勇者にはなれない (高円寺南口)
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★地図・用語集(第4章まで)

【TUTORIAL】
◆本編第4章までに登場する地名、用語をまとめたものです。
◆初見の方は、若干のネタバレが含まれているので、あらかじめご留意ください。


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♣地理

 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行

 

・地図

 東洋 

【挿絵表示】

 

 

 あ行 

・アイゼンルート

 西洋で覇を唱える強国。正式名称はアイゼンルート魔導帝国。

 現皇帝はクラウス一世。帝都はシュヴァルツブルク。

 十五年程前まで、西洋の一小国に過ぎなかったが、魔法に関する革新的な技術を背景に、東洋と同盟関係にある西洋列強を瞬く間に滅亡に追いやり、一大帝国を打ち立てた。

 

 

・アヴァロニア

 広義には、ネウストリア及び諸侯国連合の計七国からなる、大陸東方の国家群を指す。

 狭義には、アヴァロニア諸侯国連合を形成する、大陸側の六国を指す。

 東洋では後者の意味で使われることが多く、ネウストリアは「本土」と呼称するのが一般的。

 

 

・アウストラシア

 世界の極東に位置し、世界樹がある大陸。

 イリヤ教団にとっての聖地であり、約束の地と呼ばれている。中つ国の伝承では、人間は千五百年ほど前、アウストラシアからマグナ・ネウストリア島に渡来したと伝えられている。

 

 

・アシュバール砂漠

 中央大陸の中心に広がる広大な砂漠。

 エフタルの領土に属し、オアシスにエフタルの王都テル・エル・タランナがある。

 

 

・アタラクシア

 マグナ・ネウストリア島北西部に位置する、イリヤ教団の総本山。

 

 

・アラド

 トランシルヴェスタの首府。

 第3章で登場。竜退治における中継地点として討伐隊が利用した。

 

 

・アルル

 シトランド半島に位置する、諸侯国連合の一角。

 現統領は、アレクサンドル・オルラーン・デュ・プレシー・ド・バルザック。首府はアルル。

 守護属性は風、標語は「もっと遠くへ」。

 元々は自治都市(王国自由都市)であったが、大航海時代にアヴァロニア経済圏の中心地となり、バルザック家を中心に商人層が台頭した。

 一世紀ほど前に、諸侯国としての昇格が認められ、諸侯国連合に加盟。その歴史的背景から、自主自律を尊ぶ街として有名。

 

 

・アルバ・ユリア

 トランシルヴェスタの南部に位置する、中規模の村。

 第3章の舞台。悪竜によって滅ぼされた。

 

 

・アンブロワーズ

 アヴァロニア極東部のイバリア半島に本拠を置く、諸侯国連合の一角。

 現統領はメイリーン・ド・エスメラルダ。首府はシャンデリアゴル。

 守護属性は水、標語は「背かず 移ろわず 跪かず」。

 イバリア半島からガラテア回廊まで、東西に長い領土を有し、統領であるエスメラルダ家は歴代で最も騎士王を輩出した名門一族として名高い。王国の忠実な飼い犬と揶揄されることもしばしば。

 

 

・イカルガ鉱山

 かつては東洋有数の鉱床として名を馳せたが、二次東征の最中、大規模な魔力泉の暴走が起こり、長らく放棄されていた。

 近年魔力泉の活動が収束したため、ガラテアがノルカ・ソルカから採掘権を購入した。麓にはイカルガという小さな村がある。第4章の舞台。

 

 

・ヴェルダン川

 南ネウストリアを流れる河川。

 途中ロゼッタ近郊を通り、河口にルナティアが位置する。

 

 

・エクヴァターナ

 エフタル南部の地名。砂漠地帯とは対照的に雨量が多く、紅茶の産地として有名。

 

 

・エフタル

 中央大陸の中心、アシュバール砂漠に位置する、獣人族が治める王国。

 現国王はアイリス7世で、中つ国で現存する最古の王朝と言われている。

 ニケの旅の目的地でもある。

 

 

 か行

・カトブレス

 ガラテアの首府。トルバ海に面する東洋随一の温泉街として有名。

 第4章の舞台。

 

 

・カトブレス国民劇場

 騎士王の文化政策の一環として、ネウストリア語による演劇振興を図ることで、極東との言葉の障壁を解消することを目的に立てられた劇場。

 オペラなどの歌劇のほか、音楽会なども盛んに行われている。

 

 

・ガラテア

 西アヴァロニア平原に位置する、諸侯国連合の一角。

 現統領はロローナ・アナスタシア・ツェペシュ。首府はカトブレス。

 守護属性は氷、標語は「春にして君を離れ」。

 古くは王国からの西方植民により移住した層が、支配層の多くを占めている。そのため、王国及び教団に対して友好的。一方で、アンブロワーズとはガラテア回廊の領土問題等を巡って、伝統的に不仲。第二次東征の敗戦からいち早く復興し、近年の国力の拡大には目を見張るものがある。

 

 

・グラナダ山脈

 エフタル南東にそびえる山脈。麓にエクヴァターナ地方が広がる。

 

 

 さ行

・ザクソン

 アヴァロニア南西部の山岳地帯に位置する、諸侯国連合の一角。

 現統領はドラウプニル・フグスタリ・イシルドア。首府はグラスチノヴァ。

 守護属性は火、標語は「鉄は熱いうちに打て」。

 国土の三分の一を山岳地帯が占め、金属や魔石といった鉱物資源の産地として有名。アヴァロニアでは唯一、ドワーフが統治する国で、人間やオーク、リザードマンからなる多種族国家である。

 

 

・シャンバラ

 アイゼンルートに滅ぼされるまで、西洋の中心であった王国。

 アヴァロニアと同盟関係にあったシャンバラが滅ぼされたことで、中つ国の勢力図は大きく塗り替わった。

 

 

・スピカ荒原

 ガラテア西方に広がる、果てしない荒野。

 この荒原を抜けると、中西部へと辿り着くが、盗賊や凶暴な魔物が潜む無法地帯と化しているため、旅人が利用することはほとんどない。

 

 

・西洋

 中央大陸における、エフタル以西の地域を指す。

 かつてはその中心にシャンバラが君臨していたが、現在はアイゼンルートに取って代わられている。

 

 

・世界樹

 約束の地アウストラシアにある、魔法の源であるマナを作り出す神木。世界のマナの循環を司る大樹であり、自然が自然として生態系を維持できている由縁は、生きとし生けるものが、マナからエレメントの加護を受けているから、とするのが教団の見解。

 したがって、世界樹が枯れるときは世界が滅ぶ時だと言われている。

 

 

 た行

・大東洋

 中央大陸とアウストラシアの間に広がる海洋のこと。

 

 

・大西洋

 中央大陸とトルファンの間に広がる海洋のこと。

 

 

・ダーク・ヘッジス

 ガラテア西方、さらにその先に広がる鬱蒼とした樹海。

 エルフの本拠地であり、人間が立ち入ることはほぼない。そのため、古代からの生態系が手つかずのまま残っている。

 

 

・中央大陸

 世界の中心に位置する巨大な大陸。一般にセントレイルと呼ばれる。

 

 

・中西部

 中央大陸中心の乾燥地帯を指す。一般にミドル・ウェストと呼ばれる。

 

 

・東洋

 ネウストリア及びアヴァロニア諸侯国連合が治める地域を指す。

 中つ国の中心地として繁栄してきた歴史がある。

 

 

・トランシルヴェスタ

 アヴァロニア東南部のトラキア平原に位置する、諸侯国連合の一角。

 現統領はオイゲン・ドラクロワ。首府はアラド。

 守護属性は土、標語は「月よりも昏く、雪よりも白く、土よりも逞しく」。

 中世の気風を根強く残す、アヴァロニア随一の農業大国。他国と比較すると経済の発展は遅れており、平和が取り柄のトランシルヴェスタという言い回しも、近年では皮肉の意味で使われることが多くなった。ガラテアのツェペシュ家はトランシルヴェスタの旧領主であったことから、両国の家名や地名などの固有名詞は相関性が強い。

 

 

・トルバ海

 ネウストリアと、ノルカ・ソルカ及びガラテア間に位置する海域のこと。

 ノルカ・ソルカでは、エステション(東海の意味)と呼ばれる。

 

 

・トルファン

 西洋から大西洋を隔てた、レムリア大陸に位置する国家。

 

 

 な行

・中つ国

 中央大陸を治める国家群の総称。東洋から西洋、エフタルを含んだ呼称。

 

 

・南洋

 中央大陸から遙か南、エフタル洋に浮かぶ群島を指す。

 魔術における「陰陽道」など、独自の文化が育っている。 

 

 

・ネウストリア

 マグナ・ネウストリア島に位置し、東洋を統べる覇権国家。正式には、神聖ネウストリア王国。

 現国王はサヴァン16世、王都はロゼッタ。

 守護属性は光、標語は「我ら始まりの民にして、世界を統べる者なり」。

 東洋の政治・経済的中心地であり、イリヤ教団やギルドクラインの本部がある。

 

 

・ネロウィング海峡

 ルナティアとアルルを隔てる海峡。ルナティア側には100メルトを超える断崖が続いており、かつては大陸と地続きだったと言われている。潮流が速いことで有名。

 

 

・ノルカ・ソルカ

 アヴァロニアの北西部に位置する、諸侯国連合の一角。

 現統領は空位、首府はハバネロフスク。

 守護属性は雷、標語は「万国の戦士よ、咆哮せよ」。

 王位は世襲制ではなく、王選を経て決定される点に特徴がある。旧国王マロノフ・ユッテナイネンは先代騎士王であり、第二次東征の中心的存在だったが、敗戦により国力は失墜した。

 

 

・ノリノリンスキー街道

 ガラテアの首府カトブレスから、ノルカ・ソルカの首府ハバネロフスクまで至る街道。

 途中で、イカルガ鉱山の麓に接する。

 

 

 は行

・バスティヴァル山脈

 トランシルヴェスタ南部に広がる雄大な山脈。

 第3章で登場。古代より竜が住まう山脈で、麓にアルバ・ユリアがある。

 

 

・ブラン城

 二半世紀ほど前、ツェペシュ家のゴットフリート1世によってカトブレスの丘に建築された城。

 始めは王の隠居先として築かれたが、孫のゴットフリート3世が首府をカトブレスに移転してから、本城として使われることになった。

 構造が極めて複雑で、地下には拷問部屋があるとかないとか噂されている。

 

 

 ま行

 

 や行

 

 ら行

・ラウル山脈

 ガラテア、ノルカ・ソルカ西方を南北に走る山脈。

 東洋と西洋を分かつ境界線とも言われている。

 

 

・ルナティア

 ネロウィング海峡に面する、ネウストリア第二の経済都市。

 第2章の舞台。古来より港町として栄え、ギルド「クライン」の本部や、モンフォール家の本邸がある。

 

 

・ロゼッタ

 ヴェルダン川河畔に位置する、ネウストリア神聖王国の王都。

 第1章の舞台。円形の城塞都市で、中心から王宮、貴族街、市民街で構成される。ニケやクロノアの出生地でもある。

 

 

 わ行

 

 

♠用語集

 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行

 

 あ行

・アヴァロニア諸侯国連合

 アンブロワーズ、アルル、トランシルヴェスタ、ザクソン、ガラテア、ノルカ・ソルカを治める六大諸侯から成る国家連合。連合を束ねる元首として、騎士王が君臨する。

 事実上ネウストリアを守護する衛星国家群であり、騎士王の上に、アヴァロニアの最高君主(オーバーロード)たるネウストリア国王が位置する。したがって、諸侯国の統領は、騎士王に忠誠を誓うと共に、最高君主(オーバーロード)たるネウストリア国王にも忠誠を誓う。

 

 

・アクゼリュスの丘の会戦

 第二次東征の趨勢を決定づけた戦い。勇者ローランが戦死した。

 この会戦の敗北により、アヴァロニア連合軍はアウストラシアからの撤退を決断した。 

 

 

・六芒星(アスタリスク)

 アイゼンルート皇帝クラウス1世に忠誠を誓う、将軍たちの通称。

 炎・水・風・土・氷・雷、それぞれの属性を代表する六人のマスターで構成されており、彼等は軍団の第一師団から第六師団までの師団長を兼ねている。

 魔法の分業制を確立した、アイゼンルートの象徴的存在として有名。

 

 

・アタッカー

 パーティーにおけるロールの一つ。剣術や格闘術を駆使し、前線における攻撃の基点となる役割を担う。代表的なジョブは、戦士や拳闘士など。

 

 

・アルス・ノトリア

 大魔導師ノルンが残した、伝説のグリモワール。

 この世の森羅万象が解き明かされているという。ノルンはアルス・ノトリアを十三の書に分冊し、自身の死後、世界のあらゆる場所に隠すよう、弟子に委ねたとされる。

 ニケが探し求めている書物で、旅の目的でもある。

 

 

・アロンダイト

 聖剣の一つ。ローランが所有していたが、彼の死と共に行方不明に。

 

 

・アンデッド

 肉体は朽ち、もしくは失われているが、生命活動を続ける不可思議な存在の総称。有名なものは、レイスやリッチー、ウィル・オー・ウィスプ、デュラハンなど。

 アンデッドに墜ちて間もないかつての生命体を指して、ゾンビと言うことも。ゾンビは炎に弱いのがセオリー。

 

 

・暗部(異端審問会)

 イリヤ教団の教義に背く異端者を根絶することを目的に設立された、総主教直属の機関。

 その活動の一切は謎に包まれており、教団内部に属する人間ですら、その全容を把握している者はほとんどいない。歴史上、彼等の暗躍によって、多くの反乱分子が処分されたと言われている。教団の犬、狂信者、仕事熱心な暗部と批判されることも多い。

 

 

・イリヤ教団

 聖女イリヤを神として崇める宗教団体。イリヤ教は人間が中つ国に渡った際に起こった宗教であり、聖女イリヤが残した預言や彼女の弟子である使徒の言行をまとめた福音書「アポカリプス」を聖典とする。魔族を絶対悪とする一方で、他の種族には平等であり、特定の身分や社会的階層を優遇しない点に特徴がある。今や中つ国で普遍的な宗教となっている。

 ネウストリア国王はイリヤ教団から中つ国を統べる王として戴冠を授かった唯一の存在であり、総主教の承認によりネウストリア国王が俗界を治めているというのが、東洋の政治構造である。

 

 

・ヴァリャーグ

 古代にトルバ海など、東洋沿海部を派手に略奪して回った武装集団のこと。

 東洋に元々住み着いていた狩猟民族で構成され、アウストラシアからの入植が始まると共に、その活動は沈静化していったとされる。

 

 

・ウイッチクラフト

 アイゼンルートで発明された、画期的な魔導具。人工魔石をベースとすることで、起動式の省略が可能な点に特徴がある。

 術者は魔力を充填(リロード)し、指定した符牒(コード)を諳んじるだけで魔法の発動が可能となる。一方で、魔力消費が激しいというデメリットがある。

 

 

・ウィル・オー・ウィスプ

 鬼火とも。肉体は失っているが、往生できずに現世を彷徨う人魂のこと。

 東洋では、人里に不意に現れて、悪さを働くという伝承がある。

 

 

・無音の歩み(ウォーカー・イン・ザ・ダーク)

 ニケが持つスキル(自称)の一つ。自身の影の薄さを巧みに利用し、相手に気付かれず、無音で移動する歩法のこと。長年の引きこもり生活の賜物。

 ??「クセになってんだ。音殺して歩くの」

 

 

・ウオッカ

 ライ麦などを発酵させた蒸留酒。ノルカ・ソルカやガラテアなどの北国で、主に嗜まれている。

 クセのある香りとエグ味が特徴的で、度数が極めて高いことから、他の地域ではフルーツで香り付けしたものや、カクテルのベースとして用いられる事が多い。

 

 

・ウッドエルフ

 元々は、エルフのうち、他種族と交わらず、人里を離れて森の中で生活する者たちを指していた。

 ハーシェルの叛乱以降は、特に純血種を指す言葉として用いられている。

 

 

・詠唱破棄

 詠唱すなわち起動式を省略して、魔法を発動すること。

 魔法の研究が進んだ現代においては、発動にあたって魔法陣の構築が必須となる上級魔法を除いて、詠唱無しでも魔法の発動は可能。しかしながら、詠唱ありと比較して、威力や精度が安定せず、魔力消費も激しいという欠点がある。

 

 

祓魔士(エクソシスト)

 ジョブの一つ。白魔術士のうち、呪いの解除やアンデッドの浄化を専門としている者のこと。地味だが需要は多い職業。

 

 

・エルフ

 種族の一つ。外見は概ね人間と似通っているが、翡翠の瞳を持ち、耳が鋭く尖っており、男女問わず美しい容貌を有していることが特徴。また、あらゆる種族の中で最も長命であり、種族としての絶対数は少ない。性格は真面目で堅物、融通が利かないとされる。

 かつては人間と最も友好的な種族であったが、一次東征終結以後、人間との間で戦いが生じ、エルフの中でも純血種と呼ばれる者たちは、ダーク・ヘッジスの森に閉じこもるようになった歴史がある。

 

 

・エンチャント

 属性付与のこと。強化魔法の一種。物理攻撃に任意の六属性を付与する戦闘技術で、魔法剣士が得意とする。

 

 

・エンハンサー

 パーティーにおけるロールの一つ。主に強化魔法を得意とし、仲間を支援する役割を担う。サイドアタッカーもしくはヒーラーが兼任していることが多い。

 

 

・オーク

 種族の一つ。人間の倍近い体躯と、褐色じみた緑色の肌が特徴。一般に女性より男性の方が、口元の二本の牙が大きいとされる。

 地縁・血縁を何より重視する種族で、他種族と交わって生活することは余りない。したがって、アヴァロニアでは、ザクソンなど一部の地域で寄り集まって生活している。

 

 

・オド

 魔力の中でも、生物が生まれつき保有するものを指す。

 魔術士は基本的にオドを消費して、魔法を発動する。スタミナに近い概念のため、休息するとオドは回復する。

 

 

・オリヴィエの歌

 究極のグリモワール『アルス・ノトリア』を完成させるべく、世界中を旅した魔導師ノルンの生き様を描いた古代の叙事詩。ノルンの弟子たちによって記述されたとされるが、フィクションも多く、ある種の童話として東洋では受け入れられている。

 「エルフは光を、魔族は闇を、ドワーフは工芸を、獣人族は交易をこの世界にもたらした。そして人間は、それら全てを略奪した」という序文が有名。 

 

 

・オーロラ

 ノルカ・ソルカなど、緯度の高い地域において観測される大気の発光現象のこと。極光とも。

 マナと大気中の粒子が衝突し、励起して元の状態に戻ろうとする際に起こる発光現象らしいが、詳細については不明な部分が多い。

 北方の伝承では、オーロラは生者と死者をつなぐ炎の架け橋とされ、先祖が子孫を守護してくれる証と言い伝えられている。

 

 

・温泉

 地中から湧出した湯または湯が沸き出している場所のこと。多くは湯船の原水として用いられる。

 東洋では北方諸国が鉱泉の湧出地として有名で、北方人は身分を問わず日常的に湯船に浸かる習慣がある。

 

 

・陰陽道

 南洋で発祥した魔術の流派の一つ。あらゆる魔法には、陰と陽の両面があるとするのが特徴。

 ニケは師匠が陰陽道に属していたことから、この流派の考えに大きく影響を受けている。

 

 

 か行

・下位締め

 ギルド「クライン」において、比較的難易度が低いとされる依頼を、等級が高い冒険者が積極的に引き受ける行為のこと。

 等級が低い者に仕事が回らなくなるため、仮に依頼を達成しても、報酬こそ支払われるが、評価値が加算されない。また、再三にわたって繰り返すと降格処分の対象となる。

 

 

・カミカタ語

 主に南洋で用いられている言語。世界で一番文法が難しい言語と言われている。一説によると、口語では「あなた」のことを「自分」と言うらしい。

 A「自分最近どうなん?」

 B「は?(何言ってんだコイツ)」

 

 

・火竜

 ドラゴンの分類の一つ。全身は赤色系統で、攻撃性が高まると炎を吐くのが特徴。火袋に内蔵された化学物質を、口腔で引火させることにより火を吐くらしいが、詳細はよくわかっていない。

 火竜のほかに、蒼竜、緑竜、黄竜、白竜、黒竜がいるらしい。

 

 

・カルヴァドス海賊団

 ネウストリア王家に私掠免許を与えられた政府公認の海賊。彼等を最後に私掠免許は廃止されたことから、最後の海賊とも呼ばれる。仁義を切ることを掟の第一とし、もっぱら義賊として活動したことから、民衆に人気があった。

 政府の要請に応え、二次東征に参戦したが、全滅を遂げたとされる。トラヴィスは、数少ない生き残りのうちの一人。

 

 

・カルマル種

 馬の品種の一つ。競走馬とは異なりガッチリした体格で、瞬発力には欠けるがスタミナがあり、農耕や重量物の運搬に適している。主に北方諸国を産地としており、寒さには強いが、暑さには弱い。

 

 

・カルマルトーチ

 切れ込みを入れた丸太に火を灯して作る焚き火のこと。発祥はノルカ・ソルカ。冬空に「バエる」として、ガチキャンパーの兄貴たちにも人気。

 

 

・氣

 体内に流れる肉体的・精神的エネルギーの総称。戦士や拳闘士の力の源とされる。

 魔力も広義には氣の一種とする説もあるが、賛否両論あり、決着は付いていない。

 

 

・危険度レベル指定

 モンスターハントの依頼において、志願者の目安として設けられたレベリングのこと。

 1から5までの五段階あり、数字が大きくなるほど危険度は増す。ドラゴンは5。グリフィンは4。ワイバーンは3。

 

 

・騎士王

 アヴァロニア諸侯国連合を束ねる王。四世紀ほど前、サヴァン6世によって設置。選出方法は、当初輪番制であったが、現在は最高評議会による互選制が採用されている。

 現在の騎士王はガラテアのロローナ・アナスタシア・ツェペシュであり、先代はノルカ・ソルカのマロノフ・ユッテナイネン。

 

 

・起動式

  魔法を発動するにあたって、必要な詠唱のこと。

 

 

・キモントンコウ

 トルファンに伝わる占術のこと。方位術の一種で、遁甲盤という盤面から吉凶方角を占う。キモントンコウを駆使すれば、己の運命すら切り拓けるらしい。

 

 

・吸血鬼

 魔族の中でも、上位種に位置づけられる種族。外見や知性は人間とほぼ遜色ないが、血を好み、非常に残忍な性格を持つとされる。

 ガラテアのツェペシュ家は、初代当主の奇行ぶりから、吸血鬼の末裔ではないかとする民間伝承が、東洋では余りにも有名。

 

 

・緊急保護案件

 クラインへの依頼にあたり、緊急性・公益性は高いが、それに見合う報酬をクライアントが用意することが困難な案件について、バルザック家が報酬の一部または全部を負担するシステム。

 アルル支部においてのみ導入されている。

 

 

・禁術

 大規模な破壊魔法や空間転移、蘇生術、人心操作、時間遡行など、人間の能力では到底実現不可とされる魔法の総称。

 禁術を研究もしくは行使しようとした者は、教団の掟によって厳しく処分される。

 

 

・空間魔法

 東洋魔術における、五大魔法のうちの一つ。転移魔法など、空間に干渉する魔法はここに属する。

 空間魔法はそれ単独で意味を成すことは少なく、黒魔法やデバフなどと合わせ技で用いられることが多い。

 

 

屍鬼(グール)

 アンデッドの一種。人間とほぼ同じ体躯だが、皮膚が腐り、血管が浮き出た非常に醜い姿をしている。野生動物や人間を主食とし、腐肉を何より好む。

 大規模な戦いが生じた場所は、得てして屍鬼が徘徊するため、そうした土地は祓魔士により大地の穢れを祓うのが、古来からの習わしである。

 

 

・クライン

 トラヴィスとその同志によって、二次東征終結後まもなく結成したギルド。始めは冒険者ギルドを生業として出発したが、次第に事業を拡大し、今やアヴァロニアの財界に幅広く影響力を持つ組織にまで急成長している。

 

 

・グリフィン

 鷲の翼と上半身、獅子の下半身を持つ生物。普段は穏やかだが、繁殖期を迎えると獰猛になる性質があり、人里を襲っては家畜を攫うこともしばしば。

 

 

黒鉄(クロガネ)

 中つ国で最も硬いとされる金属の一つ。ドラゴンの鱗は、黒鉄の硬さに相当すると言われている。

 

 

・黒魔法

 主に攻撃魔法のこと。元は魔族が得意としていた技術を、人間が模倣したとされる。一般に魔術士と言うと、黒魔法を専門とする者たちを指す。

 魔族に端を発する技術のため、中つ国では永らく敬遠、迫害されてきた歴史を持つ。

 

 

・競馬

 騎手が乗った十頭から二十四頭立ての馬により行われる競争競技。一世紀ほど前、アルルが諸侯国連合に加盟した際の式典において、余興として行ったのがきっかけで生まれた。

 着順を予想するギャンブルとしての一面もあり、週末の競馬場は常に盛況している。

 

 

・月虹

 夜間に月の光によって、七色ではなく白く見える虹のこと。

 ネウストリアでは、見た者に幸運が訪れるという言い伝えがある。

 

 

・逆鱗

 八十一枚あるとされる、ドラゴンの鱗のうち、喉元に一枚だけ生えている、逆さの鱗のこと。

 ドラゴンの弱点であり、触れられると激怒するとされる。たとえとして、アヴァロニアでは目上の者を怒らせてしまうことを「逆鱗に触れる」と言うことがある。

 

 

・獣使い

 ジョブの一つ。ドラゴンや狼を手懐け、操る技術を持つ。熟練者になると、魔物に墜ちた獣を操ることもできるという。戦士や魔術士といったジョブと比較するとマイナー。

 

 

・拳闘士

 ジョブの一つ。体術を駆使して、パワーとアジリティを活かした戦闘スタイルを得意とする。

 

 

・古代魔法(クローズド・スペル)

 現代では失われたとされる、魔術の叡智。俗に言う禁術のこと。

 かの魔導師ノルンは、その後半生において、古代魔法について徹底的にフィールドワークし、その研究成果を『アルス・ノトリア』にまとめたとされる。

 

 

・固有魔法

 東洋魔術における五大魔法とは別に、魔導師ノルンが新たに提唱した魔法の分類。

 世界で唯一人、その者にしか使えない魔法のこと。いわゆるカテゴリーエラー。

 

 

・霊泉場(コロニャーダ)

 温泉を自由に飲めるスポットのこと。カトブレスなど、北方諸国の街中でよく見られる。

 温泉水を日常的に飲むことで、健康の増進に努めることができるらしい。

 

 

・ゴーレム

 土魔法で作り出す泥人形・石兵のこと。

 術者が遠隔操作することが可能で、斥候として使われることも。

 

 

・魂縛

 補助魔法の一種。法力により相手を拘束する技術。

 白魔法におけるデバフのようなもの。

 

 

・コンポート

 果物を砂糖や水、ワインなどで煮詰めたもので、ガラテアでは飲料として昼食のお供として出されることが多い。

 

 

 さ行

・サイキック・スノーボール

 左手で具現化した雪玉を、右手から発する動力で回転させながら、装填・照準・発射のサイクルを繰り返すことで、連続射撃の永久機関を作り出す。

 ニケ先生考案の、雪合戦における必勝戦術であるが、一言でいうと、大人げない。

 

 

・サイドアタッカー

 パーティーにおけるロールの一つ。前線とは距離を取り、俯瞰的な視点から、攻守両面で味方をカバーする役割を担う。攻撃的後衛とも。代表的なジョブは、魔術士やシーフ、弓使いなど。

 

 

・索敵結界

 空間魔法と強化魔法の合わせ技。自身の感覚を増幅させ、指定したエリアに侵入した物体を感知する。

 魔力(オド)を持たない者には効果がなく、相手の索敵を妨害するための偽装結界という技術もある。 

 

 

・時限式

 魔法の術式の一つ。仕掛けた魔法陣に敵が踏み入った瞬間、起動するよう設定できる。

 特定の誰かが踏み入ったときのみ発動したり、術者が任意のタイミングで発動させたりすることはできない。

 

 

・獣人族

 種族の一つ。定義は、①知性を有している、②獣と人間の中間のような見た目をしていること。猫耳族や蜥蜴人は該当するが、エルフやドワーフは該当しない。

 中西部以西に居住していることが多い。

 

 

・守護結界

 召喚魔法に属する技術。防御魔法とも。自身を守る盾の具現化。展開範囲が大きくなればなるほど、魔力消費は跳ね上がり、全体の耐久力も低下する。したがって、一点強化は防御魔法のセオリーである。

 

 

・召喚魔法

 東洋魔術における、五大魔法のうちの一つ。魔力により一時的に武器や盾等を具現化する。

 火の精霊や謎の竜を召喚したりはできない。

 

 

・白魔法

 回復魔法や治療など、魔法の中でもライトサイドに属する術の総称。法力という、白魔法におけるオドに相当するエネルギーを根源とする。黒魔法など、他の魔法とは一線を画し、教団主導で独自の進化を遂げた魔法でもある。

 狭義には、教団の神官が行使する術の意味で用いられることもある。

 

 

・神官(治癒術士)

 いわゆる白魔術士。回復魔法や補助魔法など、仲間を支援する魔法を得意とするため、パーティーには不可欠の存在。

 アタラクシアの修道院を経て、教団から教官として正式に認定されている者を神官と言い、治癒術士は独学で技術を身につけた者たちを含んだ総称。

 

 

・臣従儀礼

 君臣関係を確認する挨拶及び作法。転じて、身分の低い者が身分の高い者に謁見する時に用いられる。

 東洋では、右膝をついて跪くのが本土の作法で、左膝をついて跪くのが大陸式。一礼をするとき、臣下は右腕(大陸式は左腕)を水平にして、握った拳を心臓にトンとあてたのち、頭を垂れる。

 

 

・人工魔石

 魔石に特殊な加工を施したもの。詳細不明。

 

 

・人狼

 狼の頭と体毛に覆われた強固な肉体、二本足で直立した姿が特徴的な、獣人の一種。ウェアウルフとも。現代の中つ国で目撃例は少なく、雪男と同様、半ば伝説的な存在となっている。

 人狼が狼が変異したものなのか、人間が変異したものなのかは、様々な民間伝承にもあるように、解釈が分かれる所ではあるが、イリヤ教団は人間の獣人化現象はあり得べからざるものとし、公式に否定している。

 

 

・ストライダー

 ジョブの一つ。要するに盗賊をカッコよく言ってみたバージョン。

 ギルドクラインにおいては、ジョブのカテゴリにシーフが存在しないため、隠密スキルに長けた者は好む好まざるを問わず、このカテゴリに登録することとなる。

 

 

・聖剣

 世界に7本ある伝説の剣。なんか凄いらしい。

 

 

・聖水

 ①イリヤ教団が儀式に用いる水のこと。

 ②霊薬の一種。早い話が獣よけで、獣の延長線上である魔物を退ける効果がある。知性のある生物には効果がない。なぜ聖水と言うようになったのかは諸説あるらしい。

 

 

・西洋魔術

 かつて西洋では、東洋魔術をベースに、様々な流派が独自に発達し、それら諸子百家の総称を西洋魔術と呼んでいたが、現代ではアイゼンルートにより、ほとんどの流派が消滅したため、西洋魔術イコールアイゼンルートの魔術を指すのが一般的。

 

 

・セクト

 東洋では標準的な長さの単位。

 1セクト=大体1cmと考えていただいて構いません。

 

 

・戦士

 ジョブの一つ。闘気を全面に押し出したスタイルで、アタッカー、ディフェンダーとして活躍。ゾーンという特殊な技術により、会心の一撃を繰り出せるのが特徴。

 一方で、魔法は全く扱えず、脳筋の代名詞的ジョブでもある。

 

 

・千里眼

 強化魔法の一種。人間の肉眼の能力を超えた、遙か先の景色まで見通すことができる。

 一流の使い手でも、三・四ロキ先の景色までが限界と言われている。

 

 

・蒼天已に死す、黄天当に立つべし

 蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉

 

 

・気合い(ゾーン)

 主に戦士特有のスキルで、オークの戦闘技術に由来する。戦いの中で感覚が研ぎ澄まされると、自身の闘気がフツフツと体外へ溢れ出し、結果凄まじい怪力を発揮できる。

 任意で発動できる者より、何となく発動している者の方が多いらしい。ゆえに、訳わからんパワー。

 

 

 た行

・ダイアウルフ

 寒冷地帯に生息する、狼の魔物。基本的に群れで動くため、「一匹見つけた時は、周囲に十匹いると思え」が、旅人の心得。

 

 

・ダーインスレイヴ

 聖剣の一つで、ツェペシュ家がトランシルヴェスタからガラテアに移封された際に、王国から拝領した。

 生き血を啜れば啜るほどに切れ味が増すという伝説を持つ。

 

 

・鷹の目

 ニケが持つスキル(自称)の一つ。早い話が、いかにして相手に気付かれずおっぱいを視姦するかという技術である。サイテー。

 

 

・タリスマン

 護符、お守りのこと。特に魔除けの効能を持つものをアミュレットとも言う。

 

 

・使い魔

 召喚魔法の一種。猫や烏などの分身を使役し、主に偵察などの目的に使用される。ゴーレムなどの無機物を使い魔として操る者も稀にいるが、身のこなしに長けている獣や、翼を持つ鳥の方が偵察に向いていることもあり、あまり用いられない。

 黒猫が使い魔の代名詞になっているのは、かの魔導師ノルンが黒猫フリークだったことに由来しているらしい。

 

 

・ディフェンダー

 パーティーにおけるロールの一つ。前線で攻撃を支援すると共に、味方を庇う盾となる役割を担う。俗にタンクとも呼ばれる。代表的なジョブは、戦士や騎士など。

 

 

・デバフ(減退魔法)

 補助魔法の一種。主に黒魔術士が用いる。干渉・束縛・妨害・混沌・抑圧からなり、バフに劣らず多種多様だが、精通している使い手は意外に少ない。

 

 

・転移魔法

 空間魔法の一種。いわゆるワープで、任意の場所に任意の物体を瞬時に転送できる技術を指す。習得は極めて難しく、転移魔法が使える魔術士は魔術士として一流とも言われる。魔導師ノルンが用いていた、ノルン式転移魔法の術式が有名。

 現代の技術では、短距離移動はできても、長距離移動はできない。

 

 

・東征

 東方遠征軍の略。約束の地アウストラシアを魔族の手から奪還すべく、イリヤ教団主導で派遣された東洋諸国の遠征軍のこと。

 過去二回実施され、第三回目がまもなく行われる予定。

 

 

・等級

 ギルドクラインにおける冒険者のランクのこと。階級は一等級から六等級、等級なしの七段階まである。

 一度登録すれば、他の街の支部でも、ランクを引き継げる。定期的な自己申告と、第三者審査会の査問によって、ランクは決定される。

 

 

・東洋魔術

 東洋で発祥した魔術の流派。最もメジャーでクラシカルな流派とされる。魔法を黒魔法、白魔法、補助魔法、召喚魔法、空間魔法の五つに分類する。

 

 

・トメィトゥー

 南洋由来の野菜。赤ナスとも。大航海時代に観葉植物として東洋に持ち込まれ、品種改良を経てザクソンやトランシルヴェスタでは食用として流通し始めた。

 トマトと発音すると、舌足らずの田舎者と馬鹿にされるので注意。

 

 

・ドワーフ

 種族の一つ。外見は性別を問わず髭を生やしており、人間と比較するとやや肥満体。東洋では人間に次いで人口が多い種族。手先が器用で、鍛冶や工芸が得意。ドーリア式に代表される彼等の建築技術は、中つ国の発展に大きく寄与したと言われる。

 一方で、性格はガサツで、怠けがちと評されることが多い。「ドワーフの三日、人間の一日」というのは、中つ国では有名な格言。

 

 

 な行

・二重魔法

 性質の異なる二種類の魔法を、同時に発動すること。識者曰く、二重は易いが、三重から上は急激に難易度が上がるらしい。

 

 

・二大財閥

 東洋のマーケットを牛耳るとされる、モンフォール家とバルザック家のこと。

 両家は昔から仲が悪いことで有名で、両家の紋章である「馬」と「鹿」が「馬鹿」という言葉の語源になったとする説があるが、これは後世の創作である。

 

 

・人間

 種族の一つ。元はアウストラシアに居住していたが、やがて中央大陸に渡り、大いに繁栄することとなった。

 あらゆる種族の中で、最も利己的で、したたかであるとされる。

 

 

・猫耳族

 種族の一つ。猫耳が頭から生えているのが特徴。猫耳以外はほぼ人間と同じ外見の者もいれば、手足は猫のままの者もいる。主に中西部に居住し、東洋では余り見ない。

 

 

 は行

・ハーシェルの叛乱

 第一次東征終結後に東洋で勃発した、人間とエルフの戦い。

 この戦争に敗北後、エルフの純血種はダーク・ヘッジスに籠もり、他種族と交わりを絶つようになった。

 

 

・バフ(強化魔法)

 補助魔法の一種。パワーやアジリティなどの一時的強化、エンチャントなど、種類は多岐にわたる。

 

 

・バルザック家

 東洋における二大財閥の一つ。中世の時代から、アルル自治政府を支える重鎮的存在として、経済だけでなく文化や芸術の育成に尽力してきた。その甲斐あって、アルルは一世紀程前に諸侯国への昇格が認められ、バルザック家は六大諸侯の一角として名を連ねることになった。

 紋章は、幸運を運ぶ蹄鉄と、勝利を意味する左右対称の二頭の跳ね馬。

 

 

・ヒーラー

 パーティーにおけるロールの一つ。主に回復魔法や強化魔法を行使し、傷ついた前線の仲間を支える役割を担う。代表的なジョブは、神官、白魔術士。

 

 

・風水士

 ジョブの一つ。主に風と水、土と雷の扱いに長けた魔術士を指す。西洋や南洋でしばしば見られるジョブ。

 天地雷鳴を自在に操れると思われがちだが、実際は極めて特殊な条件が揃わない限り、天候を操作したりはできないらしい。

 

 

・幻狼隊(フェンリル)

 ノルカ・ソルカ国軍において設置された特殊部隊で、参謀本部直属の即応部隊という位置づけ。早い話が、王にとって使い勝手の良い何でも屋集団である。

 各軍団で名を上げたエリートを選抜した最強部隊であり、灰色の狼の旗印がトレードマーク。その首領であるロイド・ローウェルは、北国では泣く子も黙る人物として有名だった。

 二次東征の敗北により、ロイドが下野したことから、部隊は事実上解散となっている。

 

 

・符術

 トルファン発祥の、魔術の流派の一つ。

 呪符と呼ばれるスペルカードに、魔力を込めて術を発動する。

 

 

・冬の五角形

 アヴァロニアにおいて、冬季に南の空に浮かぶ恒星のうち、五つの一等星で構成される五角形のアステリズム。

 冬のダイヤモンドと呼ばれることも。

 

 

・フラン

 ネウストリアで流通する通貨。

 アンブロワーズ、アルルでも使用可能。

 

 

白金(プラチナ)

 金属の一つ。鉄と比較して錆びないが硬度は落ちる。一方で魔力は通しやすいため、後衛職の装備品として人気がある素材。

 

 

・ブリュンヒルデ

 聖剣の一つ。クロノアが所有しており、手元に護拳が付属していて、サーベルのようなシルエットをしている。

 刀身が夜闇のように真っ黒なのが特徴で、極黒のブリュンヒルデと呼ばれているとか呼ばれていないとか。

 

 

・ボクギュウリュウバ

 牛馬の形をした、機械仕掛けの運搬車。現代で使われることはほとんどない。

 トルファン三千年の歴史が為せる神の御業。

 

 

・補助魔法

 東洋魔術における、五大魔法のうちの一つ。主にバフとデバフを指す。

 

 

 ま行

・魔王

 魔族を統べる王。アウストラシアを支配し、その正体は謎に包まれている。

 

 

・魔眼

 魔族の中でも高位に位置づけられる者たちにのみ与えられた、不思議な瞳のこと。

 人心を任意に操ることができるとの伝承があり、発動時に瞳が紅く美しく輝くのが特徴。

 

 

・マジックアイテム

 魔道具とも。呪文書(スクロール)や魔力の循環を促す装飾品など。バッタモンが多いことで有名。

 

 

・魔術士

 ジョブの一つ。魔法を駆使してサイドアタッカーやエンハンサーとして活躍。火力のデカさから重宝がられる反面、肉弾戦には滅法弱い紙装甲であり、前衛職からネタにされることもしばしば。

 魔術士の中でも特に優秀で、魔術の発展に寄与した者を、尊敬の念を込めて魔導師と呼ぶ。

 

 

・魔石

 マナが凝縮された特殊な鉱石のこと。多くは、既存の岩石にマナが侵入し、元の岩石が分解され、再結晶化する過程で生み出されるため、マナが地上に噴き出す魔力泉の近くには、魔石の良質な鉱床ができる。

 魔導具のベースとして用いられ、魔石の種類によって、術者は特別な加護が得られるという。現代では、メインとサブの計二つの構成が一般的。それ以上装備すると、加護が互いに打ち消し合ってしまうのだとか。

 

 

・魔族

 イリヤ教団の教義によれば、人間に仇なす種族。人型や獣型など、種族として統一的な外見を持たない唯一の種族でもある。他の種族と比較して、強烈な氏族社会を持つとされる。

 

 

・魔導具

 魔法の発動にあたり、オドとマナを調律する媒体となる道具。魔石が埋め込まれており、指輪やワンド、髪飾りにネックレスなど、様々なタイプの魔導具がある。

 

 

・魔法剣 

 剣撃に六属性のいずれかを付与すること。

 強化魔法の一種であるエンチャントを用いる場合と、魔力を充填した魔石を武器にセットするパターンがある。

 

 

・マナ

 魔力の中でも、自然界に存在するものを指す。世界樹は世界におけるマナの循環を司っている。

 

 

・魔法アカデミー

 正式には王立ロゼッタ魔法学士院。設立二百年を誇る東洋魔術の養成機関。かつては名のある魔術士を多数輩出していたが、西洋魔術の台頭と共に、近年は低迷している。

 ニケは十三歳のとき、この学士院に入学した。

 

 

・魔物

 魔族の中でも、知性を持たないモノたちの総称。獣やアンデッドなど多岐にわたり、彼等は魔族の眷属とされる。モンスターともいう。

 

 

・魔力

 魔法の源泉。近年では、マナをエネルギー源とした利器が生み出されつつある。

 

 

・魔力泉

 マナが地上に噴き出すスポットのこと。

 魔力泉の活動が活発化し、マナの濃度が局地的に高まると、魔力耐性の低い獣たちが理性を失い始め、魔物が増えると言われている。濃度の高い魔力は人間にとっても有害のため、近年頻発している魔力泉の暴走は各地で問題になっている。

 

 

・魔力切れ

 術者が自身のオドを使い果たすこと。厳密には、十割ではなく九割以上消費すると起きる。

 疲労でその場に立っていられなくなるため、安静が必要。

 

 

・魔力耐性

 魔力に対する許容量のこと。オドは個々人によって個体差があり、一度に多量に消費したり、外部から過剰にマナを取り込んだりすると、頭痛や目眩、痙攣、ひどいものだと昏睡や精神崩壊といった症状を術者にもたらす。魔法が人間にとって過ぎたる技術、とされる由縁。

 したがって、魔法を行使する際、魔術士はオドを源泉とし、マナを媒介にすることはタブーとされている。

 

 

・魔力中毒

 術者が自身のオドの安全領域(絶対量の九割)を超過して、術を行使した場合に起きる症状のこと。

 頭痛や目眩、吐き気など、二日酔いに似た症状なのが特徴。

 

 

・ミソスープ

 大豆を蒸して砕き、麹と塩を加えて発酵させた味噌をダシとしたスープのこと。シャンバラなど西洋ではメジャーな汁物だが、東洋ではほとんど流通していない。

 ローウェル家では、ロイドが若かりし頃、西洋を旅していた頃に製法を習得し、今や一家の食卓に欠かせないものとなっている。麦麹を用いた麦味噌をダシにするのが、ローウェル家のこだわり。

 

 

・メッセンジャーシステム

 クラインに登録している冒険者に対し、荷物や手紙のやり取りができるシステム。クラインがサービスとして提供している。

 1回あたり2000フランで、アヴァロニアならどこでもお届けいたします!(※僻地は割増料金が発生いたします)

 

 

・メテオラ語

 イリヤ教団の公用語だが、知識階級の言語としての色彩が強く、今や日常で使われることはほとんどなくなっている。

 

 

・メルト

 東洋では標準的な長さの単位。

 1メルト=大体1mと考えていただいて構いません。

 

 

・モンフォール家

 東洋における二大財閥の一つ。銀行業から身を起こし、時勢の波に乗って勢力を拡大した結果、近年では政府にも多大な影響力を有している。

 ルナティアを本拠地とし、清廉潔白を意味する柊に、魔除けの象徴でもある鹿の角を模した紋章は有名。裏社会のドス黒い部分とつながっていて、政府公認マフィアと噂されているとかいないとか……おや、誰か来たようだ。

 

 

 や行

・薬学

 霊薬を研究する学問のこと。一流の薬師が調合した霊薬は、魔法と同等もしくはそれ以上の効果を発揮するという。

 

 

・薬草

 薬効成分が含まれる植物のこと。ポーションや聖水など、霊薬の成分になる。

 

 

・ヤーレン節

 ノルカ・ソルカ、イカルガ地方に伝わる民謡。イカルガ鉱山における採掘作業の際に、鉱員たちが口ずさんでいた唄の一部が分化し、独自に進化を遂げていったとされる。

 イカルガ鉱山の麓にあるイカルガ村では、この民謡に躍動感ある踊りをつけて、祝いの場などで披露するのが慣習となっている。なお、採掘作業はもっぱら男たちの仕事であったことから、舞を許されるのは野郎のみらしい。

 

 

・ヤンキー

 アヴァロニアにおける、北方人に対する蔑称。

 北方人は南部や東部の人間と異なり、体格に恵まれ、戦闘能力に長けた者が多いため、皮肉の意味を込めてこのような呼び方が定着されたと言われている。

 また、北方人の多くは、アウストラシアからの渡来人ではなく、古からの原住民を祖先に持つことから、差別的なニュアンスも多分に含まれている。

 

 

・勇者

 その昔、第一次東征で活躍したシリウスを讃え、時のネウストリア国王が授けた称号。

 ローランはこの例に倣い、国王から勇者の称号を与えられた。

 

 

・猶予式

 魔法の術式の一つ。発動を一定時間留置し、術者が任意のタイミングで発動させることができる。

 なお、数十秒(長くても一分)しか留置できないという制約があり、一定時間を経過すると自動で発動してしまう。

 

 

 ら行

・ライキリ

 聖剣の一つ。かつてアヴァロニアと同盟関係にあった、シャンバラの王家が代々所有していたが、シャンバラの滅亡と共に行方不明に。

 雷をも断ち切る切れ味を持つとされる。柄に鳥の飾りがあることから、千鳥とも呼ばれていた。

 

 

蜥蜴人(リザードマン)

 種族の一つ。外見は二足歩行の蜥蜴。水中でも器用に泳ぐことができる。尻尾は切れても生えてこないらしい。

 亜人の中でも外見が人間とかけ離れているため、社会的身分は低く、知的労働からは遠ざけられているという実態がある。

 

 

自由七科(リベラルアーツ)

 自由人にふさわしい技芸の基本と見なされた教養のこと。具体的には、文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の三学四科からなる。思想的な起源はアルルで、今やアヴァロニアの様々な学術研究機関の教育方針として採用されている。

 

 

・竜神信仰

 主に東洋南部など、太古からドラゴンが住まう土地で広まった土着信仰のこと。ドラゴンの加護により、平和がもたらされるとする。

 東洋における土着信仰の多くは、イリヤ教団設立の黎明期に排斥されたが、影で細々と生き残ることができた数少ない民間信仰の一つ。

 

 

・竜涎香

 竜のよだれが固まったもの。霊薬や香水の原料となる。その希少さから、市場では高値で取引される。

 生成されたばかりの竜涎香は独特な匂いがし、見た目はうんこにしか見えない。

 

 

・竜巣に踏み込まずんば、竜涎香を得ず

 「危険を冒さなければ、人を驚かす大成功を勝ち取ることはできない」という意味のことわざ。

 西洋に似たようなことわざとして、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」というものがある。

 

 

・感覚共有(リンク)

 補助魔法の一種。バフにより感覚を増幅させ、使い魔などと視覚や聴覚、触覚等を共有する高度技術。

 他の術者の感覚共有と、自身の感覚共有をシンクロさせることを、接続(コネクト)というが、接続される側の身体的・精神的負担が大きいため、好んで使われることは少ない。また、互いの感覚を完全に共有できる訳ではなく、互いの相性によってシンクロできる情報も限定されるという制約がある。

 

 

麦酒(ルービー)

 大麦を発芽させた麦芽から麦汁を作り、濾過してホップを加え、煮沸。発酵・熟成を経て、生み出される黄金色のお酒。

 その昔、ビールと呼ばれていたが、ナウなヤングたちがルービーと呼ぶようになり、ルービーという呼称が一般的になった。嘘か本当かは不明。

 

 

・レイ

 ガラテアで流通する通貨。1フラン=4レイが現在の相場。

 

 

・連鎖陣

 魔法の術式の一つ。時限式のうち、どちらか一方が発動すれば、もう一方も自動で発動するよう設定できる。

 連鎖数をさらに増やすことも可能だが、増やすほど術者の負担・反動は増す。

 

 

哨士(レンジャー)

 ジョブの一つ。狩人とも。弓や斧を武器として使うことが多い。また、馬術にも長けていて、器用なアタッカーと言うべき存在。器用貧乏とも言う。

 

 

・ロキ

 東洋では標準的な長さの単位。

 1ロキ=大体1kmと考えていただいて構いません。

 

 

・ロイヤルドラゴン

 ドラゴンの中でも高位種に位置づけられる、ドラゴンの中のドラゴン。軽く10メルトを越え、黒鉄に匹敵する強固な鱗と、大きな翼に鋭い爪を持つのが特徴。

 非常に賢い生きもので、人間を襲うことは滅多にない。また、人間の言葉を一部理解することもできるという。アヴァロニアにおいては、トランシルヴェスタやザクソンの山岳地帯で目撃され、信仰の対象にもなっている。

 

 

・ローウェル流

 拳闘士の流派の一つ。ノルカ・ソルカのローウェル家を端とする流派で、攻守両面において、極限まで無駄をそぎ落とした動きが特徴的。そのため、初見の者には奇術の類いにしか映らず、訳の分からぬ間に命を落としてしまうという。

 三次東征で名を上げた、ロイド・ローウェルが師範に居座っているが、後継者が育っておらず、消滅の危機が囁かれている。

 

 

・ロック

 「考えるな、感じろ。それがロックだ――ニケ・サモトラ」

 

 

 わ行

・ワーグ

 魔犬とも。野犬が魔力泉の暴走により理性を失い、凶暴性を増した姿とされる。基本的に群れで行動し、夜行性である。

 

 

・我等狩友永久超絶不滅の誓い

 ニケとヌシ、ガイラルの間で交わされた、共に死線をくぐり抜けた者たちの誓い。

 とある識者の、以下の遺言から引用されている。

 

 てかモンスターハント馬鹿にしてる奴なんなん? 

 俺はガキの頃からモンスターハントやってる古参だが、悪いけど俺たちはアンタらが剣術や魔法と、成長してきたように、モンスターハントと一緒に大きくなってきたんだ……

 なんつぅかな……モンスターハントを馬鹿にしてる奴を見ると俺の親を馬鹿にされてる感じがしてね……ちっと熱くなりすぎちまったなスマソ。

 なぁ……今度の竜退治は、俺の仲間にとって一世一代のモンスターハントになるんだ……

 おまえらも分かるだろ? ダチとやるモンスターハントの楽しさが?

 大人になっても……いぃや年寄りになっても俺達仲間とモンスターハントは爪痕を残し続けてやるぜ!! ここに誓う!!

 

我 等 狩 友 永 久 超 絶 不 滅

  



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第1章 ロゼッタ編
0 零落の魔術士


 

 かつて七つの海を支配したという、神聖王国ネウストリア。

 その首都、ロゼッタ。三番街の、とある家屋。

 

 そこには無職がいた。

 正確に言うなら、元魔術士・現無職である。年頃は二十歳を過ぎた辺りだろう。

 

 彼は今日も日がな、二階の自室にひきこもり、無為な時間を過ごしていた。

 

「……ふぅ」

 

 ドアを開き、廊下へ。

 ほの暗い空間に、軋んだ床の音が響く。

 

 突き当たりの開け放たれた窓からは、淡い月光。やるせない影が落ちる。

 

 階下へ降りようとしたとき、ふと彼の足が止まった。

 

「ぎゃはは! だーかーらー、おめェはいつまで経っても、ゴブリン一匹退治できないんだっての!!」

「あれだけイキッといてこのザマたァ、マジウケるっての! 勇者サマに三つ指ついて、剣の手ほどき受けてこいよ!」

 

 一階は、夕方になると居酒屋として賑わう。  

 最近は常連だけでなく、見知らぬ冒険者の客も増えているようだ。

 

「……うっせえな」

 

 無職は隈のひどい目を細め、ため息をついた。

 

 近頃めっきり、こういうことが多くなった。それもこれも、全てあの少年のせいだ。

 物見遊山の連中が、光に誘われた羽虫の如く、あの少年見たさに極東の島国にまで押し寄せてくるのだ。

 

 無職は(きびす)を返し、肩で風を切りながら、突き当たりの窓までずんずん進む。そして、地上の草むらを見下ろす。

 

 いる。

 

 奴がいる。

 

 奴は今日も今日とて、飽きもせず性懲りもなく、無心で剣を振るっている。

 無職の瞳に映ったのは、剣の鍛錬に励む、一人の少年の姿だった。

 

 今は亡き父親譲りの黒髪、何物にも惑わされない澄んだ灰色の瞳、利発そうな顔立ち、年齢に不釣合いなほどに落ち着いた物腰……

 その風格は、年と共にいっそう凜々しさを増してきたようにも思える。

 

 彼は事が起きたあの日から、一日もかかさず自身の向上に努めている。自らが果たすべき義務を理解し、周囲の期待に応えようと努力を怠らないのだ。そのひたむきな姿勢は、畏敬や感心を通り越して、嫉妬や憎しみさえも生み出す。

 

 少なくとも、ある種の人間にとっては。

 

 無職は左手に視線を落とす。

 人差し指にはめた指輪の魔石が、月の光を受けて、淡く儚く輝いていた。

 

「一体何が、お前をそこまで突き動かしているんだよ……」

 

 何気ないその一言は、自らに対する問いかけであったのかもしれない。

 かつての自分に重ねようとしている自分に気づいたとき、不意に胸が苦しくなった。羨望と絶望が五分で混じり合ったような、複雑な感情が彼の心を支配する。

 

 唇を強く噛みしめると、次の瞬間、彼は激しい音と共に窓を閉ざした。

 

 すると少年が剣を止め、何事かと視線を転じる。

 見上げた先に、すでに人影はない。

 

「…………」

 

 夜風に草むらがなびき、木々の上枝から舞い落ちた葉が、空へとさらわれる。

 

 無職と勇者。

 

 対照的な二人の視線が、交わされることはなかった。



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1 今となっては昔の話

 俺がガキの頃、大きな戦争があった。

 

 第二次東方遠征軍。

 

 一般に「東征」と呼ばれるこの戦いは、ネウストリアを中心とした東洋諸国が、世界樹の根付く聖地アウストラシアを、魔族の手から奪還することを目的として行われた戦争だった。

 

 魔法の根源たる魔力を生み出す世界樹を、己が手中で独占し、あろうことか我々に反旗を翻す魔族の蛮行は、断じて許されるものではない。今こそ我等人類の手で約束の地を取り戻し、諸悪の枢軸たる魔王に神罰を下さん――

 

 イリヤ教団の最高指導者ネフェル3世の有名な演説を発端に、中つ国はしばし混沌の中に身を委ねる訳だが……まあそんな前置きはどうでもいい。

 

 古来より戦乱は、その結末や当人の意思によらず、後の世で英雄として語り継がれる人物を輩出する。ローランもその一人だった。

 

 勇者、ローラン・ヴァロンドール。

 

 平民の出自でありながら、第二次東征の立役者であり、救世主。今や東洋でその名を知らぬ者はいない、英雄の中の英雄だ。

 俺はその高名たる英雄の隣家で生を受けたということもあって、彼のことは昔からよく知っている。

 

 丸太のような二の腕に、たくわえた虎髭。その厳めしい風貌は、騎士というより荒くれ者と言った方がふさわしい。

 声はいつだって馬鹿デカく、笑うときは聞いている方が清々しくなるほどに哄笑する。葡萄酒よりも麦酒が似合い、義理人情に厚く、仲間を何より大切にする。

 

 北国の叙事詩に出てくる豪傑のようなこの男が、俺は正直苦手だった。好き嫌いというよりは、人間としての相性の問題だろう。

 年を取って、大人になった今だからわかる。

 

 清廉潔白な英雄像からは程遠くて、時代が時代なら、大酒飲みの狩人で一生を終えていたはずのこのおっさんが、それでも周囲の人間を惹きつけて止まなかったのは、彼が他の誰よりも、人の痛みに寄り添える人物だったからだ。

 

 言葉に直すとバカみたいに陳腐だが、それは勇者たる者の素質の中核をなすものだと、俺は思っている。

 

 こんなエピソードがある。

 

 まだ一介の傭兵でしかなかった時代、ローランは同僚や知己やらを大勢引き連れて、ウチの居酒屋でしょっちゅう宴を催していた。稼いだ金を惜しみなく使っては、盛大に酒や食事を振る舞い、仲間と肩を組んでは大声で語り合う。

 夜な夜な続くどんちゃん騒ぎは、大人にとっては快楽でも、当時子供だった俺には苦痛でしかなかった。

 

 ローランが席を立ち、(かわや)へ向かおうとする。その途上、不意に俺と目が合った。母の袖を引き、怯えたように隠れている俺の気配に気付いたのだろう。

 巨体を揺らし、木目調の床をギシギシ言わせて、彼は俺の元へと歩み寄った。

 

「どうだボウズ。お前も楽しんでるか?」

 

 その場にしゃがみ込むと、ローランはまるで少年のように屈託のない笑みを浮かべた。

 同じ目線にある豪傑の瞳に気後れして、俺はうつむき、弱々しく首を横に振った。

 

 するとどういう訳か、彼はガハハと大声で笑い、俺の髪をグシャグシャと撫で回した。

 

「そうかそうか……すまねえなボウズ。お前にゃまだ、酒の旨さもわからねえ。おまけに大好きな母ちゃんも独り占めできねえ。そりゃ楽しくなくて当然だわな」

 

 ローランは立ち上がるや、パンと柏手を打ち、仲間に大声で呼びかけた。

 

「おいてめェら! 今日はもうお開きにすんぞ!!」

 

 突然の一声に、仲間たちが飲み足りないとばかりに一斉に不満の声を上げる。ローランは気にする素振りもなく、仲間を一人一人つまんで、さっさと帰るよう促す。

 ブツブツ文句を垂れながらも、素直に従う仲間の姿から、彼の日頃の人望が見て取れた。

 

 やがて、母がローランに歩み寄り、詫びを言った。

 

「おうおう、いいってことよ。日頃世話になってるんだから、たまにはこういうのもな……それに、俺にももうすぐ子供が生まれるんだ」

 

 ローランはちらりと俺を見ると、鼻の下をこすり、嬉しそうに告げた。

 

「子供の目線でモノ考えられないヤツに、人の親になる資格はないだろ。違うか?」

 

 それだけ言い残すや、ローランは足早に立ち去る。出口の敷居をまたごうとしたとき、彼は突然振り返って、俺の目を見た。

 

「ボウズ! お前が大人になったら、おっちゃんと一緒に盃を交わそうな!」

 

 そう言うや、彼は歯を見せて笑った。

 

「約束だぜ」

 

 それからしばらくのことだった。

 ローランが、勇者の霊廟に突き刺さりし伝説の剣を引き抜いたのは。

 

 遙か昔、第一次東方遠征軍の英雄にして、今や伝説上の人物となった勇者シリウスの(つるぎ)……

 

 聖剣アロンダイト。

 

 世界が再び混沌に覆われたとき、神に選ばれし者が、我が聖剣の封印を解き、乱世に光をもたらすであろう――

 そんな勇者シリウスの遺言を実行した男が、青天の霹靂の如く現れたことで、歴史は動いた。

 

 教団はこれを天啓として、かねてよりの悲願であった第二次東方遠征軍の派遣を決定。王国はローランに「勇者」の称号を授け、民衆は新たな英雄の誕生を、万雷の拍手をもって迎え入れた。

 ネウストリアのみならず、東洋諸国一帯が熱に浮かされたかのようなムードに包まれた。

 

 人々の期待を一身に集め、ローランがロゼッタの地を旅立つ頃には、俺も九歳になっていた。

 国を挙げて行われた出陣式は、吝嗇家(りんしょくか)で知られるネウストリアの王にしては珍しく、豪華絢爛、見るも壮麗たるもので、魔王を倒すべく立ち上がった英傑の門出を祝うにふさわしい儀式となった。

 

 王都ロゼッタの大通りを埋め尽くす民衆に手を振りながら、悠然と馬を進めるローラン。

 身につけた勇ましい兜は、昔馴染みの鍛冶屋の一人が、彼のためにこしらえたものだという。

 

 威風堂々たる兵士の行進に、鳴り響く管弦楽。連なる軍旗の合間から、ローランの姿を見つけては、熱狂し、感極まって涙ぐむ人々。

 国中が沸き立つとはまさにこのことだと、俺も子供心ながらに感じたものだ。

 

 そして、ローランの伝説を象徴づけるような出来事が、このあと起こった。彼がまもなく城門を出ようとしたときのことだ。

 

 子供が、泣いた。

 

 まだ二歳前後のローランの子供が、突如として大声で泣きわめいたのだ。

 

「どうした?」

「何が起きたんだ?」

 

 ざわつく人々をよそに、ローランは馬を下り、元来た道を引き返す。兵士に群衆が、波を打ったように道を空ける。

 そして、彼は子をあやす妻の前で立ち止まった。

 

「悪いなクロノア。せめてお前が物心つくまでは、そばにいてやりたかったけど……世界はそれを待ってくれない」

 

 ローランは、その分厚い掌で、クロノアと名付けた我が子の頭を優しく撫でた。

 すると、クロノアが泣き止み、その真ん丸な瞳を大きく開いて、父の顔をじっと見つめた。

 

 ローランは口角を上げ、次の瞬間、神に誓いを捧げるが如く、力強く宣言した。

 

「俺は魔王を倒して、一刻も早くこの世界に平和をもたらす! そして――」 

 

 刹那にも永久にも感じる間を置いて、彼はこう口にした。

 

「必ず、生きてここへ帰ってくる」

 

 産み落とされた沈黙。

 静寂を切り裂いて、群衆が一斉に沸き立つ。

 

 熱狂は感動へと飛翔し、希望は確信へと生まれ変わる。この男なら、絶対にやってくれると誰もが信じた瞬間だった。

 

 それから、ローランは一度も振り返らずにロゼッタを後にした。

 その後ろ姿たるや、すでに英雄の風格を備えていて、後にも先にも、俺はあれほど格好良い男の背中を見たことがない。

 

 

   ***

 

 

 結論から述べる。

 ローランは死んだ。

 

 伝聞によれば、彼は東征軍と魔王軍がぶつかったアクゼリュスの丘の会戦にて、命を落とした。

 ローランは東征軍が敗色濃厚と見るや、味方を逃がすため、たった一人で敵軍に立ち向かい、その後の行方は誰も知らないという。

 

 劇的な死を遂げたのか、惨めで無様な最期だったのか、死の間際に何を想ったのか……今となっては、何一つわからない。

 

 ローランの死は、東洋諸国に絶望をもたらした。

 神に選ばれたはずの人間が、魔王はおろかその居城に辿り着くことすらできず、道半ばにして果てたという事実は、人々の心に衝撃を与えた。

 

「終わりだ。もはや人類は、魔王に屈するほか道がないのか……」

 

 日頃いるんだかいないんだかよくわからない、凡庸を絵に描いたようなネウストリア国王の言葉が、これほど胸に響いた瞬間はない。

 換言すれば、王も民衆も、皆それだけローランに期待していたのだ。

 

 初めのうちはよかった。

 向かうところ敵無しの連戦連勝で、誰もが人類の勝利を信じて疑わなかった。

 戦場でのローランの活躍ぶりが伝わるたび、人々は我が事のように喜び、夢見心地な気分に浸ったものだ。吟遊詩人は街角でローランの勇ましさを高らかに歌い上げ、酒場の灯りは朝焼けを迎えるまで消えることを知らなかった。

 

 それがどうだ。

 

 戦いも一年が経過し、魔王軍が一転して反撃攻勢を強めると、東征軍は各地で苦戦を強いられるようになった。補給線の確保や疫病の蔓延といった問題も深刻化した。

 さらには、戦争が長引くにつれ、東征軍内部の不和が表面化し、味方同士で足を引っ張り合うような事態が続出した。負けを重ねるたび、各国は疑心暗鬼になり、軍紀は名ばかりとなって、次第に単独行動も目立つようになった。

 

 こんな状態で、勝てるはずがなかった。

 

 ロゼッタで反戦論者が声を大にして、国や教団を罵り、憲兵に捕縛される所を見たのは一度や二度じゃない。

 要人の暗殺だの何だの、物騒な事件も増えた。イリヤ教団の異端審問会、俗に言う暗部が手段を選ばなくなっているのは明白だった。

 

 ローランだけが、人々の希望だった。

 彼がいる戦場だけは、闇の中に射す一条の光のように、敗北を知らなかった。

 

 しかしその光も、最後には闇に呑まれた。

 戦場の露へと、消えてしまった。

 

 祈りは潰え、夢は破れる。

 

 暗澹たる空気が世を覆い、誰もが希望を失いかけたそのとき、ほのかな光が地の底より出づる。

 その光は余りにも弱く儚く、そして優しくて、導き手が口を開くまで、誰一人としてその温かさに気づけなかった。

 

「いいえ、王さま。僕がいます。英雄ローランの血を引く、私が」

 

 ローランの息子であるクロノアは、居並ぶ王や役人の前で、こう言ってのけた。

 

「父の意志は、私が継いでみせます」

 

 まだ六歳に達したばかりの子供の発言は、傍から見ればちっぽけで、何の信憑性もない。

 それでも、その一言が人々を絶望のどん底から救い出すのに十分だったのは、それが他ならぬローランの息子で、他の誰よりも哀しみを背負っているであろう人間の口から発せられたものだったからだ。

 

 希望は再びその身に翼を宿し、絶望の淵から飛び立つ。

 

 その日を境に、クロノアは「勇者」と呼ばれるようになった。

 今は亡き、ローランの意志を継ぐ者となったのだ。

 

 そして今日も、勇者は来たるべき旅立ちの日に備え、血の滲むような研鑽に励んでいるという訳だ……



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2 くたばれこんな世界、と元魔術士は言った

 無職の朝は遅い。目が覚めると、すでに夕刻だった。

 もっとも、夜明けと共に眠り、日没と共に目覚めるのがデフォルトになっている俺にとってはこんなの普通で、どちらかと言えばむしろ早起きまである。

 

 適当に着替えをすませ、部屋を出る。

 

 突き当たりの窓からは、夕陽が射し込んでいた。秋らしく空気が澄んでいるせいか、遙か城壁の外に広がる高い山々が見渡せる。王宮の西、貴族街の中心に佇む魔法アカデミーの時計塔が、茜色の空を背負って、城下に暗い影を落としていた。

 

 一階へ下り、外へ出ようとした、その時だった。

 

「おい。どこへ行くつもりだ」

 

 振り向いた俺の目に映ったのは、カウンターから姿を現した親父の姿。

 今日は運が悪いなとの考えが、脳裏をよぎった。

 

「宵になれば、そうやってあてもなくフラフラと外をうろついて……隠そうとしても無駄だ。俺は全部知ってるんだからな」

 

 全部知ってる、か……

 臆面もなくそんな台詞をほざく奴に限って、知ったつもりになっているだけなことを、俺は知っている。

 

「……で? それが何か?」

 

 その態度に、さすがの親父もカチンときたのか、声を荒げた。

 

「いい加減にしろお前は!! ロクに働きもせず、毎日毎日怠惰に過ごすばかりで……少しは隣の勇者さまを見習え! 自分より年下の人間があれほど頑張っているのに、お前は恥ずかしくないのか!」

 

 口角泡を飛ばして、まくし立てる親父。また始まったかと俺は想う。

 この男の説教は、大体二パターンある。

 

 一つは、隣家に住まう勇者サマを比較対象として、日頃の俺の怠惰を責め、焦燥感を煽るというもの。

 もう一つは、俺はお前の将来を真剣に心配しているんだぞという体裁を装って、俺の罪悪感を刺激し、改心を促すというもの。

 

 いずれにせよ、無職となって幾星霜。世間から隔絶されて五年以上の歳月が流れた俺に対し、未だあきらめずに説教を続ける親父の姿勢には、感服すら覚える。

 

 だが、俺は知っている。

 この男をここまで執念深く突き動かしているのは、所詮罪滅ぼしなのだと。

 早い話が俺のためではない。自分のためだ。

 

 頃合いを見て、俺はその場を後にする。

 

 いつもなら、そこで終わるはずだった。

 親父が捨て台詞の一つや二つを吐いて終わるはずだったやり取りが終わらなかったのは、奴が強引に俺の肩を掴んだからだ。

 

「……昨日、帳簿を処理していたら、金額が100フランほど合わなかった」

 

 三秒ほどの沈黙を挟んで、親父は言った。

 

「お前がやったのか?」

 

 ご期待に添えず申し訳ないが、全く身に覚えがなかった。

 第一俺がやるなら、もっと上手くやる。いかにも私が取りましたと言わんばかりに、キリのいい額を一度で抜くなんてマヌケな真似はしない。

 

 どうせ手癖の悪い客にスラれたか、小賢しい仕入れ先に支払いをちょろまかされたのか……最近は街中で異国からの来訪者が目立ち、タチの悪い連中も紛れ込んでいると聞く。

 

 無理に一人で店を切り盛りしようとするからそうなるんだ。いい加減年なんだから、さっさと俺に見切りをつけて、ギルドを介して人の一人でも雇えと言いたいが、お生憎様、親父が求めてるのは、そんな返答じゃないだろう。

 

「そうだよ。子を養うのは、親の義務だろ」

 

 言った瞬間、しんとした部屋に乾いた音が響く。

 親父が右手を振り上げ、俺の頬をはたいたのだ。

 

「お前はどんなに落ちぶれても、人としての道は違えないと、信じていたのに……そう、育てたつもりだったのに……!」

 

 親父は声を震わせ、わなわなと拳を握りしめていた。その目には、怒りというより哀しみの色が宿っている。

 が、その程度の言動で心を揺さぶられるほど、俺の闇は浅くない。

 

 とある事件をきっかけに、心を閉ざし続けた結果、高度に訓練された無職と成り果てた今の俺に、救済の余地などあるはずもない。

 

「……俺はもう疲れたんだよ。あんたもいい加減、それに気付いてくれ」

 

 外からは鈴虫の音色が聞こえてきた。

 夜は近い。そろそろ気の早い常連が店にやってくる頃だろう。

 

「これじゃ、死んだ母さんに何て言い訳すればいいんだよ……」

 

 去り際、親父がこぼした言葉に、我知らず足が止まる。

 ため息を一つ、扉を開いて、俺は家を後にした。

 

 

    *

 

 

 家を出た俺は、大通りの酒場へと向かった。

 

 クラインの酒場。ロゼッタでは有名な酒場だ。

 

 というのも、ローランの死後、国王は職業性別を問わず、魔王を倒す(こころざし)のあるものを世界中から招き、この酒場が交流拠点として機能するよう働きかけたからだ。

 国のお墨付きの、人材斡旋ギルドと言えばわかりやすいだろう。

 

 国王も馬鹿ではなかった。彼はローランの死から、天才一人に全てを依存する行為が、いかに残酷であったかをようやく学んだのだ。

 

 だが、俺から言わせれば、人一人死なせないと、この程度の道理も理解できない時点で、目を覆いたくなるような阿呆だ。

 痛みを伴えば、犬や猫だって理解できる。痛みを伴わない教訓にも意義を見出せないようでは、それは王と言うより、冠を被った猿でしかない。もっとも、餌を与えれば大人しくするだけ、猿の方が幾分マシなのかもしれないが。

 

 王は来たるべきクロノアの決起、第三次東征の開戦に向け、ギルドに登録された人材の中から、選りすぐりの達人たちを、勇者の側近として任命する腹づもりらしい。

 有名どころでは、戦士のゴライアスや、魔法使いのドロシーがいる。いずれも、その道では天才だの最強だの騒がれている連中だ。

 

 だが、聞いた所によれば、最終的な決定権は勇者自身にあり、必ずしも強さだけが仲間の選択基準ではないようだ。

 魔王を倒すための道のりは長く、困難を極める。クロノアにとって性格が合う合わないも、選択の重要な基準となるだろう。

 

 二階へと上がり、上機嫌な吟遊詩人、泥酔した客の合間を縫って、カウンターの端の席へと腰掛ける。

 やがて、馴染みのマスターがにやけた表情で近づいてきた。

 

 オールバックの白髪に、涼しげなアンバーの瞳。

 黒いベストに、首元がはだけた皺一つないシャツ。清潔感の中にも、それなりの苦労を重ねてきたことが窺える渋い顔立ちに、褐色の肌。

 

「こんばんは、ゴクツブシ君。いや、おはようございますか……今日もいい女の子入ってるぜ。獣使い(ビーストテイマー)とか」

 

 獣使いか……獣は手懐けても、獣より厄介なモンスター無職である俺を手懐けることはできんだろう。

 首を洗って出直してこい。

 

「悪いな。今日はそういう気分じゃないんだ」

「何だよ、やっぱり神官(プリースト)が好みなのか……いいこと教えてやるよ。職業柄、清純を気取ってる連中ほど、腹の中はずっとえげつないんだぜ」

「たぶん、断罪されたいんだろうな……深層心理的に」

「断罪? おいおい、突然妙な性癖カミングアウトするなよ」

 

 別に性癖とかそういうのではなかったのだが、上手く説明する気もなかったので、毎度お馴染みの台詞を呟くこととした。

 

「いつものやつ」

 

 マスターは「へいへい」と言って、シェイカーに酒を注ぐ。俺は振り返って、欄干越しに階下を眺めた。

 

 上機嫌に高笑いするオッサンどもに、甘い声でこび寄る女たち。女はいずれも、騎士や魔法使い、吟遊詩人と思しき衣裳に身を包んでいる。

 

 中には、この国では少数派のエルフもいるようだ。

 

 彼女たちは概ね人間と同じ外見をしているが、耳が鋭く尖っており、瞳の色も人間にはない翡翠色で、すぐに判別がつく。

 といっても、多くのエルフは魔法で人間に擬態しているため、素人目にはまずわからないのだが。

 

 西洋ほどではないにせよ、東洋諸国、一般にアヴァロニアと呼ばれる地域では、伝統的に人間中心主義の考えが根強く、異種族を積極的に排斥している地域もある。

 そんな背景もあって、エルフは人間社会に溶け込む際、身の安全のために、人間に擬態していることが多いのだ。特に女性。

 

 エルフの女性は、妖艶で美しく、若くいられる期間も人間より遙かに長い。人間の上位互換なんて言う連中もいるほどだ。寿命が長い分、種族の絶対数が少ないこともあって、この手の水商売や風俗業では、極めて重宝される。

 

 嘘かホントかは知らんが、ネロウィング海峡を隔てた対岸の都市国家「アルル」では、エルフの女性を高値で取引する闇オークションがあると聞いたことがある。

 身も蓋もなく言えば、趣味の悪い成金どもに、慰み者としてコレクションされるのだ。

 

 まあ最近は、あそこにいるエルフのように、自らの希少価値を理解して、人間の欲望を逆手に取ろうとする小賢しい連中も増えてきているようだが……

 

 エルフが「純血」や「高潔」の代名詞だったのも、今や昔の話。時代は変わったのだ。

 

 俺がエルフのロートルだったならば、石の上に腰掛け、杖に両手を乗せて、「嘆かわしいことじゃ……」とか言ってるレベル。

 

「おらよ。いつものやつ」

 

 マスターから差し出されたアブサンのカクテルを一口飲み、俺は言った。

 

「儲かってるみたいだな。斡旋が順調なおかげで」

 

 マスターが苦笑を浮かべる。

 

「ああ、最近は特にな……勇者にほとほと感謝だよ。勇者が仲間に選びそうな職業は、競争率も高くて、その分あぶれる奴も多い。女騎士あたりは客のニーズも高いから、需要と供給が一致して、こちらとしては助かってるよ」

「ひどいマッチポンプだこと」

「そう言うなよ。勇者の旅立ちまで、まだ半年ある。しょぼい魔物退治やクエストで食いつなぐのにも限界があるだろ。わかるか? 俺は雇用を創出して、この街の経済の活性化に貢献しているんだ。一見お遊びに見えて、その裏には計り知れない深謀遠慮が働いているのだよ」

 

 俺は呆れたように嘆息した。

 

「そうだな。クラインがデカくなるにつれて、この街には、日に日に見知らぬ連中が増えていってるような気がするよ」

「凋落したこの国が再び繁栄を取り戻すには、資本に人材に情報に、世界中からカネとモノが集まる仕組みを作る必要がある。要はパイを育てるんだよ。育てるのが無理なら、あるところから奪ってこればいい。カンタンな話だろ?」

「発想が盗賊じゃねえか」

 

 この男にしては珍しく、マスターは声を出して笑った。

 

「……まあ、一市民のお前から見てもそう感じるなら、俺の改革(ギャンブル)は今のところ成功してるってこったな」

「国も見て見ぬフリってか? そろそろ、ガサ入れの一つでもやってほしいくらいだよ。灯台もと暗しってな」

「それについては心配ねえよ。後ろ、見てみろ」

 

 マスターが指差した方向へ振り返ると、ガタイのいい屈強そうな男が、一段と高級そうなソファーに美しい女騎士をはべらせ、下品な表情で酒を呷っている姿が目に映った。

 耳元で、マスターがささやくように告げた。

 

「あの男、見覚えないか? 城の騎士団長だよ……今じゃすっかり、うちのお得意様だ」

 

 VIP

 俺は目を細め、内心この男のしたたかさに舌を巻いた。

 

「なるほど……国にはとっくに取り入ってるってか。アコギな商売人だ」

「そこは抜け目がないと言ってくれないか? 第一、夜の商売つっても、やってることはお前の店とそう変わんねえだろ。そこに綺麗なお姉ちゃんがいるかどうかの違いでしかない」

「……他にも違いはあるさ」

 

 カラになったグラスの氷を鳴らすと、俺は言った。

 

「人の欲望を(もてあそ)んでいるか否かの、重大な違いが」

「……ゴクツブシが。上手いこと言いやがって」

 

 マスターは不敵に笑うと、カラになった俺のグラスを下げ、代わりに新たなグラスを差し出した。

 

「こいつは俺の奢りだ。名は、血塗れの勇者(ブラッディブレイバー)。英雄ローランの運命を甘味と酸味で表現した、ワインベースのカクテルだ。まだ店には出してないんだが、お前には特別に飲ませてやる」

 

 グラスの中のカクテルは、見る者を虜にするような、赤く妖しい輝きを放っていた。

 

「ローランの名声すら利用するか。ホント、根っからの商売人だな」

「うるせえな。一丁前の台詞が吐きたいんなら、自分で稼いだ金で酒飲みに来いっての」

 

 捨て台詞を残して、マスターはカウンターの奥へと消えていく。一人残された俺は、グラスを口元へと運んだ。

 

 葡萄の香りと、カシスの甘味。

 喉元を通り過ぎた後に、渋い酸味が口の中に広がっていく。

 

 ふと、在りし日のローランの姿が頭をよぎった。彼は俺に、「大人になったら盃を交わそう」と約束した。結果として彼は死に、その約束は果たされることがなかった。

 仮にローランが聖剣に選ばれることがなければ、今頃俺の隣で酒を呷っているなんて未来もあり得たのだろうか。

 

 何にせよ、俺がもしローランの立場だったなら――孤独の中でただ一人立ち続けた運命の結末が、あのザマとあれば、死の間際にこう思っただろう。

 

 くたばれこんな世界、と――



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3 禁断のグリモワール

 酒場を後にした俺は、その足で教会へ向かった。

 神に祈るためではない。酔いを覚ますためだ。

 

 マスターが出してくれた酒は、ことのほか美味だったが、度数が強く、俺がそれほどアルコールに耐性がないということもあって、すぐに酔いが回ってしまった。

 こういうときは、教会に寄って酔いを覚ますのが、俺のお決まりのおさんぽコースとなっている。

 

 夜更けの教会というのは、中々に乙なものだ。

 

 窓から射し込む淡い月光が、女神イリヤの彫像を穏やかに照らし出す。人気(ひとけ)がなく静謐な空気に、心洗われる。俺がこの街で安らげる場所は、自室と夜更けの教会のみと言っても過言ではない。

 

 重厚な扉を開くと、彫像へ祈りを捧げていた神官(プリースト)が、こちらへと振り向いた。

 

「こんな夜ふけに何の用……って、あら? あなたは」

 

 俺はわざとらしく両肩をすくめてみせる。

 

「こんばんは。アリシアさん」

 

 一拍置いてから、彼女はくすりと微笑した。

 

「おやおや……またいらっしゃったのですね。名も無き敬虔な信者さま♪」

「ええ。恥の多い人生を送ってきたものですから……一日の終わりには、こうして神に感謝を捧げておかないと、心が安まらないんです」

 

 心にもないことを口にして、身廊を進み、俺は最前列の席へと腰掛ける。そしておもむろに目を閉じ、両手を組んで祈りのポーズを取った。

 

 念のため言っておくが、俺は神など露ほども信じていない。

 そもそも両手が塞がるこのポーズが、「私は無力でアホで自分で自分のケツも拭けないうんこ野郎なので、どうか守ってください」と、全世界に降伏宣言しているようで情けない。俺が神の立場だったら、そんなうんこ野郎を進んで助けたいとは思わない。

 

 えーと、それで何だっけ……天にまします我等が女神官よ。違うか。

 

「ねえ。今日こそは、あなたの名前を教えてくれますよね?」

 

 目を開くと、そこには小首を傾げたアリシアがいた。

 

 印象的な、口元斜め下のほくろ。

 紫色の瞳に、腰元まで届く青みがかった銀髪。

 そして見事なおっぱい。

 

 俺はゆっくりと首を横に振る。そして前屈みに、両手を顔の前で組んでみせた。

 

「名乗るほどの者ではありません。しがない町人Aです」

「も~う! またそうやってごまかすんですから」

「すみません」

「迷える子羊の悩みを聞くのが私の仕事なのに、あなたときたら、自分の身の上をほとんど話してくださらない……これでは私の立場がないではないですか」

「すみません」

「それとも何です? どうしても、イリヤ様とお二人だけの秘密にしたいということなのですか? 私ではダメなのですか?」

「すみません」

「も~う! すみませんばっかし!」

 

 子供みたいに怒るアリシアをよそに、俺の眼差しは彼女の豊満な胸元をつかんで離さなかった。

 

 敬虔なるイリヤ教徒である彼女には申し訳ないが、正直教団の教えなんざどうでもいい。

 諸君、良きことを教えてしんぜよう。禁断の果実とは、林檎でもなければ葡萄でもない。

 

 おっぱいである――

 

「でもあなた、いつも決まって夜に教会を訪れますよね。日中には一度もおいでになったことがない……何か理由があるのですか?」

「そういう職業なんです」

「職業? 職業……えーと……わかりました! あなたは漁師さんですね!」

 

 ぐいっと身を乗り出して、吐息がかかるくらいに顔を近づけて、彼女は俺に言った。

 

「昼間見ないのは、仕事が終わった後だから。夜見かけるのは、仕事の無事を祈りに来ているから。ね? イイ線いってるでしょ~♪」

 

 人差し指を、前屈みになっている俺の鼻にぴっと向けて、にこにこと微笑む彼女。

 

 見事だ。

 身を乗り出した瞬間、たゆんと揺れた禁断の果実を、俺の鷹の目(ホークアイ)は見逃さなかった。

 

「確かに……日々思索の海を駆け巡り、あてのないフロンティアを探しているという意味では、俺も漁師なのかもしれない」

「何ですかそれ? 哲学的ですねえ……」

 

 アリシアは不可解な表情を浮かべる。そりゃそうだ。そもそも俺無職だし。

 この世界に意味のないことなど何一つないとの立場を取れば、そういう言い方もできるというだけの話である。人はそれを詭弁と言う。

 

 前から思ってたけど、この世界に意味のないことは何一つないなんて大嘘だよな。よしんばそうだとしたら、無意味や無価値という言葉に意味がなくなるじゃねえか。

 ほら、意味のないことあった。Q.E.D.

