錦が如く (1UEさん)
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錦が如く 発売記念PV(大嘘)

エイプリルフールやん!

とさっき気付いて突貫工事で仕上げましたやっつけネタです。

若干のネタバレを含みますので未読の方はご注意を


全世界累計売上本数 1,700万本

 

 

「龍が如く」シリーズ。最新作

 

 

 

「なんで……」

 

 

これは、有り得たかもしれない

もう一つの物語

 

 

「なんで、こうなっちまったんだろうな……!」

 

 

 

 

 

錦が如く

 

 

 

 

 

本編「龍が如く」において、桐生一馬の親友にして、唯一無二の兄弟分。

 

 

錦山彰

 

 

「動くな!」

 

 

元の歴史において罪を免れた彼が

 

 

「俺が……犯人です……」

 

 

10年の時を、塀の中で過ごす。

 

 

 

「東城会の幹部殺ったんだ!こんくらい想像出来なかった訳じゃねぇだろ?」

「随分懐かしい顔だぜ……なぁ錦山?」

 

 

 

命を狙われ、迫害される日々。

彼は、生きる目的を失いかけていた。

 

 

しかし、一つの吉報が彼を絶望から救う。

 

 

「そ、それじゃあ優子は!?」

「あぁ……優子は。お前の妹は助かったんだよ」

「あ……あぁ……優子ぉ……!!」

 

 

そして。

一匹の鯉は

 

 

「お前も。生きる事から、逃げるんじゃねぇ」

 

 

"龍"から授かった"希望"を胸に

 

 

「!!」

 

 

龍門へと至る道を、歩み始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

バトル

 

 

10年の時を経てシャバに出てきた錦山。

そんな彼を待ち受けていたのは、神室町に蔓延るチンピラやヤクザ達だった。

 

多彩なバトルスタイルを駆使して、激動の神室町を生き抜け!

 

 

ゴロツキ

大振りの攻撃やプロレス技など、勢いのままに突き進む喧嘩を体現したスタイル。

 

 

ファイター

ボクシングをベースにしたフットワークとコンビネーションで翻弄するヒット&アウェイスタイル。

 

 

大将

空手を始めとした武道をベースに呼吸や姿勢を正して力の流れを制御する事で脅威のパワーを発揮するスタイル

 

 

 

シリーズ恒例のヒートアクションも、多数収録!

 

並み居る強豪達を、ド派手なケンカアクションでぶっ飛ばせ!

 

 

 

 

 

 

アドベンチャー

 

 

そして、龍が如くシリーズにおいて欠かせないもうひとつのファクター。

 

広大かつ緻密なまでに作り込まれた東京、神室町。

 

地下街や屋上に加え、出入り可能なテナントや建築物が大幅に増加!

 

進化した神室町を遊び尽くせ!

 

 

 

プレイスポット

 

 

喧嘩や探索、男たちの物語だけが全てでは無い。

 

街中の至る所には多彩なプレイスポットが数多く存在する。

 

シリーズ恒例のあのスポットから、新たに追加された新スポットまで。

 

欲望と権力の渦巻く街、神室町。

 

一夜だけで遊び尽くせるほど、狭い街では無い。

 

 

 

 

 

ゲームはもっと踏み込めないのか?

 

 

その信念をモットーに10年以上の歴史を築き上げてきた龍が如くスタッフが贈る

 

 

完全IFストーリー

 

 

 

 

「死にてぇ奴だけ……かかって来いや!!」

 

 

 

今宵あなたは

 

もう一つの伝説を目撃する

 

 

 

 

 

錦が如く

 

 

 

 

2050年 12月8日。発売

 

 

 

 

S〇GA

 

 





こんなゲーム、あれば絶対やってみたい(本音)


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幕間 邂逅と祝福

突然ですが幕間です!
錦、誕生日おめでとう!

本編はもちろん「原作時空」で考えても成立するさくひんになりましたので、ぜひ読んでってください


1994年10月8日。

東堂ビルで起きた堂島組長殺害事件の約一年前。

堂島組若衆である錦山彰は、大きめの鞄を片手にとある場所へと向かっていた。

 

(そろそろ着くはずだが……どの辺にあるんだ?)

 

今、彼がいるのはピンク通りと呼ばれる神室町の一角。

主にヘルスやソープ等といった風俗の店舗が軒を連ねる一角だ。

普段から贔屓にしているキャッチや風俗嬢に挨拶をしながら歩を進め、ついに錦山はたどり着いた。

 

(あった……荒川組事務所)

 

東城会系荒川組。

業界内で俗に"枝"と呼ばれる三次団体の小さな組。

錦山の所属している堂島組は東城会の直系組織であり、そこの若衆である錦山は極道の世界における"格"がこの荒川組よりも上という事になる。

しかし、だからといって錦山は決して荒川組を侮ることはしていない。

むしろ、緊張のあまり生唾を飲み込んだ程だ。

 

(ここが……あの"殺しの荒川組"か……!)

 

東城会でのし上がるべく日々 色々な所から情報を収集している錦山は聞いたことがあったのだ。

"荒川組は末端の組だが、その目立ちにくい立場を利用して本家から殺しの依頼を受けている危険な組織"であると。

 

(あぁ、おっかねぇ。さっさと済ませちまおう)

 

背筋に冷たいモノが走った錦山は、さっさと仕事を終わらせようと荒川組の事務所へと近づいた。

 

「ん……?」

 

組の事務所の入口付近に人が立っているのを見た錦山は、思わずそんな声を上げた。

と言っても、ヤクザの事務所の入口前に人が立っている事自体は珍しくない。

現に錦山も数年前までは門番として組の事務所前に立たされていたのだから。

 

(あれ、どう見てもガキだよな……?)

 

しかしそこに立っているのがヤクザ然とした風貌の男ではなく、まだあどけなさが残る歳若い少年であれば不思議に思うのも無理は無い。

 

(年頃は……15、6って所か?なんだってこんな所に……?)

 

スカジャンにジーパン姿のその少年は背筋を伸ばして両手を後ろに回し、事務所の前で静かに立っていた。

まるで組長の帰りを待つ若衆のように。

 

(まさか、あの歳でヤクザに?いや、俺も似たようなもんだが……)

 

かつて錦山は、中学卒業と同時に兄弟分である桐生一馬と共に極道になる道を選んだ。

故に自分たち以外にそういう存在がいても不思議な事ではないのだが、実際に目の当たりにするとは思ってもみなかった錦山は思わず面食らっていた。

 

(とりあえず、声かけてみるか……)

 

組の関係者であれば用事があると言って通してもらい、違ければ立ち去るように促せばいい。

そう決めた錦山は事務所の前まで向かうと、門の前の少年に話しかけた。

 

「なぁお前、ちょっといいか?」

「あ?何の用だ……って……!!?」

 

ガンを飛ばして錦山を睨み付けようとした少年だが、その直後にその顔は一気に青ざめる。

 

「し、失礼致しました!!」

「は……?」

 

途端に直角に頭を下げる少年に困惑する錦山だったが、彼はすぐにその原因に思い当たった。

 

(あぁ、代紋を見たのか……)

 

錦山の着ているワインレッドのジャケットの胸元にあるのは、堂島組の代紋。

神室町を生きる者達でその名前を知らない者は一人として存在しないと言われる程の影響力を持つ堂島組の構成員である事を証明するその代紋を一目見れば、たとえヤクザでなかったとしても畏怖の念を抱くのは当然の事と言えた。

 

(とりあえず、話を聞いてみよう)

 

己の仕事を全うするべく、錦山は少年に質問を投げかける。

 

「お前、ここの組の関係者か?」

「いえ、違います!」

「は?ならなんでこんな所に突っ立ってんだ?」

「自分、荒川の組長さんに命を救われまして……それから毎日、あの人に盃のお願いをするべく、ここで立って帰りを待たせて貰ってる次第です!!」

 

頭を下げたままはっきりとした声でそう話す少年の言葉に、錦山は思わず共感していた。

 

(恩義のある親分の為に、か……なるほどな)

 

ふと、錦山の脳裏を過ぎる記憶があった。

それは今から10年前。桐生と共に育ての親である風間新太郎に極道になりたいと嘆願した時の事だ。

それを聞いた風間は烈火の如く怒り、二人を全力で殴り付けた。

汚らしく闇が深い日本の裏社会に、我が子同然に育てて来た二人を関わらせまいとした愛のある拳。

しかし、それでも二人は引かなかった。

親を亡くして孤児となった自分達を拾って育ててくれた風間に、何としても恩を返すと聞いて無理を押し通したのだ。

 

(だが、今なら親っさんの言ってた事が分かる。ヤクザになんか、進んでなるもんじゃねぇ)

 

数年前に起きた"カラの一坪"を経て極道の怖さや裏社会の残酷さを見せ付けられた錦山は、このままでは目の前の少年が、いつか自分のように凄惨な現実に直面する事を憂いた。

 

「そうか…………少年」

「はい!」

「悪ぃ事は言わねぇ。ヤクザなんかやめとけ」

 

お節介なのを承知の上で、錦山は少年を説得しようと試みた。

 

「な……なんでですか!?」

 

思わず顔を上げた少年の顔は困惑と驚きで埋め尽くされていた。

まるで、それ以外の事など考えられないと言わんばかりに。

それを見た錦山は真摯に警告を行った。

 

「ヤクザってのは過酷な世界だ。いつどこで死ぬか分からねぇ。それに……死に方や死に様すら選べない事だってある」

「し、死に方や死に様……?」

「あぁ。生きたままバラバラにされるような拷問の果てに、死体は人間と呼べない程の有様にされて山に捨てられる。そんな事だってあるんだ」

「────!!」

 

それを聞いた少年が目を見開く。

まだ10代の少年に聞かせるにはあまりにも惨たらしい話だが、それでも錦山は語った。

"お前が足を踏み入れようとしているのは、そういう世界なんだ"と警鐘を鳴らす為に。

 

「荒川の組長さんにどうやって助けられたかは知らねぇが……あの人だって、お前にそんな死に方して欲しくて助けた訳じゃねぇ筈だ。そうだろ?」

「…………」

「もしも荒川の組長さんに恩義を感じてるってんなら、真っ当な堅気として懸命に働いて出世しろ。そんでいつか会社の社長にでもなって多くの人間を幸せにしてやりゃいい。それが何よりの恩返しになる筈だ」

 

表社会で一生懸命働いている堅気がいてこそ、裏社会の男達は生きていける。

それを知っている錦山からの言葉を受けた少年は、僅かに顔を俯かせた。

錦山の言っている事に嘘偽りが無いことが、持ち前の直感で理解出来たからだ。

しかし。

 

「ほら、分かったらもう帰れ。今ならまだ────」

「……嫌です」

 

それでも、なお。

少年の決意と覚悟は揺るがなかった。

 

「俺には両親も居なけりゃ真っ当な仕事をしてる知り合いも居ません。育ててくれた養父は去年死んじまったし、行く宛てなんざ何処にも無いんです」

「お前……」

「それに俺は、本当に殺されそうだった所を荒川の組長に助けられました。一度拾って貰ったこの命。それをあの人の為に使えるってんなら、たとえ俺はどんな最期だろうと……笑って死んでやりますよ」

 

そう言って真っ直ぐ錦山を見ながら不敵な笑みを浮かべる少年に、錦山はそれ以上何も言えなかった。

錦山の目の前にいる彼は少年である前に、一人の男なのだ。

男がそこまで腹を括ってしまった以上、何を言おうが止まることは無い。

そんな無鉄砲さを持つ男を、錦山は子供の頃から良く知っているからだ。

 

「そうか……ならもう何も言わねぇ。せいぜい頑張んな」

「はい、ありがとうございます!」

 

後は荒川組長の判断に任せよう。

そう決めた錦山は話を仕事に戻した。

 

「それでよ少年。お前ずっとここに立ってんなら組の事も多少は分かるだろ?」

「はい。誰に御用があるんですか?」

「荒川の組長さん、もしくは若頭の沢城さんに会いてぇんだが、事務所に居るか?」

 

その名を聞いた少年は僅かに顔を顰めた後、すぐに返答をする。

 

「荒川の組長さんはまだ帰ってません。沢城のカシラは……あっ。」

「ん?」

 

少年が声を上げたのと、一台の車が事務所の前に停車するのはほぼ同時だった。

助手席から黒服の男が降りて来て、後部座席に回り込むとそのドアを開ける。

 

「…………。」

 

中から出てきたのは灰色がかったスーツを着た一人の男。年齢は三十代。

オールバックに纏めた黒髪と鋭い眼光が特徴的なこの男こそ、錦山の探していた人物。

 

「お疲れ様です!!」

「…………。」

 

東城会系荒川組若頭。沢城丈。

"殺しの荒川組"のNo.2を務めるこの男は 頭を下げて挨拶する少年を無視すると錦山に声をかけた。

 

「堂島組の錦山さんですね?お持たせして申し訳ありません。荒川組若頭の沢城です」

「いえ、お気になさらず。改めて、堂島組の錦山です。本日はよろしくお願いします」

 

そう言って錦山は頭を下げた。

錦山よりは年齢が上の沢城だが、直系組織の堂島組所属という事もあって礼節を弁えた態度で錦山に接して来る。

しかし、それで気を許して無礼を働くほど錦山は愚かでは無い。

何せ今、彼の目の前にいるのは"殺しの荒川組"の若頭なのだから。

 

「……その手に持っているのが?」

「えぇ。例の"ブツ"です」

 

錦山が今日ここを訪れた理由。

それは堂島組からの命令で荒川組にある物を渡すためだった。

詳しくは聞かないまま、錦山はそれを届けに来たという訳だ。

 

「早速、確認及びお受け渡しをしたいのですが……事務所にお邪魔してもよろしいですか?」

「もちろんです。ですが、少しお時間を頂けますか?"掃除"をしなければならないもので」

「掃除……?」

 

沢城がそう言った次の瞬間。

 

「ぐぶっ!!?」

 

頭を下げていた少年の顔面に、沢城が強烈なアッパーを振り抜いた。

 

「な、っ!?」

 

突然の事に驚く錦山の前で、文字通り殴り飛ばされた少年が無様に地面を転がる。

そんな少年の元まで歩み寄ると、沢城は仰向けに倒れた少年の胸ぐらを掴み上げた。

 

「おうコラァ!!テメェみてぇなガキにやる盃はねぇって何度言ったら分かるんだ?あぁ!?」

「ぅ、ぐ……さ、沢城の、カシラ…………」

「気安く呼んでんじゃねぇぞクソガキが!!」

 

叫ぶが早いか、沢城は少年の顔面に右の拳を叩き込んだ。

手加減などは一切無し。肉を叩いて骨まで軋むほどの打撃音が錦山の耳にも届いた。

 

「ぐ、ぼぁ……っ、ぅ…………」

「いい機会だ。口で言っても分からねぇなら身体で教えてやらねぇとな……もう二度とここに立てねぇようにしてやるよ!!」

 

意識も朦朧とし、碌な抵抗も出来ない状態の少年にトドメを刺すべく、沢城は更に拳を振り上げた。

しかし。

 

「────あ?」

 

その拳は、沢城の背後から拳を掴んだ錦山の手によって止められた。

 

「沢城さん、どうかその辺で。そいつ……もう半分意識がトンじまってます。それ以上やったら死にますよ」

「……錦山さん、お言葉ですがこれはウチの組の問題です。手出しは無用に願います」

 

暗に"邪魔するな"と錦山に告げる沢城。

しかし、ここで退いてこの少年を見殺しにする事は錦山のポリシーが許さなかった。

 

「申し訳ありませんが、そういう訳には行きませんよ。目の前で堅気の……ましてや十代の少年を殺すなんてこと、同じ代紋を背負った極道として見過ごせません」

「…………」

「それと、先程"ウチの組の問題"と仰ってましたが……このガキ、荒川組とは何の関係も無いんですよね?なら、そんな少年を殴り殺すのはなおさら筋が通らないんじゃないですか?それとも……」

 

そこで錦山は言葉を切り、沢城の発言の矛盾を突く。

 

「その少年は"荒川組の預り"って事なんですか?であれば確かに俺が口出しする理由はありません。ただ……その場合だとその少年は立派な組の関係者。準構成員って事になります。それをガキだからって理由で盃もやらず足蹴にした挙句殺したとあっちゃ……本家からの評判も下がっちまいますよ?」

「……………………」

 

沢城は少年の胸ぐらから手を離して解放すると、己の手首を掴む錦山の手を振り払った。

そして。

 

「────ハッ、チンピラ風情が。堂島組だからと下手に出てりゃいい気になりやがって」

「!!」

 

沢城は初めて、錦山に対して明確な殺意を向けた。

その鋭利な殺気は、荒川組が"殺しの荒川組"と呼ばれるようになった所以を体現していた。

 

「そんなくだらねぇ理屈をゴネて筋を通したつもりか?三下の分際で一丁前に任侠道のご指導とは、笑わせてくれる」

「沢城さん…………」

「ヤクザなんてもんは結局は暴力。強ぇ奴に弱ぇ奴が従う世界だ。俺はな……テメェみたいに筋だの仁義だの綺麗事ばっか並べて碌に喧嘩も出来ねぇような腑抜けた野郎が大嫌いなんだよ」

「────なんだと?」

 

威圧感と殺気に押され気味だった錦山だが、その発言で火がついた。

彼の中に眠る荒くれ者の血が、売られた喧嘩を買えと騒ぎ立てている。

 

「……聞き捨てならねぇな。もういっぺん言ってみろ」

「聞こえなかったか?御託ばっか並べるだけの腑抜け野郎って言ったんだよ」

「テメェ……!!」

 

ヒートアップしていく両者。

数秒後には確実にどちらかの顔面にどちらかの拳が炸裂しているだろう。

もはや開戦は時間の問題。

そう思われた矢先だった。

 

 

 

 

 

 

「止めねぇか、丈。客人相手にみっともねぇ」

 

 

 

 

 

 

殺意を剥き出しにしていた沢城が一瞬でファイティングポーズを解き、声のした方向へ頭を下げる。

 

「お疲れ様です、親父」

「なっ……!?」

 

錦山は突如として現れた人物に驚愕した。

何せ彼は沢城の態度が急変するまで、すぐ近くまで来ていたその存在に気付かなかったのだから。

 

(嘘だろ、いつの間に来てたんだ!?全く気配を感じなかったぞ……!?)

「荒川真澄だ。すまねぇな、錦山さん。ウチのモンが迷惑かけちまってよ」

 

東城会系荒川組組長。荒川真澄。

"殺しの荒川組"を束ねる親分である。

 

「い、いえ。自分は大丈夫です。どうかお気になさらず……」

「そうか?寛大なお心遣い、痛み入るぜ。……丈」

「へい」

 

荒川が悠々と煙草を咥えると、沢城がすかさず火を付ける。

ゆっくりと紫煙を燻らせた後、荒川は沢城に指示を出した。

 

「丈。そのガキはお前が病院に連れて行け」

「親父……ですが」

「お前が撒いた種だろう?ブツは俺が受け取っとくから、お前は自分のケツ拭いてこい」

「……分かりました」

 

沢城はそう言って顔を顰めると、意識を失った少年を担いで街へと消えていった。

いくら沢城と言えど、荒川組長の命令には逆らえなかったのだろう。

 

「さ、立ち話もなんだ。上がってくれ」

「は、はい!失礼します!!」

 

物静かながらも気さくに声を掛けてくれた荒川の後を、錦山は若干の畏怖と緊張が拭えないままついて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だぁっはぁー……疲れたぁー…………」

 

夕方。

どうにか組の言いつけをこなした俺は、公園のベンチに背中を預けて脱力していた。

 

(荒川組の事務所……二度と行きたかねぇ……)

 

喧嘩になりかけた沢城の殺気とプレッシャーは未だに思い出すだけで肝が冷えるし、荒川組長は気さくな良い人だったが事務所の雰囲気はどこかピリピリしていて終始落ち着かなかった。

そして何より。俺が持っていった"ブツ"の正体。

 

(結局ブツはチャカだったしよ…………それも一丁じゃ済まねぇ)

 

リボルバー式が二丁。オートマチック式が三丁。

それらの弾丸に使う九ミリ口径の弾丸が全部で三十六発。

これから戦争でも始めようかと言わんばかりの品々ばかりだった。

 

(荒川組長も全部分かってる雰囲気だったし……やっぱりアレ、そういう"仕事用"だよな?)

 

殺しの荒川組は伊達じゃない。

それを肌で感じていた俺は、やっとの思いでそこから解放された。

しかし、エラく神経を使った反動からかしばらく動けないでいた。

 

(とにかく疲れた……ちょっと休んだら家に帰ろう)

 

本当は行きつけの店に顔を出したりする所だが、そんな元気も無い。

とにかく休みたい一心で俺はベンチの背もたれに背中を預け続けた。

するとそこへ、一人の男が近付いてくる。

 

「お前……こんな所にいたのか」

「あ?」

 

グレーのスーツにワインレッドのYシャツ。

彫りの深い顔立ちと、ショートリーゼント風の髪型。

如何にもヤクザ然としたその格好の男は、聞き馴染みのある低い声で話しかけてきた。

 

「探したぜ、錦」

 

東城会直系堂島組舎弟頭補佐。桐生一馬。

俺がガキの頃から一緒にいる親友にして、渡世の兄弟分。

どうやら俺の事を探していたらしい。

 

「よう桐生。悪ぃが今俺は疲れてんだ、そっとしといてくれ」

「喧嘩でもしたのか?」

「いや、組からのお使いみたいなもんだ……生きた心地はしなかったけどな」

 

今思い出すだけでも寒気で鳥肌が立つ。

やはりすぐ帰った方がいいだろうか?

 

「? よく分からんが、とりあえず来てくれ。セレナでみんなが待ってる」

「あ?セレナで?」

 

セレナとは天下一通りで店を構えている俺たちの行きつけの店だ。

みんなの都合が着く時はシノギ終わりに大体そこで酒を飲むが、今はなんだかそんな元気も無い。

 

「いや、せっかくだが遠慮させてくれ」

「何言ってんだお前。いつもは頼まれなくたって来るじゃねぇか」

「うるせぇ。今日はホントに疲れてんだよ、勘弁してくれ」

「良いから来い、俺の奢りだ」

「しつけぇな、良いって言ってるだろ?」

 

いつになくしつこい桐生に嫌気が差すが、同時に疑問も抱く。

大抵は俺が飲みに誘って桐生がそれに乗るってパターンがほとんどだ。

こうして桐生の方から声を掛けてくるのは非常に珍しい。

 

「うーむ…………あ」

「あ?」

「いや、実はな……由美がお前に、渡したい物があるって言ってたぞ」

「は?渡したい物?」

「あぁ。俺も詳しくは聞いてないんだが、どうしても今日渡さなきゃ行けないらしい」

 

正直、桐生の言う事は胡散臭いが由美が関わっているのであれば話は別だ。

もしもこれが俺を誘い出すための嘘だったら後で桐生をぶん殴れば済む話。

 

「仕方ねぇ……分かったよ」

「よし。行こうぜ、錦」

 

どこか満足気に頷く桐生。

表情筋がほとんど動かないコイツだが、態度や仕草が素直だから非常にわかりやすい。

 

(結局流されて来ちまったが……一体なんなんだ?)

 

困惑するままエレベーターに押し込まれ、二階へとたどり着く。

そしてセレナのドアを開いた瞬間。

 

 

 

 

 

 

「「錦山くん!お誕生日おめでとーっ!!」」

 

 

 

 

 

 

由美と麗奈の声が響き、クラッカーの鳴る音が鼓膜を叩く。

そこで俺は全てを悟った。

 

「そうか……今日、俺、誕生日だったな…………」

 

日々のシノギや組の仕事に追われて忘れていたが、今日は10月8日。

俺がこの世に生を受けた日に他ならない。

 

「え?お前自分の誕生日忘れてたのか?」

「あぁ……何かと忙しくてな……」

「物覚えの悪い俺でも、自分の誕生日くらいは言えるぞ?」

 

そう言ってよく分からないマウントを取ってくる桐生。

さっきから思ってたがさてはコイツもう酔ってやがるな?

 

「ささっ、錦山くん!座って座って!」

「そうそう。今日は一馬が奢ってくれるって言うから、朝まで楽しもうよ。ねぇ一馬?」

「あぁ、俺に任せておけ!」

「フッ……分かったよ」

 

ついさっきまでの疲れが嘘のように吹き飛んだ。

今日はもう仕事やシノギのことは考えなくていい。

今、この場における主役は間違いなく俺なのだから。

 

「まずは私からね、はい。錦山くんにプレゼント」

 

そう言って麗奈が取り出したのは、一本のワインボトル。

でも、それはただのワインボトルじゃなかった。

 

「麗奈、お前これ……!?」

 

そのボトルのラベルには1964年と書かれている。

麗奈が用意した贈り物は、俺の生まれ年ワイン。

クラブのママらしい粋な贈り物だった。

 

「今日はこれをみんなで飲んでお祝いしましょ!」

「麗奈……!」

「はいはーい!次は私ね!」

 

華のような笑顔を浮かべながら手を挙げたのは由美。

由美は用意していた紙袋を手渡してきた。

 

「はい、錦山くん!お誕生日おめでと!」

「おう!開けていいか?由美」

「もちろん!」

 

元気よく頷く由美。

彼女から受け取った紙袋を慎重に開けて中身を取り出す。

 

「こ、これは……!!」

 

そこにあったのは、純白のジャケット。

最高品質の生地を惜しげも無く使い、プロの手でオーダーメイドされた紛れもない高級品だった。

 

「ふふ、驚いた?」

「由美、お前これ……どうしたんだ!?」

「実はね、錦山くんが行き着けの仕立て屋さんにお願いして、内緒で作って貰ってたの!私が生地から選んだ自信作だよ?」

 

ヤクザという裏稼業において見栄を張るのは重要だ。

それが極道にとって欠かせない"箔"となって、やがては"華"となる。

由美の贈り物は、それらを満たす上でも十分過ぎるほどの仕上がりだった。

 

「由美……ありがとな!明日から早速着ていくぜ!」

「うん!」

 

惚れた女からの贈り物のジャケット。これを喜ばない男などいる訳がない。

こいつは俺にとって、特別な普段着になるだろう。

 

「錦!酒の用意が出来たぞ、グラスを持て!」

「おうおう、お前だいぶ出来上がってんな?主役を差し置いてよ」

「桐生ちゃん、錦山くんの誕生日を祝えるのが嬉しいみたいよ?」

「そうそう。それで我慢出来ずに先に飲んじゃったんだって」

 

いつになくテンションが高い桐生に言われるがままグラスを持ち、乾杯の体制に入る。

ここは俺が音頭を取らせてもらうとしよう。

 

「なんだか小っ恥ずかしい気もするが……俺の誕生日、祝ってくれてありがとう。今日は朝まで楽しもうぜ!それじゃ……乾杯!」

「「カンパーイ!」」

「乾杯!めでたいなぁ、錦!」

 

東城会の極道になってからというもの、辛い事や苦しい事ばかりだ。

時折この世界に入ったことを後悔しそうになる日もある。

それでも、俺にはこうして共に誕生日を祝ってくれる仲間がいる。共に騒いでくれる親友がいる。

そして、共に笑ってくれる惚れた女がいる。

それだけで、この厳しい渡世を生きていられる気がした。

 

(来年もまた、こうしていたいな……)

 

酒でも回ったのだろうか。

柄にもなくそんな事を想いながら、俺はセレナでのひとときを過ごすのだった。

 




錦山「そういや桐生。お前は俺に何かくれないのか?」
桐生「フッ、よく聞いてくれたな錦!俺がお前に渡すのは……コレだ!!」



ー ゴーレムタイガー リミテッドエディション ー



「……………………………………おい、これ」

麗奈「あぁ……(桐生ちゃん、ホントにそれ渡すんだって顔)」
由美「ぷっ、くくくっ……!(面白すぎて笑い堪えてる)」


「フッ、驚いて言葉も出ないようだな。ポケサーマシン。ゴーレムタイガーのリミテッドエディションだ。比較的パーツ数が少ない初心者用のマシンでありながら、改造の幅は非常に広く設定されている。しかもリミテッドエディションは全国のおもちゃ屋で売り切れが続出した幻のバージョンなんだ。手に入れるのに苦労したぜ…………」
「………………………………………………」
「さぁ錦!そいつを組み立てて早速明日ポケサースタジアムに行こう!そして俺と一緒に神室町最速を目指────」




「いや、いらねぇし行かねぇよ?」




「──────な、ん……だと……………………?」




後日、一人でしょぼくれながらゴーレムタイガーリミテッドエディションを走らせる"堂島の龍"がポケサースタジアムで目撃され組中で話題になったのだが、それは別のお話。





Happy birthday!!錦山彰!!!!


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第一章 親殺しの運命
最後の日常


気ままにのんびりやっていきます。


1995年。9月30日。東京神室町。

ホストクラブ、バーや風俗店を中心に栄えたアジア最大の歓楽街。街中の店舗のネオンが常に光を失わない事から眠らない街とも言われるこの街だが、実際はヤクザを筆頭に危険な連中が各地から訪れては悪事を働く危険地帯でもある。

天下一通りと呼ばれる華やかなアーケード街は様々な人の往来があり賑わった様子を見せているが、一歩脇道を逸れれば取り立てのヤクザが債務者に追い込みをかけているなんてことも珍しくない。

そんな暴力と欲望の渦巻く街に、一台の車が止まった。

乗っているのはスーツ姿の二人の男。

「着きました」

運転席の男が助手席に乗っていた男に声をかける。

「あぁ」

助手席の男は短く返答すると同時に車を降りた。

街の喧騒と薄汚れた空気に一瞬だけ眉をひそめるが、この街では日常茶飯事なので直ぐにやめる。

「相変わらずですね、この街は」

運転席の男も思っていた事は同じらしく、やれやれといった様子で肩をすくめた。

「そうだな。だが、俺達ゃこの街のおかげでメシが食えてんだ。そう文句も言ってられねえだろうよ」

「えぇ、間違いありません。」

軽口を叩きあう二人の男。助手席にいた男の方が少し立場が上なのだろうか、運転席の男は敬意を向けている。

「それで新藤。例の店はどこにあるんだ?」

助手席の男の問いに対して新藤と呼ばれた運転席の男は即座に答えた。

「はい、七福通りのJeweLって店です。錦山の兄貴」

新藤の答えを聞いた助手席の男―――錦山彰は驚愕する。

「おい、そりゃマジかよ。よりにもよって、堂島の組長が一番気に入ってる店じゃねえか」

「え、そうなんですか?」

「あぁ。俺の顔もよく知られてる。何せあそこは、俺が組長に紹介した店だからな」

錦山は思わずため息を漏らした。今回の自分の仕事がより面倒なことを知ってしまったからだ。

「よりにもよって、俺が紹介した店で揉め事とはな‥‥ったく、今夜は約束があるってのについてねえ」

「それなら、さっさと行って片付けちまいましょう。すぐそこです」

「あぁ、分かった」

頷き合った二人の男の胸元で、代紋のバッチが光る。

彼らは真っ当な堅気の人間ではない。

この欲望の街を牛耳る関東最大の暴力団組織である「東城会」の極道なのである。

「にしても、この街のキャバ。それも堂島組のシマの真ん中でバカやらかす奴がいるとはなぁ

。とんだ命知らずもいたもんだ」

「えぇ、全く同感ですよ」

彼らに与えられた仕事は自分達のシマ、つまり縄張りとしている場所のキャバクラで起きた揉め事の対処だ。揉め事の主な原因は基本的にはタチの悪い酔っ払いなのだが、ただの酔っぱらいで動くほどヤクザも暇ではない。

「相手の情報は何か聞いてるか?」

「はい。なんでも地方にある組の人間だそうで、酒の勢いで好き勝手やってるとか」

しかし、その酔っ払いが裏社会の人間だった場合ならばそうはいかない。堅気の人間が対応しようとすれば、それこそ何の報復があるか分かったものではない。故に、シマの中の店はそういったことがあった場合にヤクザを呼び、対処を依頼するのである。

その用心棒の為の依頼料として店は、依頼した地元のヤクザに売上の何割かを報酬として支払う。所謂“ケツ持ち”と呼ばれるシノギの一つである。

「なるほど、田舎から来たお上りさんって所か。礼儀ってもんが分かってねえらしい」

「えぇ。兄貴からもキッチリ落とし前付けさせるよう言われてます」

情報を共有しながら足早に現場へと向かう二人。人でごった返す神室町だが、周りの通行人達は、自然と彼らを避けるように道を開けていく。この街では若いヤクザなど珍しくはない。

しかし、如何に若衆と言えど、その東城会の中でも最大級の勢力と影響力を持つ「堂島組」の所属ともなれば話は違ってくるのだ。

「よし、ここだな」

七福通りの中央、神室町の中心に近い場所で二人の足が止まった。今回もめ事が起きている店 「JeweL」だ。

「行きましょう」

「あぁ」

高級感のあるドアを開けて店内へと入り込む二人。普段ならば客やキャストの話し声で活気づいている店内だが、ボーイをはじめ店内の全員がしんと静まり返っており、スピーカーから流れるジャズの音楽だけが虚しく店内に響き渡っていた。

「おい、店長いるか?」

錦山は近くにいたボーイを捕まえて店長を呼ぶよう伝える。

こくりと頷いたボーイが裏方に引っ込んで程なくして、神妙な面持ちで店長が現れた。

「新藤さん、錦山さん、お疲れ様です」

「挨拶はいい、事情は大体聞いてる。例の奴はどこにいんだ?」

「はい、こちらです....」

店長に案内され錦山たちが向かったのは、一番奥のVIP席。

その少し手前のスペースにて二人のチンピラ達がボーイをよってたかって踏みつける等の暴行を加えていた。

さらにその奥。席の中央に赤いスーツを着た男がふんぞり返り、その両隣をキャストの女の子が座っているのだが、恐怖のあまりか凍り付いたように動けないでいる。

(おおかた、何かの粗相をしたボーイに奥の男の舎弟達がヤキ入れてるってとこだろう。チッ、勝手な真似しやがる)

「すみません、ちょっとよろしいですか?一体何を騒がれているんですか?」

新藤が最初に声をかける。あくまで敬語を忘れずに。

「あぁ?なんだテメェらは?」

錦山達の存在に気付いたチンピラ達が睨み付ける。

「自分ら、この店の仕切り任されてる堂島組のモンですが....」

「堂島組だぁ?けっ、知らねえな」

「見ての通り取り込み中だ。すっこんでろや、な?」

組の名を出しても怯まずに凄むチンピラ達の足元には、顔を真っ赤に腫らしたボーイが呻き声を上げて倒れている。

「コイツが何か粗相を?」

「あぁそうだ」

錦山の問いに答えたのは奥に座っている赤スーツの男だった。

「このガキが俺の一張羅に酒ぶっかけやがったのさ」

よく見てみると男のスーツの太もも部分に大きなシミが出来ている。ドリンクがこぼれたのは確かなようだった。

「高かったんだぜこのスーツ。弁償しろつっても金がねえなんて言いやがるからこうしてヤキ入れてんだよ」

「なるほど、つまりこういう事ですか」

錦山は得心がいったように頷いた後言い放った。

「貴方達はたかが安モンのスーツにドリンク零された程度でみっともなく因縁付けて、カタギのボーイに寄ってたかって手を出した、と」

その明らかに侮辱するような言い方は、チンピラ達に火を付けるには十分過ぎた。

「んだとテメェ?」

「もう一度言ってみろコラ!」

胸ぐらを掴むチンピラに対し、錦山はあくまで冷静に対応する。

「困るんですよ、そんな程度で堂島組の....東城会の直系組織である我々のシマで揉め事起こされるのは、なァ!」

瞬間、錦山は胸ぐらを掴むチンピラの手首を握り返すとそのまま力任せに腕を捻りあげた。

「いでででででで!?」

「て、テメ---ぶぐっ!?」

もう一人のチンピラが錦山に殴り掛かるよりも先に、新藤の拳が鳩尾に抉りこまれていた。

「こっちも忘れて貰っちゃ困るぜ、チンピラ。オラァ!」

新藤は膝から崩れ落ちるチンピラの顔面を思い切り蹴りあげた。

チンピラは泡を吹いて気絶し、同時に錦山も捻りあげていたチンピラの腕をそのままへし折って無力化する。

「ぎゃああああああああ!!」

「お前らは天下の東城会に喧嘩ふっかけたんだ。これくらい安いもんだろうが」

絶叫を上げながらのたうち回るチンピラに対してそう吐き捨てて、錦山は赤スーツの男に向き直る。

「さ、後はアンタだけだ」

「テメェら、よくもやってくれやがったな....?」

「ひっ....!?」

赤スーツの男は静かに立ち上がるとテーブルにあったドリンク用のアイスピックを手に持った。

キャストの女の子達が短く悲鳴を上げながら赤スーツの男から離れていく。

「新藤、女の子達を頼んだ」

「はい、兄貴」

錦山が一歩前へ進み、新藤が指示通り後方で女の子達を庇うように立つ。

「堂島組だかなんだか知らねえがいい気になりやがって!いっぺん死んどけやァ!!」

アイスピックを振り上げて襲いかかる赤スーツだが、酒のせいか元々なのか動きは単調でキレがなく、錦山は難なくこれを躱す。

「せいやっ!」

そして振り返りざまに顔面を右ストレートでぶち抜いた。

「ぐぶァ!?」

思わずバランスを崩す男に対し、錦山はすかさず追い討ちの前蹴りをボディに叩き込む。

「ぐ、ほっ!?」

腹を抑えて蹲る赤スーツの男の頭を錦山は両手で掴むと、

「は、?何しやがる....?」

「こうすんだよ!!」

全力の膝蹴りを顔面にぶち当てた。

錦山は男の鼻が文字通りへし折れるのを膝越しの感触で実感し、直後の悲鳴で男から戦意が失われたのも理解する。

「おい」

「ひ、ぃ!」

錦山は男の髪を掴みあげると、折れた鼻を抑える彼にトドメを刺した。

「アンタらがあのボーイにやった分、この後事務所で徹底的に可愛がって貰うんだな」

「ひっ....!」

顔面蒼白になる男だったが時既に遅し。

彼らはその無知さ故に、虎の尾を踏んでしまったのだから。

「堂島組、ナメてんじゃねえぞ」

ーーーその後、神室町で赤スーツの男とその手下達の姿を見た者は居ない。

だが、もし生きているのであれば骨の髄まで刻み込まれたであろう。

神室町を牛耳る極道の恐ろしさを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、時間食っちまったぜ」

店で暴れてたチンピラにケジメを付けた俺は、その後の後始末を新藤に任せてその場を去った。今頃先程の田舎ヤクザは堂島組の事務所で徹底的に痛め付けられているだろう。人の死ぬギリギリを熟知した兄貴分達から直々にだ。

(あー、おっかねえ)

考えただけで鳥肌が立つ。自業自得とは言え、そんな組の兄貴達にヤキ入れされる田舎ヤクザ達は哀れと言う他無いだろう。なんて感傷に浸っていた俺だったが、目的の場所が見えてくるとそんなモノは霧散していく。

今日、仕事の事を考えるのはもう終わりだ。

(さ、着いたな)

俺は天下一通りの中程にある雑居ビルへと足を踏み入れた。エレベーターで上の階に上がり、木製のドアを開けて店内に入ると、見慣れた内装と聞き馴染みのある音楽。そして着物姿に身を包んだ美人が俺を待っていた。

「いらっしゃ……あぁ、錦山くん!待ってたわよ」

「おう、待たせたな麗奈」

笑顔で迎え入れてくれた彼女の名前は麗奈。バブル期の頃からこの店ーーー「セレナ」をたった一人で切り盛りしてきた馴染みの敏腕ママだ。

「いつもより遅かったけど、何かあったの?」

「あぁ、ちょっとシマの店でトラブルがあってな。それで駆り出されてたんだ」

いつものカウンター席に座った途端、疲れがドッと押し寄せる。それは、ここが俺にとってもう気を張る必要が無い、プライベートな自分へと戻る事が出来る場所であるからに他ならない。

「どうする?先に何か飲む?」

「あぁ。いつもの奴、ストレートで頼むよ」

「分かったわ」

麗奈は慣れた手つきで酒を準備し始める。

今日はこの店にあと二人、家族と言っても差し支えない俺の身内が来る。ただ、今日は二人とも遅れてるみたいだ。

「なぁ、桐生はシノギがあるから遅れるってのは知ってるけどよ、由美は何処に行ってるんだ?」

「由美ちゃんは買い出しよ。ほら桐生ちゃん、ここ来るといつもお腹空かせてるじゃない?」

「そういやそうか。ったく、アイツ普段まともなメシ食ってんのか?」

「さぁ、どうなんでしょ?……はい、お待たせ」

「おう、ありがとよ」

俺は麗奈に礼を言うと、ロックグラスに注がれた琥珀色の酒をグイッと喉に流し込んだ。

酒が通り抜けた後の食道が熱を帯び、じんわりと疲れた身体に染みていく。

「っかーっ!ひと仕事終えたあとの酒はたまんねぇな!」

「錦山くん、なんだかおじさん臭いわよ?」

「へっ、うるせぇ」

麗奈と軽口を叩きあっていると、背後で店のドアが開く音が聞こえる。

振り返った先にいたのは大きめのジュラルミンケースを持ったグレーのスーツ姿の男だった。

いかにもヤクザでございますって感じの彫りの深い顔立ちをしたそいつこそが、俺の待っていた身内の一人。

「よぉ、桐生」

「あぁ、待たせたな錦、麗奈」

東城会直系堂島組舎弟頭補佐。桐生一馬。

俺と共に極道の道に足を踏み入れた兄弟分だ。

「相変わらず静かだなぁ」

そう言ってケースを置きながらテーブルに着く桐生の顔にも若干の疲れが見えた。

こいつにとってもここは、張り詰めていた気を抜く事が出来る憩いの場であるって事だ。

「あなた達がいたんじゃ怖くて飲めないでしょ普通のお客さん。だから今日は貸切」

ごもっともな事を言う麗奈を横目に、俺は桐生が飲む分の酒をグラスに注ぐ。桐生の最初に飲む酒はいつも俺と同じものだ。

「麗奈、由美は?」

「今買い出しに行ってるの。どうせまた腹減ったとか言い出すんでしょ?」

「違いねぇ」

俺は桐生の手元にグラスを置き、今進んでいるであろう案件について尋ねた。

「どうなんだ?桐生組の立ち上げは?」

その案件とは、今回のシノギを完遂させた暁には桐生は自分の組を持つ事が出来ると言う話だった。

桐生の役職は舎弟頭補佐と言う出世の本筋とは言い難い微妙な立ち位置だ。

だが、自分の組を持つ事が出来ればそこでシノギを伸ばして出世するって道が開けるようになる。

極道としてこれ以上誇れるものは中々ない。

「まだ決まった訳じゃない。組長が決める事だ」

だと言うのに、俺の兄弟分は謙虚が過ぎた。

確かに桐生は堂島組長からよく思われてはいない。

故に舎弟頭補佐って言う微妙な立ち位置の役職を与えていたんだろう。しかし、所詮はそんなもの組長の陰湿な小細工に過ぎない。

「組長も嫌とは言えねえよ、風間の親父がもうその気なんだ。堂島組はあの人で持ってるようなもんなんだからな」

俺と桐生の育ての親であり、俺たちをこの道へと導いてくれた親っさんーーー風間新太郎。

キレる頭と強大なカリスマを併せ持ち、仁義を重んじて生きる極道の鏡のような人だ。

現在は堂島組の若頭としての立場に甘んじているが、実質的に堂島組を動かしているのはその風間の親っさんであると言っても過言じゃない。

そんな人が桐生組の立ち上げを誰より楽しみにしているのだ。

決まったも同然と言っていいだろう。

「そこ行くと堂島組長は昔の自慢とメンツの話しか出来やしねえ」

数年前にあったとある事件をキッカケに堂島組一強と言われた時代が終わりを告げ、それと同時に堂島組長の権威も失墜した。

それ以来堂島組長は酒と女に溺れて自堕落な生活を送り始め、お飾り同然の存在へと成り下がっていたのだ。

だが、あんな小物でも親として仰がないといけないのが俺たちのいる世界なのだから世知辛い。

「控えろ、錦」

桐生も口ではそう言うが、こいつ自身思う所もあるのだろう。

軽く言ってくるだけで本気でたしなめようとはしなかった。

「ふぅ……」

俺はタバコに火を付けると、煙を吐いて誤魔化すようにため息を付いた。

持ち前の度胸と腕っ節で数々の修羅場を乗り越えてきた桐生はいつしか「堂島の龍」と呼ばれるようになり、今や東城会本家の中でも一目置かれる存在。

「またお前に、先越されちまったか……」

それに引き替え俺は、各方面に顔を売っちゃいるが未だ目立ったシノギや成果を上げる事が出来ていない。

自分でも分かるくらい、俺は燻っていた。

「……なぁ、錦」

「?」

すると桐生は少し言いにくそうに話を切り出してきた。

今度は、桐生が俺に尋ねてくる番らしい。

「お前、妹はどうなんだ?」

内容を聞いて合点が行く。

桐生が躊躇うのも納得だ。

「来月……もう一度手術だ」

俺には一人、同じ施設で育った実の妹がいる。

名前は優子。

幼い頃から病気がちで、良く入退院を繰り返していた。

それでも身体が成長して大人になってからは元気に過ごしていたのだが、三年前に重い心臓の病気が発覚。

風間の親っさんのすすめで、東京の大きな病院に入院する事になったのだ。

「多分、次で最後になる」

「最後……!?」

それ以来優子は、何度も延命の為の手術を繰り返してきた。

だが、先生の話では優子はもう長くないと言う。

「身体がもたないそうだ。これでダメなら、もう……」

「そうか……」

兄弟の顔が悲しそうに歪んだ。

桐生も優子の事はガキの頃から知っている。

そして、俺が優子の事を常に気にかけている事も。

「っ、」

俺は心のモヤを誤魔化すようにロックグラスを呷った。

さっきまで美味かったはずの酒が、今は絶望的に不味い。

重い空気が立ち込めるセレナだったが、まるでその流れを変えるかのように裏口のドアの開く。

そこに立っていたのは両手に買い出しのビニール袋を持った一人の女。

「あ、来てたのね!」

俺や桐生の姿を見た途端、花のような笑顔を見せる彼女こそ、俺が待っていたもう一人の身内。

「由美!」

「フッ……」

澤村由美。俺と桐生の幼馴染でセレナで人気No.1のホステスだ。

もっとも、ただの幼馴染とは訳が違う。

俺と桐生と由美の三人は、風間の親っさんの建てた養護施設の「ひまわり」で育った、いわば家族同然の存在だ。

「ちょっと、もう酔ってるの?私も入れなさい!」

「どうぞご遠慮なく」

由美が俺と桐生の肩に手を置いて間に入るようにして座った途端、気付けばさっきまであったはずの重たい空気は跡形もなく消え去っている。

由美には昔から、周りの空気を和ませて毒気を抜いてしまう不思議な力があった。

「由美の酒も、同じので良いか?」

「うん、おねがい」

「由美、そんなに買い込んで大丈夫だったか?大変だったろう?」

「大丈夫。誰かさんがお腹空かせてるだろうと思ったから頑張っちゃった、ね?」

「ぐっ……」

気まずそうに顔を背ける桐生。

酒のせいなのか照れてるのか顔がわずかに赤く見える。

「あら、桐生ちゃん一本取られたわね」

「ははっ、由美には何もかもお見通しだなぁ兄弟?」

「うるせぇ……悪かったな」

あの「堂島の龍」がタジタジになっている姿を見る事が出来るのは、日本中どこ探してもここだけだろう。

「冗談だよ。一馬ったら、そんなに拗ねなくてもいいじゃない」

「拗ねてなんかねぇよ……錦、もう一杯くれ」

「まぁ待てよ。由美、お待ちどうさま」

「ありがと、錦山くん」

由美にグラスを渡した後、桐生にもグラスを寄越すよう仰ぐ。

渡されたロックグラスにギリギリまで琥珀色の酒を注ぎこんでから零れないようゆっくりと手渡した。

「ほらよ桐生」

「お、おい。こんなになみなみと注ぐ事ねえじゃねえか」

「何言ってんだよ、今日の主役はお前だろうが。」

「どういうことだ?」

怪訝な顔をする桐生を横目に、俺はグラスを掲げた。

「みんなグラスは持ったな?それじゃあ桐生組の旗揚げを祝して、乾杯!」

「「かんぱーい!」」

「お、おい!だからそれは気が早ぇって……ったく聞いちゃいねえ」

主役であるはずの桐生をおいてけぼりにする形で始まった祝宴会。

麗奈と由美が最近のお客さんとあった出来事を語り。

俺と桐生がお互いのやらかしを暴露し合う。

そうして聞き手と語り手が入れ替わりながら、酒と共に時間が過ぎていく。

本当は祝宴会というのもただの口実で、四人で楽しい時を過ごしたかっただけだった。

そしてこの先もずっと、こんな時間が過ごせると思っていた。

俺だけじゃない。きっとこの場にいた誰もがそう信じて疑わなかっただろう。

だからこそ、

 

 

 

 

 

 

これが四人で一緒に過ごす事の出来る最後の夜になるなんて事を、この時の俺は知る由もなかったのだ。

 

 

 

 

 



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運命の分岐点

ある日の事。

「よう。」

学生服姿の一人の少年が、とある病院の病室に足を踏み入れる。

「お兄ちゃん。」

患者衣に身を包んだ少女が、少年に気付いた。

「どうだ調子は?」

優しい表情で語りかける少年。

彼は彼女の実の兄だった。

「いつも通り。お兄ちゃんこそ風間さんを困らせてない?」

「大きなお世話だっての」

妹の減らず口を聞いて少年は安心する。彼にとっては妹が元気である事が一番なのだから。

「なぁ、今日はお前にプレゼントがあるんだ」

「え、ホント?なになに?」

目を輝かせる妹に、少年は白い花の切り花を渡す。

「わぁ、これって!」

「これ好きだったろ?これで元気だして、早く良くなってくれよな」

花の名は胡蝶蘭。白い花びらが特徴的な清楚で純粋なイメージを持つ綺麗な花だった。

「ありがとうお兄ちゃん!」

「ははっ、気にすんなって」

はにかむように笑う妹につられるように笑う兄の少年。

そこには仲睦まじく過ごす兄妹の、どこまでも平和な時間が流れていた。

 

〜ー〜

 

「……ぁ?」

そしてその平和は、ふとした拍子で終わりを告げる。

朧げながらも明確になっていく意識と額の内側から生じる痛みが、彼を現実へと引き戻す。

「あ、錦山くんやっと起きた」

「麗奈……?」

錦山が目を覚ましたのは、セレナのバックヤードだった。

ソファに横になっている体勢である事から、ここまで連れて来られて寝かされていたのだろう。

「おはよう錦山くん。昨日はだいぶ飲んでたわね?」

「そっか、俺、桐生に張り合うようにして……」

昨日の記憶が蘇る。

あの時酒の回った錦山は桐生には負けられないと言ってハイペースで飲みすぎてしまい、結果として潰れてしまったのだ。

「桐生ちゃんが潰れた錦山くんをここまで運んで寝かせてあげてくれたのよ?後で感謝しなきゃね」

「そうか……ちっ、アイツに借りができちまったな」

やれやれといった様子の錦山の視界に、ふとバックヤードの時計が目に入る。

「!?」

思わずギョッとした錦山はすぐに腕時計を見る。

時刻はバックヤードの時計と一致していた。

「やべぇ、もうこんな時間か!」

「どうかしたの?」

「今日は優子のお見舞いに行く予定だったんだ!急がねえと受付時間が終わっちまう!悪ぃ麗奈、俺行かなきゃ!」

「あ、ちょっと錦山くん!」

錦山は飛び上がるように起きると、そのまま店を出ていった。

「あらあら、騒がしいんだから」

麗奈は一つため息をつくとソファから立ち上がり、開店準備に取り掛かるのだった。

今夜また顔を出すであろうみんなを、笑顔で迎えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

東都大学医学部付属病院。

日本の中でも5本指に入る医療技術を誇る都内最大の病院だ。

東城会の息がかかった病院でもあり、組の幹部が重大な怪我や病気で入院する際にもよく利用されている。

優子がここに入院する事が出来たのも、風間のおやっさんの口利きによるところが非常に多い。

本当に俺は、あの人には頭が上がらない。

「……」

面会の受付時間にギリギリ間に合った俺は、そんな病院の清潔感のある廊下を歩いていた。

病室の場所は変わっていないので看護師の案内も断り、目的の場所へと向かう。

(ここだ)

病室のドアを静かに開けて、中に入る。

そこには、酸素マスクを付けて横たわる優子の姿があった。

心拍数を示すモニターにも異常はなく安定しているのが分かるが、顔色はとても良いとは言い難い。

「優子」

静かに声をかけると、閉じていた瞼が薄らと開いた。

ゆっくりと視線が動き、やがて俺と目が合う。

「おにい、ちゃん…………」

酸素マスク越しに聞こえるくぐもった声には覇気がなく、今にも消え入りそうだった。

「よう。」

「また……来てくれたんだね……」

俺の顔を見て少しだけ安堵した様子の優子。

元々病気がちで身体は強くなかった優子だが、最初からここまで酷かった訳ではない。

一番の原因は度重なる手術による体力の低下だった。

重い心臓病を発症した優子の体力はみるみるうちに減っていき、それに伴う手術の連続でさらに体力を消耗してしまったのだ。

「優子……お前、最近ちゃんと寝れてるか?」

その体力低下の現れなのか、俺は優子の目の下に隈がある事に気付いた。

しっかりした睡眠が取れなければ、体力は戻らない。

来月の手術にも影響が出てしまうだろう。

「ううん……実は、最近あんまり……」

「どうした?寝付けないのか?」

俺の問いかけに、優子は力なく頷いた。

「手術が、怖いの……」

その答えに、俺は納得せざるを得なかった。

考えてみれば当然の事だ。

どんどん体力が衰え、気分や気持ちも弱くなっていく。

そんな中麻酔で眠らされ、手術とは言え体中を切られていじられるのだ。

麻酔の効果で意識が途切れた瞬間、もしかしたらもう目覚めないかもしれない。

そんなもの、怖くないわけが無い。

「おにいちゃん……私、このまま死んじゃうのかな……?」

不安そうに訴えかける優子の瞳が、潤んでいるのが分かる。

優子の心と身体は、もう限界なのかもしれない。

「……馬鹿だなお前は。そんな事考えんじゃねえよ」

「おにい、ちゃん……?」

俺は優子の手を握って、真っ直ぐにその瞳を見つめ返す。

優子を決して不安がらせないように。

「お前は死なねえよ。そのために何度も手術をしてきたんだろ?痛い事や苦しい事、怖い事を我慢して乗り切ってきたんだろ?せっかくここまで頑張って来たってのに、そんな事考える馬鹿があるか。」

「おにいちゃん……」

「お前がこれまで頑張ってきたのは、俺が一番よく知ってる。だから気持ちを強く持て。気持ちで負けてたんじゃ、治るもんも治らねえぞ?」

「…………」

「来月の手術の時は俺も居るからよ。だから、そんな後ろ向きな事考えんなって……な?」

「でも……」

目を逸らす優子。

こうした励ましの言葉は、もう何度もかけてきた。

それでも好転しない状況に、優子は何度も直面してきているのだ。

それに、人の心や気持ちってのは理屈じゃない。

そう言われたからと言ってすぐにそうだと思えるのは難しいものだ。

「よし分かった、じゃあ考え方を変えてみようぜ」

「考え方……?」

そこで俺は、発想の転換を試みる事にした。

「病気を治す為に頑張るんじゃなくて、治った後に何がしたいか。それを考えるんだよ」

「治った、後……?」

「あぁそうだ。人間、夢や目標があった方が頑張れるってもんだろ?だから、治った後にやりたい事、なりたいものを考えるんだよ。そして、それをやる為に今を頑張るんだ」

今言ったこの考え方は、俺が身を置いた極道の世界で学んだ事だ。

良い車に乗って、肩で風を切って、周りの人間に頭を下げられる。

そんな上の幹部や親分連中の姿を見て、下っ端の極道は自分もいつかこんな風になりたいと憧れを抱く。

そして自分がそんな男になる日を夢見て、理不尽や不条理を耐え忍ぶ。

そうして下積みを重ねる事で成り上がっていくのが極道なのだ。

ヤクザなど決してロクなものでは無いが、少なくとも今病床に伏せる妹を元気付ける切っ掛けくらいにはなる筈。

「優子、お前にも何かやりたい事ないか?ウマいメシ食いたいとか、旅行に行きたいとか、何でもいいからよ」

「やりたい事……」

「なりたいものでもいいぞ。こんな仕事をしてみたいとか」

「あ……」

思い当たる事があったのか。

ハッとした様子の優子は、心なしか先程よりも覇気のある声でこう言った。

「私……ひまわりの、先生になりたいな………」

「!」

ひまわり。

優子の言うそれは一般的な花の名前では無く、孤児院の名前だった。

俺と優子。それに桐生と由美の育った場所で、風間のおやっさんが立ち上げて、現在も面倒を見ている施設だ。

そんな場所で、子供達の世話をする先生になりたい。

ささやかで、優しい心を持った優子らしい夢だった。

「ひまわりの先生か。良いじゃねえか、子供達もきっと喜ぶぜ」

「そう、かな……」

「あぁそうさ。優子は人の痛みが分かる優しい奴だからな。子供ってのは純粋だから、そういうところはすぐに分かってお前に懐くだろうよ。じゃなけりゃ極道者の風間のおやっさんに俺らが懐くわけねえ。」

「ふふっ……そう、かもね……」

そう言って小さく微笑む優子。

俺がこの病室に入って、初めて見せてくれた笑顔だった。

「ん?」

その直後、俺のスーツのポケットから甲高い電子音が鳴る。

聞き覚えのあるそれはポケベルの着信音だった。

ポケットから取り出して表示された数字に目を通す。

そこに示されていたのは桐生の舎弟である田中シンジからの着信だった。

(シンジから……?何でわざわざ俺に?)

語呂合わせで読む数字には、すぐに電話を折り返してほしいのか49(=至急)という文字も見受けられる。

どうやら何か問題のある急ぎの要件らしい。

(……)

俺は途端に胸騒ぎがするのを感じた。

何か、とんでもない事が起きているような言い様のない不安と焦燥感。

「おにいちゃん……?どうしたの……?」

そんな俺の胸騒ぎが伝わってしまったのだろう。

不安そうに俺を見つめる優子に対し罪悪感を抱く。

「悪いな、優子。急ぎの用事が出来ちまった」

「そっか……」

「ごめんな。手術前にはもう一回顔出すからよ」

俺は立ちあがると、病室から出るために踵を返す。

「おにいちゃん……」

呼び止める声に振り向くと、優子は俺の目を真っ直ぐ見て言った。

「気を、つけて、ね……おにいちゃん……」

それは弱々しくも、俺にとって激の入る励ましだった。

「あぁ!またな優子」

自分がどうにかなるかもしれない時でさえ優しさを失わない優子の気持ちに報いる為に、こちらも力強く返す。

優子に背を向けて今度こそ病室を出ると、早歩きで最寄りの公衆電話まで向かった。

(ポケベルの相手がシンジからってのが気になるな……)

田中シンジ。

桐生が20歳ぐらいの頃からの舎弟で、よく桐生を慕っている。

俺も決して知らない仲では無いのだが、こうしてポケベル越しにメッセージが送られてくるのは初めてだった。

ましてや急ぎの用事ともなると、桐生絡みで何かあったのかと考えるのが自然だ。

(見つけたぜ)

ロビーまで戻ってきた俺は、備え付けの公衆電話を見つけるとすぐにその受話器を手に取った。

コインを入れてポケベルにあった電話番号を押す。

電話はすぐに繋がった。

『もしもし!錦山の叔父貴ですか!?堂島組の田中シンジです!』

電話越しに聞こえるシンジの声からは焦りと混乱が感じられ、こちらの嫌な予感が強くなっていく。

「あぁ、聞こえてるよ。一体何があったんだ?」

俺はそれを押し殺してシンジに話を促した。

あくまで冷静に。

そう思って耳を傾けた俺の耳朶を打ったのは、信じ難い現実だった。

『今さっき、堂島組長が由美さんを攫っていたんです!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桐生が異変に気付いたのは、シンジと共にセレナに顔を出した時だった。

血相を変えた麗奈がまるで掴みかかるように桐生に迫り、どうしようと訴えかけてきたのだ。

何があったのか問いかける桐生に対し、麗奈は由美がヤクザの組長に攫われてしまったと明かした。

由美を攫ったというヤクザの組長の特徴を聞くうちに、それが堂島組長であると確信した桐生はシンジに麗奈を託すとセレナを飛び出した。

このままでは由美が危ない。

その一心で神室町を駆ける桐生は、劇場横にある堂島組長の事務所に辿り着いていた。

(由美……無事でいてくれ……)

桐生は意を決してエレベーターに乗り込む。

目的の階に辿り着くと、事務所として使用している部屋のドアを開けた。

「おら、大人しくしろよ」

「いや……やめてください……」

事務所の手前の部屋から二人の声が聞こえ、桐生は玄関を土足で上がり込むとその部屋のドアを蹴破るように開けた。

「由美!!」

叫んだ桐生の視界に飛び込んできたのはソファに押し倒された由美と、その上に股がる渡世の親の姿だった。

「あ?桐生……何しに来た?」

東城会直系堂島組組長。堂島宗兵。

名だたる幹部連中の中でも常に上位に君臨する、東城会の大幹部である。

「堂島、組長……」

「何しに来たかって聞いてんだ」

ドスを効かせた声と共に睨みつける堂島の下で、桐生の姿を認めた由美がか細い声で助けを求める。

「か、一馬……助けて……」

「由美……!!」

「ほう、そういう事か」

そんな二人の姿を見た堂島は確信する。

「桐生、お前はこの女を助ける為にここまで来たって事か?」

「……はい。由美は、俺の馴染みの女なんです」

「そうかそうか」

堂島はそれを聞くと再び由美に向き直り、その顔を醜く歪めた。

「だが残念だったなぁ、今からコイツは俺の女だ。」

「ひ、っ!!?」

引きつった悲鳴をあげる由美などお構い無しに、堂島組長は由美の服のボタンに手をかける。

「待ってください、堂島組長!」

「あぁ?なんで待たなきゃなんねぇんだよ。俺は今からこの女抱くんだ、さっさと出てけや」

聞く耳を持たない堂島は由美のブラウスのボタンを全て開けると、中のシャツを引きちぎった。

「い、いやぁ……!!」

「へっへっへっ……嫌がる感じも最高だなァ」

「堂島組長!!」

声を荒らげる桐生に対し、堂島が再びドスの効いた声で問いかける。

「……どうしても出てくつもりはねぇって事か?桐生。」

「……はい。」

「そうか……よし分かった。」

堂島はそう言うと桐生を見て言い放った。

「桐生、命令だ。お前、そこで俺がこの女抱くの見てろ」

「なっ……!!?」

信じられない提案に目を見開く桐生に対し、堂島は意気揚々と続ける。

「この部屋から出たくねぇんだろ?だったら居させてやる。馴染みの女が俺色に染まるのを、特等席で眺めさせてやるぜ」

「堂島、組長……!!」

桐生の知る任侠からあまりにもかけ離れた組長の命令に、かつて無いほどの怒りの激流が桐生の中で荒れ狂う。

「残念だったなぁ由美ちゃんよ。これでもうアイツはお前を助ける事はねぇ。俺の命令には逆らえねぇからなぁ」

「そ、そんな……」

恐怖と絶望のあまり目に涙を滲ませる由美を見て、堂島の顔は下卑た笑みを浮かべた。

「ははっ、いい顔するじゃねえか。さて、そのカラダはどんなもんかね……」

「いや、やめ、やめて下さい……」

ついに堂島の手が由美の下着へと伸びる。

しかし、その手が由美の柔肌を犯すことは無かった。

「あ?」

堂島の手首を、何者かが横から掴んだのだ。

そしてそのまま腕を引っ張り上げると、由美の身体から堂島を引き剥がす。

「な、何!?」

いや、何者かなど分かりきっている。

この状況を、指をくわえて見ていられるほど。

「うぉらァァ!!」

桐生一馬は大人ではないのだから。

「がぁっ!?」

投げ飛ばされた堂島組長が、壁に激しく頭を打つ。

そんな組長よりも、桐生は由美を抱き起こすのを優先した。

「由美、大丈夫か!?」

「ぁ……か、一馬…………っ!」

由美は恐怖から開放された安堵からか、桐生に抱きついて大粒の涙を流して啜り泣く。

「一馬、私……私……!!」

「遅くなってすまねぇ……もう大丈夫だ」

「何が、大丈夫なんだ?」

「!!」

振り向いた桐生の視線の先には、先程投げ飛ばした堂島が怒りの表情を浮かべて立っていた。

「桐生……テメェ自分が何やったか分かってんだろうな?あァ!?」

「堂島組長……」

楽しみを邪魔され怒り心頭の堂島は、傘立てに立てかけてあった木刀を取り出して桐生に突きつける。

「ヤクザの世界で親の命令は絶対……知らねぇ訳じゃねぇよな?桐生」

堂島や桐生が生きる極道社会には、決して破ってはならない鉄の掟がある。

それは、親の命令には絶対服従するという事。

彼らの生きる世界で、上の人間に楯突く事は何があっても許されないのだ。

にも関わらず桐生は頭に血が昇った結果、自分の組の組長に手を挙げてしまったのだ。

これは一般社会における重罪に等しく、場合によっては極刑すら有り得る事態である。

「……由美、下がってろ」

桐生はグレーのジャケットを由美に羽織らせると、堂島の前に立ち塞がった。

「テメェはもうこの場でぶっ殺されても文句は言えねぇ……覚悟は良いな?」

東城会の大幹部である組長の脅しに対しても、桐生は一切屈さずに真っ直ぐ見つめると、頭を下げて言い放った。

「自分は、どんな目に遭っても構いません。ですのでどうか、由美の事は勘弁してもらえませんでしょうか……?」

桐生も極道の端くれ。

先の自分の行為がどんな意味を持つのかを知らないほど愚かではない。

故に桐生は自分の身を犠牲に差し出す事で、由美を護る道を選んだのだ。

「テメェ……いい度胸してんじゃねえか……」

そんな桐生の真っ直ぐな態度に、コケにされたと感じた堂島はついに木刀を振り上げた。

「ナメてんのか!!」

「ぐっ!!」

鈍い音を立てて桐生の側頭部に振り抜かれる木刀。

決して軽くないダメージが桐生を襲うが、堂島の怒りはまだ治まらない。

「テメェも!風間も!俺を!甘く見やがって!!」

声を荒らげながら乱雑に振り下ろされる木刀の連打に対し、桐生はガードもせずにただ受け続けていた。

「ぅぐ!」

「元はと言やぁ、テメェがあの時俺に刃向かったからだ!大人しくムショにぶち込まれてりゃいいものをよ!!」

堂島の言うあの時とは、今から数年前に起きたとある事件の事だった。

若頭の風間に組の実権を握られることを恐れた堂島は、風間の伝手で渡世入りした桐生に殺しの濡れ衣を着せ、その責任を取らせる形で風間を組から追い出そうとしたのだ。

しかし現実には桐生はムショにはいかず、組を破門されてなお刃向かった桐生の行動の結果により当時堂島組で進めていたシノギを他の組に奪われ、その権威を失う事になったのだ。

「テメェのせいで俺ぁ!何もかも失って!今じゃこのザマだ!ふざけやがって!!」

「ぐ、っ!」

桐生の返り血で木刀が赤く染ってもなお、堂島は殴るのを止めない。

自分の失墜を招いた憎き男への怒りは、こんなものではすまないのだ。

「何が堂島の龍だ……俺から全てを奪った疫病神が、デケェ面してんじゃねぇ!!」

叫びと共に大上段に振り下ろされた一撃。

頭頂部を叩いた瞬間、乾いた音と共に木刀がへし折れる。

「ぐぅ、っ……!!」

最後の一撃で脳が揺れたのか、ついに桐生が膝を付いた。

額から流れる血が、事務所のカーペットに垂れて赤い斑点を作る。

「頑丈な野郎だぜ……でもな」

堂島は折れた木刀を放り捨てると、懐からあるものを取り出した。

「ひっ……!」

桐生の後ろで、由美が短く悲鳴をあげる。

(由美?)

疑問をうかべる桐生だったが、直後に頭に突きつけられた冷たい感触で全てを理解した。

顔を向けた桐生に対し、堂島は手に持ったそれを桐生の額に突きつけ直す。

「これの前じゃ、流石のテメェも無力だろう?」

「......!」

堂島が桐生に向けたものは、拳銃。

彼らの生きる極道の世界ではチャカ等とも呼ばれている代物である。

本来は極道であっても容易に手にすることは出来ないが、東城会の最高幹部ともなればそれも造作もない事なのだ。

「自分はどんな目に遭っても構わない……テメェさっきそう言ってたな?」

「……」

硬い音と共に撃鉄が起きる。

後はもう、人差し指で引き金を引くだけ

たったそれだけで桐生の命は失われる。

しかし、そんな瀬戸際であってもなお桐生の在り方は変わらない。

「……はい。その代わり、由美には決して手を出さないと、誓ってください」

由美を護るためならばこの命さえも惜しくない。

揺るがぬ覚悟と決意を持って、最後まで意地を貫き通す。

それが堂島の龍、桐生一馬という極道の生き様だった。

「何処までも俺をナメやがって……」

しかし桐生が真っ直ぐであればあるほど、堂島は決して彼を認めない。

堂島は理不尽と不条理が蔓延る極道社会で最高幹部にまで上り詰めた男だ。

厳しい渡世の道の中彼はそのプライドだけを肥大化させ、他の大切なモノを無くしてしまった。

しかし、それが何だったかももう思い出せない。

だからこそ、かつての自分が持っていたはずのモノを自信満々に振りかざす若造を認める訳にはいかないのだ。

「死ねや、桐生ぅ!!」

「一馬!!」

由美の悲愴なる叫びが鼓膜を叩く。

引き金が引かれ、撃鉄が落ちる。

その直前。

 

「桐生!由美!無事か!!?」

 

一匹の鯉が、運命の分岐点に迷い込んだ。

 



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決断

期待してくれる声が多いので頑張りました。
ちょっと早めに投稿します。


1995年 10月1日 午後5時。

シンジからの連絡を受けて病院を飛び出た俺の車は、堂島組長の事務所がある東堂ビルの前へと辿り着いていた。

いつもならパーキングに停める所だが、そんな悠長な事はしていられない。

(クソ、急がねえと……!!)

身を焼くほどの焦燥感に見舞われながら、ドアを蹴破るように外へと出た。

病院を出たあたりから降り出していた雨が、より勢いを増して俺の体を叩く。

傘を差す暇すら惜しい俺はすぐに車の後ろに回り込んでトランクを開ける。

そこにあったのは、鍵の付いた一つのアタッシュケースだった。

ポケットから鍵を引っ張り出し、すぐに鍵穴に差し込んで解錠してケースを開ける。

「っ!」

その中にあったモノが視界に映った途端、先程までの焦りが嘘のように消え失せた。

まるで湯だった身体に氷水を掛けられるように。

(チャカ……)

そこにあったのは、黒光りする銃身を持った一丁の拳銃だった。

数年前、堂島組で武器密輸のシノギがあった際に俺が相手の組織から仕入れていたものだ。

組の兄貴達にバレる訳にはいかないので、俺が独断で仕入れた後にこのトランクの中に保管していたのだ。

誤作動の起こりにくいリボルバー式で、弾は六発。

幸い、天下の堂島組の構成員である事が功を奏したのか偽物を掴まされてはいない。

相手の組織も堂島組を相手にナメた商売をする事は危険であることを知っているからだ。

(どうする……?)

一瞬、冷静になった頭で考える。

これは、俺が持ちうる最後の手段。

滅多な事では持ち出してはならない危険な代物だ。

これを持ち出す事とはつまり、生きるか死ぬかの渦中に身を投じる事を覚悟するという事。

決して軽々しく考える事など出来ない。

だが、

(アイツの事だ、由美を護るためならどんな無茶な事するかわかったもんじゃねぇ。それに堂島組長は"カラの一坪"の一件で桐生に恨みがある)

今から数年前、神室町再開発計画の為にたった一坪の空き地の相続権を巡った事件があった。

通称"カラの一坪"事件。

当時組織内で幅を利かせていた幹部連中や、関西最大の極道組織である近江連合の一部すら巻き込んだ一大抗争。

当時二十歳だった桐生はその一連の事件の渦中に巻き込まれ、結果として堂島組長の意向に背く行動を取ってしまったのだ。

それをキッカケに堂島組長の権威は失墜し、今の自堕落な有様へと変わっていった。

(もし桐生が由美を助ける為に堂島組長に逆らったら……)

今まで溜まっていた鬱憤が爆発した堂島組長は、きっと桐生に容赦はしないだろう。

最悪の場合、殺されてしまう。

「っ……!!」

残された時間は無いに等しかった。

意を決し、ケースに収められたチャカを手に取る。

手に感じるずしりとした重さが俺に問いかけてきた。

"覚悟はあるか?"と。

「やってやるよ……!!」

懐に拳銃をしまい込み、トランクを閉じる。

東堂ビルのドアを開けて、エレベーターに飛び乗った。機械音しか聞こえないエレベーター内では、耳元から聞こえる早鐘のような鼓動が余計にうるさく感じる。

(行くぞ……!)

エレベーターのドアが開いた瞬間、俺はすぐさま廊下へと飛び出した。

開けっ放しになった事務所のドアを尻目に部屋へと入る。

直後、手前の部屋から鬼気迫る叫び声が聞こえた。

「一馬!!」

(っ、この声は由美!)

一瞬誰か分からないくらいの大声だったが、間違いなく由美の声だった。

そしてその声は桐生の名を叫んでいる。

(ヤバい!!)

確実に俺の想像以上の事が手前の部屋で起きている。

俺は懐から獲物を取り出し、勢い良くドアを開けた。

「桐生!由美!無事か!!?」

叫んだ俺の視界に飛び込んで来たのは、血を流して膝を着く兄弟の姿。

そして、その兄弟の額に拳銃を突き付けていた堂島組長の姿だった。

「堂島組長!!」

「ちっ!!」

俺は衝動的に銃を構えた。

しかし、それとほぼ同時に堂島組長は桐生に向けていた銃口をこちらに向けたのだ。

「邪魔すんじゃねえ!!」

「っ!!」

意識が人差し指に集中する。

殺るか殺られるかの極限状態の最中、俺が引き金を引き切るよりも先に乾いた音が部屋の中で鳴り響いた。

直後。

「ぐ、っ、ぁ……ッッ!?」

一拍遅れて、俺の肩を直接炙られるような熱と痛みが襲う。

弾丸が掠めたのか、白いジャケットを着た肩に赤い傷痕が走っていた。

「錦ぃ!!クッソがぁぁああ!!」

直後、拳銃の脅威から開放された桐生が立ち上がり、堂島組長に襲いかかった。

「ハッ!オラァ!!」

「ぶがァっ!?」

堂島組長の持つ銃を手刀で叩き落とし、その反動を使って裏拳の一撃を繰り出す。

桐生の剛腕で振るわれた一撃は堂島組長の顔面をぶち抜き、その身体は組長の机の奥まで吹き飛ばされた。

「ハァ……ハァ……錦、大丈夫か……!?」

顔を腫らした桐生が俺の無事を案じてくる。

ついさっきまで殺される所だったというのに既に俺の心配をしてくるコイツには、本当に驚かされてばかりだ。

「単なる、かすり傷だよ……それより由美は?」

「あぁ、由美ならそこだ」

桐生が目線を向けた先を目で追うと、桐生のジャケットを羽織って部屋の片隅で震えている由美を見つけた。

俺は肩の痛みなど二の次に由美の元へと駆け寄る。

「由美!!大丈夫か!?」

「に……にしきやま、く……ん……?」

よく見ると由美の服が一部が破かれている。

堂島組長に強姦される寸前だったのだろう。

目には涙を貯め、身体は恐怖で震えていた。

「安心しろ、もう大丈夫だからな」

俺は爆発しそうになる怒りを無理やり押さえ込み、恐怖でパニック状態になっている由美を落ち着かせる為にその身体を抱き寄せた。

幼い頃、妹の優子にしてやったみたいに背中をさする。

「大丈夫……大丈夫だから……!」

「あ、ぁ…………いや…………っ!!」

しかし、由美のパニックは一向に収まらない。

それどころか、さっきよりも悪化しようとしていた。

「テメェらぁ……!!」

俺が原因を探ろうとするよりも早く、答えは明らかになった。

その声が耳に入った途端、反射的に背後を振り向く。

「揃いも揃って、俺をコケにしやがってぇ……!!」

桐生が殴り飛ばした堂島組長が、顔面に血管を浮かび上がらせながら立ち上がる。

由美の視界に映っていたのは、恐怖の対象が起き上がろうとする瞬間だったのだろう。

「お前らまとめてぶっ殺してやる!!」

言うが早いか。

堂島組長は机の棚から何かを引っ張り出す。

(!!)

背筋が凍り付く。

堂島組長の手に持っていたのは、サブマシンガン。

俺が決死の覚悟で持ち出したチャカの弾丸を連射することが出来る化け物銃だ。

あんなものを持ち出されたら最後、俺や桐生の身体は蜂の巣のように穴だらけになってしまう。

「堂島ぁ!!」

叫び声を上げた桐生が、視界の端で床に落ちたチャカを拾い上げるのが見えた。

「クソぉっ!!」

吐き捨てるのと同時に立ち上がってチャカを構えた。

もはや後戻りは出来ない。

肩の痛みをねじ伏せて狙いを定める。

今度こそ"殺る"為に。

「死ねやぁぁぁッッ!!!」

組長の叫びと同時に人差し指に力を込める。

引き金が引かれ、乾いた銃声が二つ。

組長室に響いた。

 

 

 

 

 

 

一瞬の静寂の中。

桐生は目の前で、渡世の親が肉塊になる瞬間を目撃した。

堂島組長の身体が、音を立てて崩れ落ちる。

「はぁ……はぁ……」

それは、どちらの息遣いだったのだろう。

荒い呼吸の音と、窓を叩く雨音が部屋の中を支配している。

「桐生……」

そんな中、最初に声を上げたのは錦山だった。

「錦……」

肩の傷を抑えながら桐生の元へ歩み寄る錦山。

その目には混乱と動揺が浮かんでいる。

「や、殺ったのか……?」

「……」

二人の視線が遺体へと吸い寄せられるように向かう。

遺体には弾痕は一発だけ。堂島組長の額に穿たれている。

即死だった。

「どっちの弾が当たったんだ……?」

「分からない……だが、一つ確かな事は」

窓の外から稲光が差し込む。

まるで、これからの彼らの運命を暗示するように。

「俺達のどちらかが……極道社会最大の禁忌を犯しちまったって事だ」

一拍遅れて雷鳴が外から鳴り響く。

まるで、逃れられない現実を突き付けるように。

「親、殺し……」

極道社会とは、組長である親を仰ぐことを絶対とする社会である。

たとえどのような事であったとしても、親が白と言えば白。

黒と言えば黒。

それが、彼らが生きる極道の世界の不文律。

絶対に破られてはならない鉄の掟なのだ。

「本当に、殺っちまった……!東城会の……大幹部を……!!」

しかし、その掟は破られた。

極道達に取って法そのものと言っても過言ではない組長に刃向かい、ましてやその手にかけてしまったのだ。

彼等の世界において、これ以上重い十字架は存在しない。

「なぁ桐生……俺達、これからどうなるんだ……?」

「分からねぇ……だが、あれだけの銃声だ。すぐに警察がここに来るだろう。」

このままでは銃を持った警官達がこの場になだれ込んで二人とも逮捕されてしまう。

そして、二人が手錠を掛けられて留置所に送られたその後は、殺人現場の捜査が始まり、やがて司法解剖の末にどちらが堂島組長を殺害したかが明るみに出て、犯人にはそれ相応の判決が言い渡されることになるだろう。

「なら、今すぐここから逃げれば……!」

「いや、無駄だ。殺人事件が起こった以上、警察は徹底的に俺たちを追ってくる。逃げ切るのは無理だ。それに俺達を追ってくるのは警察だけじゃねえ」

「それって……まさか……!!」

錦山は思い至った。

親殺しの事件を起こした極道を追う警察以外の組織など、一つしかない。

「堂島組だ。組長を殺された極道の報復は何よりも怖い。おそらく、組長を殺った犯人は絶縁を言い渡される事になるだろうな」

「絶縁……!!」

それは、極道社会の中で最も重い処罰だった。

堂島組は勿論の事、東城会傘下の全組織からその一切の関わりを絶たれ、二度と極道社会には戻れない。言わば永久追放の処分。

しかも、親分を殺された堂島組構成員からの報復に怯えながら一生を過ごさなくてはならない。

「そうなっちまえばもう逃げられねぇ……徹底的に追い込みかけられて、殺されちまう」

「…………」

万事休す。

この事件を起こした犯人にとって、逃げ場など何処にも無い。

あるのはただ、断頭台に固定されいつ刃が落ちるか分からないギロチンに震え続ける地獄の日々だけである。

「………………なぁ、桐生」

それは、絞り出すような一声だった。

「なんだ?」

「お前に、一生の頼みがあんだ」

「何言ってんだ、こんな時に!」

要領を得ない錦山の言動に苛つきを覚える桐生。

しかし、錦山は真剣な顔でこう言った。

「優子の事、助けてやってくれねぇか?」

桐生の思考に空白が生まれた。

なぜ、今この時に彼の妹の話が出るのか。

分からない桐生は記憶を思い起こす。

病気がちな錦山の妹、優子。

重い心臓病を患った彼女は、来月に手術を控えている。

そしてそれがおそらく最後になる、と。

「まさか……お前……!!」

桐生は思い至った。

隣に立つ親友が今、何をしようとしているのか。

「桐生。こっちにそのチャカ渡せ。そして由美連れて逃げろ」

錦山は、身代わりになろうとしているのだ。

全ての罪を被って己を破滅させる代わりに、未来を託す。

たった一人の妹と最愛の人の未来を、堂島の龍に。

「錦……お前自分が何言ってるか分かってんのか!?そんな事したら、お前は……!!」

「うるせぇ!!」

桐生の言葉を遮るように錦山は叫ぶ。

その目には、先程のような混乱や動揺は浮かんでいない。

「桐生よ、お前はこれから組立ち上げて東城会や堂島組。そして風間の親っさんを支えようって人間なんだ。こんな所でパクられて良い訳がねぇだろ!」

「錦、お前……!」

「これからの東城会にはお前が……堂島の龍が必要なんだよ。だから、お前はここにいちゃいけねぇんだ。」

その目にあるのは、確固たる決意。

「それに、お前になら安心して任せられるからな。由美の事も……優子の事も…………!」

そして、桐生への信頼と嫉妬。

あらゆる感情が綯い交ぜになった悲壮なる覚悟を浮かべた男が、そこには立っていた。

「錦……」

遠くから、サイレンの音が近づいて来ている。

二人に残された時間は、もう無い。

「由美……由美……!」

「あ…………ぁ…………」

錦山は、力なく壁にもたれかかった由美に声をかける。

しかし彼女の目は焦点があっておらず、心ここに在らずといった様子だ。

錦山は彼女の元へと歩み寄ると、その弛緩しきった身体を引っ張りあげ桐生にその身柄を預けた。

「行くんだ、桐生。由美と……優子の事を、頼んだぜ……!」

「錦……!」

顔を俯かせ、葛藤する桐生。

しかし、それすらも時間は待ってはくれない。

「行けぇ!!」

急かすように叫ぶ錦山。

時間にしてわずか数秒。

その間に幾度もの葛藤を経て、堂島の龍は覚悟を決めた。

「……分かった」

桐生は手に持っていた拳銃を回して銃身に持ちかえると、拳銃のグリップが錦山に向くように差し出した。

錦山はそれを受け取ると、今度は逆に自分の持ち込んだリボルバーを桐生へと手渡した。

桐生の持っていた拳銃から発射された弾丸で、堂島組長を殺したように仕向ける為だ。

「錦……お前の妹は必ず俺が助ける。だからお前も死ぬんじゃねえぞ!!」

「……あぁ」

桐生はそれを最後に、錦山から背を向けて部屋を出ていった。

足音が遠くなっていき、やがて部屋の中は再び窓を叩く雨音と轟く雷鳴に支配された。

「……」

錦山の全身から力が抜け、その場にへたり込むように膝を着く。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!!」

怒り、信頼、焦り、恐怖、嫉妬、諦念。

せめぎ合う様々な感情が彼の内側で渦巻いて、心の中を掻き乱す。

不意に、堂島組長の遺体が視界に入った。

「うっ……ぅ、っ……!!」

その途端、極度の緊張状態とショックから強烈な吐き気が錦山を襲う。

言い様のない不快感が喉を逆流し、嗚咽を漏らす。

しかし、その吐き気は床に落ちている何かに気付く事で霧散した。

(……!)

錦山は思わず拾い上げる。

それは、彼にとって見覚えのあるものだった。

(これは、由美の……)

由美がしていた指輪だった。

今から数ヶ月前。

桐生が由美の誕生日祝いでプレゼントした指輪で、由美の名を刻印する粋な計らいが込められた一品である。

おそらく、堂島組長に襲われた際に落としてしまったのだろう。

「なんで……」

それを見て彼が思い出すのは、つい昨日の夜の光景。

酒を飲んで皆と語り合っていた、幸せな時間。

もう二度と過ごす事の出来ない、失われた日常。

「なんで、こうなっちまったんだろうな……っ!」

錦山の両目から涙が零れ落ちる。

歯車がズレたのは、一体どこからだったのか。

桐生、由美、風間。そして優子。

目に浮かぶ大切な人達ともう二度と生きて会えないかもしれない悲しみに、彼は打ちひしがれていた。

(!)

サイレンの音が大きくなり、事務所の廊下方面から慌ただしい足音が聞こえ始める。

桐生と由美は、無事に逃げれただろうか?

そんな事を頭の片隅で考え始めた時。

「動くな!!」

ついに拳銃を持った警官二人が部屋へとなだれ込み、錦山へ銃口を突き付けた。

錦山は泣き腫らした顔を警官に向け、手に持っていた拳銃を床に落として両手を挙げると、酷く平坦な声音でこう告げる。

「俺が、犯人です……」

後日、新聞の見出しにはこう記されていた。

東城会直系堂島組構成員、錦山彰。

堂島組長殺害の容疑で現行犯逮捕。

これは、彼にとって長く苦しい闘いの始まり。

 

 

 

しかしそれは同時に、新たなる伝説の幕開けでもあった。

 

 

 



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破門


日間ランキング8位!?
最初は我が目を疑いました。
本当にありがとうございます……!
皆さんの声援に応えたくて、早速一話投稿しようと思います。
今回の話で一区切りと考えていますので、次回からはまたゆったり更新のつもりで行きます。

あと、読みづらいとのお声があったので行間を空けて書いてみました。
もしこれで読みやすいという事でしたら、次回からこれで行こうと思います。
それではどうぞ!







1995年10月2日。

堂島組長射殺事件の翌日。

錦山は、神室警察署の取調室で取調べを受けていた。

勿論、堂島組長殺害の犯人としてだ。

 

「ふざけるな!」

 

錦山の対面に座る刑事が、叫び声を上げて立ち上がった。

容疑者を真っ直ぐに射抜くその目から、錦山は逃げるように目を逸らした。

 

「俺が殺ったんです……組長の理不尽な仕打ちに、カッとなっちまって……」

「いい加減にしろ!そんな嘘が通用すると思ってるのか!」

 

覇気のない声で供述する錦山の顔を、刑事がライトで照らす。

彼には錦山の供述が、どうしても納得出来るものでは無かったのだ。

 

「伊達くん、もういい」

「良かぁないですよ!」

 

宥めようと声をかけたもう一人の刑事に、伊達と呼ばれた刑事は激情のままに吠えた。

 

「我々の捜査で、現場には複数の弾痕があった事が確認出来たんです!なのに堂島の遺体から発見されたのはコイツの持ってた拳銃の弾だけ!どう考えたって不自然じゃないですか!」

 

現場から発見された弾痕は全部で三つ。

一つは事務所の部屋の廊下の壁に。もう一つは現場にあった組長の机に。

そして最後の一つは堂島の遺体に刻まれたものだ。

 

「遺体から発見された弾丸と錦山の持っていた拳銃の線条痕は一致している。それ以上になんの証拠が必要だと言うのだね」

 

近代の拳銃は大抵の場合、弾丸を回転させて安定性を上げる為に銃砲身内に螺旋状の溝が彫られている。

弾丸は火薬の炸裂に伴い、銃砲身内でその溝を軸に回転して発射されるという訳だ。

そして、その際には必ず弾丸に浅い傷跡が出来る。

それが線条痕であり、これを調べる事によって弾丸がどの拳銃から発射されたものかを特定することが出来る。

言わば、銃の指紋とも呼ぶべき重要な証拠なのだ。

 

「だったら、組長の机と廊下の壁にあった二つの弾痕はどう説明するつもりですか!」

 

伊達が指摘したのは、残り二つの弾痕。

いずれも弾丸が潰れてしまい線条痕の特定には至っていないが、犯行時に錦山の持っていた拳銃の残弾数と噛み合わなかった事から、伊達刑事は事件現場にいたであろうもう一人の人物が犯行に関与していると推察したのだ。

 

「間違いありません。あの場には確かにもう一人、組にとって重要な誰かがいたんです!コイツはきっと、そいつを庇ってるんだ!出なけりゃ一構成員でしかないコイツが組長を殺っただなんて言うはずがねぇ!!」

「伊達くん、これはヤクザの抗争だ。誰が殺ったかは問題じゃない。」

 

しかし、もう一人の刑事はそんな彼を冷めた目で見つめる。

まるで、時代錯誤の異物を見るように。

 

「事件の迅速な解決。それが今求められている全てだ。」

 

平坦な声でそう告げた刑事が取調室を出ると、伊達は席を立ち上がって椅子を蹴り飛ばした。

 

「クソッ……!」

 

己の信念を踏みにじられた伊達の顔が、苦虫を噛み潰したように歪む。

 

「……刑事さん。頼みがあります」

 

その姿が、自分の兄弟分と重なったからだろうか。

錦山は、ふとした思いで伊達にある事を願った。

 

「俺の持ち物の中に、指輪があります。それを、堂島組の風間に渡してくれませんか?」

 

それは、錦山に出来るせめてもの贖罪。

勝手極まる行動の果てにする償いとしては、あまりにも小さな事。

それでも、行動を起こさずにはいられなかった。

 

「申し訳ありませんでしたって、伝えて下さい」

 

声をかけられた伊達は、瞳に宿る熱はそのままに怒りの視線を錦山に叩きつける。

 

「なんで俺が、お前みたいなチンピラの言う事聞かなきゃならねぇんだ?言っとくが、俺ぁお前を擁護したい訳じゃねえぞ?」

 

警察官である伊達にとって極道である錦山は敵。

しかも、捜査一課の刑事とただの構成員ではそもそもの格が違う。

何より、頼みを聞く聞かない以前に錦山は現行犯逮捕された殺人犯なのだ。

そんな事を頼める立場になど、最初から立てていないのである。

 

「はい、分かってます……」

「はぁ?だったら何で俺に頼もうと思った?」

 

伊達の疑問に対し、錦山はそれまで合わせようとしなかった目線を向けてこう口にした。

 

「刑事さんの目……俺の知ってる奴にそっくりなんです」

 

その答えを聞き、伊達は思い至る。

極道でありながら決してカタギに迷惑をかけず、常に筋の通った生き方をする一人の男を。

 

「……桐生の事を言ってるのか?」

「えぇ……」

 

桐生一馬。

堂島組の中で近々組を立ち上げようとしている極道で、錦山とは渡世の兄弟分。

そして、そんな桐生と幼少期から時間を共にした親友でもある錦山は、桐生がどんな男かをよく知っていた。

故に、そんな桐生の生き様とひたむきに事件に向き合おうとする伊達刑事の姿勢に、心の中で感じ入るものがあったのだろう。

 

「アイツと同じ真っ直ぐな目をした刑事さんだったら

……きっと俺なんかの話にも耳を傾けてくれるって、そう思ったんです」

「……」

 

そう語る錦山の表情は未だ暗く、声にも覇気が感じられない。

しかし、視線だけは真っ直ぐに伊達刑事を向いていた。

 

「ふん、何を言い出すかと思えば。俺を極道なんぞと比べるんじゃねぇ」

「そう、ですよね……すいません……」

 

吐き捨てるように言った伊達は踵を返して、取調室の戸を開けた。

これ以上話を聞いても、錦山は自分がやったと言い張り続けるだろう事は明白だったからだ。

 

「錦山」

「はい……?」

「指輪の件、約束はしねぇぞ」

 

彼は最後にそれだけを告げると、そのまま振り返ること無く取調室を後にした。

 

「っ……ありがとう、ございます…………!」

 

啜り泣く声と感謝の言葉を背に受けながら、伊達の意識は別の所にあった。

 

(錦山のあの目……)

 

伊達が注目したのは、桐生の名前が出た時の錦山の目だった。

憧れの存在を見出してそこに至りたいと願う強い気持ちと、それがもう叶わない事を突き付けられた絶望が綯い交ぜになった悲壮な目。

 

(アイツは桐生に対して強い憧れを抱いている。ともすれば嫉妬にも近いようなものを……もしそれが本当なら……)

 

伊達の中に宿る刑事としての勘が、その目を見た事でこう囁いたのだ。

錦山彰は犯人ではない、と。

 

(なら、俺のやる事は一つだけだ)

 

刑事としての誇りにかけて、必ず真犯人を暴き出す。

決意を固めた伊達は、事件解決の為に突っ走る。

たとえその先に、どんなに深い陰謀があったとしても。

警視庁捜査一課刑事、伊達真。

彼は本庁の中で、誰よりも真実と正義を追い求める男だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事件発生から数日後。

堂島組長殺害の現行犯で逮捕された俺は留置所に収容されていた。

刑務所とは違い、留置所とは犯罪者が収容される施設では無い。

警察に逮捕された者の逃亡や証拠隠滅を防ぐ為に収容される施設だ。

この間に警察は現場を捜査して証拠を集める事で、自分達が逮捕した者が本当に犯罪者かどうかを確かめる。

金銭支払いにおける和解や示談などで済ませる場合もあるが、たいていの場合は裁判を通じて犯罪者に刑を確定させて執行する。

つまり、刑が確定するまでは犯罪者では無いのだ。

 

(まぁ、俺は有罪判決で確定だろうがな……)

 

俺も極道の端くれだ。

暴行や傷害で警察の世話になり、留置所に入れられた事も一度や二度ではない。

いつもであれば留置所に入る事など、今更対して珍しくもないのだ。

だが今回は訳が違う。

今までは後ろ盾である堂島組からの支援があって示談や和解が成立してきたが、今回の俺の罪状は殺人。

しかも、殺ったのはその後ろ盾だった組織の大幹部なのだ。

示談や和解など有り得るはずもない。

 

(絶縁か……)

 

それは極道にとって最大の処罰だ。裏社会全てからの永久追放。

表にも裏にも居場所が無い、孤立無援の状態で一生を過ごす事になる。

 

「馬鹿な兄貴でごめんな……優子………」

 

病院に残した妹の優子の事が脳裏をよぎる。

優子は今でも、懸命に病気と闘っている筈だ。

本当に申し訳ない事をしたと思う。

肝心の手術の前に俺が側に居てやれない。

いや、側に居れない状況に自分からしてしまったのだから。

 

「錦山」

 

ふと、鉄格子の外から俺に声がかかる。

振り向いた先に居たのは制服を来た警官だった。

 

「お前に面会だ。房から出ろ」

「……はい」

 

俺は指示に従い警察官の開けた房の扉を出ると、すぐに手錠をかけられた。

警察官について行くようにして警察署内を歩き、白い壁に包まれた面会室へと導かれる。

俺がパイプ椅子に座ったのを確認した警察官が、背後にあるデスクと事務椅子に腰かけた。

しばらくすると、ガラス越しの向こうの部屋のドアがゆっくりと開いた。

 

「彰……」

 

現れたのは、右手で杖をついたスーツ姿の初老の男。

貫禄のある眼差しが俺を慈しむように向けられていた。

 

「親っさん!」

 

東城会直系堂島組若頭兼風間組組長。風間新太郎。

親を亡くした俺や桐生を孤児院で育ててくれた恩人だ。

そして、俺をこの世界へ導いてくれた人でもある。

 

「大変だったな、彰」

「親っさん……本当にすみませんでした!!」

 

俺はガラス越しのおやっさんに頭を下げた。

あの時は頭の中が色んな感情で埋め尽くされて、正直覚えていない。

ただ、桐生や由美を……そして優子をどうにかして助けたいというただその一心だった。

それで動いた結果、育ての親である風間の親っさんに甚大な迷惑をかけてしまったのだ。

 

「いや……お前が一人で抱え込む必要はねぇ。手回しが遅れた俺にも責任がある」

 

だが、親っさんはこんな時でさえ俺を責める事はしなかった。

右手で杖をついたまま対面のパイプ椅子に腰掛けた親っさんは、自分が逮捕された後の事を語ってくれた。

 

「今回の一件。事情は全て"組の者"から聞いた。"お前の馴染み"も俺の信頼出来る人間の下で預かっている。心配は要らない」

 

風間の親っさんは事件が起きたその後、誰よりも迅速に動いてくれたらしい。

見張りの警官がいるこの場で余計な情報を漏らす訳にはいかないのだろう。

"組の者"や"お前の馴染み"という言い方をしているが、それが桐生と由美である事は容易に読み取る事が出来た。

 

「親っさん……」

「なんだ?」

「妹は、この事知ってるんですか?」

 

俺の問いに、風間の親っさんは首を振って答えた。

 

「いや、妹にこの事は伝えていない。どんな負担があるか分からねぇからな」

「そうですか……」

 

俺は安堵した。

もしも自分の実の兄貴が殺人犯になったと知ってしまったら、優しいアイツはきっとショックでどうにかなってしまう。

病床に伏せ、心身ともに弱っている優子に余計な心配をかけさせる訳には行かないのだ。

 

「今月末にある最後の手術には"組の者"が立ち会う事になった。これは……お前が望んだ事なんだよな?」

「はい……」

 

優子を助けてやってくれという俺の願いを叶える為に、桐生はきっと動いてくれているのだろう。

本当に、アイツには感謝しかない。

 

「彰、今日はお前にこれを渡しに来たんだ。」

 

親っさんはそう言って懐の中に右手を伸ばした。

そして、そこから取り出した封筒を一枚の白い封筒を俺の前に差し出す。

 

「!!?」

 

しかし、そこには俺が思っていた文字は載っていなかった。

 

「破門……!?」

 

封筒に記されていたのは"破門状"の文字。

それは、東城会側から俺に下された措置が破門であることを示していた。

極道の世界においては絶縁の他に破門という措置がある。

極道社会からの永久追放と組織からは報復があり真っ当な社会復帰が絶望的な絶縁とは違い、破門は極道からの追放ではあるものの組織からの報復の可能性は低く、社会復帰はもちろんの事、場合によっては極道としての復帰も出来る。

カラの一坪事件の際に一度カタギに戻った桐生が組に復帰したのも、その措置が破門であったからに他ならない。

言わば極道にとって"破門"とは解雇通知のようなものなのである。

 

「親っさん!俺は、自分の親を殺しちまったんですよ……?絶縁なんじゃ、無いんですか?」

 

親が絶対である極道の世界で、その親を殺した容疑で逮捕されたのだ。

最大の掟を破ったと言ってもいい俺が、破門で済むのは異例中の異例と言って良い。

 

「あぁ……世良会長がそう決めたんだ。これは決定事項だ」

 

世良とは、東城会三代目会長の名前だ。

かつては日侠連と呼ばれる組織を率いており、カラの一坪の一件で多大な功績を挙げた事から東城会本家若頭に就任し、そのまま三代目を襲名したやり手の極道である。

しかしその世良会長に極道のイロハを仕込んだのは風間のおやっさんで、今でこそ立場が上の世良だが風間のおやっさんには未だに足を向けては寝られないと聞いたことがある。

 

「まさか、親っさんが……?」

「……」

 

おやっさんは目を逸らして黙り込む。

それは、答えに等しかった。

警察の管理下にあるここで堂々と話す事など出来ないが、親っさんはきっと三代目に掛け合ってくれたのだ。

俺みたいな末端のチンピラを護るために。

そして同時に、嫌な予感が脳裏を過ぎる。

 

「親っさん……一つ聞いても良いですか?」

「……どうした?」

 

その予感を、どうしても尋ねたかった俺は、生唾を飲みこんで恐る恐る尋ねた。

 

「なんで……左手をポケットに入れたまま(・・・・・・・・・・・・・)なんですか?」

「!!」

 

今日、親っさんは右手で杖をつき、右手で懐から破門状を取り出していた。

そこまでは別に問題ない。

俺が気がかりだったのは、歩いている時や椅子に座る時にポケットから左手を出さない事だった。

ただでさえ脚を悪くしている親っさんが歩く時や座る時、左手でバランスを取らないと不便なのは想像に難くない。

そんな状態でも親っさんは決してポケットから手を出そうとはしなかった。

まるで、何か見せたくないものを隠しているかのように。

 

「……」

「親っさん……!」

 

黙り込む親っさんを見て、俺の中の嫌な予感が確信に変わり始める。

俺は心の中で願わずには居られなかった。どうかこの最悪の予感が杞憂であるように、と。

 

「はぁ……やっぱりお前は目敏いな。彰。一馬にはここに来るまでバレなかったんだがな……」

 

風間の親っさんが観念したようなため息と共に、ポケットから左手を出して俺に見せてきた。

 

「あ……あぁ……!!」

 

視界がボヤけ、涙腺から熱いものが込み上げてくる。

俺の、決して当たって欲しくなかった予感は的中してしまったのだ。

 

「すまねぇな、彰。お前のそんな顔が見たくなくて、隠してたんだ……」

 

顔を逸らす親っさんの左手には、包帯が巻かれている。

その小指には、第一関節から先が無い。

その意味を理解した時点で、俺は本当に取り返しのつかない事をしてしまったのだと実感した。

 

「クッソぉぉぉおおおッ!!!」

 

気付けば俺は、自分の膝をぶっ叩いていた。

歯をすり減るぐらいに食いしばって、腹の底から込み上げる感情に抗う。

だがそんな抵抗も虚しく、俺の両目からは大粒の涙が零れ落ち始めた。

まるで、親とはぐれた迷子のように。

 

「おい、そんなに泣く奴があるか。男だろう?」

「でも……でも親っさん!俺の……俺なんかの為に……!」

 

親っさんは、極道としてケジメを付けていた。

自分の拾ってきた子分が、自分達の親を殺してしまった。

絶縁以外有り得ないその処分を、自らの小指を代償にして破門に押し止めたのだ。

 

「親っさん……親っさぁん……!!」

 

涙が止まらない。

身寄りを失った自分達に愛をもって接してくれた育ての親に、とんでもないことをさせてしまった。

その後悔と自責の念が、俺の心を苛み続ける。

 

「気にするな……と言っても、無理なんだろうな。でもな」

 

しかし、親っさんは子供のように泣きじゃくる俺の顔を真っ直ぐ見据えてこう告げた。

 

「誰がなんと言おうとお前は俺の子だ。お前の為なら指の一本や二本なんぞちっとも惜しくねぇ。それが親ってもんだ」

「親っさん……!」

「だからもう泣き止んでくれ。そんなに悲しまれたんじゃ、俺もケジメを付けた甲斐がねぇ」

「……はい」

 

そんな言葉を聞かされていつまでも泣いている訳には行かない。

俺は慌てて涙を拭って、顔を上げた。

本当に俺は、親っさんに世話になりっぱなしだ。

いつか、この恩義を返す事は出来るのだろうか?

 

「それで、親っさん……堂島組はどうなるんです?」

 

そんな不安を誤魔化そうとして俺はわざとらしく話題を変えたが、親っさんも話題を変えて欲しかったのか特に指摘することは無かった。

 

「俺が風間組として面倒を見る事になった。」

 

トップを失った極道組織が辿る道は二つ。

一つはNo.2である若頭が組長を引き継ぎ、二代目組長として運営していく事。

そしてもう一つは解散し、別の組織に組み込まれるかである。

どうやら堂島組は後者の選択を取ったらしい。

 

「だが、中には今回の三代目の措置に納得の出来ない者もいてな。他組織に組み込まれた連中もいる」

 

それは当然の事と言える。

自分たちの親を末端の構成員に殺され、その犯人が破門で済んでしまう。

反対の声が上がらないわけなど無い。

下手をすれば風間の親っさんの立場そのものが危うくなってもおかしくは無いのだ。

 

「彰……破門で済んだとはいえ、組織内ではお前を恨む者が多い。くれぐれも用心しろよ」

「はい、分かってます」

「時間だ」

 

背後で警察官が声を上げた。

面会時間が終わったらしい。

風間の親っさんが立ち上がり、踵を返す。

 

「またな……彰」

「親っさん!」

「どうした?」

 

俺は咄嗟に親っさんを呼び止める。

しかし、ここで俺は躊躇った。

ここまでして貰って起きながら、俺はまだ親っさんに頼み事をしようとしている。

だが、それでも。

 

(いや、これだけは伝えなきゃなんねぇ……!!)

 

俺は胸中の罪悪感を押し殺し、我を通した。

 

「……一つ、伝言を頼んでも良いですか?」

「なんだ?言ってみろ」

 

由美は親っさんや桐生がいれば問題ない。

だが、優子だけは別だ。

手術を控えたアイツには、きっと俺の言葉が必要なのだ。

 

「優子に……俺は信じてる。だから絶対諦めるな、って伝えてくれませんか?」

 

これは、約束を果たせなかった馬鹿な兄貴のせめてもの償い。生きて欲しいという純粋な願いだった。

 

「あぁ……必ず伝える。約束しよう」

「おやっさん……ありがとうございます……!!」

 

力強く頷いてくれたおやっさんに、俺はもう一度頭を下げた。

いつか必ず、この恩を返すと胸に誓って。

 

 

 

 

 

 

 

 

この1ヶ月後。

東京地裁にて、錦山彰の裁判が行われた。

馴染みの女の由美を目の前で強姦しようとした組長に腹を立て、組長と揉み合いに。

その際、錦山は懐から拳銃を奪い、サブマシンガンで撃とうとしてきた組長を射殺。

現場から逃げ出した由美は風間新太郎の手によって保護され、錦山はその場で現行犯逮捕という筋書きだ。

殺人罪と銃刀法違反で起訴された錦山だが、弁護側は強姦されそうになっていた由美を助けるために行った行為である事と、サブマシンガンによる銃撃からの正当防衛であるとして、被告人に情状酌量の余地があると主張。

しかし、検察側は、暴力団員である錦山は過去に暴行や傷害等の前科もあり、警察の取調べの段階で「カッとなって殺った」と発言している事から、被告人は被害者に対して明確な殺意があったとし、正当防衛ではなく過剰防衛であると主張。

厳正な審理の結果、裁判所側は由美の件の情状酌量を認めるも、拳銃による射殺は過剰防衛であると判断。

こうして、被告人である錦山彰には懲役十年が言い渡される形で堂島組長射殺事件は幕を閉じ、この事件において桐生一馬の名前が出てくる事は無かった。




最後の裁判の内容については完全に想像です。
実際はもっと色んな着眼点があるのでしょうが、私にはこれが限界でした(八神先生が居てくれれば……)


次回は、桐生編のお話を投稿しようと考えています。
是非お楽しみに。


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断章 1995年
長い一日の終焉


お待たせしました桐生編です。
桐生編は極での錦山の追加ストーリーみたく、章の合間に挟む形で進行させるつもりでいます。
こレの投稿を最後にまったり更新にはなるかと思いますが、是非お付き合いいただけると嬉しいです。
それではどうぞ



錦山が逮捕されたその日。

事件現場から離れ、風間組の事務所に由美を預けた桐生はとある場所に訪れていた。

堂島組本部。

かつて最盛期を迎えていた頃に建てられたその外観は、事務所や屋敷では無く要塞と呼ぶのが相応しい程の威容を放っている。

所属する構成員もしくは警察以外の人間は近づこうとすらせず、建物の周囲には常に殺風景な空気が漂っていた。

 

「親っさん……」

 

桐生がここに来たのは、風間新太郎に呼び出されたからである。

風間は突如として起きたこの非常事態の中、堂島組の若頭として誰よりも早く本部へと向かい組の舵を切る必要がある為、桐生が由美を預けた風間組の事務所に今すぐ戻る事は出来ない。

しかし桐生と錦山があの場にいた事を知った風間は、いち早く真実を聞き出す為に桐生を本部へと呼びつけたのだ。

 

(今はなるべく組の連中に見つからない方が良いな……注意しながら進もう)

 

桐生は、今回の事件を引き起こした錦山の兄弟分。

もし誰かに見つかれば何かしらの追求がある事は避けられない。

 

(応接間には誰かいるか……?)

 

桐生は応接間の扉を軽く開け、身を隠すように中を覗き込む。

そこに居たのは三人の堂島組構成員だった。

 

「クソが!!錦山の野郎、無能の分際で組引っ掻き回すような真似しやがって!!」

 

椅子に座って不機嫌そうに机を蹴り飛ばしたのは、堂島組の舎弟頭。

桐生の直属の兄貴分にあたる人間だ。

 

「本当ッスよね……今回ばかりは、いくら風間のカシラでも弁護のしようが無いんじゃ無いですか?あの人、特になんの役職も無いですし、助ける価値もありませんから」

 

それに同意を示すのは舎弟頭の付き人を務める若い衆だ。

一構成員でしか無かった錦山を随分と貶している。

 

「まぁ、あんな小賢しいだけのチンピラは、ムショでいたぶられて殺されんのがオチでしょう。東城会の大幹部を殺ったんだ。絶縁は決まったも同然です」

 

そう言ったのは堂島組の舎弟頭補佐。

桐生とは対等の立場ではあるが、舎弟頭補佐の経験は桐生よりも長い。

この三人は主に、桐生と良く一緒に仕事をする同僚のようなものだった。

 

(アイツら……)

 

自分達の組織の組長を殺されて、その矛先が錦山に向いているのだ。

当然と言えば当然なのだが、桐生からすれば決して面白くはない。

 

「はっ、違いねぇ。あんな三下のチンピラなんぞ、一年も持たずにあの世行きだろうな」

「ですが叔父貴。堂島組長が手ェ出したのって桐生の叔父貴の馴染みの女だったんスよね?もしかしたら桐生の叔父貴が殺ったって可能性もあるんじゃないですか?」

(!!)

 

若衆の何気ない言葉にハッとする桐生。

あの現場において、桐生と錦山は同時に銃を放った。

錦山は自らが出頭すると決意したが、桐生が殺してしまった可能性も未だに存在しているのだ。

 

「ほーう?面白ぇ事言うな、お前」

「す、すんません!出過ぎたこと言いやした……」

「いや良いんだ。俺は本当に面白ぇと思ったんだからよ」

「あ?どういうこった兄弟?」

 

意味が飲み込めない舎弟頭に、舎弟頭補佐はほくそ笑みながら言った。

 

「いえね?もしそうだとしたら、あの錦山は桐生を庇って出頭したって事になるでしょう?もうすぐ組を立ち上げる兄弟分の将来を憂い、身代わりとなって自ら地獄に落ちる……ククッ、美しい兄弟愛だなぁって思ったんですよ」

 

それに合点が言ったのか、舎弟頭も邪悪な笑みを浮かべた。

 

「はっ、なるほどそういう事か。確かに、それで本当に桐生が逮捕されてりゃ話も今より大分拗れてたかもしれねぇな!」

「つまり何の取り柄も無かった錦山さんの唯一の貢献は、桐生の兄貴のスケープゴートって訳っすね」

「ははははっ!まぁ、本当に桐生が殺ってたらそういう事になるな!」

(…………)

 

話が盛り上がる三人のヤクザ達。

しかし、これ以上を黙って聞いていられるほど桐生は大人では無かった。

ノブをしっかりと握ると、ドアを開けて応接間へと入る。

 

「あ?おぉ桐生じゃねぇか!」

「桐生の叔父貴、お疲れ様です!」

「おう兄弟。噂をすればなんとやらか」

 

三人の視線が桐生へと向き、注目が集まる。

彼らからすれば今一番話題に上がっている人間と言っても過言ではないからだ。

 

「兄貴、お疲れ様です」

「おう、今堂島組はお前の兄弟分のせいでてんやわんやよ。お前も風間のカシラに呼ばれて来たんだろう?」

「えぇ……兄貴達も?」

「あぁ。何せ組長が死んだんだ。今後の組の方針を決めるにゃ俺やお前らみたいな舎弟衆が必要だろうが」

 

舎弟頭はそう言うと、懐からタバコを取り出して一本を口にくわえた。

すかさず隣にいた若衆がライターで火を付ける。

 

「ふぅ……ったく、お前の兄弟分も厄介な事してくれたもんだよなぁ?そう思うだろ?桐生」

「…………」

 

知ってか知らずか、桐生の逆鱗に触れるような問いかけをする舎弟頭。

桐生の眉間に僅かばかりのシワが寄った。

 

「じゃあ桐生さんも来たことだし、風間のカシラ呼んできますね。」

 

若衆はそう言うと桐生の脇を通るようにして応接間を出ようとした。

 

「ちょっと待て」

「へ?」

 

そんな若衆を呼び止めて、桐生がその肩を掴む。

直後。

 

「オラァァッ!!」

「ぶげぁっ!?」

 

"堂島の龍"の拳が若衆の顔面をぶち抜いた。

 

「「!!?」」

 

ぶっ飛ばされた若衆の体が、驚愕する舎弟頭と舎弟頭補佐の間を通過して応接間の壁に激突する。

壁にもたれ掛かるように倒れた若衆の体はピクリとも動かなかった。

 

「な、何やってんだテメェ!!?」

 

その突拍子もない行為に困惑した舎弟頭が桐生に向かって叫ぶ。

それに対し桐生は、さも当然のように告げた。

 

「何って、俺の兄弟を侮辱した野郎をぶん殴っただけですが……?」

「っ……桐生、お前聞いてやがったのか……?」

 

滾る怒りを全身から滲ませる桐生にヤクザ達は慄く。

桐生は今どきの極道の中では珍しくすらある、義理人情に厚い男だ。

しかしそれは同時に、身内に対する無礼や被害を何よりも許さないという事でもある。

 

「アンタも、随分錦山の事を悪く言ってたみたいだが……アイツの何を知っているって言うんだ?」

「っ、な、何を知ってるもクソもあるか!アイツは堂島組長を殺ったんだぞ!?貶されるどころか、本来は殺されてもおかしくねぇだろうが!」

 

怒気を隠さずに問いかける桐生に対し、舎弟頭補佐が吠えるように言い返す。

だが桐生にとってはそんな事は関係無い。

 

「錦の犯した罪が重いからって、アンタらに悪く言われなきゃならねぇなんて道理はねぇ。たとえ親殺しの外道でも、俺にとってアイツは兄弟なんだ」

「テメェ……組長の仇を庇うってのか……?」

 

舎弟頭が手に持ったタバコを灰皿で消し、ゆっくりと立ち上がる。

堂島組の舎弟頭として、今の桐生の発言は決して聞き流せるものでは無かった。

 

「お前、それがどういう意味か分かって言ってんだろうな?あぁ!?」

 

極道社会最大の禁忌である親殺し。

それをした錦山を庇おうとする事はつまり、堂島組そのものに対して反旗を翻していると受け取られても何らおかしくは無い。

 

「兄貴がどう捉えるかは自由です。ですが俺は、兄弟を馬鹿にされて黙っていられるような極道になるのは死んでも御免だ」

 

しかし、いくら凄んでも桐生は己を曲げる事はしない。

己の信じた道や意見を不器用にも貫き通す。

それが桐生一馬という男の生き様なのだ。

 

「テメェ……風間のカシラの子飼いだからって良い気になってんじゃねぇぞコラァ!!」

 

激昂した舎弟頭は机にあったガラスの灰皿を手に取ると、それで桐生の頭を殴り付けた。

 

「ぐ、っ……こ、んの野郎ォ!!」

 

しかし、その程度で止められる程"堂島の龍"は甘くない。

桐生は灰皿の一撃を頭で受けると、反撃として舎弟頭の腹部に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐほっ、!?」

 

たたらを踏んだ舎弟頭の目に、右の拳を振り上げる桐生の姿が写った。

 

(やべぇ!)

 

舎弟頭はすかさず手に持った灰皿を顔の前に掲げて即席の盾を作る。

ガラス製の灰皿は中までガラスが詰まっており、滅多な事で壊れる事は無い即席の鈍器であり強固な盾にもなりうる代物だ。

 

「ドラァッッ!!」

 

しかし、桐生は構わずにそのまま右の拳を振り抜いた。

 

「ぐぶぁっ!?」

 

桐生の剛腕によって放たれた右ストレートは、ガラスの灰皿を容易に打ち砕いて舎弟頭の顔面に叩き込まれる。

幾多の敵を屠ってきた桐生の拳は、その程度で止まることは無いのだ。

 

「次はアンタか?」

 

あっけなく沈んだ舎弟頭を尻目に、桐生は最後の敵へと目を向ける。

 

「き、桐生テメェ……!」

 

舎弟頭補佐が応接間にあった傘立てから木刀を取り出し、切っ先を突き付ける。

彼にとってはおもちゃ同然のそれを全く意に介さず、臨戦態勢を取って油断なく相手を見据える桐生。

直後。

 

「おい、何の騒ぎだ」

 

何者かが放ったそのたった一言で、場の空気が一変する。

桐生と舎弟頭が同時に同じ方向に視線を向けると、そこには杖をついた初老の男が立っていた。

 

「風間のカシラ!」

「親っさん……!」

 

風間新太郎。

堂島組長亡き後、実質的トップとして組の舵取りを行う堂島組の若頭が騒ぎを聞き付けて姿を現したのだ。

 

「テメェら今の状況が分かってんのか……?身内同士でやり合ってる場合じゃねぇだろう!!」

「「!!」」

 

風間は心胆から震え上がる程の怒声を上げ、その場の二人の戦意を完全に削ぐ。

 

「で、ですがカシラ!桐生が先に手ェ出てきやがったんです!!」

 

しかし、舎弟頭補佐からしてみれば道理は通らない。

一方的に喧嘩を仕掛けたのは桐生の方からなのだから。

 

「それは本当か……?"桐生"」

「っ!……はい、その通りです。申し訳ありません」

 

苗字で呼ばれた桐生の額に、冷や汗が滲み出る。

普段は桐生の事を家族として下の名前で呼ぶ風間だが、極道として振舞っている時は話が違う。

下手なことを言えば、たとえ桐生と言えどタダでは済まない。

桐生は素直に自分の非を認め、直角に頭を下げた。

 

「桐生……頭、下げる相手が違ぇだろう?」

「くっ……」

 

風間に指摘された桐生は舎弟頭補佐に向き直り、その場で正座をする。

 

「今回の御無礼、誠に申し訳ありませんでした……!」

「な、っ……!」

 

床に頭を付けた綺麗な土下座で謝罪の意を示す桐生。

あの堂島の龍をたったの二言で従える風間の器量に、舎弟頭補佐は面を喰らうしか無かった。

 

「なぁ……これで手打ちにして貰えねぇか?」

「へっ、あ、はい……」

「そうか、ありがとよ。ついでにそこで伸びちまってる二人を介抱してやってくれ。桐生、行くぞ。お前は俺について来い」

「はい……」

 

あっという間に場を収めた風間が杖をついて歩き始める。

桐生はその後ろをピタリとついて歩き、応接間を出ていった。

 

「……すまねぇな、一馬」

「お、親っさん?」

 

誰も居ない廊下を歩きながら、風間が桐生に謝罪する。

その声音には先程のような苛烈さは無い。

桐生と錦山が父と仰いだ親の声だった。

 

「お前の事だ。理由もなく手ぇ出すような事はしねぇだろう。おそらく、アイツらが錦山の事を悪く言っていたんじゃないか?」

「っ!はい、そうです」

 

風間は桐生一馬という人間をよく理解していた。

義理人情に厚く、誰よりも仲間や家族を想う桐生が理由もなく自分の兄貴分に手を出す事など有り得ない。

となれば、桐生が自ら手を出すだけの理由が舎弟頭達にあると風間は考えたのだ。

そしてその理由は現在の組の状況を鑑みれば自然と浮かび上がってくる。

 

「やはりな。お前がそれを黙って聞き流せるような男じゃねえ事は分かってる。だが彰が逮捕された今、お前の立場まで危うくさせる訳にはいかねぇ。それに、今は身内同士で争っている場合じゃねぇのも事実だ。悔しいかもしれねぇが、ここは耐えてくれ。一馬」

 

今回の騒動で事件の中心人物となった錦山と幼少の頃から共に過ごし、同じ組に渡世入りした桐生。

そんな彼に対しての見方が今回の一件で変わるのは至極当然と言える。

風間は、そんな中での桐生の立場を守る為に彼に頭を下げさせたのだ。

 

「親っさん……いえ、自分の方こそ勝手な真似しちまって、申し訳ありません」

 

桐生はそんな風間に罪悪感を覚えるのと同時に、その思慮深さと聡明さに感銘を受けていた。

 

(俺はまだ、親っさんの足元にも及ばねぇな……)

「表に車を回してある。詳しい話はそこで聞かせてくれ」

「分かりました、親っさん」

 

廊下を歩き終え玄関口へとたどり着く二人。

そこには風間の言った通り、黒塗りの高級車が一台停車していた。

車の前にいた構成員が二人の姿を見るとすかさず頭を下げた。

運転手役として待機していたのだろう。

 

「親っさん、兄貴!お待ちしてました!」

「シンジか」

 

東城会直系堂島組若衆。田中シンジ。

初めて出来た桐生の弟分であり、昨夜も二人でセレナへと立ち寄っていた。

そこで桐生は由美が攫われた事を知り、桐生は現場へと向かったのである。

 

「シンジ。スマンが急いで車を出してくれ。まだ片付けなきゃいけねぇ事が山ほど有る。」

「分かりました親っさん!どうぞ!」

 

シンジは急いで後部座席のドアを開けた。

風間と桐生が乗り込むのを確認し、自らも運転席に乗り込む。

エンジンがかかり、車は直ぐに発車した。

 

「さぁ一馬。早速で悪いが、あの場であった出来事を話してくれるか」

「はい」

 

そうして桐生は事の次第を全て風間に打ち明けた。

シンジと二人でセレナへ立ち寄り、由美が堂島組長に攫われた事を知った事。

急いで事務所に向かい由美を救おうとして、堂島組長の怒りを買ってしまった事。

殺される寸前の所に錦山が現れて間一髪助かった事。

そして、自分達のどちらかが堂島組長を殺してしまった事。

 

「そうか……つまり、どっちが本当に殺したかどうかは分かって無いんだな?」

「はい……錦はその後、俺に由美を託したんです。そして、妹の事も……」

「妹……優子の事か」

 

錦山の妹の事情は風間も把握していた。

最先端の医療を受けさせてやりたいという錦山の願いで、東都大学医学部付属病院を推薦したのは他でもない風間本人だからだ。

 

「えぇ。きっとアイツはあの一瞬で沢山悩んで葛藤したはずです。俺と由美は、錦の事を家族のように想っている。でも優子は、アイツにとってたった一人の血の繋がった妹なんです。そんな妹が生きるか死ぬかの瀬戸際だってのに、放ったらかしに出来るわけがねぇ……」

「一馬……」

 

桐生にとって家族と呼べる存在は、同じ孤児院で育った錦山と由美。そして風間の三人だけだ。

故に桐生は、肉親がどういうモノかを想像する事は出来ても心で実感する事は出来ない。

だが、錦山がどれほど妹の事を大切に想っていたかはよく知っていた。

 

「俺は、錦が妹の治療費や手術費を稼ぐ為に必死になっているのを間近で見てきました。アイツのシノギに手を貸したことも一度や二度じゃありません。きっとアイツは、側で妹の事を見守っていたかったはずだ……!」

 

だが、錦山はそうしなかった。

新たに組を立ち上げようとする兄弟の門出を邪魔しない為に。

これからの東城会に必要な桐生一馬という極道の人生を台無しにしない為に。

そして、由美と優子。二人の家族を心から愛するが故に、彼は自らの人生を擲ったのだ。

"堂島の龍"桐生一馬に全てを託して。

 

「東城会の行く末と一馬の今後。そして由美と優子の安否を考えて、自らその罪を被る……それが、彰の出した結論だって言うのか……?」

「錦山の叔父貴……」

 

錦山の出した結論は、紛うことなき自己犠牲に他ならなかった。

おそらくこのままいけば、錦山に待っているのは絶縁処分。

無事に刑務所から出れたとしても、堂島組からの報復に遭い惨めな最期を迎える事になるだろう。

 

「事情は分かった。話してくれてありがとうな、一馬」

「親っさん……」

 

だが当然、風間はそんな事を容認するつもりは無い。

桐生と錦山は、元々は二人の意思があったとはいえ風間がこの世界へと導いた経緯がある。

育ての親としても、渡世の親としても。彼はこの事態を見過ごす訳には行かないのだ。

 

「俺は事務所に戻って由美の状態を確認した後、東城会本部に向かう。そして今聞いた彰の件を世良会長に報告して、彰の絶縁処分を避けてもらえるように直談判してくる」

「えっ、出来るんですか?そんな事が……!?」

 

親殺しという極道社会最大の十字架を背負ってしまった錦山。

堂島の龍としての看板があり"カラの一坪"の一件で世良会長から高く評価されている桐生ならまだしも、今回事件を引き起こしたのは本家から見れば何の実績や役職も持たない一構成員の錦山なのだ。

普通に考えれば絶縁は待ったなし。それどころか、今すぐヒットマンが送り込まれてもおかしくは無い。

しかし、風間にはこの状況を打破するアテがあるらしい。

 

「俺も極道の端くれだ。こういう時の交渉材料はちゃんと用意してある。心配するな」

「……分かりました」

 

そうしてる内に、堂島組本部を発車した車は神室町へと戻って来ていた。そこでシンジが思い出したように言った。

 

「そうだ桐生の兄貴。自分、麗奈さんから兄貴をセレナへお連れするよう言われてるんです。麗奈さん、あの後の事情を聞きたがっています」

「そうか……分かった。俺の事はセレナの前で下ろしてくれ。事情は俺から説明する」

「分かりました」

 

シンジはすっぽん通りから神室町に入ると、言いつけ通りにセレナの前で車を止めた。

ドアを開けて車から降りる桐生に対し、風間が忠告する。

 

「一馬。麗奈さんに事情を説明したらお前は直ぐに家に帰れ。お前が由美を連れて組長の事務所から出た所は、既に街の誰かに見られてるかもしれねぇ。今日この街に長居するのは危険だ」

「はい、分かってます」

「明日、また連絡する。じゃあな」

「お疲れ様です」

 

桐生は風間の乗った車が走り出すのを見届けた後、セレナの裏路地へ回った。

非常階段を上がり、裏口のドアを開ける。

 

「桐生ちゃん!」

「麗奈……」

「由美ちゃんは!?由美ちゃんはどうなったの!?」

 

桐生が店に入るなり、麗奈は涙目になりながら訴えかけてきた。

店内に客の姿は無く、営業はしていなかったのだろう。

身内が拉致されたのだから無理も無い話ではあるが。

 

「由美は無事だ。今、風間の親っさんが様子を見てくれている」

「そうなんだ……」

 

それを聞いた麗奈は安堵のため息を漏らす。

風間の名前は麗奈も知っている。

桐生と錦山がこの世で最も信頼する親分が居るのであれば、心配は無いと判断したからだ。

 

「麗奈、聞いてくれ」

「桐生ちゃん……?」

 

しかし、麗奈にとって重大なのはここからだ。

桐生は現場で起きた事を滔々と語った。

己の親友が、自らの為に消えない十字架を背負った事を。

 

「そんな……嘘でしょ……!?」

 

ショックのあまり開いた口が塞がらない麗奈。

つい昨日まで、楽しく飲み明かしていたのが嘘のような残酷な現実。

それに耐えかねた麗奈は泣きながら桐生に詰め寄った。

 

「桐生ちゃん、嘘って言ってよ!だって、桐生ちゃん言ってたじゃない!俺が必ずなんとかするって……!それなのに、どうして……」

「……」

 

いつも冷静で笑顔を絶やさない麗奈が我を忘れて取り乱すのを見て、桐生は思い出した。

麗奈が密かに、錦山に対して想いを寄せていた事を。

 

「桐生ちゃん……!ねぇ、なんとか言ってよ!」

「すまない……」

「桐生ちゃん、錦山くんの事助けてあげられなかったの!?何も出来なかったの!?」

「っ……!」

 

麗奈の悲痛な糾弾を甘んじて受ける桐生。

彼は今、己の至らなさを痛感していた 。

 

「俺は……錦と違って器用に立ち回れたり、頭が回る方じゃねぇ。俺に出来んのは、テメェの大事なモンの為に身体を張る事だけだ。」

 

不器用なまでに真っ直ぐ、己の信念を貫く。

それが桐生の強さでもあり、弱点でもあった。

今回はその弱点が露呈し、悪い方へと発展した事態と言える。

 

「でも、それじゃあダメだった。あの時、もし錦が助けに来るのが遅れていたら……俺は堂島組長に撃たれて死んでいただろう」

「桐生ちゃん……」

「俺のやり方が、甘かったんだ……俺が……俺がもっと上手くやれてりゃ、錦は……!!」

 

後悔と罪悪感に打ちのめされて俯く桐生を見て、麗奈も言葉を失った。

誰よりもショックを受けているのは、他ならぬ桐生自身なのだ。

 

「……ごめんなさい桐生ちゃん。私、少し言い過ぎちゃった」

「……いや、良いんだ。気にしないでくれ」

 

重たい沈黙がセレナの中を満たす。

それは、つい昨日まで四人で楽しく時を過ごしていたのが嘘のような光景だった。

 

「……麗奈、水を一杯貰えねぇか」

「え?う、うん。分かった」

 

その沈黙に耐えかねた桐生は、セレナのカウンター席に腰掛けた。

麗奈もこのままではいけないと感じたのだろう。

直ぐにカウンターへと入り、桐生に水の入ったグラスを手渡す。

 

「ん……ん……ん……っはぁ……ありがとう、麗奈。少し頭が冷えた」

「そう……良かったわ」

 

グラスの水を一息に飲み干し、桐生は礼を告げる。

落ち着きを取り戻した桐生は、やがてふと呟くように言った。

 

「……俺は決めたぜ」

「桐生ちゃん……?決めたって、何を?」

 

問いかける麗奈の目を、真っ直ぐに見つめ返す桐生。

その瞳には先程までの後悔や罪悪感といった曇りは無く、断固たる決意を持った男の輝きに満ちていた。

 

「俺は必ず優子を助ける。桐生組を立ち上げて、立派な組織にしてみせる。そして……錦の帰る場所を俺が作るんだ」

「桐生ちゃん……」

「俺はこれまで、アイツに沢山の借りを作っちまってた。そして今回の事も……俺はまだ、アイツに何も返せてねぇ。だから今度は、俺の番だ」

 

桐生は強く感じていた。

今がその借りを返す時なのではないかと。

錦山から託された妹を助けて、彼が出所してきた時の居場所を作る。

それが、自らに与えられた果たすべき使命であると桐生は定義した。

 

「そう……うん。私も決めたわ」

「麗奈?」

 

覚悟を決めた桐生の姿を見て、麗奈もまた一つの決意を固めた。

 

「私はこれからもお店を続けるわ。桐生ちゃんが錦山くんの居場所を作るなら、私はみんなの居場所を守る。」

「麗奈……」

「その為なら私は何年だって待ち続けるわ。だから必ずもう一度、ここでみんなで集まりましょう?」

「あぁ、そうだな……ん?」

 

頷いた桐生の前に、麗奈は酒のボトルを置いた。

中途半端に中身の入ったそのボトルを開けると、先程まで水が入っていた桐生のグラスに注いでいく。

 

「麗奈、何やってるんだ?」

「これ、錦山くんがボトルキープしていたお酒。彼、当分は飲めないでしょ?一杯だけだから付き合ってちょうだい」

「そういう事か……」

 

麗奈も自分のグラスに酒を注ぎ、錦山のキープしていたボトルが空になる。

麗奈はグラスを片手に、桐生に約束事を持ちかけた。

 

「桐生ちゃん。今決めたこと、このお酒に誓いましょう。確かヤクザの世界じゃ約束事をするのにお酒を飲むのよね?」

「……もしかして盃の事を言ってるのか?」

 

極道の世界における盃事とは、格式高くれっきとした順序を踏んで行わなければならない厳格な儀式のようなものだ。

麗奈の想うイメージとは大分かけ離れている為、違和感を覚える桐生。

 

「あら、何か違ってた?」

「いや、間違っちゃいないんだが……まぁ、細かい事は良いか」

 

だが、それを指摘するのを桐生は酷く無粋に感じた。

錦山の残した酒に、誓いと祈りを込めて口にする。

この場における酒は、そういった意味を持つものだ。

 

「それじゃあ桐生ちゃん、グラス持って」

「あぁ……」

 

麗奈に促され、桐生はグラスを手に取った。

錦山の愛飲していた琥珀色のブランデーの水面に、お互いの顔が映る。

 

「俺は錦から託されたものを護り、アイツの帰る場所を作る」

「私はみんなが集まるこの場所を、何があっても守り抜く」

 

それぞれの誓いと共にグラスを掲げ、酒を飲み干す二人。

1995年10月1日午後11時49分。

彼らにとって最も長い一日が、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。

 




次回はみんなが好きなあの人が登場します。
1や極の原作にはない展開となりますので、是非お楽しみに!


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第二章 地獄の十年
獄中の閻魔



第二章、開幕です。
サブタイトルを見てまさか!?と思った人。
そのまさかです。

是非お楽しみください
それではどうぞ


堂島組長射殺事件から約一ヶ月後。

俺はとある地方の刑務所に収監されていた。

犯罪者を更生させる施設である為か、受刑者には厳しいルールの中での規則正しい生活が義務付けられている。

 

「食事、はじめ!」

 

刑務所と言えば劣悪な環境下での生活を強いられる事をイメージしがちが、普段の環境自体は悪くない。

例えば、俺の目の前にある食事のメニューがそうだ。

パンや牛乳、サラダと言った健康志向のメニューが並んでいる。

臭いメシ等と表現する者は数多くいるが、おそらくそれは献立そのものを表現したものでは無い。

 

「ぎゃあああ!!」

「てめぇ、なんだその態度は!あぁ!?」

 

背後で受刑者同士の騒ぎが起きるが、俺は決して目を合わせないよう務めた。

そう、臭いメシとはきっとこの事だ。

施設そのものの環境が悪くなくても、集まる人間は前科持ちの犯罪者ばかりなのだ。

喧嘩や揉め事等は日常茶飯事。

そんな環境下で摂る食事が、美味いわけが無い。

 

「そこ! 何やっとるか!!」

「なんだよ……離せこの野郎!!」

「うるさい、来い!!」

 

問題を起こした受刑者が連れていかれ、再び静寂が食堂を包む。

 

「ったく……物騒でいけねえな」

「……そうですね」

「おっと……こちらさんも物騒なツラしてらぁ」

「……いえ、そんな事は」

 

隣に座る受刑者の声に、当たり障りの無いように答える。

 

「なぁ、アンタだろ?自分の親分殺したってヤクザ」

「っ! ……いえ、人違いですよ」

 

俺は慌てて取り繕った。

親殺しの罪状を持つ俺がこの場において生き残るには、何より目立たない事が重要なのだ。

ここはシャバで犯罪を犯した者が最後に行き着く場所。

その中に東城会系列の人間がいる可能性は十分考えられる。

バレるなど持っての他だ。

 

「ふっ、そんなに隠す事ぁ無ぇだろ」

 

直後、俺は背筋が凍るのを実感した。

 

「東城会直系堂島組構成員。錦山彰」

「っ!?」

 

次の瞬間、隣の囚人が持っていたフォークが顔面に迫っていた。

反射的に顔をズラした俺の真横をフォークが通過する。

俺はそのまま椅子から転げ落ちるように距離を取った。

 

「おい、何やってんだよお前ら!」

 

他の囚人が驚きの声を上げる中、食事をしていた囚人の何名かが椅子から立ち上がって机をどかし始める。

この様子だと、隣の男の息がかかった連中みたいだ。

そして瞬く間に即席のリングが出来上がり、俺は囚人達に囲まれてしまった。

 

(さっきの奴もコイツらの仲間か!刑務官をこの場から引き離すためにわざと騒ぎを起こさせたんだ……!)

 

巧妙で組織的な手口。

バックにいるのが大きな組織である事は間違いないだろう。

 

「東城会の幹部殺ったんだ!こんくらい想像出来なかった訳じゃねぇだろ?」

「くっ……!」

 

ここまで来たら、もうやるしかない。

覚悟を決めてファイティングポーズを取る。

 

「堂島組長が、あの世で寂しいとさ!」

 

フォークを持った囚人の号令で刺客達が襲ってくる。

 

「クソっ!殺られてたまるかってんだよ!!」

 

俺は一番最初に襲ってきた刺客のパンチを躱すと、カウンター気味にボディブローを叩き込む。

怯んだその刺客の胴をそのまま掴み、バックドロップの要領で床に叩き付けた。

 

「テメェ!!」

 

真横から襲ってきた別の刺客にはミドルキックを喰らわせる。

急所である肝臓の上あたりを叩いたその蹴りは、刺客を一瞬で無力化した。

 

「この野郎!!」

 

すると更に次の刺客が背後から羽交い締めにして来た。

 

「離しやがれ!」

 

俺は首を前に倒してから後ろに向かって振り抜き、後頭部で頭突きをかました。

 

「ぶっ!?」

 

鼻柱を叩いた頭突きに怯んだ刺客の拘束を解き、振り返りざまに裏拳を繰り出す。

下顎を打ち抜いたその一撃は脳震盪を引き起こし、刺客の身体が糸の切れた人形のように床へと崩れ落ちる。

 

(これならイける!)

 

一人一人の実力は大したことの無い連中だ。

このまま各個に倒していけば勝機はある。

そう考えていた俺は、直ぐに自分の浅はかさを思い知る事になった。

 

「ぐっ、ぁ……!!?」

 

右の太腿に激痛が走る。

たまらず視線を向けると、そこにはフォークを持った囚人の左手があった。

フォークの突き立てられた部分から、囚人服越しでも分かるくらいの赤い液体が滲み出している。

 

「一人一人やればイける……なんて考えてたか?囮にまんまと気を取られたのが運の尽きだぜ」

「て、テメェ……!!」

 

敵は俺が苦し紛れに繰り出した左のパンチをあっさり躱すと、今度は俺の左肩にフォークを突き刺した。

 

「が、ぁぁあああっ!!?」

「そぉら、これで動けまい。うらァ!」

 

突き刺さった二本のフォークが引き抜かれ、動きの鈍った所に前蹴りが襲ってくる。

 

「ぐぁっ!!」

 

避ける術を持たない俺はまんまと蹴り倒され、そこを囚人達に囲まれた。

 

「殺れお前ら!東城会三代目からの覚えがめでたくなるぞ!」

「「「うおおおおおお!!!」」」

「何っ!?」

 

東城会三代目。

その言葉は俺にとって聞き捨てならないものだった。

 

(どういうこった!?世良会長は俺を破門の措置で済ませたんじゃ無かったのか!?)

 

もしもそれが東城会の会長の事を指しているのであれば、俺の聞いていた話と大きく違う。

しかし、それを問いただす時間と権利は俺には無かった。

 

「オラァ!」

「ぶがっ!?」

 

刺客の放ったサッカーボールキックが俺の顔面を蹴り上げる。

それをきっかけにして、次々と追撃が襲ってきた。

 

「死ねやボケェ!」

「このクソッタレ!」

「親殺しの外道が!」

 

様々な罵詈雑言と共に拳や、蹴りや、踏みつけといった暴力の嵐が俺に降り注ぐ。

 

「うっ、ぐっ、がっ、ぐほっ、がぁっ!?」

 

しかし、周囲の囚人達は仲裁どころか刑務官を呼びに行こうとする様子も無い。

それどころか、この様子を楽しんでいるのか野次を飛ばしている囚人すらいる。

あまりにも凄惨で無慈悲な洗礼。

これが親殺しの運命だとでも言うのか。

 

「ぐ……く、そ……!!」

 

一切容赦のない徹底的なリンチに、意識が少しずつ薄れていく。

俺は、こんな所で死ぬのか?

優子と由美をシャバに残したまま。

風間のおやっさんに迷惑かけたまま。

そして何より、桐生の隣に立てぬまま。

 

(ちく、しょう……!!)

 

やがて視界が暗くなり、俺の意識が刈り取られる。

その直前。

 

「貴様ら!何やっとるか!!」

「ちっ!」

 

刺客以外の放った誰かが怒号が俺の鼓膜を叩いた。

どうやら持ち場を離れていた刑務官が戻ってきたらしい。

俺を取り囲んでいた刺客達が次々と刑務官達に取り押さえられていく。

 

(助かった、のか……?)

 

視界がボヤけていてよく見えないが、しばらくすると白衣らしきものを来た連中が俺の前に来たのが分かった。

 

(はは……なんて、ザマだ…………)

 

多勢に無勢とは言え、結局やられっぱなしのまま終わってしまう。

そんな自分に感じた情けなさを最後に、俺の意識はぶつりと途切れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山が刺客から襲撃を受けた数日後。

今回の刑務所内での一件を重く受け止めた刑務所側は問題を起こした受刑者達を懲罰房へと送り、更に受刑者達の気分を転換する試みで一斉に部屋替えを行った。

その影響で、錦山も従来の部屋とは違う部屋へと行くことになるのだ。

 

「ちっ……結構痛みやがる……」

 

医務室での診察と治療を終えた錦山は、刑務官に連れられ新しい部屋へと案内される途中だった。

フォークで刺された足を若干引き摺るようにして刑務官へとついて行く。

 

(フォークは結構な深さまで突き立てられてたな……こりゃ当分はヤバいぞ……)

 

傷を縫う程まではいかなかったものの、血は未だに止まっておらず、定期的に包帯を変える必要はあるらしい。

 

(独居房の申請さえ通ってりゃ心配は無用だってのに……)

 

刑務所には複数人での生活を強いられる雑居房と、一人で過ごす独居房の二種類の部屋がある。

複数人で生活するため揉め事が起きかねない雑居房に対し、独居房は単独での収容なのでそういった心配をする必要は無い。

しかし、そういった背景から独居房は人気が高く希望者が多くいる上に、凶悪犯罪を犯してここに来た受刑者を危険人物として優先的に独居房に入居させる傾向もあるので、空きが出ることはほとんど無い。

殺人犯として収容された筈の錦山でさえ雑居房に入居させようとするあたり、独居房に空きがないのが事実である事を物語っていた。

 

「ここだ、入れ」

 

錦山は刑務官の指示に従い、開けられた雑居房の部屋へと上がり込んだ。

刑務作業後の余暇時間で、先に入っていた住人達は全部で三人。

部屋の隅で雑誌を読んでいた二人が錦山を見るが、部屋の中央に陣取って一台しかないテレビを見ていた囚人は目を向ける事もしなかった。

 

「それでは、節度を持って過ごすように」

 

刑務官はそれだけ言うと、房の鍵をかけてその場を離れた。

 

「……錦山彰です。よろしくお願いします」

「「!!?」」

 

錦山が軽く挨拶をすると、顔を向けていた二人がギョッとした様子で慌しく顔を伏せた。

手にしていた雑誌も放り捨て、耳を塞いで蹲る。

その体は小刻みに震え始めていた。

 

(なんだ?)

 

まるで何かに怯えているような、あまりにも異質な光景。

それに疑問と違和感を感じる錦山だったが、その正体はすぐに動きだした。

 

「ほぉ……例の噂は本当だったんだなぁ……」

 

中央に陣取ってテレビを見ていた一人の囚人がゆっくりと錦山に顔を向ける。

 

「っ!!?」

 

錦山はその囚人を知っていた。

泣く子も黙る程の強面な風貌。

第一関節から先が無い左手の小指。

そして全身から溢れ出る闘気は、苛烈という言葉をこれ以上無いほどに体現している。

 

「随分懐かしい顔だぜ……なぁ錦山?」

「アンタは……!!」

 

かつて堂島組一強とされていた時代において、堂島組を支えていた若頭補佐の一人。

錦山にとって、忘れられる訳が無いその男。

 

「久瀬の、兄貴……!!」

 

元東城会直系堂島組若頭補佐。久瀬大作。

元プロボクサーという経歴を持ち、当時全盛期とされた堂島組の中で最も"暴力"に秀でた男としてその名を轟かせた極道の中の極道。

 

(間違いねぇ……さっきの二人は久瀬の兄貴にビビってたんだ。)

 

先程の囚人達の態度も、久瀬の放つ威圧的な空気感に萎縮していたと考えれば辻褄が合う。

 

「聞いたぜ。お前、堂島の親父を殺ったんだってな?あの人も器が無ェとは薄々思っていたが、まさかお前に殺られちまうとはなぁ……カラの一坪の一件でトコトン落ちぶれちまったらしい」

 

久瀬はテレビを消すとおもむろに立ち上がり、猛禽類のような眼光で錦山を射抜いた。

 

(なんてこった……よりにもよって久瀬の兄貴と鉢合わせちまうなんて……!!)

 

久瀬は錦山にとっては渡世の兄貴分。

そして、同じ堂島組長の子分でもあった男。

親殺しの罪を背負う錦山にとって、最も出会ってはいけない人物だった。

 

「なぁ錦山よ……俺の哲学は知ってるか?」

「て、哲学……?」

「あぁ……それはな……」

 

動揺する錦山に対し、久瀬はゆっくりと近づいてくる。

直後。

 

「ぐぼ、ぁ、っ!?」

 

錦山の腹部に久瀬の拳がめり込んだ。

そのあまりの衝撃と激痛に、錦山は崩れ落ちる。

そんな錦山を見下ろしながら久瀬は答えを告げた。

 

「極道の世界にKOはねぇ。最後まで張り続けられなかった奴が負ける……それが俺の哲学だ」

「ぐ、ぅ、ぁ……っ……!!」

 

まるで鉛で殴られたかのような一撃に、錦山は為す術なく這い蹲るしかない。

 

(なんてパンチだ……桐生はこんな野郎と何回もやり合ってやがったのか……!!)

 

"カラの一坪"事件において桐生と対峙した久瀬は、結果として下手を打ちそのケジメとして小指を失った。

しかし、その後は持ち前のプライドと執念深さでもって幾度も桐生に襲いかかり、桐生はその全てに勝利してきたのだ。

桐生一馬が堂島の龍と呼ばれるまでになった要因の一つ。

その中には間違いなくこの久瀬大作との闘いが含まれていた。

 

「俺はまだ諦めてねぇ……堂島の親父の仇を討って、もう一度極道として返り咲く。テメェはそのための、都合のいい生け贄って訳だ」

「っ!」

 

久瀬は小指のない左手で胸ぐらを掴み上げると、右の拳を握り固める。

 

「死ねや、錦山」

(や、やられる……!!)

 

抵抗しようにも、痛みで全身が痺れて身動きが取れない。

錦山は振り上げられた拳を見て反射的に目を瞑った。

しかし、痛みと衝撃はいつまで経っても襲っては来ない。

 

(な、なんだ……?)

 

恐る恐る目を開けた先には、久瀬の拳があった。

振り抜かれる筈だった拳が錦山の眼前で制止している。

 

「……ちっ、呆れたぜ」

「は……?」

 

久瀬はため息を吐いて錦山の胸ぐらから手を離す。

 

「ビビってなんの手も出さねぇどころか、ロクな抵抗すら出来ねぇとはな……テメェを殺った所で、東城会が俺を認める訳ねぇ」

「な、に……?」

 

久瀬は自分の渡世の親を殺った男が、自分にあっけなく殺られそうになる姿に酷く落胆していた。

 

「ったく……せめて親父を殺ったのが桐生だったら、こんなにもガッカリしなくて済んだものをよ……」

「桐生……?なんで、そこで桐生の名前が出てくるんです……?」

 

錦山の問いに対して、久瀬は落胆を隠そうともせず乱雑に答える。

 

「分かんねぇか?親父を殺るにも、俺に殺られるにも、テメェじゃ役者不足だって言ってんだよ。桐生みたいな野郎ならまだしも、テメェみたいな何の根性も気迫もねぇ三下なんぞ殺す価値もねぇ……ったく、これであの桐生の兄弟分ってんだから笑い話もいい所だぜ」

「っ!!」

 

それは、錦山に対しての明確な失望と侮蔑だった。

かつて拳を合わせその意地と覚悟を見届けた事によって、一目置いていた桐生一馬。

その兄弟分とされる男が渡世の親である堂島組長を殺したと聞き、久瀬はその男がどれほどの極道かを見定めた上で殺そうとしていたのだ。

しかし、結果はこの有様。

桐生と比べればただのチンピラにしか過ぎない錦山に、久瀬はわざわざ自分の手を汚すことは無いと判断したのだ。

 

(この野郎……好き放題言いやがって……!!)

 

フォークで受けた痛みと先程の一撃で受けた痛みが、錦山の中で些末な問題となっていく。

桐生と比較された挙句に殺す価値も無いとまで言われ、錦山のプライドはかつて無いほど傷付けられていた。

 

「……ェに……んだよ…………」

「あ……?」

 

痛む身体に鞭を打ち、錦山が立ち上がる。

彼の目にはもう、目の前の男の事しか見えていない。

 

「テメェに……何が分かるってんだよッッ!!」

 

燃え上がる怒りに身を任せ、錦山は久瀬に右の拳をぶち当てる。

 

「な、っ!?」

 

直後、錦山は驚愕した。

完璧に右の頬に入った彼の拳は、久瀬を仰け反らせるどころか怯ませる事さえ出来なかったのだ。

 

(ウソだろ……!?)

「ふん、三下にも一端のプライドぐらいはあったか……でもな」

「ぐほっ……!?」

 

再び腹部にめり込む久瀬の拳。

今度の一撃は、人体の急所である鳩尾を正確に捉えている。

 

「吼えるだけじゃ、届かねぇんだよ。チンピラ」

「ぁ……が、っ……!」

 

呼吸困難に陥る彼の耳元で聞こえたそれは、錦山がこの日最後に聞いた久瀬の声となった。

 

「オラァ!!」

 

久瀬の放った渾身のアッパーが、無防備な錦山の顎をカチ上げる。

 

「ぁ…………ーーーーーーーー」

 

その一撃によって錦山の意識は完全に断ち切られ、力を失った身体が前のめりに倒れ伏す。

非の打ち所のない、完全な決着だった。

 

「おい」

「「は、はい!?」」

 

久瀬に声をかけられた囚人達が縮み上がりながらもすかさず応じる。

少しでも遅れたら何をされるか分からないからだ。

 

「コイツを布団に寝かしとけ。掛け布団も忘れんなよ。刑務官にバレたら面倒だ」

「「は、はい!!」」

 

囚人達は頭を空っぽにして、久瀬の指示に従う。

 

「……」

 

久瀬は、錦山が運ばれているのを一瞥するとやはり落胆を隠さずに呟いた。

 

「チッ、こんな奴にタマを殺られるなんて……俺ぁ失望しましたよ、親父……」

 

獄中を統べる閻魔の王。久瀬大作。

地獄の沙汰は、この男次第。

 






という訳で"みんなが好きなあの人"こと、久瀬の兄貴でした。
極や1の内容だけでは決して登場させる事の出来ないキャラクターなので、二次創作におけるこの世界では最初から登場させる気満々でした。
まさかの兄貴分登場で大ピンチの錦山。彼の明日はどっちだ!?
次回もお楽しみに。


PS
刑務所内の描写に関しては完全ににわか知識と想像で書いてます。実際はきっとこんな所では無いはずです。多分。

あと、久瀬の兄貴を知らないという方は是非「0」をプレイしてください。その生き様に惚れます。マジで。


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兄弟

最新話です
是非お楽しみに


堂島組長射殺事件から一年。

錦山彰は依然、とある刑務所で集団生活を送っていた。

入所したての頃のような刺客からの襲撃もなく、義務付けられた規則正しい日々を過ごす錦山だったが、新たな問題が浮上していた。

 

「おい」

「はい?」

 

ある日、刑務作業の一環である農作業中に他の受刑者から声をかけられた錦山。

 

「ぐ、……っ」

 

しかし声の方を向いた瞬間、後ろから何かが頭に当たる。

錦山背後を振り返るとクワを持った受刑者が薄ら笑いを浮かべて立っていた。

 

「悪い悪い。手が滑っちまってよぉ、土が飛んじまったぜ」

「……」

 

声音や態度から反省の色は感じられず、錦山にはこの受刑者が故意にやったとしか思えなかったがその瞬間をこの目で見た訳では無い。

 

「ぅあ……!」

 

すると今度は背後から水がかかって錦山の体を濡らす。

振り向いた先にいたのは先程声をかけた受刑者だった。

その手には空になったバケツが構えられている。

 

「大丈夫かよ錦山ぁ?汚れてたから水かけてやったぜ?」

「……」

 

錦山の元に降って湧いた新たな問題。

それは受刑者達が彼に対して行い始めた行為。

いじめや迫害による被害だった。

錦山が服役した直後に起きた東城会からの刺客による暗殺が中途半端に失敗したのを多くの囚人が見つめていた。

そして、その中で為す術なく痛めつけられている錦山を見た他の囚人達はこう考えたのだ。

こいつは虐めても良い奴だ、と。

 

「なんだよぉ?人が親切で綺麗にしてやったってのにだんまりかぁ?」

「……どうも」

 

それからというもの、錦山に対しての陰湿なイジメが発生するようになった。

他の作業の為に必要な道具を隠されたり、故意に足を踏んだり唾をかけたりする行為などは当たり前。

場合によっては、人目のつかない場所で言葉にするのも憚られるような卑劣極まりない行為を行う者もいる。

その為、今の錦山にとっては今更ズブ濡れになるくらい些末なことだったのだ。

 

「作業終了!これより点呼を行う!全員並べ!」

 

刑務所の一声で農作業中の囚人達は手を止めて整列をする。

 

「錦山」

「はい」

「よし、次は……」

 

刑務官は錦山の名を呼んで彼の存在を目視で確認したあと、何事も無かったかのように点呼へ戻った。

ただ一人、頭からズブ濡れになっている受刑者が居るにも関わらずだ。

 

(今更だろ……)

 

刑務所が意図的に触れないのは今に始まったことでは無い。

錦山も最初は刑務官に事情を訴えていたのだが、どういう訳か妙な事で騒ぎ立てるなの一点張りで誠意ある対応はない。彼を迫害する連中もお咎めなしで状況が決して変わらないことを理解した錦山はいつしか抵抗する事をやめていた。自分から行動を起こして、刑期延長なんて事になれば目も当てられない。彼は一刻も早くここを出なければならないのだから。

 

「点呼終了!これより運動時間とする!」

 

刑務官の号令と共に、受刑者達が作業場から離れて運動場に散り散りになっていく。

集団でスポーツをやる者、ランニングをする者、椅子に座って日向ぼっこをする者など様々だ。

 

「なぁ錦山」

「……何か?」

 

運動場を抜けて房へ戻ろうとする錦山に対し、一人の囚人が声をかけた。

それは先程、クワで錦山に土をかけた受刑者だった。

 

「さっきは土かけて悪かったよ、わざとじゃねぇんだ」

「いえ、気にしてませんよ。それじゃ……」

 

相変わらずの薄ら笑いを浮かべる囚人をあしらい、錦山はその場を離れようとする。

しかし、囚人はそれを許さなかった。

 

「待てよ、せっかくの運動時間だってのにどこ行くんだ?」

「自分の房に戻るんです……いけませんか?」

 

この刑務所では、運動時間終了後に房の中で点呼があり、最初から房へと戻る事も出来るのだ。

極力人との関わりを避けたい錦山は房に戻ろうとしていたのだが、囚人はそれを許そうとはしなかった。

 

「そうだなぁ、いけなくはねぇけどよ……?」

 

その言葉を合図に、物陰から次々と囚人が現れて錦山を囲むように立った。

錦山はもう、彼らが退かない事には房へ戻る事は出来ない。

 

「……何の用です?」

「錦山よ……俺ぁ本当に反省してるんだよ。だからさぁ、これからアンタに"お詫び"がしたいんだ。ちょっとだけ顔貸してくれよ」

 

そう嘯く囚人だが、大勢で錦山一人を囲んだり、薄ら笑いを浮かべたままな状態である事から謝罪をしたいという旨の雰囲気は一向に感じられない。

しかし、錦山はこのパターンを知っていた。

 

(またか……)

 

週に一度か二度。

錦山は継続的に集団暴行を受けているのだ。

こうした時は決まって、逃げられなくした上で人気のない所へ連れ出される事が多い。

今回もその例に漏れなかった。

 

「……分かりました」

「ヒッヒ、ありがとよ錦山。こっちだ、ついて来てくれ」

 

錦山は特になんの抵抗もせずに囚人達に言われるがまま移動を始める。

今日は一体どんな暴行を受ける事になるのか。

本来であれば恐怖や絶望を抱くところだが、錦山は対して興味も無かった。

 

(こんな生活をあと九年、か……)

 

ふと見上げた空は雲ひとつない晴天で、綺麗な青空が広がっている。

こんな時に思い出すのは娑婆に残してきた兄弟と幼馴染。そして病床に伏せていた妹の安否だ。

 

(みんな何してんだろうな……?)

 

今日までに錦山の元には面会どころか手紙すら一通も来た試しが無かった。

風間も桐生も、娑婆で忙しくしているという事なのだろうか。

 

(優子は、どうなったんだろうか……)

 

錦山は、妹がもう長くないのを薄々分かっていた。

本来立ち会うべきだった手術が仮に成功したとしても、延命できるのは一年が限界であると、担当医から聞かされていたからだ。

それでも彼女には幸せに生きて欲しい。それは錦山の偽りのない本心だった。

同時に。

 

(どっち道、俺が死ぬのが先だろうな……)

 

その幸せな場所にきっと自分は居られない。そう思うのもまた彼の本音だ。

元堂島組構成員。錦山彰。

収監されて早一年。その心は、まもなく折れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「囚人番号1240。面会だ」

 

刑務官からそんな言葉をかけられたのは、夕食後の余暇時間中だった。

雑誌やテレビを見るでもなくただぼーっとしていた俺に、刑務官は房から出るように促す。

 

「面会……?」

「そうだ。早くしろ」

「……いえ、良いですよ。誰だか知らないけど、帰ってもらってください」

 

来てもらった誰かには悪いが、今の俺は誰とも会いたい気分じゃなかった。

ただ、何も考えずにいたかったのだ。

 

「おい、行けよ」

「久瀬の兄貴……?」

 

そんな俺に対して声を掛けたのは刑務官でも無ければ素性も知らない同部屋の受刑者でも無く、久瀬大作だった。

久瀬はイライラした様子で俺に吐き捨てる。

 

「前から言おうと思ってたんだけどな。お前にそうやって辛気臭ぇツラでここに居られちゃこっちもイライラして迷惑なんだよ」

「……」

「俺はな。余暇時間でくらい、少しでもお前のいない空気が吸いてぇんだ。分かったらさっさと消えろ。それとも……今この場でぶち殺されてぇか?」

「おい、妙な事言うんじゃない!」

 

ドスを効かせた声でそう迫る久瀬。

このまま面会を拒めば、おそらく久瀬は刑務官の注意や警告も意に返さず本当に殺しにくるだろう。

殺ると言ったら本当に殺る。久瀬大作とはそういう極道だ。

 

「……分かりました、行きます」

 

俺は久瀬の兄貴の声に従い、雑居房から出ることにした。

房の扉が開き、俺が外へと出た後に再び施錠される。そして刑務官に言われるがまま後を追ってついて行った。

刑務官と俺は雑居房のある棟から離れ、主に事務仕事などを行う職務棟へと向かって歩く。

程なくして俺は面会室の前へと辿り着いた。

 

「面会希望者は既に面会室で待っている……少しはシャキッとしろ」

 

呆れた様子の刑務官は俺にそんな言葉をかけると、面会室の扉を開けた。

この扉の奥に、俺と会いたがっている誰かが居るのだろう。

 

「さぁ、入れ」

「……はい」

 

俺は言われるがままに面会室へと足を踏み入れる。

白を基調とした一室は厚めのガラスを一枚隔てて向こうの部屋と繋がっている。

そしてその部屋の中央の椅子に座り、俺を待っていた人物と目が合った。

 

「錦……!」

 

グレーのスーツにワインレッドのワイシャツ。

彫りの深いヤクザ丸出しの顔立ち。

そして聞き慣れた渋い低音の声。

そこに居たのは間違いなく、俺の親友にして渡世の兄弟分。

桐生一馬だった。

 

「桐生……!桐生じゃねぇか!」

 

俺の顔に自然と笑顔が張り付く。

兄弟との一年ぶりの再会に、俺はかつての"錦山彰"を表に出した。

 

「久しぶりだな、錦。来るのが遅くなって悪かった」

「はっ、気にすんじゃねえよ。お前こそ組の方はどうなんだ?その様子じゃ、結構調子良いんじゃねぇのか?」

 

俺がここに収監される直前、桐生は組を任されるのがほぼ決定していた。

順当に行けば直ぐにでも組を立ち上げて、組織に貢献しているだろう。

 

「錦」

「なんせ兄弟の面会を後回しにするくらいだ。もう結構な実績を残してんじゃねぇか?はっ、それでこそ堂島の龍だぜ」

「錦」

「やっぱり俺は、お前に託して正解だったよ。カラの一坪の一件でお前の評価は本家にも届いてる。俺みたいな末端のチンピラじゃ、きっとこうはならなかった筈だからなぁ」

「錦ぃ!!」

 

桐生の当然の大声にこの場の全員が面を食らう。桐生の背後にいた刑務官もだ。俺の背後にいる刑務官も、厚めのガラス越しに驚いているのが見て取れる。

 

「な、なんだよ急に。そんな大声出すんじゃねぇよ」

「……なぁ、錦」

 

桐生は少しだけ俯いたあと、俺の目を見て言葉を発した。

 

「お前……大丈夫なのか?何かされてんじゃねぇのか?」

「は、はぁ?いきなりどうしたんだよお前」

「答えろ錦。お前、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だ、別に何もありゃしねぇよ。お前、いつからそんな心配性になったんだ?」

「……だったらよ」

 

そうして桐生は突き付ける。

俺の保っていた"錦山彰"が根本から瓦解する、決定的な一言を。

 

何でお前は泣いてんだ、兄弟(・・・・・・・・・・・・・)

「は……?」

 

俺は反射的に右手で目元を拭う。

そこには確かに、透明な雫が付着していた。

 

「……くっ、ぐぅぅ……うううううう………ッッ!!」

 

認識してしまったのが運の尽きだった。

"錦山彰"の瓦解と共に、決壊した涙腺からとめどなく涙が溢れ出てくる。いや、それは透明な血だ。

心の傷から出血したかのような冷たくて痛々しい涙。

 

「錦……何があったか話してくれ」

 

嗚咽を漏らしながら泣く俺に対し、桐生は優しく声をかける。

しかし、今の俺にとってはその優しさが何より辛いものだった。

 

「お前にもしもの事があったら、俺は」

「うるっせぇんだよッッ!!」

 

俺は桐生の言葉を遮るように叫んだ。

その態度が、まるで俺を憐れんでいるかに思えた俺は、自分のちっぽけなプライドのために兄弟の優しさを踏みにじった。

 

「どいつもこいつも俺をナメては寄って集って迫害してきやがる!刑務官連中も見て見ぬふりだ!ここに来てはっきり分かったぜ!俺にはお前みたいな実績も看板もありゃしねぇ、ただの無能なチンピラなんだよ!お前は良いよなぁ!風間の親さんや世良会長からも高く買われて、"堂島の龍"なんて看板がお前を守ってくれる。俺なんかが居なくたって立派にやっていけるんだからよ!!」

「錦……」

 

それは、心の奥底で燻っていた劣等感の発露。

決して表にする事は無かった黒い感情。

それを見せれば最後、桐生との縁は切れてしまうだろうから。

そうなれば俺は生きていけない。何をやっても半端で意味の無い人生を歩む事になるだろう。

 

「どうせ俺なんかが居なくたって、娑婆での出来事は何もかも上手くいくんだ!俺はいない方がいい存在なんだよ!東城会にとっても、お前にとってもな……!!」

 

だがもう、どうせ俺には未来が無い。

このまま迫害の末に衰弱して、野垂れ死ぬのは目に見えている。

だったらいっそここで、全てをぶちまけるのも悪くない。

桐生が俺に幻滅し、縁を切りたくなる程に。

 

「……はぁ。今の言葉、聞かなかった事にするぜ」

「なんだと……!?」

 

しかし桐生は。俺の無様を見せ付けられてもなお、決して感情を荒立てない。

そんな大人ぶった態度が、ますます俺の醜い怒りを刺激した。

 

「なぜなら、お前が居なくなって困る人間が確かにいるからだ」

「誰だって言うんだ……?言えるもんなら言ってみろよ!!」

 

溢れ出る感情のままに言葉を叩きつける俺を、桐生は静かに見据えたまま答えた。

厳かに、俺に大切な事を思い出させるために。

 

「錦山優子。お前の……たった一人の血の繋がった家族だ」

「っ!!?」

 

その名前を聞いた瞬間、沸騰していた感情が急速に冷めていくのが分かった。

錦山優子。俺がここに来る前桐生に託した妹の名だ。

病床に伏せ、余命幾ばくもなかった彼女の最後の手術前に俺はここに収監された。

それ以降、優子がどうなったかを俺は一切知らなかったのだ。

 

「錦……俺が今日ここに来たのはお前に報告したい事があったからなんだ」

「報告……?」

 

そうして桐生は懐から一枚の写真を取り出すと俺に見せてきた。

とある病室の情景が写った写真。

中央にはベッドで眠っている優子の姿が確認出来る。

しかし、優子が寝ているのは俺が知っている病院の病室じゃなかった。

 

「これは……?」

「海外の病院で撮影されたものだ。錦。優子は心臓移植を受けたんだ」

「心臓移植……?」

 

それはドナー登録をされた患者から臓器提供を受けて移植する治療法で、近年でも法律改正の影響から注目を浴び始めた最先端医療の一つだった。

莫大な資金と臓器を提供してくれるドナーが見つからなければ成立しないが、成功すれば健康的な心臓そのものを移植する事になるので、心臓病は事実上完治する。

 

「そしてこれは、手術後に撮影された写真だ」

「そ、それじゃあ優子は!?」

「あぁ……優子は。お前の妹は助かったんだよ」

 

それは刑務所という地獄に突き落とされた俺にとって、初めて齎された希望の福音だった。

死を待つだけだったはずの優子の命を、桐生は救った。

助けてやってくれと願った俺の約束を、見事に果たしてくれたのだ。

 

「あ……あぁ……優子ぉ……!!」

 

涙腺から熱いものが込み上げてくる。

ドス黒さの発露であった先程のとは違う、暖かくて優しい雫が俺の頬を伝って落ちる。

 

「それにお前、優子にこう伝えたじゃねぇか。"俺は信じてる。だから絶対諦めるな"ってな」

「っ!桐生、お前それを何処で!?」

「風間の親さんから聞いたんだ。お前が親っさんに伝言を頼んだんだろ?」

 

ここに収監される前。

親っさんとの留置所での面会の際に、別れ際に託した妹への伝言。

それははっきりと、優子に伝わっていたのだ。

 

「優子はそれを聞いて覚悟を決めたんだ。そして逃げずに手術に臨んで、病気に打ち克った。錦……お前が死んじまったら、せっかく助かった優子はこの先一人ぼっちだ。お前、それでもいいって言うのか?」

「桐生……」

「それにお前がいらない存在だって言うのなら、親っさんもお前の為にケジメ付けたりなんかしねぇ。お前は確かに、誰かから必要とされる存在なんだ。だからよ、錦」

 

桐生は、まっすぐに俺の目を見て。

己が大切にする信念を、俺に伝えてきた。

 

「お前も。生きる事から、逃げるんじゃねぇ」

 

俺がどれだけ無様を晒しても、俺の醜い部分をどれだけ見せ付けられても、その瞳には一遍の曇りもない。

桐生一馬にとって俺は。錦山彰は、どこまでいっても兄弟分なんだ。

 

「……そうだな、ありがとよ兄弟。お陰で目が覚めたぜ」

「フッ、気にするな兄弟。これでやっと一つ、お前に借りを返せたな」

 

俺たちは顔を見合わせて笑い合った。

かつて、娑婆にいた時と同じように。

 

「時間だ」

 

背後で刑務官が声をかける。

面会の時間が終わりを告げ、俺たちはそれぞれの日常に戻る。

 

「俺は行くぜ……待ってるからな、兄弟。」

「あぁ……!お前も負けんなよ、兄弟!」

 

最後にエールを送りあって、俺たちは互いに背を向けた。

桐生は娑婆に。俺はムショに。

いつかもう一度、出会える事を信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、1996年某日。

とある刑務所の運動場の端にある倉庫小屋で、事件は起きていた。

 

「オラァ!」

 

薄暗い部屋の中、三人の囚人が一人の受刑者に寄って集って暴行を加えていた。

 

「うぐっ……!」

 

羽交い締めにされた状態でボディブローを喰らい、受刑者が床に倒れ込む。

 

「ひゃはっはっは!コイツ、ちょっと腹を小突いただけで簡単に倒れやがったぜ!」

「おいおい、そう簡単にくたばってもらっちゃ困るぜサンドバッグさんよぉ?」

「俺らの数少ない楽しみなんだ……まだまだ頑張って貰わねぇとなぁ!」

 

下卑た笑い声を上げて状況を楽しむ囚人達。

刑務官の目も届かないこの場所は、卑劣を好む彼らにとって格好の遊び場だった。

 

「テ、テメェら……こんな事して、タダで済むと思ってんのか……?」

 

受刑者ーーー錦山彰は、自分を見下す囚人を睨み付ける。

犯罪者を更生させる為の施設である刑務所において、このような行為は当然許されない。

本来なら直ちに懲罰房に入れられて、刑期延長も考えられるだろう。

 

「はっ、まだそんな事言ってんのかよサンドバッグくん」

「お前だってもう、分かってんじゃねぇのか?何をした所で刑務官はこの場に干渉しねぇって事をよ?」

 

囚人達の言うことは事実であり、現に一度も刑務官達が今回のことで動いた試しはなかった。

 

「これがどういうことか分かるか?お前はこの刑務所にとっての生贄になったってワケだ!」

「俺らがこうやってストレスを発散すりゃ、刑務所の中で騒動も起きねぇからな!」

「ひゃっはっは!俺たちの番が回ってくるのを待った甲斐があったってもんだぜ!」

 

錦山に暴行を加えるメンバーは回を追うごとに変化している。

さながら、ストレス発散用の人間サンドバッグの順番待ちといった所だろうか。

 

「オラ、いつまで寝てんだよ!」

「ぐっ……」

 

囚人の一人が這いつくばった錦山を無理やり起こして羽交い締めにする。

人間サンドバッグの刑はまだ終わっていないのだ。

 

「よっしゃ、今度は俺の番だ。しっかり抑えとけよ?」

 

無抵抗のままの受刑者の前に、順番の回ってきた囚人が立つ。

薄ら笑いを浮かべながら拳を鳴らし、準備を整えている。

 

「よし、いったれ!」

「ぶっ殺せ!ひゃっはっは!!」

「うぉらァ!!」

 

身動きの取れない錦山の顔面に囚人の拳が迫る。

その顔はこれから来る衝撃と激痛に歯を食いしばっているのか。

それとも助けの来ない孤立無援の現状に絶望しているのか。

 

(あ?)

 

拳を振り抜く刹那、囚人の目に映ったのはそれらの内のどれでも無かった。

 

「へっ……!」

 

錦山は不敵な笑みを浮かべると、迫り来る拳を頭突きで受け止めた。

硬いものを殴った反動で囚人の拳にダメージが入る。

 

「いっでぇ!?」

「「なっ!?」」

 

想定外の出来事に驚く囚人たち。

錦山は拘束が緩んだその一瞬の隙を逃さず、身体を前のめりに倒して背後に肘打ちを叩き込んだ。

 

「ぶげっ!?」

「はっ、でやぁッ!」

 

不意の一撃で完全に拘束が解け身動きが自由になると、彼はすかさずボディブローとアッパーで追撃をかける。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

「て、テメェ!どういうつもりだコラァ!?」

 

受刑者からの予想外の反撃に戸惑い、怒れる囚人達。

しかし錦山は不敵な笑みを崩さない。

彼はもう、ただ死を待つだけの人形では無いのだ。

 

「やっと納得がいったぜ……確かにこの閉鎖的な空間じゃストレスも溜まる。それが爆発した際に暴動が起きない為の措置として、ガス抜きの為の生贄が必要だった。だからこんな事を黙認してたって訳か……」

 

蓋を開ければ単純な事。

集団で一人をいじめる事でいじめをする者たちの間で結束が出来るような、そんな子供のような理屈だ。

 

「だったら問題解決だぜ……!」

 

錦山は高らかに宣言すると、自分の上着に手をかけて一気に脱ぎ捨てる。

その首から下には、今まで受けた痛ましい虐待の痕が鮮明に残っている。

しかし彼のその背中には、遥か先にある門を目指して懸命に滝を昇る一匹の勇ましい鯉の姿があった。

 

「今日から生贄はテメェらの方だ……!手始めに、俺のサンドバッグになりやがれ!!」

 

錦山彰の逆襲劇が今、幕を開ける。

その心に揺るぎない希望を宿して。

 




さぁ、ここからが反撃開始です!
次回もお楽しみに


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怨魔の契り



久瀬の兄貴の評判がすこぶる良いので投稿しちゃいます
サブタイを見て「おっ!」と思った方、是非同じ名前のサントラを聞きながら楽しんでください
ちなみに私は聞きながら書きました
それではどうぞ


錦山と桐生が面会してから数日が経ったある日。

刑務作業後の自由時間に、久瀬の元へ一人の囚人がやって来た。

そしてその囚人の口から、久瀬の耳に気になる噂が舞い込むことになる。

 

「何?錦山の野郎が?」

 

それは同部屋の錦山が、人目のつかない場所で囚人達を痛めつけているという噂だった。

 

「はい。情報通の奴に聞いたんですが、どうも間違いないみたいで」

 

ほんの数日前まで生気のない瞳をしていた錦山。

その無気力な態度から囚人達に甘く見られ、迫害や暴行を受けていたのは有名な話だった。

しかしここに来て、その錦山が囚人達にやり返し始めたという。

一体何がキッカケでそうなったのか、久瀬には一つだけ心当たりがあった。

 

(あの時の面会で、何かを吹き込まれたか……誰に会ったんだ?)

 

錦山の辛気臭い顔を見るのが嫌で、面会を拒否する彼を半ば追い出すように向かわせた久瀬。

あの日はその後に何事も無かったように戻ってきていた錦山だが、彼の心境の変化があったとすればあのタイミングで間違い無いだろう。

 

「久瀬さん、確か錦山の事ぶん殴ったんですよね?もし恨みを持たれていたら、少し面倒な事になるかもしれませんよ?」

「はっ、因縁付けられたら何だってんだ。俺はあんな三下のチンピラなんざ眼中にねぇんだよ」

 

久瀬が目指すのは東城会への復帰。

極道として負けないために、命ある限り何度でも這い上がる。

それが彼の極道としての哲学だった。

 

(だが、あの腑抜けた錦山をその気にさせた奴ってのには興味があるな……)

 

もしもその人物が東城会の関係者なら、復帰した後の自分にとって障害になる可能性が高い。久瀬にとっては知っておいて損がない情報と言えた。

 

「おい、錦山は今どこにいるんだ?」

「はい、さっき運動場の隅にある作業小屋の方へ向かっていきましたけど……」

 

その場所は現在ほとんど使われておらず、人気を阻むのにはうってつけの場所だ。

 

「そうかい、ありがとよ」

 

久瀬は囚人に軽く礼を言うと、直ぐにその作業小屋の方面へと歩を進める。

先程の囚人の話が本当なら、もしかしたら今まさにそこで事が起きているかもしれない。

 

(ここだな)

 

作業小屋を囲むフェンス付きの扉を開き、小屋の戸を開ける。

そこに居たのは四人の囚人達。

その内の三人は床に寝転がって起きる気配が無く、最後の一人が半裸で部屋の中央に立ち尽くしていた。

その背中には、見事なまでの緋鯉の入れ墨が彫られている。

久瀬はその入れ墨に。何よりそれを背負う目の前の男に覚えがあった。

 

「二代目歌彫の緋鯉か。はっ、三下の分際で一丁目前に良い墨を背負ってやがる」

「っ!久瀬の兄貴……」

 

錦山彰は背後を振り返ると、意外な人物が居たことに面食らっていた。

騒ぎを聞き付けた刑務官か野次馬あたりがくると思っていたからだ。

 

「お前がコイツらをやったのか?」

「えぇ。寄って集って迫害してきた連中に"返し"をしてた所です」

 

錦山の足元に転がっている囚人達。

ピクリとも動かず呻き声すら上げないことから、錦山によって気絶させられた事が分かった。

 

「ほう……どうやら噂は本当らしいな」

「噂?」

「いや、なんでもねぇ。そんな事より、お前に聞きたい事があんだ」

「何です?」

 

疑問符を浮かべる錦山に対し、久瀬は本題に入った。

 

「数日前。お前と面会した奴は誰だ?」

「……そんな事知ってどうするんです?」

「聞かれた事だけに答えろや、おう?」

 

声にドスを効かせて答えを迫る久瀬。

彼はこの迫力と喧嘩の腕でのし上がり、恐怖と暴力の象徴として長らく堂島組の幹部に君臨してきたのだ。

 

「……お断りします」

「あ?」

 

しかし、錦山はそれに対して臆すること無く真っ向から答えるのを拒否した。

 

「今の俺は組を破門にされた人間だ。昔のよしみで兄貴と呼んじゃいますが、本来俺にアンタの言う事を聞く義理はない……違いますか?」

「テメェ……以前に痛い思いしたのをもう忘れやがったのか?」

 

額に血管が浮かび、久瀬の中のボルテージが上がっていく。極道としての血が騒ぎ始めているのだ。

 

「大人しく吐かねぇなら今ここで半殺しにして話す気にさせてやろうか?あぁ!?」

「はっ、面白ぇ……やってみろよ」

 

久瀬の怒鳴り声に対しても萎縮すること無く、真っ向から対峙する錦山。

その瞳には以前のような空虚さはなく、燃え盛る闘志を掲げた男の輝きが宿っていた。

 

「良い機会だ。俺もアンタにあの時の"返し"をしようと思ってたんだ。元ボクサーの極道崩れ一人に手こずってるようじゃ、シャバに出た時兄弟に笑われちまうんでな!」

「言うじゃねぇか、このクソガキが!」

 

完全に沸騰した久瀬は囚人服の上着に手をかけるとそのまま勢いよく脱ぎ捨てた。

胸元に彫られた二つの髑髏と両腕に彫られた牛頭と馬頭。そして、背中に彫られた閻魔大王の姿が顕になる。

こうなってしまえばもう後には退けない。

久瀬大作は錦山彰を徹底的に叩きのめすまで決して止まることは無いだろう。

 

「俺はなぁ、実力もねぇ癖に吼えるだけの三下がこの世で一番嫌いなんだよ……!!」

「だったら黙らせてみろよ……かかって来いや、久瀬ぇ!!」

「上等だぜ、死ねやボケがぁ!!」

 

元東城会直系堂島組若頭補佐。久瀬大作。

極道としての意地を賭けた喧嘩の幕が上がった。

 

「ドラァ!!」

 

先手を取ったのは久瀬だった。

ボクシング仕込みの右ストレートが錦山を襲う。

 

「ちっ!」

 

錦山は風切り音が鳴る程の速度とキレを持ったその一撃を顔一つズラして躱し、そのまま左のアッパーを久瀬の顎をめがけて放った。

しかしボクサーとしての動体視力を持つ久瀬は、僅かに顎を引く事でこれを難なく躱した。

 

「せいッ!」

 

追撃の右パンチを放つ錦山だが、そのまま難なく避けられる。

そして久瀬はもう一度右ストレートを繰り出した。

錦山は再びこれを躱すと、左のボデイブローを久瀬の脇腹に叩き込む。

 

「オラ、でりゃァ!」

 

錦山は左のフックで久瀬の後頭部を叩き、こちら側に引き寄せた所で右のアッパーを当てようとした。

しかし、

 

「分かり易すぎるんだよ!」

 

久瀬は体勢を前のめりに倒して後頭部への一撃を躱し、右のアッパーも難なく回避してみせる。

全盛期の堂島組を拳一つでのし上がった男が為せる技だった。

 

「シッ、シッ、シッ!」

 

久瀬は歯の間から息を吐きながら、鋭さを持ったジャブとワンツーで錦山を追い詰める。

 

(クソっ、ジャブが早すぎて攻撃に移れねぇ!)

 

一発一発の威力は大した事ないが、それらを無視して攻撃に転ずればボクサーお得意のカウンターが待っている為、錦山は攻めあぐねていた。

 

「うぉりゃァ!!」

 

錦山のガードを煩わしく思った久瀬が、右のストレートを全力で叩き込んだ。

 

「ぐぅっ!」

 

拳を受け止めた腕の骨が軋む。

相手が防御に転ずるなら、その防御もろともにぶち砕く。

喧嘩において常に真っ向勝負を挑み続けた久瀬らしい戦法だった。

 

「ふんっ!!」

「ぶっ!?」

 

ガードが崩れた所に久瀬の頭突きが錦山の顔面にぶち当たる。

ボクシングにおいてバッティングは反則行為とみなされるが、喧嘩ではそんなルールはない。

 

「ふっ、はっ、おりゃァ!!」

 

さらに怯んだ所にボデイブロー、アッパー、そしてストレートのコンビネーションが直撃した。

 

「あ、がぁ……くっ!」

 

鼻柱が折れ、決して少なくない流血をする錦山。

しかし、それでもなお錦山は倒れない。

彼は、その胸に抱いた希望がある限り負ける訳には行かないのだ。

 

「くたばれやガキがぁ!!」

 

怨魔の叫びが小屋の中に響き渡ると、久瀬は小さく構えながら両腕を大きく振り回し、左右のフックを交互に連続で繰り出した。

 

(ぐっ、クソッ……?)

 

まさに拳の嵐としか形容出来ない猛攻の中で、錦山は一つの違和感に気付いた。

一発一発が驚異的な威力を持つ中で、威力が弱い一撃が混ざっているのだ。

 

(なんだ、この違和感は……?)

 

しかし、その思考は途中で中断される。

 

「はァァ!!」

 

絶え間ない連続フックの中、錦山は突然に襲い来た久瀬の前蹴りに対応が出来ず、その一撃が腹部に直撃した。

 

「ごはっ!?」

「ふんッ、うォりゃァッ!!」

 

たたらを踏んだ所にすかさず左アッパーと右ストレートをぶちかまし、錦山の身体を文字通りぶっ飛ばす久瀬。

 

「ぐふ、っ、ぅ……!」

「おら、どうした?そんなもんじゃねぇだろ!!」

 

壁に叩き付けられてもたれ掛かる錦山に、久瀬は激を飛ばす。

すかさず立ち上がりファイティングポーズを取る錦山は、思考を巡らせていた。

 

(間違いねぇ……さっきもアッパーは弱かったが、右のストレートでぶちかまされた……)

 

錦山の中で疑問は確信に変わり始める。

それと同時に、それに基づく作戦が錦山の中で構築されていく。

 

「当たり前だぜ……闘いはこっからだろうが」

「死ねやぁ!錦山ぁ!!」

 

猛然と襲い掛かる久瀬に対し、錦山はもう一度防御の体勢を整える。

再び久瀬から連続フックの嵐が襲い掛かるが、それこそが彼の狙いだった。

 

(今だ!)

 

錦山はタイミングを見計らうと久瀬の左フックを手首を掴んで止めた。

連続で攻撃を受け続けた事で久瀬の素早いパンチに目が慣れたのだ。

 

「オラァ!」

 

久瀬はそのまま右の拳を振り抜こうとするが、それよりも先に錦山の左ストレートが顔面に決まった。

 

「ぶは、っ!?」

 

初めてまともな一撃をもらい久瀬が明確な隙を晒す。

その瞬間に、錦山は全体重を乗せた右拳の一撃で追い打ちをかけた。

 

「でぇぇやァ!!」

 

本来は難なく避けられてしまうような力任せで大振りな一撃は隙を晒した久瀬に直撃し、その身体を大きく吹き飛ばして地面に叩きつけた。

 

「く、クソが……!」

 

悪態を付きながらもすぐに起き上がる久瀬。

ここで錦山は看破した。堂島組内で喧嘩最強と謳われた久瀬大作の弱点を。

 

(久瀬は左からのパンチに威力が乗らない。エンコを詰めてるから拳を握りこめねぇんだ……!)

 

極道における指詰めは約定や謝罪の意を示すものとして古くから存在しているが、一説によればその起源は江戸時代にまで遡るという。日本人がまだ刀を帯刀していたその時代において指を切り落とす行為は刀を握るための握力の低下。すなわち戦闘力そのものの低下に他ならない。これは"それくらいの大切なものを落としてお詫びしますから許してください"という所から来ており、極道社会においてもドスや拳銃といった武器を扱いにくくなるデメリットが存在する。

久瀬は過去に起きた"カラの一坪"の事件において左の小指を失った事で握力が極端に低下していた。

故に左の拳を使った攻撃には右の一撃程の脅威はなく、それは錦山にとって重要な突破口になりうる。

 

「ナメてんじゃねえぞ……本気で来いコラァ!!」

 

これ以上無いほどの怒気と殺意を漲らせて迫り来る久瀬に、錦山は真っ向から立ち向かった。

左のジャブを右手で受け止める錦山だが、久瀬にしてみればそれは最初から"捨て"の一撃。

この後に続く右フックを確実にぶち当てる為の囮だった。

 

「ぐ、ぅらァ!」

 

しかしその右フックを喰らいながらもすかさず左フックを当てる錦山。

すぐさま久瀬が左のストレートを繰り出そうとするが、錦山はその一撃に威力が乗り切るよりも前に難なく右手で受け止めて、そのまま拳を作って振り下ろす。

そのまま左のボデイブローを叩き込む錦山だが、久瀬はそれをものともせずに返しのアッパーを繰り出してくる。

 

「はァァァァッ!!」

「うらァァァッ!!」

 

ゼロ距離での攻防の中で二人の男の叫びが重なり合い、互いの鼓膜を叩いた。

錦山の気合と共に放たれた右の一撃は確実に久瀬の右脇腹を捉えた。

肝臓の上を叩く"レバーブロー"という技で、これを効かされたボクシングの選手は地獄の苦しみで立てなくなり、そのままダウンを奪われる。

 

「うぉらァ!」

 

しかし久瀬はその耐え難き一撃を意に介さずに左フックを錦山の側頭部にぶち当てた。

元ボクサーの久瀬にとってレバーブローなどは日常茶飯事。それでもなお地獄であるはずの一撃を持ち前の根性と強靭な精神力で無理やり捩じ伏せ、反撃したのだ。

 

「くっ!」

 

そのフックを歯を食いしばって耐え抜く錦山。

彼の想定通り握力の低い左の一撃は威力が低く、決して耐えられない程のダメージではない。

それでも錦山は少しだけ(・・・・)ふら付いた。蓄積されたダメージがここに来て響いたのだろうか。

 

(ぶち殺す!!)

 

それを隙と捉えた久瀬はここで確実に仕留めると決議した。

確実に威力が乗る右の拳を全力で握り固め、限界まで腕を引き絞る。

目の前の男を葬り去る為に。

 

(来る……!)

 

錦山は揺れ動く視界の中で久瀬が必殺の一撃を繰り出そうとしているのを確かに捉えた。ふら付くのを止め、相手を見据える。

一か八か。ほとんど賭けに近い作戦に錦山は臨みをかけた。

 

「死ねやゴラァァァッ!!」

 

猛り狂う怨魔の咆哮と共に最強最速の威力と速度を持った渾身の右ストレートが空気を引き裂きながら錦山へと迫る。

 

「うおおおおおおおッッ!!」

 

その一撃を待っていた錦山は、その右ストレートに合わせて左のストレートを繰り出した。

そして、衝突。

 

「ぐ、ぁ……?」

「っ……!」

 

久瀬の放った必殺の一撃はあらかじめ顔一つズラしていた錦山によって避けられ、彼の頬を僅かに切り裂くだけに終わる。しかし、錦山の放ったストレートは確実に久瀬の顔面を捉えていた。

クロスカウンター。

相手の一撃を誘い出し、それを狙って繰り出される相打ち覚悟のカウンターパンチ。

先程、錦山は耐えられる一撃でありながらもあえて少しだけふら付いたのだ。

久瀬にそれを好機と捉えさせ、必殺の一撃を誘い出すために。

 

「ぅ、が、ぁっ……!!」

 

脳震盪を起こし、ダウン寸前の状態になりながらもファイティングポーズを解かない久瀬。

あと数秒もすればこの状態を解消し、直ぐにでも戦闘に復帰するだろう。錦山はそれを決して許さない。

今こそ怨魔の息の根を止める最大の勝機。

逃す訳には行かない。

 

「久瀬ぇぇぇええええええええッッッ!!!」

 

錦山は雄叫びと共に地面を強く蹴ると、無防備な久瀬の顔面に全力の飛び膝蹴りを放った。

 

「ぶぐぁっ!?……が、ぁ……っ!!」

 

顔面を抉るその一撃をまともに喰らった久瀬の身体は大きく吹き飛ばされると、倉庫小屋の壁に背中から叩き付けられた。

その後、力の抜けた身体が前のめりに倒れ込む。

 

「ハァ……ハァ……ぐ、クソ、が……!」

 

その闘志は衰えずとも、身体は決して言う事を聞かない。

この喧嘩は、錦山彰の勝利だった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……や、やった……久瀬の兄貴に……勝った…………!」

 

確かな手応えと達成感が錦山の身を包み、同時に緊張の糸が切れた身体から力が抜ける。

錦山はその場に座りこんで荒い息を整えていた。

 

「……ちっ、こんなチンピラに遅れを取っちまうとはなぁ……歳は取りたくねぇもんだ」

 

久瀬は体勢を変えて大の字に寝転がりながらため息を吐く。

だが、その態度に先日までの落胆や怒りはない。

そこにあるのは一人の男と拳を交えた後の充実感だった。

 

「なぁ……桐生なんだろ?あの時お前に会ってたのは」

「……気付いてたんですか」

「はっ、親父を殺してムショに入ったお前を娑婆に出た時に迎え入れようとする兄弟分なんざ、アイツしかいねぇだろうが」

 

闘いが始まる直前、錦山の言った"娑婆に出た時兄弟に笑われる"という発言。

それを聞いた時に久瀬はほぼ確信していた。

錦山をその気にさせたのは、風間の意志を継ぐ本物の極道として目覚めたあの男。桐生一馬に違いないと。

 

「なんで、そんなに俺の面会した相手を知りたがってたんですか?」

「……ついこの間まで生きた死体みたいな有様だったテメェを、ちょっと面会しただけで俺に上等ぶっこくような男に変えちまうような奴だ。そんな奴は、俺が極道に復帰した時に真っ先に障害になりかねねぇ。だから知っておこうと思ったんだよ……俺が次に殴る事になる相手をな」

 

久瀬大作は、自分より強いと思える奴を殴るためにずっと極道を張ってきた男だ。

再び自分が渡世というリングでのし上がる為には、目の上のたんこぶになるであろうその相手との因縁は避けては通れない。どんな相手だろうと喧嘩上等。

それが久瀬大作の生き方だった。

 

「錦山。お前……娑婆に出た時は桐生の所に行くのか?」

「……えぇ。俺はアイツに命を救われました。だから今度は、俺が側でアイツを支える番です。そしていつか……俺は兄弟を超える男になりたい。」

「ほう、随分大きく出たな?お前が目指すのは、あの風間のカシラがずっと抑え込み続けるような本物の極道だぞ?」

「そんな事分かってますよ。言っときますが、俺は兄貴よりずっと桐生の事を見てきたんです。アイツがどれだけ凄い男なのかは俺が一番よく知ってる」

 

幼い頃から一緒にいて、深い友好と競争心と共に過ごした桐生と錦山。

故に桐生と比べられ、下に見られる事を何よりも嫌い、恐れ、怒っていた。

それは桐生に対する嫉妬心。持たざる者が抱く卑しい感情。

しかし、それは裏を返せば向上心の表れに他ならない。

自分には届かないと分かっていながらも足掻いて藻掻いて手を伸ばす。そこに辿り着く時を夢見て、己を磨いて高めようとする意志。

 

「それでも……それを目指して進むのが、俺の極道です」

 

生きる事は逃げない事。

兄弟から教えて貰ったそれが胸にある限り、錦山は前に進み続けるだろう。

風間新太郎でも、桐生一馬でも無い。

"堂島の龍"を超えた先にある、錦山彰の極道を。

 

「……フッ。良い目をするようになったじゃねえか。男子三日会わざれば刮目して見よとはよく言ったもんだなぁ」

 

その揺るぎない瞳を見た久瀬は、錦山への考えを大きく改めた。

この男もまた、風間新太郎が認めた本物の極道であると。

 

「錦山。お前も桐生の野郎に迫りたいって思ってんなら覚えとけ。極道の世界にKOは無ぇ。張り続けられる限り勝負は続くってな。」

「はい、覚えておきます。久瀬の兄貴」

 

錦山は立ち上がると、倒れる久瀬に手を差し伸べた。

しかし、久瀬はそれを拒むと一人でボロボロの身体を押して立ち上がる。

 

「勘違いすんなよ錦山。俺とお前の喧嘩はまだ終わっちゃいねぇんだ……馴れ合うつもりはねぇ」

「久瀬の兄貴……」

「……だが、お前のその覚悟に免じてムショではもう殺らないでいてやる」

 

誇り高き閻魔は情に流される事は決してない。

彼が下す地獄の沙汰は、彼の中の法則に基づいて平等で無ければならないからだ。

 

「これの続きは、お互い娑婆に出てからにしようや。……その時は覚悟してもらうぜ、錦山」

「フッ……その言葉、そっくりそのまま返しますよ。久瀬の兄貴」

 

不敵に笑い合う二人の男。

放つ言葉は物騒でも、そこに無粋ないがみ合いは無く。

互いに認め高め合う、一つの絆が存在していた。

 

 

 

 

 

 

この三年後。刑期を終えた久瀬は出所して一足先に東城会へと合流。

そして東城会二代目代行の二井原隆からある仕事を任されて、後に伝説となる二匹の"龍"と関わりを持つことになるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

そして時は流れ、2005年。

堂島組長射殺事件から実に10年の時を経て、錦山彰の仮出所が決まるのだった。





次回はいよいよ錦山がシャバに出ます
意外なキャラも登場予定ですので、お楽しみに


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帰還

第二章ラストです
今回は意外な人物たちが出てきます
それではどうぞ


2005年。12月5日。

堂島組長射殺事件から実に十年の時を経て仮釈放された俺はこの日、ようやく娑婆の空気を吸っていた。

 

「もう、戻ってくるなよ」

「……お世話になりました」

 

門番をしている刑務官にお決まりの礼を告げ、俺は刑務所を出る。住めば都なんて言葉があるが、ここでの生活は都とは程遠かった。

 

「さて、行くか」

 

刑務所の前には誰もいない。

極道者が出所する時は、大抵何人かの構成員が出迎えてくれるが、役職のないチンピラな上に親殺しという大罪で服役した俺を迎えに来る物好きはいないという事だろう。待ち伏せされて出会い頭に刺されないだけでも幸運とさえ言える

それでも俺には二人、迎えに来てくれるアテがあるはずだった。

 

(桐生……)

 

俺の親友にして渡世の兄弟分。

九年前に優子が助かったと報告に来てくれて以来、桐生は一度も面会には訪れなかった。

俺に待っていると言っていたくらいだから、きっと迎えに来るものだと思っていた。

きっと何か深い事情があるのだろう。

そして、もう一人。

 

(親っさん……)

 

俺は懐にしまっていた一通の手紙を取り出す。

それは、俺が仮出所する前日に風間の親っさんから届いたものだった。

 

《 10年……お前のいないこの10年で、東城会はすっかり変わった。一馬の事、由美の事、そして優子の事。お前と会って話したい事が山ほどある。伝えなければならない事も……。神室町にスターダストという店がある。そこのオーナーをしている"一輝"という男に会ってくれ。話は通しておく。 風間新太郎》

 

どうやら俺のいない間に、様々な事が変化したらしい。

だがそれも仕方無いことだ。人生が八十年あるとすれば、俺の服役した十年はその八分の一なのだ。

 

(考えてみると、やっぱり長かったよな……この十年って時間は……)

 

俺は手紙を懐にしまい、神室町へと向かった。

街並みの変化や道行く人の服装に戸惑いながら、電車を乗り継いでいく。

 

(みんな何かを手に持ってるが、ありゃ何だ?ポケベルとはまた違うみてぇだが……)

 

電車の中で手のひらサイズの機械を持つ若者たちを見て俺は困惑する。ああいうのもきっと最近の連中はみんな持っているんだろう。

 

(俺が娑婆に居たのなら、ああいう流行りのものは必ずチェックするんだがな…………これが"ムショぼけ"って奴か?)

 

私鉄と国鉄を乗り換えていき、やっとの思いで新宿駅にたどり着く。

相変わらずの人の多さに呆れながら、人混みを掻き分けて歩を進める。そしてたどり着いた。

 

「帰ってきたな……この街に……」

 

新宿、神室町。

相変わらずの汚い空気と耳を叩く喧騒。

そして眠らない街と言われる所以となった消えないネオンの光。

今となっては、その全てが懐かしく感じた。

 

(親っさんの言っていた店は確か……スターダストって名前だったな)

 

今は一刻も早くその店を探して、オーナーの一輝という人物に会う必要がある。

だが十年間もムショにいたせいか、神室町は殆ど様変わりしていた。

元々夜の繁華街は店の入れ替わりが激しいが、なんと言っても神室町はアジア最大の歓楽街。一年経つだけでひとつの通りの中で必ず三店舗は入れ替わってしまう。

それが十年も経てばそこはもう別世界とさえ言えた。

 

(はっ、気分はまるで浦島太郎だな……)

 

そんな神室町の中から名前だけを手掛かりに一つの店を探すのは中々に骨が折れる。

故に俺は、手がかりを求める為に馴染みの店へ向かう事にした。

天下一通りのアーケードを抜け、風間組の事務所でもある風堂会館の前に差し掛かる。

 

(ここはまだあるんだな……)

 

桐生が組を立ち上げて、きっと今でも親っさんを支えているであろう風間組。その事務所が変わらずずっとあるのもきっと桐生の努力の賜物なのだろう。組を破門された身では入ることなど許されないので、少しだけ視界に入れて足早に通り過ぎる。

 

(確かこっちに……あった!)

 

天下一通りのアーケードを入って左側。

その雑居ビル郡の中に、俺が探していた場所があった。

 

(セレナ……残っていたんだな!)

 

桐生と由美。そして敏腕ママの麗奈と四人で過ごした思い出の場所。十年前のあの日の前夜もここで俺たちは飲んでいた。

 

(麗奈ならきっと何かを知っているかもしれない……いきなり顔見せたら、ビックリさせちまうかもな)

 

麗奈には悪いかもしれないが今は急ぎだ。

俺は雑居ビルの中のエレベーターに入り2階のボタンを押す。

しかし、何度押してもボタンに反応は無かった。

 

(なに……?まだ店が開いてないのか……?)

 

時刻は午後5時。

俺が娑婆にいた時の開店時刻は午後6時からだったはずだから、営業時間が変わっていなければ少し早く着いてしまった事になる。

 

(なら、今は開店準備中の筈だ。裏口から尋ねれば入れるかもしれないな)

 

そう考えた俺はセレナのある雑居ビル郡の裏手に回った。自動販売機以外には何も無い、小さな空き地。

そこの階段を登って上に行けば、セレナの裏口へと行く事が出来る。

しかし、俺の足が階段を登り始めることは無かった。

 

「おい」

 

背後からの声に振り向くと、そこには四人ほどの男達がいた。

全員が如何にもな柄シャツやジャージ。スーツ等を着ていている。顔つきからして全員がまだ歳若いが明らかにカタギじゃないのは見て取れた。

スーツを着た男の胸元に代紋がある事から、神室町のヤクザなのだろうと俺はアタリを付ける。

 

「お前、錦山彰だな?元堂島組の」

「……だったらなんだって言うんだ?」

 

俺の名前を確認した途端、ヤクザたちの雰囲気がガラリと変わる。

俺に対する敵意を剥き出しにしているのが感覚で分かった。

 

「なら、俺達が誰かも検討が付いてるんじゃねぇのか?"親殺し"さんよ」

「……さぁな。」

 

思わずとぼけたが、男の言う通り大体の検討は付く。

俺がそろそろ出所するという情報をどこからか掴み、俺の馴染みの店であるセレナに俺が現れると踏んで、こうしてここで張っていたのだろう。

俺に恨みを持つ元堂島組の連中か、はたまた別の組織か。

いずれにせよ、穏やかに話が済む気配では無かった。

 

(そう言えば、俺に恨みを持つ奴が多いって親っさんも言ってたな……)

 

俺の為にケジメをつけてくれた風間の親っさん。

しかし、東城会の伝説とも言うべき極道の小指でさえ、俺をこうした悪意から守ることは出来ない。

それほどまでに俺の背負った親殺しという罪は重いという事なのか。

 

「すっとぼけやがって……覚悟は出来てんだろうな……?」

「ごちゃごちゃうるせぇな……御託ばっか並べてねぇでやるならさっさとかかって来いや!!」

「いい度胸じゃねぇか!行くぜおらぁ!!」

 

完全に臨戦態勢に入った四人の若いヤクザ達が怒号と共に押し寄せてくる。

俺は先頭にいた柄シャツのヤクザのパンチを躱すと、カウンターのフックを顎に直撃させた。

 

「が……ぁっ……?」

 

気絶して全身から力の抜けたヤクザが顔面から地面に倒れ込む。

 

「おらよっ!」

「ぶげっ!?」

 

俺はすぐ近くにいたジャージ姿の二人目の胸ぐらを掴むと鼻柱に頭突きを叩き込んだ。

後ろに大きく仰け反ったヤクザをそのまま離さず引き寄せて、それと同時に右ストレートを顔面にぶち込む。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

 

文字通りぶっ飛ばされたヤクザは自動販売機に背中をぶつけてもたれ掛かると、そのまま動かなくなった。

 

「この野郎!」

 

スーツ姿の三人目が背後から何かで殴りかかって来るのを難なく躱して、俺は正面を見据える。

男が手に持って居たのは空になったビール瓶だった。

 

(ゴミ捨て場かにあったものか……即席の凶器にしちゃ上等だ)

「くたばれやボケェ!」

 

俺はビール瓶を乱雑に振り上げて襲い掛かる三人目の攻撃を手首を掴んで止めた。

 

「い、いでででで!?」

 

そのまま全力で手首を握り込んで、敵のビール瓶の握りを弱めてから凶器を奪い取る。

そしてそのまま自分の手に持ち替えると、敵の頭目掛けて全力で振り抜いた。

 

「オラァ!」

「うぎゃぁあああっ!!?」

 

甲高い音と共に爆ぜるように割れたビール瓶。

その破片がヤクザの頭を傷つけて血だらけにする。

俺は割れたビール瓶を投げ捨てると、パニックになっているヤクザの腹に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐほっ!?」

 

鳩尾に入ったその一撃に堪らず倒れ込こんだヤクザの顔面を、最後に思い切り踏み抜いてとどめを刺す。

 

「な、なんなんだよコイツは……!」

 

最後に残ったのはメガネをかけたヤクザだった。

おそらくこの中で一番年若く、完全に俺に対して恐れ戦いている。

時間にしておそらく一分もかからずに仲間たちがたった一人の為に全滅したのであれば無理もないが。

 

「……まだやんのか?」

「く、クソっ!」

 

ヤケになった最後の一人が、懐から白鞘のドスを取り出して刃を抜き放つ。

ヤクザが携帯する武器の中で最もポピュラーで取り回しの良い刃物だ。

しかし、持ち主のその手は恐怖と緊張でガタガタに震えている。

 

「う、うわあああああ!!」

 

絶叫をあげながら最後の一人がドスを持って特攻してくる。

俺はその特攻を躱してそいつのドスを持った右の手首と肩を掴むと、その真ん中。つまり肘関節の上に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「せぇりゃァ!」

「ぎゃあああああああああッッ!!?」

 

腕の関節が逆向きにへし折れたヤクザは当然ドスから手を離す。

俺はその手に刃物が無くなったことを確認し、トドメに右のストレートで顔面をぶち抜く。

かけていたメガネが粉々に砕け散り、最後のヤクザが無様に地面に転がってこの喧嘩は俺の勝ちで幕を閉じた。

俺は倒れたヤクザの胸ぐらを掴み上げて情報を聞き出す。

 

「お前ら、東城会のモンか?」

「は、はいそうです……カシラからの命令で、貴方を痛め付けて連れて来いって言われて……!」

 

涙ぐみながら話すヤクザはどうやらまだ駆け出しのチンピラらしい。

この様子じゃ十年前に起きた出来事も知らないまま、ただ命令を受けて襲いかかって来たのだろう。

 

(つくづく極道ってのは、下の奴らばっか割を食うよなぁ)

 

少しだけこの男に同情しつつも、俺は聞きたい事を聞き出す事にした。

 

「お、お願いします!殺さないでください!」

「殺しはしねぇよ。ただ俺の質問には答えてもらうぜ」

「わ、分かりました!」

「俺は今、スターダストって店を探してる。心あたりはあるか?」

 

それを聞いた途端、男の表情の中に恐怖以外の感情が見えた。

それは僅かな困惑。何故そこに?といった様子の表情。

 

「スターダストって……あのホストクラブのですか……?」

「なに?ホストクラブだと?」

 

それは、親っさんの手紙には書いてないかった情報だった。

そして、この男の困惑にも合点が行く。

いい歳した三十過ぎのおっさんが探している店が、キャバクラじゃなくてホストクラブなのだ。

特別な用事でもない限り足を運ぶ筈がない。

 

「え、えぇ……数年前に天下一通りにオープンしたホストクラブの名前が、スターダストです。その、貴方が探している店かは分かりませんが……」

「そうか……ありがとよ。ちょっと腕出しな」

「へっ?いっ、ぎゃああああああああ!?」

 

俺は先程折ってしまった男の右腕を掴んで逆側に戻した。

並々ならぬ激痛が男を襲うが、いつまでも折れ曲がったままでいるよりはマシだ。

 

「腕、悪かったな。俺もムショから勤め上げたばかりで喧嘩になると加減が効かねぇもんでよ」

「ひ、ひぃ……!」

 

痛みと恐怖で完全に萎縮する男。

間近で顔を見るとやはりまだ歳若く、その顔には少年のようなあどけなさが残ってた。

 

「お前、随分若いな?幾つだ?」

「じゅ、19歳です……」

 

十九歳と言えば、俺や桐生がカラの一坪に巻き込まれた頃と同じくらいの年代だ。駆け出しなのも頷ける。今回受けた命令だって、きっと初めての出来事なんだろう。

 

「まだハタチにもなってねぇのか……若いモンがもったいねぇ。悪いことは言わねぇよ、ヤクザなんざ辞めた方がいい。今日痛い思いして分かったろ?」

「で、でも……」

 

言い淀む少年ヤクザ。

彼もまた、極道の盃を受けた者の一人なのだ。

一度渡世に足を踏み入れた者は、時間を巻き戻せない。

それこそ大量の金か指を犠牲にする必要がある。

 

「はぁ……ま、無理だろうな。ならせめて、もう俺には関わらねぇこった。長生きしたけりゃな」

 

俺はそれだけ言って、セレナの路地裏から出る事にした。

スターダストの場所は聞き出せた。

ならば今無理にセレナへ立ち寄る必要は無い。

またさっきの連中に襲われでもしたら、麗奈に迷惑がかかってしまう。

 

(まぁ、タイミングが合えばまた寄ることになるだろう。)

 

裏路地を出て、ふと空を見上げる。

この季節になると、午後の5時頃にはもう空は完全に暗い。昼間はアジア最大の歓楽街だが、夜になれば欲望の巣窟である神室町がその本来の姿を曝け出す。

そこら中にスリルが転がっている危険な街になるのだ。

 

「こういう街だったよな、神室町って」

 

思い出したかのように一言呟いてから、俺はスターダストへ向かうのだった。

もう一度、風間の親さんに会うために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の標的とされた白いジャケットの男に返り討ちを喰らった少年ヤクザ。

彼は未だに痛む右腕を抑えながら、地面に倒れた仲間たちへと駆け寄る。

しかし全員が深刻なダメージを負っており、起き上がるどころかピクリとすらしない。

少年ヤクザは最後の望みを賭けて柄シャツの男の側へと駆け寄った。

 

「あ、兄貴!しっかりしてください、兄貴!」

「あ……?はっ!」

 

兄貴と呼ばれた柄シャツのヤクザが意識を取り戻し、すぐさま跳ね起きて状況を確認する。

 

「アイツは、例の野郎はどうした!?」

「いえ……あっという間に俺ら全員を片付けて……」

「クソっ、まんまとしてやられたって訳か……!」

 

柄シャツの兄貴分が悔しさのあまり悪態を付く。

自分達の仕事をこなせないばかりか、全く歯が立たなかったのだ。

 

「兄貴、ちょっと話が違くありませんか?例の野郎、めちゃくちゃ強かったですよ……?」

 

今回、彼らが受けた命令は錦山の確保にあった。

十年前に自分の渡世の親を殺したチンピラがもうすぐ出所してくると聞き、そいつを捕まえて差し出せば元堂島組の古参連中からの覚えが良くなると踏んだ彼らの上の人間は、その確保と連行を彼らに任せたのだ。

事件当時はなんの役職もないチンピラで、大して喧嘩が強いわけでも無い。本来であれば十分彼らでこなせる仕事だった。

 

「あぁ……俺のパンチを的確に避けて顎にカウンター合わせてきやがった……ありゃ、相当出来る奴だぜ。」

 

彼らは知る由もない事だが、錦山は刑務所にいる間に己を鍛え上げていた。

刑務作業を誰よりも多くこなし、自由時間はひたすらランニング。

そして余暇時間は全て筋トレに当てて、徹底的に肉体改造を施していたのだ。

いつか、"堂島の龍"と謳われた兄弟分を越える男になる為に。

 

「他の連中は……?」

「みんな、意識を失って起き上がれません。気付いてくれたのは兄貴だけです」

「そうか……ひとまずアイツらを病院に連れてくぞ。報告はそれからだ」

 

柄シャツの兄貴はそう言うと、その場で立ち上がった。

脳震盪で気絶しただけの彼はこの中で一番ダメージが少なく、非常に健康的だった。

 

「わ、分かりました……」

 

まだ恐怖と緊張が冷めやらぬ少年ヤクザも、それについては一切反対しない。

そして願わくば二度とさっきの男に関わりたくないのが本当の所だった。

柄シャツの兄貴は気絶したスーツのヤクザとジャージのヤクザを背中に担いだ。

 

「あ、兄貴?よくそんなに持てますね……」

「俺が一番痛手を負ってないからな。お前もその腕じゃあ運んだり出来ねぇだろ?」

「す、すんません……」

 

申し訳無さそうに目を伏せる少年ヤクザ。

気にすんなよと軽く笑う柄シャツの兄貴。

二人の間には、絶大な信頼関係があった。

 

「だが、この状態じゃあ前に進むのも一苦労でな。病院までの先導は頼むぜ?東」

「分かりました、海藤の兄貴」

 

東城会系松金組若衆。柄シャツの海藤正治と少年ヤクザの東 徹。

まだ年若く半人前の彼らはこれから先、どのような極道を往く事になるのか。

今はまだ、誰も知らない。

 




という訳でジャッジアイズシリーズから海藤さんと東さんでした。

この頃の二人はまだ歳若い駆け出しのチンピラですが、良い関係値は既に築けていたんでしょうね……

次回は桐生編ですが、私事ながらワクチン二回目を接種したばかりで遅れるやもしれません。ご了承ください

それではまた


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断章 1995年
桐生組、発足


お待たせしました断章です。
1や極では出てこないあの男が出てきます

それではどうぞ


錦山彰が逮捕された堂島組長射殺事件から数日後。

舎弟頭補佐の桐生一馬は、渡世と育ての親である風間新太郎に呼び出されていた。

天下一通りにある風堂会館に訪れた桐生は事務所にいた組員に頭を下げられながら、組長室へと足を踏み入れる。

 

「失礼します」

「来たか、一馬。まぁ座ってくれ」

 

中にいた風間に頭を下げ、静かに入室する桐生。

椅子に座って待っていた風間に促され、桐生は静かに椅子に腰を下ろす。

 

「忙しいところ呼び出しちまって悪かったな。俺もこの後行かなきゃならねぇ所があってよ、今しか話す時間が無かったんだ。」

「いえ、自分の事は気にしないで下さい。それよりも大事な話って……?」

 

今回風間が桐生を呼び出したのは、桐生の耳にどうしても入れたい話があったからである。

 

「……由美の事だ」

「っ!?……由美が、由美が見つかったんですか!?」

 

澤村由美。

堂島組長射殺事件の際に、堂島組長に強姦されかけていた所を桐生と錦山に助けられたホステスで、桐生の大切な幼馴染だ。

事件のショックで記憶を失った由美は、風間が面倒を見ている病院から姿を消し行方不明となっていた。

桐生もここ数日は、神室町で行方不明になった由美の情報を聞いて回っていたのだ。

 

「あぁ……由美は、ひまわりに居た所を保護された」

「ひまわりに……?」

 

ひまわりとは、風間が管理と運営を担っている孤児院の名前である。桐生や由美が育った故郷とも言える場所だ。

 

「そうだ。由美は覚えていたんだよ。お前や彰たちと育ったあの孤児院の場所をな」

「そうだったんですか……」

 

風間はひまわりの担当者から連絡を受け現場に急行し、由美を無事に保護した。故にもう桐生は由美の件に関しては心配する必要は無いという事を風間は伝えたかったのだ。

 

「それで、由美の様子は?」

「……由美を保護した後、俺は由美に何枚もの写真を見せた。記憶が戻るんじゃないかと思ってな、だが……」

 

風間が顔を逸らして言い淀む。

普段の風間を知っている桐生にとって、それはかなり珍しい光景と言えた。余程言い難い程の事情があるのだろう。

 

「親っさん……?」

「……由美は、一馬と彰の写真に拒絶反応を見せた。おそらく、事件のショックを想起させるものだったんだろう」

「!」

 

桐生は思い出す。

自分たちを殺そうとした堂島組長に向けて引き金を引いた時の光景を。

自分と共に殺人という一線を超えた錦山。そしてそれを間近で目の当たりにした由美。

彼女にとって一生モノのトラウマになる事は想像に難くない。

 

「一馬。由美は引き続き俺が面倒を見る。だが、記憶が戻るまでアイツには会うな。」

「……親っさん、それは」

「今お前が由美の前に姿を表せば、余計にあの子を苦しめる事になる。本当に由美の事を想うのなら、ここは耐えろ。いいな?」

「……はい」

 

それは、由美に密かな想いを寄せていた桐生にとって苦しい選択だった。記憶を失い、不安がっている筈の彼女の傍にいる事が出来ない。桐生は初めて自分が極道者であることを悔やんだ。

 

「失礼します」

 

するとそこへ、一人の人物が組長室へと足を踏み入れる。

白髪混じりの頭と顔にある大きな傷が特徴的な壮年の男。その男は、桐生もよく知る人物だった。

 

「おう、来てるな。桐生」

「柏木さん!」

 

東城会直系堂島組内風間組若頭。柏木修。

かつて"東城会イチの殺し屋"と謳われた伝説の極道である風間を長年支えてきた、言わば右腕的存在。

桐生にとっては、この世界に足を踏み入れて最初に出来た兄貴分でもある。

 

「柏木。準備は出来たか?」

「へい。いつでも行けます」

「そうか……」

 

風間は頷くと、片手で杖をついて立ち上がった。

左手をポケットに入れたままのせいか、普段よりも足元が覚束ない。

 

「親っさん、何処へ行くんですか?」

「彰の面会だ。アイツに、一馬と由美は無事だって事を伝えに行かなくちゃな」

「親っさん、だったら俺も……」

「お前は待っていろ一馬。それに、話はまだ終わっちゃいない」

「え?」

 

困惑する桐生に、柏木が一歩前に出る。

 

「この話の続きは、俺がする事になってるんだ」

「柏木さんが……?」

「あぁ。親父が戻って来るまでの間にな」

「そういう訳だ。柏木、後は頼んだ」

「へい、行ってらっしゃいませ。親父」

「あぁ」

 

柏木に続くように、桐生も頭を下げて風間を見送る。

組長室は柏木と桐生の二人だけになった。

 

「柏木さん……話って一体?」

「まぁ落ち着けよ、桐生」

 

そう言って柏木はソファに座ると懐から煙草を取り出し、その内の一本を口に銜えた。

すると、桐生の身体が条件反射でライターを取り出して火を付ける。

それは極道として最も多く行う機会が多い動作の一つだった。当然、桐生の身体にも染み付いている。

 

「ふぅ……お前もやれよ桐生」

「はい、失礼します」

 

柏木に言われ、桐生も煙草を咥えて火を付ける。

二人の口から吐かれた紫煙が、静かに空気に溶けていく。

 

「なに、そう身構えるような事じゃねぇ。あまり堅くなるなよ」

「は、はぁ……」

 

変わらず困惑する桐生に対し、柏木はいつになく上機嫌だった。そして上機嫌のまま彼は本題に入る。

 

「話ってのは他でもねぇ。桐生組の事だ。」

「!」

 

そこで桐生は合点がいった。

柏木が上機嫌なのは、これからの風間組にとって大きな存在になるであろう桐生組に大きな期待を寄せているからに他ならなかった。

 

「堂島組長の件でゴタゴタしちまったとはいえ、元々は組を立ち上げる予定だったんだ。そろそろ頃合いかと思ってな。どうだ?」

「……」

 

桐生は思い出した。

事件直後、セレナで誓った約束の一杯とその時に抱いていた熱い気持ちを。

 

「はい。謹んでお受け致します」

「お?てっきり謙遜するかと思っていたがいつになくやる気じゃないか。どうしたんだ?」

 

柏木の問いに対し、桐生はすかさず答えた。

その顔に揺るがぬ覚悟と確固たる決意を滲ませて。

 

「俺は、自分の組でどうしてもやりたい事があるんです」

「なんだ?言ってみろ」

「錦を……勤めを終えて娑婆に出たアイツを、俺の組に迎え入れたいんです」

「なるほど、やはりそう来たか」

 

桐生の望みに対して、柏木は予測済みだったのか対して驚きもしない。義理堅く仲間想いな桐生らしい選択だと関心するばかりだ。そして、そんな桐生に対し柏木は朗報を伝える。

 

「そんな桐生にいい報せだ。昨日、錦山の処分が決まったぞ」

「本当ですか……!?」

「あぁ。錦山は三代目の意向により"破門"に処される事が正式に決定した。風間の親父の直談判が効いたんだろうな」

 

親殺しという大罪を背負った錦山に下されたのは破門。

本来予想していた永久追放と報復を伴う絶縁では無い。

周囲の目は厳しいだろうが、復帰の目は十分にあると言えた。

 

「親っさん……」

「親父はあぁ見えて少し恥ずかしがり屋な人だ。錦山の面会に行ったのは本当だが、この話を自分からするのは苦手だったんだろう」

 

風間の意外な一面に目を丸くする桐生。

昔から風間を知っている柏木だからこそ知っている話だった。

 

「そういう訳だ。絶縁じゃない以上、錦山にも復帰の目はある。だが……親殺しのアイツを堂島組を主体としている風間組で引き取る訳には行かない」

 

もしそんな事をすれば風間組は風間派と旧堂島派で内部分裂を起こしてしまうだろう。

余計な抗争の火種を作ってしまう事になる。

 

「だから、もしお前が自分の組に錦山を迎え入れようとするのならば桐生組はいずれ風間組から独立してもらう必要がある。この意味は分かるな?」

「はい……直系昇格ですね?」

 

直系昇格とは、東城会の二次団体として認められる組織になる事。末端の"枝"からそれを支える"幹"になることを指す。桐生組は風間組の三次団体として立ち上がる訳だが、そのままでは風間組内に不和を引き起こす。故に桐生組は錦山が出所するまでの間に独り立ちし、風間組とは関係ない別の組織でなければならないのだ。

 

「あぁ。だがそいつは並大抵の事じゃねぇ……歴代の幹部達はみんな、それこそ死に物狂いでのし上がってその地位を築いたんだ。その中で命を落とした極道を俺は何人も知ってる。桐生……お前の気持ちは分からんでもないが、お前が進もうとしているのは茨の道だぞ?」

 

極道の先輩として、そして兄貴分として忠告する柏木。

しかし、そんな事で"堂島の龍"は止まらない。

 

「覚悟はとっくに出来ています。あいつの居場所を作れるのは、俺しかいません」

 

己が一度決めたことは何があっても貫き通すのが、桐生一馬が往く極道であるからだ。

 

「フッ……流石、風間の親父が目をかけただけの事はあるな。」

 

答えを聞いた柏木は満足気に頷くが、同時に真剣な表情でこう続ける。

 

「だがな桐生。少し厳しい事を言うが、お前はシノギに関しては錦山や他の奴には劣っている。取り立てだって、そんなにいつも依頼がある訳じゃねぇだろ?」

「……はい」

 

当然と言えば当然だが、極道のシノギは法に触れたものである場合が非常に多い。

盗みや強盗(タタキ)、違法物や偽造品の売買といった表立った犯罪行為から、特殊詐欺や賭博、強請りや集り等といった警察が介入しにくい裏稼業まで、そのシノギは多岐に渡る。

難しい事を考えるのを何より苦手とし、筋の通らぬ事を許せず、それでいて身体を張るのが得意な桐生がこなせるのはせいぜい借金の取り立てくらいだ。

しかしその取り立てでさえ、顧客からの依頼が無ければ成立しない。

 

「その点、錦山は上手くやっていたぞ?シノギはいつも安定していたし、金回りも良かった」

 

そんな桐生とは対象的に、器用に立ち回る事を重視した錦山はいくつものシノギを掛け持ちしていた。

多方面に顔を売り、付き合いやコネを大切にした働きで顧客達からの評判は良く、桐生のような一度の大きな利益は無いものの安定して確実な利益を出していた。

 

「今のお前に足りないものは安定した稼ぎだ。今の時代、極道は金を稼いでナンボだからな。結局はそれが人を集め、組織をデカくしていく。そうだろ?」

「はい、重々承知しています」

「そこでだ。ウチから腕利きの奴を何人か出す。そいつらを上手く使って、シノギについて勉強しろ」

「柏木さん……ありがとうございます」

 

極道は法に縛られない私的な集まりの一つである。

故に一般社会のように上司と部下が配属されるなどという事は無い。各々が組織内から勝手に人員を集って組を名乗るものなのだ。

故に極道が組を立ち上げる際、本来は手駒がいないからといって親組織から人員を貸してもらえる事など有り得ない。ましてや今回派遣されるのは風間組の中でも腕利きの連中。

極道としてこんなに恵まれている事は無いだろう。

それだけ柏木は、桐生に対し大きな期待を寄せているという事だった。

 

「話は以上だ。俺はここに残るが、桐生はどうする?」

「俺はセレナへ行きます。麗奈に、由美の件を報告しないとならないので」

「そうか、分かった。お前に預ける人員の選別が終わり次第報告させる。それまではいつも通りに過ごすと良い」

「分かりました。失礼します。」

 

桐生はタバコの火を消してから一礼をすると、踵を返して組長室を出た。

頭を下げてくる事務所の連中に軽く挨拶を返し、そのまま風堂会館を出る。

 

(さて、いよいよだな……)

 

これから桐生組としての本格的な活動が始まる。

錦山が出所して来た時に落胆されないように、組織を上手く運営していかなければならない。

桐生は気合いを入れ直すと、真っ直ぐにセレナへと歩いていく。セレナは風堂会館の向かい側にある為、少し歩けば直ぐに到着する距離だ。

しかし、桐生がセレナのエレベーター前まで辿り着いた時、何者かが桐生の背後から声をかけた。

 

「桐生さん」

「ん?」

 

振り向いた先にいたのは、一人の若い男。

黒のスーツをだらしなく着崩し、空いた胸元にペンダントを付けたその男を、桐生はよく知っていた。

 

「若……」

「お疲れ様です、桐生さん」

 

東城会直系堂島組内風間組構成員。堂島大吾。

数日前に殺された堂島宗兵の一人息子だ。

そして、この世に生まれた時から堂島組を継ぐ事が決まっていた男でもある。

 

「どうされたんですか?」

「話があります。こちらへ」

 

そう言うと大吾はセレナの裏路地へと入っていく。

堂島組の次期組長候補に言われてしまえば、流石の桐生も従わざるを得ない。

桐生は言われるがまま、大吾の後に続いて裏路地へと入った。

そのままセレナ裏の空き地へと辿り着く。

 

「桐生さん……もう人目はありません。普通にして良いですよ」

「……あぁ、分かった」

 

桐生は先程までの"若"呼びと敬語をやめ、普通に話す。

"カラの一坪"の一件の際、桐生は堂島組を抜けてカタギになっていた時期があり、その時にある揉め事に巻き込まれて以来、大吾は桐生を深く尊敬していた。その為大吾は桐生に人目のいない所では"若"では無く一人の男として扱って欲しいと頼み、桐生もまたそれに応えているのだ。

 

「それで、話ってなんだ?」

「聞きましたよ桐生さん。正式に組、立ち上げるそうですね」

「……あぁ」

 

大吾はタバコに火をつけて、有害な煙を吐き出しながら続ける。

桐生に背を向けたまま、決して振り返ること無く。

 

「桐生さん、一つだけ聞かせて欲しいんです。桐生組は……ゆくゆくは風間組から独立するんですか?」

「あぁ、そのつもりだ」

「それは、何故です?」

「……組を立ち上げる以上、のし上がりの精神を持つのは当然だ。組長である俺にやる気が無いんじゃ下のモンも付いて来ねぇ。それだけだ」

「ふぅ……そうですか…………」

 

大吾はほんの数口だけ吸ったタバコを落として踏み消すと、裏口に来てから初めて桐生に対して向き直った。

 

「本当に嘘が下手な人だ、貴方は……」

「大吾……?」

 

振り返った大吾の表情は、炎のような憤怒の色に染っていた。

彼は、その感情のままに桐生に問いただす。

 

「貴方が組を持とうとするのはそんな理由じゃない。アイツを……出所してきた錦山彰を迎える為だ。違いますか?」

「っ!」

 

図星を付かれた桐生はここで納得する。

大吾は桐生に錦山を迎えて欲しくないのだ。

彼は堂島宗兵の息子。つまり、錦山彰は彼にとって実の父親を殺した大罪人に他ならない。

 

「元々桐生組を立ち上げようって話は大分前からあったんだ。にも関わらず出世欲のない貴方はそれらの声に耳を傾けなかった。だが、親父がアンタの兄弟に殺された途端にこれだ!それをのし上がる為だと?笑わせるな!!」

 

自分の父親を殺した男が、何年後かに釈放されて我が物顔で東城会に復帰する。大吾にとってそんな事は断じて認められない。あってはならない事なのだ。

 

「親殺しの外道が風間さんの養子だからって理由で破門に処され、それで水に流せって言うのか?だったら俺の立場はどうなる?実の父親を殺された俺の立場はどうなるって言うんだ!?答えてみろ、桐生!!」

「大吾…………」

 

今の大吾に対してかける言葉を桐生は持ち合わせていない。なぜなら、経緯はどうあれ錦山が堂島組長殺害の容疑で逮捕されたのは事実で、肉親を殺された大吾の怒りもまた至極当然のものだったからだ。

 

「桐生さん……俺は貴方に憧れてるんです。貴方のような男になりたいと、俺は常々思っていました。ですが……もしも錦山を自分の組に迎えようって言うのなら、俺はその考えを改めなくちゃならない」

 

大吾はそう言って、スーツの懐から一丁の拳銃を取り出した。重厚感を持った黒鉄色のそれを、ゆっくりと桐生に突き付ける。

 

「大吾、お前……!」

「覚悟は出来ています。場合によっちゃ刑務所だろうが何処だろうが行きますよ。それでも俺は、親父の仇がのうのうとシャバに出てくるのを認める訳には行かない。そして、そんな錦山を庇う桐生さんもまた親父の仇だ。だから……答えてください。」

 

そして大吾は、桐生に問いを投げかけた。

 

「桐生さんは本当に……桐生組に錦山を迎え入れるんですか?」

 

大吾は本気だった。

桐生のここでの回答次第では、大吾は迷わず引き金を引くだろう。そうなれば桐生の人生はそこで終わってしまう。

 

(俺は誓ったんだ。必ず優子を助け出して、シャバに戻ってきた錦の居場所を作る。そして……セレナで過ごしていたあの日々をもう一度取り戻すんだ!)

 

しかし、桐生にも退けない理由がある。

義理と人情を重んじる彼は一度交した約束を履行するためなら何度だって命を張る。それが、同じ釜の飯を食べて育った兄弟からの一生の頼みとあれば尚更だ。

 

「大吾……お前の怒りは尤もだ。俺達極道が結ぶ義理の親子とは違う、本当の肉親を殺されたんだ。仇を討ちたいと考えるのが当然だろう」

「……」

「だがな、俺もここで退く訳にはいかないんだ。どんな壁があったとしても俺は絶対に逃げたりはしない。たとえその壁がお前であってもな」

 

譲れないものがあるのは互いに同じ。どちらの意見も決して曲げられない。

何故なら両者に曲げるつもりが一切無いからだ。

 

「そうですか……では仕方がありません。貴方を殺って、その後に錦山にも死んでもらいます」

 

引き金に指をかけ、桐生の額に狙いを定める。

奇しくもそこは彼の父である堂島宗兵が撃たれた場所でもあった。

 

「大吾……お前、殺しは初めてか?」

 

大吾の銃を持つ手が小刻みに震えている。

そもそもが拳銃の扱いに慣れておらず、ましてや殺しという現代社会の禁忌に手を染めようとしている以上、覚悟と恐怖が付きまとうのは致し方無い事だった。

 

「うるせぇ!だったらなんだ!?」

「息巻くのはいいが、安全装置くらいは外しておくんだな」

「なに?」

 

大吾の視線が安全装置へと向く。

目線と銃口が桐生の額か外れたその一瞬の隙に桐生は動いた。

 

「なっ!?」

 

視界の奥で動く桐生に気付き慌てて銃口を向ける大吾だが、両者の距離は既に一メートル圏内。"堂島の龍"の拳が確実に届く範囲だった。

 

「ふんっ!ドラァ!!」

「ぐほっ、ぐぁっ!?」

 

桐生は拳銃を持つ大吾の手首を掴むと、鳩尾に膝蹴りを叩き込んだ。

怯んだ所に右ストレートで追い討ちをかけ、大吾の身体が地面に叩き付けられた。

 

「ぐっ、クソっ!!」

 

すぐさま立ち上がろうとした大吾の目の前に、黒鉄色の銃口が突き付けられる。あの一瞬の攻防の中、桐生は大吾の拳銃を奪っていたのだ。

 

「終わりだ、大吾」

「くっ……!!」

 

形成は逆転した。

もう大吾に、桐生を殺す手段は残されていない。

 

「諦めてくれ、大吾。俺は出来る事ならお前とは対立したくねぇ」

「なんだと?勝手な事ばかり言いやがって……!」

 

大吾は真っ向から拳銃を突き付けられ、それでもなお吼える。たとえどんな目に遭ったとしても、これだけは決して譲れないからだ。

 

「そんなに俺を止めたきゃここで俺を殺すんだな!じゃなけりゃ俺は、絶対に止まったりはしねぇぞ!」

「…………そうか。分かった」

 

桐生はそう言うと、拳銃から弾倉を抜いた。

慣れた手付きでそのまま拳銃を解体すると、大吾の目の前にそれらを落とす。

ただの部品と化したそれらを見て、大吾の感情が困惑を極める。

 

「どういうつもりだ?」

「俺はお前を殺さない。だが、錦にも絶対に手出しはさせねぇ」

「なんだと……!?」

 

桐生が選んだ選択肢は、決して根本的な解決とは言えないものだった。彼にとって錦山との約束は大切だ。だが同時に近い将来、東城会の未来を担うであろう大吾もまた桐生にとって大事な存在なのだ。

 

「お前は堂島組長の息子だ。組の明日を担うべきお前が、こんな所でその命を捨てるだなんて馬鹿げてる」

「馬鹿げてる……?親の仇討ちすんのが、殺られたら殺り返すのが馬鹿げてるって言いてぇのか?テメェそれでも極道かよ!!」

「そうは言ってねぇ、命の張りどころを間違えるなって言ってるんだ」

 

先程、大吾に拳銃を突きつけた時に桐生は確信していた。これからの東城会には堂島大吾が必ず必要になると。

 

「大吾。お前は暴力や権力に絶対に屈しない男だ。これからの東城会は、お前みたいな若くて気骨のある奴が支えていくべきなんだ。もしお前がここで死んじまったら、お前の親父さんがいた東城会のこれからを、一体誰が支えるんだ!」

「!」

 

桐生の言葉に大吾は目を見開く。

"命の張りどころを間違えるな"とはつまり、命を張るなら東城会の未来の為に命を張れという事だったのだ。

 

「俺に考えを改めさせたいならいつでも来い。俺は逃げも隠れもしねぇ。全力で相手してやる。だが、お前が命懸けで取り組むべきは仇討ちじゃねぇ。お前の親父さんの分までこれからの東城会を支えていく事だ。それだけは忘れるな」

「桐生、さん……」

「それにな……俺の兄弟はお前みたいな若造に簡単に殺られるほど弱くねぇ。本当に堂島組長の仇を討ちたいなら、もう少し鍛えてから出直すんだな」

 

桐生はそう告げると、踵を返してセレナの裏口の続く階段を昇って行った。今の大吾は、そのまま店の中へ消えていく桐生を見送る事しか出来なかった。

 

「…………まったく、何処までも勝手な人だ」

 

吐き捨てるように呟いた後、大吾はバラバラになった拳銃の部品を拾い集める。街中でこんなものが発見されれば大問題になるからだ。

 

(だが、おかげで俺のやるべき事は定まった。感謝しますよ、桐生さん)

 

桐生によって分解された部品達を一つ一つ組み上げる。

それらの部品は綺麗に嵌り、やがて大吾の手には一丁の拳銃が収まった。大吾はそれを胸にしまい、立ち上がる。

 

(桐生さんが錦山を迎え入れるのを諦めないのなら、俺は桐生さんに負けない組織を作る。そしてシャバに出てきた錦山をこの手で殺す。たとえその先に、桐生さんとやり合う事になったとしても……!)

 

まだ年若く、その器は完成には程遠い。

だが、その男の覚悟は本物だった。

桐生一馬という憧れを超え、堂島大吾は今初めて己だけの極道を見出す。

 

(それが俺の通すべきスジ。俺が進むべき極道だ!)

 

堂島大吾。

後に彼の手によって関東最大の極道組織である東城会の舵が握られる事になる事を、この時はまだ誰も知らない。

 

 




と、言うわけで若かりし頃の堂島大吾でした。
後に大物になる彼ですがこの頃はまだボンボンのドラ息子です(ZEROでのサブストーリーを経てマシにはなって)が、一度覚悟を決めた時の極道ぶりはこの頃から健在です。
今後どう言った形で出てくる事になるのか……そこも楽しみにして頂けたら嬉しいです


次回はいよいよ三章です。お楽しみに


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第三章 乱闘葬儀
クソヤクザと熱血漢


第三章 開幕です

この章は年内までに完結出来ればいいなぁ


「……すぐそこじゃねぇか」

 

若いヤクザ連中を返り討ちにしてセレナの裏路地から出てから、僅か三十秒。

俺は目的の場所であるホストクラブ"スターダスト"の前にたどり着いていた。

 

(まさかこんなに近くにあるとはな……)

 

天下一通りにあるという話だけを聞いていたが、かなり立派な店構えをしている。これだけ目立つならわざわざ聞き込み等をする必要も無かった。

 

(ここに親っさんが……!)

 

留置所で面会に来てから実に十年振りの再会だ。緊張しない方がおかしい。風間の親っさんは俺に話すべき事が山ほどあると手紙で言っていた。きっと重要な事なのだろう。俺は緊張を解すために襟を正してから、店へと一歩近づいた。

 

「オイ!お前何してんだ!?」

「あ?」

 

すると突然、背後から何者かに大声で怒鳴られた。

振り向いた先に居たのは茶髪でスーツを着たガタイのいい男。身につけた装飾品からしてここのホストである事が見て取れる。

 

「店に何か用があるんですかねぇ……!?」

 

しかし、類まれなルックスと笑顔で接客するのが仕事のはずのホストとは思えないほどにその顔は憤怒に染まっていた。

無論、俺は何か怒らせるような事をした覚えは無い。

何故なら、この男とは今が初対面だからだ。

 

「いきなり何だお前?俺はオーナーの一輝に用があるんだ」

「なぁ、アンタ?どこの組の奴だよ、あ?嶋野組だろ?俺らは誰の世話にもならねぇんだよ!」

 

目の前の男は、どうやら俺をみかじめ料を取りに来たヤクザだと勘違いしているらしい。

確かに服装は当時のままだが、今の俺は組を破門にされて出所したばかりのれっきとしたカタギだ。

ヤクザ呼ばわりされる筋合いはない。

 

「何か勘違いしてるみてぇだが……俺はヤクザじゃねぇぞ?ただ、一輝って男を探してるだけだ」

「ざけんなよオラァ!!」

 

怒れるホストが俺の胸ぐらを掴みあげる。

 

「一目見りゃ分かんだよ!どこをどう見たって極道者だろうが!!テメェ……何を企んでやがる?一輝さんに何しようってんだ!?」

「おいおい……初対面の相手に大声で怒鳴り散らした挙句に、ロクに話も聞かねぇで胸ぐら掴んで因縁付けるとは……随分なご挨拶じゃねぇか?」

 

堅気であるこの男には悪いが俺は気が長い方じゃない。ここまで礼儀知らずなことをされて黙っていられる程、こっちも大人ではないのだ。

 

「ぐっ、!?テメェ……!?」

 

俺は胸ぐらを掴むホストの手首を掴むと、そのまま力任せに握り込む。

みるみる内に胸ぐらを掴むホストの手が緩まっていき、やがて完全に離れるのを確認してから握り込んだ手を離してやる。

 

「立派な店構えだと思っちゃいたが、どうもキャストの教育は行き届いてねぇみたいだな。一輝って野郎も大した男じゃねぇらしい」

「テメェ……もういっぺん言ってみろゴラァ!!今、一輝さんの事を馬鹿にしやがったか!?あァ!!?」

「お前の態度が悪いせいだぜ?下のやつの粗相のせいで上の人間が恥をかくのは、カタギもヤクザも一緒だろうが」

 

カタギの世界において部下の失態は上司の監督不行届が原因であるとされるのと同じように、ヤクザの世界でも子分の失態は親の教育の甘さにあると見なされる。

風間の親っさんも、俺のせいで小指を失ってしまった。

ヤクザにとって小指を失うのは罪を償うケジメの証。

それはつまり、自分が失敗をしたという証明でもあるのだ。

ましてやそれが自分の子分の失態で取ったケジメなら、見方によっては立派な恥に他ならない。

それは、カタギの世界じゃ尚更のはずだ。

 

「テメェ、やっぱりヤクザなんじゃねぇか!!ナメんなよコラァ!!ヤクザって言ゃあなんでも片がつくと思ってんじゃねぇぞ!!この街にはな、ヤクザなんかの言いなりにならないで自分達の力で一生懸命生きてるヤツらも居るんだよ!少なくとも、一輝さんはそうやってのし上がったんだ!お前みたいなクソヤクザに、一輝さんをバカにする資格なんかねぇんだよ!!」

 

それを伝えたはずだったのだが、ホストの怒りは一向に沈静化しない。

ここまで来ると、よくも怒りが続くものだと感心する程だ。

 

「だから俺はヤクザじゃねぇって……ったく、ホントに人の話聞かねぇ奴だな」

「うるせぇ!俺はこの店、命懸けで守るんだ!!」

「そうかよ……だったら仕方ねぇ。少し頭冷やしてもらうぜ」

 

ここまで頭に血が上ったらもう話し合いでは済まない。

彼には申し訳ないが、少しだけ痛い目に遭ってもらう必要があるようだ。

 

「オラァ!!」

 

かかってきたホストによって力任せに振るわれた豪快な右フック。

大振りで単調だったので苦もなく躱す事が出来たが、その一撃からは風を切る音が聞こえてきた。

 

(ガタイが良いからか?一発のパワーがすげぇな、当たればヤバいかも知れねぇ)

「でりゃァ!!」

 

続く二発目も難なく躱す。

その後の三発目と四発目も同様に回避し、大振りなだけのパンチが虚しく空を切る。

 

「ちょこまか逃げんなよ腰抜けが!それでもヤクザかコラァ!!」

「だから、ヤクザじゃねぇって……言ってんだろうがッッ!!」

 

そしてホストが振りかぶった五発目の右フックに合わせ、俺は右の拳でカウンター気味のボディブローを叩き込んだ。

 

「がはっ!?」

 

まともに喰らったホストがその場で悶絶し蹲る。

カウンター気味に入る一撃というのは言わば交通事故のようなもので相手の出す力によって破壊力が増す。

彼自身のパワーや体重などパンチに乗せた勢いが強ければ強いほど、その威力は上昇するのだ。

 

「どうだ?これでちっとは頭冷えたかよ?」

「ふ、ふざけやがって……!!」

 

しかし、ホストはものの数秒で立ち上がる。

ガタイも良い上にかなり頑丈なようだ。

 

「ふっ、はっ、でぇりゃァ!!」

 

俺はホストが戦線復帰するよりも早く、その腹部に三発もの追撃を叩き込んだ。

右拳のストマックブロー。左拳のレバーブロー。

そして鳩尾狙いの右膝蹴りだ。

 

「ぁが……は……ッッ!!?」

 

完全に崩れ落ちるホスト。

無理もない。胃と肝臓に加えて最後に鳩尾を打ち抜かれているのだ。

呼吸困難と激痛が同時に襲っているのだろう。

 

「はァァ!!」

 

俺は地面に倒れてもがき苦しむホストの顔めがけて右拳を振り上げる。

そして、彼にも分かるように目の前で寸止めしてみせた。

 

「……顔は殴らねぇでおいてやるよ。お前らの大事な商売道具だもんな」

「て……め、ぇ……!!」

「ユウヤ!」

 

俺とホストとの決着が付いた途端、一人の男が現れる。

白いスーツに整った顔立ち。俺が相手していたホストとよりも線は細いが、本来その方がホストとしては相応しい。

 

「何やってんだお前!?」

「す、すんません一輝さん!このヤクザが……!」

 

ガタイの良い方は名前をユウヤと言うらしい。

そして、もう一人の白いスーツの男が俺の探していた男らしかった。

 

「……」

「……」

 

白いスーツの男と目が合う。

自分の後輩が痛めつけられてもなおその目には敵意は感じられない。俺が誰かを見定めているのだろう。

 

「……堂島の錦山さんですか?」

「あぁ……アンタが一輝だな?やっと会えたぜ」

 

一輝の理性的な振る舞いに俺は安堵した。

どうやら一輝はこのユウヤというホストと違い、話が分かる男らしい。

 

「失礼しました。風間さんから話は伺っています。どうぞ中へ……」

 

そう言われて俺はようやく身体の緊張を解く。

先程と言い今回と言い、今日は揉め事ばかりに巻き込まれてばかりだ。

 

(ホント、退屈しねぇよな。この街は)

 

神室町という街が改めてどんな所なのか見せ付けられた所で、俺はスターダストの中へ足を踏み入れる。

そこで俺は、驚愕の真実を聞かされる事になるのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町の天下一通りにあるホストクラブ"スターダスト"。

星屑のように煌びやかな男達が来店した女性に夢のようなひと時を約束する神室町でも指折りのホストクラブだ。一輝オーナーの敏腕経営によって、数年前にオープンしてからあっという間に神室町のホスト情勢を塗り替えたという逸話がある。

そんなホストクラブの店内が一望できるVIPルームに錦山は通されていた。

 

「スイマセンでした!俺、てっきり……!!」

 

ユウヤが直角に頭を下げる。

錦山をヤクザと勘違いして、大事な客人であるにも関わず襲いかかってしまったからだ。

 

「いや、俺のミスだ……本当に、なんとお詫びすれば良いか」

 

オーナーの一輝も頭を下げる。

部下の失態を受け止め、キッチリと詫びを入れる。

先程までよく思わなかった錦山だったが、ユウヤに悪気が無いのは十分伝わっていた。

 

「気にしないでくれ。ユウヤっつったか?こっちこそ、オーナーを悪く言っちまって悪かったな。俺、お前みたいな熱い奴は嫌いじゃねぇよ。ただ、次からもうちょっと人の話聞かねぇとな?オーナーの顔に泥塗らねぇ為にもよ」

「錦山さん……はい、肝に銘じます!」

「おう。それより一輝さんよ。アンタ……風間の親っさんとはどういう関係なんだ?」

「はい……ユウヤ、少し外してくれるか?」

 

ユウヤが言われた通りに席を外し、VIPルームには錦山と一輝の二人だけになる。

どうやら彼は込み入った話をするつもりらしい。

 

「風間さんは、俺がこの店を開いた時からお世話になってる人です。みかじめ料も取らず、商売のイロハも分からなかった俺に色々と教えてくれたんです。」

「そっか……親っさんらしいな」

「えぇ、本当に頭が上がりません」

 

風間組という組織は今どきの極道にしては珍しく、義理と人情に重きを置いた穏健派の組織だ。

シマの店からのみかじめは一切取らず、揉め事があったら一番に駆け付ける。そんな庶民に寄り添った運営を続けているお陰で、街の住民からも評価が高い。

こうした堅気の商売のタニマチ(無償でのスポンサー。支援)を買って出るのも、錦山がよく知る昔からの方針の一つだった。

 

「そんな風間さんが先日店にいらっしゃったんです。大事な人を迎えたいからこの店を使わせて欲しいと。何か組の方には秘密ということで」

「そうだったのか……」

 

結果、こうして風間を慕う堅気の人間が有事の際に力を貸してくれるのだ。情けは人の為ならずとは、よく言ったものである。

 

「それで、親っさんは?」

「先程連絡をしたんですが、例の"会長"の件で身動きが取れないと……」

「会長の件?何かあったのか?」

 

そこで錦山は、驚愕の真実を知る事になる。

 

「えぇ……東城会の三代目 世良会長が……殺されたんです」

「何……!?」

 

東城会三代目会長、世良勝。

今から十七年前に起きた"カラの一坪"の一件で一気に本家若頭に登り詰め、その後は三代目会長として長期に渡る支配体制を敷いてきた凄腕の極道だった。

錦山にとっては、風間のケジメを伴った直談判によって彼の処分を破門に押しとどめた人物でもあり、同時に刑務所の中に刺客を放った張本人でもある。

 

「昨日の深夜の事です。詳しくは分からないんですが、ニュースでもさっき……」

「一体、何が起きてるって言うんだ……?」

「分かりません……ですが、堂島組長が亡くなって10年。今じゃ同じ東城会の組同士が、水面下で街の利権食い争ってるんです。」

 

錦山は酷く納得した。

利権の食い争いという事はみかじめ料の取り合い。

ヤクザに対して過剰な反応を示していたユウヤの先程の態度にも説明が付く。しかし同時に新たな疑問も湧いて出た。

 

「だが、堂島組は風間の親っさんが引き継いだんだろう?あそこは一大組織だ。そこのトップに座った風間の親っさんが睨み効かせてるんなら他の組もそんな真似出来ないはずだが……」

 

堂島組と言えば、かつては東城会ごと下に収めるのではないかと言われていた一強時代が存在していた程の一大勢力だ。

その時代と比べれば弱体化したものの、豊富な傘下を従えた大組織である事には変わらない。

 

「えぇ。一部離反する者こそ現れてはいましたが、錦山さんの仰る通り堂島組を引き継いだ"風間組"は一時期大きな力を持ってました。ですが数年前、内部から組を割って組織を独立させた人が居たんです。そのせいで風間組の勢力は弱体化して、このような結果に……」

「なんだと……?何処のどいつがそんなふざけた真似を……!!」

 

風間組の世話になっておきながら恩を仇で返すような真似をしたその人物に怒りを隠せない錦山。

だが彼は同時に困惑もしていた。次々と明かされていく自分の居ない十年の間に起きた出来事が現実に起きている事が信じられない。

こんな事態になどなる訳が無い。

何故なら、こんな状況を看過する筈がない男を錦山は知っているからだ。

 

「桐生は?桐生はどこで何してるんだ!?こんな状態の神室町をほったらかして、アイツがどこかに行くはずがねぇ!」

 

堂島の龍、桐生一馬。

風間組の下で組織を旗揚げしたはずの、錦山の兄弟分。

義理と人情に厚く、スジの通らないことを容認しないあの男がこの事態を指をくわえて見ているというのは考えられない。

 

「なぁ一輝、教えてくれ!桐生の奴はどこで何してるんだ!?」

「それは……っ!?」

 

一輝が答えを言いかけた時、二人のいる下の空間からガラスが割れる音が聞こえた。

 

「おい、オーナー出さんかい!」

 

錦山が下を覗き見ると、そこにはスーツ姿の男達がユウヤに因縁を付けていた。

人数は六人。全員の胸元に光る代紋が、彼らがカタギでない事を証明していた。

 

「何だアイツら?」

「嶋野組の連中です。みかじめ目的の嫌がらせです。すみません錦山さん。すぐに戻りますので、ここでお待ちを」

 

一輝はそう言うと階段を降りてユウヤ達の所へと向かう。

 

「なんや、ようやくオーナーさんのお出ましかい」

「嶋野さんの所の方ですよね?」

「まぁねぇ……」

 

周囲のホストや客が凍り付く中、決して臆せず毅然とした態度でヤクザと向かい合う一輝。

ナメられたら最後、骨の髄までみかじめを搾り取られてしまうからだ。

 

「ウチらちょーっと飲ませて貰おうと思ってただけやねんけど……そこの兄ちゃんが"帰れ〜!"なんか言うもんやから」

 

そう言ってヤクザはユウヤを指差す。

おそらくユウヤが先程の錦山の時のように喧嘩を吹っかけたのだろう。

 

「テメェら……"みかじめ"せびりに来たんだろう!?」

「いいやぁ?今日は飲みに来ただけやから」

「ウソだ!!」

「……酒 飲ませろって言うとるだけやろがっ!!」

 

ヤクザの本気の脅しに対しても決して怯まずに真っ向から睨み返すユウヤ。

強靭な胆力と店を守ろうとする熱い正義感が為せる行動だった。

 

「……すみません、大事な客人が来ているんです」

 

一輝は一触即発の状態の中でも顔色ひとつ変えずに常に冷静だった。そして懐から一枚の封筒を取り出すと、掲げるようにヤクザに見せつける。もしもの為の詫び代として懐に忍ばせていた金だった。

 

「今日の所は、これで」

「……参ったなぁ、ホンマそんなつもりやなかったんやけどねぇ」

 

そう言いつつもヤクザは目元に下卑た喜びを隠しきれずにいる。一度でも妥協を許せば、そこを突破口に延々と金を搾り取れる。そんな薄汚い魂胆が見え透いていた。

 

「一輝さん……何やってんスか!?俺ぁやっぱり納得出来ません!こんなクソみたいな連中に金払うなんて!」

「ユウヤ!」

 

その瞬間、ヤクザの纏う雰囲気が明らかに変わる。

今の言葉はヤクザにとって完全に聞き捨てならないものだった。

 

「クソやと?おいコラガキ……今ワシらの事"クソ"言うたんか!?」

「言葉が足らなかったぜ……クソ以下だ!!」

 

啖呵をきったユウヤの背後に別のヤクザが迫る。

その手には、逆手に持たれて鈍器と化した酒瓶があった。

 

「ナメんなクソガキ!」

「ユウヤ!」

 

酒瓶を振り上げたヤクザの怒号と一輝の叫びが重なり合う。

ユウヤの頭に酒瓶が振り下ろされる。

その直前。

 

「オラァ!!」

 

いつの間にか一階に降りてきていた錦山の拳が、真横からヤクザの顔面をぶち抜いた。

店の床に崩れ落ちたヤクザはそのまま動かなくなる。

 

「よく言ったユウヤ。やっぱり俺ぁ、お前の事嫌いになれねぇよ」

「何者やお前……?」

 

ヤクザの問いかけを無視し、錦山は一輝に語りかけた。

 

「一輝。ユウヤの言う通りだ。こんなクソヤクザに金を払う事はねぇよ!」

「……はい!」

 

ここまで来てしまえばもう後には退けない。

覚悟を決めた一輝もまた、懐に封筒をしまい込んだ。

 

「ふざけとんのかお前ら……オイ、店ごとぶっ潰せぇ!!」

「「「「へい!!」」」」

 

臨戦態勢に入ったヤクザ達が懐から続々と得物を取り出す。

完全に錦山達を潰すつもりだった

 

「さぁユウヤ、一輝!俺と一緒にクソ掃除と行こうぜ!!」

「うっす!!」

「もう……どうなっても知りませんよ!!」

 

錦山達もまた、各々の構えを取る。

今ここに、三人のカタギと現役ヤクザ達による闘いの幕が切って落とされた。




スターダスト組、初登場です

結構シリーズ通して重要な役回りの人達ですが、この世界線ではどうなるのか

次回もお楽しみに


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死地へ赴く覚悟

おはようございます最新話です
世間はクリスマス一色ですので、男くさいクリスマスプレゼントをどうぞ。



「死ねやボケが!」

 

最初の一手は、先頭のヤクザの右ストレートだった。

ユウヤに因縁を付けていた事から、この男が一番の兄貴分であると錦山はアタリを付ける。

 

(だったらまずはコイツからだ!)

