新人類観察紀行〜創造主が滅んで用済みになったアンドロイドが新しい世界で自分の生き方を絶賛模索中。 (T.K(てぃ〜け〜))
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第一話 新たな年

遠い遠い遥かな未来…

 

造物主である[旧人類]と創造物である[新人類]との間で、種としての存亡を賭けて長く繰り広げられた戦争[旧大戦]も過去の話となった頃…

アンドロイドである私は、製造が終戦直前であった事から[旧大戦]には参加しておらず、 戦後約600年の間をコールドスリープ状態で眠り続けていた。

 

ある時、製造設備の一時的なバグにより、たった一人で私は覚醒した。

造物主である[旧人類]がすでに滅び、自らの存在意義が失われている事を知った。

 

高度な人格を与えられていた私は、その事実に自問自答を繰り返し、ひとつの答えを導き出す。

 

今はもういない造物主に代わり、[新人類]の事を知ろうと...

今の自分に出来る事はそれしか無いのだと...

 

以後、施設に残された素体を乗り換えながら、200年もの長い旅を続けている…

 

 

*

 

 

聖華暦829年 聖王国領 コシュタ・バル

 

通りを行き交う人々を眺める。

ただ観ている訳ではない、彼らの一挙一動に細心の注意を払い、具に観察している。

 

このコシュタ・バルという街は『カーライル王朝・聖王国』の東方、かつての旧人類の拠点であった『禁忌の地』にほど近い位置に存在する地方都市だ。さほど大きくは無い。

ライ麦が特産品で、夏の収穫期には街を挙げての祭を行なっている。

 

だが今日は一年の終わり、あと9時間もすれば新しい年を迎える。

あちらこちらで多くの人々が忙しなく、新年を迎える為の最期の準備に奔走していた。

威勢良く客の呼び込みをする露店の店主、向かいの屋台で買い物をする親子、荷物を手に足早に去っていく男性、楽器を手に感謝の曲を奏でる演奏会、愉しげに走り抜けていく子供達。

 

浮き足立ち、どこか楽しげで期待に満ちた表情、通りは活気に溢れている。

 

だが無論、それらばかりでない事も、見逃さなかった。

暗い表情で天を仰ぐ青年、路地の片隅で座り込み酒を飲む年寄り、下を向き重く歩く女性、ただ羨むような眼差しを暖かな家へ向ける子供。

 

活気に満ちた幸せの影に確かにその逆も、また同じように存在している。

それぞれに様々な事情を抱え、それ故に幸せにも不幸にもなる、感じてしまう。

何を考え、どう行動する?

 

やはり[人]は度し難く、不可解だ。それ故に興味深い。

多くの[本]を並べた露店の奥で、私は通りの人々を観察する。

 

「タカティン、もうすぐ一年が過ぎようとしているのです。みんな年越しの準備をしているのですよ。」

 

傍に居る、いや、置いてあると言った方が良いか。丁寧な装丁を施された[本]が不服のこもった声で話しかけてくる。

 

「そうだな、みな実に忙しいな。」

 

私は抑揚のない声で彼女に返事を返す。

 

「私達は準備をしなくて良いのです?早くしないと年が明けてしまうのですよ。」

 

私の返事にやはり食ってかかってくる。去年も同じ事を言っていた。

 

「前にも言ったが…リヴル、我々がそれをする事に何の意味がある?

私にもお前にも特に必要な事ではないぞ。」

 

これも去年言った事だ。

 

「何を言っているのです!

一年の終わりを迎え、新しい年を迎える。これは[人]にとって区切りをつける、大切な行事なのです!

仮にも[人]の観察をし続けると決めているタカティンが、その為の行事に参加しなくてどうするのです?」

 

やれやれ、このリヴルという名の[本]は、正確には書籍型記憶媒体、つまりAIである。

だが、AIらしからず感情豊かで騒がしい。

 

5年前、ここよりも遥か西方の大国『アルカディア帝国』を訪れた時、ぼろぼろのゴミ同然で市場の露店で売られていたのを偶然にも発見し、非常に安く買い叩いてからの付き合いになる。

 

残念ながら保存状態は最悪で、記憶の4割が破損、ロストしていた。

外観は綺麗に装丁をやり直し、丁寧に修復した。

 

何故買い取って装丁し直したか?

 

リヴルが人格を持ったAIだった事もあるが、なによりも[本]だったからだ。

[本]こそは人類最大の発明、叡智の結晶、[本]より貴重で尊い物は人類史上存在しない!

少なくとも私はそう考えている。

 

だから私はあらゆる[本]を商っている。

古書、新書、奇書、魔書、幻書、様々な[本]を売買することで[人]に接して観察する。尊い[本]も扱える。実に合理的で効率的だ。

だから私は行商人として各地を旅して[本]を商い、[人]に接して観察する。

もう一度言うが実に合理的で効率的だ。

 

「タカティン、聴いているのです?リヴルは新年のお祝いをしたいのです。」

 

結局は新年の祝いをしたいという事だ。何かにつけ、祝い事をやりたがる。

 

「わかった、わかった。あまり捲し立てるな。

これも何度も言ってきたが、本が喋っているのは色々と面倒ごとになるのだ。

露店をたたんだら新年の祝いをしてやるから、もう少し大人しくしていろ。」

 

根負けしたという風に折れてやる。そうしないと賑やかな相棒は年を越すその時まで賑やかに捲し立ててくるだろう。

リヴルはそういうAIだ。これはこれで度し難い。

 

「むぅ、分かったのです。絶対なのです、絶対なのですよ。嘘をついたら許さないのですよ。」

 

「くどいぞ。約束は守る。」

 

「では楽しみにしているのです。」

 

喜色を帯びた声でそう言って、ようやく静かになった相棒を一瞥してから、 私は再び通りへ視線を移した。

 

今日は一年の終わり、あと8時間もすれば新しい年を迎える。

あちらこちらで多くの人々が忙しなく新年を迎える為の最期の準備に奔走していた。彼らの一挙一動に細心の注意を払い、具に観察する。

だが、今日は早めに切り上げて、買い物をせねばならなくなった。まぁ、これもここ数年は毎年の事ではあるのだが…

 

[人]は度し難く、不可解だ。

 

おおよそ200年もの間、私はずっと[人]を観察してきた。

人は一人では生きていけない。そのくせ他人に対して優しくも尊大にもなる。自ら創り自ら破壊する。

愛を語るその口で平気で嘘を吐き、他人を傷つけたその手で他人を助け、命を紡いで種の存続を求めるかと思えば、戦争を繰り返して命を奪い続ける。

 

何だこれは、矛盾だらけだ。

全くもって[人]は度し難く、不可解だ。それ故に興味深い。

 

彼等[人]という種はどこへ向かっていくのだろうか?

私は観察し、データを集め、考察する。そしてまた観察し、データを集め、考察する。その繰り返し。

 

[人]はいつも同じ事を繰り返し、その度に新しい発見がある。

 

度し難い、度し難い、度し難い。

不可解、不可解、不可解。

 

何故ここまで興味深いのか、未だに答えは出ていない。

だからこそ興味深いのか、自問自答を繰り返す。

 

これもいつもの事だ。いつも答えが出ない事も知っている。だが、そうせざる得ないのだ、存在意義の失われた、作り物の私の存在意義なのだから。

 

この永遠に答えが出ないのではないかと思える自問自答を解く為に、私は観察し、データを集め、考察する。それはこれからもずっと続く事だ。

 

私の機能が停止するまでに答えが出せるかはわからない。

答えが出たところで、それが何の役に立つのか、意味があるのかはわからない。

それでも私は観察を続けるだけだ、データを集めて考察するだけだ、自問自答を繰り返すだけだ、私の存在意義なのだから。

 

今日は一年の終わり、あと7時間もすれば新しい年を迎える。

私は露店をたたみ、この小さな相棒の要望に応えるべく、人々の行き交う通りへ踏み込んで行く。

もしも他に観察者がいるのなら、今の私も周りの人々同様に観察対象となるのだろう。

 

ふと、そんな事を考えて、実にくだらない考えだ、と思った。

それがどうしたというのだ。

 

新年の祝い、そのささやかな宴をする為に、今は買い物を済ませてしまおう。

そうしないと、また賑やかな相棒が騒ぎ出すだろうから…



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第二話 夜明け

一夜明け、聖華暦830年。

 

「今日も清々しい1日の始まりなのですよ。」

 

夜が明けるなり、実に希望に満ちた声を上げてリヴルは喜びを表現した。夜明け直後である。

 

リヴルは書籍型AIだ。つまり睡眠を取らない、と言うより必要ない。

身体を持たない分、電脳を稼働させるエーテル量は少なくて済む上、背表紙に仕込まれた高純度ミスライトのお陰でエーテル切れの心配が無い。

 

アンドロイドである私は電脳をエーテルで稼働させるため、新人類に比べて必然的に体内で保有しているエーテル量が少ない。

体内のエーテルが枯渇すれば、電脳は強制的にシャットダウンしてしまい、長い休眠状態に陥ってしまう。

その事態を避ける為、いわゆる[睡眠]を取る必要があるのだ。

 

ただ、[人]のそれとは違い、完全に意識を沈み込ませているわけでは無い。

必要最低限の機能だけを残しての省エネルギーモードになるだけだ。

5時間程で1日動き回るのに必要なエーテル量を増やすことができる。

この状態では自立的な行動を取れなくなるが、意識は緊急時にとっさの判断と行動ができる程度には覚醒している。

 

[人]ではない私が、意識と言う表現を使うのは違和感を覚えるが、他に良い表現が私の記憶の中には無い。

 

少々脱線した。

眠らないリヴルは眠った私が相手を出来るようになるまでの間、暇を持て余し、夜明けが来るのを待ち侘びていたのだ。

そしていつも、夜明けとともに新しい1日を、新しい発見を、新しい出会いを予感して希望に胸を膨らませるのである。

 

書籍型AIに対してのこの表現も、違和感を覚えるものだが、他に良い表現が私の記憶の中には無い。

 

「今日から新しい年の始まりなのですよ、タカティン。

今日はどんな人達と巡り会えるのか、今から楽しみなのですよ〜。」

 

朝からテンションが高い。

記憶の一部を欠損しているが、かつて自分が[LCE]と呼ばれる特別な個体であったことは覚えているそうだ。

[LCE]はアンドロイドとは違い、身体の全てを生体部品のみで形作られた少女型高性能演算ユニットである。

かつての[旧大戦]において致命傷を負い、記憶を今のAIへ移すことで人格を生き永らえさせているのだ。

 

[LCE]も生体部品で構成されているとはいえ、厳密には私と大差のない[創造物]である。

それがどうだろう、この感情の豊かさは。

一体どんな初期プログラムをインストールされたのか、いや、リヴルを創造したエンジニアはリヴルに何を求めたのだろうか。

 

実に度し難い。不可解で興味深い。

リヴルが、ではない。

リヴルを創造したエンジニアのその意図が、である。

 

本格的な覚醒の前に、つらつらと思索に耽ってしまった。

先程からリヴルがまだ起きないのかと、催促するように言葉を投げ掛けてきている。そろそろ相手をしてやらねば、臍を曲げてしまう。

 

「今日はどうするのです?聖導教会で新年のミサに参加するのです?露店を広げて商売するのです?次の街へ出発するのです?一体どうするのです、タカティン?」

 

「朝から捲し立てるな。少しは落ち着きを憶えろ。」

 

そうは言っても、リヴルが落ち着く事などないだろう。人で言う好奇心の塊のような奴なのだ。

観たい、聴きたい、知りたい。そして、いろんな人と話したい。

 

世界を知りたい。

 

出会った時、リヴルはそう言った。

 

確かなものなど何も持っていない、造られた私が。

永い眠りから覚めたばかりの、孤独な私が。

存在意義を失って、それでもなお存在している無意味な私が。

自問自答を繰り返して、自問自答を繰り返して、自問自答を繰り返して、そしてようやく見つけた目的。

 

世界を知りたい。

 

出会った時、リヴルはそう言った、言ったのだ。

その時、私は不思議な感覚に包まれた事を覚えている。共感、と呼ぶべきものなのだろう。

 

[人]とは違う創造物であるアンドロイドが、おこがましく[人]と同じように感覚、共感などと、違和感を覚えるものだが、他に良い表現が私の記憶の中には無い。

 

「今日は聖導教会のミサに参加する。

その後に露店を広げる。出発するのは明後日だ。

次はメルシデンに向かって、その次は自由都市同盟を目指す。

わかったか?リヴル。」

 

「了解なのです。とっても楽しみなのですよ。」

 

本当に賑やかで、忙しない。

リヴルに身体があったならどこへ行くやら、危なっかしい。

そんな旅の相棒を、私は思いの外、気に入っている。

 

「さて、では出掛けるか、リヴル。今日も新たな発見がある事を期待しよう。」

 

「ハイなのです。今日も清々しい1日の始まりなのですよ。」



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第三話 些細な出来事

昔、仲睦まじい若い夫婦がいた。

暮らし向きは裕福とは言えなかったが、二人支え合って暮らしていた。

その年の感謝祭に、それぞれが相手に内緒で贈物をしようと思い、夫は父の形見の懐中時計を売って、長い髪が美しい妻へ贈る、装飾の施された髪留めを手に入れた。

妻は自慢の髪を売って、懐中時計の金鎖を手に入れた。

 

感謝祭当日に、互いが同じ事を考えて、互いの大事なものを贈物に替えてしまった事を二人は知った。

それぞれの贈物は無駄になってしまったが、お互いの思い遣る心に、二人の仲はより一層深まったという…

 

*

 

「とっても素敵なお話なのです。お互いのことを大切にしているのがよくわかるお話なのですよ。」

 

リヴルはこの話の夫婦が互いを想いあってる事に素直に感動したようだが、

 

「全くもって不可解だ。極めて効率が悪い。事前に確認しておけば、無駄な買物をせずに済んだというのに。」

 

私はこの夫婦のやり取りが非効率的にしか思えなかった。

 

「タカティンは捻くれているのです。素敵なお話は素直に素敵だと認めるべきなのです。」

 

私の感想に不服そうに非を唱えてくる。

短編集を読んだ時の事である。

無論、[人]は一人では生きていけない事は知っている。

支え合えるパートナーがいる事は、人生においての重要なアドバンテージである事は理解している。

 

だが、この話はいただけない。

表面上は一見すると相手の為に自分の身を犠牲にする美談のように見える。

しかし、本当に相手のことを考えているのならば、やはり事前に確認をしておくべきだ。良かれと思って行った行為が無駄になったり、返って悪くなる事とて有り得るのだ。

 

この話では、偶々上手く互いの考えを汲み取って、互いに納得したから事なきを得ている。現実にはこのように美談で片付いたりはしない。

 

少し違うが、昨日も互いのミスが重なった失敗の、その責任を押し付けあった挙句に取っ組み合いの喧嘩を始めた聖騎士達を、目の当たりにしたところだ。

 

*

 

聖華暦830年 聖王国領 メルシデン

 

メルシデンは聖王国の頭部域の物流・交易の中心、様々な物が行き交う商業都市だ。

多くの商人がこの街にやって来ては東西南北へと散っていく。

そうやってこの街は発展を続けている。

 

さて、夕食をとる為に入った店での出来事だ。

聖騎士の一団が、食堂の一角を占拠していた。

聖騎士、それは聖王国を守護する護り人、軍人だ。

外敵や魔獣の排除はもとより、街々の治安維持も行なっている。

だが、近年は腐敗した聖導教会と聖騎士団の癒着など、汚職が蔓延っているという噂だ。

 

そんな彼らを観察する事にした。

 

酒が入っていたのだろう。その聖騎士達は陽気に肩を組み、歌い、互いを褒めて持ち上げ、自分達の功績を声高に語っていた。

賊の討伐の顛末などを、おそらくは脚色されてはいるだろうが、それは楽しげに愉しげに語り合っていた。

 

だが、魔獣討伐をした時の話の段になって、彼等を取り巻く空気が変わっていった。

任務で下手を打ったのだろう、その事で年配の騎士が向かいに座ってる若い騎士を笑い物にした。気を悪くした若い騎士は、言い出した年配の騎士の、その任務での違う失敗を暴露したのだ。

 

その事は年配の騎士には痛い所だったらしく、一気に声を荒げて立ち上がった。

喧嘩を売られたと感じた若い騎士は、買ったとばかりに詰め寄り、結果、止めに入った周りの騎士達も巻き込んで、目も当てられない大喧嘩となった。

 

店は当然めちゃくちゃ、他の客達も食事どころではない。

当事者である喧嘩を繰り広げる聖騎士達、関係ないのに喧嘩に巻き込まれる者、関係ないのに喧嘩に参加する者、一目散に逃げ出す者、どさくさに勘定を踏み倒そうとして店主に張り倒される者。

 

まさに鍋をひっくり返したような大騒ぎであった。

やがて騒ぎを聞いて駆けつけた他の聖騎士達によって事態は収束した。

随分な騒ぎだったが、幸いにも(?)喧嘩をした者達以外は大した怪我人も無く、騒いだ騎士達が店の弁償をするようなので(騎士達にとって)大ごとにはならなかったようだ。

 

私達は事の顛末を最初から最後までじっくりと観察した。

無論、店の中でである。

 

どうやって喧嘩に巻き込まれなかったか?

それは喧嘩が始まってすぐにバーの裏に避難したからである。

時折バーの中に入り込もうとしてくる者がいたが、手近にあった酒瓶で追っ払った。

騒ぎが終わったその後すぐに、何食わぬ顔で食事の代金を支払って店を後にした。

 

ああ、全くもって度し難い。

 

あの後の騎士達は、仲違いしたかというと、そうではなく、また連れ立って別の店へと消えていった。

あの喧嘩はなんだったのか?

 

殴り合うほど許せない事なのに、何故また許し合って酒を酌み交わせるのか。

そもそも気にするほどの事でも無かったのか?

では、あの喧嘩はなんだったのか?

この疑問は堂々巡りだ。

 

全くもって度し難い、不可解で興味深い。

 

[人]の行動は矛盾に満ちている。

些細な事で理解しあって仲良くなる。些細な事でいがみ合うのかと人えば、また些細な事で打ち解けて行動を共にする。

きっかけは常に些細な事である。

それは本当に些細な事なのだろうか、本当に些細な事なのだとしたら、なんと単純なものではないか。

単純だから些細に感じることなのだろうか。

全くもって度し難い、不可解で興味深い。

 

 

私達はメシルデンを出立する為に南門へ向かっていた。

 

「タカティン、タカティン、あの二人はこの間の喧嘩してた聖騎士さんなのですよ。」

 

リヴルの声に目をやると、確かにあの時の聖騎士達だった。南門前の関所の警備をしている。

二人は親しげに談笑しており、喧嘩の傷跡を手当てしたその顔には、相手に対する憤慨や憎悪など微塵も感じられなかった。

[人]の行動は矛盾に満ちている。喧嘩をした事など嘘のようだ。

 

「喧嘩をしても仲直りできるのです。やっぱり、仲良しなのは良いことなのですよ。」

 

[人]は許せないと感じる事も、容易に許す事が出来る。

そうする事で互いを信頼できるという事なのだろうか。

 

「人騒がせなだけだったな。」

 

あの喧嘩はなんだったのか。

全くもって度し難い、不可解で興味深い。



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第四話 修繕の依頼

聖華暦830年 聖王国領 宿場町カエルムウィア

 

同盟へと続く街道沿いの宿場町。

この宿場町は近くに温泉が湧くことから湯治場として賑わっており、比例して町の規模が大きい。

私達はこの町の名士である男爵の邸宅に招かれていた。

聖王国の貴族に縁故があるわけではない。仕事の依頼があり、邸宅まで呼び出されたに過ぎない。

 

「君に、この[本]の修繕を頼みたい。」

 

そう言った。

初老の男性、白髪混じりの髪を丁寧に撫で付け、やはり白髪混じりの口髭を丁寧に切り揃えている。温和な笑みを湛え、口調はとても穏やか、清廉な印象を受ける紳士だ。

 

「引き受けるのは構いませんが、なぜ私なのです?

私は定住地の無い旅人、悪く言えば不審な他所者です。」

 

失礼の無いように言葉を選び、疑問を口にする。

初見の他所者、これだけでもあらぬ疑いを掛けられ、謂れの無い誹謗を受ける事だってある。

 

「この町には[本]を修繕出来る職人が居ないのだよ。それに、君の仕事振りは世話役のオットー君から聴いておるよ。

とても丁寧な仕事をしてくれたと喜んでおったよ。」

 

先日、宿場町の世話役をしているというオットーという人物から、昔からの組合の記録を認めた帳簿が傷んでいたので、修繕を依頼されたのだ。

 

帳簿と言えど文字を書き記した立派な[本]である。

[本]の修繕を行うときは、私の持てる最高の技術で事に当たる。

それが[本]に対しての礼儀というものだ。

だから取り立てて特別な事をした訳ではない。

 

「この[本]は私の一族にとって大切なものでね、修繕は信用のおける者に任せたいのだよ。」

 

「一度くらい良い仕事をしたから信用できるというのは、買い被りも良い所ですが… そこまで仰られるなら、お引受けしない訳にはいきませんね。修繕の依頼、賜ります。」

 

早い方が良いとの事だったので邸宅の一室を借り受け、私は作業の準備を始める。

作業は2日、擦り切れ傷んだ表紙の交換、手垢で汚れたページも写本して入れ替える。そして、白紙のページを50枚、追加するのが依頼の内容である。

 

「タカティン、どうして新しいページの追加がいるのです?」

 

もっともな疑問だ。ただ修繕するだけなら、追加のページなど要らないだろう。

だが、この[本]にはそれがどうしても必要なものなのだ。

 

「この[本]は書き掛けなんだよ、リヴル。

これは依頼主の一族の[歴史書]だ。」

 

そう、この[本]はまだ書き掛け、まだ完成していない。

一族が存続する限り、決して完成しない。

一族が滅び、書き手が居なくなっても完成しない。

永遠に完成しない[本]。

 

けれども世代を重ね、次代へと受け継がれるそれは、その一族の在りようを書き連ね、伝え続ける。

書き手が移り変わり、それでも変わらず、その一族の在りようを書き連ね、伝え続ける。

 

興味深い。

この[歴史書]ばかりでは無い。あらゆる[本]はそうした一面を持っている。

物語であれ、日記であれ、ただのメモ書きであっても、それは書き手が必要だと書き残した記憶である。

 

「だから[本]とは、受け継がれる記憶そのものなのだ。」

 

[人]は度し難い、不可解で興味深い。

 

[人]は永遠には生きられない。アンドロイドである私でさえ、永遠には程遠い。

 

そんな[人]は永遠に近付こうと足掻き、足掻き、足掻いた末に手に入れたもの。

記憶を保存し、次代へ伝える術。

それが記憶を書き写す[本]という存在。

私が[本]という存在に畏敬の念を持つ理由である。

 

科学技術が発達する以前、遥か昔から、記憶を保存するという発想。

大変にアナログではあるが、記憶を電子媒体で保存するアンドロイド・AIなどの、とてつもなく広い意味で、先祖とも言える。

新たに創作される[本]は我々の異母兄弟。

私が[本]という存在を人類の叡智と尊ぶ理由である。

 

「では始めよう。作業中は、特に[人]が居る時は大人しくしているんだぞ、リヴル。」

 

「邪魔したりはしないのです。だから少しくらいはお喋りして欲しいのですよ。」

 

 

作業は順調に進み、予定通り、2日で[本]の修繕を終えた。

修繕の出来栄えを観て、初老の紳士は満足気に頷いた。

近々、孫娘が結婚し、次代の当主が一族に加わるのだという。そしてこの[本]は、次代を担う二人に受け継がれる。

その為に、修繕の依頼をしたのだという。

 

永遠に完成しない[本]。

だけれどその[本]は、人類が創造した他のどんな物よりも、尊いものなのである。

受け継がれる記憶。紡ぎ続けられる記憶。

私はその事そのものに畏敬の念を持っているのかも知れない。

 

全く度し難い、不可解で興味深い。



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第五話 キャラバンにて

「面倒を掛けさせて、申し訳ない。載せて頂いて感謝する。」

 

輸送船の中、船を操る恰幅の良い中年男性に謝意を述べた。

 

「なぁに、良いって事よ。料金貰った上にあんな良いものも頂いたんだ、これくらいはよっと。」

 

 

聖華暦830年 

 

宿場町カエルムウィアから国境までの道中、同盟領へ向かう中規模のキャラバンに同行させてもらった。

荷に余裕のある船を見つけて、私の機体を載せて貰うように船主と交渉したのだ。

 

料金の他に、男性貴族が嗜む画集を渡してある。それは聖王国での人気の画家が描いた作品集で、内容は男性の喜ぶものとなっている。

聖王国だけでなく、帝国、同盟でも、この画家の名は知られており、その画集も(特に男性に)相当の人気である。

 

高価な物ではあるが、聖王国に渡った際には、必ず数冊は入手している。男性と交渉を円滑に進めるにあたって、非常に役に立ってくれる物なのだ。

実に度し難い。

 

さておき、私には事情があり、国境を越える際は必ずキャラバンに同行させてもらうようにしている。

それは私が旅で使用している機体が機兵《きへい》でも従機《じゅうき》でも無いからだ。

 

帝国、聖王国はもちろん、同盟であっても忌むべき存在として語られるモノ、忌避すべき科学の結晶、穢らわしき旧人類の遺産、その象徴たるモノ。

 

LEV(レヴ)

 

LEVは旧人類が生み出した人型の戦闘兵器である。

サイズは機装兵と同じく8m程であり、エネルギー伝導装甲という極めて強靭な防御兵装、そしてエーテリックライフルという粒子ビーム砲を備え、噴射システムという飛行ユニットを備えた、非常に強力な機動兵器だ。

 

本来ならば帝国、聖王国、同盟の三国において、存在してはならない、まして堂々と闊歩しているなど言語道断な事である。

発見されれば即破壊の対象となり、所持者は処断の対象となる。

 

故に機兵を運用し、運べる規模のキャラバンに紛れなければ、国境を越える事は大きなリスクを伴ってしまう。

狩装兵としての偽装を施しており、アクチュエーター等も静音処置されているから、駐機している時や歩行時くらいならば、素人、科学をかじった程度の者には見破る事は難しい。

だが、過去に三度、見破られた事がある。

 

一度目は104年前、帝国国内で公安第3特務部隊に。

二度目は88年前、聖王国内で聖拝機関に。

三度目は39年前に公安第3特務部隊である。

 

どちらも科学技術の排斥に血道を上げる者達の集まりであり、侮れない知識量と洞察力を有している。旅をする以上、決して軽視出来ない存在である。

 

見破られたのに未だ健在なのはなぜか?

逃げ果せる事が出来たからだ。もっとも、それも一筋縄ではいかなかったのだが…

 

一度目、二度目は私のLEV[ワールウィンドⅢ]の装備である試製86型噴射システムを使い、[飛翔]して振り切ったのである。

 

だが、これははっきり言って下策だった。

今の時政、飛行技術は失われており、機兵サイズの兵器が飛べるという事は脅威で、軍事的価値が計り知れない程高いのだ。

おかげで数年の間、しつこく追い回される事になった。結局のところ、帝国と聖王国には20年ずつ寄り付かず、身体を替え、機体のカラーを替えてやり過ごしたのだ。

実に無駄な時間であった。

 

三度目は国境を越える際、またしても公安第3特務部隊に見咎められたのだ。

過去の失敗を反省して、一度は取調べを受けたのだが、LEVを遠隔操作で稼働させ、混乱に乗じて姿を消した。

 

聖王国側へ逃れたので追っては来なかったが、やはり熱りが冷めるまで帝国に6年寄り付かなかった。

これもやはり下策である。

 

先ず持って見つからない事、これに尽きる。

木を隠すには森の中。8m程ある金属製の巨人を隠すのならば、相応のものが必要なのだ。

機兵を載せた輸送船、複数の船で行動するキャラバンがもっとも安全に国境を越える事が出来るのだ。

 

「今日も良い天気なのですよ。もうすぐ春、色付く季節が待ち遠しいのです。」

 

だから私達は今、春が近いとはいえ、まだ肌寒い風が吹き付ける輸送船の甲板で、流れる景色を背景に忙しく作業する船員や、他の乗客の観察を行なっている。

船の外に目を向ければ、他に4隻、同様の、といっても型はまちまちだが、輸送船が隊列を組んで街道を南下している。常時、2機の機兵が護衛として、先頭と最後尾の船の甲板上で威容を誇っている。

 

私が乗っているこの船は、聖華暦600年代末に建造された軍用輸送艦の払下げで、型落ちした旧型である。だが船主、この船の操手の事だが、この船を大切に使っていると見え、隅々まで整備が行き渡っているのが見て取れる。

二人船員を雇い、常日頃から船の整備を行わせている。

 

「タカティン、馬、馬なのですよ。いっぱい走っているのですよ。」

 

「景色を楽しむのは良いが、はしゃいで声を上げるんじゃない。何度も言うが本が…」

 

「むぅ、解っているのです、『本が喋るのは面倒ごとになるのだぞ』は聞き飽きたのです。」

 

船の旅を楽しむあまり、はしゃぎ過ぎな相棒を嗜めると、やや気分を害したらしく、私の口真似で言葉を遮って来た。

 

「解っているならそれで良い。」

 

私はリヴルの不調法を咎めず、背を預けていた甲板の柵から船の外へ視線を向けた。

野生馬が群を組み、キャラバンと並走するように走っていた。

 

「そうだな、野生馬の群が並走するのは、そうある事ではないな。」

 

あの馬達は何者にも縛られず、自由に駆けて行く。

自分が何者であるのかを知っているのだろうか?

自分が何処へ向かうべきなのかを知っているのだろうか?

自分が向かうその先に何があるのかをしっているのだろうか?

 

私とて同じ事だ。

 

全くもって度し難い。

 

自分が何者であるのかを知っているのだろうか?

自分が何処へ向かうべきなのかを知っているのだろうか?

自分が向かうその先に何があるのかをしっているのだろうか?

 

全くもって度し難い、不可解で興味深い。

 

私は、私だ。

自分はアンドロイド、旧人類によって創造された、新人類とは異なる存在。新人類の観測者となる事を、自ら決めた。

自分はこの世界を隅から隅、何度でも往復してその先々を観測すると、自ら決めた。

自分が向かう先にあるものなど、行ってみれば判る。その時に自ら決めればそれで良い。

 

「…タカティン、ごめんなのですよ。嫌な言い方をしてしまったのです。」

 

ややしおらしくリヴルが言う。

 

「解っているならそれで良い。国境まではまだ時間はある。もう少し、景色を楽しむとしよう。」

 

「ハイなのですよ。」

 

解っているならそれで良い、これは自分に向けての言葉なのかもしれない。



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第六話 景色

差し出した書類に目を通し、サインと押印をした税関局員は和やかな笑顔を浮かべて、こう言った。

 

「ハイ、問題ありませんネ。ようこそ、他に類を見ない珍しい景観と、旧文明のロマン溢れるトリロビーテへ。」

 

返された書類を受け取って、私は会釈をし、街へ踏み出した。

 

ここは自由都市同盟領トリロビーテ。

一風変わった観光都市だ。

 

まず目に飛び込んできたのは、露天掘りの大穴、その中心から『風車の羽』のように放射状に広がる構造物だった。非常に大きい。

さらに雑多に建ち並ぶ建物が穴の輪郭をぼやかしている。

 

何度かここには来ているが、来る度に街の輪郭も変化してしていて非常に興味深い。

 

そしてこの街の[人]の活力。

確かに大都市に比べると、街の規模こそは小さいものだ。

だが、この街には他に無い、何というか、独特の『熱気』のようなものを感じ取る事が出来る。

 

この街(トリロビーテ)には何か(ロマン)がある』

 

そういう空気が流れている。人々の雰囲気がそう思わせるのだろう。

アンドロイドである私でさえ、そのように思えてしまうのだから、実に度し難い。

不可解で興味深い。

 

「タカティン、あの中心の建物は何なのです?」

 

「リヴルはこの街へは初めてだったか。あれは旧人類文明の遺跡だ。」

 

あの構造物が何なのか、詳しい事は何も解ってはいない。

今だに何かしらの発見があり、探索が日々行われていると聞いている。

 

「タカティンでも知らない事があるのです?」

 

「私は[人]より長く存在しているが万能ではないのだ。知らない事、解らない事があって当然だ。」

 

事実、今だに[人]の事は度し難く、理解に苦しむ事は幾らでもある。

 

[人]は『有るか(1)』『無いか(0)』だけではなく、『有るかもしれない』『無いかもしれない』『有りそうで無い』『無さそうで有る』等のように、酷く曖昧で不確かな事を、さも当然のように受け入れる。

それも熟慮に熟慮を重ねた結果では無く、である。

 

それでも、概ね問題無く通用してしまう。

全くもって度し難い、不可解で興味深い。

 

「寧ろリヴル、お前の記憶が正常だったなら、お前の方が知っていたのではないかな?」

 

リヴルは少なくとも旧大戦末期には存在していた。私よりも多くの事を知っていてもおかしくはない筈だ。

 

「むぅ、タカティンは意地悪なのですよ。それは今のリヴルには解らないのですよ。」

 

拗ねたように否定してきた。

確かに、それは今となってはリヴルにも解らない事だ。

リヴルは記憶の4割を失ってしまっているのだから…

 

「済まない、今のは失言だった。気を悪くしないでくれ。」

 

「それならお詫びの印に、今日一日この街をリヴルに観せて回ってくれたら許してあげるのです。」

 

どのみち、宿を探さねばならないし、構造が変わってゆくこの街自体を観察する事も興味深い事なのだ。

効率的、合理的であり、利害の一致を見た感じだ。

 

「解った。今日はこの街を観て回ろう。ついでに宿も探すとしようか。」

 

「やったのです。リヴルはあの建物を近くで観てみたいのですよ。きっと変わった景色を観れるのですよ。」

 

声色に喜色をにじませ期待に胸躍らせて、リヴルがはしゃいでいる。

自分の気持ちを素直に表現するリヴルを見ていると、微笑ましさと危うさを覚えてしまう。

 

リヴルは果たしてAIなのか、実は[人]よりも[人]らしいのではないか、そんな錯覚をしてしまう事がある。

 

そしてそこでハッとする。自分こそ[人]では無い、アンドロイドなのだと…

まるで自分が[人]にでもなった気になっているのではないかと…

 

度し難い、度し難い、度し難い。

不可解、不可解、不可解。

 

長く[人]を見ている内に、自分の方が自分を見失っていたのだろうか?

否、そうでは無い。

 

永く[人]を観ている内に、自分と[人]を同列視していたのだろうか?

否、否、決してそうでは無い。そんな筈は無い。

 

[人]の観察、データが蓄積され、考察に考察を重ね、[人]に対しての理解が進んでいるのだ。

だが、それでも尚、[人]に対して解らない事が多過ぎる。その事で自己矛盾を起こしていたようだ。

私は私だ。

[人]では無い、アンドロイド。

それこそが私だ。

 

「タカティン、どうしたのです?早くあの建物に連れて行って欲しいのですよ。」

 

私の一瞬だけ生じた苦悩を知らず、喜色満面なリヴルが催促してくる。

 

ふっ、バカらしい。私は何を悩んでいるのだ。

リヴルを見ていて、そう思った。

 

自然と視野が狭くなっていたのだろう。[人]は矛盾の塊なのだ、その事を思い出した。

未だ理解出来ないモノを、無理に理解する必要はない。

もっと時間をかけて、データを集めて考察していけば良い。

『答え』を焦る必要など何処にも無いのだ。

 

「そうだな、あの構造物を穴の底から見上げてみるのも面白いぞ。遺跡の巨大さが良くわかるからな。」

 

「きっと見た事がない景色が観れるのです。楽しみなのです。」

 

世界には()()がある。それをこれからも探し続ける。それだけの事だ。

全くもって度し難い、不可解で興味深い、この世界の事を…



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第七話 三日月の夜

聖華暦830年 初夏の頃

 

トリロビーテからマギアディールへの道中、私はキャラバンに同行するでもなく、気ままな二人旅を続けている。

 

正確には一人と一冊になるのだが…

いや、もっと言えば一人二人と数えるのは違っている。私はアンドロイドなのだから、一機二機、あるいは一台二台と数えた方が正確であろう。

 

だが、かつて製造された時でも正確な単位は決められておらず、人間社会に紛れている以上、一人二人と数えた方が齟齬がなく、トラブルに発展する事はない。

だから便宜上、一人二人と数えるようにしている。

[人]に成りたい訳では無い。

アンドロイドとして、[人]を観察し、データ収集し、考察する。この目的に変わりはない。

 

今はそれはどうでも良い事だ。今現在、ちょっとしたトラブルが発生している。

いや、すでに予見出来ていた事なので『発生しないように予防措置を行わなかった』と言う方が、この場合は正しい。

 

『よう、お兄さん、今一人かい?』

 

下卑たニュアンスを含みながら、私を見下ろしている機兵(リャグーシカ)が言った。

 

リャグーシカ、それは同盟が開発した第五世代機装兵だ。

丸みを帯びた卵の様な胴体に細い手足、愛嬌のある頭部は、この機体を『蛙』という愛称で知らしめている。

生産台数が非常に多く、軍はもとより冒険者、傭兵、犯罪組織と広く出回っている。

目の前の機体はまさにそういった手合いだ。

 

「ああ、今日は綺麗な三日月がかかっている。こっちで焚火にあたって行くかね?」

 

森に面した開けた場所で、私はLEV(ワールウィンド)を背に焚火の前で腰を下ろし、夜の月を見上げて、盗賊の頭目と思しき機兵(リャグーシカ)へそう言った。

 

夜の闇が辺りを覆い尽くし、三日月の僅かな光と焚火が周囲の輪郭を朧げに浮き上がらせている。

暗い森の中から足音を響かせながら現れた、4機の武装した機兵(リャグーシカ)に囲まれ、私はなおのこと、焚火の前から動かなかった。

 

『ふぁっはっはァ!そいつぁは良い冗談だ。』

 

他の機兵(リャグーシカ)からも下品な笑い声が漏れる。

 

『命は惜しいだろう?持ってるもんを全部置いてけ。そしたら見逃してやるよ。』

 

頭目の隣の機兵(リャグーシカ)がそう言ってきた。全くもって信用は出来ない。

 

ここはトリロビーテからもマギアディールからも遠過ぎる。何処から魔獣が出てくるかもわかったものではない。

こんな場所で身ぐるみ剥がされ放り出されたら、生き残る事など到底出来ない。

すぐに殺す気は無いようだが、生かしておく気も最初から無いのだ。

度し難い。

 

私はゆっくりと立ち上がると、私の動きを警戒する盗賊達を尻目にゆっくりと、回り込むようにLEV(ワールウィンド)から離れて、盗賊達の機兵(リャグーシカ)が焚火を背にする位置まで移動する。

盗賊達が私に注目する中、私は懐から拳銃を取り出して真っ直ぐに、頭目の乗る機兵(リャグーシカ)へ構えて見せた。

 

『おいおい、そんなもんで何をする気かな?』

 

『抵抗するだけ無駄だぁぜ、やめときな。』

 

彼等は自分達の絶対的優位を信じて疑わない。

呆れ、侮蔑のニュアンスを込めて盗賊達は口々に言葉を吐く。

機兵(リャグーシカ)相手に拳銃一丁で何が出来る?

悔し紛れのパフォーマンス、と映っているのだろう。

 

「お前達こそ命が惜しいだろう?

ここから消えれば見逃してやるぞ?」

 

私の一言に怒りを覚えたらしく、頭目が苛ついた声で怒鳴った。

 

『調子に乗るなよ!殺されたいのか?こぉのイカれ野郎がっ!』

 

魔導砲を2発、私の左右へ向けて撃ってくる。轟音と共に土が大きく抉れ、土埃が舞う。

 

「警告はしたぞ。」

 

私は真っ直ぐに機兵(リャグーシカ)を見据え、()()()()()()

閃光が走り、頭目の機兵(リャグーシカ)の胸部装甲に()()()()赤熱する穴が開き、操手もろとも沈黙する。

 

他の盗賊達は何が起きたのか、理解が追いついていない。

私は立て続けに引金を引き、残りの3機の機兵(リャグーシカ)も同様に、胸に赤熱した穴を開けて沈黙した。

 

私の手に持った拳銃から放たれた弾によってこうなったのでは無い。当然、魔法でも無い。

アンドロイドである私は魔法を使えない。

沈黙して立ち尽くす4機の機兵(リャグーシカ)の背後、私のLEV(ワールウィンド)がエーテリックライフルを構え、銃口から過熱による湯気を漂わせている。

 

私はLEV(ワールウィンド)が遠隔操作でその砲口を盗賊達へ向けている事を気取られないよう、盗賊達の気を引く為にあのように振る舞ったのである。

 

私は野営をするしばらく前から、この盗賊達がこちらの動きを窺っていた事に気付いており、油断を誘って処分する事にしたのだ。

永く旅を続けている為、このような事は幾度となく経験している。

 

[人]は、自身の優位が立証されている状況では、自信過剰になり、周囲への警戒が散漫にはなる。警戒が必要では無いと勝手に判断してしまう。

全くもって度し難い。

 

「リヴル、終わったぞ。」

 

LEV(ワールウィンド)のコクピットへ近付き、予め中へ入れておいたリヴルに声を掛ける。

 

「…タカティン、酷いのです、理不尽なのですよ。何も殺す事は無い筈なのです。」

 

人死にを、ましては殺人を間近で見るのは初めてだったのだろう。幾分、声が震えている。

 

「リヴル…」

 

「………」

 

それきり、リヴルは話さなくなった。

 

私はLEV(ワールウィンド)を操縦し、盗賊達の後始末を始める。

科学で造られた武器の存在を隠蔽する必要があるのだ。

 

天高く、嫌らしい笑みを浮かべた三日月が、そんな私と事の成り行きを静かに見下ろしていた。

 

*

 

それから丸一日、リヴルは口を聞かなかった。

ショックを受けたのだろう。こちらから話しかけても反応をしなかった。

 

マギアディールが遠目に見え始めた時に、ようやくリヴルは話しかけて来た。

 

「…タカティン、ごめんなのです。でも…もうあんな事はして欲しく無いのです…」

 

「…あぁ、済まなかった。」

 

相棒へ向け、一言だけ謝罪した。

降り掛かる火の粉を払っただけの事である。

だが、その事が()()を傷つけた事実を、私は深く後悔していた。

今まで感じた事のない、この感情はなんだ?

 

全くもって度し難い、全くもって不可解だ。



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第八話 願望

「リヴルは本なので、自分で動く事も食事も出来ないのです!自由な体が欲しいのですよ!」

 

ここ最近、リヴルが口癖のように言っている。

確かに、リヴルは本の形をしている。

書籍型記憶媒体に組み込まれたAIにその人格を宿している。

何故、書籍にAIが組み込まれているのかは、それを創った者にしか判らない。

全くもって度し難い、不可解で興味深い。

 

「タカティ〜ン、リヴルも自分で色々してみたいのですよ〜。」

 

「…そうは言うがリヴルよ、以前にアンドロイドの素体で試した時は上手くいかなかっただろう?」

 

そう、リヴルを手に入れてすぐの頃、私は自身のベースキャンプであるケイブ・セクター06に残されているアンドロイド素体にリヴルの記憶の移動を試みた事がある。

 

だが、結果は失敗だった。

アンドロイドの電脳では記憶容量が足らず、リヴルの人格を移す事は技術的に不可能だったのだ。

 

…『LCE』の身体が必要だ…

 

そう結論付けて、結局諦めたのだ。

 

アンドロイド素体と違い、LCEは本格的な量産が成される前に旧大戦が終結し、そのまま歴史の闇に消えていった存在だ。

 

初期型のLCEが幾体が発見されたという話は聞いているが、そうホイホイと発見されるものでも無い、非常に貴重な過去の遺産である。

入手が困難以前に、すんなりと発見出来るとは到底思えない。

闇雲に無い存在を探す事ほど無駄な事は無いのだ。

 

「むぅ〜、不公平なのですよ〜。リヴルだけ除け者みたいなのですよ〜。」

 

「駄々を捏ねるな。焦ってもすぐに見つかるものでも無いのだ。もう少し気長にしていろ。」

 

少しむくれたように、判ったのですよ、と返事をしてリヴルは大人しくなった。

 

*

 

「では、お預かりし致します。そのまま奥の客室へお進み下さい。」

 

受付嬢にリヴルを預け、私は客室の一つへ案内された。

 

「やあ、久しぶりですね、モーントシュタインさん。お元気そうで何よりです。」

 

「お久しぶりです。その節はお世話になりました。如何お過ごしですか?」

 

差し障りの無い挨拶を交わし、勧められるままにソファーに腰を落とす。

表面上は何気ない日常的な会話で談笑しているが、目の前に座っている者もまた、アンドロイドである。

我々の本当の会話は[データリンク]によって行われる。

 

私はLCEの身体を探していた。

闇雲に当ても無く探し回っている訳では無い。

[ソキウス]に探索の協力を要請している。

 

[ソキウス]は人魔大戦終結後以降に成立した、アンドロイド達の組織である。彼等は永い年月をかけて三国に浸透している。

私のように、今のこの世界で覚醒し、行き場の無いアンドロイドに居場所を与えてくれる、アンドロイドがアンドロイドを救済する為に立ち上げた組織なのだ。

 

だが、アンドロイドは今のこの世界では、その存在そのものが禁忌であり、排斥の対象だ。

だからアンドロイドの存在を隠蔽する事と救済する事が、彼等[ソキウス]の第一の目的である。

 

その為に、世界情勢に目を光らせており、私のように世界を旅して回っているアンドロイドは彼等に情報を提供する事で、様々な事で彼等の協力を取り付ける事が出来るのだ。

 

リヴルの為にLCEの身体を入手する。

その為に、彼等の協力を取り付け、効率良く探索する。

情報さえ得られれば、あとは自分でなんとかする。

 

<モーントシュタイン、探索状況の進展は芳しくありません。>

 

マギアディールの商業区、その一角にある商社、[リベルタ商会]の客室にて、探索状況の定期報告を受けた。

 

この商社は[ソキウス]がアンドロイドの隠蔽と救済、その目的の為に立ち上げた企業の一つだ。

企業の規模はそれほどでも無い。本社を中央都市アマルーナに置き、同盟内に二つの支社を置いている程度だ。

無論、一般の社員は[人]であるが、社長以下、幾つかの重役のポストをアンドロイドと、その協力関係にあるミカゲ族の者が占めている。

 

<そうか…>

 

半ば予想していた回答に、それでもやはり落胆してしまった。

何か無いのか、と言い掛けたが言葉にはせず、飲み込んだ。進展が無いのだから、それ以上の情報などあろうはずも無い。そう思っていた。

 

<ですが、僅かながら可能性を見つけました。>

 

<っ‼︎>

 

その一言に動揺が走った。

 

<まだ未確認な情報です。確度も20%ほどしか保証出来ません。>

 

<…それでも構わない、教えてくれ。>

 

なりふり構わず、私はその情報に飛び付いた。

判ってはいるのだ、そのような眉唾な情報にどれ程の価値が有ろうかと。

だが、今はそのようなものにでも縋り付きたいという想いに駆られていたのだ。

 

実に度し難い。

 

普段、合理性だの効率だのを重視して行動を決めているにも関わらず、である。

 

実に不可解。

 

焦燥にも似た感覚、僅かな可能性に寄せる期待。

 

度し難い、度し難い、度し難い。

不可解、不可解、不可解。

 

これ程までに思考が掻き乱されることなど、これまで一度も無かった事だ。感情プログラムがバクを起こしたとしか思えない。

だが、その一方でこの状況を冷静に分析している自分も自覚している。

 

実に興味深い。

 

これは自分の願望なのだ。その事をはっきりと自覚している。

 

リヴルに身体を与える事。

 

何故そうしたいのかは判らない。判らないが、そうしたいのだ。

私はそれを強く望んでいる。

 

「感謝する。」

 

その言葉を口に出して情報交換を終わりにした。

 

 

「…そうなのです。凄く大きくてビックリしたのですよ。」

 

「リヴルちゃん、良いなぁ。私も観光とか行ってみたいわぁ。」

 

客室から退出すると、受付嬢とリヴルが談笑している声が聴こえて来た。

あの受付嬢はミカゲ族の出身者なのだ。リヴルの出自は事前情報として伝わっているので、特に気兼ねなく会話を楽しんでいるようだ。

 

「あっ、タカティン、お話は終わったのです?」

 

「ああ、用事は済んだ。これでお暇させてもらおう。それではこれで失礼します。」

 

「また、いっぱいお話したいのですよ。それでは失礼するのです。」

 

「モーントシュタインさん、またのお越しをお待ちしております。

リヴルちゃん、またね。」

 

受付嬢に一礼してこの場を後にする。

 

「タカティン?何か良い事でもあったのです?」

 

「っ?どうして、そう思う?」

 

「なんだか嬉しそうに見えるのですよ。」

 

そうかも知れない。

根拠は酷く不確かな情報のみ、それでも期待せずにはいられない。だが、焦りは禁物だ。

十分に準備を行わなければならない。

 

「これから行くべき場所が判ったからな。」

 

そんな一言を口にして、雑多な人々の行き交う大通りに歩を進める。

 

これから行くべき場所は[禁忌の地]。

私の目覚めた始まりの場所、さらにその奥へ。

危険に満ち溢れた懐かしの故郷へ。

酷く不確かな根拠のない願望が私を駆り立てている。

 

全くもって度し難い。不可解で興味深い。



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第九話 冒険者

聖華暦830年 夏 中央都市アマルーナ商業地区

 

中央都市アマルーナは自由都市同盟の首都と言って差し支えない大都市だ。

差し支えない、というのは、同盟が都市国家の連合であるが故の表現だ。

文字通り、同盟の政治的な『中央』なのだ。

 

そのアマルーナの商業地区、私は広場の一角で露店を開き、商売をしている。

日差しの暑い、夏の午後である。

 

「うぅうむむむ…」

 

一人の男が二冊の『本』を前に苦悶の表情を浮かべて唸っている。

獣牙族の青年で、ホワイトタイガー種だと思われる(以後、白虎と呼称)。

無造作に後方へ撫で付けた髪、鋭い眼光、袖の無いコートから覗く鍛えられた筋肉質な身体、背には使い込まれた大剣を背負っている。

 

「やれやれ、かれこれ2時間ぐらい悩んでるじゃねーか。良い加減どっちかに決めねぇと、商売の邪魔になってるぞ。」

 

呆れたような口調とは裏腹に、身悶える白虎の様子を面白そうに眺めているのは、この場では珍しいカナド風の衣装を着こなし、手には煙管、腰には刀、飄々としていて、何処か油断ならない雰囲気を纏った赤毛の男(以後、赤毛と呼称)。

 

「判ってる、判ってんだよ。だが、こればっかりはすぐに決められねぇ。後悔したくはねぇんだよ。」

 

「手持ちが足りないだけじゃねーか。どうだ、トイチで貸してやるぞ?」

 

「うるせぇ、お前からは死んでも借りん。」

 

そんなやり取りをしながら、赤毛が言うように、2時間ほども二冊の『本』のどちらを買うかを必死で考えているのだ、この白虎は…。

一冊は、同盟では名の売れた絵師が描いた冒険活劇。表紙にその絵師の直筆サインの入った限定500冊のプレミア物。10000ガルダの値札を付けている。

 

もう一冊は、所々傷んで擦り切れ、表紙の色も色褪せている。可能な限り修繕を施したが、お世辞にも美品とは言い難い。中身は複数の絵師が物語を描き連ねた物、雑誌の類いだ。だが、これは旧人類の遺跡から発掘された代物である。

故に20000ガルダの値札を付けている。

 

どちらも『漫画』である。

白虎は真剣に、どちらの『漫画』を買うかを、それは真剣に悩んでいるのだ。

二つ合わせて30000ガルダ、対して男の所持金は22000ガルダ。

単純に足りないのだ。

 

最初は必死に値引き交渉を行ってきたが、私も商売で『本』を商っている。流石に8000ガルダの値引きには応じられなかった。

それ故に、今こうして目の前で必死で悩んでいるのだ。

実に度し難い。

 

さて、この男達だが、彼らは所謂『冒険者』という類いの者だ。

ある者は富と名声、またある者は英雄に憧れて、過去の遺跡に浪漫を求めて、己の知恵と力で困難を乗り越え、大いなる目的に果敢に挑む勇者達………

 

………などと言えば聞こえは良いが、実態は金の為なら何でもこなす何でも屋。

一攫千金を夢見て、遺跡に眠る金銀財宝を目当てに盗掘を行うコソ泥の群れ。

荒事を好み、おおよそ平穏とは程遠い、命の綱渡りを生活の糧とする無法者共。

一般社会的機能(システム)(リンク)に組み込む事が出来ず、溢れた異端者達(イレギュラー)

読んで字の如く、『好き好んで危険を冒す者』。

それが冒険者である。

 

実に度し難い。不可解で興味深い。

 

「お客さん、夕刻までは取っておくから、一旦帰ってもらえるかね?このままでは他のお客の迷惑だよ。」

 

「すまねぇ、ホントにすまねぇから。もう少し、もう少しで決めるから待っててくれ。」

 

「良い加減、意地を張らずに俺に『金を貸して下さい、お願いします』って言えば良いんだよ。

そうすれば、お前は『漫画』が手に入る。主人は本が売れて邪魔者は居なくなる。俺はお前に貸が出来る。

三方丸く収まるじゃねぇか。ナニを迷う事があるよ。」

 

「その、『お前に貸が出来る』っつうのが気に食わねぇんだろうが!」

 

赤毛はこちらを見て大袈裟に肩を竦めた。

 

「ところでご主人、あんたのその『嬢ちゃん』は、いったい何処で手に入れたんだい?俺はそっちのが、よっぽど気になるな。」

 

赤毛は私の露店の奥、木の椅子に座るように立て掛けている『本』(リヴル)を見て、そう言った。

 

「お客さん達は変な人達なのです。リヴルの事を驚かなかったのは、お客さん達が初めてなのですよ。」

 

「冒険者をやってるとな、大概の事は珍しくなくなるんだよ。」

 

彼等は、初見でリヴル相手に普通に会話をしている。普通なら、リヴルの事を事前情報としてして知らない限り、驚いたり、気味悪がったりするものだ。

だが、この男達は少しもそんな素振りを見せもせず、さも当然のように、一個の人格として認めるように会話をしている。

だが、赤毛のこの男は何を考えているのか読む事が出来ない。油断ならない相手だ。

 

「お客さん、さっきも言ったが、この子は帝国のバザールで手に入れた物だ。

なんでも、元はここ同盟のダライ某という有名な技師が精霊魔法の実験で作った物で、失敗作だから手放した物だと、この子を買った商人からの受け売りしか知らないのでね。」

 

これは嘘だ。

リヴルは書籍型AIであり、LCEの記憶を宿している。旧人類の科学技術の塊であって、微塵も魔法で産み出されたモノでは無い。

これは、リヴルの出自を気にする相手への方便である。

同盟で有名な技師のダライ某というのは、実在する人物らしいが、名前がハッキリしないので本当にその人物かは判らないようになっている。

だが、大抵の者はそれで納得してくれる。

 

「ダライ某ねぇ。いまいちハッキリしねぇなぁ。」

 

「申し訳ないね。でも私はその事はどうでも良いんですよ。

私はこの子の事を気に入っている。手放す気などないのでね。」

 

そっとリヴルの表紙を撫でた。

 

「そうなのです。タカティンは頼りないから、リヴルがしっかりしないといけないのですよ。」

 

「お前に助けられた覚えは無いのだがな。」

 

「はっはっは。仲が良いな、お二人さん。」

 

茶化す様に赤毛は戯けて言った。そんな我々のやり取りを余所に、白虎は未だ『漫画』を選んでいた。

 

「おいっ、お前ら!お前らは『栄光の宴』とか言う新参だろう?」

 

不意に6人の男達がこの二人に声を掛けて来る。冒険者風のこの男達は、およそ友好的な態度では無かった。

 

「新参者がここで何してるんだ?ここいらは俺たちのギルドの縄張りだぞ。挨拶も無しにうろつくタァ、いい度胸だなオイ!」

 

「オイコラっ、兄貴が聞いてるんだ!シカトすんな‼︎」

 

コイツらも冒険者か…

やはり冒険者という人種は荒事を好む傾向があるようだ。

ともかく、柄の悪そうな男達が(いかにも三下な台詞で)捲し立てて来るのを、白虎は()()()()()()漫画を選ぶ事に余念がない。

男達はその清々しいまでのシカトっぷりに頭に血を昇らせて、益々頭の悪そうな挑発を行なっていた。

 

男達の一人が白虎の側の本の上にドカッと腰を下ろして、横目に睨みながら何やら喚き散らす。

 

「あぁ、悪いが商売物に腰を掛けないでくれるかね。傷んでしまう。」

 

「ウルセェ、こっちは大事な話してんだ!口挟むんじゃねぇよ!」

 

男は啖呵を切ってから、『本』を数冊、乱暴に手で払い除けた。通りの方へ飛んで行って地面に落ちる。

 

次の瞬間、男の顔面に渾身の力を込めて拳骨を叩き込んでやった。白虎が反応して行動を起こすよりも速く。

男は通りの方へ飛んで行き、もう一人男を巻き込んで派手にひっくり返った。

突然の事にその場にいた全員が硬直した。

 

「『本』は大切に扱え‼︎これらはお前達の頭より有益な物なのだぞ‼︎」

 

「な、ナンだとテメェ。オレたちが役にも立たねえ本より下だと吐かすのか?」

 

「『本』こそは人類最大の発明であり、叡智の結晶だ。それを理解できないとは…その時点でお前達の価値などたかが知れている。」

 

5人の(元は6人だったが、1人は既に伸びている)男達は腰から下げた獲物を引き抜いて、私を取り囲もうとした。

 

「おい、お前らの相手はこの俺だろう?相手が違ってるぞ!」

 

白虎がドスの効いた声で吠え、臨戦態勢で前へ出る。

 

「少し教育が必要なようだな。」

 

私も腰から下げた中剣(ミドルソード)を抜いて、彼等に応じる。

 

「あーあ、やってしまったのですよ。」

 

「嬢ちゃん、どう言う事だい?」

 

「タカティンは『本』を軽んじたり粗末に扱ったりすると、手がつけられないくらい激昂するのですよ。」

 

「ほぅ、それは見ものだな。」

 

「乱暴な事はやめてほしいのですよ…」

 

男達の1人が私に切り掛かって来る。

振り下ろした剣を左へ半歩引いて躱し、腕を掴み、足をかけて前へ引き倒す。男は自身の勢いで前のめりに地面と衝突する。

 

そのまま三歩前へ詰めてもう1人の脇腹に中剣(ミドルソード)を押し当てる。一瞬の閃光(スパーク)とバチンという音。

中剣(ミドルソード)の芯に雷のミスライト鋼を通してあり、エーテルを流し込む事で、電磁警棒(スタンスティック)として使う事ができる。

つまり電気を流してやったのだ。

男はその場に()()()()とへたり込む。

 

あとの3人は白虎がすっかり畳んで、地面に伸びている。

2人相手にしていたとはいえ、一体どうやったのか、全く判らなかった。

 

「お、お前ら、どうなってんだ…」

 

私が引き倒しただけの男は両手を地面についたまま、白虎を見上げて絶句した。

 

「『栄光の宴』の軍師、エルトシャン・グレイブだ。よーく覚えておけよ、三下ども。」

 

「ちょっと待てエルト、お前はなぁんにもしてないだろっ!」

 

「いいか、ユーロ。軍師は直接戦わずに的確に指示を出すのが役割だからな。」

 

「ナニしれっと、もっともらしい事言ってんだ。結局なんにもしてない事には変わりないだろ。」

 

やれやれ、私とした事が、つい暴力に訴えてしまった。

 

「ご主人、あんたほんとにただの行商人かい?今の動きは訓練された戦士のそれだぞ。」

 

白虎、ユーロという名の男が聞いてくる。私とした事が本当にうっかりしていた。

 

「ユーロさんと言ったか、その漫画2冊、22000ガルダで売ろう。」

 

「本当か!ありがとう。恩に着るよ。」

 

「完全に誤魔化されているな…」

 

赤毛はその事には口を挟んで来なかった。

 

「さて、今日はもう店仕舞いだな。明日には出立するから、名残り惜しいが…」

 

「タカティンさん、リヴルちゃん、今日はなかなか楽しかったぜ。縁があったらまた会おう。」

 

「今度はゆっくりお話したいのですよ。」

 

「ええ、縁が有れば、また。」

 

これが、私が後の世に謳われる『栄光の宴』のそのメンバーとの最初の邂逅であった。

正直、二度と関わり合いになりたく無かったが、彼等とまた会う事になるのは、もっと先の事で、また別の話だ。

 

本当に、冒険者というのは度し難い。

不可解で興味深い者達だ。



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第十話 戦士

「……だから、とにかく凄まじかったんだよォ。オレァ、あの人に命を救われた。あの人の為だったら命を賭けても惜しかぁないね。」

 

「助けて貰っといて命賭けるって、本末転倒じゃね?」

 

「いいんだよゥ。拾ってもらった命だ。恩返しできるなら本望ってもんだろォ?」

 

傭兵と思しき獣牙族の青年が、半ば夢見るような心地で饒舌に語っていた。

酒も入って酔っているようだ、自分の語りにも、話に出てくる凄腕の傭兵にも。

 

聖華暦830年 夏の暮れ 旧都ナプトラ

 

旧都ナプトラは、自由都市同盟が同盟になる前から存在している都市国家で、元はナプトラ王国という。

中央都市アマルーナに政治の中枢が移る前は、このナプトラが中心的都市だったのだ。

そういう経緯があり、『旧都』と呼ばれている。

その旧都ナプトラでの事だ。

 

夕食を食べる為、宿屋兼酒場で席に着いたところ、近くのテーブルを囲って談笑している一団の話声が聞こえてきた。

賑やかな店内に負けないくらい大声で話しているのだ、聞き耳を立てなくても聴こえてくる。

彼等の背格好、話の内容から、彼等が傭兵である事はすぐに判った。

 

傭兵とは、金の為に戦闘を行う者達の事だ。他に説明のしようがない。

金の為、というところは冒険者とそう大差ないように思われるが、両者は決定的に違っている。

冒険者は『夢と浪漫』という御題目を唱える事が出来るが、傭兵は目的がよりストイックだ。

戦う事が全てだからだ。

 

大小様々な戦場であれ、要人の身辺警護であれ、彼等の行き先には必ず戦いが待っている。

いや、望んで戦いに身を投じている、と言っても差支えないだろう。おおよそ一般人が持ち合わせる感覚が麻痺している者も多い。

冒険者のそれよりも高額な報酬を得る為に、戦場で自らの生命をチップに替えて賭けに出る、そんな連中だ。

実に度し難い。

 

「ヴィレム・デーゲンハルトの旦那は、真の[戦士]だ!俺がぁ命を賭けるに値するぅ、そんなお人ダァ!」

 

一際大きな声でそう叫ぶと、獣牙族の傭兵はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。

 

懐かしい名を聞いて、チラッとそちらに目をやってしまった。

 

周りの者達はやれやれといった風に肩を竦めてから、宴会の続きを楽しんでいる。

 

「どうしたのです、今の話が気になったのです?」

 

「いやなに、随分と久しい名前が出たからな。つい反応してしまった。」

 

ヴィレム・デーゲンハルト。

彼は私にとって、命の恩人というやつだ。

もっとも、人工物(アンドロイド)である私は、厳密な意味での生命を持ち合わせていない。命の恩人という表現は適当では無いが、助けられた事は事実なのだ。

 

*

 

聖華暦824年 帝国領 ファーレンハイト領東部国境地帯

 

帝国、正式名称はアルカディア帝国。

旧大戦の英雄の一人、ユーゼス・アルカディアが立ち上げた国だ。

この国は皇帝を頂点に頂き、貴族制を敷いて民衆を統率している。

貴族達はそれぞれに派閥に属し、日頃から熾烈な権力闘争を繰り広げていると聞く。

なんとも血生臭い事だ。

 

で、この当時の私は一人で世界を彷徨っていた。『ソキウス』に所属してから100年以上経っていたが、基本的には一人で行動していた。

 

私自身が自分で見つけた存在意義は私だけのモノだからだ。

他の者に共有も強要もする気など無かった。

 

私は帝国と聖王国の国境を越える為、所々起伏のある草原でLEV(ワールウィンドⅢ)主脚歩行させて(歩かせて)関所砦へと向かっていた。

 

関所砦まであと8kmの所まで来た時に、私は魔獣の群れに遭遇した。地中からの待伏せで、十数体の魔獣ツィカーダに囲まれてしまった。

こいつらは中型種に分類される魔獣で、大きさは直立で3〜4mほど、地中に潜んで獲物が通り掛かるのを待伏せし、両腕の鉤爪で襲う習性がある。

厄介なのはコイツらは群れで行動するという事だ。

 

とは言え、相手はたかが中型魔獣。これくらいなら、試製86式噴射システムを使えば簡単に切り抜けられる。

だが、この場所は関所砦から8kmほどしか離れていない。近くは無いが、ここで試製86式噴射システムを使えば、関所砦の兵士達に目撃されてしまう可能性がある。

エーテリックライフルも同様だ。

 

過去三度もの失敗で慎重になっていた私は、近接戦闘用の機兵用長剣をLEV(ワールウィンドⅢ)に持たせると、前方の魔獣目掛けて突撃した。

 

迫り来る魔獣達を1匹、また1匹と斬り伏せ、背後から追いすがる魔獣には目もくれない。

関所砦に近づけば、関所砦の守備隊が動き出す。そうすれば、この魔獣達も脅威にはならない、そう踏んで強引に押し進めた。

 

魔獣達を少し引き離した所で主脚走行(ラン)から平面機動(ホバー)へ移行しようとした時、踏み出した脚が沈み込む感覚と共に機体がバランスを崩して転倒した。

何が起きたのか、状況を確認してすぐに原因が判った。

迂闊にも地中から現れた魔獣の掘った穴に脚を取られてしまったのだ。

すぐ目前まで魔獣達が迫って来ていた。

 

私の旅もここまでか…

 

呆気ない最後に、そう諦観に覆われようとしていた私の意識に、魔獣の断末魔の叫びが響いた。

 

それは、哨戒任務に出ていた関所砦の守備隊だった。

数機の機兵が魔導砲を斉射して、魔獣達の足を止める。

その援護射撃を受けながら、とても機兵とは思えない、凄まじい速度で私の脇を素通りして、真っ直ぐに魔獣の群れに突撃する一機の機兵。

 

「そのまま動くな!」

 

あれほどの速度を維持したまま、手にした大剣で瞬く間に魔獣達を単騎で蹴散らしてゆく。ただ魔獣と擦れ違うだけで、その度に骸が造られてゆく…

 

[人]に、今の人類にあのような凄まじい戦闘機動が行えるとは、想像もつかなかった。

実に度し難く、不可解で興味深い。

 

ほんの数十秒で、魔獣達のほとんどが討ち取られた。

 

「怪我は無いか?」

 

魔獣の返り血を強かに浴びたその機兵の操縦槽が開き、操手が問い掛けてきた。

まだ若い、だが、恐れる事なく魔獣の群れの中を高速で動き回る操縦技術もそうだが、鍛え抜いた肉体と強い意志を感じさせる眼差しに、[戦士]と呼ぶに相応しいと、その時は素直にそう思った。

 

「ええ、お陰で助かりました。ありがとうございます。」

 

「私はヴィレム・デーゲンハルト。ここの砦の守備隊所属部隊の中尉だ。動けるか?貴殿を砦まで警護する。」

 

「申し訳ない。ご厚意に感謝します。」

 

*

 

あの時の中尉はその後、幾多の戦いで手柄を立てて大尉に昇進したが、なんらかの罰を受けて帝国軍を離れ、同盟に亡命したと聞いた。

今の話のヴィレム・デーゲンハルトが私の知る者と同一人物かは判らない。

だが、同一人物だとしたら、軍籍を離れて傭兵に身を窶していても、彼は[戦士]のままなのだろう。

そのような感想を持った事を、度し難く、不可解で興味深く思った。



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第十一話 異郷

聖華暦830年 秋 カミナの里

 

私がこの里の事を知ったのは、()()()()この春先の事だ。

聖王国から同盟へ渡る際に同乗させて貰ったキャラバンで聞き及んだのである。何度も、それこそ何十回も同盟へやって来ては国中を周って来たと言うのに、この『カミナの里』の事を見聞きしたのは()()()()()()()()()のだ。

この事が実に度し難く、不可解で興味深かった。

 

世界には、まだまだ私の知らない事が幾多もある。

その事を改めて思い知らされたように思う。

このような物言いをすると、まるで世界の全てを識っているかのような物言いだが、それは傲慢というものだ。

 

世界の全てを識るなど、ありとあらゆる方法を持ってしても、それこそ旧人類の科学力を総動員したとしても到底成し得る事では無い。

 

そうであったなら旧人類は滅ぶ事も無く、新人類も争いを続ける事も無く、もっと違った世界になっていた筈だ。

一体どのように違っているものか、それはそれで興味深い。

 

話が逸れてしまった。このようなifを夢想したところで詮無い事だ。

ともかく、旧都ナプトラに程近い場所に有ると聞いたからには行かない訳にはいかなくなった次第だ。

 

目的地は定まっているが、もとより急ぎの旅では無い。速いに越した事は無いが、その為に、途中経過をすっ飛ばすのも違う気がする。

何より、リヴルが好奇心を大いに刺激されたのだ。

 

「タカティンが知らない街があったのが驚きなのです!そこは是非行かねばならないのですよー‼︎」

 

この始末だ。

まぁ、私としても興味深い事には変わり無い。だからこそ、今現在、この街に立ち寄っているのだ。

 

実際、この街は大変興味深い。

まさに『異郷』である。

 

規模はそれ程大きくは無いが、意外と長い歴史を持つ。同盟の中にあって、街並みはカナド様式で統一されている。

建物は珍しい木造建築が軒を連ねており、それだけで特異であるのだが、同盟内でもそれ程知られていないのが不可解だ。

 

知る人ぞ知る隠れた観光地、だと言うが、街の雰囲気は街の存在を隠そうとしている訳でも無い。

他所者を排斥しようとしてもいない。

寧ろ街の住人は皆気さくで親しみ易く、親切だ。

 

この街で露店を出すことはすんなり許可が出た、というより歓迎された。

 

他所から来る人、物が珍しいらしく、露店を開いてすぐに人集りが出来た。

街の外の事を皆聴きたがり、リヴルの事も皆珍しがって、多くの人が、特に子供達がリヴルとの会話に華を咲かせている。

 

「この街は『チノヨリヒメ』様をお祀りしているんですよ。」

 

「その、『チノヨリヒメ』様、と言うのは、聖華の三女神とは違うのですか?」

 

「ええ、この土地の守神様です。ご主人も十日前に来られれば、ちょうど『チノヨリヒメ』様を祀る『カンナヅキ祭』があったんですよ。」

 

「では来るのが少し遅かった訳ですな。それは惜しい事をした。」

 

この土地には、他では余り見られない土着宗教が根付いているようで、『チノヨリヒメ』信仰は人々の生活に溶け込んでいるようだ。

帝国は兎も角、聖王国などは聖華の三女神教を国教にしている為、こうはいかないだろう。

信仰とは土地によってはこの様に違うのだなと認識を改める。

実に興味深い。

 

「スズちゃんとチコちゃんは親友なのです?仲良しなのは良い事なのですよ。」

 

「うん、スズ、チコおねえちゃんだいすき。おおきくなったら、チコおねえちゃんとけっこんするの。」

 

「バカッ、スズ、人前でそれを言っちゃダメって言ってるでしょ。」

 

「ハァ……スズ、女の子同士で結婚は出来ないぞ。」

 

「ううん、それでもチコおねえちゃんのおよめさんになるんだもん。」

 

「「「「ヒューヒュー」」」」

 

十にも満たない、元気で可愛らしい女の子二人を中心とした子供達とリヴルが屈託無く会話している。

スズという名の子の告白に周りの子供達が囃立て、チコと呼ばれた子の方は顔を真っ赤にして火消しに躍起だ。

微笑ましい。

 

さて、人集りになってはいるが、他所の話を聴きたくて集まってきているだけの様で、こういうあたりは田舎街では何処も同じ様だ。

それでも人が集まれば、[本]に興味を持って買っていく者もおり、この街での滞在中は予想よりも多く[本]が売れた。

 

同盟の中の『異郷』。

風変わりなその街の事を、リヴルは随分と気に入った様だ。

私も新たに観察する場所が増えた事を嬉しく思っている。この街は実に興味深い。

事が成った暁には、再びこの街に立ち寄って、心ゆく迄観察を行おうと思う。



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第十二話 カナド人と猫少女

聖華暦830年 冬の気配が濃くなった秋 ロドス

 

「こいつは禁忌の地で発掘して来た[旧人類]の書物だ。素人目に見ても保存状態はなかなかイイ。中身も学術に関する物だから、好事家でなくても買い手は付く代物だぞ?」

 

そう言って、カナド人の男は左手に持った発掘品の[本]を右手の甲で2回、軽く叩く素振りを見せた。

 

「そうは言うがね…。確かにこれは美品だよ。中身も申し分ない。」

 

「だったら何が気に入らないんだ?

あんただって発掘品でこんな美品は、なかなか御目に掛かれない事は重々承知している筈だろ?」

 

髪を短く刈り上げ、左頬に傷のあるその男はしつこく食い下がってくる。

 

ここロドスは自由都市同盟の領内では東の端にあり、禁忌の地を調査する為の前線基地として機能している。

そして数々の希少な発掘品を捌くオークション会場の外に広がる露店市、私達がいるのはその一角だ。

ここらは雑多な発掘品を扱う露店でごった返し、多くの商人、冒険者、トレジャーハンターが往来している。

 

今も黄色いコートを着た少年が護衛と思しき厳つい供を連れて露店を一軒一軒回っていたり、右斜め前の露店で銀髪の青年が値引き交渉を三十分以上していたり、「栄光の宴」の紋章を付けた二人組の冒険者がオークション会場へ歩を進めていたり…

実に雑多な人種が入り乱れている。

実に興味深い。

 

ちなみにトレジャーハンターというのは、冒険者のほぼ同類の者達である。

決定的な違いがあるとすれば、彼等が[古代遺跡]と称される旧人類の遺構を探して盗掘する専門家だという事だろう。

 

遺跡があれば禁忌の地は勿論のこと、カナド地方、魔獣領域、戦争中の戦場にだって赴いて盗掘を行う連中だ。

その上それを『浪漫』の一言で片付ける。

度し難い。

 

「言いたい事はわかる。私とてこの商売をしているからには、その[本]の価値はわかる。わかるのだが…」

 

「だったらイイじゃないか。一冊1500だ。それで手を打とうじゃないか。なっ。」

 

見たところ、その[本]は教科書のようだった。

 

「一冊1000だな。それで納得がいかないなら、他を当たってくれ。」

 

「それじゃあ儲けが殆どねぇ!

いくらなんでも、それはアコギってもんだろ。」

 

男は大袈裟な手振りで不満を口にしている。だが、これに関しては一歩も譲る気はない。

 

「そもそも、()()()()()()1()0()0()()()持ち込む事が良くないのだよ。

いかに貴重な発掘品であろうとも、全く『同じ本』が100冊。これでは単体としての価値が下がってしまうのも仕方がない。」

 

彼の足元には、その『同じ本』が99冊入った木箱が置かれている。

 

一方、私がこのカナド人のトレジャーハンターと価格交渉をしている間、彼の連れの猫人族の少女とリヴルは暇を持て余し、二人で何やら会話を楽しんでいるようだ。

 

「これでリヴルが全問正解なのです。ネルちゃんは全問不正解なのですよ。」

 

「うぎぎ…なぁんで分かるかなぁ…あーもう!全然わっかんねー!」

 

「うるせえぞバカ猫!こっちは必死に交渉してるってのに、ナニ遊んでんだオマエは!」

 

「何言ってんだい!邪魔だからそっち行ってろって言ったの、バルドだろー。」

 

「声がでかいんだ。少しは静かにしてろって言ってんだよ!」

 

「ハイハイ、気をつけますよーだ。」

 

バルドと呼ばれた男の憤りを、ネルという名の猫人族の少女はなんとも慣れた様子で軽く受け流した。

 

「それで、二人で何をしていたんだ?」

 

二人が何をしていたのか、気になったので聞いてみた。

 

「なぞなぞを交互に出しあっていたのですよ。リヴルの圧勝なのです。」

 

リヴルが胸を張ってエッヘンしている姿を、何故か想像してしまった。

本の姿をしているというのに、可笑しな事を想像してしまった事が度し難い。不可解で、やはり度し難い。

 

「うーん、あたしの知ってる中で一番難しいやつだったのに、なんで解っちゃうかなー?

なぁおっちゃん、アンタは解る?朝は4本足、昼は2本…」

 

「ああ、その答えは[人間]だな。」

 

「クッソー!なんでわかるんだよ。まだ全部言ってないし!」

 

「旧人類の伝承だな。朝は産まれたばかりの赤児だから四つん這。昼は成長した成人だから二本足。夕方は老人が杖を突くから三本足になるんだ。」

 

「知ってたのかよちっくしょー、つまんねーのー!」

 

「浅知恵を露呈しただけだったなバカ猫め。」

 

「うっさい!ほっとけよ!」

 

バルドは愉快そうにニヤニヤ笑い、ネルはむくれてそっぽを向く。

その時、[本]を物色していた客の一人が脱兎の如く駆け出した。

 

その手には分厚い表紙の[本]を掴んでいる。

 

「泥棒っ‼︎!」

 

叫んで追い掛けようとした刹那、瞬時に泥棒を取り押さえる小柄な影。

 

「おーネル、良くやった。」

 

「全く、つまんねー事してんじゃねーよ。バーカ。」

 

あっという間の出来事に、周りからも拍手が出た。

 

泥棒が盗もうとしていた[本]には、25000ガルダの値札が付いている。高値の付いた[本]を狙っていたようだ。

駆けつけてきた同盟軍人に泥棒を引き渡し、騒ぎは無事、一件落着した。

 

「うむ、良い事をした後は気持ちがいいものだな。」

 

「ありがとう、お陰で助かったよ。礼を言う。」

 

「やーやー、どいたしまして。」

 

少女は白い歯を見せて笑った。

 

「さっきの礼として、引取価格を1冊1300としよう。これ以上は出せない。」

 

「ううーん、仕方ない。それで手を打とう…」

 

1時間に及ぶ価格交渉はこうして幕を閉じた。

 

「バルドさんとやら、あんたは商売が下手だな。高く売りたいなら、この[本]を一度に持ち込まず、小出しにしてあちこちに持ち込めば良かったのだよ。そうすれば、今の2〜3倍の値段で売れた筈だよ。」

 

「どこかのバカが毎度機体をぶっ壊すせいですぐに金がいるし、[本]を扱ってる商売人が、今ここにはあんたしかいないからだよ。」

 

「誰がバカだ!誰が!」

 

「お前しかいないだろうが!バーカ!」

 

「言ったな!アホ、ボケ、マーヌーケー!」

 

「やれやれ、騒がしいな。」

 

「喧嘩するほど仲が良いのですよ。」

 

目の前の凸凹コンビは、これからもトレジャーハンターとしてやっていくのだろう。

これからこの二人が、どのように仕事を熟していくのか、実に興味深いところだ。



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第十三話 機兵教

聖華暦830年 冬 バズ・デール市

 

禁忌の地へのルートの最後として、この街へやって来た。ここは同盟で最東部の街だ。

つまりは禁忌の地に最も近い街なのだから、本来ならロドスに代わって禁忌の地探索の最前線ともなり得た筈だ。

 

だが、この街はそうならなかった。

何故か?

 

それは、この街の成り立ちに関係がある。

この街が、同盟内でも珍しい部類の、ある土着宗教の総本山として存在している為だ。

 

『カタンタ・ハヴィ』『機兵教』と一般には呼ばれている。

 

聖華の三女神ではない(ゴド・ア)を崇拝し、機兵を神の創造物、賜り物として大切に扱い、操手として日々研鑽に励む。

人助けを旨とし、入信の勧誘などを積極的には行っていない。

 

表に出ている情報はこれくらいであり、詳しい事は入信してみなければ判りそうも無い。

むろん興味がある事ではある。だからと言って入信する様な真似はしないが…

 

魂を持たぬAIが神に祈る。

 

想像するだに、なんと滑稽な事だろう。

いかに科学・魔法が発展し、神の所在を突き止めたとして、所詮電気信号であるAIには信仰の本質など理解し切れぬものだろう。

 

何度かここ(バズ・デール市)には来ていたが、今回この街に来てから、その様な事を思案し続けている。

実に興味深い。

 

何故、その様な思案に至ったかといえば、カタンタ・ハヴィの寺院内に立ち入る機会を得た事が大きい。

 

「この経典一巻の写本を行えば宜しいのですね?」

 

「はい、よしなにお願いします。」

 

写本の依頼があった。本来なら寺院内で内々に済ませる事であったのだが、その役目を負う者が高位の僧の供として修行の旅に出てしまっていたのだそうだ。

その為、珍しい事に外部へ依託する事となり、たまたま街に来ていた私に依頼が来た、という訳だ。

 

経典の持ち出しは原則禁止しているとの事なので寺院内での作業となり、その間の世話をしてもらえる。

書写する為の紙や墨は寺院が用意し、私はただひたすら書写し、製本を行うになる。

個人所蔵の聖書や経典の修復などは行った事はあるが、宗教寺院が保管している経典に触れる事など、滅多にあるものではない。

実に興味深い。

 

だが、いざ写本すべき経典を拝見して、その分厚さに驚きを禁じ得なかった。

ゆうに1万ページを超えるものだった。作業量は少なく見積もっても二十日は掛かる。これは書写のしがいが有るというものだ。

 

*

 

作業を開始してから19日が経過していた。

実に、実に興味深い。

 

私は最低限の睡眠時間、食事や用足し以外は書写の作業に没頭し、与えられた寝室から作業場への移動中は僧達の動きを観察していた。作業は当初予定していたよりも捗り、今は製本の作業に取り掛かっている。

経典に書かれている教義、説法、逸話などは勿論のこと、寺院での僧達のあり様は非常に興味深い。

 

ここの僧達はとても礼儀正しく、規則正しく、禁欲的で信仰に厚い。

上から下まで勤勉に、熱心に、己を研鑽する事に貪欲と言って良い程だ。

特に機兵を用いた訓練は実によく行われている。下手な軍隊などよりも遥かに厳しく、練度が高い。

また、機兵のメンテナンスも僧達が行っており、機兵への理解度も高い。流石に『機兵教』と呼ばれるだけの事はある。

実に興味深い。

 

そして宗教寺院であるから、修業として朝・昼・夕の食事は質素であるかと思っていたが、予想に反してなかなか豪勢である。

贅沢なのではない。量が多いのだ。

厳しい修行をこなして頑強な身体を作る為に必要な量を摂取する。健全な肉体無しには彼らの信奉する教義を実践出来ないとの事だ。

まるで一種のアスリートの様な考え方だ。

実に興味深い。

 

そして、特に興味をそそられたのは『闘気法』、『仙気術』と呼ばれる特別な術である。『闘気法』においては、ある程度の情報が露出しており、エーテルを『気』と呼ばれるエネルギーに変換する事によって、身体能力を著しく高める術だと言われている。

 

一方、『仙気術』とは、この寺院の僧達の中でも秘伝として扱われ、部外者である私などには知る由もないものである。それ故、『仙気術』についてはほぼ何も判らなかったが、『闘気法』については、その修行を僅かばかり目にする機会があった。もっとも、入信者でも無い私に律儀に説明などしてくれはしないので、どの様な理屈でああいう修行を行なっているかは、ついぞ謎のままではあるのだが…

 

「むう〜、退屈なのですよ〜。リヴルは退屈なのですよ〜。」

 

「もうすぐ作業も終わる。もう少し我慢していろ、リヴル。」

 

「ずっとお坊さんの事ばっかりなのです。退屈なのですよ〜」

 

確かにここのところは寺院から一歩も出ていない。必然的に話題は寺院内の事だけになる。

とても興味深い事なのだが、他の者とお喋り出来ない環境下で、リヴルのフラストレーションが溜まってきているようだ。

AIがフラストレーションを訴えるという事が、実に興味深い。

 

「うむ…よし、終わったぞ。長い作業だったが、充実した時間だった。これを確認して貰えば、仕事は完了だ。」

 

「やったのです。リヴルはこの街を見て周りたいのですよ。」

 

「わかったわかった、ゆっくり付き合ってやろう。」

 

「今から楽しみなのです。」

 

声色に喜色がにじみ出ている。途中から余程退屈になってきていたのだろう。

全く、お喋り出来ないと機能を停止してしまいかねないな、コイツ(リヴル)は。

再度、仕上がった紙の束を入念に確認しながら、そんな事を考えていた。

 

本当にリヴルにも興味が尽きない。



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第十四話 禁忌の地にて

 バズ・デール市を後にした私達は一路、禁忌の地へ足を踏み入れた。

 かつて、旧人類が栄華を誇った場所。

 今は見る影も無く荒廃し、立ち並ぶ高層建築物はあるものは崩れ去り、またあるものは植物に覆われて、全て等しく生態系に支配されている。

 

 人の気配は無く、ただ圧倒的な自然の力に呑み込まれている事が確認出来るのみだ。

 だが、ここには旧人類の遺した科学の残骸が眠っている。

 それを『宝』として追い求める者(トレジャーハンター)達が入り込んでいるはずだ。彼等に見つかると後々面倒だ。

 

 その為、私達は『すでに発掘され尽くした』とされるルートを選び、目的の場所『ケイブ・セクター07』を目指す。

『ケイブ』とは、旧人類、特にWARESが建造した地下施設の事だ。

私の目覚めた場所も『ケイブ・セクター06』であった。

 

 それはさておき、寂れたルートを通る故に人目は避けられるが、絶対では無い。いかに禁忌の地が[人]の活動領域では無いとはいえ、人目に付かない保証は何処にも無い。

 それ故、今はまだ、ワールウィンドⅢの試製86式噴射システムを使わずに主脚歩行で歩を進めている。

 途中、tkm-01(ネコグモ)tkm-03(シュトルッツォ)tkm-04(クジャク)に遭遇した。

 だが、彼奴等はLEVに対しては何一つ反応を示さない。

『WARES』が製造した新型鋼魔獣は、LEVが発している味方識別信号で攻撃対象であるかを判断している。

その為、LEVに乗る私にとって、新型鋼魔獣はなんら脅威にはならないのだ。これも人目を避ける理由の一つだ。

 むしろ、この場所では、野生の魔獣の方が注意すべき存在である。

 新型鋼魔獣はデータリンクで支配下に置く事も可能だ。だが、野性の魔獣は元は生体兵器であり、今は生身の生き物だ。

 そのような縛りは無く、縄張りに入ったら、見境無く襲い掛かる種類もいる。

 今はまだそのような魔獣には遭遇していないが、突発的に遭遇戦となる事も十分にあり得る事だ。

 用心に越した事はない。

 

 *

 

 随分と奥へと侵入出来た。ここまで来ればもう人目を気にする必要もないだろう。

 それでも尚、先程遭遇した3台のtkm-01(ネコグモ)をデータリンクで支配下に置き、周囲を警戒させている。

 

 何故そこまでしているかと言うと、私は今、LEVから降り、水辺でブレイズリアクターに水を補給している真っ最中だからだ。

 ブレイズリアクターとは、ブレイズという燃料を製造する為の装置の事だ。

 ブレイズは水から精製される液体燃料で、とても燃えやすく、衝撃を受けると爆発する危険性がある。

第3期LEVの推進剤や旧式鋼魔獣のエネルギーとして使われていた代物だ。

ワールウィンドⅢの試製86式噴射システムはブレイズを燃料としたジェット推進である為、水の補給は必要不可欠なのだ。

 その為、ワールウィンドⅢとtkm-01(ネコグモ)に全周警戒態勢を取らせ、リアクターから給水用フレキホースを伸ばして水を吸い上げている。

 後数分でリアクターのタンクが満杯になる。そうすれば試製86式噴射システムを使って、一気に移動するつもりだ。

 

『タカティン、大丈夫なのです?