 

「でも、そういうアリシアさんこそ、自分の過去は一切お話しになりませんよね」

 

 アリシアの視線が、こちらを向く。

 

「あなたがロゼッタに赴任してすでに一年が経つというのに、誰一人としてあなたの素性を知らない。これまでどこで何をして、どうしてこの街に流れ着いたのか……街ではもっぱら噂になってますよ。実は凄腕の治癒術士(ヒーラー)なんじゃないかとか、あるいは――」

 

 目が合うと、俺は続く言葉を述べた。

 

()()()()()()()()()()()()()()、教団本部から送り込まれたんじゃないか……とかね」

 

 窓から射し込んだ月光が、足下に暗い影を落とす。

 そのとき、アリシアのクロッカスの花のような綺麗な瞳が、わずかに光沢を失ったように見えたのは、俺の気のせいだろうか。

 

 ふっと口元を緩めて、アリシアが言った。

 

「やだなあ。街ではそんな噂が流れているんですか。過去を語らないのは、語るほどの過去を持ち合わせていないからです……それに、女性の過去は気安く詮索すべきものではありません。なぜかというと」

 

 人差し指を口元のほくろに重ねるように合わせると、彼女は俺にウインクをした。

 

「年がばれてしまうからです♪」

 

 相変わらずな彼女の受け答えに、俺は微笑で応じる。

 これ以上は、カマをかけても無駄か……

 

「ああ、そうそう。以前あなたに頼まれていたモノが、見つかったんです。ちょっと待っててください」

 

 待つことしばし。

 彼女は一冊の古ぼけた書物を抱えて、奥の部屋から戻ってきた。

 

「『オリヴィエの歌』。究極のグリモワール『アルス・ノトリア』を完成させるべく、世界中を旅した魔導師ノルンを描いた古代の叙事詩……これでしょう。あなたが求めていたものは」

 

 俺は受け取った書物をペラペラとめくる。

 活版印刷の技術が普及した現代では、もはやロストメディアと化しつつある、羊皮紙独特の手触り。間違いない。

 

「魔導師ノルンと言えば、第一次東征で勇者シリウスの右腕として活躍した人物……奔放な人柄で知られ、戦後は弟子と共に世界を回り、各地に多くの伝説を残したという。その足跡を垣間見れるのが、『オリヴィエの歌』でもある訳ですが……どうして今さら、こんな古い書物を?」

「実を言うと、ノルンはガキの頃の憧れなんですよ。魔王討伐後、あらゆる褒賞や仕官の類いを断り、自分の好きなことだけ突き詰めて、やりたいことやって天寿を全うしたっていう彼女の生き様が好きで……いや~、懐かしいな……どこで手に入れたんですか?」

「ああ、教団内の伝手です」

 

 アリシアはそれ以上を語らなかった。

 振り返れば、泡沫(バブル)のようだった大航海時代の熱気も冷め、中央大陸(セントレイル)西部に鎮座する「帝国」のヘゲモニーの下、世界の一体化が急速に加速しつつあるこのご時世、貿易品に紛れてこのようなガラクタが流れてくることも、決して珍しくはないのだろう。

 

「どうぞ。持ち帰っていただいてかまいませんよ」

「ありがとうございます。子供の頃を懐かしみながら、じっくり読ませていただきますよ」

「イリヤ様は、常に私たちを見守ってくださいます。あなたの前途に、ご加護のあらんことを――」

 

 にっこり笑った彼女の顔を見て、俺は再度礼を言い、その場を後にした。

 

 

    *

 

 

 翌日。

 俺は珍しく日中から活動を開始し、鍛冶屋町にある武具屋へと向かった。

 そこにはかつての無職仲間がいる。今やそつなく稼業を継いで、五代目鍛冶職人として日々精進しているらしいのだが。

 

 まあ要するに、俺からすれば無職の誇りを捨てて、俗世にドロップアウトした裏切り者である。

 

「え? ニケ、お前どうして――」

 

 店先にツラを出すと、彼はまるで得がたい汚物を見たように、ぽかんと口を開けていた。

 

 俺は無言でうなずき、クイクイと人差し指を動かして、話があるとのサインを出す。

 ちなみにニケというのは、ガキの頃からの俺のあだ名だ。本名とはさして関係がない。

 

「……わかったよ。ちょっと待っててくれ。お袋に店番頼んでくるから」

 

 そう言って、エルは店の奥へと引き下がる。

 

 やれやれ。コイツのこういう生真面目な所は、昔から全く変わりがない。

 城壁の外を探検していると、夕暮れが近づくや、「ねえ、もう帰ろうよニケ……」、「お母さんに怒られるよ……」とか、ブツブツ言ってたからな。

 三つ子の魂なんとやらということか。あのときアイツもう十歳過ぎてたけど。

 

 二分くらい待つと、エルが再び姿を現した。

 

「ここで立ち話もなんだ。あそこに行こう」

 

 俺は首肯する。お互い言わずとも、行く先は知れている。

 大戦士アレクの巨大な石像が屹立する南の城門を出て、二十分ほど歩いた所にある、小さな丘。ガキの頃から、二人で語らうのはそこと相場が決まっていた。

 

「エル。どうなんだ最近」

「俺はまあ……ぼちぼちやってるよ。まだまだ親父の域には到底及ばないが、それでも近頃やっとこさ、褒められるようになってきたんだぜ。いやはや、鍛冶の世界は奥が深い……一歩進めば進むほど、これまでの未熟さを思い知らされるような心地になる。けど、最近はそれが面白いと感じるようになってきてな。世界が開けたっていうかね」

 

 思いも寄らぬ旧友の言葉に、俺は目を糸のように細める。

 

 なんということだ。

 これが元無職の発言か。お前ともあろうものが、いつの間にか労働に対してポジティブな意見をのたまう人間に堕落しちまったなんて……

 

 無職ひとたび去りて、また還らず。

 時の流れは残酷だ。物語はいつだって、俺一人を置き去りにしてハッピーエンドを迎えやがる――

 

「お前こそどうなんだよ、ニケ」

「俺か。俺はまあ、相変わらずだ」

 

 久方ぶりに浴びる午前の陽光は、今の俺には眩しすぎた。

 吸血鬼(ヴァンパイア)か俺は。ツェペシュの末裔じゃないんだから……

 

「思索のフロンティアをさまよう、孤高の魔導師。今までもこれからも、俺は俺のあるがままを突き進むだけだ」

「お。懐かしいな、その言い回し。久々に聞いたような気がするよ」

「お前を失った世界は少々息苦しいが、ここで折れるつもりはない。孤高の魔導師ニケは、亡き戦士エルの意志を受け継いで、今日も元気に最前線だ」

 

 俺の言葉に、エルは「ははは」と微笑する。

 失礼な奴だ。俺の神聖にして不可侵なる決意の、一体どこがおかしいというのか。

 

 俺は無職であることを誇りに思っている。

 依るべき場所を持たず、何物にも染まらず、道なき道を、ただ一人ソロプレイで歩み行くマージナル・マン――それこそが無職である。

 世界が無職に厳しいのは、ひとえに俺たちが穢れなき存在、つまり無色であるからだ。真っ白なものは汚したくなるのが世の道理だからね。

 

 同胞たちに告ぐ。

 俺は世界には屈しない。たとえこの世界の全ての無職が職に就こうとも、俺は最後の一人になるまで戦い続ける覚悟だ。

 

「戦士エルと、魔導師ニケか……まったく。今となれば、何もかもが懐かしいな……」

 

 訳のわからん決意を固めている俺の隣で、エルがぽつりとそう呟いた。

 そよ風が頬を撫で、草原がさらさらと揺れている。

 

 遙か地平線の果てまで海が見渡せる、見晴らしの良い吹きさらしの丘の上に到着すると、エルは石の上にどかっと腰を下ろした。

 

「で、ニケ。本題はなんだ。まさか昔話をするために、俺に会いに来た訳じゃないだろう?」

 

 そのとおりだ。

 俺は両腕を組み、ここぞとばかりに語り出した。

 

「エル。勇者クロノアが決起するのは、いつだか知ってるか?」

「三次東征だよな。クロノアが成人に、つまり十六歳の誕生日を迎えてからだから……来年の春とか夏じゃないか?」

「うむ。そのせいか、ロゼッタには最近やたらと見知らぬ連中が増えている。勇者の仲間集めのせいもあるが、クロノア見たさの観光気分の輩が増えたのも事実だ。俺は居酒屋の(せがれ)として、お前は鍛冶屋の倅として、その一部始終を眺めてきたはずだ」

 

 エルは口元に手を当て、わずかに目線を下げた。

 細めたその瞳には、「ただしお前は働いてないがな」とのメッセージが込められているように思える。

 

「ニケ……俺とお前の仲だ。前置きは要らない。結論から話そうぜ」

「ならば単刀直入に言おう。俺は、アルス・ノトリアを探している」

 

 エルが(まばた)きを止める。

 

「アルス・ノトリア、だって……?」



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4 邂逅

「そうだ。ずいぶん久しぶりに聞く名前だろう? いにしえの魔導師ノルンが完成させた、禁断のグリモワール。その書物には、今の世には出回っていない古代魔法(クローズド・スペル)。俗に言う禁術が記されているという――」

 

 驚きと戸惑いを五分で煮詰めたような表情を浮かべるエル。

 構わず、俺は続けた。

 

「各国の強者が勇者の仲間にならんとロゼッタに集い、お前の鍛冶屋が繁盛していることは、俺も小耳に挟んでいる。客の中には、アルルやガラテア、エフタルといった異国の人間も大勢いて、そいつらはロゼッタの人間が知り得ぬ情報を有しているはずだ。鍛冶屋の番頭でもあるお前の立場を見込んで、是非教えてほしい。商売のやり取りにおいて、アルス・ノトリアに関する情報を耳にすることはなかったか? 真偽は問わない。些細なゴシップでも構わない。とにかく、今は情報が必要なんだ」

「…………」

 

 エルは沈黙した。眉間にしわを寄せ、記憶の糸を必死でたぐり寄せようとしている。

 その姿を見て、変わらないなと思った。間違いない。彼がゾーンに入ったときの顔だ。

 

 大丈夫。

 親譲りの聞き上手で、子供の頃から損ばかりしてきたコイツなら、きっと――

 

 俺の期待に応え、エルがすっと顔を上げる。そして言った。

 

「すまん。わからんわ」

「そうか……って、は?」

 

 沈黙が流れる。

 よくできた石膏像のように凍り付いた俺がいたたまれなくなったのか、エルが弁明を始めた。

 

「いや、言い訳になるんだけど……俺の店に寄るのは、戦士や拳闘士の連中が多くて、そいつらはほとんど、勇者か魔王の話しかしないんだ。例えば、ローランは本当は生きているが、魔王に精神を侵食され、ダークサイドの傀儡となってしまったとかなんとか、そんな眉唾モノのウワサばかりで……」

 

 盲点だった。

 そりゃそうだわ。戦士や拳闘士の連中が、魔法にまつわるエトセトラなんぞに興味があるはずがない。あいつら暇さえあれば、酒と女と筋肉とあと筋肉のことしか考えてないような連中だからな。

 

 端的に言えば、マジ低脳。

 どうでもいいけど、マジ低脳って言葉がマジ低脳。

 

「そ、そうだ。刀工ギルドの連中はどうだ? 商売柄、接することも多いだろ?」

「ああ、そっちがあったか……でも、刀工はみんな、その辺の世情に疎くてなあ。職人肌って言うか、『たとえ明日世界が滅ぼうとも、俺は今日も剣を研ぎ澄ます』みたいな人ばっかりで……うーん」

 

 俺のテレパスが届いたのか、エルは力強く膝を打った。

 

「そうだ……思い出した! エフタルだよ!」

 

 エフタルといえば中央大陸(セントレイル)の中西部に位置し、獣人族が支配する、砂漠の古王国のことだ。

 中つ国で現存する最古の王朝と言われており、絶世の美女と謳われる、アイリス7世が治めることで有名な国である。

 

「王国の考古学者チームが、旧時代の遺跡から石碑の断片を発掘したらしくてな。解読した結果、遙かいにしえに失われた魔法の術式であることがわかった。つまり、アルス・ノトリアの一部ではないかと推測されている」

 

 ハッとしたような俺の顔を見て、狙い澄ましたかのように、エルが微笑する。

 

「ニケも知っているとおり、魔導師ノルンは生前、十三の章からなるアルス・ノトリアを分冊して弟子に託し、世界のあらゆる場所に隠すよう遺言したという伝説がある。今回のエフタルの発見は、それまでただの迷信だと思われていたアルス・ノトリアの実在を裏付けるものとして、にわかに注目が集まっているそうだ」

 

 不揃いな点が、俺の中で一つの線を結ぶ。

 

 なるほど……こいつはいいことを聞いた。何はともあれ、大陸に渡り、西方に行かないことには、話は始まらねえか――

 

「ありがとう、エル。やっぱりお前に相談して正解だったよ」

 

 差し出した手のひらを、エルが握り返す。そして、はにかんだように笑った。

 その笑顔は、ガキの頃からちっとも変わらない。

 

「でもニケ。お前が子供の頃の夢を未だに覚えていたなんて、正直驚いたよ」

「ん?」

「あれから色々あったけどさ……やっぱりお前は、魔法の話をしているときが一番お前らしいよ。生き生きしているっていうかさ。昔を思い出しちまった」

「……そうだな。夢を職にすると書いて、『むしょく』と読むからな。まだ色の無いキャンバスと呼んでくれ。俺もう二十二だけど。いつまでも白で許される年頃じゃなくなったけど。そういう意味では、白というより黒なのかもしれんけど」

 

 アホなことを言うと、エルは声を出して笑った。

 その昔、こんな風に他愛もないことを話しては、笑い合っていた時代があったことを、少し思い出してしまった。

 

「西方も、最近は情勢が不安定だからな。魔物が凶暴化していることもあるが、帝国の専横には、いっそう拍車がかかっていると聞く。気をつけろよ、ニケ」

「お、おう……」

「行くんだろ、エフタル? 子供の頃からの夢だったアルス・ノトリアを手に入れて、()()()()()を取り戻すきっかけを掴めるといいな」

 

 俺は答えなかった。答えられなかったと言った方が正しいかもしれない。

 

 海風が頬を撫で、地面に延びた影が揺れる。

 エルは何かを噛みしめるように小刻みにうなずき、俺の無言を肯定と解釈したようだった。

 

「すまん、あまり触れてほしくないことだったかもしれないけど……うん。何にせよ、目標が見つかったのはいいことだ。頑張れよ。俺は応援してるから」

「……ああ……」

 

 言うべき台詞なんていくらでもあったはずなのに、俺は聞き分けの悪い子供みたいに、ただうなずくことしかできなかった。

 

 快晴の空から射し込む陽光が、いやに眩しい。

 季節は秋で、丘の下に広がる一面の麦の穂が、風に揺らいでいた。

 

「おっと、ゆっくりしすぎたな。悪いがそろそろ行くよ。これ以上店番サボると、親父にどやされるんでな……いつ旅立つつもりなんだ?」

「まあ、冬が厳しくなるまでには……親父にはまだ何も話してないし」

「そうか。まあ何だ、また今度時間を取って、ゆっくり話そうぜ」

「……そうだな。気が向いたらな」

 

 相変わらずな俺の受け答えに、エルはにっと笑った。

 

「ニケもなるべく早く戻れよ。最近は、こんな街の近くにも魔物が出没するようになってるからな。昔のお前ならともかく、今のお前なら……じゃあな」

 

 手を振り、丘を下って街へと帰っていくエル。その背中が遠のいて、やがて完全に見えなくなる。

 深く息を吐き出すと、俺は地面に延びた自分の影を見つめた。そしてハナクソをほじる。風がないで、金木犀の香りが漂った。

 

 わかってはいた。

 失った魔力を取り戻したところで、失った時間までは返ってこないってこと。

 

 時間は誰の前にも平等に流れると言うが、果たしてそれは本当だろうかなんて、ひどくくだらないことを俺は考えていた。

 

 

    *

 

 

 夕陽が地平線に沈もうとした頃、俺はロゼッタに程近い小川のほとりに一人佇んでいた。

 二人で語らうのが丘の上なら、一人で黄昏れるのは川辺。ガキの頃から変わらない、俺の習慣だ。

 

 幸いにして、有力な手がかりは得た。

 あと必要なのは、目的に(かな)う「器」の存在。

 

 諸説あるが、魔法の起源は、エルフと魔族にあるとされている。

 俗に白魔法と呼ばれているスペルの起源がエルフ、黒魔法と呼ばれているスペルの起源が魔族だ。

 

「エルフは光を、魔族は闇を、ドワーフは工芸を、獣人族は交易をこの世界にもたらした。そして人間は、それらすべてを略奪した」――『オリヴィエの歌』に出てくる、人間の強欲さ・狡猾さを端的に表す象徴的な一文だ。まあ、種族論議はこの際どうでもいいさ。

 

 問題は、魔法が人間に過ぎたる技術であるということだ。

 

 一概に魔力と言っても、それは自然界に存在するマナと、生物が生まれつき保有するオドのニ種類に分類される。

 外部のエネルギーであるマナを過剰に取り込むと、十中八九、人間のカラダは異常をきたす。肉体の機能が壊死したり、精神錯乱を起こして廃人と化したり……まあ色々だ。

 

 なぜこういった現象が起きるのかというと、人間が保有するオドには生まれつき個人差があるからだ。すなわち、魔力を収める「器」には、個々人の資質に応じた許容量がある。専門的には、これを魔力耐性と言う。

 個々人の魔力耐性を超過し、限界まで膨らんだ風船は、いずれ必ず破裂して、先述した「暴走」や「中毒」といった症状を引き起こす。

 

 諸刃の剣と言ってもいいだろう。「魔法は効果に見合うだけの対価を求める」と言われる由縁だ。

 

 古代魔法は人体蘇生や大規模破壊など、安易な行使を許せば、一国の秩序や安寧が崩壊しかねない、危険な技術の結集だとされている。

 それほどの技術だ。外部からのアシストを借りないことには、発動は限りなく不可能に近い。もう何が言いたいかはわかるだろう。

 

 仮にアルス・ノトリアを見つけても、そこに書いてある古代魔法を「安全」に行使できる魔法使いが、この世界にどれほどいるというのか――

 

 俺は深くため息をつく。そして目を瞑り、天を仰いだ。

 

「…………」

 

 秋風蕭々として、行く川の流れは暗し。

 君は一人悠久の草原にたたずみて、暮れなずむ空を仰ぎ見る。

 そして虚しく放屁せん――

 

 感傷的なポエムを詠み上げ、予定調和的に屁をこくと、俺はすっくとその場から立ち上がった。

 

 物思いにふけっているうちに、辺りはすっかり夜の気配が立ちこめていた。焼けたように紅く染まっていた空も、いつしか漆黒のそれへと色を変えている。

 闇が下りた草原は、昼間と打って変わってほの暗く、不気味ですらあった。

 

 少し、長居をしすぎたか。

 エルも言っていたが、最近は街のすぐ近くにも魔物が出没するようになっている。まして夜は、連中が殺気立つ時間帯だ。

 

 昔は人を襲う事なんてなかった獣たちが、理性を失って凶暴化し、魔物という名前を与えられたのは、そう遠い昔の話じゃない。

 俺も学者じゃないんで詳しくは知らんが、大気中に占めるマナの割合が昔より増えているのが、その最たる要因らしい。

 

 現にネウストリアでも、魔力泉の噴出という事例は、ここ数年で爆発的に増加している。

 要は、「魔力泉の活動の活発化→マナの濃度が局地的に高まる→魔力耐性が低い獣たちが理性を失い始める」というカラクリらしい。知らんけど。

 

 ちなみに南洋の陰陽道という学問の見解では、自然が寒冷期と温暖期を繰り返すのと同じで、世界は「陽」の気と「陰」の気が交互に出現し、今俺たちの生きている時代は、「陰」の気が色濃く出ている時代なんだとか。知らんけど。

 

 どおりで俺みたいな陰気くさい人間が、ここぞとばかりに跳梁跋扈してるワケだ。やれやれ。つくづく嫌な時代だな。

 

 ロクに装備も整えていない今の俺では、魔物に遭遇した時点で確実に詰みだろう。

 そんな装備で大丈夫か? オーケー、むろん大丈夫じゃない。

 

 俺は「鷹の目(ホークアイ)」に続く自慢の隠密スキル(自称)、「無音の歩み(ウォーカーインザダーク)」を発動し、腰を低くして慎重に草むらをかきわけ、街を目指す。

 が――

 

 微かに伝った葉擦れの音。

 

 歩みを止めた瞬間、前方十メルトほど先に、俺はそいつを視認した。おぼろげだった輪郭が、はっきりと浮かび上がる。

 

 ウィル・オー・ウィスプ。

 

 俗に言う鬼火だ。アンデッドの一種で、霊体である彼等は自在に姿を消すことができる。その性質を使って、しばしば人里に現れては、悪さを働くという民間伝承がある。

 

 俺もガキの頃、ある日突然家の保管庫からチーズがなくなって、「わあ! ウィスプのしわざだね!」と言ったら、問答無用で親父に尻をぶたれた思い出がある。

 大人はいつだって理不尽だ。いやまあ俺が食ったんだけどよ。

 

 ウィスプはこちらから仕掛けない限り、基本的には大人しい魔物だ。

 幸い、向こうは俺の気配を察していないようだし、このままどうにかやり過ごせそうだ。

 

 しかし、幽霊にも存在を認識されない俺って一体……これじゃどっちが生きてるんだかわかんねえな。いや、ひょっとしたら、本当に死んでるのは俺の方なんじゃないか? 

 なにこのホラー。確かに社会的には死んでるも同然だけどよ。

 

 十分に距離を取って、迂回。

 ここまで行けば大丈夫だろうというポイントに達し、俺はウィスプの方へ振り返る。そのときだった。

 

 青白い光をふっと明滅させて、ウィスプが忽然と姿を消す。

 同時に、低く、獰猛なうなり声が聞こえてきた。

 

「グルル……ガル……」

 

 ダイアウルフ。

 

 マズいのが来たな、と俺は思った。

 連中は足も早いうえ、夜目も利く。おそらく気付かれた瞬間、アウトだろう。

 押し寄せる現実の波から逃げ続けて、逃げ足にはすこぶる定評のある俺でも、さすがに連中を撒くのは困難だ。城門までは、まだかなり距離がある。

 

 ならば戦うか?

 言うてワンコだし。今の俺のカスみたいな魔力でも、先制攻撃上等で一発ぶちかませば、どうにかなる相手ではあるが――

 

「グルルルル……」

「?」

「ガルル……ワゥ!!」

「んだようっせえなって……あ?」

 

 振り向いた瞬間、そいつと目が合った。

 

 ダイアウルフ。三メルト先。

 

 二匹目のお利口さんなダイアウルフは、俺を視界に捉えるや否や、「ウオーーーーーン!!」と遠吠えをした。

 すると四方八方から、それまで草むらに伏せていたのであろうダイアウルフたちが、次々と姿を現した。

 

「え、ちょま……へ?」

 

 刹那、獲物を見つけた狼たちが、一斉に殺到する。

 

 前方のダイアウルフが、牙を剥き出しにして、飛びかかってくるのが網膜にスローモーションで映し出される。

 

 指先に意識が集まって、心臓がとくんと脈を打つ。

 

(ダメだ、やるしかない――)

 

 突如、稲光のような剣閃が走り、目の前のダイアウルフが真っ二つに切り裂かれる。

 そして瞬きする暇も与えず、後方から押し寄せてきた二匹に、さらなる一閃が放たれた。血しぶきが(ほとばし)り、切断された胴体が地面に無惨な姿を晒す。

 

 いずれも一撃。

 

 見るも鮮やかな剣撃に恐れをなしたのか、残りのダイアウルフたちは、我先にと一目散に逃げ出していった。

 事を成し遂げた人物は、何事もなかったかのように、平然と言い放った。

 

「こんな時間に、一人で外を出歩くのは危険ですよ」

「……お前は」

 

 振り向いたその人物を見て、俺は言葉を失う。

 護拳の付いた曲剣が腰元の鞘へと仕舞われると、小気味の良い金属音が響いた。

 

「勇者、クロノア……」



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5 御前試合

 郊外でダイアウルフの群れに遭遇し、間一髪の所をクロノアに救われた俺は、そのまま彼と一緒に城下に戻ることになった。

 

「すまない。本当に助かったよ」

「いえ……お気になさらず」

 

 ロゼッタへ戻る道中、俺とクロノアが交わした言葉は、たったそれだけだった。

 存外、無口なヤツなんだなと思った。その辺り、老若男女分け隔てなく、気さくだったローランとは対照的だ。

 

 いやわかってるよ。どうせ相手が俺だからだよ。

 

 他のみんなには通じるのに、俺には一切通じないとか、俺のディフェンスどんだけ鉄壁なの? 

 四天王の二番目くらいにいそうだよな、こういうヤツ。攻撃は大したことないけど、防御は最強みたいな。口癖は、「強さと孤独はよく似てる」でお願いします。

 

 俺も俺で、「いやー狼って、一匹狼ってワードのせいで単独行動のイメージあるけど、すんげー群れて行動する生き物だよね。現地集合って言われたから、一人で現地まで行ったら、他のみんなは友達と一緒に来てて、結局一人で来たの俺だけに近い矛盾を感じるよね。しかもそういうときに限って到着遅れて、『もうみんな揃ってるよな』みたいな空気を遠目で察したとき……ホント死にたくなるよね。ナハハハ!」とか言えばよかったのかもしれないが、さすがに気持ち悪いのでやめておいた。

 

 アホなことを考えているうちに、南の城門に着いた。

 そこでクロノアは、初めて俺の目をまっすぐ見た。

 

「それでは。僕はここで」

「ああ。ありがとう」

 

 クロノアはうなずき、踵を返す。訓練がてらモンスターを狩ったのち、夜更けまで庭先で鍛錬に励むというのが、奴の日常なんだろう。

 

 全く、見上げた向上心だ。

 

 自らに課した使命に忠実で、努力を怠ることがない。そのひたむきな姿勢は、見る者の心を打つ。天才という言葉は、本来こういう人間に対して用いるべきなのだろう。

 

「そうだ……一つ、言い忘れていました」

 

 勇者が足を止める。

 

「生前、父が貴方のお店に何度も顔を出していたようで。その節は、大変お世話になりました」

 

 街明かりの炎がゆらゆらと揺らめいて、夜風が首元を通り過ぎる。

 市場は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていて、酒場からは酔っ払いどもの賑やかな声が漏れ聞こえてきた。

 

 会釈をして、去りゆくクロノアの背中を見つめながら、俺はその場に立ち尽くし、ため息をついた。

 

「……あいつ、最初から知ってたのか」

 

 天才、と俺は評した。だが冷静に考えると、それはクロノアに対してひどく礼節を欠いた言葉だった。

 

 たかが十五歳の少年が、人々の身勝手な期待を一身に背負い、愚痴の一つも吐かずに、巨悪に立ち向かおうとしている。

 

 はっきり言って異常だ。イカれた構図と言ってもいい。

 

 村を苦しめる理不尽な怪物の怒りを鎮めるために、若い娘を生贄に差し出す行為と、根本的に何ら変わりがない。称賛に値すべき人物だなんてほざいて、挙げ句の果てに涙まで流す連中の神経を心底疑いたくなる。

 

 どうして誰も、「大人は何をやっているんだ」と声を大にして主張しないのか。

 

 決まってるよ。

 それを口にすれば、「じゃあ、お前には何ができるんだ」と聞き返されるのがわかっているからだ。

 

 クロノアの心の内には、不安や恐怖といった感情は存在しないのだろうか。本当に自分が魔王を倒せるんだろうかという重圧に、押し潰されそうになることはないんだろうか。

 アイツだってわかってるはずだ。大いなる力には大いなる責任が伴うなんて、所詮守られる側に都合のいい弁明に過ぎないってこと。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()と、その他大勢の傍観者どもを、憎々しく思うことはないんだろうか――

 

 夜風がやわらぎ、ざわめいていた草木が鳴り止む。

 偉そうにほざいたところで、クロノアから見れば、俺だって所詮は傍観者の一人に過ぎない。天才だなんて都合の良い言葉で包み隠して、理解から遠ざけようとしているという点では、世間の無自覚な阿呆どもと同罪だ。

 

 静寂と喧騒が入り交じる夜の街で、俺はしばらく立ち止まったまま、一歩も動き出すことができなかった。

 進むべき道が照らされているクロノアとは違って、俺は自分が進むべき方角も、本当にそれが正しいのかどうかの確信さえも、持ち合わせていなかったからだ。

 

 

    *

 

 

「――アルス・ノトリアねえ。なるほど、耳にタコができるくらい聞いたことがあるネタだわ」

 

 クラインの酒場。

 真っ白な布巾でグラスを丁寧に磨きながら、マスターは言った。

 

「でも十中八九、デマなんだよなあ……そんなもんおとぎ話の夢物語で、実在するワケねえだろってのが、商人の間じゃ主流の見解になってる。エフタルの発見にしても、懲りずにまたニセモノつかまされたのかよって、酒の肴にしてる連中が大半だぜ」

 

 ピカピカに磨き上げたグラスを棚にしまうと、マスターは俺の目を見て言った。

 

「にしてもお前、急にどうしたんだ? アルス・ノトリアなんぞに興味持って……魔術士は廃業したんじゃなかったのか?」

「……別に」

 

 いつもは気にならない酒場特有の喧騒が、今日はいやに耳元にこびりつく。中身がなく、意味もなく、それでも繰り返し続けるノイズの順列組み合わせだ。

 

「情報がほしいんなら、くれてやろうか?」

「いいよ。どうせカネ要求するんだろ」

 

 マスターはニッと笑った。

 

「当たり前だろ。情報は時として、百枚の金貨より価値があるんだよ。誰がタダで教えてやるか」

 

 でしょうね。だからこそ、俺はコイツではなくエルを頼ったのだ。

 ギルドマスターという立場上、この男の元には、放っておいても勝手に情報が吸い寄せられてくる仕組みができあがっているのだろう。うらやましい限りだ。

 

「一角の地位にあるアンタが、未だに店に立ち続ける理由が、少しわかったような気がするよ……」

「あん?」

 

 俺は答えなかった。

 

 人間は多かれ少なかれ、誰かに秘密を打ち明けたいという欲求を持っている。こういう酒の入った席で、その場限りの後腐れのない、口の堅そうな男が相手なら尚更だろう。

 そしてこの手の打ち明け話には、時としてとんでもない値打ちの情報が混じっていたりして、その掘り出し物の価値を理解しているからこそ、この男の仕事の流儀はプロフェッショナルとか言いたかったのだが、途中で「何が楽しくてこんなオッサン褒めなあかんのじゃ」という気分になったのでやめた。

 

 おわり。

 

「何だ、一人でニヤニヤして気持ちわりぃな……酒変えるか?」

「一番安いヤツで頼む」

「ゴクツブシだもんな、お前」

「おう」

「良い返事だ。迷いがない」

「おう」

「そこは迷えよ……」

 

 カランと氷の音が鳴って、マスターがグラスを差し出す。

 「何だこれ」と言ったら、「酒」と言われた。そりゃそうだ。酔っ払いに何飲ませても同じだもんな。要はアルコール入ってりゃいいんだよ。

 

「お前にゃまだ言ってなかったけどよ。来週、面白い見せモンがあるんだ」

 

 マスターはポケットから煙草を取り出し、指をパチンと鳴らして火を付けた。手品のように見えるが、何てことはない。詠唱を省略した簡易魔法だ。

 

「いいのか? 営業中だろ」

「構わん。どうせ誰も見てないし、覚えてない。酔っ払ってんだから」

 

 マスターは口から煙を吐き出す。この時代には珍しく、噛み煙草ではなく紙巻き煙草を愛用しているようだ。

 煙草を吸っていると、怜悧な印象がより強調される男だった。素性が読めないというか、元々どこか近寄りがたいミステリアスな人物ではあったが。

 噂によると、年齢は三十代後半くらいなんだと。意外に年は食ってるらしい。

 

「で、話戻すけどよ。その見せモンつーのが、聞いて驚くなよ。御前試合だ」

「御前試合? クロノアが戦うのか?」

「ちがう、戦うのは勇者じゃない……勇者の仲間候補だ。クラインの酒場にも、すでに相当な人材が揃っている。クロノアの旅立ちまで一年を切ったし、ここらがいい潮時だ。誰が勇者の仲間に最もふさわしいか……誰が最強なのかを、勇者の面前で戦って決めてもらう」

 

 グラスを卓に置くと、俺はしばし視線をさまよわせた。

 

「カードは?」

「あん?」

「ご大層に御前試合って言うからには、根回しはもう済んでるんだろ。クロノアの面前で戦うのは、誰と誰だ?」

 

 マスターは煙草の灰をトンと落とし、不敵に口角を上げた。

 

「戦士ゴライアスと、魔法使いドロシー」

 

 その返答に、なるほどと俺はうなずく。

 確かに、最強を決めるんだったら、その組み合わせしかないだろう。共にその道で天才と称され、勇者の仲間集めにおいて「当確」と目されている二人だ。

 

 勇者のパーティーに選ばれるのは、攻守のバランスを考慮して、おそらく四人だろうと推測されている。

 

 軍の最小単位だって、現代では四人編成がメジャーなことからも、これについて異論の余地はないだろう。

 アタッカーにディフェンダー、ヒーラーにサイドアタッカーってのは四人編成における古くからの鉄板だからな。エンハンサーを誰が兼ねるかの違いしかない程度には、王道の編成といえる。

 

 したがって、勇者の仲間決めは、事実上残りのヒーラー枠を賭けた熾烈な争いが繰り広げられているのが現状と言っていい。

 

「しかしよく思いつくよな、こんなくだらない見せ物……」

「パンとサーカスってか? 当の二人は、こう見えて乗り気なんだぜ」

 

 乗り気ね……そりゃそうだろう。

 ここで白黒ハッキリつけておけば、パーティー内の序列も明確になる。ナンバー2のポジション、すなわち勇者の右腕の地位が確保されるというなら、これに乗らない手はない。

 

「それにしてもアンタ、よくクロノアを引きずり出せたな。こういう俗なことには、あまり感心を示さない奴だと思っていたんだが」

「どうかね……本心はもっと、別のところにあるのかもしれんが」

 

 何やら含みのある言い方だったが、マスターはそこで煙草の灰を灰皿に落とした。

 

「試合は一週間後の正午、魔法アカデミーの演習場で行われる……お前も見に来いよ。魔王を本気で倒そうとしている連中が、どれほどの高みにいるのか、自分の目で確かめられる良い機会だ」

「わかった。行けたら行くよ」

「それ、来ない奴の台詞だから。必ず来いよ」

 

 半笑いで俺を指差すと、マスターは煙草の火を灰皿でもみ消し、カウンターの奥の別室へと姿を消した。

 しかしアイツ、どういう訳か執拗に誘ってきたな……何なの? 俺のことラブなの?

 

 クソ無職の俺が、優等生諸君の試合見たところで、何のメリットもないんだけどな……。

 まあそれを言ったら、この広い宇宙において俺が存在するメリットも皆無なんだが。視野が壮大すぎる? むしろマクロすぎて逆にミクロまであるんでは……

 

 ぽつんとカウンターの隅に残された俺は、グラスに残ったモヒートをちびちび飲みつつ、クロノアに救われた一昨日のことを思い返していた。

 

 考えれば考えるほど、俺はクロノアという人間について多くを知らない。

 彼の隣家で暮らしていながら、世間の有象無象と同じく、「神に選ばれし者」、「英雄の意志を継ぐ者」といった崇拝にも近い飾り文句に終始し、その奥にいる一人の人間の観察を怠っていた。

 

 俺の記憶にあるクロノアは、いつだって庭先で剣を振るっていた。

 

 花咲く春も、揺らめく夏も、実りの秋も、雪降る冬も、彼は一日もかかさず剣を振るい、自身の向上に努めていた。廊下の突き当たりの四角い窓から、俺はずっとその様子を眺めてきた。アイツが誰より努力の人であるのは、皮肉にもこの街で俺が一番知っている。

 

 大した野郎だと思ったこともある。ただの阿呆なんじゃないかと呆れたこともある。でも、こういう人間こそが世界を救うべきなんだろうなと思った。

 

 選ばれし者と、選ばれざる者。

 

 世間が崇拝から彼との距離を保ったのと同じく、俺は羨望と絶望から彼の理解を拒絶した。けれど、今なら一つだけ言えることがある。

 

 あいつはきっと、誰より孤独だ。

 その胸に誰とも分かち合えない孤独を抱え、今までずっと生きてきたんだろう。

 

 掴んだグラスには、氷が溶けて、じんわりと水滴がにじみ出していた。

 勇者は一番遠い所にいるようで、その実一番近い所にいた人物だったのかもしれないと、柄にもなく俺はそんなことを思った。



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6 役者は揃った

 一週間後、御前試合を観戦すべく、俺は貴族街の魔法アカデミーへと赴いた。

 ここに出向くのは……あの時以来か。

 

 どうにも憂鬱な気分のまま、重い足取りで現地に向かうと、すでに大勢の人だかりができていた。

 酒を片手に、今日の試合について語っている。中にはどちらが勝つか賭け勝負に興じている気丈な連中もいるようだ。

 

 全くもって、いい見せモンだ。

 カーニバってフェスティバって最高にハイになってやがる上層市民どもを目の当たりにして、早くも帰りたい衝動に駆られている俺だったが、そこでようやくお目当ての人物を見つけた。

 

「ニケ、こっちこっち!」

 

 エルもまた俺の姿に気づき、大きく手を振る。

 なんか迷子になった子供の気分だな……

 

 実を言うと、一人ぼっちで観戦するのが嫌だったので、あらかじめエルに根回しをしておいたのだ。ぼっちで「アイツ……一体何者なんだ?」とか実況しても、虚しいだけだしな。お前が何者だって話だよ。

 

「中々悪くない席だろ。ギルドの伝手で手に入れたんだ」

 

 エルの話によると、商工ギルドに加盟している事業者は、マスターの手配で最前列の席を確保してもらっているらしい。まあコネだな、コネ。

 

 ぼっちが世界で最も忌み嫌う言葉の一つだよ。選ばれしぼっちは、孤高を極めすぎた余り、輪廻の輪からも外されているからな。

 それゆえコネとか縁とかパイプとかいうカードと、すこぶる相性が悪い。出された瞬間、体中の穴という穴から血を噴き出して、憤死するレベル。

 

「あのマスターは大した御仁だよ。それまで職種別に縦割りだったギルドに横串を差して、そつなくまとめている。富裕層の多くは彼のギルドにこぞって投資しているし、今じゃ国にも多大な影響力を有しているとの噂だ」

 

 でしょうね。

 根回しとか交渉とか二枚舌とか三枚舌とか、クソ得意そうだもんな。何だって金にするのが玉に傷だが。

 俺? 妬み嫉み恨み、その場しのぎに事なかれ、責任転嫁に批判炎上、速攻帰宅が得意だよ。みんな仲良くしてくれよな!

 

 ふと、うちの居酒屋は招待されていたんだろうかとの疑念が脳裏をよぎった。

 

 ギルドに加盟している以上、一応話は行ってるんだろうが……親父は昔から、町内の会合だのに顔出して、周囲にヨロシクすんのが大嫌いなタイプだからなあ……。母さんが生きてた頃は、その手の付き合いは全部母さんに丸投げしてたし。

 母さんがいない今となっては、もはや幽霊加盟店と化して、事実上ハブられているのが容易に察せられる。

 

 やべえ、俺の天性のぼっち気質は、親父譲りだったのか……改めて考えてみると、なんか地味にショックだわ……

 

 いや待てよ、俺のじいちゃんも結構頑固というか我が道を行くタイプだったな……

 おいどうなってんだよウチの家系。周囲からは、度々太陽みたいな人だと言われていた母さんの血をもってしても打ち消せなかったとか、業が深すぎるだろ。

 

 さしずめ俺は、ぼっち界隈のサラブレットないし、ヴィンテージもののぼっちってとこか。

 HAHAHA……死にたい。

 

 この呪われし血は俺をもって末代にすべきだなと密かに決意を固めていると、エルが俺の分の麦酒(ルービー)を買ってきてくれた。

 くゥー、旨い! じゃなかった。さすが、気が利く。

 

 最前列の席ということもあり、見晴らしはバツグンだ。

 フェンスを挟んで演習場(スタディオン)の中心、つまりゴライアスとドロシーが戦う場所までは、100メルト以上の距離がある。遠いといえば、少し遠いな……

 

「ああ、ドロシーが条件をつけたんだよ」

 

 エルが麦酒を飲みつつ、言った。

 

「自分の魔法が観客に被害を及ぼさないよう、客との間には十分な距離を取り、保安措置を講ずること。さもないと、自分は勝負に応じないってゴネたそうでな。そんで、この演習場を借りることになったらしい」

 

 確かに、武器による近接格闘を主体とした、攻撃的前衛の戦士とは違い、攻撃的後衛である魔法使いにとって、周囲への安全配慮は勝敗を分かつ重要な要素だ。

 放った魔法が相手にかわされた場合、対象の延長線上に観客がいては、巻き込む恐れがあるうえ、一々そんな可能性を考慮していては試合に集中できない。

 

 対等な勝負を望むなら、対等なフィールドを用意しろと言うのは、ごもっともな主張である。

 

「おいニケ……見ろよ、あれがゴライアスだ」

 

 獅子を象った勇壮な兜に、ドラゴンの鱗にも匹敵する堅さを誇る黒鉄(クロガネ)の鎧。

 一体どうやって振り回すんだと疑問を覚えるほどに、刃渡りの長い戦斧(バトルアックス)……何より特徴的なのは、奴のガタイだ。

 

 身長はゆうに2メルトに迫り、筋骨隆々。どれだけ傷ついても、再び立ち上がるというタフネスを感じさせる。

 

「あれが片手斧? おいおい正気かよ、俺は両手でも無理だぞ」

「普通ならな。それができるから、アイツはバケモンなんだ」

 

 エルが嬉々として語った。

 

「ゴライアスは、俺の店にも足繁く通ってくれていてな。あのガタイのせいで近寄りがたい雰囲気はあるが、話してみると、これが意外と礼儀正しい奴なんだ。戦士たちの間では、ゴライアスこそが、勇者の背中を任せるにふさわしい器だって、もっぱらの評判だよ」

 

 ほーん……ただ有能なだけじゃなく、人望もあるってタイプか。

 

 はっきり言おう。俺がこの世で一番嫌いなタイプだ。

 一人になった瞬間、罵詈雑言と共にモノに当たり散らすくらいの畜生ぶりを発揮してくれないと、到底納得できない。

 

 そこで不意に、周囲がざわつく。

 

 何事かと視線をやると、フェンスを挟んだ前方に、クロノアの姿があった。バトルフィールドにより近い、貴賓席に向かう所らしい。

 彼の隣には、神官のアリシアがいた。

 

「ん? 何でアリシアが」

「ああ、何でも今日の試合の審判を頼まれたらしいぜ。もしものことがあったときに、ヒーラーの彼女は打ってつけだろうって」

 

 目を細め、俺はしげしげとアリシアを眺めた。

 

 黙っていると、口元のほくろが妙に艶っぽい。そして相変わらず見事なおっぱいだが、超一流の実力を誇る二人の戦いをジャッジする立場を任されるとはね。

 たかが街の一神官にしては、ずいぶんな待遇ですこと……

 

「勇者さまだ!」

「きゃ~! こっち向いて~!」

「かっけー……あれが聖剣ブリュンヒルデか……」

 

 人々の歓声に、足を止め、笑顔で応えるクロノア。背中には真っ黒な刀身が特徴的な、いつもの聖剣を背負っている。

 ローランと共に聖剣アロンダイトが行方不明となった今、アヴァロニアに残された貴重な二つの聖剣のうちの一つだ。

 

 ふと、その後ろに立つアリシアと目が合った。目が合うと、彼女はにっこり笑って、こちらに向けて小さく手を振った。

 ズキュゥーーーーン!!

 

(あかん、惚れてまう……)

 

 なんてなる訳がなかった。アホか。

 

 周囲からは「うおおおおおお!!」、「アリシアさ~ん♥」、「最高や!!」と、野郎どもの歓喜の声が上がっていたが、残念だなお前ら。アレは誰かに向けてやっているように見えて、その実誰のためのものでもないんだよ。

 ホント怖いよね女って。怖いからこれ以上は何も語らないけど。

 

 やっぱ男は、硬派に黙ってゴライアスだよな……

 野獣のような無骨な面構えがまた……相変わらずいいカラダしてやがるぜ。たまんねえな。

 

 なんか色々間違ってるけど、今さら正す気もない。そもそも間違っていると言えば、ここまで生き長らえたことが間違いだからな俺の場合。

 たぶん酒のせいだ。そういうことにしといてくれ。

 

「魔法使いはまだなのか?」

「そうみたいだな。開始までまだ時間はあるし、直に姿を見せるだろう」

 

 勝負に備え、静かに闘志をたぎらせるゴライアスを見ながら、俺はその相手となる人物について考える。

 

 魔法使い、ドロシー。

 

 一年くらい前に彗星の如く現れ、以後クラインの魔法使いランクで一度も一位を譲ったことがない人物だ。数十年に一人の逸材と謳われ、ネウストリアじゃ天才魔術士として広く名声を博していながら、人前に姿を見せたことは皆無。

 まだ十代という噂もあれば、よぼよぼのBABAAだという説もある。マスターが創り出した、架空の存在Xなのではないかと疑う者もいるほどだ。

 

 俺としては、色気たっぷりの二十代の大人のお姉さんであれば、feel so good. 

 何も言うことはないのだが……

 

「エル。ドロシーってのは、魔法アカデミーの関係者じゃないんだよな?」

「ああ。外部からネウストリアに渡ってきた魔法使いらしいぜ」

「ふーん……なら、少しは期待できそうだな」

 

 そう呟いて、俺は残りの麦酒をちびちびと飲んだ。

 隣からはエルの視線を感じたが、彼は黙し、結局何も言わなかった。

 

 

    *

 

 

 それから三十分近くが経過した。

 勇者に戦士、審判の神官に主催の商人と、役者は揃っていた。

 ただ一人、魔法使いを除いて。

 

 すでに定刻を過ぎたというのに、一向に姿を見せない彼女に、さすがの観衆も痺れを切らしたのか、ガヤガヤと騒ぎ始めた。

 

「まったく何やってんだ、ドロシーは……」

「大方ゴライアスにびびって、尻尾巻いて逃げたんだろうよ」

「バーロウ。こうやって相手を焦らすのも戦略の内なんだよ。すでに戦いは始まってんのさ」

 

 様々な憶測が目まぐるしく飛び交う中、一人勇者だけは平然としていた。

 クロノアは貴賓席に腰掛け、両手を顔の前で組んでいた。その灰色の瞳に何が映っているのか、俺には知る由もない。

 

 さらに十分が過ぎる。観客の不満がいよいよピークに達しようとした瞬間、それは突然やって来た。

 空間に稲妻のような亀裂が走り、唸るような重低音と共に黒い奔流が巻き起こる。

 

「なんだなんだ?!」

「ドロシーか? ついにアイツが来たのか?!」

「ヒィーハァーーーッ!! 真打ち登場ってか! 待たせやがって!」

 

 機械仕掛けの時計の盤面のような、複雑な魔法陣が地面に浮かび上がる。徐々に露わになる人影。間違いない。

 

 <門>(ゲート)。ノルン式転移魔法の一種だ。

 

 転移が完了すると、何事もなかったかのように、大きくひび割れた空間が元に戻って、その中心に佇む人物の姿が明らかになる。

 

「え……うそ、マジかよ……」

「おいおい、ホントにあれがドロシーなのか? ありゃどう見ても……」

 

 女魔法使いの象徴ともいえる、つばの大きなハット。紺と紫を基調としたドレスに、漆黒のマント。

 何より特筆すべきは、それを身に纏うのが、おそらくクロノアより幼いであろう、年端のいかぬ少女だったということだ――――

 

「遅れてごめんなさい。<門>を開くのに少し手間取ってしまって」

 

 手にしたワンド。先端に埋め込まれた紅い宝石が、鋭い光を反射する。

 両肩にかかる紅い髪が風になびくと、魔法少女ドロシーは、ハットのつばを指で押し上げて、こう言った。

 

「こんにちは。私が魔法使いドロシーよ」



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7 戦士と魔法使い

「驚いたな……あのドロシーが、あんなに小さな女の子だったなんて」

 

 周囲の喧騒が落ち着きを取り戻しつつある中、エルがそうこぼした。

 あどけない顔立ちに、彩度の低いダークブルーの瞳。勝負に備えるドロシーの姿を遠巻きに観察しながら、俺はエルの言葉に同意した。

 

「あのナリじゃ、十代前半ってトコか。クロノアより年下っぽいな」

「だろうな。けどあの子、本当にゴライアスに勝てるのか? どれだけ体格に差があるんだよ……こう言っちゃなんだが、ゴライアスの間合に踏み込んだ瞬間、終わりだと思うんだが……」

 

 エルの懸念は、観衆も意を同じとする所だったようで、あちこちで失望の声が上がっていた。

 

「やっぱ貧弱な魔法使いじゃ、屈強な戦士相手にタイマンで勝てるはずがないよなあ」

「残念だけど、あっけない勝負になりそうだねえ」

「守ってくれる前衛がいてナンボの職業だからな。ギルドマスターも、意地の悪い試合を組んだモンだぜ」

 

 俺は二杯目の麦酒(ルービー)を呷りつつ、ゴライアスとドロシーの様子を交互に眺めた。

 なるほどゴライアスが勝つのが大方の予想らしいが、俺はそう思わない。

 

 戦士に戦士の戦い方があるように、魔術士にも魔術士の流儀がある。タイマンじゃクソザコナメクジ役立たずと、散々他の職業から嘲笑を買ってきた魔法使いだ。

 ドロシーとて、何の策もなしにこの場に臨んでいる訳ではないだろう。彼女は彼女なりに勝算があって、この勝負を受けたに違いない。

 しかし……

 

 ドロシーをちらりと見て、俺は「我が心既に空なり、空なるが故に無」の境地に達した。

 

(おっぱい、全然ない……)

 

 まだ幼いこともあるのだろうが、哀しいかな。

 あれは貧乳は貧乳でも、輝かしい未来(ボインボイン)への展望が暗く閉ざされているタイプの貧乳だ。おっぱいに飽くなき探究心を抱き、日々研究に勤しんできた俺にはそれがわかってしまう。

 

 すまんなドロシー。

 

 俺は別に年下や妹系が嫌いな訳じゃない。ただ、大人のお姉さんが好きすぎるだけなんだ……登山家は海が嫌いだから山に登ってる訳じゃない。山が好きだから山に登っている。それと、同じことなんだよ――

 

 などとアホなことを考えているうちに、アリシアがバトルフィールドの中心に姿を現す。

 

「それでは皆さん、お待たせしました~。これより御前試合を始めさせていただきます! 私は本日審判を務めさせていただきます、イリヤ教団司祭のアリシアと申します。よろしくお願いします~♪」

 

 特段声を張り上げている訳でもないのに、音が確かに伝わってくる。

 強化魔法の一種だろう。俗に言うバフだ。音圧や指向性に働きかけるとかナントカで、昔から為政者の演説などにしばしば用いられてきた魔法だ。

 

 個人的に減退魔法(デバフ)は好きだが、バフは嫌いなので、裏で何が走ってるのかはようわからん。

 というか、知る気がない。バフなんぞ覚えた所で、かけたいと思う仲間がいないからな。

 

 その点、デバフはいいぞ。

 相手を不当に貶めることで、相対的に自分の価値が上がるなんて、ホント最高。天上天下唯我独尊の気分が味わえるぜ。まあその結果、そして誰もいなくなるんだけどな。

 

 正しくは、そして誰もいなくなったんじゃなくて、そして俺だけがいなくなった――

 

 以上、真実の鏡は、それを覗くものによって如何様にも姿を変えるというお話でした。

 

 バトルフィールドは、あらかじめ定められた一辺50メルトの菱形内。

 勝敗は、一方が二度場外判定を食らった場合、あるいは一方が戦闘不能であると審判がジャッジした場合に決するのだという。

 

「万一、選手の攻撃が場外に及んだ場合は、魔法アカデミーご自慢の自動守護結界がみなさんを守ってくれますので、ご安心ください……それでは早速試合開始といきたいのですが、せっかくなので、ゴライアスとドロシーの両名に、この試合に賭ける意気込みを伺いたいと思いま~す☆ では、ゴライアスさんから! どうぞ~♪」

 

 呼ばれて、ゴライアスが席を立ち、四方に丁寧にお辞儀をする。戦士なのに、まるで武闘家のような振る舞いだった。

 ゴライアスは深く息を吸い込み、よく通る声で言った。

 

「今日は日々の鍛錬の成果を示し、勇者の背中を守るにふさわしい実力を皆さんに披露したいと思います。よろしくお願いします」

 

 たぶん、戦士ギルドの連中だろう。

 人間だけでなく、ドワーフやオークといった厳めしい顔付きの連中が、「うおおおおおおおお!!」と野太い歓声を上げ、銅鑼の音と共に拍手喝采が巻き起こった。

 

 うむ。

 コメントが簡潔だったのは評価に値するが、面白味のカケラもない。真面目か。

 

 続いて、ドロシーが立ち上がる――のかと思いきや、彼女は席に座ったまま、けだるそうに膝の上に頬杖をつき、両脚を組んでいた。

 不意にパチンと指を鳴らすと、被っていたハットがふわふわと宙に浮き、120度くらい傾いた。すると次の瞬間、まるでメガホンみたいに、ハットの凹みから声が飛んだ。

 

「勝ちま~す。以上」

 

 …………え?

 キョトンとしている観客を見て、さすがにマズいと思ったのか、すかさずアリシアがフォローを入れた。

 

「ちょ、ドロシー。もっと愛想よく――」

「別によくない? 御託はいいからさっさとやりましょうよ」

「や、でも」

「しつこい」

「うぐ……」

「ねえアリシア。これは誰のための試合? 勇者? 私? ゴライアス? 少なくとも、貴方のためではないわよね。それとも何? ゴライアスの次は、貴方が私の相手をしてくれるの? いい加減、役不足に飽き飽きしてるんじゃなくて? フフフ」

「……」

 

 何とも形容しがたい空気が流れた。

 それもそのはず、二人のやり取りはドロシーのメガホン(ハット)越しに、観客にも筒抜けだったからだ。

 

 やっべー、半端ねえわ……ドロシーさんの怒濤のラッシュ。年齢立場世間体、一切のバリアをもろともしない圧倒的攻撃力(オーバーキル)。並みのメンタルだと確実に粉砕される。どこの悪役令嬢だよ。

 一瞬、アリシアの瞳に「てめェコラクソガキ遅刻かましといてその態度は何だオラぶっ殺すぞ」みたいな、殺意の波動が宿ったような気がしないでもなくなくない。

 

 ドロシーあいつ、絶対バフよりデバフ派だな……

 

 ついでに言うと、詠唱中に味方が射線に入ると、「邪魔!!」とか叫んで、「射線上に入るなって、私言わなかったっけ?」って容赦なくキレ散らかすタイプだわ。

 俺? 俺はそんな物騒なこと言わねえよ。味方が射線に入ろうがお構いなしにぶっ放して、「ごめ~ん! 集中してたから気付かなかった☆ テヘッ♪」って、しらばっくれるタイプだ。何か文句ある?

 

「まあまあ。そういきり立つな。早く勝負がしたいのは、私とて同じだ」

 

 二人の間に割って入ったのは、我等がゴライアスだ。ふっと笑みを浮かべて、彼が言う。

 

「お手柔らかに。ドロシー」

「あら。話が早くて助かるわ」

 

 ゴライアスの紳士な対応で一触即発のムードはやわらぎ、アリシアがやれやれとばかりに舌打ちする。舌打ち?

 

 ゴライアスは戦斧(バトルアックス)を手に取ると、仕切り線まで進み出る。目を瞑って呼吸を整え、首元のロザリオを握り、何やらブツブツ呟いている。

 俺の後ろに座る兄ちゃんの解説を盗み聞きしたところ、呟いているのは聖書の一節で、敬虔なイリヤ教徒であるゴライアスは、強敵と認識した相手と戦う際に、必ずあの儀式を行うのだという。つまり、全身全霊で立ち向かうという覚悟の表れなのだそうだ。

 

 なんつーか、野武士面なのもあいまって、戦士というよりモンクに見えるな……いつか聖騎士(パラディン)にでも進化しそう……

 

 一方のドロシーはハットを被り直すと、口元に手を当てて「ふぁぁ……」と小さくあくびをしていた。ワンドが聞き分けの良いペットみたいに、彼女の隣でふわふわ宙に浮いている。

 大事な一戦を前に、そんなしょーもないことに魔力消費するとか余裕だな……

 ていうかアイツ、ここに来るときも、魔王召喚かよって言うくらいド派手な転移魔法使ってたし、大丈夫なんか? 勝つ気あるの?

 

 こういう所作一つ取っても、どこまでも対照的な二人だ。

 元より戦士と魔法使いは水と油の関係で有名だが、両陣営でトップクラスの二人が、こうも両極端な性格とはね。何の因果なんだか。

 

 ドロシーが仕切り線に立ったのを頃合いに、アリシアがすっと右手を挙げる。

 観客が一斉に静まり、にわかに緊張感が高まる。そんな中、俺はクロノアに視線を向けた。

 

 彼は顔の前で両手を組み、天文学者が定点観測のために望遠鏡を覗き込む二秒前のような顔付きをしていた。

 

「それでは――始め!!」

 

 

    *

 

 

 先手を打ったのは、ゴライアスの方だった。

 開始の合図と共に、獲物を狩る獅子の如く、ドロシー目がけて一直線に駆け出す。

 迎え撃つドロシーは、すぐに詠唱に入った。

 

燃え上がれ(アオフ・ローダーン)

 

 パシッと掴んだワンドの魔石が明滅すると同時、火の玉が次々と浮かび上がり、ゴライアス目がけて襲いかかる。

 だが、ゴライアスは速度を緩めない。盾を前へとかざし、斧を後ろに引いた。

 

 押し切る――

 

 着弾した火の玉が爆ぜて、火の粉が舞い散る。

 多少のダメージなどもろともせず、相殺と同時、ゴライアスは力強く前へと踏み込む。躍動感あるバックスイングから、振りかぶった斧を地面へと叩き付けた。

 

「うおおおおお!!」

 

 雄叫びと共に放たれた一撃は、大地を深々とえぐり出し、周囲へ強烈な振動を伝播する。

 まるで地震が起こったかのようだった。砂塵が噴火したマグマのごとく宙へと噴き上がる。

 

 勝負は早々に決まったかと予感させる強烈な一撃に、観客は一様にどよめき、気の早い連中が口笛を吹く。

 

 だが、ゴライアスの表情は冴えない。

 自らの一撃が、ドロシーを掠めてすらいないことは、彼が一番わかっていた。ドロシーの行方を求める彼の元に、背後から一条の光が射す。

 

射殺せ(リヒトシュトラール)

 

 振り向きざまに、眩い光線が鎧の肩当てを貫く。咄嗟に身をかばったゴライアスだったが、すぐに異変に気付く。

 確実に捉えられる位置からの攻撃だったにもかかわらず、自らの肉体は損傷していない。ドロシーが座標を誤った? いや――

 

 フェイント。

 

「こっちだよ」

 

 鈍い音と共に、ゴライアスの腹部に強烈な衝撃が走る。刹那、誰もが目を疑った。

 

 メイス。

 より正確に言うならば、魔力によって具現化した戦棍。

 奇襲に成功したドロシーは、勢いそのままに、ゴライアスへとラッシュをかける。

 

 機敏なステップ、巧みな武具裁き。早い。とにかく早い。

 目まぐるしく変遷していく攻撃は、戦士のそれと比べても遜色なく、とても魔法使いの動きとは思えない。

 

「おいニケ、ありゃあどう見ても――」

「ああ、間違いない。バフだ」

 

 魔力によるパワー及びアジリティの一時的強化……まあそんなとこかね。

 

「お、おい……何やってんだよゴライアス! そんなガキ相手に、どうして反撃しないんだ!」

 

 俺の後ろに座っていた兄ちゃんが、たまらず大声を出す。

 気持ちはわかるがァ、(やっこ)さん。そいつは無理な願いってモンだぜ。ここはむしろ、不意の一撃でダウンしなかったアイツのタフさを称えるべきだ。

 

 盾の防御をかいくぐり、疾風の如く繰り出されるドロシーの連撃は、よくよく見れば喉元に脇の下、膝の裏と、いずれも鎧のつなぎ目を狙った攻撃で、真っ向からの打ち合いをよしとしていない。

 ゴライアスからすれば、ちょこまか動き回られた挙げ句、一向に組み合ってくれず、かといって強引に攻勢に転じようとすれば、致命的な一撃を喰らう可能性が高く、さぞフラストレーションの溜まる相手だろう。

 

 元来、魔法使いとは非力な存在である。タイマンでのクソザコナメクジ役立たずっぷりは、他の職業から散々酒の肴にされてきた。

 バフやデバフになんざ頼っているのは、それを使うことで、ようやく他の職業と対等のレベルに立てるという、哀しい事実の裏返しでもある。

 

 おそらく、ドロシーとて理解しているのだろう。

 

 バフのアシストを借りてもなお、ゴライアスの力には及ばない。真っ向から打ち合って、仮につばぜり合いにでもなれば、途端に形勢は逆転する。

 だからこそ、近接戦に持ち込んだ以上、早急にカタをつける必要があった。おそらくこの局面、長引けば長引くほど、ドロシーにとってジリ貧――

 

 そしてそんな彼女の心理を読み取れないほど、ゴライアスという戦士は馬鹿ではなかったらしい。

 次の瞬間、ドロシーのメイスをゴライアスの盾が弾く。わざと急所を空け、ドロシーの攻撃を誘ったのだ。

 

 受け流し(パリィ)

 

 弾かれた反動で、ドロシーの身体がノックバック。我慢に我慢を重ねてようやく生じた隙を、ゴライアスが見逃すはずがなかった。

 

「もらった!」

 

 斧が右から左へと湾曲し、ドロシーを捉えようとした瞬間――目の前に映し出された光景に、観客は固唾をのんだ。

 

 消えた。

 

 戦斧の切っ先が彼女の身体に触れた瞬間、霧のように実態が消散した。

 言うまでもない。幻影魔法だ。

 

「くっ……!」

 

 意表を突かれる形にはなったが、依然としてゴライアスの優位は揺るがない。

 右足を強く踏み込み、彼方のドロシーとの距離を詰める。そして、先ほどのお返しとばかりに怒濤の速攻を仕掛ける。

 

「おおおおおおッ!!」

 

 右から左、逆手から順手、風を切り、怒濤のラッシュを繰り出すゴライアス。彼が手にしているのが、超重量の戦斧だというのが信じがたいほどだ。

 

 一方のドロシーは、攻守が切り替わったと見るや、バフの重点をアジリティに置き、飄々とした身のこなしで、次々攻撃を回避していく。

 まるで呼吸をするかのように容易く、瞬時にバフのギアを変えていくテクニックもさることながら、真に驚嘆すべきは、その氷のように冴えた冷静な判断力だろう。

 

 明らかに、戦い慣れしている。

 それも、相当な実力者を相手に。

 

 幼い彼女が、一体どこでそんな経験を積んだのかと疑念を抱いている俺をよそに、戦局は目まぐるしく動いていく。

 

 袈裟懸けに振り下ろされたゴライアスの一閃を、ドロシーが半身を転じてかわす。当然、逆手からの反撃が来ると読んだ彼女は、バックステップを刻んで距離を取ろうとする。

 が――それはゴライアスの罠だった。

 

 低く構えたゴライアスは、彼我の位置関係をいかし、次の瞬間、逆手から叩き付けるように大地を削った。

 土埃が舞い上がり、まともにそれを被る形となったドロシーが、初めて表情を変えた。

 

「まずい――」

 

 視界を遮断された彼女へ、容赦ない一撃が牙を剥く。砂煙の中、きらりと光った白刃が、彼女の碧い瞳に映し出される。

 

 終わった。

 

 この一撃で勝負は決まったと、誰もが思った。

 

 ゴライアスにあって、ドロシーに絶対的に欠けているもの……

 それは、耐久力の有無だ。驚異的なスタミナと圧倒的なタフネスを誇る戦士とは異なり、魔法使いは持久力、防御力共に最底辺クラス。

 つまり、多岐にわたって攻撃を繰り返すことで、ようやく決着をつけられるドロシーと違い、ゴライアスは一瞬でケリをつけることができるのだ。

 

 一撃必殺。

 

 真剣勝負において、ゴライアスがそのアドバンテージを利用しない手はない。

 ここぞという場面で、会心の一撃をヒットさせれば、ゴライアスはこの一戦に幕を下ろすことができる。

 

 だがしかし……

 やはり天才という人種は、そんな凡人の分析を軽々と踏み潰してこそ、自らの才能を証明する生き物らしい。

 

 ドロシーのハットが風に飛ばされ、ふわりと地面に落ちる。

 土埃が晴れ、その先に広がる光景に息をのんだのは、たぶん俺だけじゃない。当事者を除き、ここにいた全ての人々だ。

 

 凍っていた。

 

 振り下ろされたゴライアスの戦斧は、ブレードから柄、鎧の籠手にわたって、氷漬けにされていた。

 その異様な光景に、隣のエルがごくりと唾を飲み込む。

 

「嘘だろ……二重魔法? あの一瞬で……」

 

 正確には二重じゃない。三重だ。

 右手のメイスの出力を最大限まで解放し、ゴライアスの一撃を受け止める。同時にバフの重点を、100%右腕のディフェンスに移す。

 さらに空いた左手で、氷魔法を放ち、衝撃を相殺すると共に、相手の動きを封じ込める。

 

 召喚魔法と、強化魔法と、黒魔法のトリプル。

 

 魔法は組み合わせる系統にもよるが、二重までは決してそこまで難しくない。

 三重から先は、センスに恵まれなければどうしようもない、残酷非情な領域と言っていい。

 

「狩りと同じよ。獲物は追い詰めた瞬間こそ、最も警戒しなくちゃね――」

 

 ゴライアスがハッとして気付いた時には、もう手遅れだった。

 ドロシーは空いた左手を、ゴライアスの鎧に押し当てる。

 

拒絶せよ(ヴァイガーン)

 

 発動と同時、右手のメイスが消滅して、刹那、ゴライアスの身体が弾丸のごとく吹き飛ばされる。

 

 ミシリと鈍い音と前後して、瓦礫が砕け散るような音が飛来する。気付いたときには、彼は観客席手前の守護結界に叩き付けられていた。

 ひび割れてめり込んだ結界が、威力の凄まじさを物語っている。

 

 沈黙。

 静寂。

 

 そして観客が、一斉に歓声を上げた。



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8 それぞれの思惑

「スゲぇ!! あのチビ本物だぞ!」

「やるじゃねえか魔法使い! 面白くなってきた! いいぞもっとやっちまえ!」

「嘘だろ……ゴライアスが場外判定喰らうところなんて、初めて見たぞ……」

 

 鳴り響く口笛。下馬評を覆し、ドロシーの健闘を称える声が、そこかしこで上がっている。

 開始前の嘲りはどこへやら、実に正直な観衆を目の当たりにしながら、俺とエルだけは険しい表情を浮かべていた。

 

「ニケ……正直なところ、どう映った?」

「……そうだな。多重詠唱は見事だと思うが、それよりも気になるのはアイツの詠唱速度だな」

「詠唱速度?」

「お前も気にならなかったか? ありゃ早いと言うより、一時が万事、破棄しているといった方が正しい」

 

 一般に、魔法の発動と詠唱は不可分の関係とされているが、厳密に言うとその考え方は古い。

 魔法の研究が進んだ現代においては、「発動に当たって魔法陣の構築が必須となる上級魔法を除いて、詠唱無しでも発動は可能である」というのが正しい見解になる。

 

 つまり、何でもかんでも、「炎の精霊よ、我に力を」うんぬんと、格好付けた枕詞(まくらことば)をほざく必要はない。

 むやみやたらにウンタラカンタラほざいてる奴もいるが、アレは「ぼくのかんがえたさいきょうのポエム」に酔ってるだけの痛々しいクソ野郎だから無視していい。ソースは昔の俺だ。

 

 魔法使いなら誰もが一度は通る道だから、どうか温かい目で見守っていただけると幸いである。

 

「破棄……そうか! ドロシーが使っているのは西洋魔術……つまり、ウイッチクラフトか」

「ご明察」

 

 魔法は詠唱の際に用いる言語で大抵の流派が判別できるが、ドロシーが用いているのは、今や中つ国で東洋諸国(アヴァロニア)に比肩する勢力を誇る、アイゼンルート魔導帝国発祥の、ウイッチクラフトと呼ばれる系統に属する。

 

 ウイッチクラフトが誕生したのは、今から十五年ほど前。

 たった十五年ほどで、このウイッチクラフトが瞬く間に大陸西部を席巻し、既存の西洋魔術の流派を尽く絶滅に追い込んだ理由は、起動式の省略、つまり詠唱破棄によって、魔法の自動化ができるという一点にあった。

 

 それを可能としたのが、人工魔石。

 特殊な細工を施した魔石を魔導具にセットすることで、爆速のリロードと、安定した再現性を可能とする。

 

 術者は魔力を充填し、あらかじめ指定した「符牒(ふちょう)」を諳んじるだけで、魔法の発動が可能となるというメカニズムだ。ドロシーで言うところの「燃え上がれ(アオフ・ローダーン)」だの「拒絶せよ(ヴァイガーン)」が、ここでいう「符牒」に該当する。

 

 たかが数秒、されど数秒。

 

 詠唱から発動に至るまでの数秒を埋めることに、それまで魔法使いがどれだけ苦心してきたかを考えると、これは革命と言っていいほどの劇的な発明だった。術者の調子や外的要因によって、魔法の再現性・安定性が左右されにくい点も、極めて革新的だった。

 

 何より、それまで少数の専門家の技術とされてきた魔法の習得を容易にしたという点で、戦術上の価値は極めて大きい。

 ほんの十五年前まで、強国に板挟みの弱小勢力に過ぎなかったアイゼンルートが、西洋に一大勢力を築き上げたのは、ウイッチクラフトの発明によって、戦争の在り方を抜本的に変えてしまったからだと言われている。

 

「どーすんの? まだやるつもり?」

 

 ハットを拾い上げ、ぽんぽんと埃を払いながら、ドロシーが言った。

 ゴライアスの元には審判のアリシアが駆け寄っていたが、彼はアリシアの支えを振り払い、ゆっくりとその場から立ち上がる。

 

「むろん、続行だ。たかが一度の場外判定で、折れるつもりはないよ」

 

 その言葉に、観客がおおっとどよめく。ゴライアスの勝利を信じて疑わない戦士ギルドの連中が、「そうだ! まだこれからだぞゴライアス!」と、声を張り上げる。

 どうでもいいが、声の九割以上が野郎なのは、俺の気のせいだろうか。

 

「ふーん……実力差を冷静に見極めるのも、能力の一部だと私は思うケド。私がわざわざ、あんたの得意なショートレンジに付き合ってあげたのは、そこんとこ理解してもらうためよ。魔法を卑怯とか言う貴方たち戦士の脳味噌じゃ、ロングレンジの勝負で勝ったところで、どうせ負けを認めようとしないんだもの。わかってる? ()()()()()

 

 ドロシーはこめかみをトントンと指でノックし、小悪魔めいた笑みを浮かべる。

 その挑発的な態度に、例のむくつけきゴライアス信者どもが激怒した。

 

「てめェコラぶっ殺すぞ!」

「ガキがふざけやがって! 今に見てやがれ!」

「どうせ処女なんだろ! だから魔力高いんだろ!」

 

 残念なことに、反論というより中傷に近い言葉の数々が、連中のオツムのレベルを雄弁に物語っている。

 

 ふと、俺の前に座っていた兄ちゃんが、「やばい……癖になりそう」と呟いていたのが聞こえた。不覚にも、ドロシーファンクラブ会員爆誕の瞬間を目撃してしまったらしい。

 お前もまた、真実の扉を開いてしまったか……ウェルカム・トゥ・ドリームワールド。ようこそ紳士の庭へ。

 

「ドロシー。君の意図する所は理解した……だが、周囲を認めさせるために、あえて不本意な戦術を選ぶ必要などない。真剣勝負において、そのような気遣いは不要だ。君がどういう戦法を取ろうと、私は自分が敗れた時は潔く敗北を認める……戦士は戦士のやり方で、魔法使いは魔法使いのやり方で、互いに本気を出して勝負しようじゃないか」

 

 数メルトの距離を隔てて、ゴライアスとドロシーの視線がぶつかる。

 ドロシーは両腕を組み、やがてため息をこぼした。

 

「自分の得意な土俵で戦って負けた人間の台詞とは思えないわね……意味わかんない。もっとボコボコにしてくれってコトかしら?」

 

 顔は笑っているが、目は笑っていない。

 嬉しい。じゃなかった。怖い。

 

 ゴライアスはふっと微笑を浮かべると、盾を捨て、籠手を外し、にわかに鎧を脱ぎ始めた。

 そのまま裸にでもなるのかと思いきや、軽装にスタイルチェンジ。鎧の重量に、大地がドスンと揺れた。

 

「アリシア。武器の変更を申請する」

 

 防具は鎖かたびらのみとなったゴライアスが、手にした斧を、バトルフィールドの外へと放り投げる。

 そして、禿頭のセコンドのオヤジから投げ込まれた武器を受け取った。

 

「ロングソード……なるほど、その武器こそが、貴方の本気の証ということですか……承知しました。変更を許可します」

「感謝する」

 

 「ウオオオオオ!!」と、観客がたまらす声を上げた。さらなる白熱した勝負への期待に、場内がさらなる盛り上がりを見せる。

 

「装備の多様さも、戦士の長所の一つでな。君のような機敏な相手には、ディフェンダーとしてではなく、アタッカーとしての戦法が有効だろう……なァに」

 

 剣を引き抜き、鞘を投げ捨てる。

 重厚なブレードの切っ先をドロシーに向けると、ゴライアスが言った。

 

「言い訳はせん。今度こそ本気で行かせてもらう」

「ふーん……少しは楽しませてくれそうね」

 

 口笛に喝采、鳴り物が入り乱れて、会場のボルテージが最高潮に達する。

 俺はちびちび麦酒を飲みながら、クロノアの方へ視線を移す。ふと、彼の隣の見覚えのあるシルエットが目に止まった。

 

「あれは……ギルドマスター?」

 

 

    *

 

 

「どうだい勇者さん、お楽しみいただけてるかな?」

 

 ギルドマスターの言葉に、クロノアは両腕を組んだまま、視線だけ彼の方へ向けた。

 

「想定の範囲内ですね」

 

 マスターがくっくと鼻で笑う。

 くわえた煙草に火を付けると、彼はすーっと煙を吐き出した。

 

「ゴライアスの奴、少し慎重になりすぎてるように見えるな」

「貴方が余計なこと焚き付けるからでしょう」

「おいおい、俺のせいなのか? それを言うならアリシアのせいじゃないの?」

「どうして彼女の名前が出てくるんです?」

「いや何と言うか……無言のプレッシャー? 怖いじゃんアイツ」

「怒られますよ……」

 

 クロノアが苦笑を浮かべた。

 

「やっぱり、こういうのは貴方が適任だったように思いますね」

「やめろよ。俺が出て行くとか、観客は意味わからんだろ」

「こっそりランクに登録してるじゃないですか」

「それはいざという時の方便。俺は人前に出るのが苦手なんだ。こう見えてあがり症で、大勢に見られると緊張してしまう」

「よくしゃあしゃあとそんなこと言えますね……後ろから操るのが好きなだけでしょう」

「ひでぇな。お前にゃ、そんな風に映ってたのか?」

「だって、人を試すのは得意でしょう?」

 

 マスターは煙草をくわえたまま、クロノアの目をじっと見た。やがて、彼の口元が不敵に歪む。

 

「そうだな……昔取った杵柄っつーか、騙すとか欺くとかカモにするとか、そういうのは得意でね」

「……頼りにしてますよ」

 

 クロノアの呆れたような言葉に、マスターはにっと笑う。

 そこへ、どっと喝采が湧いた。

 

 見れば、ドロシーがうずくまるように片膝をついていた。

 場外判定。どうやらここに来て、ゴライアスが一矢報いることに成功したようだ。

 

「やるじゃねえかゴライアス……ほんじゃ、そろそろ行くわ。また後でな」

「ああそうだ、トラヴィス。貴方に言いたいことがあったんです」

「おん?」

 

 名前を呼ばれて、マスターが振り返る。肩越しに視線が合うと、クロノアがこう言った。

 

「生前、父がお世話になりました。その節はありがとうございます」

 

 マスターは瞬きを止めて、しばし黙していた。

 やがて、煙草を口から離して、ポリポリと頬を掻く。

 

「今さらどした? 何でこのタイミングなの?」

「いえ、別に……この前、ある人に同じ言葉を言ったので」

「……。世話になったのは、むしろ俺の方だと思うがな……あのとき俺がアイツを止めていたら、未来は変わっていたような気がする」

「そうですかね。遅かれ早かれ、結末は同じだったと思いますよ」

「あらら。冷たいのね」

「一人の人間にできることなんて限られてます。だから、自分一人の力で状況が変えられるなんて発想は、思い上がり以外の何物でもないと僕は思いますよ」

「……それ、俺に言ってるの? それとも親父の方か? あるいは自分自身に言い聞かせてんの?」

「さあ。どうでしょう」

 

 クロノアは答えなかった。いや、わざと答えなかったのだろう。

 マスターは煙草をピンと指で弾くと、ブーツの下でもみ消した。

 

「俺さ。お前が成長したら、『やれやれ、お前も少し親父に似てきたな』とか言うのが、ささやかな夢だったんだぜ。ローランに後を託された身としてな」

「すみませんね。貴方の夢が叶えられそうもなくて」

 

 微かに笑ったクロノアの横顔を見て、マスターは半笑いを浮かべながら、踵を返した。

 

「やれやれ。ドロシー然り、ホント最近のガキは可愛げがないねぇ......」

 

 

    *

 

 

爆ぜよ(エクスプロジオン)

 

 瞬間、空間に浮かび上がった無数の球体が小刻みに震えだす。琥珀色の閃光が炸裂して、轟音と共に次々爆発が生じ、火花が枝垂れの如く散っていく。

 

 しかし――

 

 立ちこめる黒煙流の中、ドロシーの視界に、唐突にソレは飛び込んできた。

 

「つっ!!」

 

 剣圧。

 振り下ろすと同時に、大地を削りながら猛進した真空の刃がドロシーの頬をかすめ、わずかに血が伝った。

 

「くそ……しくった」

「油断してる場合か?」

「!!」

 

 煙幕の帳を破り、ドロシーの正面にぬっと姿を現したゴライアス。勢いそのままに、高速の剣舞を披露する。

 

 やはり、戦斧(バトルアックス)の時とは、スピードが段違いだ。

 一閃二閃三閃――驟雨(しゅうう)の如く、目にも止まらぬ早さで繰り出される猛攻を、ドロシーは紙一重の差でかわしていく。

 

 装備変更が功を奏したと言っていい。

 防御を捨ててでも、アジリティを優先し、力押しで粉砕するという彼の狙いどおり、事実ドロシーは付いていくのが精一杯で、反撃の(いとま)すら与えてもらえない。その表情にも、じわりじわりと疲労の色が見え始めた。

 

 無理もない。

 単純なスタミナ勝負で、魔法使いが戦士にかなうはずがない。

 

 大きくバックステップを刻み、低姿勢から立ち上がろうとしたそのとき、彼女の身体がぐらついた。しゃがんだ瞬間、翻った自分のマントに足を取られたのだ。

 当然、この隙をゴライアスが見逃すはずもなく――

 

(シルト)!!」

 

 振り下ろされたロングソード。

 片膝をついた彼女を覆うように、半円状に展開した守護結界。

 

 剣と盾がぶつかり合うと同時、耳をつんざくような金属音が散って、大地へ波紋の如き衝撃が走った。

 

 両手で剣を握りしめ、盾を破らんとするゴライアス。

 右手を差し出し、迫り来る剣を押し返さんとするドロシー。

 

「ぐぬぬぬぬ……!!」

「……くっ……」

 

 両者譲らず。

 押しつ押されつの拮抗が続くも、やがてドロシーの右手が小刻みに震え出す。

 

 バリアを不必要に展開しすぎたな、と俺は思う。

 防御魔法は展開範囲が大きくなればなるほど、それに反比例して、全体の耐久力は低下する。ゆえに、展開範囲全てに均一の耐久力を保持するためには、魔力を湯水の如く注ぎ込む必要がある。

 

 一点強化が防御魔法の鉄則、と言われるのはこのためだ。

 魔力が有限である以上、必要最小限の範囲で、防御力を最大限にまで高めるのが、戦略上一番賢いのは、算数ができる人間なら誰でも理解できるだろう。

 

 当然、ドロシーとてそのことはわきまえているが、ゴライアス相手のスピード勝負でそれを求めるのは酷に過ぎる。いかな天才魔術士と言えど、万能の神ではない。

 むしろそこまで読み通して、柔軟に戦術を変えてきたゴライアスの洞察力にこそ驚嘆すべきだろう。

 

 バリアに亀裂が走る。限界は近い。

 さすがのドロシーもここまでかと思ったそのとき、彼女はぴたりと左手を地面に添えた。

 

轟け(ブリッツ)

 

 二重魔法。

 バチバチと電流が弾けると同時、カッと光が瞬いて、上空より雷撃が打ち落とされる。

 

 ゴライアスは即座に剣を引き、後方へと飛び退く。間一髪で回避するも、息つく時間すら許さず、ドロシーが畳みかけた。

 

駆け抜けよ(シュトルムヴィント)

 

 強烈な突風が牙を剥き、ゴライアスの身体に襲いかかる。

 

 ゴライアスは咄嗟に剣を盾にし、その場で踏ん張るも、めり込んだ足場が一秒、二秒と時を刻むと共に、後ろへ削られていく。

 それを見たドロシーが、ここが勝負所だとばかりに、魔力を注ぎ込む。ゴライアスもまた懸命に歯を食いしばる。

 

 場外に吹き飛ばされるのは、よもや時間の問題と誰もが思ったそのとき、ゴライアスの身体からフツフツとオーラのような闘気がほとばしった。

 

「まだだ……まだこんなところで……やられる訳にはいかんのだ!!!」

 

 するとどういう訳か、彼の剣が命を吹き返したように躍動し、風の束を一閃した。いや違う。剣圧でかき消したのだ。

 

 起死回生のカウンター。

 放たれた衝撃波が音の速さで戦場を駆け抜け、彼方のドロシーを呑み込まんとする。

 

「やば――」

 

 チリッと大気が潰れるような音がして、ドロシーの紅い髪の切れ端が宙を舞う。

 刹那、巨人の足踏みのような重低音が響いて、時間差で後方の壁が真一文字に刻まれ抉られ粉砕され、音を立てて崩れた。



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9 右手には花束を、左手にはダガーを

「なんだありゃ……一瞬ゴライアスの身体が光ったように見えたが」

 

 マヌケな面を浮かべる俺を見て、エルがピンと人差し指を立てた。

 

「ああ……アレは、気合いだよ」

「気合い?」

「一流の戦士は、戦いの中で感覚が限界まで研ぎ澄まされると、ああやって自身の闘気がフツフツと体外へ溢れ出すんだ。元々はオークの戦士の技術だったそうだが……いわゆるゾーンに入ったってヤツさ。結果、凄まじい怪力を発揮することができるのさ」

「……」

 

 なんかようわからんが、要は火事場の馬鹿力みたいなもんらしい。

 魔術的に言うと、オドの解放か? 戦士も魔法使いも、平たく言えば力の源泉は同じって理論は聞いたことがあるが……

 

 しかし気合いって……そんな簡単に片付けられる戦闘技術に見えんかったぞ。

 自身のスキルに一切ロジックを求めず、感覚的な言葉で間に合わせてしまうのが、いかにも戦士らしいと言えば戦士らしいな……

 

「ニケ。それよりも」

「ああ――」

 

 無惨に崩れた演習場の壁へ視線を移し、俺は目を細めた。

 

「決まった……のか?」

 

 バトルフィールドの端にいた彼女が、ゴライアスのあの一撃をしのぎきれたとは思えない。場外に出されたとなれば、二度目の場外判定で、軍配はゴライアスに上がる訳だが……

 

 風が凪ぎ、砂塵が少しずつ晴れていく中、誰もがドロシーの姿を追い求めていた。

 ふと、戦場の中心に佇むゴライアスに視線を移す。彼は両目を瞑り、ふーっと大きく息を吐き出した。

 

「驚いたな……あの一撃をいなすとは――」

 

 見開いた彼の視線の先には、ドロシーがいた。

 

 左手で右腕を抑え、呼吸が乱れているように見える。ハットは風に飛ばされ、マントはすり切れていた。観客に動揺が走る。

 

「嘘だろ……しのいだのか?」

「くっ、しぶとい奴だ」

「しかしどうやって……」

 

 ざわめきの波紋が、刻一刻と広がっていく。

 

「風魔法か? 咄嗟に同程度のエネルギーをぶつけて、力ずくで軌道を変えた――そんなとこか」

「……」

「まあ何にせよ、ノーモーションでそんな芸当ができるとは、正直信じがたいね。大したものだ。君は私の中にある魔術士の常識を、いとも簡単に塗り替えてくれる」

「そうでもないわ……おかげで右腕が使い物にならなくなった」

 

 ドロシーが右手をプラプラさせる。

 なるほど、ゴライアスの一撃を強引にいなした代償は大きかったようだ。

 

「回復しないのか? 君ほどの魔術士だ。当然、白魔法の心得もあるんだろう」

「……」

「もっとも、回復に使えるだけの魔力は、もう残っていないと言った方が正しいのかもしれんが」

 

 その一言に、観衆が瞬きを止める。

 相変わらず不遜な表情のドロシーを見ながら、ゴライアスは続けた。

 

「序盤からあれほど魔法を多用していたのだから、無理もない……それも、燃費の悪いウイッチクラフトなら、なおさら当然の結果といえよう」

 

 会場に混乱の波が広がる。

 隣のエルが、「どういうことなんだ?」と俺に尋ねた。

 

「……ウイッチクラフトは、詠唱速度や魔法の再現性において、極めて優秀な技術だが、一つだけ弱点がある。魔力消費が大きいんだ」

 

 膝の上で両手を組み、俺は言った。

 

「理由は、発動に使用する魔力を、オドだけでなくマナにも依存しているから……詠唱を基本とする東洋魔術と比較して、2倍から3倍の魔力を使わざるを得ないんだ。中級以上の魔法や、多重詠唱をあれだけ使えば、いくらドロシーとはいえ、早急にケリをつけないと、こうなる結果は見えてたってコトさ」

 

 ドロシーはマントを脱ぎ捨てると、ハットを被り直す。

 

「ふーん……知ってたのに、持久戦に持ち込まなかったのはどうしてかしら?」

「決まってるだろう。そんな勝ち方をしても、つまらないからだよ」

「優しいのね。意味わかんないけど」

「騎士道とはそういうものさ」

 

 ゴライアスは両手で剣を握り、上段に構える。突撃の姿勢だ。

 

「実に名残惜しいが……決着の時は近い」

 

 ドロシーが、宙に浮いていたワンドを左手でパシッと掴む。

 両者にらみ合って、いよいよ次の一幕で決着するという予感に、観客は固唾を呑む。

 

「参る――」

 

 ゴライアスが踏み込み、ドロシー目がけて駆け出す。

 そのときドロシーが微かに笑っているように見えたのは、たぶん俺の気のせいじゃなかった。

 

 

    *

 

 

 投げられた勝負の賽。

 その結末に、観客はしばし茫然として言葉を失っていた。

 

「え? おい……何がどうなってんだ……?」

 

 ざわざわとした空気が、瞬く間に伝染していく。

 当然だろう。今目の前に広がっている光景は、人々の予想を大きく裏切るものだったから。

 

 止まっていた。

 ゴライアスの剣は、ドロシーに達しようとする手前でピタリと止まり、そこから微動だにしなかった。

 

「決まったな……おい何やってんだ魔法使い! さっさと負けを認めやがれ!」

「そうだそうだ! ゴライアスが手心を加えてやったんだから、感謝しろよ!」

「ったく、甘い奴だぜゴライアスも……ヒーラーもいるんだし、とどめを刺しちまえばよかったんだ」

 

 気の早い連中が、ゴライアスがわざとそうしたのだとばかりに、盃を交わし始める。

 

 つくづく見る目のない連中だ。

 手心? 甘い? 何言ってんだバカが……アレはそんなんじゃねえよ。

 

 止めたんじゃない。()()()()()()()――

 

「これは一体――なぜだ……どうして」

 

 ゴライアスは抵抗するも、見えない鎖に縛られたかが如く、剣は静止を続けたまま。

 ワンドをゴライアスに向けたまま、ドロシーがクスリと笑った。

 

「なぜ? そんなの減退魔法(デバフ)に決まってるじゃない」

「デバフ……だと?」

「貴方の身体を拘束したのよ。一切の身動きができなくらいに、強くね」

「くっ……いつの間に」

「貴方が勝ち誇ったように、ご講釈垂れてる時によ。悪いけど、私は貴方ほど優しくないの」

「嘘だ……こんなことが」

 

 すると、ドロシーの左腕にメイスが顕現。

 次の瞬間、彼女はこれでもかというくらいに、ゴライアスの横腹を激しくどついた。たまらず、ゴライアスがえづく。

 

「受け身が取れないと、こんなにも痛みが響くなんて知らなかったでしょ? どう? 出来の悪い頭でも、嘘じゃないって理解できた?」

「……なぜだ。魔力はもう、使い果たしたはずでは……」

「魔力? ああ……簡単な話よ。なくなったんなら、ある所から奪ってこればいいじゃない」

 

 そう言ったドロシーの瞳は、紅く妖艶な輝きを放っているように映った。その美しさの余り、見る者を(とりこ)にしてしまう神秘の魔石のような……

 

 すると突然、俺の隣に座っていたエルが、苦しそうに胸を抑える。

 

「……エル? おいどうしたんだ?!」

「わからん……息苦しくて」

 

 様子がおかしいのは、エルだけでなかった。周囲を見渡せば、会場のそこかしこで、観客の大勢が苦悶の表情でうつむいている。

 ドロシー、あいつ一体何を……

 

「さてと。それじゃ、とどめといきましょうか」

 

 ドロシーはワンドを高々と天空に掲げる。そして、馴染みのない言語で詠唱を始めた。

 相転移を意味する逆三角形の巨大魔法陣が、蒼く瞬くほどに、強く輝きを増していく――

 

「オイ。何だよ……あれ」

 

 雲が逆巻き、光が陰った上空に、次々と浮かび上がった巨大な氷の剣に、観客は一様に言葉を失った。

 

 大規模魔法陣の構築に、ここに来てはじめての詠唱解放――

 

 間違いない。アレは、()()()()だ。

 

「ドロシーダメよ! すぐに術を解除しなさい! さもないと――」

「ああん?」

 

 血相を変えて叫んだアリシアを、ドロシーはじろりとにらんだ。

 

「当たれば死ぬかも、って言いたいの? 寒い冗談やめてよ……この程度でくたばるんなら、ハナから魔王に挑む器じゃなかったってことでしょ。それに」

 

 不敵に笑って、彼女が言った。

 

「『本気で来い』って言ったの、コイツじゃん」

「この――!」

 

 ドロシーがワンドを振り下ろす。アリシアが咄嗟に駆け出す。デバフで拘束されたゴライアスは、膝を着くことすら許されず、その場に立ち尽くしている。

 

 すでに加速を始めた無数の氷の刃は、もはや誰にも止めることができず、ゴライアスを真っ直ぐに射貫こうとする。

 

 観客が目を覆う。悲鳴が走る。そのときだった。

 

 勇者が、動いた。

 

 

    *

 

 

 彼がいつ動いたのか、それは誰にもわからない。

 気付くと勇者はゴライアスの前に立ち、鞘から抜き放った黒刀ブリュンヒルデを、常人の認知を超える速度で動かした。

 

「――」

 

 音は無い。否、音が来るより先に、事は終わっていた。

 風が吹いたその刹那、十をも超える氷の刃が、縦横無尽に微塵に次々両断され、タイミングを合わせたかのように、バラバラと一斉に砕け散った。

 

 快刀乱麻を断つ――眼前で繰り広げられた超絶技巧に、誰もが絶句する。

 神速の剣さばき。氷の欠片が光を反射して、キラキラと輝いては、花びらのように宙を舞っていた。

 

 唖然とした観衆を尻目に、勇者はただ一人、涼しげな面持ちでいる。

 黒髪が風に揺れ、剣を鞘へと仕舞う音が、凜とこだました。

 

「す、すげぇ……」

 

 沈黙を破り、堰を切ったかのように、観客がどっと快哉を叫んだ。

 

「マジかよ! 信じらんねえ!

「上級魔法を、剣一つで……バケモンだ……」

「見たかお前ら! これが英雄ローランの血を引く、アヴァロニアの勇者だ!!」

 

 鳴り響く拍手喝采、おさまることのない人々の称賛。

 俺が何より驚いたのは、クロノアがあの一瞬で、ゴライアスだけでなく観客にも被害を及ぼさないよう、剣をさばいたことだ。

 まるで、この出来事を起こるのを予見していたかのような、淀みのない動き……到底人間業とは思えない。

 

 俺の後ろから、小さな男の子と女の子が駆けてきて、フェンスから身を乗り出し、バトルフィールドの中のヒーローに向かって叫ぶ。

 

「勇者さま、カッコいい~~~っ!!」

 

 ざわめきの中心に居並ぶ、勇者と戦士、神官と魔法使い。

 真っ先に口を開いたのは、ドロシーだった。

 

「ちょ、ちょっとクロノア! あんた勝手に何やってんのよ。こんなの――」

「ご心配なく、ドロシー。この勝負、貴方の勝利です……アリシア。それにゴライアスも、異論はありませんね」

 

 勇者の言葉に、神官と戦士はうなずく。

 一方は力強く、他方は力なく。

 

「すまないクロノア……お前の手を煩わせてしまって」

「……。アリシア、すぐにゴライアスの治療を」

 

 アリシアがゴライアスの元に駆け寄って、治癒術を行使する。

 クロノアは、彼方のドロシーを真っ直ぐ見つめて、やがてこう言った。

 

「ドロシー、君は確かに強い。だが……その心には、浅からぬ闇があるようだ」

 

 ドロシーはハッとしたような顔を浮かべ、うつむき加減に唇を噛んだ。

 

「何よ……あんたに私の、何がわかるって言うのよ……」

 

 クロノアは沈黙したまま。やがて踵を返し、その場を後にする。

 アリシアが「此度の御前試合、勝者は魔法使いドロシーです! 皆さん、両者の健闘に盛大な拍手をお願いします~!!」とアナウンスする。

 

「いい勝負だった! ハラショー!!」

「ゴライアスもナイスファイト! お疲れさま!!」

「お前らなら魔王を倒せるぜ! 頼むぞ!!」

「ったく、勇者がいなかったらどうなってたんだよ……ヒヤヒヤしたぜ」

「ホントそれな」

 

 様々な声が飛び交う中、俺はふと会場を後にしようとしていたドロシーの背中を見つめる。

 

 その背中は、勝利の栄光を掴んだ者とは思えず、なぜだろう。

 少し哀しみの色が混じっているようにも映った。

 

 

    *

 

 

「しかし参ったね……こうもクロノアが予見したとおりの展開になるとは」

 

 薄暗い夜半の境界に、淡々とした男の声色が響く。

 クロノアは黙したまま、やがて教壇の女性を一瞥した。

 

「ゴライアスの容態はどうですか?」

「んー大丈夫よ。外傷は大したことない。あの程度で心折られるようなタイプでもないし、今頃ベッドの上で、もっと精進せねばとかブツブツ言ってるわよ」

「そうですか……それは安心しました」

「それより、問題はドロシーの方でしょ」

 

 教壇に尻をつき、足をプラプラさせながら、ためらいがちに、彼女は言った。

 

「ねえクロノア……本当に、アイツに任せるつもりなの?」

「ええ。意見を変えるつもりはありません」

 

 女性はため息をつき、視線を落とした。

 

「言っておくけど、私はやっぱり反対だからね。あの子は絶対、私の監視が行き届く所に置いた方がいい。今日だって、見たでしょ。あの力は、間違いなくホンモノだわ。人外よ……」

「んなこと、クロノアだってわかってんだよ」

「でも! だからって、何でアイツなのよ……アイツはもう、とっくに――」

「そうか? 俺は悪くねえ人選だと思うけどな。第一、俺らの下に置くって言ったって、ドロシーは素直に飼い慣らされるようなタマじゃねえ。むしろここは、好きに泳がせてやった方が得策だと思うぜ」

「はあ? そんな、無責任な……」

「いいかアリシア。どういう未来を選んだって、リスクはゼロじゃねんだ。だったら勝負するしかねえだろ。早い話が、ギャンブルと一緒だ。勝てば上等、負ければその時――びびって何もしないのが、勝負師としては一番の下策なのさ」

「呆れた……あんたのイカれた脳味噌は、私の治癒術でも治せそうにないわ」

「どういたしまして。多少アタマがぶっ飛んでるくらいじゃないと、魔王を倒すなんて無理難題に、喜び勇んで乗り出したりしねえからな」

 

 そう言うと、男はポケットから煙草を取り出し、火を付けた。

 

「おいコラ。ここ教会だっつーの。神聖なる空間で、喫煙すんな」

「神官のくせに、偉そうに教壇に座ってる、行儀の悪いお前に言われたくないんだが……」

 

 男は口から大きく煙を吐き出し、クロノアの方を見て言った。

 

「でもよクロノア。本当に、これでいいんだな? 言っとくけど、ここが分岐点(セーブポイント)だぜ。ここから先は、どれだけ悔やんでも、やり直すことなんてできねえぞ」

「承知の上です」

 

 きっぱりとしたクロノアの言葉に、男は半笑いを浮かべた。

 

「お前が腹括ってるんなら、それでいい。ゴクツブシもここ最近いろいろ嗅ぎ回ってるみたいだし、都合が良いことに、ドロシーと概ね利害は一致している。何より、特定の誰かを切り捨てないって選択が、お前らしくていいんじゃねえか。正義の味方にふさわしい決断だ」

「甘いんじゃないの? そーいうの」

「お前ちょっと黙ってろ。人が珍しく良い話してんのに、水差すな」

 

 またしても、不毛な言い争いを始める二人。クロノアは一人微かに、相好を崩した。

 深く瞳を閉じてから、勇者が言う。

 

「彼を動かすのなら、なるべく早い方がいい。頼みますよ、トラヴィス」

 

 二人の視線がクロノアの方を向く。

 ギルドマスターは煙草をくわえたまま、やがて不敵に口元を歪めた。

 

「任せとけ。昔から、()()()()()は得意なんだ」



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10 されど彼は旅立たない

 御前試合の日から、一月が経過した。

 

 遠く東にそびえる山々は紅く染まり、空は青く澄み渡って、街の至る所で豊穣を祝う声が聞こえるようになってきた。秋も本格的に深まりつつある中、俺は何をしていたかというと、特段何もしていなかった。

 

 いや、厳密に言うと、全く何もしていなかった訳ではない。

 遅々としてではあるが、俺は俺なりにプロジェクトXの発動に向けて、入念な調査を開始していた。

 まず、中央大陸(セントレイル)へ渡る方法。

 

 島国であるネウストリアから、最も近い国といえば、ネウストリア南西部に位置する水の都ルナティアの対岸にある、都市国家アルルだ。

 より正確に言うなら、アヴァロニア諸侯国連合の一角をなす、都市国家アルルである。

 

 諸侯国連合の歴史は古い。

 今より四世紀ほど前、サヴァン6世の治世に、五つの有力な氏族(クラン)に大陸側の領土を分け与え、王国を守護する衛星国家群として独立させたのがその起源である。

 四世紀の間に何度か離合集散を重ね、現在はアンブロワーズ、アルル、トランシルヴェスタ、ザクソン、ガラテア、ノルカ・ソルカの六国から構成されている。

 

 また、サヴァン6世は、五大氏族が敵対し、抗争に転じることを防ぐため、諸侯国連合を束ねる元首として、新たに王の(くらい)を創設した。

 

 それが騎士王である。

 

 したがって、各国の諸侯は騎士王に忠誠を誓うと共に、最高君主(オーバーロード)たるネウストリア国王にも忠誠を誓うという、二重支配の形式が採用されている。

 

 騎士王という名前の響きから、さぞ偉そうな腰巾着という印象を受けるが、実態はそんなことないのが、この制度の滑稽というか、面白い所とはいえる。

 

 早い話が中間管理職で、下からは突き上げられ、上からは抑えつけられるという、何とも胃の痛いポジションなのである。特に時代が下るごとに、その傾向は顕著になった。

 これには王の選出方法が、当初の輪番制から、最高評議会による互選制に移行したことが、少なからず影響しているのだろう。

 

 ちなみに現在騎士王の地位には、北国ガラテアの首長、ロローナ・アナスタシア・ツェペシュが就いている。

 史上最年少の騎士王、おまけに史上三人目の女性ということで、就任当初は大いに話題になった。二次東征が終わって間もない頃だから、確か俺が十二か十三くらいの時だったかな……。

 

 まあ、そんなナンチャッテ歴史講座はどうでもよくて。

 人やモノ、カネの往来がある以上、そこには当然お決まりの交易ルートが存在する。つまり定期船だ。

 

 しかしこの定期船、値段がバカ高いのである。

 ネウストリアから一番近いアルルへの客船ですら、一等客室が100万フラン、二等客室が20万フラン、雑魚寝上等の三等客室ですら5万フラン……

 

 乗れる訳ないやろが。

 二周半くらい回って、世界から俺への「無職に励め」という熱いメッセージにすら感じる。

 

 いやわかるよ。

 ここ数年、戦争に敗北した辺りを境に、陸だけでなく海でも生物の凶暴化が進んで、船がポンポン沈没しては行方不明になってることくらい、俺でも知ってるよ。

 商人もアホじゃないから、ギルドを介して手練れの傭兵を雇ったり、大砲を積んだりして対策を講じ、そこで膨らんだ経費のしわ寄せが、結果として運賃に響いていることくらい、無職の俺でもわかるよ。

 

 でもなあ……

 

 いっそ商船に潜り込んで密航でもしてやろうかと考えたが、ついこないだ、大王イカの大軍に襲われた商船が抵抗むなしく海の藻屑に消えたというニュースを聞いて、やっぱりやめることにした。

 

 いやだって、まだ死にたくないし。

 ピンキリの商船と比べると、国の補助がガッツリ入る客船の方が、安全・安心度ははるかに高い。命は金で買えんからな……

 

 転移魔法? 

 無茶言うなよ。転移魔法は明確にイメージできる場所、つまり一度行ったところじゃないと飛べないし、そもそも現代の技術だと長距離移動はできない。

 

 まあそんな訳で、アルルに渡るには定期船を選ぶほかなく、当面の問題は金策となった。

 

 御託はいいからさっさと働けやと思い始めた諸君に、ここで一つ弁明をさせていただきたいのだが、俺が尻込みしている理由は、働きたくないという確固たる信念のほかに、実はもう一つある。

 

 俺、泳げないんだわ。

 

 要するにカナヅチ。おまけにひどく船酔いするタチで、ガキの頃、母さんに連れられて、アルルまでの商船に乗せてもらったとき、往復で十回リバースするという伝説を残した。ネロヴィング海峡の荒波は、俺にとって幼少時のトラウマなのだ。

 

 しかし、動かないことには始まらない。

 そうこうしているうちに、刻限の冬は足音を立てて迫ってくる。

 アヴァロニアの冬は厳しい。海面も一部凍結して、船の往来もぐっと減る。それまでに何とか、策を講じないと……

 

 まあ現実的な問題として、金の方はどうにかなると思っている。

 大航海時代に隆盛し、今やネウストリア第二の経済都市とまで言われている港街ルナティアまで行けば、俺のようなアンポンタン無職でも、仕事を選ばなければ、働き口はゴマンとあるはずだ。

 

 じゃあ何が足りないのかって?

 まあ覚悟だろうな。

 

 散々足掻いて、散々刃向かって、それでも成し遂げられなかった時が訪れるのが、怖くて仕方ないんだこの男は。

 その屈辱を味わうくらいなら、いっそ選ばないことを選んで、あの時腹を括っていれば俺の未来は変わっていたんだろうと妄想に身を焦がしては、無駄に年だけを重ね、可能性の海の中でひっそりと溺死していく方が、ずっと楽なんだろうと考えている自分がいる。

 

 早い話が、これ以上傷つきたくないのだ。

 

 いい年こいて情けないのは百も承知している。今まで向き合うことから逃げ続けてきたことの報いだと言われても仕方ない。

 いや、今さら他人に何を言われようと、それ自体は別にいいんだ。

 

 何より哀しくて腹立たしいのは、失うものが何もない程にまで落ちぶれたくせに、未だにそんなくだらないプライドが、自分の中に息づいていることだ。

 

 こんな無様な感情を抱くくらいなら、いっそ草木や花に生まれたかった。

 

 無機物に生まれていれば、こんな答えのない自問自答を繰り返すこともなく、あるがままに咲いて、あるがままに散っていけたんだろう。

 

 まあ草木や花が平等に成長して、平等に散っていくと思ってる時点で、自然界に土下座しろよって話だけどな。

 世の中には、咲かずに枯れる花もあるんですよ。

 

 窓の外、夜空に浮かぶ真円の月。

 一人部屋にこもって、今日も今日とて終わりのない堂々巡りの旅を続ける俺の元に、予期せぬ現実という名の客が訪れた。

 

 親父だ。

 

「おい、起きてるかバカ息子」

 

 ノックと共に聞こえた親父の低い声に、俺は当然の如く無視を決め込む。

 親父は構わず続けた。

 

「大事な話がある。一階まで下りて来い」

 

 

    *

 

 

 十五分後、親父の呼びかけに応じ、俺は一階へ向かうこととした。

 

 いつもならそのまま寝たふりでやり過ごすのだが、いい加減あの男にも俺の本心を伝えておかねばなるまい。ここらがいい頃合いだと思い、親父と一戦交えることを決意した。

 

 ちなみに十五分待たせたのは、素直に従うというポーズに抵抗があったからだ。君子はそれを深謀遠慮と言う。

 

 軋む階段。

 しんとした空間に、古ぼけた時計の秒針の音が響く。

 

 カウンターで食器の整理をしていた親父が、俺の気配に気付いて、こちらへ振り向いた。

 

「遅ぇんだよボケナス……とりあえず座れ」

 

 ロクにうなずきもせず、俺は客席の椅子に腰掛ける。開け放たれた窓からは、ゆるやかな夜風が吹き込み、微かに鈴虫の音色が聞こえた。

 親父はテーブルの角を挟んで、俺の隣の席へと座った。

 

 無言。

 

 お互い言うべきことなんて山ほどあるはずなのに、一向に口を開こうとしない、奇妙な沈黙。そこに気まずさや重苦しさを感じないのは、正常なのか異常なのか。

 

 同じ屋根の下で暮らしている者同士だから――なんて有り体の理屈が通らないほどには、俺たちの間には深い溝が横たわっているような気がした。

 同じ血が流れているという、猿でもわかる単純な事実が、その溝をより深い方向へいざなっているようにも感じる。

 

「ちょうどいい機会だ……俺もあんたに話がある」

 

 椅子に背を預け、遠くの方を見つめながら、俺は言った。

 

「俺は親父の跡を継ぐつもりはない。近いうちにこの家を出て、旅に出るつもりだ」

 

 親父がぴくりと眉根を寄せたのが、目の端で追えた。

 構わず、俺は言葉を紡いだ。

 

「言っておくが、これは昨日や今日決めた話じゃない。ガキの頃……母さんが生きてた頃から、ずっと夢見ていたことなんだ。魔導師ノルンが残した究極のグリモワール『アルス・ノトリア』を、この手で見つけ出す――あんたも知ってんだろ。ガキの頃は散々そう息巻いてたからな……大人になったら、ノルンのように世界を旅してみたいって。だから……その夢を果たすため、俺はこの家を出る。先のことはわからないが、当面はあんたの店を継ぐつもりはないよ」

 

 告げた言葉に、誇張もなければ偽りもない。

 どれだけ月日が流れても、決して消えなかった――いや、唯一消えずに残り続けた想いを、口にしただけだ。

 

 親父は両腕を組んだまま、しばし黙していた。

 やがて瞳を閉じ、大仰に息を吐き出す。

 

「急に何を言い出すかと思えば……勝手なことばかりほざきやがって」

 

 その声は怒りというより、諦めにも似た感情が混ざっていたように、俺には聞こえた。

 親父は次の瞬間、懐から一枚の紙切れを取り出し、テーブルの上に叩き付けた。

 

「これは何だ」

 

 示された文書に、俺は呼吸を止めた。

 

 支払督促状。

 

 文書には債務者として俺の本名がはっきりと記されており、債権者のサインは、「クライン ギルドマスター トラヴィス・クローバー」となっている。

 金額は100万フラン。

 指定した期限までに支払に応じないようであれば、国に調停を依頼する……

 

 根も葉もない借金の取り立てに、さすがの俺も動揺せずにはいられなかった。鼓動がいやに早まって、息が詰まる。

 咄嗟に顔を上げた俺を見て、親父はクロだと断定した。

 

「やはり心当たりがあるみたいだな……旅に出るだのなんだの抜かして、そのまま夜逃げでも図るつもりだったのか? ふざけるなこのバカ野郎が!」

「違う、俺はこんなの――」

「黙れ!!」

 

 親父の怒声が、はち切れんばかりにこだまする。

 

「一体、お前は何をやってるんだ? 散々自由にさせておいたツケが、この体たらくか? お前はどれだけ、俺をコケにすれば気が済むんだ!!」

「だから、違うって言ってるだろ! 俺はギルドに借金した覚えなんざない! これは何かの間違いだ!」

「間違いなら、どうしてこんなものが届くんだ! 相手はあのクラインだぞ……その辺のゴロツキとは訳が違うんだ。それに――」

 

 噛みしめるようにして、親父が言った。

 

「お前がたびたび、クラインの酒場に出入りして、マスターと付き合いがあったのは、俺だって知ってるんだ……どうするんだよ。お前のせいで、俺の商売にも影響が出るんだぞ! クラインを敵に回して、今のロゼッタで商売がやっていけると思ってるのか!!」

 

 頭ごなしなその言い草に、俺は怒りを通り越して失望を覚えた。

 

 結局、それかよ。

 事の真偽より、息子の心配より、自分のメンツがなお先に立つのか。本当にこの男は……

 

 くだらない。

 

「話にならんな。もういい……そうやって勝手にキレて、勝手に失望してろ」

 

 拳をきつく握りしめ、俺は席を立とうとする。その刹那だった。

 

「……俺だって、信じたいんだよ」

 

 ぽつりと、親父がそうこぼした。

 その声色は少し、震えているようにも感じた。

 

「母さんが死んで、あんなことがあって……俺はずっと、自分を父親失格だと思っていた。母さんも、唯一残った自慢の息子も、結果として何一つ守ることができなかった、最低の父親だって……。お前がこんな風になってしまったのは、決してお前のせいだけじゃない。ありもしない奇跡を信じて、お前を止めることができなかった、俺の弱さが原因なんだ……。

 だから、お前がもし自分の力で立ち上がろうとするときが来たら、その理由が何であれ、全力で支えてやろうと思ってた。そうすることが、俺のせめてもの償いだと……でも!!」

 

 親父はテーブルの上の督促状を、これでもかというくらいに殴りつけた。

 

「信じようとすればするほど、お前は俺の期待を裏切ろうとする! こんな風にだ!!」

 

 親父の目から、ぼたぼたと大粒の涙がこぼれ落ちた。白髪が目立ち、皺の増えた顔をくしゃくしゃにして、親父は泣いていた。

 

 その目を拭うこともなく、やがて親父は、俺の手を弱々しく掴んだ。

 

「なあ、もういいだろ……もう魔法は解けたんだ。今さら夢なんて、見させてくれなくていいから……頼むから、お前はお前の現実と向き合ってくれよ……! これ以上、母さんを哀しませるようなことはしないでくれ……」

 

 親父はうつむいたまま、こらえきれず嗚咽していた。涙がぽたぽたと落ちる音が聞こえて、後には何も続かなかった。

 

 やがて訪れる静寂が、耳に突き刺さる。

 音もなく、色もなく、ほんのかすかに残された月光さえも、今にも消えそうなくらいに儚い。

 

 母さんが死んで、夢破れたあの日から、俺がずっと見てきた世界だ。

 古ぼけた時計の針は、そんな風に置き去りにされた世界の片隅でさえ、じっと静かに時を刻み続けていた。

 

「……わかった。そこで待っててくれ」

 

 親父の手をそっと離すと、俺はまっすぐに告げた。

 

「あのふざけたマスターを叩き出して、今に身の潔白を証明してやる」



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11 お前がこの世界で何を想い、何を為すのかなんてどうでもいいから

 着の身着のままで家を飛び出した俺は、クラインの酒場へとひた走る。

 息が乱れようが、心が浮ついていようが、そんなことは関係なかった。ただただ、走った。

 

 店の前に到着すると、ガタイのいい鉄仮面の男が二人、門番のように入口に立っているのが目に入った。

 店のガードマンか? いつの間にそんなものを雇っていたのだろうかと疑問を覚えたが、考えるより早く、そいつらに話しかけた。

 

「マスターに話がある。通してくれ」

 

 門番は互いに顔を見合わせる。

 片方が店内に引き返すと、もう一方が尊大な口振りで俺に問うた。

 

「会員証はお持ちか?」

「会員証? 何だそれは」

「会員証がなければ、入店は認められんな」

 

 降って湧いたような話に、困惑する。ついこないだまで、そんなものなかったはずだ。

 

「いいから通してくれ。至急マスターに掛け合いたいことがあるんだ」

 

 鉄仮面は、上から下までじろりと検分するように俺を見ると、不承不承といった感じで口を開いた。

 

「悪いがこっちも仕事なんだ。会員証を持たぬ者は、誰であろうと通すなと厳命されている。お引き取り願いたい」

「……うっせえな」

 

 苛立ちを隠さず、俺は言った。

 

「通せって言ってんだよ! 俺は何としても、あの野郎に問いたださなきゃいけないんだ!」

 

 強引に割って入ろうとした俺を、男は制止する。胸ぐらを掴むと同時に、右足を勢いよく刈り取り、俺をそのまま地面に投げつけた。

 

「うぐ……!」

 

 寝転がる俺の首元に、男は剣をつきつける。

 そこへ、不意に紫煙の匂いが漂った。

 

「なんだよ、ずいぶん表が騒がしいじゃねえか」

 

 店の扉が開き、入口に立つ白髪の男を見て、我知らず奥歯を噛みしめた。

 

「マスター……てめぇ……!」

「ああ、誰かと思えば……ゴクツブシか」

 

 痛みを抑え、俺はすぐさま立ち上がる。そして奴へと詰め寄った。

 

「あんた、何なんだあの書状は……俺がいつ、あんたに借金をした! 事実無根の紙切れ送りつけて、一体どういうつもりなんだ!」

 

 噛み付いてくる俺を、マスターは顔色一つ変えず、じっと見つめた。

 ガードマンが間に入ろうとしたが、マスターはそれを制止し、口元から煙草を離して煙を吐いた。

 

「……勇者の仲間集めに付随する商売の上向きも、そろそろ底が見えてきた。ここらで少し、テコ入れを図ろうと思ってな」

「御託はいい。結論から話せ」

「なら話そう。お前の店には生贄になってもらいたいんだ。俺の、偉大なる野望のために」

 

 述べられた言葉に、茫然とする。感情が理解を通り越した。

 この男は、何を言ってるんだ……?

 

「俺はいずれ、ギルドの影響力を利用して、アヴァロニアを影から牛耳るつもりなのさ……いや、ギルドなんて言葉はもう古いな。会社(カンパニー)だよ。チンケなシノギはもう終わりだ。広範に出資を募り、莫大な資金を背景に、俺たちは隠然たる勢力としてアヴァロニアに根を張る」

「……」

「この夢を成し遂げる第一歩として、まずは足下をしっかり固めておく必要がある。ギルド『クライン』に逆らったバカが、どういう顛末を辿るのか、愚民どもに見せつけておく必要がある。そこで目を付けたのが、お前の店だ――」

 

 マスターは吸い殻を地面に捨てると、踏みにじるようにしてもみ消した。

 

「ゴクツブシのお前が、クラインに途方もない借金を抱えたことにして、お前の店を名実共にぶっ潰すんだ。商売度外視の、お前の店のシケた金入りじゃ、どうせ支払いには応じられない。後には、俺の忠実な飼い犬どもを居座らせて、クラインのシマを広げていくって算段だ……ああ、心配するなよ。要するにお前は、たまたま運が悪かっただけなんだ。何もターゲットはお前の店だけじゃない。他にも――」

 

 そこから先の言葉は、もう俺の耳には届いていなかった。

 さっきから俺の頭をぐるぐると回り続けているのは、ずっと昔の、久しく思い出すこともなかった昔の記憶だ。

 

 実家の一階。いつも騒がしかったそこには、陽気なローランに、無愛想に切り盛りする親父。そして、それを笑って見つめる母さんがいた。

 

 そしてその隣に……俺がいた。

 

「ふざけるな!!」

 

 (おもて)を上げると、俺はいきり立ってマスターの胸ぐらを掴んだ。

 

「お前に何の権利があって、俺の店を潰せるんだよ! 国を牛耳るだなんて、寝言は大概にしろ!! 第一、こんな証拠もない筋書き、国が認める訳がない……責任を問われるのは、俺じゃなくてあんたの方だ!」

 

 大声で吠える俺を繁々と観察して、一体何がおかしいのか、マスターは乾いた声で笑った。

 

「やれやれ……つくづくおめでたいアタマしてんだなてめェは。いいか? 国は、お前の言い分なんざこれっぽっちも信じようとしない。なぜなら――」

 

 肩に手を置くと、マスターが俺の耳元でささやいた。

 

「俺は社会的に信用のある人物で、お前はいい年こいて無職でゴクツブシの、どうしようもない屑だからだ」

 

 ぶつけられた言葉に、全身の血の気が引く思いがした。

 胸ぐらを掴んでいた、右腕の力が抜ける。

 

 甘かった。

 

 この男は、したたかな策士だ。この案を実行に移した時点で、すでにあらゆる証拠をでっちあげ、周囲への根回しも終えているに違いない。

 もう遅い。俺はまんまと踊らされた、哀れなピエロだったのだ。

 

「なあゴクツブシ。せっかくだからいいこと教えてやるよ」

 

 悄然とうつむく俺へ、マスターは追い打ちをかけるように言った。

 

「人は言葉の純粋な意味や正しさで、その価値を測るんじゃねえ。どこの誰がそれを口にしたかで、ようやくその重みを知るんだ……世間様に足を向けて、向き合うことから逃げ出したクソ無職のお前が、いかに崇高で立派な文句を語ろうとも、誰も聞く耳なんざ持たねえんだよ。

 人が言葉を選ぶように、言葉もまた人を選ぶんだ……身の丈に合わない台詞は、きっと誰の胸にも響かない」

 

 そこまで言うと、マスターは気の抜けた俺の右腕を払いのけ、襟元を正す。そして振り返り、店へと戻っていく。

 

 去り行く彼の背中を、俺は茫然と見つめることしかできなかった。

 これが奴へとすがりつく最後のチャンスだと頭ではわかっていても、言い様のない悔しさが全身を駆け巡っていても、足は一歩も動いてくれなかった。

 

 わずかに残った紫煙の苦い香りが、鼻腔をつく。

 やがて扉が閉まり、その音が無情に響いた。

 

 

    *

 

 

 マスターにあざむかれ、行き場をなくした俺は、藁にもすがる思いで、教会へと足を向けた。

 何かの解決になるとは思っていなかった。ただ、誰でもいいから俺の話を聞いてほしかった。

 

 墨のように黒く染まった空には星一つ見えず、雲が激しく逆巻いていた。

 

 教会の扉を開くと、ぎいっと音がして、奥の祭壇で祈りを捧げる女性の後ろ姿が見えた。アリシアだ。

 俺の気配に気付いて振り返ると、彼女はハッとして目を伏せた。何やらいつもと様子が違うが、構わず話しかけた。

 

「アリシアさん、実は――」

「知っています」

「……え?」

「すいません。詮索するつもりはなかったのですが……あなたの正体を、私は知ってしまいました」

 

 コツコツと、乾いた靴の音が、静かな聖堂に響く。

 身廊を進み、俺の三歩先で立ち止まると、彼女は不意に視線を下げた。

 

 その両肩が、にわかに震え出す。

 

「ひどいです……あなた、私をだましていたんですね……」

 

 今にも消え入りそうな声で、アリシアが言った。

 

「私はあなたを敬虔な信者だと信じていたのに……本当はロクに働きもせず、親御さんを困らせた挙げ句、ギルドに大量に借金を抱えていた人だなんて……こんなのあんまりです。ひどすぎますよ……うぅ」

 

 両手で顔を覆い、堪えきれないといった様子の彼女を目の当たりにして、俺は訳もわからず言葉を失っていた。

 どうして彼女が、そのことを……?

 

「違いますアリシアさん、借金のことは根も葉もないデタラメで……俺はむしろ被害者なんです! あのギルドマスターに、はめられただけで――」

 

 すぐさま歩み寄り、彼女の腕に触れた、そのときだった。

 

「気安く触んな」

「え?」

 

 ステンドグラスを通して稲光が射し込み、激しく雷鳴がとどろいた。

 彼女はすっと顔を上げると、次の瞬間、堕ちた天使のように微笑んだ。

 

「いい加減、目ェ覚ませよクズ」

 

 刹那、ドゴォ!! と腹部に穴があいたかのような、強烈な衝撃が俺を襲った。

 うめき声を上げるより早く、凄まじい勢いで後方へと吹き飛ばされる。入口の扉に全身を叩き付けられて、ようやく彼女に殴られたのだと悟った。

 

「あー、やっぱ面倒くさいわコイツ。トラヴィスからこっちに来るかもって聞いてたけど、まさか本当にノコノコやってくるとはね……事ここに至って、女に頼ろうとするとか、女々しいにも程があんだよ。とっとと手前で腹括れっつーの」

「ごほっごほっ…………つっ……!」

 

 食らった一撃の重みに、未だ立ち上がることさえできない。

 ただのワンパンではなかった。先ほどの一撃には、一流の拳闘士のみが使える「氣」が練り込まれていたような……俺もそれほど詳しい訳ではないが、神官である彼女が、どうしてそんなスキルを……

 

「おい町人A。これが真実だよ」

 

 俺の前で歩みを止めると、アリシアはその場にしゃがみ込む。そして俺の胸ぐらを掴んで、強引に引き寄せた。

 吐息がかかるほどの距離で、彼女と視線がぶつかる。

 

「今のこの世界に、アンタの味方なんて一人もいやしない――これは、正当な罰だ。勝手に絶望して勝手にあきらめて、立ち上がることすら拒否したお前に神が下した、厳粛にして公正なる審判だ」

 

 無慈悲な紫の瞳が光を失い、稲光と共に雷鳴が再度響いた。

 彼女はおもむろに視線を下げると、努めて冷淡な口調でこう告げた。

 

「可哀想にね。これが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 告げられた言葉に、息が詰まる。

 心臓の鼓動が、いやに近くに感じた。

 

「お前……どうしてそれを……」

 

 弱々しい声で俺がそう呟くと、アリシアはすっと手を離す。

 立ち上がり、入口の扉を開けると、今度は俺の襟首を手荒につかんだ。そして物でも投げ捨てるかのように、教会の外へと放り出した。

 

「もう二度と、そのむかつくツラ見せんなよ。クソ無職」

 

 そしてアリシアは、力任せに扉を閉めた。

 一人残された俺の元へ、ぽつぽつと雨が叩き付ける。雨はすぐさま勢いを増し、雷鳴がこだまして、周囲の地面がみるみる水浸しになる。

 そんな突然の豪雨の中でも、俺は未だ立ち上がる(すべ)を持たなかった。

 

 すでに痛みはない。

 痛みもなく、文字どおり空っぽになった俺だけが、そこに取り残されていた。

 

 

    *

 

 

 居場所を完全に失った俺は、帰る場所もなく、南の城門でうずくまっていた。

 雨はなおも激しく降り続けている。俺は全身びしょ濡れになって、犬畜生みたいな姿になっていた。

 けれど、そんなことはもうどうでもよかった。

 

 さっきから脳内に繰り返し渦巻いているのは、マスターとアリシアの言葉だ。

 あれほどひどいことを言われても、反論どころかそれを正しいと認めてしまう自分がいる。そんな自分がいるのは、少なからず自覚するところがあったからだろう。

 

 そうさ。

 言われなくたって、とっくに気付いてた。だから、動けなかった。

 

 何もかもが、もう手遅れだってこと――

 

 旅に出たところで、どうせ何も変えられやしない。どこへ行っても、何を着飾っても、俺は俺でしかない。ここではないどこかへ逃げ出したから、自分を変えられるなんて、そんな虫のいい話があってたまるかよ。

 二人の言うとおりだ。今を先送りにして、向き合うことから目を背けたバカが語る夢は、他人の嘲笑を買う現実逃避でしかない。

 

 難儀な話だ。

 すがるものが過去しかない惨めさを思い知らされてもなお、幼い頃の始まり記憶が、頭の中にこびりついて離れることを許さない。

 

 魔法の世界に取り憑かれて魅了されて、四六時中魔法のことを考えては、自分の一生の全てをそれに捧げてもいいと思えるくらいの大切な何かを手に入れたことがたまらなく嬉しくて、そんな風に目を輝かせていたあの日の少年は、もう世界中探したってどこにもいない。

 

 そんなことはわかってる。

 

 わかってるのにどうして、俺の心から消えてくれないんだろう。

 今さらどうして、今よりずっと眩しかった頃の記憶を蘇らせては、まだやり直せるかもしれないだなんて、期待している自分がいるんだろう。そんな自分が自分の片隅で未だ呼吸をしていることに、言いようのない苛立ちと哀しみを覚える。

 

 親父は言った。

 魔法はもう解けたって。お前はお前の現実と向き合えって。

 

 でもごめん。やっぱり俺にはできない。

 だって、代わりなんて他にないから――

 

 情けないことに、こんな風に何もかも失って、喉元に鋭利な現実を突きつけられて、ようやく自分の本心と向き合えた。

 

 俺には魔法しかない。()()()()()()()()()()()()()()()()

 何もかもなかったことにして、別人のように人生をやり直すなんて、そんなのできっこない。

 

 魔力の大半を失って、この身が零落しようとなお、それが自分の本望だって、ようやく悟った。

 

 なあ、どうしたらいい……誰か、答えられるのなら答えてくれよ。

 

 消したくても消せない想いは、どうやったら忘れられる?

 どうやったら、俺は……

 

 

 

 降り続く雨。大戦士アレクの石像は、こんな荒天の中でもずっと地平をにらみ続けていた。

 もはや考える事もできなくなった俺の元に、見覚えのある人物が姿を現す。困ったことに、今俺が一番会いたくない人物だった。

 

「ようボケナス。探したぞ」

 

 雨よけの外套を被った親父は、膝を抱えてうずくまる俺をじっと見つめた。

 

「そのザマだと、手前の身の潔白は証明できなかったみたいだな。つくづく情けない野郎だ」

「……」

 

 俺は黙ったまま、親父と目を合わせなかった。

 沈黙が流れる。降り続く雨音だけが、二人の間に横たわった。

 

「どうした? このまま夜逃げを図るつもりだったんじゃねえのか? それとも何だ、まだ迷ってるとでも言うのか?」

 

 一向に口を開こうとしない俺を見て、親父は呆れたように嘆息する。

 そして左手に掴んでいた鞄と剣を、俺に投げつけた。

 

「持ってけよ泥棒。そいつは旅の必需品を詰めたものと……あとは、エルレインから渡すよう頼まれてた剣だ」

 

 ハッとして、俺は受け取った剣を見る。

 エルの本名である、エルレイン・ガーフィールドのイニシャルが刻まれた、白金(プラチナ)製の剣だ。

 

「テメェが旅に出るときに、渡してほしいって前から頼まれててな。ガキの頃、世話になった恩を返したかったんだと。まだまだ拙いけど、お前に使ってほしい一心で、精魂込めて打ったって言ってたぞ」

 

 エル、アイツいつの間にこんなものを……俺なんかのために……

 いや待て。ということは――

 

「親父……あんた俺が旅に出ようとしてたこと、知ってたのか?」

「……。別にエルレインに言われて知った訳じゃねえよ。テメェが大人しく宿屋の跡継ぎにおさまる気なんてないことくらい、十年前から知ってたわ。俺はお前のオヤジなんだぞ。なめんなボケ」

 

 親父は頭をぼりぼり掻きながら、面倒臭そうにそう言った。

 

「親に忠告されたくらいで、ましてあんなことがあったくらいで、素直にテメェの夢をあきらめるような器に育てた覚えはねえんだよ……。おら、貰うモン貰ったんなら、さっさとどこへでも行きやがれ」

 

 親父は俺の手を取り、無理矢理立ち上がらせると、背中をドンと押した。

 

「……いいのか?」

「あ?」

「俺は結局、自分の潔白を証明できなかったんだ。あんたに迷惑掛けたまま、自分だけ勝手に旅立つのは……」

「今さら何言ってんだこのボケナス」

 

 相変わらず口は悪いが、口調はけだるげないつもの調子で、親父が言った。

 

「迷惑なんざ、もう人生やり直さないと返せないくらい俺にかけてきただろうが。何を今さら聖人気取ろうとしてんだよ」

「でも、うちの店は――」

「あー、そんなもんどうにでもなんだろ。潰されたら潰されたで、またやり直せばいいだけの話だ。こちとらテメェの倍近く生きて、テメェの倍以上苦労してきてんだよ。今さら裸一貫に落とされるくらい、屁でもねえから、余計な心配すんなボケ」

「……けど」

「うるせえな! お前はギルドに借金したのかしてないのか、どっちだ?!」

 

 いきり立つ親父をじっと見て、俺は首を横に振った。

 

「……してない」

「ったく、それが聞けたら十分なんだよ。一々言わせんなバカたれが」

 

 相変わらず言葉足らずでメチャクチャだが、考えてみると、親父は昔からこうだった。変わったのはむしろ、俺の方なのか。

 やり方はさておき、この男がずっと俺をあきらめずにいてくれたのは、紛れもない事実だ。今さらそれを覆すつもりは毛頭ない、ということなのか……

 

 ずっと雨に濡れていたせいだろうか。身体の芯が震えて、少し熱くなった。

 

「すまない。ありがとう」

「気色わりィな。明日は空から槍でも降るんじゃねえのか」

「……いつか、必ず帰ってくるよ。俺も、本心はあんたと一緒だ。母さんを裏切るような真似だけは、絶対にしないと約束する」

 

 さすがに悪口の種も切れたのか、親父は珍しく何も言わなかった。

 鞄を掛け、太刀紐を結んで剣を佩くと、俺は一歩、二歩と水たまりを踏みしめて前へと進み、門の所で立ち止まった。

 

 そして告げる。

 

「行ってくる」

「……。行ってこいや。このバカ息子が」

 

 微かに震えたようにも聞こえたその言葉を餞別に、俺はもう振り返らず、その場から駆け出した。

 

 街の外に広がる平原を遮二無二走って、走って走って、息が切れてぬかるみに足を取られて転んでも、立ち上がってまた走って、ネウストリアの肥沃な大地を、俺は風のように駆け抜けた。

 

 降りしきる雨の先に、モンスターの姿が映る。

 

 小型のコボルトが二匹。

 俺は腰元の鞘から剣を引き抜き、絶叫にも近い雄叫びを上げて、奴らに突進する。

 

 不意を突いたせいか、初撃が上手く急所に入って、手前の一匹が血しぶきとともに地面に臥す。

 怒りに任せたもう一匹が、俺へと食らいつくも、俺は強引に剣を振り回した。斬るというよりは、もはや殴りつけるに近い。コボルトが弱々しい鳴き声を上げ、やがて気を失い、どさりと地面に倒れた。

 

 俺は激しく呼吸を乱し、剣を地面に突き刺して、それを支えにうなだれた。

 

「エルの奴、何考えてるんだよ……ずっと家に引きこもってた元魔術士に、剣なんて振り回せる訳ないだろ……くそ」

 

 冷えているはずの身体が、やたらと熱い。

 理由もなく頬を伝った雫の一滴が、妙に冷たいと感じるほどには、心は震えていた。

 

 不意に、前方で羽音が聞こえる。インプだ。コボルトの死臭を嗅ぎつけてきたに違いない。

 

「うるせえな……」

 

 顔を上げるや、俺は地面から剣を引き抜き、奴へと猛進した。

 

「うおおおおおおおおお!!!」

 

 ネウストリアの大地に、俺の絶叫がこだまする。

 降り続く雨の先に、まだ虹は見えなかった。



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幕間①

「すみませんねえ、ご主人。こんな三文芝居に付き合わせちまって」

 

 三番街の居酒屋。

 かのローランが足繁く通っていたという、1階のバーカウンターに腰掛けたマスターは、煙草に火を付けながら言った。

 

「結果として、あなたにまでご迷惑をおかけしてしまったことは詫びます。だがこうでもしなきゃ、あの腰の重い男を動かすのは無理だと踏んだもんでしてね」

 

 マスターは紙切れをひょいと指でつかむと、パチンと指を鳴らした。

 支払督促状、と記された書状が、ゆっくりと燃えていく。

 

「あのバカが出て行ってからしばらくして、あなたがウチに来たときは、さすがに驚きましたよ。借金の話が嘘だったことはもちろん、あのバカ息子が旅に出るのを許してやってほしいと、まさかクラインのギルドマスター直々に懇願されるとはね」

 

 マスターはグラスのワインに目を落とし、煙草を口から離して、灰皿に灰を落とした。

 

「本意ではありませんでしたか?」

「そりゃ、親としてはね。もういい年なんだから、魔法はここらで見切りをつけて、まっとうな生き方をしてほしいってのはありますよ。でも、あいつが魔力を失ったとき、どれだけ辛い思いをしたかも知ってますからね。親として、俺はあいつを誰より一番近くで見てきましたから……エルレインと同じくらい」

「エルレイン、というのは……例の、彼の親友ですか?」

「ええ」

 

 皿に盛ったチーズが出されると、マスターは礼を言った。

 

「俺の数少ない友達の(せがれ)で……生まれつき、病弱な子でね。今はだいぶマシになったみたいだけど、子供の頃はほとんど寝たきりで……それをウチのバカが、しょっちゅう通ってはしょうもない話を延々してたみたいでね。エルレインは優しい子だから、未だに当時のことを恩義に感じていて、アイツが色々あってからも、頻繁にウチに様子を見に来てくれてたんですよ」

「そうだったんですか……息子さんは良き友人に恵まれましたね」

「まったく。昔からあのバカの近くには、不思議と善人が集まるんですよ。アイツ自身がクズだから、余計に善人さが際立つ」

 

 笑っていいのか笑ってはいけないところなのか、判断が難しい冗談を言うところは、息子とよく似ているなとマスターは思った。

 チーズをかじり、グラスのワインに一口つけると、彼は言った。

 

「……最後、息子さんは何か言ってましたか?」

「別に……なんか珍しくしおらしいこと言ってたけど、もう忘れちまったな。今となっては、すぐに音を上げて帰ってこないことを祈るばかりだよ」

 

 マスターは苦笑を浮かべる。

 居酒屋の主人はグラスを丁寧に磨きながら、嘆息混じりに言った。

 

「まあ何にせよ、賽は投げられちまった訳だ……俺には難しいことはよくわからんが、あんなバカ息子でも、勇者さまのお役に立てるというなら、いくらでも使ってやってくださいよ。アイツはどうせブツクサ文句垂れるんでしょうけど、俺は許可しますんで」

「ありがとうございます。今回の件は、すでにお伝えしたとおり、クロノアの意向もあるんですけど……私自身の希望でもあるんです」

 

 居酒屋の主人が顔を上げる。

 目が合うと、マスターは言った。

 

「彼という人間を世界という器に浸したとき、そこにどんな化学変化が起きるのか、私はこの目で見てみたいんです。四畳半の小さな世界に閉じこもっていた彼の可能性が、一体どこまで広がりを見せるのかをね……。

 失敗に終わるのか、成功に終わるのか、それは誰にもわからない。わからないけれど、どちらに転んでも、彼自身にとってはプラスになるでしょう。そう考えられるくらいに、人の一生は長い……まだ若い彼には、ピンと来ないかも知れませんがね」

「……買いかぶりすぎじゃないですか」

「いえ。少なくとも、私はそう信じています。こう見えて商売柄、()()()()()には自信がありますんでね」

 

 そう言うと、マスターはグラスに残ったワインをごくりと飲み干した。

 

「もう一杯いただけますか? いいワインですね。少なくとも、俺の店にはない味だ……ローランがこの店に入り浸っていた理由が、何となくわかるような気がしますよ」

 

 居酒屋の主人はふっと笑うと、振り返ってワインセラーの方へ向かう。

 戸を開くと、ふと自分自身を落ち着かせるように、小さく深呼吸した。

 

「やれやれ……随分時間はかかっちまったが、やっと一歩踏み出すことができたじゃねえか。

大バカ野郎が」

 

 目を瞑ると、彼は祈りを捧げるように呟いた。

 

「母さん。アイツの行く末を、どうか見守ってやってくれ……」



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第2章 ルナティア編
12 無職、仕事にありつく


 港街ルナティア。

 ネロウィング海峡に面し、ヴェルダン川の河口に位置するこの港湾都市は、古来よりネウストリアの玄関口として栄えてきた。

 

 近年は、国が魔王討伐に向けて積極的な開放政策を展開したため、中央大陸からの移民・異種族の流入が急増し、名実共にロゼッタに次ぐ、ネウストリア第二の都市として成熟を遂げている。

 また、ギルド『クライン』の本部が置かれているのもこの街である。

 

 三日ほどの旅路の末、ようやくルナティアにたどり着いた俺は、安宿を抑えたのち、ロクに風呂にも入っていない臭そうな身体のまま、ギルド『クライン』の本部に向かった。

 

 出頭するためではない。

「すいません僕世界なめてました。もう冒険やめます」と懺悔するためでもない。

 

 いや確かに、この町にたどり着くまで割と命がけだった感は否めない。

 

 最初にコボルト二匹とインプ一匹を仕留めたあとに、これ一々まともにモンスターと戦ってたら体力もたんわと気づいて、以後極力戦闘を避けるべく、気配を遮断して移動し、野営の際は苦手な索敵結界を駆使して安全レベルを最大限にまで引き上げ、結果神経をすり減らしてクタクタになり、途中すれ違った商人一向に「うわ!! なんだ、モンスターと思ったら人か……びっくりさせんなよもーう……」と言われて落ち込んだり、まあ色々あった。

 

 それもこれも、親父から受け取った鞄には、パンとチーズと水筒と1000フラン、以前アリシアからもらった『オリヴィエの歌』しか入ってなかったせいだ。

 

 せめて薬草と聖水くらいは入れといて欲しかった……暇つぶし程度の重たい書物には気が回るくせに、肝心の必需品を入れてないのは、いかにも親父らしい。

 まあそれだけ、親父も慌ててたんだろうが……

 

 さて、ギルドに向かったのは、仕事を探すためだ。

 一言でいえば、金がない。

 

 ルナティアから対岸のアルルに渡るには、以前述べたように客船を利用する必要があるのだが、運賃の最低単価は三等客室の5万フラン。

 俺の手持ちは、親父がくれた1000フラン。どう見ても、足らん。

 

 そんな訳で、働く。

 

 無職の誇り? 

 え……何言ってんの頭大丈夫? こ、心は永遠に無色ですしおすし……

 

 今や色々手広くやりすぎて、一体何やってんだかよくわからんギルドになりつつある「クライン」だが、元をたどれば冒険者ギルドとして出発している。

 

 人々から広く依頼を募り、ギルドは受注者を公募もしくは登録された人材の中から斡旋し、依頼を達成した者には、依頼の難易度に応じた報酬が支払われ、ギルドは双方から手数料という名のピンハネで暴利をむさぼり、みんなハッピーウィンウィン♪ 

 

 ざっくり言えば、そういうシステムだ。

 第三者が間に入ることで、公平な金の流れ担保されるという点で、よくできたシステムだと思う。こういうのは個人間でやろうとすると、言った言わないのトラブルが付き物だからな。

 虚業と言って、叩きたくなる奴の気持ちもわからんでもないけど。

 

 運河にかかる橋の上からは、無数の渡し船が行き交っている姿が見えた。

 大通りをしばらく歩いて、賑わう市場を抜け、カモメが飛び交う波止場の近くに、クラインの本部はあった。

 

 さすがは今をときめくギルドの本部ということもあって、煉瓦造りの小洒落たモダンな建物だった。

 こう言っちゃアレだが、お国の役場よりも、遙かに金のかかった立派な造りをしている。さぞかし儲かっておられるんでしょうなあ……ウハウハなんでしょうなあ……

 

 マスターの野郎、やがてはクラインの影響力を利用してアヴァロニアを牛耳るとかほざいてたが、あながち妄言とも言い切れないのが恐ろしいところだ。

 世の中結局金が全てとは、まったく嫌な時代になったもんだ。

 

 中に入ると、冒険者とおぼしき連中がゴロゴロいた。

 

 傭兵に拳闘士にシーフ、魔法使いに哨士(レンジャー)、小ドラゴンを連れている女の子は獣使い(ビーストテイマー)かね……。

 種族も多種多様で、ドワーフや蜥蜴人(リザードマン)もいる。猫耳族の可愛い女の子はいなかったし、色気たっぷりのエルフのお姉さんもいなかった。残念。

 

「よおボウズ! 見ねえ顔だな。ここは初めてかい?」

 

 突然オッサンに肩を抱かれて、そう話し掛けられた。ゴリゴリのゴツい筋肉に、イカつい顔つき、モヒカン。

 お、おう……できれば大人のお姉さんによるエスコートをお願いしたいんだが……

 

「おお、やっぱりそうかよ。ならまずは奥の掲示板に行ってみろ。大小問わず、色んなクエストが貼り出されてるぜ。受けたいクエストが決まったら、向こうのカウンターに行くんだ。ついでに冒険者の登録をしておけばいい。一度登録すれば、以後達成したクエストの実績が記録される。実績はもちろん、他の街の支部でも、引き継くことができるぜ。さらに希望すれば、ランクへの登録だってできる!」

「ランク?」

「おうよ。職業別に、強い奴を上から順に並べたモンだ。有名どころだと、こないだロゼッタで御前試合をした戦士のゴライアスや、魔法使いのドロシーだな。単純な力や魔力に加えて、習得しているスキル、達成したクエストの実績……定期的に義務づけられた自己申告と、第三者審査会の評価によってポイントが決まるんだ。勇者クロノアの仲間は、コイツを基準に選ばれるとの噂だ。今ならまだ、勇者の仲間になれる可能性だってあるんだぜ!」

 

 ほーん……俺が登録すると、ポイントがゼロどころかマイナス突破しそうだな。主に日頃の行いとかいう理由で。

 オッサンに礼を言うと、彼はガハハと豪快に笑って、俺の肩をバンバン叩いた。

 

「お前の行く道に、幸なきことを願ってるぜ! せいぜい死なない程度にくたばれよ、この命知らず!」

 

 惜しみない激励を送り、彼は陽気に、入口の方へ去って行った。

 

 んもう、素直じゃないんだから……古き良き時代のツンデレを彷彿とさせるオッサンだったが、ああ見えて実はギルドの構成員なんか? 入口でいかにもビギナーくさい奴をつかまえて、案内するだけの簡単なお仕事なら、俺も是非それやらせてほしいんだけど……

 

 オッサンの案内どおり、奥の掲示板に行くと、なるほど彼の言ったとおり無数のクエストが貼り出されていた。

 モンスター退治、商品輸送の護衛、要人のボディーガード……この辺は主に前衛の職業向けだな。定員十二人、厳正な審査を行った上で三パーティを編成し、村人を悩ませるグリフィンの巣を殲滅するといった大がかりなクエストもあった。

 

 お? なになに……「なんと! あの戦士ランクトップの、ゴライアスが参戦決定!!」だって?

 チラシの下部には、似ているようで絶妙に似ていないゴライアスの似顔絵が描かれており、吹き出しに「君の参戦を待っているぞ」と書いてあった。

 

 お、おお……ランクトップにもなると、こんな風に客寄せマスコットとしても担ぎ出されるのか……有名になったらなったで、色々大変なのね……

 運営側との癒着具合が、よもや隠しきれないほどににじみ出ていて、少し哀しい気持ちになる。自由とは何かと、深く考えさせられるな……

 

 こうなりゃ、ドロシーも負けていられないんじゃないか。

 「ドロシーさんと行く! 一泊二日弾丸馬車ツアー☆」とか、運営さんに企画してもらえよ。

 

「ドロシーさんと行くネウストリア絶景巡りに、モンスター狩り……夜は狩ったモンスターを調理して、晩餐会ならぬ魔宴(サバト)を開催いたします! しかも今なら、ドロシーさんから『みすぼらしい豚には、この程度の貧相なメシがお似合いよ』と罵られるキャンペーン実施中!」とか謳えば、参加費5万フランでも応募者殺到するだろ。知らんけど。

 

 そんな風にぼけーっと、クエストの貼り紙を眺めていると、不意に隣から話し掛けられた。

 

「君……中々できるな」

 

 声がした方を見ると、そこには重厚な装備を纏った騎士風の男が立っていた。

 年頃は俺より少し上、顔立ちは俺よりイケメン。青みがかかった髪の色から、おそらくネウストリアの人間ではない。他国から渡ってきた冒険者だろう。

 

「うだつの上がらない風采、無駄な筋肉を一切つけていないのは、相手を油断させるための布石。そして常に左足を一歩下げているのは、いつ誰に襲われてもすぐに剣を引き抜けるようにするため……違うか?」

 

 内心何言ってんだコイツと思ったが、面倒くさいので、「ああ。癖になってんだ、左足下げるの」と適当に答えておいた。

 すると、男は小刻みにうなずき、俺の目をまっすぐ見た。

 

「やはり、その佇まいと言い、只者ではないと思っていたよ。行くんだろう? グリフィン討伐……ゴライアスも参加するらしいからな。君と一緒にパーティが組めることを、楽しみにしている」

 

 俺は目を細め、したり顔でうなずいた。

 

「ああ」

 

 男はフッと笑い、その場から立ち去った。

 むろん、行く訳ない。

 

 みんな仲良く徒党を組んで手を取り合って、一つの目標に向かって何かを成し遂げるとかいうのが、俺には絶望的に向いてないんで。

 達成感とか言われても、「もうこれ以上集団行動しなくていいんだなイヤッホゥ!!」って達成感が先に来るし。あ、それは達成感じゃなくて解放感か。

 

 第一、十二人もいたら、「嗚呼。何をどうあがいても、コイツとは一生わかり合えることないわ」ってヤツが、一人や二人混じってるのが世の常だからな……そういうの考えただけで、「あ、自分もういいです」って気分になるわ。

 さーて、俺に向いてるクエストは――

 

 回復薬に必要な材料集めと精製のお手伝い、グリモワールの翻訳、商品の積荷・輸送の肉体労働、鉱山への武具の素材集め……うーん、この辺かな。一件一件の報酬は少ないけど、こういうのチマチマこなしていく方が、性に合ってる。

 

 一応、王立ロゼッタ魔法アカデミー中退(正確に言うと、規定の年数までに必要単位を取得できなかったため、強制退学)の経歴を持つ俺にとっては、グリモワールの翻訳がもっともふさわしかろうと思われたが、よく見ると、カミカタ語に翻訳と書いてあった。

 南洋の、世界で一番文法が難しいとか言われてる言語だ。

 

 えぇ……んなマイナーな言語習得してるヤツ、この島国にいないだろ……

 翻訳したところで、東洋魔術のグリモワールなんて、需要あんのか? ただでさえ、西洋魔術全盛の時代なのに……

 

 薬学は魔術にも通じるところが多分にあるので、無難に薬師の手伝いでも志願しようかなと思っていたところ、ふと妙ちきりんなクエストを見つけた。

 

「お?」

 

 そこにはこうあった。

 

 魔法指南役、募集中――

 

 

    *

 

 

 依頼主は、モンフォール家。

 一世紀半ほど前の大航海時代をきっかけに、一大勢力を築いた豪商の末裔だ。

 

 まだ見ぬフロンティアを求めて、良くも悪くも熱に浮かされていたあの時代は、香辛料だの茶だの絹だのを、異国から格安の値段で仕入れて、自国でバカ高い値段で売りさばく商法が一大ムーブメントを巻き起こし、一代で巨額の富を成す商人が、そこら中にワラワラ現れた。

 そうした重商主義の発展に伴い、両替や為替、金融を主な業務とする商人たちが現れる。のちに銀行家と呼ばれる連中だ。

 

 モンフォール家は、この銀行業で大きな成功を収めた。

 

 商人から王侯貴族への積極的な融資に加え、為替・両替の請負、海運業への投資により次第に頭角を現し、今やアヴァロニアの名だたる主要都市には必ず、モンフォールの手足とでも形容すべき立派な商館が建っている。

 

 清廉潔白を意味する柊に、魔除けの象徴でもある鹿の角を模した紋章と言えば、東洋じゃよほどの田舎者でもない限り、知らない者はいないはずだ。まさしく、金持ちオブ金持ち。

 最大の顧客はイリヤ教団と言えば、語らずともその凄さが理解できるだろう。ネウストリア王家やクラインだって、こいつら相手だと頭が上がらない。金貨を貫く剣はないって、誰が言ったか知らんが、(けだ)し名言だと思う。

 

 近年はその財力を背景に、政府にも多大な影響力を有していると聞く。

 第三次東征だって、こいつらの協力なしには成功どころか、そもそも成立しえないだろう。

 

 まあ色んな意味で恐ろしい連中だ。

 裏社会のドス黒い部分ともつながっているとかいないとか、まことしやかに噂されてるし。下手に敵に回すと、生きて再びネウストリアの地を踏むことはできない。冗談でも脅しでもなくて、マジでそうなんだから笑えない。

 

 さて、そんな神をも畏れぬ一族ことモンフォールさん家が、ギルドで堂々とご子息の指南役なんざ募集してやがるもんだから、当然目を疑った。

 依頼内容は、三女への魔法学の教授。

 

 魔法学?

 おいおい……ネウストリア始まって以来の天才魔術士(ただし、現在は諸事情により無職)と謳われた俺のためにあるようなクエストじゃねーか。

 

「ああ、それねえ……うん。嘘じゃなくてマジモンのモンフォール家よ。お屋敷で代々指南役勤めてたおじいちゃんが、腰いわしてしばらくお休みになって、ウチに話が降りてきた案件なんだけど……うーん。正直やめておいた方がいいと思うわよ。みーんな、三日も経たないうちに放り出されたから」

 

 目元のほくろと、第一ボタンを外したシャツの下の膨らみが気になる窓口のお姉さんは、渋い顔でそう言った。

 「先方に問題があるってことですか?」と俺が訊くと、お姉さんはさらに難しそうな顔を浮かべた。

 

「うん、まあ……手が焼けるというか、一筋縄じゃいかない子らしくて。育ってきた環境が環境だから、仕方ないんだけどね」

 

 お姉さんはお茶を濁した言い方をしたが、要するに生まれてこの方、「流石でございます」、「滅相もございません」、「ビバ! お嬢さま!」の三拍子の太鼓持ちに囲まれて育ったガキなんだろう。

 金持ちのボンボンにはよくある話だ。ドンドコドンのボンボコボン。媚びへつらわれる側の本人には罪がないだけに、余計に罪深い。

 

 普段ならクソガキの相手とかマジ勘弁となるはずの俺だが、一日二・三時間適当におべんちゃらをかますだけで、日当1万フランという破格の報酬を前に、簡単に引き下がる訳にはいかない。

 金こそ全て。All you need is money.

 

「魔法に造詣が深いこと及び魔法学を修めたことが条件、ってあるんですが」

「ああ、うん。要は趣味の片手間で詳しいだけの人はお断りってことよ。魔法アカデミー出身とか、宮廷魔術士として国に仕えていたとか、経歴にある程度の箔がついていれば問題ない。帝国で言うところの、国家魔術士みたいなね」

「国家魔術士?」

「知らない? アイゼンルートは五年ほど前に魔法のライセンス制を導入して、国家魔術士としての認定を受けていない者が魔法を研究したり行使することを、法で一律に禁止したのよ」

 

 ほーん……要はアイゼンルートじゃ魔法使いイコール国家公務員ってことなのか。

 お国に飼われた犬とか、自由と創造を尊ぶ魔術士の名が泣くぜ……と言いたい所だが、食い扶持の心配をせずに研究に没頭できる環境とか最高じゃねーか。早い話が政府がパトロンやってくれるってことだろ。羨ましすぎる。

 クッソ、俺もアイゼンルートに生まれたかった……

 

「教えるのは、東洋魔術でいいんですよね? 一応、俺魔法アカデミーの出身なんで……まあ中退ですけど」

 

 お姉さんは俺の履歴書にざっと目を通してから、言った。

 

「うん。いいんじゃない? 中退って言っても、こういうのって、入学が一番難しいんでしょ。しかも入学したのって十三歳の時じゃない。これっていわゆる飛び級? はーん……さらに東洋の言語はほぼマスター、メテオラ語も習得済。アイゼンルート語も、日常会話程度なら可能……へー、魔法使いはグリモワールを読み解く上で、三・四カ国語くらい当たり前に使えないと話にならないとは聞くけど、大したモンじゃない。メテオラ語で、火と水は?」

「イグニスとアクア」

「じゃあ氷は?」

「グラキエス」

「正解。合格♪」

 

 やったー! 合格だー!! 

 って、コラ。いかんでしょ。

 

 俺が言うのもアレだが、こういうのって証明できるものとか示さないとダメなんじゃないの? 

 しかし、お姉さんはシャッシャと書類の記入を済ませて、ドン! と認可の判を押した。一体何にお墨付きを与えたのかね君は。僕のうさん臭さかな?

 

「しかしまあ……それなりに学のある人間が、今まで何人も追い返されてきたんですよね。ちょっと怖くなってきたな」

「私はむしろ、そこがポイントだったんじゃないかと思うけどね」

「ポイント?」

「ほら、学のある人って、得てしてプライドも高いじゃない。子供の目線に立った教え方なんてできるのかなーこの人って思ったら、案の定……ってパターンが大半だったのよね。それに、余りこういうこと言うべきじゃないんだろうけど、『これをきっかけに、あのモンフォール家にお近づきできる!』みたいな魂胆がミエミエでさぁ……依頼の内容に応えるのは、二の次三の次って感じはあったのよ」

 

 あー……なるほど。

 要はこのガキんちょは、体良く利用されていたってことか。

 

 当人からすれば、さぞ不愉快だっただろう。いい年こいた大人が、どいつもこいつも、隙あらば取り入ろうとしてきたら、そら嫌にもなるわな。特に女の子は、そういうの理屈抜きですぐ見抜くし。

 

 一昔前までは、魔法使いと言うと、「ずっと洞窟の奥で暮らしてきたの君?」って疑いたくなるような社会性ゼロのコミュニケーション不全野郎が大半を占める、古き良き黄昏(たそがれ)の時代が続いていたのだが、最近はそうでもなくなってきてるからな。

 一言でいうと、チャラくなってる。

 

 それもこれも、ウイッチクラフトの登場で、魔法を習得するハードルが大幅に下がったことに起因している。ちょっと前までなら、戦士や狩人でも目指していたはずの頭くるくるパーの連中が、簡単に「魔法使いに俺はなる! ドン!」とか言える時代になってしまったのだ。

 

 そしてこういう連中は、持ち前の行動力や立ち回りの器用さを活かして、いとも簡単に仕事を取ってくるもんだから、昔ながらのオタク気質の魔法使いからしたらたまったもんじゃない。

 口先だけで、技術的には格下のはずのアイツが、俺より収入多いなんて……ムキーッ絶許! となること必定である。

 

 まあ良く言えば、魔法使いもようやく戦士や神官に並び立つ人気職の一つになれたということなんだろうが、悪く言えば、先人が連綿と紡ぎ上げてきた神聖にして不可侵なる魔術の領域を、浅はかでミーハーな俗物ごときに訳知り顔で踏み荒らされてたまるかという話だし、お前達陽キャは俺たち陰キャからどれだけ奪えば気が済むんだという話でもあるし、とりあえず死んでくれないかなという話でもある。

 何コレほとんど悪くしか言ってない。

 

「では明日午後1時、モンフォール家に直接向かってください。地図はこれね。雇用期間は、腰いわしたおじいちゃんが戻ってくるまでの三週間ですが、先方の都合により打ち切られることもあります。オーケー?」

「わかりました。何か持って行くものとかあります?」

「持って行くモノ?」

 

 お姉さんはぱちくりと目を開けたまま静止していたが、やがて合点がいったかのようにうなずき、トンと自分の胸を叩いて俺にウインクした。

 

「ハートよハート。くじけぬ、こ・こ・ろ♡」

 

 俺は目を細めて、「ハハハ」と笑った。

 無人島に一つだけ持っていくモノじゃねーんだぞ。ひょっとして、このクエストが失敗続きな最大の原因は、この受付のお姉さんのハンパないテキトーさにあるのではなかろうか。

 

 やっぱ真面目に働くとか、クソだわ。



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13 ファースト・コンタクト

 翌日正午過ぎ。俺はモンフォール家の正門前まで来ていた。

 ヒーコラ言いながら長い坂を上り、ようやくたどり着いた丘の上に、(くだん)の屋敷はあった。まったく金持ちってのはどうしてこうも、高い所に住みたがるんだろうな。物理的にも人より上にいないと気が済まないのかね。

 しかし悔しいかな、眺望は中々に素晴らしかった。

 

 大小無数の運河が張り巡らされ、水の都とも称されるルナティアの町並みが一望できるうえ、果てなく広がる海が美しい。

 ネロウィング海峡を挟んで向こうに見えるのは、対岸にあるアヴァロニア諸侯国連合の一角、アルルだろう。水面が陽の光を受けてきらきらと輝き、ガレオン船が往来している姿が目に入った。

 死にかけた夏の残り香のような、生ぬるい風が首筋を通り抜けていく。

 

 そんな風に、ぬぼーっとしていると、「おい」と声を掛けられた。

 

「何をしている」

 

 身なりから察するに、屋敷に雇われた衛兵だろう。

 事情を説明すると、「何?」と訝しまれたので、もう一度事情を説明すると、「本当か?」と疑われたので、再度説明すると、「メイド長から話は聞いていたが、お前がそうだったのか……」と少し哀しそうな顔で言われた。

 不審者じゃなくてスマンな。

 

 無駄に装飾の凝った門扉が、イカれた管弦楽器みたいな音を立てて開き、奥へと通された。

 道の両側に連綿と続く銀杏並木の景観は圧巻で、果てに白亜の屋敷が見える。屋敷と言うよりは、宮殿と言った方が的確なんじゃないかという気もするが……

 そこから屋敷の玄関までたどり着くのに、十分かかった。

 

 長い。

 

 庭師を何人雇ってるんだろうと疑問符がつくくらいに手入れが行き届いた庭園を抜け、噴水の側を通り、石畳の道を進んだ先に、メイドさんがいた。

 

 白と黒を基調としたエプロンドレスに、カチューシャ。

 丁寧に編み込まれた亜麻色の髪は後頭部で丸く束ねてあり、端正ではあるが、よく見ればまだ幼さを残した顔立ちをしている。何となくだが、たぶん異国の血が混ざっているような気がする。

 

 三秒ほどの沈黙が流れた。

 

 メイドさんは俺と目が合うと、丁寧に一礼した。

 両手でスカートの裾をつまみ、右足の膝を軽く曲げ、左足を斜め後ろに引いて、会釈をする。

 

 カーテシーとかいうヤツだ。なんかの本で読んだことがある。リアルでそれをする人間を初めて見たので、少し感動した。

 

「貴方がニケ氏ですね。お話は伺っております。中へどうぞ」

 

 言われるがままに付き従うと、重厚なドアが、ロバの断末魔のような声を上げて閉まった。

「全員揃いましたね……それでは、只今よりデスゲームを開始いたします!!」とでも言われるのかと思いきや、そんなことはなかった。

 

 やたら高い天井に、メイド・イン・ドワーフとおぼしき、きめ細やかな装飾が特徴的なシャンデリア。向かって正面の壁には、ひげ面のシャンとしたオッサンの馬鹿でかい絵画が飾ってある。

 「ご当主様ですか」と訊くと、「ええ。初代のご当主さまです」との答えが返ってきた。

 

 踊り場で交差する階段を上り、これまたアホみたいに長い廊下を進んでいく。

 

 エフタル辺りから仕入れたのだと思われる高級そうな絨毯に、ドーリア式の神殿みたいな柱、南洋っぽい独特の文様の土器、ダイアウルフの剥製、シャンバラのカタナと呼ばれる曲線美が艶めかしい武器……

 

 もはや暮らしのレベルが違いすぎて、何を見ても「すごい」という五歳児みたいな感想しか出てこない。

 多分羨ましいとか妬ましいって感情は、自分にも手が届きそうな範囲だから湧いてくる感情なのだ。比較対象が大気圏突破して宇宙まで打ち上げられたら、もはや何も感じなくなる。

 

 メイドさんは無数にある部屋の一つの前で立ち止まって、中へと俺を案内した。

 

 タンスとポールに吊るされた衣裳があるだけの、こじんまりした部屋だった。これくらいの方がやっぱ落ち着くなと思っていたら、「ここは更衣室です」と言われて壁に頭を打ち付けそうになった。

 着替えるためだけの部屋があるとか、さすが金持ちは次元が違うなと思ったが、「使用人専用の更衣室です」と補足されて、心象一切灰燼と化した。

 

 こじんまりとは言ったが、それでもロゼッタの俺の部屋より遙かにデカいんだが……

 

 俺の年収=庶民の月収=金持ちの日収ってことか。宇宙の法則というのは、実によくできている。いや俺の年収はゼロだからその理屈はおかしいんだけどよ。

 

「では早速、こちらの執事用の服に着替えてください。外でお待ちしておりますので、準備が出来ましたらお声掛けください」

 

 意訳すると、「偉大なるモンフォールのご息女であるお嬢さまに、そのようなみすぼらしい格好で謁見させる訳にはいきませぬ」ということらしい。

 ひどいな、昨日ちゃんと風呂入ってきたのに……。

 こんなことなら、あえて不潔な身なりのまま行って、「その臭そうな服を脱ぎな。豚野郎」とメイドさんに面と向かって罵倒される方が得だったかもしれん。いや得って何だよ。

 

 しかし、正装なんてするのいつ以来かね……考えるのが面倒で、いっつも同じようなローブばかり着てたからな……

 

 着替えを終えて、ドアを開くと、メイドさんは俺の顔をまじまじと見た。

 その美しい顔で、「その腐りきった性根は、衣装の力を借りても隠しきれないのですね」と言ってほしかったのだが、どうやら違うらしい。

 

「ネクタイが曲がっていますわ。どうぞこちらへ」

 

 部屋の鏡の前に立たされ、メイドさんが蝶ネクタイの位置を整えてくれた。それから、燕尾服にシワがないか確認し、モジャモジャした髪を多少は見られるように直してくれた。

 俺のモジャモジャはじいちゃん譲りの天然癖っ毛だから、どうやっても直らんと諦めていたのだが、さすがプロだな……

 

「あの……名前はなんて言うんですか」

 

 五秒くらいの沈黙があった。

 鏡に映る彼女の姿は俺の背中に隠れていて、その表情は窺い知れない。

 

「……お嬢様の名前でしょうか?」

「いえ……あなたのお名前ですけど」

 

 また五秒くらい沈黙があった。

 メイドさんは俺の背中に隠れたまま、小声で言った。

 

「ライラ……ライラと申します」

 

 繋げるとイライラに聞こえるなとかアホなことを考えている内に、会話は終わった。

 この辺りに俺という男のしょうもなさというか、つまらなさのエッセンスが詰め込まれていると自分でも思う。わかりやすく言うと、モテる男との違いである。

 

 さーて、待ちに待ったお嬢さまとのご対面である。一体どんなお顔してるのかしら! ウフフ!

 

「なーんだ、またハズレっぽいわね」

 

 開口一番、そう言われた。

 ソフィー・ナンチャラカンチャラ・ド・モンフォール。

 

 それがお嬢さまの名前らしい。

 ナンチャラカンチャラの部分は、「早口言葉かな?」とか思ってるうちに聞き流してしまった。申し訳ない。

 

「オマエ、魔法アカデミーの出身なんですって?」

 

 お前……俺はオマエという名前じゃないんだが。オマエ・マジデクソニートという歴史学者なら、南洋あたりに実在したような気がする。ごめん嘘。そんなのいる訳ない。

 ここで正直に中退とか申告してもアレなので、とりあえず「はい」と答えておいた。「卒業なんだって?」とは聞かれてないから、嘘は言ってない。

 

「へえ。アカデミーの人間が来るのは初めてだから、少しは期待できそうね」

 

 痺れるねェ、怒濤の内角攻め。ナチュラルにやってるってのが、これまた畜生具合を加速させている。

 まあこれくらいは想定の範囲内だから別にいいんだけどよ。感じぬこと石の如し。この程度の煽りにイラついてるようでは、無職は到底務まらんからな。

 

「ライラ。貴方はもう出て行っていいわ」

「ですがお嬢様。お二人を見守るのが私の――」

「要らない。邪魔だから出て行って」

「しかし――」

「いいから! 何度も言わせないでくれる?」

 

 お、おう……いくら何でも、その言い草はちょっとひどくないですかね…… 

 一応女の子なんだから、こんなうさん臭い男とご息女を二人きりにさせることなど、お天道様が許しても私達が許しませぬというメイドさん側の配慮だろうに。

 さすがにライラが気の毒だったので、こっそりフォローを入れておくことにした。

 

「部屋の外で待っていてください。何かあればすぐ呼びますし、何かあると思ったらすぐ入ってきてもらって構いませんから」

 

 二秒くらい俺をじっと見たあと、ライラはこくりとうなずいた。

 それまでソフィーのお目付役を務めていた部下のメイドを連れて、一礼してから、部屋を出て行った。

 

「ホントに、ライラはいつまで経っても私を子供扱いする。腹が立ってしょうがないわ。四六時中ついて回るし、鬱陶しいったらありゃしない」

 

 ソフィーはムスッとした表情で、そう言った。

 向こうはそれが仕事なんだからしょうがないだろと思ったが、ここは同意しておくべきか? それとも、立場を考えろとか、権力に不自由はつきものだとか諭してやるべきなんか?

 いや、これが仕事じゃなければ、「ほーん。あっそ」ってハナクソほじるとこなんだけど……

 

 高級そうな絹のローブを身に纏い、頭には可愛らしい花柄の髪飾り。微かに赤みのあるブラウンの長い髪は、ツヤがあって手入れが行き届いていることが、デリカシーという言葉を母ちゃんの胎内に置き忘れてきた俺のような男でもわかる。

 小さな顔にくりっとした瞳はよくできた人形みたいで、思わず見とれてしまうような気品があった。

 

 ふと、お嬢様とばっちり目が合う。

 

「なにボケっと突っ立ってるの。座りなさい」

 

 押忍。

 隣に腰掛けると、お嬢様のデスクにうずたかく積まれていた書物にざっと目を通す。「東洋魔術史」、「白魔法の起源」、「ソロモンの魔術論」……etc.

 俺も昔読んだことあるようなメジャーなタイトルもいくつか見受けられた。デスクだけでなく、本棚にもそういった書物がみっしりと並べられている。

 

 なるほど、熱意があることは間違いないみたいだな。全部読んでればの話だけど。

 たまにこういうの、集めるだけで満足してるヤツとかいるからな。俺のじいちゃんがそうだった。

 

「勉強熱心ですね。魔術がお好きなんですか」

「好きじゃないわ」

「え?」

「パパが後学のために勉強しろってうるさいから、嫌々やってるだけ。これからは弓馬刀槍の時代ではなく、魔法の時代だとか何とか」

「え……では、この大量の本は?」

「使用人が勝手に揃えたの。一冊も読んでないわ」

「……」

 

 俺は二秒ほど沈黙した後、すっと席を立ち、窓の近くまで歩み寄る。そして、両のまぶたを閉じた。

 

 おい。聞いてた話と違うやんけ。

 

 いや待てよニケ。昨日のギルドでのお姉さんとの会話を思い出せ。

 お姉さんは確か……鎖骨の下にホクロがあって、それが結構エロいなって会話しながらずっと思ってて、鎖骨とおっぱいは不可分の関係性にあると再認識した記憶がある。それはまるで、太陽と月、猛獣と小鳥、太ももとお尻のように、互いが互いを際立たせる不思議な関係……じゃない。それじゃない。

 

 思い返せばお姉さんは、会話の中でソフィーが魔法好きなんて話は一言もしてなかった。

 つまり、俺が勝手に脳内で、

 

 ソフィーは魔法に興味sinsin! でも教師と反目、しょんぼりmonmon……そこに颯爽現る俺、魔法をレクチャーポクポクtintin! 

 高まるsinkin感に、二人はbin-bin!! そしてwin-win!! Oh-yeah……

 

 とかいうストーリーを構築していただけの話らしい。

 

 マジかー……。

 

 とりあえず、三分ほど前に「なるほど、熱意があることは間違いないみたいだな」とか言ってた僕の呟きを返してくれませんかね? あと読まないんなら、ここにある本全部くれませんかね……専門書って市場で買おうとしたらバカ高い値段ふっかけられるんだよなあ……

 

「ねえ。オマエはアカデミー出身なら、学はある方なんでしょう? 勉強って何のためにするの? 教えてくれないかしら」

 

 振り返った俺と目が合う。フフンとした表情で、ソフィーは言った。

 

「将来のためとか、魅力的なレディーになるためとか、そういう答えは要らないわよ。パパや執事のセバスチャンに、散々飽きるくらい聞かされたから」

 

 試してんなコイツと思ったが、顔には出さない。

 こういう時はアレか、真面目に答えた方がいいのか? マジレスすると、「何かのためになる奴もいるし、何のためにもならない奴もいるよ。だが残念なことに、それがわかるのは色々手遅れになってからだ」なんだが、会ったばかりの距離感でこんな明け透けなこと言うのは流石にマズいか……。

 

 しゃーない。

 ここはニケ先生が、大人の模範解答とやらを見せてやるかね――

 

「そうですね。学問ってのは思考の訓練なんだと自分は思っています」

 

 俺は言った。

 

「たとえば算術は、論理的に物事を考察する能力を鍛えるための訓練。文法学や修辞学は、言いたいことを適切に他人に伝える能力ないし、他人の気持ちを察する能力を養うための訓練。魔法学や物理学は、物事を追究したり、原因を筋道立てて説明する能力を磨くための訓練……とまあ、こんな風に。ただ、その結果得た知識なり視点なりを自分の人生に役立てることができるかどうかは、結局のところその人次第でしょうね。親や教師はそこまで面倒見てくれないんで」

「使いどころは自分で考えろってコト?」

「はい。そういう意味では、教育の究極の目的ってのは、自分で自分を教育できるようになることなのかもしれません」

「……ふーん」

 

 ソフィーは口元に手を当てて、何やら考え込んでいる。

 まあ、まるで己の人生に役立ててない貴様がそれ言うか? って話なんだけどな。諸君も周知のとおり、自分で自分の教育もできなかった成れの果てが、このモンスター無職である。知識ばかり無駄に抱えて知恵がないって、俺みたいな奴を言うんだろう。

 人はそれを反面教師と言う。

 

「でも、手段が必ずしも算術や魔法学である必要はないんじゃないかしら」

「え?」

「だって、論理的思考力が算術を通じてしか手に入らないと言われたら、そんなことないでしょう。他の物事からだって、似たような能力を磨くことはできるはずよ」

「アッハイ……」

「あるいはこういう見方もできるんじゃない? 例えば、自由七科(リベラルアーツ)に音楽が含まれていて、美術が含まれていない理由って何? 音を生み出すことの方が高尚で、絵を描くことは低俗だから? 感性を養うという意味では、音楽も美術も戯曲も同等であると私は思うのだけれど。どうして序列があるのかしら? そんなのおかしくない?」

「それはまあ……先人の知恵というか、最大公約数的な所かと……」

「御託はよしなさい。いい、私が言いたいのはね……どうして、一つの手段に束縛されなきゃいけないのかってコト。大人はやりたいことだけやるのはダメだってよく言うけど、具体的に何がどうダメなのかしら? 一つの物事を徹底的に極めて、それでようやくたどり着ける境地ってのもあるはずよ。色んな事を半端にかじって、半端に知識人ぶって、わかったような顔をして承認欲求を満たすことが、立派な大人の定義なの? それこそ低俗な生き方だと思わない?」

「……」

 

 俺は振り返って、再び窓の外を見やる。そして、両のまぶたを閉じた。

 

 知らんがな。

 

 「黙れ小娘。覚え立ての言葉をこれでもかというくらい使いやがって」とおちょくりたいところだが、とりあえず質問は一度に一つにしてくれる? 俺はデバフの術式とかでよく見る、自動繰り返し即レスプログラムじゃないんだよ……

 十人の話を同時に聞くことができる程度の能力なんて高度なスペックは、残念ながら搭載されていない。

 

 まあそれはともかく。少し……気になったな。

 

「そこまで仰るということは」

 

 距離にして五歩か六歩。

 近くて遠い距離を隔てて、俺はソフィーの目を見つめた。

 

「お嬢様の中で、学問よりも大切なことが見つかったと。そういうことなんですか?」

 

 目が合ったまま、三秒。

 ソフィーは俺から視線を逸らすと、頬杖をつき、ツーンとした表情で言った。

 

「話した所で、オマエにはわからないわよ。私の気持ちなんて」

 

 でしょうね。

 ぐうの音も出ない正論だわ。私の地獄が貴様ごときに理解できてたまるかって、ホントそのとおりだと思うよ。だってどれだけ頑張っても、貴様は私になれないんだから。理解できるはずがない。

 以上解散! 本日もお疲れ様でした!!

 

 ……と行きたいところだが、残念ながらそうはいかないんだよなあ。

 なぜならこれは仕事だからだ。本音殺して、言いたいこともロクに言えないとか……やっぱ仕事ってクソだな。ますます社会で働きたくないと思いました。

 

「まあ、そうかもしれません。でも、話さない限りは永遠にわかってもらえないですよ。他人は超能力者じゃないんで」

 

 小さなため息を一つ、俺は告げた。

 

「言葉で伝わるのは言葉だけとか、想いを伝えるのは言葉だけじゃないって、いくら腹の内で言い訳しても、結局貴方が踏み出さないことには、現実は何も変わらない。それは事実だと思います。だから、ある日突然、お伽噺のように、誰かが手を差し伸べて貴方を救い出してくれるなんてことはあり得ない。貴方が自分の殻を破らない限りはね」

「……」

 

 ソフィーは沈黙したまま、応えなかった。

 ちょっと言い過ぎたかと思う反面、どのツラ下げて俺はこんな偉そうに説教かましてんだと虚しくなった。

 子供のころ、こんな風に知ったような説教かましてくる大人を見るたび「何だコイツ」という気持ちになったのを思い出して、俺もすっかり「何だコイツ」のコイツになってしまったのかとやるせない気持ちに駆られる。

 

 ガキの頃、世話になった師匠が言ってたっけ。

 人は皆、そいつなりの地獄を抱えて生きていると。

 

 そこを全く忖度せずに、頭ごなしにモノを言うのは、それこそ「何だコイツ」のコイツになってしまう。俺はコイツでもなければ、オマエ・マジデクソニートでもない。

 ニケだ。

 吾輩はニケである。仕事はまだ無い。

 

「勇者がいるわ」

「……え?」

「ロゼッタのクロノア。彼は正義の味方なんでしょう? 彼なら私のような人間も、救い出してくれるんじゃないかしら」

 

 突然出てきたその名前に、我知らず思考が停止する。クロノアが、白馬に乗ってソフィーを……? いやちげぇよ。そこで停止すんな。

 やがて、ソフィーがくすくすと笑った。

 

「冗談よ」

 

 冗談? ああいや、ここははぐらかされたと言うべきか……。

 

「まあ、そんな風に一人一人の声に耳を傾けていたら、身体がいくらあっても足りないでしょうからね……下手に誰か一人を救うと、どうしてアイツは救われて俺は救われないんだ? って話にもなってしまう。正義の味方ってのは、中々に大変な商売だと思いますよ」

「そうね。でも、もし……こんなことは絶対あり得ないんでしょうけど、もし、勇者が世界中の困っている人々を全て救い出すことができた、その時は……」

 

 ソフィーは俺の方を一瞥して、言った。

 

「勇者は、誰に救われるのかしら」

 

 誰? 誰ってそりゃ、人々の感謝とか笑顔とか、名誉とか富とか……でもソフィーが言いたいのは、おそらくそういうことではない。

 

 誰か一人を犠牲にすることで成り立つ幸福は、本当の意味での幸福と呼べるのか。

 

 それはある意味で、全員を犠牲にするより遙かに残酷な行為なんじゃないかと、ふとそんなことを考えてしまう。

 

「与太話が過ぎたわね。それじゃ、そろそろ授業を始めてちょうだい」

「え?」

「え? じゃないでしょう。何しに来たのよオマエ。まさかこのまま突っ立ったまま、帰るつもりだったの?」

 

 「そのまさかです」と満面の笑みで応えたいところだったが、流石にやめておいた。

 クッソ、良い調子だったんだけどな……このまま何もせず、金だけもらえるんじゃと(よこしま)な気持ちを抱いてしまったのが運の尽きか。

 

 ちなみにアカデミー時代、幾度となく廊下に立たされた経験があるので、罰を受けることには慣れてる。まあ俺の場合、ある意味毎日が世界という教室から閉め出されて、廊下に一人虚しく立たされてるようなもんだからな。

 

 お前の席ねえから? 

 おう知ってるよ。わざわざ教えてくれてありがとな。

 

「いえ、その……魔術は嫌いと仰ってたので」

「嫌いとは言ってない。好きじゃないと言っただけよ」

「違うんですか?」

「違うに決まってるじゃない」

 

 いや、全然違いがわからんのだが……。

 会話の端々で、ちょいちょい乙女みたいなメンタルねじ込んでくるなコイツ……いや乙女だったか。失礼。

 

 もういっそのこと、ライラと交代してくれないかな。俺はライラに魔法を教えたい。それまで意識していなかったあの人を意識してしまう魔法を、君にかけてあげるYO☆ 

 おっといけない、そいつは魔法じゃなかった。いいかい、そいつはね……ふふっ。恋って言うのサ……

 

「ハイ。それじゃ魔法の歴史から始めまーす。魔法は遙かいにしえの時代、魔族とエルフがこの大陸を――」

「唐突ね」



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14 あの丘を越えて

 それから三日が経過した。どういう因果か、クビになっていない。

 なぜ? なぜなんだろうね。俺が聞きたい。

 

 とりあえずこの三日間で起こったセンシティブな出来事と言えば、ソフィーに「オマエの敬語はなんか気持ち悪いわ。もっと普通に喋ってちょうだい(意訳)」と指摘されたことくらいか。

 

 なので、俺が敬語をやめたのは、打ち解けた途端に急にオラつき始めるという、クソ野郎にありがちな部分を余すことなく発揮したからではない。俺は確かにクソ野郎だが、クソ野郎にも色々種類があるということを、皆様にはご理解いただきたい。

 人はそれを同族嫌悪と言う。

 

 三日目のご奉公が終わったあと、ライラに「正直、感心いたしました」と褒められた。

 何でも今までここに派遣されてきた家庭教師の連中は、皆三日も経たないうちにお嬢様のご機嫌を損ね、早々にお(いとま)をくらったのだと言う(ギルドのお姉さんが言っていたとおりだ)。

 それがどうしたことか、俺が来てからは文句の一つも出ていないらしい。

 

 ハハハ……またまたご冗談を。

 このまま体良く俺を騙して、モンフォール家主催の、社会のクズを集めた一攫千金デスゲームに参加させる魂胆じゃなかろうな。マジでそういうのやっててもおかしくないからな、この一族……

 

「ひとまず、新記録達成ですね」

 

 ライラがくすりと優しく微笑んでくれる。

 そんな風に言われると、ライラに騙されるのならむしろ本望と思ってしまった僕でした。うーんこのチョロ無職……

 

「何か特別なことでもされたのですか?」

 

 特別なことと言われても、別に何もしてない。むしろ良くも悪くも、自然体なのが功を奏したのだろうか……。

 

 実際、この家に取り入るとか取り入らないとか、俺にはクソほどどうでもいいからな。金銭でスッパリ割りきれるビジネスライクな関係も、意外と悪くないどころかむしろ心地良いと思い始めてるまである。

 

「自分が子供だった頃の初心を思い出して、なるべく興味を引くように工夫はしてますけど……そう考えると、子供の頃にアカデミーで受けた退屈極まりない授業も、長い目で見れば役に立っているのかもしれません」

 

 馭者席に座るライラが、ふふっと声を出して笑う。

 馬車の後方に、夕陽を浴びた景色が流れていく。銀杏は黄色く色づき、宵の空気は日増しに冷たくなりつつあるように感じた。

 

「それと、良くも悪くもあきらめてくれたのもあると思いますよ。『どいつもこいつも、偉そうに教師とか名乗ってる割に、大したことないな』って、お嬢さまは達観してしまったんじゃないかと」

「そんなことはないと思いますけど……」

「この三日間接してわかりました。お嬢様は賢い子ですよ。言い方は少しキツい所もありますが、アレはアレで理由があるんだということが、何となく見えてきました」

「……というと?」

「その、何て表現したらいいのかな……頭が良いからこそ、見えなくていい所まで見えてしまうというか……ある種の危うさのようなものも持ち合わせているように感じたんです」

 

 ライラの方を一瞥して、俺は続けた。

 

「彼女の感情の導線がどこにあるのかよくわからなくなるのは、たぶんそういうことなんですよ。あの子はきっと、我々大人が考えている以上に、色んな事を考えながら生きている。そして、自分の中でその整理がついていない。だから、時折何でもないことで、張り詰めた糸がプツンと切れたりするんでしょう。

 要するに、お嬢さまは今大人と子供の中間地点にいるんですよ。他の子供たちより、ずっと早くにね」

 

 などと口ではほざきつつ、内心はいくつになってもクソガキマインドのお前がそれ言うかという寂寥感に満たされていた。

 いい年こいて親のすねをかじって食うメシは旨いか? むろん美味しいです。

 

 秋の夕空にふさわしい、虚しい自責が五臓六腑に染み入る俺をよそに、ライラは何か考えているようだった。

 

「……そうですね。私も子供の頃は、早く大人になりたいって考えてましたから……まあ大人になったらなったで、子供の頃に戻りたいとも思うんですけどね。そういう意味では、人はいつまで経っても、大人にはなりきれないのかな……」

 

 車輪の下で、落ち葉が軋む音がした。

 辺りは少しずつ夜の色に染まり始め、東の空に三日月が見えた。

 

「でも、凄いですねニケさん……こんな短期間で、お嬢さまのそんなところまで見抜いてしまうなんて。少なくとも私には、そういう発想がありませんでしたから……」

「まあ、同じ屋根の下で暮らしてるからこそ、見えないこともあると思うんで。縮尺の大きすぎる地図が、時として役に立たないのと同じですよ」

 

 そんな風に話しているうちに、馬車は麓の市街に到着し、宿の前で停車した。

 馬車を降りると、不意にライラと目が合う。三秒ほどの沈黙を挟んだ後、俺は言った。

 

「ライラさんって、いつもその髪型なんですか?」

「え?」

「あ、いや……毎日編み込むの大変そうだなと思って」

「ああ、これですか……このシニヨンはですね。毎朝お嬢さまが結ってくださるんですよ」

「お嬢さまが?」

 

 あの居丈高な小娘が一体どういう風の吹き回しだと思っているのが、顔に出ていたんだろうか。

 ライラがくすりと微笑した。

 

「ああ見えて、意外と優しい所もたくさんあるんですよ。私、ずっと自分の髪型には無頓着だったんですけど、お嬢さまが『ライラには絶対これが似合う』って譲らないので。いつの間にか、お互いがお互いの髪を結うのが、毎朝の日課になってました」

「へえ……お二人は付き合い長いんですか?」

「かれこれ五年くらいになりますかね……小さい頃は、何をやるにしてもライラ、ライラって、私に懐いてくれて。お嬢さまは、お二人の姉上様と年の離れた末っ子でしたから、余計に私も可愛がってしまって」

「今は可愛くないんですか?」

「え? そんなつもりは……」

「冗談ですよ」

 

 ハハハと笑いながら、内心あのお嬢さまにもそういう時代があったんだなと意外に思った。

 まあ誰だって、昔は子供だったからな……かく言う俺も、昔は可愛い時代があったのだ。それが今やモンスター無職に……どうしてこうなった。

 

「……それでは。明日以降もお嬢さまのこと、よろしくお願いいたします」

「ええ。また明日」

 

 そう言うと、ライラはスカートの裾をつまみ、すっとお辞儀をした。

 

    *

 

 それからも家庭教師の日々は続いた。

 魔法の歴史を一通り修めると、黒魔法、白魔法、補助魔法、召喚魔法、空間魔法の五大魔法を系統別に解説した。ちなみに五大魔法という区分は、東洋魔術のクラシカルな分類に過ぎない。

 

 系統のカテゴライズは流派によって大きく解釈が異なるところで、例えば魔導師ノルンは五大魔法に固有魔法を加えた六大魔法を提唱しているし、南洋の陰陽道では、それぞれの系統の中に「陰」と「陽」という区分を設け、より詳細な分類がなされている。 つまり同じ炎の魔法でも、「陰」の炎と、「陽」の炎があるって解釈だ。

 

 俺個人の見解も、どちらかと言えばこれに近い。

 師匠が陰陽道の出身だったことも多分に影響しているのだろうが、俺の解釈はこれをさらに発展させて、「陰」と「陽」の区分は、属人的な気質に影響されると提唱したものになる。

 

 実際、アカデミーの頃はそういう論文を書いていた。

 古き良き東洋魔術が原点にして至高と、頭の天辺から足のつま先まで信じ込んでいるアカデミーの石頭どもには、まるで理解されなかったがね。

 

 家庭教師を始めて一週間が過ぎたころ、さすがに座学ばかりも飽きたろうと言うことで、外に出て演習をやることにした。

 

 ライラたち複数人のメイドの監視の下、俺氏主催による青空教室は開始された。さすがのソフィーも、今日は髪を後頭部で結び、ドレスではなく動きやすい軽装をしていた。

 

「炎よ、起これ」

 

 唱えると同時、右の掌に火の玉が浮かぶ。

 何てことはない、慣れてしまえば念じるだけで具現可能な基本中の基本の動作だが、初心者はこの程度でも難儀する。

 センスの良い奴でも、安定して火を起こすことができるようになるまで、大体一週間はかかると見ていいだろう。炎は基本属性の中でも、発動がもっとも難しい属性とされているからな。

 

「タリスマンは身につけたな? んじゃ、早速やってみよう」

 

 言われるがまま、やってみたソフィーだが、やはり上手くはいかない。

 六回連続で失敗したあと、彼女は恨めしそうな目線を俺に向けた。

 

「この魔導具、きっと壊れてるんだわ」

「そんなことはないよ。いいか? 全身の魔力の流れを感じ取って、指先に意識を集めるイメージだ」

「うーん……そう、やってるつもりなのだけれど」

 

 それからも、ソフィーは幾度となく詠唱を繰り返す。

 十何回目かのトライで、タリスマンに埋め込まれた魔石が微かに反応し、炎が起こった。

 

「わっ! 点いた……ってあれ?」

 

 わずかな瞬きの後、炎はすぐに消えてしまった。

 ソフィーがまじまじと俺の顔を見る。

 

「今のは……成功したって言っていいの?」

「ああ、上出来だ。やったじゃないか。もっと時間かかると思ってたよ」

「いやでも……こんなの、煙草の火さえ着けられないでしょう」

「そうだな。そのレベルまで行くには……あと三日は必要だな」

「えー、そんなに?! はぁ……ウイッチクラフトが流行って、東洋魔術が廃れるワケよ。こんな地味で面倒くさい工程、誰だって自動化できるなら自動化したいわ」

「必ずしもそうとは言えんぜ。魔法をなるたけ自動化して、世の中一般に、日常の至る所にまで幅広く普及させるっていう、西洋魔術の思想はなるほど立派だと思うが、見方を変えれば、道具がなけりゃ何もできない人間を量産することになる」

「それの何が問題なの?」

「魔法から個性を奪っちまうんだよ。特に魔術士を名乗って、それを商売にしてる連中まで楽な方、楽な方に流れちまうと、クリエイティビティは退化する。なぜなら、人は与えられたカゴの中でしか物事を見ようとしないからだ。目先の事ばかりに囚われて、あの丘の先にどんな景色が広がっているのか、そんな風に考える人間はいなくなってしまうかもしれない。

 だから、効率化や最適化は大いに進むだろうが、今後魔術の世界で革新的な発明が生まれることもなくなるだろう。長い目で見ると、先細りになっていく未来しか見えないって不安はある」

「ふーん……そんなの未来の人たちが考えたらいいんじゃないの? 今を生きる私たちが、そんな先の話まで責任持てないわよ」

 

 俺は鼻で笑った。

 

「ま、そういう考え方もある」

 

 気を取り直して、再度発火の作業に勤しむお嬢さまであったが、やはり中々上手くいかず、「キーッ!」と地団駄を踏み始めた。心なしか、ポニーテールも逆立っているように見える。

 頃合いかなと思った俺は、助け船を出すことにした。

 

「ちょっと発想を変えてみようか。炎ってのは激しいイメージがあるから、その印象に引っ張られて、力任せに発動させようとする人が多いんだけど……実はそうじゃないんだ。炎ってのは本来、とても繊細な属性なのさ」

「センサイ?」

「ああ。たとえば炎は、風や雨にさらされるとすぐに消えてしまうだろ? 周囲の環境に、モロに影響を受ける属性なんだよ。何にでも合わせちまう優等生の水や、ぶきっちょで頑固な土なんぞとはワケが違う。コイツはこういうヤツなんだってわかってあげないと、この属性と上手く付き合うのは難しい」

「まるで人間みたいに言うのね」

 

 人間と言われたら、確かにそうだ。実際、俺は黒魔法に関しては、属性それぞれの特徴を擬人化してイメージを構築している。

 水は優等生、風は寂しがり屋、土は堅物、氷はクール、雷はオラオラ系みたいな感じで。

 炎? そんなの決まってるだろ。

 

 ツンデレだよ。

 

「そうさな。特に炎は、俺に合わせろってスタンスじゃ、まず言うこと聞いてくれんぞ。こっちから合わせにいって、ご機嫌取って、それでようやくちょっとずつ心開いてくれるような属性なんだ」

「……なんか面倒くさいヤツね。友達少なそう」

「わかってねえなソフィー。そこがいいんじゃないか」

「そうかしら」

「まあ他の属性もそれぞれ一長一短あって、中々面白い連中が揃ってるんだけどな。みんな違って、みんな良い。エレメンタルマスターたる者、いかなる時もそういう心構えを忘れてはならん」

「いや別に、そういうのは目指してないのだけれど……」

 

 彼女は背伸びをして深呼吸すると、俺の顔を見て、微かに口角を上げた。

 

「ま、センセイがそう仰るのなら、やぶさかではないわ。やればいーんでしょ、やれば」

 

 それから三十分ほど試行錯誤を重ねた結果、ソフィーは五回ほど発火に成功した。うち二回は、十秒ほど炎を維持することにも成功した。

 俺はその都度、「いいよいいよその感じ! 今の感覚を忘れないで!」、「ハイ集中が足りてないよ集中が! もう一回行こう!」、「あきらめんなよ……あきらめんなお嬢! どうしてそこでやめるんだそこで! もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメ、あきらめたら!」と、熱血教師よろしくな台詞を吐いていたが、内心猛烈に焦っていた。

 

 え? ちょま……コイツ、めっちゃセンス良くない?

 

 一週間どころか、明日か明後日には発火をマスターしてそうな勢いなんだが……来週には初級レベルの炎魔法なら、普通に使いこなしてそう……

 

 貴様さては天才かと思ったが、よくよく考えてみれば俺の教え方がよかったからだな。

 やっべー、プレーヤーとしてもさることながら、コーチとしての才能にも恵まれていたとは。天は俺に何物与えれば気がすむのかしら……

 

 などとアホなことを考えているうちに、休憩時間となった。

 木陰に腰掛け、汗をぬぐっているお嬢さまを「ヨシヨシどうどう」と手懐けていると、ライラが紅茶を持ってきてくれた。むろんホットではなくアイスだ。気が利く。

 

 本日の茶葉はエクヴァターナ。

 エフタル南東のグラナダ山脈の麓で栽培された茶葉で、秋摘みされたものは春摘みされたものと比べて、渋味が増して云々。

 

「美味しい。昨日のヤッサムも芳醇でよかったけど、こっちはこっちで味に奥行きがありますね」

 

 もっともらしいコメントをしたが、本当は違いなんてまるでわかっちゃいない。

 違いがわかる男になりたかった。でもなれなかった。その哀しみなら、わかる。

 

「……秋も深まってきたわね」

 

 足を開き、地面にお尻をつけてぺたんと座り込んでいたソフィーが、グラスを両手に持ちながら、ふとそんなことを呟いた。

 

 彼女の視線の先を追うと、色づいた紅葉がさらさらと揺れて、上枝の合間から木漏れ日が射していた。空は青く澄み渡り、風が心地よい。

 今日も綺麗な夕焼け空が拝めそうな、空色だった。

 

「この空の果ては、どこにつながっているのかしら」

 

 詩的なその言葉は、独り言なのか俺に訊いているのか判然としなかったので、少し離れた場所、ワゴンの側に佇むライラの方に目をやった。視線が重なる。

 

 ハッ。これは……恋……?

 

「ここより南東の方角は、現騎士王のお膝元でもある、ガラテアの首都カトブレスがございます」

「へぇ。その先は?」

「ガラテアを抜け、ラウル山脈を沿うように南に進むと、西にエルフの森であるダーク・ヘッジス、東にはスピカ荒原が広がり、その先にはアシュバール砂漠が待ち構えています。砂漠のオアシスには、世界最古の国家と謳われるエフタルがございます」

「そういや、ライラはその辺りの出身だったわよね」

「……ええ。まあ」

「そのさらに先は?」

「砂漠の西、ステップ地帯を進むと、その先は帝国の圏内です。一代で今の東洋に比肩しうる勢力を築き上げた、クラウス1世が治めるアイゼンルートがあります」

 

 俺はチマチマと残りの紅茶を啜った。

 へえ、ライラは中西部(ミドル・ウェスト)出身だったのか……なるほどどおりで、雰囲気がエキゾチックというかオキシデンタルで、瞳の奥にドキリとするような野性味があるのか。この調子で「休みの日は何してるんですか?」とか訊いてくれないかなソフィーさん……ってコラ。

 

「ねえライラ。空に終わりはあるの?」

「ございません。いにしえの時代は、世界は平面であると捉える説が主流だったため、海にも空にも終わりがあると考えられていたようですが……大航海時代に、世界一周を成し遂げたカトブレスの冒険家ネルソン・トラヤヌスによって、この星は球体であることが証明されました。球体である以上、終わりはないという結論になります」

「ふーん。でもそれって、少しがっかりよね……」

「? どうしてでしょう?」

「だって、終わりがあると信じて進み続けたのに、結局一周回って元に戻ってきたってことじゃない」

 

 溶けずに残ったグラスの中の氷をしげしげと見つめて、ソフィーは言った。

 

「世界一周を成し遂げたカトブレスの冒険家は、きっと最果ての景色を見たかったのよ。誰も見たことがない景色に辿り着きたかったから、危険を冒してでも、荒海の中に飛び出そうとしたんだわ。でもその結果が……色んな代償を支払って、ようやく辿り着いた結果が最初の景色って、あんまりだと思わない? 物語の結末として、少しもの悲しいような気がするわ」

 

 柔らかい風が吹いて、落葉がふわりと宙を舞った。

 時の余白に、ひっそりと沈黙が積もる。

 

「余計なこと話したわね……キリもいいし、今日はここまでにしましょうか。オマエはもう帰っていいわ。お疲れ様。ライラ、後はよろしくね」

「かしこまりました、お嬢様」

 

 ソフィーは立ち上がり、数人のメイドを引き連れて、屋敷へ戻っていった。

 

 残された俺は木陰に座ったまま、彼女の残した言葉の意味について、しばし考えていた。

 妙な気分だった。夜にはまだ遠い昼の真ん中で、まるで時間が止まったかのような感覚が、腹の中でしばらく(うず)いていた。



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15 もし世界から雨が消えたなら

 いつものように仕事を終えて、宿屋へ戻ってくると、突然女将に話しかけられた。

 何でも、ギルド経由で手紙が届いているという。差出人の名は、エルレイン・ガーフィールドとなっていた。

 

 すぐさま部屋に戻り、慌てて開封した手紙には、見覚えのあるエルの字で、こう綴られていた。

 

 

「親愛なる友へ

 

 ようニケ。元気でやってるか? ロクに挨拶もせずに、ずいぶんせっかちな門出だったじゃないか。

 そもそもこの手紙がお前の元に届くのかもわからないが、クラインには流れ者の冒険者に配慮して、親族や友人からの連絡を取り繋いでくれるメッセンジャーシステムなるものがあると聞いて、早速やってみた次第だ。

 

 いくら強情者のお前でも、クラインの力を借りずに、西方まで辿り着くことは困難だから、いつかお前の元にこの手紙が届くんだろうと信じて、今はペンを握っている。

 

 まあ何だ、振り返れば色々あったが、お前をもっともよく知る友人として、お前の旅路に幸あらんことを心より願っている。

 こう言っちゃなんだが、お前の顛末(てんまつ)を親父さんから聞いたとき、特段驚きはなかったんだ。むしろ、ようやく収まるべきところに収まった、という安心感の方が強かった。ホントだぜ?

 

 お前は本当ならもっと早く、ガキの頃憧れたノルンみたく、世界を股にかけて旅する魔術士になっていたはずなんだ。少なくとも、俺はそう信じていた。今頃はどこぞの宮廷魔術士として名を馳せていたかもしれない。

 それが運命のいたずらで、歯車が狂っちまった。でも、結局は元の鞘に戻った……振り返れば、それだけのことだったんだと俺は思っている。

 

 それだけ――なんて言われ方をすると、お前としては心中複雑な気持ちだろうけど、なりたかった自分になるのに、遅すぎることなんてないんだぜ。

 胸を張って、世界を旅してこい。お前という人間を受け入れるだけの広さが、きっとそこにはあるから。

 

 あと、親父さんのことは心配しなくていいからな。

 俺も時間が許す限り、宿屋のことは手伝おうと思っているし、親父さんのことは常々気に掛けておくつもりだ。その方がお前も安心できるだろう? まあ肝心の親父さんはお前と一緒で、あまのじゃくなところがあるから、このことは二人だけの秘密で頼むよ。

 

 そうそう、剣も受け取ってくれたって親父さんから聞いたぞ。

 魔法だけでしのいでいくのは中々険しい旅路になると思うから、相棒として使ってくれれば幸いだ。

 

 長くなっちまったが、この手紙を受け取ったなら、返事をくれると嬉しい。

 クラインの支部は、今やアヴァロニア中にあるから、今後向かう先を教えてくれれば、色々手助けもできると思う。

 

 幸運を祈る。

 

 エルレイン・ガーフィールド」

 

 

 最後まで読み終えると、俺はテーブルの上のワインを手に取り、グラスに注いだ。一息に飲み干すと、窓を開け、もう一度手紙を最初から読み返した。

 

 変わらないな。やっぱりアイツは昔から、根っこの部分は何も変わってない。

 

 アイツが昔と変わらず俺に接してくれているのは、ガキの頃の恩返しのつもりなのかなと、ふとそんなことを考えてしまう。今度は俺がお前の背中を押す番だぜと、この手紙はそう言ってくれているようにも感じた。

 

 心強い限りだ。どうやら俺には、最強の後方支援が付いているらしい。

 

 俺は早速女将にペンと便箋を借りて、エルへの返事をしたためることにした。

 モンフォール家で家庭教師をやっていること、この仕事が終わればアルルに向かい、ゆくゆくはガラテア方面から陸路で西方を目指すこと……

 

 そういや、借金のことは、親父はエルに伝えていないのかな……

 親父の性格上、あえて知らせなかったのかもしれない。つまり最終的には、俺の言い分を信じてくれたのだろう。やれやれ。

 いつかきちんと、落とし前をつけないとな……

 

 グラスにワインをつぎ、一口つけると、俺は手紙の末尾に、追伸としてこう書き記した。

 

「エルにもらった剣なんだが、走るたびにガチャガチャして股間に響くんだ。申し訳ないが、背中に背負うタイプの鞘を用意してくれないか? 俺の股間を揺るがす由々しき問題なんだ。実際揺れてるしな。よろしく頼むよ」

 

 

   *

 

 

 それからも、モンフォール家に足を運ぶ日々は続いた。

 俺としては、演習はそろそろいいだろうと思っていたのだが、意外なことに、ソフィー自らが申し出たのだ。炎以外の魔法についても教えてくれと。

 

 そんな風に言われたら、俺としても断る理由がない。

 振り返ってみれば、アイツがお勉強に関して、自ら進んでリクエストを出してきたのはこれが初めてだった。少しは魔法に興味持ってくれたということなんだろうか……うーむ。

 

 とりま、氷や雷は上級者向けなので除外するとして、基本属性である四属性、すなわち火・風・水・土の魔法を一通り体験してもらうことにした。

 

 風や土は、二・三日レクチャーしてやると、あっさり扱えるようになった。

 そもそも風や土は、他の属性と比べて制御が容易であり、初心者向けの属性と言われている。炎を三日程度で、簡易な操作ができるレベルまで昇華させたソフィーの素質を考えると、特段驚くべき成果でもないだろう。

 

 一方、水は予想通り、制御がままならなかった。

 

「やっぱりソフィーは、炎が一番相性良いみたいだな」

 

 木陰に腰掛け、呼吸を整えているソフィーの様子を見ながら、俺は言った。

 

「相性とかあるの?」

「もちろんあるよ。属性はそれぞれ、人間の性格に喩えることができるって話は、こないだしたよな。術者の性格や気質によって、合う合わないは当然出てくる。友達作るときと同じだよ」

 

 俺友達エルしかおらんから知らんけど、と心中で付け足す。

 エルは属性で喩えると、どう見ても風ないし水タイプの人間だからな……別に俺じゃなくても、誰とでも友達になれるから。

 つまり全然参考にならない。哀しいけどこれ、事実なのよね。

 

「その説って、根拠あるの?」

「学説としてはマイナーだな。だから将来は、そういう研究を本格的にやりたいと思ってた」

「……どうして過去形なの?」

「え? あ、いや……まあ色々あって」

「ふーん。私、炎みたいな構ってちゃんタイプとは、友達になりたくないのだけれど。一々面倒くさそうだし、相性が良いとも思えないわ」

「……さっき友達と言ったが、術者自身の気質とリンクする部分があるかも重要だぞ。むしろそっちの方が大事って言うか……」

「何それ。つまりオマエは、私が面倒くさいタイプだって言いたいの?」

 

 言いたいもクソも、お前一人を除いてみんな多分そう思ってるよと言いたかったが、言った瞬間「ムキー!」とゲンコツ食らいそうなので、沈黙を貫くこととした。

 そもそもそうやって、本心を探られるのを嫌う所が、いかにも炎タイプなんだよなあ……無駄に警戒心が高いというか。メラメラしてるせいもあって。

 

「ふん。別にいいわよ。私、炎って嫌いじゃないし。ずっと見てると心が落ち着くっていうか、良いところだってあるし」

 

 いやさっき、おもっくそこんな面倒くさいヤツ嫌だって言ってなかったか? 何だこのアツい掌返しは。

 ハイ。こんな風にコロコロ言うことが変わるのも炎の特徴です。

 

「ねえ。オマエは六属性の中で、どれが一番得意なの?」

「…………炎」

 

 三秒くらいの沈黙を経て、そう答えると、案の定ソフィーは吹き出した。

 口元を抑えて、必死に笑いをこらえている。

 

「何それ……結局私と同じ系統って……ヘンなの……」

 

 うるせえな。だから言いたくなかったんだよ。

 俺だってビックリしてるよ。闇より昏き影の者。陰キャラオブ陰キャラみたいなこの俺が、陽キャラの象徴みたいな属性背負わされてることに、他ならぬ俺自身が一番驚いてるよ。

 

 まあアレだ……

 確かに面倒くさいヤツかもしれんが、そいつはある意味、心根がまっすぐってことの裏返しでもあるからな。何だって疑ってるのは、信じたいって気持ちが人一倍強いから。冷めたようなツラをしていても、心の中は誰よりも熱いんだよ。

 

 それが俺たち、TEAM炎。

 

「でもオマエの言う説って、わかりやすくて面白いわね。風や土が扱いやすいのは、自然界にあるものをそのまま使えることが多いから、工程が少なくて済むっていうのが、これまでの定説だったけれど……風や土の特性を、人になぞらえて理解するのは、言い得て妙だと思うわ」

「風はともかく、土はそうでもないけどな。一見クセがないように思えるけど、深いところまで掘り下げると、メチャクチャこだわり出してくるタイプだぞ」

「そうなの?」

「うん。土の上級魔法って、下手すりゃ氷や雷より難しいからな。土って不人気属性だの守り専用属性だのよく言われるけど、アレは中級以上になると、急激に難易度が跳ね上がるせいなんだ。そこで挫折してしまうヤツが多いから、結果としてそういうレッテルを貼られてしまう」

「ふーん。じゃあライラって、土タイプなのかしら。掃除とか結構こだわるし……滅多に怒らないけど、怒らせるとすごく怖いってセバスチャンが言ってたし……」

「ハハハ……ライラさんが地味な土タイプって、そんなアホな――」

 

 と思ったが、待てよ。

 彼女の持つ類い希なる美しさは、言うなれば高嶺の花。凡夫では到底到達できぬ、俊嶺の頂に気高く咲く、一輪の花だとすれば……

 

 さらに言うなら、大地は慈しみの象徴。母なる大地という言葉が示すとおり、大地は豊穣をもたらし、万物の根幹をなす。同じ慈しみでも、水だの風だのとは、慈しんでるレベルが違うのだ。その優しさで、星ごと包み込んでるレベル。私自身が優しさになっていると言っても過言ではない。

 

「ソフィー、お前……見る目あるな」

「え? そう?」

 

 二人でずっとジロジロ見ていたせいか、離れた場所で見守っていたライラが、不思議そうな表情で小首を傾げていた。

 

「ねえ。オマエはどうして旅をしているの?」

 

 唐突に、ソフィーがそんなことを口にする。

 柔らかな風が吹き付けて、木々がさらさらと揺れた。

 

「どうしたんだよ急に。興味あったのか」

「い、いいでしょ別に聞いてみるくらい……何となくよ何となく」

「ほーん……」

 

 ボリボリと頭を掻き、あさっての空を見つめてから、俺は言った。

 

「世界に一冊しかないと言われている、究極のグリモワールを探してるんだ。そこに、どうしても知りたい魔法の術式が書いてあるから」

 

 ソフィーはブチブチと草の根を引っこ抜いていた。

 十秒くらいの沈黙のあと、彼女が言った。

 

「……オマエって、魔法使いとしては優秀なんでしょう。ライラから聞いたわ。今の私くらいの年で、飛び級でアカデミーに入ったって」

「優秀かどうかは知らんが、十三の年にアカデミーに入ったのは事実だな」

「そんなオマエでも、思いつけない魔法が、そのグリモワールには書いてあるってこと?」

「ああ。古代魔法(クローズド・スペル)って言ってな。いにしえの大魔導師ノルンは、その一生をかけてこの世の森羅万象を解き明かしたという。その秘訣を記したのが、禁断のグリモワール『アルス・ノトリア』なんだ」

「禁断?」

「一息で大陸を消し飛ばず破壊魔法とか、死人を蘇らせる蘇生術とか、天候を自在に操る魔法とか、大規模な空間転移とか時間遡行とか……まあそんなデタラメとしか思えん魔術すらも、彼女は完成させたと言われている」

「……ホント?」

「ホントだよ。少なくとも、俺の中ではな」

 

 ソフィーは黙ったまま、しばらく動作を止めていた。

 考えるような間を一拍置いてから、彼女が言った。

 

「もう一つ訊いていい? オマエはどうして、魔法使いになろうと思ったの?」

「きっかけは……じいちゃんの蒐集癖(しゅうしゅうへき)だな」

 

 落葉してすっかり寂れた大樹の上枝(ほつえ)に、未だしぶとくしがみついていた黄色い葉が、風に吹かれて揺れていた。

 ソフィーの隣に腰掛けると、俺は続けた。

 

「とにかく本が好きな人で、古ぼけた書物をそこかしこから大量に集めてた。じいちゃんが死んだ後、全部捨てるのももったいないから、興味あるやつだけ持って行けって母さんに言われて、適当に選んだ本の中に、たまたまグリモワールが混じってた……」

「その本をきっかけに、魔法に興味を持ったってこと?」

「ああ。次から次へと似たようなグリモワールを読みあさってるうちに、いつの間にかのめり込んでいた。魔法のことを考えている時だけは、どこか別の世界へ行けるような気がしたんだ……そのうち読むだけじゃ満足できなくなって、使う側を志すようになった。まあそんなとこかね……」

 

 きっかけなんて本当に些細で、入口がどこかだったなんて、正直よく覚えていない。入口らしい入口なんてなかったって言った方が、あるいは正しいのかもしれない。

 だから、あれが必然なのか偶然なのか、あるいは運命なのか自分の意志だったのか、それは未だにわからない。

 

 そこから先に起きたことも、全部含めて。

 

「ふーん……いいなあ。素敵じゃない」

 

 大樹にもたれ、茫洋たる空を仰ぎ見ながら、ソフィーは独り言のように呟いた。

 

「誰に言われるでもなく、自分の意思で自分の道を選んで、しかも実現したんでしょ。それってきっと、誰にでもできることじゃないわ。うらやましいとさえ思う」

「……どうかね。一応言っとくけど、俺はそんなに大した人間でも何でもないぞ。だって結局、天才にはなれなかったから」

 

 ソフィーと目が合う。

 少し驚いたような彼女を見て、俺は半ば自虐的に、口角を緩めた。

 

「ガキの頃は神童だのなんだの騒がれてたヤツが、大人になるとただの凡人になる……よくある話だよ。とある事故がきっかけでな。俺はもう、自分の中にほとんど魔力が残っていないんだ。全身に流れる魔力の経路(パス)のうち、九割以上が壊死して、使い物にならなくなってる。座学の上では一流になり得ても、実戦じゃどうあがいても二流以下の魔術士。それが今の俺なんだよ」

 

 述べた言葉に、偽りはない。

 全ては過ぎ去ったことであり、今さら取り返しのつかない昔話だ。

 

「だから、教える側に回ったの?」

 

 時間にすれば数秒の出来事だったと思うが、その言葉が耳元に届いて神経を伝い、胸中に響くまで、ずいぶん長い時間を要したように感じた。

 

「……え?」

「え? って……ん? これって、そういう話じゃないのかしら」

「いや……自分では全く全然これっぽっちも、そんな発想はなかったから……」

 

 俺が教師?

 ファファファ……いいですとも! いやよくねえよ。

 

 どう考えても、俺は人の上に立つ器じゃないだろ……。

 己の果たせなかった夢を、次世代を担う若者たちに託すべく教鞭を振るうなんて、そんな生き様「激ダサだな」と、鼻で笑うような男だぞ。むしろ教師なんて人種は、この世で一番信用がならない人種だと思っているまである。

 

 そんな野郎が、いつしか心変わりして、「よしみんな! あの夕陽に向かって走るぞ!!」とか言ってるのか? 想像しただけで世界が滅びそう。「そこで今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」とか言ってる方が、まだ現実味がある。

 

「なに一人で笑ってるのよ……キモ」

「いや、その……ソフィーに教えてるのは、一時的というか臨時というか……別にこれを仕事にしてる訳じゃないんだ」

「そうだったの? ふーん。もったいないわね」

「もったいない?」

 

 ソフィーはうなずいた。

 

「だって、貴方は確かに天才にはなれなかったかもしれないけど、今後誰かを天才に育てることなら、できると思うから……そもそもオマエ、教えるのは向いてる方だと思うケド。少なくとも、黙って座って、ただ教えられてるだけの立場よりは向いてるでしょ?」

「うるせえな」

 

 俺がぼやくと、ソフィーはクスクスといたずらっぽく笑った。

 しかしまあ、うん……意外と人に教えるの向いてるのか、俺? 

 

 強いて言うなら、比較対象は師匠だが、あの人は見た目は理知的な雰囲気醸し出してるくせに、実はメチャクチャ感覚派の人だったからな。

 だって、「炎は暴ッ!! 水はザブンッ!! 風はフンッ!! 土はドッカーン!! 氷はドスッからのパリーン!! 雷は轟ッ!!」だぜ? エキセントリックすぎて、逆に鳥肌立ったのを今でもよく覚えてるわ……

 

 なんで師匠から学んだのは、技術というよりむしろ精神だな。ハートですよハート。真っ白なハートに、虹のように鮮やかな色を付けてもらったのさ。

 まあそれも今やすっかり錆びついて、ドス黒くなった訳ですが。このまま発酵が進むと、いつか魔王にでも進化できそう。

 この腐り具合がね……たまらんのや! ブルーチーズかよ俺は。

 

 すまんな師匠。いつまで経ってもこんな弟子で。

 

 今後誰かを天才に育てることならできる、ね……

 ワンチャンそんな生き方もありかもしれんなと、俺は風に吹かれて、一人ハナクソをほじった。

 

    *

 

 あれれ~? と言う間に二週間が過ぎ、長いようで短いこのご奉公にも終わりが見えてきた頃、雨が降った。雨は雨でも、ドンガラガッシャンゴロピカーンの雷雨だ。

 早い話が季節外れの夕立なんだが、こんな土砂降りの中、麓の町まで帰るとか何の罰ゲームだよと物憂げに窓の外を見つめていると、慈悲深きソフィーお嬢様から、

 

「雨宿りしていきなさいよ(ムッツリ)」

 

 とのお言葉を賜った。

 ずぶ濡れの犬畜生がお似合いの小生ごときに、何と言う有り難きお心遣い……

 

 この機を逃さず、ライラのお手伝いでもして、ガッツリポイントを稼いで好感度上昇! むぎゅっとハグで急接近な二人の恋の序章とするかと思った矢先、お嬢様に首根っこを掴まれた。

 

 ぐえっ。

 

「ちょっと付き合いなさいよ……どうせヒマでしょ。ね?」

 

 どう見ても人にモノを頼む態度ではない。

 嗚呼、終わった。俺はこれから、屋敷の地下深くの迷宮に連れていかれて、ソフィーお嬢様のペットであるグリフィンちゃんの餌にされるのだ。

 

「オーッホホホ!! どこまで逃げ切れるかしらねえニケ……さあ、せいぜいあがいてみせなさい!」

「そんな……おいどういうことだよソフィー! 騙したな! 俺はお前を信じていたのに!」

「いいわいいわ、その顔よ~。信頼が裏切りに、裏切りが絶望に変わるその瞬間がたまらないの~」

「ぐわあああああっ……うぼえああああああーーーーーっ!!」

「は~♪ いいわ、グリフィンちゃん……もっと痛めつけてあげて。甘美~♪ ビイ甘美シャ~ス♪」

 

 アホなことを考えているうちに、窓際のテーブルに座らされ、目の前に紅茶が出されていた。

 

「飲みなさいよ」

 

 前後不覚に陥っていたため、確信が持てないのだが、察するにこの紅茶はソフィーが入れてくれたらしい。「ティーポットから直飲みすれば? 庶民にはそれがお似合いよ」とか言われてた初日に比べると、まこと偉大な進歩である。

 いやそんなこと一度も言われてないんだけどな。

 

 ……。

 まさかとは思うが、毒とか入ってないよネ……

 

「ねえ」

 

 カップをソーサーに置くと、俺は窓の外の雨をじっと見つめているソフィーの横顔を、じっと見つめた。

 窓の外の雨は煙る町をじっと見つめて、町は限りなく黒に近い灰色に渦巻く空をじっと見つめ返す。そして俺だけが、誰にも見つめられることがなかった。

 なるほどこれが世界の真理か。

 

「オマエに一つ、頼みがあるのだけれど」

「頼み?」

「私をこの屋敷から、連れ去ってくれない?」

 

 光が瞬いて、数秒後に雷鳴が轟いた。

 雨はいっそう激しさを増し、風は唸るような音を立てて、水滴の張り付いた窓硝子を幾度となく叩き付けた。

 

 もし世界から雨が消えたなら、空と大地は永久(とわ)に結びつくことがないという詩人の言葉が、その時不意にリフレインした。



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16 ワンダラーズ・ハイ

「……それはアレか? 俺に誘拐しろって言ってるのか?」

 

 降りしきる雨のせいで、部屋の中はほの暗く、燭台のろうそくの明かりが、床の上に影を落とす。雨音が二人の間に染みこむように響いた。

 数秒の間を置いてから、ソフィーは言った。

 

「違うわよ。私は一人で外の世界を歩いてみたいの」

「俺がいる時点で一人じゃないと思うが……」

「細かいことはどうでもいいのよ。私ほら、お嬢様だから……」

「知ってるよ」

 

 ソフィーはくすりと笑った。

 

「お屋敷の中にいても、たまに町へ出ても、いつもセバスチャンやライラが側にいて、本当の意味で一人で何かを選んで、何かを成し遂げたってことがないのよ。だから……自由っていうものに、ずっと憧れがあった。どこか遠く離れた、私のことなんて誰も知らない場所で、見たことない景色に出会って……時間なんて気にせずに、一人で自由気ままに、生きていく……そういうものに、ずっと憧れてた。そしてたぶん、これからも……」

「そうか」

「だからお願い! 私の夢を叶えて。こんなこと、オマエにしか頼めないのよ……一晩だけでいいの。ほんの少し、少しの時間だけでいいから……」

「おう」

「ホント?! だったら早速――」

「断る」

 

 雨脚がわずかに弱まって、木々の枝先から雫が滴り落ちる。

 ソフィーが眉根を寄せた。

 

「……どうして?」

 

 平素の俺なら、「うるせえクソガキ。四の五の言わずにメシ食ってうんこして寝ろ」で強制終了(デウスエクスマキナ)するのだが、どういう訳かその時ばかりは少し考え込んでしまった。

 

 どうして?

 どうしてなんだろうな。色んな言葉が出てきた。

 

 俺にはそんな能力も権限もありません。俺じゃなくて他の奴に頼んでください。今忙しいんで。何で俺なんですか? 俺じゃなきゃいけない理由を教えてください。何かあったら責任持てませんよ。今忙しいんで。そんな仕事は給料に含まれてないと思います。それをやることで俺のプラスにつながりますかね? 今忙しいんで。できる限り協力したいのは山々なのですが、そちらの要求に応えきれる自信がございません。代わりにセバスチャンさんはいかがでしょうか? 確認してみます。今忙しいそうです――

 

 さすがは世の中のありとあらゆる束縛やしがらみ、責任感やプレッシャーから全力()()してきたこの俺である。

 俺の言い訳スキルを舐めるなよ。一度に十の話を聞くことはできなくとも、一度に十の断る理由をそらんじることならできる。

 

 しかしそんな俺が、十の言い訳を封印してまで、あえて口をつぐもうとする、その意味は……

 

「ソフィー知ってるか。自由と孤独はセットで一つなんだぜ。自由だけを単品で注文することはできない」

 

 ソフィーの目を見て、俺は言った。

 

「お前はもう少し、自分の立場を知るべきだ。お前はお前が思っている以上に、みんなに大事にされて、みんなに守られているんだよ。それがわからない奴に、自由をどうこう語る資格はないし、まして孤独を望む資格なんてない」

 

 あれほど激しかった雨音が、耳元から少し遠のく。積み上げてきた何かが、崩れ去ったような音がした。

 ソフィーはうつむき、弱々しく肩を震わせた。

 

「……意味わかんない」

「今はわからなくてもいい。いつかわかる日が来れば――」

「そうじゃない!」

 

 ソフィーが叫んだ。

 語気の強さとは裏腹に、その眼差しには(かげ)りが見えた。

 

「……貴方の口から、そんな大人じみた言葉は聞きたくなかった」

 

 それはきっと、紛れもない彼女の本音だったのだと思う。

 他の誰に否定されようと、お前にだけは否定されたくなかった――そんな風に言っているようにも聞こえた。

 

 ソフィーが席を立ち、部屋から出て行こうとする。俺は両腕を組み、一度軽くまぶたを閉じる。

 そして言った。

 

「結局、一人じゃ何もできないんだな」

 

 ぴたりと、ソフィーの足音が止まった。

 

「お前が本気でそうしたいと思うなら、俺の助けなんざ借りずに一人でやってみろよ。都合良く俺を使うな……この際だから、はっきり言ってやろうか? 大人がみんな、お前のことを子供扱いしかしないのは、事実お前が自分の与えられた立場すら理解していない、甘ったれたクソガキだからだ。以上でも以下でもない……それだけだよ」

「……」

 

 ソフィーは黙したまま何も言わず、やがてバタンと音を立てて、部屋を出て行った。

 

 窓の外では、なおも雨が強く降り続けている。俺は頭をボリボリと掻き、カップに残った紅茶を飲み干した。

 紅茶はすでに冷めていて、以前よりもずっと渋い味がした。

 

 

   *

 

 

「……体調不良?」

 

 翌日、いつものように屋敷に赴くと、玄関先でライラにそのように言われた。何でもお嬢様の体調が優れないので、申し訳ないが今日の授業はお休みにさせてほしいと。

 ふむ。そう来たか。

 

 しかし突然の体調不良とか、昔の俺を思い出すな。

 これまでの人生で百五十回くらいその言い訳を使ってきた俺からすれば、それが九割方嘘であり、真実を偽装するための杜撰なカモフラ―ジュにすぎないことくらい、容易に看破できる。

 言い訳のプロの看板は、決して伊達ではないのだ。

 

「昨日からですか?」

「ええ……ニケさんが帰られてから、何を言っても上の空という感じで……少しお疲れのご様子でした」

 

 わかりやすいやっちゃな……

 ライラの話から察するに、彼女は昨日の俺とのやり取りを、誰にも話していないのだろう。

 

 事実、ソフィーが嫌だと言えば、俺のクビなんざ一瞬で跳ね飛ばされる。積み上げるのに時間はかかっても、崩れるのは一瞬。人間関係なんぞ、所詮その程度のものなのだ。

 だが、彼女があえて、その未来を選ばなかったのは……

 

 俺の賭けは成功したと。

 たぶん、そういうことなんだろうな……

 

「わかりました。そういうことなら、今日は帰ります」

「申し訳ありません。わざわざお越しいただいたのに。もっと早くお知らせすることができればよかったのですが……」 

「とんでもない。ではまた」

 

 昨日の激しい雨がまだ尾を引いているのか、曇天の空からはポツポツと雨が降り出していた。

 余計な仕事を自分から増やしてちゃ世話無いよなと、半ば自虐的にそう思った。

 

 

    *

 

 

 同日夕刻。

 小雨が上がり、太陽が地平線へ沈もうとするころ、俺は再び屋敷へと赴いていた。屋敷は屋敷でも正面玄関ではなく、裏手の方だ。

 

 ニケ知ってるよ。こういう大きなお屋敷には、非常用の脱出経路が、正面玄関とは別に設けられてるってこと。

 モンフォールの本邸は丘陵の頂上部に位置しているが、頂上へと続くなだらかな起伏の一角に、地形上不自然に削られた崖がある。

 

 おそらく地下道だろう。

 緊急時に、要人を逃がすために作られた地下道の出口が、その一帯にあるに違いない。

 

 ライラと別れたのち、俺はその仮説を裏付けるため、疑わしき地点を捜索した。

 客観的に見ると、疑わしき不審者はどう見ても俺なのだが、そこは気配遮断に定評のある俺である。茂みをコソコソしているうちに、ほらあなを探り当てることに成功した。

 

 ほらあなの奥には、篝火が見えた。意図的に入口を隠蔽したとも思える周囲の植生に、ほらあなから数十セクト行くと小川が流れていて、水脈に沿って進むと街道へ出られる点といい……

 ここだ。間違いない。どう見ても人の手が入ってる。

 

 脱出地点を捕捉した以上、後は役者の登場を待つのみ。

 宿で仮眠を取ったのち、夜半に再びこの地へ赴いたという訳なのだが……

 

「…………」

 

 ホントに来るのかな? 

 かれこれもう、五時間くらい待ち続けてるんだけど……

 

 まあ、あれほどわかりやすく焚き付けてやったんだ。アレは凹んでも、タダで凹まされるような器じゃない。

 お嬢さまの性格上、「そこまで言うならやったろうじゃねえか」と、俺に吠え面かかせるべく、行動に移してくるだろうと計算した上での、あの発言だったのだが……

 当てが外れたかな。

 

 さすがに五時間も待たされると、色々頭の中が冷めてきて、もっと他のやり方もあったんじゃないかと自責の念に駆られる。

 

 ソフィーは大人びていると言ってもまだ子供だし、ひょっとしたら俺の発言に、本当に深く傷ついてしまったのかもしれないとか、もっと諭すような優しいやり方だってできただろう、よりにもよってどうしてこんなショック療法みたいな方法しか選べなかったんだとか、答えのない堂々巡りがずっと続いて、頭の中がワンダラーズ・ハイみたいな訳のわからん状況になってる。

 

 一つだけ確かなことがあるとすれば、答えなんてないってことだ。

 そりゃ、結果から逆算すれば、正解・不正解の判断はできるよ。そんなのは猿でもできる。

 

 俺が言いたいのは、結果の読めない状況の中で、確実に正解を導くことができる人間なんていないってことだ。数学解いたり、魔法の術式組んだりするのとは訳が違う。

 ましてこれが現実という名の奇々怪々ならば、短期的に見れば不正解でも、長い目で見れば正解だったということもある。あの時の失敗があったから、今の自分があるなんてのはその最たる例だろう。

 

 だから、本当の意味での正解なんて、誰にもわからない。これが正解だったんだと信じることくらいしかできない。

 正解・不正解なんて、その程度の脆弱な基盤の上で成立している、後付けの判断に過ぎない。

 

 やれやれ。ソフィーも言ってたとおり、それじゃ学校のお勉強なんて、何のためにあるんだろうな。

 こういうときに答えが出せないから、意味がないとか言われるんじゃねーの……

 

 とかなんとか考えてるうちに、さらに一時間が経過した!!

 

「…………」

 

 もうダメだ。

 きっとあの人は来ない、Silent tonight.

 

「エスコートいたしましょうか、お嬢様? こんな夜更けに独り歩きは危険だぜ」

 

 なんて出会い頭の台詞まで考えてきたのに、何てザマだ。

 そもそも冷静に考えると、「危険だぜ」とか言ってるお前が一番危険だよって話だしな。今何時だと思ってるんだよ。

 

 どうしよう。

 もう帰ろうかな……

 

 と、心が折れかけたその時だった。

 ほらあなの奥から、松明(たいまつ)らしき明かりがゆっくりと動いて、出口であるこちらの方へ向かってくる。

 

「…………!」

 

 あれほど待ち望んだ瞬間だと言うのに、心の臓はドギマギしている。一度ならず二度、三度と目をこすって、ようやく俺は確信した。

 

 ソフィーだ。ソフィーに違いあるまい。

 

 俺はすぐさま茂みから抜け出し、そそくさとほらあなの入口脇へ身を潜める。反響する足音が、一歩・二歩と、確実にこちらへ近づいてくる。

 頭の中でカウントダウンを始める。

 

 5・4・3・2・1――

 

 ゼロと唱えると同時、入口を塞ぐように飛び出す。刹那、延びた影がぴたりと動きを止める。

 

「エスコートいたしゅ――」

 

 喉が潰れるような衝撃が走り、気づいたときには、視界が天を向いていた。

 

 

?!

 

 墨で染まったような夜空には星々が瞬き、夜更けの風が木々をさらい、囁くような葉擦れの音が耳元で残響する。

 

 背中が地面を打ち、両腕で首元をロックされると同時、柔らかい弾力のある何かが顔に押しつけられた。

 

「ムゴゴゴ……ムゴ」

 

 息ができない。身体が微動だにしない。力を入れようとしても、入れることすら許されない。

 同じ体術でも、拳闘士のそれとは訳が違う。相手を「落とす」ことに特化した、シーフやアサシンのそれ。いわゆるCQCだ。それも相当熟練した、使い手の……

 

 相手が何か喋ったようだが、両耳を塞がれており、何を言っているか判然としない。

 てかヤバい。このままじゃ意識が……

 

「貴様……何……」

「……どうしたのよ……! 一体何が…………」

「…………お嬢様。……怪しげ…………ので」

「…………それ、…………じゃない?」

「…………!!」

 

 ぱっと両腕が離されて、身体が解放される。

 ゴホゴホとえずくように咳き込んで、呼吸が激しく乱れる。肺が全力で酸素を欲しがっているせいか、胸から上がいやに熱を帯びている。

 

 地面に寝転んだまま、立ち上がる気力さえ湧かない。

 息も絶え絶え、おぼろげな視界の先に、ふと見覚えのある二つの輪郭が映った。

 

「ちょっと。おーい。大丈夫? 生きてる?」

「ああ、私ったら何てことを……」

「……割と本気で殺しに行ってなかった?」

「いや、もし、お嬢様の身に何かあったらと思うと……」

「こわ……セバスチャンも恐れる訳よね。あー怖い怖い」

「うぅ……」

 

 何のこっちゃら、霞がかかったように頭がボンヤリとして、話が上手く飲み込めない。

 やがて、ペシペシと頬を叩かれた。

 

「こら。いい加減起きなさいってば」

「んほぅ……」

 

 支えられるようにして上半身を起こすと、目と鼻の先に、お嬢さまの顔があった。

 ソフィー? そうソフィーだ。ばっちり目が合う。

 

 これがライラだったら、このままマウストゥーマウス不可避と思ったあたり、俺もどうやら正気を取り戻してきたようだ。いや取り戻してないのか。

 

 やがて、ソフィーが言った。

 

「オマエ、どうしてここにいるのよ」



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17 君泣きたまふことなかれ

 夜道を歩いていたら偶然という言い訳が通用するとは思えなかったので、洗いざらい自白することにした。自分の勝手な判断で連れて行く訳にはいかなかったので、こういう回りくどいやり方を取らざるを得なかった、今は反省している云々(うんぬん)

 そこは聡明なお嬢様のこと。すぐにお察しいただけたようで、

 

「はあ? つまり私は、オマエに乗せられたってこと?」

 

 だって同じ炎タイプなんだもの。お前の煽り方なんざ、手に取るようにわかるわと言いたかったが、満面の笑みを浮かべて我慢した。

 ソフィーはムスッとした表情で頬をふくらませ、「フンだフンだ」とブツブツ言っていた。

 

 ツンツン改めフンフンしているお嬢様はさておき、ライラの話によれば、ソフィーが夜中にコッソリ部屋を抜けだそうとしていた所を見つけたのが、事の始まりだったらしい。

 どうしたのかと訊くも、しどろもどろの言い訳を続けて、要領を得ない。

 

  ***

 

「お嬢さま。私に何か隠しているのなら、はっきり申し上げていただけませんか」

「……」

 

 ソフィーは黙ったまま、ぽりぽりと頬を掻いた。

 

「あのさ……ライラはいつもこんな時間にまで起きて、私の警護をしてるの?」

「ええ。それが私の仕事ですから」

「……そうなんだ。いつ寝てるの?」

「部下と交代しながら、合間に仮眠を取っています」

「どうして私のために、そこまでしてくれるの?」

「? はて、どういう意味でしょうか」

「その……辛いとか、面倒だとか思ったことはないの?」

 

 ライラは瞬きを止める。

 やがてソフィーから視線を外し、伏し目がちに言った。

 

「ありませんよ」

 

 くすりと微笑んでから、彼女は告げた。

 

「私が寝ている間に、お嬢様の身にもし何かあったらと思うと……その方が、私にはよっぽど辛いです。これだけ長い間、同じ時間を分かち合ってきたんですもの……従者である以前に、私にとって貴方は家族のようなものです。ですから、これが辛いだなんて思ったことは一度もありませんよ」

 

 淡い月光が、窓硝子を通して廊下に影を落とす。

 重なった視線の先で、はらりと少女の頬に涙が伝った。ライラが驚く。

 

「お、お嬢様? どうされましたか? 一体何が……」

 

 歩み寄って、頬に触れようとするも、ソフィーはぶんぶんと首を横に振る。

 「泣いてないわよ」と言ったが、どう見ても泣いていた。彼女は目元をゴシゴシと乱暴に拭うと、意を決して言った。

 

「そんなことより! いいから私を、屋敷の外へ連れ出して!」

「……え?」

 

  ***

 

 そこで初めて、ライラは俺とソフィーの間に起きたやり取りを知ったらしい。

 すなわち、あの男に罵倒されたと。

 

 わがままな箱入り娘。口では偉そうに言ってみても、結局一人じゃ何もできない能無し。魔法を習ってる暇があるのなら、まずは常識を身につけることから始めたらどうだ? 

 やーいやーいこの世間知らず~。悔しかったら一人でやってみろ~。

 

「…………」

 

 は?

 

「もちろんニケさんがそんな意地悪なことを言うなんて、私も信じられなかったので……。きっと何かの行き違いか、大袈裟に言ってるだけなんだろうと思いましたけど」

 

 大袈裟の次元超えてません?

 間違い探しの答えが、「そもそも絵が違う」ってくらい間違ってるような……

 

 恨みがましい目でソフィーを見ると、彼女はべーと舌を出して、ふふんと鼻を鳴らしていた。

 俺は無情なる心で天を仰いだ。

 

「何としてもニケさんをぎゃふんと言わせたいんだとお嬢様が強く仰るので、私も結局折れてしまって……でも本当によかったんでしょうか。あと執事長に何と言われるか……はぁ……」

 

 ライラはこめかみを抑えながらそう言うも、言葉とは裏腹に、目の色には少し諦観の色が混じっているようにも見えた。「満更でもないように見えますが」と言うと、ライラはふふっと微笑んだ。

 

「お嬢さまが、私にここまではっきり自分の意志を主張したのは初めてでしたから」

「いつも主張してません?」

「ああ、えーと……少し言葉足らずでしたね。お嬢さまは基本的に、他人に不満を漏らすことはあっても、自分がどうしたいとかこうしたいとか、主張を押しつけるようなことは少ないんです。ご主人さまの言いつけも、何だかんだ言いつつきちんと守る方なので……私にはそれが、どうせ逆らうだけ無駄なんだって、あきらめているようにも見えて。よく言えば、末っ子らしく手間がかからないということなんでしょうけれど……少し寂しくも感じることもあったんです」

 

 なるほどね。

 自由ってものに憧れがあったと、ソフィーは言っていた。そう主張するだけの芽は、俺と出会う前から育っていたということか。

 

 鼻歌交じりで数歩先を行くアイツを見ていると、とてもそうは思えんけど……

 

「話は変わりますけど……あの、ライラさんって何者なんですか? 先ほどの身のこなし、只者ではなかったような……モンフォールのメイドは、護身術が必須なんですか? ハハハ……」

 

 ライラとソフィーが息を合わせたかのように、歩みを止める。

 三秒くらいの沈黙が流れて、やがてソフィーがこちらへ振り返った。

 

「あれ? ライラ、何も言ってなかったの?」

「ええ……私の口から直接告げることでもないので」

「ふーん。どうせパパかセバスチャン辺りが口止めしたんでしょ。あいつらホント性格悪いんだから……どうして人を試すようなことばっかりするのかしら」

 

 ぷんすか口を尖らせてから、ソフィーはビシッと俺を指差した。

 

「いいわ。私から直々に教えてあげる――ライラはうちのメイド長で、私専属の身辺警護人(ボディーガード)よ。偉大なるモンフォール家第三公女の側用人なんだから、あれくらいの腕は持ってて当然でしょ。ライラが本気出せば、オマエの命なんて百個あっても足りないんだから」

 

 なん……だと……?

 

 どおりで二人はいつも一緒にいたワケだ。しかもメイド長て……使用人の中だと、執事長に次ぐ、ナンバー2の実力者てことか?

 

 ……。

 余計なことしなくてよかった……

 

「ニケさん、その……先ほどは申し訳ありませんでした。強く締めすぎましたよね……つい……」

「あ、いえ……お気になさらず。瀬戸際の生命力には自信があるんで……へへ」

 

 口ではそう言いつつ、内心は歓喜のファンファーレが鳴り響いていた。

 マウントを取られたあのとき、俺の顔に当たっていたあの柔らかい感触……嗚呼、間違いない。

 

 生まれてきてよかった。

 我が生涯に、よもや一片の悔いなしーー

 

 などとアホなことを考えているうちに、街の波止場へと辿り着いた。

 すでに宵よりも朝に近い深夜帯ということもあって、辺りに人の気配はなく、星明かりが海を照らしている。頬に当たる風はほんのりと冷たくて、微かに冬の匂いを纏っていた。

 

 いてもたってもいられなかったのか、ソフィーが勢いよくその場から駆け出す。

 停泊している巨大なガレオン船の側を通り過ぎ、埠頭の果てまで辿り着く。息を切らしながら、彼女は視界の先に広がる夜空を、抱きしめるように見上げた。

 

「うわー……綺麗」

 

 濃紺の空には月が浮かび、無数の星々が瞬いていた。寄せては返す波の音が心地よい。午後まで降り続けた雨は、雲を遠くへ地平線の彼方に追いやり、まるで世界に三人しかいないような感覚にとらわれた。

 ソフィーは深呼吸をして、大声で叫んだ。

 

「私は自由だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 

 声は辺り一帯にこだまして、空に吸い込まれるように、やがて消えていった。まるで物語の主人公みたいなことする奴だな。

 

 俺はポケットに手を突っ込み、ソフィーの側へ歩み寄った。

 

「どうかね? 自由の味は」

「最高以外に言うコトバがある?」

「そうか。でもそれは、束の間だからこそ最高なんだよ。慣れたらすぐに持て余しちまう。俺たちは所詮、自由の奴隷なんだ」

「なに意味わかんないこと言ってるのよ。雰囲気ぶち壊しだからやめてくれる?」

 

 やめろと言われたので、やめる。

 ソフィーがくちゅんとくしゃみをしたので、ライラがハンカチで彼女の鼻を拭う。フンガフンガ言いながら、ソフィーがしゃべり出した。

 

「ライラ、今日は無理言ってごめんね。ありがとう」

「いえ……」

「でも、これで吹っ切れたような気がする。安心してお嫁に行けると思うわ」

「……はい」

 

 不意に、金木犀の香りが漂った。

 ライラが横髪をかき分け、ソフィーはじっと夜空の星を眺めている。

 

 え? 今何て……

 

「びっくりした? オマエには話してなかったものね……まあ正確に言うと、言いたくても言えなかったんだけど。事情が事情だから」

 

 目が合うと、ソフィーはくしゃりと表情を綻ばせてみせた。

 

「いわゆる政略結婚ってヤツよ。来年の春、私はアルルのバルザック家に嫁ぐの」

「バルザックって……え。あの、バルザック?」

「そうよ。東洋の二大財閥の一角、バルザック家よ。そこへ私が嫁ぐと言うのだから……公にできなかった事情は大体察しがつくでしょ」

 

 察しも何も……

 アルルのバルザック家は、今やモンフォールと双璧をなして、東洋のマーケットを牛耳る巨大財閥だが……それより何より、両家は深い確執があることで有名なのだ。

 率直に言うと、めちゃくちゃ仲が悪い。

 

 両家の対立を象徴するエピソードは枚挙に暇がないが、最も有名なのは双方の紋章だろう。

 モンフォール家の紋章は、清廉潔白を意味する柊に、魔除けの象徴でもある鹿の角を模したもの。これに対し、バルザック家の紋章は、幸運を運ぶとされる蹄鉄に、勝利を意味する左右対称の二頭の跳ね馬。

 

 鹿と馬、要するに「馬鹿」である。

 

 馬鹿というワードの語源は、エフタルかそこらの昔話に由来していたと思うが、東洋では、両家の仲の悪さから生まれた言葉だと誤解してる連中が後を絶たない。

 ルナティアとアルルに挟まれたネロウィング海峡の流れが激しいのは、両家の確執の象徴だと皮肉る連中もいるくらいだ。

 

 そんな曰く付きの両家が、ここに来てまさか手を結ぶとはね……

 

「でも、どうしてまた――」

「そんなの私が訊きたいわよ。三次東征に向けての工作とか、イリヤ教団が裏で動いてるとか、色々切迫した事情があるのは確かなんでしょうけど、本当の理由なんて誰も教えてくれない。パパやセバスチャンも、これは私が幸せになるための選択なんだよとか、ふざけたことしか言わないんだもの。頭に来ちゃうわ」

 

 ソフィーが嘆息混じりに言った。

 

「どこまでいっても、私は一族にとっての駒に過ぎないのよ……そりゃそうよね。ポーンが自分の意志で好き勝手進むなんてあり得ないもの。プレイヤーの命令に従って、言われるがままに前に進むだけ。それが駒の役割。以上でも以下でもないのよ」

「お嬢さま。ご主人さまは、決してそんな風には――」

「やめてよライラ。私だってわかってるわよ……一番上の姉さんも、その次の姉さんも、みんなそうだったから。ある時期になると、みんな飾り物の人形みたいに、後生大事に送り出されていくんだもの。それがモンフォールの家に生まれた女の宿命なのよ……そこにどうこう異議を唱えようとする、私の方がよっぽどおかしいんだわ」

「……」

 

 ライラはうつむき、言葉を失う。

 静寂がいやに耳に突き刺さった。月が落とした光で、海の水面が微かに揺れているのがわかった。

 

「あーあ……あと半年もすれば、私も海の向こう側の人間か」

 

 ぽつりと、ソフィーが呟いた。

 

「上手くやらなきゃね。モンフォールの名を汚す訳にはいかないから。パパやママ、セバスチャンやライラにも迷惑掛けたくないもの。うん、大丈夫。大丈夫だよね……きっと……」

 

 ソフィーは言葉に詰まる。

 堪えるようにうつむいた彼女の瞳から、ぽたりと一滴の涙が流れ落ちた。

 

「あーもう、なんで泣いてるんだ私……こんなつもりじゃなかったのに。遅かれ早かれ、こうなる運命だって、ずっと前からわかってたのに……どうして……」

 

 拭おうとした指の隙間から、ぽたぽたと涙が溢れ出す。か細い泣き声が、夜のしじまに染み入るように伝っていく。

 

 こういうとき、何を言ったら正解なんだろうと思った。

 人はみんな、そいつなりの地獄を抱えて生きているという、昔どこかで聞いた言葉がリフレインする。

 

「ソフィー知ってるか。人間の肉眼で見える星の数は、宇宙にあまねく星々の、ほんの一握りに過ぎないんだぜ」

 

 空を見上げて、俺は彼女に言った。

 

「何が言いたいって、つまり、目に見えるものや、耳に聞こえるものだけが全てじゃないってことさ……寂しいのはきっと、お前だけじゃない」

 

 ソフィーがおもむろに顔を上げたそのとき、彼女の肩に華奢な指先が触れた。

 

「お嬢さま。どうか、そんな哀しい顔をしないでください」

 

 ライラが言った。

 

「私はモンフォール家にお仕えしてから、貴方の側用人として、貴方の成長をこの目で見届けてきましたから……本音を言うと、お嬢さまがこの家からいなくなってしまうのは、すごく寂しいです。けれど、安心してください。貴方がこの家を離れても、貴方がこの家で過ごした時間は、決して消えたりしませんから」

 

 ライラはソフィーの前に屈み込むと、ハンカチで彼女の涙をそっと拭った。

 そして、優しく微笑んだ。

 

「泣かないで……大丈夫ですよ。お嬢さまは少し気が強い所があるけれど、本当は寂しがりやで、人懐っこい方ですから。貴方の側にいることで、幸せな気持ちになれる人間はたくさんいます……何より私が、貴方の笑顔に何度も救われましたから」

「……ライラ……」

「お側にはいられなくても、私はこれから先もずっと、お嬢さまのことをお慕い申し上げております……辛くなったときは、どうかそのことを思い出してください」

 

 ソフィーは唇を噛み、両肩を震わせると、ライラに身を預けた。そっと抱き寄せるようにして、ライラがソフィーの髪を撫でる。

 すすり泣くような泣声の中に、ぽつりと「ありがとう」という言葉が聞こえた。それはたぶんきっと、俺の幻聴なんかじゃなかったように思う。

 

 ふと見上げた夜空には、色のない虹が架かっていた。

 

 月虹だ。

 

 昼間に見えるそれとは違い、七色ではなく、淡く白く輝いてるように見えた。

 月虹はその希少性や神秘性から、確か「見たものに幸運が訪れる」という言い伝えがある。

 

 二人の未来に幸多からんことをと、ささやかながら俺はそんなことを願った。



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18 Once in a lifetime

 紅く色づいていた木々も少しずつ落葉し、街には木枯らしが吹いて、草原を駆け回る野兎や狐たちは、来たる冬支度を始めていた。

 モンフォール家でのご奉公の日々も、いよいよ今日をもって最後となり、俺はこの三週間に対する労働の対価として、20万フランを手に入れた。

 

 お恥ずかしながら、これが生涯初めて己の努力で稼いだ金になる訳だが、特別な感情とかはなかった。形容するのが難しいんだが、妙な気分だ。きっと、無職喪失の哀しみが大きすぎたせいだろう。

 

 無職一度去りて、また還らず。

 俺もまた染められちまったよ、社会の色ってヤツに……哀しいかな、もう無色(まっしろ)だったあの頃には戻れねえ……

 

「ニケさんが明日からいなくなると思うと、寂しくなりますね」

 

 最後の授業を終え、着替えを済ませてから、いつものように玄関先の馬車へと向かっている最中、ライラが不意にそんなことを口にした。

 

「だから最後に、お別れのキスをします。二人だけの思い出に」と言われて、目の前が真っ暗になるのかと思いきや、そんなことは全く全然これっぽっちもなかった。

 

「ニケさんがこの屋敷に来るようになってから、お嬢さまは楽しそうでしたから。できればもう少し一緒にいてほしかったです」

 

 理由は本当にそれだけなのかな?

 そのモヤモヤこそが、これから始まる一冬のアバンチュールのプレリュードと言いたかったが、冷静に考えなくても気持ち悪いのでやめておいた。

 

「お互い生きてりゃ、またどこかで会えますよ。人生そんなもんです」

 

 間の抜けたような返事を返すと、ライラは少し儚げに微笑した。

 

 玄関に到着すると、燕尾服に身を包み、皺一つないシャツに蝶ネクタイが印象的な、すらっとした体躯の老人が立っていた。

 目元の片眼鏡に、白髪のオールバック。綺麗に整えられた髭は、いかにも執事長といった感じだ。

 ん? 執事長……?

 

「ご苦労。ライラ」

「あら、セバスチャンさま。珍しいですね。どうしてここに……」

「ソフィーお嬢さまのご慧眼にかなう人物と訊いたものでね。ぜひ、最後にご挨拶をと思いまして......お初お目にかかります、ニケさん。当家で執事長を務めておりますセバスチャンと申します」

 

 老人改め執事長のセバスチャンは、俺の前に進み出て、(うやうや)しく一礼した。

 

 おお、これが噂のセバスチャン……名にし負うモンフォール、神をも畏れぬ一族の()()()()()ナンバーワンの実力者か……

 なるほど確かに、あと2回くらい変身を残していそうな顔をしている。

 

 セバスチャンは黙ったまま、じっと俺の目を覗き込むように見つめた。

 

「ニケさん。貴方、不思議な雰囲気の持ち主ですね。まるで遠く離れた異世界から来たような……浮世離れしているというか、まるでこの時代の人間ではないような、違和感を覚えます」

「……へぇ。どうしてそう思ったんですか?」

「目を見ればわかりますよ。言葉では言い表せないのが残念ですが……そこはまあ、亀の甲より、年の功ということで……」

 

 適当なこと言うなよジイさん……悪いが俺は、「目を見ればわかる」とか言うヤツは、基本的に信用しないことにしてるのさ。

 それが中途半端に当たってるなら、なおさらな。

 

 ガキの頃起こした事故が原因で、十代の後半のほとんどを、意識がないままベッドの上で過ごしていたのは事実なだけに、けったいなことを言うジイさんだなという印象はますます強くなった。

 率直に言うと、気味が悪い。

 

「残念ながら、ロゼッタ生まれの22歳、癖っ毛が特徴の一般男子です。特別な生い立ちなんて、別に何もないですよ。俺にはむしろ、貴方の方が独特な雰囲気の持ち主に感じますがね」

「左様ですか……いやはや、お褒めに預かり光栄です」

 

 そう言うと、セバスチャンはふっと紳士的に微笑してみせた。

 食えない老人だな……世間で言う苦手なタイプの象徴的存在である俺が言うのもなんだが、苦手なタイプかもしれん……

 

「さてニケさん。準備が整いました。どうぞこちらへ」

 

 セバスチャンが会釈をすると同時、玄関の扉がゆっくりと開き、光が射し込んだ。

 

 見れば入口から噴水を通り抜けて、銀杏並木の先にある出口の門まで赤絨毯が敷かれ、石畳の道沿いに、左側にメイドさん、右側に執事がずらっと一列に並んでいた。

 脇の方には管弦楽器を抱えた、音楽隊みたいな連中がいる。指揮者がタクトを振るうと、どこかで聞いたことのある荘厳なテーマが流れ始めた。

 ようわからん花吹雪みたいなのが宙を舞って、光の反射できらきら輝いている。

 

「……えぇ」

「お嬢さまからは、盛大に送り出せと特命を承っておりますので。これくらいせねば、モンフォールの名が廃るというものです」

「俺はこれから死ぬんすか? 石化されて、海に沈められるんですか?」

「はて、どういう意味でしょう?」

 

 それから左側がライラの部下で、右側が私の部下だと、セバスチャンは教えてくれた。

 

 いや、この屋敷の総戦力を教えてくれとは一言も言ってないし、「圧倒的だな、我が軍は」とかやりたい訳でもないんだが……

 俺としては、紅葉舞い散る道の上で、ライラと手を繋ぎながら別れ際に、

 

「ニケさん……私やっぱり、貴方と離れたくないです」

「よさないかライラ。急に抱きつくなんて、誰かに見られたらどうするんだ」

「そんなのもう、どうでもいいんです。私はこれからも貴方とずっと一緒にいたい。それだけなんです」

「ライラ、お前……」

「ニケさん……愛しています」

 

 とかいうロマンティックが止まらない展開を期待してたんだが……

 

 現実はかくも無情也。

 力は山を抜き、気は世を覆う。時、利あらず……ライラやライラや、汝をいかんせん……

 

「おーい! こっちこっち!」

 

 魂が抜けた人形のように噴水の側で佇んでいると、空から声がする。振り返ると、二階のテラスに、お嬢さまと愉快な仲間たち(メイド)がいた。

 硝子細工をちりばめた礼装に身を纏い、頭の上には見るからに高級そうな宝石が埋め込まれた純銀のティアラ。いつもよりお姉さんぽく感じるのは服装もさることながら、少し化粧をしているからだろうか。

 

 彼女が喋るのに合わせて、音楽がぴたりと鳴り止んだ。

 

「驚いた? 『来る者拒まず、去る者追わず』がうちの家訓だから。恐縮しなくてもよくてよ」

 

 ただし、追わないのは搾り取った後という但し書きをお忘れでは? それが俗に「薄汚い金貸し」と非難されてる君らのやり口なんだよなあ。

 

 えーと、右膝突くのであってるのか? 左膝は大陸式だから……あー、俺昔からこういうの覚えるの、からきしダメなんだよな……

 

「達者でね。もう、会うこともないかもしれないけど」

「……」

 

 秋風吹いて、木々は落葉す。

 これだけ多くの人に囲まれているはずなのに、心は妙に静かで、波紋のない水面のよう。

 

 こういう時、何を言うべきなのかわからない?

 

 いいや違うな。

 たぶんきっと、このまま何も言わずとも、別れの時は訪れて、俺たちはまた元の他人同士に戻る。そんなものだ。

 

 大人になって初めて、親友だとか師匠だとか、十代の頃にしか経験できない劇的な出会いや別れがあるってことに気付かされた。

 誰だってそうだろう。まるで大樹の根みたいに、大人になっても未だに消えず、たぶん死ぬまでずっと根付いている言葉や情景の一つや二つ、誰にだってあるはずだ。

 

 人生のある時期にしか触れることのできないモノってのは、きっと確かにあって、ある時期にしか出会えないからこそ、それはいつまでも価値を持ち続ける。

 

 何が言いたいかって、つまり今度は俺が与える番なのさ。

 誰かは言った。こういうのには順番があるって。たぶんそのとおりなんだと思う。

 

 やれやれ。タダ働きはポリシーに反するのだが、今日だけは仕方ないか……

 

「お嬢さま。少し前、お屋敷の庭で、魔法の演習をした際に話したことを覚えていらっしゃいますか。世界一周を成し遂げた、カトブレスの冒険家の話です」

 

 地面に膝を突いたまま、テラスのソフィーを見上げて、俺は言った。

 

「貴方はあの時、こう仰った……彼等はきっと、最果ての景色が見たかった。それなのに、色んな代償を払って、ようやく辿り着いた景色が最初の景色って、そんなのあんまりじゃないかと……。私はそうは思いません。なぜなら、彼等にとっての最初の景色は、自分が生まれ育った大地であり、大事な家族が待つ故郷であり、いつか必ず帰ると誓った場所だったからです」

 

 夜にはまだ遠い昼の真ん中で、止まっていた時間が動き出したような感覚を覚えた。

 見開いたままのソフィーの瞳から視線を逸らさず、俺は続けた。

 

「いつか帰るべき場所を持つ人間は強い……それは決して、誰もが持っているものではないから。今のお嬢さまなら、それがわかるはずだ。それがどれだけ尊くて、掛け替えがなく、世界に一つしかない場所だと……失うものが何もない人間の強さを闇だとするなら、いつか帰るべき場所を持つ人間の強さは光だ。貴方の未来に光あらんことを、影ながらお祈りしています」

 

 俺は立ち上がると、右腕を水平に、握った拳を心臓の前にトンと当てる。

 そして深々と礼をした。

 

 言うべきことは告げた……

 俺は傍らのセバスチャンとライラを促し、用意された馬車へと乗り込もうとする。そのときだった。

 

 

「オマエのくせに、かっこつけてんじゃないわよバカーーーーーーッ!!!!」

 

 

 暴風雨の如く、並木さえもなぎ倒しそうなその声量に、思わずズッコケそうになった。面食らったのは、俺だけでなく周囲も同じだったようで、誰もが目を丸くして、同じ方向に視線を向けている。

 

 乱れた呼吸のまま、やがてソフィーが俺の目を見る。

 

 言葉はない。

 けれど不思議と、透き通るような彼女の気持ちが理解できた。

 

 人間ってのは、つくづくおかしな生きものだ。

 互いに何万字言葉を費やしても理解から遠ざかることもあれば、こんな風に言葉なんてなくても、不思議とわかり合えてしまうことがある。

 

 二人にしか読めない行間に火を灯すように、ソフィーは静かに、それでいて気高くこう告げた。

 

「いってらっしゃい、ニケ。いつの日か必ず、また会いましょう」

 

 フフンといつものように鼻を鳴らして、彼女は笑う。

 するとそれまで鳴りを潜めていたバイオリンやホルンの音が高らかに響き渡り、万雷の拍手がこだまする。

 何のこっちゃらホイホイ、にわかに騒がしさを取り戻した周囲をよそに、俺は小さくため息をついた。自然と口角が緩む。

 

 それからセバスチャンと最後の握手を交わし、俺を乗せた馬車は屋敷を出発した。

 

 空の太陽は眩しくて、穏やかな光を街に降り注いでいた。

 黄色く染まった銀杏並木の道を抜け、門をくぐり抜けたとき、馭者席に座るライラが、こちらを一瞥して言った。

 

「ニケさん。お嬢さまのこと……重ね重ね、ありがとうございます」

「俺は大して何もしてないですよ。魔法を教えただけです」

 

 しゃあしゃあとそんな風に言ってみせると、ライラはくすりと微笑し、視線を正面に戻した。

 

「そうですね……貴方は確かに、お嬢さまに魔法をかけたのかもしれません」

 

 馬車は長い坂を下り始め、眼下にルナティアの美しい街並みと海が広がる。

 水平線の果てに見えた空と大地は、前よりほんの少し、寄り添っているようにも映った。



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幕間②

 トンテンカンテン、と小気味のいい音が工房に響く。

 作業が一段落すると、エルレインは手にしたハンマーを置き、額に滲む汗をぬぐった。そして、窓の外に続く空を見た。

 

 親友のニケが旅立ち、すでに一ヶ月が経とうとしている。

 

 順調にいけば、今頃アルルに渡っている頃だろうか。

 彼の近況は、先日届いた手紙で概ね把握していた。モンフォール家で家庭教師をしているという意外な展開に、最初は驚いたが、よくよく考えてみれば、人にモノを教えるというのはアイツの天職なような気もする。

 

 彼は昔から黙々と一人で知識を蓄えては、自分なりの独自の解釈に変換して、他人に面白おかしく理解させるのが上手だった。子供の頃から、他の誰よりも彼のウンチクを側で聞いてきた人間だから、それがよくわかる。

 

 本人にその自覚がないというか、他人にわからせることを目的に知識の研鑽に励んでいるつもりがこれっぽっちもないくせにそれができてしまうのが、彼という人間のよくわからん所ではあるが、逆に言えば、それは才能があるということなんではなかろうか。

 使いどころが、自分と彼という限定された世界に留まっていたから、自覚する機会がなかっただけの話なのかもしれない。

 

 自らの思わぬ長所を自覚した瞬間、彼の人間としての幅はさらに広がっていくような……そんな気がした。

 

 再びここに帰ってきたその時は、全く別の人間になっているかもしれないなと、ふとそんなことを思う。

 それはそれで、彼の昔を知る人間として、後ろ髪を引かれる思いもするのだが……

 

 しかし。

 相手があのモンフォールか……偶然にしては、タイミングが良すぎるような気もする。誰かがまるでニケがやってくるこのときを待っていたかのように、裏で手を回していたと推測するのは……さすがに自分の考えすぎか。

 誰かが誰と言われると、まああのギルドマスターしかいないのだが……

 

「おい、エルレイン。ちょっといいか?」

 

 父親の声に、エルレインは思考を中断して、顔を上げる。

 

「マッケライの野郎が来てる。なんか取り乱しててよ……お前に話があるみたいなんだ」

 

 マッケライといえば、うちの店の常連で、戦士ランク五位の人物。

 御前試合でドロシーを見て以来、「俺は彼女に心を奪われてしまったんだ……」とか吹聴しては、戦士の風上にも置けないと同業者からひんしゅくを買っていた、早い話が頭も口も軽い男である。

 

 エルレインは立ち上がり、店頭へ顔を出す。そこには尋常ではない様子で、カウンターで項垂れるマッケライの姿があった。

 

「エル……大変だ。大変なんだ!! 俺のドロシーが、ドロシーが……うわあああああああああん!!」

 

 何を言ってるのかよくわからない。

 ドロシーに彼氏でも発覚したのだろうか?

 

 マッケライが握りしめてクシャクシャになった新聞紙を丁寧に引き伸ばし、目を落とす。そこにはこうあった。

 

『勇者の仲間選びに衝撃! ドロシーがギルドランクから姿を消す!!』

 

「え?」

 

 記事を要約するとこうだ。

 

 魔法使いランク一位に君臨し続け、御前試合でゴライアスにも勝利を収めたドロシーが、突如ギルドのランクから抹消された。クラインの関係者の話によると、本人から脱退の申し出があり、これを受け入れた結果とのこと。一方的な申し出であったため、理由についてはクラインも把握していない……

 

「でゅるうわあああああぎゃあああああああ!! ちくしょう、ちくしょう……こんな想いをするくらいなら、花や草に生まれたかった……ちくしょう、ちくしょう!!」

 

 やかましいマッケライを完全に無視し、エルはごくりと唾を飲み込んだ。

 

「嘘だろ。ドロシーは、勇者の仲間になるんじゃなかったのか……?」



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第3章 アルル編
19 アルルの男


 各馬最終コーナーを回って、観客が地鳴りのような歓声を上げる。

 騎手が次々鞭を振るって、二十四頭の馬がゴール目がけて一斉に殺到する。先頭を走っていた馬がすぐに馬群に呑まれ、抜かした馬もまた別の馬に抜かれて、道中に沈んだ。

 やがて中位から抜きん出た白毛の馬が、このまま一気に差し切るかと思った、その時だった。観客が一斉にどよめく。

 

 大外から疾風のように突き進む、黒い影。

 道中では後方で息を潜めていた青鹿毛の馬が、他馬が止まって見えるかのような怒濤の追込で、先頭を走る白毛に食らいつく。

 

 ラスト百メルト。ゴール板は、すぐそこまで迫っている。

 白か黒か。

 

「いけえええええええええーーーーーーーっ!」

 

 白か黒か。

 

「うおっうおっうおっ、うぇあああああああーーーーっ!!」

 

 白か黒か。

 

「うおおおおおおおおおおおおうああああああああああああああああアアアアアアアアア嗚呼ーーーーーーーーッ!!!」

 

 一進一退の攻防の末、決勝戦を駆け抜けた二つの影。

 明暗を分けたのは、首の上げ下げ。下された勝敗のジャッジに、歓声と悲鳴が混じり合って、割れんばかりに残響する。

 

「嘘だろおおおおおおお!! なんで今日に限って、これまで無敗の一番人気が負けんだよおおお!!」

「クソが!! 3万フランも突っ込んだってのに、ふざけんじゃねえ!」

「俺のケツカッチン……最下位って、そりゃねえよ……」

 

 大本命の白毛が敗れ、ブービー人気の青鹿毛が制するという番狂わせに、観客の大半は動揺を隠しきれないようだった。怒気や失望をはらんだ声が忙しなく飛び交う。そんな競馬場の片隅で、悄然とうなだれる一人の男の姿があった。

 

 痩せ型の体格に、うねる天然パーマ。年頃は二十代前半といったところか。

 儚げな笑みが浮かべ、男は無情なる心で天を仰いだ。

 

「やべえ……全財産、スッちまった…………」

 

 

    *

 

 

 ボンジュール!

 

 皆さんどうもおはこんばんにちは~。

 この世のありとあらゆる悲しみを一身に引き受ける男、ニケです……

 

 いや~、やって来ましたよアルル! ホント待ってましたって感じですよコレホントにね……

 途中定期船でゲロって、ガキの頃の記録を更新するっていうイベントもありましたけどね……まあそんなことはどうでもいいんです! 

 

 ついに辿り着いた訳ですよ、中央大陸(セントレイル)! 

 いや~、いよいよ本格的な旅の始まりって感じがしてきましたよね~うん!

 

 ところで皆さん、アルルといえば何を思い浮かべますか?

 

 自主自律の精神? いよっ博識ィ!! 

 そうですね、この街は今でこそ諸侯国連合に加盟していますけど、元々は自治都市として発展した歴史がありますからね。今でこそ政府と名乗ってはいますが、かつては軍隊や行政も、すべて民間のギルドによって運営されていたんですよ~。

 

 中世の名残というか、未だにこういう気風が残ってる町は、世界的に見てもかなり珍しいそうですねえ。

 

 ちなみに、アルルの紋章はクリナムの花をモチーフにしているんですが……その理由がですね。クリナムの花言葉、「どこか遠くへ」に由来してるんだとか! 

 

「どこか遠くへ」、ねえ……私も常々、どこか遠くへ消えたいと思ってますね。だったら消えろって? 確かに消えてた時期もあったんだけどな……HAHAHA。

 

 さてお次は……バルザックの街? 

 

 うんそうですね、そのとおり。ルナティアのモンフォールと、アルルのバルザックといえば、今や東洋を代表する二大財閥ですからね。

 ただバルザックの方は文化や芸術の育成に熱心だったって所が、モンフォールとの大きな違いですね。いわゆるパトロンってヤツです。

 

 多くの芸術家を保護した結果、様々な音楽や美術、文学が、このアルルの地から羽ばたいたのです。元々大陸側の極東人は、質素な生活ぶりを好む島国のネウストリア人や、内向的で保守的な北方人と違って、派手好きで社交的って特徴がありますからね。

 

 二大財閥の違いは、それぞれの地域性の違いも反映されていて、何だか面白いですね~。

 

 じゃあ、最後行きましょうかね……。

 競馬? ……競馬!

 

 はーん、アナタかなりのギャンブラーですね。そうです。アルルは競馬発祥の地として有名なんです! 

 

 遡ること一世紀前、バルザック家が諸侯国連合加盟を祝して、ネウストリア王家をアルルに招いた際、余興として馬のレースを開催したのがキッカケなんですと。現在のエリザベート女王杯の起源にもなってるそうです~。

 

 いや私もね、つい先日ね、行っちゃいましたよ競馬場。

 くゥーッ! 私も競馬デビューです!! いや~……うん!

 うん。

 

 

 そろそろ普通のしゃべり方するか……

 

 

 結論から言う。

 馬が欲しかった。

 

 遡ること一ヶ月前、ルナティアから定期船に乗り込み、アルルへと辿り着いた俺は、今後の旅程について、早速情報の収集を開始した。

 

 やはり事前に計画していたとおり、アルルからガラテアの首都カトブレスを経由し、ラウル山脈を沿うように南へ向かい、中西部に入ったのちは、アシュバール砂漠を縦断してエフタルを目指すのが一番最短かつ、安上がりのルートになるようだ。

 残念ながら海路は、俺のようなパンピーが気軽に乗れるほど充実していない。金策でどうにかなる話ではなさそうだ。

 

 さて陸路で行くとなれば、問題は交通手段だが、さすがに歩いて行くのは骨が折れる。

 ましてソロの俺では、常に魔物に襲われる危険と隣り合わせで、リスクが高い。寝込みをゴブリンの集団にでも襲われたりしたら、もうその時点でエンドロールだ。

 俺の戦いはここまででした! チーン! ってな。

 

 そうなると、カトブレス行きの隊商辺りにでも同行させてもらうのが望ましいのだが、俺のような中途半端な魔術士に用心棒としての需要など皆無だし、隊商からすれば、「お前を混ぜることに何かメリットがあるのか? 忙しいから二十文字以内で説明してみろ」って話になる。

 

 先方にメリットがないのに、交渉なんざ成立するはずがない。

 そもそもそれは交渉じゃなくて、強要とか無理強いの類いだ。コミュ力どうこう以前の問題である。

 

 もっとも、金を積めば同行させてくれる連中も中にはいるだろうが、そうやって人の足下見てくる連中が果たして信用に値するのか……。

 集団行動ってのは、どうしたって目立つからな。きな臭い隊商は、得てして舐め腐った護衛しか引き連れていないことが多い。ソロより逆に危険なんじゃないかという懸念すらある。

 

 ならば、手段は一つしかあるまい。

 馬を買う。

 

 馬を使えば、徒歩の二分の一くらいの行程で移動できる。徒歩だと一ヶ月かかるカトブレスまでの旅程も、馬だと二週間前後で辿り着ける。おまけに誰とも会話する必要がないので、一人上手の僕には最適!

 時間と安全とノンストレスを金で買うと考えれば、安い買い物だろうと思い、早速街中で馬を取り扱っている商人を尋ねてみた。

 すると――

 

「今だと、一番安いので50万フランくらいかな」

 

 全然安い買い物じゃなかった。

 馬にも当然グレードはあり、高ければ高いほど、頑丈で脚も早く、おまけに賢い。寿命幾許もない老いた馬なら、もっと安いのはいくらでもあるよと言われたが、それでは安物買いの銭失いだ。

 

 一方で、来たるべき三次東征に備えてマーケットの動向が活発化しており、今後ますます価格は高騰していくだろうとの話だった。

 割高だと思って悠長に構えてると、一ヶ月後、二ヶ月後には、どうしてあの時買っておかなかったんだと後悔するよと、商人に釘を刺される始末。

 

 どうすんねん。

 

 考えた末、俺は競馬に辿り着いた。

 いやわかってるよ。最初はまあ、こんなもん上手くいく訳ないし、程々で切り上げようって思ってたさ。

 ところがだ。

 

 あれよあれよという間に、俺は40万フランを手にしていた。

 

 破竹の三連勝を成し遂げ、競馬の神に愛されたのだと確信した俺は、最終レースに全額をぶち込むことを選択した。

 もう迷ったりなんかしない――これが私の、全力全開!

 

 今思えば、完全にどうかしていたと思う。

 初めての競馬で勝ちまくって冷静さを欠いていたとか、所詮ビギナーズラックで調子に乗るべきじゃなかったとか、最終レース一番人気の白毛に全額ぶち込めば、ちょうど目標にしてた金額に到達できる打算があったとか、そんなことは言い訳にならない。

 俺はあのとき、間違いなく手を引いておくべきだった。

 

 結果はもはや、言うまでもなかろう。

 白毛は負け、俺は全財産を失った。

 

 全財産を失った俺は、これから先どうすべきか、町の片隅で途方に暮れた。

 金なし職なし家なし。あと人望とか将来性とか向上心もない。心の広ささとか折れない精神とかは、あと七回くらい人生やり直しても手に入りそうにない。詰んでる。

 

 ルナティアを旅立つ前に購入した、冬用の毛皮のコートにくるまり、橋の下で浮浪者よろしく蓑虫みたいに二日ほど丸まって、一通りの自己嫌悪を吐き出したあと、俺はふと閃いた。

 

 そうだ、冒険者ギルド行こう――

 

 俺はルナティアで冒険者の登録を済ませている。

 モンフォール家でのご奉公を終えたあと、受付のお姉さんが「これからアルルに行くんでしょ? じゃあこれ、転出証明。アルルの支部でそれ見せて、転入の登録すれば、ネウストリアでの功績を引き継げるから。頑張ってね~♪」と言われたのを、すっかり忘れていた。

 クラインのアルル支部を訪れば、何か仕事が見つかるかもしれない。

 

 そこからはあっという間だった。

 

 商品の積荷・輸送、建設現場の作業員といった力仕事から、霊薬の素材となる植物の採集、鉱石・魔石の発掘……

 簡易な仕事を片っ端から引き受けた結果、二週間ほどで野宿生活から、安宿生活へステップアップすることができた。

 

 いやー、働くって気持ちイイーッ!!

 いい汗かいて仕事が終わった後の、酒場での麦酒(ルービー)がね……これホントたまらんのですよ! くゥー、最高です!!

 そんな生活がしばらく続いたあと、ふと気づいた。

 

 あれ? 俺、この町に何しに来たんだっけ……?

 

 日雇い労働者としてすっかりこの町に馴染みつつある俺だが、そもそも仕事を探すためにこの町に来たんじゃなかったよな……

 

 そうだ、馬――馬だ!

 

 馬を買って、カトブレスに向かい、アルス・ノトリアを求めてエフタルへと辿り着く……それが当初の目的だったはずだ。

 

 頭にタオル巻いて、盃片手に「くゥー、最高です!!」とか言って、夜中の二時に路地裏でゲロ吐いてる場合じゃない。

 何をその日暮らし満喫しとるんじゃ俺は……一刻も早く、このサイクルから脱出せんと……

 

 チマチマしたクエストばかりじゃダメだ。もっとこう、一攫千金できるクエストを探さねば……

 

 そしてギルドに相談した結果、俺はとあるクエストを紹介されることになる。

 竜退治(ドラゴンバスター)



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20 ドラゴンクエスト

「……竜退治(ドラゴンバスター)、ですか?」

 

 頭に布きれを巻いて、ひげ面の胡散臭い面構えで、アホそうな表情を浮かべてる俺を見て、ギルドの受付のお姉さんは優しく微笑んだ。

 

「うん。アルルより遙か南方、トランシルヴェスタ領内のバスティヴァル山脈に、悪竜が現れたらしくてね。ふもとの町が壊滅させられたそうなのよ」

「しかしドラゴンとなると……通常は政府が動くんじゃないんですか? ゴブリンだのグリフィンだの、民間でどうにかなるレベルを超えているように感じますが」

「それは本土(ネウストリア)の常識ね。大陸じゃ、その理屈は通用しないわ」

 

 お姉さんは、にこりと微笑んでこう言った。

 

「アヴァロニア諸侯国連合は、六つの自治政府からなる国家同盟。騎士王といえど、六人いる首長の中の筆頭という位置づけに過ぎないのよ。だから、絶対的な王が全てを司る本土とは、色々勝手が違うの」

 

 あー、そうだったな。

 アヴァロニアの王、またの名を名ばかりの騎士王。

 

 連合という言葉が示すとおり、アヴァロニア諸侯国連合の実態は、一つの長屋に六つの世帯が入居して、それぞれ独立して生計を立てていると言った方が正しい。

 

 実際、言語や通貨、度量衡は地域によってまちまちで、ローカルルールの百鬼夜行(オンパレード)なのだ。よそはよそ、ウチはウチの縦割りが当たり前で、横串を刺すという発想がそもそもない。

 片や本土からの移民が支配層を占めている国もあれば、片や(いにしえ)からの土着民が未だ根強く幅を利かせている地域もあるので、そうした歴史的背景を鑑みると、統一感を出したくても出せないというのが、実情なのだろう。

 

 アルルは本土に近接した商業都市ということもあって、ネウストリアの言語や通貨が当たり前のように通用するから、違和感覚えることが少なかったけど、大陸(こっち)じゃテンデンバラバラの方が普通なんだよな……

 

「……そうなると、ドラゴンが現れたトランシルヴェスタの統領が、解決に乗り出すべきなんでは?」

「ないわ。自分たちに直接危害が及ばない限り、辺境の村のために軍隊を動かすなんてあり得ない。どうしてかわかる? 軍隊は、あくまで領主の私兵だからよ。大陸じゃ、軍隊は公のためのモノだなんて捉える人は一人もいない。身も蓋もなく言えば、大多数を従わせるための暴力装置に過ぎないのよ。

 だから、三次東征に対する世論の温度感も、本土と大陸じゃ全然違う。まして王国の後ろ盾である教団の影響力が後退した今となっては、本土のいざこざに俺たちを巻き込むなよって、冷めた目で見てる人も多いからね......熱心なのは、王国の威を借りたくて仕方がないアンブロワーズと、信仰心の篤いガラテアくらいのものよ」

 

 むぅ……そりゃまたドライなこって……

 俺の険しい顔色を読み取ったのか、受付のお姉さんはふふっと表情を崩して言った。

 

「冷たいって思った? でもね。義侠心に駆られて、一々正義を執行してたら、その国は立ち所に破産するわよ。莫大な手間と労力を費やして辺境の村を救ったところで、お金になんてなりやしないんだから。それに、支配する側がそういう考え方だと、支配される側も、自分たちの身は自分たちで守らねばという意識が芽生えてくる。だから、アヴァロニアには、どんな小さな村や町にも、必ず自警団という組織が存在しているのよ」

 

 お姉さんにそう言われて、ふとアルルの紋章がクリナムの花であったことを思い出す。

 花言葉は、「どこか遠くへ」。

 

 今でこそ自主自律の精神が尊ばれる街だなんて謳われてるアルルだが、この街が自治都市として発展してきた背景には、お姉さんが言ったようなアヴァロニアの歴史や風土が多分に影響しているのだろう。

 支配されることに慣れきっている本土の人間の感覚からすれば、自主自律だなんてエラく心地の良い言葉に聞こえるが、裏を返せば、「てめえの問題はてめえで落とし前つけろ。俺は知らん」ってことだからな。

 

 究極の自己責任社会。

 砕けて言うなら、全員集まって全員ぼっち。

 

 そう考えると、本当の意味での自由なんてどこにもないんだな……自由には、常に孤独と責任がつきまとう。

 なるほど確かに、「どこか遠くへ」行きたくなるわ……

 

「事情は理解しました。逆に言えば、こういう風土だからこそ、アルルには冒険者ギルドというシステムがすぐに根付いたんですね」

「そ~う! そうなのよ~♪ そこに気づくなんて流石だわ~」

 

 お姉さんはカウンターから身を乗り出し、俺の両肩を掴んでユッサユッサと揺すった。

 

 要は今回の竜退治のような、「公」でも「私」でも解決しづらいグレーゾーンの問題が最後に行き着く先が、冒険者ギルドという訳だ。

 さらに言えば、個人主義全開のこの街に、金さえ払えば大抵のことは請け負ってくれる冒険者ギルドのシステムが、驚くほどにマッチしていたのだろう。

 

 クラインはそこまで見越して、アルルに支部を置いたんかね。

 思慮深いギルドマスターのことだから、たぶんそうなんだろうな……ホント、あのオッサンの金に対する嗅覚は、背筋が凍るほどに超一流ですわ……

 

 しかしこのお姉さん、さっきから俺のこと揺らしすぎなんだが……

 おかげでお姉さんの禁断の果実も揺れて、俺としてはこのまま永遠に揺れていたいくらいだから、別にいいんだけどよ。

 

「あらら、つい興奮しちゃったわ。それで……竜退治のクエストについてだけど」

 

 お姉さんはコホンと咳払いをしてから、続けた。

 

「四名×四組、計十六人編成での討伐を予定していて、前衛とヒーラーについてはすでに人材が揃っているそうなの。一方で攻撃的後衛、つまりサイドアタッカーが不足している」

「サイドアタッカーってことは、魔法使いや弓使い、盗賊(シーフ)とかその辺ですかね」

「うん。魔法使いの貴方にはピッタリだと思って」

「でもこれ、要件に『冒険者ギルドにおいて、二等級以上のクラス認定を受けている者に限る』って書いてますよね。俺はまだ駆け出しのペーペーだから、二等級どころか、ようやく六等級の星が付いたビギナーですよ」

「そこは心配しなくて大丈夫よ。その要件は撤廃されたから」

「撤廃?」

「最初はその要件で募集をかけたんだけど、どうにも納得できる人材が集まらなかったんだって。それで、クラスの認定、あるいは冒険者ギルドに登録しているいないを問わず、広く人材を募って在野の実力者を探そうって方針に切り替えたらしくて。ここ数日、公示人が町の至る所で派手に宣伝してたんだけど、知らなかった?」

 

 俺は首を横に振った。

 知らん。

 

 ていうかここ二週間くらい、仕事終わりのルービーのことしか考えない生活ばかり送ってたから、余計なこと視野に入れる余裕がなかったんだよ。

 またしても、俺の熱心な仕事ぶりが証明されてしまったか……くゥー! 真面目すぎて申し訳ない。

 

「試験が開催されるのは、明日。今ならギリギリ間に合うわ……どう? 受けてみない?」

「ちなみに報酬は?」

「100万フラン」

「生き残ったメンツで山分けってことですか?」

「ううん。一人あたり100万」

「一人あたり?!」

 

 素っ頓狂な声を出した俺を見て、受付のお姉さんはふふふと笑った。

 

「当然でしょう。ドラゴンといえば、危険度レベル5指定のモンスターよ。これくらいは用意しないと、誰も志願してくれないわ」

 

 言われて、契約状に目を落とす。

 確かに、「依頼を受けるにあたっては、自らの意思でこの任務を受けた旨を文書で表明し、署名の上血判を押す。必要に応じて遺書を添付すること」との文言がある。

 要するに、金払いはいいけど、仮に死んでもギルドは一切責任負わんぞお前の自己責任やぞってコトだ。

 

「はあ……しかしまあ、ずいぶん金払いのいいクライアントもいたもんだ」

「そりゃそうよ。この案件は報酬の大部分をバルザック家が肩代わりしてる、緊急保護案件だもの」

「緊急保護案件?」

「うん。緊急性は高いが、それに見合う報酬をクライアントが用意することが困難な案件については、様々な要素を総合的に勘案した上で、バルザック家が報酬の全額もしくは一部を負担する――それが緊急保護案件。あの家は元をたどれば、ネウストリアからの移民だから。ノブレス・オブリージュ、だっけ? ネウストリアには伝統的にそういう発想があるんでしょう」

「ああ……なるほど」

 

 確かにネウストリアでは、道路を作ったり橋を架けたりといった公共事業に、貴族が積極的に金を出して、民衆の信頼を集めて自身の社会的地位を高めるというパフォーマンスが、昔から広く行われてきた。近年では形骸化しているとの声も聞くが。

 

 つまり、此度の竜退治は、バルザック家が事実上の依頼主ということか。

 元の依頼主は、トランシルヴェスタの領主に掛け合うも、けんもほろろの対応をされ、最終的にクラインに泣きついた……そんなとこかね。

 

 しかし、モンフォールの次はバルザックか……うーむ。

 あんま近寄りたくない連中の相手ばっかしてるな俺……かく言う俺も近寄りたくない類いだから、人のこと言えんのだが。

 つまり、持てる者と持たざる者。ノブレス・オブリージュならぬ、ジョブレス・オブリージュ。

 

 持たざる者を「モテざる」者に変換すれば、ラブレス・オブリージュとも言える。

 溢れ出す承認欲求が、男を竜退治へと駆り立てるのだ……

 

「決めました。是非やらせてください」

「ホント? さっすがー、姉さんが認めた人のことだけあるわ~」

「……姉さん?」

「ほら、この転出証明出した発行人、私の姉なのよ。私の顔よく見てみて~。ね? 結構似てるでしょ」

 

 お姉さんは吐息がかかるくらいの距離まで迫って、そう言った。

 

 うむ。

 胸の大きさといい、確かに似てはいるが、目元と鎖骨の下にほくろがないな。鷹揚なしゃべり方から感じるポワポワ加減、とどのつまりは包容力は妹の方が◎だが、大人の色気は姉の方が上と言ったところか。

 

 中でも鎖骨は俺的に重要なポイントだ。鎖骨より始めよ。鎖骨の魅力がわからない男に、おっぱいを語る資格はない。

 つまり俺の中では、受付のお姉さんはお姉さんでも、姉のお姉さんすなわちお姉さんのお姉さんがジャスティスという訳だ。

 

 個人的には、お姉さんのお姉さんの、あのけだるい雰囲気に惹かれるモノがある。優しさは確かに重要だが、優しいだけではつまらないのよ……アナタにその違いがわかるかしら?

 

 ハッ、どさくさに紛れて何を語っとるんじゃ俺は……

 

「では明日午前10時、バルザック家に直接向かってください。地図はこれね。試験に合格すると、誓約書の提出と引き換えに、報酬の前金20万フランが支払われます。残りは討伐完了後の支払いとなります……まあ詳細は合格後でいいわよね。オーケー?」

「わかりました。何か持って行くものとかあります?」

「持って行くモノ?」

 

 お姉さん(妹)は、ぱちくりと目を開けたまま静止していたが、やがて合点がいったかのようにうなずき、顎に人差し指をあてて俺にウインクした。

 

「ハートよハート。くじけぬ、こ・こ・ろ♡」

 

 俺は目を細めて、「ハハハ」と笑った。

 なるほど似てる。



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21 試験開始

 そんな訳で翌日午前10時、俺は街の西部の高台にあるバルザック家の屋敷へと赴いた。

 試験は本邸の庭で行われるらしいのだが、いざ行ってみて困惑した。

 

 庭? これが? 

 

 牧場と呼ぶにしても広大すぎる。俺の目からは、どう見ても野山と草原にしか映らんのだが……

 バルザック家はルナティアで世話になったソフィーお嬢さまの嫁ぎ先でもあるので、ここは一発モンフォールの若頭筆頭として、「ウチのお嬢を夜露死苦!!」って挨拶ブチかましとこうかと思ったが、そんな気持ちは早くも霧散した。

 

 うん。他人のフリしよう。

 こんなうさん臭い野郎が知り合いと知れたら、逆にお嬢さまの評価が下がりそうだしな……

 

 会場には、すでに受験生とその他賑やかしみたいな連中が大勢集っていた。

 ゲラゲラと謎の笑い声と、類人猿よろしく、両手を叩いてしきりに喜ぶ『ウキウキウッキー』と化している連中が散見される。

 

 ああいうのを見ると、とりあえず一歩距離を置きたくなるのは俺だけなんですかね。決して混ざりたいとは思わない自分がいる。ウホッ。

 

「おい。どいてくれ」

 

 振り返ると、チビがいた。

 失礼、エルフがいた。

 

「ボサッと突っ立てるんじゃないよ。邪魔だ」

 

 弓を背負い、カーキ色の外套を纏った背の低いエルフは、そう言うや否や、テクテク受付の方へ向かっていった。

 

 おう小僧……トンガってるのは耳だけにしとけよ。

 

 内心そう呟くと、俺もまた受付へと向かった。

 べ、別に「わ~、人がいっぱい~。ど、どこへ行けばいいの~オロオロ~」とかしてたんじゃないんだからね! 勘違いしないでよ!!

 

 受験の手続きを済ませてから十分くらい経って、「暇だな、早くしろよクソが」と鼻毛を抜き始めたころ、手前の離れのような建物の扉が「ばん!!!」と開いた。

 

「オウ。全員揃ってるみてェだな」

 

 褐色じみた緑色の肌に、口元の二本の牙。その特徴的なシルエットは、本土北部の海岸で見られるセイウチの姿を彷彿とさせる。

 

 現れたのは、オークの重戦士だった。

 体格は優に3セクトを超し、手足が巨木のように太い。岩のような筋肉だ。背中には馬鹿でかい斧を背負っていた。背負ってる本人がデカいから、見てるこっちの縮尺というかサイズ感がおかしくなりそうだが、人間の感覚からすると馬鹿でかいのは間違いない。

 

 ふむ……あそこまでゴリゴリのオークは、本土じゃ中々見ないな。

 

 オークは種族の絶対数が人間やエルフと比較すると遙かに少なく、地縁・血縁を重視し、コミュニティへの帰属意識を何より大切にする種族だ。したがって、多種族と交わって生活することを基本的によしとしない。

 そういう事情もあって、現在ではザクソンなど、南部の限られた地域で、独自の生活圏を築いていることが多い。

 

「オレの名はヌシ。バルザック家に仕えるもので、今回のクエストの隊長を任されている。みんな、ヨロシク頼むぜ! ゲシシシシ!!」

 

 そう言って、彼は豪快に破顔した。

 屈託のない彼の表情を見て、「ゲシシシシ」と言うのは笑い声だったのかと皆悟ったらしく、時間差で拍手や口笛が起きた。

 

「ほンじゃ細けェことは、副隊長のガイラルが説明するからよ。おら、ガイラル」

 

 ヌシに促されて、祭服のような厳めしいローブに身を包んだ銀髪の人物が、前へと進み出る。やたら小さく見えるのは、隣にいるヌシが馬鹿でかいせいであり、決して本人が他の一般男性と比較して小さい訳ではない。

 ちなみに銀色の髪は、大陸の北方系に多く見られる特徴だ。出身はガラテアやノルカ・ソルカの方なのかもしれない。

 

「ヌシと同じく、バルザック家に仕えるガイラルだ。職業は神官……といっても、現在は教団を脱退している。元神官、今は客人の白魔術士といった方が正しいだろう。こたびの竜退治において、副隊長に任命されている。よろしく」

 

 周りの兄ちゃんのコソコソ話によると、彼は神官であっても祓魔士(エクソシスト)という、呪いの解除や、アンデッドの浄化のエキスパートらしい。ヌシと同じく、バルザックお抱えの傭兵としては有名な人物で、(ちまた)じゃ鬼の副官と呼ばれているんだとか。

 

 どこぞのアリシアちゃんよろしく、神官ってのは畜生じゃないとなれない職業なのか?

 「ドキッ! 畜生だらけのイリヤ教団☆ギロリもブスリもグサリあるよ♥」とか、あんま笑えねえな……

 

「それでは早速、試験の概要を説明する」

 

 ガイラルの説明によれば、本日の試験は受験生同士による実戦は一切想定しておらず、各々、もっとも自信のある魔法ないしスキルを、試験官の前で披露してほしいとのこと。なお、合格者は最低で二人とのことだ。

 

「おいおい、それだけでいいのか」、「簡単じゃね?」、「えー、それだけじゃ実力なんてわからないでしょ」との声が一部で上がっていたが、アイツらはサイドアタッカーに求められる役割をまるで理解していないようだ。

 

 しばき合いにドツキ合いは、それが専門の前衛の連中に任せとけばいいんだよ。

 サイドアタッカーはサイドアタッカーらしく、前衛を支援して、回復役を守りつつ、目立ちはしないが、いなければ困るポジションに終始すればいい。

 なおかつ、単調になりがちな前衛陣の攻撃にアクセントをつけられるような、強烈な魔法ないしスキルを持っていれば、言うことがない。

 

 戦場全体を見渡せる視野の広さに加え、つなぎの役割を果たしつつ、意外性のあるパンチ力を備えているのがベストだな。

 ボトムを支えてリズムを生み出し、コードとコードの間を橋渡しする。要約すると、スタイリッシュかつクールにかき鳴らせ! ってことですね。

 

 試験官の意図すら読めんとは……ククク。愚か者めが。試験はもう始まっておるのだぞ……

 

「おし、ンじゃ始めっか! みんな気張らず、肩の力抜いてナ! ゲシシシシ!!」

 

 ヌシの一声で、早速試験が開始される。

 受験番号一番の魔法使いらしき男が名前を呼ばれて、自己紹介を始めていた。俺の受験番号は四十四番だから、こりゃ結構待たされそうだな……

 

「君……中々できるな」

 

 声がした方を見ると、そこには重厚な装備を纏った騎士の男が立っていた。

 年頃は俺より少し上、顔立ちは俺よりイケメン。緑がかった髪の色から、おそらく東洋の人間ではない。他国から渡ってきた冒険者だろう。

 

「うだつの上がらない風采。それでいて、適度に鍛えられた日焼けした筋肉。そして腰に剣をぶら下げているのは、相手を油断させ、自分の本当の姿を隠すための布石……君の本当の職業は、戦士ではないだろう。違うか?」

 

 内心何言ってんだコイツと思ったが、暇なので、「ああ。よくわかったな。俺が魔術士だって」と適当に答えておいた。

 ちなみに腰にぶら下げているのは剣だが、股間にぶら下げているのは槍だ。ごめん何でもない。

 

 男は小刻みにうなずき、俺の目をまっすぐ見つめてきた。

 

「やはりか。その佇まいと言い、只者ではないと思っていたよ。私の名は、アルタイル。すでに騎士として、此度の竜退治への参加が決まっている者だ。願わくば、君と同じパーティにならんことを……健闘を祈る」

 

 俺は目を細め、したり顔でうなずいた。

 

「ああ」

 

 男はフッと笑い、その場から立ち去った。

 

 むろん、断る。

 てか、アレの色違いみたいな奴を、ルナティアでも見た気がするんだが……何なの? 都会じゃ最近ああいう絡み方流行ってるの?

 

 すると、後方で突然閃光が走り、間髪を入れずに笑い声が上がった。

 どうやら実技試験が始まったらしく、発声源はその他賑やかしの連中のようだ。

 

「オイオイ魔法使い! その程度で全力なのか? 笑わせんじゃねえよタコ!! そんなんでドラゴンが倒せるか!」

 

 一目して気を引いたのは、背中にしょった身の丈ほどもある大剣。

 ツンツン頭のイカつい風貌の男が、大声でそう罵った。

 

 …………。

 何だあの、ウホウホオラつきマンは……君、試験官じゃないよね? 街の人? ここ競馬場じゃないんですけど……

 

「おいクルーガー、静粛にしろ。試験の邪魔をするな」

 

 さすがにどうかと思ったのだろう。

 ガイラルが名指しで注意すると、男はチッとふてぶてしさ100%で舌打ちした。「反省してま~す」と今にも言いそうな雰囲気だった。

 

「いいじゃねーかよ。事実を言ったまでだ。足手まといは要らないって、お前やヌシだって言ってただろうが」

「……」

 

 不穏な空気が流れた。

 無表情ながら、「ガキが……舐めてると潰すぞ」という剣呑な雰囲気を醸し出しているガイラルの隣で、ヌシは一人ハナクソをほじっていた。

 

 周囲のヒソヒソ話や会話の流れから察するに、どうやらあのツンツン頭も討伐隊の一員らしい。

 おいおいマジかよ……あんなのと組まされるとか、冗談じゃないぞ……

 

 特にやることもなかったので、その後も興味半分でウホウホオラつきマンの動向に注目していたのだが、奴は受験者が魔術士の時に限って、水を得た魚のように、罵声を浴びせていた。

 いわゆる典型的な、魔法使いアンチのようだ。

 

 しかし、ただのアンチではない。

 よくよく奴の罵声を聞いていると、

 

「効果の割に、発動がおせーんだよ! 術式の構成からやり直してこい!」とか、 

「仮にもエンハンサーを名乗るなら、多重魔法くらい容易くできねえと話にならねえぞ! 演算が狂ってるんだよオラァ!! ちったぁ頭使え!」とか、

「威力が凄くても当たんなきゃ意味ねえぞ! ドラゴンは跳んでんだよ! てめえの魔法は前衛を巻き込むことを目的にしてんのか? ソロプレイがやりたいんなら、てめえの家に引きこもってろ! 一生出てくんな!!」とか、

 

 中々どうして的確な指摘をしている。

 

 なんなんじゃアイツ……ああ見えて実は、魔法使いのこと大好きなんじゃないのか。

 並のアンチにしては、魔法の造詣が深すぎるんだが……

 

 あのウホウホオラつきマンが、魔法使いを叩きたいがために、夜な夜な必死に魔法の研究をしているのかと思うと、なんか泣けてくるな。

「アイツよォ。実は過去に、仲間の魔法使いを亡くしてるんだ。自分の不注意で守れなかったって、ずっと後悔してて……もう、自分の前では魔法使いが死ぬところを見たくないんだろうな。だからつい、魔法使いを見ると、あんな風に厳しくなっちまうんだよ……」といったエピソードがあれば、なおよい。

 

 やべぇ、俺も早くアイツに罵倒されたくなってきたぜ……熱心なアンチとは、信者がダークサイドに墜ちた成れの果てとは、まさにこのことよ。

 恥ずかしながら小生、一周回ってアイツのファンになりそうな予感……

 

「次、三十二番」

 

 呼ばれて、姿を現したのはトンガリ☆ボーイ。

 じゃなかった。エルフだった。

 

 外套のフードを外すと、トンガリお耳が露わになる。エルフらしく、中性的な顔立ちに美しいエメラルドの瞳を備えている。

 いわゆる美形というヤツだ。死ねばいいのに。

 

「名はルチア。種族はウッドエルフ。職業はレンジャーだ」

「年齢は?」

「答える必要があるのか?」

「いやホレ、エルフって見た目じゃ全然トシわかんねェからよ。こう見えて五百歳とかだったら、さすがに俺らも敬意を払わんワケにはいかんからナ」

「礼には及ばない。僕はまだ、六十年ほどしか生きていないからね」

「ってこたァ、オークで例えると十歳くらいか。人間で例えると……いくつだガイラル?」

「十五歳前後といった所だろう」

 

 十五歳? なんだガキかよ……ガキでいいんだよな? 六十年も生きてるのにガキとか、人間の感覚からすると困惑するな……

 長命種族の成長速度とそれに伴う外見の変化は、極めて個人差が激しいから、実際外見だけだとまるで年齢がわからないんだよなあ。俺の師匠も(見た目は)永遠の二十五歳だったし……

 

 トンガリ☆ボーイ改めルチアは、背負っていた弓を右手に掴み、試験官のヌシとガイラルから背を向けた。

 

「およそ三百メルト先に、林があるだろう。一番手前の木の幹に、三つ同時に弓を当てる」

 

 会場がざわついた。

 それもそのはず、ルチアが手にしているのは長弓ではなく短弓であり、有効射程はせいぜい五十メルト。

 どう考えても、届く距離ではない。人間の目で、何とか視認できるかという距離だ。

 

 周囲の疑念などどこ吹く風、ルチアは三本の矢を同時につがえ、静かに弓を構える。ひりつくような緊張感のあと、矢が真っ直ぐに解き放たれた。

 

 見えなかった。

 

 誇張ではなく、矢は放たれると同時に彼の手元から消え、全員が幻にでも包まれたかのようにポカンとしていた。

 

「……あ、当たったのか?」

 

 ガイラルがパチンと指を鳴らす。

 俗に千里眼と呼ばれている、強化魔法(バフ)の一種を行使して、弓矢の行方を確認する。

 

「……当たっているな。三本の矢が縦に三つ、同じ木の幹に突き刺さっている」

 

 ガイラルの言葉を聞くや、会場にわっと歓声が巻き起こった。

 

 驚嘆すべきポイントは二つ。

 通常あれだけ遠くの標的に矢を当てるには、その軌跡は直線ではなく放物線を描かなければならない。そして、仮に届いたとしても、直線で射貫くより格段に威力が落ちるはずだ。

 

 軌跡と威力。

 

 その二つの物理的な制約を無視して、標的を捉えることができたのは、言うに及ばず。魔法のアシストを使ったのだ。

 

 おそらく、バフによる力や速度の調節ではなく、エンチャントによる風属性の付与だろうな……早すぎてよくわからんかったけど。

 術式の構成や演算はたぶん、そっちの方が簡単なはずだ。物理法則いじくるのって、地味に難しくて膨大な検証が必要なうえに、発動時にクソほど神経遣うからな。

 たとえて言うなら、突発的なうんこを、何が何でもあと一時間死守せねばならん状況と同等の、気合いと集中力を要する。

 

「ほーン、やるじゃねェか! 他には何かできねェのか?」

「当然」

 

 すると、ルチアは再び弓を構え、矢が放たれた。

 

「ん? おい……あそこの木、燃えてねえか?!」

 

 観衆がざわつくと同時、ルチアは次の矢を放った。すると、先ほどまで燃えていた木が、一瞬で凍り付いた。

 

 炎の矢に、氷の矢。

 おいおい、新春かくし芸大会かよ……

 

 沈黙を切り裂いて、観衆が一斉に驚きの声を上げる。

 ヌシが「グシシシシ! おもしれェじゃねェか!」と言って、その巨体を揺らす。気の早い者が、「こりゃ合格者一人目は決まりだな!」と声を上げた。

 

 しかし、あのご意見番が黙っているはずがなかった。

 

「……気に食わねぇな」

 

 「木だけにな」と言わんばかりの口調でそう(のたま)ったのは、例のウホウホオラつきマン改め狂犬クルーガーだった。

 ヒューッ! 待ってたぜ、アンタの一言をよォ!!

 

「止まってる的ぐらいなら、俺だって当てられるんだよ。動いてる的に当てられてこそ、真の一流だぜ」

 

 一体何から目線なんだよお前はと言いたくなるような台詞ではあったが、まあそれはいい。

 ルチアはクルーガーの方へ視線を転じるや、素早く矢をつがえ、弦を解き放つ。風に吹かれて、木の葉が舞い落ちる。

 

「え?」

 

 クルーガーの顔面わずか数十セクト隣を通過した矢は、彼の後方にて、今まさに宙を舞っていた落ち葉を貫き、地面へと突き刺さった。

 刹那の神業に唖然とする周囲を尻目に、ルチアはいつになく冷めた表情を浮かべる。

 

「次は、アンタが動いてみるかい?」

 

 クルーガーは何も言わなかった。否、言えなかったのだろう。

 

 正義の味方トンガリ☆ボーイと、悪の怪獣ウホウホオラつきマンの勝負は、俺の声援むなしく前者の圧勝に終わった。

 普段煽ってばかりのヤツは、いざ自分が煽られるとすぐ涙目になるって言うけど、その道理を地で行くようなヤツだったな、クルーガーちゃん……

 

 ルチアのハイレベルな技術に気圧されてしまったのか、その後の受験者はパッとしない実技が続き、あれよあれよという間に、俺の番が回ってきた。

 俺の後ろはもう三人しか残ってないから、「そろそろ飽きた。はよ終われ」という冷めた空気が会場に蔓延している。

 

「次、四十四番」

 

 ようやく番号を呼ばれ、俺は重い腰を上げる。

 お待たせしました真打ち登場と言いたいところだが、ここにいる全員の目を覚ますには、ちーとばかし骨が折れそうだねェ……チートの魔術士の本領発揮ってトコロか。

 

「ッスー。受験番号四十四番ッスー。よろしくお願いしやーす」



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22 されど罪人は竜とブレイクダンスする

 やるなら全力でぶちかます以外、方法はないだろうなと思っていた。

 ユニークな魔法を披露するのも面白いが、コイツは宴席の余興でもなければ、新春かくし芸大会でもない。

 

 シンプルイズベスト。

 

 単純であればあるほど、なおいい。馬鹿でも理解できる。圧倒的な力とは、本来そういうものだ。玄人にしか理解できない代物は、所詮その程度の代物でしかない。

 まして無名の六等級冒険者、おまけに試験の順番が最後の方とあれば、より強烈な印象を残すためにも、全身全霊の一撃以外に選択肢はないと思っていた。

 

 しかし、問題はそのチョイス。

 今の俺が保有している魔力と、得意な属性を鑑みると――

 

 魔法の世界に、万能の天才は存在しない。誰にだって得手不得手はあるし、種族によって扱いやすい系統も異なる。

 魔法の研究が進んだ現代においては、いっそう専門化が進んで、現にアイゼンルートなんかでは、攻撃魔法一つとっても、炎は炎、風は風のスペシャリストといった風に、分業制が当たり前になっているとの話も聞く。

 

 肝心の俺はというと、個人的に嫌っている強化魔法を除けば、ひととおり修めてはいるが、それでも自分の中で得手不得手の序列は明確に存在する。

 たとえば攻撃魔法だと、一番得意なのが炎で、次に土。雷と風は得意でもなければ苦手でもないイメージで、氷はやや苦手、氷に輪をかけて苦手なのが水だ。

 

 個人的な嗜好としては、一番好きなのは断然闇なのだが、残念ながら闇なんて属性は、東洋魔術にも西洋魔術にも存在しない。光も同様だ。

 南洋の陰陽道という流派が、炎と風と雷を「陽」の属性、水と土と氷を「陰」の属性に区分しているだけのことである。つまり陰陽道の見地に立つと、俺は言うほど陰キャラじゃない。むしろ陽キャラまである。

 

 まあ正直言うと、俺は攻撃魔法より、減退魔法(デバフ)の方が得意なんだが……

 

 ただ、減退魔法は余りに地味すぎて、インパクトに欠ける。

「私には周りを巻き込む力があります。具体的には、干渉・束縛・妨害・混沌・抑圧です」とかアピールされても、面接官は「お、おう……」ってなるだけだしな。

 第一そんな奴と、誰が一緒に働きたいのか。俺だって嫌だよ。

 

「名はニケ。種族は人間。職業は無……魔術士だ。冒険者としてはまだ駆け出しだが、自分の腕を試すために本試験に参加した。よろしく」

 

 自己紹介をすると、ヌシとガイラルが無言でうなずく。

 

「先ほど受験番号三十二番が、矢を当てた木……あそこの森一帯を、魔法で消してみせます」

 

 周囲は相も変わらず落ち着きがない。場にそぐわない笑い声も漏れ聞こえた。

 もっとも、俺のことを笑っている訳ではなく、観衆はすでに飽きて、試験から興味を失っているのだ。だからたぶん、ヌシとガイラル以外に、俺の話をまともに聞いている奴はいないのだと思う。

 まあいいさ。これくらい弛緩した空気の方が、かえってやりやすくていい。

 

 振り返って瞳を閉じると、全身の感覚が研ぎ澄まされていくのがわかる。あらゆる音が後退して、世界が遠ざかる。集中力が増していく。

 視覚と聴覚のリソースが、全て指先の触覚に注がれていくこの感覚……懐かしいな。心は忘れていても、身体はどうやらまだ覚えているらしい。

 

「煉獄の炎帝よ。血の盟約に従い、地の底より蘇れ――」

 

 詠唱を始めると同時に、足下に六芒星の魔法陣が展開し、差し出した両の掌から、蛍火のごとき紅き光芒が舞い上がった。

 炎が滾り、激しく光芒を散らして、巨大な火の玉を形成する。

 

「気高き御身は燃え盛ること紅蓮の如く、何人(なんぴと)たりとも触れること(あた)わず。蹂躙(じゅうりん)せよ――火炎球(ファイアボール)

 

 そして次の瞬間、耳をつんざくような轟音と共に、掌から火の玉が解き放たれた。

 

 目にも留まらぬ早さで草原を駆け抜けたソレは、着弾と同時、周囲に強烈な閃光をまき散らした。

 爆炎が巻き起こり、世界が一点の白も許さず、黒く染め上げられる。

 

 光が褪せて、辺りに静寂が戻った頃には、三百メルト先に空白の景色が広がっているのが視認できた。火の玉の軌跡をなぞるように、草原が俺を始点として一直線に焦げ付き、見事なまでにハゲ上がっている。

 

 どうやら上手くいったようだ。

 俺の宣言どおり、森林は消えて、草一つ生えない荒れ地と化していた。

 

「へ……は……え??」

「うそだろ……あれ、ただの火炎球だよな? 教科書の最初の方に載ってる、下級魔法の……」

「あんなゴツい火炎球、俺、初めて見たんですけど……」

「威力がおかしいだろ。下級魔法のレベル、軽く超えてませんかね……」

 

 にわかに静まり返った群衆は、誰もが唖然として、言葉を失っていた。どいつもこいつも、目の前で起きた出来事が信じられないという顔をしている。

 

 ここは一発、「俺の魔法の威力がおかしいって、強すぎって意味だよな?」と、清々しいまでのイキリ火の玉ストレートをど真ん中に投げ込みたい気分だったが、生憎それどころではなかった。

 

 痛い。

 ていうか滅茶苦茶痛い。

 

「ああーーッ!! 死ぬ死ぬマジで死ぬヤバいってコレマジでヤバいってんああああああああああァァァァーーーんッ!!!!」って叫びたいのをかみ殺すのに必死で、表情筋が翌朝筋肉痛になりそうなくらいにマジで痛い痛いここに居たくないっていたいけなくらいに痛い。

 

 いくらベースが下級魔法とはいえ、ガキの頃以来久々に全力でぶっ放したから、身体中がびっくりして悲鳴上げてるな……

 

 未だに手がじんじんするし、この呪文の何がヤバいって、反作用で後方に吹っ飛ばされないよう堪えるために、滅茶苦茶必死で踏ん張らないといけないのがヤバい。

 

 見てみ、地面。クソほどめりこんどるじゃろ。この調節にクソほど神経遣うんじゃ。一体何の魔法なんだよコレって話だよな。

 一応言っておくが、大砲なみの強烈な反作用にその場で耐えるための魔法ではない。よくある火炎球です。

 

「参ったな。消すってそういう意味か……てっきり幻術系かと」

「気にすンナ。止めなかったオレが悪い」

 

 ふと見れば、ガイラルが両手で顔を覆い、明らかに困惑していた。

 同じく渋そうな面構えで顔を上げた隣のヌシと、目が合う。

 

「ああ……ニケって言ったか。なんつーか、その、称賛したいのは山々なンだけどよ……はっきり言うわ。さすがにやり過ぎ」

 

 ヌシは一度視線を下げ、ふーっと息を吐き出してから言った。

 

「あの森、屋敷の私有地なんよ。バルザック様の狩場なんだわ」

 

 え?

 俺はその場で凍り付く。やがて視界にヒビが入り、砕け散ると同時に、目の前が真っ暗になるような感覚に陥った。

 

 ……え?

 

 

    *

 

 

 アルル刑法第七十八条から八十二条には放火罪に対する具体的列挙があり、故意か過失か、その他自己の建物か他人の建物かなどの要件によって、最終的な刑罰が決定される。

 

 つまり俺は、やっちまったらしい。

 イキリ魔法オタクが調子こいた結果がコレだよ。「またオレ何かやっちゃいました?」どころの話ではない。死にたい。

 

 試験がお開きになったあと、通された屋敷の一室の片隅で、俺は文字通り燃え尽きた灰と化し、悄然とうなだれていた。

 取り返しのつかないやらかし具合に、心が壊れたのか、さっきから虚ろな独り言が口を突いて勝手に出てくる。

 

「アカンテ……サスガニコレハアカンテ……オワッタ。マジオワタ……」

 

 やがて、ぎいっと軋みを立てて奥の扉が開く。

 ヌシが戻ってきたようで、「どうだった?」とガイラルが席を立つ。

 

「オウ。まあ、バルザック様はああいう人だからよ……剛毅な者もいたモンだと鼻で笑い飛ばしてくれたんだが、取り巻きの茶坊主どもがうるさくてナ……ニケには悪いけど、ある程度の額は弁償してもらうことになりそうだ」

「そうか。統治者たるバルザックが、法をねじ曲げるにはいかない――大方そんなとこだろう? アイツら石頭の理屈はいつもそうだ」

「ああ。途中からハナクソほじって聞き流してたから知らンけど、大体そんな感じだったナ」

「しかし、弁償と言っても……どうするんだ?」

「そりゃあもう、働かざるもの食うべからず。働いて返してもらうほかないわナ」

 

 ヌシはニッと笑い、部屋の隅で縮こまっている俺の方へ近づいた。

 

「おうニケ。ちったあ落ち着いたか」

 

 早くも板についてきた罪人顔を浮かべ、「島流しですか? それとも公開処刑ですか?」と俺が言うと、ヌシが「ゲシシシシ!」と剛胆に笑った。

 

「冗談言えるようになったンなら、もう大丈夫そうだナ」

「いや全然、冗談でも何でもなくて大マジなんですが……」

「そうなンか? そう言ってるようには見えねェンだけどナァ……まあ図太く開き直られるよりは、しおらしくていいンだけどよ……結論から言うぞ、ニケ。お前はこれから、討伐隊に加わってもらう」

「討伐隊? 俺を討伐するんですか?」

「何言ってンだ、竜退治だよ……つまり、おめェは合格ってこった」

「え? 嘘……またどういう風の吹き回しで……」

「そこなンだが……オメェがバルザック様の狩場を破壊した件については、事が事だけに不問に付すことはできねェってのが、ウチの茶坊主もとい文官どもの見解だ。俺も食い下がったンだが、お前に然るべき損害賠償を求めるって結論は変わらなかった。ケド、それじゃオメェがあンまりだろう? 

 だから、ニケを討伐隊に入れて、俺とガイラルの監視下に置く。竜退治の功績と報酬をもって償わせれば文句はねェだろって、話付けた。文官どもはウダウダ言ってたが、『アレだけのルーキーを使わない方がどうかしてンだろ。牢屋に入れてる場合か』つって、強引に押し通してきてやった」

 

 ヌシは両肩を揺らし、「グシシシシ!」と愉快そうに笑った。

 ガイラルが腰元に手を当て、やれやれと言わんばかりにため息をつく。

 

「閣下は何と?」

「ヌシの好きにしろってよ。無事恩赦にできるよう、任務中は逃げられないよう縄付けとけって、笑いながら言ってたぜ」

「あの方らしいな……悪いなニケ。こういう形になってしまって」

「いえ。竜退治に加わることは構いませんが、その……いいんですかね? 俺もガキの頃、狩りの手伝いとか、薪を集めたりやらされてましたから。あれだけの森を一から育てるのに、どれだけ手間暇かかるのかは知ってます。それをその……一瞬で葬った訳ですから。金だけでなく、然るべき刑に服すべきでは……」

「心配しなくていい」

 

 ガイラルが言った。

 

「今回の件は、お前だけの責任じゃない。監督していた私やヌシにも責任はある。当座はヌシが言ったような条件付き裁量保釈の形になるんだろうが、任務完了後に改めて、お前の負担が最小限となるよう、こちらから働きかけるつもりだ。そこは我々を信頼してほしい」

 

 その言葉を聞いて、ほっと胸をなでおろした。

 後先考えず突っ走った己の愚行は悔やまれるが、とりあえず、この二人がまともな監督者であったことには感謝したい。

 不幸中の幸いとでも言うのか、前科一件不可避だった案件を、上手く丸めてくれた訳だしな……

 

 こういう所でわかるんだよなあ、人の上に立つ器って。

 責任とは、背後に立たれた瞬間背負い投げするものだと思っている俺だからこそ、それがよくわかる。

 

「ところでニケ。先ほどの火炎球(ファイアボール)は見事だったが……水はどうなんだ?」

「水ですか? まあ、扱えることは扱えますけど……」

「そうか、それはよかった。というのも、今回の討伐は火竜が相手なんだよ。相性を考慮すると、水属性の魔法が使える術者は、一人でも多く欲しかったのでな」

「ははあ……なるほど」

 

 水……水かあ。

 できるっちゃできるんだが、細かい制御がどうにも苦手でして……。ガキの頃は、十回に七回は暴走させてた記憶しかない。オイそれ使えるって言っていいのか?

 

 ちなみに水系統が苦手な理由は、ハッキリしてる。カナヅチだからだ。

 つまり、水に対して刷り込まれた恐怖がある。攻撃魔法はイメージが何より重要だから、こういう苦手意識やトラウマは、術の制御に大きな影響を及ぼしてしまうのだ。

 

「他には何か使えンのか? 編成の参考にしたいからよ」

「そうですね……自信があるのは、デバフですね」

「ほー、デバフか! 若いのに珍しいじゃねェか。今回の討伐隊に、魔法使いのジイさんがいるンだけどよ。最近の若い連中はどいつもこいつもバフばっかりで、デバフなンか誰も学ぼうとしないってぼやいてたぜ」

 

 ハハハ……言えてる。

 若者のデバフ離れは深刻だからな。無理もない。

 

 デバフといえば、どうしてもマイナスのイメージがつきまとう。だって、干渉・束縛・妨害・混沌・抑圧だぜ……字面眺めてるだけで、お前友達いないだろって気持ちになってくる。

 対してエンハンサーの連中が、バフを習得した理由に、「人のためになる魔法を覚えたかったから」というフレーズを使う率は異常。

 

 しかし前から思ってたけど、バフをかけると「お前がいてくれて助かったぜ!」って感謝されやすい反面、デバフを使うと「いい戦いだったな!」とか言って軽く感謝をスルーされる風潮、アレ何なんだろうな。

 何なら、(うわっ……コイツ性格悪っ……)と思われてるまである。扱いの格差がひどすぎやしませんかね。

 

 そもそもバフ使いの「エンハンサー」というカッチョイイ呼称に対し、デバフ使いの呼称といえば「特にない」からな。

 何だよ「特にない」って。ストレッサーとかウホウホ足引っ張りマンとか、蔑称で呼ばれる方がまだマシだわ。埋めようのない溝を感じる。

 

 だからバフは嫌いなんだよ。「アイツにばっかりバフかけて、俺にはどうしてかけてくれないんだよ!」とか言って仲違いしてるパーティを見ると、この上なく愉快な気持ちになるわ。

 これに男女関係のもつれとか絡んでくると、もう最高。

 

 バフ大好き若者諸君!

 バフの使いすぎは、内輪の人間関係にデバフをかけるぞ。用法・用量を守って、正しくお使いください。

 

「とはいえ、ドラゴンのように巨体で、すばしっこい者が相手では、デバフの制御や拘束にも限度があるだろう?」

「そうですね。まあそこは実際に戦ってみないと、なんとも……」

「わかった。しかしそうなると、ルチアをどうしたものか……ふむ」

「ルチア?」

「合格者はおめェのほかに、もう一人いるンだ。そいつがルチア。ホレ、ウッドエルフの弓使い。覚えてねェか? クルーガーの喧嘩を買うと同時に、リボンくくりつけて返品したヤツだよ」

 

 ああ、あのトンガリ☆ボーイ……アイツもやっぱり合格してたのか。チッ……

 じゃなかった。むぅ……

 

 できることなら、アイツと同じチームは避けたいな。ああいう手合いは神経質だと相場が決まっているので、射線に入っただの何だのうるさそうだし。

 他人の射線なんざ踏みにじるものとしか思ってない俺とは、すこぶる相性が悪そうだ。

 

 確か、討伐隊は四人×四組の編成だったか。

 まあ同じサイドアタッカー同士だし、同じ隊になることはないかな……別の隊なら、そもそも布陣してる場所が違うから、射線が競合することもないし……

 

「それではニケ、今日の所は解散としよう。明日正午に、再び屋敷に来てくれ。そこで編成の発表、ブリーフィング。出発は明後日だ。討伐にはおよそ二週間を見込んでいる。慌ただしくなるから、諸々の準備は今日のうちから始めておくといい」

「くれぐれも逃げ出さないでくれよ。その時はマジで俺たちの首が飛んじまうからナ」

「……わかってますよ。地を這ってでも来ると約束します」

 

 ヌシが「グシシシ!」と笑い、ひとまずその場はお流れとなった。

 

 部屋を出ると、早速編成について、ゴニョゴニョ話しているヌシとガイラルの背中が確認できた。俺は遠い目を浮かべる。

 

 まさか、ねえ……



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23 作戦概要

 そのまさかが起きた。

 翌日正午、屋敷の庭に貼り出されたメンバーリストを見て、俺は唖然とした。

 

 α隊:ヌシ◎、ガイラル○、ルチア、ニケ

 β隊:アルタイル◎、ヒョードル○、チェスター、ルイーズ

 γ隊:シセル◎、コウメイ○、イケル、チュウタツ

 δ隊:クルーガー◎、ベアトリクス○、オーウェン、テレサ

 

 ※◎は隊長、○は副隊長に任ずる。

 

「…………」

 

 なんでやねん。

 腹と背中がくっつきそうなバカデカため息をつくと、三歩先にトンガリ☆ボーイの姿が映る。

 お互い目が合って、三秒くらいの沈黙の後、「あ、コイツそういえば……」みたいな顔をされた。気づくの遅いよ。

 

「サイドアタッカー二人のワントップとは、珍しい配置だね……まあいいや。くれぐれも僕の邪魔をしないでくれよ。ミケ」

 

 いや、俺の名前はミケじゃなくて、ニケなんだが……

 

 心の中で、トンガリ☆ボーイとか言う蔑称を、密かに定着させておちょくっていた報いだろうか。因果応報。神様は見てる。

 どうせそこまで見てるなら、僕が頑張ってる所はどうして見てくれないんですかね。おかしくない?

 

 無情なる心で天を仰いでいる間に、ルチアはどこかへ行ってしまっていた。

 あいつ俺のこと、肉料理に添えられた香味野菜程度にしか思ってないだろ……

 

「やあ。意外な結果だったね」

 

 不意に、男に肩を抱かれた。キャッ☆大胆! と思って振り向くと、どこかで見たことあるような奴がそこにいた。

 えーと、名前何だっけ……ほらあの、色違いの……

 

「君とは同じチームになれると思っていただけに、残念だよ。ヌシにガイラルめ。自分の足下はガッチリ固めておこうって算段か」

 

 そこまで言われて、ようやく合点がいった。

 

 あーコイツ、アルタイルだわ。

 β隊の隊長。メンバーリストを見る限り、間違いないようだ。

 てか隊長だったんかよ……

 

「α隊の配置は最前線。そこにサイドアタッカー二人を配置ということは、実質3トップに近い超攻撃型のフォーメーションだな。ガイラルもまあ、ずいぶん大胆な構成を考えたもんだ」

 

 え? 最前線?

 ちょ、おま……そんな話聞いてないし。後ろからチマチマコッソリ、思い出したように魔法ぶっ放すだけの簡単なお仕事じゃなかったのかよ……嘘だろ……

 

「ククク……わかってねえなアルタイル。この編成は、ヌシだからこそできるんだよ。アイツの図抜けたパワーとタフさに釣り合う前衛なんざ、世界中探してもそうはいねえからな。凡庸な友軍は、アイツにとって攻撃の邪魔でしかねえ。なら、組織的な連携より『個』の力を重視した隊形の方が望ましいと判断した――そういうこったろうよ」

 

 一体いつからそこにいたのか、訳知り顔の男がそう言った。

 恐らくモンスターの皮を加工したものだろう。特殊な生地で編み込まれた防火性のマントに、ただカッコつけてるだけのバンダナ。腰元のシースと、バングルにリングにタトゥー。あとネックレスの護石と、無駄に装飾品が多い。

 

 シーフもとい、最近流行りの装飾系男子ってか? チャラチャラしやがってボケが。あと誰だお前。

 

「あら。そんなこと言ってる余裕があるの、チェスター? 私はα隊に手柄を独占されるんじゃないかと、危惧してるんだけど。金銭以外の報酬は、功績に応じて分配だからね」

 

 またヘンなのが現れた。今度は女魔術士だ。

 フード付きのローブに、アクアブルーの魔石が埋め込まれたステッキ。スカルの指輪や、七色の宝石が埋め込まれた首元のタリスマンは、魔力の循環を促すためのマジックアイテムだろう。

 

 俺個人の意見としては、こういう補助アイテム頼ってる魔術士にロクなのはいない。魔法を芸術だかファッションだかと勘違いしてる、個性派気取りの二流によくいるタイプだ。

 しかもこういう連中に限って、使う魔法は驚くほど個性がない。お前らどこで勝負してんだって話だ。全然アートじゃねえぞ。

 

「ククク……お前は本当に性格が悪い女だぜ、ルイーズ。てめえはハナから報酬より、ドラゴンの素材目当てだもんな」

「それはアナタも同じでしょ? ドラゴンの鱗や内臓が、どれだけ市場で高くさばけるかは、シーフのアナタが誰より知ってるくせに」

「よせよルイーズ、チェスター。そういう皮算用が、足下を掬いかねんぞ」

「お前は黙ってな、アルタイル。コイツは重要な話なんだ」

「同感。お宝の取り分で争わないなら、この世界に裁判所は要らないし」

「はー……ったく」

 

 コイツら人を間に挟んで、ようしゃべるな!

「はー……ったく」じゃないよ。それは俺の台詞だよ。

 

「アルタイル、ルイーズ、チェスター」

 

 声がした方を見ると、二足歩行の黒豹がいた。

 猫耳に、腰から延びる長い尻尾。そしてフサフサとした美しい黒毛。半獣半人、広義には亜人と呼ばれてる連中だ。

 

「会議、始マル。モタモタスルナ。行クゾ」

「ああそっか、このあとブリーフィングだっけ」

「わーったよヒョードル! 今行く」

 

 チェスターが立ち上がり、ルイーズもそれに続く。そしてアルタイルが、俺の背中をパシッと叩いた。

 

「行こうぜニケ。俺たちの伝説の幕開けだ」

 

 オオ、ソウカ。

 ヒトマズ俺、ウンコシテクル……

 

 

     *

 

 

 大広間には、すでに大勢の人物が集まっていた。

 

 窓際の壁にはルチアが一人両腕を組み、目を瞑って、佇んでいるのが目に入った。

 向かって左手には不遜な面構えのクルーガーちゃん、またの名をみんな大好きウホウホオラつきマンと愉快な仲間たちがいた。

 しかしクルーガー、こういう時でも律儀に背中に大剣背負ってるんだな……何かシュール。寝るときも、一緒に抱いて寝てるのかな?

 

 あとは魔法使いに騎士と、初めて見るような連中がほとんどだった。男女比は2:1と言ったところ。

 たぶん風水士だろうか。顔や腕に独特のペイントを施し、どこぞの民族衣装っぽい奇抜な紋様の貫頭衣に身を包んでいる奴もいた。

 

 部屋の中心には、円卓があり、地図が広げられていた。上座の位置に、ヌシとガイラルが並んで立っている。

 

「全員集まったようだナ。じゃ、手始めに自己紹介しとくか」

 

 げっ……マジか。俺こういうの苦手なんだよな……結局みんな、当たり障りのないことしか言わないし。

「女子にモテたくて、竜退治始めました! オナシャス!!」とか言ったら、盛大にスベりそうだな……やめとくか……。

 

 勇者になろうとした奴から先に死んでいく。これはそういうゲームなんだと思った方がいい。

 

「改めて、オレはヌシ。バルザック家に仕える者で、種族は見ての通りオークだ。討伐隊の隊長として、クエストを成功に導きたいと考えている。ヨロシク頼むぜ」

 

 そうこう逡巡してるうちに、ヌシが自己紹介を終え、大きな拍手が起こっていた。

 続いて、ガイラルが挨拶を始める。

 

 ん……あれ? この順番で行くと、次は同じα隊の俺かルチアなんじゃね? 

 あっ……

 

「――それと、最後に一つだけ。此度の竜退治、生きて帰れる保障はどこにもない。これは最後通告だ。命を賭ける覚悟のない者は、今すぐお引き取り願いたい。(むくろ)になってから、ガタガタ抜かされても困るのでな」

 

 エクソシストらしいユーモアとも取れる表現ではあったが、お世辞にも冗談には聞こえない。その証拠に、部屋の空気がにわかに重苦しいものとなっていた。

 

「グシシシ! おめえは本当にそういうの好きだよな、ガイラル」

 

 ただ一人ヌシだけが、面白可笑しく笑っていた。あとの皆は一様に「ハハハ……(笑えねえ)」みたいな顔をしている。

 おいどうすんだこの空気……ガイラルてめぇ……。

 

 自分の一つ前の奴が、変化球ぶっ込んできた時の絶望感。割とマジでしばきたくなるよな。自己紹介あるあるの一つですね。

 

「ンーと、せっかくだからα隊から順に紹介すっか。ほンじゃ」

 

 そう言って、ヌシが俺の方を見た。やっぱそう来たか。そう来るわな。

 

 やべーな……時間がなかったから、「ドラゴンに襲われた町とかけて、寄る辺なき無職と解きます。その心は、どちらも等しく『しょうきゃく』される運命でしょう」とか、「おっぱいが好きです。でもそれと負けないくらいお尻も好きです。よく胸か尻かみたいな論争になりますけど、両方愛せる人間が最強だと僕は思うんですよ。それに加えて、僕は鎖骨とかおへそも好きですからね。一部も全部も愛せる、稀代のユーテリィティプレイヤーだと自負しています。オナシャス!」とかクソ中身のない話題しか思いつかん。

 

 しゃーない。

 ここはみんなのためにあえてスベって、緊迫したこの空気をほぐしてやるとするか……

 

「名はルチア。種族はウッドエルフ。職業はレンジャー。ドラゴンを狩るのはこれで三度目だ。よろしく」

「おん? ルチアおめェ、ドラゴンスレイヤーだったンか?」

「いや。別にドラゴン専門というワケじゃない」

「……なんか事情でもあンのか? そもそもお前、この辺りの出身じゃないだろ」

「悪いが、ペラペラと身の内を明かすつもりはない。人の過去には踏み込まない。それが冒険者における、暗黙のルールだろう」

「つれないねえ……まあ、お前が話したくないならいいんだけどよォ」

 

 「経験者か。コイツは頼もしいじゃねえか」、「アイツかい。試験でみんなの度肝を抜いたって奴は」、「しかしあれだけの腕を持ちながら、冒険者ギルドに登録してないとはのう……一体何者なんじゃ?」などと、そこかしこで囁き声が漏れ聞こえた。

 

 …………。

 あのねえ、ルチアくん……君ねえ……

 

 辺りの空気が静かになって、みんなの視線が俺の方に集まり出す。次こそいよいよ俺の番らしい。

 あークソ、えーと……へへ……

 

「ニケです。種族は人間、職業は魔法使い。出身はネウストリア。デバフと黒魔法には自信があります。えー……試験でバルザックさんの森を燃やしてしまったのは俺です。ご迷惑をお掛けした関係者の方々、この場を借りてお詫びさせていただきます。大変申し訳ございませんでした……あの時のガッツと言いますか、向こう見ずな勇気をですね。是非竜退治でも発揮したいと思います。よろしくお願いいたします」

 

 すっと頭を下げると、パチパチとまばらな拍手が起こった。ヌシやアルタイルを始め、人の良さそうな連中が何人か、ふふっと笑顔を浮かべてくれていた。

 

 …………。

 何だろうこの、試合に勝って勝負に負けた感じ……

 

 ザ・無難。

 ニケよ。お前いつから、そんなつまらない人間になっちまったんだ……何だよこの、良くも悪くも社会に丸め込まれた中年親父のようなスピーチは……

 

 そんな風に軽い後悔に(さいな)まれているうちに、どっと笑いが起こった。見ればβ隊の、チェスターだっけか。盗賊風情の野郎が、何か面白いことを喋ったようだ。

 マジかよ……「第一犠牲者発見!」の筆頭候補くさい、あんなクソモブですら笑い取ってると言うのに、俺ときたら……

 

 そんな風に軽い後悔に苛まれているうちに、いつの間にやら最後のδ隊の紹介まで話が進んでいた。自分の出番が終わると、後はクソどうでもよくなってほとんど聞いてない。これも自己紹介あるあるですね。

 

「オシ、じゃ本題行くか。ガイラル」

 

 ヌシの一声で、皆の視線がガイラルへと注がれる。

 

「それでは、本作戦の概要を伝える」

 

 

   *

 

 

「本件のクライアントは、トランシルヴェスタ南部、アルバ・ユリアの自警団副団長のジギスムント。今より一月ほど前、彼は部下二人を連れて、隣町オラデアまで出張した。用務を終え、帰路についたところ、彼は自分たちの町が、煌々と燃え上がっているのを目撃する。慌てて駆けつけるも、建物の多くは炎上し、被害は甚大だった。なんとか生存者を探そうと、部下と手分けして捜索しているところ、彼は一匹の怪物と出くわす――」

 

 ガイラルが、すっと顔を上げる。

 

「それがロイヤルドラゴンだ」

 

 周囲を睥睨しながら、彼は続けた。

 

「一口にドラゴンと言っても、ワイバーンやリヴァイアサンだのの亜種も含めれば、実に様々な個体がいるが……ロイヤルドラゴンは、その中でも高位種に位置づけられる。ドラゴンの中のドラゴン、俗に竜王と崇める地域もあるくらいだ。

 ジギスムントたちは、いきり立って応戦したそうだが……黒鉄(クロガネ)にも匹敵すると言われるドラゴンの皮膚に、傷つけることすら叶わなかった。結果、部下二人は命を落とし、ジギスムントは命からがら村から逃げ出した――」

 

 そして落ち延びたジギスムントは、トランシルヴェスタの首府アラドに向かい、領主に竜退治を懇願したという。

 しかし、十日ほど待たされた挙げ句、トランシルヴェスタ公からの答えはノーだった。ジギスムントは涙ながらにすがりつくも、結果は変わらなかったという。

 

 この辺りは、大陸側に根強い自警の風土と、辺境の田舎騎士の主張がどこまで信用に足るのかという疑いの念があったのだろうとガイラルは言った。

 

 泣き寝入りを覚悟したジギスムントだったが、哀れに思った官吏の一人から、アルルのクラインを頼ればどうかとの助言を得る。

 そして彼は一路、アルルへと馬を飛ばした――それが二週間前の出来事。

 

「大したオッサンじゃねえか。アラドからアルルにたった三、四日でやってくるなんざ、昼夜問わずに馬を走らせねえと無理だぜ」

 

 クルーガーがそう言った。

 地図を見れば明らかだが、トランシルヴェスタはアルルから南下して、東西に長いアンブロワーズ領を縦断したさらにその先にある。

 ざっと四、五百ロキはあると見ていいんじゃないだろうか。ジギスムントがいかに必死だったかがよくわかる。

 

「幸いなことに、アルバ・ユリア以外の集落がドラゴンに襲われたとの報告は、今のところ上がっていない。ジギスムント曰く、ドラゴンは古来より竜の住処とされてきたバスティヴァル山脈に身を潜めているのでは、とのことだが……なんせ、町を一夜にして廃墟にせしめたドラゴンだ。今後、人里を襲わない保証はどこにもなく、その脅威は到底看過できるものではない。

 したがって、アルル統領府はギルドとの合意の下、これ以上被害が拡大する前に、早急に手を打つべきであると判断した。よって、本件は緊急保護案件に指定された。これが六日前の出来事だ」

「緊急保護案件とか言うわりには、決断下すまでに時間掛かりすぎじゃない? いかにもお役所仕事って感じよね~」

「そりゃ、一を見て一を知ることしかできんアホの意見じゃろ。決断には責任が伴うという言葉をご存じか?」

 

 若い女魔法使いルイーズの意見を、同じく魔法使いであるじいさんが一蹴した。

 名は確か……シセルと言ったか。γ隊の隊長だ。

 

「ジギスムントの主張を裏付けるための証拠集めに、調査隊の派遣、討伐隊の編成……考える事は山ほどあったじゃろう。それをたった一週間程度でまとめ上げ、決断にまで至ったのは、非難どころかむしろ讃えるべき行為だとワシは思うがな。軽率な発言は、己の浅慮を示す結果にしかならんぞ。()()()()()

「フン……悪かったわよ。私の想像力が足りてませんでした……じゃあ何? メンバーの選抜にこだわってたのも――」

「ああ。中途半端な部隊を送り出して全滅した挙げ句、悪竜を刺激するような結果になっては最悪じゃからな……多少時間が掛かっても、精鋭部隊を送り出して、確実に駆逐すべきだと、アルル公は考えたのじゃろう。決断とはとどのつまり、何を捨てるかの選択よ」

 

 そう言ってシセルが目配せすると、ヌシが「グシシ……!」と肩を揺らして笑った。

 

「さすがシセルのじいさんだナ。すべてお見通しってワケか」

「ちょっといいか。オレは正直、ドラゴンが町を襲ったってのが、未だに信じられねェんだ」

 

 口を挟んだのは、クソモブ……じゃなかった、チェスターか。

 例の装飾系男子もといチャラ男だ。

 

「ドラゴンは知性の高い生き物で、人間に危害を加えることは滅多にない。その辺のゴブリンだのダイアウルフだのとは訳が違う。魔力に当てられてカンタンに理性を失っちまう、オツムの弱い生きモンじゃねェんだよ。なあヒョードル」

「ソノ通リ。(にわか)ニハ信ジ難イ、ト言ウノガ率直ナ所ダ」

「そんなこと言ったってねえ。事件は現実に起きてるんだし。人間と同じで、ドラゴンの中にだって例外はいるでしょうよ。まして、こんな世の中なんだから、魔物に墜ちるドラゴンがいたって、全然不思議じゃないと思うケド」

 

 魔力泉の暴走が各地で相次ぎ、魔力の濃度が局地的に高まった結果、見境なく人を襲う生物が昔より増えた。そして彼等はいつしか、魔物と呼ばれるようになった――なんて話は、俺もガキの頃から幾度となく耳にしてきたストーリーだ。

 

 個人的にはルイーズの意見に賛成だが、ドラゴンは山岳地域なんかだと、神聖な生き物として信仰の対象にもなってるらしいからな。

 「そんなドラゴンがどうして人を? その心は?」と疑問を持つ者がいてもおかしくはない。

 

「オウ。その辺ハッキリさせるのも、今回の任務なんだわ」

「おいヌシ――」

「いいだろガイラル。察しのいい連中は、言わずとも気づいてるサ。今回のクエストの、裏の目的をナ」

 

 ああ……もちろん、気づいてるぜ。

「お前ら全員、竜退治して女子にモテたいかー?!」からのーーー?! 

「ウオオオオオオーーー!!!!!」だろ。

 

 アホなことを考えている俺をよそに、ガイラルが観念めいた口調で言った。

 

「魔力泉の調査。各地で暴走が相次いでいる魔力泉について、その原因及び影響を究明し、沈静化する方法を模索する……それが今回のクエストの裏の目的でもあるんだ」

「……その言い方だと、すでにホシはついておるようじゃな」

「そのとおりだシセル。我々はすでに現地へ調査スタッフを派遣しており、バスティヴァル山脈における魔力泉の暴走を特定・観測した。同時に、例のドラゴンがそこを住処としていることも、突き止めている」

 

 隊長格数人を除いて、居合わせた全員の顔つきに緊張が走った。

 

「魔力をたらふく喰ったドラゴンが相手ってことか? 聞いてた話と違うじゃねえか」

 

 そう言ったのは、ウホウホオラつきマンさん(男性二十代、職業騎士)。またの名をクルーガー。

 ガイラルは顔色一つ変えずに、彼の方を見た。

 

「想像していた、の間違いだろう。予測できた話ではあったはずだ」

「チッ、一々ムカつく言い方する野郎だぜ……。問題は、ドラゴンが狂うほど魔力の汚染が進んだ地域に、俺たちを踏み込ませるのかって話だ」

 

 ごもっともな指摘だった。

 クルーガーが言う「魔力の汚染が進んだ地域」とは、通称「瘴域」と呼ばれており、濃度の高い魔力は紫と灰が混ざったような色を示すことから、「竜胆(りんどう)域」なんて呼ばれたりすることもある。

 

 種族差・個体差があるのは言うまでもないが、濃度の高い魔力は多くの生物にとって有害であり、頭痛や目眩、耳鳴り、思考力の低下といった症状から、痙攣、錯乱、昏睡、精神崩壊、最悪の場合は死に至るケースもあり得る。

 魔力を源泉とする魔法が、人間にとって過ぎたる力とされる由縁でもある。

 

 現に、人間が中つ国に渡ってきて間もない遙かいにしえの時代においては、魔法の中でも魔族に端を発する黒魔法を忌むべき力として憎悪し、禁忌としていた歴史があるようだ。

 時代が下るにつれ、白魔法と並んで黒魔法も文明の発展には欠かせないものであり、社会と共存させていくべきだとの主張が優り、黒魔法への偏見も次第に和らいでいったそうだが……

 

 まあ何にせよ、神官とは異なり、魔法使いが陽の当たる道を堂々と歩けるようになったのは、長い歴史の中で見ると、割と最近のことなのである。

 大魔導師ノルンの活躍以降と言ってもいいだろう。

 

 ちょいと話が逸れたが、クルーガーの指摘は、皆も思うところがあったようで、不安の声が上がっていた。

 

「おいおい。職業柄魔力の耐性が高い後衛職の連中はいいだろうが、俺たち前衛職はたまったもんじゃないぞ……」

「オーウェンの言うとおりだ。どうすんだガイラル? お前ら一人一人にタリスマン配るから、それで頼むわとか抜かすんだったら、俺は降りるぞ」

「心配いらん。誰もドラゴンの巣穴で戦うとは、一言も言ってない」

「あ?」

「引きずり出すんだよ。敵が手ぐすね引いて待ってる場所に、わざわざ突貫する阿呆がどこにいる。前衛職とはいえ、お前も少しは、足らない頭を振り絞る訓練を積んだ方がいいんじゃないか」

 

 さすがは喧嘩早いクルーガー御仁、席を立ってガイラルとやり合うのかと思いきや、何者かが口を挟んだ。

 

「雨か」

 

 ルチアが言った。

 

「風水士がここにいる意味がようやくわかった。雨中では活動できない、火竜の習性を利用するんだろう」

 

 言葉足らずなその説明に、納得した者三割、未だ頭に疑問符を浮かべたままの者六割、今日の夜飯何食べようかなと考えている奴一割といった感じだった。

 

「コウメイ、チュウタツ」

 

 ガイラルに視線で促され、二人の女性が彼の隣に歩み出る。

 

 方や、黒と赤を基調とした裾長のチュニックのような衣装。長い黒髪は腰元にまで届き、花をあしらった髪飾りをつけている。手元には扇子を持ち、西洋というよりは、大西洋を隔ててさらに極西のトルファンの人間といった印象を受ける。魔法使いというよりは、妖術師とでも言った方が的確だろう。

 

 もう一方は、黒髪を頭の両端でお団子状に束ね、顔や腕にはペイントを施している。イヤリングにブレスレットにアンクレットと数多くの装飾品を身につけ、彩色の派手な貫頭衣に象徴される出で立ちは、南洋の気風を感じる。いかにも風水士といった感じだ。

 

「ここからは私たちが説明させていただきます。先ほども紹介しましたが、私はチュウタツ。隣に立つのが妹のコウメイです」

 

 髪が長くて背が高く、神秘的な雰囲気の方が、姉のチュウタツ。

 髪が短くてちんちくりんで、あとちんちくりんな方が妹のコウメイ。

 

 会釈をすると、チュウタツが話を始めた。

 

「我々二人は討伐隊に採用されたのち、特命を受けて現地の分析にあたっていました。具体的には、先ほどガイラルさんが仰った調査隊から上がってくる情報や地勢図を基に、現地の気候を検証することです。

 目的は、雨。冬になると乾燥した気候が続き、雨量が少なくなるトランシルヴェスタ地方において、風水術により長期間雨を降らせることができるかを確認していました。分析の結果――」

「トウナンの風なのだ」

 

 コウメイが言った。

 

「トウナンからモノゴッツイ風を吹かせて、意図的に蛇行させるのだ。すれば、上空に達した空気が冷えて、雨雲ができる。それをドカンと山にぶつけるのだ。少々強引なやり方だが、海洋に運ばれてきた雪雲が、山を越えて大陸側に雪を降らせるのを気長に待つよりは、タイザンの安きに置ける――なのだ」

 

 ……なのだ?

 なんつーか、姉とは対照的に、異国人らしい独特なしゃべり方にイントネーションだなと思っていると、ヌシが問うた。

 

「おうよコウメイ。ンで、雨はどれくらい持ちそうだ?」

「わっちのキモントンコウを駆使すれば、三・四日は」

「三日続けば……十分だよな? ルチア」

「ああ」

 

 ルチアがうなずいた。

 

「三日も動けないとなれば、腹をすかしてすぐにでも外へ出てくる。空腹で気も立っているだろうから、こちらの挑発にも容易く乗ってくれるだろう。そこを叩けばいい」

「そのとおり」

 

 全員の視線が集まると同時、ガイラルが告げた。

 

「腹をすかせて巣から飛び出たドラゴンを、ランデブーポイントまで誘い出す。そこで一斉に袋叩きにするのが、本作戦の根幹だ」



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24 がちキャン▲

 アルバ・ユリアまでは、およそ十日。

 早馬なら一週間前後の道のりだが、中継地点のアラドからは馬車を引き連れての移動となるので、差し引きで十日になるという計算だ。

 

 例のチュウタツ・コウメイ姉妹の風水術には、シチセイ壇?(ようわからんが、儀式にマストでスペシャルな祭壇らしい)を築いて、三日三晩の祈祷が必要なんだとか。

 

 そのため、二人が属するγ隊は、作戦会議終了後、そのまま現地へと急行した。

 αからδの部隊は、アラドで装備を調えてから、遅れて合流するというスケジュールだ。つまり、俺たちが現地に到着する前後に、ちょうど雨が降り始めるという計算である。

 

 そんな訳で、後続する三隊は道中急いだ所で詮がなく、これから皆で仲良くぶどう狩りにでも行くのかというくらい、のんびりしたペースでの旅路が続いた。

 

 街道沿いの宿駅を利用しつつ、アンブロワーズを通過して、アルルを発って五日目にトランシルヴェスタの首府アラドへと到着。

 

 先行していたバルザック家の別働隊から、食料や霊薬に弓矢といった物資が積み込まれた荷馬車を受け取り、休む暇もなく、アルバ・ユリアへと向かう。隊長格の話し合いで、β、α、δの順に出発することになった。

 

「てめェの所のヤマを解決してやろうって来てんのに、ロクに歓待もなしかよ。これだから田舎者は……」

 

 と、例のオラつかずにはいられない二十代・男性・職業傭兵がまたぞろ文句を垂れていたが、さもありなん。

 ちゃっかり通行料をせしめたどこぞのアンブロワーズと違って、フリーパスなだけ有り難いと思えということなのか、あるいは……賢者曰く、タダより高いものはないと言うからね。何か裏があるような気がしてならない。

 

 アラドを離れ、視界を高い山々が埋め尽くすようになった七日目に、初めて野営(キャンプ)を行うことにとなった。

 

「ここから先は、たぶんずっと野営続きだな」

 

 馬上のルチアが、下馬した俺に向かって言った。

 

「トランシルヴェスタは、アヴァロニアの中でも指折りの田舎だからね……一口に六大諸侯といっても、各々の経済力には大きな隔たりがある。街道の整備一つ取っても、こことアルルじゃ雲泥の差だ。まして農作物も取れない冬となると、人の往来もぐっと減るだろうし、まともに営業してる宿駅なんて、この先ないと思った方がいい」

「宿駅以前に、そもそも本当に人が住んでるのか疑うレベルだけどな。獣しかいないんじゃねーの」

 

 ルチアが珍しく鼻で笑った。

 

「言えてるね」

 

 スタッフと共同作業でテントの設営を終えると、その辺の森から適当に木の枝を集めてくる。

 簡易魔法で火をつけると、炎がぼうっと勢いよく燃え出した。

 

 ふーっと深呼吸をついて、石の上に腰を下ろす。

 ふと隣を見れば、ルチアが薪をナイフでさらに細かく切って、丁寧に木組みしてから火をつけていた。手元には後でくべる用に、大きめの木を残している。

 

 マメなやっちゃな……どうせ冬で乾燥してるしすぐ燃えるんだから、そんなもん適当でよくない? 

 この辺り、露骨に性格が出ますね……

 

 まあ性格の話をするなら、同じたき火を囲もうっていう発想がお互い皆無な時点でもうね。グループなのにソロ。ダメだコイツら、まるで協調性がない……

 

「あンだお前ら、そんなとこでチマチマと。どうせだからこっち来いよ」

 

 全然ゆるくない俺たちのガチキャンパーぶりを見かねたのか、ヌシに声を掛けられる。見れば、俺やルチアの数倍のデカさはある焚火を作っていた。

 おいおい……火の精霊でも召喚すんのか? やっぱ図体がデカいと、サイズの基準が人間やエルフとはまるで違うんだな……

 

「僕はいい。ようやく火が安定してきたんでね」

「遠慮すんな。おめェらの分のメシも用意してある」

「いや、遠慮も何も、自分の分は自分で用意するよ……」

「あンだよ。エルフには、皆で同じ釜のメシを食うって文化はないのか? 寂しい種族だねェ」

「ベタベタするのが嫌いなだけだよ」

 

 火を育てることに熱心なルチアさんを尻目に、俺はさっさとヌシが待つ焚火の方へ向かった。

 ガイラルの隣に腰を下ろすと、丸太のトーチ? のようなものを渡された。六等分に切れ目の入った丸太の内側から、炎がぼうぼうと立ち上っている。

 なんぞこれ。

 

「変わってるだろ。カルマルトーチという。針葉樹の多い私の故郷では、一般的なトーチなんだ」

「へえ……出身はどちらなんで?」

「ノルカ・ソルカさ。先の大戦で著しく評価を落とした先代騎士王のお膝元と言えば、ピンと来るだろう」

「ああ、あの……何でそこからまたアルルに?」

「アタラクシアの修道院を出たあとは、私も冒険者をやって、パーティを組んだりもしてたんだが……紆余曲折あってね。ソロで各地を転戦してるときに、とあるミッションでヌシと一緒になって、バルザック家に仕えないかと誘われたんだ。そして今に至る」

「へえ……じゃあ、ヌシとは付き合い長いのか」

「そうだな。かれこれもう、組んで五年くらいにはなるか……専ら護衛や怪物退治を生業にしてきたが、お互いしぶとく生き長らえているのには、我ながら感心するよ。昨日隣で同じ釜の飯食ってた奴が、次の日には冷たい骸になってるなんて、この仕事じゃザラだからな」

 

 そうこう話しているうちに、ルチアが現れた。

 ヌシとの押し問答の末、観念してぼっち飯をあきらめたらしい。殊勝なことだ。ぼっち飯は俺の専売特許だからな。

 

 ルチアは片手には金属製のグラスを持っていた。もうもうと湯気が立ち上っている。

 

「お? 酒かソレ?」

「そんな訳ないだろ。白湯に、カモミールのハーブを濾したものだ」

「飲み物まで堅苦しいンだナおめェは。修行僧かよ」

「うるさいな」

「俺の分はねェのか?」

「ある訳ないだろ」

 

 ヌシが「グシシシ……」と歯を見せて笑う。

 そしてデカい酒甕から、盃に豪快に酒をついだ。見た目に似合わず、中身はワインのようだ。怪物の生き血でも啜ってるのかと思ったよ。

 

「なんだよ。じゃあ酒が飲めるのは、俺とニケだけか」

「四六時中、葬式の時ですら酒を飲んだくってる種族は、人間とオークくらいのものだよ。品性を疑うね」

 

 トンガリ☆ボーイのトンガリ発言はさておき、「はて?」とガイラルの方を見ると、

 

「ん? ああ、飲めないんだよ私は。北方人のくせに、情けないことに下戸でね。ニケはどうなんだ」

「俺はまあ、吐いてからが勝負と思ってる程度には嗜みますよ」

「それ、嗜むって言っていいのか?」

 

 そう言ってルチアが冷めた目を浮かべると、ガイラルが鼻で笑った。

 

「ノルカ・ソルカには、酒との付き合い方と、恋人との付き合い方は概ね一致するという格言があってな」

「でもよガイラル。それって、おメェみたいに全く飲めないヤツの場合はどうなるンだ?」

「さあな。所詮酒飲みが考えたことだ。度し難いという点以外は、極めて度し難い」

 

 ヌシから酒を頂戴し、盃を交わす。それから、少し早い夕飯にありついた。

 

 塩漬けした肉や、魚の燻製を火であぶったものに、キャベツやニンジン、タマネギにカブにソーセージに豆類を煮込んで、香辛料で適当に味付けしたスープ……

 

 オークの飯と言うからには、豪快に骨付き肉でも食うのかと思ったが、意外に凝った飯で驚いた。ヌシったら、見かけによらず、違いがわかる男なのね……

 特にスープはダシの味が絶妙に出ており、即席にしては上出来すぎる。

 

「そうだ。スープにコイツを入れてみっか」

 

 そう言って、ヌシが袋から取り出したのは、真っ赤な……野菜? 中央に緑色のヘタがあることから、植物であることは間違いなさそうだが……

 

「何だそれ」

「トメイトゥーだ」

「トメイトゥー?」

「大航海時代に、南洋から中央大陸(セントレイル)に入ってきた植物らしいんだが……食用として栽培されるようになったのは、比較的最近だから、ニケが知らねェのも当然だわな。ザクソンとか大陸南部じゃ、一般的な食べ物になりつつあるんだがな」

「ほぅ……旨いのか?」

「スープに入れると、甘みと酸味が増して、いい刺激になるぜ。ホレ」

 

 ホントか? 赤い食べ物とか、視覚的に抵抗があるんだが……

 疑い半分で隣を見ると、ガイラルが無表情にトメイトゥー入りのスープをすすっていた。

 

 まあ、マズくはないんだろうな……

 騙されたと思って、スープを一飲みする。すると――

 

 ンマァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーイ!

 

「……旨いな、コレ」

「だろ?! ホレ、ルチアも騙されたと思って飲ンでみろよ」

「断る。そんな得体の知れない赤茄子、毒でも入ってたらどうするんだ」

「その赤ナスを、俺らはもう胃袋に収めちまったんだが……」

「オークや人間には無毒でも、エルフにとっては有毒かもしれないだろ。酒や魔力だって、種族によって耐性違うんだし」

「んなことねェと思うンだがなァ……」

 

 ヌシが身体に似合わず、しょんぼりした表情を浮かべている。

 

 まあエルフってのは、純血であればあるほど、保守的で閉鎖的な種族として有名だからな。

 長命で賢いと、昨今の生き馬の目を抜くような変転目まぐるしい世界は、色々考えること多くて大変なんだろう。いっそ外界を拒絶して、見ざる・言わざる・聞かざるを貫く方が賢明という判断も、あながち間違いではないのかもしれん。

 現にエルフの純血種は、第一次東征終結後に起きた「ハーシェルの反乱」以降、人間との協調路線を放棄して、自分たちの本拠であるダーク・ヘッジスに引きこもっちまったし……

 

 昔、母さんが教えてくれたっけな。

 エルフの文明嫌いは、形あるものはいずれ必ず崩れ去り、すべては等しく土に還るという伝統的な価値観が根底にあるんだとか。Everything is ephemeral.

 要するに、「いずれ死んだら全部なくなるのに、何をそんなにあくせく生きてんのお前ら。馬鹿なの?」ってことなんだろう。

 

 達観しすぎて、俺にはよく理解できん境地だが。

 しかし、賢さの行き着く先が全ては無意味って、儚すぎやしませんかね……やっぱ、長生きなんざするモンじゃねぇわ……

 

「なにほくそ笑んでるんだ? ニケ」

「いや……何でもないよルチア」

 

 星が瞬き、焚火の爆ぜた音がする。

 鈴虫が鳴き、夜も更けて、ほのかに酔いも回ってきた頃、不意にガイラルが立ち上がった。盃を手にしたまま、微動だにせずヌシが問う。

 

「どうした?」

「ワーグだ。結界にかかった」

「近いのか?」

「いや……」

 

 ガイラルは北西の方角に目を凝らしてから、言った。千里眼暗視モード発動中だ。

 

「離れたようだ。反応があったのは二匹。近くに群れらしき気配はないが……」

「そろそろヤツらが殺気立つ時間帯だね。群れを引き連れてくると厄介だ。今日は交代で番を立てた方がいいだろう」

 

 ルチアの忠告に、ヌシが両肩をすくめて嘆息する。

 

「俺は索敵なんて器用なことはできンぞ。魔法はからっきしでナ」

「わかってるよ。だから、僕とガイラル、ニケで交代して警備する。その代わり、事が起きたら真っ先に戦うのがヌシの役割だよ」

「ムゥ……今日は寝付きのわりィ夜になりそうだナ……」

 

 夜警だって?

 さも当然のごとく、結界を使える前提で話を進められたが、索敵だのの補助魔法は、君ら神官やレンジャーの得意分野だろうに……

 

「どうしたニケ。索敵は苦手か?」

 

 よほど嫌そうな顔をしていたのか、ガイラルがそう言った。

 そうだね。自宅の警備は得意なんだけど、ちょっとこういうのはね……

 

「できるっちゃできるんだが……まあその、あまり得意ではないというか……」

「煮え切らない男だな。何だったら得意なんだ」

 

 うるせーなこのトンガリ。俺が得意なのは自宅警備だって、さっきから言ってるだろ。

 

 ったく、しゃーねーなー。

 未熟なルチア君に、ニケ先生の有り難いご高説を聞かせてやるとしますかね……

 

「いいかルチア。完璧で万能な魔法使いなんてこの世に存在しない。にもかかわらず、世の多くの人々がそんな幻想を無邪気に信じているのは、東洋魔術が、どんな系統の魔法にも精通していることを理想としてきたからなんだ。いわば、ゼネラリスト志向の広さ重視。これに対して西洋魔術は、スペシャリスト志向の深さ重視。現にアイゼンルートでは魔法を属性や系統ごとに細分化して、分業制を確立した。連中はそういう軍隊を作ることで、歴史を変えた。近年西洋魔術が急速に台頭して、東洋魔術が時代遅れの遺物と非難されるようになった理由に、ウイッチクラフトの発明を挙げる奴らが多いけど、それは理由の一部であって全部じゃない。万能を追い求めた結果、浅さばかりが目立つようになった東洋魔術のアンチテーゼとして機能した、思想的背景があったからに他ならないんだ」

「……ふーん。で?」

 

 で? っていう……は? 

 困惑する俺にとどめを刺すように、ルチアが言い放つ。

 

「自分の得意分野だけ極めたいなら、さっさとアイゼンルートに留学でもしたらどうだ? 今ならまだ勝ち馬の尻にだって乗れるし、良いことずくめじゃないか」

「…………」

 

 (しこう)して、俺は天を仰ぐ。

「霜草は蒼蒼として、蟲は切切。村南村北、行人絶ゆ。独り門前に出でて、野田を望めば……」と胸中で詩を吟じてクールダウンを図る俺を尻目に、ガイラルが苦笑交じりの顔を浮かべた。

 

「しかしまあ、平和が唯一の取り柄とまで言われていた田舎のトランシルヴェスタにも、当たり前のようにワーグが出るようになったとはな……時代は変わったよ」

「だナ。俺らがガキの頃は、街道のど真ン中でも、鼻ちょうちん膨らませて堂々と昼寝できたのによ。今じゃどこ行くにしても、町の外を出れば、真っ先に魔物を警戒しなきゃいけねェ。息苦しい世の中になっちまったモンだ」

「それだけ魔王の勢力が増長してきたということなんだろう。イリヤ教団が目くじらを立てて、勇者の擁立を急かすのも無理はない」

 

 予期せぬ単語に、盃を口元に運ぼうとした手が止まる。

 ふと、隣のルチアが、嘆息混じりにこぼした。

 

「神に選ばれし勇者、クロノアか……正直、気の毒な立場ではある。父親の失敗を帳消しにするための、政治の道具にされた感が否めない」

「そうだな」

 

 ガイラルがうなずいた。

 

「十年前の二次東征は、結果として東洋の権威を大きく失墜させてしまった。敗戦はもちろん、東征にかかずらってる間にアイゼンルートの台頭を許してしまったのは、痛恨の失策だろう」

「アイゼンルートに関しては仕方ねェだろ。当時は西洋の一小国に過ぎなかったンだぜ。競馬で言うなら、ブービー人気の馬がぶっちぎりで優勝したようなモンだ。あそこまで化けるなんて予想できた連中はいねェよ」

「確かにな。連中の成功過程は、あらかじめそうなることが決まっていたかのような、劇的勝利の連続だった。一軍官から皇帝にまで上り詰めた男、クラウス・フォン・クラウゼヴィッツ――奴は本当に、中つ国の歴史を塗り替える男なのかもしれん」

 

 アイゼンルート皇帝、クラウス一世か……

 西洋から遠く離れたネウストリアにまでその名は轟き、当世の傑物(カリスマ)とされている。

 

 何でも奴の配下には、炎・水・風・土・氷・雷それぞれの属性を代表する超一流の魔術士が集っているという。

 確か六神将とか六大術士とか六歌仙とか……いや六歌仙はないか。兎にも角にも、クラウスがエレメンタルマスターと呼ばれる由縁でもある。

 

「ニケ。お前はロゼッタの出身だったな。実際のところどうなんだ? ネウストリアは今度こそ本気で、魔王を潰そうとしているのか? アイゼンルートが虎視眈々と東への進出を窺っている目下の状況で、魔王討伐に固執している場合かとの声も聞くが」

 

 ガイラルに訊かれて、答えに窮する。

 いや当然だよ。いくらネウストリアの人間って言っても、俺は政治家でもなければ、教団の人間でも軍人でもないし、そんなこと知らんわ。

 

 でもそんなこと言ったら、また隣のルチアさんに「このポンコツ」とか言ってディスられるし……何なの? ルチアくん、君は僕の上司なの?

 

「これは俺の個人的な見解なんだが……勇者クロノアを擁立し、三次東征に集中するように見せかけて、アイゼンルートを開戦に誘導する罠なんじゃないかと思う。そうすれば、大義名分は東側にあることになるから」

「真の目的は陽動、ということか?」

「ああ。今真っ向から東と西がぶつかったら、おそらく東は分が悪い。なぜなら、旧態依然として凋落甚だしいアヴァロニアと違って、アイゼンルートの革新的な強さは誰もが認める所だし、何より彼らには勢いがある。時代が彼らに味方しているようにさえ映る。こんな状況で、東側が勝つためにはどうすればいいと思う?」

 

 したり顔でそう言った俺を、三人は三者三様の反応で見つめる。

 一人は眉間に皺を寄せ、一人は興味なさげにハーブティーを口にし、一人はハナクソをほじった。

 

 やがて、ガイラルが言った。

 

「我関せずと静観を決め込んでいる連中を、いかにして東の陣営に引きずり込むか……そんなところか?」

「さすが。そのとおりだ」

 

 口角を上げ、俺はうなずいてみせる。

 

「アイゼンルートは人間中心主義の国家だ。彼らが天下を取れば、非人間種の待遇は著しく低下し、弾圧の対象となる恐れすらある。必然、エルフやドワーフ、オークといった非人間種の勢力は東側に味方せざるを得ない。この『せざるを得ない』状況をいかにして上手く演出するかが、アヴァロニアにとっては極めて重要になる。

 つまり、西との戦争は、アイゼンルート対世界。かつての覇権国家が、ぽっと出の得体の知れない野蛮な帝国から、中つ国を守るための戦争という構図を作り出すことができれば、戦局は一変して、東洋の勝機は格段に跳ね上がるはずだ」

「なるほどな……そうすれば、相手が同じ種族であっても大義名分のある戦争になる。つまり」

 

 ガイラルが口元に手を当て、渋い顔を浮かべた。

 

「アヴァロニアは今までどおり、中つ国の守護者を気取れる訳か」

「ああ。俺の読みが正しければ、アヴァロニア陣営はすでに第三勢力以下を味方につけるべく、水面下で動いているはずだ。いつ、アイゼンルートが攻めてきてもいいように……」

 

 何よりそういう工作が三度の飯より好きな男が、ネウストリアには一人いることを、俺は知っているからな……

 表向きは「魔王の倒し方、知らないでしょ? オレらはもう知ってますよ」という絶対魔王殺すマンの顔をしておきながら、裏では周到に粛々とアイゼンルートをぶっ潰すための計画を練っている。いかにもあのギルドマスターが考えそうな手段だ。

 

 ヌシが盃を置いて、フムフムと小刻みに首肯した。

 

「しかしそうなると、ますますエフタルの出方が重要になってくるナ。エフタルがどっちにつくかによって、戦争の流れは大きく変わりそうだ」

「アイリス女王の心中お察しする、と言ったところか……東西いずれにつこうが中立を決めようが、自国が戦場として踏み荒らされるのは避けられないだろうしな。気の毒な立場ではある」

「ルチア。エルフのお前も、他人事じゃないンじゃねェか。時代は今、大きなうねりの中にあるンだぜ」

「……悪いが、興味ないね」

 

 ルチアはかじかんだ手を焚火にかざし、無表情に言った。

 

「僕には関係のないことだよ。魔王という脅威を前にしてもなお、一つにまとまることができず、同族同士で殺し合いを続ける人間の愚かさには、情趣すら覚えるけどね」

 

 相も変わらず、トンガリらしいトンガった見解ではあったが、正直同感だった。

 味方が団結するための最高のアイテムは、共通の敵の存在だなんて大嘘だよな。どこの平和ボケしたバカがそんなこと抜かしやがった。現実はお前の脳味噌ほど単純じゃない。

 

「……夜も更けてきた。そろそろ寝る準備をするか」

 

 ガイラルのその一言で、その場はお開きとなり、銘々が片付けを始める。

 ちなみに夜の番は、くじに負け、午後十一時から午前二時という一番中途半端な時間帯を任せられることになった。

 

 …………。

 

 おうちに帰りたい。



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25 現地到着

 翌朝は、ルチアに起こされて目覚めた。

 

「おい起きろ。いつまで寝てるんだ」

 

 まさかコイツに起こされる日が来るなんて……我ながら、一生の不覚。

 寝ぼけ眼で支度を始めると、俺の寝床にふさわしくないフローラルな香りがした。一言でいうと、女子の香り。俺の持ち物で女子の香りがするものなんてあるはずもないので、そうなると答えは一つ。

 

 アイツか?

 

 鞍袋に荷物をまとめているルチアの周辺を、これといった用も無いのにクンクンとうろついた結果、俺は確信した。

 やはりアイツだ。

 

 えぇ……野郎のくせに香水とか、気取りやがってこの小僧……

 臭さ全開の俺を少しは見習えよ。いや、全開なのは臭さじゃなくてキモさの方だったか。訂正。

 

「風が、昨日より強く吹いているな……」

「風?」

「東南の風だよ。感じるだろ。この季節にはない風だ」

「おお、言われてみれば……風水術が上手くいってるってことか」

「ところでニケ、少し気になってたんだが……」

「あん?」

「お前の左手に付けている指輪、どこで手に入れた?」

「どこもくそも……母親の形見なんだが。何で?」

「いや、変わった魔石だなと思って……」

「だろ? 俺もこれが何なのか知らねえんだわ」

「知らねえって……は? お前は効能も知らない魔導具を使ってるのか?」

「別にいいだろ。こんなもん所詮ただの補助装置(ブースター)なんだから。ファッションだよファッション」

「……呆れた。まあこんな調子じゃ、僕の勘違いだろうな……」

 

 ルチアは何やらブツブツ言っていたが、大して興味もなかったので、ハナクソをほじっていた。

 

「ところでおい。準備はできたのか?」

「あ、すまん……まだだ」

「まだ? さっきまで何やってたんだよ……」

 

 ブツブツ言いながら、ルチアはテントの撤収を手伝ってくれた。何なら俺がのそのそ着替えてる間に全部やってくれたまである。

 あ、ありがとうなんて絶対言わないんだからね! ばか!!

 

 一面にぶどう畑が広がる景色の中、旅路は続く。

 今さらな話で恐縮だが、俺は自分の馬を持っていないので、ヌシとガイラルに事情を話し、特別にバルザック家から馬を拝借している。

 さすがバルザック家御用達ということもあり、聞き分けの良い賢い牝馬で、久しく乗馬から離れていた俺でも、すぐに勘を取り戻すことができた。

 ただ、久しぶりすぎて、ケツが痛いのが悩みの種だ。ジンジンしやがる……余りの痛みに、このまま二つに割れそうな勢いである。これが本当の半ケツか……

 

 ちなみにこの話をヌシに切り出した際、たまたま居合わせたルチアに、「旅人なのに馬を持っていない? 冗談だろ?」と言われた。

 むろん冗談ではないので、「歩くのが好きなんだよ」と返すと、「つまらない冗談はよせ」と言われてしまった。「つまらない冗談はよせ? 冗談だろ?」と言って、話を無限ループさせてやろうかこの小僧。

 

 やれやれルチア君……そんな風に最短距離ばかりで生きていたら、見えてるはずの物まで見落としちまうぜ? 周回遅れの余り、見えない敵とばかり戦っている男からの貴重なアドバイスだ。

 

 アルバ・ユリアが目前に迫った九日目の宵、雨がちらつき始めた。

 同行するスタッフから次々と歓喜の声が上がる。どうやら、コウメイ・チュウタツ姉妹の風水術が、無事成功したようだ。

 

「これであとはドラゴンを上手く引きずり出せるかどうか、だな」

 

 全くもってガイラルの言うとおりなのだが、雨脚が徐々に強くなってるような……

 

 俺の不安は的中し、小雨はあっという間に叩き付けるような強烈な雨へと移行した。みるみるうちに雨水が大地に染みこんで、水たまりがそこかしこにできる。雨はやがて夜更け過ぎに、みぞれになりそうな案配だ。

「コウメイ、ちょっと頑張りすぎちゃったのだ。テヘッ☆」ってことなのかな。

 へっ、意外と可愛いところあるじゃねーか……

 

「こりゃもう、アルバ・ユリアまで強行軍をかけた方がいいんじゃないか。野営をするには危険だ」

「ああ。ルチアの言うとおりだが、俺たちが行けば後続するδ隊が孤立すンぞ」

 

 別に孤立したらいいんじゃね、どうせウホウホオラつきマンさんの隊でしょ……と思ったが、そうこうしているうちに、後ろから早馬の姿が見えた。

 

「δ隊より伝令です! α隊は後ろを気にせず、先に行ってくれとのことです」

「先に行け? どういうことだ。アイツらはこの天候で野営するつもりなンか?」

「はい。何でも同伴する魔法使いのテレサが、雨露をしのげる結界を作ることができるそうで」

 

 ほあー……そりゃまた便利な……

 などと呆けた顔をしていると、ルチアに脇腹を小突かれた。

 

「ニケはそういうの使えないのか」

「たぶん、守護結界の応用だと思うが、使える以前にそういう発想がなかったから……どうだろうな」

「要するに、今すぐは使えないんだな」

「そのとおり」

 

 チッと舌打ちの音が聞こえた気がした。雨音の中に隠した、巧妙な舌打ち。

 おいボウズ。隠すならせめて、恋心とかにしとくんだな……

 

「行こう。強行突破だ」

 

 ルチアの一声で、指針は決まった。

 豪雨でぬかるんだ悪路を脇目もふらず駆け抜け、飛ばしに飛ばした結果、夜中の三時頃に、俺たちはようやくアルバ・ユリアへ辿り着くことができた。

 

 

    *

 

 

 村はドラゴンの襲撃を受けたということもあって、ひどい有様ではあったが、建物の大半は全壊を免れていた。問題ない。廃屋だろうが幽霊屋敷だろうが、風雨をしのげる屋根と壁さえあれば十分だ。

 篝火が見える方向に馬を向けると、先遣隊のスタッフ並びにγ隊のイケルのじいさんが出迎えてくれた。

 

「じいさんとはいえ、ずいぶん早起きなんだな」

 

 ふおっふおっふおっと言って、イケルが笑った。

 

「この雨じゃから、強行軍をかけるだろうと思うてな。寝ずの番で待っておったんじゃ。ほれ、こっちへ来い。風邪をひかんよう、魔法で温めてやるぞい」

「すまん。頼むよ」

 

 シセルは掌に小さな光の玉を作り出すと、その玉を巧みにコントロールして、俺の腕から足、足から背中へと眩い光を照射していく。

 すると、見る見るうちに衣服の湿り気が取れていった。簡単なように見えるが、熱量を適度に調節するのは相当難しいはず。器用なじいさんだな……

 

 ヌシとガイラルは、アルタイルとシセルを交えて話し込んでいた。

 ふと、ルチアの方を見ると、

 

「な、何だよ……ジロジロ見るなってば」

 

 ジロジロって、まだ目が合ってから0.3秒くらいしか経ってないんだが……

 俺は見たものを即座に石化させる怪物か何かなの? なるほどどおりで、ロゼッタにいた頃は、みんな俺と目を合わせてくれなかったのか……

 

「ルチア。そなたもこっちに」

「僕はいいよ。自分で乾かすから」

「ほおん? 向こうに温かいスープを用意しておる。そなたも後で来るがよい」

「ああ……ありがとう」

 

 ルチアはうなずき、テクテクとどこかへ消えていった。何だ? うんこでも我慢してたんか? 

 

 それから俺はイケルと共に、討伐隊の本営がある建物へと向かう。

 ひび割れたステンドグラスに、所々崩落した石造りのドーム。奥に見える、右腕がもげた巨大な女神像。ここがかつての教会なのだということは、すぐにわかった。

 

 祭壇の前に、篝火が見える。

 その火を囲むように、チェスター、ルイーズらβ隊改めウェイ組の面々が見えた。俺が来たことに全く気づいていない。

 ムダにデカい話し声に、それぞれが右手に持っている盃を見て、大凡の事情は察した。

 

 いっつも思うけど、コイツら陽キャラの体力は底なしだよな……長旅で疲れ果てたあとに、どうしてそんなに騒げるんだよ。酒でバフかけてんのか? 

 ドドスコスコスコ〜ドドスコスコスコ〜ドドスコスコスコ〜♪ バフ注入♡

 

 そもそも女神像の前で酒盛りとか、罰当たりにも程がありませんかね……

 

「あ! アルタイルが帰ってきたわ~。ヌシにガイラル、おっつかれさまー!!」

 

 物理的な距離としては、俺が前にいてヌシやガイラルは後ろにいるはずなのに、当然の如くルイーズに無視された。

 コイツ、マジで俺のことスタッフの一人と勘違いしてるんじゃなかろうか……確かにモブ顔や、察せられないスキルには定評があるこの俺だが……

 

 朽ち果てた礼拝堂のベンチに腰掛け、イケルがよそってくれたスープをすする。玉葱をワインやら塩やらで煮込んだスープだ。先日のトメイトゥー入りのスープには劣るが、即席のキャンプメシとしては上出来な部類だろう。

 ややあって、シセルが戻って来た。

 

 じいさん二人に囲まれる俺。

 道中も野郎ばかりの旅路だったし、ここ最近女子力の枯渇が深刻である。麗しきソフィーお嬢様やライラと毎日のようにお話出来てた日々が、今となっては奇跡のように思える。

 情けない話だね。失ってからようやく、二人の大切さに気づくなんて……。コイツいっつも失ってから気づいてんな……

 

 「コウメイとチュウタツは?」と訊くと、シセルがグラス片手に応じた。

 

「もう寝てしもうたよ。姉妹で代わる代わる、三日三晩寝ず喰わずで祈祷を続けていたからのう。アレはなかなか根性のある娘たちじゃ」

「何を感情移入しとるんじゃジジイ。お前に娘はおらんだろうが」

「うるさいのう。おらんからこそ、こみ上げるものもあるだろうて」

「それを言うなら、第一娘じゃなくて孫の年代だろが」

「さっきから揚げ足ばかり取ってくるのう、このクソジジイは」

「お前もクソジジイだろが」

「おお?!」

「ああ?!」

 

 じいさん二人が年甲斐もなく言い合ってるのを見て、思わず吹き出してしまった。

「仲が良いんですね」と言うと、「「腐れ縁の間違いじゃろ」」とピッタリ息を合わせて返してきた。やはり仲は良いらしい。

 

「そうじゃニケ。こんなタイミングで訊くのもなんじゃが……試験のときに見せたおぬしの火炎球(ファイアボール)、アレは見事じゃった。して、アレは純粋な東洋魔術の術式ではなかろう? ワシの目はごまかせんぞ」

 

 そう言ったシセルの瞳を、俺は繁々と眺める。

 なるほど、やはり玄人が見ればすぐに看破されるか……

 

「ええ、違いますよ。俺の攻撃魔法のベースは、大部分を陰陽道から持ってきてるんで」

「陰陽道って……南洋のか」

「はい。陰陽道のフォーマットに、西洋や東洋の型を調味料みたいに継ぎ足してるイメージです。別に攻撃魔法に限った話じゃなくて、俺の魔法は大体そんな感じですよ。良いとこどりのツギハギ。人によっては、邪道以外の何物でもない」

 

 ほほうと感心の声を上げたのは、イケルだった。

 

「面白いことをやるヤツじゃのう。まさに型破りと言ったところか」

「じゃがニケ……おぬしはネウストリアの人間じゃろう。どこで陰陽道など学んだのだ?」

「師匠がいたんです。陰陽道出身の」

「師? 名は?」

「エンジュ。エンジュ・アテナ」

「……聞いたことがないのう」

「でしょうね。世間的には無名なんで。母の古い友人で、直接教わったのは、半年くらいの短い期間でしたけど……お二人は確か、ガラテアの出身でしたよね」

「そうじゃな。あんまし愛着ないけど」

「ワシはシセルとちごうてあるけどな」

「おいジジイ。毎度毎度後出しジャンケンみたいに、ワシの逆を行くのはやめんかい。卑怯じゃぞ」

「卑怯も何も、虚心坦懐に語ったまでよ」

「虚心坦懐の意味、知っとる?」

「……ガラテアと言えば、史上最年少で即位した騎士王が有名ですよね。実際、どんな方なんですか? 今は確か、二十歳くらいになってるはずですけど」

 

 俺の問いに、シセルとイケルが互いに目を糸のように細める。

 五秒ほどの沈黙のあと、シセルが言った。

 

「騎士王な……一言でいうと、ギャルじゃ」

「ギャル?」

「ああ」

 

 イケルが慇懃にうなずいた。

 

「ピチピチの、ギャルじゃ」

 

 いや、そんな力込めて言われても……

 騎士王がピチピチのギャル? 何というパワーワード……果たしてこれは、育成成功なのか失敗なのか。いや、俺的には間違いなく大成功なんだけどよ。

 

 そのときだった。

 不意に、床の上の備品がカタカタと揺れ、地響きのような重低音が周囲に伝った。

 

「何だ、地震か?」

「いや、ドラゴンの叫び声じゃ」

 

 俺の疑問に、シセルが応じた

 

「これでもう何度目になるかのう……よほどこの雨が気にくわないと見た。相当怒っとるぞアレは」

「まるでウンコをきばっとる時のお前みたいな声じゃな」

「じゃかましいわ」

「……襲ってきやしませんかね」

「心配ない。火竜は雨中で活動できんし、麓に討伐隊が集結しとるなんざ気づきようもあるまいて」

 

 ふーん……まあそれだけゴキゲンナナメなら、ガイラルの作戦も上手く機能しそうだな。

 

 スープの残りを飲み干すと、酒盛りをしている連中をよそに、スタコラサッサ。礼拝堂のバックヤードに用意された寝床に入って、長き一日の疲れを癒やすこととした。

 

 ちなみに女子は別部屋らしい。ガッカリ。

 まーた野郎だらけの花園かよ……これじゃ竜退治しても女子にモテる訳がない。ムキムキなオークに鬼の副官、トンガリエルフやジジイにばかりモテちまうよ……

 

 ガイラル曰く、明日はオフにするから休養に充てろとことなので、全力で惰眠をむさぼらせてもらうことにしよう。しかし休むのも仕事のうちとか、俺は仕事のために生きてるのか? 強くなることが、いつの間にか手段から目的にすり替わっていた戦士のような虚しさを感じる。

 あっ、明日って言ったけど明日じゃなくて、もう今日じゃねーか。クッソ……気付いたらもう朝とか、どんだけ働かされとるんだ俺は……ブツブツ。

 

 おやすみ。

 

 

    *

 

 

 翌朝は、アルタイルに起こされて目覚めた。

 

「起きるんだニケ君。いつまで寝てるんだ」

 

 寝ぼけ眼で上体を起こすと、そして誰もいなくなっていた。

 

 何だこのホラー。俺が一番早く寝たはずなのに……

 アルタイルがいなかったら、俺だけ世界に取り残されたのかと錯覚しちゃうところだったぞ……まあ精神的な意味では、確かに取り残されてるんだが。

 

「もうみんなとっくに起きてるぞ。δ隊もすでに到着している」

 

 アッハイ……それはまあどうでもいい知らせだな……

 細やかな雨音が、外から聞こえてくる。懐中時計で確認すると、午前十時過ぎだった。確か寝たのは四時くらいのはずだから……あれ? 言うほど寝てないな。

 つまり、俺より遅く寝たはずなのに、先に起きてる連中がおかしい←結論。

 

「ニケ君。準備ができたら、少し付き合ってくれないか」

 

 付き合う? ダメだ。俺はお前みたいな優男じゃなくて、ゴライアスみたいな無骨な男の方が好きなんだ。

 ハッ、俺は一体何を……いかん、まだ寝ぼけとるな……

 

「ヒョードルに面白い場所を教えてもらってね。廃墟探索と行こうじゃないか」



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26 雨、無音、廃墟にて

 アルタイル曰く、昨晩には激しく降り続いていた雨も、朝が近づくにつれ穏やかになったそうだ。今ではしとしと細い糸のような雨が大地を濡らしていた。

 

 廃墟に降る雨とは、なかなかどうして心揺さぶられるものがある。

 

 昨晩は真っ暗でほとんど全容が把握できなかったが、俺が思っていた以上に村はかつての原形を留めており、ドラゴンの襲撃により壊滅した村と言うより、人が去って生活の音が途切れてから百年ほど放置された村と言った方が的確なように思えた。

 

「竜神信仰って知ってるかい?」

「聞いたことはあるが、詳しくはないな」

「バスティヴァル山脈は、太古の時代からドラゴンが住まう土地として知られていてね。ドラゴンがこの辺りの空を飛んでいるのは、ごく日常的な光景だったそうだ。ドラゴンは決して人に危害を加えることはなく、次第に人々は、ドラゴンがこの土地を守ってくれていると考えるようになった。トランシルヴェスタは平和が何よりの取り柄って、君もそんな言い回しを聞いたことがないかい?」

 

 俺はうなずいた。

 

「この地に天災や争いが少なく、作物は実り、凶暴な獣が寄りつかないのは、すべてドラゴンの加護のおかげ。人々のドラゴンに対する畏敬の念は、やがて宗教という姿に形を変えて実を結んだのさ」

「土着神ってヤツか。東洋じゃ珍しいな」

「そうだな。一神教のイリヤ教団が根を張ってる東洋だと、影でこういうローカルな信仰が共存し続けた地域は稀と言ってもいいかもしれないーー着いたぞ」

 

 坂を上り、案内された場所は、小高い丘の上に立つ半壊した神殿だった。

 討伐隊が本営に使っている礼拝堂より、規模も大きく、建築の様式も独特というかローカルだ。装飾や紋様が質朴としていて、イリヤ教団のそれと異なる。

 

 室内は薄暗かった。

 天井の一部が損壊しており、室内の一部に大きな水たまりができている。

 

 瓦礫の山を踏み分けてしばらく進んだ先で、アルタイルがパチンと指を鳴らした。掌から小さな光の玉がふわふわと浮かび上がり、辺りを眩く照らし出す。

 簡易魔法のトーチだ。

 

「ここだ」

 

 照らされた光の先に、地下へと続く螺旋状の階段が見える。足下が覚束ないので、俺もまた簡易魔法でトーチを作った。

 ぐるぐると五周くらい回って、ようやくブーツのつま先が地面を掴んだ。

 

「……洞窟か?」

「ああ。こっちへ」

 

 アルタイルの後に続いて、洞穴のような地下道を進む。

 地下ということもあって、襲撃の余波がここまで及ばなかったのか。あるいは魔術の力か……道の脇に並ぶ松明がまだ生きていたのが、この場の不気味さを逆に際立たせていた。

 ふと、奥に扉が見える。

 

 ぎいっと湿り気のある軋みと共に、開いた扉の先は、ここだけ日中かと見紛うほどに明るかった。それもそのはず。おびただしいほどの数の燭台に煌々と火が点り、洞窟の壁面に刻まれた巨大なレリーフを照らしていた。

 

「これは……見事な壁画だな。ドラゴンを祭ったものか」

「そうだ」

 

 アルタイルがうなずいた。

 

「ヒョードル曰く、あえて地下に作ったのは、イリヤ教団の目を避けるためだろうと。つまり、異教徒に対する弾圧が厳しかった、いにしえの時代に描かれたものと見て間違いないそうだ。彼は民俗学者でもあるからね。元々はカタコンベとして使われていたんじゃないかとも言っていた」

 

 ヒョードルって、あの亜人の?

 へぇー、意外だな。そういう方面に明るかったとは……

 

「でもこれ……ドラゴンに生贄を捧げている場面にしか見えないんだが」

「そのとおり。いわゆる人身御供(ひとみごくう)ってヤツだよ」

「うえっ。マジか……」

「ま、東洋じゃそれが普通の反応だよね。でも、自らが信仰する神に対して人身を供物として捧げるっていう風習は、世界的に見ると珍しくも何ともないんだぜ。生贄として選ばれることが名誉とされていた地域だってあるんだから」

「名誉?」

「ああ。その地域では、死イコール神の世界に踏み入ることを意味する。つまり、神々に下僕として仕えるにふさわしい者を送り出すことが、下界に生きる人間の使命と考えられていたんだ。そのため、生贄候補なる子供たちは幼少期から大切に保護され、一定の年齢に達するまで英才教育を施される。そして厳選に厳選を重ねた上で、神の国へと送り出される……そして生贄を輩出した一族は、神に近しい人間を輩出した誇り高き一族としての名誉を得るーーそういうシステムさ」

 

 システム。

 ほーん、システムねえ……んな野菜の出荷みたいに言われても。トコロ変われば常識も変わるというか何というか……

 

「んで。アルバ・ユリアはそんな前時代的な風習を、未だに続けていたのか?」

「いや。さすがにそれはないと思う。こういうのは時代と共に疎まれ、人形などの代用品を捧げるようになるのが一般的だとヒョードルも言っていたし」

「んじゃ、ドラゴンはそれに怒ったんかね」

「ん?」

「自然を敬意の対象ではなく、支配の対象として見るようになった人間どもへの警鐘として、見せしめに町を破壊したんじゃないの。知らんけど」

 

 何か格好つけた言い方をしてしまったが、要はこういうことだ。

 

 

送信元
りゅうおう
件名
最近私の求心力低下が半端ない件について
本文
もう我慢できない! 昔は毎年若い娘を生贄に差し出してくれたのに、

去年に至っては人間の頭に見立てたまんじゅう一つ……もういい加減にしてよ!  

これが神に対する仕打ち? 私だって、怒るときは怒るんだから!  

今に見てなさい、人間ども!!  

 

 

「……君は面白い見方をするんだな。アルバ・ユリアには、ドラゴンにまつわるこんな寓話があってね」

 

 口元を微かに綻ばせて、アルタイルが言った。

 

「村の代表として、生贄に選ばれた美しい娘がいた。しかし彼女には、永遠の愛を誓い合った恋人がいた。村の掟は絶対で、二人にはどうすることもできない。結局二人は、駆け落ちする道を選んでしまう」

「わかった。怒ったドラゴンが、その後村を焼き払うんだろ? よくある筋書きだ」

「いいや、そこは少しひねっていてね。困った村は、逃げた娘の妹を生贄として差し出すことにしたのさ。当然、選ばれた娘は困惑する。なぜなら彼女にもまた、永遠の愛を誓った恋人がいたからだ」

 

 FUUUUU……まーた永遠の愛ですか……

 どいつもこいつも、永遠なんて所詮はまやかしってのが、この寓話の裏テーマかと疑いたくなるレベルでホイホイ誓ってやがんな。

 

 当然、選ばれなかった男は困惑した。なぜなら彼は、いい年こいて失って困るものが何もなく、この世界から早急に消え去りたいと願っていたからだーーとかいうアナザーストーリーが裏で展開しててもいいんじゃないの?

 あっ、これ俺の話(以下省略)

 

「娘は最終的に、村のために犠牲となる道を選んだ。哀れなのは残された男の方だ……最愛の人間を奪われ、悲しみに暮れた男は、復讐を選択するのさ」

「復讐って何に?」

「世界にだよ」

 

 アルタイルは言った。

 

「男はその後、ドラゴンに告白する。村が嘘をついて、別の娘を差し出したこと。そのせいで、自分は最愛の人間を失ったこと……そして自分たちの保身のために、神さえも平然と偽るこの村には、天罰を下すべきだと。ドラゴンは彼の申し出を承諾し、一夜にして村を焼き尽くしてしまうーーやがて夜が明け、焼き尽くされた故郷の村を見たとき、男は我に帰るんだ。ひょっとして、自分はとんでもないことをしでかしてしまったのではないか? 何もここまでやる必要はなかったのではないかと……そして何より、亡くなった自分の恋人は、こんな結末を望んでいなかったはず……。

 激しい自責の念に駆られたあと、男はようやく、これが罰であったことに気づく。本当に身勝手であったのは他の誰でもなく自分自身であったのだと理解させるために、ドラゴンは自分の願いを受け入れたのだと、彼は悟ったんだ」

 

 炎に照らされた壁画をじっと見つめながら、アルタイルは告げた。

 

「深く反省した男は、その後改心して、竜神信仰の伝道者として生涯を捧げる道を選んだ。話はここで終わる」

「むう。いまいちスッキリせん結末だな」

 

 口元に手を当て、俺は言った。

 

「まず、最初に駆け落ちした二人は一切お咎めなしってのがモヤってするし。そもそも、この寓話のテーマは何なんだ? 個人的には、罪と罰的な話かと思っていたんだが……その割には、物語の着地点がちぐはぐな感じがするんだよな」

「ほう。鋭いね」

「鋭い? どういう意味だ」

「実はヒョードル曰く、この寓話は、歴史のある段階で結末が書き換えられたみたいなんだ。つまり、別の結末があった。当初の設定では、ドラゴンは男の申し出を承諾しなかったそうでね」

「ほう……そいつは面白い」

「ドラゴンに願いを聞き入れられなかった男は、さらに絶望を深め、自分の力で復讐を成し遂げようと誓うんだが……するとどういうことか、彼の身体はどす黒い闇に包まれた。そして意識を取り戻したとき、彼の目の前には焼き尽くされた故郷の村があった。なぜーーそう思うと同時、彼は気づくんだ。自分の身体が、すでに人間ではなくなっていたことに。あろうことか、彼の身体は、ドラゴンへと変貌を遂げていたーー」

 

 ポチャリと水滴が垂れ落ちる音が、洞窟内に反響する。

 外ではまだ、雨が降り続いているらしかった。

 

「すでに復讐の虜となっていた男は、やがて人間としての理性を完全に失う。破壊と殺戮のみを願う化け物と化してしまう。これが世に言う、悪竜の起源とされている……その一文を最後に、話は幕を閉じる」

 

 炎が揺れて、その影も静かに揺れる。

 洞窟に延びた自分の影をぼんやり見つめながら、やがて俺は言った。

 

「俺の性格の悪さも手伝っているんだろうが……すまん。個人的には、その結末の方が好きだわ」

 

 アルタイルはハハッと声を出して笑った。

 

「君ならそう言うような気がしたよ」

「でも、どうして書き換えたんだろうな。さすがに後味が悪すぎるからか?」

「そうだな。権力者が竜神信仰にまつわる話に結びつけたかったってのもあるだろうし……ちなみにヒョードルは解釈の余地が大きすぎるから、と言っていたよ。普通寓話ってのは、子供でもわかるような単純なストーリーラインに、ありがちな教訓で締めるものだけど……当初の結末だと、一番の悪者は誰なのか判然としない。登場人物誰の視点に感情移入するかで、物語の解釈が如何様にも広がり、教訓の部分を受け手に委ねすぎてしまう嫌いがある」

「要するに、寓話にしては生々しすぎるってことか。わかりやすい勧善懲悪ではない」

「そのとおり」

「しかしどちらの設定にしろ、最初に駆け落ちした二人がお咎めなしなのが残念だな……諸悪の根源がのうのうと生き長らえている辺りは、確かにリアルで評価できるんだが」

 

 アルタイルは再び声を出して笑った。

 

「君は妙にそこにこだわるんだな。俺は、二人にも十分罰が下されてると思うけど」

「罰? 何の?」

「例えば……生き延びた二人が、のちに真実を知らされたとしたらーーどうだろう?」

「んなこと、この寓話は語ってないだろ」

「だから例えばって言ってるだろ? 自分たちの代わりに誰かが犠牲になり、挙げ句村が滅んだと知れば……少なからず、彼らは罪の意識に苛まれるだろうね。そいつをずっと背負ったまま生きていかねばならないってのは、ある意味で死より辛い罰だと思うよ」

「どうかね。永遠の愛だの何だのほざいて、何もかも放り出して逃げ出すような連中は、そもそもそういう発想がないんじゃないの。二人だけは例外的に、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしとでも言われた方が、万倍納得できるわ」

「君は本当に、人間嫌いなんだな……人間なのに」

「ああ。否定はしない」

 

 両肩をすくめる俺の隣で、くっくとアルタイルが苦笑する。

 

「そうやって色々考えさせるところが、この話が創作ではなく、実際にあった話なんじゃないかと一部で主張されている理由なんだろうね」

「実際にあった? 人間が悪竜に化ける話がか?」

「そこはさすがに、何らかのメタファーなんだと思うけど……その一点に目を瞑れば、中々に人間臭い話だと思わないか? 少なくとも、俺はそう感じたよ」

 

 否定はできなかった。

 牛が嘶き馬は吼え、悪徳は良識を駆逐する。昨日までの善人が、些細なことをきっかけに、簡単に悪しきへと流れてしまう。

 

 それが人間という種族だ。

 

 そういう意味ではこの寓話は、人間という種族の特徴を端的に示しているのかもしれない。

 

「ま、真実がどうあれ、俺たちには知りようがないけどね……今となってはもう、全て土の下だ」

 

 ぽつりとそう零したアルタイルの言葉が、胸中にわだかまる。

 外ではまだ、雨が降り続いていた。



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27 決戦前夜

 小雨舞う中、翌日は戦場の視察が行われた。

 例のランデブーポイントである。腹を空かせたドラゴンをこの谷底平野に誘い出し、フルボッコにするのだ。

 作戦の流れは、おおまかに次の通り。

 

 ①ドラゴンが巣から飛び出すと同時、戦闘スタッフが狼煙を上げる。

 ②気流の流れに乗って、南下してくるであろうドラゴンを、各隊のサイドアタッカーが攻撃し、注意を引く。

 ③谷底に降り立ったドラゴンを、総力戦でしばき倒す。

 

 ②まではいいのだが、問題は③だ。

 誘い出すとはイコール、こちらに地の利があるということなのだから、コイツを利用しない手はない。要するに罠だ。

 賢明な諸君ならすでにお気づきであろう。そうです。デバフ大先生のご登壇です。

 

 実を言うと、今日の視察は俺にシセル、チェスターにテレサと、各隊でデバフに心得のある連中が、前もって「罠」を張っておくのが最大の目的だったりする。

 

 魔法には、時限式というプログラムが存在する。

 名前のとおり、あらかじめ仕掛けておいた魔法陣に踏み入った瞬間、起動して「ドーン!!」ってなるヤツだ。「ドーン!!」の種類は、どういう魔法を仕掛けるかによる。

 

「クケケケ……起動する瞬間を思い描くと、ワクワクして仕方ねェな……」

 

 嬉しさの余り、心の声が漏れ出ていたらしい。

 

 顔を上げた瞬間、δ隊のテレサが真顔で俺を見つめていたことに気づく。同じくδ隊で、女戦士のベアトリクスと、コンビで旅を続けている魔法使い……だったような気がする。

 年頃は、俺と大差ないように感じる。同じ女魔術士といえど、ルイーズのようなアート(笑)な感じではなく、知的で落ち着いた雰囲気の女性だ。どこぞの財務官僚と名乗られても違和感がない。

 

 彼女は眼鏡のブリッジに手を当てると、俺に言った。

 

「ニケ。そう言えばあなた……ロゼッタの出身だったわよね。ドロシーのこと、知ってる?」

「お?」

 

 知ってるも何も、俺はアイツのファンクラブ会員第九号、十傑のうちの一人「キモさ余って憎さ百倍、漆黒の弾丸(ダークネス・ブレット)ことニケ」とは俺のことだぞと言いたかったが、冷静に考えなくても気持ち悪いのでやめておいた。

 

 まあ実際、ファンって表現が的確かどうかはわからんが、魔法使いとして彼女が非常に魅力的な逸材であることは事実だ。

 恵まれない体格から、あらゆるクソみたいな魔法を過去にするパーフェクトな魔法……ありとあらゆる魔法に精通した、東洋魔術の理想を体現したような奴だからな。

 言うなれば、ロマンの塊。

 

 別に俺に限った話じゃなくて、同業者の魔法使いなら、多かれ少なかれアイツに憧れや畏敬、あるいは嫉妬のようなものを見出すはずだ。

 早い話が、無関心の範疇に留めておくことができない。天才の定義の一つなのかもしれんな。

 

 何よりアレでまだ十代前半ってのがね……未だ発展途上とか、ロートルの魔術士からしたら勘弁してくれよって話だ。

 恵まれない体格の方も、あきらめなければまだまだワンチャン……

 

「知ってるよ。向こうは俺のこと知らないから、要するに他人だけど」

「そう……あなたといいドロシーといい、ネウストリアの魔法使いってのは、徒党を組まない者ばかりなのかしら。良くも悪くも、古き良き時代の魔法使いの在り方に忠実というか……まるで尻尾が掴めやしない」

「ん? どういう意味だ」

「言葉通りの意味よ。ある日突然、降って湧いたように現れては、突然消えたりする……二年前彗星の如く現れて、ギルドの魔法使いクラスでいきなりランク一位になったときも驚いたけれど、今回はあの時以上ね」

「……すまん。さっきから何を言ってるのか、さっぱりわからないんだが」

 

 趣味のデバフいじりから手を離し、デバフおじさんこと俺はその場から立ち上がる。

 目が合って二秒、テレサが信じられないような面持ちで言った。

 

「あなた、まさか知らないの? ドロシーが、行方をくらましたって」

「へ?」

「確か、二週間ほど前だったかしら……ドロシーが突然ギルドから登録を抹消して、ロゼッタから姿を消したの。事実上、勇者の仲間になることを辞退したって。ロゼッタや大陸の魔術協会は、今その話題で持ちきりらしいわ」

「……え? マジで……でも何で」

「それがわからないから、みんな騒いでるのよ。ごめんなさい、てっきり知っているものだとばかり思っていたから」

「……」

 

 考えれば考えるほどに、わからない。

 アイツは順当に勇者の仲間になって、行く行くは四大英雄(仮称)の一角として名を連ねるのだろうと思ってただけに、この知らせは衝撃的だった。

 

「これから先の人生を考えたとき、本当にこのメンバーでいいのか。自分の居場所はここでいいのか。ここにいて、自分は自分のやりたい魔法を奏でることができるのか。人間性や感性、人生観のズレ……贅沢な悩みであることは重々承知しています。わがままと言われても仕方ないと思います。でも、自分と真剣に向き合った結果、向き合えば向き合うほどに、脱退という選択肢しかない、という気持ちが自分の中で大きく、そして強くなっていきました。一度しかない人生、こんな私の決断を尊重してくれたメンバーの皆には感謝の気持ちしかありません。本当にありがとう」ってことなのか?

 

 いや、そもそもやめてどうするつもりなんだ。

 せめて仕事にありつけている今この瞬間だけでも、精一杯マウントを取らせてもらうぜ……持たざる僕から、持てる君へと捧ぐこのエール。聞いてください。

 

 はーい、はい! はい! はい! はい! はい!

 無職! 無職! やーいやーい無職! 無職! 無職! やーいやーい無職! 無職!  無職! やーいやーい無職!(※以下無限リピート)

 

 っておいコラ。

 

「悪い。世情には疎いモンで、全く知らなかった……教えてくれてありがとう」

「いえ……私も何か知ってたら、って思っただけだから。同じはぐれ魔術士同士、もしかしたらって……ごめんね。作業中のところ、邪魔しちゃって」

 

 そう言うと、テレサは踵を返し、トラップ設置の作業に戻った。

 

 同じはぐれ魔術士同士、ね……

 いいこと教えてやるよテレサ。ぼっちとぼっちが交わることはない。なぜなら、俺たちはぼっちだからだ。Q.E.D.

 

 さて、俺も日課のデバフいじりに戻るかと思ったところ、ガイラルとシセルが何やら話し込んでいる。

 

「こんな想定でええか、ガイラル? あんまり数打ちすぎても、万一白兵戦に突入したときに、前衛が誤爆してしまう可能性があるじゃろ」

「そうだな。場所と種類だけ、遺漏無く伝えてくれ。前衛に覚えさせるから」

「アルタイル辺りはともかく、他の連中は覚えられるんか? はっきり言ってアホそうなんじゃけど」

「覚えるんじゃない。覚えさせるんだよ」

「……数減らそうか?」

「……。いや、そのままでいい」

 

 今一瞬考えたな、ガイラル……

 

 シセルのじいさんも、中々に毒舌じゃないか。

 確かに、ヌシを筆頭に討伐隊の前衛は、「戦うことは、暴れることと見つけたり」みたいなパワー系の連中ばっかりだしな。一個くらい誤爆しても、「あちゃー……まァ人生そういうこともあるわナ」くらいにしか考えてなさそう。

 頭の小回りが利きそうな前衛って、割とマジでアルタイルとヒョードルくらいしかいないんでは……

 

 まあそれもこれも、時限式の使い勝手の悪さに由来している。

 発動条件は、陣に踏み入ること。シンプルに、それだけ。特定の誰かが踏み入ったときにだけ発動するなんて便利なアルゴリズムは、残念ながら発明されていない。

 だから、味方の仕掛けた時限式を踏み誤って前衛が負傷するなんて事例が、戦場じゃ頻発する。魔法使いと戦士の因縁を増長させてきた要因の一つとも言える。

 

 また、一度仕掛けた陣は、時間が経てば自動的に消滅するが、術者の意志で任意に発動させたり、停止することはできない。

 解除は理論上可能だが、仕掛けた罠が高度であればあるほど、それに比例して時間はかかる。複雑で頑丈な錠前ほど、解除に時間を要するのと同じだ。魔法の世界は、創造より破壊の方がずっと困難であることが多い。

 

 一応、任意で発動できる術式もあるにはあるのだが(猶予式という)、これは仕掛けてからせいぜい数十秒の範囲でしか留め置くことができない。

 したがって、今回のような「ドラゴンさんいらっしゃい」の状況だと、時限式がベストな選択肢となるのだ。

 

「ニケ。終わったか?」

 

 ぼけっと突っ立っていたら、ガイラルに声を掛けられた。

 

「とりあえず、あそこと、そこ。一時間後に有効化して、大体二十四時間後に消滅するよう設定してる」

「種類は?」

「まずあっちが、干渉束縛妨害抑圧混沌の全部乗せ」

「全部乗せ?」

「といきたかったんだが、ここで過剰に魔力割くのもどうかと思ったんで、断腸の思いで抑圧をチョイスした」

「……抑圧って、束縛とは違うのか?」

「全然違う。抑圧は上から来る感じ。束縛は主に横、時々下からも来る。人間関係で言うなら、上司や目上からの嫌がらせが抑圧で、同僚や親類、友人とのしがらみが束縛だ」

「やけに具体的だな……もう一つは?」

「攻撃魔法の時限式を仕掛けておいた。属性は土。拘束するには氷が一番向いているが、火竜が相手だし、その次に向いてる土にしといた」

「なるほど。了解」

 

 何かもっともらしいことを言ってしまったが、本音を言うと、俺には氷の時限式なんざ難しくて、到底扱えない。

 言ったじゃろ? 氷は水の次に苦手だって。水が苦手なら、水の派生である氷が得意なワケがない。

 

 氷といえば、御前試合でドロシーさんが、氷の刃を無数に作り出して自在に操作してたけど……あんなん俺には絶対できん。さらっとやってたけど、あれハイパーウルトラ高度な技術の寄せ集めだからな。職人芸と言っても差し支えないレベル。

 

 第一、氷と雷は、制御が鬼のように難しいのだ。

 メチャクチャ曲がるがゆえに、かえって使い勝手の悪い変化球みたいなモンだ。その分ハマれば、それ一つだけで無双できるくらいに強いんだけど。氷と雷が、上級者向けと言われる由縁でもある。

 

「それより。川上の方は大丈夫なんか?」

「ああ。さっき伝令からヌシの報告が上がってきた。予想以上の雨量で、はち切れんばかりだそうだ」

「ほう……コイツでカタがつけば、御の字なんだがなあ」

「全くだ。戦いなんざ、戦わずに済むのならそれに越したことはない」

 

 足下の干上がった川から視線を上げ、俺は西の空を見上げる。

 連日の雨は、昨日から小降りになっているものの、空が腹を空かせたかのように、雲の隙間から雷鳴を轟かせていた。風の流れが変わってきている。

 

 決戦の時は近い。雷雲が去れば、明け方過ぎには青天が広がるだろう。

 

     *

 

 決戦の時は来たれり――

 

 と言いたかったが、実際には中々来てくれなかった。

 理由は簡単。俺のスピリッツがソウルブレイクしたからだ。要約すると、緊張して寝付けなかった。

 

 こりゃダメだ、一旦起きて外の空気でも吸ってこようと思い、俺はモソモソと寝床から這い出る。

 討伐隊の皆は、夜回りのスタッフを残してスヤスヤグゥグゥと眠っていた。緊張で寝付けないチキンはどうやら俺だけらしい。

 ちなみにヌシは、イビキがうるさすぎるという理由で、初日早々別の部屋に追いやられている。

 

 礼拝堂を出ると、満点の星空が迎えてくれた。東の空に浮かぶ月。南の空に瞬く星座は、冬の五角形か。

 久方ぶりに拝んだ雲一つ無い空は、胸が空くくらいに美しい眺めだった。

 

 吐く息は白い。

 空気は肺の底が冷たくなるくらいに澄んでいて、もうとっくに冬が来ていたんだなと実感させられる。そりゃそうだ、もう12月だもんな。

 ここ最近、忙しなく行動していたせいか、時が過ぎ去るのが無性に早い。季節の巡りが異様に長く感じた無職時代とはエラい違いだな……

 

 そうやって、物思いに浸っていたのも束の間。

 妙なノイズが耳を伝った。

 

 まさか……幽霊? 屍鬼(グール)の類いでもうろついてるんじゃなかろうな……

 言うなればこの村は、古戦場のようなものだ。大規模な戦いが起きた場所は、得てして現世に未練を残した兵士の亡霊や、屍肉を貪るアンデッドのたまり場となりやすい。

 ゆえに現地の人間は聖職者に頼んで、霊を弔ってもらうと同時に、屍鬼を寄せ付けないよう結界を張り、大地の汚れを祓ってもらうのが、いにしえよりの習わしだ。

 

 現にアルバ・ユリアも、先遣隊のスタッフが、被害状況の調査の際に、村人の死体を回収し、穢れを払う儀式を速やかに行ったとガイラルから聞いている。

 

 まさかな……と思った矢先、また雑音が聞こえた。

 よっしゃ寝るか!! という訳にもいかなかったので、というか放置したままでは俺のチキンハートが朝までギンギンなこと必定だったので、仕方なく音のする方へ向かうこととした。

 万一に備えて用心深く、無音の歩み(ウォーカーインザダーク)を発動して、物影をそろりそろりと移動する。

 

 すると――

 

「あれは……ルチアか?」

 

 目を凝らした先には、紛うことなきトンガリの姿があった。さらに奥には……スタッフの女性がいた。姿を見るたび、丁寧に会釈してくれる人だったから、はっきりと印象に残っている。

 

 ……。

 アイツら、こんな時間に何してんだ? てか、あのトンガリ、夜な夜な女の子と逢引きとはどういう了見だ。野郎だらけの花園で息が詰まりそうな俺とは対照的に、いいご身分じゃねえかああん?

 寝床でアイツの姿を全然見かけないなと思っていたら、なるほどそういうことかよ……しかもこんな人目をはばかってコソコソ……クソ!! くやしい!!

 

「……全く、厄介な案件を掴まされたもんだ」

「まあまあ。だからこそ、あの御方は貴方を派遣したんでしょう」

「良いように使われてるだけだろう」

「フフフ……でも、気になりますね。ルチアさんの言うことが本当なら、この事件は相当根深い……アルル公も慎重になる訳です」

「あの男は大したタヌキだよ。おそらく全て勘付いて、知らぬ存ぜぬを貫き通そうとしてる。六大諸侯なんて、権威だけが誇りの出来損ないの集まりと思っていたが、あいつは別格だ。敵に回すべきでない人物とは、ああいう手合いのことを言うんだろうな」

「ヌシさんやガイラルさんにも、真意は伝えていないと?」

「おそらく全てはね。ガイラルはともかく、ヌシは芝居ができる性格じゃない」

 

 二人とも小声なのもあいまって、さっきから何の話をしているのか、イマイチ聞き取れない。

 とりあえず、「ルチアきゅん……いや、もう少しだけ側にいさせて……」といった胸糞案件でないことは理解したが……

 

 長い沈黙の後、女性が口を開いた。

 

「……どうすれば」

「そんなの決まってる。僕らも予定通り、与えられた仕事を忠実にこなすまでさ……いいか。くれぐれも、余計な気は起こすんじゃないぞ」

 

 ルチアが、いつになく真剣な声色で言った。

 

「敵はもう、()()()に紛れてるかもしれないからな」



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28 VS悪竜戦① ~アミューズからのオードブル

 翌日明朝。

 結局あれから一睡もできなかった……と言いたいところだが、存外グッスリ寝られた。

 

 俺もアホではないので、今回のクエストが胡乱な事件であることは百も承知してる。当然、トンガリの素性が怪しいことだって察しているし、アイツが暇つぶしの気まぐれにこのクエストに参加したのだろうと無邪気に信じるほど、ピュアな人間でもない。

 

 トンガリもトンガリなりに背負う立場があって、このクエストに参加していると考える方が、どう考えたって自然だわな。これがきな臭い事件だというなら、なおさらそうだ。

 

 しかし、だからと言って、俺にそれ以上どうしろと言うのだ?

 

 俺は名探偵でもなければ、物語の主人公でもない。ましてコイツは仕事なのだ。下手に首突っ込んで、余計なことに巻き込まれるとかマジで勘弁願いたい。

 早い話が、「もう我慢できん、こんな所にいられるか! 俺は(実家の)部屋に戻るぞ!」と怒り狂うのも一興なら、「よくわかったな……俺が真犯人だと」とハナクソほじって屁こくのも一興という訳だ。

 

 そんな訳で、大人しく開き直ることにした。

 ルチアの言う敵とやらが何なのかはわからんが、あの言い草だと即座に害をなすものではないのだろう。彼にとっての敵対勢力に与する者が討伐隊に紛れ込んでるとか、その辺かね……まあ何にせよ、蚊帳の外の俺が取り越し苦労をしたところで意味がない。

 

 パチンと両の頬を叩いて、今は目の前のバトルに集中集中……と念じる。

 すると、隣にいるコウメイがにへらと笑った。

 

「気合い入ってんなーニケ。百パーセント勇気、もうやりきるしかないのだ」

 

 何言ってるのかよくわからんので、申し訳ないがスルーする。

 しばらく林に身を潜めていると、木々の合間から、西北の空に狼煙が上がったのが確認できた。ドラゴンが巣を飛び立った合図だ。

 

「なあコウメイ。ずっと思ってたんだが……川辺に置いてある、木彫りの像みたいなのは何だ?」

「よくぞ聞いてくれたニケ……あれぞボクギュウリュウバなのだ」

 

 あーそれな、ボクギュウリュウバねボクギュウリュウバ。だと思った~最近流行ってんよね~超ウケる~……って、わかるか。

 

 一見すると荷車なのだが、前部が牛の頭のように尖って、後部が馬のケツようにしなやかなフォルムをしている。あれぞトルファン三千年の歴史がなせる神の御業……沈々とした趣を感じるぜ。沈々?

 眉間に皺を寄せたまま笑顔を浮かべるというよくわからん表情をしていると、前列のチュウタツが補足してくれた。

 

「まあその、説明が簡単すぎて逆に難しいんですが……あれでドラゴンの注意を引けたらいいなっていう……」

「え? それだけ?」

「一応、触れたら起爆する呪符を仕込んでいます……そうじゃないと、ガイラルさんの許可が下りなかったので」

「ドラゴンは牛さんや馬さんが好物なのだ。きっと引き寄せられるに違いないのだ」

 

 ワクワクウキウキ、子供のように嬉々としたした表情を浮かべるコウメイを見て、俺は思った。

 コウメイお前、実はとんでもないバカなんじゃ……

 

「さて、そろそろですよ……目標確認、およそ三千メルト先」

 

 千里眼を行使して、チュウタツが言う。

 俺の目には、言われてみたら何かおるなくらいにしか映っていないが、彼女の視界は、すでにはっきりとドラゴンを捉えているのだろう。

 

 五秒後、地響きのようなドラゴンの雄叫びが聞こえた。

 

「……始まったか」

 

 作戦は第二フェーズへと移行する。

 α隊のルチア、β隊のチェスター、ルイーズ、γ隊のイケル、δ隊のオーウェンたち馬上のサイドアタッカーによる一斉射撃が始まった。

 

 彼らの目的は、陽動。

 弓や魔法による遠距離攻撃によってドラゴンを挑発し、昨日仕掛けたトラップ地帯へと誘導するのだ。

 

 ドラゴンの叫び声と前後して、爆音や破裂音がこだまし、黒煙が舞い上がる。味方の魔法か、ドラゴンのブレスによるものか、この距離からだとイマイチ判然としない。

 そして徐々に、確実に、蹄鉄の音がこちらへ近づいてくる。

 

「友軍右からβ、α、γ、δ……扇状に展開。目標接近、およそ五百メルト。到達までおよそ三十秒」

 

 黒煙の帳を破って、味方が次々姿を現す。ここまで近づけば、自分の目でも姿が追える。δ隊のオーウェンが離脱し、継いでγ隊のイケルが横道に逸れる。

 遅れて、真打ちがおいでなすった。

 深紅の鱗に、馬鹿でかい翼。獰猛さを象徴する、鋭き爪と牙。大気が震えるくらいに馬鹿でかい咆哮は、見る者に戦慄を刻む。

 

 ドラゴンのお出ましだ。

 

「でけぇ……」

 

 これほど近い距離でドラゴンを見るのは初めてだったので、まともに聞いてると頭がイカれそうになる雄叫びよりも、その堂々たる巨躯に目が行った。

 優に十メルトを上回る大きさだ。ヌシの五倍、ゴライアスのおよそ七倍と言うとわかりやすいだろうか。いやわかりづらいよ。

 

「目標接近、およそ二百メルト! 残り十秒で到達!」

 

 その辺りで、β隊のチェスターとルイーズが手綱を捌いて、旋回するように馬の進路を変える。ドラゴンが反応し、ルイーズの方へと向かった。

 

「ちょっと! 何で私の方に来るのよ~!」

 

 ルイーズが何やら叫んだと同時、先頭を走っていたトンガリ……じゃなかった、ルチアが巧みに背面騎射。

 目元に刺さって、ドラゴンが急停止。一段と甲高い声で鳴く。

 

「お前の相手はこの僕だ。巨大トカゲ」

 

 カッコつけやがって……ムキー!! と地団駄を踏みたい所だが、現実にはドラゴンの鳴き声がうるさすぎて、ルチアが何言ってるんだか全く聞こえなかった。

 という訳で、さっきの台詞は僕の想像です。実は何も言ってないまである。

 

「いった~い! もう許さないんだから!!」とばかりにドラゴンが方向転換、ルチアへと牙を剥く。

 翼が一段と大きく動いて、その風圧で周辺の木々がよろめいた。

 

「来ます! ニケさん、コウメイ、予定通り準備を!」

「いつでもいけるぜ」

「オーキードーキー、なのだ」

 

 先ほどの一幕で、開いたはずの距離が、みるみるうちに縮まっていく。全速力で駆けるルチアと、追いかけるドラゴンの距離が、刻一刻と近づいていく。 

 逃げ切るか、食われるか――

 

 喉がひりつくような緊張感が走ったあと、まばゆい閃光が炸裂する。

 刹那、ルチアの乗馬が踏んだ罠が起動。

 魔法陣から〈門〉(ゲート)が展開し、一人と一匹の姿が突如として消える。

 

 瞬間移動(テレポーテーション)

 

 ルチアが踏んだ――正確に言うとわざと踏んだ罠は、ガイラルが事前に張っておいた時限式。すなわち転移魔法だ。

 転移魔法の発動により、ギリギリまでドラゴンを引きつけたルチアが、脇の林に緊急離脱。奥に控えるトラップ多重地帯に、ドラゴンを突っ込ませる。

 

 言葉で説明すると、造作もないことのように聞こえるが、むろんルチアの卓越した馬術と、冷静な判断能力があってこその賜物である。

 忌々しいけどあのトンガリ、有能なのよね……忌々しいけど。

 

 久方ぶりの乗馬でケツが割れるとか抜かしてた俺には、到底できん芸当だ。たぶん俺がやったら、目標まで残り千メルトくらいで落馬してその辺の石に頭打って死んでる。

 

 ドラゴンは唐突に消えたルチアに驚き、慌てて急停止しようとする。

 狙い通り。

 さーて、ここらで我らが鬼の副官、ガイラルの言葉を思い出すとしようか――

 

(――停止することに意識が向き、周囲への警戒が疎かになる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、間違いなくそこだ)

 

「蒼天(すで)に死す、黄天(まさ)に立つべし――」

 

 傍らのコウメイが、呪符をかざして詠唱を開始。金色に彩られた、奇怪な八角形の魔法陣が足下に浮かび上がる。

 

「痛いの痛いの、ぶちかましたらんかいゴルアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 ふと、ドラゴンを巨大な影が覆う。奴が気付いたときには、もう手遅れだった。

 

 巨人だ。

 

 モノノフを彷彿とさせるシルエット。二十メルトに迫る石造りの巨人が、突如として出現し、その馬鹿でかい右腕が、ドラゴン目がけて鉄槌の如く振り落とされる。

 

 容赦ない一撃。

 

 ミシリと空気が潰れるような音がして、ドラゴンが撃ち墜とされる。轟音と共に、衝撃で大地が削れ抉られ陥没し、震動と共に砂塵が吹き上がった。

 

「あああああ!! わっちのボクギュウリュウバ……勢い余って潰しちゃったのだああああ!! うぅ……天下大凶……」

 

 やかましいコウメイの隣で、俺は「ヒューッ!」と口笛を鳴らす。

 大したモンだ……久々に骨のある黒魔法を見せてもらったぜ。精巧な彫刻のようなフォルムから繰り出される、大迫力の一撃。

 土の上級魔法は、こうじゃなくっちゃな。

 

 実際問題、一流の土使い同士がぶつかると、互いにぼくのかんがえた最強の泥人形(ゴーレム)を繰り出す、超獣大決戦になることがままある。

 地味だなんて言わせてたまるかよ。土ってば、マジアート。超アート。これぞロックに息づく脈動よ……転がる石には何とやらってな。

 

 巨人が姿を消すとほぼ同時、仕掛けておいた罠が起動する。

 ふらふらとよろめき、その場から何とか立ち上がろうとしていたドラゴンの上空を、黒き闇が覆った。

 

 すると次の瞬間、ノイズが走ったかの如く空間が歪曲して、ドラゴンが不自然に震え出す。身体が押え付けられるようにして地に伏す。

 メリメリと大地が穿たれ、亀裂が走ってクレーターを形成していく。

 

「抑圧のデバフ! あれを仕掛けたのは――」

「俺だ」

 

 驚いたようなチュウタツに、俺は背筋を伸ばして両腕を組み、口の端を上げた不敵なスタイルで応えてみせる。

 数あるデバフの中から、俺のデバフを引き当ててくれるなんて……くゥ~! ドラゴンさん、アンタはお目が高い!!

 

 ドラゴンは何とかして立ち上がろうとするが、魔力による抑圧を容易には振りほどけない。当然だ。

 抑圧とは要するに「限定した空間における重力操作」であり、重力操作は数ある魔法術式の中で、俺が最も得意とする分野でもある。

 

 デバフおじさんの朝は早い――デバフ大好きおじさんが一つ一つ丹精込めて作った、愛情百パーセントのデバフを舐めるなよ。

 どうぞ、愛の重さに潰れて死んでくれ。

 

 「グエエエエアアアアア!!!」と、ドラゴンが尋常でない叫び声を上げる。

 火事場の馬鹿力とでも言うのか、重力に抗って、身体を無理矢理起こそうとする。が、結果としてその抵抗が(あだ)となった。

 

 もがこうとした前足が、別の時限式に触れる。

 触れた瞬間、地面からニョルニルと無数の植物の蔓が湧き出て伸縮し、ドラゴンの身体にまとわりついては絡みつく。

 さらに別の場所にあった、時限式がリンクして起動。ドラゴンの四肢と翼が一瞬で凍り付いた。

 

 土と氷の連鎖陣――

 

 時限式のうち、どちらか片方が発動すれば、もう一方も発動する。それが連鎖陣だ。

 仕掛けたのはおそらく、シセルのじいさんだろう。ああいうデバフの高等テクニックを使いこなす魔術士は、俺以外だとあのじいさんくらいしか思い当たらない。

 

 ドラゴンがいる場所を挟んで、南の方角に上がった赤色の狼煙を確認してから、俺は言った。

 

「追い討ちは不要――みたいだな」

「ええ。術式を解除していいですよ、ニケさん。ここまで時間稼ぎができたのなら、もう十分かと思います。その証拠に――」

 

 チュウタツが、俺とコウメイの目を交互に見て、言った。

 

「来ますよ。()が、聞こえる」

 

 ドドドドドドと、何かがけたたましくこちらへ突き進んでくる音が聞こえる。

 押し寄せる現実の波の音だろうかと思ったが、案ずるなかれ。ここは俺の自室じゃない。よって、主に平日の朝方に観測される、恥の多い人生への敗北感から生じる激しい動悸の音でもない。

 

 転じた視界の先、映し出された光景は、いつかアルルの競馬場で見た景色を彷彿とさせた。

 最終コーナーを回って鞭が入り、決勝戦目がけて殺到する馬群のよう――

 

 飛沫(しぶき)を散らして、濁流がドラゴンへと襲いかかった。

 

討伐完了(グッドラック)。あばよドラゴン」

 

 決河の勢いで押し寄せた大量の水が、瞬く間にドラゴンを飲み込む。谷底平野一体が、あれよあれよと水浸しになる。

 

 言っておくが、これは魔法ではない。

 チュウタツ・コウメイの風水術により雨が降り出すより早く、先遣隊が川の上流に大量の土嚢を積み、水の流れを堰き止めていたのだ。

 

 ドラゴンがデバフで拘束された頃合いを見計らい、狼煙を合図にスタッフたちが土嚢の堰を決壊させる。

 すると、連日の雨ではち切れんばかりに貯められた水が、怒濤となって川下へと流れ、ドラゴンを飲み込む……そういうカラクリだ。

 

 立案したのはもちろん、我らが鬼の副官ガイラル先生である。

 何という鬼畜外道……貴様それでも神官か。ブリーフィング時、そこまでやる必要あんのかとクルーガーが皮肉っぽく告げたところ、「やり過ぎなくらいがちょうどいいんだよ」と即座に斬り返してきたあたり、あの男は中々どうして骨のある畜生である。

 

「……やったか?」

「ええ……索敵結界にも反応がありません。生死は不明ですが、意識を失っている状態にあることは間違いないと思います」

「作戦が順調に進んだおかげなのだ。ニケの出番がなかったのが、その証拠なのだ」

 

 コウメイが俺を見て、脇腹を小突く。

 確かに彼女の言うとおり、俺はここまで何もしていない。両腕を組んで突っ立ったまま、一人実況に勤しんでただけだ。

 索敵と指揮役を引き受けていたチュウタツと、ドラゴンを地面へ叩き落とす大役を任されていたコウメイと比較すると、俺の貢献度はまるで皆無である。

 割とマジで「え? いたの?」と疑うレベル。何ならいなかった方がマシまである。

 

 しかし、これには理由がある。俺に任された役目は遊撃だったのだ。

 

 ルチアが上手く離脱できなかったとき、コウメイの攻撃が失敗に終わったとき、ドラゴンがデバフを振りほどき、こちらへ襲いかからんとしたとき……

 何らかの不測の事態が起きたときは、俺が真っ先に攻撃魔法を放ち、場合によってはオペレーション「水攻め」、またの名を「決壊戦線」を中止して、白兵戦に移行する予定だった。

 

 つまり、本来α隊の俺がγ隊と行動を共にしていたのは、ガイラルからそんな特命任務を与えられていたからなのである。

 案山子(かかし)みたいに終始突っ立ってたのは、いつでも魔法が撃てるよう、スタンバっていたからであり、余りの無能さゆえに、

 

「ニケ。お前はクビだ」

「お前みたいな足手まといは、僕たちのパーティーには要らないんだよ」

 

 と言われて、α隊から追放された訳ではないので、賢明な諸君には何卒ご理解をいただきたい。

 

 ククク……ドラゴンさんよォ、アンタついてるぜ。俺という最終兵器が戦場に投入されていたら、お前はすでに骨一つ残ってなかったろうからなァ……

 

 やがて水が引き、ドラゴンの姿が露わになる。

 時間の経過で、すでにデバフによる拘束は解除されているが、ドラゴンは微動だにしない。意識を失っているのか、死んでいるのか……

 

 いずれにせよ、あっけない結末ではあった。

 戦闘というよりモンスターハンティングのような手際の良さで、肩透かしを食らった気分だ。

 まあ、いつぞやかガイラルが言っていたとおり、戦いなんざ戦わずに済むのならそれに越したことはないんだが……

 

「おや? あれは……β隊の……誰なのだ? 姉上」

「チェスターとルイーズじゃないかしら。おかしいわね。あの二人は戦線から離脱した後、β隊に合流するはずだったけれど……」

 

 ふと、南の丘を見る。ガイラルとヌシがいる本陣だ。狼煙はまだ上がっていない。

 オペレーション「決壊戦線」が上手く運んだ場合……つまりパターン・レッドの場合は、本陣から狼煙が上がるまで全軍待機だったはずだが……

 

「まさかあの二人、勝手に向かってるんでは……」

「「え?」」

 

 姉妹が声を揃える。

 あり得ない話ではない。アイツら二人は、ドラゴンの素材がどうのこうの言ってたからな。お宝の鮮度が気になって仕方ないのだろう。

 ドラゴンの牙や鱗、果ては内臓や竜涎香といったアイテムを、武器や防具屋、薬師など、その道の専門家に高い値段で売りさばくのが目的なのだ。

 

 早い話が、転売クソ野郎である。

 実際、ドラゴンの素材はその貴重さから、市場では仰天するような高値で取引されるそうだが……

 

 俺たち三人が布陣している林は、全部隊の中で「ドラゴンさんいらっしゃい」の現場に一番近い所に位置していたので、チェスターとルイーズの会話が漏れ聞こえてきた。

 

「楽勝だったわねー。散々警戒してた割には、ザコすぎて拍子抜けだけど」

「カカッ! その割にはドラゴンがお前の方に行ったとき、めちゃくちゃ焦ってたじゃねえか」

「うっさいな……そりゃあんなのに目付けられたらビビるっての」

「ルチアには感謝しとけよ。アイツは大したタマだ」

 

 チェスターが馬を降り、大地に横たわるドラゴンの身体に上る。そして、腹部を乱暴に蹴飛ばした。

 

「白玉楼中の竜となったか……ざまあねェな巨大トカゲ」

「これだけデカいと、取れ高も大きそうね~。楽しみだわ」

「カカッ! お前は本当に現金な女だぜルイーズ……」

 

 声でけえなアイツら……陽キャはいかなる時も、腹式呼吸で発声しなきゃいけない決まりでもあんのか?

 そんな風に思った矢先、チュウタツに声を掛けられる。

 

「どうしましょうか、ニケさん。私たちも向かうべきでしょうか……」

「うーん……そうだな」

 

 応じようとした、まさにその瞬間だった。

 

 ドラゴンの身体が、熾火のように紅く明滅する。

 影が揺れて、チェスターが咄嗟に振り返ると同時、ドラゴンが首を起こして炎を吐いた。

 

 俺も、チュウタツもコウメイも、突然のことに言葉を失った。

 やがて、チェスターから少し離れた所にいたルイーズが、両手で口元を抑え、呆然とその場に立ち尽くした。

 

「え? う、うそ……チェスター……そんな」

 

 ドラゴンが「グエアアアアアアアアア!!!」と耳をつんざくような雄叫びを上げる。そして前足で地面を荒々しく掴み、その先にいるルイーズを見下ろす。

 

「あ……あ……やめて」

 

 ドラゴンが深く息を吸い、体内の火袋が明滅して、彼女がやられると思ったその瞬間、突如閃光が散って、ドラゴンの頭部で爆発した。

 魔法ではない。おそらくは爆薬の類い――

 

「馬鹿野郎ルイーズ! さっさと逃げやがれ!!」

 

 驚いた。

 なぜなら声の主は、先ほどの一幕で死んだと思っていたチェスターだったからだ。

 

 なぜ――そうか、マントか。よく見れば先ほどまで、チェスターが身につけていたマントが消えている。

 彼が装備していたマントは、モンスターの皮を編み込んだ特殊な生地でできており、防火性が極めて高い。おそらくは咄嗟にそれを身代わりにして、事なきを得たのだろう。

 

「一体どうなってやがんだ、この巨大トカ――」

 

 何か口走ろうとした瞬間、ドラゴンの尻尾がうなり、チェスターが側面の岸壁に叩き付けられた。めり込んだ、と言ってもいい。

 それとほぼ同時、ドラゴンの前足が振り払われて、今度はルイーズが吹き飛ばされる。呻き声も虚しく、砂塵の隙間から、二人の身体が崩れ落ちる瞬間が見えた。

 

「姉上、ニケ! このままでは――」

「わかってます!」

「くっ……」

 

 コウメイが言うとおり、やるなら俺かチュウタツのどちらかしかいない。先ほどの上級魔法で消耗したコウメイでは厳しい。

 俺とチュウタツの足下に、魔法陣がほぼ同時に展開。俺たちがやるが先か、ドラゴンがやるが先か――

 

 しかし、投げられたコインが示す先は、そのどちらでもなかった。

 

 大気が戦慄き、空間を突き破って、九本の光の槍が現出。

 四方八方からドラゴンに突き刺さって、その巨体をがんじがらめに拘束する。突然のことに、思わず目を見張った。

 

 デバフ? いや違う。白魔法による魂縛だ。それもかなりレベルの高い……

 

 間違いない。

 討伐隊の中で、こんなことができる奴は――

 

「やれやれ。あれほど、独断専行はやめろと言ったんだがな……」

 

 満を持して、姿を現したのはガイラル。

 続いて、その堂々たる巨体を揺らし、ヌシが姿を見せた。

 

「過ぎたことは仕方がねェさ。幸いにして、二人ともまだ生きてる」

 

 言うや否や、ヌシは背負った馬鹿でかい斧を引き抜く。引き抜くと同時、斧を激しく地面に叩き付けた。

 刹那、大地が揺れて、噴き上げるような凄まじい衝撃波が一直線に走り、彼方のドラゴンを呑み込む。後にはその軌跡をなぞるように、地割れが生じていた。

 

「目ェ覚めたか? ずいぶんと寝起きが悪いようだったンでナ」

 

 巨大な斧を肩に担ぐと、ヌシは不敵に笑ってこう口にする。

 

「今のはほンの挨拶代わりだ。俺もお前も、まだまだこンなモンじゃ暴れ足りねェだろ? 存分に、楽しませてくれよ」



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29 VS悪竜戦② ~スープとポワソン

 作戦は、第三フェーズへと移行した。

 オペレーション「決壊戦線」で仕留めきれず、白兵戦に突入した場合……つまりパターン・ブルー。

 

 シセルとイケルと合流すべく、旧本営を目指すコウメイとチュウタツとは別れを告げ、俺は北東の高台に陣取るβ隊の元へと馬を走らせる。

 

「来たかニケ! 待ちくたびれたぞ!」

 

 到着するや否や、アルタイルが足早に出迎えてくれた。その奥の切り立った崖の上で、ヒョードルが戦場を俯瞰していた。

 

 戦況は一進一退。

 ヌシとガイラル、さらにはベアトリクスにオーウェン、テレサにクルーガーらδ隊の四人が戦線に加わり、ドラゴンと押しつ押されつの攻防を繰り広げているようだった。

 

 パターン・ブルーにおけるβ隊の役割は、予備兵力として控えると同時に、敵の弱点や傾向を分析すること。

 

 戦力の逐次投入は一般に愚策とされるが、今回のように、一対多数でフルボッコにする場合は話が別だ。

 一気に全兵力を投入すれば、後衛の攻撃に前衛が巻き込みを食らったり、射線が競合するなど、てんやわんやのしっちゃかめっちゃかで、むしろデメリットの方が大きい。まして、寄せ集めの傭兵部隊なら、各々好き勝手にとっちらかすから、なおのことその傾向は強くなる。

 

 したがって、味方を第一陣と第二陣に分け、第一陣のα隊とδ隊に疲労が見え始めた段階で、第二陣のβ隊とγ隊と交代する。

 待機部隊はハナクソほじりながら休憩していいのかというとそうではなく、敵の分析や魔力の充填、武器の補修に努めると同時に、前線に戦闘不能者が出た場合、すぐにバックアップできるよう備えておく。

 

 そうすることで、より効率的に戦うことができ、長期戦にも対応できる――という算段だったのだが……

 

「そういや、チェスターとルイーズは? 大丈夫なのか」

「……ああ」

 

 アルタイルは、ため息交じりにうなずいた。

 

「すぐにスタッフが回収してくれたが……使い物にはならんだろう。戦力として計算はできない」

「そうか……」

「すまない、俺の統制ミスだ。彼等を信用しすぎた。結果として、無駄に戦力を失ってしまった」

 

 いやまあ、誰がリーダーでもアイツらはああいう行動取ったような気がするけどな……所詮、転売クソ野郎だし。転売クソ野郎にふさわしい末路とすら言える。

 抜け駆け禁止、一人一限の鉄の掟を破った罪は、それほどにまで重いのだ。

 

 しかしアルタイルの言うとおり、あの二人を失ったことで、当初の目論見が狂ってしまった。

 あんな連中でも、戦場ではいないより、いてくれる方が遙かにマシだからな……数合わせが重要なのは、カードゲームや、男女のいかがわしいコンパだけではないのだ。

 

 実を言うと、本来α隊であるはずの俺が前線に合流せずに、β隊の元に来ているのも、チェスターとルイーズが戦闘不能になってしまったからなのである。

 

 白兵戦に突入するまでの段階で、万一戦闘不能者が出た場合、欠損者が出た部隊に合流しろと、ガイラルに予め指示されていたのだ。

 個別のミッション、またの名をパターン・ホワイト。ブルーと合わせて、パターン・限りなく透明に近いブルー。

 要するに欠けた戦力を補完すべく、俺はβ隊の元に来ている。

 

 良く言えばユーティリティ、悪く言えばたらい回しの使い走り。

 信用されていると言えば聞こえはいいが、同じ給料でいいように使われている感が半端ない。所詮この世は不条理ならば、やはり男は腹を決め、潔く部屋に引き籠もるに限る。

 

 パターン・ホワイト? 馬鹿野郎ブラックだよ。めっちゃブラック。

 限りなく暗黒に近いブルーだよ。

 

「過ぎたことを悔やんでも仕方ないさ。それより……どうなんだ、ヒョードル」

 

 ヒョードルは両腕を組み、無言。

 

 一瞬無視されてるのかと哀しい気持ちになったが、やがて首を回し、戦場の方角を促す。

 刹那、ドゴォ!!と鈍重な音が響いて、見ればヌシとドラゴンが真っ向から組み合っていた。がっぷり四つ。

 

「ぬうッ…………ウオラアアアアアアッ!!」

 

 自らの五倍以上の体躯を誇るドラゴンと組み合って、あろうことかヌシは全く退く気配がない。むしろ慣れない二本足で踏ん張っているドラゴンの方が、旗色が悪いようにさえ映る。

 

 ヌシの奮闘を支えるべく、テレサやルチアの後衛陣が、相次いで魔法に弓矢を放つ。

 さらにはオーウェン、クルーガーが距離を取って、弓矢にスイッチ。ベアトリクスは爆薬による攻撃を仕掛ける。

 

 さすがδ隊は、対白兵戦用に特化した部隊ということもあって、連携がスムーズで、攻撃にほとんど無駄がない。

 ベアトリクスとテレサはコンビで旅をしているくらいだから息が合うのは当然として、二人を軸にして、そこにぴったり合わせてくるクルーガーやオーウェンも大したものだ。

 

 二人とも傭兵として、これまで数多くのモンスター退治や迷宮探索をこなし、各地を転々としては、名を上げてきたと聞く。

 どうすれば生き残れるか、ということに対する嗅覚は、討伐隊の中で誰よりも鋭いのだろう。日頃のオラつきっぷりが嘘のような、協調性の発揮だ。

 

 相次ぐ攻撃により、ドラゴンが怯みだす。

 その隙を逃さず、ヌシが一気に畳みかける。低く身をかがめると、一瞬の隙をついてドラゴンの尻尾をつかみ、ふっと宙に放り投げた。

 

 すると次の瞬間、ヌシの全身から雷撃のような闘気が激しく迸る。

 おいでなすったか……戦士が得意とする、訳わからんパワーこと「気合い(ゾーン)」の発動だ。

 

 両手で握りしめた巨大斧を、顔の前近くにテイクバック。頭はブレずに体重を軸足に残したまま、前足をステップと同時に腰を切る。

 独楽のようなトルクを活かし、ただ押すのではなく斧の先端を走らせるイメージで解き放たれたアッパースイングが、まもなく落下せんとするドラゴンを捉えた。

 

「フン……ぬらばアっ!!!!」

 

 たまげた。

 メッシャ……からのグワァラゴワガキーン!! という激烈な衝撃音と共に、ドラゴンの巨体が放物線を描いて吹っ飛び、落下した衝撃で、岩壁が崩れて抉れて跡形もなくなる。

 

 ヌシは一仕事終えたみたいに、フォロースルーよろしく斧を後ろに放り投げる。そして大声で言った。

 

「ルチア! あとは任せた!!」

「言わなくてもわかってるよ……そんな大声出したら、相手に勘付かれるだろうが……」

 

 トンガリ☆ボーイのことだ。どうせまた、そんなトンガリ☆ツイートをかましながら、今頃弓に矢をつがえているのだろう――

 次の瞬間、茂みに隠れたエルフの指先から解き放たれた矢が、ドラゴンの喉元を鋭く穿つ。

 

 狙ったのは、逆鱗。

 八十一枚あるとされるドラゴンの鱗のうち、喉元に一枚だけ、逆さに生えている鱗。ドラゴン唯一の弱点であり、ドラゴン殺しの常道ともされる箇所だ。

 

 一陣の風が舞う。

 寸分違わず、弱点を射貫かれたドラゴンは全身を激しく痙攣させ、次の瞬間、支えを失った大木のように崩れ落ちた。

 

「やった! 仕留めたぞ!!」

「さすがだねえ、あのエルフ……」

 

 δ隊の面々が、相次いで歓声を上げる。アルタイルもまた口笛を鳴らし、俺の肩を抱き寄せるように叩いた。

 おいおい、マジであいつら強すぎて、俺の出番が全くねぇな……

 

 哀しいやら嬉しいやら、複雑な心境で戦場を眺めていると、ヒョードルがスンスンと鼻を鳴らし、突然「ウオーーーーーーン!!」と遠吠えした。

 「え? 何、発情期?」などとアホな冗談を抜かしている場合ではない。

 警戒の合図。前線のメンバーに緊張の色が走ると同時、すぐさまガイラルが大声を発した。

 

「総員退避!! 奴が起きるぞ!!」

 

 ハッとして、地に伏すドラゴンを見る。

 映し出された光景は、まるで時間を巻き戻したかのように、先ほどの再現と言っても差し支えなかった。ドラゴンの身体が紅く明滅し、瞳に色が灯る――

 

 ブレス。

 

 ドラゴンが飛翔し、激しく炎を吐き出しては、周囲一体を焼き尽くす。さっきまで鬱蒼と茂っていた森林地帯が、灰も残さず一瞬にして焼け野原と化した。

 その熱量はここまで伝わってくるほどで、爆風で目を開けていられない。焦げた匂いが鼻腔をつき、火の粉が空に散り、ドラゴンの絶叫もあいまって、まるで煉獄に落とされたかのような心境だった。

 

 戦場一帯は黒煙で覆われ、ガイラルやヌシ、ルチアにδ隊の面々が無事退避できたのかはわからない。

 まあ、ガイラルとテレサが咄嗟に守護結界を展開したように見えたから、たぶん大丈夫だと思うが……

 

 やがて、呆然とした面持ちでアルタイルが呟いた。

 

「嘘だろ……ドラゴンは逆鱗を射貫かれて、死んだはずじゃ……あれじゃまるで、アンデッドじゃないか」

「……。ニケ、オ前ハドウ見ル?」

 

 ヒョードルにそう聞かれて、答えに窮する。

 ここは是非とも、その道の専門家である、祓魔士(エクソシスト)のガイラル先生に意見を伺いたいところだが……

「俺の専門は自宅警備なもんで、悪霊退散の類いはちょっとね……俺自身が世間における悪霊みたいなモンだし。ハハハ」と言いたいところだったが、そんなアホな冗談をほざいてると腹パンを食らいそうな雰囲気だったので、真面目に答えることにした。

 

「アルタイルの言うとおり、アレはアンデッドだな。有り体に言うとゾンビだよ。ドラゴンゾンビ……あれだけ攻撃を食らっているのに、未だピンピンしてるのがその証拠だ」

 

 すぐにピンと来たのだろう。ピンピンだけに。

 ヒョードルが、俺の目を見て言った。

 

「ツマリ……奴ハモウ、死ンデイル?」

「おそらくな。いつから死んでいたのかは判然とせんが……正気を失っている。痛みを感じていない。前衛の攻撃は通っている。にもかかわらず、急所を突いても蘇る……ここまで揃えば役満(フルハウス)だろ。ありゃゾンビだ」

「でもどうして……あれも、魔力泉の暴走が原因なのか?」

「わからん」

 

 アルタイルの疑問に、俺は両肩をすくめた。

 

「そう考えれば筋が通るような気もするが、今重要なのはアレがアンデッドに墜ちたミステリーを紐解くことじゃない。早急に駆除する手立てを考えることだ」

「確かに。アンデッドの弱点といえば、一般に炎だが……」

「問題ハ、奴ガ火竜トイウコトカ」

「そうだ」

 

 俺はうなずいた。

 

「何度倒しても蘇るアンデッドをぶちのめすには、脳天吹き飛ばすなり、身体を徹底的に破壊するのが常道。つまり、灰になるまで燃やし尽くすことが可能な炎が、その攻略に最適だが……今回の相手は火竜。炎には当然耐性があり、焼き切ることはまず不可能と見ていいだろう」

 

 もっとも、俺に全盛期の魔力があれば、ゴリ押しできないこともないんだろうが……

 

 ちなみに民間伝承なんかだと、アンデッドに回復魔法をかけると「こうかは ばつぐんだ!」とまことしやかに語られているが、あれは全くもってデタラメ大嘘ホラフキーである。

 はっきり言おう。

 アンデッドに回復魔法をかけると、普通に回復します。見た目がちょっと健康そうになって、アンデッドっぽくなくなるだけです。ましてダメージなんか受けるはずがない。

 

 魔法使いや神官からすれば、職業柄こんなの当たり前の話だが、良く言えばピュア、悪く言えばただのアホの戦士や拳闘士の連中だと、本気でそう信じている奴がいるから困る。

 ゾンビにだって回復する権利はあるんですよ! いい加減にしろ!!

 

「ガイラルを頼るしかないだろう。彼は白魔法の達人だ。彼の術でドラゴンを足止めし、全員で総攻撃を仕掛ければ……」

 

 アルタイルらしい、現実的な解決策だった。

 確かに回復魔法は論外だが、法力を用いた結界ならば、アンデッドには一定の効果がある。ドラゴンの動きを鈍重にすることくらいなら、十分可能だ。

 まあそれ、デバフでもできるんだけどな……

 

 あんまりこんなことボヤくと、白魔術士が回復以外はまるで役立たずの無能に聞こえてくるので、一応擁護しとくが、そもそもガイラルたち神官が得意とするのは、レイスや鬼火といった実体を持たないアンデッドたちなのである。

 

 幽鬼は実体を持たないがゆえに、剣撃や黒魔法による攻撃が一切通らないという特性を持つ。しかしその反面、聖なる力には滅法弱い。悪霊退散や除霊といった言葉に象徴されるように、真言や結界で一発ノックアウトされる。

 先述した「アンデッドには、回復魔法が効くゥ~♪ 効いたよね、早めの回復魔法」なんていう迷信は、この辺りの知識の混同から生じているものだと思われる。

 

 一方で、今回のドラゴンゾンビのように、相手が実体を持つアンデッドだと、勝手が違ってくる。

 悪霊に取り憑かれているようなパターンならまだしも、ゾンビだのリッチーだの、元は正常な生物だった連中が、何らかの理由で狂化してイカれたパターンは、白魔術士たちの手に負えない。

 なぜなら、すでに手遅れだからだ。今さら、浄化や除霊の仕様がない。

 

 師匠はこれを、「魂が彼岸にあるか此岸にあるか、その違い。白魔術士は、此岸に留まった魂を彼岸に送ることはできるが、その逆はできない」と言っていた。

 つまりゾンビのように、魂がとっくにあの世に行っちまって、肉体だけがこちらに留まっているようなパターンは、もうどうしようもないってことだ。見つけ次第、早急に駆除して弔うという対症療法でしか、抗する手立てがない。

 

「それじゃジリ貧だね。決定打らしい決定打もないまま、ズルズル行って、先にこっちが力尽きてゲームセットが関の山だ」

 

 エアーブレイカーの自称よろしく、お得意の空気ぶち壊し発言をかますと、ヒョードルが怪訝な顔つきを浮かべた。

 

「ナラ、ドウスレバ――」

「簡単な話だ。俺が出る」

 

 アルタイルが瞬きを止めて、俺の顔を見る。

 黒煙の帳が失せ、間もなく視界が晴れつつある戦場を睥睨しながら、俺は言った。

 

「俺が、あのドラゴンを駆逐してみせよう」



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30 VS悪竜戦③ ~口直しのソルベ

 話は二週間ほど前に遡る。

 

 討伐隊のメンバーが発表された日のことだ。

 ブリーフィングが終わったのち、ガイラルから隊長格とα隊の二人は残ってくれと告げられる。何でも、特別ブリーフィングがあるのだという。

 

 いやさっきまで散々会議してただろ。何でまたやるの? アホなの? 

 

 いけませんねこれは……会議を減らすための会議が必要です!! さらには会議を減らすための会議を減らすための会議もマスト!! いよっ、もう一声! これでどうだ、会議を減らすための会議を減らすための会議を減らすための会議だァ!!!

 ハイ。お薬出しときますね~。

 

 などとアホなことを考えていると、β隊のチェスターやルイーズたちウェイ組が中心となって、これから決起会と称して一杯やらないかとワイワイキャイキャイ騒いでいた。

 

 …………。

 いや~断る理由が見つかってよかったわ~……

 

 通された小部屋には、すでにヌシとルチアがいた。

 アルタイルが俺の肩を叩き、「よっ」と声を掛ける。相変わらず慣れ慣れしい野郎だ。その奥にはシセルと、腕組み沈思黙考ポーズのウホウホオラつきマンさん改めクルーガーもいた。どうやら俺が最後だったらしい。

 ヌシに「悪いナ。これから皆でお楽しみの所呼びつけちまって」と言われたので、「滅相もない」と返しておいた。いやホント滅相もない。

 

「一応言っとくが、この場での話は、他のメンバーには口外しないようにナ。頼むぜ」

 

 その一言で、討伐が終わった後の慰労会の幹事を、ルチアとニケに頼みたいといった類いの話ではないことがわかった。

 俺とトンガリが幹事やったら、乾杯と同時に自由解散、余興としてこれから一番早く家に帰れた奴がナンバーワン選手権が開催されちまうからな。優勝するのは、むろん俺だ。

 

「要件は、作戦が失敗に終わった場合……つまり、撤退の時機について、隊長間で意志を統一しておきたいんだ」

 

 ガイラルの言葉に、アルタイルが口元に手を当てる。

 

「またえらく慎重だね……君がそこまで石橋を叩きまくる男だとは、正直意外だったよ」

「臆病の間違いなんじゃねぇか? もしくは責任逃れか……せっかく手に入れた忠犬のポジションだもんな。手放したくない気持ちはわかるぜ」

 

 皮肉たっぷりに、クルーガーがそう言う。

 いつもなら拳闘士ばりの反応速度で即座に煽り返してくるはずのガイラルが、このときばかりは珍しく黙っていた。

 

「……今回の討伐は、敵がこちらの想定を遙かに上回ってくる可能性がある。無駄な死人は、一人でも減らしたい。そのために、打てる策は可能な限り、事前に打っておきたい。それだけさ」

「あ? 今さら何を……」

 

 クルーガーがうつむき加減に舌打ちする。シセルのじいさんが、パイプを口から離し、煙を吐き出してから言った。

 

「ガイラルよ。なぜそう思った?」

「ただの勘だよ」

 

 予想外の答えだったのだろう。シセルが声を出して笑った。

 

「理詰めが信条のお主が、『勘』などという言葉を使うとはのう……一体どういう風の吹き回しじゃ。てっきり、魔力泉がどうこう言うのかと思ったが……」

「それもある。何にせよ今回の討伐は、腑に落ちないことが多すぎるんだ。むろん、任された以上は最善を尽くすが……」

「まるで上層部が何か隠しているような言い草だね。まあ、実際そのとおりなんだろうが」

 

 皆の視線が発言者に集まる。

 窓の外の暮れなずむ空が綺麗だな、今日の晩ご飯は何にしようかなと思いつつ、俺はルチアに問うた。

 

「どういう意味だ?」

「とぼけるなよニケ、お前だって気付いているはずだ。異常に金払いが良い点といい、守秘義務が徹底されてる点といい、過去に例のない速度で緊急保護案件への移行が決定した点といい……これはどう考えても、政治案件だよ」

「政治案件だって?」

「ああ。アルル公とトランシルヴェスタ公は、士官学校時代からの旧知の仲だ。裏で示し合わせがあったと考えるのが穏当だろう」

「そりゃお前の勝手な憶測だろ。友達だからって何でも通じ合ってると思うのは、友達いない奴の幻想だぞ」

「ならばファクトの話をしようか。ジギスムントがギルドに依頼を頼んだのが二週間前。本件が緊急保護案件とされたのが六日前。その間九日。たった九日で、一体どうやってドラゴンのねぐらを特定できるんだ? アルルからアルバ・ユリアまで、馬を飛ばしても片道一週間弱はかかるってのに」

 

 人差し指をこめかみに当て、まるで答え合わせをするかのように、ルチアは俺の目を見据えた。

 

「答えは簡単。ジギスムントがアラドで待たされていた間に、トランシルヴェスタ公からアルル公に話が行っていたんだよ。つまりジギスムントがクラインに泣きつくより早く、アルルは調査を開始していた。そう考えれば筋は通る」

「……つまり。ジギスムントがアルルに行ったのは、要するに唆された。連中の掌の上だったと」

「ああ。トランシルヴェスタだけで背負うには荷が重い案件と判断したんだろうな。そして、アルルにとってはこれはチャンスでもあった。リスクとコストを引き替えにしてでも、手を出すべき案件だった」

「チャンス? どうして?」

「つくづくとぼけたヤツだ……一々言わせるなよ。わかってるんだろ?」

 

 言われて、俺はふっと笑みを浮かべた。

 

「まあな……」

 

 したり顔でそう応えてみせるも、実際は全然わかってなかった。

 なるほど、竜退治して女子にモテるチャンス到来ってことか……いや絶対違うな。

 

「グシシ……やっぱおめェは頭がキレるな、ルチア」

「いいのか? そんなにあっさり認めて」

「構わン。隊長格には、すでに伝えてたことだしナ……それより、そろそろ話を本題に戻そうぜ。ガイラル」

「ああ」

 

 ガイラルがうなずく。そして俺の目を見た。

 ……俺?

 

「ニケ。君は今回の討伐隊に、一番不足しているモノは何だと思う?」

 

 急になぞなぞみたいなことを言われて、困惑する。

 

 不足ってそりゃ、チームワークだろうよ。

 俺やルチア、クルーガーの兄貴を筆頭として、単独行動に自信のある野郎が多すぎる。しかしそんな明け透けなこと言うと、またぞろ議論が脱線しそうなので、ここは無難な発言に留めるか――

 

 ポクポクポク……チーン!

 

「友情、努力、勝利ですかね」

「そんな訳ないだろ」

 

 真面目に答えたはずなのに、ゼロコンマ数秒でルチアに否定された。むしろ被せ気味だったまである。

 エルフはホント冗談通じねえな……いや冗談じゃないんだけどね。

 

「答えは火力だ。敵を一撃で屠れるほどの、圧倒的な攻撃力を備えた者がいない」

 

 ガイラルにそう言われて、俺はちらっとヌシ、そしてアルタイルにクルーガーを見た。

 

「腕力に覚えのある方は、多数お見受けされるようですが……」

「普通の怪物が相手ならな。黒鉄(クロガネ)にも匹敵するドラゴンの硬い鱗を、前衛の攻撃で削るには骨が折れる」

「ああ。だからこそ、逆鱗に狙いを絞るんだろ?」

「今はそれが失敗したときの話をしている」

「ルチアなら、きっとやってくれるよ」

「今はそれが失敗したときの話をしている」

「ルチアなら、絶対やってくれるって」

「今はそれが失敗したときの話をしている」

「……削るのが難しいのは、魔法も同じだと思うが」

「俺もそう思っていたよ。試験で君の魔法を見るまではな」

 

 ピンポンピンポーン! じゃない。おいコラ。

 

 嫌な予感がした。

 ちょっとトイレ行ってきていいっスか、さっきからうんこがしたくて……と口にするより早く、ガイラルが言った。

 

「ニケ。試験で見せた君の火炎球(ファイアボール)……あれは本気か? 俺には安全を重視して、あえて手加減したようにも映ったんだが」

 

 全員の視線が俺に集まる。

 長い沈黙のあと、アルタイルがふふっと笑みをこぼした。なにわろてんねん。

 

「同感だね。彼はまだまだ、底が計り知れないように感じた」

「ぶっちゃけ、ワシにもそう映った。経験則とでも言うのかの……コイツの全力はこんなものではないという直感は働いた。火力に話を限定するなら、討伐隊の魔術士の中で、此奴と対等に張り合えるのは、コウメイくらいのものじゃろうな」

 

 パイプをふかし、シセルのじいさんが賛同する。ルチアは黙したまま、ヌシは「グシシ……」と嬉しそうな顔をしていた。

 かくなる上は、あの御方に待ったをかけてもらうほかあるまい……

 

 おいでなすって! ウホウホオラつきマンさん!!

 

「知らん。よく見てなかった」

 

 俺は視線を転じ、窓の外の夕陽を見つめる。鳥が群れをなして茜色に染まった空を渡り、その鳴き声が無情に響いた。

 お前なら……お前なら、俺を罵倒してくれると信じていたのに!!

 

 信頼していた仲間に裏切られ、失意の面持ちで俺は呟いた。

 

「買いかぶりすぎですよ。話の流れから察するに、俺に切り札(ジョーカー)の役割を期待しているんでしょうが……あれ以上は無理です。まして、相手は火竜ときてる。火攻めなんて、下策もいいとこだ」

「なら、属性を変えてみたらどうだ?」

「無理です。一撃で仕留めるのを所望なら、なおのこと無理です」

「どうしてだ?」

「俺が一番得意な属性は炎だからですよ。いいですか? 一撃必殺ってのは、毒殺や石化、氷漬けなどの例外を除いて、爆殺か一刀両断の二通りと相場が決まっている。前者に適しているのが、炎と雷。後者に適しているのが、風と水。今回は火竜が相手だから、必然後者のやり方を取らざるを得ない。相性を考慮すると、必然選ぶべきは水。高圧の水の刃を魔力により具現化して、ドラゴンをぶった切るんです。ところが俺は、水が正直あまり得意ではない。まして、前衛の攻撃も通らないほどの圧倒的硬さを誇るドラゴンをぶった切るほどの刃を作り出すとなれば、極めて高い練度の操作性と集中力と、膨大な魔力を研ぎ澄まして凝縮させる特殊な工程が必要で、これは並大抵の――」

 

 立て板を粉砕する勢いで捲し立てる俺を見て、ふと隣のクルーガーが言った。

 

「お前……めっちゃ喋るんだな。びっくりしたわ」

 

 キーッ! 

 誰がこんなタイミングで罵倒してくれって頼んだのよ! おバカ!! 

 

「まあ要約すると、できないとまでは言わないが、失敗するリスクが極めて高い。イチかバチかの賭けになる……そういうことだろ? ニケ」

「……ま、まあそういうことだ」

 

 アルタイルにフォローされて、不承不承ながらうなずく。

 すると、ルチアが頬杖をついたまま、ぼそりと呟いた。

 

「回りくどくてイライラさせる男だな。最初からそう言えよ」

 

 キーッ! 

 二つ返事でできるとか答えたら、それはそれで上手く行かなかったとき非難するんでしょ! おバカ!!

 

「イチかバチかの賭け、か……やっぱニケの一発でカタが付くなンて、そンな都合の良い話はないわナ。予定通り、白兵戦に突入した場合は、総力戦で地道に削る。それでも無理なら、折を見て撤退するほかねェか」

「ズルズル行って全滅が最悪のパターンじゃな……決断の責任は重いのう。合図は? わかりやすい方がいいじゃろう」

 

 シセルの発言に、ヌシがフムと耳たぶに手を当てる。

 

「黒色の狼煙を、全軍撤退の合図としようか。決定権はガイラル。万一、ガイラルが戦闘不能に陥ってる場合は……シセル、アルタイル、クルーガーの順に決定を下す」

「クルーガーにお鉢が回るような場合って、それもう全滅じゃと思うが……」

「戦場は生きものみてえなモンだ。何がどう転ぶかわかんねェからな……用心するに越したことはねェだろう」

「決まりだな……これ以上話すこともないだろう」

 

 クルーガーの一言で、その場は解散となり、銘々が部屋を後にする。がらんどうになった室内に、黄昏の光が落ちる。

 最後に部屋を出ようとしたガイラルの背中を見ながら、俺はぽつりと呟いた。

 

「なあガイラル。確かに一撃は無理だけど、千撃くらいあればいけるかもしれん」

 

 ガイラルが歩みを止める。

 二秒後、振り返って彼が言った。

 

「あ? なんだって?」

 

 

   ***

 

 

 そうと決まれば話は早ェとばかりに、俺たちは前線へと馬を飛ばす。

 強烈な衝撃音に爆発音、金属が打ち合うような音がこだまし、黒煙が舞い上がっては、大地が揺れ、砂煙が行方を遮った。

 どうやら前線では戦闘が再開され、派手にやり合ってるようだ。

 

 前を駆けるアルタイルが、後方を一瞥して声を張り上げた。

 

「急ぐぞ! まずはγ隊と合流し、前線へ切り込む! 俺たちが時間を稼いでいる間に、ニケはガイラルと合流し、最終攻撃の手筈を整えろ!」

「承知」

「了解した!」

 

 おそらく前線のα隊とδ隊も、ドラゴンの異変に気付いて、今まさに混乱の渦中にあるはずだ。予想外の事態に浮き足立ち、苦戦を強いられている可能性が高い。

 一刻も早く現場へ急行せねば……

 

「トマレ!!」

 

 突如ヒョードルが大声を発し、何事かと俺もアルタイルも慌てて馬を止める。

 「どうしたんだ?」とアルタイルが問い、ヒョードルが指さした森の方を見ると、雑木の上にルチアがいた。

 ルチア? なぜここに……

 

「すまないヒョードル……助かったよ。危うく行き違いになるところだった」

 

 ルチアが木の上から飛び降り、俺たちの前に姿を現す。呼吸は激しく乱れ、ただ事でないのは一目でわかった。

 

「前線はもうダメだ……長くは持たない」

「何だって? 一体何があったんだ、ルチア」

 

 ガイラルが問うと、ルチアはうつむき、ためらうような素振りを見せてから、言った。

 

「ヌシが突然、味方を攻撃して……不意を突かれたδ隊が、壊滅してしまった」



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31 VS悪竜戦④ ~本日のメインディッシュ

 ルチア曰く、それは突然の出来事だったという。

 

 逆鱗を射貫かれたはずのドラゴンがあろうことか蘇り、ブレスによる強襲を受けたが、ガイラルとテレサの張った守護結界により、その場は凌ぎ切った。

 そこまではよかった。

 

「ドラゴンの目が、紅く光ったんだ」

 

 黒煙が失せ、晴れゆく視界の中で、ルチアはそれをはっきりと見たという。

 

「まるで吸い込まれるような、神秘的な光だった。見る者を惹きつけるというか……おそらく、ヌシがおかしくなったのはアレが原因だ」

 

 時の隊列から鑑みるに、ヌシはその光を真っ向から浴びてしまったのではないか、とルチアは言った。

 己が巨体を活かし、咄嗟に味方を庇おうとしたのかもしれない。

 

 やがて、異変が収まる。

 最前線に突っ立ったまま、微動だにしないヌシに、近くに居合わせたクルーガーが声を飛ばす。

 しかし、応答はない。不審に思った彼が、ヌシに馬を寄せた瞬間、それは起こった。

 

 ミシリと潰されるような鈍い音が、静かに響いた。

 

 最初は何が起きたのかわからなかった。馬の死体が近くに()()()()()、ようやく事の次第を悟った。

 鉄製の遮眼革を被り、あり得ない方向に身体が曲がったその馬は、どこからどう見てもクルーガーの愛馬だった。それに乗っていたクルーガーの行方は、誰にもわからない。

 

 そこから、ヌシがδ隊へと襲いかかった。

 

 オーウェンとベアトリクスが応戦するも、相手はついさっきまで一緒に戦っていた仲間だ。反撃していいものか戸惑い躊躇し困惑し、自然と防戦一方になる。数の利も活かすことができないまま、ヌシの圧倒的なパワーに押し切られ、二人はあっけなくやられてしまった。

 バフによる支援を試みていたテレサも、流れ矢を受けるような形で、前線の攻撃に巻き込まれ、そこから先の行方は知れないという。

 

 瞬く間にδ隊が壊滅し、万策尽きたかと思われたが、そこでγ隊が現れる。

 

 異変を察し、いち早く現場に駆けつけた彼等の支援により、前線は最悪の事態を免れたが、γ隊は本来全員が後衛のバックアップ専門部隊だ。

 肝心の前衛不在では、デバフで敵を拘束して、時間稼ぎすることくらいしかできない。

 

「今はコウメイとシセルを中心に前線を立て直し、何とか遅滞防御に努めているが……それも時間の問題だ。はっきり言う。この戦いは、僕たちの負けだ」

 

 ルチアは、俺たち三人の目を見て言った。

 

「全軍撤退する。これは決定事項であり、ガイラルの命令だ。異論は認めない」

 

 まさかの急展開に、さすがの俺たちも動揺を隠しきれない。

 微かに声音を震わせつつ、アルタイルが言った。

 

「そんな……俺たちはまだ、戦ってすらいないんだぞ……?」

「そう言うと思ったからこそ、僕がわざわざここに来てる。繰り返すようだが、これは決定事項だ。無傷のβ隊には、撤退時の殿(しんがり)を引き受けてほしい。むろん、僕も戦列に加わって、君たちをサポートする」

 

 心の臓が締め付けられるような緊張が走った。

 ここでの決断が、自分ないし全員の命を左右することは、ここにいる全員が理解していた。

 迷っている余裕などないという焦りが、余計に迷いを生む。

 

「ソレハツマリ……ヌシヤクルーガー達ヲ、見捨テルトイウコトカ?」

 

 沈黙を破り、ヒョードルがそう言った。

 数瞬の間を置いてから、ルチアが応じた。

 

「……δ隊のメンバーは、スタッフが回収に向かっているはずだ。おそらく救出できるだろう。もっとも、クルーガーに至っては、回収すらままならない可能性が高いが……たぶん、もう……」

「ダガ、ヌシハ……アイツハ……」

「ヌシとガイラルは、種族こそ違えど、互いに気心知れた親友のような間柄だと、俺は思っていたんだがな。そんなガイラルがヌシを見捨てるなんて、冗談だろ。おいルチア、お前その命令本当なんだろうな。耳が長すぎて聞き間違えたんじゃないのか」

 

 エアーブレイカーの自称よろしく、お得意の空気ぶち壊し発言をかますと、ルチアは眉間に皺を寄せ、俺を激しく睨んだ。

 

「ふざけるなよニケ……その舌引き抜かれたいのか」

「ふざけてなんかねえよ。至って大真面目だ」

「ならお前だってわかるだろ!! ガイラルはその気心知れた親友一人の命よりも、全員の命を優先したんだよ! アイツがどれだけの覚悟で、この決断を下したか……こんなこと、一々言葉にしなきゃわからないのかよ……」

 

 珍しく頭に血が上ったのか、感情を露わにしたルチアが、ばつ悪げに振り返る。指笛を鳴らし、馬を呼び寄せた。

 やがて、アルタイルが俺の肩をポンと叩く。

 

「ニケ。気持ちはわかるが、ここはガイラルの意を汲もう」

「もちろんだ。ガイラルの命令には従うさ。撤退戦の殿も引き受ける。ただし、やり方は俺たちの自由だろう」

「やり方?」

「ああ。戦いはまだ終わってなんかいない。むしろ本番はこれからだ」

 

 その一言に、傍らのアルタイルとヒョードルが、ハッとした表情を浮かべる。

 

「ルチア。俺たちの作戦に協力してくれ。あのクソッタレドラゴンに、一矢報いよう」

 

 馬上のルチアと視線が交錯する。

 不敵に口角を上げると、俺はこう告げた。

 

「ヌシを諦めるのは、それからでも遅くないだろ?」

 

 

    *

 

 

 脇目も振らずに馬を飛ばし、林道を抜けると、視界が一気に開けた。

 開けた谷底平野のど真ん中に、デバフで拘束されたドラゴンとヌシの姿を捉える。

 

 事前に示し合わせたとおり、アルタイルとヒョードルとはそこで別れ、俺とルチアは後方で指揮を取るガイラルの元へ急行する。

 

 到着するや否や、ガイラルに作戦の要諦を伝える。というのも、俺が立案したこの作戦には、ガイラルの協力が必要不可欠だからだ。

 

「なるほど……幸い、それくらいの魔力ならまだ俺にも残っている。しかし――」

 

 ガイラルが眉をひそめる。言わずとも、彼の懸念は察した。

 成功の確率と失敗に終わったときのリスクを天秤にかけると、これは余りにも大きな賭けだ。白か黒か、すなわち逆転勝利か全滅かの二択で、その中間はない。

 実際問題、これで仕留め損ねたら、ルチアはともかく俺は、

 

「うおおおおおおおおおおお!!!」

 

 ご支援ありがとうございました! ニケさんの来世にご期待ください!! 

 ――になることは必定だからな。

 

「むろん、これ以上損害を出す前に撤退という選択肢も間違っちゃいない。最終的な判断はお前に任せるが……俺は捨石になるつもりなんざ毛頭ない。お前がやれと言うのなら、必ず成功させてくる。そこは俺を信じてくれ」

「……」

 

 そのとき、氷が砕け散るような、派手な音が鳴り響く。

 

 ハッとして目をやると、数十メルト先でシセルが白目を剥き、精魂尽き果てたかの如く、どさりとくずおれる。イケルが「おいジジイ!」、「しっかりせんかクソッタレ!!」、と声を張り上げているのがここまで伝わってきた。

 

 ついにデバフが破られたのだ。

 

 それと同時、ズシンズシンと地面を揺らし、紅く瞳を滾らせたヌシの姿があらわになる。

 万事休す。右手に握りしめた斧が、上空で弧を描く。そしてゆっくりと、振り下ろされる――

 

 もうダメかと思ったその刹那、大地を削り取るように、衝撃波が蛇行して迸る。ヒョードルの格闘術だ。

 練り込まれた気が拳から大地へと伝い、ヌシへとぶつかる。

 

 それとほぼ同時、ふっと剣閃が煌めき、上空の死角から、ヌシの脳天目がけてアルタイルが打ち込んだ。

 

 兜割り――

 叩き付けた三日月剣(シャムシール)と差し出した斧がぶつかり合う、激甚たる金属音が鳴り響き、その一撃の重さでヌシの足下の地面が、崩れひび割れ沈降する。

 

 予定通り、アルタイルとヒョードルがヌシと交戦を始めたのを確認すると、ルチアがドラゴンの方を見て言った。

 

「頃合いだな……コウメイとチュウタツの符術も、じきに破られるだろう。僕はもう行く。あとは頼んだぞ、ガイラル。ニケ」

 

 そう言い残すと、ルチアは馬にまたがり、γ隊が陣取る方へと向かっていった。

 後には俺とガイラルだけが取り残される。

 

 喧騒は鳴り止まない。

 撃剣が衝突する音に、ドラゴンの唸り声と、相も変わらず、やかましい戦場とは対照的に、ここだけは妙に静かだった。空は雲一つなく、腹立たしいまでに青白い。

 

 遠く向こうでは、行方知れずとなっていたはずのテレサが、スタッフと共に負傷者の介護に当たっている姿が見えた。

 手当をしているのは、オーウェンあるいはベアトリクスだろうか。クルーガーの姿が見当たらないということは、やはり……

 

 イケルのじいさんが、魔力切れで意識を失ったシセルを担いで、スタッフと共に戦線から離脱しようとしていた。その奥ではアルタイルとヒョードルが、未だ正気を失ったままのヌシと交戦を続けている。

 二時の方角では、コウメイとチュウタツが符術で具現化した鎖によってドラゴンを束縛。懸命に押しとどめている。

 

 万全を期したはずだった。

 一体誰が、ここまで苦戦を強いられると予想しただろうか。

 

 いや、一人だけ居たか。

 今俺の目の前にいる、銀髪の男だ。

 

「参ったな。まさかあの時お前と交わした与太話を、こうして実行に移さねばならん局面にまで追い詰められるとは……」

 

 そう言ったガイラルの衣服は切り傷でほつれ、顔には煤がこびりつき、瞳は虚ろによどんでいた。

 俺のあずかり知らないところで、彼は彼なりに副官として仲間を指揮し、前線を支え、死力を尽くしてきたのだろう。

 

「なあニケ。俺の判断は、一体どこまでが正解で、どこからが間違っていたんだ?」

「最初から最後まで正解し続ける人間なんていねぇよ」

 

 俺の即答に、ガイラルは目を丸くする。

 やがてうつむき、吹っ切れたかのように、声を出して笑った。

 

「君みたいなタイプの方が、存外指揮官は向いているのかもしれないな」

「俺が? 冗談きついね」

「別に冗談ではないんだが……まあいい。決めた」

 

 ガイラルが俺の目をまっすぐ捉えて、言い放つ。

 

「ニケ。俺はお前に賭ける。お前に全てを託す。あの馬鹿を、何としても救ってこい」

 

 半笑いを浮かべた後、ガイラルが詠唱を開始する。俺は静かにうなずいた。

 

 チャンスはただの一度きり。

 ヌシがドラゴンに操られているというルチアの仮説が正しいのだとすれば、ドラゴンを殺せばヌシは必ず正気を取り戻す――それが俺の計算だった。

 

 そのためにはまず、アルタイルとヒョードルがヌシの注意を引き、その間に俺とルチアが連携してドラゴンを仕留める。

 

 まったく何の因果だよ。こんな話聞いてねえぞ。

 後ろからチマチマ魔法撃つだけの簡単なお仕事だと思ってたのが、あろうことかこのザマだ。俺は一体いつから物語の主人公になったんだ?

 

 言いたいことは他にもまだまだたくさんあるが、とりあえずこれだけは言っとく。

 

 ククク……ドラゴンさんよォ、アンタついてないぜ。俺という切り札(ジョーカー)こと最終兵器が戦場に投入されちまった以上、お前の地獄行きは決定だからなァ――

 

「汝が深淵を覗くとき、深淵もまた汝を試すであろう。時の回廊。螺旋の理。因果の鎖を解き放ち、彼の者を約束の地へと運びたまえ」

 

 ガイラルの詠唱と共に、足下に円環の魔法陣が展開し、眩い光が全身を包み込む。

 空間が歪み、〈(ゲート)〉が現出して、景色が暗転する。ノルン式転移術の発動だ。

 

 そして、俺は言の葉を紡いだ。

 

「悠久の空を渡る風の妖魔よ。汝が安寧を妨げる者に裁きを。その御姿は猛きこと刃の如く、刹那の惨事を逃れる術はなし――」

 

 閉じたまぶたを開いた瞬間、視界の先に映ったのは、ドラゴンの背面。

 ドラゴンの背中に降り立った俺は、次の瞬間、両手を正面に掲げて、全身に纏いし風を解き放った。

 

「ぶったぎれ――風刃(カマイタチ)

 

 刹那、風が唸って哮って牙を剥き、超高速の斬撃が飛び交って、目標をズタズタに切り刻む。

 

「うおおおおおおおおおおお!!!」

 

 ご支援ありがとうございました! ニケさんの来世にご期待ください!! 

 じゃない。勝手に人の人生打ち切るな。

 

 狙いはドラゴンの頸椎、ただ一点のみ。

 

 有体のアンデッドを駆逐するには、まず炎。

 それが叶わないなら、脳か脊髄、あるいは心臓をぶち抜く。

 いかなドラゴンゾンビといえど、元が一個の動物ならば、運動を司る中枢神経系さえ破壊すれば、奴はもう動くことができない。直に機能を停止する。

 

 中でも脊髄、それも頸椎部分に狙いを絞ったのは、目で追える脳や心臓と異なり、首の後ろは身体の構造上、完全死角となるからだ。

 ましてドラゴンのように首が長く、人間より両腕の可動域も狭いとなれば、一度後ろを取られたが最後、相手はどうすることもできない。

 ロートルの無職が社会復帰できる可能性と同じくらい、状況は絶望的だ。

 

 いける……いけるか? いやまだもう少し――

 返り血を浴びて、すでに全身血塗れだが、構うものか。明日から本気出すが信条の俺に、今日本気出させた貴様の罪は重い。

 勝負だクソッタレ。俺の魔力が尽きるが先か、てめェの首が落ちるが先か――

 

 すると突然、ドラゴンが最後の力を振り絞るが如く、凄絶な叫び声を上げた。断末魔にも近いその叫びに、聴覚が麻痺して意識がぶっ飛びそうになる。

 (おもむろ)に視線を上げると同時、俺は息を呑んだ。

 

「おい……嘘だろ……」

 

 かすかに捉えた視界の合間。

 アルタイルとヒョードルを退けたのか、ヌシがこちらへ向かって来ていた。

 

 呼び寄せた……のか?

 

 異変に気付いたルチアが牽制せんと、ヌシの足首めがけて弓矢を放つ。命中するも、ヌシの勢いを留めることはできない。

 雄叫びを上げ、脇目も振らずにこちらへ突進してくるその様は、さながら北方神話に出てくる狂戦士(バーサーカー)のよう。

 

 まさか、アイツも痛覚を失っているのか……? 

 

 心臓の鼓動が加速する。

 音を失った世界の狭間で、視界が揺れる。

 

 ヌシが右手に握りしめた斧を投擲せんと、大きく振りかぶる。

 絶対絶命、俺の命運もここまでかと思ったそのとき、影が割り込んで、ヌシの動きが中途で止まる。

 

 見ればそこには、見覚えのある派手な大剣を装備した、屈強な戦士の姿があった。

 あれは――

 

 クルーガー!!

 

「おらヌシてめェ、よくもやってくれたじゃねえか。俺を差し置いて、どこへ行こうってんだ……あァ?!」

 

 みんな大好きウホウホオラつきマン自慢の大剣と、ヌシの大斧がつばぜり合いを起こし、目と鼻の先の距離で、クルーガーとヌシの視線がかち合う。

 

 頭部を裂傷しているのか、クルーガーの額からだらりと血が流れ、滴り落ちる。

 明らかに戦える状態ではない。全身を奮い起こし、気力でその場に立っているのは、誰の目にも明らかだった。見る見るうちに、剣が押されていく。

 

「この馬鹿力が……とっとと目ェ覚ましやがれってんだ……!」

「グググ……ガガ……」

「ニケェ!! 俺に構うな! さっさとやっちまえ!」

「ウウ……アア……!」

 

 するとどういうことか、剣が勢いを盛り返し、斧が押され出す。

 真っ赤に染まっていたヌシの瞳が、にわかに陰り始める。

 

「狂化の効果が弱まっている……? ニケ、今だ! 畳みかけろ!!」

 

 わかってるよトンガリ。お前に言われるまでもない。

 底が見え始めた魔力を振り絞り、出力を限界にまで引き上げると、俺は掲げた両手を下ろし、ふっと笑みを浮かべた。

 

討伐完了(グッドラック)――あばよドラゴン。風と共に去れ」

 

 鋭い衝撃と共に、頸椎が砕け、ドラゴンの首が落ちる。

 

 魔力を限界まで使い果たした反動か、俺の身体も、支えを失った人形のように、地面へと墜ちる。崩落に呑み込まれる。

 すべてのシーンが細切れに網膜に投影され、やがて静かにブラックアウトしていく。

 

 意識が落ちる寸前、喜びに沸く仲間の声が微かに伝ったのは、たぶんきっと、俺の気のせいなんかじゃないと思う。



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32 VS悪竜戦⑤ ~食後のデセール

 長い夢を見ていたような気がした。

 ぼんやりとした視界の果てで、誰かが呼びかける声がする。

 

「ニケ……? よかった。やっと目を覚ましたか」

 

 おぼろげだった輪郭が線を結び、瞳にルチアの顔が映った。長いお耳に、長いお睫毛。端正なトンガリ☆フェイス。

 どうやら俺は、ルチアに介抱されているらしかった。それも膝枕のVIP待遇。

 

 何だ、よりにもよってお前なのかよ……妙に柔らかい感触がしたから、てっきり女子かと期待したのに……クッソー……

 

「っておい! ドラゴンは?! それにみんなは……」

 

 慌てて起き上がろうとするが、全身に痺れるような痛みが走った。

 ああん…………!

 

 視界はぐらつき、猛烈な吐き気を覚えた。頭も痛い。思わず、頭痛が痛いと言ってしまう程度には痛い。

 よほど青白い顔をしていたのだろう。ルチアがそっと背中をなでてくれた。

 

「大丈夫か?」

「ああ悪い……典型的な魔力中毒だ。久々に後先考えずぶっ放したから……」

「お前のような熟練者でも、魔力酔いするのか?」

「オドの絶対量と、魔力酔いのしやすさに因果関係はないからな。ひどい二日酔いみたいで苦手なんだよコレ……ってそんなことどうでもいいんだ。ドラゴンはどうなった?」

 

 ルチアは無言で、右の方を指差す。

 視線を向けるとそこには、馬鹿でかいドラゴンの身体が横たわっていた。首と胴体は切断され、すでに事切れていることは疑いようもない。

 

「大変だったんだからな……お前を助け出すの」

 

 ルチア曰く、ドラゴンにとどめを刺すや、俺は気を失ってぶっ倒れ、危うくドラゴンの下敷きになりそうだったんだと。そこを間一髪救ってくれたのは、チュウタツの符術と、ルチアの素早い機転だったようだ。

 

「ふーん、あっそ。お疲れ」とハナクソほじりながら放屁してやろうかと思ったが、さすがに人格を疑われそうなので、「ありがとう」と素直に礼を言っておいた。

 べ、別に相手がアンタだから言ったんじゃないからね! 勘違いしないでよ!!

 

「あ……そういやヌシは?」

「あっち。さっきからずっとあんな調子だ」

 

 ヌシは両膝を九十度に曲げて、三つ指つき、頭頂部を地面にこすり着け、清々しいほどに土下座をしていた。 

 相手はオーウェンにベアトリクス、テレサと……クルーガーか。δ隊こと、ヌシ被害者の会ご一行様だ。

 

 何でもドラゴンが倒れたあと、ヌシは程なく正気を取り戻し、ガイラルから事の次第を説明されたそうな。ヌシが泡を食ったのは言うまでもない。

 いくら敵に操られたとはいえ、味方を傷つけ、前線に混乱を招いたことは紛れもない事実。彼の律儀な性格もあいまって、先ほどからああやって仲間に延々謝罪を続けているのだという。

 

「みンな本当にすまねェ……いくら謝っても謝り足りねえことはわかってるが、どうか……」

「だからもう、大丈夫よヌシ。みんなこうして無事だったんだから……それに、一歩間違えたら私やトリスがああなってしまう可能性だってあった訳だし」

「そうだよヌシ。アンタは貧乏クジを掴まされただけさ」

「けどようテレサ、ベアトリクス……俺はみンなのリーダーなんだゼ。その俺が……本当に情けねェ……」

「ああもうしつけーんだよヌシ!! 戦場での斬った斬られたは言いっこ無し! そういういざこざも含めて、お互い支え合っての戦いだろうが!」

「ク、クルーガー……でもよう……」

「でももクソもないんだよ! いいか、この話はもうこれで終わりだ! 俺もお前も無事だった。これ以上の結末があるか? ないだろ。ハイじゃあこの話は終わり!!」

 

 頭に包帯を巻いたクルーガーがそうやって捲し立てると、ヌシは顔を上げ、つぶらな瞳を真ん丸に見開く。

 やがて感極まったのか、ヌシはぽろぽろと大粒の涙をこぼし、クルーガーに抱きつこうとした。

 

「クルーガー……おめぇ何て良いヤツなンだ!」

「だあくっつくなバカ! 暑苦しいんだよ!!」

 

 リーダーの意外な一面を目撃したせいか、オーウェンにベアトリクス、テレサが「おお……」と謎の拍手をする。

 それを見たクルーガーが照れたように、「おい! 何拍手してんだコラ!!」とキレていた。所構わず噛み付く狂犬、ウホウホオラつきマンの本領発揮だ。

 

 楽しそうだな、お前ら……

 

「にしても、結局ヌシが操られた原因は何だったんだろうな」

「それなんだが……アレは魔眼の一種だったんじゃないかと僕は睨んでいる」

「魔眼?」

「お前も魔術士なら一度くらいは耳にしたことがあるだろ。魔族の中でも高位に位置づけられるものは、瞳に特別な力を宿していて、人心を巧みに操ることができると聞く。俗に言う、あやかしってヤツさ」

「ふーん……いやでも待てよ。どうして神聖なドラゴンが魔族の力を――」

 

 そこまで言って、ハッとした。

 

「そうか。ドラゴンはドラゴンでも、俺たちが倒したのはドラゴンゾンビ……」

 

 ルチアが不承不承といった調子でうなうずく。

 

「アンデッドに墜ちた結果、ダークサイドの力に目覚めたと考えれば、腑に落ちないこともない。もっとも、僕もこんなケースを目の当たりにしたのは初めてだから、憶測に過ぎないけどね……ニケはどうだ。何か、思い当たる節はないのか?」

「うーん……俺も魔眼に関しては、机上の知識しか持ち合わせていないから、何とも言えんな……」

 

 口ではそう言ったが、記憶の淵で何やら引っかかっていた。

 いつかどこかで、それに近いチカラに触れたことがあるような気が……気のせいかな?

 

「なあニケ。一つ訊いていいか?」

「ん?」

「あの場面、どうして水ではなく風を選んだんだ?」

「ああ……水で高圧の刃を作り出すとなると、風と比べて工程も増えるし、生成する速度も遅い。それに何より、俺は水が苦手なんでね。コストや相性、自分の能力を天秤にかけて、より成功する可能性が高い方を選んだだけさ」

「なるほどね。全属性の中で最速を誇る風なら、一撃一撃の威力は水より劣っても、手数の多さでカバーできると踏んだ訳か」

「そういうこった」

「けど、あの追い詰められた局面で、よくそこまで冷静に計算できたな……」

 

 冷静もクソも、この「奥の手」については、事前にガイラルに伝えた際、「寝言言ってんじゃないだろうな」と鬼のように小一時間詰められた挙げ句、「それじゃダメだ」と出し直しを食らい、後日何度目かのトライでようやくゴーサインが出たかと思えば、「死んでも成功させろよ。ゆえに奥の手と言うんだ」と、無惨に橋を切り落とされる仕打ちを受けたからな。

 

 いやー持つべき者は鬼上司ですよ。

 とどめの一撃は男のロマンという幻想に取り憑かれて、うっかり口を滑らせたことを死ぬほど後悔したのも、今となっては笑い話……

 

 「そういやニケ、あれどうなった」と催促されるたび、うんこ漏らすような気持ちになってたからな。出来すぎた上司ってのは、部下にとって良し悪しだよ。身に染みて勉強させてもらいましたわ……

 

「ニケ! やっと意識が戻ったんだな」

 

 聞き馴染みのある声に振り返ると、アルタイルが「よっ」と右手を上げ、その後ろにはヒョードルもいた。

 

「何はともあれ、お疲れ様。やはり君は、俺が見込んだとおりの逸材だったな……他のみんなも、君の健闘を称えていたぞ。今日の勝利は、君があってこその賜物だ。どうもありがとう」

「プレッシャーノカカルアノ局面デ、本当ニ良クヤッテクレタ……大シタモノダ、ニケ。俺カラモ礼ヲ言ワセテクレ」

 

 平素から俺の過大評価が著しいアルタイルはともかく、普段は寡黙なヒョードルにそう言われると、少しこみ上げるものがあるな……

 オデ、コンナニ人カラ優シクサレタコト、今マデ一度モナカッタカラ……

 

 ワシは害獣か何かなの?

 

「γ隊のみんなは?」

「ああ……さすがに皆、くたびれきった様子だったよ。シセルに至っては、しばらく安静が必要なんだと。実際、一番消耗が激しかったのは彼らだからね。彼らの粘りがなければ、俺たちの反撃も届かなかった」

「確かに……まあでも、みんな無事なら良かったよ」

「ニケ、安静が必要なのはお前も同じなんだぞ。後のことは他の連中に任せて、もう休んでおけよ」

 

 唐突にそう言ったルチアの顔を、俺は繁々と見つめる。

 何だこのトンガリ、どういう訳か今日は気持ちが悪いくらいに優しいな……明日は空から弓矢でも降るんじゃねーの……

 

「な、なんだよ……じっと見て……」

「わかった。じゃあ今日ばかりは、ルチア様のお言葉に甘えさせてもらうとしようかな」

 

 俺はルチアの膝を枕にして、ごろんとその場に寝転んだ。

 

「いやーお前の膝枕、やっぱ最高だわ。今日は助けてくれてありがとな……お前が同じ隊の仲間で、本当によかったよ」

「…………」

 

 おいコラ何で黙るねん。

 しかも何か頬赤らめてない?

 

 えぇ……こっちが珍しく素直に感謝の意を表明したってのに、何だその照れたような気色悪い対応は……

 ったく、野郎同士なのに勘弁してくれよ。アルタイルとヒョードルの手前、俺にその気があるんじゃないかと勘違いされるだろうが。ただでさえ、野郎ばかりの花園に辟易してるってのに……

 

「あ、そういや」

 

 身体を起こそうと、不意に腕を伸ばした瞬間、指先にツンとした感触が走った。

 ツン……からの、むにゅっ? 

 何だこれと思って力を込めてまさぐると、次の瞬間、右の頬に張り手を食らった。☆HARITE☆

 

 は?

 

 え、何でちょま……と思った瞬間、今度は左の頬に張り手を食らった。痺れるような衝撃のあと、痛みがじんじんと膨張していく。

 予想外の平手打ち、理不尽な二回連続攻撃に、俺は困惑した表情でルチアを見つめる。

 

 すると、奴は唇を噛み、顔を真っ赤にしてこう言った。

 

「これで目が覚めたか? お前に安静は不要だ。このバカ」

 

 ルチアは立ち上がると、ドスドスと肩で風を切り、足早に奥の幕舎の方へ消えていった。

 

 え……は? 

 何アイツ、どういうこと? さっぱり意味がわからんのだが……乳首? まさか乳首だったの? 野郎が乳首触られたくらいでキレてんじゃねーよボケが。

 男たるもの、触りたい放題のまさぐりたい放題。いつでもウェルカムくらいの気構えでいてほしいものだ。

 

「なあアルタイル……アイツ、何であんな怒ってんの? さっきと言ってること真逆だし。アイツも実はドラゴンに操られてんじゃねーのか」

「え? お、おう……そうだな」

「ニケ。オ前ニ気ガアルカラジャナイカ?」

「ちょ、ヒョードル……そんなはっきり」

「おいおいマジかヒョードル……ええ? それはちょっと……まずいだろ。色々とその、俺の性癖というか倫理的にほら……」

「エ」

 

 マジかよ。ニケさんってば、まーた野郎にモテちまったか……はあ。

 せっかく竜退治したのに、これじゃ意味がない。俺がモテたいのは男子じゃなくて女子なんだよクッソー……もうここまで来ると発想を転換して、逆に俺が女子になるしかないのか? 

 てか俺は男なら、美少年系でも優男系でもなく、ゴライアスみたいな荒削りなタイプがいいって何回言えば……ブツブツ。

 

 しょんぼりとした様子でため息をつく俺のそばで、アルタイルとヒョードルが(いぶか)しげな視線を向けていたことを、そのとき俺は知る由もなかった。

 

 

    *

 

 

 それから十日後、俺たちはアルルへの帰還を果たした。

 

 町人からの拍手喝采、王者の凱旋とまでは行かなかったが、バルザック家本邸に戻ると、叙勲式を執り行いたいので、しばらくのち大広間に集まってくれと言われる。

 何でもドラゴンを討伐した栄誉を称え、統領のバルザックから直々に、黒蹄勲章を授けてくれるんだと。

 

 ドラゴンの返り血まみれの臭そうなローブで大丈夫かな、いやでも一応洗濯したし……と不安に駆られていると、「別にそのままでいいゾ。オークに正装なんて概念はねえからナ。グシシ!!」とヌシに言われたので、ほなええかと時間を潰してから広間に向かうと、ヌシ以外のメンバーは全員ちゃんとした礼装に着替えていた。

 

 えぇ……

 

「まあニケさん、好きなのねえその格好。何か思い入れがあるのかしら……ふるさとに残してきた大切な彼女が織ってくれたものだったり……ふふふ」

 

 戦いの時とは異なり、髪をポニーテールに束ね、ほのかに甘い香水の香りがする。美しく着飾ったチュウタツにそう話しかけられて、俺はハハハと笑った。笑うしかないやろこんなん。

 精一杯良い方向に解釈してくれようとしている彼女の優しさが、心臓を貫いて痛い。君の優しさで僕の内臓が破裂しそうだよ。責任取って結婚してくれ。

 

「ま、まあ俺にとっては、ある意味これが正装ですから。宗教上の理由みたいなもんです」

「宗教上?」

「ええ……いかなる時も、自分らしくありたいという信念の……」

「さすがニケなのだ。俺が合わせるんでなく、周りが俺に合わせろ。最高にパンクな生き様なのだ」

 

 自分で言ってて死にたくなっていたところに、コウメイから、褒めてるんだかけなしてるんだかよくわからんお言葉を浴びせられて、心は文字通り十字砲火(クロスファイア)

 正面の窓格子をワイルドに突き破って、今すぐお家に帰りたい気分だ。

 

「お前、中々来ないと思ったら……せめてこういう場くらいは、ちゃんとした格好してこいよ。下で用意してくれてたじゃねえか。せっかく手柄立てたのに」

 

 珍しくクルーガーに話しかけられたと思いきや、そんなことを言われて、俺のお目々が点になる。

 

「は?」

 

 え? 下で用意……は? 

 言われてみれば確かに、みんなクルーガーと同じ、洒落た肩章が特徴的なダブルブレストのフロックコートに身を包んでいる。チュウタツやコウメイが珍しく、東洋風の服装してんなと思ったら、なるほどどうやらそういうことだったらしい。

 

 ちなみに俺が遅れて馳せ参じたのは、うんこに行ってたからである。コイツこの屋敷に来るたび、うんこしてんな……

 

 いやしかし……確かに屋敷に着くなりゴーイングトイレットで離脱してたのは事実だが、どうして屋敷の使用人たちは、俺が戻ったあと、「お着替えを用意してますよ」と声を掛けてくれなかったんだろう……

 

 これについては後日譚があり、あとから聞いたところによれば、使用人たちは俺のことを、討伐隊と一緒に帰ってきたスタッフの一人と勘違いしていたらしい。

 

 ……。

 俺、これでも一応、ドラゴンにとどめを刺した男なんだが……

 普段散々自分で影が薄いとか、闇より出でし者とかネタにしているくせに、いざ実際にこうやって他人から仕打ちを食らうと無性に哀しくなるのなんでだろう……なんでだろう……

 

 ショックの余り、俺は記憶を改竄する魔法をかけられていて、あたかも自分がドラゴンを討伐したかのように思い込んでいるが、本当はそれを遠くから眺めていたスタッフの一人だったんじゃないかと、真面目に勘ぐってしまった。

 

 おいニケ。お前は本当に……ニケなのか?

 

 拝啓、竜退治でお世話になった皆さん。

 俺、ニケにはなりきれませんでした。いつかどこかで、本当のニケくんに会えるといいですね……

 

 などとしょうもない与太話はさておき、程なく催された叙勲式では、バルザック家十五代目当主アレクサンドル・途中省略・ド・バルザックがお見えになった。

 

 頭部こそ潔いほどにハゲていたが、身長は思いのほか高く、鍛えられた分厚い体躯が、軍服越しからもはっきりと窺えた。

 整った口髭に、眼光鋭い目つき、厳めしい顔つきはなるほど確かに名家の当主と呼ぶにふさわしい威厳に満ちていた。

 

 さぞ近寄りがたいタイプなのかと思いきや、意外にそうでもないらしい。

 勲章のメダルを授与されたとき、

 

「おお、君がニケか……話は聞いているよ。ドラゴンを仕留めた、討伐の立役者だと。試験のときと言い、君はやることなすこと派手だな。目立たずにはいられぬ男のようだ……わざとやっているのか?」

 

 などと言われて、すごまれる。

 試験の時のやらかしが尾を引いていたこともあり、「いや、その、そういうつもりでは……ウェヒヒヒ」と気持ち悪い対応に終始していると、どういう訳かバルザックは、HAHAHAと破顔した。

 

「不言実行とでも言うのかな……私は君のような人間は好きだよ。よかろう。君の功績を讃え、試験の件は不問としよう。ただし、一つ条件がある」

「……条件、ですか?」

「うむ。跡地に植樹してくれんかね。ドラゴンスレイヤーが育てた木と名付ければ、三百年後には箔も付いて、アルルの観光名所になってるだろう。どうかね?」

 

 そこまで言うと、バルザックは呵々大笑した。

 

 後半の部分は冗談……でいいんだよな?

 お偉方のエスプリはハイセンスすぎて、庶民には理解しがたいでござるよ……隙あらばうんこの話してるような小生には特に……

 

「あの、植樹は好きにしていただいて構いませんけど、この機会に一つ、ぜひ閣下にご提案したいことがありまして……」

「ほう。言ってみたまえ」

「アルルのスローガンは、『どこか遠くへ』より『もっと遠くへ』の方が、格好良いと思いますよ」

 

 目が合って、三秒くらいの沈黙が流れた。

 バルザックの後ろに控えている茶坊主みたいな連中は、揃いも揃って鳩が豆鉄砲を食ったようなツラを浮かべている。背後の討伐隊の連中のリアクションが気になるところだが……ふむ。何だろうなこの懐かしい感じ……

 

 まるで学生時代、授業中に発言したら、「プークスクスあいつの声初めて聞いたぜ」と手荒な歓迎を受けた時のような……

 おいやめろ。昔を思い出すだろ。

 

「クリナムの紋章のことか。あれは公式に定めたのではなく、いつの間にやら流布していたものなのだが……」

 

 バルザックはふうむと顎に手を当てると、やがて俺の目を見て、ニッと破顔した。

 

「よかろう。この機会に、正式に制定するのも悪くない。前向きに検討するよう、部下に指示しておくよ」

 

 俺は深々と礼をして、後列に下がる。

 ヌシがニンマリほくそ笑み、ガイラルは呆れたように冷笑し、ルチアは目すら合わせてくれなかったのはここだけの話だ。相変わらずだなお前ら……

 

 そんなこんなで、叙勲式が終われば、レッツパーリー!

 

 まことに残念ながら、万障お繰り合わせならず、小生は欠席……

 といきたかったが、到底抜け出せそうな雰囲気ではなかった。いつの間にやら、欠席する奴は異端者のクソ漏らしのような空気が醸成されている。

 

 しゃーねーなー。

 こうなりゃ開始早々トイレに逃げ込むしかあるまい。トイレだけが、俺にとって唯一無二のベストフレンドだからな。

 アイツああ見えて結構、寂しがり屋だからさ。俺のケツで温めてやらないと、すぐに冷たくなっちまうから……放っておけなくて……

 

 などと脳内シミュレートに余念がない俺をよそに、乾杯の音頭が交わされ、宴はつつがなく進んでいく。

 宴には討伐隊のメンバーだけでなく、スタッフの皆やバルザック邸の要人、クラインの関係者らしき人物たちも参加していた。本件の依頼人である、ジギスムントも姿を見せていた。

 彼は俺の姿を見つけるなり、

 

「ニケさん……竜退治では多大なる尽力をいただいたと聞いています。このたびはどうも、本当にありがとうございました。亡くなった部下や、世話になった町の人たちも、これで浮かばれると思います」

 

 深々と頭を下げ、俺の手を握りしめてそう言った。

 目の端に涙を浮かべ、微かに嗚咽が漏れたその姿から、その言葉は紛れもない彼の本心なのだろうなと思った。見るからに温厚な好々爺という感じだ。

 そこまでガチで感謝感激雨あられされると、俺も頑張った甲斐あったというものだ。まあ頑張ったのは終盤だけだけどな。人はそれを美味しいとこ取りと言う。

 

 月は傾き、宴はいっそう賑やかさを増していく。

 お生憎様、こういう不特定多数を相手にしながらの場ってのが、俺はどうにも苦手だ。ソロだと喋りまくるくせにって? やかましいわ。

 

 別に他人に関心がない訳じゃないさ。

 俺だって、チュウタツ辺りをつかまえて、「今日の下着何色?」、「お尻、触ってもいい?」と聞いてみたい気持ちはある。いやそれは関心じゃなくて下心だろ。

 

 ぼっちはぼっちらしく、他人に迷惑を掛けないよう気配を遮断しておこうと、壁のそばの椅子にぽつんと座り、ワインを忙しなく口元に運ぶ。

 

 ふと目をやった先で、δ隊の面々、さらにはウェイ組筆頭のチェスターとルイーズが、ゲラゲラと大声で騒いでいるのが見えた。

 あらまあ気丈なことで。アイツらすっかり、元気になったんだな……

 

 やらかし組筆頭のご両人も、さすがに討伐での不始末を恥じ入ったのか、叙勲式への参加は辞退していた。報酬も一部返上するとか聞いて、内心少しがっかりしたのは記憶に新しい。

 おいおい、そうじゃねえだろ。もっとオラついて楯突いて吠え散らかして、クソ野郎っぷりを遺憾なく発揮してくれっての。それがお前らのアイデンティティーだろ。

 

 奥ではヌシとシセル、イケルのじいさんが盃を頻繁に酌み交わし、右手の方にはアルタイルにヒョードル、シセルとコウメイの四人が親しげに話しているのが見えた。

 

 ルチアは……まあアイツはどうでもいいか。

 なんか知らんけどアイツ、ドラゴンを仕留めたあの日以来、俺と一切口聞いてくれないんだよな……

 

 このまま一人でワインをちびっていると、いつの間にか後ろの壁に吸い込まれて、そのまま壁の一部になって永遠にこの世界に戻ってこれなくなるんじゃないかという恐怖に駆られたので、テラスに出て夜風にでも当たることにした。

 

「お」

 

 考えることは同じなのか、いやたぶん同じじゃないと思うが、同じくワイン片手に一人で夜風に当たっている男がいた。

 ガイラルだ。



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33 VS悪竜戦⑥ ~カフェ・プティフール

「よう。楽しんでるか?」

 

 酒が回っているのか、一体何から目線なのかよくわからんテンションで話しかけると、ガイラルが肩越しにこちらを見た。

 

「下戸の私が、こういうのを楽しめると思うか? はっきり言って拷問だ」

「あれ? そのグラス、白ワインじゃないのか?」

「水だよ。ワインなんざ不味くて飲めるか」

「ああ……ホントに一滴も飲めないタイプなんだな……。確かにこういう場で酒が飲めないとなると、それはそれで辛そうだ」

「ニケはまだ飲み足りないんじゃないのか?」

「そうだな。グラスなんてセコいこと言わないで、樽単位で持ってきてほしいぜ。そしたら頭の上から酒を被る酒行、またの名を『全身飲み』という俺の特技を披露できるんだが……」

「頼むから披露するなよ」

 

 ワインをあおると、ボーイがすぐにグラスを交換してくれた。気が利く。

 

 青白い空には満月が浮かび、吐く息は白い。アルコールのせいか、寒さはあまり感じなかった。

 

「まあ色々あったが……無事帰ってこれてよかったな。死人も出さず、ドラゴンも仕留めて、上出来すぎるくらいの結果なんじゃないか」

「そうだな。どこぞの馬鹿オークのせいで、一時はどうなることかと思ったが……」

 

 ガイラルは背の高いテーブルにグラスを置くと、テラスの欄干にもたれて、おもむろに空を見上げた。

 

「むしろ本当に骨が折れるのは、これからかもしれん。謎は依然として残されたままだ」

「そういや、ルチアが言ってた魔眼の話はどうなんだ? 一考の余地はあると思うが」

「ああ、アレか……一般にオークや亜人は、エルフや人間と比較すると、魔力の耐性が低いとされている。ドラゴンのおかしな眼力にヌシが魅入られていたと考えれば、腑に落ちない話でもない」

「到底腑に落ちた奴の言い草じゃないな」

「当然だろう。ふざけるなよ、何が魔眼だ。人心を操るなんてそんなことされたら、俺たち白魔術士は立つ瀬がなくなる。今まで信じてきた魔法観が壊されるような思いだ」

「気持ちはわかるよ。人心に働きかける魔法の研究及び開発は、教団の掟で禁忌とされているからな」

 

 ガイラルは応じなかった。複雑な心境を映し出すかのように、うつむき、唇を噛んでいた。

 ゆらゆらと揺れているワインの表面をじっと見つめながら、俺は言った。

 

「ドラゴンの遺体は回収したと聞いたが」

「これから検証を進めていく。魔力泉との因果も含めて、直に謎が解き明かされるだろう」

「そうか……実は正体は人間でした! とかならねえだろうな。アルバ・ユリアの昔話みたいに」

「ヒョードルが言ってたヤツか。あれこそファンタジーだよ。信仰が科学をねじ伏せていた時代の神話に過ぎん」

「俺もそう思うけどよ……神として崇められた、神聖なドラゴン様ですらイカれちまうような、派手な魔力の暴走を、それが引き起こす因果を、俺たちはこうして目の当たりにしちまった訳だ。人間様も、決して他人事じゃないと思うが」

「何が言いたい?」

 

 ガイラルは視線をぐるりと、俺の方へと向けた。

 ワインを一口飲み、半笑いを浮べて、俺は言った。

 

「人間は過剰な魔力にさらされることで、悪竜やアンデッドのようなバケモノに変異する可能性がある――そう言いたい」

 

 濃紺の空に浮かんでいた月が、雲間に隠れる。

 やがて、嘆息混じりに、ガイラルが言った。

 

「滅多なことを言うなよ。お前、教団に消されるぞ」

「魔族を絶対悪とみなす教団の教義からすれば、人間と魔族が、元をたどれば同じ種族であると示唆するような主張は言語道断……だっけか?」

「そうだ。だからこそ教団は、黎明期に異教徒を徹底的に排斥することにこだわった。アルバ・ユリアの昔話に出てくるような説を頑として認めなかった。お前もそれなりに学があるのなら、その辺の歴史は詳しいだろう」

「まあね……ま、真実はどうあれ、俺たちは触れてはならない扉に、触れてしまったのかもしれんな。そうやって目くじら立てるのは、立てるだけの理由があると考えるのが自然だと、俺は思うんでね」

「お前のようなことをほざいて、亡骸が下水道に浮かび上がってた連中を、俺は何人も知ってるよ」

「ハハッ。仕事熱心で有名な、暗部サマのご活躍か……」

「正式には異端審問官だ。連中を甘く見ない方がいい。影より薄く、闇より昏く、月より無慈悲……俺のように神官として教団に属していた人間すら、連中のことはまるで尻尾が掴めない。徹底した秘密主義を貫いている」

「じゃあ、仲の良い同僚が実は……なんてことがあり得る訳か。嫌な職場だな。どおりで教団の神官は性格の悪い奴が多い訳だ」

「ああ。ニケには向いてると思うよ」

 

 からかうように微笑を浮べると、ガイラルは手元の水を飲み干す。グラスをテーブルの上にことりと置くと、ため息をついた。

 

「妙に眠くなってきたな……辛気臭い話はこの辺にしておこう。せっかくの酒が不味くなる」

「お前飲んでないだろ」

「……ニケはこれから、どうするつもりなんだ?」

「東方へ向かう。エフタルに行きたいんだ」

「エフタル? どうしてまたそんな遠くに」

「アルス・ノトリアを探してるのさ」

「アルス・ノトリアって……魔導師ノルンの伝承で有名な、あのグリモワールのことか? そういや、エフタルが発掘したとか何とか、数ヶ月前に噂で聞いたな」

「ああ。どうしても、手に入れたい理由があってね……」

 

 雲間から射す月明かりに、遠くの海がほのかに照らし出される。

 背後の喧騒がほんの少しだけ、遠ざかったような気がした。

 

「……魔導師ノルンは、実は教団から疎まれていたって話は知ってるか?」

「ああ。自慢じゃないが、俺はアヴァロニア一のノルンフリークだからな」

「彼女が一次東征後、あらゆる仕官のオファーを断り、世界を旅したのは、教団の目から逃れるためだったという説もある。自身の秘術を分冊して隠すなんて面倒な真似をしたのも、死後、教団の手で、自らの人生を費やした研究の数々が抹消されるのを許せなかったからだ。つまり――」

「教団もエフタルのアルス・ノトリアを狙ってるって、そう言いたいのか?」

 

 ガイラルが言うより早く、言の葉を継ぐと、彼はふっと微笑を浮かべて見せた。

 

「……もちろんそれもあるが、妙な噂を聞いてな。帝国がアルス・ノトリアに関心を示しているらしい」

「帝国が?」

 

 ガイラルがうなずいた。

 

「皇帝クラウスは、禁術にいたくご執心のようでな。不老不死だの、魔術による人心掌握を目論んでいるとか、色んな噂が流れている。囚人や身寄りのない子供を集めて、研究と称して人体実験を繰り返しているとか、そんなうさん臭い流言飛語まで飛び交う始末だ」

「おいおい。古今東西、栄華を極めた権力者が行き着く先は同じかよ」

「真偽はともあれ、お前も西方に向かうなら、気をつけることだな。予期せぬ所で、思いも寄らぬ相手を敵に回すことがある。お前がやろうとしているのは、そういう危険と隣り合わせなんだと自覚しておいた方がいい」

「ご忠告どうも。せいぜい死なない程度に頑張るよ」

 

 鼻で笑い、俺はグラスに残ったワインをごくりと飲み干す。

 

「いや……もう手遅れかもな。ほら、後ろ――」

「え?」

 

 言った瞬間、勢いよく肩を掴まれる。

 何奴と思って振り向いた時には、すでに手遅れだった。

 

 荒々しく身体をつかみ取られ、足下をすくわれたと同時、視界が空を向く。そして激しく上下に何度も揺れた。これは――

 

 …………胴上げ?

 

「飲み足りねエ奴がここにいるぞオオオオ!!! その名は我等が討伐隊の立役者、竜殺しの魔術士!! ニケだああああああああ!!!!!」

 

 

「ウオオオオオオオオ!!」と謎の歓声が上がり、ワッショイワッショイと俺の身体が、何度も何度も宙を舞った。

 

 声から察するに、音頭を取っているのはヌシか。

 どうやらシセルにイケル、チェスターにオーウェンにスタッフたち、酔っ払ってすっかり出来上がってしまった野郎どもが、狂喜乱舞しながら俺を胴上げしているらしい。

 

 いやいや……僕こういうノリをこの世で一番憎んでるんで……マジ勘弁。

 からのーーーーーー?!

 

「よっしゃあ酒持って来い酒!! バレルごと持ってこいやァ!!!」

「ウオオオオオオーーー!!!!!」

 

 そして運ばれた樽を、魔力で浮かし、俺は頭の上からワインを被るという酒行、またの名を全身飲みを披露した。I am the entertainer.

 

「どうじゃあああ!!! これがロゼッタ三番街宿屋の息子にして竜殺しの魔術士、ニケの全身飲みじゃあああああああああああ!!!!!!」

「ウオオオオオオオオオオオーーーーーーー!!!!!」

「者ども出会えエエエエエエエ!!!! 宴じゃ! 祭りじゃ!! (いくさ)じゃあああああああ!!!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーー!!!!!!!!」

 

 そしてロゼッタ三番街宿屋の息子にして竜殺しの魔術士こと俺が、再び胴上げされる。

 

 その辺りを最後に、俺の記憶は定かではない。

 

 

    *

 

 

 #$%&’☆▲()~=~`+*?{|<○×>?

 くぁせdrftgyふじこlpキンタマ??????

 

 …………あぁ……

 めっちゃアタマ痛い…………

 

 ガバッと勢いよく起床すると、窓の外からチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえた。そしてガシッと、右手で顔を鷲掴みする。

 

「…………」

 

 猛烈な二日酔いでグロッキー。

 夕べは一体どうやって寝床に辿り着いたのか、一切の記憶がござらぬ……

 

 何かの間違いで、隣でスヤスヤチュウタツが眠っていたりしないかと思ったが、そんなことはなかった。王様サイズのやたらデカいベッドの上で、シーツを何度もまさぐってみるが、断じてそんなことはなかった。

 そろそろドアが開いて、「あらまあニケさん。ゆうべはお楽しみだったわね。ふふっ……見かけによらず、ずいぶん大胆なのね」などと耳元で囁かれる展開を夢想したが、ドアは永久に開く気配がなかった。

 

 

 

 俺は一人だった。

 

 

 

 ていうか……ここどこ?

 まあ考えるまでもなく、バルザック邸だわな。昨日散々飲んで騒いで酔い潰れて、誰かがこの部屋に運んでくれたんだろう。

 

 やっべー、記憶がなくなるほど飲むっていつ以来だよ。確か四ヶ月前くらいにクラインの酒場で……結構最近だなオイ。まあ、あの時は一人だったが……え? 一人で記憶がなくなるまで飲むってどういうことなの? 逆にすごくない?

 

 俺の一人上手もついにここまで達したかと感心半分絶望半分、益体もない思考に頭を巡らせていると、不意にドアがノックされる。

 扉が開いた瞬間、俺はハッとしてときめいた。

 

 まさか……チュウタツ?

 

「うっすニケ! おはよーさン!! そろそろ目ェ覚ましたかと思ってよ! これから一緒に風呂でもいかねエか? グシシシ!!!」

 

 筋肉バキバキ、声量マシマシ、存在感ムンムンのオークが、そこにはいた。

 

 俺は無情なる心で天を仰いだ。



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34 宴のあと

 バルザック邸の1階には、大浴場があるらしい。

 メテオラ語で言うところの、テルマエである。東洋では風呂というと一般に行水を指し、一部の特権階級を除いて、湯水を張った浴槽に浸かるという慣習はない。

 

 ただし、ガラテアやノルカ・ソルカといった北方諸国は、例外だ。

 北方はその辺適当に掘ったら、鉱泉がボンボコ湧いてくるという東洋有数の温泉地のため、公衆浴場が町の至る所にあり、庶民であっても、日常的に湯船につかる習慣がある。

 特に現騎士王のお膝元、ガラテアの首都カトブレスは東洋一の温泉街として有名で、湯治を目的に訪れる貴族や旅人も多いんだとか。

 

 さて、我等がアルル公も、そんな温泉の魅力に取り憑かれた一人だという。

 

 ヌシ曰く、バルザックが若かりし頃、カトブレスに留学していた折に、温泉にどっぷりハマってしまったんだと。これはたまらん。俺の代になったら、いつか絶対、屋敷にサウナと大浴場をこしらえてやると、彼は心に誓い……そして幾星霜。

 

 前髪が後退し、髭に白いものが混じり、腹も出始めた頃、バルザックはついに自らの夢を実現させる。

 

 鉱山地帯として有名なザクソンからマーブルを厳選して取り寄せ、サウナ発祥の地であるノルカ・ソルカから職人を直々に招き、このためにわざわざ、温泉が掘れるアルル西部の高台に本邸を移したという手の込みようである。

 積年の思いが爆発したのだろう。どおりで、ヤツの頭はいつだってツルツルテカテカな訳だ。

 

 ただ、ヌシによると、自分一人で独占するのはもったいないから、空いた時間は部下や使用人の使用を許可しているらしい。

 

 一説によると、ハゲは失った髪の数だけ人に優しくなれる人間と、失った髪の数だけ狭量になっていく人間の二種類に分かれるという。

 バルザックは前者だったのだろう。名君にふさわしい、度量の広さを窺えるエピソードである。HAGE & PIECE.

 

「かーッ! 散々飲ンだくれた次の日の朝風呂は最高だナ……おめェもそう思うだろ、ニケ」

「おう。これは……たまらんな。最高だ」

 

 実際、最高だった。

 これだけ広々とした湯船につかったのは初めてということもあり、最高だ。

 何が最高って、この開放感と心地よさよ。バルザックが温泉にハマった理由もわかる気がするぜ……

 

「しっかし、おめェの昨日の悪酔いっぷりは最高だったナ……あそこまで、はっちゃけたヤツだったとは。普段は大人しいくせによ」

 

 言われて、ギクリとする。

 厳密に言うと、素面の時は表に出さないようコントロールしてるだけで、普段から十分アタマおかしいんだよなあ……。

 酒が入ると、タガが外れちまうのか、秘めたるダークサイドが炸裂しちまうって寸法よ。

 

 まあ何が言いたいかって、ご迷惑お掛けして大変申し訳ございませんでした。

 

「なあ、俺何かヘンなことしてなかったよな? 途中からほとんど記憶がなくて」

「ヘン? 俺も酔ってたからなア……なンか女子にモテたかったとか、やたら叫んでた記憶はあるが」

 

 最悪じゃねーか。

 嗚呼、ドン引きしてる女子諸君の顔が浮かぶ……せっかく竜退治の一件で、好感度急上昇からのモテ期到来だったはずなのに、全部台無しだよ。最悪だよ。時間を巻き戻したいよ。

 

「まあいいじゃねエか。みんな楽しそうだったし……酒行だっけか? あれやったときはみんな腹抱えて爆笑してたゾ。滅多に笑わねえ北方人のガイラルやクルーガーですら、笑ってたし」

 

 バカ野郎、野郎の評価なんざ死ぬほどどうでもいいんだよ。俺が欲しいのは、綺麗なお姉さんたちからの羨望の眼差し、それのみよ。

 クッソー……女性陣にはCool & Stylishなニケさんを、最後までお届けしたかったのに、どうしていつもこうなっちまうんだ……

 

「ん? ガイラルはともかく、クルーガーって北方人なの?」

「知らなかったンか? アイツはノルカ・ソルカ出身で、ガイラルの同郷だゾ。いわゆる幼馴染みってヤツだ。昔は一緒にパーティー組ンでたしナ」

「ふーん、パーティー……って、は?」

 

 え……クルーガーとガイラルが幼馴染み? しかも同じパーティ?

 

 嘘だろ。みんな大好きウホウホオラつきマンは、自由と孤独と強がりと一抹の寂しさだけが友達だったはずじゃ……結構友達多いな……

 

「いや、でも……あの二人仲悪いだろ」

「そこは勝手知ったる仲だから、余計にナ……いざこざがあってからは、ずっとギクシャクしてるみてエだし」

「いざこざ?」

「あー……ここだけの話だが、実はもう一人幼馴染みの魔法使いがいたらしくてナ。とあるクエストで、その魔法使いが命を落としたそうなンだ。それが原因で、パーティーも解散しちまったらしい」

 

 えぇ……

 つまり、俺が勝手に捏造した、「アイツよォ。実は過去に、仲間の魔法使いを亡くしてるんだ。自分の不注意で守れなかったって、ずっと後悔してて……もう、自分の前では魔法使いが死ぬところを見たくないんだろうな。だからつい、魔法使いを見ると、あんな風に厳しくなっちまうんだよ……」のエピソードが大体合ってるってことか?

 

 マジかよ。ピカレスクヒーローことウホウホオラつきマンの悲しい過去なんざ、知りたくなかったぜ……

 

「今回の討伐をキッカケに、ヨリを戻してくれたらなんて考えちゃいたが……まあそう上手くはいかンわナ」

 

 でしょうね。

 この種の人間関係のいざこざは、時間が解決なんてしてくれないからな。むしろ歳月が流れるほど、双方の間に横たわる溝がより深く、より強固になるなんてよくある話だ。

 

 ヌシは湯水を掬ってバシャバシャと顔を洗い、頭の上に乗せたタオルで拭うと、ふーとデカいため息をついた。

 

「ところでニケ。おめェ、エフタルに行くンだって? ガイラルに聞いたぞ」

「耳が早いな」

「グシシシシ……正直、残念だよ。実は、おめェにはよければウチで働かないかと打診するつもりでいたンだ……かつてのガイラルみたく、良い仲間になれそうな気がしたからナ」

 

 意外な申し出に、ぶっちゃけ驚いた。

 無職の誓いを破り、定職に就ける絶好のチャンス。ありがたいことこの上ない話ではあるが……

 

「気持ちは嬉しいが……俺はそこまで大した奴でもなんでもないよ。竜退治に関しては、正直美味しいところを、かっさらっただけだし。全体の貢献度で見れば、ガイラルやルチアの方がよっぽど上だと思うぞ」

「まあ、それはそうかもしれンが……戦いには、失敗が許される場面と、絶対に失敗が許されない場面の二つがある。あの局面は、間違いなく後者だった。そこで賭けに勝ったおめェの働きぶりは、誇っていいモンだと俺は思うぜ」

 

 ヌシは俺の目を見て、「グシシ!」と両肩を揺らして笑った。

 俺は湯船に身を預けたまま、視線を天井に移した。

 

「ありがとよ……だが悪いな。俺にはどうしても、やりたいことがあるんだ」

「そう言うと思ったゼ。おめェの人生はおめェのモンだからな。心残りはあるが、おめェがそう言うなら、こっちは潔く送り出すまでよ。報酬の件も安心してくれ。満額支払われるよう、渡りはつけておく。バルザック様が言ってたとおり、試験の件もチャラだ」

 

 ということは……

 うほほほーーーい!! 百万フランゲットォーーーーーーー!!!!!

 

 内心歓喜のファンファーレを打ち鳴らす俺だったが、にわかに冷静になる。

 

「ヌシ、報酬の件なんだが、その……現物支給という訳にはいかないか?」

「現物支給?」

「率直に言うと、馬が欲しくてな。討伐のときに借りてた馬が相性良くて、実は結構気に入ってるんだ……無理を承知でお願いなんだが、できれば貰い受けることはできないかと……」

「ああなンだ、そういうことかよ……グシシ! いいぜ。現物支給なんてケチ臭いこと言わず、タダでくれてやるさ」

「タダ?! いや、それはちょっと……」

「エンリョすンな。俺は昔から動物の世話するのが好きでよ……この屋敷の馬の管理は俺が預かってるンだ。おめェは俺やガイラルにとって、命の恩人でもあるからナ……馬くらい安いモンよ。受けた恩義は倍にして返すのが、オークの流儀なんでナ」

 

 ほあー、そりゃまた気前のいいことで……

 やっぱ図体がデカいと、心の広さの基準も壮大なんだな。俺ら人間やエルフとは違う。恨みに嫉み、憎悪の類いは十倍返しがモットーな小生が、生きてて恥ずかしくなってくるでござるよ……

 

「懐の寂しい旅人なモンでな……そう言ってもらえると、本当に助かるよ。ありがとう」

「オウよ。今回の件は借りにしとくぜ。この先もし、困ることがあったら、いつでも俺らを頼ってくれ。力になるからよ」

 

 頼ってくれ、ね……

 目頭がほんのりと熱くなったのは、たぶん風呂のせいだな。そういうことにしとこう。

 

「わかった。じゃあ今度、恋愛相談でもするよ」

「グシシ! そりゃアレか? ルチアのことか?」

「ん? 何でアイツの名前が出てくるんだ?」

「何でも何も、お前らいいカンジだったじゃねえか。意外と合ってると思うゾ」

 

 HAHAHA……またまたご冗談を。

 そもそもイリヤ教団は、同性愛禁止してるんだゾ。ヌシったら、いくら心が広いとはいえ、禁断の愛まで認めちゃいかんでしょ……

 

「やめてくれよ。いくら女子にモテないとはいえ、何で野郎とくっつかなきゃならんのだ」

 

 ヌシは沈黙した。

 余りに長い沈黙だったので、不審に思い、彼の方を見ると、ばっちり目が合った。

 

「野郎って……え? どういうことだニケ」

「どうもこうも、アイツは男だろ」

 

 ヌシは再び沈黙した。

 余りに長い沈黙だったので、不審に思っていると、ヌシが頭の上のタオルをそっと湯船の縁に置く。そして、ポンと俺の肩に手を置いた。

 

「ニケ。何をどう勘違いしたのか知らンが……ルチアは女の子だぞ。れっきとした、女性だ」

 

 五秒後、俺はその場から立ち上がった。

 ザバァと湯水が浴槽からあふれ、キンタマ丸出しの状態で、俺はヌシに問うた。

 

「あ? 何だって?」

 

 

    *

 

 

 これまでのあらすじ。

 

 ルチアは男の子じゃなくて、女の子でした! 

 ☆NANTEKOTTAI☆

 

 一人称「僕」とか、胸が洗濯板とかは、些末な言い訳にすぎん。すべてはヌシのこの一言に凝縮される。

 

 普通気付くだろ。

 

 言われて見れば確かに、整った顔立ちも美少年というより美少女寄りだし、いつも香水の良い匂いがしてたし、妙によそよそしかったり、雨に濡れたとき恥ずかしそうにしてたり、振り返れば気付けるフシはいくらでもあった。

 

 それら全てを尽く見落とすとか、コレもうね……己の無神経・無配慮・無頓着のステータスの高さに絶望するわ。非モテの三位一体。天賦の才を感じる。

 

 しかも俺、どさくさに紛れてアイツのおっぱい触ったような……

 そうか。あのときの予想外の平手打ち、理不尽な二回連続攻撃、以後シカトの三連コンボは、要するにそういうことだったのか…

 ちなみに小ぶりながら結構柔らかかったように記憶している。先っちょはトンガってたけど……☆大丈夫☆先っちょだけだよ。この先は君の目で確かめてくれ。

 

 謝れるものなら今すぐ土下座したい所ではあるが、討伐隊は昨日を最後に解散しちまったし、これから会う機会もなさそうだし……

 

 ていうか、謝るって何を謝るんだ? 

 「ごめんなさい、今までずっと男と勘違いしてました! ウェヒヒヒ……」とかコレ、謝罪を装った高度な煽りにしか思えん。

 俺がルチアの立場だったら、鳩尾(みぞおち)に正拳突きを食らわせたあと、背後から腰をつかんで後方に反り投げブチかます案件ですわ……

 

 などと、馬小屋の前で己の業の深さを深く恥じ入っていると、ヌシが馬を引き連れてきた。

 

「ほれニケ。手綱に鞍に、装備も討伐の時そのままにしといたぞ」

「何から何まで悪いな……ありがとう。助かるよ」

「可愛がってやってくれよ。コイツは北方産のカルマル種で、気立ての良い、丈夫な牝馬だ。おまけに美人ときてる」

「美人? 馬にも美人とかあるのか」

「もちろンだ。毛並みの美しさとか鼻筋立ちとか、筋肉の張りとかナ。コイツはウチの馬の中でも、一・二を争う美人だぜ」

「ほーん……名前はあるのか?」

「ポチョムキンだ」

 

 ふむ……ポチョムキンか。

 個人的には、少し幼稚かな。これから世界に進出するにあたって、ここは言葉遊びやテーマ性をこめた名前がほしい。こいつは青鹿毛だから、ファングオブダークネスとか、黒蹄焔王とかどうだろう? 

 いや、何も名詞である必要はない。エッジの利いた文章の方がパンチがある。「最終警告。黒き咆哮」とかね。

 

 うん、良い訳あるかボケ。

 何だこの、背中がむず痒くなるようなネーミングセンスは……お前もう23になったんだよな? いい加減、そういうのは卒業せんか。

 

「わかった。これからよろしくな、ポチョムキン」

 

 そう言ってたてがみを撫でると、ポチョムキンは再会を悦ぶように「ヒヒーン!」と鳴いて、尻尾を振っていた。

 おお……よしよし。愛いヤツめ……

 

「しっかし、満を持して勇者が立ち上がり、東洋はこれから大戦(おおいくさ)ってときに、西方に向かうたァ、おめェも変わったヤツだよナ」

「ふん。俺の夢は、時代の奔流に呑み込まれたりはしねえのさ」

「言ってくれるじゃねェか……グシシ!」

 

 鞍袋に荷物を詰め、出発の準備が整ったころ、ようやくガイラルが姿を現した。

 ヌシが「オウ、遅かったじゃねェか。なンかあったンか?」と尋ねる。

 

「ああ悪い……昨日からどうにも気分が優れなくてな。眠気がひどい」

「大丈夫か? 疲れが溜まってンじゃねェか?」

「それは今に始まったことじゃないが……おまけに、朝から色々立て込んでてな。お前には後から話す。ひとまず大丈夫だ」

 

 ガイラルは俺の方へ向き直り、スクロールのようなものを差し出した。

 

「ニケ。エフタルまで長旅になるだろうが、気をつけてな。これは餞別だ」

「餞別?」

「ああ。ガラテア周辺の地図だ。陸路で中西部へ抜けるルートは二つあるんだが……どちらも難所で有名だから、本気で陸路を選ぶのなら、よくよく調べて入念に装備を調えてから挑むように」

「おめェはニケの母ちゃンかよ」

「事実なんだから仕方ないだろう。片方は果てない荒野で魔物の巣窟、もう一方は深い森でエルフの縄張り。東洋と西洋の緩衝地帯といえば聞こえは良いが、実態は双方から見捨てられた、事実上の無政府地帯。はっきり言って、ロクでもない地方だよ」

「おいおい……俺はそんなとこ抜けなきゃいかんのか……」

「よほど旅慣れた奴か、自殺志願者でもない限り、普通は海路を選択するよ。討伐の報酬も支払われることだし、一度考え直した方がいいんじゃないか」

 

 むーんと眉をひそめる俺を見て、ヌシが「グシシシ……」と微笑した。

 

「アヴァロニアの冬は厳しい。雪解けまではどうせ身動き取れねえだろうし、その間にルートを再考するなり、道連れでも見つけるなり、手は打っとけよ」

「それがいいだろう。陸路にせよ海路にせよ、一人でエフタルに行くなんて、正気の沙汰じゃないぞ。中西部は、お世辞にも治安が良いと言えるような場所じゃないからな。東洋と比べて人の手が入っていない未開拓の地域が多いこともあって、魔物も一段と凶暴さを増すと聞く」

 

 おいおいマジか……弱ったね。ついに、俺のソロプレイも潮時ってことか。

 

 こんな時にサクっとパーティーを結成できるコミュ力など俺にはあろうはずもないので、どうしたものか……まあ現実的な手段としては、用心棒を雇うしかないかね。

 ビジネスですよ。ビジネス! 健気に見える人々も、心の底を叩いてみれば、どこか哀しい音がする……チャリンチャリーン! ってね。

 

 嗚呼、かくもさもしきこの現代社会。

 なんだって金で買えちまう。命、夢、信頼、そして愛さえも……虚飾と欺瞞に満ちたこの世界の片隅で、紛い物じゃない、本物の関係なんて、僕には見つけられるのだろうか……

 

 毎度お馴染み本日のポエムも程々に、俺は二人に向けてすっと手を差し出す。

 そして、がっちりと握手を交わした。

 

「二人とも、世話になった。色々ありがとな……ああそうだ、一つ言い忘れてたことがあって……」

 

 ポチョムキンにまたがった所で、俺は二人に言った。

 

「春先にルナティアのモンフォール家から、第三公女が嫁いでくるはずだ。最初は面食らうと思うが、噛めば噛むほど味が出てくる面白いヤツだから。可愛がってあげてくれ。一つよろしく頼むわ」

 

 ヌシとガイラルは、互いに目を見合わせる。

 三秒後、ヌシがぽかんとした様子で言った。

 

「たまげたなァ。おめェ、何でそンなこと知ってンだ」

「たまげたも何も、これは屋敷でも幹部しか知り得ない機密情報だぞ……どうしてお前が……」

 

 かくかくしかじか、ソフィーのお嬢は俺の弟子(向こうはそう思ってない)なんだよと、ルナティアでの経緯(いきさつ)を説明すると、ヌシとガイラルの表情がますます険しいものとなった。

 

「わからん。お前本当に、何者なんだ……」

「何者もクソも、只者なんだが。マイネームイズ凡夫だよ。凡夫」

「その凡夫ごときが、どうしてこんなセンシティブな情報を知り得るんだ……」

 

 ガイラルがそう嘆くと、ヌシが両肩を揺らして笑った。

 

「要はそれだけの信頼を勝ち得たってことだろ……こう見えてニケは、気難しいヤツの懐に入っていくのが意外と上手かったりするからなァ。誰とは言わンがナ。誰とは」

「上手い? 常人ならば決して選ばない角度から侵入してきて、気付いたら背後に立たれているって表現が正しいと思うが」

「人をプロの強盗みたいに言うなや……」

 

 奴はとんでもないものを盗んでいきました……私の心です、ってか? 新たなピカレスクヒーロー、ウホウホストレンジャー爆誕の瞬間だな。

 冗談はさておき、そのやり取りを最後に、俺は今度こそ屋敷を後にした。

 

 胸に秘めたるは、我等狩友永久超絶不滅の誓い。

 義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし……

 

 今度会うときは、敵同士でないことを祈りたいものだなと、益体もない捨て台詞を考えては、一人馬上で悦に浸る俺であった。



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35 後日淡々

「おめでと~!! まさか本当にドラゴンを討伐して、手柄まで立ててくるなんて! さっすが~! 私も推薦した人間として鼻が高いわ~♪」

 

 報酬を受け取りにギルドへ赴くと、受付のお姉さんが出会い頭に満面の笑みを浮かべては、そんな風にマシマシのニギニギで褒めてくれた。

 例の如く、「ウェヒヒヒ……」と薄ら笑いを浮かべながら照れていると、高額案件なので支払い含めて諸々の手続きは別室でと言われ、奥の部屋に通される。

 

 革張りの長椅子に腰掛け、出された湯飲みには茶柱が立っていた。

 これは吉兆。

 

 しかしここで南洋由来の緑茶をチョイスするとか、中々渋いセンスをしておるな受付嬢よ……個人的には紅茶より緑茶の方が好みだから、ニケさん的にもオールオッケー! 

 

 それから、十五分くらい待たされた。

 

 えらい遅いな……

 これはアレか。受付のお姉さんがドアの外で、「どうしよう……ここで想いを告げないと、彼は旅立ってしまうのに……でも、私ったら勇気が……ああもう! しっかりしなきゃ、私ったら!!」と逡巡している時間待ちか。

 

 へっ、モテる男はつらいねえ……いいぜ。ちっとぐらい長いプロローグで絶望する俺じゃない。ずっと待ち焦がれてたんだ、こんな展開を……

 アルル最後の夜は、君のために捧げると誓うYO――

 

 などと、気持ち悪い妄想にも飽きてきたころ、ようやく部屋のドアが開いた。

 

 受付のお姉さん……ではなかった。

 犬耳でオールバック、肩に髪が掛かるほどのロングヘアー、モノクルをかけ、キッチリとした身なりの真面目そうな獣人のオッサンが現れる。

 年頃は三十代、俺より一回りくらい上かな……人間換算だとそれくらいだろう。そしてその後ろに、受付のお姉さんがいた。

 

「紹介するわね、こちらが私の上司の支部長よ」

「どうも。支部長のスメラギです」

 

 シブチョーのスメラギは対面の長椅子に腰掛けると、俺の目をまっすぐ見つめてくる。クンクンと鼻がひくついている所は、なるほど犬耳族っぽい。

 やがて彼は、モノクルのフレームに、すっと手を当てた。

 

「ニケさん。報酬の件ですが……単刀直入に申し上げます。今より数時間前、貴方に支払うはずだった報酬は、全額差し押さえられました。よって、当方が貴方に支払う報酬は、1フランたりともございません」

「そうですか……って、は?」

 

 アイスブレイクもなしに唐突に放たれた死の宣告に、呆然として言葉を失う。

 三人の間を天使が通り過ぎたあと、シブチョーは俺に封書を渡した。

 

「詳しくはこちらを。差押人からの書状です」

 

 言われるがまま、封書を開ける。そこにはこうあった。

 

 

「親愛なる竜殺しの魔術士へ

 

 よおゴクツブシ。元気でやってるか?

 

 ちょっと見ない間に、モンフォールのお嬢にちょっかいかけたり、ドラゴンぶっ殺したり、色々楽しんでたみたいじゃねえか。

 ロクでもなかった時代のお前を知っている数少ない人間の一人として、ここ最近のお前の活躍ぶりは、我が事のように嬉しい限りだよ。

 

 だが同時に、あのどうしようもなくくだらなかった時代に戻りたいなんて欲求が、そろそろ芽生えてきてるころなんじゃねえか?

 まして、人から褒められることなんざ、久しくなかったお前のことだ。変わり行く景色の激しさに、戸惑っているってのが正直な所だろうよ。

 

 いいこと教えてやる。

 それは贅沢な悩みっていうんだぜ。

 

 報酬は全額いただくことにした。

 これでツケまくってたお前の酒代はチャラだ。お前の実家の安全も保証してやる。

 

 悔しいか? まあこれも一つの社会勉強だよ。

 あんな形でロゼッタを出て行ったくせに、俺のギルドを使って小遣い稼ぎしようとしたお前が悪い。そんなことやったら、情報が筒抜けになるに決まってんだろ。馬鹿なの? 

 俺は悪くない。お前が悪い。お前の責任。要するにお前が全部悪い。

 

 まあそんな可哀想なお前のために、お前の親父さんには、お前の意志でギルドに100万フランもの送金があった。これで督促状の件はチャラですと伝えておく。

 俺のせめてもの優しさだ。額を地面にこすりつけて、這いつくばって感謝しろよ。

 

 これからは西方に向かうんだろ? 

 財布スッカラカンで、陸路を選ばざるを得なくなったお前に朗報だ。ガラテアの首府、北の白都カトブレスにも、アルルと同様クラインの支部がある。

 今後とも変わらぬご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 P.S. 最近アリシアが俺に会うたびに、クソ無職はどうしてんだって訊いてきてウザいんだが。何なの? 俺が知ってる以上に、お前とアイツの間には何かあんの?

 

 

 クライン ギルドマスター トラヴィス・クローバー」

 

 

「…………………………………………………………」

 

 俺は絶句した。

 ふと右端を縦読みしたら、

 

「ニ・ケ・さ・ん、だ・い・す・き……? これは……」

「そこに気付くなんてさすがだわ……そうよニケさん、これが私の気持ち」

 

 シブチョーがそこで、パーン! とクラッカーを打ち鳴らす。

 

「この手紙は彼女がギルドマスターの名を語って、創作したもの。つまりドッキリさ」

「支部長の言うとおりよ。私が本当に貴方に伝えたいこと。今度は勇気を出して、自分の口から言うね……」

 

 俺の目をじっと見ると、受付のお姉さんはやがて俺の手にすっと触れた。

 

「ニケさん……だいすき」

 

 といった妄想に逃避する程度には、やるせない感情に心を支配されていた。心にドデカいメテオクレーターが生じたかのような気分だ。

 言葉にできない。

 

 長い長い沈黙のあと、俺は手紙をテーブルの上に置き、そして言った。

 

「すんません……短期のお仕事。紹介してもらっていいですかね?」

 

 

    *

 

 

 ボンジュール! 

 

 皆さんどうも、悲しみよおはこんばんにちは……ニケです。

 そんなこんなで、半日限定の無料体験アップグレード期間を経て、再びその日暮らし冒険者へとダウングレードしちゃった僕なんですけど……

 

 せめてカトブレスまでの旅費と、ポチョムキンの餌代を稼がないことにはどうしようもないので、ギルドのお姉さんに工事現場の作業員のお仕事を紹介してもらいました。

 短期間で稼ぐには、その仕事が一番条件よかったので。

 

 まるで時間を巻き戻したが如く、宵の麦酒(ルービー)を楽しみに、あくせく働いては、夜中の二時に路地裏でゲロ吐くあの日々に、何の因果か再び舞い戻った次第。

 

 今の心境を率直に述べるなら……そうですね。

 形容するのが難しいんですけど、「この素晴らしきろくでもない世界に乾杯」ってカンジですかね。

 

「おらァニケ! 手止まってんぞ! きびきび働かんかい!!」

「うっす! さーせん親方!!」

 

 土嚢を台車に積んでは運び、積んでは運びの作業の繰り返し。

 結構腰に来るんだよなあこの動き……ちなみに魔法を使ったら負けだと思ってるので、絶対に魔法を使わないという縛りプレイを己に課している。

 

 この調子だと、魔術士にあるまじき黒光りのムキムキボディになっちまうなと、謎の心配をしていると、町中で「おい」と声を掛けられた。

 

「なにやってるんだ、お前」

 

 そこにはルチアがいた。

 ルチア? そうルチアだ。またの名をトンガリ☆ボーイ改め、トンガリ☆ガール。

 

「何って……働いてるんだよ。見ればわかるだろ」

「こないだ100万フラン手にしたヤツが、何で働く必要があるんだよ。しかも汗水垂らして」

「うるせえな。人生色々あるんだよ」

「色々ありすぎだろ……」

 

 しかしコイツ、ひげ面でタオル巻いた俺によく気付いたな……討伐隊のときと大分身なり違うのに。共通点といえば、臭そうな格好くらいしかない。

 誰が臭いねん。

 

「そういやアルルのスローガン、ニケの案が正式に採用されたらしいぞ」

「すろーがん?」

「とぼけるなよ。『もっと遠くへ』って、お前がアルル公に提唱したんじゃないか」

「へぇー……って、え? マジで?」

「ホントに知らなかったのか? ここ数日、公示人が町中で派手に宣伝してたのに……」

 

 知らん。

 

 ていうかここ一週間くらい、仕事終わりのルービーのことしか考えない生活ばかり送ってたから、余計なこと視野に入れる余裕がなかったんだよ。

 またしても、俺の熱心な仕事ぶりが証明されてしまったか……くゥー! 真面目すぎて申し訳ない。

 

「マジかー。クソ適当に、その場で思い付いたこと口走っただけなのに……」

「思い付きだったのかよ……」

「それよりルチアこそ、何でまだアルルにいるんだ? もうとっくに旅立ったと思ってたのに」

「ああ……まあこっちも色々事情があってね。ジギスムントって覚えてるか」

「ジギスムント? ああ、依頼人のおっさんか」

「アイツが姿を消した」

 

 ちょうど昼時なこともあって、往来を行く人の波は激しい。

 家の合間から射し込んでいた光が翳り、市井の喧騒がわずかに遠のいた。

 

「消えた? へ……どういうこと?」

「言葉通りの意味さ。いなくなったんだよ。パーティーの翌日、アイツは屋敷から忽然と姿を消した」

 

 言われて、あの日の朝のことを思い出す。

 そういや、ガイラルが「朝から色々立て込んでて」と言っていた記憶がある。そうか――アレはまさに、このことだったのか……

 

「さらに、回収したはずのドラゴンの遺体も、消し炭になって見つかったそうだ。保管していた倉庫ごと、燃やされていたらしい」

「え……嘘だろ」

「屋敷の幹部はジギスムントを容疑者と見て、捜索を進めているみたいだが……一週間経った今でも、何の進展もないことから察するに、このまま迷宮入りだろうね」

「……」

 

 しばしの沈黙を置いてから、俺は言った。

 

「いや。いくら何でも、話ができすぎじゃないか? 俺にはあのオッサンが、そんな大層なことをしでかす人間には見えなかったぞ。良くも悪くも、生真面目な老騎士にしか見えなかった……」

「同感だね。つまりこう言いたいんだろう? 誰かがジギスムントがやったように仕向けたと考える方が、自然じゃないか――と」

 

 俺は唖然としてその場に立ち尽くす。先日のパーティーで、涙を浮べながら俺の手を握った老人の姿が、ありありと脳裏に蘇った。

 右手の拳に、おのずと力が籠もらずにはいられなかった。

 

「俺たちの考えが合ってるなら、おそらくもう、ジギスムントは……」

「殺されてるだろうね。ドラゴン同様、骨一つ残ってないだろう」

「一体誰が……せっかくこれから、ドラゴンの謎も解き明かされるはずだったのに……」

「ニケ。気持ちはわかるが、この件については、これ以上深入りしない方がいい」

 

 ルチアは壁にもたれかかり、両腕を組んで、ため息をついた。

 

「裏で糸を引いているのが誰なのか、それがわからないほどお前は馬鹿じゃないだろう。ならば、悪いことは言わない。知らぬ存ぜぬを貫きとおせ。何も気付いていないフリをしたまま、大人しくこの街を去れ」

 

 納得しているのかしていないのか、判然としない面持ちの俺を見て、彼女はたしなめるように告げた。

 

「たぶん、察してるのは僕やお前だけじゃない……少なくとも、バルザック公はもう気付いてる。だからこそ、呑気にスローガンの制定なんかして、表向きは解決した事件として処理しようとしてるんだ。クロをクロだと騒ぎ出した奴から先に消される……この事件の背後に控えてるのは、そういう連中だよ」

「……お前は違うんだよな」

 

 不意の言葉に、ルチアが瞬きを止める。視線を離さず、俺は告げた。

 

()()()()()()()()()()()、信じてもいいんだよな?」

 

 俺たちの後ろを、通行人が忙しなく通り過ぎては、離れていく。

 何も知らないような顔をして、一人、また一人と視界の端に消えていった。

 

 やがて、ルチアが口を開く。

 

「どうかね。少なくとも、()()()()()()()()、信じる価値はあると思うよ」

 

 俺は「はん」と鼻で笑った。

 

「スカした答え方しやがって。少しは動揺しろよ」

「それはお互い様だろう。森を見て木を見ず。僕を男だと最後まで勘違いしてたくせに、そこには気付いてるなんて、訳のわからん男だ」

「ぐっ……お前、何でそれを……」

「お節介なアルタイルが教えてくれたよ。あいつ、どういう訳かルチアのこと男だと思ってるぞって」

 

 あの野郎、余計なことを……

 かくして、俺の鈍感力が白日の下にさらされた訳だ。おお神よ。私を真っ新(無職)に生まれ変わらせておきながら、さらなる贖罪を求めるのですか……

 

「ま、何にせよ余計な心配だったみたいだな。ニケがこうやってあくせく働いて、阿呆な冒険者を演じているのも、要は自分の身を守るための手段なんだろ? 最初は何やってんだと思ったが、ようやく意図がわかったよ……つくづく、馬鹿なんだか、計算高いんだかわからん男だ」

 

 個人的には、そんなつもりは全く全然これっぽっちもなかったのだが、とりあえず毎度お馴染み不敵な笑みを湛えて、こう答えることとした。

 

「ああ……よくわかったな」

 

 ルチアは右手を上げ、「じゃあな」と言って俺の元を去る。雑踏の中へと姿を消した。

 

 そういえば、「お前のおっぱい、中々どうして悪くなかったよ。まだ十五歳なんだろ? 将来が楽しみだ」と言うのを忘れていた。

 千載一遇のチャンスだったのに……これじゃ紳士失格だな。

 

 って、やべ……こんなアホなことほざいてる場合じゃなかった。早く現場に戻らんと、親方にどやされる……

 

 急ぎ現場に戻ろうとエッチラホッチラやっていると、行きずりの子供にぶつかる。台車が傾いて、土嚢が崩れ落ちた。

 うひゃ~、あっちゃっちゃ~! やっちゃった~!!

 

「すまない。大丈夫か?」

 

 慌てて声を掛けると、黒いローブを羽織った子供は俺の手を取り、その場から立ち上がると、こちらを見る。

 

「ええ大丈夫よ。こちらこそ、前をよく見てなかったものだから……ごめんなさい」

 

 フードの合間から見えた、その瞳の色と髪の色に、思わず心を奪われる。

 宝石のように美しいダークブルーの瞳に、燃えるような紅い髪をした少女は、一礼すると、俺の元を足早に去った。

 

 え、今のって……

 

 ドロシー?

 

 行き交う人の波は絶えることなく、賑やかな喧騒が耳元から近づいては遠ざかっていく。どこからともなく美味しそうな昼食の香りが漂い、軒を連ねる家々の合間から、石畳の道の上に斜陽が落ちた。

 

 はっとして振り返った視線の先、少女の姿は、もうどこにも見当たらなかった。



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幕間③

 王都ロゼッタ、アウロラ宮殿。王室礼拝堂――

 

「よおアリシア。例の件、考えてくれた?」

「……」

 

 収穫感謝祭及び、それに付随する一連の儀式が終わり、片付けをしていると、ニコニコと似つかわしくない笑顔を浮べている白髪の中年が突然姿を現した。

 白と黒を基調とした祭服に身を包んだアリシアは、卓の上でトントンと書類を並べると、ベールを後ろに払って、その場を立ち去ろうとした。

 

「本日の営業は終了しました。またのお越しをお待ちしております」

「おいこら。ちょい待て」

 

 服の裾を引っ張られると、アリシアは舌打ちした。周りに人気がないことを確認してから、彼女はトラヴィスに言った。

 

「結論は変わりません。嫌です。何で私がそんなことやんなきゃいけないのよ」

「まあそう言わずに」

「第一アンタ、あの子とクソ無職は当分の間泳がせておくって言ってたじゃない。その割に、二人を確実に引き合わせるよう図ってくれとか、やってることが矛盾してない? わたしゃ恋のキューピッドか」

「矛盾? たとえば?」

「わざわざ裏から手を回して、どこの馬の骨かわからん男を、モンフォール家の第三公女の家庭教師として斡旋したり、トランシルヴェスタの竜退治に部下まで使って、アイツの動向を逐一監視させたりよ。あんたクソ無職に対して、過保護に過ぎるんじゃないの」

「仕方ないだろ。俺もお前と同じくらい、ゴクツブシのことが大好きなんだよ。アイツのことを考えると、心配で心配で夜も眠れないんだ」

「ああ?」

「あ、忘れてた。クロノアもそうだったな」

「……」

 

 アリシアは大きくため息をついた。

 日々のイライラとか緊張とか気疲れとか、ありとあらゆるストレスを凝縮したかのようなため息だった。

 

「クロノアはどう思ってるのよ」

「直接聞けよ。俺を(くさび)にして話そうとするのは、お前らの悪い癖だぞ」

「いや、だってその……お互い忙しいし」

「俺は忙しくないんかい。前から思ってたけど、お前って年下には妙に甘いところあるよな。年上には容赦なく噛み付くくせに」

「うっさいな。長女なんだから仕方ないだろ。育ってきた環境のせいだよ」

「環境のせいだけじゃないと思うが……」

 

 トラヴィスは座席に腰掛けると、膝の上で頬杖をついた。

 

「まあ真面目な話、竜退治の件は、ゴクツブシは二の次だったんだよ。きな臭い事件に、探りを入れようとしたら、偶然アイツもその場に居合わせたって表現の方が正しい」

「ホントに偶然なの……? で、成果は?」

「うん?」

「クラインの優秀な部下まで潜り込ませたんだから、尻尾くらいはつかんできたんでしょう? なんつったっけあの子……ほらエルフの」

「……まあね」

 

 トラヴィスが懐に手を伸ばそうとすると、「吸うなよ」とアリシアが親の仇を前にしたような声で言った。

 トラヴィスはニッと笑う。

 

「相手が相手だけに、白黒ハッキリしない部分も多いんだ。バルザックのオッサンにも、機を急ぐなと釘を刺されてる。あとでちゃんと話すよ。お前だけじゃなく、クロノアやゴライアスにも……」

「ひょっとして、私に気を遣ってる?」

 

 トラヴィスが視線を上げる。目が合うと、アリシアは言った。

 

「どうせ、暗部が動いてるんでしょ。狂信者(ワーカホリック)のアイツらが、こんなヤバい事件を黙って見過ごす訳ないもの……立ち位置的に危うい私に気遣ってくれてるのならありがたいけど、心配要らないわ。自分の身は自分で守るから。私は神に忠誠は誓ってますけど、教団への忠誠心はないんで」

 

 しゃあしゃあとそう言ってのけた彼女を見て、トラヴィスは鼻で笑った。

 

「とんでもない神官もいたもんだ……心臓に毛が生えてるね」

「手前だけ呑気に清廉潔白でいようなんざ、虫が良すぎるっての。アンタも私も、とうにその手は汚れてんのよ」

「罪深きわが正体に主よ来たれ――そういうことかな?」

「ああ? 上手いこと言ったみたいな顔してんじゃねえぞコラ。話はこんなもん? ほんじゃ、また」

 

 そう言って立ち去ろうとしたアリシアの服の裾を、トラヴィスが強引に掴む。

 アリシアは振り向きざまに素早く、聖書の角でトラヴィスの後頭部をドツこうとしたが、寸前で遮られた。

 

「まだだ。まだ、最初の話の答えが聞けてない」

「くそ、気付いてたか……」

 

 アリシアは両腕を組んで、黒いブーツのつま先を忙しなく上下に揺らす。

 パイプオルガンの正面に光が射し込み、埃がきらきらと宙を舞っているのが見えた。

 

「そんなに嫌か? 実家に帰るついでじゃねえか」

「……実家には帰りません」

「そうなの? じゃあ、カトブレスに滞在するついででいいからよ」

「あのね。私は仕事しにカトブレスまで行くのよ。それも、ムカっ腹の立つクソ面倒な調整事をしに……溜まってた休暇を消化しに行くんじゃないの。そこんとこわかってんの?」

「大丈夫だって。ゴクツブシとドロシーは、ちゃんとカトブレスで落ち合うよう、渡りつけといたから。お前は運命が静かに廻り始める瞬間を見届ける。それだけでいいんだ。簡単なことじゃないか」

「野暮ねえ……ほっといても、落ち着くところに落ち着くと思うけど」

「何でそう思うの?」

「女の勘」

「お前女だったの?」

 

 再び聖書がトラヴィスの頭部を鋭角に襲ったが、彼は視線も動かさず、右手でそれを止めた。

 

「神聖なる書物で人を殴りなさんな……冗談はさておき。失敗は許されねえんだ。クロノアもそう言ってたろ」

「……」

 

 アリシアは腰に両手を当て、ため息をついた。

 

「……わかったわよ。これっきりだからね」

「おっ、さすが。何だかんだ、お前はこういうの卒なくやってくれそうだからな。頼りにしてるよ」

「調子の良いことほざきやがって、このおっさん……」

「そう肩肘張らずに、ちったぁ羽伸ばしてこいよ。気楽にいられるのも今のうちだけだぜ。なんたって、久方ぶりの故郷の大地だ。仕事とは言え、騎士王とも会えることだし。お前、幼馴染みなんだろ?」

 

 アリシアは答えなかった。

 出口の方へ向かって歩き出すと、無表情に彼女は告げた。

 

「私、()()()苦手なのよねえ……」



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第4章 ガラテア編
36 北の国から


 北の白都(しらと)、カトブレス。

 

 ガラテアの首府であると同時に、現騎士王のお膝元でもあるこの街は、東洋随一の温泉街として名高い。

 古代の火山活動の名残で、街中には二十以上の源泉が湧いており、公衆浴場の数が多いのはもちろんのこと、飲泉という独自の文化がある。街中には「霊泉場(コロニャーダ)」と呼ばれる飲泉スポットが点在しており、カトブレスの民衆は日常的に温泉水を飲むことで、病気の予防や回復に努めているらしい。

 実際、温泉の効能なのか、カトブレスの人間は他国に比べて長寿で健康であり、色白の美人が多いと専らの評判だ。

 

 また、カトブレスは景観が美しい街としても有名で、石畳の道沿いに、黄色にオレンジ、赤に青といった色とりどりの細長い三角屋根が軒を連ねており、余所から訪れた者は、まるで童話の中に身を置いたような感覚に囚われる。

 

 もっとも、景観がカラフルなのは、冬の間どんよりとした空模様が続き、雪も大量に降り積もるため、建物まで無彩色にしてしまうと見分けがつかなくなるという、至極現実的な理由から来ているそうだ。

 

 メルヘンの欠片もない。

 そうだこれは夢の国じゃない、現実の国なんだ……

 

 アルルにて竜退治という大仕事を終えた俺は、その後なんやかんやあって無一文に返り咲き、架橋工事現場の作業員としてしばらく働いていた。

 

 なんやかんや働いているうちに、稼ぎのほとんどを競馬に費やす、酒の席で全身飲みを披露するといった道化へのプロ意識が高く評価され、親方や職工の連中(大体がドワーフだった)とも次第に打ち解けていった。

 とある宴の席で、「俺、この仕事が終わったらカトブレスへ行くんだ」と告げた所、「ワシらもこの仕事を片したらザクソンへ戻るから、何ならニケ。途中まで一緒に来るか?」との申し出があった。

 

 まさに旅は道連れ、世は情け。

 

 そんなこんなで、俺はアルルからカトブレスまでの道のりのうち、三分の二ほどを親方一行と共にすることとなった。

 

 道中、手先が器用なドワーフのおっちゃんが、「見た目は拙いが、こいつは魂のこもった良い剣だ……鍛冶の気概が伝わってくるぜ。どれ、俺に貸してみろよニケ。もっと鋭く研いでやるからよ」と言ってくれ、エルに貰った白金の剣がパワーアップするという謎のラッキーイベントも発生した。

 

 しかしこの剣……貰ったはいいが、実戦でほとんど使った試しがない。

 

 竜退治のときも、結局最後まで使わなかったしな。クルーガーに「お前、その剣はただの飾りなのか?」と言われたのは、今となってはいい思い出だ。

 いつぞやかルナティアに滞在中、エルに背中に背負うタイプの鞘を作って欲しいと頼んで、アルルを旅立つ時にギルド経由で受け取ったものの、その後鞘から一度も引き抜かれておらず、もはや剣の形を取ったお守りと化しているというこの有様……

 

 いい加減、この剣の使いどころを、本気で考えねばならん時が来ているのかもしれんな。

 

 一応、魔法剣というアイデアがあるにはあるのだが、どうにも気乗りしなくてなあ……

 というのも、俺みたいに魔法に熟れてる人間からすれば、「何が楽しくて剣を媒体にする必要があんの? それ、ぱっと見カッコいい以外、何かメリットある? 忙しいから二十字以内で説明してみろ」としか思えんのだ。

 「もうそれ最初から魔導具でいいよね」って、三日後には飽きる未来が目に見えてる。

 

 第一、魔法剣とか邪道なんだよ邪道。

 あんなモン、剣の道も魔法の道も、どっちつかずの半端野郎が苦し紛れに編み出した技術に過ぎんだろ。それを連中はハイブリッドとかほざきやがるんだから、本職の人間からすれば笑止千万、失笑噴飯。チャンチャラ可笑しの片腹痛し。

 万一、どうしても剣で戦う必要に駆られたら、魔力で自ら剣を作り出すのが、魔法使いという生きものなのだよ。御前試合でドロシーがやってたようにね……

 

 まあそうやって、何でもかんでも「それ、魔法でできるよね?」とか言って一々マウント取ろうとしてくるから、魔法使いは他の職業から嫌われるんだけどな……

  

 話が逸れた。

 

 なんやかんやで、愛馬のポチョムキンと共にカトブレスに辿り着いた俺は、早速クラインのガラテア支部に向かい、当座の仕事にありつくこととした。

 ガラテアはノルカ・ソルカと並んで東洋では有数の豪雪地帯であり、雪解けまで西方に抜けることは困難だ。

 現在の暦は二月。来る春先の出立に備え、当面の間はカトブレスで腰を落ち着け、ゆるりと旅の準備を進めるのがよろしかろうという算段である。

 

 カトブレスの中心街にあるギルドに辿り着くと、何やら人だかりができて、騒然とした雰囲気になっている。

 何だ? 何かあったんか?

 

 コソコソと近づいて、野次馬の話を盗み聞きしたところ、どうやらロゼッタで、勇者の仲間が正式に発表されたらしい。

 勇者クロノアの旅立ちは、彼が十六歳の誕生日を迎えた後の四月との噂だから、ここに来てようやく、その陣容が明らかにされたということなのだろう。

 

 まず、一人目は戦士ゴライアス。

 

 妥当な線だ。ドロシーが欠けた今、ゴライアスの選出は確実視されていたようだし、改めて驚くことでもないだろう。

 アタッカーとしての実力もさることながら、彼の本領はディフェンダーとしての役割に尽きる。鍛えられた分厚い肉体がもたらす、並外れたタフネス……俗に盾役(タンク)と呼ばれている立ち位置は、まさに彼のためにあるようなポジションだ。

 実力は申し分ないが、人間的には真面目で面白味のなさそうな奴だったから、強いて言うならそこがネックだな。

 

 続いて、二人目は神官アリシア。

 

 うーむ……あのおっぱい、裏でやっぱり勇者と通じていたか。素性が怪しい点といい、御前試合で審判を務めていた件といい、なーんかきな臭い奴だなと常々思ってはいたんだが……

 

 野次馬に混ざっていた、事情通のモヒカン兄貴、略してモヒーニキの情報によると、アリシアはクラインのランクに登録されていない人材ではあるが、社会への貢献と、神官としての高い技量を見込まれ、選出されたとのことだ。

 

 取って付けたみたいな理由だが、まあ神官はガイラルみたいな野良神官を除けば、教団本部の内部規則だの何だのの関係で、ああいうランクに勝手に登録することは認められてなかったらしいからな……。

 かといって今の時代、回復役(ヒーラー)をパーティーに配置しないとか自殺行為にも等しいので、教団からめぼしい人材を推挙してもらったとか、まあそんなとこだろう。いずれにせよ、裏で何らかの駆け引きがあったことは間違いない。

 

 しかしクロノアさんよ。お前よりにもよって、とんでもないSSR(ダブルスーパーレア)カードを引き当てちまったな……

 ありゃビジュアルこそ当世に二人といない最高の逸材だが、腹に宿してるのは悪魔ですよ悪魔。その証拠に、ロゼッタを旅立ったあの日の教会の出来事が、俺の脳裏には未だはっきりと刻まれている。

 

 まあ今となっては、あんな美人に罵倒されて殴打されたのは良い思い出だけどな……。

 何なら記念に、もっとボコボコにされていればよかったまである。お恥ずかしながら、ちょっとクセになりそうなecstasyを見出してしまいましてね……ポッ。

 あれぞまさしく神の啓示であったと、(わたくし)めは信じておりまする……

 

 アホな冗談はさておき、最後の人物の名前に目を通す。

 ストライダー、トラヴィス。

 

「ふえっ?!」

 

 突然幼女みたいな大声を発したせいで、周りから奇異な視線を向けられる。おお恥ずかしや恥ずかしや……

 

 最近疲れてるのかな私と思って再度見たが、やはりそこに書かれている名前はトラヴィスだった。

 トラヴィス。正式名称、トラヴィス・クローバー。

 諸君には今さら説明するまでもない。例のギルドマスターである。

 

「…………」

 

 えぇ……こんなのルール違反てか、なんつーひどい出来レースだよと思い、隣のモヒーニキにぼやいてみた。

 すると、

 

「おん? 何言ってんだ(あん)ちゃん。トラヴィスはずっと前から、盗賊(シーフ)のランクで1位だったヤツだぞ。職業柄、素性はあまり知れてなかったから、まさかギルドマスター本人だとは誰も思ってなかったみたいだけどな!」

 

 盗賊のランク1位……だって……?

 さらにモヒーニキの話によると、前々からクラインのギルドマスターが、何らかの職業で密かにランク登録しているという噂が出回っていたそうな。まさかそれが盗賊だとは、誰も予想していなかったみたいだが……

 

 マジかよ。盗賊なんざクソ底辺のうんこジョブとしか思ってなかったから、全然知らなかったわ……。

 当然、ランクなんざ一度も目を通したことがない。そもそも「賊」がついてる職業が、何で職業として認められてるんだよって話だし……ランク登録する前に、まず牢屋に行かんかい。

 

 てかStriderて……なにカッコつけてんねん。盗賊風情が。

 それを言うなら、俺だってハイパーマジカルクリエイターだよ。何だこのクソダサい職業名は……

 

 まあマジレスすると、本来は索敵や隠密スキルに長けた連中を「ストライダー」というカテゴリに入れて管理していたのだが、ネーミングが余りにハイセンスすぎたのか一般には定着せず、民衆の間では「盗賊(シーフ)」の呼び名で普及してしまったという経緯がある。

 なんで盗賊と言いつつも、実際は賊でもなく犯罪者でもない愉快な連中(たぶん)の集まりであるので、そこはご安心いただきたい。

 

 さすがに犯罪者が勇者の仲間になっちゃいかんしな……いや、あのギルドマスターは、裏で平気で犯罪まがいのことやってそうな雰囲気あるけど……

 

 しかしまあなんだ、本来ならばトラヴィスではなく、ここにドロシーの名前が記されるはずだったんかね……

 あいつ今、どこで何してるんだろうなホント。知らんけど。

 

 いい加減、野次馬の話題ループにも飽きてきたので、窓口に行ってお仕事を紹介してもらうことにした。

 

「あれ? あなた、ひょっとして……」

 

 言われて、俺も察した。

 なーんか、どっかで見たことあるような受付嬢顔……

 

「やっぱり! あなたアルルで妹が世話した人ね。竜退治で活躍した人だって聞いてるわ!」

 

 妹? ということは――

 

「ロゼッタ? ああうん、あの人は姉さん。つまり私は次女ってこと」

 

 次女。

 やべえな、ついにスリーカード揃えちまったよ……あとは従姉妹を二人揃えれば、フルハウスも夢じゃない……

 

 受付のお姉さんの話によると、俺は竜退治での功績により、クラスがペーペーから一気に五階級特進したそうで、現在二等級の冒険者に位置づけられているんだと。

 しかし五階級特進てお前……殉職は殉職でも、星の危機を救ったレベルの殉職でもない限り、普通そこまで特進せんぞ……ていうか俺、まだ死んでないんだけど。なんかの間違いで、死んだことにされてんじゃないだろうな……

 

「二等級にまで上がると、仕事も選びたい放題、断りたい放題の選り取り見取りになってくるわよ。そうねえ……こういうのはどう? 雪男の退治とか、吸血鬼が住まうとされている古城の探索とか……」

 

 あー、そういうのはちょっと……前回の竜退治でお腹一杯なんで。

 もっとほのぼのしたのがいいよね。温かい南の島で、可愛い女の子と一緒に、春までまったりスローライフとか……

 

「温かい南の島? 何寝ぼけたこと言ってるの。ここはガラテアよ。しばれる大地での、寒気凛烈たるオーダーしかないわ」

 

 なるほど。まさに試される大地ということか……果たして本当に試されているのは、俺の方か、あるいはガラテアの方なのか……

 

「あ、これなんかいいんじゃないですか。魔石採掘の手伝い……嫁が身ごもって、一人で店を回さなければいけなくなり、人手が足らず困っています。魔法や鉱学に精通している人であれば、誰でも歓迎します。余り報酬は用意できませんが、何卒よろしくお願いします……」

 

 お姉さんは、しばし無言。やがて、机の上で組んだ俺の両手を、包み込むように撫で回すように、優しく握った。

 自然と目が合う。

 

「だーめ♪ こういうのは、もっと下のランクの冒険者に譲ってあげないと。貴方は優秀なんだから」

 

 っしゃー! 雪男でも吸血鬼でも退治したるわオラァ!!

 

 と叫びたいところだったが、この程度で籠絡される俺ではない。

 わかってねーなわかってねーよ。私を誰だと思ってるのかしら? 包み込んで撫で回すのなら、もっと別の箇所でないとね……ウフフ。

 

「……ふーん。まあそこまでやりたいんなら、別にいいけど……こういう楽なクエストを、高位の冒険者が独占して、下位の冒険者に仕事が回らなくなるのは、『下位締め』って言われてる行為で、やりすぎるとランクが降格するから気をつけてね」

「買い占め?」

「買い占めじゃない。下位締め」

「……まあ楽かどうかは、やってみなきゃわかんないですよ。それに、人助けに楽も困難もないと僕は思ってますから」

 

 キリッとした顔つきでそう言ってみせるも、受付のお姉さんは顔も上げず無言のまま、シャッシャと事務的に書類を処理していた。

 

 これが三女なら、「ふふっ、それはそうかもね~」とゆるふわボイスで対応し、これが長女なら「ははっ。綺麗事言ってくれるじゃん」と力の抜けた微笑を浮かべてくれるのに対し、このガン無視である。

 

 さすが、次女の看板は偽りにあらず。三姉妹の真ん中はマイペースって、昔から言うからな……三等分の個性。みんな違って、みんないいの素晴らしさよ。

 くゥー! たまんねェこの塩対応! シンプルな味付けでありながら、実に奥が深いッ!! と拳を突き上げて歓喜したいところだ。

 

「何か持って行くモノとかあります?」

「持って行くモノ?」

 

 お姉さんはぱちくりと目を開けたまま静止していたが、やがて視線を下げ、ぼそりと「特にないんじゃね」と呟いた。

 

 しびれるねェ……コイツは大したタマだ。

 どいもこいつも、隙あらば人の顔色を窺うようなこの時代にあって、私は私の道を行くというその強い心意気……買った。

 

「妹さんにはなかった、口元のホクロ。お姉さんとは逆の位置にあるんですね。似合ってますよ」

 

 そう言うと、お姉さんは書類にドン! と認可の判を押し、顔を上げて俺の目を見る。

 そして笑った。

 

「あっそ」



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37 魔石採掘

 それから二週間後。

 俺はカトブレス郊外の鉱床にいた。

 

 鉱床と言っても、ゴリゴリの坑道堀りの、つるはし・カンテラ・トロッコが三種の神器の鉱山奥深くにいる訳ではない。地表から渦を巻くように地下へと階段状に掘り下げていく、昔ながらの露天掘りの採掘場だ。

 

 お目当ては当然、魔石である。

 

 魔石魔石とパンピーでも当たり前に口にするようになったこのご時世だが、魔石とは一体なんぞやと言うと、マナが凝縮された特殊な鉱石のことであり、多くは魔法使いが魔法を発動する際に使用する、魔導具に取り付けられる。

 

 たとえば、俺なら右手人差し指に着けてる指輪、ドロシーさんならワンドと言った具合に。

 他にはネックレスやイヤリング、アンクレット……珍しいものだと、こないだ討伐で一緒だったチュウタツは、スペルカードとは別に、詠唱で発動を行う際は水晶をメインの、(かんざし)をサブの魔導具にしていると言っていた。

 機能としては、体内に蓄積されたオドを、外部のマナと調律して、魔法として具現化するための媒体……なのだが、これはかなりざっくりした定義である。

 

 要はある種の補助装置みたいなもので、初心者ならいざ知れず、熟達した魔法使いならば、魔導具がなくとも魔法を発動することはできる。

 

 なので、魔導具が破壊されると、魔法使いは直ちに無能と化すという、巷でよく聞く流説は間違っている。むしろ破壊された時にこそ、魔法使いの真価が問われると言ってもいい。

 

 しかし、ここで一つの疑問が生じる。

「だったらどうして、お前やドロシーは魔導具を使ってるんだ? 出涸らしのお前はともかく、一流の魔術士であるドロシーが魔導具にこだわる理由があるのか」と。

 

 もちろん理由はある。

 術者は魔導具を用いることで、魔石の加護を得ることができるのだ。

 加護と言うと、またずいぶんオカルティックな響きがするが、早い話が性能の付与だ。能力の増幅、拡張と換言してもいい。

 

 たとえば、スカーレットという深紅の魔石は、炎系統の魔法をより少ない魔力で使用できるという特典をもれなくプレゼントしてくれる。

 また、ラピスラズリという紺青色の魔石は邪気や邪念を退ける効能があり、集中力増大によって術の安定に寄与してくれる。

 

 一般に魔石の加護は、魔石の数だけ性能の優劣が異なり、二つとして同じモノはないとされている。

 先ほどの例で言うと、同じスカーレットの魔石でも、めちゃくちゃ魔力消費を減らしてくれる優秀なスカーレットもいれば、「これ本当に減ってる? むしろ増えてない?」と感じる怠惰なスカーレットもいるということである。

 前者を神石、後者をバッタモン、クズ、ゴミ、カス、ガラクタ、無能、役立たず、パッパラパーなどと言う。一応言っておくが、俺がこれまでの人生で受けてきた罵詈雑言リストではない。

 

 性能の優劣は、魔石の色や輝き、純度や耐久性が関連していると言われているが、この辺りはまだまだ未解明な部分が多く、研究が追いついていないというのが正直な所だ。

 そもそも現在解明されている魔石は、この星に眠る魔石の二割に過ぎないというデータもあるくらいだからな。

 

 まあ個人的な意見を言わせてもらえば、見た目がくすぶっている奴は、大抵中身もくすぶっていると言うのは、魔石の世界も人の世界も同じである。

 中には見た目が美しくても、蓋を開けたら中身スッカラカンのポンコツもいたり、磨けば恐ろしく光る原石もいたりと、もちろん例外はあるんだがな。

 

 俺? 俺は例外じゃないよ。見た目も中身も空っぽの、磨いてもこれ以上光りようがないクズ鉄ですよ。発掘されても規格外と即座にポイ捨てされ、店先に並ぶことすら叶わない選ばれざる者。

 ニケ知ってるよ。花屋の店先に並んだ色んな花は、熾烈な競争を勝ち抜いた選ばれし存在だってこと……

 

 手に取った隕鉄の欠片をしげしげと眺めながら、「そうか……俺は魔石ですらなかったんだ。魔石にすらなれなかった、ただの石。弱くて脆い意志の男……それが俺」と、そこはかとない無常観に浸っていると、ふとある人物に声を掛けられた。

 

「ニケ。今日も精が出るな」

 

 視線の先には、北方人らしい銀髪に、がっしりとした体躯の男が立っている。背中には籠を背負い、細目が特徴的な彼の名前は、カムイ。

 カトブレスで魔石屋を営んでおり、此度の俺の雇い主でもある。

 

「どうだ? レアストーンは見つかったか」

「いや全然……今日はダメ。俺のビギナーズラックも、いよいよ尽きたみたいだ」

「ははっ、そうか……まあここの採掘場も、いい加減掘り尽くしたんじゃないかって、昔から散々言われてるからなあ」

「そうなのか?」

「良質な鉱床ほど、みんな熱心に発掘するからね……資金繰りに余裕のある連中ほど、ここの発掘はとっくに打ち切って、新たな鉱脈を求めてガラテア中を走り回ってる所だと思うよ」

「へー、さすが資源大国……」

「ザクソンほどではないけどね。最近は政府がそういった新規の開発を、経済的に援助してくれててさ。俺もいつかは参加したいと思ってるんだけど、零細事業者の宿命というか、目先の収入が第一で、いかんせんそんな余裕はなくて……」

 

 自嘲気味にそう呟くと、カムイは俺の目を見て、「ちょっと早いけど、今日はこの辺でもう切り上げようか」と言った。俺はうなずく。

 

 雲一つない青空の下で、乾いた風が頬を撫でる。視線の遙か先、丘の上には枯れ木が三本立っていて、銀雪が陽の光を受けてきらきらと輝いていた。

 

 本日の取れ高を竜車に積み終え、額の汗を拭う。防寒対策で色々着込んでいるのはいいが、重労働をすると、途端に全身汗だく茹で蛸マンになってしまうのが難点だ。

 

 幌に覆われた積荷部分の空きスペースに腰を下ろすと、カトブレス目指して竜車が走り出す。

 ガタガタとケツが揺れて、白き冠を戴いた山々が、少しずつ遠のいていく。狐の親子が三匹、まっさらな雪の上に足跡を刻んで、水平線の方角に駆けていくのが見えた。

 

 なすこともなく、箱の中から魔鉱石を取り出して、繁々と観察してみる。

 透明で美しい翠の輝き……これは。

 

緑柱石(ベリル)だな。いわゆるエメラルドの原石として、有名な鉱石だよ」

 

 斜向かいに座るカムイが、俺の方を見てそう言った。

 市場では原石のまま取引されることもあれば、原石からカットして、加工処理を施した上で取引されることもある。カムイのように、自分の店で工房を有している場合は、後者の方が圧倒的に多いみたいだが。

 

「ここの部分で、大体いくらくらいの値が付くんだ?」

 

 手元の小さな結晶を指さして言うと、カムイは口元に手を当てた。

 

「研磨したあとの、色合いや光沢にもよるだろうけど……2カラットで10万から20万前後かなあ」

「うえっ、そんなに?!」

「元々レーヴ鉱床のエメラルドは、良質なものとして名高いからね……いくら掘り尽くされて低ランクのものしか取れなくなったとはいえ、まだまだ需要はあるんだ。ブランドというのかな」

「ほあー。こんなオークのデカいハナクソみたいなのが10万……」

 

 俺がそう呟くと、カムイが声を出して笑った。

 

「エメラルドは魔石としての需要だけでなく、観賞や装飾用として富裕層にも人気があるからね。あとは薬師からの人気も高い。解毒剤や軟膏の原料として使えるそうなんだ」

 

 それについては、俺も聞いたことがある。いわゆる鉱物薬というヤツだ。

 またエフタル辺りでは、魔石をすり潰して粉末にしたものを、化粧として用いているんだとか。ホントか嘘かは知らんが、魔除けの効能があるらしい。

 

 こんな風に、普段意識することはないが、意外と生活に身近な所で結びついていたりするのが、鉱物学という分野の面白い所ではある。

 

「こんなモンが地中で自動生成されてるなんて。大自然の力って、すげー……」

「自動って言うと少し語弊があるけどね。魔石が採掘できる場所は限られているから」

「ああ……魔力泉がある場所、か」

 

 カムイはうなずいた。

 

「この星の地下深くには、魔法エネルギーすなわちマナが血管のように幾重にも循環している。ニケも当然知ってるだろうが、魔力循環というヤツさ。それを司っているのが、約束の地にある世界樹で……魔石の多くは、既存の岩石にマナが侵入し、元の岩石が分解され、再結晶化する過程で生み出されると言われている……つまり、マナが地上に噴き出すスポットである魔力泉の近くには、当然マナの大きな流れがあり、良質な鉱床が見つかる可能性が高い」

「でも、最近は大変だろ。魔力泉の暴走が頻発してるから」

「そうなんだよ」

 

 カムイは嘆息混じりに、小さくうなずいた。

 

「とある発掘隊がモンスターの襲撃を受けて壊滅したなんて知らせは、今じゃ決して珍しいものではなくなってしまった。魔物の巣窟になって、採掘不可となった鉱床も数知れず……そうなると安全な鉱床は限られてくるから、必然、狭い世界の中でのパイの奪い合いになってしまう。実際、ここ数年の間で、廃業を決めた同業者もたくさんいるんだ……なんせ、先の見えない世の中だからね。来月ならともかく、来年・再来年の話となると、全く読めない。そろそろ戦争も始まるって言うし……。

 かく言う俺だって、将来のことを考えると、正直不安で一杯だよ。来月には子供も生まれるから、余計にね……」

 

 カムイは竜車の後ろの、過ぎゆく景色をじっと見つめながら、儚げな表情でそう零した。

 

「長くこの商売やってるとさ。つくづく人間って自然に生かされてるなって、ホントそう思うよ」

 

 長い沈黙のあと、不意にカムイが言った。

 

「昨日までの日常が、明日も続く保証なんてどこにもない。それも、ある日を境に劇的に変わるんじゃなくて、ゆるやかに変わっていくっていうのが一番怖いよね。気づいた時には、『あれ? どうして……』ってなってる。それが一番怖い」

 

 そこで突然、馭者を務める蜥蜴人(リザードマン)のアニキが、「ダンナ! 今日は小竜の調子が良いんで、あと一時間もありゃあカトブレスに着けますぜ!!」と大声を張り上げた。カムイが「おう。この調子で飛ばしてくれ」と応じる。

 

 俺はケツがガタガタ揺れて仕方ない竜車の片隅で、一人ハナクソをほじりながら、非日常が日常に変わる瞬間の定義について深く哲学していた。

 

 ごめん嘘。

 別に何も考えてなかった。

 

 

    *

 

 

 時刻は14時。

 蜥蜴人(リザードマン)のアニキ、略してリザーニキの言うとおり、俺たちは日が落ちる前にカトブレスに帰ることができた。

 もっとも、北国は冬の日照時間が短く、あと二時間もすれば日が落ちてしまうのだが。もっと北のノルカ・ソルカの北端まで行くと、一日のほとんどが真っ暗の極夜と言う現象が起きるそうだ。

 

 カトブレスの臨海地区には、ネルソン広場と呼ばれている大広場がある。

 

 今は昔、大航海時代に世界一周を成し遂げた冒険家、ネルソン・トラヤヌスの栄誉を称えて造られた広場……らしく、広場の中心には高さ40メルトほどの、ネルソン記念塔と呼ばれる無駄にデカいモニュメントがある。

 塔の天辺には、三角帽子を被り、左手には双眼鏡。首にはアストロラーベをぶら下げ、東の方角を指さして佇むネルソンの彫像がちょこんと乗っている。ちょこんと、と言っても、彫像の部分だけで5メルトくらいの高さはあるが。

 

 大広場に竜車を止めると、カムイは石工ギルドの本部へと向かった。報告やら手続きやらの事務処理があるらしい。その間、俺とリザーニキは竜車から積荷を降ろし、ギルドへ貢納する分を仕分けて、本部の倉庫へと運ぶという作業に勤しんでいた。

 何で俺たちが汗水垂らして取ってきた鉱石を、ギルドになんざ渡さないかんのじゃクソがとボヤきたいところだが、これには深い訳がある。

 

 負担金である。

 

 全然深くないので補足すると、坑夫たちは採掘のたびに成果物の何割かを負担金としてギルドに納めることで、自分たちの採掘権をギルドに保護してもらっているのである。

 ギルドは採掘場の運営者として、一日の採掘量などについて細かく運用ルールを定め、自由競争を排除し、採掘権を持たない者やルールを守らない者に対しては厳しく取り締まる。

 そうすることで、組合員たちの共存共栄を測るというシステムなのだ。一人の無法者の出現によって、全員が滅びの道を辿る「共有地の悲劇」を防ぐという狙いもある。

 

 まあこういう同業者間におけるメンバーシップ・システムは、別にカトブレスに限った話ではない。ある程度商業が発達した都市なら、拘束力に大小の違いこそあれど、どこにだって見られる。

 

 かくいう俺の実家もロゼッタの宿屋ギルドに属していて、毎月訳のわからん名目でギルドから金をせびられていた記憶がある。

 親父はそのたびに、「共存共栄? みんなで我慢して、みんなで貧しくなりましょうの間違いだろ。ケッ!」とブー垂れていた。

 さすが俺の親父である。とかなんとか威勢のいいことをほざきながら、最後には仲間外れになるのを恐れてキッチリ払うところも、さすが俺の親父である。血は争えない。

 

 でも正直、親父の言うことも一理ある。

 ギルドの運営者は、出資者。出した金額に比例して、組織内での発言権も強まる。

 

 つまりこのシステム、ともすればカンタンに癒着と馴れ合いの温床へと成り下がる。

 表向きは平等公平を謳いながら、裏では「俺だけは特別に許される」チケットを巡っての熾烈な椅子取りゲーム。

 

 現にこういう同業者ギルドの負の側面は、時代が下るほどに深刻化し、経済の発展を妨げる要因にもなった。

 こうした社会の閉塞感に風穴を開けたのが、大航海時代の到来と、それに伴う流通の活性化だ。自由な生産と交易を妨げる足かせでしかない同業者ギルドは、次第に空中分解、衰退の一途を辿り、親父のようなチキンから組合費を徴収しては、週末にジジババが集会所に集まって茶をしばくだけの、名目的な組織として形骸化した。

 

 んだが、これはネウストリアやアルル、アンブロワーズといった大東洋側の諸国に多く見られた現象で、大陸側の穀倉地帯――特に保守的な気風が強い北方諸国においては、そうは問屋が卸さなかった。

 

 カムイの話によると、ガラテアでは形骸化というよりも、腐敗化が凄まじかったようだ。要するに金権政治である。当たり前のように賄賂が横行し、特定の業者だけが得をする仕組みが、周到にかつ隠密裏に完成されていた。

 さらには二次東征勃発の混乱に乗じて、それまでの慣行を無視して好き放題やらかすような連中も出てきた。腐敗から暴走、そして無秩序へ……よくある組織の末期症状、怒濤のロイヤルストレートフラッシュである。

 

 流石にこれはいかんということで、待ったをかける人物が現れる。

 騎士王だ。

 

 第二十六代目騎士王、ロローナ・アナスタシア・ツェペシュ。

 戦後間もなく騎士王の座に就いた彼女は、まずは足下を固めんと、自国の立て直しを図った。その一環として行われたのが、財界における綱紀粛正――同業者ギルドを始めとした、「時代遅れ」な経済制度の改革である。

 

 ギルド制は廃止こそされなかったが、内部規則を徹底的に改めるようお上のメスが入り、政府への届出・許可制が必須となった。政府に公認されてない同業者ギルドは、非公式ギルドとして、お上にグーで鉄拳制裁を食らうシステムに改めたのである。

 

 また、騎士王の改革はギルドだけに留まらず、その他保護貿易政策の推進、農奴解放令の施行や国営工場の設立による、農耕社会から工業社会への移行促進……

 経済以外に目を向ければ、貴族の特権廃止、司法警察機構の整備による中央集権体制の強化や、病院や孤児院建設による貧民救済制度の確立、教育や税制の改革と、枚挙に暇がない。

 

 とても十代のギャルがやったとは思えないキレッキレぷりを、随所で遺憾なく発揮しているのだ。コイツマジで人生三周目なんじゃないかと疑うレベル。

 まあ実態は、脇を固めるブレーンが極めて優秀だったんだと思うけど……

 

「俺っちバカだから、あんまし難しいことはわかんねえけどさァ……騎士王サマは、マジパネェんだ。俺っちの知り合いでも、あの人に感謝してる商売人は、たくさんいるぜ。あの人のおかげでメシが食えてるって、みんな言ってんよ」

 

 感慨深げにそう語るリザーニキの横顔を見て、実際そのとおりなんだろうなと思った。

 

 ちなみに俺がやたらと騎士王の内政事情に詳しいのは、図書館で文献を漁りまくったからである。カムイの下で働くのが決まるまで、しばらく間が空いたので、暇つぶしに図書館通いを続けていたのだ。

 

「中には小娘如きがどうのこうの、叩いてる連中もいるけどよォ……そういう奴らは、隣のノルカ・ソルカを見て見ろってんだ! ああはならなかっただけ、マシと思えって言いたいぜ……」

「ああ、ノルカ・ソルカ。先代騎士王、マロノフの(くびき)か……」

 

 そうこう話してるうちに作業が終わり、リザーニキは次の配送の仕事があるからと言って、竜車と共に足早に去っていった。

 残された俺はなすこともなく、ギルドのおばちゃんと世間話に興じていた。しばらくすると、二階からカムイが降りてきた。

 

「お疲れ、ニケ。待たせたね。今日はもう上がりでいいよ」

「いいのか? じゃあお言葉に甘えて……」

「あ、ちょっと待って。渡すモノがある」

 

 そう言って、カムイが二枚の紙切れを差し出す。見れば、カトブレス国民劇場うんぬんと書いてあった。

 

「これは……?」

「あら、知らないのニケちゃん? カトブレス劇場って言ったら、オペラよ~。騎士王様肝煎りの文化政策でね~、二年前にできたのよ。綺麗な建物でね~、上演してるオペラもすっごく良くて、何度行ってもうっとりした心地になっちゃうの。これ嘘じゃなくてホントよ。うふふっ!」

 

 俺が尋ねたのはおばちゃんじゃなくてカムイだったのだが、間に立つおばちゃんが懇切丁寧に説明してくれた。

 悪りィなおばちゃん。サンキューサンキュー!

 

「ギルドマスターが急な都合で行けなくなったからって、譲ってくれたんだよ。ニケならどうかと思って」

「え、俺がもらっていいのか?」

「日付が今日でね。さすがに今日は家に帰らないと、俺はカミさんにどやされちまうから……ニケならどうかと思って」

「じゃあせっかくだし、ありがたくいただこうかな……ん? これ、二枚あるのか?」

「ああ。君も年頃の冒険者なら、親しくしてる女の子の一人や二人いるんだろ? 誘ってあげたらどうだい」

 

 その一言に、何とも言えない心地になった。

 親しくしてる相手に草木や花も含まれるなら、それはそれはたくさんいるんだが、種族を指定された上に性別まで限定されちまうとコレもうね……

 

「あら~♪ 隅に置けないわね~ニケちゃんったら! こう見えて意外とモテるのね~、んもう!」

 

 おばちゃんは剛胆に笑い、俺の背中をバシバシ叩いた。

 

 やめなおばちゃん。俺はもうずっと、魔法に恋してんだ……

 悪いがこの恋だけは、いつまで経っても醒めそうになくてよ。他の女は眼中にねえのさ。ふっ……

 

 死にたい。



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38 騎士王ロローナ・アナスタシア・ツェペシュ

 結局、カトブレス劇場には一人で向かった。行かないという選択肢もあったが、それでは試合に勝って勝負に負けた気がするので、結局行くことにした。

 

 お前は一体何と戦ってるんだって? むろん自分よ。

 

 いい加減、敗北を知りたい。

 咳をするのも一人、メシを食うのも一人、戦うのも一人……いずれ死ぬのも一人ならば、此処は何処ぞ敵無しの国……

 

 毎度お馴染み本日のポエムも程々に、目的の劇場へと辿り着く。

 

 左右に長く伸びた翼廊をバックに、半円状に突き出たファサードは中世を彷彿とさせる彫塑的な造形をしていた。上部にはメテオラ神話にて登場する芸術の神として名高いポアロが祀られ、左右には女神の彫像が向かい合って鎮座していた。

 別にそこまで文学に詳しい訳ではないので、左右の女神が何を指すのかはわからんが、こういうのは対になるものを置くのが定石だから、喜劇の神と悲劇の神とか、まあそんなとこだと思う。

 

 劇場の前は広場になっており、今日は上演の日ということもあってか、露店があちこちに立ち並んでいる。すでに日は沈みかけて、吐く息は白かったが、大勢の人が行き交い、何とも賑々しい雰囲気となっていた。

 

 ふと、とある露店の一角で、一際デカい声を出して、熱心に客引きに励んでいるファンキーな出で立ちの男がいた。

 あの特徴的な髪型……どこかで見たような。

 

「らっしゃいらっしゃい! 寄ってきなそこの兄ちゃん! って、お?!」

 

 紛うこと無きモヒカン。やはりモヒーニキだった。

 

 説明しよう! モヒーニキとは、モヒカン兄貴の略称で、俺がカトブレスに来て初めてクラインの支部を訪れたとき、最近のロゼッタ事情についてあれやこれや教えてくれた親切な男なのだ……

 

「な~んだ、やっぱりあのときギルドで会った兄ちゃんか! 覚えてるぜ~。どうしたんだよこんなとこで? 元気にやってんのか?」

「まあ、ぼちぼち……アンタこそ、ここで何やってんだ?」

「見ての通りよ。ここで再会したのも何かの縁、兄ちゃんも是非見て行ってくれ!」

 

 モヒーニキは満面の笑みでサムズアップする。

 そう言われても、モヒーニキの店に置いてあるのは、可愛らしいコウモリが刺繍されたタオルや帽子だったり、不気味な紋様が刻まれたリストバンドだったり、血のように紅く染まったギザギザの針葉樹林のようなシルエットの……棒? のようなものだったりと雑多で、まるで統一感がない。

 

 まあ一言で表すなら、ロックと言うよりパンクだな。

 何言ってんだお前って? 安心しろ。俺も自分が何言ってんのかよくわかってない。

 

「……一体何屋なんだここは?」

「オイオイ今さらそいつを聞くのか~? オーケーわかった! なんだかんだと言われたら、答えてあげるが世の情け! いいかい、ここは紛うこと無きカトブレスの聖地、騎士王様のグッズショップよ!」

「グッズショ……は?」

「いよいよと言うべきなのか、ついにと言うべきなのか……名残惜しいが、これから最終公演だからな。くゥ~、戦争さえなければ! ちくしょう悔しい!」

「最終公演て……え? 騎士王出るの?」

「おい~! いくら余所者とはいえ、頼むぜ兄ちゃん。騎士王陛下の歌声といえば、それはそれは美しくて清らかなことで有名なんだ……熱烈なファンも数知れず! そんなワケで、俺の店に置いてあるのは、全て陛下の公演を盛り上げるためのグッズよ! 忠誠の証とでも言うのかな……ヘヘッ。自分で言うと照れるな……」

「…………」

 

 アツく語るモヒーニキをよそに、俺はキョロキョロと周囲を見渡した。

 見れば確かに、この店に置いてある帽子やリストバンドを身につけ、タオルを首にぶら下げている若者がそこかしこにいる。男女比は概ね7:3くらいだった。

 中にはおそらく自前だと思うが、胸元に「I LOVE KING OF KNIGHTS」とペイントしたシャツを着ている奴もいた。

 

「……ちなみにこれは?」

 

 そう言って、俺がモヒーニキに差し出したのは、深紅のギザギザの棒。

 

「ああ、そいつはな……お。ちょうどいい手本がいた。百聞は一見にしかずだ。見てみな」

 

 促されるがままに、噴水の方を見やると、騎士王グッズを身に纏い、同じような容姿をした野郎どもが六人ほど、円陣を組んでいた。

 

「本日天気晴朗なれども、夜深し……いよいよ迫ったラストライブ! 陛下の門出を盛大に祝うべく、お前ら気合い入れていくぞ!!」

「うおおおいッ!!!!」

 

 すると野郎どもは散開し、前列三人、後列三人に分かれて位置につく。六人が六人、両手に深紅の棒を持っていた。

 そして誰が合図するでもなく、六人が同じタイミングで右手を胸の前に捧げた。すると次の瞬間、野郎どもは両手を左右に勢いよく、円を描くように振り回し始めた。

 

「騎士王! 騎士王! ハイハイハイハイ! 騎士王! 騎士王! フウフウフウフウ! 聡明! 英断! ハイハイハイハイ! 吸血! 鮮血! フウフウフウフウ! 今宵は月も紅いから! ハイハイハイハイ! 貴方を紅く染めましょう! フウフウフウフウ!」

 

 かけ声に合わせて、野郎どもは身体を前後左右に激しく振り回す。

 その様はまさに一糸乱れずという表現がふさわしく、彼等の体捌きの軌跡をなぞるように、深紅の棒が紅い光芒を放ち、得も言わぬ美しさを残した。

 

 いや訂正。別に美しくはないな……どちらかというとキモい。久しく忘れていた初期衝動が胸に宿ったかのような、エモさ寄りのキモさがある。

 

「何だアレは。邪神降臨の儀式か?」

「あいつらは、騎士王親衛隊だよ。まあ親衛隊って言っても、自称なんだけどな」

「親衛隊? 変態の間違いでは?」

「ハハッ、言ってくれるじゃねえか兄ちゃん……ちなみにあの棒は、ダーインスレイヴって言ってな」

「おもっくそ名前負けしてない?」

「そんなことないぜ。アレは騎士王陛下の愛刀、聖剣ダーインスレイヴを模したものでよ……生き血を啜れば啜るほどに切れ味が増すと謳われる、伝説の剣だ。兄ちゃんも東洋人なら、ツェペシュ家が吸血鬼の末裔って言い伝えくらいは聞いたことあるだろ?」

「ああ、それであのギザギザ……なるほどね。あれは剣だったのか」

「ちなみにダーインスレイヴには仕掛けがあってな。ダーインスレイヴが動くたびに、紅く輝くのは、迸る血を表現しているんだが……アレは魔石を使っているんだ。スカーレットの魔石を粉末状にしたものを棒に細工することで、暗い場所では紅く妖しく光るように調整したのさ。コレが中々難しくてなァ……失敗作も数知れず。今の形に辿り着くのに、かなりの苦労があったんだぜ」

「貴重な魔石を、そんなしょうもないことに使わないでくれる?」

「オイ見ろよ……天に掲げた拳を、鋭く地面へと穿つあのムーブ。ブラッディクロスだ」

「ブラッディクロス?」

「アレは十字架を表現していてな……俺自身がロザリオになることで、騎士王陛下に降りかかる、ありとあらゆる災厄を退け、楯となる覚悟を示すと共に深い忠誠心を捧げる――そういう意味なんだ」

「災厄って、それはむしろ君たちのことなんでは……」

「俺はあの踊りが、行く行くはカトブレスの文化になればいいと思ってる。今は若いヤツ中心の文化だけどさ……十年後、いや五十年後には、老若男女みんながあの踊りを街中で踊って。歴史や伝統って、そうやって作られていくモンだろ?」

「そうだな。そうなるといいね」

 

 最後の方は、俺もヤケクソで満面の笑みを浮かべていた。

 

 まあこれでよくわかったよ。

 第二十六代目騎士王、ロローナ・アナスタシア・ツェペシュはこれまでのどの騎士王とも違う。

 

 騎士王は騎士王でも、彼女は()()()()()()()()()だ。

 

 

    *

 

 

 一時間後。

 俺は劇場の向かって左、やや後ろ側の席に座っていた。

 

 結局、モヒーニキの熱意に負けて、タオルを一枚買ってしまったのが悔やまれる。こんなどこにでもある、やや大きめのタオルが一枚四千レイって良い商売してんなアイツ……

 

 ちなみにタオルに刺繍されてる可愛らしいコウモリは、ツェペシュ家の紋章をデフォルメしたものなんだと。

 モヒーニキ曰く、はじめはファンアート的な位置づけだったのだが、ある日騎士王本人の目に留まり、「何コレちょ~可愛い! 最高じゃん!」とのお言葉を賜り、図らずとも陛下公認アイテムとなった伝説があるのだという。

 

 さらに言うと、騎士王は昨年の暮れ、このファンアートをツェペシュ家の紋章として正式に採用してしまったらしい。

 周囲の大臣や官僚はむろん猛反対したらしいが、陛下の「可愛いは最強!」の一言に押し切られ、強行採決に至った。とある役人が漏らしたと言う、「ダメですと言ったときの、陛下の目が忘れられない。マジで串刺しにされるかと思った」の一言から、陛下の揺るぎない覚悟が推し量られる。

 

 騎士王は立場的に当然、第三次東征の総司令官になることは確実。

 やがて訪れる決起に際しては、この可愛らしいコウモリの旗印を掲げた艦隊が、大東洋を埋め尽くすことになるのか……

 考えただけで胸が熱くなるな。お可愛いですこと……

 

 そうこう思考を巡らせているうちに、周囲は満席になっていた。吊るされた豪勢なシャンデリアには、クジラの油を使った蝋燭が所狭しと並べられ、その明るさで周囲がはっきりと視認できる。

 

 左右にはロージェと呼ばれる富裕層向けのボックス席が五層あり、一階後方の少し高い位置にある座席に、先ほど噴水の前で踊り狂っていた親衛隊の面々がいた。「I LOVE KING OF NIGHTS」と書かれた横断幕を持っていたので、すぐに気付いた。

 

 どうでもいいが、ナイトの綴りが間違っている。無理してネウストリア語使うから……

 いや、夜の王と読めなくもないから、闇の眷族たる陛下には、むしろこっちが正しいのか……? あえて間違ってんだか何なのか、ようわからん連中だ。

 

 ちなみに、ガラテア人は、中世の時代に積極的に行われた西方植民によるネウストリアからの移民層が多くを占めていて、元を辿れば同じ語族ではあるのだが、単語や文法、発音にイントネーションはそれぞれの歴史や地域性もあいまって、今や大きく異なっている。

 そのため、お互いがお互いの国の言葉で話すと、(なんかようわからんけど、たぶんこう言いいたいんだろうな……)みたいな、妙な手探り感が生じる。

 俺個人の感想を言わせてもらうと、訛りが強いガラテア語(カトブレス以西の、内陸出身の人間に多い)は、正直何言ってるのか全然わからん。

 

 こういうお国事情もあってか、騎士王はカトブレス劇場で行う演目は、すべてネウストリア語で統一しているそうだ。

 そもそも劇場を建てた目的が、ネウストリア語による演劇振興を図ることで、「正しいネウストリア語」を国民に幅広く普及させることにあるらしい。コトバの障壁が、自国の後進性を導いた原因の一つであると彼女は考えたのだろう。

 大衆を啓蒙し、文化の面からも近代化を図らないことには、真の意味で極東諸国とは同等に立てないというのが、陛下のヴィジョンなんですって。

 

 そのおかげもあり、俺はカトブレスに来て以来、言葉に何一つ不自由せず、生活を送ることができている。

 まあ言語の親和性が近いぶん、習得のハードルは低いからな。カムイだって、商売柄どうしても極東人と接することが多いから、いつの間にか覚えたって言ってたし。

 

 などと思考を巡らせているうちに、幕が上がって、盛大な拍手が巻き起こった。ステージが蝋燭のフットライトで眩く照らし出される。

 

 演劇のタイトルは、「灰かぶり姫」。

 管弦楽が鳴り響き、現れた女優がこれから始まる悲劇のあらましを、高らかに歌い上げる。

 

 あらすじは、継母や義理の姉にいじめられ、「灰かぶり」を意味するシンデレラというあだ名をつけられていた可哀想な少女が、魔法使いとの出会いをきっかけに城の舞踏会に出向き、そこで王子に見初められ、やがて恋を成就させる……という、王道成り上がりサクセスストーリーである。

 

 俺もガキの頃、ロゼッタの街中の広場で、似たような劇を見た記憶がある。もっともアレは町人が趣味で子供達に見せていたもので、半ば余興に近いものだったが……

 ロゼッタにもカトブレス同様、大規模な劇場はあるが、そこで催される興行は王族や貴族、富裕商人専用で、平民は基本的に立ち入り禁止だったからな。入場料一つで上等な馬が買えるとかナントカ、親父がよくぼやいていた。

 

 劇が進むにつれて気付いたのだが、どうやらカトブレス版の「灰かぶり姫」は、俺の知ってるそれとは異なって、一部脚色しているようだ。

 何と言うか、全体的にダーク。

 

 継母のいじめ方一つ取っても、こんなに陰湿だったかな……と首を傾げるくらいに徹底しており、シンデレラの悲劇性がより強調されていた。

 また義理の姉は、シンデレラの結婚式に参列した際、跳んできた鳩に目を抉られて失明する流れとなっており、「そこまでやる必要ある? ハトポッポ唐突すぎやしませんかね……」と個人的には感じた。

 さらに言えば、継母はこののち国外追放の憂き目に遭い、貧しい暮らしを送った挙げ句、孤独な最期を迎えたという後日譚が追加されていて、悪は成敗して然るべきという構成がより強化されていた。

 

 おかしい。

 俺の知ってる「灰かぶり姫」は、もっとぽわぽわフワフワゆりゆりキラキラした話だったぞ……うろ覚えだが、最終的には継母とも義理の姉とも和解したような……

 

 演劇は観衆の需要に合わせて、脚本の味付けを少しずつ変えていくという話を聞いたことがある。つまりカトブレスじゃ、こういう過激な方がウケるってことなのかな…… 

 

 ネウストリアやアルル、アンブロワーズといったお高くまとまった国だと、おそらくこうはいかない。「やり過ぎで逆に冷める」、「作り手の感情が透けて見えて不快」といった意見が絶対勝つだろう。

 そもそも極東の人間は、復讐感情を下劣なものとして嫌うからね。そんな感情を抱くから、貴様はいつまで経っても惨めなんだよっていう発想だから。

 

 まあ個人的には、己の手を一切汚さず、澄ました顔でサクセスの階段を上り詰めていくシンデレラにこそ、一番の恐怖を覚えたが……

 魔王の器を感じる。実はコイツこそが、作中最強の悪なんじゃねーの……全て、彼女の計算尽くだったとしたら……ヒエッ。

 そうよ! きっとあの不自然なハトポッポは、あの女が放った刺客に違いないんだわ……!

 

 役者の演技力もさることながら、歌や音楽が然るべきタイミングで華を添え、劇のクオリティは総合的に見て素晴らしかった。

 こういうのに疎い俺ですら、「ほーん。すごいなあ……」と度々漏らしたレベル。具体的に何がどう凄いのか、一切説明できないのが哀しいが。

 

 そしてついに劇もフィナーレを迎え、無事大勝利を収めた魔王……じゃなかった、シンデレラが、王子と優しくキスを交わす。

 観客は我先にと次々立ち上がって、拍手をもって演者を讃える。

 その時だった。

 

「ジャーン! ジャーン!」と銅鑼の音色が場内にこだまして、観客が一様にささめき出す。

 ステージの中央から姿を現したのは、お待たせしました真打ち登場――

 

 我等が騎士王陛下であった。

 

 

    *

 

 

 大仰な羽根帽子から覗く淡紅色の髪は肩に掛かり、身に纏うは深紅のドレス。

 彼女がステージの上に現れた瞬間、それまで騒がしかった場内が、波を打ったように静かになった。

 

 不思議な感覚だった。

 

 俺もこれまでの人生でローランをはじめ、一角の人物をこの目で見たことは何度かあるが、その誰とも違う雰囲気を、彼女は持ち合わせていた。

 何と言うか……ただの人間には興味ありません。

 

 決して触れてはいけないような、どこか人間離れしたようなオーラ。それでいて、無関心の範疇に留めておくことができない不思議なファースト・インプレッション。

 親しみやすさと近寄りがたさといった、まるで相反するものが、せめぎ合うことなく同居しているような、奇妙な感覚が腹の底にあった。

 

 やがて彼女は静かに歌い出す。

 出会いや別れ、記憶をテーマにした、美しくも優しいメロディの唄だった。あとで聞いた所によれば、この唄は「いつか帰る場所」というタイトルで、ガラテアでは有名な作曲家がこの劇場の設立を記念して、書き上げたものらしい。

 

 歌声については、俺が語るまでもないだろう。

 天使のようだの、まるでローレライの伝説を彷彿とさせる云々と、余計な美辞麗句を重ねることが、かえって野暮だと感じるほどには、よくできていた。

 本当に美しいものは、美しいの一言だけで事足りるのだと思い知らされた。

 

 すっかり心を持って行かれていた所を、割れんばかりの拍手が鳴り響いて、ハッと正気を取り戻す。

 騎士王が帽子を外し、客席に向かって会釈をすると、ここぞとばかりに拍手が起きる。

 

 そこでふと、騎士王の姿が目に入った。さっきまで帽子を被っていたこともあり、いまいち顔がよく見えなかったのだ。

 

 何と言うか……学生時代、クラスに必ず一人はいたマドンナのような印象を受けた。

 妙に大人びてて、顔立ちは整っており、振る舞いは優雅。勝ち組過ぎるがゆえに、俺のような下層民にも平等に接してくれる、天上の民だ。

 

 ただ、言うほどギャルではないような……

 今日はフォーマルの場ということもあるのだろう。瀟洒なドレスもあいまって、清楚な雰囲気が優っている。

 

 たとえて言うなら、ちょっと背伸びしてた女の子が、久しぶりに同窓会で会ったら、実寸大の大人になっててドキッとした時の感じ。

 俺は同窓会に出席どころか、そもそも呼ばれる対象にすら上がってないからよくわからんけど。何ならみんなの記憶から抹消されてるまである。

 

「お前ら全員……楽しんでるかーーーい! 今日は最高の夜にしようぜーーーー!!」

 

 とでも言って、派手にドラムやリュートが鳴り響くのかと思いきや、そんなことはなかった。

 騎士王は辺りが静まった折を見計らい、まず謝意を述べ、そして告げた。

 

「私には夢があります。いつかこの場所で、ネウストリアではなく、ガラテアの言葉で、演劇を行うことです。ですが、今はその時ではない――」

 

 少し間を置いてから、彼女は続けた。

 

「ご存じのとおり、これから大きな戦いが始まります。十年前の屈辱を晴らし、約束の地を、魔族から奪還するための戦いです。この中には、その時従軍していた者もいるでしょう。大切な人を失った者もいるでしょう。あるいは、まだ生まれていなかった者もいるかもしれません。

 

 私ロローナ・アナスