錦が如く (1UEさん)
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錦が如く 発売記念PV(大嘘)

エイプリルフールやん!

とさっき気付いて突貫工事で仕上げましたやっつけネタです。

若干のネタバレを含みますので未読の方はご注意を


全世界累計売上本数 1,700万本

 

 

「龍が如く」シリーズ。最新作

 

 

 

「なんで……」

 

 

これは、有り得たかもしれない

もう一つの物語

 

 

「なんで、こうなっちまったんだろうな……!」

 

 

 

 

 

錦が如く

 

 

 

 

 

本編「龍が如く」において、桐生一馬の親友にして、唯一無二の兄弟分。

 

 

錦山彰

 

 

「動くな!」

 

 

元の歴史において罪を免れた彼が

 

 

「俺が……犯人です……」

 

 

10年の時を、塀の中で過ごす。

 

 

 

「東城会の幹部殺ったんだ!こんくらい想像出来なかった訳じゃねぇだろ?」

「随分懐かしい顔だぜ……なぁ錦山?」

 

 

 

命を狙われ、迫害される日々。

彼は、生きる目的を失いかけていた。

 

 

しかし、一つの吉報が彼を絶望から救う。

 

 

「そ、それじゃあ優子は!?」

「あぁ……優子は。お前の妹は助かったんだよ」

「あ……あぁ……優子ぉ……!!」

 

 

そして。

一匹の鯉は

 

 

「お前も。生きる事から、逃げるんじゃねぇ」

 

 

"龍"から授かった"希望"を胸に

 

 

「!!」

 

 

龍門へと至る道を、歩み始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

バトル

 

 

10年の時を経てシャバに出てきた錦山。

そんな彼を待ち受けていたのは、神室町に蔓延るチンピラやヤクザ達だった。

 

多彩なバトルスタイルを駆使して、激動の神室町を生き抜け!

 

 

ゴロツキ

大振りの攻撃やプロレス技など、勢いのままに突き進む喧嘩を体現したスタイル。

 

 

ファイター

ボクシングをベースにしたフットワークとコンビネーションで翻弄するヒット&アウェイスタイル。

 

 

大将

空手を始めとした武道をベースに呼吸や姿勢を正して力の流れを制御する事で脅威のパワーを発揮するスタイル

 

 

 

シリーズ恒例のヒートアクションも、多数収録!

 

並み居る強豪達を、ド派手なケンカアクションでぶっ飛ばせ!

 

 

 

 

 

 

アドベンチャー

 

 

そして、龍が如くシリーズにおいて欠かせないもうひとつのファクター。

 

広大かつ緻密なまでに作り込まれた東京、神室町。

 

地下街や屋上に加え、出入り可能なテナントや建築物が大幅に増加!

 

進化した神室町を遊び尽くせ!

 

 

 

プレイスポット

 

 

喧嘩や探索、男たちの物語だけが全てでは無い。

 

街中の至る所には多彩なプレイスポットが数多く存在する。

 

シリーズ恒例のあのスポットから、新たに追加された新スポットまで。

 

欲望と権力の渦巻く街、神室町。

 

一夜だけで遊び尽くせるほど、狭い街では無い。

 

 

 

 

 

ゲームはもっと踏み込めないのか?

 

 

その信念をモットーに10年以上の歴史を築き上げてきた龍が如くスタッフが贈る

 

 

完全IFストーリー

 

 

 

 

「死にてぇ奴だけ……かかって来いや!!」

 

 

 

今宵あなたは

 

もう一つの伝説を目撃する

 

 

 

 

 

錦が如く

 

 

 

 

2050年 12月8日。発売

 

 

 

 

S〇GA

 

 





こんなゲーム、あれば絶対やってみたい(本音)


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幕間 邂逅と祝福

突然ですが幕間です!
錦、誕生日おめでとう!

本編はもちろん「原作時空」で考えても成立するさくひんになりましたので、ぜひ読んでってください


1994年10月8日。

東堂ビルで起きた堂島組長殺害事件の約一年前。

堂島組若衆である錦山彰は、大きめの鞄を片手にとある場所へと向かっていた。

 

(そろそろ着くはずだが……どの辺にあるんだ?)

 

今、彼がいるのはピンク通りと呼ばれる神室町の一角。

主にヘルスやソープ等といった風俗の店舗が軒を連ねる一角だ。

普段から贔屓にしているキャッチや風俗嬢に挨拶をしながら歩を進め、ついに錦山はたどり着いた。

 

(あった……荒川組事務所)

 

東城会系荒川組。

業界内で俗に"枝"と呼ばれる三次団体の小さな組。

錦山の所属している堂島組は東城会の直系組織であり、そこの若衆である錦山は極道の世界における"格"がこの荒川組よりも上という事になる。

しかし、だからといって錦山は決して荒川組を侮ることはしていない。

むしろ、緊張のあまり生唾を飲み込んだ程だ。

 

(ここが……あの"殺しの荒川組"か……!)

 

東城会でのし上がるべく日々 色々な所から情報を収集している錦山は聞いたことがあったのだ。

"荒川組は末端の組だが、その目立ちにくい立場を利用して本家から殺しの依頼を受けている危険な組織"であると。

 

(あぁ、おっかねぇ。さっさと済ませちまおう)

 

背筋に冷たいモノが走った錦山は、さっさと仕事を終わらせようと荒川組の事務所へと近づいた。

 

「ん……?」

 

組の事務所の入口付近に人が立っているのを見た錦山は、思わずそんな声を上げた。

と言っても、ヤクザの事務所の入口前に人が立っている事自体は珍しくない。

現に錦山も数年前までは門番として組の事務所前に立たされていたのだから。

 

(あれ、どう見てもガキだよな……?)

 

しかしそこに立っているのがヤクザ然とした風貌の男ではなく、まだあどけなさが残る歳若い少年であれば不思議に思うのも無理は無い。

 

(年頃は……15、6って所か?なんだってこんな所に……?)

 

スカジャンにジーパン姿のその少年は背筋を伸ばして両手を後ろに回し、事務所の前で静かに立っていた。

まるで組長の帰りを待つ若衆のように。

 

(まさか、あの歳でヤクザに?いや、俺も似たようなもんだが……)

 

かつて錦山は、中学卒業と同時に兄弟分である桐生一馬と共に極道になる道を選んだ。

故に自分たち以外にそういう存在がいても不思議な事ではないのだが、実際に目の当たりにするとは思ってもみなかった錦山は思わず面食らっていた。

 

(とりあえず、声かけてみるか……)

 

組の関係者であれば用事があると言って通してもらい、違ければ立ち去るように促せばいい。

そう決めた錦山は事務所の前まで向かうと、門の前の少年に話しかけた。

 

「なぁお前、ちょっといいか?」

「あ?何の用だ……って……!!?」

 

ガンを飛ばして錦山を睨み付けようとした少年だが、その直後にその顔は一気に青ざめる。

 

「し、失礼致しました!!」

「は……?」

 

途端に直角に頭を下げる少年に困惑する錦山だったが、彼はすぐにその原因に思い当たった。

 

(あぁ、代紋を見たのか……)

 

錦山の着ているワインレッドのジャケットの胸元にあるのは、堂島組の代紋。

神室町を生きる者達でその名前を知らない者は一人として存在しないと言われる程の影響力を持つ堂島組の構成員である事を証明するその代紋を一目見れば、たとえヤクザでなかったとしても畏怖の念を抱くのは当然の事と言えた。

 

(とりあえず、話を聞いてみよう)

 

己の仕事を全うするべく、錦山は少年に質問を投げかける。

 

「お前、ここの組の関係者か?」

「いえ、違います!」

「は?ならなんでこんな所に突っ立ってんだ?」

「自分、荒川の組長さんに命を救われまして……それから毎日、あの人に盃のお願いをするべく、ここで立って帰りを待たせて貰ってる次第です!!」

 

頭を下げたままはっきりとした声でそう話す少年の言葉に、錦山は思わず共感していた。

 

(恩義のある親分の為に、か……なるほどな)

 

ふと、錦山の脳裏を過ぎる記憶があった。

それは今から10年前。桐生と共に育ての親である風間新太郎に極道になりたいと嘆願した時の事だ。

それを聞いた風間は烈火の如く怒り、二人を全力で殴り付けた。

汚らしく闇が深い日本の裏社会に、我が子同然に育てて来た二人を関わらせまいとした愛のある拳。

しかし、それでも二人は引かなかった。

親を亡くして孤児となった自分達を拾って育ててくれた風間に、何としても恩を返すと聞いて無理を押し通したのだ。

 

(だが、今なら親っさんの言ってた事が分かる。ヤクザになんか、進んでなるもんじゃねぇ)

 

数年前に起きた"カラの一坪"を経て極道の怖さや裏社会の残酷さを見せ付けられた錦山は、このままでは目の前の少年が、いつか自分のように凄惨な現実に直面する事を憂いた。

 

「そうか…………少年」

「はい!」

「悪ぃ事は言わねぇ。ヤクザなんかやめとけ」

 

お節介なのを承知の上で、錦山は少年を説得しようと試みた。

 

「な……なんでですか!?」

 

思わず顔を上げた少年の顔は困惑と驚きで埋め尽くされていた。

まるで、それ以外の事など考えられないと言わんばかりに。

それを見た錦山は真摯に警告を行った。

 

「ヤクザってのは過酷な世界だ。いつどこで死ぬか分からねぇ。それに……死に方や死に様すら選べない事だってある」

「し、死に方や死に様……?」

「あぁ。生きたままバラバラにされるような拷問の果てに、死体は人間と呼べない程の有様にされて山に捨てられる。そんな事だってあるんだ」

「────!!」

 

それを聞いた少年が目を見開く。

まだ10代の少年に聞かせるにはあまりにも惨たらしい話だが、それでも錦山は語った。

"お前が足を踏み入れようとしているのは、そういう世界なんだ"と警鐘を鳴らす為に。

 

「荒川の組長さんにどうやって助けられたかは知らねぇが……あの人だって、お前にそんな死に方して欲しくて助けた訳じゃねぇ筈だ。そうだろ?」

「…………」

「もしも荒川の組長さんに恩義を感じてるってんなら、真っ当な堅気として懸命に働いて出世しろ。そんでいつか会社の社長にでもなって多くの人間を幸せにしてやりゃいい。それが何よりの恩返しになる筈だ」

 

表社会で一生懸命働いている堅気がいてこそ、裏社会の男達は生きていける。

それを知っている錦山からの言葉を受けた少年は、僅かに顔を俯かせた。

錦山の言っている事に嘘偽りが無いことが、持ち前の直感で理解出来たからだ。

しかし。

 

「ほら、分かったらもう帰れ。今ならまだ────」

「……嫌です」

 

それでも、なお。

少年の決意と覚悟は揺るがなかった。

 

「俺には両親も居なけりゃ真っ当な仕事をしてる知り合いも居ません。育ててくれた養父は去年死んじまったし、行く宛てなんざ何処にも無いんです」

「お前……」

「それに俺は、本当に殺されそうだった所を荒川の組長に助けられました。一度拾って貰ったこの命。それをあの人の為に使えるってんなら、たとえ俺はどんな最期だろうと……笑って死んでやりますよ」

 

そう言って真っ直ぐ錦山を見ながら不敵な笑みを浮かべる少年に、錦山はそれ以上何も言えなかった。

錦山の目の前にいる彼は少年である前に、一人の男なのだ。

男がそこまで腹を括ってしまった以上、何を言おうが止まることは無い。

そんな無鉄砲さを持つ男を、錦山は子供の頃から良く知っているからだ。

 

「そうか……ならもう何も言わねぇ。せいぜい頑張んな」

「はい、ありがとうございます!」

 

後は荒川組長の判断に任せよう。

そう決めた錦山は話を仕事に戻した。

 

「それでよ少年。お前ずっとここに立ってんなら組の事も多少は分かるだろ?」

「はい。誰に御用があるんですか?」

「荒川の組長さん、もしくは若頭の沢城さんに会いてぇんだが、事務所に居るか?」

 

その名を聞いた少年は僅かに顔を顰めた後、すぐに返答をする。

 

「荒川の組長さんはまだ帰ってません。沢城のカシラは……あっ。」

「ん?」

 

少年が声を上げたのと、一台の車が事務所の前に停車するのはほぼ同時だった。

助手席から黒服の男が降りて来て、後部座席に回り込むとそのドアを開ける。

 

「…………。」

 

中から出てきたのは灰色がかったスーツを着た一人の男。年齢は三十代。

オールバックに纏めた黒髪と鋭い眼光が特徴的なこの男こそ、錦山の探していた人物。

 

「お疲れ様です!!」

「…………。」

 

東城会系荒川組若頭。沢城丈。

"殺しの荒川組"のNo.2を務めるこの男は 頭を下げて挨拶する少年を無視すると錦山に声をかけた。

 

「堂島組の錦山さんですね?お持たせして申し訳ありません。荒川組若頭の沢城です」

「いえ、お気になさらず。改めて、堂島組の錦山です。本日はよろしくお願いします」

 

そう言って錦山は頭を下げた。

錦山よりは年齢が上の沢城だが、直系組織の堂島組所属という事もあって礼節を弁えた態度で錦山に接して来る。

しかし、それで気を許して無礼を働くほど錦山は愚かでは無い。

何せ今、彼の目の前にいるのは"殺しの荒川組"の若頭なのだから。

 

「……その手に持っているのが?」

「えぇ。例の"ブツ"です」

 

錦山が今日ここを訪れた理由。

それは堂島組からの命令で荒川組にある物を渡すためだった。

詳しくは聞かないまま、錦山はそれを届けに来たという訳だ。

 

「早速、確認及びお受け渡しをしたいのですが……事務所にお邪魔してもよろしいですか?」

「もちろんです。ですが、少しお時間を頂けますか?"掃除"をしなければならないもので」

「掃除……?」

 

沢城がそう言った次の瞬間。

 

「ぐぶっ!!?」

 

頭を下げていた少年の顔面に、沢城が強烈なアッパーを振り抜いた。

 

「な、っ!?」

 

突然の事に驚く錦山の前で、文字通り殴り飛ばされた少年が無様に地面を転がる。

そんな少年の元まで歩み寄ると、沢城は仰向けに倒れた少年の胸ぐらを掴み上げた。

 

「おうコラァ!!テメェみてぇなガキにやる盃はねぇって何度言ったら分かるんだ?あぁ!?」

「ぅ、ぐ……さ、沢城の、カシラ…………」

「気安く呼んでんじゃねぇぞクソガキが!!」

 

叫ぶが早いか、沢城は少年の顔面に右の拳を叩き込んだ。

手加減などは一切無し。肉を叩いて骨まで軋むほどの打撃音が錦山の耳にも届いた。

 

「ぐ、ぼぁ……っ、ぅ…………」

「いい機会だ。口で言っても分からねぇなら身体で教えてやらねぇとな……もう二度とここに立てねぇようにしてやるよ!!」

 

意識も朦朧とし、碌な抵抗も出来ない状態の少年にトドメを刺すべく、沢城は更に拳を振り上げた。

しかし。

 

「────あ?」

 

その拳は、沢城の背後から拳を掴んだ錦山の手によって止められた。

 

「沢城さん、どうかその辺で。そいつ……もう半分意識がトンじまってます。それ以上やったら死にますよ」

「……錦山さん、お言葉ですがこれはウチの組の問題です。手出しは無用に願います」

 

暗に"邪魔するな"と錦山に告げる沢城。

しかし、ここで退いてこの少年を見殺しにする事は錦山のポリシーが許さなかった。

 

「申し訳ありませんが、そういう訳には行きませんよ。目の前で堅気の……ましてや十代の少年を殺すなんてこと、同じ代紋を背負った極道として見過ごせません」

「…………」

「それと、先程"ウチの組の問題"と仰ってましたが……このガキ、荒川組とは何の関係も無いんですよね?なら、そんな少年を殴り殺すのはなおさら筋が通らないんじゃないですか?それとも……」

 

そこで錦山は言葉を切り、沢城の発言の矛盾を突く。

 

「その少年は"荒川組の預り"って事なんですか?であれば確かに俺が口出しする理由はありません。ただ……その場合だとその少年は立派な組の関係者。準構成員って事になります。それをガキだからって理由で盃もやらず足蹴にした挙句殺したとあっちゃ……本家からの評判も下がっちまいますよ?」

「……………………」

 

沢城は少年の胸ぐらから手を離して解放すると、己の手首を掴む錦山の手を振り払った。

そして。

 

「────ハッ、チンピラ風情が。堂島組だからと下手に出てりゃいい気になりやがって」

「!!」

 

沢城は初めて、錦山に対して明確な殺意を向けた。

その鋭利な殺気は、荒川組が"殺しの荒川組"と呼ばれるようになった所以を体現していた。

 

「そんなくだらねぇ理屈をゴネて筋を通したつもりか?三下の分際で一丁前に任侠道のご指導とは、笑わせてくれる」

「沢城さん…………」

「ヤクザなんてもんは結局は暴力。強ぇ奴に弱ぇ奴が従う世界だ。俺はな……テメェみたいに筋だの仁義だの綺麗事ばっか並べて碌に喧嘩も出来ねぇような腑抜けた野郎が大嫌いなんだよ」

「────なんだと?」

 

威圧感と殺気に押され気味だった錦山だが、その発言で火がついた。

彼の中に眠る荒くれ者の血が、売られた喧嘩を買えと騒ぎ立てている。

 

「……聞き捨てならねぇな。もういっぺん言ってみろ」

「聞こえなかったか?御託ばっか並べるだけの腑抜け野郎って言ったんだよ」

「テメェ……!!」

 

ヒートアップしていく両者。

数秒後には確実にどちらかの顔面にどちらかの拳が炸裂しているだろう。

もはや開戦は時間の問題。

そう思われた矢先だった。

 

 

 

 

 

 

「止めねぇか、丈。客人相手にみっともねぇ」

 

 

 

 

 

 

殺意を剥き出しにしていた沢城が一瞬でファイティングポーズを解き、声のした方向へ頭を下げる。

 

「お疲れ様です、親父」

「なっ……!?」

 

錦山は突如として現れた人物に驚愕した。

何せ彼は沢城の態度が急変するまで、すぐ近くまで来ていたその存在に気付かなかったのだから。

 

(嘘だろ、いつの間に来てたんだ!?全く気配を感じなかったぞ……!?)

「荒川真澄だ。すまねぇな、錦山さん。ウチのモンが迷惑かけちまってよ」

 

東城会系荒川組組長。荒川真澄。

"殺しの荒川組"を束ねる親分である。

 

「い、いえ。自分は大丈夫です。どうかお気になさらず……」

「そうか?寛大なお心遣い、痛み入るぜ。……丈」

「へい」

 

荒川が悠々と煙草を咥えると、沢城がすかさず火を付ける。

ゆっくりと紫煙を燻らせた後、荒川は沢城に指示を出した。

 

「丈。そのガキはお前が病院に連れて行け」

「親父……ですが」

「お前が撒いた種だろう?ブツは俺が受け取っとくから、お前は自分のケツ拭いてこい」

「……分かりました」

 

沢城はそう言って顔を顰めると、意識を失った少年を担いで街へと消えていった。

いくら沢城と言えど、荒川組長の命令には逆らえなかったのだろう。

 

「さ、立ち話もなんだ。上がってくれ」

「は、はい!失礼します!!」

 

物静かながらも気さくに声を掛けてくれた荒川の後を、錦山は若干の畏怖と緊張が拭えないままついて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だぁっはぁー……疲れたぁー…………」

 

夕方。

どうにか組の言いつけをこなした俺は、公園のベンチに背中を預けて脱力していた。

 

(荒川組の事務所……二度と行きたかねぇ……)

 

喧嘩になりかけた沢城の殺気とプレッシャーは未だに思い出すだけで肝が冷えるし、荒川組長は気さくな良い人だったが事務所の雰囲気はどこかピリピリしていて終始落ち着かなかった。

そして何より。俺が持っていった"ブツ"の正体。

 

(結局ブツはチャカだったしよ…………それも一丁じゃ済まねぇ)

 

リボルバー式が二丁。オートマチック式が三丁。

それらの弾丸に使う九ミリ口径の弾丸が全部で三十六発。

これから戦争でも始めようかと言わんばかりの品々ばかりだった。

 

(荒川組長も全部分かってる雰囲気だったし……やっぱりアレ、そういう"仕事用"だよな?)

 

殺しの荒川組は伊達じゃない。

それを肌で感じていた俺は、やっとの思いでそこから解放された。

しかし、エラく神経を使った反動からかしばらく動けないでいた。

 

(とにかく疲れた……ちょっと休んだら家に帰ろう)

 

本当は行きつけの店に顔を出したりする所だが、そんな元気も無い。

とにかく休みたい一心で俺はベンチの背もたれに背中を預け続けた。

するとそこへ、一人の男が近付いてくる。

 

「お前……こんな所にいたのか」

「あ?」

 

グレーのスーツにワインレッドのYシャツ。

彫りの深い顔立ちと、ショートリーゼント風の髪型。

如何にもヤクザ然としたその格好の男は、聞き馴染みのある低い声で話しかけてきた。

 

「探したぜ、錦」

 

東城会直系堂島組舎弟頭補佐。桐生一馬。

俺がガキの頃から一緒にいる親友にして、渡世の兄弟分。

どうやら俺の事を探していたらしい。

 

「よう桐生。悪ぃが今俺は疲れてんだ、そっとしといてくれ」

「喧嘩でもしたのか?」

「いや、組からのお使いみたいなもんだ……生きた心地はしなかったけどな」

 

今思い出すだけでも寒気で鳥肌が立つ。

やはりすぐ帰った方がいいだろうか?

 

「? よく分からんが、とりあえず来てくれ。セレナでみんなが待ってる」

「あ?セレナで?」

 

セレナとは天下一通りで店を構えている俺たちの行きつけの店だ。

みんなの都合が着く時はシノギ終わりに大体そこで酒を飲むが、今はなんだかそんな元気も無い。

 

「いや、せっかくだが遠慮させてくれ」

「何言ってんだお前。いつもは頼まれなくたって来るじゃねぇか」

「うるせぇ。今日はホントに疲れてんだよ、勘弁してくれ」

「良いから来い、俺の奢りだ」

「しつけぇな、良いって言ってるだろ?」

 

いつになくしつこい桐生に嫌気が差すが、同時に疑問も抱く。

大抵は俺が飲みに誘って桐生がそれに乗るってパターンがほとんどだ。

こうして桐生の方から声を掛けてくるのは非常に珍しい。

 

「うーむ…………あ」

「あ?」

「いや、実はな……由美がお前に、渡したい物があるって言ってたぞ」

「は?渡したい物?」

「あぁ。俺も詳しくは聞いてないんだが、どうしても今日渡さなきゃ行けないらしい」

 

正直、桐生の言う事は胡散臭いが由美が関わっているのであれば話は別だ。

もしもこれが俺を誘い出すための嘘だったら後で桐生をぶん殴れば済む話。

 

「仕方ねぇ……分かったよ」

「よし。行こうぜ、錦」

 

どこか満足気に頷く桐生。

表情筋がほとんど動かないコイツだが、態度や仕草が素直だから非常にわかりやすい。

 

(結局流されて来ちまったが……一体なんなんだ?)

 

困惑するままエレベーターに押し込まれ、二階へとたどり着く。

そしてセレナのドアを開いた瞬間。

 

 

 

 

 

 

「「錦山くん!お誕生日おめでとーっ!!」」

 

 

 

 

 

 

由美と麗奈の声が響き、クラッカーの鳴る音が鼓膜を叩く。

そこで俺は全てを悟った。

 

「そうか……今日、俺、誕生日だったな…………」

 

日々のシノギや組の仕事に追われて忘れていたが、今日は10月8日。

俺がこの世に生を受けた日に他ならない。

 

「え?お前自分の誕生日忘れてたのか?」

「あぁ……何かと忙しくてな……」

「物覚えの悪い俺でも、自分の誕生日くらいは言えるぞ?」

 

そう言ってよく分からないマウントを取ってくる桐生。

さっきから思ってたがさてはコイツもう酔ってやがるな?

 

「ささっ、錦山くん!座って座って!」

「そうそう。今日は一馬が奢ってくれるって言うから、朝まで楽しもうよ。ねぇ一馬?」

「あぁ、俺に任せておけ!」

「フッ……分かったよ」

 

ついさっきまでの疲れが嘘のように吹き飛んだ。

今日はもう仕事やシノギのことは考えなくていい。

今、この場における主役は間違いなく俺なのだから。

 

「まずは私からね、はい。錦山くんにプレゼント」

 

そう言って麗奈が取り出したのは、一本のワインボトル。

でも、それはただのワインボトルじゃなかった。

 

「麗奈、お前これ……!?」

 

そのボトルのラベルには1964年と書かれている。

麗奈が用意した贈り物は、俺の生まれ年ワイン。

クラブのママらしい粋な贈り物だった。

 

「今日はこれをみんなで飲んでお祝いしましょ!」

「麗奈……!」

「はいはーい!次は私ね!」

 

華のような笑顔を浮かべながら手を挙げたのは由美。

由美は用意していた紙袋を手渡してきた。

 

「はい、錦山くん!お誕生日おめでと!」

「おう!開けていいか?由美」

「もちろん!」

 

元気よく頷く由美。

彼女から受け取った紙袋を慎重に開けて中身を取り出す。

 

「こ、これは……!!」

 

そこにあったのは、純白のジャケット。

最高品質の生地を惜しげも無く使い、プロの手でオーダーメイドされた紛れもない高級品だった。

 

「ふふ、驚いた?」

「由美、お前これ……どうしたんだ!?」

「実はね、錦山くんが行き着けの仕立て屋さんにお願いして、内緒で作って貰ってたの!私が生地から選んだ自信作だよ?」

 

ヤクザという裏稼業において見栄を張るのは重要だ。

それが極道にとって欠かせない"箔"となって、やがては"華"となる。

由美の贈り物は、それらを満たす上でも十分過ぎるほどの仕上がりだった。

 

「由美……ありがとな!明日から早速着ていくぜ!」

「うん!」

 

惚れた女からの贈り物のジャケット。これを喜ばない男などいる訳がない。

こいつは俺にとって、特別な普段着になるだろう。

 

「錦!酒の用意が出来たぞ、グラスを持て!」

「おうおう、お前だいぶ出来上がってんな?主役を差し置いてよ」

「桐生ちゃん、錦山くんの誕生日を祝えるのが嬉しいみたいよ?」

「そうそう。それで我慢出来ずに先に飲んじゃったんだって」

 

いつになくテンションが高い桐生に言われるがままグラスを持ち、乾杯の体制に入る。

ここは俺が音頭を取らせてもらうとしよう。

 

「なんだか小っ恥ずかしい気もするが……俺の誕生日、祝ってくれてありがとう。今日は朝まで楽しもうぜ!それじゃ……乾杯!」

「「カンパーイ!」」

「乾杯!めでたいなぁ、錦!」

 

東城会の極道になってからというもの、辛い事や苦しい事ばかりだ。

時折この世界に入ったことを後悔しそうになる日もある。

それでも、俺にはこうして共に誕生日を祝ってくれる仲間がいる。共に騒いでくれる親友がいる。

そして、共に笑ってくれる惚れた女がいる。

それだけで、この厳しい渡世を生きていられる気がした。

 

(来年もまた、こうしていたいな……)

 

酒でも回ったのだろうか。

柄にもなくそんな事を想いながら、俺はセレナでのひとときを過ごすのだった。

 




錦山「そういや桐生。お前は俺に何かくれないのか?」
桐生「フッ、よく聞いてくれたな錦!俺がお前に渡すのは……コレだ!!」



ー ゴーレムタイガー リミテッドエディション ー



「……………………………………おい、これ」

麗奈「あぁ……(桐生ちゃん、ホントにそれ渡すんだって顔)」
由美「ぷっ、くくくっ……!(面白すぎて笑い堪えてる)」


「フッ、驚いて言葉も出ないようだな。ポケサーマシン。ゴーレムタイガーのリミテッドエディションだ。比較的パーツ数が少ない初心者用のマシンでありながら、改造の幅は非常に広く設定されている。しかもリミテッドエディションは全国のおもちゃ屋で売り切れが続出した幻のバージョンなんだ。手に入れるのに苦労したぜ…………」
「………………………………………………」
「さぁ錦!そいつを組み立てて早速明日ポケサースタジアムに行こう!そして俺と一緒に神室町最速を目指────」




「いや、いらねぇし行かねぇよ?」




「──────な、ん……だと……………………?」




後日、一人でしょぼくれながらゴーレムタイガーリミテッドエディションを走らせる"堂島の龍"がポケサースタジアムで目撃され組中で話題になったのだが、それは別のお話。





Happy birthday!!錦山彰!!!!


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第一章 親殺しの運命
最後の日常


気ままにのんびりやっていきます。


1995年。9月30日。東京神室町。

ホストクラブ、バーや風俗店を中心に栄えたアジア最大の歓楽街。街中の店舗のネオンが常に光を失わない事から眠らない街とも言われるこの街だが、実際はヤクザを筆頭に危険な連中が各地から訪れては悪事を働く危険地帯でもある。

天下一通りと呼ばれる華やかなアーケード街は様々な人の往来があり賑わった様子を見せているが、一歩脇道を逸れれば取り立てのヤクザが債務者に追い込みをかけているなんてことも珍しくない。

そんな暴力と欲望の渦巻く街に、一台の車が止まった。

乗っているのはスーツ姿の二人の男。

「着きました」

運転席の男が助手席に乗っていた男に声をかける。

「あぁ」

助手席の男は短く返答すると同時に車を降りた。

街の喧騒と薄汚れた空気に一瞬だけ眉をひそめるが、この街では日常茶飯事なので直ぐにやめる。

「相変わらずですね、この街は」

運転席の男も思っていた事は同じらしく、やれやれといった様子で肩をすくめた。

「そうだな。だが、俺達ゃこの街のおかげでメシが食えてんだ。そう文句も言ってられねえだろうよ」

「えぇ、間違いありません。」

軽口を叩きあう二人の男。助手席にいた男の方が少し立場が上なのだろうか、運転席の男は敬意を向けている。

「それで新藤。例の店はどこにあるんだ?」

助手席の男の問いに対して新藤と呼ばれた運転席の男は即座に答えた。

「はい、七福通りのJeweLって店です。錦山の兄貴」

新藤の答えを聞いた助手席の男―――錦山彰は驚愕する。

「おい、そりゃマジかよ。よりにもよって、堂島の組長が一番気に入ってる店じゃねえか」

「え、そうなんですか?」

「あぁ。俺の顔もよく知られてる。何せあそこは、俺が組長に紹介した店だからな」

錦山は思わずため息を漏らした。今回の自分の仕事がより面倒なことを知ってしまったからだ。

「よりにもよって、俺が紹介した店で揉め事とはな‥‥ったく、今夜は約束があるってのについてねえ」

「それなら、さっさと行って片付けちまいましょう。すぐそこです」

「あぁ、分かった」

頷き合った二人の男の胸元で、代紋のバッチが光る。

彼らは真っ当な堅気の人間ではない。

この欲望の街を牛耳る関東最大の暴力団組織である「東城会」の極道なのである。

「にしても、この街のキャバ。それも堂島組のシマの真ん中でバカやらかす奴がいるとはなぁ

。とんだ命知らずもいたもんだ」

「えぇ、全く同感ですよ」

彼らに与えられた仕事は自分達のシマ、つまり縄張りとしている場所のキャバクラで起きた揉め事の対処だ。揉め事の主な原因は基本的にはタチの悪い酔っ払いなのだが、ただの酔っぱらいで動くほどヤクザも暇ではない。

「相手の情報は何か聞いてるか?」

「はい。なんでも地方にある組の人間だそうで、酒の勢いで好き勝手やってるとか」

しかし、その酔っ払いが裏社会の人間だった場合ならばそうはいかない。堅気の人間が対応しようとすれば、それこそ何の報復があるか分かったものではない。故に、シマの中の店はそういったことがあった場合にヤクザを呼び、対処を依頼するのである。

その用心棒の為の依頼料として店は、依頼した地元のヤクザに売上の何割かを報酬として支払う。所謂“ケツ持ち”と呼ばれるシノギの一つである。

「なるほど、田舎から来たお上りさんって所か。礼儀ってもんが分かってねえらしい」

「えぇ。兄貴からもキッチリ落とし前付けさせるよう言われてます」

情報を共有しながら足早に現場へと向かう二人。人でごった返す神室町だが、周りの通行人達は、自然と彼らを避けるように道を開けていく。この街では若いヤクザなど珍しくはない。

しかし、如何に若衆と言えど、その東城会の中でも最大級の勢力と影響力を持つ「堂島組」の所属ともなれば話は違ってくるのだ。

「よし、ここだな」

七福通りの中央、神室町の中心に近い場所で二人の足が止まった。今回もめ事が起きている店 「JeweL」だ。

「行きましょう」

「あぁ」

高級感のあるドアを開けて店内へと入り込む二人。普段ならば客やキャストの話し声で活気づいている店内だが、ボーイをはじめ店内の全員がしんと静まり返っており、スピーカーから流れるジャズの音楽だけが虚しく店内に響き渡っていた。

「おい、店長いるか?」

錦山は近くにいたボーイを捕まえて店長を呼ぶよう伝える。

こくりと頷いたボーイが裏方に引っ込んで程なくして、神妙な面持ちで店長が現れた。

「新藤さん、錦山さん、お疲れ様です」

「挨拶はいい、事情は大体聞いてる。例の奴はどこにいんだ?」

「はい、こちらです....」

店長に案内され錦山たちが向かったのは、一番奥のVIP席。

その少し手前のスペースにて二人のチンピラ達がボーイをよってたかって踏みつける等の暴行を加えていた。

さらにその奥。席の中央に赤いスーツを着た男がふんぞり返り、その両隣をキャストの女の子が座っているのだが、恐怖のあまりか凍り付いたように動けないでいる。

(おおかた、何かの粗相をしたボーイに奥の男の舎弟達がヤキ入れてるってとこだろう。チッ、勝手な真似しやがる)

「すみません、ちょっとよろしいですか?一体何を騒がれているんですか?」

新藤が最初に声をかける。あくまで敬語を忘れずに。

「あぁ?なんだテメェらは?」

錦山達の存在に気付いたチンピラ達が睨み付ける。

「自分ら、この店の仕切り任されてる堂島組のモンですが....」

「堂島組だぁ?けっ、知らねえな」

「見ての通り取り込み中だ。すっこんでろや、な?」

組の名を出しても怯まずに凄むチンピラ達の足元には、顔を真っ赤に腫らしたボーイが呻き声を上げて倒れている。

「コイツが何か粗相を?」

「あぁそうだ」

錦山の問いに答えたのは奥に座っている赤スーツの男だった。

「このガキが俺の一張羅に酒ぶっかけやがったのさ」

よく見てみると男のスーツの太もも部分に大きなシミが出来ている。ドリンクがこぼれたのは確かなようだった。

「高かったんだぜこのスーツ。弁償しろつっても金がねえなんて言いやがるからこうしてヤキ入れてんだよ」

「なるほど、つまりこういう事ですか」

錦山は得心がいったように頷いた後言い放った。

「貴方達はたかが安モンのスーツにドリンク零された程度でみっともなく因縁付けて、カタギのボーイに寄ってたかって手を出した、と」

その明らかに侮辱するような言い方は、チンピラ達に火を付けるには十分過ぎた。

「んだとテメェ?」

「もう一度言ってみろコラ!」

胸ぐらを掴むチンピラに対し、錦山はあくまで冷静に対応する。

「困るんですよ、そんな程度で堂島組の....東城会の直系組織である我々のシマで揉め事起こされるのは、なァ!」

瞬間、錦山は胸ぐらを掴むチンピラの手首を握り返すとそのまま力任せに腕を捻りあげた。

「いでででででで!?」

「て、テメ---ぶぐっ!?」

もう一人のチンピラが錦山に殴り掛かるよりも先に、新藤の拳が鳩尾に抉りこまれていた。

「こっちも忘れて貰っちゃ困るぜ、チンピラ。オラァ!」

新藤は膝から崩れ落ちるチンピラの顔面を思い切り蹴りあげた。

チンピラは泡を吹いて気絶し、同時に錦山も捻りあげていたチンピラの腕をそのままへし折って無力化する。

「ぎゃああああああああ!!」

「お前らは天下の東城会に喧嘩ふっかけたんだ。これくらい安いもんだろうが」

絶叫を上げながらのたうち回るチンピラに対してそう吐き捨てて、錦山は赤スーツの男に向き直る。

「さ、後はアンタだけだ」

「テメェら、よくもやってくれやがったな....?」

「ひっ....!?」

赤スーツの男は静かに立ち上がるとテーブルにあったドリンク用のアイスピックを手に持った。

キャストの女の子達が短く悲鳴を上げながら赤スーツの男から離れていく。

「新藤、女の子達を頼んだ」

「はい、兄貴」

錦山が一歩前へ進み、新藤が指示通り後方で女の子達を庇うように立つ。

「堂島組だかなんだか知らねえがいい気になりやがって!いっぺん死んどけやァ!!」

アイスピックを振り上げて襲いかかる赤スーツだが、酒のせいか元々なのか動きは単調でキレがなく、錦山は難なくこれを躱す。

「せいやっ!」

そして振り返りざまに顔面を右ストレートでぶち抜いた。

「ぐぶァ!?」

思わずバランスを崩す男に対し、錦山はすかさず追い討ちの前蹴りをボディに叩き込む。

「ぐ、ほっ!?」

腹を抑えて蹲る赤スーツの男の頭を錦山は両手で掴むと、

「は、?何しやがる....?」

「こうすんだよ!!」

全力の膝蹴りを顔面にぶち当てた。

錦山は男の鼻が文字通りへし折れるのを膝越しの感触で実感し、直後の悲鳴で男から戦意が失われたのも理解する。

「おい」

「ひ、ぃ!」

錦山は男の髪を掴みあげると、折れた鼻を抑える彼にトドメを刺した。

「アンタらがあのボーイにやった分、この後事務所で徹底的に可愛がって貰うんだな」

「ひっ....!」

顔面蒼白になる男だったが時既に遅し。

彼らはその無知さ故に、虎の尾を踏んでしまったのだから。

「堂島組、ナメてんじゃねえぞ」

ーーーその後、神室町で赤スーツの男とその手下達の姿を見た者は居ない。

だが、もし生きているのであれば骨の髄まで刻み込まれたであろう。

神室町を牛耳る極道の恐ろしさを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、時間食っちまったぜ」

店で暴れてたチンピラにケジメを付けた俺は、その後の後始末を新藤に任せてその場を去った。今頃先程の田舎ヤクザは堂島組の事務所で徹底的に痛め付けられているだろう。人の死ぬギリギリを熟知した兄貴分達から直々にだ。

(あー、おっかねえ)

考えただけで鳥肌が立つ。自業自得とは言え、そんな組の兄貴達にヤキ入れされる田舎ヤクザ達は哀れと言う他無いだろう。なんて感傷に浸っていた俺だったが、目的の場所が見えてくるとそんなモノは霧散していく。

今日、仕事の事を考えるのはもう終わりだ。

(さ、着いたな)

俺は天下一通りの中程にある雑居ビルへと足を踏み入れた。エレベーターで上の階に上がり、木製のドアを開けて店内に入ると、見慣れた内装と聞き馴染みのある音楽。そして着物姿に身を包んだ美人が俺を待っていた。

「いらっしゃ……あぁ、錦山くん!待ってたわよ」

「おう、待たせたな麗奈」

笑顔で迎え入れてくれた彼女の名前は麗奈。バブル期の頃からこの店ーーー「セレナ」をたった一人で切り盛りしてきた馴染みの敏腕ママだ。

「いつもより遅かったけど、何かあったの?」

「あぁ、ちょっとシマの店でトラブルがあってな。それで駆り出されてたんだ」

いつものカウンター席に座った途端、疲れがドッと押し寄せる。それは、ここが俺にとってもう気を張る必要が無い、プライベートな自分へと戻る事が出来る場所であるからに他ならない。

「どうする?先に何か飲む?」

「あぁ。いつもの奴、ストレートで頼むよ」

「分かったわ」

麗奈は慣れた手つきで酒を準備し始める。

今日はこの店にあと二人、家族と言っても差し支えない俺の身内が来る。ただ、今日は二人とも遅れてるみたいだ。

「なぁ、桐生はシノギがあるから遅れるってのは知ってるけどよ、由美は何処に行ってるんだ?」

「由美ちゃんは買い出しよ。ほら桐生ちゃん、ここ来るといつもお腹空かせてるじゃない?」

「そういやそうか。ったく、アイツ普段まともなメシ食ってんのか?」

「さぁ、どうなんでしょ?……はい、お待たせ」

「おう、ありがとよ」

俺は麗奈に礼を言うと、ロックグラスに注がれた琥珀色の酒をグイッと喉に流し込んだ。

酒が通り抜けた後の食道が熱を帯び、じんわりと疲れた身体に染みていく。

「っかーっ!ひと仕事終えたあとの酒はたまんねぇな!」

「錦山くん、なんだかおじさん臭いわよ?」

「へっ、うるせぇ」

麗奈と軽口を叩きあっていると、背後で店のドアが開く音が聞こえる。

振り返った先にいたのは大きめのジュラルミンケースを持ったグレーのスーツ姿の男だった。

いかにもヤクザでございますって感じの彫りの深い顔立ちをしたそいつこそが、俺の待っていた身内の一人。

「よぉ、桐生」

「あぁ、待たせたな錦、麗奈」

東城会直系堂島組舎弟頭補佐。桐生一馬。

俺と共に極道の道に足を踏み入れた兄弟分だ。

「相変わらず静かだなぁ」

そう言ってケースを置きながらテーブルに着く桐生の顔にも若干の疲れが見えた。

こいつにとってもここは、張り詰めていた気を抜く事が出来る憩いの場であるって事だ。

「あなた達がいたんじゃ怖くて飲めないでしょ普通のお客さん。だから今日は貸切」

ごもっともな事を言う麗奈を横目に、俺は桐生が飲む分の酒をグラスに注ぐ。桐生の最初に飲む酒はいつも俺と同じものだ。

「麗奈、由美は?」

「今買い出しに行ってるの。どうせまた腹減ったとか言い出すんでしょ?」

「違いねぇ」

俺は桐生の手元にグラスを置き、今進んでいるであろう案件について尋ねた。

「どうなんだ?桐生組の立ち上げは?」

その案件とは、今回のシノギを完遂させた暁には桐生は自分の組を持つ事が出来ると言う話だった。

桐生の役職は舎弟頭補佐と言う出世の本筋とは言い難い微妙な立ち位置だ。

だが、自分の組を持つ事が出来ればそこでシノギを伸ばして出世するって道が開けるようになる。

極道としてこれ以上誇れるものは中々ない。

「まだ決まった訳じゃない。組長が決める事だ」

だと言うのに、俺の兄弟分は謙虚が過ぎた。

確かに桐生は堂島組長からよく思われてはいない。

故に舎弟頭補佐って言う微妙な立ち位置の役職を与えていたんだろう。しかし、所詮はそんなもの組長の陰湿な小細工に過ぎない。

「組長も嫌とは言えねえよ、風間の親父がもうその気なんだ。堂島組はあの人で持ってるようなもんなんだからな」

俺と桐生の育ての親であり、俺たちをこの道へと導いてくれた親っさんーーー風間新太郎。

キレる頭と強大なカリスマを併せ持ち、仁義を重んじて生きる極道の鏡のような人だ。

現在は堂島組の若頭としての立場に甘んじているが、実質的に堂島組を動かしているのはその風間の親っさんであると言っても過言じゃない。

そんな人が桐生組の立ち上げを誰より楽しみにしているのだ。

決まったも同然と言っていいだろう。

「そこ行くと堂島組長は昔の自慢とメンツの話しか出来やしねえ」

数年前にあったとある事件をキッカケに堂島組一強と言われた時代が終わりを告げ、それと同時に堂島組長の権威も失墜した。

それ以来堂島組長は酒と女に溺れて自堕落な生活を送り始め、お飾り同然の存在へと成り下がっていたのだ。

だが、あんな小物でも親として仰がないといけないのが俺たちのいる世界なのだから世知辛い。

「控えろ、錦」

桐生も口ではそう言うが、こいつ自身思う所もあるのだろう。

軽く言ってくるだけで本気でたしなめようとはしなかった。

「ふぅ……」

俺はタバコに火を付けると、煙を吐いて誤魔化すようにため息を付いた。

持ち前の度胸と腕っ節で数々の修羅場を乗り越えてきた桐生はいつしか「堂島の龍」と呼ばれるようになり、今や東城会本家の中でも一目置かれる存在。

「またお前に、先越されちまったか……」

それに引き替え俺は、各方面に顔を売っちゃいるが未だ目立ったシノギや成果を上げる事が出来ていない。

自分でも分かるくらい、俺は燻っていた。

「……なぁ、錦」

「?」

すると桐生は少し言いにくそうに話を切り出してきた。

今度は、桐生が俺に尋ねてくる番らしい。

「お前、妹はどうなんだ?」

内容を聞いて合点が行く。

桐生が躊躇うのも納得だ。

「来月……もう一度手術だ」

俺には一人、同じ施設で育った実の妹がいる。

名前は優子。

幼い頃から病気がちで、良く入退院を繰り返していた。

それでも身体が成長して大人になってからは元気に過ごしていたのだが、三年前に重い心臓の病気が発覚。

風間の親っさんのすすめで、東京の大きな病院に入院する事になったのだ。

「多分、次で最後になる」

「最後……!?」

それ以来優子は、何度も延命の為の手術を繰り返してきた。

だが、先生の話では優子はもう長くないと言う。

「身体がもたないそうだ。これでダメなら、もう……」

「そうか……」

兄弟の顔が悲しそうに歪んだ。

桐生も優子の事はガキの頃から知っている。

そして、俺が優子の事を常に気にかけている事も。

「っ、」

俺は心のモヤを誤魔化すようにロックグラスを呷った。

さっきまで美味かったはずの酒が、今は絶望的に不味い。

重い空気が立ち込めるセレナだったが、まるでその流れを変えるかのように裏口のドアの開く。

そこに立っていたのは両手に買い出しのビニール袋を持った一人の女。

「あ、来てたのね!」

俺や桐生の姿を見た途端、花のような笑顔を見せる彼女こそ、俺が待っていたもう一人の身内。

「由美!」

「フッ……」

澤村由美。俺と桐生の幼馴染でセレナで人気No.1のホステスだ。

もっとも、ただの幼馴染とは訳が違う。

俺と桐生と由美の三人は、風間の親っさんの建てた養護施設の「ひまわり」で育った、いわば家族同然の存在だ。

「ちょっと、もう酔ってるの?私も入れなさい!」

「どうぞご遠慮なく」

由美が俺と桐生の肩に手を置いて間に入るようにして座った途端、気付けばさっきまであったはずの重たい空気は跡形もなく消え去っている。

由美には昔から、周りの空気を和ませて毒気を抜いてしまう不思議な力があった。

「由美の酒も、同じので良いか?」

「うん、おねがい」

「由美、そんなに買い込んで大丈夫だったか?大変だったろう?」

「大丈夫。誰かさんがお腹空かせてるだろうと思ったから頑張っちゃった、ね?」

「ぐっ……」

気まずそうに顔を背ける桐生。

酒のせいなのか照れてるのか顔がわずかに赤く見える。

「あら、桐生ちゃん一本取られたわね」

「ははっ、由美には何もかもお見通しだなぁ兄弟?」

「うるせぇ……悪かったな」

あの「堂島の龍」がタジタジになっている姿を見る事が出来るのは、日本中どこ探してもここだけだろう。

「冗談だよ。一馬ったら、そんなに拗ねなくてもいいじゃない」

「拗ねてなんかねぇよ……錦、もう一杯くれ」

「まぁ待てよ。由美、お待ちどうさま」

「ありがと、錦山くん」

由美にグラスを渡した後、桐生にもグラスを寄越すよう仰ぐ。

渡されたロックグラスにギリギリまで琥珀色の酒を注ぎこんでから零れないようゆっくりと手渡した。

「ほらよ桐生」

「お、おい。こんなになみなみと注ぐ事ねえじゃねえか」

「何言ってんだよ、今日の主役はお前だろうが。」

「どういうことだ?」

怪訝な顔をする桐生を横目に、俺はグラスを掲げた。

「みんなグラスは持ったな?それじゃあ桐生組の旗揚げを祝して、乾杯!」

「「かんぱーい!」」

「お、おい!だからそれは気が早ぇって……ったく聞いちゃいねえ」

主役であるはずの桐生をおいてけぼりにする形で始まった祝宴会。

麗奈と由美が最近のお客さんとあった出来事を語り。

俺と桐生がお互いのやらかしを暴露し合う。

そうして聞き手と語り手が入れ替わりながら、酒と共に時間が過ぎていく。

本当は祝宴会というのもただの口実で、四人で楽しい時を過ごしたかっただけだった。

そしてこの先もずっと、こんな時間が過ごせると思っていた。

俺だけじゃない。きっとこの場にいた誰もがそう信じて疑わなかっただろう。

だからこそ、

 

 

 

 

 

 

これが四人で一緒に過ごす事の出来る最後の夜になるなんて事を、この時の俺は知る由もなかったのだ。

 

 

 

 

 



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運命の分岐点

ある日の事。

「よう。」

学生服姿の一人の少年が、とある病院の病室に足を踏み入れる。

「お兄ちゃん。」

患者衣に身を包んだ少女が、少年に気付いた。

「どうだ調子は?」

優しい表情で語りかける少年。

彼は彼女の実の兄だった。

「いつも通り。お兄ちゃんこそ風間さんを困らせてない?」

「大きなお世話だっての」

妹の減らず口を聞いて少年は安心する。彼にとっては妹が元気である事が一番なのだから。

「なぁ、今日はお前にプレゼントがあるんだ」

「え、ホント?なになに?」

目を輝かせる妹に、少年は白い花の切り花を渡す。

「わぁ、これって!」

「これ好きだったろ?これで元気だして、早く良くなってくれよな」

花の名は胡蝶蘭。白い花びらが特徴的な清楚で純粋なイメージを持つ綺麗な花だった。

「ありがとうお兄ちゃん!」

「ははっ、気にすんなって」

はにかむように笑う妹につられるように笑う兄の少年。

そこには仲睦まじく過ごす兄妹の、どこまでも平和な時間が流れていた。

 

〜ー〜

 

「……ぁ?」

そしてその平和は、ふとした拍子で終わりを告げる。

朧げながらも明確になっていく意識と額の内側から生じる痛みが、彼を現実へと引き戻す。

「あ、錦山くんやっと起きた」

「麗奈……?」

錦山が目を覚ましたのは、セレナのバックヤードだった。

ソファに横になっている体勢である事から、ここまで連れて来られて寝かされていたのだろう。

「おはよう錦山くん。昨日はだいぶ飲んでたわね?」

「そっか、俺、桐生に張り合うようにして……」

昨日の記憶が蘇る。

あの時酒の回った錦山は桐生には負けられないと言ってハイペースで飲みすぎてしまい、結果として潰れてしまったのだ。

「桐生ちゃんが潰れた錦山くんをここまで運んで寝かせてあげてくれたのよ?後で感謝しなきゃね」

「そうか……ちっ、アイツに借りができちまったな」

やれやれといった様子の錦山の視界に、ふとバックヤードの時計が目に入る。

「!?」

思わずギョッとした錦山はすぐに腕時計を見る。

時刻はバックヤードの時計と一致していた。

「やべぇ、もうこんな時間か!」

「どうかしたの?」

「今日は優子のお見舞いに行く予定だったんだ!急がねえと受付時間が終わっちまう!悪ぃ麗奈、俺行かなきゃ!」

「あ、ちょっと錦山くん!」

錦山は飛び上がるように起きると、そのまま店を出ていった。

「あらあら、騒がしいんだから」

麗奈は一つため息をつくとソファから立ち上がり、開店準備に取り掛かるのだった。

今夜また顔を出すであろうみんなを、笑顔で迎えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

東都大学医学部付属病院。

日本の中でも5本指に入る医療技術を誇る都内最大の病院だ。

東城会の息がかかった病院でもあり、組の幹部が重大な怪我や病気で入院する際にもよく利用されている。

優子がここに入院する事が出来たのも、風間のおやっさんの口利きによるところが非常に多い。

本当に俺は、あの人には頭が上がらない。

「……」

面会の受付時間にギリギリ間に合った俺は、そんな病院の清潔感のある廊下を歩いていた。

病室の場所は変わっていないので看護師の案内も断り、目的の場所へと向かう。

(ここだ)

病室のドアを静かに開けて、中に入る。

そこには、酸素マスクを付けて横たわる優子の姿があった。

心拍数を示すモニターにも異常はなく安定しているのが分かるが、顔色はとても良いとは言い難い。

「優子」

静かに声をかけると、閉じていた瞼が薄らと開いた。

ゆっくりと視線が動き、やがて俺と目が合う。

「おにい、ちゃん…………」

酸素マスク越しに聞こえるくぐもった声には覇気がなく、今にも消え入りそうだった。

「よう。」

「また……来てくれたんだね……」

俺の顔を見て少しだけ安堵した様子の優子。

元々病気がちで身体は強くなかった優子だが、最初からここまで酷かった訳ではない。

一番の原因は度重なる手術による体力の低下だった。

重い心臓病を発症した優子の体力はみるみるうちに減っていき、それに伴う手術の連続でさらに体力を消耗してしまったのだ。

「優子……お前、最近ちゃんと寝れてるか?」

その体力低下の現れなのか、俺は優子の目の下に隈がある事に気付いた。

しっかりした睡眠が取れなければ、体力は戻らない。

来月の手術にも影響が出てしまうだろう。

「ううん……実は、最近あんまり……」

「どうした?寝付けないのか?」

俺の問いかけに、優子は力なく頷いた。

「手術が、怖いの……」

その答えに、俺は納得せざるを得なかった。

考えてみれば当然の事だ。

どんどん体力が衰え、気分や気持ちも弱くなっていく。

そんな中麻酔で眠らされ、手術とは言え体中を切られていじられるのだ。

麻酔の効果で意識が途切れた瞬間、もしかしたらもう目覚めないかもしれない。

そんなもの、怖くないわけが無い。

「おにいちゃん……私、このまま死んじゃうのかな……?」

不安そうに訴えかける優子の瞳が、潤んでいるのが分かる。

優子の心と身体は、もう限界なのかもしれない。

「……馬鹿だなお前は。そんな事考えんじゃねえよ」

「おにい、ちゃん……?」

俺は優子の手を握って、真っ直ぐにその瞳を見つめ返す。

優子を決して不安がらせないように。

「お前は死なねえよ。そのために何度も手術をしてきたんだろ?痛い事や苦しい事、怖い事を我慢して乗り切ってきたんだろ?せっかくここまで頑張って来たってのに、そんな事考える馬鹿があるか。」

「おにいちゃん……」

「お前がこれまで頑張ってきたのは、俺が一番よく知ってる。だから気持ちを強く持て。気持ちで負けてたんじゃ、治るもんも治らねえぞ?」

「…………」

「来月の手術の時は俺も居るからよ。だから、そんな後ろ向きな事考えんなって……な?」

「でも……」

目を逸らす優子。

こうした励ましの言葉は、もう何度もかけてきた。

それでも好転しない状況に、優子は何度も直面してきているのだ。

それに、人の心や気持ちってのは理屈じゃない。

そう言われたからと言ってすぐにそうだと思えるのは難しいものだ。

「よし分かった、じゃあ考え方を変えてみようぜ」

「考え方……?」

そこで俺は、発想の転換を試みる事にした。

「病気を治す為に頑張るんじゃなくて、治った後に何がしたいか。それを考えるんだよ」

「治った、後……?」

「あぁそうだ。人間、夢や目標があった方が頑張れるってもんだろ?だから、治った後にやりたい事、なりたいものを考えるんだよ。そして、それをやる為に今を頑張るんだ」

今言ったこの考え方は、俺が身を置いた極道の世界で学んだ事だ。

良い車に乗って、肩で風を切って、周りの人間に頭を下げられる。

そんな上の幹部や親分連中の姿を見て、下っ端の極道は自分もいつかこんな風になりたいと憧れを抱く。

そして自分がそんな男になる日を夢見て、理不尽や不条理を耐え忍ぶ。

そうして下積みを重ねる事で成り上がっていくのが極道なのだ。

ヤクザなど決してロクなものでは無いが、少なくとも今病床に伏せる妹を元気付ける切っ掛けくらいにはなる筈。

「優子、お前にも何かやりたい事ないか?ウマいメシ食いたいとか、旅行に行きたいとか、何でもいいからよ」

「やりたい事……」

「なりたいものでもいいぞ。こんな仕事をしてみたいとか」

「あ……」

思い当たる事があったのか。

ハッとした様子の優子は、心なしか先程よりも覇気のある声でこう言った。

「私……ひまわりの、先生になりたいな………」

「!」

ひまわり。

優子の言うそれは一般的な花の名前では無く、孤児院の名前だった。

俺と優子。それに桐生と由美の育った場所で、風間のおやっさんが立ち上げて、現在も面倒を見ている施設だ。

そんな場所で、子供達の世話をする先生になりたい。

ささやかで、優しい心を持った優子らしい夢だった。

「ひまわりの先生か。良いじゃねえか、子供達もきっと喜ぶぜ」

「そう、かな……」

「あぁそうさ。優子は人の痛みが分かる優しい奴だからな。子供ってのは純粋だから、そういうところはすぐに分かってお前に懐くだろうよ。じゃなけりゃ極道者の風間のおやっさんに俺らが懐くわけねえ。」

「ふふっ……そう、かもね……」

そう言って小さく微笑む優子。

俺がこの病室に入って、初めて見せてくれた笑顔だった。

「ん?」

その直後、俺のスーツのポケットから甲高い電子音が鳴る。

聞き覚えのあるそれはポケベルの着信音だった。

ポケットから取り出して表示された数字に目を通す。

そこに示されていたのは桐生の舎弟である田中シンジからの着信だった。

(シンジから……?何でわざわざ俺に?)

語呂合わせで読む数字には、すぐに電話を折り返してほしいのか49(=至急)という文字も見受けられる。

どうやら何か問題のある急ぎの要件らしい。

(……)

俺は途端に胸騒ぎがするのを感じた。

何か、とんでもない事が起きているような言い様のない不安と焦燥感。

「おにいちゃん……?どうしたの……?」

そんな俺の胸騒ぎが伝わってしまったのだろう。

不安そうに俺を見つめる優子に対し罪悪感を抱く。

「悪いな、優子。急ぎの用事が出来ちまった」

「そっか……」

「ごめんな。手術前にはもう一回顔出すからよ」

俺は立ちあがると、病室から出るために踵を返す。

「おにいちゃん……」

呼び止める声に振り向くと、優子は俺の目を真っ直ぐ見て言った。

「気を、つけて、ね……おにいちゃん……」

それは弱々しくも、俺にとって激の入る励ましだった。

「あぁ!またな優子」

自分がどうにかなるかもしれない時でさえ優しさを失わない優子の気持ちに報いる為に、こちらも力強く返す。

優子に背を向けて今度こそ病室を出ると、早歩きで最寄りの公衆電話まで向かった。

(ポケベルの相手がシンジからってのが気になるな……)

田中シンジ。

桐生が20歳ぐらいの頃からの舎弟で、よく桐生を慕っている。

俺も決して知らない仲では無いのだが、こうしてポケベル越しにメッセージが送られてくるのは初めてだった。

ましてや急ぎの用事ともなると、桐生絡みで何かあったのかと考えるのが自然だ。

(見つけたぜ)

ロビーまで戻ってきた俺は、備え付けの公衆電話を見つけるとすぐにその受話器を手に取った。

コインを入れてポケベルにあった電話番号を押す。

電話はすぐに繋がった。

『もしもし!錦山の叔父貴ですか!?堂島組の田中シンジです!』

電話越しに聞こえるシンジの声からは焦りと混乱が感じられ、こちらの嫌な予感が強くなっていく。

「あぁ、聞こえてるよ。一体何があったんだ?」

俺はそれを押し殺してシンジに話を促した。

あくまで冷静に。

そう思って耳を傾けた俺の耳朶を打ったのは、信じ難い現実だった。

『今さっき、堂島組長が由美さんを攫っていたんです!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桐生が異変に気付いたのは、シンジと共にセレナに顔を出した時だった。

血相を変えた麗奈がまるで掴みかかるように桐生に迫り、どうしようと訴えかけてきたのだ。

何があったのか問いかける桐生に対し、麗奈は由美がヤクザの組長に攫われてしまったと明かした。

由美を攫ったというヤクザの組長の特徴を聞くうちに、それが堂島組長であると確信した桐生はシンジに麗奈を託すとセレナを飛び出した。

このままでは由美が危ない。

その一心で神室町を駆ける桐生は、劇場横にある堂島組長の事務所に辿り着いていた。

(由美……無事でいてくれ……)

桐生は意を決してエレベーターに乗り込む。

目的の階に辿り着くと、事務所として使用している部屋のドアを開けた。

「おら、大人しくしろよ」

「いや……やめてください……」

事務所の手前の部屋から二人の声が聞こえ、桐生は玄関を土足で上がり込むとその部屋のドアを蹴破るように開けた。

「由美!!」

叫んだ桐生の視界に飛び込んできたのはソファに押し倒された由美と、その上に股がる渡世の親の姿だった。

「あ?桐生……何しに来た?」

東城会直系堂島組組長。堂島宗兵。

名だたる幹部連中の中でも常に上位に君臨する、東城会の大幹部である。

「堂島、組長……」

「何しに来たかって聞いてんだ」

ドスを効かせた声と共に睨みつける堂島の下で、桐生の姿を認めた由美がか細い声で助けを求める。

「か、一馬……助けて……」

「由美……!!」

「ほう、そういう事か」

そんな二人の姿を見た堂島は確信する。

「桐生、お前はこの女を助ける為にここまで来たって事か?」

「……はい。由美は、俺の馴染みの女なんです」

「そうかそうか」

堂島はそれを聞くと再び由美に向き直り、その顔を醜く歪めた。

「だが残念だったなぁ、今からコイツは俺の女だ。」

「ひ、っ!!?」

引きつった悲鳴をあげる由美などお構い無しに、堂島組長は由美の服のボタンに手をかける。

「待ってください、堂島組長!」

「あぁ?なんで待たなきゃなんねぇんだよ。俺は今からこの女抱くんだ、さっさと出てけや」

聞く耳を持たない堂島は由美のブラウスのボタンを全て開けると、中のシャツを引きちぎった。

「い、いやぁ……!!」

「へっへっへっ……嫌がる感じも最高だなァ」

「堂島組長!!」

声を荒らげる桐生に対し、堂島が再びドスの効いた声で問いかける。

「……どうしても出てくつもりはねぇって事か?桐生。」

「……はい。」

「そうか……よし分かった。」

堂島はそう言うと桐生を見て言い放った。

「桐生、命令だ。お前、そこで俺がこの女抱くの見てろ」

「なっ……!!?」

信じられない提案に目を見開く桐生に対し、堂島は意気揚々と続ける。

「この部屋から出たくねぇんだろ?だったら居させてやる。馴染みの女が俺色に染まるのを、特等席で眺めさせてやるぜ」

「堂島、組長……!!」

桐生の知る任侠からあまりにもかけ離れた組長の命令に、かつて無いほどの怒りの激流が桐生の中で荒れ狂う。

「残念だったなぁ由美ちゃんよ。これでもうアイツはお前を助ける事はねぇ。俺の命令には逆らえねぇからなぁ」

「そ、そんな……」

恐怖と絶望のあまり目に涙を滲ませる由美を見て、堂島の顔は下卑た笑みを浮かべた。

「ははっ、いい顔するじゃねえか。さて、そのカラダはどんなもんかね……」

「いや、やめ、やめて下さい……」

ついに堂島の手が由美の下着へと伸びる。

しかし、その手が由美の柔肌を犯すことは無かった。

「あ?」

堂島の手首を、何者かが横から掴んだのだ。

そしてそのまま腕を引っ張り上げると、由美の身体から堂島を引き剥がす。

「な、何!?」

いや、何者かなど分かりきっている。

この状況を、指をくわえて見ていられるほど。

「うぉらァァ!!」

桐生一馬は大人ではないのだから。

「がぁっ!?」

投げ飛ばされた堂島組長が、壁に激しく頭を打つ。

そんな組長よりも、桐生は由美を抱き起こすのを優先した。

「由美、大丈夫か!?」

「ぁ……か、一馬…………っ!」

由美は恐怖から開放された安堵からか、桐生に抱きついて大粒の涙を流して啜り泣く。

「一馬、私……私……!!」

「遅くなってすまねぇ……もう大丈夫だ」

「何が、大丈夫なんだ?」

「!!」

振り向いた桐生の視線の先には、先程投げ飛ばした堂島が怒りの表情を浮かべて立っていた。

「桐生……テメェ自分が何やったか分かってんだろうな?あァ!?」

「堂島組長……」

楽しみを邪魔され怒り心頭の堂島は、傘立てに立てかけてあった木刀を取り出して桐生に突きつける。

「ヤクザの世界で親の命令は絶対……知らねぇ訳じゃねぇよな?桐生」

堂島や桐生が生きる極道社会には、決して破ってはならない鉄の掟がある。

それは、親の命令には絶対服従するという事。

彼らの生きる世界で、上の人間に楯突く事は何があっても許されないのだ。

にも関わらず桐生は頭に血が昇った結果、自分の組の組長に手を挙げてしまったのだ。

これは一般社会における重罪に等しく、場合によっては極刑すら有り得る事態である。

「……由美、下がってろ」

桐生はグレーのジャケットを由美に羽織らせると、堂島の前に立ち塞がった。

「テメェはもうこの場でぶっ殺されても文句は言えねぇ……覚悟は良いな?」

東城会の大幹部である組長の脅しに対しても、桐生は一切屈さずに真っ直ぐ見つめると、頭を下げて言い放った。

「自分は、どんな目に遭っても構いません。ですのでどうか、由美の事は勘弁してもらえませんでしょうか……?」

桐生も極道の端くれ。

先の自分の行為がどんな意味を持つのかを知らないほど愚かではない。

故に桐生は自分の身を犠牲に差し出す事で、由美を護る道を選んだのだ。

「テメェ……いい度胸してんじゃねえか……」

そんな桐生の真っ直ぐな態度に、コケにされたと感じた堂島はついに木刀を振り上げた。

「ナメてんのか!!」

「ぐっ!!」

鈍い音を立てて桐生の側頭部に振り抜かれる木刀。

決して軽くないダメージが桐生を襲うが、堂島の怒りはまだ治まらない。

「テメェも!風間も!俺を!甘く見やがって!!」

声を荒らげながら乱雑に振り下ろされる木刀の連打に対し、桐生はガードもせずにただ受け続けていた。

「ぅぐ!」

「元はと言やぁ、テメェがあの時俺に刃向かったからだ!大人しくムショにぶち込まれてりゃいいものをよ!!」

堂島の言うあの時とは、今から数年前に起きたとある事件の事だった。

若頭の風間に組の実権を握られることを恐れた堂島は、風間の伝手で渡世入りした桐生に殺しの濡れ衣を着せ、その責任を取らせる形で風間を組から追い出そうとしたのだ。

しかし現実には桐生はムショにはいかず、組を破門されてなお刃向かった桐生の行動の結果により当時堂島組で進めていたシノギを他の組に奪われ、その権威を失う事になったのだ。

「テメェのせいで俺ぁ!何もかも失って!今じゃこのザマだ!ふざけやがって!!」

「ぐ、っ!」

桐生の返り血で木刀が赤く染ってもなお、堂島は殴るのを止めない。

自分の失墜を招いた憎き男への怒りは、こんなものではすまないのだ。

「何が堂島の龍だ……俺から全てを奪った疫病神が、デケェ面してんじゃねぇ!!」

叫びと共に大上段に振り下ろされた一撃。

頭頂部を叩いた瞬間、乾いた音と共に木刀がへし折れる。

「ぐぅ、っ……!!」

最後の一撃で脳が揺れたのか、ついに桐生が膝を付いた。

額から流れる血が、事務所のカーペットに垂れて赤い斑点を作る。

「頑丈な野郎だぜ……でもな」

堂島は折れた木刀を放り捨てると、懐からあるものを取り出した。

「ひっ……!」

桐生の後ろで、由美が短く悲鳴をあげる。

(由美?)

疑問をうかべる桐生だったが、直後に頭に突きつけられた冷たい感触で全てを理解した。

顔を向けた桐生に対し、堂島は手に持ったそれを桐生の額に突きつけ直す。

「これの前じゃ、流石のテメェも無力だろう?」

「......!」

堂島が桐生に向けたものは、拳銃。

彼らの生きる極道の世界ではチャカ等とも呼ばれている代物である。

本来は極道であっても容易に手にすることは出来ないが、東城会の最高幹部ともなればそれも造作もない事なのだ。

「自分はどんな目に遭っても構わない……テメェさっきそう言ってたな?」

「……」

硬い音と共に撃鉄が起きる。

後はもう、人差し指で引き金を引くだけ

たったそれだけで桐生の命は失われる。

しかし、そんな瀬戸際であってもなお桐生の在り方は変わらない。

「……はい。その代わり、由美には決して手を出さないと、誓ってください」

由美を護るためならばこの命さえも惜しくない。

揺るがぬ覚悟と決意を持って、最後まで意地を貫き通す。

それが堂島の龍、桐生一馬という極道の生き様だった。

「何処までも俺をナメやがって……」

しかし桐生が真っ直ぐであればあるほど、堂島は決して彼を認めない。

堂島は理不尽と不条理が蔓延る極道社会で最高幹部にまで上り詰めた男だ。

厳しい渡世の道の中彼はそのプライドだけを肥大化させ、他の大切なモノを無くしてしまった。

しかし、それが何だったかももう思い出せない。

だからこそ、かつての自分が持っていたはずのモノを自信満々に振りかざす若造を認める訳にはいかないのだ。

「死ねや、桐生ぅ!!」

「一馬!!」

由美の悲愴なる叫びが鼓膜を叩く。

引き金が引かれ、撃鉄が落ちる。

その直前。

 

「桐生!由美!無事か!!?」

 

一匹の鯉が、運命の分岐点に迷い込んだ。

 



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決断

期待してくれる声が多いので頑張りました。
ちょっと早めに投稿します。


1995年 10月1日 午後5時。

シンジからの連絡を受けて病院を飛び出た俺の車は、堂島組長の事務所がある東堂ビルの前へと辿り着いていた。

いつもならパーキングに停める所だが、そんな悠長な事はしていられない。

(クソ、急がねえと……!!)

身を焼くほどの焦燥感に見舞われながら、ドアを蹴破るように外へと出た。

病院を出たあたりから降り出していた雨が、より勢いを増して俺の体を叩く。

傘を差す暇すら惜しい俺はすぐに車の後ろに回り込んでトランクを開ける。

そこにあったのは、鍵の付いた一つのアタッシュケースだった。

ポケットから鍵を引っ張り出し、すぐに鍵穴に差し込んで解錠してケースを開ける。

「っ!」

その中にあったモノが視界に映った途端、先程までの焦りが嘘のように消え失せた。

まるで湯だった身体に氷水を掛けられるように。

(チャカ……)

そこにあったのは、黒光りする銃身を持った一丁の拳銃だった。

数年前、堂島組で武器密輸のシノギがあった際に俺が相手の組織から仕入れていたものだ。

組の兄貴達にバレる訳にはいかないので、俺が独断で仕入れた後にこのトランクの中に保管していたのだ。

誤作動の起こりにくいリボルバー式で、弾は六発。

幸い、天下の堂島組の構成員である事が功を奏したのか偽物を掴まされてはいない。

相手の組織も堂島組を相手にナメた商売をする事は危険であることを知っているからだ。

(どうする……?)

一瞬、冷静になった頭で考える。

これは、俺が持ちうる最後の手段。

滅多な事では持ち出してはならない危険な代物だ。

これを持ち出す事とはつまり、生きるか死ぬかの渦中に身を投じる事を覚悟するという事。

決して軽々しく考える事など出来ない。

だが、

(アイツの事だ、由美を護るためならどんな無茶な事するかわかったもんじゃねぇ。それに堂島組長は"カラの一坪"の一件で桐生に恨みがある)

今から数年前、神室町再開発計画の為にたった一坪の空き地の相続権を巡った事件があった。

通称"カラの一坪"事件。

当時組織内で幅を利かせていた幹部連中や、関西最大の極道組織である近江連合の一部すら巻き込んだ一大抗争。

当時二十歳だった桐生はその一連の事件の渦中に巻き込まれ、結果として堂島組長の意向に背く行動を取ってしまったのだ。

それをキッカケに堂島組長の権威は失墜し、今の自堕落な有様へと変わっていった。

(もし桐生が由美を助ける為に堂島組長に逆らったら……)

今まで溜まっていた鬱憤が爆発した堂島組長は、きっと桐生に容赦はしないだろう。

最悪の場合、殺されてしまう。

「っ……!!」

残された時間は無いに等しかった。

意を決し、ケースに収められたチャカを手に取る。

手に感じるずしりとした重さが俺に問いかけてきた。

"覚悟はあるか?"と。

「やってやるよ……!!」

懐に拳銃をしまい込み、トランクを閉じる。

東堂ビルのドアを開けて、エレベーターに飛び乗った。機械音しか聞こえないエレベーター内では、耳元から聞こえる早鐘のような鼓動が余計にうるさく感じる。

(行くぞ……!)

エレベーターのドアが開いた瞬間、俺はすぐさま廊下へと飛び出した。

開けっ放しになった事務所のドアを尻目に部屋へと入る。

直後、手前の部屋から鬼気迫る叫び声が聞こえた。

「一馬!!」

(っ、この声は由美!)

一瞬誰か分からないくらいの大声だったが、間違いなく由美の声だった。

そしてその声は桐生の名を叫んでいる。

(ヤバい!!)

確実に俺の想像以上の事が手前の部屋で起きている。

俺は懐から獲物を取り出し、勢い良くドアを開けた。

「桐生!由美!無事か!!?」

叫んだ俺の視界に飛び込んで来たのは、血を流して膝を着く兄弟の姿。

そして、その兄弟の額に拳銃を突き付けていた堂島組長の姿だった。

「堂島組長!!」

「ちっ!!」

俺は衝動的に銃を構えた。

しかし、それとほぼ同時に堂島組長は桐生に向けていた銃口をこちらに向けたのだ。

「邪魔すんじゃねえ!!」

「っ!!」

意識が人差し指に集中する。

殺るか殺られるかの極限状態の最中、俺が引き金を引き切るよりも先に乾いた音が部屋の中で鳴り響いた。

直後。

「ぐ、っ、ぁ……ッッ!?」

一拍遅れて、俺の肩を直接炙られるような熱と痛みが襲う。

弾丸が掠めたのか、白いジャケットを着た肩に赤い傷痕が走っていた。

「錦ぃ!!クッソがぁぁああ!!」

直後、拳銃の脅威から開放された桐生が立ち上がり、堂島組長に襲いかかった。

「ハッ!オラァ!!」

「ぶがァっ!?」

堂島組長の持つ銃を手刀で叩き落とし、その反動を使って裏拳の一撃を繰り出す。

桐生の剛腕で振るわれた一撃は堂島組長の顔面をぶち抜き、その身体は組長の机の奥まで吹き飛ばされた。

「ハァ……ハァ……錦、大丈夫か……!?」

顔を腫らした桐生が俺の無事を案じてくる。

ついさっきまで殺される所だったというのに既に俺の心配をしてくるコイツには、本当に驚かされてばかりだ。

「単なる、かすり傷だよ……それより由美は?」

「あぁ、由美ならそこだ」

桐生が目線を向けた先を目で追うと、桐生のジャケットを羽織って部屋の片隅で震えている由美を見つけた。

俺は肩の痛みなど二の次に由美の元へと駆け寄る。

「由美!!大丈夫か!?」

「に……にしきやま、く……ん……?」

よく見ると由美の服が一部が破かれている。

堂島組長に強姦される寸前だったのだろう。

目には涙を貯め、身体は恐怖で震えていた。

「安心しろ、もう大丈夫だからな」

俺は爆発しそうになる怒りを無理やり押さえ込み、恐怖でパニック状態になっている由美を落ち着かせる為にその身体を抱き寄せた。

幼い頃、妹の優子にしてやったみたいに背中をさする。

「大丈夫……大丈夫だから……!」

「あ、ぁ…………いや…………っ!!」

しかし、由美のパニックは一向に収まらない。

それどころか、さっきよりも悪化しようとしていた。

「テメェらぁ……!!」

俺が原因を探ろうとするよりも早く、答えは明らかになった。

その声が耳に入った途端、反射的に背後を振り向く。

「揃いも揃って、俺をコケにしやがってぇ……!!」

桐生が殴り飛ばした堂島組長が、顔面に血管を浮かび上がらせながら立ち上がる。

由美の視界に映っていたのは、恐怖の対象が起き上がろうとする瞬間だったのだろう。

「お前らまとめてぶっ殺してやる!!」

言うが早いか。

堂島組長は机の棚から何かを引っ張り出す。

(!!)

背筋が凍り付く。

堂島組長の手に持っていたのは、サブマシンガン。

俺が決死の覚悟で持ち出したチャカの弾丸を連射することが出来る化け物銃だ。

あんなものを持ち出されたら最後、俺や桐生の身体は蜂の巣のように穴だらけになってしまう。

「堂島ぁ!!」

叫び声を上げた桐生が、視界の端で床に落ちたチャカを拾い上げるのが見えた。

「クソぉっ!!」

吐き捨てるのと同時に立ち上がってチャカを構えた。

もはや後戻りは出来ない。

肩の痛みをねじ伏せて狙いを定める。

今度こそ"殺る"為に。

「死ねやぁぁぁッッ!!!」

組長の叫びと同時に人差し指に力を込める。

引き金が引かれ、乾いた銃声が二つ。

組長室に響いた。

 

 

 

 

 

 

一瞬の静寂の中。

桐生は目の前で、渡世の親が肉塊になる瞬間を目撃した。

堂島組長の身体が、音を立てて崩れ落ちる。

「はぁ……はぁ……」

それは、どちらの息遣いだったのだろう。

荒い呼吸の音と、窓を叩く雨音が部屋の中を支配している。

「桐生……」

そんな中、最初に声を上げたのは錦山だった。

「錦……」

肩の傷を抑えながら桐生の元へ歩み寄る錦山。

その目には混乱と動揺が浮かんでいる。

「や、殺ったのか……?」

「……」

二人の視線が遺体へと吸い寄せられるように向かう。

遺体には弾痕は一発だけ。堂島組長の額に穿たれている。

即死だった。

「どっちの弾が当たったんだ……?」

「分からない……だが、一つ確かな事は」

窓の外から稲光が差し込む。

まるで、これからの彼らの運命を暗示するように。

「俺達のどちらかが……極道社会最大の禁忌を犯しちまったって事だ」

一拍遅れて雷鳴が外から鳴り響く。

まるで、逃れられない現実を突き付けるように。

「親、殺し……」

極道社会とは、組長である親を仰ぐことを絶対とする社会である。

たとえどのような事であったとしても、親が白と言えば白。

黒と言えば黒。

それが、彼らが生きる極道の世界の不文律。

絶対に破られてはならない鉄の掟なのだ。

「本当に、殺っちまった……!東城会の……大幹部を……!!」

しかし、その掟は破られた。

極道達に取って法そのものと言っても過言ではない組長に刃向かい、ましてやその手にかけてしまったのだ。

彼等の世界において、これ以上重い十字架は存在しない。

「なぁ桐生……俺達、これからどうなるんだ……?」

「分からねぇ……だが、あれだけの銃声だ。すぐに警察がここに来るだろう。」

このままでは銃を持った警官達がこの場になだれ込んで二人とも逮捕されてしまう。

そして、二人が手錠を掛けられて留置所に送られたその後は、殺人現場の捜査が始まり、やがて司法解剖の末にどちらが堂島組長を殺害したかが明るみに出て、犯人にはそれ相応の判決が言い渡されることになるだろう。

「なら、今すぐここから逃げれば……!」

「いや、無駄だ。殺人事件が起こった以上、警察は徹底的に俺たちを追ってくる。逃げ切るのは無理だ。それに俺達を追ってくるのは警察だけじゃねえ」

「それって……まさか……!!」

錦山は思い至った。

親殺しの事件を起こした極道を追う警察以外の組織など、一つしかない。

「堂島組だ。組長を殺された極道の報復は何よりも怖い。おそらく、組長を殺った犯人は絶縁を言い渡される事になるだろうな」

「絶縁……!!」

それは、極道社会の中で最も重い処罰だった。

堂島組は勿論の事、東城会傘下の全組織からその一切の関わりを絶たれ、二度と極道社会には戻れない。言わば永久追放の処分。

しかも、親分を殺された堂島組構成員からの報復に怯えながら一生を過ごさなくてはならない。

「そうなっちまえばもう逃げられねぇ……徹底的に追い込みかけられて、殺されちまう」

「…………」

万事休す。

この事件を起こした犯人にとって、逃げ場など何処にも無い。

あるのはただ、断頭台に固定されいつ刃が落ちるか分からないギロチンに震え続ける地獄の日々だけである。

「………………なぁ、桐生」

それは、絞り出すような一声だった。

「なんだ?」

「お前に、一生の頼みがあんだ」

「何言ってんだ、こんな時に!」

要領を得ない錦山の言動に苛つきを覚える桐生。

しかし、錦山は真剣な顔でこう言った。

「優子の事、助けてやってくれねぇか?」

桐生の思考に空白が生まれた。

なぜ、今この時に彼の妹の話が出るのか。

分からない桐生は記憶を思い起こす。

病気がちな錦山の妹、優子。

重い心臓病を患った彼女は、来月に手術を控えている。

そしてそれがおそらく最後になる、と。

「まさか……お前……!!」

桐生は思い至った。

隣に立つ親友が今、何をしようとしているのか。

「桐生。こっちにそのチャカ渡せ。そして由美連れて逃げろ」

錦山は、身代わりになろうとしているのだ。

全ての罪を被って己を破滅させる代わりに、未来を託す。

たった一人の妹と最愛の人の未来を、堂島の龍に。

「錦……お前自分が何言ってるか分かってんのか!?そんな事したら、お前は……!!」

「うるせぇ!!」

桐生の言葉を遮るように錦山は叫ぶ。

その目には、先程のような混乱や動揺は浮かんでいない。

「桐生よ、お前はこれから組立ち上げて東城会や堂島組。そして風間の親っさんを支えようって人間なんだ。こんな所でパクられて良い訳がねぇだろ!」

「錦、お前……!」

「これからの東城会にはお前が……堂島の龍が必要なんだよ。だから、お前はここにいちゃいけねぇんだ。」

その目にあるのは、確固たる決意。

「それに、お前になら安心して任せられるからな。由美の事も……優子の事も…………!」

そして、桐生への信頼と嫉妬。

あらゆる感情が綯い交ぜになった悲壮なる覚悟を浮かべた男が、そこには立っていた。

「錦……」

遠くから、サイレンの音が近づいて来ている。

二人に残された時間は、もう無い。

「由美……由美……!」

「あ…………ぁ…………」

錦山は、力なく壁にもたれかかった由美に声をかける。

しかし彼女の目は焦点があっておらず、心ここに在らずといった様子だ。

錦山は彼女の元へと歩み寄ると、その弛緩しきった身体を引っ張りあげ桐生にその身柄を預けた。

「行くんだ、桐生。由美と……優子の事を、頼んだぜ……!」

「錦……!」

顔を俯かせ、葛藤する桐生。

しかし、それすらも時間は待ってはくれない。

「行けぇ!!」

急かすように叫ぶ錦山。

時間にしてわずか数秒。

その間に幾度もの葛藤を経て、堂島の龍は覚悟を決めた。

「……分かった」

桐生は手に持っていた拳銃を回して銃身に持ちかえると、拳銃のグリップが錦山に向くように差し出した。

錦山はそれを受け取ると、今度は逆に自分の持ち込んだリボルバーを桐生へと手渡した。

桐生の持っていた拳銃から発射された弾丸で、堂島組長を殺したように仕向ける為だ。

「錦……お前の妹は必ず俺が助ける。だからお前も死ぬんじゃねえぞ!!」

「……あぁ」

桐生はそれを最後に、錦山から背を向けて部屋を出ていった。

足音が遠くなっていき、やがて部屋の中は再び窓を叩く雨音と轟く雷鳴に支配された。

「……」

錦山の全身から力が抜け、その場にへたり込むように膝を着く。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!!」

怒り、信頼、焦り、恐怖、嫉妬、諦念。

せめぎ合う様々な感情が彼の内側で渦巻いて、心の中を掻き乱す。

不意に、堂島組長の遺体が視界に入った。

「うっ……ぅ、っ……!!」

その途端、極度の緊張状態とショックから強烈な吐き気が錦山を襲う。

言い様のない不快感が喉を逆流し、嗚咽を漏らす。

しかし、その吐き気は床に落ちている何かに気付く事で霧散した。

(……!)

錦山は思わず拾い上げる。

それは、彼にとって見覚えのあるものだった。

(これは、由美の……)

由美がしていた指輪だった。

今から数ヶ月前。

桐生が由美の誕生日祝いでプレゼントした指輪で、由美の名を刻印する粋な計らいが込められた一品である。

おそらく、堂島組長に襲われた際に落としてしまったのだろう。

「なんで……」

それを見て彼が思い出すのは、つい昨日の夜の光景。

酒を飲んで皆と語り合っていた、幸せな時間。

もう二度と過ごす事の出来ない、失われた日常。

「なんで、こうなっちまったんだろうな……っ!」

錦山の両目から涙が零れ落ちる。

歯車がズレたのは、一体どこからだったのか。

桐生、由美、風間。そして優子。

目に浮かぶ大切な人達ともう二度と生きて会えないかもしれない悲しみに、彼は打ちひしがれていた。

(!)

サイレンの音が大きくなり、事務所の廊下方面から慌ただしい足音が聞こえ始める。

桐生と由美は、無事に逃げれただろうか?

そんな事を頭の片隅で考え始めた時。

「動くな!!」

ついに拳銃を持った警官二人が部屋へとなだれ込み、錦山へ銃口を突き付けた。

錦山は泣き腫らした顔を警官に向け、手に持っていた拳銃を床に落として両手を挙げると、酷く平坦な声音でこう告げる。

「俺が、犯人です……」

後日、新聞の見出しにはこう記されていた。

東城会直系堂島組構成員、錦山彰。

堂島組長殺害の容疑で現行犯逮捕。

これは、彼にとって長く苦しい闘いの始まり。

 

 

 

しかしそれは同時に、新たなる伝説の幕開けでもあった。

 

 

 



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破門


日間ランキング8位!?
最初は我が目を疑いました。
本当にありがとうございます……!
皆さんの声援に応えたくて、早速一話投稿しようと思います。
今回の話で一区切りと考えていますので、次回からはまたゆったり更新のつもりで行きます。

あと、読みづらいとのお声があったので行間を空けて書いてみました。
もしこれで読みやすいという事でしたら、次回からこれで行こうと思います。
それではどうぞ!







