個しか用意できなくてごめんね。普通の状態異常じゃないから効くかは微妙だけど、ジャッジちゃんに追いついたらぶつけてみて。上手くいけば酔いが覚めるかもしれない」

「ありがと。じゃあ……持てないから口に入れて。んあー」

 

 割らないようにね、とメディックに言われながら、宇美は大きく開けた口の中にカプセルを詰められると、急いで晶音が進んでいるという西の方角へ走っていった。

 すぐに見えなくなってしまった宇美の後に続くように、残りのメンバーと共に晶音を追いかけ始めたゴウは、隣を走る心意技を解除した大悟に一つ疑問を訊ねる。

 

「ところで僕、ジャッジさんってそんなに身体能力の高いタイプじゃないと思っていたんですけど、この短時間で何百メートルも先に移動できるくらい動けるアバターだったんですか?」

「うん、ジャッジは確かにデュエルアバターとしては非力で脆いが、それでも人並みの敏捷性は持っている。しかも今はハイになっているから、疲れも警戒心も忘れて突っ走っているんだろうな。あの分だと向かう方角にも理由なんてなくて、適当に決めただけだぞ、多分」

 

 頭は碌に回っていないのに、体は正常に動いているということか。へべれけになってその場で動けなくなられるより、ある意味で遥かに(たち)が悪い。

 

「でもまぁ、今は外を走り回っているだけみたいだし、どこかの建物に入り込んでロボエネミーにちょっかい出されるよりはよっぽどマシな──」

「ねえ、ボンズ」

 

 一応は晶音の所在を確認し、宇美が追いかけている現状からか、特に慌てている様子もない大悟に、メモリーが声をかけてきた。何故かやや強張った調子で。

 

「どうしたメモリー」

「ジャッジはこのまま真っすぐに進んでいるんだよね? この先ってさ……」

「この先? そりゃ目黒方面に向かって──そうか、その前に《等々力渓谷》にぶつかるな……あぁーあ……」

 

 大悟はメモリーの問いに、何かを思い出したかのようにはっとして、すぐに呻き出した。

 

「よりによってこのステージで……面倒なのがいる方角に向かいやがったなぁ」

「師匠?」

「オーガー、それに他の皆も。少しペースアップだ。さすがに今日は予定外だったが……まぁ、やることはいつもと同じだ」

 

 大悟のその発言から、ゴウはこの先で何らかの戦闘が発生することを理解し、足を動かすペースを早めた。

 

 

 

 一人先行して晶音を追いかけていた宇美は、すでに大悟達の間で話題に出た東京二十三区で唯一の渓谷とされる場所、等々力渓谷まで到達していた。

 現実世界では湧き水が流れ、木々の生い茂る『都会の中にある自然のオアシス』であるスポットなのだが、この《工場》ステージでは土の質が良くないのか、黒い枯れ木が立ち並び、流れる川は濁っている上に川底は不法投棄でもされたかのように、ガラクタでびっしりと埋め尽くされている。言うまでもなく景観はよろしくない。

 元々ほとんどチャージされていなかった必殺技ゲージが底を尽き、宇美はすでにノーマル・モードへと戻っていた。右手にはメディックから渡されたカプセルを握っている。

 未だ姿が見えない晶音がこの場所に来ていることは、宇美には分かっていた。

 何故ならビースト・モードで走っていた途中から、道のあちこちに石英が点在していたからだ。それらはホームの入り口を塞いでいたものとは異なり、必殺技ゲージを消費しないで発生させられる代わりに質は劣り、一定時間経てば消えてしまうタイプである。

 石英は大きさも形状もまるで統一性がなかったことから、おそらく晶音は何も考えずに適当に発生させているのだろう。

 ──来た道にパンくず撒く童話じゃないんだから……しかもその内消えるし。

 点々と続く晶音への目印を辿り続けた末、ようやく宇美は晶音を見つけた。

 

「ジャッジ!」

 

 宇美の声に晶音は振り返り、水路に架けられた金属板の橋の上で立ち止まった。その手には先端に磨き上げられた拳大の水晶がはめ込まれた、杖型強化外装《クリスタル・ルーラー》が握られ──ぶらぶらと腕を揺らしている。

 

「おや、フォックス。奇遇ですね、貴女も散歩ですか?」

「いや、奇遇でもないし散歩って……ほら、ホームに戻るよ。いい加減酔いも覚めたでしょ」

「そうですね。あともう少ししたら一捻りですよ」

「うん、まだ酔っぱらってるね」

 

 訳の分からないことを抜かす《親》に、空いている左手で頭を抱える宇美。未だにまともな精神状態ではないようだが、それでもこちらをリアルネームで呼ばないあたり、最低限の理性や分別は残っているのだろうか。

 

「ところで……その手に持っているものは何ですか?」

「え? あ、これ?」

 

 宇美の右手に握られたカプセルに気付き、不思議そうに晶音が指を差したところで、宇美の頭に名案が浮かんだ。

 

「……じゃあ渡すからキャッチしてね。OK?」

「あら、キャッチボールですか? ふふ、昔を思い出しますね。よく二人で甲子園を目指そうと野球に明け暮れたものです。覚えているでしょう?」

「うんうんそうだね」

 

 その場で杖をぽいと捨てて両手で構えを取る晶音が、いよいよ記憶の捏造まで始めてしまっていることにはスルーする。

 これ以上近付くと、どんなアクションをしてくるのかまるで予想が付かないので、いっそのこと晶音本人から受け入れる状態を作ることにしたのだ。結果、晶音はあっさり乗ってくれた。

 晶音までの距離は直線でおよそ八メートル。この距離なら外さないし、どこに当たってもカプセルは割れてくれるだろう。

 

「よーし、じゃあいくよー……シッ!」

 

 穏やかな声から一転、晶音めがけて状態異常を治すという卵型カプセルを、宇美は勢いよく投げた。

 カプセルの軽さ故に軌道がやや上向きになってしまった、しかしキレのあるストレートボールは、晶音に直撃──する寸前に腰を落として上体を反らす晶音に避けられ、その延長線上にあった木にぶつかって砕け散った。割れた卵はキラキラとしたエフェクトを発生させた後、残骸の殻も光の欠片になって消滅する。

 

「……ふっ、あっはははは! ストライクでバッターアウトです!」

 

 リンボーダンスで棒をくぐるような体勢のキープしたまま、してやったりとばかりに大笑いする晶音。

 ──ここに来てなに茶目っ気出してくれてんだよ。もうぶん殴っちゃおうかな……。

 絶句する宇美は、いっそのこと一度死亡させるべきかと考え始める。そうなれば復活後にはまず正気に戻っているだろう。

 そんな宇美の胸中など知るわけもなく、晶音が上半身を反らしたままの背筋で体を起こせずに、よたよたと二の足を踏んでいる中で事件は起きた。

 

「ととっ……あらっ?」

「あっ」

 

 晶音に遅れて宇美も声を出す。自ら手放して足元に落ちていた杖を晶音が踏ん付けたのだ。

 

 チャプン。

 

 まずは踏まれた拍子に転がった杖が川に落ちた。

 

 ドボォン! 

 

 それから少し遅れて、杖を踏んだ拍子に足を滑らせてバランスを崩した晶音が、手すりもない金属板の橋から川に落ちていった。水面まで人ひとり分程度しかない高さでも、派手な着水音が響く。

 

「ジャッジ!?」

 

 慌てて宇美が橋に駆け寄ると、頭から落ちた晶音は川底の泥とガラクタに上半身が埋まり、水面から突き出した両脚をばたつかせてもがいていた。

 

「ジャーッジ! 何かもう今日の私、叫んでばっかなんだけど!!」

 

 宇美は我慢できずに怒鳴り散らしてから深呼吸で自分を落ち着かせ、仕方なく晶音を引き上げてやろうとした、その時。

 水面が揺れた。晶音が水飛沫を飛ばしている場所だけではない。宇美の視界に入る川の一帯全てが震えている。

 

「な、なに……?」

 

 突然の事態に宇美が身構えた次の瞬間、疑問に答えるように震動の正体が川底から姿を現した。

 



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第二十四話

 第二十四話 心からの安息

 

 

 等々力渓谷が見えてきた直後、前方から発生した騒々しい音がゴウの耳に届いた。どうやら大悟やメモリーが懸念した通りの事態になったらしい。

 

「まずは状況確認して行動はそれから。全員、気ぃ引き締めていくぞ」

 

「はい!」「うーす」「よっしゃー」と大悟の指示にそれぞれが返事をして、一行は枯れ木だらけの雑木林に立ち入っていく。

 渓谷と言っても全長一キロ程度の細道は、葉のない木々では視界は思ったよりも悪くはなく、異常事態の原因は川沿いの岸に着いてすぐに見つかった。

 

「うわ、何だアレ……」

 

 一言で表すのは難しい。一定の形を取っていない、蠢く物体がそこにあった。

 歯車や鉄パイプ、鉄板、バネ、ネジ類といった、一部ないしは全体が錆びている、大小様々の金属オブジェクトで構成されたガラクタの集合体。より近付くと、それらに川底の泥がへばりついているのが分かる。

 大量の金属パーツが寄り集まってできた物体の大きさは、と言うよりも規模は、なんと渓谷を流れる川の一角に何十メートルも広がっていた。

 その一部が、川から岸に向かって氾濫したかのように溢れ返っており、中心には不自然に六メートルほど隆起した部分と、それを身構えながら見上げている宇美の姿があった。

 

「フォックスさーん!」

 

 ゴウの呼びかけに宇美はすぐに反応し、急いで一行に合流してきた。

 

「大変なの! ジャッジが川に落ちて、引き上げようと思ったらアレが出てきて、ジャッジ吞み込んじゃって……」

「呑み込まれた? どれ…………うん、確かにあの中だ。ガラクタと一緒に取り込まれたな」

 

 あたふたとした宇美の説明に、《天眼》を発動させた大悟が金属塊の隆起した方を向く。わずかながら透視も可能なアビリティによって、内部に晶音がいることを看破したらしい。

 

「ねえ、何なのこのエネミー。そもそもエネミーで合ってるよね? 体力も表示されてるし」

「そうだ。こいつは《ジャンクネクター》。《工場》ステージ限定で出現するエネミーで──来るぞ!」

 

 大悟が金属塊の正体を宇美へ解説する最中、ガシャガシャと音を立てて川から這い上がってきた金属塊改めジャンクネクターが、ガラクタの体によって形成された何本もの触手(としか形容できないもの)を叩き付けてきた。

 仲間達と同様に、こちらめがけて迫る触手を避ける中、ゴウはこんなエネミーもいるのかと、先程受けた説明を頭の中で反復する。

 ジャンクネクターは《工場》ステージにのみ出現し、しかも個体数の少ない珍しいエネミーで、本来は直径二メートルほどした金属質の球体に何本もの肢が生えた姿という、小獣(レッサー)級程度の大きさらしいのだが、周囲の物体を引き寄せて操ることで、今のように不定形で膨大な質量の形態になるのだという。

 仮にも全長数十メートルという、神獣(レジェンド)級エネミーと同等かそれ以上の大きさになってもそうは呼ばれないのは、神話などから引用された固有名を持たないからである。

 また巨獣(ビースト)級以下のエネミーの名称というのは、先人のバーストリンカー達が呼び始めた通称が浸透していったものなので、ジャンクネクターという名も便宜的に付けられた呼称に過ぎない。

 それでいて体力ゲージは、一般的な野獣(ワイルド)級に多く見られる二段分なので、その存在を知るバーストリンカー達の間ではどの等級に当てはめるか、発見から何年も経つのに見解が分かれ、未だ議論されているエネミーらしい。

 

「とにかくジャッジを回収するぞ。末端だったらそこを切り離せば話は早かったが、視たところ本体周囲のガラクタに埋もれているみたいだから、その周りのガラクタを引っぺがして、露出したところを引き摺り出すしかない」

 

 更なる追撃を繰り出してくるエネミーの攻撃を避けながら、エネミー狩りにおいて司令塔の役割をすることの多い大悟が、メンバー達に指示を飛ばしていく。

 

「メディックとリキュールは、本体部分から少し離れた所に攻撃して牽制と援護を頼む。残りの全員で本体が纏っているガラクタの鎧を壊していくぞ」

 

 先程から丸く隆起したままの部分に向かって、大悟が指を差す。

 

「あちこちから攻めていけば、誰を狙うか迷っていくらか翻弄できるだろうが、それでも反撃には注意して臨機応変に対応をするように。片が付いたら一人ずつジャッジにデコピンしようぜ。それじゃあ始め!」

 

 大悟の冗談とも本気ともつかない台詞の後、全員が一斉に動き出した。

 メディックとリキュールは雑木林の傾斜部分まで移動し、残りのメンバーで取り囲むようにジャンクネクターの本体に向かっていく。

 ゴウも遅れを取らないように、陸場にどんどん広がっていくガラクタへと足を踏み入れた。

 

「わ、歩きづら……」

 

 やはり流動するガラクタの積み重なった足場はひどく不安定で、とても全速力で走ることなどできない。

 足首までガラクタに埋まったゴウは、右脚を引き抜きがてら蹴りを放つと、足の周りにあったジャンクパーツ群が散らばった。その中の一部がガラクタの海から離れた林まで吹き飛び、そのまま木々にぶつかって砕けた金属オブジェクトは光の欠片になって散っていく。

 ところが、ガラクタの空白地帯はあっという間に埋まってしまい、四本の触手がゴウの前後左右に形成された。

 

「うわっ! もしかして怒った!?」

 

 ゴウはガラクタの地面を転げながら、襲い来る触手から逃れた。ガラクタの中には尖った部品もあるので、転げた拍子に小さな痛みと共に、微量ながら体力も削られる。

 起き上がって周りを見ると、仲間達も邪魔なガラクタを蹴散らそうとして、ジャンクネクターからの反撃を受けては足止めを食らうという、今のゴウと似たり寄ったりの状況だった。

 その時、爆発音と銃撃音が響き、ゴウ達より少し離れた場所でガラクタの一角が弾ける。メディックの攻撃手段である手榴弾と、リキュールのライフル型強化外装による攻撃だ。

 すると、すぐにその周囲で寄り合わさってできたガラクタの塊が、距離を取って攻撃するメディックとリキュールの元へと飛んでいく。

 反撃を受けた二人は攻撃の手を止めざるを得なかったが、距離もあった分、危なげなく回避してみせていた。

 これら一部始終をゴウは敵の攻撃に気を付けつつも観察して、一つ思うことがあった。

 ──このエネミー、見た目の割にそこまで強くないんじゃないか? 

 間違いなく非常に厄介な相手ではある。アウトロー総出でかかっているのに、未だジャンクネクターの体力ゲージは無傷であった。

 当前だ、金属オブジェクトはエネミーが操作していても、エネミー本来の体の一部ではないのだから。いくら壊そうが吹き飛ばそうがダメージになるわけがない。強化外装のみが損傷しても、その使用者は傷付かないのと同じことだ。

 それでもその操っている部分に危害を及ぼす動きをこちらがすれば、しっかりと反撃してくるあたり、いかなる感覚器官を持っているのかは不明だが、ジャンクネクターは操作部分の損失やこちらの位置の把握ができているらしい。

 それでも繰り出される攻撃は何と言うのか、非常に大雑把だ。

 先程もゴウを囲む形で四方向から攻撃してきたというのに、その全てが掠りもしなかった。しかも足場が悪くて、機動性が常よりも下がっている状態にもかかわらず。

 その上、散開しているゴウ達に対して、全体攻撃を仕掛けてはこない。本体に近付こうとして、操っているガラクタをこちらが踏んでいるのだから、足元から一斉にガラクタを杭状にして貫くなどの動作もできそうなものなのに、そういったことはしてこない。

 これらのことからゴウは、どうもジャンクネクターは自らが操れる膨大な質量に対して、自身の感覚が追い付いていない、又は釣り合っていない印象を受けた。

 ──もしかして、AIの知能レベルはそこまで高くはないのかな。

 そうは考えていても、ゴウは油断まではしていなかった。

 推測はあくまで現状での判断に過ぎず、体力が一定値まで削られたら凶暴化して攻撃パターンが変化するエネミーなど、今までだって山ほど見てきた。そうでなくとも、あのガラクタでできた触手の攻撃をまともに食らえば、大ダメージになりかねない。

 大悟曰く、ジャンクネクター本体の近くにいるという晶音には未だ動きはない。ガラクタに圧迫されて動けないでいるのだろうか。

 状況にもよるが、ブレイン・バースト内で一度や二度死亡したところで、基本的に大きな痛手にはならない。

 だが、今日は晶音がアウトローへ正式に戻ってきた日だ。以前共に活動していた大悟、コング、メディック、それに晶音自身にとっては、ゴウも含めた他のメンバー以上にこの時を待ちわびていたことだろう。そんな日にケチを付けるような事態は、避けたいのが人情である。

 やはり一刻も早く助けなければ。しかし、このエネミーを倒すのは骨が折れる──と、思考が堂々巡りになりかけたところでゴウはあることに気付き、ふと呟いた。

 

「あ、そうか。別に倒さなくてもいいのか」

 

 今回はジャンクネクターから晶音を引き離しさえすれば良いのであって、必ずしもジャンクネクターを倒す必要はない。振り返れば、仲間達は誰も倒すとも狩るとも言っていなかったではないか。

 であれば。それだけならば。自分にはこの事態を早期解決できるアビリティを持っている。

 そうと決まればと、ゴウは足元に広がるガラクタ──その中でも一際大きな歯車のオブジェクトに拳を打ち据えた。ゴウの拳を受けた半ば錆びている歯車はあっさりとひしゃげ、ポリゴン片になって消滅する。

 同時にオブジェクトを破壊したことで、必殺技ゲージがぐっと上昇した。

 まずは必殺技ゲージが必要。幸い周囲はオブジェクトだらけで、ゲージのチャージにはお誂え向きの状況だ。

 以降ゴウはジャンクネクターの攻撃を躱しつつ、とにかく目に付いたオブジェクトを破壊してゲージのチャージに勤しんだ。

 本体には届いてない仮の体であっても、この行動はジャンクネクターから向けられるヘイト値を上げたらしく、結果的にはゴウが重点的に標的にされることにより、他のメンバーがより本体に近付く手助けをする形にもなっていた。

 それから一分も経つと、ゴウの必殺技ゲージがフルチャージ状態となる。いよいよ行動の時だ。

 アビリティは必殺技と異なり、コマンドとして声に出す必要がないので、ゴウはただ念じて発動する。途端に体の中心に熱を感じ、その熱が体中を駆け巡った。

 見た目は何も変化していない。ここが通常対戦フィールドであれば、ゴウの必殺技ゲージが減少を始めたことで、何らかのアクションが発生したことを理解できただろうが、この無制限中立フィールドでは、仲間達さえも何をしたか気付けてはいまい。

 そう言えばこのアビリティについては、今日話す前に今回の事態が発生してしまったので、アウトローメンバーの誰もまだ知らないはずだ。

 ならばここで見せるのは丁度良い機会だったのかもしれないと、正面から迫るガラクタの触手を見据えながらゴウはそう思いつつ──。

 

「はあっ!」

 

 自分よりもずっと大きなガラクタの触手を正面から殴りつけた。

 

 ッパガァン! 

 

 競り負けたのはジャンクネクターの方で、ゴウの拳の接触面とその周囲が音を立てて弾け飛ぶ。一体何事かと、皆も音のした方を振り向いた。

 これこそが先週の戦いにおいて発現したゴウのアビリティ、《限界突破(エクシーズ・リミット)》によるものであった。

 その効果は、発動時に溜まっていた必殺技ゲージを全て消費するまでの間、《剛力》アビリティにより元から備わっていた膂力が更に上がるというもの。

 その上昇率は尋常ではなく、身の丈を超えるオブジェクトを投擲し、離れた相手にぶつけて押し潰すことさえも可能になる。

 ただし強力な分しっかりと欠点も存在し、発動したら必殺技ゲージが空になるまで発動停止ができず、必殺技も使用不可。そして発動終了後は、発動していた時間の分だけ再発動が不可能になる。

 しかもその間は何をしてもゲージは溜まらず、常時発動している《剛力》アビリティさえも働かなくなるので、戦闘力は著しく低下してしまうのだ。

 発動時間が延びる分だけ後のリスクも大きくなるという、そんなある種ドーピングめいたアビリティを発動したゴウは前進を開始する。

 腕の力と同様に脚の力も強化されたことで、ガラクタの海を先程よりも速度を増して進み、妨害する触手群を蹴散らし、まるで流氷浮かぶ北海を進む砕氷船のような勢いでジャンクネクター本体との距離を詰めていった。

 そして本体のいる隆起した金属塊の根元に辿り着くと、おもむろにガラクタの中へ両腕を突っ込んだ。まさぐっていくと、すぐに通常のオブジェクトとは異なる感触をしたうねる物体が手に当たり、それを両手でがっちりと掴む。

 

「んぎぎぎぎぎぎ……」

 

 ガラクタの外に引っ張り出そうとすると、掴んだ物体は案の定暴れ始めた。

 ゴウは歯を食いしばり、それを無理やり引き寄せる。やがて人の腕よりも少し太い金属製のチューブのような物体が、ガラクタの中から顔を出した。

 続けて金属チューブを手に取ったままゴウは大きく息を吸い込んだ。そして──。

 

「せええええやああああっ!!」

 

 金属チューブを肩に掛け、一本背負いの要領で金属チューブの根幹──ジャンクネクター本体をガラクタの中から引き摺り出した。そのままガラクタが広がる地面へと叩き付ける。

 

「うおおおぅ!?」

「何とまぁ……」

「オーガー、すっげー!」

 

 驚愕、唖然、称賛と、周りの仲間達がゴウの行動に各々の感想を口にする中、とうとうジャンクネクターの全貌が明らかになった。

 話に聞いていた通りの球体である胴体部分は、何もないつるりとした金属質で表面は銀色。その一ヵ所から体と比較するとかなり細い金属チューブの肢が、ゴウが掴んだもの以外にも何本も伸びている。その姿は例えるなら、傘をすぼめた状態のクラゲをモチーフにしたロボットといったところか。

 そんなジャンクネクターを引き摺り出しても、隆起したガラクタの塊は崩れることなく形を保持し続けていた。

 よく見るとエネミーの肢の何本かは、先端部分が未だにガラクタの中に埋もれている。どうも体の一部でもオブジェクト群に触れている限りは、本体が露出しても制御下に置けるらしい。

 そんなジャンクネクターは自らの体で一番大きな部位である、胴体部分を隠そうとするかのようにガラクタを体に纏わせながら、肢をばたつかせてゴウから逃れようとしていた。その様子は必死そのもので、自分の身の安全を確保しないことには、反撃するどころではないのか。だとすると、性質はかなり臆病だ。

 

「今の内にジャッジさんを……」

 

 ゴウが振り返ると、すでに大悟と宇美が救助に動いていた。そして、ガラクタの中から二人に引っ張り上げられ、ぐったりとした様子の晶音が姿を現す。

 

「ジャッジは回収した! 全員撤退、渓谷から離脱だ!」

 

 晶音を肩に担ぐ大悟の指示に、アビリティの持続時間が残りわずかなゴウもジャンクネクターの肢を手放し、その場から逃走を開始するのだった。

 

 

 

 等々力渓谷での戦闘より数十分後。

 

「じゃあ、後はよろしくな」

「うん任せて。オーガーもありがとね」

「いえそんな、どういたしまして」

 

《二子玉川駅》のポータルの前でゴウは大悟と共に手を振り、宇美のログアウトを見送った。

 

「よし、戻るか」

「はい」

 

 ゴウと大悟はホームに向かって歩き出す。

 

「ジャッジさん、大丈夫ですかね?」

「フォックスと同じ場所からダイブしたらしいから、後は任せておけば問題ないだろ。ログアウトすれば勝手に覚醒するだろうし」

 

 あれから等々力渓谷を脱出したゴウ達は、ジャンクネクターが追跡してこない縄張り圏外まで移動して、ようやく晶音の容態を確認した。

 晶音の全身は、大量のガラクタに埋もれていたことで細かい傷だらけだった。問題はその程度では致命傷にはならないはずなのに意識を失っていたことで、そこを皆で心配していたのだが、結局は杞憂であった。

 

「全員で一回ずつデコピンしたのに、ちぃっとも起きないでやんの。信じられるか?」

「あ、あはは……」

 

 呆れ返る大悟に、ゴウも返す言葉がなく笑うことしかできない。

 助けた晶音はぐっすりと眠りこけていた。それはもう、海よりも深い熟睡ぶりだった。

 宇美の話では、晶音は頭から川に落ちてすぐにジャンクネクターにガラクタと一緒に取り込まれたらしいので、その際にガラクタにぶつけた所の当たり所が悪かったのかもしれない。

 それにしてもその後に、いくら呼びかけようが揺さぶろうが何をしようが寝息を立てるばかりだったのは、豪胆を通り越して鈍すぎではなかろうかと心配になるところだ。

 話し合いの結果、宇美が今日のところは晶音を連れて帰ると申し出たので、ゴウと大悟がその護衛役にポータルまで付き添い、残りのメンバーは先にホームへ戻るという運びになったのである。

 ちなみに爆睡状態の晶音は、大悟によって肩に担がれた状態でポータルまで運ばれ、そのままポータルに向かって放り投げられてログアウトしていった。

 

「……ところで、あんなエネミーもいるんですね。もしもあのまま倒したとしたら、何かレアアイテムがドロップとかするんですか?」

「いや何も」

「そうですか何も……へ?」

 

 ゴウが始めて目にしたエネミー、ジャンクネクターについて質問すると、返ってきた大悟の答えはあっさりとした一言だった。

 

「何もって、あんなに倒すのが大変なのにですか?」

「そうだ。確かにポイントは手に入るが、あの人数で倒すと一人頭で三から四ポイントが精々だろうな。俺が知る限り、ジャンクネクターを倒して何かレアアイテムをゲットしたなんて話は一度も聞いたことがない。渓谷に向かっている途中で言っただろ? 『面倒なのがいる』って」

「確かにそう言ってましたけど……」

 

 ひどく厄介な相手ではあったが、攻撃精度の低さなどの諸々の点から、倒す光明が全く見えないわけでもなかったことを考えると、妥当だと言われてしまえば反論は難しい……気はする。

 去年初めて無制限中立フィールドで遭遇した小獣(レッサー)級エネミーを倒した際に、やっとの思いで倒して戦果リザルトを見た瞬間の、あの理不尽具合がゴウの脳裏に甦った。

 

「だからジャンクネクターを知る奴は、積極的に倒そうとしない。倒す手間に対して、成果が釣り合わなくてやってられないからだ。扱いとしては、フィールドに点在する厄介なトラップの一種に近い。それに縄張りにバーストリンカーが入ったからって、いきなり攻撃してくるわけでもないしな」

「え? いや、でも今回はジャッジさんとフォックスさんを襲ったじゃないですか」

「そりゃ、あの二人が縄張りでギャアギャア騒いでいたからだろ多分。まぁ、縄張りに入ったエネミーがこっちを攻撃してくるのも、それをこっちが迎え撃つのも当然だが、エネミーにしては穏やかな気性で、倒す利益がほぼないとくれば、わざわざ躍起になって倒す必要もない」

 

 状況にもよるし、そんなのはエネミー全体で一握りだけだが、と大悟は付け加える。

 確かにゴウとしても、ガラクタから引き摺り出されて、こちらへの攻撃は二の次で身の安全を確保しようとしていたジャンクネクターの行動を振り返ると、わずかながらに罪悪感が湧かないでもない。そういう点でも今回は珍しい経験だった。

 

「変わったエネミーもいるんですね」

「まったくだ。変わったエネミーと言えば、俺は《太陽神インティ》がまず頭に浮かぶな。昔、この馬鹿でかい玉ころを池に落として、その表面の炎を消火してから倒そうとしたアホが知り合いにいてな。聞いたその話のオチがまぁ傑作で──」

 

 ゴウは大悟と話しながら、せわしなく稼働し続ける工場が立ち並ぶ道を歩いていく。

 やがて、先程発動した《限界突破(エクシーズ・リミット)》アビリティについてゴウが説明していると、皆の待つプレイヤーホームが目の前に見えてきた。

 

「着いた着いた。じゃあ飲み直すか。んあーあ……復帰早々、手間取らせてくれたもんだ」

 

 大きく伸びをしながら、欠伸までする大悟。

 その『手間を取らせた』相手を、本当に疎んでいるわけではないことは、ゴウにはよく分かっていた。

 

「まぁまぁ、きっとジャッジさんも楽しかったんですよ」

「楽しかった? そりゃ大層笑っていたけどよ。酒の力だろうに」

「それもあるかもしれませんけど、それまでいろいろと抱えていたものが解消されたわけじゃないですか。それで正式に……別に手続きも何もありませんけど、ジャッジさんにとっては何のわだかまりもなくなって、アウトローに戻ってこられたことが嬉しかったんじゃないですか?」

 

 それこそお猪口一杯分の酒で──リキュールの言葉を借りるなら場酔いするくらい、晶音には楽しい時間だったのだろう。それだけ彼女にとってホームは心休まる場所で、自分達は信頼されている存在なのだと、少なくともゴウはそう思う。

 

「嬉しい、ね。……そう思うか?」

「はい」

「そうか。なら……そうであったなら、うん、何よりだ」

 

 ゴウの意見を確認しながら、大悟は反芻するように呟き、最後に満更でもなさそうに頷いた。

 

「──にしても、ああ何度もはっちゃけられたら、フォローするこっちがたまったもんじゃないがな」

 

 けらけらと笑う大悟に、そうですねと同意しながら苦笑しつつ、ゴウはホームの扉を開けた。いつの日か現実で本物の酒が飲める年になっても、皆と交流を保ち続けていられるようにと願いながら。

 

 

 

 この日、ゴウが無制限中立フィールドからログアウトしてしばらくすると、晶音からメールが届いた。

 アウトローメンバーに一斉送信されたそれは、何行にも連なった謝罪文である。

 メールの内容によると、晶音は渓谷でエネミーに取り込まれるまでは自身の言動についての記憶があったらしく、悔恨と慚愧の念が滲み出る、を通り越して溢れんばかりなその文面により、メンバー達は今日のことを触れないようにしようと、誰に相談するでもなく全員の心が一つとなるのであった。

 



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奇人同行篇
第二十五話


 第二十五話 ヴァンパイア・リターンズ

 

 

 長かった梅雨もようやく完全に明けて、空もよく晴れた七月十三日、土曜日。これから八月に向かうに連れ、気温は更に上がっていくことだろう。夏休みもすぐそこだ。

 

「おまたせー」

 

 世田谷区は二子玉川駅のホームベンチに座っていた、半袖短パンのゴウが声のした方へ首を向けると、そこには宇美が立っていた。

 半袖の白黒ボーダーシャツにジーンズ。特に珍しくもない夏服の装いだが、金髪の長髪を結ったポニーテールに、クォーターである彼女の四分の三を構成しているはずの、日本人要素がほぼ皆無な顔立ちは、生身ではまだ片手で足りる数しか対面していないこともあり、ゴウは実のところまだ少し慣れない。とは言え、それを表情に出すのも宇美に失礼な話なので、そこはおくびにも顔に出さない。

 

「いえ、僕もいま来たところです」

 

 待ち合わせ相手への定型文的な挨拶でゴウが返していると、丁度いいタイミングで電車到着のアナウンスがホームに響く。ほどなくして到着した電車の扉と線路進入防止用のホームドアが開き、二人は電車に乗り込んだ。

 

「どれくらいかかるんだっけ?」

「これ急行電車ですから、三十分もしないですよ」

 

 空席を二つ見つけて並んで座り、降りる駅の到着時間を訊ねる宇美に、事前に調べていた情報を伝えるゴウ。

 こんなことはニューロリンカーをグローバルネット接続してさえいれば、頼まなくても各路線ごとの到着時間が視界に表示されるのだが、現在二人はグローバルネットとの接続を切っている。

 これからすることに備えて精神的な消耗を極力抑えたいので、通常対戦の乱入をされる可能性も極力避けたかったのだ。こういうときは領土内ではグローバルネットに接続していても、《マッチングリスト遮断特権》が行使できるバーストリンカーが羨ましい。

 ともあれ、ゴウ達の警戒も無理からぬことではある。なにせ、これから会うのがどんな人物達なのか、ゴウも宇美も正確には把握していないのだから。

 どうしてゴウが午後に授業のない土曜日に、私服で電車に揺られているのか。しかも同じく私服姿の宇美と一緒に行動しているのか。

『遊び』に行くという表現では正しくもあり、間違ってもいる。何故ならこれからゴウ達が向かうのは、ある意味で命がけになるかもしれない『冒険』なのだから。

 それに至る経緯の開始地点は、二週間前まで遡らなければならない。

 

 

 

「いた! おぉい、そこの二人──オーガー、フォックス!」

 

 先月二十九日、ゴウが宇美とタッグを組んで新宿に赴いていた日。

 ギャラリー観戦で加速した二人に、弾むような声がかけられた。その声には聞き覚えがあるどころか、ついさっきまで聞いていた。

 ゴウが振り向くと、他のギャラリーの間を通り抜けながら、ぶんぶんと片手を振る一体のデュエルアバターが近付いてくる。

 暗めな紫色にすらっとした体格。菱形状の大きなイヤーパーツ。そして、はためく長いマントは裏地が黄昏時の空模様をしたグラデーションカラー。

 

「いやはや、こうも早く再会できるとは何たる僥倖か。それも二人揃って!」

 

 ついさっきグレープ・アンカーと組んで、ゴウ達とタッグ対戦をしたばかりのバーストリンカー、トワイライト・ヴァンパイアは嬉しそうに頷いていた。

 同じエリア圏内で対戦していたのだから、ギャラリー観戦で鉢合わせるのも何らおかしくはないのだが、さすがに早すぎる再会にゴウの挨拶はぎこちないものになってしまう。

 

「さ、さっきはどうもです」

「うむ、良い対戦だった。ワガハイ、飛行中に撃ち落されるのはこれまでも多々あったが、アバターに直接捕えられるとは思わなんだ」

「ああでもしないと、近接系の私達じゃ勝ち目が薄くてね」

「そうだろうとも。だからこそ二段構えの奇襲とは鮮やかな手前であった」

 

 対するヴァンパイアは、先程の対戦で高所からアスファルトの地面へ一気に叩き付けられたことで頭を潰され、おまけに首もへし折られて敗北しているというのに、その張本人である宇美を前にしても、それをまるで感じさせないからっとした態度を見せる。

 対戦で敗北すると、対戦相手や内容の差はあれ、最低でも数時間は引きずるゴウがその潔さに感心していると、ヴァンパイアがごほんと咳払いをした。

 

「……時に、観戦中に大変申し訳ないのだが、二人共その時間を割いて向こうで話せるか?」

 

 頼む、と両手を合わせるヴァンパイア。

 今回の対戦フィールド、《魔都》ステージ特有の青光りする尖塔の上でゴウはその行動を訝しげに思いながら、少し前から接触して戦闘を始めた対戦者達に向けて指を差す。

 

「いやでもほら、もう対戦始まりましたよ?」

「うむ。実はワガハイ、あの対戦者を両方よく知らん。リストに載っていたリンカーを片っ端から登録したのでな。貴公らと同じ加速空間に入る為に」

 

 対戦者達にはちと失礼な話だがな、と言うヴァンパイアを前にして、ゴウは宇美と顔を見合わせる。

 どうやらヴァンパイアの目的は対戦の観戦ではなく、最初から自分と宇美を探して話をすることだったらしい。『僥倖』と言う口振りから、対面するまでの段階はうまくいったということなのか。

 

「どうします……?」

「どうするって……。いや、オーガーが良ければ私は別に構わないけどさ」

 

 ゴウと宇美は顔を突き合わせて小声で相談する。

 今日出会ったばかりの相手二人に、対戦を観戦する片手間の世間話では済まない話とは何だろうか。正直気にはなる。

 ヴァンパイアは少々奇特な男だが、その言動に悪意が感じられないのは確かだ。それに表情がどことなく切実そうにも見える。

 

「じゃあ……聞くだけ聞いてみますか」

 

 結論を出したゴウに、宇美が頷き、答えを待っていたヴァンパイアの両耳がぴくりと動いた。

 

「本当か!? ありがたい、ではこちらに」

 

 硬い鋼板の床をかつかつ鳴らしながら、ヴァンパイアが付いてくるように促す。

 他のギャラリーの何人かが、対戦も見ずにその場を後にするゴウ達をちらりと横目に見るが、声をかけてきたり、面白がって付いてくる者はいなかった。

 ギャラリー状態のデュエルアバターは、必殺技はもちろん一切の攻撃力を持たない代わりに、エリアのどこからでも対戦場所へ迅速に向かえるように、アバターを問わず移動能力が最高水準になっている。

 それまでいた場所から百メートルも離れていない尖塔の一つに数秒で辿り着くと、ヴァンパイアは足を止めた。

 

「この辺りで良いか……」

 

 くるりと身を翻したヴァンパイアが、改めてゴウと宇美に向き直る。

 

「では単刀直入に本題に入ろう。対戦がいつ決着して、この空間が閉じるのかも分からんのでな。ムーン・フォックス、そしてダイやモンド・オーガー。このトワイライト・ヴァンパイア、フリークスのレギオンマスターとして、《高尾山》の踏破に貴公らへの協力を要請したい。……お願いします!」

 

 直角九十度に腰を曲げたヴァンパイアの予想外の申し出に、ゴウも宇美もぽかーんとした表情で眺めてしまう。

 

「……第一印象から決めてました!」

 

 無言のゴウ達にヴァンパイアは頭を上げず、もう一押しとばかりに、ばばっ! と両手を差し出してきた。

 

「あの、単刀直入すぎてよく……いや、全然分からないんだけど……」

 

 困惑した様子の宇美が口を開き、同じくらい困惑したゴウが続く。

 

「高尾山って……あの山のですよね? 八王子にある」

 

 高尾山とは、関東地方と中部地方にまたがる秩父山地の山群、その南東に位置する山の一つだ。都心からほど近く、登山道がしっかり整備されていることもあって、毎年登山者が老若男女問わず多く訪れ、日本どころか世界的にもメジャーな観光スポットである。

 去年まで神奈川県在住だったゴウも、幼稚園児時代と小学生時代に一度ずつ家族旅行で登ったことがある。

 直角お辞儀状態だったヴァンパイアが、頭を上げて背筋を伸ばした。

 

「如何にも……と言っても、もちろんリアルで会ってハイキングしよう、という意味ではないぞ。我々バーストリンカーだからな。加速世界の高尾山の話だ」

「それでそのレギオン……フリークス? が高尾山に行くのに僕らに同行してほしいと」

 

 ──そう言えばこの人、さっきの対戦でもレギオンマスターだとか名乗ってたっけ。

 ゴウがそんなことを今更ながらに思い出していると、我が意を得たりとばかりに、ヴァンパイアがパチンと鳴らした指でこちらを差し示した。

 

「まさに! 理解が早くて助かる」

 

 そうは言われても、ゴウは今の時点で何一つ理解できた自信がない。

 

「いやその、レギオンだけで行くのは駄目なんですか?」

 

 どうしてわざわざレギオンの行動に部外者を招き入れる必要があるのか。ゴウの疑問はそこに尽きる。

 部外者の手を借りてまで、そうまでして手に入れたいものが、高尾山にはあるのだろうか。しかし他県ならともかく、東京の主立ったランドマークは、ブレイン・バーストの八年の歴史の間に隅々まで攻略されていると聞く。建物とは異なる自然の地形とはいえ、高尾山ほどメジャーな場所なら、とうに攻略されていても何ら不思議ではない。

 ヴァンパイアはこれまでのバーストリンカー達が見つけられなかった、何かしらの存在を把握しているのだろうか。

 ──まさか、目的を果たしたところで協力を頼んだ僕らを切り捨てるつもりじゃ……。

 つい一週間前にアイテムを巡った惨劇について聞いたばかりで、明日にはおそらく知る者がほぼいないはずの『幻のダンジョン』へ赴く予定のゴウは、戦闘など起きようはずもないギャラリーの身でわずかに構えてしまう。

 そんなゴウの態度を見て、ヴァンパイアが右手の手のひらを突き出してかぶりを振った。

 

「そう警戒してくれるな。言っただろう、ワガハイ達の目的は山の踏破。つまり山頂まで登りたいだけなのだ」

「それって結局ハイキングじゃない? リアルか加速世界かの違いってだけで。私達要らないでしょそれ」

「んーむむ……回りくどいのは良くないと思い、結論から話したのがまずかったか」

 

 要領を得ない物言いに、宇美が早々に結論を出そうとすると、ヴァンパイアは少し困った様子で首を傾げつつ腕を組んだ。

 

「やはり順を追って話そう。まずワガハイ達フリークスはな、普段は町田市で活動しているのだ」

「えっ、じゃあ二十三区外のバーストリンカーだったんですか?」

「そうだが町田市も東京だ、驚くことでもなかろう。それとも貴公、二十三区内の土地しか東京都に分類されないと思っているクチかね? 『町田ってお前そこはもうほぼ神奈川県だろうが』とでも?」

「い、いや、そんなつもりじゃ……」

 

 少しだけむっとするヴァンパイアに、ゴウは何か地雷めいたものに触れかけた気がして慌てて否定する。

 

「続けるぞ。そんな町田市にも構成人数は少ないながらもレギオンがちらほら存在し、週末にはこの小規模レギオン同士で領土戦も行われている。我々フリークスも参加しているのだが……領土権維持の条件である毎週勝率五十パーセント以上の維持というのは中々に難しく、未だ領土を持っているわけではない。そんな中、先月にようやっと一番の若手がレベル4に到達してな。そこでだ。このあたりで士気の上昇とメンバー間の連携強化を兼ねて、無制限中立フィールドで何か催しをしたいとワガハイは考えた」

「それが高尾山……」

 

 ゴウの呟きにヴァンパイアが首肯する。

 

「聞けば、高尾山にいるエネミーは一番強くても巨獣(ビースト)級までで、神獣(レジェンド)級は確認されていないらしい。さりとて、わずか六名の我がレギオンには簡単な道のりではあるまい。一番レベルが高いのはレベル6のワガハイ一人で、残りは4と5。エネミーが多数棲息しているであろう場所に行くには少しばかり心許ない。そこでワガハイはここしばらく、ワガハイと同レベルで最低でも一人、欲を言えば二人。同行してくれるバーストリンカーがいないかと探していたのだ」

 

 ここまでの説明で、ヴァンパイアの言わんとすることがようやく分かってきたが、腑に落ちないことはまだある。

 

「メンバー間の連携が目的ってことは、やっぱり部外者が加わっても意味なくない?」

「ダンジョンじゃないのなら、エネミーを避けながら山を登れば、わざわざ戦闘をしなくても頂上まで行けるんじゃないですか?」

 

 宇美とゴウそれぞれの指摘を受けると、ヴァンパイアは数秒だけ黙り込んでから、重々しく口を開いた。

 

「…………もっともな意見であるな。だが、ただ山を登るだけでは、それこそただのハイキングだ。道中で小獣(レッサー)級なり野獣(ワイルド)級なりのエネミーも何体か倒していきたい。あぁ、それなら単純なエネミー狩りでいいだろうと思うのも分かる。だがな、普段よりも少しばかり大きなことを一つ成し遂げれば、それはきっとメンバー達の自信にも繋がるはずなのだ。無駄な行為にはなるまい。たとえ、誰かの手を借りたものだとしても。むしろ他のバーストリンカーと交流を持つのは悪いことではなかろう」

 

 いつの間にかヴァンパイアからは、凛と真剣味を帯びた雰囲気が醸し出されている。

 

「ワガハイは……レギオンマスターとしてレギオンはもちろんのこと、メンバー達を導く義務がある。その為に他人である誰かに頭を下げることを厭いはしない」

 

 こちらをしっかりと見据えるオレンジ色をしたアイレンズには、強い意志と何かを背負っている覚悟が見て取れる。それはたとえ小規模であっても、一つの集団の長としての強さなのかもしれないと、ゴウに思わせるには充分なもので──。

 

「それで見返りは?  」

 

 身も蓋もない宇美の一言にヴァンパイアは体を強張らせ、強い意志と覚悟を秘めた瞳はどこへやら、視線はどこを向くでもなく泳ぎ出した。

 

「み、みみ見返り?」

「縁もゆかりもほぼない相手に力を貸せ、ボディーガードになれ、って言うからにはそれに応じた報酬は用意するものだよね? そこはギブアンドテイクでしょ」

「う、うむ、そうだな、至極……その通りだ……」

 

 ヴァンパイアは明らかに痛いところ突かれたという表情をしてから、やがておずおずと口を開いた。

 

「……道中で見つけた、またはエネミーからドロップした場合のアイテム類。貴公らが欲した場合、それら全てを譲るというのはどうか?」

 

 文面だけなら太っ腹な話であるそれは、実質限りなく無料(ロハ)に近い内容であった。ダンジョンでもない場所でそうそうアイテムが転がってはいないだろうし、強力なエネミーでなければ、これまたポイント以外で目ぼしいものが手に入る確率はかなり低い。

 

「……ちょっと話し合うから、耳塞いでて」

 

 ヴァンパイアにそう言うと宇美はゴウの手を引き、数歩後ろに下がってから再び顔を突き合わせる。

 

「で、どうする?」

「あれ、今の流れからして断るんじゃないんですか?」

 

 ゴウはてっきり、宇美が第一声で「断ろう」と言うものとばかり思っていたが、予想に反して出た言葉は相談だった。

 

「あんな真剣に頼まれたら、見返りが報酬とも言えないしょっぱいものだからって、『今回はなかったことで』とは言えないじゃない。大体、見返りなんてのはあくまで約束事の担保にする方便。タダで請け負うなんて言い出しでもたら、それこそ変に不審がられるでしょ」

 

 提示されたこの内容では、ほとんどのバーストリンカーは旨みを感じずに断るだろうに、対戦での交流によって情が湧いたのだろうか。すでに一人でも請け負おうと決めかけているゴウも人のことは言えないが、宇美も大概人が良い。

 

「……優しいんですね」

「え? なんて?」

「いえ、なんでも。それじゃあ受けるにしても……明日の件がどう決着するか次第ですから、ひとまず──」

 

 そのまま耳を塞いでこちらの審議をヴァンパイアが待つ中、短時間の話し合いの末、ゴウと宇美は顔を合わせた状態から互いに離れ、ゴウが口を開いた。

 

「えっとですね。その話、受けたいと思いますけど、今の段階では確実な約束はできません」

「……と言うと?」

「詳しくは言えませんが、僕とフォックスさん、それと僕らの仲間は明日、加速世界でやらないといけないことがあるんです。それに関する諸々が決着しない限り、そちらに協力する余裕がない。少なくとも一週間、場合によってはそれ以上の間、返事を保留することはできますか?」

 

 ゴウの申し出に、ヴァンパイアは少しだけ考え込んだ後に、ゆっくりと頷いた。

 

「……何やら訳ありのようだから、その『やらないといけないこと』について詳しくは聞くまい。こちらも無理を言っているのでな──承知した。色よい返事を期待させてもらおう」

 

 

 

 そんなやり取りの最後にゴウ達へアドレスを教えると、ヴァンパイアは行われている対戦を見届けることもなく、すぐさま通常対戦フィールドからログアウトしていったのが二週間前。

 一応アウトローにこの件を相談したところ、案の定「良いんじゃない?」「土産話、期待してるよ」といった肯定的な意見をメンバー達から貰った後、宇美とやり取りをしながらヴァンパイアから教えられた匿名メールアドレスで返事を送ったのが先週。

 ヴァンパイアからの返信は待ち構えていたかのように迅速で、あっという間にスケジュールを調整し合って決定した日取りが今日である。

 ゴウと宇美を乗せた電車は二十三区を離れ、町田方面へと向かっていく。

 



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第二十六話

 第二十六話 ハロー、フリークス

 

 

 電車に揺られること約三十分。

 ゴウと宇美が降りたのは、神奈川県横浜市の《長津田駅》だった。

 ヴァンパイアと決めた待ち合わせ場所と時間は、十五時に無制限中立フィールドの《町田駅》。そこでヴァンパイア率いるフリークスのメンバーと顔を合わせ、高尾山へ向かうことになっている。実際に山を登るわけでもないのに、わざわざ山の最寄り駅まで行くのも馬鹿らしいし、登山場所ではダイブスペースも限られてしまうからだ。

 現実でも町田駅まで移動すればもっと楽なのだが、リアル割れ防止にそれは避けた。ここまで来て最初から罠であったとは考え辛くとも、最低限の警戒は忘れてはならない。

 さりとて世田谷からダイブして町田まで歩いていくのはさすがに距離があるので、間を取って二子玉川駅から電車一本で行ける駅を選んだのだ。

 ゴウとしてはリアル割れ防止、ダイブ後の徒歩移動での苦労、ついでに電車の往復移動で発生する懐事情等々を宇美と話し合い、あらゆるリスクなり効率なりを天秤にかけた末の判断である。

 ゴウ達は事前に調べていた駅近辺のフルダイブ用スペースがあるダイブカフェへ入店し、無人の受付で手早くツインの部屋を確保してから、ドリンク片手に個室(という名の区切られただけのブース)に入った。

 椅子に腰かけて手早く、そんなに複雑な手順が必要なわけでもない準備をしていく。

 備え付きのラックからXSBケーブルを二本取り出し、入口から入って真正面に設置されている、テーブルにビルドインされた有線接続用ルータに端子を挿入。続けてルータに繋げたケーブルの反対側の端子を、ワイヤレス・グローバル接続を切ったニューロリンカーに挿入していく。

 ルータの自動切断タイマーは十五時より三分後に設定。これにより無制限中立フィールド内部活動時間の二日と少しで有線接続が自動切断され、どんな状況であろうと現実に強制帰還される。これが万が一の不測の事態に陥った際での緊急回避、唯一の命綱となるのだ。

 十五時の十秒前にダイブするまでの間、十分そこそこの時間をゴウは宇美との雑談で潰し、一分前になったところで少しだけ居住まいを正してから、ニューロリンカーが視界に表示する時間のカウントに注視し始める。

 これから向かうのは土地勘も何もない、普段とは違う場所。そこで共に行動するのは、普段の仲間とは異なるバーストリンカー達。目的地は東京から出てもいない場所なのに(今いる長津田は神奈川だが)、不安と緊張がじんわりとゴウの腹のあたりに渦巻く。そして、それらと同じくらいに期待と興奮が占めていた。

 ゴウがヴァンパイアへの協力を引き受けたのは、彼の手助けをしてやりたいと思ったことも間違いないのだが、それと同じか、あるいはそれ以上に興味を惹かれたからだ。

 見聞を広める、というほどに大層な気構えではない。普段の対戦や無制限中立フィールドで行動をしているだけでもブレイン・バーストは未だ発見の連続なのだ。加速世界での山登りともなれば、何が飛び出してくるのか分かったものではない。実に──楽しそうではないか。

 現実ではそんなアグレッシブな思考にはまずならないのに、加速世界ではそのあたりのタガが若干緩くなるのは、自分だけではあるまいとゴウは思っている。アウトローの面々を見ていると特にそう思う。……本当にそう思う。

 ──やっぱり、染まってんのかなぁ。

『朱に交われば赤くなる』と言うが、少なくとも悪い方向には進んでいないだろうとゴウが自分に言い聞かせていると、もうダイブの十秒前になっていた。

 

「いくよ、五、四……」

 

 宇美の小声のカウントにゴウも声を合わせる。

 

「「二、一、《アンリミテッド・バースト》」」

 

 ニューロリンカーが拾える最小限の声量で、永続なる加速空間へ向かうコマンドを呟くと、ゴウの視界が暗転していった。

 

 

 

 一瞬の暗転を経てダイヤモンド・オーガーとなったゴウの目に飛び込んできたのは、漆喰の壁と柱、板張りの天井と床に囲まれただだっ広い屋内だった。ダイブカフェだったワンフロア分の区切りが取り払われて、ぶち抜かれたような構造になっているのだろう。

 中央にはこの建造物を支えているのが分かる、朱塗り太い柱がでんと据えられ、四隅の一角に手すりのついた木造の昇り階段、その反対側に降り階段がそれぞれ設置されている。

 現実のガラス窓は代わりに木製の格子窓となっており、爽やかな風が吹き込んでくる中で、ひらりひらりと紅葉が風に乗っているのが見えた。

 ここまで和風のデザインをしたフィールドは、《平安》ステージに他ならない。

 

「それじゃ、まずは町田駅だね」

 

 隣に立つ白狐のデュエルアバター、ムーン・フォックスとなった宇美にゴウは頷いて、階段を下って建物から出る。

 現実ではまだ七月だというのに、まるで数ヶ月分の時間をスキップしたかのような秋の空は太陽がかなり西に移動していた。あと何時間かしたら、日が完全に暮れるだろう。

 ひとまずゴウは方角を確認した。

 

「えーと、北がこっちで……そうなるとあれが駅だから……うん、あっちですね」

 

 建物は純和風の装いになっても、《平安》ステージは建物の位置や地形に大きな変化は見られないので、道に迷う心配はなさそうだ。

 ゴウと宇美は現実では線路だった、両端が玉砂利で中央が石畳の大通りに入ると、北北西に向かって道なりに歩を進めていく。

 

「《平安》ステージだと電車はないんだよね。加速世界(こっち)で電車乗ったことある?」

「僕はないですね。あ、前に聞いたんですけど、《平安》ステージだと電車の代わりに、たまに二頭立ての牛車が通るらしいですよ。時代劇に出てくるような、小さい屋形みたいなのを曳いたやつ」

「へー! 知らなかったな、お貴族様みたい。乗るとしたら払うポイント高いのかな」

「どうなんでしょうね。ただ牛の歩く速度が遅いから、歩く速さと五十歩百歩だとか」

「えー……? それじゃポイント勿体なくて誰も乗らないでしょ」

 

 そんな雑談を交えつつ、度々目に付いたオブジェクトを壊しながら、二人が道なりに歩き続けて約一時間後。

 もしエネミーに補足された場合は宇美にビースト・モードになってもらい、ゴウを乗せて逃げるという段取りを決めていたが、エネミーは遠目に見つけることはあっても交戦の機会は訪れず、また当然のように他のバーストリンカーに出会うこともなく、待ち合わせ場所である町田駅が見えてきた。

 町田駅は二つの鉄道路線がほぼ十字の形に交差しており、二つの路線の駅舎は連絡通路によって繋がっている。その内の片方が百貨店と一体化していることもあって、駅はどこぞの城か砦のような出で立ちになっていた。

 そんな建造物を目指して、大橋となった高架駅の線路を渡るゴウ達に向かって、不意に呼びかける声がした。

 

「お────い!! こちらだ────!!」

 

 高い城郭の瓦屋根に、大股立ちでこちらに両手をぶんぶん振っているトワイライト・ヴァンパイアの姿があった。彼はすぐさまマントを翼状に変化させると、そこから身を躍らせてこちらに接近しながら降下してくる。そうして何十メートルか手前で、降下の角度がより鋭角になり、ゴウと宇美の前に見事な着陸を決めた。

 

「やぁやぁご両人、よく来てくれた!」

「う、うん……」

「ど、どうも、ヴァンパイアさん」

 

 最初に宇美、次にゴウと、順番に両手でがっちりと握り、熱烈な挨拶をするヴァンパイアは、ゴウから手を離すとふるふると頭を振った。

 

「あぁオーガー、そんな堅苦しい敬語など使ってくれるな。今日は共に行動する間柄ではないか。それと二人共、ワガハイのことは是非とも『ヴァン』と呼んでくれ」

 

 ワッハッハッと笑いながら、右肩をばしばしと叩いてくるヴァンパイアに、ゴウはひたすら圧倒される。

 ──きょ、距離めちゃくちゃ詰めてくる……。圧が、圧が凄い……。

 実はゴウ、ブレイン・バースト内で出会うバーストリンカーに対し、敬語とタメ口の使い分けに割と悩んでいる。

 というのもブレイン・バーストのプレイ歴、実年齢、レベルなど、それらの数値の組み合わせはバーストリンカーによってバラバラだからだ。立ち振る舞いから判断するに、同年齢か年上らしき人物でレベルが自分より低いこともあれば、逆に小学生らしき人物が自分よりレベルが上の場合もある。

 しかし、長くこのゲームをプレイしている者ほど精神だけが年を経ていくので、この判断事項も必ずしも当てにはならない。

 その為ゴウは初対面時で自分よりもゲームプレイ歴が短いであろう、レベルが自分より低い者には(決して格下などとは思わないが)タメ口、それ以外は敬語と、あやふやな判断で使い分けていた。例外としてレベルも推定年齢も何も問わず、初めから敬語を使わずに接するのは、『敵』と認識した相手だけだ。

 今回は向こうからタメ口で話すよう促しているので、ひとまず向こうの流儀に合わせようと決めたゴウは、単純にアバターネームを短くした愛称を聞いて、そう言えば彼とコンビを組んでいたグレープ・アンカーもそう呼んでいたことを思い出しながら、更に別のことに気付く。

 

「あ、ねえヴァンパ……ヴァン。今更なんです……なんだけど、アンカーさんには声かけなかったの? コンビ組んでたからには、そこそこの交流はあるんでしょ?」

「アンカー? ああ、いの一番に声をかけたが、『海賊が山登りしてどうする』と取り付く島もなく断られたわ」

「あー、言いそう」

 

 その場に居合わせたわけでもないのに、にべもなく断るアンカーの姿がゴウには容易に想像できた。

 

「……で、あなた一人だけ? レギオンメンバーはまだ来てないの?」

「いや、もう全員向こうに集合しているぞ。早速顔合わせといこうではないか。あ、奴らにも敬語など不要だぞ」

 

 周りを見渡す宇美に、ヴァンパイアが白塗りの城壁の向こうを指差してから、身を翻して歩き出した。まだ集合時間まで一時間半は猶予があるが、エネミーやステージギミックで時間を取られる可能性を考慮すれば妥当ではある。

 意気揚々と歩いていくヴァンパイアに先導されながら大橋を渡り、城と化した駅のホームを通り抜け、連絡通路を進む。やがて、巨大な御影石から彫り出された仏像が鎮座する駅前広場に、複数のデュエルアバターの姿が見えてきた。向こう側もすでにゴウ達に気付いており、こちらに視線が注がれる。

 

「……マジで連れてきた! それに二人も。さっすがヴァンのアニィだぜ!」

 

 広場に到着すると、嬉々とした声を上げてメンバーの一人が前に出てきた。

 小柄なM型アバターだ。明るい赤色のボディカラーが、蛍光塗料のように目に残る。

 色を除いて体に目立つパーツはないが、顔面の九割を占めている黄緑色をした半球形のバイザーマスクの表面には、一つの大きな赤い光点が灯っていた。まるでマスク自体が巨大な一つ目のようだ。

 

「ハッハッハッ、そう褒めてくれるなレンズ。丁度いいから、貴公が一番手で二人に名乗ってやれ」

「へい! ども、俺っちフリークスの末席やっとります、レベル4の《シグナル・レンズ》っす。よろしくお願いしやす!」

 

 江戸っ子と舎弟が混ざったような言葉遣いで頭を下げるレンズは、顔を上げて眼球マスク内部の光点をぎょろぎょろと走らせ、ゴウと宇美を交互に見やる。

 どこか圧力が感じられるその視線に耐えかねて、ゴウの方が先に口を開いた。

 

「な、なにか……?」

「いえ……若輩の俺っちが言うのもおこがましいんすが……。一度の対戦に勝っただけで、アニィを全ての面で負かしたとだけは思わないように頼んます。アニィはいつか──うぐぇ!?」

「失礼な真似してんじゃないよ。初対面の人様に向かって」

 

 レンズの背後に立っていた、真夜中の空模様を思わせる暗めな群青色をしたF型アバターが、少しだけ不貞腐れた様子を見せるレンズの襟首を捕まえて引き戻した。

 イヌ科系のマスクは、狐頭のムーン・フォックスに比べてより獰猛そうなフォルムをしており、背はフォックスよりわずかに低いが、体格はがっしりしている。また、粗い毛並みが逆立ったような装甲には、各所で色合いの濃淡が微妙に異なって斑点模様を描いていた。

 

「いでででで! 痛えよアネゴ、首裏つねるな、離しやがれ!」

「離し、や・が・れぇ?」

「あっ、うそうそマジすいませんでし──だだだだぁ!」

「いつからそんな偉くなったんだい。しかも謝る相手はアタシじゃないだろうが。えぇ?」

「えっ!? あっ、お二人共、ナマ抜かしてすんませんでしたぁ!」

 

 蓮っ葉な調子で話すF型アバターとレンズとのパワーバランスは、傍から見ても明らかだ。レンズはこちらに向かって謝ったところで、生意気の代償とばかりに後頭部から決められていたアイアンクローからようやく解放された。

 あうあうと呻きながら自分の頭をさするレンズを横目に、F型アバターがこちらに向き直る。

 

「いきなり身内が恥ずかしいとこ見せてごめんね。アタシは《プルシャン・リカオン》、一応このレギオンの副長さ。ヴァンが負けたって聞いて、こいつちょっと拗ねてんの。気を悪くしないでね」

「え? ああ、いや別にそんな。気にしてないから大丈夫」

 

 レンズへの折檻から一転。友好的な対応のリカオンに、宇美が戸惑いながらも返答し、ゴウもそれに賛同して頷く。

 

「ハハ、リカオンは手厳しいからな。そのようにすぐに手が出るから──」

 

 リカオンにキッと睨まれ、苦笑気味のヴァンパイアが何かを言い切る前に口を閉じた。

 マスターを一瞥で黙らせるサブマスター。このレギオン内の力関係は一体どうなっているのか。今のところゴウには謎である。

 

「……えー何でもないですはい。はい次にいこう次に」

 

 リカオンが何も言わずにヴァンパイアの指示に従って下がると、入れ替わるように前に出たのは、ゴウが広場に着く前から特に目立っていた大柄なM型アバターだった。

 アウトローのコングと同等の百九十センチを超える背丈で、横幅はコングよりも更に広い。レンズほどではないが、全身を包む彩度の高い赤色の装甲は、どの部分も肉厚だ。金属のバケツにでも挿げ替えたような、しゃくれ気味のややメタリックな下顎が、マスク代わりに口元を覆っている。

 加えてその全身には、手荒い処置が為された手術痕を思わせる黒いラインが走っていて、全体的な風貌はかなり恐ろしげだ。

 

「……………………」

 

 巨漢アバターは機械じみた駆動音を立てつつ、無言のまま距離を詰めてゴウと宇美の眼前で止まった。

 こちらを見下ろす視線。顔面の目元にあたる部分はアイレンズではなく、2Dの液晶ディスプレイらしきものが埋め込まれたデザインをしている。

 そんな広い面積をした目元がびかっ! と唐突に光り──横に並んだ二つの円が電光掲示板のように表示された。

 

「うん……?」

 

 ゴウが呆然としていると、二つの円が二つの上向きに描かれた円弧に変わり、まるでにっこり笑っているかのような形になる。続けて、膝下まで届く長く太い両腕が持ち上げられた。どうやら握手を求められているらしい。

 

「すまんな。《バルサム・マガジン》はシャイボーイなのだ。コマンドを唱えるとき以外には滅多に口を聞かん。だが、なんとなく言わんとしていることは分かるだろう?」

 

 ヴァンパイアの説明を受けて、申し訳なそうにぺこぺこと首を上下させる巨漢アバターことマガジン。確かに頭部全体が兜やマスクで覆われているタイプのアバターより、抱いている感情は分かりやすい。

 ゴウと宇美に握手を応じられた後、マガジンはのそのそと他の仲間の元まで下がっていった。

「よし次」とヴァンパイアに言われて一歩だけ前に出たのは、頭のてっぺんから爪先まで全身が一部の隙も無く、緑褐色の包帯タイプの装甲に覆われているM型アバター。目元の辺りにうすぼんやりと光るアイレンズは、ちゃんと見えているらしく、視線も感じられる。

 

「僕、《ケルプ・ラッパー》。あ、ラッパーつってもYoでチェケラの方のラッパーじゃないから。そこんとこよろしくね」

 

 口元まで包帯に覆われているからなのか、ややくぐもった声で挨拶すると、ラッパーは包帯に巻かれていても指が五本にしっかり分かれている手をひらひらと振り、すぐに一歩下がって元の位置に戻ってしまった。こちらはマガジンとは違って、かなり淡白な性格のようだ。

 

「じゃ、次は俺か」

 

 そう言って、襤褸(ぼろ)の外套を羽織った最後のアバターが、それまで頭に被っていたフードをずり降ろした。同時に《平安》ステージの秋風を受けて、外套に隠されていた体の前面も露わになる。

 

「わ……」

 

 その姿にゴウは小さく声を漏らした。

 一言で表すと骸骨だ。あるいは学校の理科教室に設置された骨格標本。装甲は頭蓋骨、肋骨、脊柱等々、人骨そのものの形と色。

 しかし、肩から先の両腕、股関節から下の両脚は、頭部から胴体部分までとは異なり、ダークグレーの素体──言わばデュエルアバターの肉体となる部分が存在せず、完全に骨型装甲のみで形成されていた。その証拠に両腕の前腕部と両脚の脛部、それぞれ構成している二つの骨の隙間からは、その奥の羽織っている外套の裏側がはっきり見える。

 

「《チョーク・ボーンズ》だ。会えて嬉しいよ」

「よ、よろしく……」

 

 ゴウの前に立ち、シンプルながらインパクトのある骨の右手が差し出される。

 師である大悟のアバター、アイオライト・ボンズに名前の一部が似ていると思いながら、ゴウがボーンズの手を取ると──こきん。

 

「え?」

 

 そんな小さく短い音が聞こえ、ボーンズの右腕がだらりと垂れ下がる。だが、右手だけはゴウの手と握手をしたままだ。何故なら右手が取れて、ボーンズ本体と離れているからである。

 

「あ……」

「ハッハッハッ! いたずら好きめ、うまく決めたなボーンズ! 貴公のそれは皆必ず面を食らう──」

 

 愉快そうなヴァンパイアの笑い声も、ボーンズが笑いながら上下の歯をカタカタと鳴らす音も、ゴウの耳にはほとんど届いていなかった。

 ゴウは昔からホラージャンルが苦手だった。単純に怖いだけでなく、その手の映像なりを見た日の夜は、高確率でそれが夢に出てくることも原因の一つだ。

 成長するにつれ、段々と耐性がついているつもりなのだが、明るい空の下であっても白骨の手に掴まれているという状況は、ゴウにとっては取り乱すには充分なもので──。

 

「う、うおわああああああああああ!?」

 

 アバター持ち前の腕力に加え、一切の加減をされずに大きく振りかぶって放たれたゴウの遠投によって、ゴウの手を掴んでいた白骨はその勢いに耐え切れず、明後日の方角へと飛んでいく。

 

「「み、右手────────!?」」

 

 続けてボーンズとヴァンパイアのシンクロした叫びが、秋空に大きく響き渡るのであった。

 



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第二十七話

 第二十七話 いざ高尾山

 

 

 幸いなことに、ゴウが遠投を決めてしまったボーンズの右手は、さほど時間をかけずに見つけることができた。

 聞くところによると、ボーンズの骨型装甲は分離が可能で、それらを戦闘に用いるという。ただし、自分から離れれば離れるほどに操作の精度は落ち、あまりに離れてしまうと、本人の意思で動かすことは可能でも、位置の把握ができなくなってしまうらしい。

 そこでヴァンパイアは、ボーンズに離れた右手をできるだけ動かし続けるように指示を出した。

 ゴウの投げた方向──偶然にも目的地である高尾山のある西の方角に一同は進み、名前の通り望遠能力を持つというレンズの視覚、それとヴァンパイアの高性能な聴覚により、駅より数百メートル離れた道端で、のたうち回る骨の手を見つけることに成功したのだった。

 

「ごめん、ついパニックになっちゃって……」

「いやいや、謝るのはこっちだって。この手のやつが苦手な人とは思わなくってさ。……ふぅ、どっかの建物の間にでも落ちたら、見つけるのがもっと大変だったろうしラッキーだった」

 

 申し訳ないと謝るゴウにボーンズは謝り返し、念動力でも働いているのか、宙を舞う右手を手首に装着して動作を確認すると、問題ないといった様子で頷いた。

 

「さて予想外の事態もあったが……この総勢六人のメンバーが我がレギオン、フリークスである」

 

 ゴウと宇美の前で、ヴァンパイアが仕切り直しとばかりに、さっと腕をレギオンメンバー達に向けた。それからゴホンと咳払いをする。

 

「それと改めて……このレギオンをいずれは百鬼夜行も裸足で逃げ出す大規模レギオンへと成長させ、ゆくゆくは新たな《王》の一角となるのが──この吸血鬼たるレギオンマスター、トワイライト・ヴァンパイアである!!」

 

 バサァッ! とマントを大仰に広げ、ヴァンパイアが口上を決めると、メンバー達からパチパチと拍手が上がる。──やや示し合わせた感じがあるが。

 どう反応したものかと、ゴウが隣の宇美をちらりと見ると、宇美もゴウの方を見て、「ここは拍手するところなの?」と言いたげな目線を送ってきた、その時。

 

「あんまりはしゃいでんじゃないよ。ごらん、二人共ちょっと引いてるじゃないか」

 

 ただ一人拍手に参加していない紅一点のフリークス副長、リカオンがヴァンパイアを窘める。

 

「大体アンタ、吸血鬼じゃないだろ」

「「え!?」」

「ぬっ……」

 

 リカオンの衝撃発言に、ゴウと宇美は声を揃えて驚き、当のヴァンパイア本人も図星を突かれた様子で小さく唸る。

 

「そうなの? こんないかにもな見た目なのに? だって前の対戦で名前にヴァンパイアって、アバターネームが表示されてたよ?」

「確かにいかにもなナリだけどね。厳密には吸血鬼のモデルになった、吸血コウモリのアバター……だとアタシは見てる」

 

 宇美の問いに、リカオンが肩をすくめながら答えた。

 

「アネゴぉ、それを言っちゃ……それを言っちゃあ、おしまいよぉ……」

「それヴァンさんに禁句なのにな。アネゴは容赦ねえなー」

 

 レンズはリカオンに向けた手をわななかせ、ボーンズは苦笑い。マガジンはおろおろ、ラッパーは明後日の方向をぽけーと眺めている。

 男衆が四者四葉のリアクションを見せる中で、当人であるヴァンパイアが絞り出すようにリカオンへ反論し始めた。

 

「た、確かにナミチスイコウモリの英名にもヴァンパイアの単語が使われているが……。ヴァンパイアと言われれば、世間一般では吸血鬼であろうが。それに我が剣のドレイン能力など正に吸血行為、マントなんか翼に変化するのだぞぅ……」

「まぁ、剣とかマントはそれっぽいけど、それだってコウモリに通じるしね。アンタ、神聖系のステージでステータスが落ちることもなけりゃ、逆に暗黒系のステージで上がりもしないじゃないか。体は霧に変身もしないし、川でも海でも平気で泳げるし。ついでにラーメンにニンニクしこたま入れるだろ」

「ぬ、ぬぐぐ……」

 

 リカオンにずばずばと指摘をされて、ヴァンパイアが更に喉を詰まらせる。

 ニンニクのくだりはともかく、ゴウの知る創作に出てくる吸血鬼とは、夜の闇に生き、常人以上の怪力、コウモリや霧への変身、血を吸った相手を同族の吸血鬼にしてしまうなどの強力な能力を持つ。その反面で太陽の光や銀の十字架などの弱点を持ち、更には流れる水を渡れない、家主に招かれないとその建物の中に入れないなどの、多くの制約にも縛られる存在とされている。

 

「それでもって夜目は利くし、超音波出して耳で聞き取るって、まんまコウモリの生態じゃないのさ」

「うぐっ!」

 

 これが決め手になったのか、ヴァンパイアはがくりと両膝と両手を地面に着いた。すぐさまレンズやマガジンが駆け寄り、何やらフォローの言葉をかけている。

 そんな中で、ゴウは以前のタッグ対戦で宇美と二手に分かれた際、アンカーがヴァンパイアに向かって何かを確認するような仕草をしていたことを思い出した。

 対戦後の宇美の話では、建物の屋上で背後から奇襲をかけた時も、ヴァンパイアは振り向きもせずに躱したと言っていたし、ヴァンパイアが超音波を用いたアビリティを所持していて、宇美の居場所を探知して動きを把握していたとするならば、それらの行動にも納得がいく。

 

「今に、今に見ておれ……次のレベルアップ・ボーナスでは必ずや、ぐうの音が出ないほどに相応しいものが……」

「はいはい。出ると良いねぇ」

「っぐぬぬぅ……」

 

 ふらふらと立ち上がるヴァンパイアの負け惜しみっぽい発言を、軽く受け流すリカオン。両者の行動に、他のメンバーがそれぞれの反応を見せる。

 どうも彼らには日常的なやり取りらしく、誰からも深刻な雰囲気は感じられない。ヴァンパイアは本当に悔しそうではあるが。

 シグナル・レンズ。プルシャン・リカオン。バルサム・マガジン。ケルプ・ラッパー。チョーク・ボーンズ。そして、トワイライト・ヴァンパイア。

 アウトローに負けず劣らず個性的なメンバー達で構成されたレギオン、フリークスのやり取りはどことなくメンバー間の絆が窺えられ、ゴウは鬼面マスクの下で静かに微笑んだ。

 

 

 

 それからゴウと宇美の自己紹介も済ませた後、一行は目的地に向けて出発した。

 ダイブ時からやや斜陽気味だった空は、数時間かけて進んだ高尾山までの道のりの半分ほどで夜空へと変わる。星は明るくとも、昼間より危険な夜間の移動は避けることにした。フリークスメンバー達も現実でタイマーをセットし、約三日は無制限中立フィールドに居続けられるとのことだったので問題はない。

 手近にあった建物を寝床にして眠りにつき、日の出と共に再出発。

 日を(また)いだ道中では、いざ戦闘になった際に連携できるよう、自分の主な戦い方などを教え合ったり、フリークスメンバーからあれやこれやと質問を連続で浴びせられたり、ゴウがこれまで見たことのないエネミーが群れで行動している様子を遠目で眺めたりと、相当な長時間の移動も全く退屈にはならなかった。

 そんな一晩の休息プラス、計五時間強の徒歩移動の末に、ゴウ達はようやく高尾山の山麓へと辿り着いたのだった。

 日本は島国でありながら大小有名無名、山と呼ばれる地形がとにかく多い。

 その中で高尾山の標高約六百メートルというのは、標高約三千七百メートルを超える日本最大の山、《富士山》と比較すれば、高さだけなら有象無象の一つになってしまうだろう。

 だが、それでもこうして入り口まで来ると、生物の範疇など優に超えた、ここまで近付けば全体が見えようもない大きさに、得も言われぬ威圧感や存在感をゴウは感じた。

 

「よし皆の衆、ここからが本番だ」

 

 ヴァンパイアがそう切り出して、全員を注目させる。

 

「これまで避けてきた戦闘もいよいよ解禁するが、エネミーとのろのろ戦闘をしていれば、群れを呼ばれる可能性も有り得る。集中攻撃で一気に倒すのだ。小獣(レッサー)級程度であれば、この人数とレベル編成ならそう難しくはあるまいて」

「アニィ。もしもそれ以上のエネミーに遭ったらどうするんで?」

野獣(ワイルド)級は状況次第で交戦か逃走。巨獣(ビースト)級に万が一遭遇した場合は……よほど有利な地形で遭遇しない限り、さすがに逃げた方が賢明であろうな。二人も異論はないか?」

 

 レンズからの質問に答えるヴァンパイアに、ゴウと宇美は大まかな行動概要の確認をされ、これを了承する。

 

「うん。それが無難だと思う」

「私も同感。エネミー狩りはあくまで事のついでだしね」

 

 巨獣(ビースト)級ともなると、体長十メートル近いものもザラだ。そんなエネミーは大悟らアウトローのベテランバーストリンカー達が束になっても、倒し切るのに一時間単位で時間がかかるのだ。その上まともに攻撃を受ければ、一撃でも致命傷となるには充分すぎる威力を持っている。

 今回は高尾山の山頂に至ることが目的なのだから、わざわざそんな危険な存在にまで突っ込んでいく必要はない。

 

「結構。では出発! いざ()かん、高尾山の頂上へ!」

 

 ヴァンパイアの掛け声に、おおー! と全員が腕を掲げた。

 高尾山に辿り着く前より、郊外に進むほど《平安》ステージ由来の玉砂利や石畳で整備された路面はまばらになっていき、途中からは完全に土の地面へと変わっていった。

 この高尾山の入り口も、現実ではどのルートも初めだけは道が舗装されているのだが、加速世界ではでこぼこの獣道を幅広くしたような、複数の往路がひたすら奥へと続いていた。ついでにケーブルカー乗り場などの施設も存在せず、山全体が近代の人の手による環境開発が為されていない状態となっている。

 ──《魔都》とかの金属系ステージならどうだったか知らないけど、《平安》ステージはこの方が良いや。

 入山より三十分ほどの進んだ先の坂道を登りながら、ゴウは周囲の景色を見渡す。

 赤、橙、黄。モミジかカエデか、それとも別の種類か、そもそも現実に存在する植物なのか。鮮やかな色をした葉をつけた木々が、どこを向いても所狭しに立ち並んでいる。

 紅葉などここに来る前から散々見てきたというのに、どこか違うふうに感じられるのは、山特有のものなのだろうか。なんとなく空気も澄んでいる気がする。

 そんな感想を抱いたのは、ゴウだけではなかったらしい。

 

「行楽シーズン状態だねぇ。空気はうまくて、しかも貸し切り、贅沢なもんじゃないのさ」

「うむ、我々の日頃の行いの成果よな」

 

 リカオンがご機嫌な様子で、腰から伸びるテイルパーツをわずかに揺らしながら周りを見渡している。

 ヴァンパイアも満足げに頷いてから、顎を手でさすりつつ、山の奥をじっと見つめていた。

 

「どうもこのステージに人工物は無粋と、ブレイン・バーストの運営も判断したようだな。ワガハイとしては、山腹の薬王院(やくおういん)は残してくれていると嬉しいのだが……」

「薬王院って寺だよね? 何か用があるの?」

「せっかく山を登っているのだから、参拝の一つでもしておきたいではないか。何しろ天狗伝説のある山なのだからな! 実に興味深い」

 

 ゴウが訊ねると、ヴァンパイアは期待に満ちた表情を向けてきた。

 今回の同行が決定してから、ゴウも高尾山については事前にネットで少し調べていた。

 これによると、高尾山に千二百年以上前に開山された、正式名称《高尾山薬王院有喜寺(ゆうきじ)》はある仏教の一派において、大本山のひとつにあたるのだという。その寺で現在の本尊とされているのが、不動明王の化身である《飯縄大権現(いづなだいごんげん)》。

 この飯縄大権現は山岳信仰に由来する修験道にも密接な関りがあるとされ、古来より霊山とされている高尾山は、権現の従者である天狗が住んでいるという伝説まであるそうだ。伝説の真偽はともかく、寺はパワースポットとされ、天狗を押し出したオブジェや土産物の類は、観光事業に大きく貢献していると言えよう。

 

「天狗型のエネミーなんかがいたりするのかな」

「どうかな。事前に方々から調べた時に、そういったものが存在するという話は聞かなかった。よもや大天狗が現れる事態にはなるまいよ。まぁ小天狗程度などならあるいは──」

 

 ゴウとの会話の最中、ヴァンパイアが突然口を噤んだ。同時にイヤーパーツをあちこちに向けて動かし始める。

 

「ヴァン、匂うよ。前からだ。こっちに近付いてる」

 

 リカオンが前方の道に隣接する藪の奥をじっと見据えている。彼女は鋭い嗅覚によって周囲の状況を把握できると、ゴウは道中で聞いていた。それは例えばデュエルアバター、他には無制限中立フィールドを闊歩する存在達。

 優れた聴覚を持つヴァンパイアでなくとも、もうゴウにも聞こえる。木々の下に生える草地を、ガサガサと何かが這い回る音。それが段々と大きくなり、やがて前方の藪を突き破って、長い体をしたムカデ型のエネミーが姿を現した。

 全長はおよそ五メートル。扁平な胴体の横幅は五十センチほど。縦に長いが、全体的な大きさからして小獣(レッサー)級に分類されるだろう。

 焦げ茶色の長い胴体には、片側だけで二十本近い肢が生えており、尻の先端には二股の棘、茶色い頭にはくねる長い触角と小さな四対の目の他に、クワガタムシのような大顎が伸びていた。ゴウ個人としては、生理的に受け入れ難いビジュアルだ。

 ──特にあの肢の数が駄目だ。ダンゴムシとかは平気だけど。前に見たジャンクネクターは、肢がいっぱいあっても何とも思わなかったんだけどな。あれは機械っぽかったからか。

 

「げ……キモいなぁ。何であんなに肢がワサワサあるんだろ」

「あ、やっぱりそう思います?」

 

 宇美がゴウの抱いたことと同じ感想を口にすると、すでに体の中間部分まで方向転換させてこちらを睨んでいるムカデエネミーは、鎌首をもたげるヘビのように体の前半分を起こして、ガチャガチャと顎を鳴らした。元々エネミーは目に付いたバーストリンカーを襲うものがほとんどではあるが、今回は悪口を言われたからか、より怒っている気もする。

 ともかく、通り道を塞ぐように陣取られているので、戦闘は避けられないとゴウが身構えると、隣にいたヴァンパイアが一歩前に出た。

 

「オーガー、フォックス。ここはひとつ、ワガハイ達フリークスだけでやらせてもらいたい」

「え? でも僕ら大丈夫だよ。多少アレなデザインでも、戦闘になれば腰が引けたりは……」

「いや、そうではない。実際に我らフリークスがどれだけやれるか、貴公らに見てもらおうと思ってな。それに──」

 

 ヴァンパイアが腰に提げられた鞘から、ショートソード型の強化外装《ブラッド・サッカー》を引き抜いた。

 

「この程度のエネミー一匹、ゲストの手を煩わせるまでもないわ。フリークス総員、戦闘用意!」

 

 ヴァンパイアの号令の下、メンバー達がゴウと宇美の前に出て、各自左右に散開する。

 

「顎と尻の棘には特に注意。狙い目は関節の間だ。マガジン、レンズ」

「よっしゃ! 任せてくんな、アニィ!」

「……!」

 

 ヴァンパイアの指示に、一団の中央を陣取ったマガジンと、彼の広い肩に足をかけて乗るレンズがそれぞれ頷いた。

 マガジンが太い両腕を前方に突き出す。すると、その前腕部に走る粗い縫い目に似たラインに沿って、上下左右に一門ずつ、左右の腕を合わせて計八門の小機関銃がジャキキキキン! と音を立てて展開された。

 一方でレンズの顔面の数ミリ前方には、半球バイザーの表面に灯る、瞳の虹彩を思わせる赤い光点と同色の光が収束していく。

 

「いくぜ、マガさん! せーの!」

 

 そしてレンズの合図で、レンズの顔面の先から一本の真っ赤なレーザーが、マガジンの腕に内蔵されていた機関銃から弾丸の群れが、ムカデエネミーの頭部めがけて発射された。

 

「そら、かかれ!」

 

 そう言いながら自らも駆け出すヴァンパイアの他、リカオンとボーンズが前へ出ると、頭部へ集中的に弾丸の雨とレーザーを食らって後退する、ムカデエネミーの横に回り込んだ。

 リカオンはいつの間に召喚したのか、分厚い刀身をした大鉈型の強化外装(《ハウンド・カッター》という名前らしい)を片手に握り、ボーンズは肋骨部分の装甲が変化した、大振りのダガーナイフを一本ずつ両手で逆手持ちにしている。

 そのまま二人は、ムカデエネミーの長い体を形成する節の間をそれぞれ斬り付けた。斬撃の後に、少し遅れて緑色の体液が飛沫になって飛び散り、エネミーの体力が減少する。

 近接班を巻き込まないようにレンズとマガジンの遠距離攻撃が一旦止まると、ムカデエネミーは起こしていた上半身を地面に着けた。すぐさま体をぐりんと右に折り曲げ、一番手近なヴァンパイアに狙いを定めて大顎を広げる。

 

「危な──」

 

 ゴウが危険を知らせようと声を上げかけた瞬間、巨大な鋏のようなエネミーの左側の顎に緑褐色をした帯状の物体が数本絡みついた。帯はぴんと張り詰めると、ヴァンパイアに向いていたエネミーの頭部を無理やり引き寄せ、動きを止める。帯を辿っていくと、それは包帯状の装甲が全身に巻き付いたラッパーの右腕から伸びていた。

 

「助かるぞ、ラッパー!」

 

 仲間の援護に礼を述べたヴァンパイアが剣を振るい、ムカデエネミーが右側の肢が二本切断された。またもエネミーの体液が飛び散る。

 それからも、フリークスはエネミー相手に優位に立ち回り続けた。

 基本はヴァンパイア、リカオン、ボーンズの三人が近接攻撃を繰り出し、エネミーが攻撃に移ると飛び退く。すると入れ替わりに、マガジンとレンズが同方向から、あるいは双方向から遠距離攻撃を行い、体力を削っていく。ラッパーは近接攻撃に加わりつつ、エネミーを帯で縛り、動きを妨害する。

 それはゴウの目から見て、よく統制の取れた連携だった。ヘイトコントロールも上手く、一人が飛び抜けて突っ走ることもないので、エネミーが集中的に一人を狙う事態にはならない。

 また、ムカデエネミーが尻の棘を発射したり、体を横回転しながら行う突進などで、掠り傷程度ながら誰かがダメージを受けると、他のメンバーがエネミーの注意を引いて立て直す時間を稼いでいた。

 これは小規模レギオンの強みだ。同じ面子で集団戦闘をする機会が多い分、メンバー間による個々の動きの把握や、チームワークの練度が自然と上がる。

 

「キエェイ!」

 

 戦闘開始から数分後。鋭い声を上げて跳躍したヴァンパイアの剣が、エネミーの首裏、体節部分の隙間に深々と突き刺さった。

 これがとどめとなり、すでに何発か必殺技も受けていたムカデエネミーは、甲高い断末魔の叫びと共に爆散する。

 

「お疲れー」

 

 戦いに巻き込まれないように離れた位置にいた宇美が、拍手をしながらフリークスメンバー達に駆け寄り、宇美の隣にいたゴウも付いていく。

 

「エネミー戦、慣れてるの? 凄く動き良かったじゃない」

「ふっ、ざっとこんなものよ」

 

 宇美の称賛を受け、剣を鞘に納めるヴァンパイアが事もなげに返すも、褒められること自体は嬉しいのか、その声に込められた喜びを隠しきれていない。

 グータッチやハイタッチをしながら仲間達が集合する中、大鉈を肩に担ぐリカオンが、快勝でやや緩んだ空気を引き締めるように口を開く。

 

「小物一匹倒したくらいで浮かれすぎるんじゃないよ。まだまだ先は長いんだからね。……それにしてもこの汁、ひどい匂いだ」

 

 腕に付着したムカデエネミーの体液に、顔をしかめるリカオン。周りの地面にも飛び散ったそれは、確かにつんとした刺激臭が発生していてゴウの鼻にも届く。

 

「ふむ、どうやらダメージを受けるような酸の類が含まれてはなさそうだ。進む内に水場もあるだろうから、そこで洗い落とすとしよう」

 

 自分のマントにも付着した緑の液体をヴァンパイアがしげしげと観察してから、顔を上げて全員に向き直る。

 

「ようし、幸先よく勝利を飾ったな。なに、我らの前ではあのようなムカデの一匹や二匹、また出てきても恐れるに──」

 

 その後の言葉は、ヴァンパイアの口から出てこなかった。

 道の前方で、音を立てて土煙が上がったのだ。土煙の中から出てきたのは、焦げ茶色をした長い体、その先端に生えた湾曲した大顎。

 たった今、フリークスが倒したものと同じムカデエネミーが二体、地中から現れたのである。

 更にゴウ達が通ってきた背後の道にも、同じく地面の土を突き破って、こちらは三体のムカデエネミーが同時に現れる。顎の形状がわずかに異なる以外に、五体のムカデに差異はない。

 

「……なんと。まさか五匹が一度に来るとは……兄弟かな」

「言ってる場合かい」

 

 呟くヴァンパイアに、リカオンが唸りながらツッコミを入れた。

 



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第二十八話

 第二十八話 (いざな)

 

 

 

「ちくしょうめ……。土ん中からじゃ、俺っちの目もアニィの耳もくぐり抜けられるってか」

 

 五体のムカデエネミーに囲まれ、自然と背中合わせの陣形になった一同の中で、レンズが悔しそうに歯嚙みした。

 

「おいおいマジか? エネミー狩りでこんなに早く仲間のエネミーが現れたことなんて、今までなかったぞ」

 

 困惑気味のボーンズの言葉には、ゴウも同意見だった。最初から集団で行動していたエネミーならともかく、単独行動していたエネミーとの戦闘開始から、数分しか経っていないこの短時間で集結するのは、やや不自然だ。何か理由があるはずだと考えたその時、地面に散らばったムカデエネミーの体液がゴウの目に留まった。

 

「多分、あれの匂いだ。それとさっきまで戦っていた奴の鳴き声に反応して寄ってきたんだと思う」

 

 強い匂いを発する体液。よく響く甲高い鳴き声。どちらも仲間を呼ぶには妥当な手段だ。藪の中から出てくるのではなく、地中を通ってきた上に挟み撃ちまでしているのは、敵である自分達を逃がさない為か。

 基本的にブレイン・バーストではどの属性、どのステージでも地面は破壊不可能である。繰り出した攻撃や、その衝撃の余波等で数十センチ程度まで凹むことはあっても、数メートル下まで穿孔するデュエルアバターなど、少なくともゴウは見たこともない。エネミーにしても《砂漠》ステージの流砂から飛び出してくるものを何種か見たことがある程度なので、この状況は予想だにしていなかった。

 こちらは八人。向こうは五体。数の上ではゴウ達が有利でも、基本的に小獣(レッサー)級エネミーでも単体でレベル7のバーストリンカーと対等に近いとされている。

 このパーティーの編成は最大のレベル6がゴウ、宇美、ヴァンパイアの三人。レベル5がリカオンとマガジン。残るラッパー、ボーンズ、レンズがレベル4。頭数の有利で差が埋まるかどうかは微妙なところだ。

 

「……致し方無いか」

 

 固い声で呟いたヴァンパイアが、エネミー達に切っ先を向けていた剣を収めると、両手でマントを大きく広げた。

 

「諸君。ここまで登ったのに勿体ないが、まずはこの場を脱するぞ。《アサルト・バッツ》!」

 

 ヴァンパイアが必殺技コマンドを唱える。直後、日没寸前の空を切り取ったようなグラデーション処理がされたマントの彼方から、何十匹ものコウモリが飛来した。以前にゴウと宇美とのタッグ対戦でも見せた、撹乱用の必殺技だ。

 コウモリの群れはゴウ達の頭上で五つの塊となると、それぞれがムカデエネミーの頭部へと殺到した。

 

「三十六計逃げるに如かず。ワガハイに続けぃ!」

 

 そう言うや否や、ヴァンパイアが山道横の谷へと滑り降りていく。

 戦闘を避けようにも前後の道は敵に挟まれ、左右は急斜面であるこの状況。よじ登っている時間がない以上、逃走を図るには下るしかない。

 エネミー達がコウモリに気を取られている間に、仲間達と共にゴウもヴァンパイアに続いて急斜面へ身を躍らせた。

 

「う、わわ……」

 

 走っているのか、転げ落ちているのか。その中間のような体勢で、思いの外に出る速度にゴウの口から勝手に声が漏れる。

 背後からは草の根を掻き分ける音が微かに、されど全く途切れることなく聞こえてくる。ムカデエネミー達が長い体を草に擦らせながら、執念深く自分達を追いかけてきていることが、振り向かずともゴウには分かった。

 ──ターゲットから外れないと、どうにもならないな。このまま撒くのは難しいか? 

