真剣で旭に恋しなさい!〜月鏡、朝日に照らされて〜 (夢迷月)
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第一話

初投稿です。感想等頂けたら励みになります。旭ちゃん好き。


 2009年 4月 9日

 

 桜の花が咲き乱れ、そこかしこに新しい風が吹き抜けるそんな日。男はゆっくりと目を覚ます。

「くぁ……」

 覚醒した男はあくびを噛み殺しながらカーテンを開けて朝日を全身に浴び、パンツを脱いで修練用の袴姿に着替える。

 二振りの愛刀を携え、豪奢な玄関から出て稽古場代わりの庭へ。

 一度太陽を見上げ、それからスタンスを広げて居合い抜きの構えを作る。

 呼吸を整え、精神統一し、親指で鯉口を切り……

「……ふっ!」

 呼気と共に一閃。早朝の清涼な空気を鋭い眼光と銀の刃が切り裂く。

 鞘に納め、一連のルーティーンを繰り返し、再度一閃。

 これを百回繰り返す。数は少ないがそこは質でカバーする。

 終えた後は型稽古。男の生家に伝わる剣術、相馬流を二刀流にアレンジしたものをひたすら反復する。

 無心で一時間の稽古を終えると、さくさくと草を踏む小気味良い音を立てて、タオルを持った女性が近づいてきた。

「新学期早々お疲れ様、巴。今日の鍛錬はもうお終い?」

 女性の名前は、最上旭。川神学園評議会議長、3-S所属。整った目鼻立ちに枝毛一つない黒髪、白皙の肌、楚々とした立ち振る舞い……およそ大和撫子というになんの不足もない女性である。

「うん、今日はここまで。ありがと、旭さん」

 受け取った手拭いで鍛錬の痕を拭き取る、男にしては長めの黒髪でマッシブなフォルムをした男の名前は、相馬巴。川神学園3-S所属。旭の父、最上幽斎の便宜上の護衛として、そして実質的には旭のお側役として二年前から最上家に居着いている男である。諸事情により親類なしの身であった。

 首にタオルをかけて座り込み天を仰ぐ巴の横に、制服姿の旭がちょこんと体育座りする。側から見れば恋人同士にも見えただろう。

「ねえ、巴」

「なに、旭さん」

 しかし、少々……いやかなり二人の関係はおかしかった。

「外でしたら、興奮すると思わない?」

「……ちなみに、何を」

「それはもちろん、セッ○ス」

「……ゴクリ」

 リボンをするりと外し、冬用制服の詰襟を緩めてパタパタと胸元をあおぐ旭に、巴は居住まいを正して土下座してみせた。

「じゃあ、俺と付き合ってください!」

「ふふっ、それはダメ」

「んがっ……!」

 相馬巴、通算千回を超える告白が玉砕する。花が綻ぶような微笑みを浮かべた女に、男は頭を上げて食い下がる。

「ぬぁんでセ、セ……性交渉はよくて付き合ってくれないんだよ!」

「貴方のそういう初心なところ、好きよ」

「好きなんだったら!」

「貴方こそ、婚前……というか、交際前にセッ〇スするくらいでなにを怯えているのよ。貴方の肉棒で私をひいひい言わせてものにすればいいでしょう」

「そういうのは、ダメ。男の誇り的に」

 赤らめた顔をぷいと反らした男に、旭は蛇のようににじり寄る。そして袴越しに股間に触れた。勃起していた。生殖機能は健全であった。

「ほら、ここのたくましいので、私の心も体も凌辱すれば、それで全部解決するのよ?」

「ちょっ、旭さん、今汗臭いから」

「より興奮するわ……」

 蠱惑的でどこまでも吸い込まれそうな漆黒の瞳から、巴は目を離せなかった。旭が耳たぶをかぷっと齧ると、哀れな雄は情けない声を上げる。

 そして、なぜか何事もなく朝食の時間になる。

 こんなもどかしい関係を、二人はかれこれ三年間続けていたのだった。

 

 

 二人は車に乗って彼らが通う川神学園に向かっていた。巴は手帳を見ながら隣に座る想い人に話しかける。旭は旭で、手帳を開きながら片手で裃姿の男の乳首を服越しに弄っていた。

「今日の予定はとりあえず入学式だな」

「昼の休憩からちょっと外に出たいんだけど、どうかしら」

「はいはい。議長殿は昼以降サボり、と」

「違うわよ。貴方が手を出してくれるなら一日中でもやぶさかじゃないけど」

「……」

「あら、もう今日は告白タイム終わりかしら?」

「押してダメなら引いてみろ、と昔の偉い人は言ってました」

「つれない。こんなに貴方の乳首は反応してるのに」

「してない。第一着物の上からでわかるわけないだろ」

「分かるわ。だって貴方のことだもの」

 断言されながら潤んだ瞳の上目遣いで見上げられると、男はすっかり頬を赤くしてしまう。顔を上気させたまま、血走った目で巴は反撃を試みる。

「じゃ、じゃあ、こんな車の中で襲っちゃったりなんかして」

「はい、どうぞ」

 事も無げに応じ、するするとスカートを上げようとする旭の手を慌てて止める。

「すいませんごめんなさい手を止めて下さい」

「もう、貴方から言い出したんじゃない。へたれね」

「んがっ……!」

 言葉に詰まる巴に、旭は綺麗な黒髪をくるくると弄びながら余裕のある笑みと呆れた声色を向ける。

「焦らされてるのは貴方じゃなくて、私の方なのよ?」

「だぁから、その理由を教えてくれって」

「ふふふ、まだ秘密。時が来たらね」

 またこれかと巴はうんざりする。

 時が来たら。まだその時じゃないから。

 この言葉で、いつも巴の告白は躱されていた。

(彼女が力をひた隠しにしているのと、なにか関係あるのかな)

 相馬家は代々目が良いことで有名だった。子孫である巴にもしっかり継承されており、その目は旭の潜在能力を見抜いていた。それを幽斎に相談したところ、

『おお……素晴らしい。君は旭にとってよき試練になるかもしれない。これからもよろしく頼むよ、巴くん』

 と言われ、たびたび旭の稽古相手になっていたのである。結局隠しているものを暴くことは出来ていなかったが。

 何かヒントでもあれば、その時とやらを早めることが出来るかもしれないのに。

 新三年の川神百代や、新二年の九鬼英雄。前者と後者では力の用途が自分のためか他人のためかという違いこそあれ、この学園では力を誇示するのが当たり前のような風潮がある。決闘システムなどその最たるものだろう。

 しかし、隣にいる最上旭という少女はせいぜいが評議会議長として裏で学園を操るくらいで、存在感というものは皆無に近かった。テストでは毎回一位、しかもここまで見目麗しい顔立ちと美しい体形をしていて、ひけらかしていないとはいえ腕力という面でも学園トップクラスのはずなのに。

 あの学長ですら強さを悟れず(しかも学長の好みらしい黒髪美人なのに)化かしているのだから、自分の想い人は動物で言えば狐だろう、と巴は一人ごちる。

「こんこん」

「うわっ、心を読むな」

「心? 今は読んでないけど」

「さ、さいですか」

 旭は狐の影絵のような手の形で、冷や汗をかく巴の頬をつついていた。心ぐらい読もうと思えば読める、とでも言いたげな物言いだったが巴はあえて無視する。

 和やかな時間を過ごしていると、巴の携帯の通知音が場の空気を乱す。

 慣れた手つきで着信を取ると、案内係を快く引き受けてくれた新二年の直江大和から、異状ありません、逆に退屈なくらいですとの連絡が入った。

「旭さん、ちょっとお仕事入ったから行くわ」

「はい、いってらっしゃい。気を付けて」

 異状ありません、は異状ありの報告なのだ。しかも巴に連絡が来るということは、荒事が想定される場合。

「よっこらせ」

 二振りの刀、”月鏡”と”極楽蝶”を携え、巴はアクション映画のスタントのように走行中の車から飛び出す。転がったりすることもなく接地し、校門前に急いだ。

 車の中に残された旭はと言うと。

「なんで私は巴みたいに携帯をうまく扱えないのかしら……」

 ちょっと落ち込んでいた。

 

 

 校門前に行くと、女顔をした細身の青年と制服を着慣れていない女子が一人。袋には入れているものの、巴と同じように帯刀していた。

「やっ。直江君。この子?」

「どうも、相馬先輩。連行よろしくお願いします」

「あっ、あのあのあのあの! 私怪しいものではなくてですね……」

 サラリと伸びた黒髪と、豊かに実った大きな尻が特徴的な女の子は絶賛混乱中だった。

(ま、旭さんのほうが魅力的だけどね)

 内心失礼なことを考えながら、テンパる女子の手を半ば無理やり巴は引っ張る。

「じゃ、こっち来てね、あとでまた名前聞くけどとりあえず今教えてもらえる?」

 腕を引っ張られながらも重心がぶれない女子は、はきはきとはいかないまでもしっかりと名前を伝えた。

「まっ、黛由紀江ですっ!」

 姓名を聞いて、正確には苗字の部分を聞いた時点で巴は足を止めていた。それに合わせて新入生は腕を振りほどく。由紀江の方にも、相馬巴の名に聞き覚えがあるようだった。

「……なるほど、剣聖黛大成殿の愛娘か」

「はい。それに貴方は、相馬……修羅、ですね」

 修羅と呼ばれた男はそれを笑い飛ばす。

「ははは。修羅なんて継いじゃあいないよ。あれは親父の異名さ」

「……そのようですね。その二刀。相馬流は一刀流のはずですから」

 たった二人が生み出す剣呑な雰囲気が辺りを包む。直江大和は冷や汗をかきつつも意外と平然としていた。

(いやあ、親が親なら娘も娘だ。かなりやり手だよ、この子。磨けば光るね)

(相馬……出来る限り触れるな、とお父様からも言われていたのに)

(なんなんだこの二人……姉さん曰く姉さん並に強いらしい先輩はともかく、この黛さんってのもそれクラスなのか……?)

 一瞬の間に互いの命を刈ることが出来る間合いの中、ふと緊張を解いたのは巴の方だった。

「剣聖の娘さんってことは、その刀は国から許可貰ってるんだろ? じゃあ通っていいよ。呼び止めてごめんね」

「え……?」

 由紀江は急に場の空気が弛緩したのを感じ取り、拍子抜けしたような気分になる。巴は事態が収拾したと判断し、手を振って校内に向かう。

「直江君、通報ありがと。誘導頑張ってね」

「今度は末端まで話通しておいてくださいな」

「分かった。借りイチにしとくよ」

「仕事だからいいですよ……と遠慮するのも変ですね。ありがたく頂きます」

「え? え? え?」

 戸惑う一年生をよそに、したたかな二年生とひょうきんな三年生はそれぞれ持ち場に戻っていった。

 

 黛由紀江は、入学式の会場に向かう道すがら相馬巴について思考する。

「あの余裕……斬りかかっても、一撃では倒せなかったでしょうね」

「それどころかオラ達勝てたかもわかんないぜー。引いてくれて良かったなまゆっち」

「そうですね松風。縁があればいつかお手合わせ願うこともあるでしょう」

「てゆーかあいつも刀持ってんじゃん。ちったあ融通効かしてくれよなー」

 ……馬の携帯ストラップ、松風と一人芝居出来るくらいには落ち着いていた。

 

 

 

 入学式がつつがなく終わり、所変わって評議会室。後片付けの指示を一通り出し終えた巴は報告に来ていた。

「うーっす」

「相馬先輩! お疲れ様です!」

「ん、サンキュ」

 入るなり、男子の後輩がコップを差し出してくる。中身はアイスコーヒー、シロップとミルクは一杯ずつ。巴は甘いものが好きだった。行儀よく正座して湯呑を口につけていたカリスマ議長から軽口が飛ぶ。

「いいご身分だし、舌が子供ね。巴」

「旭さん、からかうのはよしてくれ。いつもありがとうな、石動くん」

「いやもう、先輩方のためならなんでもしますよ!」

 石動、と呼ばれた2-Sの生徒は空いたコップを下げると持ち場に戻っていった。

 巴は旭の右斜め後ろに直立する。評議会での定位置だった。百八十を越す長身と厚い胸板に裃姿、しかも帯刀しているので威容を放っている。

 謎多き評議会議長の懐刀。これが相馬巴の川神学園での立場である。議長よりも名前は知れ渡っていた。

 ちなみに、個人資産から年に一億の寄付金を学園に入れているため裃を着ても許されている。

(まあ今更これ以外を着てもな)

 という思いもあるにはあるが。

 熱い茶を飲み終えた旭が、仕事が空いたと判断して右後ろに話しかける。

「ねえ、新入生が無事学友になったわけだけど……貴方は武士道プランって知ってる?」

 武士道プラン、という胡乱な名前を聞いた巴は首を傾げた。

「いや、知らん。すまん」

「謝らなくていいのよ。そう、まだなのね」

「まさか、旭さんに関係あること?」

「ふふ。まだ、よ。私も気が逸っているわね」

 いつも人を食ったような落ち着きのある彼女らしからぬ気の浮き方だ、と巴は観察する。話題を切り替えたほうがいいか、と思い今度は男から水を向けた。

「そういえば、昼からの用事ってなんなんだ?」

「お父様に外出許可を貰ったから、ちょっとお買い物。貴方も見繕ってね」

 最上家は幽斎の方針により門限が厳しかった。それを旭自身が受け入れているので、巴は特に気にしていなかったが。

「服? 俺のセンスに期待しないでくれると助かる」

「いいわよ。おしゃれ用じゃないもの」

「もったいないなあ」

「じゃあ貴方のセンスでおしゃれ用も見繕ってもらおうかしら」

「……できらあ!」

「じゃあ決まりね。主税、あとはよろしく頼んだわよ」

 指示を出された後輩は元気よく返事をしてから返答した。

「はい! 先輩方は準備に尽力いただきましたので、後は我々にお任せください!」

「ふふ、ありがとうね」

 じゃあ行きましょうかと立とうとする旭の手を、巴はごく自然な動作で取る。呼吸を合わせて立ち上がり、並んで歩く姿はエスコートをする男とされる女の理想形とも言える光景だった。

「あの二人、お似合いよねえ……」

 評議会員たちの熱っぽい視線が二人の背中に何条も突き刺さっていた。

 

 

 そんな評議会公認カップルの二人は、親不孝通りに向かっていた。正確には、もう少し路地に入ったあたり。

 俗に激安の殿堂と言われる場所に二人は入店する。旭は店内を迷いなく進み、エレベーターに乗る。三階に着くとさらに奥へずんずん進んでいった。

「……一応聞いておくが、ここは?」

「見ればわかるでしょう。コスプレコーナー……と、それに隣接したアダルトグッズコーナーよ」

「そういうことは聞いてないんだよ!」

「なら聞かなければ良いじゃない」

「ぐぬぬ……」

 相馬巴は目の前の女性に一度も口で勝ったことがなかった。

「どれが良いかしら……女医、ナース、ミニスカポリス、制服……」

「いや、制服はコスプレじゃねえだろ」

 コスプレとはコスチュームを着てプレイすることなので、厳密には巴の見解はお門違いである。しかし目の前に制服美人がいるので、思わず突っ込んでしまう。もちろん、ネタ的な意味で。

「あら、それは制服を着ているうちに私をものにするということかしら。ケダモノね。素敵よ」

 唐突な罵倒と褒め言葉に、巴は男の誇りをかけて反撃を試みる。

「はっ。ここで押し倒してもいいんだよ」

「そう? ならどうぞ」

「ごめんなさいやめて下さいスカートをたくし上げないでください」

 反撃失敗。

「へたれね」

「面目ない」

 男は項垂れた。全く同じパターンの完全敗北だった。

 無力感でいっぱいになった巴をよそに、旭はぽいぽいとカゴに商品を投げ込む。どう見ても要らないパーティグッズやダサいパーカーが積まれていく。

「このパーカー、どうかしら」

「俺は好きじゃない」

「そう。このちゃちな炎の装飾好きなんだけれど」

 フードが長いのがいいのよ、という旭に巴はそうかと生返事を返した。

 一通り入れ終わったところで、旭はおもむろに呟く。

「カモフラージュはこのくらいかしら」

 カモフラージュ。偽装。この場合はデコイと言って差し支えないだろう。

 旭が流麗な仕草で踵を返す。足が向いた先には、18に斜線が入ったのれんがあった。巴は慌てて肩を掴んで止める。

「待て待て待て待て」

「どうしたの?」

「もうちょっと考えてくれ!」

「考えたわよ。それに……」

 薄笑いを浮かべ、のれんを潜りながら旭は禁忌に触れる。……主に世界のルールについて。

「私たち登場人物は、全て18歳以上よ?」

 めくるめくピンク色の世界に行く想い人を止める手段は、男に無かった。

 

 

 

 

「ああ、満足したわ」

「へえ、そりゃよござんした」

 どこかツヤツヤした女と、通常黄色い袋のところを黒い袋に変更してもらった荷物を持つやつれた男は、仲見世通りを歩いていた。旭が持つ買い食い用器に入ったきな粉餅は、あーんしながら巴の口に入っていく。

 ちなみに、袋の重量には巴が選んだものも数点入っていた。選ばされた、と言ってもいいが。

「あの、旭さん」

「なあに、巴」

「これ持ち歩くのそこそこ恥ずかしいんだけど」

「いいじゃない、上には当たり障りないもの入れてるし。それとも、彼女にコンドームを裸で買わせて興奮する性癖でもあったかしら?」

 巴は想像してみた。かなり興奮した。勃起もしていた。彼もまた変態である。お似合いカップルであった。

 黒髪を軽快に靡かせて歩く華のある制服美人と、それに付き従う和服姿の武士然とした無骨な風貌の男。

 そんな二人が往来を歩く姿は、なぜか注目を集めなかった。川神には変人が多いので、そのせいかもしれない。

 通りを進んでいると、前方に女の子の人だかりが出来ていた。それを避けて通行しようとすると、塊の中心から二人は呼び止められる。

「おー。アキちゃん、相馬。デートか?」

 着崩した制服、強気なつり目の瞳、唯我独尊な態度、特徴的にクロスした前髪やコシのある黒髪。そしてなにより、その鍛え上げられた体。

 この町では知らぬものはおらず、世界でも名を知られた武神、川神百代であった。

「ええ百代。デートよ」

「だそうだ、じゃあな川神さん」

 二人はそっけなく応じて、その場を去ろうとする。別に学校に行けば会えるし、何より入学時、学長川神鉄心直々に相馬巴に対して百代に近づくなと御触れが出されていた。

『相馬の。すまんのじゃが、百代との接触は出来る限り控えてくれんか』

 波風を立てたくなかった巴はあっさりと了承した。旭が通う学校を退学になりたくなかったというのもあったし、二人がずっとSクラスにいたのもあまり巴側から積極的に関わらない理由の一つだった。

「つれないなー。相馬、どうだ? ひと勝負」

 だが巴に強者の予感、というか確信を抱いていた百代は入学当初から会うたびに喧嘩をふっかけ続けた。こういうところがあのブルマ大好きじじい自ら百代に釘を刺した原因でもあるのだが。

 曰く。

『モモ、お前は相馬の小倅と戦ってはいかん。あやつはまだ精神的にお前が戦って良い相手ではない』

 こんなことを言われたら、燃え上がるのがわがまま武神であった。注意されてる以上大っぴらに決闘したりはしないが、こうして時たま誘うというのが習慣になっていたのである。

「ふっ。だが断る」

 そして、拒否されるまでが一連の流れであった。

「なーんーでーだーよー! こんな美少女が頼んでるのに。なーアキちゃん」

「ダメよ百代。学長から言われているんでしょう?」

「ぶーぶー」

 闘気ダダ漏れの武神は唇を尖らせていた。かと思うと、物憂げな表情を作り、か細い声で呟く。

「どこ探したってあんまりいないのにな、私と戦えるやつ」

 それを聞いた巴は閉口する。強者ゆえの、あまりにも深い孤独だった。重くなった空気を打破すべく、男はなんとか口を開く。女の感情に振り回されるあたり、普通の男の子であった。

「ま、まあ気にすんなよ。学長の許可さえ出ればやれるんだか……」

 ら、と言う前に、巴の目は視界の端に映った女子を捉えていた。

 しめた、とこの場の退路を確保するために男は通りかかった女子を呼び止める。

「や、やあ黛さん」

「ひゃあうっ」

 女子生徒とは、入寮時の手土産を買うため仲見世通りに来ていた由紀江だった。素っ頓狂な声を上げて、三人の三年生へ振り向く。あわわと嘆きながら、由紀江はるーと涙を流す。

「ああ……私の学生生活はここで終わってしまうんですね……」

「頑張れまゆっち! お前なら行ける! 先輩から話しかけてくれてんだぜ、ピンチはチャンス、だろ?」

「そ、そうですね松風。当たって砕けろ、ですよね。当たっても砕けるほど友達も、いませんし……」

「おーいまゆっち! なんで自分でダウナー入ってんだYO! オイラくらいしか応援できなくなっちまうぜ!」

 ストラップと一人芝居を繰り広げる一年生を、三年生は三者三様の温かい眼差しで見つめていた。

「なんだ、この面白い生物」

「川神さん、後輩を生物とか言っちゃいけません」

「あら、あの子……強いわね」

 旭の感想に巴は同意を、百代は推測を返す。

「ああ。結構強いと思うよ。新入生のあの子」

「黛……ってことは、黛十一段の娘さんか? なるほど。相馬みたいに帯刀してるわけだ」

 そこまで発言してから、スススと百代は由紀江の後ろを取る。常人が見れば瞬間移動したようにも見えただろう。

「まーゆずみっ。もとい、まゆまゆ」

「はぅあっ!?」

 モミモミ、と擬音がつきそうなほどに激しく、百代は見事な臀部を揉みしだく。

「可愛い尻してるなあ。どうだ? お姉さんとデートしないか?」

「ケツ揉みながらいきなりデート要求とか、コミュ力高すぎだぜこの武神……のわっ!?」

 直接返答しない罰とばかりに馬型ストラップが由紀江の手から強奪される。

「なんだこの喋るストラップは」

「ああああの、それは松風と言いまして、九十九神が宿っていると言いますか私唯一の友人と言いますかなんと言いますか」

 慌てながらも、由紀江は百代の手から松風を奪い取る。見事な速度と技量であった。おお、と百代が感心している間に、剣聖の娘は咳払いを一つしてからある意味自己紹介を始めた。

「松風、しなやかにご挨拶を」

「おーう! オラは高天原から来たまゆっち随一のマブダチ、松風だぜぃ。よろしくな、センパイたち」

 微妙な空気が流れた。自分の自己紹介をすればいいのに、と巴は素直に思った。

「……俺も人のこと言えねえけどさ。キミ友達いないだろ」

「はぁうっ」

「うわ。相馬、それ真剣最低だぞ」

「いきなり後輩の尻を揉む女に言われたくない。言われたく、ない」

 百代は中指を立てて巴に向けた。巴は親指で首を掻っ切るジェスチャーを送り返す。決闘の類をしたことがないとは言え、なんだかんだで仲良しな二人だった。

「女同士の軽いスキンシップだよー。ほらまゆまゆ、お姉さんたち、まゆまゆの自己紹介も聞きたいにゃーん」

「はわわわわ」

「百代。まずはこちらからと言うのが筋じゃないかしら」

 旭の諫める言葉に、百代はすぐに納得した。制服の上着から抜いた腕を組むいつものポーズで由紀江に正対する。

「私は3-F、川神百代だ。武神とか呼ばれてる。好きな言葉は誠だ」

 三年生二人がこれに続いた。

「俺は3-S、相馬巴。まあ俺は知ってるみたいだしいいだろ。川神さんに倣えば好きな言葉は信だな」

「私は3-S、最上旭よ。一応評議会議長をやっているわ。好きな言葉は……そうね。せ……」

 隣に立つ巴が旭の制服の襟首を持ち上げた。性、の一字を口から放り出させないための処置だった。

「旭さん、それが言いたいだけだろ」

「ふふ。以心伝心で相思相愛ね、私たち」

 巴は襟から指を離して、先輩の奇行に目を丸くした由紀江に向き直る。

「あー、黛さん気にしないでくれ。今度は黛さんのことも聞かせてもらえる?」

 名前を呼ばれた由紀江はビクンと反応して直立した。

「は、はいっ! わわ私は黛由紀江と言いまして、一応剣を嗜んでおります。好きな言葉は礼でひゅっ」

(……噛んだな、まゆまゆ)

(……噛んだな)

(……噛んだわね)

「うう、先輩方の温かい視線が痛いです」

「自己紹介が出来たんだし全然オーケーだぜまゆっち! 押せ押せで行けば、ファーストフレンド……出来んじゃね?」

「そ、そうですよね松風。よし。すー、はー、すー、はー……」

 自分で自分を励ましていた。

「なあ相馬、この子ほんとに強いのか?」

「剣聖のお墨付きは出てるらしいよ。私を凌ぐ才を持ってるってさ。身内贔屓もあるかもしれんが、そういうことをする人じゃないしな」

「へえ……」

 不穏な空気が百代から漏れ出る。戦う気マンマンだった。巴は元々身代わりにするつもりだった由紀江に、少し同情の念が出てきていた。

 巴は横に立ったまま存在感を消していた旭に耳打ちする。

「参ったな……旭さん、門限大丈夫?」

「服、買いに行けなくなるわね。でもいいわ」

「……ごめん、埋め合わせは今度するからさ」

「約束よ」

 よし、と巴は一つ気合を入れた。

「なあ黛さん。急に声かけたお詫びと言っちゃなんだけど、四人で仲吉にでも行かないか?」

 仲吉とは仲見世通りの終点にある店であり、川神院のすぐ近くにあるくず餅の老舗である。

「あそこなら学長の目も届くし。奢るからさ」

「ほんとか!?」

 羽振りのいい提案に食いついたのは百代であった。

「川神さんは今日戦わないって約束するなら奢る」

「なんだよ私の分までじゃないのかよー! ……どーせじじいもいるしな。いいだろう、その話乗った!」

「わわわ私が同席してもよろしいのでしょうか」

「新入生歓迎ってことで、ここは一つ先輩の顔立ててくれや」

「……もう、甘い人ね」

 呆れたように旭はぼやく。しかし巴を見つめる瞳は優しげだった。

 結局その日は四人で、百代の舎弟や風間ファミリーの話、その風間ファミリーが多く所属する島津寮に由紀江が入ることなど、菓子をつつきながら取り止めもない話をしてそれぞれ帰路についた。

 ちなみに支払いは調子に乗った百代が頼みまくって一万円を超え、金銭感覚のおかしい巴は払おうとしたが川神院の長に止められた。

「まったく、こういう意味で付き合いを遠慮しておけと言ったわけではないぞい」

 百代への物理的な雷と同時に降り注いだ、川神鉄心翁のありがたいお説教であった。

 

 

 

 

 

 二人が帰宅し、二人で風呂に入って三人で夕飯を食べた後。旭は巴の部屋で逞しい体にじゃれついていた。部屋用のジャージに着替えている巴は、すっぽりと旭を抱え込んだ体勢で勉強している。

「ねえ、巴」

「な、なに、旭さん」

 見上げながら、最上家のお嬢様は男の顎や耳の後ろを指でくすぐる。今日買ったピンク色の道具類が活躍するのは当分先のことのようだった。

「今日、泊まってもいいかしら」

「ぶっ……」

 男は思わず咳き込む。さらさらした手触りの黒髪が青年の体をくすぐっていて敏感になっていたのも原因であった。

「な、なんでまた急に」

「だって貴方、黒髪好きでしょう」

「うぐっ」

「黒髪で、清楚で、所作が上品で、剣の腕が立って、意外と骨盤がしっかりしてて、料理が上手な子が好きでしょう」

「うぐぐぐぐっ」

 全て旭にも当てはまっているが、由紀江のことを当てこすられていると男は理解する。料理の話になると熱が入って、優しい甘さに夢中でいながら美しい動作で和菓子を食していた後輩女子。

「つまり、他の女子に優しくした俺に妬いてくれてる、と」

「ええそうね。正直、嫉妬したわ」

「……可愛いなあ」

 抱きすくめたまま、旭のアシメの前髪を指でいじる。そのまま節くれた指は流れていき、止まることなく毛先まで通り抜ける。

 細い体に巻きつけた腕の力を強くして、確かな熱を持った声で巴は旭に告げる。

「俺はいつまでも、君のものだよ」

 月が、太陽に照らされて空に輝く月たりえるように。

「ええ、貴方は私のものよ。相馬巴」

 二人は切っても切り離せない、そんな関係だった。

 

 

 相馬巴と最上旭の長い一年が、始まる。

 

 




追記:二人とも童貞と処女です。悪しからず。


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第二話

感想お気に入り等々、励みになっております。ありがとうございます。


 

 

「うー……ん……」

 相馬巴はこの世の終わりのようなうめき声を上げながらうなされていた。

 見ていたのは、修羅殺し。父殺しの記憶だった。

 川神院総代川神鉄心、剣聖黛大成、天神館館長鍋島正、その他壁越えの強者たちをして、殺人剣である相馬流、及び相馬巴に関わるのは避けろと断じられることになる事件。

 しかし、巴の中では一つの誇らしい勲章でもあった。

 この世でたった一人と定めた女を、守ることが出来た戦いだったからだ。

 後悔はなかった。父を殺さなければ、自分と運命の女、まああとついでにその父親も死んでいた。

 それでも、こうして時々うなされるのは……きっと、彼にとって無視できない傷だったからだろう。

 だから、こうして。

 そのたった一人の女、最上旭をかき抱いて相馬巴は眠っていた。

 あなたしか自分にはいないんだ、と伝えるように強く、強く。

 

 2009年 4月 20日

 

 早朝。

「巴、起きなさい」

「はいっ!」

「ふふ、いいお返事ね。はいお手」

「はいっ!」

「ほんとに起きてる?」

「はいっ!」

「……もう慣れたけどこれ、寝てるのよね」

 黒髪ロングの美人、旭は溜息をつく。無意識で返事と犬の芸をする自分のお側役のことは可愛いと思っていたが、これは人間として大丈夫なのかとも思い始めた。

 先ほどから元気よく返事している巴だが、これは幼少からの教育の賜物で睡眠中も即応体勢をとっているから出来る芸当だった。

「寝なさい」

「はいっ! ……むにゃむにゃ」

「そして、だーいぶっ♪」

 ぽすっと軽い音を立てて、旭は横になった巴の胸に飛び込む。布団を被り、体を密着させた。

 すると、華奢な体を太い腕がすぐさま包む。確かな筋肉の感触を旭は頼もしく、気持ち良いものだと感じてさらに密着する。

「……あき……」

 寝言で名前を呟き、腕の力を強くする。そんな巴を、旭は本心から愛おしく思っていた。

 普段の起床時間から一時間過ぎた辺りで、相馬巴は目を覚ます。寝ぼけ眼を無理やり開けながら、目の前に居た想い人に朝の挨拶をした。

「……んー、おはよう、旭さん」

「おはよう、巴」

 お互いに挨拶をしてから、巴は頭上の目覚ましに目を向ける。

「……あ」

 起床時間を大幅に過ぎていたのを知った男は、腕の中で股間を弄ぶ女の脳天にチョップを落とした。

「あう……ちょっと痛いわ」

「俺も悪いが、旭さんも悪い。旭さんが一緒に寝てたら寝過ごすって知ってるくせに」

 安心感があるとでも言えばいいのか、旭が布団に潜り込んだ日は巴は朝の修練の時間を潰して寝るのがいつものことになっている。その分は夜に回していた。

「巴は私の体に溺れて寝過ごすのね……」

「言葉の意図通り溺れたいので付き合ってください」

「だ、め」

「だめなんじゃん……」

 ぐだぐだしていた。

 二人は揃って寝床から出て、朝食を食べにリビングへ。

 そこには、湯気が立つカップを傾けてコーヒーを飲みながら新聞を読む実業家、最上幽斎がいた。

「おはようございます、幽斎さん」

「おはよう、お父様」

「おはよう、旭、巴くん」

 満面の笑みで二人を出迎えた幽斎は、席に着くように促す。

 三人で手を合わせ、命をいただくことに感謝を述べながら穏やかな朝食の時間が始まった。

 メニューはメインが鴨肉のソテー。朝から食べるには重めとも思える品だったが、三人は意に介さず口に運ぶ。野趣溢れる油の味わいと肉の歯応えが絶品の一皿だった。

 鴨肉でご飯を一杯半、野菜に付け合わせのソースを絡めて残り半分、汁物で箸を休めて、漬物類でまた一杯。

「ふふふ。旭も巴くんも健啖家だねえ。実に結構」

 こちらは小さめの茶碗一杯でご飯は打ち止めにした幽斎が、子供二人の食事を慈愛の目で見つめていた。

 また三人で手を合わせて、感謝を口にする。

 ナプキンで口の油を拭い、旭は立ち上がる。歯を磨くために洗面所に向かおうとする娘を父親は呼び止める。

「おや、もう行くのかい? 旭」

「ええお父様。今日はドイツから留学生が来るんですって」

「ほう。それは素晴らしい。慣れない国、慣れない風土はその子にとってよき試練になるだろう」

 うんうんと頷きながら、人が苦労するのを心底心待ちにする人間、それが最上幽斎であった。それだけなら良いが、この人間は自分を神かなにかだと思っている節があり、自分で問題を作り出してまで相手に難局を与えることに喜びを感じる、厄介な人物なのである。

「巴くん、旭のことを頼んだよ」

「……了解です」

 端的に言って、巴は幽斎のことが苦手だった。

 

 

 

 

 

 堅牢な車体と性能の良いエンジンやスプリング、加えて腕の良いドライバーのおかげでほとんど揺れることのない居心地の良い車内で、巴と旭の二人は和んでいた。

 男の乳首をいじりながらしなだれかかっていた旭は不満そうな声を漏らす。

「今日の朝は少し残念だったわ」

「何が」

「鴨、自分で捌きたかったのに」

 随分スプラッタな発言だが、旭だけでなく巴も手ずから獣肉を処理して食べるというのは当たり前の行為だったので、不思議に思う人間はこの空間に居なかった。

「じゃあ俺のとこに潜り込まなきゃよかったのに」

「貴方の温もりが恋しかったのよ」

「俺とお付き合いしてくれるってこと?」

「ふふ。まだダメ。お突き合いならいいけれど」

「違いがわかる自分が憎い……」

 男は肩を落とした。

「っていうか突き合いってなんだよ!」

「もちろん、貴方のアナに私が」

「あーあー聞きたくなーい!」

 そして、何事もなく学校に着く。多摩大橋では人が飛んでいた。川神市のいつもの光景だった。

 

 

 

 

 3-S、特進クラスのホームルーム……とは言っても二つ三つの連絡事項を手早く伝えたらあとは自習時間になっていた時間。こういう時間の使い方が合否を分ける、とは担任の言である。

「……」

 巴は無言で本を読んでいた。旭に貸し出された官能小説である。クリーム色の紙に黒い文字が踊り、ただそれだけで脳をピンク色に染め上げる魔力を持った文章を男は学び舎で堪能していた。内容は温泉の女将が金持ちに身請けされる話だった。

「相馬、何を読んでいるんだ」

「官能小説」

「そうか」

 巴が着ているのとはまた違う趣の和服を着用した美男子、京極彦一が話しかけてきたのを、巴はすげなく返す。学園のイケメン四天王、エレガンテ・クワットロと呼ばれていた。正直ダサいなと巴は思っている。

「随分グラウンドが騒がしいので、声をかけた次第だ。お前は読書していると周りを遮断するからな」

「京極くんはいつも人間見てるもんな。さて……」

 せっかく話しかけられたのだ、件のグラウンドを見てみようと巴は席を立つ。いつの間にかクラスの半分くらいが窓に張り付いていて、勉強しているもう半分はそれをうざったそうにしていた。

「どれどれ……あれが留学生か。入学早々決闘とは、災難な」

 ぶつかり合う二人に視線が向けられる。薙刀を振るう赤髪の女子は川神百代の妹、川神一子。レイピアを構える金髪の女子はドイツからの留学生、クリスティアーネ・フリードリヒである。

「留学生の方は先ほど馬で登校してな。派手な登場だった」

「ふーん……」

 武器を合わせる二人を、巴は文字通り見下していた。それを彦一は見咎める。

「相馬。たまにそういう目をしているが、控えたほうがいいぞ」

「あいあい」

 友人の言葉に、手をひらひらさせて席に帰ることで巴は返答する。

「決着まで見なくていいのか?」

「いいよ。どうせ金髪の子の方が勝つし。勝てないなら重りなんて付けなきゃいいのに」

 彦一が視線を戻したグラウンドでは、距離を空けた一子がクリスに向かって足を狙う技を繰り出したが、返しの刺突を喰らって負けを宣告されていた。

 地団駄を踏み、着用していたものを外したところで学長が一子を諌める。

「よく見えていたな相馬。ほんとに一子くんは重りをつけていたらしいぞ」

「全力でやってても勝てたかは分からないけどね。勝てない勝負は、するべきじゃないよ」

 悟ったような巴の冷たい言葉を聞いた彦一は、ふっと相好を崩す。

「そうだな。勝てない勝負はするべきじゃない。君の最上くんへの告白のように」

「んがっ……」

 見事なカウンターを喰らって、巴は悶絶した。

「何が勝てない勝負だよ! もう少しでなあ」

「静かにしたまえ。もう皆自習しているよ」

「ぐぬぬ……」

「……ふふ」

 憤懣やるかたないといった様子で、巴は自分の席で官能小説の続きを読み始めた。そんな情けない様子を見て、旭は密かに笑っていた。

 

 

 

 

 相馬巴は、二人の決闘を正しく見下していた。二人とも自分より弱いから、ではない。川神一子が弱かったから、である。

 巴自身は詳しく事情を知らないが、その眼力で一子には才能がないことを見抜いていた。姉である百代に比べてではなく、絶対的に不足している。川神院の師範代になりたいらしいというのを百代から聞いていたが、そりゃ無理だろうと思っていた。

 川神院元師範代、釈迦堂刑部とも巴は仕事したことがある。彼は才能があったが、基礎鍛錬を怠っていて精神と肉体を腐らせていた。

 川神百代は学年が同じこともあり、巴に何度も勝負をふっかけてきていた。彼女は体はあっても、技は洗練されておらず、戦闘衝動を抑えきれない心は未熟そのものだった。

 二人には才能があった。でも既に腐っていたり、腐りかけていた。

(川神院って、ぶっちゃけ指導能力ないよな)

 相馬巴は川神院に対して印象が悪かった。

 そして青年の中の悪印象を決定付けているのが、川神一子という存在である。

 確かに、目標に向かってひたむきに努力することは素晴らしいのかもしれない。

 だが、それが絶対に叶わないと知っているなら、別の道を模索させるのが指導ではないのか。

 頑張れ、やれば出来るは才能のある人間にしか言ってはいけないし、川神院はその才能のある人間も腐らせている。

 川神院は強さの純度を保つために日々努力しているらしい。

 だったらちゃんと育成するべき人間を見分けろよ、というのが巴の意見だった。

 川神院が、一子を師範代クラスまで育成できるならここまで悪印象は持っていないだろう。釈迦堂や百代の心を教えから離れさせていなければ、川神院の理念は素晴らしいものだと思っていただろう。

 だが、何を言っても弱ければ死ぬ。このシンプルな論理の中で生きてきた巴にとって、川神院のある種矛盾した育成方針は明確に嫌いだった。

 まあ、人を頭っから殺人者扱いして孫娘との接触を控えさせた、あの黒髪とブルマ大好きセクハラジジイがあまり好きではないという要素もあるにはあったが。

 根本的な部分で、相馬巴はクズと呼ばれていい人間だった。

 

 

 

 

 放課後。荷物をまとめて旭と評議会室に行こうとした巴は三年廊下で後輩に呼び止められた。

「旭さん、先行ってて」

 耳に口を寄せて一言囁いてから、巴は後輩、直江大和に向き直る。

「呼び止めてしまってすみません、こんにちは相馬先輩」

「おお……! サムライ! ほんとにサムライがいるぞ大和!」

「こんにちは、直江くん。そちらは留学生の子かな?」

 巴は感激した様子の金髪女子、クリスの名前を知っていたが、あえて知らない体を装って話しかける。

「はい先輩! 自分はクリスティアーネ・フリードリヒと言います!」

「そうか。俺は相馬巴。よろしくね、フリードリヒさん」

「三年生に侍みたいな人がいるって言ったら、こっちのクリスが見てみたいって言ってたんで連れてきちゃいました」

「なるほど」

 大和と受け答えしながら巴が差し出した右手を、クリスは大喜びしながら両手で包んでいた。裃姿で帯刀した出で立ちの男は、確かにどこからどう見ても侍ではあった。

「先輩、腰に指しているのは武士の魂というやつですね!」

 巴はよくわかっていなかったが取り敢えず相槌を返す。ノリが悪い男ではなかった。

「……? まあそうだね」

「あの、ドイツの父に写真を送りたいので撮ってもいいですか!?」

「……」

「あ、あの……ダメでしたか……?」

 巴は顎に手を当てて少し迷った。写真を撮られるということに抵抗があったからだが後輩の、しかも日本に来たばかりな留学生の不安そうな視線に先輩は折れた。女には甘い男だった。

「いいよ。これでいいかな」

 だが巴が刀、月鏡に手を伸ばした瞬間。学校中の鳥が飛び立ち、クリスは固まっていた大和を突き飛ばしながら大きく飛び退いた。

「うわっ!?」

「……っ!?」

「あ」

 一瞬だけ、殺気が漏れ出ていた。

 巴はごめーんね、と頭に拳を当てて舌を出して見せた。気持ち悪いし、場は和まなかった。大失敗だった。

 ガラガラと3-Fの扉が勢いよく開く。武神川神百代が獰猛な笑みを浮かべて廊下に出てきた。

「相馬、やる気になったのか!?」

「わり、事故事故。俺も精神修養が足りない」

「なんだ、つまんないの……って大和、無事か?」

「いてて……大丈夫だよ、姉さん」

「す、すまん大和。つい体が反応してしまって」

 突き飛ばしたクリスと百代が、細身の男子を抱え上げる。

「悪かったね、直江くん、フリードリヒさん」

「大丈夫です、姉さんで慣れてますから」

「んー? 生意気なこと言う口はこれかなー?」

「いふぁいいふぁい、ひゃめふぇねえふぁん」

 大和は百代に頬を引っ張られている。クリスは巴に返答せず、難しい顔をしていた。

「フリードリヒさん、大丈夫?」

「あ、ああ、すみません。先輩。少し気になってしまって」

「答えられる範囲なら答えられるよ。今迷惑かけちゃったしね」

「そうですか。では……」

 咳払いを一つしたクリスから、純度100%の疑問が投げかけられた。

「武神MOMOYO先輩と、相馬先輩、どちらが強いんですか?」

 パチン、と音が鳴った。直江大和の頬が元に戻った音だった。別に空間に亀裂が入ったりはしなかった。

「戦績で言えば、俺の0勝1敗だな」

「何を言ってる。それを言うなら1勝1敗だ。そもそもお前、私とやる時刀抜いたことないだろ」

「???」

 クリスは疑問符を大量に浮かべていた。

 あれは俺が2年に進級した頃の話だ……と巴は誰に聞かれてもいないのに語り始めた。

 

 

 

 回想開始。

『ねえねえねえ、武神サマ。新入生に弟いるってホント? 真剣にぞっこんで今顔デレデレしてるのもその子のせいってホント? ねえねえね……ぐはっ!』

 回想終了。

 

 

 

 相馬巴はクズで馬鹿だった。くるくると百代の周りを動きながらからかっていた馬鹿は、武神の拳で天井に突き刺さった。

 これが巴の1敗、百代の1勝である。

「姉さん……」

「相馬先輩、それはどうかと思うぞ」

 大和は義姉のキレやすさに呆れ、あまりのアホさにクリスも敬語をやめていた。武士のイメージはとっくに損なわれている。

「で、私の1敗は体育祭だ。私の相手できる奴なんてこいつぐらいしかいないからあてがわれて、引き分けにさせられてS組に優勝持ってかれた」

「あーいうのは個人戦績で言えば勝ちじゃねえよ。まあ戦略目標が達せられてるから良いけど、な」

 百代は親指で首を掻っ切る。巴は中指を立てた。二人は仲良し。和やかな放課後にふさわしく微笑ましい光景だった。

 二人のやりとりから目を離していたクリスは、まだ納得していないような顔をしていた。

「うーん……」

「フリードリヒさん、まあとりあえず川神さんの方が強いってことで良いと思うよ」

「相馬は引っかかる言い方得意だよなー」

「いや、そうではなくてですね……」

 つまり、と前置きしてからクリスは話し始める。

「相馬先輩は、川神先輩に勝てなくてもいいから勝負を挑んだ、ということですか? それに刀を抜いたことがないということは本気を出したこともない、と」

「そうなるね」

「それはおかしい!」

 留学生は突然声を荒げた。

「勝負なら、互いに全力を尽くして戦うべきだ! その体育祭とやらは武器が使用できないルールがあったかもしれないが、やはり勝つつもりで、全力でやるべきだった!」

 語気と眼光鋭く、クリスは思い切り先輩を非難する。その程度で怯む巴ではないが、面倒なので取り敢えず肯定しておいた。

「うんうん、そうだね。分かった。今度から気をつけるよ」

「おいクリス、やめとけよ」

「大和は関係ないだろう! 黙っていてくれ!」

 ビシッとクリスは巴を指差す。

「貴方はサムライではない!」

 この言葉を巴は涼しげに受け流す。

「ああ。俺は頷いただけで、侍なんて一言も自分から言ってないしな」

「なっ……!」

 ワナワナと握り拳と金髪を震わせたクリスは、この学校に来て早々に知った流儀……決闘を申し込むべくワッペンを外し、叩きつけた。

「相馬先輩! いや相馬巴! 今この場で決闘を申し込む!」

「いや、受けないけど」

 巴はしれっと言い放つ。

「何故だ!? 逃げる気か!?」

「俺、学長に決闘止められてるし」

「なんだと!?」

 これは事実である。相馬巴は、川神鉄心に決闘禁止令を出されていた。一度だけ受けた決闘で、相手が二度と学園に来れないほどの恐怖を刷り込んだためである。

 

 そう、例えば―――――

「……あれ?」

 クリスティアーネ・フリードリヒは、糸の切れた操り人形のようにすとんと膝から崩れ落ちた。一瞬の間があった後、冷や汗が噴き出す。

 ―――――こんな風に。

 

「え? あれ? 首、ある……」

 ペタペタと、放心状態のクリスは自分の細い首がそこにあることを確かめる。

 何のことはない。先ほど刀を握った時に漏れ出たものとは段違いの純然たる殺意を、クリスの首めがけて放っただけだった。

 百代は巴の肩を思いっきり掴む。ミシミシと骨の軋む音が廊下に響くくらいの強さだった。

「おい相馬! やりすぎだ!」

「加減はしてる。それに、大人しくなったろ?」

 悪びれもしない巴は百代の手を払い、女の子座りのクリスの頭を優しく撫でる。敵でなければ、人には優しい人間だった。

「ま、ほんとに俺とやりたかったら学長の許可貰ってきてくれや。直江くん、わざわざ来てもらったのに悪いね」

 じゃあな、と背中越しに手を振って巴はその場をあとにした。

「大丈夫だ、安心しろクリ。お前はあいつとは住む世界が違うんだから」

 という百代の言葉は、聞こえなかったことにして。

 

 

 

 

 最上家、地下修練場。

「はあああああっ!」

「おおおおおおっ!」

 住む世界の違う人間たち、最上旭と相馬巴は死闘を演じていた。普段の甘い空気などは一切排された、張り詰めた気勢が地下空間を満たす。

 巴はジグザグに動いたかと思うと、一気に前へ踏み出して敵の脳天に刀を振り下ろす。旭はそれを柳のような足捌きで躱し、返しに喉へ突きを放つ。それを巴は二刀のうちもう片方で打ち払う。

 二人が使っていたのは、刃引きなどされていない真剣。今日抜く時を失った月鏡、極楽蝶。そして旭が持つ、未だ巴が銘を知らない刀が火花を散らす。

 剣戟の音が空気を振動させ続ける。旭が大上段に振りかぶり、必殺の一撃を振り下ろす。

「……ふっ!」

「おせえっ!」

 それを巴は刃の勢いにこちらの刀を沿わせることで受け流し、もう一刀で斬りかかる。

「遅いのは、そっちよ!」

 だが、その軌道に潜りこんだ旭は足を踏み出し腰を回転させ、三日月蹴りを肝臓めがけてしたたかに叩き込んだ。

「ぐっ、う……だらあっ!」

 痺れる足に力を入れ、体ごと回転させた巴の体の周りに銀の円が発生する。旭は余裕をもって後退した。文句なく、最上旭の一本である。しかし、だからと言って終わるわけではない。

 お互いに息を整える。そして、同時に飛び出してまた刃同士が火花を散らした。

 全力と殺気を交換しながらの、いつ相手を殺してしまってもおかしくない組手は、その後2時間に渡って続いた。

 結果は、巴優勢。というより、三日月蹴りの一本以外は全て巴の寸止めである。技量の差が如実に出ていた。

 二人して冷たい床に倒れこみ、荒い息を整える。

「はあっ、はあっ……また、勝てなかったわ」

「ふうっ……十分強いよ、旭さんは」

「はあっ……それでも、私より余裕あるじゃない。悔しいものなのよ?」

「そりゃあ、俺に勝ち越してから言ってくれ」

「それもそうね……ひゃっ」

 先に息を整えた巴は、旭の軽い体をお姫様抱っこで抱え上げた。それから、両腕が塞がったまま足だけで地上への梯子を上がっていく。恐るべき体幹とバランス感覚である。

「ふふ、逞しいわね。巴」

「これぐらいで音は上げられないよ、旭さん。だって」

 旭はぐりぐりと頭を厚い胸板に擦り付ける。汗混じりの芳香がサラサラの髪から立ち上り、巴はドキドキした。

「だって?」

「だって、好きな女の子一人抱えられない男、情けないだろ?」

「……言い切るわね。私も好きよ」

 ちゅっ、とリップ音を立て、旭は自分を抱く男の頬にキスをした。驚いた巴は、思わずバランスを崩して後ろに行ってしまう。

「……っ!?」

「わわっ、巴、あぶなっ」

 だが、腹筋に力を入れてなんとか持ち直す。

「……どっ、せいっ!」

「おお……凄いわ、巴」

「だ、だろ?」

 明らかに無理した笑みを巴は作る。落ち着いてから、また梯子上りを再開する。

「じゃあもう一回。ちゅっ」

「ぬおおっ!」

 今度は体勢も崩れない。顔は踏ん張ったからか真っ赤になっていた。いたずらな女と、それに振り回される男の構図であった。

 一度分離してからハッチを開け、上り切ってからまたお姫様抱っこの姿勢になった。

「じゃあ、いつも通りお風呂まで連れてってくれる? 王子様」

「仰せの通りに、お姫様」

 たった二人の世界が、そこには出来上がっていた。

 

 

 

 後日。相馬巴の決闘禁止令は無事強化されて再交付され、巴は学長にしっかり説教された。

 

 




序盤のクリスってこんな感じだよね、と思ったら筆が止まらなかった。今では反省している。

ちなみに書き溜めはない。


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幕間1

旭の正体バレまで駆け足で行こうと思ってたのになんでこんな閑話を書いてるんだ……という回。よろしければお付き合いくださいませ。


「ふんふんふーん。ねーちゃんに食べさせてもらうシューマイ美味しいなー、っと」

 ゴールデンウィークのこと。ガタンゴトンと揺れる列車の中を、上機嫌の川神百代は奢ってもらったシューマイ片手に歩いていた。

 川神学園2年、風間翔一率いる風間ファミリーは、彼の豪運で引き当てた温泉旅行のため電車に乗っていた。メンバーが9名のため座席から一人あぶれることになり、百代が女子大生を引っ掛けるために離脱していた。

 一通り満足した百代は余りを後輩たちに差し入れしようと、ファミリーの座席に戻って来た次第だった。

「よーうまゆまゆ。クリ。もうファミリーには慣れたか? これシューマイ。ほーらワン子。あーん」

 ワン子、と呼ばれた一子は無邪気に口を開け、放り込まれたものを咀嚼する。

「あーん……ぐまぐま。美味しいわお姉様!」

「ありがとモモ先輩。ようやく気兼ねなく過ごせてる感じだ」

「は、はいっ。友達は自然体で、ですからね」

「でもモモパイセン、この空間に慣れろとか一年坊には実際ハードルたけえぜ……」

 由紀江は松風を抱えたまま、隣の席に視線を移す。そこではトランプゲームの大定番、大富豪が行われていた。

「……zzz」

 バンダナを巻いた好青年、キャップこと風間翔一は事前調査による疲労で爆睡。

「ふっはっは! 甘いな大和! これで上がりだ!」

 筋肉こそ全て、と浅黒くはちきれんばかりの肉体をタンクトップに包んだ島津岳人は奇跡的な配牌によるパワープレイで大富豪に。

「ん。じゃあ俺二位上がり」

 ファミリーの軍師、女顔の割にほんのり鍛えられた体をした直江大和は冷静に手札を使い切り富豪へ。

「くくく。大和の隣は私にこそふさわしい。これで上がり」

 花の髪飾りが似合う青髪のナイスバディ、直江大和LOVEな椎名京は想い人にカードが渡せる貧民へ。

「うわーっ! 大和や京に負けるのはともかくガクトに負けたのだけは悔しい!」

 そして片目を前髪で隠すパソコンゲームデバイスガジェットなんでもござれなオタク、師岡卓也は大貧民になっていた。

「おいモロ! ガクトにだけってなんだよガクトにだけって!」

「初手が良かっただけだろ! 10トリプルで3枚いらない手札捨てた後エーストリプルとか、どうやって返すんだよ!」

「カード切って次の手札配っとくぞー」

「綺麗にシャッフルしてカードを配る大和も素敵……! ほら大和、私の2をあげる。私の想いが籠ったあっつ〜いトゥーを、いやチューをっ!」

「……zzz」

 カオスだった。確かに、ここに混じるのは至難の業だろう。

 納得した百代は一子を膝に乗せて席に座る。

 大富豪に参加せず、新入り二人が孤立していないかという気配りから百代は話しかけたのだが、その不参加には別の理由があったようだった。

「で? 何話してたのか気になるー。お姉さんに教えてくれるかな? 恋バナか?」

 クリスと由紀江は一瞬話しづらそうな表情をしたが、クリスの方から切り出した。

「……相馬先輩の話だ」

「おいおいクリ、あいつのことは気にするなって言ったろ?」

「うーん……でもこう、まゆっちや犬と話すと認識の相違がある気がして」

 むむむ、とうなるクリスを見て、百代は一子に話を振る。

「なあワン子。ワン子は相馬のことどう思ってる?」

「この前くず餅パフェを奢ってもらったわ! それに、何回かジュースも差し入れしてもらったの。そんな感じで普段は優しいけど、怒るとすっごく怖い先輩、って感じ?」

「なにっ。じじいめ、ワン子のは見逃してたのか……まあ、あいつは川神学園で2番目に怒らせちゃダメなやつだからな」

 唸っていたクリスが切り返す。

「1番は、モモ先輩か?」

「あったりまえだろー! ……じゃあまゆまゆ。お前は?」

「はい。その、ですね。私はお父様から聞いていた相馬のイメージとは随分違う方だな、と」

 というと? とクリスが質問を重ねる。

「えと……ではおそらく、モモ先輩より私の方が剣の道を行く者として相馬に詳しいと思うので、その辺りのお話からさせていただきます」

「一から話してくれ。私はじじいからそっちに関しては詮索するなって言われててな。結局全然知らないんだ」

 

 

 

 黛由紀江の口から、相馬流についての情報が語られていく。

 曰く、剣道で言うところの一眼二足三胆四力のうち、一眼に秀でた一族であること。

 一子相伝の殺人剣であること。

 生まれた時から子に修練を課し、ただ一振りの刀となるのを求めること。

 その力で、長年裏社会で暗躍してきたこと。

 そして、一刀流の流派であること。

 

 

 

「と、流派としての相馬流の情報は、このくらいでしょうか……って、わわわっ、皆さんに注目されてますぅ」

「もしやオラ達人気者? 照れるぜ……」

 いつの間にか、キャップを除いた全員が由紀江の語りに耳を傾けていた。

 場を代表するように、百代が口を挟む。

「でも、うちにいる相馬は二刀流だよな? あれ脇差とか小太刀差してるわけじゃないし」

「ええ。どちらも実用だと思います」

「だよなー……実用ってことは、あれもしかして」

 百代の言葉を継ぐように、由紀江は話を続けた。

 

 

 

 今度は、相馬巴本人について。

 曰く、父親相馬遙は修羅と呼ばれ、裏で有名な剣士であり実力だけで言えば黛大成にも匹敵する達人だったこと。

 その息子が12の頃に、相馬巴として名が出始めたこと。

 そして……15の年で父親を殺めたこと。

 情報が少ないながらも、内容は暗澹たるものであった。

 

 

 由紀江は一呼吸置いてから、恐る恐る言葉を紡ぐ。

「つまり、父から聞いた話が本当なら、あれらは人の血を……しかも、実の父親のものを吸ったことがあるはずです」

「オレ様も背筋がゾクゾクしてきやがったぜ……」

「ボクは現実味ないから、ゲームだと呪いやバッドステータスついてそうとかしか思わないなあ」

「ぶるぶる。私怖くなってきたわお姉様」

「良かったなークリ。お前ほんとに死んでたかもしれないぞ」

 一子の頭を撫でつつ、場を和ませるため百代がクリスへ茶化すように話を振ると、金髪のツインテールが震えた。

「じょ、冗談ではない! 二週間経った今でも首が吹っ飛んだ感触を思い出すんだ!」

 この言葉に、読書を始めていた大和と京がツッコむ。

「あれはケンカ売ったクリスが悪いと思うぞ。相馬先輩、話せば分かる人だし」

「……しょーもない。怖いと思うなら、関わらなければいい話じゃない?」

 あくまで他人事、というような二人の態度にクリスは憤慨する。

「そーじゃないんだ! もっとこう……底冷えするような、というか、気勢が削がれる、というか……わぷっ!」

 百代はワン子を撫でたまま、空いた手でクリスの髪をくしゃくしゃにする。

「まあ、そこら辺が相馬流の殺人剣たる所以だろうな。勝負が始まってしまえば、どちらかが死ぬまで止まらない。全力でやって、負けたら次頑張ろうの次もない」

 由紀江は、黛流の師であり父でもある大切な存在の、厳しくも優しかった姿を思い出しつつボソッと呟く。

「凄まじい人生だったんでしょうね……」

「ああ。だから私たちとはあまり勝負をしたくないんだろう。挑んできたら、クリのようにしてしまうから」

 百代の言葉に頷きつつも、由紀江はこう言葉を返した。

「ですが相馬先輩はなんというか、色んなものを感じさせないほど優しい、ですよね? 殺人剣の使い手といえば、もっと冷徹なイメージを持っていたので……」

 この発言には大和が続けた。

「相馬先輩は実際優しいよ。評議会議長の懐刀ってこともあって、割とトラブルは止める側だし、考えも柔軟だし。まあ、さっきまでの話を聞いてると、明確な敵を作りたくないだけなのかもしれないけど」

 どこかの誰かさんはそれでもケンカ売ったけどなと大和が釘を刺して、クリスが怒ったところでキャップが起き、

「んー、今ここにいない人のこと考えても仕方なくね? 目の前の旅行を楽しもうぜ!」

 と号令をかけたところで、相馬巴に関する話は立ち消えになった。

 

 

 

 黛由紀江は思考する。相馬巴のことを。

(パフェとあんみつを一杯ずつ奢ってもらっただけの関係ですが……何か私に出来ることはないのでしょうか……)

 ちょっと食いしん坊な彼女の思いは、旅行後すぐに成就されることになる。

 

 



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第三話

 2009年 5月 4日

 

 ゴールデンウィークの終了2日前。風間ファミリーが旅行を満喫しているころ。裃姿に足袋を履いた青年、相馬巴は朝の仲見世通りを一人で歩いていた。川神院に向かって。

「……やだなあ……」

 先日のクリスとのごたごたについて、という名目で学長から呼びだされていたのである。

「早く帰って旭さんと本読みたい……昼寝したい……」

 嫌な予感がビンビンにするので、彼は最愛の人を置いて、あのセクハラジジイの元へ一人で向かっていたのだった。

 手土産をそこらへんの菓子屋で3つ買い、門をくぐる。数については、川神院にいる強大な気の持ち主の数から判断していた。

「おはよウ! 相馬!」

「おはようございます! ルー先生。これ川神院へお土産です」

「ん、これは相馬が家で食べるといいヨ。学生はこんなこと気にしなイ気にしなイ」

 出迎えたのは、巴が川神院で好印象な数少ない人間、ルー・イー師範代。学園の体育教師も務めている人物だ。朝から元気に挨拶されたので、巴も元気に返した。でも手土産は突っ返された。あのごうつくジジイなら貰うだろう、と巴は一旦引っ込めた。

 泥酔した上機嫌の釈迦堂から聞いた話だけだが、裸一貫から修行を経て強さと高潔な精神を同居させているこの人が巴は好きだった。

「総代が中庭でお待ちダ。案内しよウ」

「よろしくお願いします、ルー先生」

 歩いて行くと、川神院の門弟が客人に向けて次々に挨拶してくる。

「押忍! おはようございます!」

「「「押忍! おはようございます!」」」

「みーんな、朝の鍛錬は大事ヨー。レッスンレッスン!」

「「「押忍!!!」」」

 暑苦しかった。

「今日はネー。みんな気合い入ってるんだヨ。ゲストが来ているからネ」

「まあ、大体気で分かります」

「ほう、やはり大したものダ。でも相馬。力は使い方に気をつけないといけないヨ。力に呑まれちゃダメダメ」

 巴はルー先生の物言いに、分かりやすくヘソを曲げた。呑まれてるのはお宅の子では? という思いもあったにはあった。

「やはり、呑まれているように見えますか」

「いや。コントロールは出来てると思うヨ。留学生の子も、君が思うまま力を振るう人間ならほんとに死んでいたところだと思うカラ」

 ルー師範代は歩きながら続けて話す。

「君はネ、入学してからずっとテストは2位だシ、授業態度も素行もイイ。先生方からも生徒からも評判は良いんダ。でもね、たまに君を見ていて危うい時があル。ワタシそれ心配してるヨ」

「大抵はケンカ売られてる時ですよ。川神さん……川神百代さんとじゃれてるときはあんまり出さないでしょう?」

 シャレにならないので。と内心思いながら巴は反論したが、ルーは首を振る。

「それでも危ういんだヨ。君の生い立ちは話にだけ聞いているが、何も敵か味方かで世界を判断することはないヨ」

 どこかずれてるんだよな、と巴は内心でルーの評価を下げた。まだまだ高かったので微々たる差だが。

 そもそも勝負を挑んできたなら、それは敵だ。その敵が今後二度と敵に回らないためにどうするかを考えたら……まあ、手段は限られる。

 死人には口も足も武器も力も無い。殺せば、全ての面倒が解決する。そういう世界で生きてきたつもりだ。

 現在殺しをやっていないのは、今この時生きてる世界では面倒だからだ。罪に問われるし、後始末も面倒臭い。なにより、旭と一緒に過ごせなくなるかもしれない。彼はそれが嫌だった。

 だからこそ、クリスとの邂逅では比較的穏便な手段を取ったのだ。しばらく大人しくしててくれ、の意味を込めて。

 必要なら、いつでも人を殺せる。これが相馬巴という人間だった。

 わりと深刻な誤解を挟みつつ二人が歩いていると、塔の下に三人の人影が見えた。

「着いたヨ、相馬。総代! 連れてきましタ!」

「ご苦労。ルー」

 一人は、川神鉄心。川神院総代にして、壁越えと呼ばれる強者達の中でも一線を画す存在。学園の最高権力者であり、この時代に体操服でブルマを指定する豪傑だった。

「久しぶりだな、相馬。俺が名前を呼ぶなぞ、光栄なことだぞ。よく覚えておけ」

「げっ、伯爵……」

「げっ、とはなんだ。また教育されたいか?」

 赤いネッカチーフを付けた、パリッとした執事服へ窮屈そうにその異常隆起した肉体を包み、金色の獅子を思わせるような髪を逆立てる、こちらも壁越えの中で特に強者と呼ばれる存在、ヒューム・ヘルシング。

「鉄心殿。こちらが、彼の息子ですかな。凄まじい強さだ」

「左様。此度ご足労いただいた要件じゃ」

 そして、この場で巴がもっとも目を惹かれた存在……袖に新雪のような模様がある黒い裃に刀を佩いた、一切の澱みがない清らかな闘気を放つまさに達人といった風貌の男、剣聖黛大成がいた。

「こりゃあ、また揃い踏みなことで」

 三者三様の威圧を、巴はなんとか受け流す。まずは、この中で唯一初対面な大成に向けて挨拶をするべく歩みを進める。もし敵であったなら、あまりにも無造作な間合いの詰め方だった。

「お初にお目にかかります。相馬遙の息子、相馬巴と言います。これつまらないものですが」

「おお、これはご丁寧に。ありがたくいただくことにしよう。私は黛大成だ。宜しく頼むよ」

 柔和な笑みを浮かべて、剣聖は紙袋の上に乗せられた和菓子を手渡しで受け取る。菓子箱を袋の中に入れ直して玉砂利の上に置くと、大成は青年に訪ねる。

「……この間合い、怖くないのかね?」

「敵意がないでしょう。怯えていても仕方ないと思いませんか?」

 落ち着き払った返答に、黛大成はそうかと応じた。

「私は敵意なしで切れるんだが」

「そしたら体が勝手に反応しますよ。その場合の加減は保証出来ませんが」

 あくまで余裕を崩さず、巴は菓子を鉄心、ヒュームの順に渡して行く。鉄心は予想通り遠慮なく受け取った。

 ヒュームは受け取る時に小言を贈る。

「おい相馬。貴様一応九鬼から給料を貰っているんだから招集には応じろ」

 巴は最上幽斎の護衛という立場で雇われていた。幽斎が九鬼所属のため、もちろん巴の給金も財閥から出ているのである。

「やですよ。訓練で人殺したくないでしょ」

「その辺りも加味して言っている。今のお前なら組手であれば人を殺すことはないとな」

「ありがたいこって」

「まあこちらのことは今日の本題じゃない……貴様が俺にリベンジしたいのであれば、構わんがな」

「いやいや、遠慮しますよ。勝てない勝負はしない性分なんで」

「ふん……どこまでが冗談なのやら」

 なんとか躱して、巴は三人から距離を取る。急に攻撃されても逃げ延びられると判断した間合いまで。

「して、学長殿におかれましてはこの度どういうご用件で私のような卑小な者をお呼び立てなさったので?」

「そういう物言いはやめい。挑発しているのと同義だと分からんか」

 老体から少々の威嚇と共に放たれた言葉を、巴はまた悠々と受け流す。

「ではルー先生含めた達人四人で一人を囲むなんてことしないでいただけますか? 挑発しているのはそちらでしょう」

「ヒュームのやつは勝手に来たんじゃ」

「三人で囲めば十分だと思いますよ」

「総代。話が進みませン」

 巴は時間の空費に不機嫌になりつつあった。達人たち相手にうわべだけの態度や表情を繕っても仕方ないので、青年は警戒心を持っていることを全力でアピールしている。

 埒が開かないと判断したヒュームが話を切り出すべく一歩を踏み出す。巴は一歩退いた。

「俺が来たのは、黛の娘を高く評価しているからだ。今の実力と言い、伸び代といい、な」

「ということは、黛さん……由紀江さんのことですか? 面倒なら見ませんよ」

 知り合いの親が多すぎて面倒だ、と思いながら巴は会話を回す。

「まさか、戦えなんて言いませんよね?」

「そのまさかだよ、相馬くん」

 今度は剣聖が一歩を踏み出した。温和な瞳が巴の瞳を射抜く。

「親の欲目、というのはあるかもしれないが私の娘は既にひとかどの武人だ。そう育て上げた自負もある。だが……」

 そこで剣聖は黙り込む。

 次に口を開いた時は、達人ではなく父の表情をしていた。

「その、友達が、いないようなのでね」

 巴はずっこけた。鉄心もずっこけていた。

「……松風くんがいるのでは?」

「あのストラップは私が作ったものでね。いつか友達が出来て、携帯を持つようになった時のために、と。それで存在を否定するのも憚られたのだよ」

「ああ……」

 清流のような闘気は萎んでいた。巴は娘を持ったことはないがちょっと同情した。

 大成は数秒瞑目し、闘気を元に戻して青年に向かう。

「ともかく、娘が想像上の友達を作ってしまったのは、私からの抑圧が原因ではないかと思ったのだよ」

「はあ」

「私は娘を厳しく育てすぎてしまった。私を凌ぐ才を見てしまっては、指導に手が抜けなかった」

「いえいえ、ご立派に育てられたと思いますよ」

 これは同情からではなく、巴の本心からの褒め言葉だった。

 といっても人格的な意味ではなく、武門に生まれた子供がその流派を極めたことのみを素晴らしいと言っているだけだが。

「差し出がましいようですが、娘さんにはもう友人がいらっしゃるでしょう。風間ファミリーと呼ばれる二年生の集団に入っているようですが?」

「それも娘から手紙で相談されてね……同年代の友人が出来ず、話すとなると緊張してしまう、と」

 友達が出来ないのはストラップと話したりしていて敬遠されているからでは? と巴は言いかけたが止めた。帯刀は原因でないと思っている辺り、巴も一般常識が欠落していた。

「ゆえにこの辺りで一つ、由紀江の殻を破る必要があると判断したわけだ」

「そのお相手をするのが自分、ということですか」

「娘からの手紙に君のことが書かれていたのでね。勝手にやられるよりは、我々の管理下でさせたいと思った。行きすぎた時の静止役として、鉄心殿と私が立ち会おうと思っている」

「それに相馬。これはお主のためでもあるんじゃ」

 なかなか話に入り込めないでいた鉄心が言葉を挟むと、巴は呆れたような声でからかう。

「俺今憧れの黛さんと話してるんですけど。いきなり口挟まないでください学長」

「目上のものに対する態度ではないな! 喝っ!」

「ふんっ!」

 鉄心の顔の形をして飛んできた気弾を、巴は手刀で切り裂く。二つに分かれた気は、被害が及ばないようルーとヒュームが叩き落としていた。

「敵になるなら容赦しませんよ」

「ほほ。言いおるわい。ならかかってくればいいじゃろう」

「お生憎様ですね。自分は川神家ほど挑発に弱いわけではないので」

「言うたな小僧!」

「総代! 情けないのでやめてくださイ!」

 巴は中指を無性に立てたかった。百代相手なら間違いなく立てていた。川神家自体と相性が良くなかったのかもしれない。

 しばし睨み合った後、巴は地面に向けて視線を逸らし、大袈裟に溜息をついた。

「はあ……先に言っておきます。わざわざご足労頂いた剣聖殿の顔を潰してしまうようで心苦しいですが、お断りします。俺にメリットないでしょ。一年の頃決闘禁止令出された時も、あれで断れるようになったからありがたいと思ってましたし」

「あくまで戦いたいわけではないと、そういうことかの」

「そうなりますね」

「しかし、クリスちゃんには殺気をぶつけたじゃろう」

「あれはちょっと脅しただけです。勝負を挑んでおいてあの程度で倒れる方が悪い。平和的解決ですよ」

 川神学園の一生徒は学長に向けて明け透けに言った。達人四人も、この青年が嘘をついておらず、悪気もないのは理解している。勝負の世界で生きてきた人間たちなだけあって、彼我の実力差が分からない方が悪、という論理も理解は出来る。だからこそ性質が悪かった。

 川神院の長、川神鉄心は慈しみを込めた声で語りかける。

「……のう、相馬。もう少しだけ刃を鞘に収めることは出来んか」

「出来ませんね。鞘に入ったまま折られたら、きっと自分は後悔するでしょう」

 巴は即答した。

 相馬流は、己を一振りの刃とする。鞘に入ったまま折られる……つまり何も出来ずに死ぬくらいなら、相手を殺して生きる方を選択する。

 傲然として立つ青年に向けて、黛大成は二歩を踏み出す。

「であれば相馬くん。君にはなおさら由紀江と立ち会って欲しい」

 何度かの会話を経て、大成について非常に好い印象を得ていた巴は居住まいを正して応答する。

「理由を伺いましょう」

「あれは聡いが、優しい子だ。自分や仲間に火の粉が降りかかったなら、その力を発揮するだろう。だが、それでは遅いことがある。君もこういう事を言っているのだろう」

「はい」

「だからこそ、由紀江に教えてやって欲しい。刀を抜くべき時は迷わず抜くべきだと。鞘に入ったまま折られるなんてことがあってはならないと。これは、我々からでは教えられない」

 正直で、実直で、素直な言葉だった。聞くものの心を無条件で震わせるような、思いのこもった請願だった。

 そして、剣聖はひと回り年下の青年に向けて正座して頭を下げた。土下座である。玉砂利と髪が擦れる音が鳴った。

「この通りだ。我々年寄りではなく同年代の君から、由紀江に指南をお願いする」

 その姿は、割腹してお白洲に倒れこむ武士を想起させる。それほどに必死な姿だった。すっかり毒気を抜かれてしまった巴は武士に駆け寄る。剣聖の人柄がそうさせたのかもしれなかった。

「やめてくださいよ、黛さん。人間国宝が学生に土下座なんてしないでください。分かりました。受けますよ、受けます」

「かたじけない、相馬君」

 黛大成は若者に引っ張られて立ち上がる。

「ああもう、こんなにいい袴汚して……」

 巴はすこし砂利の乗った布を叩く。ネッカチーフの位置を整えるいつものポーズで、ヒュームは喉を鳴らして笑う。

「クソのような赤子だったお前が、随分と丸くなったものだな、相馬」

「うるさいですよ、伯爵」

「フン。まあ受けたからには役目を果たせよ」

「言われなくとも」

 ヒュームのからかいに答えた後、巴は鉄心に向き直る。

「それで学長、決闘はどこでやるんですか?」

「学校でやろう。当日は川神院総出で結界を張る」

「まあそこまでやるならしなきゃいいんじゃないですかね、とも思いますが」

「そういうわけにはいかん。そうじゃ相馬。お主の実力、一度見せてくれんか。場合によっては、他の寺から応援を呼ばねばならんのでな」

 巴は渋い顔をした。それから要求を突きつける。

「では、このお話を受ける代わりに三つほど頼みたいことが」

「意外と多いのう。じゃが、出来る限り聞こう」

 鉄心がそう言った途端、周囲の空気がピンと張り詰める。達人たちがめいめいに反応を示す。

「……わし、もしかしてとんでもないこと頼んじゃった?」

「ほう、やはり成長しているな」

「相馬……とんでもない強さだネ」

「む……やはり相馬の子は相馬か」

 相馬巴が、全身から殺気交じりの闘気を放ち始めたからだった。

「まず一つ。腕試しなら、ここにいらっしゃる黛大成殿と一合、お願いしたく思います」

「私でよければ、お相手しよう」

 巴の気にあてられたか、剣聖もその清冽な闘気を膨らませていた。

「むう……」

「やらせてもいいだろう鉄心。わざわざ申し出るということはよほどの事はすまい。どうしてもというなら、俺と貴様とルーで止めればいいだろう」

 ヒュームがこう言えば、鉄心も頷かざるを得ない。

 互いに距離を取った巴は、月鏡と極楽蝶に手をかける。黛大成も、自分の佩刀の柄をふわりと握った。二人の剣士が相対する。巴は声色だけは和やかに訊ねた。

「じゃあ、いいですか?」

 剣聖は、気を練り上げつつ頷く。巴は、自分の存在を確かめるように名乗りを上げた。

「相馬流、相馬巴。参る」

「黛流、黛大成。お相手仕る」

「全くこの若造どもめ、好き勝手やってくれるわ。じゃがまあよい……では、いざ尋常に――――」

 

 

 ――――始めいっ!

 

 

 号と共に、庭から二人の姿が消え、すぐに現れる。

 勝ったのは……相馬巴。

 

「ありがとうございました、黛大成殿」

「ぐっ……我が修練、未だ道半ば、か」

 

 剣聖黛大成は、膝をついていた。

 敗者から視線を切り、巴は鉄心に向けて告げる。

「じゃ、あと二つの頼み事なんですけど……」

 勝負を見届けた鉄心はその二つを確かに聞き届け、履行することを約束した。

「損な役回りをさせてしまうのう」

「じゃあ最初から頼まないで下さいよ、学長」

 大綱を定めた後、巴は冗談を交えながら川神院を後にした。

 

 

 

 二日後。

「お父様っ!」

「おお……由紀江、か……」

 息も絶え絶えと言った様子の大成が、旅行から帰宅したばかりの娘を川神院の治療用ベッドで出迎えていた。医師の診断によると全治一か月。怪我の原因は、あの危険な先輩だという。

「由紀江、仇を取ろうなどと考えるものではないよ。私はこうして、生きているんだから」

 そう言うと、剣聖は意識を失ったように眠り始めた。

 川神院からの帰路、黛由紀江は体から陽炎のような気を発しながら、こう呟く。

「誰であろうと……たとえ先輩であろうと、自分の家族を傷つけるような真似は、許せません……!」

 

 

 そのまた翌日。

 黛由紀江は3‐Sを訪問。ワッペンを叩きつけ、相馬巴はそれを受諾。三本勝負による決闘が学長の許可の元承認された。決戦の期日は5月9日、場所は川神学園グラウンドと定められた。

 

 

 

 

 

 

 

「なーんでまゆまゆは良くて私はダメなんだよー! このくそじじい! グレてやるからなー!」

 武神はむくれていた。

 

 

 




なんかよく分からんくなってきた。まゆっちがヒロインになりそう。しないけど。


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第四話

 某日。

「ほんっとーに申し訳ございません!」

 自室で、相馬巴は見事な土下座を披露していた。地面に擦り付けられた頭に、溜息が一つ落とされる。

「もう、本当に貴方は……」

 土下座されている方、最上旭は呆れていた。我が恋人未満ながら、安請け合いにも程があると心底呆れていた。半紙に馬鹿と書いて背中に張り付けてやりたかった。

「だって、あの人間国宝に土下座なんてされたら言うこと聞くしかないって」

「慣れないことはするものじゃないと思うけど」

「それは本当に、何の申し開きも出来ない」

「でも止める気もないんでしょう?」

「それは、もちろん」

 男の子というものは意地っ張りなのである。そして女は、この男が一度約束したことを反故にする人間ではないことも理解していた。

 ベッドに腰掛けていた旭は、ちょいちょいと手招きをする。吸い寄せられるように巴が動くと、旭はその頭を抱えるようにお腹に押し付けた。目の前の女体から返ってくる柔らかさと芳香で、巴の心臓が跳ねる。

「まったく貴方は、いつだって無茶するんだから」

「……ごめん、旭さん」

「それに、その日は黛さんに貴方の視線が釘付けになるわね」

「あ、また嫉妬してる? 付き合っちゃいます?」

「調子に乗らない」

「あたっ」

 細い指からデコピンが繰り出される。さながら躾けだった。

 それから、また旭は強く抱きしめる。巴の方からも背中に手を回す。

「甘えん坊ね。そんな貴方のために、立ち合いの時付き人になってあげる」

「……いやー、当日は情けない姿見せるの確定だから、出来れば来ないで欲しいかな、って」

「それでも見に行くわ。今回の貴方の役目は一流の役者。見られてナンボ、でしょう?」

 髪をかき上げつつ断言する最上旭の姿に、相馬巴は見惚れていた。

「……うん。じゃあ、景気づけのキスとか」

「こら。調子に乗らない」

「あたっ」

 ぐだぐだだった。

 

 2009年 5月 9日

 

 この日の川神学園は異様な雰囲気に包まれていた。土曜日の半ドン授業を終えても、今日学校に来た生徒たちは一人として帰宅していなかった。

 元々サボっていた人間2割、そして今日の川神学園の空気に気圧されて門前で帰ったものが5割。

 そして残った3割の視線を一身に集めつつその空気を創り出しているのは、たった一人の男。

 校庭のど真ん中で胡坐をかいて目を閉じ、身の毛のよだつような殺気を全身から放ち続けて黙想する裃姿の男、相馬巴である。

 男性にしては長めでいつも顔の横に垂らしていた髪を、今日の彼はヘアゴムでくくってオールバックにしていた。

 その姿を見て、後ろに控える旭は懐かしさすら覚える。彼女と彼が出会った時の、彼が本気を出す時の髪型だったからだ。

 だが残っている学園生たちは、あのひょうきんでいつも笑顔を見せている先輩もしくは同輩の違う一面を見て、大半が怯えていた。

「おいおい、あれどうなってんだ……?」

「知らないわよ、相馬先輩って言ったらもっとこう、ニコニコしてて、ちょっと抜けてるとこがあって……」

「相馬くん、最上さんに告白して玉砕しまくってるときとは全然別人みたい……」

「親殺したとかって噂で聞いてたけど、嘘だと思ってたのに……」

 生徒たちが恐れ慄く中、気が渦巻く空気を切り裂くように三人の人間がグラウンドに出てくる。

「相馬先輩。お待たせしました」

 一人は、黛由紀江。既に袋から出してある刀を携え、清らかな闘気で殺気を中和しながら悠然と歩いて決戦場に向かう。

「よう相馬。お前が戦う姿、楽しみにしてるぞ。もちろんまゆまゆもな」

 一人は、川神百代。2人つけられるセコンドの内の1人として武神は由紀江についた。相馬流と黛流の激突を特等席で見られると思い、申し出たとの事だった。

「……まゆっち、頑張れよ」

「はい、ありがとうございます大和さん」

 最後の1人は、風間ファミリーの軍師直江大和。この決闘における違和感をいち早く言語化し、金曜集会で由紀江以外のみんなと共有した結果、今回のセコンドとして百代に呼ばれた男だった。

 巴は目を開け、やおら立ち上がる。すると校内中に立ち込めていた不穏な空気が立ち消えになっていき、生徒たちは重圧から解放された。

 そして巴は、放散させていた殺気を自分の体に戻し、凝縮して一気に由紀江へ叩きつける。

「……へえ、これで倒れないか」

「ええ、私は倒れません。倒れるわけにはいきません!」

 足は竦み、体が痺れるような眼光を由紀江は睨み返す。その両足は地面をしっかりと踏み締め、瞳には一点の濁りもなかった。

「まゆっちー! 頑張れー!」

「応援してるぞー!」

「あんなデコ広しな先輩なんか吹っ飛ばしちまえ!」

「まゆまゆならイケる! 勇往邁進だ!」

「が、頑張れー!」

 一子、クリス、ガクト、キャップ、モロの声援を受け、そして京の静かに背中を押す視線を受け止めつつ由紀江はフィールドへ一歩を踏み出す。

「双方、準備は良いか」

 川神学園学園長、川神鉄心が両者の中央に立つ。二人が頷くのを見てから、今回のルールを読み上げる。

「勝負は三本勝負。途中でどちらかが戦闘不能になった時点でも勝敗が決したものとする。時間は3本合わせて5分。それ以上は結界が保たんのでな」

 グラウンドの周囲を囲むように、川神院の師範代クラスの僧が50人ほど配置されていた。これに加えて、九鬼家従者部隊永久欠番零番ヒューム・ヘルシングが控えている。

「双方前へ! 東方、相馬巴! 西方、黛由紀江!」

「相馬流、相馬巴。参る」

「黛流、黛由紀江。いざ、参ります!」

 両者が刀を抜く。由紀江が構えているのは真剣である。これが勝負の条件であった。

 由紀江の気が増幅していく。そして巴の気は自分の体と刀身に収束していく。

「「「川神流極技・天陣!」」」

 川神院の僧たちが防御結界を展開すると同時に、鉄心の声が響き渡った。

「それではいざ尋常に―――始めいっ!」

 

 

 一本目。先手を取ったのは黛由紀江。薫風を纏いつつ、一気に敵へと飛び込む。

「やあああああっ!」

 鋭い踏み込み、ブレない体幹、そこから繰り出される……瞬間12発の斬撃。一太刀一太刀に闘気が練り込まれ、並の人間なら12回絶命出来る攻撃群。

 後ろから第三者として見ることが出来ていた大和は目を見開く。

「まゆっち……今6回斬った?」

「いや、よく見えてるが12発だ。まゆまゆ、ここまで強いのを隠してるなんて。無理矢理にでも挑んで勝負しとけばよかった。けど……」

 武神川神百代は舎弟の間違いを訂正しつつ悔しがる。それほどに、今目の前にいる由紀江は強者だった。

 見学している学園生も驚愕を隠せない。競争を重視、推奨している川神学園において異例の決闘禁止令が出されるような異端中の異端、相馬巴との対戦が許される一年生はこれほどのものか、と。

 だが―――――

「―――――っ!?」

「ヌルい」

「……やはり、相馬が上手か」

 巴は見事に12斬全てを叩き落とす。避けるわけでもなく、全てを。刃同士がぶつかり合い、余波で結界内の大気がビリビリと震える。

 由紀江が態勢を立て直す前に、巴はすぐさま反撃に移った。瞬間に5撃が走り、洗練された致死の一撃たちが由紀江を襲う。

「連撃ってのは、こうやんだよっ!」

 一発目の反撃は、唐竹割り。黛流の娘は自分の頭を断ち割るはずの一刀を足捌きで回避する。

 二撃目、三撃目は二刀を使った喉と水月への両突き。直線に走る二つの閃光はどちらも弾かれる。

 四つ目、胴を二つに割りに行く閃きを由紀江は搔い潜る。

 五つ目、袈裟掛けに鎖骨を切断に行った一撃はまた弾かれ、六撃目。これを待って、由紀江が攻撃に転じようとする。

「ここですっ!」

 弾かれていない方の刀で逆袈裟に行った瞬間、巴の体が僅かに開く。その一瞬の隙を、由紀江は文字通り突く。しかし巴の姿は目の前から消えていた。由紀江の白刃が空を裂く。

「隙はわざとだ。見抜けないか」

「そんなっ……きゃあっ!」

 練磨された足運びと体捌きで巴は易々と由紀江の背後を取る。回り込むときに前から足首を一度押さえつけ、後ろから膝を蹴って地面に這いつくばらせてから倒れこんだ相手の首に刀を添えた。鉄心が手を高々と上げる。たった30秒ほどの攻防だった。

「……それまで、一本! 相馬巴の勝ちじゃ!」

 

 

 

「はあっ……はあっ……」

 四つん這いに倒れこんだ由紀江は、荒くなった呼吸を整える。その姿を、相馬巴は息一つ乱さず見下ろしていた。

 体力がなくなったわけではもちろんない。極度の緊張と、絶望的な実力差。これらが由紀江から正常な呼吸を奪っていた。

 百代は大和に向け、今の戦闘の考察を話すことで自分の思考を整理する。

「まゆまゆの剣は、確かに神速の域に行ってるんだ。あれだけ鍛え上げられてる斬撃を、真っ向から跳ね除けられる相馬がおかしい。でも、もっとヤバいのはその後だ」

 舎弟が頷くのを見て、姉貴分は続ける。

「相馬の攻撃は全て斬られたら死ぬ類の、極限まで絞り込まれたものだった。まゆまゆのは悪い言い方をすれば当てればいいみたいなところがある、ってことを指摘されたわけだ。それにあの一瞬でバックを取った足運び。しかも後ろから膝裏蹴ってるのに、まゆまゆは転んで膝小僧擦りむいただけで済んでる。足なんて簡単に壊せたろうに」

「姉さん、つまり」

「ああ。あれで手加減してるんだ。バケモノだよ、あいつは……ほら、私たちはまゆまゆを迎えに行こう」

 ようやく立ち上がった由紀江を、百代と大和が両側から支えることで一度戦場から出す。セコンドが座る用のシートに、疲労した体が横たえられる。

 大和は用意していたスポーツドリンクを、上体だけ起こした由紀江の喉めがけて紙コップから流し込み、体を休ませる。

「はあっ……はっ……」

「まゆまゆ、よく聞け。お前自身で勝つ手段、浮かぶか?」 

 百代の言葉に由紀江はこくこくと頷く。その答えに満足した武神は後輩の胸を後ろから擦ってやった。

 それから呼吸を整え、立ち上がった。しっかりした足取りで、またグラウンドに戻る。背中越しに、由紀江はセコンド二人に方針を示した。

「初撃に、全てを賭けます」

「よし、行ってこい。まゆまゆ」

「頑張れよ! まゆっち!」

 再度、二人の剣士は向かい合う。始めの礼がかかる前に、由紀江が口を開いた。

「申し訳ありません。少々時間を頂けますか?」

 要領を得ない質問の回答権を、鉄心は対戦相手である巴に渡す。

「と言っておるが、相馬はよいか?」

「いいですよ。気溜めるんでしょう。何時間でもどうぞ」

「……私のやることなすこと、全てお見通しのようですね」

 やりたいことは全部やらせてやる、と言いたげな余裕のある態度。それに礼を告げたあと、由紀江は刀を抜いて中段に構えた。

「……ふぅーっ……」

 一度肺の中の空気を全て排出し、それから気を全身で作り出していく。

 由紀江は自分の中の気の容積を測り、それがいっぱいになるまでの時間を算出した。

「……お言葉に甘えて、2時間、いただけますか」

「委細承知した」

 巴は肯定の意を返すと踵を返し、自陣のシートで仰向けに寝っ転がった。

「んじゃ、2時間したら起こしてくれや。ふぁーあ……」

 あくびをしたかと思うと、すぐに寝息が聞こえてくる。見方によっては挑発とも取れた行為を由紀江は全く気にせず、気を溜めることに集中した。

 ……この光景を見て、直江大和は確信する。

「姉さん。俺が考えてた事大体合ってる、かも」

 横に座る舎弟の言葉を、百代は素直に肯定した。

「そうだな。まったく、相馬のやつもらしくないことをする」

 百代はどこか寂しそうにそう言った後、気で全身を覆い始めた由紀江の背中に声をかける。

「まゆまゆ! 集中だ! 見るべきものを見損なうなよ!」

 これが、百代の精一杯の応援だった。

 その言葉を由紀江は聞いていたが、思考するまでには至らない。それに割くリソースさえ惜しいとばかりに、気の貯蔵を増やしていく。

 そして、1時間50分が経過した。

「……」

 天を衝くように立ち上る気の柱の中心にいる黛由紀江の心は完全に無になり、

「よう。そろそろ溜まったかい?」

 相馬巴は起き上がって、純粋な闘気の塊と化した由紀江の正面でいっそ涼し気に立つ。

 巴は刀を抜き、相手と同じように気を溜めていく。ただし、由紀江のように外に放出するのではなく、己と一体になった武器にのみ、その気を凝縮させていった。

 2時間という実戦ではまずあり得ないスパンを費やした由紀江をまるで嘲笑うかのように、巴の体はたちまち闘気に満たされていく。

「……双方良いか!」

「おう」

「……」

「良いようじゃな。では、結界準備!」

 押忍! と川神の僧たちの声が響く。

「二本目、いざ尋常に―――始めいっ!」

 

 

 

 二本目。

 無我の境地に至った由紀江から、一本目と同じように仕掛ける。

 しかし、違っていたのはその攻撃の性質。最初から次の太刀を考えるのではなく、ただ一刀のみに全てを乗せる。

「そうだまゆまゆ。多分それが、正解だ」

 加えて、納得したように呟く百代の視線の先では、空を突き破らんとしていた巨大な気の柱が由紀江の体サイズまで収束していた。

 そう、それはまるで……

「行くぞっ! 黛さんっ!」

 目前の敵がやっていたのと、同じ気の運用だった。

 父を傷つけられたことも、仲間となる前に傷つけられたクリスのことも、由紀江の頭からは消え去っていた。心の中にあるのはただ、相馬巴に勝つことのみ。

 その目的を達するために、由紀江は最大効率の手段……模倣を取った。

 これまで会った剣士の中で間違いなく最強と言える、相馬巴を写すことによって高みに至ろうと試みたのである。

「……やあっ!」

「……応っ!」

 由紀江は気で創り出した刃を上段に振りかぶり、振り下ろす。邪念の一切介在しない、清廉なる一撃。涅槃寂静、と心の中で女剣士は呟いた。

 巴は迎え撃つ。練り上げた気をぶつけるように斜め下から切り上げる。ただ、それだけ。

 決着は、一瞬でついた。

「……参った」

「はあっ、はあっ……や、やりました……!」

 勝ったのは、黛由紀江。刃を刃で受け止める形になった巴は地面に膝をつき、由紀江は腕を振り下ろした態勢のまま固まっていた。

「それまで! 二本目の勝者、黛由紀江!」

 

 

 

 名前が挙げられると、巴の時とは打って変わって校舎中から歓喜の声が上がる。

「うおおおおおっ! ナーイスだまゆっちー!」

「まゆっちー! かっこいーわー!」

 ガクトと一子は、窓から身を乗り出して応援していた。校舎の至る所から由紀江に対する声援が飛び交う。

 しかし、次の一本もと盛り上がる観客のボルテージは、前のめりに倒れこむ由紀江を見て冷や水を浴びせられたように下がった。

「……おっと危ない」

「まゆまゆ!」

 一番近くにいた巴がその軽い体を受け止め、百代が駆け寄って受け取り、その後ろから鉄心も近づいてくる。

「黛。棄権するかの?」

 優し気な声色での、冷たい詰問。いつものセクハラじじいは影も形もなかった。

 川神院の長の問いに、息も絶え絶えな由紀江は首を横に振る。

「待って、ください。もう少しで、何か、掴めそうなんです」

「続行で良いのじゃな」

「は、い……っ!」

「じゃ、しっかり休息取りなよ。待っとくからさ」

 余裕綽々といった様子で、巴は悠々と自陣に引き上げていく。由紀江は疲労困憊のまま百代に抱きかかえられ、這う這うの体で下がっていった。

「あれじゃ、どっちが勝ったか分からないね、京」

「それは違うよモロ。これから三本目を取った方が勝ち。相馬先輩もきっとそう思っていると思うよ」

 天下五弓と呼ばれている弓使いの視線は、由紀江の対面に座る一人の剣士に集中する。

「……しょーもない」

 この勝負の顛末を予見して呟きながら、京は由紀江を介抱する直江大和に視線を戻した。

 巴はシートに胡坐で座り込み、唇を湿らせる程度にお茶を口に含む。次の勝負に向けて集中している男に、黒タイツを履いた黒髪美人が話しかける。

「将来の旦那様のピンチ、かしら?」

「……普通に口が緩みそうになるから、そういうのは後で聞かせて旭さん」

「そう? じゃあ二度と聞かせてあげない」

「あたり強いなあ」

「だって、口が緩むとか以前に楽しそうなんだもの。貴方」

 つんとそっぽを向いた旭に、巴は驚いたように反問する。

「……俺、そんなに楽しそうだった?」

「それはもう。他の女と遊んで楽しそうにして。帰ったらお仕置きね」

「わんわん」

「わんは一回」

「わん」

「うん。よろしい」

 くだらない会話の中でも、巴はコンセントレーションをしっかりと高めていた。

「ちゃんとお仕事出来たら、また抱きしめて頭を撫でてあげるわ」

「そいつは魅力的。そんじゃまあ、レッスン2と行こうか……!」

 シートから立ち上がった巴の視線の先では、気合を入れた後輩が自分の両の足で大地を踏みしめていた。

 勝負は、最終戦。距離を空けた両者の視線が交錯したのを確認してから、鉄心は号令をかけようとする。

「双方……黛、よいか」

「はいっ。相馬先輩、お相手、お願いします……っ!」

 今にも力が抜けそうな体に喝を入れて刀を構える由紀江を、巴は眼光鋭く睨みつけながら話しかける。

「黛さん、一つ言っておきたいことがある」

「伺います」

「俺に敵わないなんて、思うなよ」

 由紀江はきょとんとして、それから心からの笑みを浮かべた。見る者全てが見惚れるような、可愛らしい微笑みだった。

「言われなくても」

「……なんだ、そういう顔も出来るんじゃん」

 事の発端からは考えられないほど、穏やかな対峙。

 防御結界の残りは、あと三分。それまでに決着をつけるよう伝えてから、鉄心は腕を振り上げる。

「それでは三本目、いざ尋常に、始めいっ!」

 川神学園学長の腕が振り下ろされ、最終戦が始まった。

 

 

 最終、三本目。

 初っ端からお互いフルスロットルで斬り結んでいく。由紀江の神速剣は、一本目の時から明らかに進化を遂げていた。

 速度はあまり変わらず、急所を狙うわけでもない。だが、一振り一振りに対する気の込め方が桁違いに上手くなっていた。

 瞬間13発、それぞれが一撃必倒の斬撃を、巴は6発体捌きで避け、7発を弾き落とす。

「まだまだ行きますよっ! 相馬先輩っ!」

「ああ、どんどん来いっ! 黛さんっ!」

 まさに一進一退。波が寄せては返すように、二人は攻守をめまぐるしく入れ替えながら剣を合わせていく。

 一回攻防が入れ替わるたびに巴は戦闘のレベルを上げ、引っ張られるように由紀江のレベルも目に見えて向上していった。

 

 それを見ていた百代は、前日の金曜集会で大和が言っていたことを思い出す。

『これ、まゆっちのために誰か仕組んだんじゃないかな』

 風間ファミリーの軍師直江大和曰く。今回の決闘には分かりやすく不可解な点が多すぎる、と。

 相馬巴をわざわざ決闘の場に引きずり出したこと。それを決闘禁止令を出した学長自ら認めたこと。勝負とは命のやりとりをする真剣勝負、という世界で生きてきたらしい巴が、三本勝負なんてルールを受け入れたこと。

 そして、どこか戦うことを敬遠している由紀江を焚き付けるように、剣聖黛大成を巴が倒したという話が出てきた事。

 もっと言えば、今日この決闘中での相馬巴の態度。戦っている最中だと言うのにまるで正解を見せつけるような余裕ぶったあの行動。

 これらの話は、それぞれを聞いても何が何だか分からない。

 ただ、一つの概念を通底させると途端に一本の線として繋がるのだ。

 すなわち、黛由紀江を成長させるため、というものを。

 羨ましいなと百代は心底から思った。

 話が本当なら、剣聖黛大成と彼女の祖父、そして同級生は一芝居打っているのだろう。あと恐らく、屋上で鬱陶しい気を放っているヒュームも。

 百代は二人に視線を戻す。一心不乱に打ちかかる由紀江と、それを受け止める巴の姿が、かつての彼女と祖父を想起させていた。

「……私は見取り稽古か。貴重な体験してるんだぞー。がんばれ、まゆまゆ」

 急成長を遂げつつある後輩に、稽古相手がいることの嫉妬が混じった言葉を贈った。

 

 百代の感傷がこもった視線を受けながらの剣戟の最中、巴の全身は歓喜に満ち満ちていた。

「凄え、凄えよ黛さんっ……!」

 今日戦う直前までは、たとえ一本先に斬らせても勝てる自信があった。だが、今目の前にいる剣士の斬撃は既に巴を倒し得る破壊力を手に入れている。

 まだ実力の4割ほどで相手しているが、これからもっと伸びれば全力で相手をしなくてはいけないかもしれない。

「やあっ!」

「お、らあっ!」

 緩急のついた鋭い踏み込み、たとえ弾かれても揺るがない体幹。そして振る瞬間にのみ気を集中させる技術。

 かつて巴が死線を潜り抜けてようやく体得したものを、後輩は砂漠が水を吸うように吸収していく。たとえ今まで積み上げた膨大な基礎があり、目の前に手本があるとは言っても異常な成長スピードだった。

 何より不可解なのは、巴がこの現象にあまり恐怖を覚えていないことだった。

 本来相馬巴は臆病な人間である。そうでなくては生きていけなかったからだ。

 もしかつての彼が対戦前の由紀江と会っていたら、相手にすらしなかっただろう。そして今の由紀江と会っていたら……迷いなく、殺していただろう。いつか自分を脅かすものとして。

 だが、今の彼は由紀江の成長を心から喜ばしいと思っていた。その一番の理由は、黛の剣が綺麗だったこと。

 剣聖黛大成も、その娘由紀江も。剣を交えて、人間が綺麗だった。澱みも濁りもない純粋な心が、触れていて心地よかった。だから、少しでも役に立ちたいと思った。

 けれど、巴は今自分から教えることはもうないことも理解している。足の位置調整や間合いの取り方、視線の使い方などの細々した技術は教える時間がないし、これ以上は相馬流の指南になってしまう。由紀江には、あくまで黛流として強くなってほしかった。

「残り30秒じゃ!」

 鉄心の声に、二人は一旦距離を空ける。由紀江は肩を上下させながら必死に酸素を取り込み、巴の呼吸もほつれつつあった。

 意を決したように、巴は両手に握った二刀を鞘に納めた。

「引き分けになんてしない。次で決めるよ」

「お受けします」

「黛さん、そこは受けるんじゃダメだよ」

 巴が微笑みかけると、由紀江は構えをより前傾させた。

「―――黛由紀江、行きますっ!」

「うん、それでいい。じゃあこれが、最後だ」

「やあああああっ!」

 だらんと腕を下げたままの巴に、由紀江の剣が吸い込まれていく。最後の、全てを込めた渾身の一撃は、二本目を取った一太刀となんら遜色ないものだった。

 しかし、相馬巴には届かない。

「相馬流、新月」

「……っ!?」

 技の名前を呟いた瞬間、巴の姿が"消えた"。決して足捌きや体捌きで消えたように由紀江が錯覚したわけではなく、誰の目からも消えていた。

 そして、呆気に取られた由紀江の肩に後ろから刀が添えられる。背後を取られた剣士は一度天を仰いでから、悔しそうに地面へ視線を落とした。

「……参りました」

「それまで! 勝者、相馬巴!」

 学園長が、この決闘の終結を宣言する。勝ったのは相馬巴。結果としては順当で、前提と過程が不自然まみれな戦いが、ようやく終わりを迎えたのだった。

 

 

 

「うおおおおおっ!」

「二人ともすごかったぞー!」

「黛さーん! 素敵ー!」

 今度は、全校の歓呼の声が二人に降り注いだ。

 自分にかかる声を受けつつ、由紀江は刀を納める。振り返って巴に礼を言おうとしたところで、またしても倒れ込んだ。男は同様に軽々と受け止める。

「おっと。よく倒れるねえ」

「すみません……そして、ありがとうございました、相馬先輩。今日一日で、また強くなれました」

 由紀江の言葉に対し、巴はからかい気味に返事する。

「おいおい、俺は君のお父さんをのした男だぜ」

「それでも、です。それに、先輩は……」

 由紀江がその先の言葉を紡ごうとしたその時、校庭に凛然とした声が響いた。

「由紀江、よく頑張ったね」

「……お父、様」

 その声の主は、川神院で治療を受けているはずの剣聖、黛大成だった。ピンと背筋を立てて、地面に根が張ったような見事な立ち姿。とてもけが人とは思えない様子で……実際、全治一か月の重傷などは受けていなかった。

 親子と一人の剣士の三人に、百代と鉄心が歩み寄る。

「……おいじじい、大体察しはついてるがちゃんと説明しろ」

「焦るでないわ。ちゃんと話すわい」

 鉄心は女子生徒二人に、川神院で交わされたやり取りについてかいつまんで説明した。その内容は、直江大和の予想と大きく外れることはなかった。

 またその中で巴の頼みごとの残り二つ、黛大成にけが人のふりをさせることと、由紀江にのみ真剣を使わせて巴はレプリカを使っていたことも伝えられた。事実、巴の腰に差さっている二振りは月鏡でも極楽蝶でもなかった。

「つまり、父親が怪我したと嘘を聞かせて、その上で実戦の中でまゆまゆに一皮剥けさせたかった、と」

「相馬くんに負けたのは事実だが、騙す形になってすまない、由紀江。普段から嘘は吐くなと言っていたのは私なのに」

「いえ、いいんですお父様……でも、よかった」

 由紀江の言葉に、大成は怪訝そうな目を向ける。気を失いそうなほど疲労した剣聖の娘は、誰に聞かせるでもなく呟いた。

「相馬先輩が、心を修羅道に呑み込まれていたわけでなくて、本当によかったです」

 これには、鉄心がうむと頷いた。

「よもや、相馬がここまでうまく人へ稽古をつけられるとは思っておらなんだぞい」

「ええ。我が道場にも来て欲しいくらいです」

 川神院総代と黛流当主から褒められても、巴は平常心を崩さずに謙遜した。

「黛さん……由紀江さんに才能と下地があったからですよ。大した事してませんて」

「それでもじゃよ。よくやってくれた。相馬」

「私からも礼を言わせてもらう。本当にありがとう、相馬くん」

「や、やめてくださいよ、学長、黛さん」

 達人二人が頭を下げる光景に巴が言葉を詰まらせていると、抱きしめた体から眠たげな声が聞こえてくる。

「あの、相馬先輩」

「どうした、黛さん」

「騙されたお詫びということで、私のお願いをひとつ聞いていただけますか……?」

「まあ、一つくらいは聞こう。一本取られたしな」

「では……」

 巴を見上げる顔は、ほんのり頬が染まっていた。

「父と紛らわしいので、これからは由紀江と呼んでください……」

 これだけ言って、眠気の限界だった由紀江は意識を手放す。

 

 土曜日の決戦は、これにて終幕した。

 

 

 

 

 

 勝負を見届けたヒューム・ヘルシングはビルの屋上を足場に跳躍を繰り返して九鬼極東本部のある大扇島に向かいながら、二人の決闘について考えていた。

(まあ、今回は想像以上の収穫だったな。黛の娘も、あれでまた成長するだろう。だが)

 九鬼家の最強従者は、違和感を言語化していく。

(相馬の実力の向上具合は、おかしい。あいつは護衛に回され、最上幽斎は相馬が父親を殺した事件以来三年間特に襲撃も受けていない。つまり、死線をくぐっていないはずだ。対人戦闘の勘も鈍っているはず。よほど拮抗した相手と組手を繰り返していない限り)

「まあ、考えても仕方あるまい。調査してもいいが……」

 一人納得すると、それから興味は最後に放たれた技に移る。

「それにしても、あの新月とかいう技、滾るな」

 クククと喉を鳴らしながら、川神市の空を執事服が駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

 余談。

「つーん」

「旭さん」

「つつーん」

「旭さぁん」

 巴と由紀江のやり取りを聞いていた最上旭は、一日いっぱい巴と口を聞かなかった。もちろん頭は撫でられなかった。

 

 

 

 

 




まゆまゆはヒロインじゃない。ヒロインじゃ、ない。
ないはずなんだけどなあ……


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第五話

旭さん回。

前回は特に気合入れて書いてたので、たくさんしおりが付いてて嬉しかったです。ありがとうございます。感想も非常に励みになっております。


 決戦から明けて月曜日。1-Cの教室前で、黛由紀江は立ち尽くしていた。

「……そろ〜り」

「ま、校門からここまでぶっちゃけ何もないですよね。オラ知ってた」

 携帯ストラップの松風にセルフツッコミさせながら、由紀江は恐る恐る教室に入る。

 すると、ドアを開けた瞬間クラスメイトたちが由紀江の元にわっと群がってきた。

「黛さん! おとといの決闘凄かったよ!」

「おーい皆! 一年の希望の星が来たぞー!」

「あ! 黛さん! 倒れてたけど大丈夫だった?」

 人の洪水に晒されて、由紀江はパニックになる。

「あわ、あわわわわわ」

「おいおいこりゃやべーぜ、まゆっち。モテ期……ってやつかな」

「あはは。何それ、腹話術?」

「どわああああまゆっちオラを助けてえええ」

 クラスメイトが手に乗せた松風をひょいっと返してもらってから、由紀江はこほんと一つ咳払いをした。

(力を抜くべき時は抜く、入れるべき時は入れる、ですよね)

 そして巴の教えを思い出し、自然な、ごく自然な微笑みを作った。

「はい。私はもう、大丈夫です。これからまたよろしくお願いします、皆さん」

「……」

 クラスメイトたちは、その笑顔に見惚れていた。一年生を中心に黛由紀江ファンクラブができた瞬間だった。

「わわわ私は何かしてしまったんでしょうか」

「大丈夫だまゆっち! オラ分かんないけど多分大丈夫だ!」

 黙り込んだ教室の中心で本人はパニックに戻っていたが。

 そして級友に囲まれる由紀江の姿を見る怪しい影が一つ。

 1-S所属、入学当初から一年の統一を目指していた武蔵小杉である。

「ぬぬぬ……黛さん、決闘断ったから弱いと思ってたのに……みんな一年最強は黛さんって言ってるわ……このプッレーミアムな私がなんとかしなくちゃ」

 一つ断言できることがあるとすれば、彼女の悪巧みが実をつけることは今後なかった。

 ともかく黛由紀江は決闘を経て、更なる気の運用と数名の連絡先、特に朋友となる大和田伊予のものを手に入れることが出来た。

 こちらの顛末は、朗らかだった。

 ……こちらのものは。

 

 

 

 

 3-S。

 こちらのクラスはいつも通りだった。もともと受験期の特進クラスである。せいぜい土曜日に殺気を撒き散らしていた巴に対し授業に集中出来なかったからとちくちくなじるだけで、概ね変わらない空間だった。

 ちなみに、三年生のSクラスにはあまり選民意識はない。あるにはあるが、三大名家の不死川がいる二年生のような露骨なものは存在していない。

 なぜなら、川神百代がいるからである。見下した発言でもしようものなら、あの剛拳が飛んでくることは容易に想像出来る。彼らも馬鹿ではなかった。

 加えて言えば、学年一位の最上旭の発言については皆従うのに誰も印象に残らず、学年三位の京極彦一が人間をみな平等に観察対象として見ていたから、というのもある。

 そういう意味では、ふとした時に人を見下した目になる学年二位の相馬巴が一番選民意識を持っていたといえる。そしてそんな彼も、表立って言葉にするようなことはしない。これらが3-Sの選民意識を和らげていた要素だった。

 なにはともあれ、巴はほっとしていた。彼には最上旭さえ居ればいいとはいえ、級友に嫌われるのをなんとも思わないほど冷めてもいなかった。

 そんな彼が新学年開始から一ヶ月経ち、座り慣れてきた椅子に着いて手提げから官能小説を取り出した時。

 ガラッと教室の扉が開く。巴は落ち着いてバッグに書籍を入れ直した。

「おい相馬! いるか!」

 そこに居たのは、意味ありげなニヤニヤした笑みを浮かべた武神川神百代だった。巴は頭を抱えた。

「……んだよ、川神さん」

「なーんでそんなに不機嫌なんだよー。いたいけな一年生まんまとたぶらかしたくせにー」

 軽快かつ俊敏なフットワークで、百代は巴に擦り寄る。肩を叩こうとしてきた手を巴はぺしっと打ち払った。連発してきても全て叩き落とした。百代は舌打ちを一つする。巴も舌打ちを返した。

 だが、今日の武神は一味違っていた。標的を京極彦一に変えて話を続ける。

「なー京極、聞いてくれよ。相馬のやつさあ、決闘してた一年生に苗字じゃなくて名前呼んでくれって言われてるのにあれから一回も会ってないんだってさ」

「ほう。見応えある決闘だと思っていたが相馬もなかなか手が早い。最上くんはいいのか?」

「別に。私たち付き合ってるわけでもないのよ」

「あははははは! 言われてるぞ相馬!」

「なあこれキレていいよな?」

 巴と百代の関係は、基本的に百代が喧嘩をふっかけ、イライラを募らせた巴が発散手段としてからかうというものである。だが、百代の唯我独尊な思考回路では巴にからかわれたという事実だけが残るので、今回由紀江の名前をまだ呼んでいないという格好のネタを手に入れた武神はここぞとばかりに反撃していた。

「それにしても相馬か。相馬かー」

「一体何が言いたいのかな川神さん」

「いーや別に。ただお前には……おっ? おっ?」

「真剣で出てけ!」

 巴は百代の背中を押して教室の外に出て、後ろ手でドアを閉める。朝自習していたクラスメイトの、あんまり騒ぐなという視線が巴の裃に突き刺さっていた。

「ちぇー。しばらくからかってやろうと思ってたのに」

 頭の後ろで手を組んで唇を尖らせる百代に、手を合わせて拝むようにして巴は頼み込んだ。

「ほんと頼む。からかうのは良いから旭さんの前だけではやめてくれ。あの一件で土曜からずっと不機嫌なんだ」

「へぇー。ふーん」

 ニヤニヤしていた。鬼だった。いや武神だった。

「それって嫉妬なんじゃないのか? んー?」

「そうらしいけど、違ってても自分に告白してくる男が他の女に目移りしてるとかいい気分しないだろ」

「私みたいに女の子侍らして両手に花なんてする度胸はない感じか?」

「無理無理。なにより不誠実だろ」

 ここら辺は巴もごく一般的な感性を持っていた。この言葉を聞いた百代は途端に真剣な表情になる。

「でもさ、不誠実って言うけど実際お前どうするんだよ」

「……何が」

「昨日島津寮で打ち上げやったんだよ。まゆまゆお疲れ様会。川神院の厨房から肉かっぱらって」

「それはそれで何やってんだよ……」

「まあそれはいい。それで、まゆまゆだけどさ。ずっとお前の話してたんだよ。顔真っ赤にしながら。あいつ、仲間内でもなかなか会話に入れないようなやつだったのに、お前のことになると饒舌になったんだ。まゆまゆと初めて会った時も、料理の話になるといっぱい喋ってただろ」

「そう、なのか」

 百代の言葉にこもっている意味を理解した巴は、なんとか生返事を搾り出した。

「まあ、取り敢えずまゆまゆから何されてもあんまり邪険にしてやらないでやってくれ。したら私が飛んでくる」

 ファミリーの姉貴分としての側面を見せる百代に、巴が今度はしっかりと返事をする。

「俺は、旭さん一筋だよ」

「それでもだ。早いとこ名前呼びに行ってやれよ、相馬」

 百代は巴の肩に手を置き、教室に向かおうとしたところで用事を思い出したように振り返った。

「そうだ。相馬。今度……そうだな、今度の日曜とか川神院来ないか? 稽古したいんだ、お前と」

「あー、少なくともその日は無理」

「いや来てくれさえすればいつでもいいんだけど……何かあるのか?」

「旭さんとデートすんだよ」

 そう口にした瞬間、巴は全身に寒気が実体化して霜のように降り掛かる幻覚を見た。いつの間にか、武神が懐に潜り込んでいる。拳を硬く握り膝に力を溜め、まさにアッパーカットを撃つ瞬間の姿だった。

「……お前さ、いっぺん死んでこい」

「いやこれ俺悪く……ぐはっ!」

 馬鹿が一人、天井に突き刺さった。あまりにもしょーもなさすぎて、お互い勝敗にはカウントしなかった。

 

 ギャグ時空では、オートカウンターも危機感知も作動しない。男は乙女からの制裁を避けられない。

 そういうふうに、出来ていた。

 

 

 

 2009年 5月 17日

 

 日曜日の駅前は、活気がありつつも人の姿はまばらだった。

 相馬巴は、いつもの裃姿に足袋ではなく、くすんだ青のジーンズに謎の英字が入った黒いTシャツを着用し、その上から薄手のジャケットを羽織りスニーカーを履いていた。帯刀もしていない。

 彼は待ち合わせのために駅前で手持ち無沙汰に立っていた。

 なぜ同じ家に住んでいるのにわざわざ待ち合わせをするのかというと。

『私、結構テンプレートとかって大事にするタイプなの』

 という想い人の鶴の一声があったからである。

 そう言われたからには、待つしかない。巴は待ち合わせ時間の1時間前に、目印になる時計下へ待機していた。

 そして予定の15分前。彼に鈴が鳴るような声がかけられる。聞き間違えるはずもなく、最上旭の声だった。

 ベージュのギャザースカートに、色味を合わせたノースリーブのTシャツと派手なところはない楚々としたコーディネート。持ち手が籐で出来ているバッグをちょこんと持った姿は、文句なしに可愛らしい。上から下までじっくり見てしまった巴は思わず息を呑んだ。

「待たせたかしら?」

「い、いや、全然待ってないよ。それじゃ行こうか、旭さん」

「ふふ。さっきの視線、まるで舐め回すようだったわ」

「服、とっても似合ってるよ。付き合ってください」

「ありがとう。でもまだダメ」

 告白を断ってから、旭は巴と腕を絡めた。丈の短いTシャツからまろびでた素肌同士の触れ合いにドギマギしつつ巴から指を指に絡めて手を恋人繋ぎに変えようとすると、旭はあっさり受け入れてくれる。いつもはここら辺でデコピンが飛んで来ていた。

「あれ、指絡めるの許してくれるんだ」

「……たまたまよ。こんなのよりもっと絡み合いたいわ。もちろんホテルで」

「それは、付き合ってないからダメ」

「じゃあ今日OKしたらホテルに着いてきてくれる?」

 巴の心臓が跳ねる。今までより一歩踏み込んだコミュニケーションだった。

「……節操がないようでイヤだけど、旭さんがいいなら」

「冗談よ。ほら、おしゃれ用の服買いに行くんでしょう? 行きましょうか」

「わっ、ちょっ、旭さん早いよ」

 今日は、入学式の日に行けなかった買い物の続きという名目だった。本当のところは、旭以外知らない。

 

 

 

 夏物立ち並ぶブティックの中。シャッと音を立てて、試着室のカーテンが開く。見目麗しい黒髪乙女は、巴にせっせと運ばせた服を上下ずつ入れ替えながら着せ替え人形になっていた。

「これ、どうかしら?」

「可愛い」

「もう、さっきからそれしか言わないのね」

「いや、可愛いのはほんとなんだ。旭さん、なんでも似合うから」

「ふふ。ありがとう。なら、この中で貴方のお気に入りは?」

 まだ試着室の中に残っていたのは、旭から見て特に巴の反応が良かった数着のセット。そのうちの一つを巴は指差す。

「……それ」

「これ? 女の味を知らない童貞みたいなチョイスね」

「童貞ですが、なにか」

「素敵って言ってるのよ。じゃ、もう一回着てみるわね」

 カーテンが閉じられ、衣擦れの音が微かに聞こえてくる。もう一度開けられた時には、巴にとっての桃源郷が広がっていた。

「どうかしら?」

「とっても可愛いです……っ!」

「発情した?」

「……正直」

 髪をさらりとかき上げた旭が着ていたのは、真っ白なワンピース。清楚な見た目とは裏腹に、膝下まであるスカート部分から見えるしっかり肉のついたふくらはぎや胸元から少し見えている黒いキャミソールが妖艶な魅力を醸し出していた。

「ありがとう。でもこれは買っても外じゃ着られないわね」

「なんで?」

「なんでって……汚れ気になって外でご飯食べられないかもしれないし。それに想像してみて。このワンピースで外に出たとして、前から見ると日光で私の膝から太ももまでのシルエットが浮かび上がってきて、ついには私の恥丘やお尻の肉の影が……」

「……ゴクリ」

 フェティッシュな光景がありありと想像できた巴は生唾を飲み込んだ。彼もまた健全な若者だった。

「お分かりかしら?」

「……分かった。でも、二人きりの時にたまに着て欲しいな」

「ふふ。じゃあ白いハットも買っておきましょうか」

 是非そうしよう、と応じて大喜びで巴は帽子売り場に行った。

 無邪気な男の背中を見て、女は一人呟く。

「……悩んでた自分が、馬鹿らしく思えてくるわね」

「あっ、旭さん、もってき、ゴホッゴホッ」

「ああもう、帽子ごときに急いで変な歩法使わないで。まったく」

 帽子を受け取って目深に被り、上目遣いで巴を見上げながら旭はこう言った。

「……仕方ない人ね」

 白皙の肌に、朱色がわずかに差さっていた。

 

 

 

 相馬巴は、服装を元に戻した旭と共にフードコートでパフェを食べていた。バニラアイスもチョコもフルーツもふんだんに盛られたそれを食べつつ、対面で優雅に髪を上げながらそばを食べている旭を眺めていた。

(……居心地いいなあ)

 旭といるとドキドキして、ムラムラするが。それ以上に落ち着くと巴は思っていた。

 刀が鞘に納められるように、在るべきところに自分が存在出来ているような、そんな感覚。これを去年直接言ったら、じゃあ私の鞘に貴方の刀を……とか言い出したのでそれからは言っていないが。

 二人とも食べ終え、セルフのお冷やで人心地つくと巴から話を切り出す。

「旭さん、これからどうする? また服見るか、映画でも見るか」

「じゃあ、映画かしら。今何があってるの?」

「ざっくり恋愛もの、ホラー、サスペンス、アクション……こんなものかな」

「巴はどれが見たいの?」

「アクション……と言いたいところだけど、今日はデートらしく恋愛映画が見たい」

「別にデートらしくなんて、しゃちほこばらなくてもいいのに」

「そうしたい日もあるんだ。じゃあ行こうか」

 巴は立ち上がり、荷物を抱えてからごく自然な動作で旭に手を伸ばす。それを取った旭は腕にピッタリと寄り添った。

 

 

 

 

 

 

『卒業式が終わってから家で言おうと思ってたんだけど、我慢出来ないから、言うよ』

 青年が、胸に花をつけた黒髪の女性に告白する。その声は桜吹雪にかき消されてしまったが。

『……はいっ』

 女性はぽろりと涙を零しながら、満開の桜の花にも負けない可憐な笑みで告白を受け止める。それから、主人公は彼女の頭を抱えるようにして口付けを交わした。周りでは仲間たちが大騒ぎして……

 そして、エンドロールに入る。エンディングの曲がタイトル回収も兼ねていて完璧な出来だった。

 

 

 映画館を出た二人は、フードコートとはまた別のカフェスペースに移って感想会に入った。旭はサンドイッチを頼み、巴は季節のアイスを頼んでいる。

「あの二人、きっとあれからセッ○スするわね。最後の制服えっちだとか言って」

「またそういう風に話を繋げる……まあ、俺もすると思うけど」

 ちなみに、原作ではする。

「いや、俺はあの逆転がすごいと思ったね。作中ではわりと一貫して悪だとされてるけど……」

「そうね。お姉さんに言われないと何もできない、じゃなくてお姉さんに言われればなんでも出来るっていう……」

 映画の内容は、主人公の家に転がり込んできた昔の知り合いで一年先輩で風紀委員長のおにぎりしか作れないお姉さんとの恋愛模様だった。二人は映画で分かる限りの細かいところまで考察していく。

 ひとしきり話して、空が茜色から藍色に移り変わる時間帯。映画の中で出てきた単語を、巴はぼんやりとしながら口にする。

「それにしても、卒業、か」

「巴は、寂しいの?」

「いや、旭さんがいれば寂しかないけどさ」

「私がいないと、寂しい? それを一人で慰めるの?」

「まあ、旭さんがさんざん悪戯してから帰った後の部屋では……って何を言わせるんだ」

 巴は煩悩を振り払うように被りをふる。旭はそんな男に妖しい笑みを向けた。

「ふふ。言わせた口を塞いでみる? 貴方の三本目の足で」

「だんだん調子出てきたね……」

「……調子、悪かったかしら。そんなつもり無かったのだけれど」

 巴の言葉に、旭は素直に浮かない顔をした。巴は慌てて取り繕う。

「ああ、いや、その……」

「その?」

「最近、元気無かったから。いや、俺がそうさせてたんだろうけどさ」

 旭は目を丸くして、それから目を逸らした。

「だって、貴方が由紀江にご執心だったから」

「由紀江さん、か」

 どこか大切な宝物を守るような口調の男を、旭は横目で睨め付ける。

「目移り、した?」

「したかどうかで言えば、魅力的な子だなとは思った」

 嘘をついても仕方ない、と観念して巴は正直なところを話す。

「でも、俺には旭さんしかいないよ。君といると、ほっとする。自分が何者かも、はっきりするから」

 その答えに満足したように頷くと、旭は立ち上がる。

「……じゃあ、帰りましょう。私たちの家に」

「ああ、帰ろう。旭さん」

 二人はぴたりと寄り添って家路についた。

 

 

 ゆったりしたペースで歩く、とっぷり日は落ちて、白い光を放つ街灯立ち並ぶ帰り道。もう少しで最上家が見えてくる。

「ねえ、巴」

「なに、旭さん」

「映画のラストシーン、綺麗だったわね」

「ああ、綺麗だった」

「……」

「……」

 沈黙が流れる。あと角一つ曲がれば、もう最上の屋敷が視界に入る。

「……巴。キス、しない?」

「分かった」

 いつもからかわれている仕返しとばかりに、巴は即答する。そして勢いよく腰を抱き、唇を重ねた。

「ちょっ、積極的ね……んむっ!?」

 一瞬だけ手をバタつかせた旭だったが、すぐに受け入れる。月明りと電灯だけが照らす、たった5秒だけの、本当に唇と唇が触れ合うだけの、ままごとみたいなキスだった。

 ほんの少し空けた距離で、お互い見つめ合う。真剣な覚悟の灯った瞳で、巴は想いを告げる。

「旭さん、好きだ。付き合ってくれ」

 旭は目を逸らさないまま、顔をほんのり桜色にして……指で軽くおでこを押した。

「……ふふ。まだ、ダメ♪」

「んがっ」

「でも、ドキドキしたわ。さあ、ハウスよワンちゃん」

「……わん」

 巴は旭に手を引かれて歩き出す。前を歩く想い人の足取りが軽いのを見て、男は少しだけ安心した。

 

 

 

 

 

 それにしても、と相馬巴は思う。

 映画の中で出てきた節目、卒業までに、自分はこの素敵な女性をものにすることが出来るのだろうか―――

 

 ―――夜が、更けていく。

 

 

 

 




つよきすは一学期やってから三学期の乙女さんルートやるとほんとに感動する。マジで。


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第六話

ちょっと間空いて申し訳ないです。清楚ちゃんマジ清楚。


「ぼー……」

 風間ファミリー恒例の金曜集会。その端っこの席で、黛由紀江はぼんやりと携帯の画面を眺めていた。そこにあるのは、風間ファミリーと両親や妹、最近知ったクラスメイトの連絡先。

 そして、今しがた直江大和から教えて貰った相馬巴の電話番号だった。

「どうした? まゆまゆ。相馬の連絡先なんて見て」

「ひゃあうっ」

 あわあわと口を強張らせて動揺する由紀江に百代が後ろから手を回し、いわゆるあすなろ抱きをする。

「いやいやこれはクラスの皆さんから連絡先をいただけたことに感無量になっていたというか相馬先輩のを特に見ていたわけではないというかなんというか」

「ていうか、あいつの連絡先くらい私に言ってくれれば教えたのに」

「そういうのは早く言ってくれよな武神サマー」

 松風の茶々に便乗して、大和が姉をからかう。

「姉さん、携帯止められてなかった? 一昨日かなんかのラジオの時連絡つかなかったけど」

「嘘だろ!? あ、ほんとだ」

「まあそれでも番号だけなら教えられはするだろうけどさ。あ、メールだ」

 大和は話しながら、通知音と共に来たメールを返す。タンクトップ姿で筋肉を見せつけていたガクトが話を続けた。

「ちゃんと料金払わなきゃダメだぜモモ先輩」

「なんだよガクトー。じゃあ金貸してくれ」

「やだよ! ていうかそろそろ月末なんだから今月の分の借金返してくれよ!」

「……zzz」

「あ、都合が悪いから寝やがった!」

「とんでもねえお方やでホンマ……」

 携帯ストラップにすら武神は呆れられていた。

 百代の傍若無人さを皆が笑っていると、小説に栞を挟んだ京が会話に入ってくる。ついでに大和と物理的距離を拳一つ分さりげなく詰めていた。

「そういえばまゆっち。その相馬先輩とあれから話したの?」

「……いえ、実は一度も」

 俯いた由紀江の言葉に、百代が驚く。

「はぁ!? まだ名前呼んでもらってないのか!?」

「それはその、はい。何も用事がないならこう、話しかけるのも憚られてしまって」

「あの馬鹿、早めに行けって言っといたのに」

「そ、そんなことまでしていただいてたのですか」

「いや、違うんだ。あいつ、呼んだら遊びに来るんだけど、誘わないとアキちゃん……S組の一人とずっと一緒にいるんだよ。なんでも仕事上アキちゃんの護衛らしくて」

「旭ちゃんと言いますと……入学式のときに仲見世通りで会ったあの方でしょうか?」

「そう。そんでいつも相馬が告白してるけどずっと断ってる子だ」

「ええっ!?」

 由紀江は、巴にそんな人がいることに驚いていた。なぜなら、決闘の時に付き人でもあった最上旭についてはどうしてか分からないが”視線が向かなかった”し、”印象に残らなかった”からである。その理由をここにいる面々が知るのはもう少し後のことになる。

 京が手を挙げて発言する。ついでに大和との距離を詰めていた。大和は一歩分距離を離した。

「用事がないなら作ればいい。対策として、取り敢えずお弁当を作ることを提案します。先輩、食べて下さいって。まゆっちの料理美味しいから」

 弁当作戦立案に、百代と大和が情報を提供する。

「いいんじゃないか? あいつ……えっと、どこだっけ。週二回くらい学食なんだよな」

「それだったら月曜日と木曜日じゃない? 評議会の仕事が集中してた気がするから」

「で、でも彼女さんがいるなら受け取って貰えないんじゃないでしょうか」

「だから、アキちゃんはまだ彼女じゃないって。むしろ今のうちしかアプローチ出来ないんじゃないか?」

「そ、そういうものでしょうか」

「そういうものだよまゆっち。というわけで大和。そろそろお相手が欲しくない?」

「お友達で」

「ちっ……一部しか色ボケしてないからまだ早かったか……」

 ソファの端まで大和を追い詰めて、色ボケ筆頭の京は肉付きのいい肉体を惜しげもなく密着させる。

(くくく……でも、まゆっちのお尻に大和が魅了されてるのは調査済み。まゆっちが相馬先輩とくっついてしまえば大和が私を選んでくれる可能性も上がる)

(……とか考えてるんだろうなあ京は)

 

 金曜集会の話のネタとして、由紀江のコイバナが定番になりつつあった。

 

 

 

 2009年 5月 24日

 

 無事に旭との仲をちょっと深めた日の翌週日曜日。巴が呼び出されていたのは、大扇島に位置する九鬼財閥極東本部ビル。ヒュームからの再三の招集に、とうとう巴は折れたのだった。

 

 

 ちなみに、巴が最上家を出発する時のやりとりはというと。

『ヒューム卿。巴のことを評価していただけるのは嬉しいけれど、連れていくなら護衛を一人つけてくださるかしら。できれば女性がいいわ。そこの彼が嫉妬してしまうから』

『そういうことでしたら……クラウディオ、いるか』

『やれやれ。私は貴方の執事というわけではないんですけどねえ』

『まあ、まさにナイスミドル、という方ね。こちらの方なら大丈夫そう』

『ええ。ご安心ください。まあ貴方があと40キログラムほど肉をつけていらっしゃったら口説いていたのですが』

『ほんとに大丈夫かよ……』

 閑話休題。

 

 

 赤いネッカチーフに指をかけたポーズで、ヒュームは重々しく口を開く。

「今日来てもらったのは、先日黛の娘の赤子を指導した力量を買ってのことだ。俺に評価してもらえたことを感謝しろよ」

「分かりました。帰っていいですか?」

「いいわけがないだろう。ジェノサイド……」

 ヒュームはノーモーションで巴に近寄り、彼の必殺技を放とうとする。ジェノサイドチェーンソー。どこからでも割り込み可能で、当たれば体力を10割持っていくトンデモ技であった。

 それをちらつかされた巴は手をバタバタと振った。

「わーかった! 分かりましたよ! 行きますって! ったく、これだから伯爵は……」

「フン。一回は聞き逃してやるが、口の聞き方に気をつけろよ」

「はいはい……」

 シュンとなってしまった巴は、前を歩く大きな背中を見る。

 九鬼家従者部隊永久欠番零番にして、最強と呼ばれる男の彫像のような背中。

 ―――相馬巴の今までの人生のうち、真剣勝負での黒星二つ中の一つをつけた人間であった。

(あー……嫌なこと思い出してきた……)

 百代とのじゃれあいなどとは違う、そして由紀江との茶番とも違う、本物の真剣勝負。

 勝負は命を奪い合うものと言っておきながら、巴はその命を二回見逃されていた。

 一人は、目の前にいるヒューム・ヘルシング。この男に叩きのめされて、巴は九鬼という就職先を手に入れた。

 もう一人は、史文恭。龍眼と呼ばれる目を持つ、曹一族の武術師範であった。この女に負けたことで無くなるはずだった巴の命は、何故か永らえている。

 この二名は巴にとって、父親ともまた違うある種のトラウマになっている。そして、勝てない勝負はしないという巴の……というより相馬家のポリシーを曲げた数少ない対戦相手たちであった。

(らしくないことすると、いつも負けるんだ)

 この前の由紀江との決闘でもそうだった。気を貯めている相手の前で余裕ぶっこいて睡眠を取って、挙句一撃勝負で一本取られました、なんてシャレにもならない。集中している間に倒していいのであれば、間違いなく巴はそうしていた。

 あくまで、設定された目的が達成されないからやらなかっただけなのだから。

 

 ぼーっと大きな背中についていっていると、10分ほどしてようやく止まる。

「この中のことは他言無用だぞ」

「そんなとこに呼ばなきゃいいのに」

「フン、口が減らんな」

 口角を上げながら、コンサートホールに備え付けられているような重厚な扉をヒュームが開ける。

 その中は修練場だった。動きを確認するためであろう鏡などが配置され、かなりの人間が収容できそうな空間。

 そして、その中にいたのは。

「だるー……ごくごく」

「ああっ、弁慶。これから訓練というのに川神水を飲むのはやめないか」

「あの男……闇を感じる。うちの義経とは対極だな。光と闇が交わる時、タナトスの誘いが世界を満たすという……」

「あっ、ど、どうも、初めましてっ」

 一人は、ウェーブのかかった美しい黒髪と色香のある目つきが特徴的な、錫杖を持った豊かな肢体の女性。その女性が川神水……なぜかノンアルコールなのに場の雰囲気で酔える謎の飲料を飲むのを諫める、顔つきに幼さが残るものの精悍と言っていい表情で、髪をポニーテールにまとめて清涼な闘気を持つ女性が一人。あとクネクネしたポーズでよく分からないことを言っている脱色されたような髪色をした美形の男が一人。そして、長めの黒髪を黄色い花の髪留めでまとめた、物腰の柔らかそうな女性が一人。

 全員川神学園の夏制服を着ているが、今まで校舎で一度も姿を見たことがない四人だった。

「……伯爵、どなたですかね、あの人たち。川神の制服着てますけど」

「義経。弁慶。与一。清楚。こっちにこい」

 列挙された人名を聞いて、まるで義経と義経一党の名前だ、継盛や忠信はいないのだろうか、というか清楚って名前なのか、と巴は益体もない思考をしていた。

「相馬。こいつらはまだ赤子だが、見どころのある赤子だ。どっちからでもいいから自己紹介してみろ」

「んじゃ俺から。相馬巴です、よろしく」

 にっこりと笑みを張り付けながら、巴はポニーテールの女性に握手を求めた。このどことなく子犬のような雰囲気の女性が四人のリーダー格であることを見抜いていたからである。

「源義経です。どうぞよろしくお頼み申し上げる」

「……?」

 聞き間違ったかな、と巴は戸惑う。そんな男をよそに自己紹介は進んでいく。無邪気に握手を受け入れた義経は一人づつ手で示しながら名前を伝えていく。

「こっちが武蔵坊弁慶。こっちが那須与一だ。両方とも義経自慢の家臣だぞ。そして、そちらが葉桜清楚さんだ」

「ども。武蔵坊弁慶ですー……ごくごく」

「葉桜清楚ですっ。よろしくね、相馬君」

「……」

「こら与一。挨拶しないか」

「ダメだよ与一君。挨拶は大事なんだから」

「やなこった。この時代錯誤な恰好した兄さんが今日の稽古相手なんだろ。慣れあいは、死を招くぞ」

「わけわからないこと言ってないで挨拶しろ。源氏式バックブリーカー!」

「いでででで姐御やめっ、背骨が変な方向にまがががが」

 抱えあげられたイケメンの体が音を立てておかしい方向にねじれていくのを、巴は目を丸くして見ていた。

 ぐえっと鳴きながら地面に放り出された与一に巴が近づく。

「大丈夫かい?」

「……那須与一だ。よろしく頼む」

 二人の男はわだかまりなく握手した。巴は特に三頭筋が発達した与一の腕を見て、弓使いみたいだ、さすが那須与一と観察していた。

「那須くん。まあ挨拶はした方がいいかもな。死は招かないし、損はしないぞ」

「ハッ。あんたこそ自分の名前を軽々しく言っていいのかよ。真名を取られたら、存在が危うくなるんだぞ」

「まな……ああ、真名か。大丈夫大丈夫。俺同級生に言霊使いいるから。胡散臭いやつじゃない本物の」

 なぜか会話が弾んでいた。

「おお……与一がちゃんと初対面の人と話している! 義経は感動しているぞ弁慶!」

「いや、色々こじらせる前は話してたでしょ。相馬さんが合わせてくれてるだけだって」

「あ、あはは。弁慶ちゃん厳しいなあ。与一君はちょっとシャイなだけだよ」

 失礼なことを言われている与一の手を引いて立たせてから、巴はヒュームに訊ねる。

「で、どういうことなんです? 伯爵」

 コスプレ集団ですか、とはさすがに聞けなかった。金髪の執事は返答する。

「こいつらはな、名前の通り古代の英雄が現世に現れた姿だ。クローン、というのを知っているか」

「いや名前の通りと言われても……クローンって、遺伝子使ってどーたらこーたら、でしたっけ」

 巴はSF小説で聞きかじった知識で相槌を打つ。葉桜清楚なんて英雄いたかなと考えてから……背筋に冷や汗が噴き出した。

「ってちょっと待った。つまり、遺伝学上は本物の源義経ってことですか?」

「そうなるな」

 それは、まずいんじゃないだろうか、色々と。

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫なわけがないだろう。小さくない波乱が起こるだろうな」

「九鬼もとんでもないことするなあ……」

「まあ世界を変えるためのプロジェクトだ。波乱が起きてもらわなければ困る。お前にも貢献してもらうぞ」

 貢献の意味を巴は記憶から探る。ヒュームが評価しているのは、黛由紀江を育成した手腕とのことだった。つまり稽古をつけろ、ということだ。

「また由紀江さんの時みたいにしろと?」

「出来るのか? 出来なくてもやらせるがな」

 ククク、と喉を鳴らすヒュームから、待機している四人へ視線を戻す。そして、各人の戦闘能力を観察してから耳打ちする。

「……葉桜さん抜きの三人までなら、なんとか」

「ほう、やはりお前は目が良いな」

 金髪執事は得心がいったという感じで頷いた。視線が集まった清楚はうろたえる。

「え、ええっ、わ、私ですかっ」

「いや、この中で一番強いの貴方でしょ」

「そういうわけだ。いったん抜けていろ、清楚」

 元々連携などの観点から別にやるつもりだった、という意向を聞かされた清楚はゆっくりと壁際に移動する。

「まあ、私はいいですけど……この中で一番強いなんてあり得ないのに、なんか複雑。じゃあ義経ちゃん、弁慶ちゃん、与一君。頑張ってね」

 まるで鳥のように軽やかなステップで離れていく清楚な姿を見て、巴の冷や汗が引いていった。

(……怖いな、あの人)

 相馬巴の眼力は、葉桜清楚の中に眠る圧倒的な暴力を見抜いていた。流石にあれを相手するとなると骨だと思いつつ、今度は視点を三人に向けた。

「んじゃ改めまして。稽古相手……でいいのかな。を務める、相馬巴だ」

 初めは、にこやかに。この時点で那須与一は距離を大きく空けていた。

「……殺さないようにやるけど、死んだらごめんな」

 そして、殺気をぶつける。義経と弁慶が臨戦態勢に入り、与一は既に矢をつがえていた。

 川神水の入った盃を取り落とし、錫杖を思わず構え"させられた"弁慶が、ヒュームに非難の目を向ける。

「ヒュームさん、ちょーっとこの人強すぎない?」

「三人なら丁度いい相手だ、精進しろ。おい相馬、軽い怪我までは良いが、後遺症は残させるなよ。言う必要はないだろうが、殺すなんてもってのほかだ」

「了解」

 厳しい条件だ、と思いながらゆったりとした動作で巴は二刀、月鏡と極楽蝶を抜く。

(とは言っても方針なんてないんだよな……速攻で倒していいのかな)

 頭の中で何個か1対3のプランを構築していく。こういう時の切り替えは早い男だった。

 ヒュームが瞬間移動したようなスピードで、源氏一党と巴の中間に陣取る。

「……始めっ!」

 そして、組手開始の令を発した。

 

 

 

(最優先攻撃目標は、那須与一だな)

 ただでさえ1対多。しかも乱戦ではなく対チーム。だだっ広い場所で分断も出来ない。

 ならば、シンプルに数を減らす。

 じゃあどこから減らすか。当然、遠距離火力を持つ者からだ。

 巴は自分の能力を過信はしていない。

 接近戦で脳のリソースを奪われればいずれ遠距離から撃ち抜かれるし、遠距離を意識し過ぎれば接近戦が疎かになる、場合がある。そんなことはないとは断言できない。少しでも確実に、そして楽に。

 それにこれは観察だけだが、那須与一はやる気がない。やれと言われた以上はやるが、それだけ。モチベーションがない。だったら、狙う。

 ―――しかし、近づけない。

「はあああああっ!」

「っせい!」

「……ちいっ」

 義経の気を込めた振り下ろしの一撃……逆落とし。その隙を埋めるような、弁慶の錫杖攻撃。

「俺の弓は、闇をも落とす」

 そして二人を振り払うと同時に襲い掛かる、那須与一の正確無比で強力な射撃。それを弾く間に、また義経弁慶のコンビが攻めてきて、与一は位置を変える。あまりにも単純で、強力な連携。

「義経一党を名乗るだけあって、さすがのコンビネーションだな……っ!」

「名乗ってるだけじゃないよ! そらっ!」

 弁慶の、パワーとスピードが同居した一撃が巴の胴体を襲う。刀で受け流すことも出来ないと判断し、巴は弁慶側に一歩を詰める。錫杖の手元に近づくことで威力を抑えようとしたのだ。

「主っ!」

「……ふっ!」

「随分と甘いんじゃないか? 武士の兄ちゃんよお!」

 その無理な間合いの消し方を義経の刀が咎め、与一の矢が撃ち抜く。

「っだらあ!」

 三位一体の攻撃全てを、巴は打ち払う。巴、義経、弁慶の三者は距離を取った。

「うわお、豪快だねえ」

「このお兄さん、手練だな。弁慶、与一」

「けっ。二発も弾かれて、弓兵の誇りが無くなりそうだよ」

 ぼやきながらも、与一は次なる矢を構える。

「いやあ、こいつはちょっとまずいねえ……」

 巴は笑みを浮かべる。内心の余裕のなさを隠すための笑みだった。こういうハッタリも大事であることを、豊富な実戦経験から男は理解していた。

 ……殺していいなら、いつでも勝てるんだが。

 そこまで行かなくても、やりようはいくらでもある。動脈を切ったり、直接手や腕を落としたり。

 義経の実力は、決闘前の由紀江以上、後の由紀江未満。弁慶はそれに準じる程度。腕力がある分今はこちらの方が厄介。だがどちらも、部位破壊する程度ならいつでも出来る。

 しかし、後遺症なしと条件を付けられれば。求められるのは完全攻略。

「どうしたの? 動かないなら、こっちから行くよっ!」

 弁慶が巴に向けて突進する。その後ろにピタリとついて義経が力を溜めていた。二人の攻撃を捌いた途端、与一の弓が鳴る。

 接近と、激突と、離脱を繰り返す。あえて攻めのパターンを変えず、巴は耐久戦術を取った。もちろん、1対多では愚策なはずなのだが……

 

 かれこれ一時間が経過したころ、審判役であるヒュームが獰猛な笑みを浮かべながら巴に話しかける。

「ククク。どうした相馬。新月とかいう技を出してもいいんだぞ」

 狙いはそれか、と巴は内心毒づく。

 巴はあの技をヒュームに見せる気がもうない。もし戦うのなら見せる前に降参する。由紀江に見せたのもあれはただの検証みたいなものだったし……そもそもの問題点があった。

「ダメですね! あの技"今は使えない"んですよ!」

「ほう。常に実を取る貴様が、再現性のない技を開発するとは思えんがな」

「そこは心境の変化ってやつでね!」

 そう、新月には発動条件があった。それも、とびっきりのジョークみたいなふざけたもの。新月という名前も彼なりの諧謔である。

「フン、では切り抜けて見せろ。三人も気合を入れろ! 3対1で何を手間取ってる!」

 ヒュームが檄を飛ばすも、三人の反応は巴と違って鈍い。

「そんなことを、言われてもっ……!」

「相馬さん、ほんとにお強い……!」

「俺も、集中力が落ちてきたぜ……」

 決め手を欠いて埒の開かなさに歯痒い思いをしているのは源氏トリオも同様だった。何せ、全ての攻撃をいなされ、躱され、出鼻をくじかれ、対処されていたからである。一人で戦っている巴よりチームで戦っている方が何故か疲労しているという稀有な状況に陥っていた。

 だがそれも必然である。なぜなら、結局のところ三人がかりでしか巴を抑えられないのだ。誰かが少しでも休めば真っ先に与一を倒され、結果どんどん不利になっていく。

 お互い決定打がないのなら、相手を攻め疲れさせればいい。巴が攻めよりは受けに自信があるからこその戦法だった。ここに葉桜清楚が混じっていればこうは行かなかっただろうと巴は思考する。

 術中にハマってしまったと感じた三人は慌てずに一度距離を取って固まり、作戦を話し合う。それを一人戦う男は眺めていた。正直言えば攻めたかったが、ヒュームに視線で制されていた。

「……うん、それしかないようだ」

「じゃあ、そういうことで……ごめんね主。捨て石みたいにしてしまって」

「いいんだ弁慶。義経の技は未完成だしな。よーし、行くぞ与一! 絶対勝つんだ!」

「正直気は乗らねえが……頼むぜ姉御」

「もーいーかい?」

 巴が話しかけると、一党はフォーメーションを組む。

 義経が最前衛、そして与一が中衛、弁慶が後衛。この陣形の意味を巴は瞬時に看破する。

(あからさまだ……弁慶が鍵だね)

「もういいですか? ヒュームさん」

「ああ、好きにやれ」

「制約の多い戦いはあまり好きじゃないんですけどねえ」

 だったら、弁慶を叩こう。一瞬で決断した巴は半分ほどの間合いを詰める。

 だが、前進がそこで止められる。那須与一が全身全霊で足止めのための矢を放ち続けていた。

「おっと、ここから先は冥府の門だ。死ぬ覚悟があるなら通るがいい」

「通らなくても死ぬのなら、押し通るのみだ……!」

「義経も忘れてもらっては困るぞっ!」

 足が止められている巴に義経が攻めかかる。こちらも、後先考えない無茶な攻めだった。

 あれだけ息の合っていた三人が一人を欠いてまでこんな無謀をする理由を、巴は後ろにいる弁慶を見て確信する。とんでもない量の気が高まりつつあった。

「狙い通り行かせるかよ!」

 巴が与一についに接近し、腹部に刀の柄を当ててくの字になった体を回し蹴りで吹き飛ばす。

「ぐっ、があっ……」

「与一っ! ……うわあっ!」

 疲労と動揺で集中が乱れた義経も、月鏡の峰で訓練場の壁に叩きつけられた。二人が犠牲となっての僅かな足止め。

「……間に合わないか」

「入ったな……後は頼むぞ、べんけ、い……」

 だが、それで十分。戦闘中も気だるげにしていた弁慶が、意を決した表情で目を見開く。

「いくぞ……これぞ我が主に捧ぐ技――――」

 

 ――――金剛纏身。

 これこそは、武蔵坊弁慶を象徴する技。衣川の決戦にて、仁王立ちで串刺しになりながらも敵を足止めし続けた伝承を体現した、いわば在り方そのものを具現化する奥義。

 この技は、相手が強ければ強いほど、そして状況が絶望的であればあるほど弁慶の能力を向上させる。加えて、今は主である義経や与一のダメージまでも自分のものとして爆発的に気を膨れ上がらせていた。

 

 精神統一を終えた弁慶が奥義の名を口にしようとした、その瞬間。

「金剛纏――――」

 あ、まずい。素直に巴はそう思った。なぜなら、気付いたら自分の体がもう弁慶の目の前にあったからであり、全身の細胞が殺せと命じていたからである。

「し――――」

 反射的に飛び出した巴の白刃が、明確に敵と認識してしまった弁慶の喉元に迫る。明らかな殺意の籠った一撃。ヒュームが止めに入ろうとする。弁慶は死を悟った。

(あ、これ、私死……)

(チイッ! 間に合わん……!)

(と、止まれ俺っ!)