1995年10月2日。

堂島組長射殺事件の翌日。

錦山は、神室警察署の取調室で取調べを受けていた。

勿論、堂島組長殺害の犯人としてだ。

 

「ふざけるな!」

 

錦山の対面に座る刑事が、叫び声を上げて立ち上がった。

容疑者を真っ直ぐに射抜くその目から、錦山は逃げるように目を逸らした。

 

「俺が殺ったんです……組長の理不尽な仕打ちに、カッとなっちまって……」

「いい加減にしろ!そんな嘘が通用すると思ってるのか!」

 

覇気のない声で供述する錦山の顔を、刑事がライトで照らす。

彼には錦山の供述が、どうしても納得出来るものでは無かったのだ。

 

「伊達くん、もういい」

「良かぁないですよ!」

 

宥めようと声をかけたもう一人の刑事に、伊達と呼ばれた刑事は激情のままに吠えた。

 

「我々の捜査で、現場には複数の弾痕があった事が確認出来たんです!なのに堂島の遺体から発見されたのはコイツの持ってた拳銃の弾だけ!どう考えたって不自然じゃないですか!」

 

現場から発見された弾痕は全部で三つ。

一つは事務所の部屋の廊下の壁に。もう一つは現場にあった組長の机に。

そして最後の一つは堂島の遺体に刻まれたものだ。

 

「遺体から発見された弾丸と錦山の持っていた拳銃の線条痕は一致している。それ以上になんの証拠が必要だと言うのだね」

 

近代の拳銃は大抵の場合、弾丸を回転させて安定性を上げる為に銃砲身内に螺旋状の溝が彫られている。

弾丸は火薬の炸裂に伴い、銃砲身内でその溝を軸に回転して発射されるという訳だ。

そして、その際には必ず弾丸に浅い傷跡が出来る。

それが線条痕であり、これを調べる事によって弾丸がどの拳銃から発射されたものかを特定することが出来る。

言わば、銃の指紋とも呼ぶべき重要な証拠なのだ。

 

「だったら、組長の机と廊下の壁にあった二つの弾痕はどう説明するつもりですか!」

 

伊達が指摘したのは、残り二つの弾痕。

いずれも弾丸が潰れてしまい線条痕の特定には至っていないが、犯行時に錦山の持っていた拳銃の残弾数と噛み合わなかった事から、伊達刑事は事件現場にいたであろうもう一人の人物が犯行に関与していると推察したのだ。

 

「間違いありません。あの場には確かにもう一人、組にとって重要な誰かがいたんです!コイツはきっと、そいつを庇ってるんだ!出なけりゃ一構成員でしかないコイツが組長を殺っただなんて言うはずがねぇ!!」

「伊達くん、これはヤクザの抗争だ。誰が殺ったかは問題じゃない。」

 

しかし、もう一人の刑事はそんな彼を冷めた目で見つめる。

まるで、時代錯誤の異物を見るように。

 

「事件の迅速な解決。それが今求められている全てだ。」

 

平坦な声でそう告げた刑事が取調室を出ると、伊達は席を立ち上がって椅子を蹴り飛ばした。

 

「クソッ……!」

 

己の信念を踏みにじられた伊達の顔が、苦虫を噛み潰したように歪む。

 

「……刑事さん。頼みがあります」

 

その姿が、自分の兄弟分と重なったからだろうか。

錦山は、ふとした思いで伊達にある事を願った。

 

「俺の持ち物の中に、指輪があります。それを、堂島組の風間に渡してくれませんか?」

 

それは、錦山に出来るせめてもの贖罪。

勝手極まる行動の果てにする償いとしては、あまりにも小さな事。

それでも、行動を起こさずにはいられなかった。

 

「申し訳ありませんでしたって、伝えて下さい」

 

声をかけられた伊達は、瞳に宿る熱はそのままに怒りの視線を錦山に叩きつける。

 

「なんで俺が、お前みたいなチンピラの言う事聞かなきゃならねぇんだ?言っとくが、俺ぁお前を擁護したい訳じゃねえぞ?」

 

警察官である伊達にとって極道である錦山は敵。

しかも、捜査一課の刑事とただの構成員ではそもそもの格が違う。

何より、頼みを聞く聞かない以前に錦山は現行犯逮捕された殺人犯なのだ。

そんな事を頼める立場になど、最初から立てていないのである。

 

「はい、分かってます……」

「はぁ?だったら何で俺に頼もうと思った?」

 

伊達の疑問に対し、錦山はそれまで合わせようとしなかった目線を向けてこう口にした。

 

「刑事さんの目……俺の知ってる奴にそっくりなんです」

 

その答えを聞き、伊達は思い至る。

極道でありながら決してカタギに迷惑をかけず、常に筋の通った生き方をする一人の男を。

 

「……桐生の事を言ってるのか?」

「えぇ……」

 

桐生一馬。

堂島組の中で近々組を立ち上げようとしている極道で、錦山とは渡世の兄弟分。

そして、そんな桐生と幼少期から時間を共にした親友でもある錦山は、桐生がどんな男かをよく知っていた。

故に、そんな桐生の生き様とひたむきに事件に向き合おうとする伊達刑事の姿勢に、心の中で感じ入るものがあったのだろう。

 

「アイツと同じ真っ直ぐな目をした刑事さんだったら

……きっと俺なんかの話にも耳を傾けてくれるって、そう思ったんです」

「……」

 

そう語る錦山の表情は未だ暗く、声にも覇気が感じられない。

しかし、視線だけは真っ直ぐに伊達刑事を向いていた。

 

「ふん、何を言い出すかと思えば。俺を極道なんぞと比べるんじゃねぇ」

「そう、ですよね……すいません……」

 

吐き捨てるように言った伊達は踵を返して、取調室の戸を開けた。

これ以上話を聞いても、錦山は自分がやったと言い張り続けるだろう事は明白だったからだ。

 

「錦山」

「はい……?」

「指輪の件、約束はしねぇぞ」

 

彼は最後にそれだけを告げると、そのまま振り返ること無く取調室を後にした。

 

「っ……ありがとう、ございます…………!」

 

啜り泣く声と感謝の言葉を背に受けながら、伊達の意識は別の所にあった。

 

(錦山のあの目……)

 

伊達が注目したのは、桐生の名前が出た時の錦山の目だった。

憧れの存在を見出してそこに至りたいと願う強い気持ちと、それがもう叶わない事を突き付けられた絶望が綯い交ぜになった悲壮な目。

 

(アイツは桐生に対して強い憧れを抱いている。ともすれば嫉妬にも近いようなものを……もしそれが本当なら……)

 

伊達の中に宿る刑事としての勘が、その目を見た事でこう囁いたのだ。

錦山彰は犯人ではない、と。

 

(なら、俺のやる事は一つだけだ)

 

刑事としての誇りにかけて、必ず真犯人を暴き出す。

決意を固めた伊達は、事件解決の為に突っ走る。

たとえその先に、どんなに深い陰謀があったとしても。

警視庁捜査一課刑事、伊達真。

彼は本庁の中で、誰よりも真実と正義を追い求める男だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事件発生から数日後。

堂島組長殺害の現行犯で逮捕された俺は留置所に収容されていた。

刑務所とは違い、留置所とは犯罪者が収容される施設では無い。

警察に逮捕された者の逃亡や証拠隠滅を防ぐ為に収容される施設だ。

この間に警察は現場を捜査して証拠を集める事で、自分達が逮捕した者が本当に犯罪者かどうかを確かめる。

金銭支払いにおける和解や示談などで済ませる場合もあるが、たいていの場合は裁判を通じて犯罪者に刑を確定させて執行する。

つまり、刑が確定するまでは犯罪者では無いのだ。

 

(まぁ、俺は有罪判決で確定だろうがな……)

 

俺も極道の端くれだ。

暴行や傷害で警察の世話になり、留置所に入れられた事も一度や二度ではない。

いつもであれば留置所に入る事など、今更対して珍しくもないのだ。

だが今回は訳が違う。

今までは後ろ盾である堂島組からの支援があって示談や和解が成立してきたが、今回の俺の罪状は殺人。

しかも、殺ったのはその後ろ盾だった組織の大幹部なのだ。

示談や和解など有り得るはずもない。

 

(絶縁か……)

 

それは極道にとって最大の処罰だ。裏社会全てからの永久追放。

表にも裏にも居場所が無い、孤立無援の状態で一生を過ごす事になる。

 

「馬鹿な兄貴でごめんな……優子………」

 

病院に残した妹の優子の事が脳裏をよぎる。

優子は今でも、懸命に病気と闘っている筈だ。

本当に申し訳ない事をしたと思う。

肝心の手術の前に俺が側に居てやれない。

いや、側に居れない状況に自分からしてしまったのだから。

 

「錦山」

 

ふと、鉄格子の外から俺に声がかかる。

振り向いた先に居たのは制服を来た警官だった。

 

「お前に面会だ。房から出ろ」

「……はい」

 

俺は指示に従い警察官の開けた房の扉を出ると、すぐに手錠をかけられた。

警察官について行くようにして警察署内を歩き、白い壁に包まれた面会室へと導かれる。

俺がパイプ椅子に座ったのを確認した警察官が、背後にあるデスクと事務椅子に腰かけた。

しばらくすると、ガラス越しの向こうの部屋のドアがゆっくりと開いた。

 

「彰……」

 

現れたのは、右手で杖をついたスーツ姿の初老の男。

貫禄のある眼差しが俺を慈しむように向けられていた。

 

「親っさん!」

 

東城会直系堂島組若頭兼風間組組長。風間新太郎。

親を亡くした俺や桐生を孤児院で育ててくれた恩人だ。

そして、俺をこの世界へ導いてくれた人でもある。

 

「大変だったな、彰」

「親っさん……本当にすみませんでした!!」

 

俺はガラス越しのおやっさんに頭を下げた。

あの時は頭の中が色んな感情で埋め尽くされて、正直覚えていない。

ただ、桐生や由美を……そして優子をどうにかして助けたいというただその一心だった。

それで動いた結果、育ての親である風間の親っさんに甚大な迷惑をかけてしまったのだ。

 

「いや……お前が一人で抱え込む必要はねぇ。手回しが遅れた俺にも責任がある」

 

だが、親っさんはこんな時でさえ俺を責める事はしなかった。

右手で杖をついたまま対面のパイプ椅子に腰掛けた親っさんは、自分が逮捕された後の事を語ってくれた。

 

「今回の一件。事情は全て"組の者"から聞いた。"お前の馴染み"も俺の信頼出来る人間の下で預かっている。心配は要らない」

 

風間の親っさんは事件が起きたその後、誰よりも迅速に動いてくれたらしい。

見張りの警官がいるこの場で余計な情報を漏らす訳にはいかないのだろう。

"組の者"や"お前の馴染み"という言い方をしているが、それが桐生と由美である事は容易に読み取る事が出来た。

 

「親っさん……」

「なんだ?」

「妹は、この事知ってるんですか?」

 

俺の問いに、風間の親っさんは首を振って答えた。

 

「いや、妹にこの事は伝えていない。どんな負担があるか分からねぇからな」

「そうですか……」

 

俺は安堵した。

もしも自分の実の兄貴が殺人犯になったと知ってしまったら、優しいアイツはきっとショックでどうにかなってしまう。

病床に伏せ、心身ともに弱っている優子に余計な心配をかけさせる訳には行かないのだ。

 

「今月末にある最後の手術には"組の者"が立ち会う事になった。これは……お前が望んだ事なんだよな?」

「はい……」

 

優子を助けてやってくれという俺の願いを叶える為に、桐生はきっと動いてくれているのだろう。

本当に、アイツには感謝しかない。

 

「彰、今日はお前にこれを渡しに来たんだ。」

 

親っさんはそう言って懐の中に右手を伸ばした。

そして、そこから取り出した封筒を一枚の白い封筒を俺の前に差し出す。

 

「!!?」

 

しかし、そこには俺が思っていた文字は載っていなかった。

 

「破門……!?」

 

封筒に記されていたのは"破門状"の文字。

それは、東城会側から俺に下された措置が破門であることを示していた。

極道の世界においては絶縁の他に破門という措置がある。

極道社会からの永久追放と組織からは報復があり真っ当な社会復帰が絶望的な絶縁とは違い、破門は極道からの追放ではあるものの組織からの報復の可能性は低く、社会復帰はもちろんの事、場合によっては極道としての復帰も出来る。

カラの一坪事件の際に一度カタギに戻った桐生が組に復帰したのも、その措置が破門であったからに他ならない。

言わば極道にとって"破門"とは解雇通知のようなものなのである。

 

「親っさん!俺は、自分の親を殺しちまったんですよ……?絶縁なんじゃ、無いんですか?」

 

親が絶対である極道の世界で、その親を殺した容疑で逮捕されたのだ。

最大の掟を破ったと言ってもいい俺が、破門で済むのは異例中の異例と言って良い。

 

「あぁ……世良会長がそう決めたんだ。これは決定事項だ」

 

世良とは、東城会三代目会長の名前だ。

かつては日侠連と呼ばれる組織を率いており、カラの一坪の一件で多大な功績を挙げた事から東城会本家若頭に就任し、そのまま三代目を襲名したやり手の極道である。

しかしその世良会長に極道のイロハを仕込んだのは風間のおやっさんで、今でこそ立場が上の世良だが風間のおやっさんには未だに足を向けては寝られないと聞いたことがある。

 

「まさか、親っさんが……?」

「……」

 

おやっさんは目を逸らして黙り込む。

それは、答えに等しかった。

警察の管理下にあるここで堂々と話す事など出来ないが、親っさんはきっと三代目に掛け合ってくれたのだ。

俺みたいな末端のチンピラを護るために。

そして同時に、嫌な予感が脳裏を過ぎる。

 

「親っさん……一つ聞いても良いですか?」

「……どうした?」

 

その予感を、どうしても尋ねたかった俺は、生唾を飲みこんで恐る恐る尋ねた。

 

「なんで……左手をポケットに入れたまま(・・・・・・・・・・・・・)なんですか?」

「!!」

 

今日、親っさんは右手で杖をつき、右手で懐から破門状を取り出していた。

そこまでは別に問題ない。

俺が気がかりだったのは、歩いている時や椅子に座る時にポケットから左手を出さない事だった。

ただでさえ脚を悪くしている親っさんが歩く時や座る時、左手でバランスを取らないと不便なのは想像に難くない。

そんな状態でも親っさんは決してポケットから手を出そうとはしなかった。

まるで、何か見せたくないものを隠しているかのように。

 

「……」

「親っさん……!」

 

黙り込む親っさんを見て、俺の中の嫌な予感が確信に変わり始める。

俺は心の中で願わずには居られなかった。どうかこの最悪の予感が杞憂であるように、と。

 

「はぁ……やっぱりお前は目敏いな。彰。一馬にはここに来るまでバレなかったんだがな……」

 

風間の親っさんが観念したようなため息と共に、ポケットから左手を出して俺に見せてきた。

 

「あ……あぁ……!!」

 

視界がボヤけ、涙腺から熱いものが込み上げてくる。

俺の、決して当たって欲しくなかった予感は的中してしまったのだ。

 

「すまねぇな、彰。お前のそんな顔が見たくなくて、隠してたんだ……」

 

顔を逸らす親っさんの左手には、包帯が巻かれている。

その小指には、第一関節から先が無い。

その意味を理解した時点で、俺は本当に取り返しのつかない事をしてしまったのだと実感した。

 

「クッソぉぉぉおおおッ!!!」

 

気付けば俺は、自分の膝をぶっ叩いていた。

歯をすり減るぐらいに食いしばって、腹の底から込み上げる感情に抗う。

だがそんな抵抗も虚しく、俺の両目からは大粒の涙が零れ落ち始めた。

まるで、親とはぐれた迷子のように。

 

「おい、そんなに泣く奴があるか。男だろう?」

「でも……でも親っさん!俺の……俺なんかの為に……!」

 

親っさんは、極道としてケジメを付けていた。

自分の拾ってきた子分が、自分達の親を殺してしまった。

絶縁以外有り得ないその処分を、自らの小指を代償にして破門に押し止めたのだ。

 

「親っさん……親っさぁん……!!」

 

涙が止まらない。

身寄りを失った自分達に愛をもって接してくれた育ての親に、とんでもないことをさせてしまった。

その後悔と自責の念が、俺の心を苛み続ける。

 

「気にするな……と言っても、無理なんだろうな。でもな」

 

しかし、親っさんは子供のように泣きじゃくる俺の顔を真っ直ぐ見据えてこう告げた。

 

「誰がなんと言おうとお前は俺の子だ。お前の為なら指の一本や二本なんぞちっとも惜しくねぇ。それが親ってもんだ」

「親っさん……!」

「だからもう泣き止んでくれ。そんなに悲しまれたんじゃ、俺もケジメを付けた甲斐がねぇ」

「……はい」

 

そんな言葉を聞かされていつまでも泣いている訳には行かない。

俺は慌てて涙を拭って、顔を上げた。

本当に俺は、親っさんに世話になりっぱなしだ。

いつか、この恩義を返す事は出来るのだろうか?

 

「それで、親っさん……堂島組はどうなるんです?」

 

そんな不安を誤魔化そうとして俺はわざとらしく話題を変えたが、親っさんも話題を変えて欲しかったのか特に指摘することは無かった。

 

「俺が風間組として面倒を見る事になった。」

 

トップを失った極道組織が辿る道は二つ。

一つはNo.2である若頭が組長を引き継ぎ、二代目組長として運営していく事。

そしてもう一つは解散し、別の組織に組み込まれるかである。

どうやら堂島組は後者の選択を取ったらしい。

 

「だが、中には今回の三代目の措置に納得の出来ない者もいてな。他組織に組み込まれた連中もいる」

 

それは当然の事と言える。

自分たちの親を末端の構成員に殺され、その犯人が破門で済んでしまう。

反対の声が上がらないわけなど無い。

下手をすれば風間の親っさんの立場そのものが危うくなってもおかしくは無いのだ。

 

「彰……破門で済んだとはいえ、組織内ではお前を恨む者が多い。くれぐれも用心しろよ」

「はい、分かってます」

「時間だ」

 

背後で警察官が声を上げた。

面会時間が終わったらしい。

風間の親っさんが立ち上がり、踵を返す。

 

「またな……彰」

「親っさん!」

「どうした?」

 

俺は咄嗟に親っさんを呼び止める。

しかし、ここで俺は躊躇った。

ここまでして貰って起きながら、俺はまだ親っさんに頼み事をしようとしている。

だが、それでも。

 

(いや、これだけは伝えなきゃなんねぇ……!!)

 

俺は胸中の罪悪感を押し殺し、我を通した。

 

「……一つ、伝言を頼んでも良いですか?」

「なんだ?言ってみろ」

 

由美は親っさんや桐生がいれば問題ない。

だが、優子だけは別だ。

手術を控えたアイツには、きっと俺の言葉が必要なのだ。

 

「優子に……俺は信じてる。だから絶対諦めるな、って伝えてくれませんか?」

 

これは、約束を果たせなかった馬鹿な兄貴のせめてもの償い。生きて欲しいという純粋な願いだった。

 

「あぁ……必ず伝える。約束しよう」

「おやっさん……ありがとうございます……!!」

 

力強く頷いてくれたおやっさんに、俺はもう一度頭を下げた。

いつか必ず、この恩を返すと胸に誓って。

 

 

 

 

 

 

 

 

この1ヶ月後。

東京地裁にて、錦山彰の裁判が行われた。

馴染みの女の由美を目の前で強姦しようとした組長に腹を立て、組長と揉み合いに。

その際、錦山は懐から拳銃を奪い、サブマシンガンで撃とうとしてきた組長を射殺。

現場から逃げ出した由美は風間新太郎の手によって保護され、錦山はその場で現行犯逮捕という筋書きだ。

殺人罪と銃刀法違反で起訴された錦山だが、弁護側は強姦されそうになっていた由美を助けるために行った行為である事と、サブマシンガンによる銃撃からの正当防衛であるとして、被告人に情状酌量の余地があると主張。

しかし、検察側は、暴力団員である錦山は過去に暴行や傷害等の前科もあり、警察の取調べの段階で「カッとなって殺った」と発言している事から、被告人は被害者に対して明確な殺意があったとし、正当防衛ではなく過剰防衛であると主張。

厳正な審理の結果、裁判所側は由美の件の情状酌量を認めるも、拳銃による射殺は過剰防衛であると判断。

こうして、被告人である錦山彰には懲役十年が言い渡される形で堂島組長射殺事件は幕を閉じ、この事件において桐生一馬の名前が出てくる事は無かった。




最後の裁判の内容については完全に想像です。
実際はもっと色んな着眼点があるのでしょうが、私にはこれが限界でした(八神先生が居てくれれば……)


次回は、桐生編のお話を投稿しようと考えています。
是非お楽しみに。


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断章 1995年
長い一日の終焉


お待たせしました桐生編です。
桐生編は極での錦山の追加ストーリーみたく、章の合間に挟む形で進行させるつもりでいます。
こレの投稿を最後にまったり更新にはなるかと思いますが、是非お付き合いいただけると嬉しいです。
それではどうぞ



錦山が逮捕されたその日。

事件現場から離れ、風間組の事務所に由美を預けた桐生はとある場所に訪れていた。

堂島組本部。

かつて最盛期を迎えていた頃に建てられたその外観は、事務所や屋敷では無く要塞と呼ぶのが相応しい程の威容を放っている。

所属する構成員もしくは警察以外の人間は近づこうとすらせず、建物の周囲には常に殺風景な空気が漂っていた。

 

「親っさん……」

 

桐生がここに来たのは、風間新太郎に呼び出されたからである。

風間は突如として起きたこの非常事態の中、堂島組の若頭として誰よりも早く本部へと向かい組の舵を切る必要がある為、桐生が由美を預けた風間組の事務所に今すぐ戻る事は出来ない。

しかし桐生と錦山があの場にいた事を知った風間は、いち早く真実を聞き出す為に桐生を本部へと呼びつけたのだ。

 

(今はなるべく組の連中に見つからない方が良いな……注意しながら進もう)

 

桐生は、今回の事件を引き起こした錦山の兄弟分。

もし誰かに見つかれば何かしらの追求がある事は避けられない。

 

(応接間には誰かいるか……?)

 

桐生は応接間の扉を軽く開け、身を隠すように中を覗き込む。

そこに居たのは三人の堂島組構成員だった。

 

「クソが!!錦山の野郎、無能の分際で組引っ掻き回すような真似しやがって!!」

 

椅子に座って不機嫌そうに机を蹴り飛ばしたのは、堂島組の舎弟頭。

桐生の直属の兄貴分にあたる人間だ。

 

「本当ッスよね……今回ばかりは、いくら風間のカシラでも弁護のしようが無いんじゃ無いですか?あの人、特になんの役職も無いですし、助ける価値もありませんから」

 

それに同意を示すのは舎弟頭の付き人を務める若い衆だ。

一構成員でしか無かった錦山を随分と貶している。

 

「まぁ、あんな小賢しいだけのチンピラは、ムショでいたぶられて殺されんのがオチでしょう。東城会の大幹部を殺ったんだ。絶縁は決まったも同然です」

 

そう言ったのは堂島組の舎弟頭補佐。

桐生とは対等の立場ではあるが、舎弟頭補佐の経験は桐生よりも長い。

この三人は主に、桐生と良く一緒に仕事をする同僚のようなものだった。

 

(アイツら……)

 

自分達の組織の組長を殺されて、その矛先が錦山に向いているのだ。

当然と言えば当然なのだが、桐生からすれば決して面白くはない。

 

「はっ、違いねぇ。あんな三下のチンピラなんぞ、一年も持たずにあの世行きだろうな」

「ですが叔父貴。堂島組長が手ェ出したのって桐生の叔父貴の馴染みの女だったんスよね?もしかしたら桐生の叔父貴が殺ったって可能性もあるんじゃないですか?」

(!!)

 

若衆の何気ない言葉にハッとする桐生。

あの現場において、桐生と錦山は同時に銃を放った。

錦山は自らが出頭すると決意したが、桐生が殺してしまった可能性も未だに存在しているのだ。

 

「ほーう?面白ぇ事言うな、お前」

「す、すんません!出過ぎたこと言いやした……」

「いや良いんだ。俺は本当に面白ぇと思ったんだからよ」

「あ?どういうこった兄弟?」

 

意味が飲み込めない舎弟頭に、舎弟頭補佐はほくそ笑みながら言った。

 

「いえね?もしそうだとしたら、あの錦山は桐生を庇って出頭したって事になるでしょう?もうすぐ組を立ち上げる兄弟分の将来を憂い、身代わりとなって自ら地獄に落ちる……ククッ、美しい兄弟愛だなぁって思ったんですよ」

 

それに合点が言ったのか、舎弟頭も邪悪な笑みを浮かべた。

 

「はっ、なるほどそういう事か。確かに、それで本当に桐生が逮捕されてりゃ話も今より大分拗れてたかもしれねぇな!」

「つまり何の取り柄も無かった錦山さんの唯一の貢献は、桐生の兄貴のスケープゴートって訳っすね」

「ははははっ!まぁ、本当に桐生が殺ってたらそういう事になるな!」

(…………)

 

話が盛り上がる三人のヤクザ達。

しかし、これ以上を黙って聞いていられるほど桐生は大人では無かった。

ノブをしっかりと握ると、ドアを開けて応接間へと入る。

 

「あ?おぉ桐生じゃねぇか!」

「桐生の叔父貴、お疲れ様です!」

「おう兄弟。噂をすればなんとやらか」

 

三人の視線が桐生へと向き、注目が集まる。

彼らからすれば今一番話題に上がっている人間と言っても過言ではないからだ。

 

「兄貴、お疲れ様です」

「おう、今堂島組はお前の兄弟分のせいでてんやわんやよ。お前も風間のカシラに呼ばれて来たんだろう?」

「えぇ……兄貴達も?」

「あぁ。何せ組長が死んだんだ。今後の組の方針を決めるにゃ俺やお前らみたいな舎弟衆が必要だろうが」

 

舎弟頭はそう言うと、懐からタバコを取り出して一本を口にくわえた。

すかさず隣にいた若衆がライターで火を付ける。

 

「ふぅ……ったく、お前の兄弟分も厄介な事してくれたもんだよなぁ?そう思うだろ?桐生」

「…………」

 

知ってか知らずか、桐生の逆鱗に触れるような問いかけをする舎弟頭。

桐生の眉間に僅かばかりのシワが寄った。

 

「じゃあ桐生さんも来たことだし、風間のカシラ呼んできますね。」

 

若衆はそう言うと桐生の脇を通るようにして応接間を出ようとした。

 

「ちょっと待て」

「へ?」

 

そんな若衆を呼び止めて、桐生がその肩を掴む。

直後。

 

「オラァァッ!!」

「ぶげぁっ!?」

 

"堂島の龍"の拳が若衆の顔面をぶち抜いた。

 

「「!!?」」

 

ぶっ飛ばされた若衆の体が、驚愕する舎弟頭と舎弟頭補佐の間を通過して応接間の壁に激突する。

壁にもたれ掛かるように倒れた若衆の体はピクリとも動かなかった。

 

「な、何やってんだテメェ!!?」

 

その突拍子もない行為に困惑した舎弟頭が桐生に向かって叫ぶ。

それに対し桐生は、さも当然のように告げた。

 

「何って、俺の兄弟を侮辱した野郎をぶん殴っただけですが……?」

「っ……桐生、お前聞いてやがったのか……?」

 

滾る怒りを全身から滲ませる桐生にヤクザ達は慄く。

桐生は今どきの極道の中では珍しくすらある、義理人情に厚い男だ。

しかしそれは同時に、身内に対する無礼や被害を何よりも許さないという事でもある。

 

「アンタも、随分錦山の事を悪く言ってたみたいだが……アイツの何を知っているって言うんだ?」

「っ、な、何を知ってるもクソもあるか!アイツは堂島組長を殺ったんだぞ!?貶されるどころか、本来は殺されてもおかしくねぇだろうが!」

 

怒気を隠さずに問いかける桐生に対し、舎弟頭補佐が吠えるように言い返す。

だが桐生にとってはそんな事は関係無い。

 

「錦の犯した罪が重いからって、アンタらに悪く言われなきゃならねぇなんて道理はねぇ。たとえ親殺しの外道でも、俺にとってアイツは兄弟なんだ」

「テメェ……組長の仇を庇うってのか……?」

 

舎弟頭が手に持ったタバコを灰皿で消し、ゆっくりと立ち上がる。

堂島組の舎弟頭として、今の桐生の発言は決して聞き流せるものでは無かった。

 

「お前、それがどういう意味か分かって言ってんだろうな?あぁ!?」

 

極道社会最大の禁忌である親殺し。

それをした錦山を庇おうとする事はつまり、堂島組そのものに対して反旗を翻していると受け取られても何らおかしくは無い。

 

「兄貴がどう捉えるかは自由です。ですが俺は、兄弟を馬鹿にされて黙っていられるような極道になるのは死んでも御免だ」

 

しかし、いくら凄んでも桐生は己を曲げる事はしない。

己の信じた道や意見を不器用にも貫き通す。

それが桐生一馬という男の生き様なのだ。

 

「テメェ……風間のカシラの子飼いだからって良い気になってんじゃねぇぞコラァ!!」

 

激昂した舎弟頭は机にあったガラスの灰皿を手に取ると、それで桐生の頭を殴り付けた。

 

「ぐ、っ……こ、んの野郎ォ!!」

 

しかし、その程度で止められる程"堂島の龍"は甘くない。

桐生は灰皿の一撃を頭で受けると、反撃として舎弟頭の腹部に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐほっ、!?」

 

たたらを踏んだ舎弟頭の目に、右の拳を振り上げる桐生の姿が写った。

 

(やべぇ!)

 

舎弟頭はすかさず手に持った灰皿を顔の前に掲げて即席の盾を作る。

ガラス製の灰皿は中までガラスが詰まっており、滅多な事で壊れる事は無い即席の鈍器であり強固な盾にもなりうる代物だ。

 

「ドラァッッ!!」

 

しかし、桐生は構わずにそのまま右の拳を振り抜いた。

 

「ぐぶぁっ!?」

 

桐生の剛腕によって放たれた右ストレートは、ガラスの灰皿を容易に打ち砕いて舎弟頭の顔面に叩き込まれる。

幾多の敵を屠ってきた桐生の拳は、その程度で止まることは無いのだ。

 

「次はアンタか?」

 

あっけなく沈んだ舎弟頭を尻目に、桐生は最後の敵へと目を向ける。

 

「き、桐生テメェ……!」

 

舎弟頭補佐が応接間にあった傘立てから木刀を取り出し、切っ先を突き付ける。

彼にとってはおもちゃ同然のそれを全く意に介さず、臨戦態勢を取って油断なく相手を見据える桐生。

直後。

 

「おい、何の騒ぎだ」

 

何者かが放ったそのたった一言で、場の空気が一変する。

桐生と舎弟頭が同時に同じ方向に視線を向けると、そこには杖をついた初老の男が立っていた。

 

「風間のカシラ!」

「親っさん……!」

 

風間新太郎。

堂島組長亡き後、実質的トップとして組の舵取りを行う堂島組の若頭が騒ぎを聞き付けて姿を現したのだ。

 

「テメェら今の状況が分かってんのか……?身内同士でやり合ってる場合じゃねぇだろう!!」

「「!!」」

 

風間は心胆から震え上がる程の怒声を上げ、その場の二人の戦意を完全に削ぐ。

 

「で、ですがカシラ!桐生が先に手ェ出てきやがったんです!!」

 

しかし、舎弟頭補佐からしてみれば道理は通らない。

一方的に喧嘩を仕掛けたのは桐生の方からなのだから。

 

「それは本当か……?"桐生"」

「っ!……はい、その通りです。申し訳ありません」

 

苗字で呼ばれた桐生の額に、冷や汗が滲み出る。

普段は桐生の事を家族として下の名前で呼ぶ風間だが、極道として振舞っている時は話が違う。

下手なことを言えば、たとえ桐生と言えどタダでは済まない。

桐生は素直に自分の非を認め、直角に頭を下げた。

 

「桐生……頭、下げる相手が違ぇだろう?」

「くっ……」

 

風間に指摘された桐生は舎弟頭補佐に向き直り、その場で正座をする。

 

「今回の御無礼、誠に申し訳ありませんでした……!」

「な、っ……!」

 

床に頭を付けた綺麗な土下座で謝罪の意を示す桐生。

あの堂島の龍をたったの二言で従える風間の器量に、舎弟頭補佐は面を喰らうしか無かった。

 

「なぁ……これで手打ちにして貰えねぇか?」

「へっ、あ、はい……」

「そうか、ありがとよ。ついでにそこで伸びちまってる二人を介抱してやってくれ。桐生、行くぞ。お前は俺について来い」

「はい……」

 

あっという間に場を収めた風間が杖をついて歩き始める。

桐生はその後ろをピタリとついて歩き、応接間を出ていった。

 

「……すまねぇな、一馬」

「お、親っさん?」

 

誰も居ない廊下を歩きながら、風間が桐生に謝罪する。

その声音には先程のような苛烈さは無い。

桐生と錦山が父と仰いだ親の声だった。

 

「お前の事だ。理由もなく手ぇ出すような事はしねぇだろう。おそらく、アイツらが錦山の事を悪く言っていたんじゃないか?」

「っ!はい、そうです」

 

風間は桐生一馬という人間をよく理解していた。

義理人情に厚く、誰よりも仲間や家族を想う桐生が理由もなく自分の兄貴分に手を出す事など有り得ない。

となれば、桐生が自ら手を出すだけの理由が舎弟頭達にあると風間は考えたのだ。

そしてその理由は現在の組の状況を鑑みれば自然と浮かび上がってくる。

 

「やはりな。お前がそれを黙って聞き流せるような男じゃねえ事は分かってる。だが彰が逮捕された今、お前の立場まで危うくさせる訳にはいかねぇ。それに、今は身内同士で争っている場合じゃねぇのも事実だ。悔しいかもしれねぇが、ここは耐えてくれ。一馬」

 

今回の騒動で事件の中心人物となった錦山と幼少の頃から共に過ごし、同じ組に渡世入りした桐生。

そんな彼に対しての見方が今回の一件で変わるのは至極当然と言える。

風間は、そんな中での桐生の立場を守る為に彼に頭を下げさせたのだ。

 

「親っさん……いえ、自分の方こそ勝手な真似しちまって、申し訳ありません」

 

桐生はそんな風間に罪悪感を覚えるのと同時に、その思慮深さと聡明さに感銘を受けていた。

 

(俺はまだ、親っさんの足元にも及ばねぇな……)

「表に車を回してある。詳しい話はそこで聞かせてくれ」

「分かりました、親っさん」

 

廊下を歩き終え玄関口へとたどり着く二人。

そこには風間の言った通り、黒塗りの高級車が一台停車していた。

車の前にいた構成員が二人の姿を見るとすかさず頭を下げた。

運転手役として待機していたのだろう。

 

「親っさん、兄貴!お待ちしてました!」

「シンジか」

 

東城会直系堂島組若衆。田中シンジ。

初めて出来た桐生の弟分であり、昨夜も二人でセレナへと立ち寄っていた。

そこで桐生は由美が攫われた事を知り、桐生は現場へと向かったのである。

 

「シンジ。スマンが急いで車を出してくれ。まだ片付けなきゃいけねぇ事が山ほど有る。」

「分かりました親っさん!どうぞ!」

 

シンジは急いで後部座席のドアを開けた。

風間と桐生が乗り込むのを確認し、自らも運転席に乗り込む。

エンジンがかかり、車は直ぐに発車した。

 

「さぁ一馬。早速で悪いが、あの場であった出来事を話してくれるか」

「はい」

 

そうして桐生は事の次第を全て風間に打ち明けた。

シンジと二人でセレナへ立ち寄り、由美が堂島組長に攫われた事を知った事。

急いで事務所に向かい由美を救おうとして、堂島組長の怒りを買ってしまった事。

殺される寸前の所に錦山が現れて間一髪助かった事。

そして、自分達のどちらかが堂島組長を殺してしまった事。

 

「そうか……つまり、どっちが本当に殺したかどうかは分かって無いんだな?」

「はい……錦はその後、俺に由美を託したんです。そして、妹の事も……」

「妹……優子の事か」

 

錦山の妹の事情は風間も把握していた。

最先端の医療を受けさせてやりたいという錦山の願いで、東都大学医学部付属病院を推薦したのは他でもない風間本人だからだ。

 

「えぇ。きっとアイツはあの一瞬で沢山悩んで葛藤したはずです。俺と由美は、錦の事を家族のように想っている。でも優子は、アイツにとってたった一人の血の繋がった妹なんです。そんな妹が生きるか死ぬかの瀬戸際だってのに、放ったらかしに出来るわけがねぇ……」

「一馬……」

 

桐生にとって家族と呼べる存在は、同じ孤児院で育った錦山と由美。そして風間の三人だけだ。

故に桐生は、肉親がどういうモノかを想像する事は出来ても心で実感する事は出来ない。

だが、錦山がどれほど妹の事を大切に想っていたかはよく知っていた。

 

「俺は、錦が妹の治療費や手術費を稼ぐ為に必死になっているのを間近で見てきました。アイツのシノギに手を貸したことも一度や二度じゃありません。きっとアイツは、側で妹の事を見守っていたかったはずだ……!」

 

だが、錦山はそうしなかった。

新たに組を立ち上げようとする兄弟の門出を邪魔しない為に。

これからの東城会に必要な桐生一馬という極道の人生を台無しにしない為に。

そして、由美と優子。二人の家族を心から愛するが故に、彼は自らの人生を擲ったのだ。

"堂島の龍"桐生一馬に全てを託して。

 

「東城会の行く末と一馬の今後。そして由美と優子の安否を考えて、自らその罪を被る……それが、彰の出した結論だって言うのか……?」

「錦山の叔父貴……」

 

錦山の出した結論は、紛うことなき自己犠牲に他ならなかった。

おそらくこのままいけば、錦山に待っているのは絶縁処分。

無事に刑務所から出れたとしても、堂島組からの報復に遭い惨めな最期を迎える事になるだろう。

 

「事情は分かった。話してくれてありがとうな、一馬」

「親っさん……」

 

だが当然、風間はそんな事を容認するつもりは無い。

桐生と錦山は、元々は二人の意思があったとはいえ風間がこの世界へと導いた経緯がある。

育ての親としても、渡世の親としても。彼はこの事態を見過ごす訳には行かないのだ。

 

「俺は事務所に戻って由美の状態を確認した後、東城会本部に向かう。そして今聞いた彰の件を世良会長に報告して、彰の絶縁処分を避けてもらえるように直談判してくる」

「えっ、出来るんですか?そんな事が……!?」

 

親殺しという極道社会最大の十字架を背負ってしまった錦山。

堂島の龍としての看板があり"カラの一坪"の一件で世良会長から高く評価されている桐生ならまだしも、今回事件を引き起こしたのは本家から見れば何の実績や役職も持たない一構成員の錦山なのだ。

普通に考えれば絶縁は待ったなし。それどころか、今すぐヒットマンが送り込まれてもおかしくは無い。

しかし、風間にはこの状況を打破するアテがあるらしい。

 

「俺も極道の端くれだ。こういう時の交渉材料はちゃんと用意してある。心配するな」

「……分かりました」

 

そうしてる内に、堂島組本部を発車した車は神室町へと戻って来ていた。そこでシンジが思い出したように言った。

 

「そうだ桐生の兄貴。自分、麗奈さんから兄貴をセレナへお連れするよう言われてるんです。麗奈さん、あの後の事情を聞きたがっています」

「そうか……分かった。俺の事はセレナの前で下ろしてくれ。事情は俺から説明する」

「分かりました」

 

シンジはすっぽん通りから神室町に入ると、言いつけ通りにセレナの前で車を止めた。

ドアを開けて車から降りる桐生に対し、風間が忠告する。

 

「一馬。麗奈さんに事情を説明したらお前は直ぐに家に帰れ。お前が由美を連れて組長の事務所から出た所は、既に街の誰かに見られてるかもしれねぇ。今日この街に長居するのは危険だ」

「はい、分かってます」

「明日、また連絡する。じゃあな」

「お疲れ様です」

 

桐生は風間の乗った車が走り出すのを見届けた後、セレナの裏路地へ回った。

非常階段を上がり、裏口のドアを開ける。

 

「桐生ちゃん!」

「麗奈……」

「由美ちゃんは!?由美ちゃんはどうなったの!?」

 

桐生が店に入るなり、麗奈は涙目になりながら訴えかけてきた。

店内に客の姿は無く、営業はしていなかったのだろう。

身内が拉致されたのだから無理も無い話ではあるが。

 

「由美は無事だ。今、風間の親っさんが様子を見てくれている」

「そうなんだ……」

 

それを聞いた麗奈は安堵のため息を漏らす。

風間の名前は麗奈も知っている。

桐生と錦山がこの世で最も信頼する親分が居るのであれば、心配は無いと判断したからだ。

 

「麗奈、聞いてくれ」

「桐生ちゃん……?」

 

しかし、麗奈にとって重大なのはここからだ。

桐生は現場で起きた事を滔々と語った。

己の親友が、自らの為に消えない十字架を背負った事を。

 

「そんな……嘘でしょ……!?」

 

ショックのあまり開いた口が塞がらない麗奈。

つい昨日まで、楽しく飲み明かしていたのが嘘のような残酷な現実。

それに耐えかねた麗奈は泣きながら桐生に詰め寄った。

 

「桐生ちゃん、嘘って言ってよ!だって、桐生ちゃん言ってたじゃない!俺が必ずなんとかするって……!それなのに、どうして……」

「……」

 

いつも冷静で笑顔を絶やさない麗奈が我を忘れて取り乱すのを見て、桐生は思い出した。

麗奈が密かに、錦山に対して想いを寄せていた事を。

 

「桐生ちゃん……!ねぇ、なんとか言ってよ!」

「すまない……」

「桐生ちゃん、錦山くんの事助けてあげられなかったの!?何も出来なかったの!?」

「っ……!」

 

麗奈の悲痛な糾弾を甘んじて受ける桐生。

彼は今、己の至らなさを痛感していた 。

 

「俺は……錦と違って器用に立ち回れたり、頭が回る方じゃねぇ。俺に出来んのは、テメェの大事なモンの為に身体を張る事だけだ。」

 

不器用なまでに真っ直ぐ、己の信念を貫く。

それが桐生の強さでもあり、弱点でもあった。

今回はその弱点が露呈し、悪い方へと発展した事態と言える。

 

「でも、それじゃあダメだった。あの時、もし錦が助けに来るのが遅れていたら……俺は堂島組長に撃たれて死んでいただろう」

「桐生ちゃん……」

「俺のやり方が、甘かったんだ……俺が……俺がもっと上手くやれてりゃ、錦は……!!」

 

後悔と罪悪感に打ちのめされて俯く桐生を見て、麗奈も言葉を失った。

誰よりもショックを受けているのは、他ならぬ桐生自身なのだ。

 

「……ごめんなさい桐生ちゃん。私、少し言い過ぎちゃった」

「……いや、良いんだ。気にしないでくれ」

 

重たい沈黙がセレナの中を満たす。

それは、つい昨日まで四人で楽しく時を過ごしていたのが嘘のような光景だった。

 

「……麗奈、水を一杯貰えねぇか」

「え?う、うん。分かった」

 

その沈黙に耐えかねた桐生は、セレナのカウンター席に腰掛けた。

麗奈もこのままではいけないと感じたのだろう。

直ぐにカウンターへと入り、桐生に水の入ったグラスを手渡す。

 

「ん……ん……ん……っはぁ……ありがとう、麗奈。少し頭が冷えた」

「そう……良かったわ」

 

グラスの水を一息に飲み干し、桐生は礼を告げる。

落ち着きを取り戻した桐生は、やがてふと呟くように言った。

 

「……俺は決めたぜ」

「桐生ちゃん……?決めたって、何を?」

 

問いかける麗奈の目を、真っ直ぐに見つめ返す桐生。

その瞳には先程までの後悔や罪悪感といった曇りは無く、断固たる決意を持った男の輝きに満ちていた。

 

「俺は必ず優子を助ける。桐生組を立ち上げて、立派な組織にしてみせる。そして……錦の帰る場所を俺が作るんだ」

「桐生ちゃん……」

「俺はこれまで、アイツに沢山の借りを作っちまってた。そして今回の事も……俺はまだ、アイツに何も返せてねぇ。だから今度は、俺の番だ」

 

桐生は強く感じていた。

今がその借りを返す時なのではないかと。

錦山から託された妹を助けて、彼が出所してきた時の居場所を作る。

それが、自らに与えられた果たすべき使命であると桐生は定義した。

 

「そう……うん。私も決めたわ」

「麗奈?」

 

覚悟を決めた桐生の姿を見て、麗奈もまた一つの決意を固めた。

 

「私はこれからもお店を続けるわ。桐生ちゃんが錦山くんの居場所を作るなら、私はみんなの居場所を守る。」

「麗奈……」

「その為なら私は何年だって待ち続けるわ。だから必ずもう一度、ここでみんなで集まりましょう?」

「あぁ、そうだな……ん?」

 

頷いた桐生の前に、麗奈は酒のボトルを置いた。

中途半端に中身の入ったそのボトルを開けると、先程まで水が入っていた桐生のグラスに注いでいく。

 

「麗奈、何やってるんだ?」

「これ、錦山くんがボトルキープしていたお酒。彼、当分は飲めないでしょ?一杯だけだから付き合ってちょうだい」

「そういう事か……」

 

麗奈も自分のグラスに酒を注ぎ、錦山のキープしていたボトルが空になる。

麗奈はグラスを片手に、桐生に約束事を持ちかけた。

 

「桐生ちゃん。今決めたこと、このお酒に誓いましょう。確かヤクザの世界じゃ約束事をするのにお酒を飲むのよね?」

「……もしかして盃の事を言ってるのか?」

 

極道の世界における盃事とは、格式高くれっきとした順序を踏んで行わなければならない厳格な儀式のようなものだ。

麗奈の想うイメージとは大分かけ離れている為、違和感を覚える桐生。

 

「あら、何か違ってた?」

「いや、間違っちゃいないんだが……まぁ、細かい事は良いか」

 

だが、それを指摘するのを桐生は酷く無粋に感じた。

錦山の残した酒に、誓いと祈りを込めて口にする。

この場における酒は、そういった意味を持つものだ。

 

「それじゃあ桐生ちゃん、グラス持って」

「あぁ……」

 

麗奈に促され、桐生はグラスを手に取った。

錦山の愛飲していた琥珀色のブランデーの水面に、お互いの顔が映る。

 

「俺は錦から託されたものを護り、アイツの帰る場所を作る」

「私はみんなが集まるこの場所を、何があっても守り抜く」

 

それぞれの誓いと共にグラスを掲げ、酒を飲み干す二人。

1995年10月1日午後11時49分。

彼らにとって最も長い一日が、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。

 




次回はみんなが好きなあの人が登場します。
1や極の原作にはない展開となりますので、是非お楽しみに!


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第二章 地獄の十年
獄中の閻魔



第二章、開幕です。
サブタイトルを見てまさか!?と思った人。
そのまさかです。

是非お楽しみください
それではどうぞ


堂島組長射殺事件から約一ヶ月後。

俺はとある地方の刑務所に収監されていた。

犯罪者を更生させる施設である為か、受刑者には厳しいルールの中での規則正しい生活が義務付けられている。

 

「食事、はじめ!」

 

刑務所と言えば劣悪な環境下での生活を強いられる事をイメージしがちが、普段の環境自体は悪くない。

例えば、俺の目の前にある食事のメニューがそうだ。

パンや牛乳、サラダと言った健康志向のメニューが並んでいる。

臭いメシ等と表現する者は数多くいるが、おそらくそれは献立そのものを表現したものでは無い。

 

「ぎゃあああ!!」

「てめぇ、なんだその態度は!あぁ!?」

 

背後で受刑者同士の騒ぎが起きるが、俺は決して目を合わせないよう務めた。

そう、臭いメシとはきっとこの事だ。

施設そのものの環境が悪くなくても、集まる人間は前科持ちの犯罪者ばかりなのだ。

喧嘩や揉め事等は日常茶飯事。

そんな環境下で摂る食事が、美味いわけが無い。

 

「そこ! 何やっとるか!!」

「なんだよ……離せこの野郎!!」

「うるさい、来い!!」

 

問題を起こした受刑者が連れていかれ、再び静寂が食堂を包む。

 

「ったく……物騒でいけねえな」

「……そうですね」

「おっと……こちらさんも物騒なツラしてらぁ」

「……いえ、そんな事は」

 

隣に座る受刑者の声に、当たり障りの無いように答える。

 

「なぁ、アンタだろ?自分の親分殺したってヤクザ」

「っ! ……いえ、人違いですよ」

 

俺は慌てて取り繕った。

親殺しの罪状を持つ俺がこの場において生き残るには、何より目立たない事が重要なのだ。

ここはシャバで犯罪を犯した者が最後に行き着く場所。

その中に東城会系列の人間がいる可能性は十分考えられる。

バレるなど持っての他だ。

 

「ふっ、そんなに隠す事ぁ無ぇだろ」

 

直後、俺は背筋が凍るのを実感した。

 

「東城会直系堂島組構成員。錦山彰」

「っ!?」

 

次の瞬間、隣の囚人が持っていたフォークが顔面に迫っていた。

反射的に顔をズラした俺の真横をフォークが通過する。

俺はそのまま椅子から転げ落ちるように距離を取った。

 

「おい、何やってんだよお前ら!」

 

他の囚人が驚きの声を上げる中、食事をしていた囚人の何名かが椅子から立ち上がって机をどかし始める。

この様子だと、隣の男の息がかかった連中みたいだ。

そして瞬く間に即席のリングが出来上がり、俺は囚人達に囲まれてしまった。

 

(さっきの奴もコイツらの仲間か!刑務官をこの場から引き離すためにわざと騒ぎを起こさせたんだ……!)

 

巧妙で組織的な手口。

バックにいるのが大きな組織である事は間違いないだろう。

 

「東城会の幹部殺ったんだ!こんくらい想像出来なかった訳じゃねぇだろ?」

「くっ……!」

 

ここまで来たら、もうやるしかない。

覚悟を決めてファイティングポーズを取る。

 

「堂島組長が、あの世で寂しいとさ!」

 

フォークを持った囚人の号令で刺客達が襲ってくる。

 

「クソっ!殺られてたまるかってんだよ!!」

 

俺は一番最初に襲ってきた刺客のパンチを躱すと、カウンター気味にボディブローを叩き込む。

怯んだその刺客の胴をそのまま掴み、バックドロップの要領で床に叩き付けた。

 

「テメェ!!」

 

真横から襲ってきた別の刺客にはミドルキックを喰らわせる。

急所である肝臓の上あたりを叩いたその蹴りは、刺客を一瞬で無力化した。

 

「この野郎!!」

 

すると更に次の刺客が背後から羽交い締めにして来た。

 

「離しやがれ!」

 

俺は首を前に倒してから後ろに向かって振り抜き、後頭部で頭突きをかました。

 

「ぶっ!?」

 

鼻柱を叩いた頭突きに怯んだ刺客の拘束を解き、振り返りざまに裏拳を繰り出す。

下顎を打ち抜いたその一撃は脳震盪を引き起こし、刺客の身体が糸の切れた人形のように床へと崩れ落ちる。

 

(これならイける!)

 

一人一人の実力は大したことの無い連中だ。

このまま各個に倒していけば勝機はある。

そう考えていた俺は、直ぐに自分の浅はかさを思い知る事になった。

 

「ぐっ、ぁ……!!?」

 

右の太腿に激痛が走る。

たまらず視線を向けると、そこにはフォークを持った囚人の左手があった。

フォークの突き立てられた部分から、囚人服越しでも分かるくらいの赤い液体が滲み出している。

 

「一人一人やればイける……なんて考えてたか?囮にまんまと気を取られたのが運の尽きだぜ」

「て、テメェ……!!」

 

敵は俺が苦し紛れに繰り出した左のパンチをあっさり躱すと、今度は俺の左肩にフォークを突き刺した。

 

「が、ぁぁあああっ!!?」

「そぉら、これで動けまい。うらァ!」

 

突き刺さった二本のフォークが引き抜かれ、動きの鈍った所に前蹴りが襲ってくる。

 

「ぐぁっ!!」

 

避ける術を持たない俺はまんまと蹴り倒され、そこを囚人達に囲まれた。

 

「殺れお前ら!東城会三代目からの覚えがめでたくなるぞ!」

「「「うおおおおおお!!!」」」

「何っ!?」

 

東城会三代目。

その言葉は俺にとって聞き捨てならないものだった。

 

(どういうこった!?世良会長は俺を破門の措置で済ませたんじゃ無かったのか!?)

 

もしもそれが東城会の会長の事を指しているのであれば、俺の聞いていた話と大きく違う。

しかし、それを問いただす時間と権利は俺には無かった。

 

「オラァ!」

「ぶがっ!?」

 

刺客の放ったサッカーボールキックが俺の顔面を蹴り上げる。

それをきっかけにして、次々と追撃が襲ってきた。

 

「死ねやボケェ!」

「このクソッタレ!」

「親殺しの外道が!」

 

様々な罵詈雑言と共に拳や、蹴りや、踏みつけといった暴力の嵐が俺に降り注ぐ。

 

「うっ、ぐっ、がっ、ぐほっ、がぁっ!?」

 

しかし、周囲の囚人達は仲裁どころか刑務官を呼びに行こうとする様子も無い。

それどころか、この様子を楽しんでいるのか野次を飛ばしている囚人すらいる。

あまりにも凄惨で無慈悲な洗礼。

これが親殺しの運命だとでも言うのか。

 

「ぐ……く、そ……!!」

 

一切容赦のない徹底的なリンチに、意識が少しずつ薄れていく。

俺は、こんな所で死ぬのか?

優子と由美をシャバに残したまま。

風間のおやっさんに迷惑かけたまま。

そして何より、桐生の隣に立てぬまま。

 

(ちく、しょう……!!)

 

やがて視界が暗くなり、俺の意識が刈り取られる。

その直前。

 

「貴様ら!何やっとるか!!」

「ちっ!」

 

刺客以外の放った誰かが怒号が俺の鼓膜を叩いた。

どうやら持ち場を離れていた刑務官が戻ってきたらしい。

俺を取り囲んでいた刺客達が次々と刑務官達に取り押さえられていく。

 

(助かった、のか……?)

 

視界がボヤけていてよく見えないが、しばらくすると白衣らしきものを来た連中が俺の前に来たのが分かった。

 

(はは……なんて、ザマだ…………)

 

多勢に無勢とは言え、結局やられっぱなしのまま終わってしまう。

そんな自分に感じた情けなさを最後に、俺の意識はぶつりと途切れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山が刺客から襲撃を受けた数日後。

今回の刑務所内での一件を重く受け止めた刑務所側は問題を起こした受刑者達を懲罰房へと送り、更に受刑者達の気分を転換する試みで一斉に部屋替えを行った。

その影響で、錦山も従来の部屋とは違う部屋へと行くことになるのだ。

 

「ちっ……結構痛みやがる……」

 

医務室での診察と治療を終えた錦山は、刑務官に連れられ新しい部屋へと案内される途中だった。

フォークで刺された足を若干引き摺るようにして刑務官へとついて行く。

 

(フォークは結構な深さまで突き立てられてたな……こりゃ当分はヤバいぞ……)

 

傷を縫う程まではいかなかったものの、血は未だに止まっておらず、定期的に包帯を変える必要はあるらしい。

 

(独居房の申請さえ通ってりゃ心配は無用だってのに……)

 

刑務所には複数人での生活を強いられる雑居房と、一人で過ごす独居房の二種類の部屋がある。

複数人で生活するため揉め事が起きかねない雑居房に対し、独居房は単独での収容なのでそういった心配をする必要は無い。

しかし、そういった背景から独居房は人気が高く希望者が多くいる上に、凶悪犯罪を犯してここに来た受刑者を危険人物として優先的に独居房に入居させる傾向もあるので、空きが出ることはほとんど無い。

殺人犯として収容された筈の錦山でさえ雑居房に入居させようとするあたり、独居房に空きがないのが事実である事を物語っていた。

 

「ここだ、入れ」

 

錦山は刑務官の指示に従い、開けられた雑居房の部屋へと上がり込んだ。

刑務作業後の余暇時間で、先に入っていた住人達は全部で三人。

部屋の隅で雑誌を読んでいた二人が錦山を見るが、部屋の中央に陣取って一台しかないテレビを見ていた囚人は目を向ける事もしなかった。

 

「それでは、節度を持って過ごすように」

 

刑務官はそれだけ言うと、房の鍵をかけてその場を離れた。

 

「……錦山彰です。よろしくお願いします」

「「!!?」」

 

錦山が軽く挨拶をすると、顔を向けていた二人がギョッとした様子で慌しく顔を伏せた。

手にしていた雑誌も放り捨て、耳を塞いで蹲る。

その体は小刻みに震え始めていた。

 

(なんだ?)

 

まるで何かに怯えているような、あまりにも異質な光景。

それに疑問と違和感を感じる錦山だったが、その正体はすぐに動きだした。

 

「ほぉ……例の噂は本当だったんだなぁ……」

 

中央に陣取ってテレビを見ていた一人の囚人がゆっくりと錦山に顔を向ける。

 

「っ!!?」

 

錦山はその囚人を知っていた。

泣く子も黙る程の強面な風貌。

第一関節から先が無い左手の小指。

そして全身から溢れ出る闘気は、苛烈という言葉をこれ以上無いほどに体現している。

 

「随分懐かしい顔だぜ……なぁ錦山?」

「アンタは……!!」

 

かつて堂島組一強とされていた時代において、堂島組を支えていた若頭補佐の一人。

錦山にとって、忘れられる訳が無いその男。

 

「久瀬の、兄貴……!!」

 

元東城会直系堂島組若頭補佐。久瀬大作。

元プロボクサーという経歴を持ち、当時全盛期とされた堂島組の中で最も"暴力"に秀でた男としてその名を轟かせた極道の中の極道。

 

(間違いねぇ……さっきの二人は久瀬の兄貴にビビってたんだ。)

 

先程の囚人達の態度も、久瀬の放つ威圧的な空気感に萎縮していたと考えれば辻褄が合う。

 

「聞いたぜ。お前、堂島の親父を殺ったんだってな?あの人も器が無ェとは薄々思っていたが、まさかお前に殺られちまうとはなぁ……カラの一坪の一件でトコトン落ちぶれちまったらしい」

 

久瀬はテレビを消すとおもむろに立ち上がり、猛禽類のような眼光で錦山を射抜いた。

 

(なんてこった……よりにもよって久瀬の兄貴と鉢合わせちまうなんて……!!)

 

久瀬は錦山にとっては渡世の兄貴分。

そして、同じ堂島組長の子分でもあった男。

親殺しの罪を背負う錦山にとって、最も出会ってはいけない人物だった。

 

「なぁ錦山よ……俺の哲学は知ってるか?」

「て、哲学……?」

「あぁ……それはな……」

 

動揺する錦山に対し、久瀬はゆっくりと近づいてくる。

直後。

 

「ぐぼ、ぁ、っ!?」

 

錦山の腹部に久瀬の拳がめり込んだ。

そのあまりの衝撃と激痛に、錦山は崩れ落ちる。

そんな錦山を見下ろしながら久瀬は答えを告げた。

 

「極道の世界にKOはねぇ。最後まで張り続けられなかった奴が負ける……それが俺の哲学だ」

「ぐ、ぅ、ぁ……っ……!!」

 

まるで鉛で殴られたかのような一撃に、錦山は為す術なく這い蹲るしかない。

 

(なんてパンチだ……桐生はこんな野郎と何回もやり合ってやがったのか……!!)

 

"カラの一坪"事件において桐生と対峙した久瀬は、結果として下手を打ちそのケジメとして小指を失った。

しかし、その後は持ち前のプライドと執念深さでもって幾度も桐生に襲いかかり、桐生はその全てに勝利してきたのだ。

桐生一馬が堂島の龍と呼ばれるまでになった要因の一つ。

その中には間違いなくこの久瀬大作との闘いが含まれていた。

 

「俺はまだ諦めてねぇ……堂島の親父の仇を討って、もう一度極道として返り咲く。テメェはそのための、都合のいい生け贄って訳だ」

「っ!」

 

久瀬は小指のない左手で胸ぐらを掴み上げると、右の拳を握り固める。

 

「死ねや、錦山」

(や、やられる……!!)

 

抵抗しようにも、痛みで全身が痺れて身動きが取れない。

錦山は振り上げられた拳を見て反射的に目を瞑った。

しかし、痛みと衝撃はいつまで経っても襲っては来ない。

 

(な、なんだ……?)

 

恐る恐る目を開けた先には、久瀬の拳があった。

振り抜かれる筈だった拳が錦山の眼前で制止している。

 

「……ちっ、呆れたぜ」

「は……?」

 

久瀬はため息を吐いて錦山の胸ぐらから手を離す。

 

「ビビってなんの手も出さねぇどころか、ロクな抵抗すら出来ねぇとはな……テメェを殺った所で、東城会が俺を認める訳ねぇ」

「な、に……?」

 

久瀬は自分の渡世の親を殺った男が、自分にあっけなく殺られそうになる姿に酷く落胆していた。

 

「ったく……せめて親父を殺ったのが桐生だったら、こんなにもガッカリしなくて済んだものをよ……」

「桐生……?なんで、そこで桐生の名前が出てくるんです……?」

 

錦山の問いに対して、久瀬は落胆を隠そうともせず乱雑に答える。

 

「分かんねぇか?親父を殺るにも、俺に殺られるにも、テメェじゃ役者不足だって言ってんだよ。桐生みたいな野郎ならまだしも、テメェみたいな何の根性も気迫もねぇ三下なんぞ殺す価値もねぇ……ったく、これであの桐生の兄弟分ってんだから笑い話もいい所だぜ」

「っ!!」

 

それは、錦山に対しての明確な失望と侮蔑だった。

かつて拳を合わせその意地と覚悟を見届けた事によって、一目置いていた桐生一馬。

その兄弟分とされる男が渡世の親である堂島組長を殺したと聞き、久瀬はその男がどれほどの極道かを見定めた上で殺そうとしていたのだ。

しかし、結果はこの有様。

桐生と比べればただのチンピラにしか過ぎない錦山に、久瀬はわざわざ自分の手を汚すことは無いと判断したのだ。

 

(この野郎……好き放題言いやがって……!!)

 

フォークで受けた痛みと先程の一撃で受けた痛みが、錦山の中で些末な問題となっていく。

桐生と比較された挙句に殺す価値も無いとまで言われ、錦山のプライドはかつて無いほど傷付けられていた。

 

「……ェに……んだよ…………」

「あ……?」

 

痛む身体に鞭を打ち、錦山が立ち上がる。

彼の目にはもう、目の前の男の事しか見えていない。

 

「テメェに……何が分かるってんだよッッ!!」

 

燃え上がる怒りに身を任せ、錦山は久瀬に右の拳をぶち当てる。

 

「な、っ!?」

 

直後、錦山は驚愕した。

完璧に右の頬に入った彼の拳は、久瀬を仰け反らせるどころか怯ませる事さえ出来なかったのだ。

 

(ウソだろ……!?)

「ふん、三下にも一端のプライドぐらいはあったか……でもな」

「ぐほっ……!?」

 

再び腹部にめり込む久瀬の拳。

今度の一撃は、人体の急所である鳩尾を正確に捉えている。

 

「吼えるだけじゃ、届かねぇんだよ。チンピラ」

「ぁ……が、っ……!」

 

呼吸困難に陥る彼の耳元で聞こえたそれは、錦山がこの日最後に聞いた久瀬の声となった。

 

「オラァ!!」

 

久瀬の放った渾身のアッパーが、無防備な錦山の顎をカチ上げる。

 

「ぁ…………ーーーーーーーー」

 

その一撃によって錦山の意識は完全に断ち切られ、力を失った身体が前のめりに倒れ伏す。

非の打ち所のない、完全な決着だった。

 

「おい」

「「は、はい!?」」

 

久瀬に声をかけられた囚人達が縮み上がりながらもすかさず応じる。

少しでも遅れたら何をされるか分からないからだ。

 

「コイツを布団に寝かしとけ。掛け布団も忘れんなよ。刑務官にバレたら面倒だ」

「「は、はい!!」」

 

囚人達は頭を空っぽにして、久瀬の指示に従う。

 

「……」

 

久瀬は、錦山が運ばれているのを一瞥するとやはり落胆を隠さずに呟いた。

 

「チッ、こんな奴にタマを殺られるなんて……俺ぁ失望しましたよ、親父……」

 

獄中を統べる閻魔の王。久瀬大作。

地獄の沙汰は、この男次第。

 






という訳で"みんなが好きなあの人"こと、久瀬の兄貴でした。
極や1の内容だけでは決して登場させる事の出来ないキャラクターなので、二次創作におけるこの世界では最初から登場させる気満々でした。
まさかの兄貴分登場で大ピンチの錦山。彼の明日はどっちだ!?
次回もお楽しみに。


PS
刑務所内の描写に関しては完全ににわか知識と想像で書いてます。実際はきっとこんな所では無いはずです。多分。

あと、久瀬の兄貴を知らないという方は是非「0」をプレイしてください。その生き様に惚れます。マジで。


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兄弟

最新話です
是非お楽しみに


堂島組長射殺事件から一年。

錦山彰は依然、とある刑務所で集団生活を送っていた。

入所したての頃のような刺客からの襲撃もなく、義務付けられた規則正しい日々を過ごす錦山だったが、新たな問題が浮上していた。

 

「おい」

「はい?」

 

ある日、刑務作業の一環である農作業中に他の受刑者から声をかけられた錦山。

 

「ぐ、……っ」

 

しかし声の方を向いた瞬間、後ろから何かが頭に当たる。

錦山背後を振り返るとクワを持った受刑者が薄ら笑いを浮かべて立っていた。

 

「悪い悪い。手が滑っちまってよぉ、土が飛んじまったぜ」

「……」

 

声音や態度から反省の色は感じられず、錦山にはこの受刑者が故意にやったとしか思えなかったがその瞬間をこの目で見た訳では無い。

 

「ぅあ……!」

 

すると今度は背後から水がかかって錦山の体を濡らす。

振り向いた先にいたのは先程声をかけた受刑者だった。

その手には空になったバケツが構えられている。

 

「大丈夫かよ錦山ぁ?汚れてたから水かけてやったぜ?」

「……」

 

錦山の元に降って湧いた新たな問題。

それは受刑者達が彼に対して行い始めた行為。

いじめや迫害による被害だった。

錦山が服役した直後に起きた東城会からの刺客による暗殺が中途半端に失敗したのを多くの囚人が見つめていた。

そして、その中で為す術なく痛めつけられている錦山を見た他の囚人達はこう考えたのだ。

こいつは虐めても良い奴だ、と。

 

「なんだよぉ?人が親切で綺麗にしてやったってのにだんまりかぁ?」

「……どうも」

 

それからというもの、錦山に対しての陰湿なイジメが発生するようになった。

他の作業の為に必要な道具を隠されたり、故意に足を踏んだり唾をかけたりする行為などは当たり前。

場合によっては、人目のつかない場所で言葉にするのも憚られるような卑劣極まりない行為を行う者もいる。

その為、今の錦山にとっては今更ズブ濡れになるくらい些末なことだったのだ。

 

「作業終了!これより点呼を行う!全員並べ!」

 

刑務所の一声で農作業中の囚人達は手を止めて整列をする。

 

「錦山」

「はい」

「よし、次は……」

 

刑務官は錦山の名を呼んで彼の存在を目視で確認したあと、何事も無かったかのように点呼へ戻った。

ただ一人、頭からズブ濡れになっている受刑者が居るにも関わらずだ。

 

(今更だろ……)

 

刑務所が意図的に触れないのは今に始まったことでは無い。

錦山も最初は刑務官に事情を訴えていたのだが、どういう訳か妙な事で騒ぎ立てるなの一点張りで誠意ある対応はない。彼を迫害する連中もお咎めなしで状況が決して変わらないことを理解した錦山はいつしか抵抗する事をやめていた。自分から行動を起こして、刑期延長なんて事になれば目も当てられない。彼は一刻も早くここを出なければならないのだから。

 

「点呼終了!これより運動時間とする!」

 

刑務官の号令と共に、受刑者達が作業場から離れて運動場に散り散りになっていく。

集団でスポーツをやる者、ランニングをする者、椅子に座って日向ぼっこをする者など様々だ。

 

「なぁ錦山」

「……何か?」

 

運動場を抜けて房へ戻ろうとする錦山に対し、一人の囚人が声をかけた。

それは先程、クワで錦山に土をかけた受刑者だった。

 

「さっきは土かけて悪かったよ、わざとじゃねぇんだ」

「いえ、気にしてませんよ。それじゃ……」

 

相変わらずの薄ら笑いを浮かべる囚人をあしらい、錦山はその場を離れようとする。

しかし、囚人はそれを許さなかった。

 

「待てよ、せっかくの運動時間だってのにどこ行くんだ?」

「自分の房に戻るんです……いけませんか?」

 

この刑務所では、運動時間終了後に房の中で点呼があり、最初から房へと戻る事も出来るのだ。

極力人との関わりを避けたい錦山は房に戻ろうとしていたのだが、囚人はそれを許そうとはしなかった。

 

「そうだなぁ、いけなくはねぇけどよ……?」

 

その言葉を合図に、物陰から次々と囚人が現れて錦山を囲むように立った。

錦山はもう、彼らが退かない事には房へ戻る事は出来ない。

 

「……何の用です?」

「錦山よ……俺ぁ本当に反省してるんだよ。だからさぁ、これからアンタに"お詫び"がしたいんだ。ちょっとだけ顔貸してくれよ」

 

そう嘯く囚人だが、大勢で錦山一人を囲んだり、薄ら笑いを浮かべたままな状態である事から謝罪をしたいという旨の雰囲気は一向に感じられない。

しかし、錦山はこのパターンを知っていた。

 

(またか……)

 

週に一度か二度。

錦山は継続的に集団暴行を受けているのだ。

こうした時は決まって、逃げられなくした上で人気のない所へ連れ出される事が多い。

今回もその例に漏れなかった。

 

「……分かりました」

「ヒッヒ、ありがとよ錦山。こっちだ、ついて来てくれ」

 

錦山は特になんの抵抗もせずに囚人達に言われるがまま移動を始める。

今日は一体どんな暴行を受ける事になるのか。

本来であれば恐怖や絶望を抱くところだが、錦山は対して興味も無かった。

 

(こんな生活をあと九年、か……)

 

ふと見上げた空は雲ひとつない晴天で、綺麗な青空が広がっている。

こんな時に思い出すのは娑婆に残してきた兄弟と幼馴染。そして病床に伏せていた妹の安否だ。

 

(みんな何してんだろうな……?)

 

今日までに錦山の元には面会どころか手紙すら一通も来た試しが無かった。

風間も桐生も、娑婆で忙しくしているという事なのだろうか。

 

(優子は、どうなったんだろうか……)

 

錦山は、妹がもう長くないのを薄々分かっていた。

本来立ち会うべきだった手術が仮に成功したとしても、延命できるのは一年が限界であると、担当医から聞かされていたからだ。

それでも彼女には幸せに生きて欲しい。それは錦山の偽りのない本心だった。

同時に。

 

(どっち道、俺が死ぬのが先だろうな……)

 

その幸せな場所にきっと自分は居られない。そう思うのもまた彼の本音だ。

元堂島組構成員。錦山彰。

収監されて早一年。その心は、まもなく折れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「囚人番号1240。面会だ」

 

刑務官からそんな言葉をかけられたのは、夕食後の余暇時間中だった。

雑誌やテレビを見るでもなくただぼーっとしていた俺に、刑務官は房から出るように促す。

 

「面会……?」

「そうだ。早くしろ」

「……いえ、良いですよ。誰だか知らないけど、帰ってもらってください」

 

来てもらった誰かには悪いが、今の俺は誰とも会いたい気分じゃなかった。

ただ、何も考えずにいたかったのだ。

 

「おい、行けよ」

「久瀬の兄貴……?」

 

そんな俺に対して声を掛けたのは刑務官でも無ければ素性も知らない同部屋の受刑者でも無く、久瀬大作だった。

久瀬はイライラした様子で俺に吐き捨てる。

 

「前から言おうと思ってたんだけどな。お前にそうやって辛気臭ぇツラでここに居られちゃこっちもイライラして迷惑なんだよ」

「……」

「俺はな。余暇時間でくらい、少しでもお前のいない空気が吸いてぇんだ。分かったらさっさと消えろ。それとも……今この場でぶち殺されてぇか?」

「おい、妙な事言うんじゃない!」

 

ドスを効かせた声でそう迫る久瀬。

このまま面会を拒めば、おそらく久瀬は刑務官の注意や警告も意に返さず本当に殺しにくるだろう。

殺ると言ったら本当に殺る。久瀬大作とはそういう極道だ。

 

「……分かりました、行きます」

 

俺は久瀬の兄貴の声に従い、雑居房から出ることにした。

房の扉が開き、俺が外へと出た後に再び施錠される。そして刑務官に言われるがまま後を追ってついて行った。

刑務官と俺は雑居房のある棟から離れ、主に事務仕事などを行う職務棟へと向かって歩く。

程なくして俺は面会室の前へと辿り着いた。

 

「面会希望者は既に面会室で待っている……少しはシャキッとしろ」

 

呆れた様子の刑務官は俺にそんな言葉をかけると、面会室の扉を開けた。

この扉の奥に、俺と会いたがっている誰かが居るのだろう。

 

「さぁ、入れ」

「……はい」

 

俺は言われるがままに面会室へと足を踏み入れる。

白を基調とした一室は厚めのガラスを一枚隔てて向こうの部屋と繋がっている。

そしてその部屋の中央の椅子に座り、俺を待っていた人物と目が合った。

 

「錦……!」

 

グレーのスーツにワインレッドのワイシャツ。

彫りの深いヤクザ丸出しの顔立ち。

そして聞き慣れた渋い低音の声。

そこに居たのは間違いなく、俺の親友にして渡世の兄弟分。

桐生一馬だった。

 

「桐生……!桐生じゃねぇか!」

 

俺の顔に自然と笑顔が張り付く。

兄弟との一年ぶりの再会に、俺はかつての"錦山彰"を表に出した。

 

「久しぶりだな、錦。来るのが遅くなって悪かった」

「はっ、気にすんじゃねえよ。お前こそ組の方はどうなんだ?その様子じゃ、結構調子良いんじゃねぇのか?」

 

俺がここに収監される直前、桐生は組を任されるのがほぼ決定していた。

順当に行けば直ぐにでも組を立ち上げて、組織に貢献しているだろう。

 

「錦」

「なんせ兄弟の面会を後回しにするくらいだ。もう結構な実績を残してんじゃねぇか?はっ、それでこそ堂島の龍だぜ」

「錦」

「やっぱり俺は、お前に託して正解だったよ。カラの一坪の一件でお前の評価は本家にも届いてる。俺みたいな末端のチンピラじゃ、きっとこうはならなかった筈だからなぁ」

「錦ぃ!!」

 

桐生の当然の大声にこの場の全員が面を食らう。桐生の背後にいた刑務官もだ。俺の背後にいる刑務官も、厚めのガラス越しに驚いているのが見て取れる。

 

「な、なんだよ急に。そんな大声出すんじゃねぇよ」

「……なぁ、錦」

 

桐生は少しだけ俯いたあと、俺の目を見て言葉を発した。

 

「お前……大丈夫なのか?何かされてんじゃねぇのか?」

「は、はぁ?いきなりどうしたんだよお前」

「答えろ錦。お前、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だ、別に何もありゃしねぇよ。お前、いつからそんな心配性になったんだ?」

「……だったらよ」

 

そうして桐生は突き付ける。

俺の保っていた"錦山彰"が根本から瓦解する、決定的な一言を。

 

何でお前は泣いてんだ、兄弟(・・・・・・・・・・・・・)

「は……?」

 

俺は反射的に右手で目元を拭う。

そこには確かに、透明な雫が付着していた。

 

「……くっ、ぐぅぅ……うううううう………ッッ!!」

 

認識してしまったのが運の尽きだった。

"錦山彰"の瓦解と共に、決壊した涙腺からとめどなく涙が溢れ出てくる。いや、それは透明な血だ。

心の傷から出血したかのような冷たくて痛々しい涙。

 

「錦……何があったか話してくれ」

 

嗚咽を漏らしながら泣く俺に対し、桐生は優しく声をかける。

しかし、今の俺にとってはその優しさが何より辛いものだった。

 

「お前にもしもの事があったら、俺は」

「うるっせぇんだよッッ!!」

 

俺は桐生の言葉を遮るように叫んだ。

その態度が、まるで俺を憐れんでいるかに思えた俺は、自分のちっぽけなプライドのために兄弟の優しさを踏みにじった。

 

「どいつもこいつも俺をナメては寄って集って迫害してきやがる!刑務官連中も見て見ぬふりだ!ここに来てはっきり分かったぜ!俺にはお前みたいな実績も看板もありゃしねぇ、ただの無能なチンピラなんだよ!お前は良いよなぁ!風間の親さんや世良会長からも高く買われて、"堂島の龍"なんて看板がお前を守ってくれる。俺なんかが居なくたって立派にやっていけるんだからよ!!」

「錦……」

 

それは、心の奥底で燻っていた劣等感の発露。

決して表にする事は無かった黒い感情。

それを見せれば最後、桐生との縁は切れてしまうだろうから。

そうなれば俺は生きていけない。何をやっても半端で意味の無い人生を歩む事になるだろう。

 

「どうせ俺なんかが居なくたって、娑婆での出来事は何もかも上手くいくんだ!俺はいない方がいい存在なんだよ!東城会にとっても、お前にとってもな……!!」

 

だがもう、どうせ俺には未来が無い。

このまま迫害の末に衰弱して、野垂れ死ぬのは目に見えている。

だったらいっそここで、全てをぶちまけるのも悪くない。

桐生が俺に幻滅し、縁を切りたくなる程に。

 

「……はぁ。今の言葉、聞かなかった事にするぜ」

「なんだと……!?」

 

しかし桐生は。俺の無様を見せ付けられてもなお、決して感情を荒立てない。

そんな大人ぶった態度が、ますます俺の醜い怒りを刺激した。

 

「なぜなら、お前が居なくなって困る人間が確かにいるからだ」

「誰だって言うんだ……?言えるもんなら言ってみろよ!!」

 

溢れ出る感情のままに言葉を叩きつける俺を、桐生は静かに見据えたまま答えた。

厳かに、俺に大切な事を思い出させるために。

 

「錦山優子。お前の……たった一人の血の繋がった家族だ」

「っ!!?」

 

その名前を聞いた瞬間、沸騰していた感情が急速に冷めていくのが分かった。

錦山優子。俺がここに来る前桐生に託した妹の名だ。

病床に伏せ、余命幾ばくもなかった彼女の最後の手術前に俺はここに収監された。

それ以降、優子がどうなったかを俺は一切知らなかったのだ。

 

「錦……俺が今日ここに来たのはお前に報告したい事があったからなんだ」

「報告……?」

 

そうして桐生は懐から一枚の写真を取り出すと俺に見せてきた。

とある病室の情景が写った写真。

中央にはベッドで眠っている優子の姿が確認出来る。

しかし、優子が寝ているのは俺が知っている病院の病室じゃなかった。

 

「これは……?」

「海外の病院で撮影されたものだ。錦。優子は心臓移植を受けたんだ」

「心臓移植……?」

 

それはドナー登録をされた患者から臓器提供を受けて移植する治療法で、近年でも法律改正の影響から注目を浴び始めた最先端医療の一つだった。

莫大な資金と臓器を提供してくれるドナーが見つからなければ成立しないが、成功すれば健康的な心臓そのものを移植する事になるので、心臓病は事実上完治する。

 

「そしてこれは、手術後に撮影された写真だ」

「そ、それじゃあ優子は!?」

「あぁ……優子は。お前の妹は助かったんだよ」

 

それは刑務所という地獄に突き落とされた俺にとって、初めて齎された希望の福音だった。

死を待つだけだったはずの優子の命を、桐生は救った。

助けてやってくれと願った俺の約束を、見事に果たしてくれたのだ。

 

「あ……あぁ……優子ぉ……!!」

 

涙腺から熱いものが込み上げてくる。

ドス黒さの発露であった先程のとは違う、暖かくて優しい雫が俺の頬を伝って落ちる。

 

「それにお前、優子にこう伝えたじゃねぇか。"俺は信じてる。だから絶対諦めるな"ってな」

「っ!桐生、お前それを何処で!?」

「風間の親さんから聞いたんだ。お前が親っさんに伝言を頼んだんだろ?」

 

ここに収監される前。

親っさんとの留置所での面会の際に、別れ際に託した妹への伝言。

それははっきりと、優子に伝わっていたのだ。

 

「優子はそれを聞いて覚悟を決めたんだ。そして逃げずに手術に臨んで、病気に打ち克った。錦……お前が死んじまったら、せっかく助かった優子はこの先一人ぼっちだ。お前、それでもいいって言うのか?」

「桐生……」

「それにお前がいらない存在だって言うのなら、親っさんもお前の為にケジメ付けたりなんかしねぇ。お前は確かに、誰かから必要とされる存在なんだ。だからよ、錦」

 

桐生は、まっすぐに俺の目を見て。

己が大切にする信念を、俺に伝えてきた。

 

「お前も。生きる事から、逃げるんじゃねぇ」

 

俺がどれだけ無様を晒しても、俺の醜い部分をどれだけ見せ付けられても、その瞳には一遍の曇りもない。

桐生一馬にとって俺は。錦山彰は、どこまでいっても兄弟分なんだ。

 

「……そうだな、ありがとよ兄弟。お陰で目が覚めたぜ」

「フッ、気にするな兄弟。これでやっと一つ、お前に借りを返せたな」

 

俺たちは顔を見合わせて笑い合った。

かつて、娑婆にいた時と同じように。

 

「時間だ」

 

背後で刑務官が声をかける。

面会の時間が終わりを告げ、俺たちはそれぞれの日常に戻る。

 

「俺は行くぜ……待ってるからな、兄弟。」

「あぁ……!お前も負けんなよ、兄弟!」

 

最後にエールを送りあって、俺たちは互いに背を向けた。

桐生は娑婆に。俺はムショに。

いつかもう一度、出会える事を信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、1996年某日。

とある刑務所の運動場の端にある倉庫小屋で、事件は起きていた。

 

「オラァ!」

 

薄暗い部屋の中、三人の囚人が一人の受刑者に寄って集って暴行を加えていた。

 

「うぐっ……!」

 

羽交い締めにされた状態でボディブローを喰らい、受刑者が床に倒れ込む。

 

「ひゃはっはっは!コイツ、ちょっと腹を小突いただけで簡単に倒れやがったぜ!」

「おいおい、そう簡単にくたばってもらっちゃ困るぜサンドバッグさんよぉ?」

「俺らの数少ない楽しみなんだ……まだまだ頑張って貰わねぇとなぁ!」

 

下卑た笑い声を上げて状況を楽しむ囚人達。

刑務官の目も届かないこの場所は、卑劣を好む彼らにとって格好の遊び場だった。

 

「テ、テメェら……こんな事して、タダで済むと思ってんのか……?」

 

受刑者ーーー錦山彰は、自分を見下す囚人を睨み付ける。

犯罪者を更生させる為の施設である刑務所において、このような行為は当然許されない。

本来なら直ちに懲罰房に入れられて、刑期延長も考えられるだろう。

 

「はっ、まだそんな事言ってんのかよサンドバッグくん」

「お前だってもう、分かってんじゃねぇのか?何をした所で刑務官はこの場に干渉しねぇって事をよ?」

 

囚人達の言うことは事実であり、現に一度も刑務官達が今回のことで動いた試しはなかった。

 

「これがどういうことか分かるか?お前はこの刑務所にとっての生贄になったってワケだ!」

「俺らがこうやってストレスを発散すりゃ、刑務所の中で騒動も起きねぇからな!」

「ひゃっはっは!俺たちの番が回ってくるのを待った甲斐があったってもんだぜ!」

 

錦山に暴行を加えるメンバーは回を追うごとに変化している。

さながら、ストレス発散用の人間サンドバッグの順番待ちといった所だろうか。

 

「オラ、いつまで寝てんだよ!」

「ぐっ……」

 

囚人の一人が這いつくばった錦山を無理やり起こして羽交い締めにする。

人間サンドバッグの刑はまだ終わっていないのだ。

 

「よっしゃ、今度は俺の番だ。しっかり抑えとけよ?」

 

無抵抗のままの受刑者の前に、順番の回ってきた囚人が立つ。

薄ら笑いを浮かべながら拳を鳴らし、準備を整えている。

 

「よし、いったれ!」

「ぶっ殺せ!ひゃっはっは!!」

「うぉらァ!!」

 

身動きの取れない錦山の顔面に囚人の拳が迫る。

その顔はこれから来る衝撃と激痛に歯を食いしばっているのか。

それとも助けの来ない孤立無援の現状に絶望しているのか。

 

(あ?)

 

拳を振り抜く刹那、囚人の目に映ったのはそれらの内のどれでも無かった。

 

「へっ……!」

 

錦山は不敵な笑みを浮かべると、迫り来る拳を頭突きで受け止めた。

硬いものを殴った反動で囚人の拳にダメージが入る。

 

「いっでぇ!?」

「「なっ!?」」

 

想定外の出来事に驚く囚人たち。

錦山は拘束が緩んだその一瞬の隙を逃さず、身体を前のめりに倒して背後に肘打ちを叩き込んだ。

 

「ぶげっ!?」

「はっ、でやぁッ!」

 

不意の一撃で完全に拘束が解け身動きが自由になると、彼はすかさずボディブローとアッパーで追撃をかける。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

「て、テメェ!どういうつもりだコラァ!?」

 

受刑者からの予想外の反撃に戸惑い、怒れる囚人達。

しかし錦山は不敵な笑みを崩さない。

彼はもう、ただ死を待つだけの人形では無いのだ。

 

「やっと納得がいったぜ……確かにこの閉鎖的な空間じゃストレスも溜まる。それが爆発した際に暴動が起きない為の措置として、ガス抜きの為の生贄が必要だった。だからこんな事を黙認してたって訳か……」

 

蓋を開ければ単純な事。

集団で一人をいじめる事でいじめをする者たちの間で結束が出来るような、そんな子供のような理屈だ。

 

「だったら問題解決だぜ……!」

 

錦山は高らかに宣言すると、自分の上着に手をかけて一気に脱ぎ捨てる。

その首から下には、今まで受けた痛ましい虐待の痕が鮮明に残っている。

しかし彼のその背中には、遥か先にある門を目指して懸命に滝を昇る一匹の勇ましい鯉の姿があった。

 

「今日から生贄はテメェらの方だ……!手始めに、俺のサンドバッグになりやがれ!!」

 

錦山彰の逆襲劇が今、幕を開ける。

その心に揺るぎない希望を宿して。

 




さぁ、ここからが反撃開始です!
次回もお楽しみに


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怨魔の契り



久瀬の兄貴の評判がすこぶる良いので投稿しちゃいます
サブタイを見て「おっ!」と思った方、是非同じ名前のサントラを聞きながら楽しんでください
ちなみに私は聞きながら書きました
それではどうぞ


錦山と桐生が面会してから数日が経ったある日。

刑務作業後の自由時間に、久瀬の元へ一人の囚人がやって来た。

そしてその囚人の口から、久瀬の耳に気になる噂が舞い込むことになる。

 

「何?錦山の野郎が?」

 

それは同部屋の錦山が、人目のつかない場所で囚人達を痛めつけているという噂だった。

 

「はい。情報通の奴に聞いたんですが、どうも間違いないみたいで」

 

ほんの数日前まで生気のない瞳をしていた錦山。

その無気力な態度から囚人達に甘く見られ、迫害や暴行を受けていたのは有名な話だった。

しかしここに来て、その錦山が囚人達にやり返し始めたという。

一体何がキッカケでそうなったのか、久瀬には一つだけ心当たりがあった。

 

(あの時の面会で、何かを吹き込まれたか……誰に会ったんだ?)