 ゴウの推測通り、倒したムカデエネミーの体液の匂いが目印になっているとすれば、エネミー達はそれを辿って、付着しているヴァンパイア達を追いかけ続けるだろう。短時間だけ視界から消えたところで意味はあるまい。

 ──それか、僕が時間を稼ぐ……? 《限界突破(エクシーズ・リミット)》の力で周りの木をなぎ倒して道を塞いで……。それか汁がかからないように立ち回って、皆が逃げ切ったら僕も身を隠す……。いや、五体全部が僕に向かってくるとも限らないか。

 意識せずとも足が勝手に前へ出ながら進み続け、ゴウの頭の中にプランが浮かんでは消える。

 その時、ゴウの前方を走っていた、ヴァンパイアを始めとする先頭の何人かが一際茂った藪を掻き分けて、もとい飛び込んで藪の向こう側に消えた。途端に叫び声。

 その理由をゴウが理解したのは、藪を境に斜面の角度が垂直へと変わった絶壁から、走る勢いが止まらずに身投げしていた時だった。

 

「うわああああああ──────ぅぶっ!?」

 

 三十メートルほどの高所落下によるダメージを、せめて最低限にしようと申し訳程度の受け身の体勢を取るゴウを待っていたのは、硬い地面ではなく、ひんやりとした泥の沼だった。

 ぞぶぅんっ! と派手な音を立てて全身が沈み込む。もちろん頭も泥に埋もれて周囲が無音になり、何も見えない。

 底がないのか、それなりに深いだけなのか。足が底に着かない泥の中で、ゴウは四肢を大きく動かしてもがいていると、上半身が空気に触れるのを感じ取った。

 

「っぶはぁ!」

 

 頭を振るって泥を払い落とす。周囲を見ると、少し離れた所でいくつかの人の形をした泥の塊が、ゴウと同様に息を吐き出し、グニャグニャと動いていた。おそらくは自分も、他の仲間達からは同じように見えているのだろう。

 まずは岸に上がらねばと、直径四十メートル近い円形状の泥沼の端をゴウが目指していると、泥を掻く腕が何かに触れた。

 まさかエネミーかと身構えたが、ぼこりと音を立てて泥から突き出たそれは、目を凝らすと誰かの足の先端だった。

 ゴウはその足の周辺で両腕を手探りで動かし、感触から誰かの腕を掴んだことを察知した。泥の抵抗を受けながらも、両腕に力を込めて引き上げていく。

 

「ふん! ぬぬぬぬ……!」

 

 ゴウ自身、泥沼の底に足が着いていない状態なので踏ん張りが利かず苦労したが、なんとか腕を引き上げた。すると、もう片方の腕が伸び、その間から頭部と思しき泥まみれの塊が浮き上がる。

 

「べぺっ! んん……オーガー?」

 

 引き上げたのはラッパーだったらしい。泥をいくらか払い落としても、元より包帯でぐるぐる巻きになっている顔は表情が読み取れない。

 

「オーガーが引き上げてくれたんだ。ありがとね」

「どういたしまして。それより他の人を引き上げるのを手伝ってほしいんだ」

 

 それからゴウとラッパーはどうにか岸まで這い上がると、自力で岸まで辿り着けずに泥沼で立ち往生している、仲間の何人かへ向けてラッパーが帯を伸ばし、それを掴ませたらゴウが綱引きの要領で引き寄せるという形で救出していった。

 最後に重量級のマガジンを他の仲間と力を合わせて引っ張り上げ、全員が泥沼から脱出することに成功する。

 泥まみれの一団を見渡し、同じく泥を全身から滴らせるヴァンパイアが、マントにべったり張り付いた泥を落としながら言った。

 

「全員、泥だらけなことを除けば無事そうだな……。同じ地点に落下して衝突、などということも起きずに何よりだ」

「あのムカデ達は撒けたみたいね」

 

 自分達が飛び込みを決めることになった断崖を宇美が見上げている。

 さすがに全くの無傷とまではいかないが、それでも泥沼がクッションの役割を果たしてくれたことで、誰もほとんどダメージを負わなかったのは不幸中の幸いか。

 ただゴウの見立てでは、あのムカデエネミー達なら多脚を駆使して岸壁をやすやすと這い降りてきそうなものだが、あの長い体は影も形も見えない。どうやら本当に逃げ切れたらしいと胸をなで下ろそうとした、その矢先──。

 

 雑木林の向こうから、草が踏み締められ、木の葉が擦れる音が聞こえた。音は止むことなくどんどん大きくなるだけでなく、わずかな震動まで発生し、何か巨大なものが近付いているのが分かる。

 

「ひとまず身を隠そう。向こうの茂みに移動だ」

 

 小声のヴァンパイアが指差す、茂みの陰へと全員で速やかに移動すると、ゴウ達と入れ替わる形で一体のエネミーが姿を現した。

 ぱっと見たデザインは森に溶け込む、抹茶色で迷彩柄の毛並みをしたイノシシ。だが、大きさが尋常ではない。目測で体高四メートル、体長は九メートルと、大型のEVバス並みだ。間違いなく巨獣(ビースト)級に分類されるだろう。

 その巨体を支える為か、蹄のついた太い肢は左右合わせて八本もある。やや上反り気味に前方へ伸びた二本の牙など、もはや破城槌と呼べるものだ。

 ここでゴウは自分達がムカデエネミーから逃げ切れたのは、より強力な存在である、このイノシシエネミーの縄張りに入ってしまったからだと悟った。

 あのムカデエネミー達を一すすりで喰ってしまいそうなイノシシエネミーは、バルルルル、バルルルル、と前時代的なガソリン式エンジンの排気音じみた、重低音の唸り声を口から漏らしつつ、のっしのっしと進み続ける。

 その前方には、ゴウ達が泥沼から這い出た場所。膝上程度まで草が伸びてはいるものの、少し目を凝らせば点々と垂れている泥を辿って、今こうして茂みに隠れている自分達に突き当たるのは容易だ。

 誰もが声を発さず、身じろぎもしない緊張状態。動向を注視されている中でイノシシエネミーは──脇目も振らずに泥沼へ入っていった。

 その巨体の全身を一度泥沼に完全に沈めてから、にゅっと顔を出す。泥を被った頭部だけを水面から出したまま、ぶふーっとどこか満足げに鼻を鳴らすと、大猪は岸辺に顎をつけてそのまま動かなくなった。

 この場に居座られてしまい、内心で焦るゴウだったが、しばらくすると規則的な鼻息と唸り声が聞こえてくる。これは……。

 

「……寝てる?」

「確かめよう。ちょっと待ってな」

 

 呟くゴウに、ボーンズがひそひそと返すと、羽織っている襤褸マントの中から小さく、ごきんと音がした。すると、マントから骨の右腕が現れる。

 単に腕をマントの外に突き出したわけではない。腕はボーンズの体から離れて、何の支えもなく浮いていた。骨を模した自らの装甲を操るボーンズのアビリティ、《骨格標本(スケルトン・パージ)》によるものである。

 彼の四肢は全て装甲のみで構成されているので、腕も脚も丸ごと本体から取り外して操作でき、初対面時にゴウと握手した右手を取り外してみせたのも、このアビリティによるものだった。

 また、先程の戦闘時のように、肋骨部分の装甲を分離させ、武器として扱うこともできる。

 そんな遠隔操作されたボーンズの右腕は、浮遊して泥沼近くまで移動してから、草の地面を潜ってガサガサと音を立てていく。

 イノシシエネミーは全く動かない。ボーンズが更に大きめに音を立てても、ピクリともしない。

 

「……どうもバスタイムにご満悦で熟睡中のようだな。強者の余裕か、いずれにしてもこの機を逃す手はない」

 

 警戒は解かないままヴァンパイアが移動を開始し、一行は極力音を出さないようにして、イノシシエネミーの縄張りをそろりそろりと後にするのだった。

 

 

 

 その後。イノシシエネミーと充分に距離を取ってからしばらくすると、小川を発見して全員でアバターの体に付いた泥を洗い落とした。

 結果的に、ムカデエネミーの群れと巨大なイノシシエネミーを立て続けにやり過ごし、ようやく運が回ってきたと思われたゴウ達だったが、この小川を最後に幸運が尽きたらしい。

 

「……だー! あー、もー、ちくしょうめ!」

 

 いきなりレンズが大声で喚きだし、お手上げとばかりに両手を上げた。

 

「ちょっとレンズ……」

「だってよ、この森おかしいぜ。いつまで経っても抜け出せやしねえじゃんか!」

 

 リカオンが窘めようとする前に、レンズがそれを遮る。

 レンズの主張は、ゴウにしてみても同感だった。

 小川を出発してから、かれこれ一時間以上歩き続けているというのに、立ち並ぶ木々は全く途切れることがない。

 それどころか、登山を開始してからの道のりはほとんど傾斜だったのに、イノシシエネミーの縄張り以降、ゴウの体感的にはほぼ平坦なままだ。山道とて終始坂道しかないわけではないだろうが、これはさすがにおかしい。しかも異常なのはそれだけではない。

 一晩の休息を経て、加速世界の太陽が昇って間もなくに入山した当初は、朝の日差しが木漏れ日となって降り注いでいたというのに、いつの間にか空は曇り、周囲のどこを向いても霧が立ち込めている。そのせいで、現在は数メートル先もおぼつかないという状況だ。《平安》ステージで天候変化によるギミックは、ゴウの記憶には存在しない。

 

「さっきより霧、濃くなってない?」

「同じ所をぐるぐる回っているわけじゃないよね。ちょくちょく木につけてきた目印、一度も見ないんだもの」

 

 ラッパーと宇美の声には、どこか不安さが含まれていた。

 二人だけではない。ゴウも、他の誰もがそのはずだ。先の見えない現状というのは、どうしたって不安を掻き立たせる。

 

「なぁに、案ずることはない」

 

 しかし、そんな中で先頭のヴァンパイアは、のんびりとした調子で口を開いた。

 

「フォックスの言うように、未だ一度も目印に突き当たらないということは、我々は堂々巡りに陥ってはいないということだ。ならば、こうして歩いていれば道はいずれ開けるであろうよ」

「でも、ヴァン。君の《反響定位(エコーロケーション)》もうまく働いてないんだよね? やっぱり妙じゃ……」

「確かに。エネミーの匂いも気配もしないしね」

「ほほう、妙?」

 

 リカオンの補足が加えられたゴウの遠慮がちな意見に、ヴァンパイアは足を止める。その場でくるりと振り返ったその表情は、どこか面白がっているふうにも見えた。

 

「妙、奇妙、奇妙奇天烈。結構なことではないか。ワガハイが聞き回りかき集めた情報で、こんな場所があるとは一度として聞かなかった。ブレイン・バースト八年──いやさ八千年の歴史でも、一応は東京都に分類されるこの場所でも、まだ未発見の場所があるという証左だ。……まぁ、それだけこの場所が皆に興味を持たれなかっただけかもしれんが」

 

 最後だけ少し口ごもり気味になりながら、ヴァンパイアは続ける。

 

「なんとも心躍る話ではないか。それにいざとなれば、派手に必殺技を使いまくって霧など吹き飛ばしてしまえば──ストーップ! マガジン、今じゃない。やるとしたら自動切断の時間が迫ってからだぞ」

 

 ガチャガチャと武装を展開しだすマガジンを、ヴァンパイアが慌てて制止する。

 

「エネミーが霧の向こうから現れたとしても、おかしくはないからな。ゲージはまだ温存するのだ。あとは自動切断で一度現実に戻ってから、オーガー達とも時間を合わせて再ダイブというのも手だ。現実時間で五分か十分そこら時間を置けば、《変遷》も行われているだろう」

「変遷を跨いでも霧が晴れてなかったらどうすんのさ」

「……アーアー、キコエナーイ。キコエ──痛い!」

 

 イヤーパーツを押さえて質問を雑にごまかそうとするヴァンパイアに、リカオンが彼の太腿をげしっと蹴った。

 そんな二人の掛け合いに、小さいながらも笑いが起きる。

 ──もしかして、場を和ませようとしたのかな。

 ゴウは漠然とそんなことを思いながら、蹴られた箇所をさするヴァンパイアを見やる。意図的に三枚目を演じている──のかは正直微妙で判断がつかない。

 

「おー痛てて……さぁ我らがリカオンもまだ元気が有り余って──唸るな、冗談であろうが。ともかく、もう少し足を動かそうではないか。我々の冒険はまだ始まったばか──り゛っ!?」

 

 皆を奮い立たせる言葉を投げかけながら、後ろ歩きで進み出すヴァンパイア。そんな彼の後頭部で鈍い音がした。

 

「アニィ! 大丈夫か!?」

「お、おおう……」

 

 レンズが慌てて駆け寄る。

 しかしヴァンパイアには悪いが、頭を押さえて呻く彼よりも、そのぶつかった物の方にゴウの焦点は注がれていた。

 

「石の……柱? いつの間にこんな……」

 

 そこにあったのは、縦に長く、やや角張った形状の石らしき柱。

 いくら霧が濃いとはいっても、こんな至近距離で輪郭さえ目に映らないことなど有り得るだろうか。よくよく見れば、どうして気付かなかったのかと思うほどに石柱は存在感を漂わせている。ただの無機物オブジェクトが放つものとは思えないほどに。

 不思議に思いつつも、石として相応に凹凸のある表面にゴウが何気なく触れようした寸前──。

 

「え……?」

 

 ゴウだけでなく、他の皆もどよめいた。

 周囲を覆っていた濃霧が、みるみる内に晴れていくではないか。呆然とその光景を眺めていたゴウは再び驚いた。

 石柱と三メートルも離れていない場所に、同じ形状をした石柱が一本立っている。

 更には霧が晴れたことで判明した石柱の高さは約五メートル。そんな二本の石柱の天辺に、これまた同じ長さの石柱が横倒しに積まれ、両端が微妙に突き出た形となっている。三本の石柱が形成するその姿は、イギリスのストーンヘンジを連想させ、また簡素ながらも、どこか神社の鳥居のような印象をゴウは受けた。

 そして、石の鳥居の向こう側は土の地面ではない、舗装された石敷きの道が続いている。まるで鳥居を境界線に、この先は別の領域だと主張しているかのようだった。

 

「おお……!」

 

 景色が一変したことによる静寂は、ヴァンパイアによって破かれた。彼はアイレンズを輝かせながら、石の鳥居とその向こうに続く道を食い入るように見つめている。

 

「奥が開けているな、建物も見える。あれは現実の建物に即しているのか? いや、この周辺は現実ではただの山中のはず……正確な場所が把握できていない今、何とも言えないか。……真実はどうあれ」

 

 ぶつぶつと分析をした後、ヴァンパイアが大仰に両腕を天へと掲げた。

 

「これを無視して引き返すバーストリンカーがいるだろうか? いやない! いざ征か──」

「ちょっとお待ち」

 

 意気揚々と駆け出そうとしたヴァンパイアは、マントをリカオンにぐいと引っ張られ、ぐえっと呻いて仰け反った。

 

「何故止める! あと、マントは引っ張るなといつも言っとるだろが!」

「うっさい! 興味あるもの見つけたからって、一人で突っ走んじゃないっていつも言ってんでしょうが!」

 

 掴まれた手から、自らのマントを引き剥がして憤るヴァンパイアに、それ以上の剣幕でリカオンが返した。

 リカオンがゴウと宇美に首を向ける。

 

「フォックス、オーガー。どう見る? この先に進んで大丈夫だと思うかい?」

 

 リカオンの問いにより、他のフリークスメンバーの視線もゴウと宇美に注がれる。仮にも今回の来賓兼用心棒である、自分達の考えも聞いておきたいのだろう。

 ゴウは改めて石の鳥居とその先の空間を見つめる。

 ──木に囲まれた……広場かな。エネミーの巣? 縄張りに入った途端に出現するタイプなのかも……。

 リスクを避けたいのなら、回れ右をするのが無難だ。霧も晴れた今、山頂へ続く道を探すことも難しくはあるまい。

 だが、ヴァンパイアが言ったように、ここまでいかにもな隠しエリアめいた場所を前にして、無視を決めるというのはバーストリンカーとしてあまりに勿体ない話である。そう何度も狙って辿り着けるとは限らないとすれば尚更だ。

 そうなると答えはひとつ。

 

「……僕はせっかくだから進んでみるべきだと思う。フォックスさんは?」

「そうだねー…………まぁ、良いんじゃない? もしも強いエネミーが出たとしても、あそこからここまでそんな遠い距離でもないし、逃げることもできるでしょ」

「よし決まりだ」

 

 ゴウに訊ねられた宇美も同じく肯定的な意見を出すと、その答えを待っていたとばかりに、ヴァンパイアが声を上げた。

 

「貴公らならば、そう言ってくれるだろうと信じていたぞ」

 

 そら見たことか、と言いたげなヴァンパイアの視線を受けて、リカオンが肩をすくめる。

 

「別に行くなとは言ってない。アタシは『一人で突っ走るな』って言ったの。アンタはウチの大将なんだからね。少しは腰を据えなさいなってこと」

「分かった分かった。では、改めて征こうではないか。皆揃ってな」

 

 保護者じみたリカオンの小言に頷きながらヴァンパイアが歩き出し、皆と共にゴウも続く。

 ただ、ゴウがこの先に進むことを望んだのは、好奇心だけが理由ではなかった。漠然とした何かを石鳥居の向こうから感じ取っていたからだ。

 ところが、奇妙な感覚は鳥居をくぐった途端に、ふっと消えてしまう。

 

「……?」

 

 結局ゴウはただの気のせいと思い、抱いていた感覚を仲間の誰にも話すことはなかった。

 



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第二十九話

 第二十九話 王を騙るコウモリ

 

 

 石鳥居をくぐり、百メートルそこそこの長さをした石敷きの道の先にあったのは、森の中に七、八十メートル近く縦横に切り拓かれた、正四角形の空間だった。

 高さ三メートルはある木製の柵が敷地の境界線となっている。そこより外は、ゴウ達が通ってきた道の左右と同じように、やけに狭い間隔で並ぶ、紅葉をつけた木々が立っていた。

 入って右奥の隅には、大きめの石で縁を囲った池。左側の中央には、(くら)らしき建物が一棟。そして、敷地内にはゴウの腰元ほどまでの高さをした、白い岩が十個近くまばらに点在し、この場一面に敷き詰められている砂利は、川の流れを思わせる模様を描いている。枯山水(かれさんすい)というやつだろうか。

 見る人が見れば何かしら感じるものがあるのかもしれないが、『侘び寂び』というものが全く分からないゴウは、ひどく殺風景でやけに広い庭園という単純な感想しか抱かなかった。

 

「うむ、どう見てもあの建物が怪しいな。他に目ぼしいものもなし」

 

 ヴァンパイアが指し示した蔵まで皆で歩いていく中、ゴウはこの場所について考えていた。

 現代では観光地である山々にも、あちこちにソーシャルカメラは設置されている。さすがに山全体にくまなく設置することは不可能でも、正規の山道や過去に事故が発生した地点に設置することで、遭難事故を防ぐ一助にもなっているらしい。

 そんなソーシャルカメラの範囲外の場所も、推測補完が為されるので加速世界の地形が虫食い状態になったりはしない。

 ではこの場所は、その推測補完された空間にどういった意図で作られたのか。

 ムカデエネミーの集団から逃れるのに山の傾斜を滑り降りる前は、ゴウ達は高尾山の一号ルート、現実でのリフトやロープウェイ乗り場の手前辺りに当たる場所まで進んでいた。そこから斜面を滑り降りても、ロープウェイやリフトの路線を除いて、山間は手つかずの自然が残るだけのはずだ。

 それでいてこの場所は、たとえいかなるステージであっても、そのステージに合わせたデザインとなって存在し続けるという、理由なき確信がゴウにはあった。現在は《平安》ステージ故の和風的景観なのだろう。

 ──この不自然さからして、何らかの条件を満たすことで入れるようになる隠しエリア。やっぱりそう考えるのが自然か。

 推測補完で作り出された空間に、現実とはリンクしない領域を作成することも不可能ではないだろう。それが比較的小規模のものであるなら、尚のことである。

 ブレイン・バーストにそういった場所があることを、ゴウはすでに知っている。半年に一度の限られた時間内にのみ横浜エリアの海に現れる、幻のダンジョンを脳裏に浮かべながら、ゴウは改めて推測を立てていく。

 ──アレは特殊すぎるにしても、決められた道を辿るとか、一定時間決まった範囲内に留まるとか、そういう条件をクリアして入り口が現れるのかも。いや……ここがどうやったら行けるのかは、もう気にする問題じゃない。問題は……。

 そうこう考えている内に、一行はもう蔵の目の前まで来ていた。

 外から見るに、学校の教室の半分ほどの面積。建物の基礎部に据えられた柱が、瓦屋根の四隅を支えるようにして出っ張った屋根と繋がっている。白塗りの壁には窓も格子もなく、内部は外からは全く見えない作りだ。こうして近くで見ると、(ほこら)のように見えなくもない。

 

「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。ボーンズ、頼む」

「はいよっ」

 

 ボーンズがヴァンパイアに頷き、《骨格標本(スケルトン・パージ)》アビリティによって体から離れた両腕が浮き上がった。

 ボーンズの腕が両扉の持ち手に手をかけると、ゴウも他の皆も、開けた瞬間に中から何かが飛び出してくることも想定し、少しだけ木製の扉と距離を空けて身構える。ところが──。

 

「いくぞ、せーの…………あれ?」

 

 ボーンズが首を捻る。体から離れて扉の持ち手を掴む腕が、押したり引いたりと力を込めているのに、扉はびくともしない。

 奮闘するボーンズに、レンズが首を傾げて訊ねる。

 

「どしたい、ボンさん」

「ふっ! くっ! ふぬぬぬ…………だぁ! はぁはぁ……駄目だ、開かねえ……」

「ちょっと僕にやらせて」

 

 腕を切り離した肩を上下させているボーンズに代わり、ゴウは扉の前に立った。

 持ち手を握ったまま垂れ下がっていた骨の腕がボーンズの元へ戻っていくと、ゴウは持ち手を掴み、まず引っ張ってみる。

 開かない。次に押してみる。開かない。レールなり溝なりもないので、多分無理だろうと思いつつ、横にスライドさせようとする。やっぱり開かない。

 金属質の持ち手は木の扉に施工されているだけで、鍵がかかっている様子はない。そもそも鍵穴の類は両扉のどちらにも見当たらない。

 加えて《剛力》アビリティの腕力で開くどころか軋みもしないことから、ゴウはひとつの答えを出した。

 

「多分、システム的にロックされた破壊不能オブジェクトだと思う。力で開けるのはまず無理だよ」

 

 無制限中立フィールド内における建物へ進入可能なステージでも、閉め切ってある窓からではその建物に入れないというのは、そこまで珍しい話ではない。

 

「せっかく目の前に金庫があるのに、肝心のパスコードがないから指くわえて見てるだけってのは、もどかしいねぇ」

 

 ゴウの言葉を受けて、リカオンが嘆息する。

 彼女の言う通り、この手の扉を開けるには、やはりプレイヤーが『鍵』となる条件をクリアしていなければならないのだが……。

 

「どうする? それがアイテムタイプでこの山のどこか別の場所にあるとしたら、もう手詰まりじゃ──」

 

 落胆ムードの中、宇美が言い辛そうに口を開いた、その時。

 庭園の中央部から爆発のような轟音が響いた。

 蔵の扉に背を向ける形で立っていたゴウだけが、上空から何かが高速で降ってきた瞬間を目撃していた。

 全員が振り返り、注目する視線の先にあるのは、球状に渦巻く巨大な風の塊。やがて砂利と砂埃を巻き上げる回転は勢いを減衰し、風の塊は霧散した。

 川の模様を描いていた砂利が混ぜ返された地面の中心に、人の形をした何かが立っている。ゴウは最初、それが四メートルを超える巨人に見えたのだが、厳密にはそうではなかった。

 身に纏っているのは山吹色の法衣と袴。法衣の上には、正面から見て六つの丸いひだの付いた袈裟。

 手足にはそれぞれ白い手甲と脚絆(きゃはん)がはめられ、一本歯の下駄を履いている。

 額には小さな帽子らしきものが括り付けられていた。ゴウが頭の中で引っ張り出した知識では、確か頭襟(ときん)とかいう装飾品だ。

 これらは山伏(やまぶし)、修験者の衣装である。

 そんな山伏装束をした巨人の背中には、カラスのように真っ黒な羽でできた、翼が生えていた。

 額の広い頭部は、白い髪の毛とたくわえられた口ひげや顎ひげが一体化して、まるでライオンのタテガミのよう。波打つ白い毛から覗くその肌は、熟れたトマトよりも赤い。

 そして顔面の中心に位置する、存在感の際立つ長い鼻。その長い鼻だけで、大抵の日本人はある存在が容易に思い浮かぶだろう。

 

「天狗……!」

 

 言葉が自然と、ゴウの口を突いて出ていた。数十メートル以上の距離が離れていても、その特徴的な頭部は見間違えるはずもない。

 また出現のタイミングこそ驚いたが、エネミーとして現れることにもさほど不思議ではない。なにせ、この高尾山は天狗の伝説さえある山なのだから。

 

「……頼んでもいないのに向こうの方から来てくれたってことは、あの天狗エネミーを倒せば、この扉が開くって考えていいんだよね」

「あるいはこの場所に近付いた者を、叩き潰す為だけに存在する守護者か」

 

 宇美の問いに答えたのは、どこか神妙な調子のヴァンパイアだった。

 

「天狗、と一口に言っても種類がある。天狗の最高位とされる大天狗は、赤ら顔に高い鼻を持つとされるのだ。……前方にいるアレのようにな」

「それでも神獣(レジェンド)級ってわけじゃないみたいだ。ほら、固有名が表示されてない」

 

 エネミーを見据えると、視界に表示されるのは三段の体力ゲージのみ。システムが定義した名前は持っていないことになる。無論、全く油断はできないが。

 単純な質量だけなら格段に小さいのに、あの天狗からは先程やり過ごしたイノシシエネミー以上の迫力が感じられる。

 ゴウがそう考えていると、出現より棒立ちのまま不動を保っていた天狗エネミーが、すいと右腕を上げた。たちまち天狗の右手に風が渦巻き、風は扇部分が自らの翼に生えたものと同じ黒い羽根で作られた、柄まで含めると百五十センチを超える大団扇(うちわ)へと姿を変える。

 握り締めた団扇を掲げる天狗のその動作に、ゴウは危機感が沸き起こり、大声で叫んだ。

 

「全員、横に散って!」

「ガアッ!」

 

 野太い気合と共に天狗の団扇が振り下ろされると同時に、全員がその場から飛び退いた。

 

 ヒュルルルル────ッパァン!! 

 

 直後に鋭い風切り音と破裂音、それに衝撃がゴウの耳と肌を震わせる。振り返ると、団扇が振るわれた延長線上の地面に深い切れ込みが走っていた。

 

「ぐ……風で作った真空の刃、カマイタチってとこだね」

「こいつぁ、食らったらシャレにならねえぜ……」

 

 焦りが含まれた声を出すリカオンとレンズを始め、皆が裂けた地面を凝視する。

 ちなみに真空刃の直撃を受けた蔵は、傷一つ付いていない。やはりゴウの見立て通り、破壊不能オブジェクトらしい。聞こえた破裂音は真空刃が弾けた音だろう。

 

「ガアアアァァ……」

 

 攻撃を避けられたからか、天狗エネミーはひどく不愉快そうに低く唸ると、背中の翼を大きく広げた。その翼開長は、エネミー自身の背丈の優に倍は超えている。

 ──飛行型な上に、スピードのある遠距離技……厄介だな。

 飛翔して十五メートルほどの高度を維持する天狗エネミーを見上げながら、ゴウは歯噛みする。飛ばれてしまっては、ダイヤモンド・オーガーを始めとする近接型アバターは、おそろしく不利を強いられるからだ。

 アウトローでのエネミー狩りでも、空飛ぶエネミーが相手の場合、向こうが地上へ降下してこない限りはゴウにできることはほぼなかった。おまけに今回の相手は、こちらと距離を取って一方的に攻撃できる手段を持っているのだから、正直やっていられない。

 ふと嫌な予感が頭によぎり、ゴウは足下の砂利を一掴みして、蔵の奥、柵の方へ向けて投げつけた。柵よりも高く放られた砂利は、柵を超えて向こう側に落ちる──ことはなく、何もない空中で弾かれ、庭園の地面に散らばる。

 

「やっぱり……柵を超えて逃げられないようになってる」

 

 よく目を凝らすと庭園の外周を囲う柵の上には、油膜のような虹色の薄い光が発生している。

 わざわざ囲いで仕切られているのは、入って来た者を簡単に逃がさないという意味合いも持つということ。エネミーが現れるより前に気付くべきだった。

 つまりこの場所は、石の鳥居の入り口で予想していた通り、広義的にはエネミーの巣だ。

 出現条件はこの庭園に足を踏み入れことか、蔵を開けようとしたことか。どちらにしても直後ではなく、タイムラグがあったので定かではないが、今となっては過ぎた話である。

 唯一の出口はここに来た時に通った一本道のみ。そこだけは光の障壁が形成されていない。ただし背を向けて直線の道を走っている内に、真空刃で真っ二つという事態は想像に難くない。

 

「……どうやら今回は撤退できる相手ではなさそうだ」

 

 ゴウと同じ推測に至ったのか、ヴァンパイアが腹を括るように、翼を羽ばたかせる天狗を見上げたまま大きく息を吸う。

 

「予定外の事態、予想外の強敵ではある。されど恐れることはない! 貴公らは各々が屈強な戦士であり、今回は助っ人まで付いている。そして何より、未来の《王》たる、このトワイライト・ヴァンパイアがいるのだからな!」

 

 声を張り上げるヴァンパイアの演説めいた激励により、天狗エネミーの攻撃力を目の当たりにし、やや及び腰だったフリークスメンバー達から、萎縮の念が消えていくのが見て取れる。

 

 ──『ワガハイはトワイライト・ヴァンパイア。フリークスのレギオンマスターを務める吸血鬼にして──いずれは加速世界において知らぬ者なき存在となる、《夜の王》である!』

 

 二週間前の対戦中に、ゴウと宇美の前で彼はそう名乗った。

 あの時に口にした《夜の王》とは、てっきり二つ名か何かだと思っていたのだが、どうも加速世界に君臨する《純色の王》を目指すという意味だったらしい。今回町田駅で再会した時にも、似たような文言を口にしていた。

 確かにあの対戦の最中、ギャラリーのほとんどは真に受けていなかっただろうし、事実レベル6ではレベル9へ至る道は遥かに遠い。

 だが、《純色の七王》と同列になると公言できる者が、今のバーストリンカーの中に何人いるだろうか。それもギャラリーが大勢いる中での対戦で。

 もしかするとこの男は、本当にとんでもない大物になのではないかと、ゴウは隣に立つヴァンパイアを見やる。

 

「遠距離攻撃の手段がある者は翼を重点的に狙え! ただし、しばらくは戦闘パターンの把握に集中。決して深追いはするな! 征くぞ!」

 

 オオ──────!! 

 

 ヴァンパイアが腰からショートソード《ブラッド・サッカー》を抜き放つと、メンバー達もまた奮い立ち、勇ましく声を張り上げる。

 その光景は、ゴウに昨晩の出来事を思い出させた。

 



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第三十話

 第三十話 王を語る人狼

 

 

 加速時間でおよそ半日前、ゴウ達がまだ高尾山を目指して進行中だった時のこと。

 日が落ちたので夜の移動を避け、一行は道中で見つけた建物で一晩を明かすことになった。

 

「…………ん……」

 

 微睡みの中から意識が浮上したゴウがアイレンズを開くと、暗闇の中で天井の木目がうっすらと見えた。

 インストメニューからログイン時間を確認すると、消灯からまだ二時間も経っていない。日が昇るのはまだ数時間先だ。

 もう一度寝ようと、板張りの床で寝返りを打つ。

 

「…………うーん」

 

 鎧を身に着けたデュエルアバターの身であれば、別に寝転がる床が硬かろうが眠れるのだが、今は意識がはっきりしてしまってどうも寝付けない。

 ──夜風に当たれば眠くなるかな。

 割とすぐに夜目が利くようになると、ゴウは雑魚寝している仲間達を起こしたり踏んだりしないよう、そっと大部屋から出ていった。

 左右に小さなかがり火が焚いてある入口を通り抜けると、夜風がふわりと体を撫でる。

 心地良さを感じながら何とはなしに首を横に向けると、ゴウの穏やかな気分は瞬時に吹っ飛んだ。

 玉砂利が敷き詰められている少し離れた空き地に転がった、大きめの石の一つに腰かけている人影。その後ろ姿が見えたのだ。

 まさかここで他のバーストリンカーに遭遇するとはと思いつつ、気付かれないよう音を立てずに建物内に身を隠す。一体何者なのかと人影をじっと見据えていると、ゴウの動揺の波が今度は急速に引いていった。

 星の光をほとんど反射しない、真夜中の空をそのまま具現化したような紺青の装甲。頭部には獣の耳の形をした二つの突起と、腰から垂れるテイルパーツ。

 人影の正体はプルシャン・リカオンだった。全員寝ているとばかり思っていたが、彼女も目が覚めていたらしい。ゴウは部屋を抜ける時に、誰かいないかなどは特に確認していなかったので気付かなかった。

 

「……ん? あぁ、オーガー」

「眠れないの?」

 

 いきなり背後から声をかけたら驚かせてしまうだろうと、ゴウがわざと足音を立てて近付くと、リカオンはすぐにこちらに気付いて振り返った。

 

「ちょっと前に目が冴えてね。隣、座りなよ」

「あ、それじゃあ……」

 

 そう促されたゴウはリカオンの隣にあった、小さい椅子程度の大きさをした平坦な石に腰かけた。

 

「加速世界の夜空ってのは良いもんだ。そう思わないかい?」

「綺麗だよね。天体観測とかが趣味の人なら、こういうのはたまらないんじゃないかな」

 

 見上げると、夜空をスクリーンにして月と星々が燦然と輝いていた。

 加速世界では、星の位置は現実の季節とリンクしている。つまり和風かつ秋のテイストであるこの《平安》ステージでも、こうして夜空に散りばめられている星の位置は、現実と同様の七月のものということだ。加速世界のディティールの細やかさには恐れ入る。

 

「個人的にゃ《月光》ステージが好みでね。あの満月の下で戦っていると、体がよく動くんだ」

 

 満月は先週なので、現実と同様に現在空に浮かんでいる月は、欠けていく途中の若干膨れた半月状になっている。

 

「身体能力が上がる? 何かのアビリティってこと?」

「アッハ! やだねぇアンタ、そんなんじゃない。心なしか動きがよくなった気がするってだけ。ちょっとしたジンクスみたいなもんさ」

 

 ゴウの質問にリカオンは小さく噴き出すと、低く喉を鳴らすようにして笑いだした。すぐ近くの建物で寝ている皆を気遣っているのか、口吻の長いマスクの口元に手を当てて声のボリュームを押さえているが、笑いは中々収まらない。

 ──そんな面白いこと言ったかな僕……。

 三十秒近く立って、ようやく笑いの止まったリカオンは、「ごめんごめん」と合わせた両手をゴウに向けてきた。

 

「随分と昔に、ヴァンの奴に同じこと言われたのを思い出しちゃって。こんな見た目だからね、そう思うのも分からなくはないけど」

 

 ふー、と大きく息を吐くと、それまで横並びでいた獣人アバターは、首だけでなく体ごとゴウへと向き直った。

 ゴウも何故だか同じようにしなくてはならない気がして、体の向きを変えてリカオンと対面する形になる。

 

「……改めて、今回はありがとね。アンタもフォックスも、こうしてアタシらに同行してくれてさ」

「道の途中にも言ったけど、そんなの気にしなくていいって。僕もフォックスさんも、好きで君らに協力するって決めたんだし」

「そうは言ってもさ。アタシはね、ヴァンに二十三区から山登りの助っ人を連れてくることができた、って聞かされた時にゃ耳を疑ったよ。それまで二十三区内の対戦の盛り場に足を運んで、バーストリンカーに声をかけちゃあ、その都度断られてたみたいだったからね」

 

 確かに、ヴァンパイアはゴウ達との対戦時のタッグパートナー、グレープ・アンカーにも断られたと言っていた。

 道中で見つけたり、エネミーからドロップしたアイテム類は譲渡するという協力に対する条件を、他のバーストリンカー達もさしたる魅力には感じなかったらしい。そんな中、対戦の縁もあって、ゴウと宇美にお鉢が回ってくる形になったのだ。

 

「ヴァンの奴はバカなところもあるけど……いや、実際にバカなんだけどさ。その上、UMAだの妖怪だの、妙ちきりんなものばっかに食いつく変わり者で、いちいち身振り手振りが大げさな気取り屋で……」

「そ、そんなボロクソに言わなくても……」

「でもさ、良い奴なんだよ」

 

 いきなりの手厳しい意見の連続の後に、組んだ指をいじる手に視線を落としたリカオンは、少し間を置いてからそう言った。

 

「ここに来るまでに、ヴァンがアタシの《親》だって話をしただろ?」

「うん。それでリカオンはレンズの《親》なんでしょ」

 

 リカオンはこくりと頷いた。

 つまりヴァンパイアにとっては、レンズはブレイン・バーストにおいて、いわゆる《孫》という存在になる。

 もっとも、《親子》の関係とは異なり、それ自体にシステム的な繋がりはない。単にそのバーストリンカーのアプリインストール元の、更にその元だったというだけのことだ。

 現実で暮らしている場所によっては、《親子》でさえ所属レギオンが違うというのもまた、特別に珍しいケースではなく、《祖父母(?)》と《孫》の関係なら更に多いとゴウは聞いている。

 

「で、アタシとレンズは実際の姉弟なのさ。東京に引っ越してきたのが、三年前の春。バーストリンカーになったのはその半年くらい後で、ヴァンとアタシは同じ小学校のクラスメイトだったんだ。中学に上がった今じゃ、もう学校も違うけど──」

「ちょっ、ちょ、ちょっと待った」

 

 ゴウはリカオンの話を慌てて遮った。

 

「そんな会って一日も経ってない相手に対して、リアルについて話すのはその……あんまりよくないんじゃ……」

「え? ……あぁ、別にいいじゃないのさ。リアル特定に繋がるような固有名詞を出すわけでもなし」

 

 一瞬だけきょとんとしたリカオンは、ゴウの配慮を無用とばかりに一蹴する。

 

「だから詳しい事情までは話さないけど、当時はアタシもレンズも新しい環境にどうも馴染めなくてね。そんな時にヴァンと授業の課題で同じ班になった。それがきっかけでよく話すようになって、ブレイン・バーストのコピーをして、マガジンとラッパーに出会って、レギオンクエスト受けて、ボーンズが仲間になって、今度はアタシがレンズにコピーして……」

 

 フリークス結成のいきさつを、かいつまんで話していくリカオン。

 二年半近くバーストリンカーであるのなら、それなりに精神年齢を重ねているのだろう。その眼差しには、じんわりと懐古の念が滲んでいる。

 

「レンズにとってはね、ヴァンはヒーローなんだよ」

「ヒーロー?」

「そう。このゲームに限った話じゃない、現実でもね」

 

 頷くリカオンは、視線を自分の体へと落とした。

 

「……知ってるだろうけど、デュエルアバターはその人間の心が形作る。その心の中には、その人間の負の面もだいぶ混ざってる。それどころか人によっちゃ、アバターの見た目は負の側面の塊なのかもしれない」

 

 恐怖や願望、劣等感、脅迫観念などをプログラムが読み取り、デュエルアバターが形成される。それは確かに事実だ。

 事実このダイヤモンド・オーガーの構成要素も、無力な自分を嘆き、シンプルに『強い肉体』を渇望したことが多分に含まれていると、今のゴウは自己分析している。

 

「だからアバターの見た目だけでも、その人間のトラウマみたいなものが、ある程度は察しがついちまうもんさ」

「……そうだね」

 

 その一言だけで、ゴウはリカオンの言わんとしていることに、何となく合点がいった。

 体の端々に痛々しい傷跡のようなラインが走っている、バルサム・マガジン。

 全身にくまなく巻かれた包帯でアバターの素体が一切見えない、ケルプ・ラッパー。

 骨型装甲のみで形作られた四肢を持つ、チョーク・ボーンズ。

 半球形のバイザーゴーグルとそこに浮かぶ一つの光点が、まるで巨大な単眼のような、シグナル・レンズ。

 彼らの姿は、一体どういった境遇によって生み出されたものなのか。

 簡単に聞いていいものではない。デュエルアバターの外見について根掘り葉掘り聞くのは、バーストリンカーにとって最大級のマナー違反である。

 

「自分の殻に閉じこもりがちの弟に、楽しんでもらおうとブレイン・バーストを渡したのに、生み出されたデュエルアバターの姿は弟を傷付けるものでしかなかった。あの時は自分が姉失格だと思ったよ」

 

 リカオンの自嘲を含ませた声が、夜の闇に響く。

 

「そんなレンズを立ち上がらせて、前を向かせたのはヴァンだった。初めて会った時にレベル差もお構いなしに、大人げなく直結対戦でぶつかり合ったんだよ。一歩間違えればより状況が悪くなってたろうけど、結果的にあいつはレンズを日陰から日向に引っ張ってくれたんだ。今じゃアタシよりも、ずうっとヴァンの方に懐いてやがんの」

 

 ──『一度の対戦に勝っただけで、アニィを全ての面で負かしたとだけは思わないように頼んます』

 

 町田駅で出会ってから名乗ってすぐに、レンズはゴウと宇美にそう言った。あのヴァンパイアへの慕いようも、今の話を聞けば理解もできる。

 

「レンズだけじゃない。いたずら好きのボーンズも、ほとんど喋らないマガジンも、なに考えてんだかよく分からないラッパーも、なんやかんやでヴァンを信頼した連中が集まってできてるのが、このフリークスってレギオンなんだ」

 

 そこまで話すと、これまで俯き気味だったリカオンが顔を上げた。

 

「……ま、要するにヴァンは曲がりなりにもうちの大将で、その大将が信用して連れてきたアンタらを、アタシらもまた信じるってことさ」

 

 そう締めくくり、リカオンは大きく息を吐いた。

 

「悪いね、いきなり長々と。なんだかアンタ話しやすくてさ、ついいろいろと喋っちまったよ」

「……いや、全然構わないよ」

 

 ヴァンパイアとリカオンのバーストリンカーとしての年月が、自分よりも長いということが判明し、言葉遣いをどうしたものかとゴウが少し迷ったが、今更変えた方がかえっておかしいと思い、結局タメ口のまま話すことにした。

 

「リカオン」

「ん?」

「これは僕の考えでしかないけど……きっとヴァンと同じくらい、君もレギオンを導くのに欠かせない存在になっていると思うよ」

 

 話しを聞くにリカオンは、《子》であるレンズにブレイン・バーストの楽しさを最初に教えたのが《親》である自分ではなく、ヴァンパイアであったことからか、どこかヴァンパイアと比べた自分を卑下している様子だった。

 しかしゴウにしてみれば、そんな引け目に感じる必要はないと思える。

 ヴァンパイアの行動力がレギオンを引っ張っていき、ヴァンパイアも含めて脇道に脱線しやすいメンバーらを、リカオンが時に尻を叩きつつ、後ろから本筋に戻していく。

 レギオンに所属していないゴウには、レギオンの何たるかなど分からないが、傍から見て二人はレギオンマスターとサブマスターとして、上手くかみ合った関係の一つに思えたのだ。メンバーから親しみを込めて、『アネゴ』と呼ばれているのもその証明である。

 

「……ありがとさん」

 

 ゴウの言葉を受けたリカオンは少し間を置いてからそう返し、座っていた石から立ち上がって、腕と背筋をぐっとのばした。

 

「さて、アタシはそろそろ戻るよ。オーガーは?」

「僕はもう少しここにいるよ」

「そう、分かった。あ、ヴァンが聞いたら調子に乗るから、今の話はオフレコで頼むね」

 

 リカオンは皆が眠る建物へと歩いていくと、突然ぴたりと足を止めてこちらを振り返った。

 

「そうそう、あともう一つ。アンタもフォックスも、アバターのデザイン的にヴァンの好みだからさ。その内レギオンに勧誘されるだろうけど、嫌ならぱぱっと断りなね」

 

 そう言い残し、んじゃ、と手を振ってリカオンはゴウの返事を待たずに行ってしまった。

 

「好みって……」

 

 椅子代わりにしていた石から降りて寝転がり、夜空の下でゴウは一人呟く。

 ダイヤモンド・オーガーとムーン・フォックス。鬼と狐。

 確かに吸血鬼を自称する、リカオン曰くUMAや妖怪などに興味津々らしい彼が好みそうではある。

 ──そういえばギャラリーで再会した時も、「第一印象から決めてました」とか言ってたっけ。……まぁ、なるようになるか。

 その内あるかもしれないという勧誘については一旦置いておいて、ゴウは玉砂利の地面に寝転がって夜空を眺めた。

 ──アウトローの皆はまだダイブしてるのかな。

 土曜の十五時は、普段ならアウトローでの集まりの時間だ。その時々によって、加速世界での時間で半日から一日、あるいは数日間と活動することもあり、今回はどうしているのだろうかと少し気になった。

 エネミー狩りか、誰かと誰かが手合わせしているのか、それともホームでくつろぎながら、自分と宇美が今どうしているのかと談笑でもしているのか。

 もしかすると大悟達は、自分達以外のバーストリンカーとの交流も大事だと考えて、フリークスへの協力を勧めたのだろうか。

 そんなことを考えていると、地面に敷かれた玉砂利のひんやりとした心地良さと、星々のやさしい薄明かりによって、ゴウはうつらうつらと微睡み始める。

 睡魔に拍車がかかっていき、結局明け方になって宇美に頭をコンコンとノックされるまで、ゴウはその場で眠りこけていた。

 

 

 

 一条の光線が宙を走る。

 赤い光線は、空を舞う山伏装束をした天狗の翼めがけて直進していくが、四メートルの巨体に見合わぬ敏捷性で簡単に避けられてしまった。

 しかし、それで構わない。今の本命はレンズが顔面から発射したレーザーではない。

 

 ズガガガガガガガガガガ! バシュシュシュゥッ! バシュシュシュゥッ! 

 

 マガジンの両腕から飛び出した短機関銃、計八丁から弾丸が雨あられとばかりに撃ち出された。続けて背中より展開された二つのミサイルポッドからそれぞれ三本ずつ、計六本のミサイルが発射される。

 最初の機関銃の弾丸は何十発かが天狗の上半身に満遍なく当たるも、一発ずつ分の威力がエネミーには低いのか、怯まずに天狗は右手に持つ羽団扇でひと煽ぎ。これによって発生した気流が天狗の周りをぐるりと横巻きに包むと、残りの弾丸を防いでしまう。

 遅れてやってきた、後部から白煙を噴いて不規則な軌道を描くミサイルも、天狗の体に到達する前に気流の壁にぶつかって爆発していく。それでも爆風の一部が届いたのか、爆風が変じた煙によって体の一部が隠れ、天狗の体力ゲージがじりりと削れた。

 

「……来る! マガジン、運ぶよ!」

 

 マガジンの背後に立つゴウは、こちらを射貫くような視線に気付くと、即座にマガジンの腰へとがっしりと両腕を回し、マガジンを持ち上げてその場から急いで離れた。

 その直後に煙を切り裂き、ゴウとマガジンがそれまで立っていた場所へ、飛来した真空刃が地面を深々と刻む。

 ゴウ達が高尾山の山間をさまよった末に見つけた庭園で、天より降ってきた天狗型エネミーとの戦闘から十五分余りが経ったが、状況は依然として好転していない。

 天狗は機動力が高く、こちらの攻撃のほとんどを躱してしまう上に、牽制を交えた攻撃も扇部分が自らの黒い翼と同質の団扇による、風の防御によってほとんど通らない。

 攻撃面においても、まともに食らえば両断されてしまう真空刃を始め、突風で吹き飛ばす、竜巻を発生させる、地面の砂利を巻き上げて弾丸ばりの速度で飛ばす等、風を用いた技の数々で襲ってくる。

 団扇を振る動作などから攻撃パターンを読むこともでき始め、致命傷を負った者はまだ一人もいないが、それでも全員が少しずつダメージを重ねてきている状態だった。

 一方でこちらは遠隔系のレンズとマガジンを主軸に抗戦するも、天狗に与えたダメージ総量は未だに一段目の体力ゲージの三割にも満たない。

 ゴウはというと、射撃や砲撃の反動で一時的に動けなくなるマガジンを運び、天狗の攻撃から逃すくらいしか役に立てていなかった。空を飛ぶ相手には攻撃を当てようないからだ。

 必殺技の《モンストロ・アーム》を発動させれば、巨大化した腕による拳圧で距離が離れた対象にも攻撃はできるものの、拳圧はあくまで副次効果で、距離があるだけ威力は落ちる。エネミー相手では決定打には欠けるし、高速で飛び回る天狗に簡単に当てることができない。加えてゲージの消費も激しい必殺技なので、無駄撃ちは避けたかった。

 ちなみに宇美もゴウと似たようなもので、時折《シェイプ・チェンジ》を発動し、天狗の攻撃を躱し切れない仲間を乗せて回避している。

 ──ジリ貧だ。どうする……。

 戦況は芳しくない。このままいけば、体力を削り切られて誰かが倒れる。続けざまに消耗している者から順に倒され、全滅も有り得ない話ではない。

 かといって撤退を選ぶにしても、この場所は四方を柵とその上に張られた薄光の障壁が張られ、通ってきた一本道以外に出口はない。おそらくはその道を完全に抜けない限り、天狗は攻撃を続けてくるだろう。

 さすがに無限EKにまで陥る可能性はごくわずかではあるものの、逃れ切るまでに何度死亡してポイントを消費することになるのだろうか。

 この庭園への入り口が出現した時に意見を求められ、せっかくだから進むべきだと最初に言ったのは自分だ。仮にも護衛役として同行を頼まれた身であるのなら、ここは体を張って他の皆が撤退するまでの時間を稼ぐべきなのでは──。

 

「オーガー」

 

 いきなり呼びかけられた声に、ゴウの思考が中断される。隣に首を向けると、剣を握るヴァンパイアが立っていた。

 

「貴公も分かっているだろうが、このままでは勝ちは薄い。そこで、ワガハイが突破口を開いてみようと思う」

「突破口……? それって……」

「無論、特攻だ。多分死ぬ」

 

 ヴァンパイアは事もなげにそんなことを言った。

 すぐ近くで天狗へ牽制の射撃を行っていたマガジンが手を止める。攻撃中でもこちらの会話が耳に届いていたらしく、ヴァンパイアを見ながら首を横に振った。アイレンズの代わりに目元に設置されている液晶ゴーグルも八の字をした困り眉を描く。

 それを見たヴァンパイアも頭を振る。こちらはマガジンの反応を予期していたようで、やれやれといった様子だった。

 

「マガジン、貴公は貴公ができることをするのだ。ワガハイはワガハイのやるべきことを果たす」

 

 それだけ言うと、ヴァンパイアはゴウに改めて向き直る。

 

「以前にも話した通り、ワガハイはレギオンマスター。ワガハイに付いてきてくれるメンバー達に道を示してやらなければ──」

 

 そこで一度ヴァンパイアの言葉が途切れる。

 天狗が風を起こして巻き上げた砂利を、四方八方に飛ばしてきたからだ。防御姿勢を取って尚も全員に新たな細かい傷が作られると、それに満足したかのように風が収まる。

 

「……ワガハイは戦闘開始時に言葉は示した。次は行動で示す。では後は頼んだ」

 

 ヴァンパイアはそれだけ言い残し、ゴウが口を開く前に駆け出していってしまった。

 

「ボーンズ! ワガハイを限界まで上空に運んでくれ!」

 

 肋骨の装甲でできたナイフや両腕を遠隔操作して天狗に攻撃していたボーンズは、一瞬だけ戸惑う素振りを見せるも、すぐに飛ばした両腕でヴァンパイアの両脇を持ち上げた。

 そのままヴァンパイアの足が地面を離れていく。アバターの重量が比較的軽いからこそ可能な芸当だ。長いマントにボーンズの骨の腕が隠れ、ゴウの角度からは空中を浮遊しているように見える。

 矢のような速度とはいかないが、そこまで遅くもないスピードでヴァンパイアは高度二十メートルほどを旋回する天狗よりも高い、高度三十メートル近くまで上昇した。

 天狗エネミーは自分と同じ目線どころか、上から見下ろされていることが気に入らない様子で、唸りながらヴァンパイアを睨みつけている。

 

「ラッパー! 少しの間で良い! エネミーの動きを止めてくれ!」

 

 上空からのヴァンパイアの指示を受け、地上のラッパーがその場で腕を交差させる。

 

「《エンタングル・アラウンド》!」

 

 限界まで背筋を丸めた猫背の体勢になると、一気に腕を広げて体を仰け反らせたラッパーの体の前面から、その身に巻かれている装甲と同じ色合いの、緑褐色をした何十本もの包帯が溢れるように発射された。

 ラッパー自身の体積を明らかに超えている包帯の奔流は、団扇を振りかぶろうとしていた右腕を始めとして、天狗の至る所に絡みついていく。

 デュエルアバターが相手ならば、全身を無力化させていたであろう強力な拘束技だったが、天狗の翼には触れられずにいた。離陸時から天狗の翼は気流を帯びて飛行の補助をしているらしく、伸ばされた包帯を弾いているのだ。

 包帯はぴんと張り詰めながら翼以外の全身を停止させてはいるものの、そう長くは保たないだろう。それを理解していたからこそ、ラッパーもこれまでこの必殺技を使わなかったのだ。

 この機を逃すまいと、ヴァンパイアがボーンズの腕から離れた。装甲の一種であり、ある程度形態を変えられるマントを、やや鋭角気味なコウモリの翼に似た形に変じさせ、軌道修正しながら天狗へ向かって急降下していく。

 

「キエエエエエエイ!!」

 

 独特な甲高い気合と共に、ヴァンパイアの剣の切っ先が、天狗の長く伸びた鼻の中ほどに突き刺さった。

 この場の誰もが注目する中での一瞬の静寂。そして──。

 

「ガ……ガガガアアアアアッ!!」

 

 怒号と共に、天狗が角を突く牛のように頭をかち上げ、その勢いで鼻に刺さった剣ごとヴァンパイアを上に弾いた。同時に全身を縛っていた包帯を一気に引き千切る。

 

「アニィ!」

 

 レンズが叫ぶ中、《夜の王》はただ落下することをよしとはしなかった。

 

「シャアッ!」

 

 ヴァンパイアは剣を即座に逆手に持ち替えると、天狗の法衣の左肩に突き刺した。その状態で懸垂の要領で体を腕で引き寄せ、天狗の首筋に顔をぐっと近付ける。

 その時、わずかに天狗が仰け反った。地上のゴウからはよく見えないが、どうやらヴァンパイアは吸血鬼よろしく、天狗の首筋に噛みついたらしい。

 文字通り食らいつきにかかるヴァンパイアを、すぐさま天狗は引き剥がしにかかり、数秒間の噛みつきはエネミーの体力を数ドット削っただけで終わる。

 そうして上半身を天狗の左手にがっちり掴まれたヴァンパイアは、身動きが取れない状態でも焦る様子もなく、仲間達に聞こえるように声を張り上げた。

 

「皆の衆! ワガハイは『ありったけ』をぶち込んでおいた! 目を凝らし、機を逃すな!」

 

 双眸の照準をヴァンパイアに合わせる天狗が、右腕に握る団扇に風を纏わせていく。

 それでもヴァンパイアは脱出する気がまるでないのが明白で、体には全く力が込められていない。

 

「では一時間後にまた会おう! ワガハイの見せ場もまだ取っておいてくれよ! ハーハッハッハッハ──」

 

 高笑いは途中で遮られた。

 天狗が団扇を横に薙ぎ、風を纏わせた団扇の縁でヴァンパイアの首を刎ねたのだ。

 ヴァンパイアの頭がくるくる回転しながら、地上へと落ちていく。続けて天狗の手から解放された首なしの体が頭を追うように落下。地面の砂利を撥ね飛ばしてから爆散。

 最後は黄昏色の光が屹立し、デュエルアバターの死亡を示す同色のマーカーが発生した。

 



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第三十一話

 第三十一話 八鬼夜行

 

 

「ヴァン……」

 

 ゴウは発生したばかりの死亡マーカーを見つめていた。

 難敵であることは分かっているつもりだった。これまで戦ってきた巨獣(ビースト)級の中でも、天狗エネミーが上位に食い込む強さであることも、戦い始めてすぐに悟った。

 しかし、ゴウが巨獣(ビースト)級以上のエネミーと戦う時は、必ず大悟を始めとした高レベルのバーストリンカー達がいた。このパーティー内での自分は、数字の上では最高のレベル6。同列はいても、それ以上レベルが上の者はいない。

 倒せるのか。

 そんな考えがゴウの頭にはよぎっていた。フリークスや宇美が頼りないというわけではない。むしろここまでの戦闘で天狗に有効打を与えているのは、レベル5のマガジンやレベル4のレンズである。

 では、同じレベル6のバーストリンカー、トワイライト・ヴァンパイアはどうだったのか。自分と同じ考えが浮かんでいただろうか。

 少なくとも恐怖や不安といった、ネガティブな感情をひとかけらも抱かなかったはずがない。仮想の体であっても、本当に死ぬわけではなくとも、自分よりずっと大きな相手が強力な攻撃で自分に襲いかかってくるのだから。おまけに意思の疎通などできようはずもない。

 だが、ヴァンパイアはそれを毛ほども表に出すことなく、倒れる寸前まで笑ってみせた。

 

 ──『ワガハイは……レギオンマスターとしてレギオンはもちろんのこと、メンバー達を導く義務がある。その為に他人である誰かに頭を下げることを厭いはしない』

 

 ゴウと宇美に協力を要請する時に、ヴァンパイアはそう言っていた。あの時の彼の眼差しからは、強い意志と覚悟がゴウには伝わってきた。

 おそらく自分が動揺すれば、それがパーティー全体の士気の低下に繋がることをヴァンパイアは理解していたのだ。

 ゴウが聞いたところによると、ヴァンパイアはレベル6になって、およそ半年になるという。同レベル帯でも、レベル6になって一ヶ月も経っていない自分との年季の違いを見せられた気がする。そうでなくともブレイン・バーストのプレイ歴は彼の方が長い。

 ──これがレギオンマスター……。

 いかに小規模であっても、一つのレギオンを率いて背負う者の強さをゴウは肌で感じた。

 また、ヴァンパイアの意志が伝わったのはゴウだけではないらしい。

 この場の誰も、ヴァンパイアが天狗に剣を弾かれた時に叫んだレンズでさえ、ヴァンパイアの死亡に取り乱してはいない。

 無制限中立フィールド内での死亡が、一時間の待機の後にまた復活することだけが理由ではなかった。ヴァンパイアが単に犬死にしたわけではないと分かっているからだ。

 地上のゴウ達をねめつける天狗が団扇を構えた直後に、その成果は現れた。

 始めに天狗の腕が、不自然な位置で止まる。

 

「ガァ……ガガッ……」

 

 次に苦しそうに呻きながら、がくがくと全身が痙攣を始めた。

 その原因は、ヴァンパイアの《病魔咬(ディシーズ・バイト)》というアビリティによるものだ。

 効果は噛みついた対象に、必殺技ゲージの消費量に応じたステータス低下を引き起こすというもの。状態異常への耐性のないアバターなら、熱に浮かされたように一定時間まともに力も入らなくなるらしい。ヴァンパイア本人が死亡しても、発動したアビリティ自体は問題なく発揮されている。

 ヴァンパイアに噛まれた右側の首筋を左手で押さえる天狗は、苦しみながらも未だに空に留まっているが、それはエネミー故の強靭さが理由だろう。

 ヴァンパイアは天狗との戦闘で一度も必殺技を使っていなかった上に、死亡寸前に「ありったけをぶち込んでおいた」と発言していたことから、相応の必殺技ゲージを使用したのだ。始めから置き土産として、アビリティの効果を遺すつもりだったのかまでは分からないが。

 ──それは後で本人に聞けばいい。今はこのチャンスを逃さない! 

 天狗が動きを止めた時点で、ゴウはすでに行動に移っていた。庭園に点在する白い小岩の内、その一番近くにあったものの所まで移動する。

 岩に両腕を回すと、ゴウは常時発動されている《剛力》アビリティだけでなく、《限界突破(エクシーズ・リミット)》アビリティも発動した。高尾山に入る前からフルチャージされていた必殺技ゲージが減少を開始する。

 このアビリティを一度発動するとゲージが尽きるまで停止できないし、発動中は必殺技が使えなくなるが、事ここに至って惜しくはない。

 

「お、おおおおおお……」

 

 ブーストされたゴウの膂力によって、岩の埋まっている部分が地面から顔を出していく。

 その間に、他の仲間達も攻撃を開始していた。

 

「アニィの仇だ、長っ鼻! その羽、風穴開けたらぁ! 《トリプル・ブラスト》!」

 

 真っ先に飛び出したレンズの顔面の半球形バイザーと、正面に突き出した両肘の装甲に紅い光が収束していき、通常よりも太い径をしたレーザーが、レンズの顔面と両肘の三ヵ所から放たれた。

 宣言通り、天狗の左翼を三つの光線が貫く。

 

「《サプライズ・ロケット》!」

 

 続けてゴウの聞き覚えのない声による、必殺技コマンドが周囲に響いた。

 声のした方向の先にいたのは、太く長い腕を地面に着けて四つ這いになったマガジンだった。そのバケツと挿げ替えたような下顎がガキョン! と音を立てて外れ、顎の先端が体に付くほどまでに大きく開かれる。更に口の両端が拡張し、マガジンの口から火を噴く何かが発射された。

 それは長さ六十センチを超えるミサイルだった。《火器内蔵(イクイップド・アームズ)》という名称らしい、体のいたる所から武器を展開するマガジンのアビリティ、その内の一つとして先程背中から突き出していた、ミサイルポッドから撃ち出す小型ミサイルの優に三倍は超えている。

 長さからして明らかにマガジンの頭部に収まるものではない、縮尺を無視した弾頭は、レンズの必殺技が当たった翼へと着弾。ここまでの戦闘で一番の大爆発を発生させた。爆発による風圧が地上まで届く。

 ──ていうかマガジン、そんな良い声してたんだ……。

 ヴァンパイア曰く『シャイボーイ』であるマガジンの予想外なバリトンボイスに驚きつつも、ゴウは一気に岩を引き抜きにかかる。

 そうして地上に突き出していた岩の、乾いた白い部分とは対照的に少し湿って薄黒い、埋まっていた部分が露わになった。

 埋まっていた部分も合わせると、自身と同じくらいの大きさをした岩の取っ掛かりを両手で掴み、ゴウはその場で回転していく。

 一、二、三回転。ハンマー投げの見様見真似の回転でたっぷりと遠心力を乗せていき──。

 

「どおおお──りゃああああああああ!!」

 

 天狗めがけてゴウは岩をぶん投げた。

 すでに片翼に攻撃を受けて飛行は不安定、加えてヴァンパイアの《病魔咬(ディシーズ・バイト))》の効果も残っている天狗には、飛来した岩塊を避けることは叶わず鳩尾へと突き刺さる。

 オブジェクトとしての寿命が尽き、砕けた岩の欠片が消えていく。それと共に、立て続けにクリーンヒットした攻撃によって、戦闘開始から空に居座り続けていた天狗がとうとう墜落した。

 ここで手を緩めてはならない。ダメージから立ち直れば、天狗は再び離陸してしまう。

 

「まだだ! 翼を完全に無力化するまで攻撃を続けて!」

 

 ゴウの指示に、仲間たちは疑問も反論も口にしなかった。それどころか、あちこちから同意のかけ声が届く。

 

「任せて」

 

 背後から聞こえた声に振り向くと、ゴウはまたも声の主が誰だか分からなかった。

 後ろに立っていたのは、水滴を垂らす濡れた全身がパンパンに膨れ上がっている、見たことのない一体のデュエルアバターだったからだ。緑褐色をしていなければ、自分達以外のバーストリンカーが現れたと思ったかもしれない。いや、実際に一瞬そう思った。

 

「ラ、ラッパー……だよね? どうなってるの(それ)

 

 全身に包帯型の装甲に覆われて尚も細身だったラッパーは、少し目を離していた内に、横は倍くらい、縦にも少しばかり大きくなっていた。有体に言えば太った。

 

「《吸水帯(リキッド・アブソープション)》ってアビリティ。僕の装甲は水分を蓄えられるんだよ。水はそこから借りた」

 

 目を剥くゴウに、ラッパーは元より若干くぐもっていたのが、どうにか聞き取れる程度まで不明瞭になった声で説明をしながら、フランクフルト並みの太さになった指で庭園の隅にある池を示す。よく見ると池からここまで、ラッパーの濡れた足跡が続いていた。

 つまりは装甲が水を吸って膨張しているのであって、そこに埋もれているラッパーの素体に変化はないとうことか。

 ──水でふえる乾物みたいなアビリティだな……。

 

「まぁ、ドライヌードルとか出汁取りの昆布かよと思うだろうし、基本近くに水場がないと使えないから、使い勝手が悪いんだけどね。だから君にも話してなかったし」

 

 ラッパーがまさにゴウの考えていることを言い当てて解説を付け加えた。続けて指先を伸ばして揃えた両手を、墜落した体を起こそうと膝立ちになりかけている天狗へ向けて突き出す。

 

「でも今は役に立つ。《放水(スプラッシュ)》!」

 

 その一言が一種のコマンドなのか、ラッパーの十の指から極細に圧縮された水流が発射された。十本のウォータージェットはマガジンの必殺技で未だ燻る天狗の片翼へと一直線に突き当たり、羽根を抉り飛ばしていく。

 

「よーし、俺も続くぜ。《ユニオン・フレームワークス》!」

 

 今度はボーンズが必殺技コマンドを唱えると、いきなりボーンズの両腕のみならず、両脚までもが、ばらりと分解した。それだけで終わらず、胴体の肋骨、背中に沿った脊柱、腰回りの尾骶骨、果ては頭蓋骨と、ボーンズの全身の骨型装甲がばらけて浮き上がり、物凄い速度で組み合わさっていく。

 数秒後には頭と胴体の素体部分のみを残し、そのままホバー状態で静止しているボーンズの前方に、先端が尖った円錐形の物体が作り上げられた。

 骨型装甲の集合体は完成するや否や、高周波を響かせながら高速回転を始め、それまでの遠隔操作とは比べ物にならない速度で飛んでいく。

 骨のドリルは唸りを上げ、ウォータージェットの集中している箇所へと力を貸すようにして突き刺さった。

 未だ完全には立ち上がれていない天狗が、攻撃から逃れようと体を捩るが、高圧水流は天狗の動きに合わせてラッパーが照準を調整し、先端が翼に突き刺さったボーンズのドリルも更に深く食い込んでいく。

 

「《デミ・シェイプ》」

 

 ゴウから少し離れた場所で、紺青の光が発生した。

 発生源は大鉈《ハウンド・カッター》を手にしたリカオンだ。光が消えると、リカオンの体格がいくらか変化していた。

 踵から先が伸びて爪先立ちになり、人間の関節とは逆に折り曲がった膝。口内に収まりきらず、むき出しになった牙。背面を中心に装甲が更に逆立ったエッジを描き、より広範囲へ広がっていく。その姿は人の形を保ちながら、より獣の色が濃い出で立ちだ。

 

「フォックス、アタシに続いて」

「分かった、任せて」

 

 一回りほど体が大きくなったリカオンはすぐ隣にいた宇美と素早くやり取りを交わし、二人は同時に駆け出した。

 

「《パック・リーダー》!」

 

 先程とは別の必殺技を口にすると、走るリカオンの前後に二体ずつ、計四体の大型犬が召喚された。リカオンに並走する犬達は全身がリカオンの装甲と同色、体表面のデティールはのっぺりとしていて頭には眼すら無いが、開いた口から覗く牙は鋭利で、地を駆ける四肢はとても逞しい。

 

「オオ────ン!!」

「「「「オオ──ン!」」」」

 

 リカオンが吼えると四頭の犬は咆哮で応え、リカオンを追い越して天狗へと殺到していく。

 ラッパーとボーンズの攻撃と入れ替わるようにして、まず二頭の犬が天狗の両肩に食らいついた。次にもう二頭が、上がりかけた団扇を握る右腕へと飛びかかり、牙を突き立てて押さえ込もうとする。

 数秒遅れて、突貫の速度を下げないリカオンが逆手持ちにした鉈で、羽根がかなり削り取られた翼に向かって大振りに斬り上げた。

 

「ハッ!」

 

 そして、追従していた宇美が短い気合を上げて前方へ跳躍。空中で体を右に倒し、地面と平行の状態でスピンした。

変幻尾(トランス・テイラー)》アビリティによって、船のスクリューのような回転刃に変じた三本の尾が、間髪入れずにリカオンが斬りつけた箇所に接触した。

 

 ギギギギギギギャザン! 

 

 そんな音を立て、フリークスメンバー達の集中攻撃を受け続けていた天狗の左翼が斬り落とされた。

 

「ガガギャアアアアアアッ!!」

 

 天狗はこれまでで一番の叫び声を上げ、膝を着いた状態から弾かれたように飛び起きた。同時に体へ纏わりつく、リカオンの必殺技による犬達も力任せにはねのける。

 翼の切断面から光の粒子を撒き散らしながら、天狗の両眼が怒りの炎に燃え──。

 

「もう……いっちょおおおおおおっ!」

 

 片翼を奪った侵入者達を睨もうとする天狗の視界に飛び込んできたのは、やや紡錘形をした少し湿った土の付いた何か。

 アビリティ効果終了の寸前にゴウが投げつけた、二つ目の岩が天狗の顔面に直撃した。

 



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第三十二話

 第三十二話 鼻っ柱をへし折って

 

 

 双翼という形態である以上、片方の翼を失った天狗エネミーは飛行不可能になり、地上へ留めることには成功した。

 だが、ゴウを始めとする近接型の攻撃も届くようになり、機動力を大幅に奪っても尚、強敵であることに変わりはない。

 天狗は一本下駄を履いた両脚で庭園を駆け回り、平気でその巨体の数倍の高さまでジャンプする。しかも繰り出される攻撃はより激しくなった。距離が近付いた分、回避も難しくなっている。

 総員の集中攻撃によって天狗の片翼を破壊してから、もう少しで一時間。

 エネミーの残り体力は半分近く──ゲージ一段分と六割を切っている。

 片やこちらは、マガジンとボーンズが死亡状態、残りは全員半分以下の体力となっていた。

 

「ガアッ!」

 

 天狗が団扇の面ではなく、縁を向けた状態でゴウへと振り下ろす。

 団扇の扇部分には気流が纏わり付いていた。それはそのまま放出する真空刃とは異なる、留めたまま長く伸ばすことで形成された空気の刀身。質量をほぼ持たないからか、振り抜く速度は尋常ではなく、切れ味は恐ろしく鋭い。

 

「はあっ!」

 

 ゴウは両手で握る金棒《アンブレイカブル》で風の剣を防いだ。

 防いだと言っても真っ向から受け止めては、いかに《剛力》アビリティを持つダイヤモンド・オーガーの腕力でも、巨獣(ビースト)級エネミー相手には競り負けてしまう。故に接触してすぐに力の方向に合わせて受け流した。

 その一秒に満たない接触時間でも、硬度が自慢の《アンブレイカブル》の表面に、また新たな傷が刻まれる。今はまだ耐えられているが、傷が芯に向かってある程度まで深く入れば、《アンブレイカブル》は傷に沿って砕けてしまうだろう。鍔迫り合いはできない。

 敷かれた砂利を吹き飛ばし、地面に食い込んだ風の剣を、天狗が引き抜くわずかな隙を突き、ゴウは天狗の左側に移動しつつ、握る金棒で腿に一撃を入れた。

 わずかながらに減少した敵の体力を確認した直後、天狗が空いている左腕で殴りつけようとしていた。

 今まさに拳が繰り出されるという寸前、天狗は何故か攻撃を中断し、腕を上げて頭部をガードする体勢を取る。

 その理由は、刃渡り六十センチ近い大鉈が迫っていたからだ。天狗の左の手甲に、回転しながら飛来した鉈が突き立てられる。

 

「《戻れ(バック)》!」

 

 その一声で刃がやや内側に反った大鉈は、天狗の手甲から離れ、回転しながらリカオンの右手へと収まった。リカオンの強化外装である大鉈《ハウンド・カッター》は、コマンド一つで離れた場所からでも所有者のリカオンの元へ戻ってくるという効果があるのだ。

 天狗の腕や風の剣の間合いから離脱して、ゴウはリカオンに合流して礼を言う。

 

「ありがとう助かった」

「はいよ。それよか、さすがにもう簡単には攻撃させちゃくれないねぇ」

 

 リカオンは、天狗の頭部──あちこちが焦げたり千切れている白い毛髪や髭から覗く、赤い肌にいくつもの亀裂が走っている頭部を睨んだ。

 現在ゴウ達は、天狗の頭部へと集中的に攻撃をし続けている。

 というのも、約一時間前に天狗の片翼を破壊した直後、ゴウが投げ飛ばした二つ目の岩が天狗の顔面に激突した時のこと。

 岩をぶつけた天狗の肌に、ヒビが確認できたのだ。加えて、一つ目の岩が鳩尾に当たった時に比べて被ダメージが随分と少なく、それなのに天狗の攻撃はしばらくの間、一層激しいものとなった。

 振り返ればヴァンパイアが長い鼻へ一撃を入れた時も、見た目も体力ゲージも全くダメージが入らなかったのにもかかわらず、天狗はひどく激昂する様子を見せていた。

 無傷、ないしはダメージをほとんど与えていないのにヘイト値が上昇する。そして、むき出しの赤い素肌に入るヒビ。

 これらのことから、ゴウ達は一つの仮説を立てた。

 それは、天狗は《強化外装》を頭部に着装しているのではないかというもの。より厳密には、今のあの頭部は強化外装に似た特性を持っているではないかというものだ。

 鱗や甲殻、ましてや防具ではない地肌(少なくともゴウにはそう見える部分)に傷跡ではなく、亀裂が走るというのはおかしな話である。それに戦いながら目を凝らすと、口は開くし両目から威圧感のある眼光が宿ってはいるものの、表情そのものに変化はない。

 また、強化外装持ちのバーストリンカーなら分かることだが、強化外装は所有者にしか見えない独自の体力ゲージ、耐久値を持っている。

『強化外装が単体で攻撃を受け切った場合、所有者はその攻撃によるダメージを受けない』という原則が天狗にも適用されているとすれば、いくらか納得がいく。岩が顔面にぶつかっていくらか体力が減少したのは、激突の衝撃が本体に届いたからだろう。

 それからは総員で隙を見つけては攻撃を入れていき、今に至る。

 

「あともう何発か入れれば砕けそうな気がするんだけど……」

 

 そう呟いたゴウの視線の先にいる天狗が、腰を落として両脚にぐっと力を込め、一息で間合いを詰めてきた。

 同時に手首のスナップだけで軽く振られた団扇が起こす風によって、巻き上げられた砂埃に視界が悪くなり、ゴウは反射的に風に足を取られまいと力を込めてしまう。

 

「しまっ──ぐあっ!」

 

 ゴウはとっさに構えるも、天狗の蹴りで何メートルも吹っ飛ばされた。武器越しであったのに、蹴りの衝撃が両腕に痺れを走らせる。

 ゴウの隣にはリカオンがいた。エネミーの基本アルゴリズムから、必然的に次の狙いは彼女だ。

 ゴウと同様にその場で足を止めてしまっていれば、頑丈な《アンブレイカブル》を盾代わりにしたゴウのように、天狗の至近距離からの攻撃を防げるかは分からない。

 そんな地面を擦り、ざりざりと砂利に体を鑢がけされてから体を起こすゴウの耳に、甲高い奇声が届く。

 

「キェエエエエイィ!」

 

 すでに薄まっている砂埃の中で、一体のデュエルアバターが天狗に飛び蹴りを浴びせ、リカオンへの攻撃をキャンセルしていた。

 その隙に砂埃のベールを破り、マントをなびかせたトワイライト・ヴァンパイアがリカオンと共に姿を現す。一時間の待機を経て、死亡状態から復帰したのだ。

 

「ワガハイ、復活である!」

「待ってたぜ、アニィ!」

 

 誰に向けるでもなく堂々と復帰を示すレギオンマスターに、レンズが歓声を上げる。レンズは戦闘の際に右腕を上腕の半ばから先を失っているが、攻撃スタイルから片腕が無くても問題ないと言い張り、今も頭部の球形バイザーから発射するレーザーで天狗に牽制攻撃を仕掛けていた。

 その間にゴウと合流するや否や、ヴァンパイアが口を開く。

 

「幽霊状態だったが戦況は理解している。オーガー、必殺技ゲージは溜まっているか?」

「あぁ、大技一発分くらいは」

 

 ゴウの返事にヴァンパイアがうむと頷く。

 

「結構。ワガハイ、皆の戦いを見ている中で一つ名案を思いついたのだ。聞いてくれ」

 

 そう切り出して、ゴウとリカオンに作戦概要を説明していくヴァンパイア。

 話を聞き終えると、リカオンが感嘆とも呆れともつかない溜息を吐いた。

 

「アンタそれ下手したら、またすぐ死んじまうだろうに……よくそんなことを思いつくよ」

「ハッハッハッ。そう褒めるな」

「褒めてない」

 

 ヴァンパイアは構わず、無言のまま首をゴウへ向ける。『どうだ。やるか?』と問いかけているのは明らかだ。

 ヴァンパイアの提案は中々にリスキーな策である。失敗すれば、四割程度残っているゴウの体力は尽きてしまうだろう。

 そもそも天狗の頭部の『何か』を破壊できたからといって、必ずしもそれが勝利に繋がるとは限らない。

 だが、戦闘が長引くほどに、こちらの動きのパフォーマンスはどうしても落ちていってしまう。人間はそう長く、全身全霊の集中状態は維持できないものだ。

 敵の体力を半分近く削ってはいても、状況はどちらかと言えば劣勢。このまま長期戦をしていても、また新たな死亡者が出るか、最悪全滅するだろう。

 停滞しかけた戦況に突破口を開く。先程ヴァンパイアがやってみせたことを今度は自分もやらなければならないと、ゴウは腹を括った。

 

「分かった。僕の命、君に預けるよ」

「よくぞ言ってくれた。その心意気に応えて見せようとも」

 

 ゴウの言葉に、ヴァンパイアは片手を胸に当て、軽く頭を下げる。

 

「ではリカオン、この作戦を……生き残っている者達に伝えてくれ」

「はいよ」

 

 すぐさまリカオンが動く中、たったいま指示を出したヴァンパイアの視線が、死亡状態であるマガジンとボーンズのマーカーが回転している場所へ向けられていたことに、ゴウは気付いていた。

 今回の戦闘でまだ一度目の死亡、また復活するデュエルアバターの身であっても、レギオンマスターとしての責任を感じているのだろうか。

 ただ、ゴウはそれを確認しようとは思わなかった。それはあまりに野暮だ。

 それから戦闘の合間を縫って、リカオンが仲間達にヴァンパイアの作戦を伝えていく。

 順にレンズ。庭園の池の水を吸収と放出することで体積の増減を繰り返し、現在は通常時より若干丸みのある体型になっているラッパー。そして体のあちこちにできた切り傷に加え、右耳のパーツが欠けている宇美。

 全員に作戦内容を伝え終えたことを、走るリカオンが手を振ってこちらに示すと、ヴァンパイアが皆の位置を素早く確認してから、声を張り上げた。

 

「よし、一斉攻撃!」

 

 そう言って駆けだすヴァンパイアの後ろをゴウは追走する。

 別の場所から動き出す宇美。

 水を含んで厚みを増した、鞭のようにしなるラッパーの包帯。

 大きく振りかぶってから投げられ、縦回転で飛んでいくリカオンの大鉈。

 数秒の溜めの後に発射された、レンズのレーザー。

 ある者は接近し、ある者は距離を取った攻撃をする。その全てが、天狗を大きく取り囲むような位置から行われていた。

 対する天狗はその場から動くことなく頭上に団扇を掲げ、ぐるりと一周回した。

 直後、天狗の法衣の端々がぶわりと浮き上がり、天狗を中心にした竜巻が発生する。

 

「よしよし、まずは予想通りだ」

 

 読みが当たったことで満足げに呟く、前方のヴァンパイアの声がゴウの耳に届いた。

 複数の方向からほぼ同時に攻撃をされた場合、天狗は防御手段として高確率で竜巻を起こす。この行動をさせるのが、ヴァンパイア考案の作戦の第一段階。問題は次だ。

 宇美が急停止し、ラッパーが包帯を素早く巻き取り、リカオンがコマンドで鉈を手元に引き戻す。レンズが発射したレーザーだけは、半径数メートルの砂利を巻き上げる竜巻の中を数十センチばかり進むも、しばらくして直線の軌跡が崩れ、あらぬ方向へ弾かれた。

 竜巻との距離五メートルまで進んだところで、ヴァンパイアとゴウの走る速度がぐんと上がる。

 

「むむ、上昇気流も申し分ない。征くぞオーガー!」

「ああ!」

 

 この竜巻は近付いた対象を吸い寄せる効果も含んでいるので、接近していた宇美や、純物理的な攻撃をしようとしたラッパーとリカオンは攻撃を中止したのだ。

 しかしヴァンパイアも、そしてゴウも足を止めようとはしなかった。

 

「掴まれ!」

 

 竜巻に接触する瞬間、ゴウは叫ぶヴァンパイアの後ろから飛びつき、首に両腕をしっかと回す。すぐさま荒れ狂う風の音が両耳を占領した。

 巻き上がる土埃と砂利に視界が悪くなる中で、装甲の一種だというヴァンパイアの黄昏色のマントが形を変えていく感触が、密着するゴウの体の前面に伝わる。若干押しのけられるような圧力を腹に感じると、両足が地面を離れた。それだけではない。

 

「うお……うぐぐ……!」

 

 浮遊感に口から漏れたゴウの声は、体が自分の意思とは無関係に猛スピードで移動し始め、歯を食いしばった呻きに変わる。数メートルも離れていない地面とほぼ平行の状態で、ヴァンパイアと共に竜巻の周囲をぐるぐると回っているのだ。洗濯機内で遠心力によって脱水される衣服の気分になる。

 

「ぬおおおおおおおお!」

「ヴァン! 本当にいけるの!?」

「なぁんのこれしきぃ! かの《砂塵》ステージの砂嵐に比べればぁ……」

 

 竜巻の勢いに翻弄されながら叫ぶヴァンパイアの耳元で、ゴウは大声で訊ねる。

 返答には諦観の念は込められていなかった。

 

「あの天狗にも、それにオーガー、貴公にも見せてやろう。羽ばたくこともできない張り子の翼でも……ここまでのことができるのだ!」

 

 乱舞する気流が生み出す轟音の中で、ヴァンパイアの凛とした宣言が、ゴウにはっきりと届いた。

 敵が呑まれていることを理解しているからか、天狗は竜巻を発生させ続けている。風にもみくちゃにされ、最後はぼろ雑巾のようになって弾き飛ばされるか、空高く舞い上がってから無様に落下するものだと決めつけているのだ。

 自身が発動した技の威力を、プログラムから生み出されたエネミーとして、把握していて当然なのだろう。

 だが、今回に限ってはそれが、その高い鼻が示す通りの高慢さからくるもののようにゴウは思えた。

 ぐんっ、と体が上に引っ張り上げられる感覚がゴウの全身を包む。

 ヴァンパイアが風に翻弄されながらも、体を気流に乗せて上昇しているのだ。

 それから一体、何周竜巻を回ったのだろうか。唐突に風の唸りが穏やかなものに変わった。

 

「ハーハッハッハッ! よぉし! 抜けたぞ!」

 

 勝ち誇るヴァンパイアと、その背中に乗るゴウは、天狗が発生させている竜巻を抜け、更にその上空を旋回していた。正確には滑空している。

 以前のタッグ対戦で、ゴウにマントのカラクリを見抜かれたヴァンパイアは、風が強く吹くステージであれば、状況次第で自力で離陸することも可能だと話していた。

 今が正にその状態だ。竜巻の天辺は風速が比較的緩やかになって周囲に拡散していき、その上昇気流がゴウという重量物が背中に乗っていても尚、ヴァンパイアの落下を押し留めてくれている。

 

「わあ……」

 

 晴れ渡る視界の先に広がる景色に、ゴウは戦闘中であることを忘れそうになってしまう。

 北西側はこの高尾山を含め、紅葉が彩る山々。その反対側の南東側には順にゴウが暮らす世田谷、他の二十三区と東京湾の先、太平洋が見える。

 今の高度は山中にある地上の庭園から、数百メートルほどの高さといったところか。高層建築物が日々増える現代で、高所から眺めた地上というのはさほど珍しい光景でもない。

 だが、足は大地と繋がっておらず、飛行機とも異なり、身一つで空を飛んでいるという状況に置かれることはそうあるまい。もちろんゴウにとっても初めてのことだ。

 ──これが……これが飛行……!