 

群衆のボスが殺られればその群れは戦意を失い瓦解する。野生動物でさえそうなのだから、人間もその例に漏れない。

そう踏んだ錦山は襲い来る右ストレートをいなし、そのまま受け流すように回転を加えるとヤクザの顔面に裏拳をぶち当てた。

 

「ぶぎゃっ!?」

「まだだァ!」

 

その一撃で鼻が潰れたヤクザがたたらを踏んだ所で、錦山は更にボディに膝蹴りを突き刺すように叩き込む。肝臓の上を叩いたその一撃にヤクザは悶絶しながら床に崩れ落ちた。

 

「うぎゃ、ぁ……ッ!」

「オラッ、でぇりゃ、はァッ!!」

 

地獄の苦しみで動けないヤクザの顔面に、錦山はさらに追い討ちでパンチの連打を叩き込む。

先手必勝。それが、刑務所においてやるかやられるかの地獄の十年を過ごした錦山がたどり着いた喧嘩における極意である。

 

「待っ……!?」

「おぅらァ!!」

 

投降を示す相手でも容赦はしない。

錦山は相手の制止を無視すると、トドメのサッカーボールキックでヤクザの顔面を思い切り蹴りあげた。

それにより、先頭のヤクザは完全に沈黙した。

 

「おのれよくも兄貴を!!」

「ぶち殺したるわクソボケ!!」

「死んで詫びんかいコラァ!!」

 

しかし、錦山の思惑とは裏腹にリーダー格を仕留められた他のヤクザが仇討ちの為に士気を向上させてしまう。

 

(末端の構成員とはいえ、流石は嶋野組。なかなか良い教育してやがる……!)

 

東城会の直系組織の中に置いても特に武闘派として名高いのが"嶋野太"が率いる嶋野組である。

そんじょそこらの群れと一緒にした錦山の想定が甘かったのだ。

 

「くたばれや!!」

 

怒り狂った二人目のヤクザがドスを持ち、錦山に特攻をしかける。

 

「くたばんのはテメェだクソヤクザ!!」

 

しかし横合いからユウヤがドスを持ったヤクザの手を掴み、持ち前の剛腕で顔面に全力のフックを叩き込んだ。

 

「ぶぎゃァっ!?」

 

軽く三メートル以上吹き飛ばされたヤクザは、そのまま床に転げ落ちると動かなくなった。

 

「助かったぜユウヤ。っ!ユウヤ、後ろだ!」

「なにィ!?」

 

礼を言いながらユウヤの方を向いた錦山は、彼の背後で拳を振り上げる三人目のヤクザの姿を見て思わず叫ぶ。

 

「でりゃ!」

「オラァ!」

 

それに気付いたユウヤが振り返りざまにボディブローを繰り出した。

ヤクザの振り抜いた顔面狙いのパンチが空を切り、ユウヤのボディブローだけが綺麗に決まる。

 

「ぐぼぉっ!?」

「うぉらァ!!」

 

怯んだヤクザの頭に目掛け錦山は左足のハイキックを振り抜いた。

頭を蹴り抜かれたヤクザが床に転倒し戦線を離脱する。

 

「ボケがァ!!」

 

そこに、メリケンサックを握りこんだ四人目のヤクザがすかさず錦山にストレートを繰り出した。ボクシングをかじっていたのか、キレのある一撃が錦山を襲う。

 

「ふん、オラァ!」

 

だが、久瀬大作という元プロボクサーの兄貴分に殴り勝った錦山にしてみればこの程度の攻撃など大したことは無い。

その一撃をいとも容易く躱し、アッパーとストレートを難なく返す。

 

「うぐぁっ!?」

「せいやァ!!」

 

戦意を喪失し立っているのがやっとの四人目に錦山はトドメの鉄槌を振り下ろした。

鼻が完全に潰れたヤクザが白目を向いて気絶する。

 

「よし、一輝の方は大丈夫か!?」

 

残るヤクザは二人。

一輝の加勢に向かおうとした錦山とユウヤだったが、そこにはハンカチで拳を拭う一輝と彼の足元に転がるヤクザの姿があった。

 

「ご心配なく。こちらはもう済みました」

「流石一輝さん……惚れぼれするッス!」

「本職の極道相手にやるじゃねぇか。ナンバーワンホストは格が違うな」

 

互いを称え合う三人のカタギ達。

この喧嘩は、錦山達の勝利だった。

 

「やめてくださいよ。錦山さんこそ、とてもお強いですね」

「フッ……まぁな」

 

勝利の余韻に浸る三人達だったが、そこへ乾いた破裂音が鳴り響く。銃声だった。

 

「「「!!?」」」

 

一斉に音の発生源に振り向くと、そこには錦山が倒した筈のヤクザが立っていた。

そして、その手には一丁の拳銃が握られている。

 

「思い出した……アンタ、堂島の親父殺してムショに行った錦山やろ」

「……しぶとい野郎だぜ」

 

先程までの状況から一転、この場における力関係が拳銃を持ったヤクザに傾く。

 

「くっくっく……こりゃ嶋野の親父に最高の"土産"が出来たわ!!」

「ちっ……!」

 

銃口を向けられ、全身に緊張が走る錦山。

こうなってしまえばもう逃げ場は無い。

錦山はせめてユウヤ達を巻き込むまいと動こうとするが、どう足掻いても引き金を引く方が早い。

 

「死ねや!」

 

そして引き金は引かれた。

乾いた銃声が一発だけ響き渡る。

しかし、弾丸は錦山の身体を貫いていなかった。

 

「うぎゃあああああああ!?」

「なに!?」

 

先程まで力関係のトップにいた筈のヤクザが、拳銃を取り落として蹲っている。

その右手には真っ赤な風穴が開いていた。

つまり、横合いからヤクザの手を撃ち抜いた何者かがいるという事だった。

 

「誰だ……!?」

 

錦山が横合いに視線を向けると、一人の男が立っていた。白いスーツ姿の髪をショートリーゼントに纏めたその男の手には拳銃が握られている。ヤクザの手を狙撃したのは間違いなくこの男だろう。そしてその男は、錦山もよく知る人物だった。

 

「し、新藤のカシラ……!」

「新藤だと……!?」

 

東城会直系任侠堂島一家 若頭。新藤浩二。

錦山にとっては十年前、最後にケツ持ちのシノギをこなして以来会っていなかった弟分だった。

その顔からは若さが消え、極道としての凄みが滲み出ている。

 

「何やってんだテメェ?嶋野組のシマじゃねぇだろ……?」

 

完全に戦意を失ったヤクザの頭に銃口を突き付ける。

その動作には迷いがなく、必要であれば本気で撃つつもりである事が見て取れる。

 

「三下がチャカなんざ見せびらかしやがって……はしゃいでんじゃねぇぞ、チンピラ」

「ぐ、っ……」

「部下連れてさっさと消えろ……次はねぇからな?」

 

警告を受けた嶋野組の連中が、急いで逃げ支度を始める。ものの数秒でその場から立ち去ったヤクザ達を見届けると、一輝がユウヤに指示を出す。

 

「ユウヤ、今から通常営業だ。お客様への謝罪と店内の清掃をするぞ。」

「はい、一輝さん!」

 

一輝達が慌ただしく準備を始める。

そんな中、錦山は新藤と目が合った。

新藤は錦山の下に駆け寄り、すぐさま頭を下げた。

 

「兄貴、お久しぶりです!十年間のお勤め、ご苦労様でした!!」

「あぁ……久しぶりだな。新藤。お陰で助かったよ」

「いえ、自分は当然の事をしたまでです。……準備が出来るまで、上で待っていましょう」

「おう、お互い積もる話もあるだろうからな」

 

そう言って階段を上がる錦山と新藤。

十年来の弟分との再会に、錦山の胸には熱いものが込み上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久瀬って……あの久瀬の兄貴ですか!?」

「あぁ。久瀬拳王会の会長だ。生きた心地がしなかったぜ」

「大変だったんですね……本当に、お疲れ様です。」

 

嶋野組の連中を退けた数分後、俺は十年ぶりの再会を果たした新藤と積もる話を消化していた。

それによると新藤は、この十年の間に新たに立ち上がった直系団体"任侠堂島一家"の若頭にまで上り詰めていたらしい。本当に浦島太郎になった気分だ。

 

「すみません錦山さん、お待たせしました」

「おう一輝。コイツと積もる話もあったから、そんなに気にすんなよ。な?」

「はい、兄貴」

「それは良かったです。……それで、さっきの話の続きなんですが」

 

それを聞いた俺は思い出す。

嶋野組と揉める前、一輝から桐生の事を聞き出そうとしていたのだ。

 

「内部から風間組を割って組織を独立させたのは……」

「いや、俺が聞きたいのはそれじゃ」

「桐生さんなんです」

「…………は?」

 

俺は自分の耳を疑った。

一輝の口から発せられた言葉が理解できない。

 

「今、なんて……?」

「……東城会を裏切り、風間組から組を割って独立させたのは、桐生一馬さん。あの"堂島の龍"なんですよ」

「ふざけんな!!」

 

気付けば俺は一輝に掴みかかっていた。

いくら風間の親っさんに世話になっている奴とは言え、これ以上のふざけた発言を許す訳にはいかない。

 

「兄貴、落ち着いてください!」

「テメェ……冗談でも言って良い事と悪い事があんだろうが!!兄弟がそんな真似する訳ねぇだろ!表出るか!?あぁ、コラァ!!?」

「……残念ですが、事実なんです」

「この野郎、まだ言いやがんのか!!」

「落ち着いて下さい!!」

 

俺は割って入った新藤によって一輝から引き剥がされた。

新藤と一輝の真剣な目は、とても嘘を吐いているようには見えない。俺からしたら、その光景そのものが信じられない。

 

「……新藤。今の話、マジなのか?」

「……はい、一輝の言う通りです。桐生の叔父貴が率いていた桐生組は直系昇格を目前にしたある日、突然に東城会と風間組からの独立を宣言しました。今、東城会と一触即発の状態になっています」

「なんだよ……それ……」

「噂じゃ東城会内部のある組織と揉めたのが原因だとか……でも、詳しいことは今もなお分かっていません」

 

全身から力が抜けていくのを感じる。

受け入れ難い現実に、俺は頭がどうにかなりそうだった。

 

(だって……あの桐生だぞ?馬鹿みたいに義理堅くて、どこまでも真っ直ぐなアイツが東城会を……ましてや風間の親っさんを裏切った?有り得ねぇ、絶対に何かの間違いだ!!)

 

俺は桐生一馬という男をよく知っている。

だからこそそれは有り得ない。あってはならない事だった。もしそれが現実なのだとすれば、俺は桐生一馬という人間を根本から勘違いしていた事になる。

それだけは認める訳にはいかない。

 

「新藤……親っさんは、俺に話があると言ってたんだ」

「話、ですか?」

「あぁ、こいつを見てくれ」

 

俺は懐から封筒を取り出した。

風間の親っさんからの手紙が入った封筒だった。

 

「俺が出所する直前、風間の親っさんから送られて来たものだ。そこにはスターダスト……つまり、ここに来てくれって言う指示が書かれていた。親っさんは多分、ここで俺にそれを打ち明けるつもりだったんだと思う」

「そうだったんですか……」

「俺はまだこの話を認めちゃいねぇ。この件は俺が直接親っさんに確認を取る。すぐにでも会えないか?」

 

この件は確かめなくちゃならない。

人がなんと言おうが、自分の目で見て自分の耳で聞かなくちゃならない。それまで俺は、絶対に信じる訳にも認める訳にもいかないのだ。

 

「……明日は本部で三代目の葬儀があります。親っさんもその場を離れる事は出来ません。それに"100億の件"もあって……」

「100億?一体何の話だ?」

 

ここに来て更に俺の知らない話が飛び出して来る。

 

「東城会の金庫から100億、抜かれていたそうなんです。緊急幹部会でその話が出た直後に、三代目が殺されました」

「クソっ!もう、何が何だか分かりゃしねぇ……!」

 

俺は思わず頭を抱えた。

東城会を裏切った桐生。殺された世良会長。そして姿を消した組の金、百億円。

色々な事で頭がこんがらがってしまい、冷静に考える事など出来はしない。

そして。

 

「……親っさん、明日は葬儀場に居るんだな?」

 

俺は考えるのをやめた。

いずれにせよ、親っさんは俺に話があると言っていた。

おそらく今回の件のいくつかに関わっているのは間違いないだろう。だったらまずは、風間の親っさんに話を聞くのが先決だ。

 

「まさか、行く気ですか?でももしまた嶋野組の連中に見つかったら……!」

「それに、兄貴を狙ってるのは嶋野組の奴らだけじゃありません。今の俺がいる"任侠堂島一家"って組織は元々、兄貴に堂島の親父を殺された恨みを持った元堂島組の連中が徒党を組んで出来た組織なんです。もし見つかりでもしたら若頭の俺の命令でも奴らは止められません。完全に八方塞がりですよ……!?」

 

二人が真剣な顔で俺を止めようとしてくる。

きっと俺の身を案じての事なのだろう。

 

「んな事ぁ分かってる。ここに来る前も元堂島組の息のかかったヤクザ達とやりあったばかりだ。それに……」

「それに……?」

「……俺はあの"堂島の龍"の兄弟分だ。この程度の修羅場も潜れねぇようじゃ、俺は兄弟の隣には立てやしねぇ!」

 

だが、ここで退く訳にはいかない。

もしここで退いてしまえば、俺の十年間は無駄なものになる。無茶でもなんでも、己の信じた道をバカ正直に突き進む。それが桐生一馬の極道であり、その先を目指す俺の極道でもあるのだ。

 

「……止めても、無駄ですね」

「あぁ、今の俺を止めたきゃ殺すしかねぇぞ……?」

「フッ……負けましたよ。兄貴。まるで昔の桐生さんを見ているみたいだ」

「昔のは余計だ。俺はアイツの心変わりを認めた訳じゃねぇ。……だが、褒め言葉として受け取っとくぜ」

 

観念したように笑う新藤を見て俺は安心する。

もし止めに来るのであれば俺は新藤を殴らなきゃいけなかったからだ。十年ぶりに再会した弟分にそんな事はしたくない。

 

「分かりました。俺は事務所に戻って本部の見取り図を持ってきます。俺が戻ったら、ここで作戦会議をしましょう」

「あぁ」

「一輝。お前は兄貴のスーツを一着見繕ってくれ。極道の葬儀に出ても恥ずかしくない、立派な奴をな」

「……分かりました。錦山さん、採寸をしますのでこちらへ」

「おう、頼んだぜ」

 

話がまとまり、新藤と一輝のが協力のために動いてくれる。二人には悪いがここだけは譲る訳にはいかないのだ。

 

「それでは錦山さん、両手を広げてください」

「あぁ……これでいいか?」

「はい。では失礼します」

 

バックヤードに通された俺が一輝の指示に従って両手を広げると、一輝は慣れた手付きでメジャーを当てて俺の身体を採寸していく。

 

「それにしても錦山さん、お話で聞いていたよりも良い体つきをしていらっしゃいますね……」

「まぁ、ムショで鍛えてたからな」

 

久瀬の兄貴との一件があって以降、俺にムショで因縁を付けて来る者は居なくなった。俺はそれからの九年間、桐生に追いつく事だけを考えてひたすら自分を鍛え続けたのだ。

 

「ただ鍛えているだけじゃこうはなりません。ヤクザの方々は身体を大きく見せる為に無駄な筋肉や脂肪を付けがちなのですが、錦山さんの身体には無駄な筋肉が一つもない」

「ほぉ……そんなもん採寸してるだけで分かるもんなのか?」

「えぇ。それはどの部位にどんな風に筋肉が付いているかで判断出来ます。錦山さんのそれは徹底的に無駄な部分を省かれる事によって均整のとれた、それでいてアスリートのようなしなやかで強靭な身体だ。」

「そ、そうか?何だか小っ恥ずかしいな……」

 

冷静に語る一輝の言葉から嘘は感じられない。という事は、お世辞という訳でも無いのだろう。シャバに出るまでの十年間で長らく人に褒められていなかった俺は、一輝のストレートな賞賛にむず痒さを感じていた。

 

「それにその整った顔立ち……ヤクザなんてやっていたのが不思議なくらいです。錦山さんだったらきっと、うちの店でナンバーワン目指せますよ」

「おいおい冗談はよしてくれよ。俺ぁ今年で37だぜ?こんなオッサンの出る幕なんかねぇよ」

「そんな事はありませんよ?今どきの女の子は年上のカッコいい男性に憧れる傾向が多いですし、何より俺は冗談があまり好きじゃありません。どうです?このゴタゴタが片付いたら検討だけでもしてみませんか?」

「……まぁ、考えておくよ」

 

その後、服の採寸を終えた俺はバックヤードから店に戻る。

一輝の褒め殺しと共に始まったあの時間が出所してから今まで一番キツかった時間かもしれない。

 

「兄貴。お待ちしていました。」

「おう」

 

俺が戻った二階の席には新藤がいた。どうやら事務所から戻っていたらしい。大きめの地図らしきものがテーブルに広げられている所を見ると、アレが東城会本部の見取り図だろう。

 

「兄貴、準備は宜しいですか?」

「あぁ、始めてくれ」

 

進藤が見取り図と共にどのようにすれば目立たず潜入出来るかを話し始める。俺はそれを一言一句逃さぬよう集中して聞き取るのだった。

今度こそ親っさんに会うために。

 




次回はいよいよ葬儀に突入です
お楽しみに


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潜入

最新話です
桐生組の行方については皆さんがあれこれ考察してくれるのをとても興味深く見させて頂いてます
返信の時に何度か言ってますが、桐生ちゃんらしさは大事にしていくつもりです。


2005年。12月6日。

東京の郊外にある巨大な屋敷の前に、俺は立っていた。

黒いスーツ姿の弔問客が大勢出入りをする屋敷の前には「故 東城会三代目 世良勝 儀 告別式」と書かれた巨大な看板が立てかけられている。

 

(いつ見ても迫力がある場所だな、ここは)

 

ここは東城会本部。

関東最大の極道組織である"東城会"の本丸だ。

極道者が死んだ時の葬儀は、どこの組織も本部で行われる事が多い。東城会の三代目ともなれば尚更だ。

 

(一輝の見繕ってくれたスーツもキマって、変装も完璧だ。とりあえずはバレねぇだろう)

 

昨日、一輝が俺に用意してくれたスーツは生地がパリッとした良い仕上がりのものだった。採寸後、ホスト御用達の専門業者から新品同然のものを急ピッチで送って貰えたらしい。俺は服役してた頃に稼いだ刑務作業報酬(大した額ではないが)から代金を支払おうとしたが、ユウヤが迷惑をかけたお詫びという事で気前よくプレゼントしてくれた。

また、変装として服役前と同様にロン毛だった俺の髪を整髪料でオールバックに纏めあげる事で雰囲気を変え、目には厚めのサングラスをかけた。周囲の人間からの視線もそこまでは感じない。どうやら上手く溶け込めたようだ。

 

―――良いですか、兄貴。これが東城会本部の見取り図です。この本部施設の中に風間の親っさんがいます。建物の裏口は比較的手薄ですが、下手に塀を越えたりすればかえって怪しまれます。弔問客に紛れて正面から行きましょう。正門から入ったら突き当たりまで真っ直ぐ。そこを右に曲がった先が裏口です。俺はそこで兄貴を待ちます。

 

俺は昨日に新藤から言われた事を思い出す。

変装で周囲に溶け込めたとは言え、油断はできない。

服役前の俺は、方々に顔を売ってシノギを回していた。

故にこの弔問客の中で、俺の顔を知っている人間は何人もいるのだ。

 

(のし上がる為にやってた事が、今になって首を絞めるとはな……)

 

あまりにも皮肉な話にため息を吐くが、ゆっくりはしていられない。

俺は巡回する葬儀関係者の目に入らぬよう、慎重に会場へと足を踏み入れた。

そして、何とか怪しまれずに受付会場までたどり着く。

 

「本日はお忙しい中、お越し頂きありがとうございます。こちらにお名前をご記入下さい」

「あぁ……」

 

俺は受付に言われるがまま受付票に名前を書いた。

当然偽名だ。本名を書こうものなら俺は立ちどころに囲まれて殺されてしまうだろう。

 

「春日さん、ですね。ありがとうございます。すいませんが、どちらの組の方でしょうか?」

「昔、堂島組にいたんです」

 

受付の質問に淡々と答える。

決して嘘は言っていない。

 

「そうですか……堂島の組長も10年前に錦山ってチンピラに殺されてしまいましたからね……」

 

受付のその言葉を聞いて俺は安堵した。

その言葉は、目の前の男がその錦山だと気付いていない証拠だからだ。

 

「その上今度は世良会長まで殺されてしまうなんて……私は、誰かが裏で糸を引いてるんじゃないかと思うんですがねぇ」

「は、はぁ……」

「おっとすいません、貴方にこんな事を言っても仕方ないですよね。間も無く葬儀が始まりますので、会場内でお待ち下さい。」

 

受付を通された俺はこれでもう立派な弔問客の一人だ。依然として油断は出来ないが、少しは楽な状況に持ち込めたと言っていい。

俺は新藤に言われた通り突き当たりを右に曲がって、裏口へと向かう。新藤からの情報のとおりに人通りは少なく、正体がバレる可能性はかなり減った。

しかし、ここで新たな問題が発生する。

 

「ちょっとアンタ、ここから先は喪章が無ければ立ち入り禁止だ」

「はい?」

 

喪章を付けた黒服の男に呼び止められた。

どうやら葬儀関係者だけが裏口に入れる仕様らしい。

考えてみれば当たり前の事だ。素性の分からない一般の弔問客がもしも敵組織の間者だった場合、どんな事になるか分かったものでは無い。

 

(この先が新藤との待ち合わせ場所なんだがな……どうする?)

 

モタモタしている時間は無い。

一刻も早く裏口に入る必要がある俺は、葬儀関係者の男に掛け合う事にした。

 

「すみません、喪章を何処かで無くしてしまったみたいで……新藤って方に繋いで貰えませんか?」

「なに?新藤の兄貴にだと……?アンタ、あの人の何なんだ?」

「昔、あの人に世話になってたんです。それで今回の葬儀にも声を掛けてもらって……」

 

俺の言葉を聞いた途端、葬儀関係者の男が怪訝な顔をする。

 

「今回の葬儀の仕切りは風間組と任侠堂島一家のみで受け持っている。葬儀屋以外は現役構成員のみって条件でだ。だから、葬儀屋以外に外部の人間を呼び付けるのは禁止されているはずなんだが……」

「そうなんですか?自分は新藤さんに言われて来ただけなのですが……」

「いや、少なくとも俺はそんな話は聞いてねぇ。素性がハッキリしない以上、通す訳には行かねぇな」

(ちっ、やっぱり口八丁じゃ限界があるか……!)

 

これ以上の会話に限界を感じた俺はここで会話を切り上げる事に決めた。やはり喪章を何処かで調達してくるのが先だ。

 

「……いえ、元はと言えば自分が喪章を無くしたのが悪いんです。ご迷惑をお掛けしました。直ぐに見つけてきます。」

「おい、ちょっと待ちな」

 

踵を返した俺を葬儀関係者が呼び止める。

 

「アンタ、怪しいな?ちょっとサングラスを取ってみろ」

(クソっ、マズイ事になったな……)

 

髪型を変えているとは言え、サングラスを取ったら流石にバレてしまう。

かと言って人目があるここでは一撃で仕留めたとしても直ぐに人が集まってくる。強硬手段はもってのほかだ。

 

(変に掛け合うべきじゃなかったか……!)

「おい、何とか言ったらどうなんだ?」

 

万事休す。

何とか周囲の目を掻い潜ってコイツを黙らせる方向で俺が考え始めた。

その時だった。

 

「なぁアンタ」

「はい?」

 

横合いから声をかけてきた男が一人。黒いスーツ姿のその男に、俺は見覚えがあった。

十年も経っているので顔立ちは少し変わっているが、その坊主頭は間違えようがない。

 

(コイツ……シンジか!)

 

田中シンジ。

桐生の舎弟で、堂島組の若衆の一人だった男。

十年前のあの日、由美が攫われたという連絡を俺に寄こしたのもコイツだった。

 

「これ、アンタのだろう?さっき落としてたぜ」

 

シンジはそう言って俺に喪章を差し出してきた。

 

「これは……!?」

 

ふと目が合い、シンジが軽くウインクする。

その様子からして、俺の正体や素性は分かっている様子だった。その上でサポートをしてくれるらしい。

 

「ありがとうございます!」

「田中の兄貴!コイツは、一体……?」

「その人は立派な葬儀関係者だ。手出しするんじゃねえ」

「しかしコイツ、挙動が怪しくて……」

「おい、俺に二度同じ事を言わせる気か……?」

 

シンジが葬儀関係者の男に凄む。

若い頃から桐生の下に居ただけあって、その迫力は中々だ。

 

「す、すんません!」

「なぁ、アンタ春日さんだろう?話は聞いてる。俺に付いて来てくれ」

「っ、はい、分かりました」

 

俺が受付票に書いた偽名も把握している事に若干驚く。

どうやら会場入りした時から、俺はシンジに見張られていたらしい。

俺とシンジは葬儀関係者の脇を抜け、裏口へと向かう。

そして葬儀関係者から距離が十分に離れたタイミングで、シンジが俺に軽く頭を下げた。

 

「錦山の叔父貴、お久しぶりです。まずはお勤めご苦労様でした」

「おう、さっきは助かったぜシンジ。礼を言わせてくれ」

 

俺はシンジに素直に感謝を述べる。

もしもシンジが間に合わなかったら、俺はあそこで叩き出されていたかもしれない。

 

「いえ、気にしないでください。俺は風間の親っさんに言われて叔父貴を見張ってただけですから」

「親っさんに?」

「えぇ。新藤から叔父貴が葬儀会場まで会いに来ると聞かされた親っさんは、万が一の事が無いようにと俺をサポートに回したんです。喪章に関しても最初から叔父貴の分を用意していました。後は何処で叔父貴に渡すかだけだったのですが……結果的にはベストなタイミングでしたね」

 

親っさんの気遣いに俺は感心すると同時に申し訳なく思う。結局俺は、親っさんに心配を掛けっぱなしだ。

 

「錦山の叔父貴、親っさんはこの先です。」

 

俺とシンジは裏口の門の前へと辿り着く。

この先に新藤が待っているはずだ。

 

「俺は周囲の警戒にあたりますので、ここで失礼します」

「なぁ、シンジ。一つ、気になる事があるんだが……」

「? どうかしましたか?」

 

踵を返そうとするシンジを呼び止め、俺は一つの疑問をぶつけた。

 

「お前……今チャカ持ってるだろ?」

「!?」

 

シンジと合流した先程から、俺はシンジのスーツが左側に傾いているのが気になっていた。

拳銃は基本的に全ての部品が鉄で出来た、言わば鉄の塊なのだ。当然その本体重量は相当なものになる。

そんな重いものをスーツの懐に隠し持っていれば、スーツの生地は拳銃の重さで引っ張られて下へと下がってしまうのだ。

無論、ヤクザ側も拳銃の所持がバレる訳には行かないので、スーツの反対側に重しを付けたり肩幅を広げたりと工夫はするのだが、かつてはカラの一坪の一件でチャカを懐に忍ばせていた事があった俺はその微妙な差異に気付いたのだ。

 

「親殺しの俺を本部内に入れようとするんだ。警戒するのは分かるが……流石にやり過ぎじゃねぇか?そんな物騒なモン持ってる事がバレたら、色々面倒な事になりかねねぇぞ?」

「……流石は錦山の叔父貴。中々の観察眼ですね」

 

そう言うとシンジはスーツの懐を軽く捲って見せた。

一丁の黒光りするリボルバーが、そこにはピッタリと収まっている。

 

「叔父貴の仰る通り、俺はチャカを携帯しています。ですがこれは、叔父貴を迎え入れる為じゃないんです」

「どういうこった?」

「世良会長が死んで、東城会は今跡目を狙った内部抗争寸前の状態にあるんです。何がキッカケで事が起こるか分からない……だから俺達も厳戒態勢を敷く必要があるんです」

「そういう事か……」

 

それにはおそらく、新藤が言っていた百億の件も関わってるのだろう。失われた組の金を取り戻した奴が次の跡目……なんて流れにでもなったら、東城会の内部抗争は避けられない。

 

「叔父貴……親っさんから直接話があると思いますが、今の東城会は危険な状態です。俺も警戒を強めますが、叔父貴もどうか気を付けて」

「……分かった。」

 

シンジは俺に一礼すると、踵を返して会場前へ戻ろうとする。

しかしシンジは途中で立ち止まると、振り返る事無く俺に言った。

 

「……桐生の兄貴の事、聞かないんですね」

「……」

 

シンジは長年桐生の舎弟だった男だ。

昨日新藤の言っていた事が真実なら、桐生が独立させた組織に居ても何ら不思議な事じゃない。もしかしたら、俺が知りたい事も知っているかもしれない。

だが、俺はシンジから根掘り葉掘り聞くつもりは無かった。そのへんも含めて親っさんはきっと俺に語ってくれるだろう。この十年で変わってしまった、数々の出来事を。

 

「……シンジよ。俺はまだ、その一件を信じちゃいねぇんだ。あの桐生が東城会を裏切るなんて、俺からすりゃ絶対に有り得ねぇ」

「…………」

「だから俺は、親っさんにそれを確かめる為にここに来たんだ。コイツは、お前から聞くべき事じゃねぇよ」

「……そうですか。分かりました」

 

シンジはそう言って、今度こそ会場前へと戻っていく。その声音は何か重たいものを抱えているような、とても辛そうなものだった。

 

「……行くか」

 

決意を新たに、俺は裏口の門を開ける。

風間の親っさんは、もうすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴、お待ちしてました」

 

錦山が裏口の門を抜けた先に居たのは、喪服姿の新藤だった。予定通りこの場所で合流できた錦山は、先程あった事を新藤に話す。

 

「新藤……ここに来る前、シンジの奴に会ったよ」

「え?田中の兄貴にですか……?」

「あぁ。この喪章もシンジが俺にくれたものだ。……風間の親っさんに言われたと聞いたが、そういう手筈になってたんじゃないのか?」

「いえ、自分にはそんな事は一言も……」

 

怪訝な顔をする新藤。錦山はこの事実にどこか"引っかかり"を感じていた。

 

(シンジが報連相を怠ったのか?いや、風間の親っさんが敢えて新藤に伝えていない……だとすれば何故?)

「……兄貴、とにかく今は親っさんの所へ急ぎましょう」

「あ、あぁ……」

 

新藤に言われ、錦山は思考を中断した。

いずれにせよ今は風間に会う事が先決だからだ。

新藤が扉を開けて本部施設へ足を踏み入れ、それに続く形で錦山もまた本部内へ進入した。

 

「葬式って言っても、みんな腹の中じゃ何考えてるか……何せ東城会の三代目が死んだんです。跡目が誰になるのかだの、殺したのは誰かだの……何奴も此奴も腹の探り合いですよ」

「あぁ、シンジの奴も今の東城会は危険だと言っていた」

 

通路を歩きながらそう言う新藤に、錦山は先程出会った田中シンジを思い出しながらそう答える。

何せ懐に拳銃を忍ばせて武装しているくらいなのだ。

今この瞬間に、何が起きてもおかしくない。

 

「それに、世良会長は若くして三代目を継いだので妬まれる事も多かったみたいです」

 

世良勝が三代目を襲名したのは一九九三年。"カラの一坪"の一件で本家若頭に指名されてから五年後の事だ。

基本的に長い年月をかけてのし上がる事が多い極道としては異例のスピード出世と言っても良い。

 

「参列者の中には、清々した顔のヤツもいますよ」

「なるほどな……だが、そいつらの気持ちも分からんでもねぇな」

 

見苦しい嫉妬心だと吐き捨てるように言う新藤だが、錦山はその連中を否定しなかった。

 

「兄貴……?」

「自分が長年苦労してるのをよそに、当たり前のように他の奴にトップに立たれちゃいい気はしねぇだろうさ。でも、ただの嫉妬じゃ意味がねぇ。清々するだけで終っちまうか、これを機に精進しようとするかが、そいつらの分かれ目って所じゃねぇか?」

 

その嫉妬心はかつて自分が桐生に抱いていたものであり、裏を返せばのし上がろうとする向上心に他ならないからだ。

跳ねっ返りの多い極道だからこそ、その向上心と嫉妬は強く作用すると、錦山は考えた。

 

「……兄貴、なんだか変わりましたね」

「あ?なんだよ急に」

「気分を害したらすみませんが……昔の兄貴は自分の事で焦っていたような、生き急いでいたような気がしたもんですから。そういった意見が出るのが意外だったんです」

「……そうかもな」

 

そう言われた錦山は十年前を思い出す。

あの頃の彼は、桐生への対抗心や妹の優子への心配でいっぱいいっぱいになっていた。

不安や悩みは尽きず、それらに潰れてしまいそうになる自分を誤魔化すために、錦山は数々のシノギを掛け持ちすることでずっと忙しくしていた。余計な事を考えられなくなるくらいに。当時はそういった冷静な意見が出る状況では無かったと、錦山は結論付けた。

 

「まぁ俺も、色々あったって事だ……これ以上はシラフじゃ喋らねぇぞ?」

「フッ、そうですか……失礼しました兄貴。お詫びに、このゴタゴタが片付いたら一杯奢らせて下さい」

「おう、続きはそん時にでも話してやるよ」

「えぇ、お願いします」

 

軽口を叩きながら進んでいく二人。

裏手の階段を登り切ると、新藤はある部屋の前で立ち止まった。

 

「兄貴はここで待っていてください。今、風間の親っさんを呼んできます」

「あぁ、頼んだ」

 

錦山は言われた通り、その一室の扉を開ける。

部屋の中にはいくつかの調度品や歴代組長の写真、木製のテーブルとソファがある。

来客用の応接室といった所だろう。

 

(さて、親っさんが来るまでどうするか……ん?)

 

ふと、歴代の直系組長の写真が錦山の目に止まった。

皆が皆、東城会を支えた大きな柱達なのだろう。

 

(待ってる間、見てみるのもアリかもな)

 

そう考えた錦山は並べられるように飾られた写真へと近づくと、サングラスを外して写真達に目を通す。

流石に十年も経っているせいか知らない人間も何人かいたが、そのほとんどは錦山もよく知っている人物達だった。

 

(まずはコイツか。1985年/東城会直系堂島組 初代 堂島宗兵…………コイツが由美を攫ったのが全ての始まりだったんだ……!)

 

東城会の二代目を支えた大幹部。そして、錦山にとって渡世の親父分にあたる人間だった男だ。最盛期には東城会ごと下に治めてしまいかねない程の一大勢力を築いていたが"カラの一坪"の事件以降その権威は失墜し、いつしか酒と女に溺れて昔の自慢とメンツの話ばかりを垂れ流すお飾り組長に成り果てていた。

この男が錦山や桐生の馴染みだった由美を拉致して強姦しようとしたのを止めようとした末に死亡してしまい、錦山は親殺しの罪を背負ったのだ。そしてその十字架は、今なお消えることはない。

 

(1987年/東城会直系嶋野組初代 嶋野太…………相変わらずおっかねぇ面してやがる。今こいつに見つかるのはヤバそうだな)

 

東城会きっての武闘派として有名な嶋野組。

その長である嶋野太というこの人物は、かつては風間と共に堂島組の二大巨頭として名を馳せた男でもある。

無茶なやり方を力で押し通すそのやり口は、まさに極道らしいと言う他ない。昔から風間をライバル視しており、堂島組が直系に昇格してからわずか二年後に組を直系に上げて独立させている所からもその折り合いの悪さが見て取れる。

 

(1996年/東城会直系風間組初代 風間新太郎…………親っさんか、1996年に風間組を襲名って事は俺が刑務所に入ってからすぐって事か)

 

錦山の育ての親であり、彼を桐生と共にこの世界へと導いた張本人。もしも錦山が刑務所に入らなかったら、彼もまた風間組で生きていた事になる。

義理と人情に厚い穏健派で知られる風間は、かつては"東城会イチの殺し屋"とまで言われた伝説のヒットマンであったとされる人物でもあり、先述の嶋野と共に堂島組を支えた二大巨頭の一柱だ。そして今、錦山が最も会いたい人物でもある。

 

(1993年/東城会三代目会長 世良勝…………10年前、殺し屋を俺に送ってきたのは本当にこの人だったのか?)

 

錦山からすれば、この人物に対しては不可解な点が多い。

親殺しの十字架を背負った錦山の為に、育ての親である風間は指を犠牲にして破門に押し止めたはずだった。

しかし、実際には自分を殺す為に刺客を放っている。明らかに矛盾したその行為だったが、それを確かめる術はもうこの世には無い。

 

(ん?こいつって…………!?)

 

その中で俺は、意外な写真を見つける事になった。

直系団体の中では一番若く、新しい組織のようだ。

 

(2003年/東城会直系任侠堂島一家 初代 堂島大吾…………この写真、若なのか!?新藤のいる組織のトップは若だったのか!)

 

元堂島組の中でも堂島組長を慕っていた人間を中心に組織された任侠堂島一家。そのトップを務めるのは錦山もかつて堂島組時代に交流があった"若"……つまり組長の実子である堂島大吾だった。しかし、それは当然の帰結と言える。

堂島大吾にとって錦山は実の父親を殺した仇なのだ。

そこに錦山に恨みを持った連中が集って祭り上げたのだとしたら、決して小さくない組織が出来上がる事は想像出来る。

 

(やっぱり"若"は、俺を恨んでいるのか…………にしても…………)

 

ここまで歴代組長の写真を見てきた錦山だったが、気がかりな事があった。

 

(桐生の写真が、どこにも無ぇ……!)

 

"堂島の龍"桐生一馬。

錦山の兄弟分であり、親友でもあるその男。

彼が逮捕されて以降、東城会で組を立ち上げた筈のその男の写真が何処にも存在しないのだ。

 

(まさか、桐生は本当に……?)

 

新藤から聞いた話では、風間組を内部から割って東城会と風間組から組織を独立させたらしい。もしその話が本当であるなら、ここに桐生の写真が無いのも辻褄が合う。東城会を裏切った男の写真など飾るわけが無いのだから。

 

(いや、まだそうと決まった訳じゃねぇ……俺は信じねぇぞ……!)

 

段々と現実味を帯び始めるその予感を振り払い、錦山は頑なにそれを否定した。

間も無く錦山の待ち人がここを訪れる。そうすればすぐに分かる事だ。

そして、その時は訪れた。

 

「彰……!」

「っ、親っさん……!」

 

東城会直系風間組組長 風間新太郎。

錦山はついに、育ての親と十年ぶりの再会を果たしたのだった。




次回はいよいよドンパチ騒ぎです。
お楽しみに


年内までに嶋野戦行けるかなぁ


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脱出

最新話です。
いよいよドンパチが始まります。
それではどうぞ


東城会本部。

三代目会長 世良勝の葬儀が行われているこの場所で、俺は風間の親っさんと十年ぶりの再会を果たしていた。

 

「10年だ……俺はお前に、何もしてやれなかった」

 

出会って早々、風間の親っさんは申し訳なさそうに目を伏せた。獄中にいる俺に対して何の手も回せなかった事を悔やんでいるのだろう。だが、申し訳ないのは俺の方だ。

 

「いえ、全部俺がやった事です。親っさんは何も悪くありません。それに親っさんには、俺なんかの為にケジメを付けさせてしまった……」

 

十年ぶりに小指が無い親っさんの左手を見て、俺は心が痛むのを感じた。

あの時の後悔と自責の念が、昨日の事のように蘇る。

 

「謝んなきゃなんねぇのは俺の方です。本当に、申し訳ありませんでした」

「彰……」

 

俺は深々と頭を下げた後、椅子に座ろうとする親っさんの腰周りを支えた。

 

「すまねぇな、彰」

「いえ、良いんです親っさん」

 

ただでさえ足を悪くしているのに加え、親っさんは今年で六十歳のはずだ。

本来は歩くのもしんどいはずなのにここまでわざわざ会いに来てくれたのだ。これぐらいは当然だ。

 

「親っさん……一体何があったんです?東城会は、それに……桐生は?」

 

俺はついに一番聞きたかった事を親っさんに問いかけた。

 

「会ったのか?アイツに」

「いえ、まだです。ですが一輝の奴から、桐生が組を割って独立したって話を聞いて……」

「そうか……」

「俺はまだ信じられません。桐生が東城会を……親っさんを裏切るなんて絶対に有り得ない!」

「彰……」

「教えて下さい親っさん!アイツは本当に、東城会を裏切ったんですか!?」

 

親っさんは深刻な顔をして黙り込む。

俺は、固唾を呑んで答えを待つ。

重い沈黙の末、やがて親っさんは滔々と語り始めた。

 

「……一馬は、10年前のあの事件のすぐ後に桐生組を立ち上げた。お前から託された優子を助けるために、石にでも齧り付く勢いだった」

「優子……」

 

今から九年前。俺が逮捕されてからわずか一年後に、桐生は妹が助かった事を教えに面会に来てくれた。

俺の一生の頼みを、アイツは完璧に履行してくれたのだ。

 

「どうにか資金をかき集めて優子の海外での手術にまで漕ぎ着けた後、一馬は桐生組の組織拡大に務めた。あいつは、直系昇格を目指していたんだ」

「直系昇格?桐生がですか?」

 

俺は思わず目を丸くする。

のし上がる事に対してあまり積極的でなかった桐生が、その時は直系昇格を目指していたという。その理由は直ぐに明かされた。

 

「お前のためなんだ、彰」

「俺のため……?」

「あぁ。来る日も来る日も、一馬はこう言っていた。"錦の帰る場所は俺が作るんです"……とな」

 

"破門"という復帰の目がある措置になったとはいえ、親殺しの罪を背負った俺が堂島組が主体になっている風間組で受け入れられるはずが無い。

そんな俺を受け入れる為に、桐生は組織を大きくしようとした。

東城会の直系へと上がり風間組から独立することで、俺の受け皿になろうとしてくれていたのだ。

 

「桐生……」

 

間違いない。親っさんの口から語られる桐生は、あの時と何も変わらない。

バカ正直で義理堅くて、それでいて真っ直ぐな俺の知っている桐生一馬だった。

 

「だが、直系昇格を間近にしたある日。一馬は組を割った。アイツは東城会と袂を分かったんだ」

 

だからこそ、親っさんの口から出てきたその答えに俺は納得が出来なかった。

 

「そんな……なんで、何でなんですか親っさん!?」

 

シノギは回り人も集まり組織も大きくなっていく。

絵に書いたように順風満帆だったはずの桐生の極道人生。

それがある日いきなり組を割って組織を独立させ、今や東城会と一触即発。

不自然な点が多すぎて納得なんて出来るわけが無い。

俺が勤めに行っている間、兄弟に一体何が起きたというのか。

 

「それを語るためには、もう一つ伝えなきゃならない事がある。由美と優子の事だ」

「っ!」

 

幼なじみの由美と妹の優子。

このタイミングで二人の名前が出てくる事に嫌な予感が脳裏を過る。俺は、二人の身に何かあったとしか考えられなかった。

 

「由美と優子?二人に何かあったんですか!?」

「彰、落ち着いて聞いてくれ。実はーーー」

 

親っさんが答えを紡ごうとした、その時。

ガラスが僅かに砕ける音が背後で聞こえ、その直後に親っさんの肩から鮮血が吹き出たのだ。

撃たれたのだ。

風間の親っさんが俺の目の前で。

 

「親っさぁん!!」

 

俺は直ぐに風間の親っさんに駆け寄り、その傷口を見る。

弾丸が貫通しておらず、危険な状態だった。

 

(クソっ、一体誰がこんな事を!!)

 

俺は弾丸が飛んできたと思われる背後を振り返る。

遠方からの狙撃だったのだろう。ガラスは砕けず、弾が貫通した後の風穴だけがそれを物語っていた。

 

「何事だぁ!?」

 

直後、銃声を聞きつけた組員達が扉を蹴破るように入ってきた。

 

「風間の叔父貴!?テメェ……!」

「ん?コイツ……錦山だ!」

(ちっ……!)

 

写真を見るためにサングラスを取ったのが仇になり、ついに俺の正体がバレてしまった。しかも、悪い事はまだ続く。

 

「錦山やとぉ?」

 

着物の喪服を身に纏ったスキンヘッドの大男が、組員達を割って前に出てくる。

その顔は、先程見ていた歴代組長の写真の中でも見た顔だった。

 

「なんやお前……堂島の兄ぃの次は風間か!?何考えとんじゃぁ!!」

「嶋野……!」

 

東城会直系嶋野組組長。嶋野太。

俺はよりにもよって今一番会いたくない人間に出くわしてしまったのだ。

 

「おうお前ら!絶対に生きて帰すんやないで!!」

「ちっ、やるしかねぇか……!」

 

覚悟を決めた俺はファイティングポーズを取った。

それを合図に喪服姿のヤクザ達が続々と襲いかかってくる。

 

「死ねやぁ!」

 

殴りかかってきた先頭のヤクザに対し、俺はカウンターの右ストレートを合わせた。

 

「ぶぎゃっ!?」

「この野郎!」

 

続く二人目の拳を避けて胴を掴み、先の一撃で倒れた一人目の上に落とすように投げ飛ばす。

 

「だりゃぁ!!」

 

すると三人目が机に置いてあったガラスの灰皿を手に持って殴りかかってきた。

 

「せぇや!」

「うぐぉっ!?」

 

俺はその灰皿の一撃を躱し、三人目の腹に膝蹴りを叩き込んだ。

怯んだところにトドメを刺すべく右の拳を振り上げる。

 

「っ!」

 

しかし三人目はすかさず持っていた灰皿を顔を覆うように掲げた。即席の盾のつもりなのだろうが、その程度で止まるほど俺は甘くない。

 

「はァァ!!」

 

俺はそのまま渾身の力で右ストレートを繰り出した。

真っ直ぐに放たれた俺の拳はガラスの灰皿をぶち砕き、そのまま三人目の鼻を叩き潰した。

 

「大人しくしやがれ!」

 

背後から四人目が現れて俺を羽交い締めにする。

 

「よし、そのまま抑えとけ!」

 

すると目の前に出てきた五人目が拳を振りかぶる。

動けない的を目掛けてサンドバックのように攻撃を仕掛けるつもりだろう。

 

「くたばれやぁ!」

(当たるかよマヌケ!)

 

俺は顔面狙いのその一撃が当たるギリギリを見極めると、首をお辞儀のように前に傾けた。

 

「ぶげぁっ!?」

 

すると俺の頭の上を五人目の拳が通過し、羽交い締めしていた四人目の顔面に当たる。

 

「オラッ、でりゃァ!」

 

俺はその衝撃で拘束が解けた瞬間五人目の顎に裏拳を当て、そのまま四人目の顔面に右フックを叩き込んだ

 

「がっ……!?」

「ぶぐぉっ!?」

 

床に倒れた四人目の顔面を踏み抜いて、トドメを刺す。

 

「野郎!」

 

そして六人目。

右の一撃を掴み、そのまま一本背負いの要領で大きく投げ飛ばす。

 

「う、うわあああああ!!」

 

窓ガラスを割り、外へと放り出される六人目。

気の毒だが二階なので死にはしないだろうし、そもそも構っていられる余裕も無い。

 

「大人しゅう往生せぇや錦山!」

「ちっ……!」

 

倒しても倒しても、次々と増援が送り込まれて来る。

これではいくらやり合ってもキリがない。状況は最悪だ。

 

「あ、彰……!」

「親っさん!」

 

風間の親っさんの呼び声に、俺は再び親っさんの元へ駆け寄った。

出血が酷く、このままでは命が危ない。

 

(クソっ、どうすりゃいい……!?)

 

このままでは親っさんは手遅れになり、俺もまた嶋野に捕まって殺されてしまう。

八方塞がりなこの状況で、親っさんは俺にあるものを渡してきた。

 

「彰……これを、一馬に渡してくれ……」

「親っさん……?」

 

それは一枚の封筒だった。

表面には何も書かれてはおらず、中身が何なのかは分からない。

 

「これは?」

「一馬には、渡せば分かる……逃げろ、彰!優子を……100億を頼む……!!」

「親っさん……!」

 

自分の命が危ないって言う時に、親っさんは俺や桐生の事を慮ってくれた。結局俺は、親っさんに何一つ返せていないと言うのに。

 

「行け!!」

 

俺は覚悟を決めた。

親っさんはきっと、この騒ぎを聞いた風間組の誰かが助けてくれる。そう信じるしかない。

 

「うおおおおおっ!!」

 

俺は六人目を投げ飛ばして吹きさらしになった窓から下へと飛び降りた。

ガラスが散らばる地面へと着地し、すぐにその場を離れる。

 

(親っさん……どうか無事でいて下さい……!!)

 

そう願いながら俺は走った。

紛れもない死地であるここから生きて脱出する為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、錦山だ!親殺しの錦山が出たぞ!」

「今度は風間の叔父貴を撃ちやがったらしい!」

「なんて野郎だ、ぶっ殺してやる!」

 

状況を理解出来ずただ騒ぎを見て慌てふためく者、錦山の非道な行いに殺気立つ者、自らの身の危険を感じ葬儀会場から逃げ出す者。

東城会の三代目会長の告別式という厳粛な場であるはずの東城会本部は、この非常事態に混乱を極めていた。

 

(マズイな……錦山の叔父貴の潜入がバレちまったらしい……!)

 

そんな中、一人冷静に物事を考える男がいた。

田中シンジ。風間組の構成員であり、今回錦山を本部内に招き入れる手引きをした一人だ。

 

(とにかく、状況を報告しよう)

 

シンジはあちこちで怒号と悲鳴が起きる中、一人本部施設内にある男子トイレに立ち寄った。トイレの中は無人で、個室のドアも全て空いている。

この非常事態にわざわざ用を足そうとする者はいないのだろう。だが、それはシンジにとって好都合だった。

 

(よし、誰もいないな)

 

シンジは周囲に人気がない事を確認すると、一つの個室の中に閉じこもった。鍵を閉めて、誰も入って来れないようにする。本来はここで用を足すのが普通だが、シンジはここに用を足しに来たわけでは無かった。

ポケットから携帯電話を取りだし、ある番号をプッシュして電話をかける。

電話は一コール後にすぐ繋がった。

 

『おう、田中か?』

 

電話の相手は男だった。その低い声と喋り方は明らかにカタギのものでは無い。

 

「はい、そうです。今、錦山の叔父貴の潜入がバレてしまいました」

『みたいだな。ラジオでも今速報が入ったぜ、東城会本部で乱闘騒ぎってな。そっちは大丈夫なのか?』

 

電話の相手がシンジに無事を確認してくる。

シンジはこの相手とはそれなりに付き合いがあるが、以前はこのような状況下であったとしてもそんな事を言うような人物では無かった。

 

「俺は問題ありません。今どちらに?」

『予定通り、本部近くで待機中よ。こいつぁ、いよいよ俺の出番か?』

 

予定通り、という言葉に安心するシンジ。

電話の相手とシンジは、ある程度こうなる事を予期していたのだ。

そしてこのまま上手く行けば、錦山の身の安全は保証される。

 

「そのようです……俺は何とか、本部前まで叔父貴が来れるようにサポートに回ります。そしたら車で叔父貴を連れて逃げてください」

『了解だ。死ぬなよ田中』

「えぇ。そちらもお気を付けて」

 

話が纏まり、電話を切るシンジ。

携帯電話をポケットにしまう際、懐にある硬いものに意識が向く。そこにあるのは拳銃だ。

いよいよ、これを使わせる(・・・・)時が来てしまったのだ。

 

「俺も……覚悟を決めないとな」

 

一言そう呟き、田中シンジは個室を出た。

そして、錦山の後を追って動き出す。

尊敬する兄貴の兄弟分を死なせないために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉぉおおおおおおおっ!!」

 

雄叫びを上げて、俺は目の前のヤクザを殴り飛ばした。

もうこれで何人を仕留めたのか自分でも分からない。

 

「なんなんだコイツ……」

「これだけの人数を相手に……」

「ば、化け物じゃねぇか……」

 

俺を囲いながらも恐れ戦く東城会のヤクザ達。

たった一人で葬儀会場に乗り込んで多数の構成員を相手に一歩も引かない俺の姿勢を見て、尻込みをしているのだ。

 

(よし、今なら一気に突破出来るかもしれねぇ!)

 

俺が今いるのは東城会本部の裏口前だった。

来た道をそのまま戻っている俺は、ここでもう何度目になるか分からないヤクザ達の追っ手とやり合っている。

しかし、ここはあの天下の東城会の本丸だ。

倒しても倒してもキリが無い雑魚ばかりを相手にしているとこちらの身が持たない。

追っ手に完全包囲される前に一気に脱出するのが一番なのだ。

 

「退きやがれぇ!!」

 

俺は叫びながら走り込むと、ヤクザの群衆の中央に飛び蹴りを放った。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

 

一人の哀れな構成員が吹き飛ばされるのと共に、群衆が真っ二つに割れて道が出来る。

 

(今だ!)

「ま、待ちやがれ!」

 

俺は出来上がったその道を真っ直ぐに駆け抜けた。

怒号を上げながら追いかけるヤクザを無視し、刑務所で鍛え上げた脚力を使って一気に振り切る。

 

「錦山だ!」

「おい、ここを通すな!」

(クソっ、まだいやがるのかよ!!)

 

通路を曲がった先でまたもやヤクザの追っ手とかち合った俺はそのまま速度を上げて走り込むと、ヤクザを相手に飛び膝蹴りを放った。

 

「退けって言ってんだコラァ!!」

「ぶぎゃああああっ!!」

 

鼻がぶち折れる感触を膝越しに感じながら、俺はついに正面通路へと躍り出る。

 

「待ってたぞ錦山ぁ!」

「テメェもこれで終わりだ!」

「覚悟しやがれ!」

 

しかし、そこにはすでに騒ぎを聞き付けた東城会のヤクザ達が大勢待ち構えていた。

素手のものは限りなく少なく、皆が木刀や警棒、果てにはドス等を所持して待ち構えている。

その数、推定でも三十人は下らないだろう。

 

(クソっ、骨が折れるぜ……!)

 

関東最大の極道組織である東城会。

その本丸はただでさえ厳重な警備体制が敷かれてる上に、今日は三代目の葬儀という厳粛な場だ。

そんな状況下で暴れ回った俺は、言わば東城会そのものに真っ向から喧嘩を吹っかけた事になる。

 

(我ながら命知らずも良いところだな、全くよ……!)

 

しかし、この圧倒的不利な状況下において俺はむしろ燃えていた。元いた組織のトップの葬儀で大乱闘。

こんな大それた事をした奴はきっと、後にも先にも俺だけに違いない。

そうだ。それくらいでなきゃダメだ。なぜなら俺が目標にしている男は、これくらいの無茶を平然とやってのけちまう化け物なのだから。

 

「俺は必ずここを出る!止められるもんなら止めてみやがれ!!」

 

覚悟の叫びと共に俺は真っ向からヤクザ達に突っ込んだ。

 

「死ねやぁ!」

 

先頭のヤクザの一撃を軽くいなし、体勢が崩れた所で膝蹴りを繰り出して下顎を砕く。

 

「この野郎ォ!」

 

木刀を振り上げたヤクザの手を振り下ろされる前に掴んで、無防備な鳩尾に正拳を突き刺す。

 

「ぶち殺す!」

 

警棒を振り抜いたヤクザの一撃を紙一重で躱し、返しのアッパーで顎を撃ち抜き昏倒させる。

 

「くたばれやぁ!」

 

ドスを持ったヤクザの一刺しを回避して手首と肩を掴み、肘裏に膝蹴りを叩き込んで腕をぶち折り、追撃の右ストレートでトドメを刺す。

 

「そんなもんかオラァ!!」

 

その後も俺はヤクザ達を相手に大立ち回りを繰り広げた。武装して襲いかかってくるヤクザ達に対して、俺は一切の手加減と躊躇をしなかった。

 

「ふっ、はっ、せいやっ!」

 

鼻柱、目、こめかみ、鳩尾、肝臓、そして金的。

スタミナを消耗しないように最小限の労力と動きで、躊躇なく急所を狙い一撃で敵を仕留めていく。

 

「はァ、でりゃァ!」

 

十年前の俺ならばきっとこうなってしまった時点で心が折れていただろう。生きて出られる訳が無いと。

だが今の俺は違う。

 

「うぉらァ!!」

 

生きる事は逃げない事だと知った今は、たとえ相手が何人いようと立ち止まりはしない。

無茶でもなんでも決して挫けず、前だけを見て突き進む。その先にきっと、俺が往くべき極道があるのだ。

 

(見えた……!)

 

そして、突破口が見えた。

何人ものヤクザを仕留めた先で、包囲網が手薄になったのだ。

 

「そこだァ!!」

 

俺は一番包囲が薄い場所にいたヤクザに接近し、渾身のレバーブローを繰り出す。

 

「が、ぁ、ぎっ、ぁぁああっ!!?」

 

激痛のあまり地面に崩れ落ちたヤクザ。

俺はそのヤクザの両足を掴んで持ち上げると、脇に挟んで力を込める。

 

「うぉぉぉおおおおおっ、らァッ!!!」

 

そのまま振り回すように回転して、周囲のヤクザを巻き込んで投げ飛ばす。ジャイアントスイングと呼ばれる、最も有名なプロレス技の一つだ。

 

「よっしゃ!」

 

俺は相当に分厚かった包囲網を突破し、ついに正門前までたどり着く。

 

(よし、ここまで来れば……っ!?)

 

しかし、事はそう上手く運ばなかった。

 

「待てぃ!!」

 

着物の上をはだけさせ、筋骨隆々なその身体を見せつけるスキンヘッドの大男。

背中に背負った猛虎の入れ墨が顕になり、彼の狂暴さをより一層際立てている。

 

「ちっ、ここでアンタか……嶋野!」

「ここから先は通さへんで!!」

 

東城会直系嶋野組組長。嶋野太。

風間の親っさんが手を焼くほどの超武闘派極道が、最大最強の壁として俺の前に立ち塞がったのだ。

 

 

 




次回はいよいよ嶋野戦、そして第3章ラストです。
まったり更新のはずですが、皆さんの応援のおかげで年内に嶋野戦間に合いそうです。
本当にありがとうございます。
次回もお楽しみに


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Pray Me

いよいよ嶋野戦です。
年内に間に合って本当に良かった……
それではどうぞ


東城会本部。

世良会長の葬儀会場から脱出を試みる錦山の前に立ち塞がったのは、東城会きっての超武闘派極道 嶋野太だった。

 

「でりゃぁぁああ!!」

 

叫び声と共に嶋野の張り手が飛んでくる。

二メートル近い巨躯から放たれるその一撃を錦山は咄嗟に防御した。

直後、彼はその選択を後悔する。

 

「ぐっ、ぉおっ!?」

 

錦山の体は重力を無視して大きく吹き飛ばされた。

すぐさま受身を取る錦山だったが、ここで一つの違和感に気づく。左腕に痺れが生じて力が上手く入らない。

防御のためにその一撃を受けた左腕が衝撃に耐えきれず悲鳴を上げているのだ。

 

(何なんだよこのパワー……バケモンじゃねぇか!?)

 

頭なら即昏倒。胴体なら内臓破裂。

いずれせよ、まともに喰らってしまえばそれが彼の最後である。

 

「てぇぇぇぇい!!」

 

嶋野は錦山に休む暇を与えず、タックルで追撃して来た。

小型自動車の正面衝突にも匹敵するであろうそれをまともに受けるのは愚の骨頂。あっという間に轢き潰されてしまう。

 

「うぉっ!?」

 

そう判断した錦山は地面を転がるようにしてその突進を躱した。すぐさま起き上がり、嶋野の背後を取る事に成功する。

 

「うぉらァ!!」

 

すかさず拳を振り抜く錦山。

嶋野が振り返った直後、右のボディブローが嶋野の腹部を直撃した。

 

「効かんわァ!!」

 

しかしその拳から伝わる感触は鈍く、手応えがまるで無い。

 

「でぃやぁ!」

「ちっ!」

 

錦山は嶋野が突き出してきた手を躱し、すかさず飛び退いて距離を取る。

 

(コイツ、反則だろ……!?)

 

鍛えられた筋肉と恵まれた体格を持ち、人智を越えたパワーとタフネスを発揮する嶋野。

攻撃の一発一発が必殺の威力を持ち、並の攻撃ではダメージが通らない。

そして懐に飛び込んだら最後、その人間離れした怪力で八つ裂きにされてしまう。

 

「ここがお前の墓場や!!」

 

その姿はまるで人の形をした戦車と言うのが相応しかった。

筋肉という堅牢で分厚い装甲と怪物級の馬力を併せ持ち、腕力の砲弾で敵を制圧する戦略兵器。

 

(こんな奴相手にどうしろってんだ……!!)

「死ねやァァァ!!」

 

錦山が内心で毒づくのと、嶋野が雄叫びを上げながら襲いかかるのは同時だった。錦山は乱雑に突き出された一撃を回避し、背後へと後退する。

ここで、彼はある事に気づいた。

 

「ぬぅん、てぇい、どうらぁぁ!!」

 

張り手やラリアット、裏拳などの力任せの一撃を連続で振るう嶋野。その一発の威力は必殺級だが、その動きは単調で予測がしやすい。

 

(だったら……!!)

 

錦山はとある作戦を企て、即座に実行に移した。

嶋野が突き出してきた手に、敢えて自分から掴まれに行く。

 

「血迷ったか錦山ぁ?お前はこれでしまいじゃあ!!」

 

その巨大な手のひらで頭を掴み、その握力ですり潰す。

そんな嶋野のアイアンクローが極まるよりも早く、錦山は嶋野の両腕を掴んで飛び上がると相手の首に両足を引っ掛けた。

 

「なんやと!?」

「ぬぉぉぉおおおおおお!!」

 

そして両腕と背筋、その他全身の筋肉を総動員して嶋野の腕関節を逆側に折り曲げる。

腕十字三角固め。プロレスラーや柔道家が使う、関節技の一種だ。いくら筋骨隆々な嶋野と言えど、関節の強度には限界があると錦山は踏んだのだ。

 

(腕一本、へし折ってやる!)

 

しかし、そんな目論見は浅はかであった事が即座に証明される。

 

「こんのガキぁぁぁあああああ!!」

 

嶋野は腕を極められた体勢のまま上体を垂直に戻すと、腕と背筋の力を使って錦山の身体を持ち上げたのだ。

鈍い音と共に、折れ曲がっていたはずの関節が元に戻る。

 

(コイツ、マジかよ!?)

「んどりゃああああああっ!!」

 

嶋野は叫び声を上げながら持ち上げた錦山の身体を地面に叩きつけた。

プロレスで言う所のバスターに近い方法で無理やり関節技を外す。

 

「がはっ!?ぅげほっ、ごほっ……!?」

 

背中から思い切り地面に落とされた錦山は、その強すぎる衝撃で肺の中の空気が全て絞り出された。

呼吸のリズムが狂い、嗚咽と共に激しく咳き込んでしまう錦山。

 

「ふざけた真似しおってぇ……!!」

 

嶋野は抵抗出来ない錦山を両手で掴むと、腕力だけでそのまま持ち上げた。

その後、抱きつくような姿勢で彼の腰にその丸太のような両腕を回す。

 

(や、やべぇ……!)

 

錦山の背筋が凍り付く。

嶋野が繰り出そうとしてるのはベアハッグと呼ばれるもので、腰や背骨にダメージを与える事を目的とした絞め技だ。

嶋野の怪力でやられれば最後、彼の腰は粉々に砕けてしまう事だろう。

 

「死に晒せやぁぁぁ!!」

 

そして嶋野が両腕に力を込めた。

その圧倒的なパワーに錦山の腰部が軋み悲鳴を上げ始める。

 

「ぐっ、ぅぉらァッ!!」

 

錦山は咄嗟に嶋野の両目の目蓋に自分の指を突き入れた。

目潰し。目を有する生物に対して最も原始的で残酷な攻撃方法。

彼の指先に生暖かく気色の悪い感触が伝わるが、人間が動物である以上効果はてきめんだ。

 

「ぐわぁぁぁぁあああああああ!!?」

 

錦山は嶋野の拘束から解き放たれ、地面に落ちる。

一方嶋野は激痛と共に視界を奪われ、両手で目を抑えながらその場でたたらを踏んでいた。

 

(やるなら、今しかねぇ!!)

 

このチャンスを逃す訳には行かない。

そう決議し錦山は背中と腰の痛みを無視し、両手の拳に力を込める。

 

「でぇりゃァ!!」

「ぐぁっ!?」

 

錦山は嶋野の顎に全力のアッパーをぶちかます。

これにより嶋野の身体が上に仰け反った事でその巨体が無防備になった。

その瞬間。

 

「うぉぉおおおおおおらああああああああああああッッッ!!」

 

殴る。殴る。殴る。

全力で握り込んだ左右の拳を一心不乱に連続で打ち付ける。

 

(今を逃したらもうコイツは仕留められねぇ!絶対にここで終わらせる……!!)

 

錦山はもはや何処に当てるかなどは考えていない。ただ一撃一撃にこれ以上無いほどの全力を込めて、嶋野の身体を何度も何度も執拗に叩き続けた。

 

「うぉぉらァァァッッ!!」

 

そして、錦山のトドメの一発が鳩尾に突き刺さった。

嶋野の巨体がついに片膝を付く。

 

(やったか……?)

 

錦山は一瞬。ほんの一瞬だけ緊張を解いた。

解いてしまった。

直後。

 

「こ、のガキ……よくもやって、くれよったなァ!!」

 

その瞬間を狙ってたかのように嶋野の右手が伸び、彼の首を掴んで容易く持ち上げた。

 

(な、なんだと……!?)

 

戦慄する錦山は立ち上がった嶋野の両目と目が合った。

その目は赤く充血し、額には血管が浮き出ている。

ただでさえ凶悪なその面構えは、今にも憤死しそうな程の怒りでよりその迫力を増していた。

 

「どぉぉりゃあああああああああッ!!」

 

嶋野は力任せに錦山の身体を振り回し、そのまま勢いよく投げ飛ばした。

 

「ぐはっ、ぁぁ、ぐっ、ぅ……!」

 

ロクな受身も取れずに地面に叩きつけられた彼の身体は、その勢いを殺しきれず地面を転がる。

 

(な、なんて野郎だ。本当に、人間かよコイツ……!!)

 

嶋野の理不尽なまでの頑丈さとパワーに錦山は嫌気が差していた。

先程の連撃は、彼が持てる全てを余す所なくぶつけたはずのものだったのだ。しかし、嶋野はそれすらも意に返さずに力でねじ伏せてきた。格が違うとはまさにこの事だろう。

 

「絶対に許さへんで……ワシがここでぶち殺したるわ……!!」

 

そう叫んだ嶋野が腰を落として低く構える。

それはまるで、相撲における立ち合いを始める寸前の力士のような格好だ。

 

(く、来る……!!)

 

全身の痛みと痺れ、そして疲労を端に追いやって錦山は無理やり立ち上がる。

彼は軋む骨の音と悲鳴を上げる筋肉の声を無視し、これから迫り来るであろう破壊の権化に備えた。

 

「死ねや、錦山ァァァああああああああッ!!」

 

そして、人型の戦車がついにその進撃を開始した。

対する錦山の身体は度重なる乱闘と嶋野から受けたダメージによりまともに言うことを聞こうとしなかった。

回避は間に合わない。防御などもってのほか。

となれば、彼に残された手段はもう一つしか無い

 

(やってやるよ……!!)

 

錦山は覚悟を決めて全神経を研ぎ澄ました。

突進してくる嶋野を集中して観察し、冷静に間合いを見計る。一発逆転のカウンター。あの突進に合わせた一撃で死中に活を見出す。それしか彼が生き残る術は残されていない。

早過ぎれば威力が乗らず、遅過ぎればあっという間に轢き潰されてしまう。

一歩間違えた瞬間に自分の負けが確定する極限状態で、錦山は周囲の時間が酷く遅く流れるのを感じた。

ほんの数秒が数分に感じられる中、彼は己の直感を信じてその時を待った。

そして。

 

(……来たッ!!)

 

目で見た敵との距離感、肌で感じた相手の殺気、耳朶を打つ嶋野の叫び声。そして背筋を走り抜けた悪寒という名の危険信号。

それら全てが合致した絶好の機会が訪れた。

 

「はァああッッ!!」

 

その刹那。

錦山は思い切り地面を蹴って、その身体を宙へと浮かせた。

残された体力を絞り出して放った、渾身の飛び膝蹴り。

彼が狙うのは猛烈な勢いで迫る嶋野の顔面だった。

 

「でぇぇぇえええぇぇええええい!!」

 

対する嶋野は、突進する勢いはそのままに両腕を突き出して飛びかかってきた。

その剛腕で錦山を捉えて八つ裂きにするつもりなのだろう。

 

(しまった、これじゃ届かねぇ!!)

 

ここで、錦山は一つの失策をした。

彼は嶋野がそのまま走り込んで突進してくる事を前提にしていた為、今嶋野に飛びかかられてしまうと狙っていた位置と高さが合わなくなってしまうのだ。

しかし、宙へと浮いた錦山と嶋野の身体は既に自分達の制御下を離れている。今更足掻いたところで何もかもが遅かった。

そして、激突。

 

「クッ……!!」

「ぐほっ、ぁぁっ!?」

 

錦山は自分の膝に確かな手応えを感じていた。

彼の放った飛び膝蹴りは嶋野の両腕の間をすり抜けて、その分厚い胸板へと叩き込まれていたのだ。

その直後。空中でお互いの勢いが反発し合った結果、嶋野の身体は背中から地面に叩き付けられ、錦山の身体は上へと跳ね飛ばされてさらに宙へと浮かんだ。

 

(!!!)

 

その時、彼の脳裏に稲妻が走った。

閃き、天啓と言っても良いだろう。

嶋野は地面に叩きつけられた直後で身動きが取れないでいた。大の字に寝転がったままこれ以上無いほどの無防備を晒している。

対する錦山の身体は宙に浮いたままで踏ん張りが効かず、自由な身動きが取れない。これでは回避も防御もままならないだろう。

一見して同じに見える彼らの条件。

しかし錦山の身体はこのすぐ後に、重力に引かれて下へと落ちるのが確定していた。嶋野太の真上の位置で。

 

「ぅ、ォォおおおおおおッッ!!」

 

唸る。落ちる。敵を見据える。

構える。備える。拳を握る。

打ち砕く。殴り抜く。

今度こそ。確実に。

絶対に。この喧嘩。

今が。この時が。

 

 

 

《勝機!! 》

 

 

 

「嶋野おおおおおおおおおおおおッッ!!!!」

 

燃え滾る気合と共に今、錦山の全身全霊の一撃が嶋野の顔面に叩き落とされた。

 

「が…………ぁ……………………!」

 

腕力、筋力、体重。おまけに重力落下の勢いすらも合わせて束ねた最大最強の一発は、東城会が誇る猛虎を完全に仕留めたのだ。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!!」

 

息を切らす錦山。

そして、その周囲を取り囲む東城会の極道達は、目の前で何が起きているかを認識するのに多大な時間を要した。

 

「そ、そんな……」

「あの嶋野の親分さんが……」

「嘘だろ……?」

 

超武闘派極道として東城会の内外問わずその名が轟く嶋野組。その長である嶋野太が勤め上げのチンピラに負ける。余りにも現実離れしたその光景にその場の極道達は目の前の不届き者を捕える事も忘れてただ呆然とするしか無かった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……ッ!」

 

そして。

 

「うおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

 

猛る虎を仕留めた一匹の鯉が勝利の雄叫びを上げた。

自らの存在を高らかに世界に示すように。

だが、地獄を這い出たばかりの鯉にとってこの勝利はこれから続く果てない黄河の道への始まり。言わばようやくスタートラインに立っただけに過ぎない。

それでも。

遥か先の龍門を目指す彼にとってこの勝利は、確かに大きな一歩であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早鐘のような脈動。沸騰しそうな身体。

止めどなく流れる汗。

そして、大の字で気絶する嶋野を見ながら俺は実感した。

 

(か、勝った……あの嶋野に……!!)

 

風間の親っさんと双璧を成す伝説級の極道。

その男と真っ向からやり合って、俺は勝利を掴んだのだ。

かつて無いほどの達成感と充足感が全身を包む。

しかし、ここは死地の只中。いつ襲われるかわからない状況でいつまでもそれに浸っている訳には行かない。

 

「ぐぅ、くっ、……ッ!!」

 

俺は限界を訴える身体に鞭を打って、正門へと踵を返した。一刻も早くここから脱出する為に。

そこへ。

 

「待ちやがれぇ!!」

 

他のどの追っ手よりも早く、俺の前に現れた坊主頭の極道がいた。

 

(シンジ……!?)

 

田中シンジ。

俺の渡世の兄弟である桐生の舎弟だった男で、風間組の構成員。先程、俺が風間の親さんと合流するための手引きをしてくれた男だ。

そんな男が額に青筋を浮かべながら俺に対して怒鳴りこんでくる。

 

「テメェ……よくも風間の親っさんを!!」

「ま、待てシンジ!それは誤解なんだ!」

「うるせぇ!そんなもん信じられる訳ねぇだろうが!!」

 

俺が事情を話す前にシンジは問答無用の精神で殴りかかって来る。錦山は放たれるパンチのキレから、シンジが相当の使い手である事を見抜いた。

 

(ここまで、か……!)

 

しかし、今の俺にはどうする事も出来ない。

嶋野を倒すのでかなりの体力を消耗し、度重なる痛みと怪我で走るどころか歩くのがやっとの有様なのだ。

俺は直後に走るであろう痛みと衝撃を受け入れようと覚悟を決めるが、実際にシンジの拳は俺を傷つけることは無かった。

 

(……?)

 

放たれたシンジの拳は俺の真横を通過し、シンジの顔が彼のすぐ隣にあるような格好になる。

そして、追っ手達の喧騒と怒号の中でも聞こえるように、シンジは耳元でこう囁いたのだ。

 

「懐のチャカで俺を人質に」

「ッッ!!」

 

その言葉と共に、何か固いものがぶつかった感覚があった。

それは意図的に俺と肉薄したシンジが、自分の懐にある拳銃をアピールするためにスーツのジャケット越しに擦り付けてきたからだ。

シンジは、自分が風間組の代表として敢えて人質になる事で追っ手が来れないよう時間を稼ごうとしているのだ。

 

(すまねぇ、シンジ!!)

 

迷っている暇は無い。

俺は心の中でシンジに謝りながらも、彼の懐に手を突っ込んで拳銃を奪った。

そしてシンジの首を背後から左腕で固定し、右手に持った拳銃をシンジの側頭部に突き付ける。

 

「近づくんじゃねぇ!コイツがどうなっても良いってのか?あァッ!?」

 

我ながら悪役そのもののセリフだが、その効果は覿面だった。

 

「ぐっ、クソっ!離しやがれ!」

「しまった、田中の兄貴が!」

「てめぇ汚ぇぞ!兄貴を解放しろ!」

 

先程まですごい勢いで俺に迫っていた極道達が、全員悔しそうに歯を食いしばりながら立ち止まっていた。

人質に何が起こるか分からないため、一定の距離以上は向こうも近付けない。

 

「どこまで行きゃいい……?」

「そのまま後ろへ……今は時間を稼ぎましょう……」

 

バレないように耳元で問う俺にシンジは後退するように指示をした。言われるがままにジリジリと少しずつ後ろへ退っていく。

そして俺とシンジの身体が本部の門を通り、道路へ出た時。

 

(ん?なんだありゃ……!?)

 

一台の車が猛スピードでこちらへ向かって来た。

やがてその車が俺とシンジの背後に陣取るように急ブレーキをかけて停車する。

 

「乗れ!!」

 

運転席から一人の男が叫ぶ。

まるで示し合わせたかのようなタイミングでやって来たのは偶然か必然か。

いずれにせよ、この場において運転席の男は俺の味方のようだ。

 

「あばよシンジ……!」

「お、叔父貴……!」

 

俺は拘束していたシンジを解放すると、その場に拳銃を捨てて背後の車に飛び乗った。

 

「待ちやがれこの野郎!」

「逃げんな外道が!」

 

俺を乗せた車はすぐさま発進し、怒号を上げて追るヤクザをみるみるうちに引き離していく。

俺は死地を越えたことを実感し、張り詰めていた緊張の糸が今度こそ切れて安堵のため息がこぼれる。

 

「ふぅ、なんとかなったな……」

「ご無事ですか?錦山さん」

 

声をかけてきた運転席の男は、黒いスーツに紫のシャツを着た如何にもな風貌をしていた。

パンチパーマにサングラスをかけたその外見はどう見てもカタギには見えないが、少なくとも今は俺の敵ではないようだ。

 

「あぁ。おかげで助かったぜ。ありがとよ」

「いえ、お気になさらず。貴方は会長にとって大切な方ですから」

「え?会長?」

 

服役前の俺は各方面に顔を売って商売していたが、流石に会長の知り合いは居なかった筈だ。

怪訝に思う俺を他所に、運転席の男は不敵に笑った。

 

「フッ、しかし仮出所二日目にして東城会三代目の葬儀で大乱闘とは……聞いていた話とは大分違いますが、流石は会長の兄弟分だ。やる事が派手で良い」

「えっ……兄弟って、まさかアンタ!?」

 

驚愕する俺に運転席の男はピシリと態度と声音を引き締め、自己紹介をしてきた。

 

「運転しながらのご挨拶、失礼致します。自分、関東桐生会で若頭代行をやらせて貰ってる松重って者です。以後よろしくお願いします。錦山さん」

「関東桐生会、だと……!!?」

 

俺は確信した。

この男は、桐生が独立させた組織の人間であると。

 

 

 

東城会。消えた100億。世良会長暗殺。そして関東桐生会。

動き出した陰謀の闇が今、俺を飲み込もうとしている。

この出会いはその、ほんの序章に過ぎなかった。

 

 

 

 




以上で第三章は終了です。如何でしたか?
次に投稿するのは断章ですがおそらくそれが年内最後になると思われますのでお楽しみに


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断章 1995年
試練


断章にして、年内最後の投稿です。
前回のお話で最後に登場した松重。彼が如何にしてあぁなったのかを段階を踏んでお届けいたします
それではどうぞ


1995年。10月25日。東京、神室町。

アジア最大の歓楽街であり、日本屈指の治安の悪さを誇るこの街にはヤクザの事務所が星の数ほどある。

この日も神室町の外れに存在する某事務所で、ある組の定例会議が開かれていた。

組の名前は、東城会直系風間組内桐生組。

"堂島の龍"と名高い桐生一馬が率いる三次団体だ。

 

「おい、今なんと言った?」

 

その定例会は今、ある組員の軽率な発言によって重々しい空気に支配されていた。

組長である桐生が問題発言をした組員に先程の発言を聞き直した。

その声音は低音ながらも静かな迫力があり、とても友好的とは言えない。それもそのはず。

桐生は暗に示しているのだ。"訂正するなら今だぞ"と。

しかし、その組員に反省の色は見受けられなかった。

 

「こんな定例会、意味無いって言ったんですよ。組長さん」

 

東城会直系風間組内桐生組構成員。松重。

元は風間組に所属していた男で、組織の中でもトップクラスの上納金(アガリ)を納めているやり手の極道である。

風間組の若頭である柏木の命令で桐生にシノギのいろはを教え込む為に桐生組の盃を受けた彼は、東城会の内外問わず"堂島の龍"と呼ばれ恐れられた桐生に対してすら臆せず意見してみせた。

 

「お前と話すくらいなら場末のキャバクラでブサイクな女と駄弁ってる方が、よっぽど有意義ってもんだ」

 

松重は、現状の桐生組の中で最も金を稼ぐ能力に長けている。故に組織内でそれなりの発言権があるのは当然の事だが、その発言は組の方針に対しての不満どころか組長である桐生に対しての侮辱にまで及んでいる。

要するに松重は、ついこの間組を立ち上げたばかりの桐生のことを甘く見ているのだ。

 

「松重の兄貴、今のはちょっと言い過ぎなんじゃないんですか?」

「あぁ?チンピラは引っ込んでろや」

 

尊敬する桐生を目の前で侮辱されたシンジが松重を窘めようとするが、直ぐにあしらわれてしまう。

 

「お前もこんな能無し組長にヘコヘコしてねぇで、お気に入りの嬢とでも一発しけこんで来たらどうだ?よっぽど有意義だと思うぜ?風俗狂いの田中さんよ?」

「言わせておけば……!いい加減にしとけよこの野郎!!」

「やめろ、シンジ」

 

度重なる侮辱に怒ったシンジが椅子から立ち上がるが、組長室に座る桐生がすかさず諌めた。

 

「兄貴、しかし……!」

「やめろって言ってるんだ、シンジ」

「……はい」

「フッ……組長さんの方がよっぽど分かってるらしいな?俺という存在の重要さをよ?」

「勘違いするなよ松重」

 

更に良い気になってふんぞり返る松重。

だが、桐生としてもこれ以上調子に乗らせるつもりは無い。

 

「お前は随分と自分に自信があるようだがな、現時点でお前は組に何の貢献もしちゃいねぇ。デカい口を叩くからには相応の成果を見せてもらおうか。でなけりゃ……」

「ん?でなけりゃ何だってんだ?」

「シンジをコケにしやがった分、全力でヤキを入れてやる。どちらの立場が上か、ここでハッキリとその身体に教えてやるぜ……!!」

「「「!」」」

 

全力の殺気を放つ桐生に松重以外の全員が冷や汗を流す。

極道としての凄みが滲み出たその脅し文句でさえ、松重は余裕の態度を崩さない。

 

「ほう……?流石は"堂島の龍"と呼ばれた男だ。中々迫力あるじゃねぇか」

「どうなんだ松重。俺が納得出来るだけの成果を出せるのか?」

「ハッ、良いぜ?」

 

松重はおもむろに立ち上がると、大きめの封筒を手に持つと桐生の座るデスクの上に乱雑に置く。

 

「ほらよ。今月俺が稼いだ金だ」

「これは……」

 

桐生が封書を開けると、中から札束が出てきた。

百万円の札束が五つ。合計で五百万円もの大金である。

 

「い、1ヶ月で500万円も……!?」

「驚くのはまだ早ぇ」

 

あまりの稼ぎの良さに驚愕するシンジに対して松重はそう嘯くと、一枚の書類を取り出す。神室町近くにある土地の権利書だった。

 

「借金のカタでぶんどったボロいラーメン屋の権利書だ。都内の土地の値段は年々増え続けてるからな、転売すりゃかなりの額が俺の懐に入ってくる。どんなに安くても1000万円はくだらねぇだろう」

「……」

 

平均月収は五百万円以上。場合によっては一千万円以上の収益。

堅気の人間ですらそれ程稼ぐことが出来るのはひと握りの人間に限られる。

松重は裏社会の人間でありながら、そんな表の社会のひと握りの連中にすら迫る程の稼ぎを有していた。

 

「これで分かっただろう?俺のシノギがどんだけ太いものなのかって事がな?」

「なるほど……確かに実力はあるようだな」

「おう。これからは俺がシノギのお手本って奴を見せてやるからよ……分かったら俺に対する扱いにゃ気をつけた方がいいぜ?組長さん」

 

勝ち誇ったような顔を浮かべた松重は、その足で事務所から出ようとする。

しかし、桐生はそれを呼び止めた。

 

「じゃ、今日の定例会は終了って事で」

「松重。一つだけ教えろ」

「あ?」

 

怪訝な顔をして振り返る松重に、桐生は真っ向から問い質す。それは、桐生が何より大事にしているものだ。

 

「お前に金を稼ぐチカラがあるのは分かった。だが……この500万を稼ぐのにどれだけのカタギを泣かせた?」

 

それは、義理と人情。

如何に金を稼ぐチカラがあったとしても、それがカタギを食い物にしているシノギであれば意味が無い。

裏社会とは、表社会で生きる人間がいてこそ成立するものなのだ。

 

「おいおい何を聞くのかと思いきや……そんなくだらん事が大事なんですか?」

「口ごたえはいい。聞かれた事だけに答えろ。」

「はっ、そんなもん何人泣かせたかなんて覚えちゃいませんよ」

「なんだと?」

 

桐生の詰問に対し、松重はさも当然のように答えた。

泣かせたカタギの数などいちいち数えていない、と。

 

「俺達ゃヤクザだ。どんな方法でいくら稼ごうが所詮は黒い金。なら、より多くの黒い金を稼ごうとするのが普通ってもんでしょうが?」

「その為なら……カタギの連中をいくら食い物にしても構わねぇって言うのか?」

「当たり前だろうが。はっ、全く噂通りの甘ちゃんだなぁウチの組長さんは。今どき義理人情と腕っ節だけで生き残れる程、ヤクザは甘くねぇんだよ」

 

自らの利益の為ならば、表社会で真っ当に生きる人々をいくら犠牲にしても構わない。それが松重の語るヤクザ論だった。義理と人情を重視する桐生の価値観とは致命的なまでに噛み合っていない。

 

「そうか……松重」

「なんです?」

「命令だ。カタギを泣かせるシノギからは今すぐ手を引け」

 

そして、泣いてる人間がいると知った以上は野放しに出来ないのが桐生一馬という男だ。

 

「なに……?」

「お前はカタギの人達の有り難さをまるで分かってねぇ。この街を生きるカタギ連中と良い関係が築けてこそ俺達はやっていけるんだ。」

「ふん、腕っ節だけの青二才が知ったような口を聞きやがる」

「桐生組の看板を背負ってシノギをする以上、スジの通らねぇ真似は言語道断だ。もしも組の看板に泥を塗りやがったら……ヤキを入れるだけじゃ済まねぇぞ?」

「おぉ怖い怖い。流石は"堂島の龍"だ、睨まれちゃ適わねぇ……せいぜい善処させて頂きますよ、組長さん」

 

最後まで上から目線の態度を崩さぬまま、松重は事務所を出ていった。

その後に松重の部下達が続いていき、桐生組の小さなオフィスは桐生とシンジだけが残った。

 

「やれやれ……」

「兄貴……」

 

嘆息する桐生がおもむろにタバコを咥え、すかさずシンジが火を点ける。

それに応え桐生も自前のライターを取り出した。

 

「シンジ」

「はい、ありがとうございます」

 

桐生の優しさと配慮に一礼した後、シンジもまたタバコを咥えて桐生のライターで火をつける。

お互いに有害な煙を吐きながら、松重の態度について言及する。

 

「松重の兄貴……噂には聞いちゃいましたが、相当プライドが高いですね」

「あぁ。風間組の中でも上位の稼ぎ頭だった男だ。それが先日組を立ち上げたばかりの新参者に指図されるのは面白くねぇんだろう」

 

横柄な態度で大口を叩くだけはあり、実力はしっかりと持っている松重。

しかし、組織運営においては有能だからこそ扱いづらい人物であると言える。

 

「実力が伴っていれば上に立てるのが俺達の世界だ。最初は仕方無い事かもしれねぇが、俺はゆくゆくはアイツよりも多くの金を稼がなくちゃならない……」

「ですが、松重の兄貴は汚いシノギに手を染めてるからこそのあの稼ぎ……悔しいですが、真っ当なやり方で太刀打ちするのは相当厳しいですね」

 

道理の通ったやり方にこだわる桐生と、稼ぐためなら手段を選ばない松重。

正しいかどうかはさておき、どちらが物事を進める事に対して貪欲で前向きかどうかは言うまでもない。

そしてその貪欲な行動は、必ず稼ぎという結果へと繋がるのだ。

 

「だがやるしかねぇ。子分にナメられたままなんて事が周りに知れたら組のメンツや沽券に関わるからな」

「兄貴……俺はいつでも、兄貴の味方ですから!俺に出来る事なら何でも言ってください!」

 

シンジは真っ直ぐに桐生を見つめてそう言い切った。

彼が追いかけていく背中は、これまでもこれからも変わらないだろう。

 

「そうか……それじゃあ早速頼まれてくれるか?」

「はい!」

「松重には釘を刺しはしたが、恐らく大人しく言うことを聞くタマじゃねぇだろう。しばらくの間アイツが下手な事しないように見張っておいてくれ」

「分かりました、任せてください!」

「あぁ。ありがとよ、シンジ」

 

桐生は軽く礼を言うと、タバコの火を消して椅子から立ち上がった。

 

「兄貴、どちらへ?」

「病院だ。錦の妹が手術前だからな。様子を見てくる。松重の事は任せたぜ」

「分かりました、行ってらっしゃいませ!!」

 

頭を下げて見送るシンジを背に、桐生は事務所を出た。

この時期の夕方はもう日が落ちていて、桐生の開いた胸元に冷たい風が吹きつける。

 

「行くか……」

 

桐生は病院へと向かうためにタクシー乗り場へ足を運ぶ。

その足取りは、非常に重いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ていた。

 

それは、とある男達が極道の世界に足を踏み入れるよりも前の事。

病弱な一人の少女が、当時入院していた看護師からの勧めで一冊の本に出会う。

なんて事はない、良くあるありふれた恋愛小説だった。

重い病を患った女の子が一人の男の子から花束を貰って勇気づけられ、恋に落ちていく物語。

 

(わぁ……!)

 

しかし、幼い頃に両親を亡くした上に入退院を繰り返していたせいで友人も居なかった少女にとって、その物語は紛れもなく"理想"だった。

そんな時、彼女の前に一人の少年が現れる。

少女と同じ孤児院で育ったその少年は、まるで示し合わせたかのように彼女に花束を贈ったのだ。

花の名前は胡蝶蘭。花言葉は"幸せが飛んでくる"。

無論、少年は彼女がそんな本に夢中だったなんて事は知らず、ただ純粋に同じ施設で育った仲間に早く元気になって欲しいと言う願いを込めて贈ったものに過ぎない。

それでも、彼女にとってはこれ以上無いほどに特別な贈り物だった。

 

(なれるのかな?私もいつか、こんな風に…………)

 

その物語は恋に落ちた女の子の懸命なリハビリと男の子の献身によって病が完治し、最後には二人が結ばれるという幸せな結末を迎える。

彼女は思わずには居られなかった。

自分の病もいつか完治し、健康になれる日が来る。

そうすればきっと、この物語の女の子のように自分も恋に落ちて……。

 

「お兄ちゃん。あ、あのね?このお花……恋人からの贈り物なの」

 

そんな想いから、彼女は唯一の肉親である兄に嘘をついた。

恋愛小説に浮かされた年頃の少女が吐いた、可愛らしさすらある冗談。

しかし、生まれた時から大事にしてきたたった一人の家族に恋人がいるというニュースは、兄の少年にとってはあまりにも重大すぎた。

その日、兄の少年は血相を変えて街中を探し回った。

妹の恋人がどんな人物なのかをこの目で見る為に。

そして、万が一にも信用できないような奴なら思い切り殴るために。

 

(あぁ……やっちゃったなぁ……)

 

もちろん彼女は自分の兄が街でそんな事をしているなんて知る由もない。だが、病室を出ていった時の兄の顔は彼女から見ても明らかに動揺していた。

きっと、要らない心配と迷惑をかけてしまったに違いない。

そう思った彼女は、素直に兄に嘘をついた事を謝った。

本を読んで浮かれてしまった自分が悪いのだと。

しかし、兄はそんな彼女を一切責めなかった。

妹想いが過ぎる兄としては妹の恋人なんて到底許せるものでは無かったのだ。

兄の少年は安堵のため息の後に、彼女にこう告げた。

 

『本当にいい奴が出来たら……真っ先に、俺に教えろよ?』

 

そんな兄の少年の言葉を最後に。

 

 

 

夢が、醒める。

 

 

 

「ん…………」

 

微睡みの中、少しずつ意識がハッキリしていく。

見慣れた白い天井。消毒用アルコールの匂い。意外と窮屈な酸素マスク。

そして、心電図モニターの機械音。

そこにはあったのは彼女のーーー錦山優子の置かれた現実の風景だった。

 

(夢、か…………)

 

どこか懐かしい、それでいて微笑ましい夢を見ていた気がするが、それが何だったかが彼女の中で曖昧になっていく。

最近になって辛いことが多い優子にとって、今抱いているこの懐かしくて穏やかな気持ちがこのまま霧散してしまうのはとても悲しい事だった。

 

「目が覚めたか」

 

しかし、消え入りそうになるその気持ちに待ったをかける声が優子の耳朶を打った。

天井に向けられた視界を、少しだけ右にズラす。

 

「ぁ……………………?」

 

そこに居たのは、グレーのスーツを着た一人の男。

彫りの深い顔をしたその男の出で立ちはどう見ても極道者でしかない。

 

「俺が分かるか……?」

 

しかし優子がその顔を見た時、彼女の中で朧気であった夢の内容が鮮明に蘇った。

男の強面な風貌が、かつて花束を贈ってくれた少年の面影と重なり合う。

 

「かずま、くん……?」

「あぁ……久しぶりだな」

 

桐生一馬。

彼女の兄である錦山彰の親友にして、渡世の兄弟分。

優子にとっても同じ施設で育った大切な仲間の一人だ。

 

「どうして、かずまくんが……?」

「今日は、お前に大切な話があって来たんだ。聞いてくれるか……?」

 

そう言う桐生の顔は、どこか気まずそうな表情を浮かべていた。

おそらく、自分に対して余程言いにくい事があるのだろう。

そう考えた優子は直ぐに思い立った。極道の世界に身を置いた彼が彼女に対して言いにくい事などひとつしかない。

 

「おにいちゃんの、こと……?」

「…………あぁ」

 

優子の予感は当たっていた。

極道者である兄の身に、何かがあったのだ。

でなければ同じ極道者である桐生がわざわざここに来る理由が無い。

 

「おにいちゃんに……なにか、あったの……?」

「錦は……お前の兄さんは、遠い所に行く事になっちまったんだ」

「遠い、ところ?」

「あぁ。仕事の都合で少しな……」

 

遠い所に行った、と桐生は言ったが優子も大人だ。

桐生がぼかした言い方をした事くらいはすぐにわかる。

 

「……どれくらい、かかるの?」

「早くても10年……下手をすればもっとかかると思う」

 

その答えを聞いて優子はほぼ確信する。

自分の兄はきっと、何かの罪を犯してしまったのだと。

極道者として生きる以上は、いつかはこんな日が訪れるかもしれないと考えていた優子。

だが、それがこんなにも早く訪れるとは思っていなかった。

 

「俺はアイツに、お前の事を頼まれたんだ。遠い所へ行ってしまう自分の代わりにな」

「そう、なんだ……」

 

桐生とは決して知らない仲では無い。

何より兄である彰は桐生の事をとても信頼していた。

故にきっと、錦山は妹の事を託したのだろう。

 

「仕方が、ない……こと、だったんだよね……?」

 

身体が弱く入退院を繰り返す優子に、兄である錦山はいつも優しく接していた。今の彼女が命を繋いでいられるのも、錦山の尽力があったからに他ならない。

だからこそ優子は、心優しい兄が何かの罪を犯した事にも何か理由があったのだと考えた。

 

「…………あぁ」

 

桐生が短く応える。

本来彼には伝えたい事、伝えなければならない事が山ほどある。

気を抜けば直ぐにでも口から溢れ出そうになるそれを、桐生は必死に堪えた。

もし全てを打ち明けてしまったら、優子の病状に甚大な影響を与えてしまうかもしれない。

親友に妹を託された身として、それを容認する訳には行かなかった。

 

「優子……錦からお前に伝言を預かっている」

「え……?」

 

だからせめて、錦山が一番伝えたかったであろう事を桐生は伝える。

育ての親である風間から託された、妹を想う兄の気持ちを。

 

「"俺は信じてる。だから絶対諦めるな"。錦はお前に、そう伝えたかったそうだ」

「おにい、ちゃん…………」

 

警察に捕まりこれから獄中生活を送る事になってしまうという時でさえ、彼女の兄は優しかった。

彼女の病が治ることを誰よりも望んでいた家族の言葉は暖かく、優子の胸にゆっくりと染み込んでいく。

 

「……今後の手術には俺が立ち合う事になった。治療費や入院費も俺が面倒を見させてもらう。だから優子は、治療に専念してくれ」

 

居た堪れなくなった桐生は、最後にそう伝えると踵を返す。伝えるべき事は伝えた。ならばこれからは行動で示すのみだ。

 

「待って、かずまくん」

「?」

 

そんな桐生を優子が呼び止める。

病状は芳しくなく生気のない目をしていた筈の優子が、真っ直ぐ桐生の目を見つめている。

その瞳には、先程まで無かったはずの光があった。

兄から貰ったエールを希望に変えた、闘病という名の試練を乗り越える覚悟を持った生気の輝き。

 

「わたし、がんばるから……おにいちゃんが、帰ってきた時……元気で、いられるように……だから、よろしく……お願い、します……!」

 

その真っ直ぐな瞳を見て、桐生は自分に対して喝を入れる。

人伝とはいえ兄の言葉で強い気持ちを取り戻した優子の想いに、彼もまた全力で応えなければならないと覚悟を決める。

 

「あぁ……こっちこそ、よろしくな」

 

桐生は力強く頷いた。

兄弟との約束もそうだが目の前の彼女の決意に報いるために、桐生は気合いを入れ直す。

 

(俺が、必ず救ってやる……!)

 

そして、桐生は今度こそ病室を出る。

自分に待ち受ける、組織運営という名の試練に挑む為に。

 

 

 




如何でしたか?

優子と桐生、二人にとって大きな試練が待ち構えています。
次回の断章もお楽しみに


そして皆様、良いお年を!


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第四章 再会と出会い
傲慢


皆様、あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします。

新年一発目にして、いよいよ感動の(?)再会です。それではどうぞ。


2005年。12月6日。

この日、一台の車が東京の郊外にある広域指定暴力団"東城会"の総本部から逃げるように出発し、最短ルートを通って横浜へと向かっていた。

乗っているのはスーツ姿の二人の男。

運転席に座りハンドルを握るのは、パンチパーマにサングラスをかけた厳つい風貌の男。

そして後部座席にいるもう一人は、黒いスーツを着用した整った顔立ちの男だった。

 

「……………………」

 

後部座席の男は極度の疲労から後部座席で眠っていた。静かに寝息を立てるだけで動かないが、目的地に着いたら運転席の男が起こす手筈になっている。

 

(眠ったか……まぁ、仕方ねぇ事だろう)

 

運転席の男はその疲労の原因を知っている為、なるべく眠りを妨げない用に運転にも注意を払う。

同時に、バックミラーで後部車両の有無も確認した。

 

(追っ手の気配はねぇ……どうやら撒いたみてぇだな。会長に報告するか)

 

運転席の男は胸ポケットから携帯電話を取り出し、ある番号にかける。電話は直ぐに繋がった。

 

『俺だ』

「お疲れ様です、松重です。」

 

関東桐生会若頭代行兼直参松重組組長。松重。

それが運転席の男の肩書きと名前だった。

 

『首尾はどうだ?』

「ご心配なく。会長の大切な兄弟分はキッチリお迎えしました。今は後部座席でぐっすり眠られていますよ」

『そうか……恩に着る。松重』

 

電話の声は渋くて低い男のモノだった。

会長と呼ばれたその男は感謝を述べるが、松重は当然の事だと返す。

 

「そんな、気にしないで下さいよ。自分は与えられた仕事をこなしただけですから」

『……お前には、世話になってばかりだな』

「いえいえ。いつも先頭に立って暴れる会長のフォローに比べたら、この程度の仕事は安いもんですよ」

『む……』

 

痛い所を突かれたのか会長が僅かに言い淀む。

しかし、松重に言わせれば今回の事は日常茶飯事である。

 

「今回の件だって、最初は会長がご自分で行くって聞かなかった」

『……兄弟の身が危ねぇって時に、指をくわえて見てる訳には行かねぇだろう』

「えぇ。だから俺が行く事になったんです。俺ならまだ会長よりは顔が割れてませんからね。変に構成員を向かわせて下手を打たれるよりはずっと良い」

 

会長にとって今回のこの作戦は決して失敗できない最重要任務だった。

自分が行けないにしても半端な奴には任せたくない。

そんな会長の想いを汲み、松重は自ら作戦の参加に立候補したのだ。

 

「会長。貴方が義理人情に厚いのは分かってますが、今の貴方は決して少なくない構成員を抱える極道組織の長なんです。貴方に万が一の事がありゃ、俺達は瓦解しちまいます。」

『…………』

「十年ぶりに娑婆に出た兄弟を想うのは分かりますが、こんな事はこれっきりにして貰わねぇと。俺達は命がいくつあっても足りません」

『……あぁ。分かってる』

 

若頭代行である松重が、会長であるはずの電話の男に対して意見を述べる。

上の人間を絶対とする筈の極道組織としてはかなり珍しい光景だが、その風通りの良さ故に上の人間は組織内の不和や問題点を見つめやすい言う利点もある。

松重のいる組織にとって正義とは必ずしも力がある事では無く、道理や筋を通した者もまた正義として見なされるのだ。

 

「こっちは間もなく到着します。会長も出迎えの準備をしていて下さい」

『あぁ、分かった』

 

松重は電話が切れたことを確認すると、携帯電話を胸ポケットにしまいこんだ。

追っ手の有無を確認した今は、ハンドルをしっかりと握り安全運転を心がける。後部座席で眠る男は会長にとっての大事な客人であり兄弟分なのだ。万が一の事があってはいけない。

 

(10年越しに娑婆から出て来たら自分の兄弟が東城会と袂を分かってた……か)

 

松重は以前からこの客人についてよく聞かされていた。

頭がキレて物事を円滑にこなせる器用さと、根っこに会長に負けない程の熱さを持っていると。

そんな人間が十年越しに今の会長と再会すれば、果たしてどうなるか。

 

(……会長室付近の警備を増やしておくか)

 

絶対にタダでは済まない。そう考えた松重は警備の数を増やす事を決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着きましたよ、錦山さん」

「あ……?」

 

松重の車の中で仮眠を取っていた俺は、運転席からの声で眠りから覚めた。

嶋野との喧嘩で身体中のあちこちが痛むが、少しだけ休めたおかげで疲労に関しては問題なさそうだ。

 

「ここは何処だ?」

「神奈川県横浜市。関東桐生会の本部前です」

「横浜か……」

 

横浜と言えば、桐生の出身地だったはずだ。

アイツからすれば故郷の地に本拠地を置いた事になる。

 

「さ、降りてください」

 

俺が手を触れるよりも前に車のドアが開く。

外にいた若い衆が開けてくれたようだ。

 

「あ、あぁ……」

 

松重に言われるがまま車を降りた途端、俺は目の前の光景に面食らった。

 

「こ、これが……関東桐生会……!」

 

そこにあったのは要塞のような外観のデカい建造物だった。

全盛期の堂島組本部にも似たその威容は、関東桐生会が決して弱小組織では無い事を如実に現している。

そして、開け放たれた門の奥には何人もの若衆が待機していた。

 

「お疲れ様です!」

「「「「「お疲れ様です!!」」」」」

 

その全員が俺に向かって一斉に頭を下げてくる。

東城会に居た時でさえ、こんなにも大勢の人間に出迎えられた事はない。

 

「どうです?錦山さん。これが、関東桐生会の本部です」

「あぁ……すげぇ組織だな」

 

100人は下らない黒服の構成員達に頭を下げられる中、俺は松重の後に続く形でその後ろについて行く。

まるで大幹部のような扱いを受けることに戸惑うが、俺は直ぐに姿勢を正した。

今頭を下げているこの連中は、俺の事を自分達をここまで躾てきた主人の兄弟分だと思っている。ナメられる訳には行かない。

 

「さぁ、もうしばらく俺について来てください」

「分かった」

 

施設内に入り、俺はその豪華な作りの内装を見て目を丸くした。

 

「結構、豪華な感じなんだな。無頓着なアイツの事だから、中はもっと殺風景かと思ってたぜ」

「仰る通り、会長も最初は内装に拘らない人でした」

 

ですが、と松重は付け加える。

 

「会長はこの関東桐生会を立ち上げてからというもの、見栄にも気を配るようになったんです。ヤクザは見栄を張ってなんぼだ、と貴方に言われたと言っていましたよ」

「……そういえば、そんな事を言った気もするな」

 

それを最初に言ったのは確かバブルの頃だったはずだ。

もうかなり昔の事になるが、律儀に覚えてる所もアイツらしい。

 

「さ、この階段を登った先が会長室です。お互い積もる話もあるでしょうし自分はここで待ってますから、ごゆっくりどうぞ」

「あぁ……世話になったな、松重さん」

 

ここまで送り届けてくれた松重さんに俺は頭を下げ、桐生が待つという会長室に続く階段を上がった。

 

(もうすぐ、桐生に会える……)

 

会長室を前にして俺の中には今、ふたつの感情が渦巻いている。

十年越しに再会出来る喜びと何故こんな事になったのかという疑惑。全部含めて、聞きたいことや話したい事が山のようにある。

 

「お疲れ様です。錦山彰さんですね?」

「あぁ、そうだ」

 

会長室前の護衛が俺の姿を認めて頭を下げる。

護衛は扉をノックして俺が来た旨を伝えてから、ゆっくりとその扉を開けた。

意を決し、足を踏み入れる。

 

「桐生……?」

 

一瞬。

俺は目の前の男が桐生である事に気付かなかった。

纏っている空気が10年前とは明らかに違う。

ギラギラした雰囲気こそあったがその中にも優しさや暖かさみたいなものがあったはずだが、目の前の男から放たれているのは触るもの皆傷付けるようなピリピリとしたものだ。

本来追い込みをかける時にしか出さないようなものが、全身から滲み出ている。

着ている服がいつものグレーのジャケットでは無く、ダークグレーのダブルスーツになっている事や、胸元まで開けていた筈のワインレッドのYシャツは胸元が閉じられ、黒のネクタイを締めている事もそこに拍車をかけていた。

 

「久しぶりだな……錦」

 

しかし聴き馴染んだ渋い声が俺の耳朶を打ち、目の前の男が桐生だと確信する。

声音の中に優しさがある、あの時の桐生そのものだった。

 

「桐生……!」

 

俺は部屋の奥に座る桐生の元へと歩み寄り、桐生もまた椅子から立ち上がって俺に近付いてくる。

やがて俺たちの距離が一定まで近付いた。互いの拳が届く範囲だ。

 

「桐生、お前には言いたい事や聞きたい事が山ほどある。でもな、まずこれだけは答えろ」

「……なんだ?」

「お前……風間の親っさんと東城会を裏切って組を割ったって話、本当なのか?」

「……」

 

その問いに桐生は顔を俯かせ、何かを堪えるような表情を浮かべる。重い沈黙が会長室を包み込み、やがて桐生が目を見て答えた。

 

「…………あぁ、本当だ」

「ッ!!」

 

直後。

俺は右の拳を思い切り振り抜いていた。

 

「ぐっ……!」

 

鈍い感触と共に、桐生が一歩後ろへと退る。

幼少の頃から過ごしてきた俺たちは殴り合いの喧嘩をする事も良くあったが、今の拳は今まで振るった中で一番気分のいいものじゃ無かった。

 

「とりあえず一発だ。悪く思うなよ」

「っ…………あぁ」

 

口元を拭いながら、桐生が俺に向き直る。

どうやら、どんな事になっても言い訳をしない所は変わっていないらしい。

 

「さぁ、何があったか聞かせてもらうぜ兄弟。こっちは十年ぶりの娑婆だってのに元堂島組から狙われるわ、お前が裏切ったと聞かされるわ、目の前で親っさんが撃たれて東城会から目の敵にされるわで散々なんだ。いい加減スッキリさせてくれよ」

「…………錦」

「あぁ?」

 

桐生は俺の目を真っ直ぐに見た後、腰を直角に曲げて俺に頭を下げた。

 

「頼む。今回の一件、お前は関わらずに手を引いてくれ」

「は……?」

 

言っている意味が分からず困惑する俺に桐生はこう続けた。

 

「風間の親っさんからどこまで聞いているかは分からねぇ。だが俺が組を割った事も、今の関東桐生会も、由美や優子の事も、全て俺の問題なんだ。お前まで巻き込むわけにはいかねぇ。この一件は俺が必ず全てにケジメを付ける。だからここは俺に預けて、錦は手を引いてくれ」

 

俺の内側で、かつて無いほどの感情の奔流が迸る。

心拍数が上がり、理性的な部分が失われていく。

そして。

 

「……ざ、……んな………」

「錦……?」

 

そのあまりの傲慢さに俺の怒りは爆発した。

 

「ふざけんなって言ったんだよ馬鹿野郎がァ!!」

 

俺は頭を下げる桐生の髪を掴んで持ち上げると、先程の比にならない全力の一撃を顔面に叩き込んだ。

 

「ぐぁ……っ!」

 

後ろに大きく仰け反り、組長机にもたれ掛かる桐生。

俺はそんな桐生の胸ぐらを掴みあげると、額を擦り付ける勢いで顔を近づけた。

 

「テメェ……しばらく会わねぇ内にどんだけ出世したんだ?あ?俺とはもう住む世界が違うってか?何様のつもりだコラァ!!」

「錦……っ」

 

九年前。桐生から優子が助かったと聞いた時、俺は生きる希望を取り戻す事が出来た。

それから出所までの間、桐生の隣に立ちたい一心で己に地獄の鍛錬を課していたのだ。

今度は俺が、桐生の力になる為に。

それなのに桐生は、そんな俺を遠ざけようとしている。

 

「何でもかんでも一人で背負い込みやがって!お前にとって俺はそんなに頼りねぇか?俺達は兄弟じゃ無いって言いてぇのか!?」

「違う!俺はただ……もうカタギになったお前を巻き込みたくねぇだけだ!」

「それが独りよがりだって言ってんだよ!お前に心配される程、俺はヤワな男じゃねぇ!!」

 

力になりたいと願っていた兄弟に情けをかけられる。

男として、桐生一馬の兄弟分としてこれほど惨めな事があるだろうか?

 

「言ったはずだぜ桐生。俺は一生、お前に付き纏ってやるってな!!」

「錦……!」

「俺が今までどれだけお前って男を間近で見てきたと思ってんだ?お前が風間の親っさんを裏切ったのだって、訳があってやったに決まってる。お前はいつだって利己的に動くような人間じゃねぇ。誰かの為に怒って悲しんで、それでも前に進む。そんな男だ!」

 

そうだ。

俺は桐生一馬という人間をよく知っている。

いつだってバカ正直で、不器用で義理堅くて、己の信じた道をひたすら真っ直ぐ進み続ける。

そんな男が何の事情も無しに渡世と育ての親を裏切る訳が無い。たとえ天地がひっくり返ってもそれだけはありえないのだ。

 

「そう言った事情も全部ひっくるめて俺に言え!手を引くにも、首突っ込むにも、まずはそこからだろうが!スジの通らねぇ真似してんじゃねぇぞ、兄弟……!!」

「錦……」

 

自分だけでどうにか出来ればそれで良い。周囲に迷惑は掛けたくない。

それはきっと桐生が持つ優しさであり男気なのだろう。

だが、コイツは"頼られない苦しみ"と言うのを分かってない。

ただの雑務なんかじゃなく、ここ一番って時に頼って貰えない苦しみを。

ましてや、共にこの世界に足を踏み入れた唯一無二の兄弟分にだ。

 

「お前がそうやって勝手な真似するってんなら、俺も勝手にさせて貰うぜ。徹底的に首を突っ込んでやる」

「…………」

「それが嫌だってんなら全部話せ。その上で俺を説き伏せてみろ。それがスジってもんだろうが。違うか?」

 

理由はどうあれ、風間の親っさんに弓を引いたのは悪い事だ。だが、それでも俺は桐生の敵になるつもりは無い。

話を聞いた上で、もしも間違った道に進もうとした過程でそうなった事が分かれば、これ以上進ませないために全力でぶん殴って止める。それだけの事だ。

 

「……あぁ。お前の言い分はもっともだ」

「だろ?それなら」

「断る」

「あ!?」

 

桐生はそう言って胸ぐらを掴む俺の手首を掴み返した。

まるで万力で押し潰されるかのようなパワーに圧倒され、俺の握力が奪われていく。

 

「ぐ、くっ……桐生、お前……!」

 

やがて俺の手は桐生の胸ぐらから完全に離れ、引き剥がされた。

掴まれていた右手首が痛みと痺れを発し、力が上手く入らない。

 

(な、なんて力だ……!!)

 

先程戦った嶋野と同等。

もしくはそれ以上のパワーを肌で感じ、俺の身体がコイツには勝てないと警告を発する。

桐生がその気になれば、俺は即座にねじ伏せられてしまうだろう。

これが"堂島の龍"。

俺が憧れ、超えたいと願った極道の頂点。

 

「スジが通らねぇ事は百も承知だ。それでも……これだけは譲れねぇ」

 

そこで俺は思い知る。

俺と桐生は、決して対等なんかでは無い事に。

鍛えていたとは言え、俺は所詮何の肩書きも無い勤め上げのしがないチンピラ。

対して桐生は東城会を相手に一触即発の状態になっておきながら、尚も潰されない程の屈強さを持つ極道組織のトップ。

格が違うどころの話じゃない。完全に月とスッポンだ。

 

「お前だけは、巻き込む訳にはいかねぇんだ……!!」

 

そんな男が。

俺とは歴然とした格の差のある男が破門されて既に極道ですらない俺に対し、渡世の兄弟分と言うだけで頭を下げ、ましてや二回も殴られる事を許容している。

あまりにも十分すぎる譲歩と言えた。

 

「だから頼む。錦。何も聞かずに、手を引いてくれ……!」

「桐生…………」

 

桐生は再び頭を下げる。

こんな所をここの構成員に見られたらたまったものでは無い。

絶対に関東桐生会からも目の敵にされてしまうだろう。

そして、桐生が穏便でいる内に首を縦に振らなければ俺は瞬く間に制圧され言う事を聞かざるを得なくなる事は容易に想像できた。

 

(どうする……?)

 

一旦引き下がるか。それとも無理を承知で我を通すか。

俺の中で天秤が揺れ動く。

しかし、俺の葛藤は長くは続かなかった。

 

「ん……?」

 

桐生の机に置いてあった固定電話がコール音を鳴り響かせたのだ。

姿勢を戻した桐生は、直ぐに受話器を取る。

 

「俺だ………分かった。すぐに行く」

 

電話に短く応え、桐生は受話器を置く。

すると足早に会長室を出ていこうとした。

 

「待てよ桐生。何があった?」

「俺に緊急の来客だ。錦、お前はここで待っててくれ!すぐに戻る!」

「お、おい桐生!」

 

桐生はそれだけを告げると足早に部屋を出て行ってしまった。

高価な絨毯や調度品のある会長室に俺だけが一人取り残される。

 

「クソっ……なんだってんだ…………」

 

独りごちる俺の視界に、あるものが目に映った。

それは、桐生の使っていた組長机の上にある写真立てだ。

倒れている所を見るに、さっき俺が桐生を殴った時にアイツがもたれかかったせいだろう。

 

「……」

 

俺は何気なくその写真立てを手に取って、向きを表向きにする。

するとそこには見覚えのある写真が一枚飾ってあった。

 

「これは……!」

 

映っていたのは三人。

学ランを着た二人の少年の肩を組むように、スーツ姿の壮年の男が立っている。

俺と桐生。そして、若い頃の風間の親っさんの写真だった。

 

「桐生…………」

 

その写真を見て俺は確信する。

桐生は、決して風間の親っさんを裏切りたかった訳じゃない。

ただ、そうせざるを得なかった"何か"があったのだ。

 

(だったら、尚更引く訳にはいかねぇだろうがよ!)

 

俺は写真立てを机に立てると、踵を返して会長室を出た。

傲慢な兄弟に、俺の意思を伝える為に。

 




如何でしたか?
原作ではもっと後半になる二人の再会ですが、本作においてはこの段階で再会します。
完全に原作には無い展開なので、今後が読めない方もいらっしゃるのでは無いでしょうか。

次回もお楽しみに


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関東桐生会

最新話です。
横浜といえば、あの男ですよね。
登場します。ご期待ください


神奈川県横浜市。

外国貿易の為に開かれた港町の一つであり、その昔は日本を代表する程の都市として名を馳せるほどに栄えた場所でもある。

中華街や観覧車等と言った観光名所が立ち並び多くの人が往来する大きな街だ。

そんな横浜の地に、ここ数年で根を張った極道組織がある。

その名は"関東桐生会"。

関東一円をその支配下に置く広域指定暴力団"東城会"の中で、"堂島の龍"と呼ばれ恐れられた伝説の男"桐生一馬"が旗揚げした組織で、現在は東城会を離脱して組織を独立。

ここ横浜に本拠地を置き、その裏社会で活動しているヤクザ集団である。

そして、横浜郊外にある関東桐生会の本部は今、例年に無いほどの緊張状態に陥っていた。

 

「……」

「……」

 

黒っぽいスーツ姿の集団と白が多いものの様々な色のチャイナ服を着た集団が、関東桐生会の本部前で睨み合っている。

黒服集団が関東桐生会の構成員達で、色服集団がそんな関東桐生会を訪ねて来た集団だ。

色服集団は総勢で約30人に対し関東桐生会の構成員はおよそ100人。

その数の差は火を見るよりも明らかだが、色服集団側は一歩も引く様子を見せない。

それどころか、全員が隙を見せたら一矢報いる気満々の好戦的な目付きをしていた。

 

「すいません、今大事な客人が来ているんです。また後日にはして頂けませんか……?」

 

黒服集団の先頭に立つのは関東桐生会の若頭代行を務める松重だ。彼は色服集団の先頭に対してお引き取り願うように投げかける。

口調こそ穏やかだが全身からは気迫が滲み出ており、その目は油断なく相手を見据えている。

 

「ホウ、大事な客人?アナタ方の存続よりも大事なのですカ?その人物ハ」

 

しかし、色服集団の先頭の男は恐れ戦くどころか逆にそれを煽ってみせた。

白を基調としたチャイナ服を身に纏い、長い黒髪を後ろで束ね、髭面の顔に傷を付けたその男はこの色服集団のトップであり最強の実力者でもある。

 

「……そいつぁ、どういう意味ですか?ラウさん」

 

蛇華(じゃか)日本支部総統。劉家龍(ラウカーロン)

蛇華は中国に本拠地を置くマフィア組織だが、ここ日本では横浜中華街を中心にシノギを拡大している。そんな蛇華の日本支部における総統を務めるこの男はその圧倒的な強さで組織をのし上がった叩き上げのエリートで、中国武術の達人である。

並のヤクザでは全く歯が立たない所か、たった一人でこの人数差を覆しかねない程の実力を秘めている。

彼はその自信が故に一歩も引きはしないのだ。

 

「言葉通りの意味だガ?アナタのようなザコに用は無イ。早くキリュウカズマを呼んで来た方が身の為デスヨ?」

「……あんまり、日本のヤクザをナメんなよ?チャイニーズ風情が」

「アナタこそ身の程を知った方がイイ。俺にかかればアナタなど三秒で料理出来マス」

「そいつぁこっちのセリフだぜラウさん。アンタ、日本語は達者だが礼儀がなってねぇらしい……俺がここで教えてやろうか?」

 

互いに一歩も引かぬ舌戦で、空気が段々と張り詰めていく。

そこへ一人の男が到着した。

 

「やめろ、お前ら」

 

ダークグレーのスーツに赤シャツと黒ネクタイ姿のその男こそ、関東桐生会の会長。桐生一馬その人だった。

桐生の一言で松重以外の全員がすぐさま道を開けて、会長である桐生に頭を下げる。

 

「会長……」

「待っていましたヨ、キリュウサン」

 

振り返る松重と、ようやく話が出来ると肩を竦めるラウ。

桐生は松重の前に立つと、真っ向からラウを見据えた。

 

「ラウカーロン。何しに来た?」

「決まっていマス。"最後通告"デス」

 

対峙した桐生に対し、ラウは堂々とそう言ってのけた。

 

「最後通告だと?」

「アナタ方がここでシノギをしていられるのハ、ワタシたちが今まで手心を加えてあげていたカラに過ぎナイ。ですが、アナタ方はそれを勘違いしてのさばり始めてイル。アナタ方が新参者の分際デ身を弁えナイからコチラからわざわざ出向いて上げたのデス」

 

ラウの目的は横浜一帯からの関東桐生会における全組織の撤退。つまりこの地域から彼らを追い出す事にあった。

 

「こっちはこっちのシマでシノギをしているだけだ。アンタらのシノギを邪魔した覚えはない。因縁を付けられる筋合いは無いんだがな?」

「そういう問題では無いのデスヨ。我々がシノギを広げるのに、アナタ方に居られちゃ迷惑だと言っているのデス。我々の方がこの地で根を張ってイル歴史は長イ。外様の人間は出てイクのが当然だと思いまセンカ?」

 

あくまでも自分達のシマの中でシノギをしていると主張する桐生だが、ラウの目的は因縁を付けることではなく追放する事にある。

両者の意見は食い違う一方だ。

 

「勝手な理屈を捏ねられちゃ困るな。シノギが頭打ちなのはそっちの都合だ。俺達が出て行かなきゃならねぇ理由は無ぇ」

「ソウデスカ……キリュウサンとは知らない仲じゃナイ。穏便に済ませている内に決断して欲しかったのデスガ……!」

 

決着の付かない押し問答に苛ついたラウは、全身から殺気を滲ませる。

その顔は、一秒後にでも"死合う"つもりの顔だ。

 

「あぁ、確かに知らない仲じゃない。俺が東城会にいた頃、取引に来た俺に毒を盛って拷問した挙句に殺そうとしてくれた仲だ。そう言えば、あの時の借りもまだ返していなかったな……?」

 

そして桐生もまた全身から闘気を発する。

完全に臨戦態勢に入った二人から迸る殺気と闘気がぶつかり合い、その場の緊張感が更に高まる。

 

(総統の殺気……凄まじいモノダ。ここまでの殺気を感じたのはいつ以来ダロウ……!)

(会長のあの目……()る気だ。完全に相手を潰す事しか頭にねぇ……!)

 

限界まで張り詰めた空気に息を飲む両陣営の構成員達。

もはや全面戦争は避けられない。数秒後にこの場所は血みどろの戦場に成り果てるだろう。

しかし、そこに待ったをかける者が現れた。

 

「おいおい!俺を差し置いて何勝手に話を進めてんだよ!!」

 

重苦しい静けさの中で響いたその声はその場の者全員の耳に届き、その注目を一手に集めた。

声を上げたのは上下を黒スーツで固め、髪をオールバックに撫でつけた一人の男。

 

「俺にも聞かせろよ」

 

ほんの数時間前に三代目会長の葬儀中に東城会本部で暴れ回ったその男ーーー錦山彰は、元堂島組の構成員にして桐生一馬の渡世の兄弟分だ。

 

「錦……!」

「誰ダ、貴様」

 

会長室で待っているはずの錦山が現れた事に驚愕する桐生とは対照的に、ラウは突如現れた謎の人物に困惑と不快感を隠そうとすらしない。

錦山はそんなラウを無視し、桐生に話しかけた。

 

「お前の言っていた来客って、コイツらの事か?」

「あぁ、そうだ。危ねぇから離れてろ、錦」

「ほーう……兄弟は、俺との久しぶりの再会よりもこんな中国マフィア共と一緒にいる方を選んだ訳か」

 

錦山のその発言でラウは合点がいった。

松重や桐生の言っていた大事な来客の正体は、この男なのだと。

 

「成程、アナタでしたカ。関東桐生会に訪れていタ客人と言うのハ」

「だったら何だって言うんだ?」

「見ての通リ、我々は今大事な話をしてイル。関係の無い奴は引っ込んでもらおうカ」

 

そう言われた錦は大人しく引っ込むどころか更に二人へ近づくと、桐生とラウの間に割って入ってみせた。

そしてラウの顔を真正面から見据えて言い放つ。

 

「それはこっちのセリフだ。俺はさっきまで桐生と話してたんだ。分かるか?こっちが先約なんだよ」

「何ダト?」

「テメェらこそお呼びじゃねぇんだ。俺の話が済むまで引っ込んでろよ、弱小マフィアが」

 

膨れ上がった殺気が充満する中での明らかな侮辱。

堪忍袋の緒が切れたのか、ラウの両隣に側近として控えていた二人の構成員が一斉に錦に襲いかかった。

 

「錦ぃ!!」

 

思わず親友の名を叫ぶ桐生。

しかし、その時既に闘いは決着していた。

 

「シッ、シッ!」

 

歯の間から息を吐き出し、鋭い呼吸と共に繰り出された左右のフック。

それがそれぞれのマフィアの下顎を的確に撃ち抜いていたのだ。

脳震盪を起こして意識を失い、その場に昏倒する二人の構成員。

 

「はっ、思った通りの弱小ぶりだな。この程度で桐生に喧嘩売るとは、命知らずもいい所だ」

 

瞬く間に仲間を無力化された蛇華の構成員達が戦慄する中、錦山は更に煽ってみせる。

ラウは表情を一切変えず、殺気だけを膨らませながら錦山に問いかけた。

 

「この二人は私の弟子ダ。決して弱くはナイ……貴様、何者ダ?」

「ほう?コイツらがアンタの弟子か。まるで歯応えが無かったぜ?こりゃ師匠も大した事無さそうだな」

「……まあイイ。理由はどうあれ、我々の組織の人間に手を出したのダ。これがアナタ方の答えと言う訳ですネ?」

 

煽るだけで真っ当に取り合わない錦山を無視し、ラウは桐生に対して意思の確認をする。

しかし、そこで錦山は待ったをかけた。

 

「おいおい勘違いすんなよ。俺はただの来客として来た勤め上げの堅気だ。関東桐生会の人間は手を出しちゃいねぇよ」

「……そんな言い訳が通用するとデモ?」

「言い訳なんかじゃねぇさ。そもそもな、テメェらなんかわざわざ関東桐生会が相手取るまでもねぇんだよ」

 

そこで錦山は、今まで表出させていなかった闘気を剥き出しにした。

その眼光を猛禽類のように鋭くさせて、ラウを睨み付けて堂々と言ってのける。

 

「これ以上俺と桐生の時間を奪うってんなら…………俺一人でお前ら全員潰してやるぞ?それでもいいか?蛇華日本支部総統 ラウカーロンさんよ?」

「ホウ、俺ガ誰だか分かった上デここまで啖呵を切るとハ……面白イ」

 

錦山の威嚇を受けたラウは不敵に笑うと、漲らせていた殺気を引っ込めた。

 

「キリュウサン。この男に免じて今日はこれで失礼するヨ。だが……次にカチ合った時ハ、容赦はしなイ。覚えておくんだナ」

「……望む所だ」

 

ラウはそれだけを告げて踵を返すと、関東桐生会の本部から離れていった。

後ろの構成員達も、昏倒したマフィア二人を担ぎあげてそれに続く形で去っていく。

 

「ふぅ……何とかなったぜ」

「錦……お前、なんて無茶をしやがる……!」

 

闘気を収めて肩の力を抜く錦山に桐生は詰め寄った。

そのあまりの無謀さに一言物申す為だ。

 

「これで分かっただろう?俺が相手にしているのは東城会だけじゃない。今の俺達に関わったらお前も……!」

「無茶ぁ?お前今無茶っつったのか?」

「え?あ、あぁ…………」

 

桐生が頷いた直後、錦山は腹を抱えて笑い出した。

錦山にとってその発言があまりにも可笑しかったからだ。

 

「ぷっ、くくっ、くははっ、あっはっはっはっは!!」

「何がおかしい……!?」

「だ、だってよぉ……お前が人に対して"無茶"ってか!?くっ、くくっ……!」

 

そこで錦山は関東桐生会の構成員達に向き直り、彼らに大声でこれを共有する。

 

「なぁ、聞いたかよ!?よりにもよって桐生は!お前らのボスは人に対して"無茶すんな"って言いてぇんだとよ!全く、どの口が言ってんだって話だよなァ!?」

 

そして。

先程まで殺し合い寸前の只中にいた構成員達は錦山のその一言で緊張が途切れた。

その途端。

 

「「「「「あっはっはっはっはっは!!」」」」」

 

構成員達はタガが外れたように一斉に笑い出した。

瞬く間に周囲が爆笑の渦に包まれる。

 

「こいつぁ傑作だぜ錦山さん!間違いねぇ!」

「誰よりも真っ先に突っ込む会長の方がよっぽど無茶してますよ!」

「さっすが会長の兄弟分だ!よく分かっていらっしゃる!」

 

構成員達が一斉に会長の発言の揚げ足を取って笑うこの光景。本来の極道組織としては有り得ない状況だ。

上の人間を絶対のルールとし、それに従う事で統制が取れるのが本来のヤクザ集団。

跳ねっ返りの多い極道を束ねるのには威厳を持って押さえ付けなければならないのが常だが、関東桐生会の場合はそうじゃない。

関東桐生会における正義とは力ある者よりも、道理や筋を通す者なのだ。

故に、いちばん無茶なことをするはずの桐生が人に対して無茶をするなと言う道理の通らない発言をしたら、揚げ足を取られても仕方が無い事になる。

 

「お、お前ら……!」

 

それでも本来は組長にそんな事など言えるわけが無い。

筋や道理が通ってなかろうが、上の言ったことが絶対。

それが極道社会における本来のルールだ。

しかし、桐生はそう言った筋の通らない理不尽を何よりも許さない。

故に彼は"筋を通す事"を尊ぶルールを定め、力と同じくらい道理が優先される組織を作った。

その結果、部下と幹部の間における上下関係を維持したままの円滑な交流が可能となるコミュニティを形成する事に成功し、部下から絶大な支持を受けているのだ。

これは関東桐生会の人間が皆、桐生一馬の強さよりも人柄に惚れているという事に他ならない。

 

「やっぱりな。桐生の部下なら分かってると思ったぜ」

「錦、お前なんで……?」

「言っただろ?俺はお前って男を間近で見てきたってな。組織のトップに立ったお前は"上にふんぞり返るのでは無く他の誰よりも身体を張るべきだ"なんて思ったんだろ?結果、誰よりも先頭で突っ走る暴走組長の出来上がりって訳だ」

 

自分が殺られた瞬間に組織が瓦解する。

そんなリスクなど知ったことかと言わんばかりに誰よりも身体を張り、先陣を切って突っ走る。

馬鹿正直で義理堅く、ひたすら真っ直ぐ突き進むしか能がない。だが、その行動全てに"華"がある。

それこそが桐生一馬。東城会の中で伝説とまで呼ばれた男の生き様なのだ。

 

「自分らのトップが誰よりも大暴れしてるんだ、下の奴らはきっと気が気じゃ無かっただろうと踏んでみた訳が……結果はご覧の通りだな」

「……ちっ」

 

軽く舌打ちをする桐生だったがその態度には先程までの必死さはない。兄弟に一本取られてぐうの音も出ない男の、せめてもの抵抗でしか無かった。

 

「桐生、もう一度言うぜ。この一件、俺は絶対に降りねぇ。お前がスジを通さずに我を通すって言うなら、俺も我を通させてもらう。だが、お前がスジを通すならこっちも考えてやってもいい。手始めに……コイツだ」

 

そう言って錦山は懐から一枚の封筒を取り出した。

何も書かれていない無地の封筒は、一見しただけでは何なのか分からない。

 

「これは?」

「風間の親っさんからの預かりもんだ。あの人はお前が組を割った後もずっと、お前の事を考えてたんだよ」

「親っさん……」

 

桐生は錦山からその封筒を受け取り、中身を確認する。

そこにあったのは一枚の書状。

 

「これは……」

「なんて書いてあるんだ?」

 

達筆な文字で書かれたその内容は、東城会との盃事の提案が書かれた嘆願書だった。

詳しい日付と日時と場所が記されており、東城会側の媒酌人や見届け人の名前までもが指定してある。

 

「親っさんは……関東桐生会と手打ち盃を交わしたいらしい」

 

手打ち盃とは、極道同士の抗争がこれ以上激化し双方に甚大な被害が出ないために行われる盃の事だ。

その盃を以て双方の争いを決着させ、抗争を終わらせる。いわゆる終戦協定である。

 

「ほう。お前が腹に何を抱えてるかは知らねぇが……少なくともそれが、親っさんの意思って事だな」

「…………」

「どうする気だ?桐生」

 

長い沈黙の末、桐生は答えを出した。

 

「……断る。俺達は東城会と袂を分かったんだ。今更後には退けねぇ」

 

桐生の出した決断は否だった。

今の桐生は東城会に対する強い拒絶感があり、それは関東桐生会の面々も同じなのだろう。

言葉にこそしないが、皆が皆無言で頷いている。

 

「……そうか、そっちの事情は分かった。でもよ、風間の親っさんから託されたこれを命懸けで守り抜いてここまで持ってきた俺には何にも無しなのか?」

 

目の前で育ての親が撃たれた挙句に犯人扱いを受けて東城会中の極道から目の敵にされる中、錦山は決死の覚悟で葬儀場から脱出してこれを桐生に届けたのだ。

自分にここまでさせておいて何の見返りも無いのは筋が通らないと錦山は主張する。

 

「これは親っさんの意思に従ってお前が勝手に持ってきたもんだ。俺が望んだわけじゃねぇ」

「いいや?俺はその書状を"風間の親っさんのからの預かり物"とは言ったがお前に渡す為に持ってきたとは言ってねぇぞ?それをさも当然のように受け取って中を確認したのは桐生じゃねぇか?それはお前が中身を見たいと望んだからなんじゃねぇのか?」

「……だとしても、それを持ってきたからと言って俺に有利に働きはしない」

「そんな事はねぇだろ?その盃を受けるにしても蹴るにしても、相手方が関東桐生会をどう思っているかは伝わったんだ。お前の打つ次の一手が何であれ、決断を下すための立派な判断材料にはなったんじゃねぇのか?」

「…………」

 

言い負かされた桐生が押し黙ってしまう。

彼はこういった交渉事には非常に疎く、現在に至るまでそう言った交渉事は若頭代行の松重に任せていたのだ。

 

「お前が俺を関わらせたくねぇのはよく分かった。だがそうなると俺としても自分とは関わりのねぇ関東桐生会にとって有益な情報を、わざわざタダでは提供する訳にはいかねぇんだがな?」

「……いくらだ?」

「俺が欲しいのは金じゃねぇ……それくらい分かるだろ?兄弟」

「くっ……」

(会長……やはり交渉事にあの人は立たせちゃダメだな……)

 

内心で頭を抱える松重をよそに、錦山は交渉を有利に進めていった。

 

「ガッツリ全部に関わらせろとは言わねぇ。ただ俺にも、これに見合った情報があっても良いんじゃねぇか?」

「……分かった。なんの情報が欲しいんだ?」

 

観念した桐生がそう言うと、錦山は真剣な顔で答えた。

 

「親っさんと別れる寸前、あの人は俺にこう言ってた。優子と100億を頼むってな」

「100億?何の話だ?」

 

聞きなれない単語に桐生が首を傾げる。

数年前ならともかく、現在は東城会の関係者でない桐生が知らないのは当然と言えた。

 

「東城会の金庫から100億が抜かれていたらしい。知ってたか?」

「いや、初耳だ」

「そうか……なら、優子の事を教えてくれ」

 

錦山優子。

桐生の手によって心臓の病から救われた錦山の妹。

錦山が出所してからというもの、彼は妹が何処にいるかも分からず連絡する手段も持ち合わせていなかった。

 

「お前が助けた女だ。どこで何してるかくらい知ってるだろ?」

 

そして今、その妹が東城会の消えた100億と関係している可能性がある。誰よりも妹の幸せを願っていた錦山としては、この事態をそのままにする訳にはいかないのだ。

 

「……すまん、錦。実は俺も優子の行方を探していたんだ。どこにいるかはまだ分かってねぇ」

「なんだと?」

「だが、手掛かりはある」

 

そう言うと桐生は胸ポケットから一枚の写真を取りだした。

そこには一人の女が映っている。

 

「コイツは?」

「神室町でホステスをやっている女だ。名前は美月。この女がお前の妹……優子の居場所を知っているって情報が入ったんだ」

「なんだって!?」

 

映っているのは銀髪のショートヘアと胸元にある花の刺青が特徴の女性。

繁華街である神室町においてホステスはそれこそ星の数ほどいるが、これ程特徴的であれば探しようはあると言える。

 

「俺やウチの連中は、今や神室町に入ることは許されねぇ。だから錦。お前はその写真の女を探してここに連れて来てくれ。その時は俺も腹を括って全てをお前に打ち明ける。どうだ?」

「……分かった。約束だぜ?」

「あぁ」

 

錦山は桐生の手から写真を受け取るとポケットにしまい込み、そのまま関東桐生会の門を出た。

 

「見送りは結構だ。女の居所が掴めたら連絡するよ」

「あぁ……またな、錦」

「おう、またな桐生」

 

短く告げ、錦山は関東桐生会本部から去っていった。

錦山の小さくなっていく背中を見て、桐生はそばに居る松重に声を掛ける。

 

「一応、錦が横浜を出るまでは人を付けて見張っておいてくれ。蛇華相手にあれだけの啖呵を切ったんだ、何が起きてもおかしくねぇ」

「分かりました会長。おう、お前ら解散だ!持ち場に戻れ!!」

「「「「「はい!!」」」」」

 

松重の号令と共に黒服の構成員達がそれぞれ散り散りになっていく。松重が監視の手配を電話でするのを横目に、桐生は既に見えなくなりそうな錦山の背中を見つめる。

 

(お前も変わったんだな……錦)

 

十年という時間は非常に長く、色々な事に変化を及ぼす。文化や常識、法律などもそうだが人もまた同じだ。

この十年間で自分自身に大きな変化を感じていた桐生だったが、自分の親友もまた同じだと実感した。

 

(あの蛇華を相手に真っ向から喧嘩を吹っかけるなんて……昔の錦なら絶対にやらなかったはずだ)

 

己の信念と感情に素直に動く桐生に対し、常に慎重で冷静な立ち回りを重視していた錦山。

先程の行為はそんな昔の彼からは想像も出来ないほど好戦的で、ともすれば無謀とすら言える程の暴挙だ。

しかし、彼はそれを見事にやってのける所か、蛇華のリーダーであるラウの直属の兵隊を瞬く間に打ち倒してみせたのだ。

あの啖呵は決してただの大口では無い。

自信と経験に裏打ちされた、純然たる彼の実力そのものなのだ。

 

(もしかしたら……)

 

危険な目に巻き込むまいと彼を遠ざけようとした桐生だったが、その心配も無いのかもしれない。

そして、もしかしたらもう一度。

あの頃のように二人で一緒に出来るかもしれない。

しばしの間そんな事を考えながら、桐生は錦山が向かっていった方向を見つめ続けるのだった。

 




如何でしたか?

横浜でシノギをする以上、蛇華との接触は避けられません。
この一悶着が果たして今後どのように影響するのか……


次回はついにあの男が登場します。お楽しみに


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真実を追う刑事

最新話です

サブタイトルを見てピンと来た方も居るんじゃないでしょうか?

そう、あの人です。


横浜の関東桐生会本部を出て神室町へと戻ってきた俺は、真っ先にスターダストへ立ち寄った。

一輝に対しての状況報告や整理もそうだが、服を預かって貰ったままと言う訳にも行かないからだ。

俺は店のバックヤードにあるシャワー室を借りて整髪料を落として元の髪型に戻し、預かって貰っていた白いジャケットに袖を通す。

 

「錦山さんの服は、誠に勝手ながらクリーニングにかけさせて貰いました。肩のあたりも一部破けていたので補修してあります」

「何から何まですまねぇな、一輝」

「いえ、気にしないでください。それよりも……大変でしたね、錦山さん」

 

一輝には今日起こった大半の出来事を話していた。

葬儀場に潜入したは良いが目の前で風間の親っさんが撃たれた事。犯人扱いされて命からがら脱出した事。

俺を助け出したのが桐生の手下で、その後に横浜で兄弟と再会した事。

一日で起きていい出来事の量と質じゃないのは明白だ。

 

「全くだよ……そういや、新藤からは何か連絡はあったか?」

「いえ、新藤さんからは何も……どうやら今日の一件でバタついているようですね」

 

それを聞いて俺は酷く納得した。

何せ東城会三代目の葬儀で大暴れし、東城会系ヤクザをほぼ全て敵に回したのだ。今頃東城会は大騒ぎになっているだろう。

それに新藤は、元堂島組の構成員達で組織された直系任侠堂島一家の若頭だ。

親殺しの俺を血眼になって探さなければならない立場である以上、下手に俺と接触する訳には行かないはずだ。

 

「そうか……無理もねぇな」

「風間さん……ご無事だと良いんですが……」

 

一輝は親っさんをすごく心配している。

この店を立ち上げる時から世話になっているのだ、無理も無いだろう。実際の所、俺も心配で仕方が無い。

 

「親っさんが撃たれたのは肩だった。出血もあったが、少なくとも急所じゃない。救急車が間に合ってれば一命は取り留めてるはずだ」

「そう、ですか……」

 

だが、いつまでも立ち止まっている訳には行かない。

風間の親っさんは俺に大事なものを託してくれた。

なら俺はそれを守る為に行動するだけだ。

 

「一輝、この女知ってるか?」

 

俺は一輝に、桐生から渡された美月の写真を見せた。

 

「美月って名前のホステスだ。訳あって今、この女を探してる。心当たりは?」

「……いえ、初めて見る方ですね。それに神室町はホステスが沢山いますから、絞り込むのは骨が折れるかと」

 

どうやら一輝も見た事が無いらしい。

神室町でナンバーワンのホストクラブのオーナーなら知っていると思ったが、どうやら事はそう単純では無いみたいだ。

 

「そうか……まぁ、当たり前か」

「お力になれずにすみません……一応俺たちの方でも調べてみます。何か分かったらお伝えしますので、定期的に店に顔を出して頂けると嬉しいです」

「分かった。ありがとよ一輝、またな」

「えぇ、いつでもお待ちしています。錦山さん」

 

俺は一輝に礼を言ってから店を出た。

時刻は既に二十時を過ぎ日は完全に落ちきっている。

神室町が本来の姿を曝け出す時間帯だ。

 

「っ、………………!」

 

ふと、俺は誰かの視線を感じて振り向いた。

周囲には人の往来があるばかりで、特に怪しい奴はいない。

だが確かに、俺は誰かの視線を感じていた。

 

(間違いねぇ……誰かに見られてる…………)

 

刑務所にいた頃、周囲の受刑者や刑務官からの視線に曝される事が多かった俺は、自然と人に見られる事に敏感になっていた。

横浜を出る時も周囲からの視線を感じた俺は、わざわざ人気のない所へ赴いてその視線の主を誘い出したくらいだ。

 

(まぁ、観念して出てきたのは桐生が付けてた見張りの構成員達だったんだけどな……)

 

その時は見張りは要らない旨をその連中に伝えて帰らせた。

つまり、今感じている視線は少なくともその連中では無いという事になる。

 

(どうする……?)

 

視線の主が必ずしも友好的である保証は無い。それどころか、俺をマトにかけた東城会の奴らである可能性の方が高いのだ。

わざわざ人気のない場所へ行って危険に曝されれば目も当てられない。

だが、このままでは手がかりを探す所では無いのも事実。向かった先でどんな目に遭うか分かったものじゃないからだ。

 

(やるしかねぇか……!)

 

覚悟を決めた俺は天下一通りを右に曲がった裏通りへと入っていく。

中道通りへ続くこの道のちょうど真ん中には、児童公園がある。よく焚き火をしたホームレスがたまり場に使っている場所だ。

しかし、俺の目的地はそこじゃない。

 

(ここだ)

 

そのちょうど向かい側に一つの空き地がある。

人目が無いこの場所は、多くのヤクザが裏取引やヤキ入れ等に使う穴場スポットなのだ。

俺はその空き地へと足を踏み入れ、視線の主に対して呼びかけるように言った。

 

「出てこいよ!尾けて来てんのは分かってるんだぜ……!」

 

四方をビルに囲まれたこの空き地は、出入口が俺の入ってきた路地しかない。

つまり俺がここにいる以上、俺を監視して尾行して来た奴は追跡を諦めない限りはそこから姿を現すしかないのだ。

 

「ほう……俺の尾行に勘づくとは大したもんだ」

 

そして程なくしてその人物は姿を現した。

 

「あ、アンタは……!?」

 

ベージュのロングコートに、少しだけ白髪の混じった頭髪。

歳を喰った感じはあるものの、桐生に似た真っ直ぐな瞳はあの時と変わらない。

 

「出所二日目にして東城会本部で大乱闘……中々派手にやるじゃねぇか?」

「伊達さん!」

 

伊達真。

十年前の堂島殺しを担当していた、俺にとって因縁浅からぬ刑事がそこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町はアジア最大の歓楽街として世界的に有名な場所だ。賑やかな人々に、街を彩るネオン街。

欲望剥き出しの人間達が集うこの場所は基本的に活気に満ち溢れている。

だが、そんな場所でも静かに酒を飲める場所はある。

それが神室町の中央近くに存在するバー"バッカス"だ。

今日この日、"酒の神"の意味を持つこの店を貸切にし、二人の男が密談を交わしていた。

 

「風間が?」

「あぁ……無事かどうかもまだ分からねぇ……」

 

10年前に堂島組長殺害の容疑で逮捕され殺人の罪で服役していた元極道。錦山彰。

そんな錦山の起こした事件を担当していた刑事。伊達真。

社会的に相反する二人が同じ店で酒を飲む。異様とさえ言える光景だった。

 

「だが、その"100億"と"優子"……奴はお前に何を伝えようとしていた?」

「……それが分かってたらここまで苦労しちゃいねぇよ」

「ふん、確かにな」

 

伊達は錦山と合流した後、詳しく話を聞かせるよう言ってきた。

仮出所して早々に警察の世話になる訳には行かない錦山はこれを一度は拒絶したが、署への任意同行を迫られてしまい従わざるを得なくなり、現在に至る。

 

「伊達さん……なんで俺からこんな話を聞くんだ?こう言うヤクザ絡みってマル暴の仕事だろ?捜査一課のアンタが出る幕じゃねぇハズだが……」

 

そう聞かれた伊達は嘆息すると、懐から一枚の名刺を取り出して錦山に見せてきた。

【警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第四課 警部補 伊達真】と記載されている。

 

「俺がその"マル暴"……第四課の人間だからだよ」

「なんだって?」

 

十年前に伊達が所属していた警視庁捜査一課は、殺人や強盗等といった緊急性の高い強行犯罪を担当する部署だ。凶悪犯罪と直に接触することが多い為、よくドラマや映画の題材にも使われている。言わば刑事にとっての"花形"。エリート集団と言っても良いだろう。

対して第四課……通称"マル暴"が担当するのは組織犯罪。つまり極道を相手にした仕事をする警察官達の事で、ニュース等でヤクザの事務所を家宅捜索する姿などが一般的と言えるだろう。

元極道関係者で東城会本部で大立ち回りをした錦山は、今の伊達にとって最優先で接触するべき人物だったのだ。

 

「10年前の堂島殺し……俺ぁ、上の意向を無視して突っ走って……結果、今は一課を下ろされてつまらねぇヤクザの相手してる。お前と同じ、今じゃ組織の鼻つまみ者だ」

「そうだったのか……」

 

伊達真と言う男は真実を追わなければ気が済まない人間だ。

神室町で起こる殺人事件がいかに多くとも、彼はその正義感が故に目の前で事件が適当に処理されるのを黙っていられなかったのだろう。

 

「娘と女房も愛想を尽かして出ていった。お前に関わったおかげで、人生が狂ったんだ」

「……恨み言なら聞かねぇぞ?事件を追っかけたのはアンタの意思だ」

「そうかい……っ」

 

伊達はグラスに注がれた酒を一息に呷ると、錦山の目を見て問いかけた。

 

「だったら答えろ。10年前のあの事件……本当はあの場にもう一人誰か居たんだろう?」

「!」

 

核心を突かれて一瞬動揺する錦山だったが、すぐに表情を正す。今更になって桐生に疑いの目を向けさせる訳にはいかないからだ。

 

「取り調べの時にお前も聞いていたハズだが、現場からは複数の拳銃の弾丸が確認されている。だが線状痕を確認出来たのはお前の持っていた拳銃の弾だけだ。上はそれだけでお前を犯人だと断定し事件を処理したが……お前が真犯人の持っていた拳銃を持って自首したと考えれば辻褄は合う。となれば、真犯人を知ってるのはソイツを庇ったお前だけだ」

 

伊達の言う通り、結果的に本当に堂島組長を殺したのが誰かを知っているのは錦山だけだ。

しかし、錦山は当然それを喋るつもりは無い。

 

「……その事件はもう終わった事だろう?俺はその実刑を受けてこうして出所してきた。仮に伊達さんの言うように真犯人が本当に居たとして、今更そいつを暴いた所で何になる?」

「あの事件は俺の中で終わっちゃいねぇんだ!俺は納得出来ねぇ……当時何の役職も持っちゃいなかったお前が、いきなり組長殺しなんぞする訳ねぇ!」

「…………何度聞かれても答えは同じだ。あの時堂島組長を殺ったのは、この俺だ。何があってもこの事実は揺るがねぇよ」

「…………はぁ」

 

頑なに認めない錦山の態度に、伊達はため息をついた。

 

「まぁいい。どの道、今の一件を追ってればお前が庇ってる"真犯人"にも行き着くかもしれんからな」

「は?どういうこった?」

 

伊達はボトルに入った酒をグラスに注ぎ、錦山をここまで連れて来た"本題"に入る。

 

「俺は今、三代目の世良の殺しを追っている。そして、今俺たちの捜査線上に浮上してきたのが、コイツだ」

「っ!?これって、まさか……!」

 

差し出された写真を見て錦山は驚愕した。

そこに映っていたのは、数時間前まで自分が顔を合わせていた兄弟分。桐生一馬の写真だったからだ。

 

「関東桐生会初代会長、桐生一馬。お前の兄弟分だ、知らない訳じゃねぇだろう?」

「兄弟が……世良会長を……?」

「今、桐生は世良殺しの最重要人物だ。なにせ東城会と関東桐生会は一触即発の冷戦状態だ。何があってもおかしくねぇ」

「嘘だ、絶対に有り得ねぇ!兄弟が……桐生がそんなことする筈ねぇ!」

 

否定する錦山だが、伊達は狼狽えた錦山の隙を見逃さない。

 

「何故そう言い切れる?東城会から分裂するように組織を独立させた男だぞ?」

「アンタらこそ考えが甘過ぎるんじゃねぇのか?敵対してる組織の親玉の所に直接向かって殺しに行くなんて、そんなもん鉄砲玉の仕事だろうが!トップがやる事じゃねぇだろう!」

「だからそれを確かめる為にお前から話を聞こうとしたんだ。お前が葬儀での騒ぎの後に関東桐生会に行って桐生と接触してたのは裏が取れてる」

 

そこで伊達はもう二枚の写真を取り出す。

東城会本部前で錦山が車に乗り込む瞬間の写真と、関東桐生会の本部前でその車から錦山が降りる写真だ。

 

「これは……!?」

「本来、あの葬儀の時にお前に助け舟を出そうとしてたのは俺だった。だが、どこぞの極道者に先を越されてな。咄嗟に写真を撮った後にふと思ったよ。"この状況でお前に助け舟を出そうとする組織はどこのどいつだ?"ってな」

 

そして伊達はその組織を風間組か関東桐生会のどちらかに絞った。

すぐにその写真を元に神奈川県警に協力を仰いで関東桐生会の本部前にカメラを構えた捜査員を配備させ、自分は風間組事務所付近を張り込んだのだ。

結果、伊達の張り込んだ風間組事務所は予想が外れ、神奈川県警の捜査員が張り込んだ関東桐生会本部前で二枚目の写真が撮れたと言う寸法なのだ。

 

「喋って貰うぞ錦山。俺たち第四課が追っている重要人物とほんの数時間前に会っていたお前なら何か有力な情報を持っている。必ずな」

「そうかよ…………だったらその目論見は見当違いだぜ」

「なに?」

 

錦山はそう言うと慣れた手つきでタバコに火を付ける。10年ぶりに娑婆に出てきて最初のタバコだが、話が話だけに錦山はそれを酷く不味く感じていた。

 

「桐生は確かに組を割って組織を独立させた。だが、その本質は十年前と何も変わっちゃいねぇ。あいつは今でも、義理堅くて真っ直ぐな目をした……俺が憧れた極道そのものだった」

「……」

「それに、伊達さんが今言ったように関東桐生会は東城会と事を構えてる。今のアイツやアイツの部下達は世良会長を殺すどころか神室町に足を踏み入れる事すら出来ねぇ」

 

情報を欲する錦山に桐生が美月の情報を与えたのも、自分達の代わりに見つけて欲しいからだ。

もし桐生が神室町に入ることが出来るのであれば回りくどい事をする必要は無い。

故に、桐生が世良を殺すのは逆説的に不可能という事になる。

 

「賭けてもいい。アイツは殺ってねぇよ」

「……そうか。随分と桐生を庇うんだな?」

「兄弟が殺しの濡れ衣を着せられるかもしれねぇってのに黙ってられる訳ねぇだろう」

「なるほど、それじゃお前は十年前もそうやって桐生の事を庇ったのか?」

 

伊達の真っ直ぐな瞳が錦山を射抜く。

その瞳は、10年前に錦山が桐生に似ていると称していた輝きを宿していた。

 

「…………何が言いてぇんだ?」

「10年前の堂島殺しの真犯人は、お前の兄弟分。桐生一馬なんじゃねぇかと俺は踏んでいるって事だ。あの時、桐生は組を立ち上げる寸前だった。"堂島の龍"の異名を持ち、堂島組を支える大幹部になる男の未来を、自分から罪を被って庇ったとすれば辻褄は合う。今のお前みたいにな」

「ふん……くだらねぇ想像だ。付き合ってられねぇぜ」

 

嫌気が差した錦山はタバコの火を消し、席を立った。

踵を返して店を出ようとする錦山を伊達が止める。

 

「待てよ錦山。俺の意見に賛同しろとは言わねぇが、俺が追ってる三代目の事件には手を貸してもらうぜ」

「は?なんで俺がアンタなんかと手を組まなきゃいけねぇんだ?」

 

苛つきを隠さずに言う錦山に対し、伊達は毅然とした態度で返す。

 

「東城会の100億が消え、三代目会長が殺された。そして、葬儀での騒ぎの中心に居たのはお前……事件は動き出したんだ。錦山彰の出所を待っていたようにな」

「……」

「風間が言っていた"100億"と"優子"……このヤマは必ず何処かで繋がっている。お互い、協力した方が良いんじゃねぇか?」

 

伊達の提案に戸惑う錦山。

当然だが、勤め上げのチンピラよりも現役警官の方が捜査能力は上だ。錦山一人では届かない部分にも手が届くかもしれない。

だが同時に錦山が今回の騒動の関係者である以上、錦山にとって都合の悪い部分への追求もあるだろう。

一長一短。錦山にとってこの申し出は素直に了承しかねる提案だった。

しかし、ここで伊達はダメ押しをしてきた。

 

「もしお前がここで断るのなら、捜査四課は神奈川県警と連携して桐生の逮捕に動かさせてもらう。桐生が犯人にしろそうじゃないにしろ、奴の身柄を抑えて吐かせりゃ済む話だからな」

「俺がそんな事を許すと思うか……?」

「それが嫌なら協力しろ。お前の協力の結果、桐生が犯人じゃねぇ事が分かれば俺らもそんな事をする必要は無くなる。他県の警察に頼むのも楽じゃねぇんだ」

「……ちっ、仕方ねぇ。わーったよ」

 

乗せられたのが癪に障る錦山だが、桐生の為に要求を飲み込む。

協力を取り付けた伊達は不敵に笑うと、錦山にあるものを渡してきた。

 

「よし、交渉成立だな。ほら、これ持ってろ」

「あ?なんだこれ……!?」

 

錦山は受け取った"それ"を見て驚愕する。

掌に収まる程の大きさの機械で、小さい画面とアンテナ。そして複数の記号や番号が記されたボタンが羅列している。

錦山はその番号の羅列に見覚えがあった。

 

「これって……もしかして"電話"か!?」

「あぁ。今じゃガキでも持ってるんだぜ?」

 

それを聞いて錦山は思い出す。

出所したばかりの頃、神室町に向かう道中の電車内でポケベルに似た機械を手に持っていた人々がいた事を。

 

(これがあの時の……まさか電話が持ち歩けるようになってるなんて……!)

 

今までのポケベルによる連絡方法が嘘のような、革命的発明。

錦山は改めて自分が10年前に取り残された人間であることを思い知らされた。

 

「使い方は分かるか?」

「あ、あぁ……なんとなくな」

「よし、俺は100億を探ってみる。お前は優子の方の調査だ。何かアテはあるのか?」

「とりあえず、馴染みの店に行ってみる。天下一通りのセレナって店だ」

「そうか……何かわかったことがあったら連絡しろ。俺の番号はその携帯に入ってる」

「……分かった」

「それじゃあ頼むぜ。ありがとなマスター、もう店開けていいぜ」

 

貸切にして貰っていたマスターに礼を告げ、伊達は店を出る。

取り残された錦山は手に残った携帯電話を見つめながら独りごちた。

 

「やれやれ……妙な事になっちまったな……」

 

出所したての元ヤクザとマル暴の現役刑事。

まるで正反対なこの二人は後に神室町で名の通ったコンビになるのだが、この時の錦山は知る由もなかった。

 




という訳で、如くシリーズの影のヒロインでお馴染みの伊達さんでした。
桐生の相棒ポジションとして長年様々な事件に関わっていく彼ですが、今回も例に漏れず関わって頂きます。


次回はいよいよ"あの子"が出てきます。
お楽しみに


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来店

最新話です

錦にはあの子との邂逅の前に、あの人とも再会してもらいましょう。




神室町天下一通り。

眠らない街と言われる神室町において、大きなアーケードが人目を引くこの通りは言わば神室町の玄関口と言っても過言じゃない。

キャバクラ、ホスト、居酒屋、バー、風俗店、街金やヤクザの事務所等、他のどの通りよりも神室町という街を体現する上で必要なものが全て揃った場所だ。

そんな通りのちょうど真ん中あたりに、その店はあった。

 

(セレナ……いよいよ入る時が来たな)

 

十年前、俺が最後に酒を飲んだ店。

桐生と由美、そしてこの店のママである麗奈と過ごした思い出の場所だ。

本当は真っ先に立ち寄るつもりでいたが、東城会系ヤクザの邪魔が入った影響で後回しにしていた。

 

(ホントは近付かない方が良いのかもしれねぇけどな……)

 

数時間前の騒動の影響で、俺は神室町中のヤクザから目の敵にされている。

風間の親っさんが撃たれて、マル暴の伊達さんまで出張ってきた今回の一連の事件。おそらく相当根が深い。

麗奈を関わらせるのは気が引けるが、流石に東城会も大っぴらにカタギに迷惑をかけはしないだろう。

それに、ホステスの事はホステスに聞くのが一番だ。

 

「行くか……」

 

意を決してエレベーターのボタンを押す。

乗り込んだ機械仕掛けの箱は、程なくして俺をセレナへ連れていく。

見慣れたドアを開けると、入店を知らせるベルが鳴った。

 

「っ……!」

 

十年前と同じ内装と僅かに流れるジャズの音楽。

あの頃と変わらないセレナの姿がそこにあった。

そして、バーカウンターにいた女性と目が合う。

 

「いらっしゃい、ま……せ…………!」

 

白シャツ姿のその女性を、俺は一日たりとも忘れた事は無い。

あれから十年経っているはずなのに、その美貌は少しも変わっていなかった。

 

「錦山、くん……!?」

「あぁ……俺だ、麗奈……!」

 

口許を抑えて驚く麗奈の瞳に涙が溜まっていく。

それを見た俺の目頭にも、段々と熱いものが込み上げてきた。

 

「錦山くん……!!」

 

バーカウンターから出た麗奈が、俺に駆け寄って抱き着いて来た。

 

「錦山くん……帰ってきてたのね……!」

「あぁ……いきなり来ちまって、驚かせちまったな」

「本当よ、全く!いきなり逮捕されて十年も刑務所に行って……私達がどれだけ心配してたか……!!」

 

俺の腕の中で感極まる麗奈を見た俺の視界も、段々と滲んでいく。

刑務所の中では帰る場所などあるわけが無いと腐っていた時期もあったが、決してそんな事は無い。

麗奈はこうして10年もの間、立派にこの店を守り抜いて俺の帰りを待っていてくれたのだ。

 

「心配かけて、ごめんな……麗奈……」

「はぁ……いいわ、許してあげる。さぁ錦山くん、座って座って!」

 

涙を拭った麗奈がバーカウンターへと戻り、俺を席に座るよう促す。

俺はそれに従い、いつも俺が座っていた席へと腰を下ろす。

 

「変わらねぇなこの店は……雰囲気が穏やかで、気兼ねなく落ち着ける」

「錦山くん、何か飲むでしょ?」

「そうだな……本当は飲みに来たわけじゃねぇんだが、十年ぶりのセレナだ。いい酒を頼むぜ」

「分かったわ」

 

麗奈は慣れた手つきでロックグラスとアイスボールを用意すると、未開封のブランデーの封を開けた。

琥珀色の液体がゆっくりとグラスに注がれていく。

 

「お、この銘柄……!」

「そう、錦山くんが好きな銘柄。いつ帰ってきても良いように必ず仕入れてたのよ?」

「気が利くなぁ、麗奈」

「えぇ。十年間も人に心配かけさせる誰かさんと違ってね」

「だから、そりゃ悪かったって……」

「ふふっ、冗談よ。はい、お待ちどうさま」

 

そして俺の前に出されたのは、服役前に愛飲していたブランデーだ。

麗奈もまた、同じ酒を自分のグラスに注いで用意する。

 

「それじゃあ改めて。錦山くん、お帰りなさい!」

「あぁ……ただいま、麗奈!」

 

軽くグラスを合わせて乾杯し、グラスに口を着けた。

華やかで気品のある香りが鼻を抜け、喉と食道がアルコールで熱を帯びる。

 

「はぁ…………っ!」

 

ため息と同時に思わず涙が零れる。

十年ぶりにセレナで飲むお気に入りの酒と過ぎ行く時間。

俺はここに来て、初めて娑婆に帰って来れた事を実感した。

 

「なに錦山くん?そんなに美味しかった?」

「あぁ……何せ十年ぶりのセレナで飲む酒だ……この旨さ、誰にも分かりゃしねぇ……!!」

「あらあら。錦山くん、ちょっと涙脆くなったんじゃない?」

「否定出来ねぇなぁ、それ」

 

麗奈と軽口を叩き合うその時間すらも、懐かしく尊い。

幸せな時を噛み締めるが、いつまでも浸ってはいられない。

 

「麗奈、今日はお前に聞きたい事があったんだ」

「聞きたい事?」

「あぁ、実は……」

 

そこで俺は、今まで起きたことを簡潔に話した。

そして、風間の親っさんと桐生の事を。

 

「そう、風間さんが……」

「あぁ……親っさんは別れる寸前、俺に"優子"を頼むって言ってたんだ。それに、由美も行方が分からねぇ……二人について何か知らないか?」

 

麗奈は顔を俯かせると、少し言い難そうに話し始めた。

 

「まず、順を追って説明するわね。由美ちゃん、事件があったあの日を境に記憶を失っていたの。自分の名前も思い出せない程にね」

「そう、か……」

「驚かないの?」

「あの時はあまりにもヤバい状況だった。トラウマになっても不思議じゃねぇさ」

 

ある日いきなりヤクザに攫われて強姦されそうになった挙句、拳銃の撃ち合いを伴う殺人事件に巻き込まれたのだ。

きっと、ただのカタギのホステスだった由美にとってその出来事は一生残る心の傷になったに違いない。

 

(思えば、事件のあったあの時も意識が朦朧としていたな……)

 

拳銃の音を聞いたのだって初めてだったハズだ。

あの時のショックが由美の心に強くトラウマを植え付け、それらの記憶を思い出さないために記憶を封じてしまったのだと考えれば辻褄は合う。

 

「そしてその一年後、錦山くんの妹の優子ちゃんが海外での手術に成功する。これは錦山くんも知ってるよね?」

「あぁ。桐生が面会に来て教えてくれたからな」

 

あの時の事は、今でも昨日のように思い出せる。

優子が生きている事を希望とし、俺は十年の刑期を乗り越える事が出来たのだ。

 

「その後の桐生ちゃんはすごく順調そうだった。たまに大きな揉め事はあったみたいだけど、その度に全部を解決させて、自分の組織を大きくしていったの」

 

そこまでは、風間の親っさんに聞いた通りの話だった。

シノギも回って組織も拡大し、全てが順調だったと言う。

 

「事件からしばらくして由美ちゃんの記憶も戻って、優子ちゃんもリハビリを終えて海外から帰国した。本当に何もかもが上手くいっていたの。でも……五年前のクリスマスを境に、桐生ちゃんはぱったりと神室町から姿を消したわ。由美ちゃんと優子ちゃんもね」

「由美と優子も……?」

「うん。そして、そのちょっと後に桐生ちゃんの組が東城会から抜けて分裂したってニュースで見たの。その頃には桐生ちゃんの連絡先も変わってて私から連絡する事は出来なかった。たまにお店の様子を見にシンジくんや風間さんが来てくれた事もあったけど、その件に関しては断固として話してくれなかったのよ」

「そうだったのか……」

 

シンジや親っさんが麗奈に何も打ち明けなかったのは納得が出来る。

麗奈の行動力と性格からして、もし事情を知ってしまえば自ら事件の渦中に飛び込んでしまいかねない。

あの二人はきっと、麗奈を極道のゴタゴタに巻き込まない為に打ち明けなかったのだろう。

 

(五年前のクリスマス……きっとそこで"何か"が起きたんだ。桐生が東城会を裏切って、風間組を割るほどの何かがな……)

 

その真相はきっと、桐生の口から語られる事になるだろう。

俺が桐生から与えられた情報を元に、約束を果たせたのなら。

 

「麗奈。もう一個聞かせてくれ」

「なに?」

「俺は今、この女を探しているんだ。心当たりはあるか?」

 

ここで俺は、桐生から受け取った美月の写真を麗奈に見せる。

すると麗奈の顔が一瞬のうちに驚きに染まった。

 

「これ、美月ちゃんじゃないの……!」

「知ってるのか、麗奈?」

「えぇ。桐生ちゃん達が神室町から居なくなってしばらくした後にこのお店に訪ねて来たの。彼女、"澤村由美"の妹ですって言ってた」

「なんだって!?」

 

今度は俺が驚く番だった。

由美に妹がいた。そんな事実は、昔から一緒に過ごしてきた俺も知らなかった事だ。

 

「その話、本当なのか?」

「うん。でも、妹がいた事は由美ちゃん自身も知らなかったはずよ。由美ちゃんだけ、生まれて直ぐに生き別れになったんですって」

「そうだったのか……」

 

それを聞いて俺は納得した。

俺の知ってる由美は、お茶目な所もあるが基本的に淑やかで清純な女だ。

胸元に花模様の入れ墨を入れるような行動は、由美の妹らしくないと思っていたが、生まれて直ぐに生き別れたのであれば育ってきた環境だって違うハズだ。

決して不思議な事じゃない。

 

「で、その美月は今どうしてるんだ?」

「それが詳しくは分からないの。美月ちゃん、ちょくちょくここに顔出してくれてね。そのうち、由美ちゃんがいたこの店で働きたいって言ったの」

「雇ったのか?」

「えぇ……不器用でおっちょこちょいだったけど、健気で頑張り屋さんだったわ。結構人気だったのよ?」

「ふっ、そうだな。俺も飲んでみたいくらいだ」

 

その時の光景を思い出しているのか、麗奈は薄く笑う。

胸元にある墨とその真面目な姿勢がギャップを生んだのだろう。

もし俺が娑婆に残っていたら、きっと一緒に飲んでいたに違いない。

 

「美月ちゃん、ここで四年くらい働いてたんだけど 去年急に自分のお店を持つ事になったの。お店の名前は……"アレス"」

「アレス……場所は分かるか?」

「オープンしたら知らせてくれることになってたんだけど、まだ連絡無いのよ。こっちから連絡しようにも、連絡先変わっちゃってるみたいで……」

「そうか……」

 

決定的な手がかりは無かったが、多くの情報を得る事が出来た。

これはかなりの進歩と言えるだろう。

 

「ありがとよ、麗奈。おかげで分かった事が増えた」

「ううん、大丈夫…………ねぇ、錦山くん」

「ん?」

 

麗奈の顔が曇る。

その顔には不安と恐怖が見え隠れしていた。

 

「錦山くんは、今回の事件に関わる気なの?」

「……あぁ。美月を連れて桐生の元に行けば、アイツも何があったのか全て話してくれるってよ。五年前のクリスマスに何があったか、麗奈も知りたいだろ?」

「それは、そうだけど……」

 

俯いて口篭る麗奈を見て、俺は思った。

きっと麗奈は、俺を心配してくれているのだ。

十年経ってようやく娑婆に出れた矢先に、危ない目に遭うかもしれない俺の事を。

 

「大丈夫だ、麗奈」

「え……?」

 

俺は麗奈の目を真っ直ぐに見て言った。

心配性な敏腕ママを安心させてやる為に。

 

「俺はこの十年……桐生の隣に立ちたい一心で自分を鍛え続けて来たんだ。そう簡単にくたばりゃしねぇよ」

「でも……!」

「それに、関わりたくなかったとしても東城会は今更俺を放っておかねぇだろう」

 

堂島組長殺害の容疑で逮捕された瞬間から、俺は"親殺し"という決して消えることの無い十字架を背負う羽目になった。

元堂島組を主体にした任侠堂島一家をはじめとした東城会の下部組織の大多数から、俺は決して良く思われていない。

その上、今回の三代目の葬儀で乱闘騒ぎだ。俺はもう、今更どう頑張っても引き返せない所まで来てしまっている。

 

「俺は必ず美月を見つけ出して桐生の所へ行く。そしてアイツから何があったのかを聞き出して、今回の一件にケリを付けてやる」

 

だったら、前に進むしかない。

脇目も振らず我武者羅に。己の信じた道を貫き通す。

 

「そんで全部終わらせた暁には、またここで酒を飲もうぜ。俺と麗奈。そして桐生と、由美。ついでに優子も一緒にな!」

 

生きる事は逃げない事。

逃げずに立ち向かって進んだ先にある幸せを掴み取る為に、俺は前へと進み続ける。

その為の覚悟を、俺は麗奈に態度で示した。

 

「本気、なのね……?」

「あぁ、当たり前だ」

「……分かったわ」

 

俺の覚悟が麗奈に伝わったのか、彼女は更に有益な情報をくれた。

 

「錦山くん、ミレニアムタワーって知ってる?五年前に建てられた……」

「ミレニアムタワー……あぁ、確か昔"カラの一坪"があった場所に建ってた、あのバカでかいビルだよな?」

 

かつて、その一坪を巡って地上げの争奪戦が堂島組内部で起きるほどの価値を持っていた"カラの一坪"。

最終的にその土地は先日亡くなってしまった三代目の世良会長が率いていた日侠連の手に渡り、世良会長主導の元に大規模な再開発が行われた。

その結果建てられたのが、あの大きなビルという訳だ。

 

「そのタワーの裏に、小さなバーがあるの。マスターは飲食店の元締めみたいな人よ。新しい店が出来たら、必ずマスターに連絡が行くわ。"アレス"の場所も、きっとね」

「そのバーの名前は?」

「"バッカス"よ」

 

それを聞いた俺はすぐに思い立った。

何故ならその店は、先程まで伊達さんといた店だったからだ。

あそこのマスターなら、アレスの場所を知っているかもしれない。

 

「分かった、恩に着るぜ」

「また来てね錦山くん!私に出来ることなら、いくらでも協力するから!」

「おう、またな麗奈!」

 

俺は麗奈に礼を言うと、足早にセレナを出た。

手繰り寄せた手がかりを、自分のものにする為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山が再びバッカスの前に戻ってきたのは、およそ30分経った後だった。

ここのマスターが、由美の妹の店である"アレス"の場所を知っているかもしれない。

入り口のドアノブに手をかける錦山だが、ここである違和感に気づいた。

 

(ん……?なんか、静か過ぎねぇか……?)

 

キャバクラや居酒屋と違い、バーは静かに酒を飲む場所である。故に、本来であれば静かな事は別におかしい事では無い。

だが店の前に立ってもなお、客の僅かな話し声はおろか店内の音楽すら聞こえて来ないのは異常と言える。

 

(貸切は解除して普通に営業をしているはず……なのに、なんでBGMすら聞こえて来ねぇんだ……?)

 

何やらきな臭い雰囲気を感じた錦山は、静かにドアを開けて店内に足を踏み入れる。

直後、錦山は息を飲んだ。

 

「な…………っ!?」

 

人が、死んでいた。

カウンターに突っ伏した女性。

テーブルにもたれかかった男性。

そして、先程まで伊達さんと話をしていたマスター。

三人のいずれもが、物言わぬ死体と成り果てていたのだ。

 

(なんなんだよ、これ……何が起こってんだ……!?)

 

血の匂いが充満する店内を、細心の注意と最大の警戒を以てゆっくりと進んでいく。

生存者、もしくはこの事態を引き起こした犯人がまだ店内に潜んでいるかもしれないからだ。

 

(銃創……ここにいる連中は全員、チャカで殺されてる……!!)

 

そして、不幸な事にその犯人は拳銃を所持している可能性が非常に高い。

もしも丸腰の錦山が狭い店内で犯人と鉢合わせた場合、彼に生き残る術は無いだろう。

 

「ぁ………………」

「っ!?」

 

そして、錦山の耳に僅かに人の声が聞こえた。

店内の一番奥。カウンターの下が発生源だった。

 

(誰だ…………?)

 

生存者か、それとも犯人か。

いずれにせよ、迅速に行動出来るように身構えながら、錦山は更にゆっくり奥へと進んだ。

そして、ついに声の主をその視界に捉える。

 

(子供……!?)

 

白いパーカーを着た、10代にも満たない年頃の幼い少女。

その身体は恐怖で震え、少女の小さな手には似つかわしくない一丁の拳銃が握られていた。

 

「あ……あ……あっ!」

 

錦山はすかさず拳銃の銃身を上から掴んで、自らに銃口が向かないようにする。

少女の目を真っ直ぐに見つめ、錦山は問いかけた。

 

「何が、あったんだ?」

「わ、私が来たら……みんな……みんな……もう……」

 

少女は今にも泣きそうな顔をしてそう答えた。

 

「何しに、ここへ?」

 

錦山は内心でパニックになっている少女を刺激しないよう、ゆっくりと短い言葉で質問する。

 

「お母さん、探して……私 色んなとこで、聞いて……」

「そっか…………俺は、錦山。錦山彰だ。君の名前は?」

 

名前を聞かれた少女は、恐る恐るそれに答えた。

 

「は……遥……」

「遥ちゃんだな。よし、とりあえずここを出よう。話はそれからだ」

「うん……」

 

錦山は少女の名前を聞くと、手を差し伸べた。

しかし、遥と名乗ったこの少女が錦山が関わろうとしている一連の事件の鍵を握っている事を、この時の彼はまだ知らなかった。

 

 




如何でしたか?

次回は断章です。
お楽しみに


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断章 1995年
命の値段


最新話です。

桐生ちゃんは桐生ちゃんのまま、一人の女性の運命を変えるべく足掻きます


1995年11月1日。

堂島組長射殺事件から実に一ヶ月が経ったこの日、桐生一馬は東都大学医学部付属病院に足を運んでいた。

と言っても彼自身は至って健康で、怪我や病気等は一切ない。

彼がここに足を運んだ理由はただ一つ。

桐生の渡世の兄弟分、錦山彰の妹の容態について相談を受ける為だった。

 

「日吉先生……優子の容態はどうなんだ?」

 

優子の手術を担当していたのは、第一外科の日吉という男だ。

桐生は担当医であるに日吉に率直に問うが、日吉からの返答は歯切れが悪かった。

 

「正直、芳しくありませんね。手術こそ成功しましたが、あくまでも延命のための治療なので根本的解決には至りません。かくなる上は、臓器移植を施すしか……」

「臓器移植?」

「えぇ。悪くなった優子さんの心臓を、別の健康的な心臓に取り替えるんです」

 

臓器移植とは、悪くなった部分の臓器を摘出し、ドナーから新しい臓器の提供を受け移植を施す治療法である。

近年注目を集めている最先端医療の一つだ。

 

「それをすれば、優子は助かるのか?」

「えぇ。ですが、それを実行するには様々な問題がありまして……」

「どういう事だ?」

 

莫大な治療費がかかる事はもちろん、ドナー提供の順番待ちがある事を日吉は語った。

そもそも臓器提供をしてくれるドナーが健康体である場合は非常に少なく、登録されているドナーのほとんどがもう助からない患者である場合が多い。

自分がもう生きていけないのであれば、せめて臓器を必要としている人間に出回って欲しい。

そういった想いから提供される臓器は大変貴重であり既に予約でいっぱいになっているケースがほとんどであると言う。

 

「予約をしたとして、移植を受けられるのは何年先になるか……」

「それじゃ、優子には間に合わないって言うのか?」

「……残念ですが、非常に厳しいかと」

 

桐生は非情な現実に歯噛みをする。

このままでは優子は助からない。

もしも優子が死んでしまったら、錦山はきっと心の支えを失ってしまうだろう。

肉親が無事である事が、獄中にいる彼のせめてもの頼りなのだ。

それを自分の不手際で失わせる訳には行かない。

 

「日吉先生、何か手は無いのか?このままじゃ、俺は兄弟に会わせる顔が無ぇ」

「…………一つだけ、方法が無いわけではありません」

「本当か?」

 

日吉が提案してきた"方法"。

それは、確実に裏社会に足を踏み入れたものだった。

 

「臓器ブローカーをご存知ですか?」

「……聞いた事くらいはある」

 

臓器ブローカーとは端的に言えば人間の臓器を売買、またはその売買を斡旋する業者及び個人の事を指す。

ドナーを待てない患者のために、そういった者たちから臓器を購入する事で、順番待ちを介さずとも臓器移植を受ける事が出来るという寸法だ。

 

「私からそういった仕事をしている人間に、連絡を取る事は出来ます」

「なに?」

 

しかし日本において、臓器売買は法律で禁止されている立派な犯罪行為である。

日吉はそれを介する闇ルートを斡旋しようとしているのだ。

 

「その場合、手術費用とは別に纏まったお金が必要となります」

「……いくらだ?」

「3000万です。用意出来ますか?」

 

日吉の提示してきた金額。

それはまさに、優子の命の値段とも言えた。

これを用意出来なければ、優子の命は無い。

 

「……少し、考えさせてくれ」

「分かりました。ですが桐生さん、優子さんにはもう時間がありません。どうかお早いご決断を」

「あぁ」

 

桐生は短く答えるとその場を後にした。

ロビーを抜けて正面出入口から外に出ると、来院者用の駐車場へと向かう。

 

「兄貴、お疲れ様です」

「あぁ」

 

駐車場では弟分の田中シンジが桐生の帰りを待っていた。

シンジは桐生が車へと乗り込んだのを確認すると、すぐに発進させる。

 

「兄貴、優子さんの容態はどうだったんですか?」

「……あまり良くないようだ。時間が無いとも言われた」

「そうだったんですか……」

 

そこで桐生は、日吉から持ちかけられた臓器ブローカーの件をシンジに伝える。

すると、シンジが怪訝な表情を浮かべた。

 

「ん?兄貴……なんか変じゃ無いですか?」

「何がだ?」

 

シンジは自分の感じた違和感を素直に打ち明けた。

 

「その"日吉先生"は真っ当なカタギの人間なんですよね?なんでそんな所の繋がりを持ってるんです?」

 

臓器売買は完全に違法で、一般人は購入するどころか関わる事すら難しい。

それこそ、桐生やシンジといった裏社会に精通した者でなければ関係を持つ事は出来ないのだ。

 

「なにせ、人間の臓器を扱うようなシノギです。"アシが着く"事になったら大事になっちまうじゃないですか」

「確かにな……」

 

アシが着く。

つまり証拠が残るような事になれば、臓器ブローカーはもちろん購入した側もタダでは済まない。

警察からの徹底的な追求を受けることになるだろう。

万が一にも秘密が漏れる訳には行かない。

だからこそ、こう言った話が一般人であるはずの日吉側から持ちかけられた事にシンジは強い違和感を覚えていた。

 

「その日吉先生に繋がってるってそのブローカー、相当アコギな商売してるんじゃないですか……?」

「いや……あるいは、そもそもそんな業者との繋がりは最初から無かったのかもしれねぇ」

 

日本で臓器ブローカーをやっている人間は十中八九、裏社会の人間だ。そういったリスク管理が出来ていなければすぐに警察に捕まってしまうだろう。

考えられる可能性は二つ。そのブローカーがよっぽど杜撰な"仕事"をする人間なのか、それともそんなブローカーなど最初から居ないのか。

 

「いずれにせよその"日吉"って先生、俺は信用出来ないと思います」

「そうだな……ありがとうシンジ。お陰で早まらなくて済んだ」

 

桐生はシンジに感謝を述べる。

何せ親友から託された妹の命なのだ。万が一があってからでは遅い。

今は突発的に動くのではなく、慎重になるべき局面なのだ。

 

「いえ、自分はそんな……兄貴、この後はどちらに?」

「風間の親っさんの所へ向かってくれ。今回の件、相談する必要がありそうだ」

「分かりました。俺は一応、その"日吉"って先生の事を調べてみます。何か分かったら連絡しますんで」

「あぁ、頼む」

 

桐生を乗せた車は、神室町へと向かう。

二人は知る由もないが、錦山優子の辿る運命が大きく変わった瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから更に数日後。

神室町の外れにある桐生組の事務所に、一人の男が気だるそうな態度で現れた。

 

「失礼しますよ、組長さん……」

 

男の名は松重。

桐生にシノギを教えるために風間組から送り込まれた極道だ。

 

「待っていたぞ、松重」

 

事務所に居るのは組長である桐生、ただ一人だ。

いつもであれば数名の構成員がいるはずだが、今日は桐生の弟分である田中シンジすらもその姿が見えない。

若干の違和感を覚える松重に、桐生は問い掛けた。

 

「なんで呼ばれたのか分かっているか?松重」

「さぁ、身に覚えがありませんね?」

 

とぼけた態度を取る松重だが、実際彼に見覚えはなかった。いつも通り馬鹿なカタギからあの手この手で金を搾り取るだけなのだから。

そのふざけた態度を見た桐生は、声音に僅かばかりの怒気を孕ませる。

 

「……お前、七福通りの廃ビルで裏カジノのシノギをしているな?」

「えぇ、それが何か?」

 

日本においてのカジノ賭博は風営法によって禁止されている為、本来であれば日本国内でカジノを楽しむ手段は存在しない。

しかし、アジア最大の歓楽街である神室町では数多くの裏カジノが存在しており、警察の目の届かないアンダーグラウンドな場所で日夜違法の賭博が行われている。

 

「そのカジノでは店側がイカサマとぼったくりをしているって話がある。その上負けて金を払えないカタギには暴利で金を貸している、ともな」

 

イカサマだと騒ぎ立てればケツ持ちのヤクザに詰め寄られ、金を払えなければ法外な利子を付けた多額の負債を背負わされる。

オマケに客側も違法カジノである事を知った上で入店している以上、警察に泣きつく事は出来ない。

狙われれば最後、骨の髄まで食い物にされてしまう悪質な手法。

まさに"ヤクザ"なやり口だった。

 

「松重、お前がやったのか?」

「さぁ、一体何のことでしょうか?」

 

とぼけた発言をする松重を、桐生は鋭い眼光で睨み付けた。

桐生の纏う空気が徐々に張り詰めていく。

 

「スジの通らねぇシノギからは手を引け。俺は前にそう言ったな?」

「えぇ。ですから俺のシノギはスジを外しちゃいませんよ」

「なに?」

 

しかし、怒れる"堂島の龍"を前にしても松重は余裕の態度を崩さなかった。度胸が無くてはヤクザは務まらない。

ましてや風間組の稼ぎ頭にまで上り詰めるには尚更だ。

 

「こっちは日本国内じゃどうあっても遊ぶ事の出来ないカジノを提供してるんだ。なのにイカサマだと騒がれちゃ敵わねぇ。だから俺たちは用心棒(ケツ持ち)だけで、ディーラーや従業員にはカタギの人間を採用してます。ウチらが干渉する事はありませんよ」

 

自分達ヤクザはあくまでもオーナー兼ケツ持ちであり、運営しているのはカタギの人間だと松重は主張した。

 

「その上で賭博で金が無くなった客に、俺達は"善意"で金融会社の融資を紹介しているだけです。しかも"その場で勝てば利子無しで返済出来る"って条件でね。どうです?破格でしょう?」

 

負けたままでは終われない。

松重はそういったギャンブルをする者の心理を巧みに利用し、一見して良い条件をチラつかせて融資に踏み込ませるよう誘導していたのだ。

 

「だが実際には一向にギャンブルに勝てず、借金だけが膨れ上がっていく……それを切り取ろうって魂胆か」

「そいつらはたまたま運が無かっただけです。それをイカサマだなんだと言われるのは心外ですね。負け犬の遠吠えって奴ですよ」

「つまりお前は、今回のイカサマ騒ぎは運営側と客側が勝手にやった事で、ケツ持ちの自分は関係ない……そう言いてぇんだな?」

「えぇ、その通りです」

「そうか……」

 

桐生は松重の答えを聞くと自分のデスクから立ち上がり、事務所の奥に続く扉を開ける。そこは本来桐生がいるべき組長室のドアだった。

 

「おい、出て来い」

 

桐生が短くそう言うと、組長室の中から二人の男が出てきた。一人は地味な色のジャケット姿で、もう一人は白シャツと黒ベストに赤い蝶ネクタイを着けた特徴のある格好をしていた。

その二人を見た途端、余裕のあった松重の態度が崩れる。

 

「な……っ!?」

「ほう。どうやら松重は、コイツらを知ってるみてぇだな?」

 

組長室から出てきた二人の男達はどちらも恐怖で震えている。

直接的な暴力こそ振るわれていないが、並のカタギであれば失神してしまう程の威圧感を持つ桐生に詰め寄られれば震えが止まらなくなるのは当然の事だ。

 

「お前ら。松重から何を言われた?」

「は、はい!自分は松重さんの指示でイカサマをしていました!」

「じ、自分は松重さんの指示で客に融資をしました……!」

 

彼らはそれぞれ裏カジノのディーラーと金融会社の社長である。

一般人ではあるものの二人共に松重の息がかかっており、今回の一件を桐生に問い詰められて白状したのだ。

 

「松重。これでもまだ、言い逃れしようってのか?」

「…………ちっ」

 

裏を取られ、逃げ場のなくなった松重は忌々しげに舌打ちをする。

それを答えと受け取った桐生はゆっくりと松重に歩み寄った。

 

「松重、裏カジノは撤去だ。コイツらとも今日限り縁を切れ」

「……正気ですか?あのカジノが無くなればシノギの四割がーーー」

 

次の瞬間。

桐生の拳が松重の腹部に叩き込まれていた。

 

「ぐぼ、ぉ、ぁっ……!!?」

 

その一撃があまりにも速かったためか、松重は自分が殴られた事を一拍遅れて知覚する。

衝撃が腹部を撹拌して彼の体を突き抜けて、壮絶な痛みが後から一気に襲い来る。

 

「おい松重」

「ぐ、っ、ぅ……!?」

 

桐生は膝を着いて腹部を抑える松重の髪を掴んで持ち上げると、これ以上無いほどの殺気を至近距離でぶつけた。

 

「俺はお願いしているんじゃねぇ……"命令"しているんだ……!」

「!!」

 

心胆が震え上がり、背筋が凍り付く。

ここに来て松重はようやく理解した。理解させられた。

自分が甘く見ていた男が、一体どんな人間だったのか。

 

(な、なんなんだコイツ……!)

 

この局面において松重の心は未だに折れていない。

しかし、松重の肉体がコイツには逆らうなと警告を発していた。

最上級の殺気と先の一撃をモロに浴び、桐生一馬の脅威を完全に刻み込まれたからだ。

 

(か、身体が言う事を聞かねぇ……!!)

 

額には脂汗が滲み、全身が震えを発し、肌が粟立つ。

その様はまさに蛇に睨まれた蛙。

否、"龍に睨まれた生贄"と呼ぶに相応しい光景だった。

 

「今週中にカジノは撤去だ。今後取り扱うシノギについては必ず俺を通してからにしろ」

「…………っ!」

「今回はそれで不問にしてやる。だが次は無ぇぞ……いいな?」

「…………はい」

 

そして。

松重自身も自覚しないままに、彼の口から自然とその言葉は出ていた。

 

「よし…………話は終わりだ。お前らも帰っていいぞ」

「「はい、失礼します!!」」

 

解散を命じられた二人の男達は我先に事務所を出ていった。桐生と松重の先程のやり取りを見て戦々恐々としていたに違いない。

 

「ぐ、ぅ、くっ……!」

「…………」

 

痛みとショックで蹲るしかない松重を一瞥し、桐生は無言のまま事務所を出た。

後に残ったのは、松重ただ一人だけだ。

 

(なんて野郎だ……身体が、まるで動かなかった……)

 

冷や汗は未だ止まらず、動悸は収まる気配がない。

松重の身体は、過去に類を見ないほどの緊張状態にあった。

 

(この俺がまるで口答え出来ず、無条件で要求を呑まされるとは……)

 

松重の口から先程漏れ出た"はい"という返事。

あれは反省したが故の言葉ではなく、松重の身体に備わった生存本能が生き残る為の手段として行った生命活動の一環に等しかった。

これが"堂島の龍"。

東城会の内外にその名を轟かせる"伝説の極道"

 

「桐生、一馬ぁ……!!」

 

松重は一人、忌々しげに唇を噛む。

このままでは済まさないと、持ち前の反骨心を燃やしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松重に灸を据えた後、桐生は風堂会館に足を運んでいた。

育てと渡世の親、風間新太郎に会うためだ。

 

「失礼します」

「来たか、一馬」

 

桐生が足を踏み入れた組長室には風間しかおらず、他の構成員の姿は無い。

故に風間も、組長としてでは無く父として振舞っていた。

 

「調子はどうだ?一馬」

「はい。正直かなり手を焼いていますが、その分勉強になる事も多いです」

「そうか……松重はプライドが高いからな。手懐けるのも簡単じゃねぇだろう?」

「えぇ……ですがあの男は今後の桐生組にとって欠かせない存在です。錦の為にも、奴は必ず自分のモノにしてみせます」

「フッ……変わらねぇな、一馬は」

 

自分の為でなく、大切な誰かの為に動く事を厭わない。

その精神から来る行動には華があり、人を惹きつけ魅了する。

桐生は紛れもなく、組を率いるに足る器だった。

 

「それで親っさん……例の件ですが…………」

「あぁ……優子についての事だったな」

 

桐生がここに足を運んだのは世間話をするためではない。

錦山の妹、優子について桐生は風間にある頼み事をしていたのだ。

 

「どう、でしたか……?」

「どうにか、約束を取り付けることは出来た。上手く行けば、優子は海外で手術を受けられるだろう」

「本当ですか!?」

 

それは、優子の手術の事だった。

日吉との会話の後に病院から出て風間と合流した桐生は、すぐに日吉から言われた件を打ち明けた上で風間の助力を乞うたのだ。

それを聞きいれた風間は海外にある伝手を辿り、入院先の病院と臓器提供、並びに医者の手術の約束までを取り付けたのだ。

 

「だが一馬。そう喜んでもいられねぇんだ」

「……どういう事ですか?」

 

問いかける桐生に、風間は俯きながら答える。

 

「俺が取り付けたのは約束まででな。期限までに費用を用意出来なきゃ手術は受けられないとの事だ。流石の俺でも費用まで面倒見る事は出来なかったんだ」

「費用……いくらかかるんですか?」

 

恐る恐る聞いた桐生に対し、風間は必要な金額を返答した。

 

「日本円で……約7000万だ」

「な……7000万……!」

 

それが優子の命を救う為に必要な金額だった。

しかも、それを指定された期間までに揃えなければならない。

 

「親っさん、支払いの期限はいつまでですか?」

「来年の三月末だ。それまでに7000万円を用意出来なければ、優子の手術は他の患者に回されてしまうそうだ」

「三月、末…………」

 

今から数えて、残された時間は約4ヶ月。

それまで7000万円の金を用意する事が、優子が手術を受けられる条件。

 

「一馬……お前がスジを大事にしたいのは分かる。だからこそ、松重のやり方が受け入れられないんだろう?だから手を焼いている。違うか?」

「っ、親っさん……どうしてそれを?」

「松重は元々ウチで稼ぎ頭だった男だ。アイツが、ある程度汚いシノギに手を染めている事は分かっていた。一馬。俺が松重をお前に預けたのはシノギについて勉強させる事もそうだが、アイツに義理人情の大切さを知ってもらう為でもあったんだ」

 

風間組は穏健派であり、裏稼業はおろかみかじめを取ることすら禁ずるほど義理人情を大事にする組織だ。

すると、組織全体の売上(アガリ)は必然的に少なくなる。

しかし、そんな中で莫大なアガリを献上する人間がいれば裏があるのは当然の事。

風間はそれを把握した上で、彼とは正反対の桐生を引き合わせたのだ。

桐生は松重から"ヤクザ"としてのやり口を。

松重は桐生から"極道"としての生き方を、それぞれ学ばせる為に。

 

「そうだったんですか……」

「一馬。お前には常日頃から"義理と人情を誇りに生きろ"と教えて来た。そうだな?」

「はい。親っさんの教えがなければ、今の俺はありません」

「あぁ……だが、だからこそお前はこれから辛い選択を迫られる事になっちまう」

「え……?」

 

風間は桐生を真っ直ぐに見つめて、こう言った。

 

「"松重のやっていた汚いシノギを容認する"。四ヶ月で7000万円を集めるには、それしかない」

「!!」

 

それは桐生にとって、とてもショッキングな出来事だった。

桐生にとって、尊敬する風間の授けたその教えは、今の自分を形成すると言っても過言ではない生き方の指針。それを曲げなければならない。

そして何より、その風間の教えを破れと他ならぬ風間本人が言ったのだ。

筋が通らない所の騒ぎではない。盛大なちゃぶ台返しである。

 

「親っさん……それは……!」

「おかしな事を言っているだろう?一馬。だが、これが"ヤクザ"だ。どんな綺麗事やお題目を並べようが、結局は誰かを泣かせる事でしか物事を成せない。それが俺達の生き方なんだ」

「親っさん……」

「だが、その罪の意識は忘れちゃいけねぇ。それを忘れてカタギを食い物にし始めたら、それはただの外道だ。だから俺はこれまでお前や彰に義理人情を説いてきたんだ」

 

カタギを泣かせる事に、罪の意識を持つ。

そして、泣かせたからには必ず成し遂げる。

それが風間新太郎の言う"極道"だった。

 

「優子の手術費用を間に合わせる為には今までのやり方じゃダメだ。風間組で容認する訳にはいかなかったが、今の松重は桐生組の人間だ。お前が一言命令すれば奴はきっと7000万円を用意するだろう」

「…………」

「覚悟を決めろ、一馬。己の成す目的の為に信念を曲げる事も、ヤクザにとっては重要な事なんだ」

 

スジの通らない事象を、認める。

それは、桐生の掲げた極道を真っ向から否定するものだった。決して譲る訳には行かない。

かと言って、風間の言うことは限りなく真実に近い。

たったの四ヶ月で7000万円もの大金を手に入れるためには、それこそなりふり構ってなど居られない。

もしも手術が間に合わなければ優子は助からず、獄中の錦山もまた心の支えを失ってしまうだろう。

汚いシノギに手を染める以外の方法は、もはや無いのだ。

 

「……親っさん」

「なんだ?」

 

重い沈黙の後、桐生は風間の目を真っ直ぐに見つめ返して答えを出した。

 

「俺は……俺の極道を往きます。親っさんとは違う、俺だけの極道を」

「一馬……?」

 

怪訝な顔をする風間だが、その直後に桐生は己の意見を真っ向から述べる。

 

「三月末までに7000万円、キッチリ用意します。ですが、スジの通らないシノギを認める訳にはいきません」

「一馬……!」

「親っさんは、俺を通じて松重に義理人情の大切さを教えようとしたんですよね?そんな俺が汚いシノギを認めたら本末転倒になっちまいます……!」

 

桐生は踵を返して、組長室のドアノブに手をかける。

そして、振り返らぬまま彼は宣言した。

たとえどんな現実が待っていようとも、自分の信じた道を貫く事を。

 

「俺は必ず、親っさんの期待に応えてみせます!見ててください、これが俺の極道です……!!」

「待て、一馬!」

 

風間の静止を振り切り、桐生は風間組事務所を飛び出していった。

 

「一馬…………」

 

風間は、桐生の頑固さを侮っていた。

自分の事を半端者と称していた桐生に対して響く言葉を投げかけた筈が、逆に意地を張らせる結果となってしまったのだ。

 

(半端者なりの意地、か…………)

 

ふと風間が窓の外を覗く。

走って事務所を飛び出していった桐生の姿が見える。

彼の身に纏うグレーのスーツが、黒にも染まらず白にもなり切れないその不器用な生き方を表していた。




如何でしたか?
次回の断章では意外な場所を登場させる予定です。
お楽しみに


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第五章 謎の少女
不運


最新話です

今回は少し短めですが、錦山がいよいよあの名セリフを言います


2005年12月6日。時刻は夜の9時頃。

錦山彰はバッカスで偶然出会った遥を殺人現場と化した店から連れ出していた。

 

「さっきのお店のこと、誰かに伝えた方がいいんじゃない……?」

「あれだけの事があったんだ。とっくに誰かが通報してるよ」

 

直に店の周辺は騒ぎを知った警官達で溢れかえるだろう。錦山達は一刻も早く、その場から離れる必要があった。

 

「さぁ、急ごう」

「……」

「どうした?」

 

しかし、遥は一向にその場から動こうとしなかった。

一点を見つめる遥の視線を錦山が追う。

 

(仔犬……?)

 

犬種は柴犬だろうか。

薄茶色の毛並みをした仔犬が、錦山達の目の前で蹲っているのが見えた。

直後。

 

「きゃうん!」

「あ……!」

 

横合いから飛んできた石が仔犬の身体を直撃した。

仔犬が痛々しい悲鳴を上げた直後、石の飛んできた方向から下卑た笑い声が聞こえた。

 

「ぎゃっはっは!今のは内臓イッたんじゃねぇの!?」

「キャンつった、キャンつったよな今!」

「残酷だなぁ、早い所トドメ刺しちゃえよ!」

 

複数の、若い男の声だった。

姿は見えないが、きっと街の不良が動物を虐めて楽しんでいるのだろう。

こうした卑劣な行いが横行するのもまた、神室町が危険な街であることの証だ。

 

「やめて……やめてよ……!!」

 

しかし、遥にとって神室町がどんな場所であるかなど関係ない。

被害を受ける仔犬があまりにも可哀想で、遥は悲しさと憤りを覚えていた。

 

「……ちょっと待っててね」

「え……?」

 

錦山は遥にそう告げると、仔犬の所へと歩み寄った。

直後、再び仔犬に襲い掛かる石を素手でキャッチする。

そして。

 

「オラッ!!」

「ぶぎゃぁ!は、鼻がぁ……!?」

「ヨッちゃん、おい大丈夫かよ!?」

 

錦山はキャッチした石を全力で不良達へと投げ返した。

石は真っ直ぐ不良達の所へと飛んでいき、メンバーの一人の顔面に直撃した。

 

「なに?アンタ……?」

 

自分達の楽しみを邪魔したばかりか仲間の一人を傷付けられた以上、彼らも黙っている訳には行かない。

不良達は敵意を撒き散らしながら錦山を囲むように接近する。

しかし、彼は今更そんな事で怖気付いたりはしない。

元極道である錦山にとって、たかだが街の不良程度は恐るるに足らないのだ。

 

「俺は今日、大変な一日でよ。すこぶる機嫌が悪いんだ」

「あぁ?」

「運が無かったんだよ……お前らは」

 

錦山の過ごした今日という一日は、それは凄まじいものだった。

目の前で育ての親が撃たれ、大勢の極道を相手に大立ち回り。

その後はかつての兄弟分と出会って、彼が抗争している中国マフィアを敵に回す。

そして唯一の手がかりの写真を元に一連の事件を調べていた最中にこの騒ぎ。

彼のフラストレーションは溜まる一方だった。

 

「そう?」

 

しかし、リーダー格と思われる不良が錦山の恫喝に対しても余裕を崩さない。その理由はすぐに明かされた。

 

(仲間か……)

 

別の方向から更に数名ほど不良達の仲間と思わしき連中が集まり、完全に錦山を囲んでしまったのだ。

その頭数は、合計10人。

 

「運が悪かったのはオッサンの」

 

それより先の言葉が紡がれる事は無かった。

錦山の拳がリーダー格の不良の鳩尾にねじ込まれていたからだ。

 

「ぐ、ぉ……!?」

「オラァ!!」

 

その後、錦山は間髪入れずに右ストレートをリーダーの顔面に叩き込んだ。

文字通りぶっ飛ばされたリーダー格の不良が、無様に地面を転がる。

 

「て、テメェ!」

「ごちゃごちゃ言ってる暇があるならかかってこいよクソガキ共ォ!!」

 

リーダーが真っ先に沈められ、ようやく臨戦態勢に入る不良達。

闘いの火蓋は、既に切って落とされていた。

 

「この野郎!」

 

正面から襲いかかる二人目の拳を躱し、カウンターの膝蹴りをボディに直撃させて仕留める。

 

「テメェ!」

 

左側から襲い来る三人目の右ストレートを掴み、鼻にエルボーを叩き込んで戦意を折る。

 

「死ねやオッサン!」

 

右側からビール瓶を逆手に持って振り上げた四人目の手首を掴んでビール瓶を奪い取ると、そのまま相手の頭目掛けて振り抜いた。

 

「うぎゃぁ!?」

 

そして割れたビール瓶の鋭利な矛先を、その横にいた五人目の腹に突き刺す。

少なくない出血が伴うが内臓には達していない。

 

「うご、ぉぁっ……?!」

「ひ、ひぃ……!」

「言っただろうが、すこぶる機嫌が悪いってなぁ!!」

 

あまりにもショッキングな光景に慄く六人目に対し、錦山は声を荒らげながらその胸ぐらを掴むと壁にもたれかからせた。

 

「へっ?」

「ふっ、はっ!」

 

その後、左右二発のボディブローを叩き込んでダメージを与える。

 

「おごぉ!?」

「オラァ!!」

 

その後、前のめりになった六人目の顔面を掴んで後頭部から背後の壁に叩き付けた。

白目を剥いた六人目が地面に崩れ落ちる。

 

「大人しくしやがれ!」

 

背後から七人目が錦山を羽交い締めにするが、そんな程度で彼は止まりはしない。

 

「離せよガキ!」

 

錦山は背後の七人目の顔面に肘打ちを叩き込んで怯ませ、腕を取りながらすかさず脱して肩関節を極める。

 

「うぎゃっ!?」

「おゥらよォ!」

 

そして、そのまま一本背負いの要領で七人目を投げ飛ばした。

その後、仰向けに倒れた所に顔面を踏み抜いてトドメを刺す。

 

「な、なんなんだよコイツ!」

「おい、これヤベェだろ!?」

「に、逃げた方が良いんじゃ……?」

 

残る不良はあと三人。

いずれもが錦山の強さと危険さを感じ取り、逃走を画策する者も居る。

無論、錦山に彼らを逃がすつもりは毛頭ない。

 

「ぉぉお、オラァ!!」

「ぶげぁっ!?」

 

錦山はすかさず八人目の顔面に飛び膝蹴りを放ち、一撃で無力化した。

 

「う、うわあああああ!」

「逃がすかよ!!」

 

ついに逃亡を始めた九人目に難なく追い付き、背後からチョークスリーパーをかけて首を締め上げる。

 

「がっ!?……か……っ…………」

 

頸動脈を締められて失神した九人目が、開放されたのと同時に糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちる。

 

「残ってんのはテメェだけか……?」

「く、クソっ!」

 

追い詰められた十人目は、ポケットからナイフを取り出して切っ先を錦山に向けた。

 

「死ねぇぇぇ!!」

 

そのまま大声を上げて錦山に突っ込む十人目。

錦山はその一刺しを冷静にいなして背後に回ると、十人目の左足を右足で思い切り蹴り抜いた。

 

「うぉわっ!?」

 

片足を蹴り抜かれた十人目がバランスを崩して後ろへ仰け反る。

そして振り抜いた回転の勢いのまま左足を振り上げると、十人目の顔面にかかと落としを叩き込んだ。

 

「ぶげぇっ!?」

 

錦山の靴底とアスファルトに頭部を挟まれて気絶する十人目。

わずか一分足らずで、その場は血祭りに上げられた不良達が倒れ伏す地獄絵図となっていた。

 

「く、くそっ……」

「あ?」

 

錦山が振り向くと、倒れていたリーダー格の不良が起き上がっていた。

どうやら最初の攻撃だけでは仕留めきれなかったらしい。

 

「ほう……ただのヤンキーにしちゃ骨があるな」

「おっさん……あんた、何者だよ……?」

 

問いかける不良に対し、錦山の行ったのは拳による返答だった。

ボロボロの身体に叩き込まれた追い討ちにより、今度こそ不良の身体が地面に崩れ落ちる。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

 

その後、錦山は地面に這い蹲る不良の髪を持ち上げるとその顔面を思い切り蹴り上げた。

うつ伏せだった体勢が仰向けになり、無様に腫れ上がった顔面が顕となる。

 

「ひ、ひぃ、もうやめて……」

「うるせぇんだよクソガキが!!」

 

許しを乞う不良の顔面に馬乗りになると、錦山は容赦なく拳を振り下ろした。

戦意喪失し、もはや抵抗出来ない相手を一方的にぶちのめす。

ともすれば外道とも取られかねないその行動だが、錦山は敢えてそれを行っている。

 

「良いかよく聞けクソガキ。これが……さっきのお前らの行動だ」

 

一切の抵抗が出来ない相手を、一方的に虐めて嘲笑う。それは、先程不良達が仔犬に対して行っていた行為そのものだ。

ましてやトドメを刺して殺そうとまでしていたその残虐性に、錦山は激しい憤りを感じていた。

 

「今のお前ら、とっても可哀想だよなぁ……俺がここでトドメを刺してやっても良いんだぜ?」

「ひぎぃっ!?」

 

錦山はそう言うと左手で不良の喉元を掴む。

不良がじたばたと暴れ始めるが、鍛え上げた錦山の力の前ではどうする事も出来ない。

 

「俺が何者か知りたがってたよな?教えてやるよ。俺はな、刑務所上がりの元極道だ」

「!!」

 

それを聞いた不良は一気に青ざめる。

単純に悪ぶってるだけの自分達とは次元が違う。

今、彼の前にいるのは前科持ちの完全なるアウトローなのだ。

 

「殺しで10年行ってたんだ。今の俺にとっちゃ、一人殺すも二人殺すも同じなんだよ」

 

そんな男の口から漏れた言葉に、不良の恐怖心は限界まで高まっていた。

自分は間違いなく殺される。恐怖から震えと涙が止まらなくなる不良に対し、錦山は拳を振り上げた。

 

「死ねや、クソガキ」

「っ!!?」

 

不良は迫り来る拳に思わず目を瞑った。

しかし、いつまで経っても痛みと衝撃は襲って来ない。

 

「……?」

「……なんてな。今回はこれくらいで勘弁してやる」

 

首から手を離し馬乗りを解く錦山だったが、不良は恐怖と緊張から未だ動けずにいる。

そんな不良に対し、錦山は顔を近づけて言った。

 

「だが、もしもまた同じ事をしてるのを見かけたらその時は容赦しねぇ…………分かったな?」

「は、はい……!!」

 

錦山は不良に対して念入りに痛みと恐怖を植え付けて、徹底的に心をへし折った。

もう二度と、同じ過ちが起きないようにするために。

 

「ふん……分かったら消えろ。二度とその面見せんじゃねぇ」

「す、すいませんでしたぁ!!」

 

不良は叫びながら逃げるように立ち去って行った。

それに続き、彼らの仲間も皆一様に逃げていく。

 

「ったく、手間取らせやがって……」

 

時間にしておよそ三分。

この喧嘩は錦山の圧勝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タチの悪いガキ共を血祭りに上げてから数分後。

俺はバッカスで偶然出会った遥を連れていた。

そして、ガキ共から虐められていた仔犬も一緒だ。

 

「くぅん……」

「よしよし……」

 

遥は仔犬の事が放っておけないのだろう。

先程酷いことをされていた分を取り返さんと、一生懸命撫でている。

だが、俺たちが今いる場所は現場からはそう離れていない。今、警察に勘づかれるのは面倒だ。

 

「そろそろ行かない?」

「でも、この子お腹空かせてるみたいなの……こんなに痩せちゃってるし……」

 

俺は声をかけるが、どうやら遥にとっては今はこの仔犬が大事らしい。

だが、彼女にはもっと大事な目的があったはずだ。

 

「遥ちゃん……だったよね?お母さんは何処にいるんだい?探してるんだよね?」

「分からない……今日ずっと探してたんだけど……」

「ずっと?」

 

神室町はアジア最大の歓楽街であると同時に日本でも有数の犯罪都市だ。

つまり、この子はそんな危険な街を一日中歩き回っていたという事になる。

 

「遥ちゃん、家はどこにあるんだい?今日はもう遅いから俺が家まで送ってくよ」

 

それを聞いた俺は彼女に、家まで送り届けるのを買って出た。本当は構っていられる場合じゃないが、神室町は年端も行かない子供が長居していい場所じゃない。

何かあってからでは遅いのだ。

 

「……孤児院、黙って出てきた」

「孤児院……?遥ちゃん、孤児院に居たのかい?」

 

その言葉を聞いて俺は遥にどこか親近感を覚えた。

俺も桐生も同じで、施設で育ったからだ。

そんな少女が今、母親を探してたった一人でこの街に訪れているという。なかなかの行動力だった。

 

「ねぇ、おじさん」

「ん?なんだい?」

「その喋り方、なんか嫌」

「な……」

 

その言葉を聞き、俺は開いた口が塞がらなかった。

遥が、年端もいかない少女が俺の目を真っ直ぐに見てそう言ってのけたのだ。

 

(俺が、怖くねぇのか……?)

 

元ヤクザ者で、先程まで結構な暴れ方をしていたのだ。

まともなカタギならまず恐れる所を、この子はそんな素振りも見せずに堂々と自分の意見を押し通したのだ。

年齢にしてはあまりにも肝が据わり過ぎている事に、俺は驚きを隠せなかった。

 

「そ、そうか……悪かったな。気を付けるよ」

「うん……ねぇおじさん。この子に何か食べさせてあげて、このままじゃ死んじゃうかも……」

 

すると遥は、俺に仔犬の餌を要求してきた。

遥の言う通り、仔犬はぐったりとしていて衰弱していた。

空腹な事に加え、さっきのガキ共の虐めの事もあるのだろう。このままでは本当に死んでしまうかも知れない。

 

「確かに可哀想だな…………でも、今助けてあげても、またあんな目に遭うかもしれない。その子だって、お前が面倒見れる訳じゃねぇだろ?」

「それは、そうだけど……」

「仕方ねぇ事なんだ。責任が負えないなら、生き物は助けるべきじゃない」

 

動物の世話をするということは、その動物の命を背負うという事。

守ることが出来ないのなら、関わるべきでは無いのだ。

 

「そんな……でもほっとけないよ!ねぇ、おじさん!」

「…………」

 

遥は必死だった。

仔犬が助からないのならテコでもここから動かない。

この子からは、そんな強い気概を感じる。

 

「はぁ……仕方ねぇ」

 

その揺るぎない態度に俺は折れた。

いずれにせよ、遥は安全な場所まで送り届けなければならないのだ。

それでこの子が納得するならやるしかない。

 

「分かったよ、ちょっと待ってな。今、その子が食えるもん買ってくるからよ」

「うん、お願い」

 

俺は遥の願いを聞き入れると、ドッグフードを手に入れる為にその場を離れた。

 

(さて、何処がいいかな……)

 

神室町にあるのは、何も如何わしい店ばかりじゃない。

薬局やスーパー、コンビニに雑貨屋なんかも多く存在する。

その中からドッグフードを探して見つけ出さなければならない。運良く見つかれば良いが、何店も回ることになればそれなりに大変だ。

オマケに、今の俺は街中のヤクザから狙われてる身分だ。そんな中神室町を歩き回るってことはつまり、そいつらに狙われるリスクも増えるという事に他ならない。

 

「結構、骨が折れそうだな……」

 

出所してからまだ二日。

中々ハードなおつかいに嘆息しつつ、俺は店を探し始めるのだった。

 

 




如何でしたか?

次回はちょっとしたオマージュが入る予定です。
何のオマージュか分かったら、是非感想欄で教えてください。


あぁそうだ。感想欄といえば、断章において桐生ちゃんがどのようにして7000万円を稼いだのか、色んな予測が飛び交って居ましたね。

ここでひとつ、言っておきます。

実はその感想の中に一人、その答えに限りなく近い事をを言い当てていた方がいます。
誰なのかはあえて伏せますが、一体何なのかみなさんも考えてみてくだだいね!

それではまた次回


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保護

最新話です

序盤はある作品のオマージュをしています。
何かわかるでしょうか……?


東京、神室町。

眠らない街とも呼ばれるその繁華街の、とある雑貨屋で事件は起こった。

 

「……」

 

事の発端は、一人の男がその雑貨屋に入店した事から始まる。白いジャケットを着たその男は、どこか緊迫した雰囲気を漂わせていた。

ふと、一人の店員の目にその姿が映る。

 

(あのお客様、ホストかな?いや、その割には歳いってるし……ヤクザ、なのかな……?)

 

神室町においてヤクザ者は決して珍しくない。

この雑貨屋も、強面でスーツ姿の男たちが酒やタバコ等を買いによく来ている。

そして、そんなヤクザ相手に商売をする時の暗黙の了解がこの店には存在した。

それは、必要以上の接触は避ける事。

触らぬ神に祟りなし、と言うやつだ。

 

(でも大事なお客様だし、もしかしたら何か探しているのかも……)

 

しかしこの店員はここの従業員になってから日が浅く、そういった事情等を把握していなかった。

 

「あの、何かお探しものですか……?」

「ん?あぁ……そうだ」

 

そして、良かれと思った店員がカウンター越しに声をかけた。

すると、男は安堵の表情を浮かべる。

どうやら本当に探し物をしているようだ。

 

「何をお探しで?」

「実は……っ!」

 

直後、男が弾かれたように横を見る。

それにつられて店員の目が同じ方向に向き始めた瞬間。

 

「くたばれやぁ!!」

 

一人のヤクザがドスを突き出してきた。

男はそれを一歩後ろに下がって回避する。

 

「ひっ!?」

 

何も知らない店員と男の間に鈍色の刃が突き出され、店員の背筋が完全に凍り付く。

 

「はっ、でりゃぁ!」

 

男はドスを持ったヤクザの手首を掴むと、もう片手でヤクザの顔面に裏拳を放って怯ませる。

その後、手首を掴んだまま一本背負いの要領でヤクザを思い切り投げ飛ばした。

 

「うぉおおあっ!?」

 

投げ飛ばされたヤクザの身体が陳列棚を押し倒し商品をぶちまけるその様は、さながらアクション映画のワンシーンにすら見えてしまう。

 

「オラァ!」

 

しかし、奇襲を仕掛けたヤクザは一人では無かった。

男は、続いて襲いかかって来た二人目のパンチを躱すと返しの右ストレートで叩きのめし、その後に続く三人目のタックルにカウンターの顔面膝蹴りを合わせて一撃で仕留める。

 

「ぶげっ!?」

「ちっ、場所ぐらい選べっての!」

「ぶち殺したるわァ!」

 

そして、四人目のヤクザが売り場にあった金属バットを無断で拝借して男に目掛けて振り上げる。

 

「させるかよっ!」

 

しかし、男はバットが振り下ろされる前にヤクザとの距離を詰めてバットを握る手首を抑えた。

 

「はァっ!」

「ぐほっ!?」

 

バットを両手で持ったがた為にガラ空きになった胴に膝蹴りをねじ込み、バットを手放した瞬間に頭突きをぶち当てる。

 

「ぶがっ!?」

「オラァ!!」

 

そして怯んだ瞬間に、男は渾身のハイキックを側頭部に叩き込んだ。

蹴り飛ばされたヤクザは別の陳列棚に突っ込み、商品の箱に埋もれてしまった。

 

「え……なに……?」

「ひぇ……っ」

 

ふと、状況に理解が追い付かずに固まっている二人組の男女客と男の視線が交差した。

そして、男は真剣な表情で二人に忠告する。

 

「お二人さん、そこ危ねぇぞ。早く逃げな」

「えっ?どういう事……?」

 

未だ状況が分からない客だったが、その理由はすぐに分かった。

 

「見つけたぞゴラァ!」

「観念しやがれボケェ!」

「親殺しのクソ外道が!」

 

彼らの背後に、さらに大勢のヤクザがなだれ込んできたからだ。

 

「「ぎゃああああああああああ!!?」」

 

恐怖と逃走本能に駆られて男の元へと走り出す男女客。

その合間を抜けるように、男がヤクザに立ち向かっていった。

 

「だから、場所選べって言ってんだよ!!」

 

男はそう叫びながら迫り来る五人目のヤクザの顔面に飛び膝蹴りを直撃させた。

 

「ぶぎゃぁ!?」

 

五人目を一撃で屠った後、ドスを振りかざしてきた六人目の攻撃を躱してすかさずレバーブローをねじ込む。

 

「あが、ぁぁぁっ……!?」

「この野郎!」

 

壮絶な痛みで悶絶する六人目を尻目に、後ろから襲い掛かる七人目のヤクザの顔面を裏拳で叩き、そのまま振り返りざまに左フックを拳骨の要領で打ち下ろす。

衝撃とダメージで崩れ落ちるヤクザの顔面に、男は追い討ちの右ストレートを叩き込んでトドメを刺した。

 

「死に晒せぇ!!」

 

男は八人目のヤクザの右ストレートをしゃがんで躱すと、左の膝に二発、ボディに一発の打撃を叩き込んだ。

 

「どりゃァ!」

「おごぁっ!?」

 

膝のダメージで身動きを封じた上でボディブローで完全に怯んだ所に、男は全力のアッパーをぶちかました。

ヤクザの身体が宙に浮き、一秒後に床に叩き付けられる。

 

「せいっ!うぉりゃァ!!」

 

九人目の顔面に鉄槌を繰り出して鼻を潰し、背後の十人目に後ろ回し蹴りを繰り出す。

 

「げぶぁっ!?」

 

左頬を蹴り抜かれた、勢い余って後ろへ振り返る形になる十人目。

男はその胴を背後から掴むと、獣のような雄叫びを上げた。

 

「うおおおおおおおおおっ、らァァ!!」

 

そしてヤクザの身体を全身の筋肉を総動員して持ち上げると、そのまま後ろへと反り投げた。

背後にあった陳列棚をぶち破って、ヤクザの身体が地面に叩き付けられる。

 

「あが、っ…………ぅ…………」

 

お手本のようなジャーマンスープレックスの前に、最後のヤクザは意識を失った。

 

「はぁ……はぁ……」

 

男は、僅かに息を切らしながら周囲を見渡すと既に他の客や従業員の姿は無く、めちゃくちゃになった店内には先程の男女客と店員しか残っていなかった。

 

「……怪我、ねぇか?」

「は、はい……」

「失礼します……」

 

男女客はそれぞれ恐怖と緊張を顔に張りつけながら、そそくさと店を出ていった。

あれだけ目の前で大暴れされれば当然と言える反応である。

関わらないのが一番だ。

 

「すまねぇな、アンタ。店、荒らしちまってよ」

「い、いえそんな……」

 

店員は呆気に取られながらそう返した。

本来は"二度と来るな"くらいは言わなきゃいけない所だが、先程の光景を目の当たりにしてそんな事を言える程店員の肝は座っていない。

もし言った場合、自分が今店内で寝ているヤクザ連中と同じ目に遭う確率は非常に高いのだ。

 

「そ、それでお客様……お探し物は、何でしたっけ……?」

 

故に店員は本来の業務を全うすることにした。

男にとっても目当ての商品が手に入れば、それに越したことは無い筈だからだ。

 

「あ、あぁ……えっとだな……」

 

この後、少しだけ言い淀んだ後に男が発した"目当ての商品"を聞き、店員は耳を疑う事になった。

 

「"ドッグフード"を探してんだけどよ……ここにあったりするか?」

「…………へ?」

 

この一連の騒動は後に"ドッグフードヤクザ事件"として、長年この雑貨屋の黒歴史として刻まれる事になる。

そして店内で暴れたヤクザ数名とそれら全員を返り討ちにした白いジャケットの男は、この店を出禁になったと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数十分後。

目の前で元気に餌を頬張り始める仔犬を見て、遥は満足そうにしていた。

 

(ふぅ、なんとかなったな)

 

それを見て俺も安心する。

どうにか目当てのものを手に入れた俺は、遥のいる場所へ戻って来ていたのだ。

 

「良かったぁ……やっぱりお腹減ってたんだ、この子」

(一応、水と皿も用意しておいて正解だったな)

 

俺と遥が出会った時にはもう、あの仔犬はかなり衰弱していた。

顎の力が弱まって餌も食べれない可能性があった為、ふやけさせるために水と器になる皿を用意していたのだ。

俺の身を狙うヤクザに襲われながら揃えたので、かなり時間はかかったが。

 

「なぁ、遥。さっき、孤児院にいるって言ってたよな?」

 

仔犬を助けるというノルマを達成した俺は、いよいよ遥に声をかけた。

家に帰すにも母親を捜すにも、まずはここから動かなくちゃ話にならない。

それに、俺には疑問もあった。

 

「ホントに、遥の母ちゃんはこの街に居るのか?」

 

それは、遥は如何にして母親の所在を知ったのかという事だ。

孤児院というのは基本的に親のいない子供や親と暮らせない子供の面倒を見る施設で、たいていの場合は親と直接会ったり出来ないもの。

大体は本当の親を知らないまま。仮に覚えていても幼少期の記憶しか無い場合も珍しくない。

本来、遥が母親の居場所を知る事はかなり難しいのだ。

 

「うん……手紙にはそう書いてあったから」

「手紙、か……」

 

遥の母親は定期的に彼女に手紙を送っていたらしい。

そこで遥は、母親が神室町に居るという情報を手に入れたそうだ。

 

「でも私、お母さんの顔全然覚えてない……」

 

寂しそうにそう呟く遥。

この子は、母親に会いたい一心でこんな危険な街をずっと歩き続けていたのだろう。

 

「これからどうするんだ?この辺で頼れる人とか居るのかよ?」

 

気付けば俺の中で、この子を孤児院に帰そうと言う選択肢は自然と無くなっていた。

まるで、若人を応援したくなる年上の気分だ。

そんな気分に浸っていたせいなのだろうか。

 

「ううん……私には、お母さんと"由美お姉ちゃん"だけ……だから……」

 

俺は、遥の口から発せられた言葉に気付くのが一拍遅れた。

 

「由美……?遥、今"由美"って言ったのか!?」

「うん。お母さんのお姉ちゃん。お母さんの手紙、持ってきてくれた…………」

 

その時。

遥の身体が傾き始めた。

 

「お、おい!」

 

咄嗟に受け止めた遥の小さな身体はぐったりとしていて、力が入っていないように見える。

手で遥の額を抑えると、手のひらにかなりの熱っぽさを感じた。

 

「つかれたぁ……」

(…………ずっと歩き回ってたって話だからな。体力の限界が来たのかもしれねぇ……にしても"由美"か……)

 

全く関係無いと思っていた少女の口から聞いた、由美の名前。

そんな少女の探している行方不明の母親は、少女の言う"由美"という女性の妹。

俺はこれを、単なる偶然で片付ける事は出来なかった。

 

「伊達さんに連絡するか……」

 

俺は伊達さんから受けとっていた携帯電話を取り出し、すぐに登録されている番号を呼び出す。

電話はすぐに繋がった。

 

『伊達だ。そっちの調子はどうだ?セレナには行けたのか?』

「実は、困った事になっちまってよ……情報は全部消されちまってた」

 

俺は、今まであった事を全て話した。

セレナで情報を得た事、バッカスの店内の人間が全員殺されてた事。

そして、遥という女の子を保護した事。

 

「って訳なんだ」

『なんだと?じゃあバッカスのマスターも?』

「……あぁ」

『そうか……錦山。とりあえずその女の子はセレナに連れて行け、後で警察が保護する』

「分かった、じゃあな」

 

俺は電話を切り、具合の悪い遥を抱きかかえた。

ここからセレナまでは、そう遠い距離じゃない。

急いでいけば五分はかからない筈だ。

 

(よし、すぐに連れてってやるからな……!)

「おい、見つけたぞこの野郎!」

 

しかし、セレナへ向かおうと振り返った俺の前に二人の男が立ち塞がった。

一人は柄シャツを着た男。そしてもう一人はメガネをかけたスーツ姿の男だ。

 

「お前らは……!」

 

二人の姿には見覚えがある。

俺が、最初にセレナへ行こうとしていた時に襲いかかってきた若いヤクザ連中の内の二人だ。

特にメガネをかけている少年ヤクザは良く覚えていた。

 

「ここで会ったが100年目だ!覚悟してもらうぜ……って、何してんだテメェ?」

 

柄シャツのヤクザが俺の姿を見て構えを解く。

その顔には困惑の色が浮かんでいた。

すると、その背後にいた少年ヤクザが引き攣った顔で言う。

 

「あ、兄貴……もしかしてアレ誘拐なんじゃ……?」

「マジか?テメェ、なんてひでぇ事を……」

「おい、変な誤解すんじゃねぇ!俺はただこの子を助けたいだけだ!」

「なんだって?」

 

更に怪訝な顔をする柄シャツヤクザと少年ヤクザ。

どうやら根っこは悪い連中じゃ無いらしい。

だが、コイツらに事情を説明する義理は無いし、何よりいつまでもこんな所で時間を食う訳には行かない。

 

「とにかくお前らそこを退け。退かねぇってんなら……こないだのレベルじゃ済まさねぇぞ?」

「っ!」

「ひっ!?」

 

俺は二人に全力の殺気を放った。

遥を抱きかかえたまま闘う訳にはいかない以上、これで退いてもらうしかない。

息を飲む二人に俺は手応えを感じるが、ここで更なる障害が立ちはだかった。

 

「あ、兄貴!アイツだよ!」

「あ……?」

 

声のした方を振り返ると、様々な服に身を包んだ若者達が徒党を組んでこちらに迫ってきていた。

その数、おそらく十人は下らないだろう。

そしてその若者達の中には、先程俺がぶちのめした不良の姿があった。

 

「アイツ……!」

「おうテメェか?俺の弟を可愛がってくれたって言う輩は……」

 

ガタイの良い男が先頭に立ち、その後ろを例の不良が歩いている。どうやら自分の兄貴を頼ったらしい。

事態がかなり厄介な事になってきた。

 

「楽には殺さねぇぞ?おっさん」

「くそっ……」

 

流石にこの人数を相手に殺気だけで乗り切る事は恐らく無理だろう。

何より、遥を危険な目に遭わせる訳には行かない。

俺が内心で頭を抱えていた時、迫ってきた不良達に立ちはだかった男がいた。

 

「おいガキ共。ちょっと待て」

 

柄シャツのヤクザだった。

 

「あ?なんだテメェ」

「俺は松金組の海藤ってモンだ。このおっさんは俺の先約なんでね、悪ぃがこっちの用事が終わるまで待ってちゃくれねぇか?」

「松金組……!」

 

その名前を聞いた俺は直ぐに思い至った。

松金組と言えば、かつて風間組の傘下に名を連ねていた組織である。

親分である松金貢組長は、堂島組の若頭だった風間の親っさんを尊敬していて、カタギに寄り添ったシノギをする事でも有名な人だ。

 

(あの柄シャツ、松金の親分さんの若衆だったのか……!)

 

もしも松金組が十年前と変わらず風間組の傘下に居るのなら、松金の親分さんが尊敬する風間の親っさんの秘蔵っ子であるはずの俺を襲うような命令は下さないはずだが、もしも松金組の中で情勢の変化があればそれも変わってくるだろう。

 

(松金組は風間の親っさんと同様の穏健派だったはずだが……)

 

十年も経っていれば組織内の勢力図が変わっていても不思議は無い。

ゆくゆくはそちらの情報も調べる必要がありそうだ。

 

「は?松金組ィ?知らねぇよそんな組。つくならもうちっとマシな嘘つけや、インチキヤクザが」

「……言ってくれやがったなガキ共。吐いた唾は呑ませねぇぞコラァ!!」

 

直後、海藤と名乗った柄シャツの男が先頭の不良の顔面に右ストレートを叩き込んだ。

たたらを踏む先頭の男を見て、背後の不良達が殺気立つ。

 

「あ、兄貴!いくらなんでもその人数は無茶じゃ……」

「うるせぇぞ東!お前も極道なら気合い入れろ!」

「そ、そんなぁ……」

 

東と呼ばれた少年ヤクザが泣きそうな顔を浮かべる。

どうやらこいつらは渡世の兄弟の間柄らしい。

 

「錦山さんよぉ!」

「っ、なんだ?」

 

ファイティングポーズを取った海藤が、俺に背中を向けながら叫んだ。

 

「今は一時休戦だ。アンタはそのガキを連れてけ!」

「なんだと?」

「俺ぁカシラからアンタを痛め付けて連れて来いって命令をされてる!だがカタギを……ましてや年端もいかないガキを巻き込むのは俺の流儀に反するんでな!今だけは見逃してやるって言ってんだ!」

「お前…………!」

 

その言葉と行動、何よりその若い背中に俺は既視感を覚えていた。

義理堅くて真っ直ぐな、それでいて何処か華がある生き様。

 

(コイツ……桐生にそっくりだ……!)

 

それが分かった途端、俺は全面的にこの男を信頼する事に決めた。

俺はこの手の男をよく知っている。

こういうタイプは決して、できない約束はしないものなのだ。

 

「……海藤と東って言ったな?」

「おう、そうだ!近々お前をぶっ倒す男の名前だ、ちゃぁんと覚えとけよ!」

「じ、自分はどっちかって言うと忘れて欲しいですが……!」

 

やる気満々の海藤に、涙目の東。

正反対な二人の背中がやけに頼りに見えた。

 

「お前ら……恩に着るぜ!」

 

俺はそう告げると遥を抱えてその場から駆け出した。

決して背後を振り返らず、セレナへの最短距離をひた走る。

 

「あ、待てやテメェ!」

「テメェらの相手はこっちだガキ共!かかってこいやぁ!」

「くそっ、こうなったらヤケだ!」

 

背後から聞こえる怒号と喧騒が聞こえなくなるまで、そう時間はかからなかった。

 

 




如何でしたか?

ジャッジアイズ組、前回意外にも反響があったので再登場しました。
今後もちょいちょい出すかもしれません。

次回もお楽しみに


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最新話です



2005年12月6日。時刻は午後10時頃。

錦山彰は、体調を崩し倒れた遥を連れてセレナへとやって来ていた。

伊達から事前の連絡を受けていた麗奈は、錦山を奥の部屋へと通すとすぐに遥に手当を施した。

幸い、大きな怪我や病気じゃない事が分かり錦山は安堵する。

純粋に安否を心配したのもあるが、錦山はまだ遥に対して聞かなければならない事があるからだ。

 

「そう……ショックだったのね、そんなに怖い思いをして……」

 

事情を聞いた麗奈が遥を憂う。

まだ幼い少女にとって、今日の出来事は耐え難い恐怖であったに違いない。

 

「あぁ……なぁ麗奈。この子に何か食べるものでも作って上げてくれないか?」

「うん、分かったわ」

「おじさん……?」

 

二人が話をしていると遥が目を醒ました。

顔色も良く、口調もハッキリしている。

薬がよく効いたのだろう。

 

「ここは?」

「私のお店。よろしくね、遥ちゃん」

 

麗奈は笑顔でそう答えると、店の方へと戻って行った。

錦山のオーダー通り、食べるものを調達する為だ。

 

「俺の友達で、麗奈だ」

「そっか……ねぇ、あの子は?」

「あの子?……あぁ、あの犬か」

 

そう言って錦山は直ぐに思い至った。

この期に及んで遥が心配する対象は一つしかない。

 

「あの子大丈夫かなぁ……元気になったかなぁ?」

「そ、そうだな……」

 

錦山は思わず口篭った。

あの時、意識を失った遥をセレナへ連れて行こうとした直前、二人のヤクザと街の不良達によってあの周辺は大騒ぎになった。

騒ぎに巻き込まれている可能性は高い。

しかし、その心配は杞憂だった。

 

「あら、ひょっとしてこの子?」

「わん!」

 

店側に出た麗奈が犬を抱き上げて戻ってきたのだ。

遥の顔に自然と笑顔が浮かぶ。

 

「良かったぁ、もう会えないかと思ってた」

「コイツ、ついてきてたのか……」

 

餌を与えたことで懐かれてしまったのだろう。

遥は嬉々として仔犬を撫で回し、麗奈はそれを微笑ましく見守っている。

 

「ふふっ、この子も嬉しそう」

「麗奈、ここ一応飲食店だろ?犬なんか連れてきて、衛生的に大丈夫なのかよ?」

 

基本的に、飲食物を扱う建物において動物を飼う事はタブーとされている風潮がある。

食中毒や感染症のリスク等の衛生面の問題がある為だ。

しかし、麗奈はあっけらかんと言ってのける

 

「あら、別に平気よ?カウンターの中や厨房に入られるのは不味いけど、ホールにいる分には問題ないわ。それに、ここは天下の神室町。仮に突っ込まれたってどうにでもなるし」

「そういうもんか?」

「ここは私のお店で私がルールなの。錦山くんに心配される謂れは無いわ。それに遥ちゃんだって嬉しそうにしてるんだし、良いじゃない?」

 

麗奈は暗に、子供の笑顔を大人の都合で台無しにするのは酷であると告げた。

気丈で優しい敏腕ママ、麗奈。

店舗の入れ替わりが激しい神室町で、10年以上もの間店を切り盛りしてきた彼女の器は伊達ではなかった。

 

「そうかよ。まぁ麗奈が良いならそれで良いか」

「そうそう。ね、遥ちゃん?」

「うん!」

 

嬉しそうに答える遥。

そんな遥に、錦山はいよいよ本題を切り出した。

彼にとって、聞かなければならない事を。

 

「遥、さっきお前……由美お姉ちゃんって言ってたよな?孤児院に手紙を届けに来てくれてたって……」

「うん、すっごく優しいんだよ。由美お姉ちゃん」

 

そして遥は無邪気に語り出した。

しかし、その思い出話はすぐに切り上げられる事になってしまう。

 

「毎年クリスマスの近いこの時期になると"ヒマワリ"に来てくれて、お母さんからの手紙とかプレゼントとか持ってきてくれたんだけど……」

「えっ!?」

 

驚きの声を上げたのは麗奈だった。

いきなりの事に首を傾げる遥に対し、錦山もまた驚きを隠せぬまま問いかける。

 

「"ヒマワリ"って……遥、お前"ヒマワリ"にいたのか……!?」

「ん?うん、そうだよ」

「そして、母親の姉は"由美"……って事は……!?」

 

錦山の中でいくつかの情報が繋がっていく。

幼なじみの桐生と由美。そして錦山の妹である優子が失踪した直後、セレナに現れた謎の女。

その女の情報を求めて行動した先に、錦山は遥と出会っていた。

そしてその謎の女はこう名乗っていたはずだ。

"澤村由美の妹"である、と。

 

「お前の母ちゃん、名前はなんて言うんだ!?」

「みづき……」

「えっ……!?」

 

今ここに、三人の共有する情報が繋がった。

遥の探している母親の正体。

それは錦山が今探している謎のホステス"美月"だったのだ。

 

「知ってるの?お母さんの事」

 

先程の微笑ましい笑顔は何処へ行ったのか。

遥は一転して真剣な表情で錦山に問いかける。

そのあまりの押しの強さには藁にもすがるような思いすら感じさせる。

 

「お母さんどこ?どこなの!?」

「いや、俺も今探してる所なんだ……由美の事も、優子の事もな…………」

「ゆうこ?」

「ん?あぁ、俺の妹の事だ。それより遥、由美の居場所は分かるか?」

 

錦山の問いに遥は首を振った。

彼女が今探しているのは由美では無く、母親の"美月"の方なのだ。

 

「そっか……」

「……ねぇ、おじさん。おじさんの苗字って"にしきやま"だったよね?」

「あ?あぁ、そうだけど……それがどうかしたか?」

 

改まって苗字を聞かれ、怪訝な顔をする錦山。

しかし遥は、なにか思い当たる節があるようだ。

 

「何か気になるの?遥ちゃん」

「うん……おじさんの妹って"ゆうこ"って言うんだよね?」

「あぁ、そうだ」

「私、知ってるよ。おじさんの妹の事」

「なんだって!?」

 

驚愕する錦山に、遥は更に意外な情報を提供してきた。

 

「おじさんの妹ってきっと"優子先生"の事だと思う」

「優子、先生?」

「うん。私の事、ずっとお世話してくれた先生なんだ。お散歩したり、絵本読んでくれたり……」

「えっ、優子ちゃんってヒマワリの先生だったの……!?」

「麗奈、お前も知らなかったのか?」

「うん……私も、退院してから一度しか会った事無かったし、彼女自身すっごく人見知りだったから、実はあまり会話も出来てなかったのよね」

 

驚愕する大人達をよそに、とても楽しそうに優子の事を話す遥。

その遥の表情からして、とても良い先生であった事が伺える。

 

(優子が、ヒマワリの先生に……)

 

手術とリハビリを終えて帰国した優子は、ヒマワリで先生をやっていた。

奇しくもそれは、彼女が錦山と最後に会った時に彼に語っていた夢だったのだ。

 

(そっか……アイツ、やりたい事出来てたんだな……!)

 

意外な所で知った優子の情報に錦山は感動していた。

あれだけ生きるのが危ういとされていた妹が元気に退院し、自分のやりたいことを僅かであっても出来ていた。

その事実は錦山にとって、何よりの救いに他ならない。

 

「なぁ遥。由美や優子についてもっと知ってる事、無いか?」

「え?えっと……」

 

遥は顔を困らせて黙りこくってしまう。

しかし、錦山としてもここは退けない。

今はどんな事でも情報が欲しいのが、今の錦山の現状だった。

 

「ちょっと錦山くん、遥ちゃん困ってるじゃない」

「で、でもよ……」

「……いいよ、おじさん」

「え?」

「私の知ってる事、全部話す」

「本当か!?」

 

目を輝かせる錦山だったが、遥はここで条件を突きつけてきた。

 

「うん。その代わり、私も一緒に……良い?」

 

錦山はすぐに思い至った。

遥はついて行こうとしているのだ。

自分の母親を探している錦山の後に。

 

「……さっきの店で、お前の母ちゃんの居場所を聞こうとしてたんだ。でも、今は手掛かりがねぇ」

「私、知ってるよ。"アレス"でしょ?」

「本当に?遥ちゃん」

「うん……だから私も一緒に。私だけじゃどうしてもお母さんに会えないから……ねぇおじさん!良いでしょ!?」

 

錦山は現在、東城会のほぼ全ての勢力から目の敵にされている。

今の彼が遥と一緒に居るのはあまりにも危険だ。

 

(どうする……?)

 

だが、遥の目は何処までも真剣だった。

母親に会いたい一心で、神室町という危険な街を歩き回って来たのだ。

今更引くことは出来ないのだろう。

 

「……分かった、他にどうしようもねぇからな」

 

やがてその真っ直ぐな瞳に錦山は折れた。

実際、遥が居なければアレスの場所は分からない。

彼女を共に連れていかなければ先に進めないのだ。

 

「やった!」

「ただし、だ。危なくなったら直ぐに俺の指示に従う事。約束出来るか?」

「うん、分かった」

「よし……じゃあ、まずは腹ごしらえといくか。腹が減ってはなんとやらだ。麗奈、改めて頼むぜ」

「分かったわ。二人共、大人しく待っててね」

 

錦山と遥。

出所した元ヤクザと小学生の女の子という、世にも奇妙な組み合わせが生まれた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の11時を回った頃。

俺は遥を連れてセレナを出た。

遥の母親の"美月"が居るというアレスへ向かう為だ。

 

(美月……一体優子の何を知っているって言うんだ?)

 

桐生の言っていた話では、その女は優子の事も知っているらしい。

そういった意味では、俺にとっても因縁浅からぬ女であると言える。

 

「おじさんはミレニアムタワーに行ったことあるの?」

 

俺が物思いに耽っていると、遥が声を掛けてきた。

事態が緊急性を要するので失念していたが、目的地に着くまで何も話さないと言うのも変な話だ。

それに、この時間帯に遥ぐらいの歳の子を連れているのは傍から見た時にだいぶ怪しく見える。

職務質問された時に厄介だ。せめて親子か身内には思われる程度に仲良くしてた方がいいだろう。

 

「いや、実は俺も初めて知ったんだよ。まさか"あの場所"にあんなビルが建つことになるとはな」

「あの場所?」

「あぁ。あそこは昔、色々あった場所でな。俺もよく覚えてるよ」

 

カラの一坪事件。

再開発計画に伴う地上げの中で偶然見つかった、たった一坪の土地を巡って起きた堂島組のお家騒動。

俺は堂島組からマトにかけられた桐生を救うため、あちこちを駆け回っていた。

そして、アイツが堂島の龍と呼ばれだしたのもそこからだ。あの時の事は今でも鮮明に思い出せるほど、俺の脳裏に刻まれている。

 

「ふぅん……この街にはたくさんの思い出があるんだね」

「そりゃな。俺も長いことこの街で暮らしてたが、本当に色んな出来事が起こるもんだ。危ない事もいっぱいあったが、退屈はしなかったぜ?」

「そうなんだぁ……私も大きくなったら、この街で暮らしてみよっかなぁ」

 

遥の発言に俺は危ない予感を感じる。

この子の肝の据わりっぷりや行動力からして、本当にやりかねないからだ。

 

「……マジ?」

「うん。ダメなの?」

「ダメってことはねぇが……オススメはしねぇぞ?」

「え、なんで?」

「言っただろ?危ない事もいっぱいあったって。神室町は女の子が一人で過ごせるような安全な街じゃねぇんだよ」

 

神室町は天下の東城会のお膝元だ。

街の中にはヤクザをはじめ、タチの悪いチンピラや外国人が大勢いる。

いたいけな女の子一人で住むのは危険極まりない行為に他ならないのだ。

 

「じゃあ、おじさんが私を守ってよ」

「え?俺が?」

 

困惑する俺をよそに、遥は何気なく続ける。

 

「だっておじさん、由美お姉ちゃんのお友達なんでしょ?だったら、これからもずっと会うことになりそうだし。それにおじさん、とっても強いから」

「おいおい……アテにするのは結構だが、いつでも俺がそばに居ると思ったら大間違いだぞ?」

「そうなの?」

「当たり前だ。俺だって暇じゃねぇ」

 

何せ今の俺は、いつ誰に殺されても可笑しくない状況なのだ。

この一件が片付いた時に無事でいられる保証はどこにも無い。

そんな状態の俺がそばに居ても、かえって遥を危険に晒すだけなのは明白だ。

 

「じゃあ、どうすれば神室町に住んでいいの?」

「そうだなぁ……」

 

問われた俺は少し考える。

どうすれば住んで良いのかを聞くあたり、遥の中で神室町に住む事を譲る気は無いのだろう。

であれば、遥が危ない目に遭わない状況にするしかない。

 

「遥が大きくなった時も傍にいて守ってくれるような、強くて優しい奴と一緒ならいいかもしれないな」

「それって、おじさんじゃダメなの?」

「あぁダメだ。俺なんかよりもずっと強くて優しい奴じゃなきゃな」

 

俺の脳裏には、数時間前に会った男の顔が浮かんでいた。義理堅くて真っ直ぐな俺の親友にして、渡世の兄弟だった男。

あれぐらい強くて優しければ、悪い虫も寄ってこないだろう。

 

「うーん、そんな人居るのかなぁ」

「居るさ。お前もいずれ会えるよ」

 

首を傾げる遥にそう言ってから、ふと考える。

 

(そういや桐生は由美に妹や姪っ子が居たことを知ってたのか?いや、もし知ってるならわざわざ俺に隠したりしない、か……)

 

桐生は最初、美月の事を"優子についての情報を持つ女"であると紹介してきた。桐生の性格上俺に隠し事をする可能性は低く、アイツは本当に美月に対してはその程度の情報しか持っていなかったのだろう。

しかし、実際の"美月"は由美の妹を名乗っていたり、セレナで働いていたりと謎の多い人物だった。

そしてその娘である少女、"遥"。

もしかしたらこの子も、何かしら今回の事件に関わりがあるのかもしれない。

 

(今度はこっちから質問してみるか)

 

そう決めた俺が、遥に質問をしようとした矢先だった。

 

「あー、ちょっとちょっと」

「あ?げっ……!」

 

巡回中の警察官に声を掛けられた。

明らかな職質だ。

 

「あなた達、どういうご関係?」

「えっ、どういうって……?」

 

おそらく職務質問などされた事が無いのだろう、警察官からの質問に遥は困惑する。

だが、俺の脳は今この状況をどう切り抜けるかを必死に導き出そうとしていた。

 

(厄介な事になったな……口裏を合わせようにも、俺はまだ遥の事をよく知らねぇぞ……!)

 

現役の頃は腐るほどされてきた職質。

本来なら口八丁でどうにかなる所だが、今回は俺一人の問題じゃない。

もしも任意同行になれば、俺は仮出所の身でありながら葬儀場で暴れた前科者としてしばらく表立った活動が出来なくなる。

それだけじゃない。無断でヒマワリを飛び出した遥も施設に連れ戻されてしまうだろう。

 

「で、何?あなた、この子のお父さんか何か?」

(落ち着け……なんとかここを切り抜けるんだ……!)

 

俺は冷静を装って警官からの質問に答えた。

 

「いや、俺はこの子の叔父だ。訳あって今は、兄貴夫婦からこの子を預かってるんだ」

「ほー、叔父さんね。じゃあなんでこんな時間にそんな大事なお子さんを外に連れ出してるんだい?」

「この子、こういった都会の街は初めてでさ。興味津々だったから連れ出してやろうと思ったんだ」

「へぇー、こんな時間に?アンタも大人なら、この街がどんなに危ないか知らない訳じゃ無いでしょ?とてもまともな判断とは言えないなぁ……」

(ちっ、結構食い下がってきやがるな)

 

引き下がろうとしない警官に焦った俺は、ここでミスを犯してしまった。

 

「この子がどうしてもって言うからよ。悪いな警官さん、今日はもうウチに連れて帰るよ」

「ウチねぇ……アンタ今何処に住んでるの?ちょっと身分を証明出来るもの見せて貰えないかな?」

(っ、しまった……!)

 

その場を離れようとするあまり、俺は警官に付け入る隙を与えてしまった。

身分証は失効されている免許証があるが、身元を確認されれば葬儀場で暴れた犯人として俺は間違いなく捕まる。

 

「いや、今はちょっとな……」

「身分証明書もないの?困ったねー、悪いけど二人とも署まで来て貰える?」

「いや、そいつはちょっと困るって言うか……嫁さんにも怒られちまうし……」

「嘘つくならマシな嘘つきなよ。アンタ指輪してないじゃないか。それにその格好、とても善良な一般人には見えないんだけど?」

「言いがかりはよしてくれ。こいつはファッションなんだ」

「はいはい、アンタみたいなヤクザ崩れはみーんなそう言うんだよ。後は署で聞かせてもらうから、ほら行くぞ」

 

状況はほぼ詰みに近い。

残された手段は少ない手持ちの金を賄賂として握らせるか、指名手配を覚悟で逃げるかの二択だけ。

ほとんど博打に近いやり方だけだ。

 

(どうする……?)

 

まさに絶体絶命。

一か八か、賄賂を握らせるためにポケットの財布に手を伸ばした。

その時だった。

 

「あの、お巡りさん……!」

「ん?なんだい?」

 

遥が声を上げた。

正直不安はあるがそんな事を言ってられる場合じゃない。

今はもう、遥の発言に全てを賭けるしかないのだ。

 

「これ以上、おじさんの事悪く言わないで……」

「へ?」

(遥、何を言う気だ……!?)

 

俺は思わず生唾を飲み込んだ。

この子の発言に俺達の未来が掛かっている。

 

「おじさん、お父さんと喧嘩して家出してきた私を助けてくれたの。仲直りするまではウチにいていいよって」

「え、そうなの?」

「うん。私が神室町を見てみたいってわがまま言ったのは謝ります。ごめんなさい。だから、もうおじさんの事悪く言わないでください!」

(は、遥……!)

 

予想外のファインプレーに俺は思わずガッツポーズを取りそうになった。

あまりにも上手いその返しに拍手をしてやりたい気分だ。

 

「ああー?じゃあ、本当に叔父さんなんだね?」

「はい!」

「……ってな訳なんだが、わざわざ人をヤクザ呼ばわりしておいて、何か無いんですか?」

「はい、大変失礼いたしました!」

「分かってくれて何よりだ。俺たちももう家に帰るからよ、そっちの手間ぁ取らせて悪かったな。行こうぜ、遥」

「うん、おじさん!」

 

俺が何気なく手を伸ばすと、遥は元気よく返事をしてその手を掴んだ。

敬礼して謝罪する警官の前でこれみよがしに手を繋ぎ、仲良さげに去っていく。

完全勝利と言うやつだ。

 

(やるじゃねぇか、遥……!)

 

目が合った途端、したり顔でウインクをしてくる遥に思わず破顔する。

きっと、この子とは上手いことやっていけそうだ。

 




如何でしたか?
次回はコアな人気を集めるあの男が登場です
お楽しみに


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"西"からの刺客

最新話です

みなさんは分かったでしょうか?
そう、少ない登場回数でありながら中々のインパクトを持って登場し、未だなおコアな人気を持つあの男です

それではどうぞ


2005年12月6日。時刻は午後11時頃。

警官の職務質問を躱した俺たちは、すっかり意気投合していた。

 

「さっきはありがとよ、遥。おかげで助かったぜ」

「ううん。おじさんが嘘ついてごまかそうとしてるのは分かってたから合わせただけだよ」

「いやいや、咄嗟にあそこまで言えるのは大した名演技だよ。将来はアイドルか女優にでもなってるかもしれねぇな?」

「えー?それはさすがに言い過ぎだよぉ」

 

軽口を叩き合いながら街を歩く。

警官を欺くために手を繋いで歩いているのが功を奏したのか、その後は職務質問等を受けることは無かった。

そして。

 

「ここだよ、おじさん」

「あ?ここって……」

 

たどり着いたのは、神室町の中央に位置するとある場所。

再開発計画によって建造された大型ビル、ミレニアムタワーだ。

 

「すげぇな……この中に店を構えるなんて簡単に出来る事じゃねぇ」

「きっとお母さん、頑張ったんだよ」

「……そうだな」

「私、こんなに高い建物、登った事ないよ。上からはどんな景色が見えるのかな」

「神室町どころか、東京中が一望出来るだろうな」

「すごいなぁ、お母さん」

 

遥は純粋に母親の努力の賜物であると思っているが、俺は何処か引っ掛かりを感じていた。

 

(麗奈の話によれば、美月がセレナに居たのは約四年間。これだけの規模のビルに店舗を持つなら、その間に金を貯めたのだとしてもまぁ釣り合わない……何か特別なコネがあるのは間違いねぇ)

 

そして恐らくそのコネは、美月にとって強大な後ろ盾として機能している。

昨年"急に"店を出すことになったのも、その後ろ盾として居る何者かの思惑があったからであると俺は考えた。

 

(その裏に居る奴が一体どこの誰なのか……それも今日、分かるはずだ)

 

美月に会って娘の遥と再会させる。

そして二人を連れて、桐生の所へと向かうのだ。

そうすれば俺の知りたかった事が聞けるはずだ。

由美や優子、そして桐生に一体何が起こったのか。

 

「行こう、おじさん」

「あぁ」

 

言われるがままに俺は遥の後について行った。

自動ドアから中へと入り、無人になってるビルのエントランスを進んでいく。

やがて複数あるエレベーターホールの前へとたどり着いた。

 

「アレスがあるのは何階だ?」

「60階だよ」

「分かった」

 

エレベーターに乗り込み、60階のボタンを押す。

しかしボタンに反応はなく、動き出す気配もない。

 

「あ?動かねぇな」

「おじさん、ちょっといい?」

「お、おう」

 

すると遥がいくつかの階のボタンを押す。

その途端、俺達の乗ったエレベーターが大きな音を立てた。

 

(なんだ?)

「おじさん、60階押してみて」

「わ、分かった……」

 

言われた通り60階のボタンを押すと、今まで反応していなかったボタンの明かりが点灯した。

 

「これって……暗証番号か」

「うん。お母さんがね、手紙で教えてくれたの。お店の自慢の一つだって」

「ほぉ、そりゃすげぇな」

 

やがて俺たちの乗った四角い箱が、駆動音と共に最上階へと向かい始める。

最新式なのだろうか、エレベーターは危なげな音もなくスムーズに俺たちを最上階まで運んだ。

 

「な、こいつぁ……!」

 

エレベーターの扉が開いた時、俺は息を飲んだ。

最初はフロアの一部に店舗をこっそり構えているものだと思ったが、そうじゃない。

フロア全てが、店だったのだ。

 

「すごい……お城みたいに広いね!」

「まさか、フロア丸ごと全部だなんて……バブルの頃の六本木かよ……」

 

広大なフロアの中央には踊り場。文字通り社交ダンスでも出来そうな広さだ。

左手にはいくつかのテーブル席に加え、グランドピアノも置いてある。

さらに入って右手にはバーカウンターと、奥にナイトプールまで備わっている。

 

(美月の後ろ盾……いよいよ只者じゃねぇなこりゃ……)

 

こんなにも豪華な店は、余程の財界人や権力者でもない限り入ることさえできない超高級店だ。

セレナ時代にお金を貯めただけじゃ絶対にたどり着くことなど出来はしないだろう。

 

「バブル?おじさん、バブルって何?」

「バブルってのはな、簡単に言うと日本人がみんな金持ちだった頃だ」

 

空前の好景気に見舞われ、誰も彼もが浮かれはしゃいでいた時代。

煌びやかで豪華な反面、今よりも闇が深かった時代だ。

 

「すごい!じゃあおじさんもそうだったの?」

「まぁな。50万円のスーツ着て、500万のスポーツカーを乗り回してたもんさ。今じゃ全部弾けちまったがな」

 

確かにいい時代ではあったが、いい事ばかりって訳でも無い。

あの頃はヤクザが今よりも幅を利かせていて、揉め事や事件が後を絶たなかった。

俺が刑務所でやりあった久瀬の兄貴も、そんな時代の人間だ。

 

(今よりも、酷い所は酷かったな……)

 

好景気に浮かれて遊び呆けた挙句に負債を抱えた若者や老人。そいつらを食い物にするヤクザ。

裏取引や賄賂は当たり前の警察組織。

流れた血や泣きを見た人達は、俺が想像するよりもずっと多く居るはずだ。

 

「あ、おじさん……これ……」

 

俺が思いを馳せていると、遥が何かを見つけたらしい。

近づいてみると、そこにあったのは壁に飾られた美月の写真だった。

 

「これは……!」

 

俺はすぐに懐から桐生から預かった写真を取り出し、比較する。

そこに飾られていたのは、俺が渡された写真の女に間違いなかった。

 

「美月……この女がそうか」

「この人が、私のお母さんか……綺麗だなぁ」

 

子供らしい素直な感想をつぶやく遥だが、俺には考える事が山ほどあった。

 

(胸元に見える花模様の刺青も一致している……確かに、由美に似ている気もするが、こう改めて見てみるとなんだか洗練され過ぎてる気もするな……)

 

麗奈の話によれば、由美自身も自分の妹の存在を知らなかったと言う。

更にいえば、由美達が神室町から姿を消したタイミングでこの女は現れたって話だ。偶然にしては出来すぎている気もする。

 

(この女は本当に由美の妹なのか?)

 

5年前、神室町に突如として現れた謎の女"美月"。

その謎は、調べれば調べるほど深まるばかりだ。

 

「おじさん……」

「ん?どうした遥」

「由美お姉ちゃんと優子先生についてなんだけど……」

 

そこで俺はハッとした。

あまりにも美月について考える事が多く失念していたが、俺が美月を探している本当の目的は由美と優子の行方を探るためなのだ。

遥をここまで連れてきたのは、二人について知っていることを話してもらうのを条件にしたからに他ならない。

 

「そうだったな……頼む遥。俺に教えてくれ」

「うん……」

 

そして遥はボソボソと語り始めた。

その顔に、一抹の寂しさを浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が最後に由美お姉ちゃんに会ったのは、もうだいぶ前の事。

私がまだ4歳ぐらいの頃だった。

その日は、ヒマワリでクリスマスパーティーの準備をしてた。

施設の子供たちみんなと飾り付けして、お料理を作って、プレゼントは何が貰えるのかとか、サンタさんは本当に居るのかな?とか、みんなで楽しそうにしていたんだ。

その時施設に居たのは私を入れた何人かの子供たちと、園長先生。

それから、施設を作ってくれた"風間のおじさん"に由美お姉ちゃんに優子先生。

そして、私の"お父さん"だった。

 

『じゃあ遥ちゃん。私たち、ちょっと出かけてくるから』

『お父さんと、いい子にして待っててね?』

『うん!』

 

ある時、由美お姉ちゃんと優子先生がヒマワリから出かけて行った。その時は分からなかったけど、多分プレゼントを買いに行ってたんだと思う。

お父さんと手を繋いで、玄関から出ていく二人を見送ったのは今でも覚えてる。

 

『ねぇ、おとうさん』

『ん?』

『おかあさん、きょうもきてくれないの?』

 

その時の私は、お母さんに会えない不満をよくお父さんにぶつけていた。

お母さんのお姉ちゃんである由美お姉ちゃんは毎年この時期にしか来ないし、優子先生にそんな事を言っても仕方ない。

結果として、私は月に一度顔を見せてくれるお父さんに文句を言う事しかできなかったのだ。

 

『あぁ……お母さんはな、仕事が忙しいんだ』

『おかあさんっていっつもそう……わたしのこと、きらいなのかな……?』

 

私が泣きそうな顔をすると、決まってお父さんはしゃがみ込んで私の頭を撫でてくれた。

そして、私の目をしっかりと見てこう言うんだ。

 

『遥、それは違う。お母さんは誰よりも、お前の事を愛してるんだ』

「ほんと……?」

『あぁそうさ。今は無理でも、お母さんは必ず遥に会いに来てくれる。必ずだ』

 

お父さんの力強い言葉を聞いていると、何故かいつもそうだと思えてしまった。

今考えると、とても不思議だったと思う。

その後私とお父さんは、お部屋の飾り付けを進めていた。

料理も出来上がって、後は二人の帰りを待つだけになった時、お父さん宛に電話が来た。

 

『俺だ…………な、なんだと……!?』

 

電話で誰かと話し始めたお父さんが見た事のない怖い顔をし始めた。

風間のおじさんと何かを話していたが、その時の私にはよく分からない。

 

『遥、お父さんは今から由美お姉ちゃんと優子先生を迎えに行って来る!先にパーティーを始めててくれ!』

『お、おとうさん……!?』

 

そう言ってお父さんは大急ぎでヒマワリを飛び出していった。

あの時のお父さんの必死そうな顔は、今でも忘れられない。

結局その日、お父さん達は帰ってこなかった。

パーティーは風間のおじさんと私達だけで行われ、プレゼントが無いことにみんなが不満を漏らしている中、私は三人のことが心配で仕方が無かった。

そして、それからちょっと経った頃。

優子先生がヒマワリに戻ってきた。

 

『ゆうこせんせい!』

『遥……ちゃん……』

 

その時の優子先生は、なんだか様子が変だった。

目の下は黒くて、顔色も悪くて、とても元気が無さそうに見えた。

 

『どうしたの?ゆうこせんせい?』

『……っ!』

 

すると優子先生は私のことを抱き締めた。

 

『ごめんね、ごめんね……遥ちゃん……ごめんね…………!!』

『せ、せんせい……?』

 

いつもニコニコ笑ってて優しかった優子先生が、その時はそう言いながらボロボロ泣いてた。

何が何だか分からなかったけど、かわいそうだと思った私は優子先生の頭を撫でた。

 

『どうしたの?なかないで?げんきだして?』

『っ……!っ……!!』

 

そんな事があって、更にしばらくした後。

優子先生は急に、ヒマワリの先生を辞めることになった。

あまりにも突然のお別れに泣き出す子供たちもいっぱい居た。

でも私は、小さいながらに何となく思った。

あのクリスマスパーティーの日、きっと私の知らない何かがあった。そのせいで優子先生は泣いてたんだって。

その日から、毎年来ていた由美お姉ちゃんも、毎月顔を出してくれたお父さんもヒマワリには来なくなった。

その代わり毎年クリスマスになると手紙が送られるようになった。今まで一度も顔を見た事が無い、お母さんからの手紙だった。

お母さんが神室町という街で働いている事、お店を出す事が決まった事、お父さんとお母さんは元気でいる事……色んなことが書かれていた。

でも、私が欲しかったのは手紙なんかじゃない。

 

『会いたいよ……お父さん、お母さん……!』

 

私は来る日も来る日も手紙を出し続けた。

お父さんとお母さんに会いたい。その一心で。

それでも、決まって帰ってくる返事は"どうしても迎えに行くことが出来ない"って文字だけ。

そんな時、手紙と一緒にあるものが送られてきたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それが、これ……」

 

遥はポケットからあるものを取りだした。

 

「こいつは?」

「お母さんが私にって、手紙と一緒に送られてきたの」

「これは、ペンダントか?」

 

花のような装飾が施された銀色のペンダント。

小さな鍵穴が付いており、中に写真などを入れるタイプの代物だ。

 

「お守りなんだって」

「お守り?このペンダントがか?」

「うん。でも、これが送られてきた時思ったんだ。"私、本当にもうお母さんと会えなくなるかもしれない"って」

「そうか、だから孤児院を飛び出して……」

 

錦山は合点がいった。

両親に出会う事を切望していた遥に送られてきた謎のペンダント。お守りだと言われて遥の手に渡ったそれは、彼女にとってきっと"虫の知らせ"と言うやつだったのだろう。

何か良くないことが起こるかもしれない。

不安に駆られた遥は、持ち前の胆力と行動力で孤児院を飛び出して神室町にやってきていたのだ。

顔も覚えていない、母親を探し求めて。

 

「ん……?」

 

その時、エレベーターの到着音が錦山の耳朶を打った。

自分以外の誰かがこの場所にやってきたという事だろう。

麗奈は美月から店がオープンしたことを知らされていないことを鑑みるに、この状況で自分達以外にこの店に足を踏み入れられる可能性がある人間は限られて来る。

 

「遥、俺の後ろに隠れてろ」

「わ、分かった」

 

美月本人か、その後ろ盾にいる何者かか。

はたまた、そのどちらかの命を狙う第三勢力。

いずれにしても用心しておく必要があると判断した錦山は、遥を庇うように立ってエレベーター付近を睨みつける。

そして。

 

(ちっ……穏やかじゃ無さそうだな……)

 

中から出てきたのは、スーツ姿の男たちだった。

頭数は七人。いずれもただならぬ雰囲気を出している。

男たちは悠々と歩いてくると、錦山達の前で立ち止まった。

背後に壁があり、逃げる事は出来ない位置関係である以上、錦山はこの男たちと対峙する以外の道が無くなってしまった。

 

「あんた、錦山さんでっか?……元堂島組の」

 

長身の男が先頭に立ち、錦山へと向かい合う形になる。

短髪のパンチパーマに、平べったい顔と細い目。

キッチリと胸元まで締められたネクタイはどことなく誠実な印象を与えるが、その全身からは誠実とは真逆の好戦的なオーラが出ている。

 

「……だったらなんだ?」

「お初にお目にかかります。ワシ 五代目近江連合本部の"林"言いまんねん。噂はよう聞いてまっせ」

 

五代目近江連合 舎弟頭補佐。林 弘。

関東一円を支配下に置く東城会と双璧を成す広域指定暴力団、近江連合。

関西の極道全てを牛耳る一大組織だ。

 

「近江連合だと?関西のヤクザが俺になんの用だ……?」

「いや……」

 

その時、錦山のジャケットに着いたポケットが小刻みに震えた。

伊達から預かった携帯のバイブレーションだった。

 

「……」

「電話鳴ってまっせ?どうぞ気にせんと、取っておくんなはれや」

 

優しさなのか、それとも余裕なのか。

数秒後には死地になり得るこの状況において、林は錦山に電話に出るよう促した。

錦山は決して警戒を緩めぬまま、ゆっくりと携帯電話を取り出して通話ボタンを押す。

 

「錦山だ」

『伊達だ。錦山、100億の犯人(ホシ)が分かったぞ』

 

そして伊達は、電話越しに驚愕の事実を明らかにする。

 

『"由美"だ。お前の追ってる由美と優子。その片割れがホシだ』

「なんだって!?」

 

錦山は危うく警戒が解けそうになるのを必死でこらえる。それほどまでに、伊達から与えられた情報は衝撃的だった。

 

『現場に、ネックレスが落ちていたらしい』

「ネックレス?」

『あぁ……指紋や購入履歴を洗った所、お前が10年前に由美にプレゼントとしたものであると裏が取れた』

「!」

 

それを聞いて錦山は思い出した。

堂島組長射殺事件の数ヶ月前。由美の誕生日が近い事を知った錦山と桐生は、それぞれプレゼントを用意した。

錦山はピンクダイヤのネックレス。

そして桐生は、指輪。事件の日、錦山が現場から拾ったあの指輪それぞれプレゼントしていたのだ。

伊達が言うには、その時のプレゼントであるネックレスが現場にあったという。

 

『とにかく、東城会は彼女とその"共犯の女"を追っているそうだ』

「共犯?」

 

錦山は思わず、背後にある美月の写真に目を向けた。

状況からして、今彼が追っている美月が共犯者である可能性が非常に高かったからだ。

 

『そうだ。明日セレナで話がしたい。大丈夫か?』

「……分かった。じゃあな」

 

電話を切った錦山は、林達へと向き直る。

その目は、完全に林達を敵として捉えていた。

 

「そういう事か……お前らも由美と美月を追っているんだな……?」

 

近江連合はどこからか東城会の消えた100億の情報を知り、それを盗み出したであろう由美と美月を追っていると推測した。

しかし、林はその推測に否を突き付けた。

 

「いや、ワシらが追ってるのはそこのお嬢さんですわ」

「えっ!?」

 

予想外の展開に、錦山は驚きを隠せない。

100億円に関わっているであろう由美や美月とは違い、遥は無関係なただの少女だ。

それを東城会どころか外様の近江連合が狙う理由などある筈がない。

 

「何でこいつを!?」

「ふっ、それは言えまへんなぁ。ワシらも近江連合のモンですさかい。錦山さん、大人しゅうその子渡したってぇな」

「……この状況で渡すとでも思ってんのか?」

 

錦山はすぐさま臨戦態勢を整えた。

身体のスイッチを切り替えて、内に秘めていた闘気を表出させる。

 

「ふん、ワシが優しく言うてる内に渡すのが身のためでっせ?親殺しの悪名が広がっただけで粋がっとるワレのようなチンピラ一人、正直殺すのも面倒なんや」

「言ってくれんじゃねぇか、大仏ヅラが。ヤクザなんかやめて出家でもしたらどうだ?」

「はぁ!?」

 

錦山に煽り返され、林にもスイッチが入る。

周りの部下達も同様だ。

 

「お前らがどう思ってるかは知らねぇけどな、俺はこんな所で殺されるほどヤワじゃねぇよ」

「はっはっは!ほなしゃあないなぁ……おい、殺れや!ぶち殺したれや!」

「遥、下がってろ!」

「うん!」

 

切って落とされる闘いの火蓋。

思わぬ場所からの刺客との闘いは、六人の取り巻きを相手取る所から始まった。

 

「死ねやぁ!」

「オラァ!」

 

一人目のヤクザの一撃に、錦山は左手ストレートのカウンターを合わせて仕留める。

 

「ぶげっ!?」

「このガキ!」

 

錦山はすかさず掴みかかる二人目の懐に膝蹴りを突き刺して引き剥がすと、その顔面に前蹴りをぶち当てた。

 

「うがっ!?」

 

吹き飛ばされる二人目を見て慄くヤクザ達。

しかし、そこへ林が号令をかけた。

 

「何をビビっとんねん!遠慮なく行ったれや!」

「「「「へ、へい!」」」」

 

激を飛ばされたヤクザ達は、勢いのままに四人一斉に錦山に飛び掛かる。

逃げ場のない錦山が取った行動は、意外にも背後に向かって駆け出す事だった。

 

(血迷ったんか……?)

 

怪訝な表情をする林だったが、錦山の狙いは逃げ場の無い場所で逃げようとすることでは無かった。

 

「ふっ!」

 

錦山は軽く息を吐くと、地面を踏んで壁に向かってジャンプした。

そしてその壁をもう片方の足で力強く蹴ると、その反動を利用してヤクザ達よりも更に上へと飛び上がる。

 

「なっ!?」

 

一人のヤクザが驚きの声を上げた直後、錦山のかかと落としがその脳天を直撃した。

 

「がぶっ!?」

 

瞬く間に意識を失う三人目。残る取り巻きはあと三人。

 

「こ、このボケが!」

 

四人目のヤクザが錦山の顎を目掛けてアッパーを繰り出す。しかし彼の拳が叩いたのは錦山の顎ではなく、打ち下ろされたエルボーの肘だった。

 

「ぎゃああああ!?」

「でぇりゃァ!!」

 

拳が割れて悲鳴をあげる四人目のヤクザの顎を、今度は錦山が正確に打ち抜いた。

ムショ仕込みの華麗な右アッパーで。

 

「大人しゅうせぇや!」

 

錦山の背後から五人目が迫り、彼を羽交い締めする。

 

「おっしゃ、そのまま抑えとけ!」

 

それを六人目が正面から襲いかかる。

大股で大きな構えと振りかぶりから、錦山はラリアットが来ると予測した。

そして、彼は六人目が大股である所に目を付ける。

 

「悪く思うなよ!」

 

錦山は近づいてきた六人目の股を蹴り上げた。

金的蹴り。ありとあらゆるスポーツや格闘技に置いてそこを狙うのはタブーとされる人体の、いや男の急所だ。

 

「ぁおっ……っぅぱ…………っ!!!!?」

 

その痛みはまさに世界の終焉。

男として生まれた以上、その痛みは決して避ける事が出来ない。

 

「お、おどれなんて真似を……!?」

 

泡を吹いて悶絶する六人目を見て、五人目がその所業に戦慄する。

その痛みを知る者は、いや知る者であるからこそ"そこ"を狙う者は鬼畜外道と称されても文句は言えない。

だが、錦山はそんな事を言ってられる状況ではない。

負ければ文字通り命は無いのだ。

 

「離せよ、オラァ!」

 

錦山は羽交い締めするヤクザの足を踵で踏み抜き、五人目の拘束を解く。

そしてすぐさま振り返りざまに裏拳を叩き込んだ。

 

「こ、っ…………!?」

 

顎を正確に撃ち抜かれた五人目は、糸の切れた人形のごとく床へと崩れ落ちた。

 

「ほぉ……そこそこの腕利き連れてきたつもりやったが、存外やりまんなぁ」

「……次はテメェだな。かかって来いよ」

「ほな……遠慮はせんでぇ!死に晒せやぁ!!」

 

近江連合舎弟頭補佐。林弘。

"西"から現れた謎の刺客が、猛然と錦山に襲いかかる。

時刻は午後11時20分。

錦山の長い一日が、もうすぐ終わろうとしていた。

 




如何でしたか?

新たな謎が深まり、この日最後の戦いの幕が上がった所で、この章は終わりです。

次回は断章となります。
ついに"あの男"が本編より先んじて登場……!?
是非お楽しみに


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断章 1995年
拳を活かす道


ヒッヒッヒッ……

待たせたのぅ?お前ら


1995年。11月某日。

堂島組長射殺事件から約一ヶ月が経ったこの日。

天下一通り裏にある小さな児童公園のベンチに桐生一馬は座り、頭を抱えていた。

彼は今、非情な現実を突き付けられているのだ。

 

(クソっ……どうすりゃいいんだ……)

 

それは、渡世の親である風間新太郎が提示してきた優子を救う為に定められた期間までに金を用意する事だった。

その額、7000万円。

 

(親っさんの言う通り、手段を選ばなければ届かねぇ額じゃねぇだろう……)

 

風間は桐生に告げた。

それだけの額を稼ぐ為には汚いシノギを容認し、己の筋や信念を曲げる必要があると。

その言葉は正論だ。短期間の間にそれだけの金額を用意するにはそれこそなりふり構ってなど居られないだろう。しかし、桐生にはそれでも折れてはならない理由があった。

 

(だが風間の親っさんは、俺が"極道"としてあり続ける事を前提に松重を預けた……その俺が極道としての筋を誤れば、親っさんの期待を裏切る事になっちまう)

 

桐生にとっての極道のルーツは風間にある。

風間の反対を押し切って極道になったからには、風間の為にどんな事でもやってみせる。それが桐生の根底にあるものだ。

しかしこのままでは、風間が当初自分に対して求めていた事に応えることが出来ない。

何せその風間本人が、己の思惑を妥協して汚いシノギに手を染めるように言ってくるくらいなのだ。

 

(それは出来ねぇ……それに優子だって、自分の命が助かったのが誰かの悲しみの上なのだと知ったら…………)

 

カタギを食い物にし、泣かせ、時には命さえ奪う。

そんな人の道を外れた方法で手に入れた金で手術を成功させたとして、果たして優子は喜ぶだろうか。

自分の命の為に何人もの人間が悲惨な目に遭う。

そんな事になればきっと彼女はこう思ってしまうだろう。"私なんか、助からない方が良かった"と。

 

(それじゃ何の意味も無い……優子にも、ムショにいる錦にも顔向け出来ねぇ……)

 

なればこそ、桐生は道を外す訳には行かなかった。

風間の期待に応え、優子に余計な不安を負わせず、兄弟に胸を張れる。

誰もが望む最高の結末を、絶対に諦めない。

それが桐生一馬。"堂島の龍"と称された伝説の極道の生き様なのだ。

 

(だが、今の俺には手段がねぇのも事実だ…………)

 

しかし、それは実力が伴ってこそ。

この場における実力とは何も腕っ節の事だけでは無い。

取れる手段が多いことも含めての実力だ。

それが無い以上、桐生の掲げる極道はただの青臭い理想論に過ぎないのだから。

 

(どうすりゃいい……どうすりゃスジを違わず金を稼げる……?)

 

どこかで手段を手に入れるしかない。

しかしその手段とは一体何なのか、桐生自身にも検討が付かない。

思考が袋小路に陥って、堂々巡りを繰り返す。

こうしている今も、優子のタイムリミットは迫っていると言うのに。

 

(何か……何か手はねぇのか……!?)

 

八方塞がりの現状に桐生が思わず歯噛みした。

その時だった。

 

「桐生ちゃん、めーっけ!」

 

まるで小学生の子供のような素っ頓狂な声で、自らの名前を呼ぶ誰か。

その声の主を、桐生は嫌という程知っていた。

 

「チッ……またアンタか……」

「なんや桐生ちゃん、つれないのぉ?なんか嫌な事でもあったんか?」

 

気さくに話かけてくるその人物は、あまりにも奇抜な格好をしていた。

テクノカットの髪型と、左目の黒い眼帯。

冬を目前にした季節でありながらインナーを着用しておらず、素肌の上から金色のジャケットを羽織っている。

その胸元には刺青が見え隠れしており、彼がカタギの人間でない事を如実に表している。

 

「今忙しいんだ……放っておいてくれないか。"真島の兄さん"」

 

東城会直系嶋野組内真島組組長。真島吾朗。

その破天荒で荒々しいやり口から"嶋野の狂犬"と恐れられ、桐生一馬の"堂島の龍"と並び称された伝説の男である。

 

「なんやねん、忙しいってお前……ベンチで項垂れとるだけやないか。どこが忙しいっちゅうねん」

「今、考え事をしているんだ、アンタに構ってる余裕はない。放っておいてくれ」

「そうはいかんで桐生ちゃん」

「なに?」

 

気さくなトーンだった真島が、不意に真面目な口調で話し始める。

 

「言うたはずやろ?俺はお前を四六時中見張るってな。そんで、スジが通っとったら俺との喧嘩を買うてくれる。そういう約束やったやないか」

 

それは、堂島組長射殺事件の前日の夜に遡る。

桐生がセレナの裏で真島の部下と揉め事になり、真島がその仲裁に入るという出来事が起きた。

それだけなら良かったのだが、その後真島が躾と称して執拗に部下を痛めつけ始めたのだ。

見かねた桐生が逆に真島を止め、自分であれば筋の通ったやり方を貫くと宣言した事で、桐生は真島の怒りを買ってしまう。

何度か殴打されても"筋の通らない喧嘩をしない"と決してやり返さない桐生を気に入った真島は"筋さえ通せば喧嘩が出来る"と解釈し、それ以降真島は街の至る所で桐生にちょっかいをかけて闘いを挑んで来る厄介な男になったのである。

 

「えぇ、そうでしたね。ですが今、真島の兄さんと喧嘩をする理由はありません」

「ワシがここでちょっかいかけ続けてもか?ワシの読みによれば、こうしてればその内桐生ちゃんからイラついて喧嘩したくなると踏んどるんやが」

「徹底的に無視します。今の俺は、そんなことをしている時間すら惜しいんだ。分かったらさっさと帰ってくれ」

「ふぅん……そっかぁ、残念やわぁ」

 

真島はどこか間延びした声を上げながら、わざとらしく落胆する。

その芝居がかった動作に苛つきを覚える桐生だったが、ここで乗ってしまうのは真島の思う壷である。

そして桐生が再びベンチで考え事に没頭しようとした、そんな矢先だった。

 

「あーあ、せっかく桐生ちゃんにピッタリなシノギを教えてあげようと思っとったのになぁ〜、ホンマに残念やわぁ〜……」

「……………………なに?」

 

聞き捨てならないその単語に反応する桐生に、真島は実に楽しげなしたり顔を浮かべる。

まるで、獲物が掛かった瞬間の釣り師のような表情だ。

 

「ヒッヒッヒッ……せやから言うたやろぉ?桐生ちゃん。ワシは四六時中お前を見張っとるってな。お前が今何に悩んで何を探し求めてるかも、ぜーんぶお見通しや!」

「なんだと……?」

「桐生ちゃんは今、病院に入院してる誰かを助けたい。そのためには莫大なカネがかかる。せやけど汚いシノギには手を染めたくない。大まかに言えばこんな所やろ?」

「っ!?」

 

桐生の顔が驚愕に染まる。

真島の持っている情報は、桐生の置かれた現状をほぼ正確に言い当てていた。

 

「ワシはそんな桐生ちゃんにうってつけの話を持ちかけに来たんや。せやのにそんな風に言われるんやったらもう知らん、ずっとそこで足りない脳みそ振り絞っとればええわ。ほなな」

「…………待ってくれ、真島の兄さん」

「なんや?」

「そのシノギ……俺に教えてくれませんか?」

 

真島は実に愉快な笑みを浮かべながら、桐生に歩み寄る。

 

「えぇ〜?だって桐生ちゃん暇や無いんやろぉ?」

「さっきの事は謝ります。だからどうか、その話を俺に教えてください。お願いします」

 

桐生は己のプライドをかなぐり捨て、真島に直角に頭を下げた。

優子の命がかかっている以上、筋の通らない事以外はなんだってやる覚悟の桐生にとって、頭を下げる事など造作もないことだ。

 

「せやなぁ……どないしよっかなぁ……」

「頼みます……真島の兄さん……!」

「…………ほんなら、ワシと喧嘩せいって言うたら、どないする?」

「!」

 

桐生は目を見開いた後に、自分が罠にかかったと実感する。

これでもう、桐生には立派に喧嘩する理由が出来てしまったのだから。

"真島から、筋の通ったシノギの情報を力づくで聞き出す"という立派な理由が。

 

「良いでしょう……それで兄さんが納得するなら、受けて立ちます」

「よっしゃ!ほな早速、そこの空き地で喧嘩しようやないか!」

 

大いに喜ぶ真島は辛抱たまらないと言った様子で、公園前の空き地へと足を運ぶ。

四方をビルで囲まれているその場所は、人目を遮るにはうってつけの場所なのだ。

桐生も不本意ながら空き地へと足を踏み入れる。

 

「さぁ、始めんで……!」

 

真島は懐から愛用のドスを取り出し、鞘から抜き放つ。

それに対し桐生もまた、ファイティングポーズを取る。

 

「あぁ……来い、真島!」

「行くでぇ、桐生ちゃん!」

 

東城会直系嶋野組内真島組組長。真島吾朗。

嶋野の狂犬との命をかけた喧嘩の幕が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、その喧嘩を物陰から覗く"ある男"がいた。

その人物はこの近辺をシマとしている東城会系組織の極道だ。

本来、自分のシマで起きている揉め事は早急に仲裁、解決しなければならない。

地域住民に警察に通報された場合に、シノギ等の動きが取りづらくなるからだ。

しかし、男はその喧嘩に見とれてしまっていた。

 

「うぅりゃァ!」

 

"嶋野の狂犬"がドスを片手に襲いかかる。

その華麗なドス捌きはまさに変幻自在で、どこから斬撃が来るのか予測するのは非常に難しい。

 

「ふっ、はっ!」

 

しかし、その目にも止まらぬ斬撃を"堂島の龍"は正確に見切って躱している。

並外れた反射神経と動体視力が無ければ成せぬ技だ。

 

「どりゃァ!」

 

そして反撃と言わんばかりに堂島の龍が右の拳を振り抜く。

空気を引き裂きながら突き進むその拳を嶋野の狂犬が紙一重で躱して、再び刃を振りかざす。

 

(なんという闘いだ……!)

 

拳と刃。パワーとスピード。荒々しさと精錬さ。

相反する二つが見事なまでに調和しているその光景は、命のやり取りと言うにはあまりにも美しすぎた。

そして。

 

「オラッ!」

 

堂島の龍の蹴りが、狂犬の刃を弾き飛ばした。

 

「なっ!?」

「でぃやァ!はぁッ!!」

 

その事実に反応が遅れた一瞬の隙を突き、そのままの勢いで軸足を入れ替えた後ろ前蹴りを狂犬の腹にねじ込まれる。

そして吹き飛ばされた所に胴回し回転蹴りの追い打ちを叩き込んだ。

 

「げはぁっ!?」

 

逃げ場の無い状態でモロにそれを受けた狂犬は、為す術なく地面に叩き付けられる。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……これで満足か、真島の兄さん」

「ぜぇ、ぜぇ…………あぁ、やっぱりゴツイのぅ、桐生ちゃんは……」

 

大の字に寝そべる真島と、息を切らす桐生。

闘いは、決着した。

 

「さぁ、約束だ。シノギについて教えてくれ」

「そいつは……その仕切りをしている本人の口から聞いてくれや」

「なに?」

 

真島のその発言で、男は自分が呼ばれている事を理解した。

 

「見とったやろ?九鬼のおっさん」

「あぁ、見ていたとも」

 

呼び掛けに応じ、いよいよ男が二人の前に姿を現す。

現れたのは紫色のジャケットを身にまとい、坊主頭と髭を生やした壮年の男。

 

「初めましてだね?桐生くん」

「アンタは……?」

「私は九鬼隆太郎。これでも、直系の組長をやらせてもらってる」

 

東城会直系九鬼組組長。九鬼隆太郎。

それがこの男の名前と肩書きだった。

 

「いやいや素晴らしい……実に見応えのある喧嘩だったよ……」

「覗き見ですか……趣味が良いとは言えませんね」

 

直系組長ともなれば自分より格上だ。

一応言葉を正す桐生だが、本来見世物では無い自分の喧嘩を覗き見されるのは気分が良いとは言えなかった。

 

「悪く思わないでくれたまえ。私に君たちの喧嘩を見ろと言ったのは、そこの真島くんなのだから」

「……どういうことですか、真島の兄さん」

 

そんな話は聞いていない、と睨みつける桐生。

しかし真島は、必要な事だったと弁解した。

 

「桐生ちゃん、これは俺が喧嘩したい為の口実であるのと同時に、テストでもあったんや」

「テスト?」

「せや。俺がこれから教えるシノギは、決して善良なカタギを食い物にするモンやない。その代わり……人死にが出ることも珍しくない過酷なモンや」

 

真島は跳ねるように起き上がると、真剣な眼差しで桐生を見つめた。

そこに桐生を貶めようという意思は微塵もない。

 

「本気のワシと直接やり合えるくらいじゃなきゃ、このシノギは務まらん。せやからシノギの仕切りをしとる九鬼のおっさんに、桐生ちゃんがどれくらい強いのかを見てもらう必要があったっちゅうわけや」

「そういう事だったのか……」

 

桐生は納得する。

確かに命の危険が伴う過酷なモノなのであれば、真島を御しきれないようでは務まるはずがない。

 

「で、九鬼のおっさん。桐生ちゃんはどうやった?アンタのお眼鏡にかなう男やったか?」

 

真島の問に対し、九鬼は大いに頷いた。

 

「正直、想像以上だったよ。先程は二人の闘いに芸術性すら見出せそうだったくらいだ。流石はあの"堂島の龍"と言った所だね」

「ヒッヒッヒッ、せやろ?桐生ちゃんが来れば、おっさんのシノギも大盛り上がりやで!」

「盛り上がる、だと?」

 

話が読めない桐生をよそに、九鬼は桐生に対し太鼓判を押した。

 

「桐生くん、君には早速うちのシノギに参加して貰いたい。今から時間はあるかね?」

「……えぇ、よろしくお願いします」

「よし、そうと決まれば善は急げだ。私について来てくれたまえ」

 

九鬼はそう告げると踵を返して歩き出した。

桐生と真島もまた、その後に続いていく。

 

(一体、何が始まるって言うんだ……?)

 

その先に待っているものは、天国か地獄か。

桐生一馬は今、己次第でその全てが変わる欲望の巣窟へと足を踏み入れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1940年代。

日本が戦争に負け、神室町が今のような繁華街では無く闇市だった頃の時代。

とある空き地に進駐軍払い下げのテントと、粗末な四角いリングが立てられ、そこで賭け試合が行われる事になった。

当時、物資の少ない東城会にとってその興行は数少ない収入源で、ゴロツキやヤクザと言った荒くれ者から、空手家にプロボクサー、力士にプロレスラー、果ては戦争上がりの軍人や米軍兵士に至るまで、数え切れない男たちが最強の称号を求めてそのリングに上がったという。

己の意地やプライドを賭けた男達の闘いの中に大戦直後の大衆は希望を見出し、心を躍らせた。

そしてここは、そんな場所をルーツとする神室町のとある場所の地下深く。

暇と金を持て余した人間達が、極上のスリルを求めて集まる禁断の場所。

 

『Ladies&Gentleman!!』

 

暗がりの地下空間に、大勢の歓声とスピーカーを通したアナウンサーの声が響き渡る。

そして中央には六角形のリングがあった。

 

『Welcome to The DRAGON HEAT!!』

 

非合法地下格闘技カジノ。"ドラゴンヒート "

それこそが、九鬼隆太郎の仕切るシノギの正体だった。

 

『さぁ、待たせたな会場の皆ァ!!地下格闘場 ドラゴンヒートォ!旗揚げ戦の開幕だァー!!』

 

アナウンサーの声に、会場がどっと湧く。

スリルと刺激を求めてやってきた選ばれし者たちは、早く血を見せろと歓声を上げる。

 

『ルールは至極簡単!TKO、ドクターストップ無し!時間無制限、テンカウント完全ノックアウト方式!武器使用以外はルール無しの、ガチンコタイマンバトル!!流血、失神、何でもありの極上格闘スペクタクルだァァァ!!』

 

試合開始前から会場の熱気は最高潮。

動く単位の金も、億は下らないだろう。

 

『さァ、オーディエンスもお待ちかねのようなので、早速始めていこうかァ!ドラゴンヒート旗揚げ戦、記念すべき最初の一戦に立ち上がったのはァ……コイツだァァァ!!』

 

白いスモークがゲート付近から吹き出し、観客をより一層盛り上げる。

そんな中、いよいよ最初の男がリングインした。

 

『OH~THE HEAD!!神室町で知らぬ者は居ないとされる伝説の極道がァ、旗揚げ早々ドラゴンヒートにカチコミをかけてきたぜェ!!"伝説の龍"!桐生ゥゥゥ、一馬ァァァ!!』

 

背中の龍を衆目に晒しリングへと足を踏み入れる桐生。

彼は真島の言っていた意味を、ここに来てようやく理解していた。

 

(なるほど、非合法の賭け試合か……確かにカタギを食い物にはしてないが、下手をすれば死にかねない過酷なシノギだ。真島の兄さんの言った通りだな)

 

理想論や道理を掲げていても、実力が無ければ事を成せない。

だが、桐生には類まれなる腕っ節がある。

シノギを回す知恵や知識が無いのであれば、己が得意とする分野で勝負をする。

結局のところこういったやり方が、桐生一馬の性に合っているのかもしれない。

 

『さあ、カチコミをかけてきた最強のヤクザに真っ向勝負を挑むのはァ……コイツだァ!!』

 

桐生とは反対側のゲートからスモークが吹き出す。

そして、その選手の名前を聞いて桐生は思わず声を上げる事になった。

 

『OH~THE TAIL!!こちらもまた、神室町じゃ知らない奴は居ないクレイジー野郎だァ!東城会の中でも武闘派として知られた狂犬がァ、ドラゴンヒートに獲物を求めてやってきたぜェ!"隻眼の魔王"!!真島ァァァ、吾朗ォォォ!!』

「なんだと!?」

 

直後、煙の中から姿を現した真島は側転やバク転、バク宙などと言ったアクロバティックな動きで入場し、観客を大いに湧かせた。

 

「イーッヒッヒッヒ!驚いたかァ桐生ちゃん!!記念すべき最初の相手は、このワシや」

「何やってんだ兄さん……!」

「お前もこの状況なら、筋の通らない喧嘩がどうこう言えんくなるからなァ。これで思いっきり殴り合いを楽しめるっちゅうもんや!!」

 

そう宣言する真島もまた、その上半身の墨を晒している。

背中の般若と両肩の白蛇。相対するふたつの墨が、彼の混沌さをより一層際立たせていた。

 

「そういう事か…………言っとくが、ここは武器使用は禁止だぜ?お得意のドスは無くてもいいのか?」

「ドアホ!ワシの喧嘩がドスだけやと思うとるんなら大間違いや!あんまし舐めとると……死ぬで?」

「ふっ……穏やかじゃねぇな。面白ぇ……!!」

 

桐生は背筋を張ったいつもの構え、真島はドス持ちの時とは異なった腰の低い独特の構えをそれぞれ行う。

お互いに、闘いの準備は万端だ。

 

『記念すべき最初の試合は、東城会のヤクザ同士による代理内部抗争だァ!!オッズは50/50!どっちが勝つのか、誰にもわからねぇぜ!!』

(俺はここで勝ち続けて、必ず優子を救ってみせる。待ってろよ、錦……!!)

 

己に気合いを入れ直し、桐生が闘気を滲ませる。

全ては、獄中にいる兄弟に朗報を届けるために。

 

「よっしゃ行くでぇ……桐生ちゃぁぁぁぁん!!!」

「来やがれ、真島ァァァァ!!!」

 

隻眼の魔王。真島吾朗。

運命のゴングが鳴り響き、ドラゴンヒートでの初めての闘いがついに幕を開ける。

しかし桐生にとってこれは、これから続く長い闘いの序章に過ぎなかった。




というわけで、皆さんお待ちかねの兄さんが本編に先んじて登場してくれました。

本当だったらもっと遅い登場の予定だったんですが、あんまりにも楽しみにする声が多かったので急遽出張ってもらいました。

そして桐生が挑む事になる過酷なシノギ、ドラゴンヒート
クロヒョウシリーズでお馴染みの地下格闘技カジノです。いかに大変かは是非クロヒョウシリーズをプレイまたは動画を視聴してみてください。

果たして桐生は優子の手術代を稼ぐ事が出来るのか?

次回は再び本編です。
是非お楽しみに



追伸

初めて活動報告に投稿をしました。
ぜひご一読頂き、皆さんの意見を頂けると嬉しいです。


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第六章 賽の河原
手がかりを求めて


最新話です。



近江連合。

関西一円のヤクザ連中を全て束ねた広域指定暴力団で、その勢力は推定3万5000人にも及ぶとされている日本最大規模の極道組織だ。

その歴史は東城会よりも古く、その過程で数多くの血が流れてきた歴史がある事でも有名な組織である。

そんな近江連合の本家の幹部衆に名を連ねる林弘は、自他ともに認める実力者だ。

シノギの上手さも然ることながら、喧嘩の実力も相当なものを持っており、かつては敵対する組織の事務所に鉄パイプ二本でカチコミに行き、構成員全員を叩きのめしたという逸話も持っている。

そんな林に今回下った命令。それは、澤村遥という少女を拉致して連れて来いというものだった。

たかが子供一人拉致する為に自分のような幹部が駆り出されることに憤りを覚えていた林だったが、極道において上の命令は絶対。

与えられた以上、仕事はこなさなければならない。

そして、彼の仕事は完璧だった。

目的の少女が母親を捜し求めて神室町に来ているという事と、その母親がアレスという名前のバーの店主である事を突き止めた林は、飲食店の元締めであるバッカスのマスターからアレスの情報を吐かせた後にその場の全員の"口を封じ"、その後は部下と共にミレニアムタワー近辺を張り込む。

そして彼の想定通り、アレスの場所を知る遥はまんまとアレスへと足を踏み入れた。

後はそこを追いかけて、逃げ場の無くなった店内で遥を捕まえれば仕事は完了。

ここまでの所要時間は約一時間。

彼はその手際の良さでもって、若くして近江連合をのし上がったのだ。

そして今回の仕事も、その持ち前の手際の良さであっさりと片付くはずだった。

そんな林の誤算は二つ。

一つは、目的の少女と共にいたのが数日前に刑務所を出所した元東城会系のチンピラであった事。

そしてもう一つは。

 

 

そのチンピラが、想定よりも遥かに強かったという事だ。

 

 

「ぐはっ!?」

 

林の身体が文字通り吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

錦山の放った渾身の前蹴りによって。

 

「アンタ、だいぶタフな奴だな。さっきから結構痛め付けてるつもりなんだがよ」

「ぐっ……!」

 

全く嬉しくない賞賛を聞きながら、林は内心で毒づいた。

 

(なんやコイツ……めっちゃゴツイやないけ……!)

 

林の喧嘩の腕前は凄腕級だ。

長い手足を使ったリーチのある打撃と恵まれた体格が成せるパワーで、彼はこれまであらゆる敵を屠ってきた。

しかし、今目の前にいる男は更に強かったのだ。

 

(ボクシングベースの動きでワシの攻撃を躱して、急所にエグいのをぶち込んできよる……かと言って取っ組み合いに持っていったらワシの力でも押し負けてしまう……ホンマにバケモンやでコイツ…………!!)

 

林以上のパワーと、身軽なフットワークと反射神経。

それらを併せ持つ錦山が、闘いを有利に進めていた。

 

「だが、俺の方が一枚上手だったみたいだな。で、もう一回言ってみろよ?親殺しがなんだって?粋がってるチンピラがなんだって?あ?」

「おどれ……!」

 

相手を挑発する錦山だが、彼の方も決して余裕がある訳では無い。

 

(ちっ、そろそろ倒れてくれよ大仏野郎……こっちも余裕見せんの限界だっつの……!)

 

東城会本部におけるヤクザ達と乱闘の末に、大幹部である嶋野との一戦。

その後、街のゴロツキやヤクザ達との数多くの喧嘩や揉め事に多く巻き込まれていた錦山は、連戦に次ぐ連戦の影響で体力を著しく消耗していた。

受けたダメージも回復している訳では無い。いわば彼は壮大な"痩せ我慢"をしている状態なのだ。

 

「舐めおって……ぶち殺したるわ!!」

 

怒りに身を任せた林が錦山へと走り込む。

勢いに乗せた必殺の一撃を繰り出すつもりだ。

 

(来る……!)

「死ねやァ!!」

 

そして林が放ったのは、全力で床を蹴ることで放たれた顔面狙いの飛び膝蹴り。

錦山も多用する、高い威力を持った技だ。

 

「シッ……!!」

 

錦山は歯の間から鋭く息を吐き、紙一重でその飛び膝蹴りを回避すると、すれ違いざまに右フックを放った。

 

「が、っ……!?」

 

錦山の振り抜いた右フックは見事に林の顎を捉え、軽い脳震盪を起こした林の身体が崩れ落ちる。

そして。

 

「終わりだこの野郎!!」

 

林が意識を取り戻す前に彼の背後に回り、錦山はバックチョークを極めた。

頸動脈を締められた林の身体が、急速に力を失っていく。

 

「か…………………………………………」

 

やがて、失神したのを確認した錦山がその拘束を解いた。

 

「はぁ……はぁ……遥、無事か!?」

 

アレスの広いフロア内に錦山の声が響き渡る。

程なくして、物陰に隠れていた遥が姿を現した。

 

「おじさん!」

「遥……良かった、怪我は無さそうだな…………」

「おじさんこそ、大丈夫……?」

「あぁ……ちょっと、頑張りすぎちまった。へへっ」

 

錦山はそう言って軽く笑ってから、重い腰を上げた。

刺客達が目を覚ます前にここを出なければならないからだ。

 

「さ、行くぞ遥」

「うん……」

 

エレベーターに乗り込み1階へのボタンを押すと、二人の入った機械仕掛けの箱が駆動音を立てて動き出す。

下降していくエレベーターの中で、遥は不安げな顔で錦山に尋ねた。

 

「おじさん……なんで私、あの人達から狙われてたの……?」

「さぁな……俺にも分からねぇ……」

「私はただ、お母さんに会いたいだけなのに…………」

 

悲しい顔をする遥を少しでも励まそうと、錦山は優しく遥の頭に手を置いた。

 

「おじさん……?」

「安心しろ遥。少なくとも俺は、お前の味方だ。お前の母ちゃん探しも最後まで手伝ってやる。だからそんな顔すんなって、な?」

「うん……ありがとう、おじさん」

 

遥が少しだけ元気を取り戻し、錦山も静かに頷いた。

時刻は午後11時55分。

彼らがセレナに辿り着いたのは、日付を跨いだ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年。12月7日。時刻は午後14時。

セレナの奥の部屋を借り泥のように眠っていた俺は、麗奈から伊達さんの到着を聞いて目を覚ました。

身支度を済ませて店内に出ると、伊達さんがカウンターに座って俺を待っていた。

 

「よぉ錦山。随分寝たな?」

「あぁ、何せ大変な一日だったからな。睡眠ぐらいキッチリ取らないと身が持たねぇ」

 

たっぷり寝たお陰で疲れは取れた。

ダメージもそんなには残っていない。

これでまた活動出来るというものだ。

 

「さて、なら早速情報を共有しようじゃねぇか」

「あぁ、そうだな」

 

そして、俺と伊達さんは互いの情報を交換した。

こうして明らかになってみると、伊達さんの言った通り二つのヤマがしっかり繋がっていたのが分かる。刑事の勘というのは馬鹿にならないものだ。

 

「じゃあ由美の妹がアレスの美月で、おそらくは100億の共犯……」

「で、その娘が遥だ。遥の話じゃ、由美は5年前から行方不明らしい。優子もその後にヒマワリを去ってそれっきりだそうだ」

 

昨日だけで分かったことは多々あるが、同時に分からない事もある。

5年前のクリスマス、ヒマワリから消えた由美と優子。

そして"遥の父親"だ。

 

(5年前のクリスマスを境に桐生と由美、そして優子は神室町から姿を消した。そして、時を同じくしてヒマワリに来なくなった遥の父親……)

 

由美や優子がそのタイミングでいなくなるのは理解出来る。おそらく、2000年のクリスマスに起きた"何か"に巻き込まれたのが原因だろう。

しかし遥の父親に関しては今まで全く情報がなかった。

それに、桐生が神室町から姿を消した理由も。

 

(まさか……遥って…………)

 

俺は胸中に湧いた疑問のままに、仔犬と戯れている遥に質問を投げかけようとした矢先。

セレナの電話が鳴った。

 

「あ、錦山くん。ちょっと電話、お願い出来る?」

「……あぁ、分かった」

 

店の奥から麗奈の声が聞こえる。

本当は遥への問いを優先したいが、麗奈には助けて貰ってばかりだ。

俺は店の固定電話の受話器を取り、丁寧に電話に出た。

 

「はい、セレナです」

『あの……錦山の、叔父貴ですか……?』

 

その声を聞き、俺はすぐに電話の相手を察した。

脳裏には、葬儀会場で俺を逃がそうとしてくれた坊主頭の顔が思い浮かぶ。

 

「お前、シンジか?」

『はい、連絡取りたくて方々を回ってたんです。良かった、ご無事で何よりです』

「あぁ……そっちは今どんな状況だ?」

 

葬儀会場から抜けた後、逃げるように横浜へ向かう事になった俺はその後の東城会の動向を全く知らない。

あんな騒ぎを起こした上に俺が追っている美月が消えた100億円と絡んでいるとなれば、東城会とはいずれどこかで必ずカチ合う事になる。

今の俺にとって東城会の動向は知っておくべき情報の一つだ。

 

『実は…………今、風間の親っさんを連れて逃げてます』

「なんだって?東城会からか!?」

 

衝撃の事実に俺は驚きを隠せなかった。

何故ならシンジのその行動は、親っさんにとっての敵が東城会の内部に居る事の証だったからだ。

 

「親っさんはどうなった!?」

『あの後病院で手当をしたんですが、意識がまだ……』

「そうか……お前、親っさんを撃った犯人に心当たりは?」

『ありません。ですが、あの状況から見て親っさんを撃ったのは東城会のモンで間違いないかと』

「…………そうかもしれねぇな」

 

俺は当時の状況を冷静に振り返った。

あの時、部屋にいたのは俺と親っさんだけ。

俺があの場にいることを知っているのは新藤とシンジ。それ以外に居たとしても、極小数と言った所だろう。

そしてシンジの言う通り、あの時のヒットマンのやり口には作為的なものを感じる。

 

(ヒットマンの居た"狙撃ポイント"……あそこを選べるのは、確かに東城会の人間だけだ)

 

銃弾の飛んできた方向と角度から察するに、親っさんを撃った弾は本部の周囲にあるビルの窓から撃たれていた筈だ。

そして、あの辺一帯は全て東城会が土地の所有権を持っていると聞いた事がある。

今回のように外部から狙撃される事を防ぐ為だ。

それはつまり、他組織の人間が東城会本部施設内にいる誰かに対して狙撃を行う事は事実上不可能だと言うこと。

となれば、犯人は自ずと東城会内部の人間に絞られる。

 

『親っさんの居所が知れたら、また狙われるかもしれません……』

「シンジ、お前今どこにいんだ?」

『信頼出来るスジに、隠れ家を頼んでいる所です。落ち着いたらまた連絡します。連絡先はセレナで?』

「いや、携帯を持ってる。番号言うからメモしてくれ」

 

俺はシンジに伊達さんから預かった携帯の番号を伝えた。

これでシンジ達に何かあれば、向こうから連絡が来るはずだ。

 

『分かりました。落ち着いたら、この番号にかけます』

「あぁ……なぁ、シンジよ」

『どうかされました?』

 

俺はシンジに対し、聞こうと思っていた事が一つある。

しかし、それはこの場にいる伊達さんの耳には入れたくない情報。

いや、入れたら不味い情報だった。

 

(どうする……?)

 

伊達さんとは一時的に協力関係になったものの、完全に信用しきった訳ではない。

伊達さんと協力し合うという事はつまり、警察の管理下に置かれている事と同じだ。

俺にとって都合の悪いことを暴かれる可能性も有り得るだろう。

かと言って、次にシンジからいつ連絡が来るかは分からない。

親っさんに万が一の事があってからでは遅いのだ。

 

(……聞いてみるか)

 

一瞬だけ躊躇い、俺は伊達さんに悟られぬよう遠回しに聞くことにした。

 

お前、兄貴分とはまだ繋がってるか?(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

『っ!』

 

俺がシンジに聞こうとしていた事。

それは、シンジの渡世の兄貴分である桐生一馬との今の関係についてだった。

 

(葬儀での言動や行動、そして松重さんが現れたタイミングの完璧さ……とても偶然とは思えねぇ……!)

 

拳銃を懐に隠した上であえて自分から人質になったあの行動、そしてそれを狙っていたかのように現れて俺を助け出した松重。

シンジが風間の親っさんの指示で俺を監視していた事を新藤が知らなかった事も、本当は風間の親っさんからではなく桐生からの指示だったと考えれば辻褄は合う。

 

『……なんで、そんな事を?』

「今は、中々のピンチなんだ。兄貴分だったら、弟分を助けるのは当然だろ?少なくとも、俺は親っさんにそう教わってたぜ?」

『…………』

「連絡が取れるなら取った方がいい。こういう時こそ兄貴分を頼れよ」

『……えぇ、自分もそうしたかったです』

 

シンジからの回答は、Noだった。

電話越しに聞こえるその声はどこか物悲しく、憂いを帯びている。

 

『ですが、俺はもう兄貴とは袂を分かちました。頼る事など出来ません』

「そうか…………悪ぃな。野暮な事聞いた」

『いえ……それではまた。叔父貴もどうかお気をつけて』

「おう、またな」

 

受話器を置いた俺に、麗奈が話しかけてくる。

 

「誰からだったの?」

「シンジからだった。どうやら、風間の親っさんは一命を取り留めたらしい」

「そう……!風間さん生きてたのね、良かった!」

 

麗奈が胸を撫で下ろす。

セレナを含めたあの一帯は、10年前から風間組のシマになっていたのだ。

それからというものの風間組はみかじめを取らないばかりか、その経営を陰ながら支えたりもしてくれていたと言う。

風間の親っさんは麗奈にとっても、大切な恩人なのだ。

 

「シンジ?誰だそいつは」

「風間組の人間だ。どうやら、撃たれた親っさんを匿って逃げているらしい」

「逃げている?」

「あぁ。親っさんが撃たれた場に俺もいたが、狙撃出来るのは東城会の人間である可能性が非常に高い。生きてる事が分かればその組織の連中はトドメを刺しに来るだろうからな」

「なるほどな…………」

 

伊達はそれ以上の追求はしなかった。

親っさんを連れて逃げている事に意識を割いた事で、シンジについては特に気にも留めなかったらしい。

内心で一安心する俺に、伊達は今後の動向を尋ねてきた。

 

「お前、この後はどうする気だ?何かアテはあるのか?」

「いや……正直思い当たらねぇな。現状としては足を使って情報を集めるしかねぇが、それじゃ効率的とは言えねぇ…………どうしたもんか」

 

事態は刻一刻と動き始めている。

余計な事で時間を喰う訳にはいかないのだ。

 

「仕方ねぇ……例の情報屋の所にでも行くしかねぇか」

 

すると伊達さんが気になる単語を口にした。

 

「情報屋?」

「あぁ。そいつは"サイの花屋"なんて呼ばれててな。この街の事ならなんでも知ってるって噂の情報屋だ」

「ほう……?そりゃ大層な触れ込みだな」

 

神室町という街は決して広大では無いが、とにかく入り組んでいる。

人気のない路地裏や、どこへ繋がってるかも分からない地下空間など、探索しようものならキリがない。

そんな神室町の事をなんでも知ってると豪語するからには相当のやり手に違いない。

 

「で、その情報屋は何処にいるんだ?」

「あぁ……厄介な事に、花屋のヤサは西公園の中だ」

 

西公園といえば神室町に昔からある公園で、今はホームレス達のたまり場になっている場所だ。

"カラの一坪"の一件で追い込みをかけられた桐生が、一時的に身を寄せていた場所でもある。

 

「西公園か……」

「通称"賽の河原"。噂によるとそこの公衆便所から入る事が出来るらしい。だが気を付けろよ?あそこは警察も不介入の危険地帯だ。一度入ったら最後、出てこれないかもしれない」

「でも行くしかねぇだろ。それに、問題はそれだけじゃねぇ」

「なに?」

 

今の伊達さんの話を聞いて、俺にとって懸念すべき点がもう一つあった。それは、情報を持ったやつを相手にする時に必ず必要になるものだ。

 

「金だよ、金。情報屋って事は情報を売ってる訳だろ?ならソイツを買うための金がいるじゃねぇか」

 

俺達の世界において、情報というのはそれだけで武器になるほどの影響力を持つ。

正確な情報をより多く取り揃えていれば居るほど、打てる手や回せるシノギが増えるというもの。

かつて俺が所属していた堂島組にも類まれなる情報収集能力を駆使した結果、組における渉外(脅し)の全てを担う程の幹部にのし上がった兄貴分がいた程だ。

裏社会において情報とはそれだけの価値を産む代物だ。

であればこそ、それを買うからにはそれなりの金が必要不可欠。

ましてや、相手が神室町の事をなんでも知っていると謳う程の情報屋であれば尚更だ。

 

「伊達さん、いくらか金を借りれねぇか?」

「無理だ、貸せるほど持っちゃいねぇ。それにあったとしても俺がお前に金を貸すのは色々と問題だ」

「それもそうか……仕方ねぇ、そっちも自分で何とかするか」

 

当面の目的は決まった。

となれば、あとは行動するのみだ。

 

「伊達さん、遥の事頼んだぜ」

「あぁ。ここも安全とは限らねぇからな。こっちで保護しよう」

 

伊達さんが力強く頷く。

遥の身柄が警察の管理下にあれば、流石の東城会と言えど手は出せないはずだ。

 

「遥、俺はお前の母ちゃん探しのために少し出かけてくる。伊達さんの傍を離れるなよ?」

「うん、分かった。気を付けてね、おじさん」

「おう。麗奈、また来るぜ」

「いってらっしゃい、頑張ってね」

 

麗奈のエールを背中に受けながら、俺はセレナを出た。

街が夕焼けに照らされ始め、夜がすぐそこまで迫って来ている。

神室町が、アジア最大の歓楽街から東洋一の危険地帯になり始めているということだ。

 

(さて……どうしたもんかね…………)

 

出所してからはや3日。

今日も俺は危険な闇との戦いに身を投じていく。

その果てに、何が待っているかも知らぬまま。




如何でしたか?

活動報告にてちょっとした意見募集を行っています。
ぜひご一読頂けると嬉しいです。
次回もお楽しみに


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一夜限りのNo.1

最新話です。

皆さん、沢山のアイデア本当にありがとうございました。
いよいよです!
是非、錦山の勇姿をその目に焼き付けて下さい!

それではどうぞ!


2005年。12月7日。東京、神室町。

時刻は午後15時。

神室町が段々と夜の雰囲気を纏い始め、居酒屋やバー、風俗店といった神室町を彩る"夜の店"達が開店のために準備を始める時間帯。

 

「あ?」

 

錦山の目に留まったのは、そんな夜の店の目の前。

茶色のスーツを着て項垂れている一人の青年の姿だった。

 

「はぁ……ホントにどうすっかな……」

「おいユウヤ。何してんだ?」

「あ、錦山さん!お疲れ様です」

 

声をかける錦山に元気よく挨拶を交わす青年の名前はユウヤ。

彼が入口前で項垂れている夜の店"スターダスト"に所属するホストだ。

 

「元気ねぇな?何かあったのかよ?」

 

彼らは一昨日、風間の手紙を頼りに錦山がここを訪れたのをきっかけに出会った。

最初こそすれ違いから揉めてしまったが、互いに根っこに同じものを抱える性質上すぐに打ち解け、今ではそれなりに親しい仲と言える間柄だ。

 

「え、えぇ……実は今日、とても大事なお客さんがいらしゃるんですが、ホストの数が足りてなくて」

「大事なお客さん……上客ってことか」

「はい。"銀座の鮎美ママ"って人で、夜の世界じゃさぞ有名な人なんです。何百万って金を一晩で使ってくれるって噂なんですよ」

「ほぉ、そりゃ随分太っ腹なんだな」

 

どの業態においても上客というものは存在するものだ。

そういったより多くの金を落としてくれる客は、出来る限り大事にした方が良い。

 

「ただ、その人ちょっと変わってて……」

「変わってる?」

「えぇ……実はその人、若い男はあまり好きじゃないって言うんですよ」

「はぁ?ホストクラブなのにか?」

 

ホストクラブと言えば、美形の男性キャストが女性客を接待する形態の店だ。

当然、イケメンと呼ばれるような若くて格好良い男性が中心となる。

 

「そうなんです。一輝さんの話じゃ"イケメンでありながらも若すぎず、どこか大人な色気や危険な香りのする男性"がタイプらしいんです」

「なるほど……美形でありながらダンディさも欲しいって事か。中々欲張りな注文だな」

 

いかに無茶な注文であろうと、上客ともなれば決して無碍にはできない。

客商売、特にホストクラブやキャバクラのような接待業だと避けては通れない道だ。

 

「当然、そんなキャストはうちにはいません。だから代わりに大勢のキャストで精一杯盛り上げようと思ったんですが……今日に限って当日欠勤が相次いで……」

「そうだったのか……」

 

泣きっ面に蜂とはまさにこの事だろう。

熱血漢で根性のあるユウヤが項垂れ、途方に暮れるのも致し方ない事と言えた。

 

「ユウヤ……ここに居たのか」

 

そこへ、スターダストのオーナーを務める一輝が現れる。店を離れていたユウヤを心配し、様子を見に来ていたのだ。

 

「一輝さん!」

「よう、一輝」

「錦山さん、お疲れ様です。例のホステスの件、こっちでも調べてるんですがまだ目立った情報は…………お役に立てず申し訳ありません」

「いや、そっちはアテがあるから心配すんな。それよりも、話はユウヤから聞いたぜ?なんだか大変な事になってるみたいだな」

「えぇ……お恥ずかしい話です」

 

いつも毅然としていた一輝が俯く。

神室町No.1ホストクラブのオーナーも、この局面を前に渋い顔をしていた。

 

「ですが、この局面を乗り越えなければ未来はありません。今日いらっしゃるお客様は、それだけの影響力を持っているのです」

「そんなにすげぇ人なのか、その"鮎美ママ"ってのは」

 

錦山の問いに、一輝は大きく頷いた。

 

「えぇ。銀座でNo.1の会員制高級クラブでママを務めていらっしゃる方で、その年収は億を下らないと聞きます」

「なんか、バブルみてぇな話だな」

「えぇ、その方はまさにそのバブルの頃からホステスとして成り上がって今の地位を築いた女傑なんです。ついたあだ名が"銀座の女王"」

「銀座の女王……すげぇ通り名だな」

 

錦山は会ったこともないその女王に対し、勝手に尊敬の念を抱いていた。

どんな世界であったとしても、そこで頂点に立つのは並大抵の事では無い。

今まさにのし上がろうと踏ん張っている最中の彼にとって、その女性は眩しい存在とすら言えるだろう。

 

「一輝さん……このままじゃお客さんを迎え入れられません。なにか対策を考えないと……」

「そうだな…………ん?」

 

ふと、一輝が錦山を見る。

下から上にかけて順番に、まるで品定めをするかのような目線で。

 

(イケメンでありながら若過ぎず、大人な色気と危険な香り……もしかしたら……!)

「一輝?」

 

いつになく真剣な目で見られた錦山は怪訝な顔をする。

一輝は表情を崩さぬまま、錦山に言った。

 

「錦山さん……以前俺が言った話、覚えてますか?」

「…………お前、まさか」

 

一輝の思惑を察した錦山は思わず一歩後ずさる。

直後、一輝がその腰を直角に曲げた。

 

「お願いします、錦山さん!今晩だけ、ウチで働いてくれませんか!!?」

 

突然の提案に驚愕を隠せない錦山は、慌ててそれを拒否した。

 

「いやいや無理だって、冗談はよせよ!」

「冗談なんかじゃありません!今日お店に来られる鮎美ママの好みは"若すぎず、大人な色気と危険な香りを併せ持つイケメン"なんです!この条件に当て嵌るのは、錦山さんしかいません!」

「"若すぎない"じゃねぇ、実際もう若くねぇんだって!」

 

一般的にホストの適正年齢は20代が全盛期とされている。

しかし、錦山は今年で37。

服役前の27の時ならいざ知らず、40代を前にした今の彼にとってホストという職業はあまりにも遅過ぎると言えた。

 

「大丈夫です!錦山さんはルックスも良いですし、危険な香りは十分です。何よりその大人な魅力は俺達じゃ出せません」

「いや、そんな事言われたってなぁ」

「お願いします、報酬はきちんと支払いますから……!」

「錦山さん、俺からもお願いします!このままじゃスターダストがヤバいんです!」

「ユウヤまで……!」

 

二人に迫られ困惑する錦山。

現役時代にシノギの関係で方々に顔を売ったりしていた彼はコミュニケーション能力こそ高いが、接客業としての経験は無い。つまり全くの素人なのだ。

そんな彼が、いきなり夜の世界の大物を接待というのは荷が重過ぎるというもの。

突然の無理難題に難色を示す錦山だったが、彼はそこでふと思いとどまった。

 

(待てよ?ホストって言やぁ、歩合制で給料が変わる事でも有名な仕事だ。上手くやれば一晩で100万単位の金を稼ぐ事も不可能じゃねぇ……)

 

夜の世界はいつも莫大な金が動く。

それが、キャバクラやホストの世界であれば尚更だ。

情報料を稼ぐのにはうってつけと言えるだろう。

 

(確かに今は纏まった金が必要だ。仮出所の身で危ないシノギをする訳にも行かねぇし、他に稼ぐアテも無い……)

 

仮出所とは、その名の通り仮の出所だ。

定められたこの期間の間にもし何らかの問題を起こせば、彼の仮出所は取り消しとなり再び刑務所へと逆戻りする事になる。

 

(何よりここまで頼み込まれて何もしねぇってのは男が廃る、か……仕方ねぇ)

 

覚悟を決めた錦山は、二人の頼みを聞く事にした。

 

「……分かった。こんな俺で良ければ、引き受けるぜ」

「本当ですか!?」

「あぁ、俺もちょうど纏まった金が必要だったんだ。ド素人からのスタートだが、よろしく頼む」

「錦山さん……ありがとうございます!詳しい話は中でしましょう」

「あぁ」

 

言われるがままに、錦山はスターダストへと足を踏み入れる。

錦山彰ホスト化計画が始動した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月7日。午後18時。

神室町の天下一通りに居を構えるホストクラブ、スターダスト。

この日、その店の前に一台の高級車が止まった。

車の後部座席から出てきたのは、一人の女性。

美しいブロンドの髪を靡かせ、紅いドレスを身にまとった彼女こそ、一輝達の言っていた幻の上客。

"銀座の女王"こと鮎美ママ、その人である。

 

「鮎美さん、お待ちしておりました」

 

店の前で、オーナーの一輝が自ら出迎える。

誠心誠意のおもてなしを心がけたその姿勢に、鮎美ママもまた笑顔で応えた。

 

「一輝くん、今日は招待してくれてありがとう。一度、貴方のお店に来てみたかったの」

「こちらこそ、来て頂いて誠にありがとうございます。まだまだ未熟ですが、今日は楽しんで頂けるよう精一杯おもてなしさせていただきます」

「そんなに謙遜しないで?その歳で、自分のお店を神室町でNo.1の店にまで育て上げたのだから。もっと誇っても良いのよ?」

「鮎美さん……ありがとうございます。それでは、どうぞ中へ」

「えぇ。お邪魔します」

 

挨拶もそこそこに、店の中までエスコートする一輝。

店内に入った鮎美ママを待っていたのは、煌びやかな内装と粒揃いのホスト達だった。

 

「いらっしゃいませ、お客様!」

「「「「「いらっしゃいませ」」」」」

 

ユウヤをはじめ、他のキャストや従業員達が笑顔で出迎える。

活気のある彼らの姿勢に応えるべく、鮎美ママは優しげな笑顔を振り撒いた。

 

「ごきげんよう、皆さん。今日は楽しませて貰うわね?」

「「「「「あっ……」」」」」

 

瞬間、店内がしんと静まり返った。

その魅力と美貌にその場の全員が一瞬で心を奪われたからだ。

キャストや黒服を含めた従業員は勿論、驚くべき事にその効果は客として来ているはずの女性達にも及んでいた。

驚くべき事に、彼女は笑顔一つでその場の空気や意識を瞬く間に掌握してしまったのだ。

 

「おい見ろよ、すっげぇ綺麗な人だぜ……」

「なんだありゃ……何処かの芸能人か?」

「もしかしてすっごいお金持ち!?いいなぁ、私もあんな風になりたいなぁ」

「何よあの人、一周まわって負けた気にすらならないわ……格が違うってこういう事言うのね……」

 

あまりにも自然体で嫌味を全く感じさせず、それでいてあらゆる者を魅了するその姿に男は心を奪われ、女は羨望の眼差しを送り続ける。

これが銀座のNo.1。日本の水商売のトップに君臨した鮎美ママの実力である。

 

「ふふっ、接客、忘れてるわよ?」

「「「「「し、失礼しました!」」」」」

 

その一言でホスト達が全員我に返り、そそくさと持ち場に戻る。

その様を見て、鮎美ママは穏やかに微笑んだ。

 

「ウブな子達ね。こんなオバサンに見とれちゃうなんて」

「ご謙遜を。鮎美さんの笑顔の前じゃ誰もが丸裸です。もちろん私も」

「もう一輝くんったら、おだてたってシャンパンぐらいしか入れてあげられないわよ?」

 

軽口を言い合う二人だが、一輝は内心で戦慄していた。

 

(うちのキャスト達は粒揃いで経験豊富な奴らばかりだ。それをたった一言で骨抜きにしてしまうとは……鮎美さん、やっぱり貴女は恐ろしい人だ)

 

気付けば誰もが彼女の虜、彼女に釘付け。

彼女がその気になれば最後、一瞬の抵抗も出来ぬまま彼女の世界に引きずり込まれてしまう。

そんな彼女の圧倒的とも言える魅力に、一輝は底知れぬ恐怖を感じていたのだ。

 

(錦山さん……大丈夫だろうか……?)

 

この日のために呼んだ助っ人の事が脳裏を過ぎる。

ほとんど素人の身でありながらこれほどの人物といきなり対峙させる事に、一輝は今更ながら罪悪感を感じていた。

 

「鮎美さん、こちらへ。足元にお気を付けて」

「えぇ、ありがとう」

 

一輝は階段を上がり、二階のVIP席へと鮎美を案内する。

そこは店内が一望出来る特別な空間だった。

 

「すっごくいいお店ね。No.1なのも頷けるわ」

「ありがとうございます」

 

鮎美が中央のソファに座り、一輝が対面へと腰掛ける。

これから来る助っ人を隣に座らせる為だ。

 

「鮎美さん。お飲み物の前に一つ、良いですか?」

「なに?」

「鮎美さん、以前自分に好みの男性のタイプを聞かせてくれたこと覚えていらっしゃいますか?」

 

一輝の問いに鮎美は直ぐに思い出す。

それは数年前、当時まだ新人だった一輝が世話になっている先輩ホストと共に鮎美ママの店を訪れた時の事だった。

 

「えぇ、覚えてるわ。それがどうしたの?」

「実は今日、そんなママ好みのキャストをお呼びしてるんです」

 

それを聞いた鮎美ママは少しだけ目を丸くした後、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「うそ、ほんとに?」

「はい。まだ新人で荒削りな所もあるのですが、当店期待の有望株です。紹介しても良いですか?」

「もちろんよ!是非連れてきて?」

「分かりました。……アキラさんを呼んできてくれ」

「かしこまりました」

 

一輝に声をかけられた黒服が、すぐさま階段を降りていく。例の新人を呼びに行ったのだ。

 

(私の好みのタイプ、結構無茶な注文だと思うんだけど……本当に大丈夫?)

 

美形でありながら若すぎず、大人の色気がある男性。

それが鮎美ママのタイプだった。

美形や色気はともかくとして、若さというのはホストクラブにとって一番の武器である。

それを封じられてしまう以上、鮎美ママの好みの男性をホストクラブで用意するのはかなり難しい。

 

(あまり期待しない方が良いのかな?でも、一輝くんの見立てだし……)

「おや……来たようですね」

 

物思いに耽っていた鮎美ママが一輝の一言で我に返る。

その直後、一人のキャストが階段を登りきってVIP席へと辿り着いた。

 

「ぇ……………………」

 

鮎美ママの口から、そんな声がかすかに漏れる。

彼女は今、目の前のキャストに目を奪われていた。

 

「おまたせしました、お客様」

 

スーツ越しにも分かる見事なモデル体型にプラムレッドのジャケットとシックな黒シャツを合わせたその格好はホストとしてはやや落ち着いた色合いであるものの、それが却って成熟した大人の雰囲気を感じさせる。

僅かに開いた胸元からは地肌が見え隠れし、最低限のナチュラルメイクだけを施した風貌と相まって彼が持つ男の色気をより際立たせていた。

だがそんな彼の落ち着いた大人の魅力と相反し、鮎美を見つめるその瞳は野望や野心に満ち溢れたギラギラした光を宿しており、そのアンバランスさが何処か危険な香りを醸し出す。

 

「紹介します、鮎美さん。彼がこの店の有望株……アキラさんです」

「へっ、ぁ、えぇ…………」

 

先程の余裕が消え去り、一転して生娘のような反応をする鮎美。

無理も無いだろう。何せ今彼女の目の前にいるのは紛れもなく、鮎美が理想としている男なのだから。

 

「失礼します」

 

アキラはそんな彼女の隣にゆっくりと腰を下ろすと、丁寧な所作で名刺を差し出した。

 

「初めまして、アキラです。よろしくお願いします」

「あ、はい……鮎美です……」

 

言われるがまま名刺を受け取る鮎美。

そのあまりの反応の違いに、一輝は度肝を抜かれる。

 

(あ、あの鮎美さんがこんな反応を!?し、信じられない……!)

 

頬を赤く染めて目線を忙しなく動かすその顔はまさに、憧れの人を目の前にした恋する乙女の表情そのものだった。

開いた口が塞がらない一輝の顔を見て、鮎美がふと我に返る。

 

(はっ!?いけないわ私ったら、一輝くんの前でだらしない顔して……!)

 

銀座の女王としての威厳を取り戻すべく、笑みを浮かべる鮎美ママ。

しかしその表情は先程までの穏やかな笑みではなく、どこかぎこちない愛想笑いのような微笑みだった。

見蕩れてしまいそうになる自分を律するが故の表情だった。

 

「何か、飲まれますか?」

「えっと……クリコーヌ、頂けるかしら」

「分かりました」

 

アキラは黒服を呼び付けると、その場でクリコーヌを注文する。

程なくして運ばれてきたボトルとグラスを使い、一輝が慣れた手付きでドリンクを作り始めた。

 

「オーナーから聞きました。銀座のママなんですって?」

「えぇ、そうなの。この業界は結構長いわ」

「そうなんですか。なんて言うか、やっぱりオーラが違いますね。タダ者じゃないって感じが凄くします」

「あら、それを言うなら貴方もよ?」

 

俺もですか?と聞き返す錦山に、鮎美が冷静に頷く。

会話をしていく中で落ち着きを取り戻したのか、その表情には先程まで失われていた余裕が現れ始めていた。

 

「アキラさんからは、なんだかただならぬ雰囲気を感じるの」

「そうですか?自覚は無いですけど……」

「そうよ。ふふっ……なんだか今夜は、素敵な夜になりそうね」

「えぇ、なにせ鮎美さんのような美しい女性と過ごせる貴重な一時だ。俺にとっても、忘れられない夜になりそうです」

「お待たせしました」

 

会話が盛り上がってきた所で、一輝が出来上がったドリンクを二人に差し出す。

一輝を含めた三人がグラスを持ち、アキラが静かに掲げて言う。

 

「それでは今夜の、素敵な出会いを祝して……乾杯!」

「「乾杯!」」

 

三人の喉を酒が潤していく。

新人壮年ホスト、アキラの長い夜が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スターダストに入店して早数時間。

シャワールームにてプロ仕様のシャンプーやリンスを使ってトリートメントをし、突貫工事でスーツとメイクを仕上げてもらい、数名のフリーのお客を相手に練習を重ねて接客の極意を詰め込み学習で身に付け、ほとんど付け焼き刃のまま挑んだ"銀座の女王"との接待。

素人に毛が生えた状態の俺など完全に手玉に取られると思っていたが、その予測は大きく外れた。

結果は大好調。

初対面の時の反応からして、俺が好みのタイプって一輝のリサーチはどうやら本当だったらしい。

 

「アキラくんがこの業界に来たキッカケってなんだったの?」

「キッカケですか?偶然、オーナーにスカウトされたんです。」

「そうなの一輝くん?」

「はい。アキラさんとは先日ふとしたキッカケで出会って、そこでスカウトしたんです。絶対向いてるって」

「その時は自分には向いてないと思ってたんで、本当は断ろうと思ってたくらいだったんですが、あまりの熱に押されてやる事になったんです」

「一輝くん大正解ね、有望株って言ってたのも納得だわ!」

「えぇ。俺もアキラさんに来て貰えて良かったと思ってます」

「おいおい……おだてないでくれよ。むず痒いじゃねぇか」

「ふふっ、照れてる所も可愛いくて素敵ね」

 

行う会話の全てが弾んで、俺としても悪い気分じゃない。何より、仕事で酒が飲めるっていうのは貴重な経験と言えるだろう。

 

(よし、上手くいってるな……!)

 

今回ホストをやってみて、分かったことがある。

それはお客を楽しませる事を第一に考えるのは当然だが、それさえ大事にしてればある程度応用が利くという事だ。

あれやこれやら創意工夫が自由に出来る楽しさは、この歳じゃ中々味わえない貴重なものと言えるだろう。

 

(それに昔の経験も活かせるな。あちこちに通ってた甲斐があったぜ)

 

今から17年前。

当時20歳の若造で組の兄貴分に顔を売ってのし上がろうとしていた俺は、色んなホステスと繋がりを持つために神室町中のキャバレーやクラブを飲み歩いていたのだ。

実際に女の子を口説いた事も一度や二度じゃない。

一輝達のような接客のプロ程とはいかないが、女性を喜ばせるトークにはある程度自信があった。

 

「鮎美さん、喉乾きませんか?」

「そうねぇ、沢山話したから喉が渇いたわ」

「何か飲まれませんか?ゴールド、冷えてますよ」

「ふふっ、アキラくんってさり気なくアピールするのねぇ」

 

顔を赤くした鮎美ママが穏やかに微笑む。

その表情は飲みたての頃と比べて弛緩しきっており、とても毅然とした態度とは言えない。

俺が何かを働きかける度に余裕の笑みが崩れ、僅かに素の笑顔が顔を覗かせるのは見ていて中々に愛らしい。

こういった不意に見せる"隙"もまた、鮎美ママの魅力の一つかもしれない。

 

「そりゃ、鮎美さんと美味しいシャンパン飲みたいですから。オーナーも、そうでしょ?」

「えぇ、是非自分もご一緒出来ればと」

「そうね……じゃあ、みんなで飲みましょう?」

「え、それって……」

 

そう言うと鮎美はメニューを開き、ひとつのボトルの写真を見せてきた。

 

「ルシャランテを開けるわ。これでシャンパンタワーを作りましょう!」

「ルシャランテ……!?」

 

一輝が驚愕の声を上げる。

俺もまた、メニュー表に記載されている値段を見て同じ感想を抱いた。

 

「一本、300万円……!?こんないいものを開けてくれるんですか!?」

「もちろんよ!アキラくんのために、特別よ?」

「鮎美さん……ありがとうございます!」

 

俺の身を言い知れぬ興奮と多幸感が包む。

それは、葬儀場で嶋野との戦いが終わった直後の達成感に酷似していた。

 

「ルシャランテ、頂きました!」

「「「「「イェェエエイ!!」」」」」

 

最高級品の注文にフロアが湧く。

すぐに数名の黒服が集まって、シャンパンタワーの準備を始めた。

 

「アキラさん、お見事です……!」

 

サムズアップと共に賞賛してくれる一輝。

むず痒いだけだったその賞賛も、今なら素直に受け入れられる。

 

「へへっ、悪くねぇもんだな……ホストって言うのもよ……!」

 

この後、俺はスターダストに彗星の如く現れたNo.1おじさんホスト"アキラ"としてこの店で長いこと噂される事になるのだが、それはまた別の話だ。




という訳で、ホスト錦山の回でした!
如何でしたか?

活動報告でのアイデア募集の結果、錦山は赤や赤紫などの暖色系が好まれる傾向にあると判断しました。
中には白ジャケットや黒ジャケットという声もあり非常に悩みましたが、自分の中でこれが一番しっくり来たので決めさせて頂きました!

今回、37の錦山にホストをやらせるという事で色々と考えてみました。いかにもホストな感じを出すには歳を食い過ぎているし、場合によっては"キツい"感が出てもおかしくありません。
なので、今の錦山にしか出せない魅力をクローズアップしようと決めました。
そして、大人な色気と危険な香りというコンセプトにした結果今回の結果になりました。
言わば、ちょいワル親父レベル100って奴ですかね(笑)

改めて、たくさんのご意見ご応募ありがとうございました。
他にも錦山にこんな格好似合いそう、と言ったアイデアがあればぜひぜひ遠慮なく送って頂けると嬉しいです。

今後も、錦が如くを何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m


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伝説の情報屋

最新話です。

いよいよ花屋の登場です。
果たして情報を手に入れられるのか!


皆サン、日本語、良く知ってマスカ?


2005年12月7日。時刻は午後22時頃。

スターダストでの仕事を終えた俺は、神室町の端にある西公園の公衆トイレの前に来ていた。

伊達さんの話によると、ここから賽の河原へと入り込めるらしい。

"使用厳禁"と書かれた張り紙も、人を寄せ付けない為の工作の一つなのだろう。

 

(西公園の正面入口は塞がれてた……表向きは再開発の為に取り壊し中って話だったが、実際は違うんだろう)

 

昔からホームレスのたまり場ではあったものの、服役前は普通に正面から入れた西公園。

工事中という体裁を取り隠れ蓑としているのだ。

 

(まぁ、行ってみるしかねぇか)

 

俺は意を決して公衆トイレに足を踏み入れる。

すると、中に居た二人のホームレスが用も足さずに立っていた。

 

「なぁ、アンタ。張り紙あったろ?"使用厳禁"ちゃんと見たか?」

 

声をかけてくるホームレス。

その声音には感情が無く、少なくとも歓迎の気配は感じられない。

 

「あぁ、この先に用事があってな」

「そうか。なら、何されても文句ねぇな?」

「あ?」

 

その直後。

俺は背後に複数の気配を感じた。

後ろに目線を向けると、新たに現れた数人の男たちが俺を囲んでいた。

全員が拳銃をこちらに向けた状態で。

 

「……随分なご挨拶だな」

「失せろ、こっちはヤクザに用事はねぇ!」

「俺にはあるんだよ。それに俺はヤクザじゃねぇ」

「うるせぇ、消えろって言ってんだ!」

 

正面の一人が懐から銃を取り出す。

瞬間、俺は銃口が向けられるよりも早くそいつの手首を掴み、拳銃を奪いながら背後へと回り込んで銃口を頭に突き付けた。

 

「て、テメェ!」

「撃ちはしねぇよ。あくまでもコレは正当防衛だ」

 

俺としても、いきなり銃を突きつけられればこうする他ない。

自分の命は自分で守る。

神室町の裏社会における鉄則だ。

 

「ふざけやがって、撃ち殺すぞヤクザ野郎!」

「本気で言ってんならお前らもタダじゃすまねぇぞ?チャカを扱うなら跳弾って言葉くらい聞いた事あるだろ?」

 

跳弾とは、文字通り放たれた弾丸が壁などに当たった際に跳ね返る現象の事だ。

屋外で起きる事はほぼないが、屋内のこういった狭い空間では弾丸の運動エネルギーが減少しない為非常に起こりやすい。

もしも跳弾が起きれば、俺だけじゃなくこの場の全員が危険に晒される事になるのだ。

 

「頼むよ。俺は"買い物"がしたいだけで、アンタらを脅かしに来た訳じゃないんだ。お互い平和的に行こうぜ?」

「テメェ……!」

「ん?待て……」

 

緊迫した空気が流れるが、正面のもう一人が携帯電話を取り出して誰かと連絡を取り始めた。

二、三言返事を繰り返し、やがて電話を切る。

 

「通して良いそうだ」

 

その言葉を合図に銃を向けていたホームレス達が一斉に警戒を解く。

どうやら例の"サイの花屋"から指示があったらしい。

コイツらはその部下と言った所だろう。

 

「そいつは良かった、ほれ」

 

俺は人質にしていたホームレスを解放し、奪っていた拳銃に安全装置をかけて返してやった。

 

「すまなかったな」

「……けっ」

 

忌々しそうに拳銃を受け取るホームレス。

どうやら嫌われてしまったらしい。

 

「こっちだ」

 

電話係のホームレスが奥の個室のドアを開ける。

それに従いその個室に向かい合うと、奥にもう一つのドアがあった。

 

(なるほど、そういう仕組みか……ん?)

 

開け放たれたドアの向こうに、一人の男が立っている。

タンクトップを着た筋骨隆々の外国人だった。

黒い肌をしたその男は、拙い日本語で俺に語りかけてくる。

 

「ご案内シマス。錦山サン」

「ほぉ……もう身元が割れたのか」

 

俺はトイレ内の監視カメラに目を向ける。

"サイの花屋"はきっとそこから、俺の事を覗き見ているのだろう。

 

「"賽の河原"だぜ、ここは」

「ふっ、そうかよ。……中々いい買い物が出来そうだ」

 

この短時間で身元を特定出来るのは決して簡単なことじゃ無い。

どうやら、得られる情報については期待して良さそうだ。

 

(中は……昔とあまり変わらねぇな)

 

個室の裏口から中に入ると、見覚えのあるだだっ広い公園が広がっていた。

それぞれの場所にビニールハウスやらが建っているが、これも昔から変わらない。

 

「こちらデス」

 

俺は外国人の案内について行き、やがて今は使われていない地下鉄の駅の入口前に辿り着いた。

 

「ボスは地下の、一番奥でお待ちしていマス。ドウゾ?」

「おう、サンキュー」

 

俺は案内人に"向こう"の挨拶で礼を告げ、言われるがままに階段を降りた。

明かりは無く薄暗い階段を降りていき、無人の改札を通り抜ける。

そのままホームの方へと下っていくと、奥に明かりが見えた。

 

(なんだ……?)

 

やがて駅のホームまで降りた俺は、目を見開くことになった。

 

「な……なんだこりゃ……!!?」

 

そこもあったのは、表には出ないであろう秘密の空間だった。

電車が通るはずのホーム下には水が張られ、その上に木製の通路が浮かび歩けるようになっている。

そしてその左右に、昔の祇園や吉原を彷彿とさせるような建築物が軒を連ねていた。

欲に塗れた男達が色っぽい花魁姿の女達を品定めするその光景は、まさに在りし日の遊郭と言った所だろう。

 

「驚かれましたか?錦山さん」

 

開いた口が塞がらない俺に対し、一人の男が声をかけてくる。

初対面のはずだが、その男もまた俺の名前を知っていた。

 

「アンタも俺の名前を?」

「えぇ。なにせ情報は賽の河原の命です。上界であった出来事はすぐに下界の我々に伝わります。さぁ、ボスが一番奥の屋敷でお待ちですよ」

「……あぁ」

 

男と別れ、地下繁華街を真っ直ぐ進んでいく。

そこはまさに神室町のアンダーグラウンド。

現役時代でも知ることの無かった、危険な欲望を叶える為の場所だった。

 

「あれだな……」

 

そしてそんな地下街の最奥。

一際大きな屋敷の前に辿り着く。

サイの花屋とは、おそらく相当な権力と財力の持ち主なのだろう。

 

「邪魔するぜ」

 

巨大な門を開け屋敷へと入り込む。

屋敷の中は賑やかな繁華街とは打って変わり、とても静かな場所だった。

宮殿を彷彿とさせる柱が並び、巨大なシャンデリアと周囲を囲むように建造された水槽がその空間の光源で、あまりの薄暗さに海底にいるかのような錯覚を覚える。

 

(金持ちの趣味にしちゃ、悪くねぇな……)

 

俺が幻想的とも言えるその空間に浸っていると、どこからともなく声が聞こえた。

 

「錦山彰。出所早々派手にやってるみてぇだな」

 

渋い男の声だった。

この声の主が、おそらく"サイの花屋"なのだろう。

 

「アンタが、サイの花屋か?」

「何の情報が欲しい?」

「東城会の100億、それから由美と美月って姉妹の情報だ」

「ほう……お前の"妹"の事は良いのか?」

 

男の言葉に気味の悪い寒気を感じる。

まるで全てを丸裸にされたかのような気分だ。

しかし、俺は気を引き締めた。

相手はわずかな時間で俺の身元を割り出すような奴だ。

優子のことを知っていても不思議じゃない。

 

「……何もかもお見通しって訳か」

「当たり前だ。どこにでも俺の手下はいる。キャバ嬢のパンツの色から裏取引、表沙汰になってない殺しまで全て俺の所に話が入ってくる。そして俺はその星の数ほどの情報を繋ぎ合わせ、客の欲しい正確な情報を提供するんだ」

 

それを聞き俺はひどく納得した。

男の口ぶりだと、トイレでのいざこざよりも前からおそらく俺の事は耳に入っていたのだろう。

何せあの東城会を相手に大立ち回りだ。

俺がこの男の立場であっても、まず間違いなくマークするに違いない。

 

「なるほど……"伝説の情報屋"とはよく言ったもんだな。心配になってきたぜ」

「何の心配だ?」

「金さ。高いんだろう?アンタの情報」

 

これだけの設備と人数を動員してかき集めた情報だ。

安売りしてしまっては採算が合わないのは当然と言える。

 

「フッ……多少腕が立つだけのチンピラと思ってたが、中々物分かりが良いじゃねぇか。そういう男は嫌いじゃねぇ」

「なら、いい加減姿を表しちゃくれねぇか?お互い顔も合わせないんじゃ信用も何も無いだろ?」

「おっとこりゃ失礼」

 

そしてついに、サイの花屋がその姿を表した。

固めた頭髪と口元の髭。素肌に法被のようなものを身にまとい、金のネックレスと腕時計がその存在を主張する。

最奥にあるデスクのチェアに腰掛け、ゆうゆうと葉巻を加えるその姿は、元極道者の俺から見てもなかなかの貫禄だった。

 

「初めましてだな、花屋」

「おう。それで、報酬は用意してあるのか?」

 

その問いに対し、俺は懐から一枚の封筒を取り出して答えた。

花屋の所までに歩み寄り、封筒をデスクの上に置く。

すると中から決して少なくない量の万札が出てきた。

 

「コイツは?」

「俺がさっき稼いだ金だ。アンタの事だ、出処ぐらい分かるだろ?」

「なるほど……"アキラ"だな?」

 

スターダストにおける源氏名を言い当てられたが、今更もうそんな事では驚かない。

俺をマークしていたのであれば知ってて当然だ。

 

「200万ある。これで情報を買いたい」

 

数時間前、銀座の女王こと鮎美ママが高いシャンパンを入れてくれたお陰でスターダストの売上は過去最大を記録したらしい。

この金は、そんなスターダストのオーナーである一輝がくれた俺への報酬だった。

 

「たった数時間で良くこれだけ集めたじゃねぇか。だが、お前が欲しがってる情報はヤマがヤマだからな。これじゃちっと足りねぇよ」

「ちっ……」

 

花屋の返事に俺は思わず舌打ちをした。

しかし、同時に納得も出来る。

俺が欲しているのは今まさに起きている事件の情報。

あの東城会の内輪揉めに関する危険なネタだ。

ヤバい事件の情報であればある程、その情報は高額になっていくのは想像に難く無い。

 

「悪いが、これ以上を今すぐ用意するのは無理だ。花屋さんよ、何とかならねぇか?」

「あいにく俺ぁ、ヤクザってのが死ぬほど嫌いでな。本来なら譲歩する事は無い」

 

だが、と花屋はこうつけ加えた。

 

「情報屋ってのはとどのつまり"のぞき趣味"でよ。10年前は一介のチンピラでしか無かったアンタが、あの東城会を相手に何をしでかすのか……本当のとこ興味津々なんだ」

「なら、どうにかしてくれるってのか?」

 

その言葉に希望を見いだした俺はすぐさま花屋に問いかけた。

 

「残念だがフェアじゃない事は嫌いでな、情報料は負けてやれねぇ。だが、代わりの仕事を用意してやろう。今のアンタにピッタリの仕事をな」

 

それに対し返って来たのはそんな回答と意味深な笑みだった。

その表情に、とてつもなく嫌な予感を感じる。

 

(この感じ……絶対ロクなことじゃねぇ……!)

 

そして、これから僅か数十分後。

俺のこの予測は的中する事になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町の地下深くに存在する非合法地下繁華街"賽の河原"。

カジノや性風俗など、表じゃ絶対に味わえないサービスを提供する神室町の穴場だ。

そんな賽の河原の中でも、一番の人気を誇る場所が存在した。

錦山は今、その場所の控え室にいた。

 

(やれやれ……嫌な予感が当たったな)

 

辟易した様子で上着とシャツを脱ぎ捨てる錦山。

上裸になった事で、背中に背負った緋鯉の墨が顕になる。

 

(だがやるしかねぇ……ここでやらなきゃ、情報は手に入らねぇんだ)

 

覚悟を決めた錦山は控え室を出る。

ふと、彼は誰かが担架で運ばれているのとすれ違った

 

「ウッ、ウウッ……」

 

錦山と同じく上裸の男が担架の上で苦悶の表情を浮かべている。

そんな男の足首は、異常な角度に折り曲げられていた。

 

「…………」

 

その光景に眉根を顰める錦山。

下手をすれば彼もまた、その男と同じ目に遭うかもしれないのだ。

 

「ちっ……思った通り悪趣味な場所だぜ」

 

錦山は小声で毒づくと、担架が運ばれてきた方向に歩を進める。

やがて彼の耳に歓声が近づいてくる。

彼の進行方向から熱気が漂いはじめる。

そして、辿り着いた。

 

『レディース&ジェントルマン!ここで、飛び入りのファイターが参戦です!』

 

スピーカー越しの実況。

沸き立つ観客による歓声と熱気。

そして中央に鎮座する六角形のリング。

これこそが賽の河原の中でも一番の危険で一番スリルのある場所。地下闘技場である。

 

『早速紹介しましょう!10年前、渡世の親をその手にかけた仁義なき極道。元堂島組若衆、錦山ァァ、彰ァァ!』

 

アナウンサーの声と共にリングインする錦山。

それに合わせて、上に吊り下げられた金網がゆっくりと降り始める。

 

『対するは、久々に帰ってきて早々二人の男を血祭りに上げた全勝無敗のこの男!ベガスの地下王者、ゲイリー・バスター・ホームズ!!』

 

やがて金網が完全に降り、決着が着くまで脱出することが出来なくなる。

金網の中にいるのは錦山と、もう一人。

 

「よう、またあったな」

「奇遇デスネェ、錦山サン」

 

逞しい肉体を惜しげも無く披露するのは、錦山を賽の河原へと連れてきた案内人の男だった。

元々只者では無いと踏んでいた錦山だったが、意外な所で再会を果たした事に内心で少し驚いていた。

 

「即死ト、腹上死……お好みハ?」

「フッ……その日本語、意味分かって使ってねぇだろ?」

 

不気味な笑みを浮かべるゲイリーに対し、軽口を返すも真剣な表情を浮かべる錦山。

ふと、彼の視界に観客席の一角が映りこんだ。

葉巻を銜えた花屋が、楽しげな笑みを浮かべているのが見えたのだ。

 

(チッ、高みの見物しやがって……見てろよ……!)

 

それにより、錦山の中で怒りのスイッチが入った。

拳を握り、真っ向からゲイリーを睨み付ける。

 

『飛び入り参戦のヤクザファイターは、無敗の地下王者相手に下克上を成し遂げられるのか!注目の一戦……今、ゴングです!』

 

地下闘技場無敗王者。ゲイリーバスターホームズ。

ゴングの音が高らかに鳴り響き、闘いの幕が切って落とされた。

 

「フゥゥン!」

 

開始早々、ゲイリーの豪快な右フックが錦山に襲いかかった。

大振りだが速度のあるその一撃を、錦山は紙一重で躱す。

 

「うぉっ!?」

 

直後、バットを素振りした時のような音が錦山の耳朶を打った。

ゲイリーの剛腕によって放たれた一撃が風を切ったのだ。

 

(なんて一撃だ……当たったらタダじゃすまねぇぞ!?)

 

それはさながら人間凶器。

彼の攻撃は全て鈍器で殴られる事に等しいと言える。

錦山としては、絶対に攻撃を受ける訳にはいかない。

 

「フッ、フン、ヌゥン!」

 

そんな必殺級の一撃をゲイリーは絶え間なく連続で放った。

一度でも喰らえば致命傷の攻撃を、錦山は何とか捌いていく。

 

「オラァ!!」

 

隙を見た錦山がゲイリーに反撃の右ストレートを叩き込む。

しかし、返って来たのは手応えでは無く鉛を殴ったかのような鈍い感触だった。

 

(い、痛ってぇ……!)

「ヌッ……錦山サン、トテモ良いパンチですねェ」

 

ゲイリーはその一撃に対して賞賛の声を上げたが、おそらくその枕詞には「日本人にしては」が付くことになるだろう。

大して怯みもせず、ゲイリーは再び攻撃を再開した。

 

「フゥンンンンッ!」

 

体重の乗った全力の前蹴りが炸裂し、ガードした錦山の身体ごと大きく後方へ吹き飛ばす。

 

「ぐぉっ!?」

 

背後の金網へと叩きつけられ、そのまま背中を預ける体制になる錦山。

そこへゲイリーが間髪入れずにショルダータックルをぶちかました。

 

「ぐふっ!?」

「ムゥン!」

 

肺の空気が絞り出され、呼吸困難に陥る錦山。

ゲイリーは明確な隙を晒す彼の胴を捕まえると、そのまま後方へと力任せに投げ飛ばした。

バックドロップと呼ばれるプロレスの技の一種だった。

 

「が、っは……!?」

 

あまりのダメージで身動きが取れない錦山。

ゲイリーはすかさず錦山の上に股がって、マウントポジションを取る。

そして。

 

「Finishデス!」

 

死刑宣告と共に、ゲイリーの拳が錦山の顔面を直撃した。

 

「が、っ……ぁ……」

 

衝撃で意識が飛ぶ錦山。

通常の格闘技であればこの時点で勝負ありだが、ここは何でもありの地下闘技場。

当然、ゲイリーの攻撃はそれでは終わらなかった。

 

「フン、フン、フン、フン、フン!!」

 

ゲイリーの持つ黒い左右の拳が連続で打ち下ろされる。

人間の身体を叩いているとは思えない鈍い音が響き渡り、オーディエンスが狂気的な歓声を上げた。

 

「がっ、ぐっ、っ……」

 

一発の衝撃で意識が途切れ、再び一発の衝撃で目覚める。

そんなことを繰り返す内に、錦山の顔面には次々と痛々しい傷が増えていく。

破壊と暴力の嵐に苛まれる錦山を見て、誰もが決まったと思った。

その直後。

 

「ぶっ!!」

「!!?」

 

錦山が口から赤い液体をゲイリーに勢いよく吹き掛けた。

 

「NOOOOOO!!」

 

直後、優位に立っていたはずのゲイリーが両手で顔を抑えながら転げ回る。

錦山が吹き掛けたのは、度重なる殴打で口内に溜まった自分の血。彼はそれをゲイリーの目に吹き掛ける事で一時的に視界を奪ったのだ。

 

「よくも、やりやがったなテメェ…………」

 

ゆらりと立ち上がった錦山。

赤い跡が残る口と鼻を手で拭う彼の目は、怒りで真っ赤に血走っていた。

 

「タダじゃ終わらせねぇぞコラァ!!」

 

先程とは逆に、錦山がゲイリーにマウントポジションを取る。

そして左手でゲイリーの左頬を掴み、顔面が右に向くように押さえ付けた。

直後。

 

「オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラァ!!」

 

錦山の怒涛の右フックがゲイリーの顔面にぶち込まれた。無論、一発で済むはずがない。

先の恨みを晴らさんと、幾度も振り抜かれる錦山の拳がゲイリーの顔を叩いて潰す。

 

「フゥゥン!!」

 

錦山の右拳が返り血で真っ赤になった頃、ゲイリーが持ち前のフィジカルで抵抗して転げるように錦山のマウントを解く。

しかし、ゲイリーの視界は未だ回復しておらずその足元は覚束無い。

 

「うぉぉおッ!!」

 

そして錦山はそのチャンスを決して逃さない。

すかさず体制を整えてゲイリーに近づくと、彼の頭を両手でしっかりと掴む。

 

(これで決めてやる!)

 

そして、錦山はゲイリーの顔面に全力の膝蹴りを叩き込んだ。肉がひしゃげ鼻が潰れる生々しい感覚が膝越しに伝わる。

 

(まだだ!)

 

確かな手応えを感じた錦山は二回、三回と連続で膝蹴りを繰り出していく。もはや今の彼は、ゲイリーを仕留める事しか頭に無い。

相手を殺す気でやらなければこちらがやられてしまう。

情けをかける余裕は彼には無いのだ。

 

「ンンンンンン!!!」

 

だが、このままやられる程無敗の王者は甘くなかった。

ゲイリーは顔面に膝蹴りを喰らいながらも錦山に抱き着いて距離を潰す。

 

「て、テメっ!?」

「ヌゥゥゥン!!」

 

そして、そのまま力任せに錦山を放り投げた。

何とか受身を取ってダメージを軽減する錦山だったが、ゲイリーもまた奪われていた視界を取り戻して臨戦態勢に移る。

 

「錦山サン……まだ頭、クラクラ、シマス」

「はぁ、はぁ、はぁ…………そうかよ」

 

ゲイリーの顔面は度重なるダメージで歪に歪み、もはや原型を留めていない。

一方の錦山も、ゲイリー程ではないがダメージと疲労が見える。お互いに、もう長くは持たないだろう。

 

「デモ、これで本当にFinishデス……!!」

 

ゲイリーは静かに宣言すると、中腰に構えた。

彼はレスリングにおけるタックルを狙っている。

持って生まれたパワーと瞬発力で錦山を押し倒して再びマウントを取り、一気に勝負を決める算段だ。

 

(頭が上手く回らねぇ……ぼーっとしやがる……)

 

対する錦山の足元は覚束無い。

鼻からの出血で脳に酸素が行きにくくなったことによる、一種の酸欠状態だった。

このような状態では、とても逆転の一手を導き出す事は難しいだろう。

そんな時、ふと彼の脳裏に約二十年前の記憶が蘇った。

 

(あ……そうだ……)

 

それは彼が極道になって間もない頃、兄貴分の柏木から空手の稽古を付けてもらった時の事だった。

基本的には殴られ蹴られるだけの荒っぽい稽古だったが、その中の一つ。

この状況に適したものがあった事を錦山は思い出す。

 

(こんな時は……"アレ"だな……)

 

錦山はその過去の記憶に従い、股を大きく開いて垂直に腰を下ろした。

姿勢を綺麗に保つ事を意識し、それ以外の筋肉の緊張を解して著しく"脱力"させる。

 

「スゥー……フゥー…………」

 

怒りで埋めつくされていた頭の中を空にし、静かに口で呼吸を整える。

目を瞑って静かに集中力を高める。

次第に、錦山の意識から外界の音が遠ざかっていった。

感じるのは自分の内から発する音のみ。

穏やかな脈動と静かな呼吸。

研ぎ澄まされていく精神。

そして。

 

「ヌウウウウウウウウウウウン!!!」

 

ゲイリーが雄叫びを上げ迫ったのと時を同じくして、錦山は目を見開いた。

静から動。

今、柏木の教えを体現した錦山の身体がゲイリーの巨体を迎え撃った。

 

「ヌォッ!?」

 

驚愕の声を上げたのはゲイリー。

彼の巨躯を活かした進撃で、絶対に倒れるはずだった錦山の身体はまるでそこに根を張ったかのように不動を保っていたのだ。

 

「What!?」

 

驚きのあまり一瞬だけ気を抜いてしまうゲイリー。

それが、勝負の明暗を分けた。

 

「ふん!!」

 

錦山は組み付かれた体制からゲイリーの首を肘の裏で挟みこんでギロチンチョークを極め、その後にゲイリーの腰を上からしっかりとホールドする。

 

「うぉぉぉっりゃあああああああああッッッ!!」

 

そして、気合いの雄叫びと共にゲイリーの身体を持ち上げると全力でマットに叩き付けた。

 

「ァ…………ガ、ッ………………」

 

完全にトドメを刺され、ついに無敗の王者がその動きを止める。

その瞬間、会場は割れんばかりの拍手と極大の歓声に包まれた。

 

『なぁんとォォ!こんな事があるのかァァァ!?世紀の番狂わせ!!飛び入りの極道ファイターが、得意の喧嘩殺法で無敗の王者ゲイリーを呑み込んだァァァ!!』

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

実況の声も観客の歓声も気に留めず、錦山は葉巻を銜えて拍手を贈る花屋に向き直った。

 

「よう!はぁ、はぁ……これで…………文句、ねぇだろう?はぁ……はぁ……」

「安心しろ、約束は守る。俺はフェアだって言ったろ?」

「はぁ……はぁ……そいつぁ良かった………」

 

それを聞いた錦山の身体が、思い出したかのように痛みと疲労を訴える。錦山はそんな肉体の声を聞き入れ、大の字になってその場に寝転がった。

この身を満たす、確かな達成感に浸りながら。

 




という訳で、最後はゲイリー戦でございました
桐生ちゃんは息も上がらずに倒していたゲイリーでしたがベガスの地下王者が弱い訳ありません。桐生ちゃんが化け物すぎるだけです()

次回でこの章は最後となります
ぜひお楽しみに


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波乱の予兆

最新話です。

この章もいよいよこのお話で最後です。
是非ご覧下さい!


2005年12月7日。時刻は午後23時頃。

地下闘技場での死闘を終えた俺は、元の服装に着替えて花屋の屋敷に戻って来ていた。

巨大な水槽に囲まれた花屋のオフィスにて、俺は再び花屋と顔を合わせる。

 

「さて、東城会の100億と"由美"と"美月"って女の情報だったな」

 

スターダストで稼いだ200万円と、無敗の王者のゲイリーを倒したファイトマネー。

それらを合わせて何とか目当ての情報分をかき集めた俺は、いよいよ花屋から情報を買うことに成功する。

花屋はまず、100億についての情報を語ってくれた。

 

「東城会三代目は金が盗まれた事を隠していた」

 

つい先日、何者かに暗殺されてしまった東城会の三代目会長。世良勝。

十年前の堂島組長殺害の時に風間の親っさんの嘆願で俺を破門に押し止めておきながら、俺を殺す為に刑務所に刺客を放つという矛盾した行為については俺の中で未だに疑問が尽きないが、重要なのはそこじゃない。

 

「2万5000人のトップを束ねる者として、自分達の金が奪われたなどと言う不祥事を知られる訳にはいかなかったんだろう。組織の沽券に関わる事だからな」

 

もしも自分たちが危ない橋を渡って懸命にかき集めた金が何者かにあっさりと奪われてしまったなんて事が知れれば、跳ねっ返りの多い極道達は黙っていないだろう。

追求どころの話ではない、下手をすれば組織の内部崩壊にすら直結しかねない事態だ。

 

「だが、そいつを堂島って直系組長が緊急幹部会で暴露したんだ」

「堂島って……まさか……?」

 

花屋は頷き、淡々と答える。

 

「あぁ。その組長の名前は"堂島大吾"。十年前、お前が殺した堂島宗兵の一人息子だ」

 

堂島大吾。

俺に恨みを持った連中を中心に構成された任侠堂島一家を率いる若き組長だ。

世良会長の葬儀会場でも、応接室に写真が飾られているのを見た事がある。

 

「まさか、若が……」

「三代目を殺した犯人は未だ分かっちゃいねぇ……だが、三代目殺ったのはこの堂島大吾なんじゃねぇかと俺は踏んでいる」

「どうしてだ?」

 

突如として投げかけられた疑問にも、花屋は直ぐに答えた。

 

「今から17年前、神室町でとある空き地を巡った抗争があった……この話、分かるよな?」

「あぁ……"カラの一坪"の一件だろ?」

 

花屋の口から出たその騒動は、今でも鮮明に思い出せる。

俺も少なからず関わっていたからだ。

 

「そうだ。当時の堂島組若頭補佐の三人が、服役中の風間の隙を狙って次期若頭の座を争いあったあのお家騒動だ。結果、若頭補佐の一人が死亡しもう二人は逮捕された事により組織は弱体化。ここまでは知っているな?」

「あぁ」

「よし、本題はここからだ。実はこの話には裏があってよ。この事件当時、後の三代目となる世良は堂島組長の"ある弱み"を握ったらしい」

「ある弱み?」

 

花屋は肯定しながら、新しい葉巻に火を付けてゆったりと紫煙を燻らす。

 

「流石に情報が古すぎてその弱みが何なのかまでは洗えなかったが、世良が本家若頭に就任してからの堂島組長の落ちぶれっぷりはそりゃ酷いもんだった。相当ヤバい弱みを握られていたのは間違いねぇだろう」

 

今、花屋から語られたのは俺の知らない情報だ。

堂島組長が落ちぶれる原因を作ったのは、当時風間派に所属していた世良会長だったのだ。

と、そこで俺の脳裏に一つの仮説が過ぎった。

 

「じゃあ花屋。アンタが若……いや、大吾が犯人であると踏んでいるのは、大吾が世良会長に復讐したかもしれないからって事か?」

「そう言う事になるな。」

 

花屋の言葉を聞き、俺は納得する。

今聞いた事が確かなら、大吾にとって世良会長は俺に次ぐ"親の仇"と言っても差し支えないだろう。何故17年経った今なのかという疑問こそあるが、犯行そのものの動機としては十分だ。

それに、世良に恨みがあるのは任侠堂島一家の人間達も同じだ。

あの連中からして見れば、世良は自分達の尊敬する親父を追い落としてトップの椅子に座っているわけだ。面白くないに決まっている。

 

「それに、今の奴の動きは四代目の椅子を狙っている可能性が高い。おそらく、死んだ親父が果たせなかった東城会のトップになるって悲願を目指してるのかもな」

「若……」

 

俺はやるせなさを感じていた。

元は堂島組長の起こした事が発端とはいえ、あの事件が結果的に若を修羅に変えてしまったのだ。

 

「今の東城会は群雄割拠だ。3代目は死に、跡目もまだ決まってねぇ。となりゃ、100億を取り戻した奴が次の跡目だろう。堂島大吾のたった一言を引き金に、共喰いの泥沼だ。任侠が聞いて呆れるぜ」

「あぁ……古巣の事ながら、情けない限りだよ」

 

跡目を狙って動き出しているのはおそらく若だけじゃない。

特に嶋野あたりはこの千載一遇のチャンスを絶対にモノにしようとするはずだ。

みんながみんな、消えた100億を巡って血眼になっている。今回の一件、今まで以上に腹を括って望んだ方が良さそうだ。

 

「100億を奪ったのは由美って女だ。コイツは匿名のタレコミがあったらしい」

 

そして花屋の情報は100億から由美へと繋がっていく。

伊達さんが言っていた通り、今回の事件は裏で密接に繋がっていたのだ。

 

「東城会で裏を取っている内に、妹の美月が数日前からアレスを閉めて行方をくらましているのが分かった。いよいよ本ボシって訳だが、二人とも見つかりゃしねぇ。それで……」

「美月の娘、遥……」

「なんだって?」

 

その情報を聞き、俺の中で引っかかっていた部分が解け始める。

昨日、アレスで俺は遥を狙う近江連合の連中とやり合った。特にリーダー格の林という男はかなりの手練で、俺は相当の苦戦を強いられた程だ。

あれほどの実力となると、近江連合の中でも相当上の位置にいる男の筈。

そんな男がわざわざ大阪から神室町に飛んで来て、女の子一人を拉致しようとするようなチンケな真似をしようとしたのか。

 

(遥の母親である美月は、100億事件に明確に関わっている。100億を狙う連中はその娘である遥を利用し、行方をくらました美月を誘い出そうって胆なんだ……!)

 

おそらく近江連合の林は自分より更に上の大幹部からの命令で遥を攫いに来たのだろう。では、その"大幹部"が何故外様の組織である東城会の100億が消えた事を知っているのか。

 

(東城会内部に、関西と繋がっている裏切り者が居るって事か……!)

 

事件発覚から昨日までのわずかな間に林が東京を訪れている所を鑑みると、近江連合が消えた100億の存在を知ったのはかなり早い時期だ。

近江よりも早く消えた100億の存在を認知出来るのは金を盗まれた側の東城会。その次に事件を捜査した警察だ。

当然の話だが、法の番人たる警察側が東城、近江共に反社会的勢力に有利になる情報を与えるはずは無い。

そして、いくら凄腕と言えど外様組織である近江連合の極道が東城会の膝元である神室町にそう易々と潜入など出来はしないだろう。

となれば、東城会内部に潜むその裏切り者が100億の情報を近江連合にリークし、その裏切り者が林達を神室町の中に手引きしたと見ておそらく間違いない。

そしてその"裏切り者"の目的は近江連合を利用して遥を捕らえて美月を誘い出し、100億を手に入れること。

後に協力してもらった近江連合には、手に入れた100億の何割かを報酬として支払うと言った所だろうか。

つまり、本当に遥を狙っているのは近江連合ではなく東城会の誰かという事になる。

 

「……東城会は今、美月の娘の遥を探している。遥は今、俺と一緒に居るんだ」

「遥……そうだったのか……」

 

花屋はそれを聞き少しだけ驚いた顔を見せた後、何かを考えるような素振りを見せた。

何か思い当たる節があるのだろうか。

 

「一昨日、顔を隠した妙な女が来てな。その女が探してくれと言っていた子の名前が確か遥だった」

 

その新たな情報に俺は目を見開いた。

このタイミングで遥を探す女性となれば、自ずと候補は二つに絞られる。

 

「その女が由美か美月って可能性は無いか?」

「さぁな……どういう訳かその女は執拗に顔を見せたがらなくってな。俺も顔は見れず仕舞いだ。オマケに自分の名前も素性も明かせねぇなんて言いやがるからよ。丁重にお帰り頂いたぜ」

 

そう言って花屋は鼻を鳴らした。

自らの情報を一切明かさず、必要な物だけを手に入れようとするそのスタンスは俺が聞いても非常に怪しい。

フェアである事を重視する花屋は、その女の要求を突っぱねたのだろう。

 

「そうか……だが、順当に考えればその女が由美か美月である可能性は高いな」

「あぁ、それに関しちゃ俺もそう思うぜ」

 

自分たちが東城会から狙われる事を知り、事件関係者の子供である遥が狙われる事を危惧した"その女"は伝説の情報屋である花屋を頼って遥の居場所を特定し、いち早く合流する必要があった。

そう考えれば辻褄が合う。

 

(いい情報が聞けたぜ……これで一歩前進だ!)

 

ここに来て俺はかなりの手応えを感じていた。

花屋から得たこの情報を伊達さんに伝えれば、少なくとも三代目殺しの疑いの目は桐生に向けられなくなる筈だ。

それに、この調子で情報を集めていけば真相までたどり着けるかもしれない。

 

「ん?ちょっと待て」

 

と、そこへ花屋のデスクの電話がコール音を発し始めた。花屋は葉巻の火を消すと受話器を取る。

 

「なんだ………………そうか、分かった」

 

二言ほどの返事の後に受話器を置いた花屋は、俺に向き直ってこんなことを言ってきた。

 

「お前に客だ」

「客?」

「見に行くぞ。足元注意しろ」

「は?」

 

言っている意味が分からずにそんな声を上げた直後。

大きな音を立てて俺の立っている床が沈んだ。

 

「なっ!?」

 

思わず声を上げる間にも、俺と花屋を中心に直系約5メートル程の床が機械音を立てて沈んでいく。

突然の事で理解が追い付かない俺だったが、この後更に驚愕の光景を目の当たりにする事になる。

 

「こ……こいつは……!?」

 

数秒後、俺の周囲を取り囲む光景は完全に変わっていた。

薄暗いのは変わらないが、周囲には巨大なコンピュータらしき機械に囲まれ、正面を無数のモニターが埋めつくしていた。

花屋の部下達が忙しなくキーボードを叩き、これらの機械を運用しているのが見える。

 

「驚いていいぜ。これが"賽の河原"の本当の姿だ。」

 

モニターに写っているのは、慣れ親しんだ神室町の風景とそこで生きる人達の姿だ。

画面の右下には今日の日付が表示されている。

 

「5年前、警視庁は50台のカメラを設置した。テロ防止なんかが目的だが所詮対して役には立ってねぇ。だがよ、俺は実際にこの目で見てるんだ。1万台のカメラを設置してな」

 

圧倒されるのと同時に納得する。

いや、納得せざるを得なかった。

何故花屋が"伝説の情報屋"と謳われているのか。

どうして彼の情報が高いのか。

その答えが今、目の前に広がっているのだから。

 

「おい、客の様子を見せろ」

「はい」

 

花屋に命じられた部下がキーボードを操作し、一番大きなモニターにある映像が映し出される。

 

「伊達さん!」

 

それは俺がここに来る前にホームレスに襲われた公衆トイレの映像だった。

そこに肩を押さえた伊達さんが入り込んでいるのが映っている。その肩は赤く滲んでいて、表情も辛そうに歪んでいた。

 

「あの肩……血か?一体何があったんだ?」

「分からねぇな……おい、奴が映っている他の映像を出してみろ」

 

その指示に従った部下が再びキーボードを操作し始めると映像がどんどん巻き戻されていき、伊達の行動が明らかになっていく。

 

「伊達か……なんとも落ちぶれちまったもんだ」

「花屋、伊達さんの事知ってんのか?」

「ボス、10分前の映像です」

 

花屋が俺の質問に答えるよりも早く、画面上に映像が出た。そこに映っていたのは道を歩いている伊達さんと遥。

そこへ一台のバンが猛スピードで二人の横を走り抜けて進路を塞ぐように停車すると、中からガラの悪い連中が現れて遥を誘拐したのだ。

抵抗する伊達さんだったが、犯人が拳銃を発砲し肩を撃たれてしまう。

身動きの取れない伊達さんを放置し、犯人達は遥をバンに押し込むとそのままどこかへと走り去ってしまった。

 

「クソッ!!」

「ボス、トラブルです!」

「どうした?」

「ライブ映像に回します」

 

部下に言葉と同時に映像が切り替わり、現在の伊達の様子を映し出す。

そこには、肩からだけでなく頭からも血を流す伊達さんの姿があった。そしてその周りを木刀を持ったホームレス達が取り囲んでいる。

伊達さんは今、賽の河原のホームレスから襲撃を受けていたのだ。

 

「錦山、伊達がヤバいぞ!」

「こうしちゃ居られねぇ!花屋!ここからどうやって出れる!?」

「そこの非常口からさっきの場所に行ける。急げ!」

「あぁ!」

 

俺はすぐにモニター室から出た。非常口のドアを開けて目の前の非常階段を駆け上がる。

 

(伊達さん、無事でいろよ……!!)

 

ようやく良い情報が手に入ったのだ。

兄弟の疑いを晴らす前に、あの人に死んでもらう訳にはいかない。

俺は脇目も振らず一目散に伊達さんの居る公衆トイレ付近を目指した。

ホームレスに襲われている伊達さんを救い出す為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぁっ!?」

 

何度目かも分からない硬い衝撃が伊達の頭部を襲った。

その度重なる痛みからついに地面に倒れ伏してしまう。

 

「おい、何寝てんだ!」

「俺たちの恨みはこんなもんじゃねぇ!」

「ぐ、くそ……」

 

木刀を持ったホームレス達が、殺気立ちながら伊達を取り囲んでいる。

その数、合計七人。

現役警官である伊達どころか、神室町で喧嘩慣れした人間であったとしても不利な状況である。

 

「おい!!」

 

そこへ、一人の男がホームレス達を怒鳴りつけた。

全員の注意がその男へ向いた隙に、男は倒れ伏す伊達へと駆け寄ってしゃがみ込んだ。

 

「伊達さん、大丈夫か!?」

「に、錦山……」

 

錦山と呼ばれたその男は、伊達にまだ意識があることを確認し安堵する。今の錦山にとって、伊達という男は死んでもらうわけには行かないのだ。

 

「すまねぇ……遥が……」

「分かってる!」

「おい、コイツ刑事だぞ!」

「間違いねぇ!俺はな、昔コイツにパクられたんだ!」

 

そう叫んだホームレスの一人が弱りきった伊達に木刀を振りかざす。

錦山はその刀身を素手で掴み、伊達への追撃を食い止めた。

 

「テメェ、もう充分だろうが!」

「まだだ!100回殺しても足りねぇ!」

 

その言葉に同調し、周囲のホームレスもまた次々と声を上げ始める。

 

「部外者は引っ込んでろ!」

「一発殴んねぇと気が済まねぇ!」

「バラしちまえ!」

「そうだ。バ、バラしちまった方がいい」

 

頭に血が上ってホームレス達は聞く耳を持たない。

これが"賽の河原"が一度入ったら出てこれないと言われていた所以の一つであった。

 

「……何を言っても無駄か?」

「あぁ無駄だ!アンタの話聞く義理はねぇ!」

「……そうかよ」

 

錦山はゆっくりと立ち上がると、動けない伊達を庇うようにしてホームレス達に向かい合った。

 

「な、なんだよ!どうする気だ!?」

「よせ、錦山……!」

 

慄くホームレス達と錦山を止めようとする伊達。

だが、既にスイッチの入った錦山を止める事は誰にも出来ない。

 

「今この人を殺させる訳にはいかねぇんだ。そんなにこの人を殺りてぇなら……俺を倒してからにしやがれ」

 

言うが早いか。

錦山は正面のホームレスの手首を掴み、鼻柱に裏拳をぶち込んだ。

 

「ぶげっ!?」

「ドラァ!」

 

怯んだホームレスの手から木刀を奪い、脳天に唐竹割りの一撃を振り下ろしてとどめを刺す。

 

「て、テメェ!」

「さぁ……チャンバラごっこの時間だオラァ!!」

 

木刀を下段に構え、錦山がホームレス達に突撃する。

迎え撃った二人目の一振りを難なく躱し、太腿に一太刀浴びせた。

 

「ぎゃぁっ!?」

「はァっ!!」

 

激痛のあまり足を押えるホームレスの側頭部を、すかさず木刀で狙い打つ。

痛みと衝撃で戦闘不能に陥る二人目を横目に、三人目へと向き直る。

 

「せいっ!」

「ぐほっ!?」

 

錦山は三人目の鳩尾に木刀の切っ先を突き入れた。

そして、蹲って呼吸困難に陥るホームレスの頭部に勢いよく木刀を振り下ろす。

 

「ちっ……!」

 

直後、硬い音を立てて木刀が根元からへし折れた。

いかな錦山の腕力で振るわれたと言えど、普通の木刀はこんなにも簡単にはへし折れない。

経年劣化に加え、先の伊達に対する暴行によって耐久度が減っていたのだろう。

 

「死ねぇ!」

 

チャンスと言わんばかりに四人目が木刀を振り上げて猛然と襲いかかる。

錦山はその一撃を回り込むように回避すると、振り返りざまに折れた木刀の断面を叩きつけた。

 

「ぎゃあああっ!?」

 

折れた木刀の鋭利な断面が四人目の背中に喰い込み、錦山の握った柄に赤い液体が付着する。

 

「このぉ!」

「くたばれぇ!」

 

それを見た五人目と六人目が錦山に同時に襲いかかる。

錦山は崩れ落ちる四人目から木刀を奪い取ると、勢いよく真横に薙ぎ払った。

 

「がっ!?」

「こっ!?」

 

振り抜かれた一閃は水平な軌道でホームレス達の顎を打ち抜き、意識を失った五人目と六人目が地面に崩れ落ちる。

直後。

 

「でいやぁ!」

 

最後の七人目の叫びと共に猛烈な痛みと衝撃が錦山の後頭部を襲った。

 

「ぐぁっ!?」

 

手に持った木刀を取り落とし、頭を抑えて蹲る錦山。

それを好機と捉えた七人目がすかさず追撃を仕掛ける。

 

「喰らえ!」

「っ!!」

 

錦山は壮絶な痛むに耐えながらも耳朶を打つ七人目の声を頼りに、どうにかその追撃を躱した。

そして、再び振り下ろされる前に木刀を持つ手首を掴んで止める。

 

「ひっ!?」

「お仕置きだ」

 

錦山が宣告した直後、彼の右拳が七人目の鳩尾に吸い込まれた。

 

「おごっ!?」

「まだ終わらねぇぞコラァ!!」

 

蹲る七人目の髪を両手で掴み、右の膝蹴りを連続で叩き込む。

頬が腫れ、鼻が折れ、目元が潰れても膝蹴りの連打は決して止まない。

 

「ぐぼっ……」

「でぇやァ!」

 

そして七人目の顔面が原型も分からぬ程変形した時、錦山はトドメの左ハイキックを側頭部に直撃させる。

七人目の体は頭から地面に叩き付けられ、ピクリとも動かなくなった。

 

「はぁ、はぁ、ったく下らねぇトコで体力使わせやがって……」

 

悪態をつきながら息を切らす錦山。

彼はこの直前、地下闘技場でチャンピオンとの死闘を繰り広げたばかりなのだ。

そのダメージは未だ癒えていない。

 

「伊達さん、大丈夫か?」

「あぁ……助かったぜ錦山。恩に着る」

「おう、一つ貸しとくぜ」

「へっ、そうかい……」

 

二人が軽口を叩きあっているところに、賽の河原のボスである花屋が姿を現す。

 

「呆れた強さだな」

「っ!お、お前は……!?」

 

花屋の顔を見るなり、伊達は目を見開いた。

その反応を予想していたのか花屋は最低限の挨拶だけをし、錦山に顔を向ける。

 

「久しぶりですね、伊達さん。錦山。例の子攫った車はバッティングセンターの前に止まった。安心しろ、この情報はツケにしといてやる」

「おう、ありがとよ」

 

それだけを告げると、花屋は踵を返してその場を後にした。その背中を見届けながら、伊達が目を見開いた理由を話し出す。

 

「奴は、元警官だ」

「なに?」

「警察の情報を横流ししていたのを俺が告発したんだ。しかしまさか、こんな所で出会うなんてな……」

「そうだったのか……」

 

花屋の意外な正体に錦山もまた驚くが、それよりも大事な問題が今はあった。

 

「それより伊達さん。遥を攫った連中に心当たりは無いか?」

「…………最悪の相手だ」

「なに?」

 

怪訝な顔をする錦山。

しかし、直後に苦い顔をした伊達の口から零れた名前は彼を納得させるのに十分過ぎた。

 

「遥を攫ったのは、真島組の連中だ」

「真島組だと!?」

 

その名前は、錦山にとっても因縁深い名前だった。

"嶋野の狂犬"と恐れられ、自分の兄弟分である桐生一馬と並び称された"伝説の極道"。

 

「真島、吾朗……よりによってアイツかよ……!!」

 

時刻は23時30分。

錦山と、東城会が誇る超武闘派極道との対立が確定した瞬間であった。

 




如何でしたか?
色々な事が分かってきて、次回はいよいよ真島の兄さん!

……と言いたい所ですが、次回は断章です。
組を立ち上げた桐生ちゃんの奮闘を、どうか見守ってあげてください。

次回もお楽しみに


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断章 1996年
義理人情 前編


最新話です

今回の断章は豪華二本立てでお送りしていきます。
それではどうぞ


1996年。1月某日。

東京神室町のとある場所の地下深く。

一般人は決してその存在を認知出来ないアンダーグラウンドなその場所は、かつて無いほどの興奮と熱狂に包まれていた。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

「ゼェ、ゼェ、ゼェ……」

 

その熱狂の中央で、桐生一馬は一人の男と上裸で向かい合っていた。

桐生の目の前にいるのは、浅黒い肌にボクシンググローブをつけた大柄な男。

その身体には打撲や裂傷の痕が生々しく残っており、男の負ったダメージが並大抵のものでは無い事を物語っている。

 

「シッ!!」

 

グローブの男が歯の間から鋭く息を吐き、渾身の右ストレートを繰り出した。

並の素人であればダウンどころか大怪我は避けられないその一撃を、桐生は完全に見きった。

 

「フンッ!」

「グボッ!?」

 

そのストレートに合わせたカウンターのボディブローが直撃し、怯んだ所に正拳突きを二回追い討ちで叩き込む。そして。

 

「はァァァああああああ!!」

 

桐生は両拳で相手の頭部を左右から挟むように叩き付けると持ち前の腕力で圧迫し、そのままの状態で飛び上がった。

そして地面に着地するタイミングで男の顔面を右膝に叩き付ける。

 

「ブギャッ!!?」

 

頭部の左右を拳で圧迫された上で顔面を強打した相手は後ろに倒れ込むと、そのまま動かなくなった。

 

『決まったァァァ!!桐生の必殺の喧嘩殺法が元世界チャンプをマットに沈めたァァァァ!!勝者!!桐生ゥゥゥ一馬ァァァ!!なんという強さだ!この男の無敗神話は、いつまで続くのかァァァ!!?』

 

この闘いをどこかから見ている実況者の声が会場の興奮を煽り立て、更なる歓声が桐生を包み込む。

しかし、桐生はそれに打ち震える事もなくリングから降りた。

自分の入場したゲートに戻ると、近場にあったベンチに深く腰を下ろす。

 

「フゥ………ぐっ、ぅ……!!」

 

肉体の緊張を解いた事で、ダメージと疲労が一気に襲いかかる。

肩のあたりを走る鋭い痛みと呼吸する度に味わう激痛から、桐生は冷静に己の身体を分析した。

 

(鎖骨にヒビ……アバラも何本かやられてるな……)

 

常人であれば即搬送、場合によってはそのまま入院すらありえるほどの大怪我だ。

 

(次の試合は1週間後だ……しばらくは安静にするか……)

 

しかし、それだけの傷を負ったとしてもファイター達に安息は無い。

ここは地下格闘場"ドラゴンヒート"

なんでもありのバーリトゥードが成立するこの場所で命懸けで闘う男達の姿に、客は魅了され多額の金を落としていくのだ。

 

(今は、ここで大人しくしていよう……)

 

無論、そのような場所にも医務室は存在する。

如何に命懸けの闘いと言えど、ここで闘うファイター達はドラゴンヒートの運営にとって利益を生んでくれる貴重な存在。みすみす死なせる訳には行かないからだ。

しかし、桐生は医務室に直行せずあえてベンチで大人しく過ごす事を選んだ。

 

(相手の方が重傷のはずだからな……)

 

桐生は先程繰り出したトドメの一撃に確かな手応えを感じていた。顔面の骨が陥没していても何ら不思議では無いだろう。

桐生はあくまで目的があってここで闘っているに過ぎず、相手の選手に恨みがある訳では無い。

意識がある自分の方が譲るのが大事であると桐生は考えた。

 

(しかし……こんな闘いを後五回か……)

 

桐生がドラゴンヒートに参戦したのは約二ヶ月前。

何かと付き合いのある嶋野組の極道、真島吾朗の紹介と推薦でこのリングに上がった桐生は並み居る猛者たちとの激闘を潜り抜けていた。

一人目の真島吾朗から始まり、空手の全日本制覇者、柔道の元世界王者、元横綱力士、そして今日倒したのはボクシングの元世界チャンピオン。

いずれもが、その格闘技のトップ戦線で生き抜いてきた猛者ばかり。

短期間での連戦により、桐生の身体もまた決して浅くないダメージを負っていた。

 

(だが、辞める訳にはいかねぇ……九鬼組長との約束だ)

 

桐生はここに参戦する前、ドラゴンヒートの元締をしている九鬼隆太郎とある約束を交わしていた。

その約束とは、地下格闘場において未だかつて誰も成し得た事の無い十連勝を成し遂げる事。

それを達成させる事が出来ればファイトマネーとは別に賞金を用意する上に、殿堂入りファイターとしてドラゴンヒートのシノギに今後関わる権利を貰えるというものだった。

これを達成させる事が出来れば、優子の手術代7000万円を用意するのも決して夢物語では無くなる。

 

(必ずここで勝ち抜いて、手術費用を間に合わせてみせる……!)

 

道筋は既に見えた。

後はがむしゃらに前に進むだけ。

長い闘いが折り返しに差し掛かり、桐生は改めて己の決意を固めていた。

 

「兄貴ィ!!」

 

そこへ一人の男が現れた。

その男は今の桐生にとっての頼りがいのある右腕だった。

 

「シンジ」

「はぁ、はぁ、あ、兄貴……大変なんです……!」

「落ち着け、一体何があった?」

 

桐生組舎弟の田中シンジは血相を変えて桐生に詰め寄る。

その並々ならぬ様子から桐生もまた何があったのかと気を引きしめた。

 

「い、今さっき組から連絡があって……松重の奴が、柏木さんが世話してる組がケツ持ってる店からみかじめを取ったらしいんです!」

「なんだと……!?」

 

それは、桐生組の人間が問題を起こしたという報告だった。それもかなり深刻な問題だ。

 

「この事を、風間の親っさんや柏木さんは知ってるのか?」

「今はまだ……ですが、いずれ柏木さんの耳に入るのは時間の問題です……!」

 

極道の世界においてはシマ、つまり自分の縄張りに他の組織が入り込んで商売をするのは基本的にタブーとされている。それは即ち相手組織の縄張りを奪う行為に他ならないからだ。

そんな事になれば血の気の多い極道連中は実力行使に打って出る事も有り得るだろう。場合によってはそのまま関係が悪化し内部抗争の引き金にすらなりかねない。

 

(どうなってる?アイツも昔は風間組の人間だったはずだ。その松重が古巣であるはずの風間組の柏木さんをコケにするだなんて……一体どうしてそんな事を……?)

 

理由はどうあれ、松重のやった事は必ず桐生組と風間組に不和を引き起こす卑劣な行為だ。

対処が遅れれば取り返しのつかない事になる。

 

「兄貴、これ、どうしたら……!」

「シンジ、お前は表に車回して来い。俺は今から電話で松重に事の次第を問い詰める」

「分かりました!」

 

シンジは桐生に一礼すると、すぐに踵を返して駆け出していった。

桐生もまた、痛む身体に鞭を打ってその場から立ち上がる。

 

(松重は事務所にいるか?)

 

桐生はロッカールームで手早くいつもの服装に着替えると、備え付けの固定電話の受話器を取った。

慣れた手つきで番号を入力し、受話器を耳に当てる。

電話はすぐに繋がった。

 

『はい、桐生組!』

「俺だ」

『組長、お疲れ様です!』

「松重に代わってくれ」

『はい、少々お待ちください!』

 

電話番の返答後、電話の声はすぐに松重へと変わった。

 

『組長さん、何か御用で?』

「松重……!」

 

相変わらずとぼけた声音で話をする松重に、桐生は怒りを覚える。

 

「お前、柏木さんが世話してる組がケツ持ちしてる店からみかじめ取りに行ったってのは本当か?」

『えぇ、バッチリ稼いできましたよ』

「お前、何故そんな事をしやがった……!」

『ハッ、おいおいそんな事も説明しないと分からねぇのかよ?』

 

松重は嘆息すると、悪びれることも無く理由を話し始めた。

 

『雨後の筍みてぇに次から次へとビルが建ってた時代はとっくに終わってんだ。これからは限られたシマを力で奪っていったもんが勝つんだよ』

 

今や都内は崩壊したバブル経済や不動産屋の土地転売の影響で沢山のビル群で溢れ返っている。

土地の値段も延々と上がり続け、今の神室町はこれから開拓される土地は愚か針の隙間も無いのが現状だ。

神室町は決して大きい街ではない。その中で何十というヤクザ組織があの手この手で資金をかき集めている以上、新たにシノギを拡げるのは至難の業と言える。

しかし、シノギが頭打ちになってしまえば組が発展する事は出来ない。松重はそんな現状を打破する為に今回の行動に打って出たと言う。

だが、桐生からしてみればそれは大問題に他ならなかった。

 

「お前……スジの通らねぇ真似は許さねぇと言っただろう!まだ懲りてねぇのか……?」

 

以前、松重にカタギを泣かせるシノギから手を引けと命令を下した桐生。

それを守らなかった松重に対し桐生は一度鉄拳制裁を加えている。

その時に堂島の龍の恐ろしさを骨身に刻まれたハズの松重だったが、彼の反骨精神は未だ桐生に屈する事は無かったのだ。

 

『スジねぇ……柏木さんが文句言ってきたら、組長上手いこと言っといて下さいよ』

「ふざけるな!テメェのやった事の落とし前を組長に押し付けるヤクザが何処にいる!!」

『はっ、好きなだけ吠えるのも結構ですがね。今のアンタが何を言おうが怖くなんてありませんよ』

「なんだと……?」

 

余裕を崩さぬままに松重は電話越しにこう言ってのけた。

 

『アンタが九鬼組長に泣きついて何処ぞの地下で喧嘩に明け暮れてる間、こっちはずっと頭を捻ってたんだよ。どう逆立ちしたって普段のアンタには勝てる訳がねぇ。だからこそ、アンタが弱りきったこのタイミングを待っていたのさ』

「テメェ……!」

『前みたいにヤキ入れようとしても構いませんよ?今のアンタに出来るものなら、な』

 

松重は桐生のドラゴンヒートにおける戦績や戦い方を情報として常にチェックし、虎視眈々と復讐するタイミングを見計らっていたのだ。

桐生一馬が連戦で衰弱し、その力を失うタイミングを。

 

『それじゃ、俺はこれから呑みに行くんでこれで失礼。せいぜい柏木さんに絞られて下さいや、組長さん?』

「おい松重!松重ぇ!!」

 

桐生の叫びも虚しく、電話は切られてしまった

最悪のタイミングで反旗を翻された事により、桐生は窮地に立たされた。

 

「クソッ!」

 

乱暴に受話器を置き、ロッカールームを出る。

大急ぎでエレベーターに乗って地上に出ると、シンジの乗った車が目の前に停まっていた。

 

「兄貴、どうぞ!」

「あぁ!」

 

すぐさま車に飛び乗る桐生。

シンジもまた、直ちに車を発進させた。

 

「兄貴、松重はなんて?」

「柏木さんにナシをつけるよう俺に言ってきた。どうやらアイツは、俺がドラゴンヒートで消耗するのを待っていたらしい」

「なんですって!?」

「おそらく、松重はこのタイミングで反旗を翻す事で俺の面目を潰して失脚させるのが目的なんだろう」

「なんて野郎だ……どこまで腐ってやがる……!!」

 

松重の卑劣な行いに歯噛みするシンジ。

桐生の背中を追いかけてこの世界に入った彼だからこそ、桐生を蔑ろにする者を彼は許せないのだ。

 

「シンジ、松重の奴はこれから飲みに行くと言っていた。アイツが行く店に心当たりはあるか?」

「そうですね……なら、チャンピオン街の可能性があります。ウチの連中がそこで松重をよく見かけるそうです」

「よし、チャンピオン街までやってくれシンジ」

「分かりました!」

 

シンジの車は最短距離をひた走る。

桐生の顔に泥を塗った不届き者を見つけ出すために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(へっ、いい気味だぜ)

 

一方その頃、松重は陽気な足取りでチャンピオン街へと向かっていた。

自分の考えた作戦が見事に上手くいったからだ。

 

(今頃、桐生の野郎は柏木のカシラにケジメを迫られてるハズだ。今のアイツは虫の息。俺を詰めようとしたって簡単に返り討ちに出来るからな)

 

松重はこの日の為に念入りな情報収集と下準備を重ねて来た。

まず、桐生が参戦した地下格闘場に己の部下を行かせ、逐一その試合内容報告させて怪我の状態や消耗具合を把握する。

そして松重は、その怪我の具合と箇所を対戦相手の陣営にこっそり横流ししていたのだ。

当然勝利を狙う相手陣営はその弱点を徹底的に突く。

結果として、桐生に降りかかる怪我やダメージは蓄積されて自然と弱体化していくという寸法だった。

 

(エンコでもなんでも詰めさせて失脚させて、後は何かと邪魔な田中さえ消しちまえば桐生組は晴れて俺のモンだ……!)

 

そして組を乗っ取った暁には、自分の思い描いたシノギを中心に組を拡げて出世を狙う。

他人の血と涙を遠慮なく使い潰しながら。

 

(クックック……楽しみすぎてニヤケちまうぜ……)

 

そうして松重は、邪悪な笑みを浮かべながらチャンピオン街へと足を踏み入れた。

行きつけの店に向かって迷いの無い足で歩を進めて行く。

その時だった。

 

「おい」

「あ?」

 

背後からの声に松重が振り向いた。

直後。

 

「がっ……!?」

 

松重の頭部が鈍い金属音を立てる。

金属バットを振り下ろされた事による音だった。

突然の痛みと衝撃で松重の身体が崩れ落ちる。

 

(な、なに、が……?)

 

松重が状況を理解するよりも早く、彼の体を第二第三の衝撃が襲った。

 

「ぐっ、がっ、げはぁっ!?」

 

金属バット、鉄パイプ、木刀。

身動きが取れない所に振り下ろされる無慈悲な凶器たちの嵐。

先程まで傷一つ無かったはずの松重は、あっという間にボロ雑巾のような有り様へと変貌を遂げてしまった。

 

「う……ぅ…………っ」

「よし、これで動けなくなったな」

「連れてくぞ」

 

数名の男の声の後に、何処かへと引き摺られ始める松重。

彼が連れて来られたのは、チャンピオン街の裏にある路地。四方をビルで囲まれた空き地だった。

 

「カシラ、連れてきました」

「ぐ、ぅ……」

 

乱雑に投げられ地面を転がる松重。

彼が仰向けになって見上げた先には、一人の男がいた。

 

「よぉ松重。いいザマだな?」

 

白いスーツを着たその男は下卑た笑みを浮かべながら松重を見下ろしている。

松重はその顔をよく知っていた。

 

「は、羽村……!」

 

東城会直系風間組内松金組若頭。羽村京平。

風間組における松重と同様、やり手の極道としてそれなりに名の通った男だった。

 

「テメェ、いきなりこんな事しやがってなんの真似だ……!?」

「それはこっちのセリフだろうが、松重。オラァ!!」

 

ボロボロの状態でありながら凄んでみせる松重に対し、羽村は容赦なく追い打ちをかけた。

 

「ぐほっ!?」

「テメェが、ウチの組がケツモチしてる店からみかじめ取ったんだろうが!」

 

羽村が松重を追い詰める理由。

それは自分達のシマを荒らされた事によるものだった。

 

「はっ、何のことだか分からねぇな……」

「とぼけても無駄だ。ネタは上がってんだよ」

 

羽村はポケットから写真を取りだして松重に突き付けるように見せる。

そこに映っていたのは、風俗店の従業員に詰め寄り金銭を要求する松重の姿だった。

 

「店のモンが万が一の為に撮影していたモノだそうだ。ついさっき現像が終わったんで持ってこさせたんだよ」

「ちっ……」

「いけねぇなァ松重。いくらテメェんとこのシノギが頭打ちだからって他所のシマに手を出そうってのは」

 

ズタボロにされた上に証拠まで押えられてしまえばもう逃げ場はない。

今の松重に出来るのは、ただ羽村の裁定を待つ事だけだった。

 

「お前の噂はだいぶ耳にしてるぞ?汚ぇ手口でカタギを飼い殺しては徹底的に金を搾り取る外道だってな」

「うるせぇ……ヤクザが金稼ぐのに手段なんか選んでる方がよっぽどアホらしいだろうが」

「フン、言いたい事は分からんでもねぇがテメェはもう終わりだ」

 

羽村はそう言うと、懐から一丁の拳銃を取り出した。

 

「!!」

 

羽村は拳銃の安全装置を外すと、目を見開く松重にゆっくりと銃口を向けた。

 

「俺の所にある匿名の依頼が回って来てな。手数料、死体処理、証拠隠滅。諸々含めてお前を消してくれたら1000万って話になってんだ」

「なんだと……!?」

「名前は明かせねぇが、そいつはカタギの人間だったぜ。へっ、いくらカタギだからって恨みなんざ買うもんじゃねぇよな。まぁ俺としちゃ邪魔な人間は消せるし金も手に入るしで一石二鳥なんだがよ」

 

今までカタギを食い物にしてきたツケがここに来て松重に回ってくる。

まさに因果応報。自業自得。

もはやこの場に、松重を救おうとする者など一人も居なかった。

 

「あばよ、松重」

(クソッ……こんな所で……!!)

 

一人の外道が人知れずに消されようとしてる。

だが、それに異を唱える者などいはしないだろう。

カタギもヤクザも。神も悪魔も。

その裁定を妥当だと判断した。

だが、

 

「待てぇ!!」

 

"龍"の裁定は、それを真っ向から否定した。

 

「き、桐生……!?」

 

目の前に現れた男の姿に、松重は驚きを隠せなかった。

何故ならその男は、つい先程自分がハメた筈の相手だったからだ。

 

「桐生だと?」

 

驚いたのは羽村も同じ。

この神室町においてヤクザをやっている以上"堂島の龍"という名前は絶対に耳に入ってくる。

そして当然、羽村は今の松重がその桐生がやっている組の人間である事も知っていた。

 

「お前ら……誰に断ってウチの組員ハジこうとしてんだ?」

「「「っ!!」」」

 

静かな怒気を内に秘め、羽村に一歩ずつ近づく桐生。

流石の気迫に息を飲む羽村の手下達だったが、羽村はいち早く冷静さを取り戻した。

 

「これはこれは桐生組長。俺は松金組の羽村ってモンだ。こうして会うのは初めてか?」

「お前が誰かなんてどうでもいい。もう一度聞くぞ……誰に断って松重を殺ろうとしてるんだ?」

 

無駄な問答をするつもりのない桐生は、再度羽村に問いかける。羽村は余裕の態度を崩さぬまま答えた。

 

「はっ、随分お優しい事だな。アンタだって知らねぇ訳じゃねぇだろ?コイツがウチのシマからみかじめ横取りした事くらいよ」

「あぁ知っている。だがそれが松重を手にかける事とどう繋がるんだ?」

「それだけじゃねぇ。今俺の所に、コイツを消せば1000万って依頼が舞い込んでるんだ。それもカタギの人間からな。アンタだって組の看板に泥を塗るような奴が死んだところで得こそすれ損はしないだろう?こんな外道を庇い立てする事はねぇ。分かったら引っ込んでな」

 

義は我にありと言わんばかりに羽村の態度はどんどん大きくなる。

そしてその様をいつまでも眺めていられるほど、桐生は大人ではない。

 

「……言いてぇ事はそれだけか?」

「なに?」

 

桐生はその直後、一気に羽村との距離を詰めて拳銃を握る手を捕まえると、もう片方の手で拳を作り羽村の顔面に真正面から叩き込んだ。

吹き飛ばされる羽村の手から拳銃が離れる。

 

「ぶがっ!?」

「カシラ!」

「テメェよくも!」

 

その行為に羽村の手下達が殺気立つ。

しかし桐生は、そんな彼らを気にもとめず毅然と言い放った。

 

「どんな理由があろうと松重はウチの人間だ。コイツの処分は俺が決める。お前らにそれを譲る気はねぇ」

 

桐生は内に秘めていた闘気を表出させ、鋭い眼光で羽村達を睨み付けた。

ゆっくりと構えを作って、彼は堂々と言い放つ。

 

「どうしても松重を殺りてぇってんなら、俺を倒してからにしろ!」

「ナメやがって……おい、こいつからぶっ殺せ!!」

「「「へい!」」」

 

羽村の手下達が臨戦態勢を整え、次々と手に持った凶器を振り上げた。

しかし、そんなことで堂島の龍は狼狽えない。

 

「オラァ!!」

 

桐生は一人目が振り下ろした金属バットの柄を掴むと、そのまま腕力で強引に奪って顔面にフルスイングを叩き込んだ。

 

「ぐぎゃっ!?」

「テメェ!」

 

続いて鉄パイプを振り上げ襲いかかってきた二人目の一撃を難なく躱し、カウンターのボディブローを直撃させる。

 

「ごふっ!?」

 

悶絶してその場に蹲る二人目。

もはや戦闘続行は不可能だった。

 

「クソォッ!」

 

そして木刀を持った三人目が勢いよく得物を振りかぶったのと、桐生が全力のハイキックを繰り出したのは全くの同時だった。

 

「ひぇっ!?」

 

直後、三人目の持つ木刀が鈍い音を立ててへし折れた。

その衝撃的な光景に硬直している隙を突き、桐生が追撃の前蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐぶぁっ!?」

 

蹴り飛ばされた三人目はコンクリートの壁に激突すると、そのまま動かなくなった。

 

「次はお前か?」

「な、なんて野郎だ……!」

 

瞬く間に手下達が全滅し戦慄する羽村。

しかし、それは松重も同じだった。

 

(馬鹿な……何だこの動きは!?怪我してたんじゃねぇのか!?)

 

松重は入念なリサーチにより、桐生がドラゴンヒートでの闘いで怪我を負っている事を知っている。

故に彼は今回の行動に打って出たのだ。

しかし、実際に松重の目の前で起きている出来事はそんな彼の思惑を真っ向から否定している。

桐生は決して、弱くなってなどいないのだ。

 

「ふざけやがって……死ねやコラァ!」

 

羽村が怒号と共に桐生に襲いかかる。

しかし、双方の戦力差は火を見るよりも明らかだった。

 

「オラァ!!」

「ぶげぁっ!?」

 

剛腕一閃。

桐生の放った右ストレートは見事に羽村の顔面をぶっ叩いていた。

文字通りぶっ飛ばされた羽村の身体が地面を転がる。

この喧嘩は、圧倒的な力の差を見せつけた桐生の勝利に終わった。

 

「ぐっ……くそぉ……!」

 

先程とは一転して窮地に追い込まれる羽村。

桐生はそんな羽村に歩み寄ると、ゆっくりと片膝を付いて話しかけた。

 

「羽村さん……だったな」

「あ、あぁ……?」

「今から一緒に来てもらいたい所がある。付き合ってくれるか?」

「はぁ……?」

 

先程の応酬が嘘かのような桐生の態度に困惑する羽村。

しかし、彼の真っ直ぐな瞳は決してふざけている訳では無い事を物語っていた。

 

「……警察じゃ、ねぇだろうな?」

「大丈夫だ、安心してくれ。俺も捕まる訳にはいかねぇからな」

「そうかい……分かったよ」

 

観念した羽村はその要求を飲む。

元より抵抗した所で無駄な事は明白だった。

 

「松重、動けるな?お前も一緒に来い」

「なに……?」

 

地面に倒れた松重に対して桐生は短く命令する。

怪訝な顔をする松重に対し、桐生は語気を強めた。

 

「命令だ、従え」

「……はい」

 

有無を言わさぬ迫力に、松重もまた首を縦に振るしか無い。

それを確認した桐生はその場で立ち上がると踵を返して空き地から出ていった。困惑しながらもそれについて行く羽村と松重。

これより先に彼らを待つのは、徹底した責任の追求。

起こした事への落とし前と、迫られるべきケジメだ。

 

(このケジメ、必ず俺が付ける……!)

 

悲鳴を上げる身体の声を無視して、堂島の龍は一歩先を往く。

これから許しを乞う事になる"鬼"の顔を思い浮かべながら。

 

 




如何でしたか?

次回はまた断章です。
桐生ちゃんはどうケジメをつけるのか……是非お楽しみに


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義理人情 後編

最新話です。
いよいよケジメの時が来ました。
どうか見届けて上げてください


一方その頃、天下一通りにある風堂会館に一人の男が訪れていた。

 

「お疲れ様です!」

「おう」

 

頭を下げる門番役の構成員に軽く挨拶を返し、風堂会館へと足を踏み入れる。

階段で組事務所のある階まで上がり事務所のドアを開けると、中にいた構成員達が一斉に頭を下げる。

 

「「「お疲れ様です!」」」

「おう、おつかれさん」

 

そして、事務所中央の応接間にてソファに座る極道が男の姿を認める。

 

「よう、兄弟。待ってたぜ」

 

東城会直系風間組若頭の柏木修だった。

兄弟と呼ばれたその男は柏木に朗らかに挨拶を返す。

 

「おう兄弟。急に来ちまって悪かったな」

 

東城会直系風間組内松金組組長。松金貢。

柏木とは、ほぼ同じ時期に同じ親分の盃でこの世界に足を踏み入れた兄弟分だ。

部屋住みの頃から共に修行して少しずつ出世し、松金は自分の組の親分に。柏木は親組織のNo.2にそれぞれ出世した。

立場としては柏木の方が上だが、今でも二人は良き兄弟分として対等に接しているのだ。

 

「まぁ、座ってくれ」

「おう」

 

松金は短く答えると、柏木の対面の椅子に座った。

 

「どうぞ」

「ありがとよ」

 

お茶汲み係から湯呑みを出され、しっかりと礼を言う。

こう言った礼儀はたとえ下の者でも忘れてはならない。

柏木と松金が、親分である風間からキッチリ教え込まれた常識だった。

 

「それで、今日はどうしたんだ松金。何か話があるんだろ?」

「あぁ、その事なんだがよ……折り入って頼みたい事があるんだ」

「頼みたい事?」

「あぁ」

 

松金は僅かに身を乗り出すと、単刀直入に本題に入った。

 

「今、柏木に面倒見てもらってるウチのシマの店があるだろう?」

「あぁ……確か、テレクラだったか?」

「そうだ。実はその店のみかじめを横取りした野郎が居るらしくてな」

「なんだと……?」

 

思いがけない話に柏木は怪訝な顔をする。

その情報は彼にとって初耳だったからだ。

 

「あぁ。確か名前は松重とか言ったか。風間組の所属なんだって?」

「いや……アイツが今居るのは桐生組だ」

「桐生?あぁ、風間の親父の秘蔵っ子って噂の男か。確か堂島の龍なんて呼ばれてたな」

 

松金は桐生の名を聞いて直ぐに思い至る。

今や東城会の極道の中でその異名を知らない者は居ないからだ。

しかし、極道の世界において上下関係はとても重要視される要素の一つ。今回の一件はそれを弁えない行為と言っても過言では無い。

 

「桐生組は風間組の系列だがまだ新参だ。そんな組織の人間が古参の松金組のシマを荒らしたんだ。それも柏木が世話してる店でな」

「…………」

 

松金は静かにタバコをくわえた。

お茶汲み係がライターを取り出すが、静かにそれを遠慮して自前のライターで火をつける。

ゆっくりと煙を吐き出し、松金は柏木を真っ直ぐに見つめる。

 

「なぁ柏木。今回の一件、俺は事を荒立てたくはねぇ。だがタダで引いたんじゃ下のモンにも示しがつかねぇ。そこで頼みがある。その松重って奴を、ここに呼び出しちゃくれねぇか?」

「あぁ……分かった」

 

柏木もまた静かにタバコをくわえる。

お茶汲み係がその先端に火を点け、足早にその場を離れた。

彼は気付いたのだ。柏木の中の"鬼"が、目を覚まそうとしている事を。

 

「あの野郎共……どういう事なのかハッキリさせねぇとな…………!」

「!」

 

煙を吐き出す柏木の表情は先程とは一変し、まるで鬼のような形相と化していた。

理由はどうあれ"誰かにナメられた"という事実が彼の中にあるヤクザとしてのスイッチを押したのだ。

 

「…………柏木」

「なんだ?」

「野郎共って事は……その桐生にも落とし前を迫る気か?」

「当たり前だ。今の松重は桐生組の人間。そいつが下手を打ったからにはアイツにもキッチリとケジメを取らせねぇとこっちの示しが付かねぇ」

「待てよ柏木。さっきも言ったが、俺は事を荒立てるつもりはない。その松重って奴から切り取られたみかじめさえ戻ってくりゃ、ウチのモンへの示しは十分だからよ」

「ヌルいぜ松金。奴らは俺とお前の顔に泥を塗りやがったんだ。徹底的にやらなきゃナメられっぱなしだろうが」

 

宥めようとする松金と、妥協を許さない柏木。

彼らはかつて"仏の松と鬼柏"と呼ばれ、風間組の中でも名の知れたコンビとして知られていた。

身内に甘い松金と身内に厳しい柏木は、互いのその両極端な性質で組内の調和を保っていたのだ。

 

「だが、その桐生ってのは風間の親父の秘蔵っ子なんだろう?俺としちゃそんな若人の将来にケチ付けるのは本意じゃねぇんだが……」

「いいや、だからこそ締めるところは締めねぇとダメだ。いずれアイツの下には多くの極道が集まるだろう。その時、トップのアイツがキッチリ手網を握れてなきゃ今よりもっと酷い事になるのは目に見えてるからな」

 

柏木は桐生の将来に大きな期待を寄せている反面、警戒もしていた。桐生には人を惹きつける魅力、極道としての"華"がある事を柏木は知っている。

その"華"に魅了され、いずれ多くの者たちが桐生組の門を叩くだろう。

そして組織とは、大きくなればなるほどその制御は難しくなるもの。それはカタギであろうとヤクザであろうと同じ事だ。

もしも桐生組が大きくなった状態で今回のような事がまた起きれば今回以上に大変なことになる。柏木はその最悪の事態を危惧していた。

 

「おい、桐生組の事務所に電話だ。桐生と松重をここに呼べ」

「へい、カシラ」

「柏木、お前……」

「松金。事を荒立てたくないってお前の心遣い、痛み入る。だが、コイツは松重を桐生に預けた俺の責任でもあるんだ。ここは俺に任せてくれ」

「そうか……分かった」

 

決して折れない柏木に、松金もまた首を縦に振った。

桐生には気の毒だが、これで切り取られた分の金は確実に松金の所へ帰ってくる事だろう。

 

「か、カシラ!」

「あ?どうした?」

「お電話です!桐生さんから、カシラに代わるようにと」

 

電話番の男が受話器を持って現れ、柏木に受話器を渡した。その電話は今、桐生と繋がっている状態にある。

 

「柏木だ」

『お疲れ様です、桐生です』

「何の用だ」

『実は、柏木さんに報告しなくちゃならない事があるんです』

 

電話越しに聞こえる声には緊張感が感じられる。

桐生にとって柏木は良き兄貴分だが、同時に怒らせてはならない人物であるという事も熟知しているが故に。

 

「松重の事か?」

『……ご存知でしたか』

「あぁ、ついさっき聞かされたばかりだ」

『そうですか……柏木さん。自分はこれから松重と松金組の羽村さんを連れてそちらへ向かいます。この落とし前、キッチリ付けさせて下さい』

「何?松金組だと?」

「なんだって?」

 

思わぬ所で自分の組織の名前を聞く事になり、柏木の対面に居る松金が驚く。

 

「どうして松金組の人間と一緒に居るんだ?」

『話すと長くなります。詳しくは後ほど説明させて下さい』

「そうか…………分かった、待っているぞ」

『はい、ありがとうございます』

 

電話を切り受話器を電話番に返すと、柏木は松金に向き直った。

 

「桐生からの連絡だ。松重と一緒にお前の所の人間を連れて来るらしい」

「ウチのモンを?」

「あぁ。名前は確か、羽村とか言ったな」

「羽村だと?」

 

いよいよ驚きを隠せない松金。

そのただならぬ様子を見て柏木は問いかけた。

 

「どんな男なんだ?その羽村って男は」

「あぁ、最近ウチの若頭になった奴だ。だがどうして羽村がその桐生と一緒にいるんだ?」

「分からねぇ……だが、今はとにかく桐生を待つしかねぇみたいだな」

 

柏木はそう結論付け手に持ったタバコを再び吸った。

松金もまた頷き、お茶汲み係の入れたお茶に口を付ける。

 

「カシラ、桐生さんたちが到着しました」

「よし、通せ」

 

その後、僅か数分足らずで桐生達が到着したという報告を受ける柏木達。

柏木の承認後、桐生一馬を先頭に三人の男が事務所に足を踏み入れた。

 

「お疲れ様です、柏木さん」

「お疲れ様です……」

「待ってたぞ。桐生、松重」

 

頭を下げる桐生と松重に柏木は僅かに怒気を含ませて応える。それには、返答次第ではケジメを付けさせることも厭わないという意思が込められていた。

 

「親父!?なんでこんな所に……?」

「そりゃこっちのセリフだ、羽村。お前こそ何でこいつらと一緒にいる?」

 

一方の松金と羽村は互いがこの場所にいる事に疑問を感じていた。松金は羽村が桐生達と一緒に居る事を知らず、逆に羽村は松金が風間組の事務所に居ることを知らなかったからだ。

 

「松金の親分さん、ですね?お初にお目にかかります。桐生組の桐生一馬です」

「おう、噂は聞いてるよ。よろしくな」

「おい桐生、どういう事か説明して貰うぞ」

「はい、分かりました」

 

柏木の言葉に従い、桐生は先程あった出来事を説明した。

松重が松金組のケツモチ店舗からみかじめを横取りした事。

その"返し"として羽村が松重を集団リンチした挙句殺そうとした事。

羽村は羽村で、松重に対する殺しの依頼を匿名で受けていた事。それを割って入った桐生が力づくで止めた事。

そして、今回の件の報告とその落とし前を付けにここに来た事。

全て詳らかに語った。

 

「おい羽村!そいつはどういうことだ!?」

「お、親父……!」

 

直後、先程まで温厚だった松金が一変して羽村に対して激高する。彼は今、無許可で危険なシノギを請け負った事を激しく責めていた。

 

「組長の俺に何の相談もなく殺しの話なんか請けやがって……自分が何したか分かってんのか!?」

「で、ですが親父!この松重が先にウチのシノギを邪魔しやがったんです!オマケにコイツはカタギからも相当恨まれてたんだ。死んだって誰も不都合しません!」

「この……馬鹿野郎!!」

 

松金は握り固めた拳で羽村を激しく殴打した。

羽村の弁明の言葉は、松金にとって容認出来るものでは無かったのだ。

 

「ぐぅっ……!お、親父……!」

「そんな下らねぇ事のために殺しを……ましてや同門の人間に手ェかけようとしやがったのか!?あァッ!!?」

 

人間とは十人十色。人の数だけ違う考え方があるのは当たり前の事で、それは組織であっても同じことが言える。

しかし、極道の世界にはたった一つだけ古今東西どこの人間や組織であっても共通して言える"性分"があった。

 

「テメェは後一歩で、松金組どころか東城会すらも巻き込みかねねぇ大惨事を引き起こしてたんだぞ!!」

 

"殺られたら殺り返す"。

この国に生きる極道は皆、それぞれの組織の"看板"を背負って生きている。それが錆び付いてしまえば、彼らは生きて行けなくなってしまう。

故に極道達は他組織からナメられないよう、常に組としての威信やメンツ、沽券を護ろうとするのだ。

そんな極道達が、自分たちの組織の人間を殺されて黙ってなど居られる筈がない。

一人のヤクザの死は必ず報復を生み、その報復は新たな報復を更に誘発する。

そしてそれはいずれ大抗争へと発展し、血で血を洗う終わりなき悲しみの連鎖が絶え間なく続く最悪の結末を引き起こすのだ。

 

「そんな事になれば犠牲になるのはお前だけじゃねぇ!一体何人の人間の血が流れる事になると思ってんだ!!」

「親父……」

 

松金はこれまで、目を背けたくなるような惨状を幾度も目の当たりにして来た。

その度に彼は誓ってきたのだ。自分の子分達には、同じ想いは決してさせないと。

松金は己の利益や危機の為ではなく、子分達の危機や今後を想うが故に激高したのだ。

 

「松金の親分……」

「……なんだ、桐生組長」

 

桐生は松金組長に声をかけると、その場に両膝を着いて正座した。

そして真っ直ぐに松金組長を見つめ、決して目を逸らさずに告げる。

 

「この度は松金の親分に多大なるご迷惑をおかけした事、深くお詫び申し上げます」

「いや、桐生組長。事情が変わった。こっちこそ、アンタには頭を下げなきゃならねぇ」

「いいえ、それは違います。今回の一件、元を辿ればウチの松重が犯した事が原因です。その責任は、親である自分にあります」

 

桐生は懐から一枚の封筒を取り出すと、松金に向けてゆっくりと差し出した。

受け取った松金が中身を確認し、その額に驚愕する。

 

「こ、これは!?」

「松重が切り取ったみかじめ料の二倍、100万円入っています。これをどうか、せめてものお詫びとしてお納め下さい。この度は、誠に申し訳ございませんでした」

 

そうして桐生は綺麗に指を揃え、頭を下げた。

 

「桐生組長……」

「桐生、お前……」

「柏木さん……!」

 

桐生は座った体制のまま柏木に向き直ると、柏木にも同様に深々と頭を下げる。柏木の怖さと厳しさをこの場の誰よりも知る桐生にとっては、ここが一番の正念場だった。

 

「今回は、柏木さんの顔に泥を塗る事になってしまい、本当に申し訳ございませんでした!このケジメ、たとえどんな事であっても受けさせて頂きます!ですから……」

 

そこで桐生は、より一層の額を床に擦り付けて嘆願した。

 

「ですからどうか、松重の事は許してやってくれませんでしょうか……!」

「なんだと!?」

「え……?」

 

その言葉に驚愕する柏木と松重。

桐生は今、松重に降りかかる責任を一身に受けようとしているのだ。

 

「松重のやった事は決して許される事じゃありません。ですが、それは親である俺が松重を従える事が出来なかったからです!」

「桐生……」

「コイツのやった事の借りは自分のモノです。今回のケジメ、俺に付けさせて下さい!」

「組長さん、アンタ何やってんだ……?」

 

松重は思わずそんな声を上げた。

彼には桐生のその行動が、あまりにも理解できなかったからだ。

 

「なんで、俺なんかの為にそこまで……」

「…………」

「……ちっ!」

 

黙って頭を下げ続ける桐生を見て堪えられなくなった松重は、すぐさま桐生の真横まで駆け寄った。

 

「松重……?」

「柏木さん、松金組長、羽村のカシラ」

 

松重は三人に声をかけると、桐生に倣うようにその場に膝を付いて頭を下げた。

 

「この度は、誠に申し訳ございませんでした……!!」

 

松重も極道の端くれだ。

自分の組長にここまでさせておいて何もしないほど、彼も腐ってはいない。

 

「……なぁ柏木。もういいだろう」

「松金……?」

 

それを見た松金はそう言うと、桐生の目の前で片膝を着いた。

 

「顔を上げてくれ、桐生組長」

「松金の親分……?」

 

静かに顔を上げた桐生の前に、松金はあるものを差し出す。それは桐生が先程渡した封筒だった。

しかし、その厚さは桐生が渡した時よりも少し減っている。

 

「そこの松重が横取りしたみかじめの50万円はウチの連中への示しとして回収させて貰った。だが、羽村の奴のしでかした事がこうして明るみに出た以上、余分なカネは受け取れねぇよ。なにせウチの羽村はアンタの所の大事な組員を危うく殺しちまう所だったんだ」

「っ……!」

 

話題に出され、ばつが悪そうに俯く羽村。

彼としても組長である松金にあそこまで激されては、いくら言い分があったとしても閉口する他無かった。

 

「いえ、ですがそれはウチの松重が……!」

「へへっ、納得出来ねぇか?ならよ、残りのカネはウチの羽村がやっちまった分として返させて貰う。それで手打ち。それなら良いだろう?」

「親分……!」

 

松金は今回の一件を水に流すことに決めた。

そして、そのまま柏木にも目を向ける。

 

「柏木、俺からも頼む。コイツらを許してやってくれ」

「松金……」

「もうコイツらの誠意は十分伝わっただろう?それに、こっちには羽村の件もある。責められるべき要因はこっちにだってあったんだ。」

「………………はぁ」

 

柏木は長い沈黙の末、静かにため息を吐いた。

 

「幸い、松重の件も羽村の件も風間の親父の耳に入る前で良かった。みかじめの件は双方で手打ちになって、松重も殺されていない以上、これ以上何かを追求することはねぇだろう」

「それじゃ……今回の一件は……?」

 

恐る恐る尋ねた桐生に対し、柏木はあくまでも厳かに裁定を下した。

 

「今回は不問に付してやる。だが桐生、いくらお前でも次はねぇぞ?この事を肝に命じておけ。いいな?」

「柏木さん……はい、ありがとうございます……!」

 

改めて深々と頭を下げる桐生。

それは彼の義理人情を重んじる心と行動が、確かに松重という一人の男を救った瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴!」

 

風堂会館から出た桐生と松重の下へ、事務所前で待っていた田中シンジが駆け寄ってきた。

 

「シンジ」

「その後は、どうなりましたか!?」

「あぁ。何とかなったぜ」

「そうですか……良かった」

 

その言葉を聞きシンジは心の底から安堵した。

風間組の若頭である柏木は、かつて"鬼柏"と呼ばれる程の荒くれ者だったのだ。

桐生はもちろんのこと、シンジもまた彼の恐ろしさはよく知っている。

今回はそんな柏木を怒らせてしまったのだ。心配するなと言うのが無理な話だろう。

 

「なぁ、組長さんよ……」

 

すると、松重がばつが悪そうに桐生に声をかけた。

今回ばかりは、いつも取っている不敵な態度は見られない。

 

「なんだ?」

「さっき、なんでケジメを一身に受けようとしたんだ……?」

 

松重は、先程の桐生の行動について問いかけた。

風間組事務所で何が起きていたかを知らないシンジは、松重のその問いに対して関心を向ける。

 

「……松重の兄貴、そりゃどういう事です?」

「……組長さんは、俺なんかの為に柏木さんと松金組長に頭を下げるばかりか、ケジメを迫られるハズの俺を庇ったんだ。俺が切り取った金の倍額まで用意してな」

「えっ!?」

 

つい数時間前まで、松重は桐生の事を罠にはめて陥れようとしていた。

にも関わらず、桐生は自業自得の結果として命を狙われている松重を救い出すばかりか、自分がやった失態でないにも関わらずその責任を一心に背負おうとしたのだ。

 

「兄貴、なんでそこまで……?」

「…………」

 

シンジとしても桐生の行動は理解が出来ない。

松重は桐生に対して不遜な態度を常に取り続け、命令を無視したり嘘をついたりと好き勝手な事を散々してきた。

しかし桐生は、その責任は親である自分のものであるとしてケツを拭いたのだ。

そして、こうしている今でさえ松重に対して叱責しようとする様子も見せない。

 

「どうしてなんだ、組長……」

 

松重の問いかけに対し、桐生は毅然とした態度でこう答えた。

 

「お前が、ウチの組員だからだ」

「なっ……!」

 

桐生は真っ向から松重の目を見て言葉を続ける。

その瞳はとても力強く、どこまでも真っ直ぐで純粋だ。

 

「松重、お前は以前俺にこう言ったな?"義理人情と腕っ節だけで生き残れる程、ヤクザは甘くない"と」

 

その言葉は、桐生組が結成して間も無い頃。

意味の無い定例会に対して松重が言い放った発言だった。

 

「確かにお前の言う通り、金を稼ぐのは簡単じゃ無かった。お前に対して偉そうにしてはいたが、結局俺に出来るのは自分の身体を張ることだけ。それ以外の方法なんて思い付きもしなかった」

 

もしも数ヶ月前に桐生の元にドラゴンヒートの話が舞い込まなければ、今でも桐生は金を作る為の手段に悩み、頭を抱えていただろう。

ドラゴンヒートの仕組みは、桐生が生み出したものでは決してない。

ただ彼は、偶然その仕組みに関われるチャンスを手にしただけなのだ。

 

「今となっちゃお前の理屈も分からんでもない。でもな……義理と人情を忘れた極道は外道へと成り下がる。その果てに待っているのは悲惨な末路だ」

「…………」

 

松重は思わず俯いた。

何せ彼は今日、まさにその悲惨な末路を辿る寸前だったのだ。今の松重にとってその言葉はこれ以上ない程に重たいものと言えるだろう。

 

「俺は自分の組の連中にそんな末路を辿って欲しくねぇ。その為なら何度だって身体を張ってやる。どんな奴とだって立ち向かってやる」

「!」

「それが俺の目指す道……俺が往くべき極道だ」

 

馬鹿正直で義理堅く、どこまでも真っ直ぐなその姿。

たとえどんな状況であったとしても、揺らぐことのないその在り方。

これこそが"堂島の龍"。東城会の内外にその名を轟かす、紛れもなき伝説の極道の生き様だった。

 

(ったく……どこまでお人好しなんだ、この人は)

 

そんな彼の"華"に惹かれた男が今日また一人、一つの覚悟を決めた。

 

「組長さん……いや、桐生の親父!今までの御無礼、どうかお許し下さい!」

 

両膝に手を付いて頭を下げ、松重は宣言した。

 

「これより先、俺の命は親父に預けます!どうか自分を、地獄の底までお供させて下さい!!」

 

桐生組の一員として目の前の男を組長として仰ぎ、その神輿を担いでいく事を。

 

「……シンジ」

「はい?」

「構わねぇか?」

「えぇ。兄貴の決めた事なら」

「フッ……そうか」

 

松重の覚悟を見て桐生もまたある事を決め、シンジもまた異論は無いと頷く。

 

「松重……お前、酒はイケる口か?」

「え、えぇ……」

「なら、これから三人で飲みに行かねぇか?馴染みの店がすぐそこにあるんだ」

「いい機会です。酒を片手に男三人、腹を割って話しましょう」

「……はい、喜んで!」

 

1996年。1月某日。

この日晴れて桐生組は一枚岩となり、これをキッカケに神室町を拠点とする極道組織の勢力図が大きく描き変わっていく事となるのだった。

 

 




はい、という訳で松重光堕ちするの巻でした。
ここで忠誠を誓う事で本編のデキる右腕、松重若頭代行になる訳ですね。

次回はいよいよ本編再開。
そして"みんな大好きなあの人"が、満を持して登場です!
とうとうここまで来たか……と言った感じです。マッタリのはずでしたがここまで一気に駆け抜けて来てしまいました。
果たして我らが錦は桐生ちゃんと並び立つもう一人の伝説を相手にどう立ち向かうのか。
お楽しみに


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第七章 鯉と狂犬
嶋野の狂犬


ヒーッヒッヒッヒ!!

待たせたのぅお前ら!
ついにこの真島吾朗が、本編初登場や!!

いやぁ、ワシの登場を待ち焦がれる感想欄を見てニヤニヤが止まらんかったでぇ?流石、人気投票第一位は伊達やないなぁ!

ほな、早速本編開始や!
行くでぇ!!




2005年。12月7日。

西公園前の公衆便所から外へと出た俺は、遥を救う為に吉田バッティングセンターへ向かう事になった。

 

「伊達さん。アンタはセレナで待っててくれ」

「だが、それじゃ……」

 

伊達さんは俺の提案に渋い顔をした。

確かにこのまま行けば俺は一人で敵を相手取ることになるだろう。

 

「相手はあの真島組だ。その身体じゃ、ハッキリ言って足でまといになる」

 

真島組は数ある東城会の組の中でも、特に好戦的な組織として名高い組だ。

そんなヤバい組織と敵対してしまった以上、俺としてはセレナにいる麗奈の方が心配だった。

 

「それよりも伊達さんには、セレナで麗奈と一緒にいて欲しいんだ。一人にさせるのは危険すぎる」

「…………分かった、気を付けろよ」

 

伊達さんはそう言うと、近場のタクシーに乗り込んでセレナへと向かっていった。

西公園からセレナのある天下一通りまではかなりの距離がある。

あの怪我でその道のりを歩いていくのは流石に骨が折れるのだろう。

 

(それにしても、真島か……)

 

その名前を聞き、俺の脳裏には17年前の記憶が蘇る。

"カラの一坪事件"の時の記憶だ。

当時の神室町は莫大な利権を生み出す"カラの一坪"を巡って群雄割拠の只中にあった。

そんな中で俺は堂島組からマトにかけられる桐生を救うため組に逆らう事を決意し、桐生の味方になる事を決めたのだ。

だがそんな矢先、俺は桐生の事を嗅ぎ回るある一人の男と出くわす事になる。

その男こそが、後に"嶋野の狂犬"と呼ばれる若き日の真島吾朗だった。

 

(俺はその時に一度だけ、真島と拳を交えた……でも…………)

 

結果は惨敗。

ハッキリ言って全く歯が立たなかったのを今でも覚えている。

その後聞いた話では、俺と闘う前に柏木さんともやり合って叩きのめしたらしい。

柏木さんはかつて"鬼柏"なんて呼ばれていた程の武闘派だ。俺も桐生もあの人には頭が上がらない。

そんな人を下すような男を相手に、俺はこれからたった一人で立ち向かわなければならないのだ。

 

(勝てるのか……?あの真島吾朗に…………)

 

あの名高い"堂島の龍"と並び称される、もう一つの伝説。かつてはどうあっても勝つ事が出来なかった"嶋野の狂犬"を相手に、俺はこれから挑もうとしている。

はっきり言って、勝てるイメージが全く湧かない。

浮かび上がるのは、手も足も出ずに敗北を喫した17年前の記憶。

 

(いいや……!!)

 

そこで俺は、弱気になる己を奮い立たせた。

迷っている場合じゃない。

こうしている今も、遥は怖い思いをしているに違いないのだ。

そして何より、俺の目指すモノはそれよりももっと先にある。

 

(俺は桐生に追い付いて、アイツを超える男になるんだ!こんな所で立ち止まってなんか居られねぇんだよ……!!)

 

俺の目標とする男は、たとえ相手が100人居ようが関係無しに立ち向かう。どんな困難や現実からも目を背けず、最後まで決して諦めようとはしない筈だ。

だったら俺も諦めない。相手が何であろうと喰らって飲み込んで糧にしてやる。

それぐらいの気概が無ければ、龍のいる場所に手など届かないのだから。

 

(待ってろよ、遥……!)

 

俺は早速公園前通りをホテル街方面に駆け出した。

西公園から吉田バッティングセンターへ向かうには、公園前通りを通るのが一番早いからだ。

 

「……!」

 

しかしそこへ、複数の男達が俺の道を塞ぐように立っていた。

そいつらはどう見てもカタギには見えない格好をしていて、全員が俺へと視線を向けている。

 

「誰だテメェら……?」

 

俺は目の前の男達に問いかけた。

今の俺には狙われる理由に心当たりが多く、コイツらがどこの組織の手先なのか分からないのが正直な所だ。

 

「元堂島組の錦山やな?」

「だったら何だ」

「お前にはここで死んでもらうで」

 

先頭の男が発したその言葉を合図に、俺の背後にも別の男達が現れる。

前後を挟まれ、俺は完全に逃げ場を失った。

その数、前と後ろを合わせて十人。

 

「穏やかじゃねぇな。どこの組のモンだ?」

「決まっとるやろ……嶋野組や」

 

直後。男達が懐からそれぞれの得物を取り出して臨戦態勢を取った。

どうやらやるしかないみたいだ。

 

「そうか……道理でな。俺を狙うのも納得だ」

「なに余裕こいてんねん。まさかこの人数相手に勝てるやなんて思ってへんやろな?」

 

先頭の男が殺気立つ。

この状況になっても変わる事の無い俺の態度が気に入らないのだろう。

確かに普通なら勝ち目がある状況じゃない。

多勢に無勢、オマケに相手は得物持ちだ。

 

「そっちこそ、その程度の人数で俺を止められると思ってんなら大間違いだ」

 

俺は静かに腰を落として、ゆっくりと呼吸を整えた。

かつて柏木さんに教え込まれ、先の闘技場でゲイリー相手に咄嗟に使ったあの構えを取る。

 

「フゥー……ッ」

 

研ぎ澄まされていく精神と、脱力していく筋肉。

それと比例するように、段々と自分の中で"闘気"とでも呼ぶべきものが練り上げられていくのが分かる。

 

「ナメおって……死ねやボケがッ!」

 

怒号と共に先頭の男が得物であるドスを抜いて襲いかかる。それに続くように背後の男たちや、俺の後ろの連中も動き出した。

このままでは俺は数秒後に瞬く間にリンチされる事になるだろう。

だが、そんな事には決してならない。

 

「フンッッ!!」

 

裂帛の気合と共に地面を強く踏み締める。

そのまま地面を蹴って距離を詰め、一気に間合いへと押し入った。

そして。

 

「セェエエッッ!!!」

 

渾身の正拳突きを相手の腹へと叩き込んだ。

 

「ぐほぉぉっ!?」

 

文字通り殴り飛ばされた先頭のヤクザは、背後にいた男達をも巻き込んで後方へと吹き飛ばされる。

 

「な、なんやコイツ……!」

「ば、バケモンや……!」

 

戦々恐々とする男達。

いかに嶋野組と言えど、このような実力差を見せ付けられれば戦意を失うというものだ。

 

「お前らのトコの"狂犬"に伝えろ…………錦山が、昔の借りを返しに行くってなァ!!」

「ひ、ひィィ!!?」

 

男たちは、蜘蛛の子を散らすように悲鳴を上げながら逃げていった。

それを見て、俺はひとまず安堵する。

何せこれからやり合う相手はあの真島吾朗だ。こんな所で余計な消耗はしていられない。

 

「よし……行くぜ……!!」

 

気を取り直し、俺は再び公園前通りを駆け出した。

その先に待つ"狂犬"と、17年越しの決着を付けるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京、神室町。

ありとあらゆる遊びが集うこの街はその業態における競争が非常に激しい事でも有名だ。

あらゆる業態の様々なテナントが出ては潰れを繰り返す為、十年も経てばほとんど別の街へと様変わりしてしまう。

しかしそんな神室町において、30年以上の歴史を誇るバッティングセンターが存在する。

それが、ホテル街近辺に存在する"吉田バッティングセンター"であった。

 

「ここだな……!」

 

そんなバッティングセンターの前に、錦山彰はたどり着いた。

店の前には白いバンが停まっている。

彼が賽の河原で見た誘拐の瞬間を捉えた映像に映っていたモノと同じものだった。

 

「今行くぜ、遥……!」

 

意を決し、錦山はバッティングセンターの中へと踏み込んだ。

 

(……誰も、いねぇのか?)

 

中には誰もおらず、人がいる気配が無い。

ただ、無機質なピッチングマシンの機械音が静かに聞こえるだけという異様な空間。

 

「遥!どこだ!?」

 

錦山は遥の名前を呼びながらバッティングセンター内をくまなく探す。

しかし、どこを探しても遥の姿は無かった。

 

(くそっ、何処にいるんだ……?)

 

やがて錦はケージの中へと足を踏み入れる。

料金を支払っていないにも関わらず、ピッチングマシンからは延々と白球が吐き出されていた。

明らかに人為的な細工である。

 

(絶対誰かいるはずだ…………ん?)

 

そして、錦山がケージに入ったのを見計らったかのように数名の男達が姿を表す。

そのいずれもがガラの悪い格好に身を包み、手には金属バット等の凶器を握り締めている。

錦山は彼らが遥誘拐の実行犯であるとアタリをつけた。

確実に荒事になると踏んだ錦山は僅かに身構えるが、錦山の姿を認識した男たちが妙な反応を見せ始める。

 

「あれ……?違うぞ……?」

「え、コイツが親父の探してる奴じゃ無いのか?」

「おかしいな……ガキを拉致った事を知らせれば必ず来るって話だったが…………」

 

それは困惑だった。

今、彼らの中で想定外の事が起きているのだろう。

大方、"誰かしら来るとは思っていたが、思っていた人物ではなかった"と言った所だろうか。

 

「あ……?」

 

錦山もまたその反応を見て怪訝な顔をする。

彼らが遥攫ったのには100億の為、もしくは錦山をおびきだす為の二通りの動機が考えられるが、彼らの反応はその思惑がどちらでも無い事を如実に表していたからだ。

そして。

 

「なんや。やけに早いと思ったら……錦山やないか」

 

その男は、実に退屈そうな声を上げながら現れた。

刺青が見える素肌に金色のジャケットを身にまとい、テクノカットの髪型と黒い眼帯をした一人の男。

一度見たら忘れられないその外観は、時が経った今でも錦山の中で強烈に印象付いている。

 

「真島……!」

 

東城会直系嶋野組若頭兼真島組組長。真島吾朗。

"嶋野の狂犬"の異名で知られる超武闘派で、錦山の兄弟分である桐生一馬の異名である"堂島の龍"と並び称された東城会の生ける伝説である。

そんな真島は錦山の姿を認めた途端、露骨にテンションを下げた。

 

「ワシはお前みたいな雑魚に用はあらへん。怪我せんうちにさっさと消えた方がええで」

「そうはいかねぇ。俺が面倒見てる子を返してもらうぜ」

「あ?なんやて?」

 

とぼけた声を上げる真島に対し、錦山は声を荒らげて吠え立てた。

 

「遥だよ、遥!お前が嶋野あたりの命令で拉致した女の子だ!とっくにネタは上がってんだよ!」

「はぁ……そういう事かいな」

 

錦山の発言に対し、真島は納得が言ったのと同時に更なる落胆と退屈に見舞われた。

これ以上相手にするのも煩わしいのか、真島は部下達に命令を下した。

 

「おうお前ら、このドアホ適当に掃除せぇ。こんな雑魚、ワシが手ぇ出すまでもあらへんわ」

「「「「「へい!!」」」」」

 

気の抜けた声で下した命令だったが、部下達が即座に反応する。彼らはそれそれが得物を持って素早く臨戦態勢を整えた。

いかに普段から構成員が躾られて居るかがよく分かる光景だ。

それに対し錦山は、自分の事を雑魚呼ばわりした真島に対して怒りを露わにした。

 

「面白ぇじゃねぇか……掃除出来るもんならやってみやがれ!!」

 

激しい怒号をゴングに、真島組構成員との闘いの幕が上がる。

 

「死ねやぁ!」

 

錦山は先頭の一人目が突いてきたドスの一刺しをいなし、顔面に掌打を叩き込んだ。

 

「フッ!!」

「ぶげっ!?」

 

その勢いのまま頭を押さえつけながら腕を押し込み、コンクリートの地面に頭部を叩き付ける。

泡を吹いて動かなくなる一人目を尻目に、錦山は近場にいた二人目との距離をすぐさま詰めた。

 

「はァッ!!」

 

右の張り手で二人目の顎をカチ上げ、その後は左の張り手を一発、二発と叩き込む。

 

「ぐはぁっ!?」

 

トドメの張り手を叩き込んで二人目を仕留める。

すると三人目が正面から鉄パイプを振り抜いて来た。

 

「セイッ!!」

 

俺はその鉄パイプを紙一重で躱すと、即座に返しの一撃を叩き込んだ。

 

「ぐほぉっ!?」 

 

鳩尾にねじ込まれる正拳突き。

急所を突かれた三人目は為す術なく崩れ落ちた。

 

「くたばれ!」

 

四人目の得物は警棒だった。

リーチの短い警棒を振りかざして襲いかかる。

 

「てぇいやァ!」

 

錦山は警棒を持つ四人目の手首を掴み、もう片手で顔面に肘打ちを叩き込んだ。

 

「ぐぶっ!?」

 

鼻が折れる音と共に戦意を失う四人目。錦山はその身体を持ち上げ、崩れ落ちた三人目の上に全力で叩きつけた。

 

「ぐぎゃっ」

「うごぉっ」

「クソ野郎がァ!!」

 

仲間をやられ激した最後の五人目が、怒号と共に拳を振り抜いた。

その一撃は錦山の頬を打ち、確かに鈍い音を立てた。

錦山はすかさず五人目の両腕を掴む。

 

「フゥー……ァアッ!!」

 

短めに息を吐いて脱力した後、一気に両腕を引き下ろした。

 

「うぎゃぁっ!?」

 

ごきりと嫌な音を立てて、五人目の両肩が完全に脱臼する。錦山はすかさず張り手で後ろを振り向かせると、そのまま相手を持ち上げて投げ飛ばした。

 

「ぐげぇっ!?」

 

両肩を外され受身の取れない五人目は無惨にも顔面から地面に落下し、そのまま動かなくなってしまった。

 

「はっ、こんなもんかよ?真島組ってのは大したことねぇな」

「ほーう?案外やるやないか」

 

一部始終を眺めていた真島が、錦山に対して少しだけ関心を向けた。狂犬の隻眼が、品定めするように錦山を見つめている。

そんな真島に対し、錦山はこう問いかけた。

 

「真島。アンタ程の男が、なんで遥を誘拐するような真似をしたんだ?」

 

彼は今回の真島の行動に、僅かばかりの疑念を抱いていたからだ。

今でこそ狂気的な立ち居振る舞いと凶暴性から畏怖の念を向けられる事が多い真島だが、錦山がかつて拳を交えた頃の真島はとても冷静沈着で頭のキレる冷血で硬派な男だった。

とても今回のような、現役警官を襲って少女を拉致するような危険な行動を何の意味もなくするような人間ではない。

 

「まさか、アンタも100億を……?」

「アホか。俺がそんな下らんモンに興味あるハズ無いやろが」

 

真島はその問いに対して即座に返答した。

今、東城会中の極道達が皆注目するはずの100億を下らないモノであると断言したのだ。

 

「まぁ、嶋野組傘下組織全員にあの子を攫ってこいって命令が出とるのは事実やけどな」

 

その情報に錦山は納得した。

いくら真島本人が100億を下らないモノであるとしたとしても、親である嶋野にとってはそうでは無い。

嶋野はその失われた100億を取り戻すという実績を持って、東城会の跡目になろうとしているのだ。

そしてそんな嶋野が命令を下す以上、子分である真島も動かざるを得なかったのだろう。

若頭である真島が行動を起こさなければ、下の者に示しが付かないからだ。

 

「そうか……ならアンタは遥を、嶋野の所に連れて行こうってんだな?」

「いいや、ワシはあの子を親父に渡す気は無いで」

「なに……!?」

 

真島の返答に、錦山は度肝を抜かれた。

彼は親が絶対であるはずの極道社会に生きる者でありながら、その指示に従わないというのだ。

しかも、相手はあの嶋野である。逆らえば命が無くなってもなんら不思議では無い。

 

「どういうこった……?」

「あの子には、別の役目を果たして貰わなアカンからなぁ」

「別の役目?一体なんの事だ?」

 

そして、錦山のその問いに対して真島は先程の様子が嘘のようにハッキリと答えた。

 

「決まっとるやろ?桐生ちゃんや!!」

「桐生……?」

 

首を傾げる錦山とは対象的に、真島は今まで輝いていなかったその隻眼を光らせ実に愉快そうに語り始めた。

 

「せや!お前がムショに行っとる間、俺は事ある毎に桐生ちゃんに付き纏って喧嘩しとったんや!どれもこれも、手に汗握るごっつ熱い殴り合いやったで…………!!」

 

真島は目を瞑って思いを馳せる。きっと彼の目には、今まで桐生と過ごして来た血と汗と拳の記憶が鮮明に浮かんでいるのだろう。

 

(桐生の奴……前々からコイツに気に入られてるとは思っちゃいたが、組を割るまでずっと付き纏われていたってのか?アイツもなんて気の毒な…………)

 

一方の錦山はその時の桐生に対して同情を禁じ得なかった。嫌そうな顔をしながらも最終的には喧嘩に応じてしまう桐生の姿がありありと錦山の脳裏を過ぎる。

 

「せやけど桐生ちゃんが東城会を抜けてからというもの、それも出来んようになってしもた。俺だけの都合で今の桐生ちゃんに喧嘩を売ってもうたら、すぐに組織間の抗争に発展してまう」

 

強い男との喧嘩をこよなく愛する真島だが、それが原因で戦争を引き起こす訳にはいかない。殺られたら殺り返すがモットーの極道と言えど、限度というものはあると真島は語る。

事ある毎に戦争をしていれば夥しい数の犠牲者が出る事になり、それはやがて昨今の暴対法の強化にも繋がっていくだろう。そうなれば真島だけの問題では無い。ゆくゆくは極道者の未来そのものを閉ざす事になりかねないのだ。

 

「桐生ちゃんの組と戦争すんのもオモロそうやけど、下手に手ぇ出す訳には行かへん。せやけど俺は桐生ちゃんともう一度、命張った本物の喧嘩がしたいんや」

「アンタが桐生と喧嘩したがってんのは分かった。だが、それが遥とどう繋がるってんだ?」

 

錦山の疑問に対し、真島はあっけらかんと答えた。

 

「そんなん決まっとるやろ。あの子が桐生ちゃんにとって大事な存在やからや」

「なに……!?」

 

錦山にとって新たな事実が明かされた瞬間であった。

それと同時に、錦山の中にあった一つの予感が確信へと変わり始める。

 

(遥が桐生にとって大事な存在?って事は、五年前を最後に来なくなった遥の父親ってのは……!!)

 

そして、そう仮定すれば今回の真島の行動も説明が付く。

"嶋野の狂犬"真島吾朗が、渡世の親である嶋野に逆らってまで遥を手元に置いておきたい理由。

それはつまり。

 

「桐生を誘き出すために、遥を……!!」

「ヒヒッ、正解や。」

 

桐生一馬という男は不器用で義理堅く、義理人情に厚い人物だ。己にとって大切な存在が人質にされている事が分かれば、桐生は必ず駆け付けるだろう。

その結果として東城会との関係性が悪化することになったとしても、彼は絶対に止まらない。

彼の大事な人間に危害を加えるという行為はすなわち、龍の逆鱗に触れる事に他ならないのだから。

 

「しっかし、まさか桐生ちゃんや無くてお前が来る事になるとはのぅ。まぁ、桐生チャンに電話したのがついさっきやから早すぎるなぁとは思っとったがな?」

「…………」

「これで分かったやろ?錦山。ワシは桐生ちゃんと勝負出来ればそれでええんじゃ。子供ならそこのドア入った所におる。ワシと桐生ちゃんの喧嘩が始まったら連れてくなりなんなり好きにせぇ」

 

その言葉に嘘偽りはない。

真島は決して遥に危害を加えることも、嶋野に明け渡すこともしないだろう。

彼はただ、本気の桐生一馬と本気の喧嘩がしたいだけなのだ。

しかし、それを聞いた錦山は思わず嘆息した。

 

「……はっ、これがあの"嶋野の狂犬"か。ガッカリしたぜ。まぁ伝説だ何だと言われても、所詮ヤクザなんてそんなもんか」

「あ……?」

 

落胆の様子を見せる錦山に、今度は真島が怪訝な表情を浮かべる。

 

「つまりアンタは"桐生と喧嘩したい"って理由のためだけに年端もいかない女の子を巻き込んだって事か。ヤクザ者の勝手な都合で、なんの罪も無いカタギを良いように利用したってワケだ」

「……何が言いたいんや?言いたいことあんのやったらハッキリ言えや」

 

真島は錦山の回りくどい言い回しに苛つきを覚える。

錦山はそんな事お構い無しに一つ問いかけた。

 

「なぁ真島さんよ。ここまで言われて何か思い出さねぇか?」

「あぁ?何の話や?ええからさっさとハッキリ言わんかい!」

 

勿体ぶった言い方をする錦山に怒りを露わにする真島。

それに対して再び嘆息しつつ、錦山は答えを口にした。

 

「……マキムラマコト」

「!!」

 

直後、真島の態度が一変した。

トレードマークの隻眼は大きく見開かれ、開いた口は塞がらない。完全に虚をつかれた様子の真島などお構い無しに、錦山は続ける。

 

「この名前、まさか忘れちゃ居ねぇよな?アンタが命懸けで守ろうとした、目の見えない女の子だよ」

 

錦山の言うマキムラマコトという名前は、今から17年前に起きた"カラの一坪事件"の中心にいた一人の女性の名前である。

盲目というハンディキャップを背負いながらも懸命に生きていた彼女はある日、とある理由から東西のヤクザにその身を狙われる立場になってしまう。

偶然その場に居合わせた当時の真島は成り行きから彼女を助けることになってしまい、やがて彼女の事情を知った真島は彼女を裏社会の闇から救い出す為に奔走する事になったのだ。

 

「確か初めて俺とやりあった時も、そのマキムラマコトを護るためだったよな?」

 

そして、そのマキムラマコトを保護する立場に当時の錦山と桐生は立っていたのだ。

そしてお互いにそれぞれの立場に倣って彼女を守ろうとした結果、入れ違いから錦山と真島は拳を交える事になるのだが、今錦山が言いたいのはそこでは無い。

 

「当時のヤクザたちは"カラの一坪"って戯言のために、皆してたった一人の女の子を血眼になって狙った。莫大な利権を手に入れたいっていう、ヤクザの身勝手な都合でな。全くバカげてるよ」

 

その結果としてマコトは、自分を大切にしてくれていた恩人を殺され、何度も命を狙われる危機に晒された。

文字通りの真っ暗な闇の中で、力なき彼女はただただ涙を流した。

あまりにも理不尽で身勝手なヤクザ達の行動が、当時の彼女を不幸のどん底に叩き落としていたのだ。

 

「そんな中で、アンタは彼女を必死になって守ろうとし、見事に救って見せた。実際アンタが居なかったら彼女は間違いなく死んでいただろうしな」

 

全ての事件にカタが付いた後、真島は名乗る事もせずに彼女の前から消えた。

ヤクザ者である自分と関わるべきではないと考えたからだ。

 

「俺はよ真島さん……そんなマキムラマコトが哀れでならねぇんだ」

 

そしてここまで語った錦山はついに、狂犬の尻尾を踏み付ける。

 

「"名乗りもせず自分を助けてくれた恩人が、かつての自分を虐げた外道と何も変わらなかった"。これを彼女が知ったら、なんて思うんだろうな」

「……………………」

 

ヤクザの都合でカタギを利用し、己の目的を達成する。錦山の言う通り、そういう意味で言えば今の真島は当時のヤクザ達と本質は同じと言えた。

 

「なぁ、そうじゃねぇか?"嶋野の狂犬"……真島吾朗さんよ」

「…………桐生ちゃんの後ろに引っ付くしか能のない金魚の糞風情が。随分とおしゃべりやないか」

 

沈黙を保っていた真島が口を開く。

しかし、その声音には先程のような退屈さも愉快さもない。そこにあるのは、ただ静かな怒りと明確な殺意だけだった。

 

「ええやろ……そないに死にたいんやったらワシが今すぐここで殺ったろやないか」

 

愛用のドスを取り出し、黒塗りの鞘から鈍色の刃を引き抜いた。

その全身からは激しく鋭利な殺気が溢れ出ている。

 

「ハッ、なんだ?図星を突かれてキレてんのか?桐生からは読めねぇ男だって聞いてたが……俺から言わせりゃ随分と分かりやすい男だよアンタは」

「最期の言葉はそれでええんか?遺言ぐらいもうちょっとマトモな事言うたらどないや」

「遺言?冗談じゃねぇ、俺の死に場所はここじゃねぇんだよ……!」

 

錦山は静かにファイティングポーズを取る。

全神経を集中し、真島の最初の一手を見極める。

 

「覚悟はええな……?」

「いつでもいいぜ……来やがれ、真島ぁぁ!!」

 

東城会直系嶋野組若頭兼真島組組長。真島吾朗。

今、東城会が誇るもう一つの伝説との闘いが幕を開けた。

 

 

 





と、まぁこんな所やな。


しっかし錦山のドアホ、ワシに喧嘩売るとはホンマにえぇ度胸しとるわ。
しゃーない。ちーっとばっかりムショで鍛えよったくらいで調子に乗っとる錦山みたいな青二才は、ワシが徹底的に分からせた後にキッチリ仕留めたろうやないか

てな訳で次回は、ワシが錦山を徹底的にぶちのめす殺戮ショーやで!
次回も楽しみにしとってや!
ほな!


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Receive You Mad Type

待たせたのぅお前ら、最新話やで!

いよいよ待ちに待った殺戮ショーの開幕や!
ワシの強さ、よぉーく目ぇに焼き付けるんやで?

よっしゃ、ほな早速本編開始やぁ!!

覚悟せぇ……錦山ぁぁぁ!!




ついに幕を開けた嶋野の狂犬との一騎打ち。

その先手を仕掛けたのは、真島吾朗の方だった。

 

「昔、言うたはずやで……錦山」

 

真島がゆらりと脱力した動きを見せた瞬間、錦山の全身を悪寒が駆け巡った。

彼は己の体が発したその悪寒に従い、僅かに首を横にズラす。

直後。

 

「ッ!!?」

 

真島の持つドスの刃が、先程まで錦山の首があった場所に突き出されていた。

 

「"お前じゃ俺には勝てん"ってな」

 

耳元で呟かれた直後、真島の放った前蹴りが錦山を襲う。

錦山はその一撃をガードで受けながら、後ろに飛び退いて距離を取った。

 

(は、早すぎる……!!)

 

その速度は明らかに常軌を逸していた。

あと一拍。

もしもあと一拍錦山の動きが遅れていれば、彼の首に真っ赤な風穴が空いていただろう。

 

「まだまだこんなもんやないで……覚悟せぇや!!」

 

真島が刃を翻らせ錦山に襲いかかる。

錦山は全神経を集中させ、迫り来る刃の軌道を読んで回避に徹した。

 

(一瞬たりとも気が抜けねぇ……これが嶋野の狂犬か!)

 

まるで自身の体の一部であるかのように変幻自在のその軌道を変える刃。

一度でもその軌道を見誤れば、一回でも判断を違えれば。

その瞬間が錦山の終焉の時だ。

 

「ウゥリャァ!!」

 

回転を加えた横凪の斬撃が錦山を襲う。

 

「ッ、オラァ!」

 

錦山は僅かに屈んでそれを躱すと、反撃の右フックを振り抜いた。

しかし、その一撃は真島の持つスウェイで見事に躱されてしまう。

 

「遅いわボケ!」

 

真島は再び距離を詰めると、カポエイラのような動きで錦山の側頭部に後ろ回し蹴りを繰り出した。

咄嗟にガードした錦山だったが、瞬発力と威力のある一撃からか、あっさりと防御を崩されてしまう。

 

「くっ!」

「てぃやァ!」

 

その次に襲いかかるのは真上から振り下ろされる刃だった。

錦山はすかさず両手を伸ばしてドスを持つ真島の右手を掴む。

 

(よしっ)

「甘いで!」

 

そのまま武器を無力化しようとした錦山だったが、直後に真島の放った鋭い膝蹴りが彼の腹部に突き刺さる。

 

「ぐほっ!?」

「でぇぇいッ!!」

 

思わず前傾姿勢になり明確な隙を見せた錦山の顔面に、真島は追撃の左アッパーを叩き込んだ。

 

「ぶはぁっ!?」

 

その一撃はあまりにも重く、錦山の両手は真島の右手を離れ、彼の体は文字通りぶっ飛ばされてしまった。

 

「ぐ、くっ……!」

 

何とか受身を取ってすぐさま立ち上がる錦山だったが、先の一撃によるダメージからか足元が若干覚束無い。

 

「ほれ、休んどる暇は無いで!!」

「ちっ!!」

 

錦山は言うことを聞かない自分の体に喝を入れると、眼前の真島の動きに再び全神経を集中させた。

 

「でぇりゃ!」

 

鋭く放たれる右の一刺し。

錦山がそれを紙一重で躱すと、真島はその場にドスを置くように手を離して体を反転させる。

 

「!!」

 

その意味を理解した錦山がすぐさま後ろへ一歩下がる。なんと真島は落下するドスを反転した左手で逆手に持ち替え、そのまま追撃の一刺しを繰り出してきたのだ。

 

「うりゃっ!」

 

錦山がその一刺しを躱すと、真島はドスを上に投げて足払いを仕掛けた。

錦山はその足払いを軽めの跳躍で回避してやり過ごす。

 

「シッ!」

 

すると真島は素早く体勢を元に戻し、上から落ちてくるドスを見事に掴んでそのまま顔面狙いの一刺しを見舞った。

 

「くそっ!」

 

思わず悪態を付きながら、錦山はその刺突を屈んで回避する。

だが、錦山の屈んだ頭を目掛けて真島が左足を振り上げた。

 

「キェェイ!!」

「ぐぁっ!?」

 

完全に虚を衝く形で放たれたハイキックは錦山のこめかみを的確に打ち抜いた。

視界が揺れ、三半規管にダメージの入った錦山の足腰はさらに安定を欠く事になる。

しかし、真島の連撃はまだ続いていた。

 

「てりゃっ!」

 

真島は蹴り抜いた勢いのまま身体を反転させると、右逆手に持ったドスを錦山に向けて突き出した。

 

「ッ!!」

 

平衡感覚も定まらない中、錦山は半ば本能的に身を捩った。

その行動が偶然にも真島の刺突を回避する要因となり、九死に一生を得る錦山。

しかし、奇跡とはそう長くは続かない。

 

「でぇぇぇい!!」

 

真島は再びドスを手放すと、そのドス目掛けて左の拳を真っ直ぐに振り抜いた。

 

「ぐぶぁぁっ!?」

 

真島の放った左ストレートはドスの柄を叩いて上に弾き飛ばし、そのまま錦山の顔面へと叩き込まれる。

平衡感覚を失った彼にこの一撃を耐え抜く事は出来ず、彼の体は後方へ吹き飛ばされるとロクな受け身も取れないまま地面に叩き付けられた。

 

「はっ、拍子抜けやな」

 

落下するドスを華麗に掴み取り、真島が独りごちる。今の曲芸のような動きも、彼からしてみれば日常茶飯事。

わざわざ特筆すべき事ですら無いのだ。

 

「桐生ちゃんやったら当たり前のようにぜーんぶ避けて、今頃返しの一撃をワシに叩き込んでる所や」

「ぅぐ……くっ、そ…………!」

 

平衡感覚を失い立つことが出来ない錦山を無感動に見下ろしながら、真島が問いかける。

 

「聞いたで。お前、葬儀会場で嶋野の親父を倒したんやってな?それで自分には実力があるとのぼせ上がったっちゅう訳か」

 

錦山はこれまで、数々の強敵を相手取ってきた。

全盛期の堂島組を拳一つでのし上がった拳王、久瀬。

東城会の内外にその名を轟かす大幹部、嶋野。

若くして近江連合の幹部衆に取り立てられた実力派、林。

三年間無敗を貫いて来た地下闘技場の王者、ゲイリー。

彼らは決して、一山いくらのゴロツキではない。

皆が皆、決して一筋縄では行かない強者ばかりだった。

 

「せやけどこれが現実や。身の程も弁えずにワシに喧嘩売ったんが運の尽き。精々後悔しながらあの世に逝けや」

 

それでも。

そんな彼らを打ち倒してきた錦山でさえも"伝説"の前には届かない。

今の彼はまだ、大海を知らぬ蛙に他ならないのだから。

 

「往生せぇ、錦山……!」

 

真島は手に持ったドスを逆手に持ち、勢いよく跳躍した。

狙いは錦山の胸元。

落下する勢いを加えながら鈍色の刃を突き立てんとする真島に、錦山は抵抗の意志を示した。

 

「っ、ぅ、ぉらァァァッッ!!」

 

寝そべったままの状態で、真上から落下してくる真島の身体に真っ直ぐ右足を突き出す。

 

「ぐぉっ!?」

 

ドスの刃よりも早く錦山の前蹴りが真島の腹部を直撃し、真島の身体が押し戻された。

 

「はぁ、はぁ……勝手に、終わらせてんじゃねぇよ。嶋野のワン公……!」

 

その隙に、錦山は痛みとダメージを無理やりねじ伏せて何とか立ち上がった。

揺れる視界の影響で誘発した吐き気を飲みこんで、真っ向から真島を睨み付ける。

 

「まだそんな減らず口叩く元気あるんか。活きの良いやっちゃのう……」

「吠えてられんのも今の内だ。テメーのドス捌き、俺ァ完全に見切ったからよ……!」

 

錦山はそう言うと、コンパクトにファイティングポーズを取る。刑務所での日々の中、久瀬から技を盗んで身に付けたボクシングベースの構えだ。

 

「スゥー…………フゥー…………ッ」

 

そして更に、柏木の教えである呼吸法を用いて身体中の余計な力を抜いて精神を研ぎ澄まし、集中力を高める。

久瀬の持つボクシング仕込みの動体視力とフットワークに、柏木の修めた空手の呼吸法から成り立つ集中力と瞬発力。

錦山はそれぞれの兄貴分から身に付けた技法を己の中で掛け合わせ、自らの中に落とし込んだ。

 

「ほう……?なら、ホンマかどうか試したるわ」

 

錦山の挑発に乗った真島がそう宣言した直後、一瞬にして距離を詰めた真島がドスを振りかざした。

真島の凶刃が錦山の首筋へと迫る。

 

「ッ」

 

錦山はそれを最小限の動きで躱すと、返しの左フックを放った。

 

「チッ!」

 

真島は持ち前の俊敏性でその一撃を難なく躱すと、再びドスの刃を閃かせた。

しかし、錦山はこれも危なげなく回避する。

 

「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃ!!」

 

しびれを切らした真島は、目にも止まらぬ速さで斬撃と刺突の嵐を錦山に繰り出した。

その攻撃はどれもが素早く変幻自在で、予測不可能な軌道を描いている。

彼の持つ俊敏さとドスを手足のように扱う彼の技量の高さが成せる技だった。

 

「シッ、フッ、ンッ、ッ、ハッ」

 

だが、錦山はそれらの攻撃を全て最小限の動きで処理していく。

躱し、いなし、捌き、流しと言った動作をその時々で正確に選んで実行に移しているのだ。

 

(なんやと!?)

 

宣言通りに己のドス捌きを読み取られ、驚愕を隠せない真島。

このような芸当を成せるのは、ひとえに錦山の努力の賜物と言えるだろう。

数々の闘いの中で培われた錦山の動体視力が真島の変幻自在な動きを捉え、そこに加えて彼の研ぎ澄まされた精神が真島の放つ斬撃や刺突に込められた殺気を感じ取る事で次に刃が来る場所を浮き彫りにしているのだ。

後はそれらを退けるために必要な動作を確実に正確にこなす。

 

(チッ……!そろそろ限界だ……!)

 

しかし、いつまでもこんな芸当が出来る訳では無い。

不規則で素早い刃の軌道を常に目で追いかけ、感じ取った殺気から斬撃や刺突が来る場所を予測し続け、己が選びとった判断を瞬時に身体に伝達し続ける。

これだけの事をやり続けるには心身ともに強烈な負荷がのしかかる為、非常に高い集中力の継続が求められるのだ。

そして、人間の集中力は長時間維持させる事が非常に難しい。

錦山の集中力もその例に漏れず、まもなく切れようとしていた。その時。

 

「でぇぇぇい!!」

 

錦山の動きを煩わしく思った真島が、ドスを一際大きく振り上げた。一気に相手を切り付て勝負を終わらせる魂胆なのだろう。

 

(今だ!!)

 

そこに錦山は"活路"を見出した。真島が攻撃のために晒した僅かばかりの隙を突き、錦山が反撃に転じる。

 

「オラァァ!!」

 

錦山は振り下ろされる寸前の真島の右手に向かって掌打を叩き込んだ。真島の持つドスを弾き飛ばす為だ。

 

「なっ!?」

 

その一撃は見事に真島の右手から離れ、高く宙を舞った。

 

「たぁッ!」

「でりゃァ!」

 

二人は同時にその場で跳躍すると、落ちてくるドスに手を伸ばした。

この凶器を手にした者が、間違いなくこの闘いのイニシアチブを握る事になるだろう。

 

「ヒヒッ」

「チッ」

 

同時に着地する二人。

ドスは、真島の手の内にあった。

 

「キェァアア!!」

 

独特の掛け声と共に横薙ぎに振り抜かれた鈍色の刃が、錦山の肩を浅く切り付ける。

彼の纏う白いジャケットの肩に、一筋の紅いシミが浮かび上がった。

 

「でぇりゃァァァ!!」

 

しかし、錦山の心は折れなかった。

彼は肩を切られながらも、ドスを持った真島の右手を垂直に蹴り上げたのだ。

再びドスが宙を舞う。

 

「なっ!?」

「ハァッ!」

 

真島が真上に蹴り上げられたドスに一瞬だけ気を取られた隙に、錦山は真島の顔面に右フックをぶち当てた。

 

「こんのォ!!」

 

その一撃に真島も返しの右フックを叩き込む。

伝説級の極道の拳は今の錦山にとってはあまりにも重く、この一発だけで意識が飛びそうになる。

 

「ッ、ゥオラァァ!!」

 

だが、それを気合いで耐え抜いて右のボディブローを直撃させる。

錦山にとっては、一戦一戦が命を懸けた闘い。

決して負ける訳にはいかないのだ。

 

「ボケェ!!」

 

真島は反撃の左ストレートを錦山の顔面に打ち込む。

負ける訳にはいかないのは真島も同じ。

この後にお目当ての桐生との闘いが待っている以上、錦山のような格下相手に手こずっている訳にはいかないのだ。

 

「ヒャァアッ!」

「オラッ!」

 

そしてお互いの放った前蹴りがそれぞれ直撃し、二人の距離を引き離す。

その間に、宙を舞っていたドスが落ちようとしていた。

 

「ハァァァッ!!」

「デェェェイ!!」

 

二人の掛け声が重なり合い、両者が同時に右足を下段に振り抜いた。

狙いは未だ落下を続けている中空のドス。

錦山は凶器を蹴り飛ばして無力化するために、真島は更なる追い討ちをかけるために。

そして。

 

「ぎぇぁぁあああああッッ!?」

 

果実を潰すような音と共に、真島の悲鳴がバッティングセンター中に響き渡った。

落下していたドスは錦山の蹴りに柄頭を押され、真島の右足を貫いていたのだ。

 

(貰った……!)

 

勝機を見出した錦山は、すかさずマウントポジションを奪って拳を振り上げた。

そして。

 

「オラ、オラ、オラ、オラ、オラ、オラ、オラァァッ!」

 

左右のフックによるパウンドの連打で一気に勝負を決めに行く。

全力で振り下ろされる両拳によって、真島の顔面が赤く腫れ上がっていく。

 

「離れろやボケェ!!」

 

しかし、この程度で仕留められるほど"伝説"は甘くなかった。

真島はドスの刺さっていない左足で真っ直ぐに前蹴りを放つと、錦山の身体を蹴り飛ばす事で無理やりマウントポジションから引き剥がした。

 

「ぐっ……!」

「でッ……ィりゃァァ!!」

 

蹴り飛ばされた錦山が崩れた体勢を立て直すのと同時に、真島は立ち上がりながら己の右足に突き刺さったドスを勢いよく引き抜いて見せた。

同時に傷口から流れる赤い血がその勢いを増す。

大怪我なのは誰が見ても明らかだった。

 

「どうだ……?その足じゃご自慢のスピードも出ないだろう……?」

 

錦山の言う通り、真島の右足はもはや使い物にならない。いかに"嶋野の狂犬"と言えどこれだけの怪我はただ事ではないのか彼の表情にはいつもの余裕がなく、額には脂汗が浮かんでいる。

 

「ハァ、ハァ、やってくれるやないか錦山……どうやらワシは、少しお前をナメとったらしい」

「なに……?」

 

すると真島は怪我のある右足を前にし、左足を後ろに置いて腰を落とす。

それはまるで、野生の獣が獲物を仕留める前の動作に近かった。

 

「これで…………キッチリ仕留めたるわ」

 

次の瞬間。

先程まで錦山の数メートル先にいたハズの真島の姿が一瞬にして彼の視界から姿を消した。

直後。

 

「ぐわぁあぁああぁぁっ!!?」

 

錦山の背中に鋭い痛みが走った。

一瞬にして背後に回り込んだ真島が、そのドスを閃かせ彼の背中を切り付けたのだ。

白いジャケットに斜めの一文字が刻まれ、傷口から溢れる血によって生地が赤く染まる。

 

「まだや」

 

どこからともなく真島の声が聞こえた直後、錦山の脇腹に痛みが走る。

目にも止まらぬ速さで移動する真島が、すれ違いざまに刃を走らせたのだ。

 

「ぐっ、クソっ……!」

 

錦山が抵抗する間も無く、今度は太腿が狂犬の牙に傷付けられる。

 

「ぐぁぁっ!?」

「これで終いやァ!!」

 

度重なる斬撃により錦山が体勢を崩した直後、正面に回り込んだ真島がその顔面に飛び膝蹴りを繰り出した。

 

「ぶぐっ!?」

 

仰向けに倒れた錦山に、真島はそのままの勢いでのしかかってマウントポジションを取る。

完全なる形勢逆転だった。

 

「ぐ、ぁ…………ぅ…………」

 

度重なるダメージに加えて、マトモに飛び膝蹴りを受けてしまった事で意識が朦朧とする錦山。

真島はそんな錦山を見下ろしながら、逆手持ちしたドスを振り上げる。

 

「チェックメイトや。雑魚にしてはなかなか楽しめたで?」

「…………」

「言い残す事はあるか?せめてもの情けや、桐生ちゃんにくらいは伝えといたる」

「…………く、っ……」

 

真島の提案に対し錦山が取った行動は、遺言でも命乞いでも無かった。

 

「くた、ばれ……ワン、公…………!!」

 

真っ向から睨み返し、最後まで抵抗の意志を見せる。

それが錦山の選んだ選択であり、彼の矜持そのものだった。

 

「…………そぅか。ほな、死ねや」

 

そして、真島は感情の消えた表情で右手を振り下ろした。

鈍色の刃が今度こそ錦山へと突き刺さり、

 

 

 

真島の眼前で、紅い血の花が咲いた。

 

 

 




見たかボケェ!
これがワシの実力や!!


ただ、錦山も悪ぅなかったわ。流石に親父をぶっ倒しただけの事はあるのぅ。
まぁ、そんな錦山でもワシがちーっとだけ本気になれば、こんなもんや 。

さて、次回からは作品名を変更して"真島が如く"のスタートや!日間ランキング一位も夢やないで!

それじゃ、次回も楽しみにしとってや!
ほな!


※錦が如くはまだまだ続きます


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九死に一生

さぁお前ら!
お待ちかねの「真島が如く」最新話や!
いよいよワシが主人公のヤクザアクションスペクタクルが……!

あ?始まらん?
なんやと……そりゃどういうこっちゃ?

なに?本編行けば分かるやと?
しゃーないのぅ。ええやろ、そしたら本編行こか。

納得いかん理由やったら……ぶち殺したるでぇ!!




神室町。吉田バッティングセンターで始まった"嶋野の狂犬"との一戦。

結果は、火を見るよりも明らかだった。

真島の変幻自在なドス捌きと俊敏さに圧倒された俺は、あっという間に血だらけにされたのだ。

格が違うどころの話じゃない。

今の俺と真島では、次元が違ったのだ。

 

「ほな、死ねや」

 

肩と背中、腕に脚を切り付けられた挙句にマウントを取られるという絶対絶命の状況の中、俺の顔を目掛けてドスの刃が垂直に迫る。

そして。

 

「ぐっ、ォ、ぉぉおおあああああッ!!?」

 

真島の振り下ろした刃が、俺を刺し貫いた。

想像を絶する痛みに思わず絶叫を上げてしまう。

傷口が熱を帯び、決して少なくない量の血が流れ出た。

 

「なっ!?」

 

だが、そんな俺の視界の奥では真島の片目が見開かれていた。

そうだ。それでいい。

俺はコイツの、そんな顔が見たかったのだ。

 

「ッ、ゥォオラァァァァッ!!」

 

右手で拳を握り締め、真上に居座る狂犬の顔面を全力でぶん殴った。

 

「ぐぉっ!?」

「ぜェやァァァッ!!」

 

その一撃で真島の身体が仰け反った瞬間、右足の前蹴りで追撃して無理やり引き剥がす。

それにより真島が完全に体勢を崩した隙に、俺はすかさずマウントポジションを脱して距離を取った。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……お前、どういうつもりや……!?」

 

真島の口からそんな言葉が漏れた。

その表情は信じられないものを目撃したかのような驚愕の色に染まっている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……へ、へへっ……!」

 

今、俺の目の前にいるのはあの真島吾朗。

"嶋野の狂犬"と呼ばれ畏れられた"伝説の男"だ。

そんな男の代名詞であるドスが、その手に無い。

何故なら。

 

「まさか……"自分から刺されに来る"なんて思わなかったか?真島さんよ……!!」

 

紛れもなき狂犬の牙である彼のドスは今なお、俺の手の平を貫いたまま(・・・・・・・・・・・)なのだから。

 

「アンタを狂犬たらしめてるコイツを奪うには……こうするしか、無かったんでなぁ……!!」

 

俺は真島に対してあたかも策の内のように語るが、実際には全くの偶然だ。

朦朧とする意識と霞む視界の中で俺は自分に迫り来る"死"を知覚した。

それを遠ざける為に左手を伸ばして、そしてその手の平に狂犬の牙が食い込んだのだ。

 

(おかげでいい気付けになったぜ……!)

 

それにより俺を襲った激痛は焼き付くような熱さを伴って俺の意識と視界を一気にクリアなものにした。

その後、俺は貫かれた状態のままの左手で真島の持つ手を掴み、渾身の右フックと前蹴りで引き剥がす事でその手からドスを奪う事に成功したのだ。

 

「ワシからドスを奪う為だけに左手を犠牲にしよったやと?お前、頭イカレとんのとちゃうか……!?」

 

真島は俺に対しそんな言葉を投げかける。

よもや東城会一のクレイジー野郎にそんな事を言われるとは思わなかった。

だが、それでいい。

 

「へっ、イカれてるぐらいじゃなけりゃ"伝説"には届かねぇだろうがよ……!!」

 

そうだ。そうでなくちゃならない。

俺が目指すのは数多無数の男たちの上にある頂点。"堂島の龍"がいる領域なのだ。

そんなモノ、真っ当な思考回路を持つ人間なら目指そうだなんて思う筈がない。

だったら、そんな奴は狂っているくらいがちょうど良い。

常軌を逸して狂い果て、たとえどんな奴が相手であろうと構わず喰らって飲み込み邁進する。

そしていつか、その狂気すらも喰らって己の血肉に変えてやるのだ。

 

「ぐっ、ッ、ぬぅ、ぅぉおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

俺は左手に突き刺さったドスの柄を握りしめると、絶叫にも似た雄たけびと共に一気に引き抜いてそのまま投げ捨てた。

今までせき止められていた傷口が開き、多量の血液が溢れ始める。

身体は鉛のように重くなり、痛みで明瞭となったはずの意識が再び遠のき始めた。

残された時間は、きっと少ない。

 

「はぁ、はぁ……さぁ、第二ラウンドと行こうぜ、真島ぁぁぁッ!!」

 

叫ぶと同時にその場を駆け出し、真島との距離を詰める。

 

「オラァ!!」

 

たたらを踏んで勢いを付けると、右のストレートを真島の顔面にぶちかました。

 

「ぐ、ぉぉっ!?」

 

確かな手応えと共に真島が右膝を着く。

俺が左腕を負傷したのと同じように、右足を負傷している今の真島は踏ん張りが効かないのだ。

 

「ダラァ!!」

 

俺はすかさず顔面を蹴りあげて追い打ちをかけた。

全力で繰り出したサッカーボールキックは真島の身体を大きく仰け反らせ、そのままダウンを奪う。

 

「ぐほぉぁっ!?」

「まだだァ!!」

 

仰向けに倒れる真島の上に跨り、真っ赤に染まった左手で左の側頭部を押さえつける。

 

「オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラァァッ!!」

 

そして、地下闘技場でゲイリーにやった時と同じように真島の顔面に右フックを連続で叩き込んだ。

もはや後先など関係ない。

自分の拳ごと相手をぶっ壊すつもりで一心不乱に拳を振り下ろしていく。

 

「でェイヤァ!!」

 

だが相手は"嶋野の狂犬"。

いつまでもこんな攻撃が許されるはずもなく、いとも簡単に押しのけられてしまった。

 

「やってくれよったな、ボケがァ!!」

 

反転するように今度は真島が上の位置に来る。

真島は先程の恨みと言わんばかりに怒号を上げながら俺に拳を振り下ろしてきた。

 

「ぶぎゃっ!?」

 

その一撃は同じ人間から放たれてるとは思えないほどに硬く、強い衝撃で俺の顔面を打ち抜いてきた。

 

「フン!セイッ!ウリャァッ!!」

 

続けて二発、三発、四発と繰り出される狂犬の打ち下ろしは、俺の顔を叩く度に俺の後頭部を地面に叩きつけバウンドさせ、逃げ場のない衝撃が俺の頭部を襲い続ける。

 

「ゥ、ァアッ!!」

 

この後の俺の動作は半ば本能的なものだった。

右手を前に突き出し真島の喉元を掴んで全力で握り潰さんと力を込める。

 

「ぐ、ぉぉっ!?」

 

真島は拳を解くと俺の右手首を両手で掴んで引き剥がそうと全力を込める。

いくら真島が武闘派であっても、人間である以上喉元は急所だ。庇わざるを得なかったのだろう。だが、それこそが俺の狙いだった。

 

「りゃあぁぁぁ!!」

 

俺は未だに血が流れる左腕を、横薙ぎに振るった。

傷口から零れた俺の血が周囲に飛び散る。

それはつまり。

 

「ぎゃあああああああああ!?」

 

真島吾朗の顔に飛び散ったという事に他ならない。

唯一の肉眼である右目に血が入った真島は悲鳴を上げてのたうち回った。

その隙に俺はマウントから抜け出して体勢を立て直す事を試みる。

直後。

 

「あ……?」

 

俺の体がガクンと音を立てて崩れ落ちた。

倦怠感と虚脱感が全身を包み、身体に一切の力が入らない。

急激に瞼が重くなり、意識が急速に遠のいていく。

そこで俺は悟った。

 

(時間切れ、かよ…………!)

 

ここに来てついに、酷使していた肉体が限界を迎えたのだ。

度重なる打撲や裂傷もそうだが、一番の要因はやはり出血多量による身体機能の低下だろう。

自分の身体なのにまるで力が入らず、ただ仰向けで横たわる事しか出来なかった。

 

「ヒヒッ……どうやら、ワシの勝ちみたいやな…………!」

 

気付けば目潰しをしたはずの真島が俺を見下ろすように立っていた。

真島の回復が早かったのか、それとも俺の時間の感覚がおかしくなっているのか。

今となってはもう確かめようがない。

 

「散々手こずらせおって……今度こそこれでしまいや…………!!」

 

そう言う真島の右手には金色に光るものが見える。

あれは金属バットだろうか。

霞んだ視界と混濁していく意識ではそれが何なのかを認識するのは難しかった。

 

「死に晒せ、錦山ぁ……!!」

「…………!」

 

真島と思しき影が両手を真上に上げたのが見えた。

もしもその手に握られているのが金属バットなのであれば、それを振り下ろされれば最後、俺の意識と命はそこで断絶する事になるだろう。

身をよじろうとするが、指一本どころか筋肉の筋一本すらも動く気配がない。

 

(ここまで、か…………)

 

死を覚悟し、意識を手放しかけたその時。

カランという乾いた音が微かに聞こえ、俺を見下ろしていた影が真横に倒れていく。

そして、影が視界から消えるのと同時に俺の近くに何かが落ちた音がした。

 

「お、親父……!」

「おい、親父を運び出すんや!早くしろや!!」

 

周囲が途端に騒がしくなるのを感じる。

どうやら、真島の身体にも限界が訪れたらしい。

あの男は俺よりも先に大出血の大怪我を負っているのだから、致し方のない事と言えるだろう。

だが今となっては大した問題じゃない。

 

(もう、間に合いそうもねぇ、な…………)

 

俺が痛めつけたハズのヤクザ達が懸命に真島の身体を運び出しているのが視界の端に映る。

だが、今の俺は孤立無援。

伊達さんをセレナへ行かせてしまった以上俺を運び出す人手は無いし、今の俺は自力で救急車を呼ぶ事も出来ない。

結局は真島に殺されるか、このまま血を流して死ぬかの違いでしかなかったのだ。

 

「おじさん!」

 

ふと、薄らいでいく視界の中に一人の少女の顔がある事に気付いた。

その子は俺の顔を見ながら懸命な表情で俺の事を呼びかけている。

 

「しっかりして、おじさん!」

 

やがて、俺はその少女の姿を認識した。

遥だった。

 

(そうか……無事だったんだな…………)

 

遥の無事が分かった途端、いよいよ視界が暗くなり始めた。

現実と無意識の境界が曖昧になっていき、やがて意識が途切れていく。

 

(俺じゃ……ここが、限界……か…………)

 

この子は今どういう訳か大勢のヤクザ達に狙われている。このままでは危ない。

だが、未熟な俺ではこの子を守り切る事が出来なかった。

だからもう、祈るしかない。

母親を探し求めて神室町までやってきた一人の女の子の想いに報いる事の出来る誰かが、この子を救ってくれる事を。

 

(誰か…………この子を、守ってやって……くれ……)

 

そんな願いを最後に、俺の意識は暗闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京、神室町。

アジア最大の歓楽街として名高いこの街だが、その規模は決して大きいものではない。

中心に聳え立つミレニアムタワーを中心に、多くの通りが網目や蜘蛛の巣のように張り巡らされているのだ。

そして、そんな神室町の東西を繋ぐ二つの通りの内の一つ"七福通り"。

その通りをとある二人組が、錦山彰の行方を追って彷徨っていた。

 

「なぁ東。本当に錦山の野郎はこの近辺に居るんだろうな?」

「え、えぇ……この辺りで奴を見たって目撃情報があったそうで……」

 

松金組の海藤と東だった。

彼らは今、松金組の若頭から錦山を生かして連れて来いと言う命令を受けているのだ。

 

「そりゃどんな目撃情報だよ?」

「なんでも、嶋野組の連中をぶちのめした後にバッティングセンターの方へと向かっていったとか……」

「嶋野組だと?」

 

その言葉を聞き、海藤が怪訝な表情をする。

 

「嶋野組って言やぁ……俺ら松金組の上部団体、風間組と並ぶ東城会の二大巨頭じゃねぇか」

 

穏健派で通っている風間組とは対照的に、嶋野組は無茶なやり方を力で押し通す武闘派だ。

それに"嶋野の狂犬"を始めとした猛者が数多く在籍している事でも有名な組織で、敵に回せば命がいくつあっても足りない事は明白だった。

 

「東……そりゃ本当の話か?いくら錦山の野郎が腕が立つっつっても、たった一人であの嶋野組に喧嘩売るなんざ自殺行為だぞ?」

「で、ですが実際に嶋野組の連中を蹴散らした錦山の姿を見たって奴が居るんです……!」

 

海藤はあまりにも現実的じゃないその目撃情報の信憑性を疑うが、他に何か手掛かりがある訳では無い。

結局、東の仕入れたその情報を元に捜索するしか無いのだ。

 

「本当かよ、ったく…………あ?」

「兄貴?どうしたんですか……?」

「おい、アレ…………」

 

それは二人が七福通りの東に差し掛かろうとした矢先だった。

バッティングセンターの中から、スーツを着た数名の男たちが大慌てで飛び出して来たのだ。

そしてその中心で、ぐったりとした一人の男が両肩を担がれて運ばれていく様子が見える。

男たちは店前に停まっていたバンに男を担ぎこんだまま乗り込むと、猛スピードでその場を走り去っていった。

 

「あのジャケットって……」

 

一瞬しか見えなかったが、海藤は運ばれている男のジャケットに見覚えがあった。

金色の派手な色のジャケットに、黒のパンツ。

後ろ姿しか見えないものの、その特徴的な見た目は非常に目立つ。

 

「間違いねぇ……真島吾朗だ」

「えっ!?真島って……"嶋野の狂犬"って言われてる、あの……!?」

 

東が震え上がる。

ヤクザ者としては珍しく非常にビビりで怖がりな彼だが、仮に彼でなかったとしてもヤクザ者であれば誰もがその名を聞いて震え上がる事だろう。

それほどまでに"嶋野の狂犬"の異名は神室町中に轟いているのだ。

 

「確かバッティングセンターは真島組のヤサだったな…………」

 

そんな真島の本拠地から当の本人がぐったりした様子で担ぎ出される。

通常では有り得ない事態であると言えるだろう。

 

(東の話じゃ、錦山の野郎はバッティングセンターの方へと向かってったって話だ……そもそも嶋野組の連中とやり合ったってのが現実味無さすぎるが、その若頭の真島が例のバッティングセンターから担ぎ出されてるのを考えると納得出来る部分があるのもマジだ)

 

弟分の東が提供した情報を前提に、海藤は考える。

 

(錦山は何らかの理由で嶋野組と揉めて、あの真島とやり合う事になった。そしてその結果、真島があそこから運び出されていった……だとすれば…………)

 

それはつまり、真島との戦闘を終えた錦山がいる可能性が高いという事に他ならなかった。

 

「どうやら、何かあるのは間違いなさそうだな……東、見に行くぞ」

「ひぇっ!?で、でも兄貴……もしも中で真島組の連中が見張ってたら、俺らタダじゃ済みませんよ!?」

 

東の言う通り、極道がよその組のシマで怪しい動きをしていればそのシマの組織は黙っていないだろう。

ましてや相手は自分達よりも格上の直系組織、かつ武闘派の嶋野組だ。

もしも彼らの狙いが海藤達と同じ錦山なのであれば衝突は避けられないだろう。そうなれば最後、どんな目に遭うのか分かったものでは無い。

 

「そん時はそん時だ!行くぞ!」

「そ、そんなぁ……」

 

しかし、海藤は渋る東を強引について来させ、バッティングセンターへ向けて歩を進めた。

彼らにも下された命令がある。

それが解除されない以上は、動くしか無いのだ。

 

「おいおい、こりゃ…………」

 

バッティングセンターの前まで来たところで、海藤が思わず声を上げた。

出入口から先程バンが停まっていた場所にかけて、夥しい程の血痕が残っていたのだ。

状況から見て、先程担ぎ出されてた真島のものであると見て間違いないと海藤は推測する。

 

(錦山の野郎……あの"嶋野の狂犬"を相手にそこまで……?)

 

海藤はこの世界に入って間もない頃に一度、神室町で真島が喧嘩している所を目撃した事がある。

相手は真島と並ぶ伝説として語り草となっていた東城会の極道で、その闘いぶりはおよそ人間の動きとは思えない程に激しく凄まじいものだった。

そんな真島を相手にこれだけの出血を強いる程の負傷を負わせたと考えれば、錦山の実力は海藤が思っている以上であるという事になる。

もしも中にいる錦山に闘いを挑んだとしても、海藤達が返り討ちになる可能性は非常に高い。

 

(へっ、面白ぇじゃねぇか……!)

 

だが、海藤は燃えていた。

元々彼は、三度の飯より喧嘩が好きな荒くれ者なのだ。

そんな彼が、自分よりも遥か高みにいる男を相手にして闘志を燃やさないわけが無い。

 

「東、もしも錦山が居たとしてもアイツとは一対一のタイマンだからな。お前は手ぇ出すんじゃねぇぞ?」

(それ、自分は必要無いんじゃ……?)

 

テンションが上がる海藤とは対照的に、東は今すぐでも帰りたいというのが本当の所だった。

錦山にはただでさえトラウマを抱えているというのに、それに加えて嶋野組まで絡んで来ているのだ。

命がいくつあっても足りないとは、まさに今のような状況を言うのであろう。

 

「よし、行くぜ!」

 

海藤が意気揚々とバッティングセンターの扉を開いた直後。

 

「きゃっ!?」

「あ?」

 

海藤の足元に何かがぶつかり、短い悲鳴が耳朶を打つ。

ふと海藤が目線を下げると、白いパーカーを着た少女が倒れていた。

 

「子供……?」

「き、君!大丈夫かい?」

 

海藤が状況が理解するよりも早く、東が倒れた少女へと駆け寄って片膝を着いた。

すると少女は、東に向かって大声で訴えた。

 

「お願い!おじさんを助けて!」

「お、おじさん?」

「ん?この嬢ちゃんどっかで…………」

 

突然の出来事に状況が理解出来ない東。

しかし、海藤は少女の姿に見覚えがあった。

各々の反応を示す二人に、少女は再び訴える。

 

「お願い!私一人じゃどうにもならないの!おじさんを助けて!!」

「っ!もしかして…………!」

 

そこで海藤は思い至った。

昨日、錦山を見つけて勝負を仕掛けようとした時に彼が抱き抱えていた一人の少女。

 

「なぁ嬢ちゃん、君の言うおじさんって……錦山って名前だったりしねぇか?」

「えぇっ!?」

 

驚愕する東。

尋ねられた少女は恐る恐るといった様子で答えた。

 

「えっ、う、うん。そうだけど……」

「ビンゴだ。やっぱりな」

「あ、兄貴。これって一体?」

「お前も覚えてんだろ、東。この嬢ちゃん、錦山が昨日抱きかかえてた女の子だよ」

「……あぁっ!?」

 

東はそこでようやく思い出した。

錦山に勝負を挑んだ海藤が、子供と一緒にいると分かった途端に予定を変更し、東と共に錦山が逃げるのを手引きした事を。

 

「おにいさん達って、おじさんのお友達なの?」

「え?あぁ……まぁ似たようなもんだ。それより嬢ちゃん、おじさんを助けてってのは?」

「うん、こっち来て!」

 

少女は味方が出来た安心感から少しだけ表情を緩めると、すぐに二人をバッティングセンターのケージ内へと誘った。

そして。

 

「なっ……!?」

「嘘だろ……!?」

 

二人はそこで、変わり果てた姿の錦山を目撃した。

 

「なんだこりゃ……一体何があったんだ!?」

 

慌てて錦山の元へと駆け寄る海藤。

肩や足の切り傷や顔面の打撲跡など、各所に痛々しい怪我が見て取れるが、いちばん酷いのは風穴が空いてとめどなく血を吹きだす左手だった。

 

「この出血量……マジで命に関わんぞ……!!」

「おじさん、私の事助けるために怖い人達と闘って…………」

「兄貴、その怖い人達ってもしかして……」

「あぁ……真島組の事だろうな」

 

海藤の脳裏には先程目撃したバッティングセンター前での出来事が浮かんでいた。

錦山は真島を退けこそしたものの、自身も大怪我を負ってしまったと言う事なのだろう。

 

「兄貴、自分救急車呼びます!」

 

東が救急車を呼ぶ為に携帯電話を取り出す。

だが、海藤はそれを制止した。

 

「待て、東」

「あ、兄貴……!?」

「俺らの目的を忘れたのか?」

「っ、そ、それは……!」

 

それを聞いた東が言葉に詰まる。

彼ら二人に下されている命令は、あくまでも錦山の身柄の確保と連行だった。

もしもここで救急車を読んでしまえば、彼の身柄は治療のために病院に運ばれ、そこを経由して警察に引き渡されてしまうだろう。

そうなれば自分達の仕事は失敗。若頭からのヤキ入れが待っている。

 

「じゃ、じゃあどうすれば!?」

「ねぇ、どういう事?おじさんの事助けてくれないの!!?」

「あー分かった分かった落ち着けや二人とも!誰も助けないとは言ってねぇだろうが!」

 

慌てる二人をなだめた後、海藤はまず少女に対して指示を出した。

 

「なぁお嬢ちゃん、ハンカチか何か持ってねぇか?」

「え?う、うん……あるけど……」

「よし、そのハンカチでおじさんの左手を抑えるんだ。これ以上血が流れないようにな」

「うん!」

「兄貴。自分はどうすれば?」

 

指示を仰ぐ東に対し、海藤はこう言った。

 

「東、お前のその服。ちゃんと洗ってるか?」

「あ、はい!ちゃんと毎日洗濯してます!」

「よし、じゃあお前はとりあえず服脱げ。ジャケットとYシャツだけでいい」

「へっ……?」

 

あまりにも素っ頓狂な指示に、東は理解が追いつかなかった。

海藤は開いた口が塞がらない彼の頭を叩いて、すぐさま怒鳴りつける。

 

「良いからさっさとしろ!!それとも引きちぎってやろうか!?あァッ!?」

「ひ、ひぃっ!分かりました脱ぎますぅ!!」

 

東は半泣きになりながらも身に付けていたジャケットとYシャツを脱いだ。

黒い長袖の肌着Tシャツだけになる東を尻目に、海藤は東の来ていた白いYシャツを縦に引き裂いた。

 

「お嬢ちゃん、少し離れてくれ」

「う、うん……」

 

海藤は少女にそう言うと、彼女が錦山の傷口を抑えていたハンカチの上からYシャツを巻き付けた。

これ以上血液が流れ出ないようにキツく縛り付け、応急処置を施す。

 

「兄貴……そのために俺のシャツを……」

「気づくのが遅せぇっての。よいしょっと……!」

 

海藤は意識のない錦山を背負うと、その場から立ち上がった。

 

「これからコイツを知り合いの医者んとこに運ぶ。東は嬢ちゃんの事を見ながらついて来い」

「わ、分かりました……!」

「あの、おにいさん……おじさんは、助かりますか?」

 

不安そうな眼差しで見上げる少女に対して、海藤は快活な笑みを浮かべて答えた。

 

「おう、このおじさんは必ず助かる。安心しろ嬢ちゃん。それと……俺は海藤だ。海藤正治。こっちは弟分の東 徹。」

「よ、よろしくね」

「うん……私は、遥。澤村遥です」

「遥ちゃんだな。よし、しばらく俺に付いて来な」

 

そう言って海藤は錦山を背負いながらバッティングセンターを出た。

東と遥もその後に続いていく。

それは紛れもなく、錦山が九死に一生を得た瞬間であった。




ちっ……そういう、ことかいな………

ちょっと、ホンマに……錦山のアホを侮っとったかもしれん…………

しゃーない…………今回は、これで見逃したる………

せやけど、この借りは必ず、返すで…………!!

アカン、頭がぼーっとしてなんも考えられへん…………。
こりゃ血が足りん証拠やな……韓来行かな………

そんな訳でお前ら…………ワシが戻って、来るまでの間…………残り、短い……錦が如く、せいぜい楽しんどくんやな…………


ほ、な……………………


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闘いは終わらない

最新話です!

しばらく兄さんに奪われてしまっていた前書きコーナーですが、どうにか取り返せました(笑)
それではどうぞ


欲望の渦巻く街、神室町。

ヤクザやゴロツキが犇めくこの街において、揉め事やトラブルは後を絶たない。

すると必然的に怪我をする人間も増えていく。

しかし、スネに傷のある者達は普通の病院に駆け込む事が出来ないのが現実だ。

もしも救急車を呼んだり普通の病院に駆け込んだりすれば、すぐ警察に情報が行ってしまう。

故にこの街には、そういった者達を受け入れ治療を施す"闇医者"が一定数存在する。

 

「おし……着いたぜ……!!」

 

バッティングセンターから出た海藤達がたどり着いたのは、そんな数ある闇医者がいる診療所の一つ。

泰平通り西にある一つの雑居ビルに居を構える"柄本医院"だった。

 

「東、エレベーターのボタンを押せ。二階だ」

「はい!」

 

東が先んじてエレベーターのボタンを押した。

程なくして開いた扉に三人が乗り込む。

エレベーターはすぐに動き出し、彼らを2階まで運んだ。

 

「ご、ごめんください」

 

東が二階のテナントの扉を開けた。

病院と言えば清潔感のあるイメージがあるものだが、その内装は病院と言うよりは小企業のオフィスと言った方が正しいだろう。

 

「ん?なんだ?」

 

中に居た白衣姿の男が、手に持っていたタバコの火を消して立ち上がった。

彼こそがこの診療所の主である闇医者、柄本である。

 

「柄本先生、急患だ。こいつを診てやってくれ」

「海藤か……!分かった、患者をこっちに寝かせろ」

 

海藤が背負った患者を見た柄本は、すぐさまオペ専用の手術台に錦山を寝かせた。

 

「おい、この左手は?」

「手のひらが貫通してる。おそらくドスか何かやられたんだろう」

「そうか……すぐにオペを開始する。そこのお前。コイツの服を脱がすぞ、手伝ってくれ」

「わ、分かりました」

 

柄本の指示に従い、東が錦山の服を脱がして患部を顕にさせる。

その有様に顔を顰めた柄本は、すぐさま手術台と共に手術室に入っていった。

すぐに"手術中"と書かれた赤いランプが点灯する。

 

「おじさん、大丈夫かな……?」

「あぁ、心配いらねぇさ。あの医者は凄腕だからな」

「そっか……良かったぁ……」

 

それを聞いた遥は安堵する。

もしもこのまま錦山が死んでしまえば、伊達や麗奈と言ったこの街で知り合った彼女の知る人達が悲しむ事になる。まして自分を助けに来た事で犠牲になってしまったとあれば、遥は彼らに合わせる顔が無くなってしまうからだ。

 

「なぁ遥ちゃん。お前と錦山のおじさん、一体どんな関係なんだ?」

 

海藤はここで、疑問に思っていた事を遥に問いかける。

年端も行かない少女と勤め上げの元ヤクザ。

そのあまりにも歪なコンビは、たとえ海藤でなくても疑問に思う関係性と言えるだろう。

 

「うーんと……錦山のおじさんは、私のお母さんのお友達なの」

「お母さんの友達?」

「うん。私、お母さんを探してこの街に来たの。そこで偶然おじさんと出会って、お母さんを探すの手伝ってくれる事になったんだ」

「そうだったのか……」

 

海藤は遥の行動力に内心で驚いていた。

母親を探すと一口に言っても程度はある。

買い物に出ているだけで直ぐに戻るのか、それとも何年も会っていないのかによって話は大きく変わるだろう。

そして、まともな大人であれば神室町という街がいかに危険かを知らない訳はない。

 

(受け答えもしっかりしてるし、ちゃんと育てられた子なんだろうな……って事はやっぱり…………)

 

何らかの理由で親に長い間会うことが出来ずにいてたまらず一人でやって来たのだろうと海藤は結論付け、深入りするのをやめた。

もしも海藤の推測が確かなら、かなり立ち入った話になるからだ。

 

「お兄さんはどこでおじさんと知り合ったの?」

「あぁ…………実はよ、錦山のおじさんと知り合ったのはつい最近なんだ」

 

遥の問いに対し、海藤は正直に打ち明ける。

元々彼は嘘をつくのが苦手な性分で、それが年端も行かない子供相手なら尚更の事だった。

それを聞いた遥はわずかに訝しむ。

 

「もしかして……お兄さん達もヤクザ?おじさんの事を狙ってるの?」

「あぁいや、狙ってるっつーか……」

 

海藤は言葉に詰まる。

実際にライバル心を燃やしているのは事実だが、ここでそれを言ってしまえば遥の抱く海藤の心象は最悪なものになってしまう。

と、そこへ東が助け舟を出した。

 

「自分と海藤の兄貴は、錦山のおじさんとある人を会わせたいんだ」

「ある人?」

「うん、その人は錦山のおじさんとお話がしたいって言っててね。それで探していたんだよ」

 

東の言っている事は嘘ではない。

彼らの受けている命令は"錦山を連れて来い"というものである。

もしも始末するつもりなのであれば最初からそのように動いた方が効率が良く、仮にそのような思惑であれば彼らのような一介の若衆や下っ端にお鉢が回って来るとは考えにくい。

つまり彼らに命令を下した若頭の思惑は錦山の始末では無く、錦山と直接会う事に他ならないのだ。

 

「…………」

 

しかし、遥は警戒心を解く事は無かった。

それどころか、黙りこんで真っ直ぐ東を睨みつける。

 

「あぁ……えっと…………」

 

その無言の圧に押されてしまう東。

小学生の女の子に押し負ける東にも情けない部分がある事は否めないが、遥の肝が座りすぎているとも言えた。

 

「……もしもお兄さん達の言ってる事が本当だとしても、私はその"ある人"の事が信じられない。これ以上おじさんの事いじめないで」

 

遥は年齢も背丈も倍以上違う海藤達に真正面から向かい合ってそう言ってのけた。

彼女にとって自分や錦山を狙う"ヤクザ"という人種は、真っ先に警戒するべき存在である。

遥の母親を探す手伝いをしてくれているだけでなく遥自身を守る為にも身体を張ってくれた錦山は、今の遥にとって紛れもない恩人なのだ。

そんな錦山が動けない今、遥はたとえ無謀であったとしても逃げずに立ち向かう。

生きる事は逃げない事。

それが彼女の人間性。長らく顔を合わせていない"父"の教えの賜物だった。

 

「おい東、警戒させてどうすんだよ」

「す、すんません……」

 

助け舟を出したつもりが逆効果になってしまい落ち込む東。

遥達にとっても東達にとっても、今の状況は決して良いとは言えない。

錦山が目覚めない事には遥も母親探しの続きを出来ないし、海藤達も命令を果たすことができないのだ。

 

「はぁ……ま、仕方ねぇか」

 

海藤は一つため息を吐くと、備え付けのソファに腰かけた。

ローテーブルの上にあるメモ帳とペンを拝借し、メモ紙に文字を書き込んでいく。

 

「兄貴?一体何を……?」

「黙って見てな」

 

海藤は淀みなくペンを走らせると、それをメモ帳からちぎって遥に渡した。

 

「遥ちゃん。おじさんが起きたら、これを渡しておいてくれないか?」

「これは……?」

「俺からおじさんへの手紙だ。それさえおじさんが見てくれりゃ、俺らの用事はひとまず終わりだ。おじさんの事は傷付けないって約束する」

 

それは海藤が咄嗟に思いついた策。

わずかな時間ながらも拳を交え、その目で見定めてきた錦山彰という一人の男の人間性を信じた策だった。

もしも錦山が海藤の思った通りの男であれば、この策はきっと成功する。

 

「……うん、分かった」

 

少しだけ躊躇った後、遥はその手紙を受け取った。

実際にここまで錦山を運んでくれたのは海藤であり、遥も海藤達本人に敵意や悪意が無いのは分かっていたからだ。

 

「ありがとよ遥ちゃん。…………母ちゃん、見つかるといいな。何もしてやれねぇけど、応援してるぜ」

「……ありがとう、海藤のお兄さん」

「おう。東、帰るぞ」

「へ、へい!……遥ちゃん、気を付けてね!」

「うん、東さんもね」

 

それぞれ遥に声をかけ、海藤達は柄本医院を出た。

エレベーターに乗り込んだところで東が口を開く。

 

「兄貴……錦山さんに何を伝えたんですか?」

「あ?別に大したことじゃねぇよ。ただ……」

「ただ……?」

「…………アイツは必ず来る。必ずな」

 

海藤はそう言って薄らと笑みを浮かべた。

彼は確信していたのだ。

錦山彰という男は、必ず自分の期待に応えてくれると。

 

 

 

 

 

 

 

 

『はぁ、はぁ、はぁ……!』

 

どこかぼんやりした意識の中、気付けば俺は一心不乱にそこを駆け巡っていた。

時刻は夜。扉や内装、外の景色等から察するにフェリーのような大きな船の上なのだろう。

各所で火の手が上がっており、危険な状態であると言えた。

 

(夢か、これ……)

 

俺は今の状況をそう理解した。

直前の記憶と今の状況とあまりにも違い過ぎるからだ。

 

『はぁ、はぁ……どこだ、桐生……!』

 

口が勝手に言葉を紡ぐ。

この夢において、俺の意思は反映されないらしい。

そしてどうやら、夢の中の俺は桐生を探しているようだ。

 

(この感じ、どこかで……)

 

俺はこの光景に既視感を覚えた。

確か以前、これとよく似た状況に陥った事があったはず。

 

『っ、桐生……!』

 

ふと、視界に映った桐生の姿を見て俺は合点がいった。

桐生は半裸の状態で一人の男のマウントを取り、その拳を振り下ろしていたのだ。

その背中の龍には色が入っておらず、年齢も若い。

それは17年前の光景。カラの一坪事件における最終局面での出来事だった。

 

『ウラァ!ウラァ!!』

 

怒りに燃える若き龍は、その身を焼くほどの激情のままに拳を振り下ろしている。

相手にもう抵抗する力はなく、その暴力は明らかに過剰なものだった。

それ以上やれば取り返しのつかない事になる。

だが桐生は、拳を振るうのを止めなかった。

 

『やめろ、桐生!!』

 

夢の中の俺が桐生のいるところに一目散に駆け出す。

最後の一線を越えようとする兄弟を止めるために。

そして。

 

『うぅぅぉぉぉぉおあああああああああああッッ!!』

 

桐生がトドメの一撃を振り下ろす寸前、俺はタックルの要領で桐生に飛び付いた。

ギリギリ間に合ったのだ。

後にコイツの背負う"堂島の龍"という看板が、悪名となってしまう前に。

 

『駄目だ、桐生!』

『錦……?』

 

夢の中の俺が涙目になりながらに訴える。

当時の俺は、心のどこかでずっと桐生がどこか自分の手の届かない場所に行ってしまうような気がしていた。

その最たる出来事が今、目の前で起きようとしていたのだ。

 

『越えちゃ、ならねぇ!その一線越えちまったら、戻って来られなくなる……!こいつ殺したとこでなんにもならねぇだろうが!』

『お前……』

 

止めなくちゃならない。

コイツをここで止めなきゃ、色んな人間が悲しむ。

桐生一馬という人間は、こんな所で"黒"に堕ちていい人間じゃない。

 

『勝手に先走んじゃねぇよ……兄弟!踏みとどまれ……!いつか……最後の一線を越えなきゃならねぇ時が来たら!』

 

そこで俺は、桐生に約束したのだ。

もしもこの先どうしようもなくなって、桐生が向かおうとしていた場所に足を踏み入れる事を余儀なくされたら。

そしたら。その時は。

 

『そん時は俺も一緒に越えてやる!!』

 

だから、と。

その先を紡ごうとしたのを最後に、懐かしい夢が終わりを告げた。

 

「………………………………ぅ」

 

最初に感じたのは、光。

それをキッカケに曖昧だった意識が明瞭になっていく。

 

「錦山くん……?」

 

ふと、耳に聞き慣れた声が聞こえてきた。

どこか艶っぽさのある、それでいて慈愛に満ちた声音。

 

「れい……な……?」

「錦山くん、良かったぁ……」

 

そこで意識がハッキリする。

目が光に慣れ始め、ゆっくりと瞼を開いた。

 

「麗奈………」

 

俺の視界に映ったのは昔なじみ麗奈の顔だった。

どうやら俺は一命を取り留めたらしい。

 

「っ、そうだ、遥は、っぐ、ぅぉおぁ……ッッ!?」

 

意識が途切れる寸前まで目の前にいた遥の無事を確かめようとして、俺の身体が激痛を訴えた。

特にドスで貫かれた左手の痛みが酷く、拳を握るどころか指の一本すらもまともに動かせる気がしない。

 

「無理しちゃダメよ錦山くん!遥ちゃんなら無事よ」

「ほ、本当か……?」

「えぇ、今はセレナで伊達さんと一緒よ。どこにも怪我はないわ」

「そうか…………」

 

安堵した俺は身体の力を抜いた。

それに伴って先程走っていた激痛も次第に引いていく。

ふと、見知らぬ天井を見上げた事で俺は今更ながら思い至った。

 

「そういや、ここはどこなんだ……?セレナじゃねぇみたいだが……」

「ここは俺のヤサだよ」

 

俺の問いに答えたのは麗奈でも伊達さんでも無かった。

現れたのは白衣を着た一人の壮年の男。

見た目から察するに恐らく医者なのだろうが、どうも俺には真っ当なカタギには見えなかった。

 

「柄本ってモンだ。神室町で町医者をやってる」

「そうか……助かった、礼を言うぜ」

「フン、礼なら後でコイツに言いな」

 

そう言うと柄本は俺に一枚のメモ紙を渡してきた。

中には文章が書かれている。どうやら手紙の類いらしい。

 

「お前をここまで運んできた奴からの預かりもんだ。起きたら渡すように言われてる」

「そうか……」

 

俺は柄本から渡された手紙を受け取り、目を通した。

差出人の名前は"海藤正治"。

出所してから何かと縁がある松金組の若衆だ。

 

"今日、勝手ながらバッティングセンターで倒れてたアンタをここまで運ばせてもらった。あのままじゃ死んじまってただろうし、何よりアンタと一緒にいた嬢ちゃんがあまりにも必死だったもんでな。もしもこの事に恩義を感じているのなら、まずはお嬢ちゃんに一言何か言ってやれ。そして明日の夜、喫茶アルプスに来い。お前に会わせたい人間がいる。待ってるぞ。海藤正治"

 

「海藤……」

 

奴は昨日、組の命令で俺を痛め付けて連れてこいと命令されていると言っていた。

しかしその時は遥を救おうとする俺に休戦を持ちかけ、今回はなんと敵であるはずの俺をあの状況から救い出してくれたらしい。

どうやら、応えなくてはいけないようだ。

 

「……アンタ、その様子じゃまだ無茶をするつもりなんだろう?」

 

ふと、柄本が俺に声をかけた。

 

「……どうしてそう思うんだ?」

「この街で医者やってりゃ、お前みたいなのは沢山相手にする。アンタの目もそいつらと変わらない、このまま終わるつもりはねぇって目だ」

 

柄本は俺の魂胆を見透かすと、一つの紙袋を渡してきた。中にはいくつかの錠剤とカプセルが入っている。

 

「コイツは?」

「速効性のある痛み止めと活力剤だ。切り傷や左手の風穴に関しちゃ傷口を縫わせて貰ったが、その痛みじゃ満足に動く事も出来ねぇだろう。もしもまだこの街で無茶やらかすってんなら、それを飲む事だな」

 

それは今の俺にとって、何よりも有難い支援だった。

流石、ヤクザを相手に商売をしてきただけの事はある。

俺達みたいな人種には、たとえ怪我をしてたとしてもやらなきゃならない時があるって事をよく理解してると言えるだろう。

 

「あぁ……分かった」

 

俺は紙袋を受け取ると、ゆっくりとベッドから起き上がった。

 

「錦山くん、大丈夫なの?」

「正直万全とはいかねぇが……ひとまずはセレナに戻ろう。伊達さんと遥が待ってる」

「……分かったわ。肩、貸してあげる」

「へへっ、心配すんな麗奈。これくらい、一人で歩ける……っ!」

 

しかし、そう言って立ち上がった直後に俺は強烈な立ちくらみに襲われた。

平衡感覚を失い、倒れかけた俺の身体を誰かが支える。

麗奈だった。

 

「もう、変なところで意地張らないの!」

「ぐっ、ぅ…………ちっ、情けねぇ……」

 

格好悪い所を見せてしまった事を恥じるのは、見栄を張ってナンボのヤクザ気質からだが、どうもカタギの麗奈にとっては関係の無い話らしい。

 

「すまねぇ……もう大丈夫だ」

「本当に?嘘だったら怒るわよ?」

「あぁ、今度は嘘じゃねぇよ」

「そう…………分かったわ」

 

訝しみながらもひとまず信じてくれた麗奈。

実際のところは痩せ我慢なのだが、動けないなんて言ってられる場合じゃないのも事実だ。

闘いはまだ終わらないのだから。

 

「先生、ありがとうな。代金はいずれ払いに来るからよ」

「そうかい、ならそれまで死なねぇ事だな。お大事に」

 

俺は短く礼を言うと、背中に柄本の軽口を受けながらその場を後にする。

外はもう、薄らと明るくなっていた。

 

 




如何でしたか?