 

錦山の辛気臭い顔を見るのが嫌で、面会を拒否する彼を半ば追い出すように向かわせた久瀬。

あの日はその後に何事も無かったように戻ってきていた錦山だが、彼の心境の変化があったとすればあのタイミングで間違い無いだろう。

 

「久瀬さん、確か錦山の事ぶん殴ったんですよね?もし恨みを持たれていたら、少し面倒な事になるかもしれませんよ?」

「はっ、因縁付けられたら何だってんだ。俺はあんな三下のチンピラなんざ眼中にねぇんだよ」

 

久瀬が目指すのは東城会への復帰。

極道として負けないために、命ある限り何度でも這い上がる。

それが彼の極道としての哲学だった。

 

(だが、あの腑抜けた錦山をその気にさせた奴ってのには興味があるな……)

 

もしもその人物が東城会の関係者なら、復帰した後の自分にとって障害になる可能性が高い。久瀬にとっては知っておいて損がない情報と言えた。

 

「おい、錦山は今どこにいるんだ?」

「はい、さっき運動場の隅にある作業小屋の方へ向かっていきましたけど……」

 

その場所は現在ほとんど使われておらず、人気を阻むのにはうってつけの場所だ。

 

「そうかい、ありがとよ」

 

久瀬は囚人に軽く礼を言うと、直ぐにその作業小屋の方面へと歩を進める。

先程の囚人の話が本当なら、もしかしたら今まさにそこで事が起きているかもしれない。

 

(ここだな)

 

作業小屋を囲むフェンス付きの扉を開き、小屋の戸を開ける。

そこに居たのは四人の囚人達。

その内の三人は床に寝転がって起きる気配が無く、最後の一人が半裸で部屋の中央に立ち尽くしていた。

その背中には、見事なまでの緋鯉の入れ墨が彫られている。

久瀬はその入れ墨に。何よりそれを背負う目の前の男に覚えがあった。

 

「二代目歌彫の緋鯉か。はっ、三下の分際で一丁目前に良い墨を背負ってやがる」

「っ!久瀬の兄貴……」

 

錦山彰は背後を振り返ると、意外な人物が居たことに面食らっていた。

騒ぎを聞き付けた刑務官か野次馬あたりがくると思っていたからだ。

 

「お前がコイツらをやったのか?」

「えぇ。寄って集って迫害してきた連中に"返し"をしてた所です」

 

錦山の足元に転がっている囚人達。

ピクリとも動かず呻き声すら上げないことから、錦山によって気絶させられた事が分かった。

 

「ほう……どうやら噂は本当らしいな」

「噂?」

「いや、なんでもねぇ。そんな事より、お前に聞きたい事があんだ」

「何です?」

 

疑問符を浮かべる錦山に対し、久瀬は本題に入った。

 

「数日前。お前と面会した奴は誰だ?」

「……そんな事知ってどうするんです?」

「聞かれた事だけに答えろや、おう?」

 

声にドスを効かせて答えを迫る久瀬。

彼はこの迫力と喧嘩の腕でのし上がり、恐怖と暴力の象徴として長らく堂島組の幹部に君臨してきたのだ。

 

「……お断りします」

「あ?」

 

しかし、錦山はそれに対して臆すること無く真っ向から答えるのを拒否した。

 

「今の俺は組を破門にされた人間だ。昔のよしみで兄貴と呼んじゃいますが、本来俺にアンタの言う事を聞く義理はない……違いますか?」

「テメェ……以前に痛い思いしたのをもう忘れやがったのか?」

 

額に血管が浮かび、久瀬の中のボルテージが上がっていく。極道としての血が騒ぎ始めているのだ。

 

「大人しく吐かねぇなら今ここで半殺しにして話す気にさせてやろうか?あぁ!?」

「はっ、面白ぇ……やってみろよ」

 

久瀬の怒鳴り声に対しても萎縮すること無く、真っ向から対峙する錦山。

その瞳には以前のような空虚さはなく、燃え盛る闘志を掲げた男の輝きが宿っていた。

 

「良い機会だ。俺もアンタにあの時の"返し"をしようと思ってたんだ。元ボクサーの極道崩れ一人に手こずってるようじゃ、シャバに出た時兄弟に笑われちまうんでな!」

「言うじゃねぇか、このクソガキが!」

 

完全に沸騰した久瀬は囚人服の上着に手をかけるとそのまま勢いよく脱ぎ捨てた。

胸元に彫られた二つの髑髏と両腕に彫られた牛頭と馬頭。そして、背中に彫られた閻魔大王の姿が顕になる。

こうなってしまえばもう後には退けない。

久瀬大作は錦山彰を徹底的に叩きのめすまで決して止まることは無いだろう。

 

「俺はなぁ、実力もねぇ癖に吼えるだけの三下がこの世で一番嫌いなんだよ……!!」

「だったら黙らせてみろよ……かかって来いや、久瀬ぇ!!」

「上等だぜ、死ねやボケがぁ!!」

 

元東城会直系堂島組若頭補佐。久瀬大作。

極道としての意地を賭けた喧嘩の幕が上がった。

 

「ドラァ!!」

 

先手を取ったのは久瀬だった。

ボクシング仕込みの右ストレートが錦山を襲う。

 

「ちっ!」

 

錦山は風切り音が鳴る程の速度とキレを持ったその一撃を顔一つズラして躱し、そのまま左のアッパーを久瀬の顎をめがけて放った。

しかしボクサーとしての動体視力を持つ久瀬は、僅かに顎を引く事でこれを難なく躱した。

 

「せいッ!」

 

追撃の右パンチを放つ錦山だが、そのまま難なく避けられる。

そして久瀬はもう一度右ストレートを繰り出した。

錦山は再びこれを躱すと、左のボデイブローを久瀬の脇腹に叩き込む。

 

「オラ、でりゃァ!」

 

錦山は左のフックで久瀬の後頭部を叩き、こちら側に引き寄せた所で右のアッパーを当てようとした。

しかし、

 

「分かり易すぎるんだよ!」

 

久瀬は体勢を前のめりに倒して後頭部への一撃を躱し、右のアッパーも難なく回避してみせる。

全盛期の堂島組を拳一つでのし上がった男が為せる技だった。

 

「シッ、シッ、シッ!」

 

久瀬は歯の間から息を吐きながら、鋭さを持ったジャブとワンツーで錦山を追い詰める。

 

(クソっ、ジャブが早すぎて攻撃に移れねぇ!)

 

一発一発の威力は大した事ないが、それらを無視して攻撃に転ずればボクサーお得意のカウンターが待っている為、錦山は攻めあぐねていた。

 

「うぉりゃァ!!」

 

錦山のガードを煩わしく思った久瀬が、右のストレートを全力で叩き込んだ。

 

「ぐぅっ!」

 

拳を受け止めた腕の骨が軋む。

相手が防御に転ずるなら、その防御もろともにぶち砕く。

喧嘩において常に真っ向勝負を挑み続けた久瀬らしい戦法だった。

 

「ふんっ!!」

「ぶっ!?」

 

ガードが崩れた所に久瀬の頭突きが錦山の顔面にぶち当たる。

ボクシングにおいてバッティングは反則行為とみなされるが、喧嘩ではそんなルールはない。

 

「ふっ、はっ、おりゃァ!!」

 

さらに怯んだ所にボデイブロー、アッパー、そしてストレートのコンビネーションが直撃した。

 

「あ、がぁ……くっ!」

 

鼻柱が折れ、決して少なくない流血をする錦山。

しかし、それでもなお錦山は倒れない。

彼は、その胸に抱いた希望がある限り負ける訳には行かないのだ。

 

「くたばれやガキがぁ!!」

 

怨魔の叫びが小屋の中に響き渡ると、久瀬は小さく構えながら両腕を大きく振り回し、左右のフックを交互に連続で繰り出した。

 

(ぐっ、クソッ……?)

 

まさに拳の嵐としか形容出来ない猛攻の中で、錦山は一つの違和感に気付いた。

一発一発が驚異的な威力を持つ中で、威力が弱い一撃が混ざっているのだ。

 

(なんだ、この違和感は……?)

 

しかし、その思考は途中で中断される。

 

「はァァ!!」

 

絶え間ない連続フックの中、錦山は突然に襲い来た久瀬の前蹴りに対応が出来ず、その一撃が腹部に直撃した。

 

「ごはっ!?」

「ふんッ、うォりゃァッ!!」

 

たたらを踏んだ所にすかさず左アッパーと右ストレートをぶちかまし、錦山の身体を文字通りぶっ飛ばす久瀬。

 

「ぐふ、っ、ぅ……!」

「おら、どうした?そんなもんじゃねぇだろ!!」

 

壁に叩き付けられてもたれ掛かる錦山に、久瀬は激を飛ばす。

すかさず立ち上がりファイティングポーズを取る錦山は、思考を巡らせていた。

 

(間違いねぇ……さっきもアッパーは弱かったが、右のストレートでぶちかまされた……)

 

錦山の中で疑問は確信に変わり始める。

それと同時に、それに基づく作戦が錦山の中で構築されていく。

 

「当たり前だぜ……闘いはこっからだろうが」

「死ねやぁ!錦山ぁ!!」

 

猛然と襲い掛かる久瀬に対し、錦山はもう一度防御の体勢を整える。

再び久瀬から連続フックの嵐が襲い掛かるが、それこそが彼の狙いだった。

 

(今だ!)

 

錦山はタイミングを見計らうと久瀬の左フックを手首を掴んで止めた。

連続で攻撃を受け続けた事で久瀬の素早いパンチに目が慣れたのだ。

 

「オラァ!」

 

久瀬はそのまま右の拳を振り抜こうとするが、それよりも先に錦山の左ストレートが顔面に決まった。

 

「ぶは、っ!?」

 

初めてまともな一撃をもらい久瀬が明確な隙を晒す。

その瞬間に、錦山は全体重を乗せた右拳の一撃で追い打ちをかけた。

 

「でぇぇやァ!!」

 

本来は難なく避けられてしまうような力任せで大振りな一撃は隙を晒した久瀬に直撃し、その身体を大きく吹き飛ばして地面に叩きつけた。

 

「く、クソが……!」

 

悪態を付きながらもすぐに起き上がる久瀬。

ここで錦山は看破した。堂島組内で喧嘩最強と謳われた久瀬大作の弱点を。

 

(久瀬は左からのパンチに威力が乗らない。エンコを詰めてるから拳を握りこめねぇんだ……!)

 

極道における指詰めは約定や謝罪の意を示すものとして古くから存在しているが、一説によればその起源は江戸時代にまで遡るという。日本人がまだ刀を帯刀していたその時代において指を切り落とす行為は刀を握るための握力の低下。すなわち戦闘力そのものの低下に他ならない。これは"それくらいの大切なものを落としてお詫びしますから許してください"という所から来ており、極道社会においてもドスや拳銃といった武器を扱いにくくなるデメリットが存在する。

久瀬は過去に起きた"カラの一坪"の事件において左の小指を失った事で握力が極端に低下していた。

故に左の拳を使った攻撃には右の一撃程の脅威はなく、それは錦山にとって重要な突破口になりうる。

 

「ナメてんじゃねえぞ……本気で来いコラァ!!」

 

これ以上無いほどの怒気と殺意を漲らせて迫り来る久瀬に、錦山は真っ向から立ち向かった。

左のジャブを右手で受け止める錦山だが、久瀬にしてみればそれは最初から"捨て"の一撃。

この後に続く右フックを確実にぶち当てる為の囮だった。

 

「ぐ、ぅらァ!」

 

しかしその右フックを喰らいながらもすかさず左フックを当てる錦山。

すぐさま久瀬が左のストレートを繰り出そうとするが、錦山はその一撃に威力が乗り切るよりも前に難なく右手で受け止めて、そのまま拳を作って振り下ろす。

そのまま左のボデイブローを叩き込む錦山だが、久瀬はそれをものともせずに返しのアッパーを繰り出してくる。

 

「はァァァァッ!!」

「うらァァァッ!!」

 

ゼロ距離での攻防の中で二人の男の叫びが重なり合い、互いの鼓膜を叩いた。

錦山の気合と共に放たれた右の一撃は確実に久瀬の右脇腹を捉えた。

肝臓の上を叩く"レバーブロー"という技で、これを効かされたボクシングの選手は地獄の苦しみで立てなくなり、そのままダウンを奪われる。

 

「うぉらァ!」

 

しかし久瀬はその耐え難き一撃を意に介さずに左フックを錦山の側頭部にぶち当てた。

元ボクサーの久瀬にとってレバーブローなどは日常茶飯事。それでもなお地獄であるはずの一撃を持ち前の根性と強靭な精神力で無理やり捩じ伏せ、反撃したのだ。

 

「くっ!」

 

そのフックを歯を食いしばって耐え抜く錦山。

彼の想定通り握力の低い左の一撃は威力が低く、決して耐えられない程のダメージではない。

それでも錦山は少しだけ(・・・・)ふら付いた。蓄積されたダメージがここに来て響いたのだろうか。

 

(ぶち殺す!!)

 

それを隙と捉えた久瀬はここで確実に仕留めると決議した。

確実に威力が乗る右の拳を全力で握り固め、限界まで腕を引き絞る。

目の前の男を葬り去る為に。

 

(来る……!)

 

錦山は揺れ動く視界の中で久瀬が必殺の一撃を繰り出そうとしているのを確かに捉えた。ふら付くのを止め、相手を見据える。

一か八か。ほとんど賭けに近い作戦に錦山は臨みをかけた。

 

「死ねやゴラァァァッ!!」

 

猛り狂う怨魔の咆哮と共に最強最速の威力と速度を持った渾身の右ストレートが空気を引き裂きながら錦山へと迫る。

 

「うおおおおおおおッッ!!」

 

その一撃を待っていた錦山は、その右ストレートに合わせて左のストレートを繰り出した。

そして、衝突。

 

「ぐ、ぁ……?」

「っ……!」

 

久瀬の放った必殺の一撃はあらかじめ顔一つズラしていた錦山によって避けられ、彼の頬を僅かに切り裂くだけに終わる。しかし、錦山の放ったストレートは確実に久瀬の顔面を捉えていた。

クロスカウンター。

相手の一撃を誘い出し、それを狙って繰り出される相打ち覚悟のカウンターパンチ。

先程、錦山は耐えられる一撃でありながらもあえて少しだけふら付いたのだ。

久瀬にそれを好機と捉えさせ、必殺の一撃を誘い出すために。

 

「ぅ、が、ぁっ……!!」

 

脳震盪を起こし、ダウン寸前の状態になりながらもファイティングポーズを解かない久瀬。

あと数秒もすればこの状態を解消し、直ぐにでも戦闘に復帰するだろう。錦山はそれを決して許さない。

今こそ怨魔の息の根を止める最大の勝機。

逃す訳には行かない。

 

「久瀬ぇぇぇええええええええッッッ!!!」

 

錦山は雄叫びと共に地面を強く蹴ると、無防備な久瀬の顔面に全力の飛び膝蹴りを放った。

 

「ぶぐぁっ!?……が、ぁ……っ!!」

 

顔面を抉るその一撃をまともに喰らった久瀬の身体は大きく吹き飛ばされると、倉庫小屋の壁に背中から叩き付けられた。

その後、力の抜けた身体が前のめりに倒れ込む。

 

「ハァ……ハァ……ぐ、クソ、が……!」

 

その闘志は衰えずとも、身体は決して言う事を聞かない。

この喧嘩は、錦山彰の勝利だった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……や、やった……久瀬の兄貴に……勝った…………!」

 

確かな手応えと達成感が錦山の身を包み、同時に緊張の糸が切れた身体から力が抜ける。

錦山はその場に座りこんで荒い息を整えていた。

 

「……ちっ、こんなチンピラに遅れを取っちまうとはなぁ……歳は取りたくねぇもんだ」

 

久瀬は体勢を変えて大の字に寝転がりながらため息を吐く。

だが、その態度に先日までの落胆や怒りはない。

そこにあるのは一人の男と拳を交えた後の充実感だった。

 

「なぁ……桐生なんだろ?あの時お前に会ってたのは」

「……気付いてたんですか」

「はっ、親父を殺してムショに入ったお前を娑婆に出た時に迎え入れようとする兄弟分なんざ、アイツしかいねぇだろうが」

 

闘いが始まる直前、錦山の言った"娑婆に出た時兄弟に笑われる"という発言。

それを聞いた時に久瀬はほぼ確信していた。

錦山をその気にさせたのは、風間の意志を継ぐ本物の極道として目覚めたあの男。桐生一馬に違いないと。

 

「なんで、そんなに俺の面会した相手を知りたがってたんですか?」

「……ついこの間まで生きた死体みたいな有様だったテメェを、ちょっと面会しただけで俺に上等ぶっこくような男に変えちまうような奴だ。そんな奴は、俺が極道に復帰した時に真っ先に障害になりかねねぇ。だから知っておこうと思ったんだよ……俺が次に殴る事になる相手をな」

 

久瀬大作は、自分より強いと思える奴を殴るためにずっと極道を張ってきた男だ。

再び自分が渡世というリングでのし上がる為には、目の上のたんこぶになるであろうその相手との因縁は避けては通れない。どんな相手だろうと喧嘩上等。

それが久瀬大作の生き方だった。

 

「錦山。お前……娑婆に出た時は桐生の所に行くのか?」

「……えぇ。俺はアイツに命を救われました。だから今度は、俺が側でアイツを支える番です。そしていつか……俺は兄弟を超える男になりたい。」

「ほう、随分大きく出たな?お前が目指すのは、あの風間のカシラがずっと抑え込み続けるような本物の極道だぞ?」

「そんな事分かってますよ。言っときますが、俺は兄貴よりずっと桐生の事を見てきたんです。アイツがどれだけ凄い男なのかは俺が一番よく知ってる」

 

幼い頃から一緒にいて、深い友好と競争心と共に過ごした桐生と錦山。

故に桐生と比べられ、下に見られる事を何よりも嫌い、恐れ、怒っていた。

それは桐生に対する嫉妬心。持たざる者が抱く卑しい感情。

しかし、それは裏を返せば向上心の表れに他ならない。

自分には届かないと分かっていながらも足掻いて藻掻いて手を伸ばす。そこに辿り着く時を夢見て、己を磨いて高めようとする意志。

 

「それでも……それを目指して進むのが、俺の極道です」

 

生きる事は逃げない事。

兄弟から教えて貰ったそれが胸にある限り、錦山は前に進み続けるだろう。

風間新太郎でも、桐生一馬でも無い。

"堂島の龍"を超えた先にある、錦山彰の極道を。

 

「……フッ。良い目をするようになったじゃねえか。男子三日会わざれば刮目して見よとはよく言ったもんだなぁ」

 

その揺るぎない瞳を見た久瀬は、錦山への考えを大きく改めた。

この男もまた、風間新太郎が認めた本物の極道であると。

 

「錦山。お前も桐生の野郎に迫りたいって思ってんなら覚えとけ。極道の世界にKOは無ぇ。張り続けられる限り勝負は続くってな。」

「はい、覚えておきます。久瀬の兄貴」

 

錦山は立ち上がると、倒れる久瀬に手を差し伸べた。

しかし、久瀬はそれを拒むと一人でボロボロの身体を押して立ち上がる。

 

「勘違いすんなよ錦山。俺とお前の喧嘩はまだ終わっちゃいねぇんだ……馴れ合うつもりはねぇ」

「久瀬の兄貴……」

「……だが、お前のその覚悟に免じてムショではもう殺らないでいてやる」

 

誇り高き閻魔は情に流される事は決してない。

彼が下す地獄の沙汰は、彼の中の法則に基づいて平等で無ければならないからだ。

 

「これの続きは、お互い娑婆に出てからにしようや。……その時は覚悟してもらうぜ、錦山」

「フッ……その言葉、そっくりそのまま返しますよ。久瀬の兄貴」

 

不敵に笑い合う二人の男。

放つ言葉は物騒でも、そこに無粋ないがみ合いは無く。

互いに認め高め合う、一つの絆が存在していた。

 

 

 

 

 

 

この三年後。刑期を終えた久瀬は出所して一足先に東城会へと合流。

そして東城会二代目代行の二井原隆からある仕事を任されて、後に伝説となる二匹の"龍"と関わりを持つことになるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

そして時は流れ、2005年。

堂島組長射殺事件から実に10年の時を経て、錦山彰の仮出所が決まるのだった。





次回はいよいよ錦山がシャバに出ます
意外なキャラも登場予定ですので、お楽しみに


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帰還

第二章ラストです
今回は意外な人物たちが出てきます
それではどうぞ


2005年。12月5日。

堂島組長射殺事件から実に十年の時を経て仮釈放された俺はこの日、ようやく娑婆の空気を吸っていた。

 

「もう、戻ってくるなよ」

「……お世話になりました」

 

門番をしている刑務官にお決まりの礼を告げ、俺は刑務所を出る。住めば都なんて言葉があるが、ここでの生活は都とは程遠かった。

 

「さて、行くか」

 

刑務所の前には誰もいない。

極道者が出所する時は、大抵何人かの構成員が出迎えてくれるが、役職のないチンピラな上に親殺しという大罪で服役した俺を迎えに来る物好きはいないという事だろう。待ち伏せされて出会い頭に刺されないだけでも幸運とさえ言える

それでも俺には二人、迎えに来てくれるアテがあるはずだった。

 

(桐生……)

 

俺の親友にして渡世の兄弟分。

九年前に優子が助かったと報告に来てくれて以来、桐生は一度も面会には訪れなかった。

俺に待っていると言っていたくらいだから、きっと迎えに来るものだと思っていた。

きっと何か深い事情があるのだろう。

そして、もう一人。

 

(親っさん……)

 

俺は懐にしまっていた一通の手紙を取り出す。

それは、俺が仮出所する前日に風間の親っさんから届いたものだった。

 

《 10年……お前のいないこの10年で、東城会はすっかり変わった。一馬の事、由美の事、そして優子の事。お前と会って話したい事が山ほどある。伝えなければならない事も……。神室町にスターダストという店がある。そこのオーナーをしている"一輝"という男に会ってくれ。話は通しておく。 風間新太郎》

 

どうやら俺のいない間に、様々な事が変化したらしい。

だがそれも仕方無いことだ。人生が八十年あるとすれば、俺の服役した十年はその八分の一なのだ。

 

(考えてみると、やっぱり長かったよな……この十年って時間は……)

 

俺は手紙を懐にしまい、神室町へと向かった。

街並みの変化や道行く人の服装に戸惑いながら、電車を乗り継いでいく。

 

(みんな何かを手に持ってるが、ありゃ何だ?ポケベルとはまた違うみてぇだが……)

 

電車の中で手のひらサイズの機械を持つ若者たちを見て俺は困惑する。ああいうのもきっと最近の連中はみんな持っているんだろう。

 

(俺が娑婆に居たのなら、ああいう流行りのものは必ずチェックするんだがな…………これが"ムショぼけ"って奴か?)

 

私鉄と国鉄を乗り換えていき、やっとの思いで新宿駅にたどり着く。

相変わらずの人の多さに呆れながら、人混みを掻き分けて歩を進める。そしてたどり着いた。

 

「帰ってきたな……この街に……」

 

新宿、神室町。

相変わらずの汚い空気と耳を叩く喧騒。

そして眠らない街と言われる所以となった消えないネオンの光。

今となっては、その全てが懐かしく感じた。

 

(親っさんの言っていた店は確か……スターダストって名前だったな)

 

今は一刻も早くその店を探して、オーナーの一輝という人物に会う必要がある。

だが十年間もムショにいたせいか、神室町は殆ど様変わりしていた。

元々夜の繁華街は店の入れ替わりが激しいが、なんと言っても神室町はアジア最大の歓楽街。一年経つだけでひとつの通りの中で必ず三店舗は入れ替わってしまう。

それが十年も経てばそこはもう別世界とさえ言えた。

 

(はっ、気分はまるで浦島太郎だな……)

 

そんな神室町の中から名前だけを手掛かりに一つの店を探すのは中々に骨が折れる。

故に俺は、手がかりを求める為に馴染みの店へ向かう事にした。

天下一通りのアーケードを抜け、風間組の事務所でもある風堂会館の前に差し掛かる。

 

(ここはまだあるんだな……)

 

桐生が組を立ち上げて、きっと今でも親っさんを支えているであろう風間組。その事務所が変わらずずっとあるのもきっと桐生の努力の賜物なのだろう。組を破門された身では入ることなど許されないので、少しだけ視界に入れて足早に通り過ぎる。

 

(確かこっちに……あった!)

 

天下一通りのアーケードを入って左側。

その雑居ビル郡の中に、俺が探していた場所があった。

 

(セレナ……残っていたんだな!)

 

桐生と由美。そして敏腕ママの麗奈と四人で過ごした思い出の場所。十年前のあの日の前夜もここで俺たちは飲んでいた。

 

(麗奈ならきっと何かを知っているかもしれない……いきなり顔見せたら、ビックリさせちまうかもな)

 

麗奈には悪いかもしれないが今は急ぎだ。

俺は雑居ビルの中のエレベーターに入り2階のボタンを押す。

しかし、何度押してもボタンに反応は無かった。

 

(なに……?まだ店が開いてないのか……?)

 

時刻は午後5時。

俺が娑婆にいた時の開店時刻は午後6時からだったはずだから、営業時間が変わっていなければ少し早く着いてしまった事になる。

 

(なら、今は開店準備中の筈だ。裏口から尋ねれば入れるかもしれないな)

 

そう考えた俺はセレナのある雑居ビル郡の裏手に回った。自動販売機以外には何も無い、小さな空き地。

そこの階段を登って上に行けば、セレナの裏口へと行く事が出来る。

しかし、俺の足が階段を登り始めることは無かった。

 

「おい」

 

背後からの声に振り向くと、そこには四人ほどの男達がいた。

全員が如何にもな柄シャツやジャージ。スーツ等を着ていている。顔つきからして全員がまだ歳若いが明らかにカタギじゃないのは見て取れた。

スーツを着た男の胸元に代紋がある事から、神室町のヤクザなのだろうと俺はアタリを付ける。

 

「お前、錦山彰だな?元堂島組の」

「……だったらなんだって言うんだ?」

 

俺の名前を確認した途端、ヤクザたちの雰囲気がガラリと変わる。

俺に対する敵意を剥き出しにしているのが感覚で分かった。

 

「なら、俺達が誰かも検討が付いてるんじゃねぇのか?"親殺し"さんよ」

「……さぁな。」

 

思わずとぼけたが、男の言う通り大体の検討は付く。

俺がそろそろ出所するという情報をどこからか掴み、俺の馴染みの店であるセレナに俺が現れると踏んで、こうしてここで張っていたのだろう。

俺に恨みを持つ元堂島組の連中か、はたまた別の組織か。

いずれにせよ、穏やかに話が済む気配では無かった。

 

(そう言えば、俺に恨みを持つ奴が多いって親っさんも言ってたな……)

 

俺の為にケジメをつけてくれた風間の親っさん。

しかし、東城会の伝説とも言うべき極道の小指でさえ、俺をこうした悪意から守ることは出来ない。

それほどまでに俺の背負った親殺しという罪は重いという事なのか。

 

「すっとぼけやがって……覚悟は出来てんだろうな……?」

「ごちゃごちゃうるせぇな……御託ばっか並べてねぇでやるならさっさとかかって来いや!!」

「いい度胸じゃねぇか!行くぜおらぁ!!」

 

完全に臨戦態勢に入った四人の若いヤクザ達が怒号と共に押し寄せてくる。

俺は先頭にいた柄シャツのヤクザのパンチを躱すと、カウンターのフックを顎に直撃させた。

 

「が……ぁっ……?」

 

気絶して全身から力の抜けたヤクザが顔面から地面に倒れ込む。

 

「おらよっ!」

「ぶげっ!?」

 

俺はすぐ近くにいたジャージ姿の二人目の胸ぐらを掴むと鼻柱に頭突きを叩き込んだ。

後ろに大きく仰け反ったヤクザをそのまま離さず引き寄せて、それと同時に右ストレートを顔面にぶち込む。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

 

文字通りぶっ飛ばされたヤクザは自動販売機に背中をぶつけてもたれ掛かると、そのまま動かなくなった。

 

「この野郎!」

 

スーツ姿の三人目が背後から何かで殴りかかって来るのを難なく躱して、俺は正面を見据える。

男が手に持って居たのは空になったビール瓶だった。

 

(ゴミ捨て場かにあったものか……即席の凶器にしちゃ上等だ)

「くたばれやボケェ!」

 

俺はビール瓶を乱雑に振り上げて襲い掛かる三人目の攻撃を手首を掴んで止めた。

 

「い、いでででで!?」

 

そのまま全力で手首を握り込んで、敵のビール瓶の握りを弱めてから凶器を奪い取る。

そしてそのまま自分の手に持ち替えると、敵の頭目掛けて全力で振り抜いた。

 

「オラァ!」

「うぎゃぁあああっ!!?」

 

甲高い音と共に爆ぜるように割れたビール瓶。

その破片がヤクザの頭を傷つけて血だらけにする。

俺は割れたビール瓶を投げ捨てると、パニックになっているヤクザの腹に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐほっ!?」

 

鳩尾に入ったその一撃に堪らず倒れ込こんだヤクザの顔面を、最後に思い切り踏み抜いてとどめを刺す。

 

「な、なんなんだよコイツは……!」

 

最後に残ったのはメガネをかけたヤクザだった。

おそらくこの中で一番年若く、完全に俺に対して恐れ戦いている。

時間にしておそらく一分もかからずに仲間たちがたった一人の為に全滅したのであれば無理もないが。

 

「……まだやんのか?」

「く、クソっ!」

 

ヤケになった最後の一人が、懐から白鞘のドスを取り出して刃を抜き放つ。

ヤクザが携帯する武器の中で最もポピュラーで取り回しの良い刃物だ。

しかし、持ち主のその手は恐怖と緊張でガタガタに震えている。

 

「う、うわあああああ!!」

 

絶叫をあげながら最後の一人がドスを持って特攻してくる。

俺はその特攻を躱してそいつのドスを持った右の手首と肩を掴むと、その真ん中。つまり肘関節の上に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「せぇりゃァ!」

「ぎゃあああああああああッッ!!?」

 

腕の関節が逆向きにへし折れたヤクザは当然ドスから手を離す。

俺はその手に刃物が無くなったことを確認し、トドメに右のストレートで顔面をぶち抜く。

かけていたメガネが粉々に砕け散り、最後のヤクザが無様に地面に転がってこの喧嘩は俺の勝ちで幕を閉じた。

俺は倒れたヤクザの胸ぐらを掴み上げて情報を聞き出す。

 

「お前ら、東城会のモンか?」

「は、はいそうです……カシラからの命令で、貴方を痛め付けて連れて来いって言われて……!」

 

涙ぐみながら話すヤクザはどうやらまだ駆け出しのチンピラらしい。

この様子じゃ十年前に起きた出来事も知らないまま、ただ命令を受けて襲いかかって来たのだろう。

 

(つくづく極道ってのは、下の奴らばっか割を食うよなぁ)

 

少しだけこの男に同情しつつも、俺は聞きたい事を聞き出す事にした。

 

「お、お願いします!殺さないでください!」

「殺しはしねぇよ。ただ俺の質問には答えてもらうぜ」

「わ、分かりました!」

「俺は今、スターダストって店を探してる。心あたりはあるか?」

 

それを聞いた途端、男の表情の中に恐怖以外の感情が見えた。

それは僅かな困惑。何故そこに?といった様子の表情。

 

「スターダストって……あのホストクラブのですか……?」

「なに?ホストクラブだと?」

 

それは、親っさんの手紙には書いてないかった情報だった。

そして、この男の困惑にも合点が行く。

いい歳した三十過ぎのおっさんが探している店が、キャバクラじゃなくてホストクラブなのだ。

特別な用事でもない限り足を運ぶ筈がない。

 

「え、えぇ……数年前に天下一通りにオープンしたホストクラブの名前が、スターダストです。その、貴方が探している店かは分かりませんが……」

「そうか……ありがとよ。ちょっと腕出しな」

「へっ?いっ、ぎゃああああああああ!?」

 

俺は先程折ってしまった男の右腕を掴んで逆側に戻した。

並々ならぬ激痛が男を襲うが、いつまでも折れ曲がったままでいるよりはマシだ。

 

「腕、悪かったな。俺もムショから勤め上げたばかりで喧嘩になると加減が効かねぇもんでよ」

「ひ、ひぃ……!」

 

痛みと恐怖で完全に萎縮する男。

間近で顔を見るとやはりまだ歳若く、その顔には少年のようなあどけなさが残ってた。

 

「お前、随分若いな?幾つだ?」

「じゅ、19歳です……」

 

十九歳と言えば、俺や桐生がカラの一坪に巻き込まれた頃と同じくらいの年代だ。駆け出しなのも頷ける。今回受けた命令だって、きっと初めての出来事なんだろう。

 

「まだハタチにもなってねぇのか……若いモンがもったいねぇ。悪いことは言わねぇよ、ヤクザなんざ辞めた方がいい。今日痛い思いして分かったろ?」

「で、でも……」

 

言い淀む少年ヤクザ。

彼もまた、極道の盃を受けた者の一人なのだ。

一度渡世に足を踏み入れた者は、時間を巻き戻せない。

それこそ大量の金か指を犠牲にする必要がある。

 

「はぁ……ま、無理だろうな。ならせめて、もう俺には関わらねぇこった。長生きしたけりゃな」

 

俺はそれだけ言って、セレナの路地裏から出る事にした。

スターダストの場所は聞き出せた。

ならば今無理にセレナへ立ち寄る必要は無い。

またさっきの連中に襲われでもしたら、麗奈に迷惑がかかってしまう。

 

(まぁ、タイミングが合えばまた寄ることになるだろう。)

 

裏路地を出て、ふと空を見上げる。

この季節になると、午後の5時頃にはもう空は完全に暗い。昼間はアジア最大の歓楽街だが、夜になれば欲望の巣窟である神室町がその本来の姿を曝け出す。

そこら中にスリルが転がっている危険な街になるのだ。

 

「こういう街だったよな、神室町って」

 

思い出したかのように一言呟いてから、俺はスターダストへ向かうのだった。

もう一度、風間の親さんに会うために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の標的とされた白いジャケットの男に返り討ちを喰らった少年ヤクザ。

彼は未だに痛む右腕を抑えながら、地面に倒れた仲間たちへと駆け寄る。

しかし全員が深刻なダメージを負っており、起き上がるどころかピクリとすらしない。

少年ヤクザは最後の望みを賭けて柄シャツの男の側へと駆け寄った。

 

「あ、兄貴!しっかりしてください、兄貴!」

「あ……?はっ!」

 

兄貴と呼ばれた柄シャツのヤクザが意識を取り戻し、すぐさま跳ね起きて状況を確認する。

 

「アイツは、例の野郎はどうした!?」

「いえ……あっという間に俺ら全員を片付けて……」

「クソっ、まんまとしてやられたって訳か……!」

 

柄シャツの兄貴分が悔しさのあまり悪態を付く。

自分達の仕事をこなせないばかりか、全く歯が立たなかったのだ。

 

「兄貴、ちょっと話が違くありませんか?例の野郎、めちゃくちゃ強かったですよ……?」

 

今回、彼らが受けた命令は錦山の確保にあった。

十年前に自分の渡世の親を殺したチンピラがもうすぐ出所してくると聞き、そいつを捕まえて差し出せば元堂島組の古参連中からの覚えが良くなると踏んだ彼らの上の人間は、その確保と連行を彼らに任せたのだ。

事件当時はなんの役職もないチンピラで、大して喧嘩が強いわけでも無い。本来であれば十分彼らでこなせる仕事だった。

 

「あぁ……俺のパンチを的確に避けて顎にカウンター合わせてきやがった……ありゃ、相当出来る奴だぜ。」

 

彼らは知る由もない事だが、錦山は刑務所にいる間に己を鍛え上げていた。

刑務作業を誰よりも多くこなし、自由時間はひたすらランニング。

そして余暇時間は全て筋トレに当てて、徹底的に肉体改造を施していたのだ。

いつか、"堂島の龍"と謳われた兄弟分を越える男になる為に。

 

「他の連中は……?」

「みんな、意識を失って起き上がれません。気付いてくれたのは兄貴だけです」

「そうか……ひとまずアイツらを病院に連れてくぞ。報告はそれからだ」

 

柄シャツの兄貴はそう言うと、その場で立ち上がった。

脳震盪で気絶しただけの彼はこの中で一番ダメージが少なく、非常に健康的だった。

 

「わ、分かりました……」

 

まだ恐怖と緊張が冷めやらぬ少年ヤクザも、それについては一切反対しない。

そして願わくば二度とさっきの男に関わりたくないのが本当の所だった。

柄シャツの兄貴は気絶したスーツのヤクザとジャージのヤクザを背中に担いだ。

 

「あ、兄貴?よくそんなに持てますね……」

「俺が一番痛手を負ってないからな。お前もその腕じゃあ運んだり出来ねぇだろ?」

「す、すんません……」

 

申し訳無さそうに目を伏せる少年ヤクザ。

気にすんなよと軽く笑う柄シャツの兄貴。

二人の間には、絶大な信頼関係があった。

 

「だが、この状態じゃあ前に進むのも一苦労でな。病院までの先導は頼むぜ?東」

「分かりました、海藤の兄貴」

 

東城会系松金組若衆。柄シャツの海藤正治と少年ヤクザの東 徹。

まだ年若く半人前の彼らはこれから先、どのような極道を往く事になるのか。

今はまだ、誰も知らない。

 




という訳でジャッジアイズシリーズから海藤さんと東さんでした。

この頃の二人はまだ歳若い駆け出しのチンピラですが、良い関係値は既に築けていたんでしょうね……

次回は桐生編ですが、私事ながらワクチン二回目を接種したばかりで遅れるやもしれません。ご了承ください

それではまた


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断章 1995年
桐生組、発足


お待たせしました断章です。
1や極では出てこないあの男が出てきます

それではどうぞ


錦山彰が逮捕された堂島組長射殺事件から数日後。

舎弟頭補佐の桐生一馬は、渡世と育ての親である風間新太郎に呼び出されていた。

天下一通りにある風堂会館に訪れた桐生は事務所にいた組員に頭を下げられながら、組長室へと足を踏み入れる。

 

「失礼します」

「来たか、一馬。まぁ座ってくれ」

 

中にいた風間に頭を下げ、静かに入室する桐生。

椅子に座って待っていた風間に促され、桐生は静かに椅子に腰を下ろす。

 

「忙しいところ呼び出しちまって悪かったな。俺もこの後行かなきゃならねぇ所があってよ、今しか話す時間が無かったんだ。」

「いえ、自分の事は気にしないで下さい。それよりも大事な話って……?」

 

今回風間が桐生を呼び出したのは、桐生の耳にどうしても入れたい話があったからである。

 

「……由美の事だ」

「っ!?……由美が、由美が見つかったんですか!?」

 

澤村由美。

堂島組長射殺事件の際に、堂島組長に強姦されかけていた所を桐生と錦山に助けられたホステスで、桐生の大切な幼馴染だ。

事件のショックで記憶を失った由美は、風間が面倒を見ている病院から姿を消し行方不明となっていた。

桐生もここ数日は、神室町で行方不明になった由美の情報を聞いて回っていたのだ。

 

「あぁ……由美は、ひまわりに居た所を保護された」

「ひまわりに……?」

 

ひまわりとは、風間が管理と運営を担っている孤児院の名前である。桐生や由美が育った故郷とも言える場所だ。

 

「そうだ。由美は覚えていたんだよ。お前や彰たちと育ったあの孤児院の場所をな」

「そうだったんですか……」

 

風間はひまわりの担当者から連絡を受け現場に急行し、由美を無事に保護した。故にもう桐生は由美の件に関しては心配する必要は無いという事を風間は伝えたかったのだ。

 

「それで、由美の様子は?」

「……由美を保護した後、俺は由美に何枚もの写真を見せた。記憶が戻るんじゃないかと思ってな、だが……」

 

風間が顔を逸らして言い淀む。

普段の風間を知っている桐生にとって、それはかなり珍しい光景と言えた。余程言い難い程の事情があるのだろう。

 

「親っさん……?」

「……由美は、一馬と彰の写真に拒絶反応を見せた。おそらく、事件のショックを想起させるものだったんだろう」

「!」

 

桐生は思い出す。

自分たちを殺そうとした堂島組長に向けて引き金を引いた時の光景を。

自分と共に殺人という一線を超えた錦山。そしてそれを間近で目の当たりにした由美。

彼女にとって一生モノのトラウマになる事は想像に難くない。

 

「一馬。由美は引き続き俺が面倒を見る。だが、記憶が戻るまでアイツには会うな。」

「……親っさん、それは」

「今お前が由美の前に姿を表せば、余計にあの子を苦しめる事になる。本当に由美の事を想うのなら、ここは耐えろ。いいな?」

「……はい」

 

それは、由美に密かな想いを寄せていた桐生にとって苦しい選択だった。記憶を失い、不安がっている筈の彼女の傍にいる事が出来ない。桐生は初めて自分が極道者であることを悔やんだ。

 

「失礼します」

 

するとそこへ、一人の人物が組長室へと足を踏み入れる。

白髪混じりの頭と顔にある大きな傷が特徴的な壮年の男。その男は、桐生もよく知る人物だった。

 

「おう、来てるな。桐生」

「柏木さん!」

 

東城会直系堂島組内風間組若頭。柏木修。

かつて"東城会イチの殺し屋"と謳われた伝説の極道である風間を長年支えてきた、言わば右腕的存在。

桐生にとっては、この世界に足を踏み入れて最初に出来た兄貴分でもある。

 

「柏木。準備は出来たか?」

「へい。いつでも行けます」

「そうか……」

 

風間は頷くと、片手で杖をついて立ち上がった。

左手をポケットに入れたままのせいか、普段よりも足元が覚束ない。

 

「親っさん、何処へ行くんですか?」

「彰の面会だ。アイツに、一馬と由美は無事だって事を伝えに行かなくちゃな」

「親っさん、だったら俺も……」

「お前は待っていろ一馬。それに、話はまだ終わっちゃいない」

「え?」

 

困惑する桐生に、柏木が一歩前に出る。

 

「この話の続きは、俺がする事になってるんだ」

「柏木さんが……?」

「あぁ。親父が戻って来るまでの間にな」

「そういう訳だ。柏木、後は頼んだ」

「へい、行ってらっしゃいませ。親父」

「あぁ」

 

柏木に続くように、桐生も頭を下げて風間を見送る。

組長室は柏木と桐生の二人だけになった。

 

「柏木さん……話って一体?」

「まぁ落ち着けよ、桐生」

 

そう言って柏木はソファに座ると懐から煙草を取り出し、その内の一本を口に銜えた。

すると、桐生の身体が条件反射でライターを取り出して火を付ける。

それは極道として最も多く行う機会が多い動作の一つだった。当然、桐生の身体にも染み付いている。

 

「ふぅ……お前もやれよ桐生」

「はい、失礼します」

 

柏木に言われ、桐生も煙草を咥えて火を付ける。

二人の口から吐かれた紫煙が、静かに空気に溶けていく。

 

「なに、そう身構えるような事じゃねぇ。あまり堅くなるなよ」

「は、はぁ……」

 

変わらず困惑する桐生に対し、柏木はいつになく上機嫌だった。そして上機嫌のまま彼は本題に入る。

 

「話ってのは他でもねぇ。桐生組の事だ。」

「!」

 

そこで桐生は合点がいった。

柏木が上機嫌なのは、これからの風間組にとって大きな存在になるであろう桐生組に大きな期待を寄せているからに他ならなかった。

 

「堂島組長の件でゴタゴタしちまったとはいえ、元々は組を立ち上げる予定だったんだ。そろそろ頃合いかと思ってな。どうだ?」

「……」

 

桐生は思い出した。

事件直後、セレナで誓った約束の一杯とその時に抱いていた熱い気持ちを。

 

「はい。謹んでお受け致します」

「お?てっきり謙遜するかと思っていたがいつになくやる気じゃないか。どうしたんだ?」

 

柏木の問いに対し、桐生はすかさず答えた。

その顔に揺るがぬ覚悟と確固たる決意を滲ませて。

 

「俺は、自分の組でどうしてもやりたい事があるんです」

「なんだ?言ってみろ」

「錦を……勤めを終えて娑婆に出たアイツを、俺の組に迎え入れたいんです」

「なるほど、やはりそう来たか」

 

桐生の望みに対して、柏木は予測済みだったのか対して驚きもしない。義理堅く仲間想いな桐生らしい選択だと関心するばかりだ。そして、そんな桐生に対し柏木は朗報を伝える。

 

「そんな桐生にいい報せだ。昨日、錦山の処分が決まったぞ」

「本当ですか……!?」

「あぁ。錦山は三代目の意向により"破門"に処される事が正式に決定した。風間の親父の直談判が効いたんだろうな」

 

親殺しという大罪を背負った錦山に下されたのは破門。

本来予想していた永久追放と報復を伴う絶縁では無い。

周囲の目は厳しいだろうが、復帰の目は十分にあると言えた。

 

「親っさん……」

「親父はあぁ見えて少し恥ずかしがり屋な人だ。錦山の面会に行ったのは本当だが、この話を自分からするのは苦手だったんだろう」

 

風間の意外な一面に目を丸くする桐生。

昔から風間を知っている柏木だからこそ知っている話だった。

 

「そういう訳だ。絶縁じゃない以上、錦山にも復帰の目はある。だが……親殺しのアイツを堂島組を主体としている風間組で引き取る訳には行かない」

 

もしそんな事をすれば風間組は風間派と旧堂島派で内部分裂を起こしてしまうだろう。

余計な抗争の火種を作ってしまう事になる。

 

「だから、もしお前が自分の組に錦山を迎え入れようとするのならば桐生組はいずれ風間組から独立してもらう必要がある。この意味は分かるな?」

「はい……直系昇格ですね?」

 

直系昇格とは、東城会の二次団体として認められる組織になる事。末端の"枝"からそれを支える"幹"になることを指す。桐生組は風間組の三次団体として立ち上がる訳だが、そのままでは風間組内に不和を引き起こす。故に桐生組は錦山が出所するまでの間に独り立ちし、風間組とは関係ない別の組織でなければならないのだ。

 

「あぁ。だがそいつは並大抵の事じゃねぇ……歴代の幹部達はみんな、それこそ死に物狂いでのし上がってその地位を築いたんだ。その中で命を落とした極道を俺は何人も知ってる。桐生……お前の気持ちは分からんでもないが、お前が進もうとしているのは茨の道だぞ?」

 

極道の先輩として、そして兄貴分として忠告する柏木。

しかし、そんな事で"堂島の龍"は止まらない。

 

「覚悟はとっくに出来ています。あいつの居場所を作れるのは、俺しかいません」

 

己が一度決めたことは何があっても貫き通すのが、桐生一馬が往く極道であるからだ。

 

「フッ……流石、風間の親父が目をかけただけの事はあるな。」

 

答えを聞いた柏木は満足気に頷くが、同時に真剣な表情でこう続ける。

 

「だがな桐生。少し厳しい事を言うが、お前はシノギに関しては錦山や他の奴には劣っている。取り立てだって、そんなにいつも依頼がある訳じゃねぇだろ?」

「……はい」

 

当然と言えば当然だが、極道のシノギは法に触れたものである場合が非常に多い。

盗みや強盗(タタキ)、違法物や偽造品の売買といった表立った犯罪行為から、特殊詐欺や賭博、強請りや集り等といった警察が介入しにくい裏稼業まで、そのシノギは多岐に渡る。

難しい事を考えるのを何より苦手とし、筋の通らぬ事を許せず、それでいて身体を張るのが得意な桐生がこなせるのはせいぜい借金の取り立てくらいだ。

しかしその取り立てでさえ、顧客からの依頼が無ければ成立しない。

 

「その点、錦山は上手くやっていたぞ?シノギはいつも安定していたし、金回りも良かった」

 

そんな桐生とは対象的に、器用に立ち回る事を重視した錦山はいくつものシノギを掛け持ちしていた。

多方面に顔を売り、付き合いやコネを大切にした働きで顧客達からの評判は良く、桐生のような一度の大きな利益は無いものの安定して確実な利益を出していた。

 

「今のお前に足りないものは安定した稼ぎだ。今の時代、極道は金を稼いでナンボだからな。結局はそれが人を集め、組織をデカくしていく。そうだろ?」

「はい、重々承知しています」

「そこでだ。ウチから腕利きの奴を何人か出す。そいつらを上手く使って、シノギについて勉強しろ」

「柏木さん……ありがとうございます」

 

極道は法に縛られない私的な集まりの一つである。

故に一般社会のように上司と部下が配属されるなどという事は無い。各々が組織内から勝手に人員を集って組を名乗るものなのだ。

故に極道が組を立ち上げる際、本来は手駒がいないからといって親組織から人員を貸してもらえる事など有り得ない。ましてや今回派遣されるのは風間組の中でも腕利きの連中。

極道としてこんなに恵まれている事は無いだろう。

それだけ柏木は、桐生に対し大きな期待を寄せているという事だった。

 

「話は以上だ。俺はここに残るが、桐生はどうする?」

「俺はセレナへ行きます。麗奈に、由美の件を報告しないとならないので」

「そうか、分かった。お前に預ける人員の選別が終わり次第報告させる。それまではいつも通りに過ごすと良い」

「分かりました。失礼します。」

 

桐生はタバコの火を消してから一礼をすると、踵を返して組長室を出た。

頭を下げてくる事務所の連中に軽く挨拶を返し、そのまま風堂会館を出る。

 

(さて、いよいよだな……)

 

これから桐生組としての本格的な活動が始まる。

錦山が出所して来た時に落胆されないように、組織を上手く運営していかなければならない。

桐生は気合いを入れ直すと、真っ直ぐにセレナへと歩いていく。セレナは風堂会館の向かい側にある為、少し歩けば直ぐに到着する距離だ。

しかし、桐生がセレナのエレベーター前まで辿り着いた時、何者かが桐生の背後から声をかけた。

 

「桐生さん」

「ん?」

 

振り向いた先にいたのは、一人の若い男。

黒のスーツをだらしなく着崩し、空いた胸元にペンダントを付けたその男を、桐生はよく知っていた。

 

「若……」

「お疲れ様です、桐生さん」

 

東城会直系堂島組内風間組構成員。堂島大吾。

数日前に殺された堂島宗兵の一人息子だ。

そして、この世に生まれた時から堂島組を継ぐ事が決まっていた男でもある。

 

「どうされたんですか?」

「話があります。こちらへ」

 

そう言うと大吾はセレナの裏路地へと入っていく。

堂島組の次期組長候補に言われてしまえば、流石の桐生も従わざるを得ない。

桐生は言われるがまま、大吾の後に続いて裏路地へと入った。

そのままセレナ裏の空き地へと辿り着く。

 

「桐生さん……もう人目はありません。普通にして良いですよ」

「……あぁ、分かった」

 

桐生は先程までの"若"呼びと敬語をやめ、普通に話す。

"カラの一坪"の一件の際、桐生は堂島組を抜けてカタギになっていた時期があり、その時にある揉め事に巻き込まれて以来、大吾は桐生を深く尊敬していた。その為大吾は桐生に人目のいない所では"若"では無く一人の男として扱って欲しいと頼み、桐生もまたそれに応えているのだ。

 

「それで、話ってなんだ?」

「聞きましたよ桐生さん。正式に組、立ち上げるそうですね」

「……あぁ」

 

大吾はタバコに火をつけて、有害な煙を吐き出しながら続ける。

桐生に背を向けたまま、決して振り返ること無く。

 

「桐生さん、一つだけ聞かせて欲しいんです。桐生組は……ゆくゆくは風間組から独立するんですか?」

「あぁ、そのつもりだ」

「それは、何故です?」

「……組を立ち上げる以上、のし上がりの精神を持つのは当然だ。組長である俺にやる気が無いんじゃ下のモンも付いて来ねぇ。それだけだ」

「ふぅ……そうですか…………」

 

大吾はほんの数口だけ吸ったタバコを落として踏み消すと、裏口に来てから初めて桐生に対して向き直った。

 

「本当に嘘が下手な人だ、貴方は……」

「大吾……?」

 

振り返った大吾の表情は、炎のような憤怒の色に染っていた。

彼は、その感情のままに桐生に問いただす。

 

「貴方が組を持とうとするのはそんな理由じゃない。アイツを……出所してきた錦山彰を迎える為だ。違いますか?」

「っ!」

 

図星を付かれた桐生はここで納得する。

大吾は桐生に錦山を迎えて欲しくないのだ。

彼は堂島宗兵の息子。つまり、錦山彰は彼にとって実の父親を殺した大罪人に他ならない。

 

「元々桐生組を立ち上げようって話は大分前からあったんだ。にも関わらず出世欲のない貴方はそれらの声に耳を傾けなかった。だが、親父がアンタの兄弟に殺された途端にこれだ!それをのし上がる為だと?笑わせるな!!」

 

自分の父親を殺した男が、何年後かに釈放されて我が物顔で東城会に復帰する。大吾にとってそんな事は断じて認められない。あってはならない事なのだ。

 

「親殺しの外道が風間さんの養子だからって理由で破門に処され、それで水に流せって言うのか?だったら俺の立場はどうなる?実の父親を殺された俺の立場はどうなるって言うんだ!?答えてみろ、桐生!!」

「大吾…………」

 

今の大吾に対してかける言葉を桐生は持ち合わせていない。なぜなら、経緯はどうあれ錦山が堂島組長殺害の容疑で逮捕されたのは事実で、肉親を殺された大吾の怒りもまた至極当然のものだったからだ。

 

「桐生さん……俺は貴方に憧れてるんです。貴方のような男になりたいと、俺は常々思っていました。ですが……もしも錦山を自分の組に迎えようって言うのなら、俺はその考えを改めなくちゃならない」

 

大吾はそう言って、スーツの懐から一丁の拳銃を取り出した。重厚感を持った黒鉄色のそれを、ゆっくりと桐生に突き付ける。

 

「大吾、お前……!」

「覚悟は出来ています。場合によっちゃ刑務所だろうが何処だろうが行きますよ。それでも俺は、親父の仇がのうのうとシャバに出てくるのを認める訳には行かない。そして、そんな錦山を庇う桐生さんもまた親父の仇だ。だから……答えてください。」

 

そして大吾は、桐生に問いを投げかけた。

 

「桐生さんは本当に……桐生組に錦山を迎え入れるんですか?」

 

大吾は本気だった。

桐生のここでの回答次第では、大吾は迷わず引き金を引くだろう。そうなれば桐生の人生はそこで終わってしまう。

 

(俺は誓ったんだ。必ず優子を助け出して、シャバに戻ってきた錦の居場所を作る。そして……セレナで過ごしていたあの日々をもう一度取り戻すんだ!)

 

しかし、桐生にも退けない理由がある。

義理と人情を重んじる彼は一度交した約束を履行するためなら何度だって命を張る。それが、同じ釜の飯を食べて育った兄弟からの一生の頼みとあれば尚更だ。

 

「大吾……お前の怒りは尤もだ。俺達極道が結ぶ義理の親子とは違う、本当の肉親を殺されたんだ。仇を討ちたいと考えるのが当然だろう」

「……」

「だがな、俺もここで退く訳にはいかないんだ。どんな壁があったとしても俺は絶対に逃げたりはしない。たとえその壁がお前であってもな」

 

譲れないものがあるのは互いに同じ。どちらの意見も決して曲げられない。

何故なら両者に曲げるつもりが一切無いからだ。

 

「そうですか……では仕方がありません。貴方を殺って、その後に錦山にも死んでもらいます」

 

引き金に指をかけ、桐生の額に狙いを定める。

奇しくもそこは彼の父である堂島宗兵が撃たれた場所でもあった。

 

「大吾……お前、殺しは初めてか?」

 

大吾の銃を持つ手が小刻みに震えている。

そもそもが拳銃の扱いに慣れておらず、ましてや殺しという現代社会の禁忌に手を染めようとしている以上、覚悟と恐怖が付きまとうのは致し方無い事だった。

 

「うるせぇ!だったらなんだ!?」

「息巻くのはいいが、安全装置くらいは外しておくんだな」

「なに?」

 

大吾の視線が安全装置へと向く。

目線と銃口が桐生の額か外れたその一瞬の隙に桐生は動いた。

 

「なっ!?」

 

視界の奥で動く桐生に気付き慌てて銃口を向ける大吾だが、両者の距離は既に一メートル圏内。"堂島の龍"の拳が確実に届く範囲だった。

 

「ふんっ!ドラァ!!」

「ぐほっ、ぐぁっ!?」

 

桐生は拳銃を持つ大吾の手首を掴むと、鳩尾に膝蹴りを叩き込んだ。

怯んだ所に右ストレートで追い討ちをかけ、大吾の身体が地面に叩き付けられた。

 

「ぐっ、クソっ!!」

 

すぐさま立ち上がろうとした大吾の目の前に、黒鉄色の銃口が突き付けられる。あの一瞬の攻防の中、桐生は大吾の拳銃を奪っていたのだ。

 

「終わりだ、大吾」

「くっ……!!」

 

形成は逆転した。

もう大吾に、桐生を殺す手段は残されていない。

 

「諦めてくれ、大吾。俺は出来る事ならお前とは対立したくねぇ」

「なんだと?勝手な事ばかり言いやがって……!」

 

大吾は真っ向から拳銃を突き付けられ、それでもなお吼える。たとえどんな目に遭ったとしても、これだけは決して譲れないからだ。

 

「そんなに俺を止めたきゃここで俺を殺すんだな!じゃなけりゃ俺は、絶対に止まったりはしねぇぞ!」

「…………そうか。分かった」

 

桐生はそう言うと、拳銃から弾倉を抜いた。

慣れた手付きでそのまま拳銃を解体すると、大吾の目の前にそれらを落とす。

ただの部品と化したそれらを見て、大吾の感情が困惑を極める。

 

「どういうつもりだ?」

「俺はお前を殺さない。だが、錦にも絶対に手出しはさせねぇ」

「なんだと……!?」

 

桐生が選んだ選択肢は、決して根本的な解決とは言えないものだった。彼にとって錦山との約束は大切だ。だが同時に近い将来、東城会の未来を担うであろう大吾もまた桐生にとって大事な存在なのだ。

 

「お前は堂島組長の息子だ。組の明日を担うべきお前が、こんな所でその命を捨てるだなんて馬鹿げてる」

「馬鹿げてる……?親の仇討ちすんのが、殺られたら殺り返すのが馬鹿げてるって言いてぇのか?テメェそれでも極道かよ!!」

「そうは言ってねぇ、命の張りどころを間違えるなって言ってるんだ」

 

先程、大吾に拳銃を突きつけた時に桐生は確信していた。これからの東城会には堂島大吾が必ず必要になると。

 

「大吾。お前は暴力や権力に絶対に屈しない男だ。これからの東城会は、お前みたいな若くて気骨のある奴が支えていくべきなんだ。もしお前がここで死んじまったら、お前の親父さんがいた東城会のこれからを、一体誰が支えるんだ!」

「!」

 

桐生の言葉に大吾は目を見開く。

"命の張りどころを間違えるな"とはつまり、命を張るなら東城会の未来の為に命を張れという事だったのだ。

 

「俺に考えを改めさせたいならいつでも来い。俺は逃げも隠れもしねぇ。全力で相手してやる。だが、お前が命懸けで取り組むべきは仇討ちじゃねぇ。お前の親父さんの分までこれからの東城会を支えていく事だ。それだけは忘れるな」

「桐生、さん……」

「それにな……俺の兄弟はお前みたいな若造に簡単に殺られるほど弱くねぇ。本当に堂島組長の仇を討ちたいなら、もう少し鍛えてから出直すんだな」

 

桐生はそう告げると、踵を返してセレナの裏口の続く階段を昇って行った。今の大吾は、そのまま店の中へ消えていく桐生を見送る事しか出来なかった。

 

「…………まったく、何処までも勝手な人だ」

 

吐き捨てるように呟いた後、大吾はバラバラになった拳銃の部品を拾い集める。街中でこんなものが発見されれば大問題になるからだ。

 

(だが、おかげで俺のやるべき事は定まった。感謝しますよ、桐生さん)

 

桐生によって分解された部品達を一つ一つ組み上げる。

それらの部品は綺麗に嵌り、やがて大吾の手には一丁の拳銃が収まった。大吾はそれを胸にしまい、立ち上がる。

 

(桐生さんが錦山を迎え入れるのを諦めないのなら、俺は桐生さんに負けない組織を作る。そしてシャバに出てきた錦山をこの手で殺す。たとえその先に、桐生さんとやり合う事になったとしても……!)

 

まだ年若く、その器は完成には程遠い。

だが、その男の覚悟は本物だった。

桐生一馬という憧れを超え、堂島大吾は今初めて己だけの極道を見出す。

 

(それが俺の通すべきスジ。俺が進むべき極道だ!)

 

堂島大吾。

後に彼の手によって関東最大の極道組織である東城会の舵が握られる事になる事を、この時はまだ誰も知らない。

 

 




と、言うわけで若かりし頃の堂島大吾でした。
後に大物になる彼ですがこの頃はまだボンボンのドラ息子です(ZEROでのサブストーリーを経てマシにはなって)が、一度覚悟を決めた時の極道ぶりはこの頃から健在です。
今後どう言った形で出てくる事になるのか……そこも楽しみにして頂けたら嬉しいです


次回はいよいよ三章です。お楽しみに


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第三章 乱闘葬儀
クソヤクザと熱血漢


第三章 開幕です

この章は年内までに完結出来ればいいなぁ


「……すぐそこじゃねぇか」

 

若いヤクザ連中を返り討ちにしてセレナの裏路地から出てから、僅か三十秒。

俺は目的の場所であるホストクラブ"スターダスト"の前にたどり着いていた。

 

(まさかこんなに近くにあるとはな……)

 

天下一通りにあるという話だけを聞いていたが、かなり立派な店構えをしている。これだけ目立つならわざわざ聞き込み等をする必要も無かった。

 

(ここに親っさんが……!)

 

留置所で面会に来てから実に十年振りの再会だ。緊張しない方がおかしい。風間の親っさんは俺に話すべき事が山ほどあると手紙で言っていた。きっと重要な事なのだろう。俺は緊張を解すために襟を正してから、店へと一歩近づいた。

 

「オイ!お前何してんだ!?」

「あ?」

 

すると突然、背後から何者かに大声で怒鳴られた。

振り向いた先に居たのは茶髪でスーツを着たガタイのいい男。身につけた装飾品からしてここのホストである事が見て取れる。

 

「店に何か用があるんですかねぇ……!?」

 

しかし、類まれなルックスと笑顔で接客するのが仕事のはずのホストとは思えないほどにその顔は憤怒に染まっていた。

無論、俺は何か怒らせるような事をした覚えは無い。

何故なら、この男とは今が初対面だからだ。

 

「いきなり何だお前?俺はオーナーの一輝に用があるんだ」

「なぁ、アンタ?どこの組の奴だよ、あ?嶋野組だろ?俺らは誰の世話にもならねぇんだよ!」

 

目の前の男は、どうやら俺をみかじめ料を取りに来たヤクザだと勘違いしているらしい。

確かに服装は当時のままだが、今の俺は組を破門にされて出所したばかりのれっきとしたカタギだ。

ヤクザ呼ばわりされる筋合いはない。

 

「何か勘違いしてるみてぇだが……俺はヤクザじゃねぇぞ?ただ、一輝って男を探してるだけだ」

「ざけんなよオラァ!!」

 

怒れるホストが俺の胸ぐらを掴みあげる。

 

「一目見りゃ分かんだよ!どこをどう見たって極道者だろうが!!テメェ……何を企んでやがる?一輝さんに何しようってんだ!?」

「おいおい……初対面の相手に大声で怒鳴り散らした挙句に、ロクに話も聞かねぇで胸ぐら掴んで因縁付けるとは……随分なご挨拶じゃねぇか?」

 

堅気であるこの男には悪いが俺は気が長い方じゃない。ここまで礼儀知らずなことをされて黙っていられる程、こっちも大人ではないのだ。

 

「ぐっ、!?テメェ……!?」

 

俺は胸ぐらを掴むホストの手首を掴むと、そのまま力任せに握り込む。

みるみる内に胸ぐらを掴むホストの手が緩まっていき、やがて完全に離れるのを確認してから握り込んだ手を離してやる。

 

「立派な店構えだと思っちゃいたが、どうもキャストの教育は行き届いてねぇみたいだな。一輝って野郎も大した男じゃねぇらしい」

「テメェ……もういっぺん言ってみろゴラァ!!今、一輝さんの事を馬鹿にしやがったか!?あァ!!?」

「お前の態度が悪いせいだぜ?下のやつの粗相のせいで上の人間が恥をかくのは、カタギもヤクザも一緒だろうが」

 

カタギの世界において部下の失態は上司の監督不行届が原因であるとされるのと同じように、ヤクザの世界でも子分の失態は親の教育の甘さにあると見なされる。

風間の親っさんも、俺のせいで小指を失ってしまった。

ヤクザにとって小指を失うのは罪を償うケジメの証。

それはつまり、自分が失敗をしたという証明でもあるのだ。

ましてやそれが自分の子分の失態で取ったケジメなら、見方によっては立派な恥に他ならない。

それは、カタギの世界じゃ尚更のはずだ。

 

「テメェ、やっぱりヤクザなんじゃねぇか!!ナメんなよコラァ!!ヤクザって言ゃあなんでも片がつくと思ってんじゃねぇぞ!!この街にはな、ヤクザなんかの言いなりにならないで自分達の力で一生懸命生きてるヤツらも居るんだよ!少なくとも、一輝さんはそうやってのし上がったんだ!お前みたいなクソヤクザに、一輝さんをバカにする資格なんかねぇんだよ!!」

 

それを伝えたはずだったのだが、ホストの怒りは一向に沈静化しない。

ここまで来ると、よくも怒りが続くものだと感心する程だ。

 

「だから俺はヤクザじゃねぇって……ったく、ホントに人の話聞かねぇ奴だな」

「うるせぇ!俺はこの店、命懸けで守るんだ!!」

「そうかよ……だったら仕方ねぇ。少し頭冷やしてもらうぜ」

 

ここまで頭に血が上ったらもう話し合いでは済まない。

彼には申し訳ないが、少しだけ痛い目に遭ってもらう必要があるようだ。

 

「オラァ!!」

 

かかってきたホストによって力任せに振るわれた豪快な右フック。

大振りで単調だったので苦もなく躱す事が出来たが、その一撃からは風を切る音が聞こえてきた。

 

(ガタイが良いからか?一発のパワーがすげぇな、当たればヤバいかも知れねぇ)

「でりゃァ!!」

 

続く二発目も難なく躱す。

その後の三発目と四発目も同様に回避し、大振りなだけのパンチが虚しく空を切る。

 

「ちょこまか逃げんなよ腰抜けが!それでもヤクザかコラァ!!」

「だから、ヤクザじゃねぇって……言ってんだろうがッッ!!」

 

そしてホストが振りかぶった五発目の右フックに合わせ、俺は右の拳でカウンター気味のボディブローを叩き込んだ。

 

「がはっ!?」

 

まともに喰らったホストがその場で悶絶し蹲る。

カウンター気味に入る一撃というのは言わば交通事故のようなもので相手の出す力によって破壊力が増す。

彼自身のパワーや体重などパンチに乗せた勢いが強ければ強いほど、その威力は上昇するのだ。

 

「どうだ?これでちっとは頭冷えたかよ?」

「ふ、ふざけやがって……!!」

 

しかし、ホストはものの数秒で立ち上がる。

ガタイも良い上にかなり頑丈なようだ。

 

「ふっ、はっ、でぇりゃァ!!」

 

俺はホストが戦線復帰するよりも早く、その腹部に三発もの追撃を叩き込んだ。

右拳のストマックブロー。左拳のレバーブロー。

そして鳩尾狙いの右膝蹴りだ。

 

「ぁが……は……ッッ!!?」

 

完全に崩れ落ちるホスト。

無理もない。胃と肝臓に加えて最後に鳩尾を打ち抜かれているのだ。

呼吸困難と激痛が同時に襲っているのだろう。

 

「はァァ!!」

 

俺は地面に倒れてもがき苦しむホストの顔めがけて右拳を振り上げる。

そして、彼にも分かるように目の前で寸止めしてみせた。

 

「……顔は殴らねぇでおいてやるよ。お前らの大事な商売道具だもんな」

「て……め、ぇ……!!」

「ユウヤ!」

 

俺とホストとの決着が付いた途端、一人の男が現れる。

白いスーツに整った顔立ち。俺が相手していたホストとよりも線は細いが、本来その方がホストとしては相応しい。

 

「何やってんだお前!?」

「す、すんません一輝さん!このヤクザが……!」

 

ガタイの良い方は名前をユウヤと言うらしい。

そして、もう一人の白いスーツの男が俺の探していた男らしかった。

 

「……」

「……」

 

白いスーツの男と目が合う。

自分の後輩が痛めつけられてもなおその目には敵意は感じられない。俺が誰かを見定めているのだろう。

 

「……堂島の錦山さんですか?」

「あぁ……アンタが一輝だな?やっと会えたぜ」

 

一輝の理性的な振る舞いに俺は安堵した。

どうやら一輝はこのユウヤというホストと違い、話が分かる男らしい。

 

「失礼しました。風間さんから話は伺っています。どうぞ中へ……」

 

そう言われて俺はようやく身体の緊張を解く。

先程と言い今回と言い、今日は揉め事ばかりに巻き込まれてばかりだ。

 

(ホント、退屈しねぇよな。この街は)

 

神室町という街が改めてどんな所なのか見せ付けられた所で、俺はスターダストの中へ足を踏み入れる。

そこで俺は、驚愕の真実を聞かされる事になるのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町の天下一通りにあるホストクラブ"スターダスト"。

星屑のように煌びやかな男達が来店した女性に夢のようなひと時を約束する神室町でも指折りのホストクラブだ。一輝オーナーの敏腕経営によって、数年前にオープンしてからあっという間に神室町のホスト情勢を塗り替えたという逸話がある。

そんなホストクラブの店内が一望できるVIPルームに錦山は通されていた。

 

「スイマセンでした!俺、てっきり……!!」

 

ユウヤが直角に頭を下げる。

錦山をヤクザと勘違いして、大事な客人であるにも関わず襲いかかってしまったからだ。

 

「いや、俺のミスだ……本当に、なんとお詫びすれば良いか」

 

オーナーの一輝も頭を下げる。

部下の失態を受け止め、キッチリと詫びを入れる。

先程までよく思わなかった錦山だったが、ユウヤに悪気が無いのは十分伝わっていた。

 

「気にしないでくれ。ユウヤっつったか?こっちこそ、オーナーを悪く言っちまって悪かったな。俺、お前みたいな熱い奴は嫌いじゃねぇよ。ただ、次からもうちょっと人の話聞かねぇとな?オーナーの顔に泥塗らねぇ為にもよ」

「錦山さん……はい、肝に銘じます!」

「おう。それより一輝さんよ。アンタ……風間の親っさんとはどういう関係なんだ?」

「はい……ユウヤ、少し外してくれるか?」

 

ユウヤが言われた通りに席を外し、VIPルームには錦山と一輝の二人だけになる。

どうやら彼は込み入った話をするつもりらしい。

 

「風間さんは、俺がこの店を開いた時からお世話になってる人です。みかじめ料も取らず、商売のイロハも分からなかった俺に色々と教えてくれたんです。」

「そっか……親っさんらしいな」

「えぇ、本当に頭が上がりません」

 

風間組という組織は今どきの極道にしては珍しく、義理と人情に重きを置いた穏健派の組織だ。

シマの店からのみかじめは一切取らず、揉め事があったら一番に駆け付ける。そんな庶民に寄り添った運営を続けているお陰で、街の住民からも評価が高い。

こうした堅気の商売のタニマチ(無償でのスポンサー。支援)を買って出るのも、錦山がよく知る昔からの方針の一つだった。

 

「そんな風間さんが先日店にいらっしゃったんです。大事な人を迎えたいからこの店を使わせて欲しいと。何か組の方には秘密ということで」

「そうだったのか……」

 

結果、こうして風間を慕う堅気の人間が有事の際に力を貸してくれるのだ。情けは人の為ならずとは、よく言ったものである。

 

「それで、親っさんは?」

「先程連絡をしたんですが、例の"会長"の件で身動きが取れないと……」

「会長の件?何かあったのか?」

 

そこで錦山は、驚愕の真実を知る事になる。

 

「えぇ……東城会の三代目 世良会長が……殺されたんです」

「何……!?」

 

東城会三代目会長、世良勝。

今から十七年前に起きた"カラの一坪"の一件で一気に本家若頭に登り詰め、その後は三代目会長として長期に渡る支配体制を敷いてきた凄腕の極道だった。

錦山にとっては、風間のケジメを伴った直談判によって彼の処分を破門に押しとどめた人物でもあり、同時に刑務所の中に刺客を放った張本人でもある。

 

「昨日の深夜の事です。詳しくは分からないんですが、ニュースでもさっき……」

「一体、何が起きてるって言うんだ……?」

「分かりません……ですが、堂島組長が亡くなって10年。今じゃ同じ東城会の組同士が、水面下で街の利権食い争ってるんです。」

 

錦山は酷く納得した。

利権の食い争いという事はみかじめ料の取り合い。

ヤクザに対して過剰な反応を示していたユウヤの先程の態度にも説明が付く。しかし同時に新たな疑問も湧いて出た。

 

「だが、堂島組は風間の親っさんが引き継いだんだろう?あそこは一大組織だ。そこのトップに座った風間の親っさんが睨み効かせてるんなら他の組もそんな真似出来ないはずだが……」

 

堂島組と言えば、かつては東城会ごと下に収めるのではないかと言われていた一強時代が存在していた程の一大勢力だ。

その時代と比べれば弱体化したものの、豊富な傘下を従えた大組織である事には変わらない。

 

「えぇ。一部離反する者こそ現れてはいましたが、錦山さんの仰る通り堂島組を引き継いだ"風間組"は一時期大きな力を持ってました。ですが数年前、内部から組を割って組織を独立させた人が居たんです。そのせいで風間組の勢力は弱体化して、このような結果に……」

「なんだと……?何処のどいつがそんなふざけた真似を……!!」

 

風間組の世話になっておきながら恩を仇で返すような真似をしたその人物に怒りを隠せない錦山。

だが彼は同時に困惑もしていた。次々と明かされていく自分の居ない十年の間に起きた出来事が現実に起きている事が信じられない。

こんな事態になどなる訳が無い。

何故なら、こんな状況を看過する筈がない男を錦山は知っているからだ。

 

「桐生は?桐生はどこで何してるんだ!?こんな状態の神室町をほったらかして、アイツがどこかに行くはずがねぇ!」

 

堂島の龍、桐生一馬。

風間組の下で組織を旗揚げしたはずの、錦山の兄弟分。

義理と人情に厚く、スジの通らないことを容認しないあの男がこの事態を指をくわえて見ているというのは考えられない。

 

「なぁ一輝、教えてくれ!桐生の奴はどこで何してるんだ!?」

「それは……っ!?」

 

一輝が答えを言いかけた時、二人のいる下の空間からガラスが割れる音が聞こえた。

 

「おい、オーナー出さんかい!」

 

錦山が下を覗き見ると、そこにはスーツ姿の男達がユウヤに因縁を付けていた。

人数は六人。全員の胸元に光る代紋が、彼らがカタギでない事を証明していた。

 

「何だアイツら?」

「嶋野組の連中です。みかじめ目的の嫌がらせです。すみません錦山さん。すぐに戻りますので、ここでお待ちを」

 

一輝はそう言うと階段を降りてユウヤ達の所へと向かう。

 

「なんや、ようやくオーナーさんのお出ましかい」

「嶋野さんの所の方ですよね?」

「まぁねぇ……」

 

周囲のホストや客が凍り付く中、決して臆せず毅然とした態度でヤクザと向かい合う一輝。

ナメられたら最後、骨の髄までみかじめを搾り取られてしまうからだ。

 

「ウチらちょーっと飲ませて貰おうと思ってただけやねんけど……そこの兄ちゃんが"帰れ〜!"なんか言うもんやから」

 

そう言ってヤクザはユウヤを指差す。

おそらくユウヤが先程の錦山の時のように喧嘩を吹っかけたのだろう。

 

「テメェら……"みかじめ"せびりに来たんだろう!?」

「いいやぁ?今日は飲みに来ただけやから」

「ウソだ!!」

「……酒 飲ませろって言うとるだけやろがっ!!」

 

ヤクザの本気の脅しに対しても決して怯まずに真っ向から睨み返すユウヤ。

強靭な胆力と店を守ろうとする熱い正義感が為せる行動だった。

 

「……すみません、大事な客人が来ているんです」

 

一輝は一触即発の状態の中でも顔色ひとつ変えずに常に冷静だった。そして懐から一枚の封筒を取り出すと、掲げるようにヤクザに見せつける。もしもの為の詫び代として懐に忍ばせていた金だった。

 

「今日の所は、これで」

「……参ったなぁ、ホンマそんなつもりやなかったんやけどねぇ」

 

そう言いつつもヤクザは目元に下卑た喜びを隠しきれずにいる。一度でも妥協を許せば、そこを突破口に延々と金を搾り取れる。そんな薄汚い魂胆が見え透いていた。

 

「一輝さん……何やってんスか!?俺ぁやっぱり納得出来ません!こんなクソみたいな連中に金払うなんて!」

「ユウヤ!」

 

その瞬間、ヤクザの纏う雰囲気が明らかに変わる。

今の言葉はヤクザにとって完全に聞き捨てならないものだった。

 

「クソやと?おいコラガキ……今ワシらの事"クソ"言うたんか!?」

「言葉が足らなかったぜ……クソ以下だ!!」

 

啖呵をきったユウヤの背後に別のヤクザが迫る。

その手には、逆手に持たれて鈍器と化した酒瓶があった。

 

「ナメんなクソガキ!」

「ユウヤ!」

 

酒瓶を振り上げたヤクザの怒号と一輝の叫びが重なり合う。

ユウヤの頭に酒瓶が振り下ろされる。

その直前。

 

「オラァ!!」

 

いつの間にか一階に降りてきていた錦山の拳が、真横からヤクザの顔面をぶち抜いた。

店の床に崩れ落ちたヤクザはそのまま動かなくなる。

 

「よく言ったユウヤ。やっぱり俺ぁ、お前の事嫌いになれねぇよ」

「何者やお前……?」

 

ヤクザの問いかけを無視し、錦山は一輝に語りかけた。

 

「一輝。ユウヤの言う通りだ。こんなクソヤクザに金を払う事はねぇよ!」

「……はい!」

 

ここまで来てしまえばもう後には退けない。

覚悟を決めた一輝もまた、懐に封筒をしまい込んだ。

 

「ふざけとんのかお前ら……オイ、店ごとぶっ潰せぇ!!」

「「「「へい!!」」」」

 

臨戦態勢に入ったヤクザ達が懐から続々と得物を取り出す。

完全に錦山達を潰すつもりだった

 

「さぁユウヤ、一輝!俺と一緒にクソ掃除と行こうぜ!!」

「うっす!!」

「もう……どうなっても知りませんよ!!」

 

錦山達もまた、各々の構えを取る。

今ここに、三人のカタギと現役ヤクザ達による闘いの幕が切って落とされた。




スターダスト組、初登場です

結構シリーズ通して重要な役回りの人達ですが、この世界線ではどうなるのか

次回もお楽しみに


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死地へ赴く覚悟

おはようございます最新話です
世間はクリスマス一色ですので、男くさいクリスマスプレゼントをどうぞ。



「死ねやボケが!」

 

最初の一手は、先頭のヤクザの右ストレートだった。

ユウヤに因縁を付けていた事から、この男が一番の兄貴分であると錦山はアタリを付ける。

 

(だったらまずはコイツからだ!)

 

群衆のボスが殺られればその群れは戦意を失い瓦解する。野生動物でさえそうなのだから、人間もその例に漏れない。

そう踏んだ錦山は襲い来る右ストレートをいなし、そのまま受け流すように回転を加えるとヤクザの顔面に裏拳をぶち当てた。

 

「ぶぎゃっ!?」

「まだだァ!」

 

その一撃で鼻が潰れたヤクザがたたらを踏んだ所で、錦山は更にボディに膝蹴りを突き刺すように叩き込む。肝臓の上を叩いたその一撃にヤクザは悶絶しながら床に崩れ落ちた。

 

「うぎゃ、ぁ……ッ!」

「オラッ、でぇりゃ、はァッ!!」

 

地獄の苦しみで動けないヤクザの顔面に、錦山はさらに追い討ちでパンチの連打を叩き込む。

先手必勝。それが、刑務所においてやるかやられるかの地獄の十年を過ごした錦山がたどり着いた喧嘩における極意である。

 

「待っ……!?」

「おぅらァ!!」

 

投降を示す相手でも容赦はしない。

錦山は相手の制止を無視すると、トドメのサッカーボールキックでヤクザの顔面を思い切り蹴りあげた。

それにより、先頭のヤクザは完全に沈黙した。

 

「おのれよくも兄貴を!!」

「ぶち殺したるわクソボケ!!」

「死んで詫びんかいコラァ!!」

 

しかし、錦山の思惑とは裏腹にリーダー格を仕留められた他のヤクザが仇討ちの為に士気を向上させてしまう。

 

(末端の構成員とはいえ、流石は嶋野組。なかなか良い教育してやがる……!)

 

東城会の直系組織の中に置いても特に武闘派として名高いのが"嶋野太"が率いる嶋野組である。

そんじょそこらの群れと一緒にした錦山の想定が甘かったのだ。

 

「くたばれや!!」

 

怒り狂った二人目のヤクザがドスを持ち、錦山に特攻をしかける。

 

「くたばんのはテメェだクソヤクザ!!」

 

しかし横合いからユウヤがドスを持ったヤクザの手を掴み、持ち前の剛腕で顔面に全力のフックを叩き込んだ。

 

「ぶぎゃァっ!?」

 

軽く三メートル以上吹き飛ばされたヤクザは、そのまま床に転げ落ちると動かなくなった。

 

「助かったぜユウヤ。っ!ユウヤ、後ろだ!」

「なにィ!?」

 

礼を言いながらユウヤの方を向いた錦山は、彼の背後で拳を振り上げる三人目のヤクザの姿を見て思わず叫ぶ。

 

「でりゃ!」

「オラァ!」

 

それに気付いたユウヤが振り返りざまにボディブローを繰り出した。

ヤクザの振り抜いた顔面狙いのパンチが空を切り、ユウヤのボディブローだけが綺麗に決まる。

 

「ぐぼぉっ!?」

「うぉらァ!!」

 

怯んだヤクザの頭に目掛け錦山は左足のハイキックを振り抜いた。

頭を蹴り抜かれたヤクザが床に転倒し戦線を離脱する。

 

「ボケがァ!!」

 

そこに、メリケンサックを握りこんだ四人目のヤクザがすかさず錦山にストレートを繰り出した。ボクシングをかじっていたのか、キレのある一撃が錦山を襲う。

 

「ふん、オラァ!」

 

だが、久瀬大作という元プロボクサーの兄貴分に殴り勝った錦山にしてみればこの程度の攻撃など大したことは無い。

その一撃をいとも容易く躱し、アッパーとストレートを難なく返す。

 

「うぐぁっ!?」

「せいやァ!!」

 

戦意を喪失し立っているのがやっとの四人目に錦山はトドメの鉄槌を振り下ろした。

鼻が完全に潰れたヤクザが白目を向いて気絶する。

 

「よし、一輝の方は大丈夫か!?」

 

残るヤクザは二人。

一輝の加勢に向かおうとした錦山とユウヤだったが、そこにはハンカチで拳を拭う一輝と彼の足元に転がるヤクザの姿があった。

 

「ご心配なく。こちらはもう済みました」

「流石一輝さん……惚れぼれするッス!」

「本職の極道相手にやるじゃねぇか。ナンバーワンホストは格が違うな」

 

互いを称え合う三人のカタギ達。

この喧嘩は、錦山達の勝利だった。

 

「やめてくださいよ。錦山さんこそ、とてもお強いですね」

「フッ……まぁな」

 

勝利の余韻に浸る三人達だったが、そこへ乾いた破裂音が鳴り響く。銃声だった。

 

「「「!!?」」」

 

一斉に音の発生源に振り向くと、そこには錦山が倒した筈のヤクザが立っていた。

そして、その手には一丁の拳銃が握られている。

 

「思い出した……アンタ、堂島の親父殺してムショに行った錦山やろ」

「……しぶとい野郎だぜ」

 

先程までの状況から一転、この場における力関係が拳銃を持ったヤクザに傾く。

 

「くっくっく……こりゃ嶋野の親父に最高の"土産"が出来たわ!!」

「ちっ……!」

 

銃口を向けられ、全身に緊張が走る錦山。

こうなってしまえばもう逃げ場は無い。

錦山はせめてユウヤ達を巻き込むまいと動こうとするが、どう足掻いても引き金を引く方が早い。

 

「死ねや!」

 

そして引き金は引かれた。

乾いた銃声が一発だけ響き渡る。

しかし、弾丸は錦山の身体を貫いていなかった。

 

「うぎゃあああああああ!?」

「なに!?」

 

先程まで力関係のトップにいた筈のヤクザが、拳銃を取り落として蹲っている。

その右手には真っ赤な風穴が開いていた。

つまり、横合いからヤクザの手を撃ち抜いた何者かがいるという事だった。

 

「誰だ……!?」

 

錦山が横合いに視線を向けると、一人の男が立っていた。白いスーツ姿の髪をショートリーゼントに纏めたその男の手には拳銃が握られている。ヤクザの手を狙撃したのは間違いなくこの男だろう。そしてその男は、錦山もよく知る人物だった。

 

「し、新藤のカシラ……!」

「新藤だと……!?」

 

東城会直系任侠堂島一家 若頭。新藤浩二。

錦山にとっては十年前、最後にケツ持ちのシノギをこなして以来会っていなかった弟分だった。

その顔からは若さが消え、極道としての凄みが滲み出ている。

 

「何やってんだテメェ?嶋野組のシマじゃねぇだろ……?」

 

完全に戦意を失ったヤクザの頭に銃口を突き付ける。

その動作には迷いがなく、必要であれば本気で撃つつもりである事が見て取れる。

 

「三下がチャカなんざ見せびらかしやがって……はしゃいでんじゃねぇぞ、チンピラ」

「ぐ、っ……」

「部下連れてさっさと消えろ……次はねぇからな?」

 

警告を受けた嶋野組の連中が、急いで逃げ支度を始める。ものの数秒でその場から立ち去ったヤクザ達を見届けると、一輝がユウヤに指示を出す。

 

「ユウヤ、今から通常営業だ。お客様への謝罪と店内の清掃をするぞ。」

「はい、一輝さん!」

 

一輝達が慌ただしく準備を始める。

そんな中、錦山は新藤と目が合った。

新藤は錦山の下に駆け寄り、すぐさま頭を下げた。

 

「兄貴、お久しぶりです!十年間のお勤め、ご苦労様でした!!」

「あぁ……久しぶりだな。新藤。お陰で助かったよ」

「いえ、自分は当然の事をしたまでです。……準備が出来るまで、上で待っていましょう」

「おう、お互い積もる話もあるだろうからな」

 

そう言って階段を上がる錦山と新藤。

十年来の弟分との再会に、錦山の胸には熱いものが込み上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久瀬って……あの久瀬の兄貴ですか!?」

「あぁ。久瀬拳王会の会長だ。生きた心地がしなかったぜ」

「大変だったんですね……本当に、お疲れ様です。」

 

嶋野組の連中を退けた数分後、俺は十年ぶりの再会を果たした新藤と積もる話を消化していた。

それによると新藤は、この十年の間に新たに立ち上がった直系団体"任侠堂島一家"の若頭にまで上り詰めていたらしい。本当に浦島太郎になった気分だ。

 

「すみません錦山さん、お待たせしました」

「おう一輝。コイツと積もる話もあったから、そんなに気にすんなよ。な?」

「はい、兄貴」

「それは良かったです。……それで、さっきの話の続きなんですが」

 

それを聞いた俺は思い出す。

嶋野組と揉める前、一輝から桐生の事を聞き出そうとしていたのだ。

 

「内部から風間組を割って組織を独立させたのは……」

「いや、俺が聞きたいのはそれじゃ」

「桐生さんなんです」

「…………は?」

 

俺は自分の耳を疑った。

一輝の口から発せられた言葉が理解できない。

 

「今、なんて……?」

「……東城会を裏切り、風間組から組を割って独立させたのは、桐生一馬さん。あの"堂島の龍"なんですよ」

「ふざけんな!!」

 

気付けば俺は一輝に掴みかかっていた。

いくら風間の親っさんに世話になっている奴とは言え、これ以上のふざけた発言を許す訳にはいかない。

 

「兄貴、落ち着いてください!」

「テメェ……冗談でも言って良い事と悪い事があんだろうが!!兄弟がそんな真似する訳ねぇだろ!表出るか!?あぁ、コラァ!!?」

「……残念ですが、事実なんです」

「この野郎、まだ言いやがんのか!!」

「落ち着いて下さい!!」

 

俺は割って入った新藤によって一輝から引き剥がされた。

新藤と一輝の真剣な目は、とても嘘を吐いているようには見えない。俺からしたら、その光景そのものが信じられない。

 

「……新藤。今の話、マジなのか?」

「……はい、一輝の言う通りです。桐生の叔父貴が率いていた桐生組は直系昇格を目前にしたある日、突然に東城会と風間組からの独立を宣言しました。今、東城会と一触即発の状態になっています」

「なんだよ……それ……」

「噂じゃ東城会内部のある組織と揉めたのが原因だとか……でも、詳しいことは今もなお分かっていません」

 

全身から力が抜けていくのを感じる。

受け入れ難い現実に、俺は頭がどうにかなりそうだった。

 

(だって……あの桐生だぞ?馬鹿みたいに義理堅くて、どこまでも真っ直ぐなアイツが東城会を……ましてや風間の親っさんを裏切った?有り得ねぇ、絶対に何かの間違いだ!!)