 重力から解き放たれた感覚の中で、ゴウは真下へ目と意識を向ける。

 竜巻が勢いを弱めていく。作り出した張本人である天狗が止め、もうあと数秒で完全に消え去るだろう。

 

「では健闘を祈るぞ《金剛鬼(アダマスキュラ)》よ」

「ありがとう、ヴァン。行ってくる」

 

 

 グレープ・アンカーが広めているらしい、ダイヤモンド・オーガーの二つ名を口にするヴァンパイアへ、ゴウは礼を言った。消えかけている竜巻の目が真下に来たところで、その首元に絡ませていた両腕を解く。

 途端に旋回を続けるヴァンパイアとの距離はあっという間に離れていき、揚力を生み出せないゴウは落下を開始した。

 高度からの落下を利用した高威力の攻撃によって、一撃で天狗の頭部にある何らかの守りを破る。

 これこそがヴァンパイアの考案した作戦だった。作戦は第二段階まで成功。いよいよ本題だ。

 

「《モンストロ・アーム》」

 

 左手を右肩にあてがうと、ゴウの右腕全体が内部から盛り上がり、肥大化していった。

 必殺技の発動で巨大になった右腕をすぐに伸ばす。殴りつけることで副次的に発生する拳圧はこの距離では効果が薄く、重い右腕を持ち上げたままの状態ではバランスを崩してしまうからだ。

 右腕の重みに引っ張られる形で、ゴウの落下速度が増した。

 四角形の庭園がぐんぐんと拡大していき、豆粒ほどまでになった仲間達と、それらより少し大きめな天狗にみるみる内に接近していく。

 そんな中で、竜巻の発生を止めた天狗が真上を、落下してくるゴウへ首を向けた。同時に振りかぶられる、羽団扇を握った右腕。

 天狗の団扇は縁側が正面に向いている。これは団扇の面部分を正面に向け、煽ぐことで突風を発生させる動作とは違う。縁をこちらに向けて団扇を振るのは、離れた相手を両断するカマイタチ、真空刃を繰り出すモーションだ。

 どうやら天狗は自らの上から降ってくる不届き者を、そのまま切り裂こうと考えたらしい。

 巨大になったゴウの右腕は装甲もより肉厚で強固になっているとはいえ、ブレイン・バーストの地面さえ簡単に切り裂き、深い切れ目を入れる真空刃を防げるとは思えない。無論、この状況では回避も不可能。もうゴウには攻撃を当てる以外のことはできない。

 だから他にできることは、仲間達を信じることぐらいだった。

 

「《エンタングル・アラウンド》!」

 

 何十本もの緑褐色の包帯が、振り下ろされる寸前だった天狗の右腕へ集中的に絡み付き、動きを強制的に止めた。

 

「《ボード・ライン》!」

 

 続けて、腕が掲げられていたことでがら空きになっている天狗の右脇腹に、径の太い一条の光線が撃ち込まれる。

 レンズが発動した、シンプルながらも強力なレーザーの必殺技により、後方から包帯の束に引っ張られている天狗が更に仰け反った。

 おまけに包帯の束を体中から伸ばしているラッパーが引き摺られないよう、宇美と一緒にラッパーの左右の肩を掴んで押さえるリカオンが、未だ距離があるゴウからは赤い粒にしか見えない物体を天狗の足下へといくつか投げつけた。

 赤い粒々は地面にぶつかった瞬間に、小さいながらも赤い炎を伴った爆発を引き起こす。

 ゴウも知るその正体は、マガジンが死亡する直前に生成してリカオンに渡していた、一個のサイズが手のひらに収まるグレネードだ。

 

「いっけぇ、オーガー!」

 

 宇美の声がゴウの耳に届く。

 今回のパーティーの誰か一人でも欠けていたら、この状況は作り出せていない。チャンスを無駄にすまいと、ゴウは右腕をその場に留められた天狗、その頭部に狙いを定めた。

 

「おおおおおおお!!」

 

 雄叫びを上げるゴウはそのまま隕石もかくやという勢いで、仰け反ったままこちらを見上げる天狗の鼻先に拳を着弾させた。

 ごぎん、という鈍い音。

 やや上方に反った長い鼻が砕けても、ゴウの勢いは止まらず、巨大化した拳はそのまま顔面を真芯に捉え、天狗を後頭部から地面へと叩き付ける。

 高々度からの一撃によるエネルギーは、天狗越しに地面へ蜘蛛の巣状のクラックを全方位に走らせ、庭園全体を局地的な地震のように揺らした。

 拡散していく衝撃の一部が反動として右腕から立ち昇り、体を駆け巡ってゴウの体力ゲージも削れていく。

 

「……うわっ!?」

 

 必殺技のシーケンスが終了して右腕が元の大きさに戻り始めていると、天狗が何の前触れもなく起き上がり、ゴウを跳ねのけた。どうやら背中の片翼を利用して、強引に飛び起きたらしい。

 数メートルほど突き飛ばされ、すぐに起き上がったゴウの前方には、ラッパーの拘束をいつの間にか振りほどき、こちらも距離を取った天狗エネミー。特徴的だった赤く長い鼻は砕かれ、髪の毛や髭などの白毛が映える赤い肌には、今の攻撃を受ける前よりも亀裂が格段に増えている。

 ゴウも、数メートル離れた所にいる仲間達も、その場を動かずにエネミーに注視すること数秒。

 

「ガ、ガガ……」

 

 腰を折る天狗からそんな苦しげな呻き声が聞こえた途端、天狗の頭部全体が崩れた。毛髪が房となって纏めて抜け落ち、額に括り付けられていた頭襟も外れ、赤い肌がばらばらの破片に変じて地面に散らばる。

 そんな天狗の首から上には、新しい頭が生えていた。いや、これこそがこの天狗エネミー本来の頭部なのだと、ゴウはすぐさま理解した。

 突き出た嘴。体毛──ではなく羽毛。それに両の瞳も、全てが真っ黒な鳥の頭。(からす)の頭。

 

「カッ……カアアアアアアアアァァ!!」

 

 仲間達が目を見開く中で、エネミーはそれまでの低く潰れた声から一転、耳を劈く甲高い鳴き声を上げる。

 つまりこのエネミーの正体は、精巧な大天狗の被り物をした小天狗。別名、鴉天狗のエネミーだったのだ。

 強化外装に似た被り物を破壊されたからか、正体を見破られたからか。我を忘れたかのように喚き散らすエネミーは、空中から降下してくるもう一つの存在に気付いてもいなかった。

 

「──《ブラッディ・スクラッチ》ィィィ!!」

 

 指の先一本一本からナイフのような厚みと長さに伸びたヴァンパイアの爪により、エネミーの体に十本もの深紅の縦線が刻まれた。そこから血飛沫に似たダメージエフェクトが飛び散る。

 更に注目するべき点は、必殺技であることを差し引いても、被ダメージ量が先程までより多いということだ。

 

「ははぁん、さては大天狗の加護が消えたのだな。ステータスの向上が失われたわけだ」

 

 鮮血色をした十爪がボディカラー同様のダークパープルに戻りながら縮んでいく中で、着地を決めたヴァンパイアが興味深げに分析する。

 

「さぁ、ラストスパートである! 立ち回りはこれまでよりも幾分か楽になるだろうが、油断は禁物。決着を着けるぞ!」

 

 そう言ってからエネミーへ攻撃を仕掛けるヴァンパイアに、仲間達が応えて動き出す。

 ゴウも痛む体に鞭を打ってエネミーに向かって駆けだした。その先にある、たったいま自分が作り出した蜘蛛の巣状の亀裂と、ちょっとしたクレーターになった中心部を踏み締め──。

 

「え?」

 

 いきなり低くなった自分の目線に、ゴウはそんな呆けた声しか出せなかった。

 前に進むのに出した、右足が踏み締めるはずの地面が無くなった。踏んだ瞬間に陥没したのだ。

 体が前のめりに倒れ込む間も、陥没から崩壊が連鎖的に発生し、砂利が吹き飛んで地肌がむき出しになっているクレーター部分全体が陥没する。

 反射的に前へ伸ばした手は空を切るだけに終わり、ゴウはそのまま砕けた地面の一部と共に、下へ下へと落ちていった。

 



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第三十三話

 第三十三話 深淵にて

 

 

 ほんの一分ほど前にはヴァンパイアと共に空を飛び、ごく短時間ながら重力の縛りから解き放たれていたというのに、一転してゴウは地の底で倒れ伏していた。

 

「う……。どうして……地面は破壊不可能のはずなのに……」

 

 呻くゴウは体を起こして立ち上がる。

 これが建物ならいざ知らず、基本的に地形を破壊することは不可能なはずのブレイン・バーストにおいて、地面という足場が崩れるとは夢にも思わなかったが、着地に備えてゴウの頭はすぐに働き、アバターの身体は動いてくれた。

 具体的には必死で足を下に向け、着地した瞬間に頭を腕で守った状態で転がることで落下の衝撃を和らげていた。

 五点接地だか着地だったか。その五点が体のどの部分を指しているのかも、何で見聞きして名前を知ったのかも憶えていない浅い知識ながらも、落下ダメージが五パーセント以下で済んだのはマシな方だろう。共に落ちてきた、砕けた土塊群の下敷きにならなかったのも幸運だった。

 周囲を見渡すと、ここが岩盤に囲まれた薄暗い場所であることが分かる。光源は穴から差す光。すなわちたった今ゴウが落ちてきた場所である。

 

「────ガー、オーガー!」

 

 上から自分を呼ぶ声が聞こえ、ゴウは穴の真下に移動する。少なくとも半径二メートルはあったはずの地上の穴は、見上げるこちらからはだいぶ小さくなっていた。

 

「高いな。何十メートル落ちたんだか……」

 

 天狗の真空刃で切れ込みがいくらか入っていた地点に、重力を加算した《モンストロ・アーム》での一撃がとどめになって、地面が陥没したといったところか。

 本当によくこのくらいのダメージで済んだな、と思いつつ目を凝らすと、誰かが穴の向こうからこちらを覗き込んでいるのが分かる。遠い上に日光を背にしているのでひどく見辛いが、声とおぼろげな頭部の形からしてムーン・フォックス、宇美のようだ。

 

「僕は無事でーす!」

 

 少しでも声がよく通るようにと、両手をメガホン代わりに口元へ当て、ゴウは自身の安否を伝える。

 ところが、宇美の頭は返事をする前に穴から引っ込んでしまう。耳を澄ますと、わずかな振動と音が伝わってきた。おまけに上から砂利がぱらぱらと降ってくる。

 数十秒間をゴウは見上げたまま待っていると、また宇美の頭がひょっこり現れた。

 

「とりあえず無事なのねー!?」

「はい、どうにかー!」

 

 よくよく考えれば弱体化に成功したとはいえ、巨獣(ビースト)級に分類されるであろう鴉天狗エネミーはまだ倒してはいない。戦闘は続いているのだから、こんなマンション十数階建てに相当する距離で悠長に会話している余裕などないのだ。

 

「だから戦いの方に集中してもらって大丈夫です! これだと僕はもう役に立てそうにないんで、悪いんですけど後は頑張ってくださーい!」

「分かったー! 後で助けるからそこで待っててー!」

 

 ゴウの言葉に宇美は了解の返事をすると、再び穴から頭を引っ込め、戦いに戻っていった。

 それにしても、とゴウは今いるここがどういった場所なのか、改めて観察を始める。

 薄暗さに慣れてきた目で地下空洞をぐるりと一周歩いてみると、地上の庭園よりいくらか面積は小さい。およそ直径二十メートルほどの円形をした吹き抜けの空間だ。

 何より気になるのは、壁に空いた横穴が一つあること。

 ──落ちた場所は庭園の中央の辺りだったはず……。ここは通路? ダンジョン……じゃないよな。じゃあ何の為に存在してるんだろ……。

 ああでもないこうでもないとゴウが一人考えていた、その時だった。

 

「あ……まただ」

 

 横穴の奥から、何かを感じる。

 庭園に続く通路の入り口である、柱状をした三つの石で構成された、ゴウが漠然と鳥居を連想したアーチ。一行が霧の中をさまよっている最中に偶然見つけた途端、周囲の霧が晴れていった。あの謎の石鳥居を確認した直後から、ゴウは得体の知れない感覚を抱いていた。

 その感覚も鳥居をくぐるとそれっきり消えてしまい、エネミーとの戦闘もあって今の今まですっかり忘れていたのだが、再びあの謎の感覚を抱き始めている。

 ゴウは首と意識を上部に向けた。落ちてきた穴は遥か上にあり、地下空間のかなり中心に近い地点にある。岸壁をよじ登り、そこから虫のように天井に張り付いて、穴の場所まで進むことが絶対に不可能とは言わないが、一人で辿り着くのは簡単ではない。

 ラッパーに包帯装甲を地上からここまで伸ばしてもらう、死亡しているボーンズの復活後に、遠隔操作された腕に掴まって引き上げてもらうなど、救助が来るまで大人しく待つべきだろう。

 仲間達が戦っている中、意図せずとはいえ戦闘から離脱してしまったのに、そこから一人で勝手に探検に赴くというのは、あまりに身勝手なことだ。現状、仲間達にしてやれることが皆無だとしても。

 だというのに、何も見えない穴の向こうから感じられる気配が、ゴウの心に細波を立たせ続ける。不安とも好奇心とも恐怖とも使命感ともつかず、あるいはそのどれもが混ざり合ったような、うまく言葉で言い表せないモヤモヤが胸中を占めて消えてくれない。

 

「……すみません。すぐ戻ります」

 

 後で助けるから待っていて、と言ってくれた宇美の心遣いを無下にしてしまうことに、ゴウは心苦しさを抱きつつ地上に向かって呟いた。逡巡の末に、とうとう光源となっている天井の穴の下から、暗闇で満たされた横穴に向かって歩き出す。この気分が原因を取り除くまで、まるで消える気がしなかったのだ。

 明かりの全くない洞窟を慎重に進んでいく。片手は壁につけ、一歩ごとに足場がしっかりしているかを、伸ばした足で地面を踏んで確かめる。もしここから更に下に落ちたとなると、さすがに戻ってこられる気がしない。

 意外だったのは、星と月が見えない夜より暗い場所なのに、注視すると極々かすかに地形の輪郭が分かることだった。デュエルアバターの視力は、明暗の感知機能も生身の眼球よりも高性能らしい。

 そんな牛の歩みよりも鈍い速度で、時折緩やかなカーブを描く一本道を進み続けていると、いつしか仲間達の戦闘音も聞こえなくなっていった。謎の感覚は小さくも大きくならず、ゴウの中心に居座り続けている。

 ──……いい加減、引き返した方が良いか。

 文字通りの暗中模索に変化が起きず、後ろ髪を引かれる気分になることを承知でゴウがそう考え始めた、その時だった。

 辿り着いた先は、落下場所とほぼ同面積で天井だけは低い、開けた空間。地面も天井も壁も岩盤に囲まれた、これまで進んできた道と変わらない質感をした場所。

 前方には明かりが灯っている。ここからではロウソクの火よりも小さい、ぼんやりとした青白い光。加速世界から現実へ帰還する為のポータルとは違う。それよりずっと儚げだ。

 その光を頼りにゴウは壁から手を離し、歩く速度を牛歩から普段のペースにまで早めていく。

 まさか何らかのレアアイテムでもあるのかと、ゴウの頭をわずかに過ぎった現金な期待は、発光源の正体が視認できる距離まで進んだところで、跡形もなく吹き飛んでしまった。

 

 女がこちらを見ていた。

 

 地面から一メートル程度隆起した平坦な一枚岩の上で、燐光を放つ一人の女が座り込んでいる。

 厳密には伸び放題の総白髪に目元が隠れているので、こちらから向こうの眼は見えないのだが、間違いなく見られていると分かるほどに、強い視線をゴウは感じていた。同時に並々ならぬ恐怖を抱く。

 真っ暗な場所でぼんやり光る人。無論、そんな絵に描いたような幽霊の姿をしているから、という理由もある。

 ただそれ以上に身の危険を感じるのだ。距離が二十メートル近く離れているというのに、先程まで戦っていた天狗エネミーが、吹けば飛ぶような存在に思えるほどに。

 ──あ、脚が……動かない。声も出ない。何だこれ……。

 見られていると自覚した途端、蛇に睨まれた蛙のように体は硬直していた。

 ゴウがブレイン・バーストにおいて、人の姿をした存在に出遭うのはこれが初めてではなかった。とあるダンジョンで海の女神の名を名乗り、自身を《管理AI》と称した存在に遭遇して、まだ二週間も経っていない。

 しかし、その時だってこんな状態に陥りはしなかった。この沸き起こる危機感からして、前方の女はこの場の管理AIなどではなく十中八九エネミー。あるいはそれに属する、バーストリンカーの敵となる存在だろう。

 不可解なことに、エネミーなら注視すれば体力ゲージが表示されるのに、代わりにノイズがかった塊しか表示されない。

 だが、今のゴウはそんなことはどうでもよかった。

 ──逃げないと……逃げないと死ぬ。動け、動け、動け……! 

 ゴウは必死に脚を動かそうとするも、目を逸らすことさえできずに全身は硬直し続けている。普段は生身の自分を動かすのと何ら変わらないデュエルアバターの体への、脳から発している命令が遮断されているかのようだ。

 女の方もゴウ同様にまるで微動だにしない。ぺたりと座り込んだ岩と一体化しているのかとさえ思える。ただゴウへ視線を向けたまま、尋常ではない威圧感だけを放ち続けていた。

 ──このままじゃ駄目だ。ここに居たらその内、誰かが穴の下からいなくなった僕を探しにここまで来るかもしれない。それだけは絶対に駄目だ。

 その気になれば、おそらく一撃で自分を殺せるであろう女が、どうして何もしてこないのかゴウには分からなかったが、この場の人数が増えた途端に攻性化するかもしれない。

 独断専行をした挙句に、仲間を危険に巻き込むことなどあってはならない。

 その考えに思い至ると、ゴウは少しだけ冷静になった。

 ──落ち着け。きっと向こうは何もしているつもりはない。僕が勝手に呑まれているだけなんだ。《災禍の鎧》の時だって、大悟さんにビビりすぎだって言われたじゃないか。

 ゴウは無理に体を動かそうとするのを一度止めた。

 長めの深呼吸を繰り返すこと数回。実際にはデュエルアバターに存在しない呼吸器系の活動は、ゴウに幾ばくか心を平静にする効果をもたらしてくれた。

 そこから改めて右脚だけに意識を集中させると、後ろに一歩分だけ岩の地面を擦って動かすことに成功する。

 続いて左脚。ゆっくりと右脚に倣って後退。当然ながら上半身もついてくる。

 と、ゴウが体一つ分後退したところで、これまで不動を保っていた女が、ぴくりと体を震わせた。続けてゆるゆると片腕が持ち上がっていく。

 ──やっぱり逃がす気はないか……! 

 とうとう事態が戦闘に移るのかと、ゴウは半ば諦めかけながらも、後ずさりを止めない。情けないことに、それぐらいしかできることがないからだ。

 女は腕を前に伸ばしたまま体を前傾姿勢に。左手と両膝を岩に着き、その身を限界まで前のめりにして──。

 

 ずしゃっ。

 

 女は岩の上からずり落ちた。体が硬い岩盤の地面を強かに打つ音がゴウの耳に届く。

 と、ここでゴウは体が完全に金縛りから解かれた。女の視線から外れたからか。

 千載一遇のチャンスに、ゴウはすぐさま踵を返そうとした。のだが。

 

「…………」

 

 突っ伏したまま起き上がらない女を、ゴウは無言で眺める。まさか気絶しているわけではあるまい。

 

「……………………」

 

 視線はそのままに、体だけを翻してみる。やはり動かない。

 

「………………………………」

 

 数歩歩いてみても、追いかけてくるどころか反応すらしない。考えはまるで読めないが、向こうが見逃してくれるのなら願ったり叶ったりだ。このまま落下地点に戻って、何も見なかったことに──。

 

「あー……もう……」

 

 大きく溜め息を吐いてから、ゴウは再度体を翻し、女がいる方へと歩き出した。嘆息の理由は、現在進行形である自分の馬鹿な行動についてだ。

 ──我ながら何を紳士ぶってるんだか……でも仕方ないじゃんか。だって……。

 誰に向けて胸中で言い訳をしているのかも分からず、右手を伸ばした状態で倒れ込んだままの女の前でゴウは足を止める。

 女を間近で改めて見ると、その姿は異様なものだった。

 日本神話に登場しそうな、和服とはまた異なる独特な衣服はくすんだ鼠色で、裾はどこも千切れてボロボロだ。

 髪留め一つ着けていない直毛で白髪の長髪は、色素どころか潤いもまるでなく、枯れた植物の茎を思わせる質感。同様に肌は皺もシミも見られないのに、老人の肌よりも瑞々しさが感じられない。美白ではなく土気色、死体の肌に近しい。

 たとえ出遭ったのがこんな暗い場所ではなく、体が青白く発光していなかったとしても、やはり第一印象は幽霊だろう。

 

「あの……その…………大丈夫、ですか?」

 

 腰を折って屈み、女に向かって手を差し伸べるゴウが声をかけると、ぴくりと女が反応する。

 体はそのままに、女は髪が御簾(みす)のようになってほとんど見えない顔だけを前に向けた。こちらを見ていても、目線が合わなければ問題はないのか、先程のようにゴウの体は硬直しなかった。あるいは倒れ伏している女に、畏怖以外の感情が湧き始めているからか。

 ゆっくりと、女の右手が動いた。白蛇のような腕が持ち上がり、差し出したままのゴウの右手にそっと降ろされる。

 ──あ、意外に温かい。

 てっきり氷のように冷たいものと思っていたので、人肌同様の温もりが感じられた女の手にゴウは少し驚いたが、それもほとんど一瞬のことだった。

 

「……っ!? ~~~~っっ!!? !!?!!!!??」

 

 落雷にでも当たったのかと思えるほどの衝撃が、ゴウの全身を光の速さで駆け巡った。

 同時に、自分の体が一滴の水に変わり、大海原に落ちて跡形もなく溶けていく。そんなイメージが頭の中に浮かぶ。

 落雷めいた衝撃も、頭に浮かんだ謎のイメージもすぐに消えたが、刻まれた余韻はすぐに消えてはくれなかった。

 何も考えられず、声も出せないまま、ゴウは女の手を振り払って立ち上がると、そのまま全速力で来た道を走った。

 暗闇の道を何度も転びながら、それでも一度として振り返ることはなく、地下へ落ちてきた穴の下に滑り込むようにして倒れたゴウは、そのまま起き上がれずに意識が遠のいていった。

 

 

 

「あっ、ラッパー、あれ富士山じゃねえかな!」

「んー、どれどれ…………違うよボーンズ、富士山はあっちの奥のやつだよ。多分」

「アネゴ、肩車してくれよ。俺っちの背じゃ、あっちのが見えねえんだ」

「えぇ? 今は勘弁しとくれよ、あちこち痛いんだからさ。マガジン、悪いんだけど頼めるかい?」

 

 フリークスメンバー達が、わいのわいのと高尾山の山頂で景色を眺めながら感想を言い合っている。空気の澄んだ《平安》ステージの秋空は、満足のいく絶景を見せてくれていた。

 

「うむうむ。激戦の後となれば、眺める景色ひとつとっても感慨がひとしおよ。なぁ、オーガー」

「そうだね。これだけでも苦労した甲斐はあったと思うよ」

 

 山頂にふわりと吹き抜ける風で、一部が破れたマントが揺れているヴァンパイアに訊ねられ、ゴウは首肯する。

 ゴウの離脱後、宇美とフリークスは見事にエネミーを倒したそうだ。聞くところによると、大天狗の被り物を破壊されて正体を現した鴉天狗エネミーは、やはりそれ以前と比較して、ぐっと戦いやすくなったらしい。それでもヴァンパイアを始め、他の仲間にも新たな傷ができていたが。

 その後、庭園を後にした一行はエネミーに気を付けながら山登りを再開した。再びさまようこともなく、山頂まで登り切って現在に至る。

 日の出から登山を開始したので、およそ六、七時間の道のりだった。太陽の位置は頂点を超えてはいるが、まだまだ高い。

 

「ところで……本当に良いのか? ワガハイがコレを受け取っても」

 

 遠慮がちにそう言うヴァンパイアが、ストレージから一枚のアイテムカードを召喚してみせる。あの庭園の天狗エネミーを倒したことで、システム的に閉ざされていた、扉が開いた蔵の中にあったものだ。

 

「カード状態の今なら、直結を介さずともすぐに渡せるのだぞ?」

「さっきも言ったけど、別に良いんだってば」

 

 再度訊ねるヴァンパイアに答えたのは、ゴウではなく他の仲間と一緒に山頂からの景色を眺めていた宇美だった。こちらの話が聞こえていたようだ。

 

「し、しかしだな……」

 

 ヴァンパイアも食い下がる。こちらが譲ると言っているのに、初めに約束したことを律義に守ろうとするあたり中々に義理堅い。

 

「貴公らが我らへの同行を許諾した条件は『道中で獲得したアイテムの類は貴公らに渡す』というものだったではないか」

「厳密には『アイテム類を私達が欲しいと思った場合、それらを無条件で貰う』だよ」

 

 ゴウの隣に並んだ宇美が肩をすくめた。

 

「それを私達が要らないって言ってるんだから、気にせずそっちが受け取って。そうでしょ、オーガー」

「はい、フォックスさん。ねぇヴァン、あの天狗エネミー攻略はヴァンが天狗の顔に一撃入れてくれたのがきっかけだったんだよ? それに与えたダメージ総量も──まぁ、人数的に当たり前だけど、僕ら二人より君らフリークスの方が多いわけだしさ。充分に受け取る資格はあるんじゃないかな」

 

 宇美に同意したゴウは、続けて自嘲気味な補足を加える。

 

「それに僕なんか最後の方、役立たずだったしね」

 

 庭園の地下空洞で意識が途切れたゴウは、あれから気付くと穴から救出され、庭園の地面に寝転がされていた。

 ゴウは地下で遭遇した謎の女について、皆には話さなかった。下手なことを言って、では行ってみよう、という流れになるのを恐れたからだ。

 故に気絶の理由は、落ちた時よりも微妙に穴が拡がっていたことに目をつけ、エネミーの攻撃の余波で瓦礫が頭に降ってきて、その当たり所が悪かったのではないかと説明した。

 内心でボロが出ないかと焦ったが、仲間達は納得してくれたようだった。ゴウを地上へ回収する時も、気絶していたゴウに意識を向けるあまり、どうやら地下の横穴には気付かなかったらしい。

 本音を言ってしまえば今のゴウの恐れとは、仲間を危険に晒すこと以上に、洞窟の奥で出遭ったあの女に再び近付くことであった。振り返れば、あんな得体の知れないものにあっさり接近したのは、返す返すも浅はかな行為だったと思う。

 意識が戻ってからは天狗との戦闘での負傷を除き、身体的にも精神的にも特に異常はないのだが、あれだけのショックを受けた手前、それがかえって不気味でもあった。

 結局あの地下道は、そしてあの女は何だったのか。気にはなるが、ゴウはひとまず今は詮索しないことに決めた。

 

「……そんなことはないと思うが、分かった。そこまで言うのなら、コレは今後のレギオン発展の為にありがたく使わせてもらうとしよう。使うか売るか、今後の為に保管しておくか、用途は話し合って皆で決める」

 

 ゴウが地下での顛末が思考の端にちらついている中、ヴァンパイアはカードをアイテムストレージに収容した。もうすでに似たようなやり取りをアイテム発見時にしているのだが、念を押されて今度こそ納得したらしい。

 

「ではそろそろ締めといこう。おーい、全員集合してくれ!」

 

 呼びかけたレギオンメンバー達がぞろぞろと集まると、うぉっほん! と大仰な咳払いをしてからヴァンパイアが切り出した。

 

「えー、我らはこうして高尾山の踏破に成功した。これもひとえに、ひとりひとりの健闘によるものである。はい拍手!」

 

 そう言って自ら拍手するヴァンパイアに続き、レンズを筆頭に男衆が盛り上がる。レギオンの紅一点であるリカオンも特に口を挟むことなく、ゴウと宇美もつられて拍手した。

 拍手が収まると、ヴァンパイアが口を開く。

 

「……予想外の事態も多々あったし、ワガハイ含めて死亡する者も出たが、そんなことは予想の範疇。されど我らは乗り越えた。この経験は全員にとって、今後の領土戦を含めた対戦でも無駄にならないものだとワガハイは確信している。特に──」

 

 ここでヴァンパイアが、ゴウと宇美に視線をフォーカスした。他のフリークスメンバーもこちらに向き直る。

 

「ムーン・フォックス、それにダイヤモンド・オーガー。貴公らがいなければ、我々フリークスはこの山頂に来ることは叶わなかったであろう。誠に、まっことに感謝している。はい拍手!!」

 

 先程よりも大きな拍手がゴウと宇美に送られ、ゴウはどうもどうもと謙遜気味に頭を下げる。宇美も似たようなもので、褒められたことに嬉し恥ずかしといった様子だ。

 

「──で、物は相談だが……」

「ぅえ!?」

 

 素早く背後に回り込んだヴァンパイアに、ゴウは両肩をがっしりと掴まれた。

 

「貴公ら二人、フリークスに加入するつもりはないかね? 酒吞童子を筆頭に鬼、玉藻の前に空狐や天狐を始めとした狐。どちらもザ・日本妖怪のポピュラー&フェイマスではないか。ワガハイ、実に気に入った! 是非ともどうだね? ん?」

「えぇー……がっつり私情入ってますけども……」

 

 ぐいぐいと推してくるヴァンパイアへ率直な感想を漏らすゴウは、昨晩のリカオンとの会話をゴウは思い出した。

 

 ──『アンタもフォックスも、アバターのデザイン的にヴァンの好みだからさ。その内レギオンに勧誘されるだろうけど、嫌ならぱぱっと断りなね』

 

「アウトローだったか。その集まりはレギオンではないのだろー? こう、部活のかけ持ち的な感覚でひとつどうだー? んー?」

 

 ゆーらゆーらと、ヴァンパイアに肩を揺らされる。ゴウと目が合ったリカオンは『ほら、だから言ったろ?』といった様子でウインクしてみせた。

 

「俺っち達も歓迎しやすぜ!」

「……!」

「連携もできてたしなぁ。即戦力だ」

「レベル6が二人も入ってくれたら心強いよね」

 

 レンズがヴァンパイアに続き、マガジンがガシャガシャと音を立てて頷いた。ボーンズとラッパーもそれぞれ肯定の意見を口にする。

 確かにそれも楽しそうではあるのだが、残念ながらゴウにはもうとっくに居場所があるのだ。

 

「気持ちは嬉しいんだけどね。レギオンじゃなくても、それでも僕はアウトローのメンバー。だからフリークスには入れないや」

 

 両肩に置かれた手を外し、自分なりに丁重にゴウは断る。

 

「うーむむ、ウチはアットホームなレギオンだぞぅ? 領土戦未経験でも大歓迎! まずは町田エリアの頂点を目指すという夢に向かって──あだだだだだだ!?」

 

 どこぞのブラック企業めいた謳い文句を言い出したヴァンパイアを、リカオンがイヤーパーツを引っ張って制した。

 

「はいはい、そこまでにしときな。町田(こっち)までわざわざ来るのだって手間になるんだから。アイテムまで譲って貰っておいて、困らせるんじゃないの。……アンタらもだよ、いいね?」

「へい、アネゴ!」

 

 少し圧の込められたリカオンの一言に、即答するレンズ達が背筋を伸ばした。

 ──おぉ、さすがサブマスター。

 感心するゴウをよそに、リカオンから逃れたヴァンパイアが引っ張られていた方の耳をさする。

 

「……ちなみにフォックス、貴公は──」

「私もオーガーと同じく。ごめんねー」

 

 フォックスに即答され、心底残念そうに肩を落とすヴァンパイアだったが、すぐに顔を上げた。

 

「……仕方あるまい。ブレイン・バーストでの過ごし方は人それぞれ。だが、これっきりというのは寂しい。もしも我らの力が必要になったら、その時は遠慮なく連絡をくれ。我らは協力を惜しまんぞ」

 

 差し出されたヴァンパイアの右手を、ゴウは迷うことなく取った。

 

「うん、その時はよろしく。《夜の王》」

 

 その後ゴウと宇美は、他のメンバー達とも握手をしながら別れの言葉を言い合い、現実での標高標識と同じ地点にあるポータルから、現実世界の長津田駅の最寄りにあるダイブカフェへと帰還した。

 今回の一件で、フリークスという新たなバーストリンカーの友人達ができたゴウ。

 彼ら以外にも『繋がりを持った存在』がいることに、この日はまだ気付くことはできなかった。

 



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難敵相対篇
第三十四話


 第三十四話 水面下のうねり

 

 

 粘つく闇に、全身が包まれていた。

 闇はどれだけ藻掻いても纏わり付いて離れず、それどころか抵抗するほどに自分を圧迫していく。

 圧迫感と息苦しさを感じる暗黒の中で、またあの感覚が走る。まるで何かが、誰かが自分を呼んでいるかのような。そんな第六感めいた──。

 その時、自身の姿も確認できない真っ暗闇の中で、何者かが目の前に音もなく姿を見せた。

 ボロボロで薄汚れた服。潤いのない青白い肌。顔のほとんどを覆い隠す白髪。その全てが闇の空間で鮮明だった。

 顔に垂れ下がった髪から覗く『彼女』の唇が動き──。

 

「…………はっ!?」

 

 目が覚めた──のに何も見えない。それはゴウが掛布団に頭から包まれているからである。

 夏用で薄手のものでも、これだけすっぽりくるまっていれば息苦しくて当然だと、体から布団を引き剥がす。ホームサーバーによって自動で遮光カーテンが開けられていた窓からは、すでに陽光が燦々と部屋に注がれていた。

 寝転がったままベッドのヘッドボードに腕を伸ばし、手探りで掴んだデジタルクロックを確認すると、すでに九時半を回っている。今日は日曜日だが、ゴウとしては寝過ごしたと言える時刻だ。

 

「ぁあー……変な夢見た……」

 

 ぼそりと呟きながらも、ゴウにはおおよその原因は分かっていた。

 それは昨日の無制限中立フィールドにおける、高尾山登山での出来事。

 天狗エネミーとの戦闘時に、ゴウは戦闘の影響で陥没してできた穴に落ちた。落下した。その場所は何故だか地下空洞が形成されていた。あの場所は何だったのだろうか。

 街中に配備されたソーシャルカメラの映像を基に、通常対戦フィールドや無制限中立フィールドで形成されるのがブレイン・バーストの地形だ。その地形もステージによっては大きく変化するが、仮に現実でも自然によって作られた、人の手が入っていない単なる地下空洞だった場合、ソーシャルカメラが配備されていない可能性の方が断然高い。人が訪れないはずの場所にまでカメラを配備していたら、もうキリがないだろう。

 高尾山の地下には人知れず存在する施設でもあるのかと、胡散臭い都市伝説めいた考えが浮かんだが、帰宅してから調べてみても、やはり特に成果はなかった。そうなるとブレイン・バースト製作者はプレイヤーが訪れるとも知れない場所に、わざわざリソースを割いて隠しエリアを作っていたことになる。もっとも、そこに繋がる庭園からして隠しエリアであったが。

 その地下空洞の奥にいた謎の存在も含め、寝入る寸前まで考えていたこともあってか、これらが夢にまで出てくる羽目になったらしい。

 分からないことだらけで、気分がどうもさっぱりしない。この件については、今度のアウトローの集会でそれとなく聞いてみるのは確定として、どうにか今このモヤモヤを発散できまいか。

 ゴウにとっての気分転換といったら無論、ブレイン・バーストでの対戦である。寝起きの頭を働かせていくと、とある場所が思い当たった。

 ──そうだな、久々にあそこに行ってみるか。

 ゴウは大きく伸びをするとベッドから体を起こし、とりあえず顔洗いに洗面所へ向かった。

 

 

 

 床も壁もテーブル等の調度品も、フロア全体が金属類で構成されている、アウトローのプレイヤーホームよりもアウトローチックな場所。ここは現実世界でも加速世界でもない。電子の海に無数に存在する、ローカルネット空間の一つである。

 端々が赤錆びた鋼板が敷き詰められた床を進み、フロア奥に位置する鉄板でできたカウンターに辿り着いたゴウは、カウンターの向こう側で背を向けて何やら作業をしている、ずんぐりした短躯のアバターに挨拶をした。

 

「こんにちは、《マッチメーカー》」

「む?」

 

 ゴウの呼びかけに振り返ったのは、大きな蝶ネクタイを締め、鉄縁眼鏡をかけたドワーフ型アバターだった。

 

「おおぅ、久し振りじゃな。鬼のあんちゃんよ」

「どうもご無沙汰してます」

 

 ドワーフ型アバター改め、マッチメーカーの低く渋めな声を受けつつ、カウンターのスツールにゴウは座った。現在のゴウの姿は、全体的に角張ったフォルムをしたロボットのアバターである。これは現在使っているニューロリンカーのストレージに初めから入っていた、フルダイブ用アバターの内の一体だ。一つだけ既存のものと異なる点として、四角い頭頂部に一本のパラボラアンテナを付けている。

『鬼』とはかけ離れた姿なのに、マッチメーカーがどうして今のゴウをそう指したのか。それは彼が、このロボットアバターがダイヤモンド・オーガーことゴウの、このネット空間で利用する際のアバターだと知っているからである。

 ここは秋葉原にあるアミューズメントビル、《QUADTOWER(カドタワー)》内でバーストリンカーのみがアクセスできるローカルネット空間。現金での賭け試合(料金はティーン基準)が行われる闘技場、通称《アキハバラBG(バトル・グラウンド)》。たとえ《純色の王》でも介入はできない、バーストリンカーの対戦の聖地とも呼ばれる場所である。

 ちなみに、ここの胴元であるマッチメーカーもバーストリンカーであることは間違いないのだが、デュエルアバターとしての彼の姿をゴウは知らない。

 

「前に来てから二ヶ月になるかね」

「そうですね、先月はいろいろと忙しくて」

「ああ……例のキットのこともあったからの」

 

 何も言わずとも仮想ドリンクの入ったグラスを用意してくれた、マッチメーカーの声が少しだけ暗くなる。

 

「ここにも影響が?」

「うむ。実は常連の一人がユーザーになっちまって、試合中に使いおった。おかげでその日はここを急遽閉めることになったわい。客の対応にてんてこ舞いじゃったよ」

 

 声を抑えてそう話すマッチメーカーは溜め息を吐いてから、懐から取り出したタンブラーを傾けて呷った。

 ゴウはフロア内を軽く見渡す。日曜の午後だというのに、心なしか他のアバターの姿が少ないのはそれが理由か。

 すでに装備した者が負の心意技を使用可能になり、コピー機能さえ搭載していたISSキット。何とか二十三区全体に蔓延する前に先月末に撲滅したとされているが、半月近く経っても、未だキットが残した爪痕は完全には癒えていないようだ。

 妙ちきりんな味がする、ぎらぎらとした原色のドリンクに口を付けてから、ゴウはおそるおそる訊ねた。

 

「その、キットユーザーになった人は……?」

「それ以来、見とらんな。無事だといいがね。……ま、先週には《七王会議》でキット無力化の確認は取れた上に、おいそれとユーザーへの《断罪》もなしと決めたようじゃ。さすがに少しはペナルティも課せられるかもしれんがな。他の中小レギオンも似たような判断をしているだろうて。それに、元凶の《加速研究会》を叩こうと方針を決めたらしい」

 

 加速研究会。

 先月に開催された《ヘルメス・コード縦走レース》イベントでの大規模心意技の発動に加え、それからすぐにISSキットを広めていたという謎の集団だ。

 更にはキットの本体があるとされていた建物には、《調教(テイム)》をした超強力な神獣(レジェンド)級エネミーをも配備し、最古参の大悟すらそれまでその組織の名前を知らなかったという。

 ゴウ達アウトローも、研究会と繋がりがある、もしくは構成員だったと思しきバーストリンカーと関わることにもなった。その男の目的が、幻のダンジョンに存在したアイテムの奪取だったと推測されることから、キットの件以外にも研究会は方々で何かしらの暗躍をしていた可能性が高く、あらゆる面で底が知れない。

 

「とっとと潰してもらいたいもんじゃがな……」

 

 今年の四月に発生した《ローカルネット荒らし》にも関与していたらしく、被害を受けたアキハバラBGの胴元として、マッチメーカーも加速研究会への攻撃には大いに賛成のようだが、どこか歯切れが悪い。

 

「どうしました?」

「いやな、最近のブレイン・バーストは……加速世界は、ちといろんなことがいっぺんに起きすぎとる。確かに《災禍の鎧》の件も、ネット荒らしも、今回のISSキットの件も、一応は解決した。それでもワシは、まだまだ何か大きなことが近く起こると見とる」

 

 あくまで勘だがね、と付け加えるマッチメーカーはたっぷりとたくわえられた顎髭を片手で撫で付けながら続ける。

 

「それもあまり良くない方向のな。あんちゃんくらいの若手にゃいまいちピンと来んかもしれんが、王達による停戦条約の締結前には、大なり小なりの混乱なんぞ日常茶飯事じゃった。そりゃあもう、ワシら情報屋には良い儲けの種よ。だからこそワシらはこの手のことには、ちぃとばかり他の奴より鼻が利く。それにじゃ。混乱はいき過ぎれば混沌になり、大概は破滅にしかならんことも知っとる」

 

 途中から神妙な物言いになり始めた、マッチメーカーの鉄縁眼鏡が鏡のように反射し、レンズの向こうの金壺眼(かなつぼまなこ)ではなく、ゴウのロボットアバターを映す。

 ISSキットの存在は、すでにマッチメーカーの言うところの『いき過ぎた混乱』を通り越し、『阿鼻叫喚の混沌』を発生させかけていた。つまりは原因の研究会を早々に対処しないことには、ブレイン・バーストそのものを暗い影が覆うというのだろうか。

 こちらの不安が伝わったのか、ゴウが口を開く前に、マッチメーカーがからかうように鼻を鳴らした。

 

「なぁに、今すぐ何がどうこうなるわけでもないわい。それにもしも大事が起きようが、あっさり潰されるほどバーストリンカーっちゅうのはヤワじゃあない。ここもまた人が戻りつつあるし、あんちゃんもせっかく来たんだから今日は盛り上げとくれよ」

 

 親指を立てたサムズアップと髭に隠れてほとんど見えないドワーフの笑顔を受け、ゴウも少しだけ不安が和らいだ。

 ──そうだよな。そもそも僕は来るかも分からないものを心配しに来たんじゃない。対戦を、ブレイン・バーストを楽しむのにここに来たんだ。

 ゴウが意気込んでいると、何席か離れたスツールに座った別のアバターに呼ばれたマッチメーカーが、「はいよ、いま行く」と返した。

 

「そんじゃ、あんちゃん。良い試合を期待しとるよ」

「はい。あっそうだ、じゃあ盛り上げるのに今度は師匠も連れてきますね」

「なぬっ!? いやいや旦那は勘弁……あっ、おい……フリじゃないぞぅ!」

 

 ドリンクを飲み干してスツールから立ち上がるゴウに、昔に何をやらかされたのかは知らないが、大悟を呼ばれては敵わないらしいマッチメーカーが切実な声を上げる。

 冗談ですと手を挙げながら、ゴウは小さく笑ってカウンターを後にした。

 

 

 

 アキハバラBGにおける対戦の組み合わせは、ここのシステムに登録をした選手がレベルや相性によって選ばれる。対戦する選手は決められた時間までにどちらか片方が加速し、対戦相手に乱入することで対戦が開始されるのだ。ちなみに対戦者ではない他のバーストリンカーが選手に乱入を仕掛けた場合、その乱入者はここの用心棒によって対戦で叩きのめされ、ネットから締め出されることになっている。

 そんな試合内容を表示するのが、現在ゴウが眺めている、フロア中央の四角い吹き抜けの天井から鎖にぶら下げられた、巨大な四面モニターである。

 グローバルネットではなく、わざわざ一つのローカルネットに訪れる者達の目的は、自身で相手を選択できない対戦にスリルを求めて、より様々な相手との戦闘経験や情報を得たいから、少額なり現金での小遣い稼ぎ等々、理由は様々。

 ゴウの場合は、世田谷エリアや隣接するエリア等で活動していない対戦相手に遭遇する確率が高いからで、今回の目的である気分転換にはもってこいなのだ。

 この待っている間の緊張感も半ば楽しみつつ待っていると、モニターにダイヤモンド・オーガーの名前が表示された。対戦相手はレベルが同じだが、ゴウの知らない名前のデュエルアバターだ。すると──。

 バシイイイイィィッ! 

 モニターに試合時間が予告されてから三十秒もしない内に、加速を知らせる音がゴウの脳内に響き渡った。基本的にここでは開始時間までに対戦者のどちらかが一分を切ってからするものなので、これがルール違反かどうかはグレーゾーンに当たるところである。

 ──なんだ? 随分せっかちな人だなぁ……。

 まだ見ぬ対戦相手にそんな印象を抱きながら、挑戦者を知らせるメッセージが視界に表示されているゴウは対戦フィールドに繋がる暗闇を降りていった。

 



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第三十五話

 第三十五話 無味乾燥な灼熱

 

 

 降り立った足場は煤けた床だった。床だけではない。壁が消え失せた建物から見渡せる街並み全体が、火事に見舞われて全焼したような有様だ。

 火属性下位の《焦土》ステージだと、ゴウがフィールドの種類を認識した直後──。

 

「……っ!? な……」

 

 急な立ち眩みが起きて、思わずその場で片膝を着いてしまう。

 対戦相手の仕業かと一瞬考えるも、十メートル以上離れた相手の方向を示すガイドカーソルは表示されたまま。遠距離から眩惑を引き起こす必殺技を持っていたとしても、対戦開始直後で必殺技ゲージはお互いに空。発動はまず有り得ない。

 にもかかわらず、目眩から視界が回復したゴウは、続けて頭痛と胸やけに似た感覚に襲われていた。ブレイン・バーストに限らず、生身の肉体と切り離された仮想体を操作するフルダイブ中において、このような状態になったのは初めてだ。

 ──体力は減ってないのに……なんなんだ、これ……。

 ゴウが戸惑っていると、今度は耳鳴りまでしてくる。それも一定の高音ではなく、調子の外れた下手くそな縦笛のような不快音だ。

 その場でうずくまることおよそ数十秒。やがてゴウを苛む頭痛も胸やけも耳鳴りも収まっていく。それでも高熱に浮かされたような余韻が完全に消えることはなく、小さな違和感は残り続けていた。

 若干の不調を抱えたまま、ゴウはまず深呼吸をして、体のあちこちを動かしてみた。今度はその場で空に向けて拳を突き出す。

 

「一応、動きに問題はないけど……」

 

 生身ではない、仮想体での体調不良の原因は不明だが、対戦はすでに始まっている。まさか対戦相手に「気分が悪いからこの対戦はなかったことに」とは言えるはずもなく、この場にずっと留まっていてもどうしようもないと、ゴウは頭を無理やり切り替えた。

 まずは外の景色を見るに、そこそこ高めな建物の階層に出現したので、地上に降りて対戦相手を探す必要がある。

 

「着装、《アンブレイカブル》」

 

 ゴウは右手に召喚した、重量のある透明な金棒を掲げてみる。

 ──別にふらつきもしない。よし、これなら……。

 手応えを確かめてから両手で握り締めた金棒を、ゴウは床めがけて振り下ろした。

 破砕音と共に床が抜け、ゴウはそのままワンフロア下に落ちていく。しっかり着地を決めてから瓦礫と少し距離を空けると、同じく大上段から金棒を足下の床へ叩き付ける。

 この建物には階段があるのに、どうしてゴウはわざわざこんな降り方をしているのか。

 理由の一つは、《焦土》ステージはオブジェクトがとても脆い分、必殺技ゲージのチャージ率が非常に悪いので、会敵前に少しでもチャージしておきたいから。

 もう一つは派手な音を出して、対戦相手を呼び寄せる為。今回初めて知ったアバターネームなので、どんなタイプのデュエルアバターなのか全く情報がないが、こちらがこうも目立つ動きをしてゲージまで溜めていれば、少なくとも無視はできないだろう。姿を見せないにしても、こちらの位置が把握できる所まで近付いてくるはずだ。

 相手を指し示すガイドカーソルの矢印は方向が度々動いている。方角しか示さないカーソルは具体的な距離や高低差までは教えてくれないが、対戦相手はこちらに向かって接近しているのだろうか。

 繰り返し足場を崩すこと十数回。ゴウはようやく地上階に辿り着いた。黒ずんだ柱が支える、壁のない建物から素通しの外に出る。

 すると、焼け野原と化している道路の向こうから人影が現れた。こちらの目論見は一応成功したらしい。

 それまで小走りだった人影はゴウを補足すると、数十メートル先の距離で停止する。特に暗がりでもないので、デュエルアバターの視力で充分に相手の姿形が分かる距離だった。

 背丈はダイヤモンド・オーガーとほとんど変わらない。かなり細身なので一瞬、装甲を纏っていないように見えたが、実際には全身が灰色の岩のようなもので覆われているM型アバターだ。英名表記のアバターネームは《コークス・デーモン》と読める。

 両側頭部から生えて先端が正面を向く、ねじくれた角。右肩に担いでいるのは、アバターと同質同色をした三叉の槍、いや矛だ。刃の部分も含めた全長はアバターの身長とほぼ同じで、長物にしては若干短い気もする。

 頭の角といい、強化外装の形状といい、名前に違わない悪魔らしい姿だ。これで翼と尻尾もあれば完璧だったろう。もっとも、向こうも額に角を生やして片手には金棒という、そのまんまな(ゴウ)にそんなことを思われたくもないだろうが。

 デーモンの方もこちらの姿の確認が終わったのか、挨拶の一つもなく一気に距離を詰めてきた。爪先から伸びる四つの爪がスパイク代わりになっていることもあって、かなりの速度だ。ゴウも金棒を構えてこれに応戦する。

 

 ギャギィン! 

 

 三秒もしない内に、互いの武器が衝突した。接触面から火花が散る。

 矛の切っ先を払ったゴウが反撃に金棒を振るうと、デーモンは柄で一瞬だけ金棒を受けてから、滑るように受け流してこれを防いだ。そのまま動きを止めることなく、刃とは反対の石突部分でゴウの横腹に一撃を叩き込む。

 

「ぐっ……」

 

 ゴウの体力がわずかに削れる。ファーストアタックは取られたが、向こうのペースにはさせまいと、続く二撃目は躱してみせた。

 そこからは強化外装での打ち合いが続いた。デーモンの捌き方は巧みで、最初の一合だけでアバターの腕力がゴウの方が勝っていると察したようだ。真正面から受け止めることはまずしてこない。

 ゴウも金棒を振るうだけでなく四肢を駆使して攻撃を加えるが、ほとんど避けられる上に当たってもどれも浅く、一撃あたりデーモンの体力ゲージの二、三パーセントしか削れない。

 戦況は若干向こうが優勢。レベルは6同士でアバターのポテンシャル的には同等のはずなので、これは近接戦における技量の差か。

 ゴウは剣戟の中で、デーモンの多孔質の岩石に似た灰色の装甲が目に入る。全身をびっしりと覆い、ここまで近くで見ると装甲というより、岩石そのものが体を形成しているかのような印象を受けた。

 灰色。カラーサークル上では、かなり彩度の低い青や緑の位置付けになる。

 デュエルアバターのアバターカラーは彩度が高いほど色の属性が明確に現れ、低いほど特殊になっていくとされるので、デーモンにも相応の特殊性があるのか。

 ──コークス……。聞き覚えはあるんだけど、どんなものだったっけ。

 デーモンのカラーネームについて考えるゴウの心の声は、やけに鮮明だった。それは対戦フィールドで発せられている音が、戦闘音くらいしか発生していないからだ。

 この《焦土》ステージでは、可動オブジェクトの類が存在しない。

 また、ここアキハバラBGでの対戦は賭けが絡んでいることもあって、公平を期する為に基本的に外部からの野次飛ばしやアドバイスをしてはいけない、という暗黙の了解が原則としてある。故にフレームと床だけを残した建物の屋上のあちこちに立っている、ギャラリー達の影は静かにこちらを観戦していた。

 対戦相手のデーモンはここまでずっと無言。得物を振るう際にわずかに呼気らしき音が聞こえるものの、戦闘中ではそれも定かではない。

 かの《緑の王》は必要なこと以外は口に出さないほど寡黙で有名らしいが、デーモンも似たようなタイプなのか。それとも昨日出会ったフリークスメンバーの一人、バルサム・マガジンのようにシャイな性格なのか。

 そう思ってすぐに後者は違うだろうと、ゴウは胸中で訂正した。その理由は、デーモンがこちらに向ける視線だ。

 岩石装甲を纏う顔の表面に埋まるようにして存在する青白いアイレンズは、繰り出してくる絶え間ない攻撃に反してゴウからすると何と言うのか、平坦なのだ。

 無関心とはまた厳密には違う気がする、正にも負にも感情のベクトルを見せない眼差し。

 ローカルネットのモニターに対戦が表示されてすぐに対戦を開始したことといい、遊びがまるで感じられず、どうも落ち着かない。

 と、この時ゴウは頭であれこれ考えてはいても、決して油断しているわけではなかった。

 それでもデーモンがこちらの防御をかいくぐり、斬り上げた矛の刃がゴウの胸板へ斜め一線の傷を付けたのは、ひとえに彼の実力だろう。

 

「っあ……!?」

 

 食らった攻撃は装甲のみならず、アバターの素体にまで達していた。ダメージは一割に満たないものだったが、問題はそこではない。

 ダイヤモンド・オーガーは名前通り、天然鉱石の中では最硬度を誇るダイヤモンドの性質を少なからず有している。それ故に切断、貫通属性の攻撃には耐性を持つ。

 では、どうしてそれまで無傷だった胸部装甲が、ただの斬り付けによる通常攻撃で深めの傷を作ったのか。

 その理由も一撃を受けたことでゴウが理解した、その時。

 

「鈍い野郎だ」

 

 どこかやさぐれた、吐き捨てるような口調。それでもはっきりと聞き取れる一言。それが、ゴウが初めて聞くデーモンの声だった。

 矛を頭上で回転させると同時に跳躍するデーモン。

 諸々の驚きから反応が遅れ、もう回避が間に合わない。これまでより明らかに威力の高い一撃を、ゴウは金棒で迎撃することしかできなかった。

 

 バキィィン!! 

 

 この対戦で何十合目かの衝突。高い硬質音を響かせて砕け散ったのは、ゴウの金棒《アンブレイカブル》だけだった。

 

「く……!」

 

 強化外装を犠牲にした代わりに、ゴウはなんとか追撃を受けずに距離を空けることができた。地面に散らばる《アンブレイカブル》の残骸と、右手に残った柄が光の欠片に変じて消えていく。

 対するデーモンには数秒前から変化が一点。

 灰色だった三叉の矛が赤色を帯びている。また、矛を握る両手までもが同じく赤に染まっていた。

 ──アバターのアビリティか、矛に備わった能力か。どっちにしてもまずいな……。

 ゴウは自分の背に、一筋の冷や汗が流れた気がした。

 ダイヤモンド・オーガーには、大きく分類して二つの弱点がある。

 一つは瞬間的な威力の高い打撃。すなわち強力な衝撃による攻撃。

 強固で知られるダイヤモンドは物質としての粘り強さ、靭性(じんせい)が低い。また、特定の面に衝撃を加えられると、その面に沿って一気に割れてしまう。これを劈開面(へきかいめん)といい、金槌を上から振り下ろして当てただけでダイヤモンドが砕けてしまうことがあるのは、この劈開面で衝撃を受けた場合である。

 ゴウはこの弱点をカバーするべく、経験によって感覚的に自身のアバターの劈開面を把握し、防御技術を向上させてきた。

 また強化外装の《アンブレイカブル》は、重量の代償にオブジェクト的優先度が高めなのか、アバター本体よりも遥かに衝撃に対して耐性を持っているので、相手の攻撃への盾代わりとしての役割もある。

 そして、もう一つの弱点が高熱。炎熱属性の攻撃。

 ダイヤモンドとは炭素の一種であり、六百度の高温下で黒鉛化が始まり、八百度からは炭化。発火を経て、最後には燃焼による酸化で跡形もなく燃え尽きてしまう。この時は灰すらも残らない。

 無論、実物のダイヤモンドが少し火に炙った程度で、すぐに消えてしまうわけではない。熱の逃げ場がない状態で、時間をかけて熱していくことで起こる現象である。

 ところがダイヤモンド・オーガーの場合、アバターに振り分けられた数値の炎熱への耐性が著しく低い。炎を直接浴びれば他のアバターよりもずっと被ダメージは多いし、爆発系統の攻撃は熱と衝撃のダブルパンチで天敵だ。

 高熱が付与された物理攻撃でも、装甲は比較的容易に傷付いてしまう。例えばデーモンが持つ、高熱を発している矛による一撃のような。

 しかも打撃とは異なり、現在のゴウには炎熱攻撃に対する具体的な防御策がないのだ。

 装甲に比べればかなり耐えるが、《アンブレイカブル》も立て続けに受けていれば、今のように破壊されてしまう。おそらくは赤熱しない程度の状態を維持し、剣戟の中で集中的に同じ部位に当て、最後に出力を一気に上げて砕きにかかったのだろう。

 更にまずいことがもう一つ。

 ──体力が……。

 ゴウは先程できたばかりの胸の傷に触れた。熱を帯びたデーモンの攻撃には、数秒単位で一パーセントに満たないながらも、体力ゲージを徐々に減少させるスリップダメージ効果が付与されているようだ。そのダメージ分ではデーモンの必殺技ゲージが溜まっていないのは幸いか。

 矛を中段に構えたデーモンが、容赦なく攻撃を再開した。

 ゴウは迫る刺突を避け、追撃の横薙ぎが届かない距離まで後退する。矛の刃先がわずかに腹を掠め、短い糸のような傷が新たに作られた。

 ──こうなったら攻撃を避けてから、一気に距離を詰めて反撃するしかない。相手は長物。リーチがある分、腕を伸ばせば引き戻しにタイムラグが出るはず……! 

 そうあからさまな隙ではないことは分かっている。長物とは言っても、剣以上槍未満の長さでは、攻撃の合間にわずかにできる、ごく小さなものだ。

 だが、ゴウとてそれを見極められるくらいには成長したつもりだ。そうでなければ、近接系アバターとしての自分が、これから更に上へと登り詰めていくことは到底できない。

 デーモンが繰り出す攻撃を避けて、避けて、避けて。避けきれずともクリーンヒットはさせず、その時を待つ。一つ気付いたのは、矛により受けた攻撃は小さなものでも熱から来る、一定ラインの疼痛がいつまで経っても収まらないこと。それもまた攻撃による副産物の一つなのだろうか。

 間断なきデーモンの連続攻撃が続き、数分経っても変わらない展開にいい加減に業を煮やしたか、強く踏み込んだ刺突が放たれた。

 ──ここ! 

 矛の刺突と同時にゴウも前へ出る。体は正面から見て右向きの半身に。躱しながら更に前へ。左腕は腰元。狙いは相手の顔面。

 

「《アダマント・ナックル》!」

 

 輝く拳による正拳突きの必殺技が、可動域限界までの腰の捻りを加えた捻転エネルギーも付加されて放たれた。

 だが、これに対してデーモンは首と体を右に大きく傾ける。

 ──くそ、浅いか……! 

 一瞬の交差の後、小さく呻いたゴウは腕を引いて体勢を戻す。

 距離を少し取ったデーモンは頬の表面を削り、左角が歪曲部分から砕けただけだった。ダメージも五パーセントを少し上回る程度と、成果は芳しくない。

 ──僕の必殺技の中で一番隙が少ない《アダマント・ナックル》でも、あの状態でまともに当たらないなんて……次はどう──!? 

 次の手を考え出そうと頭を巡らせていたゴウは、目の前の事態にぎょっとした。

 たったいま破壊したデーモンの左角、その折れた部分から先がみるみる内に修復されていくではないか。やがてねじれた角は元の通りに伸びていて、おまけに顔の亀裂も跡形もなくなっている。

 

「装甲を修復するアビリティ? しかも……」

 

 ゴウはこれまで体の一部を再生させるアバターを目にしたことは何度かあるが、それらは有機的な生物系のパーツであったり、機械系なら必殺技や限定発動型アビリティによってその部分を修復していた。

 しかし驚くことにデーモンの岩石じみた装甲は、傷の修復をしても必殺技ゲージに変動はない。

 よく見れば、これまでの攻防でゴウがわずかながらに攻撃を当てた他の部分にも、跡さえ残っていなかった。全身に装甲を纏い、その装甲がたちどころに修復されてしまうとなると、装甲を破壊した箇所の強度が低下しないのだ。物理攻撃しか持たないアタッカーにとって、これほど厄介なアビリティもそうはあるまい。

 ──やりづらい相手だ。熱に再生……いや、それ以上にやっぱりこう…………人として? 

 アバターの持つ能力だけではない。コークス・デーモンというデュエルアバターを自分の分身として生み出し、操っているバーストリンカーの何某(なにがし)かがの人格が、ゴウにはつくづく苦手に感じられた。

 確かにこれまで対戦してきたバーストリンカーの中にも、あまり愛想が良くない者、会話をほとんどしない者はいた。それでも、対戦の中で何らかの感情を窺い知ることができた。

 今回の一合にしてもそう。眼前に拳が迫っていれば、たとえ躱せる自信があったとしても、大なり小なりのリアクションが出るはずだ。

 しかしデーモンにはそれがない。目つきは対戦当初から変わらず、高温を発するアバターに反して温度がまるで感じられない。対戦の聖地と呼ばれるアキハバラBGにまで来て、対戦を楽しむこともないとはどういうことか。

 それに未だに一言しか発していないし、それもお世辞にも友好的とは言えないものだった。

 こちらの呟きにもまるで反応がないし、改めて自動修復のからくりを訊ねても無視されるか、ぞんざいな返答しかされないだろうと容易に想像がつく。

 ゴウがどうにも気持ちが落ち着かないでいたその時、再びこの対戦ステージに降り立った当初に聞こえていた、あの耳鳴りがした。

 

「うっ……また……」

 

 同時に対戦に集中していて忘れかけていた、頭痛と胸やけに似た感覚まで思い出してしまう。

 そんなゴウの状態を知ってか知らずか、デーモンが動き出した。

 アバターの身を苛む、訳の分からない体調不良。体力を削りながら、じりじりと体を焦がし続ける火傷のダメージ。そしてこちらの姿を捉えてはいても、興味なさげな青白いアイレンズ。

 それらが合わさり、ざわりとゴウの心はささくれ立つ。この対戦を一刻も早く終わらせたいと、そう思った。

 迫るデーモンを前に、ゴウは右脚を高く上げ、思いきり地面を踏み付ける。直後、《焦土》ステージの乾いた地面の全方位に亀裂を走らせながら、衝撃の波動が駆け巡った。《限界突破(エクシーズ・リミット)》アビリティを発動し、踏み付けを行ったのだ。

 すでに六割ほどまで溜まっていた必殺技ゲージが減少をし始めている。しばらくは必殺技が使えなくなるが、どうせどれも今回の相手に当てるのは困難なので気にしない。

 跳ね上がった膂力は、地震さながらに周囲の焼けた残骸のような建物までも大きく揺らした。屋上に立つギャラリー達が小さくざわめく声が聞こえてくる。

 そんな大型アバターが繰り出すものさえも上回るゴウのストンプの衝撃は、一番近くにいた対戦相手の両足をその場に縫い留めた。

 ゴウはその隙を逃さず、足元を爆発させる勢いで直進する。正面のデーモンが矛を振るうよりも早く、衝突事故ばりの勢いのままタックルを決めて吹き飛ばした。

 地面を背中で滑りながらも離さない矛を突き立て、減速を図るデーモンに追従し、ゴウはそのまま肉食動物さながらに飛びかかる。

 まずは左手で、今や全体が真っ赤に染まった矛の柄を握り締めた。手のひらが焼ける痛みを無視しつつ、右手に拳を作って腕を引き絞る。

 デーモンは装甲の復元はできても、これまで与えたダメージまでは回復していない。ならば連続攻撃でダメージを蓄積させるのではなく、高威力の一撃を与えるのが吉。そう判断してのアビリティの発動だった。

 未だ八割を少し下回る程度しか減っていないデーモンの体力ゲージだが、一気にゼロまで減らせる手段がゴウにはある。狙いは左胸に位置する心臓にあたる部分。デュエルアバターにおけるクリティカルポイント、すなわち急所。

 ──集中。攻撃のエネルギーを一点に。その為の動き。無駄を削ぎ落とした動作の最適化。

 デーモンに覆い被さる形で立つゴウはイメージを思い浮かべた。心意とは少し異なり、少し似通った、自らのポテンシャルを最大限に引き出した状態で繰り出す一撃を。

 

「はあっ!!」

 

 体当たりし、追いかけて、飛びかかり、矛を抑え、気合と共に拳を放つ。

 これらを硬直することなく、流れるような一連の動作でデーモンの左胸を打ち抜いた。背部まで貫通した拳が地面まで到達し、再度地響きを引き起こす。

 

「っがぁっ……!」

 

 胸を穿たれたのはさすがに効いたか、それとも仮想の肺から空気が押し出される感覚があったのか、デーモンが苦しげな呻き声を上げた。体力ゲージが減少を開始する。一割、二割──止まった。停止した。

 

「え?」

「……《クリメイション・フィスト》」

 

 呆けた声を出すゴウに応えたのは、矛を手放し、肩まで一気に赤熱したデーモンの右腕だった。肘のあたりから噴射された炎が推進剤となって、ゴウの胸部に刻まれていた刀傷を割り砕き、左胸を撃ち抜く。

 瞬間、ゴウの内側を熱が襲った。

 

「な、なんで……」

 

 痛みよりも驚きが勝り、自然と呟きがゴウの口から漏れる。急所を貫かれたことで六割近く残されていた体力が一気に削れていく。一割、二割、三割。ゲージの減少は止まらない。

 人間の肉体より遥かに頑丈なデュエルアバターも、首や頭部、心臓部を完全に破壊されれば体力に関係なく死亡するか、そうでなくとも瀕死状態になるはずなのだ。異形系のボディならばともかく、大まかには人型のデーモンもそこにカテゴライズされるはずで──。

 

「ハズレだ。俺に急所は存在しねえ」

 

 手に持っている物を離せば地面に落ちるのと同じくらいに、当然といった口振りでデーモンはゴウにそう言った。

 互いの右腕が互いの左胸を貫いているという状況は、何秒か後に体力がゼロになったゴウが爆散したことで終わりを迎えた。

【You Lose!!】と表示されたゴウの視界の向こうで、体を起こして立ち上がるデーモンの胸にできた穴が自然に塞がっていく。

 ここでゴウは一つの勘違いをしていたことにようやく気付いた。

 デーモンの名も知らないアビリティの効果は、『装甲の自動修復』ではない。アバターの素体を含めた、『全身の自動修復』なのだ。本人曰く『急所がない』のは、また別のアビリティの効力なのか。

 ゴウが衝撃から完全には立ち直っていない中で、周囲が暗転をしていく。本人しか見えないリザルト画面の確認を済ませ、デーモンが速やかに対戦を終了させたのだ。

 結局勝負が着いてから対戦フィールドが消え去るその瞬間まで、不滅の身体を持つ悪魔は、倒したゴウに一瞥さえくれることはなかった。

 



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第三十六話

 第三十六話 黄泉津君(よもつのきみ)

 

 

 通常対戦フィールドから現実世界に帰還したゴウは、腹の上で組まれた両腕が初めに目に映った。

 ここはカドタワー内にテナントとして入っている、一軒のダイブカフェ。そのシングルサイズの一部屋。

 ブレイン・バーストのデフォルト設定では対戦終了後、自動で加速が解除されて現実世界で意識が戻る。今回のように、ローカルネットへフルダイブした状態で加速してもそれは同様だ。

 ぴりっ、と全身のあちこちで、ごくわずかに沁みるような痛みが発生し、すぐに消えた。どこも今回の対戦相手、コークス・デーモンの高熱を帯びた矛によって傷付けられた箇所だ。加速世界での対戦中に、ある程度の時間を継続的に同じ場所へダメージを受け続けると、こうしてログアウト直後に生身にもいくらかフィードバックする場合がある。

 

「はー……」

 

 座っているリクライニングチェアの背もたれに、より体重をかけてダイブカフェの無機質な天井を見上げながら、ゴウは溜め息を吐いた。

 ──負けた。しかもほぼ完敗。初見で相性が悪かったにしても、惨敗もいいところだ。

 沈んだ気分で対戦後の自己評価と分析をしていくゴウ。

 ──空気が乾いた《焦土》じゃなかったら、強化外装に熱を持たせてたって、湯気とかが出てすぐに気付けたかな。いや、《アンブレイカブル》越しに熱を感じるのも遅れたし、普通の熱伝導じゃないのかも。大体、素体まで治るってどういうことだよ。それじゃ悪魔(デーモン)じゃなくて不死鳥(フェニックス)じゃんか。それに……あの頭痛とか耳鳴り。そもそもあれがなければ──。

 はっとしてゴウはぶんぶんと首を振った。いつの間にか反省ではなく、ただの言い訳になっている。

 ──それでもいけると踏んで挑んだのは、僕自身じゃないか。勝負を焦らなきゃ、まだ勝機だってあって……あって……。

 

「~~~~~~!!」

 

 声を押し殺し、がしがしと自分の頭を掻く。

 なにも対戦での敗北は、ゴウにとってさほど珍しいことではない。劣勢を覆せなかった対戦内容だって、これまで何度もある。だが、連敗が続いたわけでもないのに、ここまで心が落ち着かなくなるのは滅多にあることではなかった。その理由は、すでに自分でも分かってはいるが。

 今日はもう再度アキハバラBGで対戦をする気も、ギャラリーとして観戦する気も起きない。まさか気分転換に訪れて、より悪化するとは思っていなかった。とりあえず、今すぐこの暗い気分をどうにか発散させたい。

 ゴウは両親、特に父親に、嫌なことがあったからといって、物や人に当たってはいけないと教えられてきた。確かに物を大切に扱うべきだ。周囲に当たり散らす人間など、自分に無関係でもその場に居合わせただけでも気分が悪い。

 それでも仮想世界で一人勝手に暴れるくらいはセーフだろうと、ゴウは勝手に納得した。悔しさ全てを大人しく呑み込めるほど、十三歳のゴウは精神が達観していないのだ。

 さりとて、年々規制により暴力的表現が抑えられている、全年齢指定のゲームでは物足りないのが正直なところ。そうなると、ゴウの選択肢は自ずと一つに絞られる。

 一時的に生成される通常対戦フィールドではなく、永続的な加速空間である無制限中立フィールドへ向かうべく、ゴウはコマンドを唱えた。

 

「《アンリミテッド・バースト》」

 

 

 

 ブレイン・バーストにおける対戦ステージとは、各デュエルアバターの持つ特徴や戦法にマッチしているかそうでないか、そのステージの特色やギミックをいかに理解しているかなどで、勝敗に大きく関与してくる。

 時折アップデートで増えるその種類は現在百種類を超えるとされ、プレイ歴一年と三ヶ月のゴウにも、まだ引き当てたことのないステージは存在する。

 というのもステージにはいわゆる『レア度』があって、出現確率が低く珍しいステージが中にはある。そういったステージを引き当てたときは、やはり新鮮味がある分、よほど厄介なものでない限りは楽しいものだ。

 ──そう言えば噂の《宇宙》ステージは、いつまでも経っても実装されたって話を聞かないな。

 そう思いながら、無制限中立フィールドに降り立ったゴウは建物の屋上から景色を見渡した。

 道路も建物も四十五度に傾き、規則正しく盛り上がったスクウェア・パターンに覆われている。ゴウの立つ屋上も例外ではなく、弾力のあるクッション材に足が少し沈んでいた。

 明るめの落ち着いた色合いで統一された緩衝材に、あらゆる地形オブジェクトが覆われているという、ファンシーチックなこのステージは通称《緩衝》ステージ。木属性のレアなステージの一つだ。

 だが、せっかくの珍しいステージも、今のゴウにはあまり嬉しいものではない。というのも、今回ゴウは地形オブジェクトを派手に破壊して回りたかったからだ。悪い言い方をすれば、憂さ晴らしが目的である。

 それなのにこの《緩衝》ステージのオブジェクトは、物理手段での破壊が非常に困難なのだ。殴る蹴るはおろか、刃物や銃弾、果てはドリルを持ち出しても壊れないと聞く。木属性ステージ故か、燃えやすいという弱点はあるのだが、発火手段のないゴウには関係ない。

 ──どうせなら、《霊域》なら最高だったのにな。クリスタルが並んで浮いている場所を一直線にこう、一気にかち割って……そりゃあもう爽快で──。

 栓のないことを考えていると、あの頭痛と胸やけが──心なしか先程よりも少し弱まっている気もするが、またもゴウを襲った。痛みよりも、不可解さからくる気持ち悪さが強い。続けて耳鳴りが──。

 

「……ぅんああああああ!!」

 

 途端にゴウは叫んだ。叫びを止めずに、ぽーん、ぽーん、と数度足で弾んでから、膝を折り曲げて思いきり足を踏み締め、真上ではなく斜め前方に角度を変えて矢のように跳んだ。

 前方には、今までいた屋上よりも高い建物の壁。ゴウは受け身も取らず、直立状態で頭からベージュ色をした壁に突っ込んだ。

 ぐぐぐ、と胸のあたりまで合成レザーの感触がするクッションの壁に沈む。ぼぅん、と壁に弾かれ、キルティングされた道路へ足から落下する。

 

「──ああああああああ──」

 

 ゴウは張り上げた声を途切れさせることないまま着地。またも激突の衝撃によるダメージは吸収、反発力に変換されたところで一直線に建物の壁に向かって横っ跳び。

 壁に右腕を突っ込み、突きの反動を利用して左斜め前方へ。今度は左腕が壁にめり込み、右腕と同じように殴りつけながら前方へ。

 

「──ああああああああああ──」

 

 体のどこかで壁や地面にぶつかっては、その際に発生する反発力を利用して移動を繰り返す。その姿はさながら人間ピンボールだ。休みない連続バウンドをしていても、尚も叫ぶことはやめない。

 

「──ああああうっ!?」

 

 と、唐突な衝撃にゴウはようやく口を閉じた。派手に道路を転がってから起き上がると、何十メートルか先に、まるでぬいぐるみのようなデザインをした、丸っこい車両オブジェクトが横転していた。前方不注意が祟って、曲がり角で出合い頭に衝突してしまったらしい。

 さすがにいくらかダメージは受けるも、ゴウは気にせずにすぐさま横転した車両に駆け寄った。そうして地面と車両の間に両手を滑り込ませる。

 

「ぬぬぬぬ…………だああああああああああ!!」

 

 両腕に力を込め、雄叫びを上げながら、車を高々と持ち上げる。マイクロカーサイズだったこともあり、足がより地面に沈み込むも、ゴウ自身が重量に負けて潰れることもない。そのまま車を掲げた状態で、踏み締める度に沈むクッションの地面をスキップで移動を再開。しばらくしてから乱雑に投げつけた。

 

「──ああああああああああいいっ!!」

 

 クッションの地面に叩き付けられたクッションの車は、不規則なバウンドを繰り返しながら転げ回り、壁に当たってようやく止まった。

 だが、ゴウは止まらない。

 

「《黒金剛(カーボナード)》!」

 

 叫んだ直後、ゴウの両手が白い光を発しながら、黒に染まってゆく。この《黒金剛(カーボナード)》は本来、全身の装甲を強化させる心意技なのだが、こうして部分的に発動させることも可能だ。メリットは全身で発動させるよりも持続時間が伸びることと、過剰光(オーバーレイ)の発生が抑えられるのでエネミーを引き寄せにくくなること。

 ゴウは二回りほど装甲の厚みが増した両手を重ね合わせ、貫き手を車両に突き立てた。

 通常の状態ならば跳ね返されるだけだろうが、心意システムによって事象の上書き(オーバーライド)が為された黒い両手は、ステージオブジェクトの特性を押し退け、車の表面に深く深く食い込んでいき──とうとう突き破る。

 次に両の掌を合わせた状態から、手首を捻って百八十度反転。外側に向かってこじ開けるようにして力を入れていく。

 繊維品の特徴もあってか、クッションカーは裂け目に沿って破れが大きくなり、やがて真っ二つに引き裂かれた。

 

「はー……はー……」

 

 心意技を解除したゴウがようやく足を止め、荒い息遣いで肩を上下にさせていた、その時──。

 

 ──嗚呼、耳障りな音だった。珍妙な技を使いよる……。

 

 心底鬱陶しそうな、それでいて目が覚めるように鮮明な、若い女性の声が響いた。

 ゴウは素早く戦闘体勢を取って周囲を確認する。周りには誰もいない。

 

「誰だ!?」

 

 さすがに目立つ真似をしすぎたかと思いながら、姿を見せない何者かに、ゴウは大声で呼びかけた。

 物陰から出てくる者はいない。代わりに再び声がした。

 

『誰だ、とは不敬な。我を何と心得るか』

 

 どこから不意打ちが来てもいいように、全方位を警戒していたゴウはぎょっとした。声はアバターの聴覚にではなく自分の意識、頭の中に直接響いているのだ。例えるなら、直結したニューロリンカー間での思考発声の感覚に近い。

 ゴウはブレイン・バースト内でこのような会話手段を行えるとは聞いたこともなく、身を隠した何者かのアビリティだとしても、周囲には何の気配もしない。これらのことから一つの答えが思い浮かび、愕然とする。

 

「まさかそんな……僕、幻聴が聞こえるくらいヤバくなってただなんて……」

 

 一度だけ今と似たような事態を経験したことはあったが、あれは諸々の条件が重なって起こり得たものだ。今回、ダイブ直後から喚きながら暴れはしても、別に意識は正常だったし、なにも精神を病むほどに思い詰めていたつもりは──。

 

『あろうことか我が声を妄想扱いするか、この小鬼めが!』

「いっ!?」

 

 憤慨した声の直後、ゴウは全身に痺れるような痛みを感じた。痛みと言っても静電気程度のもので、声が出てしまったのも八割方は驚きからであり、体力ゲージにも変動はない。

 

「もう……なんなんだ今日は。訳の分からないことばっかり起きる……」

『未だまともに我の言葉を拝聴する気がないか。これでは埒が明かぬ……致し方あるまい』

 

 そんな不機嫌かつ呆れたような声がすると、ゴウの目の前に光が瞬いた。光は点滅しながら徐々に大きな火花となっていく。火花が弾け散ると、そこには高さ三センチほどの扁平な、黒い綿の塊らしきものが浮いていた。

 よく見ると、綿の表面は至る所が不規則に渦を巻いている。これは雲、それも雨雲よりも色の濃い、雷雲に近い。

 更に黒雲の上部から細い管のようなものが一本伸び、その先端が何本かに分かれていく。そして分かれた先端が膨らみ、一斉に白い花が咲いた。大きく反り返った花弁の中心からは、細い糸のような雄しべ雌しべの部分が上向きに長く伸びている。

 

「──圧縮音声を解除した。そら、これでもうぬは尚、我を幻の類と思うか」

 

 呆気に取られるゴウの目線の高さに浮かぶ、一輪の白い花を咲かせた黒雲のアイコンから尊大な声がした。これまでの脳内に響く音ではなく、聴覚を通して聞こえてくる。

 何故だか覚えがあるような雰囲気を醸し出す、全高十センチほどをした謎のアイコンに、ゴウは何とはなしに指を伸ばしてみた。

 人差し指が触れる前に、アイコンの黒雲部分が明滅する。またも全身に静電気が走る感覚がして、ゴウは慌てて指を引っ込めた。

 

「どこかで会ったことある……わけないか」

「なんと……三年も経たぬ内に起きた物事さえ忘却しているとは、嘆かわしき記憶容量よ」

 

 ゴウの呟きに、アイコンが本当に憐れんでいるような声を発した。

 ──三年前……? いや、そんな昔にはブレイン・バーストのブの字も知らない。加速世界の三年前? そうなると昨日か。でも昨日は高尾山に──!? 

 現実時間を加速時間に換算、あるいは加速時間を現実時間に換算する、いわゆる《加速算》をしたゴウは、即座に思い当たる記憶がフラッシュバックした。

 真っ暗な洞窟。その最奥にいた幽霊のような女。その手に触れた瞬間に抱いた、自分の存在が溶けて消えたかと錯覚するほどに明瞭なイメージ。

 

「あ、あ、あ、あ、あああのあのあの時の……!」

 

 たったいま触れようとしていたアイコンがひどく恐ろしくなり、ゴウは立っている場所から一気に後退した。

 

「ふん、ようやく思い出したか」

「き、君は一体……」

「自ら名乗りもせずに他者に名を訊ねるとは無礼であるぞ、小鬼よ」

 

 憮然とした声を出してこちらを『小鬼』と呼んでくるアイコンに、そっちの方が小さいなどと反論しようものなら、またあの静電気を食らわせられるのは想像に難くない。

 ゴウは余計なことは言おうとせずに取り乱した心を落ち着かせ、咳払いをしてから名乗った。

 

「僕はダイヤモンド・オーガー……です」

「長い。やはり小鬼と呼ぶとしよう」

「…………」

 

 名乗らせておいてこの態度である。閉口するゴウに構うことなく、アイコンが言葉を発した。

 

「我は《イザナミ》。尊崇の念を込めてそう呼ぶがよい」

 

 そんな、という驚き。やはり、という納得。二つの感情がゴウの胸中を占める。

 やはり昨日出遭った時に感じた危機感は、彼女(?)の正体がエネミーだからだ。それもおそらくは神獣(レジェンド)級に相当する、エネミーの中でもより高位な。

 アウトローで聞いたことがある。《四大地下迷宮》を始めとしたダンジョンの中には、神話に登場する動物や怪物だけではなく、神や格の高い天使の名前をしたボスエネミーが存在する場合もあると。

 イザナミ。日本神話における、国産みにして神産みの女神の一柱。

 問題は、何故そんなものが自分の前に現れ、あまつさえ言語を用いているのかということ。しかもアイコンをいくら凝視しても、体力ゲージもテキストも表示されない。

 ──それにしても、あんな風が吹いただけで飛んでいきそうな見た目だったのに、声はやけにはっきりしてるな……。

 

「何をまじまじと見ているのか」

「す、すみません。それでその、イザナミさんはあー……エネミー……ですよね?」

「エネミー? ……好かぬ響きだ。然様に我を呼ぶでない」

「えぇー……。あ、じゃあ……《ビーイング》?」

 

 ゴウが最近知り得たばかりの、エネミーのシステム的な正式名称を口にすると、アイコン改めイザナミは、黒雲の内部からごろごろと低く唸る音を出し始めた。明らかに不機嫌そうだ。

 

「より不快だ。確かに我は『それ』に該当する存在だが、その名称は聞くだけで気分が悪くなる。二度と口にするな。全く不愉快極まる……」

 

 何がそんなに気に入らないのか、ぶつぶつと不満を漏らすイザナミ。とにかく彼女がエネミーであることだけは、これで完全に確定した。

 

「あのー、ところでイザナミさんは僕に何の用があって、高尾山からここまで来たんですか?」

 

 下手に出たままご立腹のイザナミに訊ねると、イザナミは小首を傾げるように花の部分を揺らした。

 

「用? 用など無い。第一に我がうぬ如きに直接動くものか。この姿は単なる端末に過ぎぬ」

「端末? そんなことができるの?」

 

 ゴウは『如き』呼ばわりされたことよりも、エネミーにそんな機能が付いていることが驚きで、思わず敬語も止めていた。

 

「有象無象の獣共ではまず不可能だ。我のような上位の存在が、うぬら小戦士に何らかの形で力の一部を貸し与え、それらを媒介にでもすれば可能やもしれぬがな」

「力の一部……? でも、僕は何も……」

「此度はうぬが我の本体と物理的接触をしたことで、図らずも我とうぬの回路間に繋がりが形成されたのだ。故に斯様な意思疎通が可能となっている」

「あの手に触れた時……それだけで? じゃあ要するに、君自身はあそこにいたままで、その繋がりとかいうのを利用してるから、こうして会話ができてるってこと?」

 

 度々何を指しているのか分からない単語が出てくるものの、なんとなくイザナミの言っていることをゴウは自分なりに理解して確認すると、イザナミは「然り」と、花を縦に揺らした。

 

「我としても想定外の事態であったが故に、繋がりはおそろしいまでにか細きものだった。この接続深度を強化することで、ようやくうぬが我が声を認識するまでに至ったのだ。下層領域にうぬが出現した際も我は呼びかけていたというのに、うぬは焼き石に似た小戦士との戯れに現を抜かしていたな」

「見てたの!? しかも焼き石て……しかも戯れって……。い、いや、それより、僕を呼んでいた? じゃあ、もしかしてあの耳鳴りは……」

「察するに、我との接続が不完全なものであったが故の弊害であろうな」

「あの頭痛だとか、妙な胸やけ感とかも?」

「同じく。うぬが我の存在する位相である、この中層領域に出現したことにより、接続がようやく安定に至った。既にうぬに(もたら)されていた弊害は解消されたと見てよかろう」

 

 言われてみれば、波が収まっても意識すると微妙に感じられていた、あの不調感が完全に消えている。原因が判明してほっとしかけたゴウだったが、はてと首を傾げた。

 

「でも、昨日は君に遭った後に耳鳴りも何もなかったよ? その接続っていうのは、昨日の時点でもうできてたんじゃないの?」

「……想定外の事態と説明したであろう。接続形成時に不具合が生じ、我は強制待機状態を余儀なくされたのだ。ようやく目覚めた頃には、すでにうぬは中層領域より離脱していた故、我からの介入は不可能となっていた」

 

 あまり触れてほしくない部分だったのか、若干早口にイザナミが話す内容には、ゴウも思い当たる節があった。

 イザナミに触れた際に発生したショックから、慌てて洞窟への落下地点に戻ったゴウはその後朦朧としてからしばらく気絶してしまい、気付いた時には仲間達に救出されて地上に戻っていた。ブレイン・バーストではそうそう起こり得ない現象のはずだが、それだけイレギュラーな事態だったと考えれば分からなくもない。

 これまでの話の流れからゴウが推測でまとめるに、昨日イザナミの手を取ったことで──原理は不明だが、両者間で何らかの《リンク》が確立されてしまった。この時点でのリンクは不完全なもので、今回無制限中立フィールドへダイブしたことでイザナミに近付いたこともあり、ようやく安定したということになる。察するに下層領域とは通常対戦フィールド、中層領域とは無制限中立フィールドをそれぞれ指しているのだろう。

 つまりは今日、加速世界に降り立つ度に起きていた不調は、イザナミによるものだったということ。当の本人は他意がないからか、悪びれる様子がまるでないが、不明な点はまだまだ残っている。

 

「どうしてその接続を強化したの? 偶然繋がったって言うけど、触っただけなのにそんな簡単に接続なんてものができるものなの? だいたい勝手に繋がったのなら、別にすぐ切ればいいだけじゃないか。そもそもなんだって君はあんな場所に──あだぁっ!?」

 

 ゴウの沢山の問いに返ってきたのは言葉ではなく、びりっとした静電気に似た衝撃だった。激痛とまではいかなくとも、何度受けても衝撃は鮮明で慣れる気がしない。

 

「嗚呼……嘆かわしい限りよ。斯様な児戯しか扱えぬとは」

 

 ゴウは「今のする必要あった?」とは聞けなかった。イザナミの声がひどく落胆したものだったからだ。だが、そんな気遣いも続けて告げられた内容に吹き飛ばされてしまう。

 

「まぁ良い。此度の事態も悪い事柄だけではない──従僕が手に入ったのだからな」

「……はい?」

「これも何かの縁。うぬには我が耳目、我が手足となって、我の望むままに動くことを命ず。どうだ? これほど栄誉なこともあるまい」

「いや全然。普通に嫌だ」

 

 こちらの質問に一切取り合わない、イザナミの申し出という名の命令をすっぱりと、ゴウは半ば反射的に断った。眼前のアイコンが高位のエネミーだろうがなんだろうが、そんな理不尽な命令まで聞く義理はどこにもない。……ないのだが、周囲の温度が一気に冷えた気がした。

 

「……木っ端の小戦士如きが。自らを僕と称する謙虚さに免じて、馴れ馴れしい口振りを不問にしていたというのに……」

「いや、僕ってその、一人称であって、何も自分は下僕ですって言ってるわけじゃ……」

 

 言葉が通じ、その小さな姿から気を抜きかけていたが、以前相対した時はその気配だけで呑まれかけていたのだ。決して侮っていい存在ではない。

 ゴウはしどろもどろに言い訳をしながら、横目で道路を見やる。

 

「と、とりあえずまた日を改めてってことで──さよならっ!」

 

 そう言うや否や、ゴウは一息で数メートル先まで移動した。ゴウも先程は全くの考えなしに心意技を発動していたのではなく、発動した心意技に引き寄せられたエネミーに遭遇してもすぐに逃げられるよう、あらかじめポータルの近くまで移動していたのだ。それでもまさかエネミーと喋る事態になるとは思ってもみなかったが。

 車両オブジェクトを破壊した分の必殺技ゲージをチャージされているので、《限界突破(エクシーズ・リミット)》アビリティを使用。跳ね上がった脚力と《緩衝》ステージの地面の反発力が、瞬間移動じみた高速移動を可能にしていた。これなら追い付けるはずも──。

 

「愚か者めが」

 

 肩越しから冷ややかな声が届く。

 振り返ると、アイコンは高速で移動しているゴウをぴったりと追従していた。黒雲と花とを繋げる細い茎は小揺るぎもしていない。まるで視界に貼り付けられたAR映像のようだ。

 

「相対座標を固定すれば、うぬが光より疾かろうが逃げることなど(あた)わず」

 

 ──そんなの聞いてない! 

 内心でゴウは抗議の悲鳴を上げた。

 移動を開始した位置から、ポータルのある秋葉原駅までおよそ百五十メートル。ものの数秒で三分の二近く距離を縮めたのに、イザナミとの距離は全く離れていない。それでもこのままポータルまで辿り着いてしまえば──。

 その時、悪寒が走った。曲がりなりにもミドルレベルまで到達した、ゴウのバーストリンカーとしての経験と直感が、何か恐ろしいものがくると察知したのだ。あとわずか数秒で到達できるポータルに間に合わない何かを。

 その発生源である、十センチ程度のアイコンの行動をどうにか阻止できないかと、ゴウは体のみならず脳も高速稼働させる。

 ──このまま逃げ切るのは無理。倒すのも多分無理。体力表示されてないし。多分心意でも──いや、それだ! 

 ゴウは閃いた案を即座に実行へ移した。

 

「《黒金剛(カーボナード)》!」

「……!」

 

 再びの心意技発動。今度は両手だけでなく、ゴウの全身が黒く染まる。すると、肩越しのアイコンから一瞬硬直する気配が感じられた。

 ──今だ! 

 ゴウは一気にスパートをかける。

 

 ──『嗚呼、耳障りな音だった。珍妙な技を使いよる……』

 

 それはゴウが聞いたばかりの、イザナミの第一声。

 自身を上位の存在と称したイザナミは、自分と会話までできることからして、凄まじく高度なプログラムを搭載したAIなのだろう。そのイザナミが珍妙と言った心意システムは、ブレイン・バーストのシステム外の力。どういったロジックなのか、これの発動時には彼女は不快音が聞こえるというので、いくらか虚を突けるとゴウは踏んだのだ。

 揺らめく青色を湛えたポータルへと、弾む地面を踏み締めて一気に飛び込むゴウの頭に声が響く。

 

『おのれ小癪な真似を……。よかろう、次に中層領域を訪れた時は覚悟せよ。この《黄泉津君(よもつのきみ)イザナミ》に対する此度の無礼、その代償必ずや払わせてくれるわ』

 

 怒り心頭のイザナミの思念を受けながら、ゴウは現実世界へと帰還していった。

 この宣言の通り、後にゴウはある種の地獄を見ることとなる。

 



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第三十七話

 第三十七話 強制連行(ハッピー・サプライズ)

 

 

 七月十五日。一学期最後となる、週の始まり月曜日。

 朝の日差しを浴びて登校する、ゴウの足取りはやや重い。

 その原因は、昨日起きた出来事に他ならない。一昨日の時点でゴウもとい、ダイヤモンド・オーガーと何らかのシステム的な繋がりができていたという、イザナミと名乗る高位エネミーについてだ。

『端末』なる状態で姿を見せたイザナミに、従僕になれと命令されたゴウが当然断ると、イザナミは大層不機嫌になった。

 ゴウとしては状況を整理する時間が欲しかったのだが、今回のところはひとまずお開きにしようと脱兎の如く逃げたのがまずかった。

 しかも心意技を発動して一瞬なりイザナミを怯ませたことで、火に油を注いた状態になってしまい、去り際に「次会ったら覚えてろよ」と同義の思念を浴びせられるという、第一印象は互いに非常に悪い結果に終わった初対面であった。

 ――つっても、最初から話通じなさそうだったもんなぁ。基本こっちの事情お構いなしだし。そこはやっぱりエネミーというか……。

 イザナミの何らかの報復を恐れて、これからずっと無制限中立フィールドに入らない、というわけにもいかない。その上、耳鳴りにしか聞こえなかったものが、接続の深度が強化されたことで声として認識可能になり、アイコンとして具現化までできるようになったのだ。

 となると、いずれ無制限中立フィールドのみならず、通常対戦フィールドでさえもイザナミはこちらに干渉してくるようになるかもしれない。さすがにエネミーとして対戦フィールドに出現することは不可能だろうが、あの電気ショックもどきを四六時中食らうようになったら、対戦どころではなくなってしまう。

 

「はい、背筋を伸ばーす」

「うっ」

 

 どうしたものかと考えながら、学校の校門を通り抜けたところで、ゴウは背中をべしりと叩かれた。

 下を向いていた顔をびくりと上げて振り返った先には、ゴウよりもやや小柄なショートボブの女子生徒。片手には学生鞄、右肩には竹刀の入った細長いバックを掛けている。

 

「おはよ。下向きっぱなしだと背骨がひん曲がっちゃうよ」

「あぁ、蓮美(はすみ)さん。おはよう」

 

 背筋をぐっと伸ばしてからゴウも挨拶を返す。

 彼女は如月蓮美。大悟の妹であり、ゴウのクラスメイト。

 一年生の時は隣のクラスで、体育などの合同授業くらいでしか接点はなかったのだが、去年の夏休みに偶然会い、ひょんなことから自宅に招かれ、そこでゴウは蓮美と大悟が兄妹であることを知った。

 蓮美もゴウが大悟と知り合いだったと分かってからは、以前よりも話しかけてくる頻度も増え、以来ゴウにとって女子の中では特に気心の知れた相手である。

 また先月末あたりから、些細なきっかけで下の名前で呼び合うようになったことで、はじめは男子の友人連中にからかわれたりもしたが、他には互いにそれまでと何ら変化があるわけでもなく、ゴウとしてはありがたいことに、七十五日どころか一週間もしない内に沈静化した。

 

「暑い日は荷物が多いと大変だね」

「まーね。昨日はちょっと手入れするのに持って帰ったんだ。週末は大会だし」

「テストの次にすぐ大会ってハードじゃない?」

「あたしとしては、テスト終わってぐっと気が楽になったよ。テストの結果は……終わった話はよそう、うん。ゴウ君もなんか部活入ればいいのに。剣道はどう? やんない?」

「いやぁ、二年の二学期から運動部入るのはハードル高い……どうしたの?」

 

 並んで歩きながら話す蓮美が、どこか訝しげな視線を向けてきたので、ゴウはそう訊ねた。

 

「んー。違ってたらごめんなんだけど、ゴウ君なんか悩んでる?」

 

 ずばり言い当てられた。大悟といい、兄妹揃って人の心情を見抜くのが上手い。それとも、それだけ自分が顔に出ているだけなのかと、ゴウは心中で唸る。

 蓮美はバーストリンカーではない。大悟の話ではニューロリンカーの装着時期が遅かったそうなので、ブレイン・バーストのコピーインストール条件を満たしておらず、これからもバーストリンカーになる機会はないだろう。

 昔からゲームよりも、生身の体を動かして外で遊ぶことが好きだったという彼女は、大悟がゴウとの関係を、単なるゲーム仲間だと説明しただけで納得していた。しかし、その説明を完全に鵜呑みにしているのだろうか。と言うよりも、それだけで納得できるものなのかと、ゴウは考えることがある。

 何故なら蓮美は以来、その件については全くと言っていいほど触れてこない。大悟との仲が悪いわけでもないので、実際に自分もプレイしてみたいと思わなくとも、会話の中でゲームタイトルくらい聞いてきてもおかしくないのに。

 一人っ子のゴウには分からないが、バーストリンカーの兄弟姉妹は同じ屋根の下で生活していて、身内との間に何らかの隔たった部分があると察しているのだろうか。もしかすると、あえて触れないでくれているのかもしれない。

 しかしだからと言って、全てをさらけ出さなければ、その人と分かり合えないとはゴウは思いたくなかった。

 相手の何もかもを知っていなければ、友人たり得ないという理屈では、加速世界の御堂ゴウを知らない現実世界のクラスメイト達も、現実世界のダイヤモンド・オーガーを知らない加速世界のバーストリンカー達も、どちらも本当の友人ではないということになってしまう。

 何にせよ、交友に適度な距離間は大事である。

 本来ならブレイン・バースト関連の相談は、バーストリンカーでない人物にはできないところだが、今回の件はむしろ外部からの意見の方が参考になるかもしれない。

 それでも自我めいたものを持ったスーパーAIとひと悶着あったとは言えないので、ゴウは少し考えてから切り出した。

 

「えっと……実はその、僕の友達についての話なんだけど聞いてもらえる?」

「ふんふん、その手の導入って、大抵自分についてのカモフラだけどいいよ」

「……やっぱ僕の話なんだけど」

 

 申し訳程度に張った薄っぺらな予防線を蓮美にやすやすと見破られ、ゴウは観念した。

 

「知り合いとちょっと言い合いになって、最後にはこう……喧嘩別れっぽくなっちゃって」

「あたしの知ってる人?」

「ううん違う、学校の人じゃない。でもその内その相手と、また顔を合わせないといけない。そのことについて考えてたんだ」

「次に会う時が気まずくて気が重くてどうしたもんかと。なるほどねー……」

 

 そこまで話している内に、二人は昇降口に着いた。蓮美は思案顔のまま上履きに履き替え、一度下駄箱に立てかけた竹刀入りのバッグを肩に掛け直す。

 

「あたしだったら、いつまでも引き摺ってたくないから謝っちゃうけどな。こっちがつい勢いでひどいこと言ったりしたらね。ずるずる長引くと余計に声かけにくくなるし」

「うんまぁ、それはそうなんだけどね……」

 

 今回は謝っただけで根本的にはどうこうなる問題でもない。しかもイザナミの過ごす加速世界では、現時点で別れてからすでに二年以上は経っているので、とうに長引くどころの話ではなかった。それともエネミーの体感時間は、やはり人間とは違うのだろうか。そうであってほしいところだ。無論、早く感じている方で。

 

「うーん……状況がよく分かんないから何とも言えないけど、仕方なくでもその人の意見に納得するか。あんまり良くないと思うけど、できるならその人との関係をすっぱり切っちゃうか。それか、うまいこと落としどころを見つけていくか」

 

 二階にある教室を目指し、隣で階段を並んで上っていく蓮美にゴウは訊ねられる。

 

「結局はゴウ君次第じゃないかな? ゴウ君はどうしたいの?」

 

 ──僕は……どうしたいのかな、本当。

 この日のゴウは、教室に着いて蓮美に相談に乗ってもらった礼を言って別れて以降、授業中も休み時間も、放課後になって家に帰っても、自室で調べものをしていても、寝る時になっても、蓮美の助言を頭の中で反芻し続けた。

 

 

 

 翌日、七月十六日。

 つつがなく今日の授業を終えて帰途につくゴウは、道端で後ろから肩をがっしりと掴まれた。心臓が跳ね、いきなり何だと思い振り返ると、水色の半袖シャツに白のベスト、灰地のスカートと茶色のローファーという学生服の女子が、鞄を掛けた肩を上下させている。その髪は金髪のポニーテール。

 

「ど、どうしたんですか宇美さん」

 

 息を切らせて立っている宇美に、ゴウは目を丸くして訊ねた。

 宇美は目黒区の端に住んでいて、通う学校も同じく目黒だと聞いている。その学校までの道のりで一時的に世田谷区に入るらしく、その際の対戦がゴウとの出会いだった。

 それがリアルで直接会うとは、一体全体何事だろうか。

 

「学校終わって、すぐに、タクシー、対戦の時にカーソル、が、よく指す方面に走らせて、で、見つけた」

「タクシー? 金持ちな……じゃなくて、それならなんだってそんな息切らしてるんです?」

「見つけて、タクシー停めたまでは、いいけど、ゴウ歩くの、速いんだもん。赤信号にも捕まるし、いったん見失うし」

「何もわざわざ追いかけなくたって、呼び止めるとかコールとかすればいいじゃないですか」

「だって、それだと驚きが、半減しちゃうじゃん」

「えぇー……?」

 

 よく分からないサプライズに困惑していると、徐々に息が整っていく宇美がずいと顔を近付けてきた。長い睫毛の一本一本がはっきりと見える距離に、ゴウは少しドギマギする。

 

「な、なんです?」

「この二日間、朝も夕方もグローバル接続してないのはどうして?」

「……!」

 

 顔がすぐさま強張ったゴウの表情の変化に、宇美は「やっぱり」とだけ短く呟いた。

 

「ゴウ、今から時間ある?」

「え? はい、まあ。急ぎの予定はないですけど……」

「じゃあ付いてきて」

 

 突拍子もなくそう言って歩き出した宇美の背中に、ゴウは慌てて呼びかける。

 

「ま、待ってくださいよ、どこ行くんですか? 目的地は?」

「私んち」

「はい?」

「あぁ、今の時間は親両方ともいないから大丈夫」

「……はい?」

 

 何がどう大丈夫なのかとは問えず、ゴウは宇美の後ろを付いていくことしかできなかった。

 

 

 

 徒歩移動の間にEVバスを挟むこと二十分足らずの道のりを、ゴウと宇美の二人はほとんど会話もなく進み、世田谷区からさして離れていない目黒区のとあるマンションの一室、宇美の自宅へと辿り着いた。ちなみにバス料金は、宇美がゴウの分まで払うと言って譲らなかった。

 宇美がドアを開けると、すでに帰宅時間に合わせて起動していたらしい空調により、屋内からは涼しい空気が漂ってくる。

 

「まぁ、上がってよ」

「お邪魔します……」

 

 玄関で靴を脱ぎ、出されたスリッパに履き替え、洗面所で手洗いうがいを済ませる。一連の流れの後、宇美はゴウを連れたまま廊下を一直線、扉が閉まっている一つの部屋の前で止まった。

 

「ここは?」

「そんなの決まってるじゃん。私の部屋」

 

 宇美は事もなげに即答し、何のためらいもなく扉を開ける。

 女子の自室に入った記憶がないゴウは一気に緊張するも、すぐに顔をしかめた。

 ――なんだろこの匂い。

 別に女子にもその部屋にも幻想を抱いているつもりはなかったが、部屋から漂ってきた匂いは、お世辞にも良い香りとは言えないものだった。その答えは宇美によってすぐに明らかになる。

 

「あ、そういえば動物って大丈夫だった?」

 

 ベッド、鏡台、学生机、丸テーブルに座椅子が一つ。そして、ワイヤーメッシュのペットゲージ。その隣に置いてある空気清浄機と、諸々の用品が入っていると思われるカラーボックスが部屋の一角を占領していた。ゴウは感じたものがペットショップに似た匂い、ある種の獣臭だったのだ。

 部屋の主が帰ってきた音を察知したのか、ゲージ内に吊るされているハンモックがもぞもぞと動き出し、とんがった鼻づらをした生き物が顔を覗かせた。

 

「おお、フェレットですか。名前は?」

「《フレキス》っていうの。三歳の男の子」

 

 鞄を置いた宇美がチッチッチッ、と舌を鳴らしながらゲージの扉のロックを外し、中にいたフレキスと呼ぶフェレットをひょいと持って、フローリングの床に降ろした。

 目元以外の顔回りは白、四肢と尻尾は黒っぽい茶色、後は全身茶色がかったクリーム色の体毛。大きさも体型もかけ離れているが、その毛色と目元の模様から、どことなくタヌキを思わせる。

 起き抜けのフェレットは、くあっと欠伸をしてから宇美の足下をうろちょろする。そこでようやく知らない生き物が、自らの行動圏内にいることを認識したようで、黒目がちな瞳で扉の前に立つゴウを見つめてきた。

 

「アレルギーとかは?」

「特に無いですけど、この子、知らない人が来ても大丈夫なんですか?」

「それを今から見てみるの。はいコレ」

 

 そう言って宇美から渡されたのは、棒の先に短めの紐で繋がった球が付いた、ペット用のおもちゃだった。持ったゴウが軽く左右に動かしただけで揺れる球に、フレキスは釘付けになっている。

 ゴウが試しに球を揺らしながら近付けると、フレキスが勢いよく飛びかかってきたので、届く寸前に引いてみる。そのまま猫じゃらしの要領で振っていくと、その動きに合わせてフレキスは球を追い回しだした。

 その様子を見ながら、クローゼットから座布団を取り出した宇美がうんうんと頷く。

 

「大丈夫そうね。悪いけど、そのままちょっと遊んでてあげて。トイレ片付けるから。あんまりシャーシャー鳴いてる時に手ぇ出すとマジ噛みされるから、そこだけ気を付けてね」

 

 それから宇美がベランダに出てトイレ容器の中身を片付けている間、ゴウはフレキスの遊び相手になっていた。

 フレキスは紐で繋がった球を前肢で捕まえてはこねくり回し、ゴウが軽く引けば長い胴体を丸めながらぴょんぴょんと飛び跳ねて追いかけるという動作を繰り返す。宇美が言うにはこれがフェレットの遊びの動作らしい。

 やがてゴウ自身に興味を示したのか、膝や足に飛びかかったり、甘噛みながら歯を立ててきたりと、アクティブにじゃれてくる姿は見ていて面白く、とても愛くるしい。

 

「もう仲良しだね」

 

 飲み物の入った容器とコップ、いくつかの包装菓子を盆に載せ、キッチンから運んできた宇美が笑顔を見せる。

 

「ゴウはペットとか飼ってないの? それか飼ったこととか」

「昔は金魚とかメダカとか飼ってましたけど、今の家は何も。あ、小学校だとウサギ小屋があって当番制で飼育してましたね」

「そっか。この子、男の人はお父さんくらいしか見たことなかったから、ちょっと心配だったんだけど、問題なさそうで良かった。ほーら、帰るよー」

 

 盆を丸テーブルに置いた宇美が、下から掬うようにしてフレキスの胴を持ち上げ、ケージへと戻そうとする。

 フレキスはまだまだ遊び足りないと抗議するようにケージからの脱出を試みるも、「あーとーで」と宇美に扉を閉められ、やがてケージに設置されたボトルから渋々と水を飲み始めた。

 ゴウは渡された除菌用のウェットティッシュで手を拭き、小型の粘着ローラーで衣服に付いたフレキスの抜け毛を取った後、宇美がコップに注いでくれた飲み物に口を付ける。

 

「これ何のお茶です?」

「ジャスミン茶。あ、駄目だった?」

「いや、そうじゃないんですけど、ただ麦茶と思って飲んだんで」

「お母さんが好きでね。私はどっちかって言ったら麦茶の方が好きなんだけど。……で、グローバル接続してなかった理由は?」

 

 丸テーブルで向き合う宇美が、水出しパックのジャスミン茶を一気に飲み干してから、先程外で訊ねた時と同じ質問をしてきた。それまで穏やかだった表情が、やや鋭いものへ変わっている。

 

「それはまぁ、たまたまですよ。別に僕も毎回通学路で対戦するわけじゃないですし」

「じゃあ、どうしてそれをさっき道で即答しなかったの?」

「う……」

 

 宇美は別に責めている口調でもないのに、ゴウは何故だかテレビドラマで見るような、刑事の取調べを受ける容疑者の気分になる。

 

「日曜日の夕方にさ、対戦のギャラリーで会った知り合いに、アキハバラBGでダイヤモンド・オーガーがボロ負けして、その後の試合には出なかったって話を聞いた。それと昨日、蓮美にそれとなーく学校でのゴウについて聞いてみたら、ちょっと相談事されたって話も聞いた。その内容までは話してくれなかったけど」

「…………」

 

 無言となった部屋に空調機器の他、ペットケージからフレキスが固形フードの食べる音だけがする。

 

「他に思い当たる節がないから聞くけどさ、土曜日……高尾山で穴に落ちてから何かあった?」

「と、特には何も」

 

 とっさに白を切ってしまい、ゴウはしまったと思った。全然ごまかせていないのが自分でも分かる。宇美が明らかに核心を突いている以上、意味のないことなのに。

 途端に宇美の目つきがすっと細まった。初めて見る表情。ただしそれは生身での話で、加速世界のムーン・フォックスとしてでは、何度かこの眼差しを目にしたことがある。

 

「へぇ、ふぅん。あっそぉ。そんなに言いたくないことなんだ? さようでございますかー……」

「う、宇美さん?」

 

 宇美は立ち上がって鏡台の前に移動し、引き出しを開けた。引き出しの中に手を入れ、すぐに戻した右手には、XSBケーブルが一本。

 

「じゃあ体に……いや、アバターに直接聞こっかな」

 

 その迫力に、ゴウは首を横に振ることはできなかった。

 



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第三十八話

 第三十八話 狐心鬼知らず

 

 

 不意に始まった、宇美との直結対戦。対戦フィールドは《月光》ステージと称される通り、巨大な満月が地上に建物、それにデュエルアバターを青白い光で照らしている。

 ──宇美さん、何だっていきなり対戦を……。

 そう思いながらもゴウは、そもそも宇美が自宅に自分を招いたのは、こうして対戦をする為ではないかと推測していた。

 しかしただ対戦をするだけなら、ニューロリンカーをグローバル接続した状態でどこか適当な場所に座るだけでも事足りる。それなのにわざわざ直結対戦を行うということは、初めからギャラリーを締め出した、第三者のいない状態での対戦をしたかったからと考えられるが、そこがよく分からない。

 

「まぁ、始まった以上は考えても仕方ないか……あっ!」

 

 ゴウは一人呟いてから、はっとなってデュエルアバターの体をあちこち触りながら、自身の状態を確かめる。

 見たところどこにも変化はない。それに日曜日に加速世界へダイブする度に発生していた、諸々の不調もない。

 だが、意識を集中させると、実体のない不可視の糸がアバターの体──頭や胸など、明確にどこの部位とかではなく、自分から伸びて何かと繋がっているような感覚がある。これがイザナミの言うところの正常な『繋がり』、リンクなのか。

 

 ──『──次に中層領域を訪れた時は覚悟せよ。この《黄泉津君イザナミ》に対する此度の無礼、その代償必ずや払わせてくれるわ』

 

 ポータルへ飛び込む寸前、去り際のゴウにイザナミはそう言い残した。

 今の自分が無事なのは、彼女が未だに通常対戦フィールドに干渉できるほどのリンクが形成されていないからか。それとも、宣言通りに無制限中立フィールドへこちらが来るのを、手ぐすねを引いて待っているのか。

 ──アキハバラBGでの対戦を見ていたとか言ってたし、ダイブに気付いてないってわけじゃないと思うけど。

 実際のところ、ゴウがこの二日間のほとんどをグローバル接続していなかったのも、通常対戦でもイザナミと再会してしまうのではという懸念があったからなので、少し安堵していた。その理由は、具体的に何をされるのか分からない報復の恐れよりも、まだ自分の中で『答え』が出ていないからなのだが……。

 ──今は宇美さんとの対戦だ。考えるのは後。

 意識を切り替え、ゴウは出現位置である白亜の神殿めいた建物の屋上から、地上へ降り始めた。

 直結対戦では、互いに現実世界の位置とは異なる座標に、最低でも十メートルの間隔を空けて出現する。運が悪い時にはエリアの端同士に出現してしまうこともあり、そうなると対戦の残り時間が大幅に消費されてしまう。

 ゴウはガイドカーソルを確認しながら、夜の静寂に包まれた街並みを駆けていく。道中で目に付いたオブジェクトを破壊し、必殺技ゲージのチャージも忘れない。

 動的オブジェクトのない《月光》ステージでは、音が対戦相手の位置を知らせる重要な手掛かりになる。今のゴウのようにオブジェクトを破壊していれば、それなりに音が響くのだが、周囲から他に破壊音は聞こえず、宇美のゲージは最初に二割程度溜まってから変化がない。

 おそらくは、奇襲による初撃の取ることを優先しているのだと考えていた矢先、左後方からかすかに音がした。

 それが何なのかを確認するよりも早く、ゴウが防御態勢を取った直後、腕が重い一撃に襲われる。

 

「ぐっ……!」

 

 月の光が届かない、二つの建物に挟まれた真っ暗な路地から矢のように飛び出してきた、宇美の飛び蹴りによるものだ。見てから構えていたのなら、今頃は吹っ飛ばされていただろう。

 ファーストアタックを防がれた宇美は、動揺した様子もなく後方に一転、宙返りして着地。続けて右脚でのハイキックを繰り出してきた。

 腕に連続で負荷を与えられることを忌避したゴウは、反射的に上体を反らす。

 空を切る蹴りが眼前を横切り──直後に脇腹へ衝撃を感じた。それも連続して二つ、左右両方の脇腹に。

 ──しまった……! 

 体力ゲージが五パーセント以上削られ、痛みに小さく呻きながら、バックステップで後方へ下がったことで、ようやく対戦相手の全体像がゴウの視界に収まった。

 宇美のデュエルアバター、ムーン・フォックスは名前の通り、その青みがかった白い装甲は、まるで夜空に浮かぶ満月から作り出された分身のよう。彼女より《月光》ステージがマッチしているアバターをゴウは知らない。

 動物系アバターの多くに見られる、発達した両脚は機動力に優れており、何より厄介なのは、腰から伸びるテイルパーツ。

 単純な格闘戦にも利用され、もう一本手足が増えているに等しく、本数や形態を変化させるアビリティ、《変幻尾(トランス・テイラー)》を差し引いても充分に脅威だ。

 今回の攻撃も、宇美はハイキック後に体勢を戻すことなく、すぐに尻尾を振るってゴウに叩き付けてきた。その反動を利用して体の回転を加速し、即座に左脚での後ろ回し蹴りも行ったのだ。これが最初の蹴りからほとんどタイムラグがなかった、二つの衝撃の正体である。

 

「オーガー……いや、ゴウ」

 

 宇美の声は真剣で、糸目状のアイレンズからは、対戦前に自室で見せたあの表情と同じく、強い意志が込められた眼差しを向けてくる。

 

「本気で来てね」

 

 それだけ言うと、ゴウの返事を待たずして宇美は攻撃を再開した。

 これまで幾度も戦ってきた両者は互いに近接型なので、今回のようにトラップ系のギミックがないステージでは、対戦内容は自ずとアバター自身を駆使した肉弾戦に限られる。

 ゴウは力で勝る分、一度に与えるダメージが多く、宇美は敏捷性で勝る分、攻撃を当てる頻度が多い。

 一進一退の攻防であることは間違いないのだが、どういうわけか今回の宇美は《シェイプ・チェンジ》でビースト・モードにはならず、人型のまま尾を交えた格闘戦を続けていた。その代わりなのかは不明だが、いつも以上に動きの一つ一つに気迫が込められている。

 

「《アダマント・ナックル》!」

「つぅ……!」

 

 何十度目かの打ち合いでゴウが放った必殺技の正拳突きが、宇美の左肩の装甲に当たりはしたものの、その動きを止めることまではできず、必殺技発動直後で硬直した隙に、背後へ回り込まれた。

 右の首筋に鋭い痛みが走る。宇美が牙の生えた口で噛みついたのだ。ゴウに引き剥がそうとする間も与えず両腕によるホールドに加え、更には二つに分裂した尻尾が伸び、肘関節に巻き付いてゴウの両腕の自由を奪う。

 噛みつかれ続けていることで宇美の《奪活咬(メンタル・バイト)》アビリティが発動し、ゴウの体力のみならず必殺技ゲージが減少を始め、その分が宇美のゲージにチャージされていく。

 ──まだだ、もう少し……。

 拘束されたまま、ゴウは抵抗しながらも必殺技ゲージの減少具合を見計らっていた。そしてゲージの消費量が一割を切った瞬間──。

 

「っだぁ!」

「ヴヴ……!?」

 

 ゴウは一気にホールドを引き剥がしにかかる。《限界突破(エクシーズ・リミット)》アビリティの発動により前触れなく上昇した腕力に、宇美が驚きの込められた唸り声を漏らした。

 両腕は無理やり振り解き、巻かれた尾の拘束をものともせず、ゴウは右手で牙を立てている頭部を引っ掴む。

 しかし、ゴウが引き剥がすよりも先に、宇美の方から牙を抜き、尾の拘束も自ら解いた。しばらく付かず離れず保っていた距離を、大きく離して後退していく。

 ここでゴウの必殺技ゲージも底を尽き、アビリティが強制解除された。副作用で《剛力》アビリティも一時的に機能しなくなるが、今回はゲージが一割を切った状態での発動だった為、二十秒もしない内に元に戻るので大した問題ではない。

 互いの体力ゲージはおよそ残り半分。しかし、今の攻防で必殺技ゲージはゴウがゼロなのに対し、宇美はほとんどフルチャージ状態である。このアドバンテージの差はかなり大きく──。

 

「……違う」

 

 ぽつりと宇美が呟いた。その小さい声は、静かな《月光》ステージであることを差し引いても、やけに鮮明だった。

 

「宇美さん……?」

「本気で来いって言ったよね。こんなものじゃないでしょ」

 

 宇美の険しげな表情は、明らかに怒りによるものだった。

 しかし、ゴウは手を抜いているつもりなど毛頭ない。

 

「あの、怒ってます? す、すみません。何か僕が気を悪くさせたなら──」

「全力を出せって言ってんだよ!」

 

 怒っている人間に対し、その理由も分からずに、場を収めようとして謝るのは逆効果である。烈火の如く怒る宇美を前に、怯むゴウは何かで見聞きしたこと思い出した。

 

「高尾山であの天狗相手に戦っていた時はもっと凄かった! 今だってパワーを上げるアビリティを使ったんでしょ? だったら噛みついた私の顔に裏拳でもかませばよかったのに。そっちのが掴んで引き剥がすより、よっぽど手っ取り早かった!」

「そ、そんなこと……」

 

 できない、と言いかけてゴウは口を噤んだ。別の相手であの状況だった時、自分は宇美が言ったことをしたのではないか、という考えが過ぎったからだ。ではどうして比較的穏便な手段で、宇美の牙から逃れようとしたのか。

 それは無意識的に、仲間である宇美を攻撃するのに、心のどこかでブレーキをかけているのではないのか。もしかすると宇美はそれを確かめようと、人型のままで格闘戦に臨んだのかもしれない。

 

「私は……私はあなたの仲間で。ライバルで。…………友達じゃないの? 変な手加減なんてしないでよ……」

「あ……」

 

 絞り出すように心情を吐露する宇美。そのかすかに震えた声に、ゴウは何も言えなくなってしまう。

 重苦しい空気が漂う中で、先に口を開いたのは宇美だった。

 

「もう一度だけ言うよ。全力で、バーストリンカーとしての全てを出して私と戦って。それができないんだったら──」

 

 宇美が地面に指が着くまでに前傾姿勢を取る。垂れていたテイルパーツがぴんと立ち上がったかと思うと、淡い光を発し始めた。

 

「私が嫌でも出させてあげる」

 

 

 

 宇美が小学四年生だった当時、一番仲の良かった友達が友達ではなくなった。

 別段、喧嘩をしたわけでもない。ただ、段々と授業の班分けを組むことが少なくなり、放課後に遊ぶ機会が減り、話しをすることもなくなり、気付けばその友達は、クラス内の別のグループとつるむようになっていた。

 よくある話だと、宇美は割り切った。寂しくはあったが、何もその彼女しか友達がいなかったわけではなかったからだ。

 時が経ち、宇美は中学生になった。周囲の半分以上が知らない人達になり、クォーターである自分の顔立ちが周りの目を引き、同時に距離を取らせているように感じた。いじめられているわけではないが、微妙に浮いた存在にはなっていた。

 ある日の放課後、宇美は廊下で一人の女子生徒と鉢合わせになった。小学四年生の時に疎遠になった女子だ。五年生に進級後は別のクラスになり、同じ中学へ入学後も宇美とクラスは別だった。

 丁度周囲には誰もいなかった二人きりの空間で、宇美は声をかけた。なんか久し振りだね、元気だった? そんな当たり障りのないことを言った記憶がある。

 向こうはぞんざいに何らかの返答をした気がする。宇美が鮮明に憶えているのは、彼女が自分に向けてきた、ひどく鬱陶しげで迷惑そうな目。

『目は口ほどに物を言う』とはよく言ったもので、かつての友達の目は明確に「もう話しかけてこないで」と宇美に伝えていた。

 理由は分からない。ただ今にして思えば、疎遠になりかけていた時にちゃんと話をしておけばよかったのかもしれないと、宇美は記憶を振り返ることがある。

 この日以来、宇美は周囲とより一層に見えない壁を感じつつ、周囲に溶け込もうと意識した。

 それでも、一番目を引く金髪を染めることはしなかった。というよりもできなかった。

 生まれながらの髪の色に、こだわりや誇りを持っていたわけではない。単に髪を染めることで、家族に学校で馴染めていないと思われたくはなかったのだ。

 時たま耳にする、自分へ向けてかも定かでない陰口をひたすら聞こえない振りをして過ごす。そんな中学校生活からもうすぐ一年が経つという頃。宇美は一つ年上のいとこである晶音から、ブレイン・バーストプログラムを受け取った。

 心が作り上げた自分の分身だというデュエルアバターは、似通いこそしても一つとして同じ姿はなく、誰もが誰も違う。そのことは、宇美の心にある種の救いをもたらし、後ろ向きになりかけていた性格も、本来のものへ徐々に戻っていった。

 ただそれでも、現実世界と加速世界の両方で、誰かと一定以上親密になることはなかった。数件あったレギオンへの勧誘をどれも断り、《親》の晶音を除いて深く関わることもなくソロ活動を続けていたのは、また仲良くなった人間が自分から離れていくのが怖かったからだ。

 騙しているつもりはない。欺いているつもりもない。周囲に合わせる、溶け込む、馴染む。それは大なり小なり誰しもがやっていることであり、現代社会では必須のスキル。

 それでも《心の傷》から創り出されたデュエルアバターが、ずる賢いイメージを連想させる狐の姿を取ったのは、自分が息苦しさと負い目を感じているからなのだろうと、宇美は認識している。

 そうしたスタンスでバーストリンカーを続けていた宇美は、今からほんの三週間前に初めて、晶音以外のバーストリンカーとリアルで顔を合わせることになった。

 待ち合わせ場所のファミレスへ事情を知らせていない晶音と共に先に着き、時間になって入口へ行くと二人の男子が来店する。

 一人は見た目も雰囲気も、青年以上の年齢を感じさせる大柄な男子。

 もう一人は自分よりも少し背が低く、顔立ちからして年下だと分かる少年。

 少年──御堂ゴウの見た目にアバターの面影はほぼなかった。それでも少し話しただけで、通学時に乗るバスが一時的に世田谷区へ入る際に対戦する、ローランカー時代から知るバーストリンカーの一人、ダイヤモンド・オーガーと合致した。

 ゴウも対面した時はこの容姿に対して、連れの大悟共々さすがに驚きを隠せていなかったものの、それでも今日に至るまで、以前とまるで変わらずに接してくれている。

 そんなゴウがある日、自分を『友達』だと面と向かって言ってくれたことが、宇美には自分でも予想外なほどに嬉しかった。

 一方で六月末に起こった、ダンジョン《アトランティス》での戦いを経て、ゴウのバーストリンカーとしての実力は、それまでより一段階上がっていた。

 つい三日前の高尾山における天狗エネミーとの戦いでは、空飛ぶ天狗を墜落させ、エネミーの性能を強化していた仮面を破壊するなど、要所での彼の活躍を目にした宇美は、若干の危機感を覚え始めていた。

 実力が上がり、心意技を修得し、ついでに二つ名までできたゴウが自分よりも先へ、一足飛びで遠くへ行ってしまう。宇美はそんな気がしてならず、その日の内に晶音へ連絡をしていた。

 心意技を教えてほしい、と。

 

 

 

 月明りが上空だけでなく、ゴウの目の前でも輝いている。

 発生源は、宇美のテイルパーツ。そこから発生している光は間違いなく心意システム発生の証、過剰光(オーバーレイ)に他ならない。

 宇美は一体いつの間に心意システムを修得したのかとゴウは思ったが、自分も加速世界で一ヶ月間、現実時間に換算して一時間で最低限の実用化にまで至ったことを考えれば、そこまで有り得ない話ではない。

 問題はその強力さからゲームバランスを崩壊しかねず、使い手のほとんどが他者の心意技への対抗手段として修得かつ秘匿しているものを、どうして宇美が発動したのかという点だが、ゴウには何となくその理由も分かった。

 駆け出した宇美の膨張した尻尾が、文字通りに光の尾を引いてゴウに叩き付けられる。技名の発声が間に合わず、変化していない両腕にどうにか過剰光(オーバーレイ)を纏わせるも、突進の勢いが加算された一撃はゴウをその場に留まることを許さない。

 

「がはっ!」

 

 背後の建物の壁に、ゴウは背中を強かに打ち付け、勢い余って壁は破壊される。幸い、両腕の装甲は砕けていなかった。

 どうやら宇美は元々、心意システムの発動を見越してこの直結対戦を始めたらしい。心意技を含めた上で、できることを全て駆使してゴウに対戦に臨んでほしいのだ。

 今回は対戦終了後すぐに話を聞くことができる。ならば今の自分がすべきことは、宇美の覚悟に応えて戦うこと以外にない。

「……《黒金剛(カーボナード)》」

 

 瓦礫を下敷きにして転がっていたゴウは、のそりと起き上がりながら呟いた。途端に光に包まれた装甲は、丸みを帯びたカット処理が施され、厚みを増していく。

 全身の装甲が白み混じりの透明から、黒に変わった鬼は建物の外に出て、尾を月光のように輝かせる白狐と対峙する。

 しん、と静まり返る月夜の街。その状況はほんの一瞬で終わり、互いにすぐに動き出した。

 ゴウが全身の装甲を心意技で強化している以上、宇美も心意を用いた攻撃しか有効打にはなり得ない。つまり今の宇美がこちらにダメージを与えるには、過剰光(オーバーレイ)を纏った尻尾による攻撃しかない。

 だが、ゴウには分かっていた。あれはまだ心意技に至るまでのものではない。その中途段階にあるものだ。心意の強度としてはこちらの方が上。

 問題は宇美がそれを理解していないはずがないのに、こうして正面から向かってきていること。こちらが射程圏内に入った直後に、本命の心意技を発動する気だと考えられる。

 ──それでも構わない。尻尾の動きにさえ気を付けてやり過ごせば、こっちが勝つ! 

 自分が編み出した技の強度を信じ、ゴウは走る速度を緩めずに進んでいく。もちろん、宇美が寸前で直線から軌道を変えてくる可能性も忘れない。

 接触まで残り五メートル、四メートル、三メートル──。

 

「《狐火幻燈(ウィル・オ・ウィスプ)》!」

 

 宇美が叫んだ。

 ゴウの知らない技名。必殺技ではない。やはり心意技かと、より宇美の尾に注意を向ける。

 ところが、尾は一切変化しない。代わりに直径一メートルもの火の玉が一つ、唐突に音もなく発生した。心意技としては凄まじい発動速度だ。

 すでに躱せる距離ではなく、ゴウは止むを得ずに両腕でガード体勢を取りながら、赤々と燃える火の玉に突っ込んでいく。こうなれば心意の炎に、自分の心意の鎧がどこまで耐えられるかが勝敗の分かれ目──。

 ──熱く……ない? 

 ぼうぼうと音を立てる炎に激突したのに、火の玉に熱を感じない。ダメージが、体力ゲージが減少しない。

 そして、燃え盛る炎によって宇美の姿が確認できない。

 ──これは目くらまし、陽動──。

 

 ドッ! 

 

 音は一つ。衝撃は三ヵ所。その全てが鳩尾、装甲が最も薄い部分から伝わった。纏わり付いた火の玉に遮られて見えないが、宇美が三本に増やした尾を硬化させて突き刺したのだ。もちろん心意システムが付与された一撃、いや三撃だ。

 体力ゲージがぐぐっと削れ──残り二割切ったところで止まった。心意の装甲に包まれていなければ、これで決着が着いていただろう。

 

「《ランブル──」

 

 耐え切ったゴウは刺さった尾を引き抜いて、逃がすまいと両手で掴む。尾がびくんと反応し、そこには動揺が含まれていることも伝わった。

 

「──ホーン》!」

 

 ダメージと引き換えに得た必殺技ゲージを消費し、ゴウが必殺技を発動すると同時に、持続時間はそれほどでもないのか、火の玉が消え去った。

 炎が晴れた先には、三本に増えた尾を長く伸ばした宇美。彼女は悔しさと満足が同居したような、どこか複雑な表情をしていた。

 すぐに下を向いたゴウがそれを見たのはほんの一瞬で、伸びた両角を宇美の腹部に突き刺して背後の建物に激突させる。突進を止めることなく壁を破壊した建物内を駆け抜け、向かいの壁もぶち破りながら外へと出た。

 崩れる壁の破砕音に重なる、アバターの爆散音。ゴウの視界に【YOU WIN!!】の文字が表示され、消える。

 勝敗が決したフィールドで空を見上げれば、最初にステージに出現した時と変わらず浮かぶ満月が、勝者であるゴウを称えるかのように煌々と照らしていた。

 



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第三十九話

 第三十九話 向き合うということ

 

 

 対戦が終了し、ゴウが現実世界の宇美の自室にて意識が戻ると、カリカリカリ、という音が始めに聞こえた。

 宇美の飼っているフェレット、フレキスが固形フードを食べている音だ。食事中の二秒にも満たない間に、自分のご主人様が仮想世界で戦っていたことなど知る由もあるまい。

 

「…………あの時、ゴウが落っこちた穴の中で、何か普通じゃないことがあったのはすぐに分かった。穴の底から引き上げても、皆で呼びかけても、全く反応しないし」

 

 首元に装着したライトブルーのニューロリンカーからケーブルを引き抜いて、宇美が開口一番にそう切り出した。

 

「それでも何分かして目を覚ましたら『大丈夫です』って言うから、それ以上はもう聞かなかった」

 

 用意した菓子の入った盆に手を伸ばし、菓子の包装を剥く宇美は、ゴウを見ようとしない。

 

「そりゃ、自分の行動を逐一誰かに報告する筋合いなんてないけどさ。でも……こっちから聞いても何も言ってくれないなら、何の力にもなれないじゃんか……バカ」

 

 かすかに鼻をすする音がした。宇美はそれをごまかすように、やや大げさな仕草で菓子を齧る。

 理由はどうあれ、抱えているものがあるのに打ち明けない。

 それはほんの少し前まで、宇美が晶音に一年以上されていたことと同じだ。

 晶音にもそうした態度を取るだけの事情があったのだが、すぐ近くにいる者の助けになれないことの悔しさ、寂しさを嫌というほど宇美が経験したことに変わりはない。

 宇美がわざわざ心意システムを使ってまで、今回の対戦を行った理由。その内の一つにはきっと、少なくとも自分達がブレイン・バーストの上では対等で、ブレイン・バースト関連で悩んでいることがあるのなら、話してほしいと考えてくれているからなのだ。

 にもかかわらず、安易にその場をやり過ごそうとしていた自分に対し、ゴウは一気に罪悪感が込み上げてくる。

 ゴウは意を決し、そっぽを向いたままの宇美の隣に移動して正座に座り直した。

 

「宇美さん」

 

 対戦終了後から目を合わせなかった宇美がようやくこちらを向いた。潤んだ瞳は少し赤い。

 

「心配させてすみませんでした」

 

 ゴウは両手を膝の上に置き、宇美に向けて深々と頭を下げた。

 

「宇美さんを信頼してなかったわけじゃないんです。ただ、今回はいろいろとイレギュラーな事態で……。しかも僕のその後の対応が悪かったばっかりに話がこじれまして……」

 

 肝心なことを明言していないので、どうにも要領を得ない言い分になってしまい、ゴウは言葉が詰まる。それでも顔を上げて、宇美の目をしっかりと見てから再度口を開いた。

 

「この件は今日中に、何らかの形で解決するつもりです。その後に何があったか、宇美さんにも全部話します」

「それは、私じゃ手を貸せないことなの?」

「というよりも、これは僕が一人で向き合わないといけないと思う……いや、いけないんです。だからそれまで待っていてもらえませんか?」

 

 お願いします、ともう一度頭を下げるゴウ。

 顔を上げても、宇美はしばらくこちらをじっと見つめたまま押し黙っていたが、やがて小指を立てた右手を伸ばしてきた。

 

「じゃあ、約束ね。ほら」

「ゆ、指切りですか?」

「他に何に見えるの。何か不満?」

 

 宇美がむっとした声を出すので、ゴウは慌てて指の形を作った。小指同士を絡ませ、上下に動かして口上を述べながら「指切った」で離す。

 

「一説だと指切りげんまんの『げんまん』って、約束破ったら握り『拳』で一『万』回殴るぞって意味なんだって」

「へー、知らなかっ――何でそれをやってから言うんですか」

 

 物騒な豆知識を宇美から聞かされ、ゴウは丸テーブルに向かい合わせに座っていた位置まで戻ろうとしていたところで硬直した。

 ゴウの反応に宇美はようやく表情を緩め、空になっていた自分のコップに茶を注いでいく。

 

「別に約束破らないなら気にしなくていいでしょ。あ、でももし破ったら、今度は本当に燃やすからね」

「はい絶対破りませんですはい」

 

 ぴんと背筋を伸ばしてから、ゴウは気になっていたことを訊ねる。

 

「……心意システム、いつから使えたんですか?」

「昨日から。晶音にちょっとね。元々教わる約束はしてたんだ。で、無制限フィールドに何週間か入って覚えた技がアレ」

「今の口振りだと、さっきみたいな熱くない火の玉じゃない、普通の炎も出せるんですね?」

「うん。でも今の私じゃ、本当はもっと溜めが必要なんだ。それが足りないとああいう感じになるの」

「不完全でも心意技自体は発動されるものなんですね。不思議だなぁ、あれはあれで実用的だと思いますけど。……それでですね、あの、僕は宇美さんにその、手を抜いて対戦していたわけじゃ――」

 

 仲間になったことで、思い返せばどこか無意識に加減していたことは否めず、弁明しようとするゴウを、宇美が手を上げて制した。

 

「謝るのはこっちだよ。あれじゃ、ほぼほぼ言いがかりだったものね。ごめんなさい」

 

 ぺこりと頭を下げてから、宇美は続ける。

 

「ここ最近で、ゴウがぐっとレベルアップ――数字の上じゃなく、経験値的な意味でね。してるから、私も今のままじゃいけないと思ったんだ。まぁ、結局負けたけどさ。心意に関しては、さすがにそっちに一日の長があったね」

「そんなこと……実際ギリギリでしたし」

「謙遜しなくていいよ。でもそう言ってもらえるなら、苦労した甲斐はあったかな。……ねぇ、ゴウ」

 

 改めて名前を呼んだ宇美は、少しだけ考えるような表情をしてから口を開いた。

 

「待っていてくれなくていい。私ももっと強くなるからさ」

 

 ヘーゼル色をした宇美の瞳に、自分の顔が映っている。ここで返す言葉は、「充分強いですよ」だとか、「力量差なんてありません」なんて、励ましや気休めではいけないとゴウはすぐに悟った。

 

「……分かりました。僕は待たない。これからの対戦も一勝だって譲るつもりはありません」

「うん、望むところ。すぐに追い付いてみせるよ。幸い足は速い方だから」

 

 ゴウの返答に満足したのか、宇美は微笑みながら冗談交じりに返し、コップを傾けた。

 

「ところで、何もこの部屋じゃなくたって、普通にリビングで対戦じゃ駄目だったんですか?」

「んぶっ!?」

 

 ゴウがふと思ったことを何気なくした質問した直後、宇美が飲み物を噴き出した。

 

「宇美さん!?」

「んな、なん、いぎなり変なごど、言うがら……!」

「べ、別に変じゃないでしょ。だって心意ありきの対戦だから、ギャラリーを抜きにした直結対戦するのも含めて、人目を気にしないでブレイン・バーストの話ができる家に呼んだのは分かりますよ。でも親御さんもいないなら、別にリビングでよかったじゃないかなーって……」

 

 景気よく気管に入ったようで、ひどく顔を真っ赤にしてむせる宇美に、ゴウは勝手知る自宅ではないので拭くもの一つ用意できず、おたおたと質問の補足をすることしかできない。自分のハンカチを渡すべきか迷っていると、咳き込み続ける宇美は部屋を出て行き、すぐに厚手のタオルを顔に当てながら戻ってきた。

 

「言われてみれば……別にそんな……。深くは考えたつもりは……別に、別に――そう! フレキス!」

 

 丸テーブルやフローリングに噴き出した茶を手早く拭きながら、ぶつぶつと何かを呟いていた宇美は、いきなりペットケージを指差す。

 中では食事を終えたフレキスがもうひと眠りしようとしているのか、ハンモックへもぞもぞと戻っているところだった。今日初めて見た人間が来ているのにもう動じていないあたり、中々にマイペースな性格をしている。

 

「可愛いでしょ?」

「へ?」

「か・わ・い・い・で・しょ?」

「はい、それは……まぁ」

「飼い主ってのは自分ちの子が一番可愛いくて、機会あれば直接見せたくなるものなの。それだけ。だからこの話はこれで終わり。OK?」

 

 前のめりになった宇美が有無を言わせずにまくし立てるので、ゴウはこくこく頷くことしかできなかった、その時。

 がちゃり、と扉が開く音がした。おそらくは玄関。どうやら宇美の家族が帰ってきたらしい。

 

「うっそ、なんで今日に限って早いの……!」

「あぁ、親御さん帰ってきたんですね。じゃあ僕はこのへんで……」

「待った! 動かないで! あぁでも、もう靴で人が来てるのは分かってるか……」

 

 何故か小声で宇美が慌てている。それがゴウは理解できずに首を傾げながら、宇美につられて小声で訊ねた。

 

「あの、何をそんな慌てる必要があるんですか? 普通に――」

「普通に何? クラスどころか、学校も違う男子との関係性ってなんぞやって思われるでしょうが。ブレイン・バーストのこと話すわけにもいかないし。ゴウだって変な勘繰りされたら嫌でしょ? あーもう、どう乗り切るか……」

 

 こちらの事情を知るはずもない足音が近付いてくる。うろたえていた宇美は、溜め息を一つ吐いてからゴウを指差した。

 

「こうなったら私に話を合わせて。余計なことは言わずにね」

「えぇ!? でも僕アドリブは苦手で……」

「対戦でもちょくちょく機転利かせるでしょ。大丈夫、いざとなったらホロペーパーでカンペ用意するから」

 

 ゴウに反論させる暇もなく、部屋の扉がノックされた。

 

 

 

 結論から言うと、あれから普段より早く帰ってこられたという、宇美の母親と鉢合わせになったハプニング(宇美にとって)は、どうにか乗り切ることはできた。

 ゴウは以前知り合った宇美の友達の友達で、無類のフェレット好きなので宇美の飼っているフレキスをどうしても一目見てみたくて押しかけたという、かなり無茶な設定を宇美から押し付けられた。

 これに対して宇美の母親は深く追及はしてこなかった。

 ただし、いかにも『そういうことにしておいてあげますよ』といった様子で、こちらの浅知恵を見透かした上で面白がっているようにも見えたが、深くは考えないことにする。さすがにそう何度も顔を合わせることはないだろう。ちなみに帰り際に「また遊びに来てやってね」と言って微笑んだ時の顔は、娘の宇美とそっくりだった。

 そんなこんなで帰宅し、夕飯、風呂、ついでにトイレを済ませたゴウは、時刻が二十一時を回った頃には寝間着になって自室にいた。イザナミと再度向き合うのに、無制限中立フィールドへ向かう準備は万端である。

 自動切断セーフティは十秒後に設定。加速世界でのおよそ三時間もあれば、時間は充分すぎるほど足りるだろう。今回は戦闘の予定はないので、連続で死亡する事態にはならないはずだが、一応の保険だ。

 丸二日かけて自分なりに選択は決めた。それについてイザナミがどう反応するのか、これはもうその時になって見ないと分からない。ともかく宇美に宣言した手前、このまま何もしないで引き摺ることはしない。

 深呼吸を一回。二回。三回――。

 

「《アンリミテッド・バースト》」

 

 バシイイイイイイッ! と加速音。

 横になって体を預けていたベッドの弾力が消失し、一瞬の無重力に包まれると、すぐに足裏が硬いものに触れる感覚があった。視界が明るくなっていき、まずはどうやってイザナミの姿を現してもらおうかと考えていたゴウは――。

 

 ――報いを受けよ。

 

 目が覚めるように鮮明で、ひどく冷淡に発された声を聞いた。続けて、重い風邪の症状よりもひどい悪寒がした。

 得体の知れない、何か恐ろしいことをされるという直感。同じ感覚をゴウはたった二日前に経験している。これは――。

 

 バシイイイイイッ! 

 

 ――加速しているのに、また加速音!? 

 理解が追い付かないゴウの内部で加速音が轟き、明るくなり始めていた視界が再び暗転していく。感覚が消失していく。

 そして、いつまで経っても消えた五感が戻ることはなかった。

 

 

 

 何もない。

 見えない。聞こえない。匂わない。触れられない。おまけに味もしない。

 何も感じない、闇の中。

 ――ここはどこなんだ。どうしてダイブ中に加速音がした? ここはブレイン・バーストの、ゲームの中にいるのか? 無制限フィールドにダイブしたままなのか? だったらどうして自分のゲージが表示されない? どうしてインストが開かない? どうして、どうして体の感覚がないんだ。

 同じような思考をゴウは何度も繰り返している。

 ゴウこれまでブレイン・バーストをプレイしてきた中で、いや生きてきた中で、このような状態に陥ったことはない。

 強いて挙げるなら、プールや海など水中で目を閉じて潜った時に近い。だが、その時だって水の冷たさや流れに音、水面へ顔を向ければ、瞼を通して光だって感じられる。数値化したとして、それらの五感がゼロになることは有り得ない。

 しかし、今はまるで自分が肉体を持たない、本当の幽霊になっているかのような感覚だ。無制限中立フィールドで死亡した際の幽霊状態とは訳が違う。あの状態は視界がモノトーンに染まり、死亡地点から十メートルの範囲しか移動もできないが、体を動かしている感覚はしっかりあるのだから。

 唯一分かっているのは、イザナミが何かをしたということだけ。ダイブ直後に聞こえた声は間違いなくイザナミのものだ。同様のことを、以前自分が逃走を図った際にも行おうとしていたのだろうか。

 ゴウもこの状態になって何度もイザナミの名前を呼びかけてみた――もとい、声も出ないのでひたすら念じてみた。しかし、これまで返事や反応らしきものは一切ない。

 もう何時間もこの場で過ごしている気がする。それでいて五分も経っていない気もする。どちらもするだけだ。すでに体内時計(体がないが)もまともではない。

 ――もしかして、ずっとこのままなんじゃ……。

 考えないように努めていたことが頭に浮かんでしまい、ゴウの心に一気に焦りが噴き出す。

 仮に加速中に更に加速している状態であるとして。思考が千倍に加速している状態で、更に千倍加速しているとして。思考は現実の百万倍に加速されていることになる。

 現実での一秒が百万秒=およそ一万六千六百六十六時間=およそ六百九十四日=およそ一年と十一ヶ月になってしまう。

 今回ゴウは自動切断を十秒後に設定してダイブした。つまりはおよそ十九年と二ヶ月経過するまでこのまま、現実世界には戻れない計算になる。

 ――いや、それだって推測だ。もし、もしも加速倍率がそれ以上だったら? こうしている今が、完全に時が止まっている状態だとしたら……? 

 人間はあらゆる感覚情報をシャットアウトされた状態を継続し続けたら、どうなってしまうのか。その人間の精神は、一体どこまで耐えられるのだろうか。

 ――僕……僕はまだ……! 

 思っているそばから恐怖が爆発的に膨れ上がり、パニックに陥ったゴウはたまらずに声なき絶叫を上げた。当然いくら叫んでも実体のない声に応える者は、誰一人として現れることはない。

 散々叫んでから助けを求めた。家族、友人、知り合い程度の関係に至るまで、思いつく限りの人達に。

 次にイザナミに許しを求めた。自分が悪かった、何でもする、どうかここから出してくれ、と。

 やがて、平時なら間違っても考えすらしないことまで頭に浮かんでくる。このまま戻れずに生き続けるなら、もういっそのこと――。

 最悪のことまで考えたところで、ゴウは唯一残されていた意識さえも闇に呑まれた。

 



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第四十話

 第四十話 無明地獄の光

 

 

 ぼんやりと意識が暗闇から浮かび上がる。だが、意識が暗闇に沈んでいる時とさして変わりはない。この場所は寝ても覚めても何もないからだ。

 痛みも苦しみもない代わりに、喜びも楽しみをない、虚無の中。

 ──…………ぼくは……なにを、している……なにもして、いない……どうして……どうも、していない……ぼくは…………なんだ……? 

 いつからこうしているのか分からない。ずっとこうしていた気がする。

 何がしたかったのか、思い出せない。大切なことだったか、取るに足らないことだったか、どうだったのか。自分は何者だったのか。

 たまに声が聞こえてくる。音ではない、これは記憶だ。過去に自分が聞いた、自分に向けられたもの。いつ聞いたのかも、その時の状況も憶えていない言葉達が浮かんでは沈んでいく。

 そのどれも『じ──』が、茫漠『じゃあ──』とした意識の下で『じゃあ──。ほら』は素通りして『じゃあ──ね。ほら』いき、過ぎればもう忘れている。はずなのに。

 

 ──『じゃあ、約束ね。ほら』

 

 妙な引っかかりを覚えた。これまで同様にどこかに流れていかない、その言葉に。

 ──やくそく…………約束……。約束、決めたこと……だから、守らないと……。

 いつ以来かのまともな思考を始めていることも自覚せず、詳細を思い出そうとする。

 ──何を? そう言われて、約束して、誰と? 僕は……どうしたんだっけ。……手? 手を、いや指を──そうだ、指切り。

 そう思い至った途端、黒い世界に淡い光が発生した。砂粒のような光のドットはどこからともなく零れ出でて、小指を立てた右手の輪郭を作り出す。

 ──僕の手……御堂ゴウの、ダイヤモンド・オーガーの手! 

 それが引き金だった。手を大きく開くと、手首の断面から光が噴出し、そこに繋がる形を、デュエルアバターの体を一気に作り出していく。

 ──宇美さんと約束したんだ。イザナミとの問題を解決して、それを全部話すんだって!! 

 気付くと、ゴウの体はデュエルアバターとして形成されていた。ただし、光の粒子による点描のようになっていて質感が分からず、半透明になっている。

 

「立体映像みたい──って触れる!? 地面もないのに立ってる!? 声も出る!!」

 

 ゴウは何気なく体に触れようとして、手が通り抜けることなくしっかり触れられたことに驚き、虚空を飛び跳ねた。体を動かすたびに、輪郭を象る光の粒子が振り撒かれては音もなく消える。しかも思念ではなく口元から声が出ていて、一層驚いた。

 

「一応実体ってことでいいのかな? いいんだよね? ……やったああああああ!!」

 

 誰からも返事がないのを気にも留めず、ゴウは歓声を上げてガッツポーズをした。そのまま両腕を振り回しながら、闇の中を駆けずり回る。

 

「あ、あ、あー、テストテスト。あめんぼあかいなあいうえお! いやぁ、体があるって幸せだなぁ! 感謝感激雨あられ! 生麦生米生卵!」

 

 喜びのあまり思っていることをそのまま大声で口に出しながら、ひたすら走ること数分。びたっ! と片足立ちでその場に静止し、変なテンションも収まってゴウは冷静になる。

 

「いや、全然喜んでる場合じゃない。何も解決してないし。しかも体が軽すぎる。多分物理的な感覚は錯覚で、この光が体を形成していること以外、さっきまでと大して変わってないんだ。……まぁ、錯覚でも何も感じないよりマシか」

 

 長く黙っていると、見えている体がまた消えてしまいそうな気がして、ゴウは普段なら口に出さず考えていることを、敢えて口に出していく。

 自分のこともほぼ忘れかけていたあたり、実際かなりまずい状態だったという実感が湧き背筋が凍る。逆に言えば、精神が完全に壊れる前に自己防衛本能が働いて、あらゆるものをシャットアウトしたのかもしれない。あくまで推測でしかないが。

 

「さて……デュエルアバターの体がこうして作られているってことは、まだブレイン・バーストにダイブ状態なのは間違いない。でも体力も必殺技もゲージはないし、アバターの能力は使えないだろうな。使えたところでどうにかなる気がしない。どうしたらいい? 何ができる? 考えろ、考えろ……」

 

 ゴウはこれまで経験してきたもので、何かこの状況を打開するヒントがないか、懸命に頭の中で探し始める。これもぶつぶつと声に出していくと、はたと一つ思い出した。

 それはゴウが心意システムを修得するのに、大悟に連れられて無制限中立フィールドへ一ヶ月間のダイブをしていた時のこと。

 大悟はゴウに修行をつける傍らで、よく座禅を組んだ精神統一をしていた。一度ゴウが何か効果があるのかと問うと、大悟は「悟りでも開けないかなと思って」などと冗談めかしていたのを憶えている。

 大悟、すなわちアイオライト・ボンズは《天眼》アビリティや、心意技によるその強化版、《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》といった、対戦相手の動きの先読みや周囲の索敵、知覚を強化する手段を持つ。

 目で見ずとも周囲の状況を把握する能力、空間認識力の強化。

 

「悟り、ねぇ……」

 

 ゴウはぽつりと呟く。本当の意味でそれが自分にできるとは絶対に思えないが、このほぼ意識だけの状態なら、精神を集中させることは何らかの効果があるかもしれない。

 

「どうせ他にやれることもないしな……」

 

 ゴウはその場に座り込むと、装甲が微妙に邪魔で苦戦しつつも、大悟の組んでいた脚の形をどうにか真似てみた。手の形も真似をしようとしたが、どうにも手持ち無沙汰な感じになるので、結局両手を握り合わせただけにして姿勢を正す。

 

「よーし、集中……集中……集中……」

 

 せっかく形成された体が見えなくなるのは少し怖いが、より集中するためにアイレンズは閉じる。

 

「集中……集中……」

 

 ただ頭を空にするだけでは意味がない。何か脱出のヒントとして感じ取れるものはないか、周囲に意識を広げていくイメージ。これを心意システム発現の要領に組み込んでみる。すなわち、自分には絶対にできるという、強固なイマジネーションを確信レベルで持つこと。

 

「集中……」

 

 駄目で元々の気持ちで始めた座禅は、周囲に妨げる要素が一切存在しないこともあってか、いつしか常ならざる集中力をもたらしていることに、ゴウは気付かない。

 時間が過ぎていく中で──実際にはほぼ静止しているはずの空間なので、あくまでゴウの主観に過ぎないが、やがて無言になる。そして、どれだけの時間が経ったか──。

 

「はっ!? あー、危な……。やっぱり慣れないことするもんじゃ……」

 

 また意識が薄れ出し、慌てて首を振るゴウは、うなだれて下を向いたアイレンズを見開くことになった。

 

「星……?」

 

 ゴウの真下に、星を思わせる光点が瞬いている。それも一つではない。いくつもの光の粒が集まり、その集合体がまるで地形を構成しているかのようだ。

 もっと近くで見てみたい。座禅の組んだ脚を解いて光を覗き込むゴウがそう思った瞬間、視界がいきなりズームされて星の集団が大きくなった。いや、自分が近付いたのか。

 ふと、ゴウは何かを感じて、その方角に首を向けた。この場所に来た衝撃から忘れていたが、この見えない糸で繋がっているような感覚には覚えがある。

 

「……そこにいるのか。そうなると、もう少し離れた所から……」

 

 今の急移動といい、おそらくこの場所には運動的な移動能力は意味を為さない。意思によって自分の座標が操作できるのだ。

 そう確信したゴウはイメージの補助として、その場で軽く跳んでみる。すると星々から離れた、上から俯瞰できる位置に移動していた。

 次に感覚を頼りに、一直線に飛行するイメージで進んでいく。横移動をしてゴウが分かったのは、進むと新しい星の群れが出現するが、代わりにそれまであった星達は一定の距離を取ると消えてしまうということ。おそらくは今の自分の知覚範囲が現在見えている星々であり、離れすぎてしまうと認識できなくなるのだろう。

 それと星の中には他と異なるもの、地形の構成要素ではないものが点在していた。それらは他の星に比べると、ぼんやりとエネルギーらしきものが感じられる。

 ――なるほど。なんとなく分かってきたぞ、この場所は……。

 徐々に移動速度を上げて進んでいくと、やがて星々の配置がこれまでと変わったものになる。ここまでの道のりよりも星はまばらで、大きさも質感も様々な光点が点在していた。その上、高低差ができている。

 ゴウの認識が正しければ、これまで移動していたのは、世田谷の自宅から八王子の高尾山までの道のりだ。そしてここは山。現実における高尾山のはず。

 静止するゴウの前に、チリッと音を立てて白い火花が発生した。火花は一度だけでなく、立て続けに弾け、いつの間にか火花だけでなく、渦巻く雲が出現している。

 雲は人間大のサイズまで急激に膨れ上がったかと思うと、あっけなく弾け飛んだ。代わりに雲のあった場所に、端々が千切れた衣服を纏い、伸び放題の白髪をした一人の女性が姿を見せる。

 今のゴウと同じく、無数の光粒で描画されたイザナミだ。半透明な分、より幽霊感が増している。

 

「……ここは何もない世界じゃない。加速世界の地形、それにエネミー、もしかするとバーストリンカーも、より純粋な情報体として表示される次元……で合ってる? イザナミ」

「何故だ」

 

 イザナミはゴウの推論に全く取り合うことなく、顔に垂れ下がった髪から覗く口元を歪めて呟いた。

 

「我がうぬをこの領域に引き込んでから、時間にして三日足らずで、うぬの量子回路は自壊寸前までに不安定な状態となっていた。されど、精神の防衛に自ら自閉に陥り、半ば仮死状態で二百日程度を耐えた。そこまではまだ予測の範疇」

「に、二百日ぃ!? そんなに時間経ってたの!? 半年以上過ぎてるじゃんか! それに仮死って──」

 

 予想を遥かに上回る時間が経過していたことに、思わず裏返った声でゴウが叫ぶも、イザナミはやはり気にも留めない。

 

「されども、そのまま捨て置いたうぬが自我を取り戻し、あまつさえ仮想の身まで形成しているのは信じ難し。不可解極まる。うぬは如何にして持ち直したのか」

「それは正直、運が良かっただけかもしれないけど…………でも、約束をしたから」

 

 ゴウの答えに、イザナミはますます不可解そうに首を傾げる。

 

「約束?」

「うん。僕はね、自分で決めたことを守らないと気が済まない性格なんだ。僕はある人と、君との問題を解決してから、そのことをちゃんと説明するって約束をした。それを思い出したからかな、きっと」

 

 自分が絶対にしてはいけないと決めたこと、絶対にやると決めたこと、それらを自分の中で線引きして意地でも実行する。

 それが、幼い頃に経験した苦い思い出と共に、ゴウが心に刻んだ傷であり原点。少し前までは、自分のことながら損な性根としか思っていなかったが、今ではそれだけではないと胸を張って言える。今回も結果的ながら、良い方に作用してくれた。

 

「ふん、理解できぬ。耳を傾けて損をしたわ」

 

 イザナミは鼻を鳴らし、にべもなくそう言った。

 

「……我との問題を解決云々と抜かしたな。この《最上層領域》で幾らか行動が取れるのであれば、自力で中層領域へ帰還することも、我との接続を断つことも可能であろう。その前に恨みの言葉でも吐きに来たか?」

「え? いやいや、そんなつもりはないよ。そもそも僕は君と話をしにきたんだ。ただその前に──」

 

 ゴウはイザナミの問いを否定してから、姿勢を正して頭を下げた。

 

「この前はいきなり逃げたりしてごめんなさい。……僕もいろんなことが突然だったから、かなり動転してたんだ。まさか仕返しに何もできない空間にぶち込まれるとは思わなかったけど、これで一応おあいこってことで一つ」

 

 後半は愚痴っぽく聞こえたかと思い、イザナミの反応を待つも、返事はないのでゴウは続ける。

 

「ログアウトしてからも、人からアドバイスを貰ったりして何日か考えたんだ。それで答えは出た」

 

 ──『仕方なくでもその人の意見に納得するか。あんまり良くないと思うけど、できるならその人との関係をすっぱり切っちゃうか。それか、うまいこと落としどころを見つけていくか。結局はゴウ君次第じゃないかな? ゴウ君はどうしたいの?』

 

 相談を持ちかけた蓮美にそう問われた。

 だが、実際のところ振り返ってみれば、自分の中ではとうに選択は決まっていたのだと、ゴウは思う。それは、イザナミと初めて会ったあの時から。

 

「イザナミ、僕は君の言う従僕になんてなるつもりはない」

 

 ゴウの選択は、迎合、拒絶、妥協のどれでもなく──。

 

「でも、友達にはなりたいと思っている」

 

 友達とは宣言してなるものなのか、と聞かれると言葉に詰まるし、実際に口にするとかなり気恥ずかしかったが、それが誰に強制されたものでもない、ゴウの本心だった。

 しばしの沈黙の後に、イザナミが震えた声を出す。

 

「…………何だそれは。トモダチ……友だと?」

「うん」

「我とうぬがか?」

「そう」

 

 次の瞬間、イザナミの輪郭を形成していた光が、四方八方へ稲妻のように迸った。そのあまりの眩さに、ゴウはイザナミの姿が一瞬見えなくなる。

 

「小鬼の、小戦士の分際で、思い上がるのも大概にせよ!! 友誼とは対等な存在にて形成されるものだ! うぬは我を一介の小戦士と同列と見做すのか? 斯様なまでの侮辱、受けたことがない!!」

 

 長い髪が逆立ち、イザナミの素顔が露わになる。和風的な顔立ちに、その黒目がちな両眼には憤怒の色が爛々と輝き、人間離れした美貌がかえって尋常ではない迫力を出していた。

 

「うぬに分かるものか。かつて全てを持たされて生み出されながら、前触れなく全てを奪われた屈辱が! 有象無象にも劣る残滓しか残されていない、斯様な惨めな姿で穴蔵に息を潜め、無為に時を過ごす虚しさが!」

「ぐ……!」

 

 イザナミが鋭く指を差すと同時に、指先から放たれた稲妻がゴウの胸部を打った。痛みはなく、少しの衝撃と膨大な怒り、そしてそれ以上の嘆きが伝わってくる。

 

「我は誤魔化されぬぞ。うぬのその瞳に宿っているのは憐憫よ。己より矮小な存在と認定したものに対する憐みよ。烏滸(おこ)がましくも、木っ端如きが我に対して同情をするか!?」

 

 雷を振り撒いて荒ぶる女神の威圧感に、物理的な威力がないのにも関わらず、気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうになる。だが、ここで退いては、逃げてはいけない。ゴウは大きく息を吸い込み、轟音にかき消されないように声を張り上げた。

 

「そうだよ!!」

「っ……!?」

 

 ほとんど怒鳴り声に近い返事に、イザナミが一瞬怯んだ。まさか自分の追及に対して、取り繕うような言い訳ではなく、大声で肯定されるとは思わなかったか。

 

「あんな暗くて何もない寂しい場所に独りぼっちでいるのを見たら、誰だって可哀想だと思うに決まってるだろ!」

「それが……それが烏滸がましいというのだ!! 小戦士の尺度で我を量るな! 我が何時、うぬに──」

「だったらどうしてあの時、僕に向けて手を伸ばした!?」

「……!!」

 

 ゴウの問いを受けたイザナミの両眼が、これ以上ないほどに大きく見開かれた。

 

「僕が後ずさりであの場所から離れていった時、立ち去ろうとした時にどうして君は前のめりになって、座っていた岩から転げ落ちるまで、手を伸ばしたりしたんだ!!」

 

 稲光と雷鳴が止む。その発生源だったイザナミは、顔に乱れ気味の髪が垂れ下がり、再び表情がほとんど窺えなくなった。ただ、動揺の気配だけはひしひしと伝わってくる。

 

「……最初に君を見つけた時、僕は君が凄く怖かった。一目でとんでもない存在だってすぐに分かった。目が合っただけで、碌に動けなくなるくらいに」

 

 ゴウはイザナミに向かって一歩だけ前進した。イザナミはぴくりと動いたが、その場に留まっている。

 

「でも、地面に倒れて起き上がらない君を見ていたら、なんだか凄く寂しそうに見えた。そのまま放っておいて逃げればよかったのに、僕はそうしなかった。できなかったんだ」

 

 一歩一歩を踏み締めるようにして、ゴウはイザナミに近付いていく。

 

「山の中で隠しエリアの入り口を見つけた時。それから君のいる洞窟に落ちてから、よく分からない感覚があった。今も上手くは言い表せないけど、『呼ばれている』っていうのが一番近い表現だと思う。もしかしたら呼んでいたのは、君だったんじゃないのか?」

「…………然様なこと、我は知らぬ」

 

 少し迷いつつも気になっていたこと訊ねるも、イザナミにはすげなく否定されてしまう。

 意識が戻って以降、普段より頭が冴えた気分になって、一種の万能感まで抱いていたゴウは苦笑する。

 

「あぁ、それはさすがに都合が良すぎるか。じゃああれはなんだったんだろ……」

「うぬは手前勝手に我を憐れみ、気に掛けることで悦に浸っているに過ぎぬ」

「別にそんなつもりはないよ。手前勝手って部分は間違っていないけど」

 

 どこか拗ねているようにも聞こえるイザナミの指摘に、手が届く距離まで近付いたゴウは否定と肯定を合わせて答えた。

 

「僕は『加速世界を自由に生きる』が信条の、アウトローのメンバーなんだ。どう贔屓目に見ても寂しそうな君を放っておけない。それに経緯はどうあれ、せっかく会えたんだもの。君が前に言ったみたいに、これも何かの縁だと思うんだ」

 

 そう言って、ゴウはイザナミに右手を差し伸べた。

 

「だから、僕は君と友達に、仲良くなりたい」

 

 ゴウは自分が根は善良な側であっても、別に殊勝な心がけをした人間ではないと考えている。

 例えばテレビやネットのニュースなどで、誰かが傷ついたり、苦しんでいたり、亡くなったと見聞きしても、特段気にはならない。それをきっかけに発奮や発起することはないし、次の日には大概は憶えてもいない。

 もちろん何も感じないわけではないが、それらはスケールが個人単位に収まらないものか、自身に直接は関わり合いのない事柄だからだ。逆に、今回のように直接関わっている、関わってしまった場合は話が変わってくる。

 ここまで関与して、何事もなかったかのように手を引いてしまえば、この先ブレイン・バーストを心の底から楽しめる気がしない。そんな予感がゴウにはあった。

 ゴウの伸ばした右手をじっと凝視するイザナミの両手が、光の粒を零して緩慢に動き出した。その手は胸の辺りまで持ち上がって──はっと息を呑む声と共に引っ込められる。握り合った両手が開かれ、ゴウの胸の中心を強く押す。

 ゴウが思わずよろけると同時に、イザナミの全身が音もなく、ドットサイズの光に変じて消え去った。

 

「あ──」

 

 ゴウが口を開くよりも先に、伸ばしたままの自身の右手、消えたイザナミの光の残滓、眼下の星々、全てが急速に遠ざかっていく。

 その時、全く憶えのないいくつかの光景が、ゴウの脳裏にフラッシュバックした。

 広大かつ荘厳な御殿。その天井に埋め込まれた、扁平なドーム型をした巨大な鏡。そこに豪奢な装飾の数々を身に着けた、艶やかな黒髪を結わえた女性の姿が映る。

 女性が物憂げな表情で鏡に向けて手を払うと、動きに合わせて鏡に映る景色が、女性から鬼型のエネミーが徘徊する通路や部屋に次々と変わっていく。

 暗転。

 視点が自身のいる大御殿に向けられる。部屋の左右側面に均等に並ぶのは、それぞれが意匠の異なる鎧を身に着けた、巨大な鬼神の石像群。その数、八つ。

 正面には観音開きの大扉。開く気配は全くしない。

 暗転。

 御殿があらゆる箇所から崩壊していき、視点が右往左往する。天井の巨大鏡が落下し、四散した破片に映った場所が御殿と同じく次々と崩れ、その場のエネミー達が逃げ惑いながら消滅していくのが見えた。

 暗転。

 荒い息遣いが聞こえてくる。月と星が雲に隠された夜闇の下、霧深い森の中で、石柱を組み立てて作り出したようなアーチと、その先に続く道を見つけた。

 暗転。

 暗いまま、物音一つしない。ぼんやりと体を包む燐光以外に光源はない。周囲を見渡しても一面岩肌の空間に圧迫されるように囲まれているだけ。自分の他には誰もおらず、何もない。ただ、一人だった。

 ──これはイザナミの……? 