次回は本編か断章か、少々決めあぐねています。
時間はかかるかと思いますが、お届け出来ればと思います。


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断章 1996年
家族


最新話です。
今回はほぼ初めて、ある描写に挑戦しました。それではどうぞ


1996年。9月某日。

堂島組長射殺事件から一年が経ったこの日、一人の極道がとある場所を訪れていた。

 

「ここか……」

 

東城会直系風間組若頭補佐兼桐生組組長。桐生一馬。

"堂島の龍"の異名で呼ばれ、東城会内部ではもちろんその名前は外様の組織にも知れ渡っている。

まさに"伝説の極道"と呼ぶに相応しい男だった。

 

(実に一年ぶりか……アイツに会うのも……)

 

桐生が訪ねたのは、都心から少し離れた場所に存在する刑務所だ。

現役のヤクザである彼がこの場所に足を運ぶ理由はただ一つ。受刑者との面会をする為だった。

 

(錦……元気にしているだろうか……?)

 

錦山彰。

一年前、桐生を庇って収監された唯一無二の兄弟分。

桐生とは孤児として同じ施設で育った仲で、肉親や親戚のいない桐生にとってはまさに家族とも呼ぶべき存在である。

 

「面会希望の、桐生だ」

「桐生さんですね、お待ちしてました。どうぞこちらへ」

 

門番に誘導され受付に案内された桐生は、諸々の手続きを済ませるとすぐに面会室へと通された。

 

「こちらで少々お待ちください」

「あぁ、分かった」

 

透明なアクリル板で隔たれた白い空間。

その透明な壁には無数の穴が空いている箇所があり、そこから相手の声が聞こえる仕組みだ。

 

(思えばこの一年、あっという間だった気もするな…………)

 

錦山が服役してからの一年間の事を桐生は思い返す。

親殺しの兄弟分として組内部での風当たりが強い中で組を立ち上げ、慣れない組織運営やシノギに悪戦苦闘し続ける毎日。

それでも桐生は諦めず、ただがむしゃらに動き続けた。

全ては錦山の居場所を作る為に。そして、錦山の願いを叶える為に。

 

(錦……これで少しは、希望を持ってくれると良いが…………)

 

そして今日、桐生は一つの吉報を引っ提げて来ていた。

それを聞いた錦山が、少しでも獄中生活に希望を見い出せるように。

 

「さぁ、入れ」

「!」

 

程なくして、奥側の空間の扉が開いた。

扉を開けた刑務官に誘導される形で、一人の囚人が姿を現す。

 

「っ……!」

 

俯いたまま現れたその囚人の姿に、桐生は愕然とした。

長髪だった髪は短くなり、顔には無精髭が生え、頬は痩せこけている。

瞳には生気が無く、その面貌からは人間らしい感情が抜け落ちていた。

 

「錦……!」

 

一年ぶりに会う親友のその変わり果てた姿に、桐生は反射的に声を上げた。

 

「桐生……!桐生じゃねぇか!」

「!」

 

桐生の姿を認めた錦山が、笑顔を作り声を上げる。

しかしその笑顔が作り笑いであることは、桐生の目から見ても明らかだった。

 

「久しぶりだな、錦。来るのが遅くなって悪かった」

「はっ、気にすんじゃねえよ。お前こそ組の方はどうなんだ?その様子じゃ、結構調子良いんじゃねぇのか?」

 

歪な笑みを浮かべた錦山は、輝きの失せた瞳で桐生を見つめる。

そして、立て板に水の如く語り始めた。

 

「錦」

「なんせ兄弟の面会を後回しにするくらいだ。もう結構な実績を残してんじゃねぇか?はっ、それでこそ堂島の龍だぜ」

 

誇らしげに、明るめのトーンで桐生の賛辞を口にする錦山。

しかし、その顔に喜びは無く。その声に感情はなく。

そんな今の彼に、希望は無かった。

 

「錦」

「やっぱり俺は、お前に託して正解だったよ。カラの一坪の一件でお前の評価は本家にも届いてる。俺みたいな末端のチンピラじゃ、きっとこうはならなかった筈だからなぁ」

 

やがて、その目尻から涙がこぼれ始める。

しかも錦山は、その事にすら気付いている様子はない。

それを見た桐生は、ついに我慢の限界を迎えた。

 

「錦ぃ!!」

 

大声を張り上げ、錦山の話を無理やり遮る。

桐生にはもうこれ以上、自分の兄弟が壊れていくのを見過ごす事は出来なかった。

 

「な、なんだよ急に。そんな大声出すんじゃねぇよ」

「……なぁ、錦。お前……大丈夫なのか?何かされてんじゃねぇのか?」

「は、はぁ?いきなりどうしたんだよお前」

「答えろ錦。お前、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だ、別に何もありゃしねぇよ。お前、いつからそんな心配性になったんだ?」

 

錦山は何がなんだか分からないといった様子だ。

本当に自らの状況を認識していないのだろう。

 

「……だったらよ。なんでお前は泣いてんだ、兄弟」

「は……?」

 

指摘された錦山は目元を拭う。

拭った彼の右手には、透明な雫がいくつも付着している。

紛れもなく、錦山の流していた涙だった。

 

「……くっ、ぐぅぅ……うううううう………ッッ!!」

 

そして、それを発端として錦山は堰を切ったように涙を流し始める。

兄弟の目の前で情けない姿は見せられないと最後のプライドをかけた痩せ我慢を崩され、錦山は生の感情を曝け出す。

 

「錦……何があったか話してくれ」

 

余程辛い事があったに違いない。

そう確信した桐生は、彼の置かれた状況を把握するべく静かに語りかけた。

 

「お前にもしもの事があったら、俺は」

「うるっせぇんだよッッ!!」

 

しかし、錦山はそれを突っぱねた。

無気力だった先程とは打って代わり、身を焼くほどの激情に包まれながら思いの丈をぶちまける。

 

「どいつもこいつも俺をナメては寄って集って迫害してきやがる!刑務官連中も見て見ぬふりだ!ここに来てはっきり分かったぜ!俺にはお前みたいな実績も看板もありゃしねぇ、ただの無能なチンピラなんだよ!お前は良いよなぁ!風間の親さんや世良会長からも高く買われて、"堂島の龍"なんて看板がお前を守ってくれる。俺なんかが居なくたって立派にやっていけるんだからよ!!」

 

それは、錦山が今の今まで抱えてきた黒い感情だった。

桐生と比較され、見下されてきた事による劣等感と嫉妬。そんな連中に対する怒りと憎しみ。

しかし、どうすることも出来ない現実に打ちひしがれて抱いた諦念と絶望。

 

「錦……」

「どうせ俺なんかが居なくたって、娑婆での出来事は何もかも上手くいくんだ!俺はいない方がいい存在なんだよ!東城会にとっても、お前にとってもな……!!」

 

自分という存在を軽んじ、自分という人間を否定し、自分という男を侮辱する錦山。

もう自分は要らない。自分を必要とする人間などいない。

度重なる迫害によって自暴自棄になってしまった桐生の兄弟分の姿に、桐生は思わず俯いた。

 

(錦……俺はまた、お前を苦しめちまったって言うのか……?)

 

数年前に起きた"カラの一坪"の一件では何度も窮地を救われ、今回の事件も錦山が身代わりになる事で桐生は罪を免れた。

その結果、錦山は刑務所の中で迫害され凄惨な目に遭ってきたのだ。

桐生は己の不甲斐なさを嘆こうとし、すぐに思い直して内心で首を振る。

 

(いや、それでも……今の言葉は、聞き捨てならねぇ……!)

 

それは、桐生が用意した吉報に関連する事だった。

今の桐生には、錦山に自分を否定させる訳には行かない理由がある。

 

「……はぁ。今の言葉、聞かなかった事にするぜ」

「なんだと……!?」

「なぜなら、お前が居なくなって困る人間が確かにいるからだ」

「誰だって言うんだ……?言えるもんなら言ってみろよ!!」

 

激高する錦山を見て桐生は確信した。

錦山は今、大事な事を忘れている。

彼がかつて、何よりも護りたいと願っていたものを。

そして、自らが地獄に堕ちるのを代償に桐生に託したものを。

それを思い出させるべく、桐生は口を開いた。

 

「錦山優子。お前の……たった一人の血の繋がった家族だ」

「っ!!?」

 

桐生が口にしたそれは、心臓病を患って余命幾ばくも無い錦山の妹の名前だ。

シャバに残した彼女の安否は、錦山にとって最大の心残りだった。

 

「錦……俺が今日ここに来たのはお前に報告したい事があったからなんだ」

「報告……?」

 

桐生は懐から一枚の写真を取り出し、錦山に見せる。

これこそ、桐生が引っ提げてきた吉報。

獄中にいる錦山へと齎される、希望の福音だった。

 

「これは……?」

「海外の病院で撮影されたものだ。錦。優子は心臓移植を受けたんだ」

「心臓移植……?」

 

桐生は風間から提示された7000万という条件をクリアし、優子の手術費を賄う事に成功したのだ。

風間は直ぐに海外の伝手に連絡を取り、病床の優子を海外へと送り出した。

 

「そしてこれは、手術後に撮影された写真だ」

「そ、それじゃあ優子は!?」

 

手術は問題なく成功し、優子の心臓はドナーから提供された健康なモノへと取り換えられた。

錦山の抱いていた最大の心残りは、こうして解消されたのだった。

 

「あぁ……優子は。お前の妹は助かったんだよ」

「あ……あぁ……優子ぉ……!!」

 

錦山の瞳から、再び涙が溢れ始める。

それは先程よりも暖かい、安堵の雫だった。

 

「それにお前、優子にこう伝えたじゃねぇか。"俺は信じてる。だから絶対諦めるな"ってな」

「っ!桐生、お前それを何処で!?」

「風間の親さんから聞いたんだ。お前が親っさんに伝言を頼んだんだろ?」

 

その伝言は、桐生の口から優子に伝えられた。

優子はその言葉を受け止める事で、手術の恐怖と闘うことを決意したのだ。

 

「優子はそれを聞いて覚悟を決めたんだ。そして逃げずに手術に臨んで、病気に打ち克った。錦……お前が死んじまったら、せっかく助かった優子はこの先一人ぼっちだ。お前、それでもいいって言うのか?」

「桐生……」

「それにお前がいらない存在だって言うのなら、親っさんもお前の為にケジメ付けたりなんかしねぇ。お前は確かに、誰かから必要とされる存在なんだ。」

 

東城会にとって、桐生一馬にとって。

そして何より錦山優子にとって、錦山彰という存在は必要不可欠な存在だ。

それを伝えると同時に、桐生は己が信ずる"在り方"を唯一無二の兄弟分に伝えた。

 

「だからよ、錦…………お前も。生きる事から、逃げるんじゃねぇ」

 

生きる事は逃げない事。

逃げずに頑張って、抗って立ち向かって、最後に残った道こそが、その人間のやるべき事である。

それこそが、桐生一馬が往く極道。そして、それを歩む上で必要な心構えだった。

そして。

 

「……そうだな、ありがとよ兄弟。お陰で目が覚めたぜ」

 

錦山彰の瞳は、失われた輝きを取り戻した。

貪欲で野心に満ち溢れた双眸に、桐生は安堵する。

自分の知る錦山が帰ってきたと。

 

「フッ、気にするな兄弟。これでやっと一つ、お前に借りを返せたな」

「時間だ」

 

ふと、錦山の背後で刑務官が声を上げる。

面会の時間が終わりを迎えた合図だった。

 

「俺は行くぜ」

 

短く告げて椅子から立ち上がると桐生は最後に、錦山の目を見て言い放った。

 

「……待ってるからな、兄弟」

「あぁ……!お前も負けんなよ、兄弟!」

 

錦山の返答に頷き、桐生は踵を返す。

邂逅の時は終わり、それぞれの闘いへと戻っていく二人。

それぞれの極道を往く彼らの心には、揺るがぬ決意と確かな希望が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山との面会から数日後。

桐生は東京の郊外にある、とある家屋の前に訪れていた。

 

「来たか」

「お疲れ様です、親っさん」

 

玄関前で桐生を出迎えたのは彼の渡世の親であり育ての親でもある恩人、風間新太郎だった。

 

「上がってくれ」

「失礼します」

 

桐生が訪れたのは"風間邸"。

東城会の大幹部である風間新太郎が所有する別宅の一つだ。

彼が経営の面倒を見ている養護施設"ヒマワリ"にもほど近い位置にある為、風間にとっては何かと都合が良く、風間組関係者の出入りも多い。

 

「さぁ、座ってくれ」

「はい……」

 

風間はリビングにたどり着くなり、桐生に席に着くよう促した。

いつになく神妙な面持ちの風間を見て、桐生は少し戸惑いながらも対面の席に腰を下ろす。

直後、風間が真剣な表情のまま口を開いた。

 

「一馬。俺は今日、お前に殴られる覚悟をしてきた」

「っ!!?」

 

その言葉に桐生は驚愕する。

桐生にとって風間は親だ。

渡世の親であることはもちろん、幼い桐生や錦山の面倒を見てきた育ての親である。

そんな人物から、そんな言葉が出てきたのだ。

 

「親っさん、それはどういう……!?」

 

桐生は風間に対し、一生返しきれない程の恩義を感じている。故に彼は風間の反対を押し切って極道の世界に足を踏み入れたのだ。

同じ極道として、風間の役に立つために。

そんな風間に手を上げるなど極道としても勿論だが、何より人として有り得るはずがない。

そう考える桐生だったが、風間は至って真剣だった。

 

「俺が今から話すのは、それほどの話だと言う事だ。……聞いてくれるか?一馬」

「親っさん……」

 

桐生が知りうる限り、風間は冗談を言うような男ではない。

風間は今、本当に重大な話をしようとしている。

桐生はそれを肌で理解した。

そして、風間の目を真っ直ぐに見て答えた。

 

「……聞かせてください、親っさん」

「一馬……」

「たとえ親っさんが話す内容がどんなものであろうと、俺は全て受け止めます」

「……分かった」

 

その答えを聞いて頷いた風間は、やがて滔々と語り出した。

 

「今日はお前に、一年間秘密にしていた事を話す。…………由美の事だ」

「っ!由美の……?」

 

澤村由美。

一年前、堂島組長の魔の手から桐生と錦山が救い出した女性の名前。

二人にとっての幼馴染であり、家族であり。

そして、最愛の女の名前だった。

 

「そうだ」

「由美に……何かあったんですか?」

 

事件直後、由美はショックから記憶を失い、桐生と錦山の写真に拒絶反応を見せる程の後遺症を患った。

その為、風間は彼女の記憶が戻るまで桐生に対して由美との接触を禁止し、桐生もまたそれが彼女の為だと受け入れていた。

以来、桐生は一度も由美と出会ったことは無い。

そんな由美の話題が風間の口から出たという事は、由美の事で何かしらの変化が会った事に他ならない。

 

「……コイツを見てくれ」

 

風間は懐から一枚の写真を取り出し、桐生に手渡す。

そこに写っていたのは、二人の男。

 

「……世良会長、ですか?」

 

そ内の一人は、桐生もよく知る人物だった。

東城会三代目会長。世良勝。

桐生が属する東城会のトップであり、東日本における極道社会の最高権力者である。

 

「いや、今見てほしいのはもう一人の方だ」

 

そう言われた桐生は、世良の隣にいる男に視線を送る。

額にあるホクロとオールバックの髪型が特徴的なその姿に、桐生は見覚えがなかった。

 

「この男は……?」

「ソイツの名前は神宮京平。兼ねてから三代目と親交のある代議士で…………」

「……親っさん?」

 

そこで風間は一度言葉を詰まらせたが、意を決して言葉を紡ぐ。

 

「…………由美の、内縁の夫だった男だ」

「なっ……!?」

 

記憶を失い風間に保護されていた筈の由美が自分の知らぬ間に他の男と結ばれていたという事実に、桐生はかつて無いほどの衝撃を覚え、絶句した。

 

「一体、どうして……」

「政界を目指す神宮は、三代目からの支援を受けていて、よく東城会に出入りしていたんだ。そこで神宮は、偶然由美と出会って……恋をした。記憶を失っていた由美は、心の隙間に入り込んできた神宮を受け入れた」

「…………」

「俺は止めることが出来なかった。もし神宮と幸せな生活が送れるなら、極道社会とは縁が切れるかもしれない……運命を変える転機なのかもしれないってな……」

 

桐生はその言葉に一定の理解を示した。

風間も桐生も、所詮は極道者。関わっていて良い事などほとんど無いだろう。

そして風間にとって桐生や錦山が大切な子分であるのと同じように、由美もまた風間にとって大切な"子"である事に変わりは無い。

風間が最初、桐生と錦山が極道になろうとするのを許さなかったのと同じように、由美にもまたやがては極道の世界と縁を切って欲しいと強く願っていたのだ。

 

「親っさん…………聞いても良いですか?」

「なんだ?」

 

あまりにも衝撃的な事実に理解が追いつかない桐生だったが、それでも何とか言葉を絞り出して風間に問いかけた。

 

「由美が選んだその神宮という男は……どんな男ですか……?」

 

桐生は、神宮の人となりを知ろうとした。

極道者である自分の代わりに、由美を幸せにする役目を背負った神宮がどんな男なのか知りたい。

そんな桐生の思いを汲み取り、風間は僅かばかりの沈黙の末に答えた。

 

「神宮は極道である世良会長と繋がってはいるが、志の高い立派な人物だ。それはきっと、今も変わらないだろう……」

「親っさん……?どういうことですか?」

 

桐生は風間の言葉に違和感を感じた。

それはまるで、今の神宮の事を知らないかのような口ぶりだったからだ。

風間は非常に言いにくそうに俯きながらも続ける。

 

「つい先日の事だ。……神宮の元に総理の娘との縁談の話が舞い込んだんだ」

「総理の娘と縁談……?まさか……!」

 

政界の事をよく知らない桐生だが、神宮にとってその機会がまたとない出世の転機である事は理解出来た。

そして、そこからの話の流れにも自然と見当がつく。

 

「あぁ……その時籍を入れていなかった由美は自ら身を引いた。神宮の為を思ってな」

「…………」

 

由美は己の気持ちを押し殺し、神宮から距離を置いた。

全ては、政界で成功を掴まんとする彼のために。

 

「そんな事が、あったんですか…………」

「一馬。今まで打ち明けられずに、本当に済まなかった」

 

風間はそう言うと、桐生に対して静かに頭を下げた。

桐生に対し、記憶が戻るまで会う事を禁じた上で由美と神宮の関係を黙認し、それを桐生に共有しなかったのだ。

風間のその行動は桐生に対して、あまりに不誠実と言えるだろう。

 

「親っさん……」

 

だが、桐生は風間の心情を慮った。

風間も桐生も、由美には幸せに生きて欲しいと願っている事は同じだ。

だが同時に、極道である自分達にその願いを叶える事が難しい事も十分に理解している。

だからこそ風間は、神宮に由美を託す事を選んだのだ。

 

「顔を上げてください」

「一馬……」

「親っさんは、由美の為を想ってその決断をしたんですよね?なら、俺から言う事はありません」

 

桐生は決して風間を責める事はしなかった。

それが、風間の親心から来るものである事が分かっていたからだ。

 

「でも…………一つだけお願いがあります」

 

しかし、この問題においては桐生にも譲れないものはあった。

由美は桐生にとって家族であるのと同時に、最愛の女性でもある。

そんな彼女が、愛する男と離ればなれになって辛い思いをしている。となれば、今の桐生が求める事はただ一つ。

 

「……由美に、会わせて貰えませんか?」

「!」

 

今の彼女に会って、何が出来る訳でもない。

もしかすれば、一年前の記憶を思い出させて余計に彼女を苦しめてしまうかもしれない。

それでも。

 

「ただの一度。一目でもいい。俺は……由美に会いたいんです」

 

苦しむ者を見過ごせず、悩める者も捨て置けず。

いつでも誰かの為に、何かをせずには居られない。

それが長年想い焦がれた女の為ならば尚の事。

桐生一馬と言う一人の男の、優しくも不器用な生き方が顕られていた。

 

「…………ここで少し待ってろ」

 

風間は桐生にそう告げると、椅子から立ち上がりリビングを出た。

桐生は風間の言いつけ通り、座ったまま待ち続ける。

そして。

 

「いいぞ一馬。こっちへ来てくれ」

 

寝室の方から風間の声が聞こえ、それに従い桐生はリビングを出た。

そして、風間の声がした寝室の前へと辿り着く。

 

(この先に、由美が……)

 

堂島組長の事件から一年。

ただの一度も顔を合わせて居なかった幼馴染にして最愛の人が、このドアの向こうにいる。

桐生は落ち着いてゆっくりとドアを開けた。

そして。

 

「あ…………」

 

部屋にいた女性と、目が合った。

その姿は一年前と何も変わらない。

澤村由美。桐生が愛する女が、あのころの姿のまま目の前に立っていたのだ。

 

「由美…………俺が、分かるか……?」

 

桐生は由美を刺激しないように、優しく静かに問いかける。

一年前の由美にとって、桐生と錦山の姿は写真越しであっても拒絶反応を起こす程だったのだ。

今この瞬間にも、何かが起きてもおかしくは無い。

 

「あ…………あぁ…………!」

 

由美が両手で口元を抑え、目を見開いた。

その瞳は段々と涙を貯め始め、僅かな吐息が口から漏れる。

彼女の中で何かしらの変化が起きたのは一目瞭然だった。

 

(やはり、ダメか……?)

 

その反応に桐生は思わず俯いた。

風間もまた、諦念を抱いて目を閉じる。

直後。

 

「か、ずま……?一馬…………なの……!?」

「っ!!」

「な……!?」

 

由美の口からこぼれた言葉に、桐生は息を飲んだ。

風間もまた、突如として起きた出来事に言葉が出ない。

今ここに、奇跡が起きた。

澤村由美が、全ての記憶を取り戻したのだ。

 

「あぁ。一馬……桐生一馬だ!」

「一馬!」

 

由美が涙を流しながら桐生へと駆け寄り、桐生もまたそんな彼女を抱き留める。

 

「由美。良かったな……本当に…………」

「一馬……私……私ぃ…………!」

 

桐生の腕の中で感極まって涙を流す由美を、桐生は静かに優しく抱きしめた。

やっと手に入れた大切なものを壊さぬように。

 

(てっきりトラウマを刺激しちまうもんだと思っていたが……どうやら、要らねぇ世話だったらしいな……)

 

風間は記憶を取り戻した由美を見届けたあと、黙って寝室から出ていった。

ここからは、二人だけの時間になるからだ。

 

「…………落ち着いたか?」

「……うん。ありがとう、一馬」

 

ひとしきり泣き終えて、由美が落ち着きを取り戻す。

すると由美は、恐る恐ると言った様子で尋ねた。

 

「……聞いたの?全部」

 

それは、今までの由美の事。

彼女が記憶を失っている間に起きた出来事を指していた。

 

「……あぁ」

「……ごめんね。私……錦山くんや一馬のこと、遠ざけようとしてた…………」

 

由美は悔いていた。

記憶を失い、事件のショックによる影響とはいえ、桐生達の事を拒絶していた事を。

 

「思い出そうとするとあの日の光景が蘇って……私は、記憶を思い出すのが怖くなった。それで、自分の記憶に蓋をしたの。もう思い出せない過去の事は忘れて、今を生きようって……」

「そうか……それで、神宮の事を……?」

「うん。京平さんは記憶を失った私にとても良くしてくれて……私はその優しさと志の高さに惹かれていった。でも、今考えると……」

「ん……?」

 

由美はより一層の桐生を抱きしめる腕に力を込めた。

そして、目の前にある温もりを確かめながら言った。

 

「……朧気に覚えていたあなたの事を、無意識の内に京平さんに重ねていたのかもしれない」

「…………」

「私、弱い女だった。記憶を失った後でも、本当はあなたの事だけはうっすらと覚えていたの。名前は思い出せない。でも、あなたの声や仕草が浮かんだ。でも誰だか分からない。全てを思い出せない。そして思い出そうとすれば、あの時の記憶がトラウマになって蘇る……」

 

己の事すらも思い出せない記憶喪失のただ中、微かに覚えてる記憶を掘り返そうとすればトラウマが一緒に蘇る。

そんな状況に置かれた由美には、名前も分からない桐生のことを気にかける余裕など無かったのだ。

 

「私は、そんなあなたの事を……待ち続ける事が出来なかった…………!!」

「由美……」

 

再び涙を流す由美を、桐生は再び抱き締めた。

今度は、大切なものを二度と手放さないように力強く。

 

「一馬……?」

「由美、大丈夫だ。もう何も心配は要らねぇ」

 

そして桐生は、覚悟を決めた。

ただでさえ困難な茨の道をより過酷にする、修羅にも等しい程の覚悟を。

直後。

 

「由美。俺は……お前の事が好きだ」

「……!」

 

桐生は告げた。

今まで言えずに仕舞い込んでいた。自分自身の気持ちを。

 

「俺はお前を愛してる。だから……俺にお前を、護らせてくれねぇか?」

「一馬……」

 

極道だから。ヤクザだから。

一人の女性を幸せにする事は出来ない。

そんな定説など"龍"の前では何の意味もなさないのだ。

あるがままに何かを護り、その為に力を振るう。

それこそが桐生一馬。堂島の龍と呼ばれた男の在り方であった。

 

「ぐすっ…………うぅ……」

「ゆ、由美!?」

 

そんな一世一代の告白を聞いて涙ぐむ由美を見て、桐生は珍しく慌てて取り乱した。

自分が何か変な事を言ってしまったのかと思ったからだ。

しかし、そんな事は杞憂に決まっている。

 

「ごめんね一馬、違うの。私、嬉しいの。一馬にそんな風に想って貰えてた事が」

「由美……」

「私の返事は、もう決まってるよ」

 

そこで由美は上目遣いで桐生を見つめた。

桐生もまた彼女の潤んだ瞳を見つめ返す。

やがて、二人の顔が段々と近付いていき。

そして。

 

「んっ……」

「っ……」

 

互いの唇同士が触れ合う。

それが由美の答えであり、二人が恋仲になった何よりの証だった。




如何でしたか?
という訳で、由美復活からの愛の告白といった恋愛シーンでございました。
ほとんど初めて書くので上手く書けたか心配です。
次回は本編に戻ります。

それではまた。


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第八章 親と子
100億の価値


最新話です。

今回は皆さんが大変お世話になったであろうあの人が初登場です!

それではどうぞ


2005年12月8日。午前8時30分。

騒動から一夜明け、錦山を含む全員がセレナに集合していた。

 

「すまねぇ遥……お前の事、守ってやれなかった」

 

伊達はセレナに来るなり、いきなり遥に向き直って謝罪をした。

熱い正義感を持つ伊達にとって遥を守りきる事が出来なかったのは非常に不甲斐なく、耐え難い程の屈辱でもあった。

 

「怖かったろう……?」

「うん、縛られて真っ暗な部屋に……でも………」

「どうした?」

 

僅かに言い淀む遥の様子を訝しみ、錦山が声をかける。

その時の事を思い出す遥の表情には、恐怖よりも困惑が浮かんでいた。

 

「なんだか……変な感じだったの」

「変?」

「うん。眼帯を付けたおじさんが、縛られてる私の縄を痛くないくらいに緩めてくれたんだ」

「なに?真島が?」

 

錦山がそれを聞いて僅かに驚く。

遥はそれに対して頷いた後にこう続けた。

 

「うん。それでその人がこう言ったの。"ここでいい子にしとったらお前の父ちゃんが会いに来るはずや。そしたらもう怖い思いせんでえぇから、それまで大人しゅう待っとってな"って……」

「!!」

 

直後、錦山の目が大きく見開かれた。

彼の中で今、最も重大なピースが繋がろうとしている。

 

(真島……!)

 

桐生を誘き出す為に今回の行動に打って出た真島。

真島は錦山が収監されてから桐生が組を割って独立するまでの約5年間、ストーキングに近い形で執拗に付き纏っては喧嘩をふっかけてきた。

その過程で桐生の内情や置かれた状況、立場などを汲み取っていたであろう事は想像に難くない。

そんな真島の放った"遥は桐生にとって大事な存在"という発言。

そして、親である嶋野に逆らって遥の身柄を嶋野組に引き渡そうとしないその行動。

 

(やっぱり、遥の父親の正体は…………)

 

錦山は意を決した。

以前から疑問に思っていた事柄を、遥に問いかける。

 

「なぁ、遥」

「なに?」

「……お前の父ちゃん、名前はなんて言うんだ?」

 

錦山の問いに大して帰ってきたのは、錦山にとっては想定内、伊達や麗奈達にとっては衝撃の事実だった。

 

「かずま……桐生一馬、だよ」

「なんだって!?」

 

驚きのあまりその場から立ち上がる伊達。

なにせ伊達にとって桐生は、現在東城会三代目殺害の重要参考人と睨んでいる人物だからだ。

目の前の少女はそんな男の娘であると言う。

 

「桐生ちゃんに、子供が……!?」

「やっぱりか……」

「知っていたのか、錦山」

「いや、知ったのは俺もたった今だ。もっとも……予測してなかった訳じゃ、無かったがな」

 

開いた口が塞がらない伊達と麗奈に対し、錦山は至って冷静さを保っている

彼は今、真島吾朗の行動を分析している最中だった。

 

(真島のあの感じから察するに桐生と喧嘩がしたいのは間違いねぇだろう。遥の身柄を確保したのも桐生を誘き出すって意味では嘘じゃねぇ筈だ。だが…………遥が桐生にとって大事な存在であると理解しているのであれば、自ずと真意は見えてくる)

 

おそらく真島は遥が東城会から狙われている事に気付き、その身柄を桐生に引き渡すために拉致したのだ。

そうすれば桐生は必ず神室町へ乗り込んで来る。

そして、娘である遥を取り戻す為にこれ以上ないほどの全力を出して真島に襲い掛かるだろう。

真島は全力の桐生と喧嘩をする事が出来て、遥も父親である桐生の元へと渡る事でひとまずの安全が保証される。

遥がヤクザ関係でこれ以上怖い思いをするのを避ける事が出来るのだ。

 

(真島は、あえて憎まれ役を買って出る事で遥の安全と自分の欲求……その二つを叶えようとしてたって事か……!)

 

真島が自分だけの都合のために一般人を巻き込む外道へと成り下がったと思っていた錦山だったが、彼のこの推測が当たっているのであればその見方は根底から覆る事になる。

真島はその奇抜で奇怪な行動とは裏腹に、ちゃんと遥が安全になる事を考慮していたのだ。

 

「遥……話の続きなんだが、縄が緩まってたって言ってたよな?って事は、自分で脱出したのか?」

 

考え込む錦山の代わりに、伊達が遥に問いかけて会話を進める。

 

「……ううん。眼帯のおじさんがしてくれたのは痛くないように緩めるだけ。解いてはくれなかったの」

「そうか……」

 

真島の目的は本気の桐生と闘う事である。

桐生が本気になる為の重要なファクターである遥は真島にとっては"傷付けるつもりは無いが逃げて欲しくない"存在だったのだろう。

 

「でも急に外が騒がしくなって、そしたら……"知らないオジサン"が来て"逃げな"って。縄もそのおじさんが解いてくれたんだ」

「知らないオジサン?誰だ?」

「いや、俺も心当たりがねぇ」

 

遥の口から出た新たな情報に伊達は怪訝な表情を浮かべた。

伊達は錦山に確認を取るが彼にも心当たりは無い。

 

「お礼を言ったら、ペンダントは持ってるか?って」

「なんの事だ?」

「これ……由美お姉ちゃんが……」

 

そう言って遥は由美から託されたペンダントを見せ、改めてその経緯についても語った。

そのペンダントについての情報をこの場で知っているのは、アレスでこのことを聞かされた錦山だけだったからだ。

 

「そうか……それで、そのペンダントを"知らないオジサン"は欲しがったのか?」

「ううん、大事に持ってなさいって」

 

そして。

次に遥の口から聞こえた言葉に、一同は驚愕した。

 

「これには……"100億の価値があるんだよ"って…………」

「「「!!?」」」

 

言葉を失い、顔を見合わせる錦山と伊達。

それもそのはず。

なぜなら今の彼らにとって"100億"という単語は特別な意味を持っているからだ。

 

「見せてみろ」

 

遥は歩み寄った伊達にペンダントを見せる。

すると伊達はペンダントを観察し、一言。

 

「"鍵付き"か……無理やりこじ開けるってのは」

 

直後。

 

「ダメだろ」

「ダメっ!」

「ダメよ!」

 

三人から一斉にバッシングが飛ぶ。

思わずおののく伊達に対し、錦山は呆れていた。

 

「……言ってみただけだ」

「伊達さん……アンタ分かっちゃいねぇよ」

「なんだよお前まで……」

「いくらなんでもデリカシーが無さ過ぎだ。いいか、これは遥の母親が由美伝いに遥に託した大事なモノなんだぞ?それを壊して、中を覗き込もうとするだなんて…………刑事としちゃ立派かもしれねぇが、人としちゃどうかと思うぜ?」

「…………」

 

錦山の言葉にうんうんと頷く遥と麗奈。

完全に論破されてぐうの音の出ない伊達を差し置き、錦山は話を進めた。

 

「なぁ遥。その"オジサン"、顔は覚えてるか?」

「真っ暗だったから全然……でもその人、錦山のおじさんにペンダントの事伝えてくれって」

「俺の名前を……?」

「うん……」

 

錦山の事を知っている以上、その人物もまた今回の事件に関わっている事は確実だった。

 

「何者なんだ一体……」

「分からねぇ……でも一つ確かなのは、俺達はいつの間にか事件の中心に置かれちまってたって事だな……!」

 

消えた100億の鍵を握るペンダント。

それを持つ少女、遥。

そして、彼女を狙う東城会の極道達。

その渦中の中心に居る事を自覚した錦山は、より一層気を引き締めた。

今後、自分たちに舞い込むであろう困難に備えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は昼の13時。

少しだけ仮眠を取った後、眠ったままの遥をセレナに預けた俺はスターダストへと足を運んでいた。

昨晩あった出来事を一輝に共有する為だ。

 

「そうですか、そんな事が……」

「あぁ……大変な一日だったぜ」

 

開店前に押しかけたにも関わらず、一輝は嫌な顔一つせず俺を店に迎え入れてくれた。

 

「にしても、錦山さんが無事で良かったっす」

 

水を出してくれたユウヤが安心したようにそう言った。

実際に俺もその通りだと思う。一歩間違えれば俺は今頃この世に居なかったのだから。

 

「結構、ギリギリだったけどな。それより一輝、昨日は報酬ありがとな。おかげで情報も比較的すぐに手に入ったぜ」

「いえ、あれは錦山さんの実力に対する正当な報酬ですよ。もしもあの時錦山さんがいなければ、鮎美さんはきっと満足していなかったでしょうから」

 

一輝の言葉を聞き、俺はふと思い出す。

付け焼き刃で挑んだ銀座の女王との初接客。

ボロボロにされると思っていた俺の予測は大きく外れ、結果は大成功。300万のシャンパンも開けてもらい、売上は過去最大を記録したという。

 

「出来る事なら、また錦山さんには"アキラ"としてお店に立って頂きたいんですが……」

 

そこで一輝は言葉を切ると、俺の左手と顔に交互に視線を向けた。

いずれも、昨日の戦いの痕がハッキリと残っている箇所だ。

 

「ははっ……まぁ、そういう事だ。悪いが、しばらくは欠勤させてくれや」

 

一輝は黙って頷いた。

お客さんからしても、こんなにもボロボロの奴に接客されたら楽しむどころじゃないのは明白だ。

 

「そういえば錦山さん、いつもの一張羅はどうされたんです?」

 

ふと、ユウヤが俺の服装について尋ねて来た。

今の俺の装いは、三代目の葬儀会場で着ていた黒のスーツと白Yシャツ姿。

普段の服装とは明らかに違う。

 

「あぁ。昨日の闘いで台無しになっちまったよ。ったく、あのジャケットお気に入りだったんだけどなぁ」

 

真島との戦いの中で俺の着ていた白いジャケットは切り傷と血痕により損壊し、失われてしまった。

流石にあんなボロボロの有様で街を歩く訳にも行かないので、仕方ないといえば仕方ないのだが。

 

「そうだったんですか……」

「あぁ。今は一輝達のくれたコイツが普段着よ」

 

礼服感を出さないためにネクタイはせず、ボタンも開けて着崩したその格好はいつも以上にヤクザっぽい気もする。目をつけられない事を祈るばかりだ。

 

「そんな訳で、今の神室町はかなりヤバい事になってる。お前らも、用心しといてくれよな」

「分かりました。こちらでも引き続き、美月さんの行方が分かったら連絡します。錦山さんもどうかお気をつけて」

「おう」

 

俺はユウヤから貰った水を一息に飲み干し、席を立った。

 

「ユウヤも。水、ありがとな」

「いえいえ、これくらい何時でもお出ししますよ。またいらしてください」

「あぁ、またな」

 

ユウヤに軽く礼を言ってから、俺はスターダストを出た。

ふと、何気なく空を見上げる。

天気は雲ひとつ無い晴天だが、神室町の空は非常に狭い。

数多あるビル群が広いはずの青空を窮屈なものにしていた。

 

(さて、約束の時間にはまだ余裕があるな)

 

俺は今朝、柄本先生に手渡された海藤からの手紙の事を思い出した。

アイツは俺に今夜、喫茶アルプスを訪れる事を手紙で要求して来たのだ。文面から察するに、俺に用があるのは海藤のいる松金組の兄貴分 。

下手すりゃ若頭クラスの幹部が出てくる事が予想される。

 

(罠、だろうな……)

 

海藤達は俺が神室町に訪れた直後から俺に襲いかかってきた連中だ。

東が言うには"痛めつけて連れて来い"って命令をされていたらしい。

あのタイミングで俺の身柄を拘束しようとするのは、俺が出所する前から俺に恨みのある連中の仕業だろう。

つまり俺に話があるという海藤の兄貴分は、任侠堂島一家の息がかかっている可能性が非常に高い。

 

(だが……行くしかねぇ)

 

図らずも俺は海藤に命を救われた。

それにあの時海藤達が居なかったら、遥の身も危なかっただろう。

今の海藤は俺にとって、恩人に他ならない。

そんな恩人からの呼び出しに対して出向かないのは、あまりにも不義理というもの。

たとえ罠だと分かっていたとしても、俺は彼に対して義理を立てなければならないのだ。

 

(そうだな……なら今は、来るべき戦いに備えるとするか)

 

俺は今の時間を準備期間だと定義した。

自分が優位に経つために必要な時間だ。

 

(さて、何から始めるか……)

 

街を歩きながら俺はふと思った。

そういえば出所してからというもの、セレナ以外でまともな食事を摂っていない。

 

(何処かで腹ごしらえでもするか……?)

 

ここは一つ、自分の放免祝いとして何か精のつくものを食べたりするのも良いだろう。腹が減ってはなんとやらだ。

俺は飲食店が立ち並ぶ中道通りの方面へと向かいながら、手持ちの金を確認するためにポケットから財布を取り出す。

 

(痛っ……ちっ)

 

直後、真島にやられた左手が痛みを発した。

縫合されているとはいえその傷は未だ致命的で、鎮痛剤を飲んでいても痛みは一向に消えない。

軽く何かをつまんだり、掴んだりは出来るかもしれないが、とても拳を握るのは不可能に思えた。

 

(これじゃまともに闘うのも難しそうだな……)

 

今の状態でヤクザ共に追い込みをかけられたら、まともな抵抗など出来ないだろう。

何処かで護身用の武器を手に入れられそうな場所を探した方が良いかもしれない。

そう考えた俺は中道通りを突っ切ってピンク通りの方へと向かう。この辺りは入り組んだ地形をしていて人目に付きにくい。

目立たないようにするにはうってつけだ。

 

(そうなると情報も欲しいな。今の俺は、いつ狙われるか分かったもんじゃねぇ……)

 

嶋野組に、任侠堂島一家。そして今夜罠にはめようとしてくるであろう松金組。

東城会のヤクザだけでも既に三つの組織を敵に回している上に、一昨日はミレニアムタワーで近江連合の人間にも襲われた。

更にその前には関東桐生会と敵対している中国マフィアである蛇華を相手に啖呵を切ってしまっている。

標的にされている以上、どこの組織でどんな動きがあるかは把握しておいた方がいいだろう。

 

(ん?ちょっと待てよ?)

 

そこで俺はある事に気付く。

今、俺が実行しようとするタスクは三つ。

食事を摂る、武器を手に入れる、情報を集める。

これら全てをこなすとなった時に、一度に済ませそうな場所が一つだけある事に。

 

「あのぅ……錦山さん、ですか?」

「あ?」

 

その時、ふと背後から自分の名前を呼ばれた。

すぐさま振り向くと、そこには見たことの無い髭面の男が立っていた。

格好からしてホームレスのようだが、コイツは初対面であるはずの俺の名前を呼んだのだ。

 

「……何者だ?アンタ」

 

この街において、初対面であるにも関わらず俺の事を知っている人間は二つに一つ。

一つは俺を狙っている組織の人間、またはその息のかかった連中。

 

「あたし、河原のもんでモグサって言います。今、花屋さんの所で働かせて貰ってます」

 

そしてもう一つは、伝説の情報屋である"サイの花屋"の手下だ。どうやら、今回は後者であったらしい。

 

「そうか……」

 

俺は警戒を解いた。多数の組織から命を狙われてる以上、相手が誰か分かるまでは油断する訳には行かない。ホームレスに偽装したヒットマンの可能性だってあるからだ。

 

「旦那、ちょいとボスの所に顔を出してやって貰えませんかね?どうもボスの身内にトラブルらしいんです。ボス、そのせいかずっと機嫌が悪くて……」

「身内?花屋には家族がいんのか」

「えぇ。大昔に別れたのがね」

 

少し意外だったが、冷静に考えればありえない話じゃない。

伊達さんの話によれば、花屋はかつては警官だったと言う。警察の情報を横流しした事で伊達さんに告発され、職を追われたそうだ。

となれば、家族が別れを告げて出ていったのにも頷ける。

人に歴史あり、といった所だろうか。

 

「その息子ってのがこの街の不良でして。もっとも、向こうはボスの顔さえ知らねぇんですが……」

「なるほどな……」

「あたしらには何も言っちゃくれやせん。ですが、ボスは旦那の事をえらく気に入ってるみたいですから。旦那が言えば何か変わるかもと思いやして……」

 

俺はモグサの頼みを聞き入れる事にした。

 

「あぁ、分かった。顔、出させてもらうよ」

「すみませんね旦那。よろしく頼んます」

 

頭を下げるモグサに別れを告げ、早速西公園へと向かう。

モグサの話は、俺にとって渡りに船だった。

何故なら俺が先程思い付いた三つのタスクを一息にこなせそうな場所が、その花屋が居る賽の河原だったからだ。

 

(ホント、良いタイミングだったぜ。)

 

あそこの地下街は表沙汰にできないような娯楽施設の宝庫。

当然、飲食が出来る所の一つや二つ無くては話にならない。更に言えば、あの空間は上界と完全に隔絶された空間だ。人目に触れられない取引をするのであればこれ以上無いほどの場所と言える。

護身用の武器などを取り扱っている売人がいるのは容易に推測出来た。

そして何より情報だ。伝説の情報屋である花屋に調べられない事は無い。各勢力の動きを知るのであればこれ以上の情報源は無いだろう。

 

(それに、花屋の息子ってのがどんな奴かも気になるしな)

 

モグサの話では不良をやっているらしいが、この街では大して珍しくも無い。

無いとは思うが、もしも仔犬をいじめるような外道であれば灸を据えるのも視野に入れる必要があるだろう。

 

「っと、着いたな」

 

歩を進めること数分。

程なくして西公園にたどり着いた俺は、公衆便所の奥の個室を抜けて敷地内へと足を踏み入れる。

そしてそのまま最奥の地下鉄の駅へと向かっていると、一人の老人が声を掛けてきた。

 

「そこのお主!」

「ん?」

 

そのあまりにも古風な喋り方に内心で少し驚く。

しかし、その老人を見てその違和感は更に強くなった。

 

(なんだ、この爺さん?)

 

歳の頃合は70前後。後で結った白髪と長く伸びた髭が特徴的で、上半身には道着のような衣服を着用し、下半身には作業着と黄色の長靴を履いている。

首からは汗ふき用のタオルをぶら下げて、両手には全ての指に穴の空いた指出し手袋という、なんとも珍妙な格好をしていた。

そんな老人に対して俺が抱いた第一印象は"胡散臭い"の一言だった。

 

「爺さん、俺に何か用か?」

「左様!お主の闘技場での活躍、しかと見届けたぞ!まさかお主があのゲイリーを倒せるとは思わなんだ。感服したぞい!」

 

興奮気味に話す老人の言葉に、俺は覚えがあった。

昨日の夜、情報を手に入れる為の代償として、俺は賽の河原にある地下闘技場で三年間無敗とされていたゲイリー・バスター・ホームズと拳を交えたのだ。

かなりの苦戦を強いられたものの、どうにか勝ちを手にした俺は花屋から情報を手に入れる事が出来たのだ。

 

「あぁ……あの試合、爺さんも見てたのか」

「フフフ……"喧嘩殺法"等と謳われておったが、中々武の理にかなった戦い方じゃった」

「武の理?冗談はよしてくれ。ありゃ正しく喧嘩殺法だよ。褒められるようなもんじゃねぇ」

 

俺は老人の言葉を否定した。

今振り返ってみても、俺にとってはギリギリの闘いだった。

何せゲイリーと俺とではそもそも骨格の作りが違うのだ。となれば、当然身に付けた筋肉の量や質も全く違ってくる。

その巨躯が宿すパワーはあの嶋野にすら勝るとも劣らない凄まじいもので、そのくせ放たれる拳は鉛のような重さと弾丸のようなキレを併せ持っていた。

そんな化け物とやり合う以上、こっちも手段など選んでは居られない。

口に含んだ血をゲイリーの顔に向かって吹き付けて目潰しをし、その上でパンチや膝蹴りの連続を浴びせるあの戦い方は、決して礼で始まり礼で終わるような武道のやり方とは言えないものだ。

しかし、そんな俺に対し老人は首を振った。

 

「そんなに己を卑下するでない。古来における戦場(いくさば)ではそのような事は日常茶飯事よ。喰うか喰われるかの極限状態においては、卑怯だ何だと言って居られんからな」

「そういうもんか?」

「左様。それに、ワシが言っておるのはそこではない。ゲイリーにトドメを刺した時の場面じゃ」

「なに?」

 

疑問符を浮かべる俺に対し、老人はこう指摘した。

 

「ゲイリーの放ったタックルを受けた時のお主の構え……格闘空手の流れを組んだ見事な四股立ちじゃった。呼吸による脱力も心得ておる。あれを武の理と言わずしてなんと言う」

「!」

 

その言葉に俺は息を飲んだ。

この老人が言っているのは、戦いの終盤で俺が咄嗟に行った腰を低く落とした構えの事だ。

柏木さんに教えこまれた構えの一つで、力士が行う構えに似ている事から四股立ちと呼ばれている。

目の前の老人はそれを見破ったどころか、俺の動きから柏木さんの修めていた空手の流派すらも言い当てて見せたのだ。

 

「しかし、まだまだ荒削りじゃ。"武の心"に至っては全く理解しておらん。惜しい……あまりにも惜しい…………」

「……爺さん、アンタ只者じゃねぇな?何者だ?」

「おっと、これは失礼した。まだ名乗っておらんかったわい」

 

そこで老人は咳払いをし、自分の名前を名乗った。

 

「ワシは名を、古牧宗太郎と申す。かの戦国時代から続く古流武術……"古牧流"の現当主じゃ!」

 

古牧と名乗ったその老人の口にした流派に俺は聞き覚えが無かった。

 

「古牧流……?聞いた事ねぇな」

「当然じゃ。ワシの伝承した古牧流はルールによって定められた武道や格闘技とは訳が違う。あらゆる相手を素手で制し、命のやり取りすらも視野に入れた"武術"なのじゃからの。普通に生きておればまず耳にすることは無いじゃろうからな」

「ほう……それで、そんな武術の達人が俺に何の用だ?」

 

古牧の言っている事には信憑性があった。おそらくは本当に古武術の達人なのだろう。

そんな人物がわざわざ俺に声を掛けて来るからには、単純に俺の闘いを賞賛しに来た訳では決してない。

何か理由があるのは明白だ。

 

「うむ……ちと唐突な提案なんじゃが」

「なんだ?」

 

そこで古牧は俺にこんな提案をして来た。

 

「お主、ワシの弟子にならんか?場合によっては今の100倍は強くなれるぞ?」

「なに……?」

 

それは弟子入り。

つまりは古牧流の門下生となり、修行をしてみないか?という勧誘だった。

 

(どうする……?)

 

話によれば古牧流は戦国時代から続く古武術の流派。

それが今なお受け継がれているという事はつまり、日本人が刀を携えて命のやり取りをしている時代で侍たちに引けを取らなかったという事に他ならない。

 

(はっ、面白ぇじゃねぇか……!)

 

俺の動きから柏木さんの流派を見出した程の洞察力と観察眼は紛れもなく本物だ。

そんな武の達人から直々に稽古を付けて貰える事など、滅多にあるものじゃない。

この機会を逃す手は無いだろう。

 

「100倍とは大きく出たな…………分かった、弟子入りさせてくれ」

「おお、そうか!ではこれからは古牧の弟子を名乗るが良い!」

 

古牧の爺さんが嬉しそうに声を上げた。

おそらく今までもこうやって見込みのある人間に声はかけてきたのだろう。

だが、俺が最初そうであったように古牧の爺さんの見た目にはかなりの胡散臭さがある。

避けられるのは仕方が無い事と言えるだろう。

 

「しかし、まともに弟子を取るのは30年ぶりじゃ。何から教えたら良いかの……」

「おいおい、そりゃマジかよ」

 

弟子入りして早々、不安になる言葉を呟く古牧。

今までどれだけの人間に避けられて来たかがよく分かる。

 

「よし、決めた!手始めにお主には護身の術を教えるぞ!」

「護身術?」

 

護身術はその名の通り、身を守る為の術だ。

武道としても有名な合気道や、警察組織の人間が使う逮捕術などがそれに該当する。

 

「左様。お主のその体躯や顔付き……とても平穏な生活など送ってはおるまい。大方、神室町で腕に覚えのある連中と命のやり取りをしているのではないか?」

「っ……」

 

見事に言い当てられた俺は内心で動揺したが、同時にそのあまりの洞察力に舌を巻いた。

この爺さんは本物だ。

それを改めて認識した俺の期待は否応なしに高まって行く。

 

「流石だな爺さん。その通りだ」

「先程も言った通り、お主は30年ぶりの弟子じゃ。そんな男をみすみす死なせる訳には行かぬ。ここに通って貰うからには生きてもらわねばのう」

「まぁ、強くなれるなら俺としても断る理由はねぇ。ありがたく教わるとするぜ」

「うむ!では早速始めようかのぅ!」

 

こうして俺は、花屋の所へ行く前に少しだけ寄り道をしていく事になる。

だが、この時。

もしもこの爺さんの誘いに乗っていなければ。

 

 

俺は、確実に命を落としていただろう。

そして、それを今日の内に実感する事をこの時の俺はまだ知らない。

 

 

 




と言うわけで、シリーズ恒例の師匠。古牧宗太郎が初登場でした。

桐生ちゃんを超えるにはこの人の力が必要不可欠です。
頑張れ錦山!

次回はいよいよあの名台詞が飛び出します!
お楽しみに


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ひねくれたカーブ

最新話です

多くは語りません。サブタイトル通りですw

それではどうぞ


2005年。12月8日。時刻は午後14時。

新宿、神室町の地下深くにある"賽の河原"。

その最奥にあるモニタールームにてこの空間の主である"サイの花屋"が、中央のメインモニターを見つめていた。

 

「……」

 

いつもであればサポートに回しているホームレス達も、今は席を外させている。

彼以外には誰も居なかった。

 

「…………」

 

モニターに映っているのは、二人の男女の姿だった。

男の方は迷彩柄のパーカーに緑色のニット帽を被っており、女はデニム生地のワンピースを着たお淑やかそうな見た目をしている。

この映像に映る男こそ、花屋が大昔に別れた息子である"タカシ"なのだ。

 

「ふぅ…………」

 

おもむろに葉巻を咥えて火を点ける。

吐き出される有害な煙には、花屋の複雑な胸中が多分に含まれていた。

今日、花屋がこの場の人払いをしたのは他でもない。

別れた家族に未練のあるような情けない姿を見せないようにする為だ。

それがひいては賽の河原のボスとしての威厳を保つ事にも繋がる。

 

「……………………」

 

映像の中でタカシ達は同じベンチに座っていたが、互いの態度は正反対だった。

タカシは金属バットを杖のように着いていて、どこか落ち着きがなく何かに脅えているような様子。

対して隣に座る女は黒いカバンを大事そうに抱えており、姿勢を正して毅然とした態度で座っている。

おそらくは、隣にいるタカシの事を信頼しているのだろう。

 

「……………………………………」

 

人払いをして人の目を気にしなくなった花屋は、その映像を食い入るように見つめる。

故に彼は、背後から現れた男の存在に気付くことが出来なかった。

 

「それがアンタの息子か?」

「っ!?錦山、お前、いつからそこに……!?」

 

驚く花屋をよそに、錦山はメインモニターに映った女を見て呟いた。

 

「ほぉ……いい女じゃねぇか」

 

錦山はかつての現役時代に色んなバーやスナック、キャバクラ等を飲み歩く事で常にアンテナを張っていた。

その過程で色んな女を目のあたりにして来た錦山だが、そんな彼から見てもその女は光るモノを持っていた。

 

「まだ歳若いが、あと数年もすりゃとんでもねぇ美人に化ける逸材だ……良い趣味してんな、アンタの息子さん」

「フン……ま、悪かねぇ」

 

鼻を鳴らす花屋。

モグサからの情報通り機嫌の悪そうな態度を取る彼だが、息子の女の趣味がいいのは認める所らしい。

しかし、花屋が懸念している点は別にあった。

 

「……どこぞの組長の娘でなけりゃな」

 

花屋はこの街において伝説の情報屋とまで呼ばれた男だ。当然、息子の選んだ女の事は調べ尽くしている。

その結果、息子の惚れた女は自分が散々自分が毛嫌いしているヤクザの娘である事が分かったのだ。

 

「この街の組か?」

「いや……浅草のケチな組さ」

 

跡部京香。

浅草を拠点とする任侠集団"跡部組"の組長である跡部京三の一人娘。

それが、花屋の情報網が拾った女の情報だった。

 

「デート……って雰囲気じゃなさそうだな。何かあったのか?」

「お前にゃ関係ねぇ話だ。それに今はお前向きの情報も来ちゃいねぇ。分かったらさっさと帰んな」

「なんだよ、つれねぇな」

「人の恋路にクビ突っ込むような野暮な事はするもんじゃねぇよ。大体、お前そんな事してられる立場じゃねぇだろうが」

 

素っ気ない態度を取る花屋。

口ではアレコレ言ってるが、花屋も一人の親。

心配するなという方が酷な話だろう。

錦山に対する雑な扱いも、その胸中を鑑みれば致し方ない事なのかもしれない。

 

「そうかよ……邪魔したな、花屋」

 

錦山は一言そう残し、モニタールームを後にした。

非常階段から上へと登って、水槽のある大部屋へとたどり着く。

その時。

 

「ん?」

 

大部屋の扉が開き、一人の男が足を踏み入れた。

白髪混じりの頭髪を後ろの撫で付けた壮年の男。

彼の持つ雰囲気と貫禄に、身に纏った灰色の着物がよく似合っている。

それはまさに、日本の古き良き時代の"旦那"という言葉が相応しい出で立ちだった。

 

「失礼、そこの(アン)ちゃん。ちょいとお聞きしてぇ事があるんだが……」

 

ふと、男は見た目通りの古風な口調で錦山に尋ねた。

男は花屋に用事がありここを訪れたと言う。

つまり花屋にとって"客になるかもしれない男"だった。

 

「なんでしょう?」

「アンタ……ここの主をご存知かい?」

「えぇ……花屋に御用で?」

「あぁ。ここに居るって話だったんだが……知ってるかい?」

 

男は花屋の所在を問う。

落ち着きこそ孕んでいるもののその瞳は真剣そのものだ。

余程知りたい情報があるであろうその男に、錦山は快く返答した。

 

「えぇ……花屋ならこの下にいます。そこの扉が非常階段になってますから、そこから降りれますよ」

「そうかい…………恩に着るぜ」

 

男はそう答えると、錦山の横を通り過ぎてやや急ぎ足で扉へと向かっていった。

 

「あぁ、そうそう。ついでに一つ」

 

そんな男を、錦山は振り返らずに呼び止めた。

 

「なんだ?」

「見た所、随分お急ぎの様子だ。余程知りたい情報があるとみえますが……あまり期待はしない方が良いと思いますよ」

「そいつぁ……どういうこった?」

 

疑問に思う男に対し、錦山は振り返らぬままこう続けた。

 

「花屋は、極道者が嫌いなんですよ。俺やアンタみたいな、ね……」

「!」

 

錦山は男の纏う服装や立ち居振る舞いから、彼の素性がカタギでない事を見抜いていたのだ。

東城会を相手に大立ち回りをしている元チンピラという立ち位置を面白がられている自分とは違い、唯のヤクザ者であるこの男に花屋が素直に情報を売るとは思えないと考えた錦山は、その事を忠告したのだ。

ヤクザ嫌いの花屋が、ヤクザ者の彼に欲しがる情報を売ってくれるか分からない事を。

だが、それをわざわざ告げたのには別の理由もあった。

 

「……それを分かってて、アンタは花屋と俺を引き合わせようってのかい?」

「えぇ。ついさっき、どういう訳か邪険に扱われたばっかりなんでね。俺なりの意趣返しって奴ですよ」

 

機嫌が悪いからと顧客をぞんざいに扱うとこういうしっぺ返しが来る。錦山はそれを分からせるためにあえて今回の行動に出たのだ。

 

「フッ……そういう事か。兄ちゃんも人が悪い」

 

男がその行動に思わず口元を弛め、錦山もまた不敵に笑う。

しかし、その後に男は毅然とした口調で言った。

 

「ご忠告痛み入るが、俺ぁその"花屋"に呼ばれてここに居るんでな。俺がヤクザ者である事はあちらさんも承知の上だ、心配は要らねぇよ」

「そうだったんですか。そりゃどうも、失礼致しました。それじゃ俺はこれで」

 

錦山はそう告げると、今度こそ大部屋から立ち去った。

残された男はふと思い返す。

 

(あの男……態度こそ少し軽薄だったが礼儀はキッチリしている。それにあの目…………)

 

男にとって印象深かったのは、錦山の双眸だった。

ギラギラした野望に満ちていながらその奥に優しさを湛えた綺麗な眼差しは、彼の率いる組織の若い衆の中でも持っている者は居ない。

今の極道達が忘れ始めた、古き良き義侠の心を宿す瞳だった。

 

(フッ……日本の極道にもまだ、あんな目をした男が居るとはな…………)

 

ここに来るまでに、過酷な道を歩んできた男。

何度も悲しみ、何度も嘆き、何度も苦しんできた自らの極道人生。

しかし、自分達の生きる極道の世界にもまだあんな男が居るのなら。

彼や彼の組の連中が生きる道が、決して無駄なものではないと希望が持てる。

 

(俺達の生きる渡世も、まだまだ捨てたもんじゃねぇな…………!)

 

跡部組組長。跡部京三。

極道の未来に差し込んだ一筋の光に、彼は静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜12月8日14時25分 吉田バッティングセンター店内の防犯カメラ映像より〜

 

 

神室町、吉田バッティングセンター。

店舗やテナントの入れ替わりが激しい神室町において、およそ30年以上前から変わらぬ姿を保っている、歴史ある遊戯施設だ。

そんなバッティングセンターのとある一角にあるベンチに、一組の若い男女が座っていた。

ジーンズ生地のワンピースを着た女と、迷彩柄のパーカーにモスグリーンのニット帽を被った男。

歳若い男女が二人一緒にいるその様は、正しくカップルの姿と言えるだろう。

しかし、二人の醸し出す雰囲気はデートというにはあまりにも重すぎた。

 

『……』

『……』

 

女の膝元には黒い鞄が置かれており、彼女はそれを大事そうに抱えている。

一方、男の方は金属バットを杖のように持ち、その先端で何度も地面を小突いていた。

さながら貧乏ゆすりのように。

 

『……!』

 

その時、入口のドアが開いて一人の男が店内に足を踏み入れた。

それに気付いたパーカーの男は即座に反応を見せるも、すぐに男から顔を逸らす。

 

『…………』

 

店内に足を踏み入れた男の見た目は30代後半。

黒いスーツとスラックスに、白いワイシャツをネクタイ無しで着用し、襟はジャケットの外に出ている。

そんな如何にもヤクザ者のような格好をしていた男が入ってきたら、大抵の人間は目を逸らすだろう。

パーカーの男もそれは同じ。

だが、目を逸らした動機については一般人のように恐怖から来るものでは無い。

 

『……!』

 

パーカーの男が意を決してベンチから立ち上がる。

そして後ろを向いたままの男へと静かに忍び寄った。

彼がスーツの男から目を逸らした動機は、怪しまれずにこういった行動に出る為だ。

そして。

 

『ぬぁぁあああっ!!』

 

パーカーの男が勢いよく金属バットをスーツの男に振り下ろす。

それを見ていた女が思わず目を逸らすのと、バットで何かを叩いた鈍い金属音が鳴るのは同時だった。

 

『…………おいガキ、こりゃ何の真似だ?』

 

しかし、スーツの男はまるで意に返す事無くその一撃を左腕で受け止めていた。

並の人間であれば先の一撃で昏倒は必至。今回のように腕で受け止める事に成功したとしても骨折は確実だ。

だが、スーツの男はその見た目の通り数々の修羅場を潜ってきた猛者。この程度の一撃で倒されるような三下では無かったのだ。

 

『クソ……!京香逃げろ!』

『うん!』

 

パーカーの男の指示に従い、京香と呼ばれた女がバッティングセンターを飛び出していく。

その後彼はスーツの男と距離を取り、その先端を突き付けながら問いかける。

 

『…………一人か?』

 

パーカーの男の声は何かに怯えているのか、若干小刻みに震えている。

それを見たスーツの男は様子がおかしい事に気付く。

まるで大勢が来る事を想定していたような口ぶり。

パーカーの男には、スーツの男のような格好をした連中に追われるような心当たりがあるのだろう。

当然、スーツの男には心当たりなどないのだが。

 

『待てよ、何か勘違い』

『うるせぇぇえ!組長に言っとけよ。娘さんは……京香は俺が幸せにしますってなぁ!!』

 

言うが早いか。

パーカーの男が再びバットを振り上げて襲いかかる。

狙いは頭。一撃で昏倒させるのを狙った一振り。

 

『っと!』

 

しかし、スーツの男は手練の猛者だ。

狙いが分かっている一撃など、容易く躱してみせる。

 

『この野郎!』

 

続いて二回、三回と振り回すタカシ。

乱雑かつ大振りの攻撃は軌道が単調で、スーツの男はこれまた苦もなく避け続けた。

 

『クソっ、うおおおおっ!!』

 

ヤケになったパーカーの男が得物を大上段に振り上げる。

そして、その瞬間を待っていたようにスーツの男は動いた。

 

『はっ!』

 

一気に間合いを詰めると、獲物を握って振り上げられたパーカーの男の両手を自らの両手で押さえ込む。

これでバットが振り下ろされる事は無い。

直後。

 

『うぐほっ!?』

 

パーカーの男の腹部に衝撃と激痛が走った。

スーツの男が両手を抑えたまま、がら空きになった腹部に膝蹴りを叩き込んだのだ。

 

『げホッ、ごホッ』

 

地面に倒れ込んで咳き込むパーカーの男。

その手に、先程持っていた金属バットは無い。

 

『おう。これで少しは聞く耳持つかよ?』

『っ……!?』

 

パーカーの男の得物である金属バットはスーツの男の手に渡っていた。

男はバットの先端をパーカーの男の眼前に突き付ける。

それを持って、この喧嘩は完全なる決着が着いた。

 

『クソォ……頼む、見逃してくれ』

『おい』

『そうだ、金を山分けしようぜ!俺達が逃げた事にすりゃ』

『おい!!』

『っ!?』

 

全く話を聞かないパーカーの男に痺れを切らしたスーツの男が怒声を浴びせた。

 

『見逃して欲しけりゃ落ち着いて俺の話を聞け。さもないと……もっと痛い目に遭う事になるぞ。返事は?』

『は、はい!』

『よし』

 

スーツの男はそういうと、パーカーの男に突き付けていた金属バットを捨てて、手を差し伸べた。

 

『ほら、立てよ』

『あ、あぁ……』

 

パーカーの男はその手を取り立ち上がる。

それを確認したスーツの男は、両手を広げて敵意が無いことをアピールした。

 

『結論から言うぜ。俺はただの通りすがりだ』

『えっ?じゃあアンタ……跡部組……』

『じゃない。今はこんなナリだが、れっきとしたカタギだ』

『そ、そんな……』

 

スーツの男はおもむろにタバコを取り出すと、慣れた手つきで火を付けた。

有害な煙を吐き出して一息付きながら、スーツの男は忠告した。

 

『まぁ、バットで殴りかかられた分はさっきの膝蹴りでチャラにしといてやるよ。ただ……もしもこの街のヤクザに同じ事してみろ。命がいくつあっても足りねぇぞ?』

『っ……!』

 

パーカーの男は思わず息を飲む。

スーツの男の話す言葉に、生々しいくらいの説得力があったからだ。

 

『い、いきなり殴りかかったりして、悪かった……』

『素直でよろしい。さ、理由を話せ。どうなってるんだ?』

 

ベンチの傍にある筒型灰皿に灰を落としながら、スーツの男は問いかける。

それに対し、パーカーの男は呟くように語った。

 

『追われてるんだ……俺たち』

『追われてる?誰から?』

『京香の親父……"跡部組"から』

 

それを聞いたスーツの男は納得したように頷いた。

 

『京香……さっき逃げたお前の女か』

『……あぁ』

『なるほどな、話が読めてきたぜ……つまりあの京香って女の親父は、お前に娘を渡したくないから追ってるって事だな?でもって、お前らは二人で駆け落ちでもしようって肚な訳だ』

 

スーツの男の問いにパーカーの男が黙って頷く。

それを聞いたスーツの男は思わず破顔した。

若さゆえの勢いの良さに、どこか懐かしさを覚えたからだ。

 

『はっ……良いねぇ!青春してんじゃねぇか、このマセガキめ』

『うるせぇ!……そうだ、俺早くアイツの所に行ってやらねぇと!』

『何処にいるんだ?』

『デボラってクラブだ。劇場前の』

『デボラ……また聞いた事のねぇ店だな……』

 

パーカーの男は知る由もないが、スーツの男はつい数日前まで刑務所に居た前科者なのだ。

彼の決して少なくない刑期の間に神室町は大分様変わりをしてしまっている。店の名前を知らないのも無理は無かった。

 

『なぁ、アンタ。悪ぃけどもう行っていいか!?』

『ダメだ』

 

パーカーの男に対してそう言ったのはスーツの男では無かった。

その直後、バッティングセンターの入口から、5人の男たちの集団が入ってくる。

先程の声の主は、その先頭に立っているリーダーの男の声だった。

 

『お前ら……!』

『タカシ。お前チーム抜けるってよ……メールで済む話じゃねぇだろうが!』

 

彼らはB-KING。

この街を根城にするギャングチームの一つであり、パーカーの男"タカシ"がつい数時間前まで所属していたチームでもあった。

 

『後で……筋は通すつもりだったんだ!』

『いいや、お前はトンズラするつもりだった。んな根性だからよ……パシリで鍛えてやってんだろうが!』

 

リーダーの男が怒鳴り散らす。

チームを抜けるという彼らからすれば大切な報告を携帯電話のメールだけで済まそうとしたタカシの不義理な行動に、リーダーの男は憤っていた。

 

『今急いでんだ!』

『ナメてんじゃねぇぞコラァ!』

 

まさに一触即発。

次の瞬間には大乱闘になりかねない状態の中、スーツの男が静かに動いた。

 

『あ?なんだオッサン』

 

リーダーの男がスーツの男に対して凄むが、決して怯むことは無い。

いくつもの修羅場を潜ってきた彼からしてみれば、リーダーの男の凄みなど猫の威嚇と大差無いのだ。

 

『行けよタカシ』

『アンタ……』

『さっき、俺は通りすがりだって言っただろ?バッティングセンターに来たからには、やる事は一つ』

 

スーツの男は先程捨てたバットを拾い上げると、リーダーの男に突き付けながらこう言い放った。

 

『今日、ちょうど打とうと思ってたのさ……ひねくれたカーブをよ』

 

不敵な笑みを浮かべるスーツの男に、リーダーの男は激高する。彼の発言は、明らかに自分たちを小馬鹿にしたものだったからだ。

 

『んだとぉ!?』

『ほら、さっさと行けよ!』

『……すまねぇ!』

 

タカシは頭を下げると、バッティングセンターの裏口に続く通路へと逃げこんだ。

これで彼は無事に、恋人の京香と合流できるだろう。

 

『オッサン……今更謝っても遅せぇぞ?』

『テメェらこそ、人の恋路を邪魔するような野暮な事はするもんじゃねぇよ?そういう輩は大抵、馬に蹴られて地獄に落ちんのさ』

『んだとオラァ!!?』

 

ヒートアップしていくリーダーの男。

それに追従するように、背後のチームメンバー達も続々と殺気立っていく。

そんな彼らの事など意に返さず、スーツの男は目線を監視カメラに向けてこう言い放った。

 

『おい、一つ貸しとくからな!』

『何言ってっか分からねぇけどよ……地獄ならこれから俺らが落としてやるよ!死ねやコラァ!!』

 

神室町のギャング、B-KING。

以降の映像は、彼らとスーツの男による暴力行為の一部始終を捉えた映像になるだろう。

 

 

閲覧には、要注意だ。

 

 

 

 




という訳でひねくれたカーブ回でした

このシーンは印象に残ってる人も多いんじゃないでしょうか?

果たして錦は二人を守れるのか。

次回もお楽しみに


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組長の描いた絵図

最新話です

ほとんど原作通りになってるやもしれませんが、お付き合いください。


2005年。12月8日。

吉田バッティングセンターで始まった喧嘩は、終始俺の優勢に進んでいた。

 

「く、クソっ……!」

 

悪態を付くリーダーの周囲には、俺がバットでぶちのめした彼の手下達が転がっている。

 

(ちょっと大人気なかったか?)

 

俺は手にしたバットをかなり強めに振るっていた。

その攻撃はどれも鈍い金属音を立てながら不良達の身体を打ち付け、グリップ越しに伝わる生々しい感触から察するに骨くらいは折れている可能性がある。

蓋を開ければ大したこと無かった不良達に対しやり過ぎてしまったのかと懸念するが、即座に首を振る。

 

(ま、これくらいは正当防衛って事で良いだろ)

 

何せ俺は昨日の戦いで左手をドスの刃が貫通するほどの大怪我を負っているのだ。

その関係で左手を使った攻撃はほぼ封じられている上に、敵には頭数のアドバンテージもある。

これくらいは多めに見ても問題無いだろう。

 

「さて、残ってんのはテメェだけだな?」

 

俺は戦闘可能な相手がリーダーだけと判断すると、手にしたバットを放り捨てた。

 

「これでこっちは武器無し、そっちは頭数無しだ。フェアプレーの精神で行こうぜ?」

「ナメやがって……上等だコラァ!」

 

勢いのある怒号とは裏腹にリーダーの男は小刻みな左ジャブとボディ狙いの左ストレート、さらに右手で追撃のフックという格闘慣れした動きで襲いかかって来た。

 

「っと、結構やるじゃねぇか……!」

 

錦山は距離をとってそれらの一撃を躱すと、素直にリーダーの動きを賞賛した。

街の不良にしては、かなり手練の部類に入るだろう。

 

「良いぜ、合わせてやるよ」

 

俺は構えをいつもの構えからコンパクトな構えに切り替えた。

刑務所にいた頃に久瀬との闘いの中で身に付けたボクシングベースの構え。

しかし、今回の構えは右半身を前に出した左利き用の構え。いわゆるサウスポーと言う奴だ。

 

「シッ、シッ!」

 

俺はその構えのまま距離を詰めると、前手である右のジャブを小刻みに打った。

 

「ぐっ、くぅ!」

 

腕で防御するリーダーの顔が渋い表情になっていくのを見て、俺は自分の計略が上手くいってる事を悟った。

通常、オーソドックスと呼ばれる右利きのボクサーは基本的に軽いパンチであるジャブと重いパンチであるストレートを交互に打つ"ワンツー"コンビネーションが一般的だが、左手を負傷してる今の俺はその"ワン"の役目であるジャブを打つことが出来ない。

故に左利き用の構えであるサウスポーにする事で利き手の右でジャブを放ったのだ。

利き手で放たれる右のジャブは通常のジャブよりも威力が高く、相手の防御を削る上でこれ以上無いほどの役目を果たす。

 

「こ、の野郎!!」

 

防御が崩されそうになる事を焦ったリーダーは行動に出た。

姿勢を低く落として俺のジャブを躱し、レスリングの要領でタックルを繰り出してきたのだ。

 

(来た!)

 

こちらが狙っていた動きをした事に内心でほくそ笑んだ俺は、そのタックルに合わせて左足で地面を蹴った。

 

「ぐぼっ!?」

 

結果として、俺の放った左の膝蹴りがリーダーの胴に深く突き刺さる事になる。

腹部を抑えて明確な隙を晒したリーダーの隙を突き、俺はリーダーの口元に手を伸ばした。

 

「こんな所にピアスなんか開けちまってよ……」

「っ!?」

 

俺は右の人差し指でリーダーの唇にされていたピアスを引っ掛ける。

 

「似合ってねーんだよ!!」

「うぎゃああああ!?」

 

直後、勢いよくそれを引きちぎった。

決して少なくない量の血が吹き出し、リーダーの悲鳴が鼓膜を叩く。

そして。

 

「オラァァァ!!」

 

ピアスを引きちぎった反動のままに俺は左右の足を入れ替え(スイッチ)し、右手をピアスごと握り締めて渾身のストレートを顔面に叩き込んだ。

 

「ぶげぁっ!?」

 

その一撃で文字通りぶっ飛ばされたリーダーは、その勢いのまま仰向けに倒れ込んだ。

俺の勝利が決定した瞬間だった。

 

「ぐ……クソ、がっ…………」

 

上体を起こしながら悪態をつくリーダーの男。

その様子では、まだ心は折れていないと見える。

中々に見上げた根性だ。

 

「おい。タカシの事はもう放っておいてやれ。メールで抜けるってのは確かに不義理かもしれねぇがな、所詮パシリにしてた程度の奴なんだ。お前らだって思い入れやこだわりがある訳じゃねぇだろ?」

「フン……どっちにしろ、アイツは終わりだ」

「あ?」

「筋モンが網張ってるからなぁ」

 

この男の言う筋モンとは、おそらく東城会のことでは無い。

先程タカシの口から聞いた"跡部組"という組織だろう。

 

(……何だか妙だな)

 

俺の推測では、タカシに娘の京香を連れていかれたくない子煩悩な組長が追っ手を放っているだけかと思っていた。ちょっとした家庭の事情の一環だろうと。

だが、本職の人間による"網を張る"とはつまりは包囲網を敷いているという事だ。

それは対象の人間を絶対に逃がさないという意思表示に他ならない。

 

(いくら可愛い娘の為とはいえ……本職がそこまでの事をするか?)

 

ヤクザも馬鹿じゃない。

一人の人間をマトにかけて追い込むからには、それなりの人数と労力を割く必要がある。

そしてそれだけ派手に動けば動くほど、警察や世間の目に止まりやすい。

さらに言ってしまえばここは東城会のお膝元である神室町。

外様の組織の人間が自分達のシマを彷徨っていたら決して良い目では見られない筈だ。

 

「カタギのガキ相手になんでそこまでする必要がある?お前、何か知ってんのか?」

 

俺の問いに対し、リーダーの男はぶっきらぼうに答えた。

 

「アイツの女……親父の金持って逃げたんだってよ」

「親父の……?」

 

そこで俺は京香と呼ばれていた女のことを思い出す。

デニムワンピースを着ていたあの女は、確かに手に何か大きめのカバンを抱えていた。

 

「組の金を持ち逃げしたって訳か……」

 

俺は酷く納得した。

陽の当たる場所で生きられないヤクザ者が、あの手この手で必死こいてかき集めた金が奪われたとなりゃ、当然黙っちゃいないだろう。

規模こそ違うが、今まさに東城会が100億円の事で揺れているのもそう言った理屈なのだから。

 

「ちっ……手間のかかるガキ共だ」

「アンタ……なんでそこまでタカシの野郎に肩入れするんだ?」

「お前らにゃ関係ねぇ話だよ。そら」

 

俺は手に持っていた血塗れのピアスをリーダーの男に投げ渡した。

と言っても、持ち主の元に返しただけなのだが。

 

「これに懲りたら、もうピアスを開けんのはやめとくんだな。親に貰った身体だ。無闇に傷なんか付けるもんじゃねぇ」

「けっ、うるせーよ。オッサン……」

「あばよ」

 

短く告げてからバッティングセンターを出る。

タカシが向かった場所は、劇場前のデボラという名前のクラブだったはずだ。

 

(俺が行くまでやられるなよ、タカシ……!)

 

ヤクザが追い込みをかけている以上、残された時間は少ない。

俺は急いで劇場前へと向かった。

止めなければならない。

取り返しの付かない事になる前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~12月8日 14時45分。クラブ"デボラ" ギャラリーブースの防犯カメラ映像より〜

 

 

閉鎖された地下空間を、強めの明かりと音楽が彩っている。

若者たちが飲んで騒いで歌って踊る楽しげな様子を見せるダンスフロアとは対照的に、その上のギャラリーブースは緊迫した空気に包まれていた。

 

『ここまでだクソガキ』

『チッ……』

 

タカシと京香。

二人を取り囲んでいるのはスーツ姿の男達。

いずれも、跡部組の構成員達だった。

 

『どきなさい!私はもう帰らないんだから!』

 

組長の一人娘である京香が毅然とした態度で男達へ言ってのける。

その言葉に対し、サングラスをかけた幹部らしき男が一歩前に出る。

 

『お嬢……申し訳ありませんが、力づくでも』

 

男の名は浅井。

浅草を取り仕切る極道組織。"跡部組"のNo.2だ。

 

『タカシは?タカシはどうする気?』

『お嬢をたぶらかしたガキです。キッチリ落とし前付けさせて頂きやす』

 

浅井は懐から白鞘のドスを取り出す。

極道がこれを取り出すという事は、そういう事だ。

 

『そんな……!』

 

本職の凄みに戦くタカシ。

いくら不良と言えど、その筋のプロの凄みには敵わなかった。

 

『違うの!私が一人でお金を持ち出したんだから!タカシは関係ない!』

 

京香はそう弁明する。そしてそれは真実だった。

組から金を持ち出した上で、タカシに駆け落ちするよう嘆願したのは京香の方なのだ。

 

『お嬢……違いやす。お嬢はそう仕向けられたんですよ』

『京香……下がってろ』

 

タカシはそう言うと京香を庇うように前に出た。

覚悟を決めた彼は脅しをかけるヤクザ者を相手に真っ向から睨み返す。

 

『ずっと前に決めたんだ……俺は、何があっても京香を守るって!』

 

一触即発。

次の瞬間には血腥い光景が拡がってもおかしくない緊張感の中、一人のスーツ姿の男がその場に足を踏み入れる。

錦山彰だった。

 

『すいません兄貴、コイツ勝手に……!』

 

錦山の後に続いて、人払い兼門番役だった構成員が顔を出す。

どうやらこの門番の警備を突破して足を踏み入れたらしい。

 

『ほぉ……下のフロアに負けず劣らず、こっちも随分賑やかじゃねぇか』

『外野の出る幕じゃねぇ。引っ込んでな』

 

浅井が白鞘からドスを抜き出して錦山に突き付ける。

 

『そうはいかねぇよ。アンタら……そのガキを殺りかねねぇからな』

 

錦山は僅かに語気を強める。

極道がドスを抜いた時は本気の証。

それに対し、錦山もまた本気であると態度を以て示したのだ。

 

『やかましい!』

 

背後から門番役のヤクザが殴り掛かる。

しかし、錦山はまるで見ていたかのように僅かに首を振ってそれを躱してみせる。

 

『ぬぉっ!?』

 

空振った勢いで錦山の前に出るヤクザ。

その無防備となった隙を、錦山は逃さなかった。

 

『ドラァ!!』

『ぐぁっ!?』

 

右足で放った渾身の前蹴りでヤクザの体を蹴り飛ばす。

吹き飛ばされたヤクザは落下防止の手すり付近にいたヤクザをも巻き込み、階下のダンスフロアへと落ちていった。

 

『うわぁ!?』

『きゃぁ!?』

 

ダンスフロアにいた若者たちが悲鳴を上げ、一目散にその場を立ち去っていく。

ヤクザ同士の抗争に巻き込まれる訳には行かないから

だ。

 

『何しとんじゃボケェ!?』

『いっぺん死ぬか?あぁ!?』

『随分血の気が多いんだな、アンタの舎弟は。こりゃ遠慮しなくて済みそうだぜ』

 

錦山はそう言って口の端を歪める。

跡部組から先に手を出した事で、自分が遠慮なく暴れる大義名分を得る事が出来たからだ。

 

『大した根性だな……この人数相手に』

『そりゃどうも』

『話はしまいだ……やれ!』

『『『『『へい!』』』』』

 

跡部組の構成員が臨戦態勢に入ったのと同時に、錦山もまたファイティングポーズを取る。

闘いが始まった。

 

『くたばれぇ!』

 

一人目のヤクザが錦山目掛けて荒々しいストレートを放った。

錦山はその一撃を紙一重でやり過ごし、カウンターの右フックを顔面に叩き込む。

 

『ぐぶぁ!?』

『この野郎!』

『くそボケェ!』

 

地面に倒れた一人目を乗り越えて二人目と三人目が同時に飛びかかる。

 

『せいっ!』

 

錦山は振り抜いた右フックの勢いのまま身体を反転させると、右足を軸に回転を加えて左脚を上段に振り抜いた。

後ろ回し蹴り。

数多ある空手の蹴り技の中でも威力の高い大技だ。

 

『『ぐぉっ!!?』』

 

横凪に振るわれたその攻撃に、ヤクザ達は文字通り一蹴される。

 

『ガキがぁ!!』

 

後続の四人目がどこからか持ち出した鉄パイプを真上に振り上げる。

直後、鉄パイプが錦山の頭部へと振り下ろされる。

 

『ふッ、でぇりゃァ!』

 

錦山は半歩後ろに下がってそれをやり過ごした。

そして、振り下ろされた鉄パイプを踏みつけて飛び膝蹴りを繰り出す。

 

『ぎゃぶっ!?』

 

下顎を砕かれた四人目が白目を剥きながら崩れ落ちた。

 

『うおおおっ!』

 

その直後に五人目が錦山へのタックルを敢行。

錦山もそれにすかさず対応し、両者の取っ組み合いに発展する。

 

『フンッ!』

 

錦山は左腕を相手の首下に差し込み、右手で左腕を引っ張って五人目の首を締めた。

フロントチョークと呼ばれる関節技の一種だった。

 

『が、っ……カ…………』

 

程なくして力を失う五人目。

頸動脈を締められた事で意識が落ちたのだ。

 

『次はアンタか?』

『テメェ、やってくれんじゃねぇか……!』

 

無力と化した五人目の体を放り捨て、錦山は浅井へと標的を定めた。

浅井もまた、錦山を自らの標的とみなす。

 

『死ねやぁ!』

 

ドスの刃が錦山の顔面へと迫る。

狙いは両目。

視界を奪ってしまえば大抵の生物は無力化が出来る。

それは人間であっても同じだろう。

 

『おっと!』

 

しかし、錦山はそれを紙一重で回避してみせた。

刃物を全く脅威に感じていないのか、余裕のある笑みすら浮かべている。

 

『ナメんじゃねぇ!』

 

その後浅井は何度も追撃するが、ドスの刃は虚しく空を切り続ける。

錦山の顔どころか髪の毛の一本すら斬ることが出来ずにいた。

 

『っと……のろいぜアンタのドス捌き!』

『っ、ふざけてんのかオラァ!』

 

痺れを切らした浅井は錦山の腹部目掛けて刺突を繰り出した。

錦山はそれに対し、あえて前に出た。

 

『なっ!?』

 

直後、浅井の顔が驚愕に染まる。

彼の突き出したドスは錦山の腹部へと突き刺さらず、ドスを持った右手ごと脇腹と左腕に挟み込まれていた。

 

『俺に傷を付けたいなら……真島吾朗でも呼んでくるんだな!!』

 

叫ぶのと同時に、錦山の頭突きが浅井の顔面に直撃する。

 

『ぐぶっ!?』

『はァッッ!!』

 

まともに喰らった浅井は思わずたたらを踏む。

その隙を逃さず、錦山はがら空きになった胴体に正拳突きを叩き込んだ。

 

『ぐ、ぉ……!!』

 

かつて受けた事が無いほどの一撃に浅井は悶絶した。

手に持っていたドスを取り落とし、その場に膝を着く。

 

『よう?まだ続ける気か?』

『ちっ……!』

 

余裕の表情で見下ろす錦山に対し、浅井は舌打ちをするだけで抵抗する力は残っていない。

錦山の完全勝利だった。

 

『タカシ』

『な、なんだ……?』

 

勝負を終えた錦山はタカシに声をかけた。

 

『露払いはしてやった、女と逃げたきゃ好きにしろ。だが……その金は置いていけ』

『……』

 

錦山はテーブルの上に置かれた黒いカバンを見ながらそう言った。

その中には、京香が父親から持ち逃げした多額の現金が入っている。駆け落ち用の逃亡資金と、当座の生活費に宛てるつもりだったのだろう。

 

『惚れた女と駆け落ちしようってんなら、テメェ一人の力でやってくのが筋ってもんだろうが。それをテメェの女が持ってきた……ましてや盗まれた金で養われようなんざ、図々しいにも程があるぜ』

『……分かったよ』

 

タカシは力なく背後の席に座り込みながらも、それを了承した。

ここまで世話を焼かれ、二度も危機を救われた恩人の言葉を無碍にするほど腐ってはいないという事なのだろう。

 

『ダメよ、お金も無くてこれからどうするの!?』

『でもよぉ……』

『クソガキ……!』

 

考え直すように説得しようとする京香だったが、タカシの態度はハッキリとしたものではない。

浅井は、そんなタカシを睨みつけて吐き捨てた。

 

『テメェそんな半端でお嬢と逃げる気か?チームじゃパシリで……挙句にゃメールで組抜けるってか?』

『……!』

 

痛い所を突かれたのか、タカシの表情が凍り付く。

それに対して京香が噛み付くように言い放った。

 

『黙りなさい!……いいよタカシ、もう行こう?』

『お嬢……!親父は何より、お嬢の幸せを……』

 

浅井のその言葉に、京香の沸点が限界を迎えた。

 

『なら、なんでお父さんは来ないの?』

『いや、それは……』

『ふざけないでよ!!私はね!お父さんがヤクザなばっかりに……今まで散々だった!』

 

瞼に透明な雫が溢れ出し、京香はタカシに抱きついて顔を埋めてしまった。

まるで、今の自分にはタカシしか居ないと言わんばかりに。

 

『分かってやす。お友達も出来ず……お嬢はずっとお一人きりだった。親父もそれが不憫でならねぇと……』

『……』

 

浅井の口から出た京香の過去に、錦山は僅かに眉をひそめた。

彼にもどこか、思い当たる節があるのだろうか。

 

『……っ』

『タカシ……?』

 

タカシはおもむろに立ち上がると、浅井の前に立った。

 

『オレ……』

『あ?』

 

そこでタカシは、その場で両膝を着くと浅井に対して頭を下げた。

彼は、自分なりのケジメを付けようとしていた。

 

『オレ……確かに今はハンパです。でも……目一杯働きます!頑張って……頑張って、絶対に京香さんを幸せにしますから!』

『口先だけか?』

 

浅井の言葉はどこまでも冷たい。

彼はタカシを軟弱な半端者としてしか見ていないのだ。

 

『……証明します』

 

タカシはそう言って地面に落ちていたドスを拾うテーブルの上のバックをどかして刃を机に突き立てた。

そして、自分の左手もそこに置く。

 

『タカシ!!』

 

極道の娘として育った京香は、タカシが何をしているのかすぐに察した。

タカシは、京香の生まれ育った稼業の習わしに従って"ケジメ"を付けようとしているのだ。

 

『……っ、うわああああ!』

『よせ!!』

 

しかし、その刃がタカシの指を落とす前に彼を力づくで止めた男が居た。

錦山だった。

 

『お前はヤクザじゃねぇんだ。ケジメを付けるってんなら……命懸けでさっき口にした事をやり遂げろ。良いな?』

『っ!は、はい!』

『よし……アンタもそれで良いよな?』

『……それについちゃ、これで答えさせて貰うとしよう』

 

浅井はそう言うと、懐から一枚の書状を取り出した。

 

『お嬢……親父からの、伝言です』

『え……?』

 

達筆な文字で書かれたそれを拡げ、浅井は静かに読み上げた。

不器用な父の想いが綴られた、その手紙を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

賽の河原の最奥にある花屋の屋敷。

その地下にあるモニタールームで、二人の男が事の顛末を見届けていた。

 

『京香。私は生まれついての極道だ。何十人の部下を連れながら……だが、たった一人の娘を幸せにしてやれない極道者だ。汚れ過ぎた私の手に、お前を抱きしめてやる資格は、もう無い。だから行け。京香を……よろしくお願いします』

 

手紙を読み上げる浅井の声がモニタールームに響き渡る。

彼は確かに、父の伝言を娘に託したのだ。

 

『……ハナっから、組長の描いた絵図通りって訳か』

 

モニターの向こうにいる錦山が、真っ直ぐにカメラを見つめる。

その顔には"やれやれ"と書かれていた。

 

『ったく……人が悪いのはお互い様ですね』

 

錦山には当然、今のこの場の状況は伝わっていない。

彼はあくまで防犯カメラのレンズを見つめているに過ぎないからだ。

 

「ははっ、違いねぇ……」

 

しかし、十中八九自分に向けて発せられたであろうその言葉に対し、跡部京三はそう返した。

そして、静かにメインモニターに背を向ける。

 

「もう良いんですかい?」

 

花屋が確認するが、跡部は震えた声で返答した。

 

「あぁ……そのモニター、滲んじまって見れたもんじゃねぇ」

「へへっ、こいつぁ……」

 

跡部は静かに目元を拭ったあと、ふと口にした。

 

「あの長い髪の兄ちゃんから聞いたぜ……アンタ、ヤクザ嫌いなんだってな?」

「……えぇ」

「良いのか?」

 

尋ねる跡部に対し、花屋はなんでもない事のようにこう返した。

 

「あんたは、せがれの選んだ女の親父……俺にはそれだけです」

「……そうかい」

 

そして跡部はもう一度向き直る。

メインモニターには、お互いを慈しむように抱きしめ合う二人の姿があった。

 

「立派な息子さんだ」

「……俺が育てたんじゃ無いですから」

「ウチもさ……」

 

その言葉を最後に、花屋はメインモニターの電源を落とした。

これでもう、二人が互いの家族を見守る事は無い。

いや、もうその必要も無いのだろう。

二人はこれから、二人だけの道を歩んでいくのだから。

自分達の足で、どこまでも。

 

 




如何でしたか?

次回は引き続き、錦の世話焼きです。

ホスト通いはハタチになってから。

是非お楽しみに


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伊達家の事情 前編

最新話です

いよいよ伊達さん関連のエピソードが始動します。

それではどうぞ!


12月8日。時刻は15時頃。

タカシの一件を片付けた俺は、賽の河原へと戻っていた。

サイの花屋に恩を売る為だ。

 

「よう」

「錦山か……」

 

花屋の態度は相変わらずぶっきらぼうだったが、その表情からはカドが取れたような気もする。

まぁ、身内のトラブルを心配する必要が無くなったとあれば余裕も出来るだろう。

 

「関わるなと遠回しに言ったつもりだったんだがな……思いっきり首突っ込みやがって」

「なんだよ、それが息子を二回も救った恩人に対する態度か?タカシの方がまだ素直だったぜ?」

「フッ……冗談だよ。世話になったな、礼を言うぜ」

「良いって事よ。今後もよろしくな、花屋」

 

実際のところ俺がタカシを助けたのは花屋に恩を売る為でもあったが、それだけじゃない。

ユウヤの時もそうだったが、若くて熱いヤツらが居るとどうにも応援したくなってしまうのだ。

 

(俺もオジサンになっちまったって事か……)

 

思わずため息が出る。

10年間も塀の中に居たからか自分が歳をとったという自覚が薄かったが、ここに来てそれを再認識してしまった。

 

「あぁ、そうだ。そういえば、タカシの連れの親父さんがこんなもん置いてったんだ」

「ん?」

 

花屋はそう言うと、自分の机の上に何かを置いた。

 

「こいつは……」

 

それは、白い鞘に納められた短刀。

少しだけ刃渡りの長めに造られているそれは、俺たちの界隈で言う所の長ドスと呼ばれるものだ。

 

「京香って女の親っさんからか……俺にくれるって?」

「あぁ、ここで一緒に見てたんだよ。なんならその前に一度顔を合わせてたな」

「やっぱりか……」

 

俺の脳裏には、数十分前にちょうどこの部屋で出くわした極道の顔が浮かんでいた。

タイミングからしてそうじゃないかと推測していたが、やはりあの男が跡部組の組長だったのだろう。

 

「お前にとても感謝していてな。"機会があれば、いずれ酒でも汲み交わそう"と言ってたぞ」

「そうか……」

 

俺は机に置かれた長ドスを手に取った。

しっかりとした重さがあり、抜かなかったとしても鈍器になりそうだ。

刃を軽く抜いてみると、うっすらと刃紋が刻まれた刀身が顕になった。

これは造りからしてそこらのヤクザが護身用に持ち歩くような粗悪品とはわけが違う。

凄まじい切れ味を誇る、紛れもない業物の短刀だった。

 

「気持ちは嬉しいが、随分と物騒なモン貰っちまったな……」

「さしずめ、御守り代わりの懐刀って所か。それまで生き延びろって事なんだろうよ。まぁせっかくの差し入れなんだ、ありがたく貰っとけ」

「そうさせて貰うよ。使う機会は無いかもしれんがな」

 

何せ今の俺は刑事である伊達さんと行動を共にしているのだ。

こんなものを持っているのがバレたら銃刀法違反で捕まってしまう。真島のように表立った喧嘩で使う訳には行かないだろう。

 

「それから、コイツも持っていけ」

 

すると花屋は更に何かを取りだした。

 

「これは?」

 

俺は尋ねながらもそれを手に取る。

先程のドスと勝るとも劣らない重さを持った黒い円筒のような形状をした物体だ。

材質は金属が主だが、他にも特殊樹脂や硬めのゴムなどが使われているのが見て取れる。

 

「ウチの部下のモグサって奴がいるだろう?ソイツがお前さんに渡してくれってな」

「モグサ……あぁ、アイツか」

 

俺はすぐに思い出す。

ピンク通りのあたりで花屋が不機嫌だからどうにかしてくれと言ってきた、髭面のホームレスだ。

今回の一件のお礼という事なのだろう。

 

「モグサの奴は昔、ホームレス狩りに遭っていた事があってな。護身用の武器を幾つか持ち歩いていたのさ。これはそのうちの一つで、スタンバトン。言わば電流の流れる伸縮式の警棒みたいなモンだ」

「ほぉ、そいつはすげぇな……!」

「そこで軽く振ってみな」

 

俺は、右手で持ったそれを素早く振った。

すると、円筒形のグリップから鈍色のシャフトが飛び出す。

 

「軽く触れただけじゃ何も起きないが、相手に強めにぶつけたりグリップにあるボタンを押せば強い電流が流れる仕組みになってる。並の奴なら気絶間違いなしだぜ」

「これはありがてぇ……使わせてもらうぜ」

 

これならば先程貰ったドスとは違い比較的簡単に取り出せる為、咄嗟に扱う武器にピッタリだった。

俺は警棒のシャフトを縮め、懐にしまい込んだ。

 

「錦山、これからどうするんだ?」

「一度セレナに戻ろうと思ってるが、その前に腹ごしらえだな。流石に腹が減っちまった」

「そうか。なら、この河原の中に料亭があるからそこで食っていくと良い。今回は俺の奢りにしてやる」

「お、良いのか?」

「構わねぇよ。俺からの礼だ」

 

その申し出は今の俺にとって何よりの馳走だった。

護身用の武器も手に入り、腹も膨れ、最高の情報源である花屋に恩も売る事が出来る。

思っていた通り、三つのタスクを同時にこなす事が出来たのだ。賽の河原に足を運んだのは我ながら良い選択だったらしい。

 

「ありがとよ、遠慮なくご馳走になるぜ」

「あぁ」

 

その時、俺の携帯から着信音が鳴り響いた。

記された番号には見覚えがある。セレナの番号だ。

 

「ん?セレナから?……もしもし?」

『あ、もしもし錦山くん?私、麗奈よ』

 

電話の主は思っていた通り、セレナのママである麗奈からだった。

 

「おう、どうしたんだ?」

『伊達さんがセレナで酔い潰れてるのよ』

「え?伊達さんが……?」

 

時刻はまだ夕方と言うには早い時間帯だ。

現役の警察官とは言え、今は職務中の時間帯であってもおかしくない。

 

「まだ昼間みてぇなもんだろ?なんでまたこんな時間から……」

『分からないわ。でも、このままってわけにも行かないし……一旦セレナに戻ってきてくれないかしら?』

「分かった、行くよ」

『うん、早く来てね』

 

俺は携帯電話を切ってポケットに仕舞った。

どうやらメシの時間は後回しにした方が良いらしい。

 

「悪ぃな花屋、ちょっと急用が出来ちまった。また今度奢ってくれ」

「みてぇだな。まぁそういう事なら仕方ねぇだろう。気を付けて行けよ」

「あぁ、じゃあな」

 

そう言って俺は踵を返した。

この閉ざされた世界から、麗奈の待つ地上へと向かうために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月8日。15時30分。

天下一通りにあるバー、セレナへと足を運んだ錦山の耳に聞こえてきたのは、彼が今面倒を見ている少女である"遥"の話し声だった。

 

「うん……うん…………大丈夫だよ、お母さんを見つけたらすぐ帰るから………うん…………」

 

遥は自分の携帯に耳をあて、誰かと話していた。

バーカウンターにいた麗奈と目が合った錦山は黙って頷くと、静かに入ってきたドアを締めた。

 

「うん……うん……分かってる。ヒマワリには内緒にしててね。それじゃ……」

 

遥が電話を切ったのを確認した後、錦山は声をかけた。

 

「おはよう遥。誰と電話してたんだ?」

「おはようおじさん。私の事よりも、伊達さんの事で戻って来たんでしょ?」

「まぁ、な…………」

 

遥はなんでもない事のように言って、携帯をポケットにしまった。

そんな遥を見て錦山もそれ以上追求するのをやめ、バーカウンターに突っ伏して寝ている伊達に視線を向けた。

 

「ほんとにぶっ潰れてんだな……」

「そうなのよ、伊達さん錦山くんが戻ってくるまでの間ずっと飲み続けててね」

 

若干呆れたように言う麗奈。

そこで錦山はカウンターに置かれていた酒瓶を見る。

先程まで伊達が飲んでいた銘柄だろうか、中身は空になっていた。

 

「こんなに強い酒を……一体どうしたって言うんだ?」

「さぁね……色々あるみたい」

 

人間は誰しもが大なり小なり苦労や悩みを抱えているものだ。正義に生きる伊達もまた、その例外では無いという事なのだろう。

 

「ん?」

 

その時、伊達の頭の横に置いてある携帯に着信音が入った。

錦山が手に取った携帯電話の画面には『沙耶』という文字が表示されている。

 

「……?」

「……!」

 

どうする?とアイコンタクトで麗奈に問う錦山。

それに対して麗奈はジェスチャーで電話に出るように伝えた。

それに応え、錦山は通話ボタンを押して耳元に端末を近づける。

直後。

 

『なんでいっつも来てくれないのよ!バカ!!』

「っ!?」

 

女の怒声が端末越しに錦山の鼓膜を叩いた。

突然の事に驚いた錦山が一瞬身体を震わせている間に電話は一方的に切られてしまう。

 

「びっくりさせやがって……何なんだ一体?」

「なになに?」

「沙耶って名前の女からだ。いきなり叫ばれたんでビックリしたが……どうやら、伊達さんが約束をすっぽかしたのが原因らしい」

「それ、伊達さんの娘さんよ。さっき酔っ払いながら言ってた」

 

錦山はふと思い出した。

十年ぶりに再会し協力関係を結んだ時の事を。

 

(娘、か……そういや女房と娘が愛想つかして出ていったって言ってたな……)

 

伊達は上の意向を無視して堂島宗兵殺しを追った結果、捜査一課を降ろされてしまった過去を持つ。

彼に"お前に関わったおかげで人生が狂った"と恨み言を吐かれたのは錦山にとって記憶に新しい出来事だ。

 

「この辺で約束してたみたいだけど……しょうがないわね」

「この辺?どこだ?」

「第三公園……って言ってたわね。確か」

「第三公園か……」

 

第三公園とは、天下一通りの裏路地にある小さな児童公園の事だ。

街の性質上、神室町には小さな子供がほとんど居ないため、現在はドラム缶で焚き火をしているホームレスの溜まり場になっている。

 

「仕方ねぇ……ちょっと行ってくるか」

「行くって……第三公園に?」

「あぁ。伊達さんもこのままって訳にもいかねぇだろうし、娘さんにも今の事を伝えてやらねぇとな。それらしい女の子を見つけたら声をかけてみるよ」

 

あくまでも親切で言っている風だが、興味本位で言っている部分もある錦山。

そんな事など知るはずもない遥が、錦山に問いかけた。

 

「おじさん、またどこかに出かけるの?お母さん探しは?」

「あぁ、まだ新しい手掛かりが見つからなくてな。今は動きようがねぇ」

「そうなんだ……」

 

少しだけ残念そうに俯く遥。

そんな遥に錦山はこう続けた。

 

「でもな、今夜あたり新しい手掛かりが掴めるかもしれないんだ」

「本当?」

 

錦山は頷く。

彼の言っている手掛かりとは、海藤の呼び出しの事だった。海藤は錦山と、錦山に話がある誰かを引き合せるつもりでいる。

錦山はその人物は海藤の兄貴分、つまり松金組の幹部であると踏んでいた。

もしもそうなら、消えた100億の事件について何か知っている可能性があっても不思議では無い。

そして100億事件を追うという事は、それに密接に関わっていると思われる美月。つまり遥の母親へと繋がる可能性もあるという事だ。

 

「あぁ。ただ、そこに行くのはかなり危険なんだ。だから少しだけ待っててくれ」

「……うん、分かった」

「ありがとよ。麗奈、行ってくるぜ」

「行ってらっしゃい」

 

頷く遥に礼を言い、錦山はセレナを出た。

その後は、迷いない足取りで天下一通り裏へと向かう。

第三公園は天下一通りと中道通りを繋ぐ通路の中にある為、セレナから公園までは目と鼻の先だった。

 

(さて、この辺りだったはずだが……)

 

程なくして、錦山は第三公園へと辿り着く。

公園の中には公衆トイレと簡素なブランコ、ベンチが存在し、その中央に焚き火がされたドラム缶が鎮座している。

本来こういった児童遊園での焚き火は禁止されている筈だが、こういった事では一々取り締まられないのが如何にも神室町らしさを物語っていた。

 

「ねぇ、おじさん、暇?」

「ん?」

 

錦山が背後からかけられた声に振り返ると、そこには二人の歳若い女性がいた。

 

(じょ、女子高生……だよな?)

 

髪の色は茶髪と金髪。

青いブレザーとスカート、そしてルーズソックスを履いたその出で立ち。

彼の知るイメージから大分かけ離れていたせいか、錦山は目の前の二人が女子高生である事を認識するのに僅かに時間をかけた。

 

「これから私達と遊ばない?」

「一人でもいいけど、二人一緒でもOK。条件は特に無いけど、ムチャなのは勘弁ね」

「…………」

 

錦山は二人の口ぶりから、目の前の少女達が錦山に求めている事を瞬時に察した。

 

(女子高生で"ウリ"か……相変わらずだな、この街は)

 

売春(ウリ)

またの名を援助交際と呼ばれるそれは己の体を性の対象として明け渡す代わりに、金銭を手に入れようとする行為だ。

こういった行為は日本でなくても決して珍しいことでは無い。発展途上国の繁華街やスラム街等では日常茶飯事であると言われている。

まだ20歳にも満たないうら若き女性が一時の金欲しさに己を安売りするのは、決して褒められた事では無いだろう。

 

(だが……頭ごなしに説教するのは筋違いだ)

 

しかし、長い期間この街で生きてきた錦山はこのような手合いには大なり小なり理由があるという事も知っている。

中には快楽目当てでこのような行為に走る物好きも居るのだろうが、大抵の場合はそれには当てはまらない。

己の体を明け渡すのに抵抗がある中で、どうしても金が必要である場合がある事が多いのが現実だ。

 

(……そうだ)

 

そこで錦山はある方法を思い付いた。

彼女達のプライドを傷付ける事無く、そして彼女達の体を汚すことなく、それでいて自分にとって有益な方法を。

 

「そうだな……生憎、キミらと遊べるだけの時間は無いが、お小遣いならあげられるかもしれない」

「えっ?どういう事……?」

 

怪訝な顔をする女子高生に、錦山は提案した。

 

「今、ちょっと人探しをしていてな。知ってることを教えて欲しいんだ。もしそれが有益な情報なら、その対価としてって形で報酬を出すよ。それでどう?」

 

それは、報酬と引き換えにした聞き込みだった。

錦山が先程電話で聞いた女性の怒鳴り声は、かなり若い声だった。

伊達の娘であることを鑑みて、歳頃は10代後半から20代前半である事を錦山は予測した。

であれば、目の前の少女達はその年齢の範囲内に該当する為、錦山にとって何か有益な情報を知っている可能性が高いのだ。

 

(この子達が情報を持ってれば金も稼げるし、ウリもしないで済む。俺も情報が手に入る。いい事ずくめじゃねぇか)

 

我ながらいい落とし所だと内心で頷く錦山。

 

「うん、それでいいよ」

「まぁ、知ってる事しか話せないけどね」

 

少女達は顔を見合わせて頷き合うと、錦山の申し出を受け入れた。

彼女らも金が手に入れば文句は無いのだろう。

 

「それで、何が聞きたいの?」

「あぁ……」

 

そして。

 

「探してるのは俺の知人の娘さんでな。沙耶って名前の若い女なんだが……」

「!!」

 

錦山がそう口にした途端、茶髪の女子高生の顔が強張った。

金髪の女子高生もまた、目を見開いて絶句する。

 

「ん?何か、知ってるのか?」

「その……知人の人の名前って……?」

「伊達だ。伊達真」

「っ!」

 

すると茶髪の女子高生は慌てて踵を返した。

錦山は、一秒後には走り去ってしまうであろう彼女の手を咄嗟に掴まえる。

 

「ちょっ、待ってくれ!一体どうしたってんだ!?」

「いや!離して!」

 

拒絶する少女の叫び声が錦山の耳朶を打ち、同時につい先程の記憶を鮮明に呼び起こした。

 

「ん…………?」

 

錦山が電話口で聞くことになった叫び声と目の前の少女の声が、彼の中で完全に一致したのだ。

 

「もしかして……君が、沙耶か?」

「っ……!」

 

指摘された彼女は何も答えない。

しかし、無言のまま諦めたように抵抗をやめたのが何よりの証拠だった。

 

(おいおい、マジかよ……)

 

錦山はこの日、とんでもない事実を知ってしまった。

腐れ縁の協力者である伊達の娘が、その場の金欲しさに援助交際をしていたという事実を。

 

(俺ァ、伊達さんになんて言えば良いんだ……?)

 

実父である伊達にはとても説明できない程の衝撃的な事実に内心で頭を抱える錦山。

正体を暴かれた女子高生 "沙耶"はそんな錦山の事を真っ直ぐに睨み付けていた。

 




如何でしたか?

今回は愛は盲目を体現する女子高生、沙耶の登場です。
果たして錦山はどう接していくのか

次回もよろしくお願いします


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伊達家の事情 中編

最新話です

伊達さん親子エピソードが意外と長引きそうです。


2005年12月8日15時45分。

神室町、天下一通り裏の第三公園にて錦山は伊達の娘である沙耶を見つけることに成功した。

ただし、同級生と二人で援助交際の真っ只中という最悪のタイミングで。

 

「ふぅ……」

 

錦山は沙耶達二人を公園のベンチに座らせると、煙草を吹かした。

空へと溶けていく煙を見上げてから、錦山は改めて沙耶に問う。

 

「さて、色々と聞きたいことはあるが……お前、ホントに伊達さんの娘さんなんだな?」

「……だったら何よ?」

 

沙耶は不貞腐れた態度でそう返す。

錦山は彼女の態度に関しては気に留めず、今問うべき事を問いかけた。

 

「伊達さんはこの事知ってんのか?」

「はぁ?」

 

錦山のその問いに疑問の声を上げたのは沙耶では無く、一緒にいた金髪の少女だ。

その声音からは"有り得ない"と言ったニュアンスが含まれており、そう思ったのは沙耶も同じだった。

 

「知ってる訳ないじゃん!頭おかしいんじゃ無いの!?」

「ま、そうだろうな…………」

 

沙耶の無礼な物言いに対し、錦山はあくまで冷静にそう応えた。その返答は、錦山にとって予想していたかものに過ぎなかったからだ。

 

「な、なによ?」

「自分の親に"その場の金欲しさで男に股開いてました"……なんて言える訳ねぇだろう。俺が親なら卒倒するぜ」

 

錦山は吐き捨てるようにそう言った。

欲望と権力が渦巻く神室町において、売春行為に手を染める女性は少なくない。

理由はただ一つ。金を手にする為だ。

 

(愛想つかして出ていったっつっても、養育費は伊達さんが払っている筈だ。なら、それなりに真っ当な生活が送れている筈なのに……)

 

生きる為の金を手に入れるための手段であるならばいざ知らず、沙耶はその場の金欲しさでそのカラダを安売りしようとしていたのだ。

錦山はそのあまりの短絡さと浅はかさを嫌悪していた。

 

「……か、関係ないでしょ!チクリたきゃチクりゃいいじゃん!」

「馬鹿。こんな事、赤の他人である俺の口から説明させんじゃねぇよ。やった事にキッチリ責任持ってお前の口から説明しやがれ」

「フン、冗談じゃない!肝心な時に何もしてくれないあんなダメ親父になんて、説明する義理なんか無いっつの!」

 

沙耶は勢いよく立ち上がった。

一刻も早くこの場を立ち去りたいのだろう。

 

「とにかくお金が必要なの!ほっといてよ!」

「ちょっと待った!」

 

公演を出ていこうとする沙耶を、錦山は呼び止めた。

 

「なによ!まだ何か、用……えっ?」

 

その行為を煩わしく思った沙耶が語気を強めて振り返った直後、沙耶は思わずそんな声を上げた。

それもそのはず。

自分に説教を垂れた上で父親を連れて来てもおかしくないこの男は、どういう訳か一枚の紙幣を沙耶に差し出していたからだ。

その額、一万円。

 

「……なに?」

「有益な情報を貰えれば小遣いをやる。そういう約束だっただろ?ちょっと予想外だったが、俺は目的を果たせた。これは報酬だ、受け取れよ」

「……フン!」

 

沙耶は鼻を鳴らすと錦山の手から紙幣を奪い取り、足早にその場を立ち去って行った。

 

「沙耶!」

「ふぅ……やれやれ…………」

 

ため息と共に煙を吐く錦山。

その顔には、この事を伊達が知ったらどうなるのかという不安が浮かび上がっていた。

 

「……ねぇ、オジサン?」

「ん?なんだ?お前も金が欲しいのか?」

「いや、そうじゃなくて…………オジサンは、沙耶の味方?」

 

沙耶と一緒にいた金髪の女子高生が錦山にそう尋ねる。

それに対し、錦山はこのように回答した。

 

「正確にはあの子の親父の味方なんだが……まぁ、似たようなもんだ」

「……そっか」

 

それを肯定的に捉えたのか、女子高生はポツポツと語り始めた。

 

「実はね……沙耶、変な男にハマっちゃってるんだ」

「変な男?」

「うん、正太郎とかいう奴。チャンピオン街のシェラックってバーの」

「シェラック……」

 

錦山はその店の名前に覚えがあった。

 

(その店……まだあったんだな)

 

10年前、彼がまだ現役の頃に顔を売って懇意にしていた馴染みの店の一つだった。

 

「それで、その正太郎ってのはどんな男なんだ?」

「なんか金のかかる男なんだって。それであの子、あんな事までして遊ぶ金作ろうとしてるの」

「なるほどな……」

 

巧みな話術で女を落として依存させ、惚れた弱みに漬け込んで金を搾取する。

その正太郎という男は、紛れもない女たらしという事なのだろう。

 

(本当にカタギか?そいつ……)

 

女を利用するだけ利用し、干からびたら捨てる。

そんな事をやる連中は神室町では珍しくない。

かつては錦山もそうやって金を作っていたヤクザを何人か認知しており、そう言った手合いから誘いを受けた事もある。

もっとも、それは彼自身の流儀に反するので丁重に断ったのだが。

 

「ねぇオジサン……あの子ヤバいかも。オジサン強そうだし、沙耶のお父さんの友達なんでしょ?何とかならない?」

「そうだな……」

 

本来は錦山には関係の無い話なのだが、彼は放ってなど置けなかった。

伊達は今や、錦山の追いかける事件にとって欠かす事の出来ない存在なのだ。彼が居なければたどり着けていなかった部分もあるだろう。

今こそ、その恩義に報いる時だと錦山は結論付けた。

 

「良いぜ、後の事は任せときな。ほらよ」

「ん……?」

 

錦山は金髪の女子高生にも一万円を差し出した。

疑問符を浮かべる彼女に、錦山は語りかける。

 

「俺を信用して、正太郎の情報を教えてくれただろ?その対価だ」

「いいの……?」

「今の俺にとっては有益な情報だったんでな。沙耶にだけ金を握らせたんじゃ不公平だろ?俺ぁ、そういうのはフェアで行くタチなのさ」

「そっか……じゃあ貰っとく。ありがと、オジサン」

「それと……」

 

錦山は紙幣を受け取ろうとした女子高生の手を引き、自分の元へ軽く引き寄せた。

 

「な、なに?」

 

困惑する彼女の顔を覗き込みながら、錦山は真剣な眼差しでこう告げた。

 

「悪い事は言わねぇからよ、もう売春なんかやめとけ。良い女ってのは、意外と身持ちが堅いもんだぜ?」

「は、ぇ、っ?」

「その辺がもちっと分かって大人になったら、また声かけてくれや。その時は喜んで付き合うからよ」

 

そう言って手を離し、錦山は一万円を彼女に握らせてからその場を後にする。

彼なりに彼女の事を慮った、真摯な忠告だった。

その忠告は、確かに彼女の心を打った

しかし同時に。

 

(やば……あの人、めっちゃイイんだけど…………!)

 

神室町のとある店で一夜限りのNo.1として君臨した経験もある錦山の整った風貌と大人の魅力が、一人の少女の心を奪い去って行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町、チャンピオン街。

店舗やテナントの入れ替わりや再開発が盛んに行われる神室町において、戦後の頃から変わらぬ姿を保っている長屋造りの飲み屋が軒を連ねる一帯だ。

バブル経済の折に再開発の利権を狙う東城会のヤクザによる地上げなども行われていたが、住民たちの結束によりそれを退けることに成功して今日までの姿を保ってきた。

俺はそんなチャンピオン街の数ある店舗の一つである"シェラック"に足を運んでいた。

10年前と変わらないドアを開けて、店内へと足を踏み入れる。

 

「いらっしゃい……って、アンタは……!?」

「よう、久しぶりだなマスター」

 

バーカウンターの奥にいたマスターは、俺と目が合うなり驚きの表情を見せた。

律儀で寡黙な性格が売りだったはずのマスターだが、流石に十年ぶりにいきなり現れるのは予想外だったらしい。

 

「10年ぶりだな、錦山の旦那。まさか神室町に帰って来てるとは思わなかったが……」

「まぁ、色々あってな」

「まだヤクザやってんのかい?」

「いや、お勤め行く前に破門にされてな。今はもうカタギだ」

「そうかい」

 

俺はマスターの正面の席に腰掛けた。

するとマスターが灰皿を寄越してくれたので、ご厚意に甘えて使わせて貰う事にした。

 

「ふぅ…………しっかしここは、10年前から変わらねぇんだな。どうだ?あれから儲かってるか?」

「そうだな、つい最近までは順調だったんだが……こないだ、お前がいた所の三代目が殺されただろう?あれ以来、街全体がピリピリし始めてな。常連もビビって姿を見せなくなっちまった。ったく、迷惑な話だぜ」

「そうなのか……」

 

俺は内心で冷や汗をかいた。

その一連の事件に自分が一枚噛んでいるだなんて、とてもじゃないが言えたものではない。

 

「せっかくなんだ、何か注文してってくれよ」

「そうだな、そうしたいのは山々なんだがよ。今日はゆっくり呑みに来たわけじゃねぇんだ」

「と言うと?」

 

世間話もそこそこに、俺は本題に入る事にした。

 

「今、人を捜しててな。正太郎って奴なんだが……この店にいるって話を聞いてな?マスター、何か知ってるか?」

「正太郎に?アイツなら三ヶ月前に店辞めたが……何か用なのか?」

「辞めた?そうなのか?」

「あぁ……」

 

マスターは苦い顔をしながら続ける。

 

「アイツは勤務態度が悪くてな。たまにお客さんであっても失礼な発言するし、無断遅刻やバックレは当たり前だった。まぁ最近の若いもんはそういう手合いが多いらしいが、少なくともウチには置いとけないと判断したんでね。クビにさせてもらった」

「なるほどな」

 

街中で犬を虐める三下と言い、ウリを持ちかけてくる女子高生と言い、最近は世の中をナメてる若い連中が多いようだ。

 

「何の用かは知らねぇが、アイツにゃ関わらねぇ方がいいぜ?」

「どうしてだ?」

「こないだ偶然街で奴を見かけたんだがな。明らかにカタギじゃなさそうな連中とつるんでたんだよ。ヤクザか、闇金か……いずれにせよロクなもんじゃねぇ」

 

マスターの話に俺は眉をひそめる。

何だか話がきな臭くなってきた。

 

「せっかくお勤めを終えて綺麗な身体になったんだ。自分から好んで厄介事に首を突っ込む事は無いだろう?」

「……俺の知り合いがその正太郎に関わってるらしくてな。今の話を聞いた以上、ますます引けなくなっちまった」

 

つい先程まで顔を合わせていただけだが、沙耶も立派な知り合いだ。

そんな沙耶が入れ込んでいるというその正太郎という人物。現状、マスターから聞いただけの印象は最悪だが、清濁あってこその人間だ。

この場においてクロだと断定するのは早計過ぎるというものだろう。

俺はなんとしても、正太郎から直接話を聞く必要がある。

 

「そうかい……なら仕方ねぇ、教えてやるよ」

 

そして

マスターの口から告げられた正太郎の居場所と正体は、俺にとって意外な場所と人物だった。

 

「正太郎なら、三ヶ月前からスターダストって店でホストしてるよ。源氏名は……翔太だったか?」

「なに!?」

 

"スターダスト"の"翔太"。

その店は言わずもがな俺が昨日一晩だけ働いた店で、翔太は俺をヘルプに付ける事でホストのいろはを教えてくれた先輩ホストの名前だ。

 

(まさか、翔太が……)

 

俺に色々と教えてくれた時はそのような悪い印象は無く、右も左も分からない俺に大して丁寧に教えてくれたものだ。

その時は良い奴だなと思ったものだが、どうやら店で猫を被っていたらしい。

 

「知ってるのか?」

「あぁ……こうしちゃいられねぇ」

 

俺は煙草を灰皿に押し付けると、急いで席を立った。

 

「悪いなマスター。また今度、ゆっくり寄らせて貰うよ」

「あぁ。その時はムショ暮らしの土産話でも聞かせてくれ」

「へっ、気が乗ったらな。じゃあな」

 

話を聞くだけ聞いて立ち去る冷やかしのような事をしてしまったが、今は仕方がない。

この詫びはいずれするとしよう。

 

(居るかは分からねぇが急ごう。もしも上がられちまったら元も子もねぇ)

 

俺は近場に停車していたタクシーを止めて、飛び乗った。

目的地は当然、天下一通りだ。

 

(時間は……)

 

ふと時計を見る。

時刻は16時15分。営業はもう始まっている時間だ。

 

(よし、流石にいるだろう)

 

目的地に着いた俺は運転手に料金を払うと、急いで車を降りた。

早足でスターダストへと向かっていく。

 

「あ、錦山さん。どもっス。今日は出勤っスか?」

「いや、ちょっと用事があってな。邪魔するぜ」

 

店前にいたホストに軽く挨拶をし、店内へと足を踏み入れる。

 

「錦山さん、お疲れ様です」

 

中に入った俺を歓迎してくれたのはユウヤだった。

 

「おうユウヤ。今日、翔太は来てるか?」

「あぁ、翔太ならあそこに居ますよ」

 

ユウヤはそう言って一階の客席を指し示す。

そこに居たのは制服から私服姿に着替えた沙耶と、彼女と笑顔で談笑する翔太の姿だった。

 

「翔太がどうかしたんですか?」

「いや、実は大きな声じゃ言えねぇんだけどよ…………」

 

俺がユウヤに事情を説明しようとしたその時。

 

「っ!」

「ちょっと……!」

 

俺とユウヤの間を一人の男が通り抜けた。

ベージュのロングコートを纏った中年の男。

 

「伊達さん……!?」

 

セレナで酔い潰れて寝ていたはずの伊達さんだった。

沙耶目掛けて一直線に歩いていく姿を見て、俺は焦った。

 

(おいおい今は……!)

 

絶対に面倒な事になる。

しかし、俺がそれを認識した時にはもう伊達さんは沙耶の目の前に立っていた。

 

「沙耶!」

「え……お父さん!?」

 

突然の来訪に面食らう沙耶。

 

「お客さん、困ります」

「どけ」

 

注意するために間に入った翔太を、伊達さんが無遠慮に押し倒す。

自分の娘の事とは言え、警察官である伊達さんにとっては褒められた行動とは言い難かった。

 

「ってて……」

「翔太!大丈夫?」

「沙耶、お前こんなとこで……」

 

押し倒された翔太に駆け寄る沙耶。

そんな沙耶に声をかける伊達さんだったが、実父のあまりにも身勝手な行動に沙耶の我慢は限界を迎えた。

 

「こんなとこで?なによ 今さら父親面?今日だって約束すっぽかした癖に!」

「それは……」

「お父さんはいっつもそう!会ったって何も言ってくれないし、つまらなそうにして……その癖、こんな時だけ父親ぶる!」

「沙耶……」

 

沙耶の文句に伊達さんは何も言い返せずにいた。

おそらく全て事実なのだろう。

 

「……帰るね」

「沙耶ちゃん!」

 

翔太の呼び止めも虚しく、沙耶は手荷物だったバッグを持ってその場を立ち去った。

 

「……」

「……」

 

複雑な親子関係の縺れを目の当たりにし、俺とユウヤは言葉を失う。

 

「クソっ……」

 

その場で顔を抑え、力なく項垂れる伊達さん。

今の俺はそんな伊達さんにかける言葉はおろか、滅茶苦茶になった今の空気を変えるような言葉も持ち合わせなかった。

 

(どうすんだよ、この空気……)

 

その場の空気に敏感な俺は、今のこの状態に息苦しさすら感じる。

こんな時、桐生はきっといつもの仏頂面で全く動じないんだろう。

 

(時々、アイツの鈍感さが羨ましく思えてくるぜ)

 

だが、無いものねだりをしても仕方が無い。

今はこの状況をどうにかするべきだ。

そう思い思考を巡らせようとした、その時。

 

「なによ!アンタ達!?」

 

店の出入口の方から沙耶の鬼気迫る声が聞こえてきたのだ。

 

「っ、沙耶!」

 

それを聞いた伊達さんがすかさず立ち上がって店を飛び出した。

 

「俺も行ってくる。後は任せてくれ!」

「は、はい!」

 

ユウヤにそう言ってから俺は踵を返して店を出た。

店の前では、沙耶がガラの悪いギャング達に捕まり完全に囲まれていた。

数は六人。そこそこの人数だ。

 

「その子から手ぇ離せ!」

 

伊達さんはそれに対し、真っ向から立ち向かって毅然と言ってのけた。

しかし、ギャングの男はそんな伊達さんに対してこう返す。

 

「アァ〜ン?コノ女はなぁ、ウチの会社に借金があんだよ。関係ねぇから引っ込んでろ!」

「借金!?」

(沙耶……そんなことまでしてやがったのか!)

 

思わず目を見開く伊達さん。

俺もその事実に驚きを隠せない。

 

「あぁ、この女ホストクラブ通いつめて借金まみれよ。借りた金返さねぇって言うからカラダで稼いでもらおうってワケ」

 

下卑た笑みを浮かべてそんな事をのたまう男。

自称、金融会社の人間らしいが少なくとも真っ当な街金では無いだろう。

 

「今度ビデオでデビューすっからよ。おっさんも買ってくれや」

「っ!!」

 

直後、伊達さんがギャングの顔面を殴打した。

ギャングのあまりの物言いに、我慢の限界が訪れたのだ。

 

「野郎ォ!」

 

怒りの声を上げる男。

それに呼応するようにしてギャングの一味が背後からビールケースを持って殴りかかった。

俺もこれ以上見過ごす訳には行かない。

 

「お父さん!」

「オラァ!!」

 

沙耶が悲鳴を上げるのと俺がギャングを殴り飛ばすのは全くの同時だった。

俺の右ストレートが正確にギャングの顎を打ち抜き、その一撃で地面に転がってそのまま動かなくなる。

 

「錦山……お前……」

「悪ぃな伊達さん……邪魔するつもりは無かったんだがよ。つい手が滑っちまった」

 

声をかける伊達さんに、俺はそう返す。

こちらとしても、ここまで関わったからにはトコトン付き合わせてもらう腹積もりだ。

 

「テメェら……覚悟は出来てんだろうな!?」

 

殺気立つギャングたちだが、残りの頭数は全部で五人。

文字通り、片手で事足りるだろう。

負ける気が微塵もしなかった。

 

「さて伊達さん。話の前に……ゴミ掃除と行こうぜ?」

「……あぁ!」

 

軽く頷き合い、俺達は拳を握る。

"現役警官"との共闘という服役前なら絶対に有り得ない状況に、俺は内心で驚いていた。

 

(人生、何が起こるか分からねぇもんだな……!)

 

だが、不思議と嫌な感じはしない。

伊達さんと共にギャング達に向かっていきながら、そんな事を思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




如何でしたか?

この辺りはどうしても原作と同じ流れになってしまいますが、錦らしさを大事に工夫は凝らしていくつもりです。
次回はいよいよ伊達家の事情のラストです
お楽しみに


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伊達家の事情 後編

最新話です。

昨日は突貫工事のエイプリルフールネタで悪ふざけしてましたが、今日はちゃんと本編です。

伊達さん編最後になりました。
親子の行方をどうか見届けてあげてください。




2005年

12月8日。午後18時。

伊達と共闘してギャング共を片付けた錦山は、通常営業をしているスターダスト店内の二階にあるVIP席で、ユウヤの持ってきたフードメニューに舌鼓を打っていた。

 

「ふぅ……ごちそうさん。美味かったぜ」

「錦山さん、結構食べるんですね……!」

 

テーブルに置かれた大小様々の空になった皿を見て、ユウヤがその健啖ぶりに驚いた表情を見せる。

 

「まぁな。今は違うが俺も昔はヤクザだった男だ。食える時に食っとかねぇと力が出ねぇって教えられてたからよ」

 

朝からほとんど何も口にせずにタカシのいざこざに巻き込まれ、その後は立て続けに沙耶絡みの一件。

あまりのタイミングの無さに、とうとう錦山の腹の虫は根を上げた。

 

「それに、今は早く怪我を治さないといけねぇ。怪我を治すには食うのが一番だ。人間、腹にモノが入ってねぇとはじまらねぇからな」

「ははっ、ですね!」

「とにかくありがとう、ユウヤ。この分は今度

"アキラ"が働いてキッチリ返すよ」

「お?言いましたね錦山さん?楽しみにしてますよ!」

「おう!」

 

ユウヤはその後、空になった皿を下げてその場を後にする。

店の前でいきなり因縁を付けられてから始まった彼らの縁だが、今ではかなり距離が縮まっていた。

 

(にしても、遅いな。伊達さん……)

 

店前での喧嘩の後、伊達はギャング達にこう言ったのだ。

"俺はあの子の父親だ。お前らのボスと話をさせろ"

その後、伊達は当然同行を申し出た錦山を突っぱねて、たった一人で向かってしまったのだ。

 

(いくら刑事っつっても伊達さんは一人だ。何が起きてもおかしくねぇぞ……)

 

法の番人とは言え、多勢に無勢だ。

密室にでも連れ込まれたら伊達に逃げ場はないだろう。

 

「錦山さん」

「一輝」

 

錦山が物思いに耽っていると、ユウヤと入れ替わるように一輝がやってきた。

 

「すみません錦山さん。ちょっと店を開けてる間にこんな事になるなんて……」

 

一輝には先程、事の経緯を説明したばかりだ。

店の運営がひと段落したので、俺の所に来たんだろう。

 

「いや、良いんだ。それよりも……伊達さんが心配だ」

「えぇ……まさか沙耶ちゃんが店にツケがあるなんて…………翔太のバンスもそれが理由だったんですね」

 

バンスとはホスト用語の一つで、ホストが店に金を借りる事を指す。

店に来た女性客が払えなかった分を立て替える為の制度だ。

ツケの回収はホスト自身が行うのが通例となっている。

 

「普通に考えればそのバンスの返済の為って事になるが……」

「ちょっと考えにくいですね。うちはバンスに金利も期限もありませんから」

「だよなぁ……って、そういえば翔太はどうしたんだ?」

「今日は早番だったので、もう上がりましたよ」

「…………そうか」

 

錦山は嫌な予感をヒシヒシと感じていた。

沙耶の抱えた店のツケ。借金。

シェラックのマスターから聞いた翔太の素行不良や、悪い仲間達。

そして、このタイミングでスターダストを退勤し姿を消した翔太自身。

 

(仕方ねぇ……)

 

何か裏がある。

そう感じた錦山は伊達を連れて立ち去った連中のアジトへと乗り込む為、VIP席を立って階段を降りた。

 

「錦山さん……」

 

店を出ようとした錦山を背後から呼び止める声があった。

声の主は、今の状況を作り出した張本人にして伊達真の娘。沙耶だった。

 

「翔太が 言ったの。街金から借りた店のツケ、直ぐに返さないとヤバいからどうにかして金作れって……」

「いつからそんな事してたんだ?」

「……ホントは初めてだったの。でも、来週までにお金を用意出来なかったら 翔太殺されるかもって言うから!」

「ハッ……くだらねぇな」

 

それを聞いた錦山は思わず鼻で笑ってしまった。

翔太の意気地の無さもそうだが、単純な事に気付けない沙耶に対して呆れたのだ。

 

「えっ……?」

「くだらねぇって言ったんだよ。自分の命が惜しくてテメェの女に何とかしろだ?そんな事言ってる時点でお前の事なんか大事に見てる訳ねぇだろ。そんな事も分からねぇのか?」

「でも、私には翔太しか居ないから……!」

 

ここまで言ってもなお、翔太の事を口にする沙耶。

錦山はむしろ翔太の"女を依存させるテクニック"に舌を巻くべきだろうかと検討もしたが、いずれにせよロクなものじゃ無いと内心で首を振った。

 

(やっぱり、背伸びしててもまだまだガキだな)

 

口で言っても分からない手合いには一発張り倒して目を覚まさせるというやり方もある。

だが、錦山も女に手を上げる訳には行かない。

それにその行動は、錦山ではなく父親である伊達がやるべき事だろう。

錦山は沙耶を納得させるために言葉を紡ぐ。

 

「そうか……なら伊達さんは、どうして今お前が金を借りた街金の連中の所に向かって行ったんだろうな?それもたった一人で」

「!」

 

目を見開く沙耶に、彼は続けた。

 

「あの人はな……お前を守りたい一心で向かっていったのさ。そりゃそうだ。正義感の塊みてぇなあの人が、テメェの娘が売られるかもしれねぇって時に何もしない訳がねぇ」

「…………」

「我が身可愛さに女に泣きつく翔太と、どんな目に遭わされようと娘を救おうとする伊達さん…………本当にお前を大事に想ってるのは、どっちだ?」

 

そこで錦山は沙耶に答えを投げかけた。

ここまで言っても分からないほど、彼女も愚かではない。

沙耶はしばし俯いて沈黙すると、顔を上げて呟くように口にする。

 

「錦山さん……私、お父さんが心配」

 

その言葉は、答えも同然だった。

 

「その街金の場所……分かるか?」

「……ピンク通りの花形ビル。そこが奴らの事務所なの」

「よし、行くぞ沙耶。お前も一緒に来い」

「うん……!」

 

こうして、錦山は沙耶を連れてスターダストを出た。

沙耶の父である、伊達を救い出す為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町、天下一通り裏。

俺は沙耶を連れてピンク通りへと続く道を真っ直ぐに歩いていた。

 

(全身黒スーツの男に年若い女……こないだの遥の時といい、見つかったらまた職質されちまいそうだな……)

 

ふと沙耶に軽く視線を向ける。

流石に制服姿でホストに行く訳にも行かなかったのか、ちゃんと女物の私服姿だ。

身長は中々高く、伊達さんと同じかそれ以上はあるだろう。

確かにこれなら女子高生には見られないかもしれない。

 

(遥の時よりはマシ……か)

 

対して先日ミレニアムタワーに向かった時は、ヤクザ風の男が小学生の女子児童を連れ歩いていたのだ。

怪しさで言えばあの時が一番酷かったのは間違いないだろう。

 

「錦山さんって、お父さんとはどういう関係なの?」

 

ふと、沙耶がそんな質問をしてきた。

遥の時と同様、多少なりとも言葉を交わしておくのは悪くないだろう。

 

(どういう関係、か……)

 

正直に"元ヤクザでおたくの親父さんの取り調べを受けてました"と言う訳には行かない。

 

「まぁ……仕事関係で世話になった事があってな。腐れ縁みてぇなモンだよ」

 

結果としてそう誤魔化すしか無かった俺だが、沙耶は納得したように頷いた。

 

「やっぱり、そうじゃないかと思ったのよね」

「何がだ?」

「だって錦山さんのその格好、まるでヤクザだもの」

 

まぁ、このような格好をしていればそう思うのも仕方が無い。

結果的に誤魔化したのは無駄だったようだ。

 

「四課の人って、本職よりそれっぽいって言うじゃない?」

 

……と、思っていたがどうにも様子がおかしい。

 

「え?四課?」

「ホント、刑事って周りの事が見えてないんだから。もっと普通の公務員らしい格好して欲しいのよね……」

 

どうやら沙耶は俺を四課の刑事と勘違いしているらしい。

まぁ、そういう勘違いは俺にとって都合が良いのでそのままにしておくとして。

 

「いや、沙耶。四課の格好がヤクザに近いのにはちゃんとした理由があるぜ?」

「え?どういう事?」

 

ついでだ。

伊達さんの名誉回復に一役買ってやるとしよう。

 

「四課が相手にするのは勿論ヤクザだ。ヤクザの事務所を家宅捜索したり、任意同行や取り調べもする。場合によっちゃ抵抗するヤクザとやり合う事だってある。そんな連中が如何にも人畜無害そうな普通の格好してたら、ヤクザ共は直ぐにナメくさって言うこと聞かなくなるだろう。場合によっちゃ隙を見て拉致られた挙句に何処かで消されちまうかもな」

「……!」

 

俺の口から語られる生々しい情報に、沙耶が唾を飲み込んだ。

 

「ヤクザも四課も相手にナメられたらおしまいだ。だからこそ、そういう風に格好が似通っていくもんなのさ」

 

実際、東京の郊外のある革製品や背広を扱っている専門店じゃヤクザと四課の顧客がそれぞれ居るなんて事も珍しくない。

四課の連中はそこで特注の製品を買うことで店に顔を売って贔屓にし、そこでモノを買うヤクザの情報を集めたりもする。

結果として四課の格好はヤクザに近しいモノになっていくという寸法だ。

 

「伊達さんは、そんな死と隣り合わせの厳しい世界でお前が育つ分の金を稼いでたんだ。少しは、自分の親父を誇ってもバチは当たらないと思うぜ?」

「……かもね」

「もっとも、伊達さんはそこまでビシッとしちゃいないがな」

「ふふっ、言えてる」

 

雰囲気が和やかになった所で、いよいよ俺達はピンク通りへとたどり着いた。

 

「"花形ビル"……アレだな」

 

直ぐにビルの位置を把握した俺は、沙耶と共にビルの中へと足を踏み入れた。

案内板には沙耶が金を借りたであろう街金のテナント名である"花形金融"の文字が確認できる。

 

「よし、行くぞ」

「うん……!」

 

エレベーターに乗り込んで、街金の事務所へと向かう俺と沙耶。

ドアが開いた瞬間に、鈍い音と男の叫び声が聞こえてきた。

 

「強がってんじゃねぇよ!」

(ん?この声……)

 

どこかで聞き覚えのある声だった。

俺と沙耶は慎重な足取りで事務所に近付き、中の様子をブラインド越しに覗き込む。

 

「薄情な親父だねぇ、アンタ……」

 

中に居たのは倒れた伊達さんと、スーツ姿のチンピラ達。

そして、黒いホストスーツを身に纏った若い男。翔太だった。

 

「翔太?なんで……!?」

(アイツ、グルだったのか……!)

 

どうやら俺の嫌な予感は的中してしまったようだ。

 

「娘、大事じゃないの?」

「大事だ……大事に、決まってんだろ……沙耶には、指一本触れさせねぇ!」

「だったら要求を呑めよ!」

 

聞こえてくる会話の内容から察するに、翔太達は伊達さんに何かの要求をしたらしい。

それを呑めば沙耶の件はチャラにするとでも言われたのだろうか。

 

「俺ぁ沙耶の父親だ。だが、警察官だ。お前らの要求は呑めねぇ」

 

だが、正義感の塊である伊達さんは当たり前のようにそれを突っぱねた。

 

「じゃあ沙耶はどうなっても良いんだな?あぁ!?アンタは沙耶より、仕事を取ったんだな!」

 

それに逆上した翔太が声を荒らげる。

一瞬の睨み合いの中、伊達さんの口から衝撃的な言葉が飛び出してきた。

 

「殺せよ……」

「なんだと?」

「"殺せ"って言ったんだ」

(何言ってんだ伊達さん……!?)

 

伊達さんは沙耶が見守る中、己の覚悟を示してみせる。

それは文字通り"決死の覚悟"だった。

 

「ここで俺が死ねば、流石にお前らでも逃げ切れねぇだろう……日本の警察はアマくねぇんだよ。それに……沙耶は……」

 

伊達さんの声が震えている。

恐怖か、悲しみか、怒りか。

表情の見えない以上は定かではない。

 

「沙耶はきっと……俺の友達が守ってくれる……!」

 

だが、そこまで言われた以上はこっちも応えなくてはならないだろう。

今までは利害関係で成り立っていたが、そういうのはもう無しだ。

 

「じゃあ望み通りにしてやるよ。別に俺らは"サツ"なんて怖くねぇ。ハナっから失うものなんてねぇんだよ!!」

 

翔太が叫んだ直後、俺は勢いよくドアを蹴破って事務所へと押し入った。

 

「さぁ、そこまでだぜテメェら!」

「お父さん!」

 

沙耶が一目散に伊達さんの元へと駆け寄っていく。

翔太にはもう、見向きもしなかった。

 

「アンタ……スターダストの新入りの……!?」

「翔太センパイよぉ……アンタにゃ世話になった。右も左も分からねぇ俺に、ホストのいろはを教えてくれたんだからな。だが……」

 

伊達さんに肩を貸す沙耶を一瞥し、俺は湧き上がる闘気を表出させた。

 

「俺の"ダチ"を傷付けて、その娘まで食い物にしようとしやがった……!もう容赦はしねぇ!俺が直々にヤキ入れてやる、覚悟しやがれ外道共!!」

「クソっ……こうなりゃまとめてぶっ殺してやる!」

 

翔太率いる街金のチンピラ達との闘いが始まった。

 

「オラァ!」

 

向かってくる一人目の動きに合わせて地面を強く蹴り、顔面に飛び膝蹴りを放つ。

 

「ぐぎゃっ!?」

 

カウンター気味に直撃した飛び膝蹴りは、一撃で一人目の意識を刈り取った。

 

「せぇや!」

 

俺が地面に着地した瞬間を狙って二人目が俺の側頭部目掛けてハイキックを放った。

 

「ちっ」

 

咄嗟に左腕で受け止めたが、衝撃が左手の傷にまで伝播して痛みを訴える。

 

「らァ!うりゃァ!!」

 

俺はハイキックを蹴った事で片足立ちになった軸足に足払いをしかけて転倒させ、ガラ空きの顔面を勢いよく踏み付けた。

 

「く、クソっ!」

 

三人目がゴルフクラブを手に襲いかかる。

俺はその一振を冷静に対処すると、左の肘を顔面に叩き込んだ。

 

「あばぶっ!?」

「せいやァ!!

 

鼻から多量の血を流す三人目が顔を抑えた瞬間、ガラ空きになった胴にボディブローを捩じ込む。

その後、悶絶し地面に崩れ落ちる三人目の顔面を思い切り蹴っ飛ばしてトドメを刺した。

 

「な、なんて強さだよ……!」

 

バタフライナイフを手にした翔太が怯えた表情で俺を見る。

まぁ、自分の仲間が立て続けに全滅すれば致し方ないだろう。

もっとも、だからといって容赦する事は無いが。

 

「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだ?翔太センパイ。手……震えてるぜ?」

「う、うるせぇぇぇ!!」

 

やる気になったのか、それともヤケになったのか。

翔太は手にしてバタフライナイフで俺に斬りかかって来た。

普段からバタフライナイフの扱いには心得があるのか、非常に慣れた手付きで刃が迫る。

 

「シッ、フッ、ッ!」

 

俺はそれを難なく躱す。

刃物の扱いにおいて曲芸師レベルの動きをする"嶋野の狂犬"と比べれば、俺にとっちゃこの程度は児戯にも等しかった。

 

「死ねぇ!!」

 

焦って業を煮やしたのか、翔太は俺に対して真っ直ぐな刺突を繰り出す。

 

「かかったな、マヌケ」

 

俺はそれを既の所で回避すると右手で翔太の手首を掴み、ろくに使えない左手を翔太の肩に軽く添えた。

そして。

 

「オラァ!!」

 

肘の逆側に全力で膝蹴りを叩き込んだ。

確かな手応えと鈍い音が響き渡り、翔太の右肘が逆方向に折れ曲がる。

 

「ひぎゃあああああああああああ!!!!?」

「行くぞコラァ!!」

 

断末魔のような絶叫を上げる翔太の顔面を追い討ちの右ストレートで思いっきりぶっ叩く。

 

「ぶぎゃぁぁあっ!!?」

 

その一撃は翔太の鼻を潰し、前歯をぶち折り、端正だった彼の顔を不細工に歪めた。

 

「ふぅ……新兵器を出すまでもなかったな」

 

この喧嘩、俺の圧勝だった。

 

「それで?伊達さん……コイツらの言ってた沙耶の借金、いくらだったんだ?」

「……元金が20。利子が付いて400だとさ」

「ハッ、なんだそりゃ?冗談にしても笑えやしねぇなぁ……」

 

明らかな暴利だ。

どうやら健全な街金とは言い難いらしい。

 

「さてと、翔太センパイ」

「ひぃっ!?」

 

俺は翔太の胸ぐらを掴み、揺さぶりをかけた。

 

「大人しく証文を出すのと、もう一本腕をへし折られるの……どっちが良い?」

「こ、こんな事して……ただで済むと思うなよ……?」

 

減らず口を叩く翔太に、俺は頭突きをぶちかました。

潰れた鼻がさらに折れ曲がり、さらに血が吹き出る。

 

「ブゲェッ!?」

「あーあー心が痛むぜ翔太センパイ。俺ぁホントはこんな事したくねぇのによぉ」

 

そう言って俺は翔太をうつ伏せに倒すと、左腕を背中に持っていく形で捻りあげる。

いつでもへし折れる体勢だ。

 

「て、テメェ警官の前でこんな事して、なんのお咎めもねぇのか!?」

「その警官を寄って集ってボコった挙句"怖くねぇ"なんて啖呵切ったんは何処のどいつだよ、あぁっ!?ハナから失うものがねぇってんなら、今更腕の一本や二本でガタガタ騒いでんじゃねぇ!!」

 

翔太の左腕が軋むような音をあげる。

このまま力を加えれば折れるのは時間の問題だ。

 

「お、お父さん?錦山さん、流石にやり過ぎなんじゃ……?」

「沙耶……実は俺、アイツらに殴られて目に血が入っちまってよ。今何が起きてるかまるで分かんねぇんだ」

 

背後から沙耶と伊達さんの声が聞こえる。

俺の事を刑事だと勘違いしていた沙耶からすれば確かにやり過ぎに映るかもしれないが、伊達さんは目を瞑る事にしてくれるようだ。

案外ノリが良いらしい。

 

「わ、分かった!分かったから許してくれ!」

「証文は?何処だ?」

「で、デスク!デスクの中!一番上の棚の中にぃ……!」

「そうかい……ありがとよセンパイ!!」

 

証文の在処を聞き出した俺は捻り上げた腕をそのまま勢い良くへし折った。

 

「ぎゃあああああああああ!?な、なんでぇぇぇえええ!!?」

「選択権は与えたが"折らねぇ"とは言ってねぇからな……テメェみたいな外道に、慈悲なんぞあると思うなァ!!」

 

そして俺は最後に、翔太の後頭部を掴んで顔面から床に叩き付けて完全にトドメを刺した。

 

「ぎゃぶ、っ……ぅ、………………」

 

事切れたように沈黙する翔太。

全治三ヶ月は下らない大怪我だが、女を食い物にする腐れ外道には似合いの末路だろう。

 

「さて、と」

 

俺は翔太に言われた通りの場所を捜索し、あっさりと目当ての書類を見つけた。

この手の借金関連のシノギは桐生の専門だったが、俺も心得が無いわけじゃない。

まぁ、どうにかなるだろう。

 

「伊達さん、後は任せときな」

「錦山……」

 

数少ない元ヤクザとしての利点だ。

せいぜい、役に立つとしようじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後19時。

神室町の東西を結ぶ三つの通りの内の一つ、七福通り。

その西にある児童公園のベンチに錦山と伊達は座っていた。

沙耶の借金の整理が全て滞りなく終わり、一息入れてる最中だった。

 

「ふぅ……これでようやく落ち着けるな」

 

ひと仕事を終えて煙草を吹かす錦山。

約10年ぶりに行う借金の後処理に手間取っていた錦山だったが、先程ようやくカタが付いたのだ。

 

「借りが出来ちまったな……」

「ん?あぁ……そうだな。本当なら貸し二つ目って言いてぇ所だが……」

 

そこで錦山は煙草の箱を差し出した。

 

「今更気にすんなよ。俺達、もう"ダチ"じゃねぇか」

「ダチ……?」

「おいおい、自分で言ったこと忘れちまったのか?"沙耶は俺の友達が守ってくれる"……だろ?」

「フッ……そうだったな。いけねぇいけねぇ」

 

その言葉にふと破顔して、伊達は錦山から煙草を受け取った。

口にくわえたタイミングで、錦山が火のついたライターを近づける。

 

「ふぅ……」

 

伊達の口から白い吐息が煙と共に吐き出され、十二月の寒空の中に溶けていく。

 

「だが錦山。今回の一件、借りは借りだ。いずれ、何らかの形で返させて貰うぜ」

「フッ……そうかい。なら、せいぜい期待して待つとするかな」

 

出所して間もない元極道と、マル暴の現職刑事。

正反対と言える二人の間には、いつしか奇妙な友情が生まれていた。

 

「さて……じゃ、俺は行くぜ」

 

錦山はおもむろに立ち上がってそう宣言した。

突然の事に伊達は怪訝な顔をする。

 

「行くって、何処へ?」

「実は俺この後用事があってよ。その時間がそろそろ迫ってるのさ」

「そうか……」

「それに、俺はもうお邪魔みたいだし……な」

 

そう言って錦山が視線を向けた先には、一人の若い女が立っていた。

 

「お父さん」

 

伊達の娘、沙耶だった。

 

「沙耶……」

「ま、そういうこった。後は親子水入らず、仲良くやんな」

 

そう言うと、錦山は軽く手を挙げながらその場を去っていた。

後に残されたのは、一組の親と子。

 

「お父さん……」

「……っ!」

 

一発。

伊達は娘の頬を張った。

決して暴力や虐待などではない、愛のある平手打ちだ。

 

「沙耶……俺はダメな親父だ。10年前、お前とお母さんから逃げ出した。だから お前に何も言えた義理じゃないと分かってる。でもなぁ、それでも 一つだけ約束してくれないか?」

 

そして伊達は口にした。

刑事としてでは無い、一人の子を持つ親としての本当の想いを。

 

「自分を……もっと 大切にしてくれ。沙耶自身が幸せになる為に、自分をもっと愛してくれ」

 

沙耶にとって、今までほとんど感じてこなかった父の愛情が乗せられたその言葉は、今までのどんな言葉よりも重く深く彼女の心に染み渡っていく。

 

「それでも、お前が苦しんだり、危ない目に遭ったら……俺が、守ってやる……守って、やるから……!」

 

伊達の目から、涙が零れ落ちる。

血の繋がった家族を心から愛する男の、偽りの無い涙だった。

 

「分かった……分かったから、泣かないでよ……」

 

沙耶もまた、その涙につられて涙腺に熱いものが込み上げる。

ゆっくりと父の胸に抱きつく沙耶。

そんな娘を、優しく抱擁する伊達。

そこには確かに、どこまでも暖かい親子の姿があった。

 




如何でしたか?

少し本編が長引いた感じではありますが、次回は断章に行きたいと思います。

お楽しみに


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断章 1998年
ケジメ


最新話です
気になってる人も居るみたいなんで、描いてみました。

皆様も、ギャンブルは程々に


1998年。某日。

神室町、天下一通り裏に存在するとあるビル。

そこに一人の男が連れ込まれた。

 

「オラ来いや!」

「ひ、ひぃぃっ!?」

 

サングラスにパンチパーマ、ネイビー色のスーツに紫のシャツといった如何にもヤクザ的な見た目をした大男に首根っこを掴まれて彼が引きずり込まれたのは"桐生興業"と言う名前の会社の事務所だった。

しかし、直後に男は自分が引きずり込まれたのがそんな生易しい場所ではない事を思い知る。

 

「あ……ぁ……」

 

事務所の中には普通のデスクやソファの他に、桐生組と記された提灯や額縁に飾られた"任侠"の文字が壁に飾られている。

桐生興業という名前はあくまでも表向きの名前。

男が連れ込まれたのは東城会の三次団体にして、直系風間組内桐生組の事務所。

れっきとしたヤクザの巣窟だったのだ。

 

「オラッ」

「ひゃっ!?」

 

無理やりソファに座らされる男。

そんな男をヤクザの若衆達が取り囲んで睨み付ける。

彼にとっては、生きた心地がしない状況だった。

 

「わ、私を……どうするつもりですか……?」

 

恐る恐る尋ねる男に対し、ネイビーのスーツを着た男、松重は答えた。

 

「ハッ……随分な言い様だな。俺はアンタを助けてやったんだぜ?"先生"」

 

男の名前は、日吉公信。

かつて、東都大学医学部附属病院で外科医を勤めていた男だ。

手術の腕は確かで病院内での信頼も厚かった彼だが、一つだけ厄介な悪癖を持っている。

 

「アンタ……結局借金まみれのまんまなんだってなぁ。やっぱり楽しいか?ギャンブルはよ?」

 

日吉は、重度のギャンブル中毒だったのだ。

表向きは優秀な外科医として活躍する傍ら、賭場や違法カジノへと入り浸ってはギャンブルに興じ、次々に負債を溜め込んでいた日吉。

彼が松重と出会ったのはそんな折だった。

 

「そりゃそうだろうな……かつての俺にとってアンタは、良いカモだったぜ」

「っ!」

 

松重はかつて、言葉巧みに日吉を誘導して彼を自身が経営する裏カジノへと誘って更なる借金地獄に突き落とした張本人なのだ。

もっとも、そのカジノは"組長"の命令で廃業となったのだが。

 

「で、裏カジノで一発逆転を狙うも負けが込んでイカサマ。そいつがバレて仕切りの連中に殺されかける…………たまたま見かけたときゃ驚いたが、俺が通りかかって無けりゃアンタは死んでたぜ?」

 

ギャンブルの負けはギャンブルで返す。

そんな考えで懲りずにギャンブルを重ねた日吉はイカサマに手を出し、ついには私刑の対象になってしまったのだ。

松重は仲裁に入ってその場を収めた後に事情を聞き出すと、そのまま首根っこを掴んで事務所まで引き摺って来たという訳だ。

 

「まぁ、礼を言えとは言わねぇよ。アンタがここまでの借金地獄にハマったのには俺も一枚噛んでいるからな。逃げ出したきゃ好きにするといい。まぁ……逃げれるもんなら、だけどな?」

「ひっ……!」

 

睨みを効かす松重と、その周囲にいる構成員達。

あたかも逃がさないという雰囲気を出しているが、実際の所彼らに日吉をどうこうするつもりは無い。

ここの構成員達は、カタギに対して危害を加えてはならないと普段から"組長"に口酸っぱく言われているからだ。

 

「それに逃げたとしても……アンタに先はねぇよ」

「ど、どういうことです?」

「さっきアンタを追い込んでた連中だがな、俺は"あの場だけ"を収めて貰うって事で話が付いてるんだ。ここから一歩でも外に出りゃ、アンタは再び追われる身だ」

「そ、そんな……!」

 

絶望する日吉だが、別に不思議な事では無い。

松重としてはあの場さえ凌げれば問題無かったのだ。

それに加え、彼本人としては日吉はどうでも良い存在なのでわざわざ救ってやる義理も無いのだ。

であれば、何故わざわざ松重は日吉を事務所に連れ込んだのか。

 

「分かったら大人しくしてろよ先生。俺らとしちゃ別にアンタに用も無けりゃ恨みも無ぇんだからよ」

「じゃ、じゃあ私は何のためにここへ連れてこられたんですか?」

 

日吉のその疑問は、すぐに明かされる事となった。

 

「松重の兄貴、親父がお帰りになりました」

「おう、そうか」

 

若い衆が松重にそう報告したそのすぐ後、一人の男が事務所へと足を踏み入れる。

 

「「「「お疲れ様です!!」」」」

 

先程まで日吉に睨みを効かせていた構成員達が一斉に頭を下げる。

グレーのスーツにワインレッドのシャツを着たその男を、日吉はよく知っていた。

 

「あ、貴方は……!?」

「久しぶりだな、日吉先生」

 

東城会直系風間組若頭補佐兼桐生組組長、桐生一馬。

神室町、いや関東全域を支配下に置く東城会の中は勿論外様の組織でさえ知らない者は居ないと呼ばれた伝説の極道。"堂島の龍"。

日吉にとっては、東都大病院在籍時以来の再会となった。

 

「親父、お疲れ様です」

 

応接間のソファに座っていた松重は、すかさず立ち上がって頭を下げる。

 

「あぁ。そこ、代わってくれるか?」

「はい、どうぞ」

 

松重は立ったまま桐生に席を譲ると、自らは桐生の背後に立って両手を背後に回した。

そして桐生は日吉の対面に座るようにゆっくりと腰を下ろす。

 

「こうして会うのは……数年ぶりか」

「え、えぇ……お久しぶりです……」

 

日吉はそう言いつつもバツが悪そうに目を逸らす。

彼は桐生に大して負い目があった。

 

「……お前ら、少し外してくれないか?」

「へい、親父」

「悪いな」

 

桐生のその一言で事務所の中にいた構成員全員が事務所から出ていく。

後に残ったのは桐生と日吉だけになった。

 

「日吉先生……俺はアンタを、随分探したぜ」

「え……?」

「実は、先生の事は二年前から調べさせてもらっていた。アンタがあの日……臓器ブローカーを紹介すると言ってきたその日からな」

 

かつて桐生が治療費の面倒を見ていた女性である錦山優子の主治医を勤めていた日吉は、心臓移植しか助かる望みは無いがドナー待ちでいっぱいであるとした上で、桐生に臓器ブローカーを紹介すると提案をしたのだ。

 

「調べた結果……アンタの言う臓器ブローカーは存在しない事が判明した」

「!」

 

日吉はどうにかして患者である優子を救いたい桐生の意志を利用し、臓器ブローカーへの紹介料として多額の金を請求したのだ。

理由は、借金返済の為の金策だった。

 

「おそらく俺に偽のブローカーの話をチラつかせて不安を煽り、金を工面させた後は夜逃げでもするつもりだったんだろう?フッ……ヤクザ相手に、大した根性じゃねぇか」

「い、いえ、それは……」

 

どうにか言い訳をしようとする日吉だが、この状況では下手な事は言えない。

目の前の男の機嫌を損ねれば最後、命は無いからだ。

 

「まぁ、それに関しては今は良いだろう。実際に俺はアンタに騙された訳じゃねぇ。優子も他のツテを辿る事で臓器移植には漕ぎ着けられたからな」

「そ、そうなんですか……?」

「あぁ、今はアメリカの病院でリハビリ中だ」

 

優子の無事を確認した日吉は内心で安堵のため息をついた。自分を騙そうとした事による報復では無いと分かったからだ。

しかし同時に、彼の中で新たな疑問も生まれる。

ならばどうして、自分は今ここに連れて来られたのか。

 

「だから、俺がアンタに用があるのはあくまで個人的な事だ……付き合ってもらうぜ」

 

世間話と称されたその話を、桐生は滔々と語り始めた。

 

「二年前。優子の見舞いに訪れる俺にある男が話しかけて来たんだ。名前は滝川と言ってな。肝臓の病を患っている娘さんが患者だった。覚えているか?」

「え、えぇ……」

 

日吉はその名前に聞き覚えがあった。

自分が担当していた患者の一人だ。

 

「病院で時折顔を合わせる俺達は同じ臓器提供のドナーを待つ者同士、度々会話をするようになっていたんだ。滝川はもうすぐ娘の番が回ってくると、とても嬉しそうにしていた。だが……滝川の娘さんは亡くなっちまった」

 

桐生は切り出した。

この話の本題。桐生が日吉をここに連れてこさせた理由を。

 

「ところでアンタ……ある代議士から賄賂を貰ったそうじゃないか」

「!!」

 

それを聞いた日吉は直ぐに思い至った。

桐生が何を言わんとしているのかを。

 

「見返りは、臓器提供の順番入れ替え。多くの患者がドナー待ちでいっぱいになっている所に、どういう訳か臓器提供を最優先にされた患者がいた。それがその代議士の息子。アンタが賄賂を受け取った張本人だ」

 

代議士であるその男は息子の病を治す為の臓器提供を求めて、日吉に賄賂の話を持ちかけた。

借金の返済に負われていた日吉はその話を了承し、その患者に優先的に手術を施したのだ。無論、他の患者には断りもなく。

 

「その結果、娘さんは臓器移植を受けられずに息を引き取った。日吉、アンタにその時の親父さんの気持ちが分かるか……?」

 

桐生は静かに感情を露にした。

眉間に皺を寄せ、猛禽類のような鋭い眼光で射抜くように睨み付ける。

 

「ぁ…………!」

 

日吉は心胆が震えあがるのを実感する。

堂島の龍が放つ殺気と威圧は、ただのカタギである日吉には刺激が強すぎた。

 

「どうなんだ、日吉?答えてみろ」

「っ…………」

「……日吉ィィ!!」

 

恐怖と緊張で体が硬直した日吉の態度に痺れを切らした桐生が吼える。

その咆哮は日吉の恐怖の限界値を越え、彼に生物的本能に基づいた行動を取らせた。

 

「す、すみませんでした……!!」

 

ソファから飛び退くように立ち上がった日吉は、その場で両膝を着くと、地面の床に額を擦り付けた。

 

「借金は膨れ上がる一方で、私は返済に追われる毎日でした……だから、一時の金欲しさに、つい…………」

「……それで?」

「む、無論、順番を入れ替えたのはその一回きりでした。滝川さんの患者はまだ若く、病状の進行も緩かったんです。だから、一度くらいなら問題ないと、そう思ったんです…………」

「…………はぁ」

 

日吉の釈明を聞いた桐生はおもむろに煙草に火をつけた。

有害な煙を吐き出しながら、桐生は嘆息した。

 

「くだらねぇ……それが本当に人の命を預かる医者の言葉なのか?反吐が出るぜ、この外道が」

「ほ、本当に申し訳ございません!命は、命だけはどうか……!!」

「テメェの立場を利用して患者の命を失わせたアンタが、一丁前に命乞いか?どこまで腐ってやがる……!!」

 

桐生は火のついた煙草を己の手で握りつぶした。

先端の火種は700度を超えるとされるそれを握り消した事で、桐生の手の平に熱を帯びた激痛が走る。

彼は今、自分に過度な痛みを与える事で己の内を駆け巡る怒りを必死に押さえ付けていた。

そうでもしなければ、桐生は目の前の男を殺してしまうからだ。

 

「お前……滝川の親父さんがその後はどうなったか知ってるか?」

「ど……どう、なったんですか……?」

 

桐生は床に蹲る日吉を見下ろしながら、吐き捨てるように言った。

 

「親父さんはその後……家で首を吊っているのが発見された」

「っ……」

「奥さんを早くに亡くした親父さんにとって、娘さんは唯一の生きがいだったんだ。だがそれを奪われて、担当医だったアンタは病院から姿を消した。……途方に暮れた親父さんは、自らその命を絶ったんだ。娘さんの位牌の前でな」

 

桐生は日吉の軽率な行いの結果で失われた二つの命があったことを告げた。

そして、その行いがいかに唾棄すべき最低の行いであるかを知らしめたのだ。

全ては、悲しい結末を迎えてしまった親子の為に。

もう声もあげられない二人のために。

 

「日吉……俺はアンタを、のうのうと生かしとく訳にはいかねぇ。でなきゃ、親父さんや娘さんが浮かばれねぇんだ」

「ひ、ひゃ!?」

 

桐生は日吉の頭を掴んで持ち上げると、首を掴んで壁に押し付けた。

 

「今から俺が言う事に従うか、それともここで半殺しにされた後で追っ手の連中に引き渡されるか……好きな方を選べ。それがお前のケジメだ」

「……!!」

「言っとくがどちらであっても俺は生半可な事はしねぇ。どう転んだとしても……幸せな生き方や、楽な死に方が出来ると思うなよ?」

 

日吉に与えられた選択肢は二つ。

ヤクザへの服従か、惨たらしい死か。

服従を選べば真っ当な人生には二度と戻れない。

一生ヤクザの言いなりになる事になるだろう。

だがそれを断れば、堂島の龍による鉄拳制裁が待ち受けている。その上で裏カジノの人間に引き渡されればタダでは済まない。

借金返済とイカサマのケジメを迫られて、臓器売買で売り飛ばされるのが関の山だろう。

 

「…………」

「……答えねぇなら、今ここでお前の首を折ってやっても良いぞ?」

「ひぎぃ!?」

 

桐生の手に力が篭もり、日吉の首がより強く締まる。

彼は"やる"時は"やる"男だ。

その言葉は決して脅しなどでは無い。

 

「わ……私は…………!」

 

極限の選択を迫られた日吉は、堪らず宣言した。

 

「し、従う!貴方に従います!だから、だから助けてくれぇ……!!」

 

答えは、前者。

たとえ真っ当に生きれなかったとしても、人間は命あっての物種なのである。

 

「…………そうか」

「うげほっ、ごほっ!」

 

桐生が手を離すと、日吉は咳き込みながら床に這い蹲った。

やがて彼の前に、数枚の書類達が無造作に投げ出される。

 

「その紙全部にサインしろ。そうすりゃ当面の間の安全は保証してやる」

「こ、これは……」

 

その書類には、日吉の今後の人生の在り方が記されていた。

 

「アンタにはこれから、こっちが指定した場所に住み、こっちが指定した病院で医者として働いてもらう。噂じゃ、医者としての腕だけは良いみたいだからな」

 

雇用契約書、住居契約書、誓約書。

それらにサインをすることはつまり、人生の大半を桐生組の支配下に置くと言っても過言ではない。

 

「アンタが現状抱えている借金は全額、そこで働いて返してもらうぜ。闇金連中には話を付けてやる。ただし……ギャンブルは一切認めねぇ」

「こ、この誓約書は……?」

「そいつは、アンタが俺の手の内から逃げないようにする為の誓約書だ」

 

日吉が指さしたその書類には、桐生組に隷属する旨が記されていた。

働く場所と住む場所を提供する代わりに、借金を返済しきるまで自由は無い。

病院と自宅のある地域のみを活動範囲とし、それを僅かでも出るような事は許されない。

つまり、事実上の軟禁状態になると言うことだ。

 

「もしもそこから逃げ出したり患者を死なせでもすれば…………どうなるか分かってるだろうな?」

 

桐生が再び日吉に圧をかける。

龍の睥睨する中で変な気を起こせば、今度こそ命は無い。

 

「…………はい」

 

日吉に残された選択肢はもう、首を縦に振る事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。

桐生は郊外に存在する、とある病院を訪れていた。

看護師の案内を受け、一つの個室へと足を踏み入れる。

 

「こちらです、どうぞ」

「あぁ……」

 

ゆっくりとドアを開けた先にいたのは、入院着を身に纏った一人の女性。

 

「一馬……!」

 

桐生が愛する女、澤村由美だった。

 

「由美、具合はどうだ?」

 

桐生が浮かべる表情には、先日に日吉に追い込みをかけていたような苛烈さは微塵もなく。

彼の生来の優しさと慈しみを現すような穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「うん。来週には退院出来るって」

「そうか……………」

 

ふと、桐生は目線を僅かに下げた。

彼の視線の先にある由美の腕には、一人の赤子が抱かれていた。

 

「あぁ、ごめんね一馬。本当だったら会わせてあげたかったんだけど……この子、ついさっき寝ちゃったばっかりで」

「そうか……」

 

由美の腕の中で安らかな寝息を立てているその赤子は、つい先日に由美が産んだ新しい命。

正真正銘、桐生一馬と澤村由美の間に出来た子供だった。

 

「そうだ、一馬も抱いてあげてよ」

「……………………」

 

そう言って優しく赤子を差し出す由美だったが、桐生は先程の優しげな顔から一転して表情に暗い影を落とす。

 

「一馬……?」

「……由美。今の俺に、その子を抱く資格はない」

 

絞り出されたその言葉には、これ以上無いほどの悲壮感が漂っていた。

 

「どうして……?」

 

そう尋ねる由美に対し、桐生は深刻な表情のまま口を開いた。

 

「俺が……その子供とお前を引き離しちまう事に、なるからだ」

 

桐生がそう語るのには、明確な理由があった。

 

「また、その話?」

「あぁ……」

 

今から数ヶ月前。

当時の桐生組は、敵対する組織と一触即発の状態になった。

桐生は自分の組が仕切る店舗やテナントなどに現れては騒ぎを起こす敵対組織の連中の対処に追われ、中々自宅に戻る事が出来ないでいた。

 

「あのねぇ……それはもう終わった事でしょ?」

「だが……それで由美は怖い思いをしたはずだ」

 

そんな時、事件は起こった。

由美が、その敵対する組織の連中に誘拐されてしまったのだ。

犯人はその組織の幹部で、組長である桐生を誘き出す事が目的だった。

 

「でも、一馬は私を助けてくれた。そのおかげでこの子も無事に産まれてる。それでいいじゃない」

「………………」

 

由美を救い出し、敵対組織との抗争を終結させた桐生だったが、騒動を終えた後に桐生の親分である風間が桐生と由美にある事を提案したのだ。

 

「……子供の前で母親を名乗れなくなってもか(・・・・・・・・・・・・・)?」

 

それは、桐生と由美の育った養護施設である"ヒマワリ"に二人の子供を入れる事だった。

もしも今後再びこのような事があった時に、桐生は明確な弱点を晒してしまう事になる。

風間はそんな可能性を危惧してそのような提案をし、由美はそれを受け入れたのだ。

自分の子供に対して母親を名乗らない事を承知の上で。

 

「俺が極道なばっかりに、お前には苦労をかけっぱなしだ。挙句に、母親としての尊厳までも奪っちまうだなんて…………」

「…………」

「だから俺にその子を抱く資格は……その子の父親を名乗る資格は……!!」

「……はぁ。まったく頑固なんだから」

 

拳を震わせて俯く桐生に、由美はやれやれといった様子でため息をついた。

 

「え……?」

「確かに私は風間さんの提案を受け入れた。それが原因で母親を名乗れなくなるかもしれない。でも、二度と会えなくなる訳じゃない」

「だが……!」

「それに、一馬 言ってたでしょ?誰にも手出し出来ないくらい俺が組織を強く大きくして見せるって。それって、そうなったら母親を名乗っても良いって事でしょ?」

 

辛い選択を迫られた由美に、桐生はそう約束した。

組織の拡大と強化に力を入れ、絶対的な力を手に入れる事で組や家族を守り抜く。

そうすることが出来れば、ヒマワリに預ける必要も無くなるのだから。

 

「それまでの辛抱なんて、お安い御用だよ」

「由美……」

「私は、一馬が頑張ってくれてるのはよく知ってる。私の為、子供の為、お世話になった風間さんの為、シンジくんや松重さん達の為。それに…………錦山くんの為に」

「!」

 

錦山が例の事件で逮捕された事実は、記憶を取り戻した由美にも聞かされていた。

自分を救う為にそのような事になってしまった事実に負い目を感じていた由美だが、伴侶である桐生が自分以上に自責の念に駆られている事を知り、それ以上何も言えなかったのだ。

 

「だから、私だって我慢しなくちゃ。それに……一馬だったら出来るよ。私、信じてるから」

「由美……!」

「だから、この子を抱いてあげてよ。立派なパパとして、ね?」

 

再び赤子を差し出す由美。

桐生はおそるおそるその子を抱き上げた。

 

「すぅ……すぅ……」

「…………っ!」

 

相も変わらず安らかな寝息を立てるその子を見て、桐生の涙腺に熱いものが込み上げてきた。

 

「ふふっ、どうしたの一馬?」

「いや……なんでもない…………なんでも、無いんだ……!」

 

言葉とは裏腹に、桐生の瞳からは滂沱の涙が溢れ出てくる。それはどこまでも暖かく、優しい涙。

 

「あらあら、泣き虫なパパさんだね」

 

由美はそんな桐生を見ながら、幸せそうに微笑んでいた。

 

 

 

これは、とある家族の幸せの一幕。

 

 

 

桐生一馬が東城会を抜ける二年前の出来事だった。

 




如何でしたか?

次回はアルプスでいよいよ松金組と邂逅します。
オリジナル展開になりますのでいつも以上に力を入れて書きたいと思います。
よろしくお願いします!


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第九章 協力者
交渉


最新話です。

いよいよ顔が変わったり女みてぇな声にコーフンするあの人が登場です!

どうぞ!


2005年12月8日。時刻は20時。

神室町、中道通り。

大きなアーケードが特徴的な天下一通りと並ぶ、神室町における第二の玄関口。

日本全国で有名な雑貨屋を始め、数多くの飲食店などが立ち並ぶ神室町でも有数の商店街だ。

そんな中道通りの中にあって、20年前から変わらぬ姿で客を迎える喫茶店があった。

喫茶アルプス。

素朴かつ多彩なメニューと丁寧な接客によるおもてなしの心で客の心を掴み、住人達の憩いの場としての地位を確立した老舗だ。

 

「ふぅ……」

 

今、その店の前に二人の男が立っていた。

暗色系の柄シャツを着た大柄な男がタバコをくわえ、地味なジャケットを着て眼鏡をかけた細身の男がそれに火を付ける。

彼らは真っ当なカタギの人間では無い。

東城会直系風間組内松金組に所属するれっきとしたヤクザだ。

 

「今、何時だ?東」

「えっと……ちょうど八時です、兄貴」

 

大柄の男"海藤正治"が煙草を吸いながら時間を聞き、それに対して細身の男"東 徹"が即座に答える。

 

「そうか……もうそろそろ夜って言ってもいい頃合いだな」

「ですね」

 

二人はここで、ある人物を待っていた。

海藤が組からの命令で呼び出したその人物は、海藤が言うにはもうすぐここへ姿を現すらしい。

 

「……ねぇ、兄貴?」

「あ?」

「錦山さん、本当に来るんですかね?」

 

不安そうにそう提言する東に対し、海藤は呆れながら言った。

その質問を海藤は今日だけで三度耳にしているからだ。

 

「あのなぁ、東。カシラや他の連中も言ってたが、俺が来るって言ってんだから来るんだよ!それとも俺の言うことが信用出来ねぇってのか?あぁ!?」

「ひぃ!そ、そんな事無いっすよ!」

「だったら、黙って待ってりゃ良いんだよ!」

 

そう言って東の頭を軽く叩いて、再び煙草を吸う。

 

(そうさ、アイツは来る。俺には分かるんだ)

 

海藤はほぼ確信していた。

彼が待っている待ち人である錦山という男は、己の内側に確かな義理人情を秘めている。

海藤は、そんな人間が無視出来ないような置き手紙を彼の目に届く所に残しておいたのだ。

時間帯と場所も指定してある。海藤にとっては、これで来ない方がおかしいのだ。

 

「あの……兄貴?」

「なんだよ東ィ……まだ文句あんのか?」

「い、いえ、文句って言うかその…………兄貴がそこまで確信してる理由って、例の置き手紙があるからですよね?」

 

海藤が置き手紙を用意した時、東もその場に居た。

故に彼は、海藤が確信している理由にも納得は出来る。

ただ、東にはどうも引っかかる事があった。

 

「だから、そうだっつってんだろ?」

「兄貴、俺 思うんです。あの手紙、確かに錦山さんが兄貴の思ってる通りの人なら無視は出来ません」

「だろう?」

「ですが錦山さんは今、こっちに来れる状態なんでしょうか?」

「……………………」

 

東が言っているのは、最後に会った錦山の状態についてだった。

彼らが錦山と最後に会ったのは、吉田バッティングセンター。

血まみれで倒れている錦山を、通りがかった海藤達が救出して街医者のところまで連れていったのだ。

その時の錦山は全身に打撲と裂傷があり、特に左手は刃物で突き刺されて貫通していた。

まともな人間であれば最低でも一週間は身動きが取れないのは明白だった。

 

「錦山さんがどういう人間かと言うよりも、今どんな状態かの方が重要な気がするんですよね。もしもまだ目を覚ましていない状態だったら、来たくても来れないと思いますし……」

「………………東」

 

それを聞いた海藤は東の胸ぐらを掴みあげると、顔の間近で吼えた。

 

「お前この野郎!そんな大事な事をなんでもっと早く言わねぇんだ!!」

「だ、だって……兄貴が大丈夫だって言って聞かなかったんじゃないですかぁ!」

 

海藤正治、25歳。

ケジメを迫られる可能性が浮上して狼狽し始めた。

 

「おいこれどうすんだよ?カシラには今日の夜、確実に会わせられますって言っちまってんだぞ!?」

「そ、そんな事言ったって……!」

 

海藤としても今更後には引けない。

既に組の兄貴分達には話を通してしまっているのだ。

もしこれで"やっぱりダメでした"等という事になれば、絶対にタダでは済まない。

海藤の小指は確実に飛ぶ事になるだろう。

 

「クソっ、こうしちゃいられねぇ!」

 

錦山には申し訳ないが、是が非でもここに来てもらう。

それ以外、海藤が助かる道は無い。

 

「東!お前は柄本医院に行って錦山の野郎を連れて来い!」

「で、ですが兄貴!もしもまだ目覚めて無かったらどうするんですか!?」

「知るかそんなもん!担ぐなり引き摺るなりして連れて来るんだよ!」

「そんなぁ!」

 

松金組の二人の若衆がアルプスの前で揉め始めた時、一人の男が姿を現した。

 

「よう!俺がなんだって?」

「「!?」」

 

現れたのは着崩した黒スーツと胸元を開けた白いYシャツ姿の男。

黒の長髪をたなびかせて現れた彼こそ、二人が待っていた人物。

 

「錦山!」

「錦山さん!」

 

元東城会直系堂島組若衆。錦山彰だった。

 

「待たせたな海藤。それと東」

「アンタ……怪我は大丈夫なのか?」

(兄貴、さっきまで考慮してなかった癖に……)

 

東は内心で悪態を付くが、決して表には出さない。

引っぱたかれるのは誰だって嫌なのだ。

 

「あぁ、流石にまだ痛むがな」

 

そう言って錦山は包帯の巻かれた左手を二人に見せる。

止血と縫合こそしてあるが、僅かでも力を込めれば痛みが走る状態だ。拳を握るのは絶望的と言えるだろう。

 

「だが俺も元はお前らと同じ渡世の道に居た男だ。あんな熱烈なラブレターを貰っちまった以上、おちおち寝てもいられねぇんでな」

「フッ……そうかよ」

 

口角を釣り上げて不敵な笑みを浮かべる錦山。

そのキザな物言いにつられてしまう海藤。

二人だけで良い雰囲気を作られる中、東としては突っ込みたい所があるのをグッと抑えた。

 

(はぁ、ヤクザの下っ端って何処もこうなのかなぁ)

 

東徹。19歳。

彼は今、この道に入った事を少しだけ後悔していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊達さん達と別れてしばらくした後。

俺は海藤達が待っているであろう喫茶アルプスに向かった。

彼らは俺がちゃんと来た事にほっとしていたようだ。

後から聞いた話だが、海藤達の方じゃ俺が今日の夜に確実に来るって事で話が纏まって居たらしい。

もしも俺の怪我が悪化して来れていなければケジメを迫られていたかもしれないとの事だった。

 

(まぁ、ヤクザってのはそういうもんだよな)

 

それはさておき。

いよいよ海藤達が会わせたがっていた松金組の幹部とご対面だ。

どんな事があったとしても覚悟は決めておくべきだろう。

 

「錦山さん、どうぞ」

「あぁ」

 

俺は東に言われるがままに喫茶アルプスへと足を踏み入れる。

かつては俺も度々利用していたそこは、昔と変わらぬ姿で俺を迎え入れてくれた。

 

「こちらです」

 

東の案内に従って奥の席へと足を運ぶ。

そこには既に一人の男が座っていた。

 

「カシラ、お連れしました」

「おう、ご苦労だったな。お前はもう帰っていいぞ、海藤にもそう伝えとけ」

「へい」

 

東はその男に頭を下げると、踵を返して店を出ていった。

 

「やっと会えたなぁ……錦山さん」

「アンタが、海藤達の兄貴分か?」

 

白いスーツを身に纏ったオールバックのその男は、椅子から立ち上がると両膝に手を置いて頭を下げた。

 

「お初にお目にかかります。自分、松金組で若頭やらせてもらってる羽村京平ってもんです」

 

東城会直系風間組内松金組若頭。羽村京平。

それが、目の前の男の肩書きだった。

 

「アンタ、俺に会いたがってたんだってな?一体何の用だ?」

「まぁ、その辺りも一緒に話させてもらうんで……どうぞおかけください」

「……」

 

この男の狙いを探る必要がある。

そう考えた俺は警戒を解かずに羽村の対面に腰掛けた。

 

「錦山さん、まずはお詫びをさせてもらいてぇ」

「お詫び?」

「あぁ。出所直後の貴方にウチの若衆をけしかけた事、誠に申し訳無かった」

 

そう言って羽村は頭を下げた。

正直今となっては海藤達とは上手くやっていけそうなので気にしちゃ居ないのだが、目的くらいは聞いておいた方がいいだろう。

 

「理由を聞かせて貰えるか?」

「……錦山さんもご存知の事と思うが、元々ウチは堂島組の系列でよ。10年前、アンタが堂島の親分さんを殺ってからというものの、組は二つに分裂した」

 

その事は俺も親っさんからの話で把握している。

若頭だった風間の親っさんを慕ってその傘下に着いた組織と、その親っさんが拾った俺が犯した親殺しという大罪を許せず離反した組織。

その離反した組織が今の任侠堂島一家だ。

 

「俺らの親父は大の風間派でな。風間組の傘下になる事に躊躇は無かった。だが当然、それをよく思わない連中も居る」

「……それで?」

「その影響からかは知らねぇが風間の傘下に入ってからというもの、任侠堂島一家の連中がウチのシマにちょっかいをかけてくる事が多くなってな。店で暴れたり騒ぎを起こしたりしてくれたおかげで評判はガタ落ち。いつしかこっちのみかじめにまで影響が出るようになっちまった」

 

吐き捨てるように言う羽村。

本来はそのような事が起きた時の用心棒として羽村達ヤクザがいる訳だが、コイツらとしても相手が任侠堂島一家の連中となれば下手に騒ぎを起こせなかったのだろう。

 

「風間の親っさんには相談しなかったのか?」

「もちろん、うちの親父は何度も嘆願したさ。風間の親父は勿論、任侠堂島一家にもな。だが、当時任侠堂島一家を仕切ってたのは亡くなった堂島親分の嫁。弥生姐さんだったんだよ」

「弥生姐さんが……」

 

堂島弥生。

今は亡き堂島組長の妻にして、かつては堂島組の執行部にも所属していた女傑だ。

あの風間の親っさんでさえ表立って盾突く事は出来なかったと聞いた事がある。

 

「松金組は所詮"枝"の組だ。二次団体の幹部である任侠堂島一家相手じゃ分が悪い。かと言って俺らの親団体である風間組は弥生姐さん率いる任侠堂島一家に対して下手に出る事は無いにしても、堂々と格上を名乗る事も出来ねぇ。結局、俺達松金組は風間組と任侠堂島一家の板挟みになってその割を喰らい続けていた」

「……」

 

羽村の口から語られたのは、俺が服役してからの堂島組の内情そのものだった。

そして、松金組はそれに巻き込まれてしまった形になる。

哀れな話だが、決して他人事では無い。

コイツらからしてみれば、十年前に親殺しをした俺のせいでそんな目に遭ったのだから。

 

「だがそんな時、アンタがもうすぐ出所するって話が噂で上がってな。それまでちょっかいかけ続けてた任侠堂島一家の連中がパタッとそれを止めて、俺らに提案してきたのさ」

「なんて提案されたんだ?」

「錦山彰……つまりアンタを生け捕りにしろってな。それさえやれば松金組には手出ししないし、報酬も支払うって話だった」

 

出所直後、俺がセレナ裏で海藤達に襲われたのはそれが理由だったようだ。

長年俺のせいで辛酸を舐めさせられた松金組の連中に、やたらと勢いがあったのも頷ける。

 

「それで俺を襲ったって訳か」

「あぁ。任侠堂島一家の締め付けでシノギが細くなっていく松金組を立て直すには、やるしか無かったんだ」

「そうか……」

「それでよ、錦山さん。ここからが本題なんだが」

 

羽村が話を切り替えたタイミングで、俺は警戒度を上げた。

想定通りだ。

三次団体とはいえ、羽村はヤクザの若頭。

詫び入れや事情を話す為だけにこの場を用意する筈が無い。

 

「俺と取引をしないか?」

「取引?何の?」

 

羽村は俺に交渉を持ちかけてきたらしい。

詳細を聞いた俺に対し、羽村はこう回答した。

 

「アンタが連れてるガキ……澤村遥。そいつをこっちに渡して欲しい」

「……!」

 

俺は表情筋に力を入れて堪えた。

この手の取引は勿論そうだが、こういう交渉の場において隙を見せるのはタブーとされている。

 

「勿論、タダでとは言わねぇ」

 

羽村はそう言うと、机の上に鈍色のアタッシュケースを置いた。

羽村はゆっくりとロックを外し、中を開けてみせる。

 

「……随分羽振りが良いんだな」

 

その中にあったのは、金。

1万円の札束がギッシリと敷き詰められている。

ケースの大きさから察するに、およそ一億円程だろうか。

 

「錦山さん、コイツは前金だ。実際に俺にガキを引き渡してくれりゃ、更に一億支払おう」

「ほう、随分な入れ込み具合じゃねぇか?お前ロリコンか何かか?」

「へっ、そんなんじゃねぇ。今の松金組にとって二億って金は大金だ。いわばこれは、組の存亡を賭けた大博打よ。あのガキにはそれだけの価値があるんだ」

 

どこから噂を聞き付けたか、要するにこの羽村も100億を狙う連中の一味という事だろう。

本当に100億が手に入るのなら、1億や2億などは先行投資として割り切れる。

実に分かりやすい話だ。

 

「羽村さん、だったか?アンタ、随分と持ってる情報が古いみたいだな」

「なんだって?」

「俺が遥と行動を共にしていて、あの子に付けられた価値に気付いてねぇとでも思ってんのか?」

 

俺が100億を目当てに遥と一緒に居るのであれば、たかが2億程度で身柄を渡す筈がない。

もっとも、そうでなかったとしても渡す気は更々無いのだが。

 

「フッ……そうか。なるほど、確かにそうだ。だったらよ錦山さん、こういう話はどうだ?」

 

そこで羽村は更なる交渉材料を俺に提示してきた。

 

「約束の金はガキがこっちの手元に入った時点で問題なく支払おう。同時に……錦山さん。アンタを松金組の幹部として迎え入れようじゃねぇか」

「なに……!?」

 

それはスカウト。

二度と戻れないと思っていた東城会復帰へのチャンスだった。

だが、それを行うには致命的な欠陥が残ってる。

 

「羽村さん、アンタ自分の言っている事が分かってんのか?」

「なに?」

「俺は"親殺し"だ。任侠堂島一家はもちろん、お前らの親組織である風間組だって、元は堂島組の系列。そんな俺が松金組の盃を受けて復帰だなんて、周りが黙ってる訳ねぇだろ」

 

これは風間の親っさんが言っていた事だ。

堂島組を主体としている風間組で出所後の俺を受け入れる事は出来ない。

故に桐生は直系昇格を目差していたのだから。

それに、仮に風間組の許可が降りたとしても、任侠堂島一家からマトにされるのは目に見えてる。

所帯の小さい松金組では抵抗も出来ずに潰されるのが関の山だ。

 

「はっ、その心配は要らねぇさ。なにせ100億を取り戻した奴が次の跡目なんだ。ガキと引き換えに100億を取り戻した時点で、松金組は風間組から独立して直系昇格する。そうなりゃ任侠堂島一家の連中も手出しは出来ねぇ。アンタも俺も万々歳って訳だ」

 

羽村は金を取り戻した手柄を持って風間組から独立し、そのまま松金の親分を跡目にするつもりなのだろう。

そうすれば自分は松金組の次期組長兼東城会本家の若頭だ。

三次団体の枝から、幹部を通り越して一気に天下取り。

成り上がりを夢見る極道としちゃまたと無いチャンス。

どうやら羽村は、中々に悪知恵の働く男らしい。

 

「どうだ錦山さん?悪い話じゃねぇだろう?」

「……」

 

確かに羽村の提案は俺の立場からすれば願ってもない提案だ。

破門で済んだとは言え東城会中のヤクザ達から目の敵にされている俺が松金組の構成員に。それも、未来の直系団体の幹部になれるのだ。

一大組織だった堂島組とは言えただの若衆でしか無かった俺にとってこの提案は、立身出世の大チャンスと言っても過言では無い。普通に考えれば真っ先に飛び付くだろう。

 

「羽村さんよ。確かにアンタの提案は悪い話じゃねぇ。」

「おう、そうだろう?」

「だがな、俺はもう遥と約束しちまってんのさ。あの子の母親探しを手伝うってな」

 

だが、その提案はあくまで"俺の立場"にとって最良の選択肢なだけで、俺の感情や考えに基づいたものでは無い。

その時点で、この交渉は最初から決裂していたのだ。

 

「お前らは知る由も無いだろうがな。あの子は自分の母親に会いたいって一心で、たった一人でこの街まで来たんだ。10歳にも満たない女の子がだ」

「…………」

「そんな子をヤクザのゴタゴタに巻き込むのは、お前らの組長が大事にしてる筈の"任侠道"において、恥ずべき事なんじゃないのか?」

 

松金の親分には何度か顔を合わせたことがある。

かつてはあの柏木さんと組んで大暴れしてたって言う逸話もあるがあの風間の親っさんの子分だけあって、義理人情に重きを置いた昔気質の極道だ。

そんな人がこんな計画を思い付く筈もない。

ましてやそれを命じる事など有り得ないのだ。

つまりこの一件は、羽村の独断で行われている事になる。

 

(まぁ、こんだけ悪知恵が働けば当然か)

 

俺の見立てではこの羽村という男。

ヤクザとしては中々に優秀な人間だ。

そこは正直、素直に評価したい。

 

「カタギの事も考慮しねぇ、組長にも話を通してねぇ。アンタが独断で進めてるだけの大博打。そんなお先真っ暗な泥船は願い下げだね」

「そうか……なら、交渉決裂って訳か?」

 

確認を取ってくる羽村。

その顔にはコケにされたことに対する怒りが浮かんでいる。

 

「そんなに怖い顔すんなよ。この状況だって、アンタの中じゃ想定の範囲内だったんだろ?」

「あ?何の話だ?」

 

惚けているのか、それとも把握していないだけか。

いずれにせよ話が進まないので、俺は羽村の張った罠を指摘した。

 

「アンタとグルだよな?この店の人間、全員よ」

「!!」

 

意表をつかれた羽村が僅かに目を見開く。

その顔にはこう書いてあった。

"何故分かった"と。

 

「さっき、アンタがこの金をテーブルの上に出した時、確信したのさ。客の動きが不自然過ぎるんでな」

 

俺が店内に入ってからというもの、羽村の座るテーブルには店員を含む全員が一切誰もが目を向けようとしなかった。

そこまでは普通だ。誰だってヤクザなんかとは関わり合いになりたくないだろう。

下手に視線を向けて因縁を付けられればたまったもんじゃない。

 

「どういうことだ?」

「俺たちに目線を合わせないのは別に不思議な事じゃない。だがな、いくらなんでも"合わせ無さすぎ"なのさ」

 

そう。彼らは不自然なまでにこちらへ関心を向けない。

現金一億円の入ったアタッシュケースが目の前にあったとしても、だ。

 

「確かにヤクザ者には関わりたくないのが普通だろう。だが、目の前に一億の現金が現れれば誰だってビビるもんさ。ここの客にはそれが全くない」

「…………」

「まぁ百歩譲ってそれは良いとしよう。店員はどうだ?ろくにコソコソもせず、ヤクザが堂々と現金一億円を見せびらかしてるんだぜ?ヤバい取引か何かだと思って警察を呼ぶのが普通だ。だがここの店員はそんな素振りも見せないし、サイレンは全く聞こえて来ねぇ。それは何故か?」

 

答えは一つ。

この空間にいる人間は全員、羽村の息がかかっているからだ。

 

「対した用意周到ぶりだぜ、アンタ。俺が交渉を蹴る事も想定して、こうして逃げ場のない空間を用意したって訳だ。閉鎖された空間と、多勢に無勢。どっちが不利かなんざ言うまでもねぇ事だからな」

「クックック…………はっはっはっは!!」

 

羽村が突然笑い出す。

その意図は的外れなことを言っている俺への嘲笑か。

それとも図星を突かれたが故の開き直りか。

 

「なるほど……これが錦山彰か!流石はあの"堂島の龍"の兄弟分だ!一筋縄じゃ行かねぇな」

「フッ……一応、褒め言葉として受け取っておくぜ」

 

どうやら後者らしい。

 

「さて……」

 

羽村がおもむろに煙草を咥えて、ライターに火をつける。

それが合図だった。

 

「「「「「…………」」」」」

 

店内にいた客が全員席を立ち、会計もせずに出ていく。

客だけでは無い。店員もだ。

あっという間に店の中には俺と羽村だけが取り残された。

そして、それと入れ替わるようにガラの悪い男達が大勢店内へと足を踏み入れてきた。

いずれも胸に"松金"の代紋を付けている。

 

「ふぅ……錦山さんよ。アンタがお察しの通りの展開な訳だが……これでも考えは変わらねぇかい?」

 

煙草を吹かし、ドスを効かせて睨み付けてくる羽村。

並の奴ならこの時点で土下座ものだが、この程度の修羅場は飽きるくらい経験している。

コイツらとは経験してきた"モノ"が違うんだ。

 

「変わる訳ねぇだろ。出直して来な」

「そうかい……アンタとは上手くやって行けると思ったんだがな。残念だ」

 

その直後、俺の座る席のすぐ後ろにあった関係者用のドアが勢いよく開いた。

 

「あ?」

 

ピンクのスーツを着た恰幅のいいヤクザが現れ、俺の首元に手を伸ばす。

しかし、すんでのところで俺はヤクザの手首を掴んで止めた。

そして、右手に力を込めてヤクザの手首を握り締める。

 

「ぐ、っ!?」

 

軋むような音を立てて痛みを発する己の手首に慄いたヤクザが俺の右手を引き剥がそうとするが、俺の手は決して離れることは無い。

ついにはその痛みからヤクザは片膝を着いた。

 

「な……?」

 

羽村や松金組の連中はその光景に驚きを隠せないでいた。

どうやらこの男は松金組の中でも、見た目通りの力押し担当だったのだろう。

それがまるで体格の違う俺に圧倒されているとなれば無理も無い。

 

「どうやら、親分の教育が行き届いてねぇみたいだな……俺が直々に躾してやる」

 

俺は立ち上がり、ヤクザの手首を離してやった。

 

「ここじゃ店に迷惑だ。裏、来いよ」

 

全力の殺気を剥き出しにし、俺は先程開いた関係者用のドアの奥へと入る。

松金組の連中があとに続いているのを足音で確認しつつ、俺は裏口のドアを開いて裏口へと出た。

 

(いい感じに人目に付かねぇな……羽村の野郎、ここを使う事も想定済みか?)

 

アルプスの裏路地は四方をビルに囲まれており、逃げ場となるべき道も極端に少なかった。

そんな裏路地に続々と松金組の連中が集まり、逃げ道はあっという間に塞がれてしまった。

元より逃げるつもりなど更々無いのだが。

 

「さて、いよいよコイツの出番だな」

 

俺は懐に右手を突っ込むと、モグサから貰い受けた特製スタンバトンを取り出した。

軽く振ってシャフトを出し、ボタンに指を添える。

 

「さぁ、いつでもいいぜ……?」

 

静かに構える。

未だに左手は使えないが、コイツがあれば不思議と負ける気はしなかった。

 

「お前ら、遠慮は要らねぇ!ぶっ殺せ!!」

「「「「「へい!!」」」」」

「どっからでもかかって来い!!」

 

東城会直系風間組内松金組構成員。

この街を牛耳るヤクザ達との、本日最後の喧嘩が幕を開けた。

 

 

 




如何でしたか?

このオリジナル展開はもう少し続きます。

お付き合い頂けたら幸いです。



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約束

最新話です。


2005年。12月8日。時刻は午後8時過ぎ。

海藤は東と共に喫茶アルプスのある中道通りにいた。

彼らは今、アルプスから少し離れた場所で物陰に隠れて店の様子を遠くから伺っている。

 

「兄貴……?なんで店の前で張り込みなんかやってるんです?」

 

東が胸中に抱いた疑問を素直に尋ねる。

彼は錦山を案内した後、羽村の伝言通り帰っていいという旨を伝えた。

すると海藤はどういう訳かアルプスから少し離れた場所で張り込みを開始したのだ。

理解が出来ない東に対し、海藤は静かに答えた。

 

「……匂うんだよ」

「えっ?匂うって……何がです?」

「羽村のカシラがだ」

 

海藤は自分達を帰らせようとした羽村の行動を怪しんでいた。

彼が事前に羽村から聞かされていたのは"会って話をしたい"という事だったが、本当に一対一で話をするのであれば喫茶アルプスという店は非常に不向きなのだ。

 

(そして、相手はあの錦山だ。アイツの強さは羽村も知ってる。なにせコテンパンにやられた俺達を見てるんだからな)

 

そんな手練を相手にした一体一の話し合いに、用心深い羽村がなんの対策もせずに赴くだろうか。

海藤の出した結論は"否"であった。

 

「羽村のカシラの狙いは分からんが……どうにもきな臭ぇ」

「兄貴の勘って奴ですか?」

「あぁ。今日アルプスで間違いなく"何か"が起こる。それがもし、錦山に危害を加えるような事なのであれば……」

 

もしそうなら、海藤はそれを放っておく事など出来ない。

話し合いと称して誘い出した相手を罠に嵌めるというやり方が海藤の流儀に反するのもそうだが、海藤は昨日 遥と約束をしていたのだ。

 

("おじさんの事は傷付けない"……それがあの子との約束だからな)

 

カタギの女の子との約束すら守れないようでは任侠道が聞いて呆れるというもの。

海藤は己の中の"正義"に従い、張り込みをしていたのだ。

 

「あ、兄貴。店の連中が……!」

「なんだありゃ……?」

 

二人の視線の先で、異変が起こった。

それまで店内にいた人間が全員、一斉に店の外へと出たのだ。

その中には客だけではなく、店員の姿もある。

 

「兄貴、あれって……!」

 

そして、それと入れ替わるようにガラの悪い連中が続々と店内へと入っていく。

海藤達はその連中の顔に見覚えがあった。

 

「アイツら、松金組の奴らじゃねぇか……!」

 

ただならぬ雰囲気が漂うアルプス前。

おそらく中は錦山以外の人間は松金組の構成員達で占められているだろう。

海藤の抱いていた予感が確信に変わり始めた。

 

「くそっ、こりゃやべぇ……!」

「兄貴!これ、どうしたら……?」

 

指示を仰ぐ東を見て、海藤はすぐに命令を下した。

 

「東、お前はこの事を組長に知らせに行け!」

「あ、兄貴は!?」

「俺はどうにかして時間を稼ぐ!それまでに組長を連れて来い!いいな!?」

「は、はい!」

 

東が松金組の方面へと駆け出していき、海藤は急いで喫茶アルプスへと向かう。

 

「錦山ぁ!」

 

ドアを開くなり叫び声をあげる海藤だったが、そこには既に誰の姿も見当たらなかった。

 

「なに……?」

 

先程まで店内に居たはずの大勢のヤクザと錦山の姿が、今ここに見当たらない理由。

海藤には一つしか思い浮かばなかった。

 

(裏口から出やがったのか……!)

 

海藤はすぐに従業員口へと向かうが、ドアには鍵がかけられており開く事が出来ない。

 

「クソっ!」

 

海藤の力を持ってすればこの程度のドアは簡単にこじ開けられるのだが、下手な騒ぎを起こして警察を呼ばれる訳には行かない。

 

(待ってろよ、錦山!)

 

海藤はすぐに引き返して店を出る。

母親を探してこの街に来た、少女との約束を果たす為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松金組構成員との乱闘は、一人のヤクザの怒号で幕を開けた。

 

「殺す!」

 

なんてことは無い、力任せで顔面狙いの右フック。

俺はその一撃を難なく躱して、右手に持ったスタンバトンをヤクザ目掛けて振り抜いた。

 

「ぐぶぎゃぁっ!?」

 

得物で殴った時の硬い感触と音とは別に、何かが弾け飛ぶような音が路地裏に響き渡る。

この新兵器の持ち味である、高圧電流が流れた証拠だった。

 

「この野郎!!」

 

気絶した一人目に続いて二人目が前蹴りを放ってくる。

俺はその蹴り足を左腕で抱え込むように捕まえると、片足立ちになった二人目の首元にスタンバトンを振り抜いた。

 

「うげぇっ!?」

 

再び手応えと同時に高圧電流が流れて、相手を気絶に追い込む。

 

「死ねやボケっ!」

 

続く三人目がドスを持ったまま特攻を仕掛けてきた。

俺はその刺突に対して後ろに飛び退いて距離を開けて躱し、ドスを持った手に向かってスタンバトンを当てた。

 

「うぎゃっ!?」

「オラァ!!」

 

流れる電流のショックでドスを取り落とした三人目。

俺はその間隙を突くように左足を振り上げて全力のハイキックをぶち当てた。

 

(よし……行けるぜ!)

 

それ以降、俺は襲いかかるヤクザ達の攻撃を避ける事に専念した。

そして、明確な隙を晒した瞬間を見計らってスタンバトンを用いて確実に仕留めていく。

 

「ぎゃぁ!?」

「きひぃ!?」

「あばっ!?」

 

狙いは首元だ。

殴ると言うよりも"置く"イメージでヤクザ達の首元に当てていく。

本来はそれだけだと高圧電流は発生しないのだが、グリップに付いたボタンを親指で押す事で電流は流せる。

刃物を用いて一撃で首元を狩る、さながら暗殺者のような戦い方だ。

 

「うぎゃあああああ!?」

 

そして。

最後のヤクザが高圧電流を受けて崩れ落ちることで、松金組構成員達との乱闘は一分もかからずに終わりを告げた。

俺はここまでの活躍を見せてくれた新兵器に思わず視線を向ける。

 

「初めて使ったが……コイツはイイな……!」

 

鈍器という話だったが、実際の使い心地としてはスタンガンの方が感覚が近かった。

首筋や喉元に当ててから電流を流す事で相手を一撃で気絶させる事が出来る。

リーチが短い分取り回しもよく、狭い場所で扱っても不自由が無い。

数だけの雑魚を相手取る上でこれ以上に有効な武器は中々無いだろう。

 

「馬鹿な……この人数を相手に……!」

「カシラ、ここは俺が」

 

慄く羽村の前に、一人のヤクザが出てくる。

ピンク色のスーツを着た、恰幅のいいヤクザ。

俺がさっき手首を捻ってやった奴だ。

 

「ようデカブツ。まだやられ足りねぇか?」

「テメェ……!!」

 

殺気立つヤクザ。

俺は手にした特殊警棒を懐に納めてファイティングポーズを取った。

あの手の武器は不意打ちだからこそ効果がある。

散々使った後では警戒されて対処されるのが関の山だ。

 

「テメェに、格の違いってやつを教えてやるよ」

「尾崎、油断するなよ」

「へい!」

 

尾崎と呼ばれたヤクザが、腰を落として俺を睨み付ける。

立ち会い直前の相撲のような体勢だ。

 

「来な。力比べだろうが俺は負けねぇぞ」

「ぶっ殺してやる!!」

 

言うが早いか。

尾崎が猛烈な勢いで突進を開始した。

俺はすかさず腰だめに構えて尾崎を迎え撃つ。

呼吸による脱力は既に完了していた。

 

「ぬぉっ!?」

 

尾崎が驚愕の声を上げる。

自分より一回り体格の違う相手に突進して、その相手が微動だにしなければ無理も無いが。

 

「言っただろ?負けねぇって」

 

俺は尾崎の両肩に手を添えると、顔面に膝蹴りを放った。

 

「ぎゃぶっ!?」

「ぅおおおおっ、らァ!!」

 

鼻をへし折り顔から流血する尾崎。

俺はそんな尾崎の胴を上から抱え込むように持ち上げると、力任せにぶん投げた。

力士を彷彿とさせる体格の尾崎が、無様に地面を転がる。

 

「おい、まだやれんだろ?」

「く、そがァァァァああああ!!」

 

すかさず立ち上がった尾崎が右腕を肩から大きく回しながら迫る。

全力のラリアットをぶちかましてくる気だろう。

 

「そう来なくっちゃ、なァ!!」

 

俺はその攻めに真っ向勝負を挑んだ。

尾崎の間合いに足を踏み入れ、彼に倣って俺も右のラリアットを繰り出す。

その直後、互いのラリアットが直撃した。

結果。

 

「オラァ!!」

「げはぁっ!?」

 

尾崎の身体が地面に叩き付けられる。

純粋な腕力による勝負で、尾崎に打ち勝った。

 

「おら、立てよ」

「こ、の……!!」

 

仰向けに倒れた尾崎は体勢を反転してうつ伏せになると、両手を伸ばして俺の両足を掴まえる。

 

「なっ!?」

「うぉぉりゃァ!!」

 

そしてそのまま立ち上がりながら両腕を腕に振り上げた。結果として俺の身体は仰向けに転ばされる。

柔道で言う所の双手刈に近い動きだ。

 

「どっせぇぇぇい!!」

 

その後、尾崎は巨体に似合わぬ跳躍力で地面を蹴って俺の上へと飛び上がる。

ダイビングボディプレス。

己の全体重を相手に叩き付けるシンプルな技。

喰らえばタダでは済まない。

 

「っと!」

 

すかさず地面を転がる事で、間一髪回避する事に成功する。

 

「ぐ、ぅお……!」

 

一方の尾崎は俺ではなく硬い地面に思い切りダイブしてしまった反動から、すぐに動けずにいる。

その瞬間が好機だった。

 

「ドラァ!!」

 

俺は尾崎が起き上がるよりも早く、その顔面にサッカーボールキックを全力で振り抜いた。

鈍い音と共に、確かな手応えを感じる。

 

「ぐびゃっ……!?」

 

折れた歯が何本か吹き飛び、尾崎が完全に沈黙する。

僅かに驚かされたが、大した連中では無かった。

 

「流石にやるじゃねぇか」

「あ……?っ!!」

 

しかし、ここで俺の余裕は消え去る事になる。

羽村が俺にチャカを向けて来たからだ。

 

「だが、いくらアンタでもコイツには勝てねぇ」

「……随分面白そうなオモチャだな」

 

減らず口を叩いてみせるが、消え去った余裕は取り戻せない。

下手に動けばその瞬間、俺の頭に風穴が開くことになる。

 

「おうお前ら!いつまで寝てんだ!」

「ぅ……」

「ぐ、っ……」

 

羽村の号令によって気絶していた構成員達が起き上がり始める。

スタンバトンはあくまで一時的な電気ショックで気絶させているだけ。

その為もたらすダメージとしては非常にすくなく、意識が戻れば戦線に復帰される。

これは、そんなスタンバトンの弱点が浮き彫りになった瞬間だった。

 

「チッ……」

 

形勢逆転。

残すは羽村一人だけのはずが復活したヤクザたちに取り囲まれて、あっという間に身動きが取れなくなってしまった。

 

(クソっ……どうにかして羽村の隙を突く事が出来れば……!)

 

このままでは一方的に嬲られた後にチャカでトドメを刺されてしまう。

それだけは避けたい。

一瞬で良い。

一瞬だけ、羽村の隙を突く事が出来ればそれでいいのだ。

 

「さぁ、やれテメェら!」

「「「「「へい!!」」」」」

「!!」

 

万事休す。

しかし、窮地に立たされた俺の耳朶を打ったのはヤクザたちの怒号でも羽村の銃声でも無く。

 

「うおおおおおおおおおお!!」

 

聞き覚えのある男の叫び声だった。

 

「なっ?」

「うぉりゃああああ!!」

 

声の主は猛烈な勢いで走ってくるとその勢いのままに地面を蹴って跳び上がり、俺の真横にいたヤクザ目掛けて渾身のドロップキックをぶちかました。

間違いない。

その男は先程まで顔を合わせていた松金組の若衆、海藤正治だった。

 

「海藤……!?」

 

海藤の突然の乱入に羽村が気を取られる。

俺はその一瞬を見逃さなかった。

 

「ナイスだ海藤!」

「な、っ!?」

 

羽村が慌ててこちらに銃口を向けるがもう遅い。

既にこちらの間合いだ。

 

「甘ぇんだよ!」

 

俺は拳銃を持った羽村の右手を痛む左手で無理やり掴み、右の拳で裏拳を放った。

 

「ぐぶァ!?」

 

羽村が鼻から血を流し、後ろに重心が行く所を左腕で無理やり引き戻し、裏拳を繰り出した反動で右ストレートをそのまま叩き込む。

 

「ふぅ、危なかったぜ」

 

羽村が取り落とした拳銃を蹴っ飛ばして遠ざける。

今の技は古牧の爺さんから教わった技のひとつで"古牧流火縄封じ 短筒の型"と呼ばれる護身術だ。

戦国時代の戦いの中で、火縄銃を相手にした際に生み出された技を爺さんが現代版にアレンジした技で、至近距離で拳銃を持った相手に対して非常に有効な手段だ。

 

(爺さんの弟子になってなきゃ、死んでたかもな……)

 

使える技を提供してくれた師匠に感謝しつつ、俺は海藤の方へと視線を向けた。

 

「無事か、錦山!?」

「あぁ、おかげで助かったぜ」

 

俺は海藤に無事を伝えた。

しかし、同時に疑問も残る。

今の状況、海藤にとってはかなり不味いはずだ。

 

「海藤、テメェ……自分が何したか分かってんのか?」

 

羽村が額に青筋を立てる。

それと同じく、周囲を取り囲むヤクザ達も敵意を向けてきた。

 

「それに関しちゃ羽村と同意見だ。海藤、お前どうしてこんな事を?」

 

俺の質問に対し、海藤はさも当然のように応える。

 

「俺はよ、錦山。あの遥ってお嬢ちゃんと約束したんだ」

「約束?」

「あぁ。意識を失ったアンタを病院まで運んだ後、あの子は俺らを真っ向から睨み付けて言ってきたんだ。"これ以上おじさんを傷付けないで"ってな」

「遥が、そんな事を……」

「だから俺は、お嬢ちゃんにアンタを傷付けないって約束した。その代わりに、"錦山を連れて来い"っていうカシラの命令を果たす為にあの置き手紙を残したんだ。しかしまさか……羽村のカシラがこんな事をしようとしてたなんてな」

 

海藤は昨日初めて会ったばかりの女の子との約束を守る為に、松金組という彼にとって絶対に逆らえないはずのものに反旗を翻した。

絶対の上下関係のもとに成り立っている極道社会において、かなり重い禁忌を犯してまで遥との約束を守ろうとしてくれたのだ。

 

「おい海藤!テメェに聞いてんだよコラァ!!」

「…………確かに俺ぁ、ヤクザとしてはダメかもしれませんがね。不思議と気分はスカッとしてますよ、羽村のカシラ」

「海藤……テメェ……!」

「東伝えに俺を帰らせようとしたのも、俺がこの場に居たら絶対に邪魔になると思ったから……違いますか?」

「くっ……」

 

自分の組の兄貴分。ましてや若頭を相手に一歩も引かない海藤。

その無鉄砲ぶりと男気は俺にとって懐かしくもあり、とても心地が良かった。

 

「ははっ、海藤。お前、気に入ったぜ……!」

 

俺はファイティングポーズを取る海藤の背中を守るように立ち、同様に構えた。

 

「錦山?」

「遥の為に体を張ってくれるんなら、俺はお前の味方だ。組に逆らった事に関しては、後で俺が何とかしてやる。だから、手ぇ貸してくれ!」

「ハッ……そいつぁ良い。おかげで気兼ねなく暴れられるってもんだ!」

 

 

怒れる羽村と、若干慄いている手下達。

対して、そんな連中に囲まれながらも不敵な笑みを浮かべる海藤と俺。

ハッキリ言って負ける気がしなかった。

 

「よし……いっちょやるか、海藤!!」

「うぉっしゃああああ!!」

 

松金組との乱闘は、こちらに海藤正治という強力な味方を付けて第二ラウンドを迎える。

 

 

 

そんな闘いの様子をビルの屋上から見下ろしていた"何者か"の存在に、この時の俺はまだ気付いていなかった。

 




まだまだ続きます。


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謎の刺客

最新話です。

皆さんには一体誰だか分かるでしょうか……?


神室町、中道通り。

喫茶アルプスの路地裏。

四方をビルに囲まれたことにより滅多な事では人目につかないこの場所で、乱闘騒ぎが起きていた。

騒ぎを起こしているのは東城会系のヤクザ組織、松金組の構成員達。

そしてそのヤクザ達に真っ向勝負を挑んだ二人の男達だった。

 

「オラァ!」

「セイヤッ!」

 

ヤクザ達を相手に大立ち回りをしている二人の男はそれぞれ、錦山彰と海藤正治という名前があった。

錦山彰は仮出所したばかりの元ヤクザで、海藤は今対立している松金組の構成員だ。

つまり、彼は今自分の組を裏切って錦山の味方をしている事になる。

 

「何してんだ、さっさと片付けろ!」

 

松金組の若頭である羽村が、ヤクザ達に号令をかける。

大挙として錦山達に押し寄せるヤクザ達だが、二人は一向に退く事は無かった。

 

「ふん!せぇや!うぉりゃああああ!」

 

体格が良く頑丈な事が取り柄の海藤は、持ち前のパワーとタフネスを武器に力任せに暴れ回る。

持ち前の剛腕によるフックやボディブローはもちろん、ラリアットやバックドロップなどといったプロレスの技も多様するその豪快なスタイルは、まさに暴力の体現と言えるだろう。

 

「はァ!セイッ!でぇりゃァ!!」

 

一方、怪我をした左手を庇いながら闘う錦山は、器用に闘い方を変えて立ち回っていた。

肘打ちや膝蹴り、頭突きに金的と"なんでもあり"なヤクザ然とした荒々しい闘い方から、即座にボクサーのような構えを取って俊敏な動きで翻弄する。

そして、そうやって懐に入った瞬間に空手や相撲を彷彿とさせる正拳突きや張り手といった力強い一撃で一気に仕留める。

周囲のヤクザ達もその変幻自在な戦い方に対応が追い付かず、次々と数を減らしていた。

そして。

 

「どりゃぁぁああ!!」

 

海藤の右フックでヤクザが吹き飛び、取り巻き達全員が今度こそ戦闘不能に追いやられた。

 

「よぉ、錦山さんよ。アンタ何人やったよ?」

「五人だ」

「へっ、なら俺の勝ちだな。こっちは六人よ」

「お前な……自分の組の奴らボコって自慢げにするんじゃねぇよ……」

「な、なんて野郎共だ……」

 

軽口を叩き合う二人を見て羽村は慄く。

なにせ自分の勢力の中で無事なのは、若頭の羽村だけなのだから。

 

「でもそれは……アンタを倒せば互角になれるってことだよな。羽村」

「くそっ、ふざけやがって……!ナメんじゃねぇぞコラァ!!」

 

ついに羽村が錦山目掛けて拳を振り上げた。

だがその拳が錦山に届くよりも早く、彼は動いていた。

 

「フッ!」

 

左足を振り上げ、前蹴りを放つ。

しかし、靴底を叩きつけて足裏で押し出すようなただの前蹴りではない。

蹴り足の足首はそのままに、羽村の腹部を目掛けて突き刺すように蹴りを叩き込んだのだ。

 

「うぐぉぉっ!?」

 

直後、地獄の苦しみが羽村を襲った。

放たれた蹴りは羽村の右脇腹にくい込む。

そこには肝臓があり、ボクシングで言う所のレバーブローと同じ状況が発生する。

これは空手における蹴り技の一つで"三日月蹴り"と呼ばれる技だ。

本来は足の親指を当てる技なのだが、錦山の履いた革靴の爪先が突き刺さる事でその威力はより凶悪になっている。

 

「オラァ!!」

 

たまらず悶絶する羽村の顔面に、錦山が追い討ちの右アッパーを直撃させた。

文字通りぶっ飛ばされた羽村は、受け身も取る事が出来ずに地面を転がる。

 

「よし、これでタイだな」

「うわっ、容赦ねぇ……」

 

得意げに笑う錦山に対し、羽村が味わっている激痛を想像して青ざめる海藤。

この勝負、錦山達の完全勝利だった。

 

「ぐ、ぅ、ぉぉ……!」

 

地獄の苦しみから解放されず、呻き声を上げてのたうち回る羽村。

錦山はそんな羽村の胸ぐらを掴み上げた。

 

「さて、羽村さんよ。知ってる事を喋って貰うぜ。文句はねぇよな?」

「くっ……!」

 

喫茶アルプスの裏で始まった松金組との乱闘事件。

結果として、錦山側の圧勝に終わった。

 

「か、海藤……!」

 

羽村は、錦山の後ろにいた海藤に恨みがましい視線を向ける。

今回のこの乱闘で錦山が勝利出来たのは、松金組一の武闘派として名高い海藤が錦山の側に付いたことが大きかった。

 

「テメェ……この落とし前は、必ず付けてやるからな……!」

「……」

 

海藤に対してそう宣告する羽村だが、彼は自分の立場を理解していないようだった。

 

「オラァ!」

「ぶげっ!?」

 

錦山が羽村の顔面に肘打ちを落とす。

折れた鼻を抑える羽村の胸ぐらを掴み上げ、錦山が圧をかけた。

 

「おい、こっちの話が終わってねぇだろうが。何を呑気に今後の話してんだ?あ?」

「うがっ!?」

 

胸ぐらを掴んでいた右手を離し、羽村の首を掴んで地面に叩きつける。

最低限、気道を確保出来る程度の力で締め上げながら錦山は殺気を放って羽村に迫った。

 

「お前に"今後"があるかどうかは俺の機嫌次第なんだぞ?喋る気がねぇなら……今ここで息の根を止めてやっても良いんだぜ?」

「へ、へっ……出来るもんかよ。そんな事すりゃ、テメェ、は、っ!!?」

 

錦山は、尚も減らず口が無くならない羽村の首を今度は全力で締め上げた。

呼吸が遮られ、肉と血管が圧迫され、骨と神経が軋み始める。

 

「そんな事すりゃ、なんだ?松金組全部を敵に回すってか?」

「っ!、っっ……!!」

「それがどうした。こっちはもう三代目の葬儀って厳粛な場で暴れ回っちまってる以上、東城会全部を敵に回してるようなものなんだ。今更三次団体の一つや二つにいちいちビビってられるかってんだよ」

 

錦山は今、神室町全域のヤクザ集団から命を狙われている。

いや、より正確には関東地域一帯のほぼ全ての極道組織から目の敵にされていると言った方が良いだろう。

彼はもう、後には退けないのだ。

 

「そこまでだ、錦山」

「海藤?」

 

そんな錦山を引き止めたのは、意外にも海藤だった。

彼は真剣な表情で錦山を諌める。

 

「俺は確かに"アンタを傷付けない"と約束した。だが、羽村のカシラを殺していい訳じゃねぇ。その人は松金組にとって無くてはならない存在だ」

「…………」

「どうしてもカシラを殺るってんなら……俺は嬢ちゃんとの約束を破らなきゃならなくなる。俺にそんな真似させんじゃねぇよ」

「……そうだな。悪ぃ」

 

海藤の説得に応じ、錦山はあっさりと羽村を解放した。

錦山としても本当に息の根を止めるのは最終手段であり、何より遥の想いを裏切ってしまうのは避けたい事柄だったからだ。

 

「げほっ、ごほっ」

「出来のいい舎弟を持ったな、羽村。後で感謝しとけよ」

「テメェ……!」

「さぁ、今度こそ喋って貰うぜ………………ん?」

 

ふと、錦山の動きが止まる。

その顔には怪訝な色が浮かんでいた。

 

「…………なぁ、錦山」

 

そしてそれは、海藤も同様の様子だ。

 

「あぁ……見られてる。誰かに……」

 

海藤は生来備わっていた野生の勘で。

錦山は刑務所で衆目に晒される中で身に付いた感覚で、二人に注がれている"謎の視線"を敏感に感じ取ったのだ。

 

(四方をビルに囲まれた閉鎖的な空間。出入口付近からこちらを除く影は見当たらない。松金組の奴らは羽村以外は全員のびている……となりゃ…………)

 

錦山がある可能性のもとに、恐る恐る視線を上げようとした時。

 

「錦山、上だ!!」

 

海藤の叫び声が路地裏に響き渡る。

錦山が上へと視線を向けたのと、その上にいた"何者か"が銃を発砲するのは全くの同時だった。

 

「ぐぁっ!?」

 

弾丸が空気を切り裂く音と共に海藤の左肩と右足から鮮血が飛び散る。

 

「海藤!!」

 

錦山は即座に羽村から離れると、海藤の肩を担いでビルの階段の踊り場の下へと避難した。

直後、海藤を撃った"何者か"はなんの躊躇いもなくビルの屋上から飛び降り、錦山のいる路地裏へと着地する。

 

(アイツ……何者だ?)

 

錦山は踊り場の下から顔を覗かせ、突如として現れたその人物を視認する。

 

「…………」

 

その人物は、黒いレインコートを着ていた。

背丈や身体付きから男性であると想定が出来るが、フードを目深に被っているので顔は視認出来ない。

そして手には黒い革の手袋と、銃口に円筒型のパーツが取り付けられた拳銃。

 

(なるほどな……だから銃声がしなかったのか……!)

 

消音器(サイレンサー)

文字通り拳銃の銃声を消す事を目的として開発され、周囲に銃声を聞かれる事を防ぐ事が出来る代物だ。

通常の戦闘で使われる事はほぼなく、隠密作戦の部隊や暗殺者が犯行を気取られない為に使われる場合がほとんどであるとされている。

 

(それに、ビルの屋上から正確にこちらを銃撃する程の腕前。そしてそこから飛び降りても危なげなく着地出来るほどの胆力と身体能力……)

 

錦山は直感した。

あの男は"出来る"奴だと。

 

「海藤、平気か?」

「あ、あぁ……どっちも掠っただけだ。これくらいはどうって事ねぇ」

 

海藤の肩と足からは出血が見られるが、本人の言葉通り弾丸は直撃していない。

彼は持ち前の野生の勘、即ち生存本能に従って咄嗟に回避運動をしようとしていた。

その結果、本来直撃するはずだった弾丸の着弾点がズレたのだ。

 

(全く大した野郎だ。でも……その怪我じゃ満足にアイツとやり合うのは無理だ)

 

無理をすれば戦線復帰は可能かもしれないが、そんな手負いで勝てるほど今回の相手は甘くないだろう。

 

「海藤、ここで隠れてろ」

「な、錦山、お前……!」

「今のお前じゃ足でまといだ。良いな?」

 

言うが早いか。

錦山はすぐ側にあったゴミの入ったゴミ袋を手に持ち、路地裏を飛び出した。

 

「……!」

 

レインコートの男がそれに気付き、すかさず銃口を向ける。

 

「オラッ!」

 

それに対し錦山は手にしたゴミ袋を勢いよく放り投げた。

直後、ゴミ袋に複数の風穴が開く。

男が飛んできたゴミ袋に発砲したのだ。

 

(今だ!)

 

錦山はその隙を突いてレインコートの男と距離を詰めるべく、全速力で駆け出した。

しかし、彼我の距離は未だ遠い。

 

「……」

 

男はすぐにゴミ袋から錦山へと照準を合わせる。

しかし、それは錦山にとっては想定内だった。

 

「甘ぇっ!」

 

錦山は、懐から引き抜いたスタンバトンを勢いよく放り投げる。

回転しながら男の元へ飛来したスタンバトンは彼の持つ拳銃の銃身に直撃し、その機能を発動させた。

 

「!?」

 

弾け飛ぶような衝撃と音が男を襲い、その手から拳銃がこぼれ落ちる。

その瞬間を、錦山は待ち望んでいた。

 

「貰ったぁ!!」

 

錦山は叫びながら右足を突き出して地面に滑り込む。

野球選手のようなスライディングキックが、男の足元を刈り取らんと迫る。

 

「!!」

 

男はそれを避ける為にその場から飛び退く。

しかし、それこそが錦山の狙いだった。

 

「そらよっ!」

 

錦山はすかさず左足を軸に回転すると、そのままの勢いで拳銃を蹴り飛ばした。

これにより、レインコートの男がこの場における絶対的なイニシアチブを握る事は不可能となる。

 

「さて、これで少しはフェアになったな?」

「…………」

 

レインコートの男は黙して語らない。

拳銃を無力化されてもなお、その佇まいには余裕さえ感じられる。

 

「一応聞くぜ……何者だ、テメェ。誰の差し金だ?」

「…………」

 

錦山の問いに対して、レインコートの男は静かにあるものを取り出した。

それは、プッシュダガーナイフ。

グリップがメリケンサックのような形状をしており、両刃の刃が拳の前に来るように設計されている。

斬撃よりも刺突に特化した暗殺用の武器だ。

それは、どんな言葉よりも雄弁に彼の目的を語っていた。

 

「なるほどな…………誰かが雇った殺し屋って訳だ」

「…………」

「言っとくがな。俺をそんじょそこらのチンピラと一緒にすんじゃねぇぞ?」

 

錦山は静かにファイティングポーズを取る。

彼としてもこんな所で人知れず殺される訳には行かない。ここは決して、彼の死に場所では無いのだ。

 

「生憎、俺の首は安かねぇ……獲れるもんなら獲ってみやがれ!」

 

突如として現れた、謎の刺客。

この日最後の喧嘩は終わりを告げ、この日最後の"死合い"が幕を開けた。

 

「……!!」

 

先制攻撃を仕掛けたのは刺客の方だった。

右手に持ったプッシュダガーナイフを真っ直ぐに突き出す。

狙いは首元。当たれば一撃で命を刈り取れる、人体の急所の一つだ。

 

「オラッ」

 

しかし、それに反応出来ないほど錦山も愚鈍ではない。

繰り出された刺突に左手を当てて難なく捌く。

 

「っ……!」

 

刺客はそれを予期していたのか、捌かれた勢いのままに左足を後ろに振り上げる。

 

「ぐっ!」

 

直後、刺客が後ろ回し蹴りが錦山の側頭部目掛けて放った。

咄嗟に防御した錦山だったがその威力は高く、ガードの為に上げた腕が僅かに軋む。

 

「!」

 

刺客はその蹴り足を戻し、今度は右足で薙ぎ払うような横凪のミドルキックを放った。

 

「っと!」

 

錦山はその攻撃をバックステップで回避し、刺客の繰り出したミドルキックを空振りさせる。

 

「っしゃァ!!」

 

明確な隙を晒した刺客に対し、錦山がすかさず構えを変えて距離を詰めた。

 

「……!」

 

ミドルキックの勢いのままにその場を一回転して正面を向いた刺客に、錦山の放った右ストレートが襲いかかる。

咄嗟に腕で防御した刺客だったが、彼は直ぐにその選択を後悔した。

 

「っ!?」

 

錦山の拳が腕に当たった瞬間、鈍器で殴られたかのような壮絶な痛みが刺客を襲う。

錦山の放ったのはボクシングの右ストレートではなく、空手における正拳突きだったのだ。

 

「せぇッッ!!」

 

裂帛の気合いと共に拳に力を込める。

錦山は柏木から教えこまれた心得に従い、インパクトの瞬間にのみ拳を固く握りこんだ。

 

「っ、!」

 

刺客はその威力に逆らわず、後ろに飛び退く事を選択した。

僅かでも威力を減らしてダメージを軽減する腹積もりである。

 

(逃がすか!)

 

錦山はすかさず刺客を追撃した。

距離を置かれてしまうと刺客の持つプッシュナイフダガーの間合いを作る事になり、付け入る隙を与えてしまうからだ。

 

「シッ、シッ!」

 

錦山はここで再び構えを空手ベースの構えからボクサー寄りの構えに切り替えた。

瞬く間に距離を詰め、右の拳を連続で突き出す。

 

「シッシッ!シッ、シッ、シッ!!」

「っ……!!」

 

右足を前にしたサウスポースタイルによる右ジャブの連打。

牽制として放たれているはずのそれは、刺客の上げたガードの上から着実にダメージを与えている。

 

「……!」

 

防御に回り防戦一方だった刺客だが、彼は決してただやられていた訳では無い。

重い拳の連打に耐えながら、錦山の隙と弱点を伺っていたのだ。

そして、その機会は訪れる。

 

「シッ、……っ!」

 

刺客は錦山の前手のジャブを左手で受け止めた。

そして、そのまま錦山の手首を掴む事で彼の動きを制限する。

 

「ちっ、クソっ……!」

 

身動きが取れない事に焦る様子を見せる錦山。

そんな彼に対して、刺客は右手に持ったプッシュダガーナイフで刺突を繰り出した。狙いは腹。

本来であればナイフごと右腕を掴まれてもおかしくはないが、刺客には絶対にそうはならないという確信があった。

彼は、錦山の左手に包帯が巻かれている事に気付いたのだ。

そして、これまでの戦いから彼が左手を一切使わない事も。

 

「!!」

 

錦山彰は左手を負傷している。そしてそれはこちらにとっての明確な弱点である。

そう認識した刺客は無事である右手による攻撃を無力化し、錦山にとって反撃も防御もままならない左手側。

つまり自分にとっての右手側から、必殺の一刺しを見舞ったのだ。

しかし。

 

「ッッ……!!?」

 

彼の思惑は右の前腕に走った壮絶な痛みと共に砕け散る事になった。

 

「へっ、なんてな」

 

刺客の突き出した右腕は、錦山の腹部に到達するよりも前に止められていたのだ。

錦山の放った左の膝蹴りと左肘の打ち下ろしに挟まれる事で。

 

「テメェの狙いなんざお見通しだよ、マヌケ!!」

 

錦山はプッシュダガーナイフを取り落とす刺客の頭を掴み、顔面へ膝蹴りを叩き込んだ。

たたらを踏んだ刺客に足払いを仕掛けて仰向けに転倒させ、そのまま腹を踏み付けて完全に制圧する。

 

「ハッ、こんな手に引っかかってくれるとはな。まだまだ修行が足りないぜ、素人ヒットマン」

「……!」

 

彼はとっくに気づいていたのだ。

刺客が自分の弱点を突いてくる事に。

それを見越して、錦山はあえて蹴りをほとんど使わずに右手による攻撃を続けていた。

刺客の目を右手の攻撃速度に慣れさせ、刺客の意識を攻撃が来る右手だけに集中させるために。

そして、右手を封じた瞬間を好機とみなして攻撃に転じた瞬間を叩く。

彼の立てた作戦が見事にハマり、この"死合い"は幕を下ろした。

 

「おい羽村。コイツ、中々腕が立ったが……テメェの差し金か?」

「ち、違う!俺は何も知らねぇぞ!」

 

戦いに巻き込まれぬよう物陰に隠れていた羽村が、疑いをかけられて焦り出す。

この一連の戦いの中で、羽村は自分が決してこの男に勝てない事を痛感していた。

 

「そうかよ……海藤、動けるか?」

「あ、あぁ……」

 

錦山の呼び掛けに応じるように、物陰に隠れていた海藤が肩を押さえて脚を引きずりながら出てきた。

掠っただけとはいえ銃で撃たれた直後でここまで動けるのは、ひとえに海藤のメンタルと屈強さが優れている証拠だ。

 

「コイツをふん縛るぞ。手ぇ貸せ」

「おう、分かった」

「……………………」

 

海藤が錦山の元へと歩み寄る。

錦山はその間、海藤や羽村へと視線を向けていた。

 

「……………………」

 

それ故に、錦山は刺客がレインコートのポケットに左手を入れている事に気付くのが遅れた。

 

「っ、テメェ何してやがる!?」

「!!」

 

錦山が叫ぶのと同時に、仰向けに倒れた状態の刺客が左手から取り出した何かを地面に叩き付ける。

その瞬間、眩い閃光と耳を劈く爆音がその場を支配した。

 

「ぐぁっ!?」

「ぬぅっ!?」

 

錦山と海藤は思わず耳を塞ぐ。羽村も同様だ。

その場の人間が前後不覚に陥る中、刺客はすぐさま錦山の足元から脱出する。

音と光が正常になった時にはもう、錦山に襲いかかった刺客は影も形もなくなっていた。

 

「クソっ、スタングレネードか……!」

 

別名、閃光手榴弾。

強烈な光と爆音で相手の視覚と聴覚を一時的に無力化し、その隙に作戦行動や脱出及び撤退を行うための武器である。

殺傷力こそ持たないものの、こういった局面では何より役立つ代物だ。

そうでなければ、錦山はみすみすあの刺客を取り逃すことも無かっただろう。

 

(野郎、結局顔を拝む事は出来なかったが……何者だ?)

 

錦山を襲った刺客は紛れもない実力者だった。

もしも錦山の作戦が上手くハマって居なければ、錦山の命は無かったに違いない。

 

「兄貴ィ!」

 

混乱収まらぬ中、路地裏に一人の男が飛び込んでくる。

海藤の命令で組事務所に行っていた東だった。

 

「東!組長は!?」

「おう、来てるぞ」

 

そして、そんな東の後ろからスーツを着た壮年の男が現れる。

更にその後ろには、数人のヤクザ達が控えていた。

 

「組長……お疲れ様です!」

「海藤、お前どうした?怪我してんのか?」

「い、いえ。大した事じゃありません」

「そうか……後で手当を受けるんだぞ」

 

海藤を気にかけた後に、壮年の男は錦山に視線を向ける。

その目はどこか懐かしそうに細められていた。

 

「こうして顔を合わせるのはいつぶりだ?元気そうじゃねぇか。錦山よ」

「ご無沙汰しています……松金の叔父貴」

 

錦山が頭を下げたこの男こそ、海藤や羽村のいる松金組を仕切る極道。

東城会直系風間組内松金組組長。松金貢その人である。

 

「あらかたの事情はこの東から聞かせて貰った。が、お前らには色々と聞かせてもらうぜ。そして……羽村」

「親父……」

 

穏やかだった松金の表情が一気に厳しくなり、声が冷淡になる。

紛れもない怒りだった。

 

「一度ならず二度までもとはなぁ……勝手な真似しやがって」

「お、親父……!」

「話は事務所で聞かせてもらう。どう落とし前つけるかも、キチッと考えとけよ」

「くっ……!」

 

歯噛みをして俯く羽村。

こうなってしまった以上、どう足掻いてもケジメは免れない。

彼に出来ることは、もう何も無かった。

 

「よし、テメェら。まずは倒れた奴らを介抱だ。すぐにサツが来る。そいつらを連れてここから離れろ!」

「「「「「へい!」」」」」

 

松金の命令で、ヤクザ達が迅速に動き始めた。

錦山と海藤が倒した構成員達を抱き起こし、担いでその場を後にする。

 

「すまねぇな錦山、ウチのモンがよ」

「いえ、大丈夫です」

「俺も、本部で撃たれた風間の親父の事は気にかけててな……いい機会だ。俺にも色々と教えてくれ」

「えぇ、もちろん。俺が知ってる範囲にはなりますけど……」

「構わねぇさ、頼んだぜ」

「はい、わかりました」

 

錦山は松金の要請に快く応じる。

彼としても、大の風間派である松金の親分の頼みを聞かない訳には行かないのだ。

 

「よし、じゃあまずは場所を移そう。ウチの事務所まで付き合ってもらうぜ」

「わかりました、松金の叔父貴」

 

錦山は松金の指示に素直に従った。

喫茶アルプスで始まった松金組の騒動。

その後始末が今、行われようとしている。




如何でしたか?

今回登場したのはジャッジシリーズにおける最重要人物の一人です。

もしもまだプレイしていない方や展開を知らない方は是非、やってみて頂くか動画をご視聴下さい。個人的には「牛」が付く人の実況プレイ動画がオススメです。

そしていつも感想を書いてくれる皆様は、どうかこの刺客の正体についてはハリーポッターで言う所の"名前を出しちゃいけないあの人"的な扱いで一つ、よろしくお願いします

次回もお楽しみに


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同盟

最新話です

これでこの章は終わりになります。
どうぞ。


2005年。12月8日。

アジア最大の歓楽街である神室町の東西を繋ぐ三つの通りの内の一つである七福通りの東側。

そこにひっそりと構えた、一つの事務所がある。

松金興行株式会社と表向きの看板が掲げられたそこは、東城会直系風間組内松金組の事務所である。

神室町では珍しくも無い、ヤクザ達の巣窟だ。

 

「錦山さん、どうぞ」

 

俺はそこの事務所の椅子に座り、お茶汲み係である東からお茶を出されていた。

 

「ありがとよ」

 

軽く礼を言うと、東は一礼して下がっていく。

まだ歳若いが、動作に無駄が少ない。

なるほど。彼はここのお茶汲み係が本業なのかもしれない。

 

「すまねぇな、錦山。足運んでもらってよ」

「いえ、大丈夫です」

 

穏やかに語りかけてくる松金の叔父貴に対し、俺は頭を下げた。

現在、事務所には限られた人間しかいない。

組長である松金と、客人として招かれた俺。

お茶汲み係の東。

そして、松金の傍で正座している海藤と羽村だ。

 

「早速で悪いんだがよ、これまでの経緯を聞かせちゃくれねぇか?」

「分かりました」

 

俺はそれに従い、これまでの事を説明する。

出所早々、羽村の命令で海藤達が俺に襲いかかってきた事。

三代目の葬儀で親っさんに会ったが、目の前で何者かに狙撃されてしまった事。

その後関東桐生会で桐生と再会し、美月という写真の女を見つけてくれと頼まれた事。

行動していく中で、桐生の娘である遥と出会った事。

その遥を拉致されて、助けに行った先で真島とやり合って死にかけた事。

そこを海藤に助けられて、その置き手紙に応じてアルプスを訪れた事。

全てをありのままに語った。

 

「そうか……大変だったんだな、錦山」

「えぇ、まぁ……」

 

松金の叔父貴は俺の言葉を真摯に受け止めてくれた。

この人は昔から大の風間派で、極道の中では珍しく穏健派と呼ばれる話の分かる人だ。

上手く行けば協力を取り付ける事も出来るかもしれない。

 

「さて……羽村」

「っ!」

 

松金の親分が正座している羽村に睨みを効かした。

 

「錦山は風間の親父の大切な身内だ。そんな錦山を目の敵にした理由……答えてもらうぜ」

「ぐっ……」

 

羽村が動揺する。

恐らく今、どのように言葉を繕うかを必死に考えているのだろう。

 

「緊張すんなよ、羽村。アルプスで俺に話した事をそのまま言うだけで良いんだ。簡単だろ?」

「うるせぇ、テメェは黙ってろ……!」

 

俺の言葉を突っぱねる羽村。

助け舟を出したつもりだったのだが、随分と嫌われたらしい。

まぁ、アレだけこっぴどくやられれば無理もないだろう。

 

「……任侠堂島一家の連中がウチのシマにちょっかいかけてきてるのは、親父もご存知ですよね?」

「……あぁ」

「今回の話は、その任侠堂島一家から来たものなんです」

 

その後羽村は、俺がアルプスで聞いた事をほとんどそのまま松金の叔父貴に伝えた。

俺を標的にして生け捕りにする事でシマへの介入を食い止めた上で報酬を貰うという話だ。

しかし、これだけでは事態の説明が付かない。

 

「だが羽村。アンタの狙いは俺じゃなくて遥の身柄だったよな?それは何故だ?」

「……そのネタは、馴染みの情報屋から仕入れたんだ。東城会の100億が抜かれ、その鍵を握ってるのがアンタの連れてるガキだってな」

 

消えた100億と遥の存在を知った羽村は、それを取り戻すという功績を手に入れるために俺をアルプスに呼び出して交渉を行ったのだ。

報酬の二億に加え、松金組の幹部に迎え入れるという破格の条件で。

 

「勝手に組のモンを動かしたばかりか、組の金まで使おうとするとはな……いい加減呆れてくるぜ、羽村。どこまで俺をコケにしやがる気だ?」

「ち、違います親父!俺は……!」

 

弁明をしようとした羽村の顔面に、松金の叔父貴は容赦なく蹴りを叩き込んだ。

仰向けに倒れた羽村を見下ろしながら叫ぶ。

 

「うるせェ!これ以上テメェの見苦しい言い訳なんざ聞きたくねぇんだよ!!」

「……!」

 

そのあまりの気迫に羽村だけでなく隣の海藤も圧されている様子だ。

流石、あの柏木さんと肩を並べて大暴れしていただけの事はある。

 

「海藤、お前の一件は不問にする」

「親父、良いんですか?」

「あぁ。組に逆らったって意味じゃ褒められた事じゃねぇが……お前はお嬢さんと交わした約束を守り、錦山に助太刀をしてくれた。それで十分だ」

「親父……ありがとうございます!」

 

海藤が深々と松金の叔父貴に頭を下げる。

俺がどうにかするまでも無く、海藤の処分は無かった事にされた。

 

「錦山。今回はウチの羽村のせいで、とんだ迷惑をかけちまった。本当に申し訳無い。この通りだ」

「叔父貴……」

「この落とし前、キッチリ付けさせてもらう」

 

その後、松金は俺に対して頭を下げた。

子の起こした揉め事の責任は、親にある。

それが極道としての掟。

叔父貴はそれに従い、そのケツを拭くつもりでいるようだ。

 

「立て、羽村」

「は、はい……」

 

松金の叔父貴は羽村を立たせると、一言命令した。

 

「盃を出せ」

「!!」

 

その言葉と同時に、羽村の目が見開かれる。

自分に下されるであろう処罰を理解し、一気に顔が青ざめた。

 

「お、親父…………」

「羽村京平。本日を持ってお前を」

 

叔父貴の審判が下される。

その直前。

 

「ちょっと待った!」

 

俺はそんな言葉を口走っていた。

 

「ん?なんだ錦山?」

 

困惑する松金の叔父貴。

そりゃそうだ。俺に対するケジメとして羽村に処罰を加えようとしていたのに、その相手から待ったをかけられたのだから。

 

「松金の叔父貴……そいつぁちょっと、待ってくれませんか?」

 

だが、俺のその言葉は反射的にこぼれた訳でもでまかせという訳でも無い。

俺なりの考えがあって出た言葉だった。

 

「何を言ってる?なんでお前が止めるんだ?」

「そりゃ……このままじゃ羽村の仁義があまりにも報われないからですよ」

「錦山、お前何を……!?」

 

俺の行動に、羽村を含む俺以外の全員が困惑している様子だった。

俺はその困惑を払う為に言葉を続ける。

 

「松金の叔父貴。確かに羽村は叔父貴に独断で行動をした。手下も金も勝手に使って、俺を襲うだけじゃ飽き足らず遥まで食い物にしようとした。俺の立場からすりゃ当然許す事は出来ねぇ」

「あぁそうだ。だからこうして羽村を……」

「でもそれは全て、松金組の為を思っての行動なんですよ」

 

そう。これまで羽村が起こしてきた行動は決して私腹を肥やす為のものでは無い。

全てが組の為の行動なのだ。

 

「任侠堂島一家の誘いに乗って俺を襲ったのも、これ以上のシマへの介入を防いで、現状を打破するのが目的のハズです」

 

羽村から聞いた話では、松金組は直系組織である風間組と任侠堂島一家の板挟みのような関係性になっていたらしい。

関東桐生会の発足により権威の弱まった風間組は、堂島弥生が率いる任侠堂島一家に対してあまり強く出る事が出来なかった。

故に松金組は親組織である風間組からの支援を受けられず、ただ任侠堂島一家のシマへの介入を半ば黙認するしか出来なかったのだ。

羽村としては、組のそんな現状を好転させる為にはどんな事だってやるしか無かったのだろう。

そう考えれば俺を襲わせたのにも納得が行く。

 

「それにアルプスで交渉を持ちかけられた時……羽村は俺に夢を語ってくれたんです」

「夢だと……?」

「えぇ。親殺しの俺が松金組へ加入する訳には行かないと言った俺に対して、羽村は言ったんです。"100億が手に入ればウチの親父が跡目を取る"って……」

「何!?」

 

三次団体の弱小組織から、一気に東城会の直系団体へ。

そして松金の叔父貴を本家の跡目に押し上げて、自分は本家の若頭へ。

羽村があの時語ったそれは、紛れもなく極道として抱いた夢だったのだろう。

しかし、それは自分本位な夢ではない。

松金組の昇格。並びに自分の親である松金の叔父貴を担ごうとしているのだ。

 

「だからこそ、羽村は自信満々に手下も金も持ち出して俺との交渉に臨んだんです。100億を手に入れてしまえば、一億や二億なんて先行投資だと割り切れてしまいますからね」

「羽村……そうなのか?」

「………………」

 

叔父貴の問いに対して、羽村は俯いたまま黙りこくっている。

その態度からは図星なのかはたまた検討はずれなのか読み取る事は出来ない。

何せここまで語ったのはあくまで俺の想像や推測の話なのだから。

 

「俺から言うのもなんですが……羽村は優秀で忠実な男だと思います」

「…………」

「まぁ、だからと言って遥に手を出そうとした事を無かった事にする訳じゃありませんが……それでも、叔父貴が今下そうとしているその処罰は、組のために動いた羽村にとってあまりにも酷なのではないでしょうか?」

「錦山、お前…………」

 

俺は真剣に松金の叔父貴と顔を見合わせた。

ここでこのまま羽村を放って置くのは、あまりにも目覚めが悪い。

羽村に対して同情している訳では無いが、俺の中の"スジ"を通そうとする元極道としての性が黙っていられなかったのだ。

 

「10年前に渡世の親を殺し、もう極道ですらないような今の俺が叔父貴の組の事に口出しする義理がないのは分かってます。ですが……もしも俺の為にケジメを付けてくれると言うのであれば、どうかそれは待って貰えないでしょうか?」

「………………そうか」

 

松金の叔父貴はしばらく黙った後、静かにそう答えた。

その後、叔父貴は俺に向き直って問いただす。

 

「だが、そうなりゃどうケジメつける?このままお咎めなしに穏便に、なんて事になったらかえってウチの顔に泥を塗ることになっちまう」

 

ケジメの代案。

つまり、羽村を処罰するという付け方以外の方法が必要になってくるという話だ。

そして、この流れになるのを待っていた俺はそれに対してこう提案した。

 

「それなんですが……叔父貴。俺に協力してくれませんか?」

「協力?」

「えぇ。今回の事件が終わるまでの間、松金組に俺のタニマチを頼みたいんです」

 

タニマチとは元々相撲の世界の隠語で、贔屓にしてくれる客や、無償でスポンサーを買って出てくれる物好きな連中の事を指す。

芸能人や政治家なんかのタニマチにヤクザが居るなんて事は決して珍しい事じゃない。

 

「タニマチってぇと……金か?」

「金ももしかしたらお願いする事になるかもしれませんが、今の俺に必要なのは協力してくれる人達です」

 

もしもここで松金組の協力を得られれば、色んな場面で非常に助かる。

例えば情報収集。

花屋からの情報は正確だが料金が高く、毎度世話になるのは難しい 。であれば松金組の力を借りて人海戦術を用いる事が出来れば遥かに安上がりだ。

もっと言えば今の俺には神室町の中において味方が伊達さんくらいしかいない。

荒事になった時に味方になってくれる勢力が、今の俺には必要だった。

 

「つまりこれは、同盟です。俺と、松金組の」

「同盟……」

「松金の叔父貴。俺が困った時に力を貸すと、約束して貰えませんか?今回の一件、それで俺は手打ちにしたいんです。お願いします」

 

俺は松金の叔父貴に頭を下げた。

羽村のやらかしに漬け込む形になってしまったのは申し訳無いが、俺としては良い落とし所だと思う。

 

「そうか……分かった」

 

松金の叔父貴はその提案に頷いてくれた。

そのまま羽村に対しての裁定を下す。

 

「羽村、お前は今後 組を上げて錦山の支援に全力を尽くせ。それで今回の一件は不問にしてやる。いいな?」

「……はい」

 

羽村は静かに頷いた。

まぁ、この状況では仮に不服だとしても頷く他無いだろう。

俺なりにフォローはしたんだ。納得してもらいたい。

 

「ありがとうございます、叔父貴。これから、よろしくお願いします」

「あぁ、こっちこそよろしくな」

 

俺と叔父貴は、固く握手を交わす。

こうして、松金組と俺との間に同盟が結ばれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松金組事務所で行われたアルプス襲撃の後始末の後。

羽村は一人、神室町のとある路地裏に訪れていた。

 

「…………」

 

羽村以外は誰もいないその場所で、彼はおもむろにタバコに火を付けた。

有害な煙を吐き出しながら、真っ暗になった空を黙って見上げる。

そんな羽村に、背後から声をかける男がいた。

 

「何を黄昏てんです?……羽村さん」

「……来たか」

 

振り返った先に立っていたのは、黒いレインコートを着た一人の男だった。

その男は羽村にとっての仕事仲間とも言うべき人物であり、アルプスの裏で錦山に襲いかかった張本人である。

 

「怪我はどうだ?」

「どうにも痛みが収まらなくてですね。全くしてやられましたよ」

 

男の声は平坦だった。

平坦すぎて、穏やかにさえ聞こえてくる程に。

 

「…………何者ですか、あの男は」

 

しかしそれは、今にも沸騰しそうな怒りを押さえ込んだが故のものだった。

彼はつい数時間前に、己のプライドを著しく傷付けられたのだ。

この街の裏社会で生きていけると信じていた。仕事人としてのプライドを 。

 

「元東城会直系堂島組若衆。錦山彰だ」

「そんな事を聞いてるんじゃありませんよ。あの強さは一体何なのかって聞いてるんです。今回の依頼を受ける前に聞いた話と大分違うようですが?」

 

羽村が今回彼に依頼した内容は、交渉が決裂した際の保険。

もしも自分が窮地に立った場合の援護、及び対象の始末にあった。

 

「あぁ、俺も予想外だったよ。まさか錦山があそこまで強いとは思わなかった」

「羽村さんもご存知無かったのですか?」

「アイツは元々、堂島の龍と呼ばれた桐生一馬の横に引っ付いてただけの腰巾着だったんだ。逮捕される前も、なんの役職もないただのチンピラ。俺も念の為にお前に出張って貰っていた事が無駄になるとばかり思っていたんだが……」

 

羽村は交渉が決裂した際に三段構えの保険をかけていたのだ。

一つ目は松金組構成員。二つ目は拳銃。

そしてその三つ目として、彼に錦山の殺害を依頼した。

 

「なるほど……俺はそんなチンピラ相手に不覚を取った訳ですか……」

 

しかし結果は惨敗。

海藤の裏切りもそうだが、羽村達と錦山との実力差が歴然であった。

その事実に男は悔しさを募らせる。

 

「なぁ……お前、どうする気だ?」

 

羽村の問いかけに、男は答える。

 

「決まっています。あの男は決して逃がさない……何がなんでも追い詰めてこの手で殺してやる」

「そうか……だが、報酬は出せねぇぞ」

「…………何?」

 

男は羽村の放ったその一言が理解出来なかった。

依頼主であるはずの羽村が、依頼料を出さないと言ってきたのだ。

 

「……どういう事ですか?」

「今回出張って貰った分に関しちゃ、既に前金を払ってる。だがお前はあの時錦山を殺れなかった。ならその成功報酬は無しだ」

「俺が言ってるのはそこじゃありません。錦山を殺す事そのものに対しての報酬が出ない事です。何故ですか?」

「……事情が変わったんだよ」

 

そう言いながらタバコを吹かす羽村の顔は、複雑な表情をしていた。

 

「今回の一件で俺は危うく破門にされる所だった。そこを俺は……事もあろうに錦山に庇われちまったんだ」

「庇う?何故そんな事を?」

「分からねぇ……だが、アイツのおかげで助かったのは事実だ。それに、組を挙げて錦山を支援しろって命令も下ってる」

 

錦山にコケにされた屈辱は当然ある。

だが同時に、自分の抱えていた組や松金に対する想いを的確に告げられた事にもまた、羽村の心は確かに動いていた。

 

「だからよ……今の俺は、錦山を殺る訳には行かないんだ。今日お前を呼んだのは、依頼のキャンセルを伝える為だったんだよ」

「…………はぁ。なるほど、そういう事ですか」

 

羽村のこの行動は、彼なりのケジメという事なのだろう。

そう察した男は、思わずため息をついた。

 

「以前から羽村さんには良くしてもらってますからね。分かりました、そういう事でしたら報酬は頂きません」

「いいのか?」

「えぇ。ですが…………」

 

男はフードの下から羽村を睨みつける。

その瞳にはドス黒い野心と反骨心を湛えた禍々しい光が宿っていた。

 

「俺は錦山を追いかけます。貴方のパートナーとしてでは無く、一個人として。それなら良いでしょう?」

「なっ、何を言ってる?それはダメだ」

「何故です?」

 

男の発言に羽村は狼狽した。

もしも男が独自に動く事になれば、羽村にとって都合が悪いのだ。

 

「お前、分かっているのか?錦山は松金組と同盟を結んだんだ。今の錦山に手を出すのは松金組を敵に回すのと同じなんだぞ!?」

「それがなんです?言っちゃ悪いですが、こっちとしては松金組と対立したとしても何の問題は無い。"本業"として真っ向からやり合うだけですから」

 

説得を試みる羽村だったが、男は聞く耳を持たなかった。

彼の中にあるのは、錦山に対する復讐心のみ。

 

「邪魔をするなら……たとえ貴方でも容赦はしませんよ?"羽村のカシラ"」

「っ!?」

 

羽村の全身を悪寒が走り抜ける。

こうなってしまえばもう止められない。

 

「では、俺はこれで」

 

踵を返し、夜の街へと消えていく男。

羽村はそんな彼を黙って見送る事しか出来なかった。

 

「…………くそっ」

 

これは、神室町における裏社会の一幕。

松金組若頭である羽村京平と、後に神室町で"モグラ"と呼ばれることになる殺し屋とのやり取りであった。

 

 

 

 

 






次回は断章を予定しています
お楽しみに


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断章 1999年
幸せな時間


最新話です。

珍しく平和な話に仕上がりました


1999年。東京。国際空港。

この日、一人の女性が数年ぶりに日本の地に降り立った。

 

「んー……!帰ってきたなぁ」

 

彼女の名前は、錦山優子。

現在服役中の東城会系の極道である錦山彰を兄に持つ女性で、重い心臓病を患っていた。

 

(まさか、またこうして生きてこの場所に帰って来れるだなんて……)

 

しかし、その病は既に完治した。

両親を失った彰と優子の二人を保護して養ってくれた育ての親と、幼少の頃から共に過ごした兄の親友の助力により、優子は海外での手術を受ける事に成功したのだ。

 

(風間さん、一馬くん……会ってお礼をしなくっちゃ)

 

リハビリを終えて退院した彼女は、すぐに日本に帰国したのだ。

命を救ってくれた、感謝を伝える為に。

 

「さて、と」

 

荷物を回収し、空港のターミナルから外へと出ようとする優子。

彼女が聞いた話によれば、迎えの者が到着していると言う。

 

「失礼、そこの方」

「はい、なんでしょう……っ!!?」

 

ふと、優子に声をかける男性が現れた。

彼女は声を掛けられた方向を向いたが、その事を後悔する事になる。

 

(や、ヤクザ……!?)

 

優子と比べふた周り以上もある体躯とパンチパーマの髪型に、分厚いサングラスにネイビー色のスーツを着た大男。

堅気でないのは火を見るよりも明らかだった。

 

(ど、どうしよう。自分と一馬くん以外のヤクザは危ないから近づくなってお兄ちゃんに言われてたし、でももう振り向いちゃったし……!)

 

怯えて慌てる優子だったが、男が口を開くとそれは霧散した。

 

「錦山優子さん、ですね?」

「えっ?はい、そうですが……どうして私の名前を?」

「お初にお目にかかります。自分、桐生組の者で、松重と申します」

 

男はそう名乗って直角に頭を下げた。

見た目の柄の悪さからは想像も出来ない程の礼儀正しさに、優子は思わず面食らっていた。

 

「桐生組って……もしかして、一馬くんの?」

「はい。ご多忙な親父に代わり、貴女のお出迎え及び警護を仰せつかりました。本日はよろしくお願い致します」

 

その言葉を聞いて優子は肩の力を抜いた。

桐生が率いる組の人間であるならば警戒する事はない。

見た目に反した礼儀正しさも、桐生の教育の賜物であるとすれば辻褄が合う。

安心した優子は、頭を下げる松重に対してお辞儀をした。

 

「改めまして、錦山優子と申します。本日はお世話になります」

「では、早速参りましょう。こちらです」

 

松重に従い、優子はターミナルから駐車場へと向かった。

そこで待っていたのは黒塗りの高級車と、黒いスーツを着た運転手の男だった。

 

「兄貴、お疲れ様です」

「おう、こちらが今回のお客様だ。丁重にお運びしろよ」

「錦山優子です。よろしくお願いします」

「へい、お任せ下さい。さ、どうぞ」

 

優子は言われるがままに後部座席に乗り込んだ。

ヤクザの車という事でタバコの臭いを覚悟していた優子だったが、彼女が感じたのは新品のシートの匂いのみだった。

 

「行き先はセレナだ。出せ」

「へい」

 

松重の指示によって運転手が車を発進させる。

車は何の問題もなく駐車場を出て、安全運転で優子を空港から連れ出した。

 

「優子さん。リハビリと長旅、大変お疲れ様でした」

「あ、ありがとうございます……」

 

松重が礼を尽くして優子に接する。

それらは全てすごく丁寧な所作で好感が持てるのだが、ヤクザに慣れていない優子としては松重がそのようにしているだけでもすごく緊張してしまうのが実際の所だ。

 

(なんか話す話題とかないかな……息が詰まっちゃいそう…………あ、そうだ)

 

優子はふと思い至った。

桐生は優子にとっては兄の親友であり幼馴染だが、言ってしまえばそれだけでしかない。

 

「あの、松重さん」

「なんでしょう?」

 

松重は桐生が率いる組の人間だ。

であれば自分が知らない桐生のことを知っているかもしれない。

そう考えた優子は、こんな質問を投げかけた。

 

「松重さんから見た一馬くんって、どんな人ですか?」

「親父ですか?そうですね…………」

 

質問を受けた松重は少しだけ考え込む所作を見せた後、表情を変えぬまま答えた

 

「一言で言えば義理人情の塊みてぇな人ですね。弱い人や困ってる人間が居れば放っておけず、悪い奴らは絶対に懲らしめる。そんな男です」

「そうなんですか……ふふっ、昔から変わらないんですね」

 

優子の知る幼き日の桐生もまた、そんな気質を持った少年だった。

自分を含めたヒマワリの子供達がいじめられていると知るや否や、兄の彰と共に駆け付けて加害者達と殴り合う。

そして決まって、二人して罪を被るのだ。

 

「……やっぱり、昔からなんですか?」

「はい。とにかく弱い者イジメをする人達は許せないって感じでした。お兄ちゃんと二人で大暴れして、その後は決まって風間さんに怒られるんです。"やり過ぎるな!"って……」

「フッ、そうですか……全くあの人らしい」

 

松重の厳つい顔にも思わず笑みがこぼれる。

何か思う所でもあるのだろうかと優子が首を傾げていると、松重が滔々と語り始めた。

 

「実を言いますと……自分は最初、桐生の親父が好きじゃなかったんです」

「そうなんですか?」

「えぇ。桐生の親父と錦山さん……貴女のお兄さんが、風間の親分の口利きでこの世界に入ったのは、ご存知ですか?」

 

優子は頷く。

その話は彼女も覚えていた。

お世話になった風間さんに恩を返して、同じ世界で成り上がりたい。そして、優子を守れる男になる。

彼女の兄はそんな事を言いながら親友の桐生と共に堂島組の盃を受けたのだ。

 

「自分は、そんな彼らの事が気に入らなかったんです。"風間の親父に拾われただけの奴が、調子に乗るな"……とね」

 

松重は行き場をなくした街のゴロツキからヤクザになった"典型的"なタイプだった。

当時はそういった理由でヤクザになる者達が大勢いた為、松重はその"よくある連中"の中に埋もれてしまっていたのだ。

そんな中、組に入りたての桐生や錦山が"風間の秘蔵っ子"として良くも悪くも注目を集めているとなれば、目くじらを立てるのは当然と言える。

自分がどれだけ足掻いても浴びる事の出来ないスポットライトを、この世界に入った時から浴びているのだから。

 

「かつての自分は、そんな彼らに負けたくない一心でした。今となっては決して自慢出来る事じゃありませんが、のし上がる為ならどんな事でもしてきたものです」

 

松重はそのスポットライトを浴びる為に必死になった。

金と力を付けることに対して、彼は誰よりも貪欲に、誰よりも我武者羅に動き続けた。

そしていつしか"風間組一番の稼ぎ頭"とまで呼ばれるようになったのだ。

 

「そんなある日、上から命令されたんです。桐生一馬が立ち上げる組の創設メンバーになれと。」

「えっ?じゃあ一馬くんとはその時から……?」

「えぇ。桐生組結成時からの付き合いです」

 

目を細め、松重は思い出す。

桐生の事を認めたくない一心で反抗的な態度を取り、罠にはめて陥れようとすらした事を。

 

「自分は気に入らなかった。こんな若造に指図されるなんて冗談ではないと。親の七光りが届くと思ったら大間違いだと言うことを教えてやる。そんな風に考えてました。ですが…………間違っていたのは自分の方だったんです」

「え……?」

 

松重の脳裏に浮かんだのは、風間組の事務所での出来事。

桐生を陥れるはずが下手を打って殺されかけた所を助けられ、そのケジメを迫られていた時の事だ。

 

「当時、自分は組に逆らって悪事を働いてました。その結果、複数人で襲いかかられて殺されかけた事があったんです。ですが桐生の親父は俺を助けるばかりか、責任を取らされるはずだった俺を庇って一身にケジメを受けようとしました」

 

松重から語られたその話に優子は息を飲む。

兄伝いにヤクザの世界の話を聞いた事のある優子は、この世界における"責任"や"ケジメ"がどういったものかも知っている。

桐生と彰の渡世の親であり優子の育ての親でもある風間新太郎が、彰の処分を軽くする為に小指を失った事は彼女の耳にも届いていた。

 

(まさか一馬くんは、この人を守る為に小指を……?)

 

顔面蒼白になっていく優子を見兼ねた松重が、誤解のないように付け加えた。

 

「結局その時は、親父の姿勢が認められて不問にされました。誰の指も無くなってはいません」

「ホッ……そうですか」

 

それを聞いて優子は安心した。

もしも桐生が小指を無くしていたら優子もいい気分はしないし、何より兄の彰が黙っていないだろう。

 

「俺は親父に聞きました。どうして俺を助けてくれたのか、その理由を」

 

その時の桐生の言葉は、しかと松重の胸に刻まれている。

今の松重があるのも、その時の言葉があったからに他ならない。

 

「そんな俺に、親父はこう答えたんです。"お前がウチの組員だからだ"と。あの人は散々っぱら迷惑をかけて悪事を働いていたこんな自分を、組員だと言ってくれたんです」

 

だからこそ、松重は今も桐生組にいる。

自分のような悪党を組員だと言ってくれた、男気ある組長を担ぐ為に。

 

「そっかぁ…………一馬くんって、やっぱりカッコイイんですね!」

「えぇ。桐生の親父こそ、男の中の男。極道の未来を担うに相応しいお方です」

 

弱きを助け強きをくじく。

たとえどんな人間であっても、受け入れたなら見捨てない。

優子と松重の思い描く"桐生一馬"という男の像に、寸分たりとも違いは無かった。

 

「せっかくです、優子さん。自分にも教えてくれませんか?昔の親父の事を、もっと」

「ふふっ、いいですよ」

 

その後、二人は桐生一馬の話題で大いに盛り上がった。

 

「それで一馬くん、町内会の人に協力してお兄ちゃんと一緒に万引き犯を沢山捕まえたんです!」

「なるほど。その交換条件として福引を回すためにお二人がそんな事を……フッ、少年らしい良い話じゃないですか」

 

優子は幼少期から少年の頃の桐生を。

 

「そして見事、ドラゴンヒートで10連勝を成し遂げた親父は多額の賞金とシノギの参加権を手に入れたんです」

「そんな過酷な中で10連勝……一馬くん、やっぱり凄い……!」

 

そして松重は、桐生組発足から現在に至るまでをそれぞれ語った。

 

「えっ!じゃあ一馬くん、今 横浜に居るんですか?」

「えぇ。そちらでもうすぐ、桐生組の支部が出来上がるんです。親父はそちらの仕事がご多忙でお時間が取れず、代わりに自分のような厳つい男が……優子さん、ご迷惑じゃありませんか?」

「いえいえそんな!私の方こそ、ご迷惑じゃないですか?本当だったら、私なんて松重さん達とは何の関係もない訳ですし……」

「そんな事はありません。貴女は親父の親友である錦山さんの妹。それ以前に、同じ孤児院で育った家族同然の仲間なんです。そんな大切な身内をお護りする大役を、親父は俺に任せてくださったんだ……子分冥利に尽きるってもんです」

「そうですか……ふふっ、松重さんってホントに一馬くんの事が大好きなんですね」

「えぇ。俺はあの人の大きな器に惚れちまったんです。あの人のためなら俺ァ、どんな事だって喜んでやりますよ」

 

そんな話に花を咲かせている内に、優子を乗せた車は神室町へとたどり着いていた。

 

「兄貴、お話中すいやせん。間もなくセレナです」

「おう、そうか。ご苦労だったな」

 

天下一通りを入った車は、とある雑居ビルの前で停車する。

桐生の馴染みが経営する店、セレナの前だ。

 

「さ、足元お気を付けて」

「は、はい」

 

先に降りた松重が丁寧にドアを開けて優子を誘導する。

 

「こちらです」

 

優子は松重の案内に従ってエレベーターに乗り込んで二階に上がった。

松重が先んじてドアを開け、セレナへと足を踏み入れる。

 

「いらっしゃ……あぁ、松重さん。こんばんわ」

「あ、松重さん!今日もお疲れ様です!」

 

中で待っていたのは二人の女性。

女手一つで"セレナ"を切り盛りする桐生の馴染みのママ、麗奈。

そして、桐生の幼馴染にして内縁の妻である由美だった。

 

「麗奈さん、姐さん。お疲れ様です」

「ちょっと、松重さん。姐さんは辞めてってば」

「いいえ、貴女は親父の奥さんだ。俺にとっちゃ姐さんも同然です」

「もう、頑固なんだから」

「そんな事より、優子さんをお連れ致しましたよ」

 

松重が道を開けるように退き、優子を店内に招き入れる。

 

「こ、こんにちは……」

「優子ちゃん!」

 

彼女の姿を認めた由美が、真っ先に優子に駆け寄って抱き着いた。

 

「優子ちゃん……良かった……ホントに良かったね……!」

「由美ちゃん……ありがとう、ただいま」

 

抱き締めながら思わず涙を流す由美。

病気が完治してからここに至るまで、実に四年。

もう生きて会うことも叶わないと思っていた幼馴染との再会に、優子もまた目頭が熱くなる。

 

「麗奈さん、紹介するね!こちら錦山くんの妹で優子ちゃん!で、優子ちゃん。この人がこの店のママの……」

「初めまして、麗奈よ。よろしくね!」

「は、はい。よろしくお願いします……」

 

麗奈はにこやかに挨拶をする。

彼女は想い人である錦山彰の妹である優子に興味津々だ。

一方の優子は類まれな美貌を持つ麗奈に面食らい、思わず硬直してしまう。

 

(こ、この人が麗奈さん……お兄ちゃんの言ってた通り、すっごい綺麗な人……!)

「……さて、自分はそろそろ失礼します」

 

ふと松重がそんな事を言い出し、裏口の扉へと向かう

 

「あれ?もう行っちゃうの?ゆっくりしていけばいいのに」

「いえ、実はこの後もまだやらなきゃいけない仕事がありまして……また今度、ゆっくり寄らせて貰います」

「そう……それなら仕方ないわ。またお待ちしてるわね」

「松重さん、またね!」

「麗奈さん、姐さん。ありがとうございます。そして……優子さん」

 

松重は優子に向き直ると、姿勢を正してお辞儀をした。

 

「改めて完治、退院 おめでとうございます。もし機会があれば……また、親父やお兄さんの事を教えてください」

「松重さん……はい、喜んで!」

「フッ……それでは、失礼します」

 

厳つい顔に少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべ、松重はその場を後にした。

 

「優子ちゃん、松重さんと何か話したの?」

「あ、うん。車の中で一馬くんやお兄ちゃんの事をね」

「へぇー、良いなぁ。私もお話したかったなぁ」

「ふふっ、松重さん。中々 由美ちゃんと一緒のタイミングには居ないものね」

 

羨ましがる由美を微笑ましく見守る麗奈。

その姿は店のホステスとそこのママと言うよりは、まるで歳の近い姉妹のようだった。

 

「ん?誰か来たわね」

 

麗奈がエレベーターの音に反応を示した。

程なくして店のドアが開かれる。

 

「すまないみんな、遅くなっちまった。どうぞ、親っさん」

「あぁ……」

 

グレーのスーツを着た大男と、杖をついた初老の男性

彼らこそ、優子の命を救った二人の恩人。

桐生一馬と風間新太郎だった。

 

「一馬!風間さん!」

「いらっしゃいませ、お待ちしていましたよ」

 

由美が即座に明るい笑顔を浮かべ、店主である麗奈が穏やかに迎え入れる。

 

「優子……久しぶりだな。元気になってくれて、本当に良かった」

「風間さん……本当に、ありがとうございます!」

 

そう言って優子は、風間に勢いよく頭を下げた。

今回優子が手術を受けてリハビリをした病院を紹介したのも、臓器提供のドナーの都合を付けてくれたのも、この風間新太郎なのだ。

もしも彼の助力がなければ、今頃優子は生きていないだろう。

まさに命の恩人である。

 

「なに、気にする事は無い。それに礼なら一馬に言ってやってくれ。何せ全ての費用を用立てたのは一馬なんだからな」

「お、親っさん……」

 

誇らしげに桐生へと視線を向ける風間に、桐生はやりづらそうにしている。

素直に賞賛されると照れくさくて敵わない。それが桐生の本音だった。

 

「そ、そういえば松重はどうしたんだ?優子の事をここに連れてきてくれたと思うんだが……」

「あぁ、松重さんなら仕事がまだあるからって言ってさっき行っちゃったわよ?」

「え?」

 

桐生が僅かに首を傾げた。

組織運営や意見の擦り合わせなどを行う為に、普段から頻繁に連絡を取り合っている桐生と松重。

また、有事の際に円滑な連携を取るためにお互いのスケジュールは全て把握している。

桐生が聞いた話ではこの後の松重は何も予定が入っておらず、やるべき仕事が残っているという報告を桐生は聞いていない。

そして昔ならいざ知らず、今の松重は桐生に対して何かを怠る事は有り得ないのだ。

 

(松重……お前って奴は…………)

 

そこで桐生は松重の思惑を察した。

この場において店の主人である麗奈以外は養護施設ヒマワリの関係者。それに加えて優子は、手術と入退院の繰り返しで長らく親しい人間と会えていなかった。

大恩ある風間や桐生と、積もる話もあるだろう。

そんな時に自分のような男が居れば、余計な気を遣わせてしまう。

そう考えた松重はその場にいる事を遠慮したのだ。

久しぶりに家族と呼べる仲間と出会った優子に。

そしてそんな仲間達と気兼ねない会話を楽しんで貰うために。

 

(この礼は必ずするぜ……松重)

「なに笑ってるの?一馬」

「いや……優秀な部下を持てて良かったと思ってな」

「そう?よく分かんないけど……とにかく、みんな揃ったんだから準備するよ。一馬も手伝って」

「フッ……あぁ」

「風間さんは優子ちゃんと待っててくださいね」

「すまねぇな、由美。お言葉に甘えるとするよ」

 

風間はそう言うと、セレナのソファ席に腰かけた。

優子もまた、そんな風間の隣に座る。

桐生が皿やグラスを用意し、麗奈と由美が協力してドリンクやおつまみ等を用立てた。

 

「優子ちゃんは病み上がりだから、お酒は早いかしら……お水でも良い?」

「はい、お願いします」

「風間さんは如何しますか?」

「そうですね……せっかくなので、オススメを頂けますか?」

「はい、承りました」

「一馬はいつもの?」

「あぁ。由美は?」

「私も一緒!」

 

やがてテーブルの上にはおつまみが並び、全員の手にはグラスが渡った。

 

「さ、誰が音頭を取る?」

「やっぱりここは桐生ちゃんじゃないかしら」

「俺か?」

「そうだね。今回の回だって、一馬が言い出したんだし」

「一馬、任せたぞ」

「由美、親っさん…………仕方ねぇか」

 

音頭係に指名された桐生が優子にグラスを向けて軽く掲げる。

それに合わせてその場の皆もまた、同様にグラスを掲げた。

 

「それでは……優子の快復と退院を祝して、乾杯」

「「カンパーイ!」」

「乾杯。優子、本当におめでとう」

「皆さん……!はい、ありがとうございます!」

 

 

これは、幸せの一幕。

 

 

桐生一馬が風間組を割る、一年前の出来事だった。

 




如何でしたか?

次回からまた本編に戻ります。

そして断章もまた、佳境に入る事でしょう。

お楽しみに


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第十章 信頼
警告


最新話です

今回が原作でも印象的だったエピソードを語ってくれるあの人が登場します

それではどうぞ


2005年12月9日。

時刻は午前11時。

眠りから覚めた錦山はセレナと隣接している潰れた店のシャワーを借りて汗を流し、諸々の支度を済ませていた。

 

「すぅ……すぅ……」

 

錦山がバックヤードに戻ると、遥が規則正しい寝息を立てて深い眠りについていた。

年端も行かない少女にとって、この街で過ごす日々は過酷そのものだろう。

慣れない街や環境。それに自分を狙う連中に対する恐怖に連日晒されているのだ。

そんな状況になれば並の大人であったとしても、とても平静を保ってなど居られない。

それほどの重圧を、彼女はその小さい身体で懸命に背負っているのだ。

 

(起こさねぇようにしねぇとな)

 

なるべく物音を立てずに、着替えなどの準備を進めていく。

遥には少しでも、休める時に休んでもらいたい。

それが錦山の本音だった。

 

「痛っ…………」

 

左手の包帯を巻き直す最中に痛みが走り、錦山は顔を顰めた。

傷口は縫合により塞がっているので流血こそ無いが、依然として油断ならない大怪我である。

 

(一応、マシにはなってきてるな……)

 

柄本医院での処置や処方された薬の効果により、多少は指を動かせるようになった錦山。

何かを軽く握ったり摘んだりする事は可能だが、何かを掴んで持ち上げたりといった、強い力を要する事は出来ない。

軽くなら拳も握れるが、殴打するのは難しいだろう。

 

(まだしばらくは右手でやるしかねぇが……)

 

己の右手を見つめる。

左手が使えなくなってからというもの、彼は右手を酷使していた。

度重なる闘いや揉め事に巻き込まれる中、頼り続けていた右手。どうやらまだそこにムチを打つしかないようだ。

だが、状況はそう悲観ばかりすることでも無い。

 

(昨日だけで結構な収穫があったからな。まだやりようはある)

 

とある親子のお節介を焼いた結果、その礼として貰った二つの武器。業物の長ドスと手製スタンバトン。

それに加え、錦山は昨晩東城会の三次団体である松金組と同盟を結ぶ事に成功したのだ。

これで少なくとも一連の事件が終わるまでは、松金組は協力をしてくれるという事になる。

松金組の人員や金を一時的に借りる事も可能という事だ。

 

(よし……今日も気合入れて行くか……!)

「錦山、ちょっといいか?」

 

準備を終えた錦山の元へ現れたのは一緒に事件を追っていマル暴の刑事、伊達だった。

 

「どうした、伊達さん」

「こいつを見てくれ」

 

伊達は錦山に一枚の写真を渡した。

映っていたのは服を着た女性の胸元から胴にかけての部分だった。

肌の色には生気がなく、血痕らしきものも確認出来る。

 

「今朝、東京湾に上がった女の水死体だ」

「これって……まさか…………!」

 

錦山は桐生から預かった美月の写真を取り出し、見比べる。

顔こそ確認出来ないが着ている服や僅かに見える顔の輪郭、そして胸元にある華の模様の刺青が一致していた。

 

「死因は頭部挫傷及び出血多量によるショック死。死体はコンクリートの重石を付けられて海に沈んでいた。かなりの暴行を受けている。錦山……この女は……?」

「あぁ…………"美月"の可能性が高い。クソっ、なんてこった……」

 

錦山は頭を抱えた。

もしも写真の女が美月なら、彼が桐生とした約束は果たせない。

そして母親に会いたがっていた遥の願いもまた、潰えてしまう事になるのだ。

 

「ん……?ちょっと待て」

「どうした?」

 

錦山は水死体の写真を再び凝視する。

花模様の刺青が着ている服で隠れるギリギリの位置に、錦山はあるものを見た。

 

「伊達さん、ここのところ見てくれ。小さく"歌"って文字が見えないか?」

「あ、あぁ……」

 

錦山はこの刺青に。

いや、正確にはこの仕事そのものに見覚えがあった。

 

「おそらくこれは……二代目歌彫の仕事だ。この彫り師は、必ず何処かに自分の銘を入れる。俺や桐生の背中を掘ったのもその人だ」

「じゃあ、この死体の刺青も?」

「確証はねぇが……確かめる価値はあるな。10年前と店の場所が変わってなけりゃ、龍神会館って所に居るはずだ」

 

伊達の持ってきたこの写真を手がかりに、水死体が美月であるかを確かめる。

錦山の今日の目的が定まった。

 

「もしも写真の女が美月なら、遥には酷だ。この事は一旦伏せておこう」

「ああ」

 

錦山は伊達と頷き合うと、バックヤードを出て裏口へと向かう。

店内では麗奈が何かの雑誌を読み耽っていた。

 

「麗奈、ちょっと出てくる。遥の事頼んだ」

「あ、うん。いってらっしゃい」

 

麗奈の声を背中に受けて、二人はセレナを出る。

 

「伊達さん、俺は今から例の彫り師の所に行ってくる。この写真 預かってもいいか?」

「あぁ、分かった。俺は署に戻ってもう一度死体の件を洗ってみよう。後でセレナで合流だ」

「おう、頼んだぜ」

 

二人はお互いに目的を明確にし、それぞれの場所へと向かうのだった。

全ては、真相を暴いて事件に決着を付けるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町は決して広大ではないが、その分ビルや通りなどで入り組んだ"濃い街"だ。

だからこそ、不自然に出来た路地裏や謎の空き地が随所に見られる。

俺が訪れたそこもまた、それの内の一つなのかもしれない。

 

「確かこの辺に……あった」

 

風俗店を中心に栄えたピンク通りと、カラオケやテレクラなどが軒を連ねる千両通りの間。

そこの裏路地で、ひっそりと看板を掲げるテナントがあった。

 

「"龍神会館"……ここはあの頃と変わらねぇな」

 

場所が変わっていない事に安堵しつつ、俺は中へと足を踏み入れた。

狭い階段を降りて、その先にあった錆び付いたドアを開ける。

 

「先生、お久しぶりです」

「おぉ、錦山か」

 

中に居た老年の男性に頭を下げると、その人は俺を快く迎え入れてくれた。

長い白髪を後ろでまとめあげて甚平を着こなしたその人物こそ、俺や桐生の背中を掘ってくれた彫り師。"二代目歌彫"その人だ。

 

「はい。先日、出所して参りました」

「で、世良の葬儀であの大暴れか。フッ、桐生ならいざ知らずまさかお前まであんな無茶をやらかすとはなぁ。意外だったぜ」

「あの時はやむを得なかったんです。俺だって好きで暴れたんじゃありません」

「フッ、そうかい。それで?今日はどうした。墨でも入れ直しに来たか?」

 

久しぶりに会った先生は相変わらずだったが、今日は世間話をしに来たわけでも色を入れ直しに来た訳でもない。

 

「いえ……今日は、先生に見てもらいたいもんがあって来ました。コイツです」

 

そう言って俺は懐から水死体の写真を取り出し、先生に手渡した。

 

「どれどれ……」

 

先生は渡された写真をまじまじと見つめる。

以前聞いた話だが、先生は彫った刺青は全て覚えているという。

もしもここでこの刺青が先生の彫ったものであると分かれば、この女が美月かどうかも分かるはずだ。

 

「この紋様は……胡蝶蘭だな。祝い事なんかでも頻繁に見る花だ」

「胡蝶蘭……」

 

その花の名を聞いて、俺はふと昔の事を思い出した。

俺がまだ中学生くらいの頃、桐生が優子に見舞いの品としてその花を贈ったのだ。

当時、ふとした経緯から優子と桐生が好きあっていると勘違いした俺は桐生と殴り合いの喧嘩をする事になった。若気の至りと言うやつだろう。

 

「先生。この刺青に覚えはありませんか?」

「……なるほどな。お前はこの刺青の"歌"って文字を頼りに、俺が彫ったかを聞きに来た訳だな」

「はい。その刺青の主を、どうしても知る必要があるんです」

「ふむ……」

 

先生は渡された写真を再び凝視した後、短くため息を吐いた。

 

「いや……こいつは俺じゃねぇ。確かにこれは俺の紋様だが、最近は真似する奴も多くてよ」

「そうでしたか……」

「悪かったな、いい返事が出来なくて」

「いえ、そんな」

 

俺は水死体の写真を受け取って懐にしまった。

正直、一番のアテが外れてしまった。

状況はあまり芳しくない。

 

(花屋に依頼しようにも、今は手持ちの金がねぇ。松金組の奴らに頼んで聞き込みでもさせるか……?)

 

俺が内心で頭を抱えていると、事務所の固定電話がコール音を鳴らした。

先生が受話器を取って電話に出る。

 

「もしもし……おう、お前か…………あぁ、居るぜ」

「ん……?」

 

先生は電話で二言三言話すと、俺に受話器を差し出してこう言ってきた。

 

「桐生からだ」

「な、なんですって!?」

 

予想だにしない出来事に俺は驚きを隠せなかった。

桐生が?何故ここに電話を?

そして何よりどうして俺がここに居ると?

様々な疑問が浮かぶ中、俺は先生から受話器を受け取って耳に当てた。

 

「……もしもし」

『錦、聞こえるか?俺だ、桐生だ』

 

電話越しに聞こえる渋い低音の声は、紛れもなく桐生のものだ。

俺は胸中に抱いた疑問をそのまま口にした。

 

「桐生……お前、どうして俺がここに居ると分かった?」

『そんな事は良い。お前に伝えなきゃ行けない事がある』

 

桐生は有無を言わせぬ口ぶりでそう言うと、いきなり本題に入っていった。

 

『お前に探して貰っていた美月が、死体になって上がった。かなりの拷問を受けて殺されている』

「……あぁ。俺もその情報は掴んでたよ。それを確かめる為に俺はここに来てたんだ」

『そうか……』

 

結果としては空振りに終わったので、俺は花屋の情報網か松金組の人海戦術をアテに話を進めようとしていた。

桐生がどこでその情報を仕入れたか知らないが、もしかしたら何か他にも情報を掴んでいるかもしれない。

 

「話を聞いた所、あの墨は先生のものじゃ無かったらしい。お前、何か知ってんのか?」

『…………錦』

 

尋ねる俺に対して、桐生は電話越しにこんな事を言い放った。

 

『頼む、錦。やっぱりお前は手を引いてくれ』

「……なんだと?」

 

桐生のその言葉に、俺は苛立ちを隠せない。

先日、関東桐生会の前で俺の覚悟は見せたはずだ。

だが桐生は未だにそんな事をのたまっている。

 

『……美月を殺ったのは嶋野組だ。"穴倉"とかいう拷問部屋に連れ込まれたって情報が回ってきている』

「何?嶋野組が……!?」

『あぁ。確かな筋の情報だ、間違いねぇ』

 

桐生の言葉には一切の迷いがない。

おそらく桐生の言う情報は正しいのだろう。

美月という女性は、既にこの世に居ないのだ。

同時に、新たな疑問が生まれる。

 

(だが、なんでコイツはそれを知ってる?)

 

桐生が今話した内容は、警察でさえ掴めていない極秘情報だ。

神室町中に情報網を敷いている花屋ならいざ知らず、神室町に入る事すら出来ない桐生がそこまでの情報を掴んでいるとは考えにくい。

桐生のことを信頼していない訳では無いが、それだけではどうにも腑に落ちない。

 

『優子の居所を知る美月が殺されて、錦はマトにかけられる身だ。こうなった以上、東城会はもう形振り構わねぇ。いずれ神室町にいる限り、お前の逃げ場所は無くなっちまうぞ』

「だったらなんだ。向かってくる奴は片っ端からぶっ潰してやるだけだ。あんまり俺を見くびるんじゃねぇ」

 

俺は桐生の要求を突っぱねた。

間違いない。コイツは美月の件で俺に何かを隠している。

それを言うつもりが無いのなら、こっちで調べるしかない。

引く訳には行かないのだ。

 

『錦、頼む!俺はもう……誰も失いたくねぇんだ……!』

 

電話越しの声が震えて聞こえる。

その言葉はきっと、桐生にとっての本音なのだろう。

昔からそうだ。決してお喋りなわけじゃないが、伝えたいことはいつもダイレクトに言ってくる。

どんな時でも正直、かつ本音で生きているのだ。

 

「……だったら、尚更引く訳には行かねぇな」

 

だからこそ、こっちも本音で応える。

桐生に譲れないものがあるように、俺にも護らなきゃいけないものがある。

 

「俺は今、一人の女の子を保護している」

『女の子……?』

「あぁ。名前は……澤村遥」

『なっ……!?』

 

桐生が電話の向こうで言葉を失うのが分かった。

流石の桐生も、まさか俺が自分の娘と行動を共にしているとは思わなかったらしい。

 

『なんでお前が、遥と一緒に……!?』

「遥は母親である美月を探していたんだ。それで、贈られてきた手紙を頼りに、たった一人で神室町に来た所を偶然出会ってな。まさか、お前と美月の娘だとは思わなかったがよ」

『…………』

「お前、なんで最初から美月が自分の女だって事を言わなかったんだ?」

 

遥の話が確かなら、アイツは桐生と美月の娘って事になる。

ならば最初から美月を"俺の女だ"と言っても良かった筈だ。だが桐生はそうせずにわざわざ"優子の居所を知る女"として紹介してきた。明らかに不自然だろう。

 

「それに……そんな状況だってのにいやに冷静じゃねぇか?組織の長としての自覚が芽生えたってんなら立派なもんかもしれねぇが……お前がそんなタマかよ」

 

こうしている今も、桐生はのうのうと俺に電話をかけてきている。

本当の身内。ましてや自分の女が拷問されて殺されたとなれば、桐生は怒り狂って神室町に攻め込んで来たっておかしくないのだ。

 

「桐生……お前は俺に話してねぇ事、話さなきゃいけない事が多すぎる。にも関わらず手を引けだって?その辺の義理も果たさねぇで、よくそんな事が言えたもんだな」

『…………』

「これで言うのは三度目だがな、俺は引く気はねぇ。それにもう、引くには遅過ぎる所まで来ちまってんだよ」

『……………………分かった』

 

桐生も腹を括ったのだろう。

電話越しに聞こえる声から、震えが無くなっていた。

 

『お前とサシで話がしたい。明日、ある場所に一人で来てくれ。詳細は追って連絡する』

「……あぁ」

『それじゃ、またな』

 

電話が切れ、無機質な機械音が流れる。

俺は覚悟を決めた。

いよいよ、桐生の口から真相が語られる時が近付いてきたのだ。

 

「錦山」

「先生……?」

 

受話器を戻したタイミングで、先生が俺に声をかけて来た。

 

「脱ぎな。背中の"鯉"に色を入れ直してやる。弱っちい鯉じゃ、今の桐生には勝てねぇぜ?」

「先生……!」

 

それは願ってもない申し出だった。

カタギの人間には当然理解出来ないだろうが、入れ墨というのは己の在り方を示す為のものだ。

それがくすんでいたりしていれば、それはそいつ自身の在り方がくすんでいるという事に他ならない。

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「おう」

 

俺は服を脱いで半裸になると、敷かれていた布団の上にうつ伏せになった。

先生が俺の背中の汗を軽く拭き、いよいよ背中に針が刺されていく。

 

「っ…………」

 

腕の悪い彫り師だとかなりの痛みを伴う入れ墨だが、二代目歌彫は数多いる彫り師の中でも達人と呼べる程の腕前。痛みもほとんど無い。

俺や桐生もそうだが、彼に世話になった極道者は両手の指では足らないだろう。

 

「もう、二十年近く前になるか……お前は"鯉"を。そして桐生は"龍"を背中に入れた」

「……えぇ」

 

この道に入って間もない頃。

俺と桐生は当時の兄貴分の紹介で、歌彫先生に世話になる事になった。

風間の親っさんは反対していたが、親っさんに逆らって極道になったからには生半可な覚悟では無いと証明したい。

そう考えていた当時の俺たちに、入れ墨に対する抵抗は一切無かった。

 

「先生、前に話してくれましたよね。入れ墨は背負ったそいつ自身が光らせるものだって……」

「あぁ、そうだ」

 

入れ墨に対する考え方は人それぞれだが、極道社会においては自らの名前をもじったものや己の目指すべき姿、在り方などをテーマに墨を入れる人間が多い。

桐生の背負う応龍は名前のき"りゅう"から取っているし、俺は錦山の"錦"という文字から錦鯉を連想させる緋鯉を背中に入れた。

 

「最初はなんだか自分が桐生に劣っているようで、正直あまり良い気はしませんでしたが…………今となっちゃ、どこか納得してしまう自分がいます」

 

カラの一坪事件を筆頭に、桐生は様々な厄介事や抗争の渦中に身を置き、俺はその巻き添えを喰らうような形で関わっていった。

しかし、桐生はどんな事件に巻き込まれたとしても必ず生還して実績を作っていく。

対して俺は名前を売る為に奔走したりシノギを回したりはしていたものの、到底アイツには敵わなかった。

だが俺も男だ。昔から同じ釜の飯を食って育ち、対等だと思っていた兄弟分に差を付けられたままでは終われない。

そんな俺が"滝を昇る緋鯉"を入れたのは、運命だったようにさえ感じてしまう。

 

「だが、お前は未だ止まるつもりは無いんだろう?」

「当たり前ですよ。俺が"龍"になる為には……桐生が待っている所まで昇らなくっちゃ行けないんですから」

 

古来の中国の話で、鯉の滝登りという逸話がある。

黄河を泳ぐ鯉が長く険しい山脈を経て、やがて龍門と呼ばれる滝へと至る。

そこは水の流れが激しく、通る事は愚かまともに泳ぐ事すらも叶わない。

そんな水の流れに抗って泳ぎ続けて滝を昇り切ったその鯉は、龍へと生まれ変わる事が出来るという逸話だ。

今の俺にとって、この神室町は滝そのもの。

数多の敵や困難が激流となって襲いかかってくる。

 

「フッ……そうか。なら俺も気合い入れて色を入れ直さねぇとな。何せ今の桐生の背中は、すげぇ色に輝いている筈だからよ」

 

桐生が待っている"龍門"は、未だ遠い場所にある。

まだまだ俺には、足りないものが沢山あるだろう。

それでも、俺は絶対に桐生の隣に立つ。

そしていつしか、俺が目指して憧れていた"龍"を超えてみせる。

 

「はい、お願いします」

 

決意を新たに、俺は先生の施術に身を委ねた。

身体を鍛えた訳でも、闘いを経験した訳でもない。

それでも今この瞬間、俺は強くなっている。

そんな確信が、不思議と胸に満ち溢れていた。

 




というわけで印象的なあの人こと、歌彫先生でした

先生の手によって、少しでも錦山の背中の鯉が龍と張り合えるようになれれば……そんな思いを抱きながら書いていました。

次回もお楽しみに


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仲違い

最新話です。


2005年12月9日。時刻は18時。

神室町の外れに店を構えるとあるキャバクラから、一人の男が出てきた。

 

「ふぅ……これで一件落着だな」

 

群青色の柄シャツに白いスラックスを穿いたその男の名前は、海藤正治。

東城会直系風間組内松金組に所属する現役の極道だ。

 

「兄貴!」

 

そんな彼の元に一人の歳若い男が現れる。

まだ新品のスーツをぎこち無く着るその男の名は東 徹。

同じ松金組所属の若衆で、海藤の弟分だ。

 

「おう東」

「良かった、ここに居たんですね。いきなり電話が切れたんでビックリしましたよ。何があったんです?」

 

東は先程まで海藤と電話をしていたのだが、海藤が急用が入ったと言っていきなり電話を切ったのだ。

それに心配した東は事務所を出て、海藤の行方を追っていたという訳である。

 

「あぁ、俺のケツ持ちしてるキャバでトラブルがあってよ。それの処理をしてたんだ。痛っ、いてて……」

 

ふと海藤が顔を顰めて肩を押さえる。

昨日 海藤は喫茶アルプスの裏で襲われている錦山を援護した際に、拳銃で撃たれている。

幸いにも弾丸は掠っただけだったのだが、怪我をしている事に変わりはない。

 

「大丈夫ですか兄貴?昨日撃たれたばかりなのに、そんな無茶を……」

「心配要らねぇよ。こういう揉め事を解決する為に俺達ヤクザが居るんだ。身体張らねぇでどうすんだっつの」

「そうですか……分かりました、兄貴がそう言うなら」

 

極道にとって上の言う事は絶対だ。

いくら心配だとしても、兄貴が言う事なら信じなければいけない。

 

「あぁ。しっかし、暴れたらなんだか腹減ったなぁ」

「どっかにメシでも行きますか?」

「そうだなぁ……久々に韓来でも行くか!ちょうど今の揉め事処理でみかじめも入ったしよ」

「え?良いんですか?組に納めないと……」

「組に納める額はもう決まってる。それを越さなきゃ少しくらいは良いさ。行こうぜ東、奢るぜ」

「兄貴……はい!ご馳走になります!」

「よし、そうなりゃ善は急げだ。早速…………あ?」

 

そんな時、海藤の視界にふと見覚えのある人影が見えた。

 

「兄貴?どうしたんですか?」

「おい東、アレ……」

「えっ?」

 

海藤が指を指す先に東も視線を向ける。

そこに居たのは、白いパーカーを着た一人の幼い少女。

錦山と行動を共にしていた筈の、澤村遥の姿だった。

 

「あれ、遥の嬢ちゃんじゃねぇか?」

「本当ですね……錦山さんは近くに居ないんでしょうか?」

「そう……みてぇだな」

 

海藤は首を傾げた。

先日彼が聞いた話では、あの少女は錦山と同様に東城会から狙われていると言う。

そんな彼女が一人で街を歩き回っていれば、かなり危険な事になるのは間違いない。

 

(危なっかしいな、声かけてみるか)

 

松金組と錦山との間で同盟が結ばれた以上、海藤達は錦山に協力をしなければならない。

錦山が守ろうとしていた少女が危険に晒されるのを黙って見ている事などできないのだ。

そして幸いな事に、二人は遥とは知らない仲では無かった。話しかける事に躊躇も遠慮も必要ない。

 

「おーい、遥ちゃん!」

「あ……海藤のお兄さんに、東さん…………」

 

海藤の声に反応した遥の顔は、どこか元気がない。

昨日、東を相手に睨みを聞かせていた威勢の良さも今は鳴りを潜めている。

 

「どうしたんだい、こんな所で。錦山さんは?」

「…………おじさんなんて、もう知らない」

「えっ?」

 

困惑する東に、遥は不機嫌そうにそっぽを向いた。

 

「おじさんは勝手にするみたいだから、私もそうするってだけ」

「えっと……要するに?」

「仲違いした、ってことか?」

「…………」

 

黙って俯く遥。

その態度は頷くよりも如実に答えを示していた。

 

「ん?」

 

ふと、海藤は自分の携帯が震えている事に気づく。

画面に記されていたその番号は、錦山の持っている携帯のものを指していた。

 

(なるほど、こりゃマジらしいな)

 

海藤がボタンを押して電話に出ようとした直後。

くぅっと可愛らしい音が鳴るのを、海藤は耳にした。

 

「っ……!」

 

すると、遥が途端にお腹を抑えてさらに縮こまる。

勢いのまま出てきてしまった彼女は、何も口にしていなかったのだ。

 

「遥ちゃん、もしかしてお腹すいてるの?」

「……東さん達には、関係ないよ」

「…………兄貴」

「フッ……だな」

 

東の言いたいことを察し、海藤が僅かにほくそ笑む。

ちょうど彼も、全く同じことを考えていたのだ。

 

「なぁ、遥ちゃん。俺達今からメシ食べに行くんだけどよ……一緒に来るか?」

「え……メシって、ご飯?」

「そう!焼肉」

「焼肉……!」

 

その言葉を聞いた途端、先程まで元気の無かった遥の目が輝きを放つ。

まだ幼い遥にとってその単語は、とても魅力的に聞こえるものだった。

 

「あぁ。そこで色々食いながらよ、遥ちゃんの話を聞かせてくれや、な?」

「うん!分かった」

 

すっかり元気を取り戻した遥を連れて、海藤達は焼肉屋へと向かっていく。

携帯の着信は、気付かなかった事にされてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は僅かに遡り、およそ十分ほど前。

 

「おかえり、錦山くん」

「あぁ、ただいま」

「おう錦山、戻ったか」

 

入れ墨の施術を終えた錦山は、セレナへと帰ってきていた。

既に店内には伊達がおり、合流した二人は早速情報を共有する。

 

「何?桐生に会いに行くのか?」

「あぁ。一人で来るように指定されてな。悪いが伊達さんは連れて行けねぇ」

「そうか……いや、良いんだ。仕方ねぇ」

 

伊達は錦山の言葉にあっさりと頷いた。

世良会長殺害の重要参考人とされていた桐生だったが、サイの花屋の情報提供によりその疑いの目は任侠堂島一家の現総長である堂島大吾に向けられている。

今の伊達が桐生にこだわる理由は無くなっていた。

 

「伊達さんの方で何か動きはあったか?」

「あぁ……それがちょっと面倒な事になっててよ」

「どうした?」

「神室署の上の連中が圧力をかけてきやがった」

「なに?」

 

水死体の件を調べるために神室警察署に戻った伊達は、四課の課長に呼び止められたという。

そのまま署長室に足を運んだ伊達は、署長から直々に手を引くように命じられたとの事だった。

 

「まぁそのまま突っぱね返したんだが……近々俺も身動きが出来なくなるかもしれねぇ」

「警察からの圧力……一体何故このタイミングで?」

「さぁな、詳しくは分からん。だが……この不自然な圧力のかけ方から察するに、警察上層部からの圧力の可能性がある。この一件、俺たちが想定している以上に根が深いのかもな……」

「そうか……」

 

錦山は思考を巡らせる。

警察上層部に圧力をかけられる程の勢力と言って彼が思いつくのは、東城会本家か近江連合。あるいは政財界の組織だ。

圧力をかけているのがどこであるにせよ、錦山はこれで伊達以外の警察を全く信用出来なくなった。

 

(となりゃ、遥をここに置いとくのも危険だな……)

 

風間組や松金組以外の東城会は未だに錦山を追っている状態にある。

動きは少ないが、近江連合もまた遥を狙っている組織の一つだ。

その上警察まで動き出すとなればいよいよセレナも安全では無くなってしまう。

家宅捜索の捜査令状を突き出されて遥を見つけられれば錦山は誘拐犯として現行犯逮捕され、遥は保護という名目で連れ去られてしまう可能性すらある。

 

「どうする?今の警察で保護するのはヤバいぞ?」

「あぁ。松金組も同盟を結んだとはいえ東城会の一組織だ。本気で上から圧力をかけられれば、遥を差し出さざるを得ない。となりゃ……賽の河原が一番安全だろう」

 

賽の河原。

サイの花屋が根城にしている西公園の事である。

そこであればヤクザはおろか警察でさえ足を踏み入れる事は無い。

隠れ家にするのであればうってつけと言えるだろう。

 

「あそこかぁ……まぁ確かにそうだろうが」

「行かないよ……私」

 

そこへ、その会話に割って入った人物が一人。

遥だった。

 

「どうしたの?遥ちゃん」

「おじさん……さっき、お母さんのこと調べに行ってたんでしょ?なのに……なんで連れて行ってくれないの?」

「…………」

 

錦山は黙りこくってしまう。

母親に会いたいがためにたった一人でこの街にやって来た少女に対し、彼は言葉を失っていた。

 

(言えねぇよ……言える訳がねぇ…………)

 

そんな彼女に対して"お前の母親はすでに死んでいる"等と言える程、錦山彰という男は冷酷では無い。

 

「私、お母さんに会いたい。会わなきゃ行けないの。ここに、遊びに来たんじゃないの」

「おい、遥……」

 

そんな彼の心情など露知らず、遥は言葉を並べ立てる。

伊達の静止を意に返さず、遥は銀色のペンダントを取り出した。

 

「このペンダントでしょ?このペンダントがみんな欲しいんでしょ」

 

100億の価値があると言われる銀色のペンダント。

それは、消えた100億を取り戻そうと動く極道達が喉から手が出る程欲しい品物だった。

 

「私の事なんて、どうだって良いんでしょ」

 

しかし、そんなペンダントの存在が今 遥の想いを遮っている。

東城会のヤクザ達の薄汚い欲望の為に、彼女の願いが踏み躙られようとしているのだ。

それを阻止するべく、これまで錦山は必死に戦ってきた。遥と母親を会わせ、桐生の元へと連れて行き真相を聞く。

そのために錦山は、文字通り命懸けで事に当たってきたのだ。

 

「おじさんだって、きっと100億円欲しいから私と居るんじゃないの!?」

 

遥の放ったその言葉は、それら全てを否定するものだった。

お前も、そんな薄汚いヤクザの一人なんだろう?

彼女は錦山にそう問いかけていたのだ。

 

「ッッッ!!!!」

 

直後、錦山はセレナのバーカウンターに右の拳を鉄槌のように振り下ろした。

木材を叩く激しい音が響き渡り、その衝撃でカウンターに置かれていた水の入ったグラスが倒れて中身が零れる。

 

「遥……お前には俺が、そんな奴に見えてたってのか…………?」

「っ……!」

 

ゆらりと向き直る錦山の目には、様々な感情が綯い交ぜになって浮かんでいる。

怒り、悲しみ、困惑。

彼女の放った言葉は、必死の思いで闘ってきたこれまで錦山の全てを無に帰すものだったのだ。

 

「お、おい錦山……!」

「俺が今まで、どんな思いをして来たか……お前に分かるのか…………?」

 

錦山からすれば裏切られた気分だ。

彼は優子に、遥は母親に会いたいという利害関係こそあったものの、錦山は遥の想いに答えるべくやって来たのだ。

それを当の遥本人から否定されてしまっては、たまったものではない

 

「……お母さんの事教えてよ。なにか知ってるんでしょ?」

「……そんなに知りたきゃ、テメェで勝手に調べろよ」

「えっ……?」

「ちょっと、錦山くん……」

 

錦山はここに来て、ついに限界を迎えた。

十年経って様変わりした神室町や東城会。

自分の命や身柄を狙うヤクザや警察。

行方不明の由美と優子。

そして、組を割った桐生の真相。

やりたい事、やるべき事、知りたい事、知るべき事。

それら全てに追われる日々の中、懸命に動いてきた錦山の行動。

それを、なんでこんな小娘一人に否定されなくては行けないのか?

 

「俺の事はもう信用出来ねぇんだろ?だったら全部テメェでやりゃ良い。出来るもんならな」

「おじさん……!」

「これ以上、お前のワガママに付き合わされてたまるかってんだよ。こっちの善意を踏み躙っておいて、知りたい事だけ教えろだ?大人をナメてんじゃねぇぞガキが!!」

「いい加減にしなさい!!」

 

怒り狂う錦山に、毅然と言い放つ凛とした声。

麗奈だった。

 

「麗奈……?」

「さっきから聞いてれば……大人気ないと思わないの!?」

「遥はもう俺の事が信じられねぇって言ってんだよ。だったらこうするしかねぇだろうが!」

「それが大人気ないって言ってるの!そんなにムキになる事無いじゃない!」

「……もういい」

 

そう言って遥は銀色のペンダントを叩き付けるようにバーカウンターに置く。

顔を上げた遥の瞳には、涙が溜まっていた。

 

「おじさんが勝手にしろって言うなら、そうする。さよなら!」

「遥ちゃん!」

「おい、遥……!」

 

麗奈と伊達の静止も聞かず、遥は裏口からセレナを飛び出して行った。

 

「おい、どうするんだ錦山」

「どうもこうもしねぇよ。勝手にするってんだから放っておきゃ良い」

「錦山くん、まだそんな事言って……!」

「仕方ねぇだろうが!…………言えるかよ」

 

遥の居なくなったセレナで、錦山は絞り出すように口にした。

 

「お前の母ちゃんはもうこの世にいねぇだなんて…………言える訳がねぇだろうがよ……!!」

「「…………」」

 

言葉を失う伊達と麗奈。

錦山のその意見に関して言えば、二人も完全に同意見なのだから。

 

「ん……?」

 

その時、セレナの電話が鳴り響いた。

出ないわけにも行かず、麗奈が直ぐに受話器を取る。

 

「はい、セレナです…………えっ、貴方は……!?」

「あ……?」

 

電話に出た麗奈の反応を怪訝に思う錦山。

そんなにも珍しい相手からの着信だったのだろうか。

 

「はい……はい……えぇ、居ます…………分かりました」

 

麗奈は二、三言返事をすると錦山に受話器を渡した。

電話の相手は錦山宛に用事があるらしい。

 

「俺に?誰からだ?」

「松重さんよ」

「何……!?」

 

錦山はすぐさま受話器を受け取って耳に当てた。

 

「錦山だ」

『お疲れ様です、錦山さん。関東桐生会の松重です』

 

電話越しに聞こえる声は、紛れもなく葬儀会場から錦山を助け出してくれた松重のものだった。

 

「どうしてセレナに?」

『セレナには自分も、東城会時代に良く寄らせてもらってましてね。会長から、錦山さんがセレナにいらっしゃると言う話を伺ったのでお電話した次第です』

「そうか…………それで、一体何の用だ?」

 

錦山は本題を促す。

今の彼には時間が無いのだ。

 

『桐生の親父から、明日の件は聞いていますね?』

「あぁ、指定された場所で会うって奴だろ?」

『えぇ。その場所と時間が決まりましたので、お伝え致します』

 

息を飲む錦山に対し、松重は告げた。

 

『時間は明日の13時。場所は芝浦埠頭です』

「芝浦だと?」

 

あまりにも予想外の場所に、疑問を隠せない錦山。

 

「なんでそんな所に?」

『いえ、詳しくは。自分も会長からの伝言を預かってただけですので』

「そうか……分かった、ありがとう」

『いえ。では、失礼します』

 

松重はそう言って丁重に電話を切った。

麗奈に受話器を返した錦山は、一人俯いた。

 

(はぁ……何してんだかな、俺)

「どうするの?錦山くん……」

 

麗奈が静かに問い掛ける。

その口調は、先程までのような毅然としたものでは無い。あくまでも穏やかに判断を仰いでいる。

しかし、その瞳はとても真剣だった。

 

「……」

 

しばらく黙りこくった後、錦山は静かに席を立つ。

そして。

 

「伊達さん、遥を探しに行こう」

 

錦山は結局、遥を放って置かない道を選んだ。

 

「錦山……!あぁ、そうだな!」

 

その言葉を待っていたと言われたばかりに、伊達は立ち上がる。

麗奈もまた、そんな錦山を見て満足そうに微笑んだ。

 

「悪ぃな麗奈」

「ううん、いいのよ。遥ちゃんのこと、必ず連れ戻してね」

「あぁ……行ってくる」

 

錦山は伊達と共に遥の後を追いかけてセレナを出る。

ここで、松金組と結んだ同盟の本領を発揮する時が来たようだ。

 

「よし、まずは海藤に連絡だ」

 

錦山は一番協力を仰げそうな海藤の番号に電話をかけた。

松金組の中で一番協力的な人物と言っても過言では無いだろう。

 

「………………………………………………」

 

しかし、どういう訳か海藤は一向に電話に出ない。

どうやら取り込み中のようだ。

 

「チッ、出ねぇな」

 

錦山は携帯をしまって天下一通りへと出た。

今の時間は神室町の中で一番人混みが多い夕方。

この中から背丈の低い遥を探し出すのは、中々に骨が折れる所業である。

 

「こうなりゃ俺達で探すしかねぇぞ」

「仕方ねぇ、地道に聴き込むか……!」

 

結局、遥の為に振り回される事になった錦山。

しかし、それは当然の事と言える。

何故なら遥は錦山にとってかけがえのない存在になりつつあるのと同時に、親友であり目標でもある桐生一馬を父に持つ女の子なのだから。

 

(無事でいろよ、遥……!)

 

錦山は臆せず通行人に聞き込みを開始する。

迷いはもう、とっくに消えていた。




やっぱり海藤と東は扱いやすいですね……
味方になるとつい頼りきりになってしまいます。


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黒い影

最新話です。

いよいよあの組織が動き出します


2005年12月9日。

松金組の極道である海藤正治は弟分の東と偶然出会った少女、澤村遥を連れて韓来を訪れていた。

 

「遥ちゃん、どうぞ」

「やった!いだたきまーす!」

 

焼きあがった肉を東が皿に取り分けると、遥の目が爛々と輝いた。

すぐさまご飯と共に肉を口にし、美味しそうに咀嚼する。

 

「お、イイ食いっぷりじゃねぇか!俺も負けてらんねぇな!」

 

それを見ていた海藤もまた東の取り分けた肉をかっ喰らい、ジョッキで頼んでいた生ビールを喉に流し込む。

 

「っかぁー!ひと仕事終えた後の焼肉にビール!これぞ男の、いや 人間の醍醐味よ!なぁ東ィ!?」

「え、えぇ……自分はまだ未成年なのでビールの味はわかりませんが…………」

 

東は網の上に乗った肉の管理と並行し、肉にサンチュを巻いて食した。

脂の乗った肉と新鮮な葉っぱが調和し、格別の旨味を引き出す。

 

「うまっ」

「おい東、コメも食えよコメも!パワー出ねぇぞ?」

「えぇ、頂きます」

「海藤のお兄さん!コレも食べていい?」

「おう良いぞ、好きなだけ食え!子供は遊ぶのと食べんのが仕事だからな!」

 

海藤による太っ腹の大判振る舞いで、遥の胃袋がどんどん満たされていく。

来店してからわずか20分足らずで、空になった皿は五枚目を超えた。

 

「はぁー、おいしかった!ありがとう海藤のお兄さん!」

「おう、良かった良かった。人間、腹にモノが入ってないと始まらねぇからな!」

 

笑顔で礼を言う遥に、海藤は快活に応えた。

そして、いよいよ本題に入る。

 

「さて、遥の嬢ちゃん。代わりと言っちゃなんだがよ……錦山と、何があったのか教えてくれ」

「…………」

「今の俺達はもう、完全に錦山の味方だ。お前の母ちゃん探しも手伝ってやれる。だが、肝心のお前と錦山がそんな調子じゃ話にならねぇからな」

「……分かった」

 

遥は滔々と語り始めた。

神室町で錦山と出会ってからこれまでのことを。

そして、遥の母親について何かを掴んだにも関わらずそれを自分に対して打ち明けてくれないことを。

 

「それで私、ペンダントを置いて出てきちゃったの」

「そうか……そんなことがあったんだな」

「うん。ひどいよ、錦山のおじさん。お母さんを探すの、最後まで手伝ってくれるって約束したのに…………」

 

遥のぼやきに対し、海藤はやんわりと否定した。

 

「いや、錦山は約束を破ったりなんかはしないぜ」

「え?」

「考えてもみろよ。お前との約束を破るような男が、お前のために必死になって闘おうとなんてすると思うか?」

 

海藤の脳裏に浮かんだのは、バッティングセンターであった出来事。

遥を助け出すために"嶋野の狂犬"と拳を交え、血まみれになって倒れ伏す錦山の姿だ。

 

「もしも錦山が100億に釣られた輩ならそんな事はしねぇ。さっさと例のペンダントをお前から取り上げてサヨナラだ」

「じゃあ、なんでおじさんは私にお母さんの事を教えてくれないの?」

「……さぁな。それは俺にも分からねぇ。俺は錦山じゃねぇからな」

 

海藤は先日のアルプスの件を経て、錦山彰という男に対して抱いていた自分の評価が間違っていない事を確信していた。

錦山は、一度した約束は必ず守る。

決してそれを違えるような事はしない。

 

「だが、錦山は遥の嬢ちゃんの事を大切に想ってる。これは確かだ。だとするなら、錦山はきっと"言わない"んじゃない。"言えない"んじゃないのか?」

「言えない?なんで……?」

「相手を大事に想ってるからこそ、言えない事だってあるもんだ。例えば、そうだなぁ……うーん…………」

 

腕を組んで考えを巡らす海藤。

中々良い例えが思い付かなかったが、そこへ東が助け舟を出した。

 

「遥ちゃん。君がお母さんを探してるのと同じように、錦山さんは妹の優子さんを探してる。そうだよね?」

「うん」

「もしも遥ちゃんが、優子さんの居場所を知っていたとしたらどうする?」

「そんなの、おじさんに教えるに決まってるよ」

 

東が一つ一つ整理していくように質問していき、遥はさも当然のようにそれに応えていく。

しかし、次の質問をした瞬間に遥の表情が凍り付いた。

 

「じゃあ……もしもだよ?もしもその時、優子さんが死んでしまっていたとしたら?」

「っ!!」

 

息を飲む遥の脳裏に、東の言った情景が浮かび上がる。

 

「どうかな遥ちゃん。それでも君は、錦山さんに正直に話せる?」

「それは……」

 

遥は思わず口篭る。

それを知った時の錦山は、どんな顔をするのだろうか。

現実を受け止められず取り乱すだろうか?救えなかった事に憤るだろうか?悲しみに暮れて泣き出すだろうか?

いずれにせよ、良い事には繋がらない。

 

「兄貴の言っていたのは、そういう事だよ」

「…………」

 

東の助け舟により、遥は海藤の言葉の意味を理解する。

だが同時に、遥は嫌な予感をひしひしと感じていた。

もしも東の例え話が今回の例に当てはまるのであれば、遥の母親は既にこの世に居ない事になってしまうからだ。

 

(東……良かれと思ってやってくれたんだろうが、ちょっと逆効果だぞ……)

 

海藤は思い詰めた表情をする遥を見て、彼女が今 最悪の可能性を考えてしまっている事を察する。

もっとも、そこに至ってもなお取り乱したり癇癪を起こさない辺りは流石といった所だろうか。

 

「……まぁ、そういうこった。もう一度言うが、錦山は決してお前との約束を破ったりはしない。きっと、お前には言えない事情があるんだ。少なくとも今はな」

「じゃあ……その時がきたら、おじさんは私に教えてくれるの?」

「あぁ、必ずな。それは間違いねぇ」

 

海藤の口にする言葉には根拠が無い。

実際の所海藤は確固たる証拠を持っている訳でも実際に確かめた訳でも無く、ただの憶測で物事を語っているに過ぎない。

しかし、この短い期間で錦山を見定めた上で口にする海藤の言葉には彼自身の経験や直感に裏打ちされた不思議な説得力があり、遥を納得させるには十分だった。

 

「どうする?遥の嬢ちゃん」

「…………」

 

俯く遥。

彼女は数秒の沈黙を経て、顔を上げた。

 

「……分かった。私、おじさんを信じる!」

「おう、そうか!」

「ありがとう、海藤のお兄さん!私、おじさんの所に戻らなきゃ!」

「よし、そういう事なら俺達が送ってくぜ。東、準備だ」

「はい、兄貴!」

 

海藤たちは席を立って準備を始める。

そんな時、海藤の携帯に何度目か分からない着信があった。

 

「お、噂をすればだな」

 

海藤は現金を東に渡して会計を託し、電話に出る。

 

「もしもし?」

『海藤か!?俺だ、錦山だ!』

「おう、錦山。おつかれさん」

『何度も電話したってのに、なんで出ないんだ?いや……今はそんな事はいい。お前、遥を見かけなかったか!?』

 

電話越しに聞こえる錦山の声は焦りからか震えが混じっている。

本気で心配している証だった。

 

「おう、遥の嬢ちゃんなら今 俺らと一緒に居るぞ」

『なに?本当か!?』

「あぁ。お前と喧嘩して飛び出してきたのを偶然俺らが保護したんだ。で、今の今まで話を聞いてたってわけ」

『そうだったのか……』

 

錦山は電話越しに安堵のため息を零す。

海藤の思った通り、錦山は遥を大事に想っていた。

それを改めて実感し僅かに頬を緩めながら、遥と東を連れて店の外に出る。

 

「何があったかは知らねぇがよ……時が来たらちゃんと、嬢ちゃんに本当の事を言うんだぜ?」

『あぁ……恩に着るぜ、海藤』

「良いって事よ。じゃ、俺は嬢ちゃんと一緒に松金組の事務所で待ってっから…………」

 

言いかけた海藤が言葉を止めた理由。

それは、今まさに向かおうとしていた松金組事務所の方角から、見知らぬ男達が歩いて近付いて来たからだ。

 

『海藤……?どうした?』

「…………」

 

一歩ずつ徒党を組んで、真っ直ぐに海藤目掛けて歩いてくる黒いスーツの男達。

決して錯覚などでは無い。

海藤の野生の勘が、向かってくる男達が放つ殺気を敏感に感じ取っていた。

 

「あ、兄貴……!」

「なんだ?……っ!」

 

東に声をかけられた海藤が振り向くと、ミレニアムタワーのある反対側からも同様の格好をした連中が迫ってきていた。

 

「……錦山。予定変更だ今すぐ来い。焼肉屋"韓来"の前だ」

『なに?おい海藤!?』

 

海藤が電話を切るのと、黒いスーツの男達が海藤達を取り囲むのはほぼ同時だった。

 

「失礼、そこの方」

「……何か用か?」

 

先頭の男が物腰柔らかく海藤に尋ねる。

しかし、海藤は警戒を全く解かない。

それは東も同様で、遥を背中に隠すようにして庇う。

 

「私はある組織の者なのですが……訳あってそちらのお嬢さんを保護する任務を授かっています。彼女の身柄をこちらに渡して頂けますか?」

「警察……じゃねぇよな?テメェら何者だ?ある組織ってなんだ?」

「質問は受け付けない。優しくしている内に渡してもらいたいのだが?」

「お断りだ。この嬢ちゃんはウチの組の預りでな。警察ならまだしも、どこのどいつかも分からん奴に預けられる訳がねぇだろ」

「そうか……なら話し合いの余地は無しだ。おい!」

 

先頭の男の号令と共に、背後の男達が臨戦態勢に入る。

それと同時に、海藤がファイティングポーズを取りながら叫んだ。

 

「東、命令だ!今すぐ嬢ちゃん連れて逃げろ!ここは俺が引き受けた!!」

「は、はい!遥ちゃん、こっちへ!!」

「うん……っ!」

 

兄貴分の命令を受けた東が即座に遥の手を取って走り出す。

遥もまたそれに従って東に導かれるように駆け出した。

 

「逃がすな、追え!」

「はい!」

 

そうは問屋が卸さないと言わんばかりに背後の男達が東の前に躍り出る。

 

「どぉりゃァァ!!」

 

するとそこに、海藤がドロップキックを叩き込んだ。

瞬く間に東の行く道を塞ぐ壁が文字通り吹き飛ばされ、逃走ルートが確保される。

 

「東、行けぇ!!」

「兄貴、すんません……!」

 

東は申し訳なさそうに俯きながら、兄貴分の作ってくれた逃げ道を遥を連れて駆け抜けて行った。

 

「クソっ、待て!」

「おっと……こっから先は通さねぇぞ」

 

立ち上がった海藤が、すかさず男たちの前に立ち塞がる。

その双眸は、燃えたぎる様な輝きを宿していた。

 

「貴様……やってくれたな」

「へへっ、言っただろ。あの嬢ちゃんはウチの組の預かりだってな。アンタらに恨みはねぇが、仕事の邪魔させて貰うぜ……!」

 

男が一匹、獰猛な笑みを浮かべて吠え猛ける。

 

「行くぞぉ!!」

 

その全身にたぎる闘志を滲ませて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月9日。18時20分

ミレニアムタワー前で聞き込みを行っていた俺の携帯に、松金組の海藤から着信があった。

海藤の話では、セレナを飛び出した遥を偶然保護して事情を聞いていたらしい。

 

『……錦山。予定変更だ今すぐ来い。焼肉屋"韓来"の前だ』

「なに?おい海藤!?海藤!くそっ……!」

 

しかし、安心したのも束の間。

海藤は突然電話を切った。

 

「錦山、どうした?」

「海藤からだ。遥が見つかったらしいがどうにもヤバい状況らしい」

 

声のトーンの変化や不自然な言葉から、嫌な予感が脳裏を過ぎる。

 

「伊達さん、韓来に急ごう!そこで海藤たちが待ってるはずだ!」

「わ、分かった!」

 

俺達はミレニアムタワー前での聞き込みを中断し、先日まで"バッカス"があった通りを通過して七福通りへと駆け出した。

 

(韓来の場所はすぐそこだ、待ってろよ海藤!)

 

程なくして、錦山と伊達は七福通りへとたどり着く。

するとそこには、大勢ギャラリーに囲まれた中で大立ち回りを繰り広げる海藤の姿があった。

 

「海藤!!」

 

俺はすかさずギャラリーを掻き分けて渦中に飛び込み、海藤の背後にいた黒いスーツの男を前蹴りで蹴り飛ばした。

 

「ぐはっ!?」

「錦山……思ったより早かったじゃねぇか!」

 

不敵な笑みを浮かべる海藤の前に立つように構える。

掠っただけとはいえ銃で撃たれた直後なのにも関わらず大した根性だ。

 

「ミレニアムタワー前にいたんでな。無事か?」

「あぁ、問題ね、いっ……て、てぇ……」

 

しかし、傷はまだ塞がっていないのだろう。

肩を抑えて顔を顰めている。

 

「後は俺に任せろ」

「バカ言うな、いきなりやってきて美味しいトコ持ってくなっつの」

「はっ、そうかい……」

 

海藤が俺の隣に立ち、再びファイティングポーズを取る。

口では強がっているが、危険な状態だ。

松金の叔父貴の大切な子分を死なせる訳には行かない。

ここは俺が主戦力になるしか無いようだ。

 

「かかれ!!」

 

先頭の男の号令により、黒いスーツの男たちが一斉に襲いかかる。

数は六人。一人あたり三人の割り当てだ。

 

「オラァ、ハァっ!!」

 

俺は迫り来る一人目の顔面に右ストレートを叩き込んで一撃で沈めた。

続いて襲いかかる二人目も、初撃を避けてカウンターの左フックで打ち倒す。

 

「この!」

 

警棒を取り出して襲いかかってきた三人目は、鋭く打ち込まれたシャフトの打撃を既の所で躱し、警棒を持った手首を右手で掴んで無力化する。

 

「ドラァ!!」

「ぎゃぶっ!?」

 

すぐさま左のエルボーを鼻柱に叩き込んで怯ませ、追撃の正拳突きを鳩尾に突き刺した。

 

「ぁ、がっ!?」

「セイッ!!」

 

腹部を抑えて蹲る三人目の頭を抑え、顔面に膝蹴りをぶちかます。

これで目の前の全員は仕留めた。

 

「海藤!」

 

海藤の方に目を向けると、一人目を仕留めた直後に二人目からタックルを受けている所だった。

 

「ぬぉぉりゃああああ!!」

 

海藤は上から腰を掴んで相手を持ち上げると、パワーボムの要領でアスファルトに叩きつけた。

 

「がはっ!?」

「へっ、やるじゃねぇか」

「ちっ……撤退だ!」

 

自分たちの不利を判断したのか、先頭の男が指示を出して黒ずくめの集団が撤退を始めた。

 

「伊達さん!アイツらを追いかけてくれ!」

「分かった!」

 

伊達さんが頷き、直ぐに男達を追いかけ始める。

俺も一緒に連中を追いかけたいのは山々だが、今は遥の事が先決だ。

ここは伊達さんに任せよう。

 

「はぁ……はぁ……」

「海藤、大丈夫か?」

 

パワーボムをした体勢のままアスファルトに寝転がる海藤に手を差し伸べる。

流石に怪我をした身で暴れるのは堪えたのだろう。

俺の手を掴んで上体を起こしたが、それだけでも辛そうだ。

 

「何があったんだ?」

「さっきまで遥の嬢ちゃんとメシを食っててな。会計終わって店を出たら、急にアイツらが襲いかかってきたんだ。嬢ちゃんを渡せって迫ってきてな」

 

黒いスーツを着た謎の男達。

正体は不明だが、あの顔つきからして極道者では無さそうな感じがする。

ただ、遥の身柄を狙っているという事は十中八九100億事件の関係者達だろう。

 

「遥はどうした?」

「遥の嬢ちゃんならさっき東に預けて逃がした。俺がここで連中とやり合ってたのはその時間を稼ぐ為さ」

 

そこで俺はいつも海藤のそばに居たあの年若い少年ヤクザの事を思い出した。

なるほど。道理で見かけないはずだ。

 

「そうか……悪ぃな海藤。どうやら早速、こっちのゴタゴタに巻き込んじまったらしい」

「へっ、今更何言ってんだ。俺ぁもう、アンタと親父が手ぇ結んだときからとっくに腹は決まってんだよ」

 

海藤は立ち上がると、そう言って再び不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

(やっぱ、桐生にそっくりだな……)

 

自分の身体を張る事に躊躇しない所や、組の命令とは言えカタギの少女である遥のために必死になってくれる所など、その男気溢れる立ち振る舞いは俺の兄弟分によく似ている。

もっとも、桐生の場合は些か表情が固いのだが。

 

「それよりも今は東が心配だ。追っ手がアイツの所に来てないと良いんだが……」

「そうだな……ん?」

 

ふと、俺のポケットが小刻みに震え出した。

携帯電話のバイブレーションだ。

 

「もしもし?」

『に、錦山さん……ですか……?』

 

声を聞いてか確信する。

電話をかけてきたのは、今まさに話題に出ていた東 徹だ。

 

「お前、東か?今どこにいる!?」

「なに、東だと!?」

『じ、自分は今、第三公園に居ます…………今すぐ、来てください……』

「分かった、直ぐに行く!」

 

電話越しに聞こえる声には覇気がなく、僅かに震えていた。

明らかに普通の状態では無いはずだ。

 

「錦山、東はなんて?」

「第三公園に居るらしい。だが、電話で聞いた感じ結構ヤバそうだ」

「なんだと……まさか、東の所に追っ手が?」

 

だとすると、危ないのは東だけじゃない。

遥の身柄も敵に渡っているかもしれないのだ。

 

「こうしちゃいられねぇ、行くぞ海藤!」

「おう!」

 

俺は海藤と頷き合い、すぐさま第三公園へと向かう。

東と遥の無事を祈りながら。

 

 

 

 

 




如何でしたか?

ついにあの連中がこの事件に首を突っ込んでくるタイミングです
物語も中盤まで来ました。
この調子で今後も頑張ります。


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謎の組織

GW中、のんびりダラダラやってたらこんなに空いてしまいました。
最新話です。どうぞ


天下一通り裏。

神室町の玄関口である天下一通りと神室町の中で最も広い通りの一つである中道通りを繋ぐその道は、かつて"堂島の龍"と呼ばれた伝説の極道である桐生一馬が、まだ東城会に在籍していた頃に"桐生興業"として事務所を構えていたテナントビルや、そんな桐生が参戦していた地下格闘場「ドラゴンヒート」を管理運営する極道組織"九鬼組"の事務所などが存在する通りだ。

そんな通りの真ん中に、第三公園は存在する。

ホームレスや不良のたまり場になっていることがほとんどの場所だが、今回は血だらけになったヤクザ者が一人倒れているだけである。

 

「東ィ!!」

 

しかし、そのたった一人のヤクザ者でさえ誰かにとってはかけがえのない人間である事に違いは無いのだ。

 

「おい東、しっかりしろ!大丈夫か!?」

 

松金組の極道、海藤正治は昨日の怪我で痛む身体を無視してここへと辿り着いた。

そして、そこで無惨にも倒れた弟分である東を抱き上げる。

打撲と流血による被害が見受けられ、意識は無い。

 

「東……!」

 

そして、海藤と一緒に公園を訪れた錦山もまたその惨状に胸を痛める。

彼は、錦山のゴタゴタに巻き込まれた結果としてこのような目に遭ってしまったのだから。

 

「彼なら心配ありませんよ。命に別状はありません」

 

背後から聞こえた声に、錦山は反射的に振り返る。

そこに居たのは、先程彼らが交戦した連中と同様の格好をした男だった。

その口ぶりから、東は組織の追っ手に追い付かれてしまったであろう事が容易に想像できる。

 

「テメェらが、東を……?」

「我々の計画の邪魔をするからです。彼を殺す命令は下っていないので生かしてはおきましたが、何か問題でも?」

「ふざけやがって、覚悟出来てんだろうな……!?」

 

全身から怒気を漲らせ、海藤が男を睨み付ける。

眼光だけで射殺せそうなほどの殺気を放つ海藤を無視し、男は錦山に向き直る。

 

「錦山さん、ですね?貴方をお迎えする準備が出来ました。どうぞこちらへ」

「シカトしてんじゃねぇぞコラァ!!」

 

堪忍袋の緒が切れた海藤が、ついに怒りのまま男へと襲いかかった。

それを見た男が眉ひとつ動かさず懐に手を入れる。

 

「ぶっ殺す!!」

「チッ!」

 

海藤の拳が振り上げられ、男の手に拳銃が握られる。

一瞬で決着が着くかに思われたその勝負は、錦山が間に入る事で中断される。

 

「あ……?」

「なにっ!?」

 

錦山は己の右手で海藤の拳を容易く受け止め、包帯の巻かれた左手で男の取り出した拳銃の銃身を掴む。

両者の攻撃を完璧に封じこんでみせた。

 

「落ち着け海藤。殺るのは今じゃねぇ」

「は、離しやがれ錦山!止めんじゃねぇ!」

「コイツの口ぶりから察するに、遥はもうコイツらの手の中だ。今ここでコイツに手を挙げたら、遥の無事はマジで分からなくなる」

 

遥と行動を共にしていた東がこのような目に遭っていて、遥の姿が見当たらない。

となれば、既に遥の身柄はこの謎の組織が抑えていると言っても良いだろう。

 

「なぁ、そうなんだろ?」

「はい、仰る通りです。ご同行頂けますか?」

「条件がある。コイツも一緒だ」

 

錦山の提案に男は眉を顰めた。

彼の目的は錦山だけであり、始末対象で無いにも関わらず自分に明確な殺意を向けてくる男など彼からすれば邪魔でしかない。

 

「残念ですが、それは出来ません」

「そうか……なら」

 

直後、錦山は海藤の拳を受け止めていた右手を動かして拳銃を持った男の手首を殴り付けた。

 

「ぐぁっ!?」

 

男はあまりの衝撃と激痛に拳銃のグリップから手を離す。

彼が気付いた時にはもう、拳銃は錦山の手に渡り銃口が頭に突き付けられていた。

 

「今ここで死ぬのとこっちの要求を呑むのじゃ、どっちが良いんだ?」

「っ!!」

「言っとくがな、こっちはもう殺しで十年も懲役喰らってる身だ。ただの脅しだと思ってんなら……その眉間に風穴開けてやるぞ?」

 

錦山の目を見た男は、即座に悟る。

彼の目は"本気"であると。

形勢逆転。もはや男に選択権は存在しなかった。

 

「……分かりました」

「よし。ならさっさと案内しろ」

「こちらです……」

 

錦山達は男の案内に従い西公園を出る。

遥がいるとされる目的の場所は、そこからすぐ側にあった。

 

「あ?ここって……」

「スターダスト……!」

 

錦山の良き協力者である一輝が経営する神室町No.1のホストクラブ、スターダスト 。

男が案内したのはその店だった。

 

「この中か?」

「そ、そうだ……」

「そうかい……ご苦労さん!!」

「ふぐぉ!?……か、っ…………─────」

 

錦山は案内を終えた男を背後から羽交い締めにして頸動脈を締め上げた。

瞬く間に意識を失う男を解放し、即座に放り捨てる。

 

「コイツは貰っとくぜ。行くぞ海藤」

「あぁ!」

 

錦山は奪った拳銃を懐に入れ、ついに海藤と共にスターダストへと踏み込んだ。

 

「一輝、ユウヤ!居るか!?」

 

店内は音楽も無く、人影も見当たらない。

ただ照明ミラーボールだけが店内を煌びやかに照らしているだけだ。

 

「お待ちしていましたよ……錦山さん」

 

そんな時、吹き抜けのVIP席から錦山を見下ろす男が現れた。

黒スーツに青のネクタイを締め 髪をオールバックにしたその男は、見慣れないマークのバッヂを胸元に着けている。

おそらくこの男が遥を拉致した主犯格なのだろうと錦山はアタリをつけた。

 

「遥は無事なんだろうな……?」

 

錦山の問いに対して、男は答えない。

その代わりに、彼の手下と思われる男がその背後から遥を連れて現れる。

 

「遥!」

「クソっ!」

 

海藤が遥を助け出すためにすぐさま階段を登ろうとするが、遥を連れた男が海藤に拳銃を向ける。

状況は膠着状態に陥った。

 

「……一輝達はどうした?」

「別室です。縛るくらいはしてありますが、無事ですよ」

 

錦山はその言葉に一定の信用を置いた。

西公園にて東を殺さなかった事から、少なくとも彼らは目的の無い殺しはしない集団なのだろうと錦山は予測する。

 

「何者だテメェら……?」

「それはやめておきましょう、お互いの為です。それより、お嬢さんが持っていたはずのペンダントは?」

「やっぱりそれが目的か……チッ、どいつもこいつも…………」

 

錦山は悪態を付きながらもポケットから銀色のペンダントを取り出す。

 

「お渡し願います」

「いや、遥が先だ。こっちに引き渡せ」

「いいえ、ペンダントが先です。お渡し願います」

「二度は言わねぇぞ」

 

男の要求に対し、錦山は毅然とした態度を貫く。

あくまでも優先するべきは遥の身柄。

100億の事などは二の次である。

 

「では……このお嬢さんがどうなっても良いと?」

 

男の言葉に呼応するように、彼の部下が銃口を遥のこめかみに突き付ける。

人差し指で引き金が引かれたその瞬間、その若過ぎる命は瞬く間に失われてしまう事だろう。

しかし、それに対しても錦山は一歩も引かない。

 

「そんな事をしてみろ…………」

 

錦山は先程奪った拳銃を懐から取り出し、チェーンで繋がれたペンダントに銃口を突き付ける。

 

「お前らが欲しがってるコイツをこの場でぶち砕いた後、テメェら全員ぶっ殺してやる。」

 

ペンダントを盾に、遥の解放を要求する錦山。

黒スーツの男は怪訝な表情を浮かべる。

 

「正気ですか?それには100億の……いや、それ以上の価値が有るんですよ?」

 

男は理解出来ないとばかりに首を傾げるが、その態度に錦山は激怒した。

 

「正気じゃねぇのはテメェらの方だろうが。人間の……遥の命は金じゃ買えねぇんだよ!!」

 

人間の生命は失われれば最後、二度と戻りはしない。

ましてや遥はまだ年端もいかない少女。

これからを担うべき若く幼い命なのだ。

そんな尊い命が、100億という金とそれを手に入れたいという人間達の薄汚い欲望のために利用されようとしている。

 

(そんな事……俺は絶対に認めねぇ!)

 

人の道を外れた連中に、一丁前に交渉を仕切る資格など無い。

そう考える錦山の脳裏に、譲歩するという選択肢は存在しなかった。

 

「はぁ……埒が明かないですね」

「そりゃこっちのセリフだ。さっさと遥を解放しやがれ」

「……分かりました。ではこうしましょう」

 

男はそう言うと部下に指示を出した。

遥は部下の元から解放され、一歩ずつ階段を降り始める。

やがて、遥が階段のちょうど真ん中に辿り着いた段階で男が声を上げた。

 

「ストップ!そこで止まってください」

「!」

 

遥が立ち止まる。

海藤が遥の元にたどり着くまでに必要な階段の段数は、残り四段。

 

(海藤……信じてるぞ……!!)

 

錦山は遥の救出を海藤に託す。

彼の身体能力があれば、直ぐにたどり着ける筈だ。

 

「ペンダントをこちらに投げてください。これが、最大限の譲歩です」

「…………」

 

ふと、錦山は遥と目が合う。

背後から命を狙われている状況で、今にも泣き出しそうな程にその瞳は潤んでいた。

 

「遥!…………お前の命が最優先だ。分かってくれるな?」

「うん……!」

 

遥が頷くのを確認した錦山は、チェーンでぶら下げていたペンダントを手のひらに持ち替える。

 

「ちゃんと取れよ?そぉら!」

 

そう言って錦山はペンダントを下から掬い上げるように放り投げた。

直後、その場の全員が一斉に動き出す。

 

「っ!」

 

海藤は遥を救い出すべく階段をのぼり始め、遥もまた海藤の元へと走る。

同時に、錦山は右手に持った拳銃を構えて銃口をVIP席へ向ける。

狙いは当然、拳銃を持った男の部下だ。

そして、それを察知した男の部下もまた錦山へと狙いを定める。

 

「ぬぅッ!!」

 

遥を抱えた海藤が気合いと共に階段からホールへと身を投げた瞬間、乾いた銃声が二つ同時に響き渡った。

 

「ぐぁっ!?」

「チッ!」

 

錦山の撃った弾丸は部下の肩を撃ち抜き、そんな部下の放った弾丸は錦山の持った拳銃へと着弾していた。

破壊された拳銃が衝撃で錦山の手から弾け飛び、文字通りのガラクタとなってスターダストの床に転がる。

 

「っ!」

 

そして、放り投げられたペンダントが男の手元へと収まる。

この間、僅か二秒。

ペンダントと遥の身柄はそれぞれ、欲していた者達の手へと渡ったのだ。

 

「海藤!無事か!?」

「おう!嬢ちゃんも無事だぜ」

 

言葉通り、海藤の腕の中に収まっている遥に怪我は無かった。

しかし、錦山が安堵したのも束の間。

 

「「「「「…………」」」」」

 

増援と思われる黒ずくめの男達がスターダストへと押し入り、あっという間に錦山は包囲されてしまう。

頭数は合計六人。一人で相手取るには苦戦を強いられかねない人数だ。

 

「海藤!遥の事は任せたぞ……!」

 

しかし、錦山はそのまま遥を海藤に託して臨戦態勢を整え始めた。

懐からスタンバトンを取り出してシャフトを引き出し、左手に構える。

 

(得物を握るくらいなら、何とかなるな……)

 

牽制の意味を込めてスタンバトンを持った左手及び左半身を前に、自由の効く右手及び右半身が後ろになるように構える。サウスポースタイルに近い構えだ。

 

「フッ……」

 

VIP席に居る男が余裕のある態度で軽く手でサインを出した。"殺れ"と。

 

「上等だ、行くぞコラァ!!」

 

錦山の叫び声を引き金に、謎の男達との闘いは始まった。

 

「フッ!」

 

先頭の一人目が、ナイフを翻し襲いかかる。

錦山はその斬撃に対してバトンのシャフトを当て、高圧電流を流した。

ナイフが火花を散るような音を立てて一人目の手から離れた隙に、すかさず首元へシャフトを突き付ける。

 

「うぎゃぁっ!?」

「オラァ!」

 

錦山は瞬く間に気絶して無力化した一人目を捨て置き、続く二人目の顔面に右の拳を叩き込む。

 

「ぶげぁっ!?」

 

数多の敵を屠ってきた渾身の右ストレートが二人目の頬骨を折り、鼻を潰す。

文字通りぶっ飛ばされた二人目は、その勢いのままバーカウンターの内側へと放り込まれていった。

 

「このっ!」

 

三人目が懐からサイレンサー付きの拳銃を取り出す所を見た錦山は、左手に持ったスタンバトンを敵目掛けて放り投げた。

 

「ぐぁっ!」

 

拳銃を持った手にスタンバトンが直撃し、電流が流れる事で拳銃を取り落とす三人目。

錦山は慌てて拳銃を拾おうと屈んだ三人目との距離を詰め、その顔面をサッカーボールキックで蹴りあげた。

 

「あが、っ!?」

 

下顎を砕かれるの同時に脳震盪を起こした三人目は、そのまま意識を失い崩れ落ちた。

 

「貰ったぜ……!」

 

錦山は三人目が拾おうとしていた拳銃をすかさず拾い上げ、己の武器とする。

それを目撃した四人目、五人目、六人目もまた、懐から拳銃を取り出して一斉に錦山へと銃口を向けた。

 

「うおおおおおおおお!!」

 

錦山は雄叫びを上げて店内を走りながら、その引き金を連続で引いた。

サイレンサーによって銃声をかき消されたその拳銃は、空気を切り裂く弾丸の音のみを立てながら目標へと迫っていく。

対する組織の男達の拳銃にはサイレンサーが無い為、その銃口からは乾いた銃声が絶え間なく響き渡る。

 

「ぐぅっ!?」

「がぁっ!?」

「ぬぉっ!?」

 

錦山の撃った弾丸が男達の肩、腕、足をそれぞれ撃ち抜き、彼らを戦線離脱へと追い込む。

一方で男達の撃った弾丸は走りながら発砲する錦山を捉えられず、その身体には新たに付いた傷は一つもない。

 

「クソっ!」

 

それを見ていたVIP席の男が拳銃を取り出し、錦山へ躊躇いなく発砲した。

 

「ッ!」

 

間一髪で弾丸を躱した錦山が反撃とばかりに銃を発砲するが、男はすぐさまVIP席の柱へと身を隠す。

 

「野郎……!」

 

店内全体が見渡せるVIP席を陣取る男は、地の利において完全に錦山よりも優位に立っている。

たとえ錦山が何処にいたとしても発見が出来る上に、柱のような遮蔽物もない為 今の錦山には身を守る術が無い。

 

「貰った……!」

 

柱の影から飛び出した男が、再び錦山へと引き金を引く。しかし、その銃撃は錦山へと当たる事はなかった。

 

「あがっ、ぐぉぉぁぁぁああぁあああっ!!?」

 

錦山は先程行動不能にした男の部下の内の一人の背後に回り込む事で、その部下を肉壁にして弾丸を防いでみせた。

男の放った弾丸は部下の腹部を直撃し、悲惨なる断末魔が上がる。

 

「正当防衛だ。悪く思うなよ」

「貴様……!」

 

その後 男は柱を、錦山は男の部下を盾にしてそれぞれ身を守り壮絶な撃ち合いを何度か続ける事になる。

 

「死ね!」

「チッ!」

 

謎の組織との闘いは完全に銃撃戦の様相を呈しており、スターダストの店内は血と硝煙の香りが入り交じる修羅場と化していた。

 

「クソっ……!」

 

その最中。やがて錦山の持つ拳銃が弾切れを起こす。

先程三人を戦闘不能に追い込んだ分、錦山の持つ拳銃の方が相手よりも残弾数が三発少ないのである。

 

「動くな!」

「っ!」

 

新しい拳銃を手に入れようと戦線離脱した部下達に迫る錦山だったが、それをみすみす見過ごす男では無かった。

攻撃手段を失った錦山は、その場で立ち尽くす事しか出来ない。

 

「ふん、残念だったな!手こずらせやがって……」

「…………」

 

優位に立った事で僅かに余裕を取り戻す男。

そんな男を真っ直ぐに睨み付ける錦山。

 

「これで貴様は終わりだ……!」

 

引き金に指をかける男。

万事休すの現状に歯噛みする錦山。

決まったも同然の決着。

だが。

 

「いいや、終わるのはそっちの方だぜ」

 

そこに待ったをかけた男が現れる。

錦山から遥の保護を任されていた海藤だった。

 

「海藤……!?」

「なに?どういう事だ?」

「へへっ……」

 

男の問いに対して、海藤は不敵に笑ってみせる。

明らかに勝ち誇ったその態度に男は苛立ちを隠せなかった。

 

「どういう事だと聞いているんだ!!」

 

男の持つ拳銃の銃口が錦山から海藤へと向けられる。

しかし、海藤は不敵な笑みを崩さない。

その態度に激昂した男が引き金を引こうと指に力を込めた。

その直後。

 

「海藤!無事か!?」

「カチコミじゃオラァ!!」

「いてまうぞボケがァ!!」

 

怒号を上げた男達がスターダストになだれ込んで来た。

その男達のいずれもが、手に拳銃を所持している。

 

「……こういう事さ」

「なっ!?」

 

思わず面食らう男だったが、錦山は合点が行った。

 

(そうか、コイツら松金組か……!!)

 

起きた事象は至って単純。

襲撃を受けた海藤と東の報復に、東城会系のヤクザである松金組が"返し"をしに来たのだ。

海藤の先程の態度は、松金組が来るまでの時間稼ぎ。

形勢逆転のための布石だったのだ。

 

「馬鹿な、何故ここが!?」

「東だよ。お前らが散々痛めつけた俺の弟分が、ここに俺達が居ることを知らせてくれたのさ」

 

そう言って海藤は携帯の画面を開いて見せる。

そこには彼の弟分からのメールが表示されており、組に応援を要請した旨が記されていた。

 

「お前らの敗因は二つだ。一つは東を始末しなかった事。もう一つは……俺ら松金組を敵に回した事だ!!」

 

増援として送り込まれた松金組の構成員達が、一斉にVIP席へと銃口を向ける。

こうなってしまえば最後、海藤や錦山を始末する事はおろか残弾を全て撃ち切る前に蜂の巣になってしまうだろう。

 

「くっ……クソっ……!!」

 

狼狽える男だったがもう遅い。

唯一の退路である出入口はヤクザに封鎖され、部下達はいずれも瀕死あるいは戦闘不能。

状況は完全に"詰み"だった。

 

「テメェらはもう終わりだ。諦めろ」

「…………」

 

ついに、男の手から拳銃とペンダントが落ちる。

それは紛れもなく、彼らの敗北宣言に他ならなかった。

 




今回出てきたコイツら、名前の表記が無いから『男』としか描写出来ないのキツい……


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断章 2000年
惨劇へのカウントダウン


断章です。
いよいよ、この時がやってきました。



2000年。12月24日。

この日、東京の郊外にある養護施設"ヒマワリ"の前に、一台の車が止まった。

 

「さて……着いたな」

 

車から降りてきたのは、筋骨隆々を絵にしたような恵まれた体格を持つ一人の男。

彼の名は、桐生一馬。

東城会直系風間組の若頭補佐であり来月に直系組織昇格を控えた、東城会の中で今一番勢いのある極道者である。

弱きを助け強きをくじく。そんな古き良き任侠道を地で行くその生き様に惚れ、彼の率いる桐生組の門を叩く者が連日後を絶たない。

そんな男の中の男はこの日、自分が育った故郷でもあるこの場所を訪れていた。

理由は至極単純。この日は年に一度の、ヒマワリの子供達全員でクリスマスパーティを開く日なのだ。

 

「親父、自分達は事務所に戻りますので」

「あぁ、ご苦労だったな斎藤」

「はい、失礼します」

 

運転及び護衛担当の構成員にそう声をかける。

彼は一礼した後に車を発進させた。

 

「さて……」

 

桐生は己の荷物を確認しながら敷地内へと足を踏み入れ、玄関先までたどり着く。

 

「邪魔するぞ」

「あ、おとうさん!」

 

桐生が戸を開けると、一人の女の子が目を輝かせた。

 

「ゆうこせんせい!ゆみおねえちゃん!おとうさんがきてくれたよー!」

「…………」

 

そう言いながらその少女は、勢いよく桐生の胸に飛び込んだ。

少女の名前は、澤村遥。

桐生の大切な愛娘である。

 

「遥。いい子にしたか?」

「うん!みんなとなかよくしてたよ!」

「そうか……偉いぞ、遥」

「えへへ〜」

 

優しく頭を撫でられた遥は、嬉しそうに目を細める。

そんな娘の笑顔を見て、桐生は心が洗われる気分だった。

 

「一馬くん」

「一馬」

 

そんな時、桐生に声をかける二人の女性がいた。

一人はこのヒマワリで子供達の面倒を見ている先生であり、桐生の親友であり兄弟分の錦山彰の妹。錦山優子。

そしてもう一人は桐生と錦山の幼馴染であり、彼が心から愛した女性。澤村由美だった。

 

「由美、優子。その格好は?」

 

桐生は彼女達の格好について言及する。

彼女達は先に到着している事を聞かされていた桐生だったが、今二人はコートを着て防寒をしている。

まるで今来たばかりかのような格好と言えたが、実際は違っていた。

 

「ちょうど良かった……私たち、これから買い出しに行く所だったんです」

「なに?そうなのか?」

「うん。だから一馬、ちょっとの間だけ、子供達の事見ててくれる?」

 

そう頼まれた桐生だったが、買い出しであれば別に彼女達が行く必要は無い。

 

「いや、そんな事なら俺が行ってくるぞ?」

 

わざわざ寒い中、そんな面倒な事をするのは男の仕事である。

そう考えた桐生はそう言って二人を引き留めようとした。

 

「大丈夫ですよ一馬くん。すぐに戻って来ますから」

「それに、一馬に任せてたらトンチンカンなもの買ってきそうだし?ね?」

「む……バカにしてるのか?」

「じゃあ一馬、子供達のプレゼントや飾り付けの道具一式買い揃えてって言われてもちゃんと一人で出来る?」

「ぐっ…………」

 

元来、細かい計算や仕事などを苦手とする桐生はそう言った事に滅法弱い。

結果として、ぐうの音も出なくなってしまった。

 

「だから、ここは私達に任せて。一馬くんは子供達と遊んでて下さい」

「…………仕方ねぇ、分かったよ」

「よろしい。じゃあ遥ちゃん。私たち、ちょっと出かけてくるから」

「お父さんと、いい子にして待っててね?」

「うん!」

 

そう言って、由美と優子は二人してヒマワリを出て行った。

残された遥と手を繋ぎながら、桐生はそれを見送る。

 

「ねぇ、おとうさん」

「ん?」

「おかあさん、きょうもきてくれないの?」

「っ……」

 

桐生はその言葉に胸を痛めた。

何故なら遥の母親は、つい今しがた見送った由美に他ならないのだから。

 

「あぁ……お母さんはな、仕事が忙しいんだ」

「おかあさんっていっつもそう……わたしのこと、きらいなのかな……?」

 

しかし、遥本人は由美が自身の母親であることを認識していない。

それは桐生と由美が決めた事。

時が来るまで、自分の子供に母親を名乗らないという決まり事によるものだった。

 

(由美…………)

 

その原因は、桐生の生きる極道という世界にある。

職業柄故かそれとも元々の性質からか、桐生はあらゆる人間から目の敵にされることが非常に多い。その危険は桐生は愚か周りの人間にさえ及ぶ可能性を秘めている。

彼の親である風間はその可能性を危惧し、由美に対して母親を名乗らないことを提案したのだ。

風間の管理下にあるヒマワリにいれば子供は安全だが、由美はそうでは無い。

桐生一馬の妻である事が露呈すれば、命や身柄を狙われてもおかしくないのだから。

 

「遥、それは違う。お母さんは誰よりも、お前の事を愛してるんだ」

 

だが、桐生は知っている。

本当は誰よりも、由美が遥の事を愛している事を。

そして心の底から、彼女の母親を名乗りたがって居ることを。

 

「ほんと……?」

「あぁそうさ。今は無理でも、お母さんは必ず遥に会いに来てくれる。必ずだ」

 

だからこそ、桐生は力強く遥に告げる。

由美にそんな事を強いてしまっているのは、一重に桐生の率いる桐生組の力が足りていないからだ。

何者にも手出しをさせないほどの絶対的な力と組織を持ってして、彼女達を護る。

それこそが、今の桐生が目指している目標だった。

 

「……うん、おとうさんがそういうなら。しんじるよ」

「ありがとうな、遥」

「うん!」

 

遥は元気よく頷いた後、ツリーの飾り付けをする子供達の輪の中へと戻って行った。

それを見届けながら、桐生は携帯電話を取り出してある人物に電話をかける。

 

『はい、斎藤です』

「俺だ、桐生だ」

 

それは、先程桐生が見送った桐生組の構成員だった。

 

『親父。どうされたんですか?』

「お前、まだ近くにいるよな?」

『はい。国道にも出てませんが……』

「ちょうどいい……由美と優子が買い出しに出るそうだ。二人を車で拾って、ついでにそれを手伝ってやってくれ」

『買い出し?それって、例のパーティ用のですか?』

「あぁ。俺じゃどうにも信用されてないみたいでな。代わりに頼まれてくれないか?」

『分かりました。お任せ下さい』

「すまない。よろしく頼む」

 

桐生はそう言って電話を切る。

彼は万が一の事が起きないようにと、自分の構成員を護衛に付けたのだ。

 

(よし、これで心配は無いだろう)

 

ひとまずの安心を得た桐生は、靴を脱いで中に上がる。

桐生が過ごした頃から変わらない、懐かしい匂いと雰囲気が桐生を暖かく迎え入れた。

 

「あ、かずまおじさんだ!」

「おじさーん!いらっしゃーい!」

「まってたよ、一馬おじさん!」

「おう。元気か?お前達」

 

ヒマワリで過ごす子供達が、一斉に桐生の元へと駆け寄って来る。

月に一度のペースで遥の様子を見に来る桐生は、他の子供達からもよく懐かれていた。

 

「おじさん、その袋は?」

「あぁ、これか?」

 

不意に、一人の子供が桐生の持った大きめの袋に目を付ける。

 

「これは、お前達へのクリスマスプレゼントだ」

「え?本当!?」

「あぁ。優子先生達が帰って来たら、ちゃんと渡してやるからな」

「やったー!」

 

それを聞いた子供たちは大はしゃぎした。

彼等にとっては年に一度、欲しいものが手に入るまたと無いチャンスなのだ。

嬉しいに決まっている。

 

「ん……?」

 

そこで桐生は、ある違和感に気付いた。

遥を含めた子供達の数を目視で数える事で、その違和感の正体にたどり着く。

 

「なぁ、遥。新一はどうしたんだ?」

 

一人、子供達の人数が足りないのだ。

桐生にその子の行方を問われた遥は素直に答える。

 

「しんちゃん、いまびょういんにいるの。」

「病院?何かあったのか!?」

「うん。かぜひいちゃったんだって。しんちゃん、からだがよわいから……」

「そうか……」

 

新一は遥の一個下で、ヒマワリの中では最年少の男の子である。

生まれつき身体が弱く病気がちなその子は今、病院で過ごしているとの事だった。

 

「おとうさん。あとでしんちゃんにもプレゼントわたしてあげて?」

「あぁ、分かってる」

 

桐生は途端に心配になる。

なにせ彼は新一を、赤ん坊の頃から知っているのだから。

 

(後で、病院にも行かないとな……)

 

ふと、桐生は窓の外を見る。

そこから見える空模様は、彼の心を顕したかのような曇天に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桐生がヒマワリを訪れてから約数十分。

由美と優子は、神室町に訪れていた。

欲望と権力の街であるこの場所も世間のクリスマスブームに乗っかり、あちらこちらで商戦が巻き起こっている。

 

「ふぅ……結構買ったなぁ」

「だねぇ」

 

由美と優子は手に紙袋を持っている。

その中には雑貨屋で購入したパーティグッズや、クリスマス用の食品やお菓子などが入っている。

そして、そんな彼女達の背後では三名の男達がそれ以外の荷物を受け持っていた。

 

「ごめんなさい、みんな。荷物持ちをお願いしちゃって」

「「いえ、お気になさらず。姐さん」」

 

由美の言葉に二名の屈強そうな男がハキハキと答える。

 

「おい、外でその呼び方はやめろ!親父に言われてんだろうが!」

「「失礼しました、兄貴!」」

 

それに対して苦言を呈したのは、彼らよりも小柄な一人の男。

長い黒髪にパーマをかけた獅子の鬣を彷彿とさせる髪型をしたその男こそ、桐生が護衛を託した桐生組の構成員。斎藤である。

 

「わざわざありがとうございます斎藤さん!車で送って貰った上に買い物まで手伝って貰えるなんて」

「いえいえ、コイツらの言う通り気にしないでください。自分ら、親父の命令でここにいる訳ですから」

 

優子の送る感謝の言葉に対し、斎藤はそう言って答える。

些か過保護とも言えるかもしれない桐生の行動だが、斎藤は決して異を唱える事はしない。

 

(由美さんは過去、敵組織に拉致られちまってる……親父が心配なのも納得だ)

 

"堂島の龍"と呼ばれた桐生一馬は、良くも悪くも世間や周囲の注目を集めやすい。

その中に当然彼を恨む連中も多く存在する。

由美はかつて、そんな裏社会の闇に一度巻き込まれてしまった事があるのだ。

桐生一馬の女であるとして。

 

(あの時の親父は、今でも忘れられねぇ……)

 

桐生は怒りのままにたった一人で由美を拉致した連中のいる場所へ殴り込み、その場の全員を瞬く間に殲滅し制圧。

見事に由美を取り戻して見せたのだがその時の桐生の表情と気迫は凄まじく、斎藤はそれだけで"殺される"と錯覚した程だった。

 

「それにしても……お二人が同行者に親父を選ばなかった理由が、ようやく分かりましたよ」

 

そう言って斎藤は、自分の持つ荷物の中の紙袋を掲げた。

 

「まさかお二人が……親父へのプレゼントを計画していたとは」

「へへへっ……」

「まっ、そういう事」

 

得意げに笑う由美と優子。

彼女たちは今日、桐生には内緒で彼に対するプレゼントを購入していたのだ。

 

「きっと一馬くんの事だから、目の前でプレゼントを買うなんて事になったら遠慮しちゃいますもんね」

「そうそう。一馬、きっと照れくさくなって"いや、俺は受け取れん"とか言うんだろうなぁ」

「いやはや……流石にお二人は、親父の事をよく分かってらっしゃる」

 

これは、いつも実直に頑張っている桐生に対しての贈り物。そして、命の恩人たる桐生に対しての感謝の気持ち 。

それをサプライズで渡そうというのが今回の企画なのである。

 

「一馬くん、喜んでくれるかな……?」

「無論です。優子さんと由美さんが一生懸命選んだプレゼントですから。きっと大切にしてくれますよ」

「そうそう。なんだかんだ言っても、一馬は結構こういうの嬉しがるタイプだから、大丈夫よ」

 

そう言って笑い合う一同は、車が停めてあるパーキングを目指して裏路地に入り込む。

皆が皆、この後の幸せな時間に胸を膨らませていた。

しかし。

 

「……ん?」

 

その穏やかで暖かい時間は。

 

「えっ?」

「どうしたの?」

 

なんの前触れもなく。

 

「兄貴、アイツは一体?」

「っ……!」

 

唐突に奪い去られる。

 

「ぐぁぁっ!!?」

 

突如、荷物を抱えていた護衛の一人が悲鳴をあげる。

その腹部には、真っ赤な染みが広がっていた。

 

「おい!大丈───」

 

直後、もう一人の護衛の頭に真っ赤な華が咲いた。

肉塊と化した護衛が、無様にも地面に崩れ落ちていく。

 

「ひっ!?」

「な、なに?なんなの!?」

 

恐怖に怯え硬直してしまう由美と、状況に理解が追い付かない優子。

斎藤は手にしていた荷物を捨て、懐からナイフを取り出して臨戦態勢を取る。

 

「何者だ、テメェ!!」

 

その視線は、突如として目の前に現れた男に向けられていた。

白い服を身に纏い、女の能面を被ったその男の手にはサイレンサー付きの拳銃が握られていた。

彼の部下を撃ったのは間違いなくその拳銃であったことを、サイレンサーの先端から立ち上る硝煙が如実に現していた。

 

「この野郎!!」

 

斎藤は前傾姿勢を取ってから勢いを付けると、瞬時に敵との間合いを詰めた。

そのまま右手に持ったナイフを閃かせる。

 

「っ!」

 

後ろに飛び退いた男だったがその一閃を防ぎ切ることは出来ず、彼のつけた面の口から下が叩き斬られる。

 

「!?て、テメェは……!?」

 

顕になる素顔の下半分を見て、斎藤は一瞬だけ硬直する。

その隙が仇となった。

 

「な、何よあなた達!?」

「いやっ、離して!」

 

斎藤の背後で、別の男達が由美と優子を拉致しようと羽交い締めにしていた。

 

「しまった!由美さん、優子さん!!」

 

焦った斎藤は彼女達を助けようとして踵を返す。

それはつまり、銃を持った相手に背中を向ける事を意味した。

 

「がっ、ぐぉっ……!?」

 

脇腹。

そこに走った強烈な衝撃の後、斎藤はその箇所が急激な熱を帯びた事に後から気付いた。

撃たれたのだ。背後を向いた瞬間、その拳銃で。

 

「よし、サツが来る前に連れて行け」

「「はい」」

 

うつ伏せに倒れた斎藤を踏み越えて、能面の男は部下を指揮する。

 

「いやっ、助け、むぐっ!?」

「〜〜〜!!」

 

由美と優子は白服の男たちに口を抑えられて大声を封じられ、そのまま近くのバンへと連行されてしまった。

 

「ク、クソッ……が…………!!」

 

薄れ始めた意識を気合いで保ち、斎藤はポケットから携帯を取り出した。

この非常事態を、一刻も早く伝えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、桐生の携帯に着信が届く。

 

「ん?」

 

それは今まさに、待ちきれなくなった子供達のためにひと足早くパーティを開催させようとしたその時であった。

 

「一馬、どうした?」

 

そう声をかけるのは、風間新太郎。

桐生の育ての親であり今は渡世の親でもあるこの男もまた、例年クリスマスには必ず顔を出す男の一人だった。

 

「部下からの電話です。ちょっと出てきます」

 

和気あいあいとした雰囲気のその場を離れ、携帯を耳に当てる。

 

「俺だ」

『お、親父……大変です!由美さんと優子さんが……拉致られちまいました…………!』

「な、なんだと……!?」

 

その報告は、桐生にとってまさに最悪の出来事だった。

嫌な汗と共に顔色は真っ青になり、心臓が早鐘のような速度で脈打ち始める。

 

「相手は誰だ!?近江か?それとも別の組織か!?」

『考えたくは、ありませんが…………おそらく、東城会の者かと、思われます……』

「何!?」

 

驚愕に目を見開く桐生。

東城会の人間が東城会の人間を襲う。その不可解な現象に、桐生は耳を疑った。

 

「どういう事だ?なんで東城会がうちの組を!?」

『そ、そこまでは、分かりません…………三人で、護衛に、ついてましたが……一人、殺られ、ました…………」

「斎藤!今どこだ!?」

『か、神室町……中道、通り……裏……質屋の近く、です……俺も、……脇腹を…………撃たれ、て…………』

「おい斎藤?斎藤!!」

『う…………うぅ……………………』

 

意識が朦朧としているのか、斎藤の口数が明らかに減っている。

このままでは危険だった。

 

「どうした、一馬?」

「由美と優子が、東城会の奴らに攫われたらしいんです!」

「なんだと?何故、東城会が……?」

「詳しくは分かりませんが、俺の部下が一人殺られてます。怪我人も出ているそうで……」

「不味いな……せっかく近江連合との関係が落ち着いたってこの時期に、どんな理由であれ内輪揉めしてる事がバレたら厄介だぞ…………」

 

風間が頭を悩ませる。

東城会本家の若頭でもある彼は、桐生を含む総勢2万5000人もの勢力を誇る極道達の舵取りの一部を担っているのだ。

突如として訪れた非常事態に、風間は大局的な決断や思考を余儀なくされる。

 

「親っさん!俺、神室町に行ってきます!ヒマワリの事をお願い出来ますか!?」

「あぁ、分かった。……一馬!」

「なんですか?」

「今回の件、俺にも何が起きてるか分からねぇ。事態を把握する必要がある。もしも向こう何か分かったらどんな些細なことであっても報告しろ。良いな?」

「……はい、分かりました!」

 

風間の命令を受け、桐生はすぐさま身支度を整え始める。

 

「おとうさん、どうしたの……?」

 

遥はそんな父の様子を心配そうな眼差しで見つめていた。

 

「遥、お父さんは今から由美お姉ちゃんと優子先生を迎えに行って来る!先にパーティーを始めててくれ!」

「お、おとうさん……!?」

 

それだけを言い残し、桐生はヒマワリを飛び出した。

身を切るような寒さの中、彼は一心不乱に駆け出す。

 

(由美……優子……無事でいてくれ…………!!)

 

 

 

これは、これから起こりうる惨劇の幕開け。

 

 

 

桐生一馬が桐生組を独立させる、一日前の出来事だった。

 




次の章及び断章でいよいよ、真相が明かされます

桐生の身に一体何が起きたのか

見届けて上げてください


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第十一章 残酷な真実
和解と決裂


最新話です。

激動の予感……


2005年12月9日。時刻は19時。

突如として始まった謎の組織との闘いは、応援として駆け付けてきた松金組の応援によって幕を閉じる。

その場にいた男達の中で怪我をしている者は松金組監視の下で柄本医院に担ぎ込まれて治療を受け、リーダー格の男は松金組の連中に拘束されていた。

この後は事務所で彼らの組織や目的について、洗いざらい吐かされる事になるだろう。

 

「遥……大丈夫か?」

「うん……おじさん。助けに来てくれたんだね…………」

「……当たり前だろ」

 

俺は海藤に託していた遥の無事を確認する。

先程も見た通り、遥はどこも怪我していなかった。

その事実に俺は安堵した。

もしも桐生の娘に怪我なんてさせてしまえば、俺はアイツに合わせる顔が無い。

 

「ごめんね……私が、勝手な事ばかりするから…………」

「いや……こっちこそ、さっきはカッとなっちまった。本当に情けねぇ」

 

さっきの俺はどうかしていた。

もしもあそこで遥を突き放してさえ居なければ、こんな事にはならなかった筈だ。

 

「へへっ……良かったな、遥の嬢ちゃん。錦山と仲直り出来てよ」

「うん……!」

 

海藤が遥の頭に手を置き、快活に笑う。

遥もまたそれに笑顔で頷いていた。

 

「感謝するぜ、海藤」

「気にすんなっての。言っただろ?俺は松金の親父がアンタと同盟を組んだ時から、覚悟は決まってるってよ」

「フッ……そうだったな」

 

海藤正治。この男には何かと助けられてばかりだ。

この借りはいずれ返さなければならないだろう。

 

「ぅ……ぐっ…………」

 

ふと、海藤の手元から苦しげな声が聞こえる。

松金組の構成員にヤキを入れられ、ズタボロにされた組織の男だ。

海藤に首根っこを掴まれ、力の入らない身体を引き摺られている。

 

「そいつの事、頼んだぜ。海藤」

「任せときな。俺流のやり方で徹底的に絞ってやるぜ。何か分かったらちゃんと報告してやっからよ」

 

海藤はそう言って邪悪な笑みを浮かべていた。

古今東西、ヤクザの拷問と言うのは並大抵のものでは無い。

男の口が割られるのも時間の問題だろう。

 

「じゃあな、錦山。嬢ちゃんも。」

「あぁ」

「海藤のお兄さん……どうもありがとう」

「おう!」

 

海藤は快活に答え、松金組構成員と共にその場を後にした。

 

「錦山さん……」

 

次いで声をかけてきたのは、スターダストのオーナーの一輝。そしてユウヤだった。

別室で閉じ込められていた所を、松金組が救出したのだ。

 

「すまねぇな一輝、ユウヤ。こんな事に巻き込んじまって……」

「何言ってんすか!そんな事言わないで下さい!」

「そうですよ。俺たちこそ、銃向けられたっきり何も出来ませんでした。すみません……」

 

大事な店を騒動に巻き込んでしまった事を詫びるが、一輝達からは逆に謝られてしまった。

だが、彼らに落ち度などあるはずが無い。

拳銃を向けられれば抵抗など出来ない。普通の人間なら誰だってそうなのだから。

 

「ん?ちょっと待ってくれ」

 

ふと、ポケットが小刻みに震えている事に気付く。

携帯電話の着信だった。

 

「もしもし」

『伊達だ。すまねぇ錦山。奴らを取り逃しちまった』

 

電話の相手は伊達さんだった。

連中を追いかけていたが、どうやら逃げられてしまったらしい。

 

「そうか……」

『そっちはどうだ?』

「あぁ、遥は無事救出した。遥を攫った連中も松金組がとっ捕まえてくれたよ。これから追い込み……いや、取り調べにかけて貰う所だ」

『へっ、今更気にすんな。聞こえなかった事にしてやるよ』

「フッ……これから遥を連れて賽の河原に向かう。現地で落ち合おう」

『分かった、気を付けろよ』

 

伊達さんと合流する約束を取り付け、俺は電話を切った。

今の神室町において、確実に安全と言えるのはもう賽の河原を置いて他には無かった。

 

「おじさん、どこかへ行くの?」

「あぁ……でも…………」

 

俺は遥と向き合い、覚悟を決めた。

今の彼女ならきっと、この事実を受け入れてくれると信じて。

 

「悪い。一輝、ユウヤ…………少し、外してくれないか?」

「……分かりました」

 

事情を察した二人がその場を離れる。

俺は、謎の男達から取り戻したペンダントをポケットから取り出した。

 

「おじさん……?」

「伊達さんの所に行く前に……お前に、伝えなくっちゃならない事があるんだ。ちゃんと、聞いてくれるか?」

「…………うん」

 

遥が頷いた後、俺はゆっくりとペンダントを遥の手に渡す。

彼女の母が、娘に託した"形見"を。

 

「美月……お前の母ちゃんな…………もう……死んじまってたんだ…………」

「……!!」

 

遥が息を飲む音が聞こえ、俺は思わず俯いた。

 

「俺は……お前の母ちゃんを、助け出す事が出来なかった…………!」

 

見知らぬ街に足を踏み入れて、右も左も分からぬ中必死になって探し求めていた彼女の"母親に会う"という願いは、二度と叶わない。

そんな現実を突き付けてしまう事に、俺の胸は張り裂けそうになっていた。

 

「ごめん……ごめんな、遥…………!」

 

たった一人の女の子の願いすらも叶えてやれない。

そんな余りにも無力な自分を俺は激しく呪い、憎み、責め立てた。

 

「…………おじさん」

 

遥の声に、顔を上げる。

彼女は、今にも泣きそうになりながらも俺に微笑みかけてくれていた。

 

「ありがとう、おじさん。私の事、気遣ってくれたんだよね?」

「遥……!」

「いいの、おじさん。実はさっきね、東のお兄さんに言われたんだ。"もしも私が優子先生の居場所を知ってて、その時優子先生が死んじゃってたら、おじさんに正直に話せる?"って……」

「!!」

 

それはおそらく、海藤と東が遥を保護している事にあった出来事なのだろう。

まさか東が遥にそんな事を言っているとは思いもしなかったが。

 

「その時ね、なんとなく思ってたんだ。もしかしたらもう、お母さんは死んじゃってるのかもしれないって……」

「…………」

「でも、先にそう思う事ができてたから……おじさんから、本当のこと、きいても…………ぜんぜん……だいじょう、ぶ…………っ!」

 

そう言って強がる遥の言葉とは裏腹に、涙腺からは透明な雫が零れ落ちる。

俺は思わず、目の前の遥の身体を強く抱き締めた。

 

「な……なぁに?おじさん……っ、私は…………だいじょうぶ、だから……!」

「すまねぇ……本当に、すまねぇ……遥…………!!」

「や、やめてよ……わたし、だいじょうぶ…………だいじょうぶ、なんだから……!!」

 

強がっていた遥だったが、やがて俺の胸の中で啜り泣きはじめた。

当たり前だ。遥は今、肉親が一人居なくなってしまったのだから。

 

「……!!」

 

俺の涙腺にも、熱いものが込み上げてきていた。

もしも俺が優子を失ってしまったら?想像するだけでどうにかなりそうになる。

だが、今の遥はそんな悲しみの只中に居るのだ。

そんな彼女の為に俺が出来る事など、もう何も無い。

せめてこうして、満足するまで己の胸を貸してやる事くらいだ。

 

「ぐすっ……ぐすっ…………」

 

やがて、どれくらいの時間が経っただろう。

遥の啜り泣く声は、段々と小さくなっていた。

 

「…………落ち着いたか?」

「……うん。ありがとう、おじさん」

 

目元を腫らした遥だったが、その顔は穏やかだった。

ひとまず、気持ちが落ち着いたらしい。

 

「ねぇ、おじさん……」

「ん?」

「私もね……おじさんに一つ、言ってなかった事があるんだ」

「言ってなかった事?」

 

遥が不意にそんな事を言い出す。

確かに遥とはまだ出会ったばかりでお互いの事はまだまだ知らない事が多いが、このタイミングでそんな事を言われるとは思ってもみなかった。

 

「聞いてくれる?」

「……あぁ」

 

全く検討が付かない。

遥の言葉に頷いた俺に待っていたのは。

 

「実はね───」

「なっ…………!!?」

 

あまりにも衝撃的な事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神奈川県横浜市。

この地に根を張る極道組織"関東桐生会"。

発足してから僅か五年で、横浜の地で決して小さくない組織と支配域を獲得した任侠集団。

そんな関東桐生会の会長を務める男がこの日、横浜中華街にあるとある店から出てきた。

 

「…………」

 

その男の名前は、桐生一馬。

かつては東日本最大の極道組織"東城会"に所属していた極道者で、現在は関東桐生会総勢約500人の極道連中を率いるれっきとした親分である。

 

「チッ……」

 

そんな男の表情には今、暗い陰が差し込んでいた。

彼はある目的のためにこの街を訪れていたのだが、それを果たす事が出来なかったからだ。

 

「ん……?」

 

そんな彼の携帯に一通の着信があった。

彼の右腕にして、関東桐生会の若頭。松重からの着信だった。

 

「俺だ」

『お疲れ様です、松重です。ご無事ですか?』

「あぁ、問題ない。どうした?」

『…………先程"例の件"を錦山さんにお伝え致しました。ご了承も頂いています』

「そうか……ご苦労だった」

 

松重の要件は、仕事における定期連絡だった。

組織のトップである桐生と二番手を務める松重の間では、頻繁にこうした連絡が交わされている。

関東桐生会がまだ東城会の傘下組織である"桐生組"だった頃から頻繁に両者の間で行われている大切なタスクの一つだ。

 

『会長。そちらは如何でしたか?』

「…………」

 

桐生はふと、自分の出てきた店を振り返って看板を見上げる。

そこにある店の名前を忌々しげに見つめながら、桐生は苦々しく答えた。

 

「…………いや、ダメだった。交渉は決裂した」

 

店の名前は"翠蓮楼"。

表向きは高級中華料理を提供する飲食店だが、実際には横浜中華街を牛耳る中国マフィアである"蛇華"の本拠地である。

そして現在、関東桐生会と一触即発の状態にある組織でもあった。

 

「"横浜全域に存在する関東桐生会の全組織全構成員の完全撤退。それ以外に要求するものは無い"…………劉家龍はハッキリとそう言っていた」

 

桐生が今日この中華街に訪れた理由。

それは、関東桐生会のシマでいざこざを起こす蛇華に対しての和平交渉にあった。

もしも両組織が抗争状態になれば互いの組織の構成員はもちろんの事 周辺地域に住む一般市民にも危害が及ぶ可能性がある。

もしもそんなことになれば神奈川県警からのマークが厳しくなって、シノギや運営に対しても甚大な支障が出る恐れがあるのだ。

抗争など行うべきではない。

その行為は、あまりにも非生産的なのだ。

 

「すまない松重…………これでもう、蛇華とはとことんやり合う他無くなっちまった」

 

だが、交渉は失敗した。

こうなってしまえば最後、血で血を洗う大喧嘩が勃発してしまう事だろう。

それを防ぐ事が出来なかった自分を、桐生は強く責めていた。

 

『いえ、会長。貴方が気にする事はありません』

「松重……?」

『いずれ、遅かれ早かれ連中とはコトを構える事になっていた筈です。こうなった以上、カタギに危害が出る前にさっさと片付けちまいましょう』

「……フッ、そうだな」

 

松重のフォローに破顔しつつも、やはり桐生は負い目を感じずには居られない。

自分は果たして今後、どれだけ松重や組織の面々に救われていく事になるのだろうか。

 

『しかし、それにしても会長のやる事にはいつも驚かされます』

 

少し感傷的になっていた桐生を現実に引き戻したのは、電話越しに聞こえた松重のそんな言葉だった。

 

「……どういう事だ?」

『どういう事って……そりゃ無いでしょう?会長』

 

松重は半分呆れながら、桐生の行動について言及した。

 

『蛇華の連中と和平交渉に行く。ここまでは良いでしょう。ですが…………なんで無防備な状態で行っちまったんですか?』

 

先程、桐生は翠蓮楼から一人で出てきた。

500人規模の組織を束ねる男が、たった一人で。

そう、この桐生一馬という男。

敵の本拠地に行くにあたって、あろうことか護衛の人間も付けず拳銃等の武装も一切しない丸腰の状態で向かったのだ。

 

『そんなの、奴らからすりゃ狙ってくださいって言ってるようなもんじゃ無いですか』

「いや松重、それは違うぞ」

 

桐生の行ったあまりにも無謀で無茶苦茶な行動を糾弾する松重だったが、桐生としては考えがあっての事だった。

 

「俺は今日 蛇華と和平交渉をしに来たんだ。そんな場に武装をして行けば、奴らを刺激する事になりかねないだろう?」

 

桐生の目的は、あくまでも話し合い。

護衛の人間や武装をして身を護ろうとするのでは無く あえて無防備な丸腰で赴く事で、こちらに敵意が無い事をアピールする。

それが出来てこそ、腹を割った話し合いが出来ると彼は踏んだのだ。

 

『そうですか…………もしも自分がラウカーロンだとして、敵対組織のボスがそんな事をしてくれば俺はこう思いますよ』

「ん?」

『"自分達を相手に護衛も武装もしないこの行為は、我々を侮っている証拠だ。桐生一馬は、その気になれば自分達全員を簡単にねじ伏せられると思っている"……とね』

「………………………」

 

痛い所を突かれた桐生が押し黙る。

現に先程も、劉家龍から似たような事を言われたばかりなのだ。

 

『会長は和平交渉のつもりだったんでしょうが、それじゃあやっている事は挑発と変わりありませんよ』

「むぅ…………」

『やはり、会長に交渉事は難しいと思います。次回からは自分にお任せ下さい』

「いや、いつまでもお前に任せている訳には行かねぇ。俺がキチッと出来なきゃ他に示しが付かねぇからな」

『………………』

 

電話越しの桐生は当然知る由もない事だが、松重はなんとも言えない表情で押し黙っていた。

 

「それに、お前は関東桐生会にとって無くてはならない存在だ。お前の身に何か起こってからじゃ全てが遅い」

『はぁ……もういいですよ。貴方が頑固な事はもう十分 分かってますから』

「え……?」

 

この時、ため息を吐いた松重がこう思っていた事を桐生は決して知る事は無いだろう。

"こんな時、錦山さんが居てくれれば"と。

 

『それよりも、会長。交渉は決裂したんですよね?なのに劉家龍は、会長を無事に解放したんですか?』

 

松重は疑問に思っていた。

丸腰かつたった一人で本拠地にやってきた敵の総大将を前に、あの劉家龍が何もせずにいるはずが無い。

ともすれば、こうして松重が何の異常もない桐生と電話で会話が出来ている事自体が不思議である筈なのだ。

 

「いや、アイツらは交渉を突っぱねた上にその場で俺を殺そうとしてきた」

『やはりそうですか…………ん?ちょっと待ってください。という事は………』

 

嫌な予感を感じる松重に対し、桐生はいっそ清々しく答えてみせた。

 

「あぁ、俺はそこで"交渉"じゃなく"警告"をした。劉家龍含め、その場にいた蛇華の連中を全員ぶちのめしてな」

『全員って……え?蛇華本部にいた構成員を全員ですか!?』

「そうだ。俺を……いや、俺達 関東桐生会を敵に回したらどういう目に逢うかを思い知らせてやったぜ」

 

いとも簡単なように言ってのける桐生だが、彼の行為は人間としての領域を明らかに逸脱していた。

夥しい数の人間が詰めているはずの敵組織の本拠地に単身丸腰で乗り込んだ挙句、襲いかかってきた連中を全員返り討ちにしたと言うのだ。

 

『会長……貴方って人は…………』

「安心しろ。あくまでも警告だ。誓って殺しはやってない」

『いや、そういうことでは…………いえ、なんでもありません』

 

松重はこれ以上言及する事を諦めた。

いずれにせよ交渉は決裂し、蛇華との抗争は避けられない。

であれば先に戦力の大半を削れた事をむしろ喜ぶべきであると 松重は結論付ける。

"龍"を担ぐとは、そういう事なのだ。

 

『それより、どうしますか会長?こうして蛇華と抗争になっちまった以上、この先何が起こるか分かりません。錦山さんとの密会、別日に回した方が良いんじゃ無いですか?』

「いや、その心配には及ばない。あれだけ痛め付けてやったんだ。しばらくは劉家龍も動けないだろう。そっちは予定通り……ん?」

 

桐生が横浜中華街を出ようとすると、彼の目の前に中華服を着た男達が立ち塞がった。

そして、いつの間にか桐生の背後にも同様の男達が徒党を組んで待ち構えている。

いくら鈍感な桐生と言えど、この状況に置かれれば流石に察しは付いた。

 

「松重、急用が出来た。後でかけ直す」

『え、会長?』

 

松重の返答を待たずに桐生は電話を切る。

そして、自らを取り囲む殺気の檻に対して毅然とした態度で振る舞う。

 

「……蛇華の連中だな」

《桐生一馬……生きてこの街から出られると思うなよ!!》

 

中国語で激する構成員。

桐生は彼らの言葉を理解する術を持たなかったが、その意志を確認するには十分な殺気と頭数だった。

 

「フッ……いつでもいいぜ。殺すつもりでかかって来い!!」

 

関東桐生会初代会長。桐生一馬。

その男は誰よりも実直でありながら、誰よりも破天荒であった。

 

 




次回。

いよいよこの作品で、オリキャラを出そうと思います。
たった一人のオリキャラです。
実は伏線も張ってたりしますが、みなさんは分かりますでしょうか……?

お楽しみに


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"龍"の子

最新話です。

いよいよこの作品、初めてのオリキャラが登場します。
それではどうぞ。


2005年12月9日。時刻は20時を回った頃。

スターダストでの一騒動を終えた俺は遥と共に賽の河原を訪れていた。

ここが現状、遥を安全に匿う事が出来る唯一の場所だからだ。

 

「来たか、錦山」

「あぁ」

 

その入口である公衆トイレの前で、見慣れたコート姿の男を発見する。

伊達さんだった。

 

「遥……無事で良かった」

「うん……おじさんが助けてくれたから」

 

そう語る遥の目元は、まだ僅かに腫れを残している。

先程の涙の影響だった。

 

「伊達さん、折り入って頼みがある」

「なんだ?」

 

俺はそう言うと、伊達さんにあるものを手渡す。

それは、遥を襲撃して来た男達が身に付けていたバッヂだった。

盾のようなマークが記されたそのバッヂは、警察官のものでも無ければ極道の代紋でも無い。

 

「コイツは?」

「遥を襲ってきた連中のバッヂだ。見た事が無い形をしてる」

「確かに……俺も見覚えがねぇな」

「今 遥を拉致った連中は松金組が尋問している。だが、必ずしも連中が口を割るとは限らねぇ。コイツを頼りに、伊達さんの方でも調べてみちゃくれねぇか?」

「分かった。探ってみよう」

 

伊達さんは頷くと、俺の手からバッヂを受け取った。

ここからは警察官としての捜査能力の出番だ。

 

「俺はこれから署に戻る。明日は桐生と会うんだろう?今日はもう休んだ方がいい」

「……あぁ。そうさせてもらうさ」

「明日の昼頃には俺もこっちに合流しよう。じゃあ、またな」

「あぁ、頼んだぜ伊達さん」

 

伊達さんは力強く頷いて踵を返した。

ここからがあの人の本領発揮である。

 

「さ、行こうぜ遥」

「うん」

 

俺は遥の手を引き公衆トイレへと足を運んだ。

男子トイレの奥側にある個室のドアを開き、さらに奥の扉を開く。

 

「すごい……!こんな風になってるんだね」

「あぁ……秘密基地みたいなもんだ」

「へぇー……!」

 

驚きの声を上げる遥。

未知のものに対して驚く。

こういった年相応の反応を見ると、遥もまだ子供なんだと言う事を再認識する。

尤も、彼女はそう言われるのを嫌うので口にはしないが。

 

「お、このお嬢ちゃんが噂の子か」

「あぁ、そうだ」

「っ……!」

 

そこへ、この賽の河原の主である花屋が護衛を引き連れて現れる。

遥はそんな花屋を見て思わず警戒したのか、無言で俺の背後に回り込んだ。

 

「……嫌われちまったかな?」

「格好がアウトだな。どう見たって真っ当なカタギには見えねぇだろ」

「フッ……違いねぇ。安心しなお嬢さん、俺は花屋。君とおじさんの味方だ」

「…………ど、どうも」

 

遥はそう言って花屋に返事をした。

未だ警戒は解いていないようだがそれは仕方ない。

これから慣れてもらう他ないだろう。

 

「なぁ、花屋。しばらくの間、この子を匿って貰いてぇんだが……」

「あぁ、お前の要望は分かってる。ついてきな」

 

俺と遥は花屋に言われるがままについて行く。

程なくして俺達は、一つの小屋の前の辿り着いた。

所謂プレハブ小屋というやつだが各所に様々な補強がなされている立派な家だ。

 

「ここを好きに使うといい。まぁ、外見はちょっとアレだが」

 

部屋の中にはテレビと椅子に加え簡素だが大きめのベッドが備え付けられており、さらにはヤカン付きストーブまでついているおまけ付きだ。

この寒い時期にこれは非常に助かる。

ブルーシートや木材などで補強されている屋根と壁は意外としっかりした作りをしていて、雨風もしっかり凌げる。

即席の宿にしては十分過ぎるほどの待遇と言えた。

 

「助かるぜ花屋。恩に着る」

「まぁいいって……ここならヤクザも警察も攻めては来ねぇ。安心していいぜ」

「あぁ。おかげで、今日はぐっすり眠れそうだ」

 

何せ今までは、セレナの奥にあるソファを間借りして寝ていたのだ。

麗奈には場所を貸してもらっている手前 贅沢は言えなかったが、出所して以来ずっとソファで寝ていた身としてはまともな寝具で眠る事が出来るのは非常にありがたい。

睡眠の質は、俺にとってそれだけ重要なものなのだ。

 

「それじゃあごゆっくり。何か入り用なら知らせてくれ」

「あぁ、分かった。世話になるぜ」

 

花屋は部屋の案内を終えると護衛と共に去っていった。

 

「さて、と」

 

俺は小屋のドアを閉めてストーブを付ける。

次第に穏やかな熱がじんわりと部屋全体を温め始めた。

 

「はぁ……あったかいね、おじさん」

「あぁ……染みるぜ…………」

 

二人して思わずため息をつく。

ヤクザからも警察からも追われない環境。

普通の人間からすればなんでもない事が、如何に幸せであるかを俺達はしみじみと感じていた。

 

「さ、部屋も温まったし。とっとと寝ようぜ」

「うん」

 

俺は遥にベッドを譲り、床に布団を敷いて横になった。

 

「ふぅ………………」

 

安心した途端、一気に瞼が重くなる。

張り詰めていた糸が切れた証だ。

 

(あぁ……よく、眠れるぜ………………─────)

 

神室町に夜が訪れ、間も無く本来の姿を曝け出そうとするこの時。

俺はそれを見届ける事無く、眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。神奈川県横浜市。

要塞のような威容を誇る一つの屋敷───関東桐生会本部に、一人の男が帰還を果たす。

 

「会長、お疲れ様です!」

「「「「「お疲れ様です!!」」」」」

「あぁ」

 

本部内に居た黒服の構成員達が大急ぎで出迎える中、桐生一馬は自らの居城に戻って来ていた。

 

「幹部連中は居るか?」

「はい!全員、会長室にてお待ちしております!」

「そうか……分かった」

 

黒服の言葉に頷いた桐生は、そのまま本部内へと入っていった。

渡世の兄弟分である錦山の言葉を取り入れて仕立てた豪奢な内装とオブジェ達が静かに桐生を迎える。

桐生は慣れた足取りで本部内を練り歩き、やがて一つの部屋の前にたどり着く。

この本部における桐生のための領域。

関東桐生会の会長室だ。

 

(いよいよだな…………)

 

静かにネクタイを締め、桐生が扉を開ける。

すると、中で待っていた三人の男達が一斉に桐生に頭を下げた。

 

「「「お疲れ様です、会長!」」」

「あぁ」

 

桐生は男達の挨拶に短く答え、部屋の奥にある自分の机へと向かった。

彼がその椅子に腰を下ろしたのを見計らい、男達もまた会長室に並べられた椅子へと座る。

彼らは関東桐生会の幹部衆。

桐生一馬という男を担ぐ神輿の屋台骨と言える男達だった。

 

「只今より、緊急幹部会を開始する。松重」

「へい」

「まずは各組織の状況を知りたい。お前から順に組の近況を報告しろ」

「かしこまりました」

 

ネイビー色のスーツに紫のシャツを着たパンチパーマとサングラス姿の男が、その場の全員に伝わるように自分の近況を報告する。

 

「松重組はこれといって異常は無く、シノギも安定しています。近々シノギを広げる予定で人員を回してはいましたが……まぁ、それは後回しでしょう」

 

関東桐生会若頭代行兼直参松重組組長。松重。

組織内の実質的なNo.2である彼は桐生組の頃からの創設メンバーの一人で、桐生一馬の優秀な右腕だ。

彼の率いる松重組は構成員の人材派遣を主なシノギとしており、ケツ持ちの必要なクラブや風俗店などの用心棒から現場仕事の作業員など多岐に渡る。

 

「次、村瀬」

「はい。自分ら村瀬一家のシノギも滞りはありません。先日まで賭場に蛇華の連中が押し寄せて邪魔をしてきていましたが……」

 

関東桐生会若頭補佐兼直参村瀬一家総長。村瀬。

ワインレッドのスーツを着たオールバックのこの男はかつては堂島組の盃を受けてこの世界に足を踏み入れた極道者で、東城会にいた頃は桐生の弟分にあたる立場にいた男である。

東城会時代に"堂島の龍"と謳われた桐生の器に惚れ込み、その盃を受けたのだ。

 

「会長が蛇華本部に向かった今日は誰も来てません。平和なもんです」

 

彼の役職は若頭補佐。実質的な組のNo.3とも言うべき彼の率いる村瀬一家は、主に賭場や裏カジノなどのシノギを担っている。

会長である桐生のお達しでイカサマはご法度とされている為荒稼ぎとはいかないが、関東桐生会を支えるシノギの立派な一柱である。

 

「長濱はどうだ?」

「はい。自分たちの所は少し売上が落ちちまってます。蛇華の嫌がらせで客足が遠のいちまいまして……」

 

関東桐生会直参長濱組組長。長濱。

柄シャツとパンチパーマがトレードマークの彼は、かつて"堂島の龍"と呼ばれた桐生一馬に憧れを抱いてこの世界に足を踏み入れた男である。

 

「大丈夫なのか?」

「えぇ。親父のおかげで蛇華の連中はしばらく動きが取れないはずなので、その間に立て直しを図るつもりです」

 

彼は普段キャバクラやソープ、テレクラなど風俗関連の管理運営を主なシノギとしているが、蛇華の嫌がらせや妨害に遭って業績が悪化していた。

桐生はそれらの被害をこれ以上出さないように和平交渉をするため単身中華街に乗り込んだのだが、決裂したその場で蛇華を制圧してしまったのだ。

もっとも、長濱としては結果的に邪魔する相手が居なくなったので万々歳なのだが。

 

「そうか……」

 

一通りの状況を聞き終えた桐生は、腕を組んで考え込む。

彼がこれから下そうとする命令は組の運営に大きな支障をきたす可能性があり、懸命に支えてくれる組の面々を危険に晒す事になるからだ。

 

(いや、もう迷ってる場合じゃねぇ……)

 

腹を決めた桐生は毅然とした態度で会議を進行した。

 

「今日お前らに集まってもらったのは他でもない。蛇華との一件だ」

「「「「!」」」」

 

その言葉により、場の空気が一気に引き締まる。

 

「お前達も知っての通り、俺は今日蛇華の本部に乗り込んだ。和平交渉を結び、ウチのシマへの妨害を辞めさせる為にな。だが奴らはその要求を突っぱねた。俺達が横浜から撤退しない限り、奴らは決して退く事はしないだろう」

「「「…………」」」

「よって……俺達関東桐生会は───」

 

否応なく高まっていく緊張感の中、桐生はついに決定的な言葉を口にした。

 

「蛇華との抗争を開始する。お前ら……力を貸してくれ!」

「「「へい!会長!!」」」

 

桐生の願いに帰ってきたのは、即決。

もはや迷うまでもないと言わんばかりの解答だった。

 

「その言葉を待ってましたぜ、会長!」

「俺らも、蛇華の連中にはいい加減迷惑してたんです」

「白黒付けるいい機会だ……俺たちの力、見せてやりましょう!」

「お前ら……」

 

気のいい返事をする子分達を見て、桐生は思わず頬が緩む。

桐生は、自分の子分達を誇りに思っていた。

 

「もっとも……一足先に暴れた挙句、抗争の火種を付けたのは会長の方ですがね」

「ぐっ……!」

 

松重に痛い所を突かれた桐生が押し黙る。

襲いかかってきた蛇華の連中を警告と称して返り討ちにしてしまったのは他ならぬ桐生なのだ。

故に今回の戦争は、桐生が開戦の狼煙を上げたと言っても過言では無い。

 

「自己防衛と警告のつもりだったんだが…………結果としては同じ事だ。すまない……」

「良いんですよ会長。やっぱり会長はそうでなきゃいけません。そうだろお前ら?」

「はい!」

「全くその通りです!」

 

しかし、幹部陣はさも当然のように受け入れてそれを笑い飛ばしてみせる。

むしろ桐生の行動を賞賛すらしていた。

自分たちが担ぐと決めた男の、正しく"龍"のような生き様を。

 

「それでなんだが…………お前らの組から兵隊を借りたいと思っている。それぞれ何人までなら出せるかを教えてくれ」

「俺の松重組からは100人ほど出せます。事務所と本部の護りを考慮すればこれが限界です」

「組が抗争になる以上、うちの組はシノギを休業せざるを得ません。村瀬一家総勢70人、会長について行きますよ」

「ウチら長濱組は経営の立て直しとシマ内の守りを固めなきゃいけないので多くは出せませんが……最近、組に族上がりの若い連中が入って来たんです。頭数は30人ほどですが、きっと力になってくれます」

「……なるほど」

 

これで子分達の組からは200人の加勢が来る事が決定した。

ここに更に桐生自身が率いる本部構成員に招集をかければ、その総勢は300を下らない。

敵対勢力と抗争を行う上では十分な頭数と言えた。

 

「よし……お前ら。各々の組に戻って招集をかけろ。明日の夜9時、第4倉庫街で決起集会を行う」

「「「かしこまりました!会長!」」」

「以上。今日はご苦労だった」

「「「はい!失礼します!」」」

 

解散を命じられ、幹部達は次々に会長室を出ていく。

その足取りは非常に早く、これから始まる大喧嘩にどこか期待している様子さえ感じられた。

 

「ふぅ…………」

 

自身以外誰もいなくなった会長室で、桐生はおもむろに煙草に火を付けた。

白く有害な煙が会長室の空気に溶けていく。

 

「………………」

 

ふと、桐生は自身の机の引き出しを開けた。

中に入っていたのは、一つの写真立て。

 

(俺はアイツに……錦に手を引いてくれと言った。もうカタギになったアイツを巻き込みたくないと、そう思っていたからだ。でも…………)

 

桐生はその写真立てを取り出し、机の上に置く。

ちょうど、風間や錦山と撮った昔の写真の隣になるように。

 

(本当は、逃げていただけだったのかもしれない。アイツに本当の事を打ち明けるのが怖くて……それを伝える勇気が無くて…………)

 

新たに並べた写真立てには、元々あった写真立てとは違う写真が飾られている。

 

(でも……それももう終わりだ。錦が覚悟を決めたのなら、俺もそれに応えるだけのこと…………)

 

そこに映っているのはグレーのスーツを着たかつての桐生と、彼が生涯愛すると誓った女性である澤村由美。

 

「それで……良いんだよな………?」

 

そして、そんな彼女に抱かれた二人の子供(・・・・・)の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月10日。午前10時。

遥が誘拐された騒動から一夜明けたこの日。

俺は遥を連れてとある病院を訪れていた。

 

「ここは…………」

 

東都大学医学部附属病院。

忘れもしない。かつて妹の優子が入院していた病院だ。

聳え立つ外観と清潔感のある内装は変わらずあの時のままの姿で俺を迎え入れる。

 

「おじさん、こっちこっち」

「……あぁ」

 

遥に言われるがまま、俺は後に付いて行った。

受け付けの看護師は遥を見つけると笑顔で応対をしている。

どうやらここの連中にはすっかり顔が知られているらしい。

 

「遥ちゃん、そちらの方は?」

「この人は私のおじさん。お父さんのきょうだ……お兄ちゃんなの」

「あら、そうなの」

「はじめまして、彰と言います。姪がいつもお世話になっています」

 

兄弟分と言いかけた時は少し肝を冷やしたが、幸い看護師は特に怪しんではいないようだ。

もっとも、10年前と変わらないのであればこの病院には東城会の息がかかっている筈なので最悪の場合素性がバレてもどうにかやり過ごせそうではあるが。

 

(って思ったが、よくよく考えりゃ俺 東城会から目の敵にされてんだよな……)

 

撤回しよう。

バレれば一大事だ。

 

「それじゃ、行ってらっしゃい。病室は変わらないよ」

「うん、ありがとう!」

 

遥は笑顔で会釈をすると、奥のエレベーターへと向かっていく。

俺もそれについて行き、二人で乗り込んだ。

 

「…………」

 

今日、ここに訪れた目的は一つ。

ある人物にこれまでの事情を説明する為だ。

その人物はれっきとしたカタギであり、この事件とは何ら関係を持たない一般人。

しかしそれでいて、これまでの経緯を知る権利がある人物なのだ。

 

(はぁ……気が重いぜ、全く…………)

 

そして俺はその人物とは完全なる初対面だ。

 

「……おじさん、緊張してる?」

「あぁ……まぁな」

「へぇ珍しい。おじさん、人見知りとかしなさそうなのに」

 

遥が意外そうな顔をするが、問題はそこじゃない。

 

「初対面ってのもあるが……会っていきなり話すことが、話すことだからな…………」

 

俺が問題視しているのは、その相手に説明する事情があまりにも複雑かつ深刻なものである事だ。

 

「そっか…………そう、だよね」

 

それは遥も承知しているのか、気まずそうな顔をして押し黙る。

重苦しい空気が漂う中、エレベーターが目的の階に到着した。

 

「行こ」

「あぁ……」

 

遥は非常に慣れた足取りで目的の病室へと向かっていく。

見舞いをしていれば当然の事だが、ここにはよく来るらしい。

 

「ここだよ、おじさん」

 

やがて遥が一つの病室の前に立ち止まった。

軽くノックをして、遥が優しく声をかける。

 

「新ちゃん?私。入るよー?」

 

その後遥はゆっくりと病室のスライドドアを開けた。

中は個室になっている為ベッドは一つしか無く、またそこにいる患者も一人だった。

 

「あ………………」

 

ふと俺は、そのベッドの上にいた患者と目が合った。

その患者は、幼い男の子だった。

歳は8歳。遥よりも一つ下のその子は、俺の顔を見るなり戸惑いと少しの怯えを垣間みせる。

まぁ知らないおじさんが自分の部屋に入ってきたのだから当然の反応だが。

 

「新ちゃん、この人がこないだ話してた錦山のおじさん。お母さんのお友達だよ」

「はじめまして。錦山彰だ」

「ぁ、はい……あの……はじめまして……」

 

内気そうな性格のその男の子は困ったように眉を顰めて視線を逸らすも、最後はしっかりと目を合わせてそう返事をしてくれた。

 

「……!」

 

そして、その少年の顔を正面からしっかりと見て俺は驚いた。

短く切られた髪。太めの眉毛とキリッとした目鼻立ち。

似ていた。あまりにも似ていたのだ。

俺が子供の頃から知る、ただ一人の親友に。

 

「ほら新ちゃん。あいさつして?」

「う、うん」

 

遥に促されたその少年は、大変緊張した様子でこう挨拶した。

 

「さ……澤村新一、です……お姉ちゃんが、いつも、お世話になってます……!」

「澤村………新一…………」

 

それがこの男の子の名前。

澤村新一。

彼は澤村遥の弟であり。

 

 

同時に、桐生一馬と澤村美月の血を分けた本当の息子でもあった。

 

 

 




という訳で、今作オリジナルキャラクター。桐生一馬の実子。澤村新一くんでした。
この子の存在が果たして事件にどう影響していくのか。
今後とも是非応援のほどよろしくお願いします

ちなみに関東桐生会の面々は一応オリキャラではありません。

松重は言わずもがなですが、村瀬は"龍が如く6(仮)先行体験版"にて登場した元堂島組のヤクザです。

長濱は「龍が如くオブジエンド」に出てきたキャラクターです。その作中では真島組の所属となっていますが、桐生一馬に憧れて渡世の道に入ったという背景を持つ為、桐生組の盃を受けて現在は関東桐生会の幹部にまで上り詰めました。

そして、前回の断章で出てきた斎藤は「龍が如くオンライン」の世良会長のキャラストーリーに出てきた「世良会長に殺された極道の息子」が元キャラです。
そのストーリーの後に桐生組にその腕を買われて拾われたといった背景があったりします。


そして、次回はいよいよ衝撃の真実が明かされます。
お楽しみに


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悲惨なる現実

最新話。
タイトル通りです。


どうか、受け止めて下さい。


時は少しだけ遡り、12月9日。

騒動の終わったスターダストの店内にて。

 

「私ね───本当は、お父さんと血がつながってないんだ」

「なっ…………!!?」

 

遥が俺に打ち明けた事実は、俺の目を見開かせる程に衝撃的だった。

 

「お父さん、って……桐生と?」

「うん。小さい頃は気付かなかったんだけど……園長先生が話しているのを偶然聞いちゃったんだ。私の本当のお父さんは、今でも分からないの」

「そう、だったのか……」

 

意外だった。

遥の物怖じしない肝の座り具合は、桐生の遺伝だとばかり思っていたから。

 

(だとするなら本当の親父は誰だ……?)

 

実の娘がこのような目に遭っている事を、遥の父親は知っているのだろうか?

いや、きっと知らないのだろう。

もしも知っていれば真っ先に現れて救い出そうとするはずだ。

この街に巣食うゲス共の夥しい悪の手から。

 

「でもね、おじさん」

「なんだ?」

「お父さんと血の繋がった子も居るの。そして、私にとっては同じお母さんから生まれた大切な弟……」

「遥に弟が……?」

 

これも聞かされていなかった事実だ。

遥とは違い、桐生と美月の間に生まれた子が居るという。

そこまで聞いて俺は、段々と遥の言いたい事が分かってきた。

 

「……なぁ、遥」

「なに?」

「昨日俺とケンカした時よ、お母さんに"会わなきゃ行けない"って言ってたよな?それって、もしかして……」

 

俺の疑問に対して、遥は大きく頷いて答えた。

 

「うん……私がこの街に来たのは弟の為でもあるんだ。あの子、私以上にお母さんに会いたがってたから」

「やっぱりか…………」

 

本当に母親に会いたいだけなら"会わなきゃいけない"というのは少し違う。

何かをしなきゃいけないと思うのは、義務感から来る感情のはずだからだ。

 

「だからね、おじさん。明日お父さんに会いに行く前に、お願いがあるの」

「なんだ?」

「明日、弟にこの事話そうと思ってて……一緒に来てくれないかな?」

 

遥の願いは、彼女と共に弟に会って説明をする事だった。

神室町で出会ってからここに至るまでの経緯。

そして、遥たちの目的がもう達成出来ないことを。

 

「……分かった、いいぜ」

「ありがとう、おじさん」

 

そして、時は戻って12月10日。

東都大学医学部附属病院の一室。

俺は遥の弟であり、桐生と美月の息子である澤村新一と出会っていた。

 

「新一くんだな……改めて、俺は錦山彰。よろしくな」

「はい。よろしくお願いします、錦山さん」

 

新一の第一印象は、内気で人見知り。

でも、慣れてくればそんな事は無い。

大人しく物静かだが、話す時は俺の目を見てしっかり受け答えをする真面目で誠実な印象のある少年だった。

 

「それでね新ちゃん。おじさん、犬をいじめてた人に石を投げ返したんだよ!」

「まぁ、俺も見てて胸糞悪かったからな」

「お姉ちゃん、昔っから動物好きだもんね」

 

遥は俺と出会ったこれまでの話を、まるで一つの冒険譚のように語って聞かせた。

本来はあまり自慢げに語っていい事では無いのだが、遥くらいの年頃であればその体験は刺激的かつ貴重なものなのだろう。

恐怖の連続であったはずの出来事を"他の誰もが経験出来ないような事を経験した"と言う形に変換して落とし込む事が出来るのは、ひとえに遥の心の強さが成せるもの。

だからこそ俺は、そんな芯の強さを持つ遥が桐生の娘だと信じて疑わなかったのだから。

 

「それで、その眼帯のおじさんとはどうなったんですか……?」

 

話が進むにつれて、新一がそんな事を聞いてきた。

いくら大人しいと言っても彼は男の子だ。

遥以上にこういった話に興味津々なのは当然の事と言えるだろう。

 

「あぁ……ほれ」

「え……?」

 

だが、若い内からそういった世界に憧れを持つのは良くない。そう思った俺は、未だ包帯の巻かれた左手を新一に見せた。

 

「その眼帯のおじさんにやられたんだ。刃物でブッスリとな」

「……!」

「なんとか死なずに済んだし遥も助けられたが……一歩間違えば危なかったな」

「ご、ごめんなさい…………」

「いや、謝る事はねぇよ。俺もお前ぐらいの歳の頃はこういった世界に憧れたもんさ」

 

これが暴力の行き着く果てだ。

冒険やスリルに興味を持つのは致し方ない。

だが、それが行き過ぎれば取り返しがつかない事態になる事もある。

この子にはそういった世界に行かず、まっすぐ真っ当に育って欲しい。

俺の抱いた勝手な想いだが、きっと桐生も同じ事を思う筈だ。

 

「そういや新一。お前はいつから入院してるんだ?」

 

意識もハッキリしていて受け答えも問題なくこうして普通に話をしているし、顔色も悪くない。

個室まで借りて病院に入院しているが、俺には新一が何処かを悪くしているようには見えなかった。

 

「えっと……実は僕、昔から身体が弱くて……小学校上がってからはずっとこんな感じなんです」

「そうなのか?」

「はい……こうして病院で大人しくしてるだけなら良いんですけど、身体を動かすとすぐに息苦しくなっちゃって……」

 

そう言って少し俯く新一。

遊びたい盛りであるはずのこの時期に、学校にも行けず友達とも会えない日々は辛く退屈な事この上ないはずだ。

遥から聞く俺の話は、そんな彼にとって数少ない刺激的な娯楽だったのだろう。

 

「新ちゃん、肺炎っていう病気にかかっちゃったの。だから、身体とか動かすと直ぐに疲れちゃって……」

「そうか……」

 

肺炎は文字通り肺が炎症を起こす病気だ。

ウイルスや細菌など原因は色々あるが、気管支から肺に入り込んだ有害なそれらが炎症を起こす。

軽ければ咳などの症状だけで済むが少し動いただけでそうなってしまうという事だと、症状としては決して軽くない筈だ。

 

「そうだ、お姉ちゃん」

「ん?」

「お母さんの事は、どうなったの?」

「!!」

 

新一の口からその言葉が漏れ、俺と遥は息を飲んだ。

いよいよ、話さないといけない時が来たのだ。

 

「……おじさん」

「……あぁ」

 

俺は姿勢を正して真っ直ぐに新一の目を見る。

今日の俺は、これを伝えるために来たのだから。

 

「なぁ、新一……俺は今日、お前に大事な話をしに来たんだ。聞いてくれるか」

「え?は、はい……」

 

困惑する新一。

先程までフレンドリーに話していた相手が急に真剣な顔になれば無理もない。

だが、これだけは茶化して伝える事は出来ないのだ。

 

「美月……お前と、遥の母ちゃんは…………もう、死んじまってたんだ」

「…………………………え?」

 

耳を疑った様子の新一。

突然の事で頭がついて行かないのだろう。

 

「俺は、必死になって美月を探した。美月は、俺が知りたい事を知っていた筈だったからな。でも…………俺の仲間から、美月が死んでしまっていた事を聞かされたんだ」

「…………………………」

 

言葉を失い俯く新一。

彼の心中がどうなっているのかを察する事は出来ない。

だが、穏やかじゃないことだけは明らかだった。

 

「すまなかった、新一。俺は……お前の母ちゃんを、助ける事が出来なかった」

 

俺は頭を下げる。

病床に伏せる身で、母親に会える事を楽しみに今日まで過ごしてきたであろう少年の想いを叶えられなかった。

俺がもっと迅速に動けていれば、事態は変わったかもしれない。

そう考えると、やり切れない気持ちでいっぱいだった。

 

「そう……ですか…………」

 

それは、新一がなんとか絞り出した一声だった。

その声はどうしようもなく震え、形容し難い感情が吐息と共に伝わってくる。

 

「お母さんは……もう…………!」

 

しかし、最終的には悲しみが押し寄せてくる。

今にも泣き出しそうになる新一を見た俺は、ついに限界を迎えた。

 

「……遥」

「……なに?」

「俺は例の用事に行ってくる。だから……しばらくここに居てやってくれないか?新一のそばに」

「……うん、分かった。ありがとう、おじさん」

「俺は何もしてねぇよ。…………また後でな」

 

遥の返事を聞いた俺は踵を返して足早に病室を出ていった。

逃げ出したのだ。

俺はあれ以上、新一の姿を見る事に耐えられなかった。

 

「…………」

 

俺は携帯を取り出して伊達さんに電話をかける。

電話は直ぐに繋がった。

 

『伊達だ。どうした?』

「今、東都大学医学部附属病院に居るんだが、桐生との約束の時間が迫ってる。俺はこのまま向かうから、遥の事を迎えに行ってくれねぇか?」

『そうか、もうそんな時間か。分かった、任せておけ』

「すまねぇ、頼んだ」

 

電話を切り、俺は病室の前を去る。

部屋の中から聞こえる少年の泣き声を聞きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月10日。午後13時。

俺は約束の時間に指定場所である芝浦埠頭を訪れていた。

東京都の港区に位置するそこは、大きなコンテナで囲まれた船着場だ。

 

(懐かしいな……)

 

俺がここを訪れるのは、実に17年ぶり。

"カラの一坪"事件における最終局面で、当時 マトにかけられていた桐生を救う為に堂島組に逆らった俺は風間組や日侠連の連中と共にこの場所で最後の大暴れをしたのだ。

 

(あれ以降は兄貴分達が取引現場なんかに使っていたらしいが……俺は来る事が無かったな)

 

今はどうか知らないが、ここの地域にも東城会の力が及んでいた事を考えるとその力は絶大なものである事が窺える。

 

(さて、松重の話じゃここに桐生が来るはずなんだが……)

「失礼、そこのお方」

 

ふと、そんな風に声を掛けられる。

歳の頃は20代後半ぐらい。

黒い革ジャケットを着用した小柄な体格の男。

長い黒髪にパーマをかけた、まるで獅子の鬣を彷彿とさせる髪型が目を引くソイツは見たことの無い顔だった。

 

「俺に何か用か?」

「はい。錦山彰さん……で、お間違いないですか?」

「……何者だ、アンタ」

 

俺の問いに、その男は頭を下げて答えた。

 

「お初にお目にかかります。自分、関東桐生会舎弟頭補佐の斎藤ってモンです」

「関東桐生会……桐生の所の遣いか」

 

俺はその言葉を聞き警戒を解いた。

桐生の組の連中であれば俺を襲う動機は無い。

 

「へい。会長から、錦山さんをお迎えするよう仰せつかりました。ご同行頂けますでしょうか?」

「構わねぇが……桐生は何処にいるんだ?」

「ここではちょっと…………詳しくは車の中で」

「…………分かった」

「では行きましょう。こちらです」

 

俺は斎藤の言葉のままに彼について行き、用意された車に乗り込んだ。

車はすぐに発進し、人目を避けるように芝浦埠頭を出ていく。

 

「お手間をかけさせて申し訳ありません。これから親父のいらっしゃる場所までお送り致しますんで」

「あぁ、頼んだぜ」

 

車の窓ガラスには中が透けないようになる為の加工が施されており、内側から見る外の風景はどこか薄暗い。

ヤクザや芸能人の車にありがちな加工で、窓から顔を見られるのを防ぐ効果がある。

 

「斎藤……って言ったか?関東桐生会は今どんな状態なんだよ?」

 

俺は何気なくそんな話題を振ってみた。

思えば最後に桐生と会って以降、東城会のゴタゴタに手一杯で関東桐生会の事はまるで考えていなかったからだ。

 

「えぇ、それなんですが……」

「ん?何かあったのか?」

 

斎藤は少し躊躇うと、言い難そうに答えた。

 

「つい先日、蛇華と抗争する事が決まっちまいまして……」

「なに、本当か!?」

 

横浜中華街を根城とする中国マフィア集団"蛇華"。

元々は偽造パスポート等の取引が堂島組との間であったのだが、俺が刑務所に入る少し前に関係が悪化してからはそういったことは無くなっている。

 

(こないだのアレがヤバかったのかもな……)

 

俺が出所して間もない時、関東桐生会本部にやって来た蛇華の連中を相手に俺は思いっきり喧嘩を売るような啖呵を切ってしまった。

おそらくそれが両組織の関係に悪影響を及ぼしたのだろう。

 

「すまねぇ、俺のせいだ。俺があの時余計な事しなけりゃ……!」

「いえ、そんな!錦山さんのせいじゃありません!気にしないでください」

 

俺はその非礼を斎藤に謝罪したが、斎藤は即座にそれを否定する。

今回蛇華と抗争になったきっかけはもっと別にあると。

 

「元々、ウチら関東桐生会は蛇華とは反りが合わなかったんです。会長がまだ東城会に居た頃に蛇華総統の劉家龍と因縁があったのはご存知ですよね?」

「あぁ、勿論だ」

 

それは今から12年前の出来事。

堂島組長の命令で偽造パスポートの取引に向かった桐生は、出された飲食物に毒を盛られて昏倒。

その後桐生は地下室に閉じ込められ凄惨な拷問を受ける羽目になる。

偽造パスポートの値段の高さに腹を立てた劉家龍の差し金だった。

 

(だがそれは、当時の堂島組長の差し金でもあった)

 

後から知った事だが、今回桐生を取引に向かわせたのは堂島組に不満を募らせる蛇華に対するガス抜きであるのと同時に桐生の存在を疎んだ堂島組長の計らいでもあり、偽造パスポートの値段は蛇華の怒りを爆発させる為にわざと高めにされていたという事だった。

つまり、桐生が拷問の末死ぬ事まで堂島組長の思惑だったのだ。

 

(風間の親っさんは桐生を助けるためアジトに乗り込んだ)

 

そんな状態の桐生を助けに向かう事は即ち堂島組長への反逆に他ならない。

上の者が絶対である極道社会においてそれだけは許されない行為である。

風間の親っさんは共に行こうとする柏木さんと俺を叩きのめし、たった一人で蛇華の根城に向かっていった。

 

(だが……その時に親っさんは足を悪くしちまった)

 

100人は下らない蛇華の構成員を相手に二丁拳銃のみで相手取り、桐生を救出した親っさん。

だがその際に片足を撃たれてしまい、それ以降の親っさんは杖を着いて生活する事を余儀なくされた。

 

「そんな桐生会長が頭の組織が、自分たちの拠点である横浜に事務所を置いた事を蛇華はよく思いませんでした」

「まぁ……そうだろうな」

「今の関東桐生会って組織は東城会にいた頃に松重のカシラ代行が舵を取っていた桐生組の横浜支部が母体となってますが、その頃から蛇華の連中はこちらのシノギを邪魔したり、ちょっかいをかけたりしてたんです」

 

斎藤は語る。

関東桐生会と蛇華の確執は深く、いずれこうなっていたに違いないと。

 

「会長が抗争にならないようにってずっと下のモンを押さえ込んでいたのですが、事態は一向に改善せずに不満は募るばかりで……それで先日、会長が直々に和平交渉に向かったんです」

「桐生が、和平交渉……」

 

俺はそれを聞いた時点で何が起きたのか察しがついた。

あの不器用な桐生がまともな交渉事など出来る訳も無く、総統の劉家龍がその和平交渉に対して首を縦に振るはずがない。

となれば、導き出される答えは一つだ。

 

「……失敗したんだな?」

「えぇ。護衛も付けず、武装も無い丸腰の状態で交渉に臨んだそうなのですが、劉家龍は首を縦には振らなかったそうです……」

 

残念そうに言う斎藤だが、俺に言わせれば当然の結果と言えた。

そもそも相手に和解のつもりが一切ない上に桐生がそもそも交渉事に向いていないのだ。

となれば、自ずとその後の展開も予想が付くというもの。

 

「なるほどな。大方、交渉が決裂した途端に蛇華の連中が桐生を取り囲んだんじゃないか?で、それを桐生が返り討ちにした事で抗争が決定的になった、とか」

「す、すごい……!え、なんで分かったんですか!?」

「まぁこればっかりは年季の差って所だな」

 

桐生一馬という人間をよく知っていれば知っている程、その行動には大体検討が着く。

共に過ごした時間が長ければ長いほど誰に対してもそうなのかもしれないが、桐生は特に分かりやすいタイプだ。

 

「相変わらず、アイツは暴れさせたらバケモンだな。お前らも苦労するだろ?」

「い、いえ。そういうしわ寄せはむしろ松重代行が喰らってる気がします」

「あぁ…………」

 

脳裏に浮かんだのは、葬儀の時に助けてくれたあの強面の男の顔だ。

若頭代行という事は実質的なNo.2という事。桐生の暴走ぶりに一番振り回される立場にいると言っても過言では無い。

 

(そういえば、松重さんは若頭代行って話だが……本当の若頭は誰なんだ?)

 

代行とは文字通り、本来そこにいるべき人間の代わりをする事を指す。

それはつまり本来若頭であるべき男がそこに居るという事なのだが、その手の話はついぞ聞いた事がない。

 

「そんな訳で今、関東桐生会と蛇華は抗争中の状態なんです。その都合上、錦山さんのお出迎えには細心の注意を払う必要が出てきてしまったって訳です」

「そういう事だったのか……すまねぇな。俺達の為に」

「いえ、これが自分らの仕事ですから」

「そうか…………ついでに聞きたいんだがよ」

「なんです?」

「松重さんは代行なんだろ?本当の若頭は誰なんだ?」

 

俺は思い切って尋ねてみる事にしたのだが、斎藤は困ったように眉を顰めた。

 

「はぁ……それが、自分らも詳しいことは分からないんですよ」

「そうなのか?」

「えぇ。何度か聞いたこともあるんですが、松重代行は"その時が来れば分かる"の一点張りでして……」

「そうか…………」

 

どうやら斎藤もこの事については知らないようだった。

関東桐生会についても俺はまだまだ知らない事が多いが、その辺も今日しっかりと桐生の口から答えてもらうとしよう。

サシで正面から、正々堂々と。

俺に隠していた事も含めて全てを洗いざらい話してもらう。腹を割って話すとはそういうことだ。

 

「錦山さん、そろそろ着きます」

「あぁ」

 

斎藤の運転する車は都内を出て、郊外の道へと入っていく。

入り組んだ坂道をスムーズに進んでいき、やがて車はとある場所へと停車した。

 

「着きました、ここです」

「あ?ここって……」

「会長がお待ちしてます。お早く」

「…………おう」

 

俺は言われるがままに車を降りる。

木々に囲まれた丘の上に存在するそこは、話し合いをするには不釣り合いな場所。

人生を懸命に生きた者たちが、最後にたどり着く安息の地。

 

「墓地……?」

 

それは死した者を供養し、遺骨と共に安らかに眠ってもらう厳粛な場所。

とてもこれから話し合いをする場所とは思えない。

本当にこんな所に桐生は居るのだろうか?

 

「自分は少し離れた場所に居ます。また後ほど」

「あぁ、分かった」

 

斎藤はそう言うと、車を発進させた。

ここは東城会関係者の墓も多く存在する墓地だ。

悪目立ちする訳には行かないのだろう。

 

「…………」

 

待っていても仕方がない。

俺は早速敷地内に足を踏み入れた。

砂利を踏み付けた音が靴底から響く。

そして。

 

「待っていたぞ。錦」

 

俺を呼び出した張本人は、木陰に隠れるように佇んで俺を待っていた。

 

「桐生!」

 

関東桐生会初代会長。桐生一馬。

こいつと再会するのは、関東桐生会の本部以来だ。

 

「すまなかったな錦。こんな所に呼び出しちまって」

 

桐生は出会った時と変わらない、ダークグレーのスーツを身に纏っている。

その目にはサングラスをかけているのは、正体がバレない為の工夫なのだろう。

 

「全くだぜ桐生。一体なんのつもりだ?本当に全部話す気あるんだろうな?」

「勿論だ。でもその前に……お前に見せないといけないものがある」

「見せないといけないもの?」

「あぁ。ついて来てくれ」

 

桐生はそう言うと踵を返して歩き出した。

俺も、言われるがままそれについて行く。

数々の墓石が立ち並ぶ中を歩く桐生の足取りは、何処か重かった。

 

(桐生の奴、一体何をしようってんだ?)

 

珍しく、桐生の狙いが読めない。

だが、桐生が未だ何も語らない以上俺は追随する他ない。

俺たち二人は無言のまま、ただ歩き続けた。

そして。

 

「……ここだ」

 

桐生が、一つの墓の前で立ち止まった。

俺は桐生の視線を追うように墓石に視線を向け────

 

 

 

「─────────────は?」

 

 

 

────思考が凍結した。

 

「…………………………」

 

ここに来てもなお、桐生は黙して語らない。

まるで、目の前の光景が真実であるかのように。

 

「おい……桐生…………?」

 

時が止まったかのような錯覚の中、辛うじて言葉を発する。

 

「これは……なんの、冗談だ?」

「………………………………」

「おい……桐生…………黙ってんなって…………なぁ……!」

 

声が上擦る。

膝は狂ったように笑い、額は汗を吹き出し、心臓は今にも爆発しそうな程に脈を打つ。

 

「……………………」

 

嘘だ。

こんなのは嘘だ。

有り得ない。あってはならないのだ。

だって、こんな。

 

「………………錦」

 

桐生はようやく、その重い口を開いた。

開いて、そして。

 

「…………これが……現実だ」

 

目の前の光景が真実であると俺に宣告した。

 

「……………………………………嘘だ」

 

全身から力が抜けた。

膝から崩れ落ち、両手は地面に着く。

 

「……ウソ………こんなの…………嘘、だ……!」

 

地面に着いた両手の拳を握ると、真島にやられた左手が痛みを発した。

その事実に目頭が熱くなり、視界がぼやけていく。

 

「嘘だ…………嘘だ………………!!」

 

左手に走るその痛みが。

それを知覚出来ている事実そのものが。

目の前のこれが現実である事を、これ以上ないほどに裏付けていたのだから。

 

 

 

「嘘だァァァあああああああッッッ!!!!」

 

 

 

澤村由美。

 

 

それが、墓石に記された人物の名前であり。

 

 

俺の愛した女がもうこの世に居ないという事の、何よりの証明だった。

 

 

 




次回。錦が如く。

迫られる選択

お楽しみに


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迫られる選択

最新話です。

今回、目を背けたくなるような、とある描写が出てきます(直接的な表現は避けています)

人によってはかなり抵抗がある表現かと思いますので苦手な方はブラウザバックして頂くか自己責任でよろしくお願いします。

それではどうぞ


2005年12月10日。午後14時。

郊外某所にある墓地にて、錦山は桐生と再会をしていた。

彼が桐生と再会した理由はただ一つ。

桐生が頑として話そうとしなかった真実を知る為だ。

錦山が長い獄中生活の中を鍛錬と共に生き抜く事が出来たのは、最愛の妹を救ってくれた桐生への感謝といつかそんな彼の助けになりたいと想う願いがあったからだ。

しかし、桐生の助けになる為には彼が抱えているモノや情報を知らなければならない。

だからこそ錦山は真実を知る事を強く望んでいた。

そう、望んでいたのだ。

 

「────────────────」

 

そんな今の錦山は、一つの墓石の前で両手を着いて蹲っている。

皮肉にもそれは、彼が知りたがっていた"真実"に辿り着いたが故のものだった。

 

「錦…………」

 

桐生が錦山の名前を呼ぶ。

しかし、返事が返ってくる事は無い。

 

「話……聞いてくれるか?」

「──────────」

「……………あれは今から、五年前の出来事だった」

 

それでも、桐生一馬は滔々と語り始めた。

錦山の望みであった"真実"を伝える為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2000年12月24日。

その日は年に一度のクリスマス。

俺はヒマワリの子供達へのプレゼントを持って孤児院を訪れていた。

その時、由美と優子が買い出しのために出かけると言い出してな。

俺は何かあってからでは遅いと思い、組の連中を護衛に付かせた。

今日お前をここまで送ってきた斎藤もその一人だ。

当時の桐生組は風間組の中で最も大きな派閥と規模を持っていてな。俺は勿論、組員達も滅多な事で喧嘩を吹っ掛けられる事はなくなっていたんだ。

だから、二人に危険が降かかることは無いだろうと安心しきっていた。

 

『お、親父……大変です!由美さんと優子さんが……拉致られちまいました…………!』

 

その報告を部下から受けた時は背筋が凍り付いたのを覚えている。

俺はいても立っても居られずヒマワリを飛び出して神室町へと向かった。

街にいるウチの組員はもちろん風間組内の構成員達や懇意にしているカタギ等、知っている人間全員に声を掛けて協力を仰いだ。

恥やプライドをかなぐり捨てて、方々手を尽くして無我夢中で探し回った。

そんな時に、俺の携帯に連絡があった。

シンジからだった。

 

『兄貴!二人が連れ込まれた場所が特定出来ました!』

 

その報告を受けた俺は一目散にその場所へと向かった。

神室町じゃ珍しくもない、潰れたホテルの跡地。

そこが由美と優子が連れ去られた場所だったんだ。

 

「由美、優子……今行くぞ……!」

 

ビルの中には二人を攫った連中が待ち構えていたが、俺はそいつらを全員片付けて先へと進んだ。

だが。

その先で待っていた光景に。

俺は絶望した。

 

「ぁ…………ぅ………………」

「─────!!」

 

その時俺の視界に飛び込んできたのは。

部屋の片隅で恐怖で震えて涙を流している縛られた優子。

衣服を脱ぎ捨ててベッドに乗った数人の男達。

そして。

 

「ぁ………か…………ず、ま……………」

 

そんな男たちに嬲られ、女性としての尊厳を穢され、衰弱しきった由美の姿だった。

 

「──────────────!!!!」

 

その後の事は、よく覚えていない。

だが、俺がふと我に返った時には由美を取り囲んでいた男達は全員死んでいた。

ある奴は首の骨をへし折られて。

またある奴はドスで心臓を一刺しされて。

そしてある奴は、顔と頭が完全に潰れて真っ赤になるまで殴られていた。

それをやったのが自分である事に気付いたのは、全てが終わった後だった。

 

「由美……!由美…………!」

 

俺は由美の元へ駆け寄って、アイツを抱き上げた。

体液と血に塗れ、全身を傷や痣だらけにした由美の身体は、もうとっくに手遅れだったんだ。

 

「か……か、ず…………ま………………」

 

それでも由美は、最後に俺に願った。

 

「は……はるか、と……し、しんい、ちを…………わた、し、たち、の…………こ、こども、たち、を……………おねが、い………ね…………────────────」

「由美……?おい、由美……!」

 

そして由美は。

遥と新一の未来を俺に託し、この世を去った。

 

 

 

 

「────由美ィィィいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───これが五年前のクリスマスに起きた出来事。錦。お前が知りたがっていた真実だ」

 

桐生の口から語られるエピソードを、俺はどこか他人事のような気持ちで聞いていた。

それは、紛うことなき現実逃避。

俺の心が、身体が、感情が。その重すぎる現実を受け止める事を拒絶したのだ。

ぼうっとする思考回路の中、夢でも見ているような気分に浸る。

 

「後から聞いた話だが、アイツらはその時に優子に手を出す事は無かったらしい」

「!!」

 

しかし、その言葉に俺は我に返って顔を上げた。

あまりの衝撃で失念していたが、拉致されたのは由美だけじゃない。

一歩間違えば優子も同じ目に遭っていたのかもしれないのだ。

 

「それは…………どうして、だ?」

「由美が庇ったそうだ。"自分の事はどんな目に遭っても良い。だから優子には手を出すな"と。アイツは……優子を守るために自分を犠牲にしたんだ」

「そんな…………!」

 

再び俺の心を絶望の暗雲が覆い尽くす。

優子には傷一つ付いていない。

だがそれと引き換えに、愛する女が悲惨な結末を迎えてしまったのだ。

やるせなさ、後悔、罪悪感、怒り、悲しみ、憎しみ。

あらゆる感情が綯い交ぜになるこの感覚。

それはまさに十年前のあの時。桐生を庇って懲役を食らった時の感覚、そのものだった。

 

「そして、俺は由美をそんな目に遭わせた奴を……この計画を企てた奴を絶対に許さないと心に誓った」

「誰なんだ?そんなふざけた事をしやがった黒幕ってのは……!?」

 

俺が感情のままに桐生に問い質すと、桐生は更に驚きの答えを返してきた。

 

「……世良勝。あの人が自分の出身団体である日侠連に指示を出していたんだ」

「なっ!?」

 

世良勝。

先日何者かに殺された東城会の三代目。

その男が、由美を攫って殺す事を計画した張本人だというのだ。

 

「なんだと……?世良会長が?何かの間違いなんじゃないのか?」

 

世良は風間の親っさんから極道のイロハを教えこまれた大の風間派だ。

カラの一坪事件をきっかけにのし上がったやり手の極道で、会長就任後も親っさんにだけは敬語で喋っているという話だった。

そんな世良が、親っさんや桐生の身内であるはずの由美を殺すはずが無い。

そう思った俺だったが、桐生は静かに首を振った。

 

「この件はしっかりと裏が取れている、間違いない」

「そんな…………」

「世良はある人物から由美の殺害を依頼され、その実行役として日侠連を動かしたらしい。由美を強姦したのは日侠連の連中の独断だったそうだが……今となっちゃどっちでもいい事だ」

 

桐生はそう言って眉間にシワを寄せる。

きっと事件当時の事を思い出しているのだろう。

桐生の全身から発せられる怒りのオーラがそれを物語っていた。

 

「……桐生、もう一つ聞きたい事がある」

「なんだ……?」

「遥と新一の事だ。アイツらは結局、お前の子供なのか?」

「新一……そうか。新一にも会って来たんだな」

 

桐生はサングラスを外して俺へと向き直り、ハッキリとした口調でその問いに答えた。

 

「遥と新一は紛れもなく由美の子供だ。美月と言うのは、由美がよそ行きの時に名乗っていた偽名なんだ」

「偽名、だと……?」

「あぁ。俺との関係がバレた時に危険が及ばないようにするためにその名前を名乗るべきだと、風間の親っさんが言っていてな。由美はその提案を受け入れたんだ」

 

澤村美月。

それは桐生の身内である事がバレて危険が降りかからないようにする為の偽装工作だった。

由美と美月は同一人物。

遥と新一の母親である彼女はもうこの世には居ない。

だが、そうなると新たな疑問が湧いて出てくる。

 

「ちょっと待てよ桐生。じゃあ俺が探していた"美月"は一体何者なんだ!?」

 

俺が血眼になって探していた"美月"。

本来その名前は由美の名乗っていた偽名。

しかし、由美は五年前に既に死んでしまっている。

つまりつい先日まで生きて神室町に居たはずの美月は、由美とは全くの別人という事になるのだ。

 

「あぁ、俺もそれが知りたかったんだ。美月という偽名を由美が使っていた事を知るのは風間の親っさんと柏木さん。そして今の関東桐生会における古参連中だけ。だが……」

「……今の関東桐生会のメンツに、神室町に入れる人間はいない」

「そうだ。だから俺は真相を確かめる必要があった。神室町に居る美月が、一体何者なのかをな」

 

本来存在するはずのない由美の妹、美月。

それがどんな人物であれ、桐生や関東桐生会にとって何かしらの影響を与える人物なのは間違いないだろう。

桐生としてはその身柄を早急に確保する必要があったのだ。

故に、桐生は俺に美月の事を見つけ出すように要求してきたという訳だ。

 

「そういう、事だったのか…………」

「錦……改めてお前に頼みがある」

 

桐生は改まって俺に言った。

 

「なんだよ。まさか、また俺に手を引けとか言うんじゃねぇだろうな……?」

「いや、それはもう言わねぇ。錦……お前を男と見込んでの頼みだ」

 

桐生はそう言って俺に頭を下げた。

それと一緒に右手を差し出して、こう告げる。

 

「遥と新一。二人を連れて、一緒に来てくれないか?」

「なに……?」

 

その提案は、俺にとって一番待ち焦がれていたものだった。

大恩ある桐生の力になる。兄弟分の助けになる。

出所直後の俺が目指していたモノが今目の前にあるのだ。

それも、桐生が二人の子供を護りたいと願う最高のタイミングで。

 

「遥は今、俺達ヤクザのゴタゴタに巻き込まれている。お前は知ってるかもしれないが……真島の兄さんが遥を狙っていたのも、俺を誘き寄せる為だ」

 

その一件は当然把握している。

何せ今の俺の左手はその時にやられた傷が未だに残っているからだ。

 

「遥がそうなってる以上新一の事も心配だ。もし俺の息子である事が割れたらどんな目に遭うか分かったもんじゃない。だからそうなる前に、何としても二人を俺の手元に抑えておきたいんだ」

「桐生…………」

「美月が死んだ以上、優子に関する手掛かりは白紙に戻った。だがそれも追って必ず明らかにする。関東桐生会全員、優子の居所を突き止める為に尽力すると約束する。だから……頼む、錦」

 

桐生一馬という男は出来ない約束はしない。

俺が遥と新一を連れて来れば、優子を探す為に関東桐生会の力を借りる事が出来る。

それは今の状況下において最良の選択と言えた。

 

「桐生…………」

 

力の抜けた右手を、ゆっくりと桐生の手に向かわせる。

良い意味でも悪い意味でも、この手を取ることは俺にとって間違いなく一つのターニングポイントになるだろう。

 

「っ!」

 

しかし、桐生はすんでの所でその手を引っ込めた。

一瞬 何をしたいのか分からなくなった俺だが、直後にその理由は明らかになる。

 

「お久しぶりですね…………桐生の叔父貴」

 

突如として真横から聞こえたその声は、俺にとって聞き馴染んだモノだった。

ゆっくりと声のした方に顔を向ける。

 

「お……お前は……!?」

 

白いスーツにショートリーゼント。

貫禄の着いた眼差しを持つその男の手には、鞘に収まった刀が握られている。

そしてその背後には、彼の部下らしき男たちが複数人待ち構えていた。

間違いない。

ソイツは、俺の弟分。

十年の間に幹部にまで上り詰めていた男。

 

「新藤!」

「お疲れ様です……兄貴。ご無事そうで何よりだ」

 

任侠堂島一家若頭。新藤浩二。

今や風間組や嶋野組に勝るとも劣らない程の勢力を獲得した東城会の二次団体。

そのNo.2である新藤が、大勢の部下を引き連れて現れたのだ。

 

「どうしてここが……?」

「兄貴には申し訳ないのですが、後をつけさせて頂きました。桐生の叔父貴に会いに行ってたのは想定外でしたがね」

 

俺は内心で舌打ちをした。

尾行には警戒をしていた筈だったのだが、どうやら俺が甘かったらしい。

 

「……俺の命を狙ってんだな?」

 

任侠堂島一家は、俺に親を殺された旧堂島組の連中が徒党を組んで出来た組織だ。

松金組の羽村に対して俺を襲うように指示を出したのも、任侠堂島一家だ。

そんな松金組が俺と同盟を組んだとなれば、いよいよ本家が出てもおかしくない。

 

「いいえ、今の俺達が狙っているのは兄貴じゃありません。桐生の叔父貴の方です」

「は?」

 

しかし、新藤は首を振った。

今の自分達の狙いは俺ではなく桐生の方だという。

かつての親を殺した俺を差し置いて、桐生を任侠堂島一家が狙う理由など存在するのだろうか?

 

「なんだと?」

「フッ……この後に及んでしらばっくれるのはやめてくださいよ。桐生の叔父貴」

 

新藤の背後にいる部下たちが一斉に得物を取り出し、それぞれ構えた。

彼らからは、桐生に対する明確な殺意が見て取れる。

 

(俺ではなく桐生に向けられた殺意……まさか……!!)

 

そこで俺は思い至った。

任侠堂島一家が桐生に殺意を向ける理由。

それは、俺だけが認知している筈だった出来事。

 

「桐生の叔父貴……まさかアンタが堂島の親父を殺った真犯人だったとはね!!」

「なっ……!?」

 

宣言する新藤と驚愕する桐生。

ついにこの時が来てしまった。

俺だけが知っているべき真実に、桐生が晒されてしまうこの時が。

 

「どういう、事だ……?」

「警察関係者からのタレコミがあったんですよ。十年前の堂島組長殺害の一件で押収された拳銃の証拠品から、錦山の兄貴以外の指紋が検出された、とね」

 

十年前のあの事件において迅速な解決を願った当時の神室警察署の刑事たちは俺を犯人とする事で決着を付けようとしていたが、その中で伊達さんだけが綿密な捜査の末に"弾の線条痕が違う"という点に辿り着き、俺の取り調べの時にそれを指摘していた。

それを聞いた俺は確信していたのだ。

堂島組長を殺った弾丸は、桐生の持つ拳銃から発射されたものであると。

そして、俺は桐生へ罪の追求が行かないように決してそれを口外することは無かった。

それはまさに、俺だけが知っている真実。

神室警察署の杜撰さが引き起こした、俺にとって都合のいい誤算だった。

 

「なんで、今になって……?」

 

俺は今日この日まで、この事を誰にも打ち明けずにいた。

実刑判決を受けた俺が懲役に行って、刑期を終えて帰ってきた今になってそれが掘り起こされると言うのは考えにくい。

それこそ、警察上層部に何かしらの圧力が無ければ成立しないだろう。

だが、それに対して新藤は首を振った。

 

「さぁ、俺もそこまでは分かりません。ですが……"桐生の叔父貴が堂島の親父を殺した"。これは、紛れもない事実です」

 

そう言って新藤はその手に持った刀の柄を握り、勢いよく刀身を抜き放った。

鈍色の刃が鋭く輝き、そこに秘められた純然たる殺意を露わにする。

 

「桐生の叔父貴……俺ぁ、貴方に恨みはありません。むしろ、貴方が東城会に居た時にはお世話になった事もありました。なので本当はこんな事したくないのですが……俺も極道の端くれ。上の命令には逆らえません」

「新藤……お前……」

 

ふと新藤は、僅かに俺に視線を向ける。

その目は、俺が今まで見たことの無い感情を讃えていた。

 

「新藤……?」

「……兄貴」

 

まるで何かの希望に縋り付くような、そんな目だった。

何故今そんな目をするのか。

それは。

 

「これでもう、俺たち任侠堂島一家は……いや、東城会は兄貴を狙う事はしません。東城会にとっての敵は、桐生の叔父貴だけなんです。ですから…………こっちに来てください、兄貴」

「!!」

 

それは、至極簡単な事。

新藤は俺が東城会に戻ってくる事を望んでいたのだ。

十年以上前から、こんな俺の事を"兄貴"と呼んで慕ってくれた数少ない弟分の一人である新藤。

そんな新藤にとって、俺というかつての兄貴分と今いる組織との板挟みになっている今の立場は、辛く苦しいものであったのだとその表情が物語っていた。

 

「東城会に戻って下さい。そしてもう一度やり直しましょう。俺達と一緒に……!」

「新藤……」

 

間違いない。新藤は本気だ。

本気で俺の身を案じ、本気で俺を救おうとしてくれている。

東城会に戻り、再び極道として復帰する未来がそこにはあった。

 

「桐生、俺は……!」

「…………………………」

 

俺は堪らず桐生の方を振り向く。

この局面において、桐生は何も語らない。

伝えるべき事は伝えた。あとを決めるのはお前だと言わんばかりに、ただ真っ直ぐに俺を見つめている。

 

(桐生……お前…………)

 

桐生は俺の答えを尊重してくれるのだろう。

俺がたとえどんな選択をしたとしても、コイツはきっと文句を言わない筈だ。

味方になるなら力を貸し、敵になるならたとえ俺でも容赦はしない。

どんな結果になったとしてもあるがままにそれを受け入れ、己のやり方に従ってそれらに応える。

それが、桐生一馬という男の在り方なのだから。

 

「さぁ、兄貴。そこをどいてください。そして願わくば……共に加勢して頂きたい」

「新藤…………」

「正直な所、俺達だけじゃ叔父貴を殺れるか心配なんです。ですが兄貴が居れば話は違います。お願いします、兄貴」

 

対する新藤は、東城会に戻る為に自分たちに加勢する事を要請してくる。

今や桐生は任侠堂島一家だけではなく、東城会の敵そのものだ。

今後、俺に今まで向けられていた矛先のほとんどが桐生に向けられると考えるとその凄まじさに実感が湧く。

今 俺は、重要な選択を迫られていた。

 

(俺は……俺は…………)

 

桐生と新藤。

関東桐生会と東城会。

幼き頃から共に過ごした親友と俺を慕い付いてきてくれた弟分。

 

「兄貴……!」

「錦……」

 

どちらかを選び、どちらかを裏切る。

突如として迫られた選択に。

俺は───────────




錦山彰の明日はどっちだ。


次回もよろしくお願いします


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BREAK OFF

最新話です。

錦山の選択は、これだ。


2005年12月10日。

東京郊外にある墓地で、俺は今後の人生を左右するであろう重大な選択を迫られていた。

 

「錦…………」

 

俺の隣にいるのは関東桐生会初代会長。桐生一馬。

ガキの頃から共に過ごして来た無二の親友であり、元渡世の兄弟分。

つい先程、俺はそんな桐生から頼まれ事をされたばかりだ。

彼が愛する二人の子供を東京から連れ出し、関東桐生会に合流して欲しい。それが桐生の願いだった。

 

「兄貴……!」

 

しかし、そこに待ったをかける男が居る。

新藤浩二。今や関東桐生会と敵対関係にある"東城会"に所属するヤクザだ。

彼もまた、俺にとっては大切な存在。

こんな俺の事を、兄貴と呼んで慕ってくれたかけがえのない弟分。そんな新藤は俺に、東城会に戻ってくる事を望んでいた。

 

(どうする…………?)

 

ここで桐生の手を取れば、東城会との対立は決定的なモノになる。

せっかく同盟を組んだ松金組の協力も得られなくなるかもしれない。

そればかりか、風間の親っさんの立場が悪くなる可能性もある。

だが、俺がここで桐生と対峙してしまえば遥や桐生の息子である新一はどうなる。

仮に東城会がもう俺の身柄を狙う事をしないと言っても、100億の鍵を握る遥や桐生の息子である新一はその限りでは無い筈だ。

 

「──────チッ、仕方ねぇな」

 

悩んだ末に、俺は結論を出した。

俺は新藤達に向き直り、桐生に背中を向ける。

その行動に新藤は目を見開いた。まるで信じられないものを見ているかのように。

 

「あ……兄貴……?」

「すまねぇな、新藤。こいつが……俺の答えだ」

 

俺はファイティングポーズを取り、背後にいる桐生に振り向かずに声をかけた。

 

「桐生、お前は行け!ここは俺に任せろ!」

「錦……!」

「蛇華との一件があるんだろう?お前は早く組に戻るんだ!急げ!!」

「……すまねぇ!」

 

桐生はそう言ってその場から走り去る。

もしも無事なら少し離れたところに車に乗った斎藤が待っている筈だ。

 

「逃がすな、追え!」

「「「「へい!」」」」

 

対する任侠堂島一家の連中は、新藤の指示に従い桐生の後を追いかけて行った。

これで、今この場にいる極道は俺と新藤だけとなった。

 

「兄貴…………本気なんですね?」

「当たり前だ。今の俺には、自分の渡世なんかよりも大事なモンがある」

 

俺の脳裏に浮かぶのは遥と新一の顔だ。

母親を失い、悲しみに暮れる二人の顔。

二人が危険に晒されるのを防ぎたいのは勿論だが、もしも桐生の身に何かがあればアイツらは二人の親を失ってしまう事になる。そんな事は許さない。

そんな悲劇を、俺は断じて認める訳にはいかないのだ。

 

「それを護る為なら俺は、どんな奴とだってやり合ってやる。それが新藤……お前であってもな」

「……そうですか。それなら仕方がありません」

 

もはや言葉は不要。

新藤は鞘を放り捨て、日本刀を両手でしっかりと握り上段に構える。

対する俺もまた両手の拳を握った。

包帯の巻かれた左手に痛みが走るが、最早そんなことは言ってられない。

刀を持った新藤相手に、余裕ぶってなど居られないのだ。

 

「兄貴……覚悟は良いですね?」

「あぁ、いつでも来やがれ」

 

俺と新藤。互いの殺気がぶつかり合い、その場の空気が張り詰めていく。

そして。

 

「行くぞ……錦山ぁぁぁ!!!」

 

東城会直系任侠堂島一家若頭。新藤浩二。

かつての弟分を相手に、本気の殺し合いが幕を開けた。

 

「フッ!」

 

まずは挨拶がわりと言わんばかりに一歩踏み込んだ新藤の刀が、真っ直ぐに振り下ろされる。

文字通り風を斬って襲いかかる一太刀を、俺は後ろに飛び退いて躱した。

 

「でぇぇやぁ!!」

 

しかし、それで終わる新藤ではない。

下段に下がった刃を翻し、続きざまに"切り上げ"による追撃を仕掛けてくる。

 

「チッ!」

 

その刃もギリギリ躱す事に成功するが、新藤は既に次の動作に入っている。

狙いは恐らく右側から左側にかけての"袈裟"斬り。もしくは真横からの"薙ぎ"だろうか。

 

「ラァッ!」

 

だが、いつまでも避けてばかりでは埒が開かない。

俺は新藤の踏み込みよりも早く地面を蹴って、あえて近い間合いに飛び込んだ。

このままでは一瞬の後に、俺の上半身と下半身は泣き別れる事になるだろう。

だがこの距離は新藤の刃が当たるのと同時に、俺の手も十分届く距離だ。

 

「ぐっ!?」

 

俺は刀を握る新藤の両手を右手で押さえ込んだ。

振り抜かれるはずの刃を未然に防がれたことで、新藤が無防備のまま隙を晒す。

 

「オラァ!!」

 

そして当然、その隙を逃す俺じゃない。

新藤のガラ空きになった顔面に左のストレートを叩き込む。

殴った瞬間に左手の傷が熱を帯びるが、そんな事はお構い無しだ。

 

「どりゃァ!!」

 

鼻っ柱を叩かれた新藤が怯んだ隙を突き、腹部に膝蹴りの追撃を喰らわせる。

しかし、新藤も素直にやられっぱなしじゃいてくれない。

 

「ぬりゃあ!」

 

両手で持った刀を片手に持ち替えて力任せに振り回す。

 

「ぐっ……!」

 

だが、近接戦闘においてはそれだけで十分な脅威だ。

拳や蹴りよりもリーチが長い上に、当たればほぼ即死。

一応、古牧流の技に対日本刀持ちを想定した技もあるのだが、新藤も易々とそれを狙わせてはくれない。

ハッキリ言ってチャカ持ちの方がまだやりようはあるくらいだ。

 

「うぉぉぉぉおおおおお!!」

 

その後も、新藤の剣は明確な殺意をもって俺を襲ってきた。

上段の構えから振り下ろされる"唐竹"を始め袈裟斬りや逆袈裟など、様々な角度から刃を振るってくる新藤の攻撃に俺は回避行動を余儀なくされていた。

同じ刃物で言うと真っ先に脳裏に浮かぶのは真島吾朗のことだ。

あの男のドス捌きはスピードが早い上に不規則な軌道で襲いかかってくるので、それと比べれば動き自体は単調なのだが如何せん一振りの殺傷力が桁違いだ。

一つでもタイミングを誤れば俺の命はない。となれば、踏み込む隙も自然と少なくなるというもの。

 

(アレを抜くしか無いのか……?)

 

しかし、この状況を打破する手がない訳では無い。

俺には以前、跡部組の親っさんから貰い受けた長ドスがある。

アレを使えば、互角とまでは行かないにしても新藤の持つ日本刀とある程度は渡り合える筈だ。

少なくとも防戦一方のこの状況に活路を見い出す事は出来る。

 

(だが……!)

 

それを手に取ると言うことは、新藤に対して明確な殺意を向けるということ。

新藤を。俺を慕いついてきてくれた弟分を、この手にかける事を覚悟するということに他ならない。

 

「っ!」

 

やがて、何度目かの回避行動の後に俺はその場を転がるようにして距離を取った。

こちらの攻撃も、新藤の斬撃も届かない程の距離。

 

「どうしたんですか兄貴。逃げ回ってばかりいて、勝てるとでも思ってんですか?随分とナメられたもんですね」

「……」

「……まさか、この後に及んで俺を殺れねぇなんて言うつもりですか?」

 

新藤の放つ殺気がどんどん膨れ上がっていく。

その顔にあったのは、俺が今まで見た事も無いような怒りの表情だった。

 

「ふざけてんじゃねぇぞ錦山ァ!!俺はアンタがこっちに戻って来ねぇと決めた瞬間から、とっくに腹ァ括ってんだよ!今更下らねぇ情けなんざ掛けんじゃねぇ!!」

「新藤……お前……」

「アンタに俺を殺る覚悟がねぇってんなら……俺が手ずから引導を渡してやる!テメェみたいな半端者は、もう俺の兄貴なんかじゃねぇ……!!」

 

新藤はそう叫びながら、刀を上に振り上げた。

そして、両腕を上げたままの姿勢で固定する。

大上段の構え。予め刀を持った腕を上にあげることで振りかぶるという動作を短縮し、最速で刃を相手に振るう事を可能とする構えだ。

相手がどんな行動を取ろうと、間合いに入った瞬間に振り下ろされればどんな回避行動も間に合わない。

頭から真っ二つだ。

 

「…………」

 

俺はつくづく自分の半端者っぷりに嫌気が差す。

新藤を裏切り、東城会そのものを裏切った今。

もはやコイツと対峙する以外に道は無い。

にも関わらず、俺は新藤を殺したくないと思っている。

俺にとってコイツは、今でも大事な弟分なんだ。

 

「スーッ……フゥー…………────────」

 

俺は深く息を吸って、静かに吐いた。

呼吸を整え、脱力し、全身の筋肉と精神を平常に保つ。

そして。

 

「────分かった」

 

俺は覚悟を決めた。

静かに懐から長ドスを取り出す。

木製の柄をしっかりと握り、同色の白鞘からゆっくり刃を引き抜く。

職人の技が光る美しい刃紋を帯びた銀色の刃が顕になり、射抜くかのような鋭い輝きを放つ。

 

「もう……逃げ回んのはしめぇだ」

 

俺はドスを持ったままゆっくりと腰を落とし、左半身の構えを取る。

正拳突きの要領で右手に持った刃を突き出すための構えだ。

 

「こっからは本気でやらせてもらう。テメェの覚悟が本物か……見せてみやがれ」

「───上等だ……!」

 

いよいよ新藤の放つ殺気が最高潮に高まる。

アイツは今、間合いに入り込んできた俺に刃を振り下ろす事しか考えていないはずだ。

だが、そこに付け入る隙がある。

 

「───行くぞ」

 

短く言って、俺は右足で地面を蹴った。

静から動。脱力からの急激な緊張によって俺の身体が爆発的な瞬発力を生み出す。

 

「ッ!!」

 

それとほぼ同時に、新藤の身体が手にした刃で俺を捉えようと僅かに力む。

一秒後に俺の身体はロケットのように飛び出して行き、新藤にドスの刃が届くリーチへとたどり着くだろう。

しかし現実には、ドスの刃が到達するよりも早く新藤の刀が振り下ろされ、俺は呆気なく斬り殺される。

だが。それはあくまでこのままでは、の話だ。

ならば俺は。

そうならない為の手を打つまでの事。

 

「シッ!!」

 

歯の間から鋭く息を吐き、俺は右手を真っ直ぐに突き出した。

右足の踏み込みで発生した運動エネルギーに肩や腰を連動させて繋げていき、俺の身体が前に飛び出るのと同時にドスを持った手で正拳突きを放つ。

ただし、新藤に届く間合いの遥か外で。

 

「───!?」

 

だが、スローモーションにさえ感じる視界の中で新藤の顔が驚愕に染まるのを俺は見逃さなかった。

流石の反射神経で僅かに顔を逸らして、自身の顔面目掛けて飛来する"それ"をやり過ごす。

だが。その一瞬こそが俺の待っていたもの。

振り下ろすだけの筈だった新藤に生まれた、明確な隙。

 

「な、っ!?」

「遅せぇ!!」

 

我に返った新藤の刀が振り下ろされ始める。

だがその時には既に俺の身体は完全に自分の間合いに入っていた。

俺の方が一手早い。

 

「ぐぁっ!?」

 

懐から引っ張り出した勢いのままに、新藤目掛けてスタンバトンを振り抜いた。

新藤の手首を直撃したシャフトが衝撃に反応して高圧電流を流し込む。

何かが弾けるような音が響き渡り、新藤の手から日本刀が滑り落ちた。

 

「せいやァ!!」

「がっ───!?」

 

新藤が無防備になった直後を狙い、俺は追撃の左ハイキックをぶちかます。

全力で放った一撃は側頭部を蹴り抜き、新藤の身体を薙ぎ倒した。

 

「ぐ、っ……」

 

こめかみを捉えた俺の蹴りは、新藤から平衡感覚を奪い去っていた。

満足に立ち上がる事も出来ず、ただ地面を這うことしか出来ない新藤。

この勝負、俺の勝ちだ。

 

「て、テメェ……!」

 

恨みがましく俺を見上げる新藤。

新藤は思っていた筈だ。俺が真っ向から突っ込んでドスを突き刺してくると。

俺はそんな新藤の予想を裏切ったのだ。

 

「言っただろ。本気でやらせてもらうってな」

 

俺は踏み込んだ直後、新藤の懐に飛び込むよりも前に手にしたドスを投げ放っていたのだ。

右手で掌底の形を作り、そこでドスの柄頭を押すようにして前に突き出す。

するとただの刃物でしかないはずのドスは生み出された運動エネルギーのままに前へと飛び出すので、立派な飛び道具として昇華するのだ。

新藤は咄嗟にそれを避けたが、想定外の事が起きると人間は思考と行動に空白が生じる。

後はその隙を狙ってスタンバトンの一撃を両手に叩き込む事で新藤の持つ脅威である日本刀を無力化し、全力のハイキックでトドメを刺す。

これが俺の本気。

目的の為ならばあらゆる手を尽くす、俺のやり方だ。

 

「クソ、が……!」

「…………」

 

俺は新藤が取り落とした日本刀を拾い上げる。

先程のドスよりもずっしりとした重みが手に伝わる。

それは、十年前に俺が堂島組の事務所に踏み込んだ時に持ち込んだ拳銃の重さに酷く似ていた。

 

(新藤……)

 

その重さは、言わば覚悟の証のようなものだ。

これだけのものを本気で振り回すには、相手を殺す覚悟が無ければ務まらない。

腹を括った新藤は、本気で俺を殺す覚悟を決めてこれを振るっていた筈だ。

ならば俺も、それなりの覚悟を見せなければならない。

 

「…………!」

 

新藤の顔が強ばっていく。

自分に訪れる末路を察したのだろうが、その目は決して負けを認めていない。

確かに正々堂々とした闘いとは言えないかもしれないが、新藤が挑んできたのは喧嘩ではなく殺し合いだ。

そんな勝負には道理も何もありはしない。

敗者に待つのは不条理な死のみ。

 

「…………」

 

───刀を静かに振り上げる。

ならば俺は。

 

「っ!」

 

───柄を握る手に力を篭める。

その権を握った勝者としての役目を。

 

「─────!!」

 

 

 

 

───正々堂々と放り捨ててやる。

 

 

 

 

「なっ」

 

俺が腕を振ったのと同時に、新藤の口からそんな声が洩れた。

振り下ろされるのを覚悟していたはずの刀を、俺が放り投げたからだ。

鋭い金属音を立てながら新藤の日本刀が地面に突き刺さる。

 

「…………」

 

俺は新藤を軽く見下ろしたあと、その場から離れた。

スタンバトンのシャフトを畳んで懐に戻し、投げ放ったことで地面を転がったドスの元へと歩いていく。

 

「ま……待て……!」

 

背後から聞こえる新藤の声に振り向かず、俺はドスを拾い上げた。

白鞘に刃を納めてスタンバトンと同じく懐にしまう。

 

「どういう……つもりだ……!?」

「…………」

 

新藤の声には困惑が宿っている。

返り討ちに遭って殺される筈だった自分がトドメを刺されなかったのだ。無理もない。

だが、俺は相手に情けを掛けたわけじゃない。

これは徹頭徹尾。俺が"そうしたいだけ"のワガママなのだ。

 

「……新藤。確かに俺は半端者だ。東城会を敵に回したかと思えば、松金の叔父貴と手を結んで。桐生に手を貸すかと思えばアイツの事を疑って……結局これじゃ服役前と何も変わらない。あちこちに媚び売ってやりくりしながらどっちつかずな現状を作り出していた頃と同じだ」

「…………」

「でもな……こんな俺にも、護りてぇもんが出来たんだ。その為だったら……俺のこの命、いくら張っても惜しくはねぇ。」

 

遥と新一。

俺の愛した女の忘れ形見たち。

100億を取り巻くヤクザ達は今、俺と桐生から由美を奪っただけじゃなく、アイツらの事まで危険に晒そうとしている。

それだけは何としても阻止しなくちゃならないのだ。

 

「新藤、組の連中に伝えとけよ。今後、桐生や遥たちを狙う事があれば容赦はしねぇ。こっちも殺す気でやらせてもらうってな……!」

 

それだけ言って俺はその場から立ち去ろうとした。

しかし。

 

「錦山の……兄貴……」

 

背後から聞こえてきた新藤の声に、思わず立ち止まってしまう。

全く締まらない。結局俺はここで甘さが出る。

新藤に対する情を捨てきる事が出来ない。

本当に俺は半端者だ。

 

「…………まだ、こんな俺を兄貴って呼んでくれんだな」

 

だが、迷っている暇は無い。

こうしている今も、新藤たち東城会は遥を狙っている。

治外法権とされる賽の河原にいるとはいえ、油断はできないのだ。

だから。

 

「今まで、ありがとうな…………新藤」

「───!!」

 

俺を慕ってくれた弟分に、嘘偽りない感謝を述べる。

息を飲むような音がしたのを振り切るように、俺はその場から走り去った。

どっちつかずな俺が覚悟した───"半端者なりの意地"を胸に抱いたまま。

 




次回は断章です。

今後ともよろしくお願いします


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断章 2000年
龍の逆鱗


最新話です

ここまで急ピッチで進めてきた本作ですが、だいぶ時間が空いてしまいました。
ですが、本来は細々とやっていく予定でしたのでこれくらいがちょうど良いのかなと思ったりもします。

それでは、どうぞ


2000年12月25日。

都内某所に居を構える一つの巨大な屋敷があった。

東城会本部。

総勢2万5000人の極道者を束ねる広域指定暴力団 東城会の総本山だ。

葬儀幹部会などの行事が盛んに行われる他、会長の住居としても機能している。

そんな東城会本部の正門では現在、黒服を着た二人の男が門番を勤めていた。

 

「ふぁぁ…………暇だなぁ」

「おい、欠伸してんじゃねぇよ」

 

気の抜けたような欠伸をする男をもう一人の男が窘めるが、欠伸をした黒服は悪びれる様子はない。

 

「いいじゃねぇかよ。どうせ何も来やしねぇんだ」

 

ここ連日、東城会はこれといった抗争も抱えておらず平穏な日々が続いている。

東日本最強の極道組織と言えど、こうも平和ボケをするような毎日が続けば毒も抜かれるというもの。

 

「まぁ、気持ちは分からんでもないがな。何せ今の東城会は桐生組長のお陰で誰も手が出せねぇ」

「あぁ。桐生組長さえいりゃ、あの近江連合でさえウチらには強気に出れないんだ」

 

"堂島の龍"。桐生一馬の名前は今や日本中の極道に知れ渡っている。

あらゆる伝説を作ってきた彼の功績は眩い程の威光を放ち、数多の男たちを恐れ戦かせているのだ。

その結果、現状として誰も東城会に手を出せない状況が出来上がったという訳である。

 

「暴対法の煽りで先細りかと思っちゃいたが……この国のヤクザもまだまだ捨てたもんじゃねぇなぁ」

「ハハッ、違いねぇ」

 

軽口を叩き合う二人の黒服。

彼らはまだ知らない。

この直後、一台の車が彼らの守る正門に突っ込んでいく事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。東城会本部 応接室。

そこには今、二人の男が居た。

 

「何やったか分かってんですか……?三代目」

 

杖を着いた中年の男が、鋭い眼差しでもう一人を睨み付ける。

東城会直系風間組組長。風間新太郎。

桐生や錦山の育ての親であり、もっとも次期組長に近いとされる男である。

 

「風間さん……」

 

そんな風間に対しバツが悪そうに顔を伏せる男。

彼の名は世良勝。東城会の三代目会長にして、東日本における極道社会の最高権力者だ。

本来であれば彼の方が風間よりも立場が上だが、かつて世良に極道のいろはを教えたのは風間であり、その尊敬の念から世良は現在も風間に対しては敬語を使って話している。

 

「こんな事をして、アイツが黙っているとでも思うんですか?三代目だって、知らなかった訳じゃないでしょう?」

 

風間は口調にこそ礼節を払っているが、その奥には燃え滾るような怒りを滲ませている。

かつて"東城会一の殺し屋"と言わしめた極道である風間の圧力に、世良は息を飲んだ。

下手な事を言えば殺される。

そう直感した世良だったが、彼の背負った東城会の三代目と言う看板が世良自身を律する。

 

「風間さん。これは……あの男との、約束だったんです」

 

世良は正直に告白する。

これは必要な事だったと。

だが、それは風間にとって容認し難い回答だった。

 

「女子供を犠牲にしてまで、守らなきゃいけない約束ですか……?」

 

杖を握る手に力が籠り、目尻が上がっていく。

 

「……」

 

そこで言葉を失う世良に対し、ついに風間は激高した。

 

「───そんなもんがある訳ねぇだろう!!」

「っ!」

 

世良の額から滝のような汗が吹き出てくる。

風間の鬼気迫る気迫には、東城会の三代目である世良も圧倒される他なかった。

 

「風間さん……」

「由美は……あの子は俺が育てた娘みたいなもんだ。それを知らないわけじゃねぇだろう?」

「……えぇ」

「極道にとって親の命令は絶対。それがたとえテメェの子を見殺しにしろってモノであってもだ。でもな……アイツにその理屈は通じねえ」

 

己の抱く怒りを二の次にしてまで、風間は告げた。

事態がいかに深刻であるかを。

状況がいかに最悪であるかを。

そして何より、その引き金を世良が引いてしまった事を。

 

「つまり風間組は……いや、東城会は"堂島の龍"を失う、と?」

「……それで済めば良いがな」

 

そんな風間の言葉を裏付けるかのように、彼らの居る応接室が外側から強くノックされた。

 

「入れ」

「か、会長!大変です!」

 

世良が入室を許可した直後、本部所属の構成員が血相を変えて入ってきた。

その顔には恐怖と緊張が張り付いている。

 

「どうした?」

「き、桐生組長が……!!」

 

噂をすれば何とやら。

早速桐生に動きがあった事を悟った世良は、その直後に衝撃的な報告をした。

 

「───桐生組長がカチコミをかけて来ました!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東城会本部正門前。

常に黒服を着た二人の門番が目を光らせているはずのそこは今、これ以上無いほどに無防備な姿を曝していた。

 

「…………──────」

「ひ、ひぃっ!?」

 

突っ込んできた車に跳ね飛ばされてそのまま動かなくなってしまった男を見て、もう一人が腰を抜かしている。

 

「………………」

 

そんな男たちを意に返さず、本部敷地内へと突っ込んだその車は急ブレーキと共に停車し、車内の人物がゆっくりと車を降りた。

車の中から現れたのは、威圧的な佇まいをした大男。

彼もまた門番たちと同じ東城会の極道である。

しかし、今日の彼は様子が違う。

トレードマークだったグレーのスーツの袖は返り血で真っ赤に汚れ、彫りの深い顔立ちは彼の内側で暴れ狂う真っ赤な怒りとドス黒い憎しみによって更なる強面と化している。

 

「待っていろ……世良…………!!」

 

東城会直系風間組若頭補佐。桐生一馬。

つい数分前まで門番達が話をしていた、日本の裏社会においてその名を知らぬ者は居ないとされるほどの伝説の極道だ。

 

「そこまでです、桐生組長」

 

屋敷へと近づく桐生だったが、彼の前に五人の男達が立ち塞がった。

そのいずれもが白い服に身を包み、各々別のデザインの仮面を着けている。

桐生はそんな彼らの姿に既視感を覚えた。

 

「日侠連……!!」

 

東城会直系日侠連。現三代目会長の世良勝の出身団体であり、表沙汰に出来ない汚れ仕事等をこなしている東城会の暗部組織だ。

かつて起きた"カラの一坪事件"では風間の思惑で桐生達に協力した事もあるのだが、今の桐生にとって日侠連は憎むべき敵でしかない。

 

「三代目からの伝言です。今すぐ────」

「うるせぇ!!」

 

男の言葉を遮り、桐生が激情のままに叫び声を上げた。

今の桐生に、彼らの言葉を聞く意思は欠片も存在しない。

 

「お前ら雑魚に用はねぇんだ。退かねぇならここでぶっ殺してやる!!」

「っ、殺れ!」

 

桐生の全身から溢れ出る殺気を敏感に感じ取った日侠連が一斉に拳銃を抜くが、その時にはもう全てが遅かった。

 

「オラァ!!」

 

瞬く間に肉薄された一人目が、右ストレートで仮面ごと顔面を打ち砕かれる。

あまりの威力に吹き飛ばされた一人目が東城会の本部屋敷の扉にぶつかり、勢いのままに扉が開かれた。

 

「この!」

 

真横にいた二人目がすかさず拳銃を向けるが、彼が発砲するよりも桐生が二人目の手首を掴みあげる方が早かった。

 

「ぎゃあああああああ!?」

 

桐生はいとも簡単にその手首をへし折ると、その手に持った拳銃を容易く奪い取った。

残る構成員達が一斉に桐生に銃を向ける。

 

「がふ、っ────」

 

複数の発砲音が重なって本部内に響き渡った。

その結果、吐血する男が一人。

桐生が拳銃を奪った二人目だった。

 

「なに!?」

「ウラァァァ!!」

 

二人目を肉壁として弾丸から身を護った桐生は、奪い取った拳銃を躊躇いなく発砲した。

乾いた銃声が連続で鳴り響き、残る男たちが一様に無力化される。

 

「ひぃ、ぎゃあっ!?」

 

桐生は拳銃を放り捨て、男の腕を背後から捻り上げた。

関節が砕ける音を聞いた桐生は、背後から声をかける。

 

「言え。世良は何処にいる?」

「な、はっ……?」

「……何処にいるのかって聞いてんだ!!」

 

桐生は理解が追いつかない二人目の腕を更に捻り上げて肩から腕をへし折った。

絶叫をあげる男をうつ伏せになるように押し倒して、更に問いかける。

 

「話さねぇなら次は首を折ってやる。言え」

「────!!」

 

有無を言わせぬ迫力と"本当に殺られる"という恐怖感から、男はついに世良の居場所を告白した。

 

「に……二階の、お、応接室に…………」

「…………」

 

必要な情報を聞き出した桐生は男を捨ておき、足早に邸内へと足を踏み入れる。

中は騒ぎを聞き付けた黒服で溢れかえっており、先程桐生が吹き飛ばした男を安全な場所へ下がらせようとしている最中だった。

 

「き、桐生!」

「テメェ……!」

「どういうつもりだ!?」

 

殺気立ったヤクザ達が一斉に桐生を取り囲む。

並の男であればこの時点で戦意を失い命乞いをするか敗走するのが関の山だ。

しかし、今日ここまでたどり着いた男 桐生一馬はたとえ相手が100人居ようと決して退く事は無い。

 

「お前らに用はない…………そこを退け」

 

それでいて無謀な弱者でも、気の狂った愚者でもない。

この戦力差を単独で覆す程の力を持った、圧倒的強者に他ならないのだ。

 

「さもなきゃ……お前ら、皆殺しだ……!!」

「「「「「────!!?」」」」」

 

故に。

それほどの人物の放つその言葉は、決してただの威嚇ではない。

この男の往く道を阻んだ先に起こりうる、必然である。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

結果。

一人、また一人と黒服のヤクザ達が道を開け始める。

親の為なら喜んで命を投げ出すはずの極道が、あろう事か親の命を狙う不届き者を無抵抗のまま素通りさせるという暴挙に出たのだ。

 

「それでいい……通してもらうぜ」

 

しかし、それは詮無き事。

彼らの前にいるのはただの極道に在らず。

ましてやただの男でも無し。

逆鱗に触れられ怒り狂った────紛れもなき"龍"の化身に他ならない。

只人の身で、敵うこと能わず。

 

「…………!」

 

そして、程なくして桐生はたどり着いた。

東城会本部応接間。

五年の後に出所した彼の兄弟分が、育ての親と再会を果たすその場所に。

 

「世良ァァァあああああああ!!」

 

勢いよく扉を蹴破り、中へと足を踏み入れる桐生。

そんな彼を待ち受けていたのは二人の男。

 

「一馬……!」

「…………」

 

孤児だった桐生の育ての親であり、今では渡世の親でもある風間新太郎。

そして、桐生が今一番探していた男である東城会三代目会長。世良勝だった。

 

「世良……!!」

 

殺意を漲らせ、世良に一歩迫る桐生。

しかし、それを遮るべく立ちはだかったのは他でもない。

風間新太郎だった。

 

「待て、一馬!」

「……!!」

 

敬愛する親分の顔を認識した事で一瞬だけ我に返った桐生だったが、直ぐにその顔を怒りで染め上げる。

 

「邪魔しないでくれ、親っさん。俺が用あるのは世良だけだ」

「一馬……命令だ。今すぐ引け」

 

さらに怒りを募らせる桐生だったが、風間はそんな彼に対して毅然とした態度を崩さない。

それどころか風間もまた、内に秘めた極道としての性を解き放とうとしている。

 

「そっちこそ退いてくれ親っさん。アンタが退いてくれなきゃ、後ろに居る腐れ外道とおちおち話も出来やしねぇ」

「"桐生"!……てめぇ、三代目に向かってなんだその口の聞き方は?」

「いえ、良いんです。風間さん」

 

互いに一歩も譲らずにヒートアップしていく二人を制したのは、今しがた話題に上がった世良だった。

 

「世良……?」

 

真珠色のスーツを着用した気品溢れる佇まいの世良は風間を庇うように前に出ると、剥き出しの殺意を向けてくる桐生に対して真っ向から立ち向かう。

 

「何か俺に言いたいことがあるらしいな、桐生」

「あぁ、そうだ」

「言ってみろ」

 

世良の言葉に対し、桐生は懐から何かを取り出すと世良に向かって投げ渡す。

反射的に受け取った世良の手が掴んだモノは、彼にとって見覚えのあるものだった。

 

「コイツは……」

 

白い能面。

彼の出身団体でもあり直属組織でもある"日侠連"の構成員が任務を遂行する際に正体を隠す為に顔に着ける代物だ。

しかし、その表面は血痕で真っ赤に染まっている。

 

「澤村由美……俺の女に手ぇ出した挙句に殺しやがった男が身に付けていたモノだ」

「それがどうした?」

「とぼけるな!ウラもとっくに取れてんだ……ソイツが、日侠連のモノだってことはな」

 

決定的だったのは、由美の護衛役を仰せつかっていた斎藤と呼ばれた男の証言とシンジから齎された情報だった。

斎藤は重傷を負いながらも攫った連中の仮面を断ち切ることに成功しており、その時に顔の一部を目撃したのだ。

彼の証言に拠ればその時の顔が"日侠連"に所属する知人に特徴が一致していたと言う。

ここにさらに、シンジからの情報が加わった。

曰く、シンジの携帯宛に"日侠連のスパイ"を名乗る男から連絡があり、由美達が攫われ場所をシンジにリークしたと言うのだ。

半信半疑だったシンジだが、情報が本当である事が分かるとすぐさま桐生へと一報を入れたという経緯だ。

 

「……これを着けていた男はどうした?」

 

世良は桐生に問いかける。

その能面を着けていた男がその後にどうなったのか。

心のどこかでは分かりきっていたその答えを、目の前の男に問いかけた。

そして。

トレードマークであったグレーのスーツの両袖を返り血で真っ赤に汚した"堂島の龍"は、ハッキリとした口調で言ってのけた。

 

「殺してやったさ。俺がこの手で……一人残らずな」

(一馬…………)

 

その言葉を聞いた風間は、自身の胸に張り裂けそうなほどの痛みを感じていた。

自分の育てた子が、ついには自分と同じ"人殺し"になってしまったのだから。

 

「そうか……それで?俺に言いたい事と言うのはなんだ?」

「世良……心して答えろ…………」

 

己の内側で膨らみ続ける怒りと殺意を止めぬまま、桐生は世良に問うた。

 

「これは……アンタの命令なのか?」

 

並の極道が我が身可愛さに道を開ける男、桐生一馬。

そんな彼からぶつけられる殺気に対して、東城会の三代目は臆すること無く言い放った。

 

「あぁ……間違いない。澤村由美を殺すように日侠連を仕向けたのは他でもない。この俺だ」

「────!!!!」

 

瞬間。

桐生の怒りが限界を超えた。

血走った目は見開かれ、食いしばった歯は僅かにすり減り、握られた拳からは血が流れている。

 

「世良、お前……!」

「風間さん。後の事を頼みましたよ」

 

世良は短くそう告げると、彼が得意とする武術の構えを取った。

 

「これが……俺のケジメだ」

 

それを合図に。

猛り狂いし応龍は。

身を焦がす程の怒りと。

心を蝕む憎しみを。

 

「────世良ァァァああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」

 

本能のままに解き放った。

そして。

 

「来い……桐生!!」

 

東城会三代目会長。世良勝。

東日本を総べる極道の頂点が、前代未聞の"龍殺し"に挑む。

 

 

これは、惨劇の後に起こった激動の一幕。

 

 

桐生一馬が東城会を抜けるまで、あと数分────




いつもより若干短めですが、今回はここまで。

次回は本編です。よろしくお願いします


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第十二章 愛憎
愛と怒り


お待たせしました
最新話です


2005年12月10日。午後16時。

神室町天下一通りに居を構えるバー"セレナ"にて。

 

「〜♪」

 

今は開店の一時間前。

この店の主である美人ママの麗奈は、上機嫌に鼻唄を謳っていた。

その理由は、彼女の手に持たれた一つの紙袋にある。

 

(はぁ……思い切って買っちゃったわ)

 

その中には、一つのプレゼントが入っている。

彼女が密かに想いを寄せている男への贈り物だった。

 

(今は100億円の騒動があるから無理かもしれないけど…………それさえ収まれば、きっと)

 

刑期を終えて出所したばかりでありながら抗争の渦中に飛び込もうとするその男を心配し、麗奈は一度彼を引き留めようとした。

しかし、彼は"大丈夫だ"と毅然と言ってのけたのだ。

それ以降の彼の活躍は、危機的状況に陥る事もあれど有言実行と呼ぶに相応しいものだった。

麗奈に言わせれば、そういう所も昔から変わっていない

 

(もう……17年も前にもなるのね)

 

そんな彼と麗奈が出会ったのは、今から17年前。

当時 神室町で幅を効かせていた堂島組の新入り若衆だったその男は、兄貴分達から散々っぱら酒を飲まされて体調を崩してしまい、一人公園で項垂れていた。

そんな彼を偶然見掛けたのが、セレナを開いたばかりの麗奈だった。

麗奈は具合の悪い彼に水を与え、ついでに自分の店に招待したのだ。

 

(もしもあの時、彼が居てくれなかったら……)

 

麗奈はそんな彼に店を閉めるかもしれないと告げる。

理由は当時、彼の兄貴分が率いていた"泰平一家"と呼ばれるヤクザの存在にあった。

泰平一家は地上げに明け暮れている最中で、セレナに法外な金額のみかじめを要求していたのだ。

麗奈はその支払いや嫌がらせのひがいに遭った事で、利益を出す事に苦心していた。

 

(凄かったな……本当にどうにかしちゃうんだもの)

 

そこで助け舟を出したのが、他でもないその男だった。

彼は話を自分に預けるように告げると、当時のセレナの常連で商店街の地主を勤めていた男と結託し、泰平一家の組長に話をつけたのだ。

結局 その時その場所でで何が行われていたかを彼は決して麗奈に語ろうとはしなかったが、相手は東城会最強と言われた堂島組を支える一柱である"泰平一家"。

何事も無く交渉が終わるはずが無い事くらいは麗奈にも分かった。

 

(ふふっ……それ以来、ずっとなのよね……)

 

開店前で人目が無いのを良い事に、麗奈は一人思いを馳せる。

その頬は、僅かに赤く染っていた。

 

(あぁ、いけないいけない私ったら。もうすぐ開店なんだし、しっかりしないと)

 

軽く頭を振って気持ちを切り替える麗奈。

ここはセレナ。麗奈の想い人である彼が守り、愛し、帰ってくると誓った場所。

そんなこの店を守っていく事が、今の麗奈の役目なのだ。

 

「ん……?」

 

気を取り直して開店準備に取り掛かろうとした麗奈は、エレベーターの音が鳴った事に気づいた。

 

(何かしら……?)

 

天下一通りの雑居ビルに居を構えるこの店だが、エレベーター前にあるテナント表にはきちんと営業時間の記載がある。

そのため、納品業者でも無い限りは開店時間前にこの階に訪れるはずが無い。

 

(納品はもう済んでるはずなのに……)

 

この奇妙な出来事に、麗奈は妙な胸騒ぎを感じずには居られなかった。

そして、その悪い予感は的中する事になる。

 

「───おう、邪魔するぜ」

 

その言葉と共に、一人の男が店内へと足を踏み入れる。

いや、正確に言えば一人ではない。

男の背後には、スーツを着た数人の取り巻きが着いて来ていた。

瞬く間にバーカウンターを取り囲んだ男たちの人相は強面ばかりで、いずれも善良な市民とは言い難い。

麗奈は直ぐに彼らがヤクザである事を見抜き、言葉を紡ぐ。

 

「あの、まだ開店前なのですけど」

「アンタがこの店のママだな」

 

冷静かつ毅然とした口調でヤクザ達に告げる麗奈。

この街で商売をするのであれば相手がヤクザである事など日常茶飯事。

怖がったり弱みを見せたりすれば、骨の髄までしゃぶり尽くされてしまう。

 

「突然だがな……アンタには、俺らと一緒に来てもらう」

 

先頭にいる男は麗奈に対してそう告げた。

年齢は五十代。

白髪混じりの髪を後ろに撫でつけ、ティアドロップのサングラスをかけたその男は人相の悪いヤクザ達の中でも群を抜いて強面であり、まさに"泣く子も黙る"と言う言葉を体現したかのような風貌だ。

 

「何を言ってるんですか……警察呼びますよ?」

「下手な事はしない方がいいぜ。アンタがサツを呼ぶよりも俺たちがアンタをねじ伏せる方が早ぇ……それくらいは分かるよな?」

「…………」

 

表情を変えずに黙り込む麗奈。

弱みを見せないと気丈に振る舞うが、男の言っている事は真実だ。

下手に抵抗しようとすれば逆に危険な目に遭う可能性が高い。

 

「一体、何が狙いなんですか……?」

「フッ、安心しろ。別にとって食おうって訳じゃねぇ。アンタに……協力してもらいてぇ事があんのさ」

「協力……?」

 

困惑する麗奈に対し、男は一枚の写真を見せる。

 

「っ、これって……!?」

 

そこに写っていたのは、白いジャケットを着た長髪の男。

麗奈がよく知る人物だった。

何故なら。

 

「あぁ。アンタにはこの男を呼び出すための餌になってもらう。この意味が分かるな?」

「そんな……!」

 

写真の男の名は、錦山彰。

十年の刑期を終えて出所した元極道であり。

麗奈が密かに想いを寄せる男でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桐生を逃がすために任侠堂島一家に楯突いた俺は、襲いかかってきた新藤をどうにか退けた後に急いでその場を後にした。

俺をここまで連れてきた斎藤の車は既になく、おそらく桐生を乗せてその場から逃げたのだろう。

おそらく桐生は良い顔をしなかっただろうが、正しい判断だ。そうでなければ俺も体を張った甲斐がない。

俺は近場のタクシーを拾って、急いで神室町へと戻っていった。

そして、時刻は16時30分。

料金を支払ってタクシーから降りた俺は、ふとある違和感に気付いた。

 

「ん……?」

 

街の様子が何やらおかしい。

相変わらず道行く人の喧騒の絶えない街ではあるのだが、それがいつもと違う。

そもそも喧騒と言うのは、この街にいる人々が喜怒哀楽といったそれぞれの感情や何かしらの思惑に基づいて行動や言動をした事によって起こりうるものだ。

言ってる事もやってる事もみんなバラバラ。規則性や法則性などありはしない。それが普通だ。

 

(この感じ……)

 

当然だが、俺も街ゆく人々の雑多な声を全て言葉として認識してる訳では無い。

一度に十人の話を同時に聞いたとされる聖徳太子ですら、そんな事は不可能だろう。

だが、デタラメであるはずの喧騒の中で明らかに統一した感情を持った声を俺の耳は聞き取った。

困惑した時や、恐怖を感じた時のような声の独特のトーン。

不特定多数の人間がいる中でそれを発している人間が複数人、確実にいる。

 

(これって、まさか……)

 

俺はこの感覚に覚えがあった。

"カラの一坪"事件の折、桐生をマトに掛けた堂島組の連中が街中を探し回っていた雰囲気に酷似していたのだ。

ヤクザ達が誰かを探して殺気立ったことで怯えた市民たちの声。それがこの違和感の正体だ。

そして、恐らくそのヤクザ達が狙っているのは。

 

「見つけたぞ、錦山ァ!!」

 

背後から聞こえた怒号に、俺は嫌な予感が当たった事を知覚する。

振り向いた先に写っていたは得物を携えた大勢のヤクザ達がこちらに走ってくる光景だった。

 

「任侠堂島一家か……!」

 

十中八九俺を狙っているであろう連中と、ここでやり合うのは得策ではない。

こうして見つかった以上、連絡を受けた増援が次から次へとやってくるだろう。

じきにこの場はヤクザ共で溢れかえる。まともにやり合えば消耗するのは俺の方だ。

 

「チッ!」

「逃がすかボケェ!」

「死ねやコラァ!」

 

俺は追っ手の連中を振り切る為にその場を駆け出した。

幸い、今の俺が根城にしている賽の河原はここから距離が近い。

あそこまで逃げ切れれば連中も手出しが出来ないはずだ。

しかし。

 

(クソっ、待ち伏せか!)

 

敵はそう甘くなかった。

賽の河原への入口である西公園の前には既にヤクザが待ち構えていたのだ。

 

(頭数は五人……一気にやるしかねぇ!)

 

追っ手が来る前に連中を片付けなくてはならない。

覚悟を決めた俺は足を止めずにヤクザ達へと突っ込んだ。

 

「来たぞ、錦山だ!」

「待ってたぞ錦山!テメェはこれで────」

「邪魔だァァァ!!」

 

先頭の一人目に対し、俺は走り込んだ勢いのままに飛び膝蹴りをぶちかました。

顔面の骨が陥没する感触を確かな手応えとして感じた俺は、そのまま二人目へと向かっていく。

 

「この──」

「シッ!」

 

鋭く息を吐きながら右ストレートを二人目の下顎に叩き込んで昏倒させる。

 

「死ねやァ!」

 

バットを振り上げる三人目の腹部に三日月蹴りを突き刺し、蹲った直後に顔面をアッパーでカチ上げる。

 

「くたばれやァ!」

「ッ!」

 

四人目の振り抜いた木刀の一撃をギリギリで躱し、脇腹をボディブローでぶっ叩いた。

木刀を手早く奪い、悶絶する四人目の頭に振り下ろす。

 

「野郎!」

 

最後の五人目が懐から拳銃を取り出すよりも早く、俺の手にはスタンバトンが握られていた。

 

「ぎゃっ!?」

 

手首を打ったスタンバトンの一撃によって拳銃を取り落とす五人目。

 

「ドラァ!!」

 

無防備になった五人目をバックスピンキックで蹴り飛ばして無力化し、その隙に公衆便所へと飛び込んだ。

最奥の個室のドアを開け、さらに奥のドアを開いて賽の河原へと転がり込む。

 

「はぁ、はぁ……危なかったぜ」

「帰ったか、錦山」

 

間一髪逃げこんだ俺の元に現れたのは賽の河原の主、花屋だった。

取り巻きを釣れた派手な格好のその男は、険しい表情を浮かべている。

 

「花屋……?」

「無事に戻れて何よりだ、と言いたいところだが……どうにもそんな事は言ってられないらしい」

「なんだと……?」

 

怪訝な顔を浮かべる俺に対し、花屋は険しい顔のまま一枚の封筒を俺に渡してきた。

高級な和紙で作られたその封筒から差出人が普通じゃ無いことがひと目でわかる。

 

「コイツは?」

「つい数十分ほど前だ。お前を探して一人の女が来てな。ここには居ないと言ったらコイツをお前に渡せと言ってきた」

「女……?」

 

困惑しつつも俺は花屋から封筒を受け取り、中身の手紙を取り出して広げる。

そこに目を通し────絶句した。

 

「な、ん…………!?」

 

 

────拝啓。錦山彰 様

 

この度はお勤め誠にご苦労さまでした。

 

貴方の兄弟分、桐生一馬のことでお話がございます。

 

つきましては、誠に勝手ながら貴方の大事な人の身柄を預からせて頂きました。

 

こちらの要求を呑んでいただけるのであれば、人質には一切の危害を加えない事をお約束致します。

 

それでは、十年前のあの場所でお待ちしております。

 

必ず、お一人でいらっしゃってください。

 

────敬具。堂島弥生

 

 

達筆な文字と丁寧な文章で記されたその手紙を見て胸騒ぎがした。

弥生姐さんが預かったという"大事な人の身柄"。

この局面において、俺にとって大事な人と呼べる人物はそう多くはない。

 

「花屋、伊達さんと遥は?」

 

俺はすぐに遥の無事を確認した。

あの子は今、この街で最もヤクザ達から狙われていると言っても過言ではないからだ。

 

「アイツらは病院から戻ってきている。今頃は例の小屋で休んでいるはずだ」

「って事は……まさか……」

 

花屋のその返事を聞いたことで、俺はついに攫われたのが誰かを確信した。

今の俺が密接に関わっているカタギの人間。

新一の可能性も考えたが、任侠堂島一家は新一が桐生の息子であることを知らないはず。

となるとあとは遥しかないのだが、遥でないとするならば答えはもう決まったようなもの。

 

「攫われたのはセレナの店主、麗奈だ。任侠堂島一家に迫られて連れていかれたのをウチのカメラが捉えている」

「麗奈……クソッ!!」

 

やってしまった。

俺は麗奈を。出所したばかりで身寄りのない俺にあんなにも良くしてくれた彼女を、ヤクザのゴタゴタに巻き込んでしまったのだ。

その事実に深い罪悪感を覚えた俺は、すぐに踵を返して入口のドアノブに手をかける。

 

「行くのか?」

「決まってんだろ……止めんじゃねぇ」

「さっきここの入口の前で任侠堂島一家の連中とやり合ってたみてぇだな?今頃その先には応援の組員がうじゃうじゃ居るはずだぜ。一人で来るようになんて手紙じゃ言ってたが、奴らはハナから"話し合い"なんざするつもりはねぇ。今出ていっても殺られるだけだぞ」

 

花屋は俺に忠告してきた。

この手紙は俺を誘き出して仕留めるための罠であると。

だが。

 

「────それがどうした」

 

そんなもの、今となっては関係ない。

ここに来る前、俺は新藤に忠告した。

俺の身内に手を出すようなら容赦はしないと。

その上で任侠堂島一家の出てきた答えが"これ"なのであれば、俺がやるべきことは一つしかないのだ。

 

「花屋。伊達さんと遥には、くれぐれも賽の河原から出ないように言っておいてくれ」

「どうしても行くんだな?」

「あぁ。俺は必ず麗奈を救う。そしてこの一件の落とし前をキッチリ付けさせてやる」

「……そうか」

 

俺の覚悟を聞いた花屋はそれ以上俺を引き止める事はせず、静かに背を向けて言った。

 

「麗奈は劇場前にある"東堂ビル"に連れ込まれた。あそこは今じゃ任侠堂島一家の拠点だ、大勢のヤクザが詰めているだろう」

「東堂ビル……」

 

そこは十年前に堂島組長が亡くなった場所。

旧堂島組の事務所だった場所だ。

手紙にあった十年前のあの場所というのは、こういう事なのだろう。

 

「言っとくが、俺や伊達も嬢ちゃんをいつまでも見てられる訳じゃねぇ。その事を思うなら……必ず生きて帰って来い。良いな?」

「……あぁ、すぐに戻る」

 

花屋にそう約束し、俺はドアノブを捻って個室へと入った。

個室のドアをそのまま開けて足早に公衆便所の外へと出る。

 

「待ってたぞ、錦山ァ……!」

 

その先に待ち受けていたのは応援を受けて駆け付けていた任侠堂島一家の連中だった。

頭数は軽く十人を超えていて、その場にいるヤクザ達全員が木刀やバット、鉄パイプにドスなどの得物を携えている。完全に俺を仕留める気なのだろう。

 

「テメェはもう終わりだ!」

「観念して死ねや!」

「……ごちゃごちゃうるせぇよ」

 

ヤクザ共のくだらない戯言に俺は吐き捨てるように呟いた。

今はとてもコイツらと会話出来るような気分じゃない。

 

「あ?なんだとコラ?」

「お前状況分かってんのか?」

「この人数相手に勝てるとでも────」

「────うるせぇって言ってんだよゴラァァァッ!!!」

 

一番近くにいたヤクザの頭を右手で掴み、髪の毛を引っ張って無理やり頭を下げさせる。

それと同時に顔面に膝蹴りをぶち込んだ。

 

「あがぶっ!?」

 

鼻を折り潰された事により顔を抑えて悶えるヤクザ。

俺は更にそのガラ空きの鳩尾に正拳突きを放って呼吸困難に陥れる。

 

「ぉ、ごぉっ!?」

 

いよいよ地面に這いつくばったヤクザの後頭部を革靴の底で思い切り踏み付けた。

意識を失ったヤクザがピクリとも動かなくなる。

 

「て、テメェ……!?」

 

取り巻きのヤクザ達が一斉に警戒度を引き上げる。

大方、頭数の多さに圧倒されてこちらが押し負けるとでも思っていたのだろう。

ナメられたものだ。

 

「テメェらみたいな雑魚に用はねぇんだ……!!」

 

左手に走る痛みを無視し、両の拳を握り締める。

コイツらには悪いが、今の俺は自分を制御できる気がしない。

だが。

あくまでも俺の道を阻むと言うのなら。

 

「さっさと退けや……チンピラァァァッッ!!」

 

コイツらには、地獄を見てもらうとしよう。

 

 

 




ついに麗奈に裏社会の魔の手が……
錦山、一体どうする?

次回もよろしくお願いします


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拳王、再び

最新話です
察しの良い方はもう気付いてるかもですが、あの男が再び出てきます。


2005年12月10日。

賽の河原の入口である西公園のトイレ前にて東城会のヤクザによる乱闘騒ぎが起きていた。

 

「退けやオラァ!!」

 

その騒ぎの中心に居たのは、黒スーツを着た長髪の男だった。

彼の名は錦山彰。先日出所したばかりの元極道である。

 

「クソっ、怯むな!」

「数で押し切れぇ!」

「死ねやァ!」

 

それに対するは東城会の二次団体。任侠堂島一家の構成員たちだ。

彼らは一様に鈍器や刃物などの武器を携えており、それらを一斉に錦山一人に向けている。

武器を持ったヤクザ達相手にたった一人で立ち向かう錦山。

一見して無謀にも見えるこの状況。

しかし、それは錦山彰が並の男であるならばの話である。

 

「うぉぉぉぉおおおおお!!」

 

錦山は襲い来るヤクザ達を相手に一切の引けを取らなかった。

ある時はボクシングのような軽快な動きで敵を翻弄し。

またある時は空手のように力強く構えて打撃を打ち込み。

そしてまたある時はヤクザ然とした荒々しい戦いぶりで並み居る敵を打ち倒していく。

 

「ぐはっ!?」

「ぶげっ!?」

「うごっ!?」

 

十年という刑期を終えて出所した錦山は、何も無意味にその時間を過ごしてきた訳では無い。

鍛錬や走り込みを欠かさず行ってきた彼の身体は無駄な部分が一つもなく、服役中 出所後を問わず多くのならず者たちと拳を交えてきた。

鍛え抜かれた身体と数多くの戦闘経験に裏打ちされた実力を併せ持つ彼の前では、並のヤクザ連中では太刀打ちなど出来ないのだ。

 

「はァッ!!」

 

裂帛の気合いと共に放たれた正拳突きによって、最後のヤクザが地面に転がる。

わずか一分足らずで錦山が襲いかかって来たヤクザ達全員を返り討ちにしてみせたのだ。

しかし。

 

「チッ、新手か……」

 

錦山の視界の先では、増援と思われる黒服の男達が押し寄せて来ていた。

いかに彼が常人の何倍強かろうと、頭数で攻められ続ければいずれ限界は来る。

このままでは彼が消耗し切った所を押し切られてしまうだろう。

 

(だが、やるしかねぇ……)

 

それでも、錦山は決して退く事はしない。

何故なら今の彼には、たとえ無理をしてでも辿り着かなきゃいけない場所があるからだ。

 

「……?」

 

覚悟を決めてファイティングポーズを取った錦山だが、目の前の風景に異変が起きた。

錦山目掛けて進撃を続けていたヤクザ達の前に、一台の黒い車が猛スピードで割り込んだのだ。

 

「何だありゃ……って、おい!?」

 

黒い車はヤクザ達の進路を妨害した後、進路を変えて錦山目掛けて走り始める。

轢かれる訳にはいかない錦山は、横に飛び退く事で車と距離を取る。

しかし、黒い車はそのまま駆け抜ける事はせずに公園の前で急停車した。

 

「乗れ!」

「っ!?」

 

運転席から聞こえた声とその主に錦山は思わず目を見開く。

だが、今の彼には驚いている暇も迷っている暇も無い。

促されるままに後部座席のドアを開けて車に飛び乗る。

 

「待てやテメェ!」

「逃げんなやコラァ!」

 

錦山を乗せた黒い車は急発進し、後ろから聞こえるヤクザ達の怒号を瞬く間に置き去りにしていく。

ヤクザ達を撒いたのを確認すると、運転席の男は錦山に声をかけた。

 

「危ねぇ所だったな、錦山」

「お前……!」

 

その人物を見た錦山は思わず目を見開いた。

彼を助けたのは伊達刑事でも風間組の田中シンジでも、ましてや松金組の海藤でも無い。

 

「羽村……!?」

 

東城会直系風間組内松金組若頭。羽村京平。

錦山だけではなく、彼の兄弟分である桐生ともそれなりに因縁のある男だ。

 

「とりあえず撒くことは出来たが油断は出来ねぇ。頭下げて隠れてな」

「お前、どうして……?」

 

交渉に失敗した上に彼に面目を潰された羽村は、錦山を強く恨んでいる筈だった。

しかし、今はこうして錦山の手助けをしている。

その事実に困惑する錦山だったが、羽村から返ってきたのは至極真っ当な返事だった。

 

「どうしても何もねぇだろ?松金組はお前と同盟を結んだ。アンタを嵌めようとした件も、アンタに協力する事で不問にするって組長のお達しだからな。それに……」

「それに……?」

「…………テメェにゃ借りがあるからな。これでチャラだ」

 

その言葉で錦山は合点がいった。

羽村の言う"借り"とは、松金組の事務所で錦山が羽村の思いを汲んで庇い立てた事を指しているのだ。

経緯はどうあれ錦山があそこで羽村へのケジメを松金組への同盟に差し替えたからこそ、今の羽村はこうしてヤクザを続けていられている。

羽村はただ、その借りを返しただけなのだ。

 

「フッ、なるほどな……恩は売っとくもんだぜ」

「勘違いするなよ錦山。俺たち松金組が協力すんのは今回の一件が終わるまでだ。俺をコケにしてくれやがった事……忘れた訳じゃねぇからな?」

「あぁ、分かってる。今協力してくれるだけで十分だよ」

 

受けた恩義はキッチリ返す。

今の羽村の行動は、松金の漢気ある教えが浸透している何よりの証拠だった。

 

「それで?どこまで行く?連中を本気で撒くつもりなら都内を出るしかねぇぞ?」

 

行き先を聞いてくる羽村に、錦山はハッキリとした口調で告げた。

 

「東堂ビルだ。近くまででいい。向かってくれ」

「東堂ビルだと?」

 

羽村は自分の耳を疑った。

錦山の口にした東堂ビルはかつて堂島組長が事務所として使っていた場所であり、現在は任侠堂島一家の根城と化している。

つまり錦山は、今まさに自分達の命を狙っている連中のいる場所に向かおうとしているのだ。

 

「お前なんのつもりだ?死にに行くようなもんだぞ?」

「俺も出来ることなら行きたくねぇんだがよ……俺の馴染みが、人質に取られてる」

 

口にした瞬間、錦山は改めて自身の中でのたうち回る怒りを自覚した。

目が吊り上がり、瞳孔は開き、額には青筋が浮き出る。

 

「たとえ無謀だろうがなんだろうが俺は行かなくちゃならねぇ。それを邪魔する奴は、どこの誰であろうとぶっ潰す。どこの……誰であろうとな……!!」

「っ!?」

 

瞬間、羽村は肌が粟立つのを知覚した。

それと同時に、約十年前の記憶が脳裏をよぎる。

それは、ある男を羽村が手をかけようとしたが為にとある極道の怒りを買った時のこと。

 

(同じだ……あの時と……)

 

その男の名前は、桐生一馬。

かつて、東城会の内外にその名を轟かせていた伝説の極道。堂島の龍。

今の錦山から発せられる怒りと殺気は、羽村にとって当時の事を鮮明に思い起こさせた。

 

(錦山彰……堂島の龍、桐生一馬の兄弟分。やっぱり……只者じゃねぇって事か……!)

 

今の自分が敵うような相手ではない。

羽村はまざまざと、それを見せ付けられた。

 

「そんな訳で羽村。東堂ビルまでやってくれ。で、俺を降ろしたらすぐに離れろ。良いな?」

「あぁ……そうさせてもらうぜ」

 

羽村はその指示を素直に飲み込んだ。

これ以上表立った手助けをすれば任侠堂島一家そのものから松金組が狙われかねない。

今の羽村に出来るのは、錦山が任侠堂島一家の暴走を収められるように協力する事だけなのだ。

 

(待ってろよ……麗奈……!)

 

錦山を乗せた車は、一度だけ神室町を出た後に松金組の事務所がある七福通りから再び街へと入っていく。

街中では任侠堂島一家の連中がそこかしこで目を光らせており、一瞬たりとも油断は出来ない。

だがその警戒具合とは対象的に、羽村の車は着々と目的地へと向かっている。

僅かに怪訝な顔をする羽村だったが、その表情は直ぐに変貌を遂げた。

 

「……錦山」

「どうした?」

「お前を送ったらその場を離れる手筈だったが……どうも無理らしい」

「なに?」

 

羽村にそう告げられ、車の前方に視線を向けた錦山は直ぐにその言葉の意味を悟った。

 

(こいつぁ、想像以上かもな)

 

劇場前に居を構える東堂ビルの前には、数十人は下らないであろうヤクザ達が待ち構えていた。

言うまでもなく、全員が任侠堂島一家の構成員である。

羽村の言う通り、錦山だけを置いて脱出するのは不可能に思える状況。

だが。

 

(ん……?)

 

ふと、錦山はその群衆の中に見知った顔が居ることに気づいた。

同時に確信する。錦山の想定が合っていれば、羽村に危害が加わる事は無いと。

 

「羽村、問題ない。このまま連中の前に車を停めてくれ」

「なんだと?」

「大丈夫だ、俺を信じろ」

「……チッ、分かったよ」

 

悪態を付きながら、羽村はその指示に従い車を停めた。

一斉に向けられるヤクザ達の視線に晒されながら、錦山は堂々と車を降りる。

 

「行け」

「あぁ!」

 

錦山を降ろした直後、急発進で羽村はその場を離れて行った。

すると、視線は自然と残された錦山に集中する。

 

「来やがったな錦山ァ!」

「正面から堂々と……舐めた真似しやがって!」

「いっぺん死ぬか?あ?」

「……」

 

ヤクザから因縁を付けられる錦山だが、今の錦山にとっては彼らなど眼中に無い。

その視線は、ビルの入口前で立っている一人の男に注がれていた。

 

「やめろ、テメェら」

 

そして、その男がたった一言発した瞬間。

ヤクザ達の視線が一斉にその男に向いた。

黒みがかったグレーのスーツに着崩したYシャツ。

白髪混じりのオールバックに、ティアドロップのサングラス。

そして、左手には黒い手袋が着けられている。

失った小指に義指を取り付けてそれをカバーしているのだろうか。

 

「やっぱり……貴方でしたか」

 

錦山はその男をよく知っていた。

かつて、東城会最強と謳われた全盛期の堂島組を己の拳一つで成り上がり、いつしか組織全体の"暴力"を一手に担った男。

その暴力的なまでの威圧感は、還暦間近となったはずの今でさえ微塵も衰えがない。

 

「来ると思ってたぜ……錦山」

 

久瀬大作。

元堂島組久瀬拳王会会長。

錦山とは、刑務所の中でやり合って以来の再会だった。

 

「お久しぶりです、久瀬の兄貴。俺の馴染みを……返して貰いに来ました」

「ハッ、そう焦るなよ」

 

久瀬がそう言って軽く手を上げると、その場にいた任侠堂島一家の連中が次々と捌けていく。

やがて東堂ビルの前は、錦山と久瀬だけの空間となった。

 

「組の連中は周囲の見張りに向かわせた。テメェとやり合うのに、余計な茶々は入れられたくねぇんでな」

 

錦山は自分の想定が当たった事を確信した。

久瀬は誰よりも暴力に忠実な男。

それは即ち、誰よりも喧嘩に飢えている事を指している。

錦山に協力したからと言って羽村を目の敵にする事は無いだろう。

 

「久瀬……俺の馴染みを人質に取ったのは、アンタの仕業か?」

 

錦山の問いに対し久瀬は毅然と答える。

 

「あぁ、そうだ」

「……アンタともあろう男が、関係ないカタギの女を拉致るだなんて……恥ずかしくないんですか?」

「人に偉そうに説教垂れる立場かテメェ。おぅ?」

 

久瀬は全身から闘気を滲ませながら錦山に告げる。

 

「元はと言やぁテメェが破門にされた分際で東城会のお家騒動に首突っ込んだのが原因じゃねぇか」

「ムショ出て早々知らぬ間に三代目が殺されてて、その犯人が桐生だと言われてるこの状況で、俺が黙ってられるとでも?」

「その過程で馴染みの女の店に駆け込んだ大馬鹿野郎はどこのどいつだ?テメェがあの店を根城にしなけりゃ、俺達が女を狙う事も無かったんだがな?」

「チッ……」

 

その言葉は今の錦山にとって最も効くモノだった。

彼の行動が、巡り巡って麗奈を巻き込んでしまったのは事実なのだから。

 

「だが安心しろ。例の女は弥生の姐さんが見張ってる。あの人は一度した約束を破る人じゃねぇ。お前がこうして一人でやってきた以上、危害を加える事はねぇだろ」

「……だったらもう麗奈に用は無ぇ筈だ。今すぐ解放しろ」

「そうは行かねぇよ」

 

久瀬がサングラスを外して地面に放り捨てる。

その時、錦山は久瀬の身体から発せられる闘気が先程よりも大きくなっているのを肌で感じた。

 

「あの女はお前をここに誘き出す為の餌。そして、任侠堂島一家がそうまでしてお前を呼び出した理由は二つ。一つは弥生の姐さんが手紙で書いた通り。そして、もう一つが…………俺だ」

「ッ!」

 

瞬間、久瀬の放つ闘気が殺気へと変わった。

その意味を、錦山は瞬時に理解する。

 

「なるほど…………つまりアンタは、あの時の決着を付ける為に麗奈を……」

「あぁ……そういう事だ」

「ふざけやがって……!」

 

錦山の心を怒りの感情が支配する。

麗奈を巻き込んだヤクザへの怒り。

そして彼女を巻き込んでしまった自分への怒りで、錦山は腸が煮えくり返っていた。

 

「さぁ……数年ぶりのタイマンだ」

 

拳を鳴らし、ファイティングポーズを取る久瀬。

互いの血肉を喰らい合う野蛮な戦いに飢えた閻魔の双眸が錦山を射抜く。

 

「テメェがどれほどの男になったのか……見せてみろ」

「上等だ……!」

 

それに応えるように、錦山も構えを取る。

それは奇しくも、かつて刑務所の中で久瀬と鎬を削る中で編み出したボクシングの構えだ。

 

「決着付けさせて貰うぜ……久瀬の兄貴」

「言うねぇ……上出来だよ。いつでもいいぜ」

 

闘気と殺気。

怒りと意地。

二人の男から滲み出るそれらが、静かに衝突する。

そして。

 

「────殺す気でかかって来いやぁ!!!!」

「行くぞ、久瀬ぇぇぇぇぇぇッッッ!!!!!」

 

東城会直系任侠堂島一家最高顧問。久瀬大作。

男同士のプライドをかけた"死合い"のゴングが鳴った。

 

 

 

 

 

 




次回
いよいよ閻魔のリベンジマッチが幕を開けます。


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閻魔の誓い

最新話です。
リベンジマッチのゴングが鳴り響きました。

そして、今回はあの男の登場も……


2005年12月10日。

錦山彰と久瀬大作。

ついに始まった二人の喧嘩は、同時に放った右ストレートによる壮絶なクロスカウンターから幕を開けた。

 

「ぶっ!?」

「ッ、ぐぁっ」

 

互いの一撃が顔を直撃し、二人の脳が同時に揺れる。

 

「っ、うぉらァ!」

 

先に体勢を整えた久瀬が、再び距離を詰めて得意のパンチを繰り出した。

腰の回転を活かしたレバーブロー。

かつてボクサーとして活躍した現役時代に、数多の猛者を屠ってきた必殺の一撃だった。

 

「!」

 

一拍遅れて体勢を整えた錦山だったが、地面を蹴ってその場を飛び退くように距離を取る事でその一撃を躱してみせる。

 

「逃がすかァ!」

「チッ!」

 

雄叫びを上げて再び距離を詰める久瀬に対し、舌打ちをしながらも迎え撃つ錦山。

両者の行動や態度には、それぞれのスタイルが起因していた。

 

「フッ、ハッ、オラァ!!」

 

吠えながらフックやボディブローなど、リーチの短い打撃を繰り出す久瀬。

彼の闘い方をボクシング業界においては"インファイト"と呼称する。

懐に飛び込んで近距離から破壊力のある一撃で相手を叩き潰すそのスタイルは、まさに真っ向勝負と呼ぶに相応しいだろう。

 

「シッ、フッ、ハッ!」

 

対して錦山はそれらの攻撃を十分な距離を取って躱し続け、遠距離からの打撃で牽制する。

彼の闘い方は"アウトボクシング"と呼称し、ジャブやストレートなどを駆使して中距離から攻めるスタイルだ。

互いのスタイルは一長一短で、強みもあれば弱点もある。

インファイトはパンチに体重や腰の力をダイレクトに入れられるため一撃の威力が高いのが利点だが、攻撃を当てるためには相手の懐に入り込まなくてはならない。

その間、中距離から相手のジャブやストレートの洗礼に晒される上に距離を詰めた瞬間にカウンターの餌食になる可能性も大きい。

逆にアウトボクシングは一発の威力はインファイトに劣るものの豊富な手数で相手を少しずつ削っていく事が可能で、相手の動きに応じて狙い澄ましたカウンターを叩き込めるのが特徴だ。

しかし、実際のリングでは広さが明確に決まっている以上、距離を取るにも限界がある。

もしもコーナー際に追い込まれてしまえば、為す術なく餌食にされてしまうだろう。

 

「っ、ヤバっ────」

 

そして錦山は、今まさに壁際に追い込まれていた。

距離を潰して圧力をかけてくる久瀬からの攻撃を避け続け、逃げ場のない状況へと陥ってしまったのだ。

 

「はァァ!!」

 

そんな錦山へと繰り出す渾身の右ストレート。

当たればKO必至のその一撃に対し錦山が取った行動は、防御でも回避でもない。

 

「────ッッ!」

 

錦山はその拳を額で受け止めた。

柏木直伝の呼吸法を用い、いかなる衝撃にも動じない身体を作った上での真っ向勝負。

 

「チッ!」

 

拳による一撃を弾き返される久瀬。

僅かに怯んだその隙を、錦山は見逃さなかった。

 

「せェッ!!」

 

腰だめに構えてから放たれたのは、渾身の正拳突き。

空手において最もポピュラーかつ威力の高い打撃技だ。

 

「ぐほっ!?」

 

全体重を乗せたその一撃で腹部を打ち抜かれた久瀬の身体が後方へと吹き飛んでいく。

それと同時に、錦山がその場に片膝を着いた。

 

「はぁ、はぁ……っ、く、そ…………!」

 

その原因は脳震盪。

久瀬の放った一撃による衝撃は、ゲイリーとの闘いで開眼した剛体の術を持ってしても無力化する事は出来ず、錦山の脳を揺さぶっていたのだ。

 

(流石は久瀬だ……あの歳になってもパンチの威力が全く衰えてねぇ……!)

 

加えて、今の久瀬は小指のカバーをした上で手袋も装着した状態。

かつて錦山が刑務所で闘った時とは違い、失った小指によるハンデが消失している。

つまり、今の久瀬は左の拳も脅威という事なのだ。

 

(オマケにこっちは、未だに左手の痛みが残ってる……拳に威力が乗らねぇのはこっちの方だ)

 

状況は錦山が不利。

このような調子では、久瀬のスタミナが切れるよりも早く錦山が圧力に呑まれてあっという間に倒されてしまうだろう。

 

「やって、くれんじゃねぇか……このガキが」

 

ふと錦山が視線を前に向けると、久瀬が先に立ち上がっていた。

老体である事に加えて先程の正拳突きが効いているのか、足元は僅かに覚束無い。

しかし、全身から滲み出る殺気と暴力的なまでの威圧感は微塵も衰える気配が無かった。

 

「テメェはここでぶち殺す!覚悟は良いな……!」

「……上等だ」

 

久瀬の覇気に乗せられたかのように、錦山もまた立ち上がる。

静かにファイティングポーズを取り、久瀬の身体をしっかりと視界の中央に収めた。

 

(今の久瀬には付け入る隙がねぇ。あるとするなら攻撃する瞬間だ。つまりは……)

「死ねやボケがァァァ!!」

 

吠え猛る閻魔の叫びと共に、殺意に満ちた全力の右フックが錦山を襲う。

それを見据えた錦山は顔一つ分後ろに下がってそれを躱す。

その直後。

 

「シッ!!」

 

連続して繰り出されようとしていた久瀬の左フックよりも早く、錦山は左の一撃を久瀬の顎に直撃させた。

 

「が、っ……?」

 

カウンター気味に貰った一撃で脳震盪を起こした久瀬は、既に振り向いていた左フックの勢いのまま回転するように地面へと倒れ込む。

錦山はそこで追撃せず、距離を取って再び久瀬の身体を視界に収めた。

 

(冷静に、的確に……攻撃する瞬間に一撃を入れ続ける。それしかねぇ!)

「──うぉぉらァァァァ!!」

 

気合いと共にすぐさま立ち上がった久瀬は、再び錦山との距離を詰める。

 

「シッ、フッ、ラァッ!!」

 

フック、アッパー、ボディブロー。

連続で繰り出されるパンチの一つ一つが気迫と体重が乗った重い一撃。まともに喰らえばダメージは必至だろう。

だが、これらの攻撃は錦山にとっては好都合だった。

 

「────ッ、ハッ、フッ」

 

錦山はそれらのパンチを冷静かつ的確に捌いていく。

真島吾朗の変幻自在なドス捌きを相手に生還した彼にとって、放たれる攻撃の全てに殺気が満ちている久瀬の打撃の軌道を予測して対処するのは容易い事なのだ。

そして。

 

「うぉりゃァ!!」

 

仕留めきれない焦りからか、大振り気味に放たれた右ストレート。

これを錦山は逃さなかった。

 

「フッ、ウラァ!」

 

錦山は襲い来る右ストレートを間一髪で躱しつつ、久瀬の顎をアッパーでかち上げる。

明らかに動きが止まる久瀬の顔面に、さらに追い討ちの右ストレートを叩き込んだ。

 

「ぶがっ!?、このガキぃ!!」

 

怒りのまま即座に反撃する久瀬だったがその一撃も躱され、カウンターのボディブローをまともに喰らってしまう。

 

「ハッ、オラァ!」

 

久瀬が再び怯んだ所で、錦山は自身の腕を自分へ引き寄せる要領で久瀬の後頭部を殴ってバランスを崩し、無防備になった瞬間を強烈なアッパーカットで殴り飛ばした。

 

「ぐはッ!?」

 

受け身も取れぬまま地面を転がる久瀬。

しかし、閻魔の闘志は未だに衰えを知らない。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

錦山は呼吸を整えながら久瀬の様子を冷静に観察する。

威圧感と迫力は健在だが、足腰に限界が来ているのを錦山は見逃さなかった。

 

(勝負を仕掛けるなら、今だ……!)

 

錦山はここに来て構えを変える。

ヒット&アウェイを主軸としたアウトボクシングから、ラッシュを得意とするインファイトへ。

彼はここに来て、閻魔と同じ土俵で決着を付ける事を選んだ。

 

「ナメてんじゃねぇぞ……」

 

そしてそのやり方を宣戦布告と取ったのか、久瀬が怒りの表情を顕にして立ち上がる。

最後の攻防が幕を開けた。

 

「本気で来いゴラァァァァッッ!!!!」

 

両者、足を止めての殴り合い。

フック、アッパー、ボディ、ストレート。

回避や防御はおろかジャブすらも無粋と言わんばかりのどつき合いが展開される。

 

「うぉぉぉおおおおおおおおッッ!!」

「はァァァああああああああッッ!!」

 

二人の男が至近距離で吠える。

この場のおいて、もはや技術は意味を成さない。

ただ本能のままに殴って、打って、叩いて、潰す。

そして。

 

「久瀬ェェェえええええええ!!」

「錦山ァァァあああああああ!!」

 

錦山の放った左のボディフック。

久瀬の放った右のストレート。

両者の放った渾身の一撃が、互いの身体を捉える。

 

「ぐ、ォ……!」

 

先に体勢を崩したのは、久瀬。

鳩尾にめり込んだ錦山の左拳は、久瀬の身体から最後の体力を奪い去ろうとしていた。

 

「オオオオオオオオオッッッッ!!!!」

「ぐ、っ、らァ!!」

 

雄叫びを上げた錦山が、全体重を乗せた大振りの一撃を振りかぶる。

久瀬は最後の力とプライドを振り絞って反撃に転じるが────

 

「オラァァァあああああああぁぁぁッッ!!!!!!」

 

それよりも速く、錦山の拳が久瀬の顔面を捉えていた。

 

「が、ァ…………──────」

 

錦山の全力をもって叩き込まれた最後の一撃は、ギリギリ繋ぎ止められていた久瀬の意識を断絶させた。

振りかぶっていた拳が虚しく空を切り、久瀬の身体が前のめりに崩れ落ちる。

地獄から這い上がった緋鯉が、閻魔の喉を喰いちぎった瞬間だった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

激しく息を切らす錦山。

額から流れる汗を拭おうと左手を動かし、彼はふと気付いた。

 

「チッ……ようやくマシになったってのによ……」

 

バンテージのように巻かれていた彼の左手の包帯が、手の甲を中心に赤く染まり始めていたのだ。

言うまでもなく、先の戦いで左の拳を使った事が原因である。

 

(痛みが酷くなる前に、さっさと行った方が良いな……)

 

やっとの思いで久瀬を退けた錦山だったが、今の彼には休んでいる暇も迷っている暇も無い。

こうしている今も、麗奈は捕らわれたままなのだから。

 

「待ってろよ、麗奈……!!」

 

意を決して、錦山は東堂ビルへと向かっていく。

時刻は午後五時を回ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久瀬をどうにか打ち倒した俺は、そのまま麗奈のいる東堂ビルへと足を踏み入れた。

視界に飛び込んできた殺風景なエレベーターホールは、十年前と変わらぬ姿で俺を迎え入れる。

まるで、俺をここに来るのを待っていたかのように。

 

「…………」

 

俺はエレベーターを使わずに、中の階段を使って上に向かう事にした。

ここは今や任侠堂島一家の拠点。

迂闊にエレベーターに乗って敵に待ち伏せされているとも限らないからだ。

 

「はぁ…………はぁ…………」

 

呼吸が荒くなる。

動悸も収まらない。

理由は、先程まで久瀬と闘っていたからというのもあるだろうが決してそれだけじゃない。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

この場所に来ると、否が応でも思い出すのだ。

十年前。消えることの無い十字架を背負った時の事を。

あの時の絶望感を忘れた事など、一日たりとも無かった。

あらゆる感情が綯い交ぜになってやがて全てが足元から崩れていくような、恐ろしい記憶。

 

(迷うな……恐れるな……!)

 

俺は自分自身に言い聞かせた。

そうだ。トラウマがなんだ。

今の俺には、そんなものに苦しむ資格すらも無い。

 

(麗奈……無事でいてくれ……!!)

 

俺なんかの為に、巻き込んでしまった。

何一つ悪い事など犯していない、善良な彼女を。

十年前に背負った十字架の、なんと軽くて愚かなことか。

 

(絶対に……絶対に助け出してやる……!!)

 

覚悟を決めて階段を上りきった俺は、周囲に人影がない事を確認しながら慎重に進んでいく。

やがて、事件の現場だった部屋の前にたどり着いた。

 

(開いている…………っ!)

 

そこで俺が見たのは、三足の靴。

和風の履き物と黒い革靴。そして、女物のヒール。

それらの靴が、この先にいるのが誰なのかを如実に表していた。

 

「麗奈……!」

 

俺は靴を捨てるように脱いで部屋に入り込み、真っ直ぐ続く廊下を進む。

そして、ある部屋の前までたどり着いた。

 

「っ、ここは…………」

 

家具がほとんど置かれていない、殺風景な部屋。

その中央に一つだけある机に、花束が乗せられている。

 

「堂島……組長……」

 

十年前の光景が、鮮明に蘇る。

襲われそうになる由美。

それを助けるために身体を張った桐生。

拳銃を持って踏み込む俺。

そして、銃声。

堂島組長の亡骸の傍で項垂れる、あの時の自分の姿までもが見えてくるようだ。

 

「…………」

 

俺はすぐに感傷を振り払った。

今はそれどころではない。

この奥で、麗奈が俺を待っている。

 

「麗奈、無事か!?」

 

最奥の部屋のドアを開けると、そこに麗奈の姿は無く。

代わりに、一人の女の姿があった。

古風に纏められた黒髪。

紫を基調とした和服。

鞘に収められた一振りの日本刀を持ち、その佇まいからは気品や優雅さすら感じられる。

俺は一目で確信した。

この人こそ、俺をこの場に呼び出した張本人。

 

「あの人が死んで、もう十年になるねぇ……」

「弥生の、姐さん……」

 

堂島弥生。

今は亡き堂島組長の妻。

かつての俺で言う所の"姐さん"にあたる人だ。

 

「姐さん……お久しぶりです。先日、出所して参りました」

「ここに来たという事は……あの手紙を読んだという事だね?」

「はい。俺の馴染みは……麗奈は何処にいるんですか?」

 

その問いに答えたのは弥生の姐さんでは無かった。

突然隣にあった和室の襖が開き、中から一人の男が姿を表す。

濃紺のジャケットに、黒のシャツと赤のネクタイ姿のその男もまた、俺のよく知る人物だ。

オールバックに纏めた髪と、弥生さん譲りの鋭い眼差し。

それはまるで、話に聞いた事のあるかつての漢気に溢れた堂島組長を彷彿とさせるような出で立ちだった。

 

「こうしてアンタの顔見るのも十年ぶりだな……錦山」

 

東城会直系任侠堂島一家総長。堂島大吾。

十年前の事件を皮切りに風間組から独立し、今や二次団体の一つにまで数えられる程の勢力を持った、新時代の"堂島組"。

そのトップを統べるこの男は、かつては堂島組の跡取りになる事を定められていた男でもある。

何故ならコイツは、あの堂島組長と弥生の姐さんの実の息子なのだから。

 

「アンタの馴染みなら、ここに居るぜ」

 

そんな大吾の背後に、麗奈はいた。

彼女はパイプ椅子に座らされ、両手を後ろに固定され、口には白い布を噛まされている。

 

「────!!」

 

なんの身動きも発言も。

ましてや抵抗も出来ない状態で、彼女は俺を認識すると涙目になりながら首を振った。

 

「麗奈!!」

 

俺の知っている麗奈は気丈な女だ。

いくらヤクザ達に脅されたとしても、決して恐れたり退いたりはしない。

そんな彼女がここまでの状態になる理由は、おそらく二つ。

一つはよっぽど怖い思いをした場合。

そしてもう一つは────

 

(麗奈……まさか、こんな時でさえ俺の事を……?)

 

先程表で久瀬も言っていたが、弥生の姐さんは約束を破る人じゃない。

こうやって縛ったりこそはするものの、必要以上に麗奈を傷付けたり怖がらせたりはしていない筈だ。

となれば、一見自意識過剰にさえ取れるこの考えも現実味を帯びてくる。

同時に俺は、更なる罪の意識に苛まれる事になった。

 

(本当にすまねぇ……麗奈)

 

全てを終わらせて必ずケジメを付ける。

そう決心した俺は、今にも蒸発しそうな理性を必死に繋ぎ止めて言葉を発した。

 

「若……教えて下さい。ここまでして俺を呼び出した理由は何なんですか?」

「その前に、その呼び方は辞めてもらおうか。俺はもう"若"じゃねぇ。アンタが組を荒らしてくれたおかげでな」

「……」

 

大吾の言葉はまさに恨み骨髄といった感じだ。

彼はあの事件によって最も人生を狂わされたと言っても過言では無い。

恨むのも当然と言えるだろう。

 

「……聞く相手を間違えましたね。教えて下さい、姐さん」

「錦山……テメェ……!!」

「いいだろう」

 

弥生の姐さんはそう言って頷くと、俺に自分達の要求を突き付けた。

 

「錦山。単刀直入に言おう。彼女を返して欲しければ……ここに桐生を呼び出すんだ」

「何……?」

 

任侠堂島一家の要求は、至ってシンプルだった。

関東桐生会の会長であり、俺の兄弟分である桐生をここに呼び出す。

それが彼らの目的だったのだ。

 

「……理由を尋ねても?」

「お前も新藤から聞かされているだろう?警察関係者からのタレコミで、あの人を殺ったのがアンタじゃない事が分かった。だが、今更その恨みを忘れられる訳もない」

「だからアイツを……桐生を殺ろうってんですか?」

「殺られたら殺り返す。それが極道の性だよ」

 

十年越しに分かった組長殺しの犯人。

それを狙おうにもソイツはもう神室町どころか東城会にすら居ない。

そこで姐さん達は、桐生と関わりがある俺に目を付けたという事だろう。

つまり、俺は桐生という獲物を釣るための餌でしかないって事だ。

 

「無事にこなしてくれれば彼女はこのまま返すと約束しよう。出来るね?」

「お断りします」

 

俺は間髪入れずに答える。

兄弟を売り渡す時点で論外だが、そもそも俺を餌としか見ていない点や何の罪も無い麗奈を巻き込んだ時点で俺が首を縦に振る事などない。

 

「なら、彼女がどうなっても良いって言うのかい?」

「そうは言ってないでしょう。これ以上麗奈に何かするのは俺が許さねぇ」

「だったら要求を呑みな!それしか道は無いよ!」

「呑めねぇって言ってんでしょうが」

 

コイツらの要求は決して呑まない。

だが麗奈は返してもらう。

真っ当な交渉なんぞするつもりは無い。

 

「要求は呑めねぇ。でも麗奈は返してもらう」

「……それが通るとでも思ってんのかい?」

「通しますよ。アンタらは極道の身勝手な都合でカタギを巻き込んだ。そんな連中を相手に交渉事なんざどうかしてる。全く……"任侠"が聞いて呆れますよ」

「……そうかい」

 

姐さんは静かにそう言うと、手にした日本刀を静かに抜き放った。

そして、切っ先を静かに麗奈へと向ける。

 

「私が、本気じゃ無いって思ってんなら大間違いだよ?アンタの返答次第じゃこの女は死ぬ。分かってんだろうね?」

「そいつは……俺への宣戦布告と取って良いんですね?」

 

俺は一切の淀みなく懐のドスを取り出した。

刃を抜きながら確信する。

今の俺なら躊躇いなく人を殺せるだろう、と。

 

「これ以上麗奈に何かをするつもりなら……俺はここでアンタも大吾も殺さなきゃならねぇ。そっちこそ、それが分かってんでしょうね?」

「お前……」

「いい、お袋。俺に任せてくれ」

 

俺と姐さんの間に、大吾が割って入る。

その目には明確な殺意が宿っていた。

 

「表に出てもらおうか、錦山。ここじゃ狭くて叶わねぇ」

「……それで未だ平行線のこの話が進展するなら、喜んで」

「進展はあるさ。もっとも、話し合いをするつもりなんぞ毛頭無いがな」

「……上等だ」

「ついて来い」

 

大吾はそう言うと俺の真隣を横切って部屋を出て行った。

俺は大吾の後を追うよりも前に、縛られた麗奈に視線を向ける。

 

「……もうちょっと待っててくれ、麗奈。直ぐに戻るからよ」

「───…………!」

 

当然、麗奈は何も答えることが出来ない。

だが、俺が勝手に約束する分には耳が聞ければ十分だ。

 

(これで、終わらせてやる……!)

 

覚悟を決めた俺は刃を納めて踵を返し、大吾の背中を追って部屋を出た。

十年越しの因縁に、決着を付けるために。

 

 




という訳で堂島組長の一人息子、大吾でした。
後に六代目を継ぐことになる若き日の大吾。
復讐に燃える彼を前に、錦山はどう立ち向かうのか。

次回はいよいよ十年越しの因縁に錦山がケリをつけます。
お楽しみに


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"不堂明王"

最新話です。
いよいよ決闘が始まります


2005年12月10日。

時刻は午後5時。

東堂ビルの任侠堂島一家事務所を出た錦山は、大吾の後を追って階段を上り、ビルの屋上へと辿り着いていた。

室外機等の設備以外は何も無く殺風景なその場所は、決して人目に付くことの無い事が容易に想像出来る。

 

(なるほどな……)

 

錦山は確信した。

堂島大吾は本気で自分を殺しに来ていると。

 

「ここなら邪魔は入らねぇ……俺とアンタ、二人きりだ」

「大吾…………」

 

大吾は錦山の方に振り返りながら、徐にタバコに火を付けた。

煙を吐き出しながら、大吾は静かに零す。

 

「アンタに情が移るかもしれない新藤には期待していなかったが、まさか久瀬さんの事も下すとはな。どうやら少し、アンタの事を見くびっていたらしい」

「じゃあ……お前が組を動かして俺を襲わせたのか?」

「あぁ」

 

錦山の問いかけに対し、大吾はあっさりと事実を認めた。

自分が、新藤や久瀬を動かしていた事を。

それはつまり。

 

「なら、麗奈を巻き込んだのもお前か……!?」

 

その問いに対しても、大吾はさも当たり前のように答える。

 

「そうだ。久瀬さんあたりは自分がやったとでも言ってそうだが、実際はそうじゃない。女を攫ってアンタを誘き出す命令を下したのはこの俺だ」

 

瞬間。

錦山の中で感情が暴発した。

 

「ふざけんな!!テメェ、なんで彼女を巻き込んだ!?今回の件、麗奈は何一つ関係ねぇじゃねぇか!?」

 

目的の為なら一般人すらも平然と巻き込んで利用する任侠の風上にも置けないそのやり口は、まさに錦山の知る堂島組長に酷似している。

陰湿で醜悪な、外道のやり口だ。

 

「関係ない?それは違うな。あの女はアンタがどういう男かを知った上で店に匿った。この時点であの店が東城会からどう思われるか……この街で商売をしてて知らない訳がない」

「大吾…………」

「俺はどうしてもアンタをこうして誘き出す必要があった。あの女には感謝してるよ」

「テメェ……そこまで俺の事を恨んでいるのか?」

「恨む?くくっ……まさかアンタまで、そんな事を聞いてくるとはな」

 

大吾は薄く笑った後に錦山を睨み付けた、吐き捨てるように叫んだ。

 

「そんな甘っちょろいもんじゃねぇんだよ!!!!」

「……っ!」

 

それを皮切りに、大吾の口からは次から次へとドス黒い言葉たちが零れ落ちていく。

 

「……俺はこの十年間、徹底的に勢力の拡大や戦力の強化を進めて来た。風間組や桐生組と揉めた事も一度や二度じゃねぇ。外様の組織とだってやり合った事もある」

 

大吾は語った。

旧堂島組が母体ではあるものの、若手である大吾が旗揚げしたばかりの任侠堂島一家を拡大させるのは至難の業だったと。

 

「お前、東城会の看板背負ってそんな無茶を……!」

「俺みたいな若造がトップの組織はすぐにナメられる。黙らせるためには徹底的に噛み付いてねじ伏せるしか無かったのさ。それらは全て、錦山…………アンタをこの手でぶっ殺す為だった。」

 

そこで大吾は言葉を切る。

彼は今にも暴発しそうな怒りを必死に抑え込んでるかのような、そんな表情を浮かべていた。

 

「だから……十年経った今になって、本当の犯人は桐生だったなんて聞かされた時は自分の耳を疑ったよ。俺は、なんだかんだ言ってあの人だけは本気で信用してたからな」

「…………」

「だからこそ、この怒りは桁違いなのさ……!」

 

大吾は手に持っていたタバコを握りつぶしながらそう言う。

多くの信用と信頼を裏切られた大吾の心は今、ドス黒い憎しみに染まっていた。

 

「お袋はアンタを人質代わりに桐生を誘き出そうって肚だが、俺はそんな生温い事をするつもりはねぇ」

「なら……どうしようってんだ?」

「決まってんだろ……」

 

大吾は静かに後ろを振り向くと、ジャケットの肩を掴んで勢いよく服を脱ぎ捨てた。

鍛え抜かれた上半身が顕になり、背中に彫られた不動明王が錦山を睨み付ける。

まるで、裁くべき相手を見定めているかのように。

 

「アンタをこの手で殺す。それが桐生に対する何よりの合図になるからな」

「合図だと……?」

「そうだ。アイツは俺から大事なモンを奪っていった。だから俺も、アイツの親友であるアンタの命を奪う。それでアイツは思い知るはずだ。因果応報って言葉の意味をな……!」

 

殺られたら殺り返す。

それが極道としての性であると主張する今の大吾は完全に復讐に取り憑かれていた。

それ自体は別に不思議な事ではなく、実の父親を殺された彼の立場を考えれば至極当然の事と言える。

だが。

それでも一つ、錦山は大吾に聞きたいことがあった。

 

「大吾。俺と殺り合うってんなら別に構わねぇ。だが、一つだけ答えろ」

「なんだ?」

「お前にとって、親父は……堂島宗兵はどんな男だった?」

 

錦山の知る堂島組長は、酒と女に溺れて堕落しきった小物でしか無かった。

挙句の果てには部下の女に手を出そうとし、逆上した上に返り討ちに遭って殺されるその最期は惨めと言う他無い。

とても人望のあった極道とは言い難いだろう。

だからこそ、錦山は気になったのだ。

堂島組長は大吾から見たときに、そこまでして仇を討ちたいと思える程の男なのかと。

 

「これから死ぬアンタに、それを語って何になるって言うんだ?」

「これから死ぬつもりは毛頭無いが、お前がそこまでこだわる理由が知りたくてな。あんな小物に、お前ほどの男がそれだけやるほどの価値があるってのか……?」

「テメェには関係ねぇ。それより、最後の言葉はそれでいいのか?」

 

その問いに対する答えと言わんばかりに、大吾はファイティングポーズを取った。

こうなってしまえばもう、錦山が大吾を打ち倒してから聞くしかない。

 

「なぁ大吾。お前……何か勘違いしてねぇか?」

「なんだと?」

「あたかも自分は怒りに狂ってますって言い草だが……それがお前だけだとでも思ったら大間違いだ……!」

 

錦山は、今にも爆発しそうな怒りを解き放つように服を脱ぎ捨てた。

刑務所で鍛えた肉体と、背中に背負った緋鯉が顕になる。

 

「──よくも麗奈を巻き込んでくれやがったな。人の大事なモンに手ぇ出したらどうなるか教えてやるよ、クソガキが……!!」

「それはこっちのセリフだ。お前や桐生の罪が、十年やそこらで消えると思うな……!!」

 

もう後戻りなど出来ない。

これから始まるのは、喧嘩でも殺し合いでも無い。

 

「行くぞぉ、錦山ァァァ!!」

「来やがれ、大吾ォォォ!!」

 

東城会直系任侠堂島一家総長。堂島大吾。

十年越しの因縁に決着を付けるための"決闘"が幕を開けた。

 

「おぅらァ!!」

 

先に仕掛けたのは大吾だった。

大吾は素早い踏み込みで一気に間合いを詰めると、飛び込むように右の一撃を繰り出した。

跳躍した時の足のバネと体重を乗せた、スーパーマンパンチと呼ばれる技だ。

 

「ッ」

 

しかし、威力が高い分大振りで分かりやすい動きで放たれるその技を回避するのは容易であり、錦山もその例に漏れなかった。

錦山は拳の間合いから外れるように後ろに飛び退いたその攻撃を回避するが、大吾は動きを止めずに追撃する。

 

「でぇいやァ!」

「チッ!」

 

スーパーマンパンチの勢いのままに地面を蹴って、錦山の胴に放たれたボディ狙いの左膝蹴り。

錦山が咄嗟に両腕のガードを下げてその膝蹴りを受け止めた、その直後。

 

「が、ぁ────?」

 

錦山の顎に衝撃が走り、一瞬だけ彼の意識が途切れた。

膝蹴りよりも一拍遅れて打ち込まれた大吾の左フックが、ガラ空きになった錦山の顔面を捉えたのだ。

 

「ぐ、ッ!?」

 

膝から崩れ落ちそうになった錦山だが、どうにかすんでのところで踏みとどまる。

そんな彼に待ち受けていたのは、追い討ちで放たれた大吾のバックスピンキックだった。

 

「はァあッ!」

「うごぉっ!?」

 

胴を蹴り抜かれた錦山は受け身も取れずにコンクリートの床を転がる。

 

(なんだ、一体何が起こって……?)

「ぅおラァ!!」

「くッ!?」

 

大吾が追い討ちで放ってきたサッカーボールキックをその場から転がるように回避して距離を取る錦山。

彼はまだ何の一撃を貰ったかの理解が追いついていない。

だが、それを分析させる時間を与えることを大吾は許さなかった。

 

「うぉぉぉおおおお!!」

 

雄叫びを上げながら勇猛果敢に殴り掛かる大吾。

久瀬のようなボクシング仕込みの打撃とは違い、大吾は総合格闘技のような一見すると大振りに見える打撃で圧力をかけていく。

 

「チッ、ぐッ、ぬぅッ──!」

 

錦山はそれらの攻撃を、スウェイやガードを使ってやり過ごし、反撃の隙を伺う。

そうしていく内に段々と錦山の目が大吾の動きに慣れていった。

 

(よし、これなら……)

「えぇいやァ!!」

 

そんな中放たれた右のオーバーフック。

錦山がこれを躱せば、大吾は致命的な隙を晒すことになる。

 

(行ける──!?)

 

その一撃を左に避けて返しのパンチを繰り出そうとした錦山だったが、その直後にその顔は驚愕に染まる。

 

「なっ!?」

 

錦山が拳を振り上げた時にはもう、大吾の右脚がすぐ目の前まで迫っていたのだ。

 

(何っ!?)

 

飛んできた右のハイキックを反射的に左手で防御する錦山。

だが、それは今の彼にとってそれは最大の悪手だった。

 

「ぐぁっ!?」

 

左手の甲に直撃したそのハイキックは、先の戦いで開いてしまった彼の手の傷口に甚大なダメージを及ぼした。

耐え難い激痛とハイキックの衝撃で防御がままらなくなった錦山は、大きく体勢を崩されてしまう。

 

「はァァッ!!」

 

その隙に大吾は、突き刺すような前蹴りを錦山の胴に叩き込んだ。

 

「ぉ、ごぉ、っ!?」

 

三日月蹴りとも言われるその技は相手の内臓にダメージを与え、耐え難い激痛を引き起こす。

錦山もその例に漏れず、その場に蹲ってしまった。

 

「せいッ!」

「ぶがッ!?」

 

大吾はさらに追撃として錦山の顔面を蹴り上げた。

仰向けに倒れる錦山にトドメを刺すために、上からマウントポジションを取る。

 

「オラッ、オラッ、オラッ、オラァ!!」

 

そして、錦山の顔面に拳の雨が降り注いだ。

殺意の籠った打撃の連打により錦山の顔面生傷が増えていく。

だが、ただでやられてるだけの錦山では無い。

 

(野、郎……!)

 

錦山は打撃によって口に含まれた血を大吾の顔面目掛けて吹き掛けた。

賽の河原の地下闘技場で錦山がゲイリー相手に仕掛けた目潰しの奇襲。

しかし。

 

「甘ぇんだよ!」

「!?」

 

大吾は左手を翳すことでその目潰しを防いだ。

まるでその行動を読んでいたと言わんばかりの対処の早さに、錦山は目を見開く。

 

「くたばれオラァ!!」

 

そんな彼の視界に映り込んだのは、スローモーションで自分に迫り来る大吾の右拳だった。

 

「ぶっ、が、……っ────」

 

大吾の右ストレートは顔面を正確に捉え、錦山の後頭部をコンクリートの床に叩きつける。

その一撃により、錦山の全身から力が抜けた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

それを確認した大吾はゆっくりとマウントを解き、その場から立ち上がって仰向けのまま動かない錦山を見下ろす。

 

「意外と、呆気なかったな……」

 

ふと零した言葉が、大吾の率直な感想だった。

堂島の龍と呼ばれた桐生一馬の兄弟分であり、ここに来るまでにも多くの猛者とやり合ってきているはずの錦山。

しかし、蓋を開けてみればこの程度。

ろくな反撃も出来ぬまま、錦山は動かなくなってしまったのだから。

 

(だが、これも入念な準備のおかげだ。それが結果に結び付いたんだろう)

 

堂島組長が殺されてからの十年間、大吾は己の身体を鍛え続けてきた。

街での喧嘩や組織の抗争の際は誰よりも率先して殴り込み、実戦における経験やスキルにも磨きをかけた。

母である堂島弥生や他の組長達にも掛け合って人員や資金を調達し、元堂島組の幹部であった久瀬を引き抜いてからは一気に組織の拡大に力を入れ、任侠堂島一家を東城会の直系団体にまで押し上げた。

しかし、彼が最も心血を注いだのは鍛錬でも組織拡大でも無い。

 

(だが、重要なのはこれからだ……もっと情報を集めないとな)

 

それは、情報収集。

大吾は神室町に訪れてからの錦山の事を徹底的に調べ上げたのだ。

誰と合流しどんなやり取りをしたのかはもちろんだが、大吾が一番重要視していたのは錦山の"闘いの記録"だった。

三代目会長の葬儀で起きた嶋野との闘い。

ミレニアムタワーで起きた近江連合構成員との小競り合い。

賽の河原と呼ばれる闘技場での一戦。

バッティングセンターで起きた真島吾朗との死闘。

跡部組との対立や、闇金を運営するゴロツキ達との喧嘩。

松金組の若頭である羽村とのいざこざと、謎の暗殺者との交戦。

正体不明の謎の組織とやり合った銃撃戦。

そして今日の昼間に起きた新藤との殺し合いや先程 久瀬とやり合った"死闘"に至るまで。

大吾はあらゆる手段で情報収集をし、それら全ての情報を手に入れていたのだ。

誰との闘いでどのようにして勝ったか。

どこを怪我して、どこが弱点なのか。

その部分を徹底的に洗い出し、それらに対する策を入念に練った上で臨んだのが今回の"決闘"。

故に、この結果は決して大吾の元に偶然転がり込んで来たものでは無い。

彼自身が血の滲む様な鍛錬と努力の先に掴み取った必然なのだ。

 

(よし、トドメを刺してやる……!)

 

大吾は踵を返して脱ぎ捨てた服の下へと歩み寄る。

ジャケットを拾い上げると、その懐から一丁の拳銃を取り出す。

それは、大吾が来るべき時の為にあえて用意した"父を殺したモノと同じ型"をした代物だった。

これを使って桐生を殺したその時に、大吾の復讐は完遂する。

 

(まずは見せしめだ。桐生……錦山の死を以て思い知るがいい。お前がやった事の重さをな……!)

 

安全装置を外し、大吾は背後へと向き直りながら銃口を向ける。

そして。

 

 

 

 

────すぐ目の前に立つ錦山彰と、目が合った。

 

 

 

 

「なっ────!?」

 

大吾が呆気に取られた時には、もう既に錦山の手は大吾の手首を掴んでいた。

 

「ぐ、っ!?」

 

直後、発砲。

乾いた銃声が下から聞こえる喧騒以外に物音のないこの屋上に響き渡る。

 

「────」

 

しかし、発射された弾丸は錦山の頬にかすり傷を一つ負わせただけでその命までも奪う事は出来なかった。

至近距離で撃たれた拳銃にすらも臆する事無く、錦山は大吾の腕を捻りあげる。

 

「うぐぉっ!?」

「オラァ!!」

 

錦山は拳銃が大吾の手からこぼれ落ちたのを確認すると、大吾の顔面に全力の右ストレートを叩き込んだ。

 

「がぶ、っ、ぁ……!!?」

 

その一撃によって大吾は文字通り殴り飛ばされ、落下防止用の手すりに背中から叩き付けられた。

鼻が潰れ、脳震盪と三半規管へのダメージにより立つことすらままならない大吾に対し、錦山は生傷だらけの顔に不敵な笑みを浮かべて言ってのける。

 

「俺を仕留めようなんざ、十年早いんだよ……!」

(な……なにが、起こってる……?)

 

大吾は現状の理解に苦しんだ。

有り得ない。錦山はつい先程、自分の手で戦闘不能に追い込んだはず。

 

「……何が何だか分からねぇってツラだな」

 

その答えは、錦山の口から明かされる事になった。

 

「お前は最初、俺に対する怒りで頭が一杯な様子だった。パンチや蹴りも荒っぽいものが多かったからな。だがそれは違った。お前は……"冷静"だったのさ。誰よりもな」

 

ボディへの膝蹴りでガードが下がった所へと繰り出された顎への左フック。

右のオーバーフックの後を追いかけるように放たれた右のハイキック。

そして、怪我のある左手でガードし切れず体制が崩れた瞬間を狙った三日月蹴り。

怒り狂った極道が暴れた結果の偶然にしては、あまりにも出来すぎている。

 

(目潰しを防がれた時は流石に驚いたぜ……)

 

錦山にとって決定的だったのは、血の目潰しを防がれた時だった。

怒りで頭に血が上っている上にマウントポジションという有利な状況であと一歩でトドメを刺せるあの局面のおいて、文字通りの奇襲であるあの目潰しを冷静に対処するのは極めて難しいだろう。

その時に錦山は思ったのだ。

まるで、予め錦山が取る手段がわかっているかのようだと。

 

「お前の怒り心頭な態度は全て演技。一見荒っぽく見える大振りなパンチや蹴りも頭に血が上っていると見せかけるための演出だったんだ。その演技の合間に"本当に当てるための一撃"を仕込むためのな」

 

錦山が強者との闘いをする上での常套手段。

それは"先に仕掛けないこと"。

自分と互角、あるいは格上かもしれない相手と闘う時は先に相手の攻撃を待つことで出方を伺い、その上で相手のパターンなどを分析しながら闘うのが錦山のやり方だった。

情報収集する中でその特徴に気付いた大吾は"怒りに任せて大振りな攻撃ばかりをするパターン"という、比較的隙のありそうな演出をする事で錦山の油断を誘い、その間隙を突く作戦を編み出したのだ。

 

「現に、俺はことごとく不意や弱点を突かれて追い込まれていった。奇襲のつもりだった目潰しも封じられた時、俺は悟ったよ。俺の手の内は全て把握されてるってな」

「だったら、どうして…………」

 

どうして今、お前はそこに立てている。

それが大吾の抱いた最大の疑問だった。

それに対し、錦山はあっけらかんと答える。

 

「"死んだフリ"さ」

「なん、だと……?」

 

錦山の手の内は全て読まれ、その原因も分からない。

ただ、大吾が態度に反して冷静であることを見抜いた錦山は咄嗟に策を打った。

それこそが"死んだフリ"。

錦山はあの時、あたかも大吾の一撃でトドメが刺されたかのように振る舞うことで決着がついたと誤認させたのだ。

 

(もっとも、意識が朦朧としてたのはマジだったがな。あと数発喰らってたら危なかったぜ……)

 

もしも錦山の読み通りではなく、大吾が本当に怒り狂ってあのまま攻撃を続けていたのであれば結果は変わっていただろうと錦山は考察する。

己の分析を信じた錦山の博打とも言えるこの策は見事に嵌り、大吾は先程の態度から打って変わり冷静な態度でマウントを解いたのだった。

 

「あそこでやられたフリをすれば、お前はケリがついたと勘違いして攻撃の手を止める。そして……ジャケットにあった拳銃で俺にトドメを刺しに来る。だろ?」

「なに……!?」

 

大吾は目を見開いた。

彼はジャケットに拳銃がある事を組員はおろか母である弥生にすら伝えていない。

しかし、錦山は懐に拳銃がある事はおろかそれでトドメを刺そうとするプランまでも見破っていたのだ。

 

「お前が拳銃を持ってる事は会った時に気付いてたさ。ジャケットの左胸が中心から少しズレてたからな。後はいつそれを抜くかだったんだが……服を脱ぎ捨てた時に確信したよ。拳で決着付けた後にトドメを刺す気なんだってな」

「ば……馬鹿、な…………」

「俺の狙い通りマウントを解いたお前は拳銃のあるジャケットのところまで向かう。あとはお前に気付かれないように気配を消して立ち上がって距離を詰めれば、お前の不意を付けるって寸法さ」

 

元堂島組若衆。錦山彰。

彼は周囲から"堂島の龍" 桐生一馬の兄弟分として見られ、その影に隠れてしまっていた。

しかし、そんな錦山にあって桐生一馬に無いものが存在する。それは洞察力と判断力、そして分析力だ。

腕っ節や度胸、根性においては錦山を大きく上回る桐生だが、冷静な時に真価を発揮する彼の洞察力や判断力、分析力は決して桐生が真似出来るものでは無い。

桐生一馬を出し抜く事は出来たとしても、錦山彰を出し抜く事は決して出来ないのだ。

 

「着眼点は悪くなかったがな……相手が悪かったぜ。若造」

「く、そが……!」

 

悪態を付く大吾だが、彼の身体は未だに言うことを効かない。

反撃することは愚か立ち上がる事すら出来ないでいた。

 

「さて……」

 

錦山は脱ぎ捨てた衣服を拾い上げ、手早く着る。

その後は床に落ちた拳銃を拾い上げると、ゆっくりと銃口を大吾に向けた。

これで形勢は完全に逆転。

この決闘は錦山の勝利だった。

 

「大吾。まだ口は聞けるよな?さっきの問いに答えてもらうぜ」

「…………」

「お前にとって……堂島宗兵はどんな男だった?」

 

改めて尋ねる錦山。

大吾はその問いに対し、俯いたまま呟いた。

 

「……俺の知ってるあの人は、臆病な男だった。」

 

これより明かされるのは、十年前にこの場所で殺された男の真実。

 

「臆病で…………優しかった」

 

東城会直系堂島組初代組長。堂島宗兵。

嫌われ者だった男の、知られざる本当の素顔────

 

 




本来こういうボス戦の時のサブタイって戦闘時のサントラだったりするんですけど、2の時は共通BGMで、4の時は4ならではの感じが強くて、5は著作権的にちょっと怖いなぁというのが本音だったので、オリジナルのものを考えてみました

次回は、堂島宗兵について掘り下げてみようと思います。
なにぶん公式からのソースが少ないので私独自の解釈が入ってる部分も多いですが、そこはご容赦いただければと思います。
次回もよろしくです


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憎しみもまた、愛

最新話です
独自解釈が多分に含まれますがご容赦ください


2005年。12月10日。

東堂ビルの屋上での決闘を終えた錦山は、大吾に拳銃を突き付ける。

抵抗を封じた上で彼が問いかけたのは、大吾から見た堂島宗兵についてだった。

 

「……俺の知ってるあの人は、臆病な男だった。臆病で…………優しかった」

 

降り始めの雨のようにぽつぽつと堂島宗兵の人となりが大吾の口から語られ始める。

 

「親父もあんなナリな上に根っからの極道だ。だから外じゃずっと気を張っていた。でも……家じゃ俺やお袋には優しかった。ガキの頃も一度だって手ぇ挙げられた事は無かったし、欲しいものはなんだって買ってくれた」

 

外に出れば威厳ある極道の組長だが、一度家庭に戻れば大吾や弥生に対して笑顔で優しく接していたという。

そんな堂島組長には、口癖のように言っていた言葉があった。

 

「そんな親父が家で酒に酔った時に決まって言うんだ……"死ぬのが怖い"ってな」

「死ぬのが怖い、だと……?」

 

錦山からすれば、その言葉は全ての極道やカタギたちに対する冒涜だった。

敵味方を問わず、一体何人の人間たちが堂島組の為に命を落としたというのか。

彼らだって、死にたくなかったに決まっている。

そんな彼らの命を犠牲にして生き残っていた男が吐くのが、そんな言葉なのか。

錦山の中で、再び感情が高ぶって暴発しそうになる。

 

「あぁ……あの人はこう言っていた。"俺が死んだら、お前達を守る奴が居なくなっちまう"ってな」

「っ!?」

 

だが、その言葉で錦山の高ぶっていた感情は一気に沈静化した。

同時に、大吾の放った"臆病で優しかった"という言葉にも合点がいく。

 

「その言葉には当然、我が身可愛さもあったんだろうさ。でも……親父は分かっていたんだろうな。自分が死んだ後で起こる堂島組内の不和や、そのゴタゴタによって組が弱体化した隙を狙って東城会の極道たちが神室町の中で共食いを始める事を」

「…………」

「そして、もしもそうなって混迷を極めた東城会の極道達にとって、亡き組長の家族……つまり俺やお袋は格好のエサだ。親父の死を利用して堂島の身内に取り入ろうとする奴や、反乱や報復を目障りに思って殺しに来る奴……良いように利用されるのが関の山だろう。でも、そうなった時に俺達を守ってくれる奴なんてどこにも居ない。なにせ、親父は嫌われ者だったからな」

 

故に、死ぬのが怖い。

嫌われ者の自分が死んだ所で、まともに弔ってくれる人間など家族以外ではたかが知れている

そして、もしもそうなればかつて自分が食い物にしてきたように守る者の居なくなった自分の家族は報復とばかりに食い物にされる。

そんな恐怖を覚えた堂島宗兵が取った手段は、"食われる前に食う"事だった。

 

「だからこそ、親父は今の地位と命を守った上で更にのし上がる事に固執したんだろう。バブル経済の好景気を利用して地上げを推し進め、栄華を極めた堂島組のボスとして君臨したんだ。神室町を牛耳る裏社会のトップとして、自分の命を狙う者など誰も居ないほどの高みに上り詰める為に。だが……そんな親父にとって最大の不安材料があった」

「それって……まさか……!」

「あぁ……風間さんだよ」

 

風間新太郎。

当時の堂島組若頭。組のNo.2だったこの男は仁義と任侠を絵に書いたような本物の極道だった。

誰もが憧れるような生き様を背負ったその男の下には、溢れんばかりの荒くれ者達が集い、瞬く間にその勢力を拡大させていた。

臆病だった堂島はそんな風間を見て一つの疑惑を覚えたのだ。

この男は、機を見て自分に反旗を翻すつもりなのではないか、と。

 

「もちろん、俺も風間さんがそんなことをするとは思えねぇ。だが……親父にとってはその僅かな疑惑ですら妥協出来なかったんだろう。だからこそ、親父はあるタイミングで風間さんを嵌めてムショにぶち込んだ。新しい若頭を、自分の都合のいい奴にすげ替える為にな」

「そうか……それで起きたのが、あの"カラの一坪"事件…………」

 

地上げの終わり間際、神室町の真ん中に偶然現れた端切れの土地。

その所有権を巡って起きた内部抗争。カラの一坪事件。

最終的に世良勝の手に渡って幕を閉じたその事件は、堂島宗兵の権威が失墜する大きなキッカケとなった出来事と言えるだろう。

 

「だが、その企みは潰えた。組の実権を完全に風間さんに握られた後の親父は、アンタも知っての通りだよ。酒に溺れて女に走って…………当時、反抗期だった俺はそんな親父の事が気に入らなかった。でも、お袋は違った」

 

家に居ても酒に溺れて、泣き崩れるばかりの情けない姿を見せる宗兵に対し、妻の弥生は懸命に寄り添って支え続けた。

 

「お袋は、親父がどんなにダメになっても決して見捨てる事はしなかった。親父の女遊びだって、気晴らしになるならって黙認していた。今となっちゃ結局それは、親父を甘やかすだけで何の解決にもならなかったんだがな…………そして」

 

平衡感覚を取り戻した大吾が、手すりを背にしながらゆっくりと立ち上がる。

その瞳には、先程まで消えかけていた闘志が再び宿っていた。

 

「十年前のあの日、この場所で事件は起きた」

「…………」

「桐生やアンタの馴染みだったあの女に、大人しく親父の食い物にされてりゃ良かった……なんて事を言うつもりはねぇ。親父のやってた事は、身内の俺からしても擁護できるもんじゃねぇからな」

 

そこで大吾は一度言葉を切る。

そして、今度は演技ではない自身の内から溢れ出る憎しみを解き放った。

 

「だがな……それとこれとは話が別だ!アンタにとっちゃ最低のクソ野郎でも、俺にとっちゃこの世でたった一人の親父だったんだ!!」

「大吾……お前…………」

「アンタは居なかったから分からねぇだろう……親父の葬式。普段絶対に涙を見せないお袋が、初めて人前で泣いたんだ。あの時のお袋の顔は、今でも忘れられねぇ……!!」

 

目は釣り上がり、握りしめられた拳からは血が流れる。

父を奪い、母を悲しませて家族を滅茶苦茶にした奴を許さない。

大吾は父親の葬儀で固くそれを誓ったのだ。

そして、そんな仇の内の一人が今 目の前にいる。

 

「アンタらは女に手ぇ出された事を曲げられなかった。それはいい。だがな……こっちにも曲げられねぇもんがあんだよ!!」

 

ならば、黙って見過ごす事など出来ない。

互いに譲れないもの、曲げられないものがあるのなら、ぶつかり合う他ないのだ。

 

「……そうか」

 

大吾の言葉を聞いた静かに銃を下ろした。

錦山はその引き金を引くことはしない。

彼の運命は十年前にこの場所で狂った。

その事実は何をしても変わらないのだから。

 

「お前の怒りと憎しみ……確かに聞いたぜ」

「!」

「少なくとも、今の俺や桐生に何かを言う権利はねぇだろう。お前にとって堂島宗兵は父親だった。それが分かったからな」

 

錦山は拳銃に安全装置をかけ、床に放り捨てる。

 

「堂島組長を殺した罪は、俺が生涯をかけて背負い続ける。俺に恨みや憎しみをぶつけたいんなら、これからも好きにするといい」

「錦山……お前……」

 

錦山は今まで、堂島宗兵を殺した罪そのものとは向き合っていなかった。

彼が罪を被ったのは兄弟分である桐生や妹の優子、ひいては東城会の為に過ぎなかったのだから。

しかし、自分達が手にかけた堂島宗兵が誰かにとって大切な人間であった事を知った今。

彼はその罪と向き合う事を決めたのだ。

 

「俺はもう、逃げも隠れもしねぇ」

 

誰かを悲しませて不幸にさせた事の責任は、今後も問われ続けるだろう。

それでも。その重さを受け止めて、逃げずに立ち向かう。

それが、今の錦山が往く"極道"に他ならない。

 

「そうか…………なら」

 

大吾が拳を握る。

元より受け入れる覚悟があるならば、遠慮をする必要は無い。

燃え上がった闘志の赴くままに、大吾はその拳を振り上げた。

 

「ここで俺に殺されろ!錦山ァァァ!!」

「────でもな」

 

叫び声と共に振り抜かれた右ストレート。

錦山はそれを正確に見切り、身を捩って回避する。

勢いのままに錦山の後ろへと回った大吾が、錦山に再び拳を振るおうと振り向いた瞬間。

 

「それとこれとは話が別だ」

 

錦山のボディブローが大吾の鳩尾に深く突き刺さった。

 

「が、ァ、ッ!?」

 

鈍器で殴られたかのような重い一撃に悶絶する。

身動きが取れない大吾の髪を掴み上げ、錦山は至近距離で殺気をぶつけた。

 

「歯ァ食いしばれ。こいつは…………」

「!?」

 

錦山は大吾を掴んだまま、腰を落として腕をまるで弓のように引き絞る。

そして。

 

「──麗奈の分だァァァああああああッッ!!!!」

 

岩石のように硬く握り締めた拳にありったけの怒りを乗せ、全体重を乗せた一撃を顔面に叩き込んだ。

 

「ぶが、っ、ぁぁ!?」

 

まともに喰らった大吾の身体は後方に吹き飛ばされ、コンクリートの床を無様に転がった。

それを見届けた錦山は拳を解き、痛みを逃がすために軽く手首を振る。

 

「俺に恨みがあるならいつでもぶつけて来い。でもな……俺の身内に手を出す事は許さねぇ」

 

元より錦山の怒りの源泉は、十年前の事件のことでは無い。今更になってその事を掘り下げるつもりもないからだ。錦山の怒りの源はただ一つ。

麗奈を巻き込んだことだけだった。

 

「今度麗奈に手ぇ出そうとしやがったら……分かってんだろうな?」

 

仰向けに倒れる大吾を見下ろし、錦山は告げた。

次に同じ事が起きた時は容赦はしない、と。

 

「ぐ……………………ぅ………………」

「それだけだ。あばよ」

 

錦山は指一本動かせない大吾を捨て置き、屋上から去っていった。

遠くに喧騒が聞こえるビルの屋上で無機質なコンクリートの床に倒れた大吾の頬に、冷たい感触があった。

 

「っ…………」

 

暗くなり始めた空から、ぽつりぽつりと雨粒が零れていく。

それはやがて大雨となって、身動きの取れない彼の身体を容赦なく濡らしていく。

 

「ち、く…………しょ、う………………!!」

 

誰も居ない雨の屋上で大吾は一人、涙する。

その瞳から溢れた雫は、降り注ぐ雨と共に横顔を伝っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大吾との一騎打ちを終えた俺は、雨の降り始めた屋上を後にして暗くて殺風景な階段を一つ一つ降りていく。

やがて明かりのある廊下まで辿り着いた俺は、最初に訪れた部屋に足を踏み入れた。

 

「っ!錦山……アンタ……!!」

 

弥生の姐さんと目が合う。

その表情には驚愕と焦りが浮かんでいた。

 

「ただいま戻りました……姐さん」

「大吾を……あの子をどうしたんだい!?」

 

姐さんはそう言って手にした日本刀も切っ先を真っ直ぐ俺に突き付ける。

当然だ。俺だけがここに戻ってきているという事は、大吾の身に何かがあったということに他ならないのだから。

 

「ご心配なく。多少痛め付けこそしましたが、死んじゃいません」

「アンタ……どういうつもりだい?」

「……大吾から、堂島組長の事を聞きました」

「!?」

 

姐さんは目を見開いた。

おそらく、大吾がそんな事を言うとは思っていなかったのだろう。

だが、大吾からそれを聞けたおかげで俺は今姐さんと"話し合い"が出来ている。

もしも俺から歩み寄るのを拒んでいれば、この場に死体が一つ出来上がっていただろう。

 

「……それで?」

「姐さん……今回の一件。これで手打ちにしようとは言いません」

 

今なら分かる。

大吾や姐さんが俺や桐生を目の敵にする理由が。

どんな人間にだって大事な"誰か"がいて、その誰かにとってもまたその人間は大切な存在なのだ。

俺にとって、優子がそうであるように。

 

(結局、優子は未だ見つからねぇ。もしも優子が、誰かに殺されでもしていたら……!)

 

そんな事になれば、俺はきっと"鬼"になってしまう。

どんな手段を使ってでもそいつを見つけ出し、必ずこの手でぶち殺す。

それを邪魔するあらゆるものを徹底的に踏み越えるだろう。

人なら殺す。モノなら壊す。法であるなら犯して破る。

そんな悪逆の限りを尽くす外道に堕ちるだろう。

 

(つまりは、そういう事なんだよな……)

 

俺がちょっと想像しただけでこれなのだ。

大吾と姐さんの心には、そんな"鬼"が宿っているのだ。

その鬼が生み出す怒りと憎しみは、仇である桐生を殺す事でしか消えることは無いのだろう。

 

「姐さん達が……俺や桐生を目の敵にするのは道理ですから」

 

誰かを殺せばその誰かの大切な人間が憎しみを抱き、その憎しみは新たな悲劇を生み出していく。

実に単純で、当たり前な事だ。

それでも、俺には一つ。どうしても譲れないものがある。

 

「でも……麗奈を巻き込むのは、違います」

 

バブルの頃に知り合ってから、俺みたいなろくでなしと今日まで贔屓にしてくれた麗奈。

彼女は裏社会の人間でも無ければ、ヤクザの女でもない。

神室町で店をやっているだけのれっきとしたカタギなのだ。

 

「今回の一件、彼女は何も関係ねぇ。俺を直接狙うのならまだしも、こんなやり方はあんまりじゃありませんか」

「黙りな。筋が通らない事なんて元より承知の上だよ……!」

 

姐さんの持つ刀が小刻みに震えている。

それは今まさに、彼女の心が揺れ動いている証拠だった。

 

「それでもね……それでも、私はやるしかなかった!あの人の仇を討つ為には、やるしかなかったんだよ!!」

 

声を荒らげる姐さんの目には、微かに涙が浮かんでいる。

 

「姐さん……」

「私は……ずっと堂島宗兵という男だけを見続けていた。威厳のあった時も、大吾に甘かった時も。そして、弱くて情けなくなっちまった時だって、私は一度たりともあの人から目を離さなかった!たとえ他の連中はどれだけ悪く言おうとね…………あの人は私にとって、かけがえのない存在だったんだよ!!」

 

この世で誰よりも堂島宗兵と時間を共に過ごし、誰よりも堂島宗兵を見続けていた姐さん。

好きになった一人の男を生涯愛し続ける事を誓った女傑の言葉を、俺は真正面から受け止めた。

これが、十年前のあの事件における贖罪の一つになると信じて。

 

「姐さん……どうか今は、その刀を納めちゃくれませんか?」

「なんだって……?」

「俺にはまだやることがあるんです。桐生のことや優子のことに美月のこと。それに遥や100億の事だってある。立ち止まってなんて居られません。ですが…………!」

 

俺は姿勢を正し、真っ直ぐに姐さんを見つめた。

その瞳の奥までも見抜くように。

 

「全て終わったら、俺が必ず桐生を連れて来るとお約束します。決してこのままにはしません。だから彼女を……麗奈を返して下さい!お願いします!!」

 

姐さんの中に眠る仁義ある心に語りかけるように嘆願し、俺は垂直に頭を下げた。

俺、麗奈、姐さん。

誰一人欠けることなく話を進めるためにはもうこれしかない。

 

(頼む、姐さん……!!)

 

まるで十年前のあの時のような激しい雨風と落雷の音が窓の外から聞こえてくる。

そんな中、俺は必死に祈って姐さんに頭を下げ続けた。

やがて。

 

「……………………」

 

静かに。何も言わずに。

姐さんは、ゆっくりとそれまで突き付けていた刀を下ろしてくれた。

 

「ありがとうございます……!!」

 

それを答えと受け取った俺はすぐさま和室へと飛び込んだ。

麗奈の口元の布や縄などを解いてく。

そして。

 

「錦山、くん……」

「麗奈……!」

 

ついに俺は、麗奈を救出する事に成功したのだ。

 

「錦山くん、私……私…………っ!」

「大丈夫、もう大丈夫だ。今は何も言わなくていい……遅くなって、ごめんな」

 

安堵感から感極まりそうになる麗奈を抱き締めて、囁くようにそう言った。

本当なら落ち着くまで待ってやりたいところだが、いつ他のヤクザがなだれ込んでくるかも分からない。

長居は無用だ。

 

「立てるか?」

「う、うん……」

 

俺は麗奈を立ち上がらせ、俺の上着だった黒のジャケットを彼女に羽織らせた。

足元に気を付けながら麗奈の事を連れて玄関へと向かう。

 

「姐さん……大吾のこと、頼みます…………」

「…………………………」

 

返事は無く、俺は振り向かないまま今度こそ居間を出ていく。

麗奈に靴を履かせ、事務所から出た俺が扉を閉める直前。

 

「……………………っ!」

 

刀を取り落とし、その場に力なくへたり込む姐さんの姿を見た。

 

「……失礼致します」

 

たった一言挨拶し、そっと扉を閉める。

俺の中でまたひとつ、ケジメを付けるべき事柄が増えた瞬間だった。

 




ついに麗奈を救い出した錦山。
次回もう一話描いて、その次は断章に行きたいと思います
よろしくです


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背負いし想い

しばらく間が空きましたが、最新話です
かなりの難産でした……
それではどうぞ


 

任侠堂島一家の総長である堂島大吾とその母である堂島弥生の手から麗奈を救い出した錦山は、彼女を連れて東堂ビルのエレベーターに乗り込んだ。

駆動音を上げて下へと降りていく鉄の箱の中で、錦山は安堵のため息を吐く。

 

(はぁ……一時はどうなるかと思ったぜ……)

 

東城会の直系団体である任侠堂島一家に追い込みをかけられた状況から、錦山なりの筋を通して麗奈を取り戻す事が出来た。

何かが一つでも違っていれば彼の命は無かっただろう。

 

「錦山くん……?」

「ん?いや……お前が無事で、本当に良かったと思ってよ」

 

錦山がそう言うと、麗奈は俯いたまま黙りこくってしまう。

尤も、つい先程までヤクザに囲まれていては無理もないのだが。

 

「俺がちゃんとセレナまで送ってってやる。安心しな」

「……ありがとう」

 

やがてエレベーターが止まってゆっくりと扉が開く。

その先にあった光景を見た時、錦山は背筋が凍り付いた。

 

「……おいおい、マジかよ」

「っ……!」

 

息を飲む麗奈を庇うように前に出た錦山は、そのままゆっくりとビルのドアを開ける。

その先に待っていたのは、任侠堂島一家のヤクザ達だった。

数十人は下らない黒服の男たちが、殺気立った様子で待ち構えている。

 

「ははっ、こりゃ…………」

 

話し合いの余地があるとは思えない錦山は、静かに腹を括る。

彼にはまだ、安息の時は訪れないようだ。

 

「──随分なお出迎えじゃねぇか」

「そういうお前は随分余裕そうだな、錦山。これから死ぬって時によ」

「お前は……」

 

そう言って詰め寄ってくる先頭のヤクザに、錦山は見覚えがあった。

第一関節から先がない左手の小指とモスグリーンのスーツが特徴のその男は、十数年前に堂島組にいた極道。

白髪の交じった頭をしたその男の事を、錦山は数秒かけて思い出した。

 

「確か、泰平一家の……」

「ほう……覚えてたか」

 

東城会直系任侠堂島一家構成員。岡部。

バブルの頃、全盛期だった堂島組の中で"渉外"を担っていた泰平一家という組織にいた男だ。

"占有屋"と呼ばれる違法のシノギを仕切っていた彼だったが錦山の兄弟分である桐生の介入によりシノギは潰されてしまい、彼自身もまた"ケジメ"を付ける羽目になってしまった過去を持つ。

 

「テメェや桐生のせいでこっちは組 解散するわ風間組に組み込まれるわで散々だったんだ。任侠堂島一家に引き入れてもらえたのが救いだったが……それにしたってテメェが堂島組長を殺したのが原因だ」

 

殺気立つ岡部につられるように後ろの男達も臨戦態勢に入っていく。

 

「何突っ立ってんだ?土下座しろや、土下座!テメェ立場分かってんのか?馬鹿野郎!!」

「……うるせぇんだよ、三下が」

「あ?」

 

麗奈を下がらせ、前に出た錦山は静かに拳を握る。

生き残れる保証は何処にもない危機的状況だが、彼は一歩も引かない。

錦山の敗北は即ち、麗奈の危機に他ならないのだから。

 

「要するに、お前は俺を通したくねぇんだろ?なら、ウダウダ言ってねぇでさっさとかかって来いや。それとも……ビビって手も出せねぇで吠えてるだけか?」

「上等だこのガキ!死んで詫びろや!!」

 

怒号と共に岡部が右ストレートを振り上げた。

錦山はファイティングポーズを取り、その一撃を冷静に見極める。

その直後。

 

「な、っ!?」

「──は?」

 

岡部が目を見開き、錦山は怪訝な声を出す。

結論から言うと、岡部の放った一撃は錦山に当たることは無かった。

しかしそれは、錦山がその一撃を回避したわけでは無い。

 

「──ッ」

 

岡部と錦山の間に割り込んだ男────任侠堂島一家最高顧問の久瀬大作が、まるで身代わりになるかのような形でその拳を受けたからだ。

 

「く、久瀬の叔父貴!?な、なんで……?」

「……意外とパンチあるな、お前。阿波野のヤツも良い教育してたらしい。でもな──」

「ご、ォッ!?」

 

久瀬の放ったボディブローが岡部の鳩尾を抉る。

 

「その程度の拳じゃ、コイツのタマは殺れねぇよ」

「久瀬の、叔父貴……ッ」

 

久瀬の一撃に悶絶し蹲る岡部。

それを目撃して構成員達は大きく戦意を削がれ立ち竦んでしまう。

久瀬の行動に対する疑問もあるが、そのあまりの強さと威圧感の前には何も言えないといった様子だ。

 

「久瀬の兄貴。あんた……何でこんなことを?」

 

疑問を抱いた錦山に対し、久瀬は淡々と答えた。

 

「何でも何もねぇだろ?お前は俺を倒してビルに入って女を連れ出した。それはつまり、総長や姐さんと何かしらのケジメを付けたって事だ」

 

それに加え、久瀬にとって錦山はつい先程 リベンジとして拳を交えた事でその実力を認めた相手でもある。

老いたとはいえ全盛期の堂島組を拳一つでのし上がった久瀬をタイマンで仕留める錦山に、並のヤクザが束になって襲いかかった所で結果は見えているのだ。

 

「なら、今更俺らがとやかく言う事じゃねぇ。それを分かってない馬鹿を俺が躾けた。それだけの事だ」

「久瀬の兄貴……」

「──その人の言う通りです」

 

久瀬の言葉に同意を示す声が、錦山の横から聞こえてきた。

錦山が声のした方を振り向くと、先程まで殺気立っていたヤクザ達が一斉に静まり返って頭を下げていた。

そして、頭を下げた先にいるのは錦山もよく知る一人の男。

 

「新藤……!」

「どうも、兄貴。さっきぶりですかね」

 

東城会直系任侠堂島一家若頭。新藤浩二。

堂島組時代の錦山の弟分であり、このヤクザ達を従える組織のNo.2を勤めている。

彼と錦山はつい一時間ほど前に郊外の墓地で対立して殺し合いを繰り広げたばかりだが、その表情は穏やかだった。

 

「新藤、くん……?」

 

しかし、その表情も麗奈の頬に出来た涙の跡を見た途端に罪悪感で歪んだ。

 

「麗奈さん、兄貴。この度は、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした」

「…………」

「総長や姐さんの事を言い訳にするつもりはありません。ウチの組の連中が、麗奈さんに危害を加えた事は紛れもない事実ですから」

「新藤……」

 

極道にとって親の命令は絶対。

今の新藤にとって堂島大吾や堂島弥生はれっきとした親であり彼はその親の命令に従っただけなのだが、それでもかつての兄貴分に義理を通さないのは新藤のポリシーに反するモノだった。

それでも親の意向がそれを許さず板挟みになっていた訳だが錦山が大吾や弥生と話を付けた今だからこそ、新藤もこうして義理を通す事が出来る。

図らずも錦山は、今の親とかつての兄貴分との狭間で苦しむ新藤の事をも救っていたのだ。

 

「今回の一件、ケジメは甘んじて受けます。ですのでどうか、手打ちにしちゃ貰えないでしょうか……?」

「何を、勝手な事言ってんだカシラぁ……!」

 

その時、頭を下げて手打ちを望む新藤を容認しない声が上がる。

 

「そいつは組を……俺たち任侠堂島一家をコケにしやがったんだぞ!?このまま黙って泣き寝入りしろってのか!?」

 

声の主は岡部だった。

彼としては、このまま引き下がる事は出来ないのだろう。

 

「岡部さん。何も泣き寝入りするとは言ってないでしょう?」

「同じ事だ!俺たちヤクザはナメられたらそこで終わりなんだよ!そんな事も分からねぇガキはすっこんでろや!!」

「そうか……なら──」

 

直後。

一瞬で間合いを詰めた新藤が岡部の首を掴みあげた。

突然の事で対応が遅れた岡部は為す術もなくそのまま壁に背中から押し付けられる。

 

「俺にナメられたアンタの発言権も、これで無くなったって訳だ」

「が、っ!?」

 

至近距離まで顔を近づけて殺気をぶつける。

跳ね返った構成員を躾けるのもまた、幹部の勤めの一つだ。

 

「この組の頭は堂島大吾総長。そして現状カシラを張ってんのはこの俺だ。旧堂島時代から居るってだけで古参ぶってるチンピラ風情が、デカい口叩くな」

「ぅ……ぐっ……──!」

 

総長である大吾がそうである事からもわかる通り、任侠堂島一家は若手が頭を勤める組織だ。

そんな中で旧堂島時代からの人間を数多く受け入れて組織を拡大させた背景がある影響か、若手に指図される事を嫌う壮年から中年層の極道が非常に多い。

そんな中で新藤がナメられないようにするには、このように力で抑え込むしかないのだ。

 

「泰平一家の時はそれでも良かったんだろうが、ここじゃそれは通じねえ。いつまでも特別扱いして貰えると思うなよ?三下が」

「っはっ、……はぁ、はぁ、はぁ…………」

 

岡部が抵抗の意思を失ったのを確認してから解放する新藤。

膝を着いて息を整える岡部を捨て置き、再び錦山へと向き直った。

 

「新藤……一つだけ約束しろ」

「なんでしょう?」

「今回の一件。麗奈や遥……俺の周りの人達は一切関係ない。今後二度と絶対に手を出さないと誓え。それで手打ちだ」

 

錦山の出した条件は、新藤からすれば非常に緩いものだった。

無関係の人間に手を出さないと言うだけで、自分の事は含まれていないのだから。

 

「……よろしいんで?」

「あぁ。さっき上でも言ったんだけどな、お前らが俺を狙うのは道理だ。それについてとやかく言うつもりはねぇ」

「分かりました。その条件を呑みましょう」

 

新藤の承諾により、錦山の要求が任侠堂島一家に通った。

これで、錦山を目的に遥や麗奈を狙う組織が一つ減ったと言えるだろう。

 

「ですが、桐生の叔父貴だけは話が別です。あの人だけは、今後もマトにかけさせてもらいますよ」

 

関東桐生会初代会長。桐生一馬。

十年前の堂島組長殺害の真犯人。

旧堂島組が主体となっている任侠堂島一家として、この男だけは逃がす訳にはいかないのだ。

 

「そん時はそん時だ。場合によっちゃ……また俺とやり合う覚悟をしとくんだな?」

「えぇ、勿論です」

 

錦山と新藤が不敵に笑って頷き合う。

二人の間には、何度ぶつかり合おうが決して壊れる事の無い絆が出来がっていた。

 

「おい、錦山」

 

そんな時、ふと久瀬が錦山に声をかける。

向き直る錦山に、久瀬はポケットからあるものを取り出して手渡した。

 

「お前、これ持っとけ」

「これは……?」

 

久瀬の手渡してきたそれは、鋼鉄製のメリケンサックだった。

拳にはめ込むことでただのパンチを鈍器の一撃に変える、立派な武器である。

 

「またウチと事を構える気なんだろ?なら、その時にテメェをぶち殺すのはこの俺だ。それまで死なれてもらう訳にはいかねぇからな」

 

錦山は、一瞬でも親切心から来るものであると考えた自分を愚かしく思った。

それと同時に、これは久瀬なりに錦山を認めた証である事も理解する。

結局のところ久瀬大作は、良くも悪くも闘争心の塊のような男という事だ。

 

「……ありがたく頂戴します。久瀬の兄貴」

「フッ……分かったらとっとと女連れて消えな。もうじきサツが来るぞ」

「えぇ……そうさせてもらいます。」

 

錦山は頷くと、自身の上着を羽織らせた麗奈の両肩に手を置いた。

そして、新藤に別れの言葉を告げる。

 

「じゃあな、新藤」

「はい。次に会ったら敵同士かもしれない自分が言うのもおかしいですが……どうかお気をつけて」

「おう。……麗奈、行けるか?」

「うん……大丈夫」

 

麗奈に優しく声をかけ、錦山は彼女に歩幅を合わせながらその場を立ち去っていく。

 

(兄貴…………)

 

新藤は小さくなっていく兄貴分の背中を、どこか物悲しそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月10日。

任侠堂島一家とひとまずの決着を付けた俺は、麗奈を連れてセレナへと戻って来た。

開店準備の済んだ店内には、静かなジャズのBGMが流れているだけで誰も居ない。

麗奈が店の表札を表にする前に連れ去られてしまったせいで、誰も店に入ってきていないのだ。

 

「ここまで来れば、もう大丈夫か?」

「う、うん……」

 

麗奈は俯いたまま顔を上げようとしない。

あんな思いをすれば当然と言える反応だ。

 

「ごめんな、麗奈……」

 

そんな彼女から手を離し、俺は静かに背を向けた。

こんな事になるとは思わなかった、等と言い訳をするつもりは無い。

こうなってしまった以上、ケジメは付けなくちゃならないだろう。

 

「俺はもう二度と麗奈の前には現れない。この店にも来ないようにする」

「え、っ……?」

 

今日をもって、麗奈とは縁を切る。

彼女に迷惑をかけないためには、こうする他に無い。

 

「もしもまたヤクザや警察が来たとしても……お前は知らぬ存ぜぬでやり過ごすんだ」

「錦山、くん……」

 

麗奈は優しい上に肝が据わってる。

目の前で知ってる顔が困っているのなら手を差し伸べずにはいられない。そんな女だ。

こうなった今でさえ、きっと俺が悪いだなんて思っちゃいないんだろう。

 

(だからこそ、こうする必要があるんだ)

 

風間の親っさんやシンジがそうしたみたいに、これ以上彼女を裏社会に関わらせちゃいけないのだ。

 

「今まで……俺みたいな奴に良くしてくれてありがとよ」

 

今生の別れになる事を覚悟し、俺は裏口のドアノブの手をかけた。

 

「……達者でな、麗奈」

 

その直後。

 

「っ?」

 

俺の左手首を、優しく掴まえる感覚があった。

麗奈だ。

彼女が店から去ろうとする俺を引き止めたのだ。

 

「麗奈……?」

「待って。錦山くん」

 

背を向けている俺に麗奈の顔は見えない。

だが、背中越しに聞こえる麗奈の声はどこか震えていた。

 

「錦山くん……手が……」

 

麗奈は俺の左手首を胸元の高さまで持っていき、それに伴い俺も振り向く。

 

「麗奈…………、っ」

 

視線の先にいた麗奈の表情は、本当に今にも泣きそうだった。

泣きそうな顔で、血に染まった包帯の巻かれた左手をまじまじと見つめている。

 

「……手当をさせて」

「いや、でもよ……」

「いいから」

 

やがて、麗奈は少し語気を強めて俺に言い放った。

一度こうなってしまえば、彼女はもう意地でも自分の意見を曲げはしないだろう。

 

「…………分かったよ」

 

結局、俺は麗奈の有無を言わせぬ迫力に押し負けてた。

その後は半ば無理やりソファに座らされると、麗奈はバックヤードから救急箱を引っ張り出して手当を始めた。

 

「…………」

 

涙の跡を拭くこともせず、黙々と手を動かす麗奈。

血に染まった包帯は切り剥がされ、縫合されていた傷口周りの血が拭き取られていく。

 

「……………………」

「……………………」

 

ジャズの音楽が無機質に流れる店内で、包帯を切るハサミの音がやけに耳にこびりつく。

麗奈はガーゼを手の平と甲に押し当てて、その上からバンテージのように包帯を巻き始めた。

 

「……うん。これで応急処置は終わり」

 

あっという間に処置は終わりを告げる。

俺たちの間に会話が無かった為か、余計に早く感じた。

 

「一応、医者には見せた方がいいと思う」

「あぁ……ありがとよ」

 

その言葉をもって、今度こそここにいる理由は無くなった。

さっさと立ち去ってしまおう。

そう考えた俺がソファから立ち上がった瞬間。

 

「錦山くん」

 

ぽすっ、と弱々しい衝撃があった。

麗奈が俺の胸に顔を埋めるように抱き着いていたのだ。

 

「麗奈、お前……!?」

「行かないで……」

 

思わず困惑する俺に、彼女は言った。

 

「お願いだから、行かないで……錦山くん」

 

俯いたまま顔を埋める麗奈の顔は見えない。

でも、程なくして麗奈のすすり泣く声が聞こえてきた。

 

「麗奈…………」

 

いつも明るく毅然と振る舞う麗奈。

今の彼女は、そんないつもの姿とは言い難い態度だった。

そんな彼女の姿が、俺に一つの予感を抱かせる。

 

(まさか…………)

 

もっとも、そんな気がしていなかったと言えば嘘になる。

俺がまだムショに入る前。

その時の麗奈の言葉や態度から、そう思わせるような部分が見て取れた事もあった。

 

(でも、そんな…………)

 

もちろん今まで麗奈から明確に聞かされた事は無いし、俺も気のせいか冗談のうちの一つだろうと考えて本気にはしていなかった。

でも。

 

「ねぇ……錦山くん」

 

顔を上げ、上目遣いに視線を向ける彼女が。

 

「私……私ね……」

 

頬を赤らめ、眉根を寄せて、潤んだ瞳で見つめながら放ったこの言葉が。

 

「私……今夜は、貴方と一緒にいたい」

 

長い間秘めていたであろう本心を、何より如実に現していた。

 

「麗奈…………」

「お願いよ……錦山、くん………………」

 

ふと、心臓が早鐘のように脈動している事に気付く。

頭での理解に、心が追い付かない。

 

(麗、奈…………)

 

遥のこと。桐生のこと。

風間の親っさんのこと。

そして、未だ行方が知れない優子。

そんな俺にとって大切な人達を狙う東城会や他の組織たち。

そいつらとの諍いは未だ収まる気配は無く、今もその騒動に麗奈を巻き込んだばかりだ

考えなきゃいけないことは際限なく、やらなきゃいけないことは山積み。

本当なら、こんな事をしてる場合じゃない。

 

(俺は……………………)

 

だが、そんな思考とは裏腹に俺の両目は麗奈を見つめたまま逸らそうとはしなかった。

身体中が熱を帯び、思考力が欠如していく。

みるみる近づいていく麗奈の顔。

真っ直ぐに俺を見つめ返す瞳。

涙の跡が残った朱色の頬。

スっと伸びた鼻筋。

艶やかな唇。

そして。

 

「──────」

 

お互いの鼻先が触れ合う刹那。

俺は、麗奈の小さな肩にそっと手を置いた。

 

「…………」

 

その肩が微かに震えるのを感じながら、ゆっくりと優しく押し戻す。

 

「ぁ…………」

 

切なそうに零れる吐息のような声を聞きながら、麗奈を引き離した。

これが、今の俺の答え。

 

「……私じゃ、ダメなの…………?」

「…………」

 

ここまで言われて何も気付かない程、俺も朴念仁じゃない。

俺は、麗奈の想いを理解した。

その上で拒絶したのだ。

 

(これ以上俺に関われば、きっと麗奈は不幸になっちまう……)

 

今の俺は東城会のみならず、様々な組織から命を狙われている立場だ。

そんな奴と一緒に居たって、麗奈は幸せになんかなれない。

 

「俺ぁよ、麗奈……これ以上自分のせいで誰かが不幸になるのが、耐えられねぇんだ」

「錦山、くん…………」

「今回の事件で、俺は色んな連中から目ぇ付けられてる。正直、生きて帰ってこられるかも分からねぇ」

 

だからこそ突き放す。

もしも自分が死んだとしても、彼女が苦しみに苛まれないように。

 

「分かってくれ、麗奈。俺は……お前の気持ちを踏み躙りたくねぇんだよ」

「……ううん、分かんないよ」

 

まるで駄々をこねるように首を振る麗奈。

そんな彼女の瞳からは再び涙が溢れ出ていた。

 

「麗奈……」

「だって……だって……!」

 

そして。

次の瞬間。

 

「錦山くん約束してくれたじゃない!"全部終わらせたら、またこの場所でみんなでお酒を飲もう"って……!」

「────!!」

 

俺は、麗奈の言葉にハッとさせられた。

 

「なのに……なんで今になってそんな事言うのよ!?」

 

数日前。

十年ぶりにセレナを訪れた俺に酒を振舞ってくれた麗奈。

彼女はその時から、事件の渦中に飛び込もうとする俺の事を酷く心配していた。

そんな彼女を安心させるために、俺はそんな事を口にしたのだ。

 

「本当は、貴方に危ない事なんかして欲しくなかった!桐生ちゃんの為に十年も刑務所に行って、ようやく戻って来れたのに……また貴方が遠くに行っちゃいそうで怖かった…………」

「………………」

「でも……そんな貴方に真っ直ぐ見つめられて"大丈夫だ"なんて言われたら……もう、引き止められる訳無いじゃない……!!」

 

辛く苦しい胸の内を吐き出す麗奈。

嗚咽が止まらなくなる程に、彼女は泣いていた。

 

「麗奈……、っ!!」

 

そんな彼女を、これ以上見ていられなくて。

放って置けるほど非情にもなれなくて。

 

「っ、ぁ…………?」

 

気付けば、俺の傍を離れようとしない彼女の事を抱き締めていた。

 

「錦山、くん……?」

「ごめんな、麗奈……」

 

そうだ。

俺は誓ったんだ。

九年前、桐生が優子を救ってくれた事を知ったあの日に。

"生きる事から、逃げない"と。

 

「俺は……大事な約束を破ろうとしちまってたんだな。」

 

どうやら俺は、現状に追い詰められるあまり大事な事を忘れていたらしい。

本当に悪い癖だ。

 

「本当よ……馬鹿」

「あぁ……お前の言う通り俺ぁ、本当に大馬鹿だ」

 

約束を破ろうとした挙句、こんないい女を泣かせておいて自分は死ぬかもしれねぇなんて戯れ言を吐く。

まったく、馬鹿以外の何者でも無い。

 

「ねぇ、錦山くん……」

「?」

「貴方に……渡したいものがあるの」

 

麗奈はそう言うので、俺は彼女を抱きしめていた腕を解いた。

そそくさとカウンターに移動した麗奈が、下の棚から一つの紙袋を取り出す。

 

「これ、受け取って」

「あぁ……」

 

言われるがままにそれを受け取った俺は、紙袋の中を覗き込んで面食らった。

 

「お前、これって…………」

 

紙袋からゆっくりと中身を取り出す。

そこにあったのは、焦げ茶色のレザージャケットだった。

生地は分厚く防寒に優れていて、触った感じの質感から本革を使った高級品である事が分かる。

タグには見覚えのないロゴが入っていたが、十中八九ブランド品なのは間違いないだろう。

 

「錦山くんの出所祝い。ホントは、騒動が終わってから渡すつもりだったけど……今受け取って欲しいの」

「良いのか?こんな上等なモンを……」

 

困惑する俺に対して、麗奈はいつもの毅然とした態度でこう言った。

 

「勿論。ただし……錦山くんが大切に着続けてくれるなら、だけどね」

「!」

 

レザーを使った製品というのはとても繊細で、特に合皮性のモノはものの数年ですぐにヒビ割れや劣化が始まる。

だが、本革のジャケットというのはちゃんと手入れを行えば十年は長持ちするのが特徴だ。

 

(麗奈……)

 

つまりこれは、彼女からのメッセージ。

このジャケットがダメになるまで、生きて着続けろと言うことだ。

 

「このジャケット……受け取ってくれる?」

「……あぁ」

 

麗奈の言葉に頷く。

上着を脱ぎ、麗奈の持ったジャケットを受け取ってその身に纏う。

まるで採寸でもしたかのようにサイズの合ったジャケットにずしりとした重みを感じる。

だがそれも当然と言えるだろう。

今着ているこれは麗奈の想いそのもの。

これを着る事はすなわち、彼女の想いを背負うという事に他ならないのだから。

 

(なるほど、こいつぁいい……)

 

身が引き締まる想いだ。

もしも今後、どれだけ過酷な状況に置かれたとしてもこのジャケットの重さが思い出させてくれるだろう。

俺の命が、失われてはいけないものである事を。

 

「ありがとよ、麗奈。俺も……腹ァ、括ったぜ」

「錦山くん……?」

 

もう、迷いも恐れも無い。

その事を証明して行くために、俺は何度目かの約束をした。

 

「必ず、生きて戻る。それまで……待っててくれるか?」

「…………うん、待ってるからね」

 

麗奈はその言葉に深く頷き、静かに微笑んだ。

その瞳には薄らと涙が浮かんでいる。

そんな彼女の涙を見て、俺は覚悟した。

それは、親や組のためなら死ぬ事をも恐れないヤクザ者としての覚悟じゃない。

 

(やってやるさ、必ずな)

 

自分の事を大切に想ってくれる人達に報いるために誓ったモノ。

生きるという約束を違わない、男としての覚悟───。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は断章です
よろしくお願いします


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断章 2000年
決別の刻


最新話です
いよいよこの時が来てしまいました。


2000年12月25日。

世間がクリスマス一色に染まる今日この日。

関東最大の極道組織である東城会本部の応接室は、混乱と騒動の真っ只中にあった。

 

「────世良ァァァああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」

 

絶叫にも似た雄叫びを上げて襲い掛かるのは、東城会直系風間組若頭補佐の桐生一馬。堂島の龍の異名を持つ伝説の極道。

 

「来い……桐生!!」

 

そんな彼を迎え撃つのは東城会三代目会長。世良勝。

東日本における極道社会の最高権力者だ。

 

「オラァッッ!!」

 

勢いのままに放たれたのは右のオーバーフック。

並の人間であればいとも簡単に躱されてしまう大振りな技だが、こと桐生一馬においては話が違う。

 

「ッ!?」

 

その拳はあまりにも速かった。

武術の心得を持つ世良でさえ、放つ直前の動きから実際に拳が繰り出された瞬間を目で捉える事が出来なかったのだ。

結果として回避行動が遅れた世良の頬を桐生の拳が僅かに掠る。

 

「ぬッ───!」

 

本能的危機を感じた世良は、がら空きになった桐生の横腹に掌底を叩き込んだ。

僅かに怯んだ隙をついて即座に距離を取る。

 

(なんて男だ!カラの一坪の時から一目こそ置いていたが、よもやこれ程とは……!)

 

世良が軽く頬に触れると、先程拳が掠った箇所に浅い傷口が出来ていた。

 

「ォぉぉおおおおおおおッッ!!」

 

桐生は直ぐに体勢を整えると、再び獣のように猛然と襲い掛かる。

 

「オラァ!でいやァ!はァッ!」

 

フック、アッパー、ストレート。

いずれもが大振りで動作が分かりやすいものばかり。

だが桐生の繰り出すそれらの速度は並外れており、どの攻撃が来るかが分かっていても回避そのものが間に合わないのだ。

 

(前動作を見てからでは間に合わん……!)

 

実際の振りかぶる動作よりも一拍だけ速く行動する事を求められる世良。

もしも彼に武術の心得が無ければ、既に決着は付いていただろう。

 

(な、なにッ!?)

 

それに加えてもう一つ。

世良はある事に気が付いた。

 

(手が、いつの間に!?)

 

純粋な回避だけでは間に合わず、世良は得意な武術の手さばきを用いて桐生の一撃をやり過ごしていた。

そんな彼の手の平が血まみれになっていたのだ。

 

(馬鹿な!?受け止めた訳じゃ無いんだぞ!?)

 

空気を引き裂きながら世良を抹殺せんと振るわれる"龍"の拳。

それらを素手で捌くとは即ち、大砲から発射された砲弾に触れているに等しいのだ。

 

「うぉぉおおおおおッッ!!」

 

いくら躱されようと攻撃の手を緩めない桐生に対し、世良はついに行動を起こした。

 

(風間さんには悪いが……殺るしかない!!)

 

これ以上の回避は困難。

防御など持っての他。

となれば、世良に残された手段は一つしかない。

 

「!!」

 

世良は敢えて桐生の懐へと入り込むように距離を詰めた。

 

「ウラァ!!」

 

好機と言わんばかりに拳を振り上げる桐生だが、その拳が振り抜かれるよりも世良の攻撃が僅かに速い。

 

「シャッ!!」

 

前足を強く踏み込み、体当たりと同時に肘を突き出す。

カウンターのように繰り出された世良の一撃は桐生の鳩尾を正確に捉えていた。

 

「ぐ、っ!?」

 

流石の桐生も僅かに動きが止まる。

世良はその隙を逃さずに連撃を叩き込んだ。

 

「フッ、セイッ、ハッ、テリャッ!!」

 

肩を回転させて上から打ち下ろす右フック。

ノーモーションで繰り出される掌底の左フック。

そのまま流れるように繰り出される右のエルボー。

そして僅かに腰を入れただけの軽めのショルダータックル。

一見すると高い威力が見込めないこれらの技だが、実際はどれも桐生に対して有効な一打となっていた。

 

「チッ、ぐぅっ……!?」

 

桐生のように圧倒的な力で押す"剛拳"とは違い、世良の放つそれらは脱力による瞬発力や柔軟性を重んじた"柔"の拳。

意識外から襲い来る攻撃は知覚するのが遅れる影響もあり、相手に得体の知れないダメージを与えるのだ。

そして。

 

「ハァッ!!」

 

桐生が明確に怯んだ瞬間を突き、世良はある技を繰り出した。

 

「ぐぉぁっ!?」

 

その技を喰らった桐生は大きく吹き飛ばされ、部屋の壁に背中から叩き付けられる。

 

「フゥ……───」

 

それを確認した世良は口の端から静かに息を吐き出す。

震脚と呼ばれる踏み込みで力を発生させ、発勁と呼ばれる技術でそれを増幅してその勢いのまま背中から相手に体当たりをぶちかますその技は鉄山靠とも呼ばれ、中国武術における八極拳と呼ばれる武術の一種だ。

達人の放つそれは、一説によればコンクリートの壁すらも容易に打ち砕くと言われている。

つまり世良は、そのような危険な攻撃を躊躇いなく桐生に使用したのだ。

しかし。

 

「世、良……ァァァああああああああああッッッ!!」

「何ッ!?」

 

それほどの攻撃を以てしても"龍"は殺せなかった。

即座に立ち上がって猛攻を再開する桐生。

 

「オラァ!!」

 

怒りのままに放たれた右の拳。

世良はその一撃を冷静に見切り、桐生の右拳に左の肘を添えて力を流す。

 

「セイッ!」

 

世良はその勢いのままに身体を反転させて桐生の後頭部に右の肘を叩き込む。

 

「ぐッ!?」

「トゥリャ!」

 

後ろからのエルボーで前のめりになった桐生の顔面に、今度は左脚を跳ねあげるように蹴りを入れる。

 

「テヤァァァィ!!」

 

変幻自在の攻撃に怯んだ桐生の隙を突き、世良は右脚で桐生の右膝の裏を蹴り抜いた。

強制的に膝関節を曲げさせられる形となった事で仰向けに近い形で文字通り崩れ落ちるように倒れる桐生。

 

(行ける……!!)

 

これ以上闘いを長引かせる訳には行かない。

自ら手繰り寄せた千載一遇のチャンスをモノにすべく、世良は全力のかかと落としを桐生の顔面目掛けて振り下ろした。

直後。

 

「!?」

 

世良の顔は驚愕に染まった。

 

「掴まえたぜ、世良ァ……!!」

 

かかと落としが桐生の顔面を捉える直前。

本当にあと数センチの所で、桐生は世良の右足首を手で掴んでいた。

そして。

 

「ぐ、ぉぁっ!?」

 

桐生の万力にも匹敵する握力によって世良の足首が握り潰され始めた。

骨が軋む程の激痛に悶える世良。

 

「ふん!ウォラァァァァッ!!」

 

桐生は仰向けで倒れた体勢のまま世良に足払いを仕掛けて転倒させる。

その後、あろう事か腕力だけで世良の身体を勢いよく投げ飛ばした。

 

「ぐ、っ……クッ!?」

 

何とか受身を取って立ち上がろうとする世良だが、直後に自身の足首が凄惨に折れ曲がっている事に気付いた。

 

(馬鹿な、こんなことが……!?)

「世良ァァァああああああああああッッッ!!!!」

 

桐生は世良にトドメを刺すべく距離を詰める。

世良が片足でどうにか立ち上がった時には、既に桐生は右の拳を大きく振りかぶっていた。

 

「オラァァァァッッ!!!」

 

龍の雄叫びと共に怒りの拳が世良の腹を捉えた。

 

(──!?)

 

刹那。桐生は己の右拳に違和感を覚える。

返って来る感触は非常に硬く、明らかに人間を殴った時のモノでは無い。

ここに来て桐生は、目の前の男が東城会の三代目といういつ命を狙われても可笑しくない立場である事を失念していた事に気付いた。

衣服の中に弾や衝撃を防ぐ何かを仕込んでいても何も不思議では無いのだ。

 

「グ、ォッ───!?」

 

しかし、桐生の感じた違和感とは対照的に世良は苦悶の表情を浮かべている。

桐生の放った拳による一撃は世良の着込んだ防弾チョッキ越しに衝撃を与え、甚大なダメージを与えていたのだ。

 

「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」

 

そんな世良の姿を見た桐生は、怒りのままに攻撃を続行した。

防弾チョッキの効果があるであろう腹部と胸部目掛けて両の拳を連続で叩き込む。

 

「グァッ、ゴォッ、ゲハッ!?」

 

一撃が銃弾と変わらない程の威力を持つ拳の嵐が世良を襲い、彼の着込んだ防弾チョッキが打撃と共に変形していく。

 

「ウッ、シェァアアアアアアアッッ!!」

 

そうして世良が完全に怯んだ瞬間、桐生は全力の前蹴りを世良の胴体に叩き込んだ。

衝撃を受け止め切れなくなった防弾チョッキは損壊し、文字通り蹴り飛ばされた世良は背中から壁に叩き付けられる。

 

「が、ッ───ぐゥッ!?」

 

力を失い前のめりに倒れ込もうとする世良の首を桐生は掴んで壁に押し付けた。

こうなってしまえばもう抵抗は出来ない。

桐生一馬の圧勝だった。

 

「終わりだな。世良」

「フーッ……フーッ……!」

 

至近距離で殺気をぶつける桐生に対し、世良は答えずに独特な呼吸を繰り返している。

桐生はその呼吸の仕方に見覚えがあった。

 

「……システマって奴か」

「──!」

 

かつて"ドラゴンヒート"で数多の強者と拳を交えてきた桐生は、その対戦相手の中に某国での戦場を経験した元軍人がこの呼吸法を使っていた事を思い出した。

その国の軍隊式格闘術に由来するその呼吸法は、極めればあらゆる痛みを軽減する事が出来ると言われている。

彼は今、内臓にまで至っている己のダメージとそれによって発生する耐え難い激痛を耐えるので精一杯だった。

 

「だが……そんなもんは許さねぇ!」

「が、ァッ……────!!?」

 

桐生は世良の首を掴んだ左手に力を込め、呼吸の為の気道を完全に塞いだ。

呼吸の出来なくなった世良は息苦しさと耐え難き激痛によって瞬く間に顔を青くしていく。

 

「最期の瞬間まで苦しめ。そして……────!!」

 

桐生が右の拳を振り上げる。

怒りのままに。憎しみのままに。

"闇"を纏った"龍"が、ついに世良をその手にかける。

 

「あの世で由美に土下座しやがれ、この外道がッッ!!」

 

その直前の出来事だった。

 

「ッ!?」

 

何かが弾ける乾いた音が桐生の耳朶を打ち、それとほぼ同時に桐生の真横にあった窓のガラスがひび割れる。

一拍遅れて、桐生は自分の鼻先に硝煙の香りがする事に気が付いた。

 

「……これは」

 

桐生はゆっくりとひび割れたガラスとは真逆の方向に首を向けた。

そこに居た一人の男が、左手に杖を着いたまま右手で握った拳銃を桐生に向けていた。

 

「……親っさん?」

 

東城会若頭 直系風間組組長。風間新太郎。

世良の頼みでここまで事態を静観していたこの男が、ついに動き出したのだ。

 

「そこまでだ、一馬。今すぐ三代目を離せ」

「親っさん……!」

 

今、桐生にとっては信じられない事が起きていた。

散々痛めつけられた世良というこの男は、風間にとって娘も同然の存在である由美を殺す命令を下した張本人。

桐生が世良を憎んでいるように、風間もまた世良を憎んでいるに違いない。

彼はそう思っていた。

 

「何で……何でなんですか親っさん……!?」

 

しかし、桐生の目の前にある光景はそんな風間が自分に対して銃口を向けているという信じ難いモノだったのだ。

あまりの出来事に、桐生は僅かに世良の首を掴んだ指の力を緩めてしまった。

気道が確保された世良は呼吸をするのと同時にむせ返り、応接室のカーペットに血反吐を吐く。

 

「ゲホッ、ゴホッ……!」

「アンタはこいつが……由美の仇が憎くねぇってのか!?」

「"桐生"!!もう一度言う。三代目を離せ」

 

静かに撃鉄を起こし、狙いを定める風間。

彼の全身からはかつて"東城会一の殺し屋"と呼ばれていた頃の覇気が溢れ出ていた。

 

「でなければ……殺す!」

「────!」

 

風間新太郎。

桐生にとっては育ての親であり、今や渡世の親でもある。

子にとって親の命令は絶対。それがこの世界における鉄の掟だ。

 

「…………」

 

桐生にとってここは、運命の分かれ道。

彼の知る風間新太郎という男は聡明さと男気を併せ持った極道だ。

もしも桐生がこの場でこの手を離せば、風間はありとあらゆる手段を用いて桐生が命を狙われない状態にまで持っていくだろう。

例え、己の命を犠牲にしてでも。

 

「────!」

 

それでも。

 

「………………そうか」

 

桐生一馬の中に、退くという選択肢は無かった。

再び世良の首を左手で締め上げ、憎い男の顔を睨みつける。

 

「ぐ、ッ────!?」

「なら……!」

 

由美の凄惨な最期が脳裏を過ぎる。

桐生が愛し、慈しみ、護りたいと願っていた女性の余りにも酷い死に様。

それを齎したのが目の前の男なのであれば、桐生の取るべき選択は一つしかない。

 

「それより前に、コイツを殺るだけだ!!」

「一馬!!」

 

右の拳に力を込める桐生。

次の瞬間に己の命が潰えたとしても構わない。

死なば諸共、世良を地獄へと道連れにする。

そんな悲壮な覚悟を決め、ついに桐生の拳が世良の顔面目掛けて振り抜かれた。

 

「終わりだ、世良ァァァあああああああああッッ!!」

「─────!!」

 

直後。

桐生の拳が世良の顔面を潰すよりも早く、再び乾いた銃声が応接室に響き渡った。

 

「ぐぁあッ!?」

 

声の主は、桐生だった。

彼は速やかに世良の拘束を解き、真っ赤に染まった己の左腕を抑え込む。

 

「ぐ……クッ、ぬゥ…………!!」

「………………」

 

呻き声をあげる桐生の姿を、風間は黙って見つめていた。

その手に持った拳銃の銃口からは、薄らと白い煙が立ち上っている。

桐生の暴虐を止める為に、風間が桐生の腕を撃ったのだ。

 

「ガハッ、ゲホッゲホ……!」

 

カーペットの上に無惨にも転がり、再びむせ返る世良。

そんな世良を見下ろしながら、桐生は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

あと一秒。あと一拍早ければ桐生は世良をこの手にかけていただろう。

 

「一馬…………大人しく投降しろ。そうすれば命までは取らねぇ」

「……出来んのか?アンタにそんな真似が」

「お前は知ってるはずだ。俺は……狙ったマトは外さねぇ」

 

風間は引き金に指をかける。

その目には一点の曇りなく、彼の顔は冷静に相手を見定める暗殺者としての表情を浮かべていた。

 

「…………そうか。そうだよな」

 

片や桐生は己の左腕を撃ち抜かれてもなお、その闘気は微塵の揺らぎも無かった。

それどころか、全身から溢れ出るそれは益々勢いを増していく。

 

「何せアンタは……由美の仇を護るような人でなしだ!!」

「一馬……!」

 

桐生一馬と風間新太郎。

"堂島の龍"と"東城会一の殺し屋"

互いに生ける伝説と称される極道たちが火花を散らす。

一触即発の空気が流れる中、その均衡は意外な所で崩れた。

 

「会長!」

「遅くなりました!」

「ご無事ですか!?」

 

応接室の扉を蹴破るように本家の若衆達が飛び込んできたのだ。

桐生の放つ覇気に圧倒されて身動きの取れなかった彼らだが、風間の銃声で目を覚ましたらしい。

 

「チッ……!」

 

桐生は思わず舌打ちをする。

銃においては百発百中の腕を持つ風間と言えどたった一人が相手なら制圧出来る自信が桐生にはあった。

しかし、相手側に頭数が揃ってしまえば桐生は手の打ちようが無い。

 

「もう終わりだ……諦めろ。"桐生"」

 

極道として最後の忠告をする風間。

その背後では十人を超える黒服達が銃を構えていた。

 

「なら……!」

 

絶対絶命のこの状況の中桐生の取った行動は、投降でもましてや玉砕でも無かった。

 

「────聞け!東城会の盃を受けた極道達よ!!」

 

突然そんな事を大声で叫び出したのだ。

桐生の行動に対して困惑する者、臆する者と反応は様々だが、彼の放つ言葉に一同は耳を傾けた。

 

「本日を持って、この俺 桐生一馬は東城会を抜ける!!」

「「「「「!!!?」」」」」

 

その直後、黒服の男たちは耳を疑った。

本部に車で突っ込んで乱闘した挙句に、三代目会長を半殺しにして堂々の脱退宣言。

東城会の顔と呼んでも過言では無かった桐生の今回の行動と宣言に、男たちは目を白黒させるしかない。

 

「それに伴い、俺の率いる桐生組も全員 東城会から脱退させてもらう!そして……!!」

 

桐生は左胸の代紋バッジを力任せに引きちぎると、ロクに抵抗出来ない状態の世良に対して無造作に投げ付けた。

 

「東城会三代目会長、世良勝!アンタとは今日限り、親子の縁を切らせてもらう!絶縁だ!!」

「なっ……!?」

 

絶縁。

その言葉は極道にとって最も重い十字架を意味する。

桐生はそれを全て承知の上で自ら宣言したのだ。

言うなればこれは、桐生一馬から東城会そのものへの宣戦布告に他ならない。

 

「一馬、お前……!?」

「これが、俺の覚悟だぜ……"風間"ァッ!!」

 

桐生の裂帛の気合いに気圧される黒服達。

唯一その気迫に飲まれていない風間も、戸惑いと驚愕から狙いを定められないでいた。

 

「東城会のヤクザ共!精々覚悟しておくんだな。今日から俺は……お前達の敵だ!!」

 

叫ぶだけそう叫んだ後、桐生は背後の窓目掛けて飛びかかった。

 

「!!」

 

風間が拳銃を構えるが、時は既に遅く。

窓ガラスをぶち破って二階から飛び降りた桐生は、応接室から姿を消した。

 

「に、逃がすな!追いかけろ!!」

「「「へ、へい!」」」

 

我に返った黒服たちが慌てて桐生を追って、応接室から出ていく。

 

「……世良!」

 

風間は拳銃を懐に仕舞い込むと、倒れて動けないでいる世良の元にかがみ込んだ。

 

「か……風間、さん……」

 

世良の意識は朦朧としており、このまま放置しておけば命が危ない状況だろう。

そんな中で風間が取った行動は。

 

「しっかりしやがれ!」

 

気付けのビンタだった。

傍から見れば壮絶なダメージがあるはずの世良に対して怪我人に鞭を打つような真似をする風間だが、意外にもその行為によって世良の意識は明瞭になった。

 

「今から救急車を呼んでやる。こんな所でアンタを死なせる訳には行かねぇ。だがな……!」

 

そこで風間が世良の胸ぐらを掴んで顔を近づける。

その顔は"鬼"が宿っているかのような形相を浮かべていた。

 

「覚悟しろよ、世良。お前には、やった事の責任を取ってもらう……!」

「──────!!」

 

そのあまりの形相と迫力で畏怖の念に心が支配されかけた世良。

だが。

 

「これから……ずっとだ……!」

「……風間さん」

 

その頬に、一筋の雫が垂れている事を目の当たりにした世良は。

 

「本当に……申し訳ありませんでした……!!」

 

不格好ながらも、精一杯頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 

この日。

"堂島の龍"桐生一馬は東城会本部で乱闘騒ぎを引き起こした上に三代目会長に対して暴行を働き、その場で組織の脱退と宣戦布告を宣言した。

その後、左腕を負傷したままの状態で本家の構成員を全員叩きのめして逃走。

たった一人の男を相手に会長が殺されかけると言う前代未聞の事態にまで発展した。

なお、今回 東城会本部で起きた一連の出来事は本家預りの案件として本部所属の構成員には厳重な口外禁止命令を下した他、他組織からの干渉等を防ぐため徹底した情報統制が敷かれる事となった。

故に、この情報を知っているのは世良会長本人並びにひと握りの幹部達に限定されており、世間からは謎の内部分裂として認知される事となる。

 

 

そして、この日を境に東城会から独立した桐生組は後に"関東桐生会"と名前を改める事になるのであった。

 




以上が、桐生組が関東桐生会に至った経緯でした。
とりあえず断章としては一区切り着いた感じですが、もしかしたらまたつづくかもしれません。
とりあえず次回は本編です
よろしくお願いします


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第十三章 策略
カラーギャング


最新話です

いよいよ新章が幕を開けます。


2005年12月10日。

時刻は午後18時を過ぎる頃。

任侠堂島一家と一先ずの決着を付け、左手の応急措置を終えた俺は賽の河原へと向かっていた。

麗奈の想いに触れ、その象徴であるジャケットを纏った今、もはや一縷の迷いも無い。

だが、その決意とは裏腹に足取りは酷く重かった。

 

(遥には、どう伝えたもんかな……)

 

まだ幼い遥には、実の母親が受けたおぞましい行為についてこと細やかに話すのは非常に酷な事だ。

やはり、少しだけ暈して伝えるのがベターだろう。

 

(でも、いずれは知ってもらわなくちゃならねぇ。アイツの母親が死に、父親である桐生が組を割った事実を)

 

それに加え、今は伊達さんの事もある。

伊達さんは元々、世良勝を殺害した容疑者として桐生をマークしていた。

最初こそ否定していたが、今となっては話が違う。

あの時、桐生が内に秘めていた憎悪が世良が死んだ今となっても消えずに残っている事が見て取れた。

犯行可能かどうかは別として、動機は十分にあると言えるだろう。

 

(こう考えてみると、話さなきゃいけないことが多すぎるな……)

 

そんな事を考えながら街を移動し、七福通り東に差し掛かった辺りで異変に気付いた。

 

(ん?なんか騒がしいな……)

 

ちょうど俺が向かう先である西公園の付近に何人かの野次馬が集まっているのが見えた俺は、妙な胸騒ぎがした。

 

(まさか……)

 

胸の不安に突き動かされるように西公園の前まで駆け出した俺の前に現れた光景に、俺は目を疑った。

 

「なっ……!?」

 

大勢の野次馬と消防車で道は塞がり、消防隊員がそれらを取りまとめている。

そしてその奥にある西公園の中からは黒い煙が立ち込めていた。

俺は直ぐに近くにいた野次馬を掴まえて情報を聞き出す。

 

「おい、何があった?」

「いや、何か爆発事故みたいで……」

 

爆発事故?

そんなはずはない。

確かに焚き火をしていたホームレスはいたが、爆発するような危険物を表立って取り扱ってはいなかった。

 

(遥や伊達さんはどうなった!?)

 

事態は一刻を争う。

なりふり構ってなど居られなかった。

 

「おい、あんた!」

 

消防隊員の静止を振り切り、俺は西公園の中へと飛び込んでいった。

燃やされたビニールハウス。

痛め付けられたホームレスたち。

そこにあったのはつい数時間前まであった小汚くも平穏な賽の河原では無かった。

 

「クソっ!」

 

吐き捨てながら向かった先はアジトに使わせて貰っていたプレハブ小屋。

一刻も早く遥達の安否を確認しなければならない。

 

「遥!」

 

しかし、ドアを開けた先に遥の姿は無かった。

 

「錦山……」

 

代わりに俺を迎え入れてくれたのは神室署の刑事である伊達さんと、ここの主であった花屋だ。

 

「伊達さん、遥は?」

「すまん……まさか奴らここまで派手にやってくれるとは……」

 

俺の問いに答えた花屋がバツが悪そうに顔を伏せる。

それだけで何があったのか察しが着いてしまうが、状況を判断しない事にはどうしようもない。

 

「何があった?遥はどうした!?」

「……ほんの一時間くらい前だ」

 

伊達さんは、ポツポツと答え始めた。

俺が麗奈を助けに向かって間も無い時に、賽の河原から出ていこうとする遥を呼び止めた事。

遥が自分の存在が災いを呼び込んでいると思い込んでいた事。

それを気に病んで出ていこうとしていた事。

その矢先に西公園に火炎瓶が投げ込まれ、同時に大量の暴徒達がなだれ込んできた事。

その時に鉄パイプで頭を殴られて意識を失い、気付いた時には遥がいなくなった事。

全てを詳らかに話す伊達さんは、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 

「すまねぇ、錦山。奴らは"ギャング"の連中だ。遥を攫って行きやがった」

「ギャングだと?」

 

ギャングと聞くと欧米辺りに居そうな不良達を思い浮かべるが、神室町にもそういった連中が流れて来ているのだろうか?

 

「この街の愚連隊だ。ヤクザのやばい仕事なんかを引き受けてる」

「この街の……相手は日本人か?」

「あぁ、年齢層は未成年から20代前半の若い連中が殆どだ。だがそういう奴ら程、加減を知らねぇもんだ」

 

花屋の話を聞いて合点が行く。

俺らの時代で言う所のヤンキーや暴走族といった悪さしてはしゃぐガキ共の延長と言った所だろう。

 

「なるほど、要は"族"みてぇなもんか」

「あぁ。お前らの知ってる世代だと暴走族がイメージしやすいだろうが、今の悪ガキ共は愚連隊の事を"カラーギャング"って言ってな。それぞれのチーム毎にイメージカラーを掲げている」

「なるほどな……」

 

この街で悪さするようなガキ共は、フットワークが軽い上に世間知らずなことが多い。

利用するだけ利用し尽くせる上に、始末も簡単。

ヤクザにとっちゃカモにして良し、道具にして良しのまさに格好のエサという訳だ。

 

「今この街にはそれぞれ"赤、青、白"の三つの組織が居るんだが、まとめて襲って来やがった」

「遥を攫ったのは何色なんだ?」

「河原のシステムがダウンしちまってる。分からねぇんだ」

「そうか……」

 

事態は深刻だ。

相手はヤクザから仕事を引き受けたとされるギャング連中。

遥が攫われたのがほんの一時間前である事を考えると、遥の身柄はもうギャング共の手を離れてクライアントであるヤクザ組織に引き渡されてる可能性も考えられる。

一刻も早く遥を救い出さなくてはならない。

 

「俺は署で情報を集めてくる。遥の居場所が分かるかもしれん」

「分かった……俺は遥を探してくる」

「気をつけろよ、錦山」

「はっ、ガキ共に遅れなんざ取るかよ」

 

そう言ってプレハブ小屋を出た俺は、携帯ですぐに電話をかけた。

自分一人で街中のガキ共を締めて回ってたんじゃ埒が明かない。

ここは協力者の力を借りるとしよう。

 

(待ってろよ、遥……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山が賽の河原の異変に気づいたのと同じ頃。

東城会直系風間組内松金組若衆の海藤正治は、神室町の街病院である柄本医院に足を運んでいた。

 

「よう先生、邪魔するぜ」

「おう、海藤か」

 

院長を務める柄本は海藤の姿を認めると、海藤の目的である場所を促した。

 

「東ならそこだ」

「あぁ」

 

海藤は一言頷くと、一台だけ置かれた患者用のベッドへと近づき、側にあったパイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。

 

「よう東。調子はどうだ?」

「あ……兄貴……?」

 

海藤の目的はただ一つ。

この病院に入院している弟分である東 徹を見舞いにきたのだ。

 

「ったく、一時はどうなるかと思ったぜ」

 

昨日、東はある組織とのいざこざに巻き込まれて怪我を負ってしまい、この病院に担ぎ込まれたのだ。

事件直後は意識も朦朧としていた東だが、現在では意識は回復している。

全治一ヶ月の怪我だ。

 

「あ、あの連中は……?」

「いや、それがよ。今ちょうど俺流のやり方で尋問してたんだが、一向に口を割ろうとしねぇもんでよ……見張りに他の組員達を付かせて、一服がてらにお前の様子を見に来たって訳だ」

 

東の言うあの連中とは昨日に松金組が錦山と共闘して確保した謎の組織の男たちの事である。

東はその連中に寄って集って殴られた事が原因でここに入院する事になったのだ。

 

「そう、ですか…………っ!」

「あ?東?」

 

東はベットに横になりながら、シーツを握りしめる。

その両目には涙が溜まっていた。

 

「兄貴……俺は、自分が情けないです……結局俺は、遥ちゃんを護る事が出来なかった」

「東……」

「せっかく兄貴が俺を信じて託してくれたってのに……俺は…………!」

 

澤村遥。

それは、訳あって神室町中の裏組織から狙われている少女の名前だ。

海藤はそんな彼女を守る為に遥を東に預け、自ら殿を買って出て追っ手を阻んだのだ。

しかし、東は追っ手に追い付かれて攻撃を受けてしまい、遥は連れ去られてしまった。

その後、遥は海藤と錦山の協力。並びに応援に駆けつけた松金組の尽力によって救出されたのだが、東は己の力で護れなかった事を深く悔いていたのだ。

 

「俺は弱くて、情けない男です……!」

「んな事ぁねぇよ東。」

「兄貴……?」

 

海藤はそんな東の頭に軽く手を置き、諭すように言った。

 

「あの後、遥の嬢ちゃん言ってたぜ?"東のお兄さん、私を護るために気を失うまで殴られてた"ってよ」

「!!」

 

目を見開く東。

その証言の通り、東は遥を連れ去ろうとする男達から彼女を護るために必死の思いで遥を抱き締め、そのまま男達の暴力に晒された。

多勢に無勢の袋叩きに遭いながらも、意識を失う瞬間まで決して遥を離そうとしなかったのだ。

 

「テメェの体を張って、お嬢ちゃんを護ろうとした。そんなこと、誰にだって出来る事じゃねぇ。特にこの街じゃな」

「…………」

「確かにお前は喧嘩は弱ぇ。でも、根性だけは据わってる。今はそれで充分じゃねぇか。俺は、お前みたいな弟分を持てて誇りに思ってるぜ」

「あ、兄貴ぃ…………」

 

慰めるつもりで言った海藤だったが、それにより余計に涙が零れそうになる東。

参ったと片手で頭を抱えていると、海藤の携帯電話に着信があった。

 

(あ?錦山?)

 

すぐにボタンを押して携帯を耳に当てる。

 

「海藤だ」

『聞こえるか?錦山だ』

「おう、どうした?」

『……遥が攫われた』

「なにぃ!?」

 

聞こえてきた錦山の声に、海藤は耳を疑った。

何せ遥が攫われるのは海藤の知る範囲で三回目だからだ。

 

「今度は何があった!?」

『遥を攫ったのはカラーギャングの連中だ。バックに何処かの組織が付いてると見て間違いない』

「カラーギャング?それって、青とか赤とかの奴か?」

『そうだ。それで、松金組に協力を頼みたいんだ。』

「そうか……ん?って事は……」

 

ふと海藤が東に視線を向けて、意味深に笑った。

 

『どうした』

「いや、分かった。ちょっと待ってろ」

 

そう言って海藤は携帯から耳を離しながら、東に問いかけた。

 

「なぁ東。お前今年でいくつだっけか?」

「えっ?じゅ、19歳ですけど……」

「ならよ、この辺でカラーギャングの溜まり場について何か知らねぇか?」

 

海藤も"カラーギャングは若い集団"である事は認知していた。

その多くは10代後半から20代前半。

であれば、ちょうどその世代にあたる東なら何か情報を持っていると踏んだのだ。

 

「カラーギャング、ですか……」

「おう」

「あんまり詳しくは無いですけど、大体のチームと色なら……」

「本当か!?ならここにそれを言ってけ!」

 

海藤は自身の目論見が当たった事に高揚しながら、携帯を東に突きつける。

東は何故か興奮してる自分の兄貴分に困惑しながらも、携帯に向かって自分の持ってる情報を話した。

 

「えっと……七福通り西の児童公園にたむろしてる"ブルーZ"。それからチャンピオン街にアジトがある"ホワイトエッジ"。最後に……デボラって劇場前クラブを牛耳ってる"ブラッディ・アイ"……こいつらが今、神室町で幅を効かせてるカラーギャングです」

「よし!」

 

海藤は再び携帯に耳を当て、意気揚々と応答する。

 

「聞こえたか錦山?今のがギャング共の情報だ!」

『あぁ、でかした海藤!』

「礼なら後で東に言うんだな。それで?俺達ゃどうすりゃいい?」

『松金組には手分けしてギャング共を締め上げて欲しい。そんで遥の居所を聞き出すんだ。』

「錦山はどっから攻める?」

『俺はひとまずブルーZってのを当たってみる。お前は?』

「そうだな……ここから近いとなると、デボラだな。よぉし……俺はブラッディ・アイをやらせて貰うぜ。ホワイトエッジには組の奴を向かわせるとしよう」

『あぁ。頼んだぜ、海藤』

「おう、任せとけ!」

 

電話を切り、ポケットにしまった海藤はそのまま勢いよく首を鳴らした。

これから始まるであろう喧嘩の気配に、荒くれ者としての血が騒いでいるのだ。

 

「あ、兄貴?結局何がどうなったんです?」

 

状況が飲み込めない東に、海藤は満面の笑みでこう答えるのだった。

 

「東っていう出来る子分のおかげで、俺は今日も喧嘩が出来るって事だよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

神室町の泰平通り東にあるパーキングにて、一台の車が停車した。

 

「はぁ……ったく、ひでぇ目に遭ったぜ」

 

運転席に座る男が悪態を着きながらタバコに火を付ける。

彼の名は羽村京平。東城会直系風間組内松金組の若頭を務める男だ。

今回の100億事件に便乗して松金組を直系昇格させようと企み錦山を罠にはめようとしたが、逆に錦山に窮地を救われる形となった事で今回の事件において錦山にとっての都合の良い協力者とならざるを得なくなってしまった男である。

 

(確かに自業自得とは言え、タニマチってのも楽じゃねぇな……)

 

つい数時間前も、羽村は任侠堂島一家にマトにかけられた錦山を東堂ビルの前に送り届けたばかりなのだ。

その後、錦山が事を収めている間に羽村は任侠堂島一家に目を付けられないように車を走らせて時間を潰し、ここに戻って来たという事だ。

 

(しっかし、連絡が来た時は驚いたぜ……あの野郎、本当に事を収めちまいやがった)

 

無論、羽村としても事が収まっていなければ狙われる可能性がある。

故に羽村も安易に神室町には戻れなかった訳だが つい数十分前に松金組の電話番から連絡があり、任侠堂島一家から錦山の一件とこれまでの事を不問にするとのお達しがあったと報せが届いたのだ。

 

(あの状況で一体何をどうしたら引っ込みが付くんだ……?)

 

羽村が錦山を送り届けた時、既に東堂ビル前には20人は下らないヤクザ連中が詰めていた。

あのまま行っていればなぶり殺しにされるのが関の山だろうと羽村は考えていたのだが、錦山はこうして結果を出した。

その事実に、羽村は肝が冷える思いだった。

 

("堂島の龍の兄弟分" 錦山彰……まったく末恐ろしい野郎だぜ……!)

 

協力関係となった今となっては敵に回さなくて良かったと安堵する羽村。

もしも本格的に敵に回す事になっていれば自分だけでなく松金組そのものが危なかったからだ。

 

(ん?電話……?)

 

ふと、羽村の携帯電話が振動を起こす。

表示されている番号は羽村の子分である海藤からだった。

 

「おう、羽村だ」

『お疲れ様です、カシラ。海藤です』

「……何の用だ」

『錦山から援護の依頼が来たんで、カシラに報告をと思いまして……』

「何?」

 

電話越し聞こえる海藤の言葉に羽村は怪訝な顔をする。

海藤は知る由もないことだが、彼はつい数時間前に錦山を送り届けたばかりなのだから。

 

「どういう事だ?任侠堂島一家の件は片付いたんじゃねぇのか?」

『いえ、それとは別件でして……』

 

そして羽村は海藤から情報の共有を受けた。

錦山の保護していた澤村遥がカラーギャングに拉致され、それらを締め上げて情報を吐かせる必要があると。

 

「ハッ、援護って言うから何かと思えば……ウチの組でそのガキ共を詰めろってか?トコトン良いように利用してくれるじゃねぇかあの野郎……」

『カシラ、そんな事言ったって仕方ありませんよ。松金の親父が錦山に協力しろって命令を出してんですから』

 

その事実を突き付けられ、羽村は苛立ちを覚える。

今の羽村がこうしてヤクザをしていられるのも、錦山がケジメの在り方を自身のタニマチという形で納めたからに他ならない。

羽村が今の地位を守っていきたいのであれば、幼稚な子供の相手をさせられる今の屈辱も耐え忍ぶしかないのだ。

 

「んな事は分かってるよ。で?その三つあるってガキ共のヤサは?」

『七福通りの児童公園、劇場前のデボラ。そしてチャンピオン街が連中のヤサみたいです』

「あ?チャンピオン街?」

 

羽村がふと視線を窓の外に向ける。

そこにはちょうどチャンピオン街へと続く細い抜け道が存在していた。

 

『えぇ。児童公園には錦山。デボラには俺が行くんで、カシラはチャンピオン街方面に若い連中を向かわして下さい』

「……終わったら錦山に電話入れりゃ良いんだな?」

『へい。そうです』

「分かった、あばよ」

 

携帯を切った羽村はタバコを咥えたまま静かに車を降りた。

そして車の後ろに回り込んでトランクを開けると、中に入っていたアタッシュケースから"道具"を取り出す。

 

「丁度いい……こっちは色々溜まっててムカついてたんだ」

 

羽村は取り出した"道具"を懐に仕舞い込んでトランクを閉じた。

その後、タバコを踏み消しながらチャンピオン街へと向かっていく。

 

「せいぜい、ストレス発散させてもらおうじゃねぇか……!」

 

その顔には、邪悪な笑みが浮かんでいた。

 

 

 




次回はカラーギャング共の一斉討伐が始まります。
ひと狩りいこうぜ!


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ギャング狩り

最新話です。
ヤクザを敵に回したギャングたちの末路、とくとご覧あれ


2005年12月10日。

時刻は18時15分。

松金組への連絡を終えた俺は、七福通りの児童公園を訪れていた。

何処にでもある公衆トイレに簡素なブランコとベンチだけが置かれた何の変哲もない公園。

そこの中央に、分かりやすくたむろしている青いパーカー姿の連中がいた。

 

(あいつらがブルーZとかいうカラーギャングか)

 

特攻服に描かれた文字などで判別しないといけない暴走族とは違い、カラーギャングはそれぞれがテーマカラーとなる色を掲げてくれているおかげで非常にわかりやすい。

これなら海藤をはじめ松金組の連中も難なくギャングを見つけられるだろう。

 

「なぁ、アンタらちょっといいか?」

「あ?」

 

堂々と公園に入り、集団の中央にいる金髪に声をかける。

 

「なに?つか誰だオッサン?」

「お前ら、ブルーZとかいうギャングで間違いないか?」

「だったらなんだよ」

 

イラつきを覚える金髪。

それに呼応するかのように周囲にいた青い服の連中が次々と立ち上がって俺を取り囲んでいく。

 

「遥を何処へやった?」

「はぁ?」

「お前らが攫った小学生くらいの女の子だ。知らねぇとは言わせねぇぞ」

「さっきから何言ってんだオッサン?知らねぇよそんなガキの事ァ!俺らはホームレスを殴りに行っただけだからよ!」

 

下卑た笑い声をあげる金髪。

とぼけてるのか、それとも本当に知らないのか。

いずれにせよ、こいつらが賽の河原を襲撃した連中の内に含まれている事はわかった。

何より、このままじゃとても"話しにくそう"だ。

 

「なぁ、こいつやっちまおうぜ?」

「さっきは暴れたりなかったしな、一丁遊んでやるよオッサン!」

「はぁ……仕方ねぇ」

 

少し話しやすくしてやる必要がありそうだ。

 

「来いよガキ」

「死ねやオッサン!」

 

ブルーZ。

その頭目と思われる金髪が大振りな右ストレートを繰り出してきた。

俺はその分かりやすい一撃に左のストレートをカウンターで合わせる。

 

「ぎゃぶっ!?」

 

顎にまともに入った事で意識が飛んだ金髪の腹部に追撃のボディブローを叩き込む。

 

「グブォッ!?」

 

痛みと衝撃で意識が戻った直後、腹部を抑える金髪の顔面をアッパーで殴り抜いた。

 

「ぶげぁッ!!?」

 

開始わずか五秒。

ブルーZのリーダーはあっという間に地面に沈んだ。

 

「ヒッ───」

 

怯えた声を出す近場の二人目の顔面に肘を叩き込み、鼻柱を叩き折る。

 

「この───ッ!?」

 

ゴルフクラブで殴りかかってきた三人目の攻撃が振り抜かれるよりも早く、下顎にハイキックを叩き込んで失神させる。

 

「な、何だこのオッサン!?」

「化け物かよ!?」

 

リーダー含めメンバーが相次いで瞬殺された事で戦意を削がれるガキ共。

丁度いい。俺としてもこれ以上の手間は省きたい。

 

「おうコラ。次はどのガキが相手だ?あ?」

 

懐からドスを取り出して分かりやすく抜き放ち、切っ先をガキ共に向けて怒鳴りつける。

 

「あんまり大人をナメてると……ブチ殺すぞゴラァ!!」

「ひ、ぃぃぃい!?」

「すんませんでしたァぁあああ!!?」

 

完全に心が折れたガキ共は散り散りになってその場を立ち去っていった。

所詮は徒党を組んでイキがるしか能のないクソガキの集まり。少し脅しを効かせればこの程度だ。

 

「さて……」

 

ドスを仕舞い込み、俺は仰向けで伸びてる金髪の顔面を胸ぐらを掴み上げた。

 

「おいお前、本当に遥の事を知らねぇのか?」

「は、はい……自分らはチームの中でも下っ端ですから……」

「ほう、そうか……」

 

俺はそう答えた金髪の顔面を一発ぶん殴った。

折れ曲がっていた鼻が完全に潰れるのを確認する。

 

「ぶぎゃっ!?な、何を……?」

「しらばっくれてるだろうから、喋る気になるまでぶん殴ろうと思ってな」

「ほ、本当に何も知らないんです!」

「それを判断するのはテメェじゃねぇんだよ、ガキが!!」

 

もう一発、二発、三発。

頬骨が砕け、眼窩底の部分が折れるのが拳から伝わる。

 

「ひ、ィ……ゆる、じて……ごめんなさい、ごめんなさい……!!」

 

泣きながら許しを乞う金髪。

つい一分前までイキがっていた奴と同一人物とは思えない。

 

「痛ぇか?怖ぇか?苦しいか?」

「は、はィ……許して、許してください……!!」

「そうかそうか」

 

そこで俺は顔を近付けて金髪に告げる。

己のやった事の浅はかさを。

 

「良いかガキ、覚えとけ。これが暴力と恐怖。お前らがさっき蹂躙してたホームレスにやってた事だ」

「!?」

 

賽の河原に住んでいたホームレス達は、みんなそれぞれの事情があってあそこで生きていくしか無かった連中だ。

やっとの思いであそこに流れ着き、どうにか生きていた連中を遊び半分で痛め付け、ホームレス達が雨風を凌いでいたテントや家屋を燃やして壊した。

そんな不条理を許して良い訳が無い。

こいつらにはやった事の責任を取らせる必要がある。

 

「弱い物イジメはさぞ気持ちよかったろうな?抵抗出来ない相手を一方的に嬲る事が出来る。何なら今から俺がくれてやろうか?アイツらと同じ……いや、それ以上の痛みと絶望をよォ!?」

「ひ、ぃィ……!!」

 

小刻みに震えてこちらを見上げる事しか出来ない金髪。

これだけ恐怖を植え付ければ十分だろう。

 

「それが嫌なら、今すぐ賽の河原に行ってホームレス達に詫び入れてこい。そしてお前らが倒壊させた家達を元通りに戻すんだ。いいな?」

「は、はい……!」

「もしも約束が果たされねぇ時は……覚悟しろよ?」

 

涙目になりながら何度も頷く金髪を見て、俺はようやく金髪を解放した。

これであそこのホームレス達の復興も早くなるだろう。

ホームレス達がそれを許せばの話だが。

 

「よし、分かったらチームの連中かき集めてさっさと行け」

「か、かしこまりましたァ!」

 

金髪はそう言うと痛む体を引き摺ってその場から立ち去って行った。

 

「青はハズレ、か……ん?」

 

ふと、ポケットの中の携帯が振動している事に気付いた。

着信があったのは知らない番号からだ。

 

「誰だ……?もしもし?」

 

通話ボタンを押して耳を当てると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

『錦山だな?』

「お前……羽村か?」

『そうだ』

 

電話の主は松金組の若頭、羽村京平だった。

 

『海藤から話は聞いてる。たった今ホワイトなんとかとか言うガキ共をシメた所だ』

「ホワイト……白のカラーギャングか」

 

海藤はどうやら羽村に要請を出したらしい。

自分の組のカシラを遣いに出させるとは、中々海藤も怖いもの知らずな事をするものだ。

もっとも、協力を要請してるのは俺の方なんだが。

 

『あぁ。組の代紋を見てもビビらなかった癖に、いざ目の前でチャカ弾いたら簡単に土下座してきやがったよ。ハッ、所詮はガキ共の集まりだな』

「おいおい、一端のヤクザがガキ相手に大人気ねぇ事するなぁ」

『例の嬢ちゃんが拉致られたんだろ?だったら状況は一刻を争う。そんなこと言ってる場合なのか?』

「……違いねぇ」

 

ギャング相手に拳銃を持ち出したと言う羽村だが、その後の言葉は俺を納得させるには十分だった。

現に俺も、つい先程はガキ相手にドスを振りかざしたばかりなのだから。

 

「それで?遥の事は知ってたのか?」

『いや、どうもコイツらは知らねぇみてぇだ。詳しい事はブラッディなんとかって連中が知ってるってよ』

「ブラッディ……赤のギャングだな」

 

そこには今、海藤が向かっている筈だ。

どうやら今回の当たりはアイツが引き当てたらしい。

 

「とにかく助かった、羽村。恩に着るぜ」

『おう。俺はこのガキともう少し遊んでるからよ。精々頑張るんだな』

「あぁ」

『クックック……さぁ、いい声で鳴けよ?ガキがぁ!!』

『ひっ、いぎゃぁぁああああああ!!?』

 

電話越しに聞こえる断末魔を無視して俺は電話を切る。

ヤクザ相手に一度は啖呵を切ってしまったのだ。

会ったことも無いだろうそのギャングにはご愁傷さまと言う他無い。

 

「これで白もハズレ……後は海藤が向かったブラッディ・アイか」

 

確か東の情報によれば、ブラッディ・アイの根城は劇場前のデボラ。

数日前に花屋の息子であるタカシが女を連れて逃げ込んだあの場所のはずだ。

 

「ここから距離も離れてない……どれ、応援に向かうか!」

 

児童公園を出てデボラへと向かう。

今度こそ、遥の手掛かりが掴めると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町。劇場前の広場に位置する地下クラブ"デボラ"。

この街を訪れる若者達が、酒と共に音楽やダンスを楽しむ場所として人気を博している場所だ。

しかし、現在このデボラはとある若者のグループが元締めとして支配しており、この店舗の売上はそのグループにほとんど吸い上げられていると言う。

 

「ここだな」

 

そんなデボラの前に一人の男が訪れた。

長い黒髪と、新品のレザージャケット。

整った顔立ちには生傷の絶えないその男の名は、錦山彰。

つい数日前に刑務所を出所したばかりの元極道だ。

 

(待ってろよ海藤)

 

錦山は地下へと続く階段を下り、入口のドアを開いた。

 

「あ?」

 

そこですぐ彼は店内の異変に気付く。

店内の照明はしっかり付いており、BGMも若者の盛り場らしく大音量で流れている。

しかし、その場には決定的にあるものが足りていない。

 

(客がいねぇ……?)

 

それは人気と活気。

本来であれば楽しげに過ごしている筈の若者達の姿が見当たらないのだ。

 

「どうなってやがる……?」

 

湧き上がる疑問のまま、錦山はダンスフロアへと通じる扉を開く。

その先に広がっていた光景を目の当たりにした錦山は、すぐにこのクラブから人が居なくなった原因を知った。

 

「ぬぉらァァァァ!!」

 

ダンスフロアのちょうど中央。

雄叫びを上げながら拳を振り抜く一人の男が居た。

東城会直系風間組内松金組若衆、海藤正治である。

 

「ぶげぁっ!?」

 

それを受けた赤いパーカーの男が吹き飛ばされて、そのまま動かなくなった。

海藤の周辺には同様に殴り飛ばされたであろう赤い色の格好をした男たちが転がっており、彼の暴れっぷりを如実に物語っている。

 

(そりゃ客が居ねぇ訳だ……)

 

突如として始まったギャングとヤクザによる殴り合いの大喧嘩。

巻き込まれたくない一般人は逃げるに決まってる。

 

「中々やるじゃねぇか、この人数相手によ」

「だが、それもここまでだぜ」

 

そんな海藤の前に二人組の男達が立ちはだかった。

一人は金髪の坊主頭が特徴の大柄な男で、もう一人はドレッドヘアにバンダナを巻いた小柄な男。

彼らこそがこのデボラの元締めを担うギャングチームのリーダーである。

 

「へっ、そうかぁ?こっちはようやく身体が温まってきた所だぜ?」

 

対する海藤は不敵な笑みを浮かべながら拳を鳴らす。

一見して余裕そうに見える海藤だが、錦山は彼が数日前に銃で撃たれたばかりである事を知っている。

弾丸は身体を掠めただけだったが、決して無視出来るダメージではない。

 

(まぁそんな状態でギャングの雑魚どもを片付けちまうんだから大したもんだが……このまま見てるだけって訳にも行かねぇ)

 

そうして錦山は大音量のBGMとミラーボールで彩られたそのコロッセオに足を踏み入れた。

 

「よう海藤!派手にやってるじゃねぇか」

「錦山?お前、ブルーZの所に行ってたんじゃ無かったのかよ?」

「そいつらならとっくにブッ潰したよ。さっき羽村から連絡を受けたが、ホワイトエッジもハズレだそうだ」

「マジかよ。って事ぁ……」

 

錦山は首を鳴らしながら臨戦態勢に入る。

目の前にいるギャング達は、錦山にとってただのならず者では無い。

 

「あぁ……こいつらが遥の居所を知ってると見てまず間違いないだろう」

「そうか……へっ、こりゃツイてるぜ!俺の喧嘩は無駄じゃなかった訳だ!」

 

それを知った海藤もまた俄然 奮起する。

今や彼にとって遥はただの子供ではなく、立派な顔見知りなのだから。

 

「さっきから何チョーシくれてんだ?」

「俺達"赤井兄弟"を前にして、いつまでも余裕かましてんじゃねぇぞ?」

 

スピードで圧倒する兄とパワーで押し切る弟のコンビネーションプレイで、彼らは一躍この街における不良少年達のヒエラルキーの頂点に立った。

彼らの強気な態度はその地位に根ざしたモノである。

 

「海藤。この喧嘩、俺もやらせてもらうぜ」

「あぁ。どうせ嫌って言っても聞かねぇだろ?」

「当たり前だ。コイツらには遥の礼をきっちりしなきゃならねぇからよ……!」

「よぉし……なら、もうひと暴れすっか!」

 

しかし、この二人は勤め上げの元極道と現役ヤクザ。

たかがカラーギャング風情に遅れを取る事など有り得ない。

 

「「行くぞぉ!!」」

 

カラーギャング"ブラッディ・アイ"リーダー。赤井兄弟。

錦山と海藤によるタッグマッチが幕を開けた。

 

「ぬぉぉぉおおおお!!」

 

雄叫びを上げながら錦山に突進してくるのは体格の良い赤井弟。

錦山はその突進に真っ向から立ち向かった。

 

「ふん!!」

 

空手の呼吸と姿勢をベースとした不動の構えでタックルを相殺し、両者の闘いは純粋な力比べへと移行する。

 

「ぐ、ぬぉっ!?」

 

恵まれた体格と筋肉量。そして若さと勢いを武器に押し切ろうとする赤井弟だったが、いくら押し込んでも錦山は微動だにしない。

 

「これで全力か?」

「な、なんだと!?」

 

困惑する赤井弟に対し、錦山は圧倒的な実力差を知らしめる為にあえて両手を相手と組んで押し相撲のような形を取る。

 

「は、っ……!?」

 

その後、錦山は腕力だけで赤井弟を押し返して格の違いを見せ付ける。

そして、驚愕を隠せない赤井弟が明確な隙を見せた瞬間。

 

「オラッ!!」

 

錦山の放った不意打ちの頭突きが赤井弟の鼻柱を直撃した。

 

「ぎゃぶっ!?」

 

鼻血を出して怯む赤井弟。

その一瞬がこの喧嘩の勝敗を分けた。

 

「セイッ!!」

「ぐぼ、ぉ、っ!?」

 

腰を落とし、体重を乗せて放たれた正拳突きが赤井弟の鳩尾を的確に撃ち抜いた。

腹部を抑えて蹲り、膝から崩れ落ちる赤井弟。

 

「蹴りやすい位置じゃねぇか……オラァッ!!」

 

錦山はそんな赤井弟の頭を両手で掴むと、トドメの膝蹴りを顔面に直撃させた。

 

「ぶぎゃ、ぁ……───」

 

完全に顔面が陥没し、見るも無惨な有様になった赤井弟が力無く倒れ込んだ。

 

「はっ、歯ごたえねぇな最近のガキは」

「───そいつはどうかな!?」

 

真横から聞こえてきた声に反応した錦山はすかさず後ろに飛び退く。

すると声のした右側から小柄な男が飛び出して、錦山の前を通過する。

あと一瞬反応が遅れていれば錦山はその男───赤井兄の飛び膝蹴りの餌食となっていただろう。

 

「海藤!?」

「ぐっ……クソッ……!」

 

ふと錦山が視線を向けると、赤井兄を相手にしていたはずの海藤がうつ伏せで倒れているのが見えた。

 

「たった一人でウチの連中を軒並みやっちまうのは大したもんだったが、蓋を開けりゃ大したこと無かったぜ?」

 

海藤を倒したのはあたかも自分の実力であるかのように語る赤井兄だが、錦山は内心で首を振った。

 

(ガキが、イキがりやがって……!)

 

海藤は今日この日まで決して少なくない揉め事に巻き込まれて来た。

錦山自身との喧嘩や街のゴロツキ達との諍い。

松金組との乱闘にレインコートの刺客からの銃撃、遥を拉致した謎の組織との闘い。そして今日のカラーギャング狩りである。

そんな連戦に次ぐ連戦による疲弊とダメージの蓄積が限界を迎え、そこを突かれた事で海藤は敗北を喫してしまったのだと錦山は考える。

もしも万全の状態であれば、錦山の知る海藤という男はこの程度の三下に苦戦するような男では無いのだ。

 

「さぁ……次はアンタの番だぜ、オッサン!!」

 

言うが早いか。

赤井兄は軽快な動きで錦山との距離を詰めると、姿勢を低くしたまま後ろ回し蹴りを放った。

 

「っと!」

 

僅かに顔を逸らしてその蹴りを躱した錦山だったが、赤井兄は回転した勢いを殺さぬまま下段の足払いを仕掛ける。

 

「チッ!」

「ヒャッハー!!」

 

軽く飛び退いてその蹴りをやり過ごす錦山だったが、赤井兄はそのままブレイクダンスの要領で身体をコマのように回転させて下段の連続蹴りを放った。

 

「チッ、ぐッ!」

 

単純に距離を離しただけではやり過ごせない。

そう判断した錦山は腰を下ろして不動の構えを取ることで足払いを受けて体制を崩すリスクを解消する。

 

「おらよっ!」

 

赤井兄はその行動を待ってましたと言わんばかりに身体の回転を止めると、敢えて錦山に背中を見せた一種のヨガポーズのような体制のままみぞおち目掛けて後ろ前蹴りを放つ。

 

「ぬッ!」

 

すかさず腹部をガードしてその一撃を防ぐ錦山。

すると赤井兄はそれすらも待っていたかのように次の行動に移る。

 

「てぇりゃァ!!」

 

赤井兄は蹴り足を素早く戻して軸足にすると、そのまま地面を強く蹴りあげてバク宙を行った。

そして彼の足が行く先は、ガラ空きになった錦山の頭部。

 

「ぐァッ!?」

 

不意打ちのサマーソルトキック。

軽業師のような身軽かつ変幻自在な動きに翻弄された錦山は、その蹴りをまともに喰らって片膝を着く。

 

(チャンス!!)

 

己の蹴りが齎したまたとない追い討ちの機会。

赤井兄はここを勝負所と認識し、すぐさま追撃を狙って右足を上げた。

 

(かかと落としで沈めてやるぜ、オッサン!)

 

勝利を確信する赤井兄。

しかし、彼のかかとが錦山に振り下ろされることは無かった。

 

「うらァっ!!」

 

片膝をついたままの錦山がもう片方の足を軸足にしてその場で回転し、かかと落としのために軸足となった赤井兄の左足を蹴り払ったのだ。

 

「ぐわっ!?」

 

予期せぬ奇襲に為す術なく転倒する赤井兄。

錦山はそんな赤井兄の左足に絡み付くと、肘裏と脇を使ってかかとを固定して両足で膝を挟み込むような体勢に持っていく。

 

「ふんっ!」

 

そして、その体勢のまま身体ごと捻った。

瞬間、赤井兄の左膝が惨たらしい音を上げて破壊される。

 

「いぎゃあああああああああ!?」

 

錦山が放ったのはヒールホールドと呼ばれる関節技の一種で、タップアウトをしなければ膝が壊れてしまう危険なプロレス技だ。

無論、喧嘩に待ったやタップアウトは存在しないので錦山はそのまま容赦なく膝を捻り上げる。

 

「せぇやァ!!」

 

錦山は膝を抱えてのたうち回る赤井兄の上に覆い被さる形でマウントを取り、がら空きの鳩尾に正拳突きを叩き込んだ。

 

「うぼァッ!?」

「オラァ!!」

 

左膝の激痛に加えて鳩尾を打ち抜かれた事で呼吸困難に陥る赤井兄。

錦山はそんな彼の胸ぐらを掴むと、鼻柱に左の肘を突き込んだ。

 

「ぶぎゃぁっ!?」

 

鼻が完全に折れ、とめどなく血が溢れ出る。

もはや赤井兄に抵抗する力など残されていなかった。

 

「手こずらせやがって、ガキが……!」

「う、うぅ……」

 

錦山は胸ぐらを離さないまま顔を近づける。

その顔は燃え盛るような怒りに染まっていた。

 

「おい、わざわざ気絶させねぇでおいたんだ。俺の質問に答えろ。遥はどこやった?」

「て……テメェ……こんな事して、死んだも、同然だぞ……!」

 

その返事に対する錦山の反応は迅速且つ無慈悲だった。

 

「そうか。なら…………いっぺん死ねや、ガキ」

「は、───ッ!?」

 

錦山は赤井兄の顔面を掴むと勢いよくその後頭部を床に叩きつけた。

そして。

 

「オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ!!」

 

胸ぐらを左手で掴んだまま、何度も右の拳を叩き込んだ。

鼻が潰れ、目が腫れ、唇が断裂し、頬骨が砕けてもなお殴り続けた。

 

「……────」

 

やがて、当然のように意識を失う赤井兄。

錦山はそんな兄の壊れた左膝をさらに負荷をかけ、ついには逆方向にねじ曲げた。

 

「ッ、い、ぎゃぁ、あぁあぁッ……!!?」

 

壮絶な激痛で無理やり意識が覚醒した赤井兄の眼前には、依然として馬乗りになった体勢の錦山がいた。

 

「どうだよ?いっぺん死んでみた感想は?」

「ひ……や……──」

「次やったらホントに死んじまうかもな……あ?どうするよ?」

「た…………た、す、……たす、けて…………!!」

 

文字通り瀕死の重傷を負った赤井兄は確信した。

目の前の男は、殺ると言ったら本当に殺る。

これ以上強がればもう命は無いだろう。

彼に出来る事はもう、ただ命乞いをする事だけだった。

 

「ならもう一度だけ聞くぜ?…………遥はどこへやった?さっさと言えやクソガキがァァァ!!」

「───!!」

 

身も心も文字通り限界まで追い詰められた上で至近距離で浴びせられた最大級の殺気。

それは赤井兄の髪を真っ白にし、完全に心を折るのに十分な力を持っていた。

 

「……おれたちは、金で、やとわれ、ました……」

 

そして、赤井兄は飢えた乞食のようにたどたどしい口調で真実を告げた。

 

「やとい、主は……じゃかの、ラウ、カーロ、ン……です…………こどもは……ちゅうか、がいの、ラウさんの……とこ、ろ…………」

「……なに?」

 

じゃか。ラウ・カーロン。

錦山はその名前に聞き覚えがあった。

遡ること数日前。

錦山が関東桐生会の本部へ訪れていた時に、部下を引き連れたラウが関東桐生会と一触即発になっているのを錦山は目撃していたからだ。

 

「まさか……アイツらが……?」

 

中国マフィア"蛇華"。

今まさに関東桐生会と抗争状態にあるその組織が、遥を拉致した者の正体だった。

 

 




如何でしたか?
次回かその次辺りで、久々にあの人が出るかもしれません。
お楽しみに。


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関東桐生会───"真の若頭"

最新話です。

蛇華とやり合うには、あの男に頼るしかありませんよね

それではどうぞ!


2005年12月10日。

時刻は19時30分。

俺は今、伊達さんの運転する車の車内にいた。

 

「横浜までだったな?」

「あぁ。最短ルートで頼む」

 

カラーギャングから遥の居場所と拉致した黒幕の正体を聞き出した俺はダメージで動けない海藤の介抱とギャング達の後始末を松金組若頭の羽村に任せ、署に戻っていた伊達さんと合流して横浜に居るであろう桐生の元へと向かっていたのだ。

その道中、俺たちはお互いに分かった情報を交換し合う。

 

「劉家龍……まさかあの蛇華まで絡んでくるとはな……」

「あぁ……」

 

車を運転する伊達さんの表情は渋い。

今まで神室町の中の組織だけを相手にしてきた伊達さんからしてみれば予想外の相手なのだろう。

 

「大丈夫だ、錦山。ペンダントはともかく、連中が遥をどうこうする理由はねぇ筈だ」

「いや、伊達さん。ところがそうもいかねぇんだ」

「なに?」

 

俺を安心させようと言った伊達さんだが、彼の放った言葉は今俺が最も危惧している事だった。

 

「どういう事だ?」

「……蛇華の総帥、劉家龍。アイツと桐生の間には昔から因縁があってな」

 

そこで俺は、かつて桐生がラウから受けた拷問やその経緯について語った。

あの二人の因縁がはじまったのは、もう十二年も前にもなる。

 

「なんだと……そんな事が……」

「以来、堂島組と蛇華との取引は中止。当時の東城会と蛇華との間では互いのシマやシノギにも干渉し合わない冷戦状態が続いていた。だが……その均衡は破られた」

 

それが、関東桐生会の発足。

五年前のクリスマスに起きた惨劇から端を発した東城会のお家騒動。

桐生はそれまで拡げていた神室町の中での勢力やシマを根こそぎ捨て去って、横浜へと拠点を移す事になった。

 

「なるほど……ラウからしてみりゃ、そんな因縁浅からぬ相手が自分らのシマのある横浜に流れて来た事になる訳か。当然、面白くはねぇだろうな」

「あぁ、そしてここからが問題なんだが……関東桐生会は今、蛇華と抗争状態にある」

「なに!?」

 

任侠堂島一家とのイザコザやカラーギャング共のせいで共有が遅れてしまったが、これは俺も今日知ったばかりの情報だ。

 

「桐生に会うための遣いとして車を出してくれた若いのが教えてくれた情報でな。そいつの話じゃ、和平交渉に向かった桐生をその場で殺そうとしやがったらしい」

 

そして、そいつら全員を正当防衛として返り討ちにしてしまった事で両組織の関係は悪化。抗争が決定的なモノになってしまったという訳だ。

 

「連中は焦ってる筈だ。何せ相手は"堂島の龍"……かつては東城会の内外問わず知らねぇ奴は居ない程の知名度と実力を持った伝説の極道なんだからな」

「待てよ錦山。って事は、連中が遥を攫ったのは……!?」

 

どうやら伊達さんの中でも合点が行ったようだ。

そう。おそらく蛇華が遥を狙った目的はペンダントだけではない。

 

「……桐生に対しての人質、と言った所だろうな。あの子を盾にされちゃ、桐生は動く事が出来ねぇ」

「クソッ、なんてこった……!」

 

伊達さんが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

事態は一刻を争う。

もしも何も知らない桐生達が乗り込んだ先で人質を出されたら、無抵抗のまま嬲り殺しにされてしまうだろう。

 

「ならどうする?蛇華のアジトに乗り込むのか?」

「いや、桐生はこの事をおそらくまだ知らない筈だ。なら、関東桐生会の方を先に止める必要がある」

 

事情を話せば桐生は協力してくれるはずだ。

そうなりゃ関東桐生会そのものが俺のバックに付いてくれる。

あれだけの組織力があれば、遥を救い出す上でもきっと役に立つはずだ。

 

「なら、行先は関東桐生会本部だな?」

「あぁ、桐生はそこにいるはずだ」

「分かった!」

 

伊達さんの運転する車は高速道路へと入っていく。

渋滞にさえ捕まらなければ、横浜までは一時間足らずで到着するはずだ。

 

「伊達さんの方はどうだったんだ?何か分かったことはあったか?」

「遥の事や組織については何も掴めなかった。だが、警察内部におかしな動きがある」

「おかしな動き?」

「あぁ、本庁の捜査一課に遥の捜査依頼があったらしい」

「は?捜査一課が?」

 

本庁。つまり警視庁の捜査一課と言えばかつて伊達さんが所属していた東京都の警察官のエリート集団。

主に凶悪犯罪を担当する事が多い刑事の花形だ。

子供の迷子や失踪を取り扱うような部署ではない。

 

「詳しい事までは分からんが、遥は"誘拐の被害者"って事になってる。東城会とは別の組織が動き出したんだろう」

「別の組織……」

 

そう言われて真っ先に思い浮かべるのは、スターダストで遥を人質にペンダントを探していたあの黒服の集団だ。

現在、松金組が秘密裏に監禁して尋問を行っているはずだがそちらから目立った情報は聞き出せていない。

 

「敵が捜査一課に手を回せる程の力を持っているとすれば、相当厄介だな」

「あぁ……噂じゃ東城会にもそういったパイプがあるって話だが、仮にそれが本当だったとしても今の内部抗争でゴタゴタした東城会にはそれだけの事をする余力は無いだろう」

「となれば、考えられる可能性は……」

 

関西最大の極道組織。近江連合。

現役の閣僚や官僚と言った政治家連中。

もしくは、日本警察そのもの。

考えれば考えるほど規模が大きくなる敵の正体に、俺は内心で頭を抱えざるを得なかった。

 

「ん?伊達さん、電話だ」

「あぁ、出ていいぜ」

 

俺はポケットで鳴った電話を取り出して発信者を見る。

記されていた番号は、松金組の若頭である羽村のものだった。

隣に警察官である伊達さんが居ることを意識しつつ、俺は携帯を耳に当てた。

 

「錦山だ」

『松金組の羽村だ。海藤が追い込みかけてた連中について話がある』

 

羽村から切り出されたのは、つい先程こちらでも話題に上がった"東城会とは別の組織"についてだった。

 

「何か分かったのか?」

『……尋問してた連中と見張りの若い衆が殺された』

「なんだと!?」

 

羽村からの想定外の返答に俺は耳を疑った。

 

『詳しい事は俺も知らねぇ。だが、組の者が様子を見に行った時には現場は既に警察と野次馬でごった返してたそうだ』

 

尋問していた謎の組織の連中が殺された。

羽村がわざわざこうして電話をかけてくるという事は十中八九松金組がヤキ入れをやり過ぎたという訳では無いだろう。

もしそうであれば見張りにいたとされる構成員が殺される理由も無い。

となれば、考えられる可能性は一つ。

 

(口封じ……情報を聞き出す前に先手を打たれたって訳か!)

 

このまま追い込みをかけられていれば自白するのは時間の問題。

そう判断した黒幕が、証拠を隠滅したと言う事だろう。

 

『今、ウチの親父が神室署に呼び出されて事情聴取を受けてる。どうやらサツは連中やウチの若いのが殺されてた件とは別に、連中を拉致監禁してた件で追求するつもりらしい』

「どういうこった?どう考えたって殺人の捜査の方が先じゃねぇか」

『俺にも分かんねぇって言ってんだろ?いくらヤクザ相手だからってよ……はっきり言って今のサツの対応は異常だぜ、クソが!』

 

電話越しで悪態を吐く羽村。

確かに、殺人現場の捜査において被害者側でもある松金組を追求するのは異常だ。

その上警察は、拉致監禁の罪を優先して松金の叔父貴に圧力をかけようとしている。

明らかに"黒幕"が裏で手を回しているとしか思えない対応だ。

 

(今回の件、黒幕の究明についても急いだ方が良さそうだな)

 

このままでは東城会が。何より神室町がその黒幕の好きにされてしまう。

それは阻止しなければならないだろう。

 

「分かった。また何か分かったら知らせてくれ」

『……あぁ』

 

電話を切り、静かにポケットに仕舞いこむ。

 

「誰からだ?」

「松金組のモンだった。尋問してた黒服の連中が殺されたらしい」

「なに?」

「おそらく、黒幕が口封じの為に放ったヒットマンに殺られたんだろう。見張りにいた組の若衆も巻き添えだそうだ」

「チッ、好き勝手してくれるぜ全くよ……!」

 

苛立つ伊達さん。

正義感の塊である彼からすれば、今の神室町を渦巻く現状は到底看過出来ないものなのだろう。

 

「急ごう、伊達さん。まずは遥。次にこの事件の黒幕を突き止めてとっちめる」

「あぁ。……どうやら、俺とお前の付き合いはまだまだ続きそうだな」

「ヘッ……頼りにしてるぜ、伊達さん」

 

車は横浜へと向かって進んでいく。

遥を救い出し、事件を解決に導くために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は夜の21時。

神奈川県横浜市内某所にある第四倉庫街に、黒いスーツ姿の男達が続々と集まっていた。

港町である横浜市にとっては大して珍しくもないコンテナ街であるそこは、表向きは不動産会社が管理している。

しかし、その実態は横浜の極道組織"関東桐生会"がシノギや裏取引の一環で使用している場所であり、その不動産会社も関東桐生会のフロント企業の一つでしか無いのだ。

そんな第四倉庫街に足を運んでいる男達は皆、善良な一市民達ではない。

"堂島の龍"桐生一馬に憧れてこの世界に足を踏み入れた、関東桐生会のヤクザ達である。

 

「全員、気を付けェ!!」

 

先導役の極道が放った声に従い、ヤクザ達が一斉に姿勢と隊列を正してその場に待機する。

まるで軍隊のように整列した男達の総勢は、300人。

関東桐生会の勢力の半分以上がこの場に集っていた。

 

「会長。若い衆達が揃いました」

 

関東桐生会若頭代行の松重が、準備が整った事を報告する。

 

「そうか……ご苦労」

 

そして、たった今報告を受けたこの男こそ この場に集った関東桐生会構成員達のボス。

桐生一馬である。

 

「ただいまより!関東桐生会決起集会を行う!総員、心して聞け!!」

「「「「「押忍!!!!」」」」」

 

300人全員の一糸乱れぬ統率による返答を聞き、桐生一馬が群衆の先頭に設置された台の上に乗る。

しかと耳を傾ける構成員達を眼下に収めながら、桐生は声を発した。

 

「……関東桐生会初代会長。桐生一馬だ」

 

たったのそれだけで、その場の空気が一気に引き締まる。

あまりの緊張感から生唾を飲み込む構成員もいる中で桐生が最初に口にしたのは、挨拶がてらに贈られた彼らへの感謝の言葉だった。

 

「今日は、俺の呼び掛けにこうして集まってくれた事……感謝している」

 

挨拶もそこそこに、桐生は本題へと移る。

 

「皆も知っての通りだと思うが……先日俺は蛇華の総統である劉家龍と会合を開き、和平交渉に臨んだ。だが、奴らはこちらの要求を跳ね除け、俺を殺そうと襲いかかって来た。どうにか返り討ちにこそしたが……これで、関東桐生会と蛇華との抗争が決定的なものになってしまった」

 

桐生の言葉に耳を傾ける構成員達。

彼らは決して口には出さないが、皆一様にこう考えていた。

 

(((((この人、相変わらずやってる事がヤバい……!)))))

 

単身で関係が悪化している組織の本丸に乗り込んで和平交渉をし、決裂して襲いかかって来たマフィアを全員返り討ちにする。

ここに来るまでに各組織の長から事前に聞かされていた事実だが、彼らは改めてそれを言葉にして聞く事で、その凄まじさを実感していた。

今彼らの前で言葉を発しているのはただの極道ではない。

人の形をした"龍"の化身なのだ。

 

「全ての責任は親である俺にある。こんな事に巻き込んでしまって、本当に申し訳ない」

 

そう言って桐生が静かに頭を下げた。

理由はどうあれ、桐生の行動が原因で抗争状態になってしまったのは事実であるからだ。

 

「だが……それを承知の上で、俺の頼みを聞いて欲しい」

 

顔を上げた桐生は、意を決した表情で若衆達に願いを告げた。

 

「今夜、蛇華との決着をつける。皆……どうか俺に、力を貸してくれ!!」

 

極道にしてはあまりにも純真かつ誠実なその願いに対し、構成員達は息を揃えて返事をした。

 

「「「「「押忍!!!!」」」」」

 

彼らの多くは東城会時代から在籍している極道達だが、関東桐生会として組織を立ち上げてから盃を受けた者達もいる。

彼らに共通する事は、この組織に入って時から既に覚悟は決まっているという事だ。

 

「そうか……ありがとう」

 

桐生は改めて例を告げると、今回の作戦についての詳細を語った。

まず、この場に集った構成員達を二つの部隊に分ける。

一つの部隊を桐生自身が率いて蛇華本部がある中華料亭の翠蓮楼へと乗り込み制圧し、もう一つの部隊が逃げ仰せたマフィア達を捕えるという二段構えだ。

 

「戦争ってのは長引けば長引くほど泥沼化して、カタギの人達に恐怖や不安を与える事になる。だから……この抗争は絶対に今夜中に終わらせる。お前ら、覚悟は良いな?」

「「「「「押忍!!!!」」」」」

 

威勢の良い返事を聞き、桐生が深く息を吸う。

最後に一声、彼らに号令をかけて気合を入れる為だ。

しかし、その号令が放たれる事は無かった。

 

「ちょっと待ったァァァ!!」

 

号令に割り込むように何者かが声を張り上げる。

若衆たちが振り向いた先に居たのは、焦げ茶色のレザージャケットを身に纏った長髪の男。

 

「何者だテメェ!?」

「どうやって入ってきやがった!?」

 

突然現れた謎の人物に警戒心を抱く関東桐生会の極道達。

しかし その男の正体に誰よりも早く気付いたのは、他ならぬ桐生だった。

 

「お前……錦か!?」

「「「「!!?」」」」

 

桐生がその呼び名で呼ぶ人間は、この世でただ一人しかいない。

その事は、若衆達もよく知っていた。

 

「頼む……この抗争……ちょっと、待ってくれ……!!」

 

錦山彰。

元堂島組若衆にして、桐生一馬の兄弟分。

堂島の龍と呼ばれた彼が、この世で最も信頼する男の一人。

 

「「「「「お疲れ様です!!!!」」」」」

 

それを認知した瞬間の若衆達の行動は早かった。

一斉に錦山に頭を下げると人垣を分けるように列を展開し、桐生へと続く道を形成する。

それはさながら海を割ったとされる神話のような光景であった。

 

「ありがとよ、お前ら……!」

 

錦山は一言礼を言うと、出来上がった道を走り抜けて桐生の元へと辿り着いた。

 

「良かった……何とか間に合ったみたいだぜ……」

「錦……お前、無事だったんだな」

 

桐生は錦山が無事である事に酷く安堵していた。

彼にとってはつい数時間ぶりの再会なのだが、二人が別れる直前に錦山は任侠堂島一家と完全に敵対する道を選んでいたのだ。

故に、その後の錦山に対して任侠堂島一家から徹底した追い込みがあった事は想像に難くない。

だが、今の錦山にとってそれは些末な事だった。

 

「そんな事は良い!桐生、俺はお前に伝えなきゃいけない事があってここに来たんだ!」

「なに?」

 

錦山の表情には焦燥の色が浮かんでいる。

そのあまりにも緊迫した態度から、桐生もまた気を引き締める。

 

「落ち着け、何があった?」

「あぁ……ここにいる関東桐生会のみんなも聞いてくれ!!」

 

錦山はそう言うと若衆達へと向き直って声を張り上げる。

それを受け、若衆たちが静かに耳を傾ける。

そんな中 錦山が次に放った言葉によって彼らの中に衝撃が走る。

 

「つい数時間前……俺が保護していた桐生の娘。澤村遥が蛇華に拉致された!!」

「な……なんだと!?」

「「「「「!!!?」」」」」

 

突如として齎された情報に、ここまで統制の取れていた関東桐生会の面々が初めて騒々しくなり始める。

それほどまでに、錦山の発言は衝撃的だった。

 

「錦、一体どういうことだ!?」

「言葉通りの意味だ。蛇華は神室町のカラーギャングを買収して遥を拉致したんだ。アイツらにとってあの子は……桐生。お前の動きを封じる何よりのアキレス腱になるからな」

「ば、馬鹿な……!」

 

あまりの緊急事態に狼狽える桐生。

冷静さに欠ける者が多い中、誰よりも早く冷静さを取り戻した男が錦山に声をかけた。

 

「錦山さん、一つお尋ねしてもよろしいですか?」

「松重……」

 

関東桐生会若頭代行、松重。

今や桐生の右腕となったこの男が、状況を把握する為に質問を投げかける。

 

「遥のお嬢は錦山さんが保護されていた筈。いくら神室町のゴロツキとはいえ、貴方ほどの男がそんな連中に不覚を取るとは思えません。失礼ですが……お嬢が攫われた時、錦山さんは何をされていたんですか?」

 

言い方にこそ気を配っている松重だが、彼は錦山にこう尋ねていた。

"遥が攫われている間、お前は何もしなかったのか?"と。

 

「っ、それは……」

 

言葉を詰まらせる錦山。

理由はどうあれ、遥が敵の手に堕ちてしまったのは事実。

彼は今、己の不甲斐なさを追求されたとしても文句は言えない立場なのだ。

 

「やめろ、松重」

 

しかし、そんな錦山を桐生は庇い立てた。

 

「会長?」

「みんなも聞いてくれ。ここにいる錦は、つい数時間前に東城会にマトにかけられた俺を逃がすために身体を張ってくれたんだ」

 

堂島組長殺害の真犯人である事が明らかになった桐生が任侠堂島一家から狙われた時、錦山は自分が囮になる事で桐生がその場から離れるまでの時間を見事に稼いだのだ。

 

「そのせいで錦は、東城会の連中に狙われる立場になっちまっていた……そんな中じゃ、いくらお前だったとしても遥を護り切れる訳がねぇ」

 

事実、錦山は神室町に戻ってからというもの、任侠堂島一家から総力を上げて命を狙われていた。

遥を余計なトラブルに巻き込まないためにも、錦山が任侠堂島一家との決着を付ける為には単身で挑む必要があったのだ。

今回の一件は、その間隙を突かれたと言っても良いだろう。

 

「そんな事が……錦山さん、御無礼な事を言ってしまい、申し訳ございません」

「いや、良いんだ……俺が遥を護り切れなかったのは事実だからな……」

 

錦山は桐生に向き直ると、真剣な眼差しで桐生を見つめた。

 

「桐生……あの子を護り切れなかった俺が、こんな事言うのは筋違いだと思う。でも……それでも俺ぁ、お前に頼みたい!」

 

そう言って、直角に頭を下げた。

 

「遥を助ける為に、力を貸して欲しい」

「錦……」

「悔しいが、俺一人じゃあの子を護ってやる事が出来ねぇ。だから、頼む!一緒にあの子を救ってくれ!!」

 

己の不甲斐なさに打ちのめされ、傷付けられたプライドをもかなぐり捨てて。錦山は桐生を頼った。

全ては、母親を探す為にたった一人で神室町までやってきた女の子の想いに報いる為に。

そして。

 

「……?」

 

その直後。

錦山の耳朶を打ったのは、割れんばかりの拍手と歓声だった。

錦山の話を聞き、その真摯な態度と漢気に触れた若衆達が、一斉に彼を讃えていたのだ。

 

「こ、これは……」

「見た通りさ、錦」

「桐生?」

 

困惑する錦山に桐生はゆっくりと手を差し出す。

 

「この拍手や歓声が……俺たち、関東桐生会の答えだ」

「桐生……!」

 

錦山はすかさず桐生の手を取り、握手をする。

 

「大変な中 この事を知らせてくれてありがとう、錦。一緒にあの子を……遥を救い出そう」

「あぁ、勿論だ!」

 

今ここに、錦山と桐生の間で正式に協力関係が成立した。

十年越しに手を取り合った二人の姿に、関東桐生会の男たちは更なる歓声を上げた。

中には雄叫びに近い声を出す者や、感化されて涙ぐむ者もいる。

 

「そうだな……よし。聞け、お前ら!!」

 

桐生は再び若衆達の方へと向き直る。

先程まで興奮と熱狂に包まれていたコンテナ街が、一気に静まり返る。

 

「桐生?」

「一つ、この場を借りて皆に宣言させてもらう!」

 

桐生の言葉を待つ若衆達。

困惑する錦山。

会長の思惑を察して頷く松重や幹部陣。

 

「ただ今を以て、錦…………錦山彰を────」

 

そして。

関東桐生会初代会長、桐生一馬は。

 

「関東桐生会の───若頭に指名する!!!!」

「な……なんだとぉぉぉ!!?」

 

これ以上無いほどに満足気な表情で、そう宣言したのだった。

 




と、言うわけで錦山、若頭にされるの巻でした。
次回はいよいよあの男が登場です
お楽しみに

追伸
私事ですが、ついに7を購入しました。
RPGということで不評を買っていた中から、一躍大人気になったイチの冒険譚、体験させてもらいましょう!


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狂犬、襲来

ヒッヒッヒッ……



この時をずーっと待っとったでぇ…………






桐生チャン



2005年12月10日。

桐生が居るのが関東桐生会本部ではなくここ、第四倉庫街である事を本部前の門番から聞いた俺は伊達さんに頼みすぐに車を出してもらった。

そして、やっとの思いで辿り着いたそこでは今まさに桐生が組の連中に号令を掛けようとしていた。

慌ててそれを引き止めた俺は、桐生並びに関東桐生会の構成員達に事情を説明する事で 彼らとの協力を取り付ける事に成功したのだ。

ここまでは良い。

だが。

 

「ただ今を以て、錦…………錦山彰を────」

 

俺、錦山彰は。

あろう事かここに来て。

 

「関東桐生会の───若頭に指名する!!!!」

 

出所してから一番の驚愕と困惑の渦に叩き落とされる事になるのだった。

 

「な……なんだとぉぉぉ!!?」

「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!」」」」」

 

俺の反応とは打って代わり、関東桐生会の連中は待ってましたと言わんばかりの大歓声。

理解が追いつかない中事が進んでいきそうになっていく中、辛うじて俺は言葉を紡いだ。

 

「桐生、ちょっと待て」

「え?」

「いや……え?じゃねぇだろ!?」

 

不思議そうに首を傾げる桐生に対し、俺は言及せざるを得なかった。

 

「俺が、関東桐生会の若頭だと?ノリと勢いだけで何言ってんだお前!?」

「いや、別にそんなつもりは無いが……」

「そんなつもりあっただろうが!?"よし、聞けお前ら"じゃねぇんだよ!?」

 

いくら何でも話が急すぎる。

それに、俺にそんな大役が務まるとは思えない。

桐生には悪いが辞退させてもらう他無いだろう。

 

「錦山さん、ここは自分がご説明致します」

 

そう言って進言して来たのは関東桐生会若頭代行の松重だ。

 

(そうだよ、俺が若頭になっちまったら今の松重の立場はどうなる?順当に考えりゃ、この人が若頭になるのが筋ってモンじゃねぇか!)

 

しかし、彼からの説明を聞いた俺はますます困惑する事になる。

 

「錦山さん、自分の役職はご存知ですか?」

「役職って……若頭代行、だろ?」

「そうです。俺は若頭"代行"。つまり、本来の若頭が復帰するまでの代役に過ぎないんです」

 

そう言われて俺はふと思い出した。

それは桐生と墓地で合流する前、運転手を務めてくれた斎藤と交した何気ない会話。

 

(あの時、本当の若頭は誰だ?って質問に対して、斎藤は"詳しくは自分も知らない。代行は時が来たら分かるとしか言わない"って答えてたはずだ……)

 

この返答を整理していくと、今の状況と符号する点がいくつか見えてくる。

本当の若頭。時が来たら分かる。

それは。つまり。

 

「まさか……俺が、その……?」

 

恐る恐る尋ねた俺に対し、松重さんは満足気に頷いて見せた。

 

「えぇ、関東桐生会の若頭。そのポストは、錦山さん。最初から貴方のために用意されていたものだったんですよ」

「な、何ィ……!?」

 

関東桐生会。

東城会から独立し、今や500人規模にまで成長した横浜の極道組織。

そんな組の若頭の地位が、知らず知らずの内に約束されていたと言う。

 

「錦……」

 

開いた口が塞がらない俺に対し、桐生が語りかけて来た。

 

「十年前、お前が俺を庇って逮捕された時に俺は誓ったんだ。いつか、シャバに出てきたお前の受け皿になると。そしてこの組を……お前に笑われないくらい立派な組織にしようと」

 

その言葉を聞いた時、俺は三代目の葬儀で親っさんから聞かされた話を思い出した。

当時の桐生は親殺しである俺を受け入れる組織を作るべく、直系昇格を目指していたと。

 

「だが 俺は東城会と袂を分かち、由美もあんな目に遭っちまった。俺は怖くなったんだ。このままお前がムショから出てきた時、本当にこの組織に招いていいのかと。勤めを終えてカタギになったお前を、またこっちの世界に巻き込んだら由美は……ましてや優子はどう思うだろうってな」

 

桐生は迷いがあった事を告白した。

だからこそコイツは、最初俺に手を引くように言ってきたのだろう。

 

「でも、いくら俺が手を引けと言っても結局お前は引かなかった。そして、多くの敵を相手にしながら生き残ってこの場に辿り着いた。なら……もう認めるしかねぇだろう」

「桐生……」

 

だが、桐生は俺を認めた。

堂島の龍の隣に立つ存在として、俺を受け入れる覚悟が出来たのだと、桐生は俺に告げたのだ。

 

「改めて言おう。錦……関東桐生会の若頭を、お前に任せたい。引き受けてくれるか?」

「…………」

 

優子が生きていると知ったあの日から、刑務所の中で己を磨く事は怠らなかった。

出所してからも、色んな奴らと拳を交えて経験を積んできた。

そして、それらの軌跡が今ここに結実した。

だが。

 

(いや、そんな事 急に言われてもよ……)

 

桐生の問に対し、俺は即座に返答する事が出来なかった。

あれだけ渇望していた俺の望み。

桐生の助けになるという願いが今、目の前に用意されているというのに。

 

「フッ、これで俺もようやく肩の荷が降りるってもんですよ」

「松重、お前そんな風に思ってたのか?」

「会長が無茶ばかりするからですよ。少しは自分の行動を省みたらどうです?」

「むぅ……」

 

軽口を叩き合う桐生と松重をよそに、俺は真剣に悩んでいた。

 

(そりゃ、桐生と比べりゃある程度器用にはこなせるかもしれねぇが……俺は別に組織運営のいろはがある訳じゃない。)

 

自分の組を持つどころか、以前の俺は立ち回りが小器用なだけのチンピラに過ぎなかった。

そんな俺がいきなり関東桐生会の若頭に就任したとしても、上手くいく筈が無い。

 

(それに、松金組や風間の親っさんの事もある。今、関東桐生会に入るのは良いタイミングとは言えねぇ)

 

東城会と関東桐生会は一触即発の状態だ。

そんな時に関東桐生会の、それも若頭に就任したりしたら東京中の極道から目の敵にされる。

神室町にも居られなくなるだろう。

もしもそんな事になれば俺も動きが取りづらくなってしまう。

 

「桐生、俺はまだ───」

 

お前の組には入れない。

そう、桐生に告げようとした時だった。

 

「オイ!なんだあれ!!?」

 

列の最後尾にいた一人の若衆が、後ろを向きながら声を上げる。

それにつられるようにして続々と皆が視線を向けた。

 

「あれは……!」

 

時刻は夜の21時過ぎ。

とっくに日も落ちて僅かな街灯が照らすだけのこの場所に、新たな光源が確認できる。

その光は唸るような音を響かせながらこちらへと迫ってきた。

 

「っ、みんな避けろォ!!!」

 

桐生が叫ぶ。

その声に呼応するように若衆達が一斉に回避行動を取る。

やがて、光の正体が明らかになった。

 

「ダンプ!?」

 

それは、猛スピードでこちらへと突っ込んでくる大型のダンプカーだった。

けたたましい程のエンジン音とタイヤの摩擦音を響かせながら、そのダンプは関東桐生会の群衆に突っ込む寸前にドリフト駐車の要領で横向きになるように急停車する。

 

「なんだってんだ一体……!?」

 

こんな事をしでかす以上、あのダンプに乗っている奴が俺たちの味方でない事は確かだ。

だが、一歩間違えば死人はおろかダンプの転倒で自身すら犠牲になりかねない程に無茶な行動。

敵であったと仮定しても、決して得策とは言い難いリスクだらけの行動だ。

十中八九ロクな奴では───

 

「───おい。これって…………」

 

その時。

俺は思い当たった。当たってしまったのだ。

これ程の無茶をやらかす人間が、東城会側に一人いる事に。

 

「まさか……!!」

 

俺の隣で目を見開く桐生。

どうやらコイツも思い当たったらしい。

ダンプのドアを開けて運転席から飛び出してきたのが、一体何者なのかを。

 

「ヒッヒッヒッ…………」

 

テクノカットの髪型。

素肌の上から着用した金色のジャケット。

左目に付けられた黒い眼帯。

右手には金属バット。

一目見たら忘れられないその強烈なビジュアル。

間違いない。確信した。

 

「お前……!」

 

そして。

奇抜な格好をしたその男は、大声で高らかと叫んだ。

 

「桐ぃ〜生ぅ〜、チャーン!!あっそびぃましょォー!!!?」

 

東城会直系嶋野組若頭兼真島組組長。真島吾朗。

かつて"堂島の龍"と並び称された、東城会の伝説──"嶋野の狂犬"の異名を持つ超武闘派極道。

それが、ダンプカーを突っ込ませながら登場したこの狂人の正体である。

 

「真島の、兄さん……!」

 

桐生が隣で息を飲んだのが分かる。

数日前に俺もやり合って分かったが、真島吾朗という男はそれほどの危険人物なのだ。

 

「真島!テメェ、どうしてここに……!?」

「あ?なんや、錦山も居るんか。気付かんかったで」

 

真島の隻眼は興味無さげに俺を見下している。

どうやら本当に桐生の事しか眼中に無いのだろう。

 

「何しに来たんだ、真島の兄さん。」

 

桐生は台から飛び降りて真島に向かって歩き出しながら毅然とした態度で言葉を発した。

それに対して真島は、これ以上無いほど愉快そうに笑いながらこう言ってのけた。

 

「決まっとるやろ?戦争や!!」

「なんだと?」

 

真島がそう宣言した直後、真島が乗ってきたダンプカーの後ろから何十台もの車が殺到してくる。

そして、真島の言葉が真実である事を裏付けるように車内から続々とヤクザ達が降りて来た。

 

「どういう事だ?」

「聞いたで?堂島のアホンダラを殺ったのがホンマは桐生ちゃんやった、ってな」

「!!」

 

真島の口からその情報が出たという事は、既にその情報は任侠堂島一家だけでなく東城会全体に及んでいるのだろう。

となれば、真島がここに来た理由にも説明が付く。

 

「それで、元は堂島組系列やった嶋野組……要はウチの親父から桐生ちゃんを殺って来いって命令が出たんや!」

「なに、嶋野が?」

「せや!それでワシは遠慮なく桐生ちゃんと殺り合える大義名分を得たっちゅう訳や!!」

 

水を得た魚の如くに目を輝かせる真島。

桐生と闘える事を心の底から喜んでいるのが分かる。

だが、今はそんな事をしている場合では無いのだ。

 

「さぁ、始めようやないか桐生チャン!」

「断る。こっちは今それどころじゃないんだ、さっさと引き上げてくれ」

「あん?何言うとんのや桐生チャン。」

 

真島は桐生の言葉に対してそう答えると、手にしていた金属バットを持ち上げ───

 

「でェヤ!!」

 

桐生目掛けて真っ直ぐに投げ放った。

 

「なッ!?」

 

砲弾のように飛来する金属バットを顔一つズラして躱す桐生。

しかし。

 

「イィヤァオ!!」

 

その時には既に真島は手にしたドスを桐生目掛けて振り抜いていた。

まさに一瞬。五メートルは離れていた距離を瞬く間に詰め、不意打ちの刃を閃かせる。

 

「ッ!」

 

だが、桐生の反応速度はそれを凌駕した。

刃が首元に届く刹那、桐生の手がドスを握った真島の腕を掴んでいたのだ。

 

「グッ……!」

「そんなもん───ワシが聞くとでも思っとんのか?」

「オラァ!!」

 

桐生が反撃のアッパーを繰り出すが、真島はそれを躱すと掴まれた腕を難なく振り解いてその場から飛び退いた。

 

「チッ、真島……!」

「甘いなぁ〜桐生チャン。アマアマやぁ」

 

真島は片手でドスを弄びながらそんな事を言ってのける。

今のはほんの挨拶代わりとでも言うのだろうか。

 

(なんてハイレベルな闘いだよ……!)

 

時間にして僅か五秒足らず。

たったそれだけにも関わらず、桐生と真島のやり取りには目を見張るものがあった。

これが"堂島の龍"と"嶋野の狂犬"。

生ける伝説とまで言われた極道同士の喧嘩だと言うのか。

 

「桐生チャンがこれから何をしようとしとるかなんてどーでもえぇ!ワシはただ、全力のお前と……関東桐生会とド派手な喧嘩が出来ればそれでえぇんじゃ!」

「真島……!」

 

その言葉を合図に背後に控えていた真島組の連中が手に得物を携えて臨戦態勢に入った。

ざっと見ただけでも、その頭数は200を下らない。

これだけの人数が一斉に衝突すれば、両組織ともタダでは済まない。

確実に損害が出る事になるだろう。

 

(クソっ、どうすりゃいい……!)

 

このままでは遥の身が危ない。

だが、真島組はここを行かせるつもりは毛頭無いらしい。

もはや衝突は不可避。

決して避けられない喧嘩が幕を開けようとしていた。

そんな時だった。

 

「松重!長濱!!」

 

桐生がファイティングポーズを取ったままその名前を口にした。

すると、名前を呼ばれた男達がすぐさま桐生の脇を固めるように馳せ参じる。

 

「「へい!」」

「真島は俺が抑える!お前らは若いのを連れて後ろの奴らをぶちのめせ!」

「「へい、会長!!」」

 

的確に作戦指示を飛ばし、それに従って若衆達が動き始める。

この非常時であっても的確に人が動くのは、一重に桐生のカリスマが為せる技なのか。

 

「ヒッヒッヒッ……やっとその気になりおったか、桐生チャン!」

「村瀬!斎藤!」

「「へい!」」

「お前らはここで離脱だ!錦の側につけ!」

「っ!」

 

その指示にしかと頷いた男達がすぐに方向を転換して俺の元へと現れる。

 

「錦山さん、ここからは俺達がお供します。」

 

村瀬と名乗ったオールバックのヤクザと、鬣のような髪型をした斎藤。

斎藤は桐生と合流する時に車を運転してくれたので顔見知りだが、村瀬とは初対面だ。

 

「お初にお目にかかりやす。村瀬ってモンです。錦山さん、お世話になりやす」

「……!」

 

そう言って頭を下げる村瀬。その全身からはただならぬ雰囲気が溢れている。

流石は関東桐生会の幹部。只者では無さそうだ。

 

「錦!!」

 

そして。

真島から目線を逸らさぬまま、桐生は振り返らずに俺の名を呼んだ。

 

「なんだ?」

「そいつらをお前に預ける。くれぐれも頼んだぞ……!」

 

それは信頼の証。

俺を男と見込んで、桐生は自分の兵隊を貸し与えてくれたのだ。

 

(桐生……!)

 

確かに俺は組織運営のいろはは無いし、桐生ほどのカリスマも持ち合わせちゃいない。

それでも、信じて子分を預けてくれた兄弟の期待を裏切る程 俺は腐っちゃいない。

 

「あぁ……任された!せいぜい派手にぶちかましな!兄弟!!」

「フッ……お前もな、兄弟!!」

 

俺は桐生から託された組員達を連れていく。

その数は約70人。

今の蛇華とやり合うには十分だろう。

 

「さぁ、みんな!俺について来い!」

「「「「「へい、カシラ!!」」」」」

 

背を向けて走り出す俺に、続々と男達が着いてくる。

そして、その背後では。

 

「ヒッヒッヒッ、行くでお前らァ!ぶち殺せェェえええええええ!!!!」

「関東桐生会……俺に続けェェえええええええええええええ!!!!」

「「「「「「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」」」」」」

 

"龍"と"狂犬"の号令を合図に、関東桐生会と真島組による全面戦争の幕が上がっていた。




てなわけで、おどれら久しぶりやな!
真島吾朗、完全復活や!!

なんや桐生チャンが出たことで感想欄も盛り上がっとるようやけど……
ワシが来たからにはもっと盛り上がるに決まっとるでぇ!

次回は、いよいよ待ちに待った桐生チャンとの大喧嘩や!
気合い入れた殴り合いを見せたるから、楽しみにしとってや!

ほな!!


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第十四章 奪還
強行突破


最新話&新章です。
また前書きを狂犬に乗っ取られました(笑)

ちなみに断章はお休みです。そもそも今後も描いてくかについてもまだ未定ですのでよろしくお願いします。
まぁ、幕間とか間話とかってのもありかもですがそれはおいおい決めてければと思ってます



横浜中華街。

神奈川県は横浜市に存在するその場所は、日本でも有数の観光名所の一つとして挙げられる。

一度アーケードを潜ればそこには日本の面影など無い華やかな中国風の街並みが広がっており、所狭しと立ち並ぶ飲食店では様々な種類の本格中華料理が楽しめるグルメの街だ。

しかし、光ある所には影が差すのが世の常。

この華やかな中華街を陰から支配するマフィアの存在があった。

その名は、蛇華。

中国に本部を置くマフィア組織だが、日本においてはこの横浜中華街を拠点として暗躍している。

その影響からか、最近では出自の分からない外国人が街によく現れるという噂がある。

その実態が、様々な事情があって不法滞在を余儀なくされた外国人を蛇華が経営する飲食店で不当な賃金で雇い劣悪な環境下で働かせているという、如何にもマフィア然とした非道な行いによるものである事を知る者は少ない。

 

「……見えたぞ、あそこだな」

 

そして今日、錦山彰が辿り着いた店もその内の一つ。

名前は「翠蓮楼」。

表向きは中華街でも有数の高級料理店だが、実際はこの街を牛耳る中国マフィア蛇華の本部がある場所だ。

 

「えぇ、あそこが蛇華の本部です」

「ここにラウの野郎がいやがるんですね?」

 

錦山の背後でそう声をあげるのは、関東桐生会が誇る凄腕の幹部陣だ。

関東桐生会若頭補佐の村瀬と、同じく関東桐生会舎弟頭補佐の斎藤だ。

錦山はこの二人を引き連れて中華街へと足を運び、この店の前まで辿り着いたのだ。

 

「しかし、錦山のカシラ。本当に良かったんですか?」

「何がだ?」

「何って、折角連れてきたウチの兵隊を使わないなんて……」

 

ここに来る前、錦山は関東桐生会初代会長の桐生一馬から村瀬と斎藤。

そして村瀬が率いる村瀬一家の構成員総勢70人を預かっていた。

蛇華と抗争する上で十分な程の頭数だ。

にも関わらず錦山はそんな村瀬一家の若衆に中華街に入ることを禁じ、三人だけでここまで来ていた。

村瀬は、そんな錦山の采配に疑問を抱いていたのだ。

 

「それは誤解だぜ、村瀬。アンタんとこの兵隊は使ってない訳じゃない。もしもの為に控えて貰ってるだけさ」

 

錦山は70人の兵隊たちをそれぞれ5人規模の小隊に区分けし、それらを中華街を囲むように配置したのだ。

当然、彼がそのような手段を取ったのには理由がある。

 

「この店はいわば蛇華って言うデカイ蜂の巣だ。そこを突っつけば中から蜂共が飛び出してくるのは当然だろ?」

「えぇ、まぁ……」

「となりゃ、その中には当然逃げ出すヤツらも出てくだろう。で、もしもその中に遥を連れてる奴が居たらマズイ事になる。これは、その為の防護策だ」

 

関東桐生会の面々が考える本来の目的とは違い、錦山の目的はあくまで遥の救出なのだ。

 

「じゃあ、ここに俺らだけで来たのもその為に……?」

「当然だ。大人数で押しかけた結果 蛇華の連中が関東桐生会からのカチコミであると認識した上、そこに桐生が居ないとなれば遥は人質としての意味を無くす。もしもそうなれば、逆上したラウが遥にどんな危害を加えるか分かったもんじゃねぇ」

 

現状、錦山が持っている情報で推察出来る"蛇華が遥に見出している価値"は二つ。

一つは遥が持っている100億円の価値を持ったペンダント。

そしてもう一つは、関東桐生会初代会長、桐生一馬のアキレス腱としての役割である。

錦山は以上の事柄から、表立っての突入は遥を危険に晒すだけだと判断。結果として自分を含めた少数のみでの突入を決めたと言う訳なのだ。

 

「それに、確か昨日は桐生の奴がここに乗り込んで暴れ回ったんだったよな?なら、連中だってまだ組織を立て直せていないはずだ。多少の抵抗はあるかもしれねぇが……俺らなら十分やれる。頼りにしてるぜ?二人とも」

「「おぉ……!」」

 

錦山の理にかなった説明を聞いた村瀬と斎藤は、思わず感嘆の声を上げていた。

その態度に首を傾げる錦山。

 

「……なんだよ、その反応は」

「い、いえ……錦山のカシラが、なんだかすっげぇ頼りになるなと思いまして……」

「ウチらの組の連中はみんな腕っ節や義理人情ばっかで、こんなにも頭がキレる人がいなかったもんですから……」

 

それを聞いた錦山は酷く納得した。

関東桐生会は東城会時代から数えると創立してから十年しか経っていない若い組織。

その上組長である桐生一馬が誰よりも表立って身体を張って暴れ回る鉄砲玉気質だ。

それでも尚タガの外れた暴れるだけの無法者集団に成り下がらないのは、ひとえに桐生一馬のカリスマや漢気に惹かれたからである事は錦山も良く分かっている。

しかし、組織というのは言わば人の集まり。

その上に立つ者の気質や特性が色濃く出るのもまた自然な事。

 

(子分ってのは親分の背中を見て育つもんだ。そして、コイツらにとっての親は桐生。となりゃ……その子分であるコイツらもまた、アイツと同じく漢気や腕っ節に自身があるタチって事か……)

 

もちろん、構成員の全員がその有様では組織が回るはずもない。

放置すればすぐに暴走気味になってしまう組全体を諌めてコントロールする役回りが必要だ。

そして、その役割を率先して担っていたのがあの若頭"代行"である。

 

(松重さん……アンタ、苦労したんだな……)

 

組長やその部下の無茶や暴走に引っ掻き回され、頭を抱えていた松重の姿が錦山の脳裏を過ぎる。

桐生一馬という男の無茶苦茶ぶりをこの世の誰よりも知っている錦山からしてみれば、その心労は計り知れないものだった。

 

「と、とにかくカシラ!そういう事なら俺らに任せて下さい!ね、村瀬さん!」

「あぁ。腕っ節で鳴らしてるのは会長だけじゃないってところを、錦山のカシラにお見せしますよ!」

「お、おう。気合いを入れるのは良いんだがよ……」

 

ここまで彼らと話している中で、錦山にはどうしても気になることがあった。

 

「その……"カシラ"ってのやめてくんねぇか?」

「「え?」」

 

錦山の言葉に、二人は心底不思議そうな顔で首を傾げた。

まさに、鳩が豆鉄砲を食らったような表情である。

 

「いや、え?じゃなくてよ……」

「だって……錦山さん、もうウチのカシラですよね?」

「会長がさっき言ってたじゃないですか?」

 

まるで少年のように純粋な瞳で疑問をぶつける村瀬と斎藤。

そんな二人に対し、錦山は弁明した。

 

「あのな……アレは桐生があの場で勝手に言っただけで、俺はまだ正式に承諾してねぇぞ?」

「「えぇっ!!?」」

 

絵に書いたような反応で驚愕する二人に、錦山もまた勢い良く指摘する。

 

「そこそんなに驚く所かよ!?」

「だ、だってあの場で会長が言ってた事だし……ねぇ?」

「あぁ……俺らはてっきり何の疑問も持ってなかったでしたけど……そうなんですか?」

「だからそうだって言ってんだろ?俺があの場で引き受けるって一言でも言ったかよ?第一、盃だってまだ交わしてねぇじゃねぇか」

「い、言われてみれば……」

「確かにそうだ……」

 

目を見開きながらも納得する二人のその姿から、錦山は確信した。

彼らは紛れもなく、桐生の子分だと。

 

(なるほどな……これが関東桐生会。腕っ節と義理人情に特化した極道の形か……)

 

騙し騙され、殺し殺されが当たり前の極道の世界において、この組織の在り方は非常に不向きである。

だが、これこそが桐生一馬の目指した任侠の姿。

弱きを助け強きをくじく、彼らなりの"筋"を通す集団なのである。

 

(悪くねぇ……本当にお前らしい組だよ、桐生)

 

そして、そんな組織の在り方を錦山は非常に好ましく感じていた。

いずれは本当にこの組の盃を受けたい。そんな事を思う程に。

 

「まぁ、その話はまた今度だ。今は遥の救出へ急ぐぞ」

「は、はい、そうでした!」

「俺らはいつでも行けます!」

「よし……じゃあ行くぜ」

 

意を決し、錦山達は店の中へと足を踏み入れた。

 

「ほぉ……立派な店じゃねぇか」

 

中国の弦楽器である二胡の穏やかな音楽が流れる中で、老若男女様々な人達が食事を楽しんでいる。

赤を基調とした内装や、天井に備え付けられた中華風のシャンデリアからもこの店の格の高さが伺えた。

 

「いらっしゃいませ、三名様でしょうか?」

 

蝶ネクタイをつけたウェイターの男が錦山達に声を掛ける。

その問いに対し、錦山はこう返答した。

 

「"劉家龍"に伝えてくれ……錦山彰が、会いに来たってな」

 

それを聞いたウェイターは困惑した表情で錦山を見つめる。

 

「いえ、あいにく当店にそのような者はおりませんが……」

 

錦山の中でその返答は想定済みだった。

蛇華のような如何にもな強面の男が、店の顔とも言えるホールスタッフに紛れているはずが無い。

 

「……」

 

もしも可能性があるのであれば、店の中の情報が伝達されるフロントやカウンターである。

そう考えた錦山がすぐ隣のカウンターに目を向けると、一人の黒服が受話器を耳に当てて何処かと連絡を取っていた。

 

「!」

 

その男は錦山と視線が合った瞬間、即座にカウンターの下に隠れるように屈んだ。

 

「っ!アンタ、そこ退いてろ!!」

「え?」

 

錦山が叫ぶのとほぼ同時に、姿勢を下げていたウェイターが再び立ち上がった。

その右手に、この場に似つかわしくないアサルトライフルを持って。

 

「クソっ!」

 

そう叫んで反射的に目の前のウェイターを押し倒したのは、錦山の隣に居た村瀬だった。

一秒後にここは阿鼻叫喚の地獄と化す。

そして、その引き金が引かれる刹那。

 

「シッ!!」

 

錦山の背後から飛来した何か高速で横切っていく。

風切り音を上げて宙を滑空したそれは、一本のナイフだった。

ナイフはどこか軽快な音を立てて男の右腕に突き刺さる。

 

「グアッ!?」

 

突如として突き立てられたナイフによる痛みと驚愕で仰け反ったアサルトライフルの男は、全く見当違いの方向に弾丸を乱射していく。

 

「うぉらァ!!」

 

そして、錦山がその暴虐を止めるべく動いた。

錦山はカウンターを飛び越えるように跳躍すると、未だ引き金を引き続ける男へ強烈なドロップキックを炸裂させる。

 

「グォアッ!?」

 

発射された弾丸は店内の内装を壊し、天井のシャンデリアの支柱をも破壊した。

やがて、シャンデリアそのものが重力に従って落下して大きな音を立てて砕け散る。

 

「きゃあああああああああ!!?」

「逃げてええええええええ!!?」

 

訳も分からぬまま弾丸の掃射に晒された一般人達が、次々と店を飛び出していく。

そして、証明も落ちて無人となった店内に明らかに一般人とは言い難い男達が姿を現した。

 

「アンタ、大丈夫か?」

「は、はい……!」

「よし、ならとっとと逃げろ!!」

 

押し倒した男の無事を確認した村瀬は、すぐさま彼に逃げるように促す。

そして、ウェイターの男が店を出たことで。

ついにこの場は蛇華と錦山達だけとなった。

 

「危ない所でしたね、村瀬さん、錦山さん」

 

そう二人に声をかけるのは鬣のような髪型をした男、斎藤。

彼の両手には、刃渡りの厚いサバイバルナイフと小振りのナイフが一本ずつが握られている。

 

「そうか、お前がナイフを……!」

「えぇ。間一髪でしたが、間に合って良かった」

 

彼はかつてとある男に復讐するためにナイフ術を磨いてきた経験があり、刃物を使った近接戦闘においては関東桐生会で一番の実力を誇っている。

そんな彼によるナイフの投擲は、寸分違わずアサルトライフルを持った男の腕に命中していたのだ。

 

「しっかし、随分な歓迎だなぁオイ」

 

アサルトライフルの男の気絶を確認した錦山が、村瀬達と合流する。

そんな彼らの前には、既に青龍刀などで武装した中国マフィア"蛇華"の男達が臨戦態勢で待ち構えていた。

 

「ただまぁ、変に話し合うなんて事にならなくて正直ホッとしてますよ……!」

「全くだ。何せ俺たちゃ、会長から"喧嘩の止め方"に関しちゃ教わって無いもんでね……!」

 

斎藤はナイフを構え、村瀬は拳と首を鳴らしながら言う。

もはや彼らの中に、止まるという選択肢は存在していなかった。

 

「へっ、そうかい……まぁ、それは俺も同感だぜ」

 

そして、それは錦山もまた同じ。

静かにファイティングポーズを取りながら、その視線は油断なくマフィア達を見つめている。

 

「さて……覚悟は良いな?」

「えぇ!」

「もちろんです!」

 

自分の両脇を固める二人の極道達に最後の確認を終え、ついに錦山が号令を掛けた。

 

「────強行突破だ!行くぞ、野郎共!!」

「「おう!!」」

 

中国マフィア、蛇華構成員。

遥救出作戦の一環として、命を張った喧嘩の幕が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それと時を同じくして。

横浜第四倉庫街で始まった真島組と関東桐生会の全面戦争は、苛烈を極めていた。

 

「オラァ!」

「ボケェ!」

「くたばれぇ!!」

「いてもうたる!!」

 

男達の怒号と絶叫が響き渡る中、双方の男達の拳や蹴り、そして得物同士がぶつかり合う。

それはまさに大乱闘と呼ぶに相応しい光景だった。

そして。

 

「イーッヒッヒッヒ!!」

「せいやァ!!」

 

桐生一馬と真島吾朗。

両組織の大将同士による闘いに至っては、もはや喧嘩の領域をゆうに超えていた。

 

「セイッ、デリャ、ウゥリャァ!!」

 

常人では目にも止まらぬ速さで動き続け、不規則かつ奇怪な軌道でドスを振り抜く真島。

それはまさに狂犬の牙。

一瞬の後に獲物の喉を喰い千切る、致死の刃だ。

 

「フンッ、タァッ、ハァッ!!」

 

桐生はそんなドスによる斬撃を躱し続け、それら全てに合わせた一撃を繰り出していく。

それはまさに応龍の爪。

一撃で肉を潰して骨をも打ち砕く、必殺の拳だ。

 

「エヒャッ!」

 

しかし、狂犬はそのカウンターで放たれた一撃にすら難なく対応して躱してみせる。

人間離れした動体視力と反射神経が為せる神業であった。

 

「チッ……!」

 

桐生は舌打ちを打つと、バックステップの要領で後ろに飛び退いて距離を取った。

如何に桐生と言えど、本気を出した真島の動きを捉え続けるのは困難を極める。

その動きを見極めるためには、距離を取るのが一番有効なのだ。

 

「ヒッヒッヒッ……やっぱりえぇのぅ桐生チャンとの喧嘩は!それでこそ俺が見込んだ男や!!」

「真島の兄さん……!」

 

楽しげに笑う真島とは対照的に、桐生の表情には焦りがあった。

彼は本来、こんな所でこんな事をしている場合では無いのだ。

 

(こうしてる間にも、遥が……錦が……!)

 

大切なものを失う恐怖が、桐生の心を苛む。

惨たらしい最期を遂げた最愛の女の姿が脳裏を過ぎり、この闘いにさえ集中出来ない。

 

「せやけど……まだや。まだ足りん。お前の実力はそんなもんや無いはずや」

「頼むから引いてくれ、真島の兄さん!俺は今、こんなことをしてる場合じゃねぇんだ……!!」

 

まるで絞り出すかのように放ったその言葉に対し真島はこう返す。

 

「ほぅ……そんなに錦山と嬢ちゃんが心配なんか?」

「なっ……!?」

 

その答えは、まるで今の桐生の心中を見透かしているかのようであった。

驚愕を隠せない桐生に対し、真島は続ける。

 

「何も不思議がる事は無いで。お前に娘がいるっちゅう事はとっくの昔から知っとるし、あの子が今どういう立場でなんで狙われとるのか……今の神室町でヤクザやっとんのやったら誰でも知っとるわ」

「真島……!」

 

その言葉に対し、桐生は怒りを覚えた。

真島は桐生が置かれた状況も事情も全て承知している。

つまり、その上でこの喧嘩を仕掛けていると言う事になるのだ。

それは即ち────

 

「じゃあお前は、それが分かっていながら俺の邪魔をするって言うのか……!?」

「あぁ、その通りや」

 

真島の返答により、桐生の怒りが燃え上がる。

しかし、真島は今の態度を決して崩そうとはしなかった。

 

「貴様───!!」

「せやけどそれは……ホンマに桐生ちゃんが気にかける必要がある事なんか?」

 

直後、真島の放ったその言葉が桐生の脳裏に空白を生じさせる。

彼には、真島の言っている意味が理解できなかった。

 

「……どういう意味だ」

「どういう意味もそのまんまやろが。さっきお前……錦山に嬢ちゃんを助けに行かせたんやろ?だったらそれでええやないか」

「ふざけるな!勝手な事ばかり言いやがって!!」

「確かに勝手やな。せやけど、ワシの見立てに狂いは無いで」

 

あっけらかんと答える真島に対して吠え立てる桐生だったが、真島は一転して毅然とした口調で答えた。

 

「錦山は必ず嬢ちゃんを救い出す。間違いあらへん」

「なに……?」

「それに、今アイツには関東桐生会の兵隊が増援で居るんやろ?それじゃむしろ失敗する方が難しいで。過剰戦力っちゅうやっちゃ」

 

真島は先程、錦山は眼中に無いかのように扱っていた。

しかし、今彼の口から出ているのは錦山の実力を肯定するものばかり。

その行動と言動のギャップが、桐生を困惑させていた。

 

「何故だ……錦の事をロクに知らないはずのアンタが、何故そこまで言える!?」

 

再三にわたる桐生の問いかけ。

それでもなお真島の態度は変わらなかった。

変わらず、淡々と。

ただあたり前の事を告げるように答える。

 

「言えるに決まっとるやろが。なんせアイツは……この俺と引き分けた男なんやからなァ」

「!!」

 

その言葉を聞いて、桐生は思い出した。

数日前、真島組の連中からバッティングセンターに遥を拉致した事を聞かされた桐生は松重達の制止を振り切って東京に向けて車を走らせていた。

しかし、後に遥が救われたと言う情報が"協力者"から齎された事で、その時桐生が神室町に乗り込む事はなかった。

 

(まさか、その時兄さんと闘っていたのは……錦だったって言うのか?)

 

その後 遥を保護しているのが錦山である事を知り、それと同時に真島から遥を救い出したのが錦山である事も知った桐生だったが、二人が交戦していた事実を桐生は認知していなかったのだ。

無論、その結果が相打ちであった事など知る由もない。

 

「モチロン手は抜いてへんで。俺は本気やった。アイツは───"本気で殺しに来る俺を相手に生き残り、引き分けた"。桐生チャンなら、この意味が分かるやろ?」

「…………」

 

この時、桐生の脳裏には数年前の記憶が蘇っていた。

それはまだ彼が東城会に居た頃。神室町で桐生組を率いて活動していた時期の出来事だ。

真島から些細な事で因縁を付けられた桐生は"筋の通らない喧嘩は買わない"と発言した事により、文字通り四六時中付け狙われる事になった。

ありとあらゆる手段で桐生に干渉し、彼が手を出さざるを得ない状況を作る事で喧嘩に発展させる。

そんな揉め事に溢れたストーカー被害を、桐生は東城会を脱退する五年前まで受け続けていたのだ。

 

(錦が、本気の兄さんを相手に引き分けた……?)

 

故に桐生は、本気を出した真島吾朗がいかに危険で厄介な存在であるかを熟知している。

一瞬でも油断をすれば文字通り命は無い。

そんな命のやり取りを錦山は経験し、あまつさえ引き分けたというのだ。

それはつまり、錦山の実力が並大抵のものでは無いという事に他ならない。

 

「まぁ桐生チャン程やないにしても……今の錦山は、蛇華のドアホ共に遅れを取るような奴とちゃうで」

 

自分を相手に一歩も引き下がらずに引き分けた程の男が、蛇華を相手に負けるはずが無い。

そう確信しているからこそ、真島の態度は一切崩れないのだ。

 

「むしろ……桐生チャンは己の兄弟分の事がそんなに信じられんのかいな?」

「……なに?」

「聞くところによれば、お前、最初は錦山を危険に巻き込まないように遠ざけようとしとったそうやないか。」

 

そこで真島は、"わざと"下卑た笑みを浮かべて見せる。

 

「それはつまり……錦山の事が信用出来へんかったって事やろ?ムショ暮らしでヒヨったかつての兄弟分に、お情けをかけとったちゅうわけや。っかァー!錦山も気の毒やなぁ。五分だと思うとった自分の兄弟分にそない情け掛けられるなんざ、屈辱もええとこやったやろうに」

「…………」

 

そして真島は、桐生の琴線に触れるような事を次々と口にしていく。

彼は今、"堂島の龍"の本気を引き出そうとしていた。

そして。

 

「まぁ、お前の気持ちも分からんでもないで?アイツは所詮、昔から桐生チャンに金魚の糞みたく引っ付いとるだけの小物やったからなぁ。それがムショに入ったとなりゃ益々────」

 

彼の目論見は成就した。

それ以上の真島の言葉を遮るように顔面に叩き込まれた拳によって。

 

「ぐぶぉぉォオオオッッ!!?」

 

文字通り殴り飛ばされた真島の身体は、二度に渡るバウンドを経てダンプカーのコンテナに叩き付けられた。

激しい轟音が響き渡り、彼らの周囲で取っ組みあっていた男たちの手が思わず止まる。

 

「ぐッ……ぬ、ゥ……!」

「────何か勘違いしてるみてぇだな」

 

真島に繰り出された鉄拳の威力とは裏腹に、桐生の声はどこか平坦だった。

 

「俺が錦を信用しなかった事なんてただの一度もねぇよ。錦を突き放そうとしたのは、俺が"失うこと"に臆病だったからだ」

 

だが、それは決して冷静になった訳では無い。

 

「錦の実力や漢気は、俺が一番よく知ってる。だからこの状況で、俺が遥の事を頼めるのもアイツを置いて他には居ない。だが……だからといって放っておいて良い理由にはならねぇ」

 

それは、言わば防波堤。

次の瞬間には決壊するであろう怒りの濁流を抑え込む、最後の砦。

 

「でもな、それももう良い。お望み通り、アンタの口車に乗ってやるよ。ただし……遊びは一切ナシだ。何故ならアンタは────」

 

そして。

その壁がついに打ち破られ。

 

「たった今 錦の事を侮辱した挙句 知った風な口を聞きやがったからな……!!」

 

眠っていた"龍"が目を覚ます。

 

 

 

「吐いた唾は飲まさねぇぞ、真島ァッッ!!!!」

 

 

 

瞬間。

ついに爆発した桐生の怒りが全身から溢れ出る闘気────否、"覇気"となって放出された。

それは極めて苛烈な重圧となって周囲に伝播し、極道達の戦意を敵味方問わず喪失させていく。

 

(な、なんや……これは……?)

(寒気が……寒気がする……!)

 

自分達が先程まで抱いていた怒りや闘争心は瞬く間に霧散し、得体の知れない悪寒とプレッシャーに苛まれる極道達。

彼らが直面しているのはあくまでも余波であり、決して自分達に向けられたものでは無い。

それを認知した上でもなお、彼らは一同に思った。

 

((((こ……殺される……!!))))

 

しかし、そんな中。

 

「ヒッ……ヒヒッ……」

 

これ程の"覇気"を真っ向から受けてもなお、愉快そうに声を上げる男が居た。

 

「ヒャーッハッハッハ!!そう、これや!これこれ!!ワシが待っとたんはこの瞬間なんや!!」

 

嗤い、笑って、また呵う。

それは"狂気"。

常軌を逸した者だけが辿り着く、禍々しき境地。

 

 

 

 

「会いたかったでぇ……?"堂島の龍"───桐生一馬チャン!!!!」

 

 

 

 

"嶋野の狂犬"、真島吾朗。

彼の全身から溢れ出た"鬼の狂気"が"龍の覇気"と衝突する。

 

(なんなんだよ、これ……?)

(アカン……アカンでこれは……!)

(た、立ってられねぇ……!)

 

覇気の"恐さ"と狂気の"怖さ"。

それらがぶつかり合った事による余波は周囲の極道達に文字通りの"恐怖"を与え、正気を保つ事すら困難となった男達が次々と戦線を離脱していく。

そんな中、当事者である桐生と真島だけが一歩も引かずに睨み合いを続ける。

 

「さぁ、もう辛抱たまらんで!始めようやないか。俺とお前の……本物の喧嘩ちゅう奴をな!!」

 

やがて、真島が金色のジャケットを脱ぎ捨てて上裸を晒した。

般若と白蛇の彫られた混沌とした背中が顕となり、身に纏う狂気の色をより一層濃くしていく。

 

「上等だ。アンタがここを退くつもりがねぇなら……叩き潰して、押し通る!!」

 

そして、桐生もまたダークグレーのスーツと紅いシャツを脱ぎ捨てて上裸を晒す。

天高く飛翔する応龍の入れ墨が顕れ、その身から発する覇気がより強くなる。

こうなってしまった以上、もはや誰にも止める事は出来ない。

桐生と真島。

応龍と般若。

堂島の龍と嶋野の狂犬。

出会うべくして出会った二人の伝説。

 

 

「来やがれ、真島ァッッ!!!!」

「行くでぇ、桐生チャン!!!!」

 

 

そんな彼らによる、究極の闘いが幕を開けた。

 

 

 




ヤーッハッハッハッハ!!!!

血湧き肉躍るこの感覚!それでこそ桐生ちゃんや!!

さぁ、もっとワシを楽しませてみろや!!


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強襲

最新話です

如く7が面白すぎる……!
今日の19時から新作発表もありそうですし、今から楽しみで仕方ありません!

では、本編をどうぞ!



横浜中華街、"翠蓮楼"店内に乗り込んだ錦山と関東桐生会の幹部構成員──村瀬と斎藤は、ホールに現れた蛇華構成員達を蹴散らし、厨房の奥へと進んでいた。

 

《襲撃だ!》

《殺せ!生かして帰すな!!》

 

中国語で叫びながら迎撃せんと三人に迫る蛇華たち。

その中には白いコック服を着た料理人らしき者も混ざっており、中華包丁などを振り回して襲いかかってくる。

 

「オラァ!!」

 

錦山は振り下ろされた中華包丁を躱すと、蛇華構成員の腕を掴んで関節をへし折った。

悲鳴をあげたコック服の首を背後から締め上げ、意識を落とす。

 

《死ね!!》

 

続く二人目は振り抜いてきた青龍刀の軌道を見切り、刀を持つ手首に掌底を当てて得物を弾き落とした。

丸腰になった相手を前蹴りで蹴り飛ばして無力化する。

 

「この!」

 

ついに拳銃を取り出した三人目には、厨房にあった中華料理の円筒形をしたまな板を投げ付けて意識を逸らす。

 

「セェヤ!!」

 

その一瞬の間に一気に距離を詰め、渾身の正拳突きを鳩尾に叩き込んだ。

 

《ぐぼっ!?》

 

蹲ってのたうち回る三人目の頭をサッカーボールキックで蹴り上げてトドメを刺す。

中国マフィアを名乗るだけあってその戦闘力は神室町のチンピラ達の比にはならない。

だが、これまで数多の強敵と闘ってきた錦山にしてみれば彼らは雑兵に過ぎず 大した脅威とは言えない。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

しかし、それが徒党を組んで襲いかかってくるのであれば状況は変わる。

彼らがここに来る前に桐生が正当防衛の為に暴れた影響もあって本来よりもその頭数は減っているが、それでも錦山はここに辿り着くまでに三十人は殴り倒していた。

それに加え錦山はここに来るまでの間に任侠道島一家やカラーギャング達とも闘っている。

度重なる激闘とダメージにより、錦山は酷く体力を消耗していた。

 

「クソっ……キリがねぇ……」

《貰ったぞ!!》

 

肩で息をしている錦山に、通算三十一人目のマフィアが襲いかかった。

錦山が対処するべく身構えた、その直後。

 

「ウラァ!!」

 

真横から突進してきた村瀬が蛇華の構成員を突き飛ばして、そのまま壁へと叩きつけたのだ。

 

「大丈夫ですか、錦山さん!」

「悪ぃな、助かったぜ……」

 

村瀬は顔色一つ変えずに錦山を援護すると、そのまま戦線へと戻って行く。

 

「イキがってんなよチャイニーズ風情が!!」

 

村瀬の闘い方は、剛と柔を併せ持ったパワースタイル。

全力で殴って蹴るヤクザらしい力任せの打撃を見せたかと思えば、相手の武器攻撃に対して関節技を極め、無力化したまま腕や足をへし折る。

ヘビー級のキックボクシングと重量級の柔術が融合したかのような、豪快かつ繊細な闘い方だった。

 

「セイッ、デリャァ!!」

 

そして、そのすぐ隣では斎藤もまた蛇華構成員達を次々と沈めている。

パワーが主体の村瀬と違い、斎藤はサバイバルナイフと小振りの投げナイフを使ったナイフ術で敵を圧倒するスピードスタイル。

青龍刀や中華包丁で武装した蛇華の男達が、次々と叩き斬られていく。

 

「はは、すげぇな……」

 

錦山は思わず舌を巻いた。

刃を振るう速度だけならば、あの真島吾朗にさえ遅れを取らないだろう。

これが関東桐生会の幹部。

武闘派として名を馳せた桐生の元に集った、紛れもない強者たちの実力なのだ。

 

「チッ……ナイフがイカレちまった」

 

舌打ちをし、刃こぼれしたサバイバルナイフを捨てる斎藤。

メインの武器であった得物が刃こぼれを起こし、満足に戦うのが困難となる。

 

「村瀬さん。とりあえず、ここの連中はあらかた片付けました」

「あぁ……ん?待て……」

 

村瀬は神妙な面持ちで錦山の傍まで駆け寄ると、そのまま背中を向けて錦山を守るように立った。

 

「どうした?」

「……新手です」

 

村瀬の言葉通り、増援と思われる蛇華の男達が厨房へと大勢なだれ込んで来た。

 

「クソッ……これじゃホントにキリがありませんね!」

「ったく、こんな所で足止め食ってる場合じゃねぇってのに……!」

 

悪態をつく二人だが、その表情は何処か楽しげだ。

大掛かりな喧嘩に極道としての血が騒いでいるのだろう。

しかし、村瀬の言う通り錦山達は足止めばかりを食らっている訳には行かない。

こうしている今も尚、遥は囚われたままなのだから。

 

「村瀬、斎藤!」

 

錦山は懐からスタンバトンとドスを取り出すと、それぞれを二人に投げ渡した。

二人は困惑しながらもそれを受け取る。

 

「に、錦山さん!?」

「こいつは一体?」

「俺が護身用で持ってる得物だ。そいつをお前らに託す。だから……ここは任せてもいいか?」

 

錦山がこの目で見た二人の実力は本物だった。

これだけの強さを持つ二人になら、錦山は気兼ねなく背中を預けられる。

だが、それはそれとして彼らの身に何かがあれば彼は桐生に会わせる顔が無い。

故にこの行動は、錦山が二人に少しでも生き残って貰うために行った投資のようなものだった。

 

「へい、錦山さん!」

「お任せ下さい!」

「あぁ、頼んだぜ!!」

 

錦山は彼らにその場を託し、厨房の更に奥へと足を踏み入れた。

 

《待て!》

《その先に行かせるな!》

 

錦山を追いかけようとする蛇華達だったが、そんな彼らの前に関東桐生会の二人が立ちはだかる。

 

「行かせねぇぞ雑魚共」

「ここを通りたきゃ、俺らを倒して行くんだな!」

 

村瀬がスタンバトンのシャフトを展開し、斎藤がドスを抜き放つ。

彼らの士気は、敬愛する会長の兄弟分たる錦山から男と見込まれ殿を頼まれた事で最高潮に高まっていた。

 

「「死ぬ気で来い!!」」

 

関東桐生会の若頭補佐と舎弟頭補佐。

二人の極道が今、蛇華達に牙を剥く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月10日

時刻は午後の22時頃。

蛇華の本部である料亭「翠蓮楼」に殴り込みをかけた俺は、ついにその最奥部へと辿り着いていた。

 

「遥!!」

 

勢いよく扉を開けた先にいたのは、縄で縛られ口をテープで塞がれた遥。

そして、その横にいる白い中華服を身に纏った男だ。

後頭部で結ばれた俺以上に長い黒髪と顔の傷、猛禽類のような鋭い眼光に俺は見覚えがあった。

間違いない。コイツこそがこの屋敷の主にして遥を攫った張本人。

 

「まさか、キリュウカズマではなくお前がここに来るとはな。ニシキヤマ アキラ。数日ぶりカ?」

 

劉家龍。横浜中華街を支配する中国マフィア組織"蛇華 日本支部"の総統。

かつての桐生は愚か、足を怪我する前の風間の親っさんですら一目置いていた程の実力者だ。

 

「ほう、まさかあの劉家龍に名前を覚えてもらえるとはな」

「貴様の事は色々と調べさせて貰ったヨ。まさかあのキリュウカズマの兄弟分だったとはね。俺達が関東桐生会へ出向いたあの時にお前が本部に居たのも納得だ。余程の男だと思っていたが……よもや親殺しのチンピラとはな。なんて事は無いただの小物ダ」

「おいおいその辺にしといてやれよ?その小物のチンピラに良いようにやられたお前の弟子の立つ瀬が無いぜ?」

「……いちいち癇に障る男ダ」

 

ラウは俺に明確な殺気を向ける。

その表情にあるのは怒り。いや、苛立ちだろうか?

小物と見下していた俺に弟子を倒されたのが気に入らないらしい。

 

「ラウカーロン。お前の狙いは大体察しがつくぜ。どうせ嶋野辺りからビジネスとして100億の案件を振られたのが事の始まりだろうが……一番の理由は桐生への牽制だろ?」

 

今回の一件。俺は裏で糸を引いているのが嶋野であると睨んでいた。

消えた100億を追う中で遥がペンダントの持ち主であるのと同時に桐生の娘である事も知った嶋野は、真島を始めとした嶋野組傘下の全組織に命令して100億と同時に桐生へのアキレス腱である遥を手に入れようとした。

それが失敗した今、次に行ったのが蛇華との共謀。

蛇華に遥の誘拐とペンダントの確保を依頼し、100億に関しては後で取り分を決めて分け合うつもりなのだろう。

 

(誤算だったのは、関東桐生会と抗争を構える事になった蛇華が想定よりも早く遥の存在が入り用になった事……で、桐生の動きを止める為に嶋野が策を打ったって所か)

 

そう考えれば、倉庫街に真島が来たことにも説明が付く。

蛇華と一触即発の状態にある関東桐生会に真島をけしかける事で桐生の動きを封じ、その間に蛇華に仕事をしてもらう。

真島の扱いに慣れた嶋野らしい策だ。

 

「ほう……キリュウカズマと違い、お前は意外と頭が回るようだナ」

「そりゃどうも」

「だが、所詮は貴様も嶋野達と同じ頭の悪い日本の極道ダ。結局はこの娘の"本当の価値"を分かっちゃいなイ」

「なに……?」

 

ラウの言った"本当の価値"。

その言葉に俺は引っ掛かりを覚えていた。

100億のペンダントと桐生の身内である事以外に、遥にはまだ狙われる理由があると言うのだろうか。

 

「そいつはどういう意味だ?」

「フン、お喋りはここまでにしよう。俺は蛇華を力でのし上がった男だ」

 

ラウは俺の問いには答えず、上の階の廊下から部下が投げ渡してきた得物を受け取った。

 

「ホワチャ!!」

 

青龍偃月刀。

長い棒状の柄に分厚い刀身が槍のように付けられた、中国を代表する武器の一つ。

ラウはそれを手足のように自由自在に振り回し、切っ先を俺に向けるようにして構えた。

 

「────来な。マフィアの怖さ、思い知らせてやる!!」

 

どうやらこれ以上の情報をタダで話すつもりは無いらしい。

ならば俺の取るべき手段は一つだ。

 

「……上等だ」

 

ジャケットの両側にあるポケットに左右の手を入れ、鋼鉄のメリケンサックを取り出した。

備わった穴に指を入れ、しっかりと固定させてからファイティングポーズを取る。

 

「────極道の恐さ、教えてやるよ!!」

 

蛇華日本支部総統。劉家龍。

横浜の中国マフィアを総べるボスとの果たし合いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

第四倉庫街で勃発した真島組と関東桐生会による全面戦争。

そのボス同士である真島吾朗と桐生一馬の闘いは熾烈を極めていた。

 

「イィーッヤァッ!!」

 

狂ったように笑いながらドスを持って襲い掛かる真島。

彼の繰り出す斬撃は不規則な軌道と圧倒的な速度を併せ持ち、回避する事は至難の業である。

 

「シッ、フッ!」

 

しかし、桐生は並の極道であればとっくに両耳と鼻が削ぎ落とされているであろうそれらの斬撃を持ち前の動体視力と反射神経で次々とやり過ごしていた。

 

「オラァ!!」

 

そして、針の隙間を縫うような僅かな間隙を突いて反撃の拳を振るう。

空気を抉るように放たれた右ストレートを真島は顔一つ分首をズラして躱すが、その一撃の余波により真島の頬が浅く切り裂かれた。

 

「────イヒッ!」

 

その事実に真島はより一層の笑みを浮かべる。

 

「最高やでぇ、桐生チャン!!」

「ウラァ!!」

 

飛び掛った真島に対し桐生が右のハイキックで迎撃を行った。

如何に真島吾朗が素早くとも、空中に躍り出てしまえば身動きは取れないと踏んだからだ。

 

「エヒャ!!」

 

しかし、狂犬はそんな常識すらも捻じ曲げて見せた。

真島は真横から接近する桐生の薙ぎ払うような蹴りに対し、空中で身体を捻った上で蹴りを受けた。

左の肘上辺りを直撃した桐生の蹴りだが、その威力は正しく発揮される事は無い。

 

(なにっ!?)

 

桐生の足が振り抜かれた直後、真島の身体が空中でコマのように回転した。

真島は空中で身体を捻って微弱な回転を生むことで、桐生の蹴りの威力を遠心力に変換して見せたのだ。

そして、今。桐生の身体はハイキックを蹴り抜いた勢いのまま後ろへと振り向こうとしている。

 

(マズイ──!!)

「アチャー!!」

 

桐生が危機を知覚した時には、既に遅かった。

空中で回転を加え放たれた真島のかかと落としが、桐生の後頭部を直撃する。

 

「うぐぁっ!?」

 

前のめりに倒れる桐生。

堂島の龍が喫した初めてのダウンに、周囲の男達は騒然としていた。

 

「ヒッヒッヒッ、背中見せたらアカンでぇ……桐生チャン!!」

 

明確な隙を晒して桐生を仕留めるべく、狂犬がすかさず動き出した。

ドスを逆手に持ったまま飛び掛かり、桐生の身体に刃を突き立てようと振り上げた。

 

「──シャァアッ!!」

 

それを本能で感じ取った桐生は、揺れ動く視界と朦朧とする意識のまま反射的に動いた。

右手で強く地面を叩いて身体を仰向けに反転させ、その勢いのまま真上へ回し蹴りを振り抜く。

 

「ぐぉぉっ!?」

 

その回し蹴りをまともに受ける事になった真島の身体は、桐生のちょうど真上で迎撃されて吹き飛ばされる。

 

「はぁ……はぁ……」

 

平衡感覚を取り戻した桐生がゆっくりと立ち上がり、地面を転がった真島を油断なく睨みつける。

彼の知る"嶋野の狂犬"はこの程度では止まらないからだ。

 

「ヒヒッ……ヒッヒッヒッ!」

 

そんな桐生の予想通り、立ち上がった真島が狂ったように笑い声を上げる。

この数年間闘いたくて仕方が無かった桐生との ようやく訪れた命懸けの喧嘩に、真島の心は踊り昂っていた。

 

「ヒャーッハッハッハ!!アカン!アカンで桐生チャン!!こんなに楽しい喧嘩は何年ぶりや!?やっぱりお前は最高やなァ!俺は嬉しいでぇ!!」

「チッ、相変わらずタフな野郎だ……!!」

 

対する桐生の表情は固く、苦いものが占めている。

彼は今、こんな事をしている場合では無い。

一刻も早く真島を撃破し、錦山の応援に行かなければならないのだ。

 

「まだまだ楽しもうやないか、桐生チャン!!」

「ッ!!」

 

直後。真島の身体が一瞬にして桐生の目前まで迫っていた。

顔目掛けて突き出されたドスを、桐生は間一髪で避ける。

 

「セイ、デリャ、リャォ、ィヤァ、シャラァ!」

 

ドスを空中に置くように手を離し、振り向きざまに逆手の一刺し。

ドスを上に放り投げながらの足払い。

跳躍で避けた先に待っている顔面への一刺し。

こめかみを狙ったハイキック。

蹴り足を振り抜いたままの勢いで放たれる逆手持ちの刺突。

そして、ドスの柄ごと殴り付ける最後の左ストレート

錦山が避けきる事の出来なかった"鬼炎"の如き猛攻を、桐生はいとも容易く捌き切った。

 

「イィィヤァッ!!」

 

しかし、狂犬の牙は未だ止まらない。

小刻みに放たれた二回の斬撃。

そしてそれを避ける為に後ろへ下がった瞬間を狙い撃つかのように放たれた下からの大振りな一振り。

 

「チッ!」

 

それを躱した先に待っている振り下ろしの斬撃。

どうにか避けた桐生だったが、真島はさらにそこへカポエイラのような動きで二発の連続回し蹴りを放つ。

 

「ヌッ、グゥ!」

 

息もつかせぬ程の怒涛の猛攻に歯噛みする桐生。

如何に堂島の龍と言えども、真島の攻撃を躱し続けるのには限界がある。

だが、自身の余裕が削られていくのと同時に桐生は待っていた。

いずれ来る"勝機"の訪れを。

 

「セイッ、デリャ、ウゥリャ!!」

 

ドスを上に放り投げ、足払い、左フック、アクセルキックとコンビネーションを続ける真島。

そして。

 

「遠慮せんと死ねやァ!!」

 

キャッチしたドスを逆手に持って振り抜かれるドスの刃。

これこそ、狂気に満ちた猛攻を続ける狂犬の計算された一手。

今までの攻撃は全て、この"本命"を確実に叩き込む為の布石だった。

現に今、桐生の体勢や立ち位置ではこの斬撃を躱す事は出来ない。

かと言って防御などすれば桐生の腕はいとも簡単に斬り落とされるだろう。

まさに窮地。桐生にとっては限りなく詰みに近い状況だ。

しかし。

 

(────来た!!)

 

この危機的状況において、桐生は確信した。

絶対に避ける事の出来ない狂犬の牙。

ここが。この瞬間こそが。

 

 

 

 

────勝機!!

 

 

 

 

「フン!!」

 

桐生はその致死の刃を、なんと素手で掴み取ったのだ。

本来であれば指が落ちかねない愚行だが、それを行うのが桐生であれば話は違う。

 

「な、ッ!?」

 

ドスの刃は桐生の手のひらを浅く切って肉へと食い込むが、それ以上のダメージを桐生の握力が許さなかった。

万力に挟まれたかのように微動だにしない己の武器に戸惑う真島だが、そこが致命的な隙になった

 

「オラァッ!!!!」

 

桐生の拳が唸る。

雄叫びと共に放たれた右フックは、真島のこめかみを直撃した。

 

「ぐぉ、ァ……────」

 

堂島の龍による鉄拳はあの真島吾朗の意識を一撃で混濁させ、致命的な程の隙を作り出す事に成功していた。

 

「デイヤァ!!」

 

桐生は振り抜いた拳をそのまま戻す要領で裏拳をぶちかまし、ドスの刃から手を離すと真島の右手首を掴まえて逃がさないように握り締めた。

 

「オラッ、オラッ、オラァ!!」

 

ここでさらに桐生は右のボディブローを直撃させる。

それも一発だけではない。

防弾チョッキすらも打ち砕く程の打撃が、何も身に付けていない真島の上半身に連続で叩き込まれていく。

 

「うぐぉァッ!?」

 

呻き声を上げる真島。

膝は笑うように震え、口からは血が零れ出す。

彼は意識の覚醒と引き換えに壮絶な痛みを被っていた。

 

「ぐ、ッ、ヒッ……!」

「────!!」

 

しかし、そんな状態でありながらも真島は獰猛な笑みを浮かべてみせた。

その事に悪寒を感じた桐生は、直後に自分の感覚が正しかった事を理解する。

 

「デェェェイ!!」

 

真島は右手で持っていたドスから手を離し それを左手で掴み取ると、桐生の首を目掛けて刃を振るった。

 

「ッ!」

 

桐生は新たにドスを握った真島の左手を右手で抑え込む事でどうにかその刃をやり過ごす。

もしほんの一瞬でも反応が遅れていれば、桐生の喉元は真横に掻き切られていたであろう。

 

「ウォォォオオオオオオッッ!!」

 

桐生は交差するような形で真島の両手を押さえ込んだ状態から、力づくで腕を引き戻した。

 

「ぬぉっ!?」

 

結果、真島の身体は桐生に掴まれたままの両腕を起点に反転し、そのまま投げ飛ばされる形となった。

背中からアスファルトに叩き付けられた真島は苦悶の声を上げる。

 

「グヘェッ!?」

「はぁッ!!」

 

身動きの取れない真島に対し、桐生はすかさず追い討ちをかけた。

仰向けに寝転がった真島の胴を全力で踏み付けたのだ。

 

「か、ッ───!?」

「フンッ!デェヤッ!!」

 

二回、三回と踏みつける度に真島の口からは血反吐が吐き出され、アスファルトを赤黒く汚していく。

そして。

 

「ォンラァッ!!」

 

叫び声と共に桐生は真島の顔面を踏みつけた。

桐生の靴底と硬い地面が真島の頭部を挟み込み、逃げ場のない衝撃が真島に甚大なダメージを与える。

 

「グガ、ッ、ァ……」

「ハァ……ハァ……」

 

確かな手応えを感じた桐生がゆっくりと足を離して僅かに真島と距離を取った。

荒らげた息を整えつつも依然油断なく真島を見つめて構えを解かない桐生に対し、真島は痛め付けられた身体を酷使してゆっくりと立ち上がった。

 

「ぬ……グ、ァ……ァあッ……」

 

顔は腫れ上がり、鼻は潰れ、頭部からは流血。

胴は何度も拳を受けて青アザだらけ。

まさに満身創痍と言った言葉が相応しい有様になりながら、真島は血走った右目で桐生を捉えていた。

 

「負けへんで…………」

 

最初の勢いが見る影もない程の弱々しい動きで桐生に迫る真島。

もはや彼の肉体は、闘争本能のみで稼働していた。

 

「シッ!!」

「ぶっ!?」

 

そんな真島に桐生は容赦なく右ストレートを叩き込んだ。確実にトドメを刺すために。

 

「ぐ、ぅぅ……ぬッ……負け、へんで……!」

 

だが、真島はその一撃を顔面に受けて大きく仰け反ったももの倒れることはなかった。

再びドスを持ってじわじわと迫ってくる。

 

「オラッ!」

 

桐生はもう一度右ストレートを真島に叩き込む。

顔面からは血が吹き出し 先程よりも大きく仰け反ったものの、やはり倒れる事は無い。

真島のスタミナとタフネスは、完全に人間の領域を越えていたのだ。

 

「ぬ、ゥ……ン…………負けへ────」

「オラァァァァッッ!!!!」

 

そんな真島のしつこさに激した桐生は、全力の拳を振るった。

喧嘩や格闘技の打撃ではない。もはや野球の投球フォームに近い動きで振り抜かれたその一撃は真島の顔面を打ち抜き、彼の身体を竹とんぼのように吹き飛ばして地面に叩き付けた。

 

「ぶげぁァッ!?ぁ……ぁが……く、ッ…………ぬ、ゥ……!!」

 

震える身体を無理矢理動かし、産まれたての子鹿のような有様になりながら、なおも立ち上がる嶋野の狂犬。真島吾朗。

しかし。ついにそんな彼に限界が訪れた。

 

「負、け……ぇ…………────────────」

 

全身の力が抜け、膝から地面へと崩れ落ちる真島。

前のめりに倒れて動かなくなったのと同時に、しばしの静寂が第四倉庫街を包み込む。

 

「ハァ……ハァ…………手間、取らせやがって」

 

やがて、桐生がそんな言葉を零す。

それをもって、伝説の極道と呼ばれた二人の闘いは決着したのだった。

 

 

 




ヘ、ヘヘ……ヒッヒッヒ…………

やっぱり……桐生チャン、は………………



ごっつい、のぅ…………──────────


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Ogre has Reborn

最新話です。
ラウの戦闘描写が上手いこと書けず苦戦しました……

よろしくどうぞ


横浜中華街に店を構える中国料亭"翠蓮楼"にて、俺は蛇華日本支部総統である劉家龍(ラウ・カーロン)との果たし合いに臨んでいた。

 

「カァーッ!!」

 

身の丈以上の長さを誇る青龍偃月刀を軽々と振り回すラウの斬撃はリーチが長く、変幻自在な軌道を持って迫ってくる。

対してこちらの得物はメリケンサック。

拳の周りに鋼鉄の手甲が加えられただけの武器であり、リーチは素手の時と殆ど変わらない。

 

「チッ!」

 

結果、ラウがその長物で自分の間合いを保ち続け、俺が自分の間合いに入れずに向かってくる斬撃をメリケンサックの打撃で迎撃し続けると言う防戦一方の状況が出来上がっていた。

 

(クソッ、やべぇかもなこりゃ……!)

 

加えてここは屋内。

総統の部屋である為 ある程度の広さはあるが、屋内である以上逃げ場所は限られてくる。

そして俺が知る限り、ラウは逃げ回るネズミを相手にいつまでも追いかけっこをしてくれるような奴じゃない。

追い詰められてトドメを刺されるのが関の山だ。

 

(何とかしねぇと……ッ!)

 

ラウの猛攻を躱しながら俺は周囲を見渡した。

そして、部屋の周囲にオブジェとして配置された大きめの壺がある事に気付く。

 

(アレだ!!)

「ハァァッ!!」

 

ラウの放った袈裟斬りを転がりながら避けてやり過ごし、俺は木台の上に置かれた壺を持ち上げると ラウと俺の中間に来るように放り投げる。

 

「!?」

 

僅かに面食らったラウ。

その間に俺は放り投げた壺を目掛けて右のストレートを放った。

 

「オラァ!!」

 

壺は甲高い音を立てて砕け散り、その破片がラウへと襲い掛かる。

 

「ヌゥッ!」

(貰った!)

 

得物を真横に降って破片を振り払うラウ。

俺はその間隙を突いて一気に距離を詰めた。

刃のリーチよりも深くに踏み込み、あと一歩で拳が届く程の間合いまで近付く。

 

《甘い!!》

 

しかし、ラウは俺の接近を許さなかった。

俺が振り上げた拳よりも早く、ラウの放った足刀蹴りが俺の胴へとくい込んでいたのだ。

 

「ぐ、ッ!?」

 

瞬く間に距離を離され、俺は再びラウの得物の間合いへと追いやられてしまった。

 

「フゥンァ!!」

「フッ!」

 

その途端、即座に襲い掛かる青龍偃月刀の刃に俺は右フックを放った。

メリケンサックを着けた鋼鉄の拳で刃の横を叩く事で軌道を逸らし、どうにかやり過ごす。

 

(ダメだ……全く距離を潰せねぇ!)

 

広範囲かつ遠距離のリーチを持つ青龍偃月刀。

それを突破しても中距離の足技が接近を許さない。

まさに鉄壁の布陣。隙の生じない二段構え。

 

(まずはあの得物をどうにかしねぇと……!)

 

このままではジリ貧。いずれ体力と余裕を削り切られ、トドメを刺されるだろう。

この状況を打破しない限り、俺に勝機はない。

 

(だがどうすりゃいい……!?)

 

青龍偃月刀による斬撃の連続をメリケンサックで弾きながら、俺は思考を巡らせた。

これまでもどうにか切り抜けてきた。

必ず何処かに突破口はある。

 

(ん……?)

 

ふと、俺は得物を振り回すラウの手に目が止まった。

正確にはその奥。袖の中が少しだけ見えたのだ。

手首の辺りに巻かれた白いものを。

 

(あれは、包帯か……?)

 

包帯を巻く意味はいくつかあれど、大抵の場合は怪我をした場合に限定される。

そして、息を付かせぬほどの苛烈な猛攻。

これを"余裕が無いこと"の裏返しと捉えるのならば。

 

(試してみるか……!)

 

いずれにせよ、こっちとしても時間や余裕は無い。

たった今浮かんだ仮説と己の直感を信じ、俺は脱力の呼吸をする。

 

「チュア!!」

 

繰り出された突きを冷静に見極めて回避し、俺は脱力からの瞬発力を活かした跳躍で大きく後ろへ飛び退いた。

その後、近くにあった壺と木台をメリケンサックを指に嵌めたままそれぞれ両手に持つ。

 

「フン、馬鹿の一つ覚えカ!」

 

先程の戦法を繰り出してくると思ったラウは俺を嘲笑いながらすぐに距離を詰めてくる。

俺はそんなラウに対し、まずは木台を投げ付けた。

 

「シェアッ!!」

 

そんな掛け声と共に振り下ろされた青龍偃月刀は、飛来する木台を真っ二つに斬り裂いた。

あまりの切れ味に内心で舌を巻きつつも、俺は即座にもう片手に持った壺を放り投げる。

 

「ハッ」

 

ラウはそれを鼻で笑いながら右に避けた。

コイツにとってそれは予想していた行動だったのだろう。

だが、これは予期していただろうか?

 

「オラッ!」

 

俺はラウが壺を避けた瞬間、ラウの顔面目掛けて左手に付けていたメリケンサックを投げつけた。

その顔の右半分(・・・・・)にメリケンサックが直撃するように。

 

「ッ!」

 

ラウは咄嗟に仰け反りながら左側に身体を傾ける。

その結果。

 

「なっ!?」

 

先程放り投げられて地面に落ち、割れて砕け散った壺の破片を踏み付けてしまいバランスを崩す。

この瞬間こそ、俺が待っていた状況であり作り出したかった状態だった。

 

「フゥッ」

 

足を強く踏み込み、地面を蹴って一気に距離を詰める。

 

「─────セェッ!!」

 

裂帛の気合と共に、右の鉄拳で真っ直ぐに正拳突きを放った。

 

「ぐッ!?」

 

反射的に得物の棒でその一撃を受けるラウ。

だが、木製のそれをメリケンサックを嵌めた右の正拳突きはいとも簡単にブチ折った。

 

「クッ!?」

「オラァ!!」

 

突如として得物を無力化されて戸惑うラウに、俺はすかさず追撃の前蹴りを胴体に叩き込んだ。

"硬い感触"を靴底越しに感じた直後、ラウの体が後方へと弾き飛ばされる。

 

「フッンゥ!」

 

ラウは身体を捻るようにして受身を取ると、中国拳法の構えを取った。

どうやらここからは肉弾戦を仕掛けてくるつもりらしい。

 

(こっからは未知の領域だ……!)

 

劉家龍は中国におけるあらゆる武術を極めた達人。

それは当然、拳法においても例外じゃない。

渡世入りしてから今に至るまで数多くの男達と闘って来たが、流石に達人とやり合うのはこれが初めてだ。

それに加えこっちは既に怪我の影響や連戦に次ぐ連戦もあって体力は残り少なく、いつ限界が訪れるか分からない。

故に。

 

(賭けるなら……"ここ"だ!)

 

俺は決断した。

この勝負、一気に確実に終わらせると。

 

「スゥー……、フゥー………………────────」

 

呼吸。脱力。

精神の昂りを抑え、心身ともに安定した状態を作り上げる。

身体は自然。頭脳は冷静。

それでいて、心は熱く。

そして。

 

「───────────、ッ」

 

"入った"。

明確にそれを知覚した途端、俺の世界は一変した。

視界は一気にクリアになり、相手の動きがスローモーションになる。

ラウの声はもちろん、衣擦れの音すらもハッキリと聞き取れた。

それだけではない。

鼻は互いの汗と血の匂いを察知し、肌はラウの纏った闘気と一発に込められた殺気を敏感に感じ取る。

全ての感覚が鋭利に研ぎ澄まされてラウの放つ拳法の動きが手に取るように分かるのだ。

 

(────倒せる)

 

根拠もなく、俺はそう確信した。

 

「ショワチャッ!!」

 

右。貫手による突き上げ。

僅かに首を避けて躱す。

左。左の肘打ち。

後ろに退いて躱す。

 

「ファーッ!」

 

右。後ろ回し蹴り。

腰を落として躱す。

左。三日月蹴り。

左脇で挟みこんで受け止める。

 

「ヌッ!?」

 

軸足となった右足にローキックによる足払いで転倒させ、追い討ちのパウンドを顔面目掛けて放つ。

 

「チッ!?」

 

転がるように避けて距離を取るラウを深追いせず、先程投げたメリケンサックを回収して手早く左手に装着する。

直後。

 

《総帥!!》

 

上階にいた蛇華の構成員が何かとラウに投げ渡した。

それは二振りの青龍刀。

ここに来てラウは再び武器を使った立ち会いに持っていくつもりなのだろう。

 

「八つ裂きにするヨ!!」

(────問題ない)

 

ラウの選択は悪手だ。

確かに刀を使えば殺傷力は上がるだろう。

だが、こちらの実戦経験が少なく対処法がハッキリしない素手の中国拳法とは違い、青龍刀は多少の型や基盤の動きはあれど素手ほどの自由度は無い。

それはつまり、ラウの取れる選択肢が減る事を意味していた。

 

「ソリャーッ!!」

 

ラウの振るう剣戟を、こちらの拳撃で迎え撃つ。

青龍刀とメリケンサック。

互いの得物がぶつかり合う度に、甲高い金属音が鳴り響き 火花が散る。

 

「シュ ェアーッ!!」

 

右。袈裟斬り。

左のアッパーでカチ上げる。

左。横凪ぎ。

距離を取って躱す。

 

「リャオッ!!」

 

右。真上から振り下ろし。

横に避ける。

左。斜め下からの斬り上げ。

左フックで迎撃。

 

(────見える)

 

研ぎ澄まされた視覚と聴覚からの情報。

その上 肌で感じる"殺気"による感覚的情報。

そこから導き出される"攻撃の予知"と、それに対する動きを導き出す肉体と神経。

高速で回転する脳細胞。加速する思考力。

その全てを100%、完全に解放する超集中状態。

言うなれば────無我の境地。

 

「ヌォォォッ!!」

 

左右。両腕を交差し同時の袈裟斬り。

 

「シッ」

 

刀身が交差する一点を狙い左のストレート。

文字通り腸を八つ裂きにする為の攻撃を、鋼鉄の拳で受け止めた。

 

「───フッ!!」

 

そして。

刃の動きが止まった一瞬の隙に、下から右のアッパーを振り抜く。

 

「馬鹿な……!?」

 

重なっていた二振りの青龍刀は真下からのその一撃に耐え切れず、刀身が砕け散った。

これでもうラウに武器は無い。

 

「──シュッ!」

 

懐へと踏み込み、左のボディブローをラウの胴体に叩き込んだ。

返ってきた感触は硬く、メリケンサックで殴り付けたにも関わらずラウに効いた様子は無い。

 

(────やはり腹に何か仕込んでいるな)

 

同時に俺は自分の予感が正しかったことも確信した。

負傷し、疲弊しているのは何も俺だけではない。

ラウもまた同じなのだ。

 

(────桐生に負わされたダメージの影響か)

「ッ!」

 

袖の中に見えた包帯。アレを怪我だとするなら納得が行く。

ラウは桐生と対峙する事の恐ろしさを身をもって味わったのだろう。

であれば服の中に何かを仕込むくらいはやってもおかしくない。

本来、組織の頭を張る上で大事な事は誰よりも生き残る事なのだから。

 

(────これならどうだ)

 

狙いを腹から顔へと切り替える。

メリケンサックを装着した鋼の拳なら防ぐ事も出来ない。

そう睨んで放った右ストレートだが、ラウはその一撃をガードした。

 

「グッ!?」

 

面食らうラウだが、ダメージを受けた様子は無い。

同時に、防御した腕から帰ってきた鈍い感触でラウが手甲を袖に仕込んでいる事を確信する。

 

(──あの包帯は手甲を縛ってたのか)

 

怪我の可能性はまだ残ってるが、手甲を固定する意味合いである事はハッキリした。

顔と腹は護られている。だが、弱点が無い訳ではない。

そして、その弱点は"既に見つけている"。

 

「チャァッ!!」

 

右。反撃の貫手打ち。

一歩後ろに下がって間合いを外す。

と同時に、右足を強く踏み込んで左足を持ち上げた。

 

「───────ッ」

 

踏み込みの力を右足から腰への回転へと繋げ、更に持ち上げた左足にも伝達させる。

そして視線はラウの側頭部へと向け、蹴りと同時に殺気を放つ。

 

「ハッ!?」

 

ラウはそれを感じ取ったのか、手甲の着いた右手を顔の横へと持っていく。

一瞬の後に襲い来るであろう俺のハイキックを防ぐ為だ。

 

(────"貰った")

 

直後。

俺は振り上げていた左の蹴り足の軌道を急転換し、斜め上から下に向かって振り下ろした。

 

「イギッ!?」

 

ブラジリアンキック。

下から上に振り上げる蹴り足の角度を急転換させる事で、上からの"蹴り下ろし"を可能とする蹴り技だ。

メリケンサックによる右ストレートで意識を上に向かせてからの、ブラジリアンキックによる変則的なローキック。

ラウが脛回りを防護していないのは、先程足払いをした時に確認済だ。

 

「ガ、ァァッ!!?」

 

膝の真横へと直撃したローキックは、ラウの右脚に甚大なダメージを与えた。

激痛に悶え動きが鈍るラウに、俺はもう一度ローキックを放つ。

 

「ウギャァァァァッ!!?」

 

確かな手応えと、骨が砕ける音。

体重を乗せ、真っ直ぐな軌道と確かな威力を持たせた渾身のローキックはラウの右膝を完全に破壊した。

 

「────終わりだ」

 

ラウのこめかみに右フック。

流血と共にラウが白目を剥く。

決着は着いた。

だが。

まだ遥の分が残っている。

 

「────セイッ、ハァッ!!!!」

 

左のアッパーで下顎の骨を殴り割り、カチ上げた顔面に上からトドメの右のフックを打ち下ろす。

その一撃はラウの鼻を折り潰し、顔面の骨を砕いて陥没させた上でラウの身体を地面に叩き付けた。

完全決着だ。

 

「遥」

 

メリケンサックを外し、遥の元へと歩み寄る。

動かなくなったラウにはもう見向きもしなかった。

 

「今、助けてやる」

 

口に貼られたガムテープを剥がし、縛られた縄を解く。

 

「……おじさん!」

 

抱き着いてきた遥の小さな体と確かな体温。

何処にも怪我が無い事を知覚した。

直後。

 

「無事だった、みたいだな。良かっ、た…………」

 

激しい立ちくらみに襲われた俺は、平衡感覚を失いその場に膝を着いた。

同時に全身を強烈な疲労感と虚脱感が一気に襲う。

明瞭だった思考が鈍り、視界が明滅する。

 

「ごめんね……ごめんね……!」

 

遥が涙ながらに何かを言っているが、著しく機能の低下した聴覚では上手く聞き取る事が出来ない。

遥の無事を確認したことで緊張が解れ、超集中状態の代償がここに来て一気に襲い掛かって来たのだ。

 

(ヤバい、気ぃ抜いたら今にもぶっ倒れそうだ……!)

 

混濁する意識を何とか保つ。

総統がやられたと知れればラウの手下達がいつ襲ってくるかも分からない。

長居は無用だ。

 

「遥……歩ける、か……?」

「う、うん!おじさんこそ大丈夫!?」

「あぁ……さっさと、逃げんぞ……!」

「動くな!!」

 

遥と逃げる為に何とか立ち上がった直後、日本語で叫ばれた俺は反射的に遥を後ろに庇う。

すぐに俺と遥を数人の男たちが銃を持って取り囲んだ。

日本の警察だった。

 

「あ……?」

「錦山彰だな?」

 

スーツ姿で眼鏡をかけた男が警官達の前に出る。

どうやらこの男が指揮官らしい。

男は警察手帳を見せながら、毅然と俺に言い放った。

 

「誘拐の現行犯で逮捕する」

 

2005年12月10日。

時刻は23時。

遥を命懸けで救出した俺は、警視庁捜査一課に身柄を拘束された。

 

 

 

 

 

 

 




ラウ撃破!と同時に逮捕!?
打つ手は無いのだろうか……

次回もよろしくです


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逃亡

最新話です。
最新シリーズが発表されて激アツ過ぎる龍が如くですが、こちらも更新していきます!



夜露死苦ゥ!!


蛇華との闘いを終えた錦山彰は警視庁捜査一課に身柄を拘束され、横浜警察署の留置所に拘留されていた。

罪状は誘拐の現行犯。

彼は今、澤村遥を攫った犯人として扱われているのだ。

無論 真実は違う。だが、それをまともに聞き入れてくれるほど警察は甘くない。

ここに来て錦山は身動きどころか取れる手段のほぼ全てを失ってしまったのだ。

 

(参ったな……)

 

錦山の身分は完全な釈放ではなく、あくまで仮釈放。

ある程度警察の監視下に置かれ、もしも再び罪を犯せば即座に逮捕されるという立場だ。

それを踏まえた上での誘拐の現行犯となれば、情状酌量の余地は残ってないだろう。

更に言えば、今の錦山は叩けばホコリが出る身だ。

三代目の葬儀の場で乱闘騒ぎや今回の横浜中華街での一件等、神室町の外で起きた騒動でさえ二つの関与がある。ここに神室町の中で起きた出来事まで加えたら、それこそ両手の指では足りなくなってしまうだろう。

 

(相手は捜査一課だ。余罪に関しても徹底的に詰められる。 となりゃ……もうお手上げだ)

 

それに加え、今の捜査一課にはこの事件の"黒幕"の息がかかっている。

であれば、ただ余罪を追求されるだけでは済まされない。

覚えの無い罪も着せられて無期懲役刑に処される可能性すらあるのだ。

 

(あぁ、畜生……)

 

だが、今の彼にはどうする事も出来ない。

固く閉ざされた鉄格子を破壊するのは不可能に近く、仮に破壊して外に出れたとしても単独で警察から逃げ切るのもまた不可能の近い所業だった。

まさに万事休す。打てる手段は何処にも残っていない。

錦山はただ、失意と諦念の中でその時を待つ事しか出来なかった。

 

「おじさん」

 

そんな時、聞き覚えのある声が錦山の耳朶を打つ。

ふと顔を上げて鉄格子の外を見ると、そこには錦山が命懸けで救った少女の姿があった。

 

「遥……!」

 

鉄格子越しに向かい合う二人。

錦山は遥が無事である事に安堵した。

彼にとって今の警察は信用出来る組織ではない。

遥を保護と言う名目でどこかに捕える事も出来るのだからだ。

 

「ごめんね、おじさん。こんな事になっちゃって……」

「……なんでお前が謝るんだよ?」

 

バツが悪そうに目を伏せる遥に、錦山は素直な疑問を投げかけた。

彼女は何も悪い事などしていない。

悪いのは、遥を狙う裏社会の連中に他ならないのだから。

 

「私、本当はおじさんと一緒にいたかった。だけど、これ以上おじさんに迷惑かけちゃいけないと思って……」

「遥、お前……」

 

真島吾朗。黒服の組織。そして蛇華。

遥は、ここ数日の間だけで三回も拉致されている。

そしてその度に、錦山は彼女を救う為に尽力してきた。

その過程で錦山は左手に傷を負い、銃撃戦に巻き込まれ、今は囚われの身となっている。

 

「今回だってそう。おじさんは、私を助ける為に危ない目にあって……だから…………」

 

遥は 錦山達の前から立ち去ろうとしていた。

これ以上、自分のせいで錦山達を傷付けない為に。

 

「馬鹿だな、お前は」

「え……?」

 

遥の言葉を聞いた錦山は、そう言って遥の頭に手を置くと優しい口調で語りかける。

 

「確かにお前と知り合ってからのここ何日か、俺は色んな事に巻き込まれて来た。そりゃ……色々と追い詰められてお前に辛く当たっちまった事もあった。でもよ……今の俺は、お前のことを全く迷惑だなんて思っちゃいねぇ。なんでか分かるか?」

「……ううん」

 

首を振る遥に、錦山はこう続けた。

 

「それはな……お前が、俺にとって家族だからだ」

「家族……?」

「あぁ」

 

錦山にとって澤村遥という少女は、かつて自分が愛していた女の忘れ形見。

そして、かけがえのない親友であり兄弟分でもある桐生一馬の娘。

彼にとって遥を護るという行動は、決して義務感や同情から来るものでは無い。

数日間という短い時間の中でも、確かに芽生え育まれた家族としての絆。無償の愛によるものなのだ。

 

「血こそ繋がっちゃいねぇが、俺は桐生の……お前の父ちゃんの兄弟。それに俺とお前は同じ"ヒマワリ"で育った仲だ。つまり、俺からすればお前は可愛い姪っ子。家族であり仲間って事だ」

「おじさん……」

「大事な家族や仲間を護んのは、当たり前の事だろ?だから、お前が気に病む必要なんかこれっぽっちもねぇんだよ」

「……!」

 

目に涙を溜める遥の頭を錦山は優しく撫で、思わず笑みをこぼした。

 

(ホント……そっくりだよな、こういう所)

 

誰かのために自分の意志を引っ込めようとする。

そういった部分が錦山の親友であり、この子の父親でもある桐生一馬にあまりにも似ていたからだ。

 

「フッ、鉄格子越しだってのにカッコつけてんじゃねぇよ」

「っ、伊達さん!」

 

そんな錦山の前に現れたのは、彼が出所してからずっと行動を共にしていた神室署の刑事。伊達真だった。

 

「よう、遅くなって悪かったな」

 

伊達はそう言うと手にしていた鍵を取りだし、錦山のいる房の鍵を解錠した。

それを見た錦山が目を見開く。

 

「何やってんだ伊達さん!?」

「あ、何がだ?」

「何ってアンタ、こんな事したら……!?」

 

伊達の行おうとしている行為は明らかな犯罪。

法の番人たる彼が、最も行ってはならない禁忌だ。

懲戒免職どころか逮捕されてもおかしく無い。

 

「ヤバいだろうな。だが、もう遅ぇ」

 

それほどまでに重大な事を、伊達はいとも容易く行った。

まるで、仲間を助けるのは当たり前だと言わんばかりに。

 

「逃げるぞ、錦山」

 

扉を開けた伊達が言う。

錦山はその言葉に戸惑いを見せつつも、やがて深く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月11日。

時刻は午前4時頃。

横浜警察署の留置所を出た俺は、遥と共に伊達さんが用意した車に乗って高速を走っていた。

幸い、俺が留置所から逃げた事はまだ気付かれていないらしく、サイレンの音も聞こえて来ない。

伊達さんが上手く細工をしたのだろうが、時間の問題だろう。

 

「やっちまったか……」

 

車を運転する伊達さんが呟くように言う。

無理も無いだろう。何故なら伊達さんは、自分の仕事であり誇るべきものであった警察官としての立場を捨ててしまったのだから。

こんな俺の事を助けるために。

 

「すまねぇ、伊達さん……」

「ま、どちらにしてもクビだったんだ。遅かれ早かれな。それに……」

 

伊達さんはバックミラー越しに俺に視線を向けると、口元を僅かに緩ませて言った。

 

「俺達は"ダチ"……なんだろ?お前が言い出したんだぜ?」

「伊達さん……」

 

数日前、伊達さんの娘である沙耶のイザコザを解決した時。

確かに俺は伊達さんをダチだと言ったが、まさかその時の恩のために警察を捨てるとは思ってもみなかった。

 

「要するに俺がやりたくてやってる事なんだ。お前が気にする事じゃねぇ」

「……そうか」

 

口じゃそう言うが、伊達さんの払った代償は間違いなく大きい。

それに報いるためにも、立ち止まる訳には行かないだろう。

 

「それよりも今回の事件、思ってたよりも根が深そうだぜ」

「ん?何かわかったのか?」

 

決意を新たにする俺に、伊達さんが新しい情報を共有して来た。

 

「あぁ、コイツの件でな」

 

伊達さんはポケットから一つのバッジを取り出す。

俺そのバッジに見覚えがあった。

 

「これって、例の組織のやつだよな?」

「そうだ」

 

遥をスターダストに連れ込んだ黒服の男達。

奴らと闘いの末に身柄を拘束した俺はそのバッジを伊達さんに預けて調査を依頼し、松金組は男達を拉致して追い込みという名の尋問をする事になったのだ。

つい数時間前に松金組若頭の羽村からの連絡では 尋問中の男たちは全て始末されてしまったらしく直接の情報は聞き出せなかったが、伊達さんの方での調査は順調だったらしい。

 

「花屋によるとコイツは"政府の地下組織"のものじゃないかって事でな。その線で調べてたら出てきたんだ。内閣府の地下組織……MIAってのがな」

「MIA?」

「"ミニストリー・インテリジェンス・エージェンシー"。内閣府が直接指揮を取る部隊だ。政治の裏工作から要人の護衛。責任者は……警察庁出身の代議士で"神宮"って男だ。コイツが遥とどう関わってくるかは、分からんがな」

「なるほどな……」

 

敵の正体は政治家。

その事に俺は酷く納得した。

警察の上層部に手を回して捜査一課を動かしたり、MIAのような特殊部隊を指揮出来るような人物は、表社会においてある程度の権力を持つ者でないと有り得ない。

 

「そう言えば……ラウカーロンが気になる事を言ってたんだ。遥には100億以外の価値があるってな」

「100億以外の?」

「あぁ。」

 

ラウの言っていた遥の価値。

そして、遥を攫ってペンダントを要求してきたMIAの男達。

伊達さんから聞いた情報を元にこれまでのことを考えると、辻褄が合う部分が出てくる。

 

(あの時MIAの連中は、ペンダントを最優先に動いているように見えた。でも、目的はペンダントだけじゃない)

 

ペンダントと引き換えに遥の身柄を引き渡す素振りをしていたあの男。

海藤の協力もあって無事に遥を救い出す事が出来たが、その後に連中とは激しい銃撃戦をする事になった。

 

(ある程度の広さがあるとはいえ、屋内での銃撃戦は跳弾の危険もある。まるで、ペンダントを回収出来れば"遥の安全は関係ない"と言わんばかりの行動だった)

 

つまりMIAの狙いはペンダントだけではなく、遥の命をも奪うつもりでいた可能性がある。

だからこそ連中は遥に銃口を突き付ける事も厭わなかった。

 

(遥を生かしておけば、後々神宮にとって何か重大な不都合を引き起こすって事か?)

 

だとするならば、ラウカーロンの言う"遥の本当の価値"とは遥の存在そのものという事になる。

 

(なにせ警察に手を回したり、お抱えの部隊を投入する程だ。よっぽどの不都合じゃない限りそんな事はしねぇだろう。それこそ、政治生命が関わるような事じゃなけりゃ……)

 

神宮にとって邪魔な遥の身柄を生かして手元に置いていく事で、政治家である神宮を強請って裏金を横流しして貰い利益を得る。

将来性を考えれば、その額はきっと100億では治まらない。きっと莫大な金が継続的に蛇華へと流れ込んでいたはずだ。

 

(なるほど、日本の極道が頭悪いってのも納得だぜ。目先の100億ばかりに気を取られて内輪揉めするより、継続的な資金源を確保出来る方が組織も安泰だ。)

 

蛇華日本支部総統。劉家龍。

奴の人間性はともかくとして、裏社会における政治的手腕は見習うべきだろう。

 

「どういう事かは分からんが……もう一つ、とっておきの情報がある。」

 

直後、伊達さんが打ち明けたもう一つの情報に、俺は"二つの意味"で目を見開いた。

 

「東京湾で見つかった死体だが、ありゃ美月じゃない」

「なんだと……!?」

「鑑識が身元を突き止めたんだ。全くの別人だったよ。確かな証拠もある。歯型だ」

 

一つは"驚愕"。

桐生でさえ本当の正体を知らない美月が、まだ生きているということ。

そしてもう一つは。

 

「じゃあ、お母さんはまだ……!」

「────!!」

 

"絶望"。

母親が生きていると目を輝かせる遥の希望を、俺はこれから否定しなくてはならない。

 

「………………」

「おじさん……?」

 

俺は言葉を失う。

再び芽生えた希望の芽を摘み取って、悲しい想いをさせる。

こんな情けない、やるせない事があるだろうか。

 

「どうしたんだ、錦山?とっておきの情報だろ?」

「そうだよおじさん!お母さんが生きてれば、優子先生の事だってきっと……!」

「いや……違うぜ…………」

「え……?」

 

不安げに俺を見る遥に、俺は顔を合わせられなかった。

 

「聞いてくれ、遥。伊達さん。これは……俺が聞いた"真実"だ」

 

俺はそのまま滔々と語った。

遥の母親は美月でなく由美であり、その由美は五年前に世良勝の指示で殺されている事を。

"美月"とは元々 桐生の女である由美が危険な目に遭わないようにと余所行きの時に名乗っていた偽名である事。

由美の死後に何者かがその美月を名乗ってセレナで働いていた事。

そして今、その真相を確かめるべく動こうとしている事を。

 

「由美お姉ちゃんが、私のお母さん……」

「っ…………」

 

ぼんやりと呟く遥。

意外な真実にまだ理解が追い付いていないのだろう。

そして、バツが悪そうにする伊達さん。

伊達さんからすりゃ自分の持ってきた情報が今の空気を生み出している事になるからだ。

 

「遥…………」

 

言わなきゃいけない。何かを。

だが何を?遥から希望を奪った俺が、一体どんな言葉をかけるというのか?

 

「俺は────」

「いいよ、おじさん」

 

震えながら発した言葉を遥は遮った。

思わず向けた視線の先で、遥と目が合う。

 

「えっ……?」

「私は大丈夫。まぁ、お母さんが生きてないのは悲しいけど……一度は、受け入れた事だから」

「で、でもよ……」

「それに、優子先生はまだ生きてるかもしれない。でしょ?」

「!!」

 

その言葉に、俺はハッとさせられた。

優子の安否そのものでは無い。遥の口からその言葉が出た事に驚かされたのだ。

 

「おじさんはまだ、優子先生と会えるかもしれないんでしょ?だったら、もっと喜ばなきゃ!」

「遥、お前…………」

「私も、久しぶりに優子先生に会いたい。だって優子先生は、私が小さい時から一緒にいてくれた……もう一人のお母さんだから」

 

無理をして振舞っているわけじゃない。

遥は純粋に、優子が生きている可能性を祝福してくれていた。

何度も危険な目に遭って 母親が死んだ事を聞かされてもなお、遥は強く 優しかった。

 

「遥……ありがとうな」

「うん!」

「フッ……ん?」

 

遥のおかげで話が纏まってその場の空気も良くなった矢先、伊達さんが怪訝な声を出した。

 

「どうした?」

「錦山。右車線。後ろの車だ。一定の速度でこっちを尾けてるぞ」

「なに?」

 

伊達さんの言う通り、振り返った先の車線には白い車が走っているのが見えた。

そしてその後ろには二台の黒い車と五台のバイクが追従している。

 

「ん?あれは……」

「署を出る時に尾けられたか……蛇華の連中かもしれんぞ!」

 

伊達さんがアクセルを踏み込んで速度をあげた途端、後ろの車が突如としておかしな行動を始めた。

 

「待て、伊達さん」

 

ハザードランプの点灯や、連続して押されるクラクション。ヘッドライトを使ったパッシングに蛇行運転など、ともすれば煽り運転とも取られない挙動を繰り返し始めた白い車。

黒い車達もそれにつられるようにおかしな動きをし始める。

バイク連中に至っては暴走族のようなコール音を鳴らし始めた。

 

「……速度を落としてくれ」

「なに!?だがもし敵だったら……」

「安心しろ。アイツらは敵じゃねぇ」

 

もしもこれが蛇華の連中ならこんなまどろっこしい事はしない。窓から銃でも撃ってくるはずだ。

ならばあの挙動は、こちらに気付いて欲しいと言う意味合いが強いだろう。

何より、あのメチャクチャな動きで察しがついた。

 

「大丈夫だ。信じてくれ」

「……分かった」

 

伊達さんがハザードを焚きながら速度を落とすと、後ろの車とバイク達もおかしな挙動を改めた。

やがて先頭の白い車が伊達さんの車に並ぶと 助手席のスライドガラスが開き中から男が顔を出す。

 

「突然のご挨拶失礼します!錦山さんですね!?」

 

柄シャツにパンチパーマ姿のその男はどう見てもヤクザ者ではあるが、決して蛇華構成員では無い。

何より、この局面でおいそれと挨拶してくる極道連中など決まっている。

俺は男と会話する為にスライドガラスを開いた。

 

「あぁ!関東桐生会の奴だな!?」

「はい!直参組長の長濱ってモンです!」

 

長濱と名乗ったその男は自分の運転手に指示を出すと、更に車をこちらに寄せてくる。

手が届く程度の距離まで車間距離を近付けると、長濱はあるものを差し出してきた。

 

「錦山さん、これを!」

「っ、そいつは……!」

 

長濱が持っていたのはスタンバトンと白鞘のドス。

蛇華と闘っていた時に村瀬と斎藤に渡してやったものだ。

 

「村瀬の兄貴と斎藤の叔父貴から預かったモンです!錦山さんにお返しするようにと頼まれました!」

「そうか……!アイツらは無事だったんだな!」

 

俺は手渡された二つの得物を受け取った。

闘いの中で付いたであろうキズがいくつか見受けられるが、返り血などは丁寧に拭き取られているあたりアイツらの生真面目ぶりが伝わってくる。

 

「こっから先は自分らが護衛致します!お任せ下さい!」

 

長濱の声に呼応するかのように黒いの車が伊達さんの車の後ろに付き、バイクを運転する男たちは伊達さんの車を先導するかのように前へと出た。

 

「護衛って……お前らの組の事は良いのかよ!?」

 

コイツらの申し出は有難いが、今の関東桐生会だって余裕がある訳じゃない。

何せ関東桐生会はあの嶋野の狂犬が率いる真島組とやりあったばかりなのだ。

桐生本人が負ける事は万に一つも有り得ないにしても、組織全体を鑑みればその被害は無視できるものじゃないだろう。

今は蛇華との抗争の一件を神奈川県警から突っつかれたり、組織の体制を整える方が優先のはずだ。

 

「いえ、それなら心配要りません!俺達は会長の命令でここに居るんです!」

「なに?桐生の!?」

「はい!今は錦山さんの……何より、遥のお嬢さんの安全が第一だと!」

「私の……?」

 

それを聞いて、俺と一緒に窓から顔を覗かせる遥。

それに対し長濱は笑顔で頷いた。

 

「えぇ!会長は……貴女のお父さんは、今でも貴女を大切に想ってらっしゃいますよ!」

「お父さん……!」

 

それを聞いた遥が、嬉しそうに顔を綻ばせた。

その直後だった。

 

「長濱の親父!後ろから車です!」

「なに!?」

「っ!?」

 

長濱の運転手からの言葉を聞き、顔を横に向ける。

すると、護衛役の黒い車のさらに後方から何台もの車が迫って来ているのが見えた。

同じ車種で一斉にこちらへ向かって来る所から察するに、明らかに一般の車両ではない。

それでいてパトランプなどもない事から覆面パトカーである可能性も消えた。

なら、考えられるのはただ一つ。

 

「蛇華だ!蛇華が来たぞォ!!」

 

長濱が叫んだ直後、車から身を乗り出した蛇華の構成員達が一斉に銃を発射してきた。

放たれた弾丸の風を切る音がここまで聞こえて来る。

 

「錦山さん達はバイクの連中と先へ行ってください!ここは俺らで食い止めます!!」

「長濱……!」

 

言うが早いか、長濱は拳銃を取り出すと蛇華の車目掛けて発砲した。

放たれた弾丸が身を乗り出していた蛇華構成員の頭を正確に射抜き、死体が高速道路へと転がり落ちていく。

 

(この距離でヘッドショットかよ……すげぇ腕だな)

 

あまりにも正確な射撃の腕に俺が舌を巻いていると、長濱は大声で指示を飛ばした。

 

「バイク班は錦山さん達と行け!関東桐生会、未来のカシラを担うお方だ!気合い入れて守れェ!!」

「「「「「押忍!錦山さん、夜露死苦ゥ!!」」」」」

「クルマ班はここに残って俺とシンガリだ!!死んでもここは通すんじゃねぇぞォ!!」

「「「「へい、親父!!」」」」

 

それを聞き入れた後ろの車二台がこっちの車との距離を離し、後部座席の構成員達が拳銃で応戦を始める。

ここに残っていては邪魔になってしまうだろう。

 

「錦山さん……どうかご武運を!!」

「ありがとよ、長濱……お前らの想い、無駄にはしねぇ!伊達さん、飛ばしてくれ!!」

「分かった!」

 

急加速する車。

窓ガラスを閉め、銃声がだんだんと遠のいていく。

やがて周囲には護衛役のバイク音だけが聞こえてきた。

 

「大丈夫だったか?遥?」

「うん。ねぇ、おじさん……」

「なんだ?」

「やっぱり……もう一個だけ、ワガママ言っても良い?」

 

遥は上目遣いにこちらを見つめると、真っ直ぐに俺の目を見てきた。

どこまでも真剣な表情で、遥は告げる。

 

「私……お父さんに会いたい」

「!!」

「会って……ちゃんと伝えたいんだ。"ありがとう"って。ダメ、かな?」

「……っ!」

 

そんな遥の言葉を聞いた途端、俺は遥を抱き寄せていた。

まだ幼く それでいて強く優しい心を持った少女が零した、ささやかな願い。

 

「おじさん……?」

「……あぁ」

 

涙腺から熱いものが込み上げてくる。

母に会いたい。父に会いたい。

幼子にとって当たり前であるべきはずの事でさえ、遥にとっては当たり前じゃない。

だったら俺が叶えてやる。

俺がその願いを、当たり前のものにしてやる。

その為なら、どんな奴とだって闘ってやろう。

 

「ダメな訳、ねぇだろう……!!」

「うん……ありがとう、おじさん」

 

そんな決意と覚悟を胸に、俺は遥を抱き締め続けた。

 

 




という訳で長濱さんでした。
出典はオブジエンドシリーズなので、やはりチャカの扱いに長けている人にしようと考えこのような形になりました。
また、原作でも小器用で立ち回りが上手い極道って設定なので頭脳派って程ではありませんが、ある程度頭脳労働班(にならざるを得ない立場)の松重の意図を汲み取れる稀有な人材でもあります。
なお、バイク班が仏恥義理上等の爆走天使な理由としては、彼らが族上がり(第十一章「"龍"の子」より)って設定だからですね

次回は間話かそれとも本編かで悩んでいますが、いずれにしても来月になりそうです。
それでは、次回も夜露死苦ゥ!


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幕間 半端者の意地

思ったより筆が進んだので最新話です。

今回は幕間という事で、断章とは違いますがサイドストーリー的なのを考えてみました。

また、一部で性的な表現が含まれていますが直接の描写は避けています。
本編には関係が無い話なので、不快に思われる方は読み飛ばして頂いても結構です。
どうか自己責任でお願い致します
それではどうぞ


2000年12月26日。

クリスマスの空気が終わりを告げ、世間が正月へ向けて仕事納めに奔走し始める頃。

一人の男が神室町のとあるビルへと訪れていた。

エントランスも何も無い殺風景なビルの階段を上がり、一つのテナントの前へと辿り着く。

そこに掲げてあったはずの看板は、もう無い。

 

「…………」

 

男は無言のままドアノブに手をかけると、鍵が掛かっている事に気づいた。

予め所持していた鍵で解錠して中に足を踏み入れる。

 

「やっぱり、誰も居ない、か…………」

 

男の脳裏には、ほんの数日前までここで繰り広げられていた日常が脳裏を過ぎっていた。

シノギの報告と相談にやってくる、二次団体の組長。

地回りから帰ってきて成果を報告するも、腕っ節と人情ばかりでまるでダメな舎弟や若い衆。

そんな彼らの始末を厳しく諌める若頭代行と、それを宥める自分自身。

そして、他組織への挨拶回りや上納金納め。加えて自らも行うシノギの最前線から帰ってくる親分。

今日も一日疲れた様子の子分達を見て、彼は決まって言うのだ。

"お前ら、今日は飲みに行くぞ"と。

 

「…………っ」

 

そんな当たり前だった日常は、一晩にして崩れ去った。

何故。どうして。

そんな言葉が男の頭の中で木霊する。

 

「……?」

 

そんな時、男はデスクの上の電話が鳴っている事に一拍遅れて気付いた。

男の身体に染み付いた習慣が、足早で彼を電話のところまで向かわせる。

 

「あ……」

 

かかってきていた番号は、男の所属していた組織の親組織"だった"組事務所の番号を表示していた。

男は意を決して受話器を取る。

 

「はい。桐生組です」

『桐生は何処だ!?今すぐ代われ!!』

 

出た瞬間、電話越しに響く怒声が男の鼓膜を強く叩いた。

僅かに顔を顰める男だったが、電話相手の声に聞き覚えがあった男は直ぐに問いただす。

 

「あの……柏木さん、ですか?」

『あぁ!?その声……お前、シンジか?』

 

男───田中シンジがいるのは、桐生組の事務所。

昨日、組長の桐生一馬が東城会からの離脱と絶縁を宣言した風間組の傘下組織である極道の根城だった場所だ。

 

「はい、そうです」

『桐生は?アイツは今何処で何をしてんだ?』

 

厳しい口調でシンジを問い詰める電話の相手は、柏木修。

風間組の若頭であり、桐生の直属の兄貴分だった男だ。

 

「桐生の兄貴はもう神室町を出ました。組のヤツらも、自分以外は残っちゃいません」

『なんだと……!?』

 

その返答に激高した柏木が、再び電話越しに怒鳴りつける。

 

『ふざけるな!今すぐ連絡してこっちに連れ戻せ!!』

「柏木さん……ですが──」

『テメェ今の状況分かってんのか?このままじゃホントに桐生達は東城会と戦争する事になるんだぞ!?』

「っ……!」

 

桐生一馬が、東城会を相手に戦争。

もしもそんな事になれば取り返しの付かない事件に発展するだろう。

東城会のヤクザや旧桐生組の男たちだけでは無い。

下手をすれば、シンジの知人や友人すらも巻き込んだ惨劇になってしまいかねないのだ。

 

『お前は俺や親っさんに、桐生を殺させたいのか?それとも………桐生と一緒に東城会と殺り合う覚悟でもあんのか?あ?』

「そ、それは……!」

 

言葉に窮するシンジ。

何故なら今の彼にとっては、東城会と旧桐生組。どちらも捨てられない物だからだ。

 

『…………今夜一晩だけ、時間をやる。それまでに選べ。桐生を神室町に連れ戻すか、それとも腹ァ括ってどっちかとコトを構えるかだ。良いな?』

「……分かりました」

 

電話が切れ、その事を知らせる無機質な電子音がシンジの耳朶を打つ。

同時に受話器から手を離したシンジは、その場で両膝をついて項垂れた。

バネのような形状の有線で繋がれた受話器が目の前でぶら下がるのを眺めた途端、シンジの瞳から滂沱の如く涙が溢れ出した。

 

「なんで……なんでこうなっちまったんですか……兄貴……!!」

 

この場にもう居ない桐生を呼ぶシンジ。

彼の言葉に応える者は、誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柏木からの電話を受けた後、シンジは街へと繰り出した。

馴染みの定食屋で食事を摂り、行きつけのバーで酒を呑む。

だが、原因不明の桐生組脱退は既に街中で噂になっており、定食屋の店主やバーのマスター達もよそよそしい視線を投げかけてくる。

それに居心地の悪さを感じたシンジは、足早に店を出てしまった。

 

(知っている街なのに、知らない街みてぇだ……)

 

つい数日前までは神室町で最も幅を効かせている極道の舎弟頭としてシンジも名が通っており、街を歩けば下手なチンピラや不良達は避けて通り、世話をしていたカタギ達は一斉に頭を下げていた。

しかし今は、ただ街を歩いているだけでも他の東城会系のヤクザ達からは疑惑や軽蔑の視線を向けられる。

中には心配して声をかけてくれる兄貴分も居たが、シンジはその場をはぐらかす事しか出来なかった。

それだけならまだ幸運だったかもしれないが、長年風間組とライバル関係にあった嶋野組系のチンピラ達に因縁を付けられて襲われそうになる事態にも発展した。

 

(畜生、何だってこんなことに……!!)

 

だが、今のシンジにはいつものように睨みを効かせる事も出来ない。

今の状況をこれ以上悪くしない為にその場から無様にも逃げ出すしか無かった。

夜が更け 街が本来の輝きを出す時間帯になると、シンジは迷いなくとある店へと足を運んだ。

 

(……逢いたい)

 

太平通りとチャンピオン街の狭間にある大型ソープランド、"桃源郷"だ。

シンジが心底惚れた女がいるその場所へと訪れたシンジは、迷いなくその女を指名すると彼女の部屋を目指して一目散に駆けていく。

そして。

 

「あ、シンちゃん!いらっしゃい」

「アケミ……」

「もう、来るなら来るって連絡してくれればいいのに……って、どうしたの?」

 

その瞬間、シンジの中で堰き止めていたものが一気に溢れ出した。

何もかもが変わってしまった日常の中で、彼女だけが唯一変わらず彼に接してくれたからだ。

 

「……アケミィ!!」

「えっ?ちょ、ちょっと!?」

 

衝動に駆られてアケミを押し倒すシンジ。

胸の中で子供のように泣きじゃくるシンジを、アケミは優しく撫でる。

それから程なくして、彼らは行為に及んだ。

その界隈では"豪傑"と噂される程のシンジだったが、その日は今までで一番激しく乱れたと言っても過言ではなかった。

ありとあらゆる感情を滝のようにぶつけてくるシンジに、アケミもまた身体の関係を越えた愛の心で応え続けた。

 

「………………汗、流そっか」

「…………あぁ」

 

やがて行為を終えた二人は身体を清め、白いベッドに並んで腰掛ける。

互いに煙草に火をつけて一服していると、アケミが切り出した。

 

「……それで?何があったの?シンちゃん」

「あぁ……やっぱり、分かっちまうよな」

「当たり前でしょ?だってシンちゃん、今まで一番凄かったし」

「ごめんな。痛くなかったか?」

「別にいいよ。それより聞かせて?一体何があったの?」

「……………………」

 

シンジは滔々と、これまでの事情を語り出した。

東城会三代目世良会長が自身の部下に命じて由美と優子を拉致した事。

護衛役だった若い衆にも死傷者が出て、桐生組総出で街中を駆けずり回って二人を探した事。

そして、由美が攫った連中に強姦された末に殺された事。

激高した桐生がその場で男達を抹殺し、翌日に東城会本部へと殴り込んだ事。

世良会長を半殺しにした後に、風間新太郎の制止を振り切るように東城会脱退と宣戦布告を宣言した事。

その影響で街に留まっている桐生組構成員は全員が横浜の支部へと移動してしまい、自分以外には誰も残っていない事。

 

「うそ…………………………」

 

シンジが全て語った後にアケミから出たのはその一言だけだった。

あまりの事態の深刻さに、アケミもそれ以上の言葉を失ってしまう。

 

「今の俺は東城会と桐生組の板挟み状態だ。明日までに答えを出さなきゃ、いよいよ戦争が始まっちまう」

「そんな……!」

「もう……ここに来れるのも、最後になるかもしれねぇな」

 

悲嘆に暮れるシンジに、アケミはかける言葉が見つからない。

彼女に出来るのは、弱りきった彼の心を少しだけ癒すので精一杯だったのだ。

 

「なぁ、アケミ……俺はどうしたらいい?」

「えっ?」

「風間の親っさんと桐生の兄貴……お前なら、どっちを選ぶよ?」

「……………………………………………………」

 

答えられない。答えられる訳が無い。

心から慕い、一生をついて行くと決めた兄貴分と。

父として仰ぎ、渡世のイロハを教え込んでくれた親分。

どちらかを選択しなければならないこの状況下において、正解などあるのだろうか。

シンジですら見いだせていない。

 

「…………いや、悪い。こんな事聞かれても、答えられねぇよな」

「シンちゃん…………」

「…………帰るよ」

 

バスローブから馴染みの紫シャツと黒いコートの格好に着替えたシンジは、ドアノブに手をかけた。

 

「シンちゃん!」

「…………」

 

思わず呼び止めたアケミ。

今の彼女に、シンジの求める答えを出す事は出来ない。

それでも。

それでも、アケミは愛する男に向けて言葉を投げかけた。

 

「私は、どんな時でもシンちゃんの味方だよ!シンちゃんが風間さんと居るならこの街に残るし、桐生さんと行くなら私も横浜までついて行く!だから……だから明日、もう一度ここに来て?私、待ってるから」

「…………………っ」

 

シンジは返答する事なく、そのまま部屋を出ていった。

唇を、血が出るほどに噛み締めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、時刻は午後23時。

ネオンの明かりが眩しい神室町に存在する桐生組の事務所の光源は、そんな外からの光だけだった。

 

「……っ……っ……っ………っ、はぁ………………」

 

薄暗い部屋の中でソファに背中を預けながら、何本目かも分からないカップ酒を飲み干して無造作に床に放り捨てる。

酔って全てを忘れ去ってしまいたい。

にも関わらず、シンジの意識はこれ以上ないほどに冴えていた。

今の彼はもう、酒に酔うことすら出来ないのだ。

 

「もう…………これしか、ねぇよな………………」

 

そんなシンジの目の前には一枚の紙とペン。

そして、シンジの取り扱っていた拳銃が置かれていた。

 

「…………」

 

シンジはペンを手に取り、紙に文字を書き記していく。

程なくして出来上がったそれは、田中シンジの遺言状だった。

そこには東城会と旧桐生組。二つの組織へと宛てた内容が示されている。

東城会には矛を収めて貰う嘆願を。そして旧桐生組には今一度会合の場を設けて謝罪の意を示し、この騒動を終息させる事をそれぞれ記した。

その代償を今、彼は払おうとしている。

 

「っ…………!」

 

安全装置を外し、銃口をこめかみに近づけた。

指に力を込めて引き金が引かれれば、その瞬間にシンジの人生は終わりを告げる。

彼は自らの命と引き替えに、この戦争を終わらせようとしていたのだ。

 

(兄貴……親っさん……アケミ…………みんな、すまねぇ……!)

 

目を瞑って、指に力を込める。

その直前。

 

「!?」

 

ポケットに入れていた携帯電話が振動を始めた。

拳銃を机に置いて携帯電話を取り出す。

表示されていた番号は非通知。

一体誰からだと思いつつも、シンジはその電話に出た。

 

「はい、田中ですが」

『……シンジか?』

「っ!?その声は……!!」

 

思わず目を見開く。間違いない。

何度も耳にした低い声。シンジは電話の相手が一体誰なのかを、直ぐに理解した。

 

「兄貴!!」

『あぁ』

 

桐生一馬。

田中シンジが兄貴分と慕いずっとその背中を追ってきた伝説の極道。

そして、今回の事態を引き起こした張本人でもある。

 

『現状、横浜への移動が完了していないのがシンジだけだと松重から報告を受けてな。電話をかけさせて貰った。今、大丈夫か?』

「えぇ……ですが兄貴、なんで非通知なんです?携帯はお持ちですよね?」

 

シンジの質問に対する桐生の答えはNOだった。

 

『いや、今まで使っていた携帯では東城会側にアシがつくんでな。壊して海に捨てた。今は公衆電話からかけている』

「そう、ですか……」

 

桐生の言葉を聞き、長年桐生の子分を勤めているシンジは確信した。

ここまでの覚悟を決めた桐生はもう、テコでも動く事は無い。

それは即ち、シンジが死んだとしても止まることはしないという事だろう。

これでもう、シンジが取れる手段は本当に無くなった。

どうあっても戦争を止める事は出来ない。

 

『大丈夫かシンジ?東城会の奴らから何かされていないか?お前も早く横浜に────』

「ねぇ、兄貴」

『なんだ?』

 

シンジはついに、桐生へと想いをぶつけた。

 

「兄貴はもう、本当に戦争をする気なんですか……?」

『……あぁ、そうだ』

「それで、今までお世話になってきた風間の親っさんや柏木さん達を敵に回してでもですか!?」

 

堰を切ったようにシンジは桐生へと言葉をぶつけていく。

 

「由美さんを殺して、優子さんにもあんな想いをさせた世良会長を憎む気持ちは分かります!でも、だからって兄貴は今まで親っさん達に世話になった恩を仇で返すって言うんですか!?それが兄貴が掲げていた"義理と人情"って奴なんですか!!?」

『シンジ……』

「俺には、どっちかを選ぶなんて出来ません!俺にとって兄貴は兄貴で、親っさんは親っさんなんです!!なのにみんな、どんどん桐生の兄貴の方へ行っちまって……!俺は、もう何をどうしたらいいか分かんないんスよ!!!!」

 

これまで桐生の行動に対し不満どころか疑問すらも抱いた事が無かったシンジ。

だが風間と桐生の間で揺れ動く今の彼にとっては、こんな事態を引き起こした桐生に対して文句を言わなければ気が済まなかったのだ。

 

『…………シンジ』

 

弟分の胸の内を聞いた桐生が、最初に放った言葉。

 

『…………すまない』

 

それは謝罪だった。

今回の一件は完全に桐生の独断で行った決断であり、離反者が出る事も桐生は覚悟していた。

もっとも、その離反者が桐生組の中で最も古株であり誰よりも桐生を慕っていたシンジであったのは皮肉という他無いだろう。

 

「兄貴……」

『──つくづく俺は馬鹿で勝手な男だ。テメェの大事なモンを傷付けられたら最後、絶対にやり返さないと気が済まねぇ。ましてや由美をあんな殺し方しやがった東城会を、俺は一生許す事は出来ねぇだろう。だが……そんな俺の在り方が、一番近くにいたお前をこんなにも苦しめちまってた…………』

 

電話越しに聞こえる桐生の声が微かに震えているのをシンジは確かに聞いた。

桐生は今、自分を責めているのだ。

 

『シンジ……お前はどうしたい?』

「どうしたい、って……俺は…………」

 

言葉に詰まるシンジ。

一日中考えに考えても答えが見つからなかった。

今聞かれたからと言って答えられる訳が無い。

 

『…………なぁ、シンジ』

 

そんなシンジに対し、桐生はこんな言葉を投げかけた。

 

『俺は……お前の意志を尊重したいと思っている』

「意志……ですか……?」

『あぁ。お前が揺れ動いているのは、俺の事を。そして、………風間の、事も大事に想っているからだ。そうだろう?』

「…………はい」

『だが、同時にこうも考えているんじゃないのか?"どちらかを選べばどちらかを裏切る事になる"ってな』

「!!」

 

自分の心情を言い当てられた事に息を飲むシンジ。

疑問に思うシンジに対し、桐生は得意げに返す。

 

「どうしてそれを……?」

『フッ……伊達に俺も、お前の兄貴分を長い事やっちゃいない。少しくらいは分かるさ』

「…………」

『シンジ……余計な事は考えなくていい』

 

その後、桐生はこう続けた。

 

『俺はお前を尊重する。お前のする決断がどんなものであっても、直ぐに戦争は仕掛けない。そう約束しよう』

「っ!本当ですか……!?」

『あぁ……………………風間は、どうか知らねぇが少なくとも俺達はそうする。ただし……向こうから仕掛けてくるのなら返り討ちにするけどな』

「兄貴……」

『"どっちを選ぶか"なんざ考える必要はねぇ。お前が想う、お前がやりたい事をやるんだ』

 

兄貴分の言葉に、シンジは躊躇う。

今の彼には、自らを信じる心が失われていた。

 

「で、でも兄貴…………俺は、こんな時になってまでやりたい事を決めきれない半端者ですよ……?そんな俺が、正しい選択なんて……」

 

煮え切らない返事に対し、桐生は毅然とした口調でこう告げた。

 

『間違ってても良い。半端でも良い。そんなもんは関係ねぇ。間違ってんなら、気合と根性で正解にしろ。半端なら、意地と覚悟で貫き通せ』

「!!」

『お前なら出来るさ。何故ならお前は…………俺が認めた唯一無二の弟分。田中シンジなんだからな』

「っ……!!」

 

桐生からの惜しみないエールに涙が零れるシンジ。

胸の内から熱いものが込み上げ、止められなくなっていく。

 

「………………兄貴」

『なんだ……?』

 

一頻り涙を流し終えたシンジは、目元を真っ赤に晴らしたまま答えを告げた。

東城会でも桐生組でもない、田中シンジとしてやるべき事を。

 

「俺は……この戦争を止める。その為にこの身を尽くします。」

『…………』

「やっぱり俺にとって兄貴はどこまで行っても兄貴だし、親っさんは親っさんです。どっちかを捨てるなんて出来ませんし……そんな二人が争い合うのを認める訳には行きません。だから俺は、田中シンジとしてこの争いに終止符を打ちます。そしていつかまた……兄貴が親っさんを堂々と親っさんって呼べるような、そんな日を必ず実現してみせる。そのために立ちはだかるのなら……たとえ兄貴であっても、容赦はしません」

『…………そうか』

 

シンジが出した答えは、結局どっちつかずな半端者の答え。

具体的なプランは愚か最初に起こす行動も決まっていない青臭い理想論だ。

しかし、それを聞いた桐生の声音はどこか晴れやかで優しげだった。

 

『いい答えだな、シンジ』

「……はい!」

『約束通り、俺はお前の意志を尊重する。お前の目的の為に横浜に来るのなら好きにするといい。俺達に合流するも、かかって来るのも自由だ』

「分かりました……!」

『またいつでも連絡して来い。待ってるからな』

「兄貴、ありがとうございました!お疲れ様です!」

『あぁ。じゃあな、シンジ』

 

電話が切れる音を聞き、シンジは携帯をポケットに突っ込んだ。

その後、目の前の拳銃を懐にしまい込んで先程書いたばかりの遺書を破り捨てる。

 

(兄貴……俺も貫きますよ。貴方が背中で語ってくれていた……"半端者なりの意地"をね!!)

 

決意を新たにする男、田中シンジ。

その瞳には、煌々と燃ゆる熱い意志の光が宿っていた。




というわけで田中シンジ回でした。
実は今回、元々考えていた案ではあったのですが、メッセージで偶然同じ内容のリクエストがあったのもあって書くことを決めた次第です。
皆さんもこんなシーン読んでみたいみたいな意見があれば、送ってみてください。今回みたくタイミングや機会はあれば形に出来るかもしれませんので!

次回は本編に戻ります。
それでは〜


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第十五章 火種
不穏


最新話です

ダラダラ気ままにやってくつもりだったこの作品も、気付けばすっかり後半戦。これも皆さんのおかげです
いつもありがとうございます


2005年12月11日。

時刻は午前5時。

空がうっすらと明るみを帯び、朝の訪れを感じさせる。

朝の早い職人達のトラックが既に何台か通り始める中、俺たちはついに東京まで戻ってきた。

 

「錦山。ここまで来ればとりあえず大丈夫だろう。バイクの連中にもそう伝えてくれ」

「あぁ、分かった」

 

俺は車のスライド窓を開き、過酷な中で護衛を務めてくれた関東桐生会の若い衆に礼を告げた。

 

「お前ら、ありがとうな!護衛はここまでで良い!自分らの組に戻ってくれ!」

「押忍!錦山さん、どうかお気を付けて!お疲れ様でしたッス!!」

 

ライダースジャケットを纏った若い衆が元気よく返答をすると、バイク達はそのまま加速して先に行ってしまった。

大急ぎで逆側の高速道路へと戻る為だろう。

言動や彼らのバイクでの身のこなしから察するに元は暴走族だった連中が準構成員になったといった感じだが、俺達に気づいて貰う為の奇行以外では道路交通法をキッチリ守っているあたり、徹底的に教育を施されたのだろう。そう言った部分が如何にも関東桐生会らしい。

 

「すぅ……すぅ…………───」

 

スライド窓を閉じると、規則正しい寝息が隣から聞こえて来た。

遥だ。バイクのエンジン音にさえ動じずに眠りに耽けっている。よほど疲れていたのだろう。

これ以上、この子に苦労はかけられない。

 

「そうだ、錦山。お前の携帯」

「あぁ、すまねぇ」

「何か伝言が入ってるみたいだぜ。聞いてみな」

 

伊達さんが渡してくれた携帯電話の画面を見ると、留守電が一件入っているという表示が出ていた。

対象のボタンを押し、耳に当てる。

 

『お疲れ様です、錦山の兄貴。新藤です。』

(新藤?)

 

何処で俺の番号を知り得たのかという疑問を飲み込み、伝言に耳を傾ける。

わざわざこうして伝えてきたという事は、余程の事態に違いない。

 

『東城会の内部で妙な動きがあります。なんでも、風間組の中に他組織に情報を流しているスパイが居るとかで』

(スパイだと?)

『それで今、ソイツを見つけて始末しようと息巻いてる連中がいるみたいです。今回の件とどこまで関係あるかは分かりませんが、兄貴もお気を付けて。また連絡します』

 

伝言の内容は以上だった。

突如として明らかになったスパイの存在。

風間組の中に居るというソイツの正体も気になる。

が。

 

「はぁ……ダメだ。頭が回らねぇ」

 

度重なる闘いによる疲労とダメージから、上手く頭が働かない。

何かを考えようとすると猛烈な眠気が襲ってくる。

 

「高速からは降りるが、神室町に着くまではまだ時間がある。お前もそれまでは寝てな」

「あぁ……そうさせて、もらうぜ…………────」

 

伊達さんの言葉に甘えるような形で、俺はゆっくりと意識を手放した。

隣で頭を預けてくる、大事な姪っ子の存在を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、起きろ二人とも」

 

次に錦山が目を覚ましたのは、神室町の西公園前。

車を運転していた伊達が声をかけている。

神室町には朝の時点で到着していたものの、深刻な疲労からか決して目覚めない二人を起こす事を諦めた伊達は、自らも車内で仮眠を取る事にしていた。

そして、時刻は午後16時。

十分な休息と判断した伊達が、いよいよ二人を起こしにかかっているということだ。

 

「あ……あぁ…………」

「うー……ん…………」

 

中々微睡みから目覚める事が出来ない二人。

彼らの疲労は未だ取れていなかった。

 

「遥はせめてプレハブ小屋までは頑張れ。錦山、お前はさっさと起きろ」

「あ、ぁ……おう……」

 

軽く頭を振って眠気を飛ばす錦山。

遥を連れて車から降り、公衆トイレを経由して賽の河原へと足を踏み入れる。

 

「おぉ、お前!無事だったか!」

 

広場に差し掛かると、ホームレスと一緒になってドラム缶の焚き火で暖を取っていた花屋が声をかけて来た。

任侠堂島一家にギャング集団、更には中国マフィアと連戦を重ねてきた錦山が今も尚生きている事に喜びを覚えている。

何せ錦山の乗り越えた修羅場は並のチンピラであれば既に三回は死んでいる程の地獄なのだ。花屋の反応は至極正しいものと言える。

 

「…………」

 

しかし、そんな錦山は英雄の凱旋と言うにはいささか浮かない表情を浮かべていた。

肉体の疲労が蓄積しているのも原因としてあるが、一番の理由は錦山が思考を巡らせているからである。

テーマは無論、風間組のスパイについてだ。

 

(風間組の中に入り込んだ内通者。そいつは他の組織に風間組の情報を横流ししているらしい……)

 

情報を横流ししている先の組織については伝言で明らかにされていなかったが、錦山の脳裏には一人気になる人物が浮かび上がっていた。

 

(現役の風間組構成員であり、かつ東城会以外の外部組織にパイプを持っている可能性のある人物…………)

 

錦山は己の記憶を遡り、自分が出所した翌日に起こった出来事から今日までのことを順番に考察していく。

 

「……花屋」

「どうした?」

 

そして。

己の中である結論を出した錦山は、それを確かなモノにすべく花屋を頼った。

 

「河原のシステムは復旧してるか?」

「あぁ、今はもう問題ねぇ」

「それを使って頼みてぇ事がある。聞いてくれるか?」

「……どうやら訳アリのようだな。いいぜ、ついてきな」

 

花屋は錦山の頼みを快諾すると、彼らを賽の河原の最奥部まで導いていく。

地下空間から監視システムのある部屋へと向かい、モニタールームへと辿り着く一同。

 

「で、何をどうすりゃ良いんだ?」

「映像を洗い出してくれ。場所は……千両通りとピンク通りの裏路地だ」

「錦山、一体どういうことなんだ?」

「伊達さん……俺は、伝言にあった風間組のスパイってのに、心当たりがある」

「なに!?」

 

驚きを隠せない伊達に、錦山が説明を始める。

 

「まず、世良会長の葬式の時を思い出してくれ。伊達さんは、俺の身柄を手元に抑える為にあの場に居たはずだ」

 

錦山が言及したのは、彼が出所して間も無い頃に参加した三代目会長の葬儀。10年後の東城会や桐生の真相を聞き出す為、錦山が変装して潜入した時の事だ。

 

「あぁ、そうだ」

「実は……葬儀会場で乱闘騒ぎになる前、俺は一人の風間組構成員と接触しているんだ」

 

その男は錦山を本部邸内へと誘導し、合流予定だった新藤の元へと導いてくれた人物でもある。

懐に拳銃を装備して厳戒態勢を敷いていた彼を、当時の錦山は組織に忠実な極道としてしか見ていなかった。

 

「そして、俺が辛くも本部の外へと出た途端。伊達さんに先んじて俺の身柄を奪っていった車があった。そうだよな」

「……あぁ、関東桐生会の奴だったな」

「実はその時、俺はその男が機転を効かせてくれたおかげで脱出する事が出来ていたんだ」

 

錦山が初めて違和感を感じたのはここだった。

関東桐生会の助けが来るタイミングが、あまりにも"出来過ぎている"。

まるで狙ってやったとしか言い様のない程に完璧なタイミングで、錦山は窮地を脱する事が出来たのだ。

偶然の一言で片付けられる事象では無いだろう。

 

「じゃあ、その男が情報を横流ししてる先の組織ってのは……関東桐生会か?」

「そうだ。そしてそう考えると、俺が思い浮かべてるその人物とも色々と辻褄が合う」

 

風間組の構成員として、狙撃されて負傷した風間新太郎が狙われないように隠れ家を転々として逃げながら守護しているであろうその人物。

その人物は、決して広いとは言えない神室町の中で怪我人を抱えながらそれでも追っ手に見つからずに逃げる事の出来るフットワークの良さ。

東城会と一触即発状態にあるはずの関東桐生会の実質的なNo.2である松重と、示し合わせたタイミングで計画を実行できる程の信頼関係の元に築かれた強固なパイプ。

そして、刑務所での経験から人一倍視線に敏感な錦山にも気付かれない程に気配を遮断する能力を兼ね備えている。

 

「出るぞ、錦山。龍神会館付近の映像だ」

「4日前の昼間の映像だ。映し出してくれ」

 

モニターに表示されたのは、錦山が龍神会館へと入っていく時の映像。

人気のない路地裏にひっそりと事務所を構える歌彫の居所へと錦山が足を踏み入れた後、映像内に一人の男が現れる。

 

『…………』

 

黒いコートにハット帽子を被ったその男は、錦山が建物に入っていくのを見届けた後で足早にその場を去っていく。

 

「その男の映っている映像を追いかけてくれ」

「分かった」

 

花屋の忠実な部下たちによって、ハット帽子の男が移動するのに連動して監視カメラの映像が切り替えられていく。

やがてその男はとある路地裏の角に身を隠すと、慎重な手つきで携帯電話をダイヤルし始めた。

 

「……音声、拾えるか?」

「あぁ、任せろ」

 

街の喧騒をノイズとして処理し、ハットの男の声をカメラのマイクで集音する。

 

『……もしもし、俺です。今、錦山の叔父貴は龍神会館に入っていきました。……えぇ。おそらく、例の水死体の件で歌彫先生の意見を聞きに行ったのかと…………えぇ……えぇ、はい…………分かりました、失礼します』

 

その声を聞いて、錦山は確信した。

このハット帽子の男の正体が、一体何者であるかという事を。

 

「……歌彫先生の所へ行った時、桐生は俺に電話をかけて来た。携帯じゃなく、先生の所にあった固定電話にな。そう……アイツには俺の動きが見えていたんだ。この男の存在のおかげでな」

「じゃあ、コイツが噂のスパイか?」

「あぁ。道理で桐生の傍に居ないわけだぜ。まさか、こんな事してやがるなんてな……」

 

映像の中の男が、携帯電話をしまってハット帽子を取る

そこにあったのは、錦山にとってもよく見慣れていた坊主頭。

関東桐生会に居たのなら間違いなく最古参幹部とされていたであろう、桐生一馬の弟分。

 

「なぁ……"シンジ"……!」

 

風間組構成員。田中シンジ。

東城会にとっての裏切り者が発覚した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、同時刻。

田中シンジは、神室町の外れにあるとあるテナントに向かっていた。

そこはかつて桐生組が事務所として使っていたテナントであり、現在は小規模な風間組系の枝組織の事務所となっている場所である。

もっとも、そこはタダの風間組系組織ではない。

 

(親っさんの移動先の手配がもうすぐ整う。こちらも準備を進めよう)

 

そこは、星の数ほど存在する神室町のヤクザ組織の中で唯一"田中シンジの息がかかっている"組。

つまり、そこにいるヤクザ達は"風間組でありながら関東桐生会のスパイでもある田中シンジの味方をしている"のだ。

人数は僅か五人ほどの小さな世帯で上納金の額も少なく組織内では影が薄いその組だが、だからこそ"人目を惹きたくない案件"においては都合が良い。

今回のような風間新太郎の護衛任務がまさにそれに該当する。

故にシンジは唯一の協力者である彼らの事務所へと向かっていたのだ。

 

(…………)

 

ふと、シンジは街の様子がいつもと違う事に気づいた。

住民達の喧騒の中には不安げな声が入り交じり、殺気立ったヤクザ達とそれを追う警察が忙しなく動き回っている。

当然見つかれば都合の悪いシンジはなるべく人目を避けて事務所に向かっているのだが、彼は今 妙な胸騒ぎを感じていた。

 

(街の様子がいつもとはおかしい……急いだ方が良さそうだ)

 

神室町を知り尽くしたシンジだからこそ知りうる裏道や路地裏を駆使して、人目につかない状態で事務所へと辿り着くシンジ。

だが。

 

「……!」

 

そこでシンジは、ある致命的な事に気付く。

 

(事務所の鍵が壊されてる……!?)

 

鍵は自分か組長しか持っておらず、出入りする際は鎖と南京錠での施錠を徹底しているはずのその組織。

そんな事務所の錠前が原型が歪むほどに破壊され、無理やりこじ開けられていたのだ。

 

(馬鹿な、一体誰がこんな事を……!?)

 

シンジがふと地面に落ちた南京錠の残骸を見ると、焦げ付いた痕とそこを中心に大きく歪んでしまっているのに気付く。

まるでなにか強い熱と衝撃を与えられたかのように。

シンジは確信した。

 

(これは銃痕……って事は、堅気の仕業じゃねぇ……!)

 

相手は、まだ比較的明るいこの時間帯から銃を使う事も厭わない程の人間。

シンジにとって、危険分子以外の何者でも無かった。

 

(マズイな、どうする……!?)

 

只事じゃない事態に内心焦るシンジ。

彼の脳裏にはいくつかの選択肢が浮かんでいた。

 

(南京錠が破壊されてからどれだけ経ったのかはまだ分からんが、犯人がまだ近くにいる可能性もある。今は風間の親っさんの安全が最優先、だが…………)

 

下手に関与せずにその場を離れ、風間の元に戻るという選択。

事件性のあるこの現場にわざわざリスクを背負って居残るよりも、護衛対象である風間の安全が今のシンジにとっては重要だ。

それは非常に合理的かつ正解に近い選択肢といえるだろう。

ただし。彼にとって重要な"ある一点"を除けば。

 

(やっぱり、放っておく事は出来ねぇ……!)

 

シンジが複雑な立場である事を知った上で、惜しみない協力をしてくれた組織に危機が迫っている。

そんな時、何も見なかった事にして立ち去ってしまうという選択は、彼の掲げる"仁義"に反していた。

 

(行くぞ……!)

 

覚悟を決め、シンジはゆっくりとビルの中へと足を踏み入れる。

懐から拳銃を取り出し、テナントのある二階を目指して階段を登っていく。

建物の中には人の気配がなく、廊下などは荒らされた形跡が無い。

 

(静か過ぎる……まさか……!)

 

恐る恐るといった様子でテナントのドアを開けるシンジ。

そこで彼が見たのは、変わり果てた事務所の光景。

倒された家具、散乱する書類。

そして、物言わない存在と成り果てた組織の構成員達が、全員血の海に沈んでいるという地獄のような惨状。

そして。

 

「あ?おう、ようやくお出ましか馬鹿野郎」

「……!」

 

そんな血溜まりの中央に立ち、優雅に煙草を蒸かす一人の男。

オールバックの黒髪にシャープなデザインのサングラスをかけ、赤いロングコートを着用したその男の手には一丁の拳銃が握られている。

 

「悪ぃな。テメェが来る前に一仕事させて貰ったぜ」

「テメェ……カタギじゃねぇな?どこの組のモンだ!?」

 

シンジは迷い無く銃口をその男に突き付けた。

彼の脳が警鐘を発している。この男は危険だと。

 

「それは言っても意味がねぇだろう……何せお前は────」

 

直後。

シンジの背後から数名の男達が現れて退路を塞いだ。

彼らの手にもまた、拳銃が握られている。

 

「もうすぐ、コイツらと同じ末路を辿るんだからよ」

「ッ!」

 

赤いコートの男が言う"コイツら"とは、ドスや刀などを握ったまま屍となった極道達の事だ。

彼らの遺体の至る所には夥しい数の赤黒い銃痕が存在しており、それが彼らの死因を如実に物語っている。

 

「お前に怨みはねぇが、これも仕事なんでね。大人しく死んでくれや」

 

そう言うと、赤いコートの男もまた拳銃をシンジに突き付けた。

まさに絶体絶命。

次の瞬間には命が潰えているであろう危機的状況。

 

「……フッ」

「あ?」

 

そんな状況の中、シンジは笑みを浮かべていた。

あまりにも似つかわしくないシンジの表情に怪訝な顔をする赤いコートの男。

 

「面白ぇ……!」

 

その笑みはただの痩せ我慢でも無ければ、相手の動揺を誘うハッタリでもなく。

ましてや勝利を確信したが故の不敵なものでも無い。

 

「────殺れるモンなら殺って貰おうじゃねぇか!!」

 

己の掲げた意志を貫く覚悟を持つ者だけが浮かべる────"男の意地"の発露だった。

 

 

 




シンジの運命や如何に……


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裏切り者

最新話です

活動報告にてお知らせがあります。是非覗いて見てください


「────殺れるモンなら殺ってもらおうじゃねぇか!!」

 

そう息巻いたシンジと赤コートの男が引き金を引いたのは全くの同時だった。

空中で交差する二つの弾丸。

シンジの放った弾丸は赤コートの頬を掠めて壁に減り込む。

一方、赤コートの放った弾丸はシンジの頭を直撃した。

 

「ガ、ッ────」

 

吹き飛ぶハット帽。

飛び散る赤い液体。

後ろに倒れこんでいくシンジの体。

決着。

この場にいる誰もがそう確信し、一斉に警戒を解く。

直後。

 

「────なんてな」

「!?」

 

仰向けの体勢のままシンジが銃を発砲し、赤コートの拳銃がその手から弾き飛ばされる。

 

「ぎゃっ!?」

「ぐぁっ!?」

「ぉごっ!?」

 

その後、シンジは仰向けの体勢のまま自分の背後のいた敵を的確に銃撃した。

足や腕を撃たれた男達は次々と拳銃を取り落とし、一斉に無力化される。

 

「フッ!」

「テメェ ッ!」

 

シンジが素早く起き上がった直後、赤コートは懐に手を入れもう一丁の拳銃を取り出していた。

 

「──ッ!」

「死ねやァ!」

 

発砲。連射。

次々と鳴り響く銃声の中、シンジは即座に飛び退いて弾丸を躱すと、無力化した敵の一人の背後に回り込んだ。

 

「はっ?、いや待っ────」

 

敵は最期の肉声としてそう言い残すと、シンジを護る即席の肉壁へと成り果てた。

赤コートは味方だったはずの男を躊躇いなく射殺したのだ。

 

「ひっ────」

「た、助け────」

 

恐怖を浮かべた残りの二人も、赤コートは的確に頭を撃ち抜き射殺する。

シンジの肉壁になるのを防ぐ為だった。

 

(貰った!)

 

その隙を突いてシンジが赤コートに引き金を引く。

しかしそれを読んでいた赤コートは真横に飛び込むと事務机を盾にして身を護った。

 

「チッ!」

 

舌打ちをしつつ、シンジも同様に事務机を盾にする。

空になった弾倉を捨てて、新たな弾倉を装填しながらシンジは心臓が早鐘を打っているのを知覚した。

 

(あ、危ねぇ……特注ハットが無けりゃ殺られてたぞ、こりゃ)

 

シンジが頭に銃弾を受けてなお無事だった理由がそこにある。

彼の被っていたハット帽子は内側に鋼とセラミック板を重ねて補強した特殊な部材を仕込んだ特注品であり、頭を撃ち抜かれるのを防ぐ事が出来る立派な防具だったのだ。

加えて 生地の外側にはカモフラージュされた血糊が仕込まれており、弾丸を受けた衝撃で弾けることで血糊を吹き出し、死んだと思い込ませる事が出来る細工もされている。

赤コートの男やその仲間たちが目撃した赤い液体はこの血糊だったのである。

 

(あの赤いコートの男、人を殺す事に躊躇いが無さすぎる……ありゃ、ヒットマンの類か)

 

役に立たないと判断すれば仲間すらも平気で切り捨てる冷酷さ。

単独で極道の事務所に突撃して殲滅する程の実力。

シンジは確信した。"赤コート"は出来るヤツだと。

 

「スーッ……フゥー…………ッ────────」

 

覚悟を決めたシンジは一度、深呼吸をした。

昂った神経を鎮め鼓動を落ち着かせることで、あらゆる状況で動じない強靭な精神状態へと移行する。

 

(────いける)

 

そう確信した時、シンジの肉体は既に行動を起こしていた。

その場から立ち上がって銃を構える。

 

「くたばれェ!」

 

一方の赤コートの男は先程弾き飛ばされたもう一丁の拳銃を回収し、それぞれ左右に銃を持った二丁拳銃のスタイルで待ち構えていた。

 

「────ッ!!」

 

 

研ぎ澄まされた感覚で赤コートと相対したシンジの視界は、引き金にかけられた指が動く様をスローモーションで捉え、発せられる殺気や銃口の角度から発射される弾丸の軌道を瞬時に弾き出す。

 

(────躱せる)

 

右。肩狙い。

身体を横向けにして躱す。

左。足狙い。

そのままの体勢で一歩だけ後ろへ下がって回避する。

 

「ッ!?」

 

弾丸を見切ったかのような回避行動に驚きを隠せない赤コート。

そこが明確な隙となる。

 

(────貰った)

 

その瞬間をシンジは逃さなかった。

弾丸を回避した姿勢のまま一発の弾丸を撃ち込む。

 

「ッ、ク、ソがァァッ!!?」

 

その一発は再び赤コートの左手から拳銃を弾き飛ばし、それに激高した赤コートは右の拳銃を連射する。

 

「────────、」

 

シンジはそれらを冷静かつ的確に回避しつつ、赤コートのいる位置の天井に銃を撃った。

そこにあった蛍光灯が弾丸によって砕け散り、鋭利な破片が赤コートの頭上へと降り注ぐ。

 

「チッ、!?」

 

赤コートが舌打ちをしながら後ろに下がった直後。

シンジは一気に赤コートとの距離を詰めていた。

その距離、僅か1メートル。

 

「このッ!?」

「────ッ」

 

赤コートが至近距離でシンジの頭に向かって発砲する。

しかし、発射の直前に左手で右の手首を掴まれた赤コートの弾丸はシンジの頬を掠めるだけで終わってしまう。

 

「フッ、セッ、ハァッ!」

 

シンジは赤コートの鼻柱に頭突きを繰り出すと、そのままの勢いで腹部への膝蹴りを突き刺す。

更には右肘を使った鋭いエルボーを下顎に叩き込んだ。

 

「が、ぁッ、!?」

 

脳震盪を起こして両膝を着いてしまう赤コートの頭に、上から銃口を突き付ける。

こうなってしまえば如何なる抵抗や逃走も叶わない。

噎せ返るような硝煙の匂いに包まれながら、田中シンジによる制圧が完了した。

 

「諦めろ、お前の負けだ」

「はぁ……はぁ……」

 

赤コートの男は銃を捨て、両手を上にあげる。

降伏の意を示さなければ命は無いからだ。

 

「へっ、流石だな。風間組の……いや」

 

生殺与奪の権を握られているとは思えない程の不敵な態度で、赤コートの男はシンジをこう呼んだ。

 

「────関東桐生会舎弟頭。田中シンジさんよ」

 

関東桐生会舎弟頭。

あの風間新太郎にさえ告げていなかったシンジの"もう一つの顔"。

それを言い当てられてもなお、シンジは眉一つ動かさなかった。

 

「テメェ、やはり東城会か。どこの組のモンだ?」

「けっ、それを言って一体何に────」

 

赤コートが口答えをした瞬間、彼の足元に銃弾が撃ち込まれた。

シンジは一切表情を変えぬまま声のトーンのみを落として告げる。

 

「次は、当てるぞ……?」

 

脅しでは無い。もしも次に口答えをすれば本当に殺される。

それを知覚した赤コートは恐怖するでもなく、忌々しげに舌打ちをしてから自分の名を口にした。

 

「チッ…………嶋野組だ。嶋野組若中、荒瀬和人」

「嶋野組の、荒瀬……?」

 

シンジはその名前に聞き覚えがあった。

収集していた東城会の内部情報の中に"嶋野組にはお抱えの殺し屋がいる"という情報があり、嶋野はその殺し屋を使って組にとって都合の悪い人間や敵対組織の人間などを始末させていると言う。

特に"見せしめの為に殺せ"という命令で行った殺しは凄惨で、その時にターゲットになった者の死体はいずれも夥しい量の弾丸が撃ち込まれた状態で発見されている。

そのあまりにも凶悪な手口から、街で噂された渾名が────

 

「そうか……アンタがあの"嶋野の狂い蜂"か」

「はっ、くだらねぇ渾名だ。仕事がやりづらくて仕方ねぇ」

 

"嶋野組に逆らった不届き者は、身体中を蜂の巣にされて殺される"

そのように心に刻み込まれた嶋野組の縄張りに住む街の人々からそう呼ばれるようになった、危険な殺し屋。

それがこの荒瀬と呼ばれる男の正体だったのだ。

 

「荒瀬。いくつか俺の質問に答えろ」

「…………ふん、好きにしな」

 

シンジの要求を荒瀬はすんなりと受け入れる。

"嶋野の狂い蜂"と言えど、丸腰の状態で銃を突き付けられてしまえばどうしようもなかった。

 

「これは嶋野の命令か?」

「他に何がある?お前も極道なら分かるだろうが」

「余計な口ごたえは要らねぇ。聞かれた事だけに答えろ」

「チッ……」

 

その後、シンジは荒瀬にいくつかの質問を投げかけた。

何故嶋野組が自分を狙うのか。何故自分が関東桐生会と通じていると知り得たのか。何故この事務所を襲ったのか。

荒瀬はそれらの質問に対して"東城会の傘下にいる以上、東城会内部の裏切り者を始末するのは当然""自分に対して匿名の密告があった""シンジがこの事務所の極道と通じていることを組の情報網が突き止め、ここで待ち受けていた"と次々に答えていく。

そんな中。

 

「……嶋野の本当の目的はなんだ?」

「は?」

 

質問の意図が分からず意味が分からないとばかりに首を傾げる荒瀬に対し、シンジは続ける。

 

「俺を殺す事が目的なら、爆弾でも仕掛けといて俺がこの事務所に入った時点で爆破させれば良い。だがお前はそうしなかった」

 

荒瀬はシンジが来る事を見越してわざわざ殺害現場の真ん中で待ち受けていた。

そして部下達と銃を持って取り囲む。

最初から殺すつもりなのであればそのように回りくどい事をする必要は無い。

それはつまり、嶋野にはシンジを殺す以外の目的があるという事だ。

 

「どうなんだ、答えろ」

「さぁな。俺は嶋野の親父から"田中シンジを殺せ"って命令されただけだ。さっさと殺さなかったのは……俺の勝手な判断だよ」

「なに?」

「アンタには、風間の叔父貴の居所を吐いてもらおうと思ってたのさ」

 

シンジの眉が僅かに動いた。

風間新太郎の護衛という極秘中の極秘事項すらも向こうには筒抜けであった事に内心で驚くのと同時に、彼は納得もしていた。

 

「そうか……アンタらの狙いは風間の親っさんか」

「嶋野の親父は今の100億の騒動に乗じて東城会の跡目を獲る肚だ。その為には、風間の叔父貴は邪魔な存在なんだよ。だが消そうにも肝心の風間はアンタが何処ぞに隠しちまってる。だからアンタから叔父貴の居所を聞き出して報告すりゃ、親父にいい手土産が出来る……って、筈だったんだがな」

 

結果は散々。逆に嶋野の事を話さざるを得なかった。

そのように語る荒瀬だったが、シンジは一つ疑問を抱いた。

 

(こいつ……ヤケに素直に喋り過ぎじゃねぇか?)

 

本気で殺気をぶつけた上で銃を突きつけても、荒瀬に恐怖した様子は無い。

死ぬ事を嫌がってはいても怖がってはいないのだ。

それ程までの強い精神力を持っているのなら敢えて何も語らずに死を選ぶ事すらも可能なはずなのに、荒瀬はそんな様子も見せず聞かれた事に淡々と答えている。

とても親分に忠誠を誓った極道者とは思えないこの行動に、シンジは違和感を感じていた。

 

「さ、答えたぜ。他にはねぇのか?」

「テメェ……何を企んでる?」

「企む?自分の命握られてるってこの状況で何をどう企むってんだ?」

 

とぼける荒瀬だが、シンジは確信した。

荒瀬は何かを狙っている。

今の荒瀬の態度は絶望して命乞いをする弱者でも、諦めて命を差し出す愚者でもない。

最期の瞬間まで己の勝利を信じて狙い続ける、狡猾なる暗殺者のそれだった。

 

「くだらねぇ猿芝居はいらねぇ。さっさと答えろ!」

「おいおい、その質問にゃ答えようがないぜ。何故なら────」

 

直後。

 

「が、ぅっ!!?」

 

背後から聞こえた破裂音と共に、シンジの脇腹に灼熱が走った。

思わずシンジは自分の腹部に手を当てる。

 

「────時間切れ、だからだよ」

「な、に……?」

 

手に付着した赤を見た瞬間、シンジはその場に膝を着いた。

耐え難い激痛がシンジを苛み、立ち上がる事もままならない。

 

「危なかったなぁ、荒瀬」

 

そして、シンジを背後から撃った犯人が姿を現した。

小指の無い左手と、ダークグリーンのスーツ。

パンチパーマの頭が特徴のその男を、シンジは知っていた。

 

「アンタは……任侠堂島の、岡部……!!」

「気安く呼ぶんじゃねぇよ、裏切りモンが」

 

東城会直系任侠堂島一家舎弟頭。岡部。

総長である堂島大吾や相談役の堂島弥生のお墨付きで、シンジの始末を命令された彼は嶋野組の荒瀬と繋がっていたのだ。

 

「助かったぜ、岡部の旦那」

「お前ほどの男が追い詰められるのは意外だったが、予防線を張って正解だったな」

「て、テメェら……!」

 

余裕を取り戻した荒瀬は弾き飛ばされた拳銃を拾い上げるとシンジの頭に突きつける。

完全なる形成逆転だった。

 

「さて、散々喋らせてくれた礼だ。遺言くらいは聞いてやるよ」

「ッ……!」

 

前門の虎。後門の狼。

背中から腹部にかけて弾が貫通しており、立つことさえままならない。

あまりにも絶望的な状況の中。

 

「テメェらに、言い残すこと、なんざ…………」

 

シンジは、覚悟を貫く事を決めた。

 

「あるかよマヌケ!!」

「「っ!?」」

 

そう叫んだシンジの手に握られていたのは、ピンの外れた一発の手榴弾。

爆破に巻き込まれる事を恐れた二人がトドメを刺せずに硬直した隙に、シンジは手に取ったそれを地面に叩きつける。

 

 

そして。

神室町の一角にある小さな事務所の中は眩い光に包まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月11日。

花屋の保有する賽の河原の情報収集システムによって、風間組の中に潜むスパイの正体を掴んだ錦山。

その者の名は、田中シンジ。

彼は現役の風間組構成員でありながら、東城会と一触即発の状態にある関東桐生会に情報を流していたのだ。

 

(シンジ……やっぱりお前は、桐生の事を…………)

 

錦山の脳裏には、数日前の記憶が蘇る。

三代目の葬儀で起きた騒動の後、セレナに電話をかけて来たシンジとのやり取りだ。

 

(思えば俺はあん時から、シンジが関東桐生会と繋がってるんじゃないかって疑ってたんだよな……)

 

シンジの機転と松重のフォロー。

そのタイミングが作為的であった事から錦山はシンジが桐生と繋がっていると思い、ある質問を投げ掛けたのだ。

"兄貴分とはまだ繋がっているか?"と。

 

(その時はシンジにシラを切られたが…………あん時はまだ、俺が関東桐生会にとって敵となるか味方となるかの判断が付かなかったって事なんだろう)

 

故に、シンジは風間組の人間として振舞っていた。

錦山だけではなく、東城会の極道達には例外なくその正体や目的を知られる訳にはいかなかったのだろうと錦山は推測する。

 

(それで言うと、秘密裏に親っさんを護衛するという今の立場はかなり有効だ。シンジの奴、上手く考えたじゃねぇか)

 

一命を取り留めた風間新太郎が行方をくらましていることを知っているのは、おそらく組織の中でも限られた人間のみ。

錦山に想像出来る範囲で言っても、せいぜい若頭の柏木くらいなものである。

それほどまでに重要な役目を背負った男が、まさか関東桐生会と繋がっているとは誰も思わない。

シンジは"重大な役目を背負った構成員"という立場を隠れ蓑としてスパイ活動を行っていたのだ。

 

「錦山、これからどうする気だ?」

 

そう伊達に問われた錦山は、迷わず回答する。

 

「シンジに連絡を取って合流する。そうすりゃ、風間の親っさんとも合流出来るからな」

 

そして風間と合流する事が出来た時、錦山は聞く事が出来るだろう。

葬儀の時に明かせなかった美月の正体や、優子の事を。

 

(それに、新藤の伝言が本当ならアイツのやってる事が東城会にバレ始めてるって事だ。急がねぇとシンジがやべぇ!)

 

もしもシンジが裏切り者として殺されるような事があれば、東城会はスパイをけしかけられたとして。

そして関東桐生会は会長である桐生の一番の舎弟を殺された報復として、双方に戦争をするキッカケを与えてしまう事になる。

それは即ち、両組織による全面戦争の勃発を意味していた。

 

「花屋、シンジが今どこにいるか探ってくれないか?」

「あぁ、分かった」

 

その最悪の事態だけは避けなければならない。

そう考えた錦山は、花屋にシンジの居場所の特定を依頼した。

百を超えるモニターの映像が目まぐるしく切り替わり、神室町中のあらゆる光景を次々に映し出していく。

そして。

 

「ボス!発見しました!」

「どこだ?」

「3分前の映像です。場所は公園前通り」

「公園前通りって……すぐ近くじゃねぇか!」

 

花屋の部下が探し当てた映像が中央の大型モニターに表示される。

そこには、シンジと思われるハット帽子を目深に被った男が一つのテナントに足を踏み入れる様子が映し出されたいた。

 

「何のビルだ?」

「ここには確か、風間組系列の組事務所だな。なんて事はねぇ四次団体の組だが……なんだってこんな所に?」

「おい、ちょっと待て」

 

映像を見ていた錦山が声を上げる。

シンジが足を踏み入れてからすぐに、怪しげな黒服の男たちが後を追うように建物の中へと入っていく。

それから程なくして、カメラ越しでも分かるほどの銃声が鳴った。

 

「なっ!?」

 

銃声は一度だけでは収まらず、耳を叩くような破裂音が何度も鳴り響いていた。

二階の窓ガラスに次々と白い罅が入り、やがて甲高い音と共に砕け散る。

その後 割れた二階の窓から謎の強い光が発生した次の瞬間、その中から一人の男が飛び出して背中から地上へと落下する。

間髪入れずに立ち上がったその男は、先程まで帽子を被っていたシンジだった。

 

「っ、シンジ!!」

 

錦山は思わず叫んでいた。

画面に映っているシンジは腹部を抑えており、そこから赤い染みが段々と拡がっていたからだ。

流血をしている様子のシンジはそれどころじゃないと言わんばかりに、すぐ近くにあったマンホールをこじ開けるとそのまま地下道へと逃げ込んでいった。

 

「シンジが……!おい花屋!どこ行ったか調べられねぇか!?」

「いや流石に無理だ。下水道の中にもカメラが無いわけじゃないが、神室町の地下道はかなり入り組んでいるし死角になる場所も多い。これじゃあ追跡は難しいだろう」

 

歯噛みする花屋。

如何に神室町中の情報を把握していると言えど、カメラの少ない地下道に逃げ込まれてしまえばその情報網は鈍ってしまう。

スパイとしての責務を全うせんとするシンジの意地が、伝説の情報屋の仕事を上回っていたのだ。

 

「クソッ、こうなりゃ行くしかねぇ!伊達さんは遥を頼む!」

「おい、一人で行く気か!?」

「今 遥を任せられんのはアンタしか居ねぇんだ!頼んだぜ!」

「し、仕方ねぇ……気を付けろよ!」

 

錦山はその場から駆け出すと、蹴破るようにモニタールームを飛び出して行った。

取り返しのつかない事になる前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

賽の河原から地上に出た俺は西公園を飛び出し、映像にあったビルの前へと走って向かう。

襲撃のあった場所に行けば、何か手がかりが掴めるかもしれない。

そう考えていたが、その案は直ぐに潰された。

 

(チッ、遅かったか……!)

 

事件現場である組事務所前には既に多くのパトカーと野次馬でごった返しており、近付く事すら出来ない状態であった。

騒ぎを聞き付けた近隣住民が通報したのだろう。

 

(あれじゃ現場のサツに何もかも押収されて手掛かりどころじゃねぇな……それに今サツに見つかると面倒だ……!)

 

俺が神奈川県警の留置所から抜け出した事はもう警視庁にも知れ渡っている筈だ。

もし警察に捕まる事があれば、俺は留置所に逆戻り。

そのまま刑務所にぶち込まれる事になるだろう。

それだけは避けなくてはならない。

 

「ん?誰だ?」

 

俺が慎重に現場から距離を取っていると、ポケットの携帯が振動を始めた。

現場から完全に離れ切った後で携帯を取り出す。

表示されている番号は新藤のものだった。

 

「……もしもし?」

『兄貴。新藤です。例のスパイの正体………田中の叔父貴だったんです』

「あぁ。俺もついさっき知ったばかりだ」

『そうですか……実は今、その田中の叔父貴を殺る為にウチの総長が号令かけてるんです。』

「なんだと!?」

 

新藤が知らせてきたのは俺にとってかなり悪い報せだった。

確かにシンジは関東桐生会に内通していたとして大吾───ひいては任侠堂島一家から恨まれる動機は十分にある。

連中からしてみれば目の敵である関東桐生会のスパイが東城会の中に居るという事態を見過ごす訳にはいかないのだろう。

 

「シンジはあくまで風間組の人間だろ?外野のお前らが出る幕じゃねぇだろうが」

 

しかし、シンジが所属しているのは風間組。

その組員を始末しようとするのであれば風間組も黙ってはいない。

事情を知らない風間組構成員からすれば、自分達の兄貴分が言いがかりをつけられた挙句に殺されたように映るだろう。

もしもそんな事になれば、任侠堂島一家と関東桐生会と風間組の三組織が同時に激突する大惨事になりかねない。

 

『確かに二次団体という枠で言えばそうですが……今の田中の叔父貴の存在は東城会そのものに影響を及ぼしかねない。それを殺るのに文句を付ける奴は居ないでしょう。」

 

新藤の口調はどこか平坦で落ち着き払っている。

組のNo.2として適切な判断をする為に冷静でいるのか、それとももう止められないと諦めているのか。

 

「……新藤、お前はどうするつもりだ?」

『えっ……?』

 

その答えは、この問いで明らかになるだろう。

 

「東城会の極道として、任侠堂島一家の若頭として……何より一人の男として。お前はこの状況をどう見る?どんな決断をする?」

『………………』

「教えてくれ。新藤」

 

数秒の沈黙の後。

電話越しから返答がある。

 

『……今の田中の叔父貴は東城会にとって真っ先に排除しなければならない存在です。ですが、先日の麗奈さんの一件で兄貴とやり合った俺達は今、戦力を大幅に落としている。そんな状況で田中の叔父貴を殺って桐生の伯父貴の怒りを買っちまえば……俺たちに勝ち目はありません』

「……それで?」

『極道として、組を裏切ったケジメは付けさせなきゃいけません。ですが、任侠堂島一家の若頭として関東桐生会と事を構えるのは避けたい。そして何より……』

 

平坦だった声音が震えを帯びる。

極道としての立場。若頭としての立場。

相反する二つの立場に挟まれながら、それでも新藤は答えを告げた。

 

『…………田中の叔父貴には昔、色々とお世話になりました。そんな人を手に掛けるなんて事、俺はしたくありません』

「……そうか。それが聞けただけでも、十分だ」

 

100億という目先の金に囚われて泥沼の抗争を繰り広げる東城会。

そんな穢れた欲望を持ったヤクザ達の思想に染まる事無く、自分の一番の弟分がこうして仁義の心を持っている。

そんな事実がたまらなく誇らしかった。

 

『ですが、極道にとっては上の意向が絶対。総長や姐さんが号令をかけている以上、俺には組のヤツらを止める事は出来ません。』

「んな事ぁ分かってるよ。だから今、急いでシンジの奴を探してんだ」

『そうだったんですか…………兄貴。俺は今から、独り言を言います』

「は?」

 

突拍子も無い新藤の言葉に思わず目を丸くするが、その独り言を耳にした事で合点がいく。

 

『……"田中の叔父貴はバッティングセンターの裏手にある廃ビルの中に逃げ込んだらしい。ウチの組から追い込みに向かったのは……20人か"』

「────!」

 

シンジの居場所や任侠堂島一家の兵隊の数。

今の新藤にとってトップシークレットであるはずの情報を"うっかり呟いてくれた"のだ。

今の俺にとってこれ以上に有益な情報は無い。

 

『俺に出来んのはここまでです。どうかお気を付けて』

「新藤……ありがとな」

『失礼します』

 

電話が切れた事を確認して携帯をポケットに突っ込むと、俺は七福通りから回り込むようにして雑居ビルへと向かった。

 

(俺が行くまで死ぬんじゃねぇぞ、シンジ!)

 

時刻は午後17時頃。

夜の帳が、もうすぐ降りようとしていた。

 






錦山、間に合うのか


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Turning Point

最新話です

活動報告でも上げましたが、この度Twitterを始めました。

1UE@錦が如く/ハーメルン

のユーザー名でやってますんで、機会があればフォローお願いします!


2005年12月11日。

バッティングセンター裏に存在する、もう使われていない廃墟同然のビルの中に田中シンジはいた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

出血の止まらない身体に鞭を打ち、懸命に階段を登っていくシンジ。

狭くて逃げ場のない屋内よりも、ある程度開けた場所であれば生き残るチャンスはあるかもしれない。

そんな望みを抱いた彼が向かった場所。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ここ、だ……」

 

ビルの屋上。

照明で照らされた看板がある屋外に出たシンジは、室外機の裏へ隠れる事を試みる。

 

(なるべく……人目につかない、場所に……)

 

しかし。

その目的を果たす事は出来なかった。

 

「見つけたぞコラァ!!」

「っ!」

 

突如として隣のビルから聞こえた怒号。

それの主が追っ手のヤクザである事を知った時には、全てが遅かった。

 

「ぐぁ、っ!?」

 

銃声と同時に、シンジの左肩を灼熱が貫いた。

その衝撃で仰向けに倒れる事を余儀なくされる。

 

「ぅぐ、ぉ……ぁぁあ…………!!」

 

焼け火箸で貫かれたかのような熱さと痛みに苛まれ、悶え苦しむシンジ。

もはや、自力では動けない程の大怪我だった。

 

「クソが……散々手こずらせやがってよ……!」

 

シンジを撃ったヤクザはそう吐き捨てると隣のビルの手摺を足場にして跳躍し、シンジのいるビルの屋上へと着地した。

 

「だが……そいつももう終わりだ!」

 

仰向けに倒れて動けないシンジに対して銃口を向けるヤクザ。

逃げることは愚か立ち上がる事すら出来ない今のシンジにとって、この状況は完全に詰みだった。

 

(こ、ここまで……か……)

 

次の瞬間に訪れるであろう死を覚悟し、シンジは静かに目を閉じる。

 

(兄貴……親っさん…………すんま、せん…………)

「死ねや、田中ァ!」

 

ヤクザの怒号に合わせ、引き金が引かれる。

命が潰える。

その直前。

 

「待てやオラァ!!」

 

何者かの叫び声が、追手の男の引き金に待ったをかけた。

彼の背後にいたのは、レザージャケットを纏った一人の男。

ここに来るまでに散々暴れてきたのか、彼の両手には返り血と思われる赤い液体が滴り落ちている。

 

「ぉ……叔父、貴……?」

 

元東城会直系堂島組若衆。錦山彰。

今や東城会を揺るがす一連の事件の中心人物となった元極道。

彼はかつての弟分である新藤からの情報を元にここへ現れたのだ。

桐生一馬の弟分を、助ける為に。

 

「錦山さん……邪魔しないで下さい」

「黙ってろ三下」

 

錦山は男の言葉に耳を貸さずに殺気を剥き出しにする。

内に秘めた怒りのままに一歩足を踏み出した直後、彼の足元を銃弾が抉った。

ヤクザからの威嚇射撃だった。

 

「近付かんで下さい!これ以上……アンタや桐生に組荒らされたくないんだ!!」

「テメェ……任侠堂島一家か」

 

錦山はヤクザの言動から彼の所属している組織が任侠堂島一家である事を察した。

錦山と桐生が起こした騒動において一番被害を被ったのは間違いなくその組織だからだ。

 

「テメェ、自分が何やってるか分かってんのか?シンジは同じ東城会の人間だろうが」

「はっ、違うね!コイツは風間組のフリをした関東桐生会のスパイ。組を裏切った大罪人だ!」

「フリなんかじゃねぇ。ソイツは紛れもなく風間組で、ソイツの処遇を決めるのも風間組だ。お前らの出る幕じゃねぇんだよ」

「うるせぇ!!」

 

発砲。

弾丸が錦山の顔を掠め、赤い血の筋が頬に走った。

それでもなお、錦山は避ける素振りはおろか眉一つ動かさない。

 

「俺たちには親が絶対なんだ!"親殺し"が口挟むんじゃねぇ!!」

「撃ちたきゃ撃てよ三下。それとも何か?シンジは撃てて俺は撃てねぇか?あぁ!!?」

 

全力の殺気を放って吼える錦山。

それは紛れもないプレッシャーとなってヤクザを襲い、引き金を引くことを躊躇わせた。

 

「撃たねぇなら……こっちから行くぞコラァ!!」

「っ!!」

 

前傾姿勢になった錦山が地面を踏み込む。

慌てたヤクザが引き金を引くが、そのような状態で引いた弾が当たる訳が無い。

 

「ハァ、オラッ!!」

「ぶっ、ぅぎゃっ!?」

 

銃を持った手を左手で掴み、右の裏拳を顔面に振り抜いた。

そしてそのまま返す反動で右のフックを直撃させる。

古牧流 火縄封じ。

銃火器を持った相手に使える有効な技で瞬く間にヤクザを無力化する。

 

「シンジ、大丈夫か!?しっかりしろ!」

「お……叔、父貴……」

 

錦山はシンジの上体を起こすと、近くにあった手摺の柵に寄りかからせる。

腹部と肩口からの流血が止まらず、危険な状態である事は見て取れた。

 

「ど、どうしてここに……?」

「喋んなくていい、大体の事情は把握してる!待ってろよ、今すぐ病院に────」

「チッ、こんな所まで逃げ込みやがって馬鹿野郎が」

「!?」

 

後方から聞こえた声に振り向くと、そこには追っ手のヤクザ達が立っていた。

頭数は合計五人。

その中には、昨日 錦山をリンチしようとしていた任侠堂島一家の舎弟頭である岡部の姿もある。

 

「テメェらがシンジを……!」

「ほう、お前が噂の錦山とか言う奴か」

 

その中で、先頭に立つ赤いコートを着た男が錦山を見る。

まるで品定めをするかのような眼差しで見定めた後、愉快げに口元を歪めた。

 

「ククッ……なるほど、テメェがあの親父を倒した男か。こいつぁいい」

「なんだと……テメェ、嶋野組か?」

 

荒瀬和人。

"嶋野の狂い蜂"と呼ばれた殺しを専門とする嶋野組の極道。

それがこの赤いコート男の正体だった。

 

「本当は親父への手土産ついでに死にかけのターゲットから色々と関東桐生会の情報を聞き出す予定だったが……テメェをブっ殺す方がよっぽどいい土産になりそうだ」

 

そう言って荒瀬は顎をしゃくる。

すると彼の周りにいた三人の極道達が錦山を囲んでそれぞれ拳銃を向けた。

僅かでも身動きすれば命は無いだろう。

 

「お前らに構ってる暇はねぇ。退いてろクソヤクザ共。俺ぁな……早くシンジを病院に連れてかなきゃならねぇんだよ!」

 

しかし、錦山は一切動じずに男達を真っ向から睨み付ける。

今の彼の頭にはもはや、シンジを病院に連れていく以外の選択肢が一つとして無かった。

 

「その心配は無用だ。ここで弾いて二人仲良く終わらせてや──」

「ゴチャゴチャうるせぇ!!いいから────」

 

そして。

いつまでも退かないヤクザ達に痺れを切らした錦山は。

 

 

 

 

 

「────退けって言ってんだゴラァッ!!!!」

 

 

 

 

 

その全身から"覇気"を放出した。

 

「「「っ!?」」

 

少し距離のある所にいた荒瀬と岡部にはただの殺気にしか感じ取れなかったが、ほど近くにいた三人のヤクザ達は正しくそれをぶつけられ僅かに硬直してしまう。

錦山は、その隙を逃さない。

 

「あっ!?」

 

右側にいた一人目との距離を詰め、銃を持った右手を自身の右手で掴みながら背後へと回り込む。

そのまま一人目の指の上から自身の指を重ねると、無理やり引き金を引かせる。

放たれた弾丸は真ん中にいた二人目の脚を見事に撃ち貫いていた。

 

「ひぎゃぁぁっ!?」

「て、テメェ!?」

 

動揺した三人目が慌てて錦山に向けて銃を乱射する。

しかし錦山は引き金を引かせた一人目を肉壁にして身を守った。

 

「が、ッ、ぅごっ、ぁぁッ……ぐふ、っ──────」

「うおおおおおおおおおお!!」

 

そして、錦山はそのまま三人目との距離を詰める。

 

「く、来るなぁ!」

 

変わらず銃を撃ち続ける三人目だが、錦山は既に事切れた一人目の死体を盾にして突き進んでいく。

やがてその距離が錦山の間合いに入った瞬間、彼は肉壁を捨てて地面を蹴った。

 

「オラァ!!」

「ぶげぁっ!?」

 

そして、三人目の顔面に飛び膝蹴りを繰り出す。

数多くの男を屠って来たその技は三人目の頬骨と顎を砕き、意識を断絶させた。

 

「チッ、どいつもこいつもチンタラやりやがって馬鹿野郎が」

「やはり、ここは俺達が殺るしかねぇみてぇだな」

 

使えない部下達に嘆息する荒瀬と殺気を放って敵意を剥き出しにする岡部。

彼らはそれぞれ二丁拳銃と一本のドスを携え、戦闘態勢に入る。

 

「上等だ、かかって来いやコラァッ!!」

 

東城会直系嶋野組若中。荒瀬和人。

東城会直系任侠堂島一家舎弟頭。岡部。

二人の刺客を同時に相手取った闘いが幕を開けた。

 

「死ねやガキがァ!」

 

先に仕掛けたのは岡部だった。

右手に持ったドスを、錦山の目元や首などの急所を狙って振るう。

 

「シッ、フッ!」

 

しかし、"嶋野の狂犬"を相手取った事のある錦山からすれば、この程度の斬撃は児戯に等しかった。

上段、中段、下段。どこを狙って振るわれるかすらも一切予測が出来ない不規則な軌道を持って振るわれる致死の刃。

動体視力と反射神経を総動員し、振り抜かれる寸前の一瞬だけ垣間見える僅かな殺気だけで狙われる箇所を特定し捌くことを要求される鬼炎の如きドス捌き。

それに比べ、ただただ急所を狙ってくるだけの刃の何を恐れる事があろうか。

 

(いける!)

 

岡部の動きに隙を見出した錦山が反撃に転じる。

その刹那。

 

「へっ……!」

「!?」

 

岡部が不気味な笑みを浮かべたのを錦山は見逃さなかった。

"何かある"

自分も予測出来ない"何か"の思惑がある。

 

「ッッ!!」

 

しかし、繰り出された拳は既に止める事は出来ない。

本能的に危機を感じた錦山は、振り抜こうとしていた右フックを咄嗟に動きの小さいジャブへと変えた。

咄嗟に軌道を変えたその一撃は難なく避けられてしまう。

その直後。

 

「死ねや」

「!!!!」

 

岡部の背後にいた荒瀬が、すかさず拳銃を発砲したのだ。

放たれた弾丸は錦山の右肩を僅かに掠め、甲高い音を立てて後ろの壁へと着弾する。

 

「チッ、勘のいい野郎だな」

 

舌打ちをする荒瀬。もし錦山があのまま右フックを振り抜いていれば、その弾丸は彼の頭に風穴を開けていただろう。

 

「さぁ踊れや!!」

 

今度は両手の銃を同時に連射する荒瀬。

足元を狙って放たれる弾丸を辛うじて避け続けるが、それこそが荒瀬の狙いだった。

 

(っ、やべぇ!!)

「うらァ!!」

 

弾丸を避け続けた先にいたのは、ドスを振りかぶった岡部。

荒瀬はあえて錦山に避けさせる事で岡部の近くへと錦山を誘導させていたのだ。

 

「ぐぁっ!!?」

 

結果、回避の間に合わなかった錦山はその一振りを躱し切れずに太ももを浅く切り付けられた。

 

「チッ、浅いか……悪運だけは一丁前だなぁ、錦山」

「く、クソっ!」

 

拳銃を避ければドスの刃が襲い、ドスを躱せば拳銃の弾丸が襲う。

"どちらかを取ればどちらかを捨てる"事になるこの戦術は、孤立無援の今の錦山にとって最悪の手法だった。

 

「さぁ、まだまだこんなもんじゃ終わらねぇぞ!!」

「────!!」

 

しかし。

窮地に陥る錦山を見ている男が、ここには一人いた。

 

(このままじゃ、叔父貴がやべぇ……!)

 

風間組特務構成員 兼 関東桐生会舎弟頭。田中シンジ。

脇腹と肩を撃ち抜かれるという瀕死の重傷を負いながら、それでも彼は自分を助けに来た叔父貴分の危機を打破しようと足掻いていた。

 

(でも、どうすりゃいい……?)

 

柵にもたれ掛かる体勢になっているシンジは、深刻な出血量により満足に動く事が出来ない。

利き腕の右手が辛うじて自由に動かせるのが唯一の救いだった。

 

(チャカにはまだ、弾が残ってる……これで叔父貴を、援護出来りゃ……!)

 

しかし、腕を動かすのがやっとの今のシンジでは銃を撃つことは出来ても狙いを定める事はとても出来ない。

荒瀬達の注意を逸らす事は出来ても、再び同じ状況に持っていかれてしまえば元も子もない。

 

(何か……何かねぇのか……!?)

 

薄れゆく意識と、暗さを帯び始める視界。

重くなっていく肉体を知覚しながら、シンジは壮絶な激痛に耐えながら思考を巡らせる。

半端者の意地を貫くと決めておきながら、最後に何も出来ないなんて事は許されない。

一生ついて行くと誓った兄貴分の親友を救う一手を、シンジは求め続けた。

そして。

 

(ん……?)

 

シンジはふと荒瀬の顔に視線を集中した。

その目にはシャープなデザインのサングラスがかけられている。

そんな荒瀬は今、屋上を照らす照明の真下あたりの位置から銃を撃っていた。

 

(そうか……!)

 

荒瀬と岡部によるこの戦法。一見して隙がないように見えるが、重大な欠陥が存在する。

そこに付け入る隙があるのをシンジは見つけ出した。

 

(やってやる……!)

 

そしてシンジは静かに動き出した。

限界を超えた肉体に鞭を打ち、唯一自由が効く右手で手すりを掴んで身体を引き起こし、震える脚で静かに立ち上がる。

幸い、シンジのいる場所は照明に照らされて居ないのでシンジが立ち上がった事はまだ悟られていなかった。

 

(これが……俺に出来る、最後の足掻きだ……!)

 

腕を動かし、ポケットの中に手を入れる。

グリップの感触を確かめ、いつもよりも酷く重く感じる拳銃を握り締めた。

 

(絶対に…………決めて、やる……!!)

 

覚悟を決めたシンジは静かに銃を向け、チャンスを待つ。

己のすぐ側まで迫っている"死"を、間近に感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

岡部のドスと荒瀬の弾丸。

その二つの波状攻撃に晒された俺は、完全な窮地に追い込まれていた。

 

「ぜぇ、ぜぇ……ちょこまかと逃げやがって、いい加減くたばれや!」

 

悪態をつく岡部。

俺よりも歳が上である事もあってか、一時的にスタミナ切れを起こしている。

だが、その隙を付ける程 今の俺に余裕は無い。

この戦いでついた切り傷と火傷の数がそろそろ十を越えようとしているからだ。

 

「なかなかしぶといじゃねぇか。その生き汚さは認めてやるよ」

 

それに対し、拳銃を向けてくる荒瀬には余裕があった。

コイツの場合は殆ど自分から動く事無く銃を撃ってるだけなので当然と言えば当然ではあるが。

 

「だが、そいつもここまでだな」

(クソッ……どうすりゃいいんだ……!!)

 

これだけ生傷を作りながらギリギリの所を逃げ惑っていれば、この戦法のカラクリも見えてくる。

 

(荒瀬は照明の下の辺りを陣取って銃を撃ってくる。相方の岡部の位置や行動を把握する為だ)

 

灯台下暗しという言葉があるように、照明の下は影となるので明かりが来ない。

しかし、視界の先は照明からの明かりで俺と岡部の位置関係がハッキリと分かる。

 

(それで荒瀬は岡部と俺の動きを観察し、俺が岡部の攻撃を避けたり反撃しようとした隙を突いてくる……厄介過ぎるだろクソが……!)

 

この戦術を阻止する為には、あの明かりをどうにかしなければならない。

だが、それを許すほどコイツらも甘くはない。

万事休す。

もはや俺に、取れる手段など皆無だった。

 

「こいつで終わりだ。」

(クソッ……!)

 

次にあの波状攻撃を受ければ、今度こそ避けきれない。

弾丸か、それともドスか。

どちらで死ねるかを選ぶのが精々だ。

 

「あばよ、錦山」

 

荒瀬が引き金に指をかけた直後。

乾いた銃声が屋上に鳴り響いた。

 

「あ……?」

 

しかしその銃は荒瀬のものではなく、荒瀬自身は銃を持ったまま硬直していた。

俺も岡部も同様に驚きを隠せずにいる。

 

「終わ、んのは……お前ら、だ……!!」

 

背後から聞こえた声。

俺がその主を知覚した瞬間。

もう一度銃声が鳴り響く。

 

「なっ!?」

 

直後、荒瀬の真上にあった照明から光が失われ、俺と岡部の身体が夜の闇に紛れてしまう。

 

「なにっ!?」

「ナイスだシンジぃ!!」

 

俺は思わずそう叫ぶと、突然の事に反応が遅れた岡部の腹部に膝蹴りをぶち込み、右のストレートで顔面をぶっ叩いた。

 

「うげぁッ!?」

「なんだと!?」

「う、ォォォおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

岡部をぶっ倒した俺は荒瀬へと向き直って一気に距離を詰めようと駆け出した。

 

「く、クソッ!!」

 

咄嗟に拳銃を撃ちまくる荒瀬だが、突然照明を失った今 "夜の暗さでサングラスをかけたまま"じゃ俺の位置など把握出来るはずがない。

 

「フンッ!!」

 

手が届く距離まで接近した俺は荒瀬の両手首を両手で掴むと、至近距離からその腹部に膝蹴りを叩き込む。

 

「ぅぐぉっ!?」

 

鳩尾を深く突き刺したその膝蹴りは、一瞬で荒瀬の呼吸を断絶させて行動不能へと追い込んだ。

その後、両手を荒瀬の両手首から両肩へと移動させ、首の後ろで指を組んで固定する。

 

「シッ、シッ、シッ、シッ、シッ、シッ、シッ!!」

 

歯の間から鋭い息を吐き、錦山は連続の膝蹴りを何度も荒瀬の胴へと叩き込んだ。

首相撲と呼ばれるムエタイ発祥の体勢から放たれる膝蹴りは非常に危険で、格闘技団体が反則技として使用を禁止する事もある程の威力を持つ。

 

「ぁ、が……ッ!?」

 

内臓へのダメージを受けた荒瀬に、錦山は鼻柱に頭突きを叩き込んだ。

 

「ぐぶっ、ぁが、っ……!?」

 

直後、脳震盪を起こした荒瀬が平衡感覚を失い膝立ちになる。

 

「うぉぉッらァァァァ!!」

 

その顔面に右足の靴底を近付けると、そのまま体重を掛けて押し付けるように荒瀬の顔を前蹴りの要領で踏み抜いた。

 

「ぅぎッぁ、……が、ァ、ッ……────」

 

俺に体重と脚力で顔を踏まれコンクリートの地面に頭を挟まれた荒瀬は、そのまま意識と力を失う。

シンジの機転が勝利を生んだ瞬間だった

 

「はぁ……はぁ……!やったな!ナイスアシストだったぜシンジ────」

 

しかし。

勝利の余韻に浸りながら振り向いた俺の視界に真っ先に飛び込んできたもの。

それはしたり顔を浮かべたシンジの姿ではなく。

 

 

 

 

────シンジの腹部に、岡部がドスを深々と突き刺した瞬間だった。

 

 

 

 




次回 錦が如く


託された願い


お楽しみに


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託された願い

最新話です

この章はここで一区切りとなります。

また、JEをプレイ済みの方へ。
"例の男"がまた出てきますが、コメントを書いてくださる時は前回と同様でよろしくお願いします。


それでは、どうぞ。


2005年12月11日。

この日、俺は信じ難い現実を直視する事になった。

 

「ガハッ……!」

 

満身創痍の身体で俺を援護してくれた桐生の弟分。田中シンジが。

 

「死ねや、田中ァ」

 

敵である岡部の握ったドスに腹部を突き刺されている。

 

「────────シ」

 

その光景を目の当たりにした瞬間。

思考が弾けた。

 

「シンジィィィいいいいいい!!」

 

気付けば俺はそう叫んで駆け出していた。

一刻も早くシンジの元へ向かいたい。ただその一心で。

 

「に、錦山ァ、次はテメ────」

「余所見してんなよ、馬鹿が」

 

その直後。

シンジは至近距離で岡部の腹を撃ち抜いた。

 

「ぅごぉっ!?」

「なっ!?」

 

衝動的に動いた身体が目を覚ましたかのように立ち止まる。

仰向けに倒れた岡部は突然の痛みと恐怖に驚いたあと、顔を歪ませ青ざめた。

 

「あ、ぁぁ、ぁぁぁああああああっ!!?」

「──────」

 

情けなく悲鳴を上げる岡部に対し、シンジは眉一つ動かさない。

肩と脇腹から血を流し、ドスが腹部に突き刺さったままにも関わらず、その顔は憑き物が落ちたかのような穏やかさすら漂わせていた。

 

「────先に、逝っててくださいや…………岡部の叔父貴」

「や、やめ────────」

 

そう言ってシンジは引き金を引き切り、岡部の額に風穴を開けた。

目を見開いたまま肉塊となった岡部は、きっと苦しむ間もなく死ぬ事が出来ただろう。

 

「へ、へ……叔父、貴…………っ、」

「し、シンジ!!」

 

ついに力を失ったシンジの身体が前のめりに倒れ込む。

俺はそんなシンジをどうにか受け止め、ゆっくりと仰向けにした。

 

「シンジ、お前……!!」

「す、すみま、せん……叔父貴…………下手ぁ、打っちまい、まして…………ゴホッ、ゴホッ!!」

「やめろ、喋んな!!待ってろ、今救急車を────」

 

そう言って俺が携帯を引っ張り出した手を、シンジは力なく握った。

 

「も、う……間に、合いませ、ん…………」

「し……シンジ…………」

 

そう言われた俺は、思わずシンジの身体に視線を落とす。

左の肩と脇腹には赤黒い銃痕。

そして、腸のあたりを深々とドスが突き刺さっている。

もはや手遅れなんてもんじゃない。

今もまだ息があるだけ奇跡に近かった。

 

「叔、父貴……か、風間のおやっさんは…………アケミって女に……預け、ました…………俺の……女、です…………」

「……分かった。アケミだな……?」

「は、い…………」

 

シンジの顔から色味が消えうせ、どんどん生気を失っていく。

もう、長くは持たない。

 

「シンジ……!!」

 

目頭が熱くなり、視界がボヤける。

こんな事があっていいのか。

こんなふざけた事が。

世の理不尽を。裏社会の残酷さを。

そして、自分の無力さを思い知らされたようで、涙が止まらない。

 

「シンジ……お前、辛かったよな?大変、だったよな?」

「おじ、き……?」

「お前、おやっさんの葬儀の後 電話で言ってただろう?桐生とは袂を分かったって…………」

 

でも違った。

シンジは桐生と袂を分かってなどいなかった。

いや、出来なかったのだ。

自分にとっての兄貴分と親父分を天秤にかけるなんてことが。

 

「お前は……ただ、止めたかっただけなんだよな?桐生と、親っさんたちの喧嘩をよ……!」

「────!」

 

その結果シンジが選んだ道こそが、東城会と関東桐生会の多重スパイ。

東城会の情報を関東桐生会に流し、逆に関東桐生会の情報も風間組に流す。

そうやって両組織の間を裏側から取り持つ事で、シンジは東城会と関東桐生会の仲を企てたかったのだ。

 

「葬儀の時、親っさんの指示で俺を見守ってくれてたのだってそういう事なんだろ?あの時の俺の立場なら、あの手紙を桐生に渡せるって……そう思って託してくれたんだろう!?」

 

その最たる例が、風間のおやっさんが俺に託した手打ち盃の嘆願書だ。

アレは風間のおやっさんの意志とシンジの並々ならぬ尽力が形になったモノ。

あの盃を桐生に受けさせる事が、シンジの悲願だったに違いない。

 

「……流石、にしきやま、の、おじきだ…………おれの、考えなんて、おみとおし……なん、ですね……」

「すまねぇ……本当にすまねぇ、シンジ……!俺が、俺がもっと早く気付けてりゃ……こんなことにはならなかったってのに……!!」

 

葬儀の時。

セレナでの電話の時。

歌彫先生のアトリエの時。

気付くチャンスはいくつもあった。

なんかしらの思惑があるのも薄々分かってた。

にも関わらず、俺は美月や優子。

そして遥の事ばっかりで、シンジの目的になんか見向きもしなかったのだ。

 

「へへ……気付け、ないの、なんて……あたりまえ、ですよ…………きづかれ、ない、ように、やってたん、ですから…………」

「シンジ……」

「でも…………悔し、い、なぁ…………」

 

シンジの目に、涙が溜まる。

 

「兄貴、と……親っさんの、ケンカをとめる、って……いきまいて、たって、のに…………けっきょく、おれは…………はんぱな、まま、で…………────」

「シンジ……おい、しっかりしろシンジ!!」

「お…………おじ、き…………さいごに…………おれのたのみを、きいて……くだ……さ…………────」

「分かった!なんでも聞いてやる!言え!!」

 

断絶しかかる意識を無理やり引きずり起こす。

辛いだろう、苦しいだろう。でも許して欲しい

シンジの最後の頼みだけは、何がなんでも聞かなきゃいけないのだから。

 

「こ…………これ、を…………あにきに、わたして、ください…………」

 

そう言ってシンジは血まみれの手のひらに何かを乗せて差し出してきた。

 

「お前、これ……っ!!?」

 

赤いダイヤが美しく輝き、眩いほどの光沢のある一つの指輪。

間違いない。それはかつて、桐生が由美の誕生日に贈ったモノ。

今や由美の形見となってしまった、彼女と桐生の思い出の品だった。

 

「そして……つたえて、ほしいんで、す…………おれのために……たたかわ、ないで……って…………」

「!!」

 

その言葉に俺は目を見開いた。

死の間際。この世に何かを言い遺せる最後のチャンス。

そんな最後の最後って時にまで、シンジは桐生の為に尽くそうとしていたのだ。

 

「あにきは、やさし、い、から…………きっと、おれが、しんだら…………かたきを、うとうと、しちゃ…………い…………ま、す…………だ……だか、ら………………!!」

 

この戦争を食い止め、桐生と親っさんが殺し合う未来を変えて欲しい。

シンジは俺にそう願った。

 

「────分かった」

 

勿論、俺の返事は決まっている。

これに頷けないようじゃ、俺は極道どころか人間失格だ。

 

「桐生は……おめぇの兄貴分は必ず俺が止める!約束する……絶対に止めてやるからな!!」

 

 

安心させるように、力強く。

己に誓うようにハッキリと。

俺は、宣言した。

 

「へ、へ…………よ……よか、っ、た……………………」

 

そして。

 

「あに、き……おやっ、さん……………すみ、ま……せ……ん………ごめ、ん……な……あ、け…………み…………」

 

長年 桐生を傍で支えて来た、最初にして最高の弟分。

田中シンジは。

 

「お…………お、じ…………き……………………」

 

悲壮な覚悟を背負って歩いた渡世の道を。

過酷で壮絶な闘いの日々を。

 

「あ、と……た……た、の………み、ま……す────────────────────────」

「シンジ…………ッ!!」

 

 

 

あまりにも短過ぎたその人生を。

 

 

 

 

「────シンジィィィいいいいいいいいいい!!!!」

 

 

 

"男の意地"を抱いたまま。

静かに、笑顔で、終えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神室町。

とあるビルの屋上で、田中シンジの亡骸を抱きながら泣き叫ぶ錦山彰。

『彼』はその姿を、別のビルの屋上から双眼鏡で観察していた。

 

「……………………」

 

黙して何も語らない『彼』の目的は、錦山彰の殺害にある。

今の『彼』は錦山に、極めて個人的な怨みがあったからだ。

 

「……………………」

 

周囲に邪魔者が居ない今の状況は『彼』にとって都合が良い。本懐を遂げるチャンスが来た事を内心喜んでいると、状況に変化が現れた。

 

「ぐ…………こ、の…………!」

 

気を失っていた荒瀬が意識を取り戻し、抗戦の意志を示したからだ。

 

「っ!テメェ……!!」

 

錦山の目元が目に見えて吊り上がり、膨れ上がった殺気が何棟かのビルを跨いで『彼』のいる所まで届いた。

それほどまでに錦山の中で燃え上がる怒りは絶大で、既に歯止めは効かなくなっていた。

 

「この野郎ォォォォおおおおおおおおおッッ!!」

 

絶叫を上げた錦山が荒瀬に突撃すると、拳銃が発砲されるよりも早く錦山の拳が荒瀬の顔面を捉えた。

 

「ぎぇぁっ!?」

 

文字通り殴り飛ばされた荒瀬は屋上の壁に背中からぶつかり、そのまま仰向けに倒れる。

しかし、錦山の怒りは留まる所を知らない。

 

「よくも!よくもシンジを!!」

「がぶっ、ぶげぇっ!?」

 

上から覆い被さるようにマウントを取った錦山が、身を焦がす程の激情に身を任せて両の拳を振るった。

サングラスが砕け、破片が荒瀬の顔面と錦山の拳に突き刺さる。

 

「────絶対にぶっ殺してやるッ!!!!」

 

しかし、それでもなお錦山は殴るのを止めない。

文字通り血塗れになりながら、彼は殺意と憎悪のままに拳を振り下ろし続けた。

 

「……………………」

 

『彼』はその光景を無感動に見続ける。

その光景や状況は『彼』にとって重要ではない。

重要なのは錦山が人を殺める事ではなく、自分が錦山を殺める事だからだ。

 

「…………?」

 

しかし、ここに来て状況が『彼』にとって都合の悪い方向へと転がり始める。

荒瀬を殴り付けるのに夢中になっている錦山の背後から、見慣れない黒スーツの男達が迫っていた。

 

「……………!」

 

『彼』が双眼鏡越しに目を見開くのと、黒スーツの男の一人が錦山を背後からスタンガンで攻撃したのは全くの同時だった。

 

「ぐぁぁっ!!?」

「────!!」

 

錦山の危機を察知した『彼』は行動を開始した。

双眼鏡を仕舞い込み、自分のいるビルの屋上から助走を付けて隣接するビルへと跳躍する。

パルクールのような軽快な動きでビルからビルへと飛び移っていく。

 

「ぁ……ぅ、──────」

 

背後からのスタンガンを受けた錦山は、荒瀬に覆い被さるように気絶してしまった。

連戦と死闘によって著しく疲労していた錦山の肉体は、スタンガンによる不意打ちに耐え切れなかったのである。

 

「…………」

「…………」

 

錦山の無力化を確認した男達の行動は早かった。

瀕死の荒瀬を保護し、シンジの遺体やヤクザ達の遺体などを回収していく。

そして、最後の仕上げと言わんばかりに身動きの取れない錦山に銃を向けた。

その直後。

 

「────待て」

 

同じビルへとたどり着いた『彼』が男達の背後からそう呟いた。

 

「っ、貴様───」

 

男たちが振り向いた瞬間、その内の一人の頭が正確に撃ち抜かれる。

サイレンサーの付いた拳銃を持った『彼』の仕業だった。

 

「殺せ!生かして帰すな!」

 

男たちが一斉に拳銃を『彼』に向かって発砲するが、それらを苦もなくやり過ごしてみせる。

 

「───ッ」

 

そして弾丸を避ける最中に『彼』は閃光手榴弾を投げ放ち、男たちのちょうど真ん中辺りで炸裂させた。

 

「ぐぁっ!?」

「ぬぅっ!?」

 

男達が眩い光に視界を奪われている隙に『彼』は気絶した錦山を抱きかかえると、米俵のように担いで屋上の出入口から逃走した。

 

「ハッ……ハッ……ハッ……」

 

普段から鍛錬に余念が無い『彼』でも、大人一人を担いでの移動にはかなりの労力が伴う。

『彼』は追っ手が来ない内にエレベーターへと乗り込むと、一気に下の階まで降りて行った。

 

「────────」

「……………………」

 

意識の無い錦山を左肩で担ぎ、右手に銃を握る。

エレベーターが1階へと到着して扉が開いた直後、執拗に周囲を見渡して敵が居ないことを確認した『彼』は、ビルの裏口から外へと出ると、外階段の影になる場所に錦山を放り捨てた。

 

「う…………ぁ…………────────」

 

『彼』は、自らの手で殺す為に錦山を付け狙っていたのであって、この行動は善意に基づくものでは決してない。

 

「──これで……終わりにしてやる」

 

未だ意識が戻らない錦山に向けて『彼』は静かに銃口を向けた。

あとはその引き金さえ引けば錦山への復讐は果たされる。

 

「…………………………………………」

 

しかし今、『彼』はその指を動かさない。

その理由は、無防備な姿で動かない錦山を見た事で『彼』が抱いた一つの疑問にあった。

 

(……本当に良いのか?)

 

『彼』が錦山に殺意を抱く理由。

それは以前『彼』が裏社会の人間からの依頼を受けて錦山を殺そうとした事に起因する。

その時に、錦山は『彼』を返り討ちにしたのだ。

間一髪で危機を逃れて逃走することに成功した『彼』だが、その出来事の影響でプライドを打ち砕かれた『彼』は激しい憎悪を抱いた。

錦山はいずれ己の手で殺す。

そう決意した『彼』は、錦山の暗殺を取りやめるよう説得してきた元の依頼主の意向を無視し、今日この日まで密かに錦山の動向を追っていたのだ。

 

(ここでコイツを殺して……俺の心は晴れるのか?)

 

そして、ようやく訪れた絶好の機会。

これ以上ない程に隙だらけな錦山を前に、『彼』が引き金を引く事を邪魔するモノ。

それは、『彼』自身のプライドだった。

 

(今、コイツを殺しても……)

 

情報屋。危険物の売人。そして暗殺。

表の顔を持ちながら裏の仕事をこなしていく内に、『彼』は自分には裏の世界で生きる才能があると信じるようになっていた。

それを錦山がいとも簡単に覆した。

たとえ今ここで錦山を殺したとしても、その事実が覆る事は無い。

 

(コイツを越えた事にはならない…………!)

 

『彼』が本当の意味で復讐を果たす方法はただ一つ。

闘える状態の錦山彰を相手取り、打ち倒した上で殺す事のみ。

 

「…………いいだろう」

 

一言。

『彼』はそう言って銃を下ろした。

 

「錦山彰。お前は俺が必ず殺す。だが……俺のプライドの為だけにこの場は見逃してやる」

「────────────」

「……せいぜい、その時を楽しみにしておくんだな。ヤクザ崩れが」

 

『彼』は吐き捨てるようにそう口にすると、その場から姿を消した。

まるで、暗闇に潜む土竜のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、翌朝。

関東桐生会の本部前に一つの死体が打ち捨てられていたのを、本部の構成員が発見した。

 

 

────遺体のそばには、東城会の代紋が落ちていたと言う。

 

 

 




東城会直系風間組特務構成員



関東桐生会舎弟頭


田中シンジ

死亡

享年 33歳


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第十六章 仁義
桃源郷への道筋


最新話です。

最近は色んな人が見てくれているので凄く嬉しいです。励みになります頑張ります
それではどうぞ




2005年12月12日。

俺は目を覚ました。

 

「ぅ……あ……?」

 

靄のかかった意識と視界の中、重い身体を動かす。

 

「おじさん」

「おぉ、錦山。目が覚めたか」

 

そう声をかけるのは遥と伊達さん。

視界に映りこんだ二人を認めた時、俺は自分がいる場所が賽の河原である事を知覚した。

 

「伊達さん……遥……」

 

ゆっくりと上体を起こして辺りを見回す。

思った通り、そこは俺らが拠点としている賽の河原。西公園のダンボールハウスだった。

 

「俺は……どうやってここに……?」

 

直前の記憶は、バッティングセンター裏の雑居ビル屋上だった。

シンジを喪った悲しみと憤りから、理性を失う程の怒りに犯され荒瀬を殴り付けていたのだ。

血塗れになるまで何度も何度も拳を振り下ろしていた矢先に首元に走った衝撃と共に意識が断絶し、そこから先の記憶が無い。

 

「ウチのモンに運ばせた。監視カメラでお前の居所は分かってたからな」

 

そう言って姿を現したのは、賽の河原の主である"サイの花屋"だ。

確かに、伝説の情報屋と呼ばれた彼にとっては俺の動向を探ることなど造作もない事だろう。

 

「そうか……なぁ、花屋。俺はあの後どうなった?あのヒットマンをぶん殴ってたところまでしか覚えてねぇんだが……」

「あぁ……あの時お前は背後からスタンガンを喰らって気絶したんだ」

「スタンガン?」

「黒い服の連中だった。おそらくは例の……」

「……MIAか」

「あぁ」

 

MIA。

伊達さんの行った調査によって捜査線上に浮かび上がった内閣府直属の特殊部隊。

神宮京平の私兵としてこの事件の影で暗躍している謎の組織。

そいつらが俺を不意打ちで気絶させたという事らしい。

 

「連中はお前を気絶させた後、虫の息だった荒瀬を救助して仲間の遺体を回収した。その後 お前にトドメを刺そうとしたんだが……妙な奴がお前を助けてな」

「妙な奴?」

「あぁ。こいつだ」

 

そう言って花屋は俺に一枚の写真を差し出した。

写真を受け取った直後、俺は僅かに目を見開く。

 

「……!」

 

そこに写っているのは、意識の無い俺を肩から担いだ謎の人物の姿だった。

黒いレインコートに身を包んでフードを目深に被ったそいつの正体は外観からは分かりにくく、背丈からおそらく男性である事とサイレンサー付きの銃を所持している事から一般人ではない事しか読み取る事はできない。

それでも、俺はその写真の男に見覚えがあった。

 

「その黒ずくめの奴が隣のビルからお前らのいたビルに飛び移ってきてな。黒服の奴らとやり合った後にお前を回収してビルの外に連れ出したんだ」

「コイツが…………」

「知っているのか?錦山」

「あぁ。同一人物かは分からねぇが……数日前、喫茶アルプスの裏路地でこの格好をした奴に襲われた」

 

羽村が俺を利用しようと交渉を持ちかけてきた時のこと。

交渉決裂に伴い店の裏で闘うことになった俺は、羽村達を退けた後にこのレインコートを着た男と決闘をする事になる。

その時はどうにか機転を効かせて勝つ事が出来たが、その後に逃げられてしまった。

 

(あの男が俺を助けた?だとしたら何故?なんの為に?)

 

もしもこの写真の男があの時の刺客と同一人物なのだとしたら、そいつにとって俺は殺し損ねた標的。

殺す理由こそあれど助ける理由などないはずだ。

しかし、サイレンサー付きの銃や黒いレインコート自体には見覚えがある。

何より隣のビルから飛び移って移動するなんて事を可能にする程の身体能力の持ち主となれば辻褄は合う。

 

(分からねぇな……仕方ねぇ。この件は一旦後回しだ)

 

俺は一度この男について考えるのを辞めた。

どんな理由があれ俺は今生きている。なら、あとは前にさえ進んでいれば良い。いずれ分かる時が来るだろう。

今はそのMIAの行方だ。

 

「それで、MIAは結局どうなった?」

「錦山の姿を見失った後は、仲間の遺体とシンジの遺体を回収した後、荒瀬をつれてビルを出てった」

「なに?シンジの遺体を?」

 

花屋の証言に引っ掛かりを覚えた俺は思わず聞き返す。

 

「あぁ。近くに用意してあったバンに乗り込んで神室町を出たっきり行方が掴めてねぇ」

「どういうことだ……なんでMIAがシンジの遺体を……?」

 

証拠隠滅を図ると言うのであればシンジや仲間だけではなく、岡部の遺体や任侠堂島一家の連中も回収するべきだ。

しかし、MIAが実際に回収したのは仲間の遺体とシンジの遺体。そして瀕死になっていたという荒瀬のみ。

 

(これじゃまるで、MIAがシンジの遺体を欲しがってるみてぇじゃねぇか?それに、なんで荒瀬を生かしたまま連れ出したんだ?奴はMIAとは何の関係もないヒットマンだぞ?)

 

MIAの不可解な行動の数々に俺は疑念を抱く。

連中がわざわざシンジの遺体を回収する理由。

そして、ただのヤクザでしかない荒瀬をわざわざ生かしたまま連れ出した理由。

事件の裏で暗躍するような連中がこの局面において意味の無い行動をするとは思えず、俺は勘繰らずには居られなかった。

 

(MIA……一体何をしでかすつもりなんだ……?)

 

しかし、花屋が言うには既に連中は神室町の外。

サイの花屋が伝説の情報屋と謳われるのはあくまで街の中だけの話だ。追いかけようも無い。

となれば、俺が追うべき事柄は一つに絞られる。

 

「花屋。シンジは親っさんを女の所に預けたらしい」

「女に?」

「あぁ。"アケミ"って名前だそうだ」

 

風間の親っさんの行方だ。

シンジは死の間際、自分の女に親っさんを預けたと言っていた。

その女を特定し会う事が出来れば、親っさんと合流出来る。

 

「だが、そんな名前の女 幾らでもいるぞ。それだけじゃなぁ……」

 

伊達さんが苦言を呈するのも無理はない。

神室町はアジア最大の歓楽街と言うだけあって、街中はキャバクラを始めとした所謂"夜の店"で溢れ返っている。

女の名前だけで人を探すのは骨が折れるだろう。

 

「いや、そうでもねぇ」

 

しかし、花屋はそれを否定してみせた。

伝説の情報屋の本領発揮という事だろう。

 

「風間組の田中のカシラは大の風俗好きでなぁ。知ってたか?錦山」

「あぁ、知ってるぜ」

 

ふと思い出したのは、俺が刑務所に入る前の記憶。

この世界へ入ったばかりのシンジが桐生とは別の兄貴分からこっぴどく絞られて意気消沈していたのを見かけた俺は、気まぐれにキャバクラを奢ってやった事がある。

それからというもの何かに目覚めたシンジは女遊びにハマり、次第に本格的な風俗へとのめり込んでいき、気付けば"豪傑の田中"なんて通り名がピンク通りから聞こえて来るほどにその界隈では有名になっていた。

 

(むしろキッカケになったのは俺なんだが……遥も居ることだし黙っておこう)

 

語るべき時などもう来ないのだろうが、俺の中での思い出として今後も残していきたいものだ。

そんな一見するとくだらない話だって、田中シンジという男が確かにこの街に生きていた事の証なのだから。

 

「ここ数年、奴が通っていた店がある。"桃源郷"ってソープだ。そこのナンバーワンが確か……アケミ」

「なるほどな」

「ただしだ。そこは普通の店じゃあない。ビル一軒丸ごとソープになってるが看板も無いしパッと見じゃそれと分からん。しかも……一回遊ぶのに100万はかかる」

「100万!?」

 

あまりにも高額な値段に伊達さんが驚きの声を上げる。

確かに、基本料金が100万単位のソープランドはバブルの時でも聞いたことが無い程の値段設定だ。

それこそ、江戸時代の吉原を彷彿とさせるような破格ぶりと言えるだろう。

 

「現役のタレントやらモデルやらが働いてるんだ。選ばれた人間の遊び場さ」

「なるほど……確かにな……」

 

その条件であれば、確かに一回100万円の殿様商売にも納得が行く。

バブルが崩壊して久しいが、それでもそう言った形でも営業が出来るあたりは流石神室町という他無いだろう。

 

「ねぇ、おじさん」

「ん?なんだ?」

 

と、俺が変に関心していた時だった。

 

 

 

 

「ソープって何?」

 

 

 

 

遥が爆弾を投下した。

一瞬にしてその場の空気が凍り付くのを知覚する。

 

(や、やべぇ……!!)

 

冷や汗が流れ、肌が粟立つ。

伊達さんや花屋もどこか気まずそうにしている辺り、遥に対しての返事を返せずにいるのだろう。

 

(どうする!?なんて言うのが正解だ!!?)

 

ソープランド。

神室町の中でもトップクラスの需要を誇る風俗形態。

嬢が個室で男性客を相手に性的なサービスを行うのが実態だが、罷り間違っても女の子である遥に馬鹿正直に話す訳には行かないだろう。

自分の娘にそんなふざけたことを教えたとなれば、あの世から由美が化けて出てくるに違いない。

 

「その……まぁ、なんだ。簡単に言うと、風呂屋だ。いや……どっちかっつーとサウナか……?」

「お、俺に振るな」

 

伊達さん困り顔で俺からのパスを拒否した。

花屋に至っては目すら合わせてくれない。

俺一人でこの難題を掻い潜らなければならない事実に思わず絶望する。

 

「銭湯ってこと?」

「まぁ、それとも少し違うんだが……風呂に入るって意味では同じだな」

「ふぅん……おじさんは行ったことあるの?」

「ぶっ!!?」

 

逃げ場の無い質問にいよいよ俺は追い詰められる。

正直に言えば、行ったことはある。

人付き合いの一環である事が殆どだが、経験としてはあるのが本当のところ。

だが、それを正直に答えた結果 後にソープの本当の意味を知られた際に幻滅されるのだけは避けたい。

女の子はそういうのに敏感なのだ。

 

「お、俺か?俺はぁ……そうだなぁ…………まぁ、いや…………うーん……………」

 

過去一番と言っても良いくらいに頭を働かせて最適な返答を思案する。

遥の純粋で素朴な疑問に答えつつ、俺を含めた大人達の尊厳を守り抜く為に適切な回答。

 

(ダメだ、全く出て来ねぇ!!)

 

万事休す。四面楚歌。孤立無援。

絶体絶命の状況の中、ただ一人。

 

「ふ……ふふっ……」

 

凍り付いたこの空気の中、遥だけが面白そうに笑顔を浮かべていた。

 

「は……遥……?」

「ウソ。私どんなとこか知ってるよ。何日も歩いてたんだから」

 

瞬間。全身から力が抜けるのと同時に、俺は自分の敗北をこれ以上ない程に悟った。

 

「おまっ……マジかよ…………」

「はっはっはっ……こりゃぁ、一本取られたな」

 

笑いながらそう言う花屋の言葉の通り。

俺、錦山彰は今日。

由美の娘である澤村遥に完全敗北を喫したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は17時。

太陽が沈み、夜の帳が降り始める頃。

錦山彰はピンク通りを訪れていた。

ヘルスやソープなどの風俗店が数多く並ぶその一角に、一つのキャバクラがある。

 

「ここだな」

 

そここそ、錦山が目的としていた店。

SHINEだ。

と言っても、錦山は決して遊ぶ為にここを訪れた訳では無い。

 

(ここに、桃源郷の会員証を持ってる女がいるって話だったが……)

 

それは花屋からの情報だった。

シンメイと言う女性がかつて桃源郷のソープ嬢をしていて、現在はこのSHINEという店でキャバ嬢として働いていると言う事らしい。

その女性に接触することができれば、桃源郷の会員証に関する情報が手に入る。

 

(よし、行くか)

 

錦山はSHINEの階段を降りていく。

店の前にいたボーイに声をかけて入店の意を伝える。

 

「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」

 

扉を開けた直後、錦山を黒服が迎え入れる。

錦山はその黒服に、目当ての嬢を指名する旨を伝える。

 

「あぁ。シンメイちゃんを指名したいんだが、今日はいるか?」

「シンメイですね?かしこまりました。ご案内致します」

 

錦山は黒服の案内の従って店へと入ると、奥のソファ席に通された。

彼が煙草を蒸かしながら待っていると、一人の嬢が錦山の前に姿を現す。

 

「こんばんは。わたし、シンメイって言います。指名してくれて、ありがとう」

「あぁ、俺は錦山だ。よろしくな」

 

黒い髪に細目の顔をしたシンメイは、どこか独特の訛りある日本語で話をする。

錦山はその顔立ちと話口調から、シンメイが日本人でない事を見抜いていた。

 

(なるほど。シンメイは中国人なのか)

「お飲み物は何になさいます?」

 

ドリンクを勧めてくるシンメイに対し、錦山は早速話を切り出した。

 

「シンメイ……いきなりで悪ぃんだがよ」

「はい。なんでしょう?」

「……桃源郷の会員証。持ってねぇか?」

 

瞬間。

客を相手にしている前提が崩れ去ったのか、シンメイの顔から感情が消えた。

 

「…………あなた。何で、それを?」

 

シンメイはそう言って錦山を警戒する。

桃源郷の会員証は、裏の世界では100万円で取引がされていると言われている代物。

彼女にとっても、もしもの為の切り札のような存在なのだ。

その存在を見ず知らずの男に知られていたとなれば警戒するのは当然と言えた。

 

「実は……会わないといけない奴が居てよ。そいつに会うためには、その会員証がどうしても必要なんだ。それで、会員証を持っている奴の情報を集めていたらアンタに辿り着いた。」

「…………」

「いきなりで不躾だが、金は用意する。もしも持っているなら……譲ってもらいてぇ」

「……そうですか」

 

シンメイは少し考え込むような仕草をした後、錦山にこう切り出した。

 

「なら……私からのお願い、受けてくれたら、お譲りします」

「……分かった。聞かせてくれ」

 

それを承諾した錦山に対し、シンメイは己の現状を語った。

彼女が本当は密入国者である事。

数日前に警察に捕まりそうになって以来 店舗内で寝泊まりしていて、家にも帰れていない事。

もしも強制送還処分になれば、一緒に生活している腹違いの弟が一人になってしまう事。

そして、それを阻止する為にはパスポートが必要である事。

それは一人の若い女性が背負うには非常に重く、苦しい現実だった。

 

「パスポートか……だが、密入国者じゃ発行も出来ないだろう」

「はい。そこで、わたしが今さがしてるのが、"ニンベン師"です」

「……なるほどな」

 

ニンベン師とは、裏の世界の隠語で"偽造屋"を指す。

絵画やブランド物の贋作、偽札、偽造パスポート等を作成する裏稼業で、極道やマフィアなどからの依頼を受けて仕事をこなす事も多い。

シンメイはそのニンベン師から偽造パスポートを手に入れようとしていたのだ。

 

「その人の凄いところは、裏の戸籍まで完璧に用意してしまうって所なんです」

「ほう……大した腕なんだな」

「わたし、ここを出たら、警察に見つかっちゃう。お願いです、錦山さん。わたしの代わりに、偽造パスポートを手に入れて欲しいんです」

「なるほどな……それが条件か。いいぜ、引き受けた」

 

錦山としてもそれで桃源郷の会員証が手に入るならそれに越したことはない。

それに加え、錦山自身もその"ニンベン師"に興味が湧いていた。

 

「錦山さん、ありがとう!わたし、凄く嬉しい!」

「それで?そのニンベン師はどこに行けば会えるんだ?」

「七福通りの"Jewel"ってお店に行ってみて、ください。そこの、アヤカちゃんが、窓口してるみたいです」

 

錦山はその店名に覚えがあった。

それは現役時代に、かつて錦山が堂島組のヤクザとしてケツ持ちを行っていた店で、堂島組長に紹介した事もある店だったからだ。

 

(そうか……あの店、まだ残ってたんだな)

 

テナントの入れ替わりが激しい神室町において、十年以上続ける事の出来る店は稀であり、それは同時に確かな実力と信頼の証に他ならない。

大したものだと内心で思いつつ、錦山は席を立った。

 

「シンメイ。ここで寝泊まりしてるって話だったよな?」

「はい。外は警察がいて、おうち帰れないから」

「よし……分かった。パスポートを手に入れたらまたここに来る。遅くても明日中には手に入れてみせるからよ」

「ありがとう、錦山さん!わたし、待ってる!」

「あぁ。会員証、用意して待っててくれよ。じゃあな」

 

錦山はそう言うとシンメイと別れて席を離れた。

会計を素早く済ませると足早に店を出て、携帯電話を取り出す。

 

「さて……場所は分かったし、後は資金調達だな」

 

シンメイの話していた戸籍すらも偽造する程の"ニンベン師"。

そんな人物に仕事を依頼する以上、相当の金がかかるのは当然の事と錦山は考えた。

となれば、彼の取る手段は一つ。

 

『もしもし、錦山さん?』

「おうユウヤ。いきなりで悪ぃ、今大丈夫か?」

『はい、どうしたんです?さては……アキラさんの復活ですか?』

 

電話越しで声音の弾むユウヤ。

それに対して錦山は笑みを浮かべた。

 

「おう、そのまさかだ!一輝に話付けといてくれ、すぐそっちに行くからよ!」

『マジですか!?分かりました!お待ちしてますんで!!』

 

電話を切った錦山は、天下一通りに向けて足を運ぶ。

一夜限りのNo.1ホスト、アキラの復活は近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その電話から30分後。

銀座のとある超高級クラブが、突然の臨時休業を発表した。

 

その理由は、急遽不在となったママのみぞ知る────

 

 

 




新章開幕です。
いよいよ物語も終盤戦ですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです

今後もよろしくお願いします


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復帰

最新話です。
本当に色んな人に支えられています。
感謝です。


2005年12月12日。

時刻は17時50分。

神室町天下一通りにあるホストクラブ"スターダスト"のバックヤードに俺は居た。

椅子に座って鏡を見ながら、ヘアメイクを施していく。

 

「それにしても驚きましたよ。まさか錦山さんがいきなり"アキラ"になりたいって言い出すなんて」

 

そう言って話しかけてきたのはこの店のオーナーである一輝だ。

若輩でありながらこの"スターダスト"を神室町No.1の店にまで育て上げたやり手の経営者であり、実力No.1ホストでもある。

 

「あぁ。俺もしばらく世話になることはねぇと思ってたんだが、急遽金が必要になっちまってな。左手の怪我も前よりは良くなったし、手っ取り早く稼ぐにはここしかねぇと思ったからよ」

 

そう言ってヘアメイクを終えた俺は、顔のメイクへと移行した。

先程言った通り、左手の怪我はだいぶ良くなったので黒手袋でも嵌めておけば目立つことは無い。

しかし顔は別だ。

度重なる激闘で生傷の絶えない俺は、ここでキッチリメイクを施して傷跡を消しておく必要がある。

ホストは顔が命。縁が欠けた皿で料理を出す店が無いのと同じで、欠けた部分は補修しなければならないのだ。

 

「そうだったんですね……でしたらおそらく大丈夫ですよ」

「何がだ?」

 

一輝は得意げな笑みを浮かべると、吉報を齎してくれた。

 

「実は今日……アキラさんが出勤するということを鮎美さんに連絡したら、すぐに来てくれるとの事だったんです」

「なに?そりゃ本当か!?」

「はい。これは紛れもないチャンスですよ」

 

鮎美ママと言えば前回俺が接待した銀座最高のNo.1ママだ。

かなり俺の事を気に入ってくれてた様子で、今回も来てくれると言う。

 

(鮎美ママのおかげで前回は200万円を手取りで獲得できた。あの人がいりゃ今回の売上も期待出来そうだな。)

 

桃源郷の会員証を手に入れる為にシンメイから提案された偽造パスポートとの引き換え。

それを作ってくれるニンベン師に支払うクライアント代は、相場の分からない俺にはいくらかかるかなんて分からない。金はあればあるほど良い。

なら、狙うのは当然最高売上だ。

 

「そりゃ、気合い入れねぇとな!よし、後はスーツだ!」

 

メイクを終えた俺は特注のホストスーツに身を包む。

プラムレッドのジャケットとスラックスに、黒のシャツが味を出している逸品だ

 

「よし、これでどうだ」

 

髪型は良し。

顔の傷も完璧にメイクで完璧に隠れ、衣装も完璧に決まっている。

おっさんホスト"アキラ"の完全復帰だ。

 

「流石です錦山さん。相変わらずお似合いだ」

「褒めたって何も出ねぇぞ?」

「そうですか。でも……売上は出してくれると、期待して良いですよね」

「フッ……善処させて貰うよ。一輝オーナー」

 

軽口を叩き合う一輝と俺は、これから始まるであろう鮎美ママとの二回目の接待に向けて気合を入れる。

程なくしてユウヤがバックヤードへと入ってきた。

 

「一輝さん、アキラさん!」

「ユウヤ。どうした?」

「アキラさんにご指名です。」

「お、早速だな!」

「いえ、あの、それが……」

 

歯切れの悪そうにするユウヤに違和感を覚え、俺はバックヤードから出るのを思い留まった。

 

「アキラさんにご指名なんですけど……鮎美ママじゃなくて」

「は?どういうこった?」

「そのお客さんは……"レイナ"って言えば分かるからって言ってたんですが……」

 

瞬間。

俺の脳裏を一人の女の顔が過った。

当たり前だ。その名前には聞き覚えしかない。

ましてや"俺の事を知ってるレイナ"なんて、一人しかいないのだから。

 

「ま、まさか……」

「アキラさん、それってもしかして……」

 

一輝は察しが着いたのか非常に気まずそうな顔をしている。

何せ俺を指定したその女は、俺の身内に他ならないのだから。

 

(なんてこった、タイミングが悪すぎる……!)

 

どういう意図を持って彼女がこの店に来たかは分からないが、俺は彼女の"本心"を知っている。

俺はそれに対する返事を先送りにしている状態なのだ。

仕事とは言えこんな所で他の女とやり取りしているのを、よく思うはずが無い。

 

(だが指名が入っちまってる以上、行かない訳にはいかねぇ……鮎美ママが来るまでの間にどうにか収めねぇと!)

 

麗奈は俺が今置かれている状況は全て承知してくれている。それに彼女は聡くて思慮深い。事情を説明すれば分かってくれる筈だ。

 

「錦山さん、どうしますか?」

「仕方ねぇ、俺はその卓に着くよ。なに、相手は俺の馴染みだ。どうにかしてみせる」

 

腹を決めて俺はバックヤードから店の外へ。

ボーイの指示に従って席へと向かうと、そこには思った通りの人物がいた。

 

「わっ、凄い!錦山くん、ホントにホストなのね!」

「……い、いらっしゃいませ……麗奈」

 

セレナのママ、麗奈。

贈り物のジャケットを託されて以来の再会が、まさかこんな形になるとは夢にも思わなかった。

 

「ほら、座って座って」

「……失礼します」

 

どこか上機嫌にさえ見える麗奈の声に従い、隣に座る。

色々と聞きたい事はあるが、まずはこれを改めないと行けないだろう。

 

「……麗奈。どうしてここに?」

 

麗奈の目的を単刀直入に聞く。

俺はここに資金調達に来たのであって、遊びでやってるわけでは無い。

彼女に限って万に一つも有り得ないとは思うが、冷やかしや興味本位だけでここに訪れたのであればそれは頂けない。

一から説明して分かってもらう必要があるだろう。

 

「分かってるよ、錦山くん。お金がいるんでしょ?」

 

しかし、直後に俺は麗奈の思惑に対してそんな邪な考えを抱いていた事を後悔する事になる。

 

「……なんで、それを?」

「少し前に、一輝くんから聞いたの。急なお金が必要になった錦山くんに、スターダストで働いて貰ったって。それで、表の写真に錦山くんが映ってるのを見て思ったの。今の錦山くんにはお金が必要だって」

 

麗奈はスターダストの表に掲載された出勤しているホストの写真から、俺が金を必要としている事を察してわざわざ指名してくれていたのだ。

 

「直接お金を渡そうとしたって貴方は受け取らない。でも、お客さんとして接客して貰えば、私が入れたボトル代の何割かは貴方の手に渡る。この店も潤うし貴方も助かる。そして……ホストとしての錦山くんも体験出来る。いい事ずくめじゃない!」

「麗奈……!」

 

麗奈なりの気遣いとちょっとした欲求。

筋の通った彼女の理由に俺は何も言う事が出来なかった。

しかし。

 

(クソっ、どうすりゃいい……!?)

 

その根底にあるのが善意と好意によるものであるからこそ、俺は内心で頭を抱えた。

俺の為にここまでしてくれた麗奈を、酷く傷つける結果になりかねないからだ。

 

(こんなの……"他の女に貢いで貰うアテがあるから大丈夫"……なんて言える訳ねぇじゃねぇか!!)

 

万に一つも無いと思ったが、むしろ冷やかしであった方がマシだったとさえ思えてしまう。

こんなにも真っ直ぐな麗奈の気持ちを踏みにじる事など出来ない。

 

「麗奈……あのな……?」

「あ、もしかしてお金の心配してる?錦山くん忘れてるかもしれないけど、私の店 一応高級クラブ店なのよ?ホストクラブで遊ぶお金くらいどうって事ないわ」

「いや、そうじゃなくてよ……?」

 

何とか事情を説明しようと俺が口を開いた、その直後だった。

 

「ご予約のお客様、ご来店です!」

「っ!」

 

ボーイの声が聞こえ、反射的に入口に目を向ける。

そこには、大勢のホストとボーイに出迎えられた一人の女性。

深紅のドレスにブロンドの髪を靡かせた彼女は、華が咲くような笑顔を浮かべながらこちらへと近づき────

 

 

 

「あ、アキラさん!一輝くんから連絡受けて早速来ちゃい……ま……………………」

「ん?…………………………」

「───────────────!!!!」

 

 

麗奈と、カチ合ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は18時。

錦山がスターダストでの営業を開始したのとほぼ時を同じくして。

神奈川県警横浜警察署にて、一人の男が事情聴取を受けていた。

 

「ったく、強情だなアンタ。いつまでそうやって強がるつもりだ?」

 

男の名は、桐生一馬。

ここ数年で横浜に根を張った極道組織"関東桐生会"の会長。

かつて東城会に所属していた頃は"堂島の龍"として恐れられていた伝説の極道である。

彼は昨日に第四倉庫街で起きた真島組との騒動の一件で神奈川県警からの任意同行要請を受け、事情聴取を受けていた。

 

「……………………」

 

だが、逮捕でないにも関わらず桐生の手には手錠がかけられている。

現役暴力団組長を警察署に呼び出す以上 警戒するのは当然と言えるが、ただの事情聴取と言う話を受けてこの場所へ来た途端にこの扱いを受けるのは、いくら極道者とは言えあまりに不当と言えるだろう。

 

「暴行、傷害、凶器準備集合罪……もし本当なら懲役は免れないぞ」

「…………」

 

桐生にかけられた容疑を羅列していく担当刑事。

彼の仕事は、これらの容疑を桐生に認めさせる事だった。

しかし、桐生はこの警察の不当な扱いに思う所がある為か一向に口を割らずに黙秘を続けている。

 

「……何とか言ったらどうなんだ!?」

 

何を聞いても答えようとしない桐生に激した担当刑事が、机を叩いて恫喝する。

彼はまだ若く、激しやすい部分があったのかプレッシャーを与えて自供を促そうとする。

 

「……………………」

 

桐生は、そんな担当刑事の目を真っ直ぐ射抜くように睨み付けた。

"お前では話にならない"。

そう言外に告げている桐生の態度に対し、担当刑事は怒りを募らせる。

 

「貴様……!」

「待ちたまえ、井上くん」

 

己の名前を呼ばれた担当刑事──井上は、すかさず背後を振り返る。

そこに居たのは井上の上司にあたる男で、この横浜警察署で第四課の課長を務めている人物でもある。

 

「やっと来たか……待ってたぜ、課長さん」

「相変わらずだな……桐生くん」

 

待ち侘びたと言わんばかりに口を開く桐生に対し、課長は嘆息しつつも会話を続ける。

そのやり取りは一見すると気心の知れた知人同士に見えるが、互いに腹の探り合いをするかのような妙な緊張感を漂わせていた。

 

「この若いのをしつけたのはアンタか?バカ正直に怒鳴り散らすだけで、世間話もする気になれなかったぜ。もっとも……ただの事情聴取と言って連れて来るなり いきなり手錠を嵌めてくるような奴らに話す事なんぞ、何も無いがな」

「貴様……!」

 

目くじらを立てて前に出ようとする井上刑事を手で制し、課長はどこか平坦な声で続けた。

 

「彼に不手際があった事は認めよう。ただ……クズ共を唆して仁義だ任侠だのと掲げさせて我が物顔で街を練り歩かせてるのよりは、遥かにマシだがね」

「……とても警察関係者が口にするような言葉じゃねぇな」

 

桐生の意見など何処吹く風と言わんばかりに、課長は糸のように細い目元をさらに細くして淡々と言葉を紡いでいく。

 

「事実さ。実際、今回の件もキミが自分の所のクズ共を倉庫街に集めたのが原因だ。それを嗅ぎつけた神室町のヤクザが襲いかかって来た事で事件になった……違うかね?」

 

桐生は決して口に出すことはしないが、課長の言っている事は限りなく真実に近かった。

横浜中華街にある蛇華の本部へと攻め入るための決起集会。

しかしそこへ、嶋野の狂犬が乱入した事で両組織は一気に暴徒化。

桐生と真島の放つ殺気に当てられて戦意喪失した構成員も多かったが、怪我人なども多数出る大騒ぎとなった。

そんな事になれば近隣住民から通報されるのは当然の事と言える。

 

「ただでさえこっちは"蛇華"や"異人三"のクズ連中とやり合うので手一杯なんだ。これ以上新しいクズ共の面倒なんぞ見てられないのだよ」

「…………」

「分かったら大人しく罪を認めなさい。なに心配は要らない。君が面倒見てたクズ共もすぐにブタ箱に送ってやる。寂しい想いはさせんよ」

 

あまりにも高慢かつ見下したような物言いに対し、桐生苦言を呈する。

 

「……さっきから黙って聞いてりゃ、随分な言い草だな。」

「なに?」

「何度も何度もクズとばかり……他の言葉を知らねぇのか?」

「クズにクズと言って何が悪い。貴様らヤクザが一般人を脅して泡銭をせしめてた時代はもう終わってるんだ。貴様らには既に人権など無い。少しは身の程を弁えたらどうだ?」

「…………そうか」

 

課長の相も変わらずな物言いを神奈川県警側の総意と捉えた桐生は、静かに反撃の狼煙を上げた。

 

「流石……酒の勢いで女に乱暴する四課長は言う事が違うな」

「……なんだと?」

 

眉一つ動かさず平坦な声で話していた課長の声音に、僅かな戸惑いが見え隠れする。

桐生はその反応が図星であることを確信し、続けた。

 

「ひと月前だったか。11月18日。アンタは居酒屋で部下たちと飲んだ後、街で強引に女を引っ掛けてホテルに連れ込み、そいつらと一緒になって女に乱暴してたらしいじゃねぇか」

「…………」

「もっとも、その女もその女で援助交際で男から金を巻き上げてるような奴だったらしいが……だからって寄って集ってってのは頂けねぇな」

「何の話だ?」

「とぼけるのは勝手だが、既に裏は取れている。無駄な抵抗って奴だ」

「貴様、この後に及んでふざけた事を言うな!!」

 

激した井上刑事が桐生の胸ぐらを掴み上げた。

それ以上の勝手な発言は許さないと、桐生に対して牽制を行う。

 

「随分な焦りようだな、刑事さん。何か後ろめたい事でもあるのか?」

「黙れ!事実確認も出来ないような与太話で警察を侮辱しやがって!今すぐブタ箱にぶち込んでやる!!」

「そうか……だが、その時はアンタも一緒だな?井上刑事」

「なんだと!?」

 

桐生は決して力づくで抵抗をせず、あくまでも胸ぐらを掴まれたまま話を続ける。

 

「その集団強姦には……アンタも関わってるからだよ」

「……!」

「さっきも言ったがネタはあがってる。なんならアンタらがどれだけの人数で、どんな事をしたのかまで言えるぜ…………ここで、全部ブチ撒けてやろうか?」

 

桐生は強気な態度を決して崩さない。

確証がある事を話す以上、根底がブレる事は無いのだ。

 

「お前らの集団強姦は今回だけの事じゃねぇ。先々月もその前の月も、そういったスネに傷のある女達が、お前らに弱みを握られて無理矢理手篭めにされたってウチの組の連中に泣きついて来てんだ。現場になったホテルの従業員からの証言も監視カメラ映像の証拠も握ってる。言い逃れは出来ないぜ」

「き、貴様……!」

「弱い立場の人間を良いように弄び、薄汚い欲望をぶつけて愉しむ…………本当のクズはどっちだろうな?」

「っ……!」

 

殺気も出さなければ威嚇もしない。

ただただ冷淡な目で井上刑事を見つめる桐生。

その無機質な視線に堪えられなくなったのか、いつしか刑事の手は桐生の胸ぐらから離れていた。

 

「俺に罪を認めさせて逮捕するのは勝手だが、そうなった時は今の情報がウチの組からリークされる。そうなればお前らの人生も終わりだ。」

「くっ……!」

「…………」

「それでも、自分の立場や今後の人生を引き換えにしてでも俺を捕まえようって覚悟があるんなら……やってみろ」

 

桐生の最後の言葉の迫力に押された井上刑事が思わず後ずさり、課長が表情だけは崩さないままに声を発した。

 

「……正直意外だったよ、桐生くん。てっきり君は暴れるだけが取り柄のお山の大将だと思ってたんだがね。どうやら私は、君を侮っていたようだ」

 

課長のその返答は、桐生の語った事実への回答そのものと言って良いだろう。

桐生に罪を認めさせるはずが、彼らは逆に自分達の非道な行いを肯定させられたのだ。

 

「ふん、お前らみたいな腐った連中に褒められた所で何も嬉しくねぇな」

「だが、それを理由に君を釈放するなんて事が認められるはずも無い。我々も組織で動いているからな。となれば、リスクを負ってでも君を検挙する以外に道は無いのだが」

「そうか……だが、それには及ばないぜ」

「なに?」

「課長さんの所には、まだ何も来てないか?」

 

桐生の意味深な発言の後、課長のポケットにあった携帯電話が着信音を響かせる。

すぐに電話へと出る課長。

 

「はい、私です。…………え、なんですって?」

「?」

「……」

「……はい……はい…………かしこまりました。失礼します」

 

静かに電話を切った課長が眉間に皺を寄せる。

その反応を見た桐生は、その電話が誰からのものでどんな内容であったまでを全て把握した。

 

「桐生くん……事情聴取は終わりだ。お帰り頂こう」

「な、なんですって!?」

 

驚愕の声を上げる井上刑事。

 

「署長の指示だ。致し方あるまい」

「フッ、そうか。なら俺は行くぜ」

 

桐生はそう言って静かに立ちあがると、手錠をかけられた両手を前に差し出す。

手錠の鍵を外して貰う為だ。

 

「署長が、一体どうして……?」

「さぁな。よく分からんが……"後ろめたい事が"あるのは、お前らだけじゃないんじゃないのか?」

「ま、まさか貴様……!?」

 

強請り、脅迫。

その言葉が井上刑事の脳裏を過ぎった。

横浜の裏の世界の住人である桐生の耳には、彼らのシマとされているエリアのあらゆる情報が入ってくる。

自分達の例があるように、署長も何かしらの弱みを握られ脅しをかけられた可能性があるのは想像に難くない。

 

「アンタらが俺達をクズ呼ばわりするのは勝手だが……自分の立場に胡座をかいて好き放題しているお前達に、見下される筋合いはねぇ」

「…………」

「さっき、俺達に人権は無いとか言ってたが……そう言うお前らこそ"身の程を弁えた方が"良いんじゃないのか?」

「────いい気になるなよ。ヤクザ風情が」

 

ここに来てずっと表情を動かさなかった課長の糸目が見開かれ、凄まじい形相で桐生を睨みつける。

 

「貴様はいずれ必ずブタ箱にぶち込んでやる。その時を楽しみにしておくんだな」

「そうか……ならその時までに、せいぜい真人間になっててくれ。どうせ捕まるなら、俺も真っ当な刑事に手錠をかけられたいんでな」

「……チッ」

 

忌々しげに舌打ちをし、ついに課長は桐生の手錠の鍵を外した。

 

「じゃあな、課長さん。刑事さん」

 

晴れて自由の身を勝ち取った桐生は悠々と取り調べ室を出ていく。

課長と井上刑事は、苦虫を噛み潰したような顔でそんな桐生を見送る事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────そして。

 

桐生の耳に、田中シンジの訃報が届いたのはこの僅か五分後の事だった。

 

 




如何でしたか?

今後も錦が如くをよろしくお願いします!


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味わえぬ杯

最新話です。

よろしくぅ!


神室町の天下一通りに店を構えるNo.1ホストクラブ、スターダストの店内にて。

 

「あ、アキラさん!一輝くんから連絡受けて早速来ちゃい……ま……………………」

 

銀座の女王の異名を持つ鮎美ママと。

 

「ん?…………………………」

 

セレナのママ、麗奈がカチ合う。

 

「───────────────!!!!」

 

そんな状況に立ち会うことになった俺の心臓は今、過去最高に早鐘を打っていた。

鼓動の音がうるさく、額からは冷たい汗が止まらない。

修羅場に陥った間男の心情とはこういったものなのだろうか。

いや、昔から本命は由美だったので女友達こそいれど浮気などした事は無いのだが。

 

「…………あれ?」

「貴女…………」

 

二人がほぼ同時に口を開く。

次の瞬間に訪れるであろう地獄に思わず身構えた。

その刹那。

 

 

 

「────麗奈ちゃん!?」

「────鮎美ちゃん!?」

 

 

 

カチ合った二人の反応は、俺の想像の斜め上だった。

 

「───────はっ?」

 

理解が追いつかない俺をよそに、鮎美ママと麗奈はみるみる距離を詰めると非常に嬉しそうに両手を合わせてはしゃぎ始めた。

 

「わ、やっぱり麗奈ちゃん!久しぶり、元気してた?」

「鮎美ちゃんこそ!本当に久しぶりね、いつ以来かしら?」

 

未だに状況が飲み込めないのが、親しげに話す二人を見た俺はどうにか言葉を絞り出す。

 

「…………えっと、え?知り合い?」

「麗奈ちゃんは大学時代の同級生なの」

「そう、昔は一緒のお店でも働いた事あるのよ?」

「ま、マジで……!?」

 

鮎美ママと麗奈が大学時代の同級生で、元同僚。

あまりにも想定外な出来事に、俺は開いた口が塞がらなかった。

 

「麗奈ちゃんが自分のお店持つからって辞めちゃって以来だから……嘘、もう20年近くも前?」

「そんなに経つのね……私もオバサンにもなる訳だわ」

「何言ってるのよ、麗奈ちゃんバブルの頃から顔付き全然変わってないわよ?」

「鮎美ちゃんこそ、すっごく素敵じゃない。いつもそんなに気合い入れてるのかしら?」

 

お互いに笑顔を浮かべながら純粋に再会を喜んでいる様子の二人。

なんだか雰囲気がなごんで行くのを感じた俺はほっと一息付いた。

最悪の事態を回避出来たと安堵した。

直後。

 

「今日は特別なのよ。だってアキラさんに会いに来たんだから」

「………………あら、そうなの」

「─────!?」

 

一瞬。

麗奈が俺に視線を向けた瞬間。

俺は、自分の背筋が凍り付く音を確かに聞いた。

 

「そういえば麗奈ちゃんはどうしてここに?アキラさんとはお知り合いなの?」

「えぇ、錦山くんは私のお店の常連さん。私がお店を開業してからだから……付き合いはもう、10年以上になるわね」

「………………ふぅん?」

「───────!!?」

 

同様に鮎美ママから向けられた視線にも、心胆から震え上がるような悪寒を感じる。

 

「────ねぇ麗奈ちゃん、もしもお邪魔じゃ無かったら私もご一緒して良い?久々にこうして会えたんだし、色んなお話聞きたいわ」

「────もちろん。私も鮎美ちゃんから色々と聞いてみたい事があるの。貴女さえ良いなら、一緒に楽しみましょ?」

 

穏やかかつ友好的に会話をする麗奈と鮎美ママ。

傍から見ればそう映るだろう。

しかし、実際はそうじゃない。

 

(や……やべぇ…………!!)

 

目の前で堂島組長が死んだ時も。

刑務所でリンチされた時も。

激怒した嶋野を相手にした時でさえ、これほどの緊迫感に襲われた事は無い。

 

「ふふっ……さぁ、アキラさん?」

「ねぇ、錦山くん?」

 

俺の両隣に、麗奈と鮎美ママが腰を下ろす。

二人の視線が絶え間なく注がれ、俺の恐怖と緊張は限界に達していた。

何故なら。

 

「今夜は─────目一杯楽しませて貰うわよ?」

「もちろん─────期待していいのよね?」

 

にこやかにそう言った彼女達の目は、決して笑ってなどいなかったのだから。

 

「は、はは……!」

 

そんな状況の中、震える喉からそんな声が溢れ出た直後。

 

「────夢のような時間を、約束するぜ?」

 

気付けば、そんな言葉を口にしていた。

 

「ふふっ、楽しみだわ」

「じゃあ、早速何か頼みましょ?オススメは何かしら?」

 

どこか満足そうに微笑む鮎美ママと、最初のドリンクを頼もうとする麗奈。

 

(────────フッ)

 

表情筋が痙攣し、流れる冷や汗は留まる所を知らない。

それでも、口から自然と言葉が出たのはホストとしての矜恃か。

はたまた、男の意地か。

否────

 

(────こうなりゃやってやる!!トコトンまで楽しんで貰おうじゃねぇか!!)

 

それは、覚悟だ。

もはや後戻り出来ない状況で、あれこれと思考するのは愚の骨頂。

ならばいっそ、流れに身を委ねて死中に活を見出す意思。

またの名を、ヤケクソとも言う。

 

「麗奈ちゃん。最初はクリコーヌなんてオススメよ」

「そう?じゃあそれを貰おうかしら」

「お願いします!!」

 

いつもより二倍増しの声量でボーイを呼び、酒をグラスに注いでいく。

全員に行き渡ったところで、勢いよく音頭を取った。

 

「それじゃ……今宵の素敵な出会いと、再会を祝して……乾杯!」

「「───乾杯!!」」

 

掲げたグラスを合わせ、注がれた酒を喉に流し込みながら俺は確信した。

 

 

 

 

 

 

────今日以上に酒の味が分からない日はもう訪れないだろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005年12月12日。

港町として栄えた横浜の地には、海の近くに公園が作られる事が珍しくない。

横浜中華街からほど近い位置に存在する浜北公園もその一つだ。

時刻は夜の23時。

すっかり人通りも少なくなった夜の浜北公園の前に、一台の黒い車が停車する。

運転席と助手席から出てきた若い衆が後部座席のドアを開け、中から一人の男が身を乗り出した。

ネイビー色のスーツに紫のシャツ。頭にパンチパーマをかけた大柄な男────松重は一本の酒瓶を持って車を降りると、若い衆達に命令を下す。

 

「お前らはここで待ってろ」

「「はい」」

 

頭を下げて了解の意を示す若い衆たちに頷いた後、松重は公園へと足を踏み入れた。

 

「………………」

 

何かを探すように公園内を練り歩く松重だったが、程なくして一つのベンチの前へとたどり着く。

 

「……こんな所に居たんですか」

 

そのベンチには、一人の男がいた。

ダークグレーのスーツにワインレッドのYシャツを着た強面の男。

しかし、力なくベンチに項垂れるその姿からは見た目通りの覇気は感じられない。

 

「────探しましたよ……会長」

「……………松重か」

 

男の名は、桐生一馬。

五年前に横浜で旗揚げされた新進気鋭の極道組織"関東桐生会"の会長であり、かつては"堂島の龍"と呼ばれた伝説の極道である。

500人規模のならず者達を従える大組織の長である彼は今、自分の組織の男達には決して見せられない程に弱々しい姿を曝していた。

 

「えぇ。神奈川県警との取り調べ、お疲れ様でした」

「…………そんな事、今はどうでも良い」

 

彼がそんな有様を晒す原因は、数時間前に彼の耳に入った一つの訃報にある。

関東桐生会舎弟頭。田中シンジ。

東城会にいた頃から桐生の舎弟として常に彼の後ろへと付き、優秀な片腕として渡世を生きていたその男。

横浜警察署から釈放された直後にそんなシンジの訃報を聞いた桐生は、急いで関東桐生会の本部へと戻った。

そして、本部事務所の前に打ち捨てられていたと言うシンジの遺体と対面したのだ。

シンジの仇を討とうとその場にいる構成員達がいきり立ち、命令を聞かずに飛び出そうとする構成員がいる中。

 

────少し、一人にさせてくれ。

 

桐生はそう言うと組の車を勝手に拝借し、松重の静止も振り切って出発した。

横浜の夜の街並みを無感動に眺めながら、彷徨うように車を走らせる。

やがてこの浜北公園へとたどり着いた桐生は車を乗り捨てるように路上駐車すると吸い寄せられるようにベンチに腰掛け、それから数時間もの間ここで一人で項垂れていたのだ。

 

「見覚えのある車が路上駐車してあったんで直ぐに分かりました。今は若い衆達に見張りさせてます」

「……組の奴らはどうしてる?」

「ご心配なく。こっちで上手いことやっときましたよ。少なくとも、明日までは勝手に動く事はしません。」

 

居なくなってしまった桐生の代わりに若頭代行である松重は全構成員に"横浜で待機。消耗した戦力をケアしつつ、蛇華の動きを警戒せよ"と命令を下していた。

真島組との抗争で大勢の怪我人を出した関東桐生会は、現状のままでは満足に闘う事が出来ない。

敵対組織である蛇華の動きを警戒しつつ、明日 緊急の幹部会を開いて今後の方針を定める。

戦力の削がれた関東桐生会が無謀な戦争を起こさない為の英断だった。

 

「そうか…………」

「…………っ」

 

松重はふと、桐生の足元に大量のタバコの吸い殻が落ちている事に気付いた。

この数時間の間に吸われたものである事は想像に難くない。

 

「会長…………」

「………………」

 

桐生は何本目かも分からないタバコを口に銜えた。

自前のライターを取り出す前に、松重がすかさず火を近付ける。

 

「、………………」

 

桐生はゆっくりと紫煙を燻らせた。

白い煙が桐生の口から零れ、空へと消えていく。

 

「会長、どうしてこんな所に居たんですか?」

 

浜北公園は横浜中華街からほど近い位置に存在する場所だ。

それはつまり、関東桐生会と敵対関係にある蛇華の勢力圏内に近い事を意味する。

いくらショックだったからとは言え、そんな場所にわざわざ出向いて身を危険にさらすほど桐生は愚かではない。

となれば、それ以外の理由があるはずだと松重は考えた。

 

「…………あれ、見えるか?」

 

松重の問いに対して、桐生はある方角を指を差してそう答えた。

松重がそれを追うように視線を向けた先には、一台の公衆電話が存在する。

 

「公衆電話……ですか?」

「あぁ。あの場所で俺は、シンジの背中を押した…………押しちまったんだ」

 

今から五年前。

桐生組が東城会を抜け、関東桐生会として旗揚げする前夜。

渡世の親である風間や東城会を裏切る事を躊躇って横浜へと訪れなかったシンジへと、桐生はあの場所から電話をかけたのだ。

 

「東城会脱退と関東桐生会旗揚げは、俺の我儘だった。それに付き合わされる形になった組員達に無理強いは出来ねぇ。あの時の俺はそんな風に思っていた……」

 

そして、シンジの意志を尊重する事に決めた桐生。

お前のやりたい事をやれと、その背中を押した。

桐生は今────その選択を悔いていたのだ。

 

「もしもあの時、俺が無理矢理にでも引き止めていれば……」

 

シンジが望んだ"やりたい事"。

それは、東城会と関東桐生会の和解。

尊敬する兄貴分と世話になった親父分の仲を取り持つ事だった。

 

「こんな事にはならなかった……そう言いてぇんですか?」

「……あぁ」

 

東城会の極道として神室町に戻ったシンジは風間組特務構成員として関東桐生会の情報を風間組に流し、東城会の情報を関東桐生会に流していた。

関東桐生会が東城会からの襲撃に備える為に。

そして風間組が、関東桐生会と手打ち盃をする為に。

つまり、両組織に対しての多重スパイ行為。

それが彼の選んだ道だった。

 

「……自分は、そうは思いません」

「松重?」

 

そんなシンジの背中を押した事を悔いて自責の念に囚われる桐生に対し、松重は言った。

 

「もしも会長が無理矢理にでもこっちに連れてきたとしても……田中の奴ぁきっと東城会を──何より風間の親分を裏切れませんよ。アイツも会長と同じ、"義理と人情"で生きてる人間ですから」

 

田中シンジ。

彼が今の関東桐生会の中で誰よりも古くから、誰よりも近くで桐生の背中を見てきた。

そんな彼が、今まで世話になった渡世の親に対する恩義を捨てきれないのは明白だった。

 

「アイツはきっと、遅かれ早かれ危ねぇ橋を渡ってた筈です。」

「ならお前は……今回の事は、仕方ねぇ事だと……?」

「そうは言ってないでしょう」

 

その言葉が、まるでシンジの結末は避けられないものだったと言っているように聞こえた桐生は目くじらを立てるが、松重はそれを即座に否定した。

 

「若頭代行の席に座り、会長の右腕だなんだと下の奴らから言われる事もありますが……本当に会長の片腕となるべきだったのは、田中だったんです」

「松重……お前…………」

「錦山さんが服役していた間、会長にとって兄弟分と呼べるのは田中だけでした。だからこそ……俺はアイツに、関東桐生会にいて欲しかった」

 

桐生組が発足して間もない頃はシンジを下に見ていた松重だったが 次第に彼の人間性や強さを認めていき、いつしか二人で桐生組の両翼を担う事を誓った──言わば盟友と呼べる程の仲だったのだ。

しかし、東城会脱退と関東桐生会の発足により田中シンジは神室町へと残留。

ついに最後まで、その望みが叶う事は無かった。

 

「会長のお気持ち、お察しします。ですが……田中を失った事を憂いているのは会長だけではありません。だからどうか……その悲しみすらも、一人で背負おうとしないでください」

「…………」

「明日は緊急の幹部会が開かれます。そこで俺達は今の状況を打開し、切り抜ける術を練らなくちゃなりません。ですから…………今夜だけは、アイツを偲びましょう」

 

そう言って松重は桐生の隣に酒瓶を置くと、二つのグラスを取り出した。

 

「それは?」

「田中が好きだった酒です。昔は、二人でよく飲んだもんですよ」

「そうか……」

 

松重は瓶の栓を開けて透明な液体を注ぐと、桐生へと手渡す。

 

「さぁ、会長」

「…………あぁ」

 

桐生が受け取ったのを確認した松重は自分のグラスにも酒を注ぎ、桐生の隣へと腰掛けた。

 

「──────田中の、叔父貴に」

 

グラスを軽く持った松重の声は、微かに震えていた。

それは夜の寒さが故か、はたまた盟友を失った悲しみが故か。

 

「……………………」

 

ふと、桐生は注がれたグラスの水面に目を落とす。

そこに映っていたのは、悲痛な表情を浮かべた一人の男の顔。

 

「……………俺の」

 

桐生は、そんな自分の情けなさを振り切るようにグラスを胸の前に持った。

自分のような男を"兄貴"と仰ぎ、慕い、誰よりも付いてきてくれた弟分────否。

 

「────たった一人の弟。シンジに」

 

直後、顔を見合せた二人はそれを僅かに掲げ。

 

「「献杯」」

 

哀悼の意を込めて、一気に飲み干した。

 

 

 

 

後に、この時の事を松重はこう語る。

 

────酒の味など分からなかった、と。

 




如何でしたか?
次回もよろしくお願いします


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深まる謎


最新話です。
よろしくどうぞ!


2005年12月13日。

時刻は午後15時。

俺、錦山彰は痛む頭を抑えながら七福通りへと向かっていた。

 

(うぅ、頭が痛てぇ……)

 

昨日 一夜限りのホストとして再びスターダストに出勤した俺は馴染みの店、セレナのママである麗奈と俺を本指名してくれた鮎美ママの二人を持て成すことになった。

大学時代の同級生であり同じ店で働いた事もあると言う二人は久々の再会に喜びを分かち合うも、その後は水面下でバチバチにやり合っていた印象があった。

 

(まさか朝まで付き合わされる事になるとはな……)

 

酒を交えた二人の思い出話を色々聞きつつ相槌を打ち、俺への質問攻めに対しては細心の注意を払って答えていく。

そんな事をしているうちに二人はまるで競うように高額なボトルを次々と入れ、最終的にはシャンパンタワーまで注文が入った。

延長に延長を重ね、閉店時間になってもまだ足りなかった二人は当然の如く俺をアフターへと連れ出した。

その後は、麗奈の店を貸切にして朝まで呑みに呑みまくったのだ。

 

(うっ……まだ気持ち悪ぃ……)

 

麗奈も鮎美ママも、水商売の世界で成り上がった女傑。

酒の強さは半端ではなく、セレナで行われたアフターという名の二次会で俺はあっという間に潰されてしまった。

そして、セレナのバックヤードで目を醒ましたのがつい2時間前。

あれだけ飲んだのにピンピンしている様子の麗奈から胃に優しい軽食と水を馳走になったのが1時間前。

スターダストからの給料として相当の金額を渡されたのが、つい先程だ。

 

(麗奈……"昨日はとっても楽しかった"っつってたけど、安心して良い……んだよな?)

 

てっきり詰め寄られる事も覚悟していた俺だったが、麗奈はそう言って満足気に笑っていた。

その言葉や態度を額面通りに受け取る事も出来るが、その結果すれ違いが起きていた、なんてことになるケースが多い事を知っている俺は少し疑心暗鬼になっている。

女は役者なのだ。

 

(とにかく、これで金は手に入った。後は仕事を依頼するだけだな)

 

ちなみに一輝曰く、昨日はスターダストの歴代最高売上を大きく更新したらしい。

おかげで俺の懐に入ってきた金額も相当なものになった。

これも麗奈と鮎美ママのおかげである。

 

(ここに来るのも久しぶりだな……)

 

程なくして俺はニンベン師がいるとされる場所へと辿り着いた。

キャバクラ"Jewel"。刑務所に入る前はケツ持ちのシノギを行っていた店だ。

堂島組が無くなった今となっては何処の組がケツを持っているかは定かではないが、少なくとも東城会系の組織である事は確実だ。用心に越したことはない。

 

(よし……行くか……)

 

十年前から変わらない店のドアを開け、店内へと入る。

 

「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」

「あぁ。アヤカって子に会わせて欲しいんだが……」

「アヤカさんですね?アヤカさん、ご指名です!」

 

ボーイが嬢を呼びかけた後、案内されるままに席へと着く。

程なくして茶髪にキャバ嬢が現れた。どうやらこの子がアヤカらしい。

 

「こんばんは、アヤカでーす!指名してくれてありがとう!」

「あぁ、錦山だ。よろしくな」

「今日はどこかで飲んできたの?」

「いや、今日はちょっと君に聞きてぇ事があってよ……」

 

この子には申し訳ないが、俺は今日飲みに来たんじゃ無い。仕事を依頼しに来たんだ。

 

「なに?」

「……"ニンベンシ"って言葉に聞き覚えは?」

「……えっ?」

「SHINEって店でキャバやってる、シンメイの代理で来たんだが……」

「……………………」

 

沈黙するアヤカ。その視線が何かを思考するように揺れたのを俺は見逃さなかった。

 

「……初めて聞いたわよ、それ。」

「…………」

「あ、それって新しいお笑い芸人?あはははは!」

「ほう……お笑い芸人に聞こえたか?」

「えっ違うの?分かった、新手の詐欺師でしょ!違う?」

「……なるほどな」

 

そう言って俺が頷くと、アヤカは話題を変えようとし始めた。だがもう遅い。

俺は今の会話で彼女がニンベン師の窓口であるというシンメイの情報に信憑性が高い事を理解した。

 

「もぉ、そんな事より楽しく飲みましょうよ〜。焼酎とかでいいかしら?」

「いや、それはこの話が終わってからにしようぜ」

「えぇ……だから私、そんな人知らないって────」

「おぉっと、それは可笑しいなアヤカちゃん」

 

そして今。それは確信へと変わった。

 

「アヤカちゃん……俺は──ニンベンシって言葉に聞き覚えはあるかって聞いたんだぜ?」

「────!?」

 

目を見開くアヤカに対し、俺は淡々と彼女の弱点を突いた。

 

「俺の質問に対し君が出した答えは、お笑い芸人と詐欺師……いずれも人を指す言葉だ。そして今、君は"そんな人は知らない"と言った。何で君は────"ニンベンシ"が人を指す言葉であるかのように言ったのかな?」

「……………………」

「もっとも、俺も意地悪な聞き方はしたと思うよ。シンメイの代理で来たと伝える事で、俺の発したその言葉が"ニンベン師"であると認識させたんだからな」

 

そして、そんな俺のミスリードに彼女はかかった。

シンメイを始めこの街で不法滞在をしている外国人は多く、彼らの多くは日本語特有の言い回しや言葉遊びが不得手だ。

だから彼らのたどたどしいコミュニケーションでは今のようにとぼけられてあしらわれてしまう。

だが、自分の言った言葉が次の瞬間殺し合いの引き金になるような極道の世界において一度吐いた唾は飲み込めない。この程度の"言った言わない"の駆け引きが出来ないようじゃ命がいくつあっても足りないのだ。

 

「っ……!」

 

顔を顰め、言葉に詰まるアヤカ。

その態度が何よりの答えだった。

 

「なぁ、アヤカちゃん……意地悪しちまったのは申し訳ねぇと思ってる。でも俺にも退けない事情があるんだ。金はある。シンメイのパスポートを用立てるように掛け合ってくんねぇか?」

 

そう言って俺は100万円の札束を机の上に出した。偽造パスポートの相場は分からないが、足りないと言われれば追加の投資も厭わない。

俺は彼女に、仕事の依頼をしに来たのだから。

 

「決してアヤカちゃんや、ニンベン師に迷惑をかけたりはしねぇと約束する。だから────」

「お客さん?ちょっといいかしら」

 

そんな俺に声をかけてきたのは黒いドレスを身にまとった女性だった。

風貌や佇まいからこの店のママであろう事が推察出来る。

 

「何だ?」

「申し訳ありませんが、うちのキャストを困らせる方を接客する訳に行きません。お代は結構ですので、どうぞお帰りください」

「いや、俺はそんなつもりじゃ……」

「……お引取りを」

 

毅然とした態度でそう告げるママ。この口ぶりから察するにこの人も一枚噛んでいるのだろう。

仕事を依頼する上で信頼関係は大事だ。これ以上怪しまれてしまうのは得策ではない。

だが、かと言ってここで一度退いた時にニンベン師に拠点を変えられて逃げられてしまえば元も子も無い。

 

(どうする……?)

 

粘るか、引き下がるか。

その選択を迫られた矢先だった。

 

「ちょ、お客さん困ります!」

「うるさい、どけェ!」

 

店のボーイを押し退けてやってきた男が二人いた。

僅かに拙い日本語で話す彼らのその手には青龍刀が握られている。

 

「おい女、貴様に用があル」

「な、なによ」

「ニンベン師って野郎は何処にいル?奴のおかげでウチの商売はあがったりなんダ」

 

アヤカに向かって青龍刀を突き付ける男。その風貌や粗暴な態度。そして持っている武器から、中国マフィアであると推測する。

 

(まさか神室町にもシノギを持ってるとはな……亜細亜街辺りにでも潜り込んでたって所か?)

 

亜細亜街とは、戦後の頃から存在する神室町のとある区画を指す。

戦後の影響で元の国に帰れなくなった中国の残留孤児と呼ばれる連中や、その子供達である二世がお互いに肩を寄せあって住まう地域だ。あの場所であれば中国マフィアがいたとしても不思議ではない。

 

「何を言って……」

「とぼけるナ。昨日お前が公園でパスポートの受け渡しをしてるのを目撃してるんだヨ」

「それはたまたま友達と買い物に言っただけで……」

「ガタガタ抜かすんじゃねェ!!」

 

激高したマフィアが青龍刀を振り上げる。

俺はマフィアの右手を掴んで青龍刀を止めた。

 

「何ダ、貴様!?」

「それはこっちのセリフだ。人が楽しく飲んでる所に割り込んだ挙句にそんな物騒なもん持ち出しやがって……どういうつもりだ?あ?」

 

手首を握り潰す勢いで力を込めると、マフィアはあっさりと青龍刀を手放した。

鼻柱に頭突きを叩き込み、勢いよく突き飛ばす。

 

「き、貴様ァ……!」

「お前らの正体や目的なんざどうでもいいが……俺はこの子に用事があったんだ。それを邪魔するってんなら容赦はしねぇ」

「ン……ちょっと待テ?コイツ……ニシキヤマじゃねぇのか?」

 

すると、もう一人のマフィアが俺の名前を呼んだ。

中国マフィアに名前を覚えられる所以など、俺には一つしかない。

 

「なるほど……お前ら蛇華の残党か」

「お前のお陰で俺達は大打撃を受けタ……この落とし前、付けさせてもらうゾ!」

「ハッ、神室町で細々とパスポートの内職するしか能がねぇチンピラ風情が笑わせんじゃねぇ。やれるもんならやってみな」

「ふざけるナ!ナマス切りにしてヤル!!」

 

激高したもう一人のマフィアが青龍刀を持って襲い掛かるが、俺はすぐさま距離を取るとその斬撃を回避する。

 

「死ネェ!!」

 

そこへ先程頭突きをかましたマフィアが再び俺へと向かってくるが、俺はそのマフィアの腹部に三日月蹴りを叩き込む。

 

「グホォ!?」

「オラァ!」

 

腹部を抑えて怯んだマフィアの顔面に膝蹴りを叩き込んで鼻を折り、一瞬の内に無力化した。

 

「貴様ァ!」

 

もう一人のマフィアが青龍刀を振り回しながら迫る。

俺はその斬撃を冷静に見切ると、懐から取り出したスタンバトンで応戦する。

 

「取った!」

 

一瞬の間隙を突いた俺は、マフィアの手首にシャフトを当てて電流を流す。

高圧電流に晒されたことでマフィアの手から弾かれるように青龍刀が離れ、無防備な状態を晒した。

 

「オラァァァ!!」

「ブゲァッ!?」

 

すかさず顔面に右ストレートを繰り出す。

文字通り殴り飛ばされたマフィアが無様に店の床へと倒れ込んだ。

時間にして僅か数秒。闘いは即座に決着した。

 

「ガッ!?」

「ヌゥッ!?」

 

俺は二人のマフィアの首根っこを掴むと、そのまま力づくで引き摺って店のドアから外へと放り投げた。

 

「おいテメェらよく覚えとけ。今日からあの子達のバックには俺が着く。もしもまたふざけた事しやがったら……楽に死ねると思うなよ?」

 

完全に戦意を失った二人のマフィアに、俺は全力の殺気を叩きつける。

もう二度とこの店にちょっかいをかけられないようにする必要があるからだ。

 

「……分かったらさっさと消えろ!!」

「「ヒィィィ!!?」」

 

最後に怒号で脅しをかけ、男達が散り散りになって逃げるのを確認する。

先の攻防と今の脅しで奴らの心は折った。

これでもうこの店に来る事は無いだろう。

 

「お客様……」

 

ふと振り返ると、そこにはアヤカちゃんとお店のママさんがいた。

とんだ邪魔が入ってしまった上に店の中でも暴れてしまった以上、ここは出直すしかないだろう。

 

「すまねぇな、二人共……一旦出直させてもらうよ」

「待って!」

 

背中を向けようとした俺を引き止めたのはアヤカちゃんだった。

 

「さっきはありがとう、助かったわ。あなた、ニンベン師に頼み事があって来たんでしょ?」

「……あぁ」

「ごめんなさい、本当は騙すつもりはなかったんだけどさっきみたいな連中がいるのもあって……試させてもらってたの」

 

そう言って頭を下げるアヤカちゃんだが、俺は彼女を責める気は全くない。

こういった商売の窓口をしている以上、先のような危険は憑き物だ。

もしも彼女が全く警戒をせずに窓口をしていれば、むしろこっちが裏があると警戒してしまうだろう。

 

「仕方ねぇさ。経験上こういう駆け引きには慣れてるんでな、気にしないでくれ」

「そう、良かった」

「それで……俺の依頼は取り次いで貰えるのか?」

 

アヤカはその問いに頷くと横にいたママに声をかける。

 

「わかったわ。いいよね、ママ?」

「えぇ、そうね」

「えっ?って事はまさか……」

 

思わず目を丸くする俺の前でママ──ニンベン師は薄く微笑んだ。

 

「ふふふっ、その通りよ。少しだけお時間いただけるかしら?その間、中で待っててちょうだい?」

「……あぁ!頼むぜ!」

 

ニンベン師の信頼を勝ち取った俺は再び店内へと足を踏み入れるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニンベン師に因縁をつける為にやってきた中国マフィア"蛇華"の残党を追い払ってから約二時間。

店内で待っていた錦山の元へニンベン師とアヤカがやってきた。

 

「はい。これがお望みの品よ。これをシンメイに届けてあげて」

 

そう言ってニンベン師が手渡してきたパスポートの仕上がりは、素人目の錦山からしても完璧に作りあげられたものであった。

記事の質感や写真の写り具合に記載された情報など、どれを見ても本物にしか見えないほどの完成度に錦山は舌を巻く。

 

「コイツはすげぇな、たった二時間でこれだけのモンを作り上げるとは……」

「元々、シンメイから情報や写真だけは貰っていたからね。あとはそれを加工して仕上げるだけだったのだけど、その矢先に彼女が警察にマークされてしまったから……」

「なるほどな……」

 

錦山の目的は達成された。

後はこれをシンメイの元へと届けて桃源郷の会員証と引き替えれば、いよいよアケミの元へと向かう事が出来る。

 

「世話になったな、ママさん。依頼料はいくらだ?」

「お代は結構よ。貴方にはさっき助けられたからね。それに……」

「ん?それに?」

 

少しだけ思案するような素振りを見せた後、ニンベン師は言った。

 

「錦山さん、貴方の事は知っています。……風間さん、撃たれたみたいですね」

「っ!」

 

錦山は少しだけ目を見開くが、その口ぶりから風間の関係者であると予測する。

もしも風間の口から錦山のこと事を聞かされていれば不思議な事では無い。

 

「その事と関係あるかは分かりませんが……実は五年前に風間さんから依頼があったんです」

「風間の親っさんがアンタに……?」

 

ニンベン師曰く、風間はその時"ある一人の人間を捏造してくれ"と依頼したと言う。

出生記録や住民登録は勿論のこと、卒業証書や免許証に医療記録とパスポート。

果てには公共機関にも捏造した記録を仕込む事で、記録の中でのみ存在する人物を丸ごと作り上げたとの事だった。

 

(まさか、それが美月……?)

 

かつて由美がよそ行きの時に名乗っていたという偽名。

それを騙る何者かが神室町のどこかに居る。

記録上作られたその人間が美月なのであれば、錦山が今追っている美月の謎にも辻褄が合う。

しかし、肝心の正体については未だ不明瞭なままだった。

 

「私たちが話せるのはここまでです……どうかお気を付けて」

「あぁ……ありがとよ。世話になったな」

 

錦山はニンベン師に礼を言ってその場を去る。

さらに深まる美月の謎を、胸に抱えたまま。

 

 

 




如何でしたか?
今月から忙しくなって投稿頻度が落ちるかと思いますが、よろしくお願いします!


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災いの兆し

最新話です。お待たせしました!


2005年12月13日。

時刻は午後17時。

桃源郷へと行く手筈を整えた俺は、遥と合流して桃源郷へと向かっていた。

 

「桃源郷〜♪桃源郷〜♪」

 

何処か上機嫌な遥を一瞥し、俺は手に持った桃源郷の会員証へと視線を落とす。

やっとの思いで手に入ったそれに対し、俺は変な愛着を持ち始めていた。

 

(ったく、ホントこれを手に入れるのに苦労したぜ……)

 

シンメイという外国人のキャバ嬢が桃源郷の元従業員で、彼女が会員証を持っているという情報を掴んだ俺はシンメイの出した条件を呑んだ。

それは、不法入国者の彼女が日本で仕事が出来るようにする為の偽造パスポートの手配だった。

神室町にいる偽造屋とコンタクトを取り、仕事を妨害して来た蛇華の残党を跳ね除けてようやくパスポートを入

手したのだが、パスポートを届けに行った俺に対してシンメイはこう言ったのだ。

パスポートを他の人間に譲ってしまった、と。

 

(一時はどうなるかと思ったが……)

 

騙すつもりは無かったと訴えかけるシンメイだが、当然それでは話が違う。

俺はシンメイにパスポートを渡すことを拒否し、シンメイがパスポートを譲ってしまったという人物に会いに行った。

水野と言うその人物はかつてシンメイと懇意にしていたソープの客であり、今までとても良くしてもらった恩義からシンメイは会員証を譲ったと言う。

俺は水野に対してシンメイの事と彼女の置かれた状況、更には偽造パスポートの入手と引き替えに会員証を譲って貰う手筈だった事を説明し、彼に会員証と偽造パスポートを交換する事を持ちかけた。

 

(水野がまだ話のわかる奴で良かったぜ……)

 

その時水野から、何故シンメイに偽造パスポートを渡さずに彼女を困らせるのか?と問われたがそもそも先に約束を反故にしたのはシンメイであり、俺はあくまで当初の約束に則った上でこちらの要求を主張しているだけだ。

それを追求される謂れは無い。

それに、神室町の夜の女。それも日本語も不慣れな外国人のソープ嬢であるシンメイを懇意にしていたからには、水野にはシンメイに対する普通の客には無い特別な感情があると俺は踏んでいた。

結果としてその読みは当たっており、シンメイの思い出の品として会員証を譲り受けていた水野は偽造パスポートの交換に応じると、その足でシンメイの居るであろう店の方へと足早に向かっていった。

水野は無事に偽造パスポートを渡せるのか。

シンメイはそれを受け取れるのか。

いずれもそれは彼ら次第。後は俺の預り知らない領分だ。

 

(ともあれ、これでようやく前進だ)

 

高級ソープランド、桃源郷。

そこにシンジが風間を託したと言う女が居る。

その女の名前は"アケミ"。

彼女に会えば、風間のおやっさんの居所が掴めるのだ。

 

「ついたよ、おじさん」

「おう」

 

程なくして、俺達はたどり着いた。

まるで宮殿を思わせるような造りの、白い建物。

この街で長く暮らしていた俺でさえ、古くから街に存在するこの建物の正体を知らなかった。

 

「ここが、桃源郷……」

 

花屋の言っていた情報通り 看板のようなものは一切出ておらず、ただ見ただけではそれとは分からないだろう。

 

「いらっしゃいませ。桃源郷の会員証はお持ちですか?」

「あぁ、これだろ?」

「……はい、確かに。どうぞお入りください」

 

店の前にいたスタッフに会員証を見せると、スタッフはあっさりと退いた。

 

「わぁ……!」

 

宮殿を思わせる外観から想像した通り、白を基調とした荘厳な印象を持った内装が俺たちを出迎える。

遥には初めて見る光景に目を輝かせていた。

 

「あ、あのお客様。申し訳ございませんが、お子様連れはちょっと……」

 

俺達の姿を認めた会計係のスタッフが声をかけてくる。

当たり前だ。

彼の言う通り、子供を連れて来るような場所では無いのだから。

 

「あぁ……社会見学の一環だ。悪ぃけど大目に見てくれ」

「しかし、ほかのお客様のご迷惑にもなりますので……」

 

やはりスタッフの言っている事は正しい。このまま真っ当に交渉をするのは難しいだろう。

だが問題ない。こうなることは想定内だ。

 

「まぁまぁ、固ぇ事言うなって」

「……!」

 

俺はそう言うとポケットからあるものを取り出してスタッフの手に握らせた。

 

「これは……」

 

それは小さく折りたたまれた紙幣。一万円札が五枚分。

つまり賄賂だ。

 

(スターダストでたんまり稼がせて貰ったからな。この程度は痛くも痒くもねぇぜ)

 

俺はスターダストの昨日の利益から、売上の一部を一日分の給料として頂いた。

その金額、なんと500万円。

下手なサラリーマンの年収分はあるだろうその額は、今の俺にとっては貴重な軍資金だ。

こう言った場面で有効活用するべきだろう。

 

「な?いいだろ?」

「で、ですが……」

 

明らかに動揺した様子のスタッフ。

反応から見るに突然の事に面食らってるだけで、もっと欲しいからゴネている様子でも無さそうだ。

真面目なスタッフを懐柔するようで気が引けるがそんな事を言ってる場合じゃない。

 

「なぁ頼むって兄さん。絶対に迷惑掛けたりしねぇからよ?」

 

そう言って今度は両手でスタッフの手を握った。

当然そこには追加の賄賂が握られている。

 

「……か、かしこまりました」

 

やがて、スタッフはついに首を縦に振った。

どうやら俺の"誠意"が伝わったらしい。

俺はスタッフから桃源郷のシステムの簡単な説明を受けてから、遥を連れて改めて店内へと足を踏み入れた。

 

「すっごく広いね、おじさん」

「あぁ、こんだけ広けりゃ親っさんも安全に匿える。シンジの奴、よく考えたじゃねぇか」

「アケミさんのお部屋、何処だろう?」

 

親っさんを護る事に力を注いでいたシンジの功績を讃えながら、俺達は階を移動しながら桃源郷の中を練り歩いていく。

 

(さっきのスタッフの話じゃ、空席の札がかかってる部屋に嬢がいるって話だったが……)

 

何せこれだけ大きな店舗の客室だ。仮に空席の札がかかっていたとしても、そこにアケミが居るという保証は何処にも無い。

 

(しらみ潰しに探しても良いんだが"コト"の最中に邪魔するのは忍びねぇし、今は時間が惜しい。何より、遥にその現場を見られる訳には行かねぇ)

 

風間の親っさんを不自由無くかつ安全に匿えて、それでいて万が一敵からの襲撃にあった際に少しでも時間を稼ぐ事が出来る所。

もしも俺がシンジの立場だったら、そんな場所を隠れ家とするだろう。

 

(その条件に当て嵌めるなら最上階か地下だな。最上階なら敵襲の際に敵が来るまで時間が稼げて、隣接するビルから抜けて逃げられるし、地下なら抜け道を用意できる。そして……)

 

その二択で考えるのであれば、地下の可能性は低いだろう。

フロントを見た感じ地下に通ずる階段はなかったし、仮にあったとしてもそれこそ従業員用かであると考えるのが自然だ。

シンジとしてもそんな所に親っさんを匿う訳には行かないだろう。

そして、親っさんのそばに居ると言う"アケミ"はNo.1のソープ嬢。つまりは稼ぎ頭だ。

そんな彼女が居るのはきっとグレードの高い部屋なのは想像に難くない。さらに言えば彼女が近くにいない状況下で桃源郷が敵の襲撃に遭えば親っさんの身も危なくなる。

となれば、可能性が高いのは最上階。それも最も広い部屋だろう。

 

「よし、行くぜ遥」

「うん」

 

方針を定め、俺達は最上階を目指す。

風間の親っさんと、この事件の真相に辿り着くために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山彰が桃源郷へと足を踏み入れる約一時間前。

田中シンジの遺体が遺棄されるという騒動から一夜明けた今日。

神奈川県横浜市にある関東桐生会の本部では、今回の事態を受けての緊急幹部会が開かれていた。

若頭代行の松重をはじめ、若頭補佐の村瀬や直参組長の長濱。舎弟頭補佐を務める斎藤。

そして、そんな幹部陣の頂点に君臨する関東桐生会初代会長。桐生一馬。

錚々たる面々が集う中、松重が幹部会の進行を始める。

 

「よし、全員揃ったな。今回の議題は……関東桐生会の今後についてだ」

 

厳かで張り詰めた空気の中、松重が議題の発表と整理を始める。

 

「お前らも知っての通り、先日関東桐生会の本部前に田中の遺体が遺棄されていた。遺体の傍には東城会の代紋があり、田中を殺した何者かが意図的に捨てて行った可能性が高い」

 

東城会と関東桐生会の多重スパイとして孤独な闘いをしてきた田中シンジ。

そんなシンジが殺されたというショッキングなニュースは、関東桐生会の人間に危機感と怒りを抱かせるのには充分な報せだった。

 

「今回の一件を踏まえ、今後の我々の動きを決定すべくこの場を設けさせてもらった。意見のある者は発言をしてくれ」

「そんなの決まってるじゃないですか、代行」

 

真っ先に発言の口火を切ったのは、舎弟頭補佐の斎藤だった。

 

「田中の兄貴は、関東桐生会にとって無くてはならない人でした。それを殺られたからにゃ……仇を討つのが当然ってモンですよ」

 

自身が尊敬する兄貴分を殺され、斎藤の顔は誰よりも憤怒に歪んでいた。

一歩間違えばこの幹部会にも参加せずたった一人で行動を起こしかねない程の怒りが、今の彼の原動力だった。

 

「俺も、斎藤の意見に賛成です」

 

そんな斎藤に同調したのは若頭補佐の村瀬だった。

 

「本部前に堂々と。それもあんなにも分かりやすく田中の叔父貴の遺体を遺棄しやがった上に、ご丁寧に代紋まで捨てて行ったんです。こんなモン東城会から名指しで喧嘩を売られたようなもんじゃないですか。ここでこの喧嘩を買わないようじゃ、極道の名が廃りますぜ」

 

表向きは東城会の人間として活動をしていたはずの田中シンジ。そんな彼が殺されて関東桐生会の前に捨てられていたという事実からは"貴様らなどいつでも潰せる"と言う報復と警告から来るモノであると村瀬は捉えていた。

そして、そこまでされた以上は許す訳には行かないとも。

しかし。

 

「いえ、ここは組織を立て直すべきだと思います」

「なに?」

 

"返し"に息巻く村瀬と斎藤とは打って変わり、冷静に発言をしたのは直参組長の長濱だった。

 

「錦山さんを始め、村瀬の兄貴や斎藤の活躍のおかげで蛇華は実質的な壊滅状態に追い込めましたが、連中の残党はまだ残っています。ここで神室町侵攻を強行してウチらのシマの守りを手薄にするのは連中に隙を見せる事にも繋がります。得策ではありません。」

 

村瀬はあくまで俯瞰的視点から物事を見ていた。

感情に身を任せて行動を起こした結果、足元を掬われるような事態は避けるべきだと主張する。

 

「テメェ……そんな弱腰で良いと思ってんのか?連中は俺たちをナメ腐ってんだぞ!?」

「だからこそですよ兄貴。東城会二万五千に対し関東桐生会はたったの五百。さらに言えば先日の真島組との抗争の影響で兵力は消耗してます」

 

このまま抗争が始まれば、関東中の東城会系組織から瞬く間に包囲網を敷かれての総力戦が始まるだろう。

もしもそうなれば、1000人にも満たない兵力しか持たない関東桐生会に勝ち目はない。

物量で押し切られるのが関の山である。

 

「敵は殺るべき時に殺る。"返し"をするのであればそれを徹底すべきです。その為にも今は組織の立て直しに注力すべきかと」

「長濱の意見には俺も賛同だ」

 

長濱の発言に対して好意的な態度を取るのは若頭代行の松重だ。

彼もまた、この難局を乗り越えるには冷静になるべきだと考えていた。

 

「それにな、今回の一件だって東城会の仕業である確証はねぇ。遺体のそばに代紋が落ちていたのは事実だが、その代紋が本物かどうかは調べてねぇし、田中の遺体はこっちで回収したまま警察に届け出てないんだからな」

 

松重は今回の事態が東城会以外の思惑で動いている可能性を捨てていなかった。

シンジの遺体には銃創が二つと腹部に突き刺されたドスがあり、一見するとヤクザの抗争に巻き込まれたであろう痕跡に見える。

しかし、警察に届け出ていない以上は司法解剖などを出来る訳もなく。神室町に入り込めない彼らでは犯人を探す事も出来ない。

死因も分からなければ、犯人すらも分からない状況下であたかも宣戦布告であるかのように置き去りにされた東城会の代紋。

 

「田中の死体は明らかにウチと東城会の抗争を煽ってるとしか思えねぇ……だが、いくらなんでもやり方が不自然だ。何故東城会は"今、このタイミングで"俺達にこんな事をしたんだ?」

 

五年前。

本部で起きた桐生による乱闘騒ぎにおいて、東城会は三代目会長の世良が半殺しにされる、本部の構成員が全員倒される等といった甚大な被害を被った。

その事件以降、東城会はただの一度も関東桐生会に表立って喧嘩を仕掛ける事はしていない。

それは一重に、東城会が関東桐生会を──桐生一馬を恐れていたからに他ならない。

 

「今回の一件。俺は、裏で糸を引いている連中がいる可能性があると考えている」

 

三代目会長が殺害され、消えた100億を巡る跡目争いの騒動で揺れ動いている東城会。

そんな状態では、他組織との抗争などを抱えてなどいられない。ましてや相手は関東桐生会。

その気になれば単騎で本部を壊滅させる事が出来る程の兵力を持つ組織を相手に抗争するのであれば、尚更万全の体制で望むべきであろうことは明らかだ。

 

「ガタガタの東城会と消耗した関東桐生会。一件不自然なタイミングで起きた田中の一件だって、その黒幕が俺達の共倒れを狙っているのだとすれば筋が通る。だとするなら、その思惑にまんまと踊らされる訳には行かねぇ。敵の正体がハッキリするまでは組織の立て直しを優先すべきだ」

 

しかし、その意見に対して徹底抗戦を主張する村瀬と斎藤は食ってかかった。

 

「組のモン殺られて黙って引き下がれってんですか!?」

「ナメられたら終わりの極道が、やる前から勝つか負けるかの心配なんざくだらねぇ!俺たちはメンツが全てだ!黙ったままの時間を作ること自体論外だろうが!」

 

殺られたら殺り返す。売られた喧嘩は買う。

極道としての荒くれ者の性質が、組織の立て直しを優先する長濱の意見を受け入れようとしなかった。

 

「個人間の喧嘩ならそれでもいいかもしれませんが、組織単位での抗争は訳が違います!勢いでどうにかなる程の相手じゃ無いって事くらい兄貴にだって分かるでしょう!?」

「それがどうした!?東城会二万五千?関東桐生会総勢五百人!一人あたり五十人ぶっ殺せば済む話だろうが!!代行も代行だ!そんないるかも分からねぇ黒幕とやらにビビってケツ捲るなんざ、何考えてんです!?」

「誰がビビってるって言った?俺や長濱は返しをするなと言ってるんじゃねぇ。喧嘩するタイミングを考えろって言ってんだ。お前らが勝手なタイミングで喧嘩始めてもし負けるような事があれば俺らを信じてくれた堅気連中はどうなる?東城会や蛇華の連中から散々食い物にされるのは目に見えてるじゃねぇか」

「だったら負けなきゃいいだけの話ですよ代行!俺が100人でも200人でもぶっ殺して、ついでにその黒幕とやらも殺ってやろうじゃないですか!!」

 

冷静に意見する松重と長濱に対し、頭に血が上る村瀬と斎藤は聞く耳を持たない。

 

「チッ、ここで話してても埒があかねぇ!村瀬一家と舎弟衆は独自の行動を取らせてもらうぜ。行くぞ斎藤!カチコミだ!」

「はい!」

「おい待て!」

 

平行線の一途を辿る幹部会に痺れを切らした村瀬と斎藤が席を立ち上がった直後。

 

「────そこまでだ、お前ら」

 

ここに来て、一言も発さなかった桐生がついに口を開いた。

そのたった一言で村瀬と斎藤の怒りは瞬く間に鎮火する事になる。

 

「か、会長……!」

「っ……!」

 

沸騰しきっていた村瀬や斎藤が瞬間的に我に返った理由。

それは、桐生が口を開いた瞬間に僅かに彼の身体から漏れ出た"覇気"があまりにも凄まじかったからに他ならない。

 

「村瀬、斎藤」

 

どこか平坦な声で部下の名前を呼んだ桐生は、二人に礼を告げた。

 

「お前らの想いは伝わった。ありがとうな」

「会長……」

「だが、あくまでここは幹部会だ。その事も肝に銘じておけ」

「し、失礼しました……」

 

勇み足で神室町侵攻を企てる二人を黙らせた後、今度は松重と長濱に視線を向ける。

 

「長濱、松重。お前らは組織を立て直すべきだと、そう言っていたな?」

「はい。先程も話した通り未だ蛇華の残党は残っていますし、東城会の側からもいつ仕掛けられるか分からない状況です。ここは敵対組織に隙を見せないためにも護りを固めて、組織を磐石にするべきです」

「それに、今回の田中の一件の事もあります。今迂闊に動けば敵の思う壷になるかもしれません」

「……なるほどな」

 

先日の真島組との乱闘騒ぎによる怪我などで消耗してしまった関東桐生会の構成員たち。

彼ら全員を縄張りの守護に付かせた場合、万全の状態で戦える兵力はその時に参戦していなかった約二百人。

その全員を神室町侵攻に向かわせる事は可能だが、その間の関東桐生会の縄張りの護りは普段よりも脆弱になり、長濱の言う蛇華などの敵対組織や松重の言う"黒幕"に付け入る隙を与える事になる。

ならば構成員たちの怪我の治療やシノギの運営などに注力して組織を立て直す事で来たるべき時に備える、というのが彼らの意見だ。

 

(松重たちの言い分はもっともだ。だが……)

 

しかし、村瀬たちの言うことにも一理あると桐生は考える。

極道の稼業において最も大事なモノはメンツだ。

その組の代紋に人々が畏怖や敬意を抱くからこそ、彼らの在り方は成立する。

彼らの生きる裏社会は一度でも弱い所を見せたら最後、他組織からは目の敵にされ堅気からは頼りにもされなくなってしまう。

仲間を殺されたにも関わらず即座に行動を起こさないようでは、傍から見た時に"関東桐生会は東城会に臆している"とされても不思議では無い。

そうなってしまえば組織そのものの沽券に関わってくる事態となり、ひいては彼らの商売や稼業の停滞。組織の運営などと言った今後にも影響を及ぼす可能性も十分にある事だ。

 

(組織を立て直してメンツも保つ…………両方をやる為にはもう、これしかねぇ)

 

自身の弟分に献杯したあの夜から今日に至るまで、桐生はずっと考え続けていた。

もう二度と、誰も失わない為の方法を。

 

「……お前ら、よく聞け」

 

そして。

関東桐生会初代会長、桐生一馬は。

悩みに悩んで、考えに考えた結論を。

覚悟を決めて皆に告げた。

 

「俺は……今から神室町に行く。そして、この手で全てに決着を付けてくる」

「「「「っ!?」」」」

 

目を見開く幹部衆たちに対し、桐生は懐から一枚の書状を取り出した。

そこには、遺言状と記されている。

 

「松重、お前にこれを託す。俺にもしもの事があったら、ここに書いてある通りにしてくれ」

 

そう言って書状を差し出す桐生の目を見た松重は確信した。

桐生は今、関東桐生会の為にその命を投げ出そうとしているのだと。

 

「何言ってるんですか会長!馬鹿な事言わないで下さい!」

「そうですよ!会長がいなくなったら、俺たちはどうすりゃ良いってんですか!?」

 

突拍子な発言に驚きながらも、松重と長濱は桐生を説得しようとする。

 

「その為の遺言状だ。関東桐生会が存続する為にはもう、それしかねぇ」

「会長!だったら俺達も連れて行ってください!」

「そうです!田中の兄貴の仇、俺達だって討ちたいんです!」

 

それに対し村瀬と斎藤は、桐生だけが神室町に向かう事に不服を申し立てた。

彼らからしてみれば、自分たちのやりたかった事を取り上げられた挙句に会長に横取りされようとしてるに等しいからだ。

 

「お前らの想いは預かった。シンジの仇は……俺が取ってやる」

 

構成員たちには組織の立て直しと敵対組織への警戒を優先させ、シンジを殺られた事の"返し"を自らが行う事でメンツも保つ。その結果、自らが犠牲になる事も厭わない。

それが、桐生の出した結論だった。

 

「考え直してください会長!今回ばかりはいつものように無理を通す訳には行きません!」

「そうです!どうか冷静な判断を!」

「納得出来ません会長!俺たちにだって田中の兄貴の仇を討つ資格はあるはずです!」

「会長が行くなって言っても、俺は行かせてもらいますよ!」

 

静観か、侵攻か。

いずれにせよ幹部陣からは不満の声が噴出する。

だが。

 

「────うるせぇ!!」

 

桐生が発した怒声と殺気により、その場の全員が硬直する事を余儀なくされた。

額からは脂汗が滲み、歯はカチカチと音を鳴らし始める。

 

「……これは会長としての命令だ。逆らう事は許さねぇ」

 

そう言った桐生が立ち上がって会長室を出ようとする中、幹部陣はそれを見送る事しか出来ない。

 

(((殺される……!!)))

 

逆らえば命は無い。

自らの生物的本能にそう訴えかけられた今の彼らは、指一本動かす事すら出来ないのだ。

 

「──いや、そうはさせませんよ」

 

そう、たった一人を除いて。

 

「松重……」

 

関東桐生会若頭代行。松重。

彼は組織を預かる者として、これ以上の身勝手を許す訳には行かない。

その意志を示すかのように、松重は会議室の出入り口を塞ぐように立ち塞がった。

 

「分かっています。一度そうなった貴方は決して考えを変える事はしない。ならば……」

 

松重はファイティングポーズを取ると、真っ向から桐生を見据える。

 

「──力づくで貴方を止めるまでです」

「………………」

 

直後。

 

(((────!!?)))

 

桐生以外の全員が、その場の空気が更に数段重くなったのを肌で感じ取った。

桐生が殺気で留めていたモノ──"覇気"を解き放って松重にぶつけたのだ。

並の極道であれば気絶する事すらも有り得るほどの重圧と緊迫の中、桐生は厳かに口を開く。

 

「最後の警告だ松重。今すぐそこを退け。これ以上は……俺も自分を抑えられる自信がねぇんだ」

「……ッ!!」

 

真っ向から全ての覇気を一身に受ける松重の身体が警鐘を発するのと同時に、数年前の記憶を呼び起こす。

それは、彼が桐生組時代に受けた仕置きの出来事。

あの時の松重は桐生一馬という"龍の化身"に畏れを抱き、屈する事しか出来なかった。

 

「それでも……」

 

しかし、今の松重はそうじゃない。

関東桐生会の若頭代行としての立場や矜恃が、今の彼に膝を屈する事を許さなかった。

 

「それでも俺は、引く訳には行かねぇんだよ!!」

 

覚悟の声を上げ、松重は右の拳を振り上げた。

 

「────ッ!!」

 

桐生はその拳を避ける事も防ぐ事もせず、ただ顔面で受けた。

渾身の右ストレートが直撃し、肉と骨を打つ鈍い音が響き渡る。

しかし。

 

「……いい拳してるじゃねぇか、松重」

 

それを持ってしても、桐生にダメージを与える事は叶わなかった。

 

「なっ!?」

「フッ!!」

 

驚愕した松重の隙を突くように、桐生の拳が唸った。

 

「グホォッ!!?」

 

鳩尾へと叩き込まれたその一撃による衝撃は、かつての時と同じように松重の腹部を貫いて背中から抜き出ていった。

足腰が力を失い、その場で崩れ落ちていく。

だが。

 

「う……ぉ…………!」

 

松重は突き出された桐生の右手を両腕で抑えると、桐生を真っ直ぐに見据えた。

その目は、未だ力を失っていない。

 

「お願いです……早まらないで、ください…………桐生の、親父……!!」

 

心底惚れ込み、命を懸けて担ぐと決めた"親"をみすみす死なせたくない。

 

「その拳を持つお前になら……何の心配もなく組を預けられる」

 

そんな"子"の想いを受けてもなお、桐生の結論は揺るがなかった。

 

「お前が若頭代行で……本当に良かった」

「親、父ィ……!!」

「────ウォラァッ!!」

 

無防備な松重の顔面に桐生は左のストレートを叩き込む。

殴り飛ばされた松重の身体によって会議室のドアを打ち破るように開け、廊下の壁に叩き付けられる事でようやく止まった。

 

「ぉ……や、…………じ…………──────」

 

うわ言のように呟いた後に意識を手放した松重の元へと歩み寄って膝を折り、力の抜けたその手に遺言状を握らせる。

 

「後の事は頼んだぜ…………すまない、松重」

 

眉根を寄せてそう口にする桐生だったが、直後に立ち上がると足早にその場を立ち去った。

 

(シンジを殺した奴。それに関係してるであろう東城会。そして、その裏で糸を引いている黒幕とやら……!)

 

身を焦がす怒りと。

心を蝕む悲しみと。

留まることの無い憎しみを抱え。

ついに。

 

(首を洗って待っていろ。全部まとめて、俺が叩き潰してやる……!!)

 

 

────────"龍"が動き出した。

 




次回もお楽しみに!


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狂犬、急襲

あけましておめでとうございます
本年も、錦が如くをよろしくお願いします!




ヒッヒッヒ……新年一発目、ド派手に行くでぇ?
イイ音聞かせろやぁ!


2005年12月13日。

高級ソープランド"桃源郷"を訪れた錦山と遥は、シンジが風間新太郎を託したと言う女が居る部屋へと足を踏み入れていた。

最上階の最も奥に位置する大きい部屋。巨大なベットはもちろん、洒落た家具やどこか豪奢な内装のそこに、白いキャミソールを着た女が三指を着いて二人を出迎えた。

 

「──いらっしゃいませ、アケミです」

 

彼女の名はアケミ。

桃源郷の中で人気ナンバーワンを誇るソープ嬢であり、錦山達が探していた人物だった。

 

「俺は……錦山だ。シンジから何か、聞いてねぇか?」

「!」

 

錦山が名乗った途端、アケミが反応を示す。

 

「錦山……貴方が?」

「あぁ……」

 

彼女が示した反応は僅かな驚き。

そして、何かを察したように俯くと唇を噛んだ。

 

「それじゃ……シンちゃんは、もう……」

「…………」

 

錦山はバツが悪そうに目を逸らす。

それが、アケミにとって何よりの答えだった。

 

「そう……彼、最後に会った時言ってたの。もし自分に何かあったら、錦山って人が尋ねてくるかもしれないって……いつもふざけてたあの人が急に真剣な顔してね」

「…………」

「そっか……シンちゃん 死んじゃったんだ……」

 

静かに背を向けて肩を震わせるアケミ。

そんな彼女にかける言葉を、今の錦山は持ち合わせて居なかった。

 

「おかしいと思った……だってあの人、今のゴタゴタが片付いたら結婚しようとか言い出してさ……」

(シンジ……)

 

愛する女を遺したまま、仁義に殉じたシンジ。

言葉にすれば格好が良く見える事もあるが、遺された側はたまったものではない。

決して消えない傷を一生抱え込まなくてはならないのだから。

 

「すまねぇ、アケミさん……」

 

もしもあの時、自分が間に合ってさえいれば。

自責の念を抱く錦山に対し、アケミは涙を拭いて答えた。

 

「いいの……私の方こそ、ごめんなさい」

 

煙草に火をつけて有害な煙をゆっくりと吐くアケミ。

再び錦山の方へと振り向いた時には、もう涙の跡は無かった。

 

「風間さんね……確かにここに居たんだけど、シンちゃんの知り合いが来て、連れてっちゃったの」

「知り合い?」

 

風間の息のかかった人間に違いないであろうその人物。

それは錦山にとってあまりにも意外過ぎる人物だった。

 

「"近江連合"の……"寺田"さん」

「なに!?」

 

近江連合。

それは東城会と対を成す関西最大の極道組織であり その歴史は東城会よりも古く、その規模は関東最大級の東城会を大きく上回っており、日本で最も有名かつ強大な代紋と言えるだろう。

そして、そんな近江連合は古くから東城会とは犬猿の仲にある。

 

「なんで近江の人間と親っさんが?そいつ、本当に親っさんの知り合いなんだよな?」

「えぇ。シンちゃんは信頼してた、だから私も」

 

風間は東城会の中でも別格とされるほどの極道である。そんな彼が近江連合の人間とのパイプを持っている事自体は不自然な事では無い。

しかし、今は東城会全体が揺れ動いている非常事態だ。

そんな中で神室町に近江連合の人間が現れたとなれば、この100億の事件に乗じて何かを仕掛けてくる可能性は十分にある。

ましてや錦山は出所してからすぐに、近江連合の"林"と名乗る男から襲撃を受けている。

いくら風間の知り合いを名乗るからと言っておいそれと信じる訳には行かない。

 

「場所は?」

「芝浦よ。埠頭に停めた船に連れて行くって言ってたわ」

 

東京湾の港町で、多数のコンテナが犇めく芝浦埠頭。

ついに錦山は、そこに風間がいるという情報を掴んだ。

 

(その近江のヤツってのがどうにもキナ臭ぇ。急いだ方が良さそうだな)

「それと、もう一つ」

 

アケミは更にシンジから伝え聞いていた情報を錦山に共有した。

 

「シンちゃん、こう言ってたの。"東城会のヤクザ達は100億の他に世良会長の遺言状を狙っている。そこに次の四代目が指名されている"って」

「遺言状?そんなもんがあんのか……」

 

錦山は冷静に状況を整理する。

もしもその話が本当なら、この事件をキッカケに東城会の跡目を狙う組にとっては無視出来る話では無い。

仮に100億を取り戻して手柄を立てたとしても、その遺言状に記された名前の人間が四代目になってしまっては意味が無い。

 

「そして、今それを持っているのは風間さんなの。世良会長が、亡くなる前にあの人に託したんですって」

「三代目が、親っさんに……」

 

今の風間は危険な状況だ。

東城会の若頭と言う最も跡目に近い立場にいる上に三代目から遺言状まで託されているとなれば、そんな彼を殺して遺言状を握り潰さない限り跡目を獲ることは出来ない。

三代目の葬儀の際にも襲撃を受けて怪我をしている今、命を狙われるのはもはや必然と言えた。

 

(ウカウカしてられねぇな。早く親っさんと合流しねぇと)

 

危機感を覚えた錦山は直ぐに行動を起こす事を決めた。

 

「遥、今から──」

 

まさに、その直後。

 

「きゃっ!?」

「ひっ!?」

「ぬぉっ!?」

 

凄まじい衝撃と共に轟音とでも呼ぶべき程の音が三人を──いや、桃源郷を襲った。

 

(なんだ!?地震か!?)

 

一瞬 地震を疑った錦山だったが継続した揺れは無く、一度の衝撃だった。

そして、数秒の間隔を開けてそれがもう一度。

 

「ぐっ!?」

 

断続的なそれは決して地震ではない。

何かが爆発したかのような破壊音が二度続いた後、築年数の古い桃源郷の内装に罅が入り始める。

 

「なんだ、何が起きてんだ!?」

 

錦山達が状況が整理出来ずに混乱していると、下の階から男達の怒号が聞こえてきた。

かなり大勢が居ると思われるそれが、段々と近くなっていく。

 

(まさか、襲撃?さっきの音も連中の仕業か!?)

 

状況は一刻を争う事態へと発展していた。

このままでは敵襲に遭うだけなく、桃源郷の崩落に巻き込まれかねない。

 

「遥、アケミさん!急いでここを出るぞ!」

「はい!」

「うん!」

 

錦山がドアを開けて部屋を出ると、そこには襲撃者と思われる三人の男達が得物を携えて待ち構えていた。

風貌や格好から、錦山は目の前の男達がヤクザ者であるとすぐに見抜く。

 

「おったぞ、錦山や!」

「とうとう見つけたでボケェ!」

「覚悟せぇやこんガキぁ!」

(関西弁……嶋野組か!)

 

風間組と双極を成す嶋野組は、東城会の跡目をどこの組織よりも狙っている武闘派である。

話が通じる相手では無いと判断した錦山はすかさずファイティングポーズを取って戦闘態勢へ移行した。

 

「ブチ殺したるわ!!」

 

一人目が振り上げた鉄パイプが振り下ろされるよりも早く錦山は間合いを詰めと、がら空きの腹部にレバーブローをねじ込んだ。

 

「うごっ!?」

「シッ!」

 

悶絶する一人目を捨て置き、すかさず隣に居た二人目にハイキックを振り抜いた。

 

「あがっ!?」

 

下顎を蹴り抜かれた二人目が吹き飛ばされてそのまま気絶した頃になって、三人目がようやくドスを構えて錦山に襲いかかる。しかしそれは決して、三人目のヤクザが手間取ったからでも臆したからでもない。

"やる"と決めてからの錦山の行動があまりにも早すぎたのだ。

 

「死に晒せぇ!」

「ハッ!」

 

錦山は突き出されたドスを真横から裏拳で叩き落とすと、三人目の腹部に膝蹴りを突き入れた。

 

「うぐほっ!?」

「オラァッ!!」

 

動きが止まった直後、全力の右ストレートを放つ錦山。

その一撃を顔面に受けた三人目のヤクザの顔面は陥没し、桃源郷の壁に叩き付けられるとそのままもたれ掛かるように倒れ込んだ。

 

「遥、アケミさんから離れずについて来い!」

「うん、分かった!」

 

錦山は構えを取ったまま先行し、桃源郷の階段を目指す。

 

「おい、こっちや!」

「死ねや錦山ぁ!」

 

そんな彼の前にヤクザ達の増援が現れた。

木刀や鉄パイプ、果ては日本刀や拳銃といった得物を持った男達を相手に、錦山は全く臆せず立ち向かっていく。

 

「オラッ、セイヤッ!!」

 

木刀持ちは拳で武器諸共打ち砕き、鉄パイプは奪って逆に頭を殴り付ける。

 

「ハッ、フッ!」

 

拳銃と日本刀を持った相手には、それぞれ古牧流の護身術である"火縄封じ"と"無刀転生"を用いて無力化していく。

ここに至るまで数え切れない程の修羅場を潜り抜けてきた錦山にとって、この程度の武装はもはや脅威にすらならない。

そんな荒事の中で、思考を巡らせる余裕すらをも今の彼は持っていた。

 

(それにしても、これは……)

 

向かってくるヤクザ達を相手取りながら、錦山は頭の片隅で今に状況を推察していた。

 

(カチコミをかけてきた嶋野組の連中……何よりさっきの衝撃……)

 

建物全体が大きく揺れ、亀裂が入ってしまう程の衝撃。

あれほどの衝撃を出す為に取れる手段は限られてくる。

手榴弾による爆発か、それともトラックで突っ込んだか。

 

(まさか……!)

 

そこまで考えた時、錦山は悪寒が全身に走るのを感じた。

彼には、それ程の無茶な真似をする人物に心当たりがあったからだ。

そして。

 

「オラァ!!」

「ぐへぇぁっ!?」

 

最後のヤクザを殴り飛ばし、一階へと通ずる階段を降りたその先で錦山を待っていたのは。

 

 

 

 

「よぉ、錦山。探したでぇ?」

 

 

 

血に飢えた"嶋野の狂犬"だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「真島……!」

 

桃源郷へと襲撃をかけてきたヤクザたち。

その指揮を執っていたのは、先日桐生が相手取っていた筈の真島吾朗だった。

 

(やっぱりコイツだったか……!)

 

突如として桃源郷を襲った二回の衝撃。

そして俺を狙って襲って来たのが嶋野組の連中である事から、薄々と予感はしていた。

無論、悪い予感でしか無かったのだが。

 

「アンタ……やっぱりまだ生きてたんだな」

 

横浜の倉庫街で桐生と闘った真島。

当然、桐生が負けるのは万に一つも有り得ない。

だが、その時に負けたであろう真島は人間離れしたタフネスの持ち主だ。

この短期間で傷を回復させたとしても不思議では無い。それにいくら今の桐生であっても無闇に命を奪うような事はしないだろう。

となれば、真島が今この場にいる事自体は決して不思議な事では無い。

 

「助けて、お願い助けて!」

「おぉ、よしよし……静かにせんかい」

「レイコちゃん!」

 

逃げ遅れたソープ嬢を捕まえてドスを突き付けて脅す真島。

俺の後ろにいるアケミが、人質にされたソープ嬢の名前を叫ぶ。

 

「アァン?お前ベッピンさんやんけ。どや、俺の女にならんか?」

「っ……!」

 

恐怖で顔が引きつっているレイコ。

一歩間違えばその柔肌に傷が付くことになるだろう。

 

「────」

 

静かに臨戦態勢を整え、いつでも踏み出せるようにする。

万が一の事があってからでは遅いからだ。

しかし、この時点で俺はその心配が杞憂であるとほぼ確信していた。

 

「どやねん?えぇ?」

「…………」

 

何故なら。

 

「い、嫌です……私、他に好きな人が……ごめんなさい」

「なっ……」

 

俺の知っている真島吾朗という男は。

 

 

 

 

「……そぉか、正直な子や」

 

 

 

 

正直者の──ましてやカタギの女に手を掛けるような外道では無いからだ。

 

「えっ……?」

 

突如として解放されたレイコは、状況が飲み込めず硬直してしまっている。

そんな彼女に、真島は朗らかに声を掛けた。

 

「えぇ、それでえぇ!ほれ、ここ危ないで。はよ行き」

「っ……!」

 

人質に取られた挙句、告白を無碍にしたら解放されると言う奇怪な現象に襲われたレイコは、言われるがままにその場から立ち去っていった。

 

「フッ……安心したぜ真島。やっぱりアンタは、俺が思ってた通りの男だ」

「ハッ、俺は正直者が好きなだけや。人の顔色伺ったりせんと……俺がそうやからな」

 

そう言って真島は懐から黒塗りのドスを取り出す。それだけで、真島の意思は明確にこちらに伝わった。

 

「そうかよ」

 

ゆっくりと階段を降り、間合いを測るように桃源郷の広間を歩く。

次の瞬間には、命のやり取りが始まっても可笑しくない程の緊張感の中、真島は再び口を開いた。

 

「こないだはあと少しって所で引き分けになってしもた。あん時の喧嘩、俺はまだ終わったとは思うてへんで」

「奇遇だな。俺もそろそろアンタとはリベンジマッチをしようと思ってたんだよ」

 

油断なく真島を見据えながら、俺は己の野望を口にした。

 

「俺は、桐生を越える男になる。その為にはまず、アンタを越えなきゃならねぇんでな」

「桐生チャンを、越えるやと……?」

 

そして、突拍子も無く俺の野望を耳にした真島吾朗は。

 

「ヒッヒッ……ヒッヒッヒ……ヒャーッハッハッハッハ!!」

 

狂ったように笑って見せた。

考えるまでもない、明らかな嘲笑である。

 

「桐生チャンの影に隠れてただけのチンピラが随分大きく出たのぅ?身の程知らずもここまで来ると才能やな」

 

盛大に侮辱してくる真島だが、このリアクションは想定内だ。東城会の内外で伝説とまで呼ばれた極道の称号。"堂島の龍"。

それを一介のチンピラが越えていく等とほざいているのだ。

俺が逆の立場でもきっと笑ってるはずだ。無理に決まっている、と。

 

「身の程知らずか……あぁ、確かに今はそうだ。だがな……ここでアンタをぶっ倒せば、あながち夢物語でも無くなってくる」

「ほう……ほんなら、ワシはさしずめその為の試練。登竜門っちゅう事かい」

「そう言うことだ」

 

そこで俺は軽く重心を落とし、あえて脱力した状態でファイティングポーズを取った。

真島の操る変幻自在なドス捌きを凌ぐためには、柔軟かつ迅速な対応が求められるからだ。

 

「アンタには俺の野望の為の踏み台になって貰うぜ……覚悟はいいか?嶋野のワン公」

 

神経は鋭敏に、それでいて頭脳は冷静に。

思考は柔軟に、それでいて戦意は明確に。

己の体を形作る細胞、その一つ一つ全てを闘いの為に総動員させるイメージを持って、俺は"嶋野の狂犬"と相対する。

そして。

 

「えぇやろ……上等やないか」

 

狂犬が自らの牙であるドスを構えた。

決して広くない部屋に、張り詰めるような緊張感が充満していく。

 

「行くでぇ……錦山ァ!!」

「来い、真島ァ!!」

 

東城会直系嶋野組若頭 真島組組長。真島吾朗。

"堂島の龍"と並ぶ、伝説の極道との再戦が幕を開けた。

 

 

 




今度こそ……ぶち殺したるでぇ!?


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Receive You Proto Type

久しぶりやなお前ら!元気しとったか?錦が如くの最新話やで!

しっかし、作者のアホが……戦闘開始から4ヶ月も待たせよってからに、こっちは体が疼いてしゃぁなかったで!

オマケに投稿日が5月13日やと?ドアホ!そこは日付変更時にワシの誕生日に合わせんかい!

何せ今日で……錦が如くは最終回やからなぁ
明日からこの作品のタイトルは……真島が如くや!

ほな本編行こか!行くでぇ錦山ぁぁ!!





2005年12月13日。

突如として始まった真島吾朗とのリターンマッチは、狂犬の先制攻撃で幕を開けた。

 

「キェェイ!!」

 

奇声を発しながらドスで斬り掛かる真島に対し、錦山は距離を取って対処する。

 

「ヌゥン、ディ、ウゥリャァ!!」

「よっ、と!」

 

錦山が強敵と闘う時の常套手段。先に仕掛けずに相手の動きを見る。

真島との闘いはこれで三回目となる錦山だが、狂犬の奇怪で奇抜な戦闘スタイルに慣れるのは難しかった。

 

「チッ、ちょこまか逃げんなや!」

 

逃げてばかりで攻撃して来ない錦山に痺れを切らした真島がそう吠えながら更なる波状攻撃を仕掛けるが、錦山は依然として仕掛けることはしない。

奇怪で予測の出来ない動きをする真島に隙を見出せないのもそうだが、錦山にはもう一つ狙いがあった。

 

(いくらあの真島つっても、ずっとこんな動きが出来る訳じゃねぇ。それに、桐生とやり合ってからまだそんなに経っちゃいねぇ。肉体的な限界はある筈だ)

 

それは、スタミナ切れ。

ドスを持った真島を相手にまともに正面からやり合って競り勝つのは非常に難しいと判断した錦山は、真島に攻撃を仕掛けさせ続ける事で体力を消耗させようと画策したのだ。

しかし、そんな事をいつまでも許す程真島は甘くない。

 

「追い詰めたで、このボケが!」

「っ!」

 

錦山は思わず息を呑む。

いつの間にか自分が壁際に追い込まれていた事に気付いたからだ。

 

(しまった!?)

 

真島は素早い足捌きで小刻みに立ち位置を変えながら襲いかかる事で、錦山を逃げ場のない場所へと誘導していたのだ。

 

「くたばれやぁ!」

 

真島は左手で錦山の胸ぐらを掴むと、そのまま彼の身体を壁に思い切り叩き付けた。

 

「ぶっ!?」

 

襲撃の際の衝撃でヒビの入った壁に顔から打ち付けられる錦山。目の前で火花が散り、鼻から鮮血が吹き出す。

 

「イィリャ!!」

 

真島は錦山の頭を背後から掴んだまま、勢いよくドスを持った右手を振り上げた。

狙いは錦山の右手の甲。鋭利なドスの刃が、ここまで錦山の武器となっていた右手を串刺しにせんと迫る。

 

「ッ!!」

 

己の右手の甲をドスの刃が貫く。

迫り来る殺気を感じ取りそんな未来を幻視した錦山はすぐに身体を反転させた。

狂犬の刃は錦山の右手ではなく桃源郷のひび割れた壁に深く食い込む。

 

「ドラッ!」

 

錦山は反転させた勢いのままに、真島の後頭部を掴むとそのまま壁に押し付けた。

 

「ぐぁっ!?」

「セィヤッ!!」

 

壁に刺さったドスの柄頭の部分にこめかみを強打する真島。平衡感覚を失いかけたたらを踏む真島に対し、錦山はすかさず追い討ちのハイキックを叩き込む。

 

「ヒッヒッ……痛いやないか錦山ァ……!!」

「チッ……!」

 

仰け反る真島だが、不気味な笑みを浮かべると直ぐに体勢を立て直す。

その相変わらずのタフネスぶりに錦山はたまらず舌打ちをした。

 

(駄目だ……屋外ならともかく壁に囲まれたここじゃアイツのスタミナ切れまで逃げ切れねぇ……!)

 

もう一度壁際に追い込まれてしまえば、先程のように切り抜けることは難しいだろう。

真島のスタミナ切れを狙うのは絶望的だ。

 

(やるしか……ねぇ!!)

 

不退転の覚悟を決めた錦山は呼吸による脱力と共に、精神と神経を練り上げる。

そして。

 

「デェイリャァ!!」

「──────!」

 

錦山は己の精神を無我の境地へと押し上げた。

全ての感覚が研ぎ澄まされ、真島の動きを手に取るように知覚する事が可能となった彼は、雄叫びと共に襲い来る狂犬の牙を難なくやり過ごす。

 

「まだまだ行くでぇ!!」

「────シッ、フッ」

 

顔面への一刺しから始まる鬼炎の如き波状攻撃を冷静かつ的確に捌いていく。

奇怪で予測の困難な軌道と人間離れした速度で振り抜かれる刃を躱す為には目視してからでは到底間に合わない。

故に、錦山は真島の動きではなく真島の放つ殺気から斬撃の来る位置を先読みして行動に移していた。

 

(────見える。ヤツの動きが分かる)

 

結果、避ける事が困難なはずの狂犬の牙は錦山にとって十分に対処可能な攻撃へと変わる。

 

「シェイヤ!」

 

右。顔面を狙った横凪ぎの一振り。

上半身のみを僅かに仰け反らせて回避する。

左。返す刃で再びの横凪ぎ。

一歩後退して冷静に躱す。

 

「ゃりゃァ!」

「───シッ!」

 

右。顔面狙いの真っ直ぐな一刺し。

頭一つ僅かにずらして回避しつつ、真島の右足にローキックを放つ。

 

「ぐぉっ」

「───フッ!」

 

僅かに動きが鈍った直後に右のストレート。

しかしこれを真島は容易く回避する。

 

「──!」

 

直後、真島の動きが更に奇怪なものへとなった。

右手でドスを振り抜いた勢いのまま身体を回転させ、振り返りざまにドスを左手に持ち替えて振るったのだ。

 

「──ッ!」

 

間一髪避ける事に成功した錦山だったが、ここで相手を安心させる真島では無い。

再びドスを振り抜いた勢いで身体を回転させる事で錦山に背を向ける真島。

好機と見て攻撃を仕掛ける事も出来る錦山だったが、無我の境地に至った錦山の神経が次の攻撃に備えよと警鐘を鳴らす。

 

(───上、ッ?)

 

直後。真島は地面を蹴って跳躍し、その身体を縦に回転させながら垂直に蹴りを放つ。

サマーソルトキック。本来なら格闘ゲームでしか飛び出ないような有り得ざる蹴り技だが、真島吾朗にそのような常識は通用しない。

 

「──チッ!」

 

無我の境地による殺気の予測でどうにか回避する錦山。

奇怪で予測出来ない攻撃とはこういう事だ。

たとえ事前に攻撃する箇所が分かっていても、そこに至るまでの動きや過程が予想だにしないものになる以上、相手の体勢や状況などの視覚的情報は殆ど宛にならない。

相手の動きを観察して見極めようとする錦山との相性は最悪だった。

 

「ゼイヤッ!」

「──!?」

 

いつの間にか壁際に追い込まれていた錦山が、真島の追撃を躱しながら体勢を入れ替える。

対する真島はそのまま壁へと向かっていき、そのまま跳躍すると壁を足蹴にして空中で回転する。

 

「ウリャウリャウリャウリャ───!」

 

さながらテコンドーのような空中での回転を加えた一撃。

喰らえばタダでは済まないその攻撃の中に、錦山はようやく見出した。

 

(────今だ)

 

如何にあの真島吾朗と言えど回転をしている最中であればこちらへの注意が散漫になる。

そこに、彼がつけ入る隙があるのだ。

 

「……あら?」

 

気付けば真島はそんな素っ頓狂な声を上げていた。

空中後ろ回し蹴りをするはずだった真島は、後ろ向きになった瞬間を狙った錦山に捕らえられ、抱えられるような体勢で持ち上げられていたのだ。

 

「────オォラァ!!」

 

錦山はそのまま鐘を鳴らすかの如く頭から真島を壁に向かって叩き付ける。

 

「うぐぉぉ!?」

 

壁を跳ね返った真島が地面に叩きつけられた。

流石の真島と言えど足元が覚束なくなる程の衝撃だったのか、中々立ち上がれずにいる。

 

「──シャァッ!!」

 

直ぐに追い討ちをかける錦山は、ガラ空きとなった真島の腹部をサッカーボールキックで蹴り飛ばす。

トドメとはいかずとも、確実にダメージを与える機会を逃す訳にはいかない。

 

「ぐほっ、ぐぅ…………ぬゥ」

「────ハァ……ハァ……フゥー…………ッ」

 

蹴り飛ばされながらも空中で体勢を整えすかさず立ち上がる真島。そんな真島を息を整えながら油断なく睨み付ける錦山。

再び戦況が動き出す。その刹那。

 

「「っ!!?」」

 

大きな地響きと共に桃源郷が大きく揺れた。

真島が襲撃の際に行ったトラック二台による衝突によって、築年数の古かった桃源郷は崩壊の危機に陥っていたのだ。

 

「ヒッヒッヒ……ヒャーッハッハッハッハ!!」

「────!?」

 

狂気に満ちた笑い声を上げながら真島が迫る。

ドスを振り翳す事無く距離を詰めた真島はそのまま錦山を押し倒し、左の拳を振り上げた。

 

「遠慮せんと死ねやァ!!」

「────ッ!!」

 

横に首を倒すように捻って真島の左ストレートを回避する。

しかし、その一撃は老朽化とトラックの衝撃でヒビの入った桃源郷の床に致命的な亀裂を走らせた。

結果。

 

(────床が……!)

 

耐久値の限界を迎えた桃源郷の床が崩れ、二人の身体が地下空間へと放り込まれていく。

 

「────チッ」

 

すかさず受身を取って着地する錦山だったが、彼は直ぐに己の不利を悟った。

 

(──これは……)

 

錦山が落ちたのは桃源郷の地下空間。

本来、日の目を見る事は無かったであろうその場所は真島が壊し開けた大穴から光が差し込んでいる。

それは即ち、この空間はその場所以外の全てが暗闇に支配されているという事に他ならない。

 

(──殺気が消えてる……?)

 

加えて、先程まで鋭利なまでに感じていた真島の殺気が無くなっている。その事実に錦山は言い様のない悪寒を感じる。

 

(まさか────!)

 

その状況から錦山が真島の狙いを察した時には、全てが遅かった。

 

「────獲ったで」

「──!」

 

錦山の背後から姿を現した真島がその首に腕を回して締め上げたのだ。

バックチョークスリーパーと呼ばれる関節技の一種で、相手の頸動脈を抑える事で昏倒、失神させる事を目的とした危険な技である。

 

(──まずい……!)

 

錦山はすかさず真島の腕を掴んで引き剥がそうと力を篭めるが、真島は後ろに体重をかけつつ確実に固定した腕でその締めつけを更に強力なものにしており、解除するのは困難だった。

 

「往生せぇ、錦山……!」

「が、っ……ぁ…………」

 

超集中状態が途切れ、意識が遠のいていく錦山。

 

(やべぇ……お、ちる…………──────)

 

その身体から抵抗する力が失せ始めた、その時だった。

 

「ぐおっ!?」

 

真島の後頭部に重い金属音が鳴り響く。

突如として襲いかかった衝撃と激痛に意識の混濁した真島は、思わず錦山の拘束を解いた。

 

「オラッ!」

 

自由となった錦山はすかさず振り返ると真島の胴を蹴り飛ばす。

 

「ぐぉっ、ぐぅ……!」

 

後方に退く真島と、距離を取って体勢を立て直す錦山。

そんな二人の間に転がったのは、赤い色をした鉄の塊。

一つの消火器だった。

 

「おじさん!」

 

その声が聞こえたのは二人の頭上。彼らの居る地下空間の唯一の光源となっている大穴の上からだった。

そこから顔を覗かせるのは遥とアケミ。

声の主は無論、遥の方だ。

 

(そういう……事かいな……)

 

真島は彼女達が上から自分の頭に消火器を投げ落としたという事を、朦朧する意識と頭部から流れる流血によって理解した。

 

「へへっ……えぇスロウや……」

「オォラァッ!!」

 

真島が遥たちの方を向いた一瞬の隙を突いた錦山が動いた。

助走をつけた全力の右フックを振り抜く。

 

「!?」

 

直後、錦山の顔は驚愕に染まった。

 

「えぇパンチするようになったやないか……錦山」

 

渾身の力を込めたはずのその一撃を、真島は片手で受け取って見せたのだ。

 

「なっ!?」

「せやけど……それじゃぁ桐生チャンには届かへんなァ!」

 

錦山の拳は受け止められたまま真島の指に捕まって固定され、まるで万力に締め付けられるかのような重圧が錦山の右拳にのしかかり、その顔が苦痛に歪む。

 

「うぅリャァ!!」

「ぶがっ!?」

 

直後、鈍器で殴られたかのような衝撃が錦山の顔面を襲った。

真島の放った右ストレートが錦山の顔を打ち抜いたのだ。

 

「が……、ぐ、っ……!」

「シャラァ!!」

 

堪らず仰け反った錦山に対し、真島は追い討ちの後ろ回し蹴りを放った。

遠心力を武器に繰り出されたその蹴りは見事に錦山の胴を蹴り抜き、その身体がくの字へ折れ曲がり後方へと吹き飛ばされる。

 

「ぐっ、ぅぉぉ……っ」

 

地面に倒れ込んで悶え苦しむ錦山。桐生と並ぶ伝説の極道の攻撃をまともに受け、ダメージを逃がせないでいる。

 

「あら……?こらアカンわ……っ……!」

 

しかし、戦況的に有利であるはずの真島がここに来て膝を突いた。

つい先程彼は後頭部に消火器をぶつけられたばかりであり、その状態で身体を回転させる後ろ回し蹴りを放った結果平衡感覚を失ってしまったのだ。

 

「はぁ……はぁ…………」

 

未だ自身を苛む自らのダメージを無視して、錦山は奮起し立ち上がる。

肉体が悲鳴を上げても、彼の闘志は全く折れていなかった。

 

「ひ、ひっひっ……!」

 

対する真島もまた覚束無い足で無理やり立ち上がると、薄く笑いながらゆっくりと近づいていく。

錦山はそれに応えるように拳を握り、一歩、また一歩と距離を詰める。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!!」

 

交錯する視線。ぶつかり合う殺気。

張り詰めていく空気。

そして、今。

最後の攻防が幕を開ける。

 

「シャァ!」

「オラァ!」

 

真島と錦山。互いの拳がそれぞれ相手の顔と腹を直撃した。

 

「ぶごっ!?」

「ぐふっ、ぅ……ッ!」

 

ボディブローによるダメージで地獄の腹痛に苛まれる錦山の膝が笑う。

 

「ハッ───!!」

 

しかし、右ストレートを顔面に受けた真島がたたらを踏む姿に勝機を見出した錦山は己を苛む痛みを脇に追いやり、一気に畳み掛けると決議した。

 

「でぇりゃァ!!」

 

こめかみに右フックを振り抜く。

怯んだところに左フックを叩き込む。

再び右。続けて左。

右。左。右。左。

 

「うぉぉおおおおあああああッッ!!」

 

殴る。殴る。殴る。

勢いを止めぬまま一心不乱に拳を振るい続ける錦山。

腰の回転や重心も拳に乗せて、左右のフックでラッシュをかけた。

 

「こん、のボケがァ!!」

 

しかし、やられてばかりの真島ではない。

反撃として放った右ストレートがクロスカウンターの要領で錦山の顔を直撃する。

 

「ぐぼっ!?」

「今度はこっちの番や!!」

 

宣言通り、真島の追撃が錦山を襲う。

先のストレートで怯む錦山を左のフックで追撃し、裏拳のジャブ、エルボー、回し蹴りと技を連携させていく。

 

「シッ、フッ、セッ、テリャ!」

 

フックとストレートでダメージを与え、アッパーで顎をカチ上げた後にハンマーナックルを打ち下ろす。

 

「ぐ、っぁ……!」

「ハァッ!」

 

たたらを踏む錦山に対し真島は地面を蹴って跳び上がると、回転を加えた後ろ蹴りを放った。

ローリングソバットと呼ばれるそのプロレス技の一種は本来であれば隙が大きく当てられる筈もない。

しかし、相手の動きが止まっているのであればその限りでは無い。

 

「ガハッ……!」

 

横凪ぎに蹴り倒される錦山。

決着を予感した真島だったが、その一瞬の油断が仇となった。

 

「オラッ!」

 

仰向けに倒れた体勢のまま真島の右足の脛に両足で前蹴りを放つ。

 

「グオッ!?」

 

弁慶の泣き所とも呼ばれる脛への強襲に大きく体勢が崩れる真島。

錦山はその決定的な隙を逃がさない。

 

「てぇりゃァ!」

 

仰向けの体勢から手を伸ばして真島の手を掴み取ると、そのまま転がるように身体を動かして巻き込んで転倒させる事で優位に立つ。

 

「ハァッ!」

「ぶぉっ!?」

 

手と一緒に絡め取った片足を持ち上げて無防備になった顔面に右ストレートを放ち、それに確かな手応えを感じた錦山はその体勢のままマウントポジションを取って追撃を仕掛けた。

 

「オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラッ、オラァ!!」

 

腕を大きく振りかぶったパウンドの一撃を連続で振り下ろす。

錦山が全体重を乗せたその打撃は真島の顔面を打ち、その衝撃は頭蓋骨にまで響いていた。

 

「こ、の……ボケェ!」

 

真島は自身の上に覆い被さる錦山を靴底で押し出すように蹴り飛ばして無理やり引き剥がすと、すぐさま立ち上がろうとする。しかし。

 

「なっ、! ?」

 

突如、真島の右足から力が抜けた。

真島が自身の右足に視線を向けると、右足の裾から赤い液体が染み出すように流れ出ていた。

 

(なんや、これは……!?)

 

その驚愕と困惑は一瞬だが真島の動きを確実に止めていた。

そして、その一瞬は。

この勝負の明暗を分かつことになる。

 

「ハァッ!」

 

立てずにいる真島に対して、錦山は上から振り下ろすような一撃を叩き込む。

 

「ぶげっ!?」

 

顔面から地面に叩き付けられる真島。

錦山はそんな真島の頭を掴んで無理やり持ち上げると、追撃の左アッパーで身体を無理やり起こすようにカチ上げる。

 

「うげぁっ!?」

 

そして。

 

「シャアアアアアアッ!!」

 

右足で地面を踏み、全力の跳躍を見せた錦山の飛び膝蹴りが真島の顔面を打ち抜いた。

これ以上ないほどの手応えと感触で、錦山は闘いの終わりを悟る。

 

「ぐへぁ……!が、……ぁ…………」

 

渾身の膝蹴りを受けた真島にもう、立てる余力は残っていなかった。

 

「はぁ……はぁ……俺の……勝ちだ…………!!」

 

錦山はここに至るまで、真島の右足を二度に渡って攻撃していた。

一度目はドスを躱しながらのカーフ───右の脹脛をねらった下段のローキック。二度目は仰向けの姿勢から放った右足の脛への前蹴り。

そして右足は、先の闘いで真島が負傷していた場所でもあった。

 

(ドスの刺さっていた右足……やはり、流石に完治はしていなかったな)

 

錦山はそこを重点的に攻めてダメージを与える事で右足を無力化するのを狙っていた。結果としてそれは真島に致命的な隙を作り出し、勝機を齎したのだ。

 

「はぁ……はぁ……なんや……思ったより、ゴツいやないか…………」

 

そう言って錦山を賞賛する真島だが、錦山は内心でそれを否定していた。

 

(右足の怪我を狙ったのもそうだが、真島は桐生とやり合った後で消耗していた。それに……)

 

決定的だったのは遥が援護として投げ落とした消火器である。

それにより真島は激しい頭痛と脳震盪、更には三半規管の低下から明らかにパフォーマンスを落としており、錦山の攻撃が通りやすくなっていたのだ。

 

「これで一勝一敗……一分けだ。次やる時はキッチリ決着付けさせてもらう」

 

勝つ為には手段を選ばない錦山だが、これで完勝出来たと思い上がる程自惚れてはいなかった。

彼は未だ道の途中。一つの峠を越えたに過ぎないのだから。

 

「せいぜいそん時を楽しみにしておくんだな…………"真島の兄さん"」

「!!」

 

桐生と並ぶ生ける伝説。嶋野の狂犬。真島吾朗。

その呼び方は錦山にとって、そんな彼に対する敬意の表れでもあった。

そして。

 

「へへっ…、上等や、ないか……"錦チャン"……─────」

 

その呼び方もまた真島にとって、目の前の男を認めた証だった。

元堂島組若衆。錦山彰。

龍門を目指し天高く昇らんとする、一人の男を。

 

 

 

 

 

 





へっ、へへっ……やってくれるやないか錦山…………

いや、錦チャン……

コイツならホンマに龍門を……桐生チャンを越える事が、できるかもしれへんな…………


せやけど、ワシは諦めてへんで必ず錦チャンをぶっ倒して……真島が如くの連載を始めたるんや…………!


そんなわけで、お前ら……この後の錦が如くにも、注目やで……


ほな、また…………─────


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第十七章 報復
厄災を齎す龍


筆が進んだんで最新話です
今日から新章入ります
どうぞ!


2005年12月13日。

錦山彰が桃源郷に足を踏み入れた頃。

西公園の前の路上に、一台の車が停まった。

運転席のドアを開けて中から降りてきたのは一人の大男。

ダークグレーのダブルスーツを身に纏い、サングラスをかけたその男は後部座席のドアを開けるとそこからあるものを取り出した。

黒い布製のそれの正体は遺体袋。事故現場や葬儀場などで既に亡くなってしなった人間の遺体を収納、運搬する為の袋。

そして今、その中にはその男の"弟"の遺体が入っている。

 

「…………」

 

男は弟の遺体の入った袋を担ぎ上げ、車から離れていく。しかし、そんな彼の向かった場所は葬儀場ではなく西公園の公衆トイレだった。

 

「おいアンタ」

 

男子トイレに足を踏み入れた男を待っていたのは、一人のホームレス。花屋の手下だ。

 

「使用厳禁の張り紙あったろ?ちゃんと見たか?」

「お前らに用はない。そこを退け」

 

男がここに来て初めて口を開く。

渋さのある低い声で道を塞ぐホームレスへと言葉をなげかけた。

 

「用が無いのはこっちも同じだ。」

 

その直後、男の背後に数人のホームレスが現れた。

全員が銃を持っており、銃口を男に向けて突き付けている。

 

「さっさと消えろ。消えないなら……ここで死ぬ事になるぞ」

 

直後。

モニターに男の姿を確認した花屋が、インカムでホームレス達に警告と武装解除を命令するよりも早く。

 

 

 

 

「────やってみろ」

 

 

 

 

男が、殺気を放った。

 

 

「「「「!!?」」」」

 

そのあまりにも圧倒的な威圧感は一瞬にしてホームレス達に絶大な恐怖心を与える。

震える身体。音のなる歯。そして吹き出る冷や汗。

 

「やらねぇなら退け。今すぐにだ」

 

気付けば彼らは瞬く間に戦意を喪失し、銃口を下ろし道を開けていた。

男は堂々と彼らの真ん中を歩いて一番奥の個室から、賽の河原へと足を踏み入れる。

 

「動くな」

 

その直後、男の真横から声が響く。

男が視線を向けた先に居たのは、拳銃を握った一人の刑事。

 

「久しぶりだな…………伊達さん」

 

男は刑事───伊達の名をどこか懐かしむように呼ぶ。

対する伊達は油断なく銃を男に向け、緊張の糸を張り詰めさせながら男に問い質した。

 

「お前、ここに一体何の用だ?」

「欲しいものがあってここに来ただけだ。それから、つけるべきケジメもな」

「なんだと?」

「アンタこそどうしてここに居る?ここは警察が来れるような場所じゃ無いはずだが……」

「お前には関係ない事だ。とにかく妙な真似をするな」

 

男は眉をひそめる。

先のホームレス達と違い、伊達という刑事が殺気や脅しに屈さない人間であることを彼は理解していた。

それは即ち、男が目的を果たす為の手段が実力行使しかなくなってしまう事を意味する。

 

「通してくれ伊達さん。俺はこの場所で手荒な真似をするつもりはねぇ」

「笑わせるな。お前がこの街に来た時点で東城会とお前ら関東桐生会の戦争は避けられねぇ……この場所がどうこうって話じゃねぇ。犯罪に関わる事を見過ごす訳にはいかねぇんだ」

 

堂島組長殺害事件の一件で四課に左遷され、その後も錦山と行動を共にし挙句の果てには留置所からの脱走を手引きしてしまった伊達。彼はこの先、真っ当な警察官としての人生を歩む事は不可能に近い。

それでも、彼は目の前できる犯罪や争いの種を野放しにする事など出来なかったのだ。

 

「……変わらねぇな、アンタは」

「…………」

「だが……どうしても退かねぇってんなら…………力づくで押し通るだけだ」

 

そして、男の体からホームレス達に向けたものよりも強い殺気───否、覇気が放たれる。

 

「っ!!」

 

次の瞬間、自分の命が奪われる。

そんな事を錯覚してしまう程の圧力と威圧感が襲いかかり、本能的危機感を伊達に抱かせた。

 

「お前……!」

「────!」

 

拳が握られる。

引き金が引かれる。

お互いがそれらの行動を起こす。その直前。

 

「そこまでだ」

 

そう言って二人の間に割って入ったのは一人の男。

賽の河原の主である伝説の情報屋、花屋だった。

 

「花屋……」

「お前が来る事は分かっていた。その担いでいる袋の中に誰が居るのかもな」

「…………」

 

花屋は伊達を手で制して銃を下げさせると、男の目的を達成させるために協力的な姿勢を見せた。

 

「着いて来い。お前の欲しがる情報を提供してやろう。お前に暴れられて、これ以上ここを荒らされる訳にもいかねぇからな」

「あぁ……頼む」

 

そうして花屋と伊達は一人の男を賽の河原の最奥へと招き入れた。

銃を向けられても臆さず、暴力に訴え出るまでもなく他者を押し退けることの出来るその男を。

 

 

 

その男の名は───桐生一馬。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は18時。

ダンプカー二台を突っ込ませて襲いかかって来た真島組。そして嶋野の狂犬をどうにか退けた俺は、警察が来ない内にアケミと遥を連れてその場から離れようとしていた。

 

「あ……?」

 

桃源郷を出てすぐ、俺は街の様子がおかしい事に気づいた。

人の数が少ないのだ。

最初はダンプカーが桃源郷に突っ込んだ事が原因で怯えた住民達が逃げ出したのかとも思ったが、どうも違うらしい。

 

「どうしたの?おじさん」

「いや……なんか、街全体がおかしい事になってる気がしてな……」

 

桃源郷から離れ、七福通りへと向かう途中もやはり人通りが少ない。

そしてその数少ない人たちもみな、せかせかと移動をしていた。まるでこの街から逃げようとしているみたいに。

 

(桃源郷の周辺だけじゃねぇ……一体何が起きている?)

 

そんな時、ポケットの中の携帯がバイブレーションを起こした。

着信相手は伊達さんだった。

 

「もしもし、伊達さんか?」

『やっと繋がったか、錦山!今どうしてる?』

 

切羽詰まった様子の伊達さんの声を聞いた俺は、唯ならぬ事が起きている事を察した。

 

「今、アケミさんと遥を連れて桃源郷を出た所だ。真島組からの襲撃があってな」

『なに?大丈夫なのか?』

「あぁ、どうにか切り抜けた。それよりそっちこそどうした?何かあったのか?」

 

次の瞬間飛び込んできた報せに、俺は耳を疑った。

 

『今、神室町に桐生が来ている』

「なに!?」

 

桐生がこの街に来ている。

その事実は、東城会と関東桐生会にとってあまりにも重大な意味を持っていた。

 

『奴は、一人で賽の河原までやってきたんだ』

「どういうこった!?なんでそんな事に!?」

『……桐生の手には田中シンジの遺体が入った死体袋があった。奴が言うには、関東桐生会の本部前に遺棄されていたらしい』

「なんだと……!?」

 

MIAの連中はシンジの遺体を回収した後、関東桐生会の前に棄てていた。

その行動から考えられる理由はただ一つ。

 

(MIAのヤツら、東城会と関東桐生会の抗争を煽ってやがる……!?)

 

だからアイツは来た。

シンジを殺った奴の情報を手に入れてそいつに落とし前を付けさせる為に。

そして、先の真島組との戦いで疲弊した関東桐生会を守る為に。

護衛もつけずにたった一人で。

 

「アイツは今どこに居るんだ!?」

 

俺は直ぐに伊達さんに桐生の居所を聞いた。

一刻も早く止めなくてはならない。

取り返しのつかない事になる前に。

それが、シンジが俺に託した最期の願いなのだから。

 

『桐生は荒瀬の居所を探している。奴がよく出入りしていた嶋野組系の事務所に向かったらしい。場所は劇場前広場近くの雑居ビルだ』

「劇場前だな?分かった!」

『おい、まさか行く気か?』

「あたりめぇだろ!伊達さんは遥とアケミさんを頼む!今からそっちに向かわせる!」

 

電話を切った俺は、すぐに遥たちに向き直る。

 

「遥。今からアケミさんと二人で賽の河原へ行くんだ。」

「おじさん……?」

「アケミさん、遥を連れて賽の河原まで頼む。それと……シンジの遺体が今、そこにある」

「えっ?シンちゃんの……?」

「今は時間が無い。詳しい事は向こうにいる伊達さんに聞いてくれ、頼んだぞ!!」

 

ほぼ一方的にまくし立てるように言った後、俺はタクシー代をいくらかアケミに握らせて直ぐにその場から動き出した

向かう先は無論、劇場前広場。

 

(早まんなよ……桐生!)

 

胸を焦がすような焦りを抱えながら、俺は神室町をひた走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山彰が真島吾朗との闘いを終えた頃。

劇場前の雑居ビルに居を構えるとあるヤクザの組事務所が襲撃に遇い、壊滅状態となっていた。

 

「ぐぁ……─────」

「う────────」

「ひぇ……!」

 

廊下、階段、そして部屋の中。

それら全てに血を流して倒れたヤクザ達が転がっていた。

あるものは苦悶に喘ぎ、あるものは気絶し、あるものは痛みと恐怖から失禁している。

彼らに共通して言える事は、既に抵抗の意思はおろか指一本動かすつもりすらも消え失せているという事だ。

そして。その惨状を引き起こした男がただ一人、無傷でその事務所に佇んでいた。

男はその組の組長の胸倉を掴んで恫喝した。

 

「────吐け。荒瀬は何処だ?」

 

関東桐生会初代会長。桐生一馬。

かつては東城会の極道として名を馳せ、神室町で知らぬ者はいないとされていた伝説の男である。

そんな彼は今、古巣である東城会系の組織の事務所を襲撃していた。

理由はただ一つ。亡き弟の仇を探す為である。

 

「おどれ……こないな事して、タダで済むと───」

 

組長の発した言葉を桐生は即座に封じた。

内臓を揺さぶるほどの威力を持ったボディブローを捩じ込む事で。

 

「ガハッ!!?」

「余計な口ごたえは要らねぇ。聞かれた事だけに答えろ……お前の口が利けなくなる前にな」

 

桐生は今にも爆発しそうな激情を抑え込みながら組長に詰問を続けていた。

彼がその気になれば組長を殺す事など造作もない。

組長は今や、情報を聞き出すために生かされているも同然だった。

 

「ぐふ、っ、ぅ……し、知るか……くたばれやボケ……!」

 

しかし、そんな状況においてもなおそのような啖呵が切れるのは偏に極道としての意地か。はたまた彼の親分である嶋野組長の教育の賜物か。

 

「……────そうか」

 

だが。それを持ってしてもなお。

 

「─────なら、覚悟は出来てるな……!」

 

龍の放つ"覇気"の前では無に等しかった。

 

「──────────! !!!」

 

その瞬間。

頭や心。ましてや根性や精神でもなく。

組長の中に眠る生物としての根源───本能が立ち所に全てを理解した。

"自分は今、ここで死ぬ"と。

 

「───────ぉ」

 

組長の顔は血行不良により青ざめ、脂汗の大量放出により肌は乾燥し、その頭髪は極度のストレスによってその色を失う。

只人の身である以上、龍の前では頭を垂れる事しか出来ない

 

「ぉ……れた、ちは……ほん、ま、に、知らん、です……………」

 

それを実感した組長の口は、その生存本能に従うような形で言葉を紡いでいた。

 

「あら、せ、のあに、きは……きのう、から、れんらくが、取れんの、です……」

「なんだと?」

「ほんと、です。おれ、たち、も、さがして、いる……くら、い、で…………──────」

 

次の瞬間、組長は極度の緊張から泡を吹いて気絶してしまう。桐生の覇気に当てられて限界を迎えたのだ。

 

「チッ……」

 

賽の河原を訪れ、田中シンジを殺した犯人である荒瀬が東城会直系嶋野組の組員であり"嶋野の狂い蜂"の異名で恐れられた殺し屋である事を掴んだ桐生は、荒瀬がよく出入りしていた嶋野組系の事務所へと押し入って情報を得ようとした。

しかし、結果は失敗。

そこに荒瀬の姿は無く、それどころか構成員たちでさえ昨日からその姿を見ていないと言う。

 

(嶋野組の関係者がその行方を知らないとなると……やはりきな臭いのは例のMIAとかいう連中か)

 

桐生は賽の河原で、シンジが東城会に殺された際の一部始終を目の当たりにした。

シンジの受けた傷や怪我が荒瀬と任侠堂島一家の構成員達によるものである事。

直接の死因である岡部はシンジと相討ちになって死亡した事。

そして、桐生の親友である錦山の腕の中で何かを伝えてから息を引き取った事。

その壮絶な最期が映し出されていたモニター映像の最後、謎の黒服の男たちがシンジの遺体と荒瀬の身柄を回収してその場を去って行くのが映っていた。

 

(MIA。内閣府が直接指揮を執る特殊部隊、だったか。あの映像を見る限り、本部前にシンジの遺体を棄てて行ったのもコイツらの可能性が高い……)

 

桐生はここで松重が言っていた事を思い出した。

"これは東城会の仕業とは限らない。裏で糸を引いている黒幕がいる可能性がある"と。

 

(つまりこのMIAってのが、松重の言っていた裏で糸を引いている連中……って事か?だが、ソイツらは何故東城会の人間である荒瀬を連れていったんだ?)

 

賽の河原で得た情報と嶋野組が荒瀬が行方をくらました理由を知らない事実。

それらが関係している事が判明したものの、桐生にとっては未だに分からない事が多いのが現状であった。

 

(いずれにせよ荒瀬を見つけ出せば分かる事だ。奴には必ず、シンジと同じ苦しみを味わわせてやる……!)

 

この事務所にはもう用はない。

そう判断した桐生が外へと出ようと事務所のドアを開けた。

その時だった。

 

「ん……?」

 

硬い何かが数個、桐生の足元に転がった。

 

「──────!!」

 

それは。

安全ピンの抜かれた、いくつかの手榴弾。

 

(まずい!!)

 

危機を察知した桐生が事務所の窓を目掛けて駆け出した。

直後。

 

「うぉぉぁぁあああっ!!」

 

閃光。爆発。

事務所の窓ガラスが一瞬にして砕け散り、桐生の身体が爆風と共に外へと吐き出される。

 

「はっ!」

 

着地と同時に受け身を取り脱出に成功する桐生。

僅かでも遅れていれば爆発の餌食になっていたであろう事は想像に難くない。

 

「っ……これは……!?」

 

劇場前広場のちょうど中央に降り立つ形となった桐生は、直ぐに周囲の異変に気付いた。

一般的な神室町の住人の姿は無い。

スーツを着た大勢の屈強な男たちが、桐生を囲むようにして睨み付けていたのだ。彼らの正体が一体何なのかは、もはや言うまでも無い。

 

「お前ら……!」

「やはりあの程度じゃ死なないか、アンタは」

 

屈強な群衆の中から現れたのは、紺色のスーツを着たオールバックの男。

桐生はその男の正体を直ぐに理解した。

間違えるはずが無い。なぜなら桐生はその男にとって、実の父親の仇なのだから。

 

「大吾……!」

「五年ぶりだな、桐生」

 

東城会直系任侠堂島一家総長。堂島大吾。

父親を殺した桐生と錦山に復讐する為に組織を拡充し続け、今や直系に名を連ねるまでに急成長を遂げた新世代の堂島組を束ねる若き極道だ。

 

「アンタが神室町に来たという情報は直ぐに広まった。ここに居る俺たちだけじゃねぇ。いずれ神室町中の極道がお前の命を狙いに来るだろう」

「…………」

「だが……アンタの首を、みすみす他の連中にくれてやるつもりはねぇ」

 

大吾の言葉を合図に、桐生を囲む極道たちが次々と得物を取りだして臨戦態勢へと移る。

 

「テメェを殺るのは……俺たち、任侠堂島一家の悲願だ!!死んでもらうぜ、桐生!!」

「どうやら……」

 

事ここに至って。

桐生一馬という男は決して取り乱す事などしない。

無力であるにも関わらずただ向かってくるだけの愚かな人間など、"龍"の前では塵芥に等しいのだから。

 

「やるしかねぇようだな……!」

 

おもむろに首元に手をかけ、締めていた黒のネクタイを解いて捨てる。

それは、人の形をした"龍"が戒めから解き放たれた合図。そして。

 

 

「殺れ!桐生を殺せ!!」

「「「「「「うぉおおおおおおおお!!」」」」」」

「かかって来い……まとめて面倒見てやるぜ!!」

 

桐生一馬と任侠堂島一家の激突。

その闘いは、東城会と関東桐生会の全面戦争の幕開けを意味していた。

 

 

 

 

 

 



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龍門、未だ遠く

桐生一馬、神室町に襲来。
その報は、直ぐに東城会のヤクザたちの耳に届いた。


「なに?桐生が神室町に来とるやと?」
「なんでも荒瀬の兄貴を探してらっしゃるようでして……」
「ほう……桐生がのぅ……」
「どうしますか?」
「適当にいくらか兵隊向かわせろや。今はそっちに多く勢力を割いとる場合やない。」
「へい」



「久瀬の兄貴。桐生の叔父貴が神室町に来ました」
「そうか……いよいよだな……」
「えぇ。総長が兵隊と共に先んじて桐生の元に向かったの事です」
「よし……俺達も行くぞ、新藤」
「はい。」



「総裁、桐生一馬が神室町に来ました。」
「そうみたいだな……」
「嶋野組系の組織に襲撃をかけているそうですが、如何致しますか?」
「……堂島の龍、桐生一馬。先代が受けた屈辱を晴らすには、またと無い機会だ。我々も出るぞ。準備をさせろ」
「かしこまりました」




一方その頃。
都内某所。一台の救急車の車内にて。

「おうおう救急隊員の兄さんよ?ホントに親父は助かるんだろうな!?」
「もしダメやったら承知せんぞ!?おぉ!?」
「そ、そんな事言われましても……」

その時、組員の携帯が鳴る。

「もしもし?……え?桐生が神室町に!?」

次の瞬間。

「ふっかぁぁぁぁっつ!!」

酸素マスクを付けながら起き上がる急病人。

「「「お、親父!」」」
「今どの辺や?」
「神室町を出ました」
「ドアホ、はよ戻らんかい!!」
「「「えぇ!?」」」


この後、一台の救急車がヤクザに乗っ取られ、サイレンを掻き鳴らしながら神室町へと向かっていく。

「桐生チャンが来とるなら……寝とる場合とちゃうからなぁ……!!」


その男の顔には、狂気の笑顔が張り付いていたと言う。




「おい、なんだよあれ!」

「やべぇって、警察!誰か警察呼べよ!」

 

すれ違いながら逃げ惑う住民達の声を聞きながら、俺は彼らが逃げる方とは真逆の方向に走っていた。

 

(桐生……!)

 

街の人間の反応を見るに、事態は既に悪い方向へ転がっている気がしてならない。

劇場前に近づいていくにつれ、俺の中の嫌な予感はどんどん膨れ上がっていた。

 

「あと少し!」

 

ミレニアムタワーの前を突っ切って劇場前の角を曲がる。

あと数秒。それで俺は桐生の所にたどり着ける。

 

「っ、きりゅ──────」

 

次の瞬間。

声を上げようとした俺は。

 

「──────────」

 

目の前の光景に唖然としていた。

 

「ぐ……」

「ぅぅ……」

「────」

 

劇場前広場に転がる、大勢の男たち。

そのいずれもが力無く倒れ伏して起き上がる気配がない。

彼らの顔や格好を見れば、堅気でない事はすぐに分かる。

だがそこじゃない。俺が唖然としている理由はそこには無い。

 

「オラァァァァあああああああッッ!!」

 

"龍"だ。

今俺の目の前で、人の形をした"龍"が荒れ狂っている。

 

「桐生……?」

 

俺はその正体が桐生である事に一瞬気付かなかった。

雄叫びを上げながら、群がるヤクザ達をたった一人で殲滅していくその姿は。

少なくとも俺の記憶にいる桐生一馬では無かったからだ。

 

「ウオラァァァァッッ!!」

 

桐生の放つ攻撃は、その全てが必殺のそれだった。

殴って、蹴って、叫んで、投げる。

やっている事はそれだけ。にも関わらず、桐生に挑みかかったヤクザ達がまるで冗談かのように吹き飛ばされてそのまま動かなくなる。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

やがて、たった一人を除いて桐生へ襲いかかっていたヤクザ達は全員が地面に沈んだ。

そして、その残った男も満身創痍といった有様だった。

 

「うおおおおおおお!!」

 

最後の男が雄叫びと共に殴り掛かる。

桐生はその一撃を躱そうとすらせず、それよりも早く右手を伸ばして男の首を掴んだ。

 

「ぐっ!?」

「セィヤァ!」

 

桐生は男の首を持ったまま片手で持ち上げると、腕力に任せて思い切りぶん投げた。

 

「がはっ!?」

 

近くにあった壁に背中から叩きつけられるその男。

その正体が堂島大吾であると気づいたのは、その時ようやく大吾の顔が見えたからだ。

 

「う……ぐ、っ……!」

「─────────」

 

動けずにいる大吾に黙ったまま近づく桐生。その手がトドメの一撃を叩き込む為の拳を握り────

 

「やめろ!!」

 

そこでようやく、俺の喉は声を発した。

こちらを振り返った桐生の目元が一瞬だけ丸くなるが、直ぐに怒りに満ちた険しい表情に戻っていく。

 

「錦…………」

「やめるんだ……桐生!」

 

大吾に向けていた拳を下ろし、桐生は静かに向き直った。

 

「どういう事だ?なんで止める?」

「おめぇこそどういう事だ!?なんでこの街に来やがった!?」

 

桐生を始め関東桐生会の人間は神室町に入る事が出来ない。そう言っていたのは桐生の方だった。

それが意味するところがひとつしか無い事を、桐生だって分かっていた筈だ。

 

「それにこんな……こんな事したらお前……!?」

 

死屍累々。その言葉が似合ってしまいそうなこの状況。

東城会の極道を相手にここまでの事をしてしまえば、もう戦争は避けられない。

シンジの願いが、叶わなくなってしまう。

 

「あぁ……戦争だろうな」

「テメェ、分かってんなら何でこんな事を!?」

「殺られたら殺り返す……それが極道だ」

 

毅然とそう言い放つ桐生。

その瞳は怒りに燃えている。

周りの事など知った事かと言わんばかりだ。

 

「馬鹿野郎!目ぇ覚ませ桐生!東城会全部を敵に回す気か!?関東桐生会の戦力だけで太刀打ち出来るような相手じゃねぇんだぞ!?」

「そんな事にはならねぇ。その為に俺は一人でここに来た。俺がいくらここで暴れようが、それは俺が一人で起こしたただの喧嘩。組同士の争いにはならねぇ」

「そんな言い訳が通用する訳ねぇだろうが!」

 

組長というのは言わば組の顔であり代表だ。組の看板を最も重く背負う立場にある。

そんな組のトップが敵地のど真ん中で大立ち回り。

その上で組は関係ない。責任は自分だけ、なんてのは問屋が卸さない。

 

「馬鹿な事言ってねぇで今すぐ神室町から逃げろ!分かってんのか!?街中の極道がお前のタマを取りに来るんだぞ!?」

「いくらでも取りに来りゃいい。全員ブチのめすだけだ」

「お前、いい加減に────」

「うるせぇ!!」

「!!」

 

桐生の一喝に、俺は思わず口を噤んだ。

 

「……俺にだって分かってんだそんな事は。でも……もう後には退けねぇ。俺は必ずシンジの仇を討って、裏にいる黒幕とやらも残らず叩き潰す!!」

 

そう宣言する桐生の目には絶対に揺るがない覚悟があった。こうなってしまえば、もうコイツに言葉は届かない。

テメェが納得の行くまで暴れるだけだ。

 

「桐生…………」

 

だったら。

 

「俺は……お前を止めなきゃならねぇ」

 

こっちもやる事は一つだけだ。

 

「なんだと……?」

「今のまま突き進んでったら待ってんのは破滅だけだ。お前だけじゃねぇ……関東桐生会もシマの堅気達も、お前の大事な人たちも全員を巻き込んだ破滅だ。」

 

如何に桐生や関東桐生会が屈強だとしても、二万五千の兵力を相手にたったの五百人規模の組織が太刀打ち出来る訳が無い。その無理筋を桐生が意地と力で押し通すというのなら。

こちらも覚悟と腕づくでそれを止める。それが、今の俺のやるべき事だ。

 

「そんな事にはさせねぇ……!俺がお前を、ここで食い止める!」

「……錦」

 

直後。

桐生が俺の"覚悟"を問うた。

 

「─────本気で言っているのか?」

 

次の瞬間。

かつて感じたことの無いほどの重圧が一気に襲いかかって来た。

 

「──────!!?」

 

プレッシャーや恐怖などと言ったそんな生易しいものじゃない。

まるで見えない鎖に雁字搦めにされているかのような感覚。その鎖の正体は"本能"だ。俺の中の本能が警鐘を鳴らし訴えているのだ。

"この男に───龍に挑めばお前は死ぬ"と。

 

「……やめろ、錦」

「あ……?」

 

桐生は一瞬だけ目を伏せた後、再び俺に対して毅然と言い放つ。

 

「お前じゃ……俺には勝てねぇ」

「!!」

 

その言葉は、俺の中の火をつけるのには充分過ぎた。

 

「なんだと……?」

 

桐生は相手を煽るような事をする奴じゃない。

それは俺が一番分かってる。だからこそ、その言葉を見過ごす事は出来ない。

それは即ち、桐生が本心から思っている事を指すからだ。

錦山彰は、桐生一馬に劣っていると。

 

「…………じゃねぇ」

 

見えない鎖が軋んだ。

恐怖も、不安も、そして本能も。

俺の中のプライド。桐生にだけは負けられないという男の意地で捩じ伏せる。

 

「ナメてんじゃねぇぞ、桐生ぅぅうううう!!!!」

 

引きちぎった。己を戒める生存本能の鎖を。

重圧を跳ね除けた俺はその勢いのままに桐生に向かって駆け出した。

 

「─────────」

 

桐生は表情を変えないまま静かにファイティングポーズを取る。

俺は滾る怒りのままに右の拳を振り上げた。

 

「オォラァ!!」

 

この時。俺は気付いていなかった。

自分がしてしまった、意地とプライドと怒りに呑まれた勢いのまま殴りかかるという最大の失策を。

見失っていたのだ、俺の本来の在り方を。

目の前の"龍"を相手にその出方や動きを見極める事もせず、愚かにも無策で特攻を仕掛けてしまったのだ。

そして、そのツケを俺は直ぐに払わされる事になる。

 

「────フッ!」

 

怒りのままに振るった右のオーバーフック。

桐生はその一撃を顔一つ分ズラして躱した。

直後。

 

「ガッ───────!!!!?」

 

俺の腹を、何かが、貫いた。

銃弾でも刀でもない。

もっと太くて大きい何かが、俺の腹部を貫いている。

 

「ぉ、……ぇ?────────」

 

痛覚は既に消失している。それに伴い触覚も、聴覚も死んだ。

視界の端が白く染っているのを見ると、視覚もまともに機能していないのだろう。

分からない。理解が及ばない。

俺は何をされたんだ?俺は、なにを。

 

「ウラァァァッッ!!」

 

何者かの雄叫びと共に、真下から何かが迫って来る。

回避も防御も受身も反撃も何もかもが間に合わない。追いつかない。

 

「ぁ─────────────」

 

その何かが眼前に迫った直後、俺の意識は断絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山彰に放たれた攻撃は、至ってシンプルなものだった。

 

「オォラァ!!」

 

雄叫びを上げながら迫り来る右のオーバーフックに対し桐生は冷静に間合いを見測ると僅かに顔を反らせて回避し、同時に自身もまた拳を振るったのだ。

相手の勢いに合わせたカウンターのボディブロー。

その一撃は錦山の腹部を的確に抉り打ち、その衝撃は錦山の内臓に届いて揺さぶるだけでは飽き足らず背中から突き抜けるほどだった。

 

「ガッ───────!!!!?」

 

まるで自身の腹部が何かに貫かれたかのような錯覚を引き起こした錦山の身体は、一瞬にして戦闘の続行を不可能にする。

そして。

 

「ウラァァァッッ!!」

 

桐生はすかさず左の掌底で錦山の顎をカチ上げてその意識を奪う。

 

「ハッ、セイッ、シャァッ!!」

 

宙へと浮き上がった錦山の顔へ右の掌底、右手の甲と連続で叩き込み、最後に右の張り手でその身体を大きく叩き飛ばした。

数メートルの距離を滑空した錦山は背中から地面に叩き付けられるとそのまま地面を転がり、そのまま地面に倒れ伏す。

時間にして僅か三秒。

数多の敵を乗り越えてきたはずの緋鯉は、怒れる龍を前にあっけなく散った。

 

「に、錦山……!」

 

その一部始終を目撃していた大吾は愕然としていた。

つい数日前に自身を圧倒していたはずの錦山が、文字通り一瞬で返り討ちにあったのだ。

大吾はあまりにも理不尽な力の差を思い知らされるのと同時に、自身が敵に回したのが一体何者だったのかを実感した。

 

「すまねぇ……錦…………」

 

意識を失い動かなくなった親友に一言だけそう零した後、桐生は再び大吾へと向き直る。

 

「大吾……終わらせよう」

「くっ……!」

 

迫り来る強大な敵を相手に、疲弊し切った大吾は動くことが出来ないでいる。

そこへ。

 

「ちょっと待てや、桐生一馬ァ!!」

 

桐生の名を叫ぶ怒号が劇場前に響き渡った。

 

「!」

 

声のした方向から現れたのは、軽く五十人は超える程のヤクザ達。

 

「おどれ……よくもナメた真似してくれよったなァ!?」

 

関西弁で捲し立てる先頭の男の胸元に光る代紋を見た桐生は、直ぐに彼らの正体に察しが着いた。

 

「お前ら……嶋野組か」

「そうや!嶋野組の植松ってモンや!」

 

荒瀬を探すために嶋野組系の事務所を壊滅させた桐生。

そんな彼に"返し"をする為に現れたのが彼らだった。

 

「何が目的か知らんがウチの系列の事務所に殴り込んで来よってからに!死ぬ覚悟は出来とんのやろな?」

「そうか……丁度いい。この後も嶋野組系列の奴らから話を聞こうと思ってたんだ」

 

殺られたら殺り返す。極道としては当然の大義を掲げてやってきた植松たちだが、今の桐生にとっては都合のいい存在でしか無かった。

 

「お前らをブチのめして、荒瀬の居所を吐かせてやる」

「やかましい!!ブチ殺したるわクソガキぁ!!」

 

殺気を撒き散らしながら息巻く植松。

そして彼が率いる嶋野組系の構成員達を前に一歩も怯むこと無く構える桐生。

 

「そこまでだ。桐生一馬」

 

しかし、そこへ待ったをかける男が現れる。

 

「お前ら……!」

 

現れたのは約三十人前後の兵隊を連れた男。

その男を含め兵隊の全員が白い詰襟の服に身を包んでいる。

彼らに目を向けた途端、桐生の顔が一気に強ばった。

全身から溢れ出る闘気がさらにその大きさを増していく。

 

「日侠連……!!」

 

桐生が口にした彼らの名は、東城会の直系組織を指す名称だった。亡き先代会長の世良勝の出身団体でもあり、表向きには代紋を掲げずに数々の汚れ仕事をこなして来た 言わば東城会における秘密集団である。

そして、桐生にとっては愛する存在を穢して亡き者にされた因縁の相手でもあった。

 

「二代目総裁の国枝だ。随分と好き勝手やってくれたようだな」

「なんだと……?」

「貴様の命を狙っているのは任侠堂島一家だけでは無い。我ら全員、五年前に世良会長が受けた恨みを忘れてはいないからな」

「それはこっちのセリフだ。由美が受けた屈辱……今ここで晴らしてやる。お前ら ここで 皆殺しだ!!」

 

これ以上無いほどの怒りと覇気を昂らせて戦闘態勢に入る桐生。だが、彼の命を狙う刺客は嶋野組や日侠連だけでは無かった。

 

「待ってたぜ……この瞬間をよぉ!!」

 

直後、けたたましいエンジン音を唸らせながら一台のバイクが劇場前広場へと乱入する。

そこに跨るのは桐生のかつての兄貴分。

 

「久瀬……!」

 

東城会直系任侠堂島一家最高顧問。久瀬大作。

渡世というリングで未だ現役を張り続ける極道の中の極道だ。

 

「桐生ぅぅぅううううううう!!」

 

久瀬は桐生の名を叫びながらアクセルを吹かすと、片手で持った鉄パイプを引き摺りながら桐生に迫る。

 

「オォリャァァアアアア!!」

 

その速度を上乗せした鉄パイプの一撃に対し、桐生は真っ向から挑み掛かる。

 

「セイヤァッ!!」

 

迫り来る久瀬に対して桐生は地面を蹴って跳躍すると、両足を揃えたドロップキックを久瀬に叩き込む。

 

「ぐほぉっ!?」

 

鉄パイプで桐生を殴打する事に注力していた久瀬は突然の奇襲に反応が遅れ、その蹴りを真っ向から受ける事になった。

久瀬が蹴り飛ばされた事により制御を離れたバイクはその勢いのまま激しく転倒して街灯に激突し、直後に大爆発を引き起こし車両は大破炎上。

一瞬にして廃車となってしまった。

 

「久瀬……アンタ、まだ生きてやがったのか」

 

ドロップキックの体勢から立ち上がって構えを取る桐生。

かつての"カラの一坪"事件の際には五回に渡って桐生に襲いかかってきた久瀬。

その執念には目を見張るものがあり一目置いていた桐生だったが、同時にその執拗さに辟易もしていた。

 

「ぐっ…………言っただろ、桐生……極道は…………張り続けられなかったヤツが、負けるんだってな……!」

 

バイクの上から蹴り飛ばされ倒れていた久瀬が、鉄パイプを杖にしながらも起き上がってその闘志を燃やす。

 

「またと無い機会だ……今度こそテメェを、ブチ殺してやる!!」

 

堂島の龍、桐生一馬。

今や名実共に"本物の極道"と成ったその男を前に、かつて堂島組の"暴力"を一手に担っていた彼のヤクザ者としての血が騒いでいた。

 

「ん……?」

 

そこへ、東城会側の更なる増援がやってくる。

 

「総長!ご無事ですか!?」

 

十数台の車と若い衆を連れて現れたのは、ショートリーゼントの髪型と白いスーツを着た男。

東城会直系任侠堂島一家若頭。新藤浩二。

大吾が率いる組織のNo.2が、先んじて桐生の襲撃に向かった大吾の応援に駆けつけたのだ。

 

「なっ……これは……!」

 

彼はその惨状を前にして言葉を失った。

倒れて動かなくなった先遣隊の組員。

手榴弾の爆発により割れた窓か煙を昇らせる嶋野組系の事務所。街灯を歪ませ燃え盛り廃車となったバイク。

桐生を取り囲む日侠連と嶋野組。

鉄パイプを持った最高顧問の久瀬と動けずにいる総長の堂島大吾。

まさに地獄絵図と呼ぶに相応しいその光景の中、新藤はあるものを見た途端に直ぐにその場から駆け出した。

 

「あ……兄貴ぃ!!」

 

それは、倒れ伏して動かなくなったかつての兄貴分。錦山彰の姿だった。

 

「兄貴、しっかりしてください!兄貴!!」

 

抱き起こして呼び掛ける新藤だが 既に錦山に意識は無く、端正だった顔にはいくつもの痣や傷痕が刻まれているだけでなく 片側半分が完全に内出血を起こして腫れ上がってしまっていた。

 

「そんな、兄貴…………」

 

新藤は長年、錦山の弟分を務めていた男だった。

故に、彼の男気や行動原理には理解がある。

東城会と袂を分かった親友にして兄弟分の桐生が神室町を訪れ、そこで極道を相手に大立ち回りをしていたら。

きっと錦山は桐生を止めようとする。だから今ここに居る。

 

「…………よくも」

 

そして、そんな錦山が変わり果てた姿で気を失い 地面に倒れ伏していた。では誰が彼をこのような目に遭わせたのか。答えは明白だった。

 

「よくも兄貴を……!!」

 

手にしていた日本刀を鞘から抜き放ち、その鋭利な殺気と切っ先をを桐生に向ける新藤。

彼は今 任侠堂島一家の若頭としてではなく、錦山彰の弟分として怒りに駆られていた。

 

「……お前には関係ねぇ」

「ふざけんな!これが……これがかつての兄弟分にやる事か!?許さねぇ……絶対に許さねぇぞ 桐生!!」

 

その声に呼応するかのように、新藤の連れて来た若い衆達や日侠連の男たちもまた、各々の得物を構えて臨戦態勢を整える。

 

「まだだ……」

 

そしてこの男もまた。

再び龍へと挑まんと立ち上がった。

 

「まだ終わってねぇぞ……桐生!」

 

東城会直系任侠堂島一家総長。堂島大吾。

増援の子分達や若頭の新藤と最高顧問の久瀬。更には日侠連の姿を見た彼は、己の体を奮い立たせる。

桐生一馬を殺す。その役目を他の者に奪われる訳にはいかなかった。

 

「大吾…………」

「テメェのタマは俺が……俺達 任侠堂島一家が取る!!」

「そうはいかない。桐生一馬を殺し、世良会長の無念を晴らすのは我々 日侠連だ。」

「おどれら全員引っ込んどれ!!桐生の首獲るんはワシら嶋野組や!!」

 

嶋野組。任侠堂島一家。日侠連。

天下の東城会における三つの直系組織から同時に命を狙われるこの状況下においてもなお、桐生の在り方は微塵も揺るがなかった。

 

「くだらねぇ……全員まとめて相手をしてやる」

 

荒れ狂う龍の前では、彼らなど精々 喰らい甲斐のある得物でしかない。

 

「俺のタマが欲しいなら…………殺すつもりでかかって来い!!」

 

こうして。

東城会と桐生一馬の全面抗争は拡大を続けていく。

 

「──────────」

 

未だ目覚めぬ緋鯉を置き去りにするように。




次回。錦が如く


総力戦


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総力戦





桐ぃぃ生ぅぅチャーン!!
会いに行くでぇ!!





2005年12月13日。

突如として神室町に訪れ、嶋野組系列の事務所を襲撃した桐生一馬。

そこから端を発して東城会の極道 総勢百人以上を巻き込んだ一大抗争が、劇場前広場で勃発した。

現在 跡目に最も近い勢力として幅を利かせている東城会の大幹部、嶋野組。

先代組長である堂島宗兵の死をきっかけに、若い極道と往年の極道の混成で組織された新時代の堂島組、任侠堂島一家。

そして、亡き三代目の出身団体でありながら 長年裏で汚れ仕事を担っていた東城会の暗部組織、日侠連。

これらの直系組織が包囲網を組んで、桐生一馬ただ一人に一斉に襲いかかる。

もはや集団リンチという言葉では生温い程の人数差。

ただの人間であれば八つ裂きどころか骨も残らない事は目に見えていた。

 

「ウオラァァァァァァ!!」

 

しかし。彼らが襲いかかったのは只人に在らず。

人のカタチを保っているだけの"龍"に他ならない。

 

「死に晒せ桐生ぅ!!」

 

五十人以上の数の暴力で一気に制圧を試みた嶋野組は、たった一人を相手に五分も持たずに瓦解し。

 

「桐生一馬、覚悟!」

 

ナイフや銃火器などの"殺しの道具"を携えた日侠連は、桐生の身体に傷一つ付ける事すら出来ず。

 

「このガキぃ!」

「オゥラァ!!」

「死ね桐生!!」

 

総長、若頭、最高顧問と組織の幹部をはじめ総動員で挑みかかった任侠堂島一家も、その幹部陣以外の構成員が全滅の憂き目に遭った。

 

「ウォォォオオオオオオオオッッッ!!!!」

 

暴れ狂いし応龍。留まる事を知らず。

息切れ一つ起こさぬまま、まだ喰らい足りぬと獲物を求めて吠え猛る。

 

「な、なんやコイツ……有り得へん……!」

 

瓦解し全滅した部隊を束ねていた嶋野組の植松は、未だ立ってはいるものの茫然自失としている。

龍の"覇気"を浴びせられ続けた挙句に自身の率いていた部隊を全滅させられれば、こうなってしまうのも致し方の無い事と言えた。

 

「くっ……堂島の龍…………よもやこれ程とは……!」

 

東城会の暗部組織として数々の汚れ仕事をこなし、その手練手管に死角無しと謳われた日侠連は、二代目総裁の国枝を除いて全ての構成員が地面に崩れ落ちていた。

その洗練された殺しの技術も、"龍"の前では無意味な小細工に等しかったのだ。

 

「チッ……相変わらずだなテメェは、どこまでも強くなりやがる……」

「はぁ……はぁ……桐生……!」

「こ、こんな事が……!」

 

堂島宗兵の仇を討つ事を悲願に掲げ、ほぼ全ての構成員を動員した任侠堂島一家だったが そのほとんどが桐生の拳の前に沈んでいった。

桐生一馬という男を古くから知っている久瀬はこの事態に今更驚きもしないが、総長の大吾と若頭の新藤はそのあまりの強さに戦慄していた。

 

「フン、東城会もこの程度か……なら、一気に終わらせてやる……!」

 

関東桐生会初代会長。桐生一馬。

戦力的にも人数的にも桐生が圧倒的に不利だったはずのこの抗争は、彼の理不尽なまでの強さの前に覆されていた。

 

「まずは貴様だ……国枝ァ!」

「くっ!」

 

すかさず防御の姿勢を取る国枝だったが、桐生にはそんなものは通じない。

桐生は国枝の防御の上からその拳を叩き込むと、その勢いのままに国枝を殴り飛ばした。

 

「ぐぁっ!?」

「セイヤァッ!」

 

防御を腕ごと破壊され大きく仰け反った国枝に、追撃の前蹴りを放つ桐生。

鳩尾を靴底で蹴り抜かれた国枝は後方に吹き飛ばされると、そのまま劇場前のビルの壁に背中から叩き付けられた。

 

「が、は─────────!!」

 

桐生は、甚大なダメージを受けた国枝が前のめりに倒れる事すらも許さなかった。

瞬時に距離を詰めると国枝の首を掴んで背中から壁に叩き付ける。

 

「ぅ……ぐ……!!」

 

そのまま万力のような握力で国枝の首を絞め上げた。気道が塞がり、呼吸の一切を封じられた国枝の顔が変色していく。

 

「─────!!」

「苦しいか?だが……由美の受けた仕打ちは、こんなもんじゃねぇ……!!」

 

桐生は怒りのままに両手に力を篭める。

 

「日侠連の連中は全員ぶっ殺す。まずは貴様からだ……!!」

「──────!!!!」

 

呼吸の出来ぬままに抵抗する国枝だが、当然桐生は手の力を緩める事はしない。

そのまま国枝の首の骨が折れんとした矢先。

 

「ん……!?」

 

けたたましいエンジン音とサイレンを響かせながら劇場前に一台の救急車が突入してくる。

しかし、その救急車は本来の役目とは思えない荒々しい運転で現れたばかりか、桐生目掛けて速度を上げて突進してきたのだ。

 

「チッ!」

 

桐生は国枝から手を離してその場を飛び退くと、迫り来る救急車の突進を回避した。

 

「なんだ!?」

 

救急車はその場にタイヤ痕が残る程の急ブレーキで停車すると、サイレンと共にエンジンを止めて沈黙した。

その運転席のドアを蹴破って何者かが勢いよく飛び降りる。

 

「お前は……!?」

 

そこから現れたのは、一人の男。

左目に付けられた黒い眼帯。

テクノカットの髪型をした頭と金色のジャケットの中の素肌には包帯での応急処置がなされているものの、その奇抜な格好をする人物に、桐生は一人だけ心当たりがあったのだ。

 

「よぉ、桐生チャン……会いたかったでぇ?」

「真島……!」

 

東城会直系嶋野組若頭。真島組組長 真島吾朗。

桐生にとっては、嶋野の狂犬との数日ぶりの邂逅だった。

 

「ま、真島のカシラ……!」

 

植松は自身の組の兄貴分にあたる真島の登場に息を飲む。

同じ組にいる以上、彼はその恐ろしさと危うさを間近で目撃する機会が多いからだ。

 

「おぅ植松、お前 桐生チャンにだいぶ派手にやられたらしぃのう……?大方、嶋野の親父にでも命令されたんやろうが……」

 

真島はそんな植松にゆっくりと近づくと。

 

「ぐほっ!?」

 

味方であるはずの植松の腹にその拳をねじ込んでいた。

 

「ぅ、ぐっ!?」

 

真島は腹を押さえて蹲る植松の髪を掴みあげると、顔を近付けてこう告げた。

 

「桐生チャンは俺の獲物や。余計な真似しおったら……お前から殺すで?」

「……!」

 

至近距離から放たれる狂犬の殺気に息を飲む植松。

真島はそんな植松の手を離し捨ておくと、桐生の方へと向き直る。

 

「……何がしてぇんだ、アンタ」

「あ?決まっとるやろ?」

 

真島はそう言ってドスを引き抜くと、真っ向から桐生にその切っ先を向けた。

 

「ワシの望みはいつだって……桐生チャン。お前と喧嘩する事以外に無いで」

「チッ……次から次へと、無駄だと分かっててもなお俺の邪魔をしやがるのか」

「ハッ、今更何を言うとんのや……桐生チャン」

 

真島は続ける。

 

「無理も無茶でも無謀でも……一度始まった喧嘩は絶対に引かへん」

「……」

 

その言葉を聞き、久瀬が。

 

「たとえ何度やられても、相手に一泡吹かせるまで決して諦めへん」

「……」

 

その言葉を耳にし、新藤が。

 

「それが……お前が喧嘩を吹っかけた東城会っちゅう組織や」

 

そして、その言葉を受けた大吾が。

否、今まで倒れ伏していた東城会の男たちが次々と起き上がる。

未だ目覚めぬ極道達もいるが、それでも何人かの男たちが痛みを抱えながらも戦線復帰を果たす。

その数、総勢四十名。

 

「ま、んな事言うても……俺はコイツらに桐生チャンを譲るつもりは無いんやけどな」

「随分な言い草だな、嶋野ん所の若造が」

「全くだ……桐生を殺すのは俺達、任侠堂島一家だ」

「えぇ、たとえ真島さんであってもそれを譲る事は出来ません……!」

 

それに呼応するかのように、立ち上がった極道達も桐生を倒すと息を巻く。彼らの闘志は 桐生の覇気に晒された上でねじ伏せられた後でさえも、衰えていなかったのだ。

 

「ヒヒッ、ほらな桐生チャン。ご覧の通り東城会は、どいつもこいつも馬鹿ばーっかりや」

「決まりだ。桐生の後はテメェをブチ殺してやる。おゥ総長。文句はねぇな?」

「えぇ、好きにしてください。ただ、桐生を殺るのは俺ですがね」

「いくら総長と言えどそれは譲れません……俺ももう、後には引けませんから!」

 

いがみ合い、譲らない姿勢を崩そうとしない彼らの在り方は決して一枚岩とは言い難い。

しかし、彼らは持ち前の"負けん気"を以て結果的に団結を成していた。

これこそが東城会。近江連合と双璧を成す、関東最大の規模を誇る極道組織の姿である。

 

「チッ、何奴も此奴も洒落臭いのぅ……なら───」

 

そして。その団結の最前線に立った嶋野の狂犬が。

 

「────早い者勝ちやァァァああああああ!!」

 

そう叫んで桐生へと挑みかかり、闘いの狼煙を上げた。

 

「死ねやボケがァァァァ!!」

「行くぞ、桐生ぅ!!」

「桐生の叔父貴、覚悟ォォ!!」

「「「「「うおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」」

 

それに続き、東城会の極道達が次々と桐生に向かって雪崩込むように襲い掛かる。

 

「上等だ……来い!!」

 

それに対し桐生もまた、何度目かも分からないファイティングポーズを取る。

東城会と関東桐生会による全面戦争。

その幕開けとして始まったこの抗争も、ついに佳境へと向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気付いた時には、空を見上げていた。

 

「…………──────────」

 

何も聞こえない、何も感じない。

辛うじて機能するだけのぼやけた視界で、ただ暗いだけの空を見上げている。

 

(俺は……何を…………?)

 

分からない。

ここ数日の記憶が無い。

俺は何をしていた?どうしてここにいる?

 

(確か、ムショから出て……親っさんに会いに行って…………)

 

出所して早々、三代目の葬儀に向かってから先が思い出せない。

頭が重く、それに伴い意識も段々と暗闇に沈み始める。

 

(だめだ……思い、出せねぇや…………)

 

諦めて瞼を閉じようとした、そんな矢先。

 

「ぁ……?」

 

空を見上げるだけだった視界を、大きくて黒い何かが横切った。

 

(なんだ、今の……?)

 

それは一度ではなかった。

もう一回、またもう一回と視界を横切るそれを見て行くうちに 俺はそれの信じ難い正体に気付く。

 

(人……?)

 

一体なんの冗談か、スーツを着た人影のようなものが次々と俺の視界を横切っていたのだ。

空を見上げている俺が仰向けの体勢なのであれば、彼らは何かが原因で空中を舞っている事になる。

 

(何が、起こってんだ……?)

 

鉛のように重苦しい身体では、首を動かす事が精々だった。俺は亀よりも遅く首を横に倒して彼らの飛んできた方向に視線を向ける。

 

(あ……?)

 

その視線の先では、大勢の男たちが揉み合いの大暴動を起こしていた。

その騒ぎの中央にいる一人の男に、自然と視線が吸い寄せられる。

 

(あれは……?)

 

次々と迫り来る敵を、その男は次々と迎撃していく。

拳で殴り飛ばし、足で蹴り飛ばし、胸ぐらを掴んで力づくで投げ飛ばすその様を見て、俺の視界を横切る男たちの正体が彼らであることを理解した。

あまりにも人間離れしたその所業を平然と行うその男に、俺は見覚えがあった。

ダークグレーのスーツとワインレッドのシャツ。彫りの深い顔立ちを怒りに歪ませながら暴れ回るその男は─────

 

「──────き、りゅう……?」

 

次の瞬間。

 

「ガハッ!!?」

 

腹部を貫かれたかのような壮絶な痛みと共に俺は吐血した。

全身の感覚が蘇るのと同時に、鋭敏になった痛覚が悲鳴を上げる。体中の神経という神経に電流が走り、今にも気が狂いそうなこの痛みの中で、俺は全てを思い出した。

 

(そう、だ……俺は……!!)

 

桐生を止める。そう息巻いて殴りかかった俺は桐生の反撃によって気絶していたのだ。

そして、止めることが出来なかったからこそ。

俺の目の前で惨劇は起きている。

 

「ぉ……あ…………」

 

視線を落として自分の腹部を確認する。

そこに大穴は空いていない。

だが、桐生の放ったであろう一撃は前を開けていたレザージャケットを抜けて中のインナーの上から俺の腹部を叩いていたのだろう。

拳を受けた部分の生地は無惨にも破れて穴が開き、中から除く地肌は青アザになっていた。

 

(なんなんだよ……あのパンチは……!)

 

すれ違いざまのボディブロー。

あの時、俺は鉄骨か何かが腹を貫いたのかと錯覚した。

それ程までの一撃だった。

 

(強いなんてもんじゃねぇ……あんなの、バケモンじゃねぇか……!)

 

再び視線を前に向ける。

大挙として桐生に押し寄せていた筈のヤクザ達も、気付けばたかだが数人程度の規模になっていた。

 

(俺は……こんなヤツと闘いたがってたのか?こんなバケモンと、肩を並べるだって……?)

 

格が違う所の騒ぎじゃない。

あの人のカタチをした"龍"と俺とじゃ、レベルも世界も何もかもが段違い。

文字通り、次元が違った。

 

(とんだ思い上がりだ……俺ごときが 桐生と対等に、ましてやアイツを超えるだなんて…………)

 

無理だ。勝てるわけが無い。

ただの人間の身で、遥か高みに居る龍に敵う訳が無かったんだ。

 

(俺は……もう…………──────)

 

気力が萎えていく。心が折れていく。

今まで培って来たモノが、全て幻想の下に消えていく。

 

(───────────)

 

このまま全てを投げ出してしまおう。

そんな事を思った矢先だった。

 

「あ…………?」

 

僅か十数センチ先に、光る何かが落ちているのが見えた。街灯と炎の光に照らされて、赤く輝くそれに対して自然と手が伸びていく。

 

(これ、は……!)

 

震える手で掴み取ったそれは、指先で摘めるほどの小さな何か。

金色の円環に赤い宝石をあしらった、一つのアクセサリー。

 

「────────!!」

 

指輪。

"YUMI"の名前が刻印された、彼女の形見。

 

 

 

 

───つたえて、ほしいんで、す…………おれのために……たたかわ、ないで……って…………────

 

 

 

───あにきは、やさし、い、から…………きっと、おれが、しんだら…………かたきを、うとうと、しちゃ…………い…………ま、す…………だ……だか、ら………………!!───

 

 

 

 

「───────あ、ぁ」

 

そうだ。そうだった。

俺は約束したんだ。

最後の最後まで根性見せて、最期の最期まで桐生とおやっさんを想いながら逝った、あの男と。

堂島の龍 桐生一馬が心から認めて信頼していた、最初にして最高の弟分 田中シンジと。

 

「ふっ……ぐ…………っ!!」

 

必ず桐生を止める。

シンジの願いだった、風間の親っさんと桐生の仲を取り持ち、この戦争を終わらせる事。

それを叶える為には立ち上がらなければならない。

そして、それを叶える事が出来るのは。

 

(俺しか、いねぇ……!!)

 

全身の細胞に活を入れる。

気合と根性、意地とプライド。

託された願いと己の魂をかけて。

 

「き……りゅう…………!!」

 

俺は、こんな所で死ねない。

死ぬ訳には行かないのだ。

 

「う、ぉぉ……ッッ!!」

 

手は震え、膝は笑い、汗は止まらず、口からは血を垂れ流す。

左半分の耳が聞こえず、視界も左側だけブレて見える。

自分でも分かる程に明らかな満身創痍。

それでも俺は立った。立てた。立ち上がれた。

なら、まだやれる。まだ抗える。まだ闘える。

 

(シンジ……俺は、お前との約束を、果たすぞ……!!)

 

指輪を拳の中に握り込み、俺は再び桐生の前に立つ。

 

 

 

「────桐生!!」

 

 

 

俺は今度こそ辿り着いてみせる。

 

お前の居る領域─────龍門へと。




次回、錦が如く

「覚醒めの一撃」


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覚醒めの一撃

お願いします






どうか




兄貴を止めてください、叔父貴─────




2005年12月13日。

桐生一馬の嶋野組系事務所襲撃により幕を開けた東城会と関東桐生会の全面戦争。

その最初の抗争として始まった劇場前広場における大乱闘は、熾烈を極めていた。

 

「ウォォオオオオオオオオオオッッ!!」

 

咆哮の如き唸り声を上げながら襲い来る極道をたった一人でなぎ倒すのは、関東桐生会初代会長。桐生一馬。

かつては東城会の極道としてその名を全国に轟かせた生ける伝説であり、この抗争の火種を作った張本人でもある。

そんな桐生の命を狙うべく襲い掛かるのは、東城会が代表する三つの直系組織。

 

「おどれら邪魔すんなや!桐生チャンを殺るのはこのワシやぁ!!」

 

跡目有力候補の嶋野組。

 

「死ねやボケがァ!」

「桐生ぅ!」

「どぉりゃぁ!!」

 

新進気鋭の任侠堂島一家。

 

「世良会長の恨み……思い知れ!」

 

そして暗部組織の日侠連。

彼らのほとんどが一度は桐生の拳の前に沈んだのだが、一部 意識を取り戻した極道達が再起して連合部隊を結成。

水面下で神室町の利権を食い合っていた東城会の極道たちが、堂島の龍と言う未曾有の天災を迎え撃つ為に一致団結し反抗に打って出たのだ。

しかし。

 

「ぎゃぁぁっ!?」

「ぶげぇっ!?」

「が、は───!?」

 

その尽くが返り討ちに遭い、再び地面へと沈んでいく。

元々受けていたダメージを負ったまま無理やり立ち上がっていた彼らには、もう一度桐生の攻撃を受けて耐えられるだけの余力は残っていなかったのだ。

 

「怯むなァ!このまま数で押し切れぇ!」

「総長達がトドメを刺してくれる!俺たちはヤツを消耗させるんだ!」

「囲んで取り抑えろ!動きを封じるんだ!」

 

だが、誰が言ったのか。

圧倒的な実力を持つ桐生を相手に対抗する術を口にする男たちが現れ、それらの行動に打って出る。

ある男たちは十数人で徒党を組んで一斉に襲い掛かり、ある男たちは多人数で足元にしがみつく事で桐生の動きを封じ、そしてまたある男たちは隙を見て背後や横側から桐生を捕縛するように拘束する。

 

「邪魔だァァああああああああッッ!!」

 

猛り狂う龍は、そんな雑兵達を力づくで蹴散らしていく。

足元にいるまとわりつく連中は踏み潰して蹴り飛ばし、拘束を仕掛けた男たちは力任せに振りほどいて投げ飛ばし、一斉に襲い掛かる連中には周囲のモノや人間を振り回して一掃する。

ただのヤクザなど恐るるに足らず。いくら雑兵達が束になろうとも"龍"の圧倒的な力の前には敵わない。

だが。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

 

100人を超える極道を相手に何の休息も挟まないまま一歩も引かずにここまで闘い続けていた桐生のスタミナにもついに陰りが見え始める。

身を呈して桐生の消耗を図った極道達の思惑が成就した瞬間だった。

 

「今だ!畳み掛けろ!!」

 

そう叫んだのは任侠堂島一家総長の堂島大吾だ。

彼はこの機を逃せば勝利は無いと確信していた。

 

「桐生ぅぅぅ!!」

 

真っ先に攻撃を仕掛けたのは任侠堂島一家最高顧問の久瀬だった。

彼は閻魔の如き叫びを上げながら鉄パイプを振り下ろす。

しかし、桐生はあろう事かその一撃を片腕で難なく受け止めた。

 

「オラァ!!」

 

反撃の右ストレートを鉄パイプで受ける久瀬だったが、そのあまりにも強力な一撃は久瀬の持つ鉄パイプを飴細工のように変形させ、その身体を数メートルも後方に吹き飛ばした。

 

「このガキが……!」

「久瀬ぇぇぇ!!」

 

鉄パイプを投げ捨てて直ぐにボクシングの構えを取る久瀬だが、既に桐生は自身の間合いに久瀬を捉えていた。

 

「シッ!」

「ッ!!」

 

桐生の放った左のアッパーを即座にスウェイで躱す久瀬。往年と言えどその反応速度は微塵も衰えが無い。

だが、桐生の一撃はその速さを超えてくる。

 

「フッッ!!」

 

ジャブよりも早い右のストレートがアッパーを躱した直後の久瀬の顔面を捉えた。

力任せの喧嘩だけが堂島の龍では無い。技術を伴った撃ち合いもまた、彼の喧嘩の真骨頂であった。

 

「ぐほっ!?」

「フンッ!」

 

まともに一撃を貰いたたらを踏む久瀬に対し、追撃のボディブローを叩き込む桐生。

内蔵を抉るかのような衝撃に堪らず崩れ落ちる久瀬。

 

「が、ァ────」

「セイヤァ!!」

 

そんな久瀬にトドメを刺そうと足を振り上げる桐生だったが、その攻撃は中断を余儀なくされる。

 

「ハッ!!」

「くっ!?」

 

その瞬間を狙い済ましたかのように新藤が桐生目掛けて日本刀を振り下ろしたのだ。

直ぐに背後に飛び退いてその一太刀を避ける桐生だが新藤は次々と刀を振るい続けた。

 

「フッ、ハッ、セイッ!!」

 

大上段に構えてから振り下ろすその太刀筋は単調で軌道が読みやすいが、真上からどの方向に対しても斬りつける事が出来るので隙が少ないと言う利点がある。

実際、刀を持つ新藤と持たない桐生ではリーチの差に大きな違いがあり、桐生が拳の間合いに入る事を許さなかった。

 

「くっ……!」

 

剣道三倍段という言葉がある。

剣道初段は空手における三段に匹敵することを指す言葉で、それはつまり、刀を持つ者は拳を振るう者より三倍の強さを持つという意味だった。

 

「覚悟!」

 

しかし、新藤が放った何度目かの一振り。

"堂島の龍"は、そんな道理すらをもねじ曲げる。

 

「───シッッッ!!」

 

歯の間から鋭く息を吐きながら桐生が放ったのは、空気を引き裂く程の速さ───否 "疾さ"を持った鋭いフック。

その一撃は振り下ろされる刃の速度を超え、その刀身を真横から的確に打ち抜いた。

その結果。

新藤の持つ愛刀は甲高い金属音を立てて中央からへし折れた。

 

「なっ!!?」

 

絶対のリーチと殺傷力を持つ日本刀を真横から素手で叩き折る。その神業にも等しい信じ難い光景に唖然とする新藤。

それはこの場において、致命的なまでの隙となった。

 

「オラァ!!」

「ぐはっ!?」

 

桐生の放った前蹴りが、硬直する新藤の胴を捉えた。

その計り知れない威力は文字通り新藤を蹴り飛ばし、その身体を近くの自動販売機に叩きつける結果となる。

 

「ぅ、ぐ…………」

「────イィヤァッッ!!」

 

その直後、新藤にトドメを刺そうとした桐生に真島の変則的なドスの一刺しが休む間もなく襲い掛かる。

間一髪やり過ごした桐生だったが、ここで休む暇などない事を桐生は熟知していた。

 

「チッ……!」

 

真島という男が持つ強さと危険性をよく知る桐生は舌打ちをする。事ここに至ってこの男との命のやり取りはあまりにも危険であると、桐生の身体が危険信号を出した。

 

「シッ、ティ、デリャッ、ウゥリャァ!!」

 

己のドスを手足のように扱いながら、斬撃と体術を変幻自在に操って襲い掛かる真島吾朗の喧嘩。

彼のその攻撃の軌道は相も変わらず予測が出来ず、凌ぎ切るのは困難を極める。

そう思っていた桐生だったが、彼はここである事に気付く。

 

(真島の動きが、鈍い……?)

 

桐生は知る由もない事だが、真島はここに現れる僅か十数分前に錦山と拳を交えている。

つい先日、倉庫街で桐生と闘ったばかりの疲弊がある中で決行した桃源郷の襲撃。

そこに加えてバッティングセンターでの一件以来完治していなかった右足を狙う錦山の戦術や、遥が援護の為に投げ落とした消火器による三半規管への甚大なダメージも加わった事で、本来今の真島は闘うどころか立っていられる事が奇跡に近い状態なのだ。

にも関わらずここまで彼が出向いた目的はただ一つ。桐生一馬と喧嘩を楽しむ事に他ならなかった。

 

「オォラァ!!」

 

そんな真島の考えなど知らない桐生は、真島が攻撃の間隙を突くように拳の一撃を叩き込む。

 

「ぐぉぉおっ!?」

 

まともにその一撃を受けた真島が足元から崩れるように膝を突いた。

桐生は、その隙を確実なる勝機と捉えた。

 

「シャァッ!」

「ぐへぇっ!?」

 

膝蹴りで無理やり真島を立ち上がらせた桐生は、一度だけ呼吸を整えた直後。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラァァァ!!」

 

ジャブ、フック、アッパー、ストレート、エルボー、正拳、裏拳、ローキック、膝蹴り、ミドルキック、ハイキック。

ありとあらゆる打撃が瞬時に真島の身体へと叩き込まれた。

真島という男がいかに頑丈で執拗な人間かを心得ていた桐生は、一切の出し惜しみ無く徹底的に真島の身体を痛めつけていく。

 

「トドメだァァああああああッッ! !」

 

そして最後に、桐生は真島の上からフックを打ち下ろして顔を下を向かせた後、その顔面を打ち上げるような左アッパーを振り抜いた。

 

「げ、ぁ……─────────」

 

糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる真島。

ここまで叩き殴ってもなお未だに油断出来ない桐生は、真島の顔面を踏み抜くべく片足を持ち上げた。

 

「ハァアッ!!」

「何ッ!?」

 

しかし、そのタイミングを見計らっていたかのように乱入した極道がいた。

任侠堂島一家総長、堂島大吾。

この男は虎視眈々と、桐生が消耗するのを待っていたのだ。

 

「オゥラァッ!」

「くっ!」

 

至近距離で放たれる飛び膝蹴りを左腕で防御する桐生だが、大吾はそれすらも想定していたのかすぐさま桐生の後頭部に両手を回して固定し、ムエタイで言うところの首相撲に近い体勢を整える。

 

「来いよ桐生!」

「!!」

 

そう言って挑発した直後、その首相撲の姿勢から桐生の脇腹に膝蹴りを放った。

 

「くっ、オラァ!」

 

桐生も負けじと同じ体勢から膝蹴りを放つ。

しかし、スタミナの奪い合いに等しいこの闘いにおいて 真島を相手に殆どのスタミナを使い切った今の桐生は圧倒的に不利だった。

これこそが大吾の狙い。他の連中に畳み掛けるように指示を出して桐生を追い詰めていき、真島吾朗という桐生にとって実力の近い相手を倒した直後に勝機を見出して勝負を決める。

もしもそれよりも前に桐生が仕留められる事があった場合はその瞬間に頓挫するこの計画だったが、桐生であればここまで乗り越えるであろう事を予期した上での計略と言う、ある意味での信頼が為せる業でもあった。

 

「ディヤ!」

「フン!」

「ハァッ!」

「オラァァ!」

「オゥラァ!」

 

しかし、ここで大吾にとって大きな誤算があった。

見事に嵌った彼の計略だが、結果として桐生が不利な状況と言うだけであり"桐生の負けが決まったわけでは無い"という事。

そして、桐生一馬という男はこのような土壇場を何度も切り抜けて来たという事だった。

 

「桐生ぅ!」

「大吾ぉ!」

 

至近距離での膝蹴りの打ち合いは未だ続いている。

その中で大吾は、スタミナが衰弱して弱体化していた筈の桐生の膝蹴りの威力が上がっていく事に気づいた。

 

(なにっ!?)

 

それに驚いた一瞬の隙を見た桐生が、首相撲の構えを解いたのと同時に顔面に飛び膝蹴りを放った。

 

「シャァァァッ!!」

「うわぁっ!?」

 

顎を蹴り抜かれた大吾はそのまま地面に倒れ込み、そのまま立ち上がる事が出来なかった。

桐生の飛び膝蹴りが、脳震盪を引き起こしたのだ。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……!」

 

度重なる強敵との激闘を繰り広げ、いよいよ息も絶え絶えになる桐生。

ここまで持ち堪えたその脅威的なタフネスとスタミナもそうだが、東城会の極道百人以上を相手取ってその全てに打ち勝つその所業はもはや人間の枠組みを超えていると言っていいだろう。

嶋野組、任侠堂島一家、日侠連。

東城会の直系団体である三組織が包囲網を敷き、一斉に襲いかかった今回の抗争。

結果は関東桐生初代会長。桐生一馬による独走状態の圧勝であった。

 

「は、反則やろ……あの強さ……」

「どうやら我々は……とんでもない相手を敵に回してしまったようだな……!」

 

残っている東城会側の極道はたったの二人。

嶋野組の兵隊を率いていた嶋野組系植松組組長の植松彰信と日侠連二代目総裁の国枝政志だけとなっていた。

 

「さぁ……残ってんのは、お前らだけだ……!」

「「!!」」

 

息を切らしながら迫る"龍"に、二人は息を飲む。

度重なる極道達との死闘により消耗していると言えど、その身から放たれる"覇気"には微塵も衰えが無い。

桐生はこの数分後には、澤村由美の仇である日侠連の国枝を抹殺し、残った植松から荒瀬の居所を聞き出すだろう。

 

「覚悟……してもらうぜ……!!」

 

二人が身構え。桐生が動く。

その直前。

 

 

 

「────桐生!!」

 

 

 

一匹の緋鯉が、荒れ狂いし龍に待ったをかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────桐生!!」

 

腹の底から声を出し、俺の唯一無二の兄弟分に呼び掛ける。

 

「!…………錦」

 

その声に振り返る桐生の周囲には、勇猛果敢に挑みかかっていた極道達が無惨に転がっていた。

任侠堂島一家の大吾や久瀬。日侠連と思しき白い服の男達や、それ以外の組織のヤクザ達もいるだろう。

そして。

 

「ま、真島……! ?」

 

先程 俺と闘ったばかりの筈の真島吾朗の姿もあった。

桐生が神室町に来ていると知り、あの怪我のままやってきたのだろう。

だが、いくら真島と言えどあの状態で桐生の相手をする事は叶わなかったようだ。

 

「あ……兄、貴…………」

「っ!新藤……!!」

 

自動販売機にもたれかかっていたのは任侠堂島一家の若頭であり、俺の弟分の新藤だった。

右手に握っていた新藤の愛刀は刀身がへし折れ、新藤自身もまた動けない程のダメージを負っているのが見て取れる。

 

「よ、よかっ、た……ご、ご無事、で……────」

 

そう告げると、新藤は意識を手放した。

おそらく新藤は呆気なく気絶させられてしまっていた俺を見て、その為に奮起していたのだろう。

立ち上がった俺の姿を見て、緊張の糸が切れたのだ。

 

「新藤……っ!」

 

俺は再び桐生に視線を向ける。

これ以上の暴虐を、もう許す訳には行かない。

 

「錦……お前……」

「もう止めるんだ……桐生」

 

身体に力が入らない。足元も覚束無い。

ダメージはとっくに限界を迎えていて、吹けば直ぐにでも飛んで行ってしまいそうだ。

それでも。

 

「これ以上……お前の好き勝手にさせる訳には行かねぇ……!」

 

それでも、俺は桐生に挑む。挑まなければならない。

挑んで、この一撃を。

右手に握り込んだメッセージを、伝えなくてはならないんだ。

 

「やめろ、錦……そんな身体で何が出来る」

「うるせぇ……」

 

一歩ずつ、桐生へと近づいて行く。

 

「言ったはずだ……お前じゃ俺には勝てねぇと」

「うるせぇ……!」

 

足を早める。拳を握り込んで、狙いを定める。

 

「なんで……なんでそんなになるまで俺の邪魔をするんだ、錦!!」

「うるせぇぇぇえええええええッッ!!」

 

一気に駆け出し、右の拳を振り上げる。

 

「───ウラァッ!!」

 

俺が突き出した拳に合わせ、桐生は右のボディブローを放った。それでいい。その攻撃は読んでいた。

 

「なっ!?」

「──────!!」

 

桐生のボディブローを俺は左手で受け止めた。

完全に塞がりかけていた手の傷が開き、バンテージのように巻かれた包帯を赤く染める。

それでいい。こんなもん必要経費だ。

 

「────桐生」

 

俺はそのまま桐生の手首を左手で掴まえた。

だが、この程度の拘束などこいつの前ではなんの意味も成さない。ほんの数秒で振りほどかれるのがオチだろう。

それでいい。その数秒があれば十分だ。

 

「────目ぇ覚ませや、この馬鹿野郎ッッ!!」

 

握りこんだ右の拳を今度こそ桐生目掛けて振り抜く。

 

「ぐっ……!?」

 

その一撃は、桐生の胸板を叩くだけで終わる。

今の俺じゃコイツに、ロクなダメージを与える事など出来ない。

でも、それでいい。

今の俺の目的は桐生を倒す事じゃない。桐生を止める事なんだ。

そしてこの一撃こそ、それを成し得る唯一の鍵。

 

「────受け取れ」

 

桐生の胸に当てたまま、俺はゆっくりとその拳を解く。

その中から零れた小さな何かを、桐生は反射的に受け止めていた。

 

「こ、これは……!?」

 

思わず目を見開く桐生。

なぜならそれは、かつて桐生が贈ったプレゼント。

桐生と俺が愛した────澤村由美の形見とも言うべき指輪だった。

 

「────百億が盗まれた現場に落ちていたらしい。これを……シンジが持っていた」

「なに?シンジが!?」

 

関東桐生会舎弟頭。そして 風間組特務構成員。田中シンジ。

桐生の弟分であり風間のおやっさんの子分でもあったあの男。そいつの遺志を、想いを。

ついに俺は、桐生に打ち明ける。

 

「────"俺の為に闘わないで欲しい"……シンジは、お前にそう伝えるよう俺に言ってきた」

「!!」

「────アイツは最期までお前の事を想って、関東桐生会の為に闘い抜き……そして、その役目を俺に託して逝ったんだ」

「シ、シンジ……」

 

桐生の声が震える。同時に、桐生の纏う覇気が収まっていくのが分かった。

届いている。俺の言葉が今確実に、我を忘れていた桐生の心に届いているのだ。

 

「────桐生。シンジの望みは、東城会と関東桐生会の仲を取り持って、親っさんとお前が、前みたいに笑い合える日常を取り戻す事だ。それは、お前だって分かっていただろう……?」

「…………」

「────それなのにお前は、東城会に喧嘩売って、暴れ回って、街を滅茶苦茶にして……こんなの、シンジが望んでるとでも思ってんのか……?」

「に……錦…………」

 

気づけば桐生は、完全に拳を解いていた。

シンジの想いが。アイツのメッセージが。

桐生の中で燃え上がっていた怒りを鎮めている。

 

「────シンジはお前にとって、たった一人の弟なんだろ……?だったら、アイツが死の間際に、俺に託してまで伝えたかったその想いを……汲んでやれよ……!」

「錦…………」

「────それが、兄貴分としてお前に出来る……弔いって奴なんじゃねぇのか……?なぁ……?桐生……!」

 

そして。

神室町を恐怖に陥れた天災────"堂島の龍"は。

 

「し……シンジ…………俺は…………!!」

 

シンジから託された最期の想いを受け止める事で、その矛を納めた。

 

「……ったく…………目、覚ますのが、おせぇ、ってん、だ…………きょう………だい……………────」

 

ここで、ついに限界を迎えた俺の身体が力を失っていく。

 

「錦……!」

 

前のめりに倒れ、胸元に項垂れるように力無くもたれ掛かる俺を、桐生はその体勢のまま受け止めた。

 

(シンジ…………約束、は……果たした、ぜ…………─────────)

 

充足感と達成感に包まれながら、俺は桐生の腕の中で意識を手放す。

これがシンジにとって、せめてもの手向けになる事を願いながら。

 

 

 




叔父貴















────ありがとうございました……!





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束の間の休息

最新話です。
男たちの闘いにも、休息が訪れます。


2005年12月14日。桐生が引き起こした劇場前の暴動事件から一夜明けたこの日。

 

「……ぅ」

 

俺が目を覚まして真っ先に目の当たりにしたのは、白い天井。

 

「おう、気付いたか錦山」

 

そして、そんな俺の顔を覗き込む医者────柄本の姿だった。

 

「柄本、先生……?」

「まだ動くなよ。意識が戻ったからって身体のダメージは簡単にゃ戻らねぇんだ。少なくとも今日一日は安静にしとけ」

「そう、か…………」

 

柄本は呆れた様子で煙草に火をつけると、煙を吐きながら俺に言った。

 

「しっかし……あれだけの騒動の中で良く生きてられたもんだな」

「騒動……?」

 

記憶が混濁するが、俺はすぐに思い出した。

東城会の極道たちが徒党を組んで桐生を襲撃した乱闘事件。

嶋野組、任侠堂島一家、日侠連を相手に一歩も引かず大立ち回りを繰り返す桐生を止める為に俺も参戦したのだ。

 

(ほんとに骨が折れたぜ……)

 

アイツの怒りの拳の前に一度は倒れた俺だが、シンジの想いを背負って何とか立ち上がり 桐生を説得。

由美の形見を渡すことで我に返ったアイツは、握っていた拳を解いていた。

 

「そういや……俺はどうやってここに……?」

 

俺の記憶はそこで止まっている。

緊張が途切れて前のめりに倒れた所を桐生に受け止められ、そのまま意識を手放したからだ。

 

「劇場前が警察でごった返し始めてからしばらく経った頃、伊達がここに運んできたんだ」

「伊達さんが?」

「あぁ。詳しい事は伊達に聞け」

「…………」

 

一日安静を言い渡され、それ以上口を開かずに天井を仰ぐ。

 

(桐生…………)

 

ふと、昨日の事を思い出す。

東城会のヤクザ達を相手に一歩も引かず暴れ回っていた兄弟分。

"堂島の龍"。関東桐生会初代会長。桐生一馬。

そのあまりにも圧倒的な強さを思い出し、俺は身体が震えるのを感じた。

 

(やっぱり、お前は強ぇな…………)

 

桐生のボディブローを受けた時、自分の腹に穴が空いたと錯覚した。

その後すぐに意識が飛んじまってたが、もう一回か二回くらいは攻撃を喰らってる筈だ。

 

(あんな重ぇパンチ、人生で初めて受けたぜ……ったく─────)

 

否が応でも見せ付けられた格の違い。

現実味どころか理想を抱く事すら烏滸がましい程の実力差。

"龍"へ至る道は俺にとって余りにも遠く、険しく、過酷なモノだった。

だが、そんな高すぎる壁を前にして。

 

「────面白ぇじゃねぇか……」

 

俺は燃えていた。

何せ俺が目指すのは"堂島の龍──桐生一馬"が居る領域。

生ける伝説。極道の頂点。様々な呼び方こそあるが、俺は今文字通り──"その道を極め"ようとしているのだ。

簡単な事じゃないのは当たり前だ。

それほどの高みを前に臆していて何が男だ。何が極道だ。

 

(俺ぁ必ずアイツを越える……アイツを超えた先に、俺の目指す極道がある……!)

 

久瀬の言っていた哲学の通りだ。

極道は、張り続ける限り負けはしない。

ここで絶望して折れる事こそが本当の負けなのだ。

 

「錦山」

「……伊達さん」

「よう。意識が戻ったようだな」

 

程なくして、伊達さんが柄本医院にやってきた。

挨拶もそこそこに、伊達さんはその後の顛末を語ってくれた。

 

「あの後、お前をここまで連れて来たのは日侠連だ」

「日侠連が?」

 

日侠連は東城会の直系組織の一つで、裏で汚れ仕事を引き受けていた秘密集団だ。

三代目会長である世良の出身団体でもあるそこは普段はその性質上表立って活動する事は少ないのだが、東城会の敵であり世良とは因縁もある桐生が神室町に来たと知り、兵隊を派遣したのだろう。

実際、あの場には連中と思しき白い服の男たちが何人かいた筈だ。

 

「あぁ。連中はどこで仕入れたか俺の番号にかけてきてな。お前をここにかつぎ込んだ事を教えてくれたんだ。暴れ回る桐生を抑えることが出来たのは、お前のお陰だとも言っていたぞ」

「そうか……」

 

怒りに身を任せ、暴走を繰り返していた桐生。

日侠連の連中は俺のお陰と言っていたらしいが実際はそうじゃない。

俺一人じゃきっと、あの場面で圧倒されたまま終わってた。

 

(桐生を止めたのは、シンジの遺志だ)

 

最後まで桐生の事を想い、風間組と関東桐生会の仲立ちを目論んで行動していた桐生の弟分。田中シンジ。

アイツが託してくれた由美の形見であるあの指輪と、遺志の籠ったメッセージが無ければ、桐生は決して立ち止まらなかった筈だ。

 

「そういえば、その桐生はどうなったんだ?」

「花屋のカメラによると、桐生はその場から逃げ去ったようだ。今、花屋がその動向をマークしている」

 

花屋が桐生の事をマークしているという事は、アイツは今も神室町から出ていないという事になる。

 

(それ、結構ヤバいんじゃねぇか……?)

 

本来であれば今すぐ神室町どころか東京から離れた方が賢明なのだが、桐生にそのつもりは無いのか。

或いは。

 

(いや……もしかしたら逃げたくても逃げられねぇのかもしれねぇ……)

 

今回の事件を引き金に勃発してしまった東城会と関東桐生会の抗争。

ここまで騒動が大きくなってしまった以上、先に引いた方のメンツが潰れてしまう。

東城会は本気で桐生を消しにかかる筈だ。

となれば、神室町まで単身でやってきた桐生をこのままみすみす逃がすとは考えにくい。

東城会が各所で睨みを効かせ、桐生の行方を血眼で追い続けているのであれば 今の桐生が身動きが取れないのにも説明がつく。

 

(あんだけ暴れ回った後なんだ。いくら桐生でも消耗しているに決まってる……)

 

今の桐生に、東城会の包囲網を強行突破出来るほどの体力は残っていないだろう。

もしも見つかって追い込まれてしまえば、今度こそ桐生の身が危ない。

 

(花屋がマーク出来ている内は大丈夫かもしれねぇが、動けるようになったらそっちも気にかけねぇとな……)

 

だが、今はそれよりも優先すべき事がある。

 

「伊達さん。風間のおやっさんの居所が分かったぜ」

「なに?何処だ?」

「芝浦の埠頭だ。近江連合の寺田って男が、匿っているらしい」

「近江連合だと?何故そいつらが風間を?」

 

その名を聞いた伊達さんが驚きの声を上げる。

無理もない、俺も初めて聞いた時は同じ事を思った。

 

「東城会と近江連合は昔から犬猿の仲だろ。風間が人質に取られてるって可能性は無いのか?」

「いや……だからこそかもな」

「なに?」

 

今の伊達さんの発言のお陰で、俺は合点がいった。

 

「風間の親父は昔から顔が広かった。近江連合に信頼出来るパイプがあったとしても不思議じゃない。となりゃ、今回の隠れ先は注目をそらすにはうってつけだ」

 

近江連合がまさか東城会の大幹部を庇うような真似をするはずが無いと、普通ならそう考える。

それはつまり、"そのまさか"を起こせれば多くの追跡の目をかいくぐれるという事だ。

東城会と近江連合は犬猿の仲。そんな周囲や世間の認識を逆手に取った最善策と言えるだろう。

 

「それに、その寺田ってのは……シンジが命懸けで親っさんを預けたヤツだ。それだけでも、信じる価値は充分にある」

「そうか……」

 

親っさんと桐生の仲立ちをする。

そんなシンジの願いは桐生と親っさんのどちらもが欠けてはならない。

シンジが桐生の事を最期まで案じる事が出来たのは、アケミや寺田と言った、風間の親っさんを信頼して預ける事が出来る相手が居たからに他ならない。

 

(まぁ……だからといって信頼し切ってる訳じゃねぇがな。キナ臭ぇ事に変わりはねぇ)

 

消えた100億で揺れ動く不安定な東城会。

その最中で暗躍する近江連合。

敵か味方かの判別が付かない以上、警戒心を捨てる事は出来ない。

 

「錦山。MIA……神宮が目立って動き始めている。さっき本庁に呼ばれて、お前の事を根掘り葉掘り聞かれた。おそらく、神宮から圧力がかかったんだ」

 

ふと、伊達さんがそんな事を言い出した。

今の伊達さんは留置所から俺を脱走させたとしてマークされている。

そんな伊達さんがが本庁に呼ばれたとあれば即懲戒免職。場合によっては処罰、逮捕拘留も有り得る筈だ。

にも関わらず、警察はその事を問い質すでもなく俺の事を聞いてきたと言うのだ。

 

「伊達さん、そりゃ大丈夫なのかよ?」

「へっ、逆だ」

「逆?」

 

俺が問い掛けると、伊達さんは皮肉めいた顔で続けた。

 

「クビになっても可笑しくねぇのに、奴ら、俺がお前とつるんでる内はクビに出来ねぇんだよ」

「なるほどな」

 

何らかの理由で遥を狙うMIAの神宮。

そいつにとって今の俺は、最大の邪魔者と言えるだろう。そんな俺の事は、当然神宮もマークしている筈だ。

伊達さんが俺と居る内はクビに出来ねぇってのはつまり、神宮が俺の動向を把握する為に伊達さんを利用せざるを得ないという事だろう。

まさに皮肉だ。伊達さんの表情も大いに頷ける。

 

「行くんだろ、錦山。芝浦に」

「あぁ……」

 

シンジが命懸けで守り抜いた、俺と桐生の育ての父。風間新太郎。

三代目の葬儀以来会えないままだったあの人との、再会の時が近づいている。

 

(その前に、やらなきゃならねぇ事があるな……)

 

その為にも、今は動ける身体にするのが先決だ。

俺は伊達さんからの情報交換を終えると、その日をベットの上で過ごすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦山が柄本医院で意識を取り戻す頃。

神室町は夜の帳が降りていた。

ネオンの明かりが街を照らし、ディープな魅力と危険な香りが入り混じる本来の姿を曝け出す。

 

「おい、いたか?」

「いや、こっちには居ねぇ。くそっ、どこ行きやがった……!」

「言ってても仕方ねぇだろ。探すぞ!」

 

そんな神室町は今、例年に無いほどの緊張状態にあった。

東城会と抗争状態にある横浜の極道組織、関東桐生会の会長が神室町のどこかに潜んでいる。

その報を聞いた東京中の東城会系のヤクザ達が、血眼になってその会長を探し回っているのだ。

 

「野郎のタマを殺ったヤツぁ一気に幹部だ!お前ら気合い入れて探せや!」

「「「へい!!」」」

 

まさに一触即発。

彼らが獲物を視認した瞬間、その場所は戦場と化すであろう。

 

「…………」

 

そして、天下一通りにあるとあるビルの路地裏からそんな街の風景を見つめる男が一人。

ダークグレーのスーツとワインレッドのシャツは少しくたびれ、彫りの深い顔立ちにはここに至るまでの闘いで受けた傷があり、その表情には明らかに疲れが出ている。

 

「チッ……」

 

彼こそ、現在東城会の極道が必死に探し回っている男。

関東桐生会初代会長、桐生一馬。その人である。

 

(街中どこに居ても東城会の連中が張ってやがる……ここがバレるのも時間の問題だ……)

 

昨日、東城会の極道を相手にたった一人で大立ち回りを繰り広げた彼は今、まさに命の危機に瀕していた。

 

(くそ……………)

 

兄弟分である錦山彰の説得により東城会を相手に拳を振るうことを止めた桐生だったが、それまで散々な目に遭わされた東城会側が今更になって桐生に対する矛を納める事は無い。

桐生は十数時間もの間、街から出る事を許されず かつ一睡も出来ぬまま東城会からの容赦ない追い込みに晒され続け、敵に見つかっては撃退するというプロセスを繰り返して来た。

連戦に次ぐ連戦の影響で少なくない傷を負い、疲弊が重なった桐生はやがて逃げの一手を強いられる事になり 現在の状況に至っている。

 

「……!」

 

ふと、桐生は自身のいる路地裏の空き地へと向かう足音を聞いた。

 

(誰だ……?)

 

桐生は直ぐに警戒レベルを上げ、静かに構えを取る。

もしも追っ手のヤクザだった場合は仲間を呼ばれる前に実力行使で黙らせる必要があるからだ。

しかし。

 

「ん……?あっ」

「な……!」

 

数秒後、路地裏へと足を踏み入れたのは追っ手のヤクザでは無かった。

 

「桐生、ちゃん……?」

 

彼をそう呼称する人物は、この世に二人しかいない。

一人は桐生を執拗に狙い続ける嶋野組の若頭。真島吾朗。

そして、もう一人は。

 

「麗奈…………」

 

桐生がかつて馴染みにしていた高級クラブ"セレナ"のママ。麗奈だった。

 

「桐生ちゃんじゃない!いつ神室町に戻って来たの?って、そのケガは……!?」

 

麗奈にとっては実に五年ぶりとなる再会。

それを喜ぶ間もなく、麗奈は桐生の怪我に気が付いた。

 

「あぁ……色々、あってな……」

 

その問いに対する桐生の歯切れは非常に悪い。

何をどこから説明すれば良いのかが分からないと言うのもあるが、桐生は麗奈と言う人物の性格をよく知っている。

 

「……分かったわ。とにかく店に上がって。」

「いや……それは……」

 

どんな理由があれど、傷ついた知人を目の前にして放って置くことはしない。

だが、その優しさは今の桐生にとって受け入れ難いものだった。

 

(今の俺を助けたら、麗奈は東城会に狙われちまう……!)

 

今の桐生は東城会にとって抹殺の対象である。

そんな桐生を匿ってしまえば、麗奈に危害が及ぶ事は今の桐生であっても容易に想像が出来る事だ。

 

「良いから。私についてきて」

 

麗奈は言い淀む桐生の目を見て真っ直ぐに言い放つ。

その態度はまさに"有無を言わさない"を体現していた。

 

「麗奈……」

 

桐生は麗奈の人間性をよく知っている。

一度こうなってしまえばテコでも動かないという事も。

 

「……分かった」

「さ、こっちよ」

 

麗奈の圧力に折れた桐生は彼女の後に続くようにビルの階段を登り、裏口からセレナへと入る。

桐生にとって五年ぶりとなるセレナは、彼の知る頃と少しも変わらない姿のままで迎え入れた。

 

「フッ……相変わらず静かな、いい店だな」

「まだ開店前だからね。でも、今日は店を開けない方が良さそう」

 

そう言いながら麗奈はバックヤードに入ると、中から救急箱を取り出してホールへと戻って来た。

 

「何故だ?」

「だって、桐生ちゃんがそんなケガしてるのなんて絶対ロクな事じゃないもの。ほら、座って」

 

麗奈は手にした救急箱をテーブルに置くと、桐生にソファに座る事を促した。

 

「…………───────」

 

柔らかいソファに腰を下ろした途端、桐生の全身が一気にその緊張を解いた。

久方ぶりに訪れた安息の時間を実感し、疲労感が一気に押し寄せる。

 

「さ、服を脱いでじっとしててね。」

「あぁ」

 

桐生は言われた通りに上半身の服を脱ぐと、戦いの中で鍛え抜かれた肉体を曝す。

その身体には痣や打撲痕、小さな裂傷などがあり、ここに至るまでの道のりが如何に険しかったかを物語っている。

 

「ひどい……一体何があったらこんなになっちゃうのっよ……」

 

麗奈がそう言って馴れた手付きで桐生に手当を始めた。

傷口を消毒し、ガーゼや包帯などで適切な処置を施していく。

それを眺めながら、桐生はふと口にした。

 

「そういえば……昔もこうして、麗奈に手当をして貰ったな……」

「あ……それ、カラの一坪の時の話?」

「あぁ……あの時もこうして、麗奈に無理やり連れて来られたんだ」

 

今から十七年前に起きた、堂島組のお家騒動。カラの一坪事件。

その際に堂島組から命を狙われていた桐生を、麗奈は持ち前の優しさと頑固さでセレナに連れ込んだのだ。

 

「しょうがないじゃない。あの時は、あぁでもしないと桐生ちゃん来てくれなかったんだから」

「当たり前だ。現にその後、麗奈にも迷惑かけちまったからな」

 

その結果、麗奈は桐生を匿った協力者として追っ手のヤクザに手を挙げられてしまったのだ。

 

「ん?ちょっと待って……?」

 

それを聞いた麗奈は当時を思い出すのと同時に、あることに気付いた。

東城会と騒動を起こして組織を離脱した関東桐生会。

そんな組織の長である桐生が今、神室町にいる理由。怪我をしている理由。

そして、街中で殺気立ったヤクザが徘徊している今の神室町。

 

「じゃ、もしかして今回も……?」

「……あぁ」

 

麗奈の問いに桐生は静かに頷く。

桐生が、自分の置かれた状況が十七年前のあの時と酷似している事を肯定した瞬間だった。

 

「だから麗奈。俺は手当てが終わったらすぐに店を出る」

「でも桐生ちゃん……」

 

当時、桐生には風間新太郎の息のかかった"立華不動産"と言う組織が味方にいた。その時は彼らの力を借りる事で窮地を脱した桐生だったが、護衛も付けずたった一人で神室町を訪れた今の桐生は文字通りの孤立無援。

東城会のヤクザ達が街中に包囲網を敷いている以上、関東桐生会の助けを期待する事は難しい。

桐生にとって今の状況は、カラの一坪の時よりも悪いと言える。

 

「もしもまたあの時みたいに、麗奈に被害が及んじまったら…………俺は、錦に顔向け出来ねぇ」

「えっ……錦山くんに……?」

 

突然自身の想い人の名前を出されて困惑する麗奈に、桐生はこう続けた。

 

「ここに来る前、賽の河原で聞いた。任侠堂島一家に、拉致されたんだって?」

「!……えぇ」

 

つい数日前の事。

桐生の命を狙う任侠堂島一家の策略により、錦山を呼び出す為の餌として麗奈は拉致されてしまった。

それに激高した錦山がたった一人で東堂ビルへと殴り込み、久瀬大作や堂島大吾と言った強敵を退けて相談役の堂島弥生と話を付けた事でその騒動は幕を閉じた。

それを花屋から聞かされていた桐生は、これ以上麗奈と関わる訳には行かなかったのだ。

 

「そんな麗奈をアイツは命懸けで救い出した。なのに、また俺のせいで騒動に巻き込んじまったら元も子もねぇ」

「桐生ちゃん……」

「だから……ん?」

 

その時、桐生はセレナのエレベーターの音を聞いた。

それはつまり、誰かがこのセレナへと訪れようとしている事に他ならない。

 

「嘘、もうエレベーターはこの階には止まらない筈なのに……!」

「…………」

 

桐生は酷い既視感と同時に嫌な予感を抱く。

まるで十七年前の焼き回しのようなこの状況。

 

(まさか……)

 

そして、その予感は当たってしまう。

 

「────やっぱりここですか。」

 

現れたのはスーツ姿の一人の男。ショートリーゼントの髪型に、傷だらけながらも精悍な顔つき。

胸元に光るのは極道の代紋。

 

「お前……!」

「昨日ぶりですね、桐生の叔父貴」

 

東城会直系任侠堂島一家若頭。新藤浩二。

昨日の抗争の際に桐生と闘った極道の一人である。

 

「叔父貴ならきっと、ここに逃げ込むんじゃないかと思いましてね。当たりを付けて張ってたんですが、思った通りでした。全く、してやられましたよ」

 

新藤はそう言うと懐から拳銃を取り出して桐生に銃口を向ける。

彼は桐生を躊躇いなく殺すつもりでいた。

 

「ですが、こうして出会ってしまった以上は無視する訳には行きません。叔父貴、お覚悟を」

「待って!」

 

そこに麗奈が待ったをかけるように立ち塞がった。

 

「麗奈さん、そこを退いて貰えませんか?」

 

新藤の持つ拳銃にも一切臆する事無く、真っ向から対峙する度胸を見せる彼女に新藤はそう投げかける。

 

「いいえ、退かないわ。ここは私の店よ。勝手な真似は許さない」

 

しかし、麗奈は毅然とした態度を崩さず決して譲ろうとしない。

 

「それに……貴方はきっと撃てない」

「……なんですって?」

「麗奈……!」

 

それどころか極道相手に啖呵を切る麗奈に、桐生は戦慄した。

その発言は、ヤクザを甘くみているとも取られかねないからだ。

 

「どういう意味ですか?」

「貴方は数日前、錦山くんと組の代表として約束をした筈よ。"私には手を出さない"って。今引き金を弾けば……その約束を破る事になる。」

 

麗奈は錦山が先日新藤と交した麗奈及び錦山の周りの人間に対する不可侵条約を盾にする事で、桐生の身を護ろうとしていた。

しかし、それはあまりにも分の悪い賭けと言える。

 

「そんな口約束を、俺が律儀に守るとでも?」

 

新藤はヤクザだ。親からの命令を絶対とする彼の立場に対し、麗奈が提示しているのは契約書も押印もないただの口約束。

破った所でどうと言う事は無いのだ。

 

「他のヤクザならともかく……貴方は錦山くんを裏切れないわ。きっとね」

「俺たちにとって親の命令は絶対です。桐生の叔父貴を殺せと言われたら、たとえ何があったとしても殺すしかない」

 

新藤が拳銃の撃鉄を起こす。

あとは引き金にかけた指を引くだけ。たったそれだけで、麗奈と桐生の命は奪われる。

 

「そう……なら撃ちなさい。」

「……本気で言ってるんですか?」

「私だってこの街の住人よ。あの人を……錦山くんを好きになった時から、覚悟は出来てるわ」

 

その危機に直面してもなお、麗奈はその態度を崩そうとはしなかった。

 

「よせ、麗奈!」

 

そう警告する桐生だったが、時は既に遅く。

新藤はその引き金を引いた。

 

「麗奈!!!!」

「っ……!!」

 

桐生の悲鳴じみた絶叫が響く。

麗奈は自身が撃たれたと一瞬だけ錯覚した。

そう、錯覚である。

 

「────なんてね」

「えっ……?」

 

自分の身体に走るはずの痛みも衝撃も無い事に驚く麗奈に対し、新藤はアッサリと殺気を解くと"撃鉄が落ちて硬い音が鳴っただけの"拳銃を仕舞い込んだ。

 

「新藤……お前、どういうつもりだ」

「だから言ったでしょう叔父貴?"してやられた"って」

「なんだと?」

 

桐生の問いかけに対し、新藤はさも当たり前のように続ける。

 

「麗奈さんの事をよく知ってるのは、叔父貴だけじゃないってことですよ」

「どういう意味だ?」

「……麗奈さんは気丈でお優しい方だ。桐生の叔父貴という昔馴染みが逃げ込んで来たとあればまず間違いなく拒む事はしないでしょうし、叔父貴を匿ったり庇ったりする事に躊躇はしないでしょう。そしてさっき麗奈さんが言ってた通り……俺は麗奈さんに危害を加える事は出来ません。要するに、アンタがこの店に来た時点で俺はアンタを殺せないんですよ。」

 

新藤は東城会の極道であるが、同時に錦山彰の弟分でもある。

そんな尊敬する兄貴分の女である麗奈を傷付ける事は出来ない。

 

「もっとも、桐生の叔父貴はそこまで考えちゃいないでしょうけどね」

「新藤くん……その、私が言うのもなんだけれど、本当に良いの……?」

 

それでも親が殺れと言えば殺らなきゃ行けないのが極道の世界。

新藤がこの場において桐生を殺さないというのは、明らかな不義理と言えるだろう。

 

「勿論良い訳ありませんよ。もしも俺が末端のチンピラなら、どう足掻いた所でアンタら二人とも殺すしかない」

 

親が絶対の世界で自分の我を通す為には、親を納得させるだけの"立場と言い訳"が必要になる。

 

「ですが……今の俺は任侠堂島一家のカシラです。上の命令だけ聞いてりゃいい鉄砲玉とは違う。組の運営や存続の事も考えなきゃいけません。ここで麗奈さんごと叔父貴を殺せば……錦山の兄貴は今度こそ、俺らを潰しにかかるでしょう」

 

新藤の兄貴分である錦山彰は麗奈が攫われた際に烈火の如く怒り たった一人で組事務所へと乗り込み、文字通り組織の中核を壊滅させた。

その時は新藤が頭を下げ、錦山の周囲の人間に対する不可侵条約を結ぶ事で決着したが、もしもその新藤からその約束を反故にするような事があれば。

 

「そうなれば今度こそウチの組は終わりです。俺は嫌って程 本気でキレた兄貴の怖さ知ってますから」

 

解散、などにはならない。

任侠堂島一家は文字通り"潰える"事になる。

堂島家の二人はもちろんの事、最高顧問の久瀬、末端の構成員、そして新藤自身。

まとめて皆殺しにするまで、錦山彰は止まらないだろう。

 

「ここでアンタらを生かす事は、今後の組の存続に関わる……って事にでもしないと、バレた時に言い訳が立ちません。ホント、麗奈さんには"してやられましたよ"」

「新藤くん…………」

 

新藤は自身の立場と己の感情の板挟みになりながら、それでも桐生を生かす事を選んだ。

この決断が組にとって、ひいては東城会にとってどのような結果を齎すかは誰にも分からない。

ただ新藤の心は晴れたのか、その表情はどこか明るかった。

 

「……俺は引き続き、任侠堂島一家の極道として店の周囲を張っています。すみません麗奈さん。"さっきのは人違いだったようです"。」

「新藤、お前…………」

「ですが……もしも桐生の叔父貴が店を出入りする事があれば容赦はしませんので、そのつもりで。」

 

それだけを言い残し、新藤は店を去っていった。

彼は言外にこう言っていたのだ。"店の中にいる間だけは見逃してやる"と。

 

「……新藤くんに助けられたわね」

「ああ……そうだな」

 

麗奈の機転と度胸。そして新藤の義理堅さが生み出したのは、桐生にとっては何よりも有り難い休息の一時だった。

 

「桐生ちゃん、今夜はここに泊まってって。せっかく出来た時間なんだもの。たまにはゆっくりしないとダメよ」

「あぁ、そうさせてもらう……ありがとうな、麗奈」

 

こうして、桐生にとって平穏なまま12月14日の夜は更けていく。

 

 

 

 

それはまるで、嵐の前の静けさのようでもあった。

 

 

 




次回、錦が如く。新章開幕。


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第十八章 父の心
再始動


新章開幕です!


2005年12月15日。時刻は午後の18時頃。

神室町の西公園──賽の河原の広場にて、二人の男が拳を交えていた。

 

「ハァァッ!!」

「シャァッ!!」

 

一人は齢七十を越えようかという老人で、もう一人は三十代後半の壮年の男だった。

一回り以上年の差の離れた彼らが、気合いの声を上げながら互いの技をぶつけ合っている。

 

「ゆくぞ……!!」

 

やがて老人が中国に伝わる太極拳のようなゆったりとした──それでいて緊張感の伝わる動きを見せる。

 

(来る……!)

 

これまでの闘いの中で、男は理解していた。この動きの後に"大技"がやって来る事を。

 

(────呼吸を鎮めろ。間合いを見測れ。)

 

全神経を集中させ、間もなく来る大技に備える。

身体を脱力させ、精神を研ぎ澄まし、老人の細やかな動き全てを注視する。

そして。

 

「────噴ッ!!」

 

刹那。

数メートル離れていたはずの老人が、男のすぐ近くまで迫っていた。

 

「破ッッ!!」

 

裂帛の気合と共に放たれるは、刃の如き鋭さと弾丸のような速さを併せ持った必殺の一撃。

遠い距離から一瞬で至近距離に入った老人の繰り出すその技を回避する術は存在しない。

かと言って防御に回ればその守り諸共打ち砕かれてしまうだろう。もはや、この技を受ける他は無い。

 

「─────────────!!!!」

 

しかし。そんな不可能を男は可能にしてみせた。

彼が今まさに叩き込まれている武術。

その"奥義"を開帳し、老人の一撃よりも早く攻撃を仕掛けたのだ。。

 

「ぐぉっ!?」

 

そのあまりの威力に悶絶する老人。

男はその隙を逃さなかった。

 

「セェィヤッ!!」

 

真上から振り下ろされる右拳の鉄槌は、正確に老人の顔面を捉えた。

まともに受けた老人が後方へ吹き飛び、背中から地面に叩き付けられる。

 

「ぐ、ぬぉ…………」

「シッ!!」

 

身動きの取れない老人目掛け、男が追撃の拳を振り下ろす。

が、その一撃は既の所で静止し打ち込まれる事はなかった。

 

「────よう。合格って事で良いよな?じいさん」

 

そして男────錦山彰は不敵な笑みを浮かべながら突き出していた拳を解き、そのまま老人に手を差し伸べた。

 

「────うむ、見事じゃ」

 

老人────古牧宗太郎はそう言うと、錦山の伸ばした手を取って立ち上がる。

その顔はどこか満足げだった。

 

「よくこの短期間でここまで成長したの。やはりワシの目に狂いは無かったか」

 

錦山彰が江本医院を出て最初に行った事。

それは、賽の河原にて古牧流古武術の現当主である古牧宗太郎からの手解きを受ける事だった。

古牧流が興ったのは戦国時代。まだ日本人が刀や槍で命のやり取りをしていた時代に生まれたものであり、その代の当主達が時代に合わせたアレンジを加えながら受け継がれてきた武術である。

ヤクザやマフィアなど、危険な連中を相手取る上でこれ以上無い戦闘術と言えるだろう。

 

(今の俺が桐生を超える為には、これしかねぇ。何せ上手く行けば100倍は強くなれるって触れ込みだからな)

 

錦山は古牧が自分を内弟子に勧誘してきた時のセリフを思い出し、今以上の強さを手に入れる為に修行を付けて貰ったのだ。

大切な人や仲間達を護る為。

そして、己の掲げた野望も叶える為に。

 

「初めて手解きを受けてからの数日、毎日が喧嘩の連続だったんでな。おかげで、稽古相手には事欠かなかった」

「うむ。そして今や古牧流の"奥義"も修めてみせた。もはや、ワシから教えてやる事は何も無い」

「じいさん。って事は……?」

「左様。本日をもって、お主は古牧流の免許皆伝じゃ。」

 

免許皆伝。それは即ち、当代における古牧流の技を全て修めた事を指す。

錦山は強くなったのだ。

"嶋野の狂犬"や"堂島の龍"相手に蹴散らされた時とは、別人とまで言える程に。

 

「じゃが、これに満足し鍛錬を怠るでないぞ?免許皆伝は決してゴールでは無い。錦山よ。これからはお主が、お主の闘いの中で磨いていくのじゃ。お主だけの"古牧流"を、のぅ」

 

錦山は古牧流の全ての技を使えるようになった。

だが、技を"使える"のと技を"究める"のとでは訳が違う。

闘いの中で技を洗練させていく事こそが古牧流の真骨頂。古牧宗太郎をはじめ、当代の当主達が加えてきた"アレンジ"の正体がまさにそれなのだ。

 

「あぁ、分かってる。じいさんからの教え。絶対に無駄にはしねぇ」

「うむ。では錦山よ、後は野に出て鍛えて参れ!ワシの一番弟子としての力を、お主の敵に見せつけてやるのじゃ!!」

「────押忍!!」

 

気合を込めて返事をし、錦山は踵を返す。

その先には、遥や伊達といった彼の仲間達がいた。

 

「あ、おじさん!」

「錦山、戻ったか」

「あぁ、待たせて悪かったな」

 

すっかりアジトとなった賽の河原のプレハブ小屋の前で

、錦山は遥たちと合流を果たす。

 

「もう、芝浦に行く準備は出来たのか?」

「あぁ……これでもうやり残した事はねぇ。」

 

古牧との修練を経て、錦山は己の強さに絶対の自信を持っている。

今の自分なら、たとえ相手が桐生であっても遅れは取らない。何があっても大丈夫だと言う確信があるのだ。

 

「そうか……俺はお前とは別行動で、MIAと神宮の線をあたってみる」

「分かった。そっちは任せたぜ」

「あぁ」

「遥……行くぞ」

「うん……!」

 

伊達に別れを告げ、錦山は遥を連れて行動を開始した。

行き先はもちろん、風間新太郎の待つ芝浦埠頭である。

 

「いよいよだね……おじさん」

「あぁ……ようやく、全てを知る事が出来る。」

 

自分が服役中の十年の間に起きた出来事の数々。

今夜、ついにその最後のピースが手に入る。

 

(優子……生きていてくれよ……!)

 

そして、それと時を同じくして。

この男もまた、行動を起こそうとしていた。

 

「じゃあ……行ってくる」

 

神室町天下一通りのクラブ。セレナ。

錦山にとっての馴染みの場所には今、彼の見知った顔があった。

 

「もう、行くのね?」

 

セレナのママ、麗奈が声をかけた先に居たのは。

 

「あぁ……世話になったな。麗奈」

 

関東桐生会初代会長。桐生一馬。

東城会によって命を狙われた事で神室町に逃げ場の無かったこの男は、錦山の弟分であった新藤のお目こぼしによって安息の地を手に入れていたのだ。

しかし、当然いつまでも匿って貰う訳にはいかない。

桐生は、やるべき事があって東京に来ているのだから。

 

「桐生ちゃん……」

「ん?」

「私ね……錦山くんと、約束した事があるの」

「錦と……?」

「うん……」

 

そう言うと麗奈はバーカウンターの中に入り、一本のボトルを取り出した。

 

「この事件を解決させたら、みんなでお酒を呑もうって。錦山くんに桐生ちゃん。優子ちゃんや風間さん。そして、由美ちゃん。みんなを交えて、ね」

 

それは、錦山が愛飲していたブランデーの銘柄。

出所したての錦山が初めて店を訪れた時に栓を開けた品だった。

 

「それから錦山くんは事件に巻き込まれていった。何度も危ない目に遭いながら、それでも立ち向かっていった。その約束を守る為に」

「麗奈……」

 

麗奈はボトルの栓を開け、琥珀色の液体を二つのグラスに注ぐ。

その内の一つを、桐生の前に差し出した。

 

「だから桐生ちゃん。私達ももう一度約束しましょう?錦山くんの願いを叶えるためには、もうこれ以上……誰も欠けちゃいけない。」

「……あぁ、そうだな」

 

桐生は静かに頷くと、差し出されたグラスを手に取って軽く掲げた。

それに倣い、麗奈もグラスを持ち上げる。

 

「私は、この店を守り続ける。何があっても、絶対に」

「俺は、この事件に決着を付ける。錦の想いに、応える為に」

 

そして二人は共にグラスを飲み干す。

十年前、錦山の帰る場所を守ると誓ったあの時のように。

 

「じゃあ、行ってくる」

「うん……気をつけてね、桐生ちゃん」

「あぁ」

 

身体の芯から広がっていくブランデーの熱を感じながら、桐生はセレナの裏口を出た。

 

「────ようやくですか。待ちくたびれましたよ、叔父貴」

 

そして、階段下で待つ極道と視線が交わる。

任侠堂島一家の若頭。新藤浩二だ。

 

「新藤……」

「そこを出てしまえばもう、貴方を守るものはもう何も無い。」

 

問い掛ける新藤の声に呼応し、彼の周りには次々とヤクザ達が集まり始める。

全員、任侠堂島一家の構成員だ。

 

「──要するに覚悟は出来たって事ですよね?」

「……あぁ」

 

静かに拳を握り、眼下のヤクザ達を睨みつける。

そこに居るのはもはや、セレナで穏やかに過ごしていた桐生一馬では無い。

数多の激戦を潜り抜け、幾多の強敵を乗り越えて来た生ける伝説。"堂島の龍"に他ならなかった。

 

「フッ────」

 

非常階段の手すりを飛び越え、ヤクザ達の中へと降り立った人型の"龍"。

ヤクザ達が臨戦態勢を整える中。

 

「────行くぞぉ!!」

 

桐生がついに、反撃の狼煙を挙げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芝浦埠頭。

桐生からの呼び出しを受けて数日前に訪れたきり来ていなかったその場所に、俺と遥は辿り着いていた。

時刻は午後19時。すっかり日が落ち、海の向こうに夜景が見えるそこに一台の船が停泊していた。

 

「アレだな」

 

よく見ると、停泊している船の周りには何人かスーツ姿の男達が居る。

 

「─────」

 

ふと、その中の一人がこちらに気付き頭を下げる。

それにつられるように周囲の男達も頭を下げた。

親っさんの息がかかった構成員と見て間違いないだろう。

 

「あれ……」

「ん?」

 

遥の視線の先は船の上。船内への入口近辺に向けられている。

その視線を追った先に、俺は一人の男を見た。

白いスカーフの上から黒いコートを身に纏ったその男は大柄で恵まれた体格をしており、遠目で見ても唯ならぬオーラが感じられる。

 

「あの人……多分バッティングセンターで会った人」

「なに……?」

 

遥の言う"バッティングセンターで会った人"と言えば、一人しかいない。

 

「例の、"知らないオジサン"か?」

「うん。ペンダントの事教えてくれた」

 

真島に囚われた遥の縄を解き、ペンダントの価値を遥に告げた人物。暗がりで顔が見えなかった遥がそれでもその正体に気付いたのは、男の放つオーラや体格によるものだろう。

 

「…………」

 

男は黙ったまま船の中へと足を踏み入れた。

あの様子だと、アイツも風間のおやっさんの味方なのだろう。

 

「よし……遥。俺たちも行くぞ」

「うん」

 

遥かに声をかけ、停泊している船へと近づく俺達。

周囲の護衛にあたっていた構成員達への挨拶もそこそこに、乗り込み用の階段を使って上へと登る。

船への入口のドアを開けた先に待っていたのは、先程の男。

 

「お待ちしておりました……錦山さん」

 

そう言って頭を下げたその男の話口調は、標準語ではあったものの関西の訛りがあった。

そこで俺は確信する。目の前の男の正体に。

 

「自分は、五代目近江連合の──」

「寺田、だな?シンジとアケミが親っさんを預けたって言う……」

「……えぇ、おっしゃる通りです」

 

寺田は名前を言われた事に少し面食らった様子だったが、すぐにその表情を正した。

 

「近江連合の人間が、どうして風間の親っさんを匿うんだ?」

 

俺は、既に自分の中で納得している疑問を敢えてぶつけた。

 

「錦山さんと同じですよ。俺も風間さんには返し切れない恩が……」

「……そうか」

 

返ってきたのは思っていた通りの答えだった。

風間の親っさんの仁義によって救われたその男。

それが人徳となって親っさんをここまで守るに至った。

想像に難くないし、納得も出来る。

 

(だが、まだ信用するには早ぇ……)

 

近江連合と東城会とは犬猿の仲。

今回はその常識を逆手に取って身を隠した親っさんだが、元々東城会に居た俺としてはおいそれと寺田を信じる訳にはいかない。

場合によってはコイツもまた、近江連合の立場から東城会を利用しようとしている可能性すらもあるのだから。

 

「風間さんがお待ちです……こちらへ」

「あぁ」

 

寺田に言われるまま、俺はその後をついて行く。

元々は小型のクルーズ船だったのだろうか、中の内装は中々に豪華な仕様だった。

おそらく、バブルの頃に購入したものを保有していたのだろう。

 

「どうぞ」

 

やがて寺田が一つの客室のドアを開けた。

案内に従い、俺はその部屋へと足を踏み入れる。

そして。

 

「……!」

 

スーツ姿でベッドに腰かける人物と目が合った。

オールバックの白い髪と、着こなされたスーツ。

怪我は未だ完治していないのか点滴用の台を傍に置いているが、力強い瞳と威厳ある佇まいは微塵も翳りがない。

 

「よく来たな……彰」

 

そう言って優しい表情を浮かべて迎え入れてくれたのは俺と桐生の渡世の親であり、ひまわりの子供達全員の育ての父。風間新太郎だった。

 

「親っさん……!よくご無事で……!」

「すまなかった……苦労を掛けたな」

 

実に約一週間ぶりの再会に、俺は目頭が熱くなる。

三代目の葬儀の時、目の前で親っさんが撃たれて以来なのだ。無事でいてくれた事に俺は心から安堵した。

 

「────」

 

寺田が無言で客室のドアを閉め、部屋を去る。

久々の再会に遠慮してくれたのだろうか。

 

「あの寺田って男は……もともと俺と同じ"元・ヒットマン"だ」

 

そんな事を考えていると、親っさんが寺田の事について教えてくれた。

 

「確か、親っさんに恩義があるって話でしたが……」

「あぁ。昔、俺が"仕事"をした現場で、少しな。」

「そうだったんですか……」

 

仕事、と言うのは親っさんがやっていたヒットマン──殺し屋としての役目の事だろう。

その先で親っさんと出会い、恩を感じた寺田。

色々な状況や経緯が想像出来るが、そこは今は良いだろう。

 

「近江連合本部長の肩書きで、東城会に探りを入れてもらっていたんだ。」

「近江の本部長……あの寺田って、そこまでの人物なんですか?」

 

本部長と言えば、組織の中でもNo.3やNo.4に位置する程の立場だ。それも日本最大の極道組織である近江連合のだ。

かなりの大物なのは間違いないだろう。

 

「あぁ。嶋野組や任侠堂島一家を中心に、東城会内部での裏切りや反乱を企てている可能性のある組と接触を図り、その内情を把握するためにな」

「そう言う事だったんですね……」

 

裏切りや反乱を企てているような組は寺田からの誘いに乗るか、手を組もうとする。しかし本家に忠実な組織であればそれを跳ね除け、自身のいる東城会を守ろうとする。

その基準を判断材料として裏切り者を炙り出し、組織内の"膿"を一掃する。

跳ねっ返りの極道を扱う上で、実に理にかなった策と言えるだろう。

 

「なぁ、彰……これからお前に、この十年間に隠された全てを話す。いいな?」

「……はい」

 

俺は気を引き締めた。

ついに。ついにこの時が来たのだ。

俺がここまで追ってきた謎。

 

 

その全てが今、明らかになる。

 

 

 




次回 錦が如く

真相


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真相

最新話です。
ついに謎が明かされます。


2005年12月15日。

東京都港区。芝浦埠頭に停泊した一台のクルーズ船。

その船内にて、ついに俺は育ての親である風間の親っさんと再会していた。

そして、全ての謎が今明らかになろうとしている。

 

「まずは……遥の事から話していこう。遥の母親の美月は、由美の妹じゃない。美月と言うのは、かつて由美が外行きで名乗っていた偽名だった。」

 

その話は知っている。桐生がまだ東城会にいた頃、由美が他の組織から狙われないようにする為の策だったと。

 

「えぇ。それを親っさんから提案された桐生と由美は、それを受け入れた」

「あぁ。だが……五年前のクリスマス。遥の母である由美は……死んだ」

「………………」

 

桐生の話では、由美は優子と一緒に出かけていた際に日侠連に拉致されたらしい。

共に拉致された優子を守る為にその身を犠牲にした由美は日侠連の男達に弄ばれ、桐生に最期の言葉を遺して息絶えた。

 

「何故、由美は死ななければならなかったのか……その理由は、遥の父親にある。」

「!!」

 

遥の父親。ここまで明らかにならなかったその正体だが、俺はそれに心当たりがあった。

 

「まさか……その父親ってのは……!」

「あぁ……神宮京平だ」

 

神宮京平。警察庁出身の代議士であるその男は、政府直属の裏組織である"MIA"の首領でもある。

そして、100億のペンダントを狙う事件の黒幕。

 

(くそっ、嫌な予感が当たりやがった……!)

 

俺が最初に違和感を覚えたのは、MIAの連中とスターダストでやり合った時だ。

あの時、100億の鍵を握るペンダントを手に入れようとしていたMIAは、遥を人質に取った時に容赦なく銃口をあの子に突き付け、あろう事かその後に屋内で銃撃戦を行ったのだ。

跳弾の可能性もあり、遥を巻き込みかねない危険な行為だった。

それらの行動から、奴らの優先順位が浮き彫りになっていく。

 

(100億を優先、遥の身柄は二の次。最悪の場合殺しても良い…………いや、もしもペンダントだけ手に入れてたら遥を殺す事すら視野に入れてた可能性もあるな)

 

神宮が100億と遥の命を狙う理由。その一端が明かされた。

"遥が生きていると神宮にとって不都合な事がある"という事。

 

「それにしても……由美はどうして神宮と?奴と由美はどこで知り合ったんですか?」

 

墓地で桐生の口から聞かされたのは遥と新一が由美の子供であるという事だけ。

桐生と由美の間に子供が出来るのはまだ分かるが、神宮と由美の関係については聞きそびれていた。

 

「由美が事件のショックで記憶を失っていたのは、知っているな?」

「はい……」

「神宮は世良と深い繋がりがあって、よく東城会に出入りしていた。その時、偶然由美と知り合ったんだ」

「神宮と、世良会長が?」

「あぁ。政界を目指す神宮は世良から裏でバックアップを受けていたんだ」

 

政治家と極道の癒着。

代議士にとってはスキャンダル以外の何者でもないが、相手が関東の裏社会のトップともなればそのリスクを負ってでも得られるリターンは多いだろう。対立候補の政党を暴力で脅したり、裏金で抱き込んだり、邪魔な立候補者を秘密裏に消したりなんて事も簡単に出来る。

世良が会長を務めた長期政権時代を考えると、神宮は相当なバックアップを長年受けていた事になる。

 

「神宮は由美と出会って、恋をした。そして記憶を失っていた由美は、心の隙間に入ってきた神宮を受け入れた」

「親っさんは……それを止めなかったんですね?」

「……あぁ」

 

いくら記憶を失っているからと言って由美が神宮のような外道に惹かれるとは考えにくいし、何よりそれなら親っさんは止めるはずだ。

それが意味するところは一つ。

 

(神宮も、最初からゲスな奴じゃ無かったって事か)

 

もしも神宮と幸せな生活が送れるのなら、極道社会とは縁が切れるかもしれない。

親っさんも桐生も極道者だ。二人のそばに居るよりも、その方が幸せを掴めるのかもしれない。

当時の親っさんはそう考えたのだろう。

 

「そして由美は、神宮の子を産んだ。それが遥だ」

「…………」

 

俺は、遥の表情から目を逸らすように後ろを向いた。

見れなかったのだ。実の父親から自分が命を狙われている事を知った、あの子の顔を。

 

「だが神宮の元に総理の娘との縁談が舞い込み、その時籍を入れていなかった由美は自ら身を引いた。神宮の為を思ってな」

 

政略結婚、なんて言葉がある。

自分より上の立場の人間、又は有用な人脈の家柄に取り入る為に結婚をするというものだ。

古くは武士がいた時代から存在するそれは、この平成の世においても例外では無い。

神宮にとってその縁談は、政界でのし上がるためには必要なものだったに違いない。

 

「だが、愛した男と離れ離れになる悲しみは由美を深く傷付けた。そんなあの子に再び光を与えたのが、一馬だったんだ」

「桐生……」

「俺はアイツに、殴られる覚悟をして全てを打ち明けた。だが、由美を想っての行動なら言う事は無いと俺の独断を許した。代わりに一馬は、由美と会わせてくれと俺に頼んで来た」

 

惚れた女が記憶を失い、写真を見せればトラウマを呼び起こす。そんな状態でも幸せを掴めるならそれも良い。桐生は当時そんな事を思ったんだろう。だが、それが崩れるというのなら話は別だ。

 

(たとえ極道であっても、惚れた女を幸せにする……その時の桐生はその覚悟をしたに違いない)

 

下手をすれば、由美のトラウマを刺激して傷つけるだけになりかねないその行為。

 

「俺は、一馬と由美を一年ぶりに引き合わせた。そして……由美は記憶を取り戻したんだよ」

「由美……」

 

でも、それは成功した。

それはきっと、桐生と由美がお互いを想い合う気持ちが、正しく実った瞬間だったのだろう。

 

「そして、桐生と由美の間に……新一が生まれた」

「そうだ。あの子は、桐生と由美の間に生まれた子供だ。」

 

それからはきっと、俺が葬儀会場で聞いた通りの筈だ。

由美と結ばれ、組はデカくなって、俺が託した約束も守って優子も救い、桐生は身の回りの大事なモンを守れるだけの力を手に入れた。

アイツの渡世はきっと、順風満帆だったに違いない。

 

(いよいよだ)

 

ここから先がきっと、俺が葬儀会場でも聞けなかった秘密。

俺が追ってきた事件の真相だ。

 

「一馬と由美は、それから本当に幸せそうに過ごしていた。何度か危ない事もあったが、それでも二人支えあって生きていた。だが……由美と別れたあとの神宮は、大きく歯車を狂わせていった」

 

風間の親っさんが滔々と語り始める。

その話口調は、非常に重いものだった。

 

「所詮神宮が持つ権力は他人から与えられたものだ。だが、神宮はそれを守る為に少しづつ変わっていった。自分の中では正当化しながらな」

 

政治とは、国家そのものの運営を司る人類の営みだ。

自分の組や会社を回すのとじゃ訳が違う。故に、国そのものを動かす代議士にはそれ相応の立場や権力が齎される。

そういう意味じゃ、政界は神室町以上に欲望と権力に渦巻く世界と言ってもいい。

 

(その中で揉まれる内に、出世欲に取り憑かれたって訳か……)

 

だが、金や権力はその人間の人格をいとも簡単に変えてしまう。本人は変わっていないつもりでも、かつて大事にしていたはずのモノが見えなくなってしまう。

そうやって己の人生を破滅させてった人間を、俺は極道だった頃に何人か見てきた。

神宮もその中の一人って事なんだろう。

 

「そしてある日、神宮から世良に一本の電話が入った」

「電話?」

「あぁ。不味い事になったと言って、世良を一人で呼び出したんだ」

「一体、何があったんです……?」

 

親っさんは僅かに顔を下に向けた。

きっと余程の事なのだろか、苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべている。

 

「……親っさん」

「あぁ……すまない。続けよう」

 

親っさんはそう言って話を続けてくれた。

 

「死体を一つ始末して欲しい。神宮は世良にそう頼んだ」

「死体を?」

「あぁ。神宮ははずみで起きた事故だと言い張ったそうだ。死体の正体はフリーの記者で、神宮のスキャンダル……由美と遥の件で強請ろうとしてきたらしい。」

「!」

 

"総理の娘と結婚した大物政治家に、かつて内縁の妻と子供が居た"。

この特大のスキャンダルを手にしたその記者は、ただ載せるだけでは無くそれをネタに神宮を脅して裏金を得ようとした。突然の事で気が動転した神宮は、目の前の記者の口を封じる為に突発的にその記者を殺害。

世良会長は、その尻拭いの為に呼び出されたのだ。

 

「依頼を受けた世良は記者の家からメモや写真を奪って全て灰にした。」

「……ちょっと待ってください、親っさん」

「なんだ?」

 

再び嫌な予感が脳裏を過ぎる。

その記者は"由美と遥"の存在を掴んで、強請りを企てた。

神宮にとってそれは、政治生命を終わらせかねない特大の爆弾に違いない。

だが、その記者を殺して証拠を消したとしてもまた同じような輩が出てくる可能性は高い。

 

「神宮は……それだけで終わらせたりしてませんよね?」

「……」

「俺が神宮って男の立場で同じものを目指しているのなら……こういったスキャンダルは元を絶とうとします。二度と火が起こらないよう、徹底的に」

 

"遥が生きていると神宮にとって都合の悪い事が起こる"。MIAが100億の次に遥の身柄、場合によってはその命を狙う理由がそれなのだとしたら辻褄が合う。

 

「彰……」

「親っさん……由美を…………」

 

俺は確信した。してしまった。

それは、俺が予想しうる限りの最悪の顛末。

 

「──世良会長が日侠連を使って由美を殺したのは、神宮の差し金なんですね……?」

「!!」

 

実の父親が、実の母親を殺す事を望んだ。

あまりにのショッキングな真実に、隣に居た遥が息を飲む。まだ十歳にもならないこの子にとって、これほど残酷な真実があるだろうか。

 

「…………そうだ」

「やっぱり……!」

「世良はそのスキャンダルの元を断つために、由美と遥の命を奪う事を世良に依頼した。そして……あの事件が起きたんだ」

 

そして、2000年のクリスマス。

桐生が愛する女を失った、あの惨劇が起きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時。

由美と優子が日侠連に攫われた事を知った一馬は、連絡があった部下の元へと走っていった。

俺は一馬に起きた事を全て報告するよう伝え、子供たちとのクリスマスパーティーを先に始めていた。

パーティーを楽しみにしていた子供たちを、不安がらせる訳には行かなかったからな。

だが、いつまで経っても一馬がヒマワリに戻る事は無かった。

 

「さぁ、パーティーは終わりだ。ちゃんと歯を磨いて寝るんだぞ?」

 

そして、料理とケーキを平らげた子供達が寝静まろうかといった時だった。

 

「ん……?」

 

俺はヒマワリの玄関先に人の気配がある事に気付いた。

数は三人。僅かに聞こえる足音から、俺は一馬達じゃないとすぐに分かった。

 

「…………」

 

俺は音を立てぬように子供達のそばを離れると、静かに銃を抜いて息を殺し、その気配に集中した。

やがて、子供達が寝静まってヒマワリの明かりが消えた時。

 

「─────」

 

微かにピッキングの音を立てて玄関を開けた日侠連の構成員がその扉を開けた瞬間。

 

「ガッ───────」

「「!!?」」

 

俺は一人目の脳天に躊躇いなく引き金を引いた。

サイレンサーを付けた拳銃は銃声を立てる事無く一人目の命を奪った。

 

「「ッ……!!」」

 

突然の出来事で硬直する構成員が動き出すよりも早く、俺は玄関先へと躍り出て二人目の心臓を撃ち抜いた。

 

「チッ!!」

 

三人目が銃を向けるよりも早く、俺はその肩と足を撃ち抜いて行動を封じた。

殺さなかったのは、そいつらの目的を聞き出すためだった。

 

「お前ら……世良のとこの奴だな?何が目的だ?」

「か、風間の、親分……!」

「答えろ。でなければ殺す」

 

俺が銃口を突き付けて殺気をぶつけると、その構成員は直ぐに吐いた。

世良の命令を受け、遥を始末しに来たんだとな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後のことは、彰……お前が一馬から墓地で聞いた通りだ。」

「……!」

 

自分の手で日侠連の連中を八つ裂きにし東城会に絶縁を宣言した桐生は横浜で組を独立。関東桐生会として組織を再始動させる。

それら全ての元凶は、スキャンダルに端を発した神宮による身勝手な動機。

これが、クリスマスに起きた惨劇の真実だった。

 

「テメェのスキャンダルを隠蔽する為に由美と遥を……神宮、なんて野郎だ……!」

 

これで倒すべき敵がハッキリした。

神宮京平。裏で糸を引くそいつこそが由美の仇であり、復讐するべき相手だ。

 

「俺は世良を説得し、遥を神宮の目から欺く工作をした。表向きは始末した事にし、遥をヒマワリの周囲から外出させず、学校の登下校も車の送迎を徹底させた」

 

だが、と。

親っさんが遥の目を見て続ける。

 

「それが遥の、両親に会いたいって想いを抑圧する結果となってしまった。新一の事も、あったからな」

「風間のおじさん……」

 

自分の親に会いたい。その気持ちが遥を突き動かし、あの子を神室町へと導いた。

でもそれが、遥の正体の露呈と、神宮に狙われる理由を作ったのだから皮肉と言う他無いだろう。

 

「親っさん。もう一つ、聞きたい事があります」

「なんだ?」

「美月の正体です。」

 

ここに来て俺は、ずっと謎のままだった美月の事について切り込んだ。

 

「俺が初めて美月の事を知ったのは、桐生から写真を見せられた時です」

 

出所したばかりの俺が、優子の事を尋ねた時。

桐生はその写真に写った"美月"が、優子の情報を知っていると聞かされていた。

その美月を桐生の元へ連れていく事で、桐生は俺に知りうる全てを打ち明ける。そういう約束だった。

 

「ですが美月を追っていく内に、美月という名前が由美がよそ行きで名乗っていた偽名である事。そして、その由美がもう死んじまっている事を知りました」

 

しかし、それでは説明が付かない。

美月の写真やアレスの存在。そして麗奈の証言から、美月という人物が存在している事は確認出来る。ただしそれは由美の妹として実在している訳でも無ければ、由美が生きていてそれを名乗っている訳でも無い。

それを騙っている人物が存在しているのだ。

 

「"由美の偽名だったはずの美月を騙る何者か"……その正体を、親っさんはご存知ですよね?」

 

根拠は、先日会ったニンベン師の存在だ。

彼女は風間の親っさんからの依頼を受けて、免許証からパスポート、卒業証書に到るまでの書類を偽造し、戸籍上にだけ存在する架空の人物を丸ごと捏造したのだ。

その正体が"美月"なのであれば、親っさんはその正体を知っている筈だ。

 

「……あぁ、知っている」

「教えてください、親っさん。俺たちが追いかけて来た"美月"は……一体何者なんですか?」

 

そして。

その正体を耳にした俺は。

 

「……優子だ。」

「…………えっ?」

 

一瞬、その現実を認識出来なくなった。

 

「錦山優子。お前が美月だと思って探していたその女は、彰。お前の妹なんだ」

「な、ん……!!?」

 

雷にでも打たれたかのような衝撃だった。

美月が優子?馬鹿な。有り得ない。

予測はおろか想像すらも出来なかったその答えに、俺は理解が追い付かないでいる。

 

「どういう、事なんですか……?」

「これは……優子が望んだ事なんだ。」

 

親っさんは語る。

俺の妹──優子が選んだあまりにも険しい選択を。

 

「由美と一緒に日侠連に拉致された優子は、自分を守る為に犠牲になった由美の姿を……そして、由美の遺体を抱き締めながら泣き叫ぶ一馬を目の当たりにした……事件の後のあの子は、酷く憔悴していてな。力の抜けた人形のようになっていた」

「そっか……優子先生、そんな事になってたんだ……」

 

遥は納得がいったのか、そう呟く。

ミレニアムタワーで俺に語ってくれたクリスマスの後。

ヒマワリで再会した時の事を思い出しているのかもしれない。

そんな事になっていたのであれば、遥の口から語られた当時の優子の状態も頷ける。

 

「そんなある日。優子は俺の元へと尋ねて来た……夜中の事だった。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの子は俺に、どうしてこんなことが起きてしまったのか、その全てを明かすように言ってきた。

俺は最初拒もうとしたが、あの子の"目"が俺にそれを許さなかった。

覚悟を決めた者だけがする、あの据わった目。

断ればこの場で死ぬとでも言わんばかりの気迫に、俺は折れざるを得なかった。そして全てを明かした。

 

「じゃあ……その神宮ってやつのせいで、由美ちゃんはあんな目に遭ったんですね?」

「……あぁ」

「風間さんは……東城会は今後、どうするつもりなんですか?まさか、まだ神宮との付き合いを続けるつもりじゃないですよね?」

 

怒りに震える彼女を見て、俺は確信した。

優子が、何をしようとしているのかを。

 

「あぁ……今、世良と話を進めている所だ。奴を失脚させる為のな」

「……なら」

 

彼女の選んだ選択。

 

「その話……私にも協力させて下さい」

 

それは、復讐だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「優子が、そんな事を……?」

 

俺は親っさんの話が信じられなかった。

何故なら、親っさんの口から語られた優子の様子は俺の知っている妹のものとはかけ離れていたからだ。

 

「あぁ」

「そんな……まるで人が変わったみたいだ……」

 

俺の知ってる優子は、幼い頃から病気がちだった事も相まってかどこか内向的で大人しく、物静かな性格だった。

精神力も強いとは言えない。少なくとも、クリスマスの事件のようなショッキングな事が起きればトラウマになってきっと立ち直れないだろう。

由美の無念を晴らすために復讐を企てられるような、強かな子じゃないのだ。

 

「彰は知らなかったかもしれないが、術後の優子はどこか性格や表情が明るくなった。それに加え、言うべき時はハッキリと自分の意見を言うようになった。」

「……いくら病気が治ったからって、そんなことあるんですか?」

「詳しいことは俺も分からないが……どうも、臓器移植で病気の治った患者にはよくある話らしい。性格が変わったり、苦手だったものが食べれるようになったり、とかな」

 

優子が受けたのは心臓移植の手術だ。

あの子に心臓を託してくれた顔も知らない患者は、当然もう亡くなっているのだろう。

その亡くなった患者の持っていた性質が優子の性格にも影響を及ぼしていた、と言う。

 

(そんな事が…………いや、でも………)

 

俄には信じられない話だとも思ったが、考えてみれば不思議な話じゃない。

"病は気から"なんて言葉はあるように、患者のメンタルが体調や病気が作用するって事があるくらいには人間の体は繊細だ。

そんな繊細な器に形や血液型が適合するだけの赤の他人の心臓を移植するのだ。

その後に快復した人体に及んだ影響がそれなのであれば説明はつく。

俺は医学に関しては門外漢だし詳しい事は分からないが、自分の知らないだけの知識や情報を"有り得ない"と決めつけるのは物事の視野を狭める結果にもなり得る。

ここは"そういう事だ"と一旦の納得をするべきだろう。

 

「そう、ですか…………それで親っさん、その後優子は?」

 

俺は話を戻した。

優子の性格の変化から、復讐を誓った"美月"の行方に。

 

「あぁ。そうして優子は、俺と世良が企てたある計画に自分から志願した。ニンベン師、偽造屋を雇って優子の顔を変えて架空の戸籍や身分を見繕い、優子は美月へと変身した」

 

これが、俺たちの追っていた美月の真相。

復讐を誓った優子が自らの意思で自分の姿形を変えた。

 

(由美の妹を名乗ってセレナで働き、アレスを持ったのも、その計画のため……)

 

ミレニアムタワー最上階に位置する店、アレス。

セレナで数年働いただけで経験も資金もまだ浅い美月が 、あんな一等地に店を構えられるとは考えにくい。

余程のコネがあるのだと思っていたが、それの正体が風間の親っさんだったのであれば説明がつく。

 

「親っさん。親っさんが企てた計画ってのはなんなんですか?」

 

神宮を失脚させる為に風間の親っさんが世良会長と共に企てた計画。復讐の為にそれに志願した優子。

その中身こそが、この一連の事件の本当の核心。

 

「あぁ……それが、消えた100億事件。あの金を盗んだのは、優子と、俺と世良なんだ」

「なん、ですって……!?」

 

今日、何度目かも分からない驚愕が襲う。

東城会が今まさに揺れに揺れ動いている"消えた100億"。跡目争いにまで発展したこの事件の発端。その犯人が親っさんと世良会長。そして美月──優子だと言うのだ。

 

「あの金は東城会の金じゃない。神宮の100億だったんだ。」

「神宮の……?」

「あぁ、神宮は東城会を使って"闇の金を洗ってた"」

 

闇の金を洗う。

親っさんがそう言うところの意味を、俺は一つしか思いつかなかった。

 

「"マネーロンダリング"……ですか」

 

一般的にそれは、違法取引や詐欺、脱税などと言った犯罪で得た収益を他人名義の口座を何重にも経由させて出処を曖昧にし、表向きは真っ当な収益であると偽装する事を指す。

出世欲に取り憑かれ、東城会をバックに好き勝手やってきた神宮京平。強請りや脅迫はもちろん、賄賂などで得た収益もきっと馬鹿にならない。

神宮はそうやって得た"闇の金"を東城会に預け、その出処を撹乱する事で表向きにも使える収益とし、それこそが神宮の権力の源となっていたのだ。

言わば東城会は、奴にとっての金庫番。黒い金を預けられる銀行のようなものだったのだ。

 

「そうだ。俺と世良は神宮を失脚させる為に、その100億を盗んだ」

「ちょっと待ってください、親っさん」

 

その話には一点、引っかかる所がある。

 

「今回の事件で知り合った刑事が俺に教えてくれたんですが……100億を盗った犯人は、由美だと警察は見ています。」

 

初めてアレスに行った時、俺は伊達さんからそう電話で伝えられた。現場の落ちていたネックレスが、俺が十年前に由美にプレゼントしたものと一致したからだ。

だが、由美はもう既に死んでいる。この時点で警察の主張は破綻する訳だが、そうなってくると謎なのはネックレスの存在だ。

わざわざそんなものを現場に残す──それはまるで、犯人が由美であると思わせたいかのような作為的な意志を感じざるを得ないのだ。

 

「現場にネックレスが落ちてたのは何でですか?」

「それは……────」

 

しかし、親っさんの口から続きを聞くことは出来なかった。

 

「風間さん!!」

 

突如、血相を変えた寺田が部屋の中へと飛び込んできたのだ。

 

「どうした?」

「嶋野組の連中が!ここはヤバいです!」

 

直後。轟音と共に船が揺れる。

襲撃を仕掛けてきた嶋野組が何らかのアクションを起こしたのだ。

 

「嶋野め……無茶しやがる……!」

「おじさん、怖いよ……!」

 

突然の事に怯える遥の頭を、俺は優しく撫でた。

もうこれ以上、この子に怖い思いはさせない。

 

「大丈夫だ遥。必ず守ってやる」

「おじさん……!」

「寺田さん、アンタは親っさんと遥を頼む」

「分かった!錦山さんは表のヤツらを蹴散らしてくれ!」

「あぁ、任された!!」

 

言うが早いか。

俺は客室を飛び出して廊下を抜けると、階段を駆け上がって甲板へと躍り出た。

 

「オラァ!」

「ボケがッ!」

「死にさらせぇ!」

 

そこでは既に、嶋野組と風間組の構成員が乱闘状態にあった。

全員がそれぞれ武器を手に持ち、容赦なくそれを振るうさまは正に戦争という他ない。

 

「居たぞ、錦山だ!」

 

風間組を沈黙させた嶋野組のヤクザ達が一斉に俺へと視線と敵意を向ける。

その頭数は、十数人といった所だろうか。

 

「ハッ、イイねぇ。もう余計なお喋りは必要ねぇって訳だ」

 

拳と首を鳴らし、肉体を臨戦態勢に移行する。

ちょうどいい。コイツらを使って、修行の成果を確かめてやろう。

 

「かかってこいや……嶋野のザコ共ォ!!」

「上等やボケ!ぶち殺したれや!!」

 

東城会直系嶋野組構成員。

ヤクザ共を使った激しめのウォーミングアップが幕を開けた。

 

 

 




次回、錦が如く。

大喧嘩


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大喧嘩

最新話です。

喧嘩の時間だオラァ!


2005年12月15日。

風間組が所有するクルーズ船の上で始まった嶋野組と錦山の闘いは、これから始まる大抗争のオープニングセレモニーに過ぎない。

 

「セェェイヤッ!!」

 

しかし、そのセレモニーの立役者たる錦山の闘いぶりは余興と言うには勿体ないほどに洗練されたモノだった。

 

「ぐへぁっ!?」

 

正拳突きを受けた一人目が派手に吹き飛ばされて再起不能になる。

 

「てめ──ヴゲッ!?」

「この──ギャッ!?」

 

背後と真横から襲い来る二人目と三人目だが、彼らが攻撃に移るよりも早く錦山の後ろ蹴りや裏拳が彼らを打ちのめす。

まるで背後にも目が付いているかのような状況判断力からなせる全方位攻撃──"古牧流・八面打ち"と呼ばれるそれは、数で優るはずの嶋野組構成員達を寄せ付けない。

 

「ナメてんじゃねぇ!」

 

しかし、中にはその全方位攻撃を掻い潜るヤクザもいる。

彼らに攻撃の範囲内まで侵入を許してしまう錦山だが、そこに隙を作る程この男は甘くは無い。

 

「ハッ!」

 

ヤクザが振り抜いた右ストレートを掴んで引き寄せ、左のエルボーを顔面に抉り込む。

 

「ディヤッ!」

 

背後からドスを持って迫るヤクザには、振り向きざまに顔面を掌底で打ち抜く。

 

「オラッ!」

 

掴みかかるヤクザには胸ぐらを逆に掴み返して頭突きを叩き込み。

 

「セェイヤッ!!」

 

迫り来るヤクザには鳩尾に右の正拳を突き入れたあと、悶絶するヤクザを掴み、地面に投げ落とす。

 

「な、なんやコイツ……!」

「全然近付けんやないか……!」

 

前後左右。どの方向から襲いかかっても、四神の如く変化した技で迎撃されてしまう。

"古牧流・無手返し"。全方位攻撃の間隙を埋めるには、あまりにも強力なカウンター技だった。

 

「怯むな!数で押し切るんや!」

「エモノでも何でも使ったらんかい!!」

 

しかし、そこは武闘派の嶋野組。

この程度で音を上げる程甘い教育はされていない。

 

「こんなもんかよ……もっと来いや!!」

 

余裕を見せる錦山を抹殺せんとヤクザ達が襲いかかる。

 

「ぎゃっ!?」

「ぐへっ!?」

「ぶごっ!?」

 

だが、その威勢も虚しくヤクザ達は次々と錦山の持つ"技"の前に倒れていく。

日本刀を振りあげれば"古牧流・無刀転生"で投げ落とされ、銃を持ち出せば"古牧流・火縄封じ"で無力化される。

ドス持ちは腕ごとへし折られ、バットや鉄パイプは即座に奪われ逆に利用され、ハンマーを持った大男は振り下ろした直後を狙われて飛び膝蹴りを喰らって沈んでいった。

 

「錦山ぁぁぁ!!」

 

やがて、最後の一人となったヤクザが錦山の名を叫んで襲いかかる。

その手に、唸るほどの音を響かせる得物を携えたまま。

 

「なっ!?」

 

錦山も面食らう。

ヤクザの持ち出した得物とは、電動の丸ノコギリだったのだ。

木材はもちろん、コンクリートやアスファルトですら裁断を可能とする電動工具。高速回転する鉄の刃が当たれば最後、錦山の身体はバラバラになってしまうだろう。

 

「なんだそりゃ……そんなもん人間相手に持ち出してんじゃねぇ!」

「死に晒せぇ!!!」

 

丸ノコを唸らせながら迫り来るヤクザ。

錦山はそれをまるで闘牛士のように躱す。

 

「どりゃァ!」

「チッ!」

 

振り向きざまに丸ノコを振り下ろすヤクザの一撃を、錦山は受け止めた。

地面に落ちていた鉄パイプを両手で持って盾とする事で。

 

「うぉおおおおおおっ!?」

 

両腕に伝播する振動。吹き出る火花。耳を劈く金属音。

数秒後、鉄パイプは両断されて錦山の肉体を引き裂く。

それを防ぐ為の策を、錦山は既に思い付いていた。

 

「おぉりゃッ!!」

 

鉄パイプが両断される直前。錦山はガラ空きとなっていたヤクザの股間を蹴り上げた。

 

「お、ぼぉっ!?」

 

この世の終わりを顔に貼り付け、ヤクザが弱者へと成り下がる。

錦山はその隙に飛び退いて距離を取ると、他の嶋野組が持ち出していた拳銃を拾い上げた。

 

「─────」

 

即座に"無我の境地"へと足を踏み入れ、集中力を極限まで上げる。

そして。波一つ無い水面の如き精神のまま、静かにその引き金を引いた。

 

「な、ぁ……!?」

 

放たれた弾丸は三発。

いずれもが電動丸ノコを撃ち抜いていた。

煙をあげて漏電を起こし、即座にその役目を終える丸ノコ。それは、弱者に成り下がった男が"狩られる獲物"にまで落ちぶれた瞬間。

 

「オォラァッ!!」

 

拳銃を捨てたのと同時に錦山は駆け出して助走をつけると、男の顔面に飛び膝蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐべ────」

 

鼻が砕け顔が陥没する手応えを感じ、錦山はセレモニーの幕を引いた。

動かなくなったヤクザを相手に残心を解くのも束の間。

 

「おうお前ら!ドッカンドッカン投げ込んだれや!!」

「!!」

 

船の外から響く声。錦山は聞き覚えがあった。

しかし、その顔を思い浮かべる時間は残されていない。

 

「クソッ!」

 

錦山の足元に放り込まれるのはピンの抜かれた大量の手榴弾。

背筋に氷が走るのを実感しながら、錦山は船首目掛けて全速力で駆け出した。

 

「うぉぉおおおおおおおお!!」

 

船上で倒れたヤクザ達も巻き添えになる爆発の中、船首から勢い良く海へと飛び込む錦山。

直後。

一際激しい轟音と共に、クルーズ船が火の海へと包まれていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

背中に爆風を受けながら東京湾にダイブした俺は、どうにか自力で岸へと上がった。

もしも数秒でも飛び込むのが遅れていれば、今頃俺の身体は粉々になっていたはずだ。

 

(野郎……滅茶苦茶しやがって……!)

 

12月の東京湾という極寒の冷たさも手榴弾の熱波に比べれば幾分かマシに思えてくる。

全身が吹き飛ぶよりかは遥かに良いのは確かだ。

 

「錦山さん!」

 

声のした方を向けば、寺田が風間の親っさんを連れているのが見えた。その先から遥が駆け寄って来るのが見える。

どうやら無事に脱出できたらしい。

 

「大丈夫、おじさん!?」

「あぁ……ちょっとばかりヒヤッとしたがな」

 

安心させる為に頭を撫でようと手を伸ばすが、今の俺はどうも磯臭いので止めておいた。

それに、そんな事をしている場合じゃないのもある。

 

「くっ!」

 

突如、大量の光が俺達を眩く照らし出した。

嶋野組の連中が乗ってきた車のヘッドライトだ。

 

「はっはっはっはっは!」

 

高笑いを上げながら前に出てくる半裸の男とは、実に数日ぶりの再会になる。

スキンヘッドに猛虎の刺青。鋼の如き肉体と余りにも恵まれた体格。

そいつは東城会きっての超武闘派。あの"嶋野の狂犬"を飼い慣らしていた極悪非道の大親分。

 

「やっと会えたなぁ……錦山ぁ!」

 

東城会直系嶋野組組長。嶋野太。

風間の親っさんと並ぶ東城会の大幹部が、抜き身の日本刀を片手で担ぎながら現れた。

 

「それと……風間!ヘヘヘヘ……コソコソしやがって」

「嶋野……!」

 

睨み合う親っさんと嶋野。この二人は堂島組時代から犬猿の仲だったと聞いている。まさに因縁の相手という訳だ。

 

「寺田はん。アンタ……大吾のガキ裏切ってワシに付くフリ見せてたけどなぁ。そんなん裏の裏まで全部お見通しや。ずっと、見張らしてもろてましたわ」

「くっ……!」

 

苦虫を噛み潰したような顔をする寺田。

寺田は風間の親っさんの指示で東城会に探りを入れる役目をしていたと言う。その過程で任侠堂島一家や嶋野組とのやり取りを裏でしていたはずだ。

嶋野の言う"大吾を裏切る"や"ワシに付くフリ"ってのは、その時の行動を示しているのだろう。

 

「風間。お前、近江を隠れ蓑にして小賢しい事逃げ回ってみたいやけどな……近江連合と繋がっとるんがお前だけやと思うとったら大間違いやで」

「なに……?」

 

嶋野が口にした直後、示し合わせたかのように別方向からヘッドライトの洪水が埠頭へと流れ込んできた。

十数台にも及ぶ黒の車。

そこから姿を表したのは、スーツ姿の極道たち。

そして。

 

「また会うたなぁ……錦山」

「テメェは……」

 

パンチパーマと長い手足が特徴の男は、俺がミレニアムタワーで拳を交えた"西"からの刺客。

 

「近江連合の、林……!」

 

五代目近江連合の林 弘。

仕事の手際とタフさが特徴のやり手だ。

 

「林……!?お前こないなとこで何しとるんや!?」

「寺田はんこそ、近江の本部長ともあろう者がこんなところで何しとるんですか?」

 

驚愕する寺田と訝しむ林。

近江連合の極道同士である彼らが相対している所を見ると、日本最大の組織も一枚岩じゃないらしい。

 

「林はワシのビジネスパートナーや。100億獲ったら分け前をやる代わりに協力する、言うてな」

「えぇ、嶋野はんには良うしてもろてます」

「なるほどな……合点がいったぜ」

 

嶋野と林の関係性が見えた事で、また一つ謎だった部分にピースがハマる。

 

「ミレニアムタワーで近江連合の林が遥を奪おうとしたのは……嶋野。テメェの差し金だな?」

 

何故実力派である林がわざわざ大阪から子供一人を拉致する為だけに東城会の膝元である神室町にまで来たのか。そして 何故東城会の睨みがあるはずの中で街にすんなり入れたのか。

それは東城会内部に関西と繋がっている裏切り者が居るからであると、俺は賽の河原で情報を買った時に仮説を立てていた。

そして、その仮説が正しかった事の証明が今なら出来る。

 

「近江連合を引き込んで100億を狙う東城会内部の裏切り者……それがテメェだ、嶋野!」

 

100億の鍵を握る遥を拉致って金を奪い、近江連合を後ろ盾にして東城会の跡目を獲る。

嶋野がどこまで遥の価値を分かってるかは不明だが、神宮との関係の事まで掴んでいるのであれば蛇華のラウ・カーロンと同様にその事で神宮を強請って裏金をせしめる所まで計算ずくのはずだろう。

まさに虎視眈々といった所だろうか。

 

「極道は所詮"チカラ"が全てや。チカラの無い組織は、より強い組織に喰われてその血肉になる。それが自然の摂理っちゅうもんや」

「くだらねぇ……偉そうな事言って、実際は近江に媚びて尻尾振ってるだけじゃねぇか。東城会の極道としてのプライドはねぇのか!!」

「それこそくだらん拘りや。テッペン獲る為やったら不要なモンを切り捨てる。それも出来んとそんなモンに固執し続ける。せやからおどれは青二才なんや、錦山」

 

やれやれと呆れる様子の嶋野だが、呆れ果ててるのはこっちの方だ。

裏切ってのし上がるようなやり方をし続ければ、いずれ自分が裏切られるのは自明の理。

裏切りの結果東城会を獲った挙句に、嶋野はその東城会を近江へと売り渡すような真似をしようって言うのだ。仮に嶋野が跡目を獲った所で既存の東城会の極道から反感を買うに決まってる。下手をすりゃ、第二第三の内部抗争が勃発する事にもなるだろう。

もっとも 嶋野の中ではそうならない為の方法もあるんだろうが、いずれにせよその野望を成就させる訳にはいかない。

 

「お前といい、大吾と言い……ホンマ、考えも脇も甘いわ。ガキは貰ってくでぇ。お前らはここで終いやけどなぁ」

「チッ……!」

 

だが、状況は深刻かつ残酷だった。

敵は嶋野と近江の連合部隊。頭数も百は下らない。

対してこちらの戦力は俺と寺田が率いていた兵隊のみ。

いくら古牧流の修行をして強くなったとは言え、遥と親っさんを守りながら百人を相手に戦うのはあまりにも現実的とは言い難い。

戦力差は火を見るより明らかだ。

 

「フッ……嶋野よ」

「なんや?」

 

でも、勝敗はそうじゃなかった。

 

「お前さんも────相当脇が甘いぜ」

 

そう。俺は失念していたのだ。

俺の敬愛する渡世と育ての親。風間新太郎は。

"絵を描く"事において右に出る人物は居ないという事に。

 

「あぁ?」

 

嶋野が怪訝な声を上げた直後、エンジン音をと共に埠頭へとやってきたトラックが俺達の前で停車する。

台数は四台。その先頭車両の運転席から降りてきたのは、俺にとって非常に懐かしい顔だった。

 

「親父!」

 

鼻のあたりに走る傷跡。オールバックの髪型には少し白髪が混じっているが、その風貌から漂う威圧感は忘れようが無い。

風間の親っさんが育ての親なら、この人はさしずめ育ての兄貴って所だろう。

 

「柏木さん!」

 

東城会直系風間組若頭。柏木修。

長年 風間の親っさんの右腕として組を支えてきた忠臣。

俺に空手と喧嘩のイロハを叩き込んでくれた恩師だ。

そして。

 

「俺も居るぜ、錦山」

 

二台目のトラックから降りてきた男にも、俺は見覚えがあった。

柏木さんと共に親っさんを支えてきた、三次団体の長。

 

「松金の叔父貴!」

「おう!」

 

東城会直系風間組内松金組組長。松金貢。

神室町の中では数少ない、俺の味方でいてくれる事を約束してくれた仁義ある極道だ。

 

「遅せぇぞ柏木、松金」

「へへっ、もうすぐクリスマスですしね」

「俺達からの、屈強なプレゼントです」

 

得意げに笑う柏木さんと松金の叔父貴。

そんな二人に呼応するように、トラックの荷台から次々と男達が飛び降りて来る。

風間組と松金組の構成員による増援部隊。トラック一台あたりにおよそ二十人。

合計で約八十人相当の極道達が俺達の味方に付いた。

 

「錦山……随分苦労したみてぇだな。松金から話は聞いてたぜ」

「フッ……柏木さんこそ。久しぶりに会えて、俺ァ嬉しいですよ」

 

これで戦力差はかなり埋まった。

兵隊の数じゃまだ嶋野側に分があるが、この程度は誤差の範疇だ。

勝機は十分にある。

 

(なるほど……親っさんはこれを待ってたって訳だ……!)

 

嶋野が策を巡らせてるのと同じように、親っさんもまたこの事件の裏で絵を描いていたのだ。

撃たれた傷を庇いながら隠れ潜んで生き長らえ、寺田を裏で暗躍させつつ情報を整理し、跡目や遥たちを狙う連中を炙り出す。

そして、その敵がハッキリしたところを総動員で迎え撃つ。

決して多くは語らない風間の親っさんだが、その目はきっとこの状況になる事すらも全て見通していたに違いない。

東城会一の殺し屋。風間新太郎。

俺の敬愛する親っさんは、戦略を練らせれば右に出る者は居ないのだ。

 

「なんや、風間組はやる気みたいやなぁ」

「ほな、ワシらも一丁やったりましょうか。嶋野はん」

 

嶋野組と近江連合。

二つの組織のヤクザ達が目を血走らせる。

十秒後にはここは戦場と化すだろう。

でも、負ける気はしない。

 

「柏木。久々の喧嘩だ。腕は訛ってねぇな?」

「フッ……松金こそ、ヒヨッてんじゃねぇだろうな?」

 

"仏の松"と"鬼柏"。

風間組が誇る両翼と、その二人が率いる風間組の屈強なプレゼント達。

そして。

 

「柏木さん、松金の叔父貴……俺が居んのも忘れんで下さいよ」

 

元堂島組若衆。錦山彰。他ならぬ俺自身。

未だ肩書のない出所明けのチンピラだが、十年前の俺とは訳が違う。

刑務所で徹底的にカラダを鍛え上げた。娑婆に出てから色んなヤツらと喧嘩に喧嘩を重ねて。古牧流の技も全て修めた。

ここに至るまでに俺は、誰にも文句を言わせないくらい努力を重ねてきたんだ。

そんな俺が今、この場に立ってるんだ。

 

「悪ぃが…………今日は俺の日ですよ!!」

 

負けるなんて、あるわけが無い。

 

「フッ……言うようになったじゃねぇか、錦山」

「ウチの海藤が目を付けるだけの事はあるな……益々気に入ったぜ」

 

柏木さんと松金の叔父貴もまた、俺の両脇で構えを取る。

それに呼応するかのように、風間組のプレゼント達も次々と拳を握る。

嶋野組と近江連合。

風間組と松金組。

対峙すべくして対峙した男たち。

その血で血を洗う大喧嘩は。

 

「よっしゃ!血の雨降らしたるわ!!」

 

刀を掲げた嶋野の号令により、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回も喧嘩です。


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ReceiveYou ─Re:vive─

最新話です。
全編通して喧嘩シーンとなります。


「よっしゃ!血の雨降らしたるわ!!」

 

2005年12月15日。

嶋野、近江の連合軍と風間組による大喧嘩は、その叫びを合図に勃発した。

 

「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」」」

 

怒号を上げた男たちが、文字通り正面から激突した。

拳。蹴り。ドス。ナイフ。警棒。バット。メリケンサック。トンファー。バール。ゴルフクラブ。鉄パイプ。日本刀。拳銃。

この世に存在するありとあらゆる暴力が、両組織が入り乱れた中で行使される。

 

「オラッ!」

 

風間組の極道が拳を振るえば。

 

「ボケェ!」

 

嶋野組のヤクザはドスで突き刺し。

 

「ウラァ!」

 

松金組の若衆が蹴りを飛ばせば。

 

「クソがァ!」

 

近江連合のチンピラが鈍器で殴りつける。

 

「この野郎!」

「いてもうたる!」

「ダボがァ!」

「死にさらせ!」

 

暴力が暴力を呼び、報復は新たな報復を生み出す。

"殺られたら殺り返す"。

裏社会に足を踏み入れた男達の、愚かで不器用な生き様の体現がそこにはあった。

そんな暴力の荒波の中。

並み居る敵を寄せ付けない強者達が一定数存在する。

 

「オォラッ!!」

 

気合いと共に嶋野組のヤクザを殴り飛ばしたのは、東城会系松金組の組長。松金貢だ。

義理人情に重きを置く昔気質の極道である松金。

その優しさと器の広さから"仏の松"などと言われている彼だが、ひとたび喧嘩となれば話は変わる。

 

「もっと来いや!」

 

全盛期を過ぎたとは言え彼の本質は極道者。眼前に迫る敵を見境無く殴りつける姿は、まさに"喧嘩"と呼ぶに相応しかった。

 

「死ねや!」

 

迫り来る近江のヤクザの一撃を恐れず、豪快な右フックでノックアウトする。

 

「このボケ!」

 

鉄パイプを持った嶋野組が襲いかかるが振り下ろされるそれを手で掴み取ると、ガラ空きとなった腹部に拳をねじ込む。

 

「ぐぉっ!?」

「オラァ!」

 

怯んだヤクザの顎を松金は渾身のアッパーでカチ上げる。脳震盪を起こしたヤクザが糸の切れた人形のように地面へと沈んだ。

 

「死ねやボケがァァァ!!」

 

怒号を上げた敵がドスを構えて松金へ特攻を仕掛ける。

アッパーカットの打ち終わりに襲いかかられた松金は、一瞬の出来事に反応が遅れた。

 

「チッ……!?」

 

その一瞬が命取り。

一秒後、松金の腸は刃で貫かれる。

 

「セッ!!」

 

その決定事項は、横合いから飛び出た正拳突きがドスを叩き折る事で覆った。

 

「なっ!?」

「ハッ!!」

 

驚愕するヤクザの側頭部に回し蹴りが炸裂し、横薙ぎに倒されたヤクザはそのまま動かなくなった。

 

「油断してんじゃねぇぞ松金!」

 

助太刀ならぬ"助突き"に現れてそう一喝した男は、松金にとっては苦楽を共にした兄弟分。

 

「柏木!」

 

東条会直系風間組若頭。柏木修。

"鬼柏"の異名を取る風間組No.2の実力派極道は、腰を落とした空手の構えを取って松金の背を護る。

 

「お前は昔っから隙がデカいんだよ!」

「すまねぇな柏木!でも、これが俺の喧嘩だァ!」

 

言うが早いか再び右のオーバーハンドフックでヤクザを打ち倒す松金。

 

「ふん、相変わらずだな!」

 

対する柏木は重く鋭い空手の打撃でヤクザを沈めていく。

 

「このボケェ!」

 

バットの一撃をいなし、正拳突きをヤクザの胴体に"捩じ込む"。

 

「いてまうぞコラァ!」

 

メリケンサックの一撃を距離をとって躱し、下段蹴りでヤクザの片足を"蹴り壊す"。

 

「ぶち殺したるわ!」

 

振りかざされたドスの持つ手を掴み、がら空きの胴に貫手を"突き刺す″

 

「セッ、ハッ、セェイッ!!」

 

手足すべてがまさに凶器。

柏木の振るう技の数々は的確に人体を破壊する威力を持っていた。

 

「どぉらぁぁああッ!!」

 

そして、ここにもう一人。

並み居る敵を寄せ付けない猛者がいる。

 

「な、なんなんだコイツ!?」

「バケモンじゃねぇか……!」

 

戦々恐々とする風間組の極道達の視線の先に居るのは。

 

「おう、こんなもんやないやろ?もっと気合い入れてかかってこんかい!」

 

五代目近江連合舎弟頭。林 弘。

喧嘩の強さと仕事の手際から、若くして幹部衆に取り立てられた関西ヤクザ。

凄腕と称された彼の喧嘩の実力は、得物を持つ事で数倍に跳ね上がる。

 

「シャァァッ!!」

 

と言っても、林の持つ得物は何も特別なものでは無い。

言ってしまえばどこにでもある、ただの鉄パイプだ。

しかし、林が扱う事によってその認識は覆される。

 

「ぎゃっ!?」

「がぁっ!?」

 

両手に持ったそれを勢いよく振り回し、顎や頭と言った急所を的確に殴り砕く。

 

「この野郎!」

 

相手の得物による攻撃も片手の鉄パイプで受け、もう片方のパイプで胴を突く。

 

「ごっ!?」

「ドリャァ!」

 

鳩尾に入り苦しむヤクザの側頭部をパイプで殴り抜き、昏倒させる。

鉄砲玉やチンピラがただの長物として扱うのとは訳が違う。

殴る、打つ、突く。

受ける、守る。流す。

攻防一体の全てをその二本だけで賄い、並み居る極道を次々に薙ぎ倒す事を可能とするそれはまさに"武具"と呼ぶに相応しいだろう。

 

「おい、柏木……」

「……あぁ」

 

そして。

 

「あ……?」

 

そんな猛者同士が巡り会った時。

 

「……二人がかりでやるぞ、松金」

「おう……!」

「ほぉ……中々骨のありそうな奴らやないけ」

 

闘いは、加速する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無我の境地。

波紋の一つも無い程に澄み切った精神状態。

それは俺に、いかなる事象にも動じない心の余裕を。

そして、あらゆる事象を鮮明かつ正確に知覚出来る鋭敏な感覚を齎してくれる。

敵の動き。攻撃の動作。

それを視認した時点で次に打つべき最適解が脳裏に浮かぶ。後はそれを実行に移すのみ。

 

「錦山ァァァ!!」

 

───鉄パイプ振り下ろし。

右に避けつつ"古牧流・捌き打ち"

アッパーで顎をカチ上げ昏倒。詰み。

 

「覚悟しろやボケェ!」

 

───ドス刺し。

半身の入れ替えと同時に回避。

持ち手に膝蹴りを入れて腕を破壊。

顔面に右フック。詰み。

 

「死ねコラァ!!」

 

───トンファーの突き。

後ろに距離を取って躱し、腹に前蹴り。

怯んだ所にハイキックで顎を蹴り上げ。詰み。

 

「錦山、このガキ……!」

「余裕かましおって……!」

 

忌々しげに呟くヤクザ達の言葉が聞こえる。

十秒もしない内に三人の味方が倒されればそうもなるだろう。

そして、彼らの単細胞ぶりは実に都合がいい。

頭に血が上った彼らは、今の俺の余裕から"ナメられている"と捉える。

すると彼らは感情と熱量だけで発生させた"暴力"でもって俺を制圧しようとするのだ。

粗と無駄にまみれたそれは非常に隙を突きやすく御しやすい。

しかし、彼らはそんな事にも気付かずに力任せに暴れるだけだ。

 

「───フッ」

「後悔させたるわボケェ!」

「死に晒せやァ!」

 

その愚かさにこぼれた僅かな嘲笑。

敵たちはそれすらも怒りのスパイスとして加え、苛烈で粗い暴力による訴えにより一層の力を入れる。

まさに悪循環。ヤクザ達が怒りを暴力に変換すればする程、彼らは俺により追い詰められて行くのだ。

 

「オラッ」

 

───雑な右のフック。

スウェイで背後に回り込んでワンツー。

たたらを踏んだ所で下顎に右ストレート。詰み。

 

「うぉぉっ」

 

───背後からの打撃。

古牧流・無手返し。振り向きざまの掌底打ちで迎撃。

倒れた所にサッカーボールキック。詰み。

 

「デリャッ」

 

───真横からのハイキック。

しゃがんで避けつつ相手の軸足に足払いのローキック。

転倒した直後を狙って顔面に鉄槌。詰み。

 

「このボケェ!」

 

───背後から羽交い締め。

 

「よっしゃ、そのまま抑えとれ!」

 

───正面から金属バットの振り下ろし。

前屈みになりつつ首を捻る。

 

「ぎゃっ!?」

 

バットが背後のヤクザの頭を打ち、俺を戒める拘束が解かれる。

 

「なっ!?」

 

バットを持ったまま硬直するヤクザの手を掴み、鼻柱に肘鉄。胴に膝蹴りし前屈みにダウン。詰み。

 

「な、ぁっ……!?」

 

バットで叩かれたヤクザに接近。

レバーブローで悶絶させ、アッパーと鉄槌で打ち倒す。後頭部を踏みつけ。詰み。

 

「ぎぇっ!?」

「あがっ!?」

「ぐぉぅっ!?」

 

詰み。詰み。詰み。

迫り来るヤクザを的確に捌いて潰していく。

最小限の労力で最大限の効果を発揮し続ける。

それが"無我の境地"最大の強みだ。

だが、強大な力にリスクが付き纏うのは自明の理。

 

「──ハッ……ハッ……!」

 

ここまで無双の如き活躍を見せた"無我の境地"

その最大の弱点は、二つある。

一つは長続きしない事。

"無我の境地"と言えば聞こえはいいが、実際は脳細胞に加速を要求し 神経に過度なレスポンスを強要する事でこの超集中とも言うべき状態を維持しているのが現実だ。

この状態を維持しようとすればするほど、俺の肉体には多大な負荷がのしかかり続けるのだ。

そして、もう一つ。

 

(──そろそろか)

 

それは、"無我の境地"が途切れた瞬間、俺に莫大な反動が襲ってくると言う事。

脳細胞と神経の酷使によるツケを払わされ、体調の悪化とそれに伴う戦闘力の大幅な低下が確定する。

この状況でそんな事になればどうなるか、なんてのは火を見るより明らかだ。

 

(──早々にケリをつけよう)

 

時間が残っている内にこの抗争に決着を付ける。

そう決議したら、取るべき行動は一つだけだ。

 

「どぅりゃぁぁぁああ!!」

 

少し先のところで上裸で日本刀を振り回す大男に狙いを定めた俺は、静かにスタンバトンを取り出すと背後から気配を消してソイツの元へと向かう。

 

「てぇぇぇぇい!!」

 

大男が右手に持った日本刀を木の枝のように軽々振り回すと、ソイツの前は文字通り血の海に染まった。

 

「かっ───────」

「ぎゃあっぁああぁぁっ!!?」

「あごっ─────────」

 

首が飛び、腕が落ち、胴が両断される。

夥しいほどの返り血を浴びながら死体を量産するスキンヘッドの大男。ソイツが手に掛けているのは当然、風間組や松金組の極道達だ。

 

(──仕留める)

 

これ以上の暴虐は許さない。

確固たる決意と共に背後から接近した俺は、気配を悟られる前に背後からソイツに襲いかかった。

 

「ぬぅっ!?」

 

脊椎の辺りにシャフトを当ててスイッチを押す。

最大出力で放出された高圧電流が大男を襲い、瞬間的な全身麻痺を引き起こす。

 

「──フッッ」

 

日本刀を手放して両膝を着く大男の首元に抱きつき、腕を回して首を絞める。

チョークスリーパー。頚椎を締め上げて失神させる関節技の一つだ。

 

「ぐ、ぉ、ぅ……!」

「──チッ」

 

直後、俺はこの作戦の失敗を悟る。

大男は全身を苛む痺れの中で、顎を引いていた。

背後から首に回した腕は、大男の下顎に阻まれている。

つまり俺の腕は今、大男の首を完全に締め上げていないのだ。

 

「ぅぅ、ぅおおおおおおおおお!!!!」

 

大男は俺の腕を掴むと力づくで引き剥がし、そのまま腕力だけで前へと放り投げた。

 

「──ハッ」

 

俺は地面に激突する瞬間、受身を取って身体を回転させる事で勢いを殺した。

背後を取られないよう即座に振り返り構えを作る。

 

「やってくれるやないか、錦山……!」

 

そうしてやり過ごした俺の視線は、日本刀を拾い上げた上裸の大男へと向けられる。

2メートル近い巨躯。分厚い筋肉の鎧と、その上に見える猛虎の入れ墨。

スキンヘッドの頭は返り血で染まっており、そのおっかない顔面を更に凶悪なものにしている。

 

「──嶋野」

「このガキ……ここでワシが息の根止めたるわ!!」

 

東城会直系嶋野組組長。嶋野太。

残虐非道の最凶ヤクザとの"タマ殺り合戦"が幕を開けた。

 

「シェェアァァァ!!」

 

嶋野が右手で振り上げる日本刀。

一秒後に振り下ろされるその斬撃は、空間ごと断ち斬るかの如き速さと重さを有しているだろう。

 

「─ハッ」

 

距離を取ってその一太刀を躱す。

風を引き裂いた鋼の刃は、アスファルトの地面に突き刺さる。

 

「─セィッ!!」

 

嶋野が刀を抜くよりも早く、俺は嶋野の側頭部にハイキックを叩き込んだ。

腰の回転を乗せた完璧な一撃。

 

「ぐ、ぬぅ……!!」

 

だがその威力は、奴の太い首に吸収されていった。

 

「─チッ」

「ドラァァァ!!」

 

刀を引き抜いた嶋野が横薙ぎにその太刀を振るう。

軸足で地面を蹴って飛び退いた直後、鈍色の刀身が空を切る。

あと一秒行動が遅ければ俺の胴は下半身と泣き別れていたであろう。

 

(─まずは刀を潰す)

 

あの怪力で振り回される日本刀は厄介だ。

新藤のように隙のない太刀筋とは違う力任せの扱いだが、血の海に沈んだ風間組や松金組の極道たちを見ればその脅威は一目瞭然。

 

(─警棒ではダメだ。ドスもリーチが足りない。なら……!)

 

加速する脳細胞が導き出した答えに従い、俺は両手をポケットに突っ込む。

 

「ぬぅ、ぅらァ!!」

 

迫り来る嶋野が刀を振り上げる。

だが 俺の方が早い。

 

「ぬぅ!?」

 

キン、と甲高い音が響く。

俺が選んだ得物──メリケンサックを嵌めた拳が嶋野の刀を弾いたのだ。

 

「ナメおってぇ!!」

 

─右斜め上から左斜め下にかけての袈裟斬り。

左に身体を傾けつつ刀身の横腹に左フック。

 

「デャァ!」

 

─左から右にかけての薙ぎ払い。

刀身の真正面から右フックで迎撃。

 

「ぬぉっ!?」

 

大きく体制を崩す嶋野。

明確に晒されたその隙を利用しない手は無い。

 

「─うぉぉぉぉおおッ!!」

 

鋼の手甲で嶋野のボディに連続で拳を叩き込む。

素手では普通に殴っただけでは通りにくいその拳も、これならまともなダメージになりうる。

 

「─セイヤッ!!」

 

怯んだところに畳み掛けるように、上段と中段における突きを同時に放った。

 

「ぐぁぁっ!?」

 

鼻を折り 鳩尾を突いたその一撃は、嶋野に片膝を付かせた。

俺が勝負を決めにかかろうとした、その直後。

 

「う、っ……!!」

 

激しい頭痛と目眩が襲い、俺はその場で膝を着いた。

それは脳細胞と神経の酷使によるバックファイヤのよるもの。

即ち────"無我の境地"の時間切れだ。

 

「く、そ……!」

 

気を抜けば気絶してしまいかねない程のそれに必死に抗う。

頭を内側から金槌で叩かれているかのような頭痛と共に視界が明滅し、地面が歪む。

とてもじゃないが立っていられない。

 

「錦、山ぁ……!」

 

頭上から嶋野の声が落ちてくる。

この僅か数秒の間に戦線復帰を果たしたらしい。

 

「し、まの……!」

「このガキ……覚悟せい!!」

 

そのタフネスにうんざりしたのも束の間。

俺は嶋野の圧倒的腕力でいとも簡単に持ち上げられ、米俵の如く抱え込まれた。

 

「どっせぇぇい!!」

 

直後。全身に訪れるのは浮遊感。

まるでジェットコースターに乗ったかのような風の抵抗。

 

「!!」

 

そんな中視界に写ったのは、こちらに迫り来る一台の車。

確信する。あれに当たって俺は死ぬ。轢き殺される。

 

(────────!!!!!!)

 

停滞していた脳細胞が命の危機を前にして活性化。光の速さで回転を始める。

直後、俺の肉体が導き出した応えはほぼ脊髄反射に近かった。

 

「────ッッ!!」

 

空中へと投げ出された俺はあえて頭から地面へと向かっていき、両手で地面を叩くように受け身を取り身体を跳ね上げる事で車の突進を回避する。

"古牧流・猫返り"。強力な攻撃を受けた際に即座に戦線復帰を可能とする、古牧流の受け身技。

じいさんとの修行の中で染み付いた動きが自然と出た瞬間だった。

 

「ハァ……ハァ……!」

 

ファイティングポーズを取って嶋野を視界の中に入れ、未だ苛む頭痛を無視して目眩を気合でねじ伏せる。

この男を相手に、痛いだなんだと言ってなど居られない。

 

「錦山ぁぁぁあああああ!!」

「クソッ……!!」

 

嶋野との闘いはまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芝浦埠頭で幕を開けた嶋野組と風間組。そして近江連合を巻き込んだ一大抗争。

殺らねば殺られる極限状態の中、猛者達の闘いが激化の一途を辿っていた。

 

「かかって来いやぁ!!」

 

鉄パイプを振り上げる長身のヤクザ。林 弘。

若くして近江連合の幹部に上り詰めた実力派。

 

「オラァァァ!!」

 

そんな林に雄叫びと共に殴り掛かるのは松金 貢。

東城会系の極道である彼は武器を持った林に対して臆する事無く素手の真っ向勝負を仕掛ける。

 

「ぐっ、ぬぅおらァ!!」

 

林の振り抜いた鉄パイプが松金の脇腹に直撃する。

松金はそのパイプを左手で掴んで固定すると、残った右手で豪快なフックを叩き込んだ。

 

「こ、んのボケ……!」

「なに……!?」

 

松金にとって確かな手応えのある一撃だったが、林のタフネスは彼の想像を上回っていた。

鼻から血を流しつつもほとんど動じていない林に僅かに戦く松金。

 

「ドォラァ!」

 

林はその隙を突いてもう片手の鉄パイプを振り上げる。

そのまま無防備になっている松金目掛けて凶器を振り下ろす。

 

「させねぇよ!」

 

しかしその一撃は横合いから伸びた第三者──風間組若頭の柏木修の手によって阻まれた。

 

「オラァッ!」

 

柏木は鉄パイプを掴むと、ガラ空きとなった林の胴に正拳突きを叩き込む。

 

「ぐほぉ!?」

 

たたらを踏んで後退りする林。

これを好機と見た柏木は追撃を加える為に拳を振り上げる。

 

「ボケが、ァッ!!」

 

だが林はそれを許さなかった。

コンクリートブロックを容易く打ち砕く柏木の正拳突きを受けながらも、その痛みをねじ伏せて反撃に転じたのだ。

 

「くっ!」

 

林の放った膝蹴りに腹部を打たれた柏木が苦悶の表情を浮かべる。

 

「柏木っ!この野郎ぉ!」

 

柏木の援護に回った松金が掴んでいた鉄パイプを離して林に前蹴りを叩き込む。

両者を引き剥がすことで無理やり距離を作った松金は柏木を庇うように前へと立った。

 

「平気か、柏木……?」

「あぁ……大丈夫だ」

 

痛みに顔を歪めながらも立ち上がる柏木。

 

「チッ……やってくれるやないか」

 

対する林は首を数回鳴らしながら鉄パイプを持った手首を軽く回す。

未だに余裕を見せる林に対し、柏木たちは策を講じる必要に迫られた。

 

(野郎、俺ら二人を相手にこうもやるとはな……想像以上に出来る奴だな)

 

仏の松と鬼柏。

風間組が誇る二人の武闘派を相手に互角以上の闘いを繰り広げる林。パワーやタフネスは勿論、喧嘩における直感の良さやセンスもずば抜けていた。

 

(だが……突破口が無いわけじゃねぇ)

 

そんな林の数少ない弱点に気づいたのは、意外にも松金の方だった。

 

(俺の拳は耐えきってたが、柏木の正拳突きは僅かに効いてた様子だった。野郎に有効打を与える事が出来んのは柏木……となりゃ)

 

ふと、松金は柏木に視線を向ける。

 

「!」

 

それに気づいた柏木は、敵に悟られない様に微かに頷く。

それはまさに阿吽の呼吸と呼ぶに相応しかった。

 

「行くぞコラァァァアア!!」

 

怒号をあげた松金が林に真っ向から襲い掛かる。

 

「ドラァ!」

 

林が右手の鉄パイプを斜めに振り下ろす。

頭部を狙ったその一撃を、松金は左腕を盾とする事でやり過ごす。

 

「ぐっ、ぬぉぉぉ!!」

 

腕に走る鈍痛をものともせず距離を詰めた松金が右の拳を繰り出した。

狙いは顔。力任せの豪快な一撃。

 

「ッ!」

 

林がすかさず左手の鉄パイプを翳して防御の姿勢を取る。

生身の拳では、鉄を砕く事は出来ない。

林の防護策は非常に理にかなったものだ。

しかしそれは。相手の攻撃手段がパンチであることが前提である。

 

「なッ!?」

 

林が驚愕の声を上げたのは、松金が振り抜いた拳を途中で開いて鉄パイプを掴み取ったからだ。

 

「フッ!」

 

松金はその勢いのまま左腕に当たっていた鉄パイプを跳ね除けると、林の腰にタックルを仕掛けて流れるように背後を取った。

 

「お、おどれッ!?」

 

左腕で受けた鉄パイプも、振り上げた右拳も全て布石。

松金の狙いは最初から林の懐に飛び込む事。

 

「今だ、柏木ィ!!」

 

そして、林を羽交い締めにして自由を奪いこの状況を作り上げる為のものだったのだ。

 

「フーッ……─────」

 

松金が文字通り体を張って生み出した絶好の機会。

それに対して柏木は、過去最高にして最強の技で応える。

 

「─────ッッ!!」

 

刹那。

数メートル離れていたはずの林と柏木の距離が一瞬にして零となる。

肉薄とも呼べる距離にまで接近した柏木が、腰だめに構えた"それ"を解き放った。

 

「────ォォオオッッ!!!!」

 

空手における基本中の基本。正拳突き。

相手の正中線に真っ直ぐに拳を突き出すだけの単純な攻撃。

しかし。"鬼柏"と呼ばれ恐れられた柏木が万全の状態で放つそれは、ただの空手家が放つそれとは訳が違う。

完璧な呼吸と脱力を持って突き出されたその一撃は、まるでマグナム弾の如き重さと鋭さ。何より目にも止まらぬ"疾さ"をもって林の胴を完璧に捉えた。

 

「ガハッ!!?」

 

林の肉体を衝撃波が貫いた。

肉を潰し、内臓を透過し、骨を軋ませるその圧倒的破壊力を前に林の肉体が悲鳴を上げる。

 

「くっ……!」

 

その衝撃波は松金にも伝わり、二人の身体を数メートル後方へ吹き飛ばした。

 

「ウォォオッ!!」

 

松金は林を抱えたまま倒れないようにその衝撃を堪え切ると、林の腰に手を回して固定し雄叫びを上げながら林の体を持ち上げた。

 

「ォォラァァアアッ!!」

 

そのまま背中を反らせるように倒れ込み、林の身体を後ろ向きに叩き付ける。

 

「が、ぁ……!」

 

見事なジャーマンスープレックスを受けた林の身体から力が抜ける。

勝利を確信した松金が起き上がると、林はそのまま大の字に倒れた。

 

「はぁ、はぁ、へっ……ざまぁみやがれってんだ」

「やったな、松金」

 

労いの言葉をかけた柏木が松金の元へと歩み寄る。

しかし、突如として彼は血相を変えた。

 

「っ、松金ェ!!」

「あ?」

 

声を上げて駆け出した柏木が目にしたもの。

それは。

 

「こ、の…………!」

 

鉄パイプを持って立ち上がった林の姿だった。

 

「な、テメ────」

「ボケがぁッ!!」

 

松金が異変を感じて振り返った時にはもう、林は鉄パイプを振り下ろしていた。

 

「ガッ!?」

 

衝撃。激痛。金属音。

松金がこの三つを知覚した直後、その頭部からは多量の血が流れ出していた。

 

「この野郎ォォォ!!」

 

怒りに駆られた柏木が再び林との距離を一瞬で詰め、腰だめに右拳を構える。

林はこれに対し、二本の鉄パイプを交差させる事で防御の姿勢を取る。

 

「セェィヤッ!!!!」

 

そして激突。

先程よりも強い威力の乗った正拳突きは、林の持った二本の鉄パイプを一瞬で捻じ曲げて使い物にならなくさせた。

 

「ぐふ、っ……!」

 

衝撃で後退せざるを得なかった林が膝を突いて口から血を零す。林にとって、先程受けた正拳突きは致命傷に近かった。

 

「松金!しっかりしろ松金!」

「ぁ…………ぅ…………」

 

頭部から血を流して微かな呻き声をあげる松金。

そんな彼に手を差し出そうとし、柏木は気付いた。

 

「なに……!」

 

それは己の右拳の異常。

瓦やコンクリートブロック、木製の板やバットなどを持って殴り割ってきた柏木の拳であっても、鉄パイプを正面から殴ってはタダでは済まなかったのだ。

 

(親指以外が全部折れてやがる……これじゃ拳を握れねぇ……!)

 

利き手の負傷。空手家にとってこれ以上の痛手は無い。

 

「ホンマ……やりよるわ、アンタ……」

「!」

 

柏木が振り返った先にいたのは、口元から垂れる血を拭った関西の極道。

両手に持った武器を失った彼は、いち早く素手でのタイマンに持ち込むつもりでいた。

 

「今度こそ……殺らせてもらいまっせ……!」

「チッ……!」

 

すぐさま構えを取る柏木。

折れた右手。戦闘不能の相方。

相手は手負いと言えど五体満足の関西ヤクザ。

圧倒的不利と言えるこの状況。

 

「行くでぇ!」

「ォォオオオッ!!」

 

それでも柏木は吠えた。

己に流れる"極道の血"に従って。

 

 

 




次回、嶋野戦。


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Play Me ──Re:Born──



「錦山よ、良くぞここまで着いてきた。まさかこの短時間でこれ程までに我が流派の技を会得するとはのぅ」

「次にお主に授けるのは、我が流派の三大奥義の一つじゃ。」

「冷静に間合いを測り、脱力から緊張。静から動へのスムーズな移行が、この技の鍵となる」




「この技の名は─────」




東城会直系嶋野組組長。嶋野太。

身長195cm、体重149kgと言うあまりにも恵まれた体躯と鋼の如き堅牢さを誇る筋肉の鎧を持つ彼は、東城会が誇る超武闘派集団"嶋野組"を束ねる大親分である。

その性分は極悪非道、冷酷残忍。己がのし上がる為ならどんなものでも利用して使い潰す。

力で持って全てを蹂躙する。まさにヤクザの体現と言えるだろう。

 

「ここがお前の墓場や!!」

「ッ……!」

 

そんな強大な敵との二度目の闘いに、錦山彰は挑んでいた。

頭を襲う鈍痛に眉を潜めながら。

 

(ダメだ、頭が回らねぇ……!)

 

無我の境地。

これまでの激しい闘いの中で錦山が体得したそれは、状況の認識とそれに対する最適解を瞬時に導き出す事が出来る代物だ。

しかし、限界を超えると脳と神経に多大な負荷がかかる諸刃の剣。

錦山はまさに、その反動に苛まれていた。

 

「てぇぇい!!」

 

故に。

今の彼には迫り来る嶋野の張り手を避ける術がない。

 

「ぐぁぁあっ!?」

 

咄嗟に防御に回した腕が悲鳴をあげた。

錦山の身体がその圧倒的な腕力の前に吹き飛ばされる。

 

「くっそ……!」

 

着地と同時に地面を踏み締めて転倒を防ぐが、平衡感覚の鈍りから片膝を着いてしまう錦山。

 

「ケリつけたるわ……!!」

 

嶋野はそう言って錦山の元へ歩み寄ると、両手で首を掴んで軽々と持ち上げた。

 

「死に晒せやぁ!!」

 

そのまま握力を解放して錦山の首を締める。

 

「ッ……ッッ……!!」

 

気道を塞がれて意識が遠のく錦山。

その顔は赤みを失い紫色へと変色を始める。

数秒後に錦山の意識は断絶し、十秒もすれば首の骨がへし折れているだろう。

 

(や、べぇ……!)

 

視界に白が混じる。"死"が迫る。

錦山は確信した。この状況で、自分が生き残る最適解を。

 

「ッッ!!!!」

 

嶋野の手首を両手で掴み、全身全霊の握力を込める。

後先など考えない。嶋野の手首ごと己の手も破壊する覚悟で握り締めた。

 

「な、んやと!?」

 

その結果、自分より一回りも体格の違う錦山に自分の手を握り潰された嶋野が 驚愕に目を見開いた。

 

「スッ────」

 

気道を確保した錦山が短く息を吸う。

供給の絶たれていた酸素が身体中の細胞に行き渡り、全身の筋肉に力が漲る。

 

「ッラァ!!」

 

勢いよく嶋野の腕を引き剥がすのと同時に、錦山はがら空きとなっていた嶋野の顔面に膝蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐべっ!?」

 

鼻柱を叩き折られ、少なくない出血を強いられた嶋野が咄嗟に自身の顔を庇った。

その隙を、錦山は決して逃さない。何故なら彼の見出した最適解は。

 

(殺られる前に、殺ってやる!!)

 

真っ向から立ち向かい、荒々しく殴り勝つ事。

超武闘派極道を相手に、錦山は堂々と素手でのタイマンを仕掛けたのだ。

 

「うおぉぉおッッ!!」

 

全身から溢れ出る闘気。胸の内を迸る闘争本能。

それに従って放たれしは全体重を乗せた大振りの右フック。

 

「が、っ──!」

 

嶋野の下顎を見事に捉え、2メートル近い巨体がフラッシュダウンを起こしてバランスを崩す。

 

「セィッ!!」

 

無防備になった胴にすかさず左の正拳突き。

 

「ぐほっ!?」

 

分厚い筋肉の鎧を貫いたその一撃が、鳩尾を打つ。

急所を突かれた事で呼吸困難に陥る嶋野が更なる隙を晒す。

 

「シャァッ!!」

 

左足を踏み抜いて体重をかけ、そこを軸に後ろに回転。

振り上げた右足の踵を、遠心力のままに振り回して側頭部に叩き込む。

 

「がぉっ!?」

 

後ろ回し蹴り。

数多くある空手の蹴り技の中でも屈指の威力を誇る大技である。

 

「ぐ、ぅ……!」

 

三半規管をやられた嶋野が背中から大の字に倒れ込む。

錦山はここで一気に決着をつけると決議した。

 

「終わりだ……!!」

 

すかさず嶋野の上にのしかかってマウントポジションを取る。そして。

 

「うぅぉぉおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァァッッ!!!!」

 

殴る。殴る。殴る。

叩く。叩く。叩く。

潰す。潰す。潰す。

一切の遠慮なく。一切の躊躇なく。

嶋野の顔面を粉砕すべく、錦山は拳の暴風雨を振らせた。

 

「ガッ、ゴッ、ブッ!?」

 

一発一発に石で殴られてるかのような衝撃と威力が込められた錦山のグラウンドパンチは、マウントポジションで逃げ場のない嶋野の頭を地面に叩き付け、バスケットボールのようにバウンドを繰り返した。

 

「オラァアァァッッ!!」

 

一際大きく振り上げた右の拳を全力で振り下ろす。

その一撃は嶋野の鼻を潰して陥没させ、後頭部をアスファルトに強打。地面と拳に挟まれる形となった。

 

「はぁ、はぁ……!」

 

錦山は息を荒げながら嫌な予感を感じていた。

文字通り嶋野を"タコ殴り"にしたと言うのに、トドメを刺した実感と手応えを感じれなかったからだ。

 

「に……じ……!」

 

そして、その予感は的中する。

 

「にじぎ、やま、ぁ……!!」

 

拳が顔にめり込んだまま。地面に挟まれたまま。

嶋野太は、血走った目を錦山彰に向けていた。

 

「ッッ!!?」

 

絶対零度が背中を走る。

その時にはもう、嶋野の肉体は行動を起こしていた。

 

「ぬぅぅおおおおおおおっ!!」

 

マウントを取られたまま腹筋を使って起き上がり、錦山の鼻柱に頭突きを叩き込んだのだ。

 

「がッッ!?」

「てぇぇッ!!」

 

鼻から流血し怯む錦山の胴に、嶋野は靴底を押し当てるとそのまま勢いよく蹴り飛ばした。

巨躯に宿した圧倒的なパワーで錦山を無理やり引き剥がす事に成功したのだ。

 

「く、ッッ!!」

 

数メートルの距離を吹き飛ばされた錦山はすかさず"古牧流・猫返り"で体勢を整える。

 

「舐めおってこのガキぁ……!」

 

殺意を剥き出しにして起き上がる嶋野を、錦山は一切の油断無く睨み付ける。

 

(仕留めきれなかったか……)

 

大振りの右フック、正拳突き、後ろ回し蹴り。そしてマウントポジションからのパンチの連打と 威力の高い技を的確に当てていた錦山。

それらの攻撃は全て嶋野にとって有効打となり得ていた。

だがそれ以上に、嶋野太という大男がタフだったと言う事だ。

 

(だが……!)

 

しかし錦山は確信していた。"殺られる前に殺る"。

それを最適解とした事は間違いでなかったと。

何故ならそれによって、彼は大きな収穫を得たからだ。

 

("俺の攻撃が嶋野に通る"……それが分かりゃ後は簡単だ……!)

 

葬儀場で闘った時は錦山の攻撃は分厚い筋肉の鎧に阻まれてしまい、目潰しや嶋野の突進に合わせてのカウンターや空中からの重力落下などに頼っていた。

だが、今は違う。

ここに至るまで数多くの強敵と拳を交え、鍛えに鍛えられた錦山の肉体。そして洗練され続けてきた技の数々。

それらを持ってすれば、筋肉の鎧の上からであっても嶋野にダメージを与えられる。即ち、真っ向勝負が出来るのだ。

 

「ブチ殺したるわぁぁあああああ!!」

 

獣の如き雄叫びを上げて嶋野が襲いかかる。

 

「上等だコラァァァアア!!」

 

それに対して錦山は一切臆せずに迎え撃った。

 

「ぬぅん、うぅらぁぁ!!」

「シャァアッ!」

 

嶋野が繰り出した右の張り手に対し、錦山は左のフックでその張り手を真横から叩いた。

 

「ぐぉっ!?」

「シッ、オラッ、セェッ!!」

 

張り手の軌道を逸らされた事で体制を崩す嶋野の隙を突き、錦山はガラ空きの顔面に右のストレート。たたらを踏んだところで左のアッパー。そこから更にボディへ正拳突きを放つ。

 

「ぐぅ、ぬおおっ!!」

「フッ!」

 

受けたダメージを誤魔化すかのように嶋野が勢い任せで腕を振り回すが、それに対して錦山はその剛腕の動きに沿って回転してやり過ごすと、勢いのまま左の裏拳を下顎に当てる。

 

「ぬっ──!?」

「ハッ、オラァッ!!」

 

脳震盪で身体を揺らす嶋野の脇腹に右のボディブローをめり込ませ、さらに追撃でボディに膝蹴りを突き刺した。

 

「ぐぬぉぉ……!」

 

堪らず腹部を抑えて後退る嶋野。

 

「フゥーッ……!!」

 

ここで錦山は大きく腰を落として半身の構えを取る。

呼吸による脱力の後に腰だめに拳を構えながら強く地面を踏み込んだ。

 

「!!」

 

内臓を苛む痛みの中で嶋野は悟った。

更なるダメージを胴に与えるべく、錦山は構えたのだと。

 

「ぐっ……!」

 

嶋野は更なる追撃を防ぐべく、ボディに対する防御を固めた。これ以上胴への攻撃を許せば自らの臓器を損傷しかねないからだ。

 

「シッ」

 

錦山の構えは正拳突きの前動作。錦山の視線は嶋野の胴体。

しかし。

 

「セェッ!!」

 

鳩尾ないしはボディへと叩き込まれるはずのその正拳突きは、嶋野の顔面を抉り打ったのだ。

 

「ぐぶげっ!?」

 

度重なるボディへの攻撃で嶋野の意識を胴の集中させる事で顔面への守りを薄くし、がら空きになった瞬間に一撃を見舞う。それが錦山の狙いだった。

 

「セェイヤァッ!!」

 

その勢いに乗り、更なる追撃としてドロップキックを繰り出す錦山。

全体重を乗せたその蹴りを受けた嶋野が大きく仰け反ったまま後退し、やがて地面に膝を突いた。

 

「ぐ、ぉぉ……!」

「はぁ、はぁ……!」

 

スタミナを度外視し全力の攻撃を続けてきた錦山が息を整える。

嶋野が一度攻撃をする間に三度の打撃を当て続けるのには限界があった。

 

「はぁ……はぁ……へっ、どうした嶋野さんよ?まさかこれで終わりじゃねぇよな?」

 

そんな中、あろう事か錦山は嶋野を挑発するという暴挙に出た。

 

「はっ、前はもうちょっと強ぇ奴だと思ってたんだがな?所詮、図体がデカいだけのロートルか」

「おどれ……!!」

 

嶋野の額に青筋が浮かぶ。

自分より二十歳以上年下の錦山に殴り合いで押し負け、ましてやあからさまな態度で挑発を受けたのだ。

その屈辱は、嶋野の身体から痛みを忘れさせた。

 

「このガキァァああああッッ!!!!」

 

怒りに駆られた嶋野は立ち上がると、両腕を交差させながら突進を敢行した。それはまさに人型の戦車がキャタピラを回転させて突撃してくるのと変わり無い。

ほんの数秒もせず、錦山の肉体はあの戦車に轢き潰される事になるだろう。

 

「フゥー……──」

 

それに対して錦山は深く息を吐くと、燃えたぎっていた心を鎮めた。

相手を屠らんと昂る肉体を諭し。相手を倒さんとする本能を制し。

湧き出る闘気を押さえ付けるのではなく、より洗練に、より鋭利に。

相手を滅する為のモノへと研ぎ澄ましていく。

 

「────────」

 

そうして至るは、二度目の"無我の境地"。

迫り来る肉弾戦車の動きがスローモーションとなり、鮮明かつ正確に認識出来る。

同時に、それに対する最適解もまた瞬時に導かれた。

 

「──────────────ッ」

 

構えは軽く。拳も軽く。

嶋野の突進が己の射程範囲に来るその瞬間を、遅く流れる時の中で待ち続ける。

 

「でぇぇぇぇぇいッッ!!!!」

 

やがて訪れる。

脱力。間合い。呼吸。タイミング。

それら全てが合致した"刹那の一瞬"

その時こそが。

 

 

 

 

 

《勝機!!》

 

 

 

 

 

「────────!!!!!!」

 

ズドン!!!!と。

他の何とも形容し難い音が芝浦埠頭に響き渡った直後。

 

「ゥ、ぐぉぁああっっ!?」

 

錦山よりも一回り大きい体躯を持つ嶋野が、まるで解体用の鉄球に当たったかのように吹き飛ばされたのだ。

 

「がは、っ、ぁ────」

 

受身を取ることも出来ぬままアスファルトへと投げ出された嶋野。

あまりにも物理法則を無視したその現象だが、その真実を錦山だけは知覚していた。

右の拳に感じた、確かな手応えと共に。

 

 

 

《古牧流・奥義 ──虎落とし──》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フゥー……────」

 

"無我の境地"を解き、ゆっくりと息を整える。

右手に残った僅かな感覚と共に、俺は闘いの決着を悟った。

 

(決めてやったぜ……!)

 

嶋野に放ったのは古牧流の三大奥義の一つ。

その名も"虎落とし"。

自分よりも強大な相手を"虎"と例え、そんな敵の動きを見極め脱力し、必殺の一撃を叩き込む事に重きを置いたカウンター技だ。

もっとも、背中に猛虎の墨を背負った嶋野を相手にこの技を使う事になったのは偶然であり皮肉でしかないのだが。

 

「ぐ……ぬ、ぅ……!」

 

爺さん曰く、数ある古牧流の技の中でも"虎落とし"は単体の技としては最強の威力を誇るらしい。

その言葉が決して嘘ではなかった事は、目の前で起きている現実が証明してくれていた。

 

「こ……この、ガ、キ、ぃ…………ゲホッ!」

 

辛うじて上体を起こす嶋野だが、立ち上がろうとした瞬間吐血して片膝を突き、身動きが取れないでいる。

完全なる脱力と完璧な見切りから生み出された"虎落とし"の破壊力は、嶋野の肉体に甚大なダメージを与えたはずだ。

先の吐血が内臓を損傷しているが故のものであると仮定すると、今の嶋野は立ち上がる事はおろか意識と息がある時点で奇跡と言える。呆れたしぶとさだ。

 

「嶋野……」

 

俺はその場に落ちていた金属バットを拾い上げた。

この抗争でどこかの組織の人間が使っていたであろうそれを握り、一歩ずつ嶋野との距離を詰める。

 

「に、錦山……おど、れ…………!」

「…………」

 

凶悪な形相で睨み付ける嶋野だが、今のヤツが抵抗出来ない事を俺は知っている。

だが問題はそこじゃない。

 

「テメェの頭……カチ割ってやるよ……!」

 

嶋野太。長きに渡り親っさんをライバル視し、東城会のトップに立つ瞬間を虎視眈々と狙い続けて来たこの男。

そして、100億のためなら遥の命をなんとも思っていない卑劣漢。

そんな男が未だ、意識を保ったままでいる事の。それが問題なのだ。

 

「──殺る気なんか……?このワシを……?」

「────あぁ」

 

だから、殺す。

命ある限り、何度でも這い上がってくるであろうこの男を。確実に、この場で殺さなくてはならない。

 

「……はっ、青二才が。風間やガキの見てる前で、おどれなんぞに人が殺せるか」

「口の利き方には気ぃ付けろや、このクソ野郎が……!!」

 

そこで俺は嶋野に対して全力の覇気をぶつけた。

自分の置かれた状況を。数秒先に待っている"死"を自覚させる為だ。

 

「ッ……!」

「俺は……殺ると言ったら殺る男だぜ……!」

 

この時。

俺は背後に視線を向ける事をしていなかった。

もしも振り向けば、今の俺を見つめている親っさんと遥の顔を拝む事になる。

二人の顔を見るのが怖かった。どんな顔で俺を見ているのか想像するのが恐ろしかった。

何より、それをした事によって"殺しの覚悟"が鈍るのを防ぎたかった。

 

「く、そが……!」

「覚悟しやがれ……!」

 

だから。

 

「っ、彰……!」

 

バットを振り上げた時に背後から聞こえた親っさんの声も、俺を止めようとして発せられたものだと思ってしまった。

 

「嶋野ぉぉぉおおおおおおおおおッッ!!」

 

それを振り切るつもりで俺は、雄叫びと共にバットを振り下ろす。

そして。俺が全てを察したのはこの直後。

 

「どぉりゃぁぁぁあああ!!」

「ッッ!!」

 

背後から俺の腰にタックルを仕掛けてきた何者か。

 

「させへんで、このボケがァ!!」

「て、テメェは!?」

 

その正体がズタボロの風体となっていた近江連合の林である事。

ふと視界の端に映った、倒れ付した柏木さんと松金の叔父貴の姿。俺の知らない闘いが起こっていたという事実。

そしてその勝者たる林に自身が押し倒されてしまった現実。

親っさんが俺の名を呼んだ本当の意味。

その全てを悟った時。

 

「ぬぅっ、でやぁぁあああっ!!」

 

運命は、決していた。

 

「!!」

「ぐぉ、ぁ──────」

 

近江連合の寺田が咄嗟に拳銃を発砲し嶋野の命を奪うが、もう遅い。

嶋野が死ぬ直前に投げ放った黒い物体──手榴弾が放物線を描いて親っさん達の元へと迫る。

 

「遥!親っさん!!」

 

直後。爆音。

次いで黒煙が二人を覆い、爆風が俺の身体を叩く。

 

「ッ、邪魔だァァァァあああああッッ!!」

「ガッ!!?」

 

俺は身体に纏わり付いた林の頭に鉄槌を振り下ろして気絶させると、その体勢のまま立ち上がって力任せに放り投げた。

一拍遅れて耳を叩いた水飛沫の音から林が海に落ちた事が分かるが、そんな事はどうでもいい。

 

「親っさん!!」

 

一心不乱。気絶又は死体となって横たわる大勢の極道やヤクザ達を乗り越えるように親っさんの元へと駆け付ける。

 

「風間さん!」

 

先に辿り着いた寺田が親っさんの安否を伺う。

 

「親っさん!」

 

次いで辿り着いた俺の目に映りこんだのは。

 

「あ、彰……」

 

手榴弾の破片で出血し、血の滲んだ背広。

煤で汚れた顔。そして。

 

「遥は…………無事、だぜ…………」

 

こめかみから血を流しながら、力強く俺を見る"父"の顔。

そして、その下から顔を出す傷一つない遥の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回でこの章は最後です。


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父として

この作品もついに100話目です。



2005年12月15日。

一人の男が、東都大学医学部附属病院に現れた。

受付で名前を名乗って手続きをし、エントランスからエレベーターへと向かう。

 

「…………」

 

男は今日、一人の少年と面会する為にここを訪れていた。

その少年は男にとってかけがえのない存在。

だが、最後に会った事があるのは五年以上前の事。

 

「……………………」

 

もしかしたら、自分の事など憶えていないかもしれない。そんな不安が男の脳裏を過ぎるが、彼は直ぐにそれを振り払う。

元より自分は忘れられてて当然。ともすれば、憶えていて貰う資格すら無い人間であると男は認知していた。

 

「…………」

 

そして、ついに辿り着いた少年の病室。

軽いノックをし、ゆっくりと引き戸を開いた。

 

「………!」

 

男が訪ねた少年は、ベットの上で上体を起こして本を読んでいた。

 

「ぁ…………」

 

少年が男の存在に気付き視線を向けると、驚いたように目を丸くした。

彼の先にいた男は、ダークグレーのスーツを身に纏った大柄な体格をしており、彫りの深い顔立ちや佇まいもそうだが、そこから発せられるオーラと存在感が 意図せずして少年を圧倒してしまっていたからだ。

 

「……し」

 

少年に対し、男は恐る恐るといった様子でこう口にした。

 

「し……新一……」

 

怖がられないように。萎縮されないように。

そんな願いと共に慎重に、優しく。

男は少年の名前を呼ぶ。そして。

 

「……お……おとう、さん……?」

 

少年──澤村新一は、桐生一馬を父親として認識した。

 

「っ……あぁ。そうだ」

「お父さん……!」

 

目を輝かせ、ベットから動き出す新一。

五年ぶりの再会に辛抱堪らぬといった様子だ。

それに対して桐生はすぐさまベットまで駆け寄ると、新一の両肩にそっと手を置いた。

 

「無理はするな」

「あ、うん……」

 

急激な動きは身体に障る。

新一の病気は、一度 咳の発作が始まってしまえばすぐに呼吸困難に陥ってしまう。そうなれば折角訪れた今の尊い時間も失われてしまうのだ。

 

「新一……俺の事、覚えていてくれたんだな」

「当たり前だよ……親子だもん」

「そうか……すまなかった。お前には苦労をかけちまったし、寂しい思いもさせちまったよな……」

 

悲痛に顔を歪めながらそう口にする桐生。

それはまるで、悩める仔羊が救いを求めて懺悔する様にも見えた。

 

「ううん、お父さんがいそがしくしてたのは知ってたし……ぼくには 遥お姉ちゃんがいたから」

「遥が……」

「うん。お姉ちゃん、ぼくがお父さんとお母さんに会いたいって言ったら "わたしにまかせて"って。だから今日、会いに来てくれたんでしょ?」

「!」

 

澤村遥。桐生にとっては血の繋がらない、それでいてとても大切な愛娘。

たった一人の弟の為、そして自分自身の願いのために。遥は神室町へとやってきた。その後の顛末を親友である錦山から聞かされていた桐生は当然把握している。

だが、こうして新一の口から改めて聞かされた事で 桐生の心には込み上げるものがあった。

 

「っ……!」

「お父さん……?」

「あぁ……すまない。そうだ」

「へへ……うれしいなぁ」

 

そこから二人は、色々な事を話した。

新一は病状の事や日々の生活の事を。桐生はこれまでに会った出来事を、話せる範囲で語った。

そんな中で出てきたのは 遥が両親を探す過程で出会った桐生の親友、錦山の事。

そしてそんな錦山と遥が送ってきた波乱万丈な冒険の数々であった。

 

「それで、錦山のおじさんがその怖い人たちをやっつけちゃったんだって」

「そうか、錦……山のおじさんは、とても強いんだな」

「うん!遥お姉ちゃんも、おじさんが守ってくれるから安心だよって言ってた」

 

新一の口から語られる錦山彰はヒーロー然としていて、憧れの存在を熱を持って語るその姿に桐生は微笑ましさを抱き、同時に錦山への恩義を感じていた。

 

(錦……お前にまた、借りが出来ちまったな)

 

もしも出所した錦山が神室町を訪れなければ。

遥と出会っていなければ。そして遥を守ろうとしていなければ。

桐生は間違いなく、大切な子供達を失っていただろう。

最初は錦山を危険に巻き込ませまいとしていた桐生だったが、実際は事件に首を突っ込もうとし続けた錦山に助けられていたのだから皮肉という他ない。

 

「失礼します、間もなくお時間です」

「あぁ……わかった」

 

程なくして、ドアの向こうから看護師の声が響いた。

面会終了の時間が迫っている証だ。

 

「なぁ……新一」

「お父さん……?」

 

桐生は真剣に新一の目を見ると、懐からあるものを取り出した。

 

「今日はお前に、渡したいものがあって来たんだ」

「わたしたいもの?」

「あぁ。クリスマスプレゼント……って言うには、少し早いかもしれないがな」

 

そう言うと桐生は懐から厚紙で出来た長方形の箱を取り出し、新一の手に持たせた。

 

「これ、なに?」

「これはな……お前が大きくなった時に使うものだ」

「大きくなった時?」

「あぁ」

 

桐生が新一に渡したモノ。それは、年頃の少年が喜ぶようなゲームや玩具の類では無い。

新一が将来大人になり、大切な何かが出来た時に必要なモノだ。

 

「こいつは多分、今のお前が喜ぶようなものじゃないかもしれない。だがきっと、お前が大きくなった時にこれが必要になる時が来るはずだ」

 

父親らしい事も出来ず、ほとんどの時間を一緒に過ごす事も出来ず。己の力不足の為に母親を死なせてしまった。

 

「受け取ってくれ、新一」

 

そんな桐生が新一に贈るモノ。それは桐生の祈りそのもの。今は病弱でも 懸命に抗って闘い抜いて病を打破し、元気に健やかに成長して欲しい。

父として我が子に願う愛の形。

 

「……うん」

 

それを新一は静かに頷き 受け取った。桐生の渡したこの品が、新一にとって何か大きな意味を持つものである。

彼は幼いながらにそれを理解した。

 

「ねぇお父さん」

「ん……?」

 

それと同時に。

 

「また……また会いに来てね。僕、待ってるから」

 

新一の胸に嫌な予感が過ぎっていた。

それは、かつて遥がヒマワリで桐生からの手紙を読んだ時に抱いたものと同じ。

もう二度と父親に会えなくなるかもしれない。そんな不安だ。

 

「……」

 

桐生はゆっくりと新一の頭に手を置くと、優しく撫でた。己の中の愛情を、精一杯伝えるために。

 

「あぁ……約束だ」

「……うん!」

 

力強く頷いた桐生を見て、新一もまた元気よく頷き返す。

息子の頭に乗せた手を離し、踵を返した桐生は最後。

 

「元気でな……新一」

 

そんな言葉を残して病室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東城会の消えた100億を巡って起きた極道達による跡目争い。その事件の一つとして発生した、風間組対嶋野組の全面戦争。

風間組の勝利で闘いの幕が降りたはずの芝浦埠頭では。

 

「あ、彰……遥は…………無事、だぜ…………」

 

風間の親っさんがが額から血を流しながら俺にそう言ってきた。

覆い被さっていた親っさんの下から傷一つ無い遥が姿を現す。

 

「おじ……さん……」

「う……うぅ……」

 

倒れる。

あの親っさんが、仰向けに。

 

「風間のおじさん!」

「親っさん!」

 

俺はすぐさま駆け寄ると親っさんの身体を抱き上げて傷の具合を見た。

 

(出血がひでぇ……このままじゃ……!)

 

親さんの脇腹から背中にかけて、爆発した手榴弾の破片が突き刺っている。遥を守るために手榴弾の爆風を近距離で受けてしまったからだろう。

更に言えば親っさんは数日前に撃たれた肩の傷だってある。

 

「彰……優子の、話を……」

「寺田さん、救急車だ!急いでくれ!!」

「わかってる!!」

 

俺は寺田さんに叫んだ。

早く処置をしなければ手遅れになってしまう。親っさんを死なす訳には行かない。

 

「親っさん、待っててください。今救急車を……!」

 

直後。

 

「彰……!!」

「っ!?」

 

冷静さを失っていた俺は、親っさんのその一言ではっとした。

 

「今は、聞け……彰……!」

「お……おやっさん……」

 

親っさんが顔に脂汗を浮かばせ、痛みと苦しみに耐えながら俺を真剣に見つめていた。

何がなんでも伝えなきゃならない。

そんな親っさんの意思をその顔に見た俺は、親っさんの言葉に耳を傾けた。

 

「彰……100億の現場に、ネックレスが落ちていたのは……優子の仕業なんだ……」

「え……?優子の……!?」

 

親っさんから語られた真実に面食らう。

100億の盗まれた現場に落ちていた由美の形見であるネックレス。それは偶然ではなく必然。優子がある意図を持って起こした行動だったと言うのだ。

 

「あぁ……優子の目的は、神宮への復讐……だが神宮は、政治家だ。真っ当な手段じゃ、近づくことは出来ない……」

 

親っさんの言葉が最後のピースとなって埋まったことで、今までの情報が繋がっていく。

 

(神宮が狙っていたのは由美と遥の命だった。由美を始末した神宮だが、その後世良会長が神宮と手を切り親っさんと協力し、徹底して護っていた事で遥への手出し出来なくなっていた……)

 

裏社会の強固な護りに囲まれた遥への干渉は不可能に近く、神宮は遥の処遇を後回しにせざるを得ない状況にあった。だが。もしそんな時"死んだはずの由美が生きている"となればどうなるか。

 

「まさか……ネックレスを落としたのは、神宮に行動を起こさせる為に……!?」

「そうだ……」

 

由美の遺品であるネックレスをわざと現場に残す事で、死んでいるはずの由美に100億事件の犯人の疑惑を持たせる。更に由美が死んだすぐ後に"由美の妹・美月"の存在を匂わせたり、ミレニアムタワーに美月の名前でアレスって店を構える事で"由美が偽名だけではなく、顔をも変えて生きている可能性"を示唆する。

 

(そうなれば、神宮は嫌でも動くしかねぇ……由美の生死を明らかにするのもそうだが同じタイミングで神室町に遥が来てるとなりゃ、あの子が神宮に狙われたのも納得だ。遥を人質に取って由美……美月となった優子を誘き出す事だって出来たはずだからな)

 

由美が生きているのなら始末し、何の因果か東城会の庇護を離れて神室町に来ていた遥にも干渉する事が出来る。神宮にとってこの状況は自分を破滅させかねない過去のスキャンダルを一気に払拭する最大の好機に他ならない。

 

「それでMIAが動き出した……」

「そうだ……だが、痺れを切らした神宮は、いよいよ表に、姿を現すはずだ……100億を、自分の力を取り戻しに、な……」

 

そして、優子の目論見は成功した。神宮が表に出てくるタイミング。その一瞬こそ優子が復讐の為に待ち望んでいた時間なんだ。

 

「あ、アレスへ行くんだ、彰……優子が、危ねぇ……!」

「アレス……アレスに優子が……!?」

「あぁ……そこであの子は……復讐を、遂げるつもり、なんだ……」

 

ネックレスを通して由美の生存を匂わせ、由美の偽名であった美月の名前で"由美の妹"を名乗り、その名前でアレスを出店して一気に噂を広める。

それを察知した神宮をミレニアムタワーに引きずり出し報復を遂げる。これが優子の企てた復讐劇の全貌。

 

「分かりました……神宮は俺が、必ずなんとかします……!」

 

止めなきゃならない。神宮の暴走も、優子の復讐も。

俺が必ず、全てに決着を付けてやる。

これ以上 優子を裏社会に関わらせる訳には行かない。

 

「あぁ……それから……」

 

ふと、親っさんが懐から一枚の封筒を取り出す。

 

「これは……?」

「三代目の……"遺言状"だ……」

「遺言状……!」

 

俺はその存在に直ぐ思い当たった。

 

(確かシンジが言ってたって奴だ。風間の親っさんが持ってるって話だったが……マジだったんだな)

 

その三代目の遺言状には次の四代目会長となるべき男の名前が記されていると言う。今回の消えた100億の事件で跡目争いの勃発した東城会だが、そんなものが存在するのであればいくら金を取り戻した所でその組が跡目を獲る事は出来なくなってしまう。故に跡目争いに参加している組は100億とは別に、その遺言状を握り潰す必要があるのだ。

 

「東城会の……未来が、そこにある……」

 

親っさんが俺に差し出した封筒。

俺はその光景が信じられなかった。

 

(親っさん……そんな大事なもんを俺に……?)

 

俺は桐生と違ってカリスマも無けりゃ名も挙げてない。どこにでも居るしがないチンピラだった。今だってそれは変わらない。

そんな俺に対して親っさんは"東城会の未来を託す"と言っているのだ。

 

「いいんですか……?俺が、これを……」

 

戸惑いを隠せない俺に、親っさんは力強く頷いた。

 

「あぁ……これを、託せるのは……お前しか、いない……」

「!!」

 

お前しか居ない。その言葉は俺の胸に深く刺さった。

桐生一馬が居なければ極道としては愚か人間として生きる事も出来なかった半端者の俺に、親っさんはそう言った。言ってくれた。ならば俺の答えは一つしかない。

 

「……はい!」

 

覚悟を決めて封筒を手に取った瞬間、俺はその封筒にとんでもない重さを感じた。

今、俺の手の中に東城会の──2万5000人もの極道達の命運がある。堂島殺しの時の拳銃や新藤と戦った時の日本刀を持った時とは比べ物にならない程の重圧。

 

「う……ぅ……」

「っ!親っさん!」

 

だがそんなものは直ぐに何処かに消え去った。

親っさんの目の焦点が合ってない事に気付いたからだ。

 

「親っさん……しっかりしてください親っさん!!」

「あ……彰ぁ…………」

 

その時、親っさんの目に光るものが垣間見えた。

瞳が潤んでいる。決して人前で涙を見せなかったあの親っさんが、心を震わせて何かを告ようとしている。

 

「俺はお前に……謝らなきゃならない事がある……」

「え……?」

「許してくれ……彰……」

「な、何を……?」

 

それは。風間のおやっさんが。風間新太郎が心の中で抱え続けていた大きな闇。

 

「お前らの……肉親(おや)ぁ殺したのは……俺なんだ……!」

「え……!?」

 

俺は今日、何度目かも分からない驚愕に遭遇した。

親っさんが俺と優子──俺たち兄弟にとって家族の仇だと、親っさんは言ったのだ。

 

「ひ……ひまわりは……俺が、肉親殺した……子供の為の……し、施設…………」

「!!」

 

風間の親っさん。

物心着く前に親を亡くした俺と優子をここまで育ててくれた恩人であり、育ての父。だがそれは親っさんが手にかけてきた標的達への罪滅ぼしだった。

その事への許しを、親っさんは最後に願ったのだ。

 

「だ、だから……」

「───それがなんだってんだ!!」

 

俺は吠えた。もう我慢の限界だ。今は聞け?ふざけるな。今度はアンタが聞く番だ。

 

「あき、ら……?」

 

ほとんど吐息に近い親っさんの声を聞き、沸騰寸前の思考が最後にこう認識した。もう、長くない。

 

「俺や優子!桐生に由美!みんな……ひまわりのみんなにとっちゃ、アンタが本当の親父だったんだ!!」

「……!」

「ここまで俺たちを育ててくれて……ヤクザになろうとした俺と桐生を受け入れてくれて……十年前に俺なんかの為に指まで詰めて……!!」

 

そう理解した頭の意見を感情でねじ伏せる。

嫌だ。ふざけるな。死んで欲しくない。死なせたくない。生きててもらわなきゃ困る。何故なら。

 

「そんなアンタに俺ぁ、何一つ返せちゃいねぇんだよ!!」

 

確かに、もしも親っさんが俺と優子の親を殺してなければ。もしかしたら違った未来があったのかもしれない。今よりも幸せな未来があったのかもしれない。でも、親っさんが作ってくれたひまわりという場所で俺と優子は家族というものを知れた。桐生という親友と巡り会えた。由美という好きな女も出来た。風間の親っさんの子として育てられて俺達は間違いなく幸せだった。だから。

 

「俺だけじゃねぇ……桐生も優子も、みんなきっと同じことを言うはずだ……だから……だからまだ……死ぬんじゃねぇよ、"親父"ィ!!」

 

俺が親孝行するまで。俺がもっとデカい男になるまで。俺を育てて来て良かったって思えるようになるまで。

生きてて欲しい。傍で見ていて欲しい。

今この場に居ないみんなの想いと一緒に、俺は精一杯の我儘をぶつけた。

 

「──ぁ……」

 

それを聞いた親っさんの手が、ゆっくりと俺に伸ばされる。

 

「!」

 

ポン、と軽く。それでいて力強く。

俺の頭にその手が置かれる。

 

「ぉ……大き、く……なった、な…………あき……ら…………───────────」

 

それが。

この世でたった一人の俺の親父。風間新太郎の。

最期の言葉だった。

 

「ぉ……お……!!」

 

力の抜けた手が俺の頭から滑り落ちる。

血で真っ赤に染まったその手はもう、二度と動かない。

 

 

 

 

 

「──親っさぁぁぁぁあああああん!!!!」

 

 

 

 

 

2005年12月15日。

 

この日、俺は。

父を亡くした。

 

 

 





東城会直系 風間組組長 風間新太郎

死亡

享年60歳





次回。



錦が如く。




最終章、突入。


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第十九章 戦いの果て
関東桐生会 ────"出撃"


皆様、大変ご無沙汰しております。
後書きに重要な報告がございますので、最後まで見て頂けると幸いです。


2005年12月16日。

風間の親っさんの死から一夜明けた今日。

スターダストのソファで横になっていた俺は、一輝の声掛けで目を覚ました。

 

「錦山さん、おはようございます」

「おう……おはよう」

 

店の様子を見に来た一輝が挨拶がてらに渡してきたおしぼりを受け取り 軽く顔を拭ってから一輝に礼を言う。

 

「店、貸してくれてありがとな」

 

昨日に発生した抗争事件。風間の親っさんの遺体や負傷した組員らを救急車に運び入れたり、病院に連れて行ったり等の事後処理に追われ、全てがひと段落したのはもう明け方になろうかという時間だった。遥も連れている俺は何処かで安全な場所で休もうと思ったのだが セレナを頼ればまた麗奈に危害が及ぶ可能性がある。賽の河原もカラーギャングの被害による爪痕が未だ残ってる以上頼る訳にはいかない。

そこで俺は、今晩だけと言う条件でスターダストの店舗を間借りして休ませて貰っていたのだ。

 

「いえ……遥ちゃんは?」

「遥は隣のソファだ。まだ寝てるから起こさないでやってくれ」

「分かりました」

 

遥も昨日は相当疲れたのだろう。規則正しい寝息を立てる彼女は全く起きる気配が無い。

衝撃の事実を聞かされ、ヤクザの抗争に巻き込まれ、目の前で自分を庇った親っさんが死んだんだ。小学生の女の子が経験していい事じゃないだろう。

 

「風間さんの事は……残念でした」

 

ふと、一輝が悲痛な面持ちで口にする。

風間の親っさんは 一輝がスターダストを開業する際に彼からみかじめも取らずに商売のいろはを教えていた。

あの人は一輝にとっても恩人だったのだ。

 

「あぁ……俺も、受け入れたくねぇよ」

 

それは紛れもない本心だ。死んで欲しくなかった。生きていて欲しかった。あの人は俺にとって、たった一人の親父だったのだから。

 

「でも……いつまでも下向いてちゃ居られねぇ」

 

親っさんから受け取った三代目の遺言状。その重さを懐に感じる。

俺はあの人から東城会の未来を託された。だったらこんな所で腐って居られない。親っさんが命懸けで守ってくれたもの、守りたかったものを守る為に闘うだけだ。

 

「錦山さん」

「どうした?」

「少し気になったんですが……街の様子がいつもと違うんです」

「どういうこった?」

「ここに来るまでの間、街中でヤクザを見かけませんでした。今までこんな事は無かったんですが……」

 

神室町にヤクザが見当たらない。天下の東城会の膝元であるこの街でそんな事態になるのは非常に稀な事だ。

現在の時刻は昼の13時。時間帯が夜じゃないと言うのも理由の一つとして挙げられるが、俺はその最大の要因は別にあると考えていた。

 

「おそらく昨日の抗争が原因だろうな。風間の親っさんに嶋野。今の東城会の柱とも言える二人が同時に居なくなったとありゃ、いよいよ跡目がどうのって言ってられる状況でも無くなってくるだろうからな」

 

嶋野組の若頭である真島は、劇場前で起きた桐生との闘いの後どうなったか分からない。柏木さんも昨日の抗争で重傷を負ってしまい動けずにいる。その結果 嶋野組と風間組という今の東城会を支える二大勢力が同時に機能不全に陥ったのだ。これにより今の東城会の地盤はかつて無いほどに不安定な状態となってしまっている。下手をすれば組織そのものが崩壊して事実上の解散、なんて事も十分に考えられる事態だ。

この危機を回避すべく組織全体の地盤を固めるか。それともリスクを承知でこの機に乗じて跡目を狙うのか。

今の神室町にヤクザの姿が無いのは、そういった選択を迫られている最中だからなのだろう。

 

「だが、俺には分かる。今の平穏は……嵐の前の静けさって奴だ」

「嵐の前の静けさ……ですか」

 

不安げな様子の一輝に俺は確信を持って言った。

 

「あぁ。きっと神室町は今夜から、かつて無いほどに混沌とするだろうぜ」

 

十人十色なんて言葉があるように、組織においても全く同じ価値観や考えで行動してる連中など存在しない。今回の事態を受け、各々がそれぞれの行動を取り始める筈だ。風間組や嶋野組が動けないのを良い事に跡目を狙う過激派の台頭もそうだが、それに対し組織を建て直し守ろうとする穏健派や保守派も出てくるだろう。更に言えば、東城会による睨みが鈍くなった事で今までなりを潜めていたギャングやゴロツキ共。果ては近江連合や蛇華と言った敵対勢力が動き出す可能性も大いに有り得る。

 

「このままじゃ、文字通りこの街はぶっ壊れる事になる。だが……そんな事にゃさせねぇ」

 

良くも悪くも、俺の人生はこの神室町っていう街があったからこそだ。この場所が無けりゃ俺も今とは違う人生だったろう。そんな故郷とも言うべき場所が荒らされ崩壊しかけてるって時に指をくわえて見ているだけなんて事はあってはならない。

 

「ん?」

 

携帯が震えた。見覚えのある番号からの着信である。

 

『錦山、俺だ』

「花屋か」

 

サイの花屋からの電話だった。あの男の事だ、俺が今スターダストに居る事も承知してるんだろう。

 

『新しい情報が入ってな。今夜、美月が久しぶりに店を開けるそうだ』

「店……アレスをか?」

『あぁ。それ察知したMIAらしき連中が神室町に来ているのをウチのモニターが確認した』

 

花屋からの情報を聞いた俺はすぐに悟った。これは美月──優子が神宮に向けて送った合図だと。

神宮をアレスに誘い出して復讐を遂げると言う優子の狙いが明らかになった今ならそれが分かる。

 

(もしも由美がまだ生きていて自分の100億が由美の手にあるのだとしたら……神宮は絶対に部下任せにはしねぇ。確実に自分自身の手で金を取り戻しに来るはず)

 

MIAが来ているのはその為だ。これまでの状況から美月に東城会の庇護があるのは明白。そして美月が由美であると思ってる神宮は、このアレスの開店そのものが東城会側の罠である事を警戒しなくてはならない。先んじて己の私兵を派遣して伏兵や罠を排除し、安全を確保した上で行動を起こすつもりなのだ。

 

『俺の読みじゃ神宮は今夜ミレニアムタワーに姿を見せる。おそらく桐生もな』

「桐生も……間違いねぇのか?」

『あぁ。都内の何処かで息を潜めてたんだろうが、つい数分前に神室町でその姿を確認した。アレスが開くのを何処からか聞いたんだろう』

 

神宮が来る事まで呼んでいるのか純粋に美月を護るために動いているのかは定かじゃないが、花屋の言う通り桐生がタワーに現れるのは間違いない。

 

『安心しろ、この情報は付けといてやる』

「あぁ……ありがとうな花屋」

『生きて戻ったらキッチリ金払えよ。じゃあな』

 

電話を終えて決意と覚悟を新たにする。過去の因縁や事件の真相と黒幕。俺は今夜、その全てに決着をつけるのだ。

 

「……錦山さん」

「ん?」

「実は俺……いや、スターダストから錦山さんに餞別があるんです」

「餞別?」

「えぇ……こちらへ」

 

一輝はそう言って踵を返すとバックヤードへと歩いていく。俺はソファから立ち上がるとそれについて行った。

 

「これです」

 

一輝がスターダストのロッカールームにあるホスト用の姿見がある試着室の前に立ち、閉じられていたカーテンを広げる。

 

「こいつは……!?」

 

それを見た時、俺は思わず目を丸くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は夕方。夜の帳が降り始め、神室町が本来の姿を見せ始めようとする時。

 

「ん……」

 

深い眠りに落ちていた遥がゆっくりと目を覚ます。度重なる事件の連続に心労と体力を消耗していた遥だがそれでもここまで体調を崩す事無く来ているあたり、やはり彼女の肝の座り方は尋常ではないのだろう。

 

「ふぁ……」

 

軽く欠伸をした後に周囲を見回す遥。彼女が目を覚ましたのはスターダストのバックヤードであり、最初に横になったソファとは別の場所だった。開店時間の迫る店内の客席のソファにいつまでも遥を寝かせておく訳にいかなかったのだろう。誰かが自分をここまで運んでくれたのだと解釈をする。

 

「おじさんは……?」

 

少しだけ目を擦りながらバックヤードを出た遥を出迎えたのは、ミラーボールと大音量BGMで支配された煌びやかな空間。そして、そんな遥の存在にいち早く気付いたのは錦山だ。

 

「おぉ遥。昨日は寝れたか?」

 

幾度の窮地に陥り修羅場をくぐり抜けながら遥を護り続けてきた男。遥にとって大切な恩人であり同じ孤児院で育った家族。

 

「うん……どうしたの、その格好?」

 

遥はそんな恩義ある錦山に疑問を投げかけた。眠る前までに見た錦山の姿と、今の姿があまりにも違ったからだ。

 

「あぁ、これか?一輝たちからのプレゼントだ。良いだろ?」

 

今までの錦山はホスト仕様のスラックスを履き、麗奈から託された革のジャケットを身に纏っていた。

だが今の装いは純白のダブルスーツとスラックスの一張羅。シックな黒のシャツに白ネクタイという、明らかにヤクザ者といったスタイルである。

 

「うーん……イマイチ」

「ハッ、厳しいなぁ……」

 

遥からの評価に苦笑いをする錦山だが、直ぐに表情を引き締める。彼は何も気分転換がしたかった訳では無い。これから覚悟を決めて決戦に挑むのだ。

 

「遥……いよいよだな」

「……うん」

 

今日ここに至るまでの数日間。二人はとても濃い時間を共に過ごして来た。錦山は妹に。遥は母──今は父に会うために。

 

「今日まで、本当に良く頑張ったな……遥」

「ううん……私、おじさんに助けられてばっかりで……」

「そんな事ねぇ。俺はよ……お前が親に会いてぇって一心でここまで歯ぁ食いしばってんの見て思えたんだ。負けてらんねぇってよ。お前が居たから 俺はここまで強くなれた」

 

母を探して街を訪れ、裏社会や実の父親から命を狙われる。年端もいかない少女に降りかかるにはあまりにも残酷すぎる運命。だがそんな運命とも逃げずに闘う遥の姿は錦山の心を打った。彼が自分の命を張ろうと思える程に。

 

「だから俺は 最後までお前を守る。必ず桐生に……お前の父ちゃんに会わせてやるからな」

「うん……!」

 

互いの決意に曇りはない。両者の覚悟に揺らぎは無い。それを確かめ終えた二人にはもう、やり残した事など無かった。

 

「錦山さん……もう準備は良いんですか?」

「あぁ」

 

一輝の問い掛けに対して、錦山は迷いなく頷いた。

 

「分かりました……錦山さん。もう俺達に出来ることはありません。月並みな事しか言えませんが 頑張ってください」

「あぁ……最後まで、この店にゃ世話になりっぱなしだった。本当にありがとうな」

 

頭を下げる一輝に対し、錦山は心からの感謝を述べる。

ホストとしての仕事。食事。一夜の寝床。そして、今纏う服装。風間新太郎の息のかかった店として訪れたここで、錦山は何かと助けられ続けていた。もしもスターダストが無ければ、きっと錦山はどこかで躓いていただろう。

 

「錦山さん!絶対……絶対生きて帰って来てくださいね!」

「おう……ちょっくら決着つけてくるからよ。終わったらパーッとやろうぜ!」

 

心根の熱いユウヤの激励を受けて錦山も笑みを返す。最悪の出会い方をした二人だったが、今では立派な仲間と言える関係性である。

 

「よし……行くぞ、遥」

「うん、行こう おじさん」

 

一輝とユウヤ。スターダストのホスト達に見送られながら俺と遥は店を出る。

 

「!」

 

そして直ぐにその違和感に気づいた。時は既に夜。神室町が本来の顔を現し、ありとあらゆる人間がそこに集う時間帯。

 

「なんだこりゃ……」

 

にも関わらず、錦山たちの周囲には人っ子一人存在しない。サラリーマンや大学生。OLやキャバ嬢。ホストやキャッチ、観光客の外国人。本来居るべきはずの人間たちが誰一人として存在しないのだ。

 

「おじさん……!」

 

異変を感じた遥が視線を中道通りの方へと向ける。それを追うように振り向く錦山の視界に映ったのは、数十人の男たち。

 

「くっくっく……」

 

不気味な笑みを浮かべる男たちの手には金属バットや鉄パイプ等と言った物騒な得物が握られている。この状況下であれば素人であっても容易に想像が着くだろう。彼らが敵意を持った存在であると。

 

「錦山……アンタ殺りゃ、東城会の"四代目"から直々の褒美が出る」

「あ?四代目だと?」

 

先頭にいるチンピラの発言に引っ掛かりを覚えた錦山は堪らず聞き返した。東城会は三代目が死亡し、跡目争いの只中。その最有力候補であった風間 嶋野の両名も命を落としている。現在、誰もその跡目を穫れないままで居るはずなのだ。

 

「あぁ褒美さ!金も地位も女もな!」

「何年ぶち込まれても釣りが来るぜ!」

「今夜は熱いぜ……何せ、殺しのお墨付きだ!次期会長……堂島さんのなぁ!」

 

集まったチンピラ達の人数は、約五十人。その全員が武器を持っている状況の中で、錦山は至極冷静にそれを整理した。

 

(堂島……なるほど、大吾か)

 

東城会直系任侠堂島一家。堂島崇兵が殺された事をキッカケに生まれた新世代の堂島組。先代組長の敵討ちと称して幾度となく錦山や桐生の命を狙って来た組織。

目の前のチンピラ達はその組の長である堂島大吾に唆された連中であると錦山は結論づけた。

 

(嶋野と風間の親っさんが居なくなって身の振り方を考えたチンピラ共が大吾についた……って所か)

 

錦山は総長の堂島大吾の事を幼少期の頃からよく知っており、元からカリスマ性が高く若い人間からの人望が厚い事も把握していた。加えて今の大吾は現在最も勢いのある新進気鋭のヤクザ。指針を失った神室町の不良達が新たに担ぐ神輿として大吾を選ぶのは想像に難くない。

 

「……ナメられたもんだぜ」

「あ?」

「テメェら如きで、俺を止められるとでも思ってんのか?笑わせんな」

 

だが、錦山はため息混じりにそんな言葉を吐くと ポケットからヘアゴムを取り出した。彼のトレードマークでもあるワンレングスのロングヘアを両手でかきあげ、後頭部で結び付ける。

 

「さっさと道開けな、雑魚共」

 

簡易的なポニーテールを作った錦山がチンピラ達にそう口にし、チンピラ達が怒号をあげる。

 

「ナメやがって!」

「ぶっ殺してやる!」

「フッ、そうかよ……!」

 

殺意を漲らせるチンピラ達。臨戦態勢へと移る錦山。数秒後には大乱闘が始まり天下一通りは騒然となる。その直前。

 

「──その喧嘩、ちょっと待ってもらおうか!!」

 

錦山の背後。天下一通りの方面から轟いた声が開戦を押し留める。

 

「「「「!!?」」」」

「なに……っ!?」

 

チンピラ達の動きが硬直し、錦山もまたその声の正体を知るべく後ろを向いて 表情に驚愕を浮かべた。

 

「お、お前ら……!?」

 

その視線の先に居たのは、黒いスーツを着た男達だった。天下一通りのアーケードを堂々と潜って歩を進める彼らの正体は"龍"を担ぐ為に一枚岩となった屈強なる仁侠集団。

 

「──ウチのカシラに、随分な事してくれるじゃねぇか?」

 

その名も、関東桐生会。

わずか五百人規模の組織でありながら東城会と一触即発の状態になっても潰されない精強さを誇る、仁義を重んじる極道達だ。

やがて彼らは錦山の背後に控えるように立ち止まると、その圧倒的な威圧感でチンピラ達を睨み付けた。

 

「錦山さん、到着が遅れて申し訳ありません」

「松重さんアンタ……どうして……!?」

 

若頭代行の松重が頭を下げるのに対し、錦山は疑問をぶつけた。先述の通り関東桐生会と東城会は一触即発の状態にある。そんな中で彼らが神室町に足を踏み入れるという事は即ち、敵の膝元に土足で上がり込んだに等しいのだ。

 

「決まってるじゃないですか。親父とお嬢……そして貴方の助太刀に来たんですよ。錦山さん」

 

だがそれがどんな意味を持つのかが分からない程彼らは愚かでは無い。敬愛する親分とその娘を助けるために。そして彼らの未来を担う錦山の力となる為に、彼らは馳せ参じたのだ。

 

「親父にばかり暴れせたんじゃ、俺ら子分の立つ瀬がありませんから」

「もっとも、こっちは元々カチ込む気満々だったんです……親父に先越されちまいましたが」

「もうとっくに戦争は始まってる……なら、自分も腹ァ括ってやると決めました」

 

若頭補佐の村瀬。舎弟頭補佐の齋藤。そして直参組長の長濱。今の関東桐生会の中核を担う幹部が全員勢揃いし、その後ろには大勢の関東桐生会の構成員達が待ち構えている。

 

「ハッ、全く。親が親なら子も子だな。どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ……」

 

思わず笑みを隠せない錦山。何故なら彼は今文字通り百人の味方を付けたような気分なのだから。

 

「──最高だぜ、お前ら!!」

「「「「「押忍!!」」」」」

「すごい……」

 

圧倒された様子の遥がそんな言葉を漏らす。だが怯えたり怖がる素振りが無いあたり、やはり彼女もまた"龍"の娘なのだ。

 

「遥、お前は大船に乗ったつもりでいろ。コイツらが一緒なら……誰が来ようと負ける訳ねぇ」

「うん……やっつけて、おじさん」

 

遥はそう言ってから関東桐生会の男たちにも軽く頭を下げると、巻き込まれない位置に避難する。それが乱闘幕開けの合図となる。

 

「さぁ……行くぞテメェら!!」

 

 

否。

これより始まるは乱闘に非ず。

 

 

 

「────関東桐生会、出撃だ!!」

「「「「「押忍!!」」」」」

 

 

 

龍を担ぎし男達による、蹂躙である。

 

 

 

 

 

 




最後までご覧いただき、ありがとうございます。

今後の『錦が如く』の更新ですが、ストック分である次話を投稿した後、無期限休止という形で一度更新をストップいたします。

詳細は活動報告にてご報告させていただきましたので、是非そちらも見て頂けると幸いです。


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Into the Battle Field

活動報告へのコメント、並びに前話への感想、本当にありがとうございます。
返信は現在出来ない状況ですが、一つ一つしっかりと目を通しておりますので、ご安心ください。

ストック分は今回の投稿で最後となります。


2005年12月16日。時刻は午後7時。

神室町の天下一通りからミレニアムタワーに向けて行進する男達の一団があった。

 

「な、なんだよあれ……?」

 

全員がスーツを身にまとい、強面の顔と危険な雰囲気をした彼らの姿は見る者に威圧感を与え それを一目見た者は本当的恐怖を覚える。

 

「やば、ヤクザ……?」

「おい、逃げようぜ……!」

 

恐れを成した住民達は彼らの前から退き離れていき、東城会の街である神室町は彼らの為に道を空ける。だが、彼らは全員東城会の人間では無い。その名を関東桐生会。"堂島の龍"と称された伝説の男、桐生一馬を担ぐべくその盃を受けた極道集団である。

 

「フッ、まさかまたこの街に足を踏み入れる日が来るとは……正直思ってもみなかったぜ」

 

若頭代行。松重。

 

「俺もですよ松重代行。会長が東城会に弓引いて以来、二度と来る事はないと思ってましたから」

 

若頭補佐。村瀬。

 

「戻ってきたと言っても、立場や状況はあの時とは違います。何せ俺たちは今、東城会の敵なんですからね」

 

直参組長。長濱。

 

「俺は望む所ですよ。憎き世良の……東城会の膝元で大暴れ出来るってんですから」

 

そして、舎弟頭補佐の斎藤。

彼らは皆、関東桐生会がまだ前身の桐生組──東城会の一組織であった頃からの古参幹部である。会長である桐生が東城会と袂を分かってから五年。その間決して訪れる事の無かった神室町の景観に、彼らは思い思いの所感を口にした。

 

(これが、お父さんの部下の人達……なんか、みんなお父さんにそっくりだなぁ……)

 

そんな彼らに周囲を守られながら歩く澤村遥は関東桐生会の男達に父親の姿を重ねる。義理と人情を重んじ、卑劣な相手に容赦はしないその在り方を貫く生き様。それを守って渡世を生きる彼らの姿は、遥の知る父親と酷似していた。

 

「おい」

 

その時。

 

「──お前ら、お喋りはそこまでだ」

 

先頭を歩く白いスーツ姿の男がそう告げた瞬間、ただでさえ張り詰めていた空気がより緊張感を帯びた。

 

「「「「はい、カシラ」」」」

 

声を揃えて幹部陣達が男に返事をする。彼こそ、今の関東桐生会を纏めあげる実質上のトップ。

 

「待ってろよ……桐生。優子。」

 

関東桐生会若頭。錦山彰。

数日前に刑務所から出所したばかりの彼は、出所してからの日々の中幾つもの修羅場を潜り抜けてその強さとカリスマに磨きをかけ、ついには一介のチンピラから極道組織のNo.2までなった。まさに成り上がりの体現者とも言うべき男である。

 

「着いたぜ……ここだ」

 

そんな彼が率いていた集団は、神室町の中心部にあるとある建設物の前で立ち止まる。ミレニアムタワー。奇しくも桐生組が関東桐生会となった時と同じくして完成した複合施設だ。

 

「錦山!」

「あ?」

 

その声はミレニアムタワーの奥。七福通りの方面から錦山の耳朶を打つ。彼が視線を向けた先ではスーツを着たヤクザ者の一団が関東桐生会へと向かって来ている。

 

「東城会か……!」

「いや、待て。大丈夫だ」

 

ナイフを出して警戒態勢を取る斎藤を錦山は手で制す。何故ならその一団の先頭に居たのは、錦山のよく知る人物たちだったからだ。

 

「待たせたな」

「助太刀に来たぜ!」

「来てくれたんだな……海藤、羽村」

 

東城会直系風間組内松金組。風間組の片翼を担う極道達が、同盟を結んだ錦山の為に駆け付けてきたのだ。

 

「松金の叔父貴は?」

「組長はまだ意識が戻ってねぇ。それに埠頭でも大分兵隊がやられちまったからな。これが今のウチの全戦力だ」

 

羽村の背後にいる松金組の構成員は海藤を含めて約十人前後。いずれもが松金貢を親と仰ぐ極道たちだ。

 

「風間の親分の事は聞いた。まさか、あの人がな……」

「あぁ……」

「でもよ、そんな今だからこそ俺らも身体の張り時ってワケだ。松金の組長もきっとそう命令する。ですよね、羽村のカシラ」

「フッ、知った風な口をと言いてぇ所だが……今は同じ意見だ」

 

普段は反りの合わない羽村と海藤だが今の目的は合致していた。

 

「よし……お前ら、覚悟はいいな?」

 

それを受けた錦山が関東桐生会、並びに松金組の面々に最後の確認をする。このビルの中に足を踏み入れれば、何が起こるかは分からない。彼らの敵は政治家。裏社会は愚か法の番人である筈の警察にすら圧力をかけられる強大な存在だ。闘いに負ければ命は無く、勝ったとしても法からの追求は免れない。

 

「「「「押忍!!」」」」

 

それでも彼らの心に迷いは無かった。己の利益や損得などは頭に無い。組の為。仲間の為。そして敬愛する会長とその家族の為ならば、懲役はおろか死ぬ覚悟すらもとうに出来ている。それが関東桐生会の男達が掲げた仁義なのだから。

 

「「「「「応!!」」」」」

 

そしてそれは松金組も同じ。亡き風間新太郎が託した東城会の未来の為。彼らの親である松金が錦山と交わした同盟を守る為に闘う決意を固める。

 

「よっしゃ……行くぜ!」

 

男達の覚悟を確かめた錦山が意を決してタワーに足を踏み入れる。その直前。

 

「錦山!!」

「あ……?」

 

自身の名を背後から呼ばれ、彼は振り返る。

 

「なに……?」

 

関東桐生会のさらに後方。

中道通りを曲がった角から現れた一団。その先頭に居る男が声の主だった。

 

「来ると思ってたぜ……やはり寄せ集めのチンピラじゃ勝負にならなかったようだな」

 

東城会直系任侠堂島一家総長。堂島大吾。風間と嶋野を失った東城会の中で今現状最も跡目に近い人物である。

さらにその背後には武装した東城会のヤクザ達が大勢ついてきていた。

 

「カシラ……あっちからも敵が」

「なんだと?」

 

松重が示した方向に錦山が視線を向けると、泰平通りの前 ピンク通りのある方面からも武装したヤクザ達が群をなして迫っている。

 

(この規模……任侠堂島一家だけじゃねぇな)

 

麗奈を拉致した一件や先日の桐生一馬の襲撃により、任侠堂島一家は構成員数の半分以上が戦闘不能になる程の甚大な被害を被っていた。しかし今 錦山達へと迫るヤクザ達の総数は二百人をゆうに越えていた。

 

(なるほど、あのガキ共と同じ……いや、それだけでも無ぇみたいだ)

 

錦山はつい先程蹴散らした名も無きチンピラ達のことを思い出す。彼らのようにボスの居なくなった群れを統一する新たな長を求めて堂島大吾を担ぎ始めた男達。

 

今武装をしているヤクザの中にはそう言った手合いも居る

のだろう。だが錦山は気付いていた。彼らの狙いがそれだけじゃない事に。

 

「カシラ、奴らみんな東城会です。東京中……いえ関東中から親父のタマを狙いに来てるんでしょう」

「……だろうな」

 

東城会を相手に真っ向から戦争を仕掛けた"堂島の龍"。関東中にその名を知らぬ者は居ないとされた伝説の男。桐生一馬。もしその首を獲る事が出来るのなら ヤクザにとってこれ以上の勲章は無い。

伝説を超えた者としてその男の名は永遠に語り継がれ 組には箔が付く。立身出世は思いのまま。そんな絶好のチャンスを逃したくない野心家が 彼らの中で高い割合を占めているのは想像に難くない。

 

「──東城会を、ナメるなよ?」

 

堂島大吾の宣言と同時に包囲網が完成し、関東桐生会と松金組の兵隊はミレニアムタワーごと東城会の極道達に囲まれてしまった。

 

「ほう……こりゃ相当だな」

 

その人数差、およそ三倍以上。増援が来る事も想定すればその差は更に広がる事になる。錦山達が圧倒的に不利な状況だ。

 

「フッ、面白ぇ……!」

 

しかし錦山を始め関東桐生会の面々に一切怖気付いた様子は無い。それどころかこれから起こりうる一大抗争を楽しみにしている節すらある。

 

「松金組!……それがお前らの答えか?」

「っ!」

 

羽村達の存在を認めた大吾が声を上げる。根っからの風間派である松金組が風間の身内である錦山の味方をする道理はあるが、松金組は東城会の組織だ。敵対関係であるはずの関東桐生会に味方をするのがどういう意味を持つか。問われた羽村は思わず声を詰まらせる。

 

「おうよ!」

「海藤!?」

 

それに間髪入れず答えたのは海藤だった。

 

「今まで散々っぱら俺らのシマ荒らしやがって!お陰でこっちはずっと商売あがったりだったんだよ!!」

「海藤テメェ!?」

「良いじゃないスかカシラ。どの道もう、俺らはやるしかねぇんですから!」

 

頭を抱える羽村だが実際に海藤の言葉は松金組としては筋が通っている。松金組は風間組の二次団体であるが故に錦山の一件でずっと因縁を付けられ、ずっとシノギを回すのに苦しんできたのだ。

 

「クソッ……あぁそうだよ!若ボンの分際で俺らをナメやがって!松金組の意地見せてやろうじゃねぇか!」

「ハハッ、良いじゃねぇか羽村。その意気だ!」

 

半ばヤケになった羽村もまた覚悟を決める。今は後先を考えて立ち回る場面では無い。極道の意地を見せる大喧嘩の場なのだから。

 

「上等だ……!」

 

それを返答と受け取った大吾をはじめ東城会の面々が闘志を漲らせる。外様の組織と三次団体の裏切りで自分達の膝元を荒らされたとあれば他に示しがつかない。

組のメンツに関わるのだ。互いが一歩も退かない睨み合いの緊張状態。戦いの火蓋が切って落とされる。その寸前。

 

「……兄貴」

 

東城会側の群衆から一人の極道がゆっくりと錦山の元へと歩み寄って来る。奇しくも錦山と同じ白いスーツに身を包んだショートリーゼントの男。新藤だった。

 

「……なんだ?」

「兄貴は……本気で殺り合うつもりですか?東城会を相手に」

 

新藤は問いかける。彼我の戦力差が明らかになってもなお闘う選択を取るのか、と。

 

「あぁ……当然だ」

「何故です?この人数差だ。勝ち目がある闘いじゃない事は、兄貴にだって分かるでしょう?」

 

新藤の知る錦山は聡い男だ。現実的な観点から物事を見定め、自分の有利な方向へと事を運ばせようとする。シノギであっても交渉であっても。喧嘩であってもそうだ。己の感情や意思だけでどうにもならない事態というものもよく理解している。

 

「ハッ、テメェの物差しで測るんじゃねぇよ。俺達ゃこの喧嘩……本気で勝ちに来てんだぜ?」

 

それでもそう告げる錦山は、無謀と勇気を履き違えている訳でも無ければ玉砕を覚悟している訳でも無い。関東桐生会に対する絶大な信頼と 今の己が──錦山彰がこの場に居ると言う絶対的な自信が、彼にそう確信させているのだ。

 

「お前ぇはどうなんだよ新藤。この喧嘩、勝ちに来てんじゃねぇのか?」

「…………」

 

錦山の問いに対して新藤は真っ直ぐに錦山の目を見る事で応えた。それの意味するところは一つ。彼にもまた覚悟があると言う事だ。

 

「えぇ……そうですね」

 

新藤は徐ろに手にしていた日本刀をその場に捨てた。

 

「新藤……?」

 

そうして彼は踵を返すと東城会の軍勢を相手に向かい合い、関東桐生会の男達に背中を向ける。数日前の錦山が墓地で桐生の味方をすると決めた時と同じように。

 

「新藤……どういうつもりだ」

「見たまんまですよ、総長」

 

大吾の問いに対して迷う無く返答した新藤は己の手をジャケットにかけると、勢いよく脱ぎ捨てた。

 

「!」

 

上裸を曝した新藤の肉体。その背中を見た錦山は驚愕する。そこに彫られていた新藤の墨は──白の鯉。

十年以上前に錦山の背中に憧れてこの世界に足を踏み入れた彼自身の想いをその墨は体現していた。

 

「新藤、お前それ……!」

「俺はずっと待ってました。どんな形であれ、兄貴が覚悟を決めてくれるこの瞬間を」

 

錦山の出所後、新藤は自分の立場と己の感情との間で葛藤し続けていた。

堂島組長の仇を取るのは任侠堂島一家の悲願。その若頭である彼に"錦山を殺せ"と命令が下るのは当然の事。

しかし、敬愛する兄貴分に弓を引かなければならないその命令は彼にとってあまりにも残酷だった。

 

「今の俺は、任侠堂島のカシラじゃねぇ」

 

だがそれはもう過去の話。関東桐生会の若頭として闘う覚悟を決めた錦山を目にした事で、彼の中での迷いは完全に消え去った。

 

「俺は、錦山彰の弟分だ!!」

「新藤……!」

 

そこに居るのは東城会の極道では無い。己の覚悟を貫くべく親の命令と立場をかなぐり捨てた一人の男だった。

 

「か、カシラ……!?」

「そんな、嘘だろ……?」

 

あまりに突然の事に戸惑いを隠せないでいる任侠堂島一家の構成員たち。

 

「新藤、貴様……!」

 

目を釣りあげて激高する大吾。十年前に親殺しの裏切りで父を亡くし、今は己の部下からの裏切りに遭う。あってはならないはずの"親への反逆"に二度も見舞われた大吾の怒りは計り知れない。

 

「フッ……気合いの入った野郎だぜ」

 

松重はそう言って薄く笑うとサングラスを外して新藤の隣に立った。

 

「カシラ、ここは俺らが引き受けます。カシラはお嬢を連れてタワーに急いで下さい」

 

その言葉に呼応するかのように、関東桐生会と松金組の面々が次々と拳や肩を鳴らし始める。この期に及んで怯えて竦む者など一人として居なかった。

 

「良いのか?」

「えぇ。こっから先、奴らは一歩たりとも通しません。親父の事……よろしく頼みます」

「行ってください、兄貴!」

「……分かった、ここは任せたぜ。行くぞ遥!」

「うん!」

 

心強い味方達にその場を任せ、錦山は遥と共にタワーへと走る。

 

「殺れ!一人残らず殲滅しろ!!」

「「「「「おおおおおおおおおお!!」」」」」

「テメェら、気合い入れて行くぞぉ!」

「「「「「押忍!!」」」」」

 

その背後では、東城会と関東桐生会による大戦争が幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 

 




今回の投稿をもってストック分が尽きました。

前述の通り『錦が如く』の更新を無期限休止とさせていただきます。

出来る限りの早い再開を目指しますので、気長に待っていただけると幸いです。


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