 

俺は桐生一馬という男をよく知っている。

だからこそそれは有り得ない。あってはならない事だった。もしそれが現実なのだとすれば、俺は桐生一馬という人間を根本から勘違いしていた事になる。

それだけは認める訳にはいかない。

 

「新藤……親っさんは、俺に話があると言ってたんだ」

「話、ですか?」

「あぁ、こいつを見てくれ」

 

俺は懐から封筒を取り出した。

風間の親っさんからの手紙が入った封筒だった。

 

「俺が出所する直前、風間の親っさんから送られて来たものだ。そこにはスターダスト……つまり、ここに来てくれって言う指示が書かれていた。親っさんは多分、ここで俺にそれを打ち明けるつもりだったんだと思う」

「そうだったんですか……」

「俺はまだこの話を認めちゃいねぇ。この件は俺が直接親っさんに確認を取る。すぐにでも会えないか?」

 

この件は確かめなくちゃならない。

人がなんと言おうが、自分の目で見て自分の耳で聞かなくちゃならない。それまで俺は、絶対に信じる訳にも認める訳にもいかないのだ。

 

「……明日は本部で三代目の葬儀があります。親っさんもその場を離れる事は出来ません。それに"100億の件"もあって……」

「100億?一体何の話だ?」

 

ここに来て更に俺の知らない話が飛び出して来る。

 

「東城会の金庫から100億、抜かれていたそうなんです。緊急幹部会でその話が出た直後に、三代目が殺されました」

「クソっ!もう、何が何だか分かりゃしねぇ……!」

 

俺は思わず頭を抱えた。

東城会を裏切った桐生。殺された世良会長。そして姿を消した組の金、百億円。

色々な事で頭がこんがらがってしまい、冷静に考える事など出来はしない。

そして。

 

「……親っさん、明日は葬儀場に居るんだな?」

 

俺は考えるのをやめた。

いずれにせよ、親っさんは俺に話があると言っていた。

おそらく今回の件のいくつかに関わっているのは間違いないだろう。だったらまずは、風間の親っさんに話を聞くのが先決だ。

 

「まさか、行く気ですか?でももしまた嶋野組の連中に見つかったら……!」

「それに、兄貴を狙ってるのは嶋野組の奴らだけじゃありません。今の俺がいる"任侠堂島一家"って組織は元々、兄貴に堂島の親父を殺された恨みを持った元堂島組の連中が徒党を組んで出来た組織なんです。もし見つかりでもしたら若頭の俺の命令でも奴らは止められません。完全に八方塞がりですよ……!?」

 

二人が真剣な顔で俺を止めようとしてくる。

きっと俺の身を案じての事なのだろう。

 

「んな事ぁ分かってる。ここに来る前も元堂島組の息のかかったヤクザ達とやりあったばかりだ。それに……」

「それに……?」

「……俺はあの"堂島の龍"の兄弟分だ。この程度の修羅場も潜れねぇようじゃ、俺は兄弟の隣には立てやしねぇ!」

 

だが、ここで退く訳にはいかない。

もしここで退いてしまえば、俺の十年間は無駄なものになる。無茶でもなんでも、己の信じた道をバカ正直に突き進む。それが桐生一馬の極道であり、その先を目指す俺の極道でもあるのだ。

 

「……止めても、無駄ですね」

「あぁ、今の俺を止めたきゃ殺すしかねぇぞ……?」

「フッ……負けましたよ。兄貴。まるで昔の桐生さんを見ているみたいだ」

「昔のは余計だ。俺はアイツの心変わりを認めた訳じゃねぇ。……だが、褒め言葉として受け取っとくぜ」

 

観念したように笑う新藤を見て俺は安心する。

もし止めに来るのであれば俺は新藤を殴らなきゃいけなかったからだ。十年ぶりに再会した弟分にそんな事はしたくない。

 

「分かりました。俺は事務所に戻って本部の見取り図を持ってきます。俺が戻ったら、ここで作戦会議をしましょう」

「あぁ」

「一輝。お前は兄貴のスーツを一着見繕ってくれ。極道の葬儀に出ても恥ずかしくない、立派な奴をな」

「……分かりました。錦山さん、採寸をしますのでこちらへ」

「おう、頼んだぜ」

 

話がまとまり、新藤と一輝のが協力のために動いてくれる。二人には悪いがここだけは譲る訳にはいかないのだ。

 

「それでは錦山さん、両手を広げてください」

「あぁ……これでいいか?」

「はい。では失礼します」

 

バックヤードに通された俺が一輝の指示に従って両手を広げると、一輝は慣れた手付きでメジャーを当てて俺の身体を採寸していく。

 

「それにしても錦山さん、お話で聞いていたよりも良い体つきをしていらっしゃいますね……」

「まぁ、ムショで鍛えてたからな」

 

久瀬の兄貴との一件があって以降、俺にムショで因縁を付けて来る者は居なくなった。俺はそれからの九年間、桐生に追いつく事だけを考えてひたすら自分を鍛え続けたのだ。

 

「ただ鍛えているだけじゃこうはなりません。ヤクザの方々は身体を大きく見せる為に無駄な筋肉や脂肪を付けがちなのですが、錦山さんの身体には無駄な筋肉が一つもない」

「ほぉ……そんなもん採寸してるだけで分かるもんなのか?」

「えぇ。それはどの部位にどんな風に筋肉が付いているかで判断出来ます。錦山さんのそれは徹底的に無駄な部分を省かれる事によって均整のとれた、それでいてアスリートのようなしなやかで強靭な身体だ。」

「そ、そうか?何だか小っ恥ずかしいな……」

 

冷静に語る一輝の言葉から嘘は感じられない。という事は、お世辞という訳でも無いのだろう。シャバに出るまでの十年間で長らく人に褒められていなかった俺は、一輝のストレートな賞賛にむず痒さを感じていた。

 

「それにその整った顔立ち……ヤクザなんてやっていたのが不思議なくらいです。錦山さんだったらきっと、うちの店でナンバーワン目指せますよ」

「おいおい冗談はよしてくれよ。俺ぁ今年で37だぜ?こんなオッサンの出る幕なんかねぇよ」

「そんな事はありませんよ?今どきの女の子は年上のカッコいい男性に憧れる傾向が多いですし、何より俺は冗談があまり好きじゃありません。どうです?このゴタゴタが片付いたら検討だけでもしてみませんか?」

「……まぁ、考えておくよ」

 

その後、服の採寸を終えた俺はバックヤードから店に戻る。

一輝の褒め殺しと共に始まったあの時間が出所してから今まで一番キツかった時間かもしれない。

 

「兄貴。お待ちしていました。」

「おう」

 

俺が戻った二階の席には新藤がいた。どうやら事務所から戻っていたらしい。大きめの地図らしきものがテーブルに広げられている所を見ると、アレが東城会本部の見取り図だろう。

 

「兄貴、準備は宜しいですか?」

「あぁ、始めてくれ」

 

進藤が見取り図と共にどのようにすれば目立たず潜入出来るかを話し始める。俺はそれを一言一句逃さぬよう集中して聞き取るのだった。

今度こそ親っさんに会うために。

 




次回はいよいよ葬儀に突入です
お楽しみに


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潜入

最新話です
桐生組の行方については皆さんがあれこれ考察してくれるのをとても興味深く見させて頂いてます
返信の時に何度か言ってますが、桐生ちゃんらしさは大事にしていくつもりです。


2005年。12月6日。

東京の郊外にある巨大な屋敷の前に、俺は立っていた。

黒いスーツ姿の弔問客が大勢出入りをする屋敷の前には「故 東城会三代目 世良勝 儀 告別式」と書かれた巨大な看板が立てかけられている。

 

(いつ見ても迫力がある場所だな、ここは)

 

ここは東城会本部。

関東最大の極道組織である"東城会"の本丸だ。

極道者が死んだ時の葬儀は、どこの組織も本部で行われる事が多い。東城会の三代目ともなれば尚更だ。

 

(一輝の見繕ってくれたスーツもキマって、変装も完璧だ。とりあえずはバレねぇだろう)

 

昨日、一輝が俺に用意してくれたスーツは生地がパリッとした良い仕上がりのものだった。採寸後、ホスト御用達の専門業者から新品同然のものを急ピッチで送って貰えたらしい。俺は服役してた頃に稼いだ刑務作業報酬(大した額ではないが)から代金を支払おうとしたが、ユウヤが迷惑をかけたお詫びという事で気前よくプレゼントしてくれた。

また、変装として服役前と同様にロン毛だった俺の髪を整髪料でオールバックに纏めあげる事で雰囲気を変え、目には厚めのサングラスをかけた。周囲の人間からの視線もそこまでは感じない。どうやら上手く溶け込めたようだ。

 

―――良いですか、兄貴。これが東城会本部の見取り図です。この本部施設の中に風間の親っさんがいます。建物の裏口は比較的手薄ですが、下手に塀を越えたりすればかえって怪しまれます。弔問客に紛れて正面から行きましょう。正門から入ったら突き当たりまで真っ直ぐ。そこを右に曲がった先が裏口です。俺はそこで兄貴を待ちます。

 

俺は昨日に新藤から言われた事を思い出す。

変装で周囲に溶け込めたとは言え、油断はできない。

服役前の俺は、方々に顔を売ってシノギを回していた。

故にこの弔問客の中で、俺の顔を知っている人間は何人もいるのだ。

 

(のし上がる為にやってた事が、今になって首を絞めるとはな……)

 

あまりにも皮肉な話にため息を吐くが、ゆっくりはしていられない。

俺は巡回する葬儀関係者の目に入らぬよう、慎重に会場へと足を踏み入れた。

そして、何とか怪しまれずに受付会場までたどり着く。

 

「本日はお忙しい中、お越し頂きありがとうございます。こちらにお名前をご記入下さい」

「あぁ……」

 

俺は受付に言われるがまま受付票に名前を書いた。

当然偽名だ。本名を書こうものなら俺は立ちどころに囲まれて殺されてしまうだろう。

 

「春日さん、ですね。ありがとうございます。すいませんが、どちらの組の方でしょうか?」

「昔、堂島組にいたんです」

 

受付の質問に淡々と答える。

決して嘘は言っていない。

 

「そうですか……堂島の組長も10年前に錦山ってチンピラに殺されてしまいましたからね……」

 

受付のその言葉を聞いて俺は安堵した。

その言葉は、目の前の男がその錦山だと気付いていない証拠だからだ。

 

「その上今度は世良会長まで殺されてしまうなんて……私は、誰かが裏で糸を引いてるんじゃないかと思うんですがねぇ」

「は、はぁ……」

「おっとすいません、貴方にこんな事を言っても仕方ないですよね。間も無く葬儀が始まりますので、会場内でお待ち下さい。」

 

受付を通された俺はこれでもう立派な弔問客の一人だ。依然として油断は出来ないが、少しは楽な状況に持ち込めたと言っていい。

俺は新藤に言われた通り突き当たりを右に曲がって、裏口へと向かう。新藤からの情報のとおりに人通りは少なく、正体がバレる可能性はかなり減った。

しかし、ここで新たな問題が発生する。

 

「ちょっとアンタ、ここから先は喪章が無ければ立ち入り禁止だ」

「はい?」

 

喪章を付けた黒服の男に呼び止められた。

どうやら葬儀関係者だけが裏口に入れる仕様らしい。

考えてみれば当たり前の事だ。素性の分からない一般の弔問客がもしも敵組織の間者だった場合、どんな事になるか分かったものでは無い。

 

(この先が新藤との待ち合わせ場所なんだがな……どうする?)

 

モタモタしている時間は無い。

一刻も早く裏口に入る必要がある俺は、葬儀関係者の男に掛け合う事にした。

 

「すみません、喪章を何処かで無くしてしまったみたいで……新藤って方に繋いで貰えませんか?」

「なに?新藤の兄貴にだと……?アンタ、あの人の何なんだ?」

「昔、あの人に世話になってたんです。それで今回の葬儀にも声を掛けてもらって……」

 

俺の言葉を聞いた途端、葬儀関係者の男が怪訝な顔をする。

 

「今回の葬儀の仕切りは風間組と任侠堂島一家のみで受け持っている。葬儀屋以外は現役構成員のみって条件でだ。だから、葬儀屋以外に外部の人間を呼び付けるのは禁止されているはずなんだが……」

「そうなんですか?自分は新藤さんに言われて来ただけなのですが……」

「いや、少なくとも俺はそんな話は聞いてねぇ。素性がハッキリしない以上、通す訳には行かねぇな」

(ちっ、やっぱり口八丁じゃ限界があるか……!)

 

これ以上の会話に限界を感じた俺はここで会話を切り上げる事に決めた。やはり喪章を何処かで調達してくるのが先だ。

 

「……いえ、元はと言えば自分が喪章を無くしたのが悪いんです。ご迷惑をお掛けしました。直ぐに見つけてきます。」

「おい、ちょっと待ちな」

 

踵を返した俺を葬儀関係者が呼び止める。

 

「アンタ、怪しいな?ちょっとサングラスを取ってみろ」

(クソっ、マズイ事になったな……)

 

髪型を変えているとは言え、サングラスを取ったら流石にバレてしまう。

かと言って人目があるここでは一撃で仕留めたとしても直ぐに人が集まってくる。強硬手段はもってのほかだ。

 

(変に掛け合うべきじゃなかったか……!)

「おい、何とか言ったらどうなんだ?」

 

万事休す。

何とか周囲の目を掻い潜ってコイツを黙らせる方向で俺が考え始めた。

その時だった。

 

「なぁアンタ」

「はい?」

 

横合いから声をかけてきた男が一人。黒いスーツ姿のその男に、俺は見覚えがあった。

十年も経っているので顔立ちは少し変わっているが、その坊主頭は間違えようがない。

 

(コイツ……シンジか!)

 

田中シンジ。

桐生の舎弟で、堂島組の若衆の一人だった男。

十年前のあの日、由美が攫われたという連絡を俺に寄こしたのもコイツだった。

 

「これ、アンタのだろう?さっき落としてたぜ」

 

シンジはそう言って俺に喪章を差し出してきた。

 

「これは……!?」

 

ふと目が合い、シンジが軽くウインクする。

その様子からして、俺の正体や素性は分かっている様子だった。その上でサポートをしてくれるらしい。

 

「ありがとうございます!」

「田中の兄貴!コイツは、一体……?」

「その人は立派な葬儀関係者だ。手出しするんじゃねえ」

「しかしコイツ、挙動が怪しくて……」

「おい、俺に二度同じ事を言わせる気か……?」

 

シンジが葬儀関係者の男に凄む。

若い頃から桐生の下に居ただけあって、その迫力は中々だ。

 

「す、すんません!」

「なぁ、アンタ春日さんだろう?話は聞いてる。俺に付いて来てくれ」

「っ、はい、分かりました」

 

俺が受付票に書いた偽名も把握している事に若干驚く。

どうやら会場入りした時から、俺はシンジに見張られていたらしい。

俺とシンジは葬儀関係者の脇を抜け、裏口へと向かう。

そして葬儀関係者から距離が十分に離れたタイミングで、シンジが俺に軽く頭を下げた。

 

「錦山の叔父貴、お久しぶりです。まずはお勤めご苦労様でした」

「おう、さっきは助かったぜシンジ。礼を言わせてくれ」

 

俺はシンジに素直に感謝を述べる。

もしもシンジが間に合わなかったら、俺はあそこで叩き出されていたかもしれない。

 

「いえ、気にしないでください。俺は風間の親っさんに言われて叔父貴を見張ってただけですから」

「親っさんに?」

「えぇ。新藤から叔父貴が葬儀会場まで会いに来ると聞かされた親っさんは、万が一の事が無いようにと俺をサポートに回したんです。喪章に関しても最初から叔父貴の分を用意していました。後は何処で叔父貴に渡すかだけだったのですが……結果的にはベストなタイミングでしたね」

 

親っさんの気遣いに俺は感心すると同時に申し訳なく思う。結局俺は、親っさんに心配を掛けっぱなしだ。

 

「錦山の叔父貴、親っさんはこの先です。」

 

俺とシンジは裏口の門の前へと辿り着く。

この先に新藤が待っているはずだ。

 

「俺は周囲の警戒にあたりますので、ここで失礼します」

「なぁ、シンジ。一つ、気になる事があるんだが……」

「? どうかしましたか?」

 

踵を返そうとするシンジを呼び止め、俺は一つの疑問をぶつけた。

 

「お前……今チャカ持ってるだろ?」

「!?」

 

シンジと合流した先程から、俺はシンジのスーツが左側に傾いているのが気になっていた。

拳銃は基本的に全ての部品が鉄で出来た、言わば鉄の塊なのだ。当然その本体重量は相当なものになる。

そんな重いものをスーツの懐に隠し持っていれば、スーツの生地は拳銃の重さで引っ張られて下へと下がってしまうのだ。

無論、ヤクザ側も拳銃の所持がバレる訳には行かないので、スーツの反対側に重しを付けたり肩幅を広げたりと工夫はするのだが、かつてはカラの一坪の一件でチャカを懐に忍ばせていた事があった俺はその微妙な差異に気付いたのだ。

 

「親殺しの俺を本部内に入れようとするんだ。警戒するのは分かるが……流石にやり過ぎじゃねぇか?そんな物騒なモン持ってる事がバレたら、色々面倒な事になりかねねぇぞ?」

「……流石は錦山の叔父貴。中々の観察眼ですね」

 

そう言うとシンジはスーツの懐を軽く捲って見せた。

一丁の黒光りするリボルバーが、そこにはピッタリと収まっている。

 

「叔父貴の仰る通り、俺はチャカを携帯しています。ですがこれは、叔父貴を迎え入れる為じゃないんです」

「どういうこった?」

「世良会長が死んで、東城会は今跡目を狙った内部抗争寸前の状態にあるんです。何がキッカケで事が起こるか分からない……だから俺達も厳戒態勢を敷く必要があるんです」

「そういう事か……」

 

それにはおそらく、新藤が言っていた百億の件も関わってるのだろう。失われた組の金を取り戻した奴が次の跡目……なんて流れにでもなったら、東城会の内部抗争は避けられない。

 

「叔父貴……親っさんから直接話があると思いますが、今の東城会は危険な状態です。俺も警戒を強めますが、叔父貴もどうか気を付けて」

「……分かった。」

 

シンジは俺に一礼すると、踵を返して会場前へ戻ろうとする。

しかしシンジは途中で立ち止まると、振り返る事無く俺に言った。

 

「……桐生の兄貴の事、聞かないんですね」

「……」

 

シンジは長年桐生の舎弟だった男だ。

昨日新藤の言っていた事が真実なら、桐生が独立させた組織に居ても何ら不思議な事じゃない。もしかしたら、俺が知りたい事も知っているかもしれない。

だが、俺はシンジから根掘り葉掘り聞くつもりは無かった。そのへんも含めて親っさんはきっと俺に語ってくれるだろう。この十年で変わってしまった、数々の出来事を。

 

「……シンジよ。俺はまだ、その一件を信じちゃいねぇんだ。あの桐生が東城会を裏切るなんて、俺からすりゃ絶対に有り得ねぇ」

「…………」

「だから俺は、親っさんにそれを確かめる為にここに来たんだ。コイツは、お前から聞くべき事じゃねぇよ」

「……そうですか。分かりました」

 

シンジはそう言って、今度こそ会場前へと戻っていく。その声音は何か重たいものを抱えているような、とても辛そうなものだった。

 

「……行くか」

 

決意を新たに、俺は裏口の門を開ける。

風間の親っさんは、もうすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴、お待ちしてました」

 

錦山が裏口の門を抜けた先に居たのは、喪服姿の新藤だった。予定通りこの場所で合流できた錦山は、先程あった事を新藤に話す。

 

「新藤……ここに来る前、シンジの奴に会ったよ」

「え?田中の兄貴にですか……?」

「あぁ。この喪章もシンジが俺にくれたものだ。……風間の親っさんに言われたと聞いたが、そういう手筈になってたんじゃないのか?」

「いえ、自分にはそんな事は一言も……」

 

怪訝な顔をする新藤。錦山はこの事実にどこか"引っかかり"を感じていた。

 

(シンジが報連相を怠ったのか?いや、風間の親っさんが敢えて新藤に伝えていない……だとすれば何故?)

「……兄貴、とにかく今は親っさんの所へ急ぎましょう」

「あ、あぁ……」

 

新藤に言われ、錦山は思考を中断した。

いずれにせよ今は風間に会う事が先決だからだ。

新藤が扉を開けて本部施設へ足を踏み入れ、それに続く形で錦山もまた本部内へ進入した。

 

「葬式って言っても、みんな腹の中じゃ何考えてるか……何せ東城会の三代目が死んだんです。跡目が誰になるのかだの、殺したのは誰かだの……何奴も此奴も腹の探り合いですよ」

「あぁ、シンジの奴も今の東城会は危険だと言っていた」

 

通路を歩きながらそう言う新藤に、錦山は先程出会った田中シンジを思い出しながらそう答える。

何せ懐に拳銃を忍ばせて武装しているくらいなのだ。

今この瞬間に、何が起きてもおかしくない。

 

「それに、世良会長は若くして三代目を継いだので妬まれる事も多かったみたいです」

 

世良勝が三代目を襲名したのは一九九三年。"カラの一坪"の一件で本家若頭に指名されてから五年後の事だ。

基本的に長い年月をかけてのし上がる事が多い極道としては異例のスピード出世と言っても良い。

 

「参列者の中には、清々した顔のヤツもいますよ」

「なるほどな……だが、そいつらの気持ちも分からんでもねぇな」

 

見苦しい嫉妬心だと吐き捨てるように言う新藤だが、錦山はその連中を否定しなかった。

 

「兄貴……?」

「自分が長年苦労してるのをよそに、当たり前のように他の奴にトップに立たれちゃいい気はしねぇだろうさ。でも、ただの嫉妬じゃ意味がねぇ。清々するだけで終っちまうか、これを機に精進しようとするかが、そいつらの分かれ目って所じゃねぇか?」

 

その嫉妬心はかつて自分が桐生に抱いていたものであり、裏を返せばのし上がろうとする向上心に他ならないからだ。

跳ねっ返りの多い極道だからこそ、その向上心と嫉妬は強く作用すると、錦山は考えた。

 

「……兄貴、なんだか変わりましたね」

「あ?なんだよ急に」

「気分を害したらすみませんが……昔の兄貴は自分の事で焦っていたような、生き急いでいたような気がしたもんですから。そういった意見が出るのが意外だったんです」

「……そうかもな」

 

そう言われた錦山は十年前を思い出す。

あの頃の彼は、桐生への対抗心や妹の優子への心配でいっぱいいっぱいになっていた。

不安や悩みは尽きず、それらに潰れてしまいそうになる自分を誤魔化すために、錦山は数々のシノギを掛け持ちすることでずっと忙しくしていた。余計な事を考えられなくなるくらいに。当時はそういった冷静な意見が出る状況では無かったと、錦山は結論付けた。

 

「まぁ俺も、色々あったって事だ……これ以上はシラフじゃ喋らねぇぞ?」

「フッ、そうですか……失礼しました兄貴。お詫びに、このゴタゴタが片付いたら一杯奢らせて下さい」

「おう、続きはそん時にでも話してやるよ」

「えぇ、お願いします」

 

軽口を叩きながら進んでいく二人。

裏手の階段を登り切ると、新藤はある部屋の前で立ち止まった。

 

「兄貴はここで待っていてください。今、風間の親っさんを呼んできます」

「あぁ、頼んだ」

 

錦山は言われた通り、その一室の扉を開ける。

部屋の中にはいくつかの調度品や歴代組長の写真、木製のテーブルとソファがある。

来客用の応接室といった所だろう。

 

(さて、親っさんが来るまでどうするか……ん?)

 

ふと、歴代の直系組長の写真が錦山の目に止まった。

皆が皆、東城会を支えた大きな柱達なのだろう。

 

(待ってる間、見てみるのもアリかもな)

 

そう考えた錦山は並べられるように飾られた写真へと近づくと、サングラスを外して写真達に目を通す。

流石に十年も経っているせいか知らない人間も何人かいたが、そのほとんどは錦山もよく知っている人物達だった。

 

(まずはコイツか。1985年/東城会直系堂島組 初代 堂島宗兵…………コイツが由美を攫ったのが全ての始まりだったんだ……!)

 

東城会の二代目を支えた大幹部。そして、錦山にとって渡世の親父分にあたる人間だった男だ。最盛期には東城会ごと下に治めてしまいかねない程の一大勢力を築いていたが"カラの一坪"の事件以降その権威は失墜し、いつしか酒と女に溺れて昔の自慢とメンツの話ばかりを垂れ流すお飾り組長に成り果てていた。

この男が錦山や桐生の馴染みだった由美を拉致して強姦しようとしたのを止めようとした末に死亡してしまい、錦山は親殺しの罪を背負ったのだ。そしてその十字架は、今なお消えることはない。

 

(1987年/東城会直系嶋野組初代 嶋野太…………相変わらずおっかねぇ面してやがる。今こいつに見つかるのはヤバそうだな)

 

東城会きっての武闘派として有名な嶋野組。

その長である嶋野太というこの人物は、かつては風間と共に堂島組の二大巨頭として名を馳せた男でもある。

無茶なやり方を力で押し通すそのやり口は、まさに極道らしいと言う他ない。昔から風間をライバル視しており、堂島組が直系に昇格してからわずか二年後に組を直系に上げて独立させている所からもその折り合いの悪さが見て取れる。

 

(1996年/東城会直系風間組初代 風間新太郎…………親っさんか、1996年に風間組を襲名って事は俺が刑務所に入ってからすぐって事か)

 

錦山の育ての親であり、彼を桐生と共にこの世界へと導いた張本人。もしも錦山が刑務所に入らなかったら、彼もまた風間組で生きていた事になる。

義理と人情に厚い穏健派で知られる風間は、かつては"東城会イチの殺し屋"とまで言われた伝説のヒットマンであったとされる人物でもあり、先述の嶋野と共に堂島組を支えた二大巨頭の一柱だ。そして今、錦山が最も会いたい人物でもある。

 

(1993年/東城会三代目会長 世良勝…………10年前、殺し屋を俺に送ってきたのは本当にこの人だったのか?)

 

錦山からすれば、この人物に対しては不可解な点が多い。

親殺しの十字架を背負った錦山の為に、育ての親である風間は指を犠牲にして破門に押し止めたはずだった。

しかし、実際には自分を殺す為に刺客を放っている。明らかに矛盾したその行為だったが、それを確かめる術はもうこの世には無い。

 

(ん?こいつって…………!?)

 

その中で俺は、意外な写真を見つける事になった。

直系団体の中では一番若く、新しい組織のようだ。

 

(2003年/東城会直系任侠堂島一家 初代 堂島大吾…………この写真、若なのか!?新藤のいる組織のトップは若だったのか!)

 

元堂島組の中でも堂島組長を慕っていた人間を中心に組織された任侠堂島一家。そのトップを務めるのは錦山もかつて堂島組時代に交流があった"若"……つまり組長の実子である堂島大吾だった。しかし、それは当然の帰結と言える。

堂島大吾にとって錦山は実の父親を殺した仇なのだ。

そこに錦山に恨みを持った連中が集って祭り上げたのだとしたら、決して小さくない組織が出来上がる事は想像出来る。

 

(やっぱり"若"は、俺を恨んでいるのか…………にしても…………)

 

ここまで歴代組長の写真を見てきた錦山だったが、気がかりな事があった。

 

(桐生の写真が、どこにも無ぇ……!)

 

"堂島の龍"桐生一馬。

錦山の兄弟分であり、親友でもあるその男。

彼が逮捕されて以降、東城会で組を立ち上げた筈のその男の写真が何処にも存在しないのだ。

 

(まさか、桐生は本当に……?)

 

新藤から聞いた話では、風間組を内部から割って東城会と風間組から組織を独立させたらしい。もしその話が本当であるなら、ここに桐生の写真が無いのも辻褄が合う。東城会を裏切った男の写真など飾るわけが無いのだから。

 

(いや、まだそうと決まった訳じゃねぇ……俺は信じねぇぞ……!)

 

段々と現実味を帯び始めるその予感を振り払い、錦山は頑なにそれを否定した。

間も無く錦山の待ち人がここを訪れる。そうすればすぐに分かる事だ。

そして、その時は訪れた。

 

「彰……!」

「っ、親っさん……!」

 

東城会直系風間組組長 風間新太郎。

錦山はついに、育ての親と十年ぶりの再会を果たしたのだった。




次回はいよいよドンパチ騒ぎです。
お楽しみに


年内までに嶋野戦行けるかなぁ


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脱出

最新話です。
いよいよドンパチが始まります。
それではどうぞ


東城会本部。

三代目会長 世良勝の葬儀が行われているこの場所で、俺は風間の親っさんと十年ぶりの再会を果たしていた。

 

「10年だ……俺はお前に、何もしてやれなかった」

 

出会って早々、風間の親っさんは申し訳なさそうに目を伏せた。獄中にいる俺に対して何の手も回せなかった事を悔やんでいるのだろう。だが、申し訳ないのは俺の方だ。

 

「いえ、全部俺がやった事です。親っさんは何も悪くありません。それに親っさんには、俺なんかの為にケジメを付けさせてしまった……」

 

十年ぶりに小指が無い親っさんの左手を見て、俺は心が痛むのを感じた。

あの時の後悔と自責の念が、昨日の事のように蘇る。

 

「謝んなきゃなんねぇのは俺の方です。本当に、申し訳ありませんでした」

「彰……」

 

俺は深々と頭を下げた後、椅子に座ろうとする親っさんの腰周りを支えた。

 

「すまねぇな、彰」

「いえ、良いんです親っさん」

 

ただでさえ足を悪くしているのに加え、親っさんは今年で六十歳のはずだ。

本来は歩くのもしんどいはずなのにここまでわざわざ会いに来てくれたのだ。これぐらいは当然だ。

 

「親っさん……一体何があったんです?東城会は、それに……桐生は?」

 

俺はついに一番聞きたかった事を親っさんに問いかけた。

 

「会ったのか?アイツに」

「いえ、まだです。ですが一輝の奴から、桐生が組を割って独立したって話を聞いて……」

「そうか……」

「俺はまだ信じられません。桐生が東城会を……親っさんを裏切るなんて絶対に有り得ない!」

「彰……」

「教えて下さい親っさん!アイツは本当に、東城会を裏切ったんですか!?」

 

親っさんは深刻な顔をして黙り込む。

俺は、固唾を呑んで答えを待つ。

重い沈黙の末、やがて親っさんは滔々と語り始めた。

 

「……一馬は、10年前のあの事件のすぐ後に桐生組を立ち上げた。お前から託された優子を助けるために、石にでも齧り付く勢いだった」

「優子……」

 

今から九年前。俺が逮捕されてからわずか一年後に、桐生は妹が助かった事を教えに面会に来てくれた。

俺の一生の頼みを、アイツは完璧に履行してくれたのだ。

 

「どうにか資金をかき集めて優子の海外での手術にまで漕ぎ着けた後、一馬は桐生組の組織拡大に務めた。あいつは、直系昇格を目指していたんだ」

「直系昇格?桐生がですか?」

 

俺は思わず目を丸くする。

のし上がる事に対してあまり積極的でなかった桐生が、その時は直系昇格を目指していたという。その理由は直ぐに明かされた。

 

「お前のためなんだ、彰」

「俺のため……?」

「あぁ。来る日も来る日も、一馬はこう言っていた。"錦の帰る場所は俺が作るんです"……とな」

 

"破門"という復帰の目がある措置になったとはいえ、親殺しの罪を背負った俺が堂島組が主体になっている風間組で受け入れられるはずが無い。

そんな俺を受け入れる為に、桐生は組織を大きくしようとした。

東城会の直系へと上がり風間組から独立することで、俺の受け皿になろうとしてくれていたのだ。

 

「桐生……」

 

間違いない。親っさんの口から語られる桐生は、あの時と何も変わらない。

バカ正直で義理堅くて、それでいて真っ直ぐな俺の知っている桐生一馬だった。

 

「だが、直系昇格を間近にしたある日。一馬は組を割った。アイツは東城会と袂を分かったんだ」

 

だからこそ、親っさんの口から出てきたその答えに俺は納得が出来なかった。

 

「そんな……なんで、何でなんですか親っさん!?」

 

シノギは回り人も集まり組織も大きくなっていく。

絵に書いたように順風満帆だったはずの桐生の極道人生。

それがある日いきなり組を割って組織を独立させ、今や東城会と一触即発。

不自然な点が多すぎて納得なんて出来るわけが無い。

俺が勤めに行っている間、兄弟に一体何が起きたというのか。

 

「それを語るためには、もう一つ伝えなきゃならない事がある。由美と優子の事だ」

「っ!」

 

幼なじみの由美と妹の優子。

このタイミングで二人の名前が出てくる事に嫌な予感が脳裏を過る。俺は、二人の身に何かあったとしか考えられなかった。

 

「由美と優子?二人に何かあったんですか!?」

「彰、落ち着いて聞いてくれ。実はーーー」

 

親っさんが答えを紡ごうとした、その時。

ガラスが僅かに砕ける音が背後で聞こえ、その直後に親っさんの肩から鮮血が吹き出たのだ。

撃たれたのだ。

風間の親っさんが俺の目の前で。

 

「親っさぁん!!」

 

俺は直ぐに風間の親っさんに駆け寄り、その傷口を見る。

弾丸が貫通しておらず、危険な状態だった。

 

(クソっ、一体誰がこんな事を!!)

 

俺は弾丸が飛んできたと思われる背後を振り返る。

遠方からの狙撃だったのだろう。ガラスは砕けず、弾が貫通した後の風穴だけがそれを物語っていた。

 

「何事だぁ!?」

 

直後、銃声を聞きつけた組員達が扉を蹴破るように入ってきた。

 

「風間の叔父貴!?テメェ……!」

「ん?コイツ……錦山だ!」

(ちっ……!)

 

写真を見るためにサングラスを取ったのが仇になり、ついに俺の正体がバレてしまった。しかも、悪い事はまだ続く。

 

「錦山やとぉ?」

 

着物の喪服を身に纏ったスキンヘッドの大男が、組員達を割って前に出てくる。

その顔は、先程見ていた歴代組長の写真の中でも見た顔だった。

 

「なんやお前……堂島の兄ぃの次は風間か!?何考えとんじゃぁ!!」

「嶋野……!」

 

東城会直系嶋野組組長。嶋野太。

俺はよりにもよって今一番会いたくない人間に出くわしてしまったのだ。

 

「おうお前ら!絶対に生きて帰すんやないで!!」

「ちっ、やるしかねぇか……!」

 

覚悟を決めた俺はファイティングポーズを取った。

それを合図に喪服姿のヤクザ達が続々と襲いかかってくる。

 

「死ねやぁ!」

 

殴りかかってきた先頭のヤクザに対し、俺はカウンターの右ストレートを合わせた。

 

「ぶぎゃっ!?」

「この野郎!」

 

続く二人目の拳を避けて胴を掴み、先の一撃で倒れた一人目の上に落とすように投げ飛ばす。

 

「だりゃぁ!!」

 

すると三人目が机に置いてあったガラスの灰皿を手に持って殴りかかってきた。

 

「せぇや!」

「うぐぉっ!?」

 

俺はその灰皿の一撃を躱し、三人目の腹に膝蹴りを叩き込んだ。

怯んだところにトドメを刺すべく右の拳を振り上げる。

 

「っ!」

 

しかし三人目はすかさず持っていた灰皿を顔を覆うように掲げた。即席の盾のつもりなのだろうが、その程度で止まるほど俺は甘くない。

 

「はァァ!!」

 

俺はそのまま渾身の力で右ストレートを繰り出した。

真っ直ぐに放たれた俺の拳はガラスの灰皿をぶち砕き、そのまま三人目の鼻を叩き潰した。

 

「大人しくしやがれ!」

 

背後から四人目が現れて俺を羽交い締めにする。

 

「よし、そのまま抑えとけ!」

 

すると目の前に出てきた五人目が拳を振りかぶる。

動けない的を目掛けてサンドバックのように攻撃を仕掛けるつもりだろう。

 

「くたばれやぁ!」

(当たるかよマヌケ!)

 

俺は顔面狙いのその一撃が当たるギリギリを見極めると、首をお辞儀のように前に傾けた。

 

「ぶげぁっ!?」

 

すると俺の頭の上を五人目の拳が通過し、羽交い締めしていた四人目の顔面に当たる。

 

「オラッ、でりゃァ!」

 

俺はその衝撃で拘束が解けた瞬間五人目の顎に裏拳を当て、そのまま四人目の顔面に右フックを叩き込んだ

 

「がっ……!?」

「ぶぐぉっ!?」

 

床に倒れた四人目の顔面を踏み抜いて、トドメを刺す。

 

「野郎!」

 

そして六人目。

右の一撃を掴み、そのまま一本背負いの要領で大きく投げ飛ばす。

 

「う、うわあああああ!!」

 

窓ガラスを割り、外へと放り出される六人目。

気の毒だが二階なので死にはしないだろうし、そもそも構っていられる余裕も無い。

 

「大人しゅう往生せぇや錦山!」

「ちっ……!」

 

倒しても倒しても、次々と増援が送り込まれて来る。

これではいくらやり合ってもキリがない。状況は最悪だ。

 

「あ、彰……!」

「親っさん!」

 

風間の親っさんの呼び声に、俺は再び親っさんの元へ駆け寄った。

出血が酷く、このままでは命が危ない。

 

(クソっ、どうすりゃいい……!?)

 

このままでは親っさんは手遅れになり、俺もまた嶋野に捕まって殺されてしまう。

八方塞がりなこの状況で、親っさんは俺にあるものを渡してきた。

 

「彰……これを、一馬に渡してくれ……」

「親っさん……?」

 

それは一枚の封筒だった。

表面には何も書かれてはおらず、中身が何なのかは分からない。

 

「これは?」

「一馬には、渡せば分かる……逃げろ、彰!優子を……100億を頼む……!!」

「親っさん……!」

 

自分の命が危ないって言う時に、親っさんは俺や桐生の事を慮ってくれた。結局俺は、親っさんに何一つ返せていないと言うのに。

 

「行け!!」

 

俺は覚悟を決めた。

親っさんはきっと、この騒ぎを聞いた風間組の誰かが助けてくれる。そう信じるしかない。

 

「うおおおおおっ!!」

 

俺は六人目を投げ飛ばして吹きさらしになった窓から下へと飛び降りた。

ガラスが散らばる地面へと着地し、すぐにその場を離れる。

 

(親っさん……どうか無事でいて下さい……!!)

 

そう願いながら俺は走った。

紛れもない死地であるここから生きて脱出する為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、錦山だ!親殺しの錦山が出たぞ!」

「今度は風間の叔父貴を撃ちやがったらしい!」

「なんて野郎だ、ぶっ殺してやる!」

 

状況を理解出来ずただ騒ぎを見て慌てふためく者、錦山の非道な行いに殺気立つ者、自らの身の危険を感じ葬儀会場から逃げ出す者。

東城会の三代目会長の告別式という厳粛な場であるはずの東城会本部は、この非常事態に混乱を極めていた。

 

(マズイな……錦山の叔父貴の潜入がバレちまったらしい……!)

 

そんな中、一人冷静に物事を考える男がいた。

田中シンジ。風間組の構成員であり、今回錦山を本部内に招き入れる手引きをした一人だ。

 

(とにかく、状況を報告しよう)

 

シンジはあちこちで怒号と悲鳴が起きる中、一人本部施設内にある男子トイレに立ち寄った。トイレの中は無人で、個室のドアも全て空いている。

この非常事態にわざわざ用を足そうとする者はいないのだろう。だが、それはシンジにとって好都合だった。

 

(よし、誰もいないな)

 

シンジは周囲に人気がない事を確認すると、一つの個室の中に閉じこもった。鍵を閉めて、誰も入って来れないようにする。本来はここで用を足すのが普通だが、シンジはここに用を足しに来たわけでは無かった。

ポケットから携帯電話を取りだし、ある番号をプッシュして電話をかける。

電話は一コール後にすぐ繋がった。

 

『おう、田中か?』

 

電話の相手は男だった。その低い声と喋り方は明らかにカタギのものでは無い。

 

「はい、そうです。今、錦山の叔父貴の潜入がバレてしまいました」

『みたいだな。ラジオでも今速報が入ったぜ、東城会本部で乱闘騒ぎってな。そっちは大丈夫なのか?』

 

電話の相手がシンジに無事を確認してくる。

シンジはこの相手とはそれなりに付き合いがあるが、以前はこのような状況下であったとしてもそんな事を言うような人物では無かった。

 

「俺は問題ありません。今どちらに?」

『予定通り、本部近くで待機中よ。こいつぁ、いよいよ俺の出番か?』

 

予定通り、という言葉に安心するシンジ。

電話の相手とシンジは、ある程度こうなる事を予期していたのだ。

そしてこのまま上手く行けば、錦山の身の安全は保証される。

 

「そのようです……俺は何とか、本部前まで叔父貴が来れるようにサポートに回ります。そしたら車で叔父貴を連れて逃げてください」

『了解だ。死ぬなよ田中』

「えぇ。そちらもお気を付けて」

 

話が纏まり、電話を切るシンジ。

携帯電話をポケットにしまう際、懐にある硬いものに意識が向く。そこにあるのは拳銃だ。

いよいよ、これを使わせる(・・・・)時が来てしまったのだ。

 

「俺も……覚悟を決めないとな」

 

一言そう呟き、田中シンジは個室を出た。

そして、錦山の後を追って動き出す。

尊敬する兄貴の兄弟分を死なせないために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉぉおおおおおおおっ!!」

 

雄叫びを上げて、俺は目の前のヤクザを殴り飛ばした。

もうこれで何人を仕留めたのか自分でも分からない。

 

「なんなんだコイツ……」

「これだけの人数を相手に……」

「ば、化け物じゃねぇか……」

 

俺を囲いながらも恐れ戦く東城会のヤクザ達。

たった一人で葬儀会場に乗り込んで多数の構成員を相手に一歩も引かない俺の姿勢を見て、尻込みをしているのだ。

 

(よし、今なら一気に突破出来るかもしれねぇ!)

 

俺が今いるのは東城会本部の裏口前だった。

来た道をそのまま戻っている俺は、ここでもう何度目になるか分からないヤクザ達の追っ手とやり合っている。

しかし、ここはあの天下の東城会の本丸だ。

倒しても倒してもキリが無い雑魚ばかりを相手にしているとこちらの身が持たない。

追っ手に完全包囲される前に一気に脱出するのが一番なのだ。

 

「退きやがれぇ!!」

 

俺は叫びながら走り込むと、ヤクザの群衆の中央に飛び蹴りを放った。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

 

一人の哀れな構成員が吹き飛ばされるのと共に、群衆が真っ二つに割れて道が出来る。

 

(今だ!)

「ま、待ちやがれ!」

 

俺は出来上がったその道を真っ直ぐに駆け抜けた。

怒号を上げながら追いかけるヤクザを無視し、刑務所で鍛え上げた脚力を使って一気に振り切る。

 

「錦山だ!」

「おい、ここを通すな!」

(クソっ、まだいやがるのかよ!!)

 

通路を曲がった先でまたもやヤクザの追っ手とかち合った俺はそのまま速度を上げて走り込むと、ヤクザを相手に飛び膝蹴りを放った。

 

「退けって言ってんだコラァ!!」

「ぶぎゃああああっ!!」

 

鼻がぶち折れる感触を膝越しに感じながら、俺はついに正面通路へと躍り出る。

 

「待ってたぞ錦山ぁ!」

「テメェもこれで終わりだ!」

「覚悟しやがれ!」

 

しかし、そこにはすでに騒ぎを聞き付けた東城会のヤクザ達が大勢待ち構えていた。

素手のものは限りなく少なく、皆が木刀や警棒、果てにはドス等を所持して待ち構えている。

その数、推定でも三十人は下らないだろう。

 

(クソっ、骨が折れるぜ……!)

 

関東最大の極道組織である東城会。

その本丸はただでさえ厳重な警備体制が敷かれてる上に、今日は三代目の葬儀という厳粛な場だ。

そんな状況下で暴れ回った俺は、言わば東城会そのものに真っ向から喧嘩を吹っかけた事になる。

 

(我ながら命知らずも良いところだな、全くよ……!)

 

しかし、この圧倒的不利な状況下において俺はむしろ燃えていた。元いた組織のトップの葬儀で大乱闘。

こんな大それた事をした奴はきっと、後にも先にも俺だけに違いない。

そうだ。それくらいでなきゃダメだ。なぜなら俺が目標にしている男は、これくらいの無茶を平然とやってのけちまう化け物なのだから。

 

「俺は必ずここを出る!止められるもんなら止めてみやがれ!!」

 

覚悟の叫びと共に俺は真っ向からヤクザ達に突っ込んだ。

 

「死ねやぁ!」

 

先頭のヤクザの一撃を軽くいなし、体勢が崩れた所で膝蹴りを繰り出して下顎を砕く。

 

「この野郎ォ!」

 

木刀を振り上げたヤクザの手を振り下ろされる前に掴んで、無防備な鳩尾に正拳を突き刺す。

 

「ぶち殺す!」

 

警棒を振り抜いたヤクザの一撃を紙一重で躱し、返しのアッパーで顎を撃ち抜き昏倒させる。

 

「くたばれやぁ!」

 

ドスを持ったヤクザの一刺しを回避して手首と肩を掴み、肘裏に膝蹴りを叩き込んで腕をぶち折り、追撃の右ストレートでトドメを刺す。

 

「そんなもんかオラァ!!」

 

その後も俺はヤクザ達を相手に大立ち回りを繰り広げた。武装して襲いかかってくるヤクザ達に対して、俺は一切の手加減と躊躇をしなかった。

 

「ふっ、はっ、せいやっ!」

 

鼻柱、目、こめかみ、鳩尾、肝臓、そして金的。

スタミナを消耗しないように最小限の労力と動きで、躊躇なく急所を狙い一撃で敵を仕留めていく。

 

「はァ、でりゃァ!」

 

十年前の俺ならばきっとこうなってしまった時点で心が折れていただろう。生きて出られる訳が無いと。

だが今の俺は違う。

 

「うぉらァ!!」

 

生きる事は逃げない事だと知った今は、たとえ相手が何人いようと立ち止まりはしない。

無茶でもなんでも決して挫けず、前だけを見て突き進む。その先にきっと、俺が往くべき極道があるのだ。

 

(見えた……!)

 

そして、突破口が見えた。

何人ものヤクザを仕留めた先で、包囲網が手薄になったのだ。

 

「そこだァ!!」

 

俺は一番包囲が薄い場所にいたヤクザに接近し、渾身のレバーブローを繰り出す。

 

「が、ぁ、ぎっ、ぁぁああっ!!?」

 

激痛のあまり地面に崩れ落ちたヤクザ。

俺はそのヤクザの両足を掴んで持ち上げると、脇に挟んで力を込める。

 

「うぉぉぉおおおおおっ、らァッ!!!」

 

そのまま振り回すように回転して、周囲のヤクザを巻き込んで投げ飛ばす。ジャイアントスイングと呼ばれる、最も有名なプロレス技の一つだ。

 

「よっしゃ!」

 

俺は相当に分厚かった包囲網を突破し、ついに正門前までたどり着く。

 

(よし、ここまで来れば……っ!?)

 

しかし、事はそう上手く運ばなかった。

 

「待てぃ!!」

 

着物の上をはだけさせ、筋骨隆々なその身体を見せつけるスキンヘッドの大男。

背中に背負った猛虎の入れ墨が顕になり、彼の狂暴さをより一層際立てている。

 

「ちっ、ここでアンタか……嶋野!」

「ここから先は通さへんで!!」

 

東城会直系嶋野組組長。嶋野太。

風間の親っさんが手を焼くほどの超武闘派極道が、最大最強の壁として俺の前に立ち塞がったのだ。

 

 

 




次回はいよいよ嶋野戦、そして第3章ラストです。
まったり更新のはずですが、皆さんの応援のおかげで年内に嶋野戦間に合いそうです。
本当にありがとうございます。
次回もお楽しみに


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Pray Me

いよいよ嶋野戦です。
年内に間に合って本当に良かった……
それではどうぞ


東城会本部。

世良会長の葬儀会場から脱出を試みる錦山の前に立ち塞がったのは、東城会きっての超武闘派極道 嶋野太だった。

 

「でりゃぁぁああ!!」

 

叫び声と共に嶋野の張り手が飛んでくる。

二メートル近い巨躯から放たれるその一撃を錦山は咄嗟に防御した。

直後、彼はその選択を後悔する。

 

「ぐっ、ぉおっ!?」

 

錦山の体は重力を無視して大きく吹き飛ばされた。

すぐさま受身を取る錦山だったが、ここで一つの違和感に気づく。左腕に痺れが生じて力が上手く入らない。

防御のためにその一撃を受けた左腕が衝撃に耐えきれず悲鳴を上げているのだ。

 

(何なんだよこのパワー……バケモンじゃねぇか!?)

 

頭なら即昏倒。胴体なら内臓破裂。

いずれせよ、まともに喰らってしまえばそれが彼の最後である。

 

「てぇぇぇぇい!!」

 

嶋野は錦山に休む暇を与えず、タックルで追撃して来た。

小型自動車の正面衝突にも匹敵するであろうそれをまともに受けるのは愚の骨頂。あっという間に轢き潰されてしまう。

 

「うぉっ!?」

 

そう判断した錦山は地面を転がるようにしてその突進を躱した。すぐさま起き上がり、嶋野の背後を取る事に成功する。

 

「うぉらァ!!」

 

すかさず拳を振り抜く錦山。

嶋野が振り返った直後、右のボディブローが嶋野の腹部を直撃した。

 

「効かんわァ!!」

 

しかしその拳から伝わる感触は鈍く、手応えがまるで無い。

 

「でぃやぁ!」

「ちっ!」

 

錦山は嶋野が突き出してきた手を躱し、すかさず飛び退いて距離を取る。

 

(コイツ、反則だろ……!?)

 

鍛えられた筋肉と恵まれた体格を持ち、人智を越えたパワーとタフネスを発揮する嶋野。

攻撃の一発一発が必殺の威力を持ち、並の攻撃ではダメージが通らない。

そして懐に飛び込んだら最後、その人間離れした怪力で八つ裂きにされてしまう。

 

「ここがお前の墓場や!!」

 

その姿はまるで人の形をした戦車と言うのが相応しかった。

筋肉という堅牢で分厚い装甲と怪物級の馬力を併せ持ち、腕力の砲弾で敵を制圧する戦略兵器。

 

(こんな奴相手にどうしろってんだ……!!)

「死ねやァァァ!!」

 

錦山が内心で毒づくのと、嶋野が雄叫びを上げながら襲いかかるのは同時だった。錦山は乱雑に突き出された一撃を回避し、背後へと後退する。

ここで、彼はある事に気づいた。

 

「ぬぅん、てぇい、どうらぁぁ!!」

 

張り手やラリアット、裏拳などの力任せの一撃を連続で振るう嶋野。その一発の威力は必殺級だが、その動きは単調で予測がしやすい。

 

(だったら……!!)

 

錦山はとある作戦を企て、即座に実行に移した。

嶋野が突き出してきた手に、敢えて自分から掴まれに行く。

 

「血迷ったか錦山ぁ?お前はこれでしまいじゃあ!!」

 

その巨大な手のひらで頭を掴み、その握力ですり潰す。

そんな嶋野のアイアンクローが極まるよりも早く、錦山は嶋野の両腕を掴んで飛び上がると相手の首に両足を引っ掛けた。

 

「なんやと!?」

「ぬぉぉぉおおおおおお!!」

 

そして両腕と背筋、その他全身の筋肉を総動員して嶋野の腕関節を逆側に折り曲げる。

腕十字三角固め。プロレスラーや柔道家が使う、関節技の一種だ。いくら筋骨隆々な嶋野と言えど、関節の強度には限界があると錦山は踏んだのだ。

 

(腕一本、へし折ってやる!)

 

しかし、そんな目論見は浅はかであった事が即座に証明される。

 

「こんのガキぁぁぁあああああ!!」

 

嶋野は腕を極められた体勢のまま上体を垂直に戻すと、腕と背筋の力を使って錦山の身体を持ち上げたのだ。

鈍い音と共に、折れ曲がっていたはずの関節が元に戻る。

 

(コイツ、マジかよ!?)

「んどりゃああああああっ!!」

 

嶋野は叫び声を上げながら持ち上げた錦山の身体を地面に叩きつけた。

プロレスで言う所のバスターに近い方法で無理やり関節技を外す。

 

「がはっ!?ぅげほっ、ごほっ……!?」

 

背中から思い切り地面に落とされた錦山は、その強すぎる衝撃で肺の中の空気が全て絞り出された。

呼吸のリズムが狂い、嗚咽と共に激しく咳き込んでしまう錦山。

 

「ふざけた真似しおってぇ……!!」

 

嶋野は抵抗出来ない錦山を両手で掴むと、腕力だけでそのまま持ち上げた。

その後、抱きつくような姿勢で彼の腰にその丸太のような両腕を回す。

 

(や、やべぇ……!)

 

錦山の背筋が凍り付く。

嶋野が繰り出そうとしてるのはベアハッグと呼ばれるもので、腰や背骨にダメージを与える事を目的とした絞め技だ。

嶋野の怪力でやられれば最後、彼の腰は粉々に砕けてしまう事だろう。

 

「死に晒せやぁぁぁ!!」

 

そして嶋野が両腕に力を込めた。

その圧倒的なパワーに錦山の腰部が軋み悲鳴を上げ始める。

 

「ぐっ、ぅぉらァッ!!」

 

錦山は咄嗟に嶋野の両目の目蓋に自分の指を突き入れた。

目潰し。目を有する生物に対して最も原始的で残酷な攻撃方法。

彼の指先に生暖かく気色の悪い感触が伝わるが、人間が動物である以上効果はてきめんだ。

 

「ぐわぁぁぁぁあああああああ!!?」

 

錦山は嶋野の拘束から解き放たれ、地面に落ちる。

一方嶋野は激痛と共に視界を奪われ、両手で目を抑えながらその場でたたらを踏んでいた。

 

(やるなら、今しかねぇ!!)

 

このチャンスを逃す訳には行かない。

そう決議し錦山は背中と腰の痛みを無視し、両手の拳に力を込める。

 

「でぇりゃァ!!」

「ぐぁっ!?」

 

錦山は嶋野の顎に全力のアッパーをぶちかます。

これにより嶋野の身体が上に仰け反った事でその巨体が無防備になった。

その瞬間。

 

「うぉぉおおおおおおらああああああああああああッッッ!!」

 

殴る。殴る。殴る。

全力で握り込んだ左右の拳を一心不乱に連続で打ち付ける。

 

(今を逃したらもうコイツは仕留められねぇ!絶対にここで終わらせる……!!)

 

錦山はもはや何処に当てるかなどは考えていない。ただ一撃一撃にこれ以上無いほどの全力を込めて、嶋野の身体を何度も何度も執拗に叩き続けた。

 

「うぉぉらァァァッッ!!」

 

そして、錦山のトドメの一発が鳩尾に突き刺さった。

嶋野の巨体がついに片膝を付く。

 

(やったか……?)

 

錦山は一瞬。ほんの一瞬だけ緊張を解いた。

解いてしまった。

直後。

 

「こ、のガキ……よくもやって、くれよったなァ!!」

 

その瞬間を狙ってたかのように嶋野の右手が伸び、彼の首を掴んで容易く持ち上げた。

 

(な、なんだと……!?)

 

戦慄する錦山は立ち上がった嶋野の両目と目が合った。

その目は赤く充血し、額には血管が浮き出ている。

ただでさえ凶悪なその面構えは、今にも憤死しそうな程の怒りでよりその迫力を増していた。

 

「どぉぉりゃあああああああああッ!!」

 

嶋野は力任せに錦山の身体を振り回し、そのまま勢いよく投げ飛ばした。

 

「ぐはっ、ぁぁ、ぐっ、ぅ……!」

 

ロクな受身も取れずに地面に叩きつけられた彼の身体は、その勢いを殺しきれず地面を転がる。

 

(な、なんて野郎だ。本当に、人間かよコイツ……!!)

 

嶋野の理不尽なまでの頑丈さとパワーに錦山は嫌気が差していた。

先程の連撃は、彼が持てる全てを余す所なくぶつけたはずのものだったのだ。しかし、嶋野はそれすらも意に返さずに力でねじ伏せてきた。格が違うとはまさにこの事だろう。

 

「絶対に許さへんで……ワシがここでぶち殺したるわ……!!」

 

そう叫んだ嶋野が腰を落として低く構える。

それはまるで、相撲における立ち合いを始める寸前の力士のような格好だ。

 

(く、来る……!!)

 

全身の痛みと痺れ、そして疲労を端に追いやって錦山は無理やり立ち上がる。

彼は軋む骨の音と悲鳴を上げる筋肉の声を無視し、これから迫り来るであろう破壊の権化に備えた。

 

「死ねや、錦山ァァァああああああああッ!!」

 

そして、人型の戦車がついにその進撃を開始した。

対する錦山の身体は度重なる乱闘と嶋野から受けたダメージによりまともに言うことを聞こうとしなかった。

回避は間に合わない。防御などもってのほか。

となれば、彼に残された手段はもう一つしか無い

 

(やってやるよ……!!)

 

錦山は覚悟を決めて全神経を研ぎ澄ました。

突進してくる嶋野を集中して観察し、冷静に間合いを見計る。一発逆転のカウンター。あの突進に合わせた一撃で死中に活を見出す。それしか彼が生き残る術は残されていない。

早過ぎれば威力が乗らず、遅過ぎればあっという間に轢き潰されてしまう。

一歩間違えた瞬間に自分の負けが確定する極限状態で、錦山は周囲の時間が酷く遅く流れるのを感じた。

ほんの数秒が数分に感じられる中、彼は己の直感を信じてその時を待った。

そして。

 

(……来たッ!!)

 

目で見た敵との距離感、肌で感じた相手の殺気、耳朶を打つ嶋野の叫び声。そして背筋を走り抜けた悪寒という名の危険信号。

それら全てが合致した絶好の機会が訪れた。

 

「はァああッッ!!」

 

その刹那。

錦山は思い切り地面を蹴って、その身体を宙へと浮かせた。

残された体力を絞り出して放った、渾身の飛び膝蹴り。

彼が狙うのは猛烈な勢いで迫る嶋野の顔面だった。

 

「でぇぇぇえええぇぇええええい!!」

 

対する嶋野は、突進する勢いはそのままに両腕を突き出して飛びかかってきた。

その剛腕で錦山を捉えて八つ裂きにするつもりなのだろう。

 

(しまった、これじゃ届かねぇ!!)

 

ここで、錦山は一つの失策をした。

彼は嶋野がそのまま走り込んで突進してくる事を前提にしていた為、今嶋野に飛びかかられてしまうと狙っていた位置と高さが合わなくなってしまうのだ。

しかし、宙へと浮いた錦山と嶋野の身体は既に自分達の制御下を離れている。今更足掻いたところで何もかもが遅かった。

そして、激突。

 

「クッ……!!」

「ぐほっ、ぁぁっ!?」

 

錦山は自分の膝に確かな手応えを感じていた。

彼の放った飛び膝蹴りは嶋野の両腕の間をすり抜けて、その分厚い胸板へと叩き込まれていたのだ。

その直後。空中でお互いの勢いが反発し合った結果、嶋野の身体は背中から地面に叩き付けられ、錦山の身体は上へと跳ね飛ばされてさらに宙へと浮かんだ。

 

(!!!)

 

その時、彼の脳裏に稲妻が走った。

閃き、天啓と言っても良いだろう。

嶋野は地面に叩きつけられた直後で身動きが取れないでいた。大の字に寝転がったままこれ以上無いほどの無防備を晒している。

対する錦山の身体は宙に浮いたままで踏ん張りが効かず、自由な身動きが取れない。これでは回避も防御もままならないだろう。

一見して同じに見える彼らの条件。

しかし錦山の身体はこのすぐ後に、重力に引かれて下へと落ちるのが確定していた。嶋野太の真上の位置で。

 

「ぅ、ォォおおおおおおッッ!!」

 

唸る。落ちる。敵を見据える。

構える。備える。拳を握る。

打ち砕く。殴り抜く。

今度こそ。確実に。

絶対に。この喧嘩。

今が。この時が。

 

 

 

《勝機!! 》

 

 

 

「嶋野おおおおおおおおおおおおッッ!!!!」

 

燃え滾る気合と共に今、錦山の全身全霊の一撃が嶋野の顔面に叩き落とされた。

 

「が…………ぁ……………………!」

 

腕力、筋力、体重。おまけに重力落下の勢いすらも合わせて束ねた最大最強の一発は、東城会が誇る猛虎を完全に仕留めたのだ。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!!」

 

息を切らす錦山。

そして、その周囲を取り囲む東城会の極道達は、目の前で何が起きているかを認識するのに多大な時間を要した。

 

「そ、そんな……」

「あの嶋野の親分さんが……」

「嘘だろ……?」

 

超武闘派極道として東城会の内外問わずその名が轟く嶋野組。その長である嶋野太が勤め上げのチンピラに負ける。余りにも現実離れしたその光景にその場の極道達は目の前の不届き者を捕える事も忘れてただ呆然とするしか無かった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……ッ!」

 

そして。

 

「うおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

猛る虎を仕留めた一匹の鯉が勝利の雄叫びを上げた。

自らの存在を高らかに世界に示すように。

だが、地獄を這い出たばかりの鯉にとってこの勝利はこれから続く果てない黄河の道への始まり。言わばようやくスタートラインに立っただけに過ぎない。

それでも。

遥か先の龍門を目指す彼にとってこの勝利は、確かに大きな一歩であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早鐘のような脈動。沸騰しそうな身体。

止めどなく流れる汗。

そして、大の字で気絶する嶋野を見ながら俺は実感した。

 

(か、勝った……あの嶋野に……!!)

 

風間の親っさんと双璧を成す伝説級の極道。

その男と真っ向からやり合って、俺は勝利を掴んだのだ。

かつて無いほどの達成感と充足感が全身を包む。

しかし、ここは死地の只中。いつ襲われるかわからない状況でいつまでもそれに浸っている訳には行かない。

 

「ぐぅ、くっ、……ッ!!」

 

俺は限界を訴える身体に鞭を打って、正門へと踵を返した。一刻も早くここから脱出する為に。

そこへ。

 

「待ちやがれぇ!!」

 

他のどの追っ手よりも早く、俺の前に現れた坊主頭の極道がいた。

 

(シンジ……!?)

 

田中シンジ。

俺の渡世の兄弟である桐生の舎弟だった男で、風間組の構成員。先程、俺が風間の親さんと合流するための手引きをしてくれた男だ。

そんな男が額に青筋を浮かべながら俺に対して怒鳴りこんでくる。

 

「テメェ……よくも風間の親っさんを!!」

「ま、待てシンジ!それは誤解なんだ!」

「うるせぇ!そんなもん信じられる訳ねぇだろうが!!」

 

俺が事情を話す前にシンジは問答無用の精神で殴りかかって来る。錦山は放たれるパンチのキレから、シンジが相当の使い手である事を見抜いた。

 

(ここまで、か……!)

 

しかし、今の俺にはどうする事も出来ない。

嶋野を倒すのでかなりの体力を消耗し、度重なる痛みと怪我で走るどころか歩くのがやっとの有様なのだ。

俺は直後に走るであろう痛みと衝撃を受け入れようと覚悟を決めるが、実際にシンジの拳は俺を傷つけることは無かった。

 

(……?)

 

放たれたシンジの拳は俺の真横を通過し、シンジの顔が彼のすぐ隣にあるような格好になる。

そして、追っ手達の喧騒と怒号の中でも聞こえるように、シンジは耳元でこう囁いたのだ。

 

「懐のチャカで俺を人質に」

「ッッ!!」

 

その言葉と共に、何か固いものがぶつかった感覚があった。

それは意図的に俺と肉薄したシンジが、自分の懐にある拳銃をアピールするためにスーツのジャケット越しに擦り付けてきたからだ。

シンジは、自分が風間組の代表として敢えて人質になる事で追っ手が来れないよう時間を稼ごうとしているのだ。

 

(すまねぇ、シンジ!!)

 

迷っている暇は無い。

俺は心の中でシンジに謝りながらも、彼の懐に手を突っ込んで拳銃を奪った。

そしてシンジの首を背後から左腕で固定し、右手に持った拳銃をシンジの側頭部に突き付ける。

 

「近づくんじゃねぇ!コイツがどうなっても良いってのか?あァッ!?」

 

我ながら悪役そのもののセリフだが、その効果は覿面だった。

 

「ぐっ、クソっ!離しやがれ!」

「しまった、田中の兄貴が!」

「てめぇ汚ぇぞ!兄貴を解放しろ!」

 

先程まですごい勢いで俺に迫っていた極道達が、全員悔しそうに歯を食いしばりながら立ち止まっていた。

人質に何が起こるか分からないため、一定の距離以上は向こうも近付けない。

 

「どこまで行きゃいい……?」

「そのまま後ろへ……今は時間を稼ぎましょう……」

 

バレないように耳元で問う俺にシンジは後退するように指示をした。言われるがままにジリジリと少しずつ後ろへ退っていく。

そして俺とシンジの身体が本部の門を通り、道路へ出た時。

 

(ん?なんだありゃ……!?)

 

一台の車が猛スピードでこちらへ向かって来た。

やがてその車が俺とシンジの背後に陣取るように急ブレーキをかけて停車する。

 

「乗れ!!」

 

運転席から一人の男が叫ぶ。

まるで示し合わせたかのようなタイミングでやって来たのは偶然か必然か。

いずれにせよ、この場において運転席の男は俺の味方のようだ。

 

「あばよシンジ……!」

「お、叔父貴……!」

 

俺は拘束していたシンジを解放すると、その場に拳銃を捨てて背後の車に飛び乗った。

 

「待ちやがれこの野郎!」

「逃げんな外道が!」

 

俺を乗せた車はすぐさま発進し、怒号を上げて追るヤクザをみるみるうちに引き離していく。

俺は死地を越えたことを実感し、張り詰めていた緊張の糸が今度こそ切れて安堵のため息がこぼれる。

 

「ふぅ、なんとかなったな……」

「ご無事ですか?錦山さん」

 

声をかけてきた運転席の男は、黒いスーツに紫のシャツを着た如何にもな風貌をしていた。

パンチパーマにサングラスをかけたその外見はどう見てもカタギには見えないが、少なくとも今は俺の敵ではないようだ。

 

「あぁ。おかげで助かったぜ。ありがとよ」

「いえ、お気になさらず。貴方は会長にとって大切な方ですから」

「え?会長?」

 

服役前の俺は各方面に顔を売って商売していたが、流石に会長の知り合いは居なかった筈だ。

怪訝に思う俺を他所に、運転席の男は不敵に笑った。

 

「フッ、しかし仮出所二日目にして東城会三代目の葬儀で大乱闘とは……聞いていた話とは大分違いますが、流石は会長の兄弟分だ。やる事が派手で良い」

「えっ……兄弟って、まさかアンタ!?」

 

驚愕する俺に運転席の男はピシリと態度と声音を引き締め、自己紹介をしてきた。

 

「運転しながらのご挨拶、失礼致します。自分、関東桐生会で若頭代行をやらせて貰ってる松重って者です。以後よろしくお願いします。錦山さん」

「関東桐生会、だと……!!?」

 

俺は確信した。

この男は、桐生が独立させた組織の人間であると。

 

 

 

東城会。消えた100億。世良会長暗殺。そして関東桐生会。

動き出した陰謀の闇が今、俺を飲み込もうとしている。

この出会いはその、ほんの序章に過ぎなかった。

 

 

 

 




以上で第三章は終了です。如何でしたか?
次に投稿するのは断章ですがおそらくそれが年内最後になると思われますのでお楽しみに


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断章 1995年
試練


断章にして、年内最後の投稿です。
前回のお話で最後に登場した松重。彼が如何にしてあぁなったのかを段階を踏んでお届けいたします
それではどうぞ


1995年。10月25日。東京、神室町。

アジア最大の歓楽街であり、日本屈指の治安の悪さを誇るこの街にはヤクザの事務所が星の数ほどある。

この日も神室町の外れに存在する某事務所で、ある組の定例会議が開かれていた。

組の名前は、東城会直系風間組内桐生組。

"堂島の龍"と名高い桐生一馬が率いる三次団体だ。

 

「おい、今なんと言った?」

 

その定例会は今、ある組員の軽率な発言によって重々しい空気に支配されていた。

組長である桐生が問題発言をした組員に先程の発言を聞き直した。

その声音は低音ながらも静かな迫力があり、とても友好的とは言えない。それもそのはず。

桐生は暗に示しているのだ。"訂正するなら今だぞ"と。

しかし、その組員に反省の色は見受けられなかった。

 

「こんな定例会、意味無いって言ったんですよ。組長さん」

 

東城会直系風間組内桐生組構成員。松重。

元は風間組に所属していた男で、組織の中でもトップクラスの上納金(アガリ)を納めているやり手の極道である。

風間組の若頭である柏木の命令で桐生にシノギのいろはを教え込む為に桐生組の盃を受けた彼は、東城会の内外問わず"堂島の龍"と呼ばれ恐れられた桐生に対してすら臆せず意見してみせた。

 

「お前と話すくらいなら場末のキャバクラでブサイクな女と駄弁ってる方が、よっぽど有意義ってもんだ」

 

松重は、現状の桐生組の中で最も金を稼ぐ能力に長けている。故に組織内でそれなりの発言権があるのは当然の事だが、その発言は組の方針に対しての不満どころか組長である桐生に対しての侮辱にまで及んでいる。

要するに松重は、ついこの間組を立ち上げたばかりの桐生のことを甘く見ているのだ。

 

「松重の兄貴、今のはちょっと言い過ぎなんじゃないんですか?」

「あぁ?チンピラは引っ込んでろや」

 

尊敬する桐生を目の前で侮辱されたシンジが松重を窘めようとするが、直ぐにあしらわれてしまう。

 

「お前もこんな能無し組長にヘコヘコしてねぇで、お気に入りの嬢とでも一発しけこんで来たらどうだ?よっぽど有意義だと思うぜ?風俗狂いの田中さんよ?」

「言わせておけば……!いい加減にしとけよこの野郎!!」

「やめろ、シンジ」

 

度重なる侮辱に怒ったシンジが椅子から立ち上がるが、組長室に座る桐生がすかさず諌めた。

 

「兄貴、しかし……!」

「やめろって言ってるんだ、シンジ」

「……はい」

「フッ……組長さんの方がよっぽど分かってるらしいな?俺という存在の重要さをよ?」

「勘違いするなよ松重」

 

更に良い気になってふんぞり返る松重。

だが、桐生としてもこれ以上調子に乗らせるつもりは無い。

 

「お前は随分と自分に自信があるようだがな、現時点でお前は組に何の貢献もしちゃいねぇ。デカい口を叩くからには相応の成果を見せてもらおうか。でなけりゃ……」

「ん?でなけりゃ何だってんだ?」

「シンジをコケにしやがった分、全力でヤキを入れてやる。どちらの立場が上か、ここでハッキリとその身体に教えてやるぜ……!!」

「「「!」」」

 

全力の殺気を放つ桐生に松重以外の全員が冷や汗を流す。

極道としての凄みが滲み出たその脅し文句でさえ、松重は余裕の態度を崩さない。

 

「ほう……?流石は"堂島の龍"と呼ばれた男だ。中々迫力あるじゃねぇか」

「どうなんだ松重。俺が納得出来るだけの成果を出せるのか?」

「ハッ、良いぜ?」

 

松重はおもむろに立ち上がると、大きめの封筒を手に持つと桐生の座るデスクの上に乱雑に置く。

 

「ほらよ。今月俺が稼いだ金だ」

「これは……」

 

桐生が封書を開けると、中から札束が出てきた。

百万円の札束が五つ。合計で五百万円もの大金である。

 

「い、1ヶ月で500万円も……!?」

「驚くのはまだ早ぇ」

 

あまりの稼ぎの良さに驚愕するシンジに対して松重はそう嘯くと、一枚の書類を取り出す。神室町近くにある土地の権利書だった。

 

「借金のカタでぶんどったボロいラーメン屋の権利書だ。都内の土地の値段は年々増え続けてるからな、転売すりゃかなりの額が俺の懐に入ってくる。どんなに安くても1000万円はくだらねぇだろう」

「……」

 

平均月収は五百万円以上。場合によっては一千万円以上の収益。

堅気の人間ですらそれ程稼ぐことが出来るのはひと握りの人間に限られる。

松重は裏社会の人間でありながら、そんな表の社会のひと握りの連中にすら迫る程の稼ぎを有していた。

 

「これで分かっただろう?俺のシノギがどんだけ太いものなのかって事がな?」

「なるほど……確かに実力はあるようだな」

「おう。これからは俺がシノギのお手本って奴を見せてやるからよ……分かったら俺に対する扱いにゃ気をつけた方がいいぜ?組長さん」

 

勝ち誇ったような顔を浮かべた松重は、その足で事務所から出ようとする。

しかし、桐生はそれを呼び止めた。

 

「じゃ、今日の定例会は終了って事で」

「松重。一つだけ教えろ」

「あ?」

 

怪訝な顔をして振り返る松重に、桐生は真っ向から問い質す。それは、桐生が何より大事にしているものだ。

 

「お前に金を稼ぐチカラがあるのは分かった。だが……この500万を稼ぐのにどれだけのカタギを泣かせた?」

 

それは、義理と人情。

如何に金を稼ぐチカラがあったとしても、それがカタギを食い物にしているシノギであれば意味が無い。

裏社会とは、表社会で生きる人間がいてこそ成立するものなのだ。

 

「おいおい何を聞くのかと思いきや……そんなくだらん事が大事なんですか?」

「口ごたえはいい。聞かれた事だけに答えろ。」

「はっ、そんなもん何人泣かせたかなんて覚えちゃいませんよ」

「なんだと?」

 

桐生の詰問に対し、松重はさも当然のように答えた。

泣かせたカタギの数などいちいち数えていない、と。

 

「俺達ゃヤクザだ。どんな方法でいくら稼ごうが所詮は黒い金。なら、より多くの黒い金を稼ごうとするのが普通ってもんでしょうが?」

「その為なら……カタギの連中をいくら食い物にしても構わねぇって言うのか?」

「当たり前だろうが。はっ、全く噂通りの甘ちゃんだなぁウチの組長さんは。今どき義理人情と腕っ節だけで生き残れる程、ヤクザは甘くねぇんだよ」

 

自らの利益の為ならば、表社会で真っ当に生きる人々をいくら犠牲にしても構わない。それが松重の語るヤクザ論だった。義理と人情を重視する桐生の価値観とは致命的なまでに噛み合っていない。

 

「そうか……松重」

「なんです?」

「命令だ。カタギを泣かせるシノギからは今すぐ手を引け」

 

そして、泣いてる人間がいると知った以上は野放しに出来ないのが桐生一馬という男だ。

 

「なに……?」

「お前はカタギの人達の有り難さをまるで分かってねぇ。この街を生きるカタギ連中と良い関係が築けてこそ俺達はやっていけるんだ。」

「ふん、腕っ節だけの青二才が知ったような口を聞きやがる」

「桐生組の看板を背負ってシノギをする以上、スジの通らねぇ真似は言語道断だ。もしも組の看板に泥を塗りやがったら……ヤキを入れるだけじゃ済まねぇぞ?」

「おぉ怖い怖い。流石は"堂島の龍"だ、睨まれちゃ適わねぇ……せいぜい善処させて頂きますよ、組長さん」

 

最後まで上から目線の態度を崩さぬまま、松重は事務所を出ていった。

その後に松重の部下達が続いていき、桐生組の小さなオフィスは桐生とシンジだけが残った。

 

「やれやれ……」

「兄貴……」

 

嘆息する桐生がおもむろにタバコを咥え、すかさずシンジが火を点ける。

それに応え桐生も自前のライターを取り出した。

 

「シンジ」

「はい、ありがとうございます」

 

桐生の優しさと配慮に一礼した後、シンジもまたタバコを咥えて桐生のライターで火をつける。

お互いに有害な煙を吐きながら、松重の態度について言及する。

 

「松重の兄貴……噂には聞いちゃいましたが、相当プライドが高いですね」

「あぁ。風間組の中でも上位の稼ぎ頭だった男だ。それが先日組を立ち上げたばかりの新参者に指図されるのは面白くねぇんだろう」

 

横柄な態度で大口を叩くだけはあり、実力はしっかりと持っている松重。

しかし、組織運営においては有能だからこそ扱いづらい人物であると言える。

 

「実力が伴っていれば上に立てるのが俺達の世界だ。最初は仕方無い事かもしれねぇが、俺はゆくゆくはアイツよりも多くの金を稼がなくちゃならない……」

「ですが、松重の兄貴は汚いシノギに手を染めてるからこそのあの稼ぎ……悔しいですが、真っ当なやり方で太刀打ちするのは相当厳しいですね」

 

道理の通ったやり方にこだわる桐生と、稼ぐためなら手段を選ばない松重。

正しいかどうかはさておき、どちらが物事を進める事に対して貪欲で前向きかどうかは言うまでもない。

そしてその貪欲な行動は、必ず稼ぎという結果へと繋がるのだ。

 

「だがやるしかねぇ。子分にナメられたままなんて事が周りに知れたら組のメンツや沽券に関わるからな」

「兄貴……俺はいつでも、兄貴の味方ですから!俺に出来る事なら何でも言ってください!」

 

シンジは真っ直ぐに桐生を見つめてそう言い切った。

彼が追いかけていく背中は、これまでもこれからも変わらないだろう。

 

「そうか……それじゃあ早速頼まれてくれるか?」

「はい!」

「松重には釘を刺しはしたが、恐らく大人しく言うことを聞くタマじゃねぇだろう。しばらくの間アイツが下手な事しないように見張っておいてくれ」

「分かりました、任せてください!」

「あぁ。ありがとよ、シンジ」

 

桐生は軽く礼を言うと、タバコの火を消して椅子から立ち上がった。

 

「兄貴、どちらへ?」

「病院だ。錦の妹が手術前だからな。様子を見てくる。松重の事は任せたぜ」

「分かりました、行ってらっしゃいませ!!」

 

頭を下げて見送るシンジを背に、桐生は事務所を出た。

この時期の夕方はもう日が落ちていて、桐生の開いた胸元に冷たい風が吹きつける。

 

「行くか……」

 

桐生は病院へと向かうためにタクシー乗り場へ足を運ぶ。

その足取りは、非常に重いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ていた。

 

それは、とある男達が極道の世界に足を踏み入れるよりも前の事。

病弱な一人の少女が、当時入院していた看護師からの勧めで一冊の本に出会う。

なんて事はない、良くあるありふれた恋愛小説だった。

重い病を患った女の子が一人の男の子から花束を貰って勇気づけられ、恋に落ちていく物語。

 

(わぁ……!)

 

しかし、幼い頃に両親を亡くした上に入退院を繰り返していたせいで友人も居なかった少女にとって、その物語は紛れもなく"理想"だった。

そんな時、彼女の前に一人の少年が現れる。

少女と同じ孤児院で育ったその少年は、まるで示し合わせたかのように彼女に花束を贈ったのだ。

花の名前は胡蝶蘭。花言葉は"幸せが飛んでくる"。

無論、少年は彼女がそんな本に夢中だったなんて事は知らず、ただ純粋に同じ施設で育った仲間に早く元気になって欲しいと言う願いを込めて贈ったものに過ぎない。

それでも、彼女にとってはこれ以上無いほどに特別な贈り物だった。

 

(なれるのかな?私もいつか、こんな風に…………)

 

その物語は恋に落ちた女の子の懸命なリハビリと男の子の献身によって病が完治し、最後には二人が結ばれるという幸せな結末を迎える。

彼女は思わずには居られなかった。

自分の病もいつか完治し、健康になれる日が来る。

そうすればきっと、この物語の女の子のように自分も恋に落ちて……。

 

「お兄ちゃん。あ、あのね?このお花……恋人からの贈り物なの」

 

そんな想いから、彼女は唯一の肉親である兄に嘘をついた。

恋愛小説に浮かされた年頃の少女が吐いた、可愛らしさすらある冗談。

しかし、生まれた時から大事にしてきたたった一人の家族に恋人がいるというニュースは、兄の少年にとってはあまりにも重大すぎた。

その日、兄の少年は血相を変えて街中を探し回った。

妹の恋人がどんな人物なのかをこの目で見る為に。

そして、万が一にも信用できないような奴なら思い切り殴るために。

 

(あぁ……やっちゃったなぁ……)

 

もちろん彼女は自分の兄が街でそんな事をしているなんて知る由もない。だが、病室を出ていった時の兄の顔は彼女から見ても明らかに動揺していた。

きっと、要らない心配と迷惑をかけてしまったに違いない。

そう思った彼女は、素直に兄に嘘をついた事を謝った。

本を読んで浮かれてしまった自分が悪いのだと。

しかし、兄はそんな彼女を一切責めなかった。

妹想いが過ぎる兄としては妹の恋人なんて到底許せるものでは無かったのだ。

兄の少年は安堵のため息の後に、彼女にこう告げた。

 

『本当にいい奴が出来たら……真っ先に、俺に教えろよ?』

 

そんな兄の少年の言葉を最後に。

 

 

 

夢が、醒める。

 

 

 

「ん…………」

 

微睡みの中、少しずつ意識がハッキリしていく。

見慣れた白い天井。消毒用アルコールの匂い。意外と窮屈な酸素マスク。

そして、心電図モニターの機械音。

そこにはあったのは彼女のーーー錦山優子の置かれた現実の風景だった。

 

(夢、か…………)

 

どこか懐かしい、それでいて微笑ましい夢を見ていた気がするが、それが何だったかが彼女の中で曖昧になっていく。

最近になって辛いことが多い優子にとって、今抱いているこの懐かしくて穏やかな気持ちがこのまま霧散してしまうのはとても悲しい事だった。

 

「目が覚めたか」

 

しかし、消え入りそうになるその気持ちに待ったをかける声が優子の耳朶を打った。

天井に向けられた視界を、少しだけ右にズラす。

 

「ぁ……………………?」

 

そこに居たのは、グレーのスーツを着た一人の男。

彫りの深い顔をしたその男の出で立ちはどう見ても極道者でしかない。

 

「俺が分かるか……?」

 

しかし優子がその顔を見た時、彼女の中で朧気であった夢の内容が鮮明に蘇った。

男の強面な風貌が、かつて花束を贈ってくれた少年の面影と重なり合う。

 

「かずま、くん……?」

「あぁ……久しぶりだな」

 

桐生一馬。

彼女の兄である錦山彰の親友にして、渡世の兄弟分。

優子にとっても同じ施設で育った大切な仲間の一人だ。

 

「どうして、かずまくんが……?」

「今日は、お前に大切な話があって来たんだ。聞いてくれるか……?」

 

そう言う桐生の顔は、どこか気まずそうな表情を浮かべていた。

おそらく、自分に対して余程言いにくい事があるのだろう。

そう考えた優子は直ぐに思い立った。極道の世界に身を置いた彼が彼女に対して言いにくい事などひとつしかない。

 

「おにいちゃんの、こと……?」

「…………あぁ」

 

優子の予感は当たっていた。

極道者である兄の身に、何かがあったのだ。

でなければ同じ極道者である桐生がわざわざここに来る理由が無い。

 

「おにいちゃんに……なにか、あったの……?」

「錦は……お前の兄さんは、遠い所に行く事になっちまったんだ」

「遠い、ところ?」

「あぁ。仕事の都合で少しな……」

 

遠い所に行った、と桐生は言ったが優子も大人だ。

桐生がぼかした言い方をした事くらいはすぐにわかる。

 

「……どれくらい、かかるの?」

「早くても10年……下手をすればもっとかかると思う」

 

その答えを聞いて優子はほぼ確信する。

自分の兄はきっと、何かの罪を犯してしまったのだと。

極道者として生きる以上は、いつかはこんな日が訪れるかもしれないと考えていた優子。

だが、それがこんなにも早く訪れるとは思っていなかった。

 

「俺はアイツに、お前の事を頼まれたんだ。遠い所へ行ってしまう自分の代わりにな」

「そう、なんだ……」

 

桐生とは決して知らない仲では無い。

何より兄である彰は桐生の事をとても信頼していた。

故にきっと、錦山は妹の事を託したのだろう。

 

「仕方が、ない……こと、だったんだよね……?」

 

身体が弱く入退院を繰り返す優子に、兄である錦山はいつも優しく接していた。今の彼女が命を繋いでいられるのも、錦山の尽力があったからに他ならない。

だからこそ優子は、心優しい兄が何かの罪を犯した事にも何か理由があったのだと考えた。

 

「…………あぁ」

 

桐生が短く応える。

本来彼には伝えたい事、伝えなければならない事が山ほどある。

気を抜けば直ぐにでも口から溢れ出そうになるそれを、桐生は必死に堪えた。

もし全てを打ち明けてしまったら、優子の病状に甚大な影響を与えてしまうかもしれない。

親友に妹を託された身として、それを容認する訳には行かなかった。

 

「優子……錦からお前に伝言を預かっている」

「え……?」

 

だからせめて、錦山が一番伝えたかったであろう事を桐生は伝える。

育ての親である風間から託された、妹を想う兄の気持ちを。

 

「"俺は信じてる。だから絶対諦めるな"。錦はお前に、そう伝えたかったそうだ」

「おにい、ちゃん…………」

 

警察に捕まりこれから獄中生活を送る事になってしまうという時でさえ、彼女の兄は優しかった。

彼女の病が治ることを誰よりも望んでいた家族の言葉は暖かく、優子の胸にゆっくりと染み込んでいく。

 

「……今後の手術には俺が立ち合う事になった。治療費や入院費も俺が面倒を見させてもらう。だから優子は、治療に専念してくれ」

 

居た堪れなくなった桐生は、最後にそう伝えると踵を返す。伝えるべき事は伝えた。ならばこれからは行動で示すのみだ。

 

「待って、かずまくん」

「?」

 

そんな桐生を優子が呼び止める。

病状は芳しくなく生気のない目をしていた筈の優子が、真っ直ぐ桐生の目を見つめている。

その瞳には、先程まで無かったはずの光があった。

兄から貰ったエールを希望に変えた、闘病という名の試練を乗り越える覚悟を持った生気の輝き。

 

「わたし、がんばるから……おにいちゃんが、帰ってきた時……元気で、いられるように……だから、よろしく……お願い、します……!」

 

その真っ直ぐな瞳を見て、桐生は自分に対して喝を入れる。

人伝とはいえ兄の言葉で強い気持ちを取り戻した優子の想いに、彼もまた全力で応えなければならないと覚悟を決める。

 

「あぁ……こっちこそ、よろしくな」

 

桐生は力強く頷いた。

兄弟との約束もそうだが目の前の彼女の決意に報いるために、桐生は気合いを入れ直す。

 

(俺が、必ず救ってやる……!)

 

そして、桐生は今度こそ病室を出る。

自分に待ち受ける、組織運営という名の試練に挑む為に。

 

 

 




如何でしたか?

優子と桐生、二人にとって大きな試練が待ち構えています。
次回の断章もお楽しみに


そして皆様、良いお年を!


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第四章 再会と出会い
傲慢


皆様、あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします。

新年一発目にして、いよいよ感動の(?)再会です。それではどうぞ。


2005年。12月6日。

この日、一台の車が東京の郊外にある広域指定暴力団"東城会"の総本部から逃げるように出発し、最短ルートを通って横浜へと向かっていた。

乗っているのはスーツ姿の二人の男。

運転席に座りハンドルを握るのは、パンチパーマにサングラスをかけた厳つい風貌の男。

そして後部座席にいるもう一人は、黒いスーツを着用した整った顔立ちの男だった。

 

「……………………」

 

後部座席の男は極度の疲労から後部座席で眠っていた。静かに寝息を立てるだけで動かないが、目的地に着いたら運転席の男が起こす手筈になっている。

 

(眠ったか……まぁ、仕方ねぇ事だろう)

 

運転席の男はその疲労の原因を知っている為、なるべく眠りを妨げない用に運転にも注意を払う。

同時に、バックミラーで後部車両の有無も確認した。

 

(追っ手の気配はねぇ……どうやら撒いたみてぇだな。会長に報告するか)

 

運転席の男は胸ポケットから携帯電話を取り出し、ある番号にかける。電話は直ぐに繋がった。

 

『俺だ』

「お疲れ様です、松重です。」

 

関東桐生会若頭代行兼直参松重組組長。松重。

それが運転席の男の肩書きと名前だった。

 

『首尾はどうだ?』

「ご心配なく。会長の大切な兄弟分はキッチリお迎えしました。今は後部座席でぐっすり眠られていますよ」

『そうか……恩に着る。松重』

 

電話の声は渋くて低い男のモノだった。

会長と呼ばれたその男は感謝を述べるが、松重は当然の事だと返す。

 

「そんな、気にしないで下さいよ。自分は与えられた仕事をこなしただけですから」

『……お前には、世話になってばかりだな』

「いえいえ。いつも先頭に立って暴れる会長のフォローに比べたら、この程度の仕事は安いもんですよ」

『む……』

 

痛い所を突かれたのか会長が僅かに言い淀む。

しかし、松重に言わせれば今回の事は日常茶飯事である。

 

「今回の件だって、最初は会長がご自分で行くって聞かなかった」

『……兄弟の身が危ねぇって時に、指をくわえて見てる訳には行かねぇだろう』

「えぇ。だから俺が行く事になったんです。俺ならまだ会長よりは顔が割れてませんからね。変に構成員を向かわせて下手を打たれるよりはずっと良い」

 

会長にとって今回のこの作戦は決して失敗できない最重要任務だった。

自分が行けないにしても半端な奴には任せたくない。

そんな会長の想いを汲み、松重は自ら作戦の参加に立候補したのだ。

 

「会長。貴方が義理人情に厚いのは分かってますが、今の貴方は決して少なくない構成員を抱える極道組織の長なんです。貴方に万が一の事がありゃ、俺達は瓦解しちまいます。」

『…………』

「十年ぶりに娑婆に出た兄弟を想うのは分かりますが、こんな事はこれっきりにして貰わねぇと。俺達は命がいくつあっても足りません」

『……あぁ。分かってる』

 

若頭代行である松重が、会長であるはずの電話の男に対して意見を述べる。

上の人間を絶対とする筈の極道組織としてはかなり珍しい光景だが、その風通りの良さ故に上の人間は組織内の不和や問題点を見つめやすい言う利点もある。

松重のいる組織にとって正義とは必ずしも力がある事では無く、道理や筋を通した者もまた正義として見なされるのだ。

 

「こっちは間もなく到着します。会長も出迎えの準備をしていて下さい」

『あぁ、分かった』

 

松重は電話が切れたことを確認すると、携帯電話を胸ポケットにしまいこんだ。

追っ手の有無を確認した今は、ハンドルをしっかりと握り安全運転を心がける。後部座席で眠る男は会長にとっての大事な客人であり兄弟分なのだ。万が一の事があってはいけない。

 

(10年越しに娑婆から出て来たら自分の兄弟が東城会と袂を分かってた……か)

 

松重は以前からこの客人についてよく聞かされていた。

頭がキレて物事を円滑にこなせる器用さと、根っこに会長に負けない程の熱さを持っていると。

そんな人間が十年越しに今の会長と再会すれば、果たしてどうなるか。

 

(……会長室付近の警備を増やしておくか)

 

絶対にタダでは済まない。そう考えた松重は警備の数を増やす事を決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着きましたよ、錦山さん」

「あ……?」

 

松重の車の中で仮眠を取っていた俺は、運転席からの声で眠りから覚めた。

嶋野との喧嘩で身体中のあちこちが痛むが、少しだけ休めたおかげで疲労に関しては問題なさそうだ。

 

「ここは何処だ?」

「神奈川県横浜市。関東桐生会の本部前です」

「横浜か……」

 

横浜と言えば、桐生の出身地だったはずだ。

アイツからすれば故郷の地に本拠地を置いた事になる。

 

「さ、降りてください」

 

俺が手を触れるよりも前に車のドアが開く。

外にいた若い衆が開けてくれたようだ。

 

「あ、あぁ……」

 

松重に言われるがまま車を降りた途端、俺は目の前の光景に面食らった。

 

「こ、これが……関東桐生会……!」

 

そこにあったのは要塞のような外観のデカい建造物だった。

全盛期の堂島組本部にも似たその威容は、関東桐生会が決して弱小組織では無い事を如実に現している。

そして、開け放たれた門の奥には何人もの若衆が待機していた。

 

「お疲れ様です!」

「「「「「お疲れ様です!!」」」」」

 

その全員が俺に向かって一斉に頭を下げてくる。

東城会に居た時でさえ、こんなにも大勢の人間に出迎えられた事はない。

 

「どうです?錦山さん。これが、関東桐生会の本部です」

「あぁ……すげぇ組織だな」

 

100人は下らない黒服の構成員達に頭を下げられる中、俺は松重の後に続く形でその後ろについて行く。

まるで大幹部のような扱いを受けることに戸惑うが、俺は直ぐに姿勢を正した。

今頭を下げているこの連中は、俺の事を自分達をここまで躾てきた主人の兄弟分だと思っている。ナメられる訳には行かない。

 

「さぁ、もうしばらく俺について来てください」

「分かった」

 

施設内に入り、俺はその豪華な作りの内装を見て目を丸くした。

 

「結構、豪華な感じなんだな。無頓着なアイツの事だから、中はもっと殺風景かと思ってたぜ」

「仰る通り、会長も最初は内装に拘らない人でした」

 

ですが、と松重は付け加える。

 

「会長はこの関東桐生会を立ち上げてからというもの、見栄にも気を配るようになったんです。ヤクザは見栄を張ってなんぼだ、と貴方に言われたと言っていましたよ」

「……そういえば、そんな事を言った気もするな」

 

それを最初に言ったのは確かバブルの頃だったはずだ。

もうかなり昔の事になるが、律儀に覚えてる所もアイツらしい。

 

「さ、この階段を登った先が会長室です。お互い積もる話もあるでしょうし自分はここで待ってますから、ごゆっくりどうぞ」

「あぁ……世話になったな、松重さん」

 

ここまで送り届けてくれた松重さんに俺は頭を下げ、桐生が待つという会長室に続く階段を上がった。

 

(もうすぐ、桐生に会える……)

 

会長室を前にして俺の中には今、ふたつの感情が渦巻いている。

十年越しに再会出来る喜びと何故こんな事になったのかという疑惑。全部含めて、聞きたいことや話したい事が山のようにある。

 

「お疲れ様です。錦山彰さんですね?」

「あぁ、そうだ」

 

会長室前の護衛が俺の姿を認めて頭を下げる。

護衛は扉をノックして俺が来た旨を伝えてから、ゆっくりとその扉を開けた。

意を決し、足を踏み入れる。

 

「桐生……?」

 

一瞬。

俺は目の前の男が桐生である事に気付かなかった。

纏っている空気が10年前とは明らかに違う。

ギラギラした雰囲気こそあったがその中にも優しさや暖かさみたいなものがあったはずだが、目の前の男から放たれているのは触るもの皆傷付けるようなピリピリとしたものだ。

本来追い込みをかける時にしか出さないようなものが、全身から滲み出ている。

着ている服がいつものグレーのジャケットでは無く、ダークグレーのダブルスーツになっている事や、胸元まで開けていた筈のワインレッドのYシャツは胸元が閉じられ、黒のネクタイを締めている事もそこに拍車をかけていた。

 

「久しぶりだな……錦」

 

しかし聴き馴染んだ渋い声が俺の耳朶を打ち、目の前の男が桐生だと確信する。

声音の中に優しさがある、あの時の桐生そのものだった。

 

「桐生……!」

 

俺は部屋の奥に座る桐生の元へと歩み寄り、桐生もまた椅子から立ち上がって俺に近付いてくる。

やがて俺たちの距離が一定まで近付いた。互いの拳が届く範囲だ。

 

「桐生、お前には言いたい事や聞きたい事が山ほどある。でもな、まずこれだけは答えろ」

「……なんだ?」

「お前……風間の親っさんと東城会を裏切って組を割ったって話、本当なのか?」

「……」

 

その問いに桐生は顔を俯かせ、何かを堪えるような表情を浮かべる。重い沈黙が会長室を包み込み、やがて桐生が目を見て答えた。

 

「…………あぁ、本当だ」

「ッ!!」

 

直後。

俺は右の拳を思い切り振り抜いていた。

 

「ぐっ……!」

 

鈍い感触と共に、桐生が一歩後ろへと退る。

幼少の頃から過ごしてきた俺たちは殴り合いの喧嘩をする事も良くあったが、今の拳は今まで振るった中で一番気分のいいものじゃ無かった。

 

「とりあえず一発だ。悪く思うなよ」

「っ…………あぁ」

 

口元を拭いながら、桐生が俺に向き直る。

どうやら、どんな事になっても言い訳をしない所は変わっていないらしい。

 

「さぁ、何があったか聞かせてもらうぜ兄弟。こっちは十年ぶりの娑婆だってのに元堂島組から狙われるわ、お前が裏切ったと聞かされるわ、目の前で親っさんが撃たれて東城会から目の敵にされるわで散々なんだ。いい加減スッキリさせてくれよ」

「…………錦」

「あぁ?」

 

桐生は俺の目を真っ直ぐに見た後、腰を直角に曲げて俺に頭を下げた。

 

「頼む。今回の一件、お前は関わらずに手を引いてくれ」

「は……?」

 

言っている意味が分からず困惑する俺に桐生はこう続けた。

 

「風間の親っさんからどこまで聞いているかは分からねぇ。だが俺が組を割った事も、今の関東桐生会も、由美や優子の事も、全て俺の問題なんだ。お前まで巻き込むわけにはいかねぇ。この一件は俺が必ず全てにケジメを付ける。だからここは俺に預けて、錦は手を引いてくれ」

 

俺の内側で、かつて無いほどの感情の奔流が迸る。

心拍数が上がり、理性的な部分が失われていく。

そして。

 

「……ざ、……んな………」

「錦……?」

 

そのあまりの傲慢さに俺の怒りは爆発した。

 

「ふざけんなって言ったんだよ馬鹿野郎がァ!!」

 

俺は頭を下げる桐生の髪を掴んで持ち上げると、先程の比にならない全力の一撃を顔面に叩き込んだ。

 

「ぐぁ……っ!」

 

後ろに大きく仰け反り、組長机にもたれ掛かる桐生。

俺はそんな桐生の胸ぐらを掴みあげると、額を擦り付ける勢いで顔を近づけた。

 

「テメェ……しばらく会わねぇ内にどんだけ出世したんだ?あ?俺とはもう住む世界が違うってか?何様のつもりだコラァ!!」

「錦……っ」

 

九年前。桐生から優子が助かったと聞いた時、俺は生きる希望を取り戻す事が出来た。

それから出所までの間、桐生の隣に立ちたい一心で己に地獄の鍛錬を課していたのだ。

今度は俺が、桐生の力になる為に。

それなのに桐生は、そんな俺を遠ざけようとしている。

 

「何でもかんでも一人で背負い込みやがって!お前にとって俺はそんなに頼りねぇか?俺達は兄弟じゃ無いって言いてぇのか!?」

「違う!俺はただ……もうカタギになったお前を巻き込みたくねぇだけだ!」

「それが独りよがりだって言ってんだよ!お前に心配される程、俺はヤワな男じゃねぇ!!」

 

力になりたいと願っていた兄弟に情けをかけられる。

男として、桐生一馬の兄弟分としてこれほど惨めな事があるだろうか?

 

「言ったはずだぜ桐生。俺は一生、お前に付き纏ってやるってな!!」

「錦……!」

「俺が今までどれだけお前って男を間近で見てきたと思ってんだ?お前が風間の親っさんを裏切ったのだって、訳があってやったに決まってる。お前はいつだって利己的に動くような人間じゃねぇ。誰かの為に怒って悲しんで、それでも前に進む。そんな男だ!」

 

そうだ。

俺は桐生一馬という人間をよく知っている。

いつだってバカ正直で、不器用で義理堅くて、己の信じた道をひたすら真っ直ぐ進み続ける。

そんな男が何の事情も無しに渡世と育ての親を裏切る訳が無い。たとえ天地がひっくり返ってもそれだけはありえないのだ。

 

「そう言った事情も全部ひっくるめて俺に言え!手を引くにも、首突っ込むにも、まずはそこからだろうが!スジの通らねぇ真似してんじゃねぇぞ、兄弟……!!」

「錦……」

 

自分だけでどうにか出来ればそれで良い。周囲に迷惑は掛けたくない。

それはきっと桐生が持つ優しさであり男気なのだろう。

だが、コイツは"頼られない苦しみ"と言うのを分かってない。

ただの雑務なんかじゃなく、ここ一番って時に頼って貰えない苦しみを。

ましてや、共にこの世界に足を踏み入れた唯一無二の兄弟分にだ。

 

「お前がそうやって勝手な真似するってんなら、俺も勝手にさせて貰うぜ。徹底的に首を突っ込んでやる」

「…………」

「それが嫌だってんなら全部話せ。その上で俺を説き伏せてみろ。それがスジってもんだろうが。違うか?」

 

理由はどうあれ、風間の親っさんに弓を引いたのは悪い事だ。だが、それでも俺は桐生の敵になるつもりは無い。

話を聞いた上で、もしも間違った道に進もうとした過程でそうなった事が分かれば、これ以上進ませないために全力でぶん殴って止める。それだけの事だ。

 

「……あぁ。お前の言い分はもっともだ」

「だろ?それなら」

「断る」

「あ!?」

 

桐生はそう言って胸ぐらを掴む俺の手首を掴み返した。

まるで万力で押し潰されるかのようなパワーに圧倒され、俺の握力が奪われていく。

 

「ぐ、くっ……桐生、お前……!」

 

やがて俺の手は桐生の胸ぐらから完全に離れ、引き剥がされた。

掴まれていた右手首が痛みと痺れを発し、力が上手く入らない。

 

(な、なんて力だ……!!)

 

先程戦った嶋野と同等。

もしくはそれ以上のパワーを肌で感じ、俺の身体がコイツには勝てないと警告を発する。

桐生がその気になれば、俺は即座にねじ伏せられてしまうだろう。

これが"堂島の龍"。

俺が憧れ、超えたいと願った極道の頂点。

 

「スジが通らねぇ事は百も承知だ。それでも……これだけは譲れねぇ」

 

そこで俺は思い知る。

俺と桐生は、決して対等なんかでは無い事に。

鍛えていたとは言え、俺は所詮何の肩書きも無い勤め上げのしがないチンピラ。

対して桐生は東城会を相手に一触即発の状態になっておきながら、尚も潰されない程の屈強さを持つ極道組織のトップ。

格が違うどころの話じゃない。完全に月とスッポンだ。

 

「お前だけは、巻き込む訳にはいかねぇんだ……!!」

 

そんな男が。

俺とは歴然とした格の差のある男が破門されて既に極道ですらない俺に対し、渡世の兄弟分と言うだけで頭を下げ、ましてや二回も殴られる事を許容している。

あまりにも十分すぎる譲歩と言えた。

 

「だから頼む。錦。何も聞かずに、手を引いてくれ……!」

「桐生…………」

 

桐生は再び頭を下げる。

こんな所をここの構成員に見られたらたまったものでは無い。

絶対に関東桐生会からも目の敵にされてしまうだろう。

そして、桐生が穏便でいる内に首を縦に振らなければ俺は瞬く間に制圧され言う事を聞かざるを得なくなる事は容易に想像できた。

 

(どうする……?)

 

一旦引き下がるか。それとも無理を承知で我を通すか。

俺の中で天秤が揺れ動く。

しかし、俺の葛藤は長くは続かなかった。

 

「ん……?」

 

桐生の机に置いてあった固定電話がコール音を鳴り響かせたのだ。

姿勢を戻した桐生は、直ぐに受話器を取る。

 

「俺だ………分かった。すぐに行く」

 

電話に短く応え、桐生は受話器を置く。

すると足早に会長室を出ていこうとした。

 

「待てよ桐生。何があった?」

「俺に緊急の来客だ。錦、お前はここで待っててくれ!すぐに戻る!」

「お、おい桐生!」

 

桐生はそれだけを告げると足早に部屋を出て行ってしまった。

高価な絨毯や調度品のある会長室に俺だけが一人取り残される。

 

「クソっ……なんだってんだ…………」

 

独りごちる俺の視界に、あるものが目に映った。

それは、桐生の使っていた組長机の上にある写真立てだ。

倒れている所を見るに、さっき俺が桐生を殴った時にアイツがもたれかかったせいだろう。

 

「……」

 

俺は何気なくその写真立てを手に取って、向きを表向きにする。

するとそこには見覚えのある写真が一枚飾ってあった。

 

「これは……!」

 

映っていたのは三人。

学ランを着た二人の少年の肩を組むように、スーツ姿の壮年の男が立っている。

俺と桐生。そして、若い頃の風間の親っさんの写真だった。

 

「桐生…………」

 

その写真を見て俺は確信する。

桐生は、決して風間の親っさんを裏切りたかった訳じゃない。

ただ、そうせざるを得なかった"何か"があったのだ。

 

(だったら、尚更引く訳にはいかねぇだろうがよ!)

 

俺は写真立てを机に立てると、踵を返して会長室を出た。

傲慢な兄弟に、俺の意思を伝える為に。

 




如何でしたか?
原作ではもっと後半になる二人の再会ですが、本作においてはこの段階で再会します。
完全に原作には無い展開なので、今後が読めない方もいらっしゃるのでは無いでしょうか。

次回もお楽しみに


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関東桐生会

最新話です。
横浜といえば、あの男ですよね。
登場します。ご期待ください


神奈川県横浜市。

外国貿易の為に開かれた港町の一つであり、その昔は日本を代表する程の都市として名を馳せるほどに栄えた場所でもある。

中華街や観覧車等と言った観光名所が立ち並び多くの人が往来する大きな街だ。

そんな横浜の地に、ここ数年で根を張った極道組織がある。

その名は"関東桐生会"。

関東一円をその支配下に置く広域指定暴力団"東城会"の中で、"堂島の龍"と呼ばれ恐れられた伝説の男"桐生一馬"が旗揚げした組織で、現在は東城会を離脱して組織を独立。

ここ横浜に本拠地を置き、その裏社会で活動しているヤクザ集団である。

そして、横浜郊外にある関東桐生会の本部は今、例年に無いほどの緊張状態に陥っていた。

 

「……」

「……」

 

黒っぽいスーツ姿の集団と白が多いものの様々な色のチャイナ服を着た集団が、関東桐生会の本部前で睨み合っている。

黒服集団が関東桐生会の構成員達で、色服集団がそんな関東桐生会を訪ねて来た集団だ。

色服集団は総勢で約30人に対し関東桐生会の構成員はおよそ100人。

その数の差は火を見るよりも明らかだが、色服集団側は一歩も引く様子を見せない。

それどころか、全員が隙を見せたら一矢報いる気満々の好戦的な目付きをしていた。

 

「すいません、今大事な客人が来ているんです。また後日にはして頂けませんか……?」

 

黒服集団の先頭に立つのは関東桐生会の若頭代行を務める松重だ。彼は色服集団の先頭に対してお引き取り願うように投げかける。

口調こそ穏やかだが全身からは気迫が滲み出ており、その目は油断なく相手を見据えている。

 

「ホウ、大事な客人?アナタ方の存続よりも大事なのですカ?その人物ハ」

 

しかし、色服集団の先頭の男は恐れ戦くどころか逆にそれを煽ってみせた。

白を基調としたチャイナ服を身に纏い、長い黒髪を後ろで束ね、髭面の顔に傷を付けたその男はこの色服集団のトップであり最強の実力者でもある。

 

「……そいつぁ、どういう意味ですか?ラウさん」

 

蛇華(じゃか)日本支部総統。劉家龍(ラウカーロン)

蛇華は中国に本拠地を置くマフィア組織だが、ここ日本では横浜中華街を中心にシノギを拡大している。そんな蛇華の日本支部における総統を務めるこの男はその圧倒的な強さで組織をのし上がった叩き上げのエリートで、中国武術の達人である。

並のヤクザでは全く歯が立たない所か、たった一人でこの人数差を覆しかねない程の実力を秘めている。

彼はその自信が故に一歩も引きはしないのだ。

 

「言葉通りの意味だガ?アナタのようなザコに用は無イ。早くキリュウカズマを呼んで来た方が身の為デスヨ?」

「……あんまり、日本のヤクザをナメんなよ?チャイニーズ風情が」

「アナタこそ身の程を知った方がイイ。俺にかかればアナタなど三秒で料理出来マス」

「そいつぁこっちのセリフだぜラウさん。アンタ、日本語は達者だが礼儀がなってねぇらしい……俺がここで教えてやろうか?」

 

互いに一歩も引かぬ舌戦で、空気が段々と張り詰めていく。

そこへ一人の男が到着した。

 

「やめろ、お前ら」

 

ダークグレーのスーツに赤シャツと黒ネクタイ姿のその男こそ、関東桐生会の会長。桐生一馬その人だった。

桐生の一言で松重以外の全員がすぐさま道を開けて、会長である桐生に頭を下げる。

 

「会長……」

「待っていましたヨ、キリュウサン」

 

振り返る松重と、ようやく話が出来ると肩を竦めるラウ。

桐生は松重の前に立つと、真っ向からラウを見据えた。

 

「ラウカーロン。何しに来た?」

「決まっていマス。"最後通告"デス」

 

対峙した桐生に対し、ラウは堂々とそう言ってのけた。

 

「最後通告だと?」

「アナタ方がここでシノギをしていられるのハ、ワタシたちが今まで手心を加えてあげていたカラに過ぎナイ。ですが、アナタ方はそれを勘違いしてのさばり始めてイル。アナタ方が新参者の分際デ身を弁えナイからコチラからわざわざ出向いて上げたのデス」

 

ラウの目的は横浜一帯からの関東桐生会における全組織の撤退。つまりこの地域から彼らを追い出す事にあった。

 

「こっちはこっちのシマでシノギをしているだけだ。アンタらのシノギを邪魔した覚えはない。因縁を付けられる筋合いは無いんだがな?」

「そういう問題では無いのデスヨ。我々がシノギを広げるのに、アナタ方に居られちゃ迷惑だと言っているのデス。我々の方がこの地で根を張ってイル歴史は長イ。外様の人間は出てイクのが当然だと思いまセンカ?」

 

あくまでも自分達のシマの中でシノギをしていると主張する桐生だが、ラウの目的は因縁を付けることではなく追放する事にある。

両者の意見は食い違う一方だ。

 

「勝手な理屈を捏ねられちゃ困るな。シノギが頭打ちなのはそっちの都合だ。俺達が出て行かなきゃならねぇ理由は無ぇ」

「ソウデスカ……キリュウサンとは知らない仲じゃナイ。穏便に済ませている内に決断して欲しかったのデスガ……!」

 

決着の付かない押し問答に苛ついたラウは、全身から殺気を滲ませる。

その顔は、一秒後にでも"死合う"つもりの顔だ。

 

「あぁ、確かに知らない仲じゃない。俺が東城会にいた頃、取引に来た俺に毒を盛って拷問した挙句に殺そうとしてくれた仲だ。そう言えば、あの時の借りもまだ返していなかったな……?」

 

そして桐生もまた全身から闘気を発する。

完全に臨戦態勢に入った二人から迸る殺気と闘気がぶつかり合い、その場の緊張感が更に高まる。

 

(総統の殺気……凄まじいモノダ。ここまでの殺気を感じたのはいつ以来ダロウ……!)

(会長のあの目……()る気だ。完全に相手を潰す事しか頭にねぇ……!)

 

限界まで張り詰めた空気に息を飲む両陣営の構成員達。

もはや全面戦争は避けられない。数秒後にこの場所は血みどろの戦場に成り果てるだろう。

しかし、そこに待ったをかける者が現れた。

 

「おいおい!俺を差し置いて何勝手に話を進めてんだよ!!」

 

重苦しい静けさの中で響いたその声はその場の者全員の耳に届き、その注目を一手に集めた。

声を上げたのは上下を黒スーツで固め、髪をオールバックに撫でつけた一人の男。

 

「俺にも聞かせろよ」

 

ほんの数時間前に三代目会長の葬儀中に東城会本部で暴れ回ったその男ーーー錦山彰は、元堂島組の構成員にして桐生一馬の渡世の兄弟分だ。

 

「錦……!」

「誰ダ、貴様」

 

会長室で待っているはずの錦山が現れた事に驚愕する桐生とは対照的に、ラウは突如現れた謎の人物に困惑と不快感を隠そうとすらしない。

錦山はそんなラウを無視し、桐生に話しかけた。

 

「お前の言っていた来客って、コイツらの事か?」

「あぁ、そうだ。危ねぇから離れてろ、錦」

「ほーう……兄弟は、俺との久しぶりの再会よりもこんな中国マフィア共と一緒にいる方を選んだ訳か」

 

錦山のその発言でラウは合点がいった。

松重や桐生の言っていた大事な来客の正体は、この男なのだと。

 

「成程、アナタでしたカ。関東桐生会に訪れていタ客人と言うのハ」

「だったら何だって言うんだ?」

「見ての通リ、我々は今大事な話をしてイル。関係の無い奴は引っ込んでもらおうカ」

 

そう言われた錦は大人しく引っ込むどころか更に二人へ近づくと、桐生とラウの間に割って入ってみせた。

そしてラウの顔を真正面から見据えて言い放つ。

 

「それはこっちのセリフだ。俺はさっきまで桐生と話してたんだ。分かるか?こっちが先約なんだよ」

「何ダト?」

「テメェらこそお呼びじゃねぇんだ。俺の話が済むまで引っ込んでろよ、弱小マフィアが」

 

膨れ上がった殺気が充満する中での明らかな侮辱。

堪忍袋の緒が切れたのか、ラウの両隣に側近として控えていた二人の構成員が一斉に錦に襲いかかった。

 

「錦ぃ!!」

 

思わず親友の名を叫ぶ桐生。

しかし、その時既に闘いは決着していた。

 

「シッ、シッ!」

 

歯の間から息を吐き出し、鋭い呼吸と共に繰り出された左右のフック。

それがそれぞれのマフィアの下顎を的確に撃ち抜いていたのだ。

脳震盪を起こして意識を失い、その場に昏倒する二人の構成員。

 

「はっ、思った通りの弱小ぶりだな。この程度で桐生に喧嘩売るとは、命知らずもいい所だ」

 

瞬く間に仲間を無力化された蛇華の構成員達が戦慄する中、錦山は更に煽ってみせる。

ラウは表情を一切変えず、殺気だけを膨らませながら錦山に問いかけた。

 

「この二人は私の弟子ダ。決して弱くはナイ……貴様、何者ダ?」

「ほう?コイツらがアンタの弟子か。まるで歯応えが無かったぜ?こりゃ師匠も大した事無さそうだな」

「……まあイイ。理由はどうあれ、我々の組織の人間に手を出したのダ。これがアナタ方の答えと言う訳ですネ?」

 

煽るだけで真っ当に取り合わない錦山を無視し、ラウは桐生に対して意思の確認をする。

しかし、そこで錦山は待ったをかけた。

 

「おいおい勘違いすんなよ。俺はただの来客として来た勤め上げの堅気だ。関東桐生会の人間は手を出しちゃいねぇよ」

「……そんな言い訳が通用するとデモ?」

「言い訳なんかじゃねぇさ。そもそもな、テメェらなんかわざわざ関東桐生会が相手取るまでもねぇんだよ」

 

そこで錦山は、今まで表出させていなかった闘気を剥き出しにした。

その眼光を猛禽類のように鋭くさせて、ラウを睨み付けて堂々と言ってのける。

 

「これ以上俺と桐生の時間を奪うってんなら…………俺一人でお前ら全員潰してやるぞ?それでもいいか?蛇華日本支部総統 ラウカーロンさんよ?」

「ホウ、俺ガ誰だか分かった上デここまで啖呵を切るとハ……面白イ」

 

錦山の威嚇を受けたラウは不敵に笑うと、漲らせていた殺気を引っ込めた。

 

「キリュウサン。この男に免じて今日はこれで失礼するヨ。だが……次にカチ合った時ハ、容赦はしなイ。覚えておくんだナ」

「……望む所だ」

 

ラウはそれだけを告げて踵を返すと、関東桐生会の本部から離れていった。

後ろの構成員達も、昏倒したマフィア二人を担ぎあげてそれに続く形で去っていく。

 

「ふぅ……何とかなったぜ」

「錦……お前、なんて無茶をしやがる……!」

 

闘気を収めて肩の力を抜く錦山に桐生は詰め寄った。

そのあまりの無謀さに一言物申す為だ。

 

「これで分かっただろう?俺が相手にしているのは東城会だけじゃない。今の俺達に関わったらお前も……!」

「無茶ぁ?お前今無茶っつったのか?」

「え?あ、あぁ…………」

 

桐生が頷いた直後、錦山は腹を抱えて笑い出した。

錦山にとってその発言があまりにも可笑しかったからだ。

 

「ぷっ、くくっ、くははっ、あっはっはっはっは!!」

「何がおかしい……!?」

「だ、だってよぉ……お前が人に対して"無茶"ってか!?くっ、くくっ……!」

 

そこで錦山は関東桐生会の構成員達に向き直り、彼らに大声でこれを共有する。

 

「なぁ、聞いたかよ!?よりにもよって桐生は!お前らのボスは人に対して"無茶すんな"って言いてぇんだとよ!全く、どの口が言ってんだって話だよなァ!?」

 

そして。

先程まで殺し合い寸前の只中にいた構成員達は錦山のその一言で緊張が途切れた。

その途端。

 

「「「「「あっはっはっはっはっは!!」」」」」

 

構成員達はタガが外れたように一斉に笑い出した。

瞬く間に周囲が爆笑の渦に包まれる。

 

「こいつぁ傑作だぜ錦山さん!間違いねぇ!」

「誰よりも真っ先に突っ込む会長の方がよっぽど無茶してますよ!」

「さっすが会長の兄弟分だ!よく分かっていらっしゃる!」

 

構成員達が一斉に会長の発言の揚げ足を取って笑うこの光景。本来の極道組織としては有り得ない状況だ。

上の人間を絶対のルールとし、それに従う事で統制が取れるのが本来のヤクザ集団。

跳ねっ返りの多い極道を束ねるのには威厳を持って押さえ付けなければならないのが常だが、関東桐生会の場合はそうじゃない。

関東桐生会における正義とは力ある者よりも、道理や筋を通す者なのだ。

故に、いちばん無茶なことをするはずの桐生が人に対して無茶をするなと言う道理の通らない発言をしたら、揚げ足を取られても仕方が無い事になる。

 

「お、お前ら……!」

 

それでも本来は組長にそんな事など言えるわけが無い。

筋や道理が通ってなかろうが、上の言ったことが絶対。

それが極道社会における本来のルールだ。

しかし、桐生はそう言った筋の通らない理不尽を何よりも許さない。

故に彼は"筋を通す事"を尊ぶルールを定め、力と同じくらい道理が優先される組織を作った。

その結果、部下と幹部の間における上下関係を維持したままの円滑な交流が可能となるコミュニティを形成する事に成功し、部下から絶大な支持を受けているのだ。

これは関東桐生会の人間が皆、桐生一馬の強さよりも人柄に惚れているという事に他ならない。

 

「やっぱりな。桐生の部下なら分かってると思ったぜ」

「錦、お前なんで……?」

「言っただろ?俺はお前って男を間近で見てきたってな。組織のトップに立ったお前は"上にふんぞり返るのでは無く他の誰よりも身体を張るべきだ"なんて思ったんだろ?結果、誰よりも先頭で突っ走る暴走組長の出来上がりって訳だ」

 

自分が殺られた瞬間に組織が瓦解する。

そんなリスクなど知ったことかと言わんばかりに誰よりも身体を張り、先陣を切って突っ走る。

馬鹿正直で義理堅く、ひたすら真っ直ぐ突き進むしか能がない。だが、その行動全てに"華"がある。

それこそが桐生一馬。東城会の中で伝説とまで呼ばれた男の生き様なのだ。

 

「自分らのトップが誰よりも大暴れしてるんだ、下の奴らはきっと気が気じゃ無かっただろうと踏んでみた訳が……結果はご覧の通りだな」

「……ちっ」

 

軽く舌打ちをする桐生だったがその態度には先程までの必死さはない。兄弟に一本取られてぐうの音も出ない男の、せめてもの抵抗でしか無かった。

 

「桐生、もう一度言うぜ。この一件、俺は絶対に降りねぇ。お前がスジを通さずに我を通すって言うなら、俺も我を通させてもらう。だが、お前がスジを通すならこっちも考えてやってもいい。手始めに……コイツだ」

 

そう言って錦山は懐から一枚の封筒を取り出した。

何も書かれていない無地の封筒は、一見しただけでは何なのか分からない。

 

「これは?」

「風間の親っさんからの預かりもんだ。あの人はお前が組を割った後もずっと、お前の事を考えてたんだよ」

「親っさん……」

 

桐生は錦山からその封筒を受け取り、中身を確認する。

そこにあったのは一枚の書状。

 

「これは……」

「なんて書いてあるんだ?」

 

達筆な文字で書かれたその内容は、東城会との盃事の提案が書かれた嘆願書だった。

詳しい日付と日時と場所が記されており、東城会側の媒酌人や見届け人の名前までもが指定してある。

 

「親っさんは……関東桐生会と手打ち盃を交わしたいらしい」

 

手打ち盃とは、極道同士の抗争がこれ以上激化し双方に甚大な被害が出ないために行われる盃の事だ。

その盃を以て双方の争いを決着させ、抗争を終わらせる。いわゆる終戦協定である。

 

「ほう。お前が腹に何を抱えてるかは知らねぇが……少なくともそれが、親っさんの意思って事だな」

「…………」

「どうする気だ?桐生」

 

長い沈黙の末、桐生は答えを出した。

 

「……断る。俺達は東城会と袂を分かったんだ。今更後には退けねぇ」

 

桐生の出した決断は否だった。

今の桐生は東城会に対する強い拒絶感があり、それは関東桐生会の面々も同じなのだろう。

言葉にこそしないが、皆が皆無言で頷いている。

 

「……そうか、そっちの事情は分かった。でもよ、風間の親っさんから託されたこれを命懸けで守り抜いてここまで持ってきた俺には何にも無しなのか?」

 

目の前で育ての親が撃たれた挙句に犯人扱いを受けて東城会中の極道から目の敵にされる中、錦山は決死の覚悟で葬儀場から脱出してこれを桐生に届けたのだ。

自分にここまでさせておいて何の見返りも無いのは筋が通らないと錦山は主張する。

 

「これは親っさんの意思に従ってお前が勝手に持ってきたもんだ。俺が望んだわけじゃねぇ」

「いいや?俺はその書状を"風間の親っさんのからの預かり物"とは言ったがお前に渡す為に持ってきたとは言ってねぇぞ?それをさも当然のように受け取って中を確認したのは桐生じゃねぇか?それはお前が中身を見たいと望んだからなんじゃねぇのか?」

「……だとしても、それを持ってきたからと言って俺に有利に働きはしない」

「そんな事はねぇだろ?その盃を受けるにしても蹴るにしても、相手方が関東桐生会をどう思っているかは伝わったんだ。お前の打つ次の一手が何であれ、決断を下すための立派な判断材料にはなったんじゃねぇのか?」

「…………」

 

言い負かされた桐生が押し黙ってしまう。

彼はこういった交渉事には非常に疎く、現在に至るまでそう言った交渉事は若頭代行の松重に任せていたのだ。

 

「お前が俺を関わらせたくねぇのはよく分かった。だがそうなると俺としても自分とは関わりのねぇ関東桐生会にとって有益な情報を、わざわざタダでは提供する訳にはいかねぇんだがな?」

「……いくらだ?」

「俺が欲しいのは金じゃねぇ……それくらい分かるだろ?兄弟」

「くっ……」

(会長……やはり交渉事にあの人は立たせちゃダメだな……)

 

内心で頭を抱える松重をよそに、錦山は交渉を有利に進めていった。

 

「ガッツリ全部に関わらせろとは言わねぇ。ただ俺にも、これに見合った情報があっても良いんじゃねぇか?」

「……分かった。なんの情報が欲しいんだ?」

 

観念した桐生がそう言うと、錦山は真剣な顔で答えた。

 

「親っさんと別れる寸前、あの人は俺にこう言ってた。優子と100億を頼むってな」

「100億?何の話だ?」

 

聞きなれない単語に桐生が首を傾げる。

数年前ならともかく、現在は東城会の関係者でない桐生が知らないのは当然と言えた。

 

「東城会の金庫から100億が抜かれていたらしい。知ってたか?」

「いや、初耳だ」

「そうか……なら、優子の事を教えてくれ」

 

錦山優子。

桐生の手によって心臓の病から救われた錦山の妹。

錦山が出所してからというもの、彼は妹が何処にいるかも分からず連絡する手段も持ち合わせていなかった。

 

「お前が助けた女だ。どこで何してるかくらい知ってるだろ?」

 

そして今、その妹が東城会の消えた100億と関係している可能性がある。誰よりも妹の幸せを願っていた錦山としては、この事態をそのままにする訳にはいかないのだ。

 

「……すまん、錦。実は俺も優子の行方を探していたんだ。どこにいるかはまだ分かってねぇ」

「なんだと?」

「だが、手掛かりはある」

 

そう言うと桐生は胸ポケットから一枚の写真を取りだした。

そこには一人の女が映っている。

 

「コイツは?」

「神室町でホステスをやっている女だ。名前は美月。この女がお前の妹……優子の居場所を知っているって情報が入ったんだ」

「なんだって!?」

 

映っているのは銀髪のショートヘアと胸元にある花の刺青が特徴の女性。

繁華街である神室町においてホステスはそれこそ星の数ほどいるが、これ程特徴的であれば探しようはあると言える。

 

「俺やウチの連中は、今や神室町に入ることは許されねぇ。だから錦。お前はその写真の女を探してここに連れて来てくれ。その時は俺も腹を括って全てをお前に打ち明ける。どうだ?」

「……分かった。約束だぜ?」

「あぁ」

 

錦山は桐生の手から写真を受け取るとポケットにしまい込み、そのまま関東桐生会の門を出た。

 

「見送りは結構だ。女の居所が掴めたら連絡するよ」

「あぁ……またな、錦」

「おう、またな桐生」

 

短く告げ、錦山は関東桐生会本部から去っていった。

錦山の小さくなっていく背中を見て、桐生はそばに居る松重に声を掛ける。

 

「一応、錦が横浜を出るまでは人を付けて見張っておいてくれ。蛇華相手にあれだけの啖呵を切ったんだ、何が起きてもおかしくねぇ」

「分かりました会長。おう、お前ら解散だ!持ち場に戻れ!!」

「「「「「はい!!」」」」」

 

松重の号令と共に黒服の構成員達がそれぞれ散り散りになっていく。松重が監視の手配を電話でするのを横目に、桐生は既に見えなくなりそうな錦山の背中を見つめる。

 

(お前も変わったんだな……錦)

 

十年という時間は非常に長く、色々な事に変化を及ぼす。文化や常識、法律などもそうだが人もまた同じだ。

この十年間で自分自身に大きな変化を感じていた桐生だったが、自分の親友もまた同じだと実感した。

 

(あの蛇華を相手に真っ向から喧嘩を吹っかけるなんて……昔の錦なら絶対にやらなかったはずだ)

 

己の信念と感情に素直に動く桐生に対し、常に慎重で冷静な立ち回りを重視していた錦山。

先程の行為はそんな昔の彼からは想像も出来ないほど好戦的で、ともすれば無謀とすら言える程の暴挙だ。

しかし、彼はそれを見事にやってのける所か、蛇華のリーダーであるラウの直属の兵隊を瞬く間に打ち倒してみせたのだ。

あの啖呵は決してただの大口では無い。

自信と経験に裏打ちされた、純然たる彼の実力そのものなのだ。

 

(もしかしたら……)

 

危険な目に巻き込むまいと彼を遠ざけようとした桐生だったが、その心配も無いのかもしれない。

そして、もしかしたらもう一度。

あの頃のように二人で一緒に出来るかもしれない。

しばしの間そんな事を考えながら、桐生は錦山が向かっていった方向を見つめ続けるのだった。

 




如何でしたか?

横浜でシノギをする以上、蛇華との接触は避けられません。
この一悶着が果たして今後どのように影響するのか……


次回はついにあの男が登場します。お楽しみに


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真実を追う刑事

最新話です

サブタイトルを見てピンと来た方も居るんじゃないでしょうか?

そう、あの人です。


横浜の関東桐生会本部を出て神室町へと戻ってきた俺は、真っ先にスターダストへ立ち寄った。

一輝に対しての状況報告や整理もそうだが、服を預かって貰ったままと言う訳にも行かないからだ。

俺は店のバックヤードにあるシャワー室を借りて整髪料を落として元の髪型に戻し、預かって貰っていた白いジャケットに袖を通す。

 

「錦山さんの服は、誠に勝手ながらクリーニングにかけさせて貰いました。肩のあたりも一部破けていたので補修してあります」

「何から何まですまねぇな、一輝」

「いえ、気にしないでください。それよりも……大変でしたね、錦山さん」

 

一輝には今日起こった大半の出来事を話していた。

葬儀場に潜入したは良いが目の前で風間の親っさんが撃たれた事。犯人扱いされて命からがら脱出した事。

俺を助け出したのが桐生の手下で、その後に横浜で兄弟と再会した事。

一日で起きていい出来事の量と質じゃないのは明白だ。

 

「全くだよ……そういや、新藤からは何か連絡はあったか?」

「いえ、新藤さんからは何も……どうやら今日の一件でバタついているようですね」

 

それを聞いて俺は酷く納得した。

何せ東城会三代目の葬儀で大暴れし、東城会系ヤクザをほぼ全て敵に回したのだ。今頃東城会は大騒ぎになっているだろう。

それに新藤は、元堂島組の構成員達で組織された直系任侠堂島一家の若頭だ。

親殺しの俺を血眼になって探さなければならない立場である以上、下手に俺と接触する訳には行かないはずだ。

 

「そうか……無理もねぇな」

「風間さん……ご無事だと良いんですが……」

 

一輝は親っさんをすごく心配している。

この店を立ち上げる時から世話になっているのだ、無理も無いだろう。実際の所、俺も心配で仕方が無い。

 

「親っさんが撃たれたのは肩だった。出血もあったが、少なくとも急所じゃない。救急車が間に合ってれば一命は取り留めてるはずだ」

「そう、ですか……」

 

だが、いつまでも立ち止まっている訳には行かない。

風間の親っさんは俺に大事なものを託してくれた。

なら俺はそれを守る為に行動するだけだ。

 

「一輝、この女知ってるか?」

 

俺は一輝に、桐生から渡された美月の写真を見せた。

 

「美月って名前のホステスだ。訳あって今、この女を探してる。心当たりは?」

「……いえ、初めて見る方ですね。それに神室町はホステスが沢山いますから、絞り込むのは骨が折れるかと」

 

どうやら一輝も見た事が無いらしい。

神室町でナンバーワンのホストクラブのオーナーなら知っていると思ったが、どうやら事はそう単純では無いみたいだ。

 

「そうか……まぁ、当たり前か」

「お力になれずにすみません……一応俺たちの方でも調べてみます。何か分かったらお伝えしますので、定期的に店に顔を出して頂けると嬉しいです」

「分かった。ありがとよ一輝、またな」

「えぇ、いつでもお待ちしています。錦山さん」

 

俺は一輝に礼を言ってから店を出た。

時刻は既に二十時を過ぎ日は完全に落ちきっている。

神室町が本来の姿を曝け出す時間帯だ。

 

「っ、………………!」

 

ふと、俺は誰かの視線を感じて振り向いた。

周囲には人の往来があるばかりで、特に怪しい奴はいない。

だが確かに、俺は誰かの視線を感じていた。

 

(間違いねぇ……誰かに見られてる…………)

 

刑務所にいた頃、周囲の受刑者や刑務官からの視線に曝される事が多かった俺は、自然と人に見られる事に敏感になっていた。

横浜を出る時も周囲からの視線を感じた俺は、わざわざ人気のない所へ赴いてその視線の主を誘い出したくらいだ。

 

(まぁ、観念して出てきたのは桐生が付けてた見張りの構成員達だったんだけどな……)

 

その時は見張りは要らない旨をその連中に伝えて帰らせた。

つまり、今感じている視線は少なくともその連中では無いという事になる。

 

(どうする……?)

 

視線の主が必ずしも友好的である保証は無い。それどころか、俺をマトにかけた東城会の奴らである可能性の方が高いのだ。

わざわざ人気のない場所へ行って危険に曝されれば目も当てられない。

だが、このままでは手がかりを探す所では無いのも事実。向かった先でどんな目に遭うか分かったものじゃないからだ。

 

(やるしかねぇか……!)

 

覚悟を決めた俺は天下一通りを右に曲がった裏通りへと入っていく。

中道通りへ続くこの道のちょうど真ん中には、児童公園がある。よく焚き火をしたホームレスがたまり場に使っている場所だ。

しかし、俺の目的地はそこじゃない。

 

(ここだ)

 

そのちょうど向かい側に一つの空き地がある。

人目が無いこの場所は、多くのヤクザが裏取引やヤキ入れ等に使う穴場スポットなのだ。

俺はその空き地へと足を踏み入れ、視線の主に対して呼びかけるように言った。

 

「出てこいよ!尾けて来てんのは分かってるんだぜ……!」

 

四方をビルに囲まれたこの空き地は、出入口が俺の入ってきた路地しかない。

つまり俺がここにいる以上、俺を監視して尾行して来た奴は追跡を諦めない限りはそこから姿を現すしかないのだ。

 

「ほう……俺の尾行に勘づくとは大したもんだ」

 

そして程なくしてその人物は姿を現した。

 

「あ、アンタは……!?」

 

ベージュのロングコートに、少しだけ白髪の混じった頭髪。

歳を喰った感じはあるものの、桐生に似た真っ直ぐな瞳はあの時と変わらない。

 

「出所二日目にして東城会本部で大乱闘……中々派手にやるじゃねぇか?」

「伊達さん!」

 

伊達真。

十年前の堂島殺しを担当していた、俺にとって因縁浅からぬ刑事がそこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町はアジア最大の歓楽街として世界的に有名な場所だ。賑やかな人々に、街を彩るネオン街。

欲望剥き出しの人間達が集うこの場所は基本的に活気に満ち溢れている。

だが、そんな場所でも静かに酒を飲める場所はある。

それが神室町の中央近くに存在するバー"バッカス"だ。

今日この日、"酒の神"の意味を持つこの店を貸切にし、二人の男が密談を交わしていた。

 

「風間が?」

「あぁ……無事かどうかもまだ分からねぇ……」

 

10年前に堂島組長殺害の容疑で逮捕され殺人の罪で服役していた元極道。錦山彰。

そんな錦山の起こした事件を担当していた刑事。伊達真。

社会的に相反する二人が同じ店で酒を飲む。異様とさえ言える光景だった。

 

「だが、その"100億"と"優子"……奴はお前に何を伝えようとしていた?」

「……それが分かってたらここまで苦労しちゃいねぇよ」

「ふん、確かにな」

 

伊達は錦山と合流した後、詳しく話を聞かせるよう言ってきた。

仮出所して早々に警察の世話になる訳には行かない錦山はこれを一度は拒絶したが、署への任意同行を迫られてしまい従わざるを得なくなり、現在に至る。

 

「伊達さん……なんで俺からこんな話を聞くんだ?こう言うヤクザ絡みってマル暴の仕事だろ?捜査一課のアンタが出る幕じゃねぇハズだが……」

 

そう聞かれた伊達は嘆息すると、懐から一枚の名刺を取り出して錦山に見せてきた。

【警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第四課 警部補 伊達真】と記載されている。

 

「俺がその"マル暴"……第四課の人間だからだよ」

「なんだって?」

 

十年前に伊達が所属していた警視庁捜査一課は、殺人や強盗等といった緊急性の高い強行犯罪を担当する部署だ。凶悪犯罪と直に接触することが多い為、よくドラマや映画の題材にも使われている。言わば刑事にとっての"花形"。エリート集団と言っても良いだろう。

対して第四課……通称"マル暴"が担当するのは組織犯罪。つまり極道を相手にした仕事をする警察官達の事で、ニュース等でヤクザの事務所を家宅捜索する姿などが一般的と言えるだろう。

元極道関係者で東城会本部で大立ち回りをした錦山は、今の伊達にとって最優先で接触するべき人物だったのだ。

 

「10年前の堂島殺し……俺ぁ、上の意向を無視して突っ走って……結果、今は一課を下ろされてつまらねぇヤクザの相手してる。お前と同じ、今じゃ組織の鼻つまみ者だ」

「そうだったのか……」

 

伊達真と言う男は真実を追わなければ気が済まない人間だ。

神室町で起こる殺人事件がいかに多くとも、彼はその正義感が故に目の前で事件が適当に処理されるのを黙っていられなかったのだろう。

 

「娘と女房も愛想を尽かして出ていった。お前に関わったおかげで、人生が狂ったんだ」

「……恨み言なら聞かねぇぞ?事件を追っかけたのはアンタの意思だ」

「そうかい……っ」

 

伊達はグラスに注がれた酒を一息に呷ると、錦山の目を見て問いかけた。

 

「だったら答えろ。10年前のあの事件……本当はあの場にもう一人誰か居たんだろう?」

「!」

 

核心を突かれて一瞬動揺する錦山だったが、すぐに表情を正す。今更になって桐生に疑いの目を向けさせる訳にはいかないからだ。

 

「取り調べの時にお前も聞いていたハズだが、現場からは複数の拳銃の弾丸が確認されている。だが線状痕を確認出来たのはお前の持っていた拳銃の弾だけだ。上はそれだけでお前を犯人だと断定し事件を処理したが……お前が真犯人の持っていた拳銃を持って自首したと考えれば辻褄は合う。となれば、真犯人を知ってるのはソイツを庇ったお前だけだ」

 

伊達の言う通り、結果的に本当に堂島組長を殺したのが誰かを知っているのは錦山だけだ。

しかし、錦山は当然それを喋るつもりは無い。

 

「……その事件はもう終わった事だろう?俺はその実刑を受けてこうして出所してきた。仮に伊達さんの言うように真犯人が本当に居たとして、今更そいつを暴いた所で何になる?」

「あの事件は俺の中で終わっちゃいねぇんだ!俺は納得出来ねぇ……当時何の役職も持っちゃいなかったお前が、いきなり組長殺しなんぞする訳ねぇ!」

「…………何度聞かれても答えは同じだ。あの時堂島組長を殺ったのは、この俺だ。何があってもこの事実は揺るがねぇよ」

「…………はぁ」

 

頑なに認めない錦山の態度に、伊達はため息をついた。

 

「まぁいい。どの道、今の一件を追ってればお前が庇ってる"真犯人"にも行き着くかもしれんからな」

「は?どういうこった?」

 

伊達はボトルに入った酒をグラスに注ぎ、錦山をここまで連れて来た"本題"に入る。

 

「俺は今、三代目の世良の殺しを追っている。そして、今俺たちの捜査線上に浮上してきたのが、コイツだ」

「っ!?これって、まさか……!」

 

差し出された写真を見て錦山は驚愕した。

そこに映っていたのは、数時間前まで自分が顔を合わせていた兄弟分。桐生一馬の写真だったからだ。

 

「関東桐生会初代会長、桐生一馬。お前の兄弟分だ、知らない訳じゃねぇだろう?」

「兄弟が……世良会長を……?」

「今、桐生は世良殺しの最重要人物だ。なにせ東城会と関東桐生会は一触即発の冷戦状態だ。何があってもおかしくねぇ」

「嘘だ、絶対に有り得ねぇ!兄弟が……桐生がそんなことする筈ねぇ!」

 

否定する錦山だが、伊達は狼狽えた錦山の隙を見逃さない。

 

「何故そう言い切れる?東城会から分裂するように組織を独立させた男だぞ?」

「アンタらこそ考えが甘過ぎるんじゃねぇのか?敵対してる組織の親玉の所に直接向かって殺しに行くなんて、そんなもん鉄砲玉の仕事だろうが!トップがやる事じゃねぇだろう!」

「だからそれを確かめる為にお前から話を聞こうとしたんだ。お前が葬儀での騒ぎの後に関東桐生会に行って桐生と接触してたのは裏が取れてる」

 

そこで伊達はもう二枚の写真を取り出す。

東城会本部前で錦山が車に乗り込む瞬間の写真と、関東桐生会の本部前でその車から錦山が降りる写真だ。

 

「これは……!?」

「本来、あの葬儀の時にお前に助け舟を出そうとしてたのは俺だった。だが、どこぞの極道者に先を越されてな。咄嗟に写真を撮った後にふと思ったよ。"この状況でお前に助け舟を出そうとする組織はどこのどいつだ?"ってな」

 

そして伊達はその組織を風間組か関東桐生会のどちらかに絞った。

すぐにその写真を元に神奈川県警に協力を仰いで関東桐生会の本部前にカメラを構えた捜査員を配備させ、自分は風間組事務所付近を張り込んだのだ。

結果、伊達の張り込んだ風間組事務所は予想が外れ、神奈川県警の捜査員が張り込んだ関東桐生会本部前で二枚目の写真が撮れたと言う寸法なのだ。

 

「喋って貰うぞ錦山。俺たち第四課が追っている重要人物とほんの数時間前に会っていたお前なら何か有力な情報を持っている。必ずな」

「そうかよ…………だったらその目論見は見当違いだぜ」

「なに?」

 

錦山はそう言うと慣れた手つきでタバコに火を付ける。10年ぶりに娑婆に出てきて最初のタバコだが、話が話だけに錦山はそれを酷く不味く感じていた。

 

「桐生は確かに組を割って組織を独立させた。だが、その本質は十年前と何も変わっちゃいねぇ。あいつは今でも、義理堅くて真っ直ぐな目をした……俺が憧れた極道そのものだった」

「……」

「それに、伊達さんが今言ったように関東桐生会は東城会と事を構えてる。今のアイツやアイツの部下達は世良会長を殺すどころか神室町に足を踏み入れる事すら出来ねぇ」

 

情報を欲する錦山に桐生が美月の情報を与えたのも、自分達の代わりに見つけて欲しいからだ。

もし桐生が神室町に入ることが出来るのであれば回りくどい事をする必要は無い。

故に、桐生が世良を殺すのは逆説的に不可能という事になる。

 

「賭けてもいい。アイツは殺ってねぇよ」

「……そうか。随分と桐生を庇うんだな?」

「兄弟が殺しの濡れ衣を着せられるかもしれねぇってのに黙ってられる訳ねぇだろう」

「なるほど、それじゃお前は十年前もそうやって桐生の事を庇ったのか?」

 

伊達の真っ直ぐな瞳が錦山を射抜く。

その瞳は、10年前に錦山が桐生に似ていると称していた輝きを宿していた。

 

「…………何が言いてぇんだ?」

「10年前の堂島殺しの真犯人は、お前の兄弟分。桐生一馬なんじゃねぇかと俺は踏んでいるって事だ。あの時、桐生は組を立ち上げる寸前だった。"堂島の龍"の異名を持ち、堂島組を支える大幹部になる男の未来を、自分から罪を被って庇ったとすれば辻褄は合う。今のお前みたいにな」

「ふん……くだらねぇ想像だ。付き合ってられねぇぜ」

 

嫌気が差した錦山はタバコの火を消し、席を立った。

踵を返して店を出ようとする錦山を伊達が止める。

 

「待てよ錦山。俺の意見に賛同しろとは言わねぇが、俺が追ってる三代目の事件には手を貸してもらうぜ」

「は?なんで俺がアンタなんかと手を組まなきゃいけねぇんだ?」

 

苛つきを隠さずに言う錦山に対し、伊達は毅然とした態度で返す。

 

「東城会の100億が消え、三代目会長が殺された。そして、葬儀での騒ぎの中心に居たのはお前……事件は動き出したんだ。錦山彰の出所を待っていたようにな」

「……」

「風間が言っていた"100億"と"優子"……このヤマは必ず何処かで繋がっている。お互い、協力した方が良いんじゃねぇか?」

 

伊達の提案に戸惑う錦山。

当然だが、勤め上げのチンピラよりも現役警官の方が捜査能力は上だ。錦山一人では届かない部分にも手が届くかもしれない。

だが同時に錦山が今回の騒動の関係者である以上、錦山にとって都合の悪い部分への追求もあるだろう。

一長一短。錦山にとってこの申し出は素直に了承しかねる提案だった。

しかし、ここで伊達はダメ押しをしてきた。

 

「もしお前がここで断るのなら、捜査四課は神奈川県警と連携して桐生の逮捕に動かさせてもらう。桐生が犯人にしろそうじゃないにしろ、奴の身柄を抑えて吐かせりゃ済む話だからな」

「俺がそんな事を許すと思うか……?」

「それが嫌なら協力しろ。お前の協力の結果、桐生が犯人じゃねぇ事が分かれば俺らもそんな事をする必要は無くなる。他県の警察に頼むのも楽じゃねぇんだ」

「……ちっ、仕方ねぇ。わーったよ」

 

乗せられたのが癪に障る錦山だが、桐生の為に要求を飲み込む。

協力を取り付けた伊達は不敵に笑うと、錦山にあるものを渡してきた。

 

「よし、交渉成立だな。ほら、これ持ってろ」

「あ?なんだこれ……!?」

 

錦山は受け取った"それ"を見て驚愕する。

掌に収まる程の大きさの機械で、小さい画面とアンテナ。そして複数の記号や番号が記されたボタンが羅列している。

錦山はその番号の羅列に見覚えがあった。

 

「これって……もしかして"電話"か!?」

「あぁ。今じゃガキでも持ってるんだぜ?」

 

それを聞いて錦山は思い出す。

出所したばかりの頃、神室町に向かう道中の電車内でポケベルに似た機械を手に持っていた人々がいた事を。

 

(これがあの時の……まさか電話が持ち歩けるようになってるなんて……!)

 

今までのポケベルによる連絡方法が嘘のような、革命的発明。

錦山は改めて自分が10年前に取り残された人間であることを思い知らされた。

 

「使い方は分かるか?」

「あ、あぁ……なんとなくな」

「よし、俺は100億を探ってみる。お前は優子の方の調査だ。何かアテはあるのか?」

「とりあえず、馴染みの店に行ってみる。天下一通りのセレナって店だ」

「そうか……何かわかったことがあったら連絡しろ。俺の番号はその携帯に入ってる」

「……分かった」

「それじゃあ頼むぜ。ありがとなマスター、もう店開けていいぜ」

 

貸切にして貰っていたマスターに礼を告げ、伊達は店を出る。

取り残された錦山は手に残った携帯電話を見つめながら独りごちた。

 

「やれやれ……妙な事になっちまったな……」

 

出所したての元ヤクザとマル暴の現役刑事。

まるで正反対なこの二人は後に神室町で名の通ったコンビになるのだが、この時の錦山は知る由もなかった。

 




という訳で、如くシリーズの影のヒロインでお馴染みの伊達さんでした。
桐生の相棒ポジションとして長年様々な事件に関わっていく彼ですが、今回も例に漏れず関わって頂きます。


次回はいよいよ"あの子"が出てきます。
お楽しみに


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来店

最新話です

錦にはあの子との邂逅の前に、あの人とも再会してもらいましょう。




神室町天下一通り。

眠らない街と言われる神室町において、大きなアーケードが人目を引くこの通りは言わば神室町の玄関口と言っても過言じゃない。

キャバクラ、ホスト、居酒屋、バー、風俗店、街金やヤクザの事務所等、他のどの通りよりも神室町という街を体現する上で必要なものが全て揃った場所だ。

そんな通りのちょうど真ん中あたりに、その店はあった。

 

(セレナ……いよいよ入る時が来たな)

 

十年前、俺が最後に酒を飲んだ店。

桐生と由美、そしてこの店のママである麗奈と過ごした思い出の場所だ。

本当は真っ先に立ち寄るつもりでいたが、東城会系ヤクザの邪魔が入った影響で後回しにしていた。

 

(ホントは近付かない方が良いのかもしれねぇけどな……)

 

数時間前の騒動の影響で、俺は神室町中のヤクザから目の敵にされている。

風間の親っさんが撃たれて、マル暴の伊達さんまで出張ってきた今回の一連の事件。おそらく相当根が深い。

麗奈を関わらせるのは気が引けるが、流石に東城会も大っぴらにカタギに迷惑をかけはしないだろう。

それに、ホステスの事はホステスに聞くのが一番だ。

 

「行くか……」

 

意を決してエレベーターのボタンを押す。

乗り込んだ機械仕掛けの箱は、程なくして俺をセレナへ連れていく。

見慣れたドアを開けると、入店を知らせるベルが鳴った。

 

「っ……!」

 

十年前と同じ内装と僅かに流れるジャズの音楽。

あの頃と変わらないセレナの姿がそこにあった。

そして、バーカウンターにいた女性と目が合う。

 

「いらっしゃい、ま……せ…………!」

 

白シャツ姿のその女性を、俺は一日たりとも忘れた事は無い。

あれから十年経っているはずなのに、その美貌は少しも変わっていなかった。

 

「錦山、くん……!?」

「あぁ……俺だ、麗奈……!」

 

口許を抑えて驚く麗奈の瞳に涙が溜まっていく。

それを見た俺の目頭にも、段々と熱いものが込み上げてきた。

 

「錦山くん……!!」

 

バーカウンターから出た麗奈が、俺に駆け寄って抱き着いて来た。

 

「錦山くん……帰ってきてたのね……!」

「あぁ……いきなり来ちまって、驚かせちまったな」

「本当よ、全く!いきなり逮捕されて十年も刑務所に行って……私達がどれだけ心配してたか……!!」

 

俺の腕の中で感極まる麗奈を見た俺の視界も、段々と滲んでいく。

刑務所の中では帰る場所などあるわけが無いと腐っていた時期もあったが、決してそんな事は無い。

麗奈はこうして10年もの間、立派にこの店を守り抜いて俺の帰りを待っていてくれたのだ。

 

「心配かけて、ごめんな……麗奈……」

「はぁ……いいわ、許してあげる。さぁ錦山くん、座って座って!」

 

涙を拭った麗奈がバーカウンターへと戻り、俺を席に座るよう促す。

俺はそれに従い、いつも俺が座っていた席へと腰を下ろす。

 

「変わらねぇなこの店は……雰囲気が穏やかで、気兼ねなく落ち着ける」

「錦山くん、何か飲むでしょ?」

「そうだな……本当は飲みに来たわけじゃねぇんだが、十年ぶりのセレナだ。いい酒を頼むぜ」

「分かったわ」

 

麗奈は慣れた手つきでロックグラスとアイスボールを用意すると、未開封のブランデーの封を開けた。

琥珀色の液体がゆっくりとグラスに注がれていく。

 

「お、この銘柄……!」

「そう、錦山くんが好きな銘柄。いつ帰ってきても良いように必ず仕入れてたのよ?」

「気が利くなぁ、麗奈」

「えぇ。十年間も人に心配かけさせる誰かさんと違ってね」

「だから、そりゃ悪かったって……」

「ふふっ、冗談よ。はい、お待ちどうさま」

 

そして俺の前に出されたのは、服役前に愛飲していたブランデーだ。

麗奈もまた、同じ酒を自分のグラスに注いで用意する。

 

「それじゃあ改めて。錦山くん、お帰りなさい!」

「あぁ……ただいま、麗奈!」

 

軽くグラスを合わせて乾杯し、グラスに口を着けた。

華やかで気品のある香りが鼻を抜け、喉と食道がアルコールで熱を帯びる。

 

「はぁ…………っ!」

 

ため息と同時に思わず涙が零れる。

十年ぶりにセレナで飲むお気に入りの酒と過ぎ行く時間。

俺はここに来て、初めて娑婆に帰って来れた事を実感した。

 

「なに錦山くん?そんなに美味しかった?」

「あぁ……何せ十年ぶりのセレナで飲む酒だ……この旨さ、誰にも分かりゃしねぇ……!!」

「あらあら。錦山くん、ちょっと涙脆くなったんじゃない?」

「否定出来ねぇなぁ、それ」

 

麗奈と軽口を叩き合うその時間すらも、懐かしく尊い。

幸せな時を噛み締めるが、いつまでも浸ってはいられない。

 

「麗奈、今日はお前に聞きたい事があったんだ」

「聞きたい事?」

「あぁ、実は……」

 

そこで俺は、今まで起きたことを簡潔に話した。

そして、風間の親っさんと桐生の事を。

 

「そう、風間さんが……」

「あぁ……親っさんは別れる寸前、俺に"優子"を頼むって言ってたんだ。それに、由美も行方が分からねぇ……二人について何か知らないか?」

 

麗奈は顔を俯かせると、少し言い難そうに話し始めた。

 

「まず、順を追って説明するわね。由美ちゃん、事件があったあの日を境に記憶を失っていたの。自分の名前も思い出せない程にね」

「そう、か……」

「驚かないの?」

「あの時はあまりにもヤバい状況だった。トラウマになっても不思議じゃねぇさ」

 

ある日いきなりヤクザに攫われて強姦されそうになった挙句、拳銃の撃ち合いを伴う殺人事件に巻き込まれたのだ。

きっと、ただのカタギのホステスだった由美にとってその出来事は一生残る心の傷になったに違いない。

 

(思えば、事件のあったあの時も意識が朦朧としていたな……)

 

拳銃の音を聞いたのだって初めてだったハズだ。

あの時のショックが由美の心に強くトラウマを植え付け、それらの記憶を思い出さないために記憶を封じてしまったのだと考えれば辻褄は合う。

 

「そしてその一年後、錦山くんの妹の優子ちゃんが海外での手術に成功する。これは錦山くんも知ってるよね?」

「あぁ。桐生が面会に来て教えてくれたからな」

 

あの時の事は、今でも昨日のように思い出せる。

優子が生きている事を希望とし、俺は十年の刑期を乗り越える事が出来たのだ。

 

「その後の桐生ちゃんはすごく順調そうだった。たまに大きな揉め事はあったみたいだけど、その度に全部を解決させて、自分の組織を大きくしていったの」

 

そこまでは、風間の親っさんに聞いた通りの話だった。

シノギも回って組織も拡大し、全てが順調だったと言う。

 

「事件からしばらくして由美ちゃんの記憶も戻って、優子ちゃんもリハビリを終えて海外から帰国した。本当に何もかもが上手くいっていたの。でも……五年前のクリスマスを境に、桐生ちゃんはぱったりと神室町から姿を消したわ。由美ちゃんと優子ちゃんもね」

「由美と優子も……?」

「うん。そして、そのちょっと後に桐生ちゃんの組が東城会から抜けて分裂したってニュースで見たの。その頃には桐生ちゃんの連絡先も変わってて私から連絡する事は出来なかった。たまにお店の様子を見にシンジくんや風間さんが来てくれた事もあったけど、その件に関しては断固として話してくれなかったのよ」

「そうだったのか……」

 

シンジや親っさんが麗奈に何も打ち明けなかったのは納得が出来る。

麗奈の行動力と性格からして、もし事情を知ってしまえば自ら事件の渦中に飛び込んでしまいかねない。

あの二人はきっと、麗奈を極道のゴタゴタに巻き込まない為に打ち明けなかったのだろう。

 

(五年前のクリスマス……きっとそこで"何か"が起きたんだ。桐生が東城会を裏切って、風間組を割るほどの何かがな……)

 

その真相はきっと、桐生の口から語られる事になるだろう。

俺が桐生から与えられた情報を元に、約束を果たせたのなら。

 

「麗奈。もう一個聞かせてくれ」

「なに?」

「俺は今、この女を探しているんだ。心当たりはあるか?」

 

ここで俺は、桐生から受け取った美月の写真を麗奈に見せる。

すると麗奈の顔が一瞬のうちに驚きに染まった。

 

「これ、美月ちゃんじゃないの……!」

「知ってるのか、麗奈?」

「えぇ。桐生ちゃん達が神室町から居なくなってしばらくした後にこのお店に訪ねて来たの。彼女、"澤村由美"の妹ですって言ってた」

「なんだって!?」

 

今度は俺が驚く番だった。

由美に妹がいた。そんな事実は、昔から一緒に過ごしてきた俺も知らなかった事だ。

 

「その話、本当なのか?」

「うん。でも、妹がいた事は由美ちゃん自身も知らなかったはずよ。由美ちゃんだけ、生まれて直ぐに生き別れになったんですって」

「そうだったのか……」

 

それを聞いて俺は納得した。

俺の知ってる由美は、お茶目な所もあるが基本的に淑やかで清純な女だ。

胸元に花模様の入れ墨を入れるような行動は、由美の妹らしくないと思っていたが、生まれて直ぐに生き別れたのであれば育ってきた環境だって違うハズだ。

決して不思議な事じゃない。

 

「で、その美月は今どうしてるんだ?」

「それが詳しくは分からないの。美月ちゃん、ちょくちょくここに顔出してくれてね。そのうち、由美ちゃんがいたこの店で働きたいって言ったの」

「雇ったのか?」

「えぇ……不器用でおっちょこちょいだったけど、健気で頑張り屋さんだったわ。結構人気だったのよ?」

「ふっ、そうだな。俺も飲んでみたいくらいだ」

 

その時の光景を思い出しているのか、麗奈は薄く笑う。

胸元にある墨とその真面目な姿勢がギャップを生んだのだろう。

もし俺が娑婆に残っていたら、きっと一緒に飲んでいたに違いない。

 

「美月ちゃん、ここで四年くらい働いてたんだけど 去年急に自分のお店を持つ事になったの。お店の名前は……"アレス"」

「アレス……場所は分かるか?」

「オープンしたら知らせてくれることになってたんだけど、まだ連絡無いのよ。こっちから連絡しようにも、連絡先変わっちゃってるみたいで……」

「そうか……」

 

決定的な手がかりは無かったが、多くの情報を得る事が出来た。

これはかなりの進歩と言えるだろう。

 

「ありがとよ、麗奈。おかげで分かった事が増えた」

「ううん、大丈夫…………ねぇ、錦山くん」

「ん?」

 

麗奈の顔が曇る。

その顔には不安と恐怖が見え隠れしていた。

 

「錦山くんは、今回の事件に関わる気なの?」

「……あぁ。美月を連れて桐生の元に行けば、アイツも何があったのか全て話してくれるってよ。五年前のクリスマスに何があったか、麗奈も知りたいだろ?」

「それは、そうだけど……」

 

俯いて口篭る麗奈を見て、俺は思った。

きっと麗奈は、俺を心配してくれているのだ。

十年経ってようやく娑婆に出れた矢先に、危ない目に遭うかもしれない俺の事を。

 

「大丈夫だ、麗奈」

「え……?」

 

俺は麗奈の目を真っ直ぐに見て言った。

心配性な敏腕ママを安心させてやる為に。

 

「俺はこの十年……桐生の隣に立ちたい一心で自分を鍛え続けて来たんだ。そう簡単にくたばりゃしねぇよ」

「でも……!」

「それに、関わりたくなかったとしても東城会は今更俺を放っておかねぇだろう」

 

堂島組長殺害の容疑で逮捕された瞬間から、俺は"親殺し"という決して消えることの無い十字架を背負う羽目になった。

元堂島組を主体にした任侠堂島一家をはじめとした東城会の下部組織の大多数から、俺は決して良く思われていない。

その上、今回の三代目の葬儀で乱闘騒ぎだ。俺はもう、今更どう頑張っても引き返せない所まで来てしまっている。

 

「俺は必ず美月を見つけ出して桐生の所へ行く。そしてアイツから何があったのかを聞き出して、今回の一件にケリを付けてやる」

 

だったら、前に進むしかない。

脇目も振らず我武者羅に。己の信じた道を貫き通す。

 

「そんで全部終わらせた暁には、またここで酒を飲もうぜ。俺と麗奈。そして桐生と、由美。ついでに優子も一緒にな!」

 

生きる事は逃げない事。

逃げずに立ち向かって進んだ先にある幸せを掴み取る為に、俺は前へと進み続ける。

その為の覚悟を、俺は麗奈に態度で示した。

 

「本気、なのね……?」

「あぁ、当たり前だ」

「……分かったわ」

 

俺の覚悟が麗奈に伝わったのか、彼女は更に有益な情報をくれた。

 

「錦山くん、ミレニアムタワーって知ってる?五年前に建てられた……」

「ミレニアムタワー……あぁ、確か昔"カラの一坪"があった場所に建ってた、あのバカでかいビルだよな?」

 

かつて、その一坪を巡って地上げの争奪戦が堂島組内部で起きるほどの価値を持っていた"カラの一坪"。

最終的にその土地は先日亡くなってしまった三代目の世良会長が率いていた日侠連の手に渡り、世良会長主導の元に大規模な再開発が行われた。

その結果建てられたのが、あの大きなビルという訳だ。

 

「そのタワーの裏に、小さなバーがあるの。マスターは飲食店の元締めみたいな人よ。新しい店が出来たら、必ずマスターに連絡が行くわ。"アレス"の場所も、きっとね」

「そのバーの名前は?」

「"バッカス"よ」

 

それを聞いた俺はすぐに思い立った。

何故ならその店は、先程まで伊達さんといた店だったからだ。

あそこのマスターなら、アレスの場所を知っているかもしれない。

 

「分かった、恩に着るぜ」

「また来てね錦山くん!私に出来ることなら、いくらでも協力するから!」

「おう、またな麗奈!」

 

俺は麗奈に礼を言うと、足早にセレナを出た。

手繰り寄せた手がかりを、自分のものにする為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山が再びバッカスの前に戻ってきたのは、およそ30分経った後だった。

ここのマスターが、由美の妹の店である"アレス"の場所を知っているかもしれない。

入り口のドアノブに手をかける錦山だが、ここである違和感に気づいた。

 

(ん……?なんか、静か過ぎねぇか……?)

 

キャバクラや居酒屋と違い、バーは静かに酒を飲む場所である。故に、本来であれば静かな事は別におかしい事では無い。

だが店の前に立ってもなお、客の僅かな話し声はおろか店内の音楽すら聞こえて来ないのは異常と言える。

 

(貸切は解除して普通に営業をしているはず……なのに、なんでBGMすら聞こえて来ねぇんだ……?)

 

何やらきな臭い雰囲気を感じた錦山は、静かにドアを開けて店内に足を踏み入れる。

直後、錦山は息を飲んだ。

 

「な…………っ!?」

 

人が、死んでいた。

カウンターに突っ伏した女性。

テーブルにもたれかかった男性。

そして、先程まで伊達さんと話をしていたマスター。

三人のいずれもが、物言わぬ死体と成り果てていたのだ。

 

(なんなんだよ、これ……何が起こってんだ……!?)

 

血の匂いが充満する店内を、細心の注意と最大の警戒を以てゆっくりと進んでいく。

生存者、もしくはこの事態を引き起こした犯人がまだ店内に潜んでいるかもしれないからだ。

 

(銃創……ここにいる連中は全員、チャカで殺されてる……!!)

 

そして、不幸な事にその犯人は拳銃を所持している可能性が非常に高い。

もしも丸腰の錦山が狭い店内で犯人と鉢合わせた場合、彼に生き残る術は無いだろう。

 

「ぁ………………」

「っ!?」

 

そして、錦山の耳に僅かに人の声が聞こえた。

店内の一番奥。カウンターの下が発生源だった。

 

(誰だ…………?)

 

生存者か、それとも犯人か。

いずれにせよ、迅速に行動出来るように身構えながら、錦山は更にゆっくり奥へと進んだ。

そして、ついに声の主をその視界に捉える。

 

(子供……!?)

 

白いパーカーを着た、10代にも満たない年頃の幼い少女。

その身体は恐怖で震え、少女の小さな手には似つかわしくない一丁の拳銃が握られていた。

 

「あ……あ……あっ!」

 

錦山はすかさず拳銃の銃身を上から掴んで、自らに銃口が向かないようにする。

少女の目を真っ直ぐに見つめ、錦山は問いかけた。

 

「何が、あったんだ?」

「わ、私が来たら……みんな……みんな……もう……」

 

少女は今にも泣きそうな顔をしてそう答えた。

 

「何しに、ここへ?」

 

錦山は内心でパニックになっている少女を刺激しないよう、ゆっくりと短い言葉で質問する。

 

「お母さん、探して……私 色んなとこで、聞いて……」

「そっか…………俺は、錦山。錦山彰だ。君の名前は?」

 

名前を聞かれた少女は、恐る恐るそれに答えた。

 

「は……遥……」

「遥ちゃんだな。よし、とりあえずここを出よう。話はそれからだ」

「うん……」

 

錦山は少女の名前を聞くと、手を差し伸べた。

しかし、遥と名乗ったこの少女が錦山が関わろうとしている一連の事件の鍵を握っている事を、この時の彼はまだ知らなかった。

 

 




如何でしたか?

次回は断章です。
お楽しみに


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断章 1995年
命の値段


最新話です。

桐生ちゃんは桐生ちゃんのまま、一人の女性の運命を変えるべく足掻きます


1995年11月1日。

堂島組長射殺事件から実に一ヶ月が経ったこの日、桐生一馬は東都大学医学部付属病院に足を運んでいた。

と言っても彼自身は至って健康で、怪我や病気等は一切ない。

彼がここに足を運んだ理由はただ一つ。

桐生の渡世の兄弟分、錦山彰の妹の容態について相談を受ける為だった。

 

「日吉先生……優子の容態はどうなんだ?」

 

優子の手術を担当していたのは、第一外科の日吉という男だ。

桐生は担当医であるに日吉に率直に問うが、日吉からの返答は歯切れが悪かった。

 

「正直、芳しくありませんね。手術こそ成功しましたが、あくまでも延命のための治療なので根本的解決には至りません。かくなる上は、臓器移植を施すしか……」

「臓器移植?」

「えぇ。悪くなった優子さんの心臓を、別の健康的な心臓に取り替えるんです」

 

臓器移植とは、悪くなった部分の臓器を摘出し、ドナーから新しい臓器の提供を受け移植を施す治療法である。

近年注目を集めている最先端医療の一つだ。

 

「それをすれば、優子は助かるのか?」

「えぇ。ですが、それを実行するには様々な問題がありまして……」

「どういう事だ?」

 

莫大な治療費がかかる事はもちろん、ドナー提供の順番待ちがある事を日吉は語った。

そもそも臓器提供をしてくれるドナーが健康体である場合は非常に少なく、登録されているドナーのほとんどがもう助からない患者である場合が多い。

自分がもう生きていけないのであれば、せめて臓器を必要としている人間に出回って欲しい。

そういった想いから提供される臓器は大変貴重であり既に予約でいっぱいになっているケースがほとんどであると言う。

 

「予約をしたとして、移植を受けられるのは何年先になるか……」

「それじゃ、優子には間に合わないって言うのか?」

「……残念ですが、非常に厳しいかと」

 

桐生は非情な現実に歯噛みをする。

このままでは優子は助からない。

もしも優子が死んでしまったら、錦山はきっと心の支えを失ってしまうだろう。

肉親が無事である事が、獄中にいる彼のせめてもの頼りなのだ。

それを自分の不手際で失わせる訳には行かない。

 

「日吉先生、何か手は無いのか?このままじゃ、俺は兄弟に会わせる顔が無ぇ」

「…………一つだけ、方法が無いわけではありません」

「本当か?」

 

日吉が提案してきた"方法"。

それは、確実に裏社会に足を踏み入れたものだった。

 

「臓器ブローカーをご存知ですか?」

「……聞いた事くらいはある」

 

臓器ブローカーとは端的に言えば人間の臓器を売買、またはその売買を斡旋する業者及び個人の事を指す。

ドナーを待てない患者のために、そういった者たちから臓器を購入する事で、順番待ちを介さずとも臓器移植を受ける事が出来るという寸法だ。

 

「私からそういった仕事をしている人間に、連絡を取る事は出来ます」

「なに?」

 

しかし日本において、臓器売買は法律で禁止されている立派な犯罪行為である。

日吉はそれを介する闇ルートを斡旋しようとしているのだ。

 

「その場合、手術費用とは別に纏まったお金が必要となります」

「……いくらだ?」

「3000万です。用意出来ますか?」

 

日吉の提示してきた金額。

それはまさに、優子の命の値段とも言えた。

これを用意出来なければ、優子の命は無い。

 

「……少し、考えさせてくれ」

「分かりました。ですが桐生さん、優子さんにはもう時間がありません。どうかお早いご決断を」

「あぁ」

 

桐生は短く答えるとその場を後にした。

ロビーを抜けて正面出入口から外に出ると、来院者用の駐車場へと向かう。

 

「兄貴、お疲れ様です」

「あぁ」

 

駐車場では弟分の田中シンジが桐生の帰りを待っていた。

シンジは桐生が車へと乗り込んだのを確認すると、すぐに発進させる。

 

「兄貴、優子さんの容態はどうだったんですか?」

「……あまり良くないようだ。時間が無いとも言われた」

「そうだったんですか……」

 

そこで桐生は、日吉から持ちかけられた臓器ブローカーの件をシンジに伝える。

すると、シンジが怪訝な表情を浮かべた。

 

「ん?兄貴……なんか変じゃ無いですか?」

「何がだ?」

 

シンジは自分の感じた違和感を素直に打ち明けた。

 

「その"日吉先生"は真っ当なカタギの人間なんですよね?なんでそんな所の繋がりを持ってるんです?」

 

臓器売買は完全に違法で、一般人は購入するどころか関わる事すら難しい。

それこそ、桐生やシンジといった裏社会に精通した者でなければ関係を持つ事は出来ないのだ。

 

「なにせ、人間の臓器を扱うようなシノギです。"アシが着く"事になったら大事になっちまうじゃないですか」

「確かにな……」

 

アシが着く。

つまり証拠が残るような事になれば、臓器ブローカーはもちろん購入した側もタダでは済まない。

警察からの徹底的な追求を受けることになるだろう。

万が一にも秘密が漏れる訳には行かない。

だからこそ、こう言った話が一般人であるはずの日吉側から持ちかけられた事にシンジは強い違和感を覚えていた。

 

「その日吉先生に繋がってるってそのブローカー、相当アコギな商売してるんじゃないですか……?」

「いや……あるいは、そもそもそんな業者との繋がりは最初から無かったのかもしれねぇ」

 

日本で臓器ブローカーをやっている人間は十中八九、裏社会の人間だ。そういったリスク管理が出来ていなければすぐに警察に捕まってしまうだろう。

考えられる可能性は二つ。そのブローカーがよっぽど杜撰な"仕事"をする人間なのか、それともそんなブローカーなど最初から居ないのか。

 

「いずれにせよその"日吉"って先生、俺は信用出来ないと思います」

「そうだな……ありがとうシンジ。お陰で早まらなくて済んだ」

 

桐生はシンジに感謝を述べる。

何せ親友から託された妹の命なのだ。万が一があってからでは遅い。

今は突発的に動くのではなく、慎重になるべき局面なのだ。

 

「いえ、自分はそんな……兄貴、この後はどちらに?」

「風間の親っさんの所へ向かってくれ。今回の件、相談する必要がありそうだ」

「分かりました。俺は一応、その"日吉"って先生の事を調べてみます。何か分かったら連絡しますんで」

「あぁ、頼む」

 

桐生を乗せた車は、神室町へと向かう。

二人は知る由もないが、錦山優子の辿る運命が大きく変わった瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから更に数日後。

神室町の外れにある桐生組の事務所に、一人の男が気だるそうな態度で現れた。

 

「失礼しますよ、組長さん……」

 

男の名は松重。

桐生にシノギを教えるために風間組から送り込まれた極道だ。

 

「待っていたぞ、松重」

 

事務所に居るのは組長である桐生、ただ一人だ。

いつもであれば数名の構成員がいるはずだが、今日は桐生の弟分である田中シンジすらもその姿が見えない。

若干の違和感を覚える松重に、桐生は問い掛けた。

 

「なんで呼ばれたのか分かっているか?松重」

「さぁ、身に覚えがありませんね?」

 

とぼけた態度を取る松重だが、実際彼に見覚えはなかった。いつも通り馬鹿なカタギからあの手この手で金を搾り取るだけなのだから。

そのふざけた態度を見た桐生は、声音に僅かばかりの怒気を孕ませる。

 

「……お前、七福通りの廃ビルで裏カジノのシノギをしているな?」

「えぇ、それが何か?」

 

日本においてのカジノ賭博は風営法によって禁止されている為、本来であれば日本国内でカジノを楽しむ手段は存在しない。

しかし、アジア最大の歓楽街である神室町では数多くの裏カジノが存在しており、警察の目の届かないアンダーグラウンドな場所で日夜違法の賭博が行われている。

 

「そのカジノでは店側がイカサマとぼったくりをしているって話がある。その上負けて金を払えないカタギには暴利で金を貸している、ともな」

 

イカサマだと騒ぎ立てればケツ持ちのヤクザに詰め寄られ、金を払えなければ法外な利子を付けた多額の負債を背負わされる。

オマケに客側も違法カジノである事を知った上で入店している以上、警察に泣きつく事は出来ない。

狙われれば最後、骨の髄まで食い物にされてしまう悪質な手法。

まさに"ヤクザ"なやり口だった。

 

「松重、お前がやったのか?」

「さぁ、一体何のことでしょうか?」

 

とぼけた発言をする松重を、桐生は鋭い眼光で睨み付けた。

桐生の纏う空気が徐々に張り詰めていく。

 

「スジの通らねぇシノギからは手を引け。俺は前にそう言ったな?」

「えぇ。ですから俺のシノギはスジを外しちゃいませんよ」

「なに?」

 

しかし、怒れる"堂島の龍"を前にしても松重は余裕の態度を崩さなかった。度胸が無くてはヤクザは務まらない。

ましてや風間組の稼ぎ頭にまで上り詰めるには尚更だ。

 

「こっちは日本国内じゃどうあっても遊ぶ事の出来ないカジノを提供してるんだ。なのにイカサマだと騒がれちゃ敵わねぇ。だから俺たちは用心棒(ケツ持ち)だけで、ディーラーや従業員にはカタギの人間を採用してます。ウチらが干渉する事はありませんよ」

 

自分達ヤクザはあくまでもオーナー兼ケツ持ちであり、運営しているのはカタギの人間だと松重は主張した。

 

「その上で賭博で金が無くなった客に、俺達は"善意"で金融会社の融資を紹介しているだけです。しかも"その場で勝てば利子無しで返済出来る"って条件でね。どうです?破格でしょう?」

 

負けたままでは終われない。

松重はそういったギャンブルをする者の心理を巧みに利用し、一見して良い条件をチラつかせて融資に踏み込ませるよう誘導していたのだ。

 

「だが実際には一向にギャンブルに勝てず、借金だけが膨れ上がっていく……それを切り取ろうって魂胆か」

「そいつらはたまたま運が無かっただけです。それをイカサマだなんだと言われるのは心外ですね。負け犬の遠吠えって奴ですよ」

「つまりお前は、今回のイカサマ騒ぎは運営側と客側が勝手にやった事で、ケツ持ちの自分は関係ない……そう言いてぇんだな?」

「えぇ、その通りです」

「そうか……」

 

桐生は松重の答えを聞くと自分のデスクから立ち上がり、事務所の奥に続く扉を開ける。そこは本来桐生がいるべき組長室のドアだった。

 

「おい、出て来い」

 

桐生が短くそう言うと、組長室の中から二人の男が出てきた。一人は地味な色のジャケット姿で、もう一人は白シャツと黒ベストに赤い蝶ネクタイを着けた特徴のある格好をしていた。

その二人を見た途端、余裕のあった松重の態度が崩れる。

 

「な……っ!?」

「ほう。どうやら松重は、コイツらを知ってるみてぇだな?」

 

組長室から出てきた二人の男達はどちらも恐怖で震えている。

直接的な暴力こそ振るわれていないが、並のカタギであれば失神してしまう程の威圧感を持つ桐生に詰め寄られれば震えが止まらなくなるのは当然の事だ。

 

「お前ら。松重から何を言われた?」

「は、はい!自分は松重さんの指示でイカサマをしていました!」

「じ、自分は松重さんの指示で客に融資をしました……!」

 

彼らはそれぞれ裏カジノのディーラーと金融会社の社長である。

一般人ではあるものの二人共に松重の息がかかっており、今回の一件を桐生に問い詰められて白状したのだ。

 

「松重。これでもまだ、言い逃れしようってのか?」

「…………ちっ」

 

裏を取られ、逃げ場のなくなった松重は忌々しげに舌打ちをする。

それを答えと受け取った桐生はゆっくりと松重に歩み寄った。

 

「松重、裏カジノは撤去だ。コイツらとも今日限り縁を切れ」

「……正気ですか?あのカジノが無くなればシノギの四割がーーー」

 

次の瞬間。

桐生の拳が松重の腹部に叩き込まれていた。

 

「ぐぼ、ぉ、ぁっ……!!?」

 

その一撃があまりにも速かったためか、松重は自分が殴られた事を一拍遅れて知覚する。

衝撃が腹部を撹拌して彼の体を突き抜けて、壮絶な痛みが後から一気に襲い来る。

 

「おい松重」

「ぐ、っ、ぅ……!?」

 

桐生は膝を着いて腹部を抑える松重の髪を掴んで持ち上げると、これ以上無いほどの殺気を至近距離でぶつけた。

 

「俺はお願いしているんじゃねぇ……"命令"しているんだ……!」

「!!」

 

心胆が震え上がり、背筋が凍り付く。

ここに来て松重はようやく理解した。理解させられた。

自分が甘く見ていた男が、一体どんな人間だったのか。

 

(な、なんなんだコイツ……!)

 

この局面において松重の心は未だに折れていない。

しかし、松重の肉体がコイツには逆らうなと警告を発していた。

最上級の殺気と先の一撃をモロに浴び、桐生一馬の脅威を完全に刻み込まれたからだ。

 

(か、身体が言う事を聞かねぇ……!!)

 

額には脂汗が滲み、全身が震えを発し、肌が粟立つ。

その様はまさに蛇に睨まれた蛙。

否、"龍に睨まれた生贄"と呼ぶに相応しい光景だった。

 

「今週中にカジノは撤去だ。今後取り扱うシノギについては必ず俺を通してからにしろ」

「…………っ!」

「今回はそれで不問にしてやる。だが次は無ぇぞ……いいな?」

「…………はい」

 

そして。

松重自身も自覚しないままに、彼の口から自然とその言葉は出ていた。

 

「よし…………話は終わりだ。お前らも帰っていいぞ」

「「はい、失礼します!!」」

 

解散を命じられた二人の男達は我先に事務所を出ていった。桐生と松重の先程のやり取りを見て戦々恐々としていたに違いない。

 

「ぐ、ぅ、くっ……!」

「…………」

 

痛みとショックで蹲るしかない松重を一瞥し、桐生は無言のまま事務所を出た。

後に残ったのは、松重ただ一人だけだ。

 

(なんて野郎だ……身体が、まるで動かなかった……)

 

冷や汗は未だ止まらず、動悸は収まる気配がない。

松重の身体は、過去に類を見ないほどの緊張状態にあった。

 

(この俺がまるで口答え出来ず、無条件で要求を呑まされるとは……)

 

松重の口から先程漏れ出た"はい"という返事。

あれは反省したが故の言葉ではなく、松重の身体に備わった生存本能が生き残る為の手段として行った生命活動の一環に等しかった。

これが"堂島の龍"。

東城会の内外にその名を轟かせる"伝説の極道"

 

「桐生、一馬ぁ……!!」

 

松重は一人、忌々しげに唇を噛む。

このままでは済まさないと、持ち前の反骨心を燃やしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松重に灸を据えた後、桐生は風堂会館に足を運んでいた。

育てと渡世の親、風間新太郎に会うためだ。

 

「失礼します」

「来たか、一馬」

 

桐生が足を踏み入れた組長室には風間しかおらず、他の構成員の姿は無い。

故に風間も、組長としてでは無く父として振舞っていた。

 

「調子はどうだ?一馬」

「はい。正直かなり手を焼いていますが、その分勉強になる事も多いです」

「そうか……松重はプライドが高いからな。手懐けるのも簡単じゃねぇだろう?」

「えぇ……ですがあの男は今後の桐生組にとって欠かせない存在です。錦の為にも、奴は必ず自分のモノにしてみせます」

「フッ……変わらねぇな、一馬は」

 

自分の為でなく、大切な誰かの為に動く事を厭わない。

その精神から来る行動には華があり、人を惹きつけ魅了する。

桐生は紛れもなく、組を率いるに足る器だった。

 

「それで親っさん……例の件ですが…………」

「あぁ……優子についての事だったな」

 

桐生がここに足を運んだのは世間話をするためではない。

錦山の妹、優子について桐生は風間にある頼み事をしていたのだ。

 

「どう、でしたか……?」

「どうにか、約束を取り付けることは出来た。上手く行けば、優子は海外で手術を受けられるだろう」

「本当ですか!?」

 

それは、優子の手術の事だった。

日吉との会話の後に病院から出て風間と合流した桐生は、すぐに日吉から言われた件を打ち明けた上で風間の助力を乞うたのだ。

それを聞きいれた風間は海外にある伝手を辿り、入院先の病院と臓器提供、並びに医者の手術の約束までを取り付けたのだ。

 

「だが一馬。そう喜んでもいられねぇんだ」

「……どういう事ですか?」

 

問いかける桐生に、風間は俯きながら答える。

 

「俺が取り付けたのは約束まででな。期限までに費用を用意出来なきゃ手術は受けられないとの事だ。流石の俺でも費用まで面倒見る事は出来なかったんだ」

「費用……いくらかかるんですか?」

 

恐る恐る聞いた桐生に対し、風間は必要な金額を返答した。

 

「日本円で……約7000万だ」

「な……7000万……!」

 

それが優子の命を救う為に必要な金額だった。

しかも、それを指定された期間までに揃えなければならない。

 

「親っさん、支払いの期限はいつまでですか?」

「来年の三月末だ。それまでに7000万円を用意出来なければ、優子の手術は他の患者に回されてしまうそうだ」

「三月、末…………」

 

今から数えて、残された時間は約4ヶ月。

それまで7000万円の金を用意する事が、優子が手術を受けられる条件。

 

「一馬……お前がスジを大事にしたいのは分かる。だからこそ、松重のやり方が受け入れられないんだろう?だから手を焼いている。違うか?」

「っ、親っさん……どうしてそれを?」

「松重は元々ウチで稼ぎ頭だった男だ。アイツが、ある程度汚いシノギに手を染めている事は分かっていた。一馬。俺が松重をお前に預けたのはシノギについて勉強させる事もそうだが、アイツに義理人情の大切さを知ってもらう為でもあったんだ」

 

風間組は穏健派であり、裏稼業はおろかみかじめを取ることすら禁ずるほど義理人情を大事にする組織だ。

すると、組織全体の売上(アガリ)は必然的に少なくなる。

しかし、そんな中で莫大なアガリを献上する人間がいれば裏があるのは当然の事。

風間はそれを把握した上で、彼とは正反対の桐生を引き合わせたのだ。

桐生は松重から"ヤクザ"としてのやり口を。

松重は桐生から"極道"としての生き方を、それぞれ学ばせる為に。

 

「そうだったんですか……」

「一馬。お前には常日頃から"義理と人情を誇りに生きろ"と教えて来た。そうだな?」

「はい。親っさんの教えがなければ、今の俺はありません」

「あぁ……だが、だからこそお前はこれから辛い選択を迫られる事になっちまう」

「え……?」

 

風間は桐生を真っ直ぐに見つめて、こう言った。

 

「"松重のやっていた汚いシノギを容認する"。四ヶ月で7000万円を集めるには、それしかない」

「!!」

 

それは桐生にとって、とてもショッキングな出来事だった。

桐生にとって、尊敬する風間の授けたその教えは、今の自分を形成すると言っても過言ではない生き方の指針。それを曲げなければならない。

そして何より、その風間の教えを破れと他ならぬ風間本人が言ったのだ。

筋が通らない所の騒ぎではない。盛大なちゃぶ台返しである。

 

「親っさん……それは……!」

「おかしな事を言っているだろう?一馬。だが、これが"ヤクザ"だ。どんな綺麗事やお題目を並べようが、結局は誰かを泣かせる事でしか物事を成せない。それが俺達の生き方なんだ」

「親っさん……」

「だが、その罪の意識は忘れちゃいけねぇ。それを忘れてカタギを食い物にし始めたら、それはただの外道だ。だから俺はこれまでお前や彰に義理人情を説いてきたんだ」

 

カタギを泣かせる事に、罪の意識を持つ。

そして、泣かせたからには必ず成し遂げる。

それが風間新太郎の言う"極道"だった。

 

「優子の手術費用を間に合わせる為には今までのやり方じゃダメだ。風間組で容認する訳にはいかなかったが、今の松重は桐生組の人間だ。お前が一言命令すれば奴はきっと7000万円を用意するだろう」

「…………」

「覚悟を決めろ、一馬。己の成す目的の為に信念を曲げる事も、ヤクザにとっては重要な事なんだ」

 

スジの通らない事象を、認める。

それは、桐生の掲げた極道を真っ向から否定するものだった。決して譲る訳には行かない。

かと言って、風間の言うことは限りなく真実に近い。

たったの四ヶ月で7000万円もの大金を手に入れるためには、それこそなりふり構ってなど居られない。

もしも手術が間に合わなければ優子は助からず、獄中の錦山もまた心の支えを失ってしまうだろう。

汚いシノギに手を染める以外の方法は、もはや無いのだ。

 

「……親っさん」

「なんだ?」

 

重い沈黙の後、桐生は風間の目を真っ直ぐに見つめ返して答えを出した。

 

「俺は……俺の極道を往きます。親っさんとは違う、俺だけの極道を」

「一馬……?」

 

怪訝な顔をする風間だが、その直後に桐生は己の意見を真っ向から述べる。

 

「三月末までに7000万円、キッチリ用意します。ですが、スジの通らないシノギを認める訳にはいきません」

「一馬……!」

「親っさんは、俺を通じて松重に義理人情の大切さを教えようとしたんですよね?そんな俺が汚いシノギを認めたら本末転倒になっちまいます……!」

 

桐生は踵を返して、組長室のドアノブに手をかける。

そして、振り返らぬまま彼は宣言した。

たとえどんな現実が待っていようとも、自分の信じた道を貫く事を。

 

「俺は必ず、親っさんの期待に応えてみせます!見ててください、これが俺の極道です……!!」

「待て、一馬!」

 

風間の静止を振り切り、桐生は風間組事務所を飛び出していった。

 

「一馬…………」

 

風間は、桐生の頑固さを侮っていた。

自分の事を半端者と称していた桐生に対して響く言葉を投げかけた筈が、逆に意地を張らせる結果となってしまったのだ。

 

(半端者なりの意地、か…………)

 

ふと風間が窓の外を覗く。

走って事務所を飛び出していった桐生の姿が見える。

彼の身に纏うグレーのスーツが、黒にも染まらず白にもなり切れないその不器用な生き方を表していた。




如何でしたか?
次回の断章では意外な場所を登場させる予定です。
お楽しみに


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第五章 謎の少女
不運


最新話です

今回は少し短めですが、錦山がいよいよあの名セリフを言います


2005年12月6日。時刻は夜の9時頃。

錦山彰はバッカスで偶然出会った遥を殺人現場と化した店から連れ出していた。

 

「さっきのお店のこと、誰かに伝えた方がいいんじゃない……?」

「あれだけの事があったんだ。とっくに誰かが通報してるよ」

 

直に店の周辺は騒ぎを知った警官達で溢れかえるだろう。錦山達は一刻も早く、その場から離れる必要があった。

 

「さぁ、急ごう」

「……」

「どうした?」

 

しかし、遥は一向にその場から動こうとしなかった。

一点を見つめる遥の視線を錦山が追う。

 

(仔犬……?)

 

犬種は柴犬だろうか。

薄茶色の毛並みをした仔犬が、錦山達の目の前で蹲っているのが見えた。

直後。

 

「きゃうん!」

「あ……!」

 

横合いから飛んできた石が仔犬の身体を直撃した。

仔犬が痛々しい悲鳴を上げた直後、石の飛んできた方向から下卑た笑い声が聞こえた。

 

「ぎゃっはっは!今のは内臓イッたんじゃねぇの!?」

「キャンつった、キャンつったよな今!」

「残酷だなぁ、早い所トドメ刺しちゃえよ!」

 

複数の、若い男の声だった。

姿は見えないが、きっと街の不良が動物を虐めて楽しんでいるのだろう。

こうした卑劣な行いが横行するのもまた、神室町が危険な街であることの証だ。

 

「やめて……やめてよ……!!」

 

しかし、遥にとって神室町がどんな場所であるかなど関係ない。

被害を受ける仔犬があまりにも可哀想で、遥は悲しさと憤りを覚えていた。

 

「……ちょっと待っててね」

「え……?」

 

錦山は遥にそう告げると、仔犬の所へと歩み寄った。

直後、再び仔犬に襲い掛かる石を素手でキャッチする。

そして。

 

「オラッ!!」

「ぶぎゃぁ!は、鼻がぁ……!?」

「ヨッちゃん、おい大丈夫かよ!?」

 

錦山はキャッチした石を全力で不良達へと投げ返した。

石は真っ直ぐ不良達の所へと飛んでいき、メンバーの一人の顔面に直撃した。

 

「なに?アンタ……?」

 

自分達の楽しみを邪魔したばかりか仲間の一人を傷付けられた以上、彼らも黙っている訳には行かない。

不良達は敵意を撒き散らしながら錦山を囲むように接近する。

しかし、彼は今更そんな事で怖気付いたりはしない。

元極道である錦山にとって、たかだが街の不良程度は恐るるに足らないのだ。

 

「俺は今日、大変な一日でよ。すこぶる機嫌が悪いんだ」

「あぁ?」

「運が無かったんだよ……お前らは」

 

錦山の過ごした今日という一日は、それは凄まじいものだった。

目の前で育ての親が撃たれ、大勢の極道を相手に大立ち回り。

その後はかつての兄弟分と出会って、彼が抗争している中国マフィアを敵に回す。

そして唯一の手がかりの写真を元に一連の事件を調べていた最中にこの騒ぎ。

彼のフラストレーションは溜まる一方だった。

 

「そう?」

 

しかし、リーダー格と思われる不良が錦山の恫喝に対しても余裕を崩さない。その理由はすぐに明かされた。

 

(仲間か……)

 

別の方向から更に数名ほど不良達の仲間と思わしき連中が集まり、完全に錦山を囲んでしまったのだ。

その頭数は、合計10人。

 

「運が悪かったのはオッサンの」

 

それより先の言葉が紡がれる事は無かった。

錦山の拳がリーダー格の不良の鳩尾にねじ込まれていたからだ。

 

「ぐ、ぉ……!?」

「オラァ!!」

 

その後、錦山は間髪入れずに右ストレートをリーダーの顔面に叩き込んだ。

文字通りぶっ飛ばされたリーダー格の不良が、無様に地面を転がる。

 

「て、テメェ!」

「ごちゃごちゃ言ってる暇があるならかかってこいよクソガキ共ォ!!」

 

リーダーが真っ先に沈められ、ようやく臨戦態勢に入る不良達。

闘いの火蓋は、既に切って落とされていた。

 

「この野郎!」

 

正面から襲いかかる二人目の拳を躱し、カウンターの膝蹴りをボディに直撃させて仕留める。

 

「テメェ!」

 

左側から襲い来る三人目の右ストレートを掴み、鼻にエルボーを叩き込んで戦意を折る。

 

「死ねやオッサン!」

 

右側からビール瓶を逆手に持って振り上げた四人目の手首を掴んでビール瓶を奪い取ると、そのまま相手の頭目掛けて振り抜いた。

 

「うぎゃぁ!?」

 

そして割れたビール瓶の鋭利な矛先を、その横にいた五人目の腹に突き刺す。

少なくない出血が伴うが内臓には達していない。

 

「うご、ぉぁっ……?!」

「ひ、ひぃ……!」

「言っただろうが、すこぶる機嫌が悪いってなぁ!!」

 

あまりにもショッキングな光景に慄く六人目に対し、錦山は声を荒らげながらその胸ぐらを掴むと壁にもたれかからせた。

 

「へっ?」

「ふっ、はっ!」

 

その後、左右二発のボディブローを叩き込んでダメージを与える。

 

「おごぉ!?」

「オラァ!!」

 

その後、前のめりになった六人目の顔面を掴んで後頭部から背後の壁に叩き付けた。

白目を剥いた六人目が地面に崩れ落ちる。

 

「大人しくしやがれ!」

 

背後から七人目が錦山を羽交い締めにするが、そんな程度で彼は止まりはしない。

 

「離せよガキ!」

 

錦山は背後の七人目の顔面に肘打ちを叩き込んで怯ませ、腕を取りながらすかさず脱して肩関節を極める。

 

「うぎゃっ!?」

「おゥらよォ!」

 

そして、そのまま一本背負いの要領で七人目を投げ飛ばした。

その後、仰向けに倒れた所に顔面を踏み抜いてトドメを刺す。

 

「な、なんなんだよコイツ!」

「おい、これヤベェだろ!?」

「に、逃げた方が良いんじゃ……?」

 

残る不良はあと三人。

いずれもが錦山の強さと危険さを感じ取り、逃走を画策する者も居る。

無論、錦山に彼らを逃がすつもりは毛頭ない。

 

「ぉぉお、オラァ!!」

「ぶげぁっ!?」

 

錦山はすかさず八人目の顔面に飛び膝蹴りを放ち、一撃で無力化した。

 

「う、うわあああああ!」

「逃がすかよ!!」

 

ついに逃亡を始めた九人目に難なく追い付き、背後からチョークスリーパーをかけて首を締め上げる。

 

「がっ!?……か……っ…………」

 

頸動脈を締められて失神した九人目が、開放されたのと同時に糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちる。

 

「残ってんのはテメェだけか……?」

「く、クソっ!」

 

追い詰められた十人目は、ポケットからナイフを取り出して切っ先を錦山に向けた。

 

「死ねぇぇぇ!!」

 

そのまま大声を上げて錦山に突っ込む十人目。

錦山はその一刺しを冷静にいなして背後に回ると、十人目の左足を右足で思い切り蹴り抜いた。

 

「うぉわっ!?」

 

片足を蹴り抜かれた十人目がバランスを崩して後ろへ仰け反る。

そして振り抜いた回転の勢いのまま左足を振り上げると、十人目の顔面にかかと落としを叩き込んだ。

 

「ぶげぇっ!?」

 

錦山の靴底とアスファルトに頭部を挟まれて気絶する十人目。

わずか一分足らずで、その場は血祭りに上げられた不良達が倒れ伏す地獄絵図となっていた。

 

「く、くそっ……」

「あ?」

 

錦山が振り向くと、倒れていたリーダー格の不良が起き上がっていた。

どうやら最初の攻撃だけでは仕留めきれなかったらしい。

 

「ほう……ただのヤンキーにしちゃ骨があるな」

「おっさん……あんた、何者だよ……?」

 

問いかける不良に対し、錦山の行ったのは拳による返答だった。

ボロボロの身体に叩き込まれた追い討ちにより、今度こそ不良の身体が地面に崩れ落ちる。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

 

その後、錦山は地面に這い蹲る不良の髪を持ち上げるとその顔面を思い切り蹴り上げた。

うつ伏せだった体勢が仰向けになり、無様に腫れ上がった顔面が顕となる。

 

「ひ、ひぃ、もうやめて……」

「うるせぇんだよクソガキが!!」

 

許しを乞う不良の顔面に馬乗りになると、錦山は容赦なく拳を振り下ろした。

戦意喪失し、もはや抵抗出来ない相手を一方的にぶちのめす。

ともすれば外道とも取られかねないその行動だが、錦山は敢えてそれを行っている。

 

「良いかよく聞けクソガキ。これが……さっきのお前らの行動だ」

 

一切の抵抗が出来ない相手を、一方的に虐めて嘲笑う。それは、先程不良達が仔犬に対して行っていた行為そのものだ。

ましてやトドメを刺して殺そうとまでしていたその残虐性に、錦山は激しい憤りを感じていた。

 

「今のお前ら、とっても可哀想だよなぁ……俺がここでトドメを刺してやっても良いんだぜ?」

「ひぎぃっ!?」

 

錦山はそう言うと左手で不良の喉元を掴む。

不良がじたばたと暴れ始めるが、鍛え上げた錦山の力の前ではどうする事も出来ない。

 

「俺が何者か知りたがってたよな?教えてやるよ。俺はな、刑務所上がりの元極道だ」

「!!」

 

それを聞いた不良は一気に青ざめる。

単純に悪ぶってるだけの自分達とは次元が違う。

今、彼の前にいるのは前科持ちの完全なるアウトローなのだ。

 

「殺しで10年行ってたんだ。今の俺にとっちゃ、一人殺すも二人殺すも同じなんだよ」

 

そんな男の口から漏れた言葉に、不良の恐怖心は限界まで高まっていた。

自分は間違いなく殺される。恐怖から震えと涙が止まらなくなる不良に対し、錦山は拳を振り上げた。

 

「死ねや、クソガキ」

「っ!!?」

 

不良は迫り来る拳に思わず目を瞑った。

しかし、いつまで経っても痛みと衝撃は襲って来ない。

 

「……?」

「……なんてな。今回はこれくらいで勘弁してやる」

 

首から手を離し馬乗りを解く錦山だったが、不良は恐怖と緊張から未だ動けずにいる。

そんな不良に対し、錦山は顔を近づけて言った。

 

「だが、もしもまた同じ事をしてるのを見かけたらその時は容赦しねぇ…………分かったな?」

「は、はい……!!」

 

錦山は不良に対して念入りに痛みと恐怖を植え付けて、徹底的に心をへし折った。

もう二度と、同じ過ちが起きないようにするために。

 

「ふん……分かったら消えろ。二度とその面見せんじゃねぇ」

「す、すいませんでしたぁ!!」

 

不良は叫びながら逃げるように立ち去って行った。

それに続き、彼らの仲間も皆一様に逃げていく。

 

「ったく、手間取らせやがって……」

 

時間にしておよそ三分。

この喧嘩は錦山の圧勝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タチの悪いガキ共を血祭りに上げてから数分後。

俺はバッカスで偶然出会った遥を連れていた。

そして、ガキ共から虐められていた仔犬も一緒だ。

 

「くぅん……」

「よしよし……」

 

遥は仔犬の事が放っておけないのだろう。

先程酷いことをされていた分を取り返さんと、一生懸命撫でている。

だが、俺たちが今いる場所は現場からはそう離れていない。今、警察に勘づかれるのは面倒だ。

 

「そろそろ行かない?」

「でも、この子お腹空かせてるみたいなの……こんなに痩せちゃってるし……」

 

俺は声をかけるが、どうやら遥にとっては今はこの仔犬が大事らしい。

だが、彼女にはもっと大事な目的があったはずだ。

 

「遥ちゃん……だったよね?お母さんは何処にいるんだい?探してるんだよね?」

「分からない……今日ずっと探してたんだけど……」

「ずっと?」

 

神室町はアジア最大の歓楽街であると同時に日本でも有数の犯罪都市だ。

つまり、この子はそんな危険な街を一日中歩き回っていたという事になる。

 

「遥ちゃん、家はどこにあるんだい?今日はもう遅いから俺が家まで送ってくよ」

 

それを聞いた俺は彼女に、家まで送り届けるのを買って出た。本当は構っていられる場合じゃないが、神室町は年端も行かない子供が長居していい場所じゃない。

何かあってからでは遅いのだ。

 

「……孤児院、黙って出てきた」

「孤児院……?遥ちゃん、孤児院に居たのかい?」

 

その言葉を聞いて俺は遥にどこか親近感を覚えた。

俺も桐生も同じで、施設で育ったからだ。

そんな少女が今、母親を探してたった一人でこの街に訪れているという。なかなかの行動力だった。

 

「ねぇ、おじさん」

「ん?なんだい?」

「その喋り方、なんか嫌」

「な……」

 

その言葉を聞き、俺は開いた口が塞がらなかった。

遥が、年端もいかない少女が俺の目を真っ直ぐに見てそう言ってのけたのだ。

 

(俺が、怖くねぇのか……?)

 

元ヤクザ者で、先程まで結構な暴れ方をしていたのだ。

まともなカタギならまず恐れる所を、この子はそんな素振りも見せずに堂々と自分の意見を押し通したのだ。

年齢にしてはあまりにも肝が据わり過ぎている事に、俺は驚きを隠せなかった。

 

「そ、そうか……悪かったな。気を付けるよ」

「うん……ねぇおじさん。この子に何か食べさせてあげて、このままじゃ死んじゃうかも……」

 

すると遥は、俺に仔犬の餌を要求してきた。

遥の言う通り、仔犬はぐったりとしていて衰弱していた。

空腹な事に加え、さっきのガキ共の虐めの事もあるのだろう。このままでは本当に死んでしまうかも知れない。

 

「確かに可哀想だな…………でも、今助けてあげても、またあんな目に遭うかもしれない。その子だって、お前が面倒見れる訳じゃねぇだろ?」

「それは、そうだけど……」

「仕方ねぇ事なんだ。責任が負えないなら、生き物は助けるべきじゃない」

 

動物の世話をするということは、その動物の命を背負うという事。

守ることが出来ないのなら、関わるべきでは無いのだ。

 

「そんな……でもほっとけないよ!ねぇ、おじさん!」

「…………」

 

遥は必死だった。

仔犬が助からないのならテコでもここから動かない。

この子からは、そんな強い気概を感じる。

 

「はぁ……仕方ねぇ」

 

その揺るぎない態度に俺は折れた。

いずれにせよ、遥は安全な場所まで送り届けなければならないのだ。

それでこの子が納得するならやるしかない。

 

「分かったよ、ちょっと待ってな。今、その子が食えるもん買ってくるからよ」

「うん、お願い」

 

俺は遥の願いを聞き入れると、ドッグフードを手に入れる為にその場を離れた。

 

(さて、何処がいいかな……)

 

神室町にあるのは、何も如何わしい店ばかりじゃない。

薬局やスーパー、コンビニに雑貨屋なんかも多く存在する。

その中からドッグフードを探して見つけ出さなければならない。運良く見つかれば良いが、何店も回ることになればそれなりに大変だ。

オマケに、今の俺は街中のヤクザから狙われてる身分だ。そんな中神室町を歩き回るってことはつまり、そいつらに狙われるリスクも増えるという事に他ならない。

 

「結構、骨が折れそうだな……」

 

出所してからまだ二日。

中々ハードなおつかいに嘆息しつつ、俺は店を探し始めるのだった。

 

 




如何でしたか?

次回はちょっとしたオマージュが入る予定です。
何のオマージュか分かったら、是非感想欄で教えてください。


あぁそうだ。感想欄といえば、断章において桐生ちゃんがどのようにして7000万円を稼いだのか、色んな予測が飛び交って居ましたね。

ここでひとつ、言っておきます。

実はその感想の中に一人、その答えに限りなく近い事をを言い当てていた方がいます。
誰なのかはあえて伏せますが、一体何なのかみなさんも考えてみてくだだいね!

それではまた次回


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保護

最新話です

序盤はある作品のオマージュをしています。
何かわかるでしょうか……?


東京、神室町。

眠らない街とも呼ばれるその繁華街の、とある雑貨屋で事件は起こった。

 

「……」

 

事の発端は、一人の男がその雑貨屋に入店した事から始まる。白いジャケットを着たその男は、どこか緊迫した雰囲気を漂わせていた。

ふと、一人の店員の目にその姿が映る。

 

(あのお客様、ホストかな?いや、その割には歳いってるし……ヤクザ、なのかな……?)

 

神室町においてヤクザ者は決して珍しくない。

この雑貨屋も、強面でスーツ姿の男たちが酒やタバコ等を買いによく来ている。

そして、そんなヤクザ相手に商売をする時の暗黙の了解がこの店には存在した。

それは、必要以上の接触は避ける事。

触らぬ神に祟りなし、と言うやつだ。

 

(でも大事なお客様だし、もしかしたら何か探しているのかも……)

 

しかしこの店員はここの従業員になってから日が浅く、そういった事情等を把握していなかった。

 

「あの、何かお探しものですか……?」

「ん?あぁ……そうだ」

 

そして、良かれと思った店員がカウンター越しに声をかけた。

すると、男は安堵の表情を浮かべる。

どうやら本当に探し物をしているようだ。

 

「何をお探しで?」

「実は……っ!」

 

直後、男が弾かれたように横を見る。

それにつられて店員の目が同じ方向に向き始めた瞬間。

 

「くたばれやぁ!!」

 

一人のヤクザがドスを突き出してきた。

男はそれを一歩後ろに下がって回避する。

 

「ひっ!?」

 

何も知らない店員と男の間に鈍色の刃が突き出され、店員の背筋が完全に凍り付く。

 

「はっ、でりゃぁ!」

 

男はドスを持ったヤクザの手首を掴むと、もう片手でヤクザの顔面に裏拳を放って怯ませる。

その後、手首を掴んだまま一本背負いの要領でヤクザを思い切り投げ飛ばした。

 

「うぉおおあっ!?」

 

投げ飛ばされたヤクザの身体が陳列棚を押し倒し商品をぶちまけるその様は、さながらアクション映画のワンシーンにすら見えてしまう。

 

「オラァ!」

 

しかし、奇襲を仕掛けたヤクザは一人では無かった。

男は、続いて襲いかかって来た二人目のパンチを躱すと返しの右ストレートで叩きのめし、その後に続く三人目のタックルにカウンターの顔面膝蹴りを合わせて一撃で仕留める。

 

「ぶげっ!?」

「ちっ、場所ぐらい選べっての!」

「ぶち殺したるわァ!」

 

そして、四人目のヤクザが売り場にあった金属バットを無断で拝借して男に目掛けて振り上げる。

 

「させるかよっ!」

 

しかし、男はバットが振り下ろされる前にヤクザとの距離を詰めてバットを握る手首を抑えた。

 

「はァっ!」

「ぐほっ!?」

 

バットを両手で持ったがた為にガラ空きになった胴に膝蹴りをねじ込み、バットを手放した瞬間に頭突きをぶち当てる。

 

「ぶがっ!?」

「オラァ!!」

 

そして怯んだ瞬間に、男は渾身のハイキックを側頭部に叩き込んだ。

蹴り飛ばされたヤクザは別の陳列棚に突っ込み、商品の箱に埋もれてしまった。

 

「え……なに……?」

「ひぇ……っ」

 

ふと、状況に理解が追い付かずに固まっている二人組の男女客と男の視線が交差した。

そして、男は真剣な表情で二人に忠告する。

 

「お二人さん、そこ危ねぇぞ。早く逃げな」

「えっ?どういう事……?」

 

未だ状況が分からない客だったが、その理由はすぐに分かった。

 

「見つけたぞゴラァ!」

「観念しやがれボケェ!」

「親殺しのクソ外道が!」

 

彼らの背後に、さらに大勢のヤクザがなだれ込んできたからだ。

 

「「ぎゃああああああああああ!!?」」

 

恐怖と逃走本能に駆られて男の元へと走り出す男女客。

その合間を抜けるように、男がヤクザに立ち向かっていった。

 

「だから、場所選べって言ってんだよ!!」

 

男はそう叫びながら迫り来る五人目のヤクザの顔面に飛び膝蹴りを直撃させた。

 

「ぶぎゃぁ!?」

 

五人目を一撃で屠った後、ドスを振りかざしてきた六人目の攻撃を躱してすかさずレバーブローをねじ込む。

 

「あが、ぁぁぁっ……!?」

「この野郎!」

 

壮絶な痛みで悶絶する六人目を尻目に、後ろから襲い掛かる七人目のヤクザの顔面を裏拳で叩き、そのまま振り返りざまに左フックを拳骨の要領で打ち下ろす。

衝撃とダメージで崩れ落ちるヤクザの顔面に、男は追い討ちの右ストレートを叩き込んでトドメを刺した。

 

「死に晒せぇ!!」

 

男は八人目のヤクザの右ストレートをしゃがんで躱すと、左の膝に二発、ボディに一発の打撃を叩き込んだ。

 

「どりゃァ!」

「おごぁっ!?」

 

膝のダメージで身動きを封じた上でボディブローで完全に怯んだ所に、男は全力のアッパーをぶちかました。

ヤクザの身体が宙に浮き、一秒後に床に叩き付けられる。

 

「せいっ!うぉりゃァ!!」

 

九人目の顔面に鉄槌を繰り出して鼻を潰し、背後の十人目に後ろ回し蹴りを繰り出す。

 

「げぶぁっ!?」

 

左頬を蹴り抜かれた、勢い余って後ろへ振り返る形になる十人目。

男はその胴を背後から掴むと、獣のような雄叫びを上げた。

 

「うおおおおおおおおおっ、らァァ!!」

 

そしてヤクザの身体を全身の筋肉を総動員して持ち上げると、そのまま後ろへと反り投げた。

背後にあった陳列棚をぶち破って、ヤクザの身体が地面に叩き付けられる。

 

「あが、っ…………ぅ…………」

 

お手本のようなジャーマンスープレックスの前に、最後のヤクザは意識を失った。

 

「はぁ……はぁ……」

 

男は、僅かに息を切らしながら周囲を見渡すと既に他の客や従業員の姿は無く、めちゃくちゃになった店内には先程の男女客と店員しか残っていなかった。

 

「……怪我、ねぇか?」

「は、はい……」

「失礼します……」

 

男女客はそれぞれ恐怖と緊張を顔に張りつけながら、そそくさと店を出ていった。

あれだけ目の前で大暴れされれば当然と言える反応である。

関わらないのが一番だ。

 

「すまねぇな、アンタ。店、荒らしちまってよ」

「い、いえそんな……」

 

店員は呆気に取られながらそう返した。

本来は"二度と来るな"くらいは言わなきゃいけない所だが、先程の光景を目の当たりにしてそんな事を言える程店員の肝は座っていない。

もし言った場合、自分が今店内で寝ているヤクザ連中と同じ目に遭う確率は非常に高いのだ。

 

「そ、それでお客様……お探し物は、何でしたっけ……?」

 

故に店員は本来の業務を全うすることにした。

男にとっても目当ての商品が手に入れば、それに越したことは無い筈だからだ。

 

「あ、あぁ……えっとだな……」

 

この後、少しだけ言い淀んだ後に男が発した"目当ての商品"を聞き、店員は耳を疑う事になった。

 

「"ドッグフード"を探してんだけどよ……ここにあったりするか?」

「…………へ?」

 

この一連の騒動は後に"ドッグフードヤクザ事件"として、長年この雑貨屋の黒歴史として刻まれる事になる。

そして店内で暴れたヤクザ数名とそれら全員を返り討ちにした白いジャケットの男は、この店を出禁になったと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数十分後。

目の前で元気に餌を頬張り始める仔犬を見て、遥は満足そうにしていた。

 

(ふぅ、なんとかなったな)

 

それを見て俺も安心する。

どうにか目当てのものを手に入れた俺は、遥のいる場所へ戻って来ていたのだ。

 

「良かったぁ……やっぱりお腹減ってたんだ、この子」

(一応、水と皿も用意しておいて正解だったな)

 

俺と遥が出会った時にはもう、あの仔犬はかなり衰弱していた。

顎の力が弱まって餌も食べれない可能性があった為、ふやけさせるために水と器になる皿を用意していたのだ。

俺の身を狙うヤクザに襲われながら揃えたので、かなり時間はかかったが。

 

「なぁ、遥。さっき、孤児院にいるって言ってたよな?」

 

仔犬を助けるというノルマを達成した俺は、いよいよ遥に声をかけた。

家に帰すにも母親を捜すにも、まずはここから動かなくちゃ話にならない。

それに、俺には疑問もあった。

 

「ホントに、遥の母ちゃんはこの街に居るのか?」

 

それは、遥は如何にして母親の所在を知ったのかという事だ。

孤児院というのは基本的に親のいない子供や親と暮らせない子供の面倒を見る施設で、たいていの場合は親と直接会ったり出来ないもの。

大体は本当の親を知らないまま。仮に覚えていても幼少期の記憶しか無い場合も珍しくない。

本来、遥が母親の居場所を知る事はかなり難しいのだ。

 

「うん……手紙にはそう書いてあったから」

「手紙、か……」

 

遥の母親は定期的に彼女に手紙を送っていたらしい。

そこで遥は、母親が神室町に居るという情報を手に入れたそうだ。

 

「でも私、お母さんの顔全然覚えてない……」

 

寂しそうにそう呟く遥。

この子は、母親に会いたい一心でこんな危険な街をずっと歩き続けていたのだろう。

 

「これからどうするんだ?この辺で頼れる人とか居るのかよ?」

 

気付けば俺の中で、この子を孤児院に帰そうと言う選択肢は自然と無くなっていた。

まるで、若人を応援したくなる年上の気分だ。

そんな気分に浸っていたせいなのだろうか。

 

「ううん……私には、お母さんと"由美お姉ちゃん"だけ……だから……」

 

俺は、遥の口から発せられた言葉に気付くのが一拍遅れた。

 

「由美……?遥、今"由美"って言ったのか!?」

「うん。お母さんのお姉ちゃん。お母さんの手紙、持ってきてくれた…………」

 

その時。

遥の身体が傾き始めた。

 

「お、おい!」

 

咄嗟に受け止めた遥の小さな身体はぐったりとしていて、力が入っていないように見える。

手で遥の額を抑えると、手のひらにかなりの熱っぽさを感じた。

 

「つかれたぁ……」

(…………ずっと歩き回ってたって話だからな。体力の限界が来たのかもしれねぇ……にしても"由美"か……)

 

全く関係無いと思っていた少女の口から聞いた、由美の名前。

そんな少女の探している行方不明の母親は、少女の言う"由美"という女性の妹。

俺はこれを、単なる偶然で片付ける事は出来なかった。

 

「伊達さんに連絡するか……」

 

俺は伊達さんから受けとっていた携帯電話を取り出し、すぐに登録されている番号を呼び出す。

電話はすぐに繋がった。

 

『伊達だ。そっちの調子はどうだ?セレナには行けたのか?』

「実は、困った事になっちまってよ……情報は全部消されちまってた」

 

俺は、今まであった事を全て話した。

セレナで情報を得た事、バッカスの店内の人間が全員殺されてた事。

そして、遥という女の子を保護した事。

 

「って訳なんだ」

『なんだと?じゃあバッカスのマスターも?』

「……あぁ」

『そうか……錦山。とりあえずその女の子はセレナに連れて行け、後で警察が保護する』

「分かった、じゃあな」

 

俺は電話を切り、具合の悪い遥を抱きかかえた。

ここからセレナまでは、そう遠い距離じゃない。

急いでいけば五分はかからない筈だ。

 

(よし、すぐに連れてってやるからな……!)

「おい、見つけたぞこの野郎!」

 

しかし、セレナへ向かおうと振り返った俺の前に二人の男が立ち塞がった。

一人は柄シャツを着た男。そしてもう一人はメガネをかけたスーツ姿の男だ。

 

「お前らは……!」

 

二人の姿には見覚えがある。

俺が、最初にセレナへ行こうとしていた時に襲いかかってきた若いヤクザ連中の内の二人だ。

特にメガネをかけている少年ヤクザは良く覚えていた。

 

「ここで会ったが100年目だ!覚悟してもらうぜ……って、何してんだテメェ?」

 

柄シャツのヤクザが俺の姿を見て構えを解く。

その顔には困惑の色が浮かんでいた。

すると、その背後にいた少年ヤクザが引き攣った顔で言う。

 

「あ、兄貴……もしかしてアレ誘拐なんじゃ……?」

「マジか?テメェ、なんてひでぇ事を……」

「おい、変な誤解すんじゃねぇ!俺はただこの子を助けたいだけだ!」

「なんだって?」

 

更に怪訝な顔をする柄シャツヤクザと少年ヤクザ。

どうやら根っこは悪い連中じゃ無いらしい。

だが、コイツらに事情を説明する義理は無いし、何よりいつまでもこんな所で時間を食う訳には行かない。

 

「とにかくお前らそこを退け。退かねぇってんなら……こないだのレベルじゃ済まさねぇぞ?」

「っ!」

「ひっ!?」

 

俺は二人に全力の殺気を放った。

遥を抱きかかえたまま闘う訳にはいかない以上、これで退いてもらうしかない。

息を飲む二人に俺は手応えを感じるが、ここで更なる障害が立ちはだかった。

 

「あ、兄貴!アイツだよ!」

「あ……?」

 

声のした方を振り返ると、様々な服に身を包んだ若者達が徒党を組んでこちらに迫ってきていた。

その数、おそらく十人は下らないだろう。

そしてその若者達の中には、先程俺がぶちのめした不良の姿があった。

 

「アイツ……!」

「おうテメェか?俺の弟を可愛がってくれたって言う輩は……」

 

ガタイの良い男が先頭に立ち、その後ろを例の不良が歩いている。どうやら自分の兄貴を頼ったらしい。

事態がかなり厄介な事になってきた。

 

「楽には殺さねぇぞ?おっさん」

「くそっ……」

 

流石にこの人数を相手に殺気だけで乗り切る事は恐らく無理だろう。

何より、遥を危険な目に遭わせる訳には行かない。

俺が内心で頭を抱えていた時、迫ってきた不良達に立ちはだかった男がいた。

 

「おいガキ共。ちょっと待て」

 

柄シャツのヤクザだった。

 

「あ?なんだテメェ」

「俺は松金組の海藤ってモンだ。このおっさんは俺の先約なんでね、悪ぃがこっちの用事が終わるまで待ってちゃくれねぇか?」

「松金組……!」

 

その名前を聞いた俺は直ぐに思い至った。

松金組と言えば、かつて風間組の傘下に名を連ねていた組織である。

親分である松金貢組長は、堂島組の若頭だった風間の親っさんを尊敬していて、カタギに寄り添ったシノギをする事でも有名な人だ。

 

(あの柄シャツ、松金の親分さんの若衆だったのか……!)

 

もしも松金組が十年前と変わらず風間組の傘下に居るのなら、松金の親分さんが尊敬する風間の親っさんの秘蔵っ子であるはずの俺を襲うような命令は下さないはずだが、もしも松金組の中で情勢の変化があればそれも変わってくるだろう。

 

(松金組は風間の親っさんと同様の穏健派だったはずだが……)

 

十年も経っていれば組織内の勢力図が変わっていても不思議は無い。

ゆくゆくはそちらの情報も調べる必要がありそうだ。

 

「は?松金組ィ?知らねぇよそんな組。つくならもうちっとマシな嘘つけや、インチキヤクザが」

「……言ってくれやがったなガキ共。吐いた唾は呑ませねぇぞコラァ!!」

 

直後、海藤と名乗った柄シャツの男が先頭の不良の顔面に右ストレートを叩き込んだ。

たたらを踏む先頭の男を見て、背後の不良達が殺気立つ。

 

「あ、兄貴!いくらなんでもその人数は無茶じゃ……」

「うるせぇぞ東!お前も極道なら気合い入れろ!」

「そ、そんなぁ……」

 

東と呼ばれた少年ヤクザが泣きそうな顔を浮かべる。

どうやらこいつらは渡世の兄弟の間柄らしい。

 

「錦山さんよぉ!」

「っ、なんだ?」

 

ファイティングポーズを取った海藤が、俺に背中を向けながら叫んだ。

 

「今は一時休戦だ。アンタはそのガキを連れてけ!」

「なんだと?」

「俺ぁカシラからアンタを痛め付けて連れて来いって命令をされてる!だがカタギを……ましてや年端もいかないガキを巻き込むのは俺の流儀に反するんでな!今だけは見逃してやるって言ってんだ!」

「お前…………!」

 

その言葉と行動、何よりその若い背中に俺は既視感を覚えていた。

義理堅くて真っ直ぐな、それでいて何処か華がある生き様。

 

(コイツ……桐生にそっくりだ……!)

 

それが分かった途端、俺は全面的にこの男を信頼する事に決めた。

俺はこの手の男をよく知っている。

こういうタイプは決して、できない約束はしないものなのだ。

 

「……海藤と東って言ったな?」

「おう、そうだ!近々お前をぶっ倒す男の名前だ、ちゃぁんと覚えとけよ!」

「じ、自分はどっちかって言うと忘れて欲しいですが……!」

 

やる気満々の海藤に、涙目の東。

正反対な二人の背中がやけに頼りに見えた。

 

「お前ら……恩に着るぜ!」

 

俺はそう告げると遥を抱えてその場から駆け出した。

決して背後を振り返らず、セレナへの最短距離をひた走る。

 

「あ、待てやテメェ!」

「テメェらの相手はこっちだガキ共!かかってこいやぁ!」

「くそっ、こうなったらヤケだ!」

 

背後から聞こえる怒号と喧騒が聞こえなくなるまで、そう時間はかからなかった。

 

 




如何でしたか?

ジャッジアイズ組、前回意外にも反響があったので再登場しました。
今後もちょいちょい出すかもしれません。

次回もお楽しみに


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最新話です



2005年12月6日。時刻は午後10時頃。

錦山彰は、体調を崩し倒れた遥を連れてセレナへとやって来ていた。

伊達から事前の連絡を受けていた麗奈は、錦山を奥の部屋へと通すとすぐに遥に手当を施した。

幸い、大きな怪我や病気じゃない事が分かり錦山は安堵する。

純粋に安否を心配したのもあるが、錦山はまだ遥に対して聞かなければならない事があるからだ。

 

「そう……ショックだったのね、そんなに怖い思いをして……」

 

事情を聞いた麗奈が遥を憂う。

まだ幼い少女にとって、今日の出来事は耐え難い恐怖であったに違いない。

 

「あぁ……なぁ麗奈。この子に何か食べるものでも作って上げてくれないか?」

「うん、分かったわ」

「おじさん……?」

 

二人が話をしていると遥が目を醒ました。

顔色も良く、口調もハッキリしている。

薬がよく効いたのだろう。

 

「ここは?」

「私のお店。よろしくね、遥ちゃん」

 

麗奈は笑顔でそう答えると、店の方へと戻って行った。

錦山のオーダー通り、食べるものを調達する為だ。

 

「俺の友達で、麗奈だ」

「そっか……ねぇ、あの子は?」

「あの子?……あぁ、あの犬か」

 

そう言って錦山は直ぐに思い至った。

この期に及んで遥が心配する対象は一つしかない。

 

「あの子大丈夫かなぁ……元気になったかなぁ?」

「そ、そうだな……」

 

錦山は思わず口篭った。

あの時、意識を失った遥をセレナへ連れて行こうとした直前、二人のヤクザと街の不良達によってあの周辺は大騒ぎになった。

騒ぎに巻き込まれている可能性は高い。

しかし、その心配は杞憂だった。

 

「あら、ひょっとしてこの子?」

「わん!」

 

店側に出た麗奈が犬を抱き上げて戻ってきたのだ。

遥の顔に自然と笑顔が浮かぶ。

 

「良かったぁ、もう会えないかと思ってた」

「コイツ、ついてきてたのか……」

 

餌を与えたことで懐かれてしまったのだろう。

遥は嬉々として仔犬を撫で回し、麗奈はそれを微笑ましく見守っている。

 

「ふふっ、この子も嬉しそう」

「麗奈、ここ一応飲食店だろ?犬なんか連れてきて、衛生的に大丈夫なのかよ?」

 

基本的に、飲食物を扱う建物において動物を飼う事はタブーとされている風潮がある。

食中毒や感染症のリスク等の衛生面の問題がある為だ。

しかし、麗奈はあっけらかんと言ってのける

 

「あら、別に平気よ?カウンターの中や厨房に入られるのは不味いけど、ホールにいる分には問題ないわ。それに、ここは天下の神室町。仮に突っ込まれたってどうにでもなるし」

「そういうもんか?」

「ここは私のお店で私がルールなの。錦山くんに心配される謂れは無いわ。それに遥ちゃんだって嬉しそうにしてるんだし、良いじゃない?」

 

麗奈は暗に、子供の笑顔を大人の都合で台無しにするのは酷であると告げた。

気丈で優しい敏腕ママ、麗奈。

店舗の入れ替わりが激しい神室町で、10年以上もの間店を切り盛りしてきた彼女の器は伊達ではなかった。

 

「そうかよ。まぁ麗奈が良いならそれで良いか」

「そうそう。ね、遥ちゃん?」

「うん!」

 

嬉しそうに答える遥。

そんな遥に、錦山はいよいよ本題を切り出した。

彼にとって、聞かなければならない事を。

 

「遥、さっきお前……由美お姉ちゃんって言ってたよな?孤児院に手紙を届けに来てくれてたって……」

「うん、すっごく優しいんだよ。由美お姉ちゃん」

 

そして遥は無邪気に語り出した。

しかし、その思い出話はすぐに切り上げられる事になってしまう。

 

「毎年クリスマスの近いこの時期になると"ヒマワリ"に来てくれて、お母さんからの手紙とかプレゼントとか持ってきてくれたんだけど……」

「えっ!?」

 

驚きの声を上げたのは麗奈だった。

いきなりの事に首を傾げる遥に対し、錦山もまた驚きを隠せぬまま問いかける。

 

「"ヒマワリ"って……遥、お前"ヒマワリ"にいたのか……!?」

「ん?うん、そうだよ」

「そして、母親の姉は"由美"……って事は……!?」

 

錦山の中でいくつかの情報が繋がっていく。

幼なじみの桐生と由美。そして錦山の妹である優子が失踪した直後、セレナに現れた謎の女。

その女の情報を求めて行動した先に、錦山は遥と出会っていた。

そしてその謎の女はこう名乗っていたはずだ。

"澤村由美の妹"である、と。

 

「お前の母ちゃん、名前はなんて言うんだ!?」

「みづき……」

「えっ……!?」

 

今ここに、三人の共有する情報が繋がった。

遥の探している母親の正体。

それは錦山が今探している謎のホステス"美月"だったのだ。

 

「知ってるの?お母さんの事」

 

先程の微笑ましい笑顔は何処へ行ったのか。

遥は一転して真剣な表情で錦山に問いかける。

そのあまりの押しの強さには藁にもすがるような思いすら感じさせる。

 

「お母さんどこ?どこなの!?」

「いや、俺も今探してる所なんだ……由美の事も、優子の事もな…………」

「ゆうこ?」

「ん?あぁ、俺の妹の事だ。それより遥、由美の居場所は分かるか?」

 

錦山の問いに遥は首を振った。

彼女が今探しているのは由美では無く、母親の"美月"の方なのだ。

 

「そっか……」

「……ねぇ、おじさん。おじさんの苗字って"にしきやま"だったよね?」

「あ?あぁ、そうだけど……それがどうかしたか?」

 

改まって苗字を聞かれ、怪訝な顔をする錦山。

しかし遥は、なにか思い当たる節があるようだ。

 

「何か気になるの?遥ちゃん」

「うん……おじさんの妹って"ゆうこ"って言うんだよね?」

「あぁ、そうだ」

「私、知ってるよ。おじさんの妹の事」

「なんだって!?」

 

驚愕する錦山に、遥は更に意外な情報を提供してきた。

 

「おじさんの妹ってきっと"優子先生"の事だと思う」

「優子、先生?」

「うん。私の事、ずっとお世話してくれた先生なんだ。お散歩したり、絵本読んでくれたり……」

「えっ、優子ちゃんってヒマワリの先生だったの……!?」

「麗奈、お前も知らなかったのか?」

「うん……私も、退院してから一度しか会った事無かったし、彼女自身すっごく人見知りだったから、実はあまり会話も出来てなかったのよね」

 

驚愕する大人達をよそに、とても楽しそうに優子の事を話す遥。

その遥の表情からして、とても良い先生であった事が伺える。

 

(優子が、ヒマワリの先生に……)

 

手術とリハビリを終えて帰国した優子は、ヒマワリで先生をやっていた。

奇しくもそれは、彼女が錦山と最後に会った時に彼に語っていた夢だったのだ。

 

(そっか……アイツ、やりたい事出来てたんだな……!)

 

意外な所で知った優子の情報に錦山は感動していた。

あれだけ生きるのが危ういとされていた妹が元気に退院し、自分のやりたいことを僅かであっても出来ていた。

その事実は錦山にとって、何よりの救いに他ならない。

 

「なぁ遥。由美や優子についてもっと知ってる事、無いか?」

「え?えっと……」

 

遥は顔を困らせて黙りこくってしまう。

しかし、錦山としてもここは退けない。

今はどんな事でも情報が欲しいのが、今の錦山の現状だった。

 

「ちょっと錦山くん、遥ちゃん困ってるじゃない」

「で、でもよ……」

「……いいよ、おじさん」

「え?」

「私の知ってる事、全部話す」

「本当か!?」

 

目を輝かせる錦山だったが、遥はここで条件を突きつけてきた。

 

「うん。その代わり、私も一緒に……良い?」

 

錦山はすぐに思い至った。

遥はついて行こうとしているのだ。

自分の母親を探している錦山の後に。

 

「……さっきの店で、お前の母ちゃんの居場所を聞こうとしてたんだ。でも、今は手掛かりがねぇ」

「私、知ってるよ。"アレス"でしょ?」

「本当に?遥ちゃん」

「うん……だから私も一緒に。私だけじゃどうしてもお母さんに会えないから……ねぇおじさん!良いでしょ!?」

 

錦山は現在、東城会のほぼ全ての勢力から目の敵にされている。

今の彼が遥と一緒に居るのはあまりにも危険だ。

 

(どうする……?)

 

だが、遥の目は何処までも真剣だった。

母親に会いたい一心で、神室町という危険な街を歩き回って来たのだ。

今更引くことは出来ないのだろう。

 

「……分かった、他にどうしようもねぇからな」

 

やがてその真っ直ぐな瞳に錦山は折れた。

実際、遥が居なければアレスの場所は分からない。

彼女を共に連れていかなければ先に進めないのだ。

 

「やった!」

「ただし、だ。危なくなったら直ぐに俺の指示に従う事。約束出来るか?」

「うん、分かった」

「よし……じゃあ、まずは腹ごしらえといくか。腹が減ってはなんとやらだ。麗奈、改めて頼むぜ」

「分かったわ。二人共、大人しく待っててね」

 

錦山と遥。

出所した元ヤクザと小学生の女の子という、世にも奇妙な組み合わせが生まれた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の11時を回った頃。

俺は遥を連れてセレナを出た。

遥の母親の"美月"が居るというアレスへ向かう為だ。

 

(美月……一体優子の何を知っているって言うんだ?)

 

桐生の言っていた話では、その女は優子の事も知っているらしい。

そういった意味では、俺にとっても因縁浅からぬ女であると言える。

 

「おじさんはミレニアムタワーに行ったことあるの?」

 

俺が物思いに耽っていると、遥が声を掛けてきた。

事態が緊急性を要するので失念していたが、目的地に着くまで何も話さないと言うのも変な話だ。

それに、この時間帯に遥ぐらいの歳の子を連れているのは傍から見た時にだいぶ怪しく見える。

職務質問された時に厄介だ。せめて親子か身内には思われる程度に仲良くしてた方がいいだろう。

 

「いや、実は俺も初めて知ったんだよ。まさか"あの場所"にあんなビルが建つことになるとはな」

「あの場所?」

「あぁ。あそこは昔、色々あった場所でな。俺もよく覚えてるよ」

 

カラの一坪事件。

再開発計画に伴う地上げの中で偶然見つかった、たった一坪の土地を巡って起きた堂島組のお家騒動。

俺は堂島組からマトにかけられた桐生を救うため、あちこちを駆け回っていた。

そして、アイツが堂島の龍と呼ばれだしたのもそこからだ。あの時の事は今でも鮮明に思い出せるほど、俺の脳裏に刻まれている。

 

「ふぅん……この街にはたくさんの思い出があるんだね」

「そりゃな。俺も長いことこの街で暮らしてたが、本当に色んな出来事が起こるもんだ。危ない事もいっぱいあったが、退屈はしなかったぜ?」

「そうなんだぁ……私も大きくなったら、この街で暮らしてみよっかなぁ」

 

遥の発言に俺は危ない予感を感じる。

この子の肝の据わりっぷりや行動力からして、本当にやりかねないからだ。

 

「……マジ?」

「うん。ダメなの?」

「ダメってことはねぇが……オススメはしねぇぞ?」

「え、なんで?」

「言っただろ?危ない事もいっぱいあったって。神室町は女の子が一人で過ごせるような安全な街じゃねぇんだよ」

 

神室町は天下の東城会のお膝元だ。

街の中にはヤクザをはじめ、タチの悪いチンピラや外国人が大勢いる。

いたいけな女の子一人で住むのは危険極まりない行為に他ならないのだ。

 

「じゃあ、おじさんが私を守ってよ」

「え?俺が?」

 

困惑する俺をよそに、遥は何気なく続ける。

 

「だっておじさん、由美お姉ちゃんのお友達なんでしょ?だったら、これからもずっと会うことになりそうだし。それにおじさん、とっても強いから」

「おいおい……アテにするのは結構だが、いつでも俺がそばに居ると思ったら大間違いだぞ?」

「そうなの?」

「当たり前だ。俺だって暇じゃねぇ」

 

何せ今の俺は、いつ誰に殺されても可笑しくない状況なのだ。

この一件が片付いた時に無事でいられる保証はどこにも無い。

そんな状態の俺がそばに居ても、かえって遥を危険に晒すだけなのは明白だ。

 

「じゃあ、どうすれば神室町に住んでいいの?」

「そうだなぁ……」

 

問われた俺は少し考える。

どうすれば住んで良いのかを聞くあたり、遥の中で神室町に住む事を譲る気は無いのだろう。

であれば、遥が危ない目に遭わない状況にするしかない。

 

「遥が大きくなった時も傍にいて守ってくれるような、強くて優しい奴と一緒ならいいかもしれないな」

「それって、おじさんじゃダメなの?」

「あぁダメだ。俺なんかよりもずっと強くて優しい奴じゃなきゃな」

 

俺の脳裏には、数時間前に会った男の顔が浮かんでいた。義理堅くて真っ直ぐな俺の親友にして、渡世の兄弟だった男。

あれぐらい強くて優しければ、悪い虫も寄ってこないだろう。

 

「うーん、そんな人居るのかなぁ」

「居るさ。お前もいずれ会えるよ」

 

首を傾げる遥にそう言ってから、ふと考える。

 

(そういや桐生は由美に妹や姪っ子が居たことを知ってたのか?いや、もし知ってるならわざわざ俺に隠したりしない、か……)

 

桐生は最初、美月の事を"優子についての情報を持つ女"であると紹介してきた。桐生の性格上俺に隠し事をする可能性は低く、アイツは本当に美月に対してはその程度の情報しか持っていなかったのだろう。

しかし、実際の"美月"は由美の妹を名乗っていたり、セレナで働いていたりと謎の多い人物だった。

そしてその娘である少女、"遥"。

もしかしたらこの子も、何かしら今回の事件に関わりがあるのかもしれない。

 

(今度はこっちから質問してみるか)

 

そう決めた俺が、遥に質問をしようとした矢先だった。

 

「あー、ちょっとちょっと」

「あ?げっ……!」

 

巡回中の警察官に声を掛けられた。

明らかな職質だ。

 

「あなた達、どういうご関係?」

「えっ、どういうって……?」

 

おそらく職務質問などされた事が無いのだろう、警察官からの質問に遥は困惑する。

だが、俺の脳は今この状況をどう切り抜けるかを必死に導き出そうとしていた。

 

(厄介な事になったな……口裏を合わせようにも、俺はまだ遥の事をよく知らねぇぞ……!)

 

現役の頃は腐るほどされてきた職質。

本来なら口八丁でどうにかなる所だが、今回は俺一人の問題じゃない。

もしも任意同行になれば、俺は仮出所の身でありながら葬儀場で暴れた前科者としてしばらく表立った活動が出来なくなる。

それだけじゃない。無断でヒマワリを飛び出した遥も施設に連れ戻されてしまうだろう。

 

「で、何?あなた、この子のお父さんか何か?」

(落ち着け……なんとかここを切り抜けるんだ……!)

 

俺は冷静を装って警官からの質問に答えた。

 

「いや、俺はこの子の叔父だ。訳あって今は、兄貴夫婦からこの子を預かってるんだ」

「ほー、叔父さんね。じゃあなんでこんな時間にそんな大事なお子さんを外に連れ出してるんだい?」

「この子、こういった都会の街は初めてでさ。興味津々だったから連れ出してやろうと思ったんだ」

「へぇー、こんな時間に?アンタも大人なら、この街がどんなに危ないか知らない訳じゃ無いでしょ?とてもまともな判断とは言えないなぁ……」

(ちっ、結構食い下がってきやがるな)

 

引き下がろうとしない警官に焦った俺は、ここでミスを犯してしまった。

 

「この子がどうしてもって言うからよ。悪いな警官さん、今日はもうウチに連れて帰るよ」

「ウチねぇ……アンタ今何処に住んでるの?ちょっと身分を証明出来るもの見せて貰えないかな?」

(っ、しまった……!)

 

その場を離れようとするあまり、俺は警官に付け入る隙を与えてしまった。

身分証は失効されている免許証があるが、身元を確認されれば葬儀場で暴れた犯人として俺は間違いなく捕まる。

 

「いや、今はちょっとな……」

「身分証明書もないの?困ったねー、悪いけど二人とも署まで来て貰える?」

「いや、そいつはちょっと困るって言うか……嫁さんにも怒られちまうし……」

「嘘つくならマシな嘘つきなよ。アンタ指輪してないじゃないか。それにその格好、とても善良な一般人には見えないんだけど?」

「言いがかりはよしてくれ。こいつはファッションなんだ」

「はいはい、アンタみたいなヤクザ崩れはみーんなそう言うんだよ。後は署で聞かせてもらうから、ほら行くぞ」

 

状況はほぼ詰みに近い。

残された手段は少ない手持ちの金を賄賂として握らせるか、指名手配を覚悟で逃げるかの二択だけ。

ほとんど博打に近いやり方だけだ。

 

(どうする……?)

 

まさに絶体絶命。

一か八か、賄賂を握らせるためにポケットの財布に手を伸ばした。

その時だった。

 

「あの、お巡りさん……!」

「ん?なんだい?」

 

遥が声を上げた。

正直不安はあるがそんな事を言ってられる場合じゃない。

今はもう、遥の発言に全てを賭けるしかないのだ。

 

「これ以上、おじさんの事悪く言わないで……」

「へ?」

(遥、何を言う気だ……!?)

 

俺は思わず生唾を飲み込んだ。

この子の発言に俺達の未来が掛かっている。

 

「おじさん、お父さんと喧嘩して家出してきた私を助けてくれたの。仲直りするまではウチにいていいよって」

「え、そうなの?」

「うん。私が神室町を見てみたいってわがまま言ったのは謝ります。ごめんなさい。だから、もうおじさんの事悪く言わないでください!」

(は、遥……!)

 

予想外のファインプレーに俺は思わずガッツポーズを取りそうになった。

あまりにも上手いその返しに拍手をしてやりたい気分だ。

 

「ああー?じゃあ、本当に叔父さんなんだね?」

「はい!」

「……ってな訳なんだが、わざわざ人をヤクザ呼ばわりしておいて、何か無いんですか?」

「はい、大変失礼いたしました!」

「分かってくれて何よりだ。俺たちももう家に帰るからよ、そっちの手間ぁ取らせて悪かったな。行こうぜ、遥」

「うん、おじさん!」

 

俺が何気なく手を伸ばすと、遥は元気よく返事をしてその手を掴んだ。

敬礼して謝罪する警官の前でこれみよがしに手を繋ぎ、仲良さげに去っていく。

完全勝利と言うやつだ。

 

(やるじゃねぇか、遥……!)

 

目が合った途端、したり顔でウインクをしてくる遥に思わず破顔する。

きっと、この子とは上手いことやっていけそうだ。

 




如何でしたか?
次回はコアな人気を集めるあの男が登場です
お楽しみに


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"西"からの刺客

最新話です

みなさんは分かったでしょうか?
そう、少ない登場回数でありながら中々のインパクトを持って登場し、未だなおコアな人気を持つあの男です

それではどうぞ


2005年12月6日。時刻は午後11時頃。

警官の職務質問を躱した俺たちは、すっかり意気投合していた。

 

「さっきはありがとよ、遥。おかげで助かったぜ」

「ううん。おじさんが嘘ついてごまかそうとしてるのは分かってたから合わせただけだよ」

「いやいや、咄嗟にあそこまで言えるのは大した名演技だよ。将来はアイドルか女優にでもなってるかもしれねぇな?」

「えー?それはさすがに言い過ぎだよぉ」

 

軽口を叩き合いながら街を歩く。

警官を欺くために手を繋いで歩いているのが功を奏したのか、その後は職務質問等を受けることは無かった。

そして。

 

「ここだよ、おじさん」

「あ?ここって……」

 

たどり着いたのは、神室町の中央に位置するとある場所。

再開発計画によって建造された大型ビル、ミレニアムタワーだ。

 

「すげぇな……この中に店を構えるなんて簡単に出来る事じゃねぇ」

「きっとお母さん、頑張ったんだよ」

「……そうだな」

「私、こんなに高い建物、登った事ないよ。上からはどんな景色が見えるのかな」

「神室町どころか、東京中が一望出来るだろうな」

「すごいなぁ、お母さん」

 

遥は純粋に母親の努力の賜物であると思っているが、俺は何処か引っ掛かりを感じていた。

 

(麗奈の話によれば、美月がセレナに居たのは約四年間。これだけの規模のビルに店舗を持つなら、その間に金を貯めたのだとしてもまぁ釣り合わない……何か特別なコネがあるのは間違いねぇ)

 

そして恐らくそのコネは、美月にとって強大な後ろ盾として機能している。

昨年"急に"店を出すことになったのも、その後ろ盾として居る何者かの思惑があったからであると俺は考えた。

 

(その裏に居る奴が一体どこの誰なのか……それも今日、分かるはずだ)

 

美月に会って娘の遥と再会させる。

そして二人を連れて、桐生の所へと向かうのだ。

そうすれば俺の知りたかった事が聞けるはずだ。

由美や優子、そして桐生に一体何が起こったのか。

 

「行こう、おじさん」

「あぁ」

 

言われるがままに俺は遥の後について行った。

自動ドアから中へと入り、無人になってるビルのエントランスを進んでいく。

やがて複数あるエレベーターホールの前へとたどり着いた。

 

「アレスがあるのは何階だ?」

「60階だよ」

「分かった」

 

エレベーターに乗り込み、60階のボタンを押す。

しかしボタンに反応はなく、動き出す気配もない。

 

「あ?動かねぇな」

「おじさん、ちょっといい?」

「お、おう」

 

すると遥がいくつかの階のボタンを押す。

その途端、俺達の乗ったエレベーターが大きな音を立てた。

 

(なんだ?)

「おじさん、60階押してみて」

「わ、分かった……」

 

言われた通り60階のボタンを押すと、今まで反応していなかったボタンの明かりが点灯した。

 

「これって……暗証番号か」

「うん。お母さんがね、手紙で教えてくれたの。お店の自慢の一つだって」

「ほぉ、そりゃすげぇな」

 

やがて俺たちの乗った四角い箱が、駆動音と共に最上階へと向かい始める。

最新式なのだろうか、エレベーターは危なげな音もなくスムーズに俺たちを最上階まで運んだ。

 

「な、こいつぁ……!」

 

エレベーターの扉が開いた時、俺は息を飲んだ。

最初はフロアの一部に店舗をこっそり構えているものだと思ったが、そうじゃない。

フロア全てが、店だったのだ。

 

「すごい……お城みたいに広いね!」

「まさか、フロア丸ごと全部だなんて……バブルの頃の六本木かよ……」

 

広大なフロアの中央には踊り場。文字通り社交ダンスでも出来そうな広さだ。

左手にはいくつかのテーブル席に加え、グランドピアノも置いてある。

さらに入って右手にはバーカウンターと、奥にナイトプールまで備わっている。

 

(美月の後ろ盾……いよいよ只者じゃねぇなこりゃ……)

 

こんなにも豪華な店は、余程の財界人や権力者でもない限り入ることさえできない超高級店だ。

セレナ時代にお金を貯めただけじゃ絶対にたどり着くことなど出来はしないだろう。

 

「バブル?おじさん、バブルって何?」

「バブルってのはな、簡単に言うと日本人がみんな金持ちだった頃だ」

 

空前の好景気に見舞われ、誰も彼もが浮かれはしゃいでいた時代。

煌びやかで豪華な反面、今よりも闇が深かった時代だ。

 

「すごい!じゃあおじさんもそうだったの?」

「まぁな。50万円のスーツ着て、500万のスポーツカーを乗り回してたもんさ。今じゃ全部弾けちまったがな」

 

確かにいい時代ではあったが、いい事ばかりって訳でも無い。

あの頃はヤクザが今よりも幅を利かせていて、揉め事や事件が後を絶たなかった。

俺が刑務所でやりあった久瀬の兄貴も、そんな時代の人間だ。

 

(今よりも、酷い所は酷かったな……)

 

好景気に浮かれて遊び呆けた挙句に負債を抱えた若者や老人。そいつらを食い物にするヤクザ。

裏取引や賄賂は当たり前の警察組織。

流れた血や泣きを見た人達は、俺が想像するよりもずっと多く居るはずだ。

 

「あ、おじさん……これ……」

 

俺が思いを馳せていると、遥が何かを見つけたらしい。

近づいてみると、そこにあったのは壁に飾られた美月の写真だった。

 

「これは……!」

 

俺はすぐに懐から桐生から預かった写真を取り出し、比較する。

そこに飾られていたのは、俺が渡された写真の女に間違いなかった。

 

「美月……この女がそうか」

「この人が、私のお母さんか……綺麗だなぁ」

 

子供らしい素直な感想をつぶやく遥だが、俺には考える事が山ほどあった。

 

(胸元に見える花模様の刺青も一致している……確かに、由美に似ている気もするが、こう改めて見てみるとなんだか洗練され過ぎてる気もするな……)

 

麗奈の話によれば、由美自身も自分の妹の存在を知らなかったと言う。

更にいえば、由美達が神室町から姿を消したタイミングでこの女は現れたって話だ。偶然にしては出来すぎている気もする。

 

(この女は本当に由美の妹なのか?)

 

5年前、神室町に突如として現れた謎の女"美月"。

その謎は、調べれば調べるほど深まるばかりだ。

 

「おじさん……」

「ん?どうした遥」

「由美お姉ちゃんと優子先生についてなんだけど……」

 

そこで俺はハッとした。

あまりにも美月について考える事が多く失念していたが、俺が美月を探している本当の目的は由美と優子の行方を探るためなのだ。

遥をここまで連れてきたのは、二人について知っていることを話してもらうのを条件にしたからに他ならない。

 

「そうだったな……頼む遥。俺に教えてくれ」

「うん……」

 

そして遥はボソボソと語り始めた。

その顔に、一抹の寂しさを浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が最後に由美お姉ちゃんに会ったのは、もうだいぶ前の事。

私がまだ4歳ぐらいの頃だった。

その日は、ヒマワリでクリスマスパーティーの準備をしてた。

施設の子供たちみんなと飾り付けして、お料理を作って、プレゼントは何が貰えるのかとか、サンタさんは本当に居るのかな?とか、みんなで楽しそうにしていたんだ。

その時施設に居たのは私を入れた何人かの子供たちと、園長先生。

それから、施設を作ってくれた"風間のおじさん"に由美お姉ちゃんに優子先生。

そして、私の"お父さん"だった。

 

『じゃあ遥ちゃん。私たち、ちょっと出かけてくるから』

『お父さんと、いい子にして待っててね?』

『うん!』

 

ある時、由美お姉ちゃんと優子先生がヒマワリから出かけて行った。その時は分からなかったけど、多分プレゼントを買いに行ってたんだと思う。

お父さんと手を繋いで、玄関から出ていく二人を見送ったのは今でも覚えてる。

 

『ねぇ、おとうさん』

『ん?』

『おかあさん、きょうもきてくれないの?』

 

その時の私は、お母さんに会えない不満をよくお父さんにぶつけていた。

お母さんのお姉ちゃんである由美お姉ちゃんは毎年この時期にしか来ないし、優子先生にそんな事を言っても仕方ない。

結果として、私は月に一度顔を見せてくれるお父さんに文句を言う事しかできなかったのだ。

 

『あぁ……お母さんはな、仕事が忙しいんだ』

『おかあさんっていっつもそう……わたしのこと、きらいなのかな……?』

 

私が泣きそうな顔をすると、決まってお父さんはしゃがみ込んで私の頭を撫でてくれた。

そして、私の目をしっかりと見てこう言うんだ。

 

『遥、それは違う。お母さんは誰よりも、お前の事を愛してるんだ』

「ほんと……?」

『あぁそうさ。今は無理でも、お母さんは必ず遥に会いに来てくれる。必ずだ』

 

お父さんの力強い言葉を聞いていると、何故かいつもそうだと思えてしまった。

今考えると、とても不思議だったと思う。

その後私とお父さんは、お部屋の飾り付けを進めていた。

料理も出来上がって、後は二人の帰りを待つだけになった時、お父さん宛に電話が来た。

 

『俺だ…………な、なんだと……!?』

 

電話で誰かと話し始めたお父さんが見た事のない怖い顔をし始めた。

風間のおじさんと何かを話していたが、その時の私にはよく分からない。

 

『遥、お父さんは今から由美お姉ちゃんと優子先生を迎えに行って来る!先にパーティーを始めててくれ!』

『お、おとうさん……!?』

 

そう言ってお父さんは大急ぎでヒマワリを飛び出していった。

あの時のお父さんの必死そうな顔は、今でも忘れられない。

結局その日、お父さん達は帰ってこなかった。

パーティーは風間のおじさんと私達だけで行われ、プレゼントが無いことにみんなが不満を漏らしている中、私は三人のことが心配で仕方が無かった。

そして、それからちょっと経った頃。

優子先生がヒマワリに戻ってきた。

 

『ゆうこせんせい!』

『遥……ちゃん……』

 

その時の優子先生は、なんだか様子が変だった。

目の下は黒くて、顔色も悪くて、とても元気が無さそうに見えた。

 

『どうしたの?ゆうこせんせい?』

『……っ!』

 

すると優子先生は私のことを抱き締めた。

 

『ごめんね、ごめんね……遥ちゃん……ごめんね…………!!』

『せ、せんせい……?』

 

いつもニコニコ笑ってて優しかった優子先生が、その時はそう言いながらボロボロ泣いてた。

何が何だか分からなかったけど、かわいそうだと思った私は優子先生の頭を撫でた。

 

『どうしたの?なかないで?げんきだして?』

『っ……!っ……!!』

 

そんな事があって、更にしばらくした後。

優子先生は急に、ヒマワリの先生を辞めることになった。

あまりにも突然のお別れに泣き出す子供たちもいっぱい居た。

でも私は、小さいながらに何となく思った。

あのクリスマスパーティーの日、きっと私の知らない何かがあった。そのせいで優子先生は泣いてたんだって。

その日から、毎年来ていた由美お姉ちゃんも、毎月顔を出してくれたお父さんもヒマワリには来なくなった。

その代わり毎年クリスマスになると手紙が送られるようになった。今まで一度も顔を見た事が無い、お母さんからの手紙だった。

お母さんが神室町という街で働いている事、お店を出す事が決まった事、お父さんとお母さんは元気でいる事……色んなことが書かれていた。

でも、私が欲しかったのは手紙なんかじゃない。

 

『会いたいよ……お父さん、お母さん……!』

 

私は来る日も来る日も手紙を出し続けた。

お父さんとお母さんに会いたい。その一心で。

それでも、決まって帰ってくる返事は"どうしても迎えに行くことが出来ない"って文字だけ。

そんな時、手紙と一緒にあるものが送られてきたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それが、これ……」

 

遥はポケットからあるものを取りだした。

 

「こいつは?」

「お母さんが私にって、手紙と一緒に送られてきたの」

「これは、ペンダントか?」

 

花のような装飾が施された銀色のペンダント。

小さな鍵穴が付いており、中に写真などを入れるタイプの代物だ。

 

「お守りなんだって」

「お守り?このペンダントがか?」

「うん。でも、これが送られてきた時思ったんだ。"私、本当にもうお母さんと会えなくなるかもしれない"って」

「そうか、だから孤児院を飛び出して……」

 

錦山は合点がいった。

両親に出会う事を切望していた遥に送られてきた謎のペンダント。お守りだと言われて遥の手に渡ったそれは、彼女にとってきっと"虫の知らせ"と言うやつだったのだろう。

何か良くないことが起こるかもしれない。

不安に駆られた遥は、持ち前の胆力と行動力で孤児院を飛び出して神室町にやってきていたのだ。

顔も覚えていない、母親を探し求めて。

 

「ん……?」

 

その時、エレベーターの到着音が錦山の耳朶を打った。

自分以外の誰かがこの場所にやってきたという事だろう。

麗奈は美月から店がオープンしたことを知らされていないことを鑑みるに、この状況で自分達以外にこの店に足を踏み入れられる可能性がある人間は限られて来る。

 

「遥、俺の後ろに隠れてろ」

「わ、分かった」

 

美月本人か、その後ろ盾にいる何者かか。

はたまた、そのどちらかの命を狙う第三勢力。

いずれにしても用心しておく必要があると判断した錦山は、遥を庇うように立ってエレベーター付近を睨みつける。

そして。

 

(ちっ……穏やかじゃ無さそうだな……)

 

中から出てきたのは、スーツ姿の男たちだった。

頭数は七人。いずれもただならぬ雰囲気を出している。

男たちは悠々と歩いてくると、錦山達の前で立ち止まった。

背後に壁があり、逃げる事は出来ない位置関係である以上、錦山はこの男たちと対峙する以外の道が無くなってしまった。

 

「あんた、錦山さんでっか?……元堂島組の」

 

長身の男が先頭に立ち、錦山へと向かい合う形になる。

短髪のパンチパーマに、平べったい顔と細い目。

キッチリと胸元まで締められたネクタイはどことなく誠実な印象を与えるが、その全身からは誠実とは真逆の好戦的なオーラが出ている。

 

「……だったらなんだ?」

「お初にお目にかかります。ワシ 五代目近江連合本部の"林"言いまんねん。噂はよう聞いてまっせ」

 

五代目近江連合 舎弟頭補佐。林 弘。

関東一円を支配下に置く東城会と双璧を成す広域指定暴力団、近江連合。

関西の極道全てを牛耳る一大組織だ。

 

「近江連合だと?関西のヤクザが俺になんの用だ……?」

「いや……」

 

その時、錦山のジャケットに着いたポケットが小刻みに震えた。

伊達から預かった携帯のバイブレーションだった。

 

「……」

「電話鳴ってまっせ?どうぞ気にせんと、取っておくんなはれや」

 

優しさなのか、それとも余裕なのか。

数秒後には死地になり得るこの状況において、林は錦山に電話に出るよう促した。

錦山は決して警戒を緩めぬまま、ゆっくりと携帯電話を取り出して通話ボタンを押す。

 

「錦山だ」

『伊達だ。錦山、100億の犯人(ホシ)が分かったぞ』

 

そして伊達は、電話越しに驚愕の事実を明らかにする。

 

『"由美"だ。お前の追ってる由美と優子。その片割れがホシだ』

「なんだって!?」

 

錦山は危うく警戒が解けそうになるのを必死でこらえる。それほどまでに、伊達から与えられた情報は衝撃的だった。

 

『現場に、ネックレスが落ちていたらしい』

「ネックレス?」

『あぁ……指紋や購入履歴を洗った所、お前が10年前に由美にプレゼントとしたものであると裏が取れた』

「!」

 

それを聞いて錦山は思い出した。

堂島組長射殺事件の数ヶ月前。由美の誕生日が近い事を知った錦山と桐生は、それぞれプレゼントを用意した。

錦山はピンクダイヤのネックレス。

そして桐生は、指輪。事件の日、錦山が現場から拾ったあの指輪それぞれプレゼントしていたのだ。

伊達が言うには、その時のプレゼントであるネックレスが現場にあったという。

 

『とにかく、東城会は彼女とその"共犯の女"を追っているそうだ』

「共犯?」

 

錦山は思わず、背後にある美月の写真に目を向けた。

状況からして、今彼が追っている美月が共犯者である可能性が非常に高かったからだ。

 

『そうだ。明日セレナで話がしたい。大丈夫か?』

「……分かった。じゃあな」

 

電話を切った錦山は、林達へと向き直る。

その目は、完全に林達を敵として捉えていた。

 

「そういう事か……お前らも由美と美月を追っているんだな……?」

 

近江連合はどこからか東城会の消えた100億の情報を知り、それを盗み出したであろう由美と美月を追っていると推測した。

しかし、林はその推測に否を突き付けた。

 

「いや、ワシらが追ってるのはそこのお嬢さんですわ」

「えっ!?」

 

予想外の展開に、錦山は驚きを隠せない。

100億円に関わっているであろう由美や美月とは違い、遥は無関係なただの少女だ。

それを東城会どころか外様の近江連合が狙う理由などある筈がない。

 

「何でこいつを!?」

「ふっ、それは言えまへんなぁ。ワシらも近江連合のモンですさかい。錦山さん、大人しゅうその子渡したってぇな」

「……この状況で渡すとでも思ってんのか?」

 

錦山はすぐさま臨戦態勢を整えた。

身体のスイッチを切り替えて、内に秘めていた闘気を表出させる。

 

「ふん、ワシが優しく言うてる内に渡すのが身のためでっせ?親殺しの悪名が広がっただけで粋がっとるワレのようなチンピラ一人、正直殺すのも面倒なんや」

「言ってくれんじゃねぇか、大仏ヅラが。ヤクザなんかやめて出家でもしたらどうだ?」

「はぁ!?」

 

錦山に煽り返され、林にもスイッチが入る。

周りの部下達も同様だ。

 

「お前らがどう思ってるかは知らねぇけどな、俺はこんな所で殺されるほどヤワじゃねぇよ」

「はっはっは!ほなしゃあないなぁ……おい、殺れや!ぶち殺したれや!」

「遥、下がってろ!」

「うん!」

 

切って落とされる闘いの火蓋。

思わぬ場所からの刺客との闘いは、六人の取り巻きを相手取る所から始まった。

 

「死ねやぁ!」

「オラァ!」

 

一人目のヤクザの一撃に、錦山は左手ストレートのカウンターを合わせて仕留める。

 

「ぶげっ!?」

「このガキ!」

 

錦山はすかさず掴みかかる二人目の懐に膝蹴りを突き刺して引き剥がすと、その顔面に前蹴りをぶち当てた。

 

「うがっ!?」

 

吹き飛ばされる二人目を見て慄くヤクザ達。

しかし、そこへ林が号令をかけた。

 

「何をビビっとんねん!遠慮なく行ったれや!」

「「「「へ、へい!」」」」

 

激を飛ばされたヤクザ達は、勢いのままに四人一斉に錦山に飛び掛かる。

逃げ場のない錦山が取った行動は、意外にも背後に向かって駆け出す事だった。

 

(血迷ったんか……?)

 

怪訝な表情をする林だったが、錦山の狙いは逃げ場の無い場所で逃げようとすることでは無かった。

 

「ふっ!」

 

錦山は軽く息を吐くと、地面を踏んで壁に向かってジャンプした。

そしてその壁をもう片方の足で力強く蹴ると、その反動を利用してヤクザ達よりも更に上へと飛び上がる。

 

「なっ!?」

 

一人のヤクザが驚きの声を上げた直後、錦山のかかと落としがその脳天を直撃した。

 

「がぶっ!?」

 

瞬く間に意識を失う三人目。残る取り巻きはあと三人。

 

「こ、このボケが!」

 

四人目のヤクザが錦山の顎を目掛けてアッパーを繰り出す。しかし彼の拳が叩いたのは錦山の顎ではなく、打ち下ろされたエルボーの肘だった。

 

「ぎゃああああ!?」

「でぇりゃァ!!」

 

拳が割れて悲鳴をあげる四人目のヤクザの顎を、今度は錦山が正確に打ち抜いた。

ムショ仕込みの華麗な右アッパーで。

 

「大人しゅうせぇや!」

 

錦山の背後から五人目が迫り、彼を羽交い締めする。

 

「おっしゃ、そのまま抑えとけ!」

 

それを六人目が正面から襲いかかる。

大股で大きな構えと振りかぶりから、錦山はラリアットが来ると予測した。

そして、彼は六人目が大股である所に目を付ける。

 

「悪く思うなよ!」

 

錦山は近づいてきた六人目の股を蹴り上げた。

金的蹴り。ありとあらゆるスポーツや格闘技に置いてそこを狙うのはタブーとされる人体の、いや男の急所だ。

 

「ぁおっ……っぅぱ…………っ!!!!?」

 

その痛みはまさに世界の終焉。

男として生まれた以上、その痛みは決して避ける事が出来ない。

 

「お、おどれなんて真似を……!?」

 

泡を吹いて悶絶する六人目を見て、五人目がその所業に戦慄する。

その痛みを知る者は、いや知る者であるからこそ"そこ"を狙う者は鬼畜外道と称されても文句は言えない。

だが、錦山はそんな事を言ってられる状況ではない。

負ければ文字通り命は無いのだ。

 

「離せよ、オラァ!」

 

錦山は羽交い締めするヤクザの足を踵で踏み抜き、五人目の拘束を解く。

そしてすぐさま振り返りざまに裏拳を叩き込んだ。

 

「こ、っ…………!?」

 

顎を正確に撃ち抜かれた五人目は、糸の切れた人形のごとく床へと崩れ落ちた。

 

「ほぉ……そこそこの腕利き連れてきたつもりやったが、存外やりまんなぁ」

「……次はテメェだな。かかって来いよ」

「ほな……遠慮はせんでぇ!死に晒せやぁ!!」

 

近江連合舎弟頭補佐。林弘。

"西"から現れた謎の刺客が、猛然と錦山に襲いかかる。

時刻は午後11時20分。

錦山の長い一日が、もうすぐ終わろうとしていた。

 




如何でしたか?

新たな謎が深まり、この日最後の戦いの幕が上がった所で、この章は終わりです。

次回は断章となります。
ついに"あの男"が本編より先んじて登場……!?
是非お楽しみに


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断章 1995年
拳を活かす道


ヒッヒッヒッ……

待たせたのぅ?お前ら


1995年。11月某日。

堂島組長射殺事件から約一ヶ月が経ったこの日。

天下一通り裏にある小さな児童公園のベンチに桐生一馬は座り、頭を抱えていた。

彼は今、非情な現実を突き付けられているのだ。

 

(クソっ……どうすりゃいいんだ……)

 

それは、渡世の親である風間新太郎が提示してきた優子を救う為に定められた期間までに金を用意する事だった。

その額、7000万円。

 

(親っさんの言う通り、手段を選ばなければ届かねぇ額じゃねぇだろう……)

 

風間は桐生に告げた。

それだけの額を稼ぐ為には汚いシノギを容認し、己の筋や信念を曲げる必要があると。

その言葉は正論だ。短期間の間にそれだけの金額を用意するにはそれこそなりふり構ってなど居られないだろう。しかし、桐生にはそれでも折れてはならない理由があった。

 

(だが風間の親っさんは、俺が"極道"としてあり続ける事を前提に松重を預けた……その俺が極道としての筋を誤れば、親っさんの期待を裏切る事になっちまう)

 

桐生にとっての極道のルーツは風間にある。

風間の反対を押し切って極道になったからには、風間の為にどんな事でもやってみせる。それが桐生の根底にあるものだ。

しかしこのままでは、風間が当初自分に対して求めていた事に応えることが出来ない。

何せその風間本人が、己の思惑を妥協して汚いシノギに手を染めるように言ってくるくらいなのだ。

 

(それは出来ねぇ……それに優子だって、自分の命が助かったのが誰かの悲しみの上なのだと知ったら…………)

 

カタギを食い物にし、泣かせ、時には命さえ奪う。

そんな人の道を外れた方法で手に入れた金で手術を成功させたとして、果たして優子は喜ぶだろうか。

自分の命の為に何人もの人間が悲惨な目に遭う。

そんな事になればきっと彼女はこう思ってしまうだろう。"私なんか、助からない方が良かった"と。

 

(それじゃ何の意味も無い……優子にも、ムショにいる錦にも顔向け出来ねぇ……)

 

なればこそ、桐生は道を外す訳には行かなかった。

風間の期待に応え、優子に余計な不安を負わせず、兄弟に胸を張れる。

誰もが望む最高の結末を、絶対に諦めない。

それが桐生一馬。"堂島の龍"と称された伝説の極道の生き様なのだ。

 

(だが、今の俺には手段がねぇのも事実だ…………)

 

しかし、それは実力が伴ってこそ。

この場における実力とは何も腕っ節の事だけでは無い。

取れる手段が多いことも含めての実力だ。

それが無い以上、桐生の掲げる極道はただの青臭い理想論に過ぎないのだから。

 

(どうすりゃいい……どうすりゃスジを違わず金を稼げる……?)

 

どこかで手段を手に入れるしかない。

しかしその手段とは一体何なのか、桐生自身にも検討が付かない。

思考が袋小路に陥って、堂々巡りを繰り返す。

こうしている今も、優子のタイムリミットは迫っていると言うのに。

 

(何か……何か手はねぇのか……!?)

 

八方塞がりの現状に桐生が思わず歯噛みした。

その時だった。

 

「桐生ちゃん、めーっけ!」

 

まるで小学生の子供のような素っ頓狂な声で、自らの名前を呼ぶ誰か。

その声の主を、桐生は嫌という程知っていた。

 

「チッ……またアンタか……」

「なんや桐生ちゃん、つれないのぉ?なんか嫌な事でもあったんか?」

 

気さくに話かけてくるその人物は、あまりにも奇抜な格好をしていた。

テクノカットの髪型と、左目の黒い眼帯。

冬を目前にした季節でありながらインナーを着用しておらず、素肌の上から金色のジャケットを羽織っている。

その胸元には刺青が見え隠れしており、彼がカタギの人間でない事を如実に表している。

 

「今忙しいんだ……放っておいてくれないか。"真島の兄さん"」

 

東城会直系嶋野組内真島組組長。真島吾朗。

その破天荒で荒々しいやり口から"嶋野の狂犬"と恐れられ、桐生一馬の"堂島の龍"と並び称された伝説の男である。

 

「なんやねん、忙しいってお前……ベンチで項垂れとるだけやないか。どこが忙しいっちゅうねん」

「今、考え事をしているんだ、アンタに構ってる余裕はない。放っておいてくれ」

「そうはいかんで桐生ちゃん」

「なに?」

 

気さくなトーンだった真島が、不意に真面目な口調で話し始める。

 

「言うたはずやろ?俺はお前を四六時中見張るってな。そんで、スジが通っとったら俺との喧嘩を買うてくれる。そういう約束やったやないか」

 

それは、堂島組長射殺事件の前日の夜に遡る。

桐生がセレナの裏で真島の部下と揉め事になり、真島がその仲裁に入るという出来事が起きた。

それだけなら良かったのだが、その後真島が躾と称して執拗に部下を痛めつけ始めたのだ。

見かねた桐生が逆に真島を止め、自分であれば筋の通ったやり方を貫くと宣言した事で、桐生は真島の怒りを買ってしまう。

何度か殴打されても"筋の通らない喧嘩をしない"と決してやり返さない桐生を気に入った真島は"筋さえ通せば喧嘩が出来る"と解釈し、それ以降真島は街の至る所で桐生にちょっかいをかけて闘いを挑んで来る厄介な男になったのである。

 

「えぇ、そうでしたね。ですが今、真島の兄さんと喧嘩をする理由はありません」

「ワシがここでちょっかいかけ続けてもか?ワシの読みによれば、こうしてればその内桐生ちゃんからイラついて喧嘩したくなると踏んどるんやが」

「徹底的に無視します。今の俺は、そんなことをしている時間すら惜しいんだ。分かったらさっさと帰ってくれ」

「ふぅん……そっかぁ、残念やわぁ」

 

真島はどこか間延びした声を上げながら、わざとらしく落胆する。

その芝居がかった動作に苛つきを覚える桐生だったが、ここで乗ってしまうのは真島の思う壷である。

そして桐生が再びベンチで考え事に没頭しようとした、そんな矢先だった。

 

「あーあ、せっかく桐生ちゃんにピッタリなシノギを教えてあげようと思っとったのになぁ〜、ホンマに残念やわぁ〜……」

「……………………なに?」

 

聞き捨てならないその単語に反応する桐生に、真島は実に楽しげなしたり顔を浮かべる。

まるで、獲物が掛かった瞬間の釣り師のような表情だ。

 

「ヒッヒッヒッ……せやから言うたやろぉ?桐生ちゃん。ワシは四六時中お前を見張っとるってな。お前が今何に悩んで何を探し求めてるかも、ぜーんぶお見通しや!」

「なんだと……?」

「桐生ちゃんは今、病院に入院してる誰かを助けたい。そのためには莫大なカネがかかる。せやけど汚いシノギには手を染めたくない。大まかに言えばこんな所やろ?」

「っ!?」

 

桐生の顔が驚愕に染まる。

真島の持っている情報は、桐生の置かれた現状をほぼ正確に言い当てていた。

 

「ワシはそんな桐生ちゃんにうってつけの話を持ちかけに来たんや。せやのにそんな風に言われるんやったらもう知らん、ずっとそこで足りない脳みそ振り絞っとればええわ。ほなな」

「…………待ってくれ、真島の兄さん」

「なんや?」

「そのシノギ……俺に教えてくれませんか?」

 

真島は実に愉快な笑みを浮かべながら、桐生に歩み寄る。

 

「えぇ〜?だって桐生ちゃん暇や無いんやろぉ?」

「さっきの事は謝ります。だからどうか、その話を俺に教えてください。お願いします」

 

桐生は己のプライドをかなぐり捨て、真島に直角に頭を下げた。

優子の命がかかっている以上、筋の通らない事以外はなんだってやる覚悟の桐生にとって、頭を下げる事など造作もないことだ。

 

「せやなぁ……どないしよっかなぁ……」

「頼みます……真島の兄さん……!」

「…………ほんなら、ワシと喧嘩せいって言うたら、どないする?」

「!」

 

桐生は目を見開いた後に、自分が罠にかかったと実感する。

これでもう、桐生には立派に喧嘩する理由が出来てしまったのだから。

"真島から、筋の通ったシノギの情報を力づくで聞き出す"という立派な理由が。

 

「良いでしょう……それで兄さんが納得するなら、受けて立ちます」

「よっしゃ!ほな早速、そこの空き地で喧嘩しようやないか!」

 

大いに喜ぶ真島は辛抱たまらないと言った様子で、公園前の空き地へと足を運ぶ。

四方をビルで囲まれているその場所は、人目を遮るにはうってつけの場所なのだ。

桐生も不本意ながら空き地へと足を踏み入れる。

 

「さぁ、始めんで……!」

 

真島は懐から愛用のドスを取り出し、鞘から抜き放つ。

それに対し桐生もまた、ファイティングポーズを取る。

 

「あぁ……来い、真島!」

「行くでぇ、桐生ちゃん!」

 

東城会直系嶋野組内真島組組長。真島吾朗。

嶋野の狂犬との命をかけた喧嘩の幕が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、その喧嘩を物陰から覗く"ある男"がいた。

その人物はこの近辺をシマとしている東城会系組織の極道だ。

本来、自分のシマで起きている揉め事は早急に仲裁、解決しなければならない。

地域住民に警察に通報された場合に、シノギ等の動きが取りづらくなるからだ。

しかし、男はその喧嘩に見とれてしまっていた。

 

「うぅりゃァ!」

 

"嶋野の狂犬"がドスを片手に襲いかかる。

その華麗なドス捌きはまさに変幻自在で、どこから斬撃が来るのか予測するのは非常に難しい。

 

「ふっ、はっ!」

 

しかし、その目にも止まらぬ斬撃を"堂島の龍"は正確に見切って躱している。

並外れた反射神経と動体視力が無ければ成せぬ技だ。

 

「どりゃァ!」

 

そして反撃と言わんばかりに堂島の龍が右の拳を振り抜く。

空気を引き裂きながら突き進むその拳を嶋野の狂犬が紙一重で躱して、再び刃を振りかざす。

 

(なんという闘いだ……!)

 

拳と刃。パワーとスピード。荒々しさと精錬さ。

相反する二つが見事なまでに調和しているその光景は、命のやり取りと言うにはあまりにも美しすぎた。

そして。

 

「オラッ!」

 

堂島の龍の蹴りが、狂犬の刃を弾き飛ばした。

 

「なっ!?」

「でぃやァ!はぁッ!!」

 

その事実に反応が遅れた一瞬の隙を突き、そのままの勢いで軸足を入れ替えた後ろ前蹴りを狂犬の腹にねじ込まれる。

そして吹き飛ばされた所に胴回し回転蹴りの追い打ちを叩き込んだ。

 

「げはぁっ!?」

 

逃げ場の無い状態でモロにそれを受けた狂犬は、為す術なく地面に叩き付けられる。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……これで満足か、真島の兄さん」

「ぜぇ、ぜぇ…………あぁ、やっぱりゴツイのぅ、桐生ちゃんは……」

 

大の字に寝そべる真島と、息を切らす桐生。

闘いは、決着した。

 

「さぁ、約束だ。シノギについて教えてくれ」

「そいつは……その仕切りをしている本人の口から聞いてくれや」

「なに?」

 

真島のその発言で、男は自分が呼ばれている事を理解した。

 

「見とったやろ?九鬼のおっさん」

「あぁ、見ていたとも」

 

呼び掛けに応じ、いよいよ男が二人の前に姿を現す。

現れたのは紫色のジャケットを身にまとい、坊主頭と髭を生やした壮年の男。

 

「初めましてだね?桐生くん」

「アンタは……?」

「私は九鬼隆太郎。これでも、直系の組長をやらせてもらってる」

 

東城会直系九鬼組組長。九鬼隆太郎。

それがこの男の名前と肩書きだった。

 

「いやいや素晴らしい……実に見応えのある喧嘩だったよ……」

「覗き見ですか……趣味が良いとは言えませんね」

 

直系組長ともなれば自分より格上だ。

一応言葉を正す桐生だが、本来見世物では無い自分の喧嘩を覗き見されるのは気分が良いとは言えなかった。

 

「悪く思わないでくれたまえ。私に君たちの喧嘩を見ろと言ったのは、そこの真島くんなのだから」

「……どういうことですか、真島の兄さん」

 

そんな話は聞いていない、と睨みつける桐生。

しかし真島は、必要な事だったと弁解した。

 

「桐生ちゃん、これは俺が喧嘩したい為の口実であるのと同時に、テストでもあったんや」

「テスト?」

「せや。俺がこれから教えるシノギは、決して善良なカタギを食い物にするモンやない。その代わり……人死にが出ることも珍しくない過酷なモンや」

 

真島は跳ねるように起き上がると、真剣な眼差しで桐生を見つめた。

そこに桐生を貶めようという意思は微塵もない。

 

「本気のワシと直接やり合えるくらいじゃなきゃ、このシノギは務まらん。せやからシノギの仕切りをしとる九鬼のおっさんに、桐生ちゃんがどれくらい強いのかを見てもらう必要があったっちゅうわけや」

「そういう事だったのか……」

 

桐生は納得する。

確かに命の危険が伴う過酷なモノなのであれば、真島を御しきれないようでは務まるはずがない。

 

「で、九鬼のおっさん。桐生ちゃんはどうやった?アンタのお眼鏡にかなう男やったか?」

 

真島の問に対し、九鬼は大いに頷いた。

 

「正直、想像以上だったよ。先程は二人の闘いに芸術性すら見出せそうだったくらいだ。流石はあの"堂島の龍"と言った所だね」

「ヒッヒッヒッ、せやろ?桐生ちゃんが来れば、おっさんのシノギも大盛り上がりやで!」

「盛り上がる、だと?」

 

話が読めない桐生をよそに、九鬼は桐生に対し太鼓判を押した。

 

「桐生くん、君には早速うちのシノギに参加して貰いたい。今から時間はあるかね?」

「……えぇ、よろしくお願いします」

「よし、そうと決まれば善は急げだ。私について来てくれたまえ」

 

九鬼はそう告げると踵を返して歩き出した。

桐生と真島もまた、その後に続いていく。

 

(一体、何が始まるって言うんだ……?)

 

その先に待っているものは、天国か地獄か。

桐生一馬は今、己次第でその全てが変わる欲望の巣窟へと足を踏み入れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1940年代。

日本が戦争に負け、神室町が今のような繁華街では無く闇市だった頃の時代。

とある空き地に進駐軍払い下げのテントと、粗末な四角いリングが立てられ、そこで賭け試合が行われる事になった。

当時、物資の少ない東城会にとってその興行は数少ない収入源で、ゴロツキやヤクザと言った荒くれ者から、空手家にプロボクサー、力士にプロレスラー、果ては戦争上がりの軍人や米軍兵士に至るまで、数え切れない男たちが最強の称号を求めてそのリングに上がったという。

己の意地やプライドを賭けた男達の闘いの中に大戦直後の大衆は希望を見出し、心を躍らせた。

そしてここは、そんな場所をルーツとする神室町のとある場所の地下深く。

暇と金を持て余した人間達が、極上のスリルを求めて集まる禁断の場所。

 

『Ladies&Gentleman!!』

 

暗がりの地下空間に、大勢の歓声とスピーカーを通したアナウンサーの声が響き渡る。

そして中央には六角形のリングがあった。

 

『Welcome to The DRAGON HEAT!!』

 

非合法地下格闘技カジノ。"ドラゴンヒート "

それこそが、九鬼隆太郎の仕切るシノギの正体だった。

 

『さぁ、待たせたな会場の皆ァ!!地下格闘場 ドラゴンヒートォ!旗揚げ戦の開幕だァー!!』

 

アナウンサーの声に、会場がどっと湧く。

スリルと刺激を求めてやってきた選ばれし者たちは、早く血を見せろと歓声を上げる。

 

『ルールは至極簡単!TKO、ドクターストップ無し!時間無制限、テンカウント完全ノックアウト方式!武器使用以外はルール無しの、ガチンコタイマンバトル!!流血、失神、何でもありの極上格闘スペクタクルだァァァ!!』

 

試合開始前から会場の熱気は最高潮。

動く単位の金も、億は下らないだろう。

 

『さァ、オーディエンスもお待ちかねのようなので、早速始めていこうかァ!ドラゴンヒート旗揚げ戦、記念すべき最初の一戦に立ち上がったのはァ……コイツだァァァ!!』

 

白いスモークがゲート付近から吹き出し、観客をより一層盛り上げる。

そんな中、いよいよ最初の男がリングインした。

 

『OH~THE HEAD!!神室町で知らぬ者は居ないとされる伝説の極道がァ、旗揚げ早々ドラゴンヒートにカチコミをかけてきたぜェ!!"伝説の龍"!桐生ゥゥゥ、一馬ァァァ!!』

 

背中の龍を衆目に晒しリングへと足を踏み入れる桐生。

彼は真島の言っていた意味を、ここに来てようやく理解していた。

 

(なるほど、非合法の賭け試合か……確かにカタギを食い物にはしてないが、下手をすれば死にかねない過酷なシノギだ。真島の兄さんの言った通りだな)

 

理想論や道理を掲げていても、実力が無ければ事を成せない。

だが、桐生には類まれなる腕っ節がある。

シノギを回す知恵や知識が無いのであれば、己が得意とする分野で勝負をする。

結局のところこういったやり方が、桐生一馬の性に合っているのかもしれない。

 

『さあ、カチコミをかけてきた最強のヤクザに真っ向勝負を挑むのはァ……コイツだァ!!』

 

桐生とは反対側のゲートからスモークが吹き出す。

そして、その選手の名前を聞いて桐生は思わず声を上げる事になった。

 

『OH~THE TAIL!!こちらもまた、神室町じゃ知らない奴は居ないクレイジー野郎だァ!東城会の中でも武闘派として知られた狂犬がァ、ドラゴンヒートに獲物を求めてやってきたぜェ!"隻眼の魔王"!!真島ァァァ、吾朗ォォォ!!』

「なんだと!?」

 

直後、煙の中から姿を現した真島は側転やバク転、バク宙などと言ったアクロバティックな動きで入場し、観客を大いに湧かせた。

 

「イーッヒッヒッヒ!驚いたかァ桐生ちゃん!!記念すべき最初の相手は、このワシや」

「何やってんだ兄さん……!」

「お前もこの状況なら、筋の通らない喧嘩がどうこう言えんくなるからなァ。これで思いっきり殴り合いを楽しめるっちゅうもんや!!」

 

そう宣言する真島もまた、その上半身の墨を晒している。

背中の般若と両肩の白蛇。相対するふたつの墨が、彼の混沌さをより一層際立たせていた。

 

「そういう事か…………言っとくが、ここは武器使用は禁止だぜ?お得意のドスは無くてもいいのか?」

「ドアホ!ワシの喧嘩がドスだけやと思うとるんなら大間違いや!あんまし舐めとると……死ぬで?」

「ふっ……穏やかじゃねぇな。面白ぇ……!!」

 

桐生は背筋を張ったいつもの構え、真島はドス持ちの時とは異なった腰の低い独特の構えをそれぞれ行う。

お互いに、闘いの準備は万端だ。

 

『記念すべき最初の試合は、東城会のヤクザ同士による代理内部抗争だァ!!オッズは50/50!どっちが勝つのか、誰にもわからねぇぜ!!』

(俺はここで勝ち続けて、必ず優子を救ってみせる。待ってろよ、錦……!!)

 

己に気合いを入れ直し、桐生が闘気を滲ませる。

全ては、獄中にいる兄弟に朗報を届けるために。

 

「よっしゃ行くでぇ……桐生ちゃぁぁぁぁん!!!」

「来やがれ、真島ァァァァ!!!」

 

隻眼の魔王。真島吾朗。

運命のゴングが鳴り響き、ドラゴンヒートでの初めての闘いがついに幕を開ける。

しかし桐生にとってこれは、これから続く長い闘いの序章に過ぎなかった。




というわけで、皆さんお待ちかねの兄さんが本編に先んじて登場してくれました。

本当だったらもっと遅い登場の予定だったんですが、あんまりにも楽しみにする声が多かったので急遽出張ってもらいました。

そして桐生が挑む事になる過酷なシノギ、ドラゴンヒート
クロヒョウシリーズでお馴染みの地下格闘技カジノです。いかに大変かは是非クロヒョウシリーズをプレイまたは動画を視聴してみてください。

果たして桐生は優子の手術代を稼ぐ事が出来るのか?

次回は再び本編です。
是非お楽しみに



追伸

初めて活動報告に投稿をしました。
ぜひご一読頂き、皆さんの意見を頂けると嬉しいです。


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第六章 賽の河原
手がかりを求めて


最新話です。



近江連合。

関西一円のヤクザ連中を全て束ねた広域指定暴力団で、その勢力は推定3万5000人にも及ぶとされている日本最大規模の極道組織だ。

その歴史は東城会よりも古く、その過程で数多くの血が流れてきた歴史がある事でも有名な組織である。

そんな近江連合の本家の幹部衆に名を連ねる林弘は、自他ともに認める実力者だ。

シノギの上手さも然ることながら、喧嘩の実力も相当なものを持っており、かつては敵対する組織の事務所に鉄パイプ二本でカチコミに行き、構成員全員を叩きのめしたという逸話も持っている。

そんな林に今回下った命令。それは、澤村遥という少女を拉致して連れて来いというものだった。

たかが子供一人拉致する為に自分のような幹部が駆り出されることに憤りを覚えていた林だったが、極道において上の命令は絶対。

与えられた以上、仕事はこなさなければならない。

そして、彼の仕事は完璧だった。

目的の少女が母親を捜し求めて神室町に来ているという事と、その母親がアレスという名前のバーの店主である事を突き止めた林は、飲食店の元締めであるバッカスのマスターからアレスの情報を吐かせた後にその場の全員の"口を封じ"、その後は部下と共にミレニアムタワー近辺を張り込む。

そして彼の想定通り、アレスの場所を知る遥はまんまとアレスへと足を踏み入れた。

後はそこを追いかけて、逃げ場の無くなった店内で遥を捕まえれば仕事は完了。

ここまでの所要時間は約一時間。

彼はその手際の良さでもって、若くして近江連合をのし上がったのだ。

そして今回の仕事も、その持ち前の手際の良さであっさりと片付くはずだった。

そんな林の誤算は二つ。

一つは、目的の少女と共にいたのが数日前に刑務所を出所した元東城会系のチンピラであった事。

そしてもう一つは。

 

 

そのチンピラが、想定よりも遥かに強かったという事だ。

 

 

「ぐはっ!?」

 

林の身体が文字通り吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

錦山の放った渾身の前蹴りによって。

 

「アンタ、だいぶタフな奴だな。さっきから結構痛め付けてるつもりなんだがよ」

「ぐっ……!」

 

全く嬉しくない賞賛を聞きながら、林は内心で毒づいた。

 

(なんやコイツ……めっちゃゴツイやないけ……!)

 

林の喧嘩の腕前は凄腕級だ。

長い手足を使ったリーチのある打撃と恵まれた体格が成せるパワーで、彼はこれまであらゆる敵を屠ってきた。

しかし、今目の前にいる男は更に強かったのだ。

 

(ボクシングベースの動きでワシの攻撃を躱して、急所にエグいのをぶち込んできよる……かと言って取っ組み合いに持っていったらワシの力でも押し負けてしまう……ホンマにバケモンやでコイツ…………!!)

 

林以上のパワーと、身軽なフットワークと反射神経。

それらを併せ持つ錦山が、闘いを有利に進めていた。

 

「だが、俺の方が一枚上手だったみたいだな。で、もう一回言ってみろよ?親殺しがなんだって?粋がってるチンピラがなんだって?あ?」

「おどれ……!」

 

相手を挑発する錦山だが、彼の方も決して余裕がある訳では無い。

 

(ちっ、そろそろ倒れてくれよ大仏野郎……こっちも余裕見せんの限界だっつの……!)

 

東城会本部におけるヤクザ達と乱闘の末に、大幹部である嶋野との一戦。

その後、街のゴロツキやヤクザ達との数多くの喧嘩や揉め事に多く巻き込まれていた錦山は、連戦に次ぐ連戦の影響で体力を著しく消耗していた。

受けたダメージも回復している訳では無い。いわば彼は壮大な"痩せ我慢"をしている状態なのだ。

 

「舐めおって……ぶち殺したるわ!!」

 

怒りに身を任せた林が錦山へと走り込む。

勢いに乗せた必殺の一撃を繰り出すつもりだ。

 

(来る……!)

「死ねやァ!!」

 

そして林が放ったのは、全力で床を蹴ることで放たれた顔面狙いの飛び膝蹴り。

錦山も多用する、高い威力を持った技だ。

 

「シッ……!!」

 

錦山は歯の間から鋭く息を吐き、紙一重でその飛び膝蹴りを回避すると、すれ違いざまに右フックを放った。

 

「が、っ……!?」

 

錦山の振り抜いた右フックは見事に林の顎を捉え、軽い脳震盪を起こした林の身体が崩れ落ちる。

そして。

 

「終わりだこの野郎!!」

 

林が意識を取り戻す前に彼の背後に回り、錦山はバックチョークを極めた。

頸動脈を締められた林の身体が、急速に力を失っていく。

 

「か…………………………………………」

 

やがて、失神したのを確認した錦山がその拘束を解いた。

 

「はぁ……はぁ……遥、無事か!?」

 

アレスの広いフロア内に錦山の声が響き渡る。

程なくして、物陰に隠れていた遥が姿を現した。

 

「おじさん!」

「遥……良かった、怪我は無さそうだな…………」

「おじさんこそ、大丈夫……?」

「あぁ……ちょっと、頑張りすぎちまった。へへっ」

 

錦山はそう言って軽く笑ってから、重い腰を上げた。

刺客達が目を覚ます前にここを出なければならないからだ。

 

「さ、行くぞ遥」

「うん……」

 

エレベーターに乗り込み1階へのボタンを押すと、二人の入った機械仕掛けの箱が駆動音を立てて動き出す。

下降していくエレベーターの中で、遥は不安げな顔で錦山に尋ねた。

 

「おじさん……なんで私、あの人達から狙われてたの……?」

「さぁな……俺にも分からねぇ……」

「私はただ、お母さんに会いたいだけなのに…………」

 

悲しい顔をする遥を少しでも励まそうと、錦山は優しく遥の頭に手を置いた。

 

「おじさん……?」

「安心しろ遥。少なくとも俺は、お前の味方だ。お前の母ちゃん探しも最後まで手伝ってやる。だからそんな顔すんなって、な?」

「うん……ありがとう、おじさん」

 

遥が少しだけ元気を取り戻し、錦山も静かに頷いた。

時刻は午後11時55分。

彼らがセレナに辿り着いたのは、日付を跨いだ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年。12月7日。時刻は午後14時。

セレナの奥の部屋を借り泥のように眠っていた俺は、麗奈から伊達さんの到着を聞いて目を覚ました。

身支度を済ませて店内に出ると、伊達さんがカウンターに座って俺を待っていた。

 

「よぉ錦山。随分寝たな?」

「あぁ、何せ大変な一日だったからな。睡眠ぐらいキッチリ取らないと身が持たねぇ」

 

たっぷり寝たお陰で疲れは取れた。

ダメージもそんなには残っていない。

これでまた活動出来るというものだ。

 

「さて、なら早速情報を共有しようじゃねぇか」

「あぁ、そうだな」

 

そして、俺と伊達さんは互いの情報を交換した。

こうして明らかになってみると、伊達さんの言った通り二つのヤマがしっかり繋がっていたのが分かる。刑事の勘というのは馬鹿にならないものだ。

 

「じゃあ由美の妹がアレスの美月で、おそらくは100億の共犯……」

「で、その娘が遥だ。遥の話じゃ、由美は5年前から行方不明らしい。優子もその後にヒマワリを去ってそれっきりだそうだ」

 

昨日だけで分かったことは多々あるが、同時に分からない事もある。

5年前のクリスマス、ヒマワリから消えた由美と優子。

そして"遥の父親"だ。

 

(5年前のクリスマスを境に桐生と由美、そして優子は神室町から姿を消した。そして、時を同じくしてヒマワリに来なくなった遥の父親……)

 

由美や優子がそのタイミングでいなくなるのは理解出来る。おそらく、2000年のクリスマスに起きた"何か"に巻き込まれたのが原因だろう。

しかし遥の父親に関しては今まで全く情報がなかった。

それに、桐生が神室町から姿を消した理由も。

 

(まさか……遥って…………)

 

俺は胸中に湧いた疑問のままに、仔犬と戯れている遥に質問を投げかけようとした矢先。

セレナの電話が鳴った。

 

「あ、錦山くん。ちょっと電話、お願い出来る?」

「……あぁ、分かった」

 

店の奥から麗奈の声が聞こえる。

本当は遥への問いを優先したいが、麗奈には助けて貰ってばかりだ。

俺は店の固定電話の受話器を取り、丁寧に電話に出た。

 

「はい、セレナです」

『あの……錦山の、叔父貴ですか……?』

 

その声を聞き、俺はすぐに電話の相手を察した。

脳裏には、葬儀会場で俺を逃がそうとしてくれた坊主頭の顔が思い浮かぶ。

 

「お前、シンジか?」

『はい、連絡取りたくて方々を回ってたんです。良かった、ご無事で何よりです』

「あぁ……そっちは今どんな状況だ?」

 

葬儀会場から抜けた後、逃げるように横浜へ向かう事になった俺はその後の東城会の動向を全く知らない。

あんな騒ぎを起こした上に俺が追っている美月が消えた100億円と絡んでいるとなれば、東城会とはいずれどこかで必ずカチ合う事になる。

今の俺にとって東城会の動向は知っておくべき情報の一つだ。

 

『実は…………今、風間の親っさんを連れて逃げてます』

「なんだって?東城会からか!?」

 

衝撃の事実に俺は驚きを隠せなかった。

何故ならシンジのその行動は、親っさんにとっての敵が東城会の内部に居る事の証だったからだ。

 

「親っさんはどうなった!?」

『あの後病院で手当をしたんですが、意識がまだ……』

「そうか……お前、親っさんを撃った犯人に心当たりは?」

『ありません。ですが、あの状況から見て親っさんを撃ったのは東城会のモンで間違いないかと』

「…………そうかもしれねぇな」

 

俺は当時の状況を冷静に振り返った。

あの時、部屋にいたのは俺と親っさんだけ。

俺があの場にいることを知っているのは新藤とシンジ。それ以外に居たとしても、極小数と言った所だろう。

そしてシンジの言う通り、あの時のヒットマンのやり口には作為的なものを感じる。

 

(ヒットマンの居た"狙撃ポイント"……あそこを選べるのは、確かに東城会の人間だけだ)

 

銃弾の飛んできた方向と角度から察するに、親っさんを撃った弾は本部の周囲にあるビルの窓から撃たれていた筈だ。

そして、あの辺一帯は全て東城会が土地の所有権を持っていると聞いた事がある。

今回のように外部から狙撃される事を防ぐ為だ。

それはつまり、他組織の人間が東城会本部施設内にいる誰かに対して狙撃を行う事は事実上不可能だと言うこと。

となれば、犯人は自ずと東城会内部の人間に絞られる。

 

『親っさんの居所が知れたら、また狙われるかもしれません……』

「シンジ、お前今どこにいんだ?」

『信頼出来るスジに、隠れ家を頼んでいる所です。落ち着いたらまた連絡します。連絡先はセレナで?』

「いや、携帯を持ってる。番号言うからメモしてくれ」

 

俺はシンジに伊達さんから預かった携帯の番号を伝えた。

これでシンジ達に何かあれば、向こうから連絡が来るはずだ。

 

『分かりました。落ち着いたら、この番号にかけます』

「あぁ……なぁ、シンジよ」

『どうかされました?』

 

俺はシンジに対し、聞こうと思っていた事が一つある。

しかし、それはこの場にいる伊達さんの耳には入れたくない情報。

いや、入れたら不味い情報だった。

 

(どうする……?)

 

伊達さんとは一時的に協力関係になったものの、完全に信用しきった訳ではない。

伊達さんと協力し合うという事はつまり、警察の管理下に置かれている事と同じだ。

俺にとって都合の悪いことを暴かれる可能性も有り得るだろう。

かと言って、次にシンジからいつ連絡が来るかは分からない。

親っさんに万が一の事があってからでは遅いのだ。

 

(……聞いてみるか)

 

一瞬だけ躊躇い、俺は伊達さんに悟られぬよう遠回しに聞くことにした。

 

お前、兄貴分とはまだ繋がってるか?(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

『っ!』

 

俺がシンジに聞こうとしていた事。

それは、シンジの渡世の兄貴分である桐生一馬との今の関係についてだった。

 

(葬儀での言動や行動、そして松重さんが現れたタイミングの完璧さ……とても偶然とは思えねぇ……!)

 

拳銃を懐に隠した上であえて自分から人質になったあの行動、そしてそれを狙っていたかのように現れて俺を助け出した松重。

シンジが風間の親っさんの指示で俺を監視していた事を新藤が知らなかった事も、本当は風間の親っさんからではなく桐生からの指示だったと考えれば辻褄は合う。

 

『……なんで、そんな事を?』

「今は、中々のピンチなんだ。兄貴分だったら、弟分を助けるのは当然だろ?少なくとも、俺は親っさんにそう教わってたぜ?」

『…………』

「連絡が取れるなら取った方がいい。こういう時こそ兄貴分を頼れよ」

『……えぇ、自分もそうしたかったです』

 

シンジからの回答は、Noだった。

電話越しに聞こえるその声はどこか物悲しく、憂いを帯びている。

 

『ですが、俺はもう兄貴とは袂を分かちました。頼る事など出来ません』

「そうか…………悪ぃな。野暮な事聞いた」

『いえ……それではまた。叔父貴もどうかお気をつけて』

「おう、またな」

 

受話器を置いた俺に、麗奈が話しかけてくる。

 

「誰からだったの?」

「シンジからだった。どうやら、風間の親っさんは一命を取り留めたらしい」

「そう……!風間さん生きてたのね、良かった!」

 

麗奈が胸を撫で下ろす。

セレナを含めたあの一帯は、10年前から風間組のシマになっていたのだ。

それからというものの風間組はみかじめを取らないばかりか、その経営を陰ながら支えたりもしてくれていたと言う。

風間の親っさんは麗奈にとっても、大切な恩人なのだ。

 

「シンジ?誰だそいつは」

「風間組の人間だ。どうやら、撃たれた親っさんを匿って逃げているらしい」

「逃げている?」

「あぁ。親っさんが撃たれた場に俺もいたが、狙撃出来るのは東城会の人間である可能性が非常に高い。生きてる事が分かればその組織の連中はトドメを刺しに来るだろうからな」

「なるほどな…………」

 

伊達はそれ以上の追求はしなかった。

親っさんを連れて逃げている事に意識を割いた事で、シンジについては特に気にも留めなかったらしい。

内心で一安心する俺に、伊達は今後の動向を尋ねてきた。

 

「お前、この後はどうする気だ?何かアテはあるのか?」

「いや……正直思い当たらねぇな。現状としては足を使って情報を集めるしかねぇが、それじゃ効率的とは言えねぇ…………どうしたもんか」

 

事態は刻一刻と動き始めている。

余計な事で時間を喰う訳にはいかないのだ。

 

「仕方ねぇ……例の情報屋の所にでも行くしかねぇか」

 

すると伊達さんが気になる単語を口にした。

 

「情報屋?」

「あぁ。そいつは"サイの花屋"なんて呼ばれててな。この街の事ならなんでも知ってるって噂の情報屋だ」

「ほう……?そりゃ大層な触れ込みだな」

 

神室町という街は決して広大では無いが、とにかく入り組んでいる。

人気のない路地裏や、どこへ繋がってるかも分からない地下空間など、探索しようものならキリがない。

そんな神室町の事をなんでも知ってると豪語するからには相当のやり手に違いない。

 

「で、その情報屋は何処にいるんだ?」

「あぁ……厄介な事に、花屋のヤサは西公園の中だ」

 

西公園といえば神室町に昔からある公園で、今はホームレス達のたまり場になっている場所だ。

"カラの一坪"の一件で追い込みをかけられた桐生が、一時的に身を寄せていた場所でもある。

 

「西公園か……」

「通称"賽の河原"。噂によるとそこの公衆便所から入る事が出来るらしい。だが気を付けろよ?あそこは警察も不介入の危険地帯だ。一度入ったら最後、出てこれないかもしれない」

「でも行くしかねぇだろ。それに、問題はそれだけじゃねぇ」

「なに?」

 

今の伊達さんの話を聞いて、俺にとって懸念すべき点がもう一つあった。それは、情報を持ったやつを相手にする時に必ず必要になるものだ。

 

「金だよ、金。情報屋って事は情報を売ってる訳だろ?ならソイツを買うための金がいるじゃねぇか」

 

俺達の世界において、情報というのはそれだけで武器になるほどの影響力を持つ。

正確な情報をより多く取り揃えていれば居るほど、打てる手や回せるシノギが増えるというもの。

かつて俺が所属していた堂島組にも類まれなる情報収集能力を駆使した結果、組における渉外(脅し)の全てを担う程の幹部にのし上がった兄貴分がいた程だ。

裏社会において情報とはそれだけの価値を産む代物だ。

であればこそ、それを買うからにはそれなりの金が必要不可欠。

ましてや、相手が神室町の事をなんでも知っていると謳う程の情報屋であれば尚更だ。

 

「伊達さん、いくらか金を借りれねぇか?」

「無理だ、貸せるほど持っちゃいねぇ。それにあったとしても俺がお前に金を貸すのは色々と問題だ」

「それもそうか……仕方ねぇ、そっちも自分で何とかするか」

 

当面の目的は決まった。

となれば、あとは行動するのみだ。

 

「伊達さん、遥の事頼んだぜ」

「あぁ。ここも安全とは限らねぇからな。こっちで保護しよう」

 

伊達さんが力強く頷く。

遥の身柄が警察の管理下にあれば、流石の東城会と言えど手は出せないはずだ。

 

「遥、俺はお前の母ちゃん探しのために少し出かけてくる。伊達さんの傍を離れるなよ?」

「うん、分かった。気を付けてね、おじさん」

「おう。麗奈、また来るぜ」

「いってらっしゃい、頑張ってね」

 

麗奈のエールを背中に受けながら、俺はセレナを出た。

街が夕焼けに照らされ始め、夜がすぐそこまで迫って来ている。

神室町が、アジア最大の歓楽街から東洋一の危険地帯になり始めているということだ。

 

(さて……どうしたもんかね…………)

 

出所してからはや3日。

今日も俺は危険な闇との戦いに身を投じていく。

その果てに、何が待っているかも知らぬまま。




如何でしたか?

活動報告にてちょっとした意見募集を行っています。
ぜひご一読頂けると嬉しいです。
次回もお楽しみに


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一夜限りのNo.1

最新話です。

皆さん、沢山のアイデア本当にありがとうございました。
いよいよです!
是非、錦山の勇姿をその目に焼き付けて下さい!

それではどうぞ!


2005年。12月7日。東京、神室町。

時刻は午後15時。

神室町が段々と夜の雰囲気を纏い始め、居酒屋やバー、風俗店といった神室町を彩る"夜の店"達が開店のために準備を始める時間帯。

 

「あ?」

 

錦山の目に留まったのは、そんな夜の店の目の前。

茶色のスーツを着て項垂れている一人の青年の姿だった。

 

「はぁ……ホントにどうすっかな……」

「おいユウヤ。何してんだ?」

「あ、錦山さん!お疲れ様です」

 

声をかける錦山に元気よく挨拶を交わす青年の名前はユウヤ。

彼が入口前で項垂れている夜の店"スターダスト"に所属するホストだ。

 

「元気ねぇな?何かあったのかよ?」

 

彼らは一昨日、風間の手紙を頼りに錦山がここを訪れたのをきっかけに出会った。

最初こそすれ違いから揉めてしまったが、互いに根っこに同じものを抱える性質上すぐに打ち解け、今ではそれなりに親しい仲と言える間柄だ。

 

「え、えぇ……実は今日、とても大事なお客さんがいらしゃるんですが、ホストの数が足りてなくて」

「大事なお客さん……上客ってことか」

「はい。"銀座の鮎美ママ"って人で、夜の世界じゃさぞ有名な人なんです。何百万って金を一晩で使ってくれるって噂なんですよ」

「ほぉ、そりゃ随分太っ腹なんだな」

 

どの業態においても上客というものは存在するものだ。

そういったより多くの金を落としてくれる客は、出来る限り大事にした方が良い。

 

「ただ、その人ちょっと変わってて……」

「変わってる?」

「えぇ……実はその人、若い男はあまり好きじゃないって言うんですよ」

「はぁ?ホストクラブなのにか?」

 

ホストクラブと言えば、美形の男性キャストが女性客を接待する形態の店だ。

当然、イケメンと呼ばれるような若くて格好良い男性が中心となる。

 

「そうなんです。一輝さんの話じゃ"イケメンでありながらも若すぎず、どこか大人な色気や危険な香りのする男性"がタイプらしいんです」

「なるほど……美形でありながらダンディさも欲しいって事か。中々欲張りな注文だな」

 

いかに無茶な注文であろうと、上客ともなれば決して無碍にはできない。

客商売、特にホストクラブやキャバクラのような接待業だと避けては通れない道だ。

 

「当然、そんなキャストはうちにはいません。だから代わりに大勢のキャストで精一杯盛り上げようと思ったんですが……今日に限って当日欠勤が相次いで……」

「そうだったのか……」

 

泣きっ面に蜂とはまさにこの事だろう。

熱血漢で根性のあるユウヤが項垂れ、途方に暮れるのも致し方ない事と言えた。

 

「ユウヤ……ここに居たのか」

 

そこへ、スターダストのオーナーを務める一輝が現れる。店を離れていたユウヤを心配し、様子を見に来ていたのだ。

 

「一輝さん!」

「よう、一輝」

「錦山さん、お疲れ様です。例のホステスの件、こっちでも調べてるんですがまだ目立った情報は…………お役に立てず申し訳ありません」

「いや、そっちはアテがあるから心配すんな。それよりも、話はユウヤから聞いたぜ?なんだか大変な事になってるみたいだな」

「えぇ……お恥ずかしい話です」

 

いつも毅然としていた一輝が俯く。

神室町No.1ホストクラブのオーナーも、この局面を前に渋い顔をしていた。

 

「ですが、この局面を乗り越えなければ未来はありません。今日いらっしゃるお客様は、それだけの影響力を持っているのです」

「そんなにすげぇ人なのか、その"鮎美ママ"ってのは」

 

錦山の問いに、一輝は大きく頷いた。

 

「えぇ。銀座でNo.1の会員制高級クラブでママを務めていらっしゃる方で、その年収は億を下らないと聞きます」

「なんか、バブルみてぇな話だな」

「えぇ、その方はまさにそのバブルの頃からホステスとして成り上がって今の地位を築いた女傑なんです。ついたあだ名が"銀座の女王"」

「銀座の女王……すげぇ通り名だな」

 

錦山は会ったこともないその女王に対し、勝手に尊敬の念を抱いていた。

どんな世界であったとしても、そこで頂点に立つのは並大抵の事では無い。

今まさにのし上がろうと踏ん張っている最中の彼にとって、その女性は眩しい存在とすら言えるだろう。

 

「一輝さん……このままじゃお客さんを迎え入れられません。なにか対策を考えないと……」

「そうだな…………ん?」

 

ふと、一輝が錦山を見る。

下から上にかけて順番に、まるで品定めをするかのような目線で。

 

(イケメンでありながら若過ぎず、大人な色気と危険な香り……もしかしたら……!)

「一輝?」

 

いつになく真剣な目で見られた錦山は怪訝な顔をする。

一輝は表情を崩さぬまま、錦山に言った。

 

「錦山さん……以前俺が言った話、覚えてますか?」

「…………お前、まさか」

 

一輝の思惑を察した錦山は思わず一歩後ずさる。

直後、一輝がその腰を直角に曲げた。

 

「お願いします、錦山さん!今晩だけ、ウチで働いてくれませんか!!?」

 

突然の提案に驚愕を隠せない錦山は、慌ててそれを拒否した。

 

「いやいや無理だって、冗談はよせよ!」

「冗談なんかじゃありません!今日お店に来られる鮎美ママの好みは"若すぎず、大人な色気と危険な香りを併せ持つイケメン"なんです!この条件に当て嵌るのは、錦山さんしかいません!」

「"若すぎない"じゃねぇ、実際もう若くねぇんだって!」

 

一般的にホストの適正年齢は20代が全盛期とされている。

しかし、錦山は今年で37。

服役前の27の時ならいざ知らず、40代を前にした今の彼にとってホストという職業はあまりにも遅過ぎると言えた。

 

「大丈夫です!錦山さんはルックスも良いですし、危険な香りは十分です。何よりその大人な魅力は俺達じゃ出せません」

「いや、そんな事言われたってなぁ」

「お願いします、報酬はきちんと支払いますから……!」

「錦山さん、俺からもお願いします!このままじゃスターダストがヤバいんです!」

「ユウヤまで……!」

 

二人に迫られ困惑する錦山。

現役時代にシノギの関係で方々に顔を売ったりしていた彼はコミュニケーション能力こそ高いが、接客業としての経験は無い。つまり全くの素人なのだ。

そんな彼が、いきなり夜の世界の大物を接待というのは荷が重過ぎるというもの。

突然の無理難題に難色を示す錦山だったが、彼はそこでふと思いとどまった。

 

(待てよ?ホストって言やぁ、歩合制で給料が変わる事でも有名な仕事だ。上手くやれば一晩で100万単位の金を稼ぐ事も不可能じゃねぇ……)

 

夜の世界はいつも莫大な金が動く。

それが、キャバクラやホストの世界であれば尚更だ。

情報料を稼ぐのにはうってつけと言えるだろう。

 

(確かに今は纏まった金が必要だ。仮出所の身で危ないシノギをする訳にも行かねぇし、他に稼ぐアテも無い……)

 

仮出所とは、その名の通り仮の出所だ。

定められたこの期間の間にもし何らかの問題を起こせば、彼の仮出所は取り消しとなり再び刑務所へと逆戻りする事になる。

 

(何よりここまで頼み込まれて何もしねぇってのは男が廃る、か……仕方ねぇ)

 

覚悟を決めた錦山は、二人の頼みを聞く事にした。

 

「……分かった。こんな俺で良ければ、引き受けるぜ」

「本当ですか!?」

「あぁ、俺もちょうど纏まった金が必要だったんだ。ド素人からのスタートだが、よろしく頼む」

「錦山さん……ありがとうございます!詳しい話は中でしましょう」

「あぁ」

 

言われるがままに、錦山はスターダストへと足を踏み入れる。

錦山彰ホスト化計画が始動した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月7日。午後18時。

神室町の天下一通りに居を構えるホストクラブ、スターダスト。

この日、その店の前に一台の高級車が止まった。

車の後部座席から出てきたのは、一人の女性。

美しいブロンドの髪を靡かせ、紅いドレスを身にまとった彼女こそ、一輝達の言っていた幻の上客。

"銀座の女王"こと鮎美ママ、その人である。

 

「鮎美さん、お待ちしておりました」

 

店の前で、オーナーの一輝が自ら出迎える。

誠心誠意のおもてなしを心がけたその姿勢に、鮎美ママもまた笑顔で応えた。

 

「一輝くん、今日は招待してくれてありがとう。一度、貴方のお店に来てみたかったの」

「こちらこそ、来て頂いて誠にありがとうございます。まだまだ未熟ですが、今日は楽しんで頂けるよう精一杯おもてなしさせていただきます」

「そんなに謙遜しないで?その歳で、自分のお店を神室町でNo.1の店にまで育て上げたのだから。もっと誇っても良いのよ?」

「鮎美さん……ありがとうございます。それでは、どうぞ中へ」

「えぇ。お邪魔します」

 

挨拶もそこそこに、店の中までエスコートする一輝。

店内に入った鮎美ママを待っていたのは、煌びやかな内装と粒揃いのホスト達だった。

 

「いらっしゃいませ、お客様!」

「「「「「いらっしゃいませ」」」」」

 

ユウヤをはじめ、他のキャストや従業員達が笑顔で出迎える。

活気のある彼らの姿勢に応えるべく、鮎美ママは優しげな笑顔を振り撒いた。

 

「ごきげんよう、皆さん。今日は楽しませて貰うわね?」

「「「「「あっ……」」」」」

 

瞬間、店内がしんと静まり返った。

その魅力と美貌にその場の全員が一瞬で心を奪われたからだ。

キャストや黒服を含めた従業員は勿論、驚くべき事にその効果は客として来ているはずの女性達にも及んでいた。

驚くべき事に、彼女は笑顔一つでその場の空気や意識を瞬く間に掌握してしまったのだ。

 

「おい見ろよ、すっげぇ綺麗な人だぜ……」

「なんだありゃ……何処かの芸能人か?」

「もしかしてすっごいお金持ち!?いいなぁ、私もあんな風になりたいなぁ」

「何よあの人、一周まわって負けた気にすらならないわ……格が違うってこういう事言うのね……」

 

あまりにも自然体で嫌味を全く感じさせず、それでいてあらゆる者を魅了するその姿に男は心を奪われ、女は羨望の眼差しを送り続ける。

これが銀座のNo.1。日本の水商売のトップに君臨した鮎美ママの実力である。

 

「ふふっ、接客、忘れてるわよ?」

「「「「「し、失礼しました!」」」」」

 

その一言でホスト達が全員我に返り、そそくさと持ち場に戻る。

その様を見て、鮎美ママは穏やかに微笑んだ。

 

「ウブな子達ね。こんなオバサンに見とれちゃうなんて」

「ご謙遜を。鮎美さんの笑顔の前じゃ誰もが丸裸です。もちろん私も」

「もう一輝くんったら、おだてたってシャンパンぐらいしか入れてあげられないわよ?」

 

軽口を言い合う二人だが、一輝は内心で戦慄していた。

 

(うちのキャスト達は粒揃いで経験豊富な奴らばかりだ。それをたった一言で骨抜きにしてしまうとは……鮎美さん、やっぱり貴女は恐ろしい人だ)

 

気付けば誰もが彼女の虜、彼女に釘付け。

彼女がその気になれば最後、一瞬の抵抗も出来ぬまま彼女の世界に引きずり込まれてしまう。

そんな彼女の圧倒的とも言える魅力に、一輝は底知れぬ恐怖を感じていたのだ。

 

(錦山さん……大丈夫だろうか……?)

 

この日のために呼んだ助っ人の事が脳裏を過ぎる。

ほとんど素人の身でありながらこれほどの人物といきなり対峙させる事に、一輝は今更ながら罪悪感を感じていた。

 

「鮎美さん、こちらへ。足元にお気を付けて」

「えぇ、ありがとう」

 

一輝は階段を上がり、二階のVIP席へと鮎美を案内する。

そこは店内が一望出来る特別な空間だった。

 

「すっごくいいお店ね。No.1なのも頷けるわ」

「ありがとうございます」

 

鮎美が中央のソファに座り、一輝が対面へと腰掛ける。

これから来る助っ人を隣に座らせる為だ。

 

「鮎美さん。お飲み物の前に一つ、良いですか?」

「なに?」

「鮎美さん、以前自分に好みの男性のタイプを聞かせてくれたこと覚えていらっしゃいますか?」

 

一輝の問いに鮎美は直ぐに思い出す。

それは数年前、当時まだ新人だった一輝が世話になっている先輩ホストと共に鮎美ママの店を訪れた時の事だった。

 

「えぇ、覚えてるわ。それがどうしたの?」

「実は今日、そんなママ好みのキャストをお呼びしてるんです」

 

それを聞いた鮎美ママは少しだけ目を丸くした後、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「うそ、ほんとに?」

「はい。まだ新人で荒削りな所もあるのですが、当店期待の有望株です。紹介しても良いですか?」

「もちろんよ!是非連れてきて?」

「分かりました。……アキラさんを呼んできてくれ」

「かしこまりました」

 

一輝に声をかけられた黒服が、すぐさま階段を降りていく。例の新人を呼びに行ったのだ。

 

(私の好みのタイプ、結構無茶な注文だと思うんだけど……本当に大丈夫?)

 

美形でありながら若すぎず、大人の色気がある男性。

それが鮎美ママのタイプだった。

美形や色気はともかくとして、若さというのはホストクラブにとって一番の武器である。

それを封じられてしまう以上、鮎美ママの好みの男性をホストクラブで用意するのはかなり難しい。

 

(あまり期待しない方が良いのかな?でも、一輝くんの見立てだし……)

「おや……来たようですね」

 

物思いに耽っていた鮎美ママが一輝の一言で我に返る。

その直後、一人のキャストが階段を登りきってVIP席へと辿り着いた。

 

「ぇ……………………」

 

鮎美ママの口から、そんな声がかすかに漏れる。

彼女は今、目の前のキャストに目を奪われていた。

 

「おまたせしました、お客様」

 

スーツ越しにも分かる見事なモデル体型にプラムレッドのジャケットとシックな黒シャツを合わせたその格好はホストとしてはやや落ち着いた色合いであるものの、それが却って成熟した大人の雰囲気を感じさせる。

僅かに開いた胸元からは地肌が見え隠れし、最低限のナチュラルメイクだけを施した風貌と相まって彼が持つ男の色気をより際立たせていた。

だがそんな彼の落ち着いた大人の魅力と相反し、鮎美を見つめるその瞳は野望や野心に満ち溢れたギラギラした光を宿しており、そのアンバランスさが何処か危険な香りを醸し出す。

 

「紹介します、鮎美さん。彼がこの店の有望株……アキラさんです」

「へっ、ぁ、えぇ…………」

 

先程の余裕が消え去り、一転して生娘のような反応をする鮎美。

無理も無いだろう。何せ今彼女の目の前にいるのは紛れもなく、鮎美が理想としている男なのだから。

 

「失礼します」

 

アキラはそんな彼女の隣にゆっくりと腰を下ろすと、丁寧な所作で名刺を差し出した。

 

「初めまして、アキラです。よろしくお願いします」

「あ、はい……鮎美です……」

 

言われるがまま名刺を受け取る鮎美。

そのあまりの反応の違いに、一輝は度肝を抜かれる。

 

(あ、あの鮎美さんがこんな反応を!?し、信じられない……!)

 

頬を赤く染めて目線を忙しなく動かすその顔はまさに、憧れの人を目の前にした恋する乙女の表情そのものだった。

開いた口が塞がらない一輝の顔を見て、鮎美がふと我に返る。

 

(はっ!?いけないわ私ったら、一輝くんの前でだらしない顔して……!)

 

銀座の女王としての威厳を取り戻すべく、笑みを浮かべる鮎美ママ。

しかしその表情は先程までの穏やかな笑みではなく、どこかぎこちない愛想笑いのような微笑みだった。

見蕩れてしまいそうになる自分を律するが故の表情だった。

 

「何か、飲まれますか?」

「えっと……クリコーヌ、頂けるかしら」

「分かりました」

 

アキラは黒服を呼び付けると、その場でクリコーヌを注文する。

程なくして運ばれてきたボトルとグラスを使い、一輝が慣れた手付きでドリンクを作り始めた。

 

「オーナーから聞きました。銀座のママなんですって?」

「えぇ、そうなの。この業界は結構長いわ」

「そうなんですか。なんて言うか、やっぱりオーラが違いますね。タダ者じゃないって感じが凄くします」

「あら、それを言うなら貴方もよ?」

 

俺もですか?と聞き返す錦山に、鮎美が冷静に頷く。

会話をしていく中で落ち着きを取り戻したのか、その表情には先程まで失われていた余裕が現れ始めていた。

 

「アキラさんからは、なんだかただならぬ雰囲気を感じるの」

「そうですか?自覚は無いですけど……」

「そうよ。ふふっ……なんだか今夜は、素敵な夜になりそうね」

「えぇ、なにせ鮎美さんのような美しい女性と過ごせる貴重な一時だ。俺にとっても、忘れられない夜になりそうです」

「お待たせしました」

 

会話が盛り上がってきた所で、一輝が出来上がったドリンクを二人に差し出す。

一輝を含めた三人がグラスを持ち、アキラが静かに掲げて言う。

 

「それでは今夜の、素敵な出会いを祝して……乾杯!」

「「乾杯!」」

 

三人の喉を酒が潤していく。

新人壮年ホスト、アキラの長い夜が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スターダストに入店して早数時間。

シャワールームにてプロ仕様のシャンプーやリンスを使ってトリートメントをし、突貫工事でスーツとメイクを仕上げてもらい、数名のフリーのお客を相手に練習を重ねて接客の極意を詰め込み学習で身に付け、ほとんど付け焼き刃のまま挑んだ"銀座の女王"との接待。

素人に毛が生えた状態の俺など完全に手玉に取られると思っていたが、その予測は大きく外れた。

結果は大好調。

初対面の時の反応からして、俺が好みのタイプって一輝のリサーチはどうやら本当だったらしい。

 

「アキラくんがこの業界に来たキッカケってなんだったの?」

「キッカケですか?偶然、オーナーにスカウトされたんです。」

「そうなの一輝くん?」

「はい。アキラさんとは先日ふとしたキッカケで出会って、そこでスカウトしたんです。絶対向いてるって」

「その時は自分には向いてないと思ってたんで、本当は断ろうと思ってたくらいだったんですが、あまりの熱に押されてやる事になったんです」

「一輝くん大正解ね、有望株って言ってたのも納得だわ!」

「えぇ。俺もアキラさんに来て貰えて良かったと思ってます」

「おいおい……おだてないでくれよ。むず痒いじゃねぇか」

「ふふっ、照れてる所も可愛いくて素敵ね」

 

行う会話の全てが弾んで、俺としても悪い気分じゃない。何より、仕事で酒が飲めるっていうのは貴重な経験と言えるだろう。

 

(よし、上手くいってるな……!)

 

今回ホストをやってみて、分かったことがある。

それはお客を楽しませる事を第一に考えるのは当然だが、それさえ大事にしてればある程度応用が利くという事だ。

あれやこれやら創意工夫が自由に出来る楽しさは、この歳じゃ中々味わえない貴重なものと言えるだろう。

 

(それに昔の経験も活かせるな。あちこちに通ってた甲斐があったぜ)

 

今から17年前。

当時20歳の若造で組の兄貴分に顔を売ってのし上がろうとしていた俺は、色んなホステスと繋がりを持つために神室町中のキャバレーやクラブを飲み歩いていたのだ。

実際に女の子を口説いた事も一度や二度じゃない。

一輝達のような接客のプロ程とはいかないが、女性を喜ばせるトークにはある程度自信があった。

 

「鮎美さん、喉乾きませんか?」

「そうねぇ、沢山話したから喉が渇いたわ」

「何か飲まれませんか?ゴールド、冷えてますよ」

「ふふっ、アキラくんってさり気なくアピールするのねぇ」

 

顔を赤くした鮎美ママが穏やかに微笑む。

その表情は飲みたての頃と比べて弛緩しきっており、とても毅然とした態度とは言えない。

俺が何かを働きかける度に余裕の笑みが崩れ、僅かに素の笑顔が顔を覗かせるのは見ていて中々に愛らしい。

こういった不意に見せる"隙"もまた、鮎美ママの魅力の一つかもしれない。

 

「そりゃ、鮎美さんと美味しいシャンパン飲みたいですから。オーナーも、そうでしょ?」

「えぇ、是非自分もご一緒出来ればと」

「そうね……じゃあ、みんなで飲みましょう?」

「え、それって……」

 

そう言うと鮎美はメニューを開き、ひとつのボトルの写真を見せてきた。

 

「ルシャランテを開けるわ。これでシャンパンタワーを作りましょう!」

「ルシャランテ……!?」

 

一輝が驚愕の声を上げる。

俺もまた、メニュー表に記載されている値段を見て同じ感想を抱いた。

 

「一本、300万円……!?こんないいものを開けてくれるんですか!?」

「もちろんよ!アキラくんのために、特別よ?」

「鮎美さん……ありがとうございます!」

 

俺の身を言い知れぬ興奮と多幸感が包む。

それは、葬儀場で嶋野との戦いが終わった直後の達成感に酷似していた。

 

「ルシャランテ、頂きました!」

「「「「「イェェエエイ!!」」」」」

 

最高級品の注文にフロアが湧く。

すぐに数名の黒服が集まって、シャンパンタワーの準備を始めた。

 

「アキラさん、お見事です……!」

 

サムズアップと共に賞賛してくれる一輝。

むず痒いだけだったその賞賛も、今なら素直に受け入れられる。

 

「へへっ、悪くねぇもんだな……ホストって言うのもよ……!」

 

この後、俺はスターダストに彗星の如く現れたNo.1おじさんホスト"アキラ"としてこの店で長いこと噂される事になるのだが、それはまた別の話だ。




という訳で、ホスト錦山の回でした!
如何でしたか?

活動報告でのアイデア募集の結果、錦山は赤や赤紫などの暖色系が好まれる傾向にあると判断しました。
中には白ジャケットや黒ジャケットという声もあり非常に悩みましたが、自分の中でこれが一番しっくり来たので決めさせて頂きました!

今回、37の錦山にホストをやらせるという事で色々と考えてみました。いかにもホストな感じを出すには歳を食い過ぎているし、場合によっては"キツい"感が出てもおかしくありません。
なので、今の錦山にしか出せない魅力をクローズアップしようと決めました。
そして、大人な色気と危険な香りというコンセプトにした結果今回の結果になりました。
言わば、ちょいワル親父レベル100って奴ですかね(笑)

改めて、たくさんのご意見ご応募ありがとうございました。
他にも錦山にこんな格好似合いそう、と言ったアイデアがあればぜひぜひ遠慮なく送って頂けると嬉しいです。

今後も、錦が如くを何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m


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伝説の情報屋

最新話です。

いよいよ花屋の登場です。
果たして情報を手に入れられるのか!


皆サン、日本語、良く知ってマスカ?


2005年12月7日。時刻は午後22時頃。

スターダストでの仕事を終えた俺は、神室町の端にある西公園の公衆トイレの前に来ていた。

伊達さんの話によると、ここから賽の河原へと入り込めるらしい。

"使用厳禁"と書かれた張り紙も、人を寄せ付けない為の工作の一つなのだろう。

 

(西公園の正面入口は塞がれてた……表向きは再開発の為に取り壊し中って話だったが、実際は違うんだろう)

 

昔からホームレスのたまり場ではあったものの、服役前は普通に正面から入れた西公園。

工事中という体裁を取り隠れ蓑としているのだ。

 

(まぁ、行ってみるしかねぇか)

 

俺は意を決して公衆トイレに足を踏み入れる。

すると、中に居た二人のホームレスが用も足さずに立っていた。

 

「なぁ、アンタ。張り紙あったろ?"使用厳禁"ちゃんと見たか?」

 

声をかけてくるホームレス。

その声音には感情が無く、少なくとも歓迎の気配は感じられない。

 

「あぁ、この先に用事があってな」

「そうか。なら、何されても文句ねぇな?」

「あ?」

 

その直後。

俺は背後に複数の気配を感じた。

後ろに目線を向けると、新たに現れた数人の男たちが俺を囲んでいた。

全員が拳銃をこちらに向けた状態で。

 

「……随分なご挨拶だな」

「失せろ、こっちはヤクザに用事はねぇ!」

「俺にはあるんだよ。それに俺はヤクザじゃねぇ」

「うるせぇ、消えろって言ってんだ!」

 

正面の一人が懐から銃を取り出す。

瞬間、俺は銃口が向けられるよりも早くそいつの手首を掴み、拳銃を奪いながら背後へと回り込んで銃口を頭に突き付けた。

 

「て、テメェ!」

「撃ちはしねぇよ。あくまでもコレは正当防衛だ」

 

俺としても、いきなり銃を突きつけられればこうする他ない。

自分の命は自分で守る。

神室町の裏社会における鉄則だ。

 

「ふざけやがって、撃ち殺すぞヤクザ野郎!」

「本気で言ってんならお前らもタダじゃすまねぇぞ?チャカを扱うなら跳弾って言葉くらい聞いた事あるだろ?」

 

跳弾とは、文字通り放たれた弾丸が壁などに当たった際に跳ね返る現象の事だ。

屋外で起きる事はほぼないが、屋内のこういった狭い空間では弾丸の運動エネルギーが減少しない為非常に起こりやすい。

もしも跳弾が起きれば、俺だけじゃなくこの場の全員が危険に晒される事になるのだ。

 

「頼むよ。俺は"買い物"がしたいだけで、アンタらを脅かしに来た訳じゃないんだ。お互い平和的に行こうぜ?」

「テメェ……!」

「ん?待て……」

 

緊迫した空気が流れるが、正面のもう一人が携帯電話を取り出して誰かと連絡を取り始めた。

二、三言返事を繰り返し、やがて電話を切る。

 

「通して良いそうだ」

 

その言葉を合図に銃を向けていたホームレス達が一斉に警戒を解く。

どうやら例の"サイの花屋"から指示があったらしい。

コイツらはその部下と言った所だろう。

 

「そいつは良かった、ほれ」

 

俺は人質にしていたホームレスを解放し、奪っていた拳銃に安全装置をかけて返してやった。

 

「すまなかったな」

「……けっ」

 

忌々しそうに拳銃を受け取るホームレス。

どうやら嫌われてしまったらしい。

 

「こっちだ」

 

電話係のホームレスが奥の個室のドアを開ける。

それに従いその個室に向かい合うと、奥にもう一つのドアがあった。

 

(なるほど、そういう仕組みか……ん?)

 

開け放たれたドアの向こうに、一人の男が立っている。

タンクトップを着た筋骨隆々の外国人だった。

黒い肌をしたその男は、拙い日本語で俺に語りかけてくる。

 

「ご案内シマス。錦山サン」

「ほぉ……もう身元が割れたのか」

 

俺はトイレ内の監視カメラに目を向ける。

"サイの花屋"はきっとそこから、俺の事を覗き見ているのだろう。

 

「"賽の河原"だぜ、ここは」

「ふっ、そうかよ。……中々いい買い物が出来そうだ」

 

この短時間で身元を特定出来るのは決して簡単なことじゃ無い。

どうやら、得られる情報については期待して良さそうだ。

 

(中は……昔とあまり変わらねぇな)

 

個室の裏口から中に入ると、見覚えのあるだだっ広い公園が広がっていた。

それぞれの場所にビニールハウスやらが建っているが、これも昔から変わらない。

 

「こちらデス」

 

俺は外国人の案内について行き、やがて今は使われていない地下鉄の駅の入口前に辿り着いた。

 

「ボスは地下の、一番奥でお待ちしていマス。ドウゾ?」

「おう、サンキュー」

 

俺は案内人に"向こう"の挨拶で礼を告げ、言われるがままに階段を降りた。

明かりは無く薄暗い階段を降りていき、無人の改札を通り抜ける。

そのままホームの方へと下っていくと、奥に明かりが見えた。

 

(なんだ……?)

 

やがて駅のホームまで降りた俺は、目を見開くことになった。

 

「な……なんだこりゃ……!!?」

 

そこもあったのは、表には出ないであろう秘密の空間だった。

電車が通るはずのホーム下には水が張られ、その上に木製の通路が浮かび歩けるようになっている。

そしてその左右に、昔の祇園や吉原を彷彿とさせるような建築物が軒を連ねていた。

欲に塗れた男達が色っぽい花魁姿の女達を品定めするその光景は、まさに在りし日の遊郭と言った所だろう。

 

「驚かれましたか?錦山さん」

 

開いた口が塞がらない俺に対し、一人の男が声をかけてくる。

初対面のはずだが、その男もまた俺の名前を知っていた。

 

「アンタも俺の名前を?」

「えぇ。なにせ情報は賽の河原の命です。上界であった出来事はすぐに下界の我々に伝わります。さぁ、ボスが一番奥の屋敷でお待ちですよ」

「……あぁ」

 

男と別れ、地下繁華街を真っ直ぐ進んでいく。

そこはまさに神室町のアンダーグラウンド。

現役時代でも知ることの無かった、危険な欲望を叶える為の場所だった。

 

「あれだな……」

 

そしてそんな地下街の最奥。

一際大きな屋敷の前に辿り着く。

サイの花屋とは、おそらく相当な権力と財力の持ち主なのだろう。

 

「邪魔するぜ」

 

巨大な門を開け屋敷へと入り込む。

屋敷の中は賑やかな繁華街とは打って変わり、とても静かな場所だった。

宮殿を彷彿とさせる柱が並び、巨大なシャンデリアと周囲を囲むように建造された水槽がその空間の光源で、あまりの薄暗さに海底にいるかのような錯覚を覚える。

 

(金持ちの趣味にしちゃ、悪くねぇな……)

 

俺が幻想的とも言えるその空間に浸っていると、どこからともなく声が聞こえた。

 

「錦山彰。出所早々派手にやってるみてぇだな」

 

渋い男の声だった。

この声の主が、おそらく"サイの花屋"なのだろう。

 

「アンタが、サイの花屋か?」

「何の情報が欲しい?」

「東城会の100億、それから由美と美月って姉妹の情報だ」

「ほう……お前の"妹"の事は良いのか?」

 

男の言葉に気味の悪い寒気を感じる。

まるで全てを丸裸にされたかのような気分だ。

しかし、俺は気を引き締めた。

相手はわずかな時間で俺の身元を割り出すような奴だ。

優子のことを知っていても不思議じゃない。

 

「……何もかもお見通しって訳か」

「当たり前だ。どこにでも俺の手下はいる。キャバ嬢のパンツの色から裏取引、表沙汰になってない殺しまで全て俺の所に話が入ってくる。そして俺はその星の数ほどの情報を繋ぎ合わせ、客の欲しい正確な情報を提供するんだ」

 

それを聞き俺はひどく納得した。

男の口ぶりだと、トイレでのいざこざよりも前からおそらく俺の事は耳に入っていたのだろう。

何せあの東城会を相手に大立ち回りだ。

俺がこの男の立場であっても、まず間違いなくマークするに違いない。

 

「なるほど……"伝説の情報屋"とはよく言ったもんだな。心配になってきたぜ」

「何の心配だ?」

「金さ。高いんだろう?アンタの情報」

 

これだけの設備と人数を動員してかき集めた情報だ。

安売りしてしまっては採算が合わないのは当然と言える。

 

「フッ……多少腕が立つだけのチンピラと思ってたが、中々物分かりが良いじゃねぇか。そういう男は嫌いじゃねぇ」

「なら、いい加減姿を表しちゃくれねぇか?お互い顔も合わせないんじゃ信用も何も無いだろ?」

「おっとこりゃ失礼」

 

そしてついに、サイの花屋がその姿を表した。

固めた頭髪と口元の髭。素肌に法被のようなものを身にまとい、金のネックレスと腕時計がその存在を主張する。

最奥にあるデスクのチェアに腰掛け、ゆうゆうと葉巻を加えるその姿は、元極道者の俺から見てもなかなかの貫禄だった。

 

「初めましてだな、花屋」

「おう。それで、報酬は用意してあるのか?」

 

その問いに対し、俺は懐から一枚の封筒を取り出して答えた。

花屋の所までに歩み寄り、封筒をデスクの上に置く。

すると中から決して少なくない量の万札が出てきた。

 

「コイツは?」

「俺がさっき稼いだ金だ。アンタの事だ、出処ぐらい分かるだろ?」

「なるほど……"アキラ"だな?」

 

スターダストにおける源氏名を言い当てられたが、今更もうそんな事では驚かない。

俺をマークしていたのであれば知ってて当然だ。

 

「200万ある。これで情報を買いたい」

 

数時間前、銀座の女王こと鮎美ママが高いシャンパンを入れてくれたお陰でスターダストの売上は過去最大を記録したらしい。

この金は、そんなスターダストのオーナーである一輝がくれた俺への報酬だった。

 

「たった数時間で良くこれだけ集めたじゃねぇか。だが、お前が欲しがってる情報はヤマがヤマだからな。これじゃちっと足りねぇよ」

「ちっ……」

 

花屋の返事に俺は思わず舌打ちをした。

しかし、同時に納得も出来る。

俺が欲しているのは今まさに起きている事件の情報。

あの東城会の内輪揉めに関する危険なネタだ。

ヤバい事件の情報であればある程、その情報は高額になっていくのは想像に難く無い。

 

「悪いが、これ以上を今すぐ用意するのは無理だ。花屋さんよ、何とかならねぇか?」

「あいにく俺ぁ、ヤクザってのが死ぬほど嫌いでな。本来なら譲歩する事は無い」

 

だが、と花屋はこうつけ加えた。

 

「情報屋ってのはとどのつまり"のぞき趣味"でよ。10年前は一介のチンピラでしか無かったアンタが、あの東城会を相手に何をしでかすのか……本当のとこ興味津々なんだ」

「なら、どうにかしてくれるってのか?」

 

その言葉に希望を見いだした俺はすぐさま花屋に問いかけた。

 

「残念だがフェアじゃない事は嫌いでな、情報料は負けてやれねぇ。だが、代わりの仕事を用意してやろう。今のアンタにピッタリの仕事をな」

 

それに対し返って来たのはそんな回答と意味深な笑みだった。

その表情に、とてつもなく嫌な予感を感じる。

 

(この感じ……絶対ロクなことじゃねぇ……!)

 

そして、これから僅か数十分後。

俺のこの予測は的中する事になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町の地下深くに存在する非合法地下繁華街"賽の河原"。

カジノや性風俗など、表じゃ絶対に味わえないサービスを提供する神室町の穴場だ。

そんな賽の河原の中でも、一番の人気を誇る場所が存在した。

錦山は今、その場所の控え室にいた。

 

(やれやれ……嫌な予感が当たったな)

 

辟易した様子で上着とシャツを脱ぎ捨てる錦山。

上裸になった事で、背中に背負った緋鯉の墨が顕になる。

 

(だがやるしかねぇ……ここでやらなきゃ、情報は手に入らねぇんだ)

 

覚悟を決めた錦山は控え室を出る。

ふと、彼は誰かが担架で運ばれているのとすれ違った

 

「ウッ、ウウッ……」

 

錦山と同じく上裸の男が担架の上で苦悶の表情を浮かべている。

そんな男の足首は、異常な角度に折り曲げられていた。

 

「…………」

 

その光景に眉根を顰める錦山。

下手をすれば彼もまた、その男と同じ目に遭うかもしれないのだ。

 

「ちっ……思った通り悪趣味な場所だぜ」

 

錦山は小声で毒づくと、担架が運ばれてきた方向に歩を進める。

やがて彼の耳に歓声が近づいてくる。

彼の進行方向から熱気が漂いはじめる。

そして、辿り着いた。

 

『レディース&ジェントルマン!ここで、飛び入りのファイターが参戦です!』

 

スピーカー越しの実況。

沸き立つ観客による歓声と熱気。

そして中央に鎮座する六角形のリング。

これこそが賽の河原の中でも一番の危険で一番スリルのある場所。地下闘技場である。

 

『早速紹介しましょう!10年前、渡世の親をその手にかけた仁義なき極道。元堂島組若衆、錦山ァァ、彰ァァ!』

 

アナウンサーの声と共にリングインする錦山。

それに合わせて、上に吊り下げられた金網がゆっくりと降り始める。

 

『対するは、久々に帰ってきて早々二人の男を血祭りに上げた全勝無敗のこの男!ベガスの地下王者、ゲイリー・バスター・ホームズ!!』

 

やがて金網が完全に降り、決着が着くまで脱出することが出来なくなる。

金網の中にいるのは錦山と、もう一人。

 

「よう、またあったな」

「奇遇デスネェ、錦山サン」

 

逞しい肉体を惜しげも無く披露するのは、錦山を賽の河原へと連れてきた案内人の男だった。

元々只者では無いと踏んでいた錦山だったが、意外な所で再会を果たした事に内心で少し驚いていた。

 

「即死ト、腹上死……お好みハ?」

「フッ……その日本語、意味分かって使ってねぇだろ?」

 

不気味な笑みを浮かべるゲイリーに対し、軽口を返すも真剣な表情を浮かべる錦山。

ふと、彼の視界に観客席の一角が映りこんだ。

葉巻を銜えた花屋が、楽しげな笑みを浮かべているのが見えたのだ。

 

(チッ、高みの見物しやがって……見てろよ……!)

 

それにより、錦山の中で怒りのスイッチが入った。

拳を握り、真っ向からゲイリーを睨み付ける。

 

『飛び入り参戦のヤクザファイターは、無敗の地下王者相手に下克上を成し遂げられるのか!注目の一戦……今、ゴングです!』

 

地下闘技場無敗王者。ゲイリーバスターホームズ。

ゴングの音が高らかに鳴り響き、闘いの幕が切って落とされた。

 

「フゥゥン!」

 

開始早々、ゲイリーの豪快な右フックが錦山に襲いかかった。

大振りだが速度のあるその一撃を、錦山は紙一重で躱す。

 

「うぉっ!?」

 

直後、バットを素振りした時のような音が錦山の耳朶を打った。

ゲイリーの剛腕によって放たれた一撃が風を切ったのだ。

 

(なんて一撃だ……当たったらタダじゃすまねぇぞ!?)

 

それはさながら人間凶器。

彼の攻撃は全て鈍器で殴られる事に等しいと言える。

錦山としては、絶対に攻撃を受ける訳にはいかない。

 

「フッ、フン、ヌゥン!」

 

そんな必殺級の一撃をゲイリーは絶え間なく連続で放った。

一度でも喰らえば致命傷の攻撃を、錦山は何とか捌いていく。

 

「オラァ!!」

 

隙を見た錦山がゲイリーに反撃の右ストレートを叩き込む。

しかし、返って来たのは手応えでは無く鉛を殴ったかのような鈍い感触だった。

 

(い、痛ってぇ……!)

「ヌッ……錦山サン、トテモ良いパンチですねェ」

 

ゲイリーはその一撃に対して賞賛の声を上げたが、おそらくその枕詞には「日本人にしては」が付くことになるだろう。

大して怯みもせず、ゲイリーは再び攻撃を再開した。

 

「フゥンンンンッ!」

 

体重の乗った全力の前蹴りが炸裂し、ガードした錦山の身体ごと大きく後方へ吹き飛ばす。

 

「ぐぉっ!?」

 

背後の金網へと叩きつけられ、そのまま背中を預ける体制になる錦山。

そこへゲイリーが間髪入れずにショルダータックルをぶちかました。

 

「ぐふっ!?」

「ムゥン!」

 

肺の空気が絞り出され、呼吸困難に陥る錦山。

ゲイリーは明確な隙を晒す彼の胴を捕まえると、そのまま後方へと力任せに投げ飛ばした。

バックドロップと呼ばれるプロレスの技の一種だった。

 

「が、っは……!?」

 

あまりのダメージで身動きが取れない錦山。

ゲイリーはすかさず錦山の上に股がって、マウントポジションを取る。

そして。

 

「Finishデス!」

 

死刑宣告と共に、ゲイリーの拳が錦山の顔面を直撃した。

 

「が、っ……ぁ……」

 

衝撃で意識が飛ぶ錦山。

通常の格闘技であればこの時点で勝負ありだが、ここは何でもありの地下闘技場。

当然、ゲイリーの攻撃はそれでは終わらなかった。

 

「フン、フン、フン、フン、フン!!」

 

ゲイリーの持つ黒い左右の拳が連続で打ち下ろされる。

人間の身体を叩いているとは思えない鈍い音が響き渡り、オーディエンスが狂気的な歓声を上げた。

 

「がっ、ぐっ、っ……」

 

一発の衝撃で意識が途切れ、再び一発の衝撃で目覚める。

そんなことを繰り返す内に、錦山の顔面には次々と痛々しい傷が増えていく。

破壊と暴力の嵐に苛まれる錦山を見て、誰もが決まったと思った。

その直後。

 

「ぶっ!!」

「!!?」

 

錦山が口から赤い液体をゲイリーに勢いよく吹き掛けた。

 

「NOOOOOO!!」

 

直後、優位に立っていたはずのゲイリーが両手で顔を抑えながら転げ回る。

錦山が吹き掛けたのは、度重なる殴打で口内に溜まった自分の血。彼はそれをゲイリーの目に吹き掛ける事で一時的に視界を奪ったのだ。

 

「よくも、やりやがったなテメェ…………」

 

ゆらりと立ち上がった錦山。

赤い跡が残る口と鼻を手で拭う彼の目は、怒りで真っ赤に血走っていた。

 

「タダじゃ終わらせねぇぞコラァ!!」

 

先程とは逆に、錦山がゲイリーにマウントポジションを取る。

そして左手でゲイリーの左頬を掴み、顔面が右に向くように押さえ付けた。

直後。

 

「オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラァ!!」

 

錦山の怒涛の右フックがゲイリーの顔面にぶち込まれた。無論、一発で済むはずがない。

先の恨みを晴らさんと、幾度も振り抜かれる錦山の拳がゲイリーの顔を叩いて潰す。

 

「フゥゥン!!」

 

錦山の右拳が返り血で真っ赤になった頃、ゲイリーが持ち前のフィジカルで抵抗して転げるように錦山のマウントを解く。

しかし、ゲイリーの視界は未だ回復しておらずその足元は覚束無い。

 

「うぉぉおッ!!」

 

そして錦山はそのチャンスを決して逃さない。

すかさず体制を整えてゲイリーに近づくと、彼の頭を両手でしっかりと掴む。

 

(これで決めてやる!)

 

そして、錦山はゲイリーの顔面に全力の膝蹴りを叩き込んだ。肉がひしゃげ鼻が潰れる生々しい感覚が膝越しに伝わる。

 

(まだだ!)

 

確かな手応えを感じた錦山は二回、三回と連続で膝蹴りを繰り出していく。もはや今の彼は、ゲイリーを仕留める事しか頭に無い。

相手を殺す気でやらなければこちらがやられてしまう。

情けをかける余裕は彼には無いのだ。

 

「ンンンンンン!!!」

 

だが、このままやられる程無敗の王者は甘くなかった。

ゲイリーは顔面に膝蹴りを喰らいながらも錦山に抱き着いて距離を潰す。

 

「て、テメっ!?」

「ヌゥゥゥン!!」

 

そして、そのまま力任せに錦山を放り投げた。

何とか受身を取ってダメージを軽減する錦山だったが、ゲイリーもまた奪われていた視界を取り戻して臨戦態勢に移る。

 

「錦山サン……まだ頭、クラクラ、シマス」

「はぁ、はぁ、はぁ…………そうかよ」

 

ゲイリーの顔面は度重なるダメージで歪に歪み、もはや原型を留めていない。

一方の錦山も、ゲイリー程ではないがダメージと疲労が見える。お互いに、もう長くは持たないだろう。

 

「デモ、これで本当にFinishデス……!!」

 

ゲイリーは静かに宣言すると、中腰に構えた。

彼はレスリングにおけるタックルを狙っている。

持って生まれたパワーと瞬発力で錦山を押し倒して再びマウントを取り、一気に勝負を決める算段だ。

 

(頭が上手く回らねぇ……ぼーっとしやがる……)

 

対する錦山の足元は覚束無い。

鼻からの出血で脳に酸素が行きにくくなったことによる、一種の酸欠状態だった。

このような状態では、とても逆転の一手を導き出す事は難しいだろう。

そんな時、ふと彼の脳裏に約二十年前の記憶が蘇った。

 

(あ……そうだ……)

 

それは彼が極道になって間もない頃、兄貴分の柏木から空手の稽古を付けてもらった時の事だった。

基本的には殴られ蹴られるだけの荒っぽい稽古だったが、その中の一つ。

この状況に適したものがあった事を錦山は思い出す。

 

(こんな時は……"アレ"だな……)

 

錦山はその過去の記憶に従い、股を大きく開いて垂直に腰を下ろした。

姿勢を綺麗に保つ事を意識し、それ以外の筋肉の緊張を解して著しく"脱力"させる。

 

「スゥー……フゥー…………」

 

怒りで埋めつくされていた頭の中を空にし、静かに口で呼吸を整える。

目を瞑って静かに集中力を高める。

次第に、錦山の意識から外界の音が遠ざかっていった。

感じるのは自分の内から発する音のみ。

穏やかな脈動と静かな呼吸。

研ぎ澄まされていく精神。

そして。

 

「ヌウウウウウウウウウウウン!!!」

 

ゲイリーが雄叫びを上げ迫ったのと時を同じくして、錦山は目を見開いた。

静から動。

今、柏木の教えを体現した錦山の身体がゲイリーの巨体を迎え撃った。

 

「ヌォッ!?」

 

驚愕の声を上げたのはゲイリー。

彼の巨躯を活かした進撃で、絶対に倒れるはずだった錦山の身体はまるでそこに根を張ったかのように不動を保っていたのだ。

 

「What!?」

 

驚きのあまり一瞬だけ気を抜いてしまうゲイリー。

それが、勝負の明暗を分けた。

 

「ふん!!」

 

錦山は組み付かれた体制からゲイリーの首を肘の裏で挟みこんでギロチンチョークを極め、その後にゲイリーの腰を上からしっかりとホールドする。

 

「うぉぉぉっりゃあああああああああッッッ!!」

 

そして、気合いの雄叫びと共にゲイリーの身体を持ち上げると全力でマットに叩き付けた。

 

「ァ…………ガ、ッ………………」

 

完全にトドメを刺され、ついに無敗の王者がその動きを止める。

その瞬間、会場は割れんばかりの拍手と極大の歓声に包まれた。

 

『なぁんとォォ!こんな事があるのかァァァ!?世紀の番狂わせ!!飛び入りの極道ファイターが、得意の喧嘩殺法で無敗の王者ゲイリーを呑み込んだァァァ!!』

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

実況の声も観客の歓声も気に留めず、錦山は葉巻を銜えて拍手を贈る花屋に向き直った。

 

「よう!はぁ、はぁ……これで…………文句、ねぇだろう?はぁ……はぁ……」

「安心しろ、約束は守る。俺はフェアだって言ったろ?」

「はぁ……はぁ……そいつぁ良かった………」

 

それを聞いた錦山の身体が、思い出したかのように痛みと疲労を訴える。錦山はそんな肉体の声を聞き入れ、大の字になってその場に寝転がった。

この身を満たす、確かな達成感に浸りながら。

 




という訳で、最後はゲイリー戦でございました
桐生ちゃんは息も上がらずに倒していたゲイリーでしたがベガスの地下王者が弱い訳ありません。桐生ちゃんが化け物すぎるだけです()

次回でこの章は最後となります
ぜひお楽しみに


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波乱の予兆

最新話です。

この章もいよいよこのお話で最後です。
是非ご覧下さい!


2005年12月7日。時刻は午後23時頃。

地下闘技場での死闘を終えた俺は、元の服装に着替えて花屋の屋敷に戻って来ていた。

巨大な水槽に囲まれた花屋のオフィスにて、俺は再び花屋と顔を合わせる。

 

「さて、東城会の100億と"由美"と"美月"って女の情報だったな」

 

スターダストで稼いだ200万円と、無敗の王者のゲイリーを倒したファイトマネー。

それらを合わせて何とか目当ての情報分をかき集めた俺は、いよいよ花屋から情報を買うことに成功する。

花屋はまず、100億についての情報を語ってくれた。

 

「東城会三代目は金が盗まれた事を隠していた」

 

つい先日、何者かに暗殺されてしまった東城会の三代目会長。世良勝。

十年前の堂島組長殺害の時に風間の親っさんの嘆願で俺を破門に押し止めておきながら、俺を殺す為に刑務所に刺客を放つという矛盾した行為については俺の中で未だに疑問が尽きないが、重要なのはそこじゃない。

 

「2万5000人のトップを束ねる者として、自分達の金が奪われたなどと言う不祥事を知られる訳にはいかなかったんだろう。組織の沽券に関わる事だからな」

 

もしも自分たちが危ない橋を渡って懸命にかき集めた金が何者かにあっさりと奪われてしまったなんて事が知れれば、跳ねっ返りの多い極道達は黙っていないだろう。

追求どころの話ではない、下手をすれば組織の内部崩壊にすら直結しかねない事態だ。

 

「だが、そいつを堂島って直系組長が緊急幹部会で暴露したんだ」

「堂島って……まさか……?」

 

花屋は頷き、淡々と答える。

 

「あぁ。その組長の名前は"堂島大吾"。十年前、お前が殺した堂島宗兵の一人息子だ」

 

堂島大吾。

俺に恨みを持った連中を中心に構成された任侠堂島一家を率いる若き組長だ。

世良会長の葬儀会場でも、応接室に写真が飾られているのを見た事がある。

 

「まさか、若が……」

「三代目を殺した犯人は未だ分かっちゃいねぇ……だが、三代目殺ったのはこの堂島大吾なんじゃねぇかと俺は踏んでいる」

「どうしてだ?」

 

突如として投げかけられた疑問にも、花屋は直ぐに答えた。

 

「今から17年前、神室町でとある空き地を巡った抗争があった……この話、分かるよな?」

「あぁ……"カラの一坪"の一件だろ?」

 

花屋の口から出たその騒動は、今でも鮮明に思い出せる。

俺も少なからず関わっていたからだ。

 

「そうだ。当時の堂島組若頭補佐の三人が、服役中の風間の隙を狙って次期若頭の座を争いあったあのお家騒動だ。結果、若頭補佐の一人が死亡しもう二人は逮捕された事により組織は弱体化。ここまでは知っているな?」

「あぁ」

「よし、本題はここからだ。実はこの話には裏があってよ。この事件当時、後の三代目となる世良は堂島組長の"ある弱み"を握ったらしい」

「ある弱み?」

 

花屋は肯定しながら、新しい葉巻に火を付けてゆったりと紫煙を燻らす。

 

「流石に情報が古すぎてその弱みが何なのかまでは洗えなかったが、世良が本家若頭に就任してからの堂島組長の落ちぶれっぷりはそりゃ酷いもんだった。相当ヤバい弱みを握られていたのは間違いねぇだろう」

 

今、花屋から語られたのは俺の知らない情報だ。

堂島組長が落ちぶれる原因を作ったのは、当時風間派に所属していた世良会長だったのだ。

と、そこで俺の脳裏に一つの仮説が過ぎった。

 

「じゃあ花屋。アンタが若……いや、大吾が犯人であると踏んでいるのは、大吾が世良会長に復讐したかもしれないからって事か?」

「そう言う事になるな。」

 

花屋の言葉を聞き、俺は納得する。

今聞いた事が確かなら、大吾にとって世良会長は俺に次ぐ"親の仇"と言っても差し支えないだろう。何故17年経った今なのかという疑問こそあるが、犯行そのものの動機としては十分だ。

それに、世良に恨みがあるのは任侠堂島一家の人間達も同じだ。

あの連中からして見れば、世良は自分達の尊敬する親父を追い落としてトップの椅子に座っているわけだ。面白くないに決まっている。

 

「それに、今の奴の動きは四代目の椅子を狙っている可能性が高い。おそらく、死んだ親父が果たせなかった東城会のトップになるって悲願を目指してるのかもな」

「若……」

 

俺はやるせなさを感じていた。

元は堂島組長の起こした事が発端とはいえ、あの事件が結果的に若を修羅に変えてしまったのだ。

 

「今の東城会は群雄割拠だ。3代目は死に、跡目もまだ決まってねぇ。となりゃ、100億を取り戻した奴が次の跡目だろう。堂島大吾のたった一言を引き金に、共喰いの泥沼だ。任侠が聞いて呆れるぜ」

「あぁ……古巣の事ながら、情けない限りだよ」

 

跡目を狙って動き出しているのはおそらく若だけじゃない。

特に嶋野あたりはこの千載一遇のチャンスを絶対にモノにしようとするはずだ。

みんながみんな、消えた100億を巡って血眼になっている。今回の一件、今まで以上に腹を括って望んだ方が良さそうだ。

 

「100億を奪ったのは由美って女だ。コイツは匿名のタレコミがあったらしい」

 

そして花屋の情報は100億から由美へと繋がっていく。

伊達さんが言っていた通り、今回の事件は裏で密接に繋がっていたのだ。

 

「東城会で裏を取っている内に、妹の美月が数日前からアレスを閉めて行方をくらましているのが分かった。いよいよ本ボシって訳だが、二人とも見つかりゃしねぇ。それで……」

「美月の娘、遥……」

「なんだって?」

 

その情報を聞き、俺の中で引っかかっていた部分が解け始める。

昨日、アレスで俺は遥を狙う近江連合の連中とやり合った。特にリーダー格の林という男はかなりの手練で、俺は相当の苦戦を強いられた程だ。

あれほどの実力となると、近江連合の中でも相当上の位置にいる男の筈。

そんな男がわざわざ大阪から神室町に飛んで来て、女の子一人を拉致しようとするようなチンケな真似をしようとしたのか。

 

(遥の母親である美月は、100億事件に明確に関わっている。100億を狙う連中はその娘である遥を利用し、行方をくらました美月を誘い出そうって胆なんだ……!)

 

おそらく近江連合の林は自分より更に上の大幹部からの命令で遥を攫いに来たのだろう。では、その"大幹部"が何故外様の組織である東城会の100億が消えた事を知っているのか。

 

(東城会内部に、関西と繋がっている裏切り者が居るって事か……!)

 

事件発覚から昨日までのわずかな間に林が東京を訪れている所を鑑みると、近江連合が消えた100億の存在を知ったのはかなり早い時期だ。

近江よりも早く消えた100億の存在を認知出来るのは金を盗まれた側の東城会。その次に事件を捜査した警察だ。

当然の話だが、法の番人たる警察側が東城、近江共に反社会的勢力に有利になる情報を与えるはずは無い。

そして、いくら凄腕と言えど外様組織である近江連合の極道が東城会の膝元である神室町にそう易々と潜入など出来はしないだろう。

となれば、東城会内部に潜むその裏切り者が100億の情報を近江連合にリークし、その裏切り者が林達を神室町の中に手引きしたと見ておそらく間違いない。

そしてその"裏切り者"の目的は近江連合を利用して遥を捕らえて美月を誘い出し、100億を手に入れること。

後に協力してもらった近江連合には、手に入れた100億の何割かを報酬として支払うと言った所だろうか。

つまり、本当に遥を狙っているのは近江連合ではなく東城会の誰かという事になる。

 

「……東城会は今、美月の娘の遥を探している。遥は今、俺と一緒に居るんだ」

「遥……そうだったのか……」

 

花屋はそれを聞き少しだけ驚いた顔を見せた後、何かを考えるような素振りを見せた。

何か思い当たる節があるのだろうか。

 

「一昨日、顔を隠した妙な女が来てな。その女が探してくれと言っていた子の名前が確か遥だった」

 

その新たな情報に俺は目を見開いた。

このタイミングで遥を探す女性となれば、自ずと候補は二つに絞られる。

 

「その女が由美か美月って可能性は無いか?」

「さぁな……どういう訳かその女は執拗に顔を見せたがらなくってな。俺も顔は見れず仕舞いだ。オマケに自分の名前も素性も明かせねぇなんて言いやがるからよ。丁重にお帰り頂いたぜ」

 

そう言って花屋は鼻を鳴らした。

自らの情報を一切明かさず、必要な物だけを手に入れようとするそのスタンスは俺が聞いても非常に怪しい。

フェアである事を重視する花屋は、その女の要求を突っぱねたのだろう。

 

「そうか……だが、順当に考えればその女が由美か美月である可能性は高いな」

「あぁ、それに関しちゃ俺もそう思うぜ」

 

自分たちが東城会から狙われる事を知り、事件関係者の子供である遥が狙われる事を危惧した"その女"は伝説の情報屋である花屋を頼って遥の居場所を特定し、いち早く合流する必要があった。

そう考えれば辻褄が合う。

 

(いい情報が聞けたぜ……これで一歩前進だ!)

 

ここに来て俺はかなりの手応えを感じていた。

花屋から得たこの情報を伊達さんに伝えれば、少なくとも三代目殺しの疑いの目は桐生に向けられなくなる筈だ。

それに、この調子で情報を集めていけば真相までたどり着けるかもしれない。

 

「ん?ちょっと待て」

 

と、そこへ花屋のデスクの電話がコール音を発し始めた。花屋は葉巻の火を消すと受話器を取る。

 

「なんだ………………そうか、分かった」

 

二言ほどの返事の後に受話器を置いた花屋は、俺に向き直ってこんなことを言ってきた。

 

「お前に客だ」

「客?」

「見に行くぞ。足元注意しろ」

「は?」

 

言っている意味が分からずにそんな声を上げた直後。

大きな音を立てて俺の立っている床が沈んだ。

 

「なっ!?」

 

思わず声を上げる間にも、俺と花屋を中心に直系約5メートル程の床が機械音を立てて沈んでいく。

突然の事で理解が追い付かない俺だったが、この後更に驚愕の光景を目の当たりにする事になる。

 

「こ……こいつは……!?」

 

数秒後、俺の周囲を取り囲む光景は完全に変わっていた。

薄暗いのは変わらないが、周囲には巨大なコンピュータらしき機械に囲まれ、正面を無数のモニターが埋めつくしていた。

花屋の部下達が忙しなくキーボードを叩き、これらの機械を運用しているのが見える。

 

「驚いていいぜ。これが"賽の河原"の本当の姿だ。」

 

モニターに写っているのは、慣れ親しんだ神室町の風景とそこで生きる人達の姿だ。

画面の右下には今日の日付が表示されている。

 

「5年前、警視庁は50台のカメラを設置した。テロ防止なんかが目的だが所詮対して役には立ってねぇ。だがよ、俺は実際にこの目で見てるんだ。1万台のカメラを設置してな」

 

圧倒されるのと同時に納得する。

いや、納得せざるを得なかった。

何故花屋が"伝説の情報屋"と謳われているのか。

どうして彼の情報が高いのか。

その答えが今、目の前に広がっているのだから。

 

「おい、客の様子を見せろ」

「はい」

 

花屋に命じられた部下がキーボードを操作し、一番大きなモニターにある映像が映し出される。

 

「伊達さん!」

 

それは俺がここに来る前にホームレスに襲われた公衆トイレの映像だった。

そこに肩を押さえた伊達さんが入り込んでいるのが映っている。その肩は赤く滲んでいて、表情も辛そうに歪んでいた。

 

「あの肩……血か?一体何があったんだ?」

「分からねぇな……おい、奴が映っている他の映像を出してみろ」

 

その指示に従った部下が再びキーボードを操作し始めると映像がどんどん巻き戻されていき、伊達の行動が明らかになっていく。

 

「伊達か……なんとも落ちぶれちまったもんだ」

「花屋、伊達さんの事知ってんのか?」

「ボス、10分前の映像です」

 

花屋が俺の質問に答えるよりも早く、画面上に映像が出た。そこに映っていたのは道を歩いている伊達さんと遥。

そこへ一台のバンが猛スピードで二人の横を走り抜けて進路を塞ぐように停車すると、中からガラの悪い連中が現れて遥を誘拐したのだ。

抵抗する伊達さんだったが、犯人が拳銃を発砲し肩を撃たれてしまう。

身動きの取れない伊達さんを放置し、犯人達は遥をバンに押し込むとそのままどこかへと走り去ってしまった。

 

「クソッ!!」

「ボス、トラブルです!」

「どうした?」

「ライブ映像に回します」

 

部下に言葉と同時に映像が切り替わり、現在の伊達の様子を映し出す。

そこには、肩からだけでなく頭からも血を流す伊達さんの姿があった。そしてその周りを木刀を持ったホームレス達が取り囲んでいる。

伊達さんは今、賽の河原のホームレスから襲撃を受けていたのだ。

 

「錦山、伊達がヤバいぞ!」

「こうしちゃ居られねぇ!花屋!ここからどうやって出れる!?」

「そこの非常口からさっきの場所に行ける。急げ!」

「あぁ!」

 

俺はすぐにモニター室から出た。非常口のドアを開けて目の前の非常階段を駆け上がる。

 

(伊達さん、無事でいろよ……!!)

 

ようやく良い情報が手に入ったのだ。

兄弟の疑いを晴らす前に、あの人に死んでもらう訳にはいかない。

俺は脇目も振らず一目散に伊達さんの居る公衆トイレ付近を目指した。

ホームレスに襲われている伊達さんを救い出す為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぁっ!?」

 

何度目かも分からない硬い衝撃が伊達の頭部を襲った。

その度重なる痛みからついに地面に倒れ伏してしまう。

 

「おい、何寝てんだ!」

「俺たちの恨みはこんなもんじゃねぇ!」

「ぐ、くそ……」

 

木刀を持ったホームレス達が、殺気立ちながら伊達を取り囲んでいる。

その数、合計七人。

現役警官である伊達どころか、神室町で喧嘩慣れした人間であったとしても不利な状況である。

 

「おい!!」

 

そこへ、一人の男がホームレス達を怒鳴りつけた。

全員の注意がその男へ向いた隙に、男は倒れ伏す伊達へと駆け寄ってしゃがみ込んだ。

 

「伊達さん、大丈夫か!?」

「に、錦山……」

 

錦山と呼ばれたその男は、伊達にまだ意識があることを確認し安堵する。今の錦山にとって、伊達という男は死んでもらうわけには行かないのだ。

 

「すまねぇ……遥が……」

「分かってる!」

「おい、コイツ刑事だぞ!」

「間違いねぇ!俺はな、昔コイツにパクられたんだ!」

 

そう叫んだホームレスの一人が弱りきった伊達に木刀を振りかざす。

錦山はその刀身を素手で掴み、伊達への追撃を食い止めた。

 

「テメェ、もう充分だろうが!」

「まだだ!100回殺しても足りねぇ!」

 

その言葉に同調し、周囲のホームレスもまた次々と声を上げ始める。

 

「部外者は引っ込んでろ!」

「一発殴んねぇと気が済まねぇ!」

「バラしちまえ!」

「そうだ。バ、バラしちまった方がいい」

 

頭に血が上ってホームレス達は聞く耳を持たない。

これが"賽の河原"が一度入ったら出てこれないと言われていた所以の一つであった。

 

「……何を言っても無駄か?」

「あぁ無駄だ!アンタの話聞く義理はねぇ!」

「……そうかよ」

 

錦山はゆっくりと立ち上がると、動けない伊達を庇うようにしてホームレス達に向かい合った。

 

「な、なんだよ!どうする気だ!?」

「よせ、錦山……!」

 

慄くホームレス達と錦山を止めようとする伊達。

だが、既にスイッチの入った錦山を止める事は誰にも出来ない。

 

「今この人を殺させる訳にはいかねぇんだ。そんなにこの人を殺りてぇなら……俺を倒してからにしやがれ」

 

言うが早いか。

錦山は正面のホームレスの手首を掴み、鼻柱に裏拳をぶち込んだ。

 

「ぶげっ!?」

「ドラァ!」

 

怯んだホームレスの手から木刀を奪い、脳天に唐竹割りの一撃を振り下ろしてとどめを刺す。

 

「て、テメェ!」

「さぁ……チャンバラごっこの時間だオラァ!!」

 

木刀を下段に構え、錦山がホームレス達に突撃する。

迎え撃った二人目の一振りを難なく躱し、太腿に一太刀浴びせた。

 

「ぎゃぁっ!?」

「はァっ!!」

 

激痛のあまり足を押えるホームレスの側頭部を、すかさず木刀で狙い打つ。

痛みと衝撃で戦闘不能に陥る二人目を横目に、三人目へと向き直る。

 

「せいっ!」

「ぐほっ!?」

 

錦山は三人目の鳩尾に木刀の切っ先を突き入れた。

そして、蹲って呼吸困難に陥るホームレスの頭部に勢いよく木刀を振り下ろす。

 

「ちっ……!」

 

直後、硬い音を立てて木刀が根元からへし折れた。

いかな錦山の腕力で振るわれたと言えど、普通の木刀はこんなにも簡単にはへし折れない。

経年劣化に加え、先の伊達に対する暴行によって耐久度が減っていたのだろう。

 

「死ねぇ!」

 

チャンスと言わんばかりに四人目が木刀を振り上げて猛然と襲いかかる。

錦山はその一撃を回り込むように回避すると、振り返りざまに折れた木刀の断面を叩きつけた。

 

「ぎゃあああっ!?」

 

折れた木刀の鋭利な断面が四人目の背中に喰い込み、錦山の握った柄に赤い液体が付着する。

 

「このぉ!」

「くたばれぇ!」

 

それを見た五人目と六人目が錦山に同時に襲いかかる。

錦山は崩れ落ちる四人目から木刀を奪い取ると、勢いよく真横に薙ぎ払った。

 

「がっ!?」

「こっ!?」

 

振り抜かれた一閃は水平な軌道でホームレス達の顎を打ち抜き、意識を失った五人目と六人目が地面に崩れ落ちる。

直後。

 

「でいやぁ!」

 

最後の七人目の叫びと共に猛烈な痛みと衝撃が錦山の後頭部を襲った。

 

「ぐぁっ!?」

 

手に持った木刀を取り落とし、頭を抑えて蹲る錦山。

それを好機と捉えた七人目がすかさず追撃を仕掛ける。

 

「喰らえ!」

「っ!!」

 

錦山は壮絶な痛むに耐えながらも耳朶を打つ七人目の声を頼りに、どうにかその追撃を躱した。

そして、再び振り下ろされる前に木刀を持つ手首を掴んで止める。

 

「ひっ!?」

「お仕置きだ」

 

錦山が宣告した直後、彼の右拳が七人目の鳩尾に吸い込まれた。

 

「おごっ!?」

「まだ終わらねぇぞコラァ!!」

 

蹲る七人目の髪を両手で掴み、右の膝蹴りを連続で叩き込む。

頬が腫れ、鼻が折れ、目元が潰れても膝蹴りの連打は決して止まない。

 

「ぐぼっ……」

「でぇやァ!」

 

そして七人目の顔面が原型も分からぬ程変形した時、錦山はトドメの左ハイキックを側頭部に直撃させる。

七人目の体は頭から地面に叩き付けられ、ピクリとも動かなくなった。

 

「はぁ、はぁ、ったく下らねぇトコで体力使わせやがって……」

 

悪態をつきながら息を切らす錦山。

彼はこの直前、地下闘技場でチャンピオンとの死闘を繰り広げたばかりなのだ。

そのダメージは未だ癒えていない。

 

「伊達さん、大丈夫か?」

「あぁ……助かったぜ錦山。恩に着る」

「おう、一つ貸しとくぜ」

「へっ、そうかい……」

 

二人が軽口を叩きあっているところに、賽の河原のボスである花屋が姿を現す。

 

「呆れた強さだな」

「っ!お、お前は……!?」

 

花屋の顔を見るなり、伊達は目を見開いた。

その反応を予想していたのか花屋は最低限の挨拶だけをし、錦山に顔を向ける。

 

「久しぶりですね、伊達さん。錦山。例の子攫った車はバッティングセンターの前に止まった。安心しろ、この情報はツケにしといてやる」

「おう、ありがとよ」

 

それだけを告げると、花屋は踵を返してその場を後にした。その背中を見届けながら、伊達が目を見開いた理由を話し出す。

 

「奴は、元警官だ」

「なに?」

「警察の情報を横流ししていたのを俺が告発したんだ。しかしまさか、こんな所で出会うなんてな……」

「そうだったのか……」

 

花屋の意外な正体に錦山もまた驚くが、それよりも大事な問題が今はあった。

 

「それより伊達さん。遥を攫った連中に心当たりは無いか?」

「…………最悪の相手だ」

「なに?」

 

怪訝な顔をする錦山。

しかし、直後に苦い顔をした伊達の口から零れた名前は彼を納得させるのに十分過ぎた。

 

「遥を攫ったのは、真島組の連中だ」

「真島組だと!?」

 

その名前は、錦山にとっても因縁深い名前だった。

"嶋野の狂犬"と恐れられ、自分の兄弟分である桐生一馬と並び称された"伝説の極道"。

 

「真島、吾朗……よりによってアイツかよ……!!」

 

時刻は23時30分。

錦山と、東城会が誇る超武闘派極道との対立が確定した瞬間であった。

 




如何でしたか?
色々な事が分かってきて、次回はいよいよ真島の兄さん!

……と言いたい所ですが、次回は断章です。
組を立ち上げた桐生ちゃんの奮闘を、どうか見守ってあげてください。

次回もお楽しみに


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断章 1996年
義理人情 前編


最新話です

今回の断章は豪華二本立てでお送りしていきます。
それではどうぞ


1996年。1月某日。

東京神室町のとある場所の地下深く。

一般人は決してその存在を認知出来ないアンダーグラウンドなその場所は、かつて無いほどの興奮と熱狂に包まれていた。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

「ゼェ、ゼェ、ゼェ……」

 

その熱狂の中央で、桐生一馬は一人の男と上裸で向かい合っていた。

桐生の目の前にいるのは、浅黒い肌にボクシンググローブをつけた大柄な男。

その身体には打撲や裂傷の痕が生々しく残っており、男の負ったダメージが並大抵のものでは無い事を物語っている。

 

「シッ!!」

 

グローブの男が歯の間から鋭く息を吐き、渾身の右ストレートを繰り出した。

並の素人であればダウンどころか大怪我は避けられないその一撃を、桐生は完全に見きった。

 

「フンッ!」

「グボッ!?」

 

そのストレートに合わせたカウンターのボディブローが直撃し、怯んだ所に正拳突きを二回追い討ちで叩き込む。そして。

 

「はァァァああああああ!!」

 

桐生は両拳で相手の頭部を左右から挟むように叩き付けると持ち前の腕力で圧迫し、そのままの状態で飛び上がった。

そして地面に着地するタイミングで男の顔面を右膝に叩き付ける。

 

「ブギャッ!!?」

 

頭部の左右を拳で圧迫された上で顔面を強打した相手は後ろに倒れ込むと、そのまま動かなくなった。

 

『決まったァァァ!!桐生の必殺の喧嘩殺法が元世界チャンプをマットに沈めたァァァァ!!勝者!!桐生ゥゥゥ一馬ァァァ!!なんという強さだ!この男の無敗神話は、いつまで続くのかァァァ!!?』

 

この闘いをどこかから見ている実況者の声が会場の興奮を煽り立て、更なる歓声が桐生を包み込む。

しかし、桐生はそれに打ち震える事もなくリングから降りた。

自分の入場したゲートに戻ると、近場にあったベンチに深く腰を下ろす。

 

「フゥ………ぐっ、ぅ……!!」

 

肉体の緊張を解いた事で、ダメージと疲労が一気に襲いかかる。

肩のあたりを走る鋭い痛みと呼吸する度に味わう激痛から、桐生は冷静に己の身体を分析した。

 

(鎖骨にヒビ……アバラも何本かやられてるな……)

 

常人であれば即搬送、場合によってはそのまま入院すらありえるほどの大怪我だ。

 

(次の試合は1週間後だ……しばらくは安静にするか……)

 

しかし、それだけの傷を負ったとしてもファイター達に安息は無い。

ここは地下格闘場"ドラゴンヒート"

なんでもありのバーリトゥードが成立するこの場所で命懸けで闘う男達の姿に、客は魅了され多額の金を落としていくのだ。

 

(今は、ここで大人しくしていよう……)

 

無論、そのような場所にも医務室は存在する。

如何に命懸けの闘いと言えど、ここで闘うファイター達はドラゴンヒートの運営にとって利益を生んでくれる貴重な存在。みすみす死なせる訳には行かないからだ。

しかし、桐生は医務室に直行せずあえてベンチで大人しく過ごす事を選んだ。

 

(相手の方が重傷のはずだからな……)

 

桐生は先程繰り出したトドメの一撃に確かな手応えを感じていた。顔面の骨が陥没していても何ら不思議では無いだろう。

桐生はあくまで目的があってここで闘っているに過ぎず、相手の選手に恨みがある訳では無い。

意識がある自分の方が譲るのが大事であると桐生は考えた。

 

(しかし……こんな闘いを後五回か……)

 

桐生がドラゴンヒートに参戦したのは約二ヶ月前。

何かと付き合いのある嶋野組の極道、真島吾朗の紹介と推薦でこのリングに上がった桐生は並み居る猛者たちとの激闘を潜り抜けていた。

一人目の真島吾朗から始まり、空手の全日本制覇者、柔道の元世界王者、元横綱力士、そして今日倒したのはボクシングの元世界チャンピオン。

いずれもが、その格闘技のトップ戦線で生き抜いてきた猛者ばかり。

短期間での連戦により、桐生の身体もまた決して浅くないダメージを負っていた。

 

(だが、辞める訳にはいかねぇ……九鬼組長との約束だ)

 

桐生はここに参戦する前、ドラゴンヒートの元締をしている九鬼隆太郎とある約束を交わしていた。

その約束とは、地下格闘場において未だかつて誰も成し得た事の無い十連勝を成し遂げる事。

それを達成させる事が出来ればファイトマネーとは別に賞金を用意する上に、殿堂入りファイターとしてドラゴンヒートのシノギに今後関わる権利を貰えるというものだった。

これを達成させる事が出来れば、優子の手術代7000万円を用意するのも決して夢物語では無くなる。

 

(必ずここで勝ち抜いて、手術費用を間に合わせてみせる……!)

 

道筋は既に見えた。

後はがむしゃらに前に進むだけ。

長い闘いが折り返しに差し掛かり、桐生は改めて己の決意を固めていた。

 

「兄貴ィ!!」

 

そこへ一人の男が現れた。

その男は今の桐生にとっての頼りがいのある右腕だった。

 

「シンジ」

「はぁ、はぁ、あ、兄貴……大変なんです……!」

「落ち着け、一体何があった?」

 

桐生組舎弟の田中シンジは血相を変えて桐生に詰め寄る。

その並々ならぬ様子から桐生もまた何があったのかと気を引きしめた。

 

「い、今さっき組から連絡があって……松重の奴が、柏木さんが世話してる組がケツ持ってる店からみかじめを取ったらしいんです!」

「なんだと……!?」

 

それは、桐生組の人間が問題を起こしたという報告だった。それもかなり深刻な問題だ。

 

「この事を、風間の親っさんや柏木さんは知ってるのか?」

「今はまだ……ですが、いずれ柏木さんの耳に入るのは時間の問題です……!」

 

極道の世界においてはシマ、つまり自分の縄張りに他の組織が入り込んで商売をするのは基本的にタブーとされている。それは即ち相手組織の縄張りを奪う行為に他ならないからだ。

そんな事になれば血の気の多い極道連中は実力行使に打って出る事も有り得るだろう。場合によってはそのまま関係が悪化し内部抗争の引き金にすらなりかねない。

 

(どうなってる?アイツも昔は風間組の人間だったはずだ。その松重が古巣であるはずの風間組の柏木さんをコケにするだなんて……一体どうしてそんな事を……?)

 

理由はどうあれ、松重のやった事は必ず桐生組と風間組に不和を引き起こす卑劣な行為だ。

対処が遅れれば取り返しのつかない事になる。

 

「兄貴、これ、どうしたら……!」

「シンジ、お前は表に車回して来い。俺は今から電話で松重に事の次第を問い詰める」

「分かりました!」

 

シンジは桐生に一礼すると、すぐに踵を返して駆け出していった。

桐生もまた、痛む身体に鞭を打ってその場から立ち上がる。

 

(松重は事務所にいるか?)

 

桐生はロッカールームで手早くいつもの服装に着替えると、備え付けの固定電話の受話器を取った。

慣れた手つきで番号を入力し、受話器を耳に当てる。

電話はすぐに繋がった。

 

『はい、桐生組!』

「俺だ」

『組長、お疲れ様です!』

「松重に代わってくれ」

『はい、少々お待ちください!』

 

電話番の返答後、電話の声はすぐに松重へと変わった。

 

『組長さん、何か御用で?』

「松重……!」

 

相変わらずとぼけた声音で話をする松重に、桐生は怒りを覚える。

 

「お前、柏木さんが世話してる組がケツ持ちしてる店からみかじめ取りに行ったってのは本当か?」

『えぇ、バッチリ稼いできましたよ』

「お前、何故そんな事をしやがった……!」

『ハッ、おいおいそんな事も説明しないと分からねぇのかよ?』

 

松重は嘆息すると、悪びれることも無く理由を話し始めた。

 

『雨後の筍みてぇに次から次へとビルが建ってた時代はとっくに終わってんだ。これからは限られたシマを力で奪っていったもんが勝つんだよ』

 

今や都内は崩壊したバブル経済や不動産屋の土地転売の影響で沢山のビル群で溢れ返っている。

土地の値段も延々と上がり続け、今の神室町はこれから開拓される土地は愚か針の隙間も無いのが現状だ。

神室町は決して大きい街ではない。その中で何十というヤクザ組織があの手この手で資金をかき集めている以上、新たにシノギを拡げるのは至難の業と言える。

しかし、シノギが頭打ちになってしまえば組が発展する事は出来ない。松重はそんな現状を打破する為に今回の行動に打って出たと言う。

だが、桐生からしてみればそれは大問題に他ならなかった。

 

「お前……スジの通らねぇ真似は許さねぇと言っただろう!まだ懲りてねぇのか……?」

 

以前、松重にカタギを泣かせるシノギから手を引けと命令を下した桐生。

それを守らなかった松重に対し桐生は一度鉄拳制裁を加えている。

その時に堂島の龍の恐ろしさを骨身に刻まれたハズの松重だったが、彼の反骨精神は未だ桐生に屈する事は無かったのだ。

 

『スジねぇ……柏木さんが文句言ってきたら、組長上手いこと言っといて下さいよ』

「ふざけるな!テメェのやった事の落とし前を組長に押し付けるヤクザが何処にいる!!」

『はっ、好きなだけ吠えるのも結構ですがね。今のアンタが何を言おうが怖くなんてありませんよ』

「なんだと……?」

 

余裕を崩さぬままに松重は電話越しにこう言ってのけた。

 

『アンタが九鬼組長に泣きついて何処ぞの地下で喧嘩に明け暮れてる間、こっちはずっと頭を捻ってたんだよ。どう逆立ちしたって普段のアンタには勝てる訳がねぇ。だからこそ、アンタが弱りきったこのタイミングを待っていたのさ』

「テメェ……!」

『前みたいにヤキ入れようとしても構いませんよ?今のアンタに出来るものなら、な』

 

松重は桐生のドラゴンヒートにおける戦績や戦い方を情報として常にチェックし、虎視眈々と復讐するタイミングを見計らっていたのだ。

桐生一馬が連戦で衰弱し、その力を失うタイミングを。

 

『それじゃ、俺はこれから呑みに行くんでこれで失礼。せいぜい柏木さんに絞られて下さいや、組長さん?』

「おい松重!松重ぇ!!」

 

桐生の叫びも虚しく、電話は切られてしまった

最悪のタイミングで反旗を翻された事により、桐生は窮地に立たされた。

 

「クソッ!」

 

乱暴に受話器を置き、ロッカールームを出る。

大急ぎでエレベーターに乗って地上に出ると、シンジの乗った車が目の前に停まっていた。

 

「兄貴、どうぞ!」

「あぁ!」

 

すぐさま車に飛び乗る桐生。

シンジもまた、直ちに車を発進させた。

 

「兄貴、松重はなんて?」

「柏木さんにナシをつけるよう俺に言ってきた。どうやらアイツは、俺がドラゴンヒートで消耗するのを待っていたらしい」

「なんですって!?」

「おそらく、松重はこのタイミングで反旗を翻す事で俺の面目を潰して失脚させるのが目的なんだろう」

「なんて野郎だ……どこまで腐ってやがる……!!」

 

松重の卑劣な行いに歯噛みするシンジ。

桐生の背中を追いかけてこの世界に入った彼だからこそ、桐生を蔑ろにする者を彼は許せないのだ。

 

「シンジ、松重の奴はこれから飲みに行くと言っていた。アイツが行く店に心当たりはあるか?」

「そうですね……なら、チャンピオン街の可能性があります。ウチの連中がそこで松重をよく見かけるそうです」

「よし、チャンピオン街までやってくれシンジ」

「分かりました!」

 

シンジの車は最短距離をひた走る。

桐生の顔に泥を塗った不届き者を見つけ出すために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(へっ、いい気味だぜ)

 

一方その頃、松重は陽気な足取りでチャンピオン街へと向かっていた。

自分の考えた作戦が見事に上手くいったからだ。

 

(今頃、桐生の野郎は柏木のカシラにケジメを迫られてるハズだ。今のアイツは虫の息。俺を詰めようとしたって簡単に返り討ちに出来るからな)

 

松重はこの日の為に念入りな情報収集と下準備を重ねて来た。

まず、桐生が参戦した地下格闘場に己の部下を行かせ、逐一その試合内容報告させて怪我の状態や消耗具合を把握する。

そして松重は、その怪我の具合と箇所を対戦相手の陣営にこっそり横流ししていたのだ。

当然勝利を狙う相手陣営はその弱点を徹底的に突く。

結果として、桐生に降りかかる怪我やダメージは蓄積されて自然と弱体化していくという寸法だった。

 

(エンコでもなんでも詰めさせて失脚させて、後は何かと邪魔な田中さえ消しちまえば桐生組は晴れて俺のモンだ……!)

 

そして組を乗っ取った暁には、自分の思い描いたシノギを中心に組を拡げて出世を狙う。

他人の血と涙を遠慮なく使い潰しながら。

 

(クックック……楽しみすぎてニヤケちまうぜ……)

 

そうして松重は、邪悪な笑みを浮かべながらチャンピオン街へと足を踏み入れた。

行きつけの店に向かって迷いの無い足で歩を進めて行く。

その時だった。

 

「おい」

「あ?」

 

背後からの声に松重が振り向いた。

直後。

 

「がっ……!?」

 

松重の頭部が鈍い金属音を立てる。

金属バットを振り下ろされた事による音だった。

突然の痛みと衝撃で松重の身体が崩れ落ちる。

 

(な、なに、が……?)

 

松重が状況を理解するよりも早く、彼の体を第二第三の衝撃が襲った。

 

「ぐっ、がっ、げはぁっ!?」

 

金属バット、鉄パイプ、木刀。

身動きが取れない所に振り下ろされる無慈悲な凶器たちの嵐。

先程まで傷一つ無かったはずの松重は、あっという間にボロ雑巾のような有り様へと変貌を遂げてしまった。

 

「う……ぅ…………っ」

「よし、これで動けなくなったな」

「連れてくぞ」

 

数名の男の声の後に、何処かへと引き摺られ始める松重。

彼が連れて来られたのは、チャンピオン街の裏にある路地。四方をビルで囲まれた空き地だった。

 

「カシラ、連れてきました」

「ぐ、ぅ……」

 

乱雑に投げられ地面を転がる松重。

彼が仰向けになって見上げた先には、一人の男がいた。

 

「よぉ松重。いいザマだな?」

 

白いスーツを着たその男は下卑た笑みを浮かべながら松重を見下ろしている。

松重はその顔をよく知っていた。

 

「は、羽村……!」

 

東城会直系風間組内松金組若頭。羽村京平。

風間組における松重と同様、やり手の極道としてそれなりに名の通った男だった。

 

「テメェ、いきなりこんな事しやがってなんの真似だ……!?」

「それはこっちのセリフだろうが、松重。オラァ!!」

 

ボロボロの状態でありながら凄んでみせる松重に対し、羽村は容赦なく追い打ちをかけた。

 

「ぐほっ!?」

「テメェが、ウチの組がケツモチしてる店からみかじめ取ったんだろうが!」

 

羽村が松重を追い詰める理由。

それは自分達のシマを荒らされた事によるものだった。

 

「はっ、何のことだか分からねぇな……」

「とぼけても無駄だ。ネタは上がってんだよ」

 

羽村はポケットから写真を取りだして松重に突き付けるように見せる。

そこに映っていたのは、風俗店の従業員に詰め寄り金銭を要求する松重の姿だった。

 

「店のモンが万が一の為に撮影していたモノだそうだ。ついさっき現像が終わったんで持ってこさせたんだよ」

「ちっ……」

「いけねぇなァ松重。いくらテメェんとこのシノギが頭打ちだからって他所のシマに手を出そうってのは」

 

ズタボロにされた上に証拠まで押えられてしまえばもう逃げ場はない。

今の松重に出来るのは、ただ羽村の裁定を待つ事だけだった。

 

「お前の噂はだいぶ耳にしてるぞ?汚ぇ手口でカタギを飼い殺しては徹底的に金を搾り取る外道だってな」

「うるせぇ……ヤクザが金稼ぐのに手段なんか選んでる方がよっぽどアホらしいだろうが」

「フン、言いたい事は分からんでもねぇがテメェはもう終わりだ」

 

羽村はそう言うと、懐から一丁の拳銃を取り出した。

 

「!!」

 

羽村は拳銃の安全装置を外すと、目を見開く松重にゆっくりと銃口を向けた。

 

「俺の所にある匿名の依頼が回って来てな。手数料、死体処理、証拠隠滅。諸々含めてお前を消してくれたら1000万って話になってんだ」

「なんだと……!?」

「名前は明かせねぇが、そいつはカタギの人間だったぜ。へっ、いくらカタギだからって恨みなんざ買うもんじゃねぇよな。まぁ俺としちゃ邪魔な人間は消せるし金も手に入るしで一石二鳥なんだがよ」

 

今までカタギを食い物にしてきたツケがここに来て松重に回ってくる。

まさに因果応報。自業自得。

もはやこの場に、松重を救おうとする者など一人も居なかった。

 

「あばよ、松重」

(クソッ……こんな所で……!!)

 

一人の外道が人知れずに消されようとしてる。

だが、それに異を唱える者などいはしないだろう。

カタギもヤクザも。神も悪魔も。

その裁定を妥当だと判断した。

だが、

 

「待てぇ!!」

 

"龍"の裁定は、それを真っ向から否定した。

 

「き、桐生……!?」

 

目の前に現れた男の姿に、松重は驚きを隠せなかった。

何故ならその男は、つい先程自分がハメた筈の相手だったからだ。

 

「桐生だと?」

 

驚いたのは羽村も同じ。

この神室町においてヤクザをやっている以上"堂島の龍"という名前は絶対に耳に入ってくる。

そして当然、羽村は今の松重がその桐生がやっている組の人間である事も知っていた。

 

「お前ら……誰に断ってウチの組員ハジこうとしてんだ?」

「「「っ!!」」」

 

静かな怒気を内に秘め、羽村に一歩ずつ近づく桐生。

流石の気迫に息を飲む羽村の手下達だったが、羽村はいち早く冷静さを取り戻した。

 

「これはこれは桐生組長。俺は松金組の羽村ってモンだ。こうして会うのは初めてか?」

「お前が誰かなんてどうでもいい。もう一度聞くぞ……誰に断って松重を殺ろうとしてるんだ?」

 

無駄な問答をするつもりのない桐生は、再度羽村に問いかける。羽村は余裕の態度を崩さぬまま答えた。

 

「はっ、随分お優しい事だな。アンタだって知らねぇ訳じゃねぇだろ?コイツがウチのシマからみかじめ横取りした事くらいよ」

「あぁ知っている。だがそれが松重を手にかける事とどう繋がるんだ?」

「それだけじゃねぇ。今俺の所に、コイツを消せば1000万って依頼が舞い込んでるんだ。それもカタギの人間からな。アンタだって組の看板に泥を塗るような奴が死んだところで得こそすれ損はしないだろう?こんな外道を庇い立てする事はねぇ。分かったら引っ込んでな」

 

義は我にありと言わんばかりに羽村の態度はどんどん大きくなる。

そしてその様をいつまでも眺めていられるほど、桐生は大人ではない。

 

「……言いてぇ事はそれだけか?」

「なに?」

 

桐生はその直後、一気に羽村との距離を詰めて拳銃を握る手を捕まえると、もう片方の手で拳を作り羽村の顔面に真正面から叩き込んだ。

吹き飛ばされる羽村の手から拳銃が離れる。

 

「ぶがっ!?」

「カシラ!」

「テメェよくも!」

 

その行為に羽村の手下達が殺気立つ。

しかし桐生は、そんな彼らを気にもとめず毅然と言い放った。

 

「どんな理由があろうと松重はウチの人間だ。コイツの処分は俺が決める。お前らにそれを譲る気はねぇ」

 

桐生は内に秘めていた闘気を表出させ、鋭い眼光で羽村達を睨み付けた。

ゆっくりと構えを作って、彼は堂々と言い放つ。

 

「どうしても松重を殺りてぇってんなら、俺を倒してからにしろ!」

「ナメやがって……おい、こいつからぶっ殺せ!!」

「「「へい!」」」

 

羽村の手下達が臨戦態勢を整え、次々と手に持った凶器を振り上げた。

しかし、そんなことで堂島の龍は狼狽えない。

 

「オラァ!!」

 

桐生は一人目が振り下ろした金属バットの柄を掴むと、そのまま腕力で強引に奪って顔面にフルスイングを叩き込んだ。

 

「ぐぎゃっ!?」

「テメェ!」

 

続いて鉄パイプを振り上げ襲いかかってきた二人目の一撃を難なく躱し、カウンターのボディブローを直撃させる。

 

「ごふっ!?」

 

悶絶してその場に蹲る二人目。

もはや戦闘続行は不可能だった。

 

「クソォッ!」

 

そして木刀を持った三人目が勢いよく得物を振りかぶったのと、桐生が全力のハイキックを繰り出したのは全くの同時だった。

 

「ひぇっ!?」

 

直後、三人目の持つ木刀が鈍い音を立ててへし折れた。

その衝撃的な光景に硬直している隙を突き、桐生が追撃の前蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐぶぁっ!?」

 

蹴り飛ばされた三人目はコンクリートの壁に激突すると、そのまま動かなくなった。

 

「次はお前か?」

「な、なんて野郎だ……!」

 

瞬く間に手下達が全滅し戦慄する羽村。

しかし、それは松重も同じだった。

 

(馬鹿な……何だこの動きは!?怪我してたんじゃねぇのか!?)

 

松重は入念なリサーチにより、桐生がドラゴンヒートでの闘いで怪我を負っている事を知っている。

故に彼は今回の行動に打って出たのだ。

しかし、実際に松重の目の前で起きている出来事はそんな彼の思惑を真っ向から否定している。

桐生は決して、弱くなってなどいないのだ。

 

「ふざけやがって……死ねやコラァ!」

 

羽村が怒号と共に桐生に襲いかかる。

しかし、双方の戦力差は火を見るよりも明らかだった。

 

「オラァ!!」

「ぶげぁっ!?」

 

剛腕一閃。

桐生の放った右ストレートは見事に羽村の顔面をぶっ叩いていた。

文字通りぶっ飛ばされた羽村の身体が地面を転がる。

この喧嘩は、圧倒的な力の差を見せつけた桐生の勝利に終わった。

 

「ぐっ……くそぉ……!」

 

先程とは一転して窮地に追い込まれる羽村。

桐生はそんな羽村に歩み寄ると、ゆっくりと片膝を付いて話しかけた。

 

「羽村さん……だったな」

「あ、あぁ……?」

「今から一緒に来てもらいたい所がある。付き合ってくれるか?」

「はぁ……?」

 

先程の応酬が嘘かのような桐生の態度に困惑する羽村。

しかし、彼の真っ直ぐな瞳は決してふざけている訳では無い事を物語っていた。

 

「……警察じゃ、ねぇだろうな?」

「大丈夫だ、安心してくれ。俺も捕まる訳にはいかねぇからな」

「そうかい……分かったよ」

 

観念した羽村はその要求を飲む。

元より抵抗した所で無駄な事は明白だった。

 

「松重、動けるな?お前も一緒に来い」

「なに……?」

 

地面に倒れた松重に対して桐生は短く命令する。

怪訝な顔をする松重に対し、桐生は語気を強めた。

 

「命令だ、従え」

「……はい」

 

有無を言わさぬ迫力に、松重もまた首を縦に振るしか無い。

それを確認した桐生はその場で立ち上がると踵を返して空き地から出ていった。困惑しながらもそれについて行く羽村と松重。

これより先に彼らを待つのは、徹底した責任の追求。

起こした事への落とし前と、迫られるべきケジメだ。

 

(このケジメ、必ず俺が付ける……!)

 

悲鳴を上げる身体の声を無視して、堂島の龍は一歩先を往く。

これから許しを乞う事になる"鬼"の顔を思い浮かべながら。

 

 




如何でしたか?

次回はまた断章です。
桐生ちゃんはどうケジメをつけるのか……是非お楽しみに


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義理人情 後編

最新話です。
いよいよケジメの時が来ました。
どうか見届けて上げてください


一方その頃、天下一通りにある風堂会館に一人の男が訪れていた。

 

「お疲れ様です!」

「おう」

 

頭を下げる門番役の構成員に軽く挨拶を返し、風堂会館へと足を踏み入れる。

階段で組事務所のある階まで上がり事務所のドアを開けると、中にいた構成員達が一斉に頭を下げる。

 

「「「お疲れ様です!」」」

「おう、おつかれさん」

 

そして、事務所中央の応接間にてソファに座る極道が男の姿を認める。

 

「よう、兄弟。待ってたぜ」

 

東城会直系風間組若頭の柏木修だった。

兄弟と呼ばれたその男は柏木に朗らかに挨拶を返す。

 

「おう兄弟。急に来ちまって悪かったな」

 

東城会直系風間組内松金組組長。松金貢。

柏木とは、ほぼ同じ時期に同じ親分の盃でこの世界に足を踏み入れた兄弟分だ。

部屋住みの頃から共に修行して少しずつ出世し、松金は自分の組の親分に。柏木は親組織のNo.2にそれぞれ出世した。

立場としては柏木の方が上だが、今でも二人は良き兄弟分として対等に接しているのだ。

 

「まぁ、座ってくれ」

「おう」

 

松金は短く答えると、柏木の対面の椅子に座った。

 

「どうぞ」

「ありがとよ」

 

お茶汲み係から湯呑みを出され、しっかりと礼を言う。

こう言った礼儀はたとえ下の者でも忘れてはならない。

柏木と松金が、親分である風間からキッチリ教え込まれた常識だった。

 

「それで、今日はどうしたんだ松金。何か話があるんだろ?」

「あぁ、その事なんだがよ……折り入って頼みたい事があるんだ」

「頼みたい事?」

「あぁ」

 

松金は僅かに身を乗り出すと、単刀直入に本題に入った。

 

「今、柏木に面倒見てもらってるウチのシマの店があるだろう?」

「あぁ……確か、テレクラだったか?」

「そうだ。実はその店のみかじめを横取りした野郎が居るらしくてな」

「なんだと……?」

 

思いがけない話に柏木は怪訝な顔をする。

その情報は彼にとって初耳だったからだ。

 

「あぁ。確か名前は松重とか言ったか。風間組の所属なんだって?」

「いや……アイツが今居るのは桐生組だ」

「桐生?あぁ、風間の親父の秘蔵っ子って噂の男か。確か堂島の龍なんて呼ばれてたな」

 

松金は桐生の名を聞いて直ぐに思い至る。

今や東城会の極道の中でその異名を知らない者は居ないからだ。

しかし、極道の世界において上下関係はとても重要視される要素の一つ。今回の一件はそれを弁えない行為と言っても過言では無い。

 

「桐生組は風間組の系列だがまだ新参だ。そんな組織の人間が古参の松金組のシマを荒らしたんだ。それも柏木が世話してる店でな」

「…………」

 

松金は静かにタバコをくわえた。

お茶汲み係がライターを取り出すが、静かにそれを遠慮して自前のライターで火をつける。

ゆっくりと煙を吐き出し、松金は柏木を真っ直ぐに見つめる。

 

「なぁ柏木。今回の一件、俺は事を荒立てたくはねぇ。だがタダで引いたんじゃ下のモンにも示しがつかねぇ。そこで頼みがある。その松重って奴を、ここに呼び出しちゃくれねぇか?」

「あぁ……分かった」

 

柏木もまた静かにタバコをくわえる。

お茶汲み係がその先端に火を点け、足早にその場を離れた。

彼は気付いたのだ。柏木の中の"鬼"が、目を覚まそうとしている事を。

 

「あの野郎共……どういう事なのかハッキリさせねぇとな…………!」

「!」

 

煙を吐き出す柏木の表情は先程とは一変し、まるで鬼のような形相と化していた。

理由はどうあれ"誰かにナメられた"という事実が彼の中にあるヤクザとしてのスイッチを押したのだ。

 

「…………柏木」

「なんだ?」

「野郎共って事は……その桐生にも落とし前を迫る気か?」

「当たり前だ。今の松重は桐生組の人間。そいつが下手を打ったからにはアイツにもキッチリとケジメを取らせねぇとこっちの示しが付かねぇ」

「待てよ柏木。さっきも言ったが、俺は事を荒立てるつもりはない。その松重って奴から切り取られたみかじめさえ戻ってくりゃ、ウチのモンへの示しは十分だからよ」

「ヌルいぜ松金。奴らは俺とお前の顔に泥を塗りやがったんだ。徹底的にやらなきゃナメられっぱなしだろうが」

 

宥めようとする松金と、妥協を許さない柏木。

彼らはかつて"仏の松と鬼柏"と呼ばれ、風間組の中でも名の知れたコンビとして知られていた。

身内に甘い松金と身内に厳しい柏木は、互いのその両極端な性質で組内の調和を保っていたのだ。

 

「だが、その桐生ってのは風間の親父の秘蔵っ子なんだろう?俺としちゃそんな若人の将来にケチ付けるのは本意じゃねぇんだが……」

「いいや、だからこそ締めるところは締めねぇとダメだ。いずれアイツの下には多くの極道が集まるだろう。その時、トップのアイツがキッチリ手網を握れてなきゃ今よりもっと酷い事になるのは目に見えてるからな」

 

柏木は桐生の将来に大きな期待を寄せている反面、警戒もしていた。桐生には人を惹きつける魅力、極道としての"華"がある事を柏木は知っている。

その"華"に魅了され、いずれ多くの者たちが桐生組の門を叩くだろう。

そして組織とは、大きくなればなるほどその制御は難しくなるもの。それはカタギであろうとヤクザであろうと同じ事だ。

もしも桐生組が大きくなった状態で今回のような事がまた起きれば今回以上に大変なことになる。柏木はその最悪の事態を危惧していた。

 

「おい、桐生組の事務所に電話だ。桐生と松重をここに呼べ」

「へい、カシラ」

「柏木、お前……」

「松金。事を荒立てたくないってお前の心遣い、痛み入る。だが、コイツは松重を桐生に預けた俺の責任でもあるんだ。ここは俺に任せてくれ」

「そうか……分かった」

 

決して折れない柏木に、松金もまた首を縦に振った。

桐生には気の毒だが、これで切り取られた分の金は確実に松金の所へ帰ってくる事だろう。

 

「か、カシラ!」

「あ?どうした?」

「お電話です!桐生さんから、カシラに代わるようにと」

 

電話番の男が受話器を持って現れ、柏木に受話器を渡した。その電話は今、桐生と繋がっている状態にある。

 

「柏木だ」

『お疲れ様です、桐生です』

「何の用だ」

『実は、柏木さんに報告しなくちゃならない事があるんです』

 

電話越しに聞こえる声には緊張感が感じられる。

桐生にとって柏木は良き兄貴分だが、同時に怒らせてはならない人物であるという事も熟知しているが故に。

 

「松重の事か?」

『……ご存知でしたか』

「あぁ、ついさっき聞かされたばかりだ」

『そうですか……柏木さん。自分はこれから松重と松金組の羽村さんを連れてそちらへ向かいます。この落とし前、キッチリ付けさせて下さい』

「何?松金組だと?」

「なんだって?」

 

思わぬ所で自分の組織の名前を聞く事になり、柏木の対面に居る松金が驚く。

 

「どうして松金組の人間と一緒に居るんだ?」

『話すと長くなります。詳しくは後ほど説明させて下さい』

「そうか…………分かった、待っているぞ」

『はい、ありがとうございます』

 

電話を切り受話器を電話番に返すと、柏木は松金に向き直った。

 

「桐生からの連絡だ。松重と一緒にお前の所の人間を連れて来るらしい」

「ウチのモンを?」

「あぁ。名前は確か、羽村とか言ったな」

「羽村だと?」

 

いよいよ驚きを隠せない松金。

そのただならぬ様子を見て柏木は問いかけた。

 

「どんな男なんだ?その羽村って男は」

「あぁ、最近ウチの若頭になった奴だ。だがどうして羽村がその桐生と一緒にいるんだ?」

「分からねぇ……だが、今はとにかく桐生を待つしかねぇみたいだな」

 

柏木はそう結論付け手に持ったタバコを再び吸った。

松金もまた頷き、お茶汲み係の入れたお茶に口を付ける。

 

「カシラ、桐生さんたちが到着しました」

「よし、通せ」

 

その後、僅か数分足らずで桐生達が到着したという報告を受ける柏木達。

柏木の承認後、桐生一馬を先頭に三人の男が事務所に足を踏み入れた。

 

「お疲れ様です、柏木さん」

「お疲れ様です……」

「待ってたぞ。桐生、松重」

 

頭を下げる桐生と松重に柏木は僅かに怒気を含ませて応える。それには、返答次第ではケジメを付けさせることも厭わないという意思が込められていた。

 

「親父!?なんでこんな所に……?」

「そりゃこっちのセリフだ、羽村。お前こそ何でこいつらと一緒にいる?」

 

一方の松金と羽村は互いがこの場所にいる事に疑問を感じていた。松金は羽村が桐生達と一緒に居る事を知らず、逆に羽村は松金が風間組の事務所に居ることを知らなかったからだ。

 

「松金の親分さん、ですね?お初にお目にかかります。桐生組の桐生一馬です」

「おう、噂は聞いてるよ。よろしくな」

「おい桐生、どういう事か説明して貰うぞ」

「はい、分かりました」

 

柏木の言葉に従い、桐生は先程あった出来事を説明した。

松重が松金組のケツモチ店舗からみかじめを横取りした事。

その"返し"として羽村が松重を集団リンチした挙句殺そうとした事。

羽村は羽村で、松重に対する殺しの依頼を匿名で受けていた事。それを割って入った桐生が力づくで止めた事。

そして、今回の件の報告とその落とし前を付けにここに来た事。

全て詳らかに語った。

 

「おい羽村!そいつはどういうことだ!?」

「お、親父……!」

 

直後、先程まで温厚だった松金が一変して羽村に対して激高する。彼は今、無許可で危険なシノギを請け負った事を激しく責めていた。

 

「組長の俺に何の相談もなく殺しの話なんか請けやがって……自分が何したか分かってんのか!?」

「で、ですが親父!この松重が先にウチのシノギを邪魔しやがったんです!オマケにコイツはカタギからも相当恨まれてたんだ。死んだって誰も不都合しません!」

「この……馬鹿野郎!!」

 

松金は握り固めた拳で羽村を激しく殴打した。

羽村の弁明の言葉は、松金にとって容認出来るものでは無かったのだ。

 

「ぐぅっ……!お、親父……!」

「そんな下らねぇ事のために殺しを……ましてや同門の人間に手ェかけようとしやがったのか!?あァッ!!?」

 

人間とは十人十色。人の数だけ違う考え方があるのは当たり前の事で、それは組織であっても同じことが言える。

しかし、極道の世界にはたった一つだけ古今東西どこの人間や組織であっても共通して言える"性分"があった。

 

「テメェは後一歩で、松金組どころか東城会すらも巻き込みかねねぇ大惨事を引き起こしてたんだぞ!!」

 

"殺られたら殺り返す"。

この国に生きる極道は皆、それぞれの組織の"看板"を背負って生きている。それが錆び付いてしまえば、彼らは生きて行けなくなってしまう。

故に極道達は他組織からナメられないよう、常に組としての威信やメンツ、沽券を護ろうとするのだ。

そんな極道達が、自分たちの組織の人間を殺されて黙ってなど居られる筈がない。

一人のヤクザの死は必ず報復を生み、その報復は新たな報復を更に誘発する。

そしてそれはいずれ大抗争へと発展し、血で血を洗う終わりなき悲しみの連鎖が絶え間なく続く最悪の結末を引き起こすのだ。

 

「そんな事になれば犠牲になるのはお前だけじゃねぇ!一体何人の人間の血が流れる事になると思ってんだ!!」

「親父……」

 

松金はこれまで、目を背けたくなるような惨状を幾度も目の当たりにして来た。

その度に彼は誓ってきたのだ。自分の子分達には、同じ想いは決してさせないと。

松金は己の利益や危機の為ではなく、子分達の危機や今後を想うが故に激高したのだ。

 

「松金の親分……」

「……なんだ、桐生組長」

 

桐生は松金組長に声をかけると、その場に両膝を着いて正座した。

そして真っ直ぐに松金組長を見つめ、決して目を逸らさずに告げる。

 

「この度は松金の親分に多大なるご迷惑をおかけした事、深くお詫び申し上げます」

「いや、桐生組長。事情が変わった。こっちこそ、アンタには頭を下げなきゃならねぇ」

「いいえ、それは違います。今回の一件、元を辿ればウチの松重が犯した事が原因です。その責任は、親である自分にあります」

 

桐生は懐から一枚の封筒を取り出すと、松金に向けてゆっくりと差し出した。

受け取った松金が中身を確認し、その額に驚愕する。

 

「こ、これは!?」

「松重が切り取ったみかじめ料の二倍、100万円入っています。これをどうか、せめてものお詫びとしてお納め下さい。この度は、誠に申し訳ございませんでした」

 

そうして桐生は綺麗に指を揃え、頭を下げた。

 

「桐生組長……」

「桐生、お前……」

「柏木さん……!」

 

桐生は座った体制のまま柏木に向き直ると、柏木にも同様に深々と頭を下げる。柏木の怖さと厳しさをこの場の誰よりも知る桐生にとっては、ここが一番の正念場だった。

 

「今回は、柏木さんの顔に泥を塗る事になってしまい、本当に申し訳ございませんでした!このケジメ、たとえどんな事であっても受けさせて頂きます!ですから……」

 

そこで桐生は、より一層の額を床に擦り付けて嘆願した。

 

「ですからどうか、松重の事は許してやってくれませんでしょうか……!」

「なんだと!?」

「え……?」

 

その言葉に驚愕する柏木と松重。

桐生は今、松重に降りかかる責任を一身に受けようとしているのだ。

 

「松重のやった事は決して許される事じゃありません。ですが、それは親である俺が松重を従える事が出来なかったからです!」

「桐生……」

「コイツのやった事の借りは自分のモノです。今回のケジメ、俺に付けさせて下さい!」

「組長さん、アンタ何やってんだ……?」

 

松重は思わずそんな声を上げた。

彼には桐生のその行動が、あまりにも理解できなかったからだ。

 

「なんで、俺なんかの為にそこまで……」

「…………」

「……ちっ!」

 

黙って頭を下げ続ける桐生を見て堪えられなくなった松重は、すぐさま桐生の真横まで駆け寄った。

 

「松重……?」

「柏木さん、松金組長、羽村のカシラ」

 

松重は三人に声をかけると、桐生に倣うようにその場に膝を付いて頭を下げた。

 

「この度は、誠に申し訳ございませんでした……!!」

 

松重も極道の端くれだ。

自分の組長にここまでさせておいて何もしないほど、彼も腐ってはいない。

 

「……なぁ柏木。もういいだろう」

「松金……?」

 

それを見た松金はそう言うと、桐生の目の前で片膝を着いた。

 

「顔を上げてくれ、桐生組長」

「松金の親分……?」

 

静かに顔を上げた桐生の前に、松金はあるものを差し出す。それは桐生が先程渡した封筒だった。

しかし、その厚さは桐生が渡した時よりも少し減っている。

 

「そこの松重が横取りしたみかじめの50万円はウチの連中への示しとして回収させて貰った。だが、羽村の奴のしでかした事がこうして明るみに出た以上、余分なカネは受け取れねぇよ。なにせウチの羽村はアンタの所の大事な組員を危うく殺しちまう所だったんだ」

「っ……!」

 

話題に出され、ばつが悪そうに俯く羽村。

彼としても組長である松金にあそこまで激されては、いくら言い分があったとしても閉口する他無かった。

 

「いえ、ですがそれはウチの松重が……!」

「へへっ、納得出来ねぇか?ならよ、残りのカネはウチの羽村がやっちまった分として返させて貰う。それで手打ち。それなら良いだろう?」

「親分……!」

 

松金は今回の一件を水に流すことに決めた。

そして、そのまま柏木にも目を向ける。

 

「柏木、俺からも頼む。コイツらを許してやってくれ」

「松金……」

「もうコイツらの誠意は十分伝わっただろう?それに、こっちには羽村の件もある。責められるべき要因はこっちにだってあったんだ。」

「………………はぁ」

 

柏木は長い沈黙の末、静かにため息を吐いた。

 

「幸い、松重の件も羽村の件も風間の親父の耳に入る前で良かった。みかじめの件は双方で手打ちになって、松重も殺されていない以上、これ以上何かを追求することはねぇだろう」

「それじゃ……今回の一件は……?」

 

恐る恐る尋ねた桐生に対し、柏木はあくまでも厳かに裁定を下した。

 

「今回は不問に付してやる。だが桐生、いくらお前でも次はねぇぞ?この事を肝に命じておけ。いいな?」

「柏木さん……はい、ありがとうございます……!」

 

改めて深々と頭を下げる桐生。

それは彼の義理人情を重んじる心と行動が、確かに松重という一人の男を救った瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴!」

 

風堂会館から出た桐生と松重の下へ、事務所前で待っていた田中シンジが駆け寄ってきた。

 

「シンジ」

「その後は、どうなりましたか!?」

「あぁ。何とかなったぜ」

「そうですか……良かった」

 

その言葉を聞きシンジは心の底から安堵した。

風間組の若頭である柏木は、かつて"鬼柏"と呼ばれる程の荒くれ者だったのだ。

桐生はもちろんのこと、シンジもまた彼の恐ろしさはよく知っている。

今回はそんな柏木を怒らせてしまったのだ。心配するなと言うのが無理な話だろう。

 

「なぁ、組長さんよ……」

 

すると、松重がばつが悪そうに桐生に声をかけた。

今回ばかりは、いつも取っている不敵な態度は見られない。

 

「なんだ?」

「さっき、なんでケジメを一身に受けようとしたんだ……?」

 

松重は、先程の桐生の行動について問いかけた。

風間組事務所で何が起きていたかを知らないシンジは、松重のその問いに対して関心を向ける。

 

「……松重の兄貴、そりゃどういう事です?」

「……組長さんは、俺なんかの為に柏木さんと松金組長に頭を下げるばかりか、ケジメを迫られるハズの俺を庇ったんだ。俺が切り取った金の倍額まで用意してな」

「えっ!?」

 

つい数時間前まで、松重は桐生の事を罠にはめて陥れようとしていた。

にも関わらず、桐生は自業自得の結果として命を狙われている松重を救い出すばかりか、自分がやった失態でないにも関わらずその責任を一心に背負おうとしたのだ。

 

「兄貴、なんでそこまで……?」

「…………」

 

シンジとしても桐生の行動は理解が出来ない。

松重は桐生に対して不遜な態度を常に取り続け、命令を無視したり嘘をついたりと好き勝手な事を散々してきた。

しかし桐生は、その責任は親である自分のものであるとしてケツを拭いたのだ。

そして、こうしている今でさえ松重に対して叱責しようとする様子も見せない。

 

「どうしてなんだ、組長……」

 

松重の問いかけに対し、桐生は毅然とした態度でこう答えた。

 

「お前が、ウチの組員だからだ」

「なっ……!」

 

桐生は真っ向から松重の目を見て言葉を続ける。

その瞳はとても力強く、どこまでも真っ直ぐで純粋だ。

 

「松重、お前は以前俺にこう言ったな?"義理人情と腕っ節だけで生き残れる程、ヤクザは甘くない"と」

 

その言葉は、桐生組が結成して間も無い頃。

意味の無い定例会に対して松重が言い放った発言だった。

 

「確かにお前の言う通り、金を稼ぐのは簡単じゃ無かった。お前に対して偉そうにしてはいたが、結局俺に出来るのは自分の身体を張ることだけ。それ以外の方法なんて思い付きもしなかった」

 

もしも数ヶ月前に桐生の元にドラゴンヒートの話が舞い込まなければ、今でも桐生は金を作る為の手段に悩み、頭を抱えていただろう。

ドラゴンヒートの仕組みは、桐生が生み出したものでは決してない。

ただ彼は、偶然その仕組みに関われるチャンスを手にしただけなのだ。

 

「今となっちゃお前の理屈も分からんでもない。でもな……義理と人情を忘れた極道は外道へと成り下がる。その果てに待っているのは悲惨な末路だ」

「…………」

 

松重は思わず俯いた。

何せ彼は今日、まさにその悲惨な末路を辿る寸前だったのだ。今の松重にとってその言葉はこれ以上ない程に重たいものと言えるだろう。

 

「俺は自分の組の連中にそんな末路を辿って欲しくねぇ。その為なら何度だって身体を張ってやる。どんな奴とだって立ち向かってやる」

「!」

「それが俺の目指す道……俺が往くべき極道だ」

 

馬鹿正直で義理堅く、どこまでも真っ直ぐなその姿。

たとえどんな状況であったとしても、揺らぐことのないその在り方。

これこそが"堂島の龍"。東城会の内外にその名を轟かす、紛れもなき伝説の極道の生き様だった。

 

(ったく……どこまでお人好しなんだ、この人は)

 

そんな彼の"華"に惹かれた男が今日また一人、一つの覚悟を決めた。

 

「組長さん……いや、桐生の親父!今までの御無礼、どうかお許し下さい!」

 

両膝に手を付いて頭を下げ、松重は宣言した。

 

「これより先、俺の命は親父に預けます!どうか自分を、地獄の底までお供させて下さい!!」

 

桐生組の一員として目の前の男を組長として仰ぎ、その神輿を担いでいく事を。

 

「……シンジ」

「はい?」

「構わねぇか?」

「えぇ。兄貴の決めた事なら」

「フッ……そうか」

 

松重の覚悟を見て桐生もまたある事を決め、シンジもまた異論は無いと頷く。

 

「松重……お前、酒はイケる口か?」

「え、えぇ……」

「なら、これから三人で飲みに行かねぇか?馴染みの店がすぐそこにあるんだ」

「いい機会です。酒を片手に男三人、腹を割って話しましょう」

「……はい、喜んで!」

 

1996年。1月某日。

この日晴れて桐生組は一枚岩となり、これをキッカケに神室町を拠点とする極道組織の勢力図が大きく描き変わっていく事となるのだった。

 

 




はい、という訳で松重光堕ちするの巻でした。
ここで忠誠を誓う事で本編のデキる右腕、松重若頭代行になる訳ですね。

次回はいよいよ本編再開。
そして"みんな大好きなあの人"が、満を持して登場です!
とうとうここまで来たか……と言った感じです。マッタリのはずでしたがここまで一気に駆け抜けて来てしまいました。
果たして我らが錦は桐生ちゃんと並び立つもう一人の伝説を相手にどう立ち向かうのか。
お楽しみに


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第七章 鯉と狂犬
嶋野の狂犬


ヒーッヒッヒッヒ!!

待たせたのぅお前ら!
ついにこの真島吾朗が、本編初登場や!!

いやぁ、ワシの登場を待ち焦がれる感想欄を見てニヤニヤが止まらんかったでぇ?流石、人気投票第一位は伊達やないなぁ!

ほな、早速本編開始や!
行くでぇ!!




2005年。12月7日。

西公園前の公衆便所から外へと出た俺は、遥を救う為に吉田バッティングセンターへ向かう事になった。

 

「伊達さん。アンタはセレナで待っててくれ」

「だが、それじゃ……」

 

伊達さんは俺の提案に渋い顔をした。

確かにこのまま行けば俺は一人で敵を相手取ることになるだろう。

 

「相手はあの真島組だ。その身体じゃ、ハッキリ言って足でまといになる」

 

真島組は数ある東城会の組の中でも、特に好戦的な組織として名高い組だ。

そんなヤバい組織と敵対してしまった以上、俺としてはセレナにいる麗奈の方が心配だった。

 

「それよりも伊達さんには、セレナで麗奈と一緒にいて欲しいんだ。一人にさせるのは危険すぎる」

「…………分かった、気を付けろよ」

 

伊達さんはそう言うと、近場のタクシーに乗り込んでセレナへと向かっていった。

西公園からセレナのある天下一通りまではかなりの距離がある。

あの怪我でその道のりを歩いていくのは流石に骨が折れるのだろう。

 

(それにしても、真島か……)

 

その名前を聞き、俺の脳裏には17年前の記憶が蘇る。

"カラの一坪事件"の時の記憶だ。

当時の神室町は莫大な利権を生み出す"カラの一坪"を巡って群雄割拠の只中にあった。

そんな中で俺は堂島組からマトにかけられる桐生を救うため組に逆らう事を決意し、桐生の味方になる事を決めたのだ。

だがそんな矢先、俺は桐生の事を嗅ぎ回るある一人の男と出くわす事になる。

その男こそが、後に"嶋野の狂犬"と呼ばれる若き日の真島吾朗だった。

 

(俺はその時に一度だけ、真島と拳を交えた……でも…………)

 

結果は惨敗。

ハッキリ言って全く歯が立たなかったのを今でも覚えている。

その後聞いた話では、俺と闘う前に柏木さんともやり合って叩きのめしたらしい。

柏木さんはかつて"鬼柏"なんて呼ばれていた程の武闘派だ。俺も桐生もあの人には頭が上がらない。

そんな人を下すような男を相手に、俺はこれからたった一人で立ち向かわなければならないのだ。

 

(勝てるのか……?あの真島吾朗に…………)

 

あの名高い"堂島の龍"と並び称される、もう一つの伝説。かつてはどうあっても勝つ事が出来なかった"嶋野の狂犬"を相手に、俺はこれから挑もうとしている。

はっきり言って、勝てるイメージが全く湧かない。

浮かび上がるのは、手も足も出ずに敗北を喫した17年前の記憶。

 

(いいや……!!)

 

そこで俺は、弱気になる己を奮い立たせた。

迷っている場合じゃない。

こうしている今も、遥は怖い思いをしているに違いないのだ。

そして何より、俺の目指すモノはそれよりももっと先にある。

 

(俺は桐生に追い付いて、アイツを超える男になるんだ!こんな所で立ち止まってなんか居られねぇんだよ……!!)

 

俺の目標とする男は、たとえ相手が100人居ようが関係無しに立ち向かう。どんな困難や現実からも目を背けず、最後まで決して諦めようとはしない筈だ。

だったら俺も諦めない。相手が何であろうと喰らって飲み込んで糧にしてやる。

それぐらいの気概が無ければ、龍のいる場所に手など届かないのだから。

 

(待ってろよ、遥……!)

 

俺は早速公園前通りをホテル街方面に駆け出した。

西公園から吉田バッティングセンターへ向かうには、公園前通りを通るのが一番早いからだ。

 

「……!」

 

しかしそこへ、複数の男達が俺の道を塞ぐように立っていた。

そいつらはどう見てもカタギには見えない格好をしていて、全員が俺へと視線を向けている。

 

「誰だテメェら……?」

 

俺は目の前の男達に問いかけた。

今の俺には狙われる理由に心当たりが多く、コイツらがどこの組織の手先なのか分からないのが正直な所だ。

 

「元堂島組の錦山やな?」

「だったら何だ」

「お前にはここで死んでもらうで」

 

先頭の男が発したその言葉を合図に、俺の背後にも別の男達が現れる。

前後を挟まれ、俺は完全に逃げ場を失った。

その数、前と後ろを合わせて十人。

 

「穏やかじゃねぇな。どこの組のモンだ?」

「決まっとるやろ……嶋野組や」

 

直後。男達が懐からそれぞれの得物を取り出して臨戦態勢を取った。

どうやらやるしかないみたいだ。

 

「そうか……道理でな。俺を狙うのも納得だ」

「なに余裕こいてんねん。まさかこの人数相手に勝てるやなんて思ってへんやろな?」

 

先頭の男が殺気立つ。

この状況になっても変わる事の無い俺の態度が気に入らないのだろう。

確かに普通なら勝ち目がある状況じゃない。

多勢に無勢、オマケに相手は得物持ちだ。

 

「そっちこそ、その程度の人数で俺を止められると思ってんなら大間違いだ」

 

俺は静かに腰を落として、ゆっくりと呼吸を整えた。

かつて柏木さんに教え込まれ、先の闘技場でゲイリー相手に咄嗟に使ったあの構えを取る。

 

「フゥー……ッ」

 

研ぎ澄まされていく精神と、脱力していく筋肉。

それと比例するように、段々と自分の中で"闘気"とでも呼ぶべきものが練り上げられていくのが分かる。

 

「ナメおって……死ねやボケがッ!」

 

怒号と共に先頭の男が得物であるドスを抜いて襲いかかる。それに続くように背後の男たちや、俺の後ろの連中も動き出した。

このままでは俺は数秒後に瞬く間にリンチされる事になるだろう。

だが、そんな事には決してならない。

 

「フンッッ!!」

 

裂帛の気合と共に地面を強く踏み締める。

そのまま地面を蹴って距離を詰め、一気に間合いへと押し入った。

そして。

 

「セェエエッッ!!!」

 

渾身の正拳突きを相手の腹へと叩き込んだ。

 

「ぐほぉぉっ!?」

 

文字通り殴り飛ばされた先頭のヤクザは、背後にいた男達をも巻き込んで後方へと吹き飛ばされる。

 

「な、なんやコイツ……!」

「ば、バケモンや……!」

 

戦々恐々とする男達。

いかに嶋野組と言えど、このような実力差を見せ付けられれば戦意を失うというものだ。

 

「お前らのトコの"狂犬"に伝えろ…………錦山が、昔の借りを返しに行くってなァ!!」

「ひ、ひィィ!!?」

 

男たちは、蜘蛛の子を散らすように悲鳴を上げながら逃げていった。

それを見て、俺はひとまず安堵する。

何せこれからやり合う相手はあの真島吾朗だ。こんな所で余計な消耗はしていられない。

 

「よし……行くぜ……!!」

 

気を取り直し、俺は再び公園前通りを駆け出した。

その先に待つ"狂犬"と、17年越しの決着を付けるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京、神室町。

ありとあらゆる遊びが集うこの街はその業態における競争が非常に激しい事でも有名だ。

あらゆる業態の様々なテナントが出ては潰れを繰り返す為、十年も経てばほとんど別の街へと様変わりしてしまう。

しかしそんな神室町において、30年以上の歴史を誇るバッティングセンターが存在する。

それが、ホテル街近辺に存在する"吉田バッティングセンター"であった。

 

「ここだな……!」

 

そんなバッティングセンターの前に、錦山彰はたどり着いた。

店の前には白いバンが停まっている。

彼が賽の河原で見た誘拐の瞬間を捉えた映像に映っていたモノと同じものだった。

 

「今行くぜ、遥……!」

 

意を決し、錦山はバッティングセンターの中へと踏み込んだ。

 

(……誰も、いねぇのか?)

 

中には誰もおらず、人がいる気配が無い。

ただ、無機質なピッチングマシンの機械音が静かに聞こえるだけという異様な空間。

 

「遥!どこだ!?」

 

錦山は遥の名前を呼びながらバッティングセンター内をくまなく探す。

しかし、どこを探しても遥の姿は無かった。

 

(くそっ、何処にいるんだ……?)

 

やがて錦はケージの中へと足を踏み入れる。

料金を支払っていないにも関わらず、ピッチングマシンからは延々と白球が吐き出されていた。

明らかに人為的な細工である。

 

(絶対誰かいるはずだ…………ん?)

 

そして、錦山がケージに入ったのを見計らったかのように数名の男達が姿を表す。

そのいずれもがガラの悪い格好に身を包み、手には金属バット等の凶器を握り締めている。

錦山は彼らが遥誘拐の実行犯であるとアタリをつけた。

確実に荒事になると踏んだ錦山は僅かに身構えるが、錦山の姿を認識した男たちが妙な反応を見せ始める。

 

「あれ……?違うぞ……?」

「え、コイツが親父の探してる奴じゃ無いのか?」

「おかしいな……ガキを拉致った事を知らせれば必ず来るって話だったが…………」

 

それは困惑だった。

今、彼らの中で想定外の事が起きているのだろう。

大方、"誰かしら来るとは思っていたが、思っていた人物ではなかった"と言った所だろうか。

 

「あ……?」

 

錦山もまたその反応を見て怪訝な顔をする。

彼らが遥攫ったのには100億の為、もしくは錦山をおびきだす為の二通りの動機が考えられるが、彼らの反応はその思惑がどちらでも無い事を如実に表していたからだ。

そして。

 

「なんや。やけに早いと思ったら……錦山やないか」

 

その男は、実に退屈そうな声を上げながら現れた。

刺青が見える素肌に金色のジャケットを身にまとい、テクノカットの髪型と黒い眼帯をした一人の男。

一度見たら忘れられないその外観は、時が経った今でも錦山の中で強烈に印象付いている。

 

「真島……!」

 

東城会直系嶋野組若頭兼真島組組長。真島吾朗。

"嶋野の狂犬"の異名で知られる超武闘派で、錦山の兄弟分である桐生一馬の異名である"堂島の龍"と並び称された東城会の生ける伝説である。

そんな真島は錦山の姿を認めた途端、露骨にテンションを下げた。

 

「ワシはお前みたいな雑魚に用はあらへん。怪我せんうちにさっさと消えた方がええで」

「そうはいかねぇ。俺が面倒見てる子を返してもらうぜ」

「あ?なんやて?」

 

とぼけた声を上げる真島に対し、錦山は声を荒らげて吠え立てた。

 

「遥だよ、遥!お前が嶋野あたりの命令で拉致した女の子だ!とっくにネタは上がってんだよ!」

「はぁ……そういう事かいな」

 

錦山の発言に対し、真島は納得が言ったのと同時に更なる落胆と退屈に見舞われた。

これ以上相手にするのも煩わしいのか、真島は部下達に命令を下した。

 

「おうお前ら、このドアホ適当に掃除せぇ。こんな雑魚、ワシが手ぇ出すまでもあらへんわ」

「「「「「へい!!」」」」」

 

気の抜けた声で下した命令だったが、部下達が即座に反応する。彼らはそれそれが得物を持って素早く臨戦態勢を整えた。

いかに普段から構成員が躾られて居るかがよく分かる光景だ。

それに対し錦山は、自分の事を雑魚呼ばわりした真島に対して怒りを露わにした。

 

「面白ぇじゃねぇか……掃除出来るもんならやってみやがれ!!」

 

激しい怒号をゴングに、真島組構成員との闘いの幕が上がる。

 

「死ねやぁ!」

 

錦山は先頭の一人目が突いてきたドスの一刺しをいなし、顔面に掌打を叩き込んだ。

 

「フッ!!」

「ぶげっ!?」

 

その勢いのまま頭を押さえつけながら腕を押し込み、コンクリートの地面に頭部を叩き付ける。

泡を吹いて動かなくなる一人目を尻目に、錦山は近場にいた二人目との距離をすぐさま詰めた。

 

「はァッ!!」

 

右の張り手で二人目の顎をカチ上げ、その後は左の張り手を一発、二発と叩き込む。

 

「ぐはぁっ!?」

 

トドメの張り手を叩き込んで二人目を仕留める。

すると三人目が正面から鉄パイプを振り抜いて来た。

 

「セイッ!!」

 

俺はその鉄パイプを紙一重で躱すと、即座に返しの一撃を叩き込んだ。

 

「ぐほぉっ!?」 

 

鳩尾にねじ込まれる正拳突き。

急所を突かれた三人目は為す術なく崩れ落ちた。

 

「くたばれ!」

 

四人目の得物は警棒だった。

リーチの短い警棒を振りかざして襲いかかる。

 

「てぇいやァ!」

 

錦山は警棒を持つ四人目の手首を掴み、もう片手で顔面に肘打ちを叩き込んだ。

 

「ぐぶっ!?」

 

鼻が折れる音と共に戦意を失う四人目。錦山はその身体を持ち上げ、崩れ落ちた三人目の上に全力で叩きつけた。

 

「ぐぎゃっ」

「うごぉっ」

「クソ野郎がァ!!」

 

仲間をやられ激した最後の五人目が、怒号と共に拳を振り抜いた。

その一撃は錦山の頬を打ち、確かに鈍い音を立てた。

錦山はすかさず五人目の両腕を掴む。

 

「フゥー……ァアッ!!」

 

短めに息を吐いて脱力した後、一気に両腕を引き下ろした。

 

「うぎゃぁっ!?」

 

ごきりと嫌な音を立てて、五人目の両肩が完全に脱臼する。錦山はすかさず張り手で後ろを振り向かせると、そのまま相手を持ち上げて投げ飛ばした。

 

「ぐげぇっ!?」

 

両肩を外され受身の取れない五人目は無惨にも顔面から地面に落下し、そのまま動かなくなってしまった。

 

「はっ、こんなもんかよ?真島組ってのは大したことねぇな」

「ほーう?案外やるやないか」

 

一部始終を眺めていた真島が、錦山に対して少しだけ関心を向けた。狂犬の隻眼が、品定めするように錦山を見つめている。

そんな真島に対し、錦山はこう問いかけた。

 

「真島。アンタ程の男が、なんで遥を誘拐するような真似をしたんだ?」

 

彼は今回の真島の行動に、僅かばかりの疑念を抱いていたからだ。

今でこそ狂気的な立ち居振る舞いと凶暴性から畏怖の念を向けられる事が多い真島だが、錦山がかつて拳を交えた頃の真島はとても冷静沈着で頭のキレる冷血で硬派な男だった。

とても今回のような、現役警官を襲って少女を拉致するような危険な行動を何の意味もなくするような人間ではない。

 

「まさか、アンタも100億を……?」

「アホか。俺がそんな下らんモンに興味あるハズ無いやろが」

 

真島はその問いに対して即座に返答した。

今、東城会中の極道達が皆注目するはずの100億を下らないモノであると断言したのだ。

 

「まぁ、嶋野組傘下組織全員にあの子を攫ってこいって命令が出とるのは事実やけどな」

 

その情報に錦山は納得した。

いくら真島本人が100億を下らないモノであるとしたとしても、親である嶋野にとってはそうでは無い。

嶋野はその失われた100億を取り戻すという実績を持って、東城会の跡目になろうとしているのだ。

そしてそんな嶋野が命令を下す以上、子分である真島も動かざるを得なかったのだろう。

若頭である真島が行動を起こさなければ、下の者に示しが付かないからだ。

 

「そうか……ならアンタは遥を、嶋野の所に連れて行こうってんだな?」

「いいや、ワシはあの子を親父に渡す気は無いで」

「なに……!?」

 

真島の返答に、錦山は度肝を抜かれた。

彼は親が絶対であるはずの極道社会に生きる者でありながら、その指示に従わないというのだ。

しかも、相手はあの嶋野である。逆らえば命が無くなってもなんら不思議では無い。

 

「どういうこった……?」

「あの子には、別の役目を果たして貰わなアカンからなぁ」