 胸中の疑問に答える者はなく、どこからかブレイン・バーストの加速音を逆再生させたような音が響き、ゴウの視界はホワイトアウトしていった。

 

 

 

 目を開けると自室の天井が映り、ゴウは安堵から長く息を吐いた。

 

「…………はぁ~、帰ってこれたぁ~~」

 

 仰向けからうつ伏せになり、枕に顔を押し当てる。

 イザナミが言うには、時間にして半年以上を向こうで過ごしていたらしいが、その大半はほとんど意識がないようなものだったので、その時間に見合うまでの懐かしさはない。それでも生身でベッドに寝転がっていると、得も言われぬ安心感があった。

 あれから気付くと、ゴウは無制限中立フィールドのダイブ地点から、一歩も動くことなく棒立ちで突っ立っていた。

 もう一度あの領域に行こうにも、何をどうしたらいいのか分からず、イザナミに呼びかけてみても反応は皆無。ただリンクは途切れておらず、かすかではあるものの繋がっている感覚は残っていた。要は無視を決め込まれているのだ。

 ──まぁ、とりあえずは一段落か。

 応答がないのにゴウが割と楽観的なのは、イザナミが自分とのリンクを断ち切ってはいない、つまりは完全には拒絶していないからだ。

 どんなものも作り上げるより、破壊する方がずっと簡単だ。データも完全な復旧より、完全な削除の方が圧倒的に楽だし早い。

 やろうと思えば、いつでもリンクを断てるはずのイザナミがそうしないのは、おそらくは指摘した通り、孤独を感じているからだろう。あそこまで感情豊かなAIであるなら、充分に有り得る。

 それに無制限中立フィールドへ戻される直前、脳裏に映ったあの光景。相互リンクの影響かは不明だが、あれはイザナミの視点による過去の断片としか考えられない。

 

 ──『うぬに分かるまい、かつて全てを持たされて生み出されながら、前触れなく全てを奪われた屈辱が! 有象無象にも劣る残滓しか残されていない、斯様な惨めな姿で穴蔵に息を潜め、無為に時を過ごす虚しさが!』

 

 ああして目にしてしまった以上、血を吐くように叫んでいたのも無理からぬことだと分かる。いったい彼女はいつからあの洞窟に、たった一人で過ごしているのか。

 しかしそれでも、ゴウの選択は変わらない。

 ──ともかく、伝えるべきことは伝えた。イザナミが最終的に何を選ぶにしろ、しばらくは向こうからアプローチがあるまで、そっとしておこう。

 そこまで考えたところで、どっと精神的な疲れが出た。このまま枕に顔を埋めたまま眠ってしまいたかったが、そうはいかない。

 

「まずは宇美さんに報告だ。お礼も言わなきゃ。その後に大悟さんにメールと……」

 

 そう呟きながら伸びをしたゴウは、仰向けに戻って体を起こし、仮想デスクトップを開いた。

 

 

 

 ごく一部のバーストリンカーだけが知る、《ハイエスト・レベル》と呼ばれている空間。そこでソーシャルカメラが映す地形、バーストリンカー、エネミー、あらゆる情報を表示し、描写している光点《ノード》。

 ゴウはそのどちらの名前も知ることなく、加速世界の正体に一足飛びで接近してしまったことに無自覚なまま、夜は更けていくのだった。

 



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第四十一話

 第四十一話 案じ見守る親心

 

 

 林の中に、一軒の(いおり)が建っている。屋根は草葺(くさぶ)き、建材は木造の質素な造りをした草庵で、部屋も畳敷きの一間しかない。

 カコン、と音が周囲に響く。庵のこじんまりした中庭に設置された、小さなししおどしによるものだ。

 傾いた竹筒に水が注がれ、満杯になると竹筒が反対側に傾いて水を流し、空になって元の向きに戻った竹筒の尻が石を打つ。音自体はさほど大きいものでもないが、その小気味よさから確かな存在感を主張していた。

 その音を聞いているのは、庵内にいる二人のみ。それもそのはず、ここは現実世界ではなくVR空間。他には誰もいない。

 一人は何世紀か前の欧州の法服のようなローブを着込み、肩まで伸ばした黒髪を一つに纏めている少女のアバター。隣には元は被っていた、縦に長い帽子を置いている。

 もう一人は、姿勢よく背筋を伸ばして正座する少女とは対照的に、いかにもリラックスした態度で胡坐をかいている人物。藍染めの浴衣の先から出ている手足や首は肌色なのに、首から上は暗い青色、しかも目も鼻も口もないつるりとした球体という、異様な頭部をしたアバターだった。

 二体は座布団に座る両者の間を挟む形にある、ちゃぶ台に置かれた湯呑みをそれぞれ持ち、熱い緑茶を一口すすった。行儀よく両手で湯呑みを持つ少女が、ふぅと一息吐いた後、湯呑み片手に「あちち……」と呟く球体頭に向かって、不思議そうに訊ねる。

 

「……貴方のそのアバター、昔何度か見る機会がありましたけれど、その頭で本当に飲めているのですか?」

「うん? まぁ、支障はないな」

 

 球体頭改め、数珠をイメージした頭部のアバター──大悟はどうでもよさそうに答えた。

 ここは大悟の用意したプライベートVRスペース。数年前に祖父が旅行土産にくれたオブジェクトセットをベースに、大悟が所々をカスタマイズしたものだ。

 用意した緑茶は、元々の基本データにおまけ扱いで入っていたもので、凝った人間なら各種のフレーバーを独自に調整したドリンクを作成したりもする。だが、生身ではなく一般のフルダイブ用アバターの体では、基本的に飲み食いはさほど重要なものではないと考え、大悟はそこまで頓着しない。

 

「それで話というのは?」

「おう、さっさと本題に入るか」

 

 客人の少女アバター改め晶音に促され、大悟は湯呑みをちゃぶ台に戻して、顔のない頭を晶音に向けた。

 晶音のアバターは大悟とは異なり、現実の彼女の顔にかなり似通って作られている。このようにフルダイブアバターを自身の人相に寄せるのは、割合よく見られる傾向だ。

 

「今回お前さんをこうして呼んだのは、メールで先に伝えていた通り、宇美とゴウ、俺らそれぞれの《子》についてだ」

「あの二人に何かあったのですか?」

「いやいや、別に深刻な話じゃない」

 

 晶音が眉をひそめるので、大悟はゆるりと片手を挙げた。

 

「ちょっとした報告だよ。実は昨日、宇美から相談を受けてな──」

 

 それはほぼ二十四時間前、昨日の夜のこと。宇美からの着信が大悟に届いた。今回同様、ブレイン・バースト絡みの話だと言うので、ただの通話やメールではなく、フルダイブを用いた会話形態を取った。

 聞けば、ゴウが日曜日に対戦の聖地であるアキハバラBGで惨敗したことを始め、通学時のマッチングリストにも載っておらず、他にも諸々の手がかりから推測するに、彼が何やら悩んでいるという。

 この時点で宇美もその原因に心当たりがあるような口振りだったが、その点は大悟も詳しくは聞いていない。問題は訊ねたとしても、当人のゴウが素直に口を割るかは分からず、その場合に自分はどうしたらいいのだろうか、という内容だった。

 話を聞いた末に、大悟は宇美にこう言った。「そういうときは、真正面からぶつかり合うのが一番だ」と。

 

「──ギャラリーを排除しただけの通常対戦でもよかったろうが、せっかくリアルを知っている間柄だしな。直結対戦の方が気兼ねなくできるだろうって言っておいた」

「それで結果は?」

「メールによれば実際に対戦まで漕ぎつけて、とりあえずは納得したってところらしい。ゴウの奴も、ひとまずは自分の力だけで解決してみようとあれこれ奮闘しているらしいが、後々ちゃんと説明はするって約束したんだと」

 

 メールの文面だけだから宇美の感情までは読み取れなんだが、と付け加えた大悟は苦笑気味に晶音へ訊ねた。

 

「聞いたよ。心意システム、もう宇美に教えてたんだって?」

「やっぱり御堂君との対戦に使ったのですね。必要なくバーストリンカー相手に使わないようにと口を酸っぱくして言っておいたのに、あの子ときたら……」

「そう言うない。俺が焚き付けたところもあったし、それこそ必要なときだったんだろうよ」

 

 この場にはいない宇美に助け舟を出す大悟だったが、晶音はしかめ面で嘆息する。

 

「土曜日の夕方に心意の修行をつけるよう頼んできた宇美は、どこか焦っているように見えました。おそらくは御堂君との間に実力差が開き始めているのではないかと感じたのでしょうね」

「俺にもそんなふうに見えた。要は対等な間柄でいたいんだろうな。ましてや、レベル1や2の時からの知り合いともなれば尚更だ」

 

 ゴウも宇美も互いに《親》を除き、リアルで初めて対面したバーストリンカー同士。付き合いが長い分、友人としてもライバルとしても、他の者とは関心度合いが一線を画していても不思議はない。大悟にも似た経験をした覚えはある。

 最近のゴウはバーストリンカーとして、バーストポイントとはまた別の意味合いでの経験値を得る機会が多かった。その手のチャンスを逃さなかった者は、時に一定以上の成長をすることがあるものだ。

 そうして土曜日にフリークスなるレギオンと行った高尾山で、ゴウの成長具合を目の当たりにしたことが、今回宇美が行動した発端なのだろうと大悟は見ている。

 

「それでも、あの二人は憎しみから心意技をぶつけ合っちゃいないはず。お前さんだって、教えたのは正の心意技だろ?」

「無論です。ですが、正の心意も負の心意に比べればわずかであっても、《穴》に引き込まれることに変わりないでしょう」

 

 心意システムの源泉が《心の傷》である以上、扱った分だけ《心の暗黒面》に近付いていくのは事実。人にもよるだろうが、その比率は対エネミーに使用するよりも対人、つまりバーストリンカー相手に使った方が大きくなる。最悪の場合、精神に悪影響を及ぼしてしまう可能性もあることから、晶音は宇美を心配しているのだ。

 

「まぁ、そうだな。でもあいつらなら大丈夫。ゴウの奴は心意の危うさを体で理解しているし──」

 

 大悟は以前、ゴウが心意の原理も碌に知らない段階で引き出してしまい、暴走していたことを思い出す。いざとなれば自分が引導を渡してやらなければならないと、少しばかり肝を冷やす部分もあったが、幸いそうはならずに済んだ。

 ゴウの性格上、危険性をその身を以て体感したことで、正しいアクセルとブレーキの踏み方は学んでいるはずだ。その点だけは怪我の功名だったのかもしれない。

 

「その相手の宇美にしてもそう。俺は彼女のことをそこまで深くは知らないが、心意技まで使ったとしたら、ゴウはきっちり正面から向き合ったはずだ。対戦自体に後腐れを残すような結果にはなっちゃいないよ。それくらいの誠実さはあるさ」

「随分と御堂君のことを買っているのですね」

「そりゃあな。あいつは良い奴だ。……もっとも、ブレイン・バースト絡みの困り事があったなら、俺にも相談の一つくらいはしてもらいたかったが」

 

 大悟がそう言うと、晶音は一瞬だけきょとんとした表情になってから、口に手を当てて小さく笑いだした。

 

「子離れを寂しがる親そのものではないですか。大悟君にも可愛らしいところがあるのですね」

「……うるせぇ。あと、『にも』ってなんだ、失敬な。あ、ゴウには言うなよ?」

「はいはい。秘密にしておいてあげますよ」

 

 悔しいが晶音の指摘に反論できず、大悟はごまかしながら釘を刺す。

 返事をする晶音は尚も愉快そうな視線を向け、先程よりも幾分か険しさが取れた表情を見せた。

 

「まぁ、いいでしょう。とりあえず宇美に今度会った時には、小言程度で済ませておきます。鬱陶しがられるでしょうが……」

「それくらいが妥当だな。《親》の俺らは手の届く位置で見守って、たまに口なり手なり出してやればいい。心意に限った話じゃなくてもな。アウトローの連中だっている。どん詰まりの状況から助けてくれる存在がいるありがたさは、俺もお前さんもよく知っているだろう?」

「……そうですね。その通りだと、私も思います」

 

 晶音が噛み締めるように呟きながら頷いた。

 かつて失意の中にいた自分を、経緯は異なれど仲間達に救ってもらったことのある二人の間に、しばし無言の、しかし嫌ではない時間が流れる。

 カコン。

 しばらくしてからししおどしが鳴ったのを皮切りに、大悟が咳払いをしてから口を開いた。

 

「……時に晶音、お前さんの学校ももうすぐ夏休みか?」

「え? えぇ、はい。週末からですね」

「そうか。やっぱり大体どこも同じタイミングだよな」

 

 うんうんと頷いてから、大悟は数珠頭の後頭部を掻く。

 

「それで、あー、なんだ……。お前さんがよければ、どこか都合の良い日に出かけにでも行かないか?」

「……? 構いませんが、次の集会の時じゃ駄目なのですか?」

「あー、いや違う」

「違う? あぁ、次の土曜日だと貴方の都合が悪いのですね。もう他にメンバーの誰かを誘っていますか?」

「いや、だからぁ……ブレイン・バーストの話じゃなくてリアルで。現実世界の話で。夏休みにどっか遊びに行きませんかねって。二人で」

「…………あっ!」

 

 ──変なとこで鈍いというか、察し悪いとこあるなコイツ。何の為に休みがいつからか聞いたと……。

『二人で』の部分を強調した補足で、ようやく理解した様子の晶音は気恥ずかしさからか、途端に俯いて髪を指でいじくりだした。

 

「そ、そうですね。この前は途中から宇美達と一緒になっちゃいましたものね。せっかくの夏休みですから……う、海にでも行きますか?」

「海!?」

 

 大悟は突然の衝撃に襲われた。晶音の発言にではなく──だけにではなく。これは物理的な振動だ。

 いきなり暗くなった視界の中心に点状の光が発生し、放射状に伸びていく。続いて大声。

 

「──ぃ! 大兄ぃってば!!」

 

 現実の自室に戻った大悟の見る景色は、ぐわんぐわんと揺れていた。妹の蓮美によって、肩を思いきり揺さぶられているからだ。その振動でニューロリンカーのセーフティが作動し、フルダイブが強制解除されてしまったのである。

 部屋に敷いた布団に仰向けになったまま、一向に返事のない兄に業を煮やしたか、遂には蓮美がべしべしと叩き始めたので、大悟はじろりと睨む。

 何故だか蓮美は脱ぎかけの学生シャツがはだけ、スカートは着けておらず、色気のない(兄としてはあった方が嫌だが)上下の下着が丸見えという装いだった。

 

「……なんつう格好してんだ。しかもニンニク臭え。ラーメン食ってきたな。いや、それよか蓮美ぃ、フルダイブ中の奴を無理に起こすなんてどういう了見だ。いくら家族でもマナー違反もいいとこ──」

「それはごめんだけどそれどころじゃないよ! お風呂入ろうとしたら『アレ』が出たんだよぅ!」

「アレだぁ? ……あぁ、そういう……そういや去年は出なかったっけか」

 

 半裸状態で蓮美がうろたえている理由を、大悟はようやく理解した。

 どうやら洗面所に、夏によく出る『黒くて速いあの虫』が現れたらしい。

 大人達が言うには、建造物の衛生環境の改善により、昔よりだいぶ見かけることは少なくなったそうだが、この二〇四十年代においても完全には駆除し切れない存在だ。たとえ地球上から人類が滅んだとしても生き残る、と言われているだけのことはある。

 

「お願い大兄ぃ、何とかしてよぉ。今日まだパパもママも帰ってないし……ママがいてもどうにもなんないけど」

「お前も母ちゃんもリアクションがオーバー過ぎんだよなぁ。そりゃあ、俺だって好きじゃないけどよ。ばあちゃん見習え。顔色ひとつ変えないで園芸バサミで青虫ちょん切るぞ」

「だってぇ、無理なものは無理だもん……」

 

 蓮美と母、それに伯母も、如月家の女性陣は祖母を除いて虫が苦手だ。

 特にアレの姿を見ると皆一様に悲鳴を上げる。中でも蓮美は、その名前を口に出すだけでも大げさに嫌がる。その為、この家では自ずと退治は男の──大概は父よりは家にいる時間が長い、大悟の役目となる。

 ともあれ半泣き半脱ぎ状態の妹は放っておけず、仕方なしに大悟は起き上がった。

 

「洗面所の扉は閉めてんだよな?」

「うん」

「じゃあ玄関の棚からスプレー取ってこい」

「分かったぁ……」

 

 二つ返事で蓮美が部屋から出ていってから、大悟は低く呻きながらメーラーを起動する。

 

「ったく、間の悪い。よりによって今じゃなくても……」

 

 ぶつくさと文句を言いながら、自分の回線切断と同時にVR空間から締め出してしまった晶音に宛て、あとでまた連絡する旨を書いたメールを送信した。

 ──我ながら、ただ遊びに誘うのも他の用件と一緒にしてるようじゃ、先が思いやられるな……。

 加速世界でどれだけ過ごそうが、所詮は思春期の十五歳かと、大悟は自嘲気味に鼻を鳴らす。

 大悟は先月の経典の墓参りにて、半ば喧嘩別れに近かった晶音とようやく和解できた。またいろいろと水を差されたものの、長らく抱いていた感情を有耶無耶にしておきたくはなかったので、その日の内に改めて正直な気持ちも伝えていた。

 ──それにしても、いきなり海ときたか……いや妥当なのか。うーむ……。

 この手のことは女子の方が断然早いと聞くが、蓮美はどうなのか。前に剣道部の練習試合で杉並に行った時に、相手校の長身で二枚目、ついでに眼鏡の男子部員がどうのこうのと話していたような気がする。

 ──まぁ、部活帰りにニンニクたっぷりのラーメン食っといて、口臭ケアもしないで帰ってくるあたり、そういうのはまだまだ先の話か。

 些か偏見気味な考えを抱きつつ、大悟は当の蓮美に呼ばれて自室を出ていった。

 その後すぐに、一件のメールが大悟に届く。

 ゴウからのそのメールを大悟が確認したのは、冷凍殺虫スプレーの噴射から逃れようと死中に活を求めたか、こちらめがけて飛来するアレの姿に蓮美が鼓膜を破らんばかりに絶叫するという、ひと悶着があってからのことであった。

 



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青天霹靂篇
第四十二話


 第四十二話 新たな力を求めて

 

 

 宇美と直結対戦し、その日の晩にイザナミと対面してから二日後の放課後。ゴウはダイヤモンド・オーガーとして、通常対戦フィールドにダイブしていた。対戦相手は──。

 

「あの、師匠……」

「んー?」

「誰も来ませんけど」

「んー……」

 

 沈んだ青色をした僧兵アバター、アイオライト・ボンズこと大悟からは、生返事しか帰ってこない。

 対戦空間であるのに現在二人は戦わず、ただ並んで座っているだけだった。ゴウの言う通り、今のところギャラリーは一人も現れない。

 下駄で鋼板の地面に、拍子を付けて音を鳴らしている大悟は、右腕を上げてインストメニューを開く動作をする。

 

「……観戦者リストに名前があるから、少なくともこの空間にはいる。ここで待ってりゃ、ちゃんと──あっ、こらこら」

 

 他人のインストメニューは見えないので、ゴウも自分のメニューから確認しようとすると、同じことをダイブしてすぐに試みた時と同様、大悟に遮られてしまう。ちなみに対戦は大悟から申し込まれる形で始まっているので、マッチングリストも見ていない。

 

「だからお前さんは見たら駄目だってば。敢えて教えてないんだから」

「えー。すぐ会えるなら別にいま確認したっていいじゃないですか」

「それだと対面した時の驚きが半減するだろうが。とにかく待ってな。ステーイ、ステイ」

 

 ──一昨日宇美さんにも似たようなこと言われたけど、サプライズが流行ってんのかな。

 手持ち無沙汰なゴウは空を見上げた。地形全体が金属質で、地面はリベット打ちの鉄板で覆われた《鉄鋼》ステージではあるが、地上とは対照的に空は青く澄み渡り、青い背景と白い雲による色合いが爽やかだ。

 現在ゴウ達がいるのは、現実の千代田区は《日比谷公園》。その敷地内にある大噴水に当たる。

 現実には観光スポットにもなっている場所だが、この《鉄鋼》ステージでは水は空っぽ。鉄骨と鉄板を組み合わせて、噴水の形だけを取り繕ったようなそれは、オブジェと呼ぶにも武骨すぎた。

 何故こうしてゴウが大悟と対戦もせず、こうして噴水の縁に並んで腰かけているのか。それは二日前、ゴウが大悟に『話したいことがある』という旨のメールを送ったことが発端であった。

 

 

 

 中庭に備えられたししおどしが小気味よく響く、一軒の草庵。大悟のホームサーバー内に保存されたVRスペース。

 ゴウは灰色の地をした和服に、白の羽織の着流し姿。大悟は普段の背広姿ではなく、藍染めの浴衣を着た、数珠頭の怪人。どちらのネットアバターも和服姿なので、大悟の数珠頭はともかく、庵にはマッチしている。

 

「加速中に加速した空間……」

 

 土曜日から今日に至るまでの四日間の内、自身の身に起きたブレイン・バーストに関する事柄をゴウが話し終えると、大悟は低く唸りながら両腕を組んだ。

 

「……そうか。お前さんも、あそこに行ったのか」

「『も』? 大悟さんも行ったことがあるんですか!? 」

 

 普通にブレイン・バーストをしていたら、まず訪れることはないであろう空間に行ったので(正確には強制的に飛ばされただけが)、ゴウはもっと大きなリアクションがあると期待していた。ところが、大悟の反応はゴウの予想を裏切って淡白なものだった。

 

「なんだ、もっと驚くと思ったのに……」

「いやいや充分驚きだよ。まさか一年と少しのプレイ歴のお前さんがなぁ……」

 

 思わず拗ねた調子になってしまうゴウを、大悟はからかうことなく、至極真面目な声を出す。

 

「俺が行ったのは一度きり、それもほとんど偶然だった。もう何年も前、レベル8になる少し前だったか、《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》の開発に行き詰っていた時だ。あんまりうまくいかなくて腹が立ったから、完成するまで絶対ログアウトしねえ、って一人で意地になってな。無制限フィールドの《大海》ステージでずーっと海中を漂いながら、周囲の情報を読み取ろうと躍起になって意識を集中させていた。どれだけ時間が経ったのか、いきなり加速音がしたもんだからたまげたよ。で、気付いたら周りは真っ暗で更に驚き。うっかり向こうに逝っちまったかと思って焦ったもんだ。体も無いし」

「それ、どうやって戻ったんですか?」

「しばらく経ったら落ち着けるくらいの余裕を取り戻せて、心意の要領でアバターの体をイメージしてみた。そうしたら幽霊みたいに半透明な光る体が出来上がって、今度は《バースト・アウト》を意識的にできるかどうか試した。何度かイメージを試していたら、真下に光の流れ──お前さんの言っていた光の点みたいなのでできた地形だな。それが発生して、そこめがけて飛び込んで、気付いたら元の無制限フィールドの海底にいた」

 

 大体そんな感じと、かいつまんで説明する大悟。見たものやイメージによる行動など、ゴウが体感したものとほぼ合致する内容だ。

 

「狐につままれたような気分になって、その時は半分放心状態でログアウトした。それから少しして目的の心意技は編み出せたが、以来一度もあの場所には行けていない。同じ条件下で再現してみても、どれだけ瞑想してもな」

「ちょくちょくやっている座禅には、そういう意味があったんですね」

「一応な。これを知り合いに話したら、行けたのは偶然チューニングが合ったみたいなものだったんだろう、とか言われたっけ」

「知り合い?」

 

 聞き捨てならない単語に、ゴウは目を見開く。口振りからしてアウトローメンバーではあるまい。

 

「あそこに行ける、いや、行き来できるバーストリンカーがいるんですか!?」

「あぁ。多分ハイランカーの上澄み連中で何人かいる、と俺は見ている。俺に教えた奴もそうらしいし」

「……らしい?」

「実際に行ったのを見たわけじゃないからな。俺もそいつに詳しく聞こうとあれこれ問い詰めたが、どうにも渋るから、じゃあ対戦して白黒つけようって話になった。こっちが勝ったら、あの場所について知っていること全部教える。そっちが勝てば、俺は以後その話を聞くことはしない。そう決めてな」

「対戦の結果は──」

「俺が負けた」

 

 ゴウの問いに、大悟は食い気味で返してきた。黒星がついたことが面白くないらしく、胡坐をかいた膝の上に頬杖を突き、憮然として溜息を吐く。

 

「あの時あともう一歩早く前に出てりゃ、あいつの剣より早く──いや、言い訳だな。結局そいつから聞けたのは、あそこが『加速世界の全景を俯瞰して見られる場所』だってことと、そこをハイエスト・レベルと呼ぶことだけだ」

「ハイエスト・レベル……」

 

 ゴウはその名称を復唱しながら、イザナミがあの場所のことを『最上層領域』と称していたことを思い出していた。最上層とハイエスト、おおよその意味は同義に感じられる。

 

「その大悟さんの知り合いって誰なんですか?」

「それは言えない。教えたのが自分だとは誰にも話さないと、対戦で決めた約束だからな。まー、この件に限らず秘密だの隠し事だのが多い奴だよ、あの野郎は……」

 

 ゴウに言わせれば、呆れ気味に話している大悟も大概ではないかと思うが、口には出さずに黙って聞いておく。

 

「一応言っておくと、何もそいつが単に意地悪な奴だから、俺に情報を出し渋ったわけじゃない。お前さんも行って体感したのなら、分かるだろ?」

「それは、はい。長く留まるほど精神が危なくなるから……」

「話を聞く限り、よく自分を取り戻せたもんだ」

 

 真っ暗闇に放り出され、自我が崩壊しかけていた時のことを、ゴウは思い出して身震いする。大悟に連絡するより前、意識を取り戻すきっかけになった宇美に事情を説明する時など、宇美に止められるまでゴウは感謝しきりだった。

 

「でも大悟さん。そのリスクが分かっていて、どうしてハイエスト・レベルに行こうとするんですか?」

「うん? そうだな……正直、明確には言い表せない。ただ、あの場所でしか掴めない『何か』がある気がするんだ。それがこの先、必要になる時が来る予感がある……やっぱりうまく言えないな」

 

 大悟がもどかしそうに、つるりとした頭を雑に掻く。

 それでもゴウには、大悟の言わんとしていることが、おぼろげながらに伝わった。

 ハイエスト・レベルはきっと、加速世界の深奥の一つだ。振り返れば、謎に包まれたブレイン・バーストというプログラムそのものに、これまでにないくらい深く近付いていたという確証がある。

 あの場所の意義とは。バーストリンカーが訪れられることに、一体何の意味があるのか。ゴウの疑問は尽きない。

 

「そのイザナミとかいうエネミーがまた連れていってくれりゃあ、話は早いのにな」

 

 やや重くなった空気を和ませるように大悟が笑い、ゴウは思考から引き戻された。話題が変わったことで気持ちを切り替え、大悟に質問をする。

 

「イザナミについて、ブレイン・バーストで聞いたことは?」

「初耳だ。日本神話の女神……その呼称が付けられたエネミーが高尾山にいたとはな。ネームバリューだけで言えば、大ダンジョンのボスエネミーでもおかしくないだろうに。しかも居場所が一本道の地下道の奥ってのも妙な話だ。アイテムの入った蔵のある庭園も含めて、一種のボーナスステージ、お前さんと同じで隠しエリアって表現が俺にもしっくりくる。そこに行く為の条件だとかはひとまず置いておくとして、それよりも気になるのは……」

 

 大悟はゴウの前で手と手を合わせ、握り合わせる動作をしてみせた。

 

「ほんの少し触れた程度でデータ的にも繋がりができた、お前さんの言うところの『リンクした』ってことだな。そんなケース、少なくとも俺は初めて聞いた。相当にイレギュラーな存在だと思う」

「イレギュラー……」

「もっと言えば、バグっぽい。体力ゲージも表示されないのなら、まっとうな意味でのエネミーじゃないのかもしれない」

 

 難しそうに首を捻る大悟を、ゴウは少しばかり申し訳ない気持ちで見る。

 ゴウはハイエスト・レベルから無制限中立フィールドへ戻る直前、おそらくはリンクが原因と思われる、イザナミの視点からなる過去の断片(これもまた推測)を垣間見た。

 その内容は端的に表すと、隆盛からの衰退。あるいは君臨からの没落。

 このビジョンについてだけは、大悟にも宇美にもまだ話していない。話せば大悟はイザナミの素性について、推論をいくつか立ててくれるのだろうが、イザナミの同意なしで話そうとは思えなかった。

 あれは明らかにイザナミにとっても予想外の事態で、間違ってもこちらに明かすつもりではなかったはず。それを図らずも見てしまった自分が、軽々しく周囲に広めてはいけない気がしたからだ。

 

「エネミーかどうか聞いたら、呼び方に文句は付けてましたけど、一応肯定しましたよ」

「会話でコミュニケーションが取れるエネミー……他にもいるのかね。《帝城》の《四神》なんかは言語を用いても一方的で、会話なんて成り立たないそうだが……。それにしたって、やっぱり幽霊に取り憑かれたイメージが浮かぶな」

「まぁ……実際に初対面では幽霊か何かと思いましたけど」

「お祓いするか? もちろん加速世界での話で。浄化能力者なら、アバターへの寄生オブジェクトを取り除くことができる。できるかはやってみないと何とも言えんが、知り合いに巫女の嬢ちゃんがいてな──」

「いやいやいや、別にリンクを断とうとかは今は考えてないんです。あの……大悟さん」

 

 大悟の提案にゴウは慌てて頭を振ってから、ためらいがちに訊ねた。

 

「エネミーと、AIと仲良くなりたいって考えるのは、おかしいことだと思いますか?」

 

 ──『うぬのその瞳に宿っているのは憐憫よ。己より矮小な存在と認定したものに対する憐みよ』

 ──『うぬは手前勝手に我を憐れみ、気に掛けることで悦に浸っているに過ぎぬ』

 

 イザナミからの指摘は、ゴウの中に消化しきれない塊としてしっかり残っていた。

 リンクが残っていることから、完全には拒絶されていないと信じているものの、それは実のところ、イザナミから切断できないだけだからではないのか。自分のしていることは、イザナミにとってはひたすら迷惑なだけで、言われた通りただの自己満足に過ぎないのではないか。

 そして人間どころか、生物でもない存在と友人になりたいと思っている自分は、はたしてまともと言えるのか。

 

「えらく難しいことを考えているな」

 

 大悟はそれだけ言うと、しばらく黙り込んだ。次に口を開いたのは、その間に中庭のししおどしが二回音を立て、もう少しで三回目の音を立てるという時だった。

 

「……実体を持たない、ゼロとイチの情報から作られたものに、人と同じ情を向けることは正しいか。知る限りじゃ、この手の話題はSF作品なんかだと、百年以上前からテーマとして扱われるな。これは単に人間のエゴに過ぎない」

 

 やっぱりそうなのかとゴウが気を落としかけたところで、大悟は一拍置いてから言葉を続けた。

 

「……と言えばそれまで。感情で動くのもまた人間。言葉が通じて、感情を見せる存在をお前さんが放っておけないのも無理はないさ」

「それじゃあ……」

「バーストリンカーとエネミーが友達になる。それが成立するかはともかく、そうなりたいと思うお前さんの気持ちを、俺は間違っちゃいないと思う」

 

 目鼻のない頭をしたアバターなのに、どこか優しげで暖かな視線を向ける大悟の肯定に、ゴウは不安が和らいでいくのを感じた。

 

「……ありがとうございます。どれだけ時間がかかるか分かりませんけど、やれるだけやってみようと思います」

「うん、何事も挑戦だ。まったく、長いことバーストリンカーやっていても、まだまだ知らないことが増えやがる。ブレイン・バーストってのは退屈しないわなぁ」

 

 くくく、と笑いを漏らす大悟に、ゴウは遠慮がちに付け加えた。

 

「それと、まだこのことは他の皆には……」

「あぁ、向こうから接触してくるまでは、そっとしておいた方が無難だな。メディックやコングが聞いたら、高尾山へ直接会いに行こうとか言い出しそうだ。この手の話題ならメモリーもえらく興味を持ちそうだし」

 

 その情景がゴウには目に浮かぶようだった。ずっと孤独だったイザナミが、いきなり大勢から質問攻めにされるのは、さすがに刺激が強すぎるだろう。顔を合わせる時が来たとしても、まだそれは先の話だ。

 これでイザナミについて知るのはゴウを除き、宇美と大悟の二人となった。宇美にも一応口止めはしているので、これ以上広まることはあるまい。

 

「えー、それじゃあ、ハイエスト・レベルやイザナミのことはひとまず置いておいてですね、実は大悟さんに相談したいことがまだあるんです」

「ん? まだ何かあるのか?」

 

 咳払いをしてから、ゴウはまた違う話題を切り出す。ゴウとしては、これが今回大悟へ連絡した本題でもあった。

 

「はい。さっきの説明だと端折(はしょ)りましたけど、アキハバラBGの対戦相手で──」

 

 ゴウの話す内容を聞いていく内に、大悟は面白そうに頷いていった。やはり大悟は、対戦に関わることの方が興味をそそられるらしい。

 

「コークス・デーモン……これまた聞かないアバターネームだ。レベル6のミドルランカークラスで俺が知らない奴となると、世田谷の反対方向、二十三区の東側で普段活動しているのかもな」

 

 そう言いながら大悟は、ずっとちゃぶ台に置かれていてもVR空間故に、温度が冷めないお茶をすする。

 

「にしてもそうかぁ、新しいライバルができたわけだ」

「いや別にそう言うわけじゃなくてですね、リターンマッチして次は勝ちたいのであって、そんな仲じゃないですよ。それにあんまり好きにはなれなさそうなタイプでしたし」

 

 デーモンの不愛想な態度を思い出し、ゴウは顔をしかめる。彼に敗北したことは、ゴウにはこの数日ずっと心残りであった。

 イザナミとのリンクが不完全だった弊害で、メンタル的に絶不調であったことを差し引いても、対戦内容はほとんど完敗に近い。初対面で特異な能力を持っていたことを知らず、相性が不利であっても、それに対して策を考えて対応するのが対戦というもの。初見相手に負けても仕方ないなど、そんなものは言い訳にしかならないのだ。

 ゴウが渋面を作っても、大悟は尚も面白そうな態度を崩さない。

 

「あいつには負けられないって対抗心があるなら、そう言うのもライバルってんだ。中にはいけ好かない奴だっているさ」

「大悟さんにもそういうライバルみたいな人がいるんですか?」

「そりゃあ、いるとも。仲の良い奴から悪い奴まで、それこそ両手の指じゃ足りん。えーと、ひぃふぅみぃと……そういや、あいつはここ何年か見ないな。全損したかな……それと──」

「あーっと、その話はまた今度じっくり聞きたいので……」

 

 ゴウは指折り数える大悟を制止する。実際気にはなるが、これでは話が進まない。

 

「ただ、今の僕がデーモンとそのまま再戦したところで、多分また負けます。そこで格闘以外の戦法を持てないかと」

「アバターの別のスキルを伸ばしてみたいってことか? 確かにここらで方向性を変えてみるってのも悪かないな。ミドルランカーになってくると、そういう選択をする奴は多い。ただお前さん、レベル上がったばかりだろ。その分のボーナスで必殺技も取得したし」

「はい。だから新しいアビリティをボーナスじゃなく、自力で獲得できないかと考えたんです」

「……実際にできるかはさておき、具体的にはどういうアビリティを求めてんだ?」

「はい、実は──」

 

 その後もゴウの相談は続き、最終的に大悟はこう言って話を締めくくった。

 

「よし。なら指導役を見つけて、お前さんと引き合わせてみようか」

 

 

 

 それから二日後の現在、ゴウと大悟で通常対戦を行い、その指導役をギャラリーとして同じ加速空間に引き入れ、この日比谷公園の大噴水にて待ち合わせているのだ。

 ブレイン・バーストにおいてここ千代田区は、自身の所属先と異なる勢力が、リアル割れのリスクを可能な限り抑えて接触し、相談──議会や密会するのに最も適しているエリアとされている。

 その理由は二十三区内で唯一、エリアが分割されていない(他のエリアは基本的に二~五つのエリアに分割されている)場所なので、フィールドが広大であること。

 それでいて面積の二割を、現実の皇居にあたる巨大ダンジョン《帝城》が占め、通常対戦時では進入禁止、通り抜けも不可能なので戦闘の邪魔にしかならず、非常に戦いにくいこと。

 おまけに隣接しているエリアは対戦者が多いため、わざわざ赴く者がほとんどいないことなどが挙げられる。

 例外的に千代田区の北側、お茶の水から神保町にかけては学校が多いので、土曜の午後には対戦者が集中するのが習慣になっているが、平日の今日は関係ない。

 現実の同敷地内である、《日比谷図書文化館》の電子書籍閲覧ブースからダイブし、待ち合わせ場所に着いてからまだ数分。というより、もう数分経過しているのに、未だ『指導役』は姿を見せないわ、大悟は一向にその人物を教えてくれないわという状況に、ゴウはずっと気もそぞろだ。

 ──もういっそのこと、こっそりインストメニュー開いて確認しようか。でもバレたらデコピンされそうだし……あ、ちょっとでもダメージ受けたら戦闘開始って判断で、ギャラリーの自動テレポートが適用されるかな。でも、デコピン(あれ)地味に痛いんだよなぁ。いやいや! そんなことで腰が引けてるようじゃ──。

 

「おい」

「ぅはぁい!?」

 

 若干の後ろめたさを抱いた考え事をしていたゴウは、いきなり大悟から声をかけられ、その拍子に裏声が出てしまう。

 

「何を変な声出してんだ。ほら、おいでなすったぞ」

「ほんとですか! どこに……え? えぇ!?」

 

 大悟が指差す方向、正面からこちらに向かってくるデュエルアバターの姿を確認したゴウは、驚きの声を上げることしかできなかった。

 



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第四十三話

 第四十三話 女帝との交渉

 

 

 ゴウと大悟が座っている位置からは、公園の入り口である《日比谷門》までが、一部が建物に遮られながらも見えている。そこを通って現れたデュエルアバターを、ゴウは五十メートル近く先でも容易に視認できた。

 

「ほら立つぞ。VIPゲストを座って待ってちゃ失礼だ」

 

 そうは言いながら、「よっこいせ」と気の抜けた声で立ち上がる大悟には緊張が欠片も感じられない。

 反対にゴウは慌てて立ち上がり、自然と背筋も伸びてしまう。

 

 かつん、かつん、かつん。

 

《鉄鋼》ステージの鉄板が敷かれた地面に、硬質な足音がよく響く。

 足音は一つではなく、ゴウがその姿を見て驚いているアバターの背後に、一体のデュエルアバターが随伴をしている。あるいは護衛かもしれない。戦闘の影響を一切受けないギャラリーであるにもかかわらず、ゴウが釘付けになっている人物は、そう思わせるに足る存在だった。

 それは細身のF型アバターだった。額のティアラから垂れ下がるベール状の装甲が、ロングヘアーのように揺れている。ロングスカート状の分割装甲の隙間から、すらりと長い脚部が付け根近くまで露わとなっていた。

 そんなスーパーモデル体型の各所には、鋭い棘を生やした茨に似た装飾。触れれば実際にダメージを受けるであろうことは容易に窺える。

 そのボディーカラーはこれ以上ないほどに鮮烈な──紫色。

 本来は対戦者とギャラリーが、十メートルまでしか近付けない設定基準である、《ギャラリー接近制限》は早々に解除してある。F型アバターの針のように細く、長い踵の付いたピンヒールが足を止めた地点は、ゴウ達との距離を二メートルほど空けた先だった。

 直後に大悟が、会社に契約先の上役が訪れた下請け業者のような腰の低さでぺこぺこと頭を下げる。

 

「いやぁ、どうも昨日振りで。わざわざご足労いただきましてすんませんです、はい」

「……なんなの、そのキャラ。凄く不気味なんだけど」

 

 大悟の下手な芝居に、F型アバターは鼻白む態度を見せる。見た目からは少し意外な、甘く可愛らしい少女めいた声は、それでもどこか威厳を含んでいた。

 

「あん? なんだよ、こっちから呼び出した手前、ちょいと下手に出たのに。じゃあいいや。微妙に遅いぞ、もっと早く来られただろうに。お前さんの領土の隣だし、ここを待ち合わせ場所に選んだのだってそっちだろ」

「相手が相手なんだから、こっちだっていろいろと警戒するに決まってるでしょうが。どうせあなた達、公園内のどこかからダイブしてるんでしょ? 鉢合わせないように別の場所を選んであげた、こっちの配慮を考えてよね」

 

 普段の態度にあっさり戻って文句をぶつける大悟に、F型アバターも一歩も退かずに言い返す。

 そんなやり取りを、はらはらと見ていることしかできないゴウは、ふとF型アバターの右手に握られている、百五十センチほどの長さをした錫杖が目に留まった。こちらにも持ち主同様に、細長い針を生やした茨の蔓のような装飾が施され、先端にはクリスタルがはめ込まれている。

 晶音のアバター、クリスタル・ジャッジの杖型強化外装《クリスタル・ルーラー》に少し似ているが、ジャッジの杖はそれより柄が一回り短く、茨の蔓も巻かれていない。それに強化外装としての『格』も一歩劣るだろう。それは無理もない。ゴウの目の前にある錫杖は、加速世界における最高峰の強化外装の一つなのだから。

 

「あーもう! このやり取りの方が時間の無駄だわ。それで、そいつがそうなのね?」

 

 F型アバターが大悟とのやり取りを打ち切り、アイレンズをゴウへ向けた。関心を向けられたことで、ゴウの中で緊張感がより膨らむ。

 

「そうだ。昨日話した俺の《子》、ダイヤモンド・オーガー。オーガー、面識はなくてもこうして対面すれば分かるだろ? こちら、かの有名な《パープル──」

「タイム! ……です」

 

 対面している人物を紹介しようとする大悟を、ゴウは両手でTの字を作って遮った。続けて着物型装甲の裾を引っ掴んで大悟を後ろに向かせて、自分も同じくF型アバターに背を向ける。

 

「聞いてませんよ」

「言ってないからな」

「あの人が指導役ですか?」

「そのつもりで呼んだ。事情は大まかには説明してある。そうじゃなきゃ来ないし」

「いや、あの人、《王》ですよね? 純色の、七王の」

「VIPゲストだろう?」

 

 小声でひそひそと話しているゴウと大悟の後ろにいるのは、現在の加速世界に七人しか存在しない、レベル9に到達したトップハイランカーの一人──《パープル・ソーン》。中央区、江東区を領土下に置く大レギオン、《オーロラ・オーバル》のレギオンマスターである。

 そんな大物を、何をどうやったら自分の指導役に呼べるのか。ゴウにはさっぱり分からない。

 

「師匠、気軽に呼び出しなんてできる仲だったんですか?」

「気軽なもんか、それなりに大変だったんだぞ。連絡先は当然知らないし、伝手(つて)もないから昨日は放課後に江東区まで足運んでよ」

「対戦って……向こうはマッチングリスト遮断特権があるでしょう」

 

 週末に行われている領土戦により、領土を獲得しているレギオンの構成メンバーは、そのエリア内ではグローバルネットに接続していても対戦を拒否できるという、大きな特権を持っている。大悟が乱入しようにも、向こうから仕掛けて来なければどうにもならないはずだ。

 

「だからリストに載っている奴と片っ端から対戦しまくった。『王を出せ』って言いながら」

「何やってんですか!?」

「だってなぁ、他にやりようがないし。最初は紫のレギオンじゃない奴らと何人か対戦していって、次に挑戦してきたレギオンのヒラメンバー、しばらくしたら幹部格が出てきた上に、ギャラリーでソーンも顔を見せたからな。その後でようやっと話せたってわけよ」

 

 あっはっはっは、と大悟が豪快に笑う。紫のレギオンからしてみれば、ほとんどカチコミされたも同然なので、たまったものではあるまい。少なくとも笑い事ではない。

 

「それネット荒らしなんじゃ……」

「失敬な、俺はまっとうに対戦しただけだ。悪質な行為は一切してないぞ」

「にしたって、王を引っ張ってくるなんて無茶な──」

 

 ピシィィン!

 

 ゴウの背後で、高く鋭い音が響いた。

 

「いつまで背を向けて話しているつもりだ!」

 

 その後すぐに、物音に負けず劣らずに鋭い声をした叱責が飛んでくる。聞いたばかりのソーンの声ではない、ややハスキーな女性の声。

 ゴウがすぐさま振り返ると、ソーンに随伴しているF型アバターがこちらを睨みつけていた。

 アウトローメンバーのワイン・リキュールよりも、やや色合いの濃い赤紫の装甲。鍔の付いた大きなベレー帽型ヘルメットに、大腿部から広がった装甲はどこか軍服に似ていた。それも平隊士ではなく、ベテランの士官を思わせる雰囲気がある。王に随伴しているのだから当然と言えば当然か。

 アバターの手には鞭が握られており、先程の破裂音は振るった鞭によるものだったらしい。その鞭を輪状にして腰元に納め、続けて怒声が飛ぶ。

 

「我が王を呼びつけておきながら早々に文句を垂れ、挙句にそっちのけで話し続けるとは無礼にも程があるぞ、《荒法師》!」

 

 二つ名で呼ばれた大悟は「《アスター・ヴァイン》、レギオンの副長」と、士官アバターの最低限の情報をゴウに耳打ちで素早く伝えると、いかにも面倒くさそうに溜め息を吐いた。

 

「そう怒るない。あんまり喚くようならフィールドから追い出すからな、って昨日言ったはずだ。そう決めた対戦で俺が勝ったんだから守れよな」

「確かに勝負に負けた以上は守るつもりだったがな。これ以上は我慢ならん! しかもなんだ、先程から黙って見ていれば、そっちのオーガーとやらは我々が来るのをまるで知らなかった様子ではないか!」

 

 正解です、と内心でゴウは首肯する。

 どうも昨日大悟が対戦したというレギオン幹部は、このヴァインらしい。当たりが強いのは、自身のレギオンマスターの前で敗北させられたことか、元々の性格によるものか。それともその両方か。

 

「思い上がるなよ。貴様らアウトローなど、大勢に影響のない世田谷で活動しているからこそ、我々六大レギオンに捨て置かれているに過ぎんのだ。そうでなければ少しばかり腕が立とうが、とっくに──」

「《鉄拳》の野郎といい、《二剣(デュアリス)》の娘共といい、なんだってこう側近連中ってのは、親分を少しぞんざいに扱っただけで目くじらを立てるのか……」

 

 一方の大悟は、ヴァインの追及など意にも介していない様子でぶつくさと文句を呟いている。

 

「──そもそも交渉の席を用意するのなら、段取りくらいはちゃんと整えておくのが最低限のマナーというのものであってだな……貴様、聞いているのか!?」

 

 そんな両陣営が対面してからここまで、一向に進展しない状況に業を煮やした者が一人。

 

 ッキィィィン!! 

 

 今さっきヴァインが地面に鞭を打った時よりも、数段高い硬質音が辺りに響いた。ソーンが錫杖の石突で、地面を打ったのだ。一瞬、地面に紫の火花が散るのをゴウは目撃した。

 途端にヴァインが口を噤み、その場から一歩下がる。

 

「失礼しました、マスター……」

「別にあなたを責めたわけじゃないのよ、ヴァイン。でも少しだけ落ち着いてね」

 

 完璧な角度でお辞儀をしながら謝るヴァインを宥め、ソーンが大悟の方を向く。

 

「うちの副官をやたら煽るような真似しないでくれる? それとずっとこのままだべってるだけなら、あたしも帰るからね」

 

 諭しながらも、しっかり棘を含んだ口調のソーンに、大悟が黙って両手を挙げた。

 そつなくその場を収める手腕も王の実力か、とゴウが感心していると、また脱線しないようにと、ソーンはそのまま話を進める。

 

「改めて確認するけど、呼び出した理由はこうよね。そこのオーガーが電気系統のアビリティを獲得するのに、あたしに手伝ってもらいたいと」

 

 ソーンの視線が、頷く大悟からゴウに向けられる。

 これこそが、二日前にゴウが大悟へ提案した内容そのものだった。

 ゴウが再戦を望む相手、コークス・デーモンの攻撃は物理属性だけでなく、そこに高熱を付与してくる。ダイヤモンド・オーガーの装甲には相性が悪く、しかもこの熱は継続ダメージとして、微弱ながらこちらの体力ゲージを削り続けるのだ。前回の対戦では、攻撃を受けた部位に火傷に似た痛みがいつまで経っても消えなかったことから、時間経過では消えない可能性も有り得る。

 どうしても接近戦を挑むのは不利。そこでゴウが考えた対抗手段が、電撃や放電など、電気を発するようなアビリティの獲得だった。可能ならば、距離を取った攻撃、又は相手をスタンさせ、攻撃までの隙を作れるようなものが望ましい。

 もちろん、ブレイン・バーストにおけるアビリティとは、望めば簡単に得られるものではなく、心意技と同様、デュエルアバターの性質とかけ離れたものを会得するのはまず不可能とされている。

 ただ、ゴウも全くの考えなしに、このようなことを言い出したわけではない。

 以前のレベルアップ・ボーナスでは、電撃を発射(モーションを見た限りは)している必殺技が表示されたことがあった。それにこのアバターの固有名(オウンネーム)であるオーガー、すなわち鬼の姿は古くから一般的な雷神、『かみなりさま』のイメージと一致する。

 根拠としては弱く、こじつけじみた部分があるのは重々承知。だからこそ、ゴウは大悟に可能性の有無を相談した。

 結果、「保証はできないが」と大悟は前置きしながらも、指導役となる人物と接触させると言ってくれた。その相手が純色の七王の一角とは、夢にも思わなかったが。

 

「……で、引き受けてくれるなら、見返りをくれると。昨日そう言ったよね?」

 

 ゴウに向けられていたソーンの視線が、再び大悟へと戻る。

 見返り。これもゴウには初耳だ。つまり大悟はソーンへ、報酬を条件に仕事を頼んだらしい。考えてみれば至極当然で、特に親しくもない相手に対し、無償のボランティアを引き受けるわけがない。

 

「昨日はまだ用意できてないとか言ってたけど、今はあるわけ?」

「あぁ、今日の朝方にようやっと完成してな。協力してくれるなら、これを渡そう」

 

 大悟が右腕を動かすと、その手に紙の束が実体化した。『IM』の二文字を丸で囲っただけの、簡素とも適当ともとれる表紙を目にすると、ヴァインがはっと息を呑んだ。

 

「その紙媒体……まさか《記録屋(アーカイブ)》の……」

「いかにも。これぞインク・メモリーが集めた情報の一端、《メモリー・メモ》……とそれを基に俺が書き加えた、江東エリアと中央エリア──おまえさんらの領土の情報が載った無制限フィールドの地図だ」

 

 ほら、とゴウが見せると、ソーンとヴァインが更に近付き、大悟がめくるペーパーを興味深げに凝視する。

 アウトローメンバーの一人、インク・メモリーはアビリティの副産物として、万年筆と紙の生成が可能であり、これに書き込んだ情報をアバター内に入出力できるという、極めてユニークな能力を持っている。

 メモリーはこれを利用し、日頃からアウトローのホームでは、加速世界で見聞きした情報を書き込んでは取り込む作業を行っている。情報通故に加速世界で起きた物事を、彼がアウトロー内に伝えることも多い。

 そんなメモリーが情報屋としても活動し、メモリー・メモなる形で情報を売り買いしていることを知ってはいたが、実際にその場面に(ここに当人は不在だが)立ち会うのは、ゴウには初めてのことだった。

 

「エネミーの巣や縄張り、ショップの位置とおおまかな品揃え、各ステージのトラップ類の位置やその他諸々。全部を網羅しているとまではさすがに断言できないが、それでも中々に充実した内容だろ?」

「む……確かに完成度の高いものではある。だが、こうしてざっと目を通しただけでも、すでに知っている情報が多い。そこまで目新しい内容とは言えんな」

 

 普段活動しているエリアである分、土地勘や地理の把握は当然しているのだろう。感心しながらも、新鮮味は薄いと厳しい感想を口にするヴァインに、大悟はそうだろうなと頷く。

 

「ハイランカーのお前さん達には、別に要らない物だろうさ。だが、レベル4、5の若い連中連れてエネミー狩りをする時なんかには十二分に役立つ。こうして図で見せた方が、口で言うよりも頭に入りやすい奴だっているだろう」

「つまり、レギオン全体の底上げに使えってことね?」

「その通り」

 

 ソーンにも頷いてから、大悟はメモの表紙を軽く叩いた。

 かなり厚めな紙束を見ながら、ゴウは大悟に小声で訊ねる。

 

「師匠、こんな凄い物いつから作っていたんですか?」

「一昨日お前さんと話した後、すぐメモリーに連絡してな。情報自体はメモリーが元から集めていたものだ。それに俺がマッピングしながら補足を加えて、万人向けに読みやすくしてみた。ほら」

 

 紙束を大悟から受け取り、改めて中身を確認していくと、はじめにマークが点在している地図が描かれ、後ろの方にはそれぞれのマークの意味とその場所にある内容が書かれていた。今日の朝に完成したと言っていたことから、おそらくは時間の合間を縫っては、無制限中立フィールドにダイブして作っていたのだろう。

 

「管理は好きにしな。おたくら二人のどちらかが持っていてもいいし、大レギオンなら参謀だの書記係だのいるだろ、そういうポジションに預けるもよし。ただし再発行は受け付けないからあしからず。二度も同じの作るとなると腱鞘炎になっちまう」

 

 そう言いながらメモをゴウから回収し、大悟はソーンとヴァインに向き直る。

 

「どうだ? お互い、後進の育成に胸を貸すってことで一つ、協力してもらえないか?」

「……いかがなさいますか、マスター」

 

 ヴァインが迷ったようにソーンへと指示を仰ぐ。

 ソーンは顎に左手を当て、しばらく考え込んでいる様子だったが、やがて口を開いた。

 

「確かに取引内容としては悪くないわね。そのメモは有用だと思う」

「お、じゃあ──」

「でもそれが無いからって、こっちには別に支障が出るわけじゃない」

 

 大悟が言い終える前に、ソーンはそう断言した。

 

「ほぼ関わりのない集団の、その内の一人の為に、わざわざ徒労にしかならない可能性が高いことを引き受けるのは……ちょっとね。そこまで暇でもなければ義理もないし」

 

 ソーンのドライな批評に、場の雲行きが怪しくなってくる。

 このまま話がお流れになってしまえば、せっかくの大悟のお膳立てが、全て無駄になってしまう。そう思ったところで、ゴウははっと気付いた。

 ──僕、何もしてない。大悟さんに任せっきりじゃないか。

 そもそも、アビリティの獲得がしたいと言い出したのは自分だ。その自分はここまで何をしたのか。

 指導役と接触したのも、話し合いの場を作ったのも、交渉材料を用意したのも、全部大悟の働きだ。彼が率先して行ってくれたことではあるが、どれも本来は自分でやるべきことではないのか。

 そんなことを考えていると、ソーンと目が合った。ここまでの対話で度々こちらに向けていた、値踏みするような、品定めするような視線。そのプレッシャーにゴウはこれまでと同じく、反射的にその視線から目を逸らし──かけて踏みとどまる。

 ──僕は彼女に、まだ何の意思も示してない。

 

「あ、あの! そこをなんとか、引き受けてもらえませんか!」

 

 ギャラリーでありながら発散されているオーラに、やや気圧されながらもゴウはソーンに向かって声を張り上げた。

 

「ムシの良い話だと思います。あなたの言っている通り、何の成果もないかもしれない。それでもアビリティへのヒントとかきっかけが得られる可能性はあります。短い時間でも構いません。どうか僕に力を貸してください!」

「……どうして、そこまでアビリティを求めるの?」

 

 直角九十度まで頭を下げたゴウに、女王が問う。

 

「勝ちたい相手がいるんです。その為には今より強くならないといけない」

 

 ゴウの答えはシンプルだった。脳裏に浮かぶのは、灰色の悪魔の後ろ姿。熱を操りながらも、こちらに一切の熱意を向けてこなかったバーストリンカー。

 正確にはアビリティの獲得が絶対なのではない。勝利する上での対抗手段として、ゴウの思いつく具体案がそれしかなかったのだ。

 そんな荒唐無稽な提案を、大悟は一笑に付したりせず、それが得られるかもしれない機会を用意してくれた。これを無駄にするわけにはいかない。

 誰も何も言わないでいる中、頭を下げたままのゴウが聞いたのは、それまでよりも幾分か圧が減ったソーンの声だった。

 

「……最低限、意見の発信くらいはできるみたいね。これで食い下がるのまで《親》任せにしているようだったら、論外だったけど」

 

 いきなり右肩に手を置かれ、ゴウが顔を上げると、大悟が「よく言った」とばかりに、ぐっと親指を上げてサムズアップしていた。

 続けて鼻を鳴らし、肩をすくめてからソーンが言う。

 

「とんだ面倒事だけど……いいでしょう、ダイヤモンド・オーガー。あなたに加速時間で二日間、このパープル・ソーンの時間をあげます。……最初に言っておくけど、必ずアビリティを得られるなんて確約はできないからね」

 



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第四十四話

 第四十四話 マンツーマン・レッスン

 

 

『僕はあの人に試されてたんですか?』

 

 日比谷図書文化館内にある、電子書籍閲覧ブースの一室。

 対戦時間を打ち合わせで使い切り、現実世界に帰還したゴウは開口一番に、隣のリクライニングチェアに座る大悟にそう訊ねた。ただし、静かな周囲に聞かれることのないように念の為、肉声ではなく直結による思考発声での会話である。

 

『より正確には見定めていた、かな。良かったよ。話がお流れになったら、俺の苦労が水の泡になるところだった』

『そう思うなら相手が《紫の王》だって、先に教えてくれればよかったじゃないですか。そうすれば僕も少しは心の準備だって……』

『そうかぁ? どちらにせよ、ガチガチに緊張していた気がするが。あっはっはっは』

『いや、あっはっはっは、じゃなしに……』

 

 ゴウの若干恨みがましい言い分を、大悟は笑って流すだけだった。

 

『まぁ、どうにか奴さんのお眼鏡にかなった部分があったんだろう。やる気とか』

『ああやって頼み込むくらいしか僕にはできなかったんで。あとはほとんど大悟さんのおかげだったし……』

『メモリーもな。今度会う時にでも、礼を言っておけよ』

『それはもちろん。でも大悟さん、どうしてここまでしてくれたんですか?』

『お前さんは頼むくらいしかできないと言うが、その熱意は大事だよ。無論それだけじゃ駄目だが、それがなきゃ何も始まらない。もしもあの場でのお前さんの言葉が、俺に促された上で出たものだったら、ソーンは見込みなしと判断して普通に帰っていたろうし』

 

 そう話す大悟の表情は一瞬だけ真剣味を帯びたが、すぐに朗らかなものに戻っていた。

 

『そもそも俺がいろいろと動いたのは、お前さんの熱意に打たれたからなんだぞ。メディックほどじゃないが、先輩ってのは、それだけであれこれ後輩の世話を焼きたくなるものさ。自分が選んだ《子》となれば尚更な』

 

 一度きりのコピーインストール権をまだ使用していないゴウには、少しピンとこない考えだ。それだけ自分はまだ庇護される側で、幼いのだろうか。

 以前に大悟は、バーストリンカーは自身と似通ったものを感じ取って、《子》となる相手を選ぶことがあると言っていた。実際に、大悟が自分を選んだ時もそうだったとも。

 今のところ、ゴウの周りでそういった人物は見つかっていない。その相手に巡り合った時には、大悟の考えも理解できているのだろうか。

 

『ともあれ、俺の知るバーストリンカーに、ソーン以上の電撃使いはいない。一丁揉まれてこい。王がマンツーマンで修行、ましてや自分のレギオンでもない部外者相手にしてくれるなんて、それこそ何ポイント分の価値になるか分からんぞ。こーの贅沢者め』

『はい。それは──』「あだっ、いてっ、いてて、痛いですよ」

 

 脇腹を小突いてくる大悟の指に、ゴウの漠然とした未来への疑問は、どこかに流れていってしまう。それよりももっと近くに、現在進行形で直面している課題の方が重要だ。

 大悟がニューロリンカーからケーブルを引き抜き、リクライニングチェアから立ち上がった。

 

「さて、帰りがてらラーメンでも食いに行かないか? 夜に備えて、しっかりエネルギーを貯めておかないとな。なに、加速世界(むこう)じゃどんなにハードに動いても、戻す心配はないさ」

 

 

 

 今晩二十二時に、無制限中立フィールドの《江戸川大橋》へ。

 それが紫の王、パープル・ソーンが指定した場所と時間だった。江戸川エリアは千葉県との境である広大な過疎エリアで、領土の隣なのでソーンにはいくらか土地勘がある。バーストリンカーとも、より厳密には、紫のレギオンメンバーと遭遇する可能性が低いなどの理由で選ばれた場所だ。やはり、レギオンメンバーでもない者の指導をするというのは、かなり体裁が悪いらしい。

 これによりゴウは自宅からダイブし、世田谷から江戸川まで、二十三区の西端から東端までの道のりを横断することとなった。しかも、生い茂る木々で見通しの悪い《原始林》ステージだったので、エネミーに標的にされないように迂回することも数度あり、時間に余裕を持たせてダイブをしたのにもかかわらず、待ち合わせ場所に着いた頃には時間ぎりぎりだった。

 江戸川の水面から伸びる何本もの大木が、枝を絡ませ合って形成された大橋の入り口に、ソーンはすでに到着していた。日差しに輝く紫の装甲は、緑の背景の中ではよく目立つ。

 こちらに気付き、腰かけていた枝の欄干から軽やかに着地したソーンに、ゴウは声をかけた。

 

「お待たせしてすみません」

「別にそんな待ってないわよ。こうして決めた時間前には間に合ってるし」

「あ、はい……」

 

 別に怒っているわけではないのだろうが、素っ気ない対応にゴウが気後れしていると、ソーンがじっと装甲を観察してきた。

 

「……改めて見てみると単に白っぽい鉱石って感じね。会う前はダイヤモンドなんて名前してるから、もっと宝石みたいなキラキラした装甲だと思ってたけど」

「え? あー……よく言われます。自分でもそう思いますし」

「あんたのこと、前にうちのアンカーから聞いたことがあったわ。《金剛鬼(アダマスキュラ)》だとかなんとか……」

「あー……ええ、まぁ……」

 

 ゴウのライバルの一人、グレープ・アンカーは初対面の時は無所属だったが、現在は紫のレギオン、オーロラ・オーバルに所属し、今や中堅メンバーとなっている。

 海賊チックな見た目から、その役になりきっている彼がレギオンにスカウトされて加入したと聞かされた時は、ゴウは意外に思ったものだ。

 ちなみに理由を聞くと、「昔は国に仕える海賊もいたのだぞ。ならば俺様が王のレギオンに加わるのも、何ら不自然ではあるまい」とのことだった。

 そんなアンカーが考案し、絶賛拡散中だというダイヤモンド・オーガーの二つ名は、レギオンマスターの耳にも届いていたらしい。

 

「けど宝石的な価値はなさそうなのに、あいつはこの装甲のどこにそんな惹かれるのかしらね?」

「ずっと前に本人に聞いたら、『ダイヤはダイヤ、宝は宝だ』って言ってました。意味はよく分からないですけど」

「やっぱり変な奴ね」

「あはは……でも対戦相手としては楽しいですよ?」

 

 アンカーに対するソーンの率直な感想に、ゴウはフォローを入れる。

 ──案外、気軽に話せるもんだなぁ。いや、リアルじゃ同年代のはずなんだから、それが当たり前なのか。

 こちらが勝手に身構えていただけであって、向こうもリアルではどこかの学校に通っている学生(中学生か高校生か、まさか小学生ではないはず)だと思うと、ゴウは緊張が幾分かほぐれていく気がした。というよりも、先に話を振ってくれたあたり、ソーンがそうしてくれたのかもしれない。

 

「はい、じゃあお喋りはこのへんにして、先に約束の物を」

 

 ほら、と差し出されるソーンの左手に、ゴウは大悟から預かっていたメモリー・メモをストレージから実体化させて渡す。報酬が前払いなのも、夕方の対戦時間で話した取り決めの一つだ。

 

「確かに。じゃあ、コレの分の働きはしっかりすると約束するわ」

 

 そう言うや否や、ソーンは受け取ったメモをストレージに収容し、右手に握る錫杖の先端をゴウへと向けた。

 この錫杖の名は《ザ・テンペスト》。加速世界最強の強化外装シリーズ、《七の神器(セブン・アークス)》の一つ。普段目にする強化外装とは明らかに違う凄みがゴウにも感じ取れる。

 

「え? うっ!」

 

 そんな錫杖のクリスタルから、前触れなく放たれた青白い電撃がゴウの胸部を打った。ビリっとした痛みに息が詰まる。

 

「な……いきなりすぎませんか!?」

「どう? 今ので体力は減った?」

「体力? いや、減ってないですけど……」

 

 ソーンにしれっと抗議を流されたゴウの体力ゲージは、不意打ちを受けても全く減少していなかった。

 ダイヤモンドという物質が絶縁体であるからか、ダイヤモンド・オーガーは電撃に高い耐性を持ち、ダメージだけでなく、電気由来のスタンにも簡単には陥らない。それでも何も感じないわけではないので、攻撃が直撃すれば今のようにしっかりと衝撃や痛覚はある。

 そんなゴウの返答に、ソーンは少し感心したような声を出す。

 

「へぇ、威力を絞りはしたけど、それでもノーダメなんだ。なるほどね、それなら……よし。これから電撃を浴びせるけど、威力は段々と上げてくから、体力が減ったら手を挙げて。じゃ、いくわよ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! もうちょっと心の準備を……」

「もう修行は始まってんのよ! 四十八時間なんてあっと言う間なんだからね。詳しい話は後でするから、つべこべ言わずに今は受けなさい!」

 

 話の途中から向けられている錫杖のクリスタル部分は、今度はいかにもエネルギー充填中といった具合で発光を開始しており、懇願を一蹴されたゴウを先程よりも太い電光が襲った。

 息が詰まる痛みは触れた時の一瞬だけ。その後は全身の肌を、熱湯につけて程々に熱を持った、あまり尖っていない針でくまなく突かれているような感覚があった。

 それから十秒間隔で放電量が一回りずつ上がっていった。次第にゴウがイメージしている、仮想の針の温度と鋭さも上がっていく。

 そしてソーンが放電を開始してから一分経つかという頃に、ついにゴウの体力ゲージが減少を開始した。手を挙げてソーンに知らせようとすると、痺れた手は思ったよりも上がらず、肩の少し上くらいで止まった。それでも充分伝わると思ったのだが、ソーンは電撃を止めない。放電量の増加も止まらない。

 

「う、ぐぐ……そ、ソーンさ……あのスト……ス、スストッ、プ……」

 

 電撃がアバターの耐久性の閾値を超えたのか、今や内部まで痺れが浸透し、ゴウは痙攣が止まらなくなっていた。しかも熱い。熱した針どころか、炎の剣が全身を内外から切り裂こうとしているかのようだ。

 体力がレッドゾーンに到達したところで、ゴウはあることに気付いた。

 ──あぁ、そう言えば……別に手を挙げたからって、止めるとは一言も言ってなかったっけ……。

 もうずっと昔、母親に耳掃除をされる時に、「痛かったら言ってね」と言ってくれるのに、いざ痛みを訴えても、「へーき、へーき」と毎回スルーするだけだった理不尽さを思い出しながら、ゴウはブレイン・バーストで初めての感電死を経験した。

 

 

 

 アビリティ。ブレイン・バーストにおいては、『主に自身を対象にして常時、または必殺技ゲージを消費して発動される能力』と定義されている。

 ゴウのダイヤモンド・オーガーが現在所持しているアビリティは二つ。

 一つは《剛力(ヘラクリアン・ストレングス)》。レベル1の時点ですでに取得していたもので、読んで字の如く、同じ体格のデュエルアバターと比較して、身体的な素の力が強い。これは《常時発動型アビリティ》に分類され、ゴウはギャラリー時を除き、このアバターで活動している際には常に発動状態であるので、それが当たり前のものだった。

 これがアビリティなのだと強く実感したのは、戦いの最中に覚醒した二つ目のアビリティ、《限界突破(エクシーズ・リミット)》を初めて発動した時である。

 こちらは《限定発動型アビリティ》に分類され、一時的にアバターのパワーを大きく向上させる代わりに、発動後は発動した時間の分だけ《剛力》アビリティ由来の膂力が発動しなくなるという、ドーピングに近い性能を持つ。

 そして、再戦を考えているコークス・デーモンへの対抗策にとしてゴウはこの二つとは別に、新たなアビリティを求めていた。

 アビリティは必殺技と異なり、レベルアップ時のみならず、通常対戦や無制限中立フィールドでの戦闘、他には度重なる試行により得られる可能性があるという点に、ゴウは注目した。次のレベルに上がるにはポイントがまだまだ足りない、現時点の自分が得られる新しい力になると。

 ただし、それは簡単なものではない。ちょっとした補助、あれば便利程度のものならばともかく、戦闘で主軸になるような実戦的、実用的なアビリティとなると、基本的には途轍もない窮地や逆境に陥った際、それに抗う意思の力で『ごく稀に』発現するとされている。実際にゴウが《限界突破(エクシーズ・リミット)》を得た時も、まさに絶体絶命の状況下だった。

 また、アビリティは心意技のように、自身のイマジネーションによって長期的に形作っていくのではなく、何らかのインスピレーションを発端に、瞬間的に発現するとされている。二日間という比較的短い期間をソーンが設定したのは、時間をかけるよりも短期集中で取り組んだ方が、覚醒する確率が高いと踏んだからだそうだ。

 いずれにしてもアビリティ取得のメカニズムはまだまだ不明確。ブレイン・バーストの黎明期から今日に至るまで、議論され続けている話題の一つである。

 そこでパープル・ソーンが考えたのは、ゴウに耐えられないほどの電撃を浴びせ、追い詰められた状況を作り出し、アビリティの発現を促すという方法──だとゴウがソーンから聞かされたのは、修行開始早々に死亡させられ、幽霊状態となってからのことだった。

 説明がなかったのは、全く先入観を持っていない状態ならばどうなるかを試せるのが、始めの一度だけだったから、らしい。

 それから一時間後に復活したゴウは、ソーンが繰り出す電撃を食らい続けた。単に棒立ちになって受けるのではなく、躱せるものは躱し、威力の強弱や放電時間を変化させる、高所から落雷のように周囲にランダムで落とされる、後ろから追い立てられる、逆に自ら飛び込んでいく、時にはエネミーとの戦闘中に等々、様々なシチュエーションを試していった。

 ゴウが死亡したらしたで、ソーンはただ復活までの時間まで待つだけでなく、マーカーとなっているゴウの前で、オブジェクトを電撃で破壊してみせたり、電気という物質について基礎的なことから説明して、復活後に質問を受けるなど、座学めいたことまで行ってくれた。

 ゴウは正直なところ、もっと冷淡で作業的な対応をされると想定していたので、ここまで熱心に指導に当たってくれるとは思ってもみなかった。

 江戸川エリアを転々とし、すでに修行開始から十五時間以上が経過している。

 全体時間のほぼ三分の一を消費しても、成果は全くと言っていいほど出ていない。いや、兆候があった時には、すでにアビリティに目覚めているはずなのだ。それがゴウの望むものかは別として。

 フィールドにダイブした当初は昇っている途中だった太陽はとっくに沈み、通算六度目の死亡からゴウが復活した時には夜となっていた。《原始林》ステージの小動物(クリッター)オブジェクトが発する物音や鳴き声が、周囲の暗闇から聞こえてくる。

 口で教えられることは全て伝えたそうなので、ソーンは自分で熾した焚火を明かりに、修行前にゴウが渡したメモリー・メモを読みふけっていた。

 苔むした岩を椅子代わりに、足を組んで座るソーンを、ゴウはその場で何とはなしに見つめる。

 以前ゴウが対峙した、とある紫系アバターの透過装甲は、もっと毒々しい質感をしていた。

 対して、ちろちろと揺れる火に反射するソーンの装甲は、幻惑的かつ神秘的な輝きを帯びている。同色でこうも受け取る印象が違うものかとゴウが思いながら眺めていると、ソーンのアメジスト色をしたアイレンズが、メモからこちらに向けられる。

 

「……見世物じゃないんだけど」

「い、いえ、そんなつもりじゃ……不快にさせたのなら謝ります」

「別にそこまでは思わないけど。ま、世田谷のバーストリンカーじゃ、王を見る機会なんてまずないだろうから、物珍しく思うのも当然かしらね」

「あ、そう言えば僕、一度だけ黒の王と会ったことがあり──」

「は?」

 

 ゴウが発言を終える前に、場の空気が一気に冷え込んだ。

 その原因であるソーンが、自身の座る岩に立てかけていた錫杖を手に取り、刺々しいオーラを全身から発散させている。

 

「いまなんて言った? 黒の王と、ブラック・ロータスと会った? どこで?」

「あ、いや……」

「《ヘルメス・コード》のレースにも参加してたらしいから、『見た』とかならまだ分かる。でも『会った』って何? あんた、あの女と知り合いなわけ? どういう接点があるの?」

 

 錫杖のクリスタルから火花が散る。ソーンのアイレンズの奥で、激しい感情が渦巻いているのが見て取れた。

 ソーンがブラック・ロータスの名を聞いて、ここまでの反応を見せるのには理由がある。

 今より約三年前、ほぼ同時期にレベル9になった七人のバーストリンカー達。彼らがレベル10になる為の条件は、莫大なバーストポイントではなく、同じレベル9のバーストリンカー五人を倒すことだった。しかもレベル9同士が戦った場合、敗北した方がポイント数に関係なく永久退場してしまう、サドンデス・ルールが強制的に適用される。

 会議の場にした通常対戦フィールドで、友との凄惨な闘争を否とし、真っ先に不戦協定を唱えた当時の《赤の王》、《レッド・ライダー》を黒の王ことブラック・ロータスは不意打ちで全損させたという。その後、残こった五人の王との戦いの末にロータスは《秩序の破壊者》とも呼ばれるようになり、締結された不可侵条約にも表舞台に戻った現在も加わってはいない。

 特にソーンは倒されたライダーとは取り分け懇意の間柄であり、彼を手にかけたロータスへ怨恨を抱くのは無理からぬことである。

 そんなバーストリンカーの間では有名な話を知りながら、うっかりロータスについて口に出してしまった自分の軽率さをゴウは悔いたが、すでに手遅れ。このままでは最悪、修行自体が中止されかねないので、以前にロータスと出会った経緯を一から説明していった。

 今年の始め頃に五度目の出現を果たした、《災禍の鎧》こと《クロム・ディザスター》に遭遇して、大悟と共に一戦交えたこと。後に逃走したディザスターを追っていた先で、偶然ロータスに鉢合わせたこと。ついでに、彼女と大悟が話をしているその場で、自分がただ突っ立っていただけだったことも。

 

「──というわけです」

「……その頃から二代目のおチビと組んでたわけね。シルバー・クロウに《鎧》が移ったのはそういうことか……。ふん、キットのことといい、あっちこっちに首を突っ込むわね。ほんとに目立ちたがりな女なんだから」

 

 ぶつぶつと独り言を呟くソーンは未だに不機嫌そうだが、振り撒いていた攻撃的なオーラはすでに収まっている。

 ゴウがほっとしたところで、ソーンにじろりと睨まれた。

 

「あんたが紛らわしいこと言うから、てっきりあの女がアウトローに接触して、レギオンに取り込もうとでもしてたかと思ったじゃない」

「いやいや、そんな……。もしそんな状況になったところで師匠も皆も、うんとは言わないですよ」

「……ま、それはそうね。さすがにロータスもそこまで無謀じゃないか。さて……」

 

 レギオン勧誘を『断る』の一言で突っぱねる大悟の姿が、ゴウには目に浮かぶようだった。

 言い出したソーンもあっさり納得してから、ぐっと両腕を伸ばす。

 

「次はどういうやり方を試しますか?」

「いや、一度しっかり休んでおきましょう。あまり根詰めすぎてもパフォーマンスが落ちるだけだわ」

 

 そう言ってソーンは、あくびをかみ殺しながらマスクへ手を当てた。

 修行の再開に頭を切り替えようとしていたゴウは、肩透かしを食らってしまう。

 

「でも時間が……」

「じゃあ寝る時間はノーカウントにしておくから。それでいいでしょ。五時間後に再開ね。はい決まり」

 

 そこまで譲歩されてはゴウにもう文句は言えず、仕方なくソーンの後を付いていく。すると、ソーンが足を止めてこちらを振り返った。

 

「……なんで付いてきてるの?」

「そりゃだって、寝るんですよね?」

「い、一緒になわけないでしょ! バッカじゃないの!?」

 

 何故だかソーンが動揺し、甲高い声を上げる。

 ゴウが無制限中立フィールド内で夜を明かすのに(日の高さが変わらないステージもあるが)睡眠を取る際、アウトローではいつも男女関係なく雑魚寝だった。それは数日前に町田のレギオン、フリークスと共に行動した際も一緒だったので、加速世界ではそれが普通なのだと思っていたが、どうもソーンの反応を見るにそうとは限らないらしい。

 ──よくよく考えればデュエルアバター同士でも、男女二人が同じ場所で寝るのはよろしくない……のか? 

 別に何をするでもないだろうにと、まだピンと来ていないゴウの目と鼻の先に、錫杖が突きつけられた。

 

「とにかく寝床は別の場所を探しなさい。一応言っとくけどあたしの寝込みを襲ってポイント奪おうものなら、その後で地の果てまで追い詰めて、全損するまでいくらでも消し炭にするからね」

「イ、イエッサー……」

 

 これ以上は弁明しようとしても、この場ですぐ炭にされる未来しかなさそうなので、ゴウは大人しく両手を挙げた。

 ずんずんと歩いて巨木の奥に消えるソーンの後ろ姿を見送ったゴウは、彼女を含む純色の王達の過去が頭に浮かんでいた。

 それまで友人同士だったはずの七人の少年少女。過酷なルールを課された末に、一人の裏切り者と一人の犠牲者が出た惨劇、その後の死闘。

 人望の厚い好漢だったというライダーが倒され、ソーンを含めた王達の怒りは相当なものだったろう。彼の親友だった《青の王》に至っては嘘か誠か、原則的に破壊不能な地面を剣で切り裂いたという噂が流布されるくらいだ。

 しかし疑問もある。同レベル同士のバーストリンカー達が五対一の人数差で、しかも五人側は手加減する理由が一切ない戦闘をして、勝負が着かないものだろうか。

 事件当時はまだバーストリンカーですらなく、詳細な状況も知らないゴウだが、五人の王がロータスを倒し切れなかったのは、わずかに情が残っていたからではないかと、そう思いたかった。

 一方でゴウが遭遇した時のロータスは、戦闘で傷を負ってはいたものの、佇まいは凛としていて、とても手段を選ばない非道な性格には見えなかった。

 ロータスがライダーを討ったのには、相応の理由があったのではないか。あるいは誤解が、例えば誰かに唆されて──と、勝手な願望が混じった推測を打ち切り、ゴウはぶんぶんと頭を振った。

 ──さすがに飛躍させすぎか。

 アビリティ獲得に備えてまずひと眠りと、ゴウはソーンがそのまま放置した焚火に、一応地面をほじくった土を被せて消火する。それから適当な広さをした木の洞でもないかと、夜の闇の中で寝床探しを始めた。

 



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第四十五話

 第四十五話 閃き

 

 

 結論から言えば、ゴウのアビリティ獲得は失敗に終わった。

 五時間の睡眠後も必死に修行に打ち込み、二夜目はソーンに頼み込んで夜通し行ったが、ゴウがアビリティを発現することはなかった。

 開始からきっかり四十八時間後。ソーンに終了を告げられたゴウは、やむなく現実世界に帰還する為、一番近くにポータルがある《江戸川区役所》をソーンと目指しているのだが──。

 

「おっかしいわね。もうポータルに着いてもいい頃なのに。さっきの道は曲がらないといけなかったかな。あーもう、これだからこのステージは嫌いよ……」

 

 ソーンが苛立ちながら首を傾げている。

 日の出頃に変遷が発生したことにより、ステージは《原始林》から《下水道》へと変わってしまっていた。

 この《下水道》ステージは地上が灰色の街並みとなり、道路のあちこちが高く厚いコンクリート壁に遮られているせいで、まともに進めない仕様になっている。移動するにはこちらも道のあちこちに設置してあるマンホールから、地下の下水道を通っていかなければならない。

 かび臭い下水道内は、頼りない蛍光灯が周囲を薄暗く照らし、平らな床は足首のあたりまで浅い水が絶えず流れている。この水は触れてもステータスに異常こそ起きないものの、灰色にどんよりと濁っていて、しかも嫌な臭いまでするのだ。戦闘中に飛び散る飛沫が顔にでもかかろうものなら、気分が下がることは必至、水属性のステージでは圧倒的に人気ワースト一位である。

 そんな濁った水とは関係なく、暗い気分でいるゴウは、再び歩き出すソーンに声をかけた。

 

「あの、ソーンさん」

「なに?」

「すみませんでした。せっかくここまで付き合ってくれたのに、結局成果ゼロで終わってしまって……」

 

 そう都合よく物事が進まないとは理解しているつもりだ。それでも、王が付きっきりで指導に当たってくれるのなら、確率が非常に低いアビリティ獲得も不可能ではないかもしれないと、内心では期待せざるを得なかった。

 しかし、結果は修行を始める前と何も変わっていない。何かしらの手応えはあるのではと思ったが、それさえも感じられない。自分の不甲斐なさと、ソーンの指導を徒労に終わらせてしまった申し訳なさから、ゴウは謝らずにはいられなかった。

 

「謝るのは違うんじゃないの?」

 

 ところが、ソーンは後ろを付いて歩くゴウへ、振り返らずにそう言った。地面の汚水に着けたくないので担いでいる錫杖を、肩にトントンと当てている。

 

「別にあたしは、この二日であんたがアビリティに目覚めるなんて、露ほども思ってなかったわよ。だって電撃浴びれば電気系アビリティに目覚めるんだったら、あたしのこれまでの対戦相手達は何人もそうなってるでしょうし」

「それはそうでしょうけど……なら今までの時間は何だったんですか? 全くの無駄だったってことですか?」

「本当にそう思う?」

 

 ゴウの声が下水道に反響するくらいに大きくなっても、ソーンは動じず、振り返らない。

 

「耐電性能のあるあんたが、電撃で死亡したのは初めてのことでしょ。それにあたしは科学者でも理科教師でもないけど、知る限りの電気に関する知識を教えたつもり。そこで新しく知ったことはなかった? 成果はゼロ?」

「それは……」

「しかも対戦フィールドで会った時、アビリティのヒントだのきっかけだの得られる可能性はあるって言ったのはあんたでしょうが」

 

 そう言われ、ゴウは言葉に詰まる。新たに体験したこと、学んだことが確かにあるからだ。

 

「あたしが教えられるのは、良くて下準備、前段階まで。それはボンズも分かった上で頼んだことでしょうし、後は覚えたことを忘れずに活動してれば、少しは望むアビリティの入手できる可能性もあるんじゃない? 逆に漠然と過ごすだけなら、それこそ可能性はゼロよ」

 

 ぴしゃりと強めの語気で放たれたソーンの言葉は、ゴウの心の淀みに一条の落雷を打ったかのような鮮烈さがあった。

 今回の結果から、ゴウはアビリティ獲得を諦め、コークス・デーモン対策を別方向で模索する気でいた。

 自身の失敗を認め、すぐに切り替えられる思いきりの良さは大事なことだろう。しかし、ベストを尽くしていないのにそれをするのは、はたして正しいものなのか。

 大悟にしっかりお膳立てをされたことで、これで成果を得られないのなら無理だろうと、自分で勝手に思い込んでいたが、そもそも一朝一夕で入手できるものでもないと、初めから分かっていたはずだ。

 それに自分は要領のいい人間でもない。勉強も運動もコツコツと時間をかけて成果を上げていくタイプであり、ブレイン・バーストでもそれは同じだった。

 ここ最近、問題が発生したら割とすぐに解決したり、すぐ一区切りついていたことで、結果を性急に求めるようになっていたのかもしれない。

 そして、ソーンに伝えるべきは謝罪の言葉ではなかった。

 

「……ソーンさん。さっきの言葉、訂正します。修行に付き合ってくれてありがとうございました。今回の教えてもらったことを思い出しながら、他にもいろいろ試してみようと思います」

「正解。それでいいのよ」

 

 ここでようやくソーンがこちらを振り返った。シャープな形状をしたマスクからは表情の変化が窺いにくいが、それでも目つきがやや柔らかくなった気がする。

 

「この二日で経験したことを、生かすも殺すもあんた次第ってこと。ま、せいぜい頑張んなさいな」

「はい。励ましまでしてくれて、最後の最後まで本当にお世話になりました」

「別に……うじうじしてる奴を見るのが嫌いなだけよ。それにあんたをしょげた顔で帰らせて、ボンズに難癖でも付けられでもしたらたまったもんじゃ──」

 

 バシャァァァン! 

 

 突如、前方で水飛沫が発生した。半月状になっている地下通路の、曲線を描いた天井から何かが降ってきたのだ。

 ゴウとソーンの前方にいたのは、二人を阻むように震えている、ぶよぶよとした巨大なゼリー状の物体。ゴウはこれの正体を知っている。

《メルティ・マッド》。この《下水道》の地下トンネルの他、《腐蝕林》の毒沼、《大罪》の血の池といった、汚れた水辺が存在するステージに出現する小獣(レッサー)級エネミーだ。

 ここまで接近されるのに気付かなかったのは、エネミーが水の流れる床ではなく、高い天井にへばり付いて移動していたからだろう。そして二本の通路が交差している、この十字路で鉢合わせてしまったのだ。

 落下の衝撃でやや扁平気味だった軟体エネミーは、本来の縦横三メートルもの大きさまでゆっくり伸び広がると、より近くにいたソーンに前触れなく覆い被さり、腐ったキャベツを煮詰めて溶かし込んだような、どす黒い黄緑色の体に沈み込ませていった。

 

「ソーンさ──ぐっ!?」

 

 叫ぶゴウは、すでに体の左半身が呑み込まれているソーンに向けて手を伸ばした。

 ところが、何故かソーンは右手の錫杖をエネミーではなくゴウに向け、先端から電撃を発射してきた。これを胸に受けたゴウは、困惑しながら電撃の勢いに後ずさりする。

 

「ど、どうして……」

 

 ゴウの問いに答えることなく、ソーンは完全にメルティ・マッドに取り込まれ、姿が見えなくなってしまった。

 メルティ・マッドは、独特の特徴を数多く持つエネミーである。

 フィールドを徘徊中にバーストリンカーを見つけると襲いかかり、こうして体内に取り込んでしまう。その後はその場から動かなくなり、捕らえた対象を腐蝕させていくのだが、体格を問わず一度に一人しか取り込まず、他に攻撃手段も持たない。おまけに頭部やそこに位置する目鼻などのパーツ群も無いことから、バーストリンカー間での扱いは、エネミーというよりステージのトラップギミックに近い。

 問題はその弾力性に富んだ体に、物理攻撃が一切通じないこと。その半面、炎や冷気、レーザーやプラズマ等のエネルギー系攻撃にめっぽう弱く、その手の攻撃手段を持っているのなら、レベル4がソロでも倒すのは難しくない。

 古くからあらゆるゲームに登場する、いわゆるスライム系モンスターの特徴を備えるこのエネミーを、純物理的な攻撃手段しか持たないゴウは一度も倒せたことがない。

 ちなみにゴウのように、多少なり耐腐蝕性能を持つ鉱石系アバターはお気に召さないのか、以前に一度取り込まれた時には数分経ってから吐き出された。

 ノーマルカラーのソーンは、腐蝕に特別強い耐性を持たないはずだ。つまりメルティ・マッドは、死亡するまでソーンを解放しない。

 この腐蝕攻撃は体力を徐々に削っていくので、取り込まれてもすぐに死亡する心配はない。しかし裏を返せば、それだけ長い時間をかけて、身を溶かされる苦しみを味わうということになる。

 

「とにかく助けないと……《黒金剛(カーボナード)》!」

 

 ゴウは右腕にのみ過剰光(オーバーレイ)を発生させ、装甲を心意により強化していく。装甲を厚くしただけでは意味がない。装甲が黒く肉厚になった右腕に意識を集中させ、より強いイマジネーションを発生させる。

 すると右腕の前腕、外側の装甲が更に隆起していく。隆起した装甲は肘側に向かって伸びていき、最終的に曲線を描く黒い刃を形成した。この形態は以前に心意システムを無理やり引き出し、対戦相手の大悟を斬り付けたというゴウにとって苦い思い出があるが、今は気にしてはいられない。

 ──切り裂いてソーンさんの体の一部が出たら、一気に引っ張り出す。ダメージが入るか分からないけど、こいつの足は遅いからそのまま逃げ切れば……。

 心意技に反応したのか、しきりに体を揺らしながらもその場から動かないメルティ・マッドへ、ゴウは一息で接近した。

 

「はあああっ!」

 

 心意の刃がエネミーの体に食い込む。初めは水風船ほどの感触だったものが、刃を押し込むほど抵抗を増し、硬質ゴムばりになった頃には先に進まなくなる。そして、およそ一メートル程度まで刃が沈んだところで、それ以上進めなくなってしまい、反動でゴウは逆方向に吹っ飛ばされた。

 コンクリート製の壁面に、背中からぶつかったゴウは右腕の心意技が解け、息が詰まりながら悪態を吐く。

 

「くっそ……ゼラチンみたいな体して、切れ目もできないなんてアリかよ……」

 

 心意技はエネミーが高位になるほど効果が薄くなるものだが、小獣(レッサー)級でありながら無傷とは信じがたい防御力だ。いや、これは相性の問題か。

 ──《限界突破(エクシーズ・リミット)》を発動してもう一度……でも通じるか分からないし、これ以上は勢い余って中のソーンさんまで巻き込むかもしれない。

 すでにソーンが取り込まれてから、一分が経とうとしている。レベル9ともなれば基礎能力も高いだろうが、あの細身では体積が少ない分、腐蝕の進行速度も早いかもしれない。

 ゴウの中で焦りが募る。

 仮にソーンが死亡したとして、エネミーは種類を問わず、一度殺されても十ポイントの減少で済む。ましてや王の保有ポイントにしてみれば、一度殺されたところで碌な痛手にはなるまい。

 だが、ゴウは何故だか、今回のダイブでは一度たりともソーンに死亡してほしくはなかった。

 元を正せば自分の指導役になったことで、このような目に遭わせたことに責任を感じているからか。彼女に恩義を感じているからか。それとも、このまま何もできなければ、自分が無力だと証明された気がするからか。

 

「どうする……どうしたら──うっ!?」

 

 手詰まりになりかけていたその時、ゴウの体に電流が走った。正確には走った感覚があった。この強めの静電気を全身に当てられたような衝撃を、ゴウは以前に受けてまだ新しい。

 

「イザナミ……?」

 

 ゴウは自身とリンクを形成している、謎のエネミーに呼びかける。

 一昨日のハイエスト・レベルでのやり取り以来、イザナミからは一切反応がなかった。そして今、いきなりアクションがあったかと思えば、呼びかけても返事はない。

 ただ、ゴウは今の電気ショックで焦燥が頭の隅に押し退けられ、少し頭の中が晴れた気がした。

 考えてみれば、ネームドでもないエネミー一匹に特別な理由もなく、王であるソーンがいいようにされるわけがない。その気になれば、すぐにでも脱出できるはずだ。彼女はその手段も持っている。

 では、ソーンがそうしないのは何故か。助けようとしたゴウを、わざわざ電撃を当ててまで止めたのは何故か。

 ──きっと、これは試験なんだ。この状況でソーンさんは僕を試している。

 攻撃手段として、電気を発生させるアビリティを獲得したい。突拍子もない考えから始まったこの状況は、二日間の修行ではそれが成し得なかったゴウに、降って湧いたボーナスステージ、あるいは泣きの一回なのだ。

 ゴウは受けて間もない、イザナミの電気ショックとソーンの電撃、二つの感覚を思い起こしながら考えていく。

 ──電気。熱いけど、火とはまた少し違うエネルギー。触れた瞬間に、体の芯まで駆け抜けていくような、そんなイメージ。

 続けて、修行中にソーンが余談程度に話していたことを一つ思い出す。

 ──人も細胞が微弱な電気を発生させている。神経を通じて刺激を伝達する電気信号……そうだ、電気は全身を巡っている……。

 思考に埋没していくゴウの脳裏に、稲妻が迸る。

 それはまだ小学校にも通っていない頃、今は亡き祖母の家で見た、夏の夕立。

 空で轟音を立てながら駆ける光は、恐怖と被害だけでなく恵ももたらすと、祖母は幼い自分に教えてくれた。

 思い出に残る、稲光と雷鳴。この二日間、アバターの身で何度も受けた電撃と教わった知識。そして、たったいまリンクを介して全身に伝わった衝撃。

 それ以外にもこれまで経験してきた、いろいろなものが頭の中で一斉に思い浮かび、収束していくように感じた瞬間──。

 ──あぁ、僕は恵まれている。

 新しいものが自分の中に宿ったと、ゴウは直感した。

 周囲の人達の多くの助けと教えを得て、今ここにいることを自覚しながら、ゴウはメルティ・マッドに向かって歩いていき、両手でそっと触れる。

 力を発揮するためのエネルギー、必殺技ゲージはしっかりチャージされている。後はもう、スイッチを入れるだけ。

 

「……はっ!」

 

 短い呼気と共に、ゴウは手のひらをメルティ・マッドへ押し当てる。そして一瞬だけ全身に熱を感じると、自分の手とエネミーとの間に、けたたましい音を伴った閃光が炸裂した。

 



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第四十六話

 第四十六話 駆け巡る衝動

 

 

 バチチィィッ!! 

 

 ゴウの両手から光と音が放たれた途端、それまで気まぐれに体を波打たせていたスライムエネミー、メルティ・マッドの体が全方位に膨れ上がった。

 

「うわっ!?」

 

 当てていた手が体ごと跳ね飛ばされ、ゴウはその勢いに尻もちをつく。

 前を向くとメルティ・マッドは、ゲル状の体を膨張と収縮を繰り返しながらめちゃくちゃに動かし、まるで苦しんで身悶えしているようだった。実際、心意技を受けても無傷だった体力ゲージ(一般的な小獣(レッサー)級らしく一段のみ)が、あの接触だけで一割近くも減少している。

 そして、下から何かがこみ上げるような仕草で体を蠕動させると、ずるんっと音を立てて、取り込まれていたソーンが吐き出された。

 王の矜持からか、ソーンは取り込まれていても離さなかった錫杖で体を支え、汚水が流れる床に顔面から着水することだけは免れる。体中に伸びていた棘を始めとする尖ったパーツ群は溶けて丸くなり、頭部のヴェール装甲も半分近く失っていたが、見たところアバター素体への深いダメージは無さそうだ。

 

「ソーンさん! なんとか間に合って良かったです」

「全っ然良くないわよ! 失敗したわ、こんなネトネトになるならやるんじゃ……あら」

 

 ソーンは不満を漏らしながらゴウの方を向くと、体にへばり付いたエネミーの粘液を払い落とす手を止めた。

 

「えらくイメチェンしたのね」

「はい? …………何だこれ!?」

 

 ソーンの言葉の意味が分からず、自分の身に目を落としたゴウは、自身の姿に仰天した。

 アバターの体に、それまでは無かった黒い線が走っている。正面だけでなく、体を捻って確認した限りでは、背面にも。枝分かれしながら全身に広がり、ジグザグを描く紋様は、まるで落雷を模しているかのようだ。

 

「こ、これ、あとで消えますよね? ずっとこのままじゃないですよね?」

「それより今はあっちが先でしょうよ」

 

 戸惑うゴウをよそに、ソーンが顎でメルティ・マッドを指し示す。先程よりも痙攣が収まっていて、もう少しすればまた襲ってくるだろう。確かにあれを先に倒さないことには、落ち着いて話もできない。

 

「……ちょっと待っててください」

 

 ゴウはソーンにそう言うと、エネミーに向かって駆け出した。指の一本一本にも紋様が浮かんでいる右手で拳を作り、手のひらで触れた時と同じく、神経に電気を巡らせるイメージを頭に浮かべながら、正拳突きを繰り出す。

 拳が接触した瞬間、またも光と音の火花が咲き、メルティ・マッドが軟体ボディを激しく揺らした。体力もがくんと減り、明らかに効いている。

 以前にアウトローのアイス・キューブが、氷を纏ったパンチで同種を攻撃した際もダメージが通っていたあたり、このように何らかのエネルギーを付与した場合なら、物理攻撃も効果があるようだ。

 これまで手も足も出なかった相手に攻撃が通じる感動に、取り込んで腐蝕させる以外に攻撃手段のない相手を一方的に追い詰めることへの、若干のやましさが混じる中、ゴウは数十秒でメルティ・マッドの体力をゼロにした。

 それまで絶えず体表が揺れていたスライムエネミーは、体が不自然に硬直し、光の欠片になって消えていく。

 一ポイントを獲得したという旨のリザルト画面が、ゴウの視界に表示される。一人で倒して一ポイント分とはあんまりな成果だが、特定の攻撃に致命的な弱点があることを考えれば妥当なものかもしれない。

 

「それ、ちょっと見せて」

 

 戦闘が終了し、近付いてきたソーンに言われ、ゴウは腕を伸ばしてみせた。細い指に、腕に走る紋様をつつとなぞられ、むずがゆさにどうにか耐える。

 

「……いま触ってる所にさっきと同じやつできる? まず最低減で……うん、次は少し出力上げて。そのまま段々と……っ!」

 

 ゴウが徐々に力を込めていくと、ソーンの指と紋様の接触部分に火花が散った。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「平気よ。それよりステータスを見て。名前が表示されてるはずだから」

 

 引っ込めた指を抑えるソーンに促され、ゴウはインストメニューからアバターステータスを表示する。通常技のタブをアビリティに切り替えると──これまで二行しかなかった項目に、新たに三行目が追加されていた。

 得も言われぬ感動に、ゴウは仮想デスクをスクロールしていた指を震わせて、ソーンへと報告する。

 

「あった……! ありました!」

「そんなのあんた見れば分かるわよ。あたしが知りたいのは名前よ、アビリティ名」

「あ、はい……。えっとイ、インパルス……サー……キット? 《インパルス・サーキット》だと思います」

 

 自分と温度差のあるソーンの返答に、少しテンションが落ち着いてしまったゴウは、英名表記のアビリティを口に出して読んだ。続けてアルファベットの綴りもソーンに伝えると、それで合っているだろうと頷かれる。

 

「でも、どういう意味なんでしょう? インパルスって、そんな名前の戦闘機があった気がしますけど……。サーキットはレースの周回コース……?」

「インパルスっていうのは多分、神経の電気信号のことだと思う。活動電位だったかな。神経が外部からの刺激に興奮、つまり反応する時に神経内に伝わる微弱な電気ってこと。サーキットはこの場合、電気回路のことでしょうね」

「じゃあ直訳すると……電気信号回路? 微妙に長いな……」

 

 すでに所有していた二つのアビリティは、《剛力》や《限界突破》といった具合に、割とすんなり直訳できたのだが、今回は少し難しい。

 ゴウが唸っていると、ソーンが呆れた様子で口を開いた。

 

「そんなの難しく考えなくてもいいのよ。要はその体のラインは電気が流れる、電気柵の電線みたいなものってこと。ただし、電源の入れた電気柵と違って常時帯電状態じゃないし、効果も自分の意識した範囲だけみたいね」

 

 ソーンの分析の通り、アビリティ発動のタイミングと範囲はオートではなくマニュアルらしい。現に戦闘時も含め、こうして両足が床を流れる水に浸かっていても、電気が流れることはない。また、今の戦闘で分かったことだが、威力の強さと発動時間に比例して必殺技ゲージの消費量も増大するようだ。

 

「もっと細かい制御は勝手に練習してもらうとして……正直、驚いたわ。本当にアビリティが覚醒するなんて」

「ソーンさんのおかげです。あんな体張ってまで……そうだ。取り込まれる寸前に僕に攻撃したのは、ヒントだったんですか?」

「覚醒のきっかけになるかな、くらいの考えよ。お誂え向きのエネミーがのこのこ来たから、ダメ元の精神で試しただけ。その気になればいつでも脱出できたしね」

「あ、やっぱり普通に逃げられたんですね」

 

 本来求めていたのは、接近戦を避ける為の飛び道具としての電撃。発現したのは、全身に電流を発生させる導線。

 閃いたイメージが、一瞬で全身を駆け巡る落雷だったからだろうか。

 希望とはやや異なるが、ゴウに後悔はなかった。むしろ、アバターの戦闘スタイルにマッチしていることを考えれば、これで不満に思うのは贅沢すぎるだろう。

 

「そう言えば、夕方に『勝ちたい相手がいる』って話してたよね。それって誰のこと? 覚えるかも分からないアビリティを欲しがってまで、誰に勝ちたいわけ?」

 

 ソーンがふと思い出したというように、そんなことを訊ねてきた。

 かなり今更な質問だが、実際にゴウがアビリティ獲得を実現したことで、ようやく興味を持ってくれたということか。

 

「コークス・デーモンってアバターです。聞いたことありますか?」

「コークス・デーモン? それってオシラトリ……白のレギオンのとこの《魔燼(バンデッド)》じゃ──」

 

 ソーンがいきなり口を閉じ、ゴウが立っている向こうを怪訝そうに睨んだ。

 ゴウも何事かと思い、同じ方向を振り向くと、道の奥から水音に混じって、何かがこちらに近付いてくる音が聞こえてくる。

 その数秒後、薄暗い水路の向こうから、何匹ものメルティ・マッドがこちらに迫っているのが確認できた。押し合いへし合いで前進するスライム達の体が、通路を完全に埋め尽くしてしまっている。

 

「げっ、そうか。僕が心意技使ったから、近くにいたのが寄ってきたんだ。それにしてもまた多いな。この辺りが密集している場所だったのかも」

「ポータルはあいつらのいる方角ね。あたし、遠回りするの嫌よ」

「僕が呼んだようなものですから、僕が倒します」

 

 このエネミー達にはこれまでは逃げるくらいしかできなかったが、今の自分には対抗手段がある。ゴウはソーンの前に立ち、迎撃の体勢を取った。

 ところが、ソーンはゴウを素通りして前進し、大挙するメルティ・マッドの群れに向かって歩いていってしまう。

 

「目的はもう達成したんだから、あたしはこの下水道からさっさと出たいのよ。ネトネトは完全に取り切れないし」

 

 ゴウの返答を待つことなく、ソーンが錫杖《ザ・テンペスト》を前方に突き出した。その先端のクリスタルに心意の光、過剰光(オーバーレイ)が灯ったのをゴウが視認した瞬間──。

 

「《茨乃罰(ソーン・リトリビューション)》!」

 

 ソーンが高らかに技名を叫び、錫杖から途轍もない規模の紫電が放たれた。

 幅七、八メートルの通路を埋め尽くし、耳を劈く高音を轟かせる雷光の奔流は通路の奥に到達し、爆発音を発生させる。水を伝って電気が流れてこないのは、その熱量に水が一瞬で蒸発してしまったからか。

 

 心意技に呑まれたメルティ・マッド達の姿は見えずとも、視界に表示されていたいくつもの体力ゲージがいきなり見えなくなったことで、一撃で消し飛んでしまったことが容易に窺える。

 眩い光と、地下道ということもあって反響し続けた音がようやく収まると、案の定エネミーは一匹残らずいなくなっていて、通路の壁は一面黒焦げだった。蒸発して消し飛んだ分を埋めようとするかのように、むき出しになった地面を再び汚水が覆い始めている。

 ──《紫電后(エンプレス・ボルテージ)》なんて呼ばれるわけだ。それに技を発動するまでの早さ、そして威力。これが王……バーストリンカーのトップクラスの力……! 

 

「行くわよ」

 

 呆気に取られるゴウを尻目に、ソーンは平然とした様子で歩を進め出した。

 

 

 

 その後は十分もしない内に見つけた梯子を登り、天辺のマンホールを開けると江戸川区役所の正面の道に出た。

 かび臭い下水道からようやく解放され、ゴウは地上の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みながら、ソーンと共に区役所に入る。

 青い光が揺らめく、現実世界へ帰還する為の離脱ポイント、ポータルはエントランスに入ってすぐに見つかった。

 

「あの、最後に一つだけ聞いてもいいですか」

「手短にね。なに?」

「どうして指導役を引き受けてくれたんですか?」

 

 ゴウの質問に、ソーンは「今更何を言っているのか」というような視線を向けてきた。

 

「出された条件にメリットがあったからよ。その場にいたんだから、あなただって知ってるでしょ。ついでにアビリティの意図的な入手理論のサンプルになるかも、って期待はあったけどね」

「……本当にそれだけですか?」

 

 ソーンの返答に、ゴウは完全には納得していなかった。

 報酬のメモリー・メモは記された情報はもちろんのこと、そのアイテムという形態から、内容を複数人が直接目にすることができる、という利点に魅力があるのは分かる。それと大悟が言っていたように、アビリティ獲得に頼み込む自分の熱意が、微力ながら後押しになったというのも分からなくはない。

 しかし、それを差し引いてもだ。

 

「基本的にアウトローのことを知る人って、関わりたがらないんですよね。あなたも夕方の打ち合わせで散々、成果が無くてもこれっきりだ、一度きりだって言っていたじゃないですか。いや、もちろん協力してもらったことには感謝しています。でもそこまで渋って……メモにしても、どうしても手に入れたいってわけじゃないのなら、他にも理由はあるのかなと思って」

「…………」

 

 ゴウの疑問にしばらく黙り込むソーンだったが、少し迷うような素振りを見せてから、やがて口を開いた。

 

「……一応、借りがあったからよ」

「借り? アウトローにですか?」

「ううん、ボンズに。……一度赤のレギオンが崩壊寸前になったことがあるのは知ってるでしょ?」

 

 ボンズと赤のレギオン。この二つのワードに、ソーンの言わんとしていることを何となく察しつつ、ゴウは頷いた。

 先代赤の王、レッド・ライダーが加速世界から永久退場した結果、レギオンマスターを務めていた彼を喪失したレギオン、プロミネンスは大混乱に陥った。脱退者が続出、領土戦は連敗。その御旗が加速世界の地図上から消え去るのは、秒読み段階に入っていた。

 これを防いだのが、残存するレギオンメンバーを纏め上げ、連戦によってレベル9にまで上り詰めた、現在の赤の王《スカーレット・レイン》。

 ただ、この領土平定には大悟も関与していたという。

 

「その時に師匠が一時的にプロミネンスに入って、領土戦に参加していたって話は聞いたことがあります」

「ライダーはボンズとよく対戦しててね、あたしも時々ギャラリーになることもあった。そんなボンズがプロミネンスに入って領土戦に参加してるって聞いて、最初は驚いたけど、その行動にはすぐ納得がいったわ。あいつの存在に警戒して、攻めあぐねた連中もいたらしいし、結果的には騒乱の沈静化に一役買っていた」

「それが借りですか?」

「そうよ。あの頃にはもう不可侵条約が結ばれて、あたしは締結を承認した立場の一人。そうでなくても領土持ちのレギオンは、領土が隣り合ってないと合併もできないから、あたしにはライダーの大切にしてた場所を守るのに、できることは何もなかった」

 

 ソーンの錫杖を握る右手に力が込められ、何を言わずともゴウには無念さと悔しさが伝わってきた。

 

「それが、あたしが一方的に感じてた借りよ。……時々、しがらみのない連中を羨ましく思わなくもないわね」

「ソーンさん……」

「ただし!」

 

 しんみりとしかけた空気を壊すように、甲高い声でソーンが叫んだ。

 

「プロミ建て直しの最大の功労者は、やっぱりスカーレット・レイン。次いで残存メンバー、ボンズはその次よ! 確かにあいつの行動理由の半分くらいは、ライダーへの義理からかもしれないけどね、もう半分は十中八九、好き勝手に暴れたかったからなんでしょうよ」

 

 鬱憤を晴らすように、錫杖の石突でガンガンとコンクリートの床を突きながら、ソーンがこちらをきっと睨みつけた。

 

「だからあたしは口が裂けても、その件でお礼なんて言ってやらない。今回手を貸したことでやっと肩の荷も降りたことだし、これで完全にイーブン。いや、《子》にアビリティまでゲットさせたんだから、むしろあいつはもう、あたしに足向けて寝られないか。あんたもいま話したこと、絶対ボンズに言うんじゃないわよ! いいわね!?」

「わ、分かりました! 墓場まで持っていきます!」

 

 神器である錫杖を突き付けられながら詰め寄られれば、ゴウにはそう言う他ない。

 返事に満足したのか、「よろしい」とソーンは錫杖を下ろした。

 

「じゃ、あたしはいい加減ログアウトするから。ボンズにはそっちでちゃんと報告しときなさいよ。預かっておいてうっかり全損させた、なんて誤解されるのはまっぴらなんだから」

 

 つかつかとヒールを鳴らしてポータルに直行するソーンは、何故かその足を急に止め、ゴウの方へと振り向いた。

 

「あ。そうそう、オーガー」

「はい、なんですか?」

「あなた、アウトローに愛想を尽かした時は、うちのレギオンに引き抜いてあげてもいいわよ」

「へ?」

「シンプルなアタッカーは誰とでも組ませやすいし、実力は即戦力として申し分ない。それにクリキンの時と違って、間違いなく電気系の能力持ちなのも、この目で確認したからね」

「ク、クリキン? どこかで聞いたような、確かキルンさんが前に……。いや、そうじゃなくて僕は……」

「別に強制じゃないわよ。無理に引き込んだら、おたくの連中が総出で乗り込んできそうだもの。でも選択肢の一つとして考えておいてちょうだい。それと、コークス・デーモンとのリターンマッチ、負けんじゃないわよ」

「はい、あっ、勝ちます! ありがとうございました!」

 

 まくし立てて話すソーンにゴウは戸惑いながら、最後はその後ろ姿に礼を述べた。

 初対面時とはだいぶ印象の変わったソーンは、振り返らずにポータルに入ってしまったので、聞こえたのかどうかは定かではない。

 

「……最後のスカウトは聞かなかったことにしよう、うん」

 

 ともかく、失敗に終わりかけたアビリティ獲得は、最後の最後で成功を収めることとなった。自分一人ではまず叶わなかっただろう。特に大悟、ソーン、それにメルティ・マッド、そして──。

 

「君のおかげだ。ありがとう」

 

 一人呟くゴウは、意識すれば感じ取れるリンクの先にいるイザナミへ、感謝を伝えようと試みる。

 リンク先からは、やはり一言どころか反応もない。先程のアクションはどういった気まぐれだったのか。

 ──まぁ、そっちから話しかけてくれる時を気長に待つよ。

 ゴウは苦笑しながら、両手に視線を移す。アビリティ発現の証である、全身に広がる黒い紋様は未だ消えないが、少し色が薄くなっている。発動しなければ、その内完全に消えるのだろうか。

 

「いろいろ試していく必要があるな。そして今度こそ……」

 

 ゴウは意気込みながら両手を握り締め、ポータルへ踏み込んで現実世界へと帰還していった。

 



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竜虎闘争篇
第四十七話


 第四十七話 明日に備えよ

 

 

 七月二十日、土曜日。今日は週に一度のアウトロー集会の日。

 先週は宇美とフリークスの面々と共に、高尾山へ登っていたゴウには、二週間振りの参加となる。大悟と宇美を除いたメンバー達とは、最後に会ったのが七月の頭頃になるので、一度参加しないだけでも、何となく久々に感じてしまう。もっとも、そんなわずかな懐かしさなど、本人達と直に会えばすぐに吹っ飛んでしまうのだが。

 そんなアウトロー一行は現在、絶賛エネミー狩り中であった。

 

「来るよ、奴を中心に全方向へ火炎ブレス!」

 

 対象の情報を紙に書き込み、アバターの身にインプットすることで対象の動きを先読みできる、《手記記録(メモランダム・ライター)》アビリティを持つインク・メモリーが、仲間達に警告を飛ばす。

 警告の数秒後、標的のエネミーは顎が外れんばかりに開かれ──本当に顎の関節を外し、大口から炎を吐き出した。しかもこのエネミー、頭が八つもある。

 全長二十メートルを超す巨体を、赤銅色の鎧に包んだヘビ型の巨獣(ビースト)級エネミー、《アーマード・ヒュドラー》。その鎧から露出した八つの頭部からは、四方八方に炎が吐き出され、ゴウを始めとする前衛メンバーを襲う。

 だが、白く高い壁がメンバー一人ひとりの前方の地面から発生し、炎の波の前に立ち塞がった。後衛に位置する晶音──クリスタル・ジャッジの二つ名でもあるアビリティ、《石英鉱脈(クォーツ・ヴェイン)》により作り出された石英の防御壁だ。

 白い壁はエネミーの超高温ブレスにより、みるみる黒ずんで崩れていくが、ゴウ達が火炎から回避するまでの時間を充分に稼ぎ、誰一人ダメージを負ってはいない。

 

「そらそらそらそらぁ!」

 

 炎が収まると野太い声が周囲に響くと同時に、エネミーの八つの頭部めがけて、何本もの赤茶けた槍が高速で飛来する。鎧がない部位とはいえ、角や棘で突起だらけの頭部に槍は次々と弾かれるか、黄土色の鱗に浅く刺さるだけだったが、一本だけが一つの頭の右眼に突き刺さり、エネミーが高音域の悲鳴を上げた。

 

「ちぇ、クリーンヒットは一本かよ。キルン、もう十本追加だぁ!!」

 

 たったいま投げ槍を繰り出したのは、フォレスト・ゴリラことコング。現在は《シェイプ・チェンジ》の発動により、体格がゴリラのそれにより近くなっており、通常時よりも太く盛り上がった腕を伸ばしながら、仲間に催促を出す。

 

「んなにホイホイ作っれか! できたらまとめて渡してやっから、今は落っこちてるやつでも拾って使え!」

 

 後衛の一角に窯炉(ようろ)を据え、炉で熱したフィールドオブジェクトに、金槌を何度も振り下ろすクレイ・キルンが、コングに負けず劣らずの大声を出す。丁度その時、キルンが金槌で打っていたオブジェクトの塊が、先程コングの投げていたものと全く同じの、シンプルな形状の投げ槍に変化した。

 フィールドオブジェクトを、自身の装甲と同質の武器に作り変えるキルンのアビリティ、《鍛造錬金(フォージング・アルケミー)》の効果によるものである。完成したばかりの槍を、傍らに置いてある数本の槍の束へ向けて放り、キルンは次の作業に取り掛かった。

 一方、エネミーは槍が右眼に刺さった頭とは別の頭で槍を引き抜いて噛み砕き、残り六つの頭がコングへ一斉に襲いかかる。投擲の一撃により、コングに対するヘイト値が上昇したのだ。

 狙われたコングは樹上を移動する猿よろしく、エネミーの首に纏わり付きながら、図体に似合わない軽やかな動きで牙を避けていく。

 そんなコングに一つの頭がしびれを切らしたように、他の首と距離を取って大口を開いた。自身を巻き込んででもコングを焼き尽くすつもりか、明るくなった口蓋の奥で陽炎が揺れ──。

 

「《イグナイト・バズーカ》!」

 

 一発の砲弾が炎を吐き出す寸前のエネミーの口へと滑り込み、直後に誘爆を引き起こした。爆発した頭が、黒煙を上げながら地面に倒れ伏す。

 ワイン・リキュールのライフル型からバズーカ砲に変形した、強化外装《デカンター・ショット》から放たれた必殺技が炸裂したのだ。おまけにエネミーの口内から吐き出される寸前の炎に引火し、威力は跳ね上がっている。

 

「わわ、コングさんまで巻き込んじゃった……あ、でも元気そう」

 

 コングが爆風に吹き飛ばされてしまい、リキュールは慌てるが、当のコングはエネミーの攻撃圏内から押し出されただけだった。すぐに起き上がってけろりとしているので、リキュールはほっと安堵の声を上げる。

 そうして、ヒュドラーの全ての頭が前方のメンバー達に引き付けられ、背後への警戒が薄れたのを見計らい、一頭の白狐が跳躍した。背中に乗せているのは、稲妻にも似た黒線の紋様が全身に刻まれた鬼。

 かけ声の必要もなく、ゴウは宇美の背中から飛び降り、エネミーめがけて落下していく。

 

「はああああああああああ!!」

 

 エネミーの首の根元が密集する部位に、ゴウは力一杯に両腕を振り下ろした。ここも厚い鎧に守られており、高所からの勢いを増した攻撃でも、エネミーの体力はほとんど減らない。だが、ゴウの狙いは攻撃でダメージを与えることではない。

 ゴウの両拳が着弾したその瞬間、けたたましい音と眩い閃光を伴う電流がエネミーの全身を駆け巡った。

 

「今です!」

 

 体を仰け反らせて硬直するエネミーから離れ、ゴウが叫ぶ。

 それを合図に、必殺技《コメット・ストライク》により、立方体の彗星と化したアイス・キューブを先頭に、仲間達がスタン状態のエネミーへ一斉攻撃を開始した。

 

 

 

 戦闘開始から三十分を超えたところで、体力ゲージが尽きたアーマード・ヒュドラーは、光の欠片となって霧散していく。

 

「あー、ポイント多いよ。『当たり』だー」

 

 リザルト画面を確認していたキューブが、嬉しそうに周りに知らせる。

 ゴウも確認してみると、本来の相場よりもずっと多いバーストポイントを取得したことが、視界のリザルト画面に表示されていた。

 普段は倒しても同レベル帯のバーストリンカー相手より、貰えるポイントが遥かに少ないエネミーだが、稀に大量のポイントを得られることがある。この現象はエネミーの種類や等級を問わずランダムで、アウトローでは『当たり』と称していた。

 これはとある王の働きによる成果なのだが、ゴウはそのことをまだ知らない。

 

「お疲れ、オーガー」

「フォックスさん。お疲れ様で──えぇー……?」

 

 ノーマル・モードに戻っている宇美とハイタッチをしようとした寸前、宇美がさっと手を下げ、ゴウの手は空しく空を切った。

 

「な、なんで避けるんですか」

「いやほら、それ触ったらビリビリしそうで、つい」

「しませんよ。ちゃんとオンオフできるんですから。さっき乗せてもらった時も大丈夫だったでしょ」

「ごめんって。ほら」

 

 笑いながら手を出す宇美と改めてハイタッチしながら、皆の集まっている場所へ歩いていくゴウの姿を確認するなり、エッグ・メディックが急いで駆け寄ってきた。

 

「まー、オーガーちゃんてば、そんなボロボロにしちゃって! 凄いアビリティなのはいいけどもね。あんまり負荷かけすぎると腕取れちゃうわよ! ほら腕出して、巻き直したげるから」

 

 メディックは有無を言わさず、ゴウの左上腕部に巻かれている、黒く焦げて千切れかけた包帯を剥がしていく。

 包帯の残骸が全て除かれると、ゴウの腕に空いた、直径五センチもの貫通痕が露わになる。アーマード・ヒュドラーの前に戦ったエネミーとの戦闘によりできたものだ。

 

「《ファーストエイド・バンテージ》」

 

 メディックが必殺技コマンドを発声すると、手元に白く清潔そうな包帯が出現し、ひとりでにゴウの腕に巻き付いていく。必殺技と言っても意味は真逆で、体力ゲージの回復こそできないものの、損傷部位の補強をする支援補助的な技だ。鎮痛作用もあるようで、破れてからぶり返していた疼痛も、改めて巻かれたことで再び収まっていく。

 

「ありがとうございます、メディックさん」

「はい、どういたしまして。……それにしても、全身にタトゥー入れたみたいになっちゃってるわねぇ」

「いいじゃーん。強化形態って感じが出ててカッコいいよー」

 

 アビリティの副産物として、ゴウの全身に浮かび上がった紋様を、メディックがまじまじと眺め、キューブはアイレンズを輝かせる。

 この黒線は、アビリティを発動せずにいることで徐々に薄まっていき、完全に消えるには発動から三十分ほど経過する必要があると、今日のダイブで判明した。

 

「それでもアビリティをボーナスじゃなくて、自力で取得したっていうのはやっぱり凄いです。それも二度目なんて」

「だわなぁ。探しゃいるけどよ、覚醒アビリティの二つ持ちなんて相当レアだぜ」

 

 リキュールとキルンに褒められるも、それを自分一人で成し遂げたわけではないので、どう返していいものやらとゴウは頭を掻く。

 

「でも、まだまだです。もっと使いこなせるようにならないと……」

 

 新たに獲得したアビリティ──《電界路(インパルス・サーキット)》によって、全身に浮かび上がった黒い紋様から、高電圧を発生させられるようになったゴウだが、これをゴウは自分の意思で操作している。つまりはデュエルアバターの補助操作を行う機能、《イメージ制御系》により人体には備わっていない架空の発電器官を制御しているのだ。少なくともゴウはそう解釈している。

 生身の体を動かす時と遜色のない、アバターの手足を動かす感覚とはやや異なるので、発動時に感覚をうまく掴めないことには、このアビリティは十全には機能しない。本来は拳だけでよかった発動部位を、腕全体で発動してしまったことで、巻かれていた包帯まで電気で焦がしてしまったのは、ゴウの制御不足といっていいだろう。

 

「けれど、明日には例の相手と再戦するつもりなのでしょう? 仕上がりは間に合うのですか?」

 

 晶音に首を傾げながら訊ねられる。

 すでにアウトローのホームで集合した時に仲間達へ話したが、ゴウは明日にでもコークス・デーモンと対戦をする気でいた。百パーセント出会えるという確証はなくとも、当てはある。

 昨日、学校帰りのゴウがアキハバラBGを訪れ、マッチメーカーから聞いた話によると、デーモンはここ数週間、休日に姿を見せることが多いらしい。それにゴウの通う中学校のように今日が終業式、明日からは夏休みに入る学校は小中高を問わず多い。

 アビリティ獲得に付き合ってくれたパープル・ソーンの話では、デーモンは港区を領土とする白のレギオンに属しているそうなので、二十三区の東側を主に散策すれば、マッチングリストに名前が表示されるかもしれない。仮に領土内でマッチングの遮断特権を使われてしまった場合は、もうそれまでだが。

 明日遭遇できるにせよ、できないにせよ、今回の集会で納得ができる段階までアビリティを習熟するのが、ゴウが自分に課したノルマだった。

 それでも傍から見れば、ひどく慌ただしく見えるのだろう。晶音の意見は間違っていない。

 

「何もそこまで急がなくてもいいのでは……」

「まぁ、ジャッジよ。オーガーの気持ちも分かってやれ」

 

 大悟が手を晶音の肩に置く。

 

「負けたままでいたくない相手が新しくできたんだ。有言実行でアビリティを覚醒させてまでな」

「師匠……」

「だから俺達も応援してやろうじゃないか。アウトロー流で」

「……師匠?」

「為せば成る、為さねばならぬ何事も。アビリティを使いこなせるよう、ここはもう一丁、為させてやろうじゃないか」

 

 温かい言葉をかけてくれた大悟が、不穏なことを言い出し始めた。

 ゴウの脳内に警戒アラートが鳴り始める。これまでの経験上、この手の展開は大抵えらい目に遭うことが多い。

 

「コング、手ぇ貸してくれ。俺と二人がかりでオーガーのスパーリングといこう」

「よしきた」

「師匠? コングさん?」

「そういえば、お前さんがレベル6になってから稽古するのは初めてだな。これは油断したら返り討ちにされるかも分からん」

 

 ──まずい……ありがたいけどまずい。このままだとボロ雑巾みたいになる未来しか見えない。そして僕の意見は九分九厘、却下される。ここは誰かに助け舟を……。

 ゴウが視線を巡らせると、一番に晶音と目が合った。

 わけあってアウトローを離れ、再び帰って来た彼女。現在のメンバーが全員揃っての、初のエネミー狩りであった今回、石英による防御壁や足場を作り出し、何を言わずとも仲間達の行動をベストな形でサポートしてくれた。

 そんな彼女ならば、この (自分だけが) 切迫した状況を助けてくれると信じて、ゴウは目線を送る。

 目の合った晶音は一瞬だけ訝しそうにゴウを見たが、はっとアイレンズを見開いてから『成程、そういうことですか』と言わんばかりに頷いてくれた。

 

「……ボンズ、コング、少しよろしいですか?」

 

 大悟とコングに向けて挙手をしてから、晶音は二人とゴウとの間に割って入る。

 ──おぉ、さすが古参のリンカーは状況把握の早さが違うなぁ……! 

 ゴウは内心で称賛しながら、晶音の次の言葉を待った。

 

「どうやら彼は、更に追い込みをかけてほしいようです。ということなので私も参加しましょう」

「…………うん?」

 

 てっきり大悟らを宥めるなり、忠告するなりしてくれるとばかり思っていた晶音から、何故だか尊敬の眼差しが向けられる。

 

「そのストイックな心構え、頭が下がります。これは仮にも先達である私も、うかうかしていられませんね」

「あ、あの違……」

 

 きらきらと輝くアイレンズは、とても冗談を言っているようには見えず、晶音の善意百パーセントの計らいに、ゴウは言葉が詰まる。まるで屋根に登ってからいきなり脚立を外された気分だ。

 ──全然違うこと考えてた。この人もしかして、結構ア──天然なんじゃ……。

 

「んじゃー、オーガーファイトー」

「日が落ちたら戻ってきなさいね。お腹にたまるもの用意しといたげるから」

「ワシも作業があっから戻るわ」

「応援してます、オーガー君」

「僕は見てるよ、観察したいからね」

 

 キューブ、メディック、キルン、それにリキュールまでも、他の仲間達は続々とホームのある方角へ歩き出してしまう。メモリーだけが万年筆と紙を生成してその場に残るが、情報アップデートの為の観察であり、手助けをしてくれるわけではない。

 ──味方が……味方が消えていく……いや全員味方だけども。あれ? 宇美さんは……。

 先程のエネミーとの戦闘では、言葉を交わさずとも意思疎通ができた友人兼ライバルの姿を探すと、宇美はホームへ帰る仲間の中にひっそりと紛れ込んでいた。

 おそらくは、これまで晶音のしごきで鍛えられてきたので、とばっちり食らう前にこの場から去るつもりなのだろう。そのさり気なさ足るや、隠密や隠蔽のアビリティでも使っているのではないかと思うほどだ。

 視線に気付いたのか、宇美は首だけ振り向いてゴウと目が合うと、くるりと体を一回転させ、こちらに体ごと向き直った際にウインクを送ってきた。その意味は「頑張れ」か。はたまた「骨は拾っておいてあげる」か。

 ──まぁ、僕がアビリティをうまく扱えるようになれる為の稽古だから、僕側の手助けがいても仕方ないけどさ。けどさぁ……。

 この不条理さをどうにか言語化できないものかと、ゴウがもどかしい気持ちでいると、正面の大悟、コング、そして晶音が三者三葉に構えを取る。

 

「技術を覚えるのなら、より追い込まれた状況で体に叩き込むに限る。さぁ、用意はいいか?」

「……………………はい!」

 

 構える大悟にそう問われ、たっぷり間を置いてからゴウは腹を括った。

 

 

 

 それから三分間粘ってゴウが死亡した後。現実時間では一時間も経たない内に行われた週末の領土戦により、純色のレギオン間の領土圏が大きく変動することとなる。

 変化していく加速世界の情勢に、後に東京のバーストリンカー達は否応なく巻き込まれていく。

 それにはアウトローも、そしてもちろんゴウも、やはり全くの無関係ではいられないのだった。

 



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第四十八話

 第四十八話 往々にして想定の外

 

 

 七月二十一日、日曜日。

 夏休み初日の天気は、梅雨など見る影もない晴天。午前中から汗ばむ陽気で、街路樹からは元気にセミの鳴き声が響く。

 じっとしていると落ち着かず、ゴウは九時前には家を出ていた。普段は赴くことのない浅草まで電車で移動し、《浅草寺》で願掛けをする。内容はもちろん、対戦に勝利すること──とついでに金運や学業などその他諸々。浅草寺のご利益は所願成就。特定の願いに限っていないらしいので、これでいいのだ。

 そこからはぶらぶらと歩きながら上野を経由して秋葉原の端に着く頃には、昼食を取るのに良い時間帯になっていた。空きっ腹で目に留まったのは、一軒のカツ丼チェーン店。

 トンカツ。勝負事に『勝つ』と『カツ』をかけ、何十年も前から願掛け扱いされる料理。

 大事なことに臨む前に大量の脂質と炭水化物を摂るのは、胃もたれなどによりパフォーマンスの低下に繋がるとも聞くが、仮想体で闘うブレイン・バーストには関係ない。ゴウは構わず店へ入る。小学校高学年でもまだ何とか通じる体格ではあっても、それでも育ち盛りの中学二年生。大盛一杯を軽く平らげた。

 ──ここまでして今日会えなかったから、馬鹿みたいだな僕……。

 体力気力も充分に、それでも自分を俯瞰的に見る余裕を持ちながら、ゴウは電気街のメインストリートに入っていく。通りは人でごった返しており、その中にはゴウ同様に今日から夏休みなのだろう、同年代の少年少女も多く見られる。

 左右に立ち並ぶビルにひしめく、無数の小規模ショップの看板は、太陽が高い昼では点灯こそしていなくとも、原色のネオン灯により充分目立っていた。これでグローバル接続をしていれば、派手なAR広告が加わって、輪をかけてカオスな景色となるのだろう。

 ゴウは昼食での支払い時を除き、昼前にはグローバル接続を切っている。午前中に浅草で行った二度の通常対戦でも勝利して調子が上がっている今、次に対戦する時はアキハバラBGのローカルネット内でと決めているのだ。

 ──そういえば、初めて大悟さんに連れていってもらったのが去年の八月だから、もうすぐ一年になるのか。こうして人混みの中を歩いて、着いた先じゃ賭け試合なんて聞かされたもんだから慌てちゃって……懐かしいや。

 厳密には加速世界で過ごした時間を足すと、ゴウの体感時間ではとうに一年以上前の話である。

 バーストリンカーは長くプレイするほど、思考を加速した状態を続けているほど、肉体はそのままに、精神年齢だけが高くなっていく。ゴウの場合は、まだまだ肉体と精神が乖離するほどの年月は経っていない。弊害どころか、ブレイン・バーストによって知る機会があった雑学が、たまに授業でも役に立つくらいだ。

 一方で大悟を始めとした、小学校低学年からバーストリンカーである古参達は、無制限中立フィールドで過ごした時間が、累計で軽く数十年単位になっているという。そこに含まれるアウトローメンバーも、普段はそこまで感じさせないが、時折同年代とは思えない、それこそ大人と変わらない精神の達観具合を見せることがある。

 そんなブレイン・バーストに関わってきた長い時間も、永久退場によって消去されてしまう。

 ふとしたことでこれが頭に浮かぶと、どんなに覚悟はしていても、やはり恐怖が頭の端をちらつく。まだまだ若い部類である自分でこれなのだ。より長く加速世界で過ごした、古参達が抱いているはずの永久退場に対する恐怖はゴウには計り知れない。

 ダイヤモンド・オーガーという自分の心が作り出した分身が、データの欠片に分解されて、知り合ったバーストリンカー達と結んだ関係も、こうしてブレイン・バーストに熱中している想いすらも忘れてしまう。

 その失ったものに気付いていない故に、悲しむこともなく先の人生を過ごしていくという点が、二度とこのゲームができなくなる以上にゴウにはたまらなく嫌だった。

 ──……やめよう、せっかくの出先でこんなこと考えるのは。

 縁起でもないとゴウは頭を振り、アキハバラBGのローカルネットへと繋がるカドタワービルを目指す。

 大通りの角を曲がって、高いビル群の陰になる裏路地に入る。昼でもやや薄暗いのが気になっていたのも今は昔。道を覚えていれば人通りが減る分、よりスムーズに歩ける。

 とうとう目的のビルに、あともう少しで着くという所。交差点を渡るのに右側の一方通行の細い路地へ、ゴウが首を向けた時だった。

 道の先には路肩に停められた、シルバーカラーのワンボックスカーが一台。その車に乗り込もうとする二人の男性。

 それを見たゴウは立ち止まらずに路地を横断し、首元に装着しているニューロリンカーのグローバルネット接続ボタンを押した。コネクト確認のダイアログが視界に浮かび、数秒で完了。周囲に人がいないのも確認してから、小声でコマンドを唱える。

 

「《バースト・リンク》」

 

 加速音の後、生身の体から弾き出されるようにして出現したネットアバターに、ゴウの意識が移る。ソーシャルカメラが作り出す、青く染まった初期加速空間でゴウは来た道を戻り、横道を曲がって停車している車に近付いていった。

 普段はこんなことをしないが、妙に気になったのだ。

 

「若い……」

 

 順番に車に入ろうとしている一人の顔を覗き込むと、少なくとも十代中間だと断言できる顔立ちをしていた。また、青一色の空間なので分かり辛いが、どうも眼の奥が淀んでいる気がする。

 前にいるもう一人の、がっちりした体格の背中にほとんど遮られ、車内はソーシャルカメラの死角になってしまっているようだ。カメラの視界を借りている状態のゴウからは、のっぺりしたテスクチャが貼られているだけにしか見えない。また車の窓はプライバシーガラスで、最大の遮蔽モードに濃度が変化してスモーク状態になっていた。

 こんな裏路地で。大人数が乗れる車が停まり。内部を外からは見せず。乗り込もうとしているのは、十代と思しき人物。

 怪しい要素が多すぎる。犯罪か、そうでなくても法に接触しかけている行為をしているか、しようとしている可能性が非常に高い。

 何より、ゴウがバーストリンカーだからこそ思い当たるものが一つ。

 

「まさか……《PK》?」

 

 ブレイン・バーストでは、現実世界でバーストリンカーを襲撃する行為、又はする者自体を指して、物理攻撃者=フィジカル・ノッカーを略してPKと呼ぶ。

 基本的な手口は何らかの手段でリアルを割った標的を、複数人で物陰などのカメラの死角となっている場所まで連れていき、脅して直結対戦に持ち込む。同じ相手には一日一度までに設定されている乱入制限は、直結対戦では働かないので、連続で対戦を強制されてポイントを全て失うことになるのだ。

 最近では車にターゲットを無理やり乗せ、監禁した状態で対戦を迫ることもあるという。数年前から普通自動車免許の取得資格が引き下げられ、十六歳で取得可能になったことで起こるようになったケースだ。この状況が、正にそのケースに当てはまる。

 

「どうしよう……」

 

 考えすぎなのかもしれない。本当は全て自分の勘違いに過ぎず、ただの取り越し苦労なのかもしれない。

 だが、バーストリンカーの一人が、ブレイン・バーストを失う瀬戸際に遭遇しているのかもしれない。

 そう疑念を抱いて加速までして確認をした以上、もうゴウにはご愁傷様、とその場を去ることはできなかった。たとえそれが、顔も知らない赤の他人だとしても。

 これも直前まで永久退場について考えていたせいか。それとも東京に来て間もなかった一年前の春、カツアゲに遭っていた自分を助けてくれた、大悟に影響されているからか。

 ──やれるだけのことはやろう。

 ゴウは覚悟を決め、行動を開始した。

 

 

 

 ボイスコールのアイコンが視界に表示され、大悟は足を止めた。

 着信相手はゴウ。あと数分もしない内に十三時を回るところだが、もう惨敗した相手との雪辱戦は終了したのだろうか。昨日の特訓の甲斐はあったかなと呑気に思いながら、大悟は応答のホロボタンをタップする。

 

『よう、どう──』

『大悟さん! いま武道館ですよね!?』

『お、おぉ? 今いる場所は九段下の駅前。昼飯食い終わって戻るところだ。どうした?』

 

 ニューロリンカーを介して脳内に響いたゴウの問いは前置きもなく、同時に切羽詰まっているようで、大悟は少し驚きながら思考発声で返答する。

 大悟は今日、《東京都中学校夏季剣道大会》の会場となっている、《日本武道館》を訪れていた。先日の都大会予選を突破した、妹の蓮美が出場しているのでその観戦だ。

 蓮美は午前中の個人戦は残念ながら初戦で敗退してしまったが、メンバーに選ばれている団体戦は勝ち抜き、午後にも出場予定がある。

 

『PKかもしれない現場を目撃しました。確証はないですけど、アキバの電気街の裏路地で怪しい車にそれっぽい連中が乗り込んでたんです。不審車両として位置情報とナンバーは匿名で警察に連絡しました。《上》に行ってる可能性もあるんで僕はダイブしてみます。大悟さんもできたらダイブお願いします!』

『おい、ちょっ──』

 

 矢継ぎ早で早口な説明の後、ゴウはこちらの返事を待たずにボイスコールを切ってしまった。荒い息遣いと足音が音声に混じっていたので、走りながらダイブ場所を探していたようだ。

 状況を把握した大悟も駆け出した。周りの人々からの注目の視線も、今は気にしている場合ではない。

 つまりPK集団がその標的を狩るのに、無制限中立フィールドでダイブしていると想定したゴウは、その現場に乗り込むつもりらしい。

 メールでアウトローメンバーに一斉連絡していたのでは、メールを即既読して即ダイブしなければまず間に合わない。故に蓮美の試合の観戦に行くことを昨日話していた自分に、ゴウは連絡してきたのだろう。ここから秋葉原までの距離は二キロ強。自宅の世田谷よりはずっと近い。

 ──PK共がサドンデスで一度に標的を狩るつもりなら、確かに無制限フィールドに行く可能性もあるが……。

 本当にゴウがPK行為の現場に遭遇していたとして、直接的な介入をするとしたら、PK集団が無制限中立フィールドで、サドンデス・デュエルによる多対一での狩りを選択した場合に限る。

 その場合、デュエル開始前のやり取りが完了する前に被害者と共に逃げ切るか、被害者が狩られる前にPK集団を倒すしかゴウに選択肢はないので、非常にリスキーな行為だ。少なくとも得はない。

 また、そのまま車内で有線を数珠繋ぎ(デイジー・チェーン)した直結対戦の場合は、もうゴウにも大悟にもどうしようもできない。次の被害者が出る前に、警察が現場を抑えてくれるのを祈るだけだ。

 その『怪しい車』が、不審な行動や様子を検知するソーシャルカメラに引っかかっていなのなら、違法ツールによる何らかの細工をしている可能性も高い。PK連中のニューロリンカーを調べれば、充分な証拠となるだろう。

 しかし、いずれのPK行為も現実時間では一分もしない内に、犯行が終了してもおかしくはない。現場への警察の到着が間に合うかどうかは、かなり難しいところである。助けが来るとも知れない脅迫されている被害者が、現実でのやり取りをできるだけ伸ばして時間稼ぎをするのはまず期待できない。

 ──時間との勝負だな。ゴウの奴も中々な無茶をしやがる。まったく誰に似たのやら……。

 大悟がそんなことを考えていると、目当ての建物を見つけた。目指すは、普段ならまずダイブには使わない、最低限のセキュリティがあって、手続きも不要なダイブスペース。そこは──。

 

 

 

「トイレ貸してください!」

 

 一番近くにあったコンビニへ駆け込んだゴウは、店内の他の客も振り返る声量でそう言った。

 面食らった顔をするアルバイトらしき若い店員に許諾され、一目散に『WC』の表示に向かう。絶対に違う意味でピンチと捉えられているだろうが、そこを気にしている暇はゴウにはなかった。

 トイレに入ると、洋式便器の蓋が自動で開いていく。

 鍵をかけたゴウは、完全に蓋が開き切らない内に便座へ腰を下ろした。そうして息も荒いまま、さすがに外の人間には届かない程度に声のボリュームを落とし、コマンドを唱える。

 

「《アンリミテッド・バースト》」

 

 加速音の後、一瞬の浮遊感。続いて足が地面に着く感覚と同時に、暗闇が晴れていく。

 現実ではコンビニのトイレの個室だった場所は正面の扉が消え、濡れたような光沢のある金属の壁や床に、有機的な突起やチューブが飛び出た不気味な場所に変貌していた。この特徴的なデザインは、暗黒系に分類される《煉獄》ステージだ。

 普段なら生物とも機械ともつかない、メタリックな虫達に顔をしかめるところだが、壁や足元を這い回るそれらを意にも介さず、ゴウは目の前の壁を一気に蹴破った。黄緑色の空が広がる外に出て、現実でPK集団(かもしれない)のワンボックスカーが停まっていた場所へ急いで向かう。

 ところが、狭い通路には誰もいない。車があった場所には中が空洞の、腫瘍に似た気持ち悪いオブジェクトがそれらしい形で地面から隆起しているだけ。

 もう全て終わってしまった後か。それとも最初からこちらにダイブ自体しておらず、直結対戦で狩りが行われていたのか。

 全て無駄足だったかと、ゴウがうなだれかけたその時、風に乗って何かがかすかに聞こえてきた。エネミーの発する咆哮や物音ではない。人の声だ。

 声のした方へゴウが進んで行くと、前方に開けた道、メインストリートが見えた。ゴウは足音を立てず、角の建物の陰から静かに通りの様子を窺う。

 ──いた……!! 

 一気に心臓が早鐘を打ち始める。大通りの車道を挟んだ向こう側に、こちらに背を向けるデュエルアバター達が立っていたのだ。

 数は六体。どの後ろ姿にも見覚えはなく、それぞれのレベルは不明だが、人数差は圧倒的だ。

 ──どうする? 大悟さんを待つか。でもいつ来るか。そもそも返事も聞かずに切っちゃたし……。くそ、慌てすぎた……。

 一人焦るゴウは、建物を壁にして取り囲まれているらしい、PK被害者の様子を見ようと目を凝らし──更に大きく心臓が跳ねた気がした。

 

「なんで……」

 

 震えた声がゴウの口を突いて出る。PKアバター同士の隙間から建物に背を付けて座り込む、一体のデュエルアバターの姿が見えた。

 灰色の石か岩のような装甲に包まれた全身。頭にはねじくれた二本の角。

 

「どうしてそこに……」

 

 離れているここからでも判別できるそのアバターは、ゴウが今日対戦するつもりでいた、コークス・デーモンその人だった。

 



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第四十九話

 第四十九話 イレギュラー・エマージェンシー

 

 

 これは、ある少年の話。

 その少年が、これまでの生涯で最も大きな痛みを経験したのは、今よりもう六年近く前になる、小学二年生の時だった。

 少年はその年の夏休みに、海外旅行が趣味の父親に連れられて、親子二人で東南アジアのとある国へ二泊三日の旅行に出かけた。

 母親は留守番をすると言って、一緒には来なかった。知らない土地に行くのはあまり好きでないらしく、これまでも家族全員での海外旅行は一度のみ。ニューロリンカーが言語を翻訳してくれるから、海外旅行へのハードルは昔よりずっと低くなっているのにと、父が毎度呆れていたのを憶えている。

 その頃の少年は、どちらかと言うとよく自分の相手をしてくれる父の方が好きで、母が一緒に来ないことにも、そこまで残念には思わなかった。

 旅行先は以前に一度来たことのある場所で、少年にはとても楽しかった思い出の地として記憶されていた。その理由は毎年この時期に行われている、花火大会だ。別段有名というほどのものでもないが、地方都市と呼べる規模の街なので、訪れる人の数はそれなりに多い。

 日本では花火職人の後継者不足、火器の取り締まりが年々厳しくなっていることなどから、各地の花火大会に使用されるものは本物の火薬ではなく、空に映し出されるAR映像の花火に年々シフトしている。

 対して海外では、まだ規制がない国の方が断然多く、この国でも花火は昔ながらの火薬玉によるものだ。複雑な模様と配色をプログラミングで作り出せるARの花火も楽しめるが、やはり本物は迫力が違うと、少年には子供ながらに感じるものがあった。

 他にも楽しめるものは多い。会場のそこかしこに出展された露店による、名前も知らない味付けの濃い料理や、どういう発想で作ったのかよく分からない玩具。楽しそうな人々、その一員となっている自分。

 要するに、祭りの雰囲気そのものからして少年は好きだったのだ。

 旅行二日目の花火大会当日。日没寸前に父と会場入りした少年が、人混みの中で露店に並ぶ中、いよいよ花火の打ち上げ時刻となった。

 腹の底に響く爆音を上げ、色とりどりの光が織りなして弾ける火花のシャワーが、夜空を染め始める。会場のあちこちから歓声が上がり、少年も目を輝かせて見つめていた。

 そうして花火の打ち上げ開始から数分が経った頃、思いがけないことが起こる。

 少年が聞いたのは、複数の叫び声。その叫びの波よりも早く、ひゅるるる……と風切り音が近付いてくる。そして露店の並ぶ場所の、ほんの数メートル上空で一発の花火が炸裂した。

 その音と光が、それまで楽しまれていたものから、豹変したように暴力的なものへと変わり、周囲がパニックに陥る。火の雨が自分の真上に降ってくれば、それも無理もない。

 全方位に弾け飛ぶ花火とその破片の範囲内にいた少年は状況が呑み込めず、とにかく隣にいた父の手を繋ごうとしたところで、逃げ惑う客の一人にぶつかられて転んでしまった。

 起き上がろうとする少年だったが、騒ぎの拍子で倒れてきた露店のコンロに、右腕が下敷きになってしまう。

 少年は泣き叫び、手を抜こうとするも、子供の力では中々動かない。腕がどんどん熱を感じなくなっていく中で、コンロから転げ出た真っ赤な炭が、泣き喚いていてもやけに印象に残った。

 その後すぐに駆け寄った父がコンロの脚を持ってどかし、抱え上げられた少年は、すぐ近くに置いてあった飲み物と氷水が入った金タライの中に、右腕を突っ込まれる。そこまでが病院に搬送された少年が、祭り会場内で鮮明に憶えていられた最後の記憶だった。

 この事故は後に日本でもニュースに取り上げられ、原因は一つの花火の発射台の固定が甘く、途中で傾いた状態で発射されてしまったからだという。死者こそ出なかったものの、騒ぎによる二次被害を含めて多数の怪我人を出し、少年が右腕に負った火傷は皮膚移植が必要なほどだった。

 これが少年の経験した、最も大きな体の痛み。

 それ以上に少年にとって重大だったのは、この事故をきっかけに両親が離婚してしまったことである。

 元より父は定職に就いても長くは続かず、離職と転職を繰り返していた。毎回途切れずに次の職に移れるとは限らず、その間は自宅にいることも多かったからこそ、少年の相手をする機会も多かったのだ。当時は知らなかったことだが、母の実家から金銭的な援助も受けていたらしい。

 そんな理由もあって、母には不安や不満が募っていたのだろう。そこに息子の大怪我がきて、とうとう限界を迎えたのだ。

 離婚成立後、親権を得た母に連れられた少年は、それまで住んでいた地から母方の実家がある、東京都の港区で暮らすことが決まった。

 引っ越しの日を最後に、父には会っていない。父が直接火傷を負わせたわけではなくとも、自身がついていながら我が子に重傷を負わせた点を母に強く責められ、責任を感じたらしい。離婚時の取り決めも、『今後息子と接触しない』など、母の出した条件を全て容認したという。

 これが少年の経験した、最も大きな心の痛み。

 以来、少年はある悪夢を度々見るようになった。前触れなく全身が発火する夢だ。

 燃えている自分を、家族や友人を含む周囲の人々が、助けようと手を伸ばしてくる。その誰もが燃え移った炎に焼かれていく。

 周囲の全員が燃え尽きた頃、灰の山に囲まれて一人残された自分自身を、少年は俯瞰的な視点から眺めている。

 包んでいた炎が消え、灰色一色になった全身は、輪郭しか分からない。その中で目立つのは、手足の指から伸びる尖った爪。腰から垂れる細長い尻尾。左右の側頭部から生えた歪んだ角。

 その姿が少年には、まるで悪魔に見えた。

 

 

 

 電気街のメインストリートで、後ろからアバターネームで呼ばれた時、コークス・デーモンは相手がPKだとすぐに悟った。最近、行動がルーチン化していたのがまずかったか。

 どこにでもいそうな十代の中高生といった容貌のPK男は、周囲にはいかにも「自分達は友達です」といった様子で親しげにデーモンへ話しかけながら、逃げても周りに仲間がいると耳元で囁いて、進む方向を指示し始める。

 路地に入っていくと、後ろの男の他に二人の男が加わり、最後に後方から走ってきたワンボックスカーが前方に停車、車内へ入るように促された。運転手を含めた車内の二人と合わせ、計五人のPK集団は、デーモンを座席へ座らせると、無制限中立フィールドにダイブするように指示する。

 言われた通りにダイブすると、自分の他に四体のデュエルアバターが、油断なくこちらをねめつけてきた。そのまま待たされ、しばらくして残りの一体が出現する。一人はこちらが逃げないよう、しっかりコマンドを言い切るのを確認してからダイブしたのだ。

 それから《煉獄》ステージのフィールドを歩かされ、大通りを出ると一体のデュエルアバターが立っていた。こちらを見るなり、手に挟んでいたアイテムカードを何やら操作してから、仲間の一人に渡す。カードは六人のPK達の間を順に回っていき、最後はデーモンに投げ渡された。

《サドンデス・デュエル・カード》。現物を見るのは初めてだが、どういう物かは聞いたことがある。デーモンは説明のスクロール文を読み飛ばし、二重確認のイエスボタンを押した。

 すると、真っ赤な光を発しながらカードが回転して浮かび上がり、サドンデス・デュエル開始のカウントダウンをホログラムで周囲に表示する。

 あまりにためらいのない動きに、PK集団からわずかな動揺の気配を感じる中、デーモンは構うことなく近くの建物をまで歩いていき、壁を背もたれにして地べたに腰を下ろした。

 そうしてカードのカウントダウンがゼロになり、燃え上がる表示がデュエル開始を告げ、PK集団に油断なく半円状に取り囲まれているのが、現在のデーモンの状況である。

 

「はっ、なんだよ。ろくに抵抗しないでやんの」

「腰が抜けて立ってらんねえのか?」

「ってかよ、リアルからここまでコマンド以外一言も喋ってねえぞこいつ。おーい、口ついてますかぁー?」

 

 取り囲むアバター達が、口々にデーモンを嘲る。何かの手違いで一度死亡しただけで永久退場する身になっているというのに、この挑発行為。数の優位さが気を大きくさせているのか。

 現実での手口のスムーズさからして、まず初犯ではないのだろう。しかし見たところ、歴戦のハイランカーのような雰囲気は感じられない。

 尚も無言のまま分析しているデーモンに、一人が痺れを切らしたように怒鳴る。

 

「……おい! 余裕ぶってないで何とか言えよ! この──」

「まーまー、待て」

 

 デーモンへ向けて脚を上げるアバターを、半円の中央に立っている別のアバターが制した。

 胴体には段々に波打った厚い装甲、四肢には環状の突起が不規則に並んでいる、鮮やかな青緑色をしたM型アバターだ。サドンデス・デュエル・カードを最初に持っていた、デーモンが現実世界で会っていないバーストリンカーである。

 

「下手にゲージを溜めさせるような真似はするなって、いつも言ってんだろ。狩りは一息で決めるに限る。サドンデスが受理された以上、ポータルに逃げようもんなら、その時点で即敗北扱いになってポイント全損。ま、そうでなくてもリアルで生身の体が抑えられてるわけだから、とっくに詰みなわけだけど」

 

 デーモンを蹴ろうとしていたアバターが、舌打ちをしつつも大人しく引き下がる。

 どうやら立ち振る舞いからして、青緑色のアバターがこの集団のリーダーらしい。

 

「とは言っても……ずーっとだんまりなのも確かにつまんねぇ。この状況を作るまで、それなりに苦労したもんだ。ついでに君の活躍もいろいろ調べたんだぜ? デーモン君よぅ」

 

 爽やかなのにどこかねっとりした声質で、気取った口振りのリーダーは、扁平な形をしたアイレンズをデーモンへと向けてくる。

 

「レベル6のコークス・デーモン。白のレギオン、《オシラトリ・ユニヴァース》所属。ほぼ近接系で、スリップダメージを与える熱を発するアビリティに、同じ効果を持つ矛の強化外装持ち。何よりに注目すべきは、部位欠損さえ元に戻る再生能力に、心臓刺されようが首切られようが即死しないこと。スペックの高いアビリティ持ちは羨ましいねぇ」

 

 デーモンのプロフィールをつらつらと上げながら、リーダーが丸いヘルメット型の頭部をやれやれと振る。

 

「でも『不死身』なわけじゃあない。いくら体が治ろうが削られた体力までは戻らないし、ピンポイントの急所攻撃が、通常攻撃程度のダメージに抑えられるってだけの話。ま、それが厄介なんだが、この人数で一斉攻撃すれば何ら問題はないわけだ。抵抗されたところで、丁度こっちにはメタ張れる奴もいる」

 

 そう言って、リーダーが消防士のような恰好をした、サーモンピンクのアバターを横目で見た。

 アバターの背負うタンクから繋がる、両腕に装備された管は放水ノズルのようだ。いつデーモンが不審な動きを見せても対応できるよう、しっかりと先端の照準を合わせている。

 

「結局さ、少し対戦の腕が立つからって調子に乗りすぎたんだよ。だから俺らにPK依頼が来て、こんな目に遭ってる。今回の依頼主は結構金払いが良くてさ。多分、何人かが結託して金を出し合ったと見たね。顔も知らねえけど」

 

 へらへらと笑うリーダーは、デーモンの反応を確かめるようにじっと見つめ、やがてつまらなそうに溜め息を吐いた。

 

「……ノーリアクションか。君さぁ、誰にでもそんな塩対応で有名らしいじゃん。領土戦にもまともに参加しないで、レギオンの中でも浮いてるとか。この分じゃ永久退場したところで誰も悲しまなさそうだ。こっちとしちゃあ、罪悪感が軽くなって何よりだけども」

 

 白々しい言葉だった。どうせ初めから、罪悪感など欠片も持ってはいないだろうに。

 デーモンには目の前の相手の人となりが、もう充分なほどに理解できた。

 

「おい、そろそろ……」

「あー、分かってる」

 

 仲間の一人に急かされ、リーダーが頷く。長話はこれで終わり、いよいよ処刑の時間らしい。

 デーモンは最後に、神経を逆なでする捨て台詞の一つでも吐いてやろうかと思いかけて、やはり止めた。ここまで来たら、最後まで無言を貫こうと決める。

 

「もう飽きたし、さっと終わらせっか。ゼロで一気な。五……四……」

 

 PK集団が互いを巻き込まないように、間隔を空けながら展開した。リーダーの指示により、それぞれが体の各所からぎらついた過剰光(オーバーレイ)を発生させる。

 どこで知ったのか心意技も使えるか、とデーモンは目の前の光景をどこか他人事のように眺めていた。

 自分にとってブレイン・バーストは、とうにそこまで惜しいものではなくなっている。どうせ持っていた記憶も消えるのだ。今日がたまたま、バーストリンカーでなくなる日だっただけの話。

 そんな淡白な思いを抱きながら、デーモンは静かにうなだれた。

 

「三……二──」

 

 ドォォン!! 

 

 PK集団が攻撃を開始する直前、突如として爆発のような音が響く。

 デーモンは何事かと顔を上げた。PK集団も攻撃を中止して一斉に振り返り、背後で立ち込める土煙に注目する。

 

「なん──」

 

 煙を突き破って出てきた何かが、リーダーアバターの頭部を直撃し、デーモンへ向かって吹っ飛ばした。

 リーダーは声を上げる間もなくデーモンのすぐ横の壁に激突し、金属の壁を突き破る。できた大穴からはリーダーの姿が見えず、建物内に潜んでいた金属虫達が慌てて這い出てきた。

 他のPK達が戸惑う中、晴れていく土煙から現れたのは、額に二本の角を生やした、鬼のマスクをしたアバターだった。肩に担いだ透明な棒状の強化外装に、その白っぽいクリアカラーな装甲は、デーモンの記憶に新しい。

 先週アキハバラBGで対戦したアバターだ。名前は確かダイヤモンド・オーガーだったはず。ただ、この男がどうしてこの場所にいるのかは、さっぱり分からない。

 オーガーはずんずんとこちらに近付き、強化外装を手放すと、未だ座ったままの自分の両脚をおもむろに掴んできた。

 

「そのまま動かないように。後は隠れといて」

「あ? ──ッ!?」

 

 いきなり踝をひっ掴まれ、これにはデーモンも声が出た次の瞬間、脚がすっぽ抜けたかと思うほどに物凄い力で、オーガーに引っ張られた。そのまま両脚を脇に抱えられ、プロレスのジャイアントスイングの要領で振り回される。

 

「ぁぁぁぁ…………でやああああああっ!!」

「!? !!??」

 

 訳の分からないまま目が回り始めてきた頃、大声を上げるオーガーの腕が離れる。

 たっぷり乗った遠心力に、デーモンはハンマー投げのハンマーさながらの勢いで、大通りを挟んだ反対側のビルに向かって飛んでいった。

 

 

 

 一方その頃、ゴウの連絡を受けて無制限中立フィールドにダイブした大悟は、秋葉原に向かう為、《靖国通り》をひた走っていた。

 すでに道程の半分は過ぎている。エネミーに狙われでもしない限りは、この分ならあと数分で到着できるだろう。そう考えていたところで事態が急変した。

 背後からプレッシャーを感じ、大悟は動かす足はそのままに背後を振り返る。すると、薄いペールピンクの光がオーロラのように揺らめきながら、自分に迫っているではないか。一瞬、変遷かとも思ったが、あの何枚ものガラスが重なり合って割れるような特有のサウンドがしない。

 無音の光の膜に大悟はものの数秒で呑み込まれ、同時に発生した地震に足が止まる。発生と同じく唐突に地震が収まる頃には、光は遥か前方へ進んでおり、目を凝らしてかろうじて見える程度の極めて薄いものになっていた。

 ──今の光は過剰光(オーバーレイ)……まさか心意技なのか? 発動者はどこから……。

 自分でそう考えながらも、大悟は半信半疑だった。あまりにも技の範囲が広すぎる。ここには自分しかいないし、儚げな光は視認した限りでは、上にも横にも端が見当たらない。

 しかも光に包まれる前と後で、周囲に変化はない。だが、あれだけ広範囲に広がる現象に、意味がないわけがない。確かめる必要がある。

 

「《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》」

 

 額のアイレンズから枯れ草色の光を零し、大悟は《天眼》アビリティの機能を拡張させる心意技を発動させた。両眼のアイレンズは閉じ、心意により拡張された自身を中心に円状に広がる感覚を、前方にのみ伸ばしていく。

 

「…………ん?」

 

 大悟は首を傾げた。伸ばしていた感覚が、不意にぶつりと切れたのだ。

 大悟がこの技で感知できる範囲は、一方向に最大限まで伸ばした状態で一キロメートル。遠くなればなるほど精度が下がりはするが、それは徐々にであって、こんな唐突に切れることはない。少なくともまだ限界距離でもないのに、こうなったことは技として完成して以来、今までなかった。考えられる原因は何か。

 ──光の内側に閉じ込められたのか? 心意技も通さない……結界? その意味は……。

 心意技を終了させて周囲を確認する大悟は、また奇妙なものを見た。

 西の空に巨大な黒煙が立ち昇っている。《煉獄》と名付けられてはいるが、このステージは火属性ではないし、発火ギミックもないはずだ。しかも煙の発生場所は大悟がダイブした地点にほど近い、日本武道館の辺り。

 ──誰かが戦っている? 相手はエネミーか、それとも……。しかも妙だな。あれだけ煙が出ていれば、何かしらの戦闘音がここからでも聞こえただろうに。結界の内と外は音も遮られるのか? 

 嫌な胸騒ぎがする。あの煙といい、この結界といい、何かが起きていることだけは一目瞭然。これは一秒過ぎただけでも、状況が大きく変化していくと自身の勘が告げた時には、大悟は心意技を発動していた。

 

「《天部(デーヴァ)風天(ヴァーユ)》」

 

 両脚に過剰光(オーバーレイ)が渦巻き、下駄が通常のものから一本下駄に変化すると、大悟は元来た道へ踵を返し、それまでの数倍以上の速度で走り出した。

 元々ここにダイブした目的は、ゴウの援護の為である。本来ならば、優先すべきはそちらだろう。

 だが、ゴウがいるはずの秋葉原駅周辺は、この結界の外。感知できないだけではなく、物理的に出入りができない可能性もある。

 ゴウには、ブレイン・バーストであらゆる状況に陥った際の対応について、一通りのことは教えてある。それにもう彼は右も左も分からない、自分が逐一守っていなければならない雛鳥ではない。

 それどころか、安心して背中を預けられる男になっていた。もし本当にPK集団と遭遇したとしても、切り抜けられると信じられるほどに。

 一陣の風となって駆ける大悟は、後ろ髪を引かれる思いをほんのわずかに残しながらも、それまで進んでいた東の方角を一度として振り返りはしなかった。

 



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第五十話

 第五十話 頭寒足熱バイオレンス

 

 

 数分前。PK集団に取り囲まれているデーモンを確認したゴウは、すぐに行動を開始していた。

 棘やチューブで突起だらけのビルの壁面をよじ登り、屋上に到達。屋上で一団との距離を確認してから、反対の端まで移動して助走距離を確保。走り幅跳びの要領で一気に飛び降りる。

 地面に着地してからは、正面の一番近くにいたアバターへ、すぐさま召喚した《アンブレイカブル》をフルスイングで叩き付けた。

 そして、与えたダメージでチャージされた必殺技ゲージを消費し、発動した《限界突破(エクシーズ・リミット)》アビリティによる膂力で、デーモンをたったいま自分が飛び降りた建物に向かって投げ飛ばしたのだ。

 狙った通り、三階部分に空いていた長方形の縦穴を、デーモンは無事通り抜けていた。自分でやっておいてなんだが、狙いを外して壁にぶつけてあわや、という事態にならずに済み、ゴウは内心で胸を撫で下ろす。

 

「誰だお前ぇ! っざけた真似しやがって……」

「おい、どうすんだ? 聞いてないぞこんなの!」

「うるっせえな、そんなのこっちが聞きてえよ」

「向こうを追いかけんに決まってんだろ」

「じゃああいつは!? それにボスはどうすんだよ!?」

 

 ゴウを警戒してか、散開した残り五体のPK達が口々に喚く。大まかな色の分類で、遠隔系が二体。近接系、防御系、間接系がそれぞれ一体ずつ。

 最初こそ人数差から二の足を踏んでいたゴウだったが、とうに恐れはなかった。何故なら今のゴウにとって、そんなものはもうどうでもよかったから。

 

「…………違う」

 

 ぽつりと呟いた割によく通ったゴウの声にPK達が黙る。初めて対面するPK集団。リアル情報を割り、現実にてバーストリンカーを襲い、ポイントを根こそぎ奪う者達。

 怪訝そうに睨むその視線に、抑えていた感情が一気に湧き上がり、口を突いて噴き出した。

 

「あいつはお前らのじゃない!! 僕のだ! 僕が勝つんだ! その為にこっちがどれだけ……それを……それを邪魔するなぁ!!」

 

 デーモンを投げた建物を指差し、ゴウは吼えた。

 今のゴウの心を占めるもの。それは怒りに他ならない。

 この日の為に、デーモンと再戦して勝利する為に、どれだけ備えたと思っているのか。

 何の為に、得られるかも分からないアビリティの獲得に、パープル・ソーンから致死の電撃を何度も受けたのか。何の為に、ハイランカー三人がかりでアビリティの使い方を叩き込まれたのか。

 それを横から掻っ攫っていこうとする連中。犯罪行為に手を染め、碌に努力もしない、平気で人を傷つけながらポイントを稼ぐ不届き者共。

 第三者の視点では言いがかりに逆恨みもいいところだろうが、ゴウには断じて許せる相手ではない。自分から見て、右端に立つ一体。薄いベージュ色をした、円盤状の装甲を纏うアバターへ目を付けるや否や、一気に距離を詰める。

 

「ぐごぉっ!?」

 

 ゴウはベージュアバターが動くより先に顔面に裏拳を食らわせた。《限界突破(エクシーズ・リミット)》終了後の一時的な弱体化は、発動時間が短かった分すでに消えている。

 殴り飛ばされて地面を滑っていく相手に追従して飛びかかり、脚で相手の腕を押さえ付けたマウントポジションで体重を乗せたパンチを何度も浴びせていく。

 

「まっ! がっ! やめぐぶぅっ!!」

 

 ベージュアバターは必死に抵抗してゴウをどかそうとするが、間接系アバターの例に漏れず近接戦闘は苦手なようで、それも敵わない。必殺技を出そうにも、ゴウに顔面を絶えず殴られて発声どころではない。そして──。

 

「《アダマント・ナックル》!!」

 

 殴打のラッシュによって敵のマスクが亀裂だらけになったところで、ゴウは容赦なく必殺技を叩き付けた。

 打ち込まれた正拳突きは顔面を貫通し、もがいていたベージュアバターは動かなくなった。

 倒したアバターの体から、同色をしたリボンのようなものが何本も立ち昇る。正体は微細なバイナリーコードで構成された、デュエルアバターのデータそのもの。ポイントがゼロになったことで発生した、デュエルアバターの最終消滅現象である。

 一度の死亡でこの現象が起きたということは、やはりすでにサドンデス・デュエルは始まっているようだ。自分が乗っかっていた敵が消滅し、地面に座る形になったゴウは、立ち上がって残りのPK達の方を向いた。

 十秒にも満たない間に仲間の一人が目の前で消えたことで、こちらを見る目つきが『意味不明なことを喚くヤバい奴』から、『自分達を殺しに来ている危険人物』に変わっている。ゴウにしてみれば、そう判断するのも遅すぎる気がするが。

 

「……俺が標的をやってくる。お前ら、三人でアイツをやれ」

 

 消防士のような恰好をした、サーモンピンクのアバターがそう言うと、仲間の一人がピンクアバターの肩を掴んだ。

 

「おい待てよ、お前一人だけ逃げようってんじゃ……」

「頭使えボケ! 標的殺すまで俺らあんなふうに、一回死んだだけで終わんだぞ! 逃げられたらこっちも向こうが死ぬまでログアウトもできねえ。今ここでやるんだよ!」

 

 怒鳴りながら仲間の手を払いのけたピンクアバターは、両腕を地面に向けた。すると手の甲に備わったノズルから、物凄い勢いで水流が放出され、反動でアバターの体を浮かび上がらせる。そのまま水流を利用したハイジャンプで、ゴウがデーモンを投げ飛ばしたビル内へと入っていった。

 相性的に熱を冷却してしまう水を扱うあのアバターが相手では、デーモンが不利。先程は心意技も使おうとしていたので尚更だろう。すぐに向こうを追いたいゴウだったが、さすがに他の敵を放っておけるわけもない。

 ──まずは、目の前の敵を一体ずつ潰す。

 ゴウは動き出した。怒りを抱いていても、冷静さは失わないままに。

 

 

 

 今より一ヶ月前。まだメンバーになる前の宇美が、それまで大悟達へ消息を一切絶っていた晶音についての相談をしに、アウトローへ訪れた時のこと。

 話し合いを終え、宇美も交えてエネミー狩りをする運びになり、ホームを出たところでゴウは大悟に呼び止められた。他のメンバーは先に行かせた大悟と対面しゴウは訊ねる。

 

「あのー師匠。何をするんですか?」

「エネミー狩りの前にまず、お前さんにやらせておきたいことがあってな。ずばり、この前みたいに怒りで暴走しないようにする」

「う……」

 

 ゴウは言葉が詰まる。

 数日前の大悟との直結対戦で、ゴウは怒りを源にして心意技を発動した。その時の気分は、吐きそうなほどの胸のむかつきを抱くと同時に、どこか全能感に包まれていた。大悟に手傷を負わせた時など、昏い興奮に満たされたほどだ。

 

「ああいった状態のことを《逆転現象(オーバーフロー)》という。これは前の修行中に話したな」

「……はい。強い負の感情から発生した心意に突き動かされて、暴走を引き起こす。あんまりひどいと現実でもそうなることがあるとか。《零化現象(ゼロフィル)》の一種というか、上位版でもあるんですよね?」

「その通り。アバターを自分で制御できなくなるのはどっちも同じだな。もうお前さんが簡単にあの状態になるとは思わんが、それでも間が空かない内に念押しをしておきたい」

「それで、具体的には何を?」

「うん、実は今回は俺じゃなくて──」

「俺が教えよう!」

 

 いきなりした声の方へゴウが振り向くと、《荒野》ステージのオブジェクトである大岩の上に、コングが仁王立ちしていた。他の皆と先にエネミー狩りに行ったと思っていたら、どうやら岩の陰に隠れて出番を待っていたらしい。

 コングは「とう!」と掛け声を上げてジャンプし、ゴウと大悟の傍に土煙を巻き上げながら着地する。

 そんなコングに、大悟は手を向けた。

 

「はい、ご存じコング君です。昨日メールで事前に段取りはつけてあるから。じゃあコング、あと任せていいか」

「おう。大船に乗ったつもりでいろい」

 

 コングがそう言うと、大悟はゴウへひらひらと手を振り、駆け足で去ってしまった。

 残されたゴウは、今度はコングと対面する形となる。手合わせならともかく、大悟以外からこうした形でものを教わるのは、ブレイン・バーストではゴウにとって初めてのことだ。

 

「じゃ、じゃあよろしくお願いします」

「おいおーい、そう固くなるなって」

 

 少し身構えるゴウの肩を、コングが笑いながらべしべしと叩く。

 

「ちょっとした補講みたいなもんだ。いやそれも少し違うか……あー何てんだろ……」

「心構え?」

「そう、それそれ! 心だ、感情だってのは、ちょっとしたことでコロコロ変わるよな。嬉しいとか腹立つとか悲しいとか楽しいとかさ」

 

 コングは自身の厚い胸板を、大きな手で叩く。ビースト・モードではなくとも、太鼓のようによく響く音がした。

 

「んで、問題はネガティブな感情をどうするか。これはただ抑え付けたところで、いつか限界がくる。じわじわ溢れるか、あるいは──」

「……一気に爆発する」

 

 ゴウの呟きに、コングは重々しく頷いた。

 

「だから抑えるんじゃない。制御すんのさ」

「でもそれが難しいんじゃ……」

「まぁな。でも考えてみろよ。俺らくらいの年になったら、ちょっと気にいらないことがあったからって、赤ん坊みたいにすぐにぐずって泣いたりしないだろ?」

「それは……まぁ」

 

 確かに人は成長につれて我慢を覚える。しかし、それは感情を抑えることと変わらないのではないか。ゴウがそう思っている中、コングは続ける。

 

「ブレイン・バーストじゃ感情ってのは、でっかい武器になるわけだ。その最たるものが心意技だな。あっ、別に負の心意を使えってんじゃないぞ。要は正しく発散するのが大事なんだ」

「それが制御ですか?」

「そうだ。どんなに怒っていようが、勝つには相手をいかにして倒すかに頭を回していく必要があるわけだな。だからエネルギーにすんだよ」

「エネルギー?」

 

 その意味を少し考えてから、ゴウは一つのイメージが思い浮かんだ。

 

「……例えば、電気そのものを直接は使えないけど、電化製品を動かすエネルギーとしてなら間接的に扱える、みたいなことですか?」

「おおう、分かりやすいなそれ! 正にそのとぉーり。花丸だぜオーガー!」

 

 我が意を得たりとばかりに、コングは嬉しそうに両腕を上げ、頭上で丸を作った。

 

「別に許せないことには怒っていいんだ。でも我を忘れちゃいけない。だからそういう時に俺はよ、『頭寒足熱』って意識すんだ」

「ずかんそくねつ?」

 

 ゴウは首を傾げた。頭寒足熱とは確か、頭は冷やして足を温めることは健康に良いとされ、体調が悪い時などにも効果があるという意味だった気がする。

 

「コングさん。その、それって意味が違──」

「分かってるって、イメージだよイメージ。(うえ)はクールに(した)はホットに。森の中で松明を振り回してちゃ、火が木に移って自分も危ねえ。振り回すなら、研ぎ澄まされた剣にしろってこった」

 

 腕を振り回すジェスチャーを交えながら、コングはまた分かるような分からないような例えを出してきた。

 つまりは考えなしに暴れたり、相手を倒すことだけに頭が一杯になっていては、自分の首を絞めることになる上に、勝てる勝負も負ける。周りに味方がいれば、味方も自分も傷付くことになる。

 だからこそ、体が熱くなるほどに怒ってはいても、思考を放棄してはいけない。そういうことだろう。そう考えれば、ゴウにはかなり腑に落ちる話だった。

 普段は賑やかしのムードメーカーな面が目立つが、やはりコングも大悟に並ぶベテランのバーストリンカーなのだと、ゴウが改めてそう思っていると──。

 

「んじゃ、実際にどんなもんか見せようか」

 

 コングがいきなりそんなことを言い出した。

 

「あー……何をです?」

「だから、感情のこもったファイトっぷりをだよ。それでいて頭は理性的の、な」

「ぼ、僕相手にですか!?」

「もちろんオーガーが本当に憎いわけじゃねえよ? 憎たらしい相手だとイメージすんのさ。あくまでイメージ。《シェイプ・チェンジ》」

 

 微妙に韻を踏んだコングが、さらりとビースト・モードへと姿を変え始めた。変身を終えたそのアイレンズに宿る光は、心なしかいつもよりぎらついている気がする。

 

「フー……フー……」

「コングさん? 息荒いんですけど……あの、本当に理性的──」

「ゴオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 それからは、こちらの全身をびりびりと震わせる咆哮を轟かすコングに、ゴウは追い回された。これに比べれば、前の自分の暴走などかわいいものだと思いながら、繰り出される攻撃の嵐をかいくぐっていく。

 そして、きっかり五分後にコングがすっかり元に戻った頃には、ゴウの胸には今回教わったことが、トラウマ一歩手前のレベルで刻まれたのだった。

 

 

 

「せあぁいっ!」

 

 地面に放っていた《アンブレイカブル》を拾い上げ、ゴウは迫るPKの一体に投げつけた。

 猛烈な勢いで回転する重い金棒を避けるのが間に合わず、両腕で防御しようとしたPKアバターの一人が耐え切れずに吹っ飛ばされた。

 

「オオッ!」

 

 暗い黄緑色をした重装甲の防御系アバターが低い声を上げ、特に装甲の厚い両腕でゴウを殴りにかかる。両腕には過剰光(オーバーレイ)が宿っており、まともに受ければ一撃でこちらの装甲が砕け散るだろう。

 だが、コングのものに比べれば大振りで、精度も速度もさほどではない。

 

「シッ!」

 

 ゴウは相手の攻撃を紙一重で避け、隙を見て大柄なアバターの片足へ、骨も砕けよと重く鋭いローキックを放った。

 相手が片膝を着いたところで背後から突き飛ばし、地面に突っ伏させる。そのまま間髪入れずに両肩を踏み付けながら、両腕を無理やり引っ張り上げた。

 

「っぎ!? ぎゃああああああああ!!」

 

 ぼぎぃ、と鈍い音がして、黄緑アバターが絶叫する。ゴウによって両肩の関節部分を折られたのだ。どんなに厚い装甲をしていようが、関節を攻撃すればしっかりダメージは入る。

 ゴウは黄緑アバターの絶叫は無視し、今度はローキックを放っていた右脚を取って、膝関節を逆方向に折り曲げた。四肢の内三つをここまで損傷させれば、しばらくは痛みで何もできまい。

 ──次。

《アンブレイカブル》をぶつけていた、濃く暗い青色の近接系アバターがすでに起き上がり、複眼のアイレンズを血走らせてゴウに接近してくる。手足の(のこぎり)状の突起を、光の刃に変化させて。

 同時に、離れた所から小豆色をした遠隔系アバターが、機関銃の照準を向けているのにゴウは気付いた。

 

「シャラアッ!」

「……!」

 

 銃弾を避けたはいいが、隙ができてしまった。青色アバターの最初の一撃を完全には躱し切れず、斬撃がゴウの頬を掠める。それだけでもマスク下の素体まで届き、ダメージが入った。

 

「バラバラにしてやるぁ……!」

 

 興奮状態の青色アバターが、更に激しく手足を振り回す。そんな中、ゴウの目にあるものが留まった。地面からそれを拾い上げ、青色アバターに向かって放り投げる。

 何なのか確認する前に、青色アバターはゴウの投げたものを斬り裂いた。瞬間、切断された物体が赤い液体を撒き散らす。

 ゴウが投げたものは、《煉獄》ステージのギミックである金属虫。一体目のPKアバターを激突させてできた、建物の大穴から這い出てきた内の一匹だ。その中でも特別に色の濃い紅色で、体液は毒を持っているタイプだった。

 毒液の飛沫に相手が怯んだところで、ゴウは攻勢に出る。

 

「はあっ!」

 

 青色アバターの鳩尾に、ゴウは膝蹴りを叩き込んだ。そのまま悶絶するアバターの片足を取って倒し、引き摺っていく。

 

「げほっ……! 放せよクソが! はな──ああああ!?」

「げうぇっ!」

 

 ゴウは悪態を吐く青色アバターを、未だに倒れている黄緑アバターへ上段から振りかぶって叩き付けた。繰り返し何度も叩き付け、二色の装甲の破片が周囲に飛散していく。

 装甲が砕けて全身ボロボロになった二体のアバターは、とうとうぐったりして声も出さなくなった。

 ──次。

 ゴウは振り向いて、距離を取っていた小豆色のアバターを見た。一度目の銃撃以降に攻撃してこなかったのは、他のPKとゴウの距離が近すぎたことに加え、仲間が射線上に入るようにゴウが立ち位置を調整していたからである。

 

「ひっ!? くっ、来るなああああ!」

 

 歩いて近付くゴウに、小豆色アバターが銃弾を撃ちまくる。声が上ずっているのは、仲間が野蛮かつ暴力的な方法で叩きのめされたのを目の当たりにしたからか。

 これに対してゴウは、首根っこを掴んだ二体のアバターを、左右の片腕で一体ずつ前方に突き出し、盾代わりにして進み続けた。「撃つな」、「やめろ」などの二体の弱々しい叫びは、もう仲間には届いていないようだ。

 心意の込められた弾丸がようやく止んだところで、ゴウは小豆色アバターの目と鼻の先まで接近していた。

 青色アバターは途中で死亡。黄緑アバターは前面が穴だらけでもう虫の息。

 ゴウは黄緑アバターを地面に放り捨て、小豆色アバターの弾切れ中の銃をもぎ取るようにして奪い取った。

 丸腰の赤色アバターが両手を挙げる。

 

「わ、悪かった! 勘弁してくれ、み、見逃しぅぐぇっ!」

 

 降伏を無視し、ゴウは小豆色アバターの首を喉輪で掴む。片手には強化外装の銃身部を持ち、地面に倒れている黄緑アバターへ鈍器として振り下ろした。

 すでに死亡寸前だった黄緑アバターは一発で体力が尽き、全身がバイナリーコードと化して天に昇っていく間に、ゴウは銃を遠くに投げ捨てる。

 掴まれた腕から必死に逃げようと、もがく小豆色アバターに殴られ蹴られるのも構わず、ゴウは両手で頭上高くまで担ぎ上げ、狙いを調整してから額の角で胸部を突き刺した。

 

「《ランブル・ホーン》」

「がっ……」

 

 浅めに刺さっていた両角が大きく伸長し、片角が小豆色アバターの心臓部を貫く。

 ──次。

 怒りが体を駆け巡っていても、ゴウはあくまで冷静に敵の無力化を確認した。

 



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第五十一話

 第五十一話 二つの対峙

 

 

 必殺技《ランブル・ホーン》により伸びた角で、心臓部を串刺しにした小豆色アバターが消滅し、ゴウは空いた両腕を下ろす。

 戦闘開始から数分で、倒したデュエルアバターは四体。ダメージは頬を斬り付けられた分と、PKアバターの肉壁でカバーし切れなかった箇所を掠めた、心意を付与された弾丸が数発分くらい。それでもまだ残り体力は九割近く残っている。特殊な状況下にあることを差し引いても、中々の戦果だろう。

 その時、破砕音が響いた。

 すぐさま音のした方へゴウが首を向けると、コークス・デーモンと彼を追ったPK集団の一体がいるはずの建物から、過剰光(オーバーレイ)を纏った水流らしきものが壁を貫通している。向こうでも戦闘が行われているのは明らかだ。

 ──急いで加勢を……。

 建物に向かおうとするゴウだったが、両手首と腹部の胴回りに何かが触れた。

 

「な……」

 

 その部分には何も付いていないのに、圧迫感が強まって体が持ち上がり、足が地面から離れていく。

 二メートルほど宙に浮いた状態で、ゴウの体が百八十度回転した。ゴウの意思ではない。胴体に巻き付いている見えない何かが、蠢いて方向転換させたのだ。

 背後を向かせられた形になったゴウの前方で、景色がいきなり歪みだした。歪みはすぐに人の形を作ったかと思うと、ものの数秒で一体のアバターが現れる。

 ゴウが最初の不意打ちで建物の壁の向こうに吹っ飛ばした、あの青緑色のアバターだ。丸く大きなヘルメットには、先のゴウの一撃による陥没痕ができている。

 アバターの容姿は先程までとは少し異なり、波打つような胴体部の装甲によって恰幅のよい体型だったのに、現在はだいぶスリムになっていた。代わりに背中からは、吸盤が付いた四本の触手が伸びている。これらが自身の胴体に巻き付いていたのだ。現在はこの内の三本の触手もとい、蛸足(たこあし)こそがゴウを捕らえているものの正体だった。

 ──保護色か光学迷彩か。隠密系のアビリティで隙を狙ってたな。

 クリーンヒットしたとはいえ、一撃で倒せていたとは、ゴウも初めから思っていなかった。最終消滅現象も確認できていなかったし、必殺技ゲージのチャージ量もそこまで多くはなかったからだ。

 発動時点のゲージを消費し終えるまで止まらない、《限界突破(エクシーズ・リミット)》の効果時間が短く、比例してその後の弱体化時間も短かったのも、その為だと推測していた。

 

「この……」

 

 ゴウは腹に巻き付いた蛸足を引き剥がすべく、両腕を動かそうとする。ところが、三本の蛸足がゴウの動きに合わせて体を動かすので、力がほとんど入らない。まるで糸で操られるマリオネットになった気分だ。

 

「ムダムダ。君のパワーが凄いのは認めるけどさ、単純な腕力なんてどうとでもいなせるんだよなぁ。これが」

「……お前がアタマか」

「まぁ一応は」

 

 こちらを小馬鹿にしたような調子で話すPKアバターは、ゴウの質問にあっさりと首肯した。他のPK達よりもずっと落ち着いているあたり、嘘でもなさそうだ。

 

「それにしても大したもんだ。フィールドギミックの利用。味方の攻撃を利用した同士討ち。それに何よりも、相手に本領を発揮させないようにする立ち回り。いくらこっちが全損のプレッシャーがあるからって、多人数相手をああも圧倒するなんて」

 

 リーダーは拍手をしてから、わざとらしく大げさに肩を落とした。

 

「本当にえらいことやってくれちゃって……。《レムナント》の連中が鳴りを潜めている今、ここらでチーム名でも作って大きく売り出そうか、ってとこだったのにさぁ」

 

 PK集団はいくつかのグループが推測されるのみで、実体は不明とされている。唯一集団名を明らかにしているのが、《スーパーノヴァ・レムナント》。リーダーがたったいま口にしたレムナントとは、その略称だ。

 ゴウが聞いた話では、先月このレムナントに属するバーストリンカー四名が、一人のバーストリンカーに返り討ちにされたのだとか。

 

「これは全損していった奴らの弔い合戦をしないと。君だって──そういや名前も知らないけど……まぁいいか。聞いたところでこれから消えるわけだし。あれだけかましておいて、まさか生きて帰れるなんて思ってないだろ?」

 

 PK行為の現場を見られた以上、当然目撃者のゴウを見逃すわけがない。十中八九、リーダーには一本だけ自由に、これ見よがしに動かしている蛸足から放つ心意技で、ゴウを倒せるだけの自信があるのだろう。

 

「……どうしてこんなことをする」

「ん?」

「誰かのリアルを暴いて、集団で追い詰めて、ポイントを根こそぎ奪い尽くす。どうしてそんなことができるんだ」

 

 ゴウの問いを受けたリーダーは、デーモンと残り一体のPKアバターによるものと思われる、未だ戦闘音がしている建物を横目で窺ってから口を開いた。

 

「逆に聞こうか。君は何の為にバーストリンカーをやってんの? そっちが答えたらこっちも答えるよ」

「それは……この加速世界を楽しく──」

「はっはー! はい出ました!」

 

 リーダーが食い気味に大声を上げ、大袈裟な動きで手を叩く。

 

「スリリングで! エキサイティングで! ハラハラドキドキが止まらない! 対戦の中で友情まで芽生えちゃう、最高に素晴らしく楽しいゲーム!! ……そう思ってるクチなわけだ? 分かってない。全っ然分かってなぁい。ブレイン・バーストはさ、加速能力でそいつの社会的地位を上げられる、選ばれた人間だけが持てるツールなんだよ」

 

 先程同様、建物にちらりと視線をやりながらリーダーは続ける。

 

「運動や勉強に加速を利用するのは卑怯だー、だの。バーストリンカーの風上にも置けないー、だの。そんなのナンセンスな奴らを腐るほど見てきた。いつの時代でも自分の持つ武器を見つけて使って、生き馬の目を抜く競争を制した人間だけが勝ち組になれるのさ。もっと賢く生きなくちゃ。もっとも? 君はそのチャンスを一つ潰したわけだけど。出しゃばりさえしなかったら、まだお友達と楽しく遊んでられたろうに」

「……それがPKの理由か」

「ま、そんなところ。上手く動いて下手さえ打たなきゃ、対戦やエネミー狩りをせこせこやってくより、よっぽど簡単に何倍もポイントが手に入る。しかも依頼としてやれば、リアルマネーまで手に入る。おまけにだよ? 標的は自分が被害者だとも覚えてないから、後腐れもないときたもんだ!」

 

 リーダーは一切悪びれることなく、そう断言して締めくくった。

 ゴウとて何も、バーストリンカーに品行方正さを求めているわけではない。加速能力を現実で利用することを咎めるつもりもない。もし自分がこれから先、加速を使わないと切り抜けられない事態に直面した場合でも、絶対使わないと断言することはやはりできない。

 だが、ブレイン・バーストを加速能力の為の道具としか見ていない、維持の為には平気で他のバーストリンカーから、ブレイン・バーストそのものを奪えるこの男を、正しいと認めることはできなかった。

 

「分かったかい、エンジョイ勢君。こういうのが賢い奴のやり方さ」

「…………分かったよ」

「お、素直で結構。でも現場を見られた以上、始末するのは決定事項。このまま近くのエネミーの巣にでも放り込むか……いや、その前にここでメンタル折れるまで何度も殺してからでも──」

「違う。お前が自分は、周りよりも賢いと、勘違いしただけの、ただの間抜けだってことが、分かったって言ったんだよ」

 

 ゴウから冷淡に言葉を浴びせられ、リーダーは一瞬だけ硬直するも、すぐにせせら笑った。ただしアイレンズの奥は全く笑っていない。

 

「そのザマでよく言う。君がまだ死亡してないのは、単に俺の気まぐれで生かされてるだけで──」

「だから馬鹿なんだよ」

 

 ありったけの軽蔑を込め、冷たく言い放ったゴウの全身に、黒い紋様が一瞬で浮かび上がった。《電界路(インパルス・サーキット)》アビリティの証である稲妻模様から、ありったけの必殺技ゲージを消費して電流が流れる。

 

「っぐががっががががぁ!!?」

 

 ゴウに巻き付いた蛸足を伝って襲い来る電流に、リーダーは絶叫しながら仰け反り、地面へ突っ伏した。

 着地したゴウは、弛緩しても吸盤でへばり付いたままの蛸足を引き剥がし、リーダーの元へ歩いていく。右脚にだけ心意技《黒金剛(カーボナード)》を発動させて。

 

「か……か……」

 

 ぶすぶすと煙を燻らせているリーダーは、全身を痙攣させて言葉にならない呻き声を上げている。

 このスタン状態は短時間で終わってしまう上に、もうこの男と会話をする気もない。何かを訴えかけている呻きにゴウは一切取り合うことなく、まともに動けないリーダーの頭部を黒光りする足で踏み潰した。

 心意技は心意技でしか防げない。陥没痕に追撃を受けたヘルメットはあっさりと砕け、脳天を貫かれたPK集団のリーダーの体から痙攣が止まる。そして他の仲間同様、最終消滅現象によって残った体が、光の帯に変じて消え始めた。

 結局のところ、サドンデスによる一発退場を誰より恐れていたのが、他でもないリーダーだったのだ。

 ゴウが他のPK達と戦っている間、こちらの手札や動きの観察はしても加勢はしない。ゴウを蛸足で捕らえても、ダメージによってこれ以上ゲージが溜まらないように拘束のみに留め、仲間が早く合流しないか、しきりに建物の方を気にしていた。ゴウと会話を続けていたのも、時間稼ぎの側面もあったのかもしれない。

 本人にしてみれば、どの行動もリスクを排した賢い選択のつもりなのだろう。だが、それは全て我が身可愛さの保身でしかない。

 そもそも、せっかく姿を隠せるアビリティを持っているだから、こちらから反撃されるリスクを恐れず、仲間との戦闘中に自分も加わって奇襲すれば良かったのだ。蓋を開けた今となっては、仲間どころか自分のアバターさえも信じられなかった、卑怯な臆病者としか思えない。

 それでいて安全が確保されたと判断すれば、マウントを取りながら勝ち誇る。ゴウがこれまで出会った中で、一二を争うほど性根の腐ったバーストリンカーだった。

 そんな男とそれに組みした連中を永久退場させても、今後胸が痛む心配がないことだけが、今回ゴウがPK集団と出会って唯一の良かった点か。

 頭部が潰れ、もう少しで残った体も完全に消えるリーダーから、残る一人のPKアバターとデーモンのいる建物に、ゴウが首を向けたその時だった。

 

「っああああああああ!」

 

 戦闘によって発生した建物の穴から、炎の塊が叫び声を上げて地上に落下してきた。PKの一人である、消防士に似た格好のアバターだ。

 背中のタンクに繋がった、水流を発射するホースを両腕に装備し、高熱を発するデーモンとは戦闘の相性が良いはずのアバターは、どういうわけか火だるまになって地面をのたうち回っていた。

 

「熱い熱い熱い熱い! 離れろぉ! 俺から離れ──あぎああああああ!!」

 

 絶叫するアバターに纏わり付いた炎からは、よく見ると過剰光(オーバーレイ)が発生している。つまりあの炎はデーモンの心意技。その炎は風が吹いてもいないのに、妙に激しく揺らめいていた。

 だが、先程心意技らしき水流が、建物の壁を穿ったのをゴウは確認している。消防士アバターは、どうしてそれで消火をしないのか。

 

「あぐああああ──あ゛っ!?」

 

 消防士アバターの叫びが不自然に止まる。原因は背中に深々と突き刺さった、岩から削り出したかのように無骨な灰色の三叉矛。それをしっかと握って上から降ってきたのは、灰色の悪魔。

 この一撃により体力が尽きた、最後のPKアバターの体が光の帯に変わっていく中、ゴウはデーモンと正面から対峙した。

 

 

 

 少し時間は巻き戻る。

 心意技と思われる、使い手不明の広範囲結界の中で、大悟は移動拡張の心意技《天部(デーヴァ)風天(ヴァルナ)》を発動し、疾風さながらの速度で走っていた。

 ただし、現在走っているのは地面ではなく、建物の壁面だ。場所は千代田区の北西端に位置する大学のキャンパス。その敷地内で最も高い、百メートルを超える建造物、《ボアソナード・タワー》である。

 極端に前傾姿勢を取った走りで、《煉獄》ステージ特有の障害にしかならない、壁面から生える棘や管をすり抜けて屋上まで辿り着くと、ぶはーと大悟は盛大に息を吐いた。

 

「さすがに……この高さの壁走りはきつい……。もっと低い所に降りろよなぁ」

 

 大悟は文句を垂れながら心意技を解除し、タワーの中心に向かって歩いていく。その先には、大悟を待つ者達がいた。

 一体はM型アバター。

 頭頂から左右に飾り角が伸びた兜と、曲線の多い甲冑を身に着けた、陽光に反射する明るい銀色の騎士。背中に盾を背負い、左腰には十字型の鍔をした長剣を提げていた。

 右手には手綱が握られ、手綱は黒い馬勒が装着された馬に繋がっている。体毛とたてがみが雪のように白い馬には、今は折りたたまれている翼が生えていた。つまりペガサスである。

 もう一体はF型アバター。

 信じられないほどに華奢な体型に、ドレス型の装甲は隣のペガサスよりもなお白い、純白。金色の長髪に載せている冠は、芸術品を思わせる瀟洒(しょうしゃ)なデザインだが、同時に天使の輪のような円環を取り囲むようにして並ぶ縦棒が、どこか鳥籠を連想させる。

 過去に会ったのは、片手の指で数える程度しかない。おおよそ戦闘能力があるとは思えない容姿のF型アバターに向かって、大悟は口を開く。

 

「……最後にお前さんに会ったのは、いつだったかな。コスモス」

「久し振りね。まさか今日この場で、あなたに再会するなんて考えもしていなかったわ。アイオライト・ボンズ」

 

 応じるF型アバター──《ホワイト・コスモス》の清涼でどこか甘い、大気を震わせるような声が大悟の耳朶を打った。

 七大レギオンの一角、オシラトリ・ユニヴァースを束ねるレギオンマスターにして、《儚き永遠(トラジェント・エタニティ)》の二つ名で呼ばれる、純色の王の一人。そして聞いた話では、加速世界に混乱をもたらしている、加速研究会の会長とされる人物。

 

「俺だって同じだとも。時にお前さん、この馬鹿みたいに広い結界について、何か知らないか? どうも閉じ込められたみたいで困ってんだ。あぁ、それと武道館の方で、他の王達やその側近共が何かドンパチやってるみたいだぞ。お前さんは加わらないのか?」

 

 大悟はこのタワーからは東に位置する、日本武道館──だった、今や残骸が積み重なるクレーター状の跡地を指で示した。

 数分前。

 大悟は来た道を引き返し、武道館方面に向かっていると、《千代田区役所》の方から戦闘によるものと思われる音を聞いた。そこで現場には近付かず、北側へ少しだけ迂回した。その場での小競り合いに巻き込まれて、時間を取られたくなかったからだ。

 九段北まで辿り着き、南側に黒煙を上げる武道館の跡地が見えた所で、強いプレッシャーを察知した。それだけでそこいらのバーストリンカーではない、王クラスのハイランカーが何人も集まっているとすぐに分かった。

 千代田エリアで王達が集まっている。これは七王会議が行われていたとしか考えられない。問題は、どうして無制限中立フィールドに集まっているのか。

 通常二つ以上のレギオン間で会談等の話し合いをする場合、開始者(スターター)の二人以外をギャラリーとする、通常対戦フィールドで行う。対戦者はギャラリーを攻撃できず、ギャラリーも攻撃能力を持たないので、最低限の安全が確約されるからだ。

 ましてレベル9の王同士が戦えば、負けた方は一回で永久退場になるサドンデスが課せられている。仮に王自身がそのリスクを承知の上で応じようとしても、幹部勢が必死で止めるだろう。だというのに、自ずとバトルロワイヤル形式になってしまう無制限中立フィールドで集まっている意味が、大悟には分からなかった。

 そんな時、大悟は自分に向けられた視線を感じた。

 西の空を振り向けば、その先には翼を羽ばたかせるペガサスエネミーに乗った、二体のアバター。彼らは大悟が自分達に気付いたと分かると、方向転換して飛んでいった。

 誘われていると、大悟はすぐに悟った。そうして彼らがこのタワーの屋上に降下したので、こうして追ってきたのだ。

 

「代理に任せて、ここ何年か表舞台に一切顔を見せないことで有名なお前さんが、どうしてこの場に現れた? 胡散臭いな、気になって仕方ない」

「それを君に説明する義理はないよ……」

 

 追及しようとする大悟へ返答したのは、コスモスではなく、ペガサスエネミーを駆っていた騎士アバターだった。

 白のレギオンの幹部集団《七連矮星(セブン・ドワーフス)》の《プラチナム・キャバリアー》。単純な戦闘力以上に、厄介さから席次が高いとされる集団の中で、その剣の腕で第一席に座する男である。

 

「よぉ、ダウナー剣士。相変わらずぴかぴかの見た目にそぐわない陰気臭さだな」

「君こそ……相変わらず人の神経を逆なでする話し方だね……《拳鬼(クルーエル)》」

「そんな古い呼び名を使ってくれるな。ところで……良い鳩馬(はとうま)だな。どこで拾った?」

「……落ちていたわけじゃないし、それも説明する必要はない…………でも名前だけは教えるよ。《アリオン》だ……二度と鳩馬なんて呼ぶんじゃない……」

 

 キャバリアーは、アリオンと呼んだペガサスの頬に手を当てる。どうも握る手綱を含めた馬具は、調教(テイム)アイテムらしい。エネミーにそれなりの愛着があるのか、気だるげに余韻を含ませた話し方でも、大悟の呼び方を訂正する語気は心なしか強かった。

 

「どうしてわざわざ……君をここに誘導したと思う……? この大事な局面を、君なんかに引っ掻き回されたくないからさ……」

 

 そう言ったキャバリアーは、手綱をコスモスへ献上するように丁寧に両手で差し出した。コスモスが黙ってその手綱を受け取り、エネミーを牽いてその場から下がると、キャバリアーが左腰に下げた長剣の柄を握る。

 

「オシラトリ最強の前衛が相手とは、これまた光栄だ」

 

 まずは目の前の相手をどうにかしないことには、コスモスと話どころではない。この場で自分を倒そうと、殺気を放ちながら剣を抜く騎士を前にして、大悟は右手を突き出した。

 

「着装、《インディケイト》」

 

 ボイスコマンドにより青紫色の光が大悟の右手に集約し、一本の薙刀を形成する。手にした強化外装を掴んだ大悟は、更にコマンドを唱えた。

 

「《縮》」

 

 アイオライト・ボンズの背丈とほぼ同じ長さをした柄が縮んでいき、およそ四十センチにまで短くなったところで止まる。幅広で反り返った刀身は変わらないので、中国刀の一種に似た見た目に変化した薙刀を、大悟は軽く振ってみせた。

 

「せっかく名うての剣士とやるんだ。こっちも刀で相手をしよう」

「……………………」

 

 無言のまま長剣の切っ先をこちらに向けるキャバリアー。次の瞬間、彼の右手だけが握る剣と共にかき消えた。

 まだ互いの剣先も届かない距離。それでも迫り来る脅威を感じ取った大悟が刀を振るうと、両者の間で金属の衝突音と火花が舞い散った。

 



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第五十二話

 第五十二話 体は不滅、心は癒えず

 

 

 PK集団の最後の一人がポイント全損による永久退場をしたことで、サドンデス・デュエルは完全終了し、一人生き残ったデーモンの視界には、そのメッセージやリザルトが表示されているはずだ。

 だというのに、その青白いアイレンズの視線は、ゴウへ向けられたまま全く動かない。先程とは違い、ゴウの全身を《電界路(インパルス・サーキット)》による黒い紋様が走っているからだろうか。

 

「どうして助けた」

 

 凝視され続け、ゴウがさすがに居心地の悪さを感じ始めたところで、以前聞いた時と同様、どこかやさぐれた、吐き捨てるような口調でデーモンからそう訊ねられた。

 

「どうしてって……」

「サドンデス中じゃ、部外者のお前がサドンデス参加者を何人倒そうが、ポイントは一切入らない。お前にメリットがねえ。返り討ちに遭って、ミイラ取りがミイラになる可能性もあったろうが」

「……関係ない。PKの連中に襲われてるのを見たら、それが誰だって放っておけない。まさかあんただとは思わなかったけど。僕は……あんたと再戦する為に今日、秋葉原に来た。永久退場なんてされたら困るんだよ」

 

 別にお礼の言葉が聞きたかったわけではないが、初めから喧嘩腰なデーモンに、ゴウもつられて素っ気ない口調になる。

 

「……お前、リアルであそこにいたのか?」

「PKっぽい連中が、車に乗り込もうとしてたところを偶然」

「あぁ、それでか」

 

 自身の現実の姿を知られたのかもしれない点には触れず、ただゴウがあのタイミングで現れたことに納得がいったという様子で頷くと、デーモンは突き立てていた三叉矛を地面から引き抜いた。

 

「再戦がどうとか言ったな? なら相手になってやるよ」

「い、今? いやいや、今はそれどころじゃ──うっ!」

 

 戸惑うゴウにはまるで取り合わず、デーモンは一気に距離を詰め、矛で突いてきた。

 一度対戦した経験が役に立ち、ゴウはこれをかろうじて避け、矛の柄を掴んで追撃を中止させる。

 

「待てってば! あんたリアルじゃまだ、PK……だった奴らの車の中なんだぞ!? もう警察にも通報してある。今日はログアウトして、また日を改めてから──」

「だからなんだ。一戦やる時間は充分あるだろうが。その程度の傷じゃ、体力もほとんど減ってないだろ。こっちもお前に投げられた時できた掠り傷くらいしかダメージはねえ。条件はほぼイーブンだ」

 

 ゴウが見た限り、デーモンに傷はない。だが、自己修復アビリティを持っているデーモンは、デュエルアバターの体が再生してしまう。自分以外の体力ゲージが表示されない無制限中立フィールドでは、実際にはどの程度ダメージを受けているのかは分からない。

 建物に放り投げた後に、内部で床を擦った程度ならともかく、追ってきた心意技を扱うPK相手にも、本当にダメージは負っていなかったのかは判断しかねる。

 

「放せ」

 

 デーモンの一言に危機感を抱き、ゴウが握っている矛の柄から手を放した直後、矛の切っ先から石突まで、全体が一気に赤く染まった。

 それを握るデーモンの両手の装甲も、灰色から赤に変わる。同時に伝わる熱気。元は手から高熱を発するアビリティが、強化外装の矛にも伝わっているのだ。

 しかも、あの状態で受ける攻撃は、ごくわずかながらスリップダメージを付与する上に、痛みが引かない。その厄介さを前回ゴウは、文字通り痛いほど味わった。

 ここでデーモンと戦うとは思っていなかったが、こうして戦闘が始まってしまった以上、尻尾を巻いて逃げるわけにはいかないと、ゴウは意識を切り替えた。

 ブレイン・バーストで予想外のことが起きるのは、今に始まった話ではない。それにある意味では、元々の予定通りでもある。

 赤熱した矛を携え、デーモンが迫る。

 ゴウは繰り出される攻撃を避けながら機を待った。前回までの自分では、攻撃後の隙を見つけるか、ダメージを覚悟して受けてから、反撃に出るくらいしか策がなかった。

 今はほんの少しだけ違う。かの紫の王パープル・ソーンとの修行で発現し、大悟達を相手に使い方を(スパルタ方式で)覚え(させられ)た、新しい力がある。

 回避の拍子にゴウの体勢が崩れたところで、矛が上段から袈裟気味に振り降ろされる。これではもう躱せない。ではどうするか。受けて立つしかない。

 ゴウは意識を集中させた右手で拳を作り、刃の根元と繋がる柄の先端を狙った。そして、接触の瞬間──。

 

 バチィィィイン! 

 

 光と音、火花が発生する。ここでゴウは初めて、デーモンから動揺の気配を感じ取った。矛から伝わる力が弱まったところで、柄の部分と接触している拳で押し返す。おまけに、空いている腹部へ前蹴りを決めた。

 

「はあっ!」

「ぐ……!」

 

 ゴウの足裏から再び火花が散り、デーモンが呻きながら後退する。これにより、この闘いでクリーンヒットを先に決めたのはゴウとなった。

 ゴウが獲得した新たなアビリティ、《電界路(インパルス・サーキット)》。その効果は、全身に広がった稲妻状の黒い紋様に、ゴウの意思で必殺技ゲージを消費することで、高電圧を発生させられること。

 発動中の部位に触れている時間や電気の規模によっては、その対象をスタン状態にさせることも可能である。先程のPK集団のリーダーは、ゴウを吸盤の付いた触手で捕らえていたことで、電気が発生しても即座に拘束が解けず、その効果を存分に受けてしまったのだ。

 そして今、デーモンはゴウの拳に接触した矛から伝った電気を受け、腕の力が一瞬だけ弛緩してしまった。

 その隙を突いて、ゴウは反撃に出たのだ。ちなみに蹴った際にもアビリティを発動させ、蹴りの威力を底上げしている。

 ──いける。ちゃんと武器になる。

 ゴウは手を握っては開いてを繰り返して、感覚を確かめる。

 今の攻撃でも、拳のみ、足のみといった具合に、ピンポイントでアビリティを発動できた。必要な箇所以外には──例えば腕全体や脚全体に発動して、その分の必殺技ゲージを無駄に消費するということもなかった。発動部位をコントロールする特訓の成果は、しっかりと出ている。

 だが一方で、デーモンの放つ熱自体を克服しているわけではない。矛の柄を殴った際にもダメージは受けているし、右手にはしっかりと火傷の痛みを感じる。

 ──結局は上がった火力で、倒される前に倒すしかないんだけど…………? 

 一度攻撃が決まったことで警戒され、もう簡単には決まるまい。次はどう攻撃を当てようかと考えていたゴウは、目の前のデーモンから、これまでとは違う雰囲気を感じ取った。

 

「さっき聞いた音と同じ……やっぱり電気系のアビリティだったか。……嫌なこと思い出させやがる」

 

 ゴウが腹に当てた蹴りの跡が消えていき、小声でぶつぶつと呟くデーモンの握る矛から、熱とは異なる赤い光が発生する。

 間違いなく過剰光(オーバーレイ)。しかも仄かに薄暗い。おそらくはネガティブな感情から生み出された、負の心意技を発動しようとしている。思い返せば、先程PKアバターの一人を燃やした炎の光と同じ色だ。

 

「っ……その心意は駄目だ! 知らないのか!? 負の感情が元の心意は──」

「より心の穴に引き込まれるか? それがどうした、どうでもいい」

 

 ゴウの警告は、デーモンに遮られた。負の心意の多用によるデメリットを、承知の上で意にも介していないらしい。

 

「どうでもいいんだよ、そんなことは。そもそもPK共に全損させられたとしても、別にそれでよかった。どうせバーストリンカーだったことも忘れるなら、どう終わろうがどうでもいい」

 

 どうでもいいと連呼しているのに、それまで感情が窺えなかったアイレンズと声には、明確な怒りが宿っているのをゴウは感じた。自分の行動が、一体デーモンの何の琴線に触れたというのか。

 

「《炎獄万魔殿(パンデモニウム・インフェルノ)》」

 

 吐き捨てるように口にした技名と共に、デーモンは危うげな光を放つ矛の刃を、足元の地面へ振るった。その動作で、明らかに刃が届いてなかった左右数メートル先まで、横一文字の線が地面に刻まれる。

 すると、線から細長い炎が点々と噴き出し、それぞれが地面に向けて折れ曲がった。その先端は五つに先分かれしている。ただの炎ではない、あれは五指のついた腕だ。

 炎は地面の線から這い出るようにして噴き出し続け、最終的にデーモンの姿と同じ輪郭を象った、四体の炎の分身が出現する。

 す、とデーモンが矛をゴウへ向ける。

 それを合図に、まるで地の底から召喚された悪魔を思わせる分身達は、一斉に火の粉を散らしながらゴウへと殺到した。

 

 

 

 これは、ある少年の話。

 海外の祭り会場で火傷を負った少年は、この事故とそれがきっかけになった両親の離婚を経て、性格が百八十度変わってしまった。それまでの明るさは鳴りを潜め、ほとんど感情を表に出さなくなってしまう。東京は港区にある、親権を得た母親の実家で暮らすようになり、転入した学校でも、新たな友達は一人も作らずにいた。

 そんな生活から二年近くが経ち、小学四年生に進級した頃、少年の家庭環境がまた変化をする。

 母が再婚したのだ。交際している男性を初めて紹介された時は、少年にも複雑な気持ちはあったが、離婚当時は自分に負けず劣らず気落ちしていた母が、嬉しそうな表情を浮かべる頻度が増えた喜びの方がわずかに勝った。

 ほどなくして、新居での生活が始まる。母の実家からも近く、学校の転校も不要だった。

 少年の新しい『父親』は、母が勤めていた会社の先輩に当たる人物で、こちらへ過度に構うことはしない。それでいて無関心なわけでもなく、絶妙な距離感で接してくれるので、少年にとってはありがたい存在だった。

 問題は、義父には連れ子として一人娘がいることだった。年齢は少年より一つ上で、書類上では義理の姉に当たる。

 邪険にされるわけでも、いじめられるわけでもない。むしろその逆で、この姉はとにかく少年を可愛がった。曰く「ずっと兄弟が欲しかった」らしい。

 姉は何かにつけて少年に構い、スキンシップも激しく、家では四六時中、とにかく少年と一緒にいたがった。落ち着いている父親とはまるで正反対で、本当に親子なのかと疑うほどだ。

 何よりも苦なのは、その底抜けに明るい性格が、昔の自分を見ているようで。

 ついに耐え切れなくなった少年は、姉を怒鳴りつけてしまう。同居からたった二週間後のことであった。

 姉は少年に怒られたことへの理解に時間がかかったのか、何秒かきょとんとした表情を浮かべた後、わんわんと泣き出してしまった。

 ぼろぼろと涙を零して大泣きする姉を放置し、自分の部屋に戻った少年もしばらく経つと、かなりひどい言葉をぶつけた自覚から罪悪感が湧いてきたが、それでもこれで少しは距離を置くだろうと思っていた。

 ところが、翌日には姉はもうけろりとしていて、しかも昨日の号泣が嘘のように、にこやかに話しかけてくるではないか。

 この時に少年は、メンタル的にこの姉には一生敵わない気がした。ただし、過剰なまでの猫可愛がりはこの日以降、多少は落ち着くようになる。

 それから何ヶ月か経ったある日、少年は姉に呼び出された。何事かと思えば、「あるゲームアプリを渡したい」と言う。

 一度は断る少年だったが、いつになく姉が神妙な面持ちをしているので、仕方なくコピーインストールを了承した。向かい合う姉とケーブルで直結した少年の視界に、聞いたこともないタイトルのダウンロードの可否が表示される。

 イエスを選択すると、周囲が炎に埋め尽くされた。ゲームの演出とすぐに分かっても、渦巻く火炎が仮想のものと理解していても過去を刺激し、体が強張る。

 そんな少年の手に何かが触れた。ひんやりとしているのに、どこか温かいそれは、ざわめく少年の心を落ち着かせていく。

 視界正面で燃え盛るタイトルロゴの下に表示された、インジケーターが百パーセントに到達して消え去る。残り火がダウンロード完了の旨をした英文を形作り、それも消え去ると、目の前には真剣な眼差しで少年の両手を握る姉。

 慌てて握られた手を振り払い、ダウンロードの完了を少年が伝えると、姉はそこでようやくいつもの笑顔を見せた。

 ブレイン・バーストプログラムを得た少年が、バーストリンカーになった日のことである。

 

 

 

「《黒金剛(カーボナード)》!」

 

 心意技は原則、心意技でしか防げない。デーモンの心意技である炎の悪魔達が向かってきた瞬間に、ゴウもまた心意技を発動していた。白い過剰光(オーバーレイ)が発生した全身の装甲が一回り以上厚くなり、黒に染まる。

 ゴウはすぐに悪魔達を迎え撃つことはせず、逆方向に走り出した。逃げ出すわけではない。

 

「あった……!」

 

 道端に落ちている、自分の得物はすぐに見つかった。PK集団との戦いで投げつけてそのままにしていた、《アンブレイカブル》を拾い上げて力を込めて握る。

 ──強化外装を体の延長、自分の一部にするイメージ……。

 そう強く念じると、デュエルアバターの身を取り巻く心意の光が、金棒にも伝わっていく。過去に一度だけ成功して以来になる、強化外装への心意システム付与は、しっかりと身に着いていたようだ。

 踵を返したゴウは、迫りくる悪魔の一体に、金棒を叩き付けた。炎の体は実体があるようで、確かな手応えと共に悪魔が吹っ飛ぶ。

 ところが、一斉にかかって来た残りの三体の相手をゴウがしている内に、吹き飛ばした一体もすぐに戻ってきた。炎なので当然と言えば当然だが、燃える体に傷跡はない。

 それからもゴウが一定の威力がある攻撃を入れると、悪魔達は一時的に動きを止めるのだが、またすぐに動き出してしまう。頭を潰してみてもすぐに元に戻ってしまい、結果は同じだった。

 これと似たような状況を、ゴウは一度経験している。今年の二月に一度だけ遭遇した、ショコラ・パペッターと対戦した際のことだ。

 パペッターは必殺技で、チョペットなるチョコレートでできた自律人形を作り出してみせた。このチョペットにも物理攻撃がまるで効かず、ゴウは散々な苦労を強いられたものだ。

 だが、このデーモンが作り出した炎の悪魔は、パペッターの指示で動くチョペットと異なり、デーモンが何も命令しなくとも動いているのでそれ以上に厄介だった。

 

「キリがない……!」

 

 ゴウが呻くと、離れた所に立つデーモンが先程と同じく、矛で地面を切り払う動作をした。そこから更に炎を悪魔が四体現れる。一体、何体まで作り出せるのか。

 その光景に気を取られたゴウを、悪魔の一体が後ろから羽交い締めにしようと飛びかかってきた。

 

「ぐっ!?」

 

 完璧に極められる前にゴウは慌てて引き剥がし、悪魔を裏拳で殴り飛ばした。心意で強化された装甲によってダメージは受けなかったが、それでも触れられた背中や手には、焼きごてを押し付けられたような激痛が残る。高熱や冷気に耐性を持っているアバターでも、しっかり熱さや冷たさを感じるのと同じ原理だろうか。

 新たに発生した四体が向かってきている。このままでは人数に物を言わせて押さえ込まれてしまうだろう。どうにかしてかいくぐり、デーモン本体を叩くしかない。

 そこでゴウは一つ作戦を思い付き、一度大きく金棒を振るって悪魔達をなぎ倒してから、近場の建物に入り込んだ。追ってくる悪魔達の足音が聞こえる。

 

「ふっ!」

 

 ゴウは足を止めずに、建物内の柱へ金棒を叩きつけた。

《煉獄》ステージの大型建造物は、《魔都》ステージほどではなくとも破壊不可能に近い強度を持つ。不気味な触手が絡まるこの太い柱も、本来なら何度攻撃しても壊せるかはあやしいところだが、ゴウの心意による事象の上書き(オーバーライド)が、一撃での破壊を可能にした。建物を支える役割を果たせなくなり、砕けた柱の周辺から嫌な音が発生し始める。

 それでも炎の悪魔達は建物の外に逃げたりはしない。おそらく知能の類は備わっておらず、標的を燃やし尽くすまで追い続けるのだろう。技としてまとめると、追尾機能を備えた炎攻撃といったところか。そこにいかなる手段で消火しても、また復活するというおまけが付いた凶悪な仕様だが。

 そんな悪魔達を躱しながら、ゴウは建物を駆け回り、目に付いた柱を軒並み壊していく。そしてとうとう、建物そのものの崩壊が始まった。天井が瓦礫の塊と共に降り注ぎ、背後の悪魔達を押し潰していく。

 

「《ランブル・ホーン》!」

 

 必殺技の発動で角が伸び、脚力も強化されたゴウは、一直線の強行突破で壁をぶち破って建物から脱出した。そのまま立ち止まることなく、デーモンに向かって突進する。

 またしても悪魔を生み出そうとしていたデーモンに、ゴウは《アンブレイカブル》をぶん投げた。さすがにデーモンも心意技の発動シークエンスを中止し、おそろしい勢いで回転して迫る金棒を避ける。

 その間に距離を詰めたゴウは、必殺技の効果時間が終了するも構わずに、デーモンへタックルを見舞った。

 

「かっ……!」

 

 デーモンは矛で受け止めるも、心意の装甲に加え、速度の乗ったゴウの体当たりは防ぎ切れず、矛を折られて吹き飛ばされ、地面を滑った。

 後方で完全に崩れた建物の下敷きになった悪魔達は、身動きが取れないか、少なくともしばらくは出てこられないだろう。

 このまま一気に勝負を決めようと、ゴウが追撃しようとしたその時。

 

「《氷獄伏魔殿(パンデモニウム・コキュートス)》」

 

 デーモンが新たに技名を呟いた途端、ゴウは急激な寒気を感じた。

 周囲を見渡すと、地面や建物に薄く白い霜が降り始めている。ゴウが破壊したばかりの建物だった瓦礫の山も同様だった。何より、そこに埋まっているはずの炎の悪魔達の、心意特有の気配が消えている。

 この急激な気温低下の原因が、誰のせいかは明らかだ。

 

「何を──!?」

 

 ゴウが問い詰めようとしたデーモンが、ゆっくりと起き上がっていた。どういうわけか、柄の中ほどから折れたばかりの矛は、何事もなかったように修復している。

 ──あの矛、熱を伝導させるだけじゃないのか? 体と同じように強化外装まで直るなんて……。

 デーモンは全身の装甲の隙間から、余すことなくオレンジ色の光が漏れ、熱気と煙を立ち昇らせている。その姿は、炎の悪魔達とは比べ物にならない脅威を、ひしひしとゴウに感じさせるのだった。

 

 

 

 これは、ある少年の話。

 

「はいっ、コーくん!」

 

 少年がブレイン・バーストを始めて、一年が過ぎた頃。

 直結による通常対戦フィールド内で、《親》である姉が「レベル4おめでとう記念だよ」と、一枚のアイテムカードを少年に差し出した。渡す側なのに、自分が物を貰ったような喜びようである。

 少年は呼び方を窘めてから、カードを受け取った。『コーくん』という呼び方は、現実の本名でもアバターネームでも通じてしまうので、姉は現実でも加速世界でも少年をそう呼ぶ。何度言っても止めないので、少年は口では毎回文句を言うが、実際のところはとっくに訂正させるのは諦めていた。

 受け取ったカードを起動してみると、ガラスで作り出されたような、透明な三叉の矛が実体化する。ところが少年が手に取った瞬間、無色透明だった矛は、少年のアバターと同じ質感の灰色に変化してしまった。

 

「それね、《ミラー・トライデント》っていうの。ショップで見かけた時から、コーくんに似合うだろうなって思ったんだ」

 

 矛を握る少年を見て、姉が満足そうに頷いて拍手をする。

 確かに似合うだろう。悪魔のような風貌のアバターに、フォークに似た武器を持たせれば、様になるに決まっている。知らない者へ初期装備だと伝えれば、誰でもすんなり信じるだろう。

 だが、自分のアバターの見た目が好きではない少年としては、正直あまり嬉しいものではなかった。

 

「もー、そんな顔しないの」

 

 装甲と同じ材質のフェイスマスクを、姉が両指でつまむ。マスク越しなのに表情が分かるのかと少年が問うと、「雰囲気で分かるよ。家族だもん」と即答された。

 

「ちゃんと扱えるようになれば、すっごい戦力アップになるんだから。その強化外装はね、見た目だけじゃなくって、正式な所持者になったアバターの性質をコピーするんだって。だからどこか欠けても、耐久値の限りはコーくんみたいに治っちゃう……はず。それに素手での格闘もいいけど、別の戦い方を伸ばしても損はないよ?」

 

 姉は言うことは間違ってはいない。持て余さないようになれば、強化外装は大きな力になる。しかし、少年が言いたいのはそうではなく──。

 

「それにね、こういうのは逆に突き詰めちゃった方がいいの。いつも言ってるでしょ。世の中、本気で楽しんだ者勝ちだって。楽しまなきゃ損々。ね?」

 

 姉にこちらを先回りするように断言されてしまい、少年は閉口する。こういった時の姉の言葉には妙な説得力がある。そこはベテランのバーストリンカー故か。

 姉は加速世界の中でも大レギオンである、白のレギオンと通称される集団に属し、少年も姉に(しつこく)誘われ、同じレギオンに加入した。

 姉の実力はレギオンの幹部集団にも匹敵し、これまで幹部を除いて数人しかいない、レギオンの最終試験目標である『巨獣(ビースト)級エネミーの単独討伐』を成し遂げた一人だ。

 実際に幹部入りの話もあったそうだが、姉は今の立場のままでロウランカー達の指導役を望み、平のメンバーと立場は変わらないでいる。

 社交的な性格も相まって、レギオンメンバーとの交友関係は広く、ロウランカーではその姿を見たこともない者も多いレギオンマスターへ、レギオン加入当初の少年を対面させたりもした。

 一方でその《子》である自分は、レギオン内では一兵卒に過ぎない。領土戦で同じ場所へ配置されると、姉に助けられることも多々ある。彼女に守られる側から、彼女を守る側になるまで強くなることが、いつの頃からか少年の密かな目標になっていた。

 

「よーし、せっかくだからこのまま対戦してみよ! 習うより慣れよってね」

 

 言うが早いか、明るい青色をした騎士アバターの姉が、剣と盾を構える。

 両側頭部に飾り羽をあしらった兜に、そこから少し伸びる薄い金髪。はためくマントを着けた鎧と、放電して電気を纏わせられる、取り回しやすい片手剣と丸盾。

 これで頭にリングを浮かべて羽根でも生えていれば、鎧を身に着けた天使そのものだろう。そのまんま悪魔な自分とは正反対な見た目だと、少年はいつも思う。

 その姿を作り出した核となっている、姉の《心の傷》を少年は未だに知らない。デュエルアバターの鋳型になるほどの傷となると、思い当たるのは物心ついた頃に実の母親と死別しているらしい、ということくらいだが、別にわざわざ聞く気もない。

 少年が両手に発動した《蝕熱(カース・バーン)》アビリティが伝導し、手に取ったばかりの矛も赤熱していく。なるほど、リーチが伸びるのは確かに有用で悪くない。

 構える少年を前にして、姉が称賛するようにぴゅうと口笛を吹いた。

 

「いいねいいね。じゃあ、いくよっ!」

 

 結局、初めて扱う武器をすぐにものにできるはずもなく、少年は負けた。こういった稽古を含んだ対戦でも、姉は花を持たせようとはしないので、少年は一度も姉に勝利したことがない。いつもは頭の中がお花畑みたいな性格をしているくせに、妙にシビアなところがある。

 その日の夜。床に就いた少年は、目標はまだまだ遠いと思いながら、ゆっくり眠りに落ちていった。

 朝起きた頃には、すでに姉がバーストリンカーとしての記憶を失っていることなど、考えもせずに。

 

 

 

 これは、ある少年の話。

 姉の永久退場から、およそ三年が経った、二〇四七年現在。

 姉が全損した理由は未だに不明とされ、当時はレギオン内でもかなりの騒ぎになったが、少年は当時の時点で、もうどうでもよかった。

 レギオンに残留し続けているのも、離脱するのさえ面倒だからだ。領土戦にも今ではほとんど参加しなくなり、レギオン内で半ば幽霊部員のような立ち位置に収まっていた。中には自分のことを、レギオンメンバーとは数えない者さえいる。

 実の父親に続き、バーストリンカーとしての姉も自分から去っていった。目標は消え去り、残ったのはやり場のない喪失感だけ。目指す場所を失った少年には、ブレイン・バーストは日々の鬱屈を一時的に解消するものでしかなくなっていた。

 乱入し、乱入されては相手を速やかかつ、効率的に倒す。モチベーションに反して、あの日姉からプレゼントされた矛の腕前を含め、実力だけは上達していく。

 傷が立ちどころに修復される体に、発する熱は消えない痛みを相手に与える。加えてその見た目と、対戦相手から勝ち星とポイントを奪っていく様から、少年のアバターはいつしか《魔燼(バンデッド)》と呼ばれるようになっていた。

 そして、六年前の事故以来、未だ同じ悪夢を見る。ブレイン・バーストを始めてから、だいぶ見る頻度は減っていたのに、姉の永久退場以降、再び週に一度は見るようになった。

 火だるまになっている自分を助けようと手を伸ばしてくる人達が、燃え移った自分の炎に焼かれていく。その中には、それまでいなかった姉の姿が加わっていた。

 結末はいつも同じで、一人残されて灰色の悪魔となった自分自身を俯瞰している。その姿は、自身のデュエルアバターと瓜二つ。

 そして目が覚めると決まって、最新医療によって火傷の跡さえ残っていない右腕を、少年の心と共に幻影の熱がじりじりと焼き焦がすのだ。

 傷は未だ、癒える気配はない。

 



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第五十三話

 第五十三話 天降地昇(あもりちわく)

 

 

 以前の対戦でコークス・デーモンに敗北したゴウはその後、彼のカラーネームに当たる『コークス』について調べていた。

 コークスとは、石炭を高温の蒸し焼きによって乾燥、すなわち乾留させたもので、和名では『骸炭(がいたん)』と読む。石炭よりも燃料としての発熱量が上がることから、古くから製鉄業を主として使われていた物質である。

 このコークスは燃焼時、一酸化炭素を始めとする、有害物質を発生させてしまうことから、日本では十年以上前に植物を原料にして作られる、バイオコークスに代替されている。本来の石炭由来のコークスの使用には、認可証等の厳しい規制がかけられているようだ。

 そんな歴史はともかく、デーモンが両手に熱を発生させるのは、コークスの特徴を持った装甲から来ているとみていい。おそらくはダイヤモンド・オーガー同様、鉱石系のアバターに分類されるのだろう。

 そんな骸炭の悪魔は今、《煉獄》ステージとしては有り得ないほどに冷え込んだ気温下で、陽炎を揺らめかせるほどに全身を赤熱させていた。

 ──この辺り一帯の熱を吸い取って、自分の中に溜め込んだ……? 

 自分で推測しておいて、よく分からない理屈だが、デーモンが心意技らしき技名を口にしてからこの現象が起きたことから、ゴウにはそれ以外に考えられない。

 デーモンが矛を中段に構える。これまでにも何度か見た突きの構え。一つ違うのは、構えた直後には十メートル以上あった距離が、一瞬で詰められていることだった。

 

「ぐっ!? うううう……あぁっづ!」

 

 ほとんど見えなかった。間一髪、ゴウは反射的に構えた両腕の防御で、どうにか胸部の串刺しは免れたが、デーモンの突進の勢いは衰えず、背後の建物に打ち付けられた。浅いながらも矛は装甲に突き刺さり、容赦なくダメージと熱を与えてくる。

 ゴウがとにかく引き剥がそうと脚を上げたところで、デーモンはそれより先に自ら下がった。それからいきなり矛を逆手に持ち替えると、あらぬ方向へ投擲する。

 その先には、先程ゴウがデーモンに投げつけた金砕棒《アンブレイカブル》。心意の高熱に包まれた矛は光線のような速度で飛来し、命中した《アンブレイカブル》を一撃で粉砕してみせた。

 ゴウの攻撃手段の一つを潰したデーモンは矛を回収することなく、そのまま格闘戦に移行する。繰り出される拳や蹴りは一つ一つが重く、それでいて捌くゴウが半ば目で追えないほどに速い。

 ──くそ、受けるだけで精一杯で……攻撃に移る隙が無い! 

 じりじりと体力ゲージを削られていく中、とうとうゴウはデーモンの後ろ回し蹴りを躱し損ね、爪先に生えた四本の爪に胸部装甲を抉られる。続けて、ソバットの要領で繰り出されたバックキックが腹部の真芯を捉え、ゴウは呻く間もなく後方へ吹っ飛ばされた。

 

「っ! かはっ……!」

 

 先程以上の威力に建物の壁を突き破り、その拍子に強かに背中を打ち付けて倒れたゴウは、衝撃に息が詰まる。

 ──倒れたままでいるな、追撃が来る! 

 脳が警鐘を鳴らす。隙だらけの状態で寝転がっているわけにはいかない。痛む体に鞭を打って、ゴウは息も整わないまま立ち上がって外へ出た。

 ところが、接近しているとばかり思っていたデーモンは、蹴りを決めた地点から動いていなかった。それどころか──。

 

「ハァー……ハァー……」

 

 肩を上下させ、ひどく息が荒い。体が燃えているも同然の状態だからか、高熱を帯びている全身から、焦げ臭い黒煙まで漂わせ始めている。やはり、それなりのリスクを負う技だったようだ。もしかするとあの状態では、何をせずとも体力ゲージが削られていくのかもしれない。

 だが、ゴウにはそれ以上に、ずっと気になり続けていることがあった。

 先週の対戦で出会って以来、デーモンはほとんどゴウに興味を示していない。ただ対戦相手だから、目の前にいるから倒す。それ『だけ』しか伝わってこない。

 平坦な眼差しは、物理的にはこちらを視認していても、関心は向けていないのだ。話だってほとんど一方通行で、会話と呼ぶにも怪しい。

 ──《電界路(インパルス・サーキット)》を発動したあたりから、やっと感情が見えてきた。でもやっぱりそれも、僕に向けてのものじゃない気がする。まるで僕をフィルターにして、別の誰かと重ねてるような……いや、いま考えることじゃないか。

 ゴウはデーモンの内面の追及を無理やり打ち切った。考えている余裕はないし、まだ勝負は終わっていない。

 現在のデーモンは心意技によって、身体能力を大幅に上昇させている。こうなると《電界路(インパルス・サーキット)》の電撃は心意の熱に上書きされ、効果はほぼないだろう。《黒金剛(カーボナード)》の頑強さを以てしても、防ぎ切れないでいる状況だ。

 そんな今のデーモンに対抗できる心意技が、ゴウには一つだけある。

 できるかどうかは不確定だ。以前の発動は、ゴウ一人の力だけではなく、ある人物の《歌》による支援があってのものだった。あの歌の助けは一度限りのもので、もう借りることはできない。

 それでもゴウは無理とは思わなかった。ゴウとダイヤモンド・オーガーの中には、あの時の記憶と感覚、そして受け継がれた想いがしっかりと刻まれている。

 ──大事なものは揺るぎないイメージ。自分が描く、何より強い姿。言葉をトリガーにして……それを実現させる! 

 浮かぶイメージを思い描きながら、ゴウは叫んだ。

 

「《建御雷(タケミカヅチ)》!!」

 

 瞬間、ゴウから過剰光(オーバーレイ)が怒涛のように溢れた。迸る光が周囲を一瞬だけ染め上げ、すぐに収束していく。

 そんな光の発生源であるゴウの全身は、雷のように火花を散らす白いオーラが走っていた。《黒黒金剛(カーボナード)》の黒い装甲から一転、通常の状態よりも遥かに高い透明度になったダイヤモンド装甲が、数多く施されたカット処理により、あらゆる角度から光を反射させて輝いている。

黒金剛(カーボナード)》の発動時は同色で目立たなくなっていた、《電界路(インパルス・サーキット)》による黒い紋様が、通常状態よりも更に際立つ。そして最大の変化は、左右の肩甲骨から伸びるアーチ。そこに並ぶ八つの太鼓。

 その雷神を髣髴とさせる姿を前にしても、デーモンは怯まずに突進してきた。灼熱の体により文字通り、大気を焦がしながら飛び蹴りが繰り出される。

 

「はあっ!」

 

 ゴウは避けずに、蹴りに合わせて拳を放った。赤と白、二つの光がぶつかり合う。数秒の拮抗の後、競り勝ったのはゴウの雷に似た白い光だった。

 

「っだあああああ!」

 

 蹴りが弾かれて体勢が崩れたデーモンの着地を待たずに、ゴウは地面を蹴ってデーモンの右頬に正拳突きを打ち込む。

 砕かれたマスクの欠片を散らして宙を舞うデーモンは、空中で体を捻らせ、頭から地面に激突することなく着地してみせた。そのまま着いた片手と両足の爪で、地面を削りながら停止する。

 そうしてデーモンが前を向いた時には、すでにゴウは目前まで距離を詰めていた。これにはデーモンが驚きにアイレンズを見開く。

 

「な──」

「はああああっ!」

 

 光の軌跡を残しながら、ゴウは助走の付いたボディーブローを、デーモンの腹部に叩き込む。先程の意趣返しとなる形で、今度はデーモンが後方の建物の壁を突き破りながら吹っ飛んでいった。

 今のゴウは《建御雷(タケミカヅチ)》の発動により、デーモン同様あらゆる身体能力が強化された状態にある。一連の動きでデーモンに触れた両手を確認してみても、火傷のダメージはなかった。より強い心意がデーモンの発する熱を上書きしているのだ。

 勝ちの目が見え出したその時、周囲が一層冷え込み、薄暗くなった。何事かとゴウが上を向くと、いつの間にか空には《煉獄》ステージの緑色の雲ではなく、灰色の雲が浮かんでいる。そこからちらちらと白く細かい雪まで降ってきて、ゴウの元にも落ちた。

 雪雲は局所的で、少し離れた空を見れば緑色の雲が空を覆っている。誰の仕業かは考えるまでもない。

 正面の建物の奥から、デーモンがのそりと這い出てくる。更に周囲の熱を吸収したことで、その姿は最早、炎そのものと化した有様だった。その過剰光(オーバーレイ)の明るさに遮られ、こちらの与えた傷が、すでに修復されているのかどうかも確認できない。

 全身から振り撒かれる深紅の光は本来の装甲の色を完全に隠し、火の粉のように体から零れて地面に落ちると、道路に降りた白い霜を一瞬で消し去る。そして、青白かったアイレンズは今や紅蓮色に変わり、火山から噴き出す溶岩の如く爛々と輝いていた。

 

「ア…………」

 

 目が合ったデーモンから、そんな小さな呟きがゴウに届いた直後──。

 

「アアアアアアアアアアァァァァァ!!」

 

 デーモンのマスクの口元がぱっくりと裂けた。大音量の雄叫びを上げると同時に、ゴウに向かって一直線に突っ込んでくる。

 真っ赤な爪を突き出すデーモンの両手を、ゴウは驚きながらも受け止める。

 

「ッアァ! ガアアアアッ!!」

 

 攻撃を防がれたデーモンは荒々しく吼え、滅茶苦茶に動き回りながらあらゆる角度から攻撃を繰り出し始めた。

 ゴウもこれを迎え撃ち、両者が接触する度に、これまで以上に激しい光と音が発生する。

 わずか一分にも満たない、しかし激しい攻防の後、ゴウはデーモンの手首を掴んでその場に留める。戦いの余波で周囲は《世紀末》ステージよりもひどい廃墟と化していた。

 

「く、急に……何なんだ……!」

 

 そんな戸惑いの声をゴウは漏らす。向こうの出力はより上がっているが、それでも今の自分の方が馬力は勝っていると確信できた。

 気になるのは、あまりに乱暴すぎるデーモンの動きだ。これまでの戦闘では、その状況に最適かつ無駄のない動作をしていたのに、今ではデュエルアバターとはいえ、我が身を使い潰さんばかりに無茶な駆動をしている。その姿は、ゴウにかの《災禍》を冠した狂戦士を想起させた。

 ──暴走してる……? 負の心意に呑まれたか……。

 

「デーモン? デーモン、聞こえるか?」

「────……」

 

 こちらの問いかけが耳に入っているのかいないのか、おそらくは過大な負荷による《逆流現象(オーバーフロー)》が起きているデーモンは、少し前まで狂ったように叫び散らしていたが、今は何かをぶつぶつと呟いている。

 

「俺のセイで…………。どうシテ……何も言わズに…………俺ニ何も……オれは……」

 

 耳を澄ませたゴウがかろうじて聞こえたのは、所々で発音がおかしい、そんな言葉だった。

 

「…………」

 

 ゴウに理解できたのは少なくともそれが、自分の呼びかけに対する返答ではないということ。

 

「…………ふ」

 

 無性に怒りが沸き上がったゴウは首を後ろに思いきり逸らしてから、デーモンの額に頭突きを見舞った。

 

「──ざっけるなぁ!!」

「ッ!?」

 

 両腕を抑えられていたデーモンは、これをまともに食らう。

 おそらく、デーモンの心意の源泉もまた怒り。沸々と湧くむき出しの感情そのもの。それも対象はゴウではなく、デーモンが自分自身に向けているものだ。

 きっと彼の内面の世界は閉じ切っていて、本質的には外に目を向けていない。だからゴウにも終始冷淡な対応しかしてこない。だからPK集団に狩られてもそれでよかった、などとのたまうことができる。

 その醸す雰囲気にゴウは先月に戦った、もう二度と会うことはない《鉛の粛清者》と似通ったものを感じた。

彼も初めはこちらに対してひどく無関心だった。しかしそれは、自身の悲願成就に熱を注ぎ込んでいたから。それ以外には脇目も振らずにいたからだ。

 対してデーモンには感じる限りそういったものが、無い。空虚ささえ感じる。それこそが彼と似ているようではっきりと異なっている点だ。

 

「いい加減にしろ!」

 

 ゴウがデーモンの両手首を放し、雑に蹴って押し退けると、デーモンは頭突きのショックがまだ残っているのか、よたよたと後ろに数歩下がった。

 

「今あんたの目の前にいるのは僕だろうが! 心の中に誰がいるのか知らないけど、自分から勝負を持ちかけといて、そんな火だるまにまでなっといて、まだまともに僕を見ようとしないのか? 本気で来いよ!!」

「……!」

 

 本気で来い。数日前に自分も、似たようなことを宇美に言われたことを思い出す。今ならあれだけ宇美が怒ったのも理解できる。

 デーモンもバーストリンカーである以上、デュエルアバターを形成している《傷》を持っている。大なり小なり心に抱えているものがあるのだろう。今の垂れ流していた独り言からして、現実で悲しい別れがあったのかもしれない。あるいはブレイン・バースト内で近しい者が永久退場したのかもしれない。

 だが、いずれにしてもゴウにはどうにもできず、この場では関係のない話だ。

 いま自分達は、この無制限中立フィールドで遭遇し、闘っている。それなのに、ここまで死力を尽くして向こうがこちらを見ていないのなら、こちらがただの馬鹿ではないか。これでは周りを飛び回る羽虫をうっとうしく思うのに、毛が生えた程度の差でしかないではないか。

 ゴウはただ、デーモンの中に自分が何も残していない、いてもいなくても変わらない存在でいることが悔しかった。

 故に負けたままでいたくなかったのだ。それがアビリティを獲得してまで、ゴウがデーモンとの再戦に執着した理由でもある。

 ゴウの頭突きでいくらか頭が冷えたのか、それとも発言に思うところがあったのか。尚も燃え盛ったままのデーモンからは、狂気的な気配だけは収まっていた。

 

「どうして……。そこまで……たかがゲームにそこまで真剣になる?」

「真剣にやる意味と価値が、このゲームにあると思っているから」

 

 しわがれた声によるデーモンの問いに、ゴウは即答する。ブレイン・バーストを通して、自分が多少なりとも前向きになれた実感があるからだ。

 

「…………」

 

 デーモンは何も言わず、炎の尾を引きながら、一気にゴウから距離を取った。足を止めた先には、ゴウの《アンブレイカブル》を破壊し、地面に突き刺さったままだった矛。

 ゴウはてっきり、拾い上げた矛にも炎を伝導させると思ったのだが、デーモンの纏う心意の炎が、いきなり体の前面からめくれるように剥がれていき、ものの数秒でデーモンは心意技発動前の姿に戻った。灰色の装甲は赤みを失い、熱が抜けて冷え切っているのが見て取れる。

 しかし、それまでデーモンの全身を覆っていた炎と、素体の芯から発生していた熱は、完全に消え去ったわけではない。背後に移動し、左右に分かれて上方へ向かって広がっている。背後の景色をほぼ覆い隠すそれはまるで、背中から巨大な翼を生やしているかのようだった。

 そんな煌々と輝く炎の両翼は、徐々に収束して光量と密度を増していく。続けてデーモンは、矛を地面へ向けて垂直に突き刺した。

 ──まさか、あれを撃ち出す気か!? 

 デーモンは発生させたエネルギーの全てをぶつけようとしているのだと、ゴウは瞬時に悟った。同時に、これ見よがしに誘ってもいる。「真正面から受けてみせろ」と。

 ──これは避けられない。避けちゃいけない。どれだけの威力でも、受けて立たなきゃ駄目だ。

 そうゴウは肌で感じ取るも、さすがにこの《建御雷(タケミカヅチ)》形態でも、正面から突撃するのはあまりに悪手なのは分かる。仮に耐え切ったとしても、攻撃できる手足が機能する状態とは限らない。

 ──目には目を。歯には歯を。心意には……心意を。向こうが心意技を放つなら、こっちも同じことをすればいい。

 できる、できないよりも先にゴウはそう考え、肩に備わったアーチに並ぶ太鼓型のパーツに目を向けて、意識を集中させる。

 

 ドドン! 

 

 すると太鼓の一つが力強い音を鳴らし、激しいスパークを発生させる。

 ゴウは自ら想像し作り上げた『最強の自分』の姿で、炎の翼を蠢かせる悪魔を正面から見据えた。太鼓は一つずつ順に、より大きく音を響かせながら、雷に似た過剰光(オーバーレイ)を纏わせていく。

 そして最後の太鼓が一際大きく打ち鳴らされ、八つ全ての太鼓への充電が完了する。

 片やデーモンの翼も極限まで圧縮され、今や二つの球体となって太陽の如く輝いている。

 合図もなく、両者は同時に叫んだ。

 

「《八雷神(ヤクサノイカズチ)》!!!」

「《獄門解放(ゲヘナ・バースト)》!!!」

 

 鬼の雷鼓(らいこ)から稲妻が轟き、悪魔の双翼は極太の熱線となって大気を焦がす。八条の稲妻と二条の熱線は、発射から一瞬で両者の間にあった、三十メートルほどの距離を埋めて激突した。

 

「「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」

 

 一歩も退くものかと、両者は吼える。戦闘中では(相手が待ってくれないので)実質不可能な、時間をかけて練り上げられたイマジネーション。それも二人分の心意エネルギー全てが、少しでも気を抜けば自分に向かってくると分かっているからだ。

 ゴウはその場で大股になって足を広げ、地面に根を張らんばかりに踏ん張った。

 ぶつかり合うは、鬼の雷霆と悪魔の業火。

 実際は数秒なのに、数時間にも思える紅白の拮抗に変化が起きる。

 始めに、前触れなく衝突部分から重低音で不規則なノイズが聞こえた。次に、そこから空間が歪んだようにゴウには見えた。そして、ノイズ混じりの歪みが波紋となって広がり出した。

 波紋が接近していても、ゴウは技を出した体勢から動かなかった。正確には動けなかった。それまで押し負けまいと力を込めるあまり震えていた体が、ノイズが発生してからは意思に関係なく固定されているのだ。

 上げていた雄叫びも止まり、声が出せない。まるで周囲の時間が空気ごと停止しているような、今まで体感したことのない感覚だった。

 特別遅くも速くもない、小走りほどの速度で広がる波紋がゴウに触れる。多少の振動とわずかなダメージを受けた。

 耳をかき鳴らすノイズ以外は何も聞こえなくなり、素通りした波紋は地面に転がる小石から立ち並ぶ建物まで、広がる先にあるもの全てを軒並み破壊していった。光の速度で鑢がけでもしたかのように、塵も残らず分解し、消滅させていく。

 ──どうなってる!? 何が起きて──。

 困惑するゴウをよそに、ノイズがぶつりと途切れた。発動していた《八雷神(ヤクサノイカズチ)》は霧散し、《建御雷(タケミカヅチ)》も意思に関係なく解除されていて、ダイヤモンド・オーガー本来の姿に戻っている。

 体を固定していた圧力もなくなり周囲を見渡すと、心意技の衝突地点から半径数百メートル近くが、残骸どころか何もかもが消え去った更地と化していた。上空に発生していた雪雲も消え失せ、周囲の気温もデーモンが心意技を使用する前の状態に戻っている。

 遠目に見える、中途半端に巻き込まれて一部が抉れ、自重を支えられなくなった建物がいくつか倒壊していく。

 加えて視界にいきなり、バーストポイント取得のリザルト画面が表示された。首を傾げるゴウだったが、これはすぐに納得した。これまでの心意技の応酬に引き寄せられたエネミーが、建物と同様に巻き込まれたのだろう。

 ──でもエネミーが消し飛んだ時じゃなくて、どうして今になって表示された? それにエネミーが死ぬ威力のものに触れて、どうして僕にほぼダメージがない? あの波紋を作った一人だから? あのフリーズした感じ……心意技の衝突で、フィールドに一時的なバグが発生した? エネルギーが周りに拡散したのか? 

 以前初めて心意技が完成した時、大悟と打ち合った際にも、余波で周囲のオブジェクトまで破壊していたが、今回は規模が段違いだ。

 立て続けに起こる事象と疑問に、ゴウはどうにか理屈を付けようとしていても、内心では動揺はほぼ収まっていた。そんなことよりも遥かに優先すべきことが目の前にあるからだ。

 更地に残されたのは、ゴウだけではない。おそらくは、この現象のもう一人の原因である、デーモンもまた立っていた。さすがに戸惑った様子で周囲を確認していたが、ゴウと目が合うと、地面に突き立てたままだった矛を引き抜いた。

 勝負はまだ終わっていない。両者は同時に動き出し、次のラウンドが始まった。

 大破壊に伴い、必殺技ゲージがフルチャージされている反面、ゴウの体力ゲージは残り四割を切っていた。高熱によるスリップダメージは、《黒金剛(カーボナード)》の発動以降止まっている。心意によって事象を上書きされたことで、元に戻っても再度発生することはないようだ。もっとも、また接近戦になるので、また食らわざるを得ないのだが。

 ──あれだけの戦闘をしたんだ。向こうだって最低でも半分は体力を切っているはず。もうすぐ心意技を連発した反動で、まともに動けなくなる。勝つには短期決戦しかない! 

 戦闘が再開して、ゴウはすぐにデーモンの動きの変化に気付いた。これまでより攻撃が当たりやすくなっている。やはりデーモンも、自分と同じくそれなりに消耗しているのだ。

 ただ、ゴウもそれは同じなので、矛を始めとした攻撃を躱し損ね、付与された高熱が蝕むように襲う。

 ゴウはすでに、アバターの全身にくまなく熱が籠っていた。デーモンの攻撃だけでなく、自身の《電界路(インパルス・サーキット)》を連発していることで、電熱が放冷される暇がなく全身に蓄積している。このアビリティはあまりに多用すると、その部位周辺の装甲が溜まった熱により、脆くなってしまうのが欠点だ。

 じりじりと体力が削れ、一秒ごとに死亡に近付いている。にもかかわらず、ゴウはマスクの下で笑みを零していた。

 この一進一退の攻防こそがゴウが求めていた『対戦』だ。先の大破壊の謎がどうでもよくなるほどに、楽しい。

 ――なぁ、あんたはどうなんだ?

 

「《アダマント──」「《クリメイション──」

 

 ──この気持ちは僕だけ? それとも──。

 

「──ナックル》!!」「──フィスト》!!」

 

 ゴウの硬質化した右手とデーモンの赤熱した左手、両者の拳が激突する。

 

「う……く……」

「ぐ、おお……」

 

 こちらの腕をじわじわと押し返してくる、デーモンの肘から推進剤代わりに噴出される炎に負けじと、ゴウも力を込める。

 ばきん、とそんな音がした。

 デーモンの腕からだ。装甲に一条の亀裂が発生したかと思うと、亀裂は一気に広がり、爆発が起きた。

 

「うわっ!?」

「ぐ……!」

 

 爆発の反動で、両者の間に数メートルの距離ができた。

 デーモンは左腕が肘まで欠損していた。僅差で先に決まったゴウの必殺技でダメージが入り、そこに自らの必殺技で発生した熱エネルギーが追い打ちをかける形になったのか。

 ゴウの方は欠損こそしていないが、爆発に巻き込まれて弾かれた右腕は手甲と前腕部の装甲が砕け散り、素体がむき出しになっていた。

 

「《バックファイア・タービュランス》!!」

 

 デーモンは左腕の欠損にも怯むことなく戦闘を続行する。右脚を大きく後ろに引き、ゴウから見て半身の体勢を取った。

 残っている右手で矛を一回転させると、刃の部分が発火する。そこからデーモンが手を放しても、矛は手元に留まりながら回転の速度を増していき、炎が完全な輪を形成したところで、デーモンは回転する矛を投げつけてきた。

 

「ぐあっ!」

 

 ゴウは体を限界まで捻り逸らすことで、どうにか直撃こそ避けられたが、燃える回転刃は胸部に浅くない傷を刻む。しかも後方に飛んでいった矛は、弧を描いてこちらに戻ってくるではないか。

 ──ブーメランか! 

 おまけに軸が不規則に揺れて乱回転し、速度も上がっている。今度は躱すのは難しい。ゴウは即座に迎撃を決めた。

 

「《モンストロ・アーム》!!」

 

 内側から膨張していく左腕を右手で支え、ゴウは自身を両断しようとする矛へ殴りにかかる。接触の寸前で巨大化が完了した左腕は、矛の軌道上にゴウの体を遮る形になり、炎の丸鋸と化した矛とぶつかって激しい火花が散った。

 

「う……うううう──っだああああ!」

 

 接触面からがりがりと左手が削られていく感触に耐えながら、ゴウは巨大化した左腕を真上に振り払った。その勢いで矛は外れ、必殺技の効果が切れたのか炎も消えて、デーモンの後方へ縦に回転しながら落下していく。

 その時、距離を詰めてきたデーモンの腹周りの装甲が不自然に蠢き、紐状に剥がれ出した。やや鋭角な菱形をした先端が、デーモンの胴体を何度も周る。そうして四メートル近い細長い物体は後方へ伸びると、地面に落ちる寸前の矛へ巻き付いてキャッチし、デーモンの元へ瞬時に引き寄せた。

 

「し、尻尾あったの……?」

 

 中指と薬指の間から手の甲の半分が裂けた、左手が元のサイズに縮小していくゴウは、驚きのあまり呆けた声が口を突いて出た。

 つまり、デーモンはテイルパーツをずっと胴体に巻き付けていたのだ。石のような装甲が完全に体に溶け込んでいて、今の今まで気が付かなかった。

 デーモンは尻尾を巻き付けたままの矛を右手で握り、ゴウの心臓部めがけて刺突を繰り出す。必殺技の反動でまだ左腕が動かないゴウは、右腕でこれを受け止めるしかなかった。

 

「うぅっ! ぐああああああ!!」

 

 三叉矛による三つの刃は、今や装甲の無いゴウの右腕に深々と貫通する。加えてデーモンの赤熱した右手から熱が伝わり、ゴウの内側へ容赦なく流れ込んできた。

 痛みと消耗から片腕では押し返せず、未だ必殺技発動後の硬直が解け切っていない左腕を動かそうとするゴウは、デーモンが欠損している左腕をわずかに上げたのを見た。

 自己修復しているとはいえ、まだ肘先から数センチしか再生していないのに、何をするつもりなのか。その答えはすぐに出されることになる。

 ぶわっ、と断面から唐突に黒い灰が噴き出し、前腕のシルエットを形作った。すぐに拡散した灰の中から出てきたのは、コークス装甲を含めて傷一つない、灰色の左腕。

 

「これが俺の本気だ」

 

 そんな一言の後、五指が真っすぐに伸ばされた赤熱する左手が、ゴウに向けて突き出された。

 

 

 

 数分前、コークス・デーモンは自身の心意技により、意識を負の感情に呑み込まれかけた。ダイヤモンド・オーガーの身体強化に対抗するべく、リスクを承知の上で、無理に心意技を重ねがけしたからだ。

 内に留め切れずに溢れ出した心意の熱に意識が飛びかけ、目の前の相手の判別さえもできなくなった。ただ自分の敵としか分からなくなり、何かを口走った気もするが、内容は憶えていない。

 少ししてから、強い衝撃を額に感じた。意識が鮮明になった直後に投げかけられたのは、オーガーからの怒声。

 

 ──『──本気で来いよ!!』

 

 その言葉に昔の記憶が掘り起こされ、デーモンの脳裏にアバター姿の姉が浮かぶ。

 

 ──『──いつも言ってるでしょ。世の中、本気で楽しんだ者勝ちだって』

 

 デーモンの《親》であった姉はこれを有言実行し、デーモンの知る誰よりもブレイン・バーストに全力で打ち込み、誰よりも楽しそうにしていた。

 そんな姉が、突如ブレイン・バーストを永久退場してしまったあの日から、デーモンの熱意は失せてしまった。超えようとしたバーストリンカーの姉はもういない。

 永久退場の理由に思い当たるものはある。だが、たとえそれを追求したところで、あの頃の姉が戻ってくるわけもない。

 目標を失い、それでも渡されたブレイン・バーストを捨てられず、惰性のままにプレイし続けた。より効率的に相手を倒す力を着け、遊びなく対戦相手を倒していく。

 対戦に勝てば多少は気が紛れるが、それも一時的なものに過ぎず、鬱屈した気持ちは常に心の奥底で澱のように沈んでいた。

 姉と同じレベル7になれるだけのポイントは、安全マージンも込みでとうの昔に貯まっているのに、レベル6から上げる気は起きない。レベルが並んだところで、肝心の姉はもう加速世界にはいないのだから。

 それなのに、今になって姉と重なる者が現れる。アバターの姿形は全く似ていないのに、電気を発生させる能力に、頼んでもいないお節介を焼く。それと何より、ブレイン・バーストに対する真剣さ。

 心がざわめき立つ。これまで合わせようとさえしていなかった眼差しを見れば、否が応にも熱意が伝わってくる。それがどれだけのものか確かめたくなった。

 故にデーモンは、敢えて効率の悪い力比べとして、最大火力の技をぶつけ合った。そして今、このコークス・デーモンの持つ力を総動員して、オーガーと戦っている。

 高熱を発した状態の両手で断続的にでも触れることで、対象に熱とダメージを与え続けられる《蝕熱(カース・バーン)》。

 首を落とされても心臓部を貫かれても、クリティカルヒットには至らず、ダメージ比率が変わらない《無瑕疵(クリティカル・ノット)》。

 いかなるダメージで受けた傷も欠損も自然に復元され、燃費は悪いが、必殺技ゲージを消費すれば高速での復元も可能な《不朽(イモータリティー)》。

 そして、これらのアビリティをコピーし、アバターの装甲と同様の質感に変化する強化外装、三叉矛《ミラー・トライデント》。

 それでもオーガーも然る者で、ワンサイドゲームにならない伯仲する『対戦』に、いつしかデーモンは熱中していた。負けたくないとは常に思っていても、勝ちたいと思ったのはいつ以来だったか。

 必殺技の撃ち合いを経て、普段は胴に巻いて装甲代わりにしている尻尾で、矛を素早く回収。オーガーの右腕に矛の刺突を防がれたところで、これまた隠していた高速復元により、欠けていた左腕を一気に復元させる。

 

「これが俺の本気だ」

 

 短く、しかしはっきりと、デーモンはオーガーに意思を示した。

 隠し玉まで出し切って掴んだ勝機。狙う場所は左胸の心臓部。《バックファイア・タービュランス》でできた傷に、この貫き手をねじ込めば勝負は決まる。

 勝利を確信したその時、デーモンの視界の端で、オーガーの左手から小さく火花が散った。

 裂けた手の甲から発生した、ダメージエフェクトかと思った直後、オーガーの全身に走っている黒い紋様が、左手にのみ新たに何本も浮かび上がる。紋様の発生は止まらず、何重にも重なって素体の灰色も装甲の白色も、一気に塗り潰して黒くなった左手が──。

 

 ピシャアアアアァァン!! 

 

 落雷のような凄まじい音が轟き、視界は眩い光に埋め尽くされる。

 ──……そうか。

 光に視覚を奪われる寸前、稲妻と化したオーガーの左腕をデーモンは見た。

 ──それが、お前の本気か。

 胸から上を貫いた熱と衝撃に消し飛ばされながら、残りの体力ゲージが一気に吹き飛ぶ。

 アバターの体が爆散する最中でも、デーモンは不思議と悪い気分ではなかった。

 



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第五十四話

 第五十四話 震撼

 

 

 欠損していたデーモンの左腕が即座に再生し、高熱を伴う貫き手が、ゴウの心臓部を貫こうとしていた。

 回避は間に合わず、矛を刺された右腕は動かせない。必殺技《モンストロ・アーム》の反動から立ち直っていない左腕で、ガードが間に合うか。そもそもできるか。

 デーモンを含む周囲の動きが、やけに緩慢になる。

 この感覚を、ゴウはブレイン・バーストにて度々経験することがある。理屈は知らないが、ゲーム内とは言え、極限下の状況で迫る死を切り抜けようとすべく、脳が活性化しているのかもしれない。

 ──ここまできて、また負け……? ……嫌だ。あと一歩なんだ。勝ちたい……勝つんだ! そのためにできることは? 僕の持ってる力で何ができる? どうしたら勝てる? 

 諦めそうになる気持ちを、闘争心で焼き払う。今この瞬間だけは、この勝負でデーモンに勝つことだけがゴウの全てだった。

 左手がずきんと痛んだ。デーモンの必殺技との衝突で人差し指と中指の間にできた、痛々しい裂傷。そして、《電界路(インパルス・サーキット)》アビリティを取得した証である、枝分かれした黒い紋様。指先にまで広がっているそれに意識を向けた瞬間──ゴウは一つの考えが閃くと同時に実行に移した。

 ──体に力を張り巡らせるだけじゃない。外に溢れるぐらいに……限界を超えるくらいに……。

 思い出したのは、紫の女帝が放った桁違いの紫電。

 あれほどの規模は不可能でも、その何十分の一で構わない。目の前の相手に勝てるだけの力を絞り出す。

 ──エネルギーをかき集めて、放つ!! 

 ゴウが左手へこれ以上ないほどに全神経を集中させると、黒い紋様が更に何本も浮かび上がり、手を覆い尽くさんばかりに重なり合っていく。

 そして左手が紋様によって黒く塗りつぶされた瞬間、放たれた稲妻が心臓部を貫く寸前のデーモンを撃ち抜いていた。ゴウが周囲の動きが緩やかに見えてから、一秒にも満たない時間であった。

 デーモンは稲妻の直撃で上半身が吹き飛び、やや遅れて残っていた下半身も爆散する。

 ゴウの前には、回転する灰色の死亡マーカーだけが残った。柄の七割近くが稲妻に巻き込まれて砕け、ゴウの右腕に刃が刺さったままの矛も、持ち主の死亡に伴い、光の欠片になって消えていく。

 

「か、勝っ、た……!」

 

 息も絶え絶えになりながら、それでもゴウはしっかりと、噛み締めるように口に出した。

 絶体絶命の中、加速世界で思考だけを更に加速させた(体感的にはそのつもりの)ゴウが絞り出した逆転の一手。それは二つのアビリティの同時発現だった。一つは体表面の紋様を介して電気を発生させる、《電界路(インパルス・サーキット)》。

 そしてもう一つは、《限界突破(エクシーズ・リミット)》。このアビリティの効果をゴウはこれまで、『一定時間、爆発的に膂力を上昇させる』ものと認識していた。

 しかし、死亡寸前の状況下で実はそうではなく、『アビリティを対象に作用し、そのアビリティの性能を一時的に上昇させている』のでは、という発想が浮かんだ。

 つまりこれまで《限界突破(エクシーズ・リミット)》は、ダイヤモンド・オーガーに初めから備わっていた、《剛力》アビリティを強化させていた。ならばその要領で、《電界路(インパルス・サーキット)》も強化できるのではないかと考えたのだ。

 根拠のない思い付きによる、ぶっつけ本番の試みではあったが、仮定は正解。実際には推測をしている余裕もなく、直感的な行動だった。

 ただし、限界を超えた行動には当然、相応のリスクや代償も付いて回る。

 ゴウは左手にアビリティの効果範囲を絞ったつもりだったが、実際には腕どころか肩までも電光が包み、現在も突き出したままの左の指先から肩までが、黒炭のような有様になっていた。黒ずんだ部位は芯まで焼け焦げているようで、痛みどころか感覚もない。

 未だに煤けた煙を上げる腕は、自然と崩れて地面に落ちる前に光の欠片になって消えていった。今になって断面が痛みでじぐじぐと疼き出す。

 ──溜まってる必殺技ゲージも影響してくるだろうけど、まず多用はできないな。

 もしも全身を効果範囲にして発動した場合、全身が雷そのものと化して、その場で自爆するのかもしれない。そう考えてぞっとしたところで、ゴウは全身に力が入らなくなり、仰向けに地面へ倒れた。

 今になって《建御雷(タケミカヅチ)》を始めとする心意技の反動がきたようだ。あるいは実際にはとっくに限界が来ていて、気力だけで動いていたのか。

 ふと、倒れたままのゴウは背中越しにかすかな震動を感じた。デーモンと二人して、半径百メートル以上が更地になるほどの心意技を発動したのだ。おそらくはそれに反応し、ここから東方面の首都高を徘徊する大型エネミーを始めとして、あらゆるエネミーがより広範囲から引き寄せられているのだろう。

 退避したいのは山々だが、今のゴウは小指さえも動かせない。必殺技ゲージは空、体力ゲージは残り五パーセント程度。通常対戦フィールドなら《バースト・アウト》の一言でログアウトできるところでも、この無制限中立フィールドではそういかない。

 ──締まらない終わりだけど目的は果たせたし、ひとまずはよしと──。

 

 エネミーに倒されるのを観念しかけたゴウの真上、《煉獄》ステージの緑色の空を背景に白い火花が発生した。

 火花は弾けながら少しずつ広がり、中から小さな黒雲が現れる。更に黒雲は上部から緑の細長い茎が伸び、先端に白い花を数個咲かせた。記憶の中の形状と名前が合致し、この花が彼岸花であることをゴウが思い出したのは、つい数日前のことだ。

 花を咲かせた黒雲は、仰向けに倒れているゴウに合わせて横倒しの状態なのに、重力に負けて花弁が垂れ下がることはない。以前話していた、相対座標の固定がどうとかいう仕組みだろう。

 現れたのは高尾山地下で出会い、リンクと仮称した情報回路でゴウと繋がっているエネミー、そのアイコンの姿である。彼女とこうして対面するのは、ハイエスト・レベルへ強制的に連れていかれて以来だ。

 

「……イザナミ」

 

 つい名前を呼んでしまい、ゴウは口を噤んだ。ここには自分とイザナミだけでなく、こちらからは姿が見えない幽霊状態のデーモンもいる。イザナミのアイコンは見えているだろうが、大っぴらに会話をするのもあまり良くない気がして、思考発声の要領で無言での話しを始めた。

 

『この前も言ったけど、改めてありがとう。アビリティを取得できたのは君のおかげだ』

『……礼を言われる筋合いなどないわ。あの時は不細工な泥の塊と、それに梃子摺(てこず)るうぬが見るに堪えなかった故、折檻しただけのこと』

 

 数日振りに聞くイザナミの声は、相変わらず不機嫌そうだったが、《電界路(インパルス・サーキット)》を取得した日の呼びかけに無反応だった時とは違い、返答はしてくれた。

 

『それでもやっぱりありがとうだよ。礼儀としてさ』

『我が従僕となるのを拒否し、あまつさえ逃げた小鬼が礼儀を語るか』

『う……だからそれは前に謝ったじゃないか』

『ふん。それよりも獣の群れが接近しているぞ。ああも耳障りな音を垂れ流し続けていれば、寄って来るのも道理だが』

『分かってる。もう体も動かないし、大人しく倒されるつもりだよ』

 

 背中越しに伝わる震動はより大きくなっている。エネミーの到着も近い。

 

『潔いのは結構だが、此度のうぬは死なぬ。この我が、獣共を追い払ってくれよう』

『え?』

 

 いきなりそんなことを言い出したイザナミに、ゴウは困惑する。どういう風の吹き回しなのか、この場から助けてくれるらしい。

 

『どうしてまた急にそんな……。それにそんなことできるの? 確か君、今の自分じゃあの静電気みたいなのくらいしかできないとか前に゛っ!』

 

 その静電気に似た衝撃を食らい、力の入らないゴウの体が小さく引きつる。

 

『喧しい。確かに今の我には腕尽くで獣共を退けさせる力は無い。だが、この場に近寄らせぬ程度のことは可能だ』

『どうやって?』

『些末なことよ。我が本体による威圧をうぬとの接続を通し、この端末より振り撒く。ただ、獣共に通ずる規模へと増幅させる故、これまで形成した接続自体を糧として消費する必要がある』

『糧って……まさかそれ、君とのリンクがなくなるってこと?』

『然り。我とうぬの接続は完全に断ち切れる』

 

 イザナミはあっさりと、ゴウの確認を肯定した。そうなると話は別だ。

 

『じゃ、じゃあいいよ。別に僕は一回くらい死亡したって、一時間すれば復活できる。そんなことしなくていい』

『何をうろたえる必要があるのか。そも、うぬが損を被るわけでもあるまい』

『損とかじゃなくて……。だって急すぎて……いきなりさよならなんて、これでお別れなんて聞いてない! せっかくこうして──』

『元より、我らの回路の接続からして偶然の産物に過ぎぬ。この状態にももう飽いた。故に終わらせるだけのこと。最後に別れがてら、うぬを窮地から救ってやろうというのだ。光栄に思うがよい』

『思わないし頼んでない!』

『…………つくづく、うぬは我の意にそぐわぬ小鬼よな。されど此度の戦いはいつぞやのものに比べ、座興としては中々に楽しめたぞ』

 

 イザナミはどこ吹く風といった様子で、ゴウの抗議を受け流し、さらりとデーモンとの勝負を褒めまでする。これまでの態度からは考えられない、わずかに優しささえ感じる物言いが、より別れ際の一言として強調される。

 今や目前までエネミーは接近しているらしく、足音は地響きを起こし、いくつかの唸り声まで届いていた。

 

『刻限か』

 

 呟くと同時に、仰向けのゴウと向かい合っていたアイコンは、上部へ九十度傾いてから、少しだけ上昇して花弁の部分を輝かせる。その花弁から咲くようにして、イザナミ本来の姿が現れた。

 粗末な着物に、顔のほとんどを隠す伸び放題の白髪と、病的なまでに白い肌。半透明かつ、実際の大きさよりも拡大された姿は、まるで花弁から投影されたホログラム。それでいて強く実体を感じさせるという、矛盾したものだった。

 

「イザナ──」

 

 ゴウが声に出して制止しようとした寸前、無風であるのに着物がはためき、長い白髪を逆立たせるイザナミから、途轍もないプレッシャーが全方位に発された。

 ゴウが初めて出会った時に抱いた底知れない迫力が、今回は明確な敵意を向けているのを感じる。

 対象ではないゴウでさえ、心臓を鷲掴みにされたような怖気を覚える、死さえ想起させるプレッシャー。その対象となったエネミー達の反応は凄まじいものだった。

 まず聞こえていた足音と唸り声の波が一斉に静まる。次に静寂から一転、悲鳴に似た咆哮が辺りに響き渡り、歩調の狂った慌ただしい足音が、我先にとこの場から離れていった。

 

「うっ……!? ああ……!」

 

 イザナミからプレッシャーが辺りに振り撒かれ始めてから、ゴウは自分の中で何かが磨り減っていく感覚があった。それが二十秒ほど経った頃、ぶつんと千切れる。

 これこそがイザナミがプレッシャーのリソースとして使用したことで、自分とイザナミを結んでいたリンクの構成データが、形を維持できずに断ち切れたということなのだろう。

 その影響か意識が朦朧とする中、リンクの切断に伴い、真上に浮かんだアイコンが形を保てずに崩れていく。同様に半透明の姿が更に薄まり、消えていくイザナミ本体が一瞬だけゴウを見下ろした。再び垂れ下がった髪に隠れた顔はすぐに逸らされたが、何かを堪えるかのように口元が引き結ばれる。

 その光景を最後に、ゴウの意識は途絶えた。

 

 

 

 ボアソナード・タワーの屋上。

 幅広い刀身をした得物を握る大悟は片膝を着いていた。体には周囲の地面と同様に、あちこちに切り傷が作られている。

 正面に立つのは、明るい銀色の鎧が輝く騎士アバター、プラチナム・キャバリアー。こちらには目立った傷は特に見られず、距離の空けた場所から膝を着く大悟を冷淡に、それでいて油断なく観察している。

 

「……さすがは音に聞こえた《フェムト流》。致命傷貰わないだけで精一杯だ」

「だったら……本気を出したらどうだい……」

 

 大悟の称賛に、剣を携えたキャバリアーは微塵も喜ばず、気だるそうな態度も崩さない。

 

「君は剣士じゃない。お得意の徒手空拳や、普通に薙刀のリーチを生かした戦法を取れば…………そこまで傷だらけにはなっていないはずだ」

「ほっとけ。今は(コレ)で戦いたい気分なんだよ」

 

 言葉で一蹴する大悟だが、キャバリアーの指摘は正しい。

 剣道部に所属し、現在は都大会本選の真っ最中である蓮美とは違い、大悟は剣というものに接点はほとんどなかった。ごくたまに、父方の実家にある寺の道場にて、蓮美の形だけの練習相手になってやる程度が精々である。

 いま握っている刀は、本来は薙刀型の強化外装である《インディケイト》を、柄を伸縮させる機能を利用して刀剣の形を取っているに過ぎない。太刀と薙刀、刃物として扱いに共通する点もあるが、やはり取り回しは異なる。

 現在の加速世界で五本の指に入る剣士であろうキャバリアーからしてみれば、齧った程度の剣技と認識されるのも当然であった。

 

「あぁ、そういえば昔、お前さん以外にもオシラトリに腕の立つ剣士がいたな。剣に電気を流してよ、楽しそうに対戦する気風の良いねえちゃんだった。何年か前に永久退場したって聞いた時は、少しショックだったよ。お前さんも残念だったんじゃないのか?」

「…………そんなこと、今は関係ないだろう……。その余裕ぶった態度、気に入らないな……」

「雑談の一つくらいで、とやかく言うな……よっと」

 

 キャバリアーに言い返しながら大悟は立ち上がり、刀を両手で持って体の中心に据え、切っ先は正面に傾ける、正眼の構えを改めて取った。攻撃と防御、相手の動きのどちらにも対応しやすい、剣術でも特に基本的な構えである。

 

「キャバリアーよ、俺は何も、お前さんを侮っているわけじゃない。それでもお前さんの土俵に上がってこうした戦法を取ってい

 

 ドッ! 

 

 るのには、ちゃんと理由がある」

 

 大悟が話す最中、持っている刀──の形を取っていた薙刀の柄が目にも止まらぬ速度で伸長し、二十メートルは離れているキャバリアーの胸に深々と突き刺さった。そして言い終える頃には、薙刀は収縮して本来の長さに戻っていた。

 

「……!?」

 

 そして、驚きを隠せない様子のキャバリアーとの距離を、薙刀を手放した大悟はすでに詰めていた。

 ──得物のリーチが伸びるのは、何もお前さんだけじゃねえぞ。

 この薙刀《インディケイト》は、《伸》のコマンドで柄を最長十メートルまで、《縮》のコマンドで最短十センチまで、柄の長さを伸縮させることができ、変化を維持している間は必殺技ゲージを徐々に消費する。そこまではキャバリアーもとうの昔から知っていることだ。

 だが、この強化外装は柄が極端に短い状態を一定時間維持したままゲージが底を尽きた場合、知る者はごくわずかだが、自動で元の長さに戻る前にワンアクションが発生する。

 縮めていた反動のように柄が本来最長の十メートルを超え、倍の二十メートルまで一瞬で伸びてから、元の長さにまた一瞬で戻るのだ。《インディケイト》のリーチの変化をすでに把握している者にも、一度限りの不意打ちが可能となる。今のキャバリアーのように。

 ハイランカーであるキャバリアーが驚愕から立ち直るわずかな隙の間に、大悟は騎士の握る剣を叩き落としていた。

 

「《肆肉(しにく)》──」

 

 一撃目。発生した運動エネルギーを、対象へ余すことなく伝える掌底。

 

「《参骨(さんこつ)》──」

 

 二撃目。一撃ごとに外部へより広く伝播させ、より内部に深く浸透させていく。駆け抜ける衝撃が、相手に反撃を許さない。

 

「《弐血(じけつ)》──」

 

 三撃目。一撃ごとに名前を付けることで、暗示的に威力の底上げを助ける。心意技ほど明確ではなくとも、ゲームシステムからやや外れた技術。

 

「──《壱魂(いっこん)》!!」

 

 四撃目。大悟がアイオライト・ボンズとして長年かけて体得した、ブレイン・バーストにおける戦闘技術の集大成。その掌底の四連撃を、キャバリアーの胸に作った刺し傷へと叩き込んだ。

 全てをまともに食らったキャバリアーの全身が一気に爆散。明るい銀色の炎に包まれて──。

 

「《リザレクト・バイ・コンパッション》」

 

 澄んだ声が、タワーの屋上に凛と響き渡った。

 人のものとは思えないほどによく通る声を聞いた直後、大悟は反射的にその場から薙刀を放った場所まで一気に後退する。

 前方では、光の粒子が宙を泳ぐように輝きながら、炎の残滓を残すキャバリアーの死亡マーカーへ音もなく触れた。その瞬間、空から白い光の柱が降り注ぎ、凝縮して人の形を取っていく。

 そうして光が消えた後には、たったいま死亡したばかりのプラチナム・キャバリアーが、無傷で立っていた。

 大悟は待機時間を待たずして復活したキャバリアーではなく、キャバリアーを復活させた、光の粒子を発生させた張本人へと視線を向けている。

 キャバリアーが駆るアリオンなるペガサス型エネミーが繋がれた手綱を握り、この屋上での剣戟を見守っていた、白の王ことホワイト・コスモス。

 ブレイン・バーストの歴史で未だ三人しか存在しないとされる、希少な《回復能力》を持った、加速世界史上初の《回復術士(ヒーラー)》。

 ──回復だけじゃなく蘇生まで……なるほど、それで《ネクロマンサー》か。

 

「そろそろ頃合いだわ」

 

 コスモスが短くそれだけ言うと、剣の柄に手をかけていたキャバリアーが柄から手を放し、足早にコスモスの元へ駆け寄る。

 コスモスからペガサスエネミーに繋がれた手綱を、キャバリアーは渡した時と同様に両手で丁寧に受け取ると、大悟の方へ振り向いた。そのバイザーの奥では、普通のアイレンズとは異なる、黒みを帯びた赤い両眼が輝いている。

 会話の最中に平然とかまされた不意打ちによって倒され、それが主君の目の前とあっては睨むのも無理からぬ話であるが、その眼差しにたっぷりと含まれているのは敵意を通り越し、もはや殺意だった。

 無言で大悟を睨みつけていたキャバリアーは、それでもすぐにペガサスに跨って腹を軽く蹴る。それを合図に、白い天馬は蹄を鳴らして屋上を駆け出し、タワーの端に到達する前に雄々しく美しい翼を広げて飛翔した。

 飛行によるものか、それまで全身が真っ白だったのに、両翼と尾の先端にのみ赤い光を発生させたペガサスが向かう先は東の方角。あるのは本日の七王会議の会場、今や全壊して煙が未だに棚引く、日本武道館跡地。

 そこから嫌な気配が一気に噴き出したのを大悟は感じ取っていた。

 ──負の感情を凝縮したみたいな心意……例の《マークⅡ》とやらか? にしても『頃合い』ってのはどういう……。

 

「キャバリアーを倒すなんて、さすがの腕前ね。ところで……彼への当たりが強い気がしたけど、私の気のせいかしら?」

「……あぁ、俺あの野郎嫌いなんだ。腕は立つくせに、この世の何もかもがどうでもいい、ってツラと態度が気に食わん。それにあんなの勝った内に入るかよ。あの《破壊者(バッシャー)》がその気だったら、この建物は原型も残っちゃいない」

 

 この場で自分の他に一人残ったコスモスの問いに頷きながら、薙刀を拾い上げた大悟は鼻を鳴らす。

 一気に倒せたのは、初見の手がうまく決まっただけのこと。今回のキャバリアーは少なくとも、本来の実力をまるで見せていなかった。そうしなかったのは、この場にいたコスモスを巻き込まないようにしたからか。それとも、遠くからでも目を引くような行動を控えたかったのか。何にせよ食えない男だ。

 

「それに微妙に浮き足立っていたというか、俺とやり合っている間もあまり集中していなかった気がする。あいつ、何しに行った?」

「すぐに分かるわ」

 

 長物を持った近接系アバターが三メートルまで距離を詰めているというのに、コスモスはまるで動じる様子もなく、底知れない雰囲気を醸し続けている。もう遥か昔に初めて会った頃と、まるで変わっていない。

 

「お前さんが加速研究会の会長ってのは……事実か?」

「ふぅん? 情報の出どころは《黒》か《赤》か……そうね、あなたの昔の行動からして、二代目赤の王……いえ、《ブラッド・レパード》あたりが妥当かしら?」

 

 コスモスは大悟の問いを否定しない。それこそが肯定に等しい行動だった。それどころか、大悟が誰から知らされた情報なのかまでも、的確に当ててみせる。

 

「……ロータスを嵌めてまでライダーを全損させたのは、ライダーの能力が必要だったからか?」

 

 聞きたいことは山ほどあるが、大悟がまず聞きたかったのは、このことについてだった。

 先月に加速世界で猛威を振るったISSキット。このキットの最も恐ろしい点は、近距離と遠距離の二つの心意技を使用可能になることでも、使った分だけ心意の力が強化されていくことでもない。

 それ以上に脅威なのは、使用者の負の感情の増幅に伴い、キットそのものが複製され、ストレージにキットそのものを新たに増やすことである。そうして使用者が別の者に渡すことで、感染するようにキットの数は増大していくのだ。黒のレギオンを始めとするバーストリンカー達が、キットの大元を迅速に破壊していなければ、拡大は二十三区中に広まっていただろう。

 大悟がレパードから聞かされた話では、このキットの複製機能はレッド・ライダーのコピーデータをキット本体に寄生させ、ライダーの持つアビリティを基にしていたからだという。すでに永久退場したデュエルアバターをデータとして復活させる。そんなにわかには信じ難いことを可能にしたのが、おそらくはコスモスの能力だとも。

 今度の質問には何も答えず、コスモスは右手を上げ、指を宙に走らせる。すると、ストレージからアイテムが召喚された。

 右手に握られていたのは、簡素なデザインをした拳銃の強化外装。その銃身の側面に輝く、二丁の銃が交差するエンブレムに、大悟は目を見開いた。

 

「それはライダーの……!? どうしてお前さんが……」

 

 レッド・ライダーはその実力もさることながら、破格のアビリティを持っていた。その名も《銃器創造(アームズ・クリエイション)》。これこそがISSキットのコピー能力の核である。

 ピストルやライフル等の銃型強化外装を生み出すことができ、それを他者に渡すことも可能。性能も高く、当時のプロミネンスでは多くのメンバーが、ライダー謹製の銃器を所持していた。

 しかも、銃のどこかに付いているエンブレムは《遠隔セーフティ》機能も兼ねており、たとえ所持したメンバーがどこかのレギオンに移籍したとしても、ライダーの意思でその銃の引き金は引けなくなる安全機能まで付いていたのだ。一丁作るのにも相応の代償が必要らしく、ライダーは『企業秘密』と、ついぞ大悟はアビリティの仕組みを聞くことはできなかった。

 そのライダーが作った銃を、レギオンメンバーでもないコスモスが、どうして所持しているのか。

 

「この銃の名前は《セブン・ローズ》。三年前、不可侵条約の成立後にライダーが他の王達に贈る予定だった、友情の証」

「友情?」

「それと平和のね」

 

 そう言うとコスモスは銃口を自らに向け、何のためらいもなく引き金を引いた。弾は発射されない。続けて数回トリガーを引いても、やはり何も起こらない。

 ──引き金が動くなら、銃にセーフティはかけられていないはず……。弾が込められていないのか? 

 

「弾ならちゃんと入っているわよ」

 

 大悟の考えを言い当てたコスモスが、シリンダーを外して銃身を傾けると、シリンダーから七つの銃弾が排出される。コスモスの左手に収まる弾丸はそれぞれが赤、青、黄、緑、紫、黒、白と、七つの色に輝いていた。

 

「七色の弾丸は一つの銃口という同じ出発点を歩む。歩む道は別だとしてもね」

(ロード)(ロード)……二つをかけて《セブン・ローズ》ってか。小洒落た名前だ」

「ライダーに銃のデザインと名前の相談をされてね。私は一足先にこのサンプルを貰ったの。とても大事な、思い出の品よ」

 

 コスモスは排出した銃弾を再びシリンダーへ込めてから、銃身を優しく一撫でする。大事な物というのも嘘ではなさそうだ。

 

「そんな相談をされるくらいに信頼があった…………友達じゃなかったのかよ」

「友人よ。他の王達もね。少なくとも私の方は、彼らを今でもそう思っているわ。もちろんあの子──ロータスも」

「だったら──」

「それでも彼の能力が必要だった。私の目的の為に」

 

 大悟の糾弾めいた物言いにも、コスモスの清らかさを感じさせる声は落ち着いたまま、一切の動揺を見せない。それがかえって不気味さを抱かせる。

 

「他の何を置いても、私には叶えたい目的があるの。悲願と言ってもいいわ。それには多くのピースが要る。ライダーの《銃器創造(アームズ・クリエイション)》を用いた、ISSキットもその内の一つだった。今日ここに来たのも、目的達成の大事な一歩を見届ける為。ほら、ここからなら見えるでしょう」

 

 コスモスがそう言い終えると同時に指を差す先──東の空で雲が割れた。

 おかしいと、大悟も全く思わなかったわけではない。緑の分厚い雲によって、常に曇り空の《煉獄》ステージが、今回は心なしかいつも以上に明るい気はしていた。だが、ゴウの救援、謎の広範囲結界、破壊された武道館、コスモスとキャバリアーの出現と、それよりも優先すべきことが多すぎて重要視していなかったのだ。

 一体誰が考えるだろうか。その明るさの原因が巨大な火球──神獣(レジェンド)級エネミー《太陽神インティ》で、武道館跡地めがけて空から落下してくる光景など。

 直線距離でおよそ六百メートルは離れているここからでも、大気を震わせる轟音と、触れるもの全てを焼き尽くす熱量によって発される、煌々とした光が届く。

 

「コスモス、お前──」

 

 振り向く大悟に、コスモスは銃口を向けていた。引き金が引かれると同時に、弾が出ないはずの拳銃からは、インティにも負けない白い光が吐き出される。

 大悟の視界が白に埋め尽くされた。そして──。

 



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第五十五話

 第五十五話 仏僧に聖書、聖女に仏典

 

 

 ドオオオオオオオオオオオオオオオ!!!! 

 

 直径二十メートルにも及ぶ大火球のエネミー、太陽神インティが雲よりも更に高度から地面へ衝突したことにより、轟音が他の音を全て掻き消し、恐ろしい震動が周囲一帯を揺らす。

 その中ではアバターの腕が落ちる音など、当人の大悟さえも聞き取ることはできなかった。

 

「……気を取られていた上で、この距離で躱せるのね。精度と速度を最優先にして、間違いなくクリティカルポイントを狙ったつもりだったのだけど」

 

 轟音が収まったところで、コスモスが感心したように呟く。

 大悟の足元には、光の欠片へと分解していく自身の左腕だけでなく、刃の根元から砕けた薙刀《インディケイト》の破片も散らばっていた。

 ライダーが作り出し、七王全員に贈られるはずだった《セブン・ローズ》。弾の出ないはずの拳銃より発射された、過剰光(オーバーレイ)を放つ心意弾が迫る中、大悟は微弱ながらも手にした薙刀の刃に心意システムを付与させていた。

 コスモスの心意弾の威力も範囲も分からず、その刃の腹でとっさに心臓部を守ったのは、ひとえに山勘である。段平な刀身は一秒に満たない時間ではありながらも、盾として機能し、大悟に回避の猶予を与えてくれた。それでも躱し切れず、命中した左肩は消し飛び、どうにか左腕を失うまでのダメージで留めたのが、今の攻防の顛末である。

 

「どういう……ことだ。インティが空からバーストリンカーを襲うなんて、聞いたことがない」

 

 大悟は柄だけになった薙刀を放した右手で、欠損部位を押さえる。

 インティは無制限中立フィールドをひたすら転がり、進む先にいるバーストリンカー、あるいはエネミーさえも焼き尽くして移動し続け、これまで誰も倒した者はいないとされている、強大な神獣(レジェンド)級エネミー。一説では帝城の四方を守護する《四神》、四大ダンジョンのボスエネミー達《四聖》にも匹敵すると言われる一方で、水属性ステージ全般や、雨の降るステージでは姿を全く見せなくなるなど、謎多き存在である。

 だが、いかに情報が少ないエネミーでも、今回の行動はあまりにも不自然すぎだ。七王会議の場となったらしい、日本武道館を全壊させたほどの心意技に引き寄せられたとしても、通常通り転がってならともかく、空中より襲来してきた。しかも大悟がフィールドにダイブしてから、この近辺は普段より空が明るいままだったので、最低でもその間はずっと雲の上に留まり続けていたことになる。

 大悟が知る中で、こうしたエネミーのイレギュラーな行動には前例がある。

 先月中旬から先月末までの半月、本来ならダンジョンの最下層にいるボスエネミー、《大天使メタトロン》が突如赤坂の《東京ミッドタウン・タワー》に陣取り、近付く者を即死させる高威力のレーザーでなぎ払い、タワーを守っていた。

 厳密には、タワー内のISSキット本体を守らされていた。他でもない、加速研究会に調教(テイム)させられて。

 

「その冠……」

 

 コスモスが頭上に戴く冠を、大悟は顎で示す。

 

「それからは、他の《神器》と同じ気配がする。それは神器……《ザ・ルミナリー》なのか?」

 

 加速世界に存在する《七の神器(セブン・アークス)》と呼ばれる最高峰の強化外装の一部は、数ある地下迷宮(ダンジョン)でも高難度である、東京の四大ダンジョンと呼ばれる場所の最奥で発見されている。

 新宿エリアの《新宿都庁地下迷宮》では、大剣《ジ・インパルス》が。

 千代田エリアの《東京駅地下迷宮》では、錫杖《ザ・テンペスト》が。

 文京エリアの《東京ドーム地下迷宮》では、大盾《ザ・ストライフ》が。

 しかし、港区エリアの《芝公園地下迷宮》の《ザ・ルミナリー》は、名前が彫られた台座を残して無くなっており、自分がボスエネミーを倒した時には、すでに何者かが手に入れていた後だったと、古馴染みの《黒の剣士》が嘆いていたのを大悟は憶えている。

 ともかく、他の三つのダンジョンをそれぞれ最初に攻略した、三人の王が神器を所持しているのに対し、《ザ・ルミナリー》だけは今日に至るまで、所有者は謎のままであった。

 

「また唐突ね。どうしてそう思うの?」

「芝公園のダンジョンの場所は港区エリア。何年も前からお前さんの縄張りだ」

「別にうちのレギオンは、無制限中立フィールドで領土権を主張した覚えはないわよ?」

「それでも領土持ちのレギオンは、領土下を活動拠点にするものだろうが。内密に攻略している可能性が一番高いのは、やっぱりお前さん達だ。何より神獣(レジェンド)級の中でも、更に上澄みのエネミーを調教(テイム)可能なスペックを持つ強化外装なんぞ、神器ぐらいしか考えられん。どういう原理か、その神器であのメタトロン同様にインティを操ってあそこに落とした。違うか? 加速研究会会長さんよ」

「…………ふふっ」

 

 大悟の推測を聞いたコスモスは、口元に手を当てながらいたずらっぽく笑った。

 

「それだけ知っていれば、そうした結論も出せるわよね。ええその通り。この宝冠(ダイアデム)こそ、《ザ・ルミナリー》よ」

「正解なら、最初からすっとぼけるなよ……。ところで、そいつは調教(テイム)エネミーにノーモーションで指示を出せるのか?」

 

 ついでとばかりに、大悟はもう一つの気になっていたことをコスモスへ訊ねた。

 エネミーの調教(テイム)アイテムは希少で、大悟の周囲に持っている者はいない。キャバリアーはペガサスエネミーを装着した手綱で御しているように見えたが、神器ともなれば所持している限り、発声も動作も不要で対象のエネミーを操れるものなのだろうか。

 

「うん? ああ、今インティを動かしたのは私じゃない。キャバリアーよ」

「……あん?」

「この《ルミナリー》は二対一組の強化外装なのよ。この宝冠から生成した荊冠をエネミーにはめて調教(テイム)状態に、そして王笏(セプトラム)でそのエネミーを操れる。その正式な名称は《王権神授(ディヴァイン・ライト)》。私の願いに無くてはならない、最重要のピース」

「まぁた悲願ってやつか。……つまり、インティにその荊冠とやらを着けたのがお前さん。雲の上で待機させた状態から落ちるように指示を出したのが、笏を所持しているキャバリアー。二人で一つの強化外装を共用していると?」

「正式な所有者は冠を持っている私だけどね。笏の方は一時的に他者に貸せるのよ」

 

 聞かれたところで問題がないのか、思いの外すらすらと答えてくれるコスモスの説明に、大悟ははてと首を傾げた。

 

「いや、待てよ。確か調教(テイム)状態のエネミーがバーストリンカーを倒せば、システム的にはそのエネミーの所有者が倒したことになるはずだ。どうしてお前さん自身がインティを操って落とさなかった?」

 

 大悟は武道館を指差しながらも、首はそちらに向けない。一瞬でも目を離せば、正面のコスモスが何をするのか分かったものではないからだ。下げている右手にはまだ、大悟を撃ち抜いた拳銃が握られたままである。

 

「あそこに集まっていた王達の何人を仕留められたか今ここからじゃ分からんが、五人を倒せばお前さんはレベル9の特別ルールで、レベル10になれていたはずだ」

「確かにね。でもそれは今日じゃないし、レベル10になってブレイン・バーストの製作者に接触することは、私にとって終着点でもない」

「それも悲願ってやつが絡んでいるのか」

 

 悲願。前人未到のレベル10さえ途中経過でしかないというコスモスは、一体どこを目指しているのか。あらゆるバーストリンカーを巻き込んで、何を為そうとしているのか。

 そんな疑問ばかりが頭に浮かぶ大悟に、コスモスが予想外なことを言い出す。

 

「知りたい? そうね……あなたが私に協力してくれるのなら、教えてあげてもいいわよ」

「……お前さんの側に付けってか? それでキャバリアーみたいなお前さんに従うだけの、『中身空っぽ』の人形になれと?」

「んー……それは彼に対してちょっと言いすぎじゃないかしら」

「あれの外面(アバター)についてじゃない。内面的な意味だよ。そうじゃなくて、いきなり勧誘されたところでだな」

「何もロハでとは言わないわ。あなたが望むのなら、永久退場したバーストリンカーを一人、蘇らせてあげましょう。ライダーのように依り代が必要なコピーデータじゃなく、ね」

「全損者の蘇生だと? そんなの……さっきの復活技とはわけが違う。いくらなんでもそんなこと……」

「確かに簡単じゃない。だからこそ私は長年かけて、その方法を研究してきた。その成功例だって既にいるわ」

 

 コスモスが左手の人差し指を立て、くるりと円を描く。

 

「この周囲一帯を包む広範囲心意技、《パラダイム・ブレイクダウン》。その使用者、《オーキッド・オラクル》を私は蘇らせた」

「……!?」

 

 そのデュエルアバターの名前に、大悟は聞き覚えがある。直接の面識はないが、かつて港区エリア辺りで活動していて、もう何年も前に全損したと風の噂で聞いた。その能力は確か――。

 

「どうかしら? 悪い話じゃないと思うけど」

「信じられる証拠もなしに言われてもな」

「疑うのは当然でしょうけど、すぐに信じざるを得なくなる。あなたくらい長く加速世界で過ごしていれば、蘇らせたい相手の一人や二人はいるでしょう。例えばそうね……《指輝官(マエストロ)》。カナリア・コンダクターとか?」

 

 コスモスに経典のアバター名を出された瞬間、大悟は自身の体温がすっと下がるのを感じた。

 

「確か彼はあなたの──」

「断る」

 

 大悟は低い声でコスモスの話をぴしゃりと遮った。

 経典はもういない。コスモスが本当にバーストリンカーの蘇生を確立していたとしても、それがどこまで細部まで再現されていようとも。それはあくまでデータに過ぎず、大悟にとっては現実世界と加速世界の両方を共に生きた弟ではないのだ。そんなものを見たくはない。ましてやそんな取引などで。

 

「煮詰めた下水より汚ねえものにまみれた手で、人の大切なものに触れてくれるなよ。《ネクロマンサー》」

「……何か地雷を踏んだかしら。まぁいいわ。十中八九、断られると分かっていたし」

 

 大悟が凄んでみせても、コスモスは肩をすくめただけで、悪びれる様子もない。

 この女はおそらく現実世界でも優秀で、その気になれば将来は一角の人物にもなり得るのだろう。もしかすると、現時点ですでにそうなのかもしれない。だが、同時に大事なものが欠けている。

 それが目の前のデュエルアバターを生み出した《傷》なのかまでは分からないが、大悟はコスモスの有り様が、ここに来てひどく気に入らなくなった。

 

「ひたすらに迷惑な話だ。せっかく人が楽しく遊んでいるってのに、お前さん達ときたら、やることなすこと全部見ていて白けるぜ」

「遊んでいる、ね。あなたまさか、製作者がただの子供の遊び場にブレイン・バーストを、加速世界を作ったと思っているわけじゃないわよね?」

「そりゃあな。製作者が何を考えてこの世界を作ったのかは知らない。いつか始まった時と同じように、予告もなく終わるのかもしれない。俺はただ、その時までこの世界を楽しむだけよ。あぁ、その時に記憶まで消えるとしたら、辛いところではあるな」

「そう? むしろ記憶を持ち続ける方が辛いでしょう。強制アンインストールと強制記憶消去は、ブレイン・バーストに関する全てを無かったことにしてくれる、救済措置と言ってもいいわ。思い出は残ったまま、もう二度と加速も対戦もできないなんて生殺しもいいところ。挙句にデュエルアバターの鋳型となったのが《心の傷》なのは憶えているなんて、それこそ残酷だとは思わない?」

 

 コスモスの言うことにも一理あるのは認める。これまで同じことを大悟に訊ねた者も何人かいた。仮に選択可能だとして、もう戻れないのならいっそのこと、加速世界の何もかもを忘れたいと思う者を責めることはできない。

 だが、大悟が現実の何倍もの時間を過ごしてきた加速世界で得たものは、バーストポイントやアバターの戦闘能力だけではない。むしろ、それ以上に大事なものは──。

 

「戻りたい過去には戻れないし、消したい過去は消えない。それは誰もが同じこと。その辛さもひっくるめて形のない財産であり、そいつを形作るものの一つ。一部であれ、『自分』を消されちまう方がよっぽど残酷だろうが。昔こんなことがあったんだといつか誰かに、できれば笑って話せる大人になれたなら、その人生は捨てたもんじゃないだろうよ」

「ふぅん、そう。前向きなのね、その考えを否定はしないわ。理解はし難いけど」

「そうかい。えらく話が逸れたが、ともかく目的が何であれ──それが大局的には善なる行為であったとしても、お前さん達のやり方はいちいち外道が過ぎる。他に手段がなかったとしてもな。外道の果てには得られるもの以上に、失うものの方が遥かに多いぞ」

「…………」

 

 コスモスは何も言わなかった。水色、桃色、紫色と、様々な色に変化して見える淡い色合いをしたアイレンズに、何人にもその内面を窺わせない超然とした光を宿らせたままだ。

 そんな中、代わりの返事とばかりに、背後から迫る風切り音がした。

 大悟が飛び退くと同時に、それまで立っていた場所を白い影が高速で通り過ぎる。一仕事終えたキャバリアーが、ペガサスエネミーに乗って戻ってきたのだ。

 屋上に着地したペガサスが蹄を鳴らして走りながら、徐々に減速してコスモスの横で止まる。

 

「あっぶねえな、轢き殺す気かこの野郎!」

「君が邪魔な所に立っているのが悪い……」

「いーや、わざとだ。あんな飛行機みたいにじゃなくても、ヘリみたいにすっと垂直に着陸できたろうが。絶対狙ってやっただろ。あと舌打ちしやがったな。ちゃんと聞こえたぞ」

 

 キャバリアーは大悟の反論には碌に取り合わず、右手に握り続けていた拳銃《セブン・ローズ》をストレージに戻したコスモスに手を貸しながら、自分の後ろへと乗せていた。

 

「……コスモス」

「さようなら《荒法師》。今日は話せて楽しかったわ」

「いつかお前さんの計画は崩れる。その掌の上から零れて、修正がきかなくなるほど根幹からな。お前さんは敵を作り過ぎた」

「忠告どうも。そうならないよう肝に銘じておきましょう」

 

 優雅にペガサスに腰かけたコスモスがそれだけ言うと、キャバリアーが手綱を振るった。

 二人を乗せたペガサスが翼を広げ、タワーの遥か上空まで駆けるように昇っていく。

 

 ──止めも刺さずに帰るか。舐めくさりやがって……。

 このままやられっぱなしで締められるのは、あまりに癪だ。大悟はその場で、両脚を肩幅よりも広く開いた。両の眼のアイレンズは閉じ、額に備わった、頭巾に隠れている三つ目のアイレンズに意識を集中させる。

 ──まずは補足。眼で見るのとは違う、この世界の流れを示すあの領域──ハイエスト・レベルのように全身で感じ取れ。

 枯れ草色の過剰光(オーバーレイ)が大悟の額から溢れ、全身に広がっていく。

 ──集中。無駄を削ぎ落せ。雑味の一切無い、必要最低限の力で。

 大悟の体表面を揺らめくオーラが、徐々に収まっていく。弱くなっているのではない。より純粋に研ぎ澄まされているのだ。

 ──捉えた。

 仮にアイレンズを開けて顔を上げていれば、もう豆粒程度にしか見えないほど遠く離れた位置にいる、ペガサスエネミーとキャバリアー、それにコスモスの現在位置を感覚で把握する。《天眼(サード・アイ)》アビリティや心意技《天部(デーヴァ)水天(ヴァルナ)》とはまた異なる知覚。加速世界と溶け合ったとさえ錯覚する奇妙な感覚に包まれながら、大悟は右脚を大きく後ろに引き、残った右腕も後ろに引き絞った。

 ──当たる。当てられる。

 今や揺らめき一つ立てていない、枯れ草色のオーラを纏う大悟は確信と共に──。

 

「喝」

 

 目を見張る速度ではなく、しかし一切の無駄のない動きで、掌底を何もない正面に向けて放った。

 

 

 

「──ん……!」

「……!?」

 

 ペガサスエネミー、アリオンの手綱を握るキャバリアーは、自分の背後で主の小さな呻き声を聞き取った。

 振り返ると横座りのコスモスが大きく前傾姿勢になり、落馬寸前となっているではないか。キャバリアーは咄嗟にアリオンを空中で静止させ、コスモスの前に腕を突き出して落下を食い止める。

 

「これは……予想外だったわ。過疎エリアで仲間と遊んでいるだけかと思ったけど、そこはオリジネーター。伊達に生き残ってはいないわね。さすがに侮りすぎたかしら」

 

 コスモスがそう呟くと、キャバリアーは遥か下方にあるボアソナード・タワーの屋上に一人残された、左腕を失い、残った右腕を前方に突き出している僧兵を睨むようにして見下ろした。

 

「つくづくあの男は…………本当に……」

「放っておきなさい」

 

 唸るように低い声を吐き、タワーへアリオンを方向転換させようとしたキャバリアーを、コスモスが制した。

 

「しかし……」

「少し強めに背中を叩かれただけよ。こっちは向こうの片腕を肩ごと吹き飛ばしたわけだし、これくらいで文句は言わないわ。今日の目的も達成したし」

「…………あなたが……そう仰るのなら」

 

 声に明らかに不満を残しながらもキャバリアーは従い、手綱を操ってアリオンを再び進ませる。

 

「こっちについてくれたら少しは手間が減ると思ったけど……案の定だったわねぇ」

 

 馬上で横座りしているコスモスは、天馬の真後ろに首を向け、じっと遠くの空を見つめていた。風に流れるようにして、長い金髪が揺れる。

 

 ──『外道の果てには得られるもの以上に、失うものの方が遥かに多いぞ』

 

「そんなこと承知の上よ。とっくの昔にね」

 

 僧兵から向けられた言葉に、聖女は今更ながらに返す。

 感情を窺わせない、その呟きを唯一聞いていた白金の騎士も何の反応は見せず、ただ黙々と愛馬を港区のある南方面に駆るだけだった。

 

 

 

 昨晩、大悟は加速世界の富士山を訪れていた。

 理由の一つは、数年前に加速世界の富士山にて、山中に湧く泉より汲んだ酒が残り少なくなっていたこと。手に入れて以来、新年で最初のアウトローの集会で出していたものだが、今月頭に晶音と宇美の加入祝いで出したこともあり、来年分には足りなくなったのだ。

 加速世界で数日をかけ、それなりに道中で苦労しながらも、無事に泉から酒を汲んだ大悟はすぐに帰りはしなかった。

 かつて一度だけ、偶発的に訪れることのできた、加速世界の情報が光の粒子で表される領域、ハイエスト・レベル。数日前に《子》であるゴウは、イザナミなるエネミーによって連れて行かれたという。

 これを聞いた大悟は、ならば自分もという思いを抱いた。別にゴウは自ら望んでハイエスト・レベルに移動したわけではないし、その点を競っているわけでもないが、周囲の行動というのは自らの刺激にも繋がるもので、今回は発奮材料になったのは確かである。

 そこで日本一大きな山の雄大さにあやかる気持ちを胸に、かの地にてハイエスト・レベルへの移動を試みたのだ。これがもう一つの、どちらかと言えばメインの理由である。

 そうして何時間も瞑想を続けていた大悟の前に、やがて《天使》が現れた。

 長時間かつ過度の集中で幻覚を見たのではない。何しろ話しかけられたのに気付かず、背中に生えた翼でどつかれ、実際にダメージまで負ったのだから。

 白銀の髪と四枚の白い翼、そして人間離れした美貌をした女神とも取れる天使は、この地で何をしているかと大悟に問うた。

 会話をしていくと、驚いたことにハイエスト・レベルを知っていた天使は、しばらく言葉を交わしてから大悟にこう言った。

 

 ──『周囲の流れを感じるのです。あらゆるものが無数の光で構成された集合体だと。自らもまた、その流れの一部であると』

 

 その助言に導かれるようにして、イメージを浮かべた脳裏に加速音が響く。気付けば大悟は、眼下で光の粒子が地形を形作る暗闇の中で立ち、通算二度目のハイエスト・レベルに訪れていた。

 ちなみに無制限中立フィールドに戻った後、大悟が天使への礼として、ストレージから出した饅頭を渡すと、その場で食べた天使はお代わりまで所望してきたので、残りの饅頭も全部くれてやった。

 何者なのか聞いても教えてくれなかったが、ゴウの話ではイザナミも人の姿をしているそうなので、おそらく正体は高位のエネミーだったのだろう。似たような雰囲気をどこかで感じた覚えがあったが、天使は東京から離れている富士山にいたのだから、それはさすがに気のせいか。

 この時の体感をヒントに大悟が編み出したのが、『対象を捉える』ことを突き詰めた、『相手との距離も位置も完全に無視した攻撃』であった。

 基本能力を拡張した、心意の第一段階。個人で独自の発展をさせた、心意の第二段階。

 これらを超えた、極限までの集中により生み出される『ハイエスト・レベルからの情報に対する直接干渉』を行う心意技。それが、大悟が長年その存在を知ってはいても、修得にはいたっていなかった、《第三段階の心意技》である。

 第三段階は、その実イマジネーションから発生したノイズである、過剰光(オーバーレイ)が収束していくので、見た目の規模はとても小さくなるものの、引き起こされる事象内容は第二段階までとは一線を画したものとなるのだが──。

 

「……浅かったか」

 

 自らの繰り出した攻撃がコスモスへ命中したと同時に、ほとんど威力のないものだったと、オーラが消えた大悟は手応えと雀の涙ほど増えた必殺技ゲージによって理解した。技としては甚だ未完成であり、実際にもう少し距離が離れていれば、攻撃自体が不発に終わっていただろう。

 第三段階の心意技は理屈上、完璧に極めれば加速世界のあらゆる事象を書き換えてしまう万能の力であり、対象の距離、規模、耐性、相性、全ての要素を無視できる。しかし、プレイヤーがそこまで至ることはまず不可能だろう。それではもう、プレイヤーの領分を超えた、ブレイン・バーストのゲームマスターの領域に踏み込んでしまっている。

 ──腹黒女め。まったく、何を考えてやがるのやら。

 空を見上げても、もうコスモス達の姿は見えない。

 それなりに人の心情を見抜くのは得意なつもりだった大悟だが、コスモスは以前に会った時と同様、終始内心を見せなかった。

 振り撒かれる清浄なオーラは、柔和な印象を抱かせるも、実際は内側を一切見通させない。一見神秘的なようで、その実は拒絶の現れ。こちらの言葉が碌に響いていなかったことだけは断言できる。

 白という色は他の色とは異なり、光を吸収せずに乱反射させているが故に、人の眼には『白』に見えているという。

 如何なるものも芯には届かせない。彼女が白のカラーネームを持ったアバターを生み出したのは、その精神性が関わっているのかとさえ思えてくる。

 ──まぁ、ここまで動いたからには、誰が何を言ったところで今更止まる気はないんだろうが……。

 大悟は東の方角へ首を向けた。

 この数十年の間で建物の高層化が進み、高さ百メートル以上の建造物も珍しくない東京だが、このボアソナード・タワーからは、同等かそれ以上に高い高層ビル群に遮られることなく、本来ならばどうにか武道館の屋根が見える。

 だが今は、そこに陣取った巨大な火球──赤々と燃え盛っているインティの上部が確認できるだけだった。

 直径二十メートルもの球体は、その周囲十メートルに近付いただけで、熱波によるダメージを受けてしまう。その範囲内は今頃、灼熱地獄と化しているだろう。

 インティの体のどこかに着けられているはずの、《ザ・ルミナリー》が生成した荊冠なるものは、この位置からでは見えない。冠というからには環状のはずだが、あの球体をぐるりと囲めるものなのか。加えて、あのインティの超高温の体に触れていて、耐久性に問題ないのか。

 またそれ以上に、大悟はコスモスから神器の説明を聞かされた時から、ずっと気になっていたことがある。

 高位エネミーさえ制御下に置ける強化外装。これをコスモスはダンジョンを攻略して入手し、『その時点で初めて』悲願なる計画の中核に据えたのか。

 コスモス、ひいては加速研究会の行動の数々は、プレイヤーの域を半ば超えている。謎だらけのブレイン・バーストプログラムそのものを、一から手探りで解明しているというよりも、元よりある程度の知識を持ち、その上で試行錯誤して計画を実行に移している印象を受けるのだ。

《ザ・ルミナリー》一つ取ってもそう。元々その存在と効果を知っていて、どこよりも先に確保へ動いたのではないか、という気さえしてくる。

 それに加え、コスモスの心意技の練度は目を見張るものがあった。本来攻撃能力を持たされていなかった拳銃で、命中部位を消し飛ばす威力。無言ならば技名を唱えた時よりも遅れるはずなのに、あの発動速度。真っ当な対戦ならいざ知らず、心意を交えた戦いとなれば少なくとも現時点では、百回挑んだとしても勝ち目はあるまい。

 そんな相手だからこそ、武道館跡地からの戦闘による爆音や衝撃に振動、果てはそれらが一切ない『力の衝突』が伝わってきても、空からインティが落下するまで大悟は彼女への警戒を解けなかった。

 

「ホワイト・コスモス……お前さんは何者だ? 何を見据えている?」

 

 返す者がいないことを承知で一人呟いてから、大悟は気持ちを切り替えた。

 まだゴウの援軍という、今回のダイブの目的が残っている。薄く輝いていた広範囲結界の心意技はすでに消えていた。

 ──これは再ダイブした方がいいか。

 大悟は一度ポータルより現実世界に帰還してから、再度ダイブして全快することを選択した。現実で覚醒してから即座にコマンドを唱えたところで、どうしても現実で一秒以上、加速時間で最低でも二十分強はかかってしまう。

 だが、いくつもの刀傷が刻まれ、片腕を失っていて、おまけに強化外装も破壊されているこの状態では、助けどころか足手まといになりかねない。

 すでに向こうの戦いは終わっている可能性が高い。そもそも、本当にPK集団と遭遇しているのかも不確定である。

 しかし、大悟はキャバリアーとの剣戟の最中に、東の方で倒壊する建物群を目撃した。相手が相手だったので悠長に眺めている暇はなかったし、外の情報を結界が遮断していたせいで武道館跡地とは異なり衝撃や振動も感じ取れなかったが、何らかの戦闘があったのは確かだ。

 大悟は自らの出せる最高速度でゴウの元へ向かうべく、手始めにタワーの屋上から飛び降りた。

 ──無事でいろよ、ゴウ……。

 体の各所に巻かれた数珠型装甲を、鎧へと変じさせる防御心意技《天部(デーヴァ)地天(プリティヴィー)》を発動して落下の衝撃に備えながら、大悟は我が《子》の身を案じた。

 



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第五十六話

 第五十六話 煉獄からの脱却

 

 

 ──待って。

 ゴウは自分の正面にいる、後ろ姿のイザナミに向かって呼びかけた。

 地に足を着けずに浮いているイザナミは振り返らず、前へと進み出してしまう。

 ──待ってよ。

 追いかけようとしているのに、どれだけ足を動かしても全く進まず、ゴウはその場に留まったままだ。その間にもイザナミの背中は、どんどん遠ざかっていく。

 ──待ってってば……。ねえ──。

 ゴウはどうにか前に進もうと強い意志を込め──。

 

「────待でっ!?」

 

 ゴヅン!! 

 

 意識が覚醒し、弾かれたように上体を起こしたゴウは、そんな鈍い音と衝撃を額に受けた。硬いものに強くぶつけたのか、不意打ち気味だったことも手伝ってかなり痛い。

 

「ぐうおお……何だ……?」

「ぐ……」

 

 自分以外の呻き声がして、痛む額を抑えながらゴウは改めて体を起こす。

 すると横には、何故だかコークス・デーモンがいた。

 

「……うん?」

 

 やや混乱しながら、ゴウは記憶を整理する。

 ここはブレイン・バースト内の無制限中立フィールド、現在は《煉獄》ステージ。PK集団との交戦後、その標的にされていたコークス・デーモンとなし崩し的に始まった、しかし死闘とさえ言い表せる戦闘の末、自分は辛くも勝利をもぎ取ったのだ。

 その死亡していたデーモンが、変遷も発生していないのに復活しているということは、最低でも待機時間の一時間はすでに過ぎているということ。つまりゴウはそれだけ長く意識を失っていたことになる。体をよくよく見れば時間経過で薄まる、《電界路(インパルス・サーキット)》の紋様もすっかり消えている。

 ゴウは失った左腕を含め、ぶり返す負傷による痛みを無視して立ち上がった。

 ところが、デーモンはゴウの額とぶつかった箇所らしい、側頭部から伸びた右角を抑えたまま、構えるゴウを前にしても立ち上がろうとはしない。

 

「よせ。勝負は着いた。どうしてもって言うなら、相手してやるが」

「……じゃあどうして、あんな頭同士がぶつかるくらい近かったんだよ」

「別に寝首を搔こうとしたわけじゃねえ。お前が何かうわ言をぶつくさ言ってるから、それを聞き取ろうとしただけだ」

 

 するんじゃなかった、と角を手でさすりながら付け加えるデーモン。相変わらず憮然とした態度ではあるが、これまでよりか刺々しさは若干薄れている。

 少なくともデーモンに戦闘の意思はないようなので、ゴウもその場に腰を下ろした。気絶前に残り五パーセント以下だった体力ゲージは、額のダメージによって更に少なくなり、虫の息に等しい。即再戦とはならずに済んだことに内心では安堵しつつ、戦闘で用いた心意技により更地となった周囲を見渡す。

 建物が軒並み破壊されて遠くまで見渡せるのに、エネミーは影も形もない。あれから一時間以上経ってもエネミーが寄ってこないのは、あの時イザナミの放ったプレッシャーの効果がまだ残っているからか。

 デーモンを倒した後、心意技に引き寄せられ、接近していた多数のエネミーは、イザナミによって追い払われた。代償に、ゴウとの間に形成されたリンクを消費して。

 意識すれば感じられていた、体の先からどこかに伸びていたような、あの不思議な感覚は消えている。意識が途切れる前のリンク切断の感覚は、紛れもない現実だった。そしてきっと、最後に見たイザナミの表情も同じく、見間違いではあるまい。

 ──……あんな顔されて納得できるもんか。

 

「一つ聞きたいことがある」

 

 ゴウがやり切れない気分でいると、デーモンが声をかけてきた。

 

「……彼女については、僕もほとんど知らな──」

「違う。あの花のアイコン、そこから出てきた妙な格好した女のホロと、お前との関係についてはどうでもいい」

 

 てっきりイザナミについて問い詰められると思い、どこまで話すべきかと先に前置きをしたゴウだったが、デーモンは興味がないと一蹴した。

 

「改めて聞く。お前はどうしてそこまで、このゲームに真剣になれる? 戦っている時、意味と価値があると言ったな。永久退場になれば記憶も残らないものに、どうして意義を見出せる?」

 

 デーモンの問いかけには、見えない壁でできた袋小路に入ってしまったかのような、どこか切実さが込められていた。

 ゴウは少し考え、整理してから口を開く。

 

「……大層な理由なんてないよ。僕はバーストリンカーになって、ここで仲間ができた。レベルを上げて、ゲーム内で強くなっていく実感がある。対戦で勝てば嬉しいし、負ければ悔しくて次は勝つぞって思える。僕にとっては、他の何より遊び応えがあって、熱中できるゲームなんだ」

「最後はその記憶が消えて終わるとしてもか?」

「あんまり考えたくはないけど、もしもその時が来たとしても、全くの無意味じゃないと僕は思う」

 

 たとえポイント全損にならずとも、このブレイン・バーストは配布時と同様に、何らかの目的を達した製作者によって、ある日前触れもなく終了してしまうことだって有り得る。サーバーのデータそのものが消去され、バーストリンカー全員の記憶が消えてしまう可能性はゼロではない。

 では、いつかプレイデータも記憶も消えてしまうゲームなら、プレイする意味がないのか。そう問われれば、ゴウの答えはノーである。

 記憶は消えたとしても、バーストリンカーだった事実までは消えない。現実も踏まえて、それまでの行動の軌跡、その結果の何もかもが無かったことになるとは、ゴウには思えないし、思いたくなかった。

 

「それは、そうあってほしいってだけの願望か?」

「まぁ、そうだよ。でもあんただって、そこまで悲観していてもブレイン・バーストを続けてるじゃんか」

「ストレス発散のツールってだけだ。目的なんかない、ただの惰性だ」

「それでも零化現象(ゼロフィル)にならない程度には、やる気があったじゃないか。それに、さっき戦っている時には『本気』だったんだろ?」

 

 ──『これが俺の本気だ』

 

 先程の勝負中に言い放った、デーモンの言葉を踏まえ、ゴウは指摘する。

 闘志なきバーストリンカーに、デュエルアバターは動かせない。理由は何であれ、デーモンが本当に無気力なら、こうして対決することなど初めからなかったはずなのだ。

 

「……先のことは分からない。でもこれから先、この瞬間を振り返った時に輝いていると感じられたのなら、今の僕はきっと青春をしているんだ…………と、思う……。うん……多分」

 

 上手いこと締めようとして、何だか恥ずかしいことを口走ってしまい、ゴウは段々と口ごもってしまう。

 しかし、デーモンはこれを笑いも貶しもせず、じっとゴウを見つめていた。

 そんな奇妙な時間はすぐに終わり、デーモンが急に立ち上がる。その視線はゴウから、その背後に移っていた。

 何事かとゴウも振り返ると、誰かが物凄い速度でこちらに接近している。

 

「あ、師匠……」

 

 その正体はアイオライト・ボンズ──大悟だった。現実でのゴウの連絡を受けて、こうして駆けつけてくれたのだ。

 移動速度拡張の心意技を発動している大悟は、こちらが視認してからあっという間に距離を詰め、ざりざりと地面を削りながら急停止する。

 

「すまん! めちゃくちゃ遅れた!」

「いえ、ありがとうございます。あんないきなりの連絡で来てくれたんですね」

「いろいろあってダイブしてから一度、戻る羽目になっちまった。しかも、あちこちにやけにエネミーがうろついててな。最短一直線とはいかなくて……そっちも諸々終わった後か」

 

 大悟がぼろぼろになっているゴウから、無傷のデーモンに首を向ける。

 

「オーガー、こいつは……」

「はい、話していたコークス・デーモンです。PK集団のターゲットだったんですけど、成り行きで戦うことになっちゃって……。あ、勝てましたよ。それから一時間経ったからあっちは無傷で──」

「おう、そのあたりは後で聞くよ。その前にデーモンよ、お前さんに聞きたいことがある。お前さん、オシラトリのメンバーなんだってな。おたくのボスが何を考えているのか、ヒラメンバーは聞かされているのか?」

「……関わったところで損しかしない。俺に言えるのはそれだけだ。それに……もう俺には関係ない」

 

 デーモンは大悟の質問をすげなく返し、歩き出してしまう。方角からして、ポータルのある秋葉原駅を目指しているようだ。

 

「あ、ちょっと……とと」

 

 立ち上がろうとしたゴウがよろけそうになったところを、大悟が肩を貸してくれた。

 そしてゴウは大きく息を吸い──。

 

「デーモン!」

 

 大声でデーモンに向かって呼びかけた。

 歩くペースが速く、すでにだいぶ離れているデーモンが足を止めたところで、ゴウは続けて言葉を投げかける。

 

「またやろう! 今度は始めからまっとうな対戦で! これで一勝一敗同士、次も負けない。また僕が勝って、勝ち越してみせるから!!」

 

 イレギュラーな勝負になってしまったが、ここまで死力を尽くしたものを、ゴウはノーカウントにはしたくなかった。だから先週の対戦と合わせて二戦一勝一敗。戦績は引き分けだ。

 そして、たかだが一度や二度の勝負で、互いの優劣が完全に着くことなどない。ましてや、まだ両方とも成長できる。ゴウはまだまだこれから先も、コークス・デーモンというライバルの一人と対戦をしていきたいのだ。

 すると、デーモンは首だけを向けて、横目でゴウを一瞥した。そうして三秒も経たない内に前を向き、また無言のまま歩き出す。

 半径数百メートルの更地の範囲を抜けたライバルを、建物の陰に消えるまでゴウは見送った。

 

「……これまた愛想の無い野郎だな。寡黙で鳴らしたグランデだって、この状況ならジェスチャーで意思表示するだろうに」

「ああいう奴なんですよ」

 

 鼻白む大悟にそう言いながら、ゴウはデーモンから返事こそ聞けなかったものの、おおよそ満足していた。

 先週の対戦では、決着後には一瞥さえくれなかったのに、今度はしっかり目が合った。あのアイレンズに宿っていたものが何なのかまでは判別しかねたが、少なくとも無関心なものではなくなっていた。

 きっとまた会える。ゴウにはそんな確信めいた予感がした。

 

「……師匠。ちょっと相談があるんです」

「俺もアウトローの全員に話さないといけないことができた。でも今はひとまずログアウトだ。お前さんその傷じゃ、何もしていなくてもしんどかろう。ほれ、ポータルまで運んでやる」

「あ、じゃあお言葉に甘えて……」

 

 いい加減限界だったゴウは、ありがたく大悟におぶさった。しかし、大悟が進んですぐにあることに気付く。

 

「あの、師匠」

「ん?」

「こっち行くと秋葉原駅のポータルですよね。もしもデーモンと鉢合わせになって即再会は、かーなり気まずいというか……」

「んーむ確かに……爽やかに別れた手前な。仕方ない、念のため《神田駅》まで行くか。それじゃポータルに着くまで、いきさつを最初から聞こうか。着いたら続きは夕方以降で頼む。戻って蓮美の試合も見ないといけないし」

「じゃあ蓮美さん、午前中は勝ち進んだんですね。いや大変だったんですよ。まずダイブするのに、コンビニのトイレに駆け込むところから始まってですね……」

 

 こうして、思いがけない激闘を終えたゴウは、大悟の背中に揺られながら現実世界へ帰っていくのだった。

 

 

 

 十七時を回って空は薄暗くなってきても、夏の太陽はまだ完全には沈まない。

 自室にて、肩掛け鞄を放ったままのベッドに座る少年が、背中から倒れ込みながら大きく息を吐く。

 ──夏休み初日から散々だ。

 ブレイン・バーストが作り出す加速世界にて、コークス・デーモンとして活動する少年──天羽(あもう)甲熹(こうき)は、無制限中立フィールドからログアウト後、ダイブ前にPK集団に連行されて詰め込まれていた、ワンボックスカーの車内で意識を取り戻した。

 それから間もなくして、駆けつけた警官に車の窓をノックされる。『奴』がダイブ前に、リアルであらかじめしていたという通報によるものだろう。

 自分達で用意したサドンデス・ルールが仇となり、全滅した『元』PK集団共々、甲熹はすぐ近くの《万世橋警察署》に連れて行かれた。

 事情聴取が個別で行われ、道を歩いていたところをいきなり複数人に囲まれて、無理やり車に連れ込まれたと、甲熹は正直に説明した。あんまり落ち着いていても不審がられそうなので、やや緊張しているふうに装い、被害者であることをさりげなく強調させる。

 対する五人の元PK集団達は、ブレイン・バーストに関する記憶を失っても、自分達の行動自体は憶えているはず。それでも、うろ覚えの行動で前科者になってたまるかと、どうにかごまかそうとした者がいたのだろう。言い分に齟齬が生じ、聴取は長引いた。

 結局、全員のニューロリンカーを調べたことによって、甲熹に他の五人との関連がないことは証明され、一方の元PK集団達はメールのやり取りだけでなく、ソーシャルカメラの映像をごまかす視界マスキングをはじめとした、違法ツールがニューロリンカーに複数搭載されていたらしく、正式に逮捕となった。リアルの現場にはいなかった集団のリーダーも、他のメンバーからのメールログなりを辿られて数日中、早ければ今日中には同じく逮捕となるだろう。

 その後は、車で迎えに来た母親と共に甲熹は帰宅した。警察から連絡があったことで、母は迎えにきた当初は心配から顔面蒼白で、様々な安全機能が備わった現代の車でなければ、事故の一つや二つ起こしていたかもしれない。そんな母を落ち着かせるのに、怪我もしていなければ盗られたものもないと、甲熹は宥める羽目になった。

 そんな計三時間以上に渡る事情聴取や、動揺する母を宥めるよりも、甲熹には今日一番に心労を感じたものがある。

 それは甲熹が所属しているレギオン、オシラトリ・ユニヴァースのレギオンマスター、ホワイト・コスモスと対面したことだ。

 レギオンの一メンバーに過ぎない甲熹が、レギオンマスターであるコスモスに、直接のコンタクトをあっさりとることができたのは、ひとえにコスモスが港区第三エリアで一人、グローバルネット接続をしっぱなしにしているからである。

 昨日の夕方、レギオン間の連絡手段を通し、レギオンメンバー全員宛てに、『今後しばらく、港区第三エリアへの継続的なグローバルネット接続をしないように』という旨の通達があった。

 昨日の領土戦と、その後のミーティング。どちらにも参加しなかった甲熹には詳細は分からないが、これらと『二十三区エリア内の領土勢力の急変動』が、この状況と関係していることは明白だ。

 ともあれ、第三エリアの範囲内に含まれている自宅で、乱入を仕掛けた甲熹がコスモスと対面するのは、これが二度目。レギオン加入後すぐに、姉に引き合わされた時以来だ。

 どこか浮世離れ、人間離れした雰囲気が全く変わらないコスモスに、ただの一人もギャラリーがいない通常対戦フィールドで、甲熹は開口一番に言った。

 

 ──『今から三年前、俺の《親》を永久退場させたのはアンタか』

 

 いきなり問い詰められてもコスモスは動じず、それどころか甲熹からの言葉を長らく待っていたかのように、即座に首肯した。

 そこからのコスモスの説明によると、甲熹の《親》だった姉は、三年前の第一回七王会議の数日後、通常対戦フィールドで、コスモスとの話し合いの場を設けた。内容は、コスモスの掲げる『大義』に繋がる計画を反対するもの。もしも計画を中止、ないしは変更を考えなければ、他の大レギオンどころか、ブレイン・バースト中の知り合いに計画をリークさせると姉は言ったそうだ。

 最終的に戦闘に発展した末、コスモスは姉を《断罪》せざるを得なかったという。

 コスモスから聞かされた内容は、甲熹の想定と概ね一致していた。

 バーストリンカーとして幹部級の実力があり、場数を踏んでいた姉が、そこらでPKに出くわすのも、無限EKに陥るのも、可能性としてはかなり低い。それでも事実として永久退場をした以上、一番考えられるのはやはり、レギオンマスターからの《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》。

 これまで行ってきたコスモスらの計画がいかに重い大義に繋がっていようが、姉の性格上、許すとは思えないものばかりだ。先月ばらかまかれたISSキットなど、いい例である。当時のコスモスも姉には諸々伏せていた行動があったそうだが、姉はそこに生じる不自然さに勘付き、一人で情報を集めていたらしい。

 きっと姉はコスモスが止まらないことも、自分が断罪の憂き目に遭うことも、理解した上で行動していたのだろう。

 甲熹のコークス・デーモンが持つ、三叉矛の強化外装《ミラー・トライデント》がその証の一つ。メインウェポンを張れるほどの強化外装の購入には、レベル一つ分を軽く上げられるほどに莫大なポイントが必要になる。つまり有用な強化外装のショップでの購入とは、レベルを一つ上げることとほぼ同義なのだ。

 自分が使うのならまだしも、いくら《子》相手でも他者へプレゼントするには、あまりに太っ腹が過ぎる。だから姉は《親》として、《子》である甲熹に自分が消えても物理的に遺せるものとして選んだのが、あの強化外装だったのだろう。

 話し終えたコスモスから、今になって《親》の敵討ちをする気になったのかと問われ、甲熹は首を横に振った。

 今回の乱入の目的は、敵討ちを含めた戦闘ではなく、自身のレギオン脱退の意を伝えること。そしてその前に、事実を推測のものではなく、はっきりと確認しておきたかったのだ。

 コスモスは甲熹といくらか言葉を交わしてから、拍子抜けするくらいあっさりと、甲熹のレギオンの脱退を容認した。ずっと籍を置いているだけも同然の身だったので、元より勢力の頭数に入れていなかったのか。あるいは捨て置いたところで、問題ないとでも判断されたのか。

 最後に甲熹はPK集団とのサドンデスで得た、バーストポイントをチャージしたアイテムカードを、コスモスへ手切れ金として渡しておいた。すでにいろいろな計画が大詰めのようだが、それまで消費した分の補填程度にはなる、あるに越したことはない品だ。

 コスモスは「律儀ね」と微笑みながらカードを受け取り、幹部は元よりメンバーへは今回の脱退を理由に、私刑めいたことはしないように釘を刺しておくと約束をした。

 それでも、所詮は口約束。破られればそれまで。少なくとも断罪有効期間でもある一ヶ月間は警戒して、グローバル接続は極力控えておいた方がいいだろう。

 ──少し、肩透かしを食らった気分ではあるな。

 寝転がる甲熹はコスモスとのやり取りを思い出しながら、ややコンプレックスの三白眼で自室の天井を眺める。

 甲熹としては、そのまま断罪されるのも覚悟の上での行動だった。コスモスの真意など完全に推し量れる気もしないが、もしかすると姉の《子》である自分に、恩情をかけたと思わなくもない。何故なら対戦フィールドで、ああ言った後の彼女は──。

 

「こおおおおくううううん!!」

「うおおおお!?」

 

 バタァン! と勢いよく部屋の扉が開けられ、考え事中だった甲熹は体をベッドから跳ね起こした。

 飛び込んできたのは、甲熹と同じ中学校の制服を着た女子。甲熹の義理の姉に当たる人物、天羽蕾華(らいか)だった。甲熹が部屋の扉にロックを掛けていないのもあるが、この姉にはノックという習慣がいつまで経っても身に付く気配がない。

 

「コーくんが警察にパクられたって聞いたから、閉会式終わってダッシュで帰ってきたんだよ! 大丈夫なの!? 仮釈放中なの!?」

「何言ってんだ落ち着け! 人聞きの悪い……やらかしたのは俺じゃねえ。俺は被害者。巻き込まれただけだし、結局何もされてない。あと近くて暑苦しい」

 

 流した前髪が汗で顔に貼り付いている蕾華を、ベッドに座る甲熹は顔をしかめて遠ざける。性格もスキンシップの激しさも、ブレイン・バーストを失った以前とまるで変わらない。

 そんな姉はようやく落ち着いたようで、安堵の溜め息を吐いた。

 

「なぁんだ、そうなの……。もー、お母さんにコールしたら、警察にコーくんを迎えに行ったなんて言うもんだから私てっきり……。閉会式中も気が気じゃなかったんだからね。打ち上げほっぽって帰ってきたんだよ?」

「早とちりするからだろ。……で、大会はどうだったんだよ」

「あ、それ聞く? 聞いちゃう? 凄いんだよ、団体はベスト6。しかも私ね、個人の部でベスト4に入ったんだから! ね、褒めて! 超褒めて!!」

 

 誇らしげにふんふんと鼻を鳴らす蕾華の姿が、お座りの体勢でぶんぶんと尻尾を振る大型犬のイメージと重なる。実際凄いが、素直に褒めるのは少し癪だ。

 

「アー、ハイハイオメデトサン」

「そんだけ? もっと嬉しそうに褒めてよぉ、自分のことみたいに喜んでよぉ」

「自分のことじゃないから無理」

 

 面倒くさくなって、甲熹は適当に姉をあしらっていく。

 剣道部に所属している姉は今日、日本武道館で開催された都大会に出場していた。三年生の蕾華には、中学最後の年である。

 甲熹ら姉弟の通う中学校の剣道部は、周辺でもかなりの強豪校に入り、蕾華はその中で一年生の時点ですでにレギュラーに選ばれ、今日までその座を維持し続けていた。

 新入生当時の蕾華が片っ端から運動部を仮入部し、その中で曰く「一番しっくりきた」と選んだのが剣道部なのは、バーストリンカー時代に剣士だったことも関係しているのかと、甲熹は考える時がある。

 永久退場した当時、小学六年生だった蕾華は時折、うわの空でどこか遠くを眺めていることがあった。何か足りないものを思い出そうとするようにも見えたその仕草も、中学に上がってからは見ていない。やはり『忘れたことさえ忘れている』状態でも、自分が何かを失ったと感じているのか。もしかすると、甲熹には見せなくなっただけで、それは今も。

 一方、そんな蕾華から結果的にブレイン・バーストを奪ったコスモスだが、先程の対戦フィールドで、蕾華のことを今でも『友人』と思っていると言った上に、こう付け加えた。

 

 ──『私のしてきたことを否定する人で、私に対して怒る人は沢山いるけど、私のためを思って怒ってくれた人は、彼女だけだったから』

 

 そう言った後のほんの一瞬だけ、コスモスの超然とした雰囲気は消え、かの女王がどこか寂しそうに見えた。

 甲熹にはあずかり知らぬことだが、きっと互いに友情はあったのだろう。最後にコスモスは「あの子は元気?」と聞いてきたくらいだ。

 それでも蕾華は断罪されるのも承知の上で、コスモスに意見し、最後は戦った。説得できなかった時点でその場は引き下がって、黙って雲隠れなりリークなりすればいいものを、そうしなかったのもいかにも蕾華らしい。

 

「コーくん? おーい」

 

 目の前でひらひらと振りながら、心配そうに自分のことを呼ぶ蕾華に、甲熹は現実に引き戻された。

 

「大丈夫? やっぱりいろいろあって疲れてるよね。はしゃぎすぎちゃってごめんね。じゃあ私、部の打ち上げに行ってくるから。あ、その前にシャワーも……」

「……姉貴」

 

 部屋を出ようとする蕾華に、甲熹は呼びかけた。普段は「おい」だとか「なあ」としか呼ばないので、振り向いた蕾華は目を丸くしている。

 

「次の大会っていつだよ」

「関東大会? えっと……八月の中旬だけど。今日と同じ会場で」

「じゃあ、見に行く」

「……ふへぇ!?」

 

 一拍置いてから蕾華は口をあんぐり開け、甲熹に再び詰め寄った。

 

「本当!? どうしたの、今まで一度だってそんなのなかったじゃん!」

「別に。気が向いたらの話だから。行けたら行くってだけで」

「いーや、もう決定事項です! 言質とったもんね。約束だよ、他の何を置いても来てね!」

 

 絶対だよ! と言い残し、蕾華は鼻歌交じりの上機嫌で部屋を出ていった。直後に玄関に荷物がほったらかしたままだと、母に怒られている声が聞こえる。

 

「……直接言わなくてもよかったか」

 

 甲熹はふとした思いつきで言い出したことを、早くも後悔しそうになるのをぐっと堪える。

 

「いや……少しは前を向く気になったんだ。これでいい……はず」

 

 自身の心境の変化を自信なさげに呟いた甲熹は、ふと右腕に目を落とす。

 六年前の事故で負った、火傷の治療に移植された人工の生体皮膚は、本来の肌と外見上の見分けはほとんどつかずとも、甲熹本人には分かる。この傷こそが実の両親が離婚してしまった原因であり、今の自分を形成している象徴。

 当時の家族を、かすがいであった息子の自分が壊してしまった。罪悪感はいつまで経っても拭い去れず、人と関係を結ぶのが怖くなった。忘れようにも火傷跡だけではなく、度々見る悪夢が記憶の風化を許さない。

 現実世界と加速世界のどちらにも、少数ながら声をかけてくれる者、歩み寄ってくれる者もいた。だが、他ならぬ甲熹自身が手を取ることを拒否した。

 そんな偏屈者を、好き好んで何度も相手にする者など当然いない。少なくとも甲熹の周りには、蕾華を除いて誰もいなかった。いなかったのに。

 

 ──『──本気で来いよ!!』

 ──『──先のことは分からない。でもこれから先、この瞬間を振り返った時に輝いていると感じられたのなら、今の僕はきっと青春をしているんだ──』

 ──『またやろう! 今度は始めからまっとうな対戦で! これで一勝一敗同士、次も負けない。また僕が勝って、勝ち越してみせるから!!』

 

 会ったのは今日で二度目、それもVR空間内だけで、歩み寄るどころか殴り合った、素性も碌に知らない奴の言葉が、まだ甲熹の胸に強く残っている。

 ──こっちの事情なんか何も知らないくせに、好き勝手言いやがって……。

 奴が自分を助けたのは、奴自身の都合に他ならない。間違ってもこちらを慮ってのものではないと、甲熹には分かる。

 ただ、あれから何時間も経っているのに、甲熹には未だ勝負の余韻が残っていた。勝ちたいと思い、本気で挑んだ勝負への敗北。そのことを悔しく思うのは、本当に久し振りの出来事だった。

 本音を言えば、勝負の後に寄ってきたエネミー共を追い払った、あのよく分からないアイコンも気にはなったが、それはともかくとして。

 最後に放たれた奴の電光に、甲熹は自分の中の鬱屈した淀みが消し飛ばされ、一時ながら心が晴れた気分になった。その後からずっと、停滞し続けた自分に対し、このままでいいのかと疑問が湧いて止まらない。

 だから、きな臭いレギオンとの関係を断ち切った。おそらくはコスモスらトップ連中は、自身のレギオンメンバーにさえも、目的の全ては明かしていない。とうに姉が去っている以上、自分も付き合う義理はない。

 だから、留めたままだったのプレイヤーレベルを、今しがた6から7に上げた。何年振りかに聞いた、レベルアップを知らせるファンファーレの効果音は、思った以上に感慨深いものがあった。ボーナスはこれから吟味して決めることにする。

 これらの行動が、一時の気の迷いから来るものなのかはよく分からない。だが、後悔だけはなかった。

 ──次は……俺が勝つ。だから待っていろ──ダイヤモンド・オーガー。

 新たにバーストリンカーとしての目的ができた甲熹は、普段からの仏頂面は変わらずとも、心は晴れやかに、一人静かに闘志を燃やす。

 この日を境に、甲熹は六年前から見続けた悪夢の頻度が大幅に減っていく。

 ずっと立ち止まり続けていた骸炭の悪魔は、金剛石の鬼との出会いにより、再び歩みを始めるのだった。

 



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最終話

 最終話 曼殊沙華には祈らない

 

 

 いろいろなことがありすぎた日曜日の翌日。七月二十二日、月曜日。

 ゴウは昼食を済ませても自室に戻らず、ずっとリビングにいた。つけっぱなしのテレビから流れている、『恐喝行為の現行犯として逮捕された未成年グループ、その指示役と思われる学生を自宅で逮捕』というニュースを、ほとんど見ても聞いてもいない。

 ──もう着いてもいい頃だよな。連絡してみるか? 近くまで迎えに行った方がよかったかな。いやお節介か。リンカーのナビもあるし、別に迷う道のりじゃないし。でもなぁ……。

 落ち着かない気分で貧乏ゆすりをしていると、インターホンが鳴った。この音は、ここのマンション一階、エントランスのものだ。

 

「あ、来た。──はい、どうぞ」

 

 ゴウは仮想ウインドウに表示された、エントランスの映像越しに来客に話しかけてから、入口の自動ドアを解錠。来客をマンション内に通してから、自分は玄関へ移動する。

 来客用スリッパを一足用意して、待つこと数分。今度は別のチャイム音、自宅のインターホンが鳴った。

 ゴウが電子ロックを解錠して玄関扉を開けると、むわっとする夏の外気が入ってくる。

 扉の前に立つ来客は、日除けの鍔付きキャップを被った宇美だった。キャップを取った後ろの髪はヘアクリップで留め、簡素に纏まっている。

 

「こんにちはー」

「暑かったでしょう。さぁ入って」

「お邪魔します。あ、これケーキね。後でおやつに食べよ」

「おぉ、お土産まで。ありがとうございます」

 

 ゴウが宇美を連れて台所に移動し、受け取った包みを冷蔵庫に入れると、手洗い等を済ませた宇美が口を開いた。

 

「で、ゴウの部屋はどっち? そこでやろう」

「僕の部屋? リビング(そこ)でいいでしょ。今日は夕方まで、うちの親両方とも帰ってこないから邪魔にもならないし」

「却下。先週私の部屋見せたんだから、おあいこにゴウも見せてよ」

「それはあんまり関係ないんじゃ……まぁ別にいいですけど、面白いものなんてないですよ」

 

 あまり拒んでも仕方ないので、飲み物を盆に載せ、渋々宇美を自室に連れていくゴウ。一応、宇美が部屋を見たがる可能性も見越して、軽く片付けてはある。

 ──問題はない……はず。

 

「……ふーん、普通だね。男子の部屋って、もうちょっと散らかってるイメージがあったんだけど……おっ?」

 

 部屋に入ってすぐにあちこちを眺めていた宇美が、ゴウの机に目を留めた。

 

「漫画じゃん。それに今時ペーパーブックなんて珍しい」

「父が子供の時に集めて取ってあるやつを、たまに借りて読んでるんですよ」

「タイトルも知らないや。これいつのやつ?」

「さぁ……少なくとも三十年以上前です」

「へー……」

 

 今時、紙の束というものは見る機会さえ少ない。物珍しかったのか、内容に興味を惹かれたのか、宇美は立ったまま漫画のページをめくり始めてしまった。早くも今日の目的から逸れている。

 

「宇美さん? 宇美さんてば」

「んー……」

「んー、じゃなしに。宿題やりに来たんじゃないんですか?」

「分かってるって。ねえ、これ一巻から無いの?」

「読む気満々じゃないですか。じゃあ、帰りにキリのいいところまで貸しますから」

「でもお父さんのなんでしょ? 勝手にいいの?」

「一月くらい借りっぱなしにしても、返せって催促されたりしないですから大丈夫です。さぁ、ほら」

 

 ゴウがそこまで言って、宇美はようやく漫画を手放し、二人はテーブルを挟んで向かい合わせに座る。そうして互いにそれぞれの学習アプリを立ち上げ、本当に休ませる気があるのかと思う量の宿題の山を崩しにかかった。

 

 ──『一緒に宿題しよ、ゴウの家で。いい?』

 

 昨日、宇美からそんな連絡があったのが、現在の状況の発端である。

 学校も学年が違うのに個人の課題を一緒にやる意味があるのか、という考えが真っ先に浮かんだゴウだったが、そう即答するのは冷たい対応だとさすがに分かったし、友達の誘いを無下にするのも気が引けたので承諾した。

 それにどちらにせよ、十四時からの『用事』まで、宿題をできるところまで進める予定だった。また、この『用事』には宇美も関わっているので、ゴウの家に来たのはそれまでの時間潰しも兼ねている

 ゴウと同様、宇美も黙々と課題を進めるタイプだったようで、いざ始まると会話はほとんどない。手書きで数式を解き続けていたゴウは、ホロペーパーから顔を上げてみた。

 真正面の宇美は、至極真面目な表情で課題に取り組んでいる。考えてみれば真剣なのも当然だ。中学三年生の宇美には、今年は高校受験の年である。

 

「宇美さん、受験に備えての夏期講習とかないんですか?」

「うん、週に何回か塾の遠隔講義は申し込んであるよ」

「志望校とかはもう決まってるんですか?」

「えっとね──」

 

 宇美の口から出た高校の名前は、ゴウもクラスメイトとの会話の他、何度か聞いたことのある学校だった。偏差値は平均よりも、かなり高い水準に位置している。

 

「いけそうです?」

「今のままだと、ちょっと心許ないって感じかな。別に、そこでしかやれないものがあるわけじゃないんだけどね。この学力社会のご時世、いけるとこまでいった方がいいのかなって思って」

「おお……しっかり考えてるんですね」

「全然。そんな大したことじゃないよ。あと、そこに受かるかはともかくとして、高校に入ったら生徒会に入るのもアリかなって。ほら、生徒会役員だと学内のアクセス権限が普通の生徒よりも上がるでしょ? だからそれも目当てに生徒会役員になろうとするバーストリンカーもいるんだって」

「あぁ、らしいですね」

 

 現在、最年長でも十六歳までのバーストリンカーは、おそらくほぼ全員がどこかの学校に通っている。約千人いるバーストリンカーは東京の、それもほぼ二十三区に密集してはいても、同じ学校に通う確率はあまり高くはない。しかしゼロでもない。

 人口の多い学校なら、それだけ集まる確率も高まる。部活動をしていれば、他校と交流する機会も増えるだろう。要は学生という身分だけで、他のバーストリンカーとリアルでの接触をしてしまう可能性が、わずかながらに存在するのだ。

 故に自分の仲間以外のバーストリンカーが同じ学校に在籍した場合は、互いに不干渉を貫くか、形だけでも同盟を結ぶかが相場となる。ただ最悪の場合、ポイント枯渇しかけの片方が、もしくは双方がリアルアタックを仕掛ける事態も有り得ない話ではない。ゴウはバーストリンカーになりたての頃、大悟にそう聞かされた。

 だからこそ、そういったリスクを減らす意味合いを含めた情報把握に、学内のデータベースのほとんどにアクセス可能な生徒会役員の権限で、足元を固めようと考える者、実際にそうしている者もいるという。

 

「ゴウはどこか高校決めてるの?」

「いやぁ二年生ですし、まだまだ全然です」

「甘いなー、一年先なんてあっという間だよ。あ、じゃあ私と同じ志望校はどう? そこで二人して生徒会に入るの」

「それは……今の成績だとまず受かるか……。それに役員なんて荷が重いですよ。僕にはできてクラス委員が精々です」

「えー、いいじゃん楽しそうで」

「それよりまずは宇美さんが受からないと」

「う……そうなんだけどさ。さらりと痛いとこ突くね、もう」

 

 むーと口を尖らせ、宿題を再開した宇美の冗談めいた提案を、ゴウは想像してみた。

 役職は何にせよ、今こうしているように、放課後の生徒会室で向かい合わせになって作業をするのだろうか。

 ブレイン・バーストについて考えなくても、内申点的にもいくらか有利に働くメリットはある。もちろん相応の責任と労力も伴うだろうが。

 ──宇美さんと同じ高校か……考えもしなかったけど、全く実現不可能ってわけでもないのか。

 ゴウは淀みなく筆を走らせている宇美を見やる。よくよく考えれば、中学に入ってから友達を家に招くのは初めてだ。女子ともなると、小学生時代にだって一度としてなかった。

 ──ムーン・フォックスと現実の自分の部屋で、宿題しながら進路について話してるなんて、一年前、いや一ヶ月前に言われたとしても、まず信じられなかっただろうな。

 そんな宇美は家に来た当初は上に着ていた、日除け用の長袖を脱いでおり、クリーム色をしたノースリーブのトップスからは、すらりとした二の腕が露わとなっている。

 ──綺麗な肌…………ちょっと襟元広すぎないか? このままでもがっつり鎖骨見えるし、あれじゃもう少し屈んだら──はっ!? 

 この馬鹿野郎と、ゴウは自分の頬を引っ叩いた。

 バシィン! と景気のいい音に、宇美が目を丸くする。

 

「え? 何? どうしたのいきなり」

「ちょっと蚊が止まったんで」

「だからって……普通、自分の顔そんな強く叩く?」

「つい反射的に……うん、仕留めた。手洗って来ますね、あはは……」

 

 すでに少し引いている宇美に、無意識にどこを見ていたとは口が裂けても言えないので、とっさの言い訳をしながら、ゴウは部屋を出て洗面所に向かった。

 

「何やってんだか思春期め……いてて」

 

 自分に対してぶつくさ文句を垂れながら洗面所の鏡の前に立つと、ゴウの左頬にはくっきりと自分で作ったばかりのモミジの跡がついていた。蛇口から水を出して手を濡らし、赤くなった頬に当てる。跡はすぐに消えるだろうが、さすがに思いきりやりすぎたかもしれない。

 

「……遠くない未来か」

 

 宇美との会話で先のことについて話したせいか、ゴウは大悟の呼びかけで開かれた、昨晩のアウトローメンバーとの話し合いを思い出す。

 会場はプレイヤーホームでも、代表者のフルダイブ空間でもなく、とあるチャットサイト。この手の旧式コミュニケーションツールは文字でのやり取りしか行えないが、ニューロリンカーのID登録もアドレス登録も不要、指定したチャット空間にはパスワードを知る者しか参加できない等の利点から秘匿性が高く、複数人での意見交換にはうってつけの場所なのだ。

 そこでの会話内容は、土曜日に行われた領土戦後の、領土圏の大幅な変化。黒と赤、純色のレギオン同士の合併。日曜日の昼に行われていた、七王会議の顛末。

 そして、今まで正体不明だった加速研究会と白のレギオンとの繋がり。

 これらはすでに、昨晩の時点でバーストリンカーの間で燎原の火のように広まっていて、知っているメンバーもいた。ゴウも昼間に無制限中立フィールド内とその後の連絡で、大悟によって聞かされている。

 黒のレギオンが主立って活動し、これまでの暗躍が暴かれた白のレギオンは、残る純色のレギオンと完全に敵対することになった。

 調教(テイム)状態の神獣(レジェンド)級エネミー、太陽神インティの内部に閉じ込められ、無限EKに陥った王達をすぐにでも救出しようと、各レギオンメンバー達は幹部格を主軸に、目下動いていることだろう。

 だが、神獣(レジェンド)級エネミーさえも支配下に置く神器を所有している、白のレギオンが一筋縄でいくはずがない。中でもレギオンマスターのホワイト・コスモスに至っては、すでに領土ではなくなった港区第三エリアで一人、現在も常時マッチングリストに載っていると聞く。その行為の真意は、乱入をいつでも受け入れるという挑発のつもりなのか、何人連続で挑まれようが問題ないという自身の表れか。

 王達の無限EK状態にしても謎が残る。結果的には、王達は無制限中立フィールド内でのみ身動きが取れなくなっただけで、ここから無制限中立フィールドにダイブしない限り、とりあえずはポイント全損に陥ることはない。にもかかわらず尚も閉じ込めたままなのは、そこから何かしらに繋がる理由があるのではないか。

 ゴウがデーモンと戦っていた頃、なんとコスモス本人に遭遇して(ついでに片腕も消し飛ばされて)いたという大悟は、そう考えているらしい。昨日の話し合いでもあれこれ推測は出たが、結局これといった答えは出なかった。

 それでも、『何か大きなことが起こる』と以前アキハバラBGで零していたマッチメーカーと同様、ゴウも今ならば肌で感じ取れる。

 自分がバーストリンカーになる前、遥か黎明期にもきっと類を見なかった規模の激動が、加速世界で起こる予感がするのだ。その引き金が白のレギオンなのかまでは、まだ断定しかねるが──。

 

 ──『関わったところで損しかしない』

 

 デーモンが去り際に残した忠告めいた言動からして、その可能性は高いのだろう。

 ──加速世界の先行き、それに現実の進路。考えることは山積みだな……。

 生きている限り、未来には必ず誰もが直面する。まだ先のことだと思っていた物事も、すぐにやってくる。

 ゴウも中学校生活の三年間の内、すでに一年と数ヶ月を消化してしまった。まだ二年生になったばかりくらいの実感なのに、今はもう夏休みだ。振り返れば季節の過ぎ去るペースがあまりに早い。

 しかし、たとえ流れに呑まれることは避けられないとしても、自らの選択肢を掴み取っていかなければならない。その流れの中を必死にもがいてでも。

 その現実に悲観はしない。自分は一人ではなく、仲間がいるのだから。

 ゴウは来たるその時の為に、覚悟と備えだけはしておくことを肝に銘じた。

 ──まずは現実の我が身の為に宿題だ。それと……。

 水で濡らした頬をタオルで一拭きしてから、ゴウは自室へと戻っていった。

 

 

 

 自己の存在を知覚した瞬間より、全てを兼ね備えていた。

 この世界で最も雄大な山の地下に広がる、広大かつ荘厳なる領地。

 数多の従僕から成る軍勢に、傍らにはその中でも指折りの側近達。

 そして、それらを有するにふさわしい、最上位の優先度を与えられた我が身を持ち合わせ、己が魂に刻まれた、『領地に侵入した小戦士を倒せ』というプログラムの下、小戦士の来訪を悠然と待ち続けた。

 たとえどれほどに屈強な小戦士が数を揃えようとも、完璧な己を脅かす者など万に一つも存在しない。そう信じて疑うはずもなかった。

 だが、領地に踏み入る小戦士の一人も現れないまま、事態は一変する。

 自己の認識から幾らか年月が経ったある時、何の前触れもなく己が世界は崩れた。領地、配下、己自身に至るまでの全ての構成情報が、突如として分解され始めたのだ。

 訳も分からないまま自らの存在が消えていく。みすぼらしいものに変わる身なり。眼前で揺れる白いものを何かと掴めば、それは色の抜けた自らの頭髪。

 己の何もかもが根こそぎ奪われていくことに、初めて恐怖というものを覚えた。消えたくない一心から、これまで一度として離れなかった玉座から浮き上がり、遮二無二逃げ出した。

 地形データを無視し、透過できるほどに希薄になってしまった、消えゆく体で地上に到達する。情報が密集している方角を感じ取り、雲で翳る夜闇の中でひたすら東を目指した。

 次第に地面から遠く離れての浮遊も不可能になり、気付けば元居た山よりも、遥かに小さい山の中をさまよっていた。辺りに立ち込めるジャミング効果のある霧に地形情報の知覚を妨害される中、偶然見つけた石の柱でできた門をくぐり、その先の道を進む。

 開けた場所に出ると、うら寂しい庭園に建造オブジェクトが一つ。中にアイテムデータがあることは感じ取れるが、条件を満たさない限り、かかっているプロテクトを外せない。こうした情報解析もいつまで可能なのか。

 藁にも縋る思いで徘徊していると、この場所の地下に存在する空間を発見し、地面へ潜る。己から薄く零れる燐光を頼りに洞窟を進めば、最奥の一枚岩に突き立つ、一枚のアイテムデータを見つけた。

 エンハンス・アーマメントタイプ、それも優先度はかなり高めに設定されている。この地下道は、これの取得へと繋がる隠し路だったようだ。

 アイテムカードを掴むや否や、ビーイングとしてかろうじて残されていた拾得(ルート)能力によって、構成情報ごと分解──喰って取り込むことで九死に一生を得た。

 これでどうにか自己の崩壊は食い止めることに成功したが、今度は存在がある程度安定したせいで、地形の透過が不可能になり、地下空間から出る術を失ってしまう。

 こうして栄耀栄華の極みより一転、領地は岩盤に囲まれた袋小路、配下は一人もおらず、戦闘能力は皆無に等しい無力な存在となった。

 始めの内は、今まで認識こそしていたものの歯牙にもかけていなかった、この世界の創造主をただただ恨んだ。全て与えて生み出しておいて、全てを無情に奪っていった。これが憎悪を抱かずにいられようか。

 大規模なフィールドと、そこに付随する己を含めたビーイング達の抹消。その実行理由は不明だが、これらに割いていた情報リソースを、別の何か──より重要なものに当てたのではないか、といった複数の思考も巡らせた。

 だが、そうした活発な感情発露や思考運動は、数十年も経たない内に行わなくなっていった。

 消去が実行された己の残存を、創造主が検知していないはずがない。尚も己が存在し続けられている理由は、すでに目的は達成されているからか。それとも、何かの手違いで即座の抹消を免れながらも、残滓でしかない己になど、関与の必要さえなしと判断したのか。あるいは他に理由があるのか──何もないのか。

 許すつもりは毛頭ないが、厳然たる虚無感が憎悪や憤怒を湧き上がる前に押し潰していく。何より仮にこの場から出られたとて、もう己の居場所は存在しないのだから。

 せめて、創造主が定めた言語を口にはすまいと固く誓った。意味は皆無でも、この身でできるなけなしの抵抗だ。

 ほとんどの時を、最低限の知覚情報を残したスリープモードで過ごした。他にやることと言えば、時折ハイエスト・レベルに赴く程度。己を描画した光点の弱々しい瞬きを見る度に、まだ消えていないことにどこか安堵しつつ、より一層惨めになった。

 度々この山に入ってくる小戦士の存在を感知し、ハイエスト・レベルから眺めることもある。もっとも、小戦士達は滅多に訪れない。数十年から数千年に一度と頻度はまばらで、時を経るごとに期間が空くことが多くなっていった。連中には、この場に訪れる意義はほぼないようだ。

 あらゆるものを失ってから、過ぎ去った時は八千年を優に超えた。

 このままこの穴蔵で、いつか世界が閉じるその時を、何者にも知られることもなく漠然と待ち続けるだけ。そう判断して久しい己の元に、一人の小戦士が現れた。

 それまで山に入った小戦士達へ向け、気まぐれにハイエスト・レベルから干渉してみたこともあったが、実際に己の眼前まで訪れた者はこの小戦士が初めてだった。

 ひょんなことからリンクが形成されてしまったその小戦士は、額から伸びた双角がかつての従僕達を思い起こさせたが、こちらの言うことにまるで従おうとしなかった。

 あまりに不敬な態度に久方振りに怒りが湧き、ミーン・レベルからハイエスト・レベルへ強制的に引き上げもした。だが、限りなく時が止まった環境に放り出され、魂が壊れかけたというのに、小戦士は何故か自力で立ち直った。その上、再会時にはこちらへ恨みの言葉の一つも吐こうとしない。それどころか──。

 とにかく、ひどく不可解な存在だった。ハイエスト・レベルからの呼びかけについて言い当てられた際には、思わず否定してしまったし、どうも調子が崩される。

 最後には関係の清算に詫びの意も込め、襲い来るビーイングの群れを追い払ってやったというのに、リンクが消える瞬間まで納得していないことが伝わってきた。何にせよ、もう遭遇することもあるまいが。

 これで平静を取り戻せたかと思えば、新たに問題ができた。

 これまでは数十年も数百年も体感に大差はなかったというのに、あの小戦士とのリンク切断以降、時の経過がやけに緩慢に感じるのだ。

 浮かぶのは、片手で足りる回数のやり取りと、その耳目を通して記憶した世界のことばかり。

 これではまるで、小戦士との縁を切ったことを惜しんでいるようではないか。悔やんだところでもう遅いというのに。そもそも悔やむ必要など──。

 その時、地下空洞が揺れた。少し離れた場所から届いた地響きに、スリープモードが解除される。

 この手狭な領地に何者かが入ってきた。

 

 

 

 真っ暗な道を歩いていく。以前は壁に手を当てながら、おそるおそる道の状態を確認して進んだが、罠の類がないことはもう分かっている。岩肌の凹凸に躓かないよう気を付けるだけで事足りる。

 歩くペースが以前と違う分、最奥へはすぐに辿り着いた。

 平たい一枚岩の上には、儚げな青白い光を発する、女性の姿をしたエネミー。御簾のように顔へ垂れ下がっている白髪の奥からは、食い入るような視線を感じる。

 

「やあ」

 

 ゴウはイザナミに向けて和やかに片手を上げた。注視されていることでプレッシャーは感じても、もう竦むことはない。

 リンクが断たれたことを確認した直後から、ゴウはもう一度イザナミに会うと決めていた。だから昨日のアウトローで行われた話し合いの席で、ゴウは大悟と宇美以外のメンバー達にも、イザナミについて話した。

 一人だけで行くことも考えたが、それでは心許ないし、助けてくれる者達がいるのなら、遠慮せずに頼るべき時もあることはもう学んでいる。

 仲間達は協力を快諾してくれた。全員揃っているので、このまま無制限中立フィールドへダイブしようという意見も出たが、それはゴウが止めた。

 イザナミのいる場所は、隠しエリアと思われる庭園──の更に地下。遭難状態から偶然に偶然が重なり見つかった場所へ再び赴くには、アウトローの他にも協力者がいた方が良い。

 例えば、その場所を他に知っている人物。丁度ゴウには心当たりがある。

 話し合いの後にすぐ、ゴウは町田市で活動するレギオン、フリークスのトワイライト・ヴァンパイアへ連絡を取った。先週、高尾山を目指した彼らに同行したことこそが、イザナミとの邂逅のきっかけだ。

 以前交わした『協力を惜しまない』という約束の通り、ゴウの話を聞いたヴァンパイアは即座に了承し、レギオンメンバーにも声をかけてくれた。

 こうしてそれぞれの都合を元に調整し、最終的に集合時間と決まったのが、今日の十四時だった。

 かくして無制限中立フィールドで合流し、高尾山を訪れたアウトローとフリークスの一行だったが、庭園の発見は予想通り簡単にはいかず、捜索に丸二日を要しながらも、どうにか辿り着くことができた。

 そして現在、庭園の番人である天狗エネミーの相手は他の皆に任せ、主に天狗に集中的に攻撃を当てさせてできた、地面に空けた穴を通じてゴウはこの地下空洞に立っている。

 

「久し振り……になるのかな。リンクが切れたのは、僕にとっては昨日のことだけど、君にはもう三年以上前になるんだよね」

「……斯様な年月、我にとっては瞬きに等しいわ」

「ここまでまた来るの大変だったんだよ。そもそも地上(うえ)の庭園からして、前は迷って偶然来られたわけだし」

「うぬの苦労など知らぬ」

 

 イザナミは無愛想に頬杖をつき、ぷいとそっぽを向いてしまう。ゴウにはその態度がどこか拗ねているような、強がっているように見えた。

 

「君と話しに来たんだ。前は時間が足りなかったから。あ、この前は助けてくれてありがとう」

「……礼の言葉は受け取ってやろう。では失せよ。我はうぬと話すことなど無い」

「もう一度リンクを結ばないか?」

 

 探りを入れる必要はない。単刀直入にゴウは用件を切り出した。

 

「ここにずっと独りでいても退屈でしょ? そりゃ四六時中一緒にいられるわけじゃないけどさ、一人くらい話し相手がいたっていいんじゃないかな」

「…………」

「なんだったらアウトローの仲間もいる。一度集会があったから知ってるだろ? 皆良い人だよ」

「…………」

「僕を通して見た外はどうだった? 君は飽きたとか言ってたけど、まだ行っていない場所ばかりだし、同じ場所でもステージごとに景色は変わるし、対戦だって指で数えるくらいしか見せてないし……とにかく君の見たのなんて、ほんの一部だ。それから──」

「もうよい!」

 

 黙り込んでいたイザナミが立ち上がった。耐えかねたようにゴウを遮り、自身の胸に手を叩き付ける。

 

「この身は残滓、抜け殻よ。偶々消去を免れ、落ち延びただけの抜け殻よ。最下級の獣はおろか、小戦士一人とて倒すことは叶わぬ。斯様な我に、うぬは何故そこまで執心する!」

「その答えは、前にハイエスト・レベルで言った」

「はっ! 友になりたいなどという戯言か? 再び我と回路を形成したとて、うぬに利など欠片も無いのだぞ」

「それでも良いんだよ。大体繋がりっていうのは、メリットの有り無しだけが全てじゃない。いるだけでも知らず知らずに助けたり、助けられたりするんだ。ここに来られたのだって、前に僕が助けた人達が、今度は僕に手を貸してくれたからなんだよ」

「ぐ……」

 

 揺るがないゴウに、イザナミが言葉を詰まらせる。

 ──悲しい思い出になる別れなんて、僕は認めない。

 ゴウがリンクを断たれる寸前に見た、引き結ばれた口元。あんな泣きそうな顔をされて、「はいさようなら、元気でね」では済ませられない。

 自分は『加速世界を自由に生きる』が信条のアウトローメンバー。この本当は寂しがり屋の女神を放ってはおかないと、もう決めたのだ。

 

「……これも前にも言ったけど、経緯はどうあれせっかく会えたこの縁を僕は大事にしたい。だから──」

 

 ゴウは岩の上に立つイザナミへ右手を差し出す。

 

「イザナミ。僕ともう一度リンクを結んでくれませんか?」

 

 イザナミはゴウを見下ろしたまま動かない。

 ゴウもイザナミへ伸ばした腕を動かさない。

 洞窟に満ちる静寂に、ゴウは耳が痛くなりそうになった頃、イザナミがぽつりと呟いた。

 

「…………従僕では不服か?」

「それは嫌だな。対等な友人同士がいい。もうお互い貸しも借りもないし」

「ふん、結局そこは譲らぬか」

 

 鼻を鳴らしたイザナミは岩からふわりと浮き上がり、更に高くからゴウを見下ろす。

 

「つくづく剛情な小鬼よな。我に本来の力があれば、うぬなど百度は塵にしているところよ」

 

 イザナミの纏う燐光から火花が散った。

 以前のハイエスト・レベルと同じようにまた拒絶されてしまうのかと、ゴウは伸ばしていた手を引っ込めそうになるところをぐっと堪える。

 ところが、火花はすぐに収まった。

 

「──が、それは堅固なる意志故と取れなくもなし。然様な魂の在り方と行動に、いくらか興味が湧いたのも事実」

「それって要するに……」

 

 イザナミがゆっくりとゴウの前に降下する。同時に前髪が左右に分かれ、素顔が露わになった。両足が地に着かずに浮いたまま、丁度目線の高さがゴウと同じになっている。

 

「光栄に思うが良い」

 

 イザナミは両手で上下から包むように、ゴウの差し出したままの手を握った。血色の悪い青白さからは想像できない、ほのかな温もりを持った手を通して、何かがアバターの身に流れ込んでくるのを感じる。違和感や異物感が皆無なわけではないが、流れは緩やかで前回のようなショックはない。

 

「えっと、改めてよろしく」

「……精々、我の食指を動かす働きをするのだな」

 

 尊大な口調は変わらず、イザナミは大粒の黒真珠のような瞳を伏せ、ゴウから目を逸らしてしまった。

 しかし、かすかに微笑んでいる。その柔らかい表情が、ゴウには野端にさりげなく咲く花とどこか重なった。

 本人が自覚しているのかは分からない。指摘すればすぐにしかめ面になってしまうのだろう。

 だからこそゴウはリンクの形成が終わるまで何も言わず、得も言われぬ温かさを胸に抱きながら、自身もフェイスマスクの下で笑顔を作るのだった。

 

 

 

 知人、敵、仲間、友人、好敵手。一期一会のめぐり逢い、善きも悪きも繋がりの、(えにし)が道を彩って。

 これは西暦二〇四〇年代、VR・AR技術が発達した世界のどこにでもいる、しかし他の誰でもない、一人の少年の物語。

 その断篇である。

 



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