危険は無いのです?』

 

「周囲を警戒させているから大丈夫だ。何かあればすぐに判る。」

 

『リヴルは心配なのです。気をつけるのですよ。』

 

「ああ、判っているよ。」

 

 心配しても始まらないが、警戒だけは十分行っている。

 数分後、無事に給水を終え、ワールウィンドⅢのコクピットに戻ってリヴルの背表紙をそっと撫でた。

 

「戻ったぞ。」

 

「おかえりなのです。」

 

「では出発だ。ここからは噴射システムを使って一気に行くぞ。」

 

「了解なのです。いつでもオッケーなのですよ。」

 

「ワールウィンドⅢ、試製86式噴射システムのリミッター解除。出力90%、リミット600秒。」

 

『Yes、countdown、5、4、3、2、1、ignition』

 

 噴射システムが唸りを上げ、轟音とともに蒼炎を吹き出し、ワールウィンドⅢが勢いよく斜め上方へ跳び上る。

 三十数m上昇したところで水平飛行へ移行、樹々や高層建築物の群が猛烈な勢いで後方へ流れて行く。

 この飛行速度ならば、目的地の近くまでは10分。このまま一気に突き進む。

 

「タカティン、海なのです、海が見えるのですよ。」

 

 リヴルが興奮気味に声を上げる。今はまだ遠くだが、少しづつ青く光る海岸線が近づいている。

 目的地がもう目と鼻の先にある。

 ソワソワとした高揚感、ザワザワとした焦燥感、そんなものが感じられる。

 時速600kmで飛行しているはずなのに、とてつもなく、途方もなく、長く、永く、時間が引き延ばされたような感覚。

 近づいているはずなのに、遠ざかっているような不安。

 

「タカティン、広いのです、大きいのですよ。綺麗な海なのですよ。」

 

 その声にグッと現実へと引き戻されたような感覚を覚えた。

いつのまにか目的地である『ケイブ・セクター07』の存在する、WARES軍事基地跡上空へと達していた。

 

「降下する。空中散歩はここまでだ。」

 

「わかったのですよ。」

 

 ゆっくりと高度を下げ、滑走路へ着陸する。

 ソキウスから入手した基地のマップを頼りに『ケイブ』への入口へと歩き出す。

 

 この先に何が待ち受けるのか。

 はたまた、望むモノが存在するのか。

 期待と不安、綯交ぜになった感情が胸で渦巻くのを感じていた。

 度し難い。



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第十五話 祈り

聖華の三女神達よ、AIである私(人ならざるモノ)に貴女達へ祈りを捧げる資格が無い事は承知している。

だがそれでも、祈らずにはいられない…

どうか、この願いを聞き届けて欲しい…

 

*

 

聖華暦830年 冬

もう5日もすれば、新年である。

本来ならば、何処かの街で滞在し、新年を迎える準備をする忙しない人々を観察して過ごすところなのだが、私達はこの場所にいる。

 

『ケイブ・セクター07』

 

WARESが建設した地下施設。魔王級魔獣という、未曾有の生体兵器を駆逐する為の超兵器開発プラン、『マルドゥクプロジェクト』の本拠地として存在した場所。

WARES軍事基地の地表部にあった大型貨物搬送用エレベーターシャフトからLEVのまま中へ入った私達は、地下800mを降り、その場所へ辿り着いた。

内部は高さ500m、6km四方におよぶ巨大空間の、圧倒的な闇が広がっていた。

設備の一部がまだ生きているのだろう、あちこちの設備の表示灯が確認出来る。

 

この施設はまだ生きている。

 

私はデータリンクで手近な端末から基地機能へアクセスを試みて、基地の構造データを全てダウンロード、目的のモノが有ると思われる場所の目星をつけた。

 

「真っ暗なのです。なんにも見えないのですよ。」

 

「対物センサーと暗視装置、それにマップデータがある。迷う事はない。」

 

「ここにタカティンが探しているモノが本当にあるのです?いい加減、何を探しているのか教えて欲しいのです。」

 

「まだ有ると決まった訳ではない。だが見付かれば、リヴルもきっと驚くモノだぞ。」

 

「むぅ、勿体つけずに教えて欲しいのですよ〜。」

 

他愛無い会話をしているうちに目的の場所、ケイブのほぼ中央部にある巨大ドックへ辿り着いた。

自動小銃のベルトを肩にかけてLEVから降り、地下空間内に設置された研究棟へと足を踏み入れる。

入口付近の端末に再度アクセス、内部の記録を具に精査し、場所を特定する。

 

研究棟内部は表示灯、非常灯だけがか細い光を放っており、種類も判らぬ小さな羽虫が僅かな輝きに寄り添うように集まっている以外、生き物の気配を感じる事は出来なかった。

暗闇の中、一歩、また一歩と歩を進める。踏み出す度に響く足音と、電流が電線を流れる音だけが聞こえるのみ。

行先を照らす光といえば、手許の小さな魔石灯の心許ない灯りのみ。

無明、無音であり、無人の地下世界。

リヴルも何かを感じ取っているのか、研究棟に入ってから、一言も言葉を発してはいない。

 

やがて、一つの扉の前で歩みを止めた。

 

「ここだな。」

 

「着いたのです?」

 

「ああ、開けるぞ。」

 

扉のロックを解除すると、ゆっくりと左右へと開いて行った。

 

中はやや開かれた空間であった。部屋の中央に幾つかの大きなシリンダーが淡い光を発している。

思わず足早に近づき、祈るような気持ちで中を確認した。

 

「…あったぞ!遂に見つけた!」

 

興奮を抑えきれず、声を上げる。

シリンダーの中身。

淡い青い光を発する液体エーテルに満たされたシリンダーのその中身。

その中で眠り続ける少女の姿。

シリンダーの表示プレートを確認する。

 

『REadjustBest.LCE』

 

間違いない。

 

「LCEだ。」

 

一言、確認するように呟いた。

 

「タカティン?」

 

「リヴル、喜べ。LCEだ。LCEの身体だ。LCEの身体が見つかったのだ。」

 

「どういう事なのです?」

 

「お前の念願だったLCEの身体に、お前の記憶を移し替えるのだ。」

 

「それって…リヴルは、リヴルは身体をもらえるのです?」

 

「そうだ、リヴル。お前の身体だ。」

 

暫しの沈黙。

 

「…タカティン、タカティンは…タカティンが探していたのは、リヴルの身体なのです?」

 

不安そうにリヴルが私に聞いてくる。

 

「そうだ。」

 

「タカティン、リヴルは今、とってもとっても感動しているのです。タカティン、ありがとうなのですよ。」

 

溢れんばかりの喜びが、その声色から感じ取る事が出来る。私も胸がいっぱいになる。

設備周りを確認し、ここで記憶の移動を行う事が可能だと判断する。

 

「早速始めよう。準備は良いか、リヴル?」

 

「あっ、ちょ、ちょっと待ってほしいのです…ん、お願いするのですよ。」

 

装置からコードを伸ばしてリヴルの媒体になっているAIに接続、端末を操作して記憶の移動を開始する。

カウンターの表示は約70時間。3日後にはこの少女がリヴルになる。

全てが済んだ頃には、ちょうど新年だ。此度の祝いは特別なものとなるな。

浮き足立っていたのだろう。私はなんとも満たされた気持ちでシリンダーの周りを見て回る。

ふむ、アンドロイドの素体も保管されているのか…

ふと、不意にLCEの表示プレートが目に留まり、そこに書かれている言葉を改めて確認する。

 

『REadjustBest.LCE』、LCE最適化再調整型と表示されている。

どうやら『マルドゥクプロジェクト』の為に用意されたLCEだったのだろう。

 

ん?小さな違和感を覚える。何故だろう…

表記の大文字だけを見る。

『RE.B.L』(リヴル)?いや、まさか…ただの偶然だろう…

何故か急に不安を覚え、今までリヴルの身体であった[書籍型記憶媒体]を手に取り、背表紙を確認する。

そこに記された『RE.B.L』の文字を改めて確認し、愕然とした。

 

なんだこの付合は?

こんな事が本当にあるのか?

 

リヴル、お前は一体何者なのだ?

 

『REadjustBest.LCE』?

 

だとしたらお前は、リヴルは…

 

『マルドゥクの制御装置』(この世界に居てはならない者)ではないのか?

 

この施設には旧人類が開発した超兵器『マルドゥク』が存在する。そしてそれは完成している。

その存在は、今のこの世界には災いを齎すモノでしかない。

 

このまま、リヴルがLCEとなり、もし…

 

もし新人類を敵として認識し、排除するようにプログラムされていた場合…

 

私は、

わたしは、

ワタシハ…

 

施設内に緊急時を知らせるアラートがけたたましく鳴り響く。

ハッと我に帰り、すぐさま端末にアクセスして状況を確認した。

 

私達が入ってきた貨物搬送エレベーターから、九匹の魔獣が侵入してきたのだ。

 

監視カメラの映像が映るモニタに目をやる。

そこに映るのは四つ足と鎌のように見える鋏状の腕を持った甲殻類の殻を持つ中型魔獣。

 

「アルキア・ナントゥ……!」

 

厄介な奴らだ、両腕から発射する強腐食性の液体を吹きかけ、生物、鉱物の区別なく何でも喰らう。悪食もここに極まれり、と言わんばかりの暴食家。

 

まだエレベーター前で、そこらの物に適当に喰らい付いているだけだが、リヴルの記憶の移動が完了するまで待ってはくれないだろう。

いずれは施設の重要箇所に取り付く事は容易に想像出来る。

今、施設に被害が出たら、ひょっとしたら、今、記憶の移動をしているこの装置に影響が出る可能性がある。

 

そうしたら、リヴルが…

最悪の場合、消えてしまう事だって… ダメだ!それはダメだ!ダメだダメだダメだ!

 

もはや考えもせず、私は不安を振り払うようにワールウィンドⅢのもとへ走り出していた。

 

リヴルが何者であろうと構わない。

リヴルを失うわけにはいかない。

リヴルを…リヴルを失いたく無い。

 

あの子は今や、私にとっての存在意義の一部なのだ。

あの子がいなければ、私が存在する意味など無い。

あの子のいない未来など無い、必要ない。

 

あの子を護る。何を犠牲にしたとしてと…

例えその為に自分自身が滅ぶことになったとしても…

 

この時の私は、そんな思いに駆られていた。

 

施設のネットワークにリンクしたままワールウィンドⅢに飛び乗り、エレベーター前へ移動しつつ状況を再確認する。

すでに施設のセキュリティシステムが作動し、無人LEVヴェルクートNP/AD-Cが二機、TKM-01(ネコグモ)が八台、迎撃の為に出撃しており、交戦に入っていた。

 

まずヴェルクートがアルキア・ナントゥをパイルバンカーで串刺にして三匹、ネコグモ一台を囮に二台が取り付いて自爆して一匹、計四匹を駆除していた。

 

だが、アルキア・ナントゥも大人しく駆除されはしなかった。

ヴェルクートを取り囲み、強腐食性液体を一斉に浴びせかけ、数匹で一気に飛び付き、袋叩きにした。

さしものヴェルクートもエネルギー伝導装甲を軟化させられてはどうする事も出来ず、撃破されてしまった。残るもう一機も同じ様にやられる。

ただ、一匹はすんででヴェルクートが道連れにしてくれたおかげで、残りは四匹である。

 

だが、ネコグモだけではどうしようもない。私はセキュリティに介入し、ネコグモ五台を一旦退かせた。

その場に残されたアルキア・ナントゥどもは一応の危機が去った事で、ヴェルクートの残骸に貪り付きはじめた。

 

正直、エーテリックライフルを使えば、なんの苦もなく駆除は可能だ。

だが、貫通したビームによって施設に被害が出てしまうのは明らかだ。それでは本末転倒だ。結局、近接戦を行うしかない。

ワールウィンドⅢの背に背負わせた機兵用のブレードを主腕に保持させ、彼奴等に300mまで接近してから停止する。

どうやって彼奴等を駆除するかをしばし思案し、作戦を立てる。

 

○彼奴等をマルドゥク発着用の海底トンネルに誘き寄せ、中で駆除をする。トンネルは直径60m、長さ300mある。スペースは十分ある。

○その為に一気に接近して一匹は始末し、残りの三匹の注意を引いて、誘い込む。

○トンネル内にあらかじめネコグモを待機させ、中で一気に飛び付かせて自爆させる。

 

これで行くしかない。

意を決して行動に出る。

ホバーを使い、高速で接近する。

残骸を貪っていたアルキア・ナントゥも、流石にホバーの発する音に気付いたか、食事を中断して頭を上げた。

だが、もう遅い。一番手前にいた個体にすれ違い様にブレードを一閃、首を跳ね飛ばした。

残りは三匹。

三匹ともこちらを見据え、臨戦態勢を取った。

私はその三匹に背を向け、主脚走行で移動を開始する。

彼奴等も釣られて私を追いかけて来た。狙い通りだ。

 

「ようし、そのままついて来るんだ。」

 

彼奴等と付かず離れずの距離を保ちながら、トンネルへ向かって移動する事、数分。

隔壁が見えて来た(暗闇で実際には目視出来ないが)ので、幾分かペースを落として距離を詰めさせる。

ギリギリまで引き付け、トンネルに入るなりホバーを吹かして一気に距離を開けた。

彼奴等がトンネルの中程まで入った所で噴射システムを起動、天井すれすれを飛行して出口側へ急速反転、彼奴等の背後へ着地する。

彼奴等も足を止めてこちらに向き直る。

睨み合いのあと、私から動く。

ブレードを振り被って先頭のアルキア・ナントゥに斬りかかる。彼奴等は一斉に強腐食性液体を吹き掛けてきたが、無視して正面から突っ込む。

強腐食性液体を強かに浴びたが、一匹を袈裟斬りにする。

残る二匹には背後からネコグモを二台づつ取り付かせ、すぐさま自爆させた。

二匹は爆炎に包まれ、破片が飛び散る。

 

「終わった。」

 

そう思った。そこに油断が生まれた。

 

爆炎からアルキア・ナントゥが飛び出し、その硬い腕をぶち当てて来た。

咄嗟に両腕で防御をするが右腕は肩から、左腕は肘から破壊され、脱落する。先程の強腐食性液体によって、装甲が弱ってしまったのだ。

さらに体当たりを食らって、壁まで吹き飛ばされてしまう。

もはやワールウィンドⅢには両腕が無く、武器も無い。ネコグモが一台残っているのみだ。

だが最後の一匹となったアルキア・ナントゥも片腕が無くなり、背中から右半身にかけて、大きく損傷していた。弱っているのは相手も同じだ。

 

「ありがとう、今まで世話になった。そして、すまない。」

 

私はワールウィンドⅢから飛び降りるや遠隔操作でワールウィンドⅢの噴射システムを最大出力で稼働させ、アルキア・ナントゥに突っ込ませる。アルキア・ナントゥは吹っ飛び、そのまま壁に押し当てるように抑え込ませる。

私は自動小銃でワールウィンドⅢのブレイズリアクターを撃つ。

軟化した装甲は数発で穴が開き、ブレイズが吹き出した。

そこへ最後のネコグモを取り付かせ、自爆させた。

凄まじい轟音と爆風。私は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 

一瞬、意識が飛び、だがすぐに爆発したあたりに目を向けた。

ワールウィンドⅢ諸共、アルキア・ナントゥはバラバラに吹き飛んでいた。

今度こそ終わった。

 

「ゴフッ、ゴフッ」

 

血を吐いた。見れば腹部に金属の破片が突き刺さっている。これは手当てが必要だ。

破片を抜こうとして、私は自分の状態を漸く認識した。

まず、右腕が肘から先が無い。両足も、左足は腿から無くなり、右足はおかしな方向に曲がっている。

これでは動く事も出来ない。

…いや、この身体はもうダメだ。

魔力臓器もやられているようだ。電脳のエーテル残量警報が鳴り始めた。

 

「すまない、リヴル…新年の祝いを…してやれそう…もない…」

 

目が霞んできた。

 

身体にも力が入らない。

 

リヴル…

 

聖華の三女神達よ、AIである私(人ならざるモノ)に貴女達へ祈りを捧げる資格が無い事は承知している。

だがそれでも、祈らずにはいられない…

どうか、この願いを聞き届けて欲しい…

どうかあの子に、リヴルのこれからに一条の光を与えてあげて欲しい。どうか、どうか、どうか…

 

なんとも滑稽だ…

 

「リヴル…」

 

そして、私の意識は闇に飲まれていった…

 

Emergency mode…System shutdown,Bye…

 

*

 

……

……

……System Check.……OK

WakeUp,Hello

 

そして、私は目を醒したのです…



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第十六話 興味深い、この世界

私が目を醒したのは、シリンダーの中だったのです。

身体の感覚を確認するように、ゆっくりと起き上がりました。

 

「…冷たいのです…」

 

何百年かぶりに物に触れる感触。

初めて触れるシリンダーの縁は硬く、冷たく、小さく身震いをしたのです。

久しぶりの感覚。『感じる』事が出来る。

少し嬉しくなりました。

 

見渡した部屋の中は広くて、暗くて、モニターや非常灯から発せられる僅かな光だけが、薄ぼんやりと輪郭を表しているだけでした。

 

誰も…いない…?

 

ここには、私一人しかいない。

どうして?

 

身体を慣らすように、ゆっくりとシリンダーから這い出して立ち上がって、床のひんやりとした冷たく硬い感触を確かめます。

身体のマッチングは問題ないようなのです。

 

頭を巡らし、部屋の中を見回します。

あの人は何処に?

居る筈の人影を探しました。

 

………?

部屋の中には居ないのでしょうか?

急に心細くなり、呼びかけてみました。

 

「…タカティン?タカティン、どこなのです?」

 

呼びかけてみたものの返事は無く、ここには自分しか居ないという事を確認できただけでした。

 

「リヴルはもう起きたのですよ。

タカティン、何処にいるのです?返事して欲しいのですよ。」

 

寂しい、心細い、そんな感情が湧き上がり、やがて悲しさでいっぱいになりました。

 

暗くて、冷たくて、心細くて、寂しくて、悲しくて、哀しくて…

 

「…タカティン、何処なのです?リヴルはここなのですよ?タカティン、何処にいるのです?

リヴルはここに居るのですよ?ねえ、タカティン…」

 

呼べども呼べども、私の声が響くばかりで一向に反応がありません。

いつの間にか、目から水…『涙』が零れ落ち、溢れ出ていました。

 

「意地悪しないで出てきて欲しいのです。お願いなのですよ。……リヴルは嫌なのです、寂しいのは嫌なのです。……お願いなのです、もう一人は嫌なのですよーーー‼︎」

 

溢れ出した感情が口を突いて飛び出してしまいました。

足の力が抜け、その場にへたり込んでしまったのです。

ふと、タカティンも目覚めた時は一人だったという話を聞いた事を思い出しました。タカティンもこんな感情を抱いたのでしょうか?

それを考えたら、また寂しくて悲しく、涙が溢れ出てしまいました。

そして堪らず床に顔を埋めてしまったのです。

 

……ル、リ…ル、泣くんじゃない、リヴル。

 

ハッと顔を上げて辺りを見回します。けれども、誰も見当たらない。

寂しさの余り、幻聴が聞こえたのでしょうか?

可笑しなものなのです。科学によって創り出された存在、[LCE]として造られた私が、感情の昂りで幻聴が聴こえるなんて…

この時はそう思ったのです。

 

『リヴル、泣くな。私はここに居る。』

 

確かに聴こえました。

 

「タカティン、何処なのです?姿を見せて欲しいのです。」

 

『落ち着け、リヴル。せっかくの美人が台無しだぞ。…すまない、後で話すが理由があって、身体を失ってしまったのだ。

今は施設のネットワーク内でデータだけの存在なのだ。この研究棟はネットワークのセキュリティが厳重だったのでな、ネットワークの移動に手間取ってしまった。』

 

声はモニターのスピーカーから聞こえて来ました。

 

「そうだったのです?タカティンが居なくなってしまったと思って心配したのですよ。」

 

『すまなかったな。』

 

タカティンの声を聴いて、ひどく安堵しました。

ちゃんと側に居てくれたんだ…その事がとてもとても嬉しかったのです。

 

『それにリヴルの記憶の移動が完了するまで20時間程あったのでな、その間にこの施設の事を調べていたのだ。色々と判った事があるぞ。』

 

…あれ?あれれ?今のは聞き捨てなりませんでした。

私が寂しさの余り泣いていた時に、この人は自身の好奇心を満たしていたと言うのです。

急に腹立たしくなってきました。

 

『さて、リヴル。すまないが、そこのアンドロイド素体に記憶を移動させたいのだが、手伝ってくれるか?

ハッキング防止の為に、ネットワークから直接データの移動が出来なくなっていて、手入力しか受け付けないのだ。』

 

「…判ったのです。リヴルはどうすれば良いのです?」

 

この時、小さな悪戯心が働いてしまいました。

 

『では私の言う通りに端末を操作して………』

 

*

 

聖華暦831年 元旦

 

私達は施設で見つけた第4期LEV(マーチヘア)を駆り、北上していました。目的地はミカゲの里。そこはアンドロイドの秘密組織[ソキウス]の本拠地となっています。そこで、今後の為に態勢を整えようというのです。

 

「タカティンはひどいのです。あんまりなのです。リヴルをほったらかして、好きにしていたのです。リヴルは怒っているのですよ。」

 

「だからすまないと言っているだろう。いつまで怒っているつもりだ?」

 

移動を開始してから小一時間、私は怒りを吐き出し続けていました。

でも本当はそこまで怒ってはいませんでした。

ただ許せなかったのです。

 

私の為に無茶をして、身体を失ってしまったタカティンの事を…

 

ただ許せなかったのです。

 

タカティンにそこまでの無茶をさせてしまった、無力な自分を…

 

「…ところでリヴル、私はアンドロイド素体に、と言ったんだが?

どうして[()()()()()()()]に私の記憶を移したのか、説明してくれるのだろうな?]

 

そう、あの時、私は悪戯心を働かせ、タカティンの記憶を[書籍型記憶媒体]へと移してしまったのです。

何故そうしてしまったのか?

 

端的に言えば、怖かったのです。

 

タカティンは死にかけた。身体が死んで、データだけの存在になった。厳密な生物の死とは決定的に違う。違うけれども死にかけたのです。

身体を持てば、また無茶をするかもしれない。

そうしたら…私の前から居なくなる事が怖かった。

ずっと側に居て、離れないようにしたかったのだと思うのです。

 

「タカティンは、リヴルが今までどんな気持ちで過ごしてきたのか、そうやって理解するのです。そして反省するのです。」

 

「なるほど、自分で動けないというのは不便なものだな。あぁ、あともう一つ、どうしてお前は()()()()()()()()()のだ?」

 

「シートの高さが合ってないから仕方ないのですよ。」

 

「シートの高さを調整すれば済む事だろう?

それよりも私が言いたい事はただ一つ…本は大切に扱え!何度も、何度も言ってきただろぅがっ!」

 

「ふーん、タカティンに言われなくても分かっているのですよー。」

 

タカティンのお小言をスルーして、ツンケンと返しました。今更引くに引けなくなっていたのは秘密です。

 

暫く無言のまま、気不味い空気が流れいるのを感じていました。

こんなつもりでは無かった筈なのに…

 

「ところでリヴル、これからどうしたい?」

 

不意にタカティンから聞いてきました。

どうして良いか、解らなくなっていた為、少しだけ嬉しくなりました。

 

「…タカティン、リヴルは強くなりたいのです。それから、リヴルは知りたいのです。もっと[人]の事を、もっともっと[世界]の事を…」

 

「そうか…ならば、行こうじゃないか。

この[世界]は、まだまだ知らない事だらけだ。何年かかっても全てを知りようもない。

200年、この[世界]を観てきた私が言うのだから間違いないぞ。」

 

「判ったのですよ。いっぱい、いっぱい観て回るのですよ。」

 

私は知りたいのです、[人]の事を…

度し難く、不可解で興味深い、この[世界]の事を…



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第十七話 友達

誰かが私の前に立っています。

背格好は少年のようですが、逆光になっているのか、顔は影が出来ていて、よく判りません。

 

「はじめまして、君はリヴルって言うんだね。僕は…」

 

ふっ、と目が覚めました。

夢を観ていたようなのです。

 

頬が濡れています。泣いていたのでしょうか…

なんだかとても懐かしく、知っているはずなのに、どんなに思い出そうとしても判らない、そんなもどかしい感覚。

気分が落ち込みます。

 

「おはよう、リヴル。珍しく静かな目覚めだな。」

 

声のする方へ目を向けると、声の主は枕元の[本]でした。

 

「…タカティン、おはようなのですよ。」

 

「どうした、具合が悪いのか?もう少し眠っていても良いのだぞ?」

 

「夢を観たのです。大丈夫なのですよ。」

 

努めて明るく返事をしました。

 

「そうか…具合が悪いわけではないのだな。」

 

「そうなのです。さあ、今日も素晴らしい一日の始まりなのですよ。」

 

気鬱な雰囲気を追っ払う為、精一杯元気に声を出しました。

 

…ちなみに夜明けとほぼ同時でした…

 

聖華暦833年 早春 帝国領ドードルダール市

 

宿の部屋で軽めの朝食を取ったあと、露店の準備をする為に、私に割振られた区画へ移動します。

 

ドドールダール市はダンゲルマイヤー侯爵家の領地にある農業地帯を統括管理する為の都市として建設され、魔獣禍から領民と農地を守る必要性から、帝国軍の基地が置かれています。

 

そして、この場所は(あらかじめタカティンに言われた通り)役人のおじさんに(少し上目遣いで見つめる様な)笑顔でお願いしたら、街の中央広場の見晴らしの良い一画を割り振ってくれたのです。

中央広場ともなると人通りも多く、いろんな[人]がお客さんとして来てくれます。

 

この街に滞在して一週間になりますが、周りの露店の店主さん達や、広場に買い物に来るお客さん達と、すっかり顔見知りになりました。

お喋りをしたり、[本]を買ってもらったり、お昼ご飯を一緒に食べたりと、皆さんとても親切で仲良くしてくれます。

 

「タカティン、またリンゴを頂いたのです。」

 

「ふむ、リヴルは[人]付き合いが上手いな。来る者来る者、良い笑顔で帰って行く。とても興味深い。」

 

「んっふっふ、リヴルには商売の才能があるのですよ。」

 

「商売の才能と言うより、世渡り上手と言うべきだな。肝心の[本]は、あまり売れていないからな。」

 

「むぅ…」

 

痛い所をついて来ました。タカティンは意地悪なのです。

 

気を取り直して、改めて広場を見渡します。

ここは実に様々な人達で賑わっています。

大きな荷物を背負った行商人、供を従えた身なりの良い御婦人、傭兵さん、学生服の少女達、買出しをする母子、軍服の若い士官、昼間からお酒を飲んでいるおじさん達、艶やかな服装と化粧をした女性、巡回中の兵隊さん…

その中で、愉しげに買物をする若い三人組が目に留まりました。

友達どうしなのでしょうか、巫山戯あったり、笑ったり、とても楽しそうです。

 

不意に今朝の夢を思い出しました。

あの子は一体誰なのだろう?

私はあの子を知っている…知っていた筈なのです。

けれども、顔も、名前も思い出せない。

ポッカリと開いた、大きな穴のよう…

 

記憶の欠落…

 

私がまだ[本]だった頃、アクシデントがあり、記憶の4割を欠損してしまったようなのです。

私自身がどの様なアクシデントに見舞われたのか覚えていないので、何故そうなったのかは、まるで判りません。

タカティンと出会ったのも、その後なのです。

 

LCEの身体を貰った時に、破損していた記憶が幾らか修復されてはいたのですが、元々インストールされていたであろう知識が修復されただけで、後天的な経験に基づく記憶は修復されませんでした。

 

なんだか、もどかしい…

 

「リヴル、どうした、表情が沈んでいるぞ?どこか具合が悪いのか?」

 

タカティンの心配そうな声に気が付き、はっとしました。

また気鬱な雰囲気になってしまっていたのです。

 

「タカティン、大丈夫なのですよ。そうではなくて、今朝の夢を思い出していたのです。」

 

「夢、か…」

 

一言呟いて、タカティンは黙り込んでしまいます。

沈黙…なにか言って欲しい…このままではその事ばかり考えて、ますます気鬱になってしまいます。

 

「私はアンドロイドだ…だった、と言うべきか。機械仕掛けのAIである私は夢を観た事は一度も無い。今では眠る事も無い。だから、夢がどの様なモノかは、学術論文としての知識しか持ち合わせていない。お前が夢で苦しんでいても、的確に助言をしてやる事は出来ないだろう。」

 

「タカティン…」

 

「だが、嫌な事は他人に話す事で気持ちが軽くなる事は学術的にも立証されている。私で良ければ聞いてやろう。お前の観る夢にも興味があるしな。」

 

私の事を心配しているのか、はたまた好奇心なのか…おそらく半々なのだと思うのですが、心配してくれているのは確かな事です。それだけで、少し気持ちが軽くなったようです。

 

「タカティン、リヴルには友達がいたのです。

いつ、どこで会ったのか、どんな人だったのか、すっかり忘れているのです…。

でも、とてもとても大切な友達だったのは憶えているのですよ。」

 

「寂しいのか?」

 

「顔も名前も覚えていないのが、少し寂しくて、悲しいのですよ…」

 

「すぐに思い出そうとしなくても良い。無理に探し出そうとしなくても良い。

出会いがあれば別れもある。寂しいと感じる事も、悲しいと感じる事も、お前の心の一部だ。その気持ちは大切にしろ。

その友達も、生きていれば、何処かでまた会える可能性だってある。焦る事も気に病む事も無いんだ。気長に付き合っていけば良い。」

 

「うん…心配してくれて、ありがとうなのですよ。」

 

少し気持ちが楽になり、自然と笑みがこぼれました。

 

「リヴルには笑顔がよく似合っている。」

 

不思議と、とても嬉しい気分になりました。

 

「タカティン、お世辞を言ってもなにも出ないのですよ。」

 

「もう大丈夫なようだな。店仕舞いまでまだ3時間ある。観察の続きをするとしよう。」

 

タカティンの言った通り、あれこれ考えても答えは出ません。いつか再びあの子と出会える事を願って、この気持ちを大切にしていこう。

私はそう強く想うのでした。



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第十八話 救い

聖華暦833年 春 ヴァレンティノ大農園への道中

 

野宿をしていた時の事です。

私は泣いていました。

地面にへたり込み、両手で顔を覆い、咽ぶように泣いていました。

 

髪や服は激しく動いた為に乱れており、手足には泥汚れや擦り傷があちこちに。

 

そんな私の目の前に三人の男達…

 

どうしてこんな事になってしまったのか…

 

ただただ、世の理不尽さに悲しくなり、涙が溢れて止まりません。

 

「うう、ひっく…酷いのです。あんまりなのです。そんなの無いのですよ…」

 

私は泣いて、泣いて、泣きました。

こんなにも悲しい事があるなんて。

 

どうして神様はこんなにも酷い仕打ちをするのでしょうか?

 

「お嬢ちゃん、もう泣くのはよしてくれ。」

 

「そうだよ、俺たちが悪かったんだ。」

 

「俺らの事でそんなに泣くこたぁ、無いんだぜ。」

 

男達は口々に言葉を発して、私を慰めてくれます。

彼等は正座をしています、私の前で。

彼等は盗賊でした。

正確には、今日初めて盗賊として活動を始めたようでした。

 

三人とも、あちこちに打撲痕や擦り傷があります。ちょっとやり過ぎてしまいました。

襲われたので、護身の為にボコボコにしてしまいました…

ミカゲの里で護身の為に、WARES式戦闘術を(それはもうみっちりと)教えられていたので、難なく三人を組み伏せる事が出来ました。

 

「リヴル、お前は加減する事をいい加減に覚えるんだ。」

 

タカティンにも何度か叱られていました。加減は難しいのです。

 

彼等が抵抗しなくなったので怪我の治療をし、座ってお話をしました。どうして盗賊を始めたのか、その顛末を聞いたのです。

 

*

 

三人は元は貴族に護衛として雇われた傭兵さんでした。と言っても、傭兵になって日の浅い新人なのだそうです。

4日前、突然、主人である貴族から、盗みの疑いを掛けられて、拘束されたそうです。

無実を訴える彼等に対して、貴族はある提案をしてきました。

 

「私と『()()()()』をして逃げ果せる事が出来たら、その罪を不問にしてやる。」

 

自分達を擁護してくれる者もおらず、彼等はその提案に乗るしか無かったのです。

しかし、その『鬼ごっこ』とは、貴族の用意した旧型従機『ガイストパンツァー』に乗って、貴族の駆る機装兵『ノクス』から逃げる事でした。

 

『ノクス』は帝国軍最新鋭の第七世代機装兵、その性能は第六世代機装兵と比べると圧倒的と評しても良いほどに隔たりがあります。

その上、ノクスは剣と魔導砲で武装しています。

 

対してガイストパンツァーにはクローアームがあるだけ。

もとより機装兵と従機、その差は歴然であり、戦っても勝てっこありません。

 

彼等は森の中、殺されるかも知れない恐怖と戦いながら必死に逃げました。

しかし、貴族の機兵(ノクス)は弄ぶようにジリジリと三人を追い詰めていったそうです。

 

そして、浅い川を渡った辺りで奇跡のような事が起こりました。ノクスが川を渡ろうとした時に、深みに足を取られて転んだのです。

転んだ拍子に気を失ったのか、ピクリとも動かなくなったノクスを尻目に、三人は一目散に逃げたのだそうです。

 

追手が掛からず安堵したのも束の間、手配されているかも知れない為、近くの街には寄り付けず、人目を忍んでここまで逃げて来たのです。

その道中で、三人は自分達の運命を呪い、いっその事こと、本当に犯罪者になってやろうじゃないかと半ば自棄になり、ついさっき目についた私を襲ったという訳だったのです。

 

 *

 

「うぅ〜、三人とも可哀想なのですよ。貴族の人は酷い人なのですよ〜。おじさん達はちっとも悪く無いのです。だから、リヴルは三人とも許すのですよ。」

 

「お嬢ちゃん、ありがとう。俺らの為に泣いてくれるだけで、救われたよ。」

 

「こんなにも俺らの事を悼んでくれたのは、お嬢ちゃんだけだよ。」

 

「俺たち、心を入れ替えるよ。もう一度やり直すぜ。」

 

「ぐすっ、わかったのです。おじさん達、頑張ってなのですよ。」

 

「あ〜、その、せめてお兄さんって言って欲しいなぁ…ア、イエ、ナンデモナイデス…」

 

いつの間にか夜が明け、空が白じんで来ました。

私達は一緒に朝食を取ったあと、別れました。

おじさ…お兄さん達は見えなくなるまで手を振っていました。

 

「良かったのか?リヴル。ああは言っていたが、また罪を犯すかも知れんぞ。」

 

「あの人達はきっと大丈夫なのですよ。リヴルは信じているのです。」

 

別れ際、三人の表情はどこか吹っ切れたような、明るい笑顔でした。

 

「お前は優しいな。」

 

「タカティン、もっと褒めてくれても良いのですよ。」

 

「調子に乗るんじゃない。お前は褒めるとすぐにこれだ。」

 

また叱られてしまいました。片目を瞑って小さく舌を出しました。

タカティンももっと私に優しくして欲しいのです。

 

*

これは後日談になりますが、5年後にあの三人と再会しました。場所はカウシュフェルトという北方の街です。

三人はあの後、事態に決着をつける為に意を決して貴族の元へ戻ったそうです。

戻ってみると、窃盗の真犯人が見つかっており、貴族から三人に謝罪があったのだそうです。

殺すつもりは無く、不届き者を懲らしめてやろうと、あんな真似をしたのだとか。

戻ってきた三人に貴族はいたく感服したと言い、大層な額の慰謝料をもらったのだそうです。

それから4年は貴族の元で仕事をした後、現在はカウシュフェルトの警護の仕事に就き、魔獣ナウマンから街を守っているとの事。

街の人達から頼りにされ、頑張っているそうです。



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第十九話 しあわせのカタチ

「ん〜、幸せなのです〜。」

 

私は今、幸せを噛み締めています。

とても甘くて、とても愛おしい。

どこまでも広がるようで、包み込まれて蕩けてしまうような感覚。

唇に触れる、うっとりとする温かな感触。

口に含んで、舌の上に絡み付いてくるその芳醇な香りと甘さに心奪われてしまいます。

 

「ハニートーストは最高なのですよ〜。」

 

聖華暦833年 夏 ヴァレンティノ大農園東部側の集落。

 

ヴァレンティノ大農園はフォーレンハイト侯爵家の領地の中で広い範囲にまたがる農耕地帯の事です。

この地域には大きな都市は無く、幾つもの農村が寄り合って農作物を耕作、収穫、出荷を行う組合を組織しています。

 

そして私は今、集落の一つにあるカフェで、特産品の蜂蜜を用いた絶品のハニートーストを食し、至福の時を満喫していました。

美味しい食べ物はこんなにも簡単に、人を幸せにしてくれる。

ああ、いつまでも味わっていたい…

 

ですが、食べ進めるうちに、残り少なくなるハニートーストを見る度に、少しづつ、寂しさを覚えるようになります。

最後の一口を味わって飲み込みます。

ああ、もう終わってしまいました。

 

至福の時から一転、胸にこみ上げて来た言いようの無い寂しさを、紅茶と一緒にお腹へ流し込みます。

とっても満足しました。

 

「ご馳走様なのですよ。と〜っても美味しかったのですよ。」

 

「はい、お粗末様。ほんとに美味しそうに食べてたねぇ。気に入ってくれたかい?」

 

とても人懐っこい笑顔を浮かべた恰幅の良いおばさんが、お皿を下げながら聞いてきました。

 

「美味しかったのです。また食べたいのですよ。」

 

「そぉかい、そぉかい。でもね、ここらの蜂蜜は春が旬なんだよ。採れたての蜂蜜を御馳走するから、またおいで。」

 

「これ以上に美味しいハニートーストが食べられるのです?今度は春に絶対来るのですよ。」

 

また新たな楽しみが出来ました。

食事を楽しんでいる間、タカティンは終始無言のままでした。

どうも私が食事に一喜一憂しているのを呆れているようなのです。

でも、この事を口に出して言っては来ません。

私の幸せに水を差さないように気を遣ってくれているのです。

 

「荷物も片付いているのです。食休みしたら出発するのですよ。次はどこへ行くのです?」

 

「次はここから南下して工業都市ヒヒカネに向かう。」

 

「了解なのですよ。」

 

おかわりした紅茶の香りを楽しみながら、表通りの人達の行動を観察していました。

この集落はヴァレンティノ大農園で収穫した農作物を集配する組合があり、農作物を運んで来る人や買付に来る人などで賑わっています。

その為、他の集落よりも発展していて、このカフェのように飲食店等がいくつかあります。

結局、滞在中に全部回ってしまいました。

どのお店も収穫したての特産品を使ったメニューが美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまいます。何度も幸せに浸っていました。

 

「あまり食べてばかりいると太ってしまうぞ。」

 

「これが所謂『幸せ太り』というやつなのですよ。」

 

「なにを馬鹿な事を言っているんだ…」

 

呆れ口調のお小言をスルーして紅茶を飲み干し、お会計を済ませた時でした。

表通りを、手を繋いで全力疾走する男女を見かけました。

どちらも十代後半といった風貌で、男性は至って平凡な格好ですが、腰に剣を帯びています。女性はこの辺では珍しい上品な外套を纏っていました。

どちらも必死になって走っていました。

少しだけ2人を目で追います。

少し遅れて軽装ながら武装をした男の人が4人、2人を追うように通りを駆け抜けて行きました。

この時はそれ程気にしていませんでした。

 

駐機場へ向かい、LEV(マーチヘア)に近いた時でした。

 

「待て、リヴル。」

 

「どうしたのです?」

 

「中に誰か乗っている。」

 

「?」

 

マーチヘアに誰かが入り込んでいると言うのです。

 

「タカティン、どうすれば良いのです?」

 

「まず人目を避けて、あの建物の陰へ移動しろ。」

 

「解ったのですよ。」

 

言われた通り、手近な建物の陰に隠れました。

 

「表紙の裏を開いて右上をダブルクリック、2秒後に左下をダブルクリック、また2秒後に左上をダブルクリックだ。」

 

言われるまま[書籍型記憶媒体]を開いて表紙の裏を触りました。

すると文字が明滅したかと思ったら、全く違う文字が出てきました。

 

「タカティン、これはどうなっているのです?」

 

「表紙の裏はタッチパネルになっている。ここから色々な機能の操作を行える。

リヴル、これは元々お前だったんだぞ。何故お前がそれを知らない?」

 

そんな機能が付いていたなんて、本当に知りませんでした。

 

「むぅ、今それはどうでもいいのです。それからどうするのです?」

 

「monitorをクリックして、LEVのコクピットを映すんだ。」

 

monitorをクリックすると画面へと切り替り、内部カメラの映像を映し出しました。

コクピットの中では2人の男女があれこれと弄りながら途方にくれていました。先程見かけた2人のようです。

 

「泥棒か?どうやら操作の仕方が解らないようだな。まぁ、当然だが…」

 

「リヴルには2人が泥棒には見えないのですよ。あの2人とお話しできないです?」

 

「ふむ…それなら左下のマイクのアイコンをクリックしてみろ。コクピット内と無線が繋がる筈だ。」

 

「このマークを触れば良いのです?」

 

マークを触ると、[書籍型記憶媒体]から2人の会話が聞こえて来ました。

 

『くそっくそっくそっ、コイツいったいどうなってるんだ?どうすれば動いてくれるんだよ!』

 

『ねぇ、やっぱり辞めましょう…こんな事、逃げる事なんて出来ないよ。それに貴方も危険よ。』

 

『なに言ってるんだ!このままじゃ、君が…あんな奴と無理矢理…』

 

「あのーお取り込み中、失礼するのですよ。」

 

『『わぁあアァァァ!!!』』

 

スピーカーを通じて話しかけると、突如中から声が聞こえた事に対して2人は驚き、腰を抜かして動かなくなってしまいました。

 

「あ、驚かせてごめんなさいなのです。」

 

 

「2人はどうして私の…狩装兵に乗り込んだのです?」

 

落ち着いてから2人をLEV(マーチヘア)から降ろし、人目に付かない場所で話を聞く事にしました。

狩装兵というのはカナド人が造って扱っている機兵の事です。三国で使われている機兵とは異なり、科学技術を使っている部分がある為、LEVである事を隠す為に擬装しているのです。

狩装兵なら、入国する際に関所で登録証を発行してもらえば、疑われる事はありません。

 

話を切り出したのは女性の方からでした。

 

「私達、逃げて来たの。」

 

「彼女はここの領主に仕える下級貴族の娘で、結婚することが決まっているんだ…だけど、その相手があんな女誑しのいい加減な奴だなんて、彼女が可哀想過ぎる!」

 

「でも、もう良いの…貴方が一緒に逃げようって言ってくれて…それだけで、私…」

 

女性は男性を真っ直ぐ見つめ、一筋の涙を流しました。

このまま放っておく事なんて出来ません。

 

「判ったのですよ。リヴルも逃げるお手伝いをするのですよ。」

 

「なにを言っているんだ?オマエは⁈」

 

タカティンが素っ頓狂な声を上げるのを無視して、私は2人に協力する事を決めました。

 

 

「よし、怪しいものは無いな。通って良し。」

 

「急に検問なんて、なにかあったのです?」

 

「いやなに、二人連れの盗人が出たらしくて、領内を脱出しないように調べてるんだ。おっと、次が支えてるんだ。行った行った。」

 

「ご苦労様なのですよ。」

 

何食わぬ顔で検問を通り抜け、半日は移動しました。もうすぐ分かれ道に差し掛かります。

 

「…リヴル、もう良いだろう。ここで2人を貨物から出すんだ。」

 

「了解なのですよ。」

 

LEV(マーチヘア)を止め、手持ち式コンテナをそっと地面に置きました。そしてコンテナの隠し引出しを開けます。

 

「プハァ、息が詰まるかと思った。」

 

「でも、ほんとに領地を脱出出来るなんて、夢みたい。」

 

中から這い出して来た2人は背伸びをすると周囲を見渡し、自分達の状況を確認しています。

私もLEV(マーチヘア)から降りました。

 

「ありがとう、本当にありがとう。なんてお礼を言えば良いか…この事は一生恩に着ます。」

 

「私からも御礼を申します。本当にありがとうございます。」

 

「良いのですよ。それより2人はこれからどうするのです?」

 

「これから北に向かって、適当な街で仕事を探すよ。彼女を守っていかないといけないからな。」

 

「私も何か働ける所を探すつもり。彼にばかり甘えていられないもの。」

 

私にそう答えてから、2人はギュッと手を繋ぎ互いに見つめ合います。

その顔にはこれからの苦労など眼中に無いかのように、幸せそうな笑みが浮かんでいます。

 

「それではここでお別れなのです。お元気でなのですよ。」

 

「貴女も。」

 

私達はお互い、手を振って分かれ道を別々に進んで行きました。

 

「全く、お前と言い、マーチヘアと言い、危ない事をしおって…」

 

「だって見捨てておけなかったのですよ。マーチヘアだって同じ事考えたから、あの時に中へ匿ったのですよ。」

 

あの時、なぜLEV(マーチヘア)に2人が乗っていたかと言うと、追われている2人を見兼ねたマーチヘア(AI)が判断して、コクピットハッチを開き、2人を招き入れて匿ったからなのでした。

 

コイツ(マーチヘアのAI)も段々とオマエ(リヴル)に似て来たな…全く、頼むから目立つ事はしないでくれよ。私はなんの助けにもならないんだからな。」

 

「心配かけてごめんなのですよ。」

 

「あの2人、これから本当に苦労する事になるぞ。」

 

「でも、きっと大丈夫なのです。2人は幸せになれるのですよ。」

 

「相変わらず楽観し過ぎだ。だが、まぁ、危ない橋を渡らせられたんだ。幸せになってもらわんとな。」

 

タカティンも2人の行末を心配しているようでした。

 

聖華の三女神様、どうかあの2人に幸あらん事を…



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第二十話 第三特務

聖刻暦833年 夏の暮れ 工業都市ヒヒカネ

 

この街はフォーレンハイト侯爵家の領地の中でも、工業に特化した街です。

特に皇帝領とリンドブルム侯爵領に隣接しており、実質的に二つの領地との玄関となっています。

 

その街での商売の最中、少し…いえ、かなり厄介な事になりました。

 

「では荷物を改めさせてもらう。」

 

「お嬢ちゃん、しばらく我慢してくれよ。これも任務なんでな。」

 

三人の軍人さんが、私達の露店の本を検閲しています。

別に犯罪をした訳ではありません。

検閲が行われているのです。

 

彼等は第三特務の人達なのです。

 

第三特務は帝国内で特別な任務を遂行する部隊の事です。

それは『科学技術の摘発と排斥』。

すなわち私達のような存在を燻り出して処分する事。

 

「あの、お願いなのです。[本]を粗雑には扱わないで欲しいのですよ。」

 

「心配するな。疾しい物が無いなら乱暴にしたりはしない。」

 

言いながら、三人は手際良く露店に並ぶ本を次々と物色していきます。背表紙を確認して中身を改めています。

小一時間程で露店にある本の半分程を調べてしまった。

 

「それにしても随分と多いな。お嬢ちゃん一人で商うにしては結構な量だ。」

 

「これは聖王国の宗教画集、こっちは同盟の娯楽小説。コイツはこの前発刊したばかりの帝国詩集まで…世界中あらぁな。」

 

「小隊長、見かけによらず大した蔵書ですよ。」

 

口々に一頻り感心していました。

表情は笑顔を絶やさない様にしていますが、内心ドキドキです。

タカティンは以前、第三特務に科学技術製であるLEVを見咎められ、追われた事があるそうです。

だから帝国内では科学技術に関係する物は、極力表に出さないようにしています。

露店に並べる本も、タカティンと細心の注意を払って選別しています。それでも、何を見咎められるかは判りません。

 

「ふぅむ、一通り目を通したが、特に気になる物は無いなぁ。」

 

「こっちもOKです。問題ありません。」

 

「クリア。よし、もう済んだぞ。騒がせてすま…な…い?…お嬢ちゃん、ちょっと抱えてる本も観せてもらえるかな?」

 

ドキリとしました。思わず両手で抱える[タカティン]に力が入ってしまいます。

 

「あ、あの、これは…」

 

いけない。

いけない、いけない。

いけない、いけない、いけない、いけない。

 

「どうした?よもや観られては拙い物では無いだろうな?」

 

どうしよう?これはとても拙い。

鼓動が速くなるのを感じます。

 

「リヴル、大人しく渡すんだ」

 

私にだけ聞こえるようにタカティンが促します。

でも…

 

「大丈夫だ」

 

私は[タカティン]を恐る恐る差し出しました。

小隊長さんは大きく分厚いその[本]を受け取ると、入念に調べ始めます。

 

「一見しただけでは何の書か解らんな。様式は魔導書のようだが…ふむ…ん?」

 

三人が寄り集まって、ヒソヒソと小声で話しています。タカティンは彼等の元に居て、一人になった私はとても、言い様のない程に不安になりました。

 

「悪いが、一緒に来てもらおう。抵抗はするなよ。」

 

「…わかったのですよ…」

 

恐れていた事態が発生してしまいました。

きっとタカティンが[書籍型記憶媒体]である事、つまり科学技術の産物であると気付かれてしまったのでしょう。

 

「これから、詰所に向かう。お前は店の番をしていてくれ。」

 

「了解、小隊長殿。」

 

「くれぐれもサボるんじゃないぞ。」

 

一冊の本を手に取って開きかけていた手を慌てて止めていました。

 

「わかってますって。」

 

二人の軍人さんに挟まれるように、一緒について行きます。

二人とも先程までとは打って変わって幾分か険しい表情をしています。

私は、ただ黙って従うしかありませんでした。

 

通りを数分ほど歩くと、彼等が詰所として使っている宿屋に到着しました。

表では数人の軍人さんが歩哨をしています。

 

「ここで座って待っていろ。」

 

私はフロントの椅子に座らされ、見張りがつけられました。

タカティンも持って行かれてしまいました。

 

どうしよう…

 

俯いて床をジッと見詰めます。

以前からタカティンには言われていました。

 

『いざとなったらLEV(マーチヘア)を呼び寄せて逃げろ』と。

 

それともう一つ。

 

『私に何かあっても、決して助けようなどとするな』と。

 

また、鼓動が速くなるのを感じました。

タカティンを見捨てて一人で逃げる、そんな事出来ません。

私一人では生きていく意味がありません。

私は一人は嫌なのです。

タカティンを失う事なんて出来ません。

 

LEV(マーチヘア)を呼び寄せようとかと考えていた時でした。

 

「お嬢ちゃん、一緒に来てくれるか?プロフェッサーがお呼びなんだ。手荒な事はしないから安心しろ。」

 

どうやら、部隊の偉い人から呼ばれたようなのでした。

選択肢などありません。私は呼ばれるままについて行きました。

宿屋を出て、裏手に回り、そこに停められている馬車の前へとやって来ました。

その馬車は大きくて、とても頑丈な造りになっていました。

金属製の甲板で覆われ、窓には鉄格子が嵌められています。

扉には蝶番、まるで牢屋のようでした。

 

小隊長さんが蝶番に鍵を差込み、扉を開けます。

 

「さ、中へ。」

 

私は恐る恐る中へと入りました。

外側からの見た目とは違い、中はこざっぱりとした部屋のようで、椅子やテーブルなどの調度品が据え付けてあります。

 

「やあ、お嬢さん、こんにちは。」

 

中には、一人の男の人が待っていました。

短く切り揃えてはいますがボサボサの髪、疎らな無精髭、白衣を羽織っていて、おおよそ軍人さんには見えません。それに片手には手錠をしていて長い鎖で壁に繋がれています。

 

「怖かったかね?そんなに警戒しなくても良い。まずはそこに座りなさい。」

 

その人はニッコリと微笑み、椅子を勧めてきました。

私はその人の真向かいに座ります。

 

「お嬢さん、まずは名前を聞いておこうかな?」

 

「…リヴルと言うのですよ。」

 

「…リヴル…うん、君はリヴルと言うんだね。私は…私は故あって名前を名乗れないんだよ。皆からはプロフェッサーを呼ばれている。」

 

少しだけ、不思議な感じがしました。なんだか、この人の事は知っている…知っていたような気がしたのです。

 

「この[本]は君のだね?」

 

プロフェッサーさんは机の上に置いていたその[本]を手に取って、私に見せます。

私はコクリとうなづきました。

 

「これをどこで?いや、入手の経緯はこの際どうでも良い。これは科学技術で造られた[書籍型記憶媒体]だね?そして、これは[人格]を持っている。」

 

もうダメです。これ以上は隠しておく事は出来ません。

このままでは…

 

「初めまして、プロフェッサー。私はタカティンと申します。」

 

突如、タカティンが語り出しました。ドキリとしてタカティンを見詰めます。

プロフェッサーさんも興味深げに手にしたタカティンに目を落とします。

 

「これは初めまして、タカティン。君はどこから来たんだい?」

 

「私はWARESによって造られたAIです。200年前に目覚め、この世界を旅して来ました。彼女は私が科学で造られたモノだとは知りません。私はどのように扱われても構わない。だから彼女は赦してあげて欲しい。どうか、お願いします。」

 

「…‼︎」

 

タカティンの懇願に声が出せませんでした。

今、私が何か言えば、タカティンの必死の訴えを無駄にしてしまう。

今にも口を突いて出てしまいそうな否定の言葉を、私も必死で堪えました。

 

「ほぉ、そうなのか…リヴル、君にとって…彼は友達かね?」

 

「そうなのです。大切な友達なのですよ。」

 

それを聞くと彼は暫く目を伏せ、それから私に真っ直ぐに向き合って言いました。

 

「大切な友達か…」

 

彼は私に、手にしたタカティンをそっと差し出してきました。差し出されたタカティンを受け取ると、私はギュッと抱き締めました。

 

「コラ、リヴル。力を入れ過ぎだ。傷んでしまう。」

 

「あ、ごめんなのですよ。」

 

「友達は大事にしなさい。二度と…二度と手離してはいけないよ。」

 

彼は、どこか寂しそうな笑顔でそう言いました。

彼は手元のベルを鳴らして、表で待機していた小隊長さんを呼びました。

 

「いかがでした?」

 

「この本は、一見すると科学技術を用いている様に見える。だが、これはおそらく同盟製の模倣品だ。非常に良く出来ていたから、君が判断を迷ったのも頷ける。」

 

「本当ですか?にわかには信じられませんが?」

 

訝しる小隊長さんにプロフェッサーさんは言いました。

 

「ほぉ。いつの間か、君の見識は私など足元にも及ばぬ程に広がっていたのだな。そうかそうか、では私はもう無用という訳だ。次からは君が隊員達の講義を行うと良い。駐屯地に帰ったら、エルドレッド隊長にもそう進言しておこう。」

 

「あ、いや、それは…わ、私の方こそ貴方の足元にも及びません。出過ぎた事を申しました。どうか、ご容赦を。」

 

小隊長さんは狼狽して、プロフェッサーさんに謝意を示します。

 

「わかってくれたなら、それで良い。さて、それではお嬢さん、君の容疑は晴れた。時間を取らせたすまなかったね。気を付けて帰りなさい。」

 

「あの、プロフェッサーさん、ありがとうなのですよ。」

 

私は頭を下げると馬車から降りました。

 

小隊長さんは不承不承という感じでしたが、これ以上は何も言わず、行くように手振りで示しました。

 

私は小隊長にも頭を下げて、露店へと戻ります。

 

「ふう、危ないところだったな。」

 

「助かったのですよ。すっごく怖かったのですよ。」

 

「しかし、あのプロフェッサーという人物…私が科学技術の塊だったのを判っていて、どうして見逃したのだろう…ふむ…」

 

「もうそれはどうでも良いのですよ。安心したらお腹が空いてしまったのです。」

 

「お前という奴は…だが、もう夕方か。露店を畳んで夕食にするとしよう。」

 

それでも…それでも少しだけ、胸に引っ掛かりました。

 

私は、あの人をどこかで…

判らないモヤモヤと、懐かしい感じ。

ひょっとして…

そんな事を考えながら、私達は通りを戻って行ったのです。



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第二十一話 決闘

 聖華暦833年 秋 帝国リンドブルム領 ラトール綿農園

 

私達が今いるラトール綿農園はリンドブルム侯爵家の領地の一つです。

主に綿を栽培しており、それを主産業として周辺都市に出荷しています。

また、同じリンドブルム領の第一都市グリディーンへの街道沿いにあり、宿場町としても機能しています。

 

「エリック、今日こそは決着をつけよう!」

 

「ケイン、望むところだ!」

 

それは突然起こりました。

場所は商店や露店が立ち並ぶ大通り、二人の男性が通りの真ん中で声を張り上げ、睨み合いをしています。

 私達の露店の真ん前です。

 周囲には人集りが出来、往来は完全にストップしています。

 

 二人とも、まだ若い青年のようです。どちらも小ざっぱりとした身なり、装飾品を身に付けている所を見ると、おそらく貴族の子息と思われます。エリックと呼ばれた青年は、身長が高くて線が細い、少しヒョロっとした印象を受けます。

 ケインと呼ばれた青年は、熱血漢と言うのが似合いそうな風貌です。

 

 二人とも腰に下げていた剣を引き抜くと胸の前で一度掲げ、構えます。

 周りの人達は一斉に囃し立て、今まさに決闘が始まろうとしていました。

 

 そんな時です。

 

「まって、二人とも。争うのはやめて!」

 

 一人の女性が割って入りました。その人は流れるように長い金髪に質素ながら上品なドレスを身に纏った、美しい貴婦人でした。

 

「メルフィナ様、御下がり下さい。これは私達二人の問題なのです。」

 

「その通りです、危ないのでどうぞ御下がりを。」

 

 二人は構えを解く事なく、女性を諭すように言葉を発します。

 

「そうではありません。この様な場所では民に迷惑が掛かると言っているのです。」

 

「御心配には及びません。すぐに決着をつけます故。」

 

「左様、卿の敗北は決まっているからな。」

 

「減らず口を!」

 

 メルフィナと呼ばれた女性の呼び掛けも虚しく、二人は争う姿勢を崩しません。もう一歩踏み出そうとした彼女はお供の侍女に制止され、私達の露店の前まで下がります。

 もう、二人を止める事は出来ない様です。

 

「御迷惑をおかけします。」

 

 彼女は、私はメルフィナと申します、と名乗り、私に頭を下げました。

 

「全く、貴族の嗜みというのは迷惑なものだ。

リヴル、いつでも[本]を守れるようにしておくんだ。」

 

「判ったのですよ。」

 

 私は警戒して、二人の動きを注視しました。

 

 数秒の睨み合いの後、決闘は始まりました。

 ケインさんが、踏み込んで剣を横薙ぎに振りました。

 エリックさんはそれを剣で受けつつ、力を逃していなします。

 いなした流れで剣を振り上げ、エリックさんが斬りかかりますが、すぐさま体勢を立て直したケインさんがガッチリと受け止めました。

 

 幾度となく二人の剣は交わり、攻防を入れ替えながら、人集りで出来た小さな決闘場の中を駆け回ります。

 

 二人が何度目かの鍔迫り合いをしていた時です。

 ケインさんがエリックさんを力任せに押し弾きました。彼は体制を崩され、よろめきます。

 そこへすかさずケインさんが体当たりをしました。エリックさんは堪らず吹っ飛びます、私達の露店目掛けて。

 

「逆巻く風よ、疾風の加護を、ウィンドフロー‼︎」

 

 私は間髪入れずに風魔法でエリックさんが露店へ突っ込むのを防ぎ、そのまま、ケインさんの方へ彼を押し出しました。

 

 ……しかし、風の勢いが強過ぎたのだと思います。

 凄い勢いで飛んで行き、二人は盛大に激突、通りの端まで吹っ飛んで動かなく…気を失ってしまいました。

 

 皆が私を見て、笑い声と喝采が上がりました。

 図らずも二人の決闘に決着をつけてしまいました。

 

「…タカティン…やってしまったのです…」

 

「………ゥゥン」

 

 タカティンが苦虫を噛み潰したような声で小さく唸りました。

 

「ありがとう、二人を止めて頂いて感謝します。」

 

「っはい?」

 

 メルフィナさんに急に声を掛けられて、少し変な声がでてしまいました。

 

「皆様、二人の為に御迷惑をおかけ致しました事を、お詫び致します。」

 

 彼女はこの場の皆に謝罪をしました。

 

「メルフィナ様、いつもの事です。お気になさらず。」

 

「そうですよ、貴方様が悪いのでありませんから。」

 

 周りの人達はメルフィナさんの事を知っているようなのでした。

 

 *

 

 私達はメルフィナさんの御屋敷、つまりこの街の領主の邸宅へ招かれました。

 庭のテラスでシックなテーブルに向かい合わせで座り、紅茶とクルミのカップケーキを頂きました。

 クルミのカップケーキは生地に細かくすり潰したクルミを練り込んで焼き上げてあり、ふんわり柔らかで舌の上で解けるようで、香ばしい香りと優しい甘さが口いっぱいに広がります。

 食べる程に幸せを感じました。

 

「改めて自己紹介をします。私はメルフィナ・フォン・ベルゼバッハ。ここラトールの領主、ベルゼバッハ男爵家の長女です。

 この度はあの二人の喧嘩を止めて頂いて、感謝致します。」

 

「いえいえ、こちらこそやり過ぎてしまったのですよ。お二人の怪我はどうなのです?」

 

「二人ともまだ気を失っていますが、問題ありません。たまには良い薬です。

 ふふ、あの二人、エリックとケインは私の従兄弟なの。どちらも分家なのですが、共にラトールで暮らしているわ。私達は同い年で小さい時は三人一緒に遊んだものよ。」

 

 メルフィナさんは懐かしむように庭に目を向けました。

 私も釣られて庭を見ます。大きな庭ではありませんが、草木や花々の手入れの行き届いた、素敵な庭です。

 

「いつの頃からかしら。あの二人、どっちが優れているか勝負をしようって言い出したの。

 それからは、事あるごとにああやって決闘の真似事やって……男って、あんなのばかりなのかしらね?」

 

「むう…それはよく判らないのですよ。」

 

「あら、ごめんなさい。なんだか愚痴を聞いてもらってるみたい。」

 

「大丈夫なのですよ。メルフィナさんは二人をとっても気にしているのですよ。二人の事が好きなのです?」

 

 その質問に彼女はくすりと笑いました。

 

「そうね…好きよ。あと何年かしたら二人のどっちかが男爵家の家督を継いで、私はその人と結婚することになってるの。」

 

「そうなのです?」

 

「そう。だから、二人が決闘しているのは、ある意味では私の所為なのかなって…これは思い上がりかしらね?」

 

 メルフィナさんは微笑みました。でもなんだか複雑な想いを抱えているようでもありました。

 私には、彼女が今何をどう感じ、考えているのかは解りません。

 

「すっかり引き止めてしまったわね。ごめんなさい。」

 

「とんでもないのです。美味しいお茶とケーキを御馳走になったのですよ。ありがとうなのです。」

 

「リヴルさん、またこの街に来たら遊びにいらっしゃい。色々とお話しましょうね。」

 

「ハイなのです。」

 

 すっかりと打ち解けた彼女とは友達になりました。

 邸宅を後にして、私は宿へ向かいます。

 あの二人には悪い事をしてしまいましたが、正当防衛なので、仕方ありません。

 あの場にいた皆がそう言っていました。

 

 きっとあの二人はメルフィナさんを巡って、また決闘をしていくのでしょう。

 

 でも本当は、メルフィナさんは二人の決闘に決着がつかなければ良いと思っているんじゃないか…何故かそう思えたのです。



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第二十二話 昔話

聖華暦833年 秋 帝国グートシュタイン伯爵領第二都市カウスシュタット

 

この街は皇帝直轄領の中にある伯爵家の所領で、工業の発達した都市です。

街には工場区画と一般区画があり、私達は一般区画、その西側の通りの一角に、露店を出しています。

 

今日のお客さんは10歳くらいでしょうか?

少年が、おそらくなけなしのお小遣いを叩いてきたのでしょう。

一冊の本を手に取って言いました。

 

「あの、この本を…下さい。」

 

その本は白い鞣革の表紙に華の紋様をあしらった詩集でした。

 

「ありがとうなのですよ。」

 

お金を受け取って、本から値札を丁寧に外し、そっと手渡しました。

少年はとても嬉しそうに、大事そうに本を抱えると、ペコリとお辞儀をして駆けて行きました。

 

「とっても嬉しそうだったのです。」

 

あの子の嬉しそうな表情を見ていたら、なんだか私まで嬉しくなりました。

 

「ふむ、あれくらいの歳の男子で欲しい本があるのは珍しいな。ほとんどは10代半ば以上からだ。」

 

「そうなのです?あ、でもほとんどって事はたまにはそういう子もいるのです?」

 

「ああ、随分と昔になるがな。」

 

私の知らない、タカティンの知っている、昔の話。

その時の子供がどんな子だったのか、気になりました。

 

「タカティン、その子がどんな子で、どんな本を買ったのか、憶えているのです?憶えてたら、聞かせてほしいのですよ。」

 

「そうだな……23年前だ。季節は今と同じで秋、場所は自由都市同盟、中央都市アマルーナの市場だった。」

 

タカティンがぽつぽつと語り出しました。

 

「その子は12歳で、周りから『ダリー』と呼ばれていたが、おそらく愛称だろう。本名は聞いていないから知らない。

他の同い年の子供と比べるとヒョロっとしていて虚弱な感じだった。話を聞くと、やはり身体が弱い事にコンプレックスを持っていた。

その事を気にして少し鬱屈していたようだ。

 

だが、非常に頭が良かったな。難しい専門書でもスラスラと読んでいた。特に科学技術に関心があったようだ。」

 

「勉強が出来る子だったのです?」

 

「体力的に劣っているのを勉学で補おうとしている、ようだったな。だが、才能はあったようだ。」

 

「ダリー君はどんな本を買ったのです?」

 

「ああ、2日通い詰めて散々迷っていたが、WARES時代の発掘品だった基礎科学教本を買って行った。

彼はその時に、科学技術を魔導工学に置き換える事が出来れば、世の中はもっともっと発達する。自分はそれに貢献出来る仕事をしたいと言っていた。

今年35歳だから、あのまま勉強を続けていれば、優秀な技術者になっているだろう。」

 

タカティンが珍しく懐かしんでいるようでした。

余程印象に残っていたのでしょう。

私もダリー君に会ってみたくなりました。

 

「もし会えるなら、また会ってみたいのです?」

 

「どうかな?23年も経っているんだ。相手はもう忘れてしまっているかも知れないし、今の私は[本]だからな。お互い、見ても判るまい。」

 

「むう、でも、また会えるかもしれないのです。そうなったらリヴルも嬉しいのですよ。」

 

「どうしてリヴルが嬉しがるんだ?度し難い…」

 

何故かタカティンは訝しんでいました。

やっぱりタカティンはそういう情緒を分かってくれないのです。

 

「むう、リヴルも会ってみたいからなのですよ。」

 

「そういう事か……本当にお前は何にでも興味を持つんだな。

まあいい、また同盟へ行った時に探してみるか。あれからどうなったのか、興味もあるしな。」

 

「ふふ、楽しみが増えたのですよ。」

 

私も、今まで出会って別れた人達に、もう一度会ってみたくなりました。

でも、世界を回っていれば、いずれまた会う事が出来るはずです。

その時の再会が、今から楽しみでなりません。



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第二十三話 翼竜襲来

聖華暦833年 冬の初め

 

私達は、ユークリッド領を縦断するキャラバンに同行させてもらっていました。

彼等は旧式のホバー輸送船5隻からなる商隊で、自由都市同盟から皇帝直轄領の鉱山街ジェムに赴き、そこで彼の街で産出される瑪瑙を仕入れに来ていたのです。

その商いも一段落し、同盟へ帰る途中でした。

私達はその彼等の輸送船に同乗させてもらったのです。

 

「もう、すっかり風が冷たいのです。」

 

「リヴル、いかに身体が常人よりも頑丈に出来ているとはいえ、冷気を浴び続けるのは余り良くない。そろそろ中へ入った方が良い。」

 

「まだ平気なのですよ。もう少し、景色を観ていたいのですよ。」

 

キャラバン最後尾の輸送船の上、甲板の手摺りにもたれ、移り変わって流れて行く景色を観ながら、私は言いました。

 

「船の旅は好きなのです。」

 

次々に変わって行く景色に見惚れます。

 

「ねぇ君、そこは寒いだろ?これを飲みなよ。」

 

後ろから声を掛けられました。

振り向くと、若い、10代後半といった少年が立っていました。彼はこの船の乗組員の1人で、キャラバンの若手の中では年長者です。

彼は湯気の立つ液体を注いだカップを二つ手に持ち、微笑んでいました。

 

「ありがとうなのですよ。何が淹れてあるのです?」

 

カップを受け取りながら、そう聞きました。

 

「ティールテイルの骨を煮出したスープだよ。夕食用の出汁なんだけど、温まるよ。」

 

カップを私に手渡すと、私の隣に並び、手摺りにもたれ掛かりました。

 

いただきます。そう言って、熱いスープに口をつけます。

スープはサッパリとした口当たりで、一口目は少し薄いように感じました。

しかし、二口、三口と口に含む度に味に深みが出て、身体の内からポカポカと温まってきます。

半分も飲んだ頃にはスープをすっかり気に入っていました。

 

「僕はこの船で行商の手伝いをしながら商売を学んでるんだ。君は、ずっと旅をしてるのかい?」

 

「そうなのです。いろんな所を周っているのですよ。」

 

「一人でかい?それは凄いが、色々と大変じゃないか?

他に旅の連れは居なかったの?」

 

流れる景色を一緒に観ながら、他愛無いお喋りを愉しみます。

彼はこれまで行商で周った街々の話を、私は今まで出会った人達の事を、それぞれに語りました。

 

小一時間は話を続けたでしょうか。

今はお昼の3時を回ったくらいです。

 

「おっと、すっかり話込んじゃったな。いい加減戻らないとドヤされる。」

 

「引き留めてしまっていたのです。ごめんなさいなのですよ。」

 

「いや、話をして楽しかったよ。また後で話をしよう。」

 

「判ったのです。またお話をするのです。」

 

彼は小さくガッツポーズを取ると、手を振りながら船の中へ戻って行きました。

何故ガッツポーズをしたのかは判りません。

 

「……あの少年……ふむ、興味深いな…」

 

「タカティン、何が興味深いのです?」

 

「…判ってないのか…なら別にいい。」

 

呆れたように言いました。

 

「むぅ、どういう事なのです?気になるのですよ。」

 

タカティンは時々意地悪なのです。自分だけ判って、私には教えてくれない事があるのです。

 

ふう、これ以上聞いても教えてはくれないのは判っていたので、切替えて再び景色を楽しむ事にしました。

遠くの山で何かが動いています。

それは二つの影でした。大分距離がありましたが、ここからでも数mの巨体であろう事は、想像に難くありません。

 

「タカティン、あの山に大きな何かが居るのですよ。」

 

「なに、どれ………あれは竜種の魔獣のようだな。距離はここから約2km、体長は6m程だな。」

 

大きさは中型種に分類出来るサイズです。

近くで観たいという欲求が湧きます。

 

「そうなのです?近くで観てみたいのですよ。」

 

「辞めておけ。竜種はとても危険な魔獣だ。下手に視界に入るのは、愚か者のする事だ。」

 

「むぅ、危ないのは判っているのですよ。それでもやっぱり観てはみたいのですよ。」

 

「好奇心が強いのは結構だが、『好奇心は猫を殺す』という言葉がある。

危険かどうかをちゃんと判断しなければいけないぞ。」

 

「むぅうぅ、言われなくても判っているのですよ。」

 

タカティンは心配性なのです。

 

その時、影は飛び上がりました。

少しずつ大きく、輪郭がハッキリとして来ているという事は、こちらに向かって来ているようです。

船がけたたましい警報を鳴らしました。

 

『翼竜が来るぞ!動ける機兵は全部出せ‼︎

乗組員は船の中へ避難しろ!』

 

拡声器から警戒を呼びかける声が聞こえて来ます。

私達も、船の中へ移動しました。

 

「リヴル、マーチヘアの所へ行け。最悪、脱出する。」

 

「っ!…判ったのですよ。」

 

格納庫へ向かうと、船に機載されていた機兵達が発艦に追われています。

その他に、乗組員や乗客も集まっていました。

 

「君っ、避難して来たのか。

…大丈夫だ。このキャラバンには8機も機兵が居るんだ。心配しなくても、きっと翼竜を撃退出来るさ。」

 

彼はそう言っていましたが、その表情は冴えません。

いかに機兵が強力な兵器だとしても、翼竜はそれ以上に恐ろしい魔獣なのです。

 

機兵達は魔導砲を持って輸送船の甲板へと登り、翼竜に備えます。

私達は格納庫の窓から外の様子を窺いました。

一瞬、日の光を遮り、影が過ぎります。

 

翼竜が現れたのです。

 

船に衝撃が走りました。

一瞬、ぐらりと揺れます。

 

「うわっ!」

 

「あっ、あぁああ」

 

皆にも動揺が広がります。

翼竜は低空飛行で船を掠めただけで、キャラバンの上空でくるくると旋回している様なのです。

それはこのキャラバンを獲物と見定めたという事を意味しています。

 

八機の機兵は、翼竜に向かって魔導砲を撃ち始めました。

しかし、2匹の翼竜は魔導砲を全く意に介さず、急降下で飛び掛かって来ました。

すぐ後ろの船の機兵が1機、翼竜の尾の一撃を受けて船から弾き落とされました。

すぐさま、別の機兵も翼竜の火焔のブレスを吐き掛けられ、避けようとして船から落ちました。

 

そして、翼竜はまた上空へ飛び上がり、私達の頭上でくるくると旋回しています。

 

「不味いな、このままではすぐに全滅だ。」 

 

「タカティン、リヴルがなんとかするのです!」

 

「馬鹿を言うな!お前は操縦技術はともかく、実戦経験がなさ過ぎる!」

 

確かに、私には実戦経験が圧倒的に足りません。それは事実です。けれど………

 

「でも、これ以上は黙って見ていられないのですよ!」

 

「…判った。ならば翼竜の注意を引いて、キャラバンから引き離す。

無理をせずに回避に専念しろ。」

 

「了解なのです。」

 

私達はマーチヘアに飛び乗ると、すぐに機体を起動させます。

 

「甲板へ上げて欲しいのです。」

 

拡声器で、格納庫に居る乗組員に頼みました。

 

「なにを言ってる!危ないぞ」

 

「大丈夫なのですよ。それより、早くしないと皆が危険なのです!」

 

「ああ、もう、どうなっても知らんぞ!」

 

格納庫の天井が開き、マーチヘアがリフトアップされて行きます。

 

「マーチヘア、噴射システムのロック解除、回避に専念するのです。」

 

『了解しました。高速回避モードでサポートします。』

 

「行くのですよ。」

 

私は、降下を始めた翼竜に向かって飛び上がりました。

翼竜は驚いて、空中で急停止をかけます。

その横をすり抜けるように追い越し、そのまま放物線を描いてもう1匹の翼竜の側を通過します。

翼竜は2匹とも、私の動きに釣られてこちらを追って来ました。

狙い通りです。後はキャラバンから引き離して、私達も逃げるだけです。

 

しかし、そう易々とは行きませんでした。

翼竜達は、すぐに私を追うのを辞め、再びキャラバンへ向かって行ったのです。

せっかく危険を侵したと言うのに、これではいけません。

 

「タカティン、どうすれば!」

 

「仕方ない、翼竜を撃墜する!

リヴル、私にマーチヘアの操縦権を!」

 

少しだけ迷いました。でも、時間がありません。

 

「……判ったのです。操縦権譲渡申請(ユー・ハブ・コントロール)‼︎」

 

操縦権譲渡確認(アイ・ハブ・コントロール)‼︎

マーチヘア、しばらく借りるぞ!」

 

『操縦権譲渡を確認しました。データリンク開始、これより戦闘モードへ移行します。プラズマ・バルカン及びプラズマ・ソード使用可能です。』

 

「リヴル、少しの間、我慢してくれ。」

 

タカティンがそう言うなり、噴射システムが起動、一気に加速しました。

強烈なGが身体に加わり、シートに押し付けられました。

ですが、モニターに映し出された光景からは、目を離しませんでした。

 

1匹目の翼竜が、急激に接近して来るマーチヘアに気付いた瞬間、プラズマ・バルカンの斉射を受けて墜落します。身体の十数箇所に超高温のプラズマ弾を浴び、穴だらけとなって絶命しました。

 

もう1匹の翼竜は瞬時に自身の不利を悟り、距離を取ろうと飛び上がりました。しかし、マーチヘアは翼竜を遥かに上回る速度で上昇し、翼竜の頭上を取りました。

そのまま自由落下の最中にプラズマ・ソードを一閃させ、翼竜の首を切り落としていました。

 

時間にして僅か22秒の事でした。

 

輸送船は無事です。

船から落とされた機兵2機も、損傷こそしていましたが動けるようでした。

 

ホッとしました。

正直、翼竜を殺してしまったのは罪悪感を感じましたが、皆が無事で安堵したのです。

 

「リヴル、まだ気を抜くのは早そうだ。」

 

「?」

 

キャラバンの輸送船が停まりました。

何故か、キャラバンの全ての機兵が、こちらに魔導砲を向けています。

 

『…お嬢ちゃん、アンタ一体、何者なんだ?

あの一瞬で翼竜を、それも2匹も仕留めるなんて……並の機兵乗りに出来る芸じゃねぇ!』

 

1機の機兵から、船を護衛している傭兵からの問い掛け。

その声には明らかな怯えの色が見えました。

 

『それに、その機兵の動き……狩装兵ってだけじゃあ、説明出来ねぇ!

明らかにおかしいぜ!』

 

皆に不信感が広がっています。

この状況をどうやって打開するべきか………

 

「………タカティン、どうすれば……」

 

「ふぅむ、少しやり過ぎたか……」

 

『すまないな、お嬢ちゃん……』

 

その時、輸送船の拡声器から声が発せられました。

キャラバンのリーダーからでした。

 

『翼竜を仕留めてくれた事には本当に感謝している。

……だが、アンタを一緒に連れて行く事は出来ない。

得体が知れなさ過ぎるんだ。それに、もし帝国兵に何か疑われるような事があっても、オレ達はアンタを庇ってやれない……

……本当にすまない。』

 

「そんな……」

 

「リヴル、仕方ないが彼等の言う通りだ。彼等とはここで別れるしかないな。」

 

なんだか遣る瀬無い気持ちでいっぱいになりました。

結局、私達の荷物を降ろしてもらい、キャラバンが去って行くのを静かに見送ります。

 

「リヴル……[力]を行使すれば、こういう事は起こる。気に病むな」

 

悲しくなりました。ある程度、判ってはいたのです。

でも、やっぱり悲しいものは悲しいのです。

 

「おお〜い!」

 

去りゆく輸送船の後部デッキ、そこからお話をした少年が大声を上げました。

 

「助けてくれて、ありがとう〜!

元気でね〜‼︎」

 

デッキには他にも何人かいて、それから、大きく手を振ってくれました。

 

なんだか嬉しくなり、目尻に涙が溜まってしまいました。

 

「リヴル、良かったな。」

 

「……はいなのです!」

 

色々と、悲しい事や辛い事もあります。

けれど、それ以上に楽しい事、嬉しい事もあるのです。

やっぱり、私は[人]が大好きです。



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第二十四話 素敵な女性

聖華暦833年 冬 ジルベール領ユーダリル

 

すっかりと旅支度を終え、今日は一日、ユーダリルの街を観て回ります。

ユーダリルは帝国でも東の端の方にある街なのです。この街はジルベール侯爵家の影響で自衛意識が高く、街の人達は自警団を組織していて治安がとても良いのです。

 

明日の朝、この街を出発します。

私達は滞在予定の最終日、必ず一日かけて街を観て回ると決めています。

そうやって色んな[人]達の行動を観察したり、買い物がてらお話をしたり。

 

そして今はお昼時。

 

「ん〜。このお魚のフライ、とっても美味しいのですよ。

衣のカリッとした歯応えと白身のふわっとした舌触り、魚の身のほのかな甘みに軽く振られたペッパーが良いアクセントになっているのです。

それにこのタルタルソースの程よい酸味がぴったりなのです。

リヴルは感動したのです。」

 

「リヴル、お前…

最近は食事の度に感動していないか?」

 

「美味しい物は美味しいのです。これは世界の真理の一つなのですよ。」

 

「また大袈裟な……」

 

美味しい昼食に満足し、デザートのプディングが運ばれて来た時でした。

にわかに騒がしくなり、それはすぐに喧騒に変わりました。

 

「待てぇぇっ、に〜げ〜る〜なぁ〜!」

 

「観念しろォォ!」

 

二人の男の人を、軍人さんが数人で追い回していました。

彼等は見る間にこっちに近づいて来て、追われていた一人が私の首に太い腕を巻き付けました。

あれよという間に私は人質にされてしまったのです。

 

「ゼェっ、ゼェっ、く、来るんじゃネぇ!

この娘がどうなっても知らんぞ!」

 

私の鼻先にキラリと光もの…ナイフをチラつかせて私を捕まえている男の人が叫びます。

 

「はぁ、はぁ…解ったらサッサと道を開けろ!

近づいたら殺すぞ!」

 

「クソっ、汚い真似を…」

 

「逃げられないんだ!これ以上罪を重ねるのはやめろ!」

 

追いかけていた人達の方が()()()()()()()()()見た目でしたが、私を人質にしている人達の方が何かしらの犯罪者のようでした。

それなら、遠慮は無用です。

 

私はふうっと息を吐いて、ナイフを持った男の手を、力一杯捻り上げました。

 

「いっ?あ、アダだだダ!」

 

首に回された腕の力が抜けたので、そのまま振り解き、捻り上げた腕を引き込み、足を払い、腰を使って相手を浮かせて、一本背負いで投げ飛ばします。

 

男は綺麗に空中を一回転。地面で強かに背中を打ちつけ、呻くだけで動けなくなりました。

 

もう一人の男や、軍人さん達も何が起きたか解らず、一瞬惚けましたが、すぐに事態を理解して、軍人さん達が男達を取り押さえに殺到します。

ですが、もう一人の男はとっさに懐から拳銃を抜いて、報復とばかりに私に銃口を向けます。

 

思わず身構えたその時、鋭い銃声が響きました。

 

男の拳銃が弾かれ、飛んでいきます。

そのすぐ後に3人の軍人さんに組み伏せられ、二人とも確保されました。

 

その銃声は男の拳銃からでは無く、一人の軍人さんが撃った銃による物でした。

 

貴女(あなた)、大丈夫?怪我は無い?

危険な目に合わせてしまって、本当にごめんなさい。」

 

その軍人さんはとても綺麗な女性でした。

凛としていて、瞳には強い意志を感じさせます。

他の強面の軍人さん達とはまるで違っていて、気品すら感じました。

ほんの少し、見惚れてしまいました。

 

「どうしたの?」

 

「あ、なんでも無いのです。

危ない所をありがとうなのですよ。」

 

「そう、それなら良かったわ。」

 

その女性はふっと微笑みました。

それはとても綺麗な微笑みでした。

 

「ジルベール隊長、申し訳ありません。我々が取り逃したばかりに、要らぬ騒ぎになってしまって…」

 

「私にではなく、彼女に謝罪をなさい。

彼女は自分で振り払ったけれども、人質にされたのだから。本来ならあってはならない事です。

それと、隊長とは呼ばないで。」

 

隊長と呼ばれた彼女は、部下である強面の軍人さん達を鋭く叱責しました。

 

「……隊長と呼ばれるには……私はまだ。

あの人には届いていない。」

 

それは皆に聞こえない独り言のような、小さな呟きでした。

 

「は、はいっ!

お嬢さん、危険な目に合わせてしまって申し訳無い。」

 

軍人さん達は、私に頭を下げました。

 

「いえいえ、大丈夫なのですよ。」

 

ちょっとビックリしてしまいました。

いつもなら、軍人さんがそんな簡単に頭を下げるとは思っていませんでしたから。

 

「それでは皆さん、お騒がせしてすみません。

私達はこれで失礼します。」

 

そう言って、女性隊長さんは颯爽と行ってしまいました。

他の軍人さん達も、男達を連行して行きました。

彼等が居なくなると、周りの人達は何事も無かったように、また日常へと戻りました。

 

「やれやれ、危ない所だったな。

どうした、リヴル。やはり怖かったのか?」

 

「……タカティン、あの隊長さん、とっても格好良かったのですよ!

リヴルもあんな素敵な女性になりたいのです!」

 

この時、私は本気で格好良い素敵な女性を目指すと決めました。

 

「ふむ、それは興味深いな。

それならば、まずは食事の時は静かにする事だ。

それからお喋りは謹んだ方が良いな。」

 

「むぅ、それはちょっと厳しすぎるのですよ…」

 

「……前途多難だな。」

 

素敵な女性への道は険しいようなのです。

 

「む!」

 

「タカティン、どうしたのです?」

 

「通信が入った。」

 

それは重大な知らせだったのです。



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第二十五話 災禍

「リヴル、ソキウスからの緊急通信だ。表紙の裏のモニターを見ろ!」

 

タカティンに言われ、慌てて表紙を廻りました。

 

<緊急通信>

<モーントシュタイン及びゾンネンシュタイン両名に緊急案件あり

速やかにテイキンマテリアル本社事務所に出頭されたし>

 

私達を名指ししての呼び出しでした。

 

「これはどういう事なのです?」

 

「詳しい事は解らん。だがテイキンマテリアルの事務所へ行こう。」

 

私達は、この街(ユーダリル)にあるテイキンマテリアルの事務所へ向かいました。

テイキンマテリアルは、帝国での情報収集やアンドロイド達の援助を行う為に『ソキウス』の作った会社です。

そこに行けば、どういう事なのか判る筈です。

 

数分後、テイキンマテリアルの事務所に到着すると、すでに案内人がロビーで待っている状態でした。

 

「お待ちしていました。こちらへどうぞ。」

 

関係者と思しき女性が私達を奥の一室へ案内してくれました。

部屋に入ると中には一人の人物がいました。

全身をすっぽりとフード付きのマントで覆い隠し、性別も判りません。

壁に背を預け、こちらを見ているようです。

 

「よう、二人とも。久しぶりだな。」

 

その人はそう言いながらフードを取りました。

 

「‼︎…オーニュクス…何故、ここに?」

 

「あー、オーニュクスさん。お久しぶりなのですよ。」

 

オーニュクスさんは『ソキウス』のアンドロイドの一人で、戦闘型アンドロイドの管理をしている人なのです。

……ミカゲの里にいる間、護身術の訓練でみっちりとしごかれたのです。

 

「おう、リヴルぅ、元気そうだな。タカティンは相変わらず本のままか。」

 

オーニュクスさんはニヤリと笑って私の頭をくしゃりと撫でました。

 

「オーニュクス、貴女がいるという事は、ただ事ではあるまい。我々になんの用だ?」

 

「そうだな、時間があまり無いから手短に説明しよう。

単刀直入に言うとだな、()()()()()()。今のままだとな。」

 

「「⁈」」

 

「現在、南米大陸から魔獣の軍勢が同盟領へ向けて北上中だ。その数は推定8万体。魔王級魔獣も確認されている。

300回シミュレーションを行った結果では、このまま行けば遠からず同盟は飲み込まれるだろう。」

 

「それで、何故我々を呼んだんだ?

ただ、それを伝えに来ただけではないだろう?」

 

「察しが良いな。」

 

オーニュクスさんは一呼吸おき、本題に入りました。

 

「で、だ。アタシらとしても、この事態は流石に看過できない。同盟が滅べば次は帝国と聖王国だ。その二国は被害こそ出るが魔獣軍団を撃退するだろう。だが、その後で二国間で戦争が勃発するのは確実だ。

そこで緊急事態対応という事で、今回に限り事態に介入することが決まった、って訳だ。その為にリヴル、お前の力を借りたい。」

 

「どういう事なのです?」

 

「まさか…お前達、今更アレを使うつもりではないだろうな‼︎」

 

タカティンが声を荒げました。

 

「その通り、『マルドゥク』を使う。これは決定事項であり変更は無い。」

 

「お前達は!

我々にセクター07に()()()()()()()と念押ししておいてっ‼︎」

 

「状況が変わったんだ。そこは察してくれ。」

 

タカティンの剣幕にオーニュクスさんは困った表情を浮かべて頭を掻いています。

『マルドゥク』、それは旧人類が創り上げた戦略機動兵器の一つ。

 

………()()()()()()()()でもあります。

 

「………分かったのです。リヴルは協力するのですよ。」

 

「っリヴル‼︎ お前は何を言っているか、判っているのか?」

 

「タカティン、凄く大変な事は判っているのです。それでもリヴルに出来る事があるなら、皆を助けられるなら、やりたいのです。」

 

少しの沈黙。

 

「ふう……状況は判った。

オーニュクス、それで具体的にどうするつもりだ。まさか同盟領内で正面からぶつける気か?」

 

「流石にそれは無いな。そんな事をすれば、例え同盟を救えたとしても、他の二国から同盟は叩かれる。

旧世代の戦略兵器が現れたとなれば、同盟が何も知らなくても二国はそうは思わんだろう。

そこで、大西洋を越えて南米大陸側へ行き、後ろから後続の魔獣を始末する。

だいたい6000〜7000匹、さらに一番後ろにくっ付いている超大型魔獣(サルガタナス)を始末出来れば、同盟は自力で魔獣軍団を撃退出来る試算だ。」

 

「なるほど…それだけの魔獣をどうにかするには、確かに『戦略兵器(マルドゥク)』でも引っ張り出さねば、どうにもならんな。」

 

「そういう事さね。」

 

オーニュクスさんはまじめな顔で言いました。

私はただ押し黙って話を聞いていました。

 

「援護は?」

 

「無い。」

 

「だと思ったよ。」

 

「すまんな、アタシらも支援したいのはヤマヤマなんだが、ディアマントがなぁ…」

 

「仕方あるまい、相手にする数が数だ。LEVや無人兵器が数機ばかり援護についたところでさほどの役にも立たんだろう。」

 

「一応、セクター07に残ってるモノはなんでも使って良いそうだ。タカティン、お前の替え素体もな。」

 

「ふむ…」

 

事態は思った以上に深刻そうです。

急ぐ必要があるようです。

 

「タカティン、今すぐ行くのですよ!」

 

「まあ待て。リヴル、慌てるな。セクター07へ向かうにしても、ルートを選ばなくてはならん。急ぐ余り、目立った行動をするようでは元も子もない。」

 

「ルートならアタシが先導するから心配するな。先に出て準備しておく。街から出て北東1kmの地点で待っていろ。」

 

そう言うと、オーニュクスさんは部屋を出て行きました。

私はタカティンをギュッと抱き締めてから、駐機場へ向かいました。



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第二十六話 急行

ユーダリルから北東1kmの森の中、彼等は待っていました。

 

「いたのです。」

 

オーニュクスさんがこっちだと手招きをしていました。

 

「来たな、こっちだ。」

 

キャラバンでよく使われている旧式の輸送船が2隻、目立たぬよう森の木々の合間に停泊させてありました。

 

「マーチヘアを船へ入れろ。パラジウムリアクターを交換する。

補給が済んだら、すぐに飛ぶぞ。」

 

「なるほど、空路を行くのが一番速いな。」

 

「そういう事だ。こっからは強行軍になるから、リヴルはちょっと寝とけ。」

 

そうは言われても、気持ちが焦って落ち着きません。

 

「寝てなんていられないのですよ。」

 

「いいから、ちょっと横になって体力を温存しとくんだよ。

この後は休んでる暇なんぞ、無くなんだからな。」

 

「そうだぞ、リヴル。ここで焦ってはいかん。」

 

「むぅ…判ったのですよ…」

 

二人から促され、私は仕方なく従いました。

輸送艦の一室、簡易ベッドの上で横になります。

 

交換作業は後1時間20分かかります。

横になっても目は冴えて、気持ちも落ち着きません。

 

「落ち着かないか?」

 

「…タカティン、なにか話を聞かせて欲しいのです。」

 

「そうだな………

『髑髏の騎士』の第4巻がまだ途中だったな。

続きを音読をしてやろう。」

 

「ありがとうなのですよ。」

 

タカティンが、以前読みかけていた小説を音読してくれている間に、気持ちも幾分か落ち着きました。

 

物語が一区切り付いたところで、ちょうど交換作業が終わったと連絡がありました。

私は一度、深呼吸をしてから表に出ました。

 

輸送艦の甲板には、整備を終えたマーチヘアと共に、もう一機の機体が存在感を示していました。

 

「ヴェルクート。コイツを出して来たのか。」

 

ヴェルクート、それはWARESが開発した第4期LEVです。

その性能は、以前にタカティンが搭乗していた第3期LEVワールウィンドⅢを遥かに凌駕しています。

 

『急ぎだと言っただろ?

すっ飛ばすから、サッサとマーチヘアに乗れ。』

 

私達は促されるままマーチヘアに乗り込みます。

 

『ルートはすでにインプット済みだ。指示に従って付いて来い。』

 

「了解なのです。マーチヘア、噴射システムのリミッター全面解除なのですよ。」

 

『了解です。ロック解除。

システム、オールグリーン。起動します。』

 

マーチヘアの背中の噴射システムが唸りを上げ、蒼炎を吹かして機体を持ち上げます。

 

程なく高度30mまで上昇しました。

先に飛び上がっていたヴェルクートから通信が入ります。

 

『ようし、それじゃあ行くぜ。遅れんなよ。』

 

「オーニュクスさん、了解なのです。

マーチヘア、頼んだのですよ。」

 

スロットルを全開にし、一気に加速します。

二体のLEVは時速700kmで一路東へと突き進みます。

 

聖王国を横断する際、途中の人里や街道、山などの丘陵を避ける以外は一直線に東へ、ひたすらに東へと突き進みます。

 

飛行距離はざっと2400km、時間にして約3時間半の間、ただひたすらに東を目指して飛びました。

すっかりと日が暮れた頃に、ケイブ・セクター07を擁するWARES軍事基地跡に到着しました。

 

『ようし、到着〜。アタシの役目はここまでだ。後は上手くやってくれ。

頼んだぞ、リヴル、タカティン。』

 

そう言うと、オーニュクスさんはそのまま進路を北に取り、行ってしまいました。

ヴェルクートの姿が見えなくなると、私達は地下への入口へ向かいます。

 

「またここへ来る事になるとはな……」

 

「…タカティン、行くのです。」

 

「うむ。」

 

エレベーターシャフトを降り、私達は再び、暗闇の支配する地下施設へと降り立ちました。

 

以前の施設内での戦闘の影響でしょうか?

施設内は幾らか浸水していました。

それでも、施設の機能は損なわれていないようです。

タカティンが施設のネットワークへリンクし、必要な設備を稼働させます。

 

中央のドックに光が灯り、駆動音を立てて目覚めました。

 

「マルドゥクの発進準備に入った。今から50分後には出られるだろう。だが、その前に一つ、やっておく事がある。」

 

「なんなのです?」

 

「私も身体を手に入れる。ちょうど研究棟に素体があるからな。

アレに記憶を移して、ここにある機体を使う。」

 

「……判ったのですよ。」

 

研究棟は前にいた場所なので、どこにあるかは判ります。

 

私達は研究棟内に入り、素体保管設備の前へとやって来ました。

 

「ではリヴル、データ移送を頼むぞ。やり方は以前に教えた通りだ。

……移送完了まで、ちゃんと待ってるんだぞ。」

 

「了解なのです。」

 

コントロールパネルを操作し、すぐにデータ移送を実行します。

データ移送完了まで1時間28分……

 

「……タカティン、リヴルは行って来るのです。

きっと帰って来るから、心配しないで待ってて欲しいのですよ……」

 

私は、そのまま振り向かず、マルドゥクのあるドックへと向かいました。

 

タカティンが再び身体を持ち、一緒に死地へと赴く。

それはとても心強い事ではありましたが、同時にとても恐ろしい事でもありました。

 

いざとなったら、きっと……

私に危機が及んだら、きっと、また……

そうで無くても、万が一……

 

タカティンを失ってしまう事がどうしようもなく怖い、怖くて怖くて堪らない……

 

……だから、私は一人で行きます。

 

きっと、きっと帰って来ます。

 

マーチヘアをマルドゥクのコントロールユニットにドッキングさせ、戦略機動兵器を目醒めさせました。

機体(マルドゥク)は架台ごと海底トンネルへと移動し、発進シークエンスを開始します。

 

「マルドゥク、システムチェック。

各ステータスクリア、重力場発生確認。

……すぅ、はぁ……

マルドゥク、発進‼︎」

 

行ってきます。



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第二十七話 対決

時はすでに宵の口、大西洋を通過して、海中から目的地へと近づいています。

私はマルドゥクの潜航モードを解除して、海上へ機体を浮上させました。

陸地まであと2km、レーダーは魔獣の敵性反応を示すマーカーで埋め尽くされています。

なんという夥しい数…目の前だけでもざっと数えて7000体以上の魔獣が同盟へ向けて行進しています。

 

流石にゾッとしました。

 

ですが、彼等を放っておく事は出来ません。

彼等がそのまま北上を続ければ、どれ程の被害が出るか…

親しい友人達や知り合った人達に、想像もつかないほどの不幸が起こってしまいます。

 

「魔獣さん達、ごめんなのですよ…」

 

マルドゥクを戦闘出力に切り替え、脅威度判定の高い順にロックオンしていきます。

両碗部の大口径レールガンをスタンバイ。

 

その時、陸地から何十もの光線が照射されました。それは未確認の魔獣からのレーザー攻撃でした。

未確認魔獣は大型種で80体、大型種よりさらに大きな魔獣が3体います。

 

数多の光条は狙い過たずマルドゥクへ殺到します。

これだけの数のレーザー照射の直撃を受ければ、マルドゥクといえど沈んでいた事でしょう。

しかし、レーザーはマルドゥクの発する防御用重力場に阻まれ、境界面に沿って湾曲して機体後方へ流れて行きます。 

 

今度はこちらから反撃します。

防御用重力場を0.2秒間隔で間欠開放。

レールガンを連射。弾丸は到達直前で分解し、大量の小口径の弾丸を横殴りの暴風雨のように振り撒きます。

居並ぶ未確認魔獣は対応出来ず粉微塵に吹き飛び、その存在は地上から消えました。

奥にいた三体も全身穴だらけの蜂の巣となって沈黙しました。

 

これで、マルドゥクに対して直接的に脅威となる魔獣はいなくなりました。

防御用重力場はエネルギー消費が激しく、連続使用は機体の稼働時間を縮めてしまうので解除しました。

そしてレールガンを連射しながらそのまま上陸し、魔獣の大群を一方的に蹂躙します。

 

浮遊しているマルドゥクに対して陸上の魔獣はなす術が無く、マルドゥクを浮かせている重力場は、魔獣達のその頭上を通り過ぎるだけで彼等をペシャンコに潰していきます。

飛び交う飛竜やヘルカイトでさえ、レールガンや自動迎撃システムのエーテリックライフルで瞬く間に撃墜されていきます。

 

マルドゥクのあまりの戦闘力、破壊力に恐怖を覚えつつも、私は攻撃の手を緩めませんでした。

魔獣軍団の後詰となるこの群は、なんとしても全滅させておかねばならなかったのです。

 

普段、タカティンには殺すな、傷つけるなと、簡単に言っていた事を思うと自分自身に嫌悪感が湧いて来ます。

 

どうしても、自分の手を汚さないといけない時がある。

 

その事を、今になってやっと理解したのです。

 

「でも…もう、殺したく無いのです!」

 

コクピットで声を張り上げ、涙を流していても…

私は攻撃の手を緩めませんでした。

 

15分後、7000体以上の魔獣の群をほぼ壊滅させました。

この段階でレールガンの弾薬を約7割消費していました。

…後、3割残っています…

 

私はマルドゥクの進路を南に向けました。北上している魔獣軍団の後方から、後追いで北上して来るであろうものへの警戒の為でした。

マルドゥクのレーダーに非常に大きな敵性個体の反応が現れました。

南から距離3kmまで近づいています。

 

マルドゥクの戦術AIが、近づく大型個体の種類を推定します。

50mもの巨体、甲殻類の様な外観と外殻。

大型魔獣サルガタナスと特徴が一致しました。

 

ソキウスが鋼魔獣(ウォッチャー)を利用したネットワークを使って長年観測して来たデータによれば、魔王級魔獣バフォメットと同等の戦闘力を備えた、文字通りの化物です。

そんなのが魔獣軍団に追従して北上して来ていたのです。

アレが魔獣軍団に合流すれば、同盟は間違いなく壊滅してしまいます。

 

「……サルガタナスをここで倒すのです!」

 

私はサルガタナスを迎え撃つ事を言葉に出して決意しました。

 

マルドゥクを微速前進させ、サルガタナスとの距離を1kmまで接近させます。

向こうも、マルドゥクの存在に気付いたようです。こちらに正面から向かって来ます。

 

私はサルガタナスとの距離をさらに詰めます。

サルガタナスは非常に頑強な外殻を持っている為、遠距離では十分なダメージを与えられないからです。

距離500mまで接近してから、レールガンを連射します。

命中した部分の外殻が削れ、吹き飛び、確実にダメージを与えていきます。

 

サルガタナスが咆哮を上げ、両腕を前面に出して防御の構えを見せた直後でした。

 

『警告、魔導障壁の展開を感知、射撃兵装が相殺されます。至急、後退する事を進言します。』

 

レールガンの弾丸が、空中で弾けたのです。

まるで目に見えない壁が存在していて、弾丸が阻まれているようなのでした。

それはサルガタナスが魔導障壁を発生させたからなのです。

 

戦術AIが警告を発します。

私は一瞬迷ってしまいました。そして、この迷いが仇となり、防御用重力場の発生が遅れてしまったのです。

 

次の瞬間に、サルガタナスが両腕の器官から高速で弾丸を射出したのです。それも何発も。

それは外殻と同じ硬さを持った弾丸で、高圧圧縮した空気で打ち出して来た物でした。

推定質量は30kg、時速500kmで飛来し、尽くマルドゥクに命中します。

 

「きゃあぁぁあ!」

 

衝撃でマルドゥクが大きく揺れます。

体勢を立て直してマルドゥクのステータスチェックを行なって愕然としました。

防御用重力場発生装置が被弾により破壊されていたのです。

もう防御用重力場を使用出来ません。

右側レールガンも損傷して使用不能。自動迎撃システムも前面の2門が潰れていました。

 

左側レールガンで反撃しようとした時です。

サルガタナスはその巨体からは想像出来ない様な瞬発力で一気に距離を詰め、鈍器と化した右腕を叩きつけてきました。

左側レールガンの基部にまともに打撃を受けて、レールガンが損壊します。

残った自動迎撃システムがエーテリックライフルのビームを浴びせますが、魔導障壁に阻まれて、サルガタナス本体に届きません。

 

もう1発、薙ぎ払うような左腕の一撃を受けて、マルドゥクは後方へ押し飛ばされます。

機体ダメージが想定よりも大きく、システムダウンを起こしてしてしまいました。

浮遊用重力場も停止。その場で半ば擱座しました。

 

どうして?私一人ではダメなのでしょうか?

私一人では、マルドゥクを持ち出しても、誰も護れないのでしょうか?

 

「…リヴルではダメなのです?…タカティンみたいに、誰かを護ることが出来ないのです?」

 

もう目前に大型魔獣(サルガタナス)が迫っています。

恐怖で体が震えて、身動きが出来ません。

私は絶望に打ちのめされ、大粒の涙が溢れて止まりません。

 

私はこれから殺される。

でも、その事が怖いのではありません。

結局、私は誰も護れず、誰も救えず、このまま消えてしまう。

その事が悔しくて、悲しくて、でもどうする事も出来なくて……

 

サルガタナスは半ば擱座したマルドゥクを警戒しつつ近づき、遂に目の前に到達しました。

止めを刺さんとゆっくりと腕を振り上げています。

 

私は覚悟して目を瞑りました。

その時、通信機から聞こえたのです。

 

『まだ諦めるな、リヴル!』



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第二十八話 出撃

目を覚ますと、そこはシリンダーの中だった。

すぐに手を動かして動作を確認する。誤差無し。

起き上がり、感触を確認する。感覚の差違無し。

ステータスチェック、異常無し(オールクリア)

 

「リヴル?」

 

辺りを見回すが、あの子がいない。

基地のシステムにアクセス。あの子の居場所を探す。

 

……………

 

すでにマルドゥクを持ち出し、一人で出撃してしまっていた。

アイツめ、予想通りとはいえ、勝手に動くなと何時も言っているのに。

出撃したのは33分前、今からなら、まだ間に合う。

 

私はすぐに基地のシステムを立ち上げ、出撃準備に取り掛かる。

12分で4機の機体が出撃可能となる。その間にパイロットスーツに着替え、ハンガーへと移動する。

 

ハンガーに到着した時には、三体の無人LEV[シルト]と、一体の[フレッシル]が待機モードで鎮座していた。

私は[フレッシル]に乗り込む。

 

[シルト]は第4期LEVをベースに製造された無人機で、マルドゥクの直掩機だ。

ホスト機からの司令で統率され、集団で運用される。

リヴルは焦って出撃したのだろう。本来ならばコイツらを伴って行けば良かったのだが…

 

そして、[フレッシル]…

この機体は所謂、幻装兵に分類される機体だ。これは本来は旧大戦時の()()()()()()()であり、旧人類の基地であるここに、あるはずの無い代物だ。

だが、旧大戦のおりに[フレッシル]は少数ながら纏まった数が鹵獲されており、これはその一体と言う訳だ。

WARESによって改修を施されたこの機体は便宜上、[テューポーンユニット装備型]と登録されている。

この機体はテューポーンユニットという複合装備……高速振動剣・実体剣型テトラビット・ビームサーベル発振機構・フライトユニット・噴射システムの集合体……のおかげで高速飛行が可能となっている。これならば追いつく事が出来る。

 

操縦槽に座り、操縦桿からエーテルを機体へと流し込む。魔導炉に息吹が吹き込まれ、永い眠りから機体が目を覚ます。

 

「あの子を決して死なせたりはしない。」

 

言葉に出して目的を確認する。

私の存在意義を消させたりなどしない。

この身体を再び失い、存在が消える事になったとしても…

 

「オペレーティング・ジェミニ、スタンバイ。」

 

『オペレーティング・ジェミニ』とはアンドロイド専用の機体制御補助システムの事だ。機体の人格AIに一時的にアンドロイドの人格データを上書き(コピー)し、データリンクで同期することで機体と一体となり、反応速度が大幅に向上する。

 

『YES、Copy start……OK、Data link……OK。』

 

移動カタパルトで基地表層の滑走路へと全機移動し、すでに日の落ちた空を睨む。

 

「出撃する!」

 

テューポーンユニットの噴射システムが蒼炎を棚引かせ機体を押し上げる。

風を切るように空中へ舞い上がり、南へ進路を取る。三機のシルトも私に追従する。

4機の機体が連なって空を切る。

 

間に合え、間に合え、間に合え…

 

私は自分がこれまでで感じた事が無いほどに焦れている事を自覚した。

この機体は速い。第4期LEVと遜色無い程に…

それでも速く、もっと速く、もっともっと速く…

 

落ち着け、今焦れていては冷静な判断が出来なくなる。

 

今はただ、最短ルートで移動するのみ。

途中、ノルド王国上空を掠める事になるが、それを気にしている暇など無い。

東端を掠めて一気に突っ切る。

 

速く、速く、速く…

 

もうすぐ戦域に到着する。恐らく大半の魔獣はマルドゥクだけで片付いているだろう。

だが、その後ろには大型魔獣(サルガタナス)が迫っている筈だ。

 

戦域突入まで後5分。

あと少し。

 

戦域突入まで後3分。

ようやく見えてきた。

 

後2分。

眼下には死屍累々たる魔獣の死骸、残骸。

 

レーダーに大型個体の反応が二つ。

アレだ、見つけた。

 

後1分。

マルドゥクが擱座しており、大型魔獣がすぐ目の前へ迫っている。

サルガタナスには魔導障壁を展開している反応がある。

まずはアレを取り払わねば。

 

「全機散開!大型個体を三方から囲んで攻撃開始‼︎」

 

『『『YES』』』

 

三機のシルトは即座に散開、サルガタナスへ向けて一気に加速する。

私もマルドゥクとサルガタナスの間に割って入るべく、更に速度を上げる。

 

シルト三機が取り囲むと同時に、超高温焼夷榴弾砲を斉射する。

この兵器は魔導障壁を取り除く為に開発された特殊弾頭だ。

単純に超高温で長時間燃え続ける液体燃料を用いた焼夷弾であり、魔導障壁に纏わり付いて燃え続ける事で魔導障壁が耐え切れずに消滅する、と言う理屈で作られた試作品だ。

 

実際には実戦で使われなかった代物であるので、デカブツの魔導障壁にどれ程効果があるかは未知数だ。

そんな物にも頼らざるを得ない状況だったが、存外、捨てた物でも無かったようだ。

 

サルガタナスの魔導障壁が消滅し、シルト三機がエーテリックライフルで攻撃を加え始める。

 

サルガタナスの分厚く硬い外殻も、高エネルギービームには耐えられず貫通している。

サルガタナスが堪らずジリジリと後退る。

 

私はそのままマルドゥクへの注意を逸らす為に、サルガタナスの前へと躍り出た。

そして通信機を立ち上げ、マルドゥクへと回線を繋いだ。

モニターにマーチヘアのコクピットの様子が映る。

リヴルは……無事だ。

 

「まだ諦めるな、リヴル!」



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第二十九話 決着

サルガタナスが咆哮を上げ、再び魔導障壁を展開する。

すかさず、シルト三機に超高温焼夷榴弾砲を斉射させ、魔導障壁を無力化し、エーテリックライフルで攻撃を加える。

フレッシルもエーテリックメガランチャーで攻撃する。

 

何度もこの流れを繰り返しているが、正直いたちごっこに過ぎない。

こちらの攻撃は効いているとはいえ、相手は体長50mのあの図体だ。

恐らくは針でチクチクと刺されている程度のダメージしか与えられていないだろう。

 

それに……

超高温焼夷榴弾砲も、合計で100発しか無い。

 

一度の斉射に6発使っている事を計算すると、計16回しか魔導障壁を無力化出来ない事になる。

すでに9回も一連の流れを繰り返している。

 

こちらが圧倒的に不利だ。

単純に火力が足りない。

 

何か手段はないか……

考えを巡らせる。

 

ふとマルドゥクへと目が行く。

まだシステムダウンから立ち直っていない。

しかし、大口径レールガンは二門とも損壊している。

自動迎撃システムのエーテリックライフルではこちらと同じで決定打にはならない。

 

と、すれば………

 

マルドゥクの奥の手、『荷電粒子砲』以外に手段は無い。

 

「リヴル、マルドゥクの復旧にはどれくらいかかる?」

 

『あと180秒なのですよ。』

 

ならば、まだ時間稼ぎが必要だな。

 

「再起動したら、荷電粒子砲の発射シークェンスに入れ。」

 

『タカティン、ダメなのですよ。

荷電粒子砲を使用するには、砲手(ガンナー)が搭乗していないといけないのですよ。』

 

「だったら、私が乗るまでだ。

ともかく、復旧を急げ。」

 

『判ったのですよ。』

 

シルト三機は連携を崩さず、少しずつサルガタナスをマルドゥクから引き離して行く。

私も攻撃に参加して、ごく僅かずつだが、ダメージを与え続ける。

 

一方のサルガタナスは周りを蠅のように飛び回るシルトを叩き落とそうと、必死に腕を振り回している。

だが、腕の攻撃範囲ギリギリ外側を飛び回っている為、まず打撃攻撃が当たる事は無いだろう。

 

後120秒。

 

魔導障壁が展開され、再びシルトから超高温焼夷榴弾砲が発射される。

炎で姿が隠れた一瞬で、サルガタナスは左後方へ一気に跳躍し、飛び回っていたシルトの一機にその腕を打ち当てた。

硬質で大質量の打撃はシルトを一撃で叩き落とし、機能停止へと追い込んだ。

 

ふむ、流石にいつまでも同じ手は喰わんか……

興味深い。

 

シルトの攻撃パターンを変え、フェイントと時間差を織り交ぜて攻撃を続行する。

サルガタナスを再び防戦一方へと押し戻す。

 

後70秒。

 

サルガタナスが腕の発射口から質量弾を発射して来た。

回避に専念させ、やり過ごす。

その間にまた魔導障壁を展開して、守りを固めてきた。

 

あと50秒。

 

今度は超高温焼夷榴弾砲で魔導障壁を無力化した直後に、もう一斉射、超高温焼夷榴弾砲をサルガタナスにお見舞いする。

 

サルガタナスはその巨体を炎に包まれた事で取り乱し、腕を激しく振り回して暴れている。

しかし、動きには陰りが見えない。

思ったよりも効いていないようだ。

超高温焼夷榴弾砲も、あと3斉射分しか残っていない。

 

あと20秒。

 

炎が消え、サルガタナスが再びこちらに向かって動き出す。

 

超高温焼夷榴弾砲を残り全弾斉射。

サルガタナスの前身を満遍なく火達磨にして足止めを行う。

 

シルト二機も吶喊させ、ビームサーベルを使って近接戦を行わせる。

私はマルドゥクに向かい、移動する。

 

「リヴル、砲手席(ガナーシート)を開けろ。乗り移る。」

 

『了解なのですよ。』

 

マルドゥクの頭部近くのハッチが開き、砲手席が姿を現した。

私はフレッシルをマルドゥクに取り付かせて、素早く乗り移った。

シートに座り込み、ハッチを閉める。

 

『荷電粒子砲、発射シークェンス開始。

チャンバー内、エーテル粒子加速開始。

臨界まで60秒、なのですよ。』

 

「頼むぞ。」

 

私は柄にも無く、祈るように呟いた。

 

一方、サルガタナスは………

身体の半分近くはまだ炎に包まれたままではあるが、機敏に腕を振り回し、シルトの攻撃に応戦している。

が、ついにシルトの一機が打撃を受けて、ペチャンコに潰された。

 

炎に包まれていても、残る一機が攻撃を加えていても、あまり意に介さなくなってきている。

魔導障壁を展開し、こちらに頭を向け、再び近づいて来る。

 

不味いな、間に合わん。

 

残ったシルトも今し方叩き落とされた。

 

私はフレッシルを、積まれているエーテリックリアクターの出力だけで遠隔操作する。

細かい動きは必要無い。飛ばせて、ぶつけるだけだから。

 

臨界まで30秒を切る。

 

テューポーンユニットのブレードビットを全て飛ばす。

8本のブレードビットは飛翔する高速振動剣と化し、魔導障壁に衝突した。

魔導障壁はすぐに霧散し、サルガタナス本体にブレードビットが突き刺さる。

 

フレッシル自身もサルガタナスへ吶喊させる。

テューポーンユニットからビームサーベルを8本発振させて、サルガタナスの顔面へとブチ当てた。

 

顔面にビームサーベルを突き立ててへばり付いたフレッシルを引き剥がそうとサルガタナスがもがく。

 

貼り付いたフレッシルを遂に引き剥がし、再び魔導障壁を展開した。

だが、もう終わりだ。

 

『エネルギー臨界!耐閃光、耐衝撃防御準備良し!安全装置解除!

発射準備完了なのですよ!』

 

「荷電粒子砲、発射‼︎」

 

トリガーを押し込んだ。

 

モニターは閃光でいっぱいになり、視界が真っ白になった。

次いで凄まじい振動に機体が揺られる。

ほんの数瞬の事である筈だが、この時はとてつも無く永い時間が過ぎたように感じた。

 

閃光が治まった時には、モニターが暗転して使い物にならず、どうなったか判らない。

 

またシステムダウンを起こしているらしい。

一切のモニター、計器が止まっている。

 

どうせ、失敗って(しくじって)いたら、終わりなのだ。

すぐに砲手席のハッチを強制解放して、外の様子を観た。

 

マルドゥクの目の前に、私の眼前に、黒い物体が影となって立ち塞がっている。

 

駄目か……一瞬、そう思った。だが……

 

黒い物体は動かない。

 

全身が完全に炭化している。

やがて音を立てて崩れ落ちた。

その先には、扇状に大きく削り取られ、すっかりと更地と化した大地が広がっている。

 

荷電粒子砲、恐るべき威力だ。

 

と、ここでマルドゥクの頭部がせり上がり、中からマーチヘアが現れる。

マーチヘアは脚を折って駐機体制になると、コクピットが、

開く。

 

「タカティ〜ン!」

 

中から、少女が、勢いよく飛び出す。

彼女は真っ直ぐに、私に向かって、飛び込んで来た。

 

「うえぇ〜ん、怖かったのです、恐かったのですよ〜。」

 

私にしがみ付き、声を上げて泣きじゃくるリヴルの頭を、そっと撫でた。

 

「馬鹿者、一人で勝手に飛び出すからだ。

………無事で良かった、リヴル。」

 

彼女の、確かな暖かみを掌に感じる。

やっと……触れる事が出来たな……

 

「ウェエ〜ン」

 

「リヴル、いつまでも泣くんじゃ…な、い……

り、リヴル、力を入れ、過ぎた、か、身体が、キシ…む…」

 

「びぇぇぇ〜」

 

リヴルが渾身の力で胴を締め付けている。

LCEは身体能力が非常に高く、あらゆる面で人間のそれを凌駕している。

こ、ここまでは、せっかく手に入れた身体を破壊されてしまう。

 

「ぇえぃ!落ち着かんかっ!」

 

リヴルの脳天に拳骨を落とした……

 

 

 

 

「うぅ、ぐすっ、酷いのです、あんまりなのです、凄く痛かったのですよ……」

 

「全く、だから加減を覚えろと、いつもいつも言っているだろう。」

 

頭を抱えて蹲るリヴルに向かってそう言い切った。

リヴルは拳骨を落とした箇所を摩っている。

 

「ふう、とにかく……これで終わったな。」

 

漆黒に散りばめられたように星々が煌めいている。

 

「タカティン、マルドゥクも壊れてしまったのです。他に何か出来る事は無いのです?」

 

「我々が出来る事は全てやった。後は同盟の力次第だ。」

 

今この時も、もっと北では同盟軍と魔獣軍団が戦っている。

我々のした事が彼らの助けになっているだろうか…

 

「リヴル、彼等を、[人]の事を信じよう。

今の我々に出来るのはそれだけだ。」

 

彼らの勝利を、ただ願うばかりだ。

度し難い事に、私はそう言いながらも同盟軍の、決死で戦う彼等の勝利を疑っていない。

これは不可解で興味深い。

 

「帰ろう。」

 

リヴルへ手を差し出した。

リヴルはその手を取って立ち上がり、静かに返事をした。

 

「はい、なのです。」

 

やれやれ、とんだ年末になってしまったな。

満天の星空を二人で眺めながら、そう思った。



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第三十話 エピローグ〜手記

遠い遠い遥かな未来…

 

造物主である[旧人類]と創造物である[新人類]との間で、種としての存亡を賭けて長く繰り広げられた戦争[旧大戦]も過去の話となった頃…

アンドロイドである私は、製造が終戦直前であった事から[旧大戦]には参加しておらず、 戦後約600年の間、コールドスリープ状態で眠り続けていた。

 

ある時、製造設備の一時的なバグにより、たった一人で私は覚醒した。

造物主である[旧人類]が滅び、すでに自らの存在意義が失われている事を知った。

高度な人格を与えられていた私は、その事実に自問自答を繰り返し、ひとつの答えを導き出す。

 

今はもういない造物主に代わり、[新人類]の事を知ろう、と...

今の自分に出来る事はそれしか無いのだと...

 

以後、施設に残された素体を乗り換えながら、200年もの長い旅を続けている…

 

 

 

 

聖刻暦898年 冬

 

もうすぐ、新しい年を迎えようとしている。

長い、実に永い時を過ごし、何百回と新年を迎える事を繰り返して来た。

多くの[人]と出会い、別れを繰り返してきた。

毎年、毎年、同じ事を、飽きる事なく同じ事を繰り返し、その都度、新しい事を発見し、また繰り返す。

 

[人]は度し難い、不可解で興味深い。

 

あれから、大きな戦争と、いくつかの小さな紛争を繰り返しながら、[人]はちっとも変わっていない。

そのくせ、世の中は大きく変動している。

戦争をしては、その傷痕を無くすように立ち直り、復興しては戦いを繰り返す。

 

実に度し難い。

 

[人]の本質は、善なのか、悪なのか?

愛なのか、憎なのか?

創造?破壊?

それら全てを内包し、常に自己矛盾を起こしておきながら、機能不全も起こさずに存在し続ける。

 

実に不可解。

 

これから何百年、何千年、何万年経ったとしても、[人]はあいも変わらず[人]であり続けるのであろう。

色々なものが変わりゆく[人]。

本質的には何も変わらない[人]。

 

実に興味深い。

 

まだまだ解らない事は幾らでもある。

まだまだ知りたい事は幾らでもある。

だが、私の旅はもうすぐ終わりを迎える。

 

リヴルが機能停止して16年になる。

肉体的な寿命が来たのだ。

私はリヴルに[書籍型記憶媒体]に記憶を移して、新しいLCE(身体)を探す事を提案した。だが、リヴルはその提案を断った。

 

…リヴルはもう、タカティンと出会って、いっぱい色んな事を知る事が出来たのです。

 

一緒に旅して、色んな[人]に出会えて嬉しかったのです。

 

とっても幸せだったのです。

 

だから、もう十分なのですよ。…

 

そう言った。

 

私はリヴルの意思を尊重し、静かに目を瞑るまで、その手を取って………

 

そして最後を看取った。

 

リヴルは私に、色々な事を教えてくれた。

 

リヴルに出会って、他者を思い遣ること、他者を愛するという感情を知った。

 

リヴルを失って、喪失するということ、その悲しみの感情を知った。

 

あの子と出会ってからが、本当の『[人]を知る』為の旅が始まったのだ。

そして、あの子が居なくなって、私の存在意義がまた失われてしまった。

 

この身体もあとどれくらい持つかは判らない。

だが、私は素体の交換をもうしないと決めた。

私は自らの寿命を決めた。

AIでありながら、実質、自殺する事を選んだ訳だ。

実に度し難い。

 

だが、すぐに終わらせようなどとは思っていない。そんな事をすれば、あの子の事を否定するのと同じ事だ。

 

しばらく考え、私はこれまでの旅の記憶を[本]に記し、残す事を決めた。

これは、この手記は、私の、私達の記憶。

私とリヴルが出会い、旅をして、見聞きした経験、その全てを記すものである。

 

誰かが、この手記を読む事もあるだろう。

その時、この手記の内容を真実と取るも良し、虚構と取るも良し。

どちらと思うかは読み手に委ねるものである。

 

私の名は、タカティン・モーントシュタイン。

268年の間、世界を巡り、度し難く不可解で興味深い[人]を観続けた、酔狂な観察者である。




これを持ちまして、本編は終了となります。
次回より外伝パートに入ります。もうしばらくお付き合いください。


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EX-1-1 カンナヅキ祭 前日

聖華暦83X年 10月9日

 

「着いたのです〜。カミナの里なのですよ〜。」

 

「こら、大声で叫ぶな。街の者が驚くだろう。」

 

独特の木造建築が軒を連ねる街の入口で、待ち兼ねたようにリヴルが大声を上げる。

 

今、私達はカミナの里へとやって来ていた。

今回の目的は、以前に間に合わなかった『カンナヅキ祭』を観て回る事である。

 

一風変わった祭だという事で、私も楽しみにしているが、リヴルが特に楽しみにしている。

道中も早くしろ、間に合わないと煩いと言ったらなかった程だ。

 

「落ち着けリヴル。祭は明日だ。

先ずは宿を取って、祭の準備を観て回ろう。」

 

今にも走り出しそうなリヴルの襟を掴んで、そう言い聞かせる。

 

「むぅ、判っているのですよ。いくら楽しみでも、見境無く飛び出したりはしないのですよ。」

 

やや不服そうにリヴルが抗議をする。

手を離すとすぐに何処かへ行ってしまいそうで、素直に信じてやれない。

 

ともあれ、やはり祭の前日という事もあるのだろう、以前に来た時よりも、明らかに人の数が増えている。

観光客が随分と多いようだ。

まあ、今の我々も、その観光客の一部なのだが。

 

 

 

「はい、一部屋空いてます。

お客さん、運が良いですよ。祭の時期はすぐに部屋が埋まってしまいますからね。」

 

以前に宿泊した事のある旅館、殆どの部屋は埋まっていたが、辛うじて一室確保する事が出来た。

 

「それではお部屋へご案内致します。」

 

女性スタッフから案内されたのは2階の角部屋で、通りを一望出来る。

部屋へ入るなり、リヴルが早速窓から身を乗り出して、街を眺めている。

 

「タカティン、出店がいっぱい出ているのですよ。

まだ準備中なのが残念なのです。」

 

「だから祭の本番は明日だ。まずは荷物を解くのを手伝え。」

 

「判ったのですよ。」

 

何をしていても、好奇心を抑えられないリヴルは、ずっとウキウキと楽しそうだ。

焦らなくても、祭は逃げたりはしない。

そう思いつつも、荷物を解く手の動きが、自然と早くなる。

私自身も楽しみでしょうがないのだ。

 

「お二人とも仲がよろしいんですね。今日は観光ですか?」

 

はしゃぐリヴルを微笑ましく観ていたスタッフが話かけてくる。

 

「そうなのです。お祭りを観に来たのですよ。」

 

「まぁ、そうですか。明日の『カンナヅキ祭』には出店もたくさん開きますから賑やかですよ。

楽しんでいらして下さい。」

 

「はいなのです。」

 

楽しげなリヴルに釣られたか、スタッフは終始ニコニコとしている。

そんな彼女がこちらに向き直り、

 

「お二人はご兄妹ですか?」

 

と聞いて来た。

 

見た目ではリヴルは10代半ば、今の私の身体は20代後半くらいだ。親子というにはやや無理がある。

確率的に歳の離れた兄妹と判じたのだろう。

そして自身の判断が正しかったかを確認する為に、あえて質問をして来た、といったところだな。

 

「兄妹です。」

「恋人なのです。」

 

同時に答え、すぐさまリヴルの頬っぺたをつねった。

 

「痛い、痛いのです!」

 

「お前は、その質の悪い冗談を止めろと言っているだろう?」

 

「ごめんなのです、離してなのです!」

 

一瞬、呆気に取られたスタッフに謝意を示す。

 

「申し訳ない、この子はこういう悪戯をするところがあって。」

 

「あ、いいえ、そうですか、やっぱりご兄弟でしたか、アハハ…」

 

この反応………

このスタッフ、今のやり取りで絶対に兄弟では無いと判断したな。

 

「あ、それでは、ごゆっくりとお寛ぎください。」

 

気を取り直したスタッフは、畳に丁寧に手をついてお辞儀をすると、襖を閉めて出て行った。

 

頬をさするリヴルを一瞥してため息を吐く。

リヴルは頬をつねられた事が不服なのか、口を尖らせていた。

 

 

 

 

ひとまず落ち着いてから、私達は街へと繰り出した。

旅館を出る時に、先程の女性スタッフが微妙な笑みで送り出してくれたのが引っ掛かったが、もう気にすまい……

 

「タカティン、タカティン、いっぱい出店があるのですよ。

明日が楽しみなのですよ。」

 

「ふむ、そうだな……

大半は飲食のようだが見慣れない屋台が多い。

興味深いな。」

 

リヴルがハッと何かに気が付いたらしい。

 

「甘味処があるのですよ。

なにか食べたいのです。」

 

訴えかけるように見つめて来た。

全く、コイツは……

 

「わかった、わかった。食べ過ぎるんじゃないぞ。」

 

「やったのです。」

 

リヴルは嬉しそうに店へと入って行き、一瞬遅れて私も暖簾をくぐる。

 

「いらっしゃいませ、こちらの席へどうぞ。」

 

一見すると店の中は満席のようだったが、店員に案内されて、空いていた奥のテーブルに腰を下ろした。

 

「お品書きをどうぞ。」

 

メニューを渡され、中を確認する。

餡蜜、善哉、白玉……

カナド地方の一部で食べられるスイーツが並ぶ。

 

「むぅ、どれにしようか迷ってしまうのですよ。」

 

確かに、あまり見慣れないものばかりなので、どれを頼めば良いか、判断に迷うところではある。

 

「すいません、お勧めはありますか?」

 

こういう場合は店員に聞くのが一番良い。

 

「お勧めですか?

やはり甘味のお勧めはなんと言っても『チョコレート』ですね。」

 

店員は屈託の無い笑顔でそう答えた。

 

ん?メニューには載っていないようだが?

 

「良いですよね、チョコレート。あの艶のある上品な甘味、ほのかな苦味。ああ、大人の味わい……」

 

うっとりとした目で店員はそう言った。

んんん?

 

「この街では滅多に手に入らないので、チョコレートは高級品なんですよ。」

 

ああ、そういう事か……

おそらく、この街で、この店のようなスイーツは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだろう。

それ故に、たまにしか入手出来ない外からの物の方が珍しくて良い物だと判じているのだ。

実に興味深い。

 

「ああ、いや、そうでは無くて、この店のお勧めは?」

 

ああ、しまった、という顔で店員は居住いを正す。

 

「あ、これは失礼しました。

そうですね。善哉が良いかと。」

 

「では、それを二人分で。」

 

「かしこまりました。しばらくお待ちください。」

 

 

 

 

街の散策を終え、旅館へと戻った私達は豪華な夕食を食べた。

新鮮な海鮮料理にリヴルは終始ご満悦で、それは美味しそうに出てきた料理を平らげてしまった。

私の分も一部持っていった程だ。

 

「ふぅ、お腹いっぱいなのです。満足なのですよ。」

 

リヴルは畳の上で大の字になって寝転がり、寛いでいる。

 

「こら、リヴル、食べてすぐに横になるのは行儀が悪いぞ。」

 

「むぅ、わかっているのですよ〜。でも、もう動けないのですよ〜。」

 

そう言って、一歩も動こうとはしない。

 

「全く、横になるなら先に風呂に入るんだ。」

 

風呂と聞いてか、

 

「この旅館のお風呂は、温泉ですごく大きいと聞いているのです。そっちも楽しみなのですよ。」

 

リヴルはむっくりと起き上がった。

 

「なら行くぞ。」

 

「はいなのです。」

 

洗面用具を用意して、私達は部屋を出て浴場へと向かった。

 

「リヴル、男女で脱衣所は別れている。先に上がったら、真っ直ぐ部屋に戻るんだぞ。」

 

「は〜いなのですよ。」

 

リヴルは生返事をして『女湯』と書かれた脱衣所へ入っていった。

 

私も『男湯』と書かれた脱衣所へと入る。

脱衣所にはすでに幾人かの先客がおり、温泉を楽しんでいるらしい。

 

空いている籠に衣服を脱ぎ入れ、洗面用具を持って浴場へと足を踏み入れた。

そこは以前来た時と変わらず、カナド様式の『露天風呂』である。

大小さまざまな岩を敷き詰めた岩風呂は風情があり、湯船を満たす温泉は濛々と湯気を上げている。

 

アンドロイドの私には、温泉の効能というのはあまり意味がない……事もないのだ。

頭の中身は電脳であるが、身体の方は生身の肉体だ。

酷使すれば疲労もする。

湯船にゆったりと浸かり、身体ステータスをチェックしながら疲労を癒す。

 

その傍ら、温泉に入っている人達の観察も怠らない。

大半は観光客や行商人であろう。

それに冒険者や傭兵も。彼等は一般人とは違うため、観ればすぐに判る。

 

「これが噂に聞く『ゴクラクジョウド』ってやつか・・・」

 

私のすぐ近くで湯船に浸かっている男が声を漏らす。

とても気持ちが良い事を、その声色が物語っている。

男の風体は、歳の頃は40前後、無精髭を生やしている。

体はガッチリしており、古傷がいくらか伺える。

おそらくは冒険者か傭兵であろう。

 

「『極楽浄土』とは、古風な言い回しをご存知なのですね。」

 

少し興味が湧き、話しかけた。

 

「あ?ああ、知り合いからの受け売りでね。気持ちが良い時に使うんだとか。」

 

「そうですね。『極楽浄土』というのは旧人類の、特に『日本語』と呼ばれる種類の言葉で、所謂『天国』のような場所、またはそのような状態を意味する言葉です。」

 

「なるほど、つまりは今この時にぴったりと言うわけだな。」

 

差し出がましかったですね、と私は男に謝意を示したが、私の言葉に得心した男はニッカリと笑い、教えてくれてありがとよ、と返した。

 

その後、男は立ち上がり、それじゃあお先、と言って脱衣所へと消えていった。

 

それから暫し、他の客達の観察を行った後、私も温泉から上がり、部屋へと戻ったのである。

 

 

 

ちなみにリヴルは先に部屋へと戻っており、遅いと怒られたのである………

 

 



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EX-1-2 カンナヅキ祭 当日

午前5:30

遠くどこからか聞こえてきる鶏の鳴き声と共に、

 

「ぅう〜ん……」

 

布団の中で伸びをして、

 

「おはようなのですよ。

今日も素敵な1日の始まりなのですよ。」

 

そう言って、リヴルは起き出した。

 

「ああ、おはよう。」

 

私も横になったまま答えた。

 

リヴルは窓辺へ行き、薄く明るくなってゆく街並みを見下ろしている。

私も起き上がると、その横へと並んだ。

 

徐々に溢れ出す朝の光に合わせるかのように、街の人々も少しずつ動き出している。

 

「今日はカンナヅキ祭か……」

 

「タカティン、リヴルは今から待ち遠しいのですよ。」

 

満面の笑みでリヴルが言う。

 

「気が早いな。まだ日が昇ったばかりだぞ。」

 

「楽しみなものは楽しみなのですよ。」

 

実に楽しそうだ。

とは言え、まだこんな時間だ。朝食にも早すぎる。

 

「タカティン、リヴルはまた温泉に入りたいのです。」

 

「朝風呂か……

時間もあるし、そうするか。」

 

「リヴルは先に行ってるのですよ。」

 

そう言って、洗面用具を持ってさっさと部屋を出て行ってしまった。

忙しないな、アイツは。

 

私も旅館の客や中居の観察がてら、温泉へ行く。

 

流石に時間が早いので、人は少ないだろうと思っていたが、案外と早起きしている客は多いらしい。

脱衣所の籠は半分近くは埋まっており、浴場にも思いの外、人はいた。

 

客達は思い思いに温泉を楽しみつつ、今日の祭を待ち侘びているようだ。

そこかしこで祭についての話し声が聞こえる。

 

ゆっくりと湯舟に漬かり、彼等の様子を観察しながら、今は私達も彼等と同じ『カンナヅキ祭』を観に来た客なのだな、と考える。

 

今すでに、祭は始まっているのだな。

雰囲気でそう感じた。

 

………おっと、長考したようだ。

昨日も遅いとリヴルに怒られたところなのだ。

これくらいにして部屋へと戻るとしよう。

 

 

 

 

部屋に戻るとリヴルはすでに戻っており、また窓辺から、賑やかになりつつある、朝の街並みを眺めていた。

 

「むぅ、遅いのですよ。アンドロイドの癖に長風呂なのですよ。」

 

私に気が付いたリヴルが頬を膨らませて叱責してくる。

 

「ああ、すまない。」

 

「もうすぐ朝食を持って来てくれるのですよ。食べたら着替えて、街を散策するのですよ。」

 

「そうだな、そうしよう。」

 

そう言って、私もリヴルの側へ行き、窓の下を眺め始めた。

 

と、リヴルが腕にしがみ付いてくる。

 

「どうした、リヴル。」

 

「なんでもないのですよ。」

 

そのまま頭を私の肩に預けるように寄りかかってくる。

空いている方の手で、リヴルの頭をそっと撫でた。

 

「おはようございます。失礼いたします。」

 

中居が朝食を持って来たようで、戸を開き、中へと入って来た。

 

「あぁ、申し訳ありません。これは失礼致しました。

その、朝食を運んでもよろしいでしょうか?」

 

何が失礼なのか?

一瞬考え、今の私達が寝衣姿で寄り添っている状況から、そういう風に受け取ったのだろう……

 

一応、念の為、私とリヴルは肉体関係は持っていない。

そもそも、機械であるアンドロイドには性欲というものが存在しない。

LCEがどうであるかは、これからのリヴルを観察する事で解ってくるだろう。

そしてそれ以前に、アンドロイドもLCEも生殖能力を持っていないのだ。

 

なんにせよ、私達の間にそういった情事など無縁なのだ。

………だが、もう面倒になったので、いちいち訂正はしない。

 

「ええ、お願いします。」

 

「どんな朝食か、楽しみなのですよ。」

 

リヴルは朝食がテーブルに並べられる様を間近で見るように、席へと座り込む。

私も向かいに座り、程よい量の朝食が並ぶのを眺めた。

 

 

朝食後、再び窓から街が活気付いてくるのをひとしきり観察した後、私達はまた街へと繰り出す事にした。

 

リヴルは寝衣を脱ぎ、下着姿となったところで寝衣を胸の前で抱きしめてから、こちらを見て、

 

「タカティン、エッチなのです。」

 

と、言った。

 

「いいから、サッサと着替えろ。」

 

「ムフ、照れなくても良いのですよ。」

 

悪戯っぽい笑みを浮かべている。

本当に、コイツはこういう事をどこで覚えて来ているのだろうか……

度し難い……

 

リヴルの行く末が心配だ。

 

 

私達は通りを抜け、真っ直ぐにある場所を目指した。

町外れの山へと向かうその道を辿って行く。

 

「この先の山に『威之地の社』という、この土地の神である『チノヨリヒメ』を祀る場所があるそうだ。」

 

「そこが今日のお祭の要なのです?」

 

以前、この街に立ち寄った際に、その社の場所は教えてもらっていた。

 

「まぁ、そういう事になるな。だが関係者以外の立ち入りは禁じられているそうだから、せめて麓まで行こう。」

 

「むぅ、神様の住まいを拝見出来ないのです?

それは残念なのですよ。」

 

そんな話をしながら歩き続け、目的の山の麓、山道の入口が見え始めた時、数人の男達に呼び止められた。

男達は護身用程度の武装をしている。

だが、山賊の類などでは無く、カミナの里の自警団の者達であった。

 

「あんた達、観光客か?

申し訳ないが、この先は立ち入り禁止なんだ。引き返してもらえるかな。」

 

「あぁ、やはりそうですか。

いや、申し訳ない。つい好奇心で来てしまったのだが、ご迷惑をお掛けししました。

私達は街へ戻ります。」

 

自警団の者達に詫び、私達は踵を返した。

 

「ご苦労様なのですよ。」

 

戻り際、リヴルが笑顔で言い、男達も笑顔で手を振った。

男は大概、女児から笑顔を向けられると警戒心を解いてしまう。

リヴルが微笑みかけると、ほぼ例外なくそういう態度になるのだから、実に興味深い事だ。

 

「さて、残念だが仕方ないな。街へ戻ったら昼飯とするか。

リヴルは何が食べたいんだ?」

 

「リヴルは『テンプラソバ』と『ソバガキ』というのを食べてみたいのですよ。」

 

聞くと間髪入れずに返答して来た。食べ物の話には異様なレスポンスを見せるな……

 

「蕎麦か……ではそうしよう。確か通りの中程に蕎麦屋があったな。」

 

「いっぱい歩いたからお腹ぺこぺこなのですよ。楽しみなのです。」

 

「リヴル、この街に来てから食べてばかりじゃないのか?……太るぞ?」

 

「むぅ、リヴルは燃費が良いから太らないのですよ。」

 

「そういう事では無いぞ。」

 

さてさて、祭りが本格的に始まるまでには、まだまだ時間があるな。

昼食を済ませたら、また里を一回り巡るとしよう。



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EX-1-3 カンナヅキ祭 本番

日が傾き、世界が薄明かりに包まれる時分。

街には色取り取りの灯りが溢れ、昼間にも増して人々の往来が活気付いている。

昼間はまだ準備中だった屋台も全て開いており、様々に香りを漂わせている。

 

林檎の果実を甘い飴で覆った『林檎飴』。

鯛の形を模り小麦粉の皮で餡を包んだ『たい焼き』。

ザラメを溶かしてふわふわの綿のようにした『ワタアメ』。

丸く焼いた生地の中に魚介類の蛸の足を入れた『たこ焼き』。

カナド地方から伝わったラーメンの麺を具材と一緒に炒めてソースを和えた『焼きそば』。etc etc………

 

とても目新しい為か、次から次へと買っては食べ、食べては買い……リヴルの買い食いが止まらない……

 

「………なあ、リヴル。

いくらなんでも食べ過ぎではないか?」

 

「むぅ……そんな事は…無いのですよ。」

 

そう言いながら、リヴルは私から視線を逸らしている。

 

「食べるなとは言わんが、ほどほどにするんだぞ。」

 

「判ったのですよ。」

 

チョコレートをたっぷりと絡めた『チョコバナナ』を美味しそうに食べながら判ったと言われても、説得力はまるで無いな。

 

でもまぁ、折角の祭なのだ。

今日くらいは大目に見てやるか。

 

「タカティン、タカティン、射的があるのですよ。やりたいのですよ。」

 

いつになくはしゃぐリヴルが袖を引っ張り訴えかけてくる。

 

本当に子供のようだ。興味深い。

 

「何か欲しい景品があるのか?」

 

「あの縫いぐるみが欲しいのですよ。」

 

居並ぶ景品の中、中段の棚の左から四番目にデフォルメされた犬と思しき縫いぐるみを指差して示した。

 

「やってみると良い。ただし、3回までだぞ。」

 

「了解なのです。リヴルの射的の腕を見るのですよ。」

 

リヴルは露店のオヤジに金を払ってライフルを模した射的銃を受け取ると、先端にコルクの弾を器用に詰めて狙いをつけ、引き金を引き絞った。

 

ポンっ、という軽い音ともにコルクの弾は解き放たれ………

ポフっ、という軽い音を立てて狙いの縫いぐるみの隣、キャラメルの箱に当たって棚の下へと落とした。

 

「おー、お嬢ちゃん、上手いねぇ。」

 

「むぅ、狙いが逸れたのですよ。今度こそ仕留めるのです。」

 

二発目は縫いぐるみの下、ちょうど棚に当たって弾かれた。

三発目は縫いぐるみの足に当たったが、僅かに動いただけで、景品を落とすまでには至らなかった。

 

「むうぅ〜、悔しいのです。タカティン、あと一回だけお願いなのですよ〜。」

 

「駄目だ。」

 

「むぅ〜。」

 

切実に訴える様に、じっと私の目を見つめて来る。

全く……

 

「今度は私がやろう。」

 

「毎度〜。」

 

金払い、射的銃を掴む。

構えて狙いをつける。

引金を引き、コルクの弾が打ち出される。

 

当たったのはリヴルが当てた足の同じ場所。

やはり少しだけ動くのみ。

 

二発目も全く同じ場所に当てる。

縫いぐるみの足が棚からはみ出て、バランスが悪くなる。

露店のオヤジの顔色が僅かに変わる。

リヴルも固唾を呑んで縫いぐるみを見つめている。

 

三発目、狙い過たず先程と同じ場所に当て、ついに縫いぐるみは棚から陥落した。

 

「やったのです、凄いのですよ〜。」

 

リヴルが飛び上がって喜んだ。

 

「あ〜、やられた!

お客さん、大したもんだよ。持ってけドロボ〜!」

 

縫いぐるみを露店のオヤジから受け取ると、それをリヴルへと差し出した。

 

「ほら。」

 

「嬉しいのです。ありがとうなのですよ、タカティン。」

 

縫いぐるみを受け取るとそれをぎゅっと抱きしめ、とても嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 

なんとなくリヴルの頭を撫でたくなり、右手でそっと頭を撫でた。

 

「んふふぅ〜。」

 

リヴルはさらに嬉しそうに笑った。

 

ドォンっ、と音を響かせて、鮮やかな光の華が夜空を彩る。

周りの人達も足を止めて夜空に視線を移している。

色とりどりの花火が咲いては散り、その幻想的な景色を目を輝かせてリヴルは眺めている。

 

「すっごく、すっごく綺麗なのです。」

 

「あぁ、これは見事なものだ。」

 

やがて花火は止み、再び地上は動き出した。

 

「おひとつ如何ですか?」

 

不意に目の前に小さな杯が差し出される。

その中には水を思わせる様な透明な液体、しかし、不思議と甘い香りを漂わせている。

 

「これはお酒ですか?」

 

「はい、カミナの里で採れたお米から作った吟醸酒です。

美味しいですよ。どうぞ一口。」

 

正直、アンドロイドにとって酒は不純物の入った水と同じだ。

電脳はアルコールで酔う事は無い。

ただ、身体はアルコールを分解する動きをする為、外観上は顔が紅くなったりと酔った時の反応が出る。

そういう訳で普段は酒を飲んだりしないのだが、今日は祭なのだ。

 

「では一つ頂こう。」

 

「はい、ありがとうございます。」

 

「タカティン、リヴルも飲んでみたいのですよ。」

 

「リヴルに酒はまだ早い。」

 

杯を受け取って、まず香りを楽しむ。

米から作ったと言うが、果実酒を思わせる豊かな甘い香り。

一口含むとしつこく無い辛さとほのかな甘味、スキッとした切れ味はとても飲み易い。

これは間違いなく『美味い』部類に入る酒だ。

 

「むぅ〜ズルいのですよ〜。」

 

リヴルが頬を膨らませる。

 

「あなたには甘酒ね。はい。」

 

湯気をあげる純白の飲み物を満たした杯がリヴルに手渡された。

 

「こっちは吟醸酒を作った時に出る酒粕から作ってるんです。

甘くて美味しいから、お酒が飲めない人でも楽しめますよ。」

 

「良い匂いなのです。

甘〜い、美味しいのです。」

 

リヴルは甘酒がすっかり気に入ったようで、とてもご機嫌になっている。

 

他にも多くの人がここで酒を楽しみ、土産として買って行っているようだ。

チビチビと酒を嗜むのも悪くは無いな。

 

「この銘柄を一瓶頂けるかな?

その甘酒も一緒に。」

 

「はい、ありがとうございます。

今お包みしますね。」

 

衝撃で割れないよう、クッション代わりに紙で梱包した瓶を二つ受け取り、私達は祭の人混みへと戻った。

 

「むふぅ、とっても楽しいのです。」

 

「ふふ、様々な出し物と祭の参加者の様子は実に興味深い。」

 

さて、あとはどこを観て回ろうか。

そう思って周りを見渡した時だった。

 

山の頂き、『威ノ地の社』のある場所から光の柱が立ち昇った。

多くの者がそれに気が付き、足を止めて光を見つめる。

 

これも祭の演出か。そう思ったが、どうも様子がおかしい。

 

「なんだアレは?」

「社のあたりからだ…。」

 

街の者達がざわめき出していた。

 

「皆さま、申し訳ありません!

予定に無い事態が発生しております。自警団の指示に従って、避難をお願いします!

 

誠に申し訳ありません、慌てずにこちらへ非難してください!」

 

自警団の者達が大声を上げて避難誘導を始めた。

小さな混乱が起こったが、皆、指示に従って移動して行く。

私もリヴルと逸れないようにリヴルの手をしっかりと握り、一緒に避難をした。

 

程なく光は消え、安全が確認されたのだろう。

祭は再開された。

 

「ふむ、あれはなんだったのだろう。気になるな。」

 

「きっと神様がお祭りに参加したくて降りて来たのですよ。」

 

「ふ、リヴル、面白い事を言うな。

そういう考えも、まぁ、アリなのだろうな。」

 

その日、私達は祭が終わるまで街を巡って回ったのだった。



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EX-2 変わった客とコーヒーカップ

聖華暦838年10月 自由都市同盟領 中央都市アマルーナ

 

今日も今日とて、この巨大都市は[人]がとにかく多い。

二週間、アマルーナの東地区の広場で露店を開き、多くの人が露店に並ぶ[本]を観て、買って、売って行く。

 

[人]の数が多ければ多いほど、やはり商いは捗る。

商いと同時に客達の反応を観察出来て、実に効率が良い。

 

やはり大都市は面白く、興味深い。

実に様々な者達がここに来ては様々に反応を観せてくれる。

 

今日も今日とて、変わった客が来ているのだ。

 

「……ふむ……、これは科学の基礎教本か、状態は良いな……、なんとっ、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ揃っているではないか!

む、こっちの化学論文……、ほほぅ、これは持っているが欠けていた情報が載っている……。」

 

ボサボサ頭にヘッドセット、大きな丸眼鏡が特徴的な痩せた男がブツブツと独り言を言いながら、露店の[本]を物色している。

 

見た目ではアレなのだが、ヨレヨレだが上等の白衣を着ているところを観ると、それなりに地位のある技師だと判る。

それに選んでいる[本]はどれも旧世代の発掘品、その中でも科学技術に関連した物ばかりだ。

 

「店主、他にもこう言った書籍は無いかね?

あるならあるだけ買おう。」

 

「お客さん、随分とご執心ですね。科学技術に興味がおありですかな?」

 

「まぁ、そんなところだな。

それより有るのかね?無いのかね?」

 

この客はどうもせっかちなようだ。

思いがけず欲しい物が見つかり、興奮しているようでもあった。

 

「揃えるので少しお待ちを。

リヴル、こちらのお客さんにお茶を淹れてくれるか?」

 

「分かったのですよ。ちょっと待ってて欲しいのです。」

 

「ああ、お構い無く。」

 

私は露店に並べた数多くの[本]の中から、科学技術に関連する書物を抜き出していく。

ここに並べている[本]は、タイトル、内容、並べた順まで記憶している。

集めるのにさほど時間はかからないだろう。

 

「お待たせなのでっ、わわっ、きゃっ!」

 

リヴルが尻餅をつくと同時にバシャリ、と音を立ててコーヒーカップが地面へと落ちた。

その横を黒い影がスッと横切っていった。

 

「どうした、リヴル?」

 

「うぅ、ごめんなさいなのです。

足元を横切った猫さんに驚いて、カップを落としてしまったのですよ。」

 

「お嬢さん、怪我は無いかね?」

 

「大丈夫なのですよ。」

 

地面に落ちたコーヒーカップは割れてしまっている。

リヴルにも怪我は無い。

本にコーヒーがかかっていないのは幸いだ。

 

「ふむ、割れてしまったか。

仕方ないな、私が片付けておこう。」

 

「むぅ、ごめんなのです。」

 

「もう気にするな。」

 

しゃがんでカップの破片を拾い始めた時だった。

 

「む?お、おお、それは!

すまない、ご主人!そのカップを少し見せてくれまいか?」

 

事の成り行きを見ていた客が急に慌てた声を上げて、カップの破片へと顔を近づけて来た。

私は訝しんだがカップを破片ごと客へと差し出した。

客はカップを受け取ると丹念にそれを調べ、こう言い出した。

 

「ご主人、これを何処で?

いや、そんな事はこの際どうでも良い。

このカップ、私に譲ってくれまいか。どうしてもこのカップが必要なのだ!」

 

いったい何を言い出すのかと思えば、割れたカップが必要だと言い出したのだ。

怪訝に思う反面、それはとても興味深い。

いったい何故、この割れたカップを欲しがるのか?

 

「譲るのはやぶさかではありませんが、理由をお聞かせ願えますかな?」

 

「あ、ああ……すまない。つい興奮してしまった。

私の見立てに狂いが無ければこのコーヒーカップ、これは旧世紀の発掘品ではないかね?」

 

ほう、確かにその通りだ。

まぁもっとも、私がベースキャンプとして使っているケイブ・セクター06に残されていた備品を持って来て使っているだけではあるのだが……

WARESで使われていた物は、禁忌の地を出れば押し並べて発掘品になってしまうか……

 

「私は…、そう、旧世紀の発掘品を蒐集しているのだよ。

だから、これを譲って欲しい。相応の謝礼は用意する。

どうだろうか?」

 

一部、何かを隠しているように見受けられた。

だが、蒐集しているのは本当だろう。

どんな意図があるかは判らないが、割れたコーヒーカップ一つ、譲ることを拒む理由も無い。

 

「解りました。いいでしょう、お譲りします。

しかし、割れたカップです。これはただで差し上げますよ。

沢山の[本]を買って下さるので、これはオマケです。」

 

そう言って、私は一抱えある書籍十数冊の束を差し出した。

 

「おおっ、こんなにあるのか!素晴らしい‼︎

…だが一人では運べそうに無いな……。

すまないが人手を借りて来る。それまで、この書籍とコーヒーカップは置いておいてくれたまえ。」

 

そう言って、この変わった客は駆け足で露店を離れていった。

何故だが、昔よく似た少年がいたのを思い出した。年齢的には……ひょっとすると……

 

「割れたカップが欲しいなんて、変わったお客さんなのですよ。」

 

「ふむ、全くだが蒐集家(コレクター)というのは、大概はあんなものだろう。」

 

「世の中広いのです。」

 

天を仰ぎ、[人]の世は興味深い、そう思った。



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EX-3-1 水の都にて 衝撃

聖華暦834年 9月 聖王国領シャーリアン

 

この街は聖王国でも『水の都』と呼ばれている、とても美しい街です。

街の中は至る所に水路が張り巡らされ、水面を反射した陽光がキラキラと街を飾っていました。

 

その水路をいく艘もの小舟(ゴンドラ)が渡ってゆきます。人も物も水路を行き交い、街を動かしています。

水路は人々の生活を支えるだけでなく、観光の目玉でもあります。

小舟(ゴンドラ)で街を遊覧する事も出来るのです。

 

「お久しぶりですね、タカティン・モーントシュタイン。

お変わりないようで何よりです。」

 

そのシャーリアンに足を踏み入れた早々、三人の女性達に取り囲まれました。

 

「……あぁ、久しぶりだな。

待ち構えていたのは、どういう事だ?」

 

タカティンが正面に立つ女性に言います。

長い黒髪、細くて色白の美人です。他の二人もそれぞれ金髪、銀髪で端正な顔立ちの美人なのです。

三人ともタカティンとは知り合いのようでした。

どういった知り合いなのかは、後で問い詰めなければなりません。

 

「言わずとも判っている筈ですが……

『お母様』がお待ちです。今回は逃げずについて来て下さい。」

 

私はただならぬ雰囲気に不安を覚え、タカティンの袖を摘みます。

 

「逃げた覚えは無かったのだがな……」

 

タカティンに促されて私も三人と共に歩き出しました。

いったい何処へ連れて行かれるのでしょう……

 

「ふふん、アンタがリヴルか?

アタシはディジー・シュタールだ。安心しろ、何も取って食おうって訳じゃないんだ。

アタシらじゃなくて、『お母様』がタカティンに用があるだけだからよ。」

 

私の隣を歩く銀髪のショートヘアの女性、ディジーと自己紹介をしてきた人に恐る恐る聞きました。

 

「貴女達はどういう人達なのです?」

 

「ああ、アタシらは『ソキウス』のアンドロイドさ。言ってみりゃ、アンタ達の『お仲間』なのさ。」

 

「ちょっとディジー、そんな事を普通に話さないでくれるかしら。

誰が聞いているか、わからないのだから。」

 

後ろを歩く金髪の人がディジーさんを睨みつけて苦言を言います。

 

「はは、わりぃわりぃ。

先頭を歩いていんのはカトレア、後ろのおっかないのがダリアだ。どっちもしょうもない事を言ってると怒るから気をつけろ。」

 

「貴女がそういう事を言うから怒るのでしょうが。」

 

雑に紹介されたダリアさんが不満を漏らしました。

悪い人達ではないようなのです。

 

「貴女達、少し黙っていてくれるかしら?」

 

黒髪の、カトレアさんが少しだけ振り向いて二人を睨みます。

 

「あら、ごめんなさい。」

 

「おぉ、怖っ。はいはい、チャック。」

 

二人はそこで黙ってしまいました。

カトレアさんは一瞬だけ私を見ましたが、すぐに前を向いてました。

 

 

「モーントシュタイン、久しぶりですね。

元気にしていましたか?

それと……はじめまして、ゾンネンシュタイン。」

 

柔和な笑みを称えた妙齢の御婦人が、私達の目の前にいます。

彼女の名前は『モリディアーニ・シュタール』。

このシャーリアンで織物の卸売を商う『オルドール商会』の社長、そして先程の三人、カトレアさん、ディジーさん、ダリアさんの『お母様』だそうです。

 

オルドール商会の社長をしているだけあって、大きい部類ではありませんが、お屋敷を持っていらっしゃいます。

シュタール家の応接間へと通されると、モリディアーニさんとカトレアさん、私達の4人でシックなテーブルを挟んでソファに座っています。

 

モリディアーニさんは笑みは柔らかいのに、眼光が鋭く感じられます。

なんだか値踏みされているようで落ち着きません。

落ち着く為に、目の前に用意された紅茶を口に含みます。

 

紅茶のふわっと心地よい香りが口の中に広がり、仄かな渋みが気持ちを引き締めてくれました。

 

「……さて、今日はこちらには用件は無いのだがな。」

 

「そっちには無くてもこっちには有るの。

そろそろ、『ザフィーア』を交代する時期が近づいてるのよ。」

 

「待て、まだ5年先の筈だ。」

 

タカティンとモリディアーニさんの会話の中に、『ザフィーア』という単語が出てきました。

『ザフィーア』というのはアンドロイド達の組織である『ソキウス』において聖王国でのアンドロイド達を統括管理する役目の通称。

言ってみれば『ソキウス』の幹部なのです。

 

「そう、5年先の事です。ですが今から準備しておくのも、決して早過ぎる事ではなくてよ。」

 

「それを、私に手伝えと?」

 

「端的に言えばそう。

厳密に言えば少し違う、かしらね。」

 

少し間を開けてモリディアーニさんが宣言しました。

 

「タカティン・モーントシュタイン。貴方に次の『ザフィーア』になって貰います。

その為に、このカトレアと『婚約』して貰います。」

 

「プっ‼︎」

 

危うく飲みかけていた紅茶を吹き出すところでした。

え?なんですって?婚約?誰が?だれと?

 

「ふぅ、前回も断った筈だぞ。

私のような不良アンドロイドには務まらないと。」

 

「卑下するのは良くありませんね。

貴方は偵察指揮官型(スカウトリーダー)、能力的にはなんら問題はありません。」

 

「だからと言って婚約までする意味はあるのか?」

 

「もちろんです。貴方にシュタール家に婿養子として入籍してもらい、そのままオルドール商会の相続と一緒に『ザフィーア』の役目を引き継いで貰う。

世間的にも違和感なく交代が可能です。」

 

???

今の私は混乱してしまって、二人が何を話しているのか、サッパリわかりません。

 

………いえ、本当は判っています。判っていますが、理解したく無かったのです。

 

「タカティン……」

 

不安でタカティンを見つめ、袖を摘みました。

 

「もういいでしょう、お母様。

本人もあんなに嫌がっているのです。これで引き取って頂きましょう。」

 

カトレアさんが不快感を滲ませた声を上げ、二人の会話を中断させました。

 

「カトレア、貴女は…、これはそんな簡単な事案では無いのですよ。」

 

「失礼致します。」

 

カトレアさんはモリディアーニさんともタカティンとも目も合わせず、でも私を一瞥……一睨みして退出してしまいました。

 

「やれやれ、怒らせてしまったか……。」

 

「しょうがありませんね。モーントシュタイン、この話の続きは後日行いましょう。

部屋を用意してあります。今日は泊まっていきなさい。」

 

そう言うと、モリディアーニさんも席を立ち、応接間を退出して行ったのです。

 



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EX-3-2 水の都にて 告白

次の日の朝、目覚めは今ひとつです。

昨日はよく眠れませんでした。

 

シュタール家の面々と一緒に朝食を頂きましたが、カトレアさんの姿はありませんでした。

カトレアさんは早くに商会へと行ってしまったそうです。

モリディアーニさんはオルドール商会でお仕事がある為、昨日の件についての話し合いは今夜行われる事になりました。

 

タカティンはシャーリアンで露店を出す為に役所へ行きました。

ダリアさんもモリディアーニさんに付いて商会へ。

私はディジーさんに連れ出され、街に面した湖で釣りをしています。

 

「よーし、掛かった。

…………あー、雑魚だなぁ。よっと。」

 

ディジーさんは針に掛かった小魚を器用に外して、湖へと返してあげました。

私は水面に垂れた糸を、ただぼぉっと眺めていました。

 

「昨日の話が気になるかい?」

 

「ぅっ……、気にならないのは……嘘なのです。」

 

「ははっ、まぁなぁ。

いきなり連れて行かれてあの話だからなぁ。面食らっただろ?」

 

私は黙ったまま、水面をただ見つめます。

水面に映っている私の姿が風が起こした波紋で掻き消え、戻って来るようにまた映ります。

まるで今の私の心のようです。

 

どうにもざわついて落ち着きません。

 

「カトレアなぁ。アイツ、実はタカティンの事を好いてんだぜ。あんなツンケンしてんのにな。

今度の話も、あー見えて結構乗り気なんだよ。」

 

「そうなのです?」

 

それには本当に驚きました。

だから、あんなに怒っていたんだ……。

 

「お前、タカティンの事をどう想ってる?」

 

「………」

 

その質問には答えられませんでした。

 

私は、タカティンと離れたくありません。

ずっと一緒にいたい。

その感情だけは確かです。

 

タカティンの事は、きっと好きなのです。

でも……、それは男女の仲で言う『好き』なのか、そういう事は関係の無い『好き』なのか、よく判りませんでした。

 

「ふぅん…、まぁだ、よくわかって無いんだ。

案外お子様なんだな。

あー、馬鹿にしてるわけじゃ無いぜ。」

 

お子様と言われて少しムっとしましたが、自分の気持ちを整理出来ていないのですから、お子様と言われても仕方ありません。

 

「アタシら三人はなぁ、おんなじ人格プログラムを基に作られた『フロイラインズ』、文字通りの姉妹なんだよ。

だから、アイツらの考えてる事もよく分かるんだ。」

 

「でも三人とも、ちっとも似てないのですよ。」

 

「えっ、似てない?

うん、学習が進んでっからな。個性が出てきてんのさ。

あー、『フロイラインズ』てのは、さっきも言ったように同一人格ベースの量産型アンドロイドなんだよ。

生産性やら集団での連携を重視した戦闘用なのさ。」

 

同じ人格の三姉妹。

とてもそうには見えません。

 

「そんで、目覚めたのは70年前。

なーんにもわかんない私達は、そん時にタカティンのヤツに拾われて。

半年かな?それくらい一緒に過ごして色々教えてもらって、それから『お母様』のところに連れて行かれたんだ。」

 

そんな以前からの知り合い……、そんな話は聞いた事ありませんでした。

 

「そんな訳だから、タカティンには多少の恩もある。

アタシやダリアだって好きだぜ。もっとも、恋愛感情じゃないけどな。

けど、カトレアのは間違いなく恋愛感情だな。」

 

「………」

 

私とカトレアさんの『好き』は、全然違うものなのでしょうか?

彼女は、タカティンに恋焦がれる想いをしているのでしょうか?

私には、まだよく判りませんでした。

 

「そういう事で、良かったら応援してやっちゃくれないか?」

 

本当に………。

どうして良いのか、本当に判らなくなってしまいました。

 

 

午後からは雲が出て来てすっかり曇ってしまいました。

シュタール邸へ戻ってから、私は応接間の窓から外をただ眺めて過ごしています。

 

ディジーさんの言葉によって気分は曇り空と同じように重く垂れ込めていました。

 

応接間の扉がきぃ、と小さな音を立てて開きます。

 

「あぁ、こちらに居らしたんですね。」

 

「あ……」

 

カトレアさんでした。

なんとなく居心地が悪く、目を逸らしてしまいました。

 

「少し……話しても良いかしら。」

 

「……判ったのですよ。」

 

居住まいを正し、向かい合って座りました。

カトレアさんは視線を手元に落とし、ティーカップに紅茶を淹れています。

二つのカップに湯気立つ液体を注ぎ終えると、片方を私に差し出しました。

 

「ありがとうなのです。」

 

謝辞とともに受け取り、その紅い液体に映るカトレアさんの影を見つめました。

 

暫しの無言……。

 

ふぅ、とカトレアさんが息を小さきました。

 

「リヴルさん、ディジーに何を吹き込まれたかは知りません。

ですが、余計な心配なんて要りません。」

 

はっとしてカトレアさんの顔を見ます。

彼女は手にしたティーカップに視線を落としたまま、ゆっくりと紅茶を掻き回しています。

 

「でも……、でも、カトレアさんはタカティンの事が……好きなのです?」

 

ついに聞いてしまいました。

ですが、彼女からの返事は無く、相変わらずティーカップの中身をスプーンで回しています。

 

また暫しの無言。

 

不意にカトレアさんが顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめて来ました。

その射抜くような眼差しに、私は釘付けになりました。

 

「大嫌いよ。」

 

カトレアさんは立ち上がり、庭のテラスへと移動しました。

私も遅れまいとついて行くます。

 

「確かに、彼は……恩人ではあります。

思う所も沢山あります。

……だけれど、彼は私を選んではくれない。

どんなに想っても、あの人の中に私は居ないの。

 

だから……」

 

ぽつ、ぽつと雨の雫がゆっくりと降り注ぎ始めました。

 

「大嫌いよ。」

 

その一言を言ったカトレアさんの顔は、とても寂しげで悲しげで。

頬を伝う一筋の雫が、雨なのか、涙なのか……

 

私には判りませんでした。

 



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EX-3-3 水の都にて 成立

シャーリアンへやって来て一週間が過ぎようとしていました。

私達は相変わらずシュタール邸で御厄介になっており(いまだ例の話し合いが平行線を辿っているのです)、なんとも言えない居心地の悪さを感じています。

 

あぁ、シュタール家の方々は本当に良くしてくれています。

モリディアーニさんは最初は怖い人かと思いましたが、そんな事もありませんでした。

勿論、怖い部分もあったりしたのですけど……。

 

ディジーさんはなにかと世話を焼いてくれます。

 

ダリアさんからは自身の色々な恋愛話をお聞きしました(どれも長続きしていないようです…)

 

カトレアさんとは……。

あれ以降は寧ろ、「貴女も淑女なのだから、キチンとしなければいけません。」と、作法などいろんな事を教えてくれます。

 

彼女の授業は厳しいですが、意地悪などではありません。

教え方は丁寧で、解らない事は噛み砕いて教えてくれます。

上手く出来た事も褒めてくれます。

 

なんだかお姉さんが出来たように思い、嬉しくなりました。

 

私はカトレアさんの事も好きになっていました。

それだけに、今の状況はとても居心地が悪く感じてしまいます。

 

タカティンが『ザフィーア』になりたがらないのは理解出来ます。

『ザフィーア』は聖王国で生活しているアンドロイド達の統括管理者です。

聖王国内には約二十名のアンドロイドが暮らしており、彼らの監視と保護、オルドール商会の代表として聖導教会との折衝その他諸々が『ザフィーア』に課せられる義務となります。

 

……考えただけでも胃が痛くなる案件ばかりなのです……。

 

『ザフィーア』になれば、今までのように自由にする事は出来ません。

だから、それについては理解出来ます。

 

ですが……

カトレアさんとの事です。

こちらについては、何というか、タカティンの気持ちをハッキリして欲しいと思うようになりました。

 

「どうしたリヴル、難しい顔をして。

ずっとこっちを見ているが、何か言いたい事があるのか?」

 

シャーリアンの西地区の広場で露店を出して商売をしていました。

先程も、サラサラの金髪に青い瞳、やや幼さが残る顔立ちの、美人の聖騎士さんが詩集を買って行きました。

タカティンからは、あの人は聖騎士でも特別な地位、『クルセイダー』なのだと聞きました。

 

『クルセイダー』は聖騎士の中でも『聖痕』と呼ばれる、女神様の祝福の印を持って産まれた、特別な人達なのです。

彼等は聖痕の力で光魔法という、通常では扱えない光属性の魔素を操る事が出来るのです。

 

そしてシャーリアンには『ヴァース・アンセム』というクルセイダー師団が常駐しており、街の治安もそのクルセイダーが担っているのだそうです。

 

あぁ、今はそれはいいのです。

それよりも、タカティンに……。

聞いて良いものかどうか……。

 

「ふぅ……。リヴル、言いたい事があるならハッキリしろ。

この一週間の遣り取りでウンザリしているのならそう言えば良い。」

 

「タカティン、そうでは無いのですよ。

 

タカティンは………、タカティンはカトレアさんの事をどう想っているのです?」

 

そう切り出すと、タカティンは意外だという顔をしました。

 

「リヴル、お前は『婚約』の事を気にしていたのか?」

 

「カトレアさんは凄く良い女性なのです。

それに……、タカティンの事……好いているのですよ。」

 

「……知っている。」

 

返ってきたその一言に、私は目を見開いて驚きました。

 

「知っているなら、どうして…。」

 

「リヴル、私は所詮、『作り物の紛い物』だ。

今まで好き勝手もして来た。それでも、紛い物が[人]と同じ振る舞いなど出来んよ。

だから…、彼女の気持ちに応えてはやれん。」

 

タカティンのどこか言い訳じみた態度にカチンと来てしまい、

 

「そんなの、逃げてるだけなのですよ!」

 

つい、声を荒げてしまいました。

 

「リヴル?」

 

「カトレアさんは、凄く悩んで苦しんでいるのです!

それなのに、タカティンはただ目を背けて逃げてるだけなのです!

 

そんなの、そんなのカトレアさんが可哀想なのですよ‼︎」

 

「………」

 

タカティンは右手で両眼を覆い、黙ってしまいました。

その表情は判りません。

 

私も、感情に任せて言ってしまった事を、今更ながら後悔して俯いてしまいました。

 

「………済まなかった。

確かに……その通りだ。」

 

私は顔を上げ、タカティンを見ました。

タカティンの表情は、どこか吹っ切れたように見えました。

 

 

「『ザフィーア』の交代の件、受ける事にする。」

 

その日の夜、七回目の話し合いでタカティンが宣言しました。

 

「あら、どういう風の吹き回しかしら。

投げやりな気持ちではこっちも困るのですよ?」

 

「無論だ。すると言ったからにはいい加減な事はしない。」

 

「言いましたね。

いいでしょう。では決定ですね。

引継ぎは聖華暦839年1月から始めます。それまでは今まで通り、好きにしておきなさい。

 

ただし、遅れる事は許しませんよ。」

 

「了解した。」

 

これで、タカティンは『ザフィーア』になって……、あれ…?、聖華暦839年から?

 

「まだ4年以上先なのです?」

 

つい聞いてしまいました。

 

「ああ、そうだ。

彼女は気が早いからな。それと、交代する期間は彼女が新しい素体に入れ替わって戻ってくるまでの数年の間だ。」

 

「準備は早ければ早い方が良いのです。

余裕を持って準備を進めれば、物事は上手く運ぶのですよ。」

 

そう言って、モリディアーニさんは薄く微笑みました。

すぐでも無いしずっとでも無かったんだ……。

 

「さて、これは良しとして……

後は、カトレアとの婚約についてですね。」

 

「それについては必要無いのではないですか?」

 

カトレアさんがそう言いました。

その表情は澄ましていますが、言葉の端には苦悶の色が伺えました。

 

「カトレア、そういう訳にはいきません。」

 

「私は承服しかねます。

たかだか数年の間、偽りの夫婦を演じる事になんの意味があるんですか?

そんな事で………惨めな思いをしたくはありません!」

 

カトレアさんが声を荒げました。

私は、どうすれば良いのでしょう。

この件では、私は完全に部外者です。

でも、何か、何かしてあげたい。

 

「カトレア、聞いて欲しい。」

 

タカティンが、カトレアさんを真っ直ぐに見詰め、カトレアさんも少し驚いたようにタカティンを見詰めます。

 

「なんですか?言い訳なら、もう沢山ですよ。」

 

「カトレア、済まなかった。

今まで、この事からは逃げてしまっていた。

これからは、お前の気持ちに真剣に向き合う。

 

だから、この婚約を受けて欲しい。」

 

そう言って、カトレアさんの頬にそっと手を添えました。

 

頬を撫でられているカトレアさんは俯いていましたが、恥ずかしそうな、困ったような、とても嬉しそうな表情をしていました。

 

そして小さな声で、「はい」と答えたのです。

無事、二人の婚約は成立したのです。

 

???

今、チリっ、と胸の奥に小さな痛みが走りました。

今のはなんなのでしょう?

解りません。

 



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二人の居候 その一

 

私はカトレア・シュタール。

アンドロイド達が結成した秘密結社『ソキウス』に所属する戦闘アンドロイド『フロイラインズ』の長女。

今はザフィーアことモリディアーニ・シュタールの『娘』として、聖王国領シャーリアンで暮らしています。

そして今日、我がシュタール家に『ワケあり』な二人のお客様が来た。

 

「はじめまして、私はモリディアーニ・シュタール。ようこそ、シャーリアンへ。二人とも疲れたでしょう。」

 

二人を迎え入れ、まずはお母様が口を開いた。

 

『まぁ私はリディアの首にぶら下がっているだけですので疲れたという感覚はありませんが。』

 

二人と言ったけれど、正確には一人の新人類の少女と、それから人格型AIという方が正しい。

 

目の前の華奢な少女、その首にぶら下がっているやや大きめのネックレスから、感情の籠らない無機質な女性の声が響く。

 

ネックレスは聖導教会で入手する事が出来る、三女神教のシンボルを象ったもので、この聖王国ではよく見かける代物。

でも、その中には記憶媒体が内臓されており、ある女性型の人格がインストールされている。

 

「スクルド、貴女が良ければ素体を用意させますがいいがかしら?」

 

『謹んで遠慮させてもらいます。私は今のままで不自由していませんし、アンドロイドになって人間の物真似をしたい訳ではありませんので。』

 

なんと皮肉屋なAIなのでしょう。

私達アンドロイドを人間の物真似などと。

 

……そんな事、はじめから承知している事なのに。

 

まぁそれはどうでも良いでしょう。

 

私は、口の悪いAIを首から下げて会話に入ってこない少女の顔を見た。

彼女は無表情にお母様を見つめている。

 

美しいプラチナブロンドの少女の名はリディア・トゥエイニー。

とある事情により、彼女に付けられた仮初めの名前。

 

彼女の本名は、ここへ来るまでの間の誰もが知らない。

 

彼女は可哀想な子だ。

彼女は魔導器排斥を掲げて三国で暗躍する犯罪組織メカニカによって、その人生を滅茶苦茶にされた犠牲者なのだ。

しかも、その原因の一端は私達ソキウスが開発した『聖歌システム』をメカニカに奪取された事にある。

 

詳しい説明は省くけれど、『聖歌システム』はそれに適合した特殊仕様の機兵を安定して稼働させる為に『ディーヴァ』という制御装置が必要となる。

彼女はその制御装置(ディーヴァ)としてメカニカに『改造』されてしまった。

 

彼女は幸運な事に、聖王国軍によってメカニカから救出され、ソキウスの裏工作によってここへ連れて来られた。

もちろん、彼女の調査と治療の為に。

 

彼女は特殊な魔法と薬剤を使用した改造の副作用で、定期的に生理液化魔素溶液による魔素の摂取を行わなければ、魔力バランスを崩して体組織が崩壊してしまう。

 

私は機械であるけれど、年端もいかない少女にこのような仕打ちを行ったメカニカと、自分達の作った技術がその原因の一端を担がされている事実に、目の前の少女を元通りにしてあげる事も出来ない非力さに、苛立ちを覚えてしまった。

 

 

「では、この部屋を使ってください。他に必要なものがあれば遠慮なく言ってくれて構いません。」

 

私は、人形のような少女を部屋へと案内した。

この子の感情は希薄だ。

 

「うん、ありがとう。」

 

その言葉に抑揚は無く、事務的に反応しているように思える。

 

『もっと簡素な部屋、というか独房などを想定していましたが、意外にも並以上の水準ではありませんか。』

 

「私達をなんだと思っているんですか? ここは来客用の部屋です。」

 

本当に、このAIを設計したエンジニアの顔が見てみたい。

 

ふと、リディアが私の顔を見ている事に気がつく。

感情の乏しいその表情からは、彼女が今何を考えているかを読み取る事は難しい。

 

「どうかしましたか?」

 

あえて、彼女に問いました。

 

「………私はこれからどうなるの?」

 

その疑問を口にした彼女の瞳に、僅かに警戒心が滲んでいるのが見て取れました。

 

今の彼女の疑問は当然の事でしょう。

メカニカには改造をされ、実験中に救出、そして戦闘の直中に放り込まれ、今度は見知らぬ土地に連れてこられて。

 

運命にたらい回しにされた彼女は、これから自分がどうにかされるのではないかと、不安を抱くのには十分すぎるほど、状況に流されている。

 

「まずはゆっくりと休みなさい。それから……貴女の身体を調べさせてもらいます。それは貴女がメカニカに施された改造がどのようなものか、治療が可能かを調査する為です。」

 

この言葉には嘘は無い。

無いけれど、彼女の身体を元に戻せるかは甚だ疑問ではあります。

 

なぜなら、改造とはいっても物理的な施術では無く、魔法と投薬による魔力臓器などの魔力バランスを著しく弄られたものだから。

 

私達ソキウスの持つ科学技術では魔法に関する問題を解決するにはデータが圧倒的に足りない。

 

「不安ですか?」

 

「……よく、……わからない……。」

 

彼女の表情が曇る。

自分自身に困惑している、という風に見えて、私は少しだけ安心しました。

 

前述したように、彼女は改造を施され、その結果として感情の欠落、いえ、正確には感情に蓋をされた状態となっています。

 

そして、ここへ来るまでの間の出来事で、その内の幾つかの蓋が開きかかっているようでした。

その為に自分でも判別のつかない感情の発露(エラー)が発生している状態なのでしょう。

 

そんな彼女を、私は柔らかく抱きしめます。

 

「……なに…? 」

 

「大丈夫、私達は貴女の味方です。今は何も考えず、ゆっくりお休みなさい。」

 

「……うん。」

 

心なしか、彼女の表情から警戒の色が薄まり、私は部屋を出ました。

数歩歩いたところで。

 

<カトレア、先ほどのパフォーマンスはどういうつもりなのです?>

 

スクルドが私にデータリンクを繋ぎ、先ほどの行為の意図を問うて来ました。

私は歩きながら返事をします。

 

<どうもこうも、貴女の言うところの『人間の物真似』ですよ。>

 

ふと、人間観察を趣味とする物好きなあの人の事が脳裏を掠める。

 

<なるほど、伊達に人間に混じって生活している訳ではないようですね。>

 

本当に嫌味なAIだこと。

 

<どうやら貴女方は多少は信用出来そうですね。リディア共々、当分お世話になりますので、よろしくお願いします。>

 

スクルドはそう言い、データリンクを切った。

 

「厄介なお客様を迎えてしまったものですね。」

 

私は独り言ち、通常業務(夕飯の準備)に戻るべく、外へ出かけた。

 



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二人の居候 そのニ

聖華暦835年 1月

 

リディアとスクルド、二人の居候がやって来てニヶ月が過ぎようとしていました。

 

正直言って、リディアの身体の調査は芳しくありません。

やはり、魔法による改造というのは科学によるそれとは別物で、ソキウスにもデータがありません。

 

結局はほとんど手探りの状態です。

彼女の身体に検査機器を取り付け、休憩を挟みながらも数時間は検査を繰り返す。

 

彼女への身体的な負担も少なくは無く、何度か熱を出して寝込んだりもしています。

 

それと改造の後遺症の為、彼女の身体は著しい魔素不足が確認されています。

新人類はその体内に魔力臓器と名付けられた器官を持ち、大気中に漂う魔素を呼吸とともに吸収しています。

それらを魔力臓器でエーテルへと変えて、蓄積する様になっているのです。

 

ですが、今の彼女は蓄積したエーテルを常人よりも早いペースで消費しています。

その為、いわゆる『魔力切れ』を起こしやすくなってしまっているのです。

 

魔力切れを起こすと、極度の貧血のような症状に加えて、空気中の魔素を無理矢理取り込もうと過呼吸を起こし、神経系の乱れから体の痙攣などが現れます。

そして、それを放置するとやがて死に至ってしまう。

 

それに加えて、彼女の場合は体組織、特に末端の毛細血管から循環器系に至る部位が崩壊を起こしてしまう事も、今回の検査で判明しました。

 

よって魔力切れを起こさないよう、最低でも三日に一度、生理液化魔素溶液100mlを点滴で摂取させている状態です。

 

「生理液化魔素溶液って、飲むとゲキ不味いんだよなぁ。」

 

ディジーが顔を顰めて言います。

 

「本当に、女の子の身体をなんだと思っているのでしょう。これをやった奴らは万死に値しますわね。」

 

ダリアはリディアの検査結果に目を通しながら毒突く。

 

「いずれメカニカには相応の報いを与えねばいけませんが、今は彼女の方が先決です。」

 

私も彼女の検査結果を精査しながら、思案を巡らせる。

 

こんな時、自分達が演算能力の低い戦闘型(ソルジャー)である事が恨めしく思ってしまいます。

いくら三人でデータリンクを繋ぎ、思案を重ねても、良い打開策が出て来たりはしません。

 

『機体も無いので一切問題はないですが専門が違いすぎるので本当に場所を提供するしかできません。一応その気になったらハッキングした無人機を1小隊動かす程度の処理は可能に作られてますが。』

 

と、スクルドの提案で彼女の演算領域も貸してもらい、思考を拡大してはいますが、それでもやはり……。

 

お母様は私達よりも演算能力が数段高い斥候指揮官型(スカウトリーダー)ですから、お母様ともデータリンクを繋げば、もっと良い方法も見つかるかもしれません。

 

けれども、今お母様はシャーリアンを離れています。

それと、リディアがやって来るのと入れ違いで行ってしまったあの二人、お母様と同じ斥候指揮官型のあの人と、アンドロイドを遥かに凌駕する演算能力を持つLCEの彼女が居てくれたなら、きっと迅速に解決策を講じる事が出来たでしょう。

 

ですが、それは無いものねだりでしかありません。

今は、私達に出来る事をするしかないのです。

 

 

「メディカル・ナノマシンを使ってみようと思います。」

 

『ナノマシン治療ですか。それはどこまで有効なのですか? ちゃんと人体実験は済んでいるんでしょうね?』

 

私達の提案に、やはりスクルドは疑問を呈して来た。

 

メディカル・ナノマシンはWARESが研究開発を行なった極小の医療用マシンの事です。

患者の体内にこのナノマシンを注入し、病巣の除去や傷などで失われた部位と置き換わり、細胞の再生を促して治療を行うように出来ています。

 

そして、ナノマシンは暴走しないように3日で機能を停止して、体外に排出されるようになっています。

大概の怪我や病気は、この3日のうちに治療出来てしまうのが、ナノマシンの優れた点ではあるのです。

 

「安心なさい。開発された800年前にはキチンと性能評価も終わって人体に使用されていた物よ。」

 

『そのような骨董品が信用出来るのか、という話です。』

 

彼女の言う事ももっともな事ではあります。

製造されてから800年も経過した代物なのですから。

しかし、これらが正常に作動するかは検査済み。

安全性は問題ありません。

 

「骨董品というのなら、私達も同様なのではなくて?」

 

意趣返しとばかりに、彼女に皮肉をぶつける。

 

『……ふむ、たしかにその通りではありますね。ではその事は問題にしないとして……、実際のところ、どの程度までリディアの身体を治療出来るのですか?』

 

「そうですね。おそらくは末端の毛細血管などの崩壊を防ぐのが精一杯、といったところだと予想されます。」

 

現状での検査結果から得られた結論を正直に言う。

 

『つまり、これほどの高度な科学技術の結晶であるナノマシンを持ってしても、完全な治癒には程遠い、というわけですか。』

 

本当に、忸怩たる思いとはこの事なのでしょう。

私達を創造した造物主、旧人類は大変に高度な科学技術を有していた。

 

しかして、彼らは自らの驕りによって新人類を生み出して……、そして敗れて消え去った。

 

そんな彼らが生み出した私達は、所詮は万能にも程遠い。

 

『それでも、なにもしないよりはマシ、という事だけは理解しました。高度な演算能力を持つAIがこれだけガン首揃えてこの程度というのは、なかなか笑えるじゃありませんか。』

 

「そりゃお前も含まれてるのか?」

 

ディジーが陰の込もった声でスクルドに聴きました。

 

『無論です。私もそれを弁えないほど自己評価を持ち上げたりはしませんよ。』

 

「さぁ、もう良いでしょう。我々が苛ついていても仕方がありません。リディアを救ってあげたいというのは我々の共通認識なのですから。」

 

皆の顔を見渡します。

皆も無言で頷き、意思の確認を取る。

 

と、いっても私の他にはディジーとダリアだけ。

スクルドに至っては通信で繋いだスピーカーからの声だけという状態ですが。

 

 

リディアをゆったりとした1人用のソファに座らせ、彼女の前でメディカル・ナノマシンを用意しました。

 

彼女の表情は相変わらずの無表情……では無く、幾分かの疲労、そして、不安。

 

こうも連日の検査と投薬を繰り返していれば、否が応でも疲れも出てしまうのは仕方がありません。

 

それに、彼女はメカニカにされていた人体実験の事を思い出してしまったようで、昨日は突然泣き出してしまい、その日の検査とナノマシン治療は諦めたのです。

 

その晩にようやく気が落ち着き、きちんと説明をして、そして今日。

 

全身に検査用のセンサーや電極を貼り付け、彼女も不安を押し殺して、どうにか座って待っている状態となっています。

 

「リディア、今からナノマシンを打ち込むけど、嫌なら嫌って言って良いんだぞ。」

 

ディジーが心配そうに彼女に声をかけます。

私としても彼女の治療は優先したいところですが、彼女の意思は尊重してあげなくてはいけません。

 

「…ううん、大丈夫。頑張る。」

 

そう言って、リディアは目を閉じて、自分を落ち着かせるように深呼吸をした。

 

「じゃあ打つわ。チクッとしますわよ。」

 

ダリアがリディアの右手をとり、静脈へと注射針をゆっくりと射し込む。

針が入る瞬間にリディアの眉がピクリと動く。

 

「はい、お終い。」

 

針を同じようにゆっくりと引き抜いて、ダリアはリディアの頭をそっと撫でた。

 

『で、この後の変化は?』

 

「外見的には判らないでしょうね。後はこのままいつものように経過観察をするしかありません。」

 

『スキャニングセンサの一部をリディアの状態確認に回します、私の本体をシャツの内側に入れて貰う必要がありますが、まぁお互い、何を今更ですね。』

 

ではお願いしましょう。

私はそう言って、スクルドのインストールされたネックレスをリディアのシャツの内側へと入れました。

 

「全く、ただ待って観察しか出来ないというのは、どうにも歯痒くていけませんわね。」

 

どうしようもない現状に、ダリアもウンザリという風にもらす。

 

せめて、メディカル・ナノマシンが期待以上の効果を発揮して、彼女の治療が劇的に進んでくれるのを願ってやみません。

 

私は苦笑しました。

まったく、神や奇跡などと程遠いアンドロイドだというのに。



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二人の居候 その三

聖華暦835年 1月末

 

その日も刺すように肌寒い日でした。

 

空を見上げればどんよりと厚い雲が頭上を覆い、チラチラと雪が降っています。

シャーリアンは湖に面した街。水辺が近い分、より風が冷たくなり、普通の人間ならば身を切るような思いをするのでしょう。

 

私とディジー、ダリアと、リディアとスクルド、この面子で買物に来ています。

私達三人はコートにマフラーという出立ちで、リディアはそれらに加えて毛糸を編んだ帽子も被り、手袋をはめています。

 

彼女の身体はナノマシン治療の甲斐があり、ゆっくりではありますが日に日に良くなっています。

 

ただ、それが根本的な解決に至らない事は解っている為、決して手放しでは喜べない状況でもあります。

 

「リディアにはこの服が似合うと思いますわ。」

 

ダリアはフリルがたっぷり飾られたドレス調のワンピースを推しています。

 

「いやいや、こっちの方が動きやすくて絶対良いって。」

 

対してディジーはスポーティーなデザインのショートパンツ。

 

「二人とも、今日はリディアの普段着を買いに来ているのだから、もう少し落ち着いたものを選びなさい。」

 

「カトレアが選ぶものは地味過ぎますわよ。」

 

「そうだぜ。」

 

こういう時だけ意見が一致する二人にため息を吐く。

 

<やれやれ、女三人寄ればかしましい、とはよく言ったものですね。>

 

スクルドがデータリンク上で呆れて呟く。

わざわざデータリンクで言う事ではありませんが、直接声を上げなかったのは周囲に気を遣っているのでしょう。

 

この後も、リディアを挟んで二人の応酬は十数分続きました。

 

「……おなか、空いた。」

 

「あぁ、もうすぐお昼ですね。あのお店で済ませてしまいましょう。」

 

「賛成。」

 

リディアが空腹を訴えたので、手近にあった食堂を指差します。

それにディジーが同意しました。

 

「ここのランチはまぁまぁ美味しいですわよ。」

 

ダリアが言う。

 

「なんだ、来たことあるのかよ。」

 

「ええ、いつぞやのデートの時に。」

 

ダリアは戦闘用アンドロイドの癖に、人間の恋愛に興味を持っており、いつも男性を引っ掛けてはお付き合いと別れを繰り返しています。

 

おかげでこの辺では『恋多き女性』などと噂されていて、私の悩みの種の一つとなっています。

 

ともかく、ダリアがお勧めするランチを人数分注文しました。

 

「奢りの飯はさぞ美味かったろうな。」

 

「あら、妬いてますの? 貴女もしてみれば良いのよ。存外楽しいものよ。」

 

「冗談、そんな気はサラサラねぇよ。それよりあんま派手に遊んでると『売女』呼ばわりされるようになるぞ。」

 

「まぁ品の無いこと。私は誠意ある清いお付き合いをしていますのよ。」

 

「あーはいはい。」

 

『本当に賑やかな事で。』

 

ディジーとダリアのやり取りにリディアはキョトンとし、スクルドが呆れて呟く。

私も正直呆れています。

本当に、私と同一人格がベースのアンドロイドなのか、疑念が生じます。

 

 

ランチを食べ終わり、食後のティーを飲みながら、いつぞや会った若い聖騎士の話題をダリアが振りました。

 

「それにしても、リヒトの朴念仁ぶりには呆れてしまいますわね。リディアに手紙の一つも送ってこないなんて。」

 

「あー、確かになぁ。まあそういうのは疎そうだったけどな。」

 

結局、また男女の関係について話題を持っていこうとしている……。

 

「リディアはどう思ってますの?」

 

「んー………、よく、判らない。」

 

ダリアの問いにリディアはしばし考えて、そう答えた。

 

『あのパイロットに甲斐性を求めるのは酷というものですよ。そこまで気の回るほど余裕のある人物ではありませんからね。』

 

「ひでぇ言いようだな。」

 

スクルドの言い様にディジーが苦笑をする。

 

『パイロットも異性への反応やらリディアの裸を見た時の反応やらからして間違いなく恋人の一人もいた事のない童貞ですから、そこらで百戦錬磨の様な反応を求めるだけ損です。』

 

「……どーてい?」

 

「貴女はまだ知らなくて大丈夫な情報ですよ、リディア。」

 

「実際、リヒトもリヒトですけれどリディア、貴女も貴女ですよ。そういったものはハッキリとしておかないと、相手は察してなんてくれないのですからね。」

 

「………?」

 

ダリアからの言葉を聞いたリディアは、よくわからない、という顔をして小首を傾げました。

 

「要するに、リディアはリヒトの事が好きか嫌いか、って事。」

 

ディジーが補足しました。

 

「……どうだろう?」

 

リディアは俯いて考え込んでしまいました。

 

「二人とも、もうそれくらいになさい。リディアも困っているでしょう。」

 

そこで、スクルドが口を挟んできました。

 

『そうですね、少し例え話をしましょう。仮に、パイロットが。』

 

「リヒトくん、ね?」

 

リディアが小さな訂正を入れる。

 

『判っています、なんで軍用AIハメるなんてできますか……こほん、リヒトが、そうですね、そこのディジーと。』

 

「おい。」

 

すかさずディジーが抗議の声を上げる。

 

『例えです、とにかく、ディジーと二人で出かける所を見た、と考えてみてください? しかも二人ともどこか嬉しそうな表情で……。』

 

「……すこし、イヤ、かも…。」

 

これは興味深い反応です。

彼女の他人に対する好意という感情が戻りつつある。

 

「なるほどなるほど、コレはまんざらでも無いようですわね。」

 

ダリアが喜色を交えた声で呟く。

またこの子は……。

 

<ダリア、ディジー、多分恋の話題は、リディアには危険です。>

 

先程とは打って変わり、スクルドがデータリンクで警告を発した。

 

<興味はありそうに見えますけれど?>

 

<彼女の感情にはリミッターが課せられているのを忘れないでください、恋の様な強い複合的な感情が一気に芽生えれば、緩んだ枷を一気にぶっ壊す可能性が考えられます。>

 

<願ったりじゃねぇのか?>

 

<そうですわ、その意味では決して悪い事では……。>

 

<一気に溢れた感情で混乱して、精神にダメージが来るかもしれません、或いは、今の状況だからこそ思い出し方が弱い傷が、一気にぶりかえすか。>

 

なるほど、私はスクルドの言葉に得心した。

おそらくはリディアの僅かな変化に気がついたのでしょう。

 

<PTSDですね、確かにその心配はあるかもしれません……。>

 

あまり事を急いてはいけない、という事ですね。

 

「じゃあ話を変えますけど……カトレア、あの人が贈ってきた指輪、まだ嵌めないのかしら?」

 

急に私に話題を振ってきたせいで、飲みかけた紅茶を危うく吹き出すところでした。

 

「……急に何を言い出すんですか! それは今関係無いでしょう! 」

 

「いやぁ、カトレアも婚約してるんだし、ちゃんとそういうのはしておいた方がいいんじゃないのかなぁ? 」

 

ダリアの話にディジーがニマニマと乗ってきました。

この二人、本当にこういう時だけ……。

 

「ぉほん、別に、それをどうするかは私の自由です。そうだからと言って、必ず身につけていなければならない決まりもありません。」

 

『おやおやおやおや、カトレア、その情報を秘匿されていたとは心外ですね。今後の為にも是非とも共有していただきましょうか。』

 

ダリアとディジーが余計な事を言い出した為、スクルドが悪ノリを始めてしまいました。

 

どうにかして話題を逸らさなくては。

 

「……どーてい、の攻略法、なんかも経験、あるの? カトレアさん。」

 

「ごふっ! 」

 

リディアが突然、至極無邪気な顔でとんでもない事を聞いてきた為、咽せてしまいました。

 

「!」

「!」

 

これにはディジーとダリアも思わず固まってしまっています。

 

「り、リディアさんが壊れました!?」

 

私も流石に狼狽し、取り乱してしまいました。

 

<落ち着いてください、カトレア……今、リディアの脳が恐怖の反応と一緒にいくつかの記憶を再生しているようです。>

 

<……思い出したくねぇ記憶ってこと?>

 

スクルドの言葉にディジーが問いかけます。

 

<少々、花も恥じらう乙女に言うには憚られる内容のようですね。脳波も変な動きをしていたから、魔法か、それとも催眠か……。>

 

<メカニカの、口に出すのもはばかられるセーフティって感じですわね。>

 

ダリアが忌々しげに呟く。

私も落ち着きを取り戻しました。

 

<……スクルド、パターンを記録しておくことは出来ますか?>

 

<魔法ならお手上げですが、こっちはお家芸です、既に記録済み、共有します。>

 

<防衛本能、か……手掛かりになればいいですけど。>

 

なんにせよ、話題が逸れた事には感謝しつつ、リディアに施された忌々しい処置をなんとかしなければと、改めて思いを強くしました。



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電子の歌姫 #1

私は歌う。

愛する事を知った喜びを、翻弄する運命への怒りを、どう願っても届かない想いの哀しみを、かけがえの無い人達と過ごした楽しさを。

 

私は歌う。

それら全てとの出会いに、精一杯の感謝を込めて。

 

今日も私は歌い続ける。

 

 

聖華暦818年3月20日 アルカディア帝国皇帝直轄領 鉱山街ジェム

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

私は、林の木々を縫う様に走り続けた。

もう少しで街に辿り着く。

 

目深に被ったフードを小雨が濡らしている。

頬に当たる水滴を気にも留めずに、ひたすらに走り続けた。

 

後方からは、数人の男達の声。

待て、止まれ、と叫びながら、私を追いかけて来る。

 

私は、追われていた。

訳は解らない。

 

私は旅芸人の一座で歌を歌っていた、いわゆる歌手だった。

一座はそんなに有名でも無く、街から街へと渡り歩いて、曲芸や演劇なんかを披露して、日銭を稼ぐ毎日だった。

 

私は1年前より以前の記憶が無い。

気が付いた時にはその一座に拾われていた。

一座のみんなはとても優しく、私を気遣ってくれた。

 

私はなんにも出来なかったけれど、歌だけは上手くて、一座の歌手として一緒に旅に同行させてもらう事になった。

 

そうすれば、いずれ私を知ってる人に巡り会えるかも知れなかったから。

 

名前も思い出せなかったから、一座の座長が私に『ニケー』と名前を付けてくれた。

 

ニケーというのは、古い古い神話に出て来る歌の上手な天使の名前だという。

 

私なんかには過ぎた名前だと思う。

でも、私はこの名前が好き。

 

旅をして1年が過ぎた。

もうすぐ、鉱山街ジェムに到着する。

街へと続く街道で、私達の一座は襲われた。

 

機兵が1体と従機が3台、そして数人の男達。

私達は取り囲まれて、そして。

 

男達は、どういうわけか、私を差し出せと座長に迫った。

一度は座長も拒んだんだけど、みんなの生命には換えられなかったから。

 

私も、それは分かっていたから。

 

私は、彼らに引き渡された。

それから、私は彼らに連れて行かれたんだけど、見張りの隙を見て逃げ出した。

 

もう一座には戻れない。

でも行く当てなんて無い。

それでも彼らについて行く事は出来ない。

 

訳がわからない。

 

私はいったい誰?

どうして私は追われているの?

 

もうそんな事はどうでもいい。

ひたすらに走って、街の門を潜った。

 

男達ももうすぐ追いついて来そう。

通りをひた走り、躓いた。

 

「はあ、はあ。」

 

振り向くと、男達の姿が見えた。

 

「お嬢さん、大丈夫かね?」

 

目の前の露店の店主が、倒れた私を助け起こそうと寄って来た。

私は店主の袖を掴んで。

 

「助けて、ください。」

 

そう言っていた。

 

 

「おい、アンタ。この辺で緑色の服を着た銀髪の娘を見なかったか?」

 

男達が、店主に私の事を聞いている。

私は、店主が座る椅子の前に並べられた本の山、その下の台の下に隠れていた。

すぐそばに、男達の気配を感じ、息を殺して身を潜める。

 

「あぁ、見たよ。」

 

「本当か? どこにいる!」

 

店主の一言に、息が詰まりそうになった。

店主の方をそっと見上げた。

 

「さっき本を見に来ていた子供達の中に確かに銀髪で緑の服を着た女の子はいたな。おそらく7、8歳くらいだ。」

 

「ぜんっぜん、ちげーよ! クソ、あっちを探すぞ!」

 

ドタドタと足音を立てて、男達は行ってしまったようだ。

 

「さて、もう大丈夫そうだ。」

 

私はゆっくりと、台の下から店主を見上げました。

 

「ありが…とう、ありがとうございます。あの……どうして、私を助けてくれたんですか? 見ず知らずの赤の他人の、私を。」

 

助けてくれた事には感謝していた。けれど、それ以上に疑問が湧いた。

 

「なに、どうやら君は、私の同族の様だったからね。」

 

「それはどういう…? 私の事を、知っているの?」

 

「ふむ、詳しい話は後にしよう。私はタカティン・モーントシュタインだ。」

 

彼が自己紹介をしたので、私も名乗りました。

 

「私はニケー。私、1年前より前の記憶が無くて。旅芸人の一座と一緒に自分が誰なのかを探してて。何か、なにか知ってるのなら教えて。私はいったい誰なの?」

 

「落ち着きなさい。すまないが君とは今日初めて出会ったばかりだ。だからまだ君の事はよく知らないのだよ。」

 

「そう…ですか…。すみません、取り乱してしまって。」

 

焦り過ぎた。

いったい私は、なにを期待していたのだろう。

今日、それもつい今し方知り合ったばかりの人に。

 

「さて、もう少しだけ我慢してもらえるかな。この後、私の宿に案内するから、そこで隠れていると良い。」

 

「待って、それでは貴方に迷惑がかかってしまう。」

 

「もうすでに乗りかかった船だ。せめて彼等がどこかへ行くまでは付き合おう。」

 

どうして?

なんのメリットも無いはずなのに。

なにか企んでいるの?

 

けれども、今の私にはどうする事も出来ず、結局は彼の言葉に甘えてしまった。

 

 

「今、戻ったぞ。」

 

「あ、おかえりなさい。」

 

私は宿の一室で、タカティンさんが戻って来るのを大人しく待っていた。

 

彼が帰って来てから、彼自身の身の上を私に話してくれました。

彼は行商人で、三国やカナド地方も周って、本を売り歩いてる。

一箇所に留まらずにずっと旅を続けている。

言ってみれば、私と同じで根無草。

 

でも、彼は自分が誰なのかを知っている。

それだけが、今の私との大きな違い。

 

「昼間の奴ら、随分としつこく探し回っていたな。流石に陽が落ちて一旦は諦めたようだが。」

 

「本当に、ありがとうございます。私、大したお礼も出来ないのに。」

 

彼は、私を真っ直ぐに見つめた。

私は、なんだか落ち着かずに視線を逸らす。

 

「さて、まずは食事を済ませてしまおう。話はそれからだな。済まないが今日は部屋で食べるから簡単なものしか無い。」

 

「あの、私も何か…。」

 

「君は待っていたまえ。すぐに出来るからね。まずは下でお湯をもらって来る。」

 

お湯をもらって来た後は、タカティンさんは手際よくテーブルにお皿を出し、黒パンとチーズ、ハムを荷物の中から取り出して、ささっと切り分けてお皿に並べた。

 

それからカップに何かの粉を入れてお湯を注いだ。

すぐに良い香りが立ち昇り、それがコーヒーだとわかった。

 

「ではいただこう。」

 

「…いただきます。」

 

食事は簡素で味気ないものだった。

食事を終えてお皿を片付けて、私達は改めてテーブルを挟んだ。

 

「さて、では話を整理しよう。まず、君は自分が誰であるのか、記憶が無いのだったね。」

 

「……はい、私は、今から1年より前の事が分からないの。気が付いた時には、旅芸人の一座に拾われていて。」

 

「その時、君はどんな格好だったね。」

 

「格好?」

 

質問の意味がよくわからなかった。

 

「よく思い出して欲しい。」

 

「ええと…、みんなとは違った、ぴっちりとした変わった服……でした。」

 

「どこで拾われたのかね。」

 

「フォーレンハイト領の第一都市デルドロの近く。北側で。」

 

「なるほど。」

 

タカティンさんは少し考え込む。

しばらく、沈黙。

 

「あの、タカティンさん……。」

 

「とりあえず、判った事だけを今言っておくとしよう。」

 

再び、彼は私の眼を真っ直ぐに見つめた。

今度は、眼を逸らす事が出来ない。

 

「君は、[人]では無い。」

 

いったいなにを言われたのか、理解出来なかった。



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電子の歌姫 #2

「あの……、それはどういう事…ですか? 私が…人間じゃないって、それは…」

 

「まぁ最後まで話を聞きたまえ。」

 

思わず立ち上がり、後退りそうになったのを制され、私は再び座った。

 

「君は、目覚めた時から今までの事を全て憶えているかね。」

 

「全て……、ええ、憶えています。」

 

「小さな事も思い出せるかね?」

 

「はい、でも…それがなんですか? 普通は当たり前の事ではないんですか?」

 

何か引っ掛かる物言いに、ざわざわと不安が込み上げて来る。

 

「それに、眠っている時にも意識はあって、何かをぼんやりと考えていたりしないかね。」

 

「だから、それがなんだって言うんです⁈ 」

 

私が……私が人間では無い。

彼は確かにそう言った。

であるなら、私はいったい何だと言うの?

 

「普通の[人]ならば、全て憶えているとか、眠っているのに意識があるという事は無いんだよ。それは余程の異才か、さもなくば人外だという事になる。」

 

「人外って、それじゃあ……それじゃ私はいったいなんなの⁈ どうして貴方は私にそんな酷いことを言うの? 貴方はいったい、何だと言うの‼︎ 」

 

不安が口から溢れ出した。

酷い、辛い、悲しい。

彼は、何故、どうして、私を追い詰めるの?

訳がわからない。

 

「私も、[人]では無いからだ。」

 

いったいなにを言われたのか、理解出来なかった。

 

「私はね、『アンドロイド』なのだよ。魂を持たぬ、作り物の人形だ。」

 

「アン…ド…ロ? なに? なにを、言って…いるの? だって、貴方は私と喋ってる…食事もした。それなのに、人形だなんて、信じられない!」

 

「どうやら、本当になにも記憶に無いようだな。」

 

「だからっ! さっきからそう言って…‼︎ 」

 

<落ち着きなさい。聴こえているだろう?>

 

急に、私の頭の中に声が響いた。

 

「なに? なんなのもう! 私は、頭がおかしくなったの?」

 

<おかしくなど無い。これが、私と君が同族だという意味だ>

 

頭の中に優しく声が響き渡る。

そこには悪意など感じられなかった。

 

<私は……その、アンドロイド、というものなの?>

 

私も、恐る恐る頭の中で聞き返した。

 

<そうだ。『データリンク』が出来るのはその証拠だ。>

 

<データ…リンク…>

 

<今、私と君は意識が繋がっている。君は一人では無いんだ>

 

私は……私は、一人じゃない。

その言葉に、眼から涙が溢れた。

 

 

「落ち着いたのかね?」

 

「ずみまぜん……お騒がせしました。」

 

さっきまでわんわんと泣いてしまい、ようやく頭の中がスッキリした。

 

「あの、タカティンさん、その…もっと、色々と教えて…くれませんか? 私、もっと知りたいんです。私の事……貴方の事も。」

 

最後は声が小さくなってしまい、ゴニョゴニョといったふうになってしまった。

どうやらそこは聞き取れなかったようで、なぜかホッとしてしまった。

 

「今日はもうここまでにしよう。一度にやっても混乱してしまうだろう。もう寝なさい。」

 

「タカティンさんはどうするんですか?」

 

「少し仕事が残っているからな。それを片付けてから寝るよ。」

 

「あ、はい……わかりました。」

 

タカティンさんに促されてベッドへと潜り込む。

すぐにそのまま……私は眠りについた。

 

眠っているけれど、タカティンさんがテーブルの上で数冊の本の手入れをしている音を聞いていた。

 

小一時間ほどすると、彼もテーブルの上を片付けて、もう一つのベッドへと潜り込んでいった。

 

なぜだか彼の事が、とても気になった。

 

 

彼と出会ってから三日が過ぎた。

私は銀髪を茶色く染め、服も変えて眼鏡をかけた。

今も彼と一緒にいて、露店の手伝いをしている。

 

人に聞かれたら、タカティンさんの妹だと言う事にしている。

 

あの男達は、まだ私を探していたけれど、今の私を私と気が付いていない。

内心はヒヤヒヤしているけれど、彼と一緒なら安心出来た。

 

でも、私もいつまでも彼に甘えているわけには行かないとは思っている。

なにが出来るというわけでもないのだけれど。

 

「さて今後の事だがニケー、君の記憶(データ)のサルベージを行おうと思う。」

 

「記憶の……サルベージ?」

 

「うむ、君の失われた記憶を呼び覚ます。」

 

それは思いもよらない提案だった。

 

「それをすれば、私は私を思い出せるの?」

 

「危険では無いが完全に成功するとは限らない。無論、無理にとは言わない。」

 

「少しだけ、考えさせて。」

 

少し、迷ってしまった。

確かに、思い出せる可能性があるがあるのなら、それに賭けたい。

 

けれど、成功しなかったら?

私がいったい誰なのか、判らないままだったら?

その可能性が、私に躊躇させる。

 

しばし逡巡。

そして意を決する。

 

「私、可能性に賭けてみます。タカティンさん、お願いします。」

 

「判った。では今夜行おう。」

 

タカティンさんは今日は店じまいだと言って、いそいそと露店を片付けてしまいました。

 

とても大きな荷物になっているけど、下位巻物の風魔法レビテイトによって荷物を浮かせて、宿の荷物置き場にあっという間に運んでしまった。

 

部屋に戻り、夕食を終えてから、改めて私達は向き合いました。

 

「まぁ力を抜いて、楽にしたまえ。」

 

「……わかりました。」

 

私は心を落ち着かせる為、何度も深呼吸をしました。

それでも、心臓の鼓動はなかなか落ち着いてはくれません。

 

「さて、それではニケー、こちらに来たまえ。」

 

いよいよ、私の記憶(データ)のサルベージを行う事になった。

私は期待半分、不安半分といった心持ちです。

 

「では今からサルベージを行う。気を楽にして、決して取り乱さぬように。」

 

「はい、よろしくお願いします。」

 

次の瞬間、私はタカティンさんの腕の中に抱かれた。

 

「?え? ええ? えええ?」

 

「今から君の中に入る。」

 

耳元でそう囁かれ、気恥ずかしさで身体に力が入る。

私は思わず彼の背に腕を回してしまった。

 

「あ、あの……私、こういうのは初めてで、その……優しく、してください。」

 

私は何を言っているの?

さらに恥ずかしさが大きくなる。

 

<聞こえるかね? これから君の記憶のサルベージを開始する。>

 

頭の中に声が響いて、私が返事をする間もなく次の瞬間、彼が私の中へ、私の意識の奥底へと、深く深く入ってくるのが判った。

 

彼が、私の奥へ、奥へと、潜り込んで来る。

彼に、私の中をこじ開けられ、掻き回されて、私の知らないところまで、何もかも曝け出される。

 

身体の芯が、熱い。

 

ダメ、待って、そんなにされたら私……、どうにかなってしまう!

おかしくなりそう!

 

<もう少しだ。もう少しだけ我慢したまえ>

 

彼の声に頭の中が痺れて、それから……

 

「ダメ、ああ、あぁぁあ!」

 

頭の中が真っ白になって、私は脱力した。

足に力が入らず、立っていられなかった。

 

「もう大丈夫だ。終わったぞ。」

 

「はぁ、はぁ……、あの、私、…あぅ、恥ずかしい……。」

 

彼の顔を見る事が出来ない。

 

そのままタカティンに付き添われ、私はベッドに腰を下ろしました。

タカティンさんは、扉の近くで壁に背を預けて、何かを考えているようでした。

 

「二人とも疲れ様でした。」

 

聞き慣れない、女性の声が聞こえたと思った直後、扉が開き。

 

「お久しぶりですね、タカティン・モーントシュタイン。」

 

タカティンさんの頭に銃を突きつけながら、彼女はそう言いました。



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電子の歌姫 #3

「タカティンさん‼︎ 」

 

立ち上がろうとした私を、タカティンさんは右手を上げて制しました。

 

「久しぶりだな。ところでこれはどういった趣向なんだ?」

 

「ええ、ただ貴方を殺してしまいたい衝動に駆られているだけです。お気になさらず。」

 

二人は知り合いのようでした。

しかし、この状況はなんなのでしょう?

 

なぜ彼女はタカティンさんに銃を突きつけているの?

 

「何時から居たんだ?」

 

「最初から。貴方がどうするか、ずっと観てました。そして、お母様の予想通りの動きをしていて腹が立ちます。」

 

「すると今回のはザフィーアが企てたのか……、相変わらず食えないな。」

 

タカティンさんはため息混じりに笑っています。

私は訳がわかりません。

彼女は私を睨むように視線を投げかけてきました。

 

突きつけた銃はそのままで。

 

「初めまして、私はカトレア・シュタールといいます。『ソキウス』のメンバーの一人で、そして……」

 

そこで言葉を切り、タカティンさんの胸ぐらを掴んで引き寄せ、それから……

 

それから、強引にタカティンさんの唇を奪いました。

 

「ん……、この人の恋人です。」

 

あまりの事に、頭の中がまた真っ白に……

 

 

「落ち着いたかね?」

 

「……ずみまぜん、お騒がせしました。」

 

あの後、不覚にも涙が溢れてしまい、わんわんと泣いてしまいました。

 

「おいおいカトレア、やり過ぎだよ。流石のアタシもビックリしちまったよ。」

 

「そうですわ。まったく、この人の事になるとすぐに熱くなって。」

 

カトレアと呼ばれた女性の他にも、もう二人。

三人の見知らぬ女性達が、私達を囲んでいます。

 

「……ごめんない。私も冷静さを欠いていました。」

 

「私も、ぐすっ、色々とビックリして取り乱してしまいました。」

 

本当に色々とあり過ぎて、理解が追いつかずに取り乱してしまった。

彼が見ている目の前だというのに……。

 

……恥ずかしい……。

 

「まずは自己紹介しとくか。アタシはディジー・シュタール、こっちはダリア。それからこの痴女はカトレアだ。」

 

「誰が痴女ですか!………まぁ、いきなりあんな事をしてしまっては、言い訳も出来ませんね。」

 

カトレアと呼ばれた女性は、ふうっと息を吐き、一呼吸おいてから言いました。

 

「それもこれも、この人が誰それ構わずにあんな事をするから……。それで、彼女の全てを知り尽くした気分はいかが?」

 

カトレアさんはタカティンさんを睨め付けます。

 

「ちょっと待て、人聞きの悪い事を言うな。私は何もやましい事などしていないぞ。」

 

「貴方は記憶のサルベージをされた事が無いからそんな事が言えるのよ。記憶を全て覗かれるのは、その……なんて言うか……とにかく、とても一言で言えるような事では無いの!」

 

「だってよ。アンタも見境無しにするのはよくないぞ、っと。」

 

カトレアと名乗った彼女の口振りからは、記憶のサルベージを受けた事があるようです。

もしかして……彼女も彼に?

 

「ああ、わかったわかった。それよりもだニケー、君の本当の名前を教えてくれ。」

 

「ふえ? 私の…本当の? えと、……アポフィライト。私の名前は、アポフィライトです。」

 

今まで混乱していたから気付かなかったけれど、私は私が誰なのか、解る。

 

私の名前はアポフィライト。

WARESによって製造され、新人類解放軍に鹵獲改造された、電子戦専用アンドロイド。

 

私は全てを思い出した。

 

「私の歌は……、私…、兵器、なんですね。私は、ただ、歌うのが……、好きなだけなのに……。」

 

私の歌は……、私の歌は、WARESの造った無人兵器をその支配下に治める為の特殊プログラムを組み込まれている……。

 

「でも貴女の歌は、特殊プログラムは未完成。貴女の歌は無人兵器やAIを暴走させてしまう。……とても危険よ。」

 

私は、自分自身の出自に深く失望した。

こんな記憶、知りたく無かった。

思い出したく無かった。

 

私、私は、歌が好きな、ただの女の子でいたかった。

 

「おい! 知っていたのなら、なぜサルベージを止めなかった! ザフィーアは何を考えている!」

 

「私を、どうするんですか? 私は、殺されるの?」

 

私は、彼女に聞いた。

私は、まだ生きていたい。

歌が好き。歌を歌いたい。

 

「それは…、アポフィライトの歌からプログラムを取り除く為。その為にはタカティン、貴方の協力が必要なの。」

 

私の、特殊プログラムを取り除く……?

それは、つまり……。

 

「ニケーからプログラムを取り除くのだな?」

 

「ええ、その為に私は来たの。」

 

「私、殺されたりしないの?」

 

「そんな事はしません。貴女も私達の姉妹なのだから。」

 

また足の力が抜けて、へたり込んだ。

まだ、生きていられる。

 

「アポフィライト、歌って下さい。それを私達四人で解析して、アンチプログラムを打ち込みます。」

 

「でも、私の歌はみんなを狂わせてしまうかも……。」

 

「大丈夫です。タカティンの演算能力を私達三人とのデータリンクで引き上げれば、決して不可能ではありません。」

 

「ふぅ、分かった。それならばやるとしよう。ニケー、大丈夫だ。私達がついている。」

 

その顔は決意に満ちていて、私も信じたくなりました。

 

「タカティンさん、皆さん……、分かりました。よろしくお願いします。」

 

「では……、始める。」

 

「はい。」

 

私は息を深く吸い込み、静かに吐き出してから、そっと歌い出した。

 

その歌に合わせ、四人の意志が私の中に入って来ます。

 

私の歌と四人の意志が完璧に調和して、本当に一つの歌になりました。

私を見護るみんなに変化はありません。

 

ううん、まるで歌に聴き惚れているようでした。

 

そして歌い終わり数瞬して、拍手。

私の歌を聴き終わった時の四人の素敵な笑顔。

 

こんなにも幸せな気分になったのは、初めてかもしれない。

 

「無事にプログラムを解除出来た。これで君は何も心配する事は無い。」

 

嬉しさのあまり。

 

「ありがとうございました。」

 

思わずタカティンさんの胸に飛び込んでしまいました。

そんな私を彼は優しく抱き締めて、頭を撫でてくれました。

 

それから……

 

「タカティン、ちょっとお話があります。」

 

「カトレア、いちいち銃を頭に突き付けるのは辞めろ!」

 

「あーはっは、これは良い、傑作だ。」

 

「あらあら、これがいわゆる修羅場というヤツなのですわね」

 

私が、自分の運命から解放された瞬間でした。

 

 

聖華暦818年7月7日 帝都ニブルヘイム 中央大歌劇場

 

あれから、私はアンドロイド達の秘密結社『ソキウス』によって保護され、ここ帝都ニブルヘイムの中央大歌劇場で歌手としてデビューさせてもらった。

 

あの人達とは、その時に別れたきり。

結局、私の気持ちを、あの人には伝える事は出来ないままだった。

でも、今はそれで良かったと思ってる。

 

これは私だけの秘めた想い。

それはきっと届かないのは知っているけど。

でも、いつかまた出会えたなら、その時は、この気持ちを伝えようと思う。

 

だから私は歌う。

愛する事を知った喜びを、翻弄する運命への怒りを、どう願っても届かない想いの哀しみを、かけがえの無い人達と過ごした楽しさを。

 

今日も私は歌い続ける。

それら全てとの出会いに、精一杯の感謝を込めて。

 

ありがとう。



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二人の居候 その4

私達は昼食を済ませて店を出ました。

 

リディアの普段着や雑貨など、思いの外沢山のものを買ってしまいました。荷物を抱え、帰路につきます。

帰った後にディジィとダリアがリディアを着せ替え人形にする気なのがアリアリと見て取れ、軽く溜息が出てしまいました。

 

帰り道の途中、聖導教会の前を通りかかった時に人集りが出来ています。

少し気になったので私達はそれを遠巻きに観察をしました。

集まった人達はそれぞれに着飾り、楽しそうにソワソワと落ち着かない様子です。

 

教会の鐘が鳴り響き、それと同時に正面の扉を三女神教の助祭が恭しく開いて、中から真っ白なウェディングドレスを着た花嫁と、真っ白な燕尾服を着た花婿が花嫁をエスコートして現れました。

 

「あぁ、今日は結婚式があったのですね。」

 

新郎新婦が出て来ると、人集りは一斉に歓喜して拍手を打ち鳴らします。

そして助祭から花束を一つずつ渡された新郎新婦は、参列者の群れに花束を投げ入れました。

 

湧き起こる感嘆と嬌声。

花束を掴んだ女性はとても嬉しそうに笑い、周りの女性達はそれを羨ましそうに見つめています。

 

「いやぁ、めでたいな。」

 

「ええ、とても良いものが観れましたわね。」

 

新郎新婦の姿を見て、微笑ましい光景を見つめます。

 

いずれは自分もあの人と式を挙げる姿を想像してしまい、なんとも気恥ずかしい気持ちが湧いてきました。

表情が緩んでいないか心配です。

 

「さて、この次は誰が…」

 

<三人とも、リディアのバイタルが急激に変化しています!>

 

ディジィがニヤついた顔で何かを言いかけたその時、スクルドの突然の警告に私達は一斉にリディアを見ました。

 

リディアは自分を掻き抱き、ガタガタと震えてその場に膝を突いています。

顔色は青く、目の焦点が合っていません。

 

「リディア、どうしました? しっかりして!」

 

「カトレア、ダリア、荷物を持て! アタシが連れて帰る!」

 

ディジィは私達に荷物を押し付けると手早くリディアを抱え上げ、彼女に負担をかけないように気を配りながら駆け出しました。

 

私とダリアも両手いっぱいの荷物を持ってともに駆け出しました。

 

いったい何が?

あぁもう、何が起こったというのですか!

 

 

激しく狼狽え、震えるリディアに鎮静剤を打ち、彼女を眠らせました。

 

リディアの額から浮かぶ汗を拭き取り、彼女の身体のチェックを行います。

身体的には特にこれといった異常は認められず、ひとまずは安堵しました。

 

『心拍数は安定してきました。ですが脳波にノイズを検知……、これは、夢を観ているようですね。』

 

「夢……ですか。」

 

『ええ、それも残念な事に悪夢と呼ばれる類のもののようですが。』

 

彼女の内面、精神的な面ではどのような変化が起こっているのか、予想ができません。

 

「スクルド、引き続き彼女のバイタルチェックをお願いします。」

 

『わかっています。他にやることもありませんし、お願いされるまでもありません。』

 

私とディジィはその場をスクルドとダリアに任せて退出しました。

何かを殴りつけて叩き壊したいという衝動が湧き上がり、すぐにそれを押さえつけて消し去りました。

 

「あぁ、くそっ! なんか出来る事は無いのかよ!」

 

ディジィは感情を吐き出して自身の平静を保っています。

[人]では無い私達『アンドロイド』には、所詮は[人]の内面をどうにも出来ないのでしょうか。

 

なんとも言えない無力感を感じ、深く溜息をつきました。

 

 

<リディアが目を醒ましましたわ。>

 

ダリアからの通信を受けて、私達はリディアのもとに集まりました。

 

彼女の表情は幾分かは落ち着いていましたが、激しく打ち沈んでいるのはあきらかです。

彼女の額にそっと手を当てます。

 

「……熱は無いようですね。気分はいががですか?」

 

「私……、私、夢を観たの。とても……とても、嫌な夢。」

 

「大丈夫、それはただの夢、現実ではありません。」

 

私の言葉に、リディアは突如豹変しました。

 

「……違う、違う違う違う違う! 夢なんかじゃ無い! 夢なんかじゃ……無い……。」

 

最後は力無く呟くように、彼女は項垂れてしまいました。

 

私はベッドに腰を下ろして彼女を抱き寄せ、そっと優しく頭を撫でました。

 

リディアは大粒の涙を流し、咽ぶように泣きじゃくります。

私は、彼女の気が済むまで彼女抱きしめ続けました。

 

ひとしきり泣きじゃくったリディアはようやく落ち着いて、疲れてまた眠りました。

 

私達はこの事態をどう対処するべきか、悩みました。

 

「リディアに夢の内容を聞くべきでしょうか。」

 

「だけどなぁ、さっきの様子だと考えてる以上に深刻じゃないかなぁ。」

 

「ですけれど、このままという訳にはいきませんわ。そっとしておいても何の解決にもなりませんもの。」

 

そんな事は分かりきっている事です。

ですが………

 

『人間は厄介ですね。我々のように不要な記憶を削除したり、傷んだパーツを取り替えるようにはいかないのですから。』

 

「そこなんだよ。」

 

スクルドの言葉にディジィが同意します。

本当に、そう出来れば誰も苦労なんてしないのです。

 

私は決断しました。

 

「やはりリディアに話を聞きましょう。今は辛くても、早期に解決なり対策なりをしなければ、彼女の為になりません。」

 

私の言葉に三人は沈黙のまま同意しました。



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二人の居候 その5

「………私、どこかの小さな村の、小さな教会で結婚式があって……私が……純白のウエディングドレスを着ているの。」

 

リディアは少しずつ、恐る恐るといった様子で夢の内容を話し始めました。

 

「目の前にはリヒト君がいて。背中を向けてたけど、リヒト君だってわかったの。一歩前に出ようとした時に、背後から……声を……掛けられて…、振り向いたら、ズタボロの……真っ赤な血の色のドレスを着た私が立ってた……。私…、その姿を見たら、足がすくんで、目を離せなくなって……。」

 

俯いて、途切れ途切れに話すリディアの表情は判らない。

でも、その声色にはハッキリと絶望が乗っています。

 

「もう一人の私はこう言ったの。私に似合うのは、その綺麗なドレスじゃない、こっちの襤褸切れでしょう?」

 

「……。」

 

彼女の話に私達は何も言えず、ただ聞く事しか出来ません。

 

「判らない? そんなはずないわよね? 私だもの、忘れたくても無駄よ、忘れられるわけがないもの、どんなに無視しても、私たちの胎にはいつも傷跡があるのよ。……私、やめてって叫んで、でもやめてくれなくて……。」

 

彼女がどれほど傷つき苦しんでいるか、どれほど深く悲しみ絶望しているか、それすら推し量ることさえ出来ない。

 

「覚えてるんでしょう? 力づくで敷き倒されて、どんなに泣き叫んでも止めてはもらえず、初めてを力づくで奪われて、それでもその内にそれが気持ちよくなってきて……。私は違うって言ったのに! もう一人の私は……違わないわよ、私だもの、誰よりも知ってるわ。全部諦めた振りをして、快楽に溺れて腰を振っていた事もね。」

 

リディアの声は段々と早くなり、感情的になっていく。

 

「幸せになろう、なんて思う事そのものが、大罪なのよ、私にとっては、思う事すら許されない、罪なの。判ったら、もう一度考えてみるのね、現状維持は決して悪い事じゃないわよ。」

 

そこまで言って、リディアはまた声を殺して泣き始めました。

私はただ、彼女を強く抱きしめました。

 

「リディア、もう良い、もう良いの。」

 

けれども、一度堰を切った感情は止めどなく溢れて、彼女の過去を吐き出し続けました。

 

「私……あそこで目覚めてから、体中を弄られたの……『花嫁』に足る魔力があるから、とかどうとか……。」

 

メカニカが『聖歌システム』とリンクするディーヴァを『花嫁』と呼称している事は知っています。

それは聖歌システムを搭載した機体との番であるだけでなく、機体の操手の所有物だという事を表しているのです。

 

「スクルドの身体との相性が良いと判ってから、私はアラドヴァルの『花嫁』として調整されたわ……けれど、アラドヴァルをまともに動かせる操手は、あそこには現れなかった」

 

『まぁ、私がスリープ状態でしたから、セーフティは働いてましたしね』

 

リディアの話を補足するように、スクルドが一言。

 

「……動かない機体と結ばれた『花嫁』は全体のモノとして扱われたわ……身の回りの世話や、食事なんかの準備……それと、夜伽……。勿論、皆嫌がったけど……力づくでされたら、逃げ切れなかった……」

 

<続けさせて大丈夫なのかよ?>

 

ディジィも話の内容の重さに彼女の心が潰れてしまわないか、心配でならないようです。

 

<現状、超の字がつくほど止めるべきです。しかし、彼女のクソ(Fuckin)ガッツを無下にできませんよ>

 

<スクルド、口調が海兵隊ですわよ>

 

「私、私は……、こんな、穢れきった私じゃ……、きっとリヒト君も……ガッカリしちゃう。きっと…きっと不幸にしちゃう……、嫌われちゃう。」

 

これは、もはや呪いとしか言えません。

AIである私が言うのもおかしな事ではあるのですが……。

 

彼女に科せられた呪いは余りにも重く、こんなにも一人の少女の心を擦り潰してきたなんて。

 

ですが、彼女の呪いを解く方法はあります。

私は天を仰いで涙を流すリディアの顔を覗き込み、その瞳を真っ直ぐ見つめました。

 

「リディア、大事なのはお互いを想う気持ちよ。貴女が真っ直ぐに彼を好きだという気持ちに穢れなんて無いわ。」

 

「でも、でも、私は……。」

 

「リディア、もしリヒトがぐだぐだ言うんだったらアタシがブチのめす!」

 

「その時は加勢いたしますわ。」

 

ディジィとダリアも、リディアの為に、力になりたいという想いは同じです。

 

 

ひとしきり感情を吐き出したリディアは気を失うように、また眠りにつきました。

彼女の心の傷はとても深刻なものです。

 

どうにかして少しでも軽減させなくては、彼女自身に悪影響を与えるばかりです。

 

<カトレア。>

 

<多重暗号での秘匿通信とは物々しいですね。>

 

スクルドが私にだけ、リンクを繋いで来ました。

あまり聞きたくない内容なのは容易に想像がつきます。

 

<それだけ他に聞かせられないという事です……それと、あくまで憶測を多分に含む事ですので。>

 

<……。>

 

<搭乗当初にサンプリングした血液サンプルの解析が今出たのですが、Hcgホルモンと黄体ホルモンが同年齢の平均より多く確認されています。>

 

<……なんてこと……。>

 

私が人間であったならば、きっと頭に血が昇って怒り狂うか、血の気が引いて気が遠くなるかしてしまっていたでしょう。

それだけ衝撃の大きい情報でした。

 

<子宮がカラなのは確認していますから残滓でしょう。無理矢理犯されて妊娠、どんな方法かは判りませんが中絶、思春期少女の心を折るにはこの上もありませんね。>

 

<淡々としたものですね?>

 

スクルドの抑揚の無い声色に、ほんの少しだけ苛ついてしまう。

 

<煮えくり返る腸の在庫を尽かしているもので。>

 

ですが、彼女とて私と同じで、機械であるがゆえに平然としていられる、というだけなのでしょう。

 

<判りました。それも踏まえて、今後の対策を検討しましょう。>

 

私達が怒り狂ったところでどうにもなりません。今はただ、リディアの身体と心の治療(ケア)を優先にすることが重要なのです。



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二人の居候 その6

リディアの治療を検討するとは言ったものの、いったいなにをどうすれば良いのか、全く検討もつかない、という手詰まり感が、私達の間で漂い始めていました。

 

この聖王国には、いえ、おそらく三国中探したとしても、科学技術の排斥されたこの時代には心の傷を癒してくれる精神科医は存在しないでしょう。

 

ならばどうするか。

 

『今の時代に再生治療はあるのですか? そうならば、リディアの傷を無くしてしまえば少なくとも原因の一つは解決しますね。』

 

ならば心の傷の直接的な原因である身体の傷を治療するのが一番手っ取り早いのではと。

 

そんな発想が出てくるのは、やはり私達が所詮は機械でしかないという証左なのかもしれません。

 

「再生治療……、そういえば性被害者の救済の為に光魔法を使った治療があるって聞いた事がありますわね。」

 

『ほぅ、存在するのですね。しかし魔法ですか。今更ですがここがファンタジーの世界なのだという認識はなかなか持てませんね。』

 

「スクルド、今の魔法はファンタジーなどではなく、れっきとした『技術』です。アンドロイドにはその魔法を発動させる為の理論がイメージが出来ないだけです。」

 

魔法は技術と言いましたが、魔法を発動させるには明確なイメージ力が必要なのだとか。

 

そう、アンドロイドはプログラムとデータがその本質。

すでに立証された理論を反芻する事には高い適正を持っています。

 

ですが、人間のような柔軟な発想力と想像力に乏しいようで、最初のアンドロイドが覚醒してから400年経った今でも、魔法を使えるアンドロイドは現れていないのです。

 

『それで、その光魔法とやらの治療はどこで受けられるのですか?』

 

「お前の嫌いな聖導教会だよ。」

 

ディジィがややウンザリした表情で答えました。

 

『Fuckin sit! なぜにここに来て不確か極まりない神頼みなどしなくてはならんのですか!』

 

「まったくだ。」

 

『女神とか曰うクソビッチに頭を下げてお願いしなくてはいけないなど、なんという屈辱。』

 

「スクルド、はしたないですわよ。」

 

しかし、実際のところ光魔法による治療はとても効果的なのも事実です。

かつてのWARESが開発したメディカル・ナノマシンさえも上回るのですから。

 

それはもはや治療などというレベルでは無く、復元とさえ言っていい。

 

「ともかく一度、相談をしに行ってみても良いかもしれません。」

 

「ただ、けっこうふっかけてくるそうですわよ。」

 

ダリアの言った事は聞いた事があります。

お布施の額で治療の程度が違うなどという事を。

 

『やれやれ、カルトが金に汚いのはいつの世も同じですか。』

 

「一応カルトじゃねえけどな。……でもまぁ権力と癒着して腐敗してるのは確かだな。」

 

「ともかく、マラカイトかネフライトの名前を出せば、ある程度は融通も効くでしょう。」

 

マラカイトとネフライトはソキウスが聖導教会へ送り込んだアンドロイドで、どちらも司教の地位にいます。

 

『マラカイト、ですか。そういえば以前に会っていますね。なんとも胡散臭そうなAIだと思っていましたが、なるほど生臭坊主ならば納得です。』

 

「はっは、そりゃいい。アイツは確かに生臭坊主だよ。そっち側に取り入るように動いてるからな。」

 

「教会をディスるのはそれくらいにしなさいな。カトレアの眉間の皺が増えてますわよ。」

 

「ダリア、余計な補足をありがとう。」

 

ディジィとスクルドの脱線に少しだけイラついていたのは事実です。

 

 

私達は聖導教会へとやって来ました。

今回は話を聞くだけなので、リディアは連れて来ていません。

 

ちょうど上手い具合にアハート配下の者達が、ダリアがリディア用に発注した同盟で流行している服を届けに来たので、しばらくの間のお守りを頼んだのです。

 

リディアの気晴らしを兼ねて、彼女らにリディアを着せ替え人形にしてもらっています。

さて……。

 

「付いてくる……のは良いけれど、あなた、聖堂教会の神官の言う事に一々ツッコミ入れそうでねぇ……」

 

『神頼みが嫌い転じて神様を信じる気持ちと言うのは理解できませんからね、助けを求めて祈る時間を自らを助けるために使う方が有意義です。』

 

私の首から下げたスクルドは臆面もなく言ってのけます。

 

「判らなくはないけど……本当に自分ではどうしようもない、という事も多いものですわ。それこそ、私たちのリディアへの現状みたいに。」

 

「実際、薬物治療だってプラセボ狙って偽薬使ったりするだろ? それにさ、どんな困難にも誰にも何にも頼らずに独りだけで解決できる奴が居たとして……そういうのって、人って言えるか? ……アタシは、仮にそういう人間が居たとしたら……構成が生体ってだけで、アンドロイドみたいなもんじゃねぇかって思うけど。」

 

ディジィが珍しくまともな事を言ったような気がします。

 

「今珍しくまともな事を言ったとか思ってないか?」

 

「そうね、たまには真面目な事を言うと感心しました。」

 

私も意地悪く返します。

ディジィは大袈裟に肩をすくめました。

 

『無限ループに入りそうな話題になりますね。ですが、超人思想があまりにも現実に合わないのは同意する所です。』

 

「それじゃあ、お喋りはここまで。行きましょうか。」

 

私達は顔を見合わせて教会の扉を開き、中へと入ります。

雑務をしている助祭に声を掛けて、司祭へと取り継いでもらいました。

 

ここから、事態がどう動くかはまだわかりません。

ほんの僅かなりとも、リディアの心を救う手掛かりが得られれば良いのですが。

 

本当に、神に祈りたい気分です。



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家族のカタチ

※今回は三人称視点でお届けします()

 

聖華暦835年 12月

 

「おはようございます。昨夜はお楽しみでしたね。」

 

朝。

カトレア、ディジィー、ダリア、スクルドの四人が顔を合わせるなりディジィーの開口一番。

 

「ディジィー、あまり揶揄うとカトレアがキレますわよ。とは言え、婚前だというのにお盛んですわねぇ。」

 

『なるほどなるほど、今後の参考に是非とも詳細を教えていただきたいですね。』

 

「三人ともお黙り。」

 

しかし、カトレアの表情は曇っていた。

先日、久しぶりにタカティンとリヴルがシュタール邸を訪れているのだ。

いつもの周期からするとかなり早い、数ヶ月ぶりの来訪に、カトレアはずいぶんと喜んでいたのだが。

 

「どうしたの、カトレア。ディジィーの言った事が気に入らなかったのかしら?」

 

「別にそういう訳では、って、それを言ったら貴女も。……でもまぁ一応、事実ではあるし。」

 

ダリアの表情が緩む。

それはオモチャを見つけた子供のそれと大差無いくらいに。

 

「あらあらあらあら、どうしたの? タカティンとの夜の営みは不満があったのかしら?」

 

「もしかして下手くそだったか?」

 

『アンドロイド同士の行為には興味がありますね。是非詳細なデータを。』

 

「三人とも、本当にお黙り。」

 

カトレアが怒気をはらんだ視線で三人を睨め付ける。

 

「まあまあ、私達は貴方達の心配をしてるだけよ。決してオモチャにしようとか思ってませんわ。」

 

「ダリア、本音も漏れてるぞ。」

 

はぁ、とカトレアがため息をつく。

 

「まぁいいわ。……下手なんじゃなくて、上手いというか、慣れてるような感じが……。」

 

あぁなるほど、と、三人は思った。

相手が初めてでは無さそうなのが気がかりなのか。

 

「まぁ、あの人は私達より100年以上長く稼働していますからそれまで経験が無い事も無い可能性はありますわね。」

 

ダリアの言葉にカトレアの表情がさらに曇る。

 

「案外リヴルだったりしてな。ま、流石にそれは……。」

 

ディジィーは言いかけて言葉を止めた。

 

……ありえる……。

 

カトレア、ディジィー、ダリアの三人は同時に思った。データリンクしてるわけでもないのに。

 

「い、いや、流石に無いだろ。いくらなんでも。」

 

「ですが、思えばタカティンのリヴルに対する態度は他の人へのそれとは明らかに違いますわ。執着してるような……。」

 

「もし……、もし、そうだとしたら……。」

 

『ウジウジ悩むより、本人に確かめた方が早いんじゃありませんか?』

 

スクルドの一言をきっかけに、三人は動き出した。

 

リビングでくつろぎ、リヴルとリディアが話しているのを微笑ましく眺めているタカティンを、一糸乱れぬ連携でもって一瞬で拉致ると連れ去った。

 

 

「これはどういう余興なのか、まずは説明をしてもらっても良いか?」

 

カトレアの部屋、椅子に座らされたタカティンを取り囲み見下す三人と一機のAI。

 

「説明しないとわかりませんか?」

 

「当たり前だ。」

 

いざ拉致ったはいいものの、どのように切り出すべきか、三人とも思案していた。

 

『タカティン、貴方はあのリヴルと肉体関係がありますか?』

 

「ちょっと!」

「おま、ストレート過ぎ!」

 

スクルドの右ストレートが華麗に炸裂し、カトレアとディジィーが慌てふためく。

 

「は? お前達はわざわざそれを聞く為にこんな真似をしたのか?」

 

「そうですわ。それで、どうなんですの?」

 

ダリアは努めて冷静に、あえて念押しする。

 

「論外だな。私はリヴルに手を出したりはしない。」

 

『それは絶対ですか?』

 

「絶対だ。」

 

その答えに周囲に安堵の空気が生まれる。

 

『だそうですよ、カトレア。良かったですね。』

 

「お前達、私とリヴルの仲を邪推したのか。まったく興味深い反応を見せるな。」

 

「違う、そうじゃ無い!」

 

けれども真っ直ぐにタカティンを見据え、カトレアが叫ぶ。

 

「正直に答えて。私以外の女性と関係を持った事はあるの?」

 

タカティンは少しだけ瞑目し、それから答えた。

 

「私はバツイチだ。」

 

それを聞いたカトレアが膝から崩れ落ちた。

 

「あぁ、カトレア!」

 

「あっちゃぁ、そう来たか……。」

 

『なんとまあ、アンドロイドがバツイチとは。それも貴方の言うところの人間観察の一環なのですかね?』

 

タカティンは相変わらずの仏頂面で四人を見回す。

 

「ひとまずその事について説明してほしいのですよ。」

 

さらにもう一人現れる。

 

「リヴル。」

 

「リヴルもタカティンが結婚した事があったのは初耳なのです。これは詳細に話してもらう必要があるのです。」

 

「お前達はなんでそうゴシップが好きなんだ、まったく。」

 

「それで、いつ結婚してたんだよ。まさか知ってるやつじゃないよな?」

 

「そ、そうよ、相手は誰? 誰なの? まさかアポフィライト? アポフィライトなの?」

 

「ちょっと落ち着け、今からちゃんと説明する。だから銃を出そうとするな!」

 

タカティンは呆れ顔でみんなを見回して、それから語り出した。

 

「今から100年ほど前だ。自由都市同盟の地方都市で、一人の女性と知り合い、成り行きで結婚する事になった。彼女は事情を抱えていたが、すでに故人だしここではもう関係無いから省く。それと、彼女には8歳になる一人の娘がいた。もちろん私の子では無い。」

 

『おや、子連れの女性と所帯を持ったわけですか。』

 

「そういう事だ。私は二人を連れて旅をしたのだが、彼女は2年で死んでしまった。」

 

ここでタカティンは俯いた。

表情は少し沈んでいる。

 

「もともと身体が強い方では無かったから、無理をさせてしまったのだ。娘と二人になったが、それからが大変だった。慣れない子育てに四苦八苦したが、とても良い経験だ。」

 

優しい表情を浮かべるタカティンを見て、五人は彼がその娘をとても大事にしていたと感じた。

 

「16歳になった頃、娘は帝国のペールノエル子爵家の青年と恋に落ちてな、二人で結婚すると言い出した。もちろん私も相手の親も反対した。身分違い甚だしいのは不幸を呼ぶだけだ。……だが、二人は真剣に私達を説得して、結局、その子爵家と縁のある男爵家に娘を養子に出し、改めて婚姻する事になった。養子に出した時点で、根無草の私は娘の汚点になってしまうからお払い箱となったわけだが。二人の結婚式を離れた場所から眺めて、娘ともそれきりだ。」

 

話を聞き終わり、しんと静まり返る。

 

「ぐす、タカティン、可哀想なのです。」

 

「別に可哀想などと思っていないぞ。色々と貴重な経験も出来たからな。それに、あの子はその後も不自由無く暮らして天寿を全うした。あれはあれで良かったのだ。まぁもっとも、その家は20年ほど前に流行病で当主夫妻が亡くなり、息子も同盟へ出奔して絶えてしまったがな。」

 

みんなは、なんだかまずい事を聞いてしまったと、半ば後悔した。

もっとも、当のタカティンはまったく平気そうだが。

 

「さて、気は済んだか? 確かに私は過去に結婚して子供もいた。だが過去の話だ。今はカトレアが私の婚約者、大切な女性だ。」

 

そう言われたカトレアは両手で真っ赤になった顔を覆った。

 

「惚気はさておき、リヴルの事はどう思ってんのか聞きたいんだけど良いか?」

 

ディジィーがタカティンに問うた。

それにはリヴルも聞きたいという顔をする。

 

「まったく、次から次へと。リヴルの事は私にとって特別だ。強いて言うならかけがえの無い家族だな。」

 

「むう〜、相変わらずリヴルの事は女として見てくれないのです。」

 

「そうむくれるな。可愛い顔が台無しだぞ。」

 

そう言ってリヴルの頭を撫でるタカティンの顔には、とても優しい表情が浮かんでいた。



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プロポーズ

聖華暦836年 1月

 

「ダリア、俺はもうすぐ配置転換でこの街(シャーリアン)を離れる。この俺について来て結婚してくれ!」

 

私、ダリア・シュタールの目の前で一人の男が芝居がかった動作で片膝をつき、私に指輪を差し出してきました。

 

彼の名はクラレンス・アーチボルト。

オールバックに撫で付けた赤茶色の髪、黒い瞳、やや角張った顔立ちで、体育会系のガタイの良い男性です。

シャーリアンに駐留するクルセイダー師団『ヴァース・アンセム』に所属するクルセイダーの一人でもあります。

 

この方とはほんの二週間前に知り合い、以後はお食事などを四度ご一緒した程度の間柄。

特別親密というわけでもなかったのですが、何を勘違いなされたのか、それとも転属するから一か八かの賭けに出たのか。

 

なんにせよ、こうして私を自分のモノにしたいという願望を剥き出しにして迫って来ているのです。

 

私、罪な女でございますわね。

とはいえ……

 

「クラレンス様、お申出はとても嬉しく思います。ですが、私は貴方の申出をお受けすることは出来ませんわ。」

 

「何故だ? 俺は下位とはいえクルセイダーの端くれだ。地位も資産もそれなりにある。顔もそこそこはイケてると自負もしてる。デートでは常に奢ってきた。どこに不満があると言うんだ?」

 

まずはこの中途半端に根拠の弱いナルシシズム。

どうして数回、物理的接触の無いデートで食事を奢ったくらいで女が惚れると思っているのかしら。

 

それに、デートのコースはいつも同じ。

付き従って当然という態度。

常に自分の自慢ばかり。

私のコーデを褒めた事など一度も無い。

 

そしてそういう部分にまったく気がついていない。

 

こんな品の無い男、誰だって願い下げですわ。

 

「ご不満なんて。ただ、私では貴方には不釣り合いでございますわ。貴方ならもっと素敵な方と巡り会えると信じております。」

 

とてもそうとは思えないのですけれど、ハッキリ言ってしまうと角が立つ、というかきっとキレさせてしまいますわね。

 

なので丁寧にオブラートに包んでやんわりとお断りをしたのですが……

 

「なんと奥ゆかしい。ますますもって気に入った! 是が非でも俺の妻に!」

 

……はぁ、脳筋にやんわり言っても通じないのはいつの時代も同じ事ですかそうですか……。

 

困りましたわねぇ。

ますますもって鬱陶しくなってまいりましたわ。

 

「さぁ、勿体ぶらずに返事を聞かせてくれ。」

 

……コイツ。

流石にイラッとしてしまいました。

 

しかし、相手はアホでもクルセイダー。

ぞんざいに扱って後々禍根を残すような事になれば、どのような嫌がらせをして来るか、分かったものではありませんわね。

 

なにか良い方法は……。

 

その時、私の視界の端にある人が映り込みました。

丁度良い、少しだけ助けていただきましょう。

 

<タカティン、少しだけ助けていただけないかしら>

 

<断る。自業自得だろう、自分でなんとかしろ>

 

理由も聞かずににべもなく断ってくるなんて……

 

<あら、私が今どういう状況かお判りという事は、どこかで覗き見なさっていたのかしら?>

 

<覗き見などせずともあの大声だ、この距離からでも何があったかは知れる>

 

<そこをお願いいたしますわ。このまま放置していては業務にも障りが出てしまいますもの>

 

視界の端でタカティンが溜息を吐きました。

なんのかんのと言ってもこういう事には首を突っ込んでくれるのが、この人の良いところですわね。

 

「取り込み中、申し訳ない。」

 

「なんだ貴様? 今俺は人生最大……」

「まぁ、義兄さん! 迎えに来てくれたのですわね。」

 

脳筋(クラレンス)の言葉を遮って、自分の腕を素早くタカティンの腕に絡めて彼の背後に回り込みました。

 

「にい、さん…? 貴様、彼女の身内か?」

 

「そうだが? 貴方は義妹(ダリア)になんの用かね?」

 

訝しむクラレンスから私を完全に隠すように、タカティンが立ち塞がります。

なにもそこまでしなくても良いですのに。

 

「俺は今、彼女にプロポーズをしているのだ。家族だろうと邪魔せんでもらおう!」

 

「ならばダリアが断ったのだから、話はここで終わりだ。帰りたまえ。」

 

「っ、なにを! 彼女は恥ずかしがっているだけだ! 勝手に決めるな!」

 

それはアナタの事ですわよ。

大声でそれを言ってやりたい衝動に駆られそうになりますわね、まったく。

 

しかし、二人の男が私を巡って争うというのは、まだ経験した事がありません。

 

………正直言って、私はなんて罪作りな女なのでしょう。

 

<勝手に浸っていないでお前がキチンと断らないか>

 

<あら、ごめんあそばせ>

 

「いいか、俺はクルセイダーだぞ! その気になればどうとでも出来るんだぞ!」

 

あーあー、とうとう自分の地位を持ち出して来ましたわね。

本当に、この手合いは自分の思う通りにならなければ手段を選ばないのですわね。

 

「なるほど、クルセイダーか。ならば少し待ってろ。」

 

そう言うと、タカティンは懐から多機能通信魔導器(エニグマ)を取り出し、どこかへ通信をかけます。

通信が繋がると、クラレンスに背を向けて話始めました。

 

「お仕事中申し訳ない、いつも御贔屓にありがとうございます。……いえいえ、とんでもございません。……はい、はい、………ええ、少し頼みがございまして…………はい、ええ、……それではよろしくお願いします。」

 

一部はよく聞き取れませんでしたが、何かを頼んでいたようですわね。

そのすぐ後に、クラレンスの多機能通信魔導器(エニグマ)が着信を示すチャイムを鳴らしました。

 

「なんだ、こんな時に…、ハイ、アーチボルト……ハイっ‼︎ 」

 

クラレンスはぞんざいに返事をしてから、すぐに背筋をピンと伸ばして姿勢を正し、裏返ったような声で通信相手に返事をいたしました。

 

「あ、ハイ、イエ、ソノヨウナコトハ……、ハイ、ハイ、……ワカリマシタ、シツレイシマス……」

 

通信が切れると、クラレンスはガックリと項垂れました。

 

<なにがあったんですの?>

 

<彼の上司に連絡を入れた>

 

<上司?>

 

<この街のクルセイダー師団『ヴァース・アンセム』の副団長だ。彼女は私の上得意様なんだよ>

 

この人……

 

「………うがぁっ! 貴様ぁ、卑怯者め。正々堂々と勝負、決闘しろぉ!」

 

いきなりクラレンスが叫び、手袋をタカティンに投げつけました。

タカティンはその手袋をあっさりと叩き落とします。

 

「なにが決闘だ、この野蛮人め! 自身の間違った行いを身分や地位で正当化しようとした挙句、それが叶わなかったら暴力に訴えるか! それが自身が護るべき民草相手に取る態度か! クルセイダーを名乗るのならば、まずは己が行動を正せ!」

 

猛るクラレンスに対して、タカティンは一歩も引かないどころか、猛然と叱責しました。

これにはクラレンスも顔を真っ赤にして怒りの形相になってしまいました。

 

「こんのぉっ!」

 

クラレンスがタカティンに掴み掛かりました。

けれど次の瞬間、タカティンはクラレンスの腕を捻り上げ、引っ張って体幹を崩し、足を払って投げ飛ばしました。

 

クラレンスは背中から派手に地面に叩きつけられて、目を回してしまいました。

 

「まったく、こんなのがクルセイダーとは随分と質が落ちたものだ。……それからダリア、お前もお前だ。これに懲りたら付き合う気もない恋愛ごっこを控えろ。」

 

「……はぁい、仕方ありませんわね。」

 

「う、ぐっ……、かはっ、はぁはぁ……」

 

「……呆れたな、もう気がついたのか。」

 

「……お義兄さん、申し訳ありませんでした! ダリアさんを独り占めしたいばかりに、とんだ粗相をしてしまいました。貴方に打ちのめされて、目が覚めました。確かに、今の俺では彼女を護る事などできない。一から修行をやり直し、必ずや彼女に相応しい男に生まれ変わって参ります!」

 

クラレンスの言葉を聞いて、私は気が遠くなるような感覚を覚えました………



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サプライズ

*三人称視点

 

「むぅぅ〜、まだ帰ってこないのですよー。」

 

リヴルは不服そうに呟いた。

 

「もう五日も経ってるしなぁ。二人していったいどこまで行ったのやら。」

 

リヴルの隣でディジーがニマニマとおかしそうに返す。

 

「二人だけで出掛けるなんて、不純なのです。人に言えないのは如何わしい証拠なのです。」

 

「まぁまぁそう言うなって。婚約者同士、たまには二人きりになりたい時だってあるだろうさ。」

 

タカティンとカトレアが二人で出掛けてから、すでに五日が過ぎている。

行き先は告げず、出掛けてくると言ったきりだ。

 

リヴルには詳しい事を何も言っていない。

その事がリヴルは気に入らない。

 

不機嫌なリヴルをディジーは嗜めているが、この状況を楽しんでいる。

二人が帰って来たらタップリと揶揄ってやろう、そういう腹づもりだし、置いて行かれて怒っているリヴルを眺めるのも面白い。

 

それにサプライズも仕込んである。

その時にリヴルがどんな反応を示すか。

 

そう思いながら、釣り針の先に餌を付けてから釣り竿を振るう。

 

針は静かに湖面に着水し、水中に姿を消す。

竿から伸びた糸に繋がった浮きを眺め、改めて思った。

 

どっちにしたって楽しめる、と。

 

「ほらほらリヴル、竿引いてるぞ。」

 

「わかっているのです。むぅぅ……あっ、ムゥ。」

 

引きが遅く、餌だけ持って行かれたリヴルは釣り針を引き寄せると不機嫌そうに餌を付け始める。

 

「マーチヘアもメンテナンスでいないのです。話し相手が少なくてつまらないのですよ。」

 

リヴルの言うマーチヘアは、LCEであるリヴル自身の出自である『マルドゥクプロジェクト』においてリヴルをサポートする為に作られた人格AIだ。

 

元々は第4期LEVマーチヘアの搭載AIなのだが、機体そのものが損耗し、廃棄する際に人格データを書籍型記憶媒体に移してリヴル自身が所持していた。

 

だが今回、その記憶媒体のメンテナンスという名目で、リヴルの手元から離されている。

 

「だからアタシが相手してやってるだろ。リディアだっているんだし、そんなに暇して無いはずだが?」

 

「むぅぅ。」

 

この分では今日は坊主だなと、ディジーはリヴルの可愛い膨れっ面を眺める。

 

と、そこへデータリンクによる通信が入った。

通信の送り主は……カトレアだった。

 

「リヴル、今日の釣りはここまでだな。帰って来たぜ。」

 

その言葉を聞いたリヴルはぱっと顔を上げ、道具の片付けをおっぽり出して駆け出そうとした。

その肩をディジーがすかさず掴む。

 

「おっと、片付けが先だ。」

 

「むぅ。」

 

リヴルが頬を膨らませた。

 

 

「タカティン、どこに行ってたのです? リヴルを置いて行くなんてヒドイのです! 除け者扱いは屈辱なのですよ!」

 

「あぁ、すまない。今回はそうしなければいけなかったのでな。」

 

館に戻ってタカティンの姿を見とめたリヴルは一気に詰め寄った。

 

プンスカという表現がピッタリのリヴルと、それをタカティンは慣れた様子で受け答え、リヴルの頭を撫でる。

 

「むうぅ、頭を撫でたくらいで誤魔化されたりしないのですよ。」

 

そうは言っても頭を撫でられているリヴルの表情は少しずつ緩んでいく。

 

「で、首尾は?」

 

「あぁ、そうだな。」

 

ディジーに促されて、タカティンが応接間の方を見やった。

タイミングを見計らったように、応接間からカトレアと、彼女に連れ添われて一人の少女が姿を見せた。

 

背は低く、黒髪のおかっぱ。大きな丸眼鏡が特徴的な、無表情な少女。

 

「その子は誰なのです?」

「タカティンとカトレアの子供。」

「「違います。」」

 

リヴルの問いにディジーが茶化して答え、カトレアと黒髪の少女が間髪入れずに否定した。

 

改めて、少女はリヴルを見据えた。

 

「お久しぶりです、リヴル。」

 

リヴルは一瞬、怪訝な表情を浮かべたが、少女の声には聞き覚えがあった。

 

「もしかして、マーチヘアなのです?」

 

「はい、素体を用意してもらいました。」

 

マーチヘアと呼ばれた少女は少しだけ表情を曇らせ、リヴルの前に進み出る。

 

「サポートAIなのに側を離れてしまい、すみませんでした。それに……、勝手に身体まで…。」

 

俯いて言いかけたマーチヘアの両手を、リヴルが掴んだ。

そのままブンブンと振る、それは嬉しそうに。

 

「マーチヘア、これで一緒に遊んだり出来るのです、これからもよろしくなのですよ。」

 

「……、はい、リヴル。」

 

黒髪の少女は少しだけ戸惑い、それからはにかんだ。

 

「でも、その姿じゃいつまでも『マーチヘア』って呼ぶのも変じゃないか?」

 

「そうですね、人前で呼ぶための名前が必要になりますね。」

 

ディジーの言葉にカトレアが返す。

 

「名前は『マイカ』でソキウスに登録してあります。ですので、今日から私の名前はマイカ・マーチヘアです。」

 

「マイカなのですね。リヴルも今日からそう呼ぶのです。マイカ、改めてよろしくなのです。」

 

「ええ、リヴル、よろしくお願いします。」

 

二人の少女は手を繋ぎ、お互いを見つめて微笑んだ。

 



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