 巴は、弁慶の首に刃が食い込む寸前でなんとか手首から力を抜くことに成功する。それから体を回転し攻撃を失敗させようとして……

「相馬くん、ダメぇっ!」

「へぶぅっ!?」

 乱入した葉桜清楚に、見事に吹っ飛ばされた。

 

 

 何とも間抜けな決着だったが、結果勝者なし。幸いにして死亡者も無し。源氏方は全員擦り傷と打撲程度で済んでいたが、巴は意識外からの攻撃への咄嗟のガードで肋骨一本と右前腕の骨を一本折っていた。まさに骨折り損な結果だったと言えよう。

 

 

 九鬼の医療施設に担架で運ばれた巴はレントゲン検査を終えて、腕を添え木付きで固定されてベッドに腰かけていた。責任を感じたのか、ヒュームと清楚が連れ添っている。

「いやー、写真見たけど綺麗に折れてましたね。ねえヒューム伯爵?」

「フン、軟弱な骨をしているな」

「俺が悪いんですかねえ!?」

「あの程度の三人を圧倒出来ない貴様が悪い」

 ごちゃごちゃ制約つけてきたのはあんただろ、なんで1対3でこっちの方が縛られてんだよと巴は悪態をついてやりたかった。

「へえへえ、俺が悪いですよ俺が……」

「ご、ごめんね相馬君。体が勝手に動いちゃって」

 申し訳なさそうにする清楚を、巴は慰める。女に弱い男だった。

「いやいや、良いんだよ葉桜さん。多分あのままだと武蔵坊さん殺してたし。むしろ止めてくれてありがとう」

「こ、殺すってそんな」

「なかなか血生臭いことして生きてきたもんでね。習慣ってのは抜けないものなのさ」

 へらへらと笑いながら言う巴に、清楚は薄寒いものを感じつつも気遣わしげな視線を贈る。

 まあ、ぶっちゃけてしまえば、巴はあそこで弁慶を殺していても後悔はしていない。だって自分は生きているのだから。

 たまたま両方生きてたから、よかったね。巴にとってはその程度のことだった。

 思考が危険な方向に行っていたので、巴は話題を転換する。

「でも、やっぱり葉桜さんが一番強そうだね。近付いてたの気付かなかったよ」

「いやいやいや。私は武将とかじゃなくて、もっと清少納言とか、紫式部とかのクローンだよ……多分」

 本当かな、と巴は思いつつ疑問に思ったことを口にする。

「多分、ということは葉桜さんは源さんみたいに自分が何のクローンとは知らない感じなの?」

「うん。マープル……私たちの生みの親みたいな人が、私には25になってから教えてあげる、って」

「へえー。でも俺は凄く強い人だと思うけどなあ」

「やっぱりそうなのかなあ……」

 うーん、と清楚が難しい顔をし始めたところで部屋に入ってきた源氏の三人を、巴とヒュームは体よく清楚と共に追い出した。

 ただ一人、弁慶だけは巴の耳元でこう囁いた。

「……今度やる時は、誰も殺させないように強くなっておくから」

 義経が怪訝そうな視線を向ける。

「? どうかしたのか弁慶?」

「なーんでもないよ主ー。ごくごく……ぷはぁー! 川神水サイコー! 主ー。頭なーでーてー」

「もう、弁慶は甘えん坊だな」

「ふふ。義経ちゃんと弁慶ちゃんは仲良しだね」

「姐御たちのあれは仲良しというのか?」

 静かな決意を秘めつつ、弁慶は仲間と共に廊下を進んでいった。

 

 

 怪我した巴を送る、送迎車の車中。巴とヒュームは向かい合って話していた。固定されて肩に吊られた右腕を見て、ヒュームが喉を鳴らして笑う。

「未熟だな、相馬」

「うるさいな、手加減出来る次元じゃなかったんですよ。流石にあれは」

「金剛纏身か。俺もあそこまでの出力は初めて見た。やはり弁慶は誰かを守る戦いで力を発揮するようだな」

「そうみたいですね。まあ強くなるために理由があるならいいんじゃないですか?」

「ククク。お前にはあるのか? 強くなる理由が」

 老執事の見透かしたような目。その視線は巴の腰に差さった極楽蝶……もとは、相馬遙の佩刀だったものに注がれていた。

「まあ、それなりにね」

「その二刀流は、父親の追悼のつもりか?」

「え? これですか? いや、全然違いますよ」

 巴はあっさりと言ってのける。

「この二刀流は……まあ、言ってしまえば検証みたいなものでして」

「検証だと?」

「ええ。まあここから先は流派の秘密、ということで」

 巴は気で右腕をコーティングして無理やり動かし、人差し指を口に当てた。

「新月とやらも検証の一環というわけだな。強さの探求を怠っていないのなら、それでいい」

「さあ、それはどうでしょう」

「ククク……」

「ふふふ……」

 男二人は楽し気に笑っていた。

 

 

 

 

 翌月曜日。

「相馬、その腕はどうした」

「折った」

「何かあったのか」

「梯子から落ちた」

「そうか」

 理由を聞いて満足したのか、京極彦一はすぐに自分の席に戻っていった。

 と思うと、最上旭の机から丸めたノートの切れ端が飛んでくる。それを広げると、

『女に折られました、と言えばいいじゃない』

 と書かれていた。

 巴は旭にだけは日曜日の話をしていた。嘘が通用しないというのも理由だったが、旭にだけは真実を伝えておこうと思ったからである。

 クローンの話を聞くと、なぜか上機嫌になっていたのが巴には印象的だった。

 そして昼休み。

「学食行こうか、旭さん」

「ええ、行きましょうか。これ4限までのノート」

 利き腕を怪我した巴の代わりに取っていたルーズリーフが手渡される。それをしまうと、左手で旭をエスコートしようとした。

 そこで、勢いよく扉が開く。こんな扉の開け方をするのは、巴の交友関係の中でただ一人。武神川神百代である。

「相馬! いるか!?」

 どことなく既視感のある光景だった。巴は頭を抱えた。右手の中指を立てようとして、そのために気でわざわざ腕を覆うのもめんどくさかったので止めた。

 すると、後ろにもう一人気配があることに気付く。黛由紀江だった。手には刀を入れる袋と直方体のものを入れた風呂敷を持っていた。

「おい相馬、お前今日学食か?」

「……そのつもりだけど」

「じゃあちょうどよかった。ほらまゆまゆ。ゴーだ」

「はぁうっ」

 百代に背中を押されて、由紀江が教室に放り込まれる。

「どうしたのかな、由紀江さん」

「あ、あのあのあのですね」

 顔を真っ赤にした由紀江は手に持った風呂敷を巴に差し出した。

「お弁当作ってきたので、是非ご賞味くださいっ!」

 おお、と教室から歓声が上がる。巴は吊られた腕を見せながら返答する。

「いや、俺腕こんなんだからパンで済ませようと思ってたんだけ……ごはっ」

 百代の拳が骨折していない方の肋骨に突き刺さっていた。巴はさすがにキレた。

「何しやがる!」

「お前さ、真剣いい加減にしろよ」

「そうね。私でも今のはどうかと思うわ、巴」

 旭にも追い打ちされて、巴は口ごもる。そこに由紀江が畳みかけた。

「あ、あの、先輩の腕がご自由でないなら……その、私が食べさせます!」

 おおおおおっ! と教室からさらなる歓声が上がる。ノリのいいクラスメイト達に、巴は辟易した。

「ど、どうなってんだ、一体……」

 新学期に入って、身の回りで事件が起きすぎていた。巴の体から思わず気が抜ける。

「……ふふ。明日は私もお弁当作ろうかしら」

 旭は旭で、悪巧みをするときの顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 



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第七話

毎日投稿は出来なさそうです。非常に申し訳ない。


 

 2009年 5月 26日

 火曜日の評議会室、昼休みのこと。つまり、黛由紀江が先輩に向けて一回目の弁当を持ってきた日の翌日。

 相馬巴は二人の女に囲まれていた。見方によっては……というか、この光景を見た人間は皆、この男が美少女二人を侍らせていると感じるだろう。巴の着ているものが着ているものだけに、殿様が側室を横にして酒盛りをしているようなイメージだ。

「で、気巡らせれば一週間で治るって言ってるのになんでここまで……」

「相馬先輩っ、あ、あーん、です」

「巴。ほら、食べなさい。あーん」

 右に正座で陣取るのは、黛由紀江。艶のある黒髪を二つに分けた可愛らしい髪型で、きりっとした顔立ちの中に優しさを滲ませる、お尻の肉付きが魅力的な後輩女子。

 反対には、巴が想いを寄せる、こちらはマットな黒色が目立つコシのある黒髪で前髪をアシメにし、整ったパーツ一つ一つが怪しい魅力を醸し出す美女、最上旭がしなだれかかるように座っていた。

「もぐもぐ……ちょっ、ペース早いって」

「そ、そうでしたかっ!? 申し訳ありませんっ」

「大丈夫よ由紀江。巴は口に放り込めば食べるから」

 箸の往復を止めた由紀江をよそに、旭はひょいひょいと白米と甘辛く煮付けた牛ごぼうを男の口に詰め込んでいく。

「もぐもぐもぐ……いや旭さん、いくら俺が咀嚼早いって言っても限度が……もがもがもが」

「こ、こっちの唐揚げも美味しく出来てますっ、先輩」

 由紀江は負けじと、冷めても美味しさが保たれるよう味付けしてある唐揚げを食べさせる。

 まるでひな鳥の給餌のような風景を、襖の隙間から覗く影が複数。

 一番上が川神百代。その下に舎弟直江大和。そしてそのさらに下に由紀江の友人、大和田伊予がトーテムポールのように折り重なって覗いていた。後ろには数名の評議会議員たちもいる。

「ほら見てみろ大和。めちゃくちゃ面白い光景だろ。いい気味だ」

「趣味悪いなあ姉さん……」

「頑張れ~まゆっち~! いい感じになったらチャンテ流すからね~」

 野次馬に対し文句を言いたかったが、徹底的に食物で埋められた巴の口は憎まれ口さえ叩くことが出来なかった。

(なんでこんなことになってんだろうね、ほんとね……)

 遡ること一日。

 武神と一年生の襲来で騒然となった教室は変な静寂に包まれていた。

『そうね……明日は弁当の食べ比べでもしましょうか? そっちの方が面白そうだし』

 という、最上旭の爆弾発言によってである。巴は必死に左手を顔の前で振る。

『いやいやいや、弁当二つも食べられないよ』

 だが、由紀江は負けず嫌いを発揮してしまった。ここが勝負の時なのだと言わんばかりだった。

『そ、その勝負、お受けしますっ!』

『はいはーい! 百代ちゃんも見たいなー、その勝負。ついでに美少女の弁当食べたーい!』

『はい、これで三票。決まりね、巴』

『民主主義の暴力だ……』

 かくして、一番大事な審判役の意見が反映されないまま勝負が始まってしまったのである。

 

 自分に向けて作られたものを自分が食べないわけにはいかない、とこういう所では妙な男気を発揮した巴は、なんとか重箱4箱分を胃袋に収めた。そのせいで昼食の当てがなくなった百代からは睨まれたが。

 実食を終えた巴は、結果を待つ由紀江の真剣な眼差しと旭の愉しげに細められた視線に晒される。

「さて、どちらのお弁当が美味しかったのかしら? 昼休みももう終わるから早めに結論を出して欲しいわね」

 旭の弁当は、浅めの重箱一つ分の白米に梅干し二個。一つ段を上がれば甘めの味付けが為された卵焼き、牛ごぼう、鶏の照り焼きにほうれん草のお浸しなどが整然と並べられたもの。

「ど、どうでしたでしょうか、相馬先輩」

 由紀江の弁当は、白身魚のフライと海苔とおかかが乗ったご飯、別の箱にメインとして多めに鶏の唐揚げ、パプリカ入りの野菜炒めやきゅうりと春雨の酢の物と彩り豊かな仕上がりになっていた。

 巴は腕を組んで唸る。

 正直、どっちも美味だった。美味しいものと甘いものは好きだが、もともと食べられれば御の字という人間である。最上家に入ってからはいわゆる一流の料理というのも食す機会があったが、繊細な味付けがどうこうだの素朴で上品な味わいがあれこれ、と言われるものたちよりも二人の弁当の方がはるかに巴の舌に合っていた。

 さりとて、どちらが美味しかったかと問われると。

「巴」

「先輩!」

 二人に挟まれて巴はいよいよ進退窮まる。彼が出した結論は……

「どっちも美味しかった」

 廊下でずっこける音が聞こえた。旭は髪をかき上げながら悪戯っぽい視線を向ける。

「それはダメよ。ちゃんと決めなさい、巴」

「いや、ほんとに決められないんだ。旭さんのは俺の好み抑えられてて文句なく美味しかったし、由紀江さんのも一つ一つクオリティ高くて」

「あ、ありがとうございますっ! やりましたね松風!」

「めっちゃ高評価受けてね? さっすがまゆっち!」

「でもなあ……どっちが上かと聞かれるとなあ……」

 この時、巴はさっさと旭の弁当の方が良かったと言ってしまえばいいものを、その結論を出しあぐねていた。

 それを見かねた旭が助け船を出す。胸の前でパンと手を合わせた彼女は最高にいい笑顔をしていた。

「じゃあ、延長戦といきましょう」

「……旭さん?」

「う、受けて立ちますっ!」

「燃える展開じゃねーかYO! まゆっちファイトだぜ!」

「じゃあ、土曜日にしましょう。由紀江は時間空いてるかしら?」

「だ、大丈夫ですっ!」

「……おーい」

「一発で決められない優柔不断な人の意見なんて聞かないわ」

「んがっ……」

 巴の意思が尊重されることはなく、その日の勝負は引き分けに終わり延長戦が最上家で行われることが決まった。

 

 

 

 2009年 5月 30日

 今日は半ドン授業もなく、制服姿の由紀江は朝に島津寮へ来た送迎車に乗せられて最上の屋敷へ連れてこられていた。

 既に気での治療で骨が繋がり固定具を取った巴と私服姿の旭は玄関先に行き、由紀江を出迎える。由紀江はガチガチに緊張しながら、手土産を渡した。

「きょ、今日はお招きいただきありがとうございますっ! ここここれつまらないものですがっ!」

「ん、あんがと由紀江さん。じゃ上がってって」

「ごきげんよう由紀江。ふふ。たっぷり可愛がってあげるわ」

 巴は菓子箱を受け取り、旭は由紀江の横にぴったりついて最上家に入っていく。

 入り口の戸を開けると、ホテルのロビーのように豪華な玄関が広がっていた。由紀江と松風は思わず感嘆する。

「わあ……!」

「最上パイセン、マジでお嬢だったんだね……」

「こっちがリビングよ。先にキッチンの方が良いかしら?」

「は、はいっ。お料理から取り掛からせていただきますっ」

「旭さん、由紀江さん。お茶でも用意しとくよ」

 一緒に台所へ入ろうとした巴を、旭はやんわり追い出す。

「貴方はいいわ。キッチンは女の戦場よ?」

「そ、そうですっ。先輩は料理が出来るまでお寛ぎくださいっ!」

「そ、そうか。じゃあリビングで待っとくね」

 巴は引き下がり、すごすごと居間に向かった。

 

 

 その姿を見送ると旭はヘアゴムで手早くロングヘアをくくってから手を洗う。

 今日は最初から髪をひとくくりにしていた由紀江もそれに倣って手を洗うと、旭は冷蔵庫から食材を取り出し始めた。

 挽き肉、キャベツ、ニラ、にんにく、そして皮。どこからどう見ても餃子の材料だった。

「さて、早速作りましょうか」

「あ、あの、最上先輩」

「旭でいいわよ」

「旭、先輩」

「……まあそれでいいわ。それで、なに? 由紀江」

 材料を眺めてから、由紀江は恐縮しつつ訊ねる。

「これ、餃子ですよね」

「そうね。ほかにも変わり種入れる? 紫蘇とか」

「いっ、いえいえいえ、十分です、けど」

「なら問題ないわね。ほら、キャベツお願いするわ」

「は、はい……」

 不思議と従いたくなる気分になった由紀江は押し切られ、包丁を手渡される。

 それからしばらく、トントンとまな板と包丁がぶつかる音が鳴る。

「ニラって切りにくいのよね。すぐバラけるし」

「苦労されているような包丁さばきではありませんが……」

「ふふ。ありがとう。料理はたまにしかしないのだけれどね。作るとお父様と巴が喜ぶの」

「ちなみに、最近はなにを作られたのですか?」

「私自慢の十割蕎麦よ。ふふん、凄いでしょう」

 蕎麦、という単語に由紀江の目が輝いた。

「自家製蕎麦ですか……!」

「興味ある?」

「はい! 好物です! あ……でも」

 さすがに図々しかっただろうか、と表情を曇らせた由紀江に、みじん切りしたニラをボウルに放り込んだ旭が優しく声をかける。

「遠慮することないわよ。また今度うちに来た時は作ってあげるわ」

 ありがとうございます、とどもりながらもお礼を言った由紀江は話を続ける。

「あ、あの……相馬先輩と旭先輩は、同棲、なさっているんですか?」

「同棲、というと違う気もするわね。お父様もいらっしゃるし、付き合っているわけではないし。同居?」

「な、なるほど。では、どれくらいの期間同居なさってるんですか?」

 旭は形のいい顎に白魚のような指を当て、数秒思案してから返答する。

「……そうね。あれからだから、大体ちょうど三年かしら」

「あれ、とは」

「巴が巴のお父様を殺した日、ね」

「……っ」

 由紀江はボウルに移動させようとしていたキャベツを取り落としかけた。

「それは、私が聞いていい話なのでしょうか」

「うーん……なんというか、由紀江には話しておいた方がいい気がするのよね……」

 そうだ、と旭は手をポンと叩く。

「由紀江。貴方巴のこと、好き?」

「えっ、えと、その」

「ライクか、ラブか」

「す、好きというのは確定なんですね……」

「それはそうよ。お弁当も、食べて欲しいから作ったんでしょう?」

 顔を紅くしてしまった由紀江は頷く。旭は餃子のタネの調味料を作りながら畳み掛ける。

「先に言っておくけど、私はラブよ」

「う、う……」

 醤油、酒、にんにくにごま油、その他諸々が混ざっていく。それを挽き肉、キャベツ、ニラが入ったボウルに入れ、手袋をはめてまたかき混ぜる。

 たっぷりかき混ぜて、ラップして、寝かせるために冷蔵庫へ。

 旭がここまでやったところで、由紀江は意を決して口を開いた。

「私は……私も、ラブです」

 答えを聞いて、旭は頷く。

「そう。つまり、恋敵というわけね。私たち」

「こ、恋敵なんて。旭先輩はもう相馬先輩から告白されてるとお聞きしました」

「きっと百代からね。じゃあ、まだ付き合ってないことも知ってるんでしょう?」

 由紀江が頷くのを見て、先輩はにこりと笑った。

「ん、じゃあ、タネを寝かせる間の暇つぶしに話しましょうか。題して、相馬巴少年はいかにして最上家に来たか〜ぱちぱち〜」

「わ、わ〜……ぱちぱち」

「急にエキセントリックになり始めたぜこの先輩……」

 

 

「私の家に巴が来たのは、三年とちょっと前の話。木曽の山奥で彼と出会ったの」

 旭の話は、こんな出だしから始まった。

 巴が裏稼業に入ったのは12の年。この時点で既に相馬流は免許皆伝、父遙に匹敵する実力を持っていた。

 その後も研鑽を重ね、14になった時。ある仕事を受けた巴は、よりによって九鬼のパーティに来ていた賓客を暗殺しようとした。そのときにヒューム・ヘルシングに敗北。以降は九鬼が身柄を預かることになる。この後、相馬遙は行方をくらます。

 九鬼の更生プログラムを受け、表面上は取り繕えるようになった……というより、もともと巴は殺人衝動がある訳ではなく手段として殺害が入っていただけで、それをする必要がないことさえ教えてしまえば後は簡単だった、というのがヒュームの談だ。

 ちなみに旭は知らないことだが、この時点でヒュームは巴のことを川神百代に匹敵する天才であり、いつか自分を超える者と評している。そのためか、老執事はその生意気な少年にも比較的親身に接していた。

 そして、従者部隊としてではない形で九鬼財閥に入った巴に最上幽斎が興味を持ち、自分の護衛として雇った。この時、木曽の山奥で相馬巴と最上旭は出会ったのである。

 

 

 ここまで話したところで、旭は寝かせたタネを冷蔵庫から出す。

「とまあ、ここまでが出会い編よ。次は作りながら話しましょう」

「なんというか、相馬パイセンって波瀾万丈な青春送ってんだな……」

 松風を持っていないのに松風ボイスでツッコミを入れつつ、由紀江は皮と水を入れたボウルを用意する。

 二人が手際よく餃子を大量に成形していく中で、話は続く。

 

 

 旭が初め巴と会った時の印象は、鍛え上げられた日本刀だった。触れれば全てを断つ、一振りの刀。

 そして、言ってしまえばそれだけの人間。

 高校修了程度の学はあったが教養はなく、表面上の優しさはあっても思いやりはなく、命に対する感謝はあったが命を奪うのに躊躇はなかった。

 ただ、強いだけの生物だった。

「この時、私は思ってしまったの」

 こんな人間を、自分のものに出来たら。正確には自分の刀に、道具に出来たら。

「さぞ、面白いんじゃないかしらって」

 それからは、調教の日々。寝ながらでも返事出来る習性を利用した睡眠学習も含め、様々な教育を施していった。

 

 

「ああ、ちなみに性知識も皆無だったから教育したわ」

「せっ……!?」

「あれでなかなかにエロエロよ」

「エロエロ!?」

「私のせいで、巴は"温泉旅館の女将は金持ちのでっぷりしたおじさんに買われるもの"だと思ってるわ」

「あわわわわわ」

「なんか馬鹿にされた気がしたから来たよ、旭さん」

「邪魔。あっち行ってて」

「はい……」

「……由紀江、結構遠回しに言ったつもりだけど理解出来てるってことは、貴方むっつりね?」

「ひゃあうっ」

「まあその辺りは後で追求するとして……」

 

 

 調教を続けていたある日。その山奥が襲撃された。最上幽斎が恨みを買っていた中国の精鋭傭兵集団、曹一族からである。

 幸い村の一部が燃えるだけで済んだが、巴と共に逃げた最上一家を山狩りしていたうちの人員の一人が、相馬遙だった。知己がいた曹一族に傭兵として身を寄せていたのである。

 そして実の父親と骨肉の争いに発展し、殺した。最上旭を守るために、である。最後には、疲弊したところを襲撃してきた史文恭から旭を逃すために立ち向かい、討たれた。

 その場は"何故か"曹一族が引き、意識を失った巴が残された。

 

 

 

 とっくに成形は終わり、油を引いたフライパンの上で餃子がぱちぱち焼ける音が鳴る。第一陣の餃子はコップ一杯の水を放り込んで蒸す段階に入る。

「以来、最上旭に毎日告白してくる可愛い雄が一匹生まれたのでした。めでたしめでたし」

「……逆ではないのですか?」

「あら、私も恋してるし、愛してるわ。命を救ってもらったのは事実だし」

「なのに告白を受けないのには、理由があるのですね」

 フライ返しで餃子を皿に乗せながら、由紀江が断言する。そんな姿に旭は思わず笑みをこぼした。

「ふふ。そうね。まだ巴にも明かしていないけれど……いずれ分かるわ。だって、色々動き始めているから」

「その色々ってのが分かんねーとまゆっちも納得できねーんだよー!」

 松風の抗議はどこ吹く風と、旭も餃子を盛り付けていく。

「その時がきたら、みんな分かるわ。それまでは友達でいてくれるかしら? 由紀江」

 友達という単語に、平静をなんとか保っていた由紀江の動揺がマックスになる。

「とっ、ととと友達ですか!?」

「そう。恋敵で、友達。こんなことを頼むのは、最低かもしれないけれど」

「い、いえいえとんでもないです! どうぞよろしくお願いします!」

 由紀江の返答で、旭の口角がさらに上がる。

「ありがとう、由紀江。私貴方のことがちょっと心配よ。チョロすぎて」

「チョロいってなんだよ最上パイセン! まゆっちは身持ちもかてえ大和撫子だぜい!」

「エロエロなのにね」

「えっ、エロエロでは……ありますけど」

「ふふふ。本当に可愛いわ、由紀江。妹がいたらこんな感じなんでしょうね」

 なんにせよ、と前置きした旭は皿を手に持ってキッチンの出口へ向かう。

「巴とも、仲良くしてあげてね」

「はっ、はいっ! 是非っ!」

 慌てて、由紀江も餃子がたっぷり乗った皿を持って歩き出す。

 

 

 

「……そう、たとえ私がいなくなっても、ね」

 女の戦場の微かな残り香、旭の不穏な呟きは誰にも聞こえていなかった。

 

 

 

 

 

「では、手を合わせてください」

 旭の号令で、三人が手を合わせる。

 いただきます、と言った瞬間、箸につままれた餃子が巴の目の前に二つ差し出された。

「巴、あーん」

「相馬先輩っ、あーん、です!」

 巴は自分の箸で持ち上げていた餃子を口に入れてから、二人の箸からまた餃子を食べる。

 もちもちした皮を歯で突き破ると溢れんばかりの肉汁が出て来て、食べ応え抜群の逸品になっていた。

 味わいながら咀嚼し終えると、

「おいしいよ、旭さん、由紀江さん」

 とだけ巴は言った。

 酢醤油単体や、それにラー油を垂らしたものなどを使いながら、大量に作った餃子は瞬く間に消えていった。

 三人で手を合わせて、ご馳走様でしたと礼を捧げる。

 皿洗いくらいはと巴が片付けとお茶汲みを担当しようとして、三人で片付けた後。

 玉露のいいものを淹れたリビングでは旭から話が切り出された。

「さて、巴。どっちの料理が美味しかった?」

「……んん? 何か違いあった?」

 巴は、自分の舌が鈍かったかと訝しむ。味を思い出しても特に違ったところはなかったはず、と思っていると旭からさらに言葉が続く。

「そうね、違いはないわ。由紀江は私と入れるタネの量を合わせてくれてたし」

「だったら、どっちがとかはないんじゃ」

 男がここまで口にしたところで、由紀江が得心がいったように感嘆の声を上げる。

「……ああ、なるほど!」

「俺、ついてけないんだけど」

「相馬先輩、今日は私と、旭先輩で餃子を作りました」

「はい、巴。貴方がもう一度言うべきことは?」

 むむむと唸った後、巴の頭の上で豆電球が光った。

「どっちも、美味しかった」

「よく出来ました。正解ね」

「ありがとうございますっ、相馬先輩」

 ぱちぱちと拍手をする旭と、頭を下げる由紀江。そんな二人を見て、巴は納得がいかないようにテーブルへ頬杖をついた。

「なんか上手く誤魔化された気がする……」

「先に誤魔化そうとしたのは貴方よ。自業自得」

「んがっ……」

 巴が頬杖から顎を落として、それについ由紀江が微笑んだところで、食事会は終わった。

 

 

 日が沈みかける時間帯、巴と旭は由紀江を見送る。由紀江は二人に向けて深々とお辞儀していた。

「今日はありがとうございました。相馬先輩、旭先輩」

「今度は蕎麦を食べにいらっしゃい、由紀江」

「じゃあまた学校でね、由紀江さん」

「はい。では失礼しますっ!」

 元気に返事をした由紀江を乗せた送迎車は、滑るように道路の向こうへ消えていく。

 二人は玄関から連れ立って本館へ戻る。

「でもさ、旭さんが友達なんて珍しいね」

「だって、由紀江は可愛いでしょう?」

「それは否定しないけどさ」

 前を歩く旭の表情は、巴には読めなかった。

「私にも思うところがあるのよ。ところで巴、今日の鍛錬は?」

「あー、今日はみっちりやるよ。ブランクあるからね」

 巴はなまった右腕を振って見せた。長い影でその動きを見た旭は、進路をシェルター兼用の地下修練場に変えた。

「今日はとことん付き合ってあげるわ。種目は寝技でいかがかしら?」

「……分かった」

 もちろん、性的な意味ではない。

 二人はそれから基礎鍛錬を一時間、グラウンドでの攻防をみっちり二時間やり、さらに二時間の組手を経て、濃い一日が過ぎていった。

 

 

 

 

 2日後、月曜日。評議会室で由紀江の弁当を食べていた巴、旭、百代、由紀江の四人は息急ききって入ってきた人間からあるニュースを耳にする。

「……東西対抗戦?」

 

 物語は、ゆっくりと加速していく。

 

 

 




加速すると……いいなあ。

エプロン付けたポニテ旭さんが見たい。


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第八話

何故展開が定まってからの方が筆が遅くなるのか……


 2009年 6月 6日

「くぁ……」

 土曜日夜の工場地帯。近未来的な造形をしたこの一帯に似つかわしくない古風な裃姿の男は、暇すぎて欠伸を漏らしていた。

 なぜ巴が旭を伴わずにこんなところにいるかと言うと、東西交流戦、という胡乱なイベントのせいであった。

 水曜の全校朝礼の中、学園長川神鉄心は軽い口調でこう宣言した。

『福岡の天神館が……週末、修学旅行で川神に来るらしいの。学校ぐるみの決闘を申し込まれたので、ひきうけたぞい。東西交流戦と名付ける、激しい戦になるな』

 なんでも、その福岡の天神館とやらは川神学園と同様校内での決闘を許可しているバリバリの武闘派な学校らしい。

 そして、学生の強さが東高西低と言われているのが気に食わないらしく喧嘩を吹っかけてきた、というお話。学年ごとに行われ、大将を倒せば勝ち。学年ごとに200人まで出してよいことになっていた。

 これはその二日目、3年生の部。初日の1年生の部は大将を由紀江が務め、見事勝利を収めていた。

 戦場全体を見渡せる位置で、待機どころか参加を断るよう命じられた巴はぼやく。

「いや、俺は戦わなくていいから楽でいいんだけどさ……」

 ぼんやりと立つそんな背中に声をかける壮年の男性が一人。

「スマンな。師匠からお前がもう問題ないことは聞いてんだけどよ。さすがに戦力差がな」

「大丈夫っすよ。天神館館長鍋島正殿」

 黒のカッターに白いスーツ、そして大き目のトレンチコートを羽織って葉巻を吸う、なんとなくヤがつきそうな風体をした男、川神鉄心の高弟の一人鍋島正は、不快さを隠そうともせずに応対する。

「……おめえ、達人相手だと慇懃無礼になるってなほんとだったんだな」

「学長が自分のことをなんて言ってるかも今理解しましたよ」

「まあ若いうちは上に生意気と思われてるくらいがいいさ。つっても、こんなこと出場自粛を頼んでる立場の人間が言えるこっちゃねえがな」

 打って変わって朗らかに笑いながら鍋島は嘯く。

「まあ、表向きは出場拒否なんでいいですよ。人数制限もあることですしね」

 またしても川神鉄心翁直々に、参加を見合わせるよう巴は言われていた。

(喧嘩売りに来て、あなた強いから出ないでくださいって正直……いややめとこ)

 ひと学年200人は人数制限になってるか甚だ疑問であり、しかも三年生の部は天神館側が助っ人を大量に連れてきていたのだが。

「第一鍋島館長が今おっしゃった通り、実力差がどうしようもないですよ。あれがいるんで」

 肩を竦めて、巴は自分が気にしていないことを伝える。

 その視線の先にいたのは、もちろん我らが武神、川神百代である。

「ワクワクしてきたぞ。なあ京極」

「皆の者! 敵はあの武神! 倒されたが最後、身ぐるみはがされてラーメンにされて切って叩いて伸ばしてなんやかんやされてしまうという逸話を持っている凶戦士だ! 不退転の覚悟で臨め!」

「……川神。とんでもない噂の伝わり方をしているぞ」

「いーんだよ。さあて、どんな技使ってくるのかにゃーん」

 拳をゴキゴキと鳴らしながら、川神学園三年大将の百代は天神館本陣の真ん前に立つ。

 すると、組体操のように天神館のメンツが集合していく。

「我ら、文字通り一丸となって武神を打倒せん! 行くぞ! 天・神・合・体!」

 そう唱えると、みるみるうちに助っ人を含めた敵軍がまるで一人の巨人になったかのように合体していく。巨人は工業地帯を覆い隠すほどのサイズまで大きくなっていった。

 それを見た巴と鍋島は驚く。

「うわー。あんな技もあるんですね」

「ほー。あいつらもしっかり実力磨いてたわけだ。感心感心」

 唸り声を上げて迫る巨人。それに正対して、川神百代は両手を後ろにする構えを取り……

「川神流! 星殺しーーーーー!!!」

 突き出した手から、特大のビームを放った。胸に風穴を開けられた巨人は指先から崩壊していく。

 残党の掃討に移り始めた戦況を見た鍋島は思わず訊ねる。

「あのお嬢ちゃんもやりたい放題だな……おい、相馬の。お前と武神ちゃん、今闘ったらどうなるんだ?」

 目上の人間の問いに青年はおどけて答える。

「さあ?」

「さあって」

「殺していいなら勝てますよ」

「物騒なこった。で、ほんとに勝算はあんのか?」

「勝つだけなら、やりようはいくらでもありますから」

「……近頃の若者は逞しいねえ。色んな意味で」

 煙に巻くような態度を崩さない巴に、鍋島はうんざりしたような声で呟いた。

 ともあれ、これで二日目を終えた時点で2勝0敗。そして、西方十勇士に苦しめられながらも最終局面で謎の援軍が来た2年生も勝利。つまり無敗の完全勝利で、東西交流戦は終わった。

 

 

 2009年 6月 8日

 その日の最上家のリビングでは、珍しくテレビが付いていた。幽斎は朝食を手早く済ませて家を出ていたので、二人で画面から出る音に耳を傾ける。家の主が居なくても届く新聞には、『壇ノ浦の興奮再び』などの見出しが躍っていた。

 画面に映った龍造寺というイケメンが武士道プランと呼ばれる計画について話している。

『世界最大の財閥である九鬼は本日未明……』

「ふーん、英雄を現世に蘇らせる、武士道プランねえ……この前旭さんが言ってた気がするけど」

 既にクローン四名と面識がある巴は、その四人と旭になにか共通点があるのか、と味噌汁を啜っていた旭に話を向ける。

「そうね。入学式の日に言った気がするわ」

「まさかクローンだったりして……なんちゃって」

「そうだったら面白いでしょうね」

 川神学園評議会議長は、平静を崩さず朝食を終えた。

「ほら巴、学校行きましょう。テレビによると英雄達は転校生になるみたいだから」

「……うん」

 いつも口では勝てない目の前の女のどこか高揚した姿に猜疑心を抱きつつ、巴も学園へ行く支度を整えた。

 ちなみに最上家でテレビを見る機会が少ないのは、旭が扱えないからだったりする。

 

 

 

 巴と旭が教室に入ると、黒板横のプリントを貼るスペースに京極彦一が視線を注いでいた。

「おはよう、彦一」

「おはよ京極くん。何してんの」

「おお、おはよう最上くん、相馬。いやなに、今日来るらしい転入生の名前が張り出されていたのでな」

 視線を三人が集中させたプリントには、”葉桜清楚”と書かれていた。その名前を見て巴は苦笑いを漏らし、旭は笑いを嚙み殺そうとして失敗した。

「あー、こっち来るんだ」

「……っく、ふふ」

「その様子だと、二人とも転入生がどんな人間か知っているようだな」

「まあ、知ってるっつーかなんというか」

「ふふ……まあそれは来てからのお楽しみね、彦一。人間観察はお手の物でしょう?」

「そうだな。名は体を表すというし、せいぜい名前通りの人間かどうか見ることにしよう」

 こんな会話が交わされたのち、校内放送で全校集会が行われるとのアナウンスが入った。

 

 

 

 ぞろぞろと並び、ざわざわと騒ぐ。

 臨時の全校集会とはいえ、普段のものとは種類の違う喧噪が川神学園のグラウンドを満たしていた。

「ねえ、どんなのが来んのかな」

「テレビで見たけど、義経は可愛かったよなー!」

「弁慶は女らしいんだけど、ごりっごりのムキムキ女とかだったら嫌だよなー」

「那須与一も女なのかな」

 いや弁慶はめちゃくちゃ美人ではあったぞ、与一は男だったけど、とざわめきの中にいる巴は内心突っ込みを入れる。

 評議会議長である旭は壇の横の列にいたが、懐刀と言っても一般生徒には変わりない巴はクラスの列で背筋を伸ばしていた。

 それからも数分騒がしい時間が続いたが、壇上に川神鉄心学園長が上がると水を打ったように静まった。

「皆も今朝の騒ぎで知っているじゃろう、武士道プラン。この川神学園に、転入生が6人入る事になったぞい」

「6人?」

 4人だけじゃないのかと巴が思わず呟く間にも、学長の説明は続いていく。

「まあ、武士道プランについての説明は新聞でも見ることじゃな。重要なのは学友が増えるという事。仲良くするんじゃ……競う相手としても最高級じゃぞい、なにせ英雄。武士道プランの申し子達は、全部で4人じゃ。残り2人が関係者。まず3年生、3‐Sに一人入るぞい」

「残り2人って……」

 巴は思わず身を震わせる。気で探知すると、あのヒューム・ヘルシングが学校に向かいつつあったからだ。ついでに那須与一が屋上にいるのも気づいた。

(いやいやまさか、護衛につくくらいでしょ……まさかね)

 嫌な想像を振り払いつつ、巴は壇上に視線を戻す。

 一人の女子がしゃなりと壇に上ると、生徒群の各地からほうと溜息が漏れた。マイク越しでも耳障りでない声が校庭に響く。

「こんにちは、はじめまして。葉桜清楚です。皆さんとお会いするのを、楽しみにしていました。これからよろしくお願いします」

 深い知性を湛えた瞳と、楚々とした雰囲気。枝毛一つない黒髪に光を燦爛させて立つその姿は、まさに美少女の理想的な姿の一つだった。ヒナゲシの髪飾りを付けた清楚がたおやかに腰を折って挨拶すると、男子たちから歓声が巻き起こる。

 二年生辺りで騒がしいのが何人かいたが、巴の耳は近くにいた百代の愚痴を拾う。

「なんだよカワユイのにSクラスとか……Fにきてくれー」

「ハイハーイ! 気持ちは分かるけど静かにネ!」

 ルー先生の言葉が校庭中に届くが、それを遮って2年生から声が飛ぶ。

「が、学長、質問がありまーす!」

「あれは……福本くんか」

 いい話は聞かないが、と巴は男子生徒に注意を向ける。

「全校の前で大胆なやつじゃのう。言うてみぃ」

「是非、3サイズと、彼氏の有無を……!」

 そう言った猿のような顔をした生徒に鞭が飛んだ。2-F担任、小島梅子の愛の鞭であった。

「全校の前でこの俗物が―っ! 皆、私の教え子がすまん」

「アホかい! ……まぁ確かに3サイズは、気になるが」

 鉄心の言葉に転入生は顔を赤くし、孫娘は悪態をついた。

「……ええっ」

「おいジジイ死ね!」

「総代、真面目にやってくださイ!」

 すまんすまん、と言いながら学長はマイクを持ち直す。

「葉桜清楚、という英雄の名を聞いた事がなかろう皆」

「これについては、私から説明します」

 清楚が説明したのは、他の3人と違って自分にすら誰のクローンか教えてもらっておらず、25歳になったら教えてもらえる、それまでは学問に打ち込むように言われているという、巴が聞いた事のある事情だった。

「私は本を読むのが好きなんです……だから、清少納言あたりのクローンだといいと思ってます」

「まあ俺は違うと思うけどね……」

 清楚の言葉を受けて呟いた巴の言葉を彦一が耳ざとく聞きつける。

「ほう、葉桜くんの正体について、相馬は目星がついているのか?」

「目星なんてものはついてないけど、あの子あれで結構武闘派だよ」

 この言葉に彦一は思わず目を見開いた。

「なんと……人は見かけによらないものだな」

 他愛ない会話をしている間に、紹介は進んでいく。

 義経、弁慶、与一の3人は2‐Sに入るらしい。弁慶が登場したときは男子のほぼ全員が野太い声を上げていた。挨拶を終えた壇上では義経と弁慶が並んで立っている。

「挨拶できたぞ、弁慶!」

「義経、まだマイク入っている」

「……しきりに、反省する」

「ごくごく……ぷはー! しょげてる主を肴に飲む川神水もおいしー!」

 主従漫才をやっているようだった。

 思いっきり酒飲んでるじゃないか! という突っ込みの声も聞こえたが、それについては飲んでいるのがノンアルコールの川神水であること、弁慶は好きな時に飲んでいい代わりテストで学年4位以下になったら退学になることも伝えられた。

 そして与一の紹介の番になったのだが、本人がいない。巴が気を探ると、まだ屋上にいた。

「挨拶は損しないからやった方がいいとは言ったんだがなあ」

 まあいいや関係ないし、と思いつつ巴が視線を義経に戻すと、与一の主人は深々と頭を下げていた。

「与一がいない件は義経が謝る。だからみんな、与一のことを悪く思わないでやって欲しい」

 なんというか、気の毒だった。巴はひきずって連れて来てやろうかとも思ったが、屋上に複数の気配が乗り込んだことを確認するとやめた。面倒くさがりで、薄情な男だった。

 そして1年生の紹介に入る。残り2名とは一体誰なんだ、と思っていると、校門から大量に九鬼の従者たちが入ってくる。

 交響楽団のオーケストラをバックに彼らが自分達の体で橋をかけたかと思うと、その上を高笑いしながら歩く小さな影が一つ。

 壇上に上がると、小さな影は手に持った扇を生徒たちに示しながらこう宣言した。

「我、顕現である! フハハハハ!」

「……紋様じゃん」

 九鬼家次女、九鬼紋白であった。額に十字傷を持ち、白銀に輝く髪を天真爛漫に日光の元にさらす可愛らしい少女である。巴は何度か姿だけは見かけたことがあった。

 だが、巴の関心はすでに紋白からは外れている。その後ろにいた最強執事のせいだった。

「皆さんよろしく。ヒューム・ヘルシングです」

 そう自己紹介をしたかと思うと、ヒュームは百代の近くに行って何事かを呟いた。

 それから巴の元にも一瞬で現れる。その喉元に巴は気で創った刃を向けた。

「いきなり後ろに来ないで下さいよ。1‐Sのヘルシングくん」

「ククク。お前はちゃんと備えていたな。失礼しました。相馬先輩」

 巴は先輩という響きに背筋が凍るような思いをした。

 ヒュームが戻った後、従者部隊三番のクラウディオ・ネエロがマイクを持ち、紋白の護衛と武士道プランの調整のため執事たちが学校に出入りするが仲良くしてほしい、との旨を伝えた。

 波乱の全校集会は終わり、各生徒は整列して各自の教室に戻っていった。

 

 

 

 3‐S。

 教室内はすっかり色めき立っていた。それもそのはず、受験期の殺気立った雰囲気漂う教室に一輪の花が咲いたからである。

「朝礼でも挨拶しましたけど、改めまして葉桜清楚ですっ。短い間ですがよろしくお願いしますね」

「うおおおおっ! 文学美少女キターーーーー!」

「我ら3-Sにもついに花が……っ!」

 いーや旭さんの方が花だね、と謎の対抗心を内心持ちつつ、巴は転校生に目線を向ける。

「あはは……まあ得体の知れない者ですが……」

 テンションの高い教室に対し半笑いで自虐を見せる清楚に、クラスを代表して彦一が近づく。

「同じクラスになる京極彦一だ。我々は君の正体が誰であろうが気にすることはない。あまり自意識過剰になりすぎないことだ」

 酷い言い草だと巴は思ったが、清楚は感じるものがあったらしく良い笑顔で彦一の言葉に応じた。

「……うん。ありがとう、京極くん」

 柔らかく微笑む清楚に、また一段とクラスが沸き立った。

 さて、これでお終い……とはならず。

 転入生は教壇から知った顔、つまり巴が見えたので近づいて来た。

「あっ、久しぶり相馬くん! 腕と肋骨大丈夫だった?」

 巴はヒクと頬を震わせた。もちろん苦笑いのためである。クラスメイト達からは、また相馬の知り合いの女かよ、最近女に囲まれすぎだろという不穏な空気が漂い始めた。

「ほう。葉桜くんは相馬が腕を骨折していたことを知っているのか」

「うん。だって私が怪我させちゃったし」

「なっ、なんだってっ!?」

「まさかこの読書好き美少女までとなりの武神サマみたいだと言うのかっ……!?」

 級友たちからは驚愕の声が上がり、彦一は元々細めな目を丸くさせた。それから愉悦に満ちた声で友人に語りかける。

「……ほう。相馬、梯子から落ちたと言っていたが」

「うるさいな、女子に折られたなんて恥ずかしくて言えないに決まってるだろ」

 巴は思わず顔を逸らす。こういう話題で正直になってしまうところが、この男のクラスにおける位置付けを決めていた。要はいじられ役である。

 清楚はそんな巴と、クラスが朗らかな笑いに包まれた様子を見てクスクスと笑っていた。

 場が温まったところで、旭が控えめに手を上げてあることを提案する。

「では、転入生歓迎会でもやりましょう。今日は皆放課後暇かしら?」

 口々に賛成を3-Sの面々が表明する中、清楚は恐縮したように顔の前で手を振る。

「いやいや、そこまでしてもらうことないよ……えっと」

「最上旭よ。旭でいいわ、清楚」

「じゃあ、アキちゃん」

「ふふ。清楚も放課後はお暇かしら?」

「私は大丈夫だけど……」

「じゃあ決まりね。巴、買い出し班の指揮よろしく」

「了解了解」

 忠犬が返事をしたところでホームルームは終わった。

 

 そして放課後。

「おう野郎共! 買い出し行くぞ! 財布は俺持ち!」

「オーエスッ!」

 四人ほどを引き連れ、裃姿の男は教室を意気揚々と出て表のコンビニへ向かった。

 ものの10分ほどで買い出しを終え、戻ってくると机が教室の中央と端に寄せられていた。そして教卓前に用意された、主役用に連結させてある椅子では……

「うへへ。アキちゃんも清楚ちゃんも、もちょっとこっちに寄らんかうへへ」

「ちょっ、モモちゃんそんなとこ触っちゃダメッ」

「百代。あんまり調子に乗ると学長が来るわよ」

 武神がキャバクラにいるようなセクハラ親父になっていた。

「んー美少女に囲まれるの真剣サイコー……お、相馬! ジュースくれジュース!」

 巴はクラスメイト達に目を向ける。ほぼ全員が一斉に目を逸らした。買い出し帰りの男に視線を向けたままだった数少ない人間たちの目も、武神には勝てなかったよと雄弁に語っていた。

「……じゃ、コップ回してくれ」

 何を言っても無駄そうだと判断した男は、バーベキューの時に使うようなプラスチックのコップを袋から取り出して回させて行く。

 黒、薄緑、透明、黄色といった色とりどりの色をした液体が入ったカップを皆が手に持ったところで、旭が音頭を取る。

「では、シンプルだけれど私たちのクラスに清楚が加わったことに」

 旭が杯を掲げると、乾杯という声が教室を満たした。

 話題はもちろん清楚のことが中心だった。孤島で自然に囲まれて過ごしたこと、義経たちとは少し違うカリキュラムで育てられたこと、詩集を好んで読むことなど、清楚の口から語られるエピソードの数々に、クラスの男子と百代はメロメロ度を上げていた。

(まあ、ちょっと突き飛ばしただけで俺の腕へし折ったくらい少なくとも腕力はある人なんだけどね……)

 と巴は思いつつ、ジュースをグッと飲み干した。

 

 

 

 宴もたけなわ、というところで夕日の差して来た3年生の教室に大きな影が一つ乱入してきた。

「清楚、時間だ。今日は引き上げるぞ」

「もうそんな時間ですか……うう、みんなのお話もっと聞きたいけど……」

 ヒュームが門限を告げにきたのである。清楚は大人しく椅子から立ち上がり、腰を折って深々と挨拶した。

「皆さん、今日は私のために歓迎会を開いてくださりありがとうございました。これからよろしくねっ」

 にぱっと無邪気な笑顔をしたところで、葉桜清楚は無事3-Sの仲間になった。

 

 

 後片付けの最中、百代が巴に話しかけてくる。

「なあ、相馬。これ持って帰っていいか?」

「いいけど……うわっ」

 返答しようとした男と肩を組むようにして、女はささやき声で会話を始める。

「……清楚ちゃんがお前の腕折ったってほんとか?」

「ほんと。とんでもなく強いよ、葉桜さんは」

「お前が言うなら多分間違いないんだろ。あの清楚ちゃんがね……」

 武神が悪魔のような獣のような笑みを浮かべ、手付かずだったスナック菓子の袋を持ち帰ったところで、歓迎会は終了した。

 

 

 

「相馬、いい加減川神院に来いよー。土曜か日曜とかさー」

「まあそのうち行ってやるよ」

「お、初めてっぽい好感触……真剣?」

「真剣真剣。ちょいと殻を破る必要が出て来たんでね。学長の許可さえ降りれば」

 後日、安請け合いを後悔することになったり……ならなかったり。

 

 

 

 何はともあれ、川神学園における武士道プランが開始されたのであった。

 



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第九話

旭さんの原作にあるエキセントリックさが出せない……


 歓迎会を終えた日、最上家地下シェルターにて。

 巴と旭は2人して、息を荒くしたまま天井を見上げていた。平日に取れるギリギリの時間まで組手をしていたのである。

 ほつれた呼吸のまま、旭は隣にいる男へ話しかける。

「ねえ巴」

「なに? 旭さん」

「最近、やけに稽古に熱が入っているけれど」

「……まあ、ちょっとね」

 言葉を濁しながら巴は立ち上がり、細い体を抱っこして足だけで梯子を上がっていく。

「やっぱり、清楚や義経が来たからかしら?」

「それを言ったら、旭さんも気合入ってるでしょ」

「それもそうね」

「何にせよ、もうちょっと強くなっておく必要があるかな、と」

「……ふふ。頼もしいわ」

 旭は逞しい肉体に包まれながら、嬉しそうに微笑みをこぼした。

 

 

 2009年 6月 9日

「こっちは主税に、こっちは良樹ね。奈々、先生に出す書類の書式は……」

 激動の月曜日を終えた翌日放課後、評議会室は昨日やるはずだった仕事に追われていた。後進の育成も含めて、旭は手際よく業務を割り振っていく。

 特にやることのない巴は窓枠にもたれかかり、グラウンドを眺めている。そこでは源義経が次々に決闘相手を倒していた。

 旭は書類を机から一旦どかし、緑茶を飲みながら男に問う。

「虎子はどうだった? 巴」

 虎子とは骨法部部長にしてこの学園の一応生徒会長をしている、南條・M・虎子のファーストネームである。

「速攻で負けてたよ。そもそも技出せてなかった」

「仮に決まっていたら?」

「無理なんじゃない? 源さん強いには強いし」

「そう」

 素っ気ない返事だったが、巴はその声に喜悦の念が篭っていたことに気づいた。ちょっと揺さぶってみよう、と話を続ける。

「……源さん、真面目にはやってるけど全然本気じゃないね。俺とやった時よりは力が良い意味で抜けてる。今やってる一子さんとの勝負も実力出し切ってないよ」

「そうみたいね……ふふ」

「もしかして、お気に入り?」

「ええ。だって義経、可愛いでしょう? あんな子っといいわね、でっきたっらいいわね♪」

 著作権的に怪しげな鼻歌を歌いながらウキウキで書類仕事に戻る旭を、何をするんだ何をと思いながら巴は見つめていた。

 一通り仕事を片付けたところで、襖がノックされる。巴は出入口に素早く近づき、注意深く開ける。

「フハハハハ! 我、顕現である!」

「どうも先輩方。九鬼紋白様の護衛、ヒューム・ヘルシングです」

 紋付袴姿の少女、紋白と赤いネッカチーフをつけた執事服の男、ヒュームがそこに立っていた。

「ここには学園を影から支える人材がいると聞いてな! スカウトに参った!」

「瑞希。お茶と菓子を出して差し上げて」

 議長に名前を呼ばれた生徒は大急ぎで二人分の玉露とお茶請け用の菓子を差し出した。遠慮は無粋とばかりに、紋白はまず湯呑に手をつけた。ヒュームも湯呑を白手袋越しに持つ。

「うむ、苦しゅうないぞ!」

「俺は甘いものは遠慮しておこう。茶だけ貰おうか」

「して、九鬼家の御令嬢がなんの御用かしら」

 旭と紋白が向かい合う。さながら狐と兎の可愛らしい対峙だった。

「兄上はあまり熱心ではないのだが、我は学園内の人材を収集しようと思ってな。各学年を回っておったところなのだ」

「紋白のお眼鏡に敵えば、即採用というわけね」

「うむ。それと、そなたには以前幽斎殿にいただいた金平糖の礼を頼みたい。幽斎殿は神出鬼没でな。貰った後一度も会えておらんのだ」

「承ったわ」

 対峙、終了。

 紋白はぐるりと評議会室を一周し、数名に名刺を渡してから力強く頷いた。

「ここは活気があるな。良い気が流れておる」

「ええ。だってここは私の城ですもの。みんな優秀な子たちばかりよ」

「フハハ! やはり組織は人あってのものよな!」

 意気投合した様子の二人を微笑ましく見ていた巴は、手持ち無沙汰そうに直立していたヒュームに話しかける。

「……で、ほんとに何しに来たんすか」

「俺は紋様のお付きだ。スカウト以外の意味はない」

「さいですか。1年生のとことか行きました?」

「黛の赤子をスカウト済だ。俺の推挙もあってな。他にも2年では椎名の赤子に紋様が名刺をお渡しになっている」

 椎名京について、3-Fの矢場弓子から弓の腕以外あまり良くない風評しか聞いていない巴は肩をすくめた。

「へえ。能力主義なんですねえ」

「お前は日々精進を怠っていないようだな。褒めてやろう」

「それはどうも」

「義経、弁慶もお前のおかげでより鍛錬に励むようになった。また呼びつけるから覚悟しておけ」

「ははは。絶対嫌です」

「……ジェノサイド」

「っ、相馬流……」

 巴が笑いながら返事をした後、互いに臨戦態勢に入る。

「ヒューム、次に参るぞ!」

「了解しました紋様」

 しかし、それ以上に発展することはなく。老執事は主と共に評議会室を後にした。

「心臓に悪いよ、あの人……」

 刀の柄から手を離した巴は、項垂れていた。

 

 

 2009年 6月 10日

 早朝、某所にて。

「川神流! 大蠍撃ちぃっ!」

「フン、先に撃たせてこれか。ジェノサイドチェーンソッ!」

「ぐわあああっ!」

「基礎を怠っていると見える。腐っているな釈迦堂、少しは相馬を見習え」

「あ、あの生意気坊主、川神にいるのかよ……がはっ」

 うだつのあがらない風体の中年、釈迦堂刑部はヒューム・ヘルシングにボコボコにされて九鬼の支配下に入った。

 

 

 

 本日も、評議会室。今日も今日とて義経の決闘を眺めていた巴の懐から、携帯の通知音が鳴る。室外で電話を取って没収されるのも嫌なので、巴は室内で通話を始めた。

「もしもし、何か用かな直江君」

 電話口の相手は2年生の直江大和だった。後ろからは紋白の声らしきものが聞こえる。

『相馬先輩、頼みたいことがあるんですが……』

「ん、借りイチの件ってことでいいかな」

 入学式での一件を巴は思い出していた。

『はい。それで構いません。それで肝心の要件なんですけど、学園でどこか借りられるホールってありますか? 義経たちの歓迎会やりたいんですよ。出来れば、生徒主導で』

 ふむ、と巴は顎に手を当ててから、旭にお伺いを立てる。

「旭さん、空いてる大きなとこってあるかな」

「今の時期ならC棟の多目的ホールかしら。審査もあるし申請には時間かかるはずだけど、何に使うの?」

「生徒主導で源さんたちの歓迎会やりたいんだって」

「へえ。それは素敵ね」

 両手を胸の前で合わせた旭の嬉しそうな声を聴きながら、巴は電話に口を向け直す。

「直江君、申請に時間かかるってよ」

『そうですか……』

 電波の向こうから残念そうな声が返ってくる。すると、巴の手から携帯が奪い取られる。

「巴。ちょっと変わりなさい」

「あっ、旭さん」

「2‐Fの直江大和……でよかったかしら。評議会議長の最上旭よ」

『こ、これはどうも』

 巴は気が気でなかった。旭の機械オンチの恐ろしさを知っていたからである。

「義経たちのために会場を抑えるのよね? だったら評議会の全権を持って準備するわ。いつやるのかしら」

『彼女たちの誕生日とも重なるみたいなので、金曜日、12日にやろうと考えてます』

「近いけれど、そういうことならいい日取りね。分かったわ、評議会からもお願いして色々と人員を回せるようにするから」

『あ、ありがとうございますっ!』

 話がまとまったと感じた巴は、慌てて通話端末を取り返す。何もしないうちに手元に戻ったので、特に不調は出ていなかった。一度PCのデータが吹っ飛んだこともあったので巴はほっとした。

「じゃあそういうことでいいかな、直江くん」

『はい、よろしくお願いします、相馬先輩』

「オッケー。んじゃね」

 巴は自分から通話を切る。以前後輩と電話したときに中々向こうから切られず、気まずい空気で先に切った経験からだった。この男は顔が見えていないときの自分の怖さに無頓着だった。

 巴が電話を切ると同時、最上旭は立ち上がってこう宣言する。

「皆、今のは聞いていたかしら。こういう時が評議会の腕の見せ所よ。私たちはあくまで裏方だけれど、縁の下の力持ちとしてやれることをやりましょう」

 評議会の面々が力強く頷く。巴は想い人の威風堂々とした姿に見惚れていた。

「まず、申請書類ね。学長と……歓迎会で食事しないはずないから、先に保健の狐門先生から印をもらってきてちょうだい。場所はC棟の多目的ホールで、ああそう、調理室を使うから料理部にも連絡をつけて。巴、彦一に連絡を。題字させるわ」

「了解」

 次々に指示が飛び、その度に気持ちいい返事が空気を揺らす。

「さあ楽しくなってきたわ。体が火照ってしまいそう」

 ウキウキした様子の旭が更なる仕事に手を付け始めるのを眩しそうに見てから、巴は京極彦一に会うべく図書室へ向かった。

 

 

 

 その日の夜の地下室、下校時間が過ぎても遅くまで奔走していた直江大和から巴へ電話がかかってくる。隣には息を乱した旭がいた。鍛錬を終えた後の汗混じりな芳香が男の鼻腔をくすぐる。

『夜分遅くにすみません先輩、今お時間大丈夫ですか』

「大丈夫大丈夫。それで、何かな……うわっ」

 巴の携帯が汗の滴る細い手にまたしても強奪された。旭は普段と変わらない声色で後輩に報告する。

「お電話変わったわ。最上よ。あらかた許可は取って、あとは実働ぐらいになるけれどなにかあるかしら?」

 いきなり電話の相手が変わっても、大和は動じずに話を続けた。

『ありがとうございます。2年はなんとか自分が、1年は紋様が駆り出すので、先輩方には主に3年生の方々へ指示を出していただけると助かります。今回はそれを頼むためにお電話差し上げました』

「2年生はこっちに比べてS組が他クラスと少し壁があるみたいだけれど、来てくれるかしら」

『葵冬馬やドイツから来たマルギッテって人のおかげでその辺は大丈夫です。他のクラスも俺がなんとかします。義経たちがいる2年がメインだと思ってるので』

 後輩の自信に満ちた応対に気をよくした評議会議長はころころと笑う。

「頼もしいわね。よろしく頼んだわ、幹事さん」

『はい。議長もよろしくお願いします』

 話がまとまりかけたところで、旭はこう声をかけた。

「ねえ大和、あなた評議会に入るつもりはない?」

 紋白の人材収集にあてられたか、議長は未来の学園運営に有望な後輩をスカウトしたのである。

 しかし直江大和は、5秒ほど悩んでから拒否した。

『……考えておきます』

「別に今すぐでなくてもいいのよ。いい返事を待ってるわ。それじゃあね」

 旭が通話を切ろうとしたのを、巴はひょいっと奪い返してからボタンを押す。学園では恰好の良かった議長はぷくっと可愛らしく頬を膨らませた。

「……なんで私にボタンを押させてくれないのかしら?」

「パソコン大破事件、俺のケータイのメモリ破壊事件」

「そんなことあったかしら」

「あったよ! あれで一回連絡先ほとんど消えたんだからな!」

 なんで触ってるだけで的確にデータ破壊だけを起こせるんだ、と巴は旭の壊滅的な機械オンチを不思議に思っていた。

「どっちも私は良かれと思って」

「電子機器は俺が使うからいいよ……ずっと傍でさ」

「ふふ、斬新ね。でもまだお断り」

「んがっ……」

 巴の告白はさらっと流されてしまう。がっくりと落とされた肩に、柔らかい手が触れた。

「行けると思ったのに」

「まだまだね、巴」

「精進します」

 なんだかんだで、息の合った二人だった。

 

 

 



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第十話

ラスボス候補その3、登場


 2009年 6月 11日

 巴と旭の二人が朝から主に職員室、事務室を往復していた時のこと。巴が難しい顔をしていきなり立ち止まった。

「……むむっ」

「どうかした? 巴」

「なんか、嫌な気配がする」

 言いようのない不安感がべったりと張り付くような感触を、巴は拙い語彙力で言語化した。そんな男の背中を旭はポンと叩く。

「貴方の勘はよく当たるけれど、今気にしても仕方なさそうじゃない?」

「それは、そうだな」

「はい、じゃあこれ持って。次は学長室に最後の決済印行くわよ」

 了解、と応じて巴は颯爽と肩で風を切る背中についていった。

 

 二人は学長室の前に立ち、ノックを4回した。

「失礼します、学長。3年S組の最上旭です」

「同じく相馬巴です」

「……ご、ゴホン。入ってよいぞ」

 許可を得て入った二人が見たのは、プリントを見てニヤニヤしている気持ち悪いジジイの姿だった。

「むほほ。たまらんわい」

「……何見てるんすか」

「転入生じゃよ。最近多いのう」

「本当ですね。学長、生徒指導の先生からの審査書類を確認いただいてから、こちらの書類に判子いただけますか?」

 巴が持った荷物から旭が必要なものをピックアップして学長に提出していく。鉄心はパラパラと見てからすぐに印を押した。

「ホホ。旭ちゃんの頼みならすぐ押してやるぞい。歓迎会というのも面白そうじゃしの」

「素敵です学長。それでは」

 そそくさと帰ろうとする評議会議長を、学長は呼び止める。

「良い茶葉があるんじゃ。お茶でもせんか、旭ちゃん」

「……死ね、セクハラじじい」

「相馬、お主には言っとらんわい!」

「折角のお誘いですが、回るところが残ってますので失礼させていただきます。また今度機会がありましたらよろしくお願いしますね」

 物腰柔らかく丁重に断った旭は巴の裃の袖をついと引っ張る。余計なことを言うなとでも言いたげだった。

「ほーら旭ちゃんもまんざらでもなさそうではないか!」

「……へえへえ、失礼しました学長殿」

「では失礼します。学長も良ければ歓迎会に顔を出していただけると、皆喜ぶと思います」

 大人気ないしわくちゃの老人に、旭は大人の対応を見せながら退室した。一緒に外へ出た巴は無性に中指を立てたかった。最近中指も親指もジェスチャー用に使っていなかったな、と男は思い出した。

 廊下を歩きながら、二人はとりとめもなく会話する。

「巴、転入生は女の子みたいよ」

「見たの?」

「机に近づいたときバッチリ。貴方や学長好みな黒髪美人だったわ。良かったわね」

 あのセクハラじじいと女の好みが一緒なことに普段から遺憾の意を覚えている巴は一瞬言葉を詰まらせたが、明瞭に返答した。

「俺が好きなのは、旭さんだから」

「私、由紀江、百代」

 列挙された名前に、巴はすぐに反論した。

「待った。由紀江さんはともかく、川神さんは関係なくない?」

「そう? あなた結構百代のことお気に入りでしょう」

「お気に入りったって、ただ絡まれてるから返してるだけだよ」

「向こうもあなたのこと、気にしてると思うわ」

「ないない。あるとしても闘いたいからで……あ」

 そういえば、と巴は思い出す。隣を歩く男の不審な様子を旭は問い質す。

「どうかした?」

「今度土日どっちかで、また川神院行くかも。参ったな、さっき学長に言っとけばよかった」

「……なるほど、百代と組手するのに許可がいるんでしょう。今から戻りましょうか」

「いや、いいよ。ほら」

 巴が旭の申し出を断ると、予鈴が鳴る。にわかに学内が慌ただしい雰囲気に包まれ始めた。

「私たちも教室に行きましょうか」

「だね。遅刻してもよくない」

 評議会議長とその懐刀は、優等生らしく歩いて3-Sの教室に向かった。

 

 

 3-Sのいつものようにすぐ終わるホームルームを過ぎ、巴が姉妹全穴制覇と書かれた本を手に取ると、隣の教室からやたらテンションの高い武神の声が響く。

「超絶美少女きたーーーーー!!!」

 巴はうるせえなと思いながらも、仲間になりたくないのでそれを口にすることはしない。大方学長が言っていた転校生だろう、と思って読書を始めようとすると、隣のクラスからぞろぞろと人が移動する音が聞こえてきた。

 気配を探ると、グラウンドに向かっているようだった。そこから騒ぐような声が聞こえ出し、クラスの数名が窓際に向かうのを見てから巴も続いた。

 そして、グラウンドに並ぶ二つの影を見た時。

 ゾクリと悪寒が走った。吹き出した冷や汗が筋肉の詰まった巴の背中を伝う。

「……なんだ、アレ」

「あら、あの子よ。転入生」

 影の一つは、武神川神百代。鬱陶しいほどの闘気を身に纏って、嬉しそうにしながら正面に立つ相手を見つめている。

 そしてもう一人、均整の取れた肉体に、切りそろえた黒髪を後ろに少し流したような髪型。人懐こそうな、ともすれば童顔と呼べるほど可愛げのある表情は、百人が見て百人が美少女と評するような容貌の女子。腰には銃を入れるホルスターのようなものを何個かベルトにして付けていた。

 巴は固唾を飲み込む。あれは触れてはいけないタイプの人種だ、と本能が警鐘をガンガンと打ち鳴らしていた。

「決闘……じゃないわね。アナウンスがないから」

「……ああ、そうだね」

「あんなにいっぱい武器持ち出して、全部使うつもりかしら?」

 校庭にズラリと並べられたレプリカたちを眺めての旭の問いかけに、今度は生返事すら返せない。その間に、百代と転入生の稽古が始まった。

 百代は初撃として必殺のストレート……川神流無双正拳突きを出したが、転入生はそれをなんなくいなして蹴りを叩き込む。たった一度のやり取りだったが、あの武神に無謀にも勝負を挑むほどの自信を裏付ける一撃だった。

 転入生はヌンチャクに始まり、薙刀や三節棍といった多彩な武器で百代に躍りかかる。どれもそれなりの出来ではあったが、武神を倒すには到底至らないという程度の武芸だった。

 日本刀の使い方がなっていないと思いつつも、巴は正体不明の女子から恐怖で目が離せなかった。

(武芸百般、ってわけじゃない。あの、何が有効か探るような戦い方)

 彼は実戦の中でそういう相手に何度か遭遇したことがある。

(あれは、奥の手があって……しかも、自分の弱さを自覚してる奴の戦い方だ)

 そして―――巴自身と似たタイプの戦士だった。

 守りながら、耐えながら、時には攻めて勝機を手繰り寄せる。その機を逃さないための奥の手を持っている。

 だから、コロコロと手を替え品を替える軸がなさそうな戦法自体に実は芯がある。即ち、勝利こそ全て。

「嫌なタイプだ」

 吐き捨てるような声色でぼそりと呟くと、いつの間にか横にいた女子から声がかかる。

「そうなの? でも可愛い系だよね、あの人」

「どわっ」

「わわわ、そんなに驚かれると思わなかった。ごめんね、相馬くん」

 3-Sの花、葉桜清楚が話しかけたことに巴はいっそ大袈裟なほど驚いて見せた。旭が呆れたような声色で付き人をからかう。

「大丈夫よ清楚。巴は黒髪ならなんでもイケるから」

「フォローになってない!」

「あはは。なら私もいけちゃったりして」

「いや、それはない」

 巴が断言すると、冗談を言っただけの清楚はしょんぼりして指をつんつんと胸の前で合わせた。

「そんなに言わなくてもいいのに」

「ああ、いや、ごめん。葉桜さんはちょっと、強すぎて怖いと言うか、今も後ろとられても気付かなかったし」

 萎んでしまった女子の様子に巴は大いに慌てた。情けない男だった。

「むっ、だから、私は全然強くないって……あ」

 男の物言いに清楚が反論しようとしたところで、二人の決闘もどきは終わったようだった。視線と声援が自然とそこに集まる。

 転入生はルー先生からマイクを貰い、ウィンクを一つしてからこう宣言した。巴は見えていたが、この距離でしても意味ねえだろと思った。

「どもども、声援ありがとうございますっ。京都から来た、松永燕ですっ! これからよろしくっ!」

 紋白のような天真爛漫さではなく、一子や義経のような無邪気さでもない、計算づくの愛らしさ満載な挨拶を巴は冷めた目で見ていた。最初に警戒心を抱いていなければ、自分も騙されていただろうと男は自戒する。

 自己紹介は続き、そのうちに腰の収納から燕はなにかを取り出した。巴はこの距離からでも文字が見えたので、思わず読み上げてしまう。

「……粘れ、松永納豆?」

「私が川神さん相手に粘れたのは、この松永納豆のおかげなのですっ!!! 私はいっぱい試食品を持ってますので、興味ある方は皆さんぜひぜひ、この松永燕ちゃんまで!」

 美少女の力説に、おおと学校中から感嘆の声が漏れる。巴はずっこけた。

「宣伝のためにやってたのかよ……」

 力が抜けた男に、清楚美少女が怪訝そうに話しかける。

「もしかして相馬くん、あの文字見えたの? 凄いね、与一くんみたい」

「一応。目だけはいいからさ」

「いや、目が良いからで見える距離ではないだろう、相馬」

 彦一のツッコミに、へらへらと巴は応じる。

「俺は弓兵ってわけじゃないけど、目が良いと何かと助かるんだよ。例えば悪女に騙されないとか」

「あら、私には騙され通しだけどね」

「旭さんにだけは騙されてもいいよ」

 想い人からのちょっかいも受け流すことが出来た……要らない言葉つきで。

「どう? 今のいい男ポイント高くない? 付き合おうよ」

「ふふ。言わなかったら完璧だったわ。だぁめ」

「はい……」

 所詮一瞬で評価を覆されるに足る、ダメな男だった。このやり取りを初めて見た清楚は驚いて言葉を失い、見慣れている彦一は薄く笑っていた。

 

 

 

 放課後。

「えーっと、次は多目的ホールに直接行って……いや、その前に直江くんに……」

 巴は旭と別行動で駆けずり回っていた。大和を探しているのは、昼休みに気を探ってプールに居ることは確認できたがあの松永燕と一緒にいたので会うのを避けていたからである。ちなみに転入生の美少女はわざわざ気配を消す周到ぶりを見せていた。

 相馬巴の中で、松永燕は警戒レベル最大の相手になっていた。出来れば近づかない。近づいてきたら愛想はよく、そして関わらず。人当たりの良さは、短い人生の中で培った処世術だった。

「今直江くんは……由紀江さんと一緒か」

 あの清らかな闘気を感じた巴はいくらか癒されて、和んだ。彼が黛流の人間を気に入っている理由の一つでもあった。

 接近する裃姿の上級生に初めに気付いたのは直江大和だった。続いて由紀江、紋白、同席していた大和田伊予の順に先輩の方を向いた。

「相馬先輩、こんにちは」

「こんにちは直江君」

「おお、相馬ではないか!」

「こっ、こんにちは、相馬先輩!」

「ん、どうも由紀江さん。そっちは大和田さん、だっけ」

「はい。初めまして、大和田伊予です。まゆっちから先輩の話はよく聞いてます」

 弁当対決の時覗いていたよね、とは話が面倒になりそうなので言わなかった。

「ははは。なんて言われてるか気になるなあ。悪口?」

「全然違いますよー。むしろのろ……」

「わー! わー!」

「伊予坊、それ以上は言っちゃならない領域だぜ……」

 由紀江は顔を真っ赤にして親友の口を塞ぎながら、松風を喋らせていた。器用だなあ、と思いながら巴は本来の要件を済ませようとする。

「直江くん、これ集金の目安。見積書とか、学校から借りられる物品の一覧もあるからそっちも見といて」

「ありがとうございます。どれくらい集まりそうですか?」

 ざっくりと丼勘定した値を見せると、歓迎会の幹事はにやりとした。

「……うん、これならなんとかなりそうだ。ありがとうございます先輩」

「フハハ! 相馬は武力だけでなく知力もあるのだな!」

 紋白の賞賛を、巴は丁寧に否定した。

「いんや、やったの殆ど旭さんですし。俺はほら、足使って人集めてるだけですよ紋様」

 事実、巴がやっていることと言えばほぼ使い走りだけであった。だが、更なる賞賛で謙遜は打ち消される。

「では知力というところは修正しよう。だが、いくら頭が優秀でも人体とは血液が無ければ動くことは出来んのだ。組織の中で人間を滞りなく循環させられるそなたは間違いなく優秀だぞ。今九鬼の傘下にいなければなにをおいてもスカウトしているところだ」

「……これはどうも、ありがとうございます」

「フハハ! ヒュームからもお前は評価が高いしな! 信頼しておるぞ、相馬」

 染み渡るような言葉に巴はついお礼を言ってしまった。これがカリスマか、と思わせる人間的な魅力があった。

 それから、大和が指示を出すべく多目的ホールに向かうのに巴もついていった。道すがら、由紀江の友人である伊予に話しかけられる。

「相馬先輩。つかぬ事を伺いますが野球はお好きですか?」

 野球という言葉を聞いて巴は苦い記憶を思い出した。

「野球は、苦手だ」

 少し顔をしかめた三年生に、伊予は怯みつつも話し続ける。

「に、苦手なんですね。ちなみに、理由とかって聞いても」

「あれは俺が一年生の時の話だ……」

 川神ボール―――野球とほぼ一緒のルールだが、ボールを持った人間やバッター、ランナーへの直接攻撃がアリというとんでもないルールの体育祭種目でのお話。メンバーが控え含めて14人である事をことわってから巴は懐かしむように話し始めた。

「頼みこまれて出た俺はファーストに入り、正面からボディブローを6発打って6人倒した。定員割れでも続くルールだったけど、さすがに相手が試合放棄した。学長には怒られた」

「なんでこのバケモノ放し飼いになってんだろうね……」

 松風はツッコみ、他の人間はドン引きしていた。いち早く混乱から抜けた大和が会話を続ける。

「それ野球が苦手とかそういう次元の話じゃないですよね……ていうか先輩、結構やりたい放題やってません?」

「一年はそれと決闘禁止令が出された時ぐらい、二年の体育祭でFクラスとやった陣取り合戦では川神さんに付きっきりだったからそんなにやりたい放題はやってない……つもり、なんだけどなあ」

 どこで間違ったのかなあと本気で悩む仕草を見せる巴は、間違いなく川神学園の生徒らしい愉快で馬鹿な先輩だった。

 馬鹿のアホらしい話が一区切りついたところで到着した歓迎会の会場では、様々な人間が忙しなく動いている。ホールに入ってきた巴たちを、まず彦一と清楚が見つけた。

「呼んでおいて待たせるとは、良い身分だな相馬。それで書いて欲しい文字はなんだ」

「可愛い後輩の歓迎会だからね。私も頑張るよ」

「ありがと京極くん、葉桜さん。じゃ直江くん、指示出し宜しく」

「任されました」

 頼れる後輩に指示は任せて、巴は動くことに専念した。

 

 

 

 翌日、主賓たちがなかなか来ないというハプニングに見舞われながらも、義経たちの歓迎会は無事に執り行われた。

 そしてその日の夕方。最上旭はごく短い時間ではあったが、巴の近くから姿を消していた。誰もそのことを指摘する人間はいなかったが。

 先ほど自分が倒した、西方十勇士にも数えられる太ましい女子を背に一人河原を歩く彼女は、いつか買ったフードの長いパーカーに、女性陸上選手のようなセパレートのトップスと長めのスパッツを着ていて、その全てにちゃちな炎の装飾が付いていた。

「……正体を明かすまで、もう少し。他流と戦って調整しておかないと。待っててね、源義経」

 フードの中で、旭は喜悦に満ちた笑みを浮かべる。だが、ふと思い当たったことに足を止めて顎に手を当てた。

「ああ、そうだ。巴にも言う覚悟をしておかないと」

 再び歩き始めた足取りは、羽のように軽く。

「―――ようやく夜明けの時が来た、ってね」

 上機嫌の黒髪美人は、自分の道を歩み始めた。

 

 

 




歓迎会全カットすると思わなかった。


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第十一話

読み上げ機能が使えるようになったから倍速で流してたら、百代がひゃくだいって読まれてて笑っちゃいました。


 2009年 6月 14日

 うららかな日差しが差し込む日曜の朝、よく掃き清められた川神院前の爽やかな空気と裏腹に巴の顔色は優れなかった。この関東の武道総本山、川神院という場所自体と相性が良くないのかもしれない。

 というのは冗談としても、この裃姿の男がしかめっ面をしているのには理由があった。

「……なんで松永さんまでいるんだよ」

 気を探ると、中で松永燕と川神百代が組手を行っているようだった。これ自分は帰っていいんじゃないか、と思いながらも巴は観念して院の敷地へ入っていく。

 口々に挨拶してくる門弟たちに挨拶を返しつつ、以前達人たちに囲まれた塔の下へ。

 そこには、楽しそうに人の肉体へ拳を放つ武神と、それをひらりと受け流す一羽の燕がいた。

「ははっ! やっぱりお前とやるのは楽しいな! 燕!」

「お褒めに預かり光栄だよん、モモちゃんっ!」

 荒々しい攻めを行う百代と、一つ一つをよく観察しながらほとんど回避と防御に専念している燕。

 もちろん組手である以上お互い本気ではないが、転入生の方は相も変わらず底を見せない闘い方を徹底していた。

 巴はぐるりと塔の周りを移動して、二人の戦いを観察していた大和と一子に近寄る。先輩に向けて一子は元気よく挨拶した。

「押忍っ! おはようございますっ! 相馬先輩!」

「おはよう一子さん。直江くんも」

「先輩、歓迎会では色々とご尽力いただきありがとうございました」

「いーのいーの。うちの旭さんが好きでやったことでもあるしさ」

 頭を下げる後輩に、先輩は気にするなと伝える。そして三人で稽古に視線を戻した。

「二人とも強いねえ」

「先輩は、お姉様と松永先輩どっちが強いと思いますか?」

 一子の素朴な問いに、巴は含みを持たせつつ返答する。

「川神さんだよ。実力があるのはね。ただ……」

 後輩二人の視線を受けながら、男はこう言い放った。

「本気で戦ってどっちが勝つかは、正直分からん。勝負には紛れも偶然もあるし。強い方が絶対勝つって単純なものじゃないから」

 もちろん勝つ手段は用意した上での話だけどね、とかつて格上を何度も倒してきた男は自分の経験からの言葉を後輩たちに送った。

 しばらく激突が続いた後、燕の参ったというコールで組手が一区切りつく。一子は百代に駆け寄ってタオルとドリンクを渡し、燕は大和に擦り寄ろうとして、その隣にいる巴に気付き声をかけた。

「や。はじめまして、かな。F組に転校してきた松永燕だよ。よろしくね相馬クン」

 握手のために差し出された手を用心深く受け取り、巴は挨拶を返す。

「はじめまして。S組の相馬巴だ。よろしくお願いするよ、松永さん」

 たとえ名乗る前から名前を知られていてもあくまで笑みは崩さず、されど警戒心は解かずに応対する。

 しかし、それを見抜いた燕はからかうようにこう言った。

「あはは。やだなあ相馬クン。そんなに警戒しないでよ」

「顔に出てたか、しまったな。美少女の手を握る時、男は緊張するもんなんだよ」

「あらお上手。じゃあその緊張を解いてしんぜよう。はいプレゼント。栄養満点松永納豆だよん」

 空々しい会話を打ち切るように、燕はいつの間にか手に持っていたカップ入り納豆を差し出す。巴は受け取り拒否の意を示した。

「気持ちは嬉しいが、朝食でお腹がいっぱいなんだ。また今度貰うよ」

「心配しなくても、毒なんて入ってないよん」

「その納豆、わざわざあんな目立つ場所で宣伝するくらい大事な商品なんだろ? 毒盛るなんて程度の低い心配してないよ」

「ふふ……」

「ははは……」

 顔に笑みを貼り付けた巴は、松永燕との関わり方を決めた。

(絶対この女とは自分から関わらねえ……無視しよ無視)

 先輩二人のちょっとスパイスが効いた会話に挟まれた直江大和は、内心で二人への警戒度を上げていた。

 すると、会話が膠着したところに乱入者が一人来る。

「なーに三人で仲良く話してるんだよー。百代ちゃんも混ぜて欲しいにゃーん」

「聞いてよモモちゃん。相馬クンってば私の愛のプレゼント貰ってくれないの。シクシク」

 燕は乱入してきた武神に泣いて縋りついた。しかし巴は動じない。女の子の涙や弱々しい姿には弱い男だったが、玄人の嘘泣きや擬態に騙されてやるほど甘い男でもなかった。

「腹減ってないから納豆はいらないって言っただけだ。変な脚色をされても困るな、松永さん」

「鬼ー! 悪魔ー!」

「別に鬼でも悪魔でもいい」

「なんだよ相馬。燕にやたら厳しいじゃん」

 百代の追求を、巴は事もなげに受け流す。

「川神さんと同レベルの人だなと思ってるだけだよ」

「ほう、つまり私も燕に並ぶ美少女ってことか」

「私たち黒髪美少女コンビだもんねーモモちゃん。イエーイッ!」

 女二人は姦しくハイタッチを交わした。巴は眉間に指を当てた。

「俺帰っていい?」

 巴としては割と本気で聞いてみたのだが、百代は即却下する。

「ダメだ。なんだかんだでお前と組手やるの初めてだからな。こっちはワクワクしてたんだぞ」

「おりょ、そーなの? 相馬クン。モモちゃんなら会った瞬間戦ってそうだけど」

「学長直々に接近を控えろって言われてたんだよ。危ないんだってさ、俺」

 三年生3人が話しているところに、老人が一人やってくる。

「だって危ないと思ったんじゃもん」

 審判役をすべく門弟の稽古を切り上げて庭に出てきた川神鉄心に、巴は毒舌を向けた。

「学長、もんとかキモいです」

「口の減らん若造じゃわい」

「その年で枯れてない方がどうかと思いますがね」

「何を言うか! 儂がこの年まで永らえておるのは学園のブルマのおかげじゃぞ!」

 くわっと怖い形相を作り出し、変態的なことを言う年寄りに、巴はさらにげんなりした。中指を立てる元気もなかった。

「まあ、お前さんも落ち着いてきたみたいじゃしの。ここらで一つ、モモと稽古して帰るとよい」

「んじゃ相手頼むわ、川神さん」

「ああ。今日はいいな。燕とも相馬とも戦えて。こんなに充実した日は久しぶりだ」

 心底嬉しそうに、百代は一人ごちる。新しい服を買いに行く時の少女のような表情だった。

 川神学園で最強の名を聞けば票が全て集まるような二人は間を空けて向かい合う。巴はヘアゴムを取り出し、オールバックに髪を纏めた。

「相馬流、相馬巴。参る」

「川神流、川神百代。いざ」

 名乗りを上げた後、百代は訝しむような視線を徒手で構えを作った巴に向ける。

「素手でやるのか?」

「稽古だし、俺は俺のスキルアップが目的だからさ。ああ学長、少しでも殺気出したらいつでもぶっ飛ばしてくれていいんで」

「承知した。では開始するぞい」

 強さという点では全幅の信頼を置いている学長へ巴はこの前弁慶を殺しかけた経験から警戒を促した。応じた鉄心が、手をまっすぐ天に向ける。

 余った3人は固まって話していた。

「大和くん、一子ちゃん。あの二人どっちが強いと思う?」

 神妙な面持ちの大和は、美人な先輩の問に溜めを作ってから答える。

「……姉さんだと思います」

「あ、あたしもお姉様が強いと思います。でも相馬先輩は強い方が勝つとは限らないって言ってました!」

「なるほどね。一子ちゃん、私もそう思うよん。そっか、相馬クンもそのタイプかあ」

 うんうんと頷いてから、燕は真剣な目つきを二人に送る。大和や一子も燕に倣い視線を集中させると、空気が張り詰めていくのが分かった。

「……始めいっ!」

 静謐な空気を切り裂くように、川神院の長の腕が振り下ろされた。

 

 

 

「いきなり川神流無双正拳突きっ!」

 百代は一気に距離を詰め、必殺のストレートを繰り出す。それに対し、巴も間合いを潰す。

「雑。ほいさっ」

「うおっ!?」

 そして、前へ出ていた百代の左膝に内側から右膝側面を当てて押した。それだけで武神は外へ力が逃がされ、体勢を崩す。

 燕は後輩二人に向けたわけではなかったが、自分の思考を言語化する。

「おお、あれは巧いねえ。だから袴履いてるのねん、なるほろ」

「松永先輩、袴と今のってなにか関係あるんですか?」

 一子の問いに、先輩は優しく回答した。

「大アリだよん。袴ってね、対戦すると分かるけど足運びがほんとに見えなくなるんだよ」

「じいちゃんとの稽古でそれは知ってますけど……」

「もちろんモモちゃんも承知の上だと思うよ。でもあのレベルだと、少し見える時間が遅くなるだけで致命的なの。それにね、相馬クンの足がモモちゃんの内側に陣取ったでしょ。あれも小技だけど高等テク。あれだけでモモちゃんの力の流れぐちゃぐちゃにされてるから」

 解説から高評価を受けていた巴はそのまま大内刈りの要領で左足を刈ろうとするが、回避されて距離をお互い取って、また激突する。

「もう、一回!」

「だから雑だって」

 今度は顔面に繰り出された正拳突きを、巴は横に回り腕の外側から百代の襟を取って腕返し……前に出た腕を巻き込み体ごと回転させて投げる技に入る。

 百代のしなやかな筋肉はねじられても靭性を発揮し投げられなかったが、前のめりに倒れこんだ。巴は立ち上がろうとする相手の足を一度蹴って倒し直してから腕に裏十字固めをかける。

「あっぶ、な……ぐあっ!?」

「はい、これでいいか?」

 回転して裏十字から逃れようとする体に張り付くように動き、巴は完璧に表の十字固めを極めた。百代の美しい腕からみしみしと悲鳴が上がる。

「学長、一本でいいですか?」

「うむ」

 頷く師に、武神は噛みつく。

「おいじじい! 私はここからでもやれるぞ!」

「黙らんかモモ、本来なら腕を一本持っていかれておるんじゃぞ。お前はこういう繊細な技術に疎いのお」

「折られたら治せばいいだろ!」

「そういうの、悪いとこだよ川神さん。よいしょっと」

 極め技を解き、巴は袴についた玉砂利を叩き落とす。百代も不承不承といった感じで立ち上がった。

「瞬間回復、だっけ。あれがどの程度の怪我まで治せるか知らないけどさ。それありきの戦い方、どうかと思うよ」

「……ご親切に、どうもっ!」

「待たんかモモ! まったく……」

 忠告をしてくる巴に向けて、2本目のコールがかかる前に百代が襲い掛かる。飛び上がっての回し蹴り、川神流では空衾と呼ばれている技だった。巴はそれを冷静に避け、追撃に入る。

「川神流、蛇屠り!」

 着地した百代は間髪入れずに水面蹴りを繰り出すが、男はそれを足捌きだけであたかもすり抜けたかのように回避し、またもやグラウンドに持ち込む。

 巴が放つ頭を狙った回し蹴りから、水面蹴りを撃った体勢よりさらに頭を下げることで逃れた百代は半ば押し倒されるように体を重ねられる。

「わお、大胆だね相馬クン」

 燕の茶化す声は、二人には届かない。

 上を取った巴は地面に押し付けるように体重をかけながら、アームロックに入る。百代はそれを避けて体を入れ替えようとするが、重心の操り方を心得ている男の技術の前には無駄なもがきだった。詰め将棋のようにじわじわと退路を断ってくる種々の関節技から百代は必死に逃れ続ける。

「調子に乗るなよ相馬! 川神流、人間爆弾!」

 拘束から抜け出すため、百代は自爆技を放とうとする。瞬間回復があるからこその荒業だった。

「……ああ、そりゃダメだ」

「なにっ!?」

 だが、人間爆弾は不発に終わる。巴が気を使って無理やり爆発を抑え込んでいたからだった。呆気に取られた百代に跨って足を足で絡めとり、マウントポジションを取った巴はシンプルな正拳突きを顔面に寸止めした。

「ほい、一本ね」

「……分かった。これはお前の一本だ」

 武神は目を閉じ、諦めたように息を吐いた。

 

 

 

 観客になっていた3人は三者三様の驚愕に包まれていた。

(いや、調べたときも思ったけど相馬クンほんとにバケモノだね……殆ど正攻法でモモちゃん完封してるよ。人と戦うのに慣れすぎてるね)

 松永燕は、彼女自身の目的が達されない可能性を感じて。

(お姉様があんなに一方的に……相馬先輩はまだ刀を抜いてないのに)

 川神一子は、姉の不敗神話が揺らいでいるのを感じて。

(いや、これ相馬先輩、もしかして姉さんよりほんとに強いんじゃないか)

 直江大和は、力の権化である川神百代を真正面から技術で抑え込む巴にある種の尊敬を抱きつつ。

 相馬巴はただの強さ、武力だけで3人を圧倒していた。

「相馬、やっぱりお前めちゃくちゃ強いじゃないか。ワクワクしてきた」

「2本俺が連取してるけどね」

 巴は低レベルな煽りをする。武神は青筋を立てて引っかかった。

「ははは……絶対倒す」

「そういうとこが悪いって言ってるんだけどなあ」

「なんだよー。お前もじじいと同じく精神面がどうとか言うのか?」

 問われた男は首を縦に振った。

「そもそも戦力がメンタルに左右されるのがよくない。木曜とか、さっきの松永さんとの組手みたいに、相手をナメて戦闘を長引かせようとする癖もダメ。集中力も散漫。ルールのある組手だから投げと関節で奇襲かけただけだけど、素手が本職じゃない俺の組み技が通用するなんてはっきり言って有り得ない。まんまとやられた川神さんは明確に問題があるよ」

 舌鋒鋭い同級生の批判に、百代は拳をワナワナと震わせた。

「……でもさー。すぐ終わったらつまんないじゃーん」

「川神さんはさ、負けたいの?」

「そういうわけじゃない! でも」

 勢いよく否定したが、百代は一気に語勢を弱めてしまった。

「……でも、こんな風に私相手に戦えるやつ、今までいなかったんだ」

 それは、虚しさの吐露だった。あまりにも強いからこその孤独。

「今、義経ちゃんたちの挑戦者選別もやってるんだけどさ。なんかピリッとしないっていうか……最近あんまり楽しくないんだ」

 呟く武神の目尻には涙すら浮かんでいる。

「だから、燕が来るって言ってくれて、お前も稽古してくれるって。今日はほんとに楽しみだったんだよ」

 巴はいたたまれなかった。彼が強さを求める理由は旭を守るためだったし、鍛錬の相手としても旭がいた。幼少から師である父を追い越そうとし、追い越した後も常に実戦に身を置いていたこの男は、競う相手がいない孤独を味わったことがなかった。

 ゆっくり空気を吸い、そして吐く。一度天を仰いでから、男は意を決した。

「……わかった、悪かったよ。じゃ本気でやろうか」

 こう言葉にすると、巴は二刀を抜いた。百代の表情はぱっと華やいだが、鉄心から思わず注意が飛ぶ。

「相馬、ならんぞ」

「組手の範囲は弁えてます」

「じじい頼む。やらせてくれ」

「むう……」

 唸る老人に、助け船が出される。ぷにっとした頬に指を当てた燕であった。

「はいはーい! 燕ちゃんもちょっち反対かな」

「燕。こればっかりはお前の指図は受けないぞ」

「うーん、でもねえモモちゃん。正直危ないと思うんだよね」

 それにね、と燕は話し続ける。

「相馬クンはさ、全力出せる稽古相手……いるよね?」

「……いないが」

 巴は旭から、彼女が壁を越えた強さであることは隠すよう言われていたので反射的にそう答えた。それに旭が相手でも幾分か手加減しているので、全力を出せる相手がいないというのは真っ赤な嘘ではない。

 しかし、したたかな女子はその返答を笑い飛ばす。

「あはっ。嘘つくのが下手だねん。本職じゃないとか言ってたけど、あれだけの組み技の技術は対人でみっちり練習しないと身につくものじゃないよ。まあ袴着てグラウンドで組み合う神経は理解できないけど」

 転入生の物言いに、巴は眉間に皺を寄せて目を細めた。殺意こそ出していないものの、明確な威嚇であった。

「……ああそうかよ。じゃあ、いたらどうだって言うんだ?」

「っ、わお。そっちが本性かな?」

 あくまで飄々とした態度を崩さない燕に、今度は百代が詰め寄る。

「燕。いい加減にしろ」

「モモちゃんまでそんな顔しないでよー」

「私はな、こいつと戦うのを2年待ったんだ。邪魔するって言うなら、いくら燕でも容赦しないぞ」

「私はモモちゃんも相馬クンも心配だから言ってるのに。えぐえぐ」

 ウソ泣きを見せる美少女に、後輩からの横やりが飛んだ。

「燕先輩。引いた方がいいと思いますよ」

「松永先輩。あたしもお姉様を戦わせてあげて欲しいわ」

「……うう、味方がいないよう」

「まあ待て。燕ちゃんの言う事も尤もじゃ。そこで儂から提案なのじゃが」

 先ほど庇われる形になった鉄心が今度は二人の前に立ちふさがる。

「儂とルーで、10秒だけ結界を張る。それまでに決着がつかなければ引き分けということでどうじゃ」

「俺はそれでもいいですよ。あくまで稽古なんで」

「えー。もっとやりたーい」

「モモ。お主が全力で戦ったらこの一帯が更地になってしまうわい。この10秒勝負は元々提案する予定じゃったわ」

「ぐぬぬ……分かったよ。その代わり、全開でやらせてくれよな」

「安心せい、それは保証してやるわい。相馬もよいか」

「ま、短期決戦は苦手なんですけどね」

 勝負を了承した二人は、間合を開けて向かい合った。

 鉄心に呼び出されたルーが来る頃には、巴も百代も互いに不敵な笑みを浮かべて気を高めていた。

「たった10秒なら、油断のしようもないよな。川神さん」

「だから、お前はなんですぐそういう物言いするかな」

 真剣勝負の雰囲気を醸し出しながらも、軽口を叩き合う。仲良しな二人だった。

「うーん、こりゃちょいと困っちゃうねえ……」

「燕先輩、どうかしましたか?」

「うんにゃ、こっちのお話だよん」

 大和から怪しまれた燕は、対峙する二人へ無邪気に見える笑みを向ける。

 巴の背後に川神院総代川神鉄心が、百代の後ろにはルー・イー師範代が陣取る。達人二人は気で結界を創り出した。

「勝負は10秒のみ。双方よいか」

「私はいつでもいいぞ」

 即答した百代に対して、二刀を構えた男は殺気なしの純粋な闘気を放ちながらこう言った。

「ああ、じゃあやる前に一言。俺さ―――負ける勝負って、受けないんだよね」

「ハッ。言うじゃないか―――私が勝つぞ。絶対に」

「それでは双方構えて……」

 始めいっ! と号が発せられた。

 

 

 

 二人とも先手を取るため開始と同時に技を放つ。

「相馬流、睡蓮!」

「川神流、致死蛍!」

 巴が地面に足を突き刺したかと思うと、百代の足元から気で作られた無数の刃が飛び出す。対して武神が前に突き出した手からは、男に向けて気弾が飛ばされた。百代は身軽に躱し、巴は撃ち落としながら前進する。

「ハハッ! これがまゆまゆとの決闘でも見せなかった相馬の技か……っ!?」

「……青嵐!」

 懐に潜り込み、左右から同時に胴を薙ぐ剣閃が走る。これも回避した百代は拳を繰り出す。

「蠍撃ちっ!」

 当たればそこから全身に衝撃が伝播する必殺の一撃を、巴は手首の力を緩めて刀の腹を使い受け流した。

「行くぞ相馬! 川神流、星殺しーーー!!!」

 至近距離から、回避不能な極太のレーザーが放たれる。巴は落ち着いて、刀と全身に気を纏わせた。

「……奥義、行雲流水」

 光の束が向かうと、巴の体と僅か1ミリだけ開けてそれらが分かれていく。雲が行くように、水が流れるように。相馬流の受けの極意であった。

 剣と拳がぶつかり合う二人の激突は、苛烈さを加速度的に増して行く。

 

 

 

(最高だ、最高だ最高だ最高だ! 楽しい! 相馬、お前と戦えたらこんなにも楽しかったのか!)

 川神百代は歓喜の中にいた。もちろん、相手から注意を逸らしているわけではない。そんなことをしている時間がもったいない。

 相馬巴は、強い。全力を出した自分を受け入れてくれる同年代の人間がいるなんて思わなかった。

 いや、受け入れてくれるどころか、この男に自分は……

 そこまで考えて、百代は雑念を振り払った。

 今はただ、目の前の男を倒すのみ。純粋な願いに、強大な闘気を呼応させていく。

 勝負は、残り3秒。

 

 

 

 二人の体はいつのまにか宙に舞い上がっていた。互いに気で足場を作り、ぶつかり合って見果てぬ高みへと登って行く。

(残り3秒……)

(引き分けなんて……)

((有り得ない!))

 お互いの技と技は、言葉なんてものよりも雄弁に二人を通じ合わせていた。

 先に均衡を破ったのは、相馬巴。

「相馬流、月光撩乱!」

 気で作った刃が、百代を包むように展開される。退路を断つように配置されているが、一つ一つが武神の肉体を切り裂くのに十分な切れ味を持っていた。

「川神流、人間爆弾!」

 武神はそれらを、自爆技で巴ごと吹き飛ばそうとする。男はさっき見た技に前回とは違い、自分に気を纏わせることで対処してすぐ追撃に移る。

 瞬間回復を終えた百代は迎撃態勢に入っていて、彼女が使い慣れた必殺の一撃を繰り出す。

「奥義、重ね桔梗!」

「川神流、無双正拳突きっ!」

 一瞬、百代には巴の腕が四本になったように見えた。気で作り出した幻影の一撃を避けた後、その影に追いつくように振るわれる本命の斬撃が直撃するのが重ね桔梗……相馬家初代の妻、桔梗の名を冠する技だった。

「……う、ぐっ、ごはっ……!」

 激突の結果は―――相討ち。百代は気でガードしていて切断はされていないもののしたたかに腕を打たれ、瞬間回復を使う。

 そのタイムラグが、命取りになった。

「ぐ、うっ……あああああっ!」

 巴は胸に直撃した無双正拳突きのダメージも気にせずに最後の一撃を繰り出す。

「飛燕、落としっ!」

「……っう、わっ!?」

 空中から、百代の体が地面に叩きつけられて土煙が舞う。

 そして視界が晴れたときには、立っている男が一人、横たわって首筋に刀を突きつけられた女が一人。

 見上げるのが川神百代。見下ろすのが相馬巴。

 息を整えながら、百代は言葉を紡ぐ。

「私は、出会った時からこうしてお前と戦いたかった」

「そうかい。俺は出会った時から、こうして川神さんに勝ちたかったよ」

「……今のお前、いい男だな」

「だろ? 今旭さんに告白したら成功するかな」

「はは。どうせ無理だよバーカ」

 万感の思いを込めつつ、二人は会話する。誰も口は挟めない。

 文句なく、相馬巴の勝利だった。

 

 

 

 

 巴は刀を納め、百代に手を貸す。武神は素直にその手を取って立ち、胴着に付いた土を払った。それから地団駄を踏む。

「ん〜〜〜っ! 悔しいっ! でも良い勝負だったっ!」

「そりゃ、四つあるうちの奥義二つも使わされたからね。勝てないと困る」

「なんだ、あのレベルの技、まだ二つも残ってるのか?」

「残りは扱いが難しいもんで。行雲流水は便利だし得意なんだけどさ」

「星殺しを流した技か! あれどうやってるんだ?」

「ははは。それは流派の秘密」

「なんだよ教えろよー……ま、いいや」

 百代は腕を組んで巴に向かい会い、勝負の最後の最後に解せないことがあったので問い質す。

「飛燕落とし、だっけ。お前なんであれ峰打ちだったんだ?」

「……あれ、バレてた?」

 巴はヘアゴムを外して髪をほどきながら、へらへらと笑う。百代はそんな彼のポリシー、真剣勝負は命を賭けるものというのを知っていたのでさらに問い詰める。

「当たり前だ。何か? 私は殺す価値もないって言うのか?」

 厳しい問いに、くるくるとゴムを回転させながら男は首を横に振った。

「あくまで稽古だし。それに」

「それに?」

「俺も、初めて勝負が楽しいと思った。そんだけ」

「……そうか」

 全力を尽くしてくれた相手が口にする本心からの言葉に、百代はふと相好を崩した。

 朗らかに会話していた二人だったが、ひと段落したところで周囲に視線を向けると、そこにいた全員が信じられないといった表情をしていた。

「どうしたんです? 皆さん」

「あー、私が負けたのが信じられないんだろ」

 百代の言葉に、巴は怪訝そうな顔をする。

「まさか。負ける時は負けるもんでしょ、勝負なんて」

「いやいや相馬クン。モモちゃんが負けを認めるって相当な事だよん。まさかほんとに勝つと思わなかった」

「だって川神さん弱点まみれじゃん。俺が倒さなくてもいずれ……あだだだだ」

「んー? だーれが弱点まみれだって?」

 いつの間にか接近していた燕の茶々に応じた巴は、武神から肋骨を貫手でツンツンされていた。丁度無双正拳突きを撃たれた場所だった。傷跡を抉られた巴はキレる。

「弱点多いなのは事実だろうが! 京極くん呼んで怪談話でもさせてやろうか?」

「わー! お前が言うと真剣であいつやりそうだからやめろよー!」

「お、モモちゃんは怖い話が苦手、と……メモメモ」

 三年生3人が漫才を繰り広げていると、結界を張っていた鉄心、ルー、そして大和と一子も近づいてくる。

 代表して鉄心が一歩前に出る。そして軽く禿頭を下げた。

「相馬よ。百代を負かしたこと、感謝するぞい」

「おーいジジイ。孫が負けたのになんて言い草だ」

「感謝されるようなことしてないですよ。俺も良い稽古になりましたから」

「孫娘の成長に一役買ってもらった人間に礼を言うのは当然のことじゃ。本当に勝つとは思っておらなんだがな」

 フォフォフォ、と髭をいじりながらの言葉に、巴も百代も肩を竦めた。

「相馬。昼飯でも食っていかんか」

「松永納豆もサービスで付けるよんっ!」

「いりません。じゃ帰りますね。今日はありがとうございました」

 正直言うと疲労の限界だった巴は、踵を返して川神院の入り口に向かう。その背中に、敗北を知った武神の声がかけられた。

「相馬……もっと強くなるから、またやろうな」

「またやるかは知らん。取り敢えず今日は勝ち逃げしとくよ。じゃ、また明日」

 しおらしくなった百代を背に、男は逃げるように川神院を後にする。

「……ふふ、バーカ」

 百代はその大きな背中に、指を銃のようにして撃つ仕草をした。

 

 

 川神院一堂と松永燕が昼食を摂るべく移動するなか、大和は立ち尽くしていた一子に話しかける。

「ワン子、俺たちも行こう……ワン子?」

 日々の修行には食事が大事と常に説いている少女の不審な様子を、ファミリーの軍師は気にかける。

「そっか……お姉様にはもう、隣に立てる人がいるんだ……」

 一子の呟きは、騒がしくなりつつあった川神院の空気に吸われていった。

 

 

 

 

 夜の商店街。徐々に蒸し暑くなりかけている夜の空気の中を、松永燕は百代の見送りを断って一人で歩いていた。

 その手には通信端末が握られている。

「もしもし、松永久信の娘ですけれども」

『……なんだ、松永の赤子か』

 電話口の相手は、ヒューム・ヘルシングだった。松永燕が川神に来た理由を作った張本人、九鬼紋白の従者である。

「ご依頼の件なんですけどねえ。隠しても意味ないんでお伝えすると、モモちゃん今日負けちゃいました」

『……相馬か』

「はい」

 紋白から燕に出された依頼とは、川神百代を打倒することだった。そのために九鬼から莫大な資金が投じられた秘密兵器も彼女は持っている。

 大和の同行を条件に審査をすっ飛ばして行った川神院での稽古も、百代の弱点を探るためだったのだが、巴に先を越される格好になったというわけだった。

「いやはや、家名を上げるのもままならないですなあ」

『では松永燕。次の依頼だ。内容は大して変わらんがな』

「およ? まだ松永に投資していただけるので?」

『そういう物言いはやめろ。こちらから申し出ていなければどうせお前の方から交渉していただろう』

「いやあ、性分でして。それで、ご依頼ってのは」

 ヒュームは少しの間黙り込む。それから、ある計画の名前を燕に伝えた。

「……暁光、計画?」

 この瞬間、松永燕に一つ、重い重い足枷が付けられた。

 

 

 

 

 




……巴くん、丸くなったなあ。
まあ百代が男って言ったってことは、まじこいユーザーの皆様ならお分かりの通り、そういうことです。


投稿ちょっと空くと思います。申し訳ございません。感想等お待ちしております。


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第十二話

もうちょっと入る予定だったけどキリがいいので投稿


「おめでとう、巴」

「おめでとう、巴くん」

「は、はあ……どうも?」

 月曜日の夜、相馬巴は戸惑っていた。旭と共に帰宅するなり、左隣と正面からクラッカーの破裂音が響いたからである。突然のことだったが、安物のパーティグッズから飛び出た紙吹雪とリボンを巴は旭をかばいつつオートで全て回避していた。いがらっぽい火薬の匂いが鼻をつく。

 破裂音の主、幽斎はニコニコしながら巴にラッピングされた箱を手渡す。

「聞いたよ巴くん。あの武神に勝ったそうだね」

「稽古ですけどね。幽斎さんも出張お疲れ様でした」

「ありがとう。その出張から帰って九鬼に顔を出したら、巴くんの武勇伝を聞かされて、これはお祝いしないとと思って旭と相談していたんだ」

「大成功ね。お父様」

「ああ。しかも、突発的に始まった勝負だったんだろう? 素晴らしい。まさに試練だったというわけだね」

 うんうんと嬉しそうに何度も頷く幽斎に、巴はげんなりした。この話を聞いていそうで全然聞いていない感じがあまり得意ではなかった。

 まあこのサプライズで旭も嬉しそうにしていたから巴はそれだけで満足だったが。

「巴くんの匂いで分かるよ。きっと川神百代さんとの勝負という試練が君を成長させたんだねえ」

 なんでも、最上幽斎は人の精神の具合が匂いで分かるらしい。巴は目で見る上においてそういう感覚があることは理解出来るので、曖昧に頷いた。

「お父様、ケーキを用意していたんでしょう?」

「おおそうだ。ほら巴くん。戦勝記念のケーキだよ。自作したんだ」

 幽斎がテーブルから持ってきた箱を開けると、小さめの1ホールケーキが詰められていた。上に乗ったチョコプレートには巴の名前と共にcongratulations! とホワイトチョコで書かれていた。

 何度か食べたことがあって、幽斎の手作りケーキが美味しいのは知っていたので、巴はまた頭を下げる。

「あ、ありがとうございます……じゃ、夕飯食べた後皆で食べましょうか」

「ああ、成長した魂の芳香が漂ってくるよ。今度は君や旭にどんな試練が降りかかるだろうか」

「お父様、はしゃいでらっしゃるわね。巴、行きましょう」

「う、うん」

 旭に手を引っ張られて、巴はリビングに向かった。話が伝わるのが早すぎないか? と思いながら。

 ちなみにプレゼントの中身は黒色のシュシュだった。あまり使う気にはならなかったが、男は取り敢えず懐に入れておくことにした。

 

 

 2009年 6月 16日

 武神倒れるの報は学園中に轟いた……というか、敗北した百代本人から率先して広めていたので、巴は一躍時の人となった。3-Sの前には人だかりができ、決闘を申し込んでは殺気を飛ばされてぶっ倒れる下級生が続出した。特に、

『なんだよ、武神って言ってもあっさり負けるんだな』

 こう呟いた男子は失禁させられるほどの殺気を浴びせられていた。身の程知らずが巴は大嫌いだった。

 

 そんなバイオレンスな日の翌日、火曜。

「巴、貴方最近勉強してる?」

 放課後に旭の口から飛び出た言葉に対し、巴は顔を渋くする。

「……いや、実は全然」

 旭に次ぐ学年二位の座は、一度取ってしまった巴が半ば意地になって取り続けていたものだが、最近は武の鍛錬に熱を上げていたので勉学が疎かになっていた。

 全然していない、と言いながらも授業はしっかりと聞いていたし、復習用のノートもきちんと取っているが、それだけで二位を取れるほど甘くはない。旭も巴もその辺りは理解していた。

「じゃ好都合ね。清楚、彦一」

「アキちゃん、昨日言ってた件?」

「あまり職権を濫用しないで欲しいものだがな」

 名前を呼ばれた清楚は小首を傾げつつ、彦一は苦言を呈しながら応じた。

「じゃあ、自習室に行きましょう」

 旭の号令で一行が向かったのは、図書室内に設置された自習室だった。議長権限で、というよりはきちんと申請をした結果として貸切になっていた。

「というわけでテスト一ヶ月前、勉強会と行きましょう。えいえいおー」

「お、おー!」

 ニコニコした旭が握り拳を挙げるのに、清楚だけが声を合わせた。巴は何も言わずに手を挙げ、彦一はさっさとノートやファイルを手提げから広げていた。

「つれないわね彦一」

「ここも一応図書室なので、静かにしていただけだ。それで最上くん、今日やる科目はなんにする」

「みんなの共通科目の世界史からやりましょうか」

「うげ……」

 肩を下げて顎を出したのは巴だった。数少ない苦手科目が世界史だったからである。

 成績上位者がSクラスに集められているだけであって、3年生にもなると当然選択科目毎の移動教室が他学年に比べて多くなる。そこで進級時に巴は旭とバラバラに授業を受けるのを嫌って選択科目を合わせたのだが、世界史だけは不得意としていたのだった。

「数学とかやらない? 旭さん」

「巴の解き方がレベル高すぎるからダメ。大体入試範囲超えてるじゃない。証明なしで範囲外の定理使っちゃダメって美島先生に言われたばかりでしょう。まともに解いても満点取れたのに横着するから」

「横着じゃない。証明は短い方が美しいって言ってたのも美島先生じゃん」

 使えるものを使って何が悪いという主義の巴は平然と大学で習うような知識を証明なしで用いて、川神学園数学教師のドン、美島に2学年末のテストで減点をされていた。

「まあそれで大問一つ落とすような失点をされてなお、前回も相馬に勝てなかったというのは悔しいものだが」

「京極くんがいつも三位なんだっけ」

「ああ。最上くんに在学中で一度でも勝てればと思っていたのだが、今回相馬には勝てそうだ」

 清楚の問いに対し、扇子の内側で彦一は不敵な笑みを浮かべる。

 不満そうに頬杖をついていた巴は、観念したように自習室の本棚から世界地図を取り出した。地図自体は頭の中に入っているが、地理を見ながらの整理が世界史の点数向上の早道だということを口酸っぱく言われていたからである。

「ま、この面子なら現文古文は京極くんに習えばいいし、俺としては不満はないよ」

「決まりね。じゃあ勉強会始めましょうか」

 一人不満を吐いていた巴が納得したところで、全員がシャープペンシルと蛍光ペンを取り出し、資料集と問題集に向かい合った。

 ひと段落ついたところで、巴は彦一にふと思いついた疑問を投げかける。

「てか、なんで京極くんは世界史選択なの。倫理政経でよくない?」

「そちらも取っているが、志望校が世界史を必須科目にしていてな。已むにやまれずだ」

 そうか京極くんは文系だった、と思い出した巴は清楚に水を向ける。

「葉桜さんは?」

「私? 私はね、自分のルーツを知りたいから、かな。ほら、英雄って言っても日本のじゃないかもしれないじゃない?」

 ヒナゲシの髪飾りを微かに揺らし、照れてはにかみながらの返答には、勉強道具をひとまとめにした旭が応じた。

「あまり正体がどうこうに囚われると、ロクなことにならないわよ。清楚」

「分かってはいるんだけど……」

「他でもない貴女が、今私たちと一緒に勉強して高め合っている。これが一番重要なんじゃないかしら」

「あ……」

 清楚は旭の明瞭な答えにパチパチと目を瞬かせ、それから満面の笑みをこぼした。

「なんか……不思議。アキちゃんの言葉ってするっと入ってくるね」

「ふふ。清楚にそこまで言って貰えるとは光栄ね」

 蚊帳の外の男二人は、仲睦まじく微笑み合う女子二人を眺めて和やかな雰囲気に包まれていた。

 記述式解答の検討会も終えると、旭がおもむろに席を立つ。

「お花摘んでくるわ」

「行ってらっしゃい」

「巴、付いてこないの?」

「流石にトイレまで行かない」

「そう」

 3人が見送ると、評議会議長は図書室から出て行った。1分ほど経過したところで、巴は違和感を覚える。

「……ん?」

「どうした、相馬」

「いや……ちょっと」

 男が椅子から立ち上がってキョロキョロし始めたのを、和服姿の男と清楚な女は不審そうに見る。

「旭さんの気配が、学校出てる」

「そうなの? 私全然分からなかったけど」

「ちょっと行ってくる!」

 今度は巴が自習室を飛び出した。

「……行っちゃったね、京極くん」

「片付けておいてやろう」

 取り残された二人は、とりあえず二人が残した教材や筆記用具をまとめていた。

 相馬巴は校門を飛び出して多馬大橋に向かう。通称変態の橋と呼ばれているこの場所に旭の気配を感じたからである。

 すると、そこでは。

「ぬうっ! ふんっ!」

「あははっ。マクシムさん、もう少しいけるかしら?」

 がっちりと筋肉のついた肉体を持つ男が繰り出す技の数々を、入学式の日に買った炎の装飾付きなダサいパーカーを着た旭が翻弄していた。

「舐めおってからに!」

「……これが限界かしら。せいっ!」

 そして、懐に潜り込んで三日月蹴りを脇腹めがけてしたたかに叩き込む。男は悶絶して倒れ込んだ。

 ありがとうございました、と言うように深々とお辞儀をする旭。その姿を呆然と見ていた巴の下へ一人の男、異常隆起した肉体を窮屈そうに執事服へ包んだヒューム・ヘルシングが歩み寄る。

「相馬。見ていたのか」

「伯爵……」

「最上旭も詰めが甘いな」

「……っ!?」

 想い人の名前を出されて、青年は動悸が早くなる。

 何故なら、最上旭は”存在感を薄くする技を持っていて自分の力をひた隠しにし続けていた”からであり、事実巴と幽斎以外の誰にもその強さを悟らせていなかったからである。

 青年は老執事に重々しく訊ねる。

「伯爵、あれが旭さんって分かるんですか」

 しかし、ヒュームはこの問いに意表を突かれたような表情を作った。

「お前、まだ聞かされていないのか?」

「聞かされてない、って」

 なにを、と聞こうとして巴は口を噤む。しかし、その動揺は容易く看破されていた。老執事は喉を鳴らして笑う。

「ククク。やはりか」

「……知っていることがあるなら、教えてほしいものですね」

「まだその時ではないということだ。ほら、ご主人様のところに行ってやったらどうだ?」

 まだ、という言葉で常に旭への告白をはぐらかされていた男は語気を強くして詰め寄る。

「そんなんじゃ誤魔化されませんよ」

「ほう、ではどうする? 力づくででも聞き出すか?」

 一瞬で膨れ上がった闘気が辺りを包む。巴も応戦すべく気を高めようとしたが、やめた。

「旭さんに、直接聞きます。伯爵に勝てないとは言いませんが、その方が安全だし、確実だ」

「賢明だな」

 その余裕ありげな態度に、巴は憮然とした。だが気にしていても仕方ない、と旭の下に向かう。

 去りゆく背中を眺めていた最強の名を冠する男は、天を向いて呟く。

「俺も焼きが回ったか? 最上幽斎の持ちかけてきた話といい、相馬巴が強くなれた理由といい……」

 それから、下ろした視線を男女二人に向ける。

「―――相馬よ、近いうち俺とお前は戦うだろう。その時まで精進しておけよ」

 会話の内容には興味ないとばかりに、ヒュームはその場を立ち去った。

 

 逢魔が時の夕陽が赤黒く彩る河川敷で、男と女は相対する。

「旭さん!」

「あら、私は旭なんて名前じゃないわ。近頃噂のファントム・サンよ」

 フードを取らずに応対する相手に、巴は嘘を許さないと伝えるべく眼光を鋭くする。

「……やっぱり、無理あるかしら」

 決して怯んだわけではなかったが、ギャグが通じなかった中年のように旭はとぼけた。先ほどのヒュームとの対話で苛立ちを募らせていた巴は思わず厳しい口調で問い詰めた。

「一体、何やってるんだ」

「なにと問われたら、調整ね」

「何のための」

「私とお父様の夢のための、よ」

 形のよい顎に白魚のような指を当て、フードから見えている口を三日月型に歪めた旭に、巴は一歩近づいてその細腕を手に取る。

「……帰ろう。京極くんたちが待ってる」

「このまま行くの?」

 旭はパーカーを指でつまんで見せる。その下にあるへそ出しルックの衣装を見て、巴は思わず生唾を飲み込んだ。

「あ、いま発情した?」

「……してない」

「うそ」

「じゃあしたってことでいい」

「ふふ。素直でよろし……きゃっ」

 どことなく上機嫌な想い人の体を引っ張り、巴はお姫様抱っこした。裃の上衣越しに、巴は旭のスパッツに圧迫された太ももに触れて興奮した。

「どこで着替えたの」

「あら、今日は随分ワイルドね。襲う気?」

「どこ」

 有無を言わせない男の態度に、からかえる雰囲気ではないと察した黒髪美人は観念したように呟く。

「……学校の更衣室よ」

「行くよ。舌嚙まないでね」

 議長を抱えた懐刀は、全速力で学校へ帰って行った。

 着替えた旭と巴が戻ると既に下校時間が迫っていたので、結局その日の勉強会はお開きとなり翌日以降に持ち越されることになった。

 

 

 

 その夜、最上家。

「おや、おかえり旭、巴くん」

「ただいま、お父様……わわっ」

「ただいま戻りました、幽斎さん。ちょっと旭さん借りますね」

 帰るなり、家主に硬い口調で挨拶を返してから、険しい顔をした巴は旭の腕を引っ張って自室に連れ込む。

「とも……んっ、んんっ!?」

 そして後ろ手に鍵を閉めてから、細い体を部屋の壁に押しつけ、後頭部に手を当てて無理やり唇を奪った。

「ちゅ、ん、ふうっ、んむっ……」

 舌を入れるわけでもなく、傷つかないように加減しながらも唇を押し付けるだけの力任せなキス。頬に当たる鼻息が荒くなり始めてから、男はようやく距離を空けた。解放された旭は口に手を当て、心底驚愕したような表情をしている。

「……ほんとに今日の巴はケダモノね」

 驚きはしてもからかうような調子を崩さない女の瞳を、巴は真剣な視線で射抜く。

「旭さん。もう俺、我慢できないよ」

「ふふ。じゃあ私を犯してみる?」

 するすると制服のスカートを上げようとする旭に、巴は首を横に振って見せた。

「違う。旭さんが俺の告白を断ってる理由を、今日こそ教えて欲しい」

「だから、それはまだ」

 逃げようとはしていないが、尚もはぐらかそうとする旭の腕がしっかりと握られる。

「俺は、本気で旭さんが好きだ。旭さんのためなら、死んだっていいし……一度死んだ。だから、いつか教えるって言ってくれるのなら、今教えてくれ」

 巴の手が、史文恭との戦いを思い出して僅かに力を強める。すると握っていた旭の細腕が軋みを上げた。

「ちょ、っと、痛いわ。巴」

「っあ……ご、ごめん! 旭さん」

 鼻梁の整った顔が僅かに歪むのを見て、男は慌てて手を放す。狼狽える男に、今度は旭が正面から抱き付いた。巴は壁に押し付けられているわけでもないのに、固まって動けなくなる。

「ごめんなさい。そんなに追い詰めてしまっていたのね」

 謝意を見せる旭に、巴は自分が強硬手段に出た経緯を話そうとした。

「……今日、ヒューム伯爵に会ったんだ。そしたら、あの人旭さんの強さを知ってて。それから、まだ聞かされてないのか、って」

「そうね。これからヒューム卿にも一枚噛んでもらうみたいだから、お父様がお話ししたのでしょう」

 今度は優しく旭の体を抱き締め返しながら、巴は嗚咽を漏らす。

「なんで、俺じゃないんだ」

「巴にはまた別の役割があるもの」

「俺には、何でも話してほしい。旭さんのことなら、全部知りたいから」

「全てを知ったら、失望するかも」

「しない」

 力強く断言した男に応じるように、旭は抱きしめる力を強くする。それから寄り切るように少しづつ体を押していき、巴をベッドに押し倒した。

「ちょっ、旭さん、うわっ!」

 上に跨る旭は、巴の顔の横に腕を突き立てる。仰向けに寝かされた男の視界は、人形のように美しい顔とそこから垂らされた黒髪のカーテンに埋められる。そしてそのカーテンが閉じるように、二人の顔が近づいていく。

「ふふ。じゃあ、手付けよ……ん、れろっ……」

 旭からしたキスは、深く深く、蛇のように舌を絡めあうものだった。巴は至近距離に見える白皙の肌から目を離さずに負けじと舌を絡めるが、旭側から落ちてくる人肌の唾液を飲まされるがままになる。

 お互いに体の境界線も時間感覚も分からなくなり、口からもたらされる熱だけが全身を支配してしまった後。

 くてっとした旭が、寝転んだ男の胸板に頭を押し付けた。そしてか細い声で呟く。

「……巴。今度、旅行にでも行きましょうか。温泉とか」

「温泉? 別にいいけど」

「そこで、全部話すから」

「……っ、分かった。じゃあそこまでは聞かない」

 それから、と巴は目の前の美人の顔に軽く手を添えて持ち上げる。

「今日は、ごめん」

「ふふ。今日の貴方は、一段と素敵だったわよ。濡れたわ。ほら……」

 目を合わせながら、旭がごつごつした手を自分の大事なところへ導く。

「わー!」

 巴は驚いて手を振り払った。

「ここまでやっておいて、凌辱して無理やり聞き出す尋問プレイとかはしないのね。意気地なし」

「面目ない」

 色々あったけれど、いつも通りの二人だった。

 

 

 




温泉回は二話後になります。


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第十三話

感想、評価などお待ちしております。励みになります。


 2009年 6月 18日

 木曜の昼休み、巴は由紀江の作った弁当を屋上で食べていた。隣に旭はいない。二人はあの日から少しだけ距離を置いていた。

「きょ、今日も自信作ですっ」

「はは。由紀江さんはいつも自信なさそうしてるのに料理は自信満々だよね」

「はぁうっ」

「実際美味しいよ、このおかずも」

「こっ、このパイセン、女たらし度上げてやがるぜい……」

 北陸の幸たっぷりな昼食に巴が舌鼓を打っていると、屋上の扉が開く。校舎から出てきたのは、源義経、武蔵坊弁慶、そして直江大和の3人だった。まず義経が元気よく挨拶してきて、それに二人が従者のごとく続く。

「こっ、こんにちはっ! 相馬さん!」

「どうもでーす」

「こんにちは、相馬先輩」

「やっ。皆さんお揃いで」

「こんにちは、義経さん、弁慶さん、大和さん」

 並んで座る由紀江が柔らかい笑みで挨拶を返すのを見て、巴は癒された。

「最近よく会うね、直江くん」

「あはは。色々巻き込んでしまっていますが」

「俺も退屈してないからいいよ。それで、源氏の皆さんと一緒に屋上で弁当でも食べに来たの?」

 巴の問いには、義経が回答した。

「直江君には義経のウォーミングアップを手伝ってもらっているんです」

 朗らかに笑う源氏の頭領の言葉に、先輩は思わず首を傾げた。弱いだろ、と口には出さなかった。

「……ほんと?」

「一応、本当です。姉さんのちょっかいが激しくて、回避性能だけはやたらとあるので」

「ふーん」

「相馬先輩に負けてからは、落ち着いたものですけどね。ずっと基礎鍛錬やってるみたいですから」

 そんなことになってたのか、と巴は後輩からの情報を適当に聞き流した。

 義経が大和に剣を振るうのを見ながら、水筒から注いでもらった冷たい水を飲みつつ弁当を食べ終えた男は、手を合わせて食材と料理人に感謝を述べる。

「ご馳走様でした。由紀江さんもありがと」

「いっ、いえいえ、好きでやっていることですので……わわっ」

 謙遜する由紀江の頭を、巴は優しい手付きで撫でた。

「また作ってくれると助かる。あ、頻度はほどほどにね」

「〜〜〜〜〜っ!」

 由紀江の顔が真っ赤に染まる。それをベンチに寝っ転がって川神水を呑みながら見ていた弁慶は一言ぼやいた。

「……相馬さん、割と女殺し?」

「失敬な。女は殺したことない」

「わーお斜め上の回答」

「いやあったかな……結局やってないだけだったかな……標的にはいなかったけど……」

「そしてさらに不安になるやつ。ごくごく」

 地雷をつついてしまったか、と後悔した弁慶は川神水をぐいぐいいきながら話題を変える。

「相馬さんも、義経のアップ手伝って貰えません? 組手なら大丈夫なんでしょ?」

「その心は」

「私が大和の膝枕で寝られる! っふぅー!」

 酔っているようだった(※川神水はノンアルコールです。場の雰囲気で酔っているように見えるだけです)。

「……ま、いいか。おーい源さん! 直江くんよりはデキる自信あるけど俺とやる?」

 先輩の声かけに、義経は刀を納めてわざわざ巴の前まで来て頭を下げて断った。

「相馬さん。申し出はありがたいのだが、義経は直江君に一度頼んでしまったので、お断りさせていただきたく思う」

「じゃ眺めとくよ、止めて悪かったね」

 深追いはしなかった。この辺りはさっぱりしている男である。あっさり納得された義経は機嫌を損ねたのではと思い、慌てて取り繕おうとした。

「き、機会があればまた是非ご指南をお願いしたい、です」

「はは。機会があればね」

「はい! よろしくお願いします!」

 ぱあっと無邪気に笑う義経を見て、巴も笑った。由紀江然り、黛大成然り、この男は邪念の見えない人間が好きだった。

 再開された義経と大和の稽古を眺めて、弁慶は杯を傾けながらすこし拗ねたように呟く。

「うんうん、主ならこうくるよねー。ごくごく」

「……失敗すると分かってて、先輩を利用するのはどうかと思うよ、武蔵坊さん」

「いやあ、五分五分だと思ってたんですよ。そっかー、主かー。主なら仕方ないなー。ごくごくごく」

 巴の言葉に論理なしの反論をしながら、弁慶はやけに早いペースで川神水を飲み干す。

 結局、昼休みいっぱいまで義経鑑賞会が開催されていた。

 

 

 

 放課後、図書室内の自習室。

 備え付けられている椅子を全て埋めて、男3人女3人が席についていた。

「……最近、よく会うね? 直江くん」

「……あ、あはは。色々、巻き込んでしまっていますが」

 どこかで聞いたような会話を二人はしていた。男にしては長めの髪をかき回す巴に、清楚な美少女からの綺麗な声がかかる。

「ご、ごめんね、相馬くん。勝手に連れてきちゃって」

「いや、別にいいよ葉桜さん」

 なんでも、武士道プランに際して2年のSクラスに義経たちが入った影響で3人がクラスを落とされ、欠員補充のために希望者を募って臨時のテストを行うらしい。

「与一くんから、大和くんがテスト受けるって聞いたんだ。大和くんがSクラスに入ってくれたら、義経ちゃんたちも馴染みやすくなると思うし、勉強ならここに連れてきちゃえばいいかな、と思って。つい」

 義経は意欲的に、弁慶はやや消極的にコミュニケーションを図っているらしいが、那須与一はクラスの輪に入れていない……というか、本人があまりその気がないらしいということを清楚は説明した。

 その説明に続くように、大和が熱っぽい口調で話す。

「俺も、義経たちに感化されたんだと思います。Sクラス、狙ってみたい」

 直江大和の、素直な覚悟に満ちた瞳。それを見た巴は……

 ……内心の彼の評価を、かなり下げた。

 何故なら、直江大和という人間の持ち味は、どんなに姑息で卑怯で醜悪な手段であっても、勝利を優先するところだと巴は決めつけていたからだった。

 川神学園でたまに開かれる賭場での活躍や、各部活や職員、評議会内や学外にすら築かれたパイプの数々。去年の体育祭や文化祭での采配。どれも、相馬巴が持ち得ない力である。だからこそ巴は大和を高く評価し、かつ敵にしないようにしてきた。

 そんな人間が狙ってみたい、などと弱気な発言をするなんて。勝利を優先する姿勢に共感すら覚えていた巴は、正直に言えば失望していた。

 ニコニコとした笑みを顔に貼り付けながら、巴は自分のファイルを広げる。

「うん、分かった。じゃあ、俺は俺で勉強しと……ごはっ」

 しかし、手前勝手に勉強を始めようとした男の脇腹には旭の拳が、脳天には京極彦一の扇子が叩きつけられた。

「相馬、そうやって人を判断するのは悪い癖だぞ」

「そうよ巴。困っている後輩がいたら手を差し伸べないと」

「……俺には何もしてやれることねえよ。京極くんはあとでしっぺな」

「それくらいなら甘んじて受けよう。今回は葉桜くんのためにもなることなのでな」

 薄笑いを浮かべる美男子に、巴は恨みがましい視線だけを向けた。面倒なのでしっぺは勘弁してやることにした。

 場が落ち着いたところで、今度は旭が仕切り始める。

「じゃあ、まず選抜テストの科目を教えてもらっても良いかしら? 大和」

「は、はい! 数学と英語です」

「妥当ね、急なテストだもの。じゃあ数学は巴、英語は他全員で教えましょう」

 唯一の単独指名に、巴は顔を渋くさせた。

「なんで俺?」

「貴方教えるの上手じゃない」

「下手でしょ」

「そんなことないよ。相馬くんに教えてもらったらすぐ解けるようになったよ、私」

 男の言葉は、清楚がやんわりと否定した。彦一もそれに続く。

「私も賛成だ。実際、相馬は問題の解き方自体が参考になる。テストでは少し違ってくるがな」

「……けっ、わーったよ分かりましたよ」

 嫌味を言われつつの褒め言葉を、巴は文句を言いながら受け取った。それから、大和に向けて二、三質問を繰り出す。

「じゃ、今回のテスト範囲は」

「い、今までの全範囲だそうです!」

「直江くんの前回の順位」

「34位です」

「微妙……他の受験者とか、作問する先生の情報は持ってる?」

「いま仲間に調べてもらってます」

 やることはやっているのか、と巴は評価を上方修正した。

「数学の教科書貸して。今の進度は?」

 大和は教科書を2冊取り出し、それぞれ現時点で授業が行われている最後のページの角を折って渡す。その部分までをパラパラと見た後、巴は真新しい参考書を取り出した。

「それの33ページの問7、46ページの問3、あと……78ページの問3。やってみて。書き込んでいいから」

 開きやすいよう表紙に折り目が付けられている以外使った形跡が見えない分厚い参考書を渡された大和は、恐縮して返そうとする。

「これ、ほぼ新品ですよね」

「全部解いてるからいいよ」

「巴はね、学園生レベルの数学なら見ただけで大体解けるの。だから大丈夫よ、大和」

 正確には解答の道筋が見えるだけなのだが、数学はとにかく解答の1行目が思いつくことが大事だと考えているので、巴は旭の発言に深く突っ込まなかった。

 だが、この部屋の唯一の謎には突っ込んだ。

「……で、あれはなに?」

 巴の視線の先にいたのは、机に突っ伏した黒い塊……川神百代。最近の稽古の激しさによる疲労と、自習室という空間の退屈さに耐えきれず、爆睡していた武神だった。明らかに、身に纏う闘気が一回りパワーアップしている。

 なんでいるのか、という疑問には大和が答えた。

「姉さんには護衛をお願いしたんです。ちょっときな臭いやつもいるので」

「妨害ね。直江くんは考えてないの?」

「ここで真面目にやって勝てなかったら、Sに行っても長くないので」

 そういう考えもあるのか、と巴はまた少し評価を下げた。乱高下の激しい評価値だった。

 

 

 ともかく、数学を巴が、英語をメインで彦一が教える勉強会は翌火曜日まで続いた。その間椎名京が自習室に来訪してきたり、合流してきた由紀江はSクラスの学力も持っていることが判明したり、清楚が百代のちょっかいに反撃して部屋が吹き抜けになったりと色々あったが……

 

 

 2009年 6月 23日

 S組選抜テスト前日。

「だから、直江くんは場合分けとかは抜け目ないけど、解答のここは厳密さが重要。ここの処理は……」

 追い込みにかかる男二人は自習室ではなく学食で隣に座り、指導役はより点数の高い回答を作成する手順を説明していく。結局英語も指導してしまっていた巴は、なんだかんだで面倒見のいい男だった。直江大和の正直に弱い所を認める態度も評価し直していた。

「じゃ、こっちの問題解いて……ん?」

 一旦大和から離れた巴は、後輩のバッグについていたお守りに視線が向く。巴の目には作られたものに籠った思いの強さがありありと見えていた。

「このお守り、誰かからもらったの?」

「義経達からもらいました」

「ふうん。源氏のお守りか、ご利益ありそうだね」

「はい。これで落ちたら、かっこ悪いですよね。絶対受かります」

「うん、その意気だ」

 巴は大和から他に受験する面子の話を聞いており、正直簡単に受かると思っていたので心に余裕があった。

 並んでノートを広げる二人の元に、葉桜清楚が訪れる。

「相馬くん、大和くん。お疲れ様。あ、お守り付けてくれてるんだ」

「葉桜さんの手も入ってるの?」

「うん。ちょっとちくちくっとしたの」

 清楚は針で布を縫うような手つきを見せた。巴が椅子を引いて示すと、清楚美少女はお礼を言いながら座る。本を読みながらもどことなく手持ち無沙汰そうにしていた清楚に対し、裃姿の男は立ち上がって背を伸ばしながら話しかける。

「葉桜さん、何か甘いモノ食べる? 奢るよ」

「えっ、そんなの悪いよ」

 遠慮する清楚に、巴は学食の上食券を見せた。

「これの有効期限迫ってるからさ。なにかない?」

「……じゃあ、杏仁豆腐でお願いしようかな」

「了解」

 巴は学食で杏仁豆腐と三色団子を購入して、テーブルまで運ぶ。すると、清楚に抱き着く嫌な影が一つ。

「やーやー、相馬クン、お久しぶり」

「松永さん、なんでここにいるのかな」

 納豆小町との異名をとる、松永燕だった。

「ふふふ。私も大和クンに勉強教えてたんだよん。女の子の勉強」

「……嘘ですからね、相馬先輩」

「むー。大和クンつれなーい。あ、相馬クン。そのお団子貰ってもいい?」

「毒入りだぞ」

「うそうそ。もーらいっ」

 燕は瞬く間に一本串を取り、白紅緑と並んだうち緑だけを残して食べた。

「1個はあげる。あーん」

「一本くらい一人で食え。途中のものよこすな。非常識だ」

「冷たいなあ。もぐもぐ」

「……葉桜さん、どうぞ」

「あ、ありがとう、相馬くん」

 お礼を言いながら杏仁豆腐が乗ったトレイを受け取る清楚は、スプーンで一口食べて笑顔をこぼしていた。

 三年生たちの様子を見ていた後輩は、団子を齧りながら隣に座り直した先輩に話しかける。

「……先輩、結構モテてますよね」

「俺には旭さんがいるし。ていうか、モテてると言えば君も椎名さんからガンガンアプローチされてるだろ」

「うぐ」

 先輩の反撃に、大和は痛いところを突かれて言葉を詰まらせる。幼少の頃に恋心を抱いて以来告白し続けているという椎名京の話を聞いて、巴は彼女にシンパシーを感じていたのである。

 どことなく会話が気まずくなった男二人の間に、燕がひらりと舞い降りる。

「なになに? 男の子同士の恋バナ?」

「してない。邪魔」

「ちょっと当たり強くない? しくしく」

 でも、と燕は気を取り直す。

「相馬クンのそういうとこ、嫌いじゃないよ」

「俺は松永さんのそういうとこ嫌いだよ」

 黒髪美少女の気を持たせるような言葉にも、男の返事はにべもない。

「うーん、取りつく島がないねん。大和クーン、慰めてー」

「わあっ、燕先輩、胸押し付けないでっ」

 慌てる後輩を見て、清楚な先輩は杏仁豆腐をつつきながら上品に微笑む。

「あはは。燕ちゃん大胆だねえ」

 最終日の勉強は、グダグダだった。

 

 

 明後日。巴のケータイに電話が一本入る。直江大和本人からの合格報告だった。

 

 

 そしてそのまた翌日。

 手荷物を持った男女二人が、屋敷の前で見送られていた。約束していた温泉旅行に出発する、巴と旭である。

「じゃ、行きましょうか、巴」

「行ってらっしゃい。旭、巴くん」

「見送りありがとうございます。無事に帰ってきます、幽斎さん」

「うんうん。旭のこと、よろしく頼むよ。旭も、これからは色々と好きにしていいからね」

「ありがとうお父様」

 優雅な動作で振り返る最上旭に、相馬巴は付き従う。

 後ろを歩きながら、巴は高揚を抑えきれなかった。

(ようやく、ようやくだ。旭さんの秘密を、教えてもらえて、そして―――――)

 トランクにキャリーバッグを入れ、想い人に手を取られて男は車に乗り込む。

「巴、乗りましょう」

「うん、ありがとう、旭さん」

 

 

(―――――そして、俺の想いにも、決着がつく)

 

 

 静かな決意が、男の心を満たしていた。

 

 

 

 

 




今回と次回で置くのでアンケ答えていただけたら嬉しいです。はいの方が多かったらR18の方に番外編として出します。


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第十四話

11万字かけてようやくここまで来た……


 2009年 6月 26日

 金曜の放課後、二人が最上家の使用人が運転する車に乗り、温泉旅館に到着したころには夜8時過ぎになっていた。品の良い仲居に荷物を預けて通された客室は、離れで内風呂つきな最高級のものである。

「夕食がまだなので、先に頂いてもよろしいかしら?」

「かしこまりました」

 流石に人を使うのに慣れている旭である、部屋の説明をしていた従業員へ明瞭に要件だけ告げて退室させた。

「座りましょう、巴」

 それから、そわそわして落ち着かない様子の男に着席を促す。生返事をした巴は座椅子に座った。

 調度品や今使っている机、既に敷かれている布団などを見ても明らかにランクが違う。裏稼業のころもこんな高級宿に泊まることはなかった巴は、すこし居心地が悪かった。

「すごいね、この部屋。高かったでしょ」

「お父様が用意してくださったから値段は分からないけど、高いでしょうね」

 こともなげに答える旭の返事に、男は質問を重ねる。

「この部屋、幽斎さんが取ってくれたの?」

「じゃあ、私が予約できたと思う?」

 巴は旭の機械オンチを思い出して、首を横に振った。

「……思わない」

「素直でよろしい。なんと言っても、今回は私の門出だから。お父様も奮発してくださったんでしょう」

「お待たせ致しました」

 話し込んでいると、仲居たちが食事を運んでくる。こちらの御膳の中身も豪華絢爛だった。

 複数人が入ってきてテキパキと支度を整える。ものの数分で準備を終えると、全員が折り目正しく退室の挨拶をした。

「では、お済み次第部屋の外に置いていただければ、私どもが回収いたします。明日の朝食はいかがなさいますか?」

「そうね、遅めでいいわ。昼ごろで大丈夫よ」

「かしこまりました。ではゆっくりとお寛ぎください」

 旭の返事を聞いてから、従業員たちは部屋を出ていった。

 二人の目の前には、艶やかな刺身や揚げたての天ぷら、きめ細やかなサシの入った和牛、そして鍋料理が所狭しと並べられていた。

「まず食事にしましょう。お風呂に入って、お話はそれからということで」

「……うん、じゃあいただきます」

 二人は手を合わせて、命をいただくことに感謝した。

 

 

 この二人にとっては少々物足りない量の食事を終え、食器類を部屋の外に出し、内風呂に入る。

「〜〜♪」

 綺麗な音で鼻歌を歌う旭が丹念に髪を洗っている姿を、巴は湯船から見ていた。

 濡羽色の美しい黒髪を横に垂らし、わずかに体をねじる姿。香り立つようなうなじから、天使の羽根と形容するのにふさわしく良い形の肩甲骨。贅肉のかけらもない体つきから骨盤のしっかりした臀部へと緩やかに視線を下ろしていくと、上に戻したところで旭と目が合った。

「随分情熱的な視線ね。巴」

 からかう成分が強い言葉に、巴は言い訳がましく答える。

「綺麗だし、俺もその、男だから」

「あんな熱視線を向けられたら、私も女だからどきどきしてしまうわ。お似合いね、私たち」

「そうだと、いいな」

 整った顔で笑いかけられると、思わず男は顔を赤くする。

(やっぱり、俺は旭さんが好きだ。これからも、ずっと)

 この湯船から上がれば、色んなことに決着が付く。二人の曖昧な関係にも、巴の思いにも。

 だから、男は少しでもこの光景を目に焼き付けておきたかった。

 

 

 

 湯で火照った体を冷ますように、二人は藤で編まれた椅子に腰掛けて夜風を浴びていた。

 程よく冷えた後窓を閉めてから、月明かりの差し込む小部屋で色っぽく頬を上気させた旭とさらに心臓の鼓動を早くさせる巴が向かい合う。

 普段黒タイツに包まれている純白の太ももを襦袢からわずかに曝け出した最上旭は躊躇うことなく、自分の正体を相馬巴に告げた。

「では、単刀直入に言うわ。私はね、木曾義仲、源義仲のクローンなの。武士道プラン、源義経のライバルとして作られたのよ」

 木曾義仲。俱利伽羅峠の戦いにて、平家の大軍を打ち破り上洛一番乗りを果たした猛将。数多くの武勇を立て、そして粟津の戦いで頼朝を将とする範頼、義経連合軍に追われて……妾である巴御前を落ち延びさせ、討ち死にした英雄である。

 最上幽斎が、クローンとして生まれる源義経には家臣は居ても競い合う好敵手が存在しないことを危惧して旭を作ったということが説明された。

 沈黙が場を支配する。巴が、義仲と名前を口で転がすと、旭が髪をくるくると指に巻き付けながら話しかける。

「……意外と驚いていないのね」

 期待外れと言いたげな女に、男は顔の前で手をブンブンと振った。

「いや、クローンまでは予想ついてたし、幽斎さんならやりそうだな、と思って」

「そうね、武士道プランの名前だけは聞かせていたもの」

「うん。それに、色々合点がいったよ」

 巴は指折り数えて納得できる事項を列挙していく。

「木曽の山奥で育った、旭将軍。それから、評議会議長を務めるカリスマ性。源さんにご執心だったこと。最後に……俺を、巴御前を傍に置いていたこと」

「あら、自分で言う?」

「違うの?」

 男は体を前に乗り出す。腰と艶のある黒髪を弄りながら、女はしれっと返答する。

「……実は、巴と出会えたのは偶然なのよ。お父様が九鬼の人材リストの名前を見て決めたみたいで」

「巴、だからか。幽斎さんだけじゃなくて、この前の話からしてヒュームさんも知ってるんだよね」

 こう口にしながら、巴は体だけでなく手も伸ばして旭の白磁の指を手に取る。そして、真摯な瞳を想い人に向けた。

「でもよかった。俺が親から貰った名前が、巴でほんとによかったよ。こうして、旭さんと一緒にいられるんだから」

「そういう巴もクローンかもしれないわよ?」

「あはは。それは多分ないよ。旭さんには言ったことあるでしょ、うちの子供の作り方」

 旭のクローンジョークに、巴は笑いながらとびっきりのブラックジョークで返す。

「……そうね、だから私は、貴方に官能小説を読ませ始めたんだもの」

「まあ、そのおかげで俺はこんなに強いし、旭さんとも出会えたからさ」

 相馬巴という人間は、性行為自体は知っていた。ただ、快楽を目的とする性行為を知らなかっただけだった。

 相馬流は、一子相伝の殺人剣である。であるならば、当然跡継ぎには一定の天稟が要求される。何度も何度も孕ませて複数人を育成するのは効率が悪いと考えた相馬家の源流にあたる一族は、才ある子孫を産むための方法を確立していった。

 香を焚きしめ、密室と化した狭い部屋で三日三晩に渡り行為を行い、その後十月十日の間ひたすらに母体を管理する。体を動かすなどに限らず、経を読み、苦行にも耐え、食事はメニューが全て決められたものを食し、その他睡眠時間など多岐にわたる規則で縛り、産まれる子供へ力を宿させていく。

 そうして強い血を絶やさず紡ぎ上げてきたのが相馬一族であり……果てに産み落とされたのが、相馬巴という一族歴代でも随一の天才。ある意味では、クローン並みにおぞましい生命体だった。

 巴が想いの通じ合わないうちに行為に及ぶことを忌避していたのも、この辺りに原因がある。単純にお互いに愛し合った上で事に及びたかったという童貞じみた考えもあったが。

 ともかくもこれを聞いた旭は、自分の趣味を満足させることも合わせて付き人にやや偏った性教育を施したのだった。

 握った小さな手に熱を移すようにしながら、巴は話を続ける。

「たとえ俺がクローンだったとしても、旭さんがクローンなことも、俺にとってはどうでもいい。大事なのは生まれてからずっと剣を磨いてきて、強くなって、今こうしてこんな素敵な女の子の前に、隣にいられること。だから、俺は嬉しいんだ」

「言ってて恥ずかしくないの?」

「好きな人に告白するのに、恥ずかしがってなんかいられない」

「……そう」

 返事はそっけなかったが、旭は淡い桜色に頬を染め、薄い笑みを浮かべた。

 そして彼女から恋人繋ぎに両手を握り直し、見つめ返す。その目は、真剣で男に恋する瞳だった。

「巴、聞いて欲しいことがあるの。正体をようやく明かすことが出来て、もう今しかないと思うから」

「聞かせて」

 手を繋いだまま立ち上がった二人の距離が、ゼロに近づいて行く。

「私貴方のことが好きよ。付き合って、くれるかしら?」

「……うん、喜んで。俺も好きだよ、旭さん」

 背伸びをする女と、少し身を縮める男。

 月光が二人を優しく包みながら、重なる影を部屋に落とす。

 愛し合う二人が、結ばれた。

 

 

 翌朝。

 一晩中励んでいた二人は小休止に入り、巴の腕枕の中で旭が温もりを確かめるように体を擦り付けていた。

「ふふ。初めてにしては、お互い気持ちよかったみたいね」

「相性がいいんだよ。なんたって義仲と巴だから」

「私が告白する前はどうでもいいって言ってたくせに、調子いいわね。あら……?」

 逞しい腕に包まれていた女が、ふと思い立ったように立ち上がる。裸で。

「わあ、服! 服着て旭さん!」

「ほら、見て。巴」

 だが制止の声も聞かず、旭は勢いよく障子を開け放つ。

 すると、窓から見える山の端から朝日が登り始めていた。山吹色の陽光を透かす旭の素肌と黒髪は、この世のものとは思えない美しさを湛えている。

「……綺麗だ、旭さん」

 惚けたような言葉を漏らす男に、女神のような美少女は向き直る。巴には太陽光が後光のように見えて、ますます惚れ直した。男はふらふらと近寄り、思わず跪く。

 

 

 

「さあ、今日が私たちの夜明けよ。私の愛する巴御前」

「ああ。俺は一生君についていくよ。俺の愛する旭将軍」

 

 

 

 門出を祝うような朝日に照らされながら、二人は新たな契りを結んだ。

 

 

 

 




前半戦終了、旭ルート確定です。 今回は多分本当にしばらく投稿空きます。

アンケートの方も回答いただけるとありがたいです。評価感想などもお待ちしております。


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幕間2

R18のお話も本編の続きも、もうちょっとお時間くだせえ……


 

 

 

 旭の告白から少々時間は遡り……相馬巴が武神川神百代に稽古とはいえ勝利を収めた日の、九鬼での一幕。

 どことなく闇の深い眼を細めて屈託なく笑う実業家、この場を作った張本人でもある最上幽斎はこうのたまった。

「やあ。お歴々が揃っておいでで。桐山くん、御母堂は見つかったかい? 私も見つけてあげられたらいいんだけれど」

「どうぞお構いなく。私は私なりに探しておりますので」

 話を向けられた従者部隊序列42位、青い髪をやや長めに伸ばした桐山鯉は内心の警戒を悟らせないよう軽口を返す。

 それもそのはず、この場にいるメンバーは以下の通り。

 九鬼家従者部隊序列0位、最強を号するヒューム・ヘルシング。

 同じく従者部隊序列2位、世界の歴史の全てを知っているとされ、星の図書館と呼ばれる老女にして才女、マープル。

 序列3位、万能執事、ミスターパーフェクトの異名をとるクラウディオ・ネエロ。

 九鬼家従者部隊のほぼトップ3と言っていい三名に、マープルへ主従のように付き従う桐山鯉。これだけの面子が集まるというのは、よほどの事態か……とある計画絡みでしか有り得ない。

 このメンバーが集められた意味を当然ながら察しているヒュームは、実業家に向けて脅すような声色で語りかける。

「最上幽斎。要件なら手短に話せ。こちらも暇な身ではないぞ」

 場の主導権をヒュームに任せたのか、マープルとクラウディオは警戒しつつも言葉は発さない。

 ピンと張り詰めた空気の中、ニコニコした様子の幽斎は臆面もなく言い放つ。

「私は君たちの武士道プラン"S"について、少々の変更が起こると警告しに来たんだよ」

 あっけらかんと放り出された男の言葉に、動揺を示したのが一人。

「ほう、貴方はそれをどこで……」

「口を挟むな! 赤子」

 思わず質問をしようとした鯉を、ヒュームが諌める。この場で唯一の序列二桁従者は素直に頭を下げる。

「……失礼しました、ヒューム卿」

「フン。では俺から問おう。最上、貴様どこでその話を聞きつけた」

「簡単なことだよ。私の計画を進める上で集めた情報から発見しただけのこと」

「ほう? 貴様の計画とやらを拝聴させてもらいたいものだな」

「確かに、こちらも手札を見せないとフェアではないね。では」

 金髪執事に促されると、幽斎は一つ咳払いをしてからこう口にする。

「暁光計画。私なりの武士道プラン……そうだね、そちらに倣うなら、武士道プラン"A"とでもしておこうか?」

「その口ぶりだと、Sが何を指すかまで知っているようだな」

「もちろん。葉桜清楚の正体も、君たちの失望も。私はちゃんと知っているよ」

 この言葉に、いち早く白旗を上げたのはマープルだった。ため息を吐き、呆れた声で今度は老女が前に出る。

「……やれやれ。ここは大人しく降参しておいた方が良さそうだねぇ」

「よいのですか、マープル」

 完璧執事の優しげな声での問いに、疲れ切った老婆の声で星の図書館は応じる。

「ここまで知られてちゃどうしようもないだろう。ヒューム、あたし、クラウディオ、桐山まで集められてるなら今こいつをどうこうしても計画が進むよう手筈が整えられているはずさ。もちろんあたしたちの方はリークなりなんなりされた上でね」

「話が早くて助かるよ。ミス・マープル」

 空々しい褒め言葉に、老女はつまらなそうに鼻を鳴らしてから答える。

「とはいえしてやられてばかりってのも癪だ。一つ意趣返しをさせてもらうよ、最上幽斎」

「お聞かせ願おう」

「あんたは武士道プランAとか言ったね。Sが清楚を指すことを知ってて、それに倣ったネーミングってことはつまり……あんたの娘、最上旭が誰かしらのクローンで、計画の中心になってるってことだろう?」

 マープルの考察に、幽斎は肯定を返す。

「素晴らしい、流石星の図書館だね。その通りだよ」

 ニコニコと喜色を満面に表した実業家に、やや動揺した最強執事の声がかけられる。

「待て、最上幽斎」

「どうしたのかな、ヒューム卿」

「貴様の娘が……あの相馬を常に傍へ置いている赤子がクローンだと? 性質の悪い冗談だな」

「冗談ではないよ。マープルしか気付かないのも無理はない。私の娘は、極端に存在感を消す技を持っているからね。だからこそ、私の計画も露見しなかったのさ」

 従業員の家族の名前まで全てを記憶しているマープルは、ただの文字列、情報として最上旭の名前を知っていたから気付くことが出来たのだろう、と幽斎は説明する。

 黙り込んでしまったヒュームに代わり、老女が話を回す。

「あたしはそんな話が聞きたいんじゃないよ。クローン技術を盗まれてたってのは業腹だけどね」

「盗んだ……そうだね、盗んだのには変わりないか。いやあ、大変だったんだよ。九鬼の誰にも知られずにクローンを造り育てるのは」

「ふん。ここまで隠しおおせておいてなにを言っているのやら。で? 暁光計画ってのは何なんだい、最上」

 顎に細い手を当て、真剣な表情を作ってから幽斎は語り始める。

「では、私と私の娘である木曾義仲のクローンとの悲願。暁光計画をここに御覧じよう」

 

 ……………

 

 暁光計画、その内容を明かされた従者部隊の四名は言葉を失っていた。

「―――とまあ、これが計画の全容だ。嘘偽りはないよ。この計画、上手くいくと素敵だと思うし……何より、ミス・マープルの希望にも沿うと思うんだ」

 冷や汗をかきながらも、星の図書館はなんとか声帯を動かす。

「しかし、これはあんた……娘をなんだと思ってるんだい」

「私は人類皆を愛しているんだ。これは試練だよ」

「試練ね。確かに、こんな計画が進んでたと知られてたら、内部への目が厳しくなって私たちの方の武士道プランは中止にせざるを得なかっただろうねえ」

「そうだろう? 本当は君たちには知らせずこちらはこちらで計画を進めようと思っていたんだけれど……そうもいかない事情が出来てね」

「まだ話してないことがあるってのかい?」

 場の主導権を完全に握った実業家は頷きを返す。

「巴くん……娘といい仲の男の子がいるんだ」

「相馬か。あいつは絶対に止めるだろうな」

「そりゃ、惚れてる女にこんなことが実行されたら、男なら黙っちゃいないだろう」

「私は彼にも成長して欲しいんだ。これが上手くいったら、彼はもっとかぐわしい魂の持ち主になるよ」

 自分の語り口に陶酔したように、幽斎は話し続ける。

「彼はまだ旭の正体も知らない。旭と彼はまだ交際していないらしいんだけれど……やはり娘の側が遠慮しているのだろうね。正体を明かしたら、好きに生きなさいと伝えるつもりなんだ。ああ、言うまでもないだろうけど、巴くんにはこの計画、秘密にしておいて欲しい」

「俺があいつにバラしてやろうか。別に俺は武士道プランS自体に執着はしていないからな」

「それは困るなあ。私にとっての試練だ。どうしたものか」

 金髪を逆立てた最強執事に睨まれても全く困っているようには見えない男が顎を人差し指で撫でていると、マープルが意を決したように、鋭い声色で場の空気を切り裂く。

「待ちな、ヒューム。あたしゃこの話乗ったよ」

「おい、マープル」

「どうせあんた、さっきの口ぶりだとSの方も本気で成功させる気はなかったんだろう? だったらやることは同じだ。あたしと桐山はこの計画が成功したら、目的自体は達成されるんだからね」

「しかし、マープル。このやり方は余りにも……」

「お黙り、クラウディオ。あたしゃ今更善人ぶるつもりはないよ。どんな汚いことだってやるともさ」

 ネッカチーフに指をかけたヒュームが、憔悴した声で呟く。

「相馬を、敵に回すか……」

「おや、最強が怖気付いたのかい? あんな若造相手に」

 既に覚悟を決めた老女の揶揄いには、沈痛な声が返る。

「相馬とやるとなれば、お互いの死を覚悟する。それほど、あいつは強くなった」

「巴くんは旭とずっと稽古していたからね。彼は旭にとってもよい試練となったよ」

「……なるほど、あいつの強さの理由はそれか」

「なんだい。つまり相馬巴は表向きの武士道プラン、その最初の成功例というわけじゃないか。こりゃ傑作だ」

 老女は、自分の持っている知恵と気品をかなぐり捨てるかのように哄笑した。ひとしきり笑い終えた後、幽斎に向き直る。

「聞いての通りだ、最上幽斎。ここにいる4名、あんたの計画に参加させてもらう」

「英断に感謝するよ、ミス・マープル」

 幽斎が本人としては心の籠った礼を述べると、緊張感のない着信音が張り詰めた空気を揺らした。ヒュームは懐からバイブレーションする通信端末を取り出し、浮かない顔をしながら着信を取る。

『もしもし、松永久信の娘ですけれども』

 川神院からの稽古帰りの、松永燕からの連絡であった。最強執事は重々しい声で応対する。

「……なんだ、松永の赤子か」

『ご依頼の件なんですけどねえ。隠しても意味ないんでお伝えすると、モモちゃん今日負けちゃいました』

「……相馬か」

『はい』

 普段の調子を崩さない、明るい声で燕は報告する。

『いやはや、家名を上げるのもままならないですなあ』

 年下というにも年が離れすぎている小娘の軽口に、ヒュームは部屋をぐるりと見回しながら答える。既に、彼の中でも答えが出ていた。

「では松永燕。次の依頼だ。内容は大して変わらんがな」

『およ? まだ松永に投資していただけるので?』

「そういう物言いはやめろ。こちらから申し出ていなければどうせお前の方から交渉していただろう」

『いやあ、性分でして。それで、ご依頼ってのは」

 老執事は少しの間黙り込む。視線で従者部隊三人の顔つきを見てから、松永の娘へ計画の名前を伝えた。

「我らが新しいプラン、お前にも協力してもらう。計画の名前は暁光計画だ」

『……暁光、計画?』

「詳しいことは追って伝える。川神百代の討伐依頼は一旦取り消しだ」

『ちょ、ちょおっと待っ……』

 ヒュームが赤いボタンを押し、通話を強制終了させると、興味津々といった様子の実業家が話しかける。

「ヒューム卿、今のお電話は……?」

「相馬巴が、川神百代を打倒したそうだ」

 簡潔だったが、その場にいた全員に衝撃を与えるには十分な内容だった。

「なんと……あの暴力の化身のような川神百代を」

「はっ。それぐらいやってもらわなきゃ面白くないってもんだ」

「あの武神を倒すとは……一桁台は確実ですね」

 口々に反応を返す中、最上幽斎だけは目を伏せて思案顔をしていた。

「ふむ……では、やはりこの計画は強行せざるを得ないね」

 瞼を上げた幽斎の顔は晴れ晴れとしていて……それでいて、はっきりと狂気を感じさせるものだった。

「では皆さん。改めて貴方がたの手をお借りしたい。巴くんには、更なる試練が必要なようだ。暁光計画、仮称武士道プラン”AS”。プラン開始と行こう」

「……狂人め」

 不死をも殺すと言われるヒューム・ヘルシングは、苦々しげに呟いた。

 

 

 

 

 



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第十五話 前編

お気に入りが千件超えました。非常に嬉しく思っております。ありがとうございます。
6/27って体育祭の日だったんですね。義経ルートだとカットされてるので忘れてました。
今後もこういう日付ガバというか展開上原作と変更するところがあるかとは思いますがご了承下さい。


 

 

 

 夏至を過ぎ、むせかえるような自然の匂いが鼻腔をくすぐる朝の庭で、男は鍛錬を行っていた。

 居合抜きをした後の形稽古を終え、一息ついた男に近づく影が一つ。

「ふぁ……おはよう、巴」

「おはよう、旭さん」

 ラフな寝巻姿で、つっかけを履いた最上旭である。制服に着替える前のリラックスした服装で、眠そうにしている女は恋人の横に座って伸びをする。

「んーっ。いい天気ね。はいこれタオル」

「ありがと」

 汗に塗れた顔を、受け取った手拭いで男は拭く。タオルを首にかけてから天を仰いだ男の顔を、旭は立ち上がって覗き込む。

「……ねえ、巴」

「なに? 旭さん」

「外でしたら、興奮すると思わない?」

 整った顔を見上げる格好になった巴は、なにをするのかとは問い返さなかった。代わりに別の質問を返す。

「……温泉から帰ってきたのは昨日の何時だっけ」

「昨日の13時……だったかしら?」

「それからもずっとしてたよね。寝たのは何時?」

「今日の午前2時ね。起きたら巴がそばに居なくて寂しかったわ」

 旭はこともなげに返答したが、今は月曜朝の6時。丸々二日間交わってから、4時間しか経過していない計算になる。二人とも性の獣だった。

 微妙な表情を作りつつも、男は問答を続ける。

「寂しくさせたのはごめん。でもあれだけやって、もうしたいの? とんでもない回復力だね」

「エッチな彼女は、嫌いかしら?」

 ひんやりした細い指で頬を撫でつつ耳元で囁かれた巴は、ふっと力が抜けるような感覚に襲われる。庭にズルズルと押し倒されながらも、男はしっかりと答えた。

「……好き」

「正直ね。大好きよ。じゃあ……」

 旭はパジャマのボタンをぷちぷちと躊躇いなく外していく。留め具が外れるたび、陶磁器のような艶かしい白さを持つ肌が太陽の元に晒されていった。

「しましょ、巴」

 拒む理由はもう、ない。

 男は何も言わず、コクリと一つ頷いた。

 1発やった。

 

 

 

 1時間後、シャワーを浴びて着替えた二人はリビングに。

 血色良くつやつやした娘と、普段より何故かやつれた印象の男を、既に朝食を食べ終えていた幽斎が出迎える。

「おはよう、二人とも。セッ○スは上手くいったかい?」

「ええお父様。相性バッチリだったわ」

「……まあ、はい」

 爽やかな朝にふさわしい清らかな会話だった。カップルの返答を聞いた父親はうんうんと頷いてから、真剣な表情でこう言った。

「では一つ人生の先輩からの忠告だ。男女関係というのは付き合ってからが本番とよく言われる」

「本番はもうしたけれどね」

「病気や怪我、価値観の相違、巴くんは心配ないだろうけど金銭問題、不倫や性生活の不満、そして別離。これからきっといろんな試練が君たちを襲うだろうけれど、それらを乗り越えてよい関係を築くことを、私は願っているよ」

 娘の茶々にも動じず、幽斎は一息に言ってから表情をにこやかなものに変えた。

「私はもう、巴くんも実の子供のように思っているからね。旭と同じくらい、君の成長を私は見たいんだよ」

 子供という言葉を聞いた巴は、居住まいを急に正す。

「あの、幽斎さん」

「なにかな、巴くん」

 固唾をゴクリと一度飲み下してから、青年は義理の父親候補へ九十度のお辞儀をした。

「報告が遅れましたが、改めてお嬢さんと正式にお付き合いさせていただくことになりました。これからもどうぞよろしくお願いします」

「うん。より一層、旭のことをよろしく頼むよ」

 話の当事者なのに少し蚊帳の外にされていた旭が、またしても口を挟む。

「あらお父様。そこはどこの馬の骨とも分からない輩に娘をやれるか、と言うのがお約束じゃないかしら」

「それもいいけれど、父親としては結婚の挨拶をされた時の楽しみにしておこうかな」

「……覚悟しておきます」

 からかいの幅を広げつつある親子に対して、婿候補は幅の広い肩を縮めて恐縮した。

 朝食を摂って、学生二人は保護者に見守られながら送迎車に乗りこむ。

「ああ、旭。今日は学園前に迎えを出すから、それに乗ってテレビ局に来てくれ。君のお披露目会だよ」

「了解したわ。お父様」

「これからは特に門限も設けないし、好きに生きていいからね。まあ、巴くんが横にいれば羽目を外しすぎることもないだろうし。信頼しているよ」

「信頼に応えられるよう、頑張ります」

 男は、交際初夜から二日間ぶっ通しで交わっていたことは心のうちに秘めつつ答えた。

 抑揚の薄い、いってらっしゃいという幽斎の声に見送られ、二人を乗せた車は滑り出すように発進した。

 

 

 2009年 6月 29日

 

 

「行きましょう、巴」

「うん、旭さん」

 校門の前に降り立った評議会議長、最上旭とその懐刀、相馬巴は肩で風を切るように歩き出す。

 デニール数の高めな黒タイツでしなやかな足を包んだ最上旭は川神学園の夏服の上に黒いカーディガンを着用し、彼女の髪色を含めて優雅で落ち着いた装いになっていた。その一歩後ろを歩く相馬巴は、月鏡と極楽蝶に加えてもう一振りを腰に佩いている。

 教室に入ると、京極彦一が二人の並んだ姿を観察して口元を綻ばせた。それから、やや控えめに質問をする。

「……つかぬことを聞くが、もしかして君たち交際を始めたか?」

「あら、どうしてそう思うの? 彦一」

 旭の反問に、和服姿の美男子は推察を返す。

「まず、最近距離を取っていたはずの君たちの間が一歩分近く、加えて相馬の顔が緩んでいる」

「え、真剣?」

 巴は自分の顔をペタペタと触る。確かに緩んでいるかもしれない、と男は気を引き締めた。彦一の観察は続く。

「次に、これは私が誰にも恋愛感情など1ミリも持ち合わせていないことを断ってから言うが、最上くんが女性としての魅力を増したように見える。また、高揚しているようにも」

「少し引っかかる口ぶりだけど、光栄ね」

「……あれ? 葉桜さんは?」

 裃姿の男は、頭の上に疑問符を浮かべた。京極彦一と葉桜清楚は、揃って読書している姿が図書室の聖域扱いされていて、暗黙のうちにカップル扱いされていたからである。

 クラスメイトの疑問に、聖域の片割れは瞼を閉じて薄笑いで返答する。

「彼女は観察していて面白いからな」

「これ聞いたら葉桜さん怒りそうだな……」

「清楚、可愛いのに」

「みな等しく観察対象なだけだよ。もちろん、葉桜くんは特に興味深いがね」

 軸がずれ始めた話を、咳払いで彦一は元に戻す。

「ともあれ、少々観察しただけでも君たちに何か関係の変化があったことは分かる。それで距離を取るのではなく近づいたということは、私としては初めの結論に至るわけだ。間違っていたなら謝るが」

 ここまでの推理を聞いた旭は、巴の太い腕に自分の細腕を絡み付かせた。せっかく引き締めた彼氏の顔は結局緩み切った。

「ご明察よ、彦一。出来立てほやほやカップルなの」

「……というわけなんで、今後ともよろしく」

「元々いつ付き合い始めるかでトトカルチョが行われていたほどの2人だ。クラスメイトとして、祝福させてもらうさ」

「あんがと、京極くん」

 賭けをしていた連中は後で調べよう、と巴が益体もない思考をしていると、後ろから楚々とした大きさの声がかかる。

「おはよう、アキちゃん、相馬くん。京極くんも」

 挨拶に振り返って三人が応じると、そこには驚いたような顔をした葉桜清楚がいた。抱き着く女と抱き着かれた男のふやけた顔を順番に見てから、清楚はきょとんとした表情で質問する。

「……もしかして?」

「ええ。もしかしてよ、清楚」

「まあ、そういうことです」

「やっぱりそうなんだ。おめでとう、二人とも」

 優し気な笑みと明るい声色で、クローンのお姉さん分は二人の交際を祝福した。

 朝のホームルームが終わる頃には、Sクラス全体と三年生の一部へ3年越しに誕生した大型カップルの話が回っていた。

「これで目立つのも、少し不本意な気がするわね」

 と旭は漏らしていたが。

 

 

 昼休み。評議会室では、一組の男女と一人の後輩女子が正座で向かい合う。後輩女子、黛由紀江の傍には大きめな弁当箱が置かれていた。

 事ここに至って誤魔化しも効かないだろう、と巴はすぐに話を切り出す。

「由紀江さん、俺たち付き合うことになった」

 ごめんも申し訳ないも言わずに、ただ事実だけを男は告げる。その言葉を受け止めた由紀江は一度目を伏せてから、絞り出すように言葉を発する。

「……はい。いつか、こういう日が来るとは思っていました」

 少しの間の沈黙を経てから、由紀江は表面上は爽やかに見える笑みを二人に見せた。

「私からも、祝福させていただきます。おめでとうございます、相馬先輩、旭先輩」

 僅かに震えた声色での言葉を受け止めた旭は、いつかの問いを繰り返す。

「それで、由紀江。私たちの友達関係、どうしましょうか。都合のいい話だとは思うけど、貴方さえよければこれからも仲良くしたいの」

「え、なにその話」

 初耳だった巴は頭の上に疑問符を浮かべる。問いを投げかけられた後輩はさっきまでの様子が嘘のように目に見えて慌てた。

「そっ、それに関しては私からも変わらぬ友誼をいただければと存じておりますというか」

「ぶっちゃけ失恋後に友達まで減っちまったら立ち直れなくなっちまうぜGIRL……」

「ふふ。じゃあ松風も由紀江も、私のマブダチということで」

「まっ、マブだなんてそんな」

「おうおう相馬パイセン、まゆっちを選ばなかったのも納得なえらくマブいスケ手に入れてんじゃんよー。幸せになってくれよなー」

「う、うん」

 不穏な空気にならずに済んだことに、ひとまず男は胸を撫で下ろした。すると、ほっとした様子の巴の前に弁当箱が差し出された。

「では相馬先輩、せっかく作ってきたので、こちらのお弁当よければ召し上がってください」

「……むむ」

 一難去ってまた一難、とばかり巴の顔色が曇る。彼がちらりと旭の表情を伺うと、

「貴方が決めなさい」

 と目で語っていた。

 迷いを見せた男に、由紀江は畳み掛ける。

「私、先輩が美味しそうに食事されているところを見るのが好きになってしまったんです。ですので、是非」

 正座から跪坐に移行して、ずずいと迫ってくる後輩女子の熱意と青みがかった瞳の強い視線に、巴は押し負けた。

「……じゃあ、いただこうかな」

 差し出された箱の中には、そば飯がぎっしり詰まっていた。別の容器にフルーツの寒天寄せも入っており、こちらは涼しげなルックスが目にも楽しい仕上がりになっている。

 静かに手を合わせてからひとくちそば飯を食べると、巴は破顔する。美味い美味いと言いながら食事する様子を満足そうに見遣ってから、由紀江は旭に松風ボイスで耳打ちした。

「……実は一番チョロいのって、相馬パイセンなんじゃね?」

「否定はしないわ。巴、女の子に弱いもの」

 ああそう、と旭は由紀江に耳打ちを返す。

「由紀江。私の質問への返答、嬉しかったわ。でも、また明日答えを聞かせてくれるかしら」

「なにか今日あるのですか?」

「ふふ。とっておきの事件が起こるから。楽しみにしておいて」

「???」

 後輩女子は、手に持った携帯ストラップと共にはてなマークを何個も出していた。

 由紀江への報告を行った昼休みは、3人で弁当を食べ終えたごちそうさまの声で和やかに終わった。

 

 

 

 

 ―――――そして、放課後に至る。

 クラス委員の号令で担任に礼を済ませた後、教室に残る者、塾に行ったりテスト直前の現実逃避のため遊びに行ったりするのに足早に退室する者とめいめいに動き出す中。

「じゃあ、旭さん。はい」

「ありがとう、巴」

 相馬巴は、腰に佩いていた三本目……木曾義仲の佩刀、銘を微塵丸と呼ばれる太刀を最上旭に手渡す。

「おや、その刀は最上くんのものだったの……」

 それを見ていた彦一が思わず口を挟もうとした、その瞬間。

 

 川神学園が、異常なまでの闘気に包まれた。

 

「……っ、これは、どういうことだ。相馬」

 いっそ暴力的な程の気の圧力にふらつきながらも、和服姿のイケメンは友人に訊ねる。

「ああ、京極くん。これはね……」

「簡単なことよ、彦一」

 赤と黒の紐で太刀を括り付けた旭将軍が、髪をかき上げながらこう宣言する。

「私ね、木曾義仲のクローンなの。まあ詳しいことはてれびでやるらしいから。また明日ね」

 舌足らずな呼び方でテレビと口にしつつそれだけ告げて、旭は教室を出て行った。

 その背中に付いていく巴の耳には教室のざわめきと共に、

「……もしかして、相馬くんも巴御前のクローンだったり?」

 との葉桜清楚の呟きが聞こえて男は思わず苦笑した。

 二人が意気揚々と廊下を歩いて行こうとすると、二人の女子が立ちはだかる。

 武神川神百代と、納豆小町松永燕である。片方は愉快げに、もう片方はニコニコしながらも警戒を解かずに旭将軍と巴御前に相対する。

「どうしたの、百代。燕」

「どうしたもこうしたも、なんだよアキちゃん。そのデカい気」

「うん。ちょっと驚きだねん」

「話すと長いのだけれど……かくかくしかじか」

 かくかくしかじか、と本当に言葉にされた百代は一つ頷いてから、自信満々にこう答えた。

「なるほど、わからん!」

「ふふ。冗談よ百代。実はね……」

 かくかくしかじか。

「なるほどね。源義仲のクローンだったのか。ご丁寧に気を隠す技まで使って」

「凄いよね。聞いた今でもびっくりしてるもん。それに、旭将軍ってとこから取ってるのかな。ファントム・サンがアキちゃんだったってのも、びっくり」

 燕の言葉に、旭は薄く笑ってとぼける。

「ふぁんとむ・さん? 何のことかしら」

 ふふふ、と笑いながら誤魔化す評議会議長に向けて、武神は不敵な笑みでワッペンを差し出して見せる。

「まあ力隠してたこととかは、この際どーでもいーや。こんだけ強いって分かったら、やることは一つだろ。決闘しようじゃないか。アキちゃん」

「決闘……学力で?」

 旭の返しに、百代はうげっと背中を丸めて顎を出した。

「無理無理。そこにいる相馬と合わせていつもワンツーフィニッシュじゃん」

「これこそ冗談よ百代。女の子らしく武力で、ということね」

「そうそう。美少女らしくな」

 物騒な女の子らしさだと巴は内心思ったが表情には出さないでおいた。

 でもごめんなさい、と前置きしてから旭は話を続ける。

「あなたと決闘するのは、もう少し後でもいいかしら。この闘気は、義経に向けて発しているのよ。義経と勝負した後なら、いつでも受けるわ」

「んー、こんな強い美少女逃すのは惜しい……けど、いいや。アキちゃん自信満々そうだし。終わったら、受けてくれるんだろ?」

「ええ。約束する。素手でかつ稽古なら、いつでもお相手するわ」

「おりょ、モモちゃん物わかりいいねえ。意外」

 燕のツッコミに、武神は余裕を持って応じる。

「ほら、私そこの男に負けてから、基礎からやり直してるんだ。あの時よりずっと強くなってるぞ。これからも強くなれる自信がある。だから、それからでもいいかなってことさ」

「うん、めちゃくちゃ強くなってるね」

 巴が同意を示すと、百代は腰に手を当ててふんぞり返った。

「だろー? いつかお前にも、正式にリベンジしに行くからな」

「逃げるよ」

「なんだよちゃんと受けろよー! ……っていうか」

 ようやく会話に入ってきた男に、武神は訝しげな視線を向ける。

「相馬とアキちゃん、ついに付き合い始めたんだっけ?」

「ええ。アツアツよ」

「ひゅー。相馬クンもやるぅー」

 きゅっと裃の袖ごと腕を抱き締める旭とそれによって顔をゆるゆるにさせた巴を、燕は指差して冷やかす。

 そんな様子を見ながら、百代はふと浮かんだ疑問を素直にぶつけた。

「つまり、アキちゃんが正体を明かすから付き合い始めたってことか?」

「まあ、そういうことになる……のかな? 旭さん」

「私の側で、巴を受け入れる準備が出来たということよ。あなたも正体を偽っている相手と付き合いたくはないでしょう? 百代」

「そりゃ私はそう思うけどさー。うーん、なんだか誤魔化されている気がするぞ」

 顎に手を当てて睨むようにして顔をじろじろと見てくる武神に対して、巴は雑に持ち札を切る。

「今度パフェかなんか奢るから、今日は見逃してくれ」

「よし、許す! 二、三個は食うぞ」

「あ、燕ちゃんも相伴に預かっていいかな、相馬クン」

「いいよ」

「ラッキー! アキちゃん、羽振りのいい彼氏捕まえたねん」

 あっさり懐柔された武神と、横から油揚をかっさらうように約束を取り付けた燕を見て、旭はこう呟いた。

「……いつかほんとに悪い女に騙されるわよ、巴」

「いてて」

 ついでに布越しに腕をつねっていた。

 

 

 

 そして、二人は2-Sの教室前にたどり着く。

 出入り口の上に位置する窓からは、幽斎がテレビに映っているのが確認できた。

「いいところに来たみたいね、巴。じゃあ入りましょうか」

 男は無言で頷き、ガラガラとドアを開けた背中についていった。

 入りしな、旭は教室中にちょうど響く透き通った声でこう言い放つ。

「あら、みんなでテレビを見ているわね。丁度良かった」

「………っ!?」

 電気が走ったように、ピリッとした空気が流れる。

 警戒心に包まれながら室内を睥睨し、旭は名乗りを上げた。

「今お父様からご紹介に預かった、噂の木曾義仲のクローン、最上旭よ。これからよろしくね」

 カツカツと足音を立て、旭は教壇に登る。2-S担任、うだつの上がらない風体の教師、宇佐美巨人は気圧されるように壇から降りた。

「義仲の名前を聞いた事はあるでしょうが、見るのはこれが初めてでしょう?」

 こう宣った議長に、評議会議員が驚愕の面持ちで話しかける。

「ぎ、議長……これはどういう事ですか……?」

「聞いての通りよ良樹。川神学園評議会議長、その正体は源氏だったということ。……そうね。事実を証明してみせるわ」

 そう言って、旭は煙るような笑みを浮かべながら髪をかき上げ―――

 

「こんな風に」

 

 ―――教室全体へ、気の刃を飛ばして見せた。

「みんな、避けろっ!」

「っ、なんだ、これは!?」

 ポニーテールが爽やかな義経は椅子を蹴飛ばす勢いで大きく後方に跳躍しながらクラスメイトに注意を促し、ウェーブのかかった赤髪に軍服姿の軍人、猟犬マルギッテ・エーベルバッハはトンファーを取り出しつつ辛くも回避した。

「にょわあっ!?」

 着物姿の不死川心は、喉を抑えてその場にへたり込む。反応した面子を見て、ハーフ特有の浅黒い肌を持つエレガンテ・クワットロの一人葵冬馬は心底不思議そうな声を漏らす。

「どうしたのですか、皆さん」

「いきなり意識の中で斬りつけてきたんだよ、そこにおわす源氏がね。不死川、今喉を突かれたろ」

「あんなもの、避けられるか! 首がくっついているのが我ながら不思議なくらいなのじゃ……」

 冬馬に説明した後、心を気遣った弁慶だったが、喉をさする和服美人からは余裕のない返事しか返ってこなかった。

「フン、義経や私は避けていたと知りなさい。トンファーが無ければ危なかったが」

「私も受け止めてみたけど……ハンパないよ。それこそ、このレベルの刀の達人って言ったら……」

 錫杖を構えた弁慶の視線は、旭の横に控えるようにして立つ相馬巴に向かっていた。男は戸惑い混じりの険しい視線を向けられても余裕の笑みを崩さない。

「相馬さん、まさかあなたもクローン?」

「いや。生まれはちょっと特別かなと思うけど、俺はクローンではないよ。旭さんの隣にいられてるのはただの偶然」

「巴……だからではないのですか」

「さあ、どうだろうね?」

 不安げな声で質問してきた義経に、巴はすげなく応じた。膠着した場で、那須与一がぼやく。

「なんでこんな実力の人間が今まで隠れていやがったんだ……?」

「もう隠している意味もないから技を解いたのよ、那須与一。己の存在感を包み、押さえ込む技……現存する日本最古の胴丸、義仲の鎧から名前を取って熏紫韋威胴丸と名付けているの。このおかげで、今日の発表まで目立たずに済んだわ」

「五人目なんて、俺は聞いていないぞ」

「言ってないから当然よ。だからこそ、今私はこうしている」

 自慢の髪を一房つまみ上げ、くすりと笑う旭に、義経は一歩近づいてぼんやりと名前を呟いた。

「義仲……源……」

「義経。呆然としているようだけれど、大丈夫かしら。私は貴方に挨拶するために、ここへ来たのよ」

「義仲と言えば、あの源義仲ですよね?」

「そうよ。平家を京から追い出して上洛一番乗りを果たした、源氏の侍大将。さっきの挨拶じゃ、分からなかったかしら?」

 挑発的な笑みを向けられた義経は、眉尻を下げて恐縮した。

「い、いえ! すみません、いきなりのことすぎて。まさか、そんな近しい存在のクローンが他にいるとは……!」

 浮ついた口調からは想像できないほどしっかりとした足取りで、源義経は源義仲に歩み寄っていく。弁慶と与一、そして巴、と従者たちが警戒を強める中、義経は満面の笑顔で旭の白い手を白い手で取った。

「義経は、いたく感激しました! 握手してください!」

「ええ。よろしくお願いするわ、義経」

 がっしりと握手する主人たちを見て、従者たちは一度警戒を解いた。教室内の空気もいくらか弛緩したが、旭の放っている好戦的な闘気にあてられているのか完全には緩み切っていない。特に、マルギッテと弁慶はより注意の度合いを高めていた。

 そんな周囲の状況をよそに、旭と義経は会話を続ける。

「義経。私の存在を喜んでくれるのは嬉しいのだけれど……私としては、あまり慣れあう気はないのよ」

「……ええっ」

 旭の言葉で、義経は先ほどと同様に柳眉を下げた。真剣な表情を見せつつ、旭将軍は言葉を向ける。

「そんな悲しい顔をしないで頂戴。よく聞いていてね。私の存在意義は二つ。その一つが貴方。私、木曾義仲は源義経のライバルとして作られたのよ」

 瞑目し、穏やかな口調で旭は語り続ける。

「弁慶や与一は、良き家臣ではあっても好敵手とは言えない。人の成長には、試練が……ライバルが必要なの。義仲であれば、義経の相手に相応しいでしょう?」

「貴方が、義経の、ライバル……」

「そうよ。お互い切磋琢磨していきましょう」

 こう言いながら、旭は義経の鼻先に細い人差し指を突きつける。

「でも私は、貴方の経験値だけで終わるつもりなんてさらさらないわ。私自身も成長して、私の方がより優秀だと証明するつもりよ」

 パチリと一つ、お茶目にウィンクを見せる義仲の放言を聞いた義経は、呆気に取られたように口を開けていた。

「戸惑っているわね義経。慣れあう気がない、というのがそんなにショックだったのかしら……英雄の名を冠したクローンが、そんな様で許されるの?」

「……!」

 あまりにも、見えすいた挑発。だが、それを義経は正しく激励だと受け取ったようだった。

「よ、義経だって負けません!」

「そう。その反応が欲しかったのよ。お互い頑張りましょう、義経」

「はい、義仲さん!」

 もう一度固く握手を交わす二人を見て、ややほっとした様子の弁慶が錫杖を下ろす。

「敵でないなら、ひとまず何より」

「では、これから私と巴はお父様のところに行くから。てれびに映ると思うから、皆ぜひ見てね。そうそう、葵冬馬。貴方のお茶のお誘いは受けないわよ。彼氏持ちだから」

 教室から出ていこうとする旭を見て声をかけようとしていた冬馬は、機先を制されたのでおどけてみせた。

「見透かされていますね。ですが議長、私は彼氏持ちでも全然かまいませんよ。ワンナイトからでも」

「普通に俺がキレるから止めといてくれ、葵くん」

「私は彼女持ちの貴方でも構わないんですよ、相馬先輩。ワンナイト、からでも」

「……生憎だが、俺は男色家じゃない」

「目覚めさせてあげますよ。今度お茶にでも行きましょうね、先輩。フフフ」

 口で勝てないタイプだと察した巴も旭に続いて教室を出ようとした、のだが。

「ちょっと待つの……」

「止まりなさい、相馬巴!」

「……なにかな、エーベルバッハさん」

 不死川心の声を遮る、マルギッテの怒気を孕んだ雷鳴のような声が巴を呼び止めた。

「まさか、イメージで人を斬りつけておいてそのまま帰れるとでも思っているのですか?」

「いや、思ってるから出ようとしてるんだが」

「ほう、先だってのクリスお嬢様に対する狼藉も、貴様の中ではなんの罪悪感もないと?」

 赤髪の軍人の口から出た名前に、巴はああそんなこともあったなと思い出した。へらへらと笑いながら、悪びれもせずに男は口を動かす。

「あれは教育だよ。君からも言っといてくれ。勝てない相手には勝負を挑むなって」

「そんな理屈が通るものか! お嬢様への無礼、今ここで償いなさい!」

「……参ったな」

 ポリポリと頭を掻いた巴御前に、扉のところで立ち止まっていた旭将軍は声をかける。

「巴」

「はい」

「どれくらいかかりそう?」

「すぐ行くよ」

「二分あげるわ。片付けて」

「了解」

 淡く甘い匂いを残して、そのまま最上旭は退室していった。主従の緩いやり取りを見て業を煮やしたマルギッテは食ってかかる。

「先ほどからその態度、私を舐めているのですか!」

 しかし、その気勢は巴のひと睨みで容易く削がれた。

「舐めているのか、はこっちの台詞だよ。マルギッテ・エーベルバッハさん」

「……っ!」

「お、おい相馬。そこら辺にしとけ」

 担任である巨人が、生徒に向けて震えた声で話しかける。だが、相馬巴は止まらない。

「そんじゃ、これで。宇佐美先生は何も見てない。全部俺の責任。いいですか?」

 教師の袖に、生徒は万札を三枚突っ込む。あからさまな賄賂であった。大人しく受け取った巨人は、巴に一言注意を向けた。

「……俺は止めたからな」

「ありがとうございます。宇佐美先生」

「おいおい教師がそれでいいのかよ……」

「井上、俺だって命は惜しいのさ。怖いもんは怖い」

「せつねぇー」

 禿頭が眩しいロリコンと噂の井上準は思わず突っ込んだが、教師はあまりにも情けない発言を返した。

 袖の下を渡し終えた巴は、教室に向き直る。

「では、決闘を受けてもらいましょう」

 すると、顔面に向けてマルギッテからワッペンが飛んでくる。それを巴ははたき落とし、こう言い放った。

「いや、これはあくまで私闘だよ。どこからでもどうぞ、エーベルバッハさん」

「どこまでも人を馬鹿にしてっ、行きま……」

 挑発に乗り、猪のように突進しようとした赤髪の軍人の肩を掴む影が一つ。

「弁慶、手を放しなさい!」

「いーや、これはさすがに止めるよ。いくらマルギッテでも、相馬さんには絶対勝てないから」

「根拠はあるのですか!」

 声を荒げるマルギッテに、弁慶は身内の恥を晒すのを承知で真実を告げる。

「……あの人は武神に勝ってるんだよ。それに、学園に来る前義経と私、与一の三人で戦って、手加減した相馬さん一人に歯が立たなかった。これだけ言えば十分だと思うけど?」

 教室がざわつく。嘘を言っていないことは、弁慶の目を見れば明白である。しかしマルギッテは、瞳に力を一層漲らせて気焔を吐いた。

「では、なおさら相手として不足はありません」

 もう何を言っても無駄かと諦めた弁慶は、軍人に一つアドバイスを言い渡す。

「……せめて、眼帯は外した方がいいと思う」

「それは聞いておこう。友の忠告、感謝します弁慶」

 目を覆っていたものを外し、闘気を解放したマルギッテの肩から手を離した弁慶は、こちらも無駄だと分かりつつ巴御前へ釘を刺す。

「相馬さん、殺さないでくださいね」

「保証はしかねる。というか、エーベルバッハさんはそれ付けたまま俺の相手しようとしてたの?」

「当たり前です。戦友たる弁慶が言うので、従ったまでの事。本来ならこの眼帯を外す必要などないと知りなさい」

 軍人の返答を聞いて、巴はにっこりと笑う。

「オーケー、オーケー。そんじゃま……全員、動くな」

 そして視線を厳しいものに変え、評議会議員の石動良樹とマルギッテを除くクラス全体へ向けて身の毛もよだつような殺気を贈った。

「行くよ」

 巴が一瞬でマルギッテに肉迫したかと思うと、無骨な握り拳が軍服の鳩尾へ軽く添えられる。

「……っ、この程度の速度でっ!」

 今にも打撃を放たんとする腕へ、赤い猟犬は自慢のトンファーを振り下ろす。しかし、それを巴はまったく歯牙にも掛けない。

 マルギッテ愛用の武器を難なく回避し、男は背後をあっさりと取る。それから細首に太い腕を巻き付かせ、いわゆる裸絞めの態勢に入る。

「相馬流、牡丹」

「が、はっ!?」

 180を越す長身の男が、性別にしては長身ながら10センチ以上差がある女の体を持ち上げる。

「うっ、あっ……」

 マルギッテの首が、一瞬で落ちた。単なる絞め技ではあり得ない速度で、軍人は意識を手放したのである。

 ぐったりとしたマルギッテの体を横たえ、その傍に相馬巴は膝をつく。弁慶は思わず男に詰め寄った。

「相馬さんっ!」

「大丈夫だよ武蔵坊さん、死んじゃいないさ。もっとも、この状態から処置しなかったら死ぬけど、ねっ!」

 巴は心臓マッサージをする時のように手に手を重ねて組み、心臓めがけて気を送り込む。

「ぐふっ!? げほっ、げほっげほっ!」

 意識を……否、真に息を吹き返したマルギッテは思わず咳き込み、すぐさま立ちあがろうとする。しかし、その額に巴の指が突き立てられ、それだけで彼女の体は硬直してしまった。

「さて、エーベルバッハさん。俺が今何をしたか分かるかな?」

 新米教師のような口ぶりで、巴は軍人に問う。なんとか硬直から逃れようとしながら、マルギッテは返答した。

「……私の体に流れる気を、あなたが止めたのでしょう」

「正解」

 牡丹とは、本来刀の届かない距離から気の刃を飛ばして相手の頚椎から脳までの気の流れを断つ技である。加減を効かせるため、今回は絞め技として使用したのだった。

 赤い髪をさながら血のように教室の床へ散らばらせた軍人を見下ろし、巴は話を続ける。

「じゃあ、やろうと思えば殺せたことも理解してるよね?」

「……」

 今度は返答せず、マルギッテはただ下から睨み付けるだけ。巴はため息を一つ吐いてから、冷たく言い放つ。

「勝てないなら、二度と歯向かうなよ。最初から全力で来なかったのも、不愉快だ」

「……くっ」

 相馬巴は、身の程知らずが大嫌いだった。

 何も言い返せない軍人の額から指を離し、巴は出入り口へ。

「や、どうもお騒がせしました。じゃあ俺は旭さんのとこに行くんで。皆さん今後ともよろしく」

 ひょうきんな挨拶と共に相馬巴が去った後には、呆然とした2-Sの面々が残された。

 

 

 

 




ドイツ組ェ……
違うんです、二人とも好きなんです、むしろマルさんはSの追加ヒロインの中では一番好きなんですけど、致命的に巴くんと相性悪いだけなんです……
ちなみに、マルギッテに対して巴くんが敬語じゃないのはマルギッテの方が年上ってことをまだ知らないからです。悪しからず。

後編はまた明日0時に出せたらいいなあ。


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第十五話 後編

情報量の問題で二分割。よければお付き合いください。


 

 旭と巴を乗せた送迎車が連れてきたのは、テレビ局の裏口だった。スタッフと思しき男性に誘導され、控室に担ぎ込まれるとすぐさま別の女性スタッフが旭を囲む。

「お顔失礼しますね……うわっ、これメイクいるの?」

 すべすべの肌質で、誰がどう見ても美人とため息を漏らすほどの旭の美貌を見て、メイク担当スタッフは躊躇ったあと本当に薄くだけ化粧を施そうとする。

 旭のサラサラの髪を纏めて、少量のファンデーションを極薄に引き伸ばしながら、女性スタッフは旭と会話する。

「本当に肌綺麗ですね。普段から保湿とかされてます?」

「髪には気を遣ってるのだけれど……ここ数日肌に良いものは摂取したかもしれません」

 旭は後ろに立っている巴へ鏡越しに妖艶な視線を送った。先日から動物性タンパクをたっぷり吐き出したのを思い出して、巴は苦笑いする。

 そうこうするうちに化粧が終わり、マイクをつけたりとテキパキ出演する準備が整えられていった。

「ちょっとの化粧でぐっと変わるものね。これから勉強しようかしら? 巴」

「化粧してる旭さんも綺麗だよ。旭さんがしたいならいいと思う」

 自分の意見を述べることを避けた男に旭将軍は詰め寄って、鼻先をちょんと指で押した。

「本音は?」

「……旭さんは元々綺麗で可愛いからいらない、と言いたかったけどお化粧してもらってウキウキしてる旭さんの前じゃそんなこと言えませんでした」

「そんなに気を遣わなくていいのに」

「こう、ようやく付き合ったからには女心というものを理解する必要があるかなと」

 巴の返答を聞いて、旭は機嫌を良くしながらもたしなめた。

「私たちの間にそんなのはいらない、そう思わない?」

「惚れた女にはいつでも気の遣える男でいたい」

「ふふ。見栄っ張りで、意地っ張り。男の子らしくて素敵よ」

「素敵なら何より」

 ここまで会話したところで、男性スタッフが控室をノックする。

「最上旭さーん! ご準備の方よろしいですかー?」

「はぁい。じゃあ巴、行きましょう」

 男は頷くと、優雅な足取りで歩いていく背中に追従していった。

 

 

 

 案内された別の部屋で、最上旭はインタビューを受けていた。

 墓を共にしたいほど木曾義仲を好きだったと言われる松尾芭蕉の句を引用しながら、雪代という苗字のアナウンサーは旭に質問を重ねていく。

 一つ一つの質問に対し丁寧に、かつ威厳を持って常に良いイメージを持たせるように返答していく恋人の威風堂々とした姿を、巴はニコニコして眺めていた。

 粗方の質問を終え、インタビュアーは用意されていた最後の質問を繰り出す。

「……では、武の方にも自信があると?」

「はい。名を残した武人のクローンとして、恥じないよう努力してきたつもりです」

「では、こちらでご用意した対戦相手と腕試し、いかがでしょうか?」

 アナウンサーから為された、答えが一つしか用意されていない問いに、旭は余裕の薄笑いを浮かべて快諾を返す。

「誰であろうと、やりましょう」

 潔い返答に、雪代アナはわざとらしく驚愕してみせた。

「相手の名前も聞かずに承諾とは……! 自信の表れとお見受けしました。それでは対戦相手の名前を皆さんにもお教えしましょう!」

 

 

 

 最上旭対キルギスのイスマイル。この対戦の内容を一言で表すなら、蹂躙であった。

 イスマイルが繰り出す技の数々は全て旭の柳のような体捌きで躱され、徐々に打撃技で体力を削られていく。そして、イスマイルの一番の大技を受け切った後に旭は微塵丸を抜刀し、殺意を出しながらの峰打ちで相手の意識を刈り取った。いかに自分が強いかを誇示するような戦法で、旭は勝利を手にしたのである。

 巴は恋人の戦いを危なっかしいものだと思いつつも、お茶の間の皆さんへ挨拶を終えた彼女を出迎える。

「お疲れ様、旭さん」

「ありがとう、巴。拍子抜けだったわ。もっと強い相手が来ると思ったけど」

 汗一つかいておらず、化粧もまったく落ちていない旭に巴はタオルとお茶のペットボトルを渡す。

「まあ、急で用意出来なかったんでしょ。それに壁越えの人たちを呼ぶとなると、旭さんもああいう見栄えいい戦い方出来なかっただろうし、俺を出すわけにもいかないしさ」

「それもそうね。デモンストレーションとしては十分。今日はそれで満足しておきましょうか」

 二人が和んでいると、ディレクターとなにやら話していた幽斎が話しかけてきた。

「お疲れ、旭。巴くんも付き添いありがとう」

「お父様。私うまく出来たかしら」

 娘の問いに、父親は頭を撫でながら返答する。

「うん。これでみんな、旭の素敵さが分かったと思う。良かったな、自慢の娘だよ」

「ふふ。ありがとう、お父様」

 親子の戯れを見ていた巴が顔を綻ばせていると、幽斎が今度は娘の彼氏へ水を向けた。

「ああ、そうだ。巴くん。これから一緒に来てもらいたいところがあるんだけれど、いいかな」

 話を振られた男は動じることなく、恋人の父親のお願いを快く引き受けた。

「俺は元々幽斎さんの護衛ですから。なんなりとおっしゃってください」

「頼もしいね。流石巴くん」

「で、どこに行くんですか?」

「ふふふ。九鬼ビルだよ」

 ニコニコした幽斎の口から飛び出した名前の恐ろしさを、巴はこの時まだ理解していなかった。

 

 

 

 

 とっぷりと日の落ちた夜、テレビ局での撮影を終えた旭に留守番を言いつけて車で最上の屋敷へ帰してから、男二人は手配していた別の送迎車で大扇島の九鬼極東本部ビルに到着していた。

 玄関口に行くと従者部隊の人間が三人ほど待ち受けていて、二人を取り囲むようにして廊下を歩いていく。剣呑な雰囲気に違和感を覚え、隣を歩く実業家に若者は話しかける。

「幽斎さん、旭さんのこと秘密にしてたのって、まさか九鬼にまで?」

「それは着いてからのお楽しみさ、巴くん」

 エレベーターに乗り、また廊下を歩いて辿り着いたのは九鬼の重役たちが集まる大ホールだった。

「では、こちらへどうぞ」

 と従者部隊に扉を開けられ、二人がホールに入ろうとした、その瞬間。

 相馬巴が、月鏡を抜刀していた。かと思うとすぐに納刀し、それから室内のある人物に視線を向ける。

「クラウディオさん。いきなり糸で捕縛するとか、やめていただけますか?」

「……本気で捕らえる気で放ったのですが、やはり貴方には通じませんか」

 完璧執事はまったく残念そうな素振りを見せず、その様子を見て巴は警戒を強める。そんな彼の足元には、銀に光る極細の糸を切断したものが何本も落ちていた。

 敵対心を剥き出しにする若者の耳に、豪放な笑い声が聞こえて来る。

「はっはっは! いつかヒュームにボコボコにされてた坊主が、随分イキがよくなったみたいじゃねえか」

 そこにいたのは、着崩したシャツに巻き付けるように緩くネクタイを着用し、いくつものピンで銀色の髪を留め、額には十字傷を持つ、破天荒という言葉を体現したような男。世界を一手に担うと言っても過言ではない超々大企業たる九鬼財閥の総帥、九鬼帝であった。

 カリスマの権化のような男に声をかけられた巴は一礼を返す。

「帝様、久方ぶりにお目にかかります」

「おう。久しぶりだな相馬。流石に今回の件は見逃せなくてな。色んなことほっぽり出して来ちまった。ほらクラウディオ。お前も糸納めろ」

「承知しました」

 ミスターパーフェクトが典雅な動作で一礼したかと思うと、巴の足元に散らばっていたものまで合わせて全ての糸が回収されていった。

 クラウディオが持ち場に戻ったのを見届けてから、九鬼帝は今回の騒動の首魁、最上幽斎へ語りかける。

「んで? 最上。大人しくここに来たってことは、大体のことは説明する気なんだろ? お前はそういうやつだもんな」

 朗らかに話しかけられた幽斎は、心底愉快げに言葉を返す。

「当然だ。私には説明義務があるからね」

 幽斎がこう言った直後、巴の目の端には、口を挟もうとしてヒュームに制裁された金髪巨乳のメイド、ステイシー・コナーの姿が映っていた。巴はステイシーの横に並んでいた桃色の髪で猫耳尻尾をつけたメイド、シェイラ・コロンボと共にご愁傷様と呟き、心の中で手を合わせた。

 急に人間一人が壁に叩きつけられたのを意に介さず、幽斎は話し始める。

「私がこの計画を実行に移したのはね、君たちへの警告のつもりなんだ」

「警告、ねえ。最上、てめえは一体俺たちになにを警告するんだ?」

「九鬼は現在、企業として独走体制に入りつつある。外患を取り除いたのなら、次に取り組むべきは内憂の処理だと、私は思うんだ」

「内憂か。てめえが勝手に作り出してるように見えるが?」

「私からの試練だよ。敵対するものが居なくなれば、内側から腐り始めるのは自明の理。だからこそ、私がその役目を買って出たんだ。もちろん、皆への愛を動機にして、私が望んでやっていることには違いないけれど」

 この言葉に続けるようにして、幽斎は自分のやってきたことを朗々と話し続けた。

 武士道プラン、特に義経について、歴史通りのポテンシャルを発揮するには好敵手が必要だと考えたこと。

 九鬼の誰にも秘密裏に、独断で義仲のクローンを創り出したこと。その子を養女にして木曽の山奥で育てたこと。その過程で幽斎自身も成長できたので感謝していること。

 そして孤独に耐えうる精神が出来上がったところで、相馬巴を家臣として雇ったこと。

(改めて話を聞いてると、幽斎さんってほんとに頭おかしいよな)

 相馬巴は内心もにょもにょとしつつ、大人しく恋人の父親の話を聞いていた。

 幽斎はひとしきり自分の語り口に陶酔した後、こう言って話を一度終えた。

「歴史上では義経に軍配が上がったけれど、今の段階ではどうみても旭の方が優秀だからね。学力においても、武力においても。だから、旭の存在が義経にとってよき試練となってくれたらと思っているんだ」

「……なるほどね」

 九鬼の総帥は、こちらも愉快げに笑いながら幽斎へ語りかける。

「全ては九鬼のために行ったことだと」

「ああ。人生すべからく試練なるべし、とね」

「面白くなってきたじゃねえか。そんでお前、これからどっかに行方をくらます予定もないんだろ?」

「だって、私には負い目なんて一つもないからね。逃げも隠れもしない。監視も付けてくれて構わないし、いつでも呼び出してもらって結構。私はしばらく、川神で源氏祭りを楽しんでいるから」

「処分を受ける覚悟アリ……ってか」

 九鬼帝は、暖簾に腕押しとも言える幽斎との会話を楽しみつつ、ある違和感を覚えた。

 この会話中、ヒューム、クラウディオ、加えてマープルに動揺が見られないのだ。その意味では、内心を隠しきれていない巴の感情の方が容易に看取出来た。

 帝の思考は続く。従者部隊一位の忍足あずみを除く、部隊トップ3の面々は武士道プランSを掲げている。元々マープルが目論んでいたその計画はヒューム、クラウディオの告発によって見抜き、かつ面白そうだったので放置していたのだが、こうして最上幽斎のように好き勝手やる人間が現れた以上、内部に厳しい監査の目が入り、計画が頓挫するのはほぼ必定。

 それなのに、彼らは全くうろたえていない。

 クラウディオの幽斎に対する入室即捕縛未遂も、こうして推論を立てて考えると不審に見える。

 この少なすぎるヒントから、九鬼帝は神がかり的な勘でこう結論付けた。

(こりゃ最上の野郎と、少なくともマープル、クラウディオは組んでやがるな……?)

 そうと決まれば、九鬼の総帥の行動は早かった。

 幽斎を揺さぶってものらりくらり躱されるだけ。ならばまだ若いその護衛を狙え、と。

「おい、相馬。お前このこと知ってたの?」

 急に話を振られた若者は、なんとか動揺を表に出さずに返答する。

「いえ、知りませんでした。旭さんがクローンというのも三日前に知ったばかりです」

「……嘘はついてねえようだな」

 どーしたもんかね、と帝が頭の上で腕を組むと、最強執事ヒュームが主へ提案する。

「差し当たり、誰か監視に付けましょうか。私でも構いませんが」

「おー……いや、ちょっと待て。お前がいたか」

 生返事を返しながら、考えが纏まったのか帝は目を輝かせた。

「最上、お前んとこの相馬、いま強さにどんくらい自信ある?」

「私はその方面には疎いから……巴くん、どうかな?」

 会話のバトンを渡された巴は背中に冷や汗をかきつつ、直立の姿勢のままこう言ってのけた。

「そうですね、旭さんがいる以上、誰にも負けないと思います」

 この放言に、ホール中の空気が震撼した。一つの原因としては、大言壮語としか思えない若者の言葉への驚愕。もう一つは、ヒューム・ヘルシングが放つ他を圧倒する闘気によるものであった。

 威圧感の塊になったヒュームは、ビリビリと圧力を与える声で巴に問う。

「ほう、それは俺への挑戦状ということでいいか? 相馬」

「構いません」

「勝てない勝負は受けない腰抜けだったと記憶しているが」

「ええ。俺は腰抜けですよ。だから勝てる勝負しか受けません。そして、今の俺なら貴方に勝てる」

 若武者は老執事の威圧を涼し気に受け流し、逆に闘気を返して見せる。

 その二人の様子を見て、九鬼帝は今日一番の笑みを浮かべてこう言った。

「じゃあお前ら二人、戦っちゃえよ。最上の処遇、それで決めるわ」

 これで互いに手を抜くようならそこから追求すればいいし、互いに本気なら面白い勝負が見られる。

 九鬼帝にとって面白くはないが堅実な結末と、面白くて波乱万丈な結末が見られるのだ。どちらに転んでも損はしない。

 この時までは、彼はそう思っていた。自分の勘を信じたがゆえに、彼は一つ大事なものを失うことになる。

 その後、決闘の日取りは7月5日の日曜日とすること、場所は追って伝えること、巴が負けたら幽斎は一応の罰金、加えて監視が付き、勝てば無罪放免となることが取り敢えず取り決められた。

 話し合いが終わりかけたころ、当事者の一人となった巴が手を挙げて発言権を求めた。

「俺からもひとつ、いいですか?」

「お、いいぜ。なんだ?」

「俺が勝ったら、九鬼からいつでも退職出来るようにしてください」

 これは、不義理を出来るだけしたくない巴が九鬼入社時点から抱いていた願いでもあった。暗殺失敗という間抜けな経緯で傘下に入ったのは確かだが、これから旭と人生を歩んでいく上で九鬼への義理が足枷になる可能性を排除しておきたかったのである。

 この願いを聞いて、九鬼の総帥は大いに笑った。

「ははは! いいぜ。もしヒュームに勝てるような人材なら手放すのは惜しいケドよ。まあ勝ったとして、お前がどっか行くんなら俺の器が足りなかったってこった」

 だがよ、と帝は若者に覚悟を問う。

「ヒュームは強いぜ? お前、ほんとに勝算あるのかよ」

 相馬巴は一度呼吸し、心臓を落ち着けてからこう答えた。

「確かにヒュームさんは最強だと思いますし、俺はその域まで達していません。ですが、強いから勝つわけではありません。少なくとも、俺はそう思ってます」

「なかなか頼もしい答えじゃねえか。なあヒューム」

「口だけではないことを願っております」

「いいねえ、二人ともバチバチしてて。俄然面白くなってきた」

「うんうん、巴くん、良い試練を与えてもらったね」

 九鬼ビルでの一幕は、帝と幽斎の笑顔で幕を下ろした。

 

 

 

 

 幽斎と巴が最上の屋敷に帰ると、ポニーテールにエプロン姿の旭が二人を出迎えた。まさに若奥様といった風情の格好である。

「お帰りなさい、お父様、巴」

 二人の男がただいまと応じてから、旭将軍はエプロンを見せつけるようにくるりとその場で回ってみせる。一つに結われた髪がうなじをちらつかせつつ優雅に舞った。

「どうかしら」

「うん、可愛い」

「ありがとう。じゃあ、お帰りなさいのキスをしましょ」

 ん、と旭は背伸びをして目をつぶってみせる。巴は一度幽斎の方を見てから恥ずかしさと旭の望みを天秤にかけ、一瞬で後者を取った。

 互いに腰を抱き寄せ、押し付けるだけのキスを交わす。

「ふふふ。二人とも仲良しだねえ」

 自分の視線も憚らず口づけする娘カップルを見て、父親は笑みをこぼした。

 

 遅めの夕食と幽斎から順番を譲ってもらった入浴を済ませ、巴は自室で旭と共に和んでいた。

 男は勉強するわけでもなく、ベッドの縁に座って女に背後から抱き着き、手触りの良い髪を撫でることでなんとか精神の平静を保っていた。

 しばらくされるがままになっていた旭は、体を少しよじって彼氏の顔を見る。

「どうかしたの? 今日は甘えん坊さんね」

「……ヒュームさんと決闘することになっちゃった」

「あらら。大変ね」

 他人事のように心配する旭は器用に手を伸ばし、お返しとばかりに巴の頭を撫でた。赤子をあやしてるみたいだ、とぼんやり思考した男は、ふと浮かんだ疑問をそのまま口に出す。

「……というか、伯爵って幽斎さんの計画のこと知ってるんじゃなかったのかな」

「それとこれとは別に、貴方と勝負したかった、とか」

「避けられる勝負なら避けたかったんだけどね……まあ、いつかしないといけないと思ってたリベンジの、丁度いい機会だったと思うことにするよ」

「前向きね。男の子はそうでなくちゃ」

「京極君じゃないけど、言葉だけでも前向きにならないとやってらんないよ……」

 若干ダウナーに入りかけていた巴に旭は振り返り、頬を撫でる。それだけで男の緊張はふっと解けた。力の抜けた体を簡単にベッドへ押し倒した女は、男を見下ろして口元を三日月に歪めた。

「じゃあ、そんな貴方をもっと励ましてあげる」

「……今日は何するの?」

「明日、義経と笛で勝負しようと思うの」

 笛勝負と聞いて男は常識的に考え、演奏で勝負するのだろうと解釈した。

「それとこの状況に何の関係が?」

「だから、笛の練習をしようと思って」

 しかし予想に反して、旭は白磁の手を巴の股間に持っていく。布越しで上下に擦る手つきは、笛を扱うものとは思えなかった。

「……源さんのは横笛だった気がするけど」

「それぐらいは細かいことよ」

「いや、細かくなっ……あーっ!」

 かくして、深夜の部屋では尺八の練習が二回行われたのだった。

 

 

 

 

 

 




感想評価等非常に励みになっております。ありがとうございます。


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第十六話

投稿に間が開いて申し訳ございません。ちょこちょこ更新していきます。あとルビ機能を初めて使用してみました。


 

 

 相馬巴は、夢を見ていた。彼にとって最も大事な日の記憶。しかし、青年が日頃たまに見ていたものよりも鮮明で、当時の五感まで深く深く想起させるような、そんな夢。

 記憶の中、髪を一括りにした相馬巴は木曽の山奥で逆巻く炎に囲まれながら、父親である相馬遙と対峙していた。

『父さん。俺が、あんたを殺すよ』

『ああ。殺してみせろ。修羅と呼ばれた俺を越え、お前は相馬として完成するんだ』

『完成するとかしないとか、そういうんじゃない。あんたが狂って、おかしくなってるから、俺が殺してやるんだ』

 息子の語り口に父親は苦笑した。喉が焼け付くような熱にさらされながら、親子は最期の言葉を交わす。

『美鈴譲りで、優しい子だな……行くぞ、巴』

『……来いっ!』

 この勝負は、ある種の儀式だった。親から子への、継承の儀式。

 相馬流には四つの奥義が存在する。

 一つは受けの極意、"行雲流水(こううんりゅうすい)"。

 一つは気を用いた二段構えのフェイント技、"(かさ)桔梗(ききょう)"。

 一つの名は、"月鏡(つきかがみ)"。

 そして一族最高の天才だった巴が唯一習得できていなかった技の名が、"断風(たちかぜ)"。太刀風とも書き、相馬流において一なる太刀と呼ばれる奥義。

 これこそが、壁越えの強者たちをして相馬遙を修羅と言わしめていた必殺の奥義であった。

 父との決戦を経て相馬巴は断風を継承、体得し、正しく相馬として完成した。一族の長い歴史で誰も成し得なかった、四大奥義全ての習得に成功したのである。

 やがて記憶の場面は移り変わり、闇のように黒い眼と光り輝く金の瞳で出来た目、龍眼を持つ史文恭との対戦へ。

『ほう。まだ立つか。確かにお前は私より強いが、今この状況では引くべきだと分からんか』

『んなこと、わかってるよ! でもな、女後ろに抱えて、そう簡単に引けるかよ!』

『まったくお前の父親と言い、相馬の男というのは不合理な生き物だな』

 そして―――巴は敗北する。体力も限界だったが、なにより彼自身の心がへし折られていた。

 それから思い出すのは……

『立ちなさい、巴。私も戦うから』

 黒く艶めく長い髪を靡かせる、凛とした背中。今や巴が世界で一番愛する女は、煌々と燃え盛る炎に照らされて太陽のように輝いていた。

 黒々とした鉄塊、狼牙棒を振りかざしながら史文恭は笑みを浮かべる。

『ふっ。炎に囲まれているとはいえ異常な発汗、剣尖の微小な震え。怯えているのが手に取るように分かるぞ、最上の娘』

『だから何だと言うのかしら。生憎、大切な人が倒れているのに見過ごすことなんて出来ない性分なの』

 震える足で大地を踏み締め、史文恭を睨みつけながら虚勢を張る旭はこう続けた。

『もう一度言うわ。立って、巴。私一人じゃこの人を倒せない』

 折れた刃を熱し、叩き直すような叱咤。

『私には、貴方が必要なの』

 この言葉を聞いて、相馬巴は立ち上がる。この男が、最上旭に心から惚れ込んだ瞬間でもあった。

 結局、曹一族の襲撃は史文恭の撤退により終結を見た。一度敗北したとはいえ、巴は旭を守ることに辛くも成功したのである。

『相馬巴。この場は退くが、いずれ貴様のことは迎えに来るぞ。首を洗って待っていろ』

 記憶の最後、疲労の余り再度倒れ伏した巴に、史文恭は去り際吐き捨てるようにしてこう告げ、姿を消した。

 

 

 

 

 巴が鮮明にこの夢を見たのは、この記憶自体が相馬巴にとってトラウマであるからではない。

 ヒューム・ヘルシングとの決戦を控え、彼に勝つために記憶の箱をひっくり返した結果、この瞬間に立ち止まったからである。

 すなわち、最強との勝負を決する技とその策を再確認したのだ。

 だが、苦い記憶であることには変わりなく。

「……え! とも…!」

「あき、さん……?」

「巴!」

 朝起きた彼が目にしたのは、心配そうに顔を覗き込みながら、ぺちぺちと頬を叩いてくる恋人の姿だった。

 

 

 

 2009年 6月 30日

 

 脳にかかった靄を払うように一度かぶりを振った男は、名前を呼んでくれていた恋人にぼんやりした口調で話しかける。

「……いま、何時?」

「四時半。貴方のうめき声で起こされたわ」

「ごめ……あっ」

 謝ろうとした巴の頭を、旭はふわりと抱き締める。胸に顔を埋めるようにして巴からも腕を回した。浅い呼吸を繰り返すと、甘い匂いが男の肺を満たしていく。

「私の声にも反応しないなんて。怖い夢でも見たの?」

「……うん」

「珍しいわね、素直に認めるなんて。昨日からほんとに甘えん坊さん」

「旭さんに、嘘つけないから」

 彼氏の返答に気を良くした女は、男の手触りの良くない髪を撫でつけながら上機嫌な声で諭すように声をかける。

「カッコいいところを見せようとしてくれる貴方も好きだけど、私にはこういう面もいっぱい見せて欲しいわ。恋人なんだもの」

「……ありがと、旭さん」

 頭を撫でるのを続けつつ、女は男に質問を重ねていく。

「やっぱり、ヒューム卿との決闘で緊張してるの?」

「緊張はするさ。なんたって、あの人は最強だから」

「でも、勝てるんでしょう?」

 巴は旭の胸の中で頷いた。その骨太な体は、密着していなければ分からないほど微かに震えている。

「勝つよ。君がいる限り、絶対に俺が勝つ」

 自分に言い聞かせるように言葉を吐き出す男の頭を、旭は白い手で撫で続けた。

 そのまま五分ほどが経過したところで、巴は旭から体を離す。

「ありがと旭さん。もう大丈夫」

 微笑みかける男に、その内心を看破している女は薄く笑って語りかける。

「その割に名残惜しそうだけれど。おっぱい揉む?」

「……」

 もみもみ。

「ぁん……ふふ、大胆」

「なんか、クセになる」

「そんなに大きくないと思うのだけれど」

「旭さんの体なら全身大好きだよ」

 手のひらに収まるサイズの胸を巴が優しく撫で回していると、不意に旭が細い体をぶるりと震わせた。

「どうしましょう、巴」

「どうしたの?」

「発情しちゃった」

「性獣だね……おわっ!?」

 驚愕の声を上げた男は仰向けに体をひっくり返され、濡羽色のカーテンに包まれた整った顔で視界が埋め尽くされる。黒曜石の瞳に見下ろされて、巴の体もゾクゾクとした感覚に震えた。

「ねえ、しましょ?」

 旭は甘い声で素直なおねだりをぶつけたが、男の反応はやや鈍い。

「……なんか、この流れですると旭さんを慰み者にしてるみたいで嫌」

 悪夢を見たからと言って、その悪感情を誤魔化すために体を利用するような行為は男の好まざるところだった。

 しかし、濡れた瞳で恋人を見つめる女は男の耳元に口を寄せてこう続ける。

「じゃあ、私がしたいから、させて?」

「うぐ……」

 耳朶に熱い吐息を吹きかけながら誘惑してくる恋人に、顔を赤くした男はあっさりと折れた。一応、申し訳程度に男の意地を見せつつ。

「じゃあ、俺がしたいから、抱くよ」

 この一線は巴にとって譲れないところだった。今の彼にとって、性交渉はお互いにしたいからするものなのである。

 巴御前の返答を笑って受け入れた旭将軍は、キスを一つ落としてからこう命令した。

「いっぱい、愛してね……?」

 1発やった。

 

 

 

 

 シャワーと朝食を済ませた二人は、幽斎が運転する車に乗って川神学園へ向かった。

 車から降りると、幽斎を含めた三人はカメラとレコーダーとマイクの群れに囲まれる。

「最上さん! クローンは他にいるのですか!?」

「木曽義仲さん、先日の決闘の感想をもう少し詳しく伺えますか!?」

「隣にいる方は恋人ですか!?」

「皆さん来ていただいてありがとうございます、お一人ずつお答えしますので……」

 怒涛の勢いで送迎車に群がる取材陣を旭がなだめようとすると、舞台役者のようによく響く声がその場の空気を揺らす。

「皆さん、もう少し節度を持って取材していただけると助かります」

 二人の同級生、京極彦一の言霊である。これを聞いた記者たちは雷に打たれたかのように直立してから、後日また伺いますと言い数名を残して帰社してしまった。

 幽斎と旭が節度あるインタビューを受けている間、助け舟を出してくれた友人に巴はお礼を言いに行く。

「……助かった。ありがと、京極くん」

 和服姿の美男子は、友人の礼を険しめな表情で受け止める。

「なに、君たちがされていたのと逆に、学園生の目立ちたがりどもが記者の方々に群がってご迷惑をかけていたのでな。どちらにも良いよう配慮しただけだ」

「なるほど。それにしても、言霊って凄いね」

「誰にでも備わっている能力だよ。私のものが特別であることは認めるが、言葉にすることは何を発するにせよ自らや他人に力を及ぼすものだ」

「それはまあ、確かに」

 巴は旭との早朝のやり取りを思い出して納得した。

 男二人がとりとめもない話を続けていると、10名ほどの別の集団が近づいてくる。彦一にとっては見慣れない面子だったが、巴と旭にとっては馴染み深い、評議会議員の面々だった。

「おはようございます! 最上議長」

 元気よく揃った挨拶に、取材から解放された旭が笑顔で応じる。

「あら、おはよう主税。どうしたの、みんなで揃って」

「議長、昨日のテレビ出演、お見事でした」

「とってもかっこよかったです!」

「奈々もありがとう。私の正体を知って、みんな驚かなかったかしら?」

 この言葉に、旭将軍の下に集った者たちは揃って首を横に振った。

「そんなことはありません。たとえクローンであっても、議長は最上議長だと再確認しました。これからも僕たちは議長に付いていきます。これは議員の総意です」

「みんな、ありがとう」

「ふふ。旭、よい仲間を持ったね」

 父親の賛辞に、娘は美貌を綻ばせて喜ぶ。

「ええお父様。最高の仲間たちよ」

「うんうん……おっと時間だ。では私は失礼するよ。巴くん、そして皆さん。旭のことをよろしくね」

「幽斎さんも、お気をつけて」

 これからまた関係各所に顔を出すと言う幽斎を、旭将軍と取り巻きは見送った。

「……なんというか、最上くんの父上は底の知れない人間だな」

 普段の切れ味はどこへやら、言霊使いの分厚過ぎるオブラートに包まれた人物評だった。

 遠ざかるテールランプを見送った一同は、校門を潜る。

 するとそこにいたのは、木曾義仲に勝負を挑むべく待ち受けていた武芸者の集団だった。

 そして、その中心から一歩を踏み出したのは。

「お待ちしておりました。旭先輩」

 刀を入れる袋を持った、黛由紀江。巴との決闘の際に彼へ向けていたものに勝るとも劣らない眼光で、彼女は木曾義仲を睨みつけていた。

 しかし、最上旭はその程度では揺らがない。僅かに口角を上げながら、親友に語りかける。

「あら。そんなに怖い顔してどうしたの、由紀江」

「正式に決闘を申し込ませていただきたく思います」

「理由は?」

「昨日のテレビでの決闘、お見事でした。ですが、もう少し実力が伯仲している相手であれば、躊躇なく斬り捨てていたでしょう」

 後輩からの詰問に、最上級生はあっさりと肯定を返す。

「ええ、そうでしょうね」

「しかもそれは、相馬先輩と出会ったからとかそういうわけではなく、旭先輩生来の性質として」

「ええ、そうね」

「……そうなる前に、私が全力で止めます」

 こう言って黛由紀江は袋から刀を取り出し、柄に手を添えて清冽な闘気を解放する。勝負を挑もうとしていた武芸者たちの半分はこれだけで怖じけていた。

「由紀江、それは親友として?」

「はい。友として、貴方を諌めます」

 由紀江の真摯な言葉に、旭は真剣な表情を作って昨日の問いを持ち出す。

「私のことをまだ友達と言ってくれるのね」

 友という言葉の繰り返しにまったく動じることなく、由紀江は川神学園の流儀に従ってワッペンを地面にそっと差し出す。

「私の先輩に、友とは欠点を指摘できる間柄だと言う方がいらっしゃいます。もし旭先輩が人を斬ってからでは遅い。ですから、私と勝負していただきたく存じます。もちろん友人として」

 島津岳人の言葉を引用しながら、剣聖の娘は体内に気を充満させていく。

「太刀をお取りください、旭先輩」

「……ごめんなさい、由紀江。この決闘、受けられないの」

 だが、親友の必死さとは裏腹に旭将軍は請願を拒んだ。

「私の相手はあくまで義経。義経との決闘が終わったら、そちらの方々との勝負もお受けするわ。でも、それまでは待って欲しい」

「義経さんも、斬るのですか」

「場合によってはね。やるならもちろん真剣勝負だから」

「……相馬先輩は、それでよろしいのですか!」

 怒号とも悲鳴ともつかない叫びを、巴御前は受け流す。

「良いも悪いもないよ、由紀江さん。俺の主の言葉だ」

「結果、旭先輩が死んでもいいと?」

「んなこたあ言ってない。一生恨まれようが旭さんが死ぬなら止めるさ。旭さんがいなくなったら、俺も死ぬしかないから」

 朗らかに笑いながら、巴は続ける。

「そもそもの話、こんな数の挑戦者に旭さんが囲まれててなんで今俺が出しゃばらないか、分かる?」

「……絶対に負けないから、ですね」

「大体その通り。さっきもうちょっと伯仲してたらどうこう、とか言ってたけどさ。由紀江さんなら勝つこと自体は可能でも、正直命がどうこうなるような実力じゃない。それに他の……」

 待機している挑戦者の集団に、快活さを表すような赤い髪をポニーテールにした川神一子が居るのを一瞥してから、相馬巴は単なる事実を言語化する。

「……他の有象無象に負けるほど俺の主は弱くないし、そんな人間に俺は人生を捧げたりしないよ」

 ここまで挑発した上で、巴御前は目を細める。あまりにも冷たい視線に晒された挑戦者たちは身を震わせた。

 だが、その挑発を真に受けた愚か者が一人。作務衣に似た服装で、無精ひげを生やした老年の男が一歩歩み出る。

「木曾義仲サン。勝負を受けないってのはどういう了見だい」

「私の相手は、元来義経のみ。彼女との決闘が終わってまだ私が生きていたら、お相手するわ」

「はっ。こちとら老い先短い身、そんなの待ってられるかい。それとも何か? そこにいる兄ちゃんの陰に隠れてなにも出来ないお人なのかい? 英雄の名が泣いてるぜ」

 この身の程知らずで愚かな言葉を聞いた相馬巴は身を震わせる。だが、その理由は怒りではなかった。

「……そう、やはりそう見えるのね」

(うわ、旭さんめっちゃ不機嫌になってる)

 隣に立つ恋人兼主人から発せられる不穏な空気を敏感に感じ取った恐怖から、男は怯えていた。最上旭という人間は感情の起伏が薄いわけではなく、その機微を表に出さない程度の自制心があるだけなのである。

 戦慄している従者に、旭将軍は簡潔な命令を下す。

「巴。手、出さないでね」

「委細承知」

「あー、やだやだ。せっかく木曾義仲サマと決闘出来ると思って川神くんだりまで来たのに、とんだ腰抜……」

「そんなに喋っていて、いいのかしら?」

「うおっ!?」

 口を動かし続ける愚か者の懐に、旭は一呼吸で潜り込む。

「なめてもらっちゃ、困るねえっ!」

 武芸者もさるもの、一瞬で目の前に現れた相手へバックステップしつつ持っていた鎖鎌で迎撃を試みる。しかし、軽快な風切り音を鳴らしながら襲い来る武器の持ち手を旭は易々と掴んで見せた。

「これで正当防衛ね。せいっ!」

「ぐわああああっ!」

 そのまま鎖鎌ごと不調法者を引き寄せた木曾義仲は、下方からの鋭い蹴り上げで老武芸者を遙か空の彼方へ吹き飛ばした。

 飛んで行った方向に向けて深々とお辞儀をしてから、旭は挑戦者たちへ向き直る。

「さて。ではあなた方の挑戦を受けるのはまた後日、ということでいいかしら」

 頷く者、逃げ出す者、腰を抜かしてへたり込む者。様々な反応を残しつつも、腕試しのために集った人間たちはほぼ全員、旭将軍の言葉を受け入れたのだった。

 残った数少ない人間のうち、怖気付きもせず緊張の糸を張り詰めさせたままの親友に旭は語りかける。

「由紀江も、そういうことでいい?」

「……今後旭先輩が人を斬った場合、真っ先に勝負を挑むことは宣言させていただきます」

「いいわよ。楽しみにしておくわ」

 ここまで会話した上で、評議会議長は軽快なターンを見せて半回転する。黒い瞳の向かう先には、先ほどから声をかけようと機を伺っていた好敵手、源義経がいた。その周囲には弁慶、与一、大和が立っている。

「というわけで、おはよう。義経」

「はっ、はいっ! おはようございますっ! 義仲、さん」

 ライバルからたどたどしくも名前を呼ばれて、木曾義仲は表情を柔和なものにする。

「ふふ。是非あなたにはそう呼んで欲しいわ」

「それで、その」

 もじもじと口籠る義経に向けてライバルはころころと品良く笑う。

「馴れ合うつもりはないと言ったけれど、あなたと学友ではありたいと思っているの。後ろにいる弁慶も与一も、気軽に話しかけてくれていいからね」

「……! はい、ありがとうございます! 義仲さん!」

「お気遣いどうも」

「……どーも」

 清らかに笑う主人と、警戒したままの従者二人。後ろ二人の様子を意に介さず、旭は義経に真剣な視線を注ぐ。

「昨日、私の実力を少し見せたけれど……感想を伺ってもいいかしら?」

「素晴らしかったです! 敵の技をするすると避ける体捌き、そして何より刀を抜いた瞬間と、最後の一太刀、見ていて思わず震えました!」

「ああ……もっと褒めていいのよ、義経」

(あ、機嫌良くなった)

 ライバルからの褒め言葉で愉悦に満ちた笑みを浮かべる旭を見て、巴はほっとした。

 だがそれも束の間、旭将軍は真剣な声色で義経へ語りかける。

「一つ、貴方の意志を確認しておきたいことがあるの」

「意志、と言われますと」

「―――私と果し合いがしたい?」

「……っ!?」

 旭の言葉で、この場にいた全員が息を呑む。そして、挑戦状を真っ向から叩きつけられた義経が、同じく正面突破で応えた。

「はい。義経も、貴方と勝負がしてみたい」

「もちろん、刀を抜いての勝負で」

「義経の全てで挑ませていただく。そうでないと勝てないし、何より貴方に失礼だ、義仲さん」

 ライバルの力強い返答に、旭将軍は嬉しがりながらも余裕のある笑みを浮かべる。

「最高よ、義経。さすが、私のライバルと言ったところね」

 でも、と旭は言葉を継ぐ。

「私と貴方が勝負するとして、真剣勝負をしたらそれ以降の勝負が出来ない場合もあると思うの」

 この発言に巴御前が深く頷くのを見て、武蔵坊弁慶と那須与一は視線をより険しくする。従者たちの緊張が高まるのをあえて無視して、旭はこう続けた。

「なので、今日から他の色んなことで貴方と勝負がしたいわ。受けてもらえるかしら? 源義経」

「の、望むところです!」

 気合を入れるためか、両の手を握り拳にした義経。その様子に微笑ましいものを感じつつ、ライバルは決闘の場所を教えた。

「では、早速今日の放課後からやりましょう。場所は屋上で。いいかしら?」

「はい! 屋上ですね! 分かりました!」

 見ている分には朗らかなやり取りだが、これは昔テレビで見た不良の常套句ではと巴は思った。そんな男の内心は誰にも悟られることなく、話が纏まっていく。

「じゃあ、また放課後ね。義経」

 はい! とまたしても元気よく返事をする義経を背に旭は校舎に向かい、悠然と歩いていく。巴と評議会の面々に加え、京極彦一と黛由紀江が付き従うようにその背中を追っていった。

「義仲さん、当然のようにあの大所帯を先導している……やはり凄い人だ!」

 惚れ惚れするほど堂々とした立ち振る舞いに、素直な源義経は感心しきりだった。

 

 由紀江や評議会メンバーと別れた3ーSの優等生三人組が教室に入ると、穏やかで清楚な声が彼らを出迎えた。

「おはよう、アキちゃん」

「あら、ごきげんよう、清楚。今日は早いのね」

「うん。朝から運動していこうと思ってたら、なんだか早起きしすぎちゃったみたいで。余裕を持って出たら早く来ちゃったんだ。シャワーも浴びたんだけどね」

 えへへ、と緩く笑う清楚に言霊使いは疑問を投げかける。

「ほう、意外と言えば意外だな。葉桜くんは好んで運動の類をするようなタイプではないと思っていたのだが」

「あ、俺もそれ思った。暇さえあれば本読んでそうなのに」

 それでも力はすごいけどねと内心で思いながら巴が続くと、はにかみながら清楚美少女は返答する。

「うーん、それがね、昨日アキちゃんが力を解放したでしょ?」

「そうね。こちらにも事情があるとは言え、黙っていたことは申し訳なかったわ。ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げた旭を見て焦った清楚は、わたわたと顔の前で手を振る。

「わ、私は全然気にしてないよ。でも、あれからアキちゃんとか相馬くんのこと考えるとこう、クラクラ〜っとするというか、動かずにはいられないというか」

「……なんで俺?」

 唐突に名前を出された巴は怪訝そうに眉を顰めた。クローン仲間と彼氏の疑問に、旭がさらに質問を重ねる。

「清楚。百代のことを考えてもドキドキしたりしない?」

「むむむ……あ、ドキドキ、するかも?」

「だったら、血が騒ぐというやつなんじゃないかしら。私もそういう感覚はあるし」

 旭の推察に、彦一が相槌を打つ。

「なるほど。葉桜くんはやはり義経、義仲と並ぶ名のある武将なのかもしれないな」

「だから、俺は最初からそう言ってたじゃん」

 男二人から不本意な言われようをされた美少女は、頭痛を抑え込むように指を頭に添える。

「うーん、やっぱりそうなのかなあ……」

 悩む仕草を隠さない清楚に、旭が優しげな声で語りかける。

「清楚。以前も言ったけれど、正体そのものに囚われるとロクなことにならないわよ」

「……アキちゃんは義経ちゃんのライバルっていうのがはっきりしてるでしょ? 私にはそういうのが無いから、どうしても焦っちゃうんだよね」

 葉桜清楚としてのアイデンティティ、という根の深い問題を直視して難しい顔になった清楚の赤裸々な吐露を聞くと、巴はカラカラと笑う。

「自分が何者かはっきりしないのは、確かに辛いよねえ」

「相馬くんも、ちゃんとはっきりしてるの?」

 25センチ下から上目遣いでされた問いに、巴御前は自信満々の表情で答える。

「俺は今、旭さんのために存在してるよ。旭さんの側にいる限り、俺は俺でいられるからさ」

 並の神経なら赤面して最後まで言えないような臭い台詞を、清楚は顔を僅かに赤らめ、彦一は呆れたような面持ちで聞き届けた。

「……すごいなあ。アキちゃんのこと、ちょっと羨ましいかも」

「よくそんな台詞を素面で言えるな、相馬」

「ほんとのことだし。ね、旭さん」

 男がへらへらして恋人に話しかけると、冷たい声が返ってくる。

「昼休みまで話しかけないでね」

「なんで!?」

 すげない女、項垂れる男。3-Sで幾度となく繰り返された、見慣れた光景であった。

 

 

 昼休み、評議会室。

「……じゃあ、気で結界張るからね」

「よろしくお願いするわ」

 笛の練習を一回ヤった。

 

 

 放課後。

 昨日と同じく、HRが終わるなり立ち上がった旭に、太刀持ちのごとく巴が付き従う。

「じゃ、屋上行こうか。旭さん」

「ええ、行きましょう」

 巴から手渡された微塵丸を身に付けた旭が、ごきげんようと残して教室を出る。

 その背中に付いていく巴の耳には、クラスメイトたちの世間話が聞こえてくる。

「最上議長、あんな美少女だったなんて……」

「気配を消す技なんて、なんでもありだな川神市」

「相馬のやつは、全部見抜いてて告白してたのか……やる……!」

 最後のはともかくとして、彼女兼主人が誉められていて巴は鼻高々だった。

 

 屋上。日差しで焼けたコンクリートの熱を観葉植物が散らす、鉄柵に囲まれた場所にて旭と巴は義経一行を待ち受ける。

 3-Sの短いHRが終わってから10分と経たないうちに、重い鉄扉が床を擦りながら開けられた。

「お待たせしました。義仲さん」

 開いた扉からは、義経一行が一列になって登場する。

「随分早いのね、義経……あら?」

 意外そうな声を上げた旭の前にゾロゾロと現れた縦列には義経、弁慶、与一。そして、そこには直江大和が加わっていた。

「……なんで直江くんが?」

 旭が正体を表してからは出来るだけ控えていた巴が思わず口を挟んでしまったのには義経が返答した。

「な、直江くんは頼朝でしてっ!」

 義経の口からは、七浜で会った占い師が大和のことを人物像で言えば頼朝と評したことが伝えられる。それを聞いた巴はこう口走った。

「つまり、旭さんを挑発してるってことかい?」

 巴御前から飛び出た言葉に、牛若丸は目に見えて慌てた。

「ええっ!? そそそ、そんなつもりはなかったのですが」

「いやいや、院宣貰って義仲討伐軍を組織したのが頼朝でしょ。わざわざ連れてくるってことは……」

 なおも非難を続けようとする従者を、旭将軍がたしなめる。

「巴。そうやってすぐ敵を作ろうとしないの。それに、挑発したしないで言えば先にしたのはこっちよ。ごめんなさいね。義経、大和」

「……申し訳ない。こちらの方が喧嘩っ早かったようだ」

「いえ、こちらは気にしてません。お気遣いなく」

 大和が苦笑いで先輩二人の謝罪を受け取ると、今度は武蔵坊弁慶が巴に質問する。

「というか、大和が頼朝云々をツッコむなら相馬さんの方に聞きたいんですけど。ほんとに巴御前のクローンだったりしないんですか?」

「それについては私がお答えするわ。弁慶」

 弁慶の質問には、またしても旭将軍が返答する。

「少なくとも、義仲関係のクローンは私一人よ。弁慶や与一がいる義経の話を聞いて、羨ましく思っていたくらいなんだから」

「義仲さんが、義経をですか」

「ええ。誰か居てくれたらどんなによかっただろう、と思っていたところに、お父様が巴を連れて来てくれたの」

 やや寂しげな声を出したかと思うと、木曾義仲は優雅に髪をかき上げてから厳かに断言する。

「ここにいるのは、今を生きる私の巴御前。よき家臣であり、よきパートナー。文字通り、公私共に支えてもらっているわ」

「旭さん……」

 主人であり恋人の率直な思いを聞いて、相馬巴は面映ゆさで口元が緩むのを必死に抑えていた。

 そんな彼の様子をあえて無視して、旭は勝負の開始を言い渡す。

「では、義仲と義経の源氏勝負、最初の一本といきましょうか。巴、あれを」

「どうぞ」

 巴は懐からケースを取り出し、それを主人の斜め前で恭しく開ける。

 旭はそこからフルートに似た楽器を取り出すと、義経に語り掛けた。

「まずは、笛での勝負を所望するわ。私はピアノをやっていたのだけど、最近はこちらにハマっているのよ」

「義経も、笛は好きです! 街でもたまに吹いてます!」

 義経はライバルから提示された決闘内容に喜んでいたが、街中で笛を鳴らすのは迷惑なのでは、と巴は益体もない思考をしていた。

「では、先攻は私から。私が終わってから吹いてもいいし、一緒に吹いてもいいわよ、義経」

 こう言うと旭は優雅にリード部分を咥え、ゆっくりと息吹を吹き込む。

 その瞬間、幽玄なる響きが学校中に響き渡った。

「おお……」

 起こりを聞いた那須与一がまず感嘆の声を上げる。弁慶は瞼を閉じて川神水を味わい、大和は義経に視線を向けていた。

 旭の誘うような流し目と大和のやや不安げな眼差しを向けられた源義経は、満面の笑みで懐から愛用の笛を取り出した。

「素晴らしい……! 義経も続くぞ!」

 可愛らしい仕草でぱくりと口をつけて、こちらも笛に命を吹き込む。

 ゆったりとしたリズムで二人の笛の音が調和し、聴く者の心を揺らす。

 途中までは旭が主旋律を担当し、それを引き立てるように義経が演奏していたが、お互いに示し合わせたかのようにアイコンタクトを一つ送り合うと二人の関係性が逆転し、義経主導で一つの曲を奏でていく。

 木曾義仲と源義経。性別こそ違えど現代に蘇った英雄たちの共演は、川神学園の生徒ほぼ全員に感動をもたらしていた。

 そんな二人を眺めていた巴御前はというと。

(旭さんの方が上手いし、楽しそうだけど……)

 技術面では、旭の方が上。むしろライバルに向けてテクニックを見せつけ、挑発しているかのよう。翻って義経は、全身で楽しさを表現しているようにも見えた。

 相馬巴には芸術のことはよく分からない。だが、どちらが感動するかと問われれば……

 あれこれと男が物思いに耽っているうちに、二人の演奏が終わる。英雄二人には、その場に居た四人と、加えて学校中から万雷の拍手が降り注いだ。

 リードから口を離し、ふぅと可愛らしく一息ついた旭将軍は、牛若丸に称賛を贈る。

「見事だったわ。義経」

「義仲さんこそ、お見事でした! 義経は感動しています!」

 義経は無邪気に旭の手を取った。旭も握手に笑顔で応じ、それから大和へと水を向ける。

「では源氏勝負の一本目、どちらの勝ちか。決めてもらえるかしら、直江大和」

 びくっと背中を震わせた後輩は、評議会議長からのご指名に難色を示す。

「あの、多数決の方がいいと思いますが」

「らしくなく頭が回ってないわね、大和。仮に多数決で決めるとしても、ここにあるのは四票。そのうち二票が義経のものになるだろうし、私には一票入るでしょう? 結局貴方の一票で決まるのだから、貴方に決めて欲しいわ」

「……自分は義経のクラスメイトですし、完全に中立ではないですよ?」

「それぐらいは細かいことよ。じゃあ、お願いするわ」

 豪胆さを見せつつ決断を迫る議長に、義経からやや控えめに声がかかる。

「義仲さん、あなたとの演奏はとても楽しかったです。無理に勝敗を決める必要はないと、義経は思います」

 ライバルからの優しい提案を、旭は一蹴する。

「それはダメよ。何事にも優劣ははっきりさせておきたいわ。貴方との勝負なら尚更」

 強硬な議長の姿勢を見て、大和は助けを求める視線を弁慶に送る。

「なに? 大和。弁慶ちゃんは義経に一票。たとえ義仲さんの方がいいと思っても、そこは変わらないよ」

 同級生にヘルプコールをあっさりと躱された大和は、今度は先輩へ視線を向けた。巴は渋い顔をして後輩に返答する。

「……俺に聞いても一緒だよ。俺の一言で勝敗がひっくり返るのを旭さんは望まないだろうから、俺は旭さんに票を入れるとしか言えない」

 こう巴が応じると、大和は与一には意識を向けずに答えを出した。

「俺は、義経の演奏の方が心に残りました。もちろん議長の演奏も素晴らしかったですが、あえて比べるのであれば……」

 末尾を濁した後輩の評価を、議長は笑顔で受け取る。

「分かったわ。というわけで義経、貴方の勝利よ」

 至極さっぱりとした敗北宣言に、牛若丸は困惑してしまう。

「い、いいんでしょうか。なんだかあっさり過ぎるような」

「いいのよ。私も貴方の演奏の方が気持ちが入っていて、聴いていて心地よかったわ。やはり音楽はハートね、ふふ」

 口元に手を当てて上品に笑う旭は、微塵も悔しがっているようには見えなかった。場の空気を完全に掌握している木曾義仲は、ライバルへ普段通りのトーンで声をかける。

「またいずれ、一緒に演奏しましょう。月の綺麗な晩とかに」

「はい! 義経は楽しみにしています!」

「じゃあ、次の勝負の内容は貴方が決めてね」

 唐突に投げかけられた問題に、義経はポニーテールを揺らして大いに慌てた。

「ええっ!? しょ、勝負……うーん……」

「今すぐするわけではないのだから、また来週の……そうね。月曜までに決めてくれるかしら。準備物が必要な時は、お互い事前に連絡することにしましょう」

「は、はいっ! 分かりました、義仲さん!」

 いささか素直過ぎるライバルと次の約束を取り付けた義仲は、髪をかき上げてから別れの挨拶をする。

「義経、またね」

 屋上の出入り口へ向かう旭に先行して巴が動いて鉄扉を開け、校内に入る主人の背中に忠臣がついていったところで、義経対義仲の最初の勝負は幕を下ろした。

 

 評議会室に向かう道すがら、眉間に皺を寄せた巴が主人に話しかける。

「旭さん」

「なあに? 巴」

「……勝つ気がない勝負をするのは、あまり感心しないよ」

「分かっているわ。反省してる」

 従者からの非難に、旭はご機嫌な様子で応じる。義経とのデュオがよほど楽しかったのだろう、と巴は更なる言葉を引っ込めた。

(言いたいことは山ほどあるけどさ、水は差したくないよね)

「〜〜〜♪」

 鼻歌を歌いながら放課後の廊下を闊歩する恋人の背中に、巴はモヤモヤを抱えながらついていく。

 最上旭は、今日の勝敗には拘っていなかった。それはもちろん青年のポリシーに反していたが、勝負自体が楽しいという感覚も既に青年は理解している。そして……

(まあ、真剣勝負になったら旭さんが勝つし、いいか)

 最後に勝てばそれでいい、という思考の男はこう考えることで思考を切り替えた。

 二歩後ろをついて回る恋人が少なくとも表面上は笑顔になったのを感じ取った旭は、思い出したかのように話しかける。

「そうだ。帰る前に学長のとこに寄りましょう、巴」

「川神さんと稽古するんだったね。わかった。手土産とかどうする?」

「明日川神院に行くときに買いましょう」

「了解」

 小気味良いテンポでプランを話し合い、木曾義仲と巴御前は通常通りの会話へと戻っていった。

 

 

 帰りがけに学長から川神院での稽古の許可とコンサートへの賛辞を貰い、最上の屋敷に戻った二人は、

『ほう、義経に負けたと……素晴らしい! 旭、その敗北は君にとってよい試練となるだろう。うんうん、よかったよかった』

 と何度も満足げに頷きながらチョコレートケーキを出してきた幽斎と夕食を摂った。

 入浴も済ませた二人は、防音加工がなされた部屋にいた。室内の反響をコントロールする吸音材が張り巡らされた空間の中央には、海外製のグランドピアノが鎮座している。

 音楽スタジオとしても使用できるほど機材が揃っている部屋は、幽斎が川神に居を移す際に旭の希望で備え付けられたものだった。

 まあ、機材と言っても機械音痴の旭が使用出来ないものばかりだったが。

 ジャージに着替えた巴はピアノのカバーを取り去り、屋根を注意深く開け、それから蓋を開けて指で一つ一つ鍵を押していく。

 白と黒が整然と並んだ列を一往復すると、巴は頷いてから黒いパジャマ姿の旭に向き直る。

「……うん、大丈夫。調律の必要はないかな」

「ありがとう」

 相馬巴は、旭のためと色々な技能を取得している。その一環としての調律技術に加えて絶対音感も持っている彼に、旭は興味ありげな声をかける。

「巴もなにか楽器をすればいいのに。私はセンスあると思うわ」

「一年の時の、俺の音楽の成績知ってるでしょ。旭さんが聞きたいなら練習するけど、どうしても芸術的なことは肌に合わなくて」

「ふふ。じゃあ今度、ピアノで何か聞かせて」

 こう言いながら、旭は背もたれの無い椅子に座る。高さは事前に巴が調節していた。

 鍵盤を静かに見つめ、手を行儀良く膝に乗せた恋人を見ながら、巴は別の椅子を引き摺り出して腰掛ける。男にとっての特等席が出来たのを気配で感じてから、旭は細く白い指をそっと開始位置へ添える。

「じゃあ、聞いていてね」

 了解、と応じた男の体を学園の屋上で聞いたものよりももっと整然とした音符の波が襲った。

 旭が爪弾くのは、ピアノの魔術師と謳われたロマン派、フランツ・リストが作曲した"愛の夢"と呼ばれる曲。

 第3番が最も有名であるこの曲を、旭は第1番である"高貴な愛"から演奏していく。

(やっぱり、上手いなあ)

 木曽の村でも旭が練習するのを時たま聞いていた巴は、懐かしむと共に演奏の邪魔にならないよう内心でその技量を称賛する。

 七分ほどの演奏を終えてから呼吸を一つすると、第2番"私は死んだ"に入っていく。

(……んん? なんか、違和感。というより……)

 次第に膨らみを増していく音の奔流を受けて、巴の表情が僅かに曇る。

 第2番が終わればいよいよ第3番、"おお、愛しうる限り愛せ"に移行する。

 ここに至って、額に汗を浮かべた旭は難しい顔をした恋人に視線を向けてウインクを一つ。目を離すな、と言いたげな仕草に、巴は居住まいを正した。

「……! ……っ!」

 最上旭が、鬼気迫る様子で鍵盤の上に滞りなく指を滑らせていく。整った顔に汗で自慢の黒髪が張り付き、必死という言葉を具現化したかのような姿に、巴は見惚れていた。

 それと同時に、ある事実に気付く。

(……ああ、なるほど。今俺、感動してるんだ)

 客観的過ぎるきらいはあるものの、これが彼にとっての素直な感想だった。

 そして、合計十五分ほどの心打ち震わせる独奏が終わる。椅子から立ち上がって優雅に一礼した奏者に、たった一人の観客は自然と拍手を贈っていた。

「月並みなことしか言えないけど、凄く良かった。感動した」

 ひとしきり拍手を終えてからタオルを渡してきた恋人の賛辞に、旭将軍は質問を返す。

「屋上での演奏とどっちが感動した?」

「……今聞いた方、かな。ピアノと笛で単純比較は出来ないけど、こっちだったら勝ってたと思う」

「やっぱりそうよね」

 巴御前の真摯な返答を受け取った義仲は、さらに問いを重ねる。

「じゃあどこが違ってたか、分かる?」

「うーん、気合は入ってたよね」

「気合……まあ、間違ってはないけれど」

 屋上で旭がしたのは、単純に義経との演奏を楽しもうとするもの。今旭がやったのは、何かを強烈に伝えようとするもの。何か、の部分が分からなかったため、巴は気合と表現したのである。

「分からない?」

「……ごめん」

「謝らなくていいわよ。じゃあ、答え合わせ」

「わわっ、旭さん」

 ぽふっと軽い音を立てて、旭が巴に抱きつく。優しく抱き留めた男を、眉目の麗しい顔が見上げる。

「今の曲は、貴方に聞いて欲しいって思って弾いたの。貴方のことが好きって気持ちを込めてね」

 それから旭はからかうような笑みを見せる。それだけで、男の顔は真っ赤になった。

 細い体に回した腕の力を少し強くして、心臓をドキドキさせながら男は囁きかける。

「……俺のために、弾いてくれたんだ」

「ええ。あれこれテクニックを弄するより、貴方を想って弾いた方が何倍も気持ちよく弾けたし、いい演奏が出来たわ。偉大ね、愛の力って」

 人前ではとても聞けないような言葉を貰って、巴はより一層目の前の女性を愛おしく思い、体の密着度を上げる。

「伯爵に勝ったら、また聞かせて欲しいなあ」

「喜んで」

 会話を終えてピアノを二人で片付けた後、巴は旭を軽々とお姫様抱っこする。

「部屋に、連れて行ってもいいかな」

「ふふ。いいわよ、狼さん」

 旭は、男の太い首をきゅっと抱き寄せて頬にキスを一つした。

 

 2発だけヤった。

 

 

 

 

 

 

 ……深夜、川神市某所。

 最上幽斎が、とある港で潮風にさらされながら黒い海へ闇の深い視線を投げかけていた。

 幽斎が電話のコールを受け取ってから五分ほどして、波止場に一艘の小型船が乗り付ける。

 そこから三人ほどの人間が降りてくるのを、実業家が笑顔で出迎えた。

「やあ。今回は突然の申し出にも関わらず来ていただき、感謝の念に堪えないよ」

「フン。三年前以来か? 相変わらず何を考えているか分からん男だな、貴様は」

 白というよりは艶のある灰色をした髪、毛羽だった外套、鍛え上げられた褐色の肉体、手に持った鉄塊のような武器……そして、黒の眼と金の瞳が最も目を引く女性。その名前は。

「歓迎するよ、史文恭」

「ああ。曹一族を代表して、貴様の依頼を遂行しよう……待っていろよ、相馬巴」

 史文恭。かつて相馬巴を折った曹一族の武術師範が、川神に降り立ったのだった。

 

 

 

 




この二人いつ見てもヤってるな……
決戦は三話後、ということで一つ。早めに更新したい所存です。


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第十七話

 

 

 

「行っくぞー、アキちゃんっ!」

「こちらからも行くわよっ、百代!」

 早朝の川神院では胴着姿の武神川神百代と、木曾義仲のクローン、学園指定のブルマを穿いた最上旭の何度目かの激突が繰り広げられていた。

 現在四本目、先の三本は全て百代が取得している。

 百代が一歩を踏み出すと同時、交錯するように旭が前に飛び出す。迎え撃つ武神の豪快な蹴りを、旭将軍はさらに前進しながら受けて力の方向を捻じ曲げることで対処する。旭は地面から浮いているような足捌きで後ろを取り、腰部分から抱き上げて後ろに思い切り反り相手の体を地面に落とす、いわゆるジャーマンスープレックスを仕掛ける。

「ははっ、惜しいぞっ! せいっ!」

「まだ、まだっ!」

 だが、超人的な反応速度で体勢を立て直した百代が逆にバックドロップをかける。旭は体をひねることでクラッチを切って対応したが、それだけで切れるほどわざと緩く手を組んでいた武神は、着地の瞬間に出来た一瞬の隙を狙う。

「無双正拳突きっ!」

「……ふっ!」

 迫り来る攻撃を、旭は呼吸を整えて迎え入れる。さながら風を受けても折れないしなやかな柳のように、暴風そのものといった一撃を相手の前腕部に手を添えて受け流す。

 そのまま攻防が続くかと思ったところで、武神は拳を引いて後退した。まだまだ余裕綽々といった様子の百代、肩で息をする旭。実力差が如実に表れた様子の二人は、朗らかに会話を交わす。

「刀抜く気、ないか?」

「確かに、刀が無いと百代には勝てないわね。私も抜きたいところだけれど、もう義経との決闘以外人前で抜く気はないし……流石にこれ以上は、洒落にならなくなるわ」

「ま、そうだな。じゃあアキちゃん。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 お互いに残念そうな様子は微塵も見せず、相手を称えるべく一礼をし合うと、百代の方から相手に駆け寄る。

「めっちゃめちゃ稽古になった! ありがとうな、アキちゃん」

「私の方こそ、いい稽古になったわ。もう少し腕力を身につけた方がいいかしら。こう、パワーっ! って感じで」

 何かを発射するように伸ばした腕をプルプルと振った旭に、百代は半目を向ける。

「アキちゃん、実はけっこーお茶目?」

「ふふ。私、お茶目な女の子なの」

 子供っぽい仕草から打って変わって上品に口元へ手を当てて笑う旭を見て、百代は腕組みしながらニヤリと笑う。

「んー、カワユイ。相馬の彼女じゃなかったら口説いてるのに……いや口説こう。どうだアキちゃん。あいつのことなんか忘れて、今夜一ば……」

「おい、あまり調子に乗るなよ」

 武神の口説き文句を一声で中断させたのは、いつのまにか二人の間に立っていた裃姿の男、相馬巴だった。粉をかけ損なった百代は口を尖らせる。

「なんだよ良いところだったのにー! 美少女を独り占めするなー!」

「はい、旭さん。タオル」

「ありがとう、巴」

「……ちぇー。っていうかさー」

 華麗に無視された百代は、巴が川神院に来た時から感じていた疑問をぶつける。

「今日のお前、なんでそんなに殺気剥き出しなわけ? 誰かと組手したわけでもないのに」

「え、ほんと?」

 百代の指摘は事実で、ぺたぺたと顔を触る男は全く意識していなかったが、彼から発せられている殺気は川神院の僧たちを震え上がらせていた。

 むむむ、と唸りながら腕を組んで悩む仕草を見せた恋人に旭はフォローを入れる。

「ごめんなさいね、百代。彼、ちょっと気が立ってるのよ」

「なんだ? 私のリベンジのために気を高めてくれてるのか?」

 議長のフォローも聞かずに不敵な笑みを浮かべて挑発する武神だったが、それを止める小さな影が一つ。

「これ、モモ! 今の相馬を挑発するでない。ほんとに殺されてしまうぞい」

「なんだよじじ……師匠。相馬がこうなってる理由知ってるのか?」

 孫娘からの質問には答えず、学長は巴へ矢を射込むような鋭い視線を向ける。それから重々しく口を開いた。

「……正式に九鬼帝から打診があった。お主とヒュームの決闘、儂が立ち会うことになったぞい」

「はあ。それはどうも、お世話になります」

 老爺の言葉にぺこりと頭を下げる若武者。そんなあっけらかんとした様子に百代は驚く。

「お前、ヒュームさんと戦うのか!?」

「ま、成り行きでね」

 殺気を抑え切れてはいないものの、表情だけは緩ませている同級生へ武神は怪訝そうな視線を向けた。

「……もしかして、勝算アリ?」

「当然だろ。負ける勝負は受けないって前にも言ったはずだけど」

「真剣かよー! あー、ヒュームさんもお前も羨ましー!」

 強い相手と腕試ししたい、という欲求を素直に口にした武神を尻目に、最上旭は従者を呼び付ける。

「巴。髪お願いしてもいいかしら」

「オッケー。じゃ、この椅子座って」

 快諾した従者がおもむろに取り出した折り畳みの椅子に旭将軍はちょこんと腰掛けた。

「旭さん、どれぐらいやる?」

「そうね、軽く梳かすだけでいいわよ」

 了解、と応じた巴は懐から櫛の入った入れ物を取り出す。

「奥義、行雲流水」

 櫛を持ってこう呟いた男の手が、美しくも少しほつれた長髪を恭しく持ち上げ、ゆっくりと梳かしていく。櫛がひと撫でする度、いつもの艶とコシのある黒髪が姿を現していった。

「おー。便利な技だな、それ」

「行雲流水は便利だし得意だ、って言ったろ?」

「〜〜〜♪」

 ご機嫌な評議会議長の様子を見て、川神院総代は感心したような声をかける。

「ほう。べっ甲のいいもん使っとるのう。蒔絵も手が込んどる」

「旭さんの髪に中途半端なもの使えませんよ」

「ほほ。そりゃそうじゃな」

 男二人がセクハラ気味な話題で意気投合しているところに、武神の不思議そうな声が飛んできた。

「じじい。いいもんって、相馬が持ってる櫛どんくらいするんだ?」

「六桁はいくんじゃないかのう」

「ろくっ!?」

 巴にとっては大したものではない値段に大仰に驚いて見せた百代だったが、そんな孫娘の様子に鉄心は鋭い視線を向ける。

「お前も年頃の乙女なら、ちいとは相場くらい見分けがつかんといかんぞ。モモ」

「じゃーじじいが買ってくれ。つか買えるくらい小遣いよこせ」

「嫌じゃよ。こういうのは自分で稼いだ金使って買うもんじゃ。お前がどっか嫁入りするんなら考えんでもないがの」

「このくそじじいめ……!」

 拳を握りしめてワナワナと震わせる百代に、総代はさらに追撃する。

「ほれ、相馬の着物も高いぞ。こっちは七桁行っとるじゃろ」

「値段の話はあまりしたくないですけど……まあ大体十代前くらいから付き合いがある呉服屋の大店から仕入れてるので、その辺りですかね。今着てるのは紋付じゃないので単純な額面で言えばもう少し安いと思いますが」

 ちなみにこれは真っ赤な嘘である。彼が着ているものは事細かに注文をつけたオーダーメイド、しかも一度に三着ほど用立てするので高級車程度の代金が口座から飛んでいっていた。

「……いかん、クラクラしてきた。お前の金銭感覚おかしい理由がなんとなく分かった気がする」

「車とか家より安いよ。もっと高い買い物なんかザラにあるって」

 学生の身分からすれば分不相応としか言えない高級品を着こなす男を見て、武神は額を指で押さえた。

「一応、一つの流派の当主なんでね。不恰好は出来ないんだよ川神さん」

 会話しながら、巴は最後の仕上げとばかりに旭の側頭部に沿って櫛を動かす。それから前髪を流すように整えて、仕上がりの確認用に鏡を出した。

「どうでしょう」

「ありがとう、巴」

 礼を言ってからしゃなりと椅子から降りた旭将軍は、体操服姿ではあるもののいつも通りの威厳を取り戻していた。優雅に舞う濡羽色の髪に、ツンと張った形の良い美尻。ブルマへ僅かに乗った太ももの肉を舐め回すように見てから巴は満足そうに一つ頷く。

「綺麗だよ、旭さん」

「お上手ね」

 たった一秒でいちゃつきだしたカップルを見た百代は、巴の手にある豪奢な櫛を見つめてこう切り出す。

「なあ、相馬。試しに私にもそれ使わしてくれ」

「てめーの前髪のクロスをストレートにしていいならやってやるが?」

「わー! やめろよう! 人の弱点を狙うなー!」

「……ふふ。仲良しね」

 最上旭はふわりと髪をかき上げながら、戦士二人のじゃれ合う様子を微笑ましく見つめていた。

 三年生3人が朗らかに会話していた一方。

「うう……相馬先輩と議長に組手してもらいたかったけど、近づけなかったわ……」

 巴の殺気にポニーテールと髪飾りを震わせていた川神一子は、残念そうにしながら登校準備をしに部屋へ戻った。

 

 

 

 2009年 7月 1日

 

 相馬巴、最上旭、川神百代の三名は、変態の橋と名高い多馬大橋の上をテクテクと歩いていた。巴の殺気に気圧されて近づけてはいないが、その後ろにはリーダー抜きの風間ファミリーもいて、巴に近づくのとファミリーから離れがたい気持ちの揺れを表すように由紀江がその中間にいた。キャップの風間翔一は旅行に飛び出して行きました、とは直江大和の言である。

「じじいが言ってたけどさ、客呼ぶんだってよ。お前とヒュームさんの決闘」

「……金取るの? 人が生き死に賭けるのに?」

「いんや。チケットとか売るわけじゃないけど、各国重役には中継飛ばして、呼べる人を招待って感じだってさ。豪勢だよな」

「あんまり表には出たくねえんだけどなあ」

「私は羨ましいわ。義経との決闘も、それぐらい豪華に企画したいところね」

「ならいいテストケースになれるように頑張ろうかな!」

「よく躾けられてんなー」

 微笑む議長、調子を合わせた従者。そんな二人を見て、百代は何度目か分からない呆れた視線を向けた。

 そんな三人の元へ、甲高いベルの音と共に自転車が近づいてくる。

「リンリンリリーン、リンリリーン♪」

「ふぁいとー、おー!」

 百代は振り向いて、巴は振り向かずに気で距離を測りつつ、葉桜清楚と松永燕両名の接近を待つ。

「お、美少女二人乗りのチャリが来るぞ」

「いや、そもそも二人乗りすんなよ。危ねえだろ」

「前方に相馬クン発見! 清楚、突っ込んじゃえー!」

「ええっ!? ふ、普通に止まるよ」

 よいしょっと、と言いながら清楚は自転車を止め、速度がゼロになる直前で燕はひらりと飛び降りた。

「やーやー、爽やかな朝ですな議長」

「おはよう燕。清楚もごきげんよう」

「ご、ごきげんよう、アキちゃん」

 一通り挨拶が済んだところで、燕が上目遣いで巴を覗き込むように動く。

「なにかな、松永さん」

「どないしてそないに殺気だってはるのん?」

「なぜに似非京都弁を使うんだ」

「似非じゃないよん。おかん仕込み」

「……母親から習ったものを大事にするのは、良いことだと思う」

 仏頂面で至極鬱陶しげにあしらった巴だったが、燕は普段の身軽さからは意外なほど食い下がる。

「ねー、教えてよ」

「ヒュームさんと戦うことになりました。以上」

 瞬間、これを聞いた納豆小町の表情は石化したように強張り、それからクリクリした鳶色の瞳が巴を見つめる。

「……死ぬ気?」

「死ぬ気ではやるが、死ぬつもりはない」

「ふうん」

 つまらなさそうに鼻を鳴らしてから、燕は微笑みながら旭将軍に笑顔を向けた。

「似た者カップル、だねん」

 これを聞いた旭は感情を隠すように目を伏せ、同級生に向けて微笑みを返す。

「あら。私は少し違うわよ、燕」

「おおっと。そーでしたそーでした」

 可愛らしく頭にコツンと拳を当て、ウインクして舌を出した燕を巴は怪しむように見る。

「……で、何が言いたいわけ?」

「いやあ、素敵な彼女をちゃんと繋ぎ止めとかなきゃダメよん、ってお話。これ割と本気ね」

「言われなくてもそのつもりだから、余計な心配だ」

「ひゅーっ。愛されてるねえ、アキちゃん」

 最後にはいつもの煙に巻くような態度へと戻った納豆小町に、周囲の人間たちは必要以上の違和感を抱かなかった。

 今度は、巴の言葉を聞いた清楚が話の輪に加わる。

「それにしても、こう、相馬くんは直球だよね、色々と」

「いーや清楚ちゃん。こいつ勿体付けた言い回しばっかり。話してるとイライラするぞ」

「本当のことを言うと怒る奴と、怒らない人を見分けてるだけだが」

「ほうほう、つまりモモちゃんは痛い所を突かれると逆切れする、性格に難のある女の子だと」

「なに!? おい相馬!」

 理不尽に瞬間沸騰した武神に、巴は声を荒げる。

「今の俺は何も言ってねえだろうが!」

「まあ、巴は嘘吐けないタイプよね」

「旭さんには嘘言わないだけだよ」

「たまには私のことも騙してみて欲しいわ」

「……無理です、勘弁してください」

 横から飛んできた彼女の言葉に、男はペコペコと頭を下げることしか出来なくなる。そんな様子を見て、百代と燕のコンビは肩を組んで冷やかす。

「やーい尻に敷かれてやんのー!」

「やんのやんのー!」

「……てめーら、殺してやろうか」

 若武者が全身から殺気を立ち昇らせたのを見て、清楚美少女が慌てて間に入る。

「そっ、相馬くん! モモちゃんも燕ちゃんも、言い過ぎだよ!」

「ちっ、清楚ちゃんを味方につけやがった」

「女の子の影に隠れてなにも出来ない、情けない男の子ですなあ」

「……ありがと、葉桜さん」

 礼を口にした男に、清楚は妹分の弁慶を殺されかけたことを思い出しつつ人差し指を向ける。

「ううん、大丈夫だよ。でも、あんまり殺すとか言うのはやめて欲しいかな」

「善処しよう」

「もう!」

 視線を逸らしつつ曖昧に返事した巴に、清楚は憤慨して見せた。

 女四人に囲まれ、からかわれ通しの若武者の様子を見て、不満を募らせる男子が一人。

「ぬぁーんであの先輩はあんなに美人に囲まれてるんだー! 神様! あんたは不公平だぞー!」

 空に向かってこう吠えたのは、はち切れんばかりの筋肉を袖を捲った川神学園の夏服で強調する島津岳人だった。

「……ふむ」

 天を仰いだ浅黒い肉体を見て、巴は百代に耳打ちする。

「島津くんは、女性には縁遠いのかい?」

「年下にはモテるんだけどなー。私みたいな美少女の前に立つと目が血走り、動悸が早くなり、筋肉が隆起して性欲の権化になる。そして逃げられる。残念なヤツさ」

「それが原因で、モテないのか」

 巴は百代の岳人評を聞いて太い腕を組み、さらに表情を深刻なものに変える。旭の前で性欲の権化と化すのは彼も同じだからだった。

「どー見たってパワー系だし、俺様と同じタイプだろ!」

「まーまーガクト、落ち着いてよ」

 細い体で間に立ち、抑える仕草を見せた師岡卓也に一瞥をくれてから旭将軍がフォローに入る。

「確かにただ細身よりは逞しい方が好み、というのは置いておいて。巴は白面の貴公子って感じじゃないけれど、私は男前だと思うわ」

「……」

 唐突な褒め言葉に、巴は無骨な顔を赤くして閉口する。

「あら相馬クンったら真っ赤っか。お熱いですなあ」

「……うるさいな」

「ふふ。巴はからかい甲斐があるのよ。いちいち反応してくれるから」

「ていうか、相馬がゾッコンなのはもうどうでもいいけど、アキちゃんはこいつのどんなとこに惚れたわけ?」

 武神の素朴な質問に、評議会議長は顎に指を添えて悩む仕草を見せる。

「そうねえ……」

「あ、もしかして聴いちゃまずかったか?」

 普段の傍若無人さは鳴りを潜め、からかう気など全くない素直な申し訳なさを口にした百代に、旭は笑顔を向けた。

「大丈夫よ百代。じゃあ、私が巴のことを初めてこの人いいなーって感じた想い出を披露しましょう」

「……どれ?」

「あれは巴が長野にある最上の家に来たばかりで、私のことをまだお嬢さんと呼んでいた頃。私は生まれて初めて風邪を引いて寝込んでいたのだけれど……」

 不安そうな顔をした従者をちらりとみてから、旭将軍は話し始めた。

 

 

 回想開始。

『巴。その猪と熊、どうしたの?』

『……お嬢さんに、元気を出して欲しくて』

『それで、二頭とも獲ってきたの?』

『いや、熊はたまたまですけど……』

 回想終了。

 

 

 ややうっとりした視線を向けながら、旭は頬に手を当てて恋人を自慢する。

「熱湯でするする猪の毛を剥いて、熊も手際よく解体していく巴を窓際から見て……なんて素敵な男の子なんだろうって思ったのよ」

「牡丹鍋も熊鍋も、大変美味しゅうございました」

「相馬パイセン、エピソードが出てくるたびに化け物度が増してくよねー」

 由紀江の持った松風が話に入る好機とばかりにツッコむ。他の人間はドン引きして何も言えずにいた。

 ややあって、燕と百代がさらに話を進める。

「いやあ、ワイルドどころじゃ済まないお話だったねえ」

「猫が獲物とってきたみたいなノリで出てくるのが猪と熊だもんなー」

「熊ぐらいなら川神さんでも獲れるよ。猪引き摺ってたら熊とも鉢合わせただけだし」

「もののついでで熊さんを獲れる男。それぐらいじゃないとアキちゃんは捕まえられないってことなのねん」

「私は強い男の人、好きよ」

 旭がこう言うと、黒髪美少女達が口々に続く。

「うん。相馬は私を倒せるくらい強いしな。そこら辺、男として評価高いぞ」

「相馬クンは強いよねえ。お相手はぜひぜひ遠慮したいとこだケド」

「そっ、相馬先輩は強くて、素敵だと思いますっ!」

「相馬くんは、不安になるくらい強いよね……」

 何故か自慢するようにふんぞり返る百代、一歩引きながら呟く燕、白い頬を上気させた由紀江、疲れたような表情を見せる清楚。

 四者四様の反応を見渡し、それから旭の微笑みを見て巴はニコニコした表情を作った。

「なんだかんだで、強いって褒められるのが一番嬉しい気がする」

「あら。そこは『俺のいいとこは強さだけかよ!』って怒るのがお約束じゃない?」

「そんな勿体無いこと言わないよ。自分の一番自信あるとこ褒められたら嬉しい。そんだけ」

 こう言ってから、巴は旭の艶やかな黒髪に手を伸ばす。しかしそのゴツゴツとして節くれ立った手は、対称的にほっそりしたたおやかな手にぺちんと叩かれた。

 好意をすげなく返された巴は、やや不満そうに話しかける。

「今のは俺が旭さんの髪を触って、いつも綺麗だねって言う流れだと思うんだ」

「ふふ。ここじゃだぁめ」

「はい……」

 手の甲をさする情けない男と気品のある態度の淑女。いつも通りのオチを作った二人を目を丸くして眺めていた由紀江に、評議会議長から声がかけられる。

「ああ、そうだ。今日の昼休みと放課後。お暇かしら? 由紀江」

「は、はい。何もなかったはずですが」

「よかったわ。お話したいことがあるから、第一茶道室に来てくれるかしら」

「評議会室ですね。かしこまりました」

「じゃ、私たちの学園へ行きましょ。みんな」

 意気揚々と、上機嫌に。最上旭は先頭に立って歩き始めた。

 その凛々しくも可憐な背中と、傍に立つ大きい背中を眺めて、島津岳人はおもむろに呟く。

「なあ、モロ」

「……なんとなく言いたいこと分かるから、黙っとこうよガクト」

「もしかして俺様はカップルのいちゃつきに手を貸した挙句、もっとモテるようにしちまっただけなんじゃないか!?」

「あーあ、言っちゃった」

「うおーーー! 神様ーーー! あんたって人はーーー!!!」

「ロボットアニメのやられる悪役みたいなセリフやめてよね……はあ。最上議長、綺麗な髪の人だったなあ」

 島津岳人と師岡卓也も、仲良しな二人だった。

 

 

 昼休みを飛ばして、放課後の評議会室。

 議長の座る上座には最上旭が座り、背後の定位置に相馬巴が直立する。そして旭の横にはもう一人、恐縮しきった様子の黛由紀江が刀と松風と共に立っている。

 昼休憩に由紀江を呼び出したのは、旭がこの後輩女子を評議会へスカウトするためだった。

「では、1-C担任カラカル・ゲイル先生の推薦枠を使用したという体で由紀江を評議会に勧誘したけれど、異論のある人は?」

 カラカル・ゲイルとは世界でも名の知れた強者だったのだが、あの松永燕との決闘に負け、川神学園から来ていた教師としてのオファーを弟のゲイツと共に自分を見つめ直すためと受けた筋骨隆々の教師である。ぶっちゃけ巴はあまり強くないなと思っていたが。

 失礼な思考をしていた従者には目もくれず、旭は室内と評議会議員たちの表情をぐるりと見渡す。まず一本細く白い手が上がり、それを議長が指名した。

「副議長。発言を許可するわ」

「私が気になる点は、カラカル先生にお話を通されているのか、またスカウトされた黛さんが納得しているかどうか、この2点です」

「どちらも問題ないわ。来たばかりの先生を騙したような感は拭えないけれど、評議会員にはいちおう教師推薦がいるもの。由紀江は素行も成績も申し分ないし、『人は経験が作るものだと弟が言ってマシタ』と快諾してもらったわ。由紀江からも評議会入りの承諾は貰っている」

「回答ありがとうございます。私からの質問は以上です」

 腕章とスカートを整えながら座り直した副議長を見て、巴は有難い存在だと思った。旭の突拍子もない提案に対し、皆が思いつくような常識論でいつも反論を示してくれるのが彼女だったからである。評議会をスムーズに回転させる上で、ある意味では巴以上になくてはならない役回りだった。

 それから、もう一本挙手が続く。2-S所属、石動良樹からの提言だった。

「良樹。発言を許可するわ」

「ありがとうございます。では、率直に言わせていただければ自分はその後輩の加入には反対です」

「理由まで聞かせてもらえるかしら? 私からのスカウトだけれど、妥当性があれば一考する」

 議長からの黒曜石の視線、加えて巴から僅かに漏れた殺気にも怯まず、起立した状態のSクラスの人間はこう口にした。

「評議会は、学園を支える組織です。この際ですから言わせていただきますが、生徒会の尻拭いもやり過ぎです。なんのための権力分散か分からない案件も今年度に入ってからいくつも……」

「論点がずれているわよ、良樹」

「……申し訳ありません。自分が加入に反対な理由は、黛さんがSクラスの人間でないことです」

 この言葉には、一人の女子が水を差した。

「あれ? 私もSクラスじゃないよ」

「奈々、混ぜっ返さないの。会議中の発言は私が許可してからにしなさい」

「ご、ごめんなさーい……」

 すぐに嗜められて肩幅を小さくさせた女子に一瞬だけ視線を向けてから、議長は立ったままの男子生徒と言葉を交わす。

「では、Sクラスの人間でないことがなぜ反対の理由になるのか、もう少し突っ込んで話してくれるかしら」

「彼女は成績優秀、春先の相馬先輩との決闘で武力も自分では及びもつかないことは知っています。ですが、それで何故Sクラスに編入しないのか理解出来ません」

「理解できないものを排斥するのは、衰退の第一歩よ?」

「衰退が問題とおっしゃるのであれば、なおさらSに入って自己研鑽することを彼女には求めます。優秀な人間に囲まれれば、それだけ成長の機会が増える。彼女はそれを自ら放棄しているようにしか見えません。向上心のないものは馬鹿です」

 最後のセリフを言った人間は自殺していたはずだけどなあ、と巴は考えたが、この後輩の言葉にも一理はあると思った。

「では、その辺りは本人に聞きましょう。由紀江、貴女入学試験での成績は50番以内よね?」

「はい。選抜クラスに入るよう勧められましたが辞退しました」

「辞退の理由は?」

 由紀江は、旭からわざと向けられた厳しい視線に怯えることなく、逆にその青みがかった美しい瞳に力を漲らせて返答した。

「地元では友人が出来なかったので、選抜クラスに入るよりは通常クラスに入った方が友人が出来やすいのではないかと思い辞退しました」

 議員の半分はずっこけ、残り半分はやや呆れたような視線を向けた。そして、これを聞いた選民思想の男は語気を強める。

「そんな理由で君はSクラスに入らなかったのか!?」

「……お恥ずかしながら、はい」

「なんだよー! まゆっちが友達欲しがっちゃいけねえってのかよー!」

 松風が反論したが、二年生は馬鹿にしたような論調でさらに詰ろうとする。

「はっ。君の所属しているコミュニティはあれだろ? 風間ファミリー。あの妥協と馴れ合いの……」

 だが、その台詞は最後まで吐かれることはなかった。一瞬で背後を取った巴が後輩の肩を掴んだからである。

「あ、石動くんそれはストップ。言い過ぎだし、今の議論に必要ない誹謗中傷だろ。川神さんとかの前で同じこと言えるんだったらこの手は離すけど」

「……っ、相馬先輩」

「巴、戻りなさい」

 大人しく定位置に帰った従者を見てから、旭は由紀江に向かって頭を下げる。

「由紀江。部下の非礼を詫びるわ。貴方の友達を馬鹿にしてごめんなさい」

「……僕からも謝罪させてもらう。申し訳ない」

「これから発言には気をつけるんだぜBOY……」

「こら松風。先輩になんて口の聞き方ですか」

 一人でボケからツッコミまでを完結させる一年生を見て、ああこれは友達が少ないわけだなと評議会員達はなんとなく納得した。

 そんな察しのいい人間たちのリーダーは横髪をくるくると指に巻き付けながら一言声をかける。

「由紀江。貴女、結構したたかよね。そういうところが気に入っているのだけれど」

「恐縮です」

 何気なく答えて小さく頭を下げた友人から視線を切り、旭は男子生徒へと水を向けた。

「良樹。由紀江は評議会入りの話を快く受け入れてくれたわ。これはもちろん私の顔を立てるという意味もあったでしょうけど……それ以上に、彼女が別の集団に入り対人能力を高める選択をしたということよ。これでも、由紀江に向上心がないと言えるかしら」

「議長が、そうおっしゃるのでしたら」

「あえて話を脱線させるけど、貴方の近視眼的なところはもう少し改めた方がいいわよ。関わる人間が成長に影響する、というのは同意するけれど」

「……肝に銘じます」

 プライドの高い人間が頭を垂れるのを見て、巴はああなるほどと一人ごちる。

 最上旭はこの一連の流れをわざとやった、わざと聞かせたのだと巴は解釈した。

(石動くんを反対派の仮想代表として叩き台にするのと、石動くん自身の視野を広くさせるのを両方やりたかったんだな、旭さんは)

 この問答を経た後であれば、同情票も含めて由紀江の参画に異論を唱える者はいなくなる。まあ元々評議会議員の中で反対するのはこの2-Sのエリートしかいなかったが。

 そのエリートが着座するのを見届けてから、旭は相好を崩して手をパンと叩いた。

「では、会議はこれでお開き。早速由紀江の歓迎会をしましょう。主税」

「はい。飲み物ですね!」

「瑞希」

「待ってました! 冷蔵庫からカップケーキ出して来ますね!」

「奈々」

「はい! じゃ由紀江ちゃん、こっちこっち!」

「え、ええっ……!?」

 先程までの緊張など微塵も感じさせない歓待ムードへと一瞬で切り替わった評議会室に、由紀江は腕を引っ張られながら戸惑う。そんな後輩女子に、巴は軽く声をかけた。

「由紀江さん」

「な、なんでしょう。相馬先輩」

「この人たち、皆イベント好きだから。慣れてって」

「じゃー本日の主賓を席へごあんなーい!」

「わわっ、奈々先輩っ!?」

 由紀江は座り心地の良い座布団を敷かれた椅子に座り、本日の主役と題字されたたすきをかけられてからおもちゃのティアラを装着させられた。松風には他の評議会議員が即席で作った折り紙の兜が乗せられる。

「オラも歓迎してくれるなんて……ええ人たちやなあ……」

「良かったですね松風……」

 新入りがストラップと漫才を繰り広げている間に、全員にカップが行き渡る。旭が音頭を取るべく掲げると同時に、由紀江も含めた全員が杯を掲げた。

「では、私たちに新しい仲間が出来たことに。乾杯」

 乾杯! という朗らかな声が空間を満たす。わっと由紀江に群がる女子軍団、それを眺めて菓子に舌鼓を打つ男子と分かれていく中、由紀江が隣に陣取った先輩へと話しかける。

「……あの、奈々先輩。こういう歓迎会的なものは毎回やってらっしゃるのでしょうか」

 後輩からの質問に、先輩は笑顔で返答する。

「うん。相馬先輩は皆って言ってたけどうちはほら、何より議長がお祭り好きだから。誕生日に近い日の評議会では必ずお誕生会とかやるしね。えーっと、次に近い誕生日なのは……」

「7月9日、ちょうど木曜日に主税くんのがあったはずですね」

 可愛らしく小首を傾げて悩む仕草を見せる奈々には、副議長からのフォローが入った。追加で、この会話を耳にした議長からの横槍も入る。

「あら。次は7月7日じゃなかったかしら」

「……申し訳ありません議長。ええと」

 旭の言葉に、副議長は記憶の中を探る。だが、議員の中に該当する人間はいない。さらに悩む副議長を見かねて、どことなく頬を赤くした巴が口を挟む。

「……旭さん。それ、俺の誕生日」

「あ、あらら? ふふふ、ごめんなさい。そうね、そうだったわね」

 動揺を隠すように口元へ手を当てて笑う議長と、照れ臭そうに頬を掻く従者の二人を、評議会は微笑ましく見ていた。

 

 

 歓迎会の片付けと、由紀江の初日教育や通常業務を終えた、夕暮れ差し込む評議会室。巴を伴った旭が由紀江を呼び止めていた。

「由紀江。今日は評議会入りを承諾してくれてありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございます。石動先輩を含め、皆さん丁寧にお仕事を教えて下さいました。微力ながら最善を尽くしたいと思います」

「ふふ。これからも戦力として期待してるわ」

 ところで、と旭は話題を転換する。

「もう一日、貴女の予定を貰いたいのだけれどよろしいかしら?」

「金曜日は集会があるので難しいですが、それ以外の曜日であれば概ね大丈夫です」

 後輩のやや硬い返事を聞いて、旭は嬉しそうに胸の前で手を合わせる。

「よかった。では、今度の土曜日。今度はお泊まり会のご招待をさせてもらうわ。いかがかしら」

「お、お泊まり会ですかっ!?」

「ええ。女同士、パジャマパーティと洒落込みましょう」

「まったく、元ぼっちにはハードル高え話持ってくるお人だぜ……」

 松風がぼやくのを聞き届けてから、旭は由紀江の目を真っ直ぐに見据える。由紀江はちらりと巴の顔色を伺ったが、普段は鋭い眼光を宿すその目は鈍く、

(断る説得とか無理。諦めてくれ)

 と雄弁に語っていた。

「……はい。では、お受けします」

「ありがとう。お蕎麦も用意しとくわね」

「は、はいっ! 楽しみにしておりますっ!」

 旭からの提案を受けた後、そういえばと由紀江は思いなおす。心に浮かんだ疑問を、新入り議員は議長にぶつける。

「今週土曜と言いますと……相馬先輩の決闘の前日なのでは?」

「ええ。壮行会と行きましょう」

「……俺、何かした方がいい?」

 不安そうな声を出した従者を宥めるように、主人は優しく声をかける。

「貴方はヒュームさんとの決闘に集中して。由紀江は私がもてなすから」

 普段であれば一も二もなく恋人の負担を減らすべく行動する男は、後に控えたものがものだけに素直に従った。

「……分かった。じゃ由紀江さん。また土曜ね」

「はいっ!」

「じゃあね、由紀江」

 こうして、柔らかい香りを残して去っていく二つの背中を由紀江は見送ったのだった。

 

 

 

 

 

 



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幕間3

 

 

 決戦前日の土曜昼。豪奢な和風屋敷、最上邸の門前に由紀江はピンと背筋を伸ばして立っていた。その手には愛用の刀と、宿泊用道具の詰まった旅行鞄が握られている。送迎した運転主が呼び鈴を鳴らすと、家の中から旭が出てくる。ポニーテールにエプロン姿の、若奥様フォームであった。存在感を消す技を解いたこともあって、より魅力的に見えるようになった旭将軍をストラップが称賛する。

「おおう……なんだか眩しいお姿だぜい」

「ありがとう、松風。ではいらっしゃい、由紀江。ほら、入って入って」

「ありがとうございます。旭先輩。お邪魔します」

 出迎えた旭がくるりと振り返ると、いつもの花のような香りとはまた違う、胸のすくような香りが由紀江の鼻をかすめた。

「もしかして、今蕎麦を打ってらっしゃったのですか?」

「ええ。夏の蕎麦は犬も食わない、とよく言うけれど、南半球の方から蕎麦の実を仕入れてる会社に巴が無理言ってね。いいものをちょちょいっと三キロほど買ってきたそうよ」

「九十九神のオラもびっくりなとんでもない人脈が急に出てきやがったな……」

「なんでも巴のひいおじい様は、その貿易会社の先代社長が戦後やっていた闇市でボディガードとかをしていたんですって。この程度で恩が返せるなら喜んで、と言っていたそうよ」

 旭の言葉と巴の来歴を照らし合わせて、引っかかるものを感じた由紀江は控えめに質問する。

「ボディガードとか、と言いますと」

「まあ、同業他社をあれこれしたとか、しなかったとか」

「ああ……」

 これは深く聞かない方がいいし、あの危険な先輩も詳細には語っていない話だろう、と由紀江は察した。

 キッチンに足を向けながら、旭が話を続ける。

「一度に二百枚とか作るわけじゃないから、蕎麦湯は蕎麦粉を直接溶かしたもので代用してもいいかしら」

 せっかくの客人に薄い蕎麦湯を出すのを善しとしない旭の気遣いに、由紀江は頭を下げる。

「は、はいっ! 何から何まで、ありがとうございます」

「巴と由紀江の感想が楽しみね。今日のは会心の出来なのよ」

 ふふん、と自慢げに宣言し、軽やかなステップで廊下を進む旭将軍を見て、可愛い人だなあと由紀江は思った。

 蝶結びされたエプロンの紐がフリフリと揺れるのを見ていた後輩へ、評議会議長はおもむろにこう訊ねる。

「由紀江。貴女、梯子は手を使わずに降りられるかしら?」

「……可能では、ありますが」

「蒸籠を持ちながらは?」

「……遠慮したいところですね」

「オイオイ、一体まゆっちに何をさせようってんだい。旭パイセン」

 松風の質問に、旭はくるりとポニーテールを踊らせながら振り返って答える。

「私と巴の秘密の部屋へ、ご招待よ」

 

 

 

 

 ガタン、と金属質な音を立てて巨大なハッチが口を開ける。由紀江が少し覗き込むと、体育館ほどの広大な地下空間がそこには広がっていた。

「映画でしか見たことねえぜこんなの。マジパねぇ」

「最上家自慢の地下シェルターよ。幸い、私が巴に稽古つけてもらう時にしかまだ使ったことないけれどね」

 秘密の部屋、と言った割には色気のない答えを明かした旭は、両手へ蒸籠を積み上げた状態で器用に鉄梯子へと足をかける。

「じゃあ私が先に降りて、降りていいわよって下から声かけるから。それからゆっくり来てね。無理そうだったら、飛び降りれば最悪私が受け止めるから」

「あっ、旭先輩のお手を煩わせないよう、努力します」

 こう答えた由紀江だったが、彼女が屋敷に入った時から感じていた疑問がここにきてさらに鎌首をもたげてくる。

「……本当に、相馬先輩はこの中にいらっしゃるんですか?」

 そう。最上邸の中に、相馬巴の気が一切感じられないのだ。地下空間自体に旭の気配を消す技で結界を張っていたことは蕎麦を茹でる時間に聞かされていたが、入り口を開けても巴の存在は認識出来ない。

 旭はその疑問に対する答えを持っていたので、後輩に優しい声を向ける。

「ちゃんといるわよ。今分からなくても、巴をひと目見れば納得すると思うわ。じゃ、私から行くわね」

 こう言って、旭は躊躇いなく身軽に梯子を降りていく。その様子を呆然と眺めていた由紀江だったが、階下から澄んだ声で呼ばれて慌てて降り始める。片手に彼女の分の蕎麦が乗せられた容器を持ちながら、するすると梯子を伝っていった。

 不安定だった足をコンクリートに着地させ、振り返る由紀江の目に入ってきたのは、現実と非現実が入り混じった空間だった。

 広々としたスペースの一角を占拠した畳の上に、男が一人寝転んでいる。座布団の前には背の低いテーブルがあり、その上には筆の乗った硯と文鎮が乗った毛氈、いわゆる下敷きがあった。和紙に包まれた書簡は横によけられている。

 テーブルの傍には桐箱が三つと、美しい青紫の花が咲いた鉢植えが一つ。刀の拵えを施すための用具もあり、さらにその奥には桔梗の家紋入りの羽織がかかった衣紋掛けがデンと鎮座している。

 時代がかった家具こそあれ、一目見た時初めに生活感という単語が飛び出してくる十五畳ほどの場所で、由紀江の目に非現実を感じさせたものが二つ存在した。

 まず、三つある桐箱のうちの一つ。そちらの上蓋にも桔梗紋の焼き印が施されている。しかし、その薄い板では中身の放つ禍々しい気は隠し切れていなかった。

(相馬先輩の三本目の刀、でしょうか)

 残り二つの木箱から巴が愛用していた月鏡と極楽蝶の気配を察知していた由紀江は、三つ目にも刀剣の類が入っていると見抜く。

 そして恐らく……話に聞く父親殺しの刃なのではないか、とも推測した。

 恐ろしい想像をしながら、美少女剣士はもう一つの非現実に視線を向ける。

 それはこの空間の主である、相馬巴。

 もはや見慣れた裃姿に髪は解いた状態で旭にぺちぺちと頬を叩かれていた男は、むくりと起き上がるとあくびを一つしてから寝ぼけ眼で順番に挨拶を始めた。

 おはよう、旭さん。由紀江さんもおはよう。

「おはようございますっ! 相馬先輩」

 あはは。元気でいいねえ。

 後輩からの返礼に笑顔で答えながら、巴は正座の姿勢になる。

 今日も旭さんのお蕎麦は美味しそうだね。

「ふふふ。貴方がいいもの仕入れてくれたから、頑張っちゃった」

 じゃあ、味わって食べさせてもらおうかな。あ、座布団出すよ。

「ありがとう。ほら、由紀江も座って。みんなで食べましょ」

「は、はいっ!」

 由紀江は男の様子に戸惑いながらも、自分の分の蕎麦をいつの間にか設置されたちゃぶ台へ乗せていく。中央に蕎麦湯を置いて配膳が済み、三人が三人とも行儀良く正座したところで、いの一番に旭が手を合わせた。

「では、手を合わせてください。いただきます」

 いただきます。

「いっ、いただきますっ!」

 箸を作法通り持ち、太さの揃った艶のある蕎麦を目の高さまで持ち上げて、濃いめに作ってあると教えられていたつゆに三分の一ほど浸けてから、由紀江は改めて巴のふやけた顔をチラリと見た。

(……本当にこの人は、人間なのでしょうか?)

 美味しい美味しいと言いながら心底嬉しそうに蕎麦をたぐる男へ由紀江が非現実さを感じた理由は、もう少し後で分かることになる。

 

 

 

 喫食が終わり、滋味深い蕎麦湯を味わっていた由紀江と旭に、刀の調整をしていた男から声がかけられる。

 旭さん。由紀江さん。腹ごなし、付き合ってもらえるかな。

「今の状態の相馬先輩に、私が練習相手になれるとは思えませんが……」

「あら由紀江。今のは結構分かりやすい挑発だったけれど、分からない?」

 旭の言葉を理解できるよう、巴が一言継ぐ。

 二対一でいいよ。多分、それぐらいでちょうどいいかな。

 この生意気な科白を聞いた二人の美少女剣士たちは、食後の和やかな雰囲気を消し飛ばす程の闘気をそれぞれ身に纏った。

「……なるほど。これは、カチンと来ますね」

「でしょう? こういうことさらっと言っちゃう人なの。そして巴。……明日に響く怪我しても、知らないわよ」

 俺のことなら大丈夫。じゃ、やろうか。

 悠然と言い放った巴が構えた刀は月鏡と、禍々しい気を放つ二振りの刀。

「相馬先輩、その刀はもしや……」

 ああ。そうだよ。親父殺したときに使ってたやつだね。

 問いかけようとした由紀江の機先を制して、巴はあっけらかんとして答える。

 俺はこれで親父を殺したから、相馬として完成して、さらにその先に到達出来たんだ。だから明日も、絶対に負けるわけにはいかない。

「相馬として完成? その、先……?」

 まあそこら辺は機会があれば話すよ。生きて帰ってきたらの話だけどね。

 こう言って、巴はさらに構えから脱力する。木曾義仲は後輩剣士に警戒を促す。

「来るわよ、由紀江」

「は、はいっ! では、お相手しますっ!」

 疑問符を浮かべていた由紀江だったが、既に微塵丸を構えていた旭に意識を引き戻されて抜刀する。

 じゃ、お願いします。

 軽い調子で男が言った直後、金属同士が激しくぶつかり合う音が地下空間を満たしていった。

 

 

 

 陽のとっぷり暮れた時間帯。巴の最終調整に付き合っていた由紀江は、旭と共にお風呂へ入った後、広々とした和室へと案内されていた。部屋の主は地下にいる恋人へ夜食を届けると言って不在である。

「結局二人がかりでもボコボコにされちまったなー、まゆっち」

「はい松風。いくら相馬先輩とはいえ、あそこまで強いとは思いませんでした。決闘の時どれだけ手加減されていたのか……」

「大丈夫! まゆっちまだまだ成長期! あれぐれーならすぐ倒せるようになるって!」

「そうですね松風。今度父上にまた稽古をつけてもらいましょう」

「随分長い独り言ね、由紀江」

「ひゃあうっ」

 薄手で深緑色をしたパジャマへ豊かに実った体を包み、布団の上に正座してストラップと一人芝居をしていた由紀江は、出入り口へと向き直る。そこには、手紙のようなものと鉢植えを持った旭がいた。

 ファンシーな花柄の寝巻を着た旭は、青紫の花を携えた鉢植えを机の横に置いてから後輩に話しかける。

「由紀江。今巴に会ってきたのだけれど……求婚されちゃった」

「……はい?」

「球根じゃないわよ?」

「いえ、そこの誤解はしておりませんが」

「けっこーベタベタなボケかましてくるんだよなーこのパイセン」

 イントネーションの違いで意味を聞き分けた由紀江に、可憐な一重咲きの花へ指を差しながら旭は問い掛ける。

「この花、何か分かる?」

「桔梗、ですね。花言葉は確か気品、優雅さ……」

「そして永遠の愛、変わらぬ愛だそうよ」

 桔梗色と呼ばれる玄妙な色をした花弁を慈しむように撫でてから、旭は由紀江に手紙を見せる。

 そこには、意志の篭った達筆な字で遺言状と記してあった。

「巴の家は、伴侶に代々桔梗の花を贈っていたそうなの。初代の奥方が桔梗の上と呼ばれていたんですって」

「それはまた、なんともロマンチックなお話ですね」

「うちの当主はみんなロマンチストだよ、と巴は言っていたわ」

 男の言葉を引用してから、旭は折目正しい封筒をそっと引き出しに入れた。それから布団の上にペタンと座る様子を見て、後輩は恐る恐る訊ねる。

「私の前だから読まない、という訳ではなさそうですね。お読みにならないのですか?」

「辛気臭いのは嫌いなの。本当に巴が死んだら読むわ。遺言状って、そういうものでしょう?」

「相馬先輩を、信じてらっしゃるのですね」

 柔らかい笑みを浮かべながらの由紀江の言葉に、旭は自信に満ち満ちた声で応える。

「当たり前じゃない。私を愛してくれて、私が愛した人よ。あの人が勝つと言った以上、それを信じてあげないと」

 それに、と旭はもう一言付け加える。

「さっきも愛してもらっちゃったしね……」

 旭は白い頬をぽっと桜色に染め、腹部を撫でる。それを見た由紀江は一瞬フリーズしてから、素っ頓狂な声を上げた。

「えっ、ええっ!? そ、それは、つまり」

「オイオイ……まさか、夜食を持ってったら夜食にされましたなんてオチじゃあ」

「ふふふ。優しかったわよ、巴」

 由紀江は、風呂上がりの時には黒のレースの大人びたナイトウェアを着ていた旭が、センスを疑う花柄パジャマに着替えていた理由を察した。

 父親からのプレゼントに身を包んだ評議会議長は、自慢の髪をくるくると指に巻き付けながらこう呟く。

「まあ、明日決闘だから体力使いたくないって渋る巴を無理やり押し倒した、というのがほんとの所なんだけれど」

「Wow……そういえば性知識の教育とか言って官能小説を読ませる人だってこと忘れてたぜ……」

「巴のって凄いのよ。ここまで入ってくるんだから」

 旭が横にした手をヘソの上辺りにあてがうのを見て、由紀江はゴクリと唾を飲んだ。

「うっ、馬並みなのですね」

 由紀江がなんとか反応するが、旭の独演会は続く。

「あの太い腕でぎゅっと抱きしめてくれてね。奥までぐぐぐっと……」

「あわわわわ」

「髪を撫でながら、何度も綺麗だ、好きだって囁いてくれて……」

「けっこー愛情表現激しいお人なんだな……」

「腋の下から腕を通して持ち上げるみたいにしてから、顔をがっちり掴んでキスしてくるのよ……」

「……ぷしゅう」

 その後も旭の赤裸々な語りは続き、そのたびに由紀江は変な声を上げるのだった。

 結局温泉旅行での初体験までを聞かされてすっかり茹ってしまった由紀江は布団を頭まで被り、暗くなった部屋の中で悶々と過ごしていた。

(うう……今日は日課が出来ないこと自体は覚悟していましたが、生々しい話を聞かされて……)

 週七で自分を慰める習慣のある黒髪美少女が火照った体を持て余し、もぞもぞと動く音を聞きとがめた旭が、眠気をごまかしきれないぼんやりした声で話しかける。

「由紀江、眠れないの?」

 この言葉に、眠れないのは貴女のお話が刺激的すぎたからですよ、という反論を由紀江は飲み込む。その代わりに、昼頃から気になっていた疑問を先輩へとぶつけた。

「……相馬先輩は、やはりあの状態が一番強いのですか?」

 地下で見た男の様子を思い出しながらの後輩の問いに、議長は事もなげに返答する。

「そうね。私が巴と出会った頃に一番近い、彼曰く相馬のあるべき姿。一本の刃としてその機能を突き詰めた先の完成系だそうよ。もちろん、三年間で強さは段違いになっているけれど」

 一本の刃というワードが、由紀江は自分でも不思議なほどにしっくりと来た。一人納得している新入り議員に、議長は話し続ける。

「巴が熊と猪を獲ってきた話はしたでしょう?」

「はい。確か、生まれて初めてお風邪を召されたとか」

 由紀江は思い出せる限りを話すが、旭からは予想外の答えが返ってくる。

「あれね、前日に巴が私をボコボコにしたから風邪ひいたのよ」

「……誰彼構わず噛みつく狂犬だったってーことかい?」

「ふふ。違うわよ松風。巴は私が義仲だってことには気づかなかったけれど、私が強いってことは見抜いたらしいの。だから、お父様から稽古でもしてみたらって言われて」

「それで、旭先輩もあれほど強くなったのですか」

 刀を抜いた旭の本気―――と言っても奥の手は見せていないが―――を地下で初めて見た由紀江は、その卓越した技量を思い出しながら問いかける。

「稽古を始めたての頃は全然ダメだったけれど、最近ようやく巴に一本取れるようになってきたのよ」

 ここまで話すと旭は並べられた二組の布団のうち、由紀江の方にするりと侵入する。

「今日は想い出話をたくさんしたい気分だわ」

「わあ旭パイセンったら大胆……でもパイセン、オラ達になんでそこまで話してくれるんだい?」

「なんとなく、よ。今日はピンク色の話をいっぱいしたけれど、セピア色の話をするのもまた一興だと思わない?」

 松風の疑問はするりと受け流され、黒髪美少女二人が並んで寝転がる。

「これは私と巴が川神学園に入ったばかりの頃のお話なんだけどね……」

 ウキウキした様子の旭が語り始めるのを聞きながら、由紀江はとある人物を思い出していた。

(そういえば、沙也佳が小さい頃もよくこうやって一緒に寝ていましたね)

 故郷の妹を思い出しながら、夜が更けるまで由紀江は旭と語り明かしたのだった。

 

 

 

 

 北陸、黛家。

 ライムグリーンのパジャマを着用し、寝る直前ということもあり普段は顔の横で結んだリボンを解いた、リラックスした姿の女子が一人。姉そっくりの青みがかった瞳を持ち、姉とは違う華奢な体つきをした少女、黛沙也佳その人であった。由紀江の一学年下だが、もちろん18歳以上である。

 身長含め由紀江をそのまま小さくしたような少女は、姉から自分のことを思い出されているとはつゆ知らず、父親に対する文句を口にする。

「あーあ。お父さんってば、また川神行っちゃった。いくらなんでも過保護すぎだよって言ったけど、今回は別件だからって聞いてくれないんだもん。九鬼のホテルも用意されてるって聞いたときは驚いたけど」

 ベッドへうつ伏せに寝転がり、パタパタと足を動かしていた沙也佳は持っていたケータイごと体をくるりと回転させる。

「お姉ちゃんから友達の家に泊まる時の作法とか聞かれたけど、そんなのよっぽど失礼なことしなければ大丈夫なのに。私も人のこと言えないけど、ウチは皆心配性すぎると思うんだよね」

 メールボックスから姉のメールを引き出しながら、沙也佳は独り言を続行する。

「それに、泊りに行くのってあの木曽義仲さんのおうち……ってことは、お姉ちゃんが何度も手紙で教えてくれた相馬さんの家でもあるんだよね」

 ここまで再確認してから、沙也佳は顔を赤くして妙に早口で呟く。

「同衾同衾同衾……それか、その先輩たちがしてるの覗いちゃったり、まさか3Pまで……!? ダメだよお姉ちゃん、それはやり過ぎだよ……!」

 姉や旭に負けず劣らずピンク色の脳内をしている少女は、身悶えしながら枕に顔を埋める。

 しばらくゴロゴロしていた沙也佳だったが、ふと思い立つことがあってその奇妙な動きを止めた。

「そうだ。私も川神行きたいな。ダメで元々、夏休みになったらお父さんに言ってみよ。お姉ちゃんが心配だから私も様子見に行きたいって言えば多分大丈夫。義仲さんに会ったって言ったら、クラスの皆と良い話のタネにもなるだろうし」

 育て方自体は厳格と言えども、なんだかんだで娘二人には甘い父親の顔を思い出しながら少女は悪だくみを続ける。

「……何よりあのお姉ちゃんを恋に落とした相馬さん、見てみたいな」

 ふふふ、と好事家のような笑みを浮かべた少女が夏休みの予定を一つ埋めたところで、夜は過ぎていくのだった。

 

 

 




沙也佳の年齢、二歳下で一学年下らしいけど扱いが分からん。ということで登場です。ヒロインにはなりません。

というわけで次回決戦。明日7/30日0時に上がります。感想評価等頂けたら非常に嬉しいです。


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第十八話


最強に挑め。


 

「さて、ここでクエスチョン。なぜ川神百代さんは相馬クンとの組手で敗北を認めたのでしょーか!」

「……燕、なんだよいきなり」

 巴とヒュームの決戦場として定められた場所へ、九鬼が招待した人間を輸送すべく手配された大型バスの中。松永燕は隣に座った百代へちょっかいをかけていた。椅子を思いっきり後ろに倒していた百代は到着まで寝る気満々だったので若干不機嫌になったが。

 虫の居所が悪くなったのをわざと無視して、燕は邪気まみれで質問を重ねる。

「いやー、瞬間回復の回数残ってたのにモモちゃんが負け認めたの、変だなーと思って。不思議だったんだよ。減るもんじゃなし、聞かせてよ。うりうり」

「……別にいいけどさ」

 百代はシートに寝転がって頭の上で腕を組み、灰色の天井を見上げながら渋い顔で返答する。

「そうだな……10秒だけで技術の差をあそこまで見せつけられたし、それに―――」

 

 

 ―――あのままやってたら真剣で殺されてたから、じゃないか?

 

 

 

 2009年 7月 5日

 

 九鬼の招待客と護衛のために集められた従者部隊の精鋭を合わせた300名前後が、川神郊外に位置する採石場を取り囲むようにして立ち並ぶ。

 その中でも一際強者が集まっている集団があった。

「モモちゃん、納豆食べない?」

「んー、今はいらん。他に渡したらどうだ」

「ごくごく……ぷはー! 川神水うまし。ジャーキーも合うね」

「弁慶、こんな時まで飲んで……」

「弁慶ちゃん、あんまり飲むと試合見られなくなるよ」

「ほっといていいですよ。姐御は潰れてるくらいが丁度いいんだ」

 燕と百代の三年黒髪美少女コンビに、弁慶や義経、清楚と与一のクローン一同。そしてもう一人がそこに合流してくる。

「フハハハハ! 我、降臨である! ほれ弁慶、川神水は後でも飲めるであろ」

 瓢箪と盃をひょいと取り上げたのは、手触りの良い銀髪を腰まで伸ばし、額には血筋を表す十字傷を持った女性。名を九鬼揚羽と言った。九鬼帝の長女にして、若年ながら九鬼財閥の鉄鋼部門を一手に担う女傑であり、本人も壁越えの強者だった。

「揚羽さん、モンプチのとこにいてあげなくて大丈夫ですか?」

「紋のことか? 人の可愛い妹に変なあだ名をつけおって……紋にはクラウ爺がついておるわ。安心するがよい、百代」

 家業の一部を継いで鍛錬の時間が減ったとは言え、美しくしなやかに鍛え上げた肉体を惜しげもなく晒すようにノースリーブの上衣を着用し、鷹揚に笑いながら堂々と立つ姿は見事な一言でしかない。

「ああっ、私の命を取り上げないでくださいよ、揚羽さん」

「没収だ。ジャーキーまでは取り上げんから我慢せい。まあ、飲みたい気持ちは分からんでもないがな」

 目をうるうるさせながらすがりついてくる弁慶から盃を守りつつ、揚羽は決戦場の中心に無言で立つヒュームに視線を向ける。

「…………」

 九鬼家従者部隊永久欠番零番、ヒューム・ヘルシング。彼の異名は数あれど、最も有名であり、かつ今の彼の姿を見た者が直感的に思いつくものと言えば。

「やはり、ヒュームは最強であるな」

「ええ。あれほどの闘気、見たことがありませんよ」

 相槌を打った百代に、九鬼の長女は頷きを返す。

「うむ。恐らくここまで本気のヒュームを見たことがあるのは、審判役の鉄心殿だけであろう」

 ここまで口にしてから、揚羽は体を僅かに震わせる。その震えの原因は明白。

 九鬼揚羽は、怯えていた。

 数百メートル先の男が放つ闘気の大きさだけで、壁を越えた強者たちでさえも恐怖に慄いていた。それほどに、ヒュームとはシンプルに強いのである。

 弁慶も、恐怖を誤魔化すために川神水に手を出していた。飲まないと手が震えるのは元々だったが。

 他の観客も言葉少なになったところで、燕がキョロキョロと辺りを見回す。すると、目線の先にとある車が映った燕がさえずる。

「おっ、あれじゃない? 相馬クンが乗ってるの。あの送迎車見たことあるよん。ナンバーも一緒」

「多分まゆまゆも乗ってるだろ。アキちゃん家に泊まりに行くって言ってたから」

「でも、アキちゃんと黛さんの気は感じるけど、相馬くんの気はあんまり……」

 清楚の言葉は、黒い車から四人の人間が降りてきたことで打ち切られた。

 木曾義仲のクローン、最上旭。その養父、最上幽斎。剣聖黛十一段の娘、黛由紀江。そして最後の一人、相馬巴が決戦場に降り立つ。

 その瞬間……空気は凍りつき、この場にいた全員の肌が粟立った。

「ども。お待たせしました。伯爵」

 いつも通りのへらへらした笑みを浮かべながら、巴は対戦相手に向けて軽く会釈する。

 しかし彼の纏う雰囲気は、距離を隔てた観客たちの肌すら切り裂く鋭さと、つい視線が吸い込まれる危うさを孕んでいた。

「……おいおい。相馬のやつ、水曜日のあいつとも全然違うじゃないか。何があったんだ」

 百代の呟きには、誰も反応できない。口から音を発せられないだけでなく、呼吸すらも奪われているように見えた。

 彼の姿を見た全ての人間はこう考える。

 こいつを敵に回してはいけない。戦ったら死ぬ、と。

 ヒュームに感じるものよりももっと根源的な、生命を脅かされているという恐怖。

 相馬流後継者、相馬巴は闘気や殺気を発しているわけではない。むしろ体の中に閉じ込めている。

 極限まで鍛え上げられた刀身のような、無機質な気。同種の生命体であることすら疑わしいほどに空虚で、それ故にイメージが死に直結する。

 これこそが相馬巴本来の姿。触れる全てを断ち切る鋭さと、今にも折れてしまいそうな脆さが同居した、相馬流の完成品。

 最上旭と出会い人間性を獲得する前の、ただ一振りの刃と己を定めた武人としての、青年の正体であった。

 そんな彼は普段の裃姿の装いに加えて、相馬家の家紋である重ねられた桔梗の紋が背中と胸元に染め抜かれた黒い羽織を身につけていた。まだ髪こそ結っていないものの、決戦に際しての正装である。

 若者のめかしこんだ姿を見て、最強執事はフンと居丈高に鼻を鳴らす。

「まるで死装束だな。左前なら完璧だったと褒めてやるところだが」

 獅子のたてがみのような髪を逆立て、威圧感を放ちながらのヒュームの軽口に、若武者は笑みを崩さずに応答する。

「いやあ、しっかり遺書はしたためてきたんですよ? 死ぬ覚悟だってしてきました。でもね」

 大げさな仕草で両の掌を空に向けて、巴は肩を竦めてみせた。

「俺が覚悟を決めたのは、死ぬためじゃなくて、生きるためなんです。明日を生きるために……」

 ここで言葉を切り、若者は打って変わって真剣な表情と鋭利な視線を老執事に向ける。

「明日生きられることを証明するために、今日命を懸けるんです」

 お前はどうだ、命を懸ける覚悟はあるかとさながら問いかけるように巴は目を細めた。それを受け、ヒュームは身に纏う気を一層大きくする。

 既にお互い準備は万端。合図なしに勝負が始まったところで、二人とも文句を言うような人間ではない。

 視線を合わせ、あとは勝負の開始を待つのみとなった二人。一秒毎、指数関数的に張り詰めていく空気の中、一人の女が動いた。

「とーもえっ」

「なにー? 旭さーん」

 鈴の鳴るような声で名前を呼ばれた男が犬の如く恋人へ駆け寄ると、空気が一気に弛緩した。観客はほぼ全員ずっこけた。

「うーん、尻尾が見えるくらいの見事なワンちゃんっぷりだねん……」

「なんか、イメージ通りといえばイメージ通りだよな、忠犬とご主人様って感じ」

「ふふっ。相馬くん、なんだか可愛いかも?」

「うげ。清楚ちゃん、あんなのがいいのかよー」

 同級生3人は笑いながら、評議会議長が忠犬につけたリードを引っ張る姿を揃って幻視していた。

 そんな黒髪美少女たちの反応をよそに、最上旭は恋人に向けて手を差し出す。

「ヘアゴム、貸して。結ってあげる」

「じゃ、お願いする。えーと……あ、じゃあ今日はこれにしようかな」

 男は懐をまさぐると、黒いシュシュを取り出した。百代に勝った褒美として、幽斎から渡されたものである。

 プレゼントした本人は、髪留めが娘に手渡されたのを見て顔を綻ばせた。

「おや、嬉しいね。持ち歩いていてくれたのかい」

「幽斎さんにいただいたものを一度も使わずに終わるというのも申し訳なくて。まあ折角なんで、使わせてもらいます」

「気を遣わなくていいんだよ。プレゼントを使うか使わないかなんて、本人の自由なんだから。もちろん、私は使ってくれた方が嬉しいけれど」

 顎に手を当てながらの幽斎の言葉には、髪を後ろに纏められつつある巴がこう応じた。

「俺は俺なりに、幽斎さんに感謝してるんです。貴方がいらっしゃらなかったら、今俺はこんなに強くないですから」

「ふふ。それは良かった。君の成長に私が一役買えたというのなら、それ以上の喜びはないよ」

「本当に、ありがとうございます」

 たとえ苦手には思っていても、これは相馬巴の本心からの感謝の言葉だった。

 男同士の会話から10秒ほど経つと、ねじって重ねられたシュシュがポンと押される。巴の髪はオールバックにされ、ちょこんと尻尾を作っていた。

「出来たわよ。巴」

「ありがと」

 地面にどっかりと座って恋人に背中を向けていた男は立ち上がり、お礼を言ってから向き直る。

 それから、目の前にある細く愛おしい体を思いっきり抱きしめた。

「おお! 相馬さん、大胆だ」

「義経はあーいうのが好きなの? 私だったらちょーっと嫌かなー……」

「恥ずかしげもなくよくやるぜ、あの先輩」

 周囲から感嘆や呆れの声が飛ぶ中、巴はたっぷり一分間旭の柔らかさと花のような香りを堪能する。旭の側からも腕を回し、二人は温もりを分け合うように抱き合っていた。

 どちらからともなく離れると、男は家紋を見せつけるようにして羽織をはためかせ、女に背を見せた。

「じゃ、行ってくるよ。旭さん」

 歩み去る大きな背中に、最上旭はこう告げる。

「一応、命令するわ。勝ちなさい、巴」

「りょーかい」

 彼にとって一番の励ましの言葉へ背中越しにヒラヒラと手を振りながら、男はヒュームの元へ向かった。

 立会人の川神鉄心を挟む形で、二人の戦士が睨み合う。

 間合いを取って向かい合うと、威圧感はそのままに、呆れたような声をヒュームが巴にかける。

「……緊張感がないな。女連れでこんなところに来るとは、俺を舐めているのか?」

 半ば叱られたような格好になった若武者は、普段の調子で笑ってから反論する。

「いやあ、九鬼ビルでも言ったじゃないですか。俺は旭さんがいる限り、誰にも負けないって」

「フン。まさか愛の力、などという世迷言でも言うつもりか?」

「その通りですよ」

 この潔い返答には、ヒュームの側が面食らった。最強執事が僅かに目を見開いたのを観察しつつ、巴は続ける。

「旭さんが俺を愛してくれてるから、俺は貴方に勝てるんです。むしろ、そうじゃなかったらこんな勝負しません」

「……クク、ククク、ハハハハハハハハ!」

 若者の返答を聞き、ひとしきり笑った後。ヒュームは髪を逆立て、巴にぶつけるプレッシャーを一段階上げた。

「いいだろう。貴様のその思い上がり、へし折ってやる」

「刻限じゃ!」

 会話を打ち切るように、立会人川神鉄心が声を張り上げる。時刻は正午。太陽の位置によって有利不利が出ないよう設定された開始時間であった。川神院総代は、今回の取り決めを読み上げていく。

「時間は無制限、反則は無し。死亡時も遺恨無し。双方良いか」

「異議はない」

「委細承知」

 今回の勝負において、川神鉄心はあくまで立会人である。

 これはつまり、九鬼揚羽が言ったような審判役という生温いものではなく、真剣勝負をただ見届けるための存在であるということだ。

 二人の返事を聞き届けた鉄心が、今度は名前を読み上げる。

「東方、ヒューム・ヘルシング! 西方、相馬巴! 双方前へ!」

 片や、幾多の戦争を経て年老いてもなお現役を標榜し、最強の称号を欲しいままにする金の獅子。

 片や、若年で裏社会に名を轟かせ、実の父を殺し、さらには武神川神百代さえも打倒した、当代きっての剣豪。

 これはまさしく、現役最強を決めるための戦い。

 二人は一歩ずつ前に出て、まずは片方が躊躇いなく名乗りを上げる。

「九鬼財閥、ヒューム・ヘルシング」

「相馬流……いえ、そうですねえ」

 そして、もう片方は一度言葉を飲み込んでから、一つの流派を背負う者としてこう名乗った。

「相馬流第二十七代当主、相馬巴。参ります」

 真上に位置する太陽に向けて、川神鉄心の腕が高々と揚げられた。

「双方良いな! では、いざ尋常に……始めいっ!」

 腕が振り下ろされると同時に、戦闘の火蓋が切って落とされる。

 この時、川神百代は場違いなほど呑気な思考をしていた。

 本気になったヒュームを見るのも初めてだが……そういえば、なにも制約のない相馬巴の戦いを見るのもまた、初めてかもしれないと。

 

 

 

 先手を取って仕掛けたのは、相馬巴。刀をまだ抜かないままに、地面へ足を突き刺す。

「相馬流、睡蓮!」

 百代との組手の時同様、距離のある相手に対してある程度リーチのある技を繰り出す。

「くだらん技だな。フンッ!」

 しかしヒュームが地面を踏みつけただけで、足元に迫った気の刃の群れはかき消された。

 その動作に合わせて、巴は腰に差した二刀を抜く。

 手入れが行き届き、濡れたような輝きを放つ刀身を見て、最強は警戒度をさらに上げる。

「貴様、それは……」

 左手に持った一つの銘は、月鏡。そして右手に構えたもう一本の銘は極楽蝶ではなく……月鏡・真打。

 かつて青年が少年だった頃に肌身離さず持ち歩き愛用していたものであり、地下室で由紀江が見抜いた通り彼の父親の命を奪った刀であった。

 一体化していると言ってもいいほど手に馴染んだ二刀を携え、青年は老執事に躍りかかる。

「色々とこっちにも事情があるんだ。全部、ぶつけさせてもらう」

「来い、相馬ァっ!」

 吠え合った二人が激突すると、彼らを中心に嵐が巻き起こっていった。

 

 圧倒的強者二人の戦闘の余波で肉体が震えるのを感じながら、川神百代は隣に立つ九鬼揚羽に問いかける。

「ぶっちゃけ、揚羽さんはどちらが有利と見てます?」

「有利なのはヒュームだ。これは間違いなかろう」

「やはり、あの技があるからですか」

「うむ。ジェノサイドチェーンソーがある限り、相馬であろうと誰であろうと、勝ち目はあるまい」

「つまりこの戦いの焦点は、相馬のやつがあのトンデモ技をどう対策するかにかかっている、と」

「ヒューム自身も多彩な技を持っておるが、まずあの技をどうにかしないことには、勝てんだろうな……」

 元々目を離していたわけではないが、二人は会話しながら改めて視線を決戦場へ集中させた。

 

 二振りの月鏡で、相馬巴は次々に技を繰り出していく。

細雪(ささめゆき)! ……牡丹!」

 気で作った細かい刃を飛ばして当たった箇所の気の巡りを操作する技、それから距離を取って頚椎からの気の流れを遮断する一撃へ。

「くだらんと、言っているだろうがっ!」

 だが、ヒュームはそれらを難なく潰す。細雪はかわし、牡丹は首に気を集中させることで完璧に対処していた。

 防がれても動じることはなく、さらなる技を放ちながら巴は高速で思考する。

(ちいっ、埒が開かねえ……っ!)

 戦況はまだ、お互い手探りの状況。巴も全力で攻撃してはいないし、ヒュームの迎撃も全力ではない。

 この落ち着いた状態がずっと続くこと自体は、巴にとって都合が良い。なぜなら、元々持久戦を第一の戦術としていたからである。

 彼の眼力は、ヒューム・ヘルシングの老い……とりわけ、体力面での弱体化を看破している。その分、一撃の鋭さは彼が負けた四年前からさらに増していることも理解していた。

 ならば、一週間でも一ヶ月でもかけてこの最強を倒す。この相手を倒せるなら、一年かけたとしても安いものだ。

 しかし、それを許さない技がヒュームにはある。それこそがジェノサイドチェーンソー。攻撃に反応して無敵で割り込み体力を10割削る、まさに必殺技。放てば必中、当たれば必倒。

 どんなに優勢で進めていようが、この技がある限りヒュームの好きなタイミングで全てひっくり返される。

 だからこそ、そのタイミングを自分からある程度操るために、相馬巴は行雲流水を常時発動しながら最序盤から攻め続けているのである。

(予測通りとはいえ……もう少し本気になってもらわねえと、正直困るな)

 常にひとところに留まることをせず、ヒュームを中心に円を描きながら巴は攻め立てていく。

 まずは、ジェノサイドチェーンソーを使わせること。それから、使わせた後の賭けに失敗しないこと。

(……さすがに、反則技にはこっちも反則技使わせてもらうぜ)

 巴は冷静に、冷徹に機会を伺う。失敗した後の次善策を用意していないわけではないが、成功するに越したことはない。

「おおおおおっ!!!」

「ぬうんっ!!!」

 怪物二人が激突するたびに衝撃波が観客を襲い、鎬を削るという言葉通りの激しい攻防が続いていく。

 巴が喉、眼球、水月、心臓といった急所を狙いすました斬撃を櫛の歯を引くように連続で放てば、それを撃ち落としたヒュームが研ぎ澄まされた多彩な蹴り技を反撃として繰り出す。ヒューム側から攻める気配を感じれば、巴から大きく間合いを開ける。勝負が始まってからかれこれ二十分ほど、二人はこれを繰り返していた。

 もちろん、逃げ腰の後退をただ見逃すヒュームではない。あえて若者を深追いせずにいたのである。

「どうした? 威勢の良いことを言っていた割には、随分と臆病な戦法だな」

「こうでもしないと勝てないんですよ。貴方が強すぎるのが悪い」

 巴が冗談まじりに返すと、ヒュームは押しつぶしたような低い声でこう挑発した。

「大人しく、断風で来い。お前の技の程度が知れた」

「抜かせ。たかだか数十分で、わかってたま……」

「では、こちらから行くぞ」

「……っ!?」

 問答を終えた後は、ヒュームから攻める番だった。老執事の攻撃も若者のものと遜色なく、的確に人体を破壊できる箇所を狙う。

 巴は行雲流水で捌けるものは放置し、捌ききれないものにのみ集中して躱していく。反撃してこない相手ほど楽なものはない、と豊富な戦闘経験から実感として学び取っていた青年は、必死で回避しながらも急所を狙う攻撃の手は止めない。

「甘いわっ!」

 だが、戦闘経験の豊富さという面で、最強執事に並び立つものは川神院の総代しかいなかった。

 行雲流水とは、一定の閾値以下の威力の攻撃なら全てを無効化できる技。例を挙げるなら、百代の星殺しは接触面へ継続的にダメージを与える技だったため受け流せたが、一点に衝撃が集中する蠍撃ちや無双正拳突きには効果がないため巴は使用しなかったのだ。

 そして、ヒュームはその性質を正確に看破した。牽制のための小技を全て切り捨て、ある程度大振りではあるものの閾値をほんの僅かだけ超える打撃を、若者に向けて容赦なく連続でぶつけていく。

「ぐっ、くそっ……っ!」

 次第に、ヒュームの攻撃が巴の体を捉えていく。一撃、二撃と入るたび、若者の顔は苦悶に歪んでいった。

 

 所詮、この程度か。九鬼家従者部隊の零番はこの若武者に期待していた自分の愚かさを悔やみ、期待に応えられない相手に落胆した。

 この勝負の趨勢は、明らかにヒューム・ヘルシングのものになった。九鬼の従者たちに加え、鍋島正や黛大成、ルー・イー、こっそりと見に来ていた釈迦堂刑部といった観客の誰もが相馬巴の負けを確信した。

 ただ三人、最上旭と黛由紀江、そして川神百代を除いて。

 川神百代は真剣な表情で勝負を観覧しながら、届くわけがないと知りつつも呟く。

「相馬、お前は私に勝ったんだ。私がリベンジするまで、誰にも負けるな」

 黛由紀江は戦場に真摯な目線を向け、信頼を伝えるように言葉を紡ぐ。

「相馬先輩、信じています……!」

 そして、最上旭は……相馬巴から目を離さず、表情ひとつ変えずにこう言い放つ。

「二度は言わないわよ。巴」

 勝ってこい、と。いつもの口調、いつものトーンで言霊を発した。

 

 ほぼ密着状態から放たれ続けるヒュームの正確かつ重厚な打撃を、巴は当たる箇所を少しだけずらすことでなんとか対処していた。しかし、このまま受け続けていてはダメージの蓄積がバカにならない。

「っ、(こがらし)!」

 自分を中心に銀の刃を回転させる技で、巴は刀の間合へとヒュームを引き剥がそうとする。それに対し、ヒュームは軌道に潜り込むことで自分にとって攻撃しやすく、相手にとって攻撃しにくい場所を確保しようとした。

 その回避方法を予測していた巴は、予め溜めておいた気を下方向へ叩きつける技で迎撃する。

山颪(やまおろし)!」

「……ちっ、味な真似を」

 刀と共に振り下ろされた気の奔流を避けるため、ヒュームはやっと後退した。細かい岩石が全て砕かれ、ならされた足元を蹴って、巴も距離を取る。

「はあっ、はあっ……」

「フン、もう終わりか?」

「……はっ。馬鹿言わないでくださいよ。生憎、惚れた女に二度と折れないと誓ったもんでねっ!」

 肩で息をしていた巴は肺の中の空気を一度全て吐き出す。それから一息で呼吸を整えると、全身と二刀に膨大な量の気を纏わせた。二振りの月鏡が巴の意志に共鳴して妖しい光を放つ。

 決死の覚悟に染まった若者の目と練り上げられた気の量を見て、ここが勝負、勝負の時なのだ。と最強執事は悟る。

「……来るか、相馬」

 次の一撃が、間違いなくこれまでで最大の激突。決着に直結する、巴にとっては逆転を賭けた一手。

「行くぞっ!」

 足元を爆発させたかのような蹴り足で、巴はヒュームに接近。

 選択した技は、重ね桔梗。

 気による一撃目を放ち、それを躱した相手には渾身の斬撃が直撃する、相馬流の原初に存在した奥義。

 鋭い踏み込みから、気を刀に集中させて振りかぶり、巴は引き絞った弓を放つように気を解放させる。

「奥義、重ね桔梗!」

 そしてこれを迎撃するのはもちろん、ジェノサイドチェーンソー。

「ジェノサイド……」

 ヒューム・ヘルシングが持つ、彼を彼たらしめる、真なる最強の一手。

 これがある限り、最強神話は揺らがない。誰もがそう認識し、事実として証明し続けてきた必殺技。

 終わりだ、と内心でヒュームは呟く。青年は重ね桔梗に全てを乗せて放っており、もう体勢を変えることができないはず。

 全てを賭けた一撃、という言葉のなんと陳腐なことか。ジェノサイドチェーンソーに対して、ただ自分の最高の技を出すだけで無様に敗北する武芸者などヒュームは腐るほど見てきた。

 失望させてくれるなよと思考し、そしてその雑念を切り捨てて、ヒュームは足先と敵に意識を集中させる。

 絞り込まれた最強執事の視界で、相馬流当主の口が僅かに動く。

「相馬流、新月(しんげつ)

 ついに来たか、とヒュームはほくそ笑む。目の前から青年の体が忽然と消え、気配が感じられなくなる。

 黛由紀江への指導の際に見せた謎多き技。クローン三名との模擬戦の際に今は使えないなどとふざけたことを言ってはいたが、人間が消えるなんてことは有り得ない。

 そこに、相馬巴はいるのだ。この技を見た瞬間から、ヒュームはこうすると決めていた。

「……チェーンソッッッ!!!」

 彼が人生を懸けて磨き上げてきた必殺技を、元々巴がいた場所目掛けて全力で振り抜く。

 手応えは、なし。だが空振りでも問題はない。

「どこにいる!」

 技を放った後、探せばいいだけの話。姿を消したままで、何か出来るわけもない。

 そして、ヒュームは戦場を見渡し……相馬巴の存在自体が知覚出来ないことに気付く。

 

 その代わりに、何故か―――――

「……ふふ。行きなさい、巴」

 ―――――何故か、最上旭と目が合った。

 

 それと同時に、紋白の切羽詰まった声が戦場に響き渡る。

「ヒュームっ!」

 この声に執事が反応した、次の瞬間。

「奥義、断風(たちかぜ)

 ヒュームの背後から、氷点下の温度をした巴の声が響く。膨大な殺気を叩きつけられ、対処が間に合わないと直感したヒュームは、即死を免れるために首へと気を集中させた。不意の一撃に対する、合理性の高い対処。

 そしてこの判断ミスとも言えない決断で、勝敗の天秤は大きく巴へと傾く。

「っ、ぬうっ……!」

 振り返った最強の視界に入るのは、刀を納めて徒手になった若者が、腕を天高く振り抜いた姿。

 その手には何も握られていない。いや、本来ならば腕を振るという行為すら必要ない。断風とは風すら断ち、全てを断つ剣。斬ると認識した瞬間、使用者の視線の先を空間ごと断ち切る修羅の業。それを振るわれたヒューム・ヘルシングの左腕は……ボトリと無様な音を立てて地面に落ちた。

「ぐ、うっ、貴様っ!」

 筋肉の収縮で瞬時に止血しながら自分を呼ぶ相手に向けて、巴は抜刀して追撃する。

「奥義、重ね桔梗!」

 これを迎え撃つべく、ヒュームは左腕を庇いながらも前進し、彼の必殺技で反撃を試みた。

「ジェノサイドチェーン……っ!?」

 だが、最強の技は不発に終わる。接近したヒュームの体に、重ね桔梗の一段目である気で作られた刃が直撃し、そのままズブズブとめり込んでいく。

「おっ、おおっ、おおおおおっ!!!」

 ……重ね桔梗は、二段構えのフェイント技。気による一段目を躱した相手に、刀本体による斬撃を直撃させる技である。

 ならばこの技を知っている人間が、二撃目を万全で受けるために初撃を受けに行けばどうなるか。その答えは……

「ぐ、うっ、がはっ……!」

 ドン、と音を立てて、ヒュームの体内で気の刃が爆発した。本来ならば全身ありとあらゆる箇所から刃が飛び出す技を、老執事はなんとか自分の気で抑え込む。ただ一箇所、気で覆うのが間に合わなかった左腕の傷口を除いて。

「相、馬ァっ……!」

 最強の左肩から、花弁が開いたかのように血飛沫が飛び散る。飛沫の勢いが治まったかと思うと、ボタボタと滴る鮮血が執事服を汚しながら足元に池を作り出していく。もはや、筋肉による止血は意味を成さなかった。

 そしてこれを見届けた相馬巴はなんと、止めを刺さずに後退する。

 一足では詰めきれない距離へ移動した若武者に、老執事は口角から血の泡を吹きながら怒りの形相を向ける。

「どこまでも、舐めたマネを……っ!」

 ヒュームの口ぶりとは裏腹に、巴は真剣な表情とひょうきんな口調で返答する。

「舐めたマネ? とんでもない。こうでもしないと勝てないから、勝てる手段を取ってるだけですよ」

「減らず、口をっ!」

 今度はヒュームから巴へと接近する。

 勝負は緩やかに、最終局面へと向かっていった。

 

 観覧席にいる松永燕は戦慄していた。冷や汗をかきながら、震える唇で呟く。

「いやー、相馬クン、まさかあそこまでヒュームさんにガンメタ張ってるとはね……」

「燕、お前は分かるのか?」

 隣にいた川神百代から、こちらも震えを隠しきれていない口調での質問に、燕はなんとか返答していく。

「私が分かる範囲だけでいくと、ほら、さっき揚羽さんとモモちゃん、ジェノサイドチェーンソーをどうするかが焦点になる、って言ってたでしょ? まさにその通りで、相馬クンはあのインチキ必殺技を無効化することだけを考えてたんだよ……多分」

「ほう、我も拝聴したいものだな。続きを話してみよ」

 揚羽に促された燕は、ほぼ核心に近い推論を語っていく。

 まず、ジェノサイドチェーンソーは使用された時点でほぼ負けが確定する。よって巴は自分のタイミングで対処するために重ね桔梗で誘発。その時点で新月を発動。

 新月でジェノサイドチェーンソーを回避した後の硬直を狙って巴は断風を使用。そして、首ではなく腕を切り落とす選択肢を取った。

「ヒュームさんは相馬クンなら即殺害を狙ってくると読んで、相馬クンはそう読まれることも読んでた。だから、腕まで防御が回らなくて」

「結果、あのように血を撒き散らしながら戦う羽目になっておるわけだな」

「はい。そして、あれ自体がジェノサイドチェーンソー封じになってる、といいますか」

 燕は、自分の思考を言語化するのに夢中になりながら饒舌になっていく。

「腕ってね、一本で体重の5だか6%くらいあるの。蹴り技とかする時は当然バランサーとしても使うし、そんなのが無くなったら重心がガタガタになって、技も使えなくなる。ヒュームさんが二回目の重ね桔梗を迎撃出来なかったのはそのせい。いやあ、ジェノサイドチェーンソーがいかに完璧な必殺技だったかわかる話だねん」

 完璧な技だからこそ、大きくバランスを崩した状態では使えない。ならば、戦闘中にその均衡を整え直せばいい話であり、百戦錬磨のヒュームならそれが可能なはず、なのだが。

「修正する時間を与えないための、重ね桔梗までの一連の流れなんだよねん。あれで、この決闘には明確な時間制限が出来た」

 腕の欠損、大量出血。生物である限り抗えない深刻なダメージを一方的に押し付けることに成功した。

 そして、相馬巴の何より恐ろしいのは……

「あそこで、勝負を決め急がずに後退できることだよねん。ガチガチに対策張って、これしかないってタイミングで技も決めて、恐らくぜーんぶ掌の上で上手く行って。で、最後の仕上げとばかりに絶対負けない選択肢を取れる」

 ここまで話した上で、松永燕は改めて背筋に冷たいものが走るのを自覚する。

「いやあ、私なら絶対戦いたくないよん」

 苦笑いを隠そうともしない燕に、九鬼家の長女でありヒュームの愛弟子の一人でもある揚羽が質問した。

「なるほど、この展開が相馬の青写真通りだとしよう。だが、問題が一つあるぞ。あの新月という技はどう説明をつける? あのジェノサイドチェーンソーを回避せしめる技、あれがなければ相馬の戦術は全て瓦解していたはずだが」

「う……父親の雇い主様に歯向かう気はさらさら無いですけど、あれは私じゃ分かりません。パッと消えてパッと現れたようにしか見えなかったです」

 義経や清楚の頷きを伴いつつ謝罪した燕には、百代がフォローに入る。

「いや、私はなんとなく分かりますよ、揚羽さん。と言っても、説明したところで同意を得られる結論ではないですけど」

「よい。申してみよ」

 揚羽に促されると、今度は百代が口を動かす。

「燕。相馬が消えた時さ、アキちゃんに視線向かなかったか?」

「んー、言われてみれば?」

「あれさ、アキちゃんの視界には相馬が多分いたんだよ」

「……どゆこと?」

「つまり……」

 百代の口から語られた推論に、クローン一同も含めた全員が絶句する。自分で招いたものだが、その反応は正しい、と武神は表情を苦々しいものに変える。

「私だってこんな結論が出てくる方が怖いし、何より……」

 そして一言呟いてから、巴とヒュームの決戦、その最終局面へと意識を戻した。

「ジェノサイドチェーンソーって技はそこまでしないと対策できないってことが、一番怖いよ」

 

 

 血と脂汗を撒き散らしながらも、ヒュームはなんとか勝機を手繰り寄せるべく技を繰り出していく。炎や雷を纏った蹴りに、軌道を途中で変化させる蹴り、ガードの上から衝撃を叩きつけるような蹴り、残った右腕で不意に出す突きと手を変え品を変え巴を攻め立てる。

 その全てが、行雲流水を貫通出来る威力。しかし、その威力を出すためにある程度予備動作を必要とする攻撃群を、相馬巴は易々とノーダメージで対処していた。

(……0.1秒後にエネルギー弾を飛ばしながら左足が頭を通過、右腕で掴むと見せかけて逆突き、引く勢いから右足に氷を付けて中段蹴り)

 相馬家が受け継ぎ、この若武者の代で最大限の発現を見た観察眼は、既にある事実を見抜いている。

 ジェノサイドチェーンソーを欠いたヒューム・ヘルシングに、相馬巴を打倒する手段は存在しない。

 万全の状態ならば分からないが、既に半死半生となったこの老執事に、逆転の一手はない。あるならばとうに使っているはずだからだ。

 失血による時間切れ。これさえ狙っていれば巴は勝てるし、これを狙われたらヒュームはもはやどうしようもない。

 またもや一足では詰めきれない距離まで間合いを空けて、二人は向かい合う。若武者はいつでも動けるよう踵を僅かに浮かした状態で待機し、老執事は肩で息をしてなんとか立つ姿勢を維持していた。

「はあっ、はあっ……貴様っ……」

「……」

 相馬流当主が、最強を見下す。

 少なくともこの瞬間だけは、俺の勝ちだと。

「一応聞いておきます。降参しませんか? 伯爵」

「無駄口を、叩くなっ……!」

 老執事から凄まれても、若武者は余裕の態度を崩さない。

「無駄口じゃないですよ。貴方なら知ってるはずだ。相馬流最後の奥義のことはね」

「知っている。だが、あの技が俺に通じると思うか?」

「今の貴方になら通じます。先々代と知り合いだった貴方なら、ご存知でしょう?」

「……くっ」

 重ね桔梗、断風、行雲流水に連なる第四の奥義、月鏡。

 その最も重要な発動条件は、気の総量が相手を上回っていること。故に平常時のヒューム・ヘルシングには通じなくても、今の消耗しきった彼にならば、最大限に効果を発揮する。

 相馬家二十五代当主、相馬薫と親交があったヒュームは月鏡という技を知っている。だからこそ、既に勝利を確信している巴はもう一度勧告した。

「降伏しろ、ヒューム・ヘルシング。別に俺はあんたを殺したって構わないが、殺さずに済むならその方がいい」

 殺した方が面倒臭そうだから、とは巴は言わないでおいた。

 そんな若者に向けて、情けをかけられる形になったヒュームは最後の力を振り絞って吶喊する。

「貴様のような若造に見逃される命など、元よりいらんわっ!!!」

「……そうか。じゃあ、これで終わりだ」

 一思いに、殺してやろう。

 見る影もないほど精彩を欠いたヒュームの蹴りを巴はするりと躱し、逆に脇腹目がけて回し蹴りを叩き込む。

「ぐ、はあっ……!」

 老執事の巨躯をボールでも蹴るかのように軽々と吹き飛ばしてから、巴は刀の片方を納めた。

 巴が構える、真打と銘打たれた名刀中の名刀が宙に光の円を描いてゆく。

「奥義、月鏡(つきかがみ)

 躊躇いなく技の名前を呟くと、円の放つ輝きは強さを増し……それから、跡形もなく掻き消えた。

 決着を目前にして静まり返った戦場に、呑気かつ豪放な声が響く。

「ちょっと、タンマだ。相馬」

 奥義の発動を止めた巴は、不機嫌な声で乱入者に話しかける。

「何の用ですか? 帝様。殺しますよ」

 若者の目の前に現れたのは、従者部隊序列4位、ゾズマ・ベルフェゴールと、彼に抱き抱えられながら手でTの字を作ってタイムアウトを要求する九鬼帝だった。

 地面に下ろされた九鬼の総帥は、いつものニヤケ顔ではなく努めて真剣な表情を作って若者に向かい合う。

「降参だ。こっちの負け。流石に内輪揉めでヒュームを失うわけにはいかねえや」

 しかし、この言葉にはヒューム・ヘルシングが噛み付く。

「九鬼帝! 貴様!」

「だって、どう見ても今回はお前の負けだぜ。若者の成長を認められないのは、老害の第一歩らしいぞ」

「俺は、お前に仕えてやっているだけだぞ! 勝負に介入することなど許した覚えは……!」

 語気を荒げた従者に対し、主は鷹揚に応じる。

「そうだな。俺はお前に仕えてもらってる側だ。なら尚更俺はお前を守らねえといけねえ。労働者を蔑ろにした経営者の末路って、けっこー悲惨なもんだぜ?」

「……後で、覚えて、いろっ……」

「おう。後があるように、今は寝といてくれ」

「く、そっ……」

 悪態をついた強さの権化が、ついに意識を手放す。

 倒れ伏したかつての宿敵を見てから、川神院の総代が若武者に近づく。

「相馬。儂に聞く権利などないのを承知で敢えて問うが、止めは刺さんで良いのじゃな」

「この状況を見て俺の負けとか言い出す血迷った馬鹿がいたら、ムカつくんでそいつを殺します」

「うむ。承ったぞい」

 川神鉄心の左腕が、勝者を讃えるべく高々と上がる。

「ヒューム・ヘルシング、戦闘続行不可能と見做す! よって……」

 若者は刀を納め、天を仰ぎ、大きく深呼吸を一つ。

「勝者、相馬巴!」

「……よしっ!」

 そして彼にしては珍しく、喜びを隠し切れずに小さくガッツポーズを作った。

 

 

 

 ヒューム・ヘルシング対相馬巴の決戦は、ここに決着を見る。

 結果は、相馬巴の完勝。相馬流当主は見事に雪辱を晴らし、一つの検証を終えた。

 相馬巴は、最強を打倒することが可能なのか。初めての敗北より四年もの間、問い続けてきた命題を彼は証明し終えたのであった。

 

 

 

 九鬼が手配した専用ヘリでヒュームが病院に運ばれている中、巴は旭の元へ移動して勝利の報告をしていた。

「勝ったよ。旭さん」

「おめでとう、巴」

 心底ほっとした笑顔を見せる男にもう一人の女、由紀江が駆け寄る。

「お、お見事でしたっ! 相馬先輩っ!」

「あはは。由紀江さんも、ありがと」

「つーかマジパネェ……これからもパイセンと呼ばせていただきますぜ」

「松風くんも、ありがとうね」

「オゥフ。九十九神のオラにも優しくしてくれて感激……もっと撫でてくれてもええんやで?」

 巴が人差し指で松風のたてがみ部分をぐりぐりと撫でていると、旭が骨太で分厚い体の右側へ抱きつく。

「ふふ。ご褒美」

 男の顔が緩んだのを見てから、旭はさらに由紀江へと手招きをする。

「由紀江にはそっちをあげるわ。暖かいわよ、巴」

「いやいや。旭さん、いくらなんでも」

「……えいやっ!」

 意外にも、由紀江は尻込みせずに左側から巴に抱きつく。戦いを終えたばかりで火照りを残した体の熱が、左右に散っていった。

「ちょっ、由紀江さん」

「ふふ。両手に花、ね?」

「わわ、とっても熱い、です」

「Oh……にーちゃん、イカした筋肉してんじゃん……?」

「あは、あはははは」

 羽織をきゅっと抱くようにして両腕を塞がれ、話を聞いてくれない二人の女の行動に乾いた笑いを浮かべた巴の元に、川神院総代と九鬼財閥総帥、そして最上幽斎が近づいてくる。

「おっ、相馬。なかなか羨ましいことになってんじゃねえか」

「からかわないでくださいよ。それで……」

 巴が口を開くのを、帝は面倒臭そうに手を挙げて制する。

「わーってる。最上に関してはお咎めナシ。まさかヒュームが負けるとは思ってなかったんでよ。我ながらアホな条件出したと後悔してんだ、これでも。右腕の左腕なくさせたなんて、シャレにもなんねえ」

「では、こちらは改めて好きにやらせてもらうよ。九鬼帝」

「ああ。好きにやれや、最上」

 これまた至極面倒そうに応じた帝は、相槌を打ってきた幽斎に近付いてこう耳打ちする。

「……いちおー言っとくけど、やりすぎんなよ?」

「心得ているよ」

「どーだか。ま、俺はヒュームの見舞いにでも行ってくるわ。いい勝負だったぜ、相馬。じゃあな」

 踵を返し、あくまで堂々と九鬼帝は去っていった。

 今度は、川神鉄心が巴と向かい合う。黒髪美少女二人に挟まれた男を見て溜息を一つ吐き、それから厳しい声色で若者を詰問した。

「相馬。お主、あの技はあまり使わん方がええぞい」

 あの技、という言い方で巴は新月のことを言われていると察した。平常通りのへらへらした笑顔で若者は応じる。

「あー、それはもう。流石にアレは十分考えてから使いますよ。使わないと勝てなかったから使っただけですので」

「とんでもない技を作りおって。旭ちゃんに感謝するんじゃぞ」

 新月という技の本質を見抜いている老爺の言葉に、巴は素直に頷く。

「旭さんにはいつも感謝してますよ」

「ほほ。若いってええのお。精進せい」

 普段の嫌悪感はどこへやら、はいと快く返事をした生徒に鉄心は思い出したような口調で話しかける。

「そうじゃ。ヒュームも倒したことじゃし、最強を継げとは言わんから、お主を武道四天王に認定しようと思っているのじゃが」

「……拒否します」

 巴は心底嫌そうな表情を見せた。そんな若者の態度に川神院総代は眉を吊り上げる。

「次代を担う若い武芸者の称号じゃぞ。三席ほど空いておってのう」

「嫌ですよ。あの御三方や川神さんと比べて俺は華もないですし、そんな風に呼ばれるのは柄じゃありません……あー」

「どうした? 相馬」

 怪訝そうな視線を向けてくる鉄心に、巴はなぜか晴れ晴れとした表情でこう告げた。

「いやあ。そういえば、もしヒュームさんに勝てたらこう呼ばれたいってのがあったのを思い出しまして」

「ほう。良いぞ。儂らも武道四天王とか天下五弓とか、盛り上がるから付けとるだけじゃし」

「では……ごほん」

 旭に掴まれていた方の手で口元を押さえて咳払いをしてから、巴は年相応に浮かれた様子でこう宣言した。

 

「修羅、とでも呼んでください。どんなあだ名より、俺はこれが一番しっくりきます」

 

 

 

 

 

 宵の口の最上家。巴の自室にて。

「んっ、ちゅ、ともえっ……」

「わわ、旭さん……」

 部屋に入るなり、旭が巴の首に縋り付くようにしてキスの雨を降らせる。

 唇同士が触れ合うだけのキスを何度もしてから、旭は巴の唇をぺろりと舐める。

「ふふ。ほんのり生クリームの味」

「えっ、ほんと? 歯ちゃんと磨いたけどなあ」

「ほんのりよ。それとも、貴方とのキスが甘く感じるからかしら」

「……また、グッとくることを言うなあ」

 夕食後に幽斎が戦勝記念に作っていたショートケーキを半ホールより多く食べていた男は、旭の体を抱き締め返す。逞しい体に包まれた女は白い頬を桃色に染め、恋人の顔を蕩けた上目遣いで見つめる。

「今日の貴方は一段と凛々しくて、かっこよかったわ。惚れ直しちゃった」

「それなら何より」

「……ねえ、したいの」

「……また今度じゃ、ダメかな」

 巴は旭の髪に顔を埋め、花のようなふわりとした香りを楽しみながら囁く。サラサラした髪へ子供をあやすように手櫛を通す男に、女は不満そうな声をぶつける。

「どうして? 私、もっと貴方のことが好きになったわ。我慢出来ない」

「その、我慢出来ないのは俺も一緒というか」

「じゃあ、しましょ?」

 男は恋人に見えないところで口をもにょもにょとさせてから、迷いを隠しきれない声でまた囁きかける。

「……昂ってて、抑えが効きそうにない。明日からまた学園あるでしょ」

 因縁の宿敵を倒した戦いが想定より長引かず、体力十分のままで終わってしまった若者の体は、戦闘時の神経の昂りと肉体の余熱を持て余していた。

 正直に伝えた恋人の体を、木曾義仲はベッドに押し倒す。それから時計を見てこう言った。

「じゃあ今20時だから、0時まで」

「だから、抑えが効かないって……むぐぐ」

「ん……れ、ろっ、ちゅ……」

「んんー!?」

 舌を挿し入れられ、肉同士が触れ合う官能的な感触に男は目を白黒させる。

 だが、されっ放しは性に合わないと言わんばかりに巴は体の上下をぐるりと入れ替えた。

 馬乗りされて逆に見下ろされる形になった旭が、ぱっと朱を差したような頬の赤みはそのまま、心底愉快そうに口元を三日月型へ変える。

「その気になった?」

「……旭さんは、わがままだ」

「ええ。私、わがままなの……んっ」

 やや憮然とした表情の男は口付けを一つ落としてから、精一杯の愛情を込めて漆黒の瞳を見つめ返す。

「今日は、ほんとにありがとう。旭さんのおかげで勝てたよ」

「勝ったのは、貴方の力よ」

「だったら尚更、旭さんのおかげだ。俺は君のために、こんなに強くなったんだから」

 こう言うと、巴は下に敷いた華奢な体を抱き締める。顔を上げて、想いを伝えるためにもう一度キスをした。

「愛してる、旭さん」

「私もよ、巴。……きて?」

 

 結局1時までやった。

 

 

 





ラスボス候補その2、討伐完了です。
ここからもお話は続きますが、ひとまずここまで書くことができて一安心しております。ここまで読んでいただいた皆様に改めて感謝申し上げます。今後ともどうぞよしなに。


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第十九話

義経ルートの弁慶の台詞で一番好きなのは「言葉の使い方がわかってきたかい、ぼうず」です。


 

 

 決戦明けて月曜。第二茶道室、いわゆるだらけ部の部室にて、義経対義仲の第二ラウンドが行われようとしていた。部屋にいるのは旭、巴主従に義経、弁慶、与一、大和の義経一行合わせた計六名。

「俺はまだあんたのことを信用してないからな」

 とは那須与一の巴への言である。これに対して若武者改め修羅は、

「いやあ、まあしょうがないよね。あはは」

 と朗らかに笑うことでお茶を濁した。やや淀みかけた部屋の空気を、清涼な気を放つ義経が払拭する。

「それにしても昨日の決闘、お見事でしたっ!」

「ありがとう、源さん」

「昨日の羽織を見て思いましたが、相馬さんは古くから源氏と繋がりのある方だったのですね。義経は納得しました」

「……ん?」

 笑顔のままで称賛を受け取った男だったが、続いた言葉に疑問符を浮かべた。そんな様子を見た牛若丸はまた戸惑う。

「ち、違いましたか? 桔梗紋は清和源氏系の家紋だと聞き及んでおりますが」

「いや……えっと、確認されてる限りうちのご先祖様が大体五百年前に相馬を名乗り始めてる。だから、木曾義仲や源義経とは時期的に被ってないはずなんだけど……」

「そうでしたか。早とちりして申し訳ありません」

「いやいや。俺も色々と引き継ぎする前に親父殺しちゃったからさ。あんまり分かんないんだ、ごめんよ」

 ワハハ、と修羅ジョークをかました男だったが、空気が冷え切ったのを感じた瞬間笑うのをやめる。

「……ごめんよ」

「もう。反応に困る話題をあまり出さないの」

「面目ない」

 昨日の威勢はどこへやら、忠犬は主人に怒られて肩を落とす。重くなりかけている雰囲気を改善すべく、直江大和が慌てて口を挟む。

「そういえば、桔梗紋と言えば有名な武将が一人いますよね」

「へ、へえ。そうなんだ。ちなみに誰かな」

 巴はでかした直江くんと内心褒めたが、大和はしまったと思った。しかし吐いた唾は飲み込めない、と軍師はある名前を口にする。

「明智、光秀」

 部屋の空気が最悪になった。確かに有名ではあるのだが、どう間違っても主人がいる人間に当てはめる人物ではなかった。

「……では義経。今日は何で勝負するの?」

「……腕相撲で、一つよろしくお頼み申し上げます」

 旭将軍が無理やり話を切り上げたところで、修羅と軍師の珍しい失態は全員の胸の内にしまわれることとなった。

 

 シンプルな腕力勝負の結果は旭と義経では旭の勝ち。勢いに乗ったまま弁慶に挑んだ旭が見事に負けたところで、

「俺は負ける勝負はしない」

「じゃあ私の勝ちってことでいいですか?」

「いいよ。あくまで旭さんの勝負だし、まさか武蔵坊弁慶さんともあろう方がやってもいない勝負の結果を喧伝する恥知らずだなんて微塵も思ってないから」

「ぐぬぅ。勝利の美酒の味が落ちた……でも義仲さんに勝ったから川神水おいしー! っふぅー!」

 と巴が敵討ちを体良く断ったところで、月曜の勝負は決着したのだった。

 

 

 

 2009年 7月 6日

 

 義経との勝負を終えて評議会の仕事も済ませた夜。最上邸からは人間以外の生物の気配が全て消えていた。相馬巴の全身から溢れ出る殺気によってである。

「……おい。なんでお前がここにいるんだ」

「お前とは随分ご挨拶だな。私は最上幽斎の客分だぞ?」

 旭を背中に庇うようにして立つ巴は緊張を緩めることなく、視線の先にいる一人の女をつぶさに観察する。

 立てかけられた鉄塊のような武器、爪先まで見事に鍛え上げられた褐色の体、谷間を見せつけるように開かれた胸元、艶のあるグレーの髪……そしてその女性の特徴を最も表す、金の瞳と黒の眼。

 名を史文恭。曹一族と呼ばれる中国の傭兵集団、その武術師範にして最高戦力であり、かつて巴を折った女であった。

 全力の殺気を纏いつつ睨む修羅、それをニヤニヤと薄笑いで受け流す傭兵。そんな二人を幽斎は満面の笑みで眺めている。

 このまま見合っていても埒が開かないと判断した史文恭は、僅かに目を伏せながらこう声をかける。

「先日のヒューム・ヘルシングとの決闘、見事だった。随分いい男になったようだな。トモエ」

 同じ台詞でも受ける印象が源義経とはえらい違いだ、と思いながら巴は口を尖らせる。

「あんたにそんなこと言われる筋合いはない」

「つれないな。お前は私の弟のようなものだと言うのに」

「……なんだと?」

 褐色美女の台詞を聞いた巴は、警戒を解いてはいないものの僅かに戸惑う。場の主導権を握ったと判断した史文恭は、屋敷の主へ水を向ける。

「では最上幽斎。まずこちらの用件を済ませてもいいな」

「構わないよ。では私は一旦離席しよう」

「幽斎さん、待って下さい。今俺のそばから離れると危険です」

 娘の恋人からの言葉を、実業家はやんわりと否定する。

「大丈夫。曹一族はまだ私に手出し出来ないよ」

「そうだな。ではまずその話をしようか」

 褐色美女は努めて真剣な表情を作り、若者二人に対し幽斎へ今は手を出せない理由を説明する。

「詳しくは言わんが、私たち曹一族は最上幽斎から東アジアで大きな仕事を受けた。しかし、以前この男にはしてやられた経緯があってな。仕事を終えるまでの監視として私が来たというわけだ」

「つまり、仕事が終わった瞬間命を狙う可能性もあるってことだろ」

 巴の嫌味を聞き届けた史文恭は、真面目さを崩さずに返答する。

「我々はお前の家と同様に契約と信頼を重んじるのでな。依頼が滞りなく遂行できた場合はもう狙わん」

「というわけさ、巴くん。旭も心配しなくていいからね。では私はこれで」

 どこか急いだ様子で、幽斎は部屋を辞した。無駄に引き留めてしまったかと巴は僅かに後悔したが、喫緊で別の問題があることを思い直して史文恭へ鋭い視線を向けた。

「幽斎さんから依頼を受けたことは分かった。次はあんたの用件とやらを聞かせてもらおうか」

「まあそう殺気立つな。お前にとっても悪い話ではないつもりだぞ?」

「……茶でも持ってくる。客人ならば礼を尽くそう」

「では頼もうか。読書をしているから、ゆっくりでもいいぞ」

 いっそふてぶてしいほどの態度で、英字タイトルが印字されたハードカバーを胸元から取り出した史文恭。そんな彼女を見ながら台所へと向かおうとした巴を、旭が呼び止める。

「待ちなさい巴。そして史文恭」

「なんだ? 最上の娘」

「夕食はもう摂ったかしら?」

「まだだ。トモエと話をつける方が優先なのでな」

 褐色美女が本で口元を隠しながら言葉を発したのには旭が応じた。

「では夕食を作ってくるわ。もちろんご賞味いただけるわよね」

「ああ。まさか父親のビジネスパートナーを毒殺などしないだろうしな。お願いしよう」

「では巴、貴方は史文恭のお相手をしていてね」

「旭さん!」

「ふふ。貴方はデンと構えていて。今日は中華よ」

 鼻歌を歌いながら、旭は軽快なステップでキッチンに向かった。その背中を見届けてから巴は椅子に座って腕を組む。

 威厳を持とうとして逆に情けない姿を見せている男の様子を、史文恭はくつくつと笑いながらからかう。

「先週から観察しているが、いい女を捕まえたようだな」

「余計なお世話だ」

 不機嫌さを隠そうともしない巴に対し、褐色美女は役者のように大仰な仕草でさらにおちょくる。

「余計なものか。一族の存亡に関わる問題だぞ?」

「さっきから弟だの一族だの、何が言いたい」

 睨むとも見つめるともつかない真剣な視線を二人は交わし合う。たったそれだけのコミュニケーションで、二人はお互いにお互いの言いたいことをある程度察した。史文恭は先に目線を逸らし、書籍から離した手を形の良い顎に当てる。

 巴は先に自分の思考を伝えるべく言葉を紡ぐ。

「相馬家が曹一族と繋がりがあることは知ってる。でもそれだけで存亡だの言われても正直意味が分からん。説明を要求する」

「ふむ。やはり相馬遙は伝えていなかったか」

「確かに親父から俺への引き継ぎは不十分だった。だがな……」

 反論しようとした修羅の言葉を、曹一族武術師範が鋭く遮る。

「それは違う。相馬遙はわざとお前に伝えていなかったんだ。……なるほどな。全く横紙破りも甚だしい」

 一人納得しながら忌々しげに呟いた後、史文恭は巴の顔つきを見てニヤリと笑い機嫌を直す。

「だがまあ、結果良ければ全て良しというやつだ。お前がここまで大成するとは、お前の両親以外誰も信じていなかったろう」

「それは、どういう……」

 真意を問い詰めようとした男だったが、居間の入り口から響く澄んだ声に意識を引かれる。

「巴。配膳手伝ってくれる?」

「……きっちり聞かせてもらうからな、史文恭」

「ふ。では私も手伝わせて貰おうか」

 どこか似通った動作で立ち上がった二人に、旭将軍は献立を紹介する。

「今日は回鍋肉と青椒肉絲、それに中華風卵スープよ」

「じゃあ、俺が飲み物持ってくるよ」

「ほう、見事な二菜一湯だな。痛み入る。箸はここでいいか?」

 三人が三人とも役割を的確に見分け、テキパキと食事の用意が整う。史文恭は客ではあるが、自分から動くのには躊躇いがないようであった。

 整然と並んだ食器を前に、三人が手を合わせる。

「では、いただきます」

 旭の号令の後に二人が続いて、食事会が執り行われた。

 

 

 

 特段の衝突もなく食事を終えた巴は食後の熱いお茶を飲みながら人心地つくと、同じくテーブルに着いた旭と史文恭を眺めやり、食事中の二人のやり取りを思い出す。

 回想開始。

『この回鍋肉は随分と美味だな。米のお代わりを貰ってもいいだろうか』

『いいわよ。自分で注いでね』

『居候、三杯目はそっと出し。というのは日本の諺だったか?』

『三杯でも四杯でもどうぞ。食事は日々の活力よ』

『そうだな。食事は全ての原動力。それが美味いなら尚更だ。では遠慮なくいただくとしよう』

 回想終了。

 何故だか妙にウマが合う様子の二人を見た巴は不思議な気分に襲われたが、これから聞くべき事実に集中するため意識を切り替える。

「では聞かせて貰おうか、史文恭」

 研ぎ澄まされた刃の如き眼差しを向けられた武術師範は、余裕を示すようにおどけて見せる。

「そう怖い顔をするなよ。悪い話じゃないって言ったろ?」

「それは聞いてから俺が判断することだ」

「確かにその通りだな。では、順を追って話そうか」

 巴の反論に頷いた史文恭が、ごく自然に言葉を発する。

「まず、お前の家が受けていた仕事の四割が曹一族からのものだったことは知っているか?」

「知らなかった。そこは断言しておく。俺は内閣調査室からの依頼をメインで受けていたし、親父から言われるままに仕事に行っていた」

 堂々とした返答を聞き届け、史文恭は矢継ぎ早に質問を重ねる。

「なるほどな。では相馬というのが忌み名であることは?」

「……初耳だ」

「だろうな。知っていれば私相手にそんな態度は取るまい」

 深刻そうな表情の若者に対し、薄い笑みを浮かべた武術師範はさながら歴史教師のように説明する。

「お前の先祖、馬一族の男は一人の女に狂って五百年前に中国を出奔した。当時の当主にそれを許された条件が、日本で根を張ること。相馬とは、曹一族の馬家のことを指すんだよ。一族から別れたことを忘れるな、と名前として刻みつけたわけだ」

「一人の女に狂って、ねえ」

「身に覚えがあるだろう?」

「……むむ」

 史文恭の口ぶりに素直に不快感を示した巴だったが、目線で旭のことを示されて二の句が告げなくなった。

「ともかくお前の家は代々曹一族から出された依頼をこなすのと同時に、日本の裏社会に太いパイプを築いてきた。その源流を正せば、こっち側に突き当たるんだよ」

「それがどうして弟とか一族の存亡とかになる。自分で言うのもなんだが、極東の島国で細々とやってた一族の末裔だぞ」

 巴の反論に、史文恭は分かりやすい回答を示す。

「川神百代を打倒し、ヒューム・ヘルシングさえ倒した。そんな男が謙遜するものではないぞ、トモエ」

「俺に才能があって、結果も出してきたことは認める。だけどなあ」

 修羅の言葉を遮って、褐色美女は一方的に話す。

「確かに曹一族は基本的に実力主義だが、血筋というのも馬鹿に出来なくてな。かく言う私も世襲だ。史文恭の名に恥じない鍛錬はしているがな」

 一度息を抜き、史文恭は目の前にある湯呑みを傾けた。それに合わせて巴が茶を一口飲んでから、さらなる話が続く。

「では次にお前の母親、メイリン様のことだが……」

「ちょっと待て」

 褐色美女の口から飛び出した固有名詞に、巴は思わず口を挟んでしまう。話の腰を折られた形になった史文恭は驚いたような表情になる。

「どうした?」

「俺の母親の名前は美鈴だ。メイリンなんて名前じゃない」

 若者の訂正を褐色美女は軽く受け流す。

「ミスズか、素敵な響きだ。日本ではそう名乗っていたようだが私はメイリン様と呼ばせてもらう。こちらにとっても大事な方なのでな」

「こちらにとっても……ってことは、うちみたいに曹一族の遠い係累なのか」

「遠い係累も何も本家本流、当主の娘だったお方だぞ?」

 あっさりと放り出された史文恭の言葉に、修羅は唖然としながらもなんとか割り込む。

「おい、待て。それじゃあ俺は」

「相馬巴。お前は正真正銘、曹一族現当主直系の孫ということになる」

「……ほんとかよ、おい」

 疲労した声を上げた後、頭痛を抑え込むように巴は指を眉間に当てる。その様子を見て史文恭は溜息を一つ吐いたが、それをしたいのは俺の方だ、と巴は思った。

「先に行きすぎたようだな。もう少し遡って話そう。どうやらその方がいいらしい」

 やや呆れた様子の褐色美女は、幼子を諭すような口調で話し始めた。

「あれは私が物心ついた頃。山深い曹一族の拠点にとある若者が来た。ある程度鍛えてはいたが、幼い私の目から見ても彼には才能や将来性なんて欠片も感じられなかったよ」

 今までの話を総合して、まだ姿の出ていない若者の正体を巴は自ずから気付く。

「親父か」

「そう。のちに修羅と呼ばれる相馬遙の若かりし頃だ。彼は当主にお目通り叶った時にこう言ったそうだ。相馬流は行き詰まった、と」

「……そうか」

 いきなり父親の情けない話を聞かされても、巴は驚きはしなかった。史文恭の語りが続く。

「丁度その折、当主は血眼になってメイリン様の配偶者を探していた。より才ある子孫を作るためにな。それにはメイリン様の異能も関わっていた」

 異能とは、生まれながらにしてその人間に備わる特殊能力を指す。ごく稀に後天的に備わる場合もあるが。

 曹一族と長い間敵対関係にある別の傭兵集団、梁山泊などはこの異能持ちを積極的に集めている。しかし、曹一族は特段そういった者たちを集めているわけではないと巴は認識していた。

「……異能? 母はそんなもの持っていなかったはずだが」

 二つの組織の特色と母の姿を思い出しながらの巴の相槌に、褐色美女は優しく返答する。

「いや、持っていたよ。あの方の異能は"母胎"。この女が産む子は天下に二人といない傑物になる、と鑑定士は太鼓判を押していたそうだ。故に当主は次代を担う子のため優れた武芸者を探し回っていた。その矢先に相馬遙が来たというわけだな」

 ここまで話してから、今度は史文恭が額を指で押さえる。

「それで、俺の両親は出会ったわけか?」

 巴の疑問に即答はせず、しばらく黙り込んでから褐色美女はゆっくりと口を動かすのを再開した。

「わざわざ日本から深刻そうな顔をして来訪した青年と、父親の客人に出す茶を何気なく持ってきた若い女。二人は一目合わせるなり、いきなり手と手を取り合い……」

「取り合い?」

「そのまま、『この女性をください』、『この方と契らせてください』と二人して言ったそうだ」

「先祖代々何やってんだよ……!」

 巴のツッコミを聞きながら、史文恭はまたも盛大な溜息を一つ。同情する気は欠片も無かったが、巴は空になっていた湯呑みに向けて急須を傾けてやった。

 少しだけぬるくなった玉露で唇を湿らせた女が、今度は憎々しげな口調で続ける。

「もちろん一族としては猛反対だったらしいが、またもや当主の鶴の一声でその場は納まった。娘が良いと言った以上結婚は許す。しかし子は絶対に作り跡取りにさせろ、そして娘の遺灰はこちらの墓に入れる、とな」

「……横紙破りってのは、そういうことか」

 一つ納得して呟いた巴に史文恭は厳しい声をぶつける。

「そうだ。お前の父親は、行き詰まった流派を先に進ませるためとはいえ我らを騙した格好になっている。少なくとも今の時点ではな」

 もう少し続けよう、と史文恭が言葉を繋げる。

「そして四年前、相馬遙はようやく曹一族の里に再訪した。誓約の一部通りメイリン様の遺灰を持ってな。丁度その頃、お前はヒュームに捕まっていたそうだが」

「……なるほど。俺が一回里帰りした時に親父がいなかったのはその時期ってことか」

 巴は九鬼から一度暇をもらって身辺整理をしようとした時のことを思い出す。姿をくらませた父親のことを不思議に思っていたが、最上幽斎が襲撃される段になってようやく曹一族へ身を寄せていることを知ったのであった。

「当主は当然お前の父親を責めたよ。なぜ孫を持ち帰ってこない、とな。それに対してお前の父親はこう答えたわけだ。『息子はまだ完成しておりません。私の命を以て、相馬として完成させます』と」

「そう、か」

「里に来てから、相馬遙はひたすら技と体を練り上げていたよ。いつかお前を鍛えるためだけにな。鬼気迫る彼の様子を見ていれば、親の愛情とは損得ではないと、まだ家庭を持ったことのない私でも理解できた」

「……そうか」

 噛み締めるように頷く青年に、褐色美女は丸い口調で語りかける。

「様々な形があるとはいえ、家族というのはいいものだな」

「ああ、俺もそう思う」

 いつの間にか互いに険の取れた視線を向け合っていた二人。巴は史文恭の金の瞳を見ながら、とある事実に気付く。

(……業腹ながら認めざるを得ない。俺とこの人は、似てるんだ)

 恐らくそれは血脈のせいであったり、生育環境のせいであったりと様々な要因があるのだろう。決して外見ではなく、いわゆる精神の部分でこの二人には通じ合うものがあった。

(まあそのせいで一目見た時に敵だって直感したんだけどさ)

 結局のところ似た者同士相容れないわけだ、と結論付けた男は目線を厳しいものに戻し、居住まいを正してから曹一族の武術師範に問う。

「俺が曹一族の当主直系であることは了解した。父が約定を破っている状態にあることも了解した。その上で、貴方は俺に何を望む」

「そうだな、では本題に入る前にもう一つ前提条件を話そう」

 同じく姿勢を正し、武人としての威圧感を放ちながら曹の武術師範は一つの深刻な事情を伝える。

「元々お前に接触を図るのは大学に入ってから、という予定だったのだが……先日、お前の祖父にあたる当主がお倒れになられた。一命は取り留めて快方には向かっているが、三年後に生きている保証はない。当主自身がそう仰っていたよ」

「なっ……」

 顔を見たことはないが肉親が倒れたことを聞かされ、巴は目に見えて狼狽する。

「加えて、武神と最強、あの両名を討ち果たした実績を作ったお前ならばもう十分に資格ありだと判断され、わざわざ私が派遣されたわけだ」

 動揺して眼光揺らぐ若武者の目を、史文恭は金の瞳で射抜く。

「その上で、曹一族の武術師範、史文恭として告げる。まず一つ、一度は当主に会いに来い。そしてここからは二択より選んで構わんが、父の禊を済ませたいならお前が曹一族に来るか……」

 固唾を飲み込んだ修羅へ、史文恭は誘うような妖しい色香を纏った目線を向けた。

「お前の種を私に寄越すか。どちらか選べ」

「……は?」

「なに、心配することはない。種さえ貰えれば後はこっちで育てる。お前の種なら、良い仔が産まれそうだしな?」

 たわわに実った胸の谷間を見せつけるように腕組みして持ち上げた女に、言葉の意味を理解した男は半ば怒鳴りつけるような声を浴びせる。

「そんな無責任なこと出来るか!」

「ほう。我が体ながら中々にそそる肉付きをしていると思っていたのだが……不満か?」

「不満とかそういう問題じゃないだろ」

「お前ほどの男、世界を探してもそうはいまい。将来性もある。お前のことはかなり魅力的な雄だと思っているぞ?」

「評価してもらえているのは有り難いが、そんな種馬じみたことやりたくもない」

 口を尖らせた巴を見て、妖艶な笑みを浮かべていた褐色美女は一転して真剣な表情を作る。

「ではお前が里に来い。親の因果が子に報い、とまでは言わんが馬一族の後始末が出来るのはお前だけだ」

「行ったら、俺を当主として祭り上げるんだろ」

「当たり前だ。お前はそれだけの力を示したからな」

 動揺しきりの若者を見て、史文恭は落ち着いて思考する。

(この程度の交渉術に引っかかるとは。少し期待外れだったかな)

 曹一族の当主になるか、史文恭を孕ませるか。こういった極端な二択を提示して結論を急がせる常套手段に加え、肉親が倒れたとの条件でさらに焦燥感を煽るという単純なやり口で判断力を奪えたとした褐色美女は、内心で巴への評価を低く見積もった。

 しかし巴は一度深呼吸を挟み、曹の女に向けてこう発言する。

「ひとつ、可能性の話をしておく」

「ほう。言ってみろ」

「当主が弱っている曹一族が、俺が最強を倒したことで慌てて接触を図ってきた……というわけでは無いと思っている」

 この言葉を聞いて、中々に鋭いと史文恭は男への査定を少々改めた。

 しかしこれだけで認めるわけにはいかない、と褐色美女は巴の論理の穴を躊躇いなくつつく。

「つまり私が語ったことは嘘ではない、と。果たして証明する材料はお前から見てあるのか?」

 口調と同様に真剣な表情を見せた史文恭へ向けて、巴は自分の思考をゆっくりと言語化していく。

「まず、親父が曹一族と関わりがあったという事実がある。そして、信頼性には欠けるが……符合することが多すぎる。言い換えれば、状況証拠が揃い過ぎてる」

「貴様は物証無しに人の言うことを信じるのか?」

 史文恭の詰問を聞いた巴はさらに論を進める。

「物証がない、ってこと自体があんたのことを信じてる理由だ。どうしても俺を説得したいんなら、でっち上げでいいから親父の印でも入った念書やら、それこそDNA鑑定の結果でも提示すれば良かった」

「望み通り、持ってきてやろうか」

 薄笑いを浮かべながらの程度の低い挑発に対し、修羅は首を左右に振った。

「もし本交渉じゃないって言われたらそれまでなんだが、俺との交渉には今まであんたが出した情報だけで十分って判断なんだろう。それに……」

「それに、なんだ?」

 金の瞳の視線に怯んだ訳ではなかったが、巴は口ごもりつつ言葉を紡ぐ。

「あんたは、俺と似てる」

「……はあ?」

「ええと……交渉が苦手で、必要以上に嘘を言わない。嘘をついてるとしても最小限。これは、あんたが出来る限り情報を絞ろうとしていたことからも明らかだ」

「私がボロを出すような愚か者だと言うのか」

「少なくとも、腹芸は得意じゃあるまい」

「お前に似ているから、か?」

「……そうだ」

 控えめながらも巴は断言する。それを受けた史文恭は―――

「―――ぷっ。くっ、ククク。あっはっはっは!」

 吹き出したかと思えば、部屋中に響き渡るほど呵呵大笑した。

 腹を抑え、鼻梁の整った美貌を破顔させて笑う美人に巴は面食らう。旭はそんな男の様子を落ち着いた笑みで見つめている。

 数十秒ほど笑い転げてから、目尻の涙を拭いつつ史文恭は旭将軍に水を向ける。

「ヨシナカ。お前の男は、意外と大物のようだな」

「意外とじゃないわ。貴女が欲しがった竿も大物よ」

「私の誘いを断ったときは不能かとも思ったが……そうか。男としてもちゃんと機能しているのだな」

「ええ。絶倫よ」

「ちょっ、旭さん」

 いきなり性事情を暴露し始めた恋人を抑えようとした巴に、史文恭から改めて声がかかる。

「悪かったな、トモエ。これから私の主君になる人間の器量を試したかったんだよ」

 こう言ったかと思うと、曹一族の武術師範は椅子から立ち上がって巴に近寄る。そして恭しく跪き、日本式で臣下としての礼を見せながら、朗々と歌い上げるように謝罪した。

「次期当主、相馬巴様。先ほどよりの無礼、心から詫びさせていただく。今日この時より、史文恭の名を懸けて貴方に仕えよう」

 頭を垂れた女に、男は困惑した声で応じる。

「……かしこまるのはやめろ。気色悪い」

「そうか? では戻すぞ、トモエ」

「戻り過ぎだろ!」

「わがままな当主だな」

「あっ、ああ言えばこう言いやがって……!」

 すっくと立ち上がり、からかう調子に戻った史文恭に巴は歯軋りした。

 なんとか気を持ち直し、男は一度呼吸を入れる。

「……とりあえず、認められたってことでいいのか」

「ああ。強さは申し分ない。当主としての貫禄はまあ、これから身に付けてもらうことにしようか」

 これにて、相馬巴と史文恭の二度目の邂逅は終幕した。

 

 テーブルの上を片付け、史文恭が最上家の使用人から部屋の説明を受けている中、木曾義仲と巴御前は並んでリビングを出ようとする。

「じゃあお風呂に入りましょうか、巴」

「了解、旭さん」

 旭を伴った巴が出入口に差し掛かると、背後から声がかけられる。

「おい、トモエ」

「なんだ? まだ何か―――」

 男が無造作に振り向く。すると、目の前に史文恭の顔が迫っていて。

「―――ン」

「んんっ!?」

 薄いながらも、確かな弾力を持った唇が男のそれに押し当てられた。思わず巴は女の肩を押す。

「っ、何しやがる!」

 混乱から一瞬で気を取り直した若武者に、褐色美女はニヤリと悪戯っぽい笑みを向けた。

「フン。私の誘惑を袖にしてくれた仕置きだ。後はそこの女にたっぷり説教されるといい。では使用人、部屋への案内を頼む」

「おい!」

「巴?」

「ひっ……」

 修羅は決闘の時よりも遥かに重い恐怖にさらされる。そんな男に、心底愉快そうな面持ちの女が追い討ちをかける。

「ああ、さっきのは一応私のファーストキスだ。有難く受け取っておけ」

「あんたなあっ……!」

「……こほん」

 咳払いを一つした恋人に、巴は恐る恐る視線を戻す。一度目を合わせてから、旭は男に非難を向けた。

「ひどいわっ! ほんとは由紀江や史文恭みたいなナイスバディが巴の好みなのねっ!」

「あっ、旭さん!」

「くすんくすん。うわーんっ!」

「旭さーん!」

 目元を拭う仕草を見せ、濡羽色の髪をたなびかせながら部屋を飛び出していく旭。巴は縋り付くように腕を伸ばし、床に膝をついた。

 四つん這いになった男の頭上で、溜息の音が一つ。

「アレ、嘘泣きだろ?」

 史文恭の呆れ混じりの指摘に、茶番を演じていた巴は何事もなかったかのように立ち上がりながら応じる。

「付き合わないと旭さんがもっと不機嫌になるんだ」

「よく分からんが、私はダシに使われたようだな」

「取り敢えず、俺は旭さんのとこに行くから」

 足早に旭を追おうとする巴を、史文恭がもう一度呼び止める。

「ついでだ。二つほど忠告しておくぞ、トモエ」

「なんだよ」

 無視できない迫力があると判断した修羅は、武術師範の言葉を背中越しに聞く。

「何も言わないという方法でも嘘は吐けるということ。そして、女は嘘を吐くのが上手いということだ。一応念は押しておく」

「……何を言いたい」

「さあな。それは次期当主としてお前自身で考えろ」

 要領を得ない問答に巴は舌打ちをしかけて、やめる。代わりに、今後のスケジュールを部下予定の人間に伝えた。

「曹の里に行くのは、早くともテストが終わってからにしてくれ。こちとらまだ学生なんでな。夏季休暇に入れば時間が取れるはずだ。もし現当主……俺の爺様が倒れたとかであれば改めて連絡を寄越せ」

「了解した」

「じゃあな」

 修羅が居間を去り、使用人と二人残された史文恭はボソッと呟く。

「今のうちに私に乗り換えなかったこと、後悔するなよ。相馬巴」

 聞く者が聞けば負け惜しみにしか聞こえない台詞を口にした褐色美女に、使用人が話しかける。

「では史文恭様。お部屋にご案内します」

「ああ。よろしくお願いしよう」

 椅子に立てかけていた鉄塊を軽々と持ち上げた史文恭は、自分に宛てがわれた個室へと歩を進めていった。

 

 

 一方、相馬巴はと言うと。

「つーん」

「すいません、機嫌直してくださいませお嬢さん」

「史文恭ほどボンキュッボンじゃないわよ」

「貴女様の肢体が最高だと思っておりますので、どうかご容赦を……」

「言葉だけでなく、体で証明してほしいわ。部屋に行ったら、お相手してね?」

「……喜んで」

 浴室で恋人の体を垢一つ残さず磨き上げていたのだった。

 

 

 




というわけで、巴くんのモデルは史文恭だったというお話。
ヒロインになる可能性はあります。相性は抜群なので。


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第二十話

三か月ぶり、そして一話投稿から一年経ちました。亀更新で申し訳ありません。
読んでくださる方に改めて心よりの感謝を。感想評価等励みになっております。


 

 

 早朝。自室から稽古用の袴に着替えて出て来た巴を、金の瞳が出迎えていた。

「おはよう、トモエ」

「……おはよう」

 文庫本を手挟んだ女は狼牙棒を壁に立てかけ、足元には読み終わったのであろう雑多な書籍を大きさの順に十冊ほど積み上げている。

「これから朝の鍛錬か?」

「そうだ。昨日してないからな」

 眠そうな顔で刀を携えた男から、色々な体液の混じり合った生臭い匂いを嗅ぎ取った史文恭は、険しい視線を向けながら問いかける。

「まさかとは思うが、お前らあれからずっとヤってたのか?」

「いや、流石に寝てるぞ……三時間くらい」

 苦笑いで返答した男に、褐色美女は苦言を呈す。

「淫蕩に耽るのも控えめにしておけ」

「……それについては、真剣に検討してる」

「そうか。それは良いことだ」

 ヒュームとの決闘直前やけに殺気立っていたのは、シンプルにヤり過ぎて睡眠時間が足りていなかったからではないかと考えていた巴は正直に応じた。

「逆に聞きたいんだが、あんたずっとここで本読んでたのか?」

「いや? 睡眠を取ってのち一時間ほど前から待機していた。あまりにも初歩のこと過ぎて確認し忘れたことがあってな」

「なんだよ」

「お前、今のところヨシナカは中国に連れて行く心算なのか?」

「……ああ、そのことね」

「なんだ、もう少し取り乱すかと思っていたが考えがあるのか」

 史文恭は自分にとって予想外の反応に、思わず口を挟んでしまう。からかわれたのを気づきつつ、男は自然体で返答した。

「色んなことがあるのは分かってるけど、何度でも説得して、納得してもらった上でついてきて貰うよ。そういうのが男の甲斐性ってもんだと……思う」

 語尾は弱々しいものの、男として成熟する途上にある青年の言葉に、褐色美女は相好を崩す。

「私に力押しで負けるほど線の細いガキだったお前が、随分と言うようになったものだな」

「うるせえ。それで反省してちゃんと肉付けたんだよ」

「ますますお前が欲しくなったぞ。ん?」

 史文恭は巴のゴツゴツした手をおもむろに握り、指先で手の甲を撫で回す。僅かにマメを作りながらも女性らしい柔らかさを失っていない手と、くるくる円を描く細指の感触に背筋を震わせた男は、やんわりと手を引いて距離を取った。

「なんだよ、いきなり」

 半目で睨む青年に、褐色美女は心底不思議そうな顔で応じる。

「誘惑しているつもりだったのだが」

「今ので?」

「そうだが?」

「……可愛いもんだなあ」

 旭と比較しながらの若武者の物言いに、曹の武術師範はいっそ分かりやすい程苛立ちを示した。

「ではこうしようか」

 腕に思いっきり豊満な胸を押し当てて抱きつき、今度は直接股間に手を伸ばして来た女を、巴は慌てて振り払う。

「変わりすぎだろ!」

「フン。昨日から思っていたが、お前私を舐めているな?」

「いや、だってあんたには勝てるし」

「……ほう?」

 改めて体を離した史文恭が無表情で狼牙棒を持ち上げたのを見て、巴は刀の柄に手を添え臨戦体制に入る。

 すり足でジリジリと後退する男、傍目には全く動いていないように見える歩法で彼我の間合を保ってにじりよる女。

 そんな二人の間に、素肌の上からシーツだけを身につけた美少女が忽然と現れる。その体からは、決して良いとは言えない臭いが巴と同様に漂っていた。

「はい、おしまい。あんまり喧嘩してると、二人とも朝ご飯抜きにするわよ」

「……オーケー、旭さん」

「了解した」

 その気になればどこからでも食糧を調達できるはずの二人は、旭の言葉につい無条件で頷いてしまう。

 あくびを一つして二人を放ったまま歩み去ろうとする恋人の肩に、修羅はそのゴツゴツとした手を添える。

「旭さん。ちょっと待ってね……奥義、行雲流水」

 男が一言呟くと、二人の体から立ち上る交合の残り香は影も形もなく消え去った。

 普段通りの花のような芳しい香りを身に纏った旭将軍は、微笑みながら巴御前に向けてウィンクを一つ。

「ん、ありがとう。じゃあ先にお風呂入ってくるわね」

「行ってらっしゃい」

 白いシーツをさながら神話に出て来る女神のように引きずりつつ歩み去る背中を、男は惚けた目で見送る。そんな男へ褐色美女は戸惑ったような声を向けた。

「便利な技だな、とか色々言いたいことはあるが……もしや、ヨシナカの方がお前より大物か?」

「旭さんの方が俺の百倍は大物だよ。人使うのも上手いし、責任だけ俺が取って指示は全部旭さんが出す傀儡政権でも全然アリだと思ってる」

「なるほど、そういう関係か」

「そう。旭さんと俺は、明確に使う側と使われる側だ。俺は一本の剣であって、それを振るうのが旭さん。兵が俺、あの人が将。多分、この構図は何十年経っても変わらないんじゃねえかな」

 史文恭は形の良い顎に一度手をあてて、それから確認するように呟く。

「私としては、次代の当主の責任放擲とも言える発言を咎めるべきなのだろうが……」

「そっちの方が適任だ、とも思うんだろ?」

 近い将来主君と仰ぐことになる青年の問いに対し、武術師範はわざとらしく首を振った。

「いや、やはりそれはいかん。トップに立つだけの能力をあくまでお前に身につけて貰わねばな」

 からかう成分など微塵もない金の瞳の真剣な視線に射抜かれた修羅は、この問答に区切りを付けるべく史文恭に背を向けた。

「これ以上やると本当に朝食抜きだから、俺は稽古に行く」

「承知した。では、お相手しようか。私も体を鈍らせるわけにはいかんからな」

「了解。じゃ、こっちに来い」

 テンポのよいやり取りをしつつ、曹一族の次期当主とそれを支えることになる武術師範は連れ立って地下シェルターへ向かうのだった。

 

 一時間後。

 地下空間に存在していたのは、四つん這いになりながら悔しげに顔を歪ませる女と、二本の足で悠然と立つ男。

「チッ……お前、強くなり過ぎだろう」

「単純な出力で負けない以上、負ける気がしねえよ」

「覚えておこう。また練り直しだな」

「飯、食いに行こうぜ」

 密度の高い稽古を終えた相馬巴と史文恭の二人は撤収し、旭の美味しい朝食に舌鼓を打つのであった。

 

 

 2009年 7月 7日

 

 とあるファミレスで、大きめのテーブル席に六人の学生たちが腰掛けていた。その中で唯一の男は、演技がかった動きでこう催促する。

「さあ、俺の誕生日を祝いたまえ。君たち」

「おめでとう、巴」

「おっ、おめでとうございますっ! 相馬先輩!」

「へえー。今日お誕生日だったんだ。おめでとう、相馬くん」

「はいはいおめでとー。燕。お前、何食う?」

「えと……これ、燕ちゃんも言わなきゃいけない流れ?」

 旭、由紀江、清楚、百代の順で祝いの言葉を述べるのに、松永燕はぷにぷにした頬に指をあてながら一言挟んだ。これに対し、巴はいつものニコニコとした表情で応じる。

「言ってくれたら、今日全部奢るよ」

「いやー! おめでとー相馬くん! よっ、太っ腹! 大明神様!」

「……まあ、あくまで冗談だから、持ち上げる必要ないんだけど。別に言わなくても奢るし」

 転身の早い納豆小町に、修羅は梯子を外すように応答する。しかし燕はひらりと飛び去るように問い返した。

「でも、本当に奢りでいいのん?」

「誕生会はホスト側がゲストに食事と酒を用意して、祝いの言葉を言わせる場だろ?」

 この言いように、燕は座ったままで一歩引いて見せる。

「うわっ。さりげなく住む世界の違いそうな発言……ま、いいや。じゃ遠慮なく頼んじゃいまーっす!」

「そうしてくれた方がこっちとしては助かる。由紀江さんや葉桜さんも、好きなもの頼んでね」

「はっ、はいっ!」

「うん。じゃあモモちゃん、私にもメニュー見せて」

 百代、燕、清楚の向かいに由紀江、巴、旭の席順で座った面子は、二つのお品書きと期間限定メニューが書かれた一つを分け合って目を通していった。ちなみに史文恭は巴の後ろに陣取っていて、褐色美女とお近づきになろうとした百代が巴に制されて粉をかけ損なっていたりする。

 およそ五分後。一通り悩み切った清楚を待って、呼び鈴の近くにいた由紀江がボタンを押す。

「お待たせしました。ご注文お決まりでしょうか」

 決まり文句と共にテーブルまで来た男性の店員に、代表して巴がオーダーをつらつらと並べていく。

「あ、じゃあこれとこれと……」

「かしこまりました。ではドリンクバーの方あちらになっておりますので、お好きにお取りください」

 大量の注文を受け取った店員は足早に去ったかと思うと、ちらりと巴の方を振り返って負の念が籠った視線を向ける。

 態度の悪い店員だなあと男が思っていると、それを察した旭が恋人を窘めるように声をかける。

「巴。学園でも睨まれていたんだから、何も事情を知らない店員さんから良く思われないのも当たり前だと思うわ」

「……なんで?」

「そりゃお前こんな綺麗どころ揃えてたら、男なら誰でもこいつ殺すって思うだろ」

 巴の疑問には、黒い液体をなみなみと注いだコップをいつの間にか卓上に置いている百代が答えた。

 男一人に女五人、しかも女性側は全員黒髪美少女。なるほど侍らせているようにしか見えないだろうと巴は納得した。

「Sの教室からアキちゃんと清楚ちゃん連れてきた時点でやばかったけど、Fで私と燕、一年のとこまで行ってまゆまゆ拾ってきたとこでもうとんでもない怨念籠った視線向けられてたんだぞ、お前」

「あれで怨念かあ」

「なんだと思ってたわけ?」

 カップを豪快に傾けた武神が呆れながら問うと、修羅は朗らかに笑いながら応じた。

「いやあ、ヒュームさんの方がもっと怖かったし」

「……そりゃそうだろ」

「オラ、比較対象がおかしいと思うんだ」

「俺には旭さんっていう可愛い彼女もいるしね」

「いや、客観的に見たら浮気者な感じもするけどねん」

 などと携帯ストラップを含めて他愛ない会話をしていると、注文した品々が各々の前に配膳される。

 旭、巴が自然な動作で手を合わせたのに従うようにして、他四人も手を合わせた。

「では、いただきます」

 旭将軍の号令で、各人は自分に供されたデザート群にスプーンを伸ばしていった。

 一通り甘味を舌に染み渡らせたところで、唯一の男から話を切り出す。

「んで、これは旭さんに質問する会の続きだったと記憶してるんだけど」

「ふぁれ? ほうらっけ?」

「モモちゃん口に詰め込みすぎだよ、仕方ないなあ」

「……ごくん。奢りのパフェが美味いのが悪い!」

「美味しいのは否定しないケドさ」

 巴と同じ注文だった巨大パフェに乗ったアイスと生クリームを頬張ったまま応じた百代の口元を、燕が甲斐甲斐しく紙ナプキンで拭く。

 そんな二人の様子を見て、今度は旭から話を促す。

「私の出自に関してはてれびでもう話したから、もういいんじゃないかしら。もちろん質問してくれたら話すけれど、貴方たちが気になっているのはこの前の決闘に関して、でしょう?」

「……そうなの?」

 季節のフルーツを頬張っていた巴が疑問符と共に応じると、燕、清楚の二名が百代に目配せする。

「なんだよ、燕、清楚ちゃん」

「いやあ、あの推理が合ってるかどうか、私も気になってたというか」

「うん。私もモモちゃんのお話聞いて、そんなことあるのかなって思ってたし」

「いや、あれはそう考えざるを得なかったというか、消去法みたいなもんだしなー」

「なんの話だよ、それ」

 焦点のぼやけた話を聴きながらアイスクリームを食べていた巴はたまらず口を挟む。男の差し出口に対し、百代は気を取り直すため一度咳払いをしてからこう告げた。

「相馬。お前の新月なんだけどさ」

「うん」

「あの瞬間、お前って"世界から存在ごと消えてた"だろ?」

「……おっと?」

 いきなり核心をつく質問を投げかけてきた武神に、修羅は少しだけ面食らう。平常心を保つよう心がけながら、巴は真剣に応じた。

「一応正解とは言っておくけど、ちなみに根拠は?」

「見れば分かるというか、アキちゃんを見てたから分かったというか……うーん、言葉にするのが難しいな」

 腕組みして首を傾げる百代を見て、巴はいつも通りのへらへらした笑いを顔に貼り付けながら答える。

「才能にかまけて鍛錬を怠ってたが故に言語化能力が低いお馬鹿な君の代わりに俺が言ってやろうか」

「むむむ。言われようが癪だが、まあしょーがないか。頼む」

「"俺がいない方が収まりがいい"、と直感的に思ったんじゃない?」

 あっさりした口調での返答に、今度は百代の側が驚いて見せる。形の良い顎に指を当て、頭に手を持って行って美しい黒髪を一度かき回し、それからピンと豆電球を灯した。

「そうだ! なるほど、収まりがいい、か……」

 うんうんと頷く武神と、笑顔のままの修羅。そんな二人を眺めて、旭以外の三人はさらに疑問を深める。

 美少女たちの当惑を看取した巴は、彼自身の言葉で話し始める。

「どこから話したものか、とは思うんだけど。取り敢えず、元になったのは旭さんの存在感を消す技だよ」

「あれ、存在感を消すってレベルか?」

 パフェへスプーンを突き刺しながらの百代の疑問に、巴は質問を投げ返す。

「じゃあ存在感がないことと、存在そのものがないこと。川神さんだったらどう判別する?」

「んー、戸籍とか?」

「……意外と賢い返答してこられると反応に困るな」

「なんだと!?」

 憤慨して見せた百代だったが、この会のホストが見せた宥めるような仕草に一度引き下がった。

「まあまあ……ともかく新月は俺の存在そのものを消す技だよ。そうでもしなきゃ、ジェノサイドチェーンソーは回避出来なかった」

「そんで、お前を繋ぎ止めてるのがアキちゃん、ってことか?」

「そう、だけど」

 男はここで語尾を弱くして、チラリと恋人に視線を向ける。そして視線のみならず、口を形の良い耳元に寄せた。

 言ってもいいかと囁く巴御前に、旭将軍はわざとらしいため息を一つ吐いてから頷く。

 許可を得た男はニコニコした笑みを浮かべて、こう言ってのけた。

「旭さんの前で言うのはちょっと憚られるんだけどさ。俺って本来いなくてもいい存在なんだよね、多分。より正確に言えば、世界との繋がりが薄い」

「世界との繋がりが薄い……どゆこと?」

 納豆小町が可愛らしく小首を傾げたのに対し、男はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あれは親父を殺して断風を継承した後……」

「いきなりヘビーな出だし過ぎるだろ相馬パイセン」

 松風のツッコミに、先輩は一つ咳払いをしてから語りを再開した。

「旭さんに気配を消す技のことを教えてもらった時、俺はこう考えたんだよ。他者の記憶や認識が無くて、記録も残ってない時。果たしてその人間は存在していないのとどう違うんだろう、ってね」

 各人が相槌を打つのを見てから巴はこう続けた。

「相馬流はね、もう終わった流派なんだ。俺が終わらせたし、俺が表に出なかったら歴史の影で姿を消してたはずだった。親父が死んだ時点で、色んなお偉いさんとの接点とかも少なくなってたからさ」

「相馬先輩。流派を終わらせたとは先日おっしゃっていた完成のその先、という話でしょうか」

 後輩女子からの不安げな問いに、修羅は太い指を四本立てて見せる。

「断風、重ね桔梗、行雲流水、月鏡。四つある奥義を全部使えるようになったのは歴史上俺だけ。つまり先祖代々の悲願、完成形が俺ってこと。これで相馬流はおしまい。めでたしめでたし……」

 指を畳み、息をつくためにスプーンへ乗せたチョコプレートとアイスクリームを一口で頬張り、口直しにシロップ入りコーヒーを飲んだ男は、飲料由来のものとは違う苦み走った表情になる。

「……だったんだけどさ」

「だったんだけど、なんだよ」

 百代の反問に、巴はそちらをチラリと見る。八割程度の呆れとその他諸々が篭った視線を受けて、武神は戸惑う。

「な、何か文句あるのかよ。相馬」

「俺が今まで出会った中で、実力で勝てないと思ったのが一人。才能で勝てないと思ったのが一人。わざわざ言わなくても分かるだろ?」

「ヒュームさんと……一応、私か?」

 その通り、と言いたげに巴は頷く。それからこう言葉を繋げた。

「俺は人生で二回負けたことがある。完成する前にヒュームさんにボコボコにされたのと、完成した後に一回負けた」

 負けたという単語を聞いて僅かに驚愕を見せた旭以外の一同を見やり、負かした相手は俺の後ろにいるけどねとは修羅は言わないでおいた。

「んで、二回目負けた時にこう思ったわけだよ。なるほど、相馬流の完成形程度じゃヒューム・ヘルシングはおろか他のやつにも負けるんだ、ってね」

「ちなみに、その時もちょっとした思い出があるわ」

「っ……いやっ、旭さん。それは」

 旭が口を挟んだのに、巴は分かりやすく体を震わせて動揺を見せる。その様子を見て、百代と燕の二人が好事家の笑みを浮かべた。

「ふふふ。巴は負けた後、二日間寝込んでいたのだけれど」

「旭さん、ちょっとストッ……」

 白皙の美貌の前で節くれだった手をブンブンと振る男。その隣に座る後輩に向けて、武神が鋭く指示を飛ばす。

「まゆまゆ! 相馬を抑えろ!」

「はっ、はいっ!?」 

「ごめんよ相馬パイセン、武神サマには逆らえないんだオラってば」

「えいっ! 足は抑えたよん!」

「てめーらなぁっ……!」

 松風を巻き込んで腕を封じた由紀江、テーブルの下で巴の足を行儀悪く蟹ばさみした燕。

「巴」

「……はい」

 そこに彼女からの追撃が入り、修羅は大人しくなる。よろしい、と気を取り直したところで旭は思い出を話し始めた。

「私は寝ている巴の横でりんごをウサギさんに剝いていたのだけれど、二切れほどつまんだところで彼が起きたのよ」

「ほうほう、それで?」

 興味津々とばかりに身を乗り出して聞く体勢を作った納豆小町の視線から、話の続きを知っている巴は気まずそうに目を逸らした。

「起き上がるなり、巴はベッドに私を引きずり込んで無理やり唇を奪い……」

「うわ、最低だな相馬」

「お嬢さんお嬢さんと言いながら私の服を脱がしていって、下腹部の硬くなったものをぐいぐい押し付けてきて……」

「はわわわわ」

 百代の軽蔑の目線、清楚の羞恥混じりの瞳から逃れるため、ついに巴は首を真横に向けた。男の視線を受けて、旭将軍は可愛らしくウインクを一つ見せる。

「ああ、私の初めてってここで奪われちゃうんだ、まあ巴は素敵な男の子だしいいかなって思ったんだけれど」

「それでそれで? シちゃったの?」

「初めてはもうちょっとロマンチックな方がいいなと思い直した私は、こう、右フックを巴のこめかみにズドンと」

 中指第二関節を突き出させた握り拳を旭が横に振って見せると、川神三年美少女三人衆はめいめいに反応を返す。

「はい撤収。ガッツリエロい話期待して損した」

「なるほどねん。無事アキちゃんの純潔は守られたと」

「よ、よかったぁ」

「それでもう一日寝込んだし、ちゃんと土下座して謝ったから!」

 大慌てで反論した男に、三人衆は呆れた視線を向けた。

「あのな相馬。謝って済む問題じゃないだろ?」

「燕ちゃんなら一生脅しちゃうかも」

「女の子はデリケートなんだから、謝ったとかで終わらせるのは良くないと思うよ、相馬くん」

「うっ、うごご……」

「ふふ。ファーストキスはりんご味だったわ」

「Woo! 甘酸っぺー!」

 ストラップにまでひとしきり揶揄われた男は、項垂れながらも続きを話す。

「その時の俺は大真面目だったんだよ。相馬流として完成した俺がこの程度の実力しかないんだったら、次の世代にどうにかしてもらうしかない、って思ったんだ。うちはそうやって血を繋げてきたもんだから」

「……なんか、無責任じゃね? お前」

「挙げ句の果てが未遂犯だしねえ」

「君たち、俺に当たり強すぎない?」

 巴は武闘派美少女コンビになじられつつも、記憶の中の自分の軌跡をなぞっていく。

「俺は旭さんに土下座しながら、申し訳ない、自分じゃ守れそうにありませんって言ったんだ。そしたら旭さんが……」

「好きな女は俺が守るくらい言えない男に私はあげないわ、って言ったのよね」

「そして旭さんを絶対に守るって考えた時に、まず浮かんだのがヒューム伯爵だった。もしあの人と敵対した時に勝てないのなら、守れないことと同じ。だから、俺はもっと強くなろうと思ったわけ」

 修羅の語りに、その歩みを隣で見届けてきた旭将軍が補足を入れる。

「さっき巴に押し倒された、って言ったけれど。その頃はそんなに重くなかったのよ」

「ああ、負けた後必死に肉付けたからね」

「そうなの? 私は今の相馬くんしか知らないから、あんまりイメージ湧かないなあ」

「一年で10センチと20キロ増量したよ」

 出された数字に驚愕した清楚に続いて、燕が素朴な問いを投げかける。

「えーっとぉ、健康が心配になる増量ペースなんだけど相馬クン、今身長体重は?」

「183の87。まあ日曜のあれで3キロくらい落ちて戻してる最中だけど」

 ヒュームさんよりギリギリ大きくなれたんだよね、と少年のままのように無邪気な笑みを見せた男は、数秒だけ表情を維持した後、打って変わって真剣な顔を作る。

「……まあ、伯爵本人には言ってないけどさ。割と折れてはいたんだ。あの人に負けた時」

 それは、青年の赤裸々な吐露だった。沈鬱ではなくとも深刻なその語り口に、聴衆の耳は自然と傾く。

「そして、もう一回負けてどうしようもなくなった時……俺は旭さんに焼き直して貰った。だから、俺はこの人の刀なんだよ。そうあり続けると誓ったんだ」

 ゆっくりと、噛み締めるように。相馬巴は自分のルーツを明かしていった。

 巴が一息つき、カロリーを摂取するべくスプーンを目の前のカップに突き刺したのを見て武神が語りかける。

「お前が二刀流になったのは、相馬流のその先ってことなのか?」

「んー、川神さんには質問を返してばっかりで申し訳ないけどさ、うちの四つの奥義って刀関係あるものどれくらいある?」

 修羅の返答に、百代はかつて自分で体験した二つの奥義を思い出しながら指折り数えて思考を言語化していく。

「行雲流水、は防御技だから関係ないな。断風も素手で打ってたし、重ね桔梗はあくまで気の運用で……アレ?」

 ここまで口にして、武神は自分の直感から素直に言葉を紡いだ。

「……もしかして、お前の技ってもはや刀を持たなくてもいい?」

「そうだね」

「つまり、二刀流であっても無手であっても、刀そのものを持っていてもいなくてもお前の戦力には関係がない」

「そうだね」

「刀を持って始まった流派が最終的に刀を捨てる、いや自分が刀と化す……なるほど、そういう意味で相馬流のその先、なのか」

「俺は完成型であり、さらにその先に在るものだから」

 天才二人の、余人には追い付かない速度での対話。

「壁を超えた、さらにその先、か……」

 百代の相槌に、修羅は頷きを一つ返す。

「まあ新月が完成しなかったら俺は伯爵と戦おうなんて気は無かったよ。超えるつもりではあったけどさ」

「新月というのは相馬流の奥義ではないのですか?」

「そこはちょっと違うんだよ、由紀江さん。新月は俺にしか出来ないんだ」

 由紀江の言葉に応じ、それから満面の笑みで、浮かれた口調で巴は語り始めた。

「新月って月と太陽が一番近い時になるよねえ」

「私たちからしたら天体間の距離に近いも遠いも差はないだろうけど、まあそうだねん」

 納豆小町が相槌を打つと、男は続ける。

「新月はね、旭さんの近くにいないと使えないんだ」

「そう言えば、義経ちゃんたちと稽古した時に今は使えないとかなんとか」

 清楚美少女がこの男と出会った時を思い出しながら呟く。巴の言葉はさらに続く。

「さっき俺はいない方が収まりがいい、って言ったけど。俺は今ここにいる旭さんのことが好きなんだ」

「こりゃあ急に告白が始まる流れってやつかい? オラ照れるぜ……」

「こら松風。水を差してはいけませんよ」

 由紀江の一人芝居を意に介さず、修羅の語りは終盤へと向かう。

「つまり俺が自分の存在ごと全部を放り投げたとしても、世界と俺とを旭さんが繋いでくれる。それは……」

 旭は何も言わない。ほんのりと頬を紅く染めて、男の言葉を待つ。

「旭さんが俺を愛してくれてるから、なんだよね」

 ストレートにも程がある言葉に、場の全員が思わず赤面する。無骨な顔を赤く染めながら、男は話をこう結んだ。

「俺は旭さんがいる限り、誰にも負けない。旭さんが好きだから、そして好きでいてくれたから、俺は強くなったんだよ」

 これを最後に男一人と女五人が黙り込んだところで、質問会はお開きとなった。

 

 

 

 店外に出た女五人は巴に頭を下げていた。百代は軽く、清楚や由紀江は深く。

「いやあ、会計済んでますなんて店員さんに言われたの、初めてだったよん」

 一度お手洗いに立った時にカードで支払いを済ませていた巴は燕に笑顔を向けた。

「まあ、こういう席があったら俺が出すよ。男だしね」

「よく言った相馬! 今度また奢ってくれよな、梅屋の牛丼とか」

 調子に乗った百代の言葉に引っかかるものがあった修羅は、記憶の隅から一人の男を思い出す。

「梅屋かあ。釈迦堂さんが好きだったなあ」

「あれ? お前釈迦堂さん知ってんの?」

「知ってるも何も、俺は川神さんとか学長の話を釈迦堂さんから聞いてたぞ。仕事で一緒だったから。九鬼に入ってからは会ってないけど」

 仕事の詳細は言わないが、と僅かに視線を逸らした巴に、百代はとある情報を渡す。

「釈迦堂さんなら、そこの梅屋でバイトしてるぞ」

「……嘘だあ」

 巴は一言呟くと、こう反論する。

「いや、あの人と勤労とが結びつかん。飲む打つ買うをこよなく愛し、せっかく仕事で貰った給料を女の子のいる店に全部費やして翌日の朝には子供だった俺に牛丼を奢らせるような人だぞ」

「こう聞くと酷い人だな釈迦堂師範代……ともかく、バイトしてるのはほんとだよ。今度行ってみたらどうだ?」

「私、お店の牛丼結構好きよ」

 旭将軍が続いたのに合わせて、巴御前は笑顔を見せる。

「じゃあ今度行こっか、旭さん」

「ふふ。牛丼屋デートね」

「行くとき教えてくれよな。そして奢ってくれ。月末だと助かるにゃん」

「燕ちゃんが納豆サービスしてしんぜよう!」

「な、納豆はお店にあるんじゃないかな」

「いや、牛丼屋デートってなんだよって突っ込むとこだとオラ思うんだ」

「先輩たちは凄いですね松風……」

 夕暮れ時の商店街に朗らかな会話を響かせながら、六人はそれぞれ帰路についたのであった。

 

 

 

 



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第二十一話

10万PV、ありがとうございます。更新頻度はどうにかしたいところ……


 

 

 相馬巴が新月の由来を語ったその夜。

 関東の武道総本山、川神院の縁側で月を見上げるうら若き乙女が一人。武神などという猛々しい呼び名からは想像もつかないほど儚げな様子で、川神百代は夜闇に足を投げ出していた。

「今日は満月、か」

 百代は夜空にくるりと指で円を描き、黄色い輪郭をなぞる。淡い光の向こうに一人の男を思い浮かべる姿は、紛うことなき恋する乙女であった。

 いつもより少しだけ小さく見えるそんな背中に、近づく影が一人。川神院総代たる川神鉄心翁である。

「なんじゃい、モモ。珍しく悩んでおるのう」

「……孫娘を能天気なバカ扱いするな、くそじじい」

 お馬鹿な君、という巴の悪態を思い出しながら応じた百代には、年の功を感じさせるしゃがれた優しい声が返る。

「ふむ。お主がそんな顔をするようになるとはのう。どれ、少し話を聞かせてみんか」

 常日頃の川神百代ならば、誰が悩みなんぞ話すかくそじじい、と言ってはねつけていたであろう物言い。しかし川神院総代の予想に反して乙女はゆっくりと、そして素直に口を開く。

「今日、相馬と話してきた。アキちゃんや清楚ちゃん、燕、まゆまゆもいたけどさ」

「なんじゃいあいつめ、女侍らせてお茶しとったんかい。許せん!」

「……なあ、私寝ていいか?」

「ご、ゴホン。まあまあ待てい! 弟子の心の不安を除くのも師匠の勤めじゃ。話してみよ」

 エロジジイめ、と思いつつ、百代は話の腰をまっすぐ立たせ直す。

「あいつの二刀流は、壁を超えたさらにその先に行くためのものだった、って言ってた。相馬としての完成の、その先だって」

「ふむ。完成のう。それを聞いてお主はどう思った?」

 この答えを引き出すような問いに、武神は心そのままの表現で応じる。

「現時点で私とレベルが違うのも、当たり前だなって思った。あいつがヒュームさんっていう明確な目標を持って、それに向けて何年も必死に積み上げたのに比べて、私は随分時間を無駄にしたのかな、と思ったりしてる」

「あやつは完成のその先だと言うたのじゃな」

 弟子がコクリと頷くのを見て、師は短く呟く。

「……まったく、相馬というのはどいつもこいつも変わらんのかい」

「相馬、って言うとあいつの親父さんとかのことか?」

「そうじゃの、少し昔話をしようか」

 相馬には関わるなと言い含めただけで、その後何も語ることのなかった川神鉄心。その口から先々代までの相馬の実態が語られていく。

「儂はあやつの三代前、相馬葵と。ヒュームは二代前、相馬薫と親交があったんじゃよ。二人とも口は達者ではなかったが、心根は純粋じゃった。ひとたび刀を握ればドス黒い殺気が吹き出しはしていたがの」

 孫娘は無言で、祖父の語りに耳を任せる。

「そしてあやつらも皆、同じことを言うておったよ。相馬としての完成を。全ての奥義の習得を、と。結局儂の知っておる限り、葵も薫とやらも四つのうち二つが限界じゃった」

「それで、相馬……巴のやつが四つ全てを覚えて、完成したんだろ?」

 たまらず口を挟んだ百代に、老爺の鋭い声が飛ぶ。

「黙って聞いておれ。その様子じゃと、あやつが父親を殺したのも聞いておるんじゃろ」

「ああ」

「あれは別に相馬巴だけの話というわけではない。昔っから、相馬というのは奥義の伝承のため父と子、師と弟子が殺し合ってきた流派なんじゃよ」

「……っ」

 枯れた声での短い一節。その裏側に隠された凄惨なる骨肉の争いを想像し、百代は思わず細身の肩を震わせる。

 可愛げのある反応に、まだまだ青いのうと片方の眉を吊り上げながら、鉄心は語りを続ける。

「そも、考えてみい。およそ四百年……おっと、今から数えると五百年かのう。たかだか五百年で、今のあやつが二十七代目。代替わりが早すぎると思わんか」

「……言われてみれば、確かに。でもそれって寿命とかなんじゃないのか? ほら、昔の人って長生きできなかったとか言うだろ」

「寿命、寿命か。病死が天命を全うしたものとするならば、あやつの祖父、二代前の薫はそれだった」

「それって、良かったって言ってもいいのか?」

「儂からすればまだ人間らしい死に方と言えたが、本人は無念じゃったろうな」

 ここまで話してから、総代は老体を孫娘の横に座らせる。月明かりに表情を隠すようにして、またしゃがれた声が話し始めた。

「亡くなる前日、薫はヒュームに会いに来たそうじゃ。そして酒を酌み交わしながら、次代の相馬遙について『あれは失敗作だ。相馬流はもう終わりだ』と言うとったらしい」

「失敗作って……」

「四百年の悲願を託した子には才能がなく、薫自身も病に侵されておった。二人が別れた日の一週間後には相馬遙の名前で儂のところにも訃報が届いたわい。父は病死しました、生前賜ったご厚情に報いること過少で申し訳ありません、と書いておった。そういうのは殊勝とは言わず卑屈だっちゅーのに」

 口を挟めずにいる百代の沈痛な表情をちらりと眺めやってから、老爺は自分で自分の言葉を噛み締めるように緩慢な速度で話していく。

「確かに相馬というのはのう、完成を目指した一族じゃ。しかしモモ、完成とはなんぞや?」

「そりゃ、四つの奥義を……」

「あほう。奥義を身に付けようがなんだろうが、技を修めるのに終わりなんぞあるもんかい。一つの技は人生全てを懸けて練り上げるものであり、儂にしてからがまだまだ修行中じゃぞ」

「……むむ」

 川神院総代の、ある意味では普段から具えていて当たり前なはずの含蓄ある言葉に、弟子は思わず鼻白む。続けて川神鉄心はまたしても片眉を吊り上げながら愛弟子にこう告げた。

「それに相馬巴のやつも終わりがないことに気付いたからこそ、完成のその先という言葉を使ったんじゃろ?」

「あ……」

「技の探究に終わりはなく、上達に限りはない。ま、お主はそこに至るまでの基礎がまだ固まっておらんがの。ホホホ」

 年月を思わせる立派な髭を撫で付けながら、川神鉄心は朗らかに笑う。

 それを受け、武神川神百代は―――

「―――うん。ありがとな、師匠」

 さながら太陽を思わせる笑顔で、生涯の師へ素直に礼を述べた。

「分かったら寝るが良い。また明日からビシバシ鍛えてやるからの」

「りょーかい。じゃあな、じじい」

「じじい呼ばわりはやめんか!」

 憤慨する老爺を背に、等身大の少女は自室に戻ろうとする。そしてその道すがら、廊下の角に潜んでいた小柄な影の肩をポンと叩いた。

「ワン子。変な姿見せてごめんな。明日になったら元気な私に戻ってるから」

「わわっ、お姉様、気づいてたの!?」

 覗き見が露見していたことに、一子はしゅんとしてしまう。そんな可愛らしい妹を見て、姉である武神は朗らかに笑ってみせた。

「バレバレだったぞー。もう、ワンちゃんオーラが丸見えだったさ。おやすみ、ワン子」

 わしゃわしゃと妹の赤い髪を撫でた百代は、上機嫌で自室に戻る。

 しかしその背中を見届けた一子は、月明りから顔を隠すように伏せつつこう呟く。

「お姉様は、自分で前を向いて進んでる。だったら、アタシは……?」

 悩む少女を取り残すように、満月は天頂から徐々に傾いて行った。

 

 

 2009年 7月 11日

 

 川神学園は確かに武を重んじる学風である。だが決して学業の方をおろそかにしているわけではなく、学年の上位五十位までを大きく掲示するものや、成績優秀者対象の留学制度等々、競争を推進させる施策を採用していた。

 実際、各種有名大学への推薦枠なども確保されており、勉学においてもそれなりの評価を得ている。

 そして、その方面での位置付けを確固たるものにしているのがSクラスという制度である。

 掲示順位から漏れた学生は即別クラスへ降格。代わりに提出課題などはほぼ存在せず、自主自立の精神のもとでふるい落とされないよう勉学に励むことの出来る人間だけを集めた集団。

 このエリート集団のトップをひた走ってきた女と、その傍を常にキープし続けた男。

 その二人がいたのは、高級ホテルを思わせる絨毯の敷き詰められた廊下だった。

「じゃあ、私が押すわね」

「……うん」

 巴はハラハラしながら、旭の細指がインターホンを鳴らすのを見届ける。ぴんぽーん、と間の抜けた音がした後、機械越しでも澄んだ声色が響く。

『大丈夫だよ。入ってきて、アキちゃん。相馬くん』

「ですって。行きましょ、巴」

 男は頷きながら、オートロックの扉を開けた。

 調度品も特にない質素な玄関だったが、ただそこにいるだけで空間を華やかにする清楚美少女が二人を出迎える。

「お邪魔するわ。清楚」

「いらっしゃい、二人とも」

「葉桜さん、お邪魔します。これつまらないものですが」

 巴は手に持っていた白い箱を清楚に手渡す。ひなげしの髪飾りを微かに揺らしながら、美少女はそれを受け取る。

「あ、ありがとう、相馬くん。……うーん、相馬くんからご馳走してもらうのに慣れつつある自分が時々怖かったり」

「いやいや、勉強会の場所を提供してもらうわけだからね。ほんの気持ちだよ」

 恐縮しきりの二人をよそに、旭将軍はすまし顔でこう宣言した。

「というわけで、テスト前、最後の追い込みと行きましょうか。レッツお勉強タイムよ」

 Sクラスのツートップは、英雄クローンの葉桜清楚と勉強会をするべく、彼女の私室がある九鬼ビルへ土曜日の朝から来ていたという次第だった。

 すでに組み立てられていた仮設テーブルに各人が教材を広げる。

「じゃあ、一時間区切りのインターバル十分にする? それとも九十分区切りの十五分かしら」

「俺は合わせるよ」

「私は九十分がいいかな」

 旭の提案に清楚がはっきりと意見を提示したのに合わせて、巴は懐からタイマーを出す。太い指が動くのに連動して電子音が鳴り、デジタルの数字が蓄積される。机中央に計時用の機械が置かれると、評議会議長は躊躇いなく指を伸ばした。

「巴、私がぼたんを押していいかしら?」

「……どうぞ」

「相馬くん、何で緊張してるの?」

「見てれば分かるよ、葉桜さん」

「心外ね。たかだかこんな小さいもの一つ触ったくらいで壊れたりしないわ」

 インターホンの時は大丈夫だったじゃない、と言いながら旭のたおやかな指が小さいボタンを押す。

 すると、けたたましいビープ音が部屋を満たした。清楚は両目を、旭は片目を閉じて耳を塞ぐ。

「きゃっ……」

「……あらら?」

「いやまあ、こんなことになる気はしてたけどね」

 巴はあわてず騒がず、タイマーの電源を落としてから再起動させた。時間設定をし直してから、男はうんざりしたような声で恋人に語り掛ける。

「しかし、なんでこう壊滅的に機械音痴なんだろうね、旭さんは」

「きっと今日は天体の並びが良くなかったのよ」

「アキちゃん、それは弁解になってないと思うな……」

 機械音痴にも関わらず触りたがる旭将軍をよそに巴御前がタイマーを起動させたところで、勉強会は本格的にスタートしたのであった。

 ちなみに、この会の常連の一人である京極彦一は実家の手伝いにより不在である。

『”その勉強会は有意義なものになる”。こちらの事情で参加できないのでね、これくらいは言わせてもらおう』

 との有難い言霊つきで、彦一は会への参加を辞退していた。

 

 勉強会が始まって早三時間。黙々とすることもあれば、互いに解法の違う数学の問題を教え合ったり、英文の解釈をすり合わせたりと充実した時間を過ごした三人は、一息つくために昼食を摂っていた。

 巴は清楚が作った一口サイズのサンドイッチを食べながら思わず感心する。

「あ、このサンドイッチ美味しいね」

「そう? 美味しくできてたならよかったよ」

「ふふ。男心は胃袋から掴むものよね」

 旭が自分で手伝った分のものを上品に口へ運びながらそう言うと、清楚はぷりぷりと可愛らしく怒って見せた。

「もう、アキちゃん。そういうのじゃないよ」

「あはは。旭さんの作るご飯にはちょっと敵わないかなあ」

「相馬くんまで!」

 普段はからかわれるのを日常としている男は、たまにこういう機会があると調子に乗ってしまう悪癖があった。

 そんな三人が和やかな時間を過ごしていると、カップル二人が来た時同様のインターホンが鳴る。

「誰だろ。はーい!」

 部屋の主である清楚が応答すると、モニターの向こうから天真爛漫な声が聞こえてくる。

『我だ、紋白だ。入ってもよいか?』

「紋ちゃん? 分かった。今開けるね」

 戸惑いながらも玄関に向かった清楚美少女は、九鬼の二女を伴って居間へと戻ってくる。

 巴は雇い主の愛娘ということもあり、立ち上がって少女を出迎えた。

「フハハハハ! 我、顕現である!」

「これはこれは。ご機嫌麗しゅう、紋様」

 しかし、修羅の慇懃な挨拶に紋白の反応はそっけない。

「虚礼はよい。クラウ爺から、今日は清楚の部屋に相馬がいると聞いてな。テスト勉強をしているようだが、少し我に付き合ってもらいたい」

「あら、モテモテね。巴」

 旭の嫌味じみた軽いからかいに、巴は表情を少しだけ苦いものへ変える。

「……紋様、一応お伺いしますが、業務命令ということでよろしいでしょうか」

「うむ。そうでなければ来んというならば我は躊躇いなく使おう」

 今までヒュームから来ていた招集は(技を隠すという名目はあっても)平気で無視していた巴だったが、こうして面と向かって命令されればたとえ建前上学生の本分を全うしていたとしても断ることは出来なかった。

「では、お供しましょう。旭さん、葉桜さん。途中離脱になるけどごめんね」

「ううん。お仕事なら仕方ないよ。京極くんもお仕事だったわけだし」

「いってらっしゃい、巴。紋白、早めに返してね?」

「分かっておるわ。人の男を取ろうなどとは……」

 紋白は一度そこで言葉を切り、固くなった表情を見せないように振り返った。

「ともかく、一時間もあれば済むよう努力しよう。相馬、行くぞ」

「了解しました」

 巴はいつの間にかまとめていた自分の手荷物を持ち、去り際最後まで旭に謝るジェスチャーを見せながら清楚の部屋を出ていった。

 取り残された女二人はテーブルの一点、白い箱に視線を合わせる。巴が持ってきたその箱にはショートケーキ、杏仁豆腐、三色団子が入っている。どれも絶品なデザートの詰まった白い宝石箱だった。

「ケーキ、どうしよっか」

「そうねえ……本人は食べてていいよって言うとは思うんだけれど、それはお金を出してくれた巴に失礼だし」

「じゃあ、とっとこっか」

「ふふ。優しいのね、清楚」

「もう……冷蔵庫に入れとくね」

 箱をそっと冷蔵庫に入れ直した美少女二人は、改めて勉強机に向かったのだった。

 

 

 

 呼び出された巴は紋白の私室ではなく、九鬼ビルの中にある応接間の一つへ通されていた。

 若武者は緊張した面持ちで姿勢良く直立している。先に着座した紋白が小さな手で対面の椅子を示した。

「かけてよいぞ」

「失礼します」

 巴はわずかに戸惑いを見せながら着席し、人数に比して広すぎる部屋を見渡す。

 この場にいるのは相馬巴、九鬼紋白のほかに二人。

「こちら、玉露と水羊羹になります」

「ありがとうございます、クラウディオさん」

 その一人はクラウディオ・ネエロ。ミスターパーフェクトとの異名をとり、白い髭とモノクルがよく似合う完璧執事。

「……ふん、気の抜けたジャリだねえ。まったく、とうとうヒュームの奴も耄碌極まったかい」

 そしてもう一人は、星の図書館と呼ばれる老婆、ミス・マープルであった。

「少々物々しいが、我慢してくれ。相馬」

「いえいえ。自分がお二人の立場だったら頭領の娘をこんな危険なやつと二人きりになんてさせませんよ。お気遣いなく」

「うむ。では本題に入ろう」

 竹を割ったような即答の後、紋白はこう切り出す。

「まず川神百代打倒の件、ご苦労だった」

 相馬巴はずっこけた。

「どっ、どうしたのだ!? 相馬」

 いきなりの奇行でたじろいだ少女に、学園の先輩は襟を正しながら向き直る。

「い、いえ……今更その話なのか、と思いまして。てっきり伯爵との決闘の件だと」

 ついでに紋白の護衛を引き継げと通告されるまでの事態を想定していたこともあり、巴は肩透かしを食らった気分になった。

「いや、まずこちらからだ。あの武神には、我から引導を渡さねばならないと思っていたところだったのだが、そなたが勝った話を聞いてな。話を聞かせてもらおうと思っていたが義仲騒ぎもあってタイミングを失っておったのだ」

 どことなく早口で、口を挟む隙のないよう語られた言葉の中に違和を覚えた巴は言い淀みつつもこう訊ねた。

「紋様が直接戦うつもりだった……わけではないですよね?」

「我とてそんな無謀はせん。あの武神めに一敗地に塗れてもらおうと送り込んだ者はいたのだがな」

 修羅は頭の隅で、状況証拠的には松永さんだなあと思考しながら会話を回していく。

「負かした自分が言うのもなんですが、川神百代はいつか負けてましたよ。彼女は本物の天才には違いありませんが、負けもせずに強くはなりません。なれません」

「……姉上は、負けた後一線を退いてしまった」

 芯を外されたような返答を受け取った巴は僅かに戸惑う。今の話からどう九鬼揚羽の引退へ繋がるのだろうかと思案していると、泣きそうな顔をした紋白の方から話が続けられた。

「姉上は川神百代に負け、経営の道に専念した。それは強くなったと言えるのだろうか。お主の考えを聞きたい」

「そう、ですねえ」

 これは真剣に応じるべき問いだろう、と相馬流の当主は居住まいを正し、その上でさらに固い口調の言葉を返す。

「強くなった、と言えると思います。恐れながら揚羽様の御心を斟酌すると、あの決闘で揚羽様は納得を求めたのではないでしょうか」

「納得、か」

「決して敗北を前提に戦うわけでもなく、また敗北を容認するわけでもない。ご自分の今の実力を確かめた結果、人生の舵を家業の方に切ったというだけのお話だと考えます。さらに愚言を連ねますれば、一つの道に拘泥せず、より人の役に立つ、社会に貢献する道を選択した揚羽様の視野の広さは称賛されるべき資質であり、喜ばしいご決断であると考えます」

「そんなことは……」

 やや越権じみた生意気な発言ではあるものの、概ね的を射た巴の言葉を聞き届け、九鬼紋白は―――

「―――そんなことは、お主に言われずとも分かっておるわ!」

 上司としてはあるまじき、そして年相応に怒りのこもった語気を部下へぶつけた。子供を怒らせてしまったと感じた青年は、申し訳なさを素直に表現する。

「お気分を害してしまいましたね。申し訳ありません」

 低くなった黒い頭を見て紋白はハッと正気を取り戻し、こう命令した。

「ええい、かしこまった表現などいらぬわ! お主の言葉で、思った通りに話すがよい!」

「……では、お言葉に甘えて」

 巴は冷えた緑茶で喉を潤し、一度その美味しさへ瞼を僅かに動かしてから自然体で語り始めた。

「ぶっちゃけ、揚羽様が川神百代に勝てるわけないじゃないですか」

「……っ!」

「出力で完璧に負け、技術もほぼ五分。精神面の成熟具合では揚羽様が圧倒的だったことは事実ですが、こと引退試合と銘打たれれば、あの武神とはいえ油断なんて一欠片もありはしません」

「条件は、同じだったというのか」

「条件が同じ勝負なんて存在しませんよ。揚羽様の勝ちの目の薄い勝負だった、そして実際に負けた。自分が言ってるのはただそれだけのことです」

 ここまで話してから、巴はまた一口玉露を含む。一呼吸置いた後、わざと湯呑を唇の近くから離さずにこう言ってのけた。

「第一、結果を云々する権利があるのは勝負した二人だけです。こうやって自分が訳知り顔で論評しているのがそもそもおこがましいですし、後になって貴女が手を出すのは筋違いだ」

「……っ! そんな、ことは……」

 行儀悪く口元を隠し、表情を見せない部下の発言に対して九鬼家の次女は小さな手を握りしめる。

 元々白い手がさらに血の気を失うほど強く拳を作ったのを見かねて、完璧執事がやんわりと手を添えた。骨太な手が湯呑みをテーブルへ静かに戻す。

「紋様。私から彼へ、少々お話してもよろしいでしょうか」

「……構わん。好きにするがよい」

 紋白が手を解いたのを見届けてから、クラウディオは軽く頭を下げつつ巴に向き直る。それから普段通りの優しい口調でとある事実を開示した。

「相馬。紋様は局様に認められたいのです。武神討伐依頼もそのために各地の武芸者を調べ上げ、これはという人物にお声がけしました」

「局様、と言いますと帝様の奥方ですよね? つまり紋様の母君にあたるのでは?」

 財閥の一従業員でありながら、九鬼家のお家事情に無頓着だった青年が問い返すと、執事は温和に応じる。

「紋様は帝様が局様以外の方と作られたお子なのです。ですので、局様としては帝様が自分以外の女性を愛した証である紋様と少々距離を置いているという次第でして」

「……なるほど」

 この一言しか返せなかった修羅は改めて九鬼紋白の尊顔を拝謁する。

 そしてもう一度、なるほどと心の中で呟く。九鬼帝の印象が強く、その遺伝子を濃く受け継いだカリスマ性を垣間見せる紋白が雇い主の子供であることは疑っていなかったものの、母親が違うことなど思いつかなかったのである。

 これからは血縁も意識しながら人を観察することにしよう、と短く思考した巴は本題に意識を戻す。

「目に見える実績という意味での武神討伐、及び討伐できる人間を推挙出来る情報収集能力や人脈形成能力を、人材派遣会社を営んでおられた局様に証明したかったということですね」

 こういう事情ならば、紋白がヒュームや巴を使わなかったのも納得出来る。

 もとから九鬼にいる人間を使役して勝ったところで、紋白の手柄になるわけではない。むしろ予め登用していた帝の慧眼がさらに評価されるだけのことだ。

 あくまで外部から招聘した人間が川神百代を打ち倒すことでしか、九鬼の次女としては認められない……そんな思いが、紋白を衝き動かしたのである。

 考え込んだ巴に目尻の下がった優しい目つきを向けつつ、白い髭がまた動く。

「紋様は、どうしても局様に認められたい。その一心で、貴方やヒュームのような武人の流儀に反するようなことを言ってしまったのです。どうかご容赦を」

「いえ。自分はいいんです」

 だって、関係ないから。

 相馬巴とは自分と関係のないことにはとことん関心を持たない人間だった。

 これが例えば、自分が複数人を孕ませた結果自分の子供と血のつながらない方の母親が険悪になっている、ということならば巴は全力で問題解決にあたる。

 しかし、よその家庭事情に首を突っ込むのはさきほどの問題以上に筋違いだ。口や手を出すならば、それこそ家族になるだけの覚悟を持ってやるべきである。修羅は短く思考し、そう結論を出した。

 何も言えない巴、何も言わないクラウディオ、俯いたままの紋白。沈黙が場を支配する中、一人の老女が動いた。

「じゃあ、あたしから聞いておきたいことがあるんだけどねえ。相馬」

「なんでしょう、ミス・マープル」

 星の図書館とも呼ばれる、従者部隊の二番が若者に言葉の矢を向ける。

「あんた、ヒュームに勝ったのをどう思ってるんだい」

 クラウディオと対称的に鋭く睨むような視線を受け止めても怯むことなく、若武者は毅然として返答する。

「自分としては、ようやく勝てたなと思っています。いずれ越えなければいけない人でしたから」

「ようやく、ねえ。大した自信家だ。でもあたしが聞きたいのはそんなことじゃあないよ」

 一度言葉を切り、さらに目線と口調に厳しいものを乗せてマープルは若者を詰問する。

「あれはヒュームに勝たせてもらった勝負じゃないか、って言いたいんだよあたしゃ」

 この嘲るような問いに対し、相馬流当主はあっけらかんと返答した。

「その通りですよ。でなければわざわざジェノサイドチェーンソーで勝負に来てくれたりしないでしょう。対策できるものならやってみろ、と言われたのでそうしたまでです」

 ここで一息つき、今度は巴の側から老婆へ威圧感を差し向ける。

「ですが勝ちは勝ち。少なくとも、結果について文句を言われる筋合いはないですね。それは先ほどから申し上げているはずですが?」

 修羅の威嚇に対し、星の図書館はフンと居丈高に鼻を鳴らした。

「なにもケチつけようってんじゃないよ。あんたらみたいな腕比べが好きなバカどもは何言ったって聞きゃあしないんだからね」

 強い口調で言ってから、マープルはこう繋げる。

「ただ、あんたみたいな若造がヒュームのことを勘違いしてやしないか心配になっただけだよ。詮無いことを言ったね。老婆心さ、忘れておくれ」

 年の功と言うべきなのだろうか、最後には優しげな声色になった老婆の語り口で、相馬巴は毒気を抜かれた。

「……自分はヒューム・ヘルシングに負けたからこそ、ここまで強くなりました。その点はあの人に感謝していますよ」

「そういうのは本人に言ってやりな。きっと泣いて喜ぶよ」

「恥ずかしいですから言いませんよ」

「まったく、可愛げのないガキだ」

 マープルは一度微笑むような表情を作った後、視線を鋭いものに戻して若者へ忠告した。

「ヒュームを負かした褒美とは言わないけどね、一つ言いつけておくよ」

「伺いましょう」

「最上幽斎には、気をつけておきな」

 あんたの方が付き合いは長いだろうけど、と付け加えた老婆の諫言を相馬巴は真剣に受け止める。

「肝に銘じます」

 少なくとも表面上は素直に頭を下げた若者の礼を聞き届けてから、従者部隊序列2位は気品のある声で主人に水を向けた。

「紋様。とりあえずこの場はお開き、ということでよろしゅうございますか。紋様も来週からのテストに集中していただきませんと」

「……うむ」

 紋白がか細い声で返事したと同時に、マープルから鋭い視線が巴に飛ぶ。

(さっさと出てけってことだな)

 そう解釈した若武者は、音を立てずに起立して出入り口へ向かった。

 失礼しますと一言断ってからドアに手をかけた裃姿の大きな背中に、雇い主の声がかかる。

「っ、相馬!」

「なんでしょうか、紋様」

 振り返り、できる限りの優しさを込めた声色で応対した巴だったが、紋白の反応は鈍い。立ち上がったままの一年生は、何度か小さい口を開閉させた後、ゆっくりと椅子に体を預け、

「……今度からは、もう少し召集に応じるがよいぞ」

 ぶっきらぼうな口調でもたらされたこの命令に対し、修羅は小さく頷いてからもう一度頭を下げて退室した。

 

 

 

 来客に威圧感を与える目的もある豪奢な扉をそっと閉めた巴を出迎えたのは、黒い眼に金の瞳。

「何の用だ、史文恭」

「なに。最上旭、葉桜清楚両名が部屋を移動したのでな。現在地を教えてやろうと待っていただけだ」

 相馬巴は思わず目を丸くした。まるで自分の忠実な部下であるかのような振る舞いだったからである。

 閉口したままの将来の主君に、褐色美女は溜息と呆れた視線をぶつける。

「お前な、私を戦うしか能のない人間だと思っていないか?」

「俺と同じレベルで暴力装置だと思ってはいる」

 巴の憎まれ口に、史文恭は余裕の薄笑いで応じた。

「否定はせん。ともかく、監視対象が動いたことを主人に報告する程度のことはするさ」

「……なるほど。じゃあ、部屋の場所教えてくれよ」

「了解した。こちらだ」

 部屋を移動したと聞かされた瞬間から気で旭の位置は把握していた巴だったが、階層を割り出すのが面倒だったのか大人しくついて行った。

 道すがら、若武者は曹の武術師範の背中に話しかける。

「なあ、史文恭」

「なんだ、トモエ」

 しかし、巴の表情は冴えない。横目にチラリと見ただけで青年の心情が晴れやかでないことを看取した史文恭ははっきりと苛立ちを込めた声を発した。

「言いたいことがあるならはっきり言え」

「……いや。なんでも、ない」

 歯切れの悪い応対に、褐色美女は視線を前へ戻してから厳しい口調を作る。

「中の会話も聞いていたがな。お前はもう少し内心の隠し方を覚えろ。上司として信用出来ん」

「努力する。それは約束しよう」

「頼むぞ」

 それからは、目的地に着くまで互いに無言だった。

 

 

 ちなみに、曹一族コンビが赴いた先では。

「ぬぬぬ……」

「ふむ。こちらね」

「ああっ! 義仲さん、お強い……」

「いやいや主、顔に出過ぎだよ。まあそこが可愛いんだけど。ぐびぐび」

 木曽義仲対源義経のババ抜き勝負が行われていたのだった。

 

 




一口メモ:巴くんは基本的に性格が悪い。


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幕間4

 相馬巴が離席した葉桜清楚の私室。

 ペンと紙のこすれ合う音が規則正しく響き続ける空間に、電子音のアラームが鳴る。

 ほぼ同時に、そして静かに筆記用具を置いた二人は、これまた揃った動作で伸びを一つ。

 心地よい疲労と共に息を吐き出した清楚は、立ち上がりながらこう提案する。

「アキちゃん。次の休憩、長めにとってもいいかな」

「私は構わないけれど、どうしたの?」

「ええとね……少し、聞きたいことがあって」

 はにかみながら可愛らしい仕草でもたらされた発案を、旭は素直に承諾した。

「いいわよ。じゃあ、タイマーを一度リセットして……」

「わー! 私がやるよ! アキちゃん!」

 清楚美少女は、旭将軍の扱いに慣れ始めていた。

 

 

 

 ガラスのコップに入った氷入りの麦茶を一口飲んでから、清楚は旭に正対する。タイマーは電源を落とされていた。

「それで、ね。聞きたいことっていうのは、相馬くんとのことなんだけど」

「あら。やっぱり清楚も巴狙い? あげないわよ」

 ふふふ、と口元へ上品に手をあてた旭のからかいに、クローンの姉貴分は姿勢を崩さず質問を続ける。

「この前モモちゃんが、相馬くんのどこが好きになったのって聞いたらアキちゃんは猪と熊のお話をしてくれたでしょ?」

「そうね。野生的で素敵な男の子だったわ」

 仮面を被ったままの返答に、葉桜清楚はもう一歩踏み込んで問いかけた。

「あの時はエピソードだけって感じだったでしょ? だから、どういう所が好きなのかなって改めて思ったんだ」

「……ふむ」

「嫌だったら答えてくれなくても大丈夫だから」

 友人であり、そしてクローン仲間でもある清楚の疑問へ、旭は素直に答えるかを逡巡するしぐさを見せた。

(計画が発動すれば清楚と巴がくっつくことは無いでしょうし、少なくとも今話すメリット自体は私にはないわね)

 はぐらかすことは可能。しかし、からかってみるのも面白い。

 旭将軍は内心を見せない薄笑いを浮かべながら、選択肢を二つに絞る。

 情報を絞りつつ本当のことを話して清楚をからかうか、はぐらかしすらせず何も言わないか。

 ここまでを三秒ほどで思考した旭は、笑みを深くしてこう告げる。選択したのは、前者だった。

「いいわよ。では、最上旭は相馬巴のどんなところに惹かれたか座談会〜ぱちぱち〜」

「ぱ、ぱちぱち〜?」

 より面白がれる方を選ぶあたり、最上旭は確かに最上幽斎の娘であった。

 当惑しながらも拍手を返してくれた友人へ、旭は意外な情報をポンと繰り出す。

「まず一つ。実は彼、お料理が上手よ」

「……そ、そうなの?」

「というか、熊や猪を解体したあと熟成の見極め、臭み抜きから美味しく鍋に出来る人間を料理下手とは呼ばないと思うわ」

「なるほど、それは確かにそうかも」

 清楚ははじめ戸惑ったものの、旭の語り口で思わず納得してしまう。

「ご飯を炊くのが上手でね。春先に作ってもらった筍の炊き込みご飯は正直言うと私が作るより美味しかったの」

「わあ、美味しそう」

「飯炊きは俺の役目だったからね、って言いながら釜で炊いてくれたつやつやのお米を巴とよく食べていたのよ」

「そっか、増量したって言ってたもんね」

 まだ二人が長野の山奥にいた頃の夕暮れ、ぎこちない笑顔の少年と茶碗を持ち寄って食事した風景を旭は思い出す。

(学校帰りで小腹が空いてた時、お夕飯の前に巴の炊いたご飯をよく横取りしてたのよね)

 内心でちろりと舌を出しつつ、彼氏持ちの女は続ける。

「一品作って〜、とお願いしたら上手に作ってくれるし、ちらし寿司作りたいって言ったらちゃんと酢飯にして美味しくなるお米の炊き方してくれるし、お手伝いさんがする時以外は大体皿洗いもしてくれるし……」

「なんか、イメージと違うね。いつもアキちゃんのお弁当美味しいって言ってるだけかと思ってた」

「本人はまず一人で生活出来る人間であることが大事と言っていたわ。基本的に家事全般任せても大丈夫な人よ。お部屋もいつ行っても綺麗だし」

「……お部屋、行くんだ」

 相槌を打ちつつあらぬ想像をしたのか、顔を僅かに赤らめた清楚へ、旭は笑みを深くしながら健全な範囲で追い打ちする。

「冬の寒い日とかにね、お布団入れて~ってお邪魔したら嫌な顔一つせずに抱きしめてくれるの」

 正確には春夏秋冬入り浸っているのだが、清楚美少女は問題はそこじゃないとばかりに狼狽する。

「ええっ! い、一緒に寝てるの!?」

「ふふ。夜に男女が二人きり、温もりを寄せ合って……なんてね」

「や、やっぱりそういうことも?」

「あったり、なかったり」

「はわわわわ」

「まあ、それは冗談にしておくとして」

 ホッとした清楚、余裕の表情の旭。お互い一度冷たい液体を喉に通してから、旭将軍は恋人のプレゼンを続ける。

「一緒に過ごしていて文句はない人よ。今日は近寄らないで、って言ったらちゃんと距離取ってくれるし」

「アキちゃんにもそういう時あるんだ」

「生理、とか」

「ああ……」

 身近な体の事情を出されれば、世俗に疎い清楚も流石に頷かざるを得なかった。

「と言っても、近づかないでって言った日はそっと枕元に鎮痛剤と湯冷まし置いてくれたりして」

「なんというか、ほんとに文句なさそうな彼氏さんだね」

「そうね、お父様との関係も良好だし」

 含むところはありそうだけどね、と思いつつ旭は話の流れを切り替えるために咳払いを一つ。

「とはいえ評価を上げるだけなのもちょっと癪だから、このあたりで真面目な愚痴を言っておくわ」

 清楚はこの切り出し方に思わず唾を一度飲み込んだ。あれだけ褒めちぎっていた恋人へどんなけちを付けるのだろうかと思考する同級生へ、評議会議長はこう告げる。

「巴に襲われかけたときのお話はしたと思うけれど」

「良かった……んだよね? ロマンチックな初めてって、私も憧れるし」

「じゃあ私に殴られてから改めて起きた巴は何をしたでしょう」

「土下座、だったっけ」

「正解。じゃあその次は?」

「ええと、さっき出てきたアキちゃんのお父さんにも謝ったとか」

「半分正解ね」

 軽快な返答をした旭に、清楚は首を傾げてハテナマークを浮かべて見せる。可愛らしい仕草で当惑を示した同級生に、木曾義仲はもう半分の答えを明かした。

「彼ね、お父様とお母様に謝った後、"お嬢さんを自分にください"って言ったのよ。それを見た時、私驚いてしまって何も言えなかったわ」

「ご両親は、オーケーしたの?」

 清楚が返した問いに、今度は旭が三秒だけ戸惑う。すぐに気を取り直し、旭将軍は疑問を笑い飛ばした。

「ふふ。清楚、あなたも大概感性が古いわね。このお話は、巴が私の意思を無視して嫁取りしようとしたってことよ」

「あ、ああ! そっか、そうだよね」

 古風な家柄に生まれた相馬巴は、両家に話さえ通っていれば結婚は問題ないと捉えていた。旭と既に心は通じ合っていると思い込んでいた節はあるのだが。

 清楚も清楚で、小説に出てくるような燃え上がる恋愛をしたいという気持ちとは別の次元の話として結婚の自由があまりないことを自覚していたので、親、つまりマープル辺りから見合い話が来れば見ず知らずの男との結婚もやむなしと思っていた。

 また、清楚にはそれより先に自分の正体が知りたいという思いもあったが。

 一つ納得を見せた清楚は話題を戻す。

「それで、アキちゃんのご両親はどう言ったの?」

「旭はどう思うんだいって聞かれちゃったから、巴ならいいわって返答したわ。そしたら……」

「そしたら……?」

 旭は話を続けながら、自分の体を抱くような仕草をする。

「"絶対に幸せにします。貴女を自分が守ります"って言いながら私をぎゅっと抱き締めてきたの」

「わあ……!」

「私としては、お父様お母様の前で少し恥ずかしかったけれど。それでも、あれだけストレートに好きって言われたらちょっとクラっと来ちゃったわ」

「素敵だね」

「ええ。素敵な人よ」

 腕を解いた旭が微笑むのに対し、顔の前で細指を重ねた清楚は柔らかい笑みを返した。

 そんな様子を見て、義仲クローンは話を締めにかかる。

「あとは、最近ちょっと強引さが足りないのが不満。こんなところかしらね」

「あっ、あれで足りてないんだ……」

「私としては、もうちょっとグイグイ来てた頃の巴の方が……あら?」

 そして、タイミングを見計らったかのように呼び鈴が鳴る。

「ずいぶん来客が多いのね、清楚」

「あはは。普段はあんまり鳴らないんだけど……はーい!」

 清楚がインターホンを操作すると、快活な声が二人の耳に届く。画面へ黒髪のポニーテールを揺らしていたのは、義仲のライバルたる源義経だった。

『清楚さん。義仲さんが九鬼ビルに来ていると聞いて、挨拶に伺いました!』

「あらら、今度は私がモテちゃったみたいね」

「じゃあ、義経ちゃんも入れて一緒に勉強しよっか」

 痺れ始めていた足を崩して立ち上がり、インターホンに向かった清楚の背中に、旭はこう提案した。

「いいえ。折角だし、私が義経の部屋に行ってみたいわ。勉強は……まあ、また今度ということで」

「わかった。義経ちゃん、今開けるね」

『清楚さん、ありがとうございます!』

 源義経の快活な返事を聞き、木曾義仲は口元を綻ばせながら自分の荷物を片付けていく。

 そしていつもの妖艶な笑みを浮かべ、髪をかき上げながら義経に向かい合うと、

「ご機嫌よう、義経。早速だけど貴方の部屋にあるもので源氏勝負をお願いしたいわ」

 挨拶と共に挑戦状を投げつけたのであった。

 

 

 

 

 深夜。来客用個室のベッドに一人で身を横たえた旭は一日を振り返っていた。

(収穫の多い日だったわね、今日は)

 最上旭が改めて確認したのは、京極彦一は義理堅い人間であること。相馬巴は本人の意識に反してモテるということ。また、色々と含むところへ目を瞑ってくれていること。源義経は駆け引きの類が得意ではないこと。

 そして、葉桜清楚という人間について。

(清楚って、着眼点もいいし知識欲も旺盛。人を巻き込む決断力もあるわ)

 これらは正しく、旭にとって再確認だった。父最上幽斎から清楚の正体を聞いている最上旭にとって、これらの資質というものは清楚が備えているべき才だったからである。

(やっぱり、英雄のクローンであることは隠しきれないのね)

 魂の輝き、とでも言うべきものなのだろう。人を見る目に自負のある旭将軍は、初見での印象が後になって変わるということがそうなかった。

(観察力については巴に及ばないのだけれどね)

 夕方に紋白との会合を終えた後、おそらく普段とは別の基準で人を見ていた恋人の瞳を思い出し、旭は口元を三日月型に歪めた。

「清楚に思わずこぼしてしまったけれど……強引に来て欲しいって、割と本心なのよね。見抜けない巴の眼も、伝わらない私も。まだまだってことかしら」

 旭が言葉にした思考は、電気の消えた部屋の闇へ吸い込まれていく。

 それから五秒だけ相馬巴のことを考えた旭は、一人で入る寝床へ少しだけ寂しさを覚え、

「おやすみなさい」

 そして寂しさを感じた自分を忘れたくて、瞬く間に入眠したのだった。

 

 

 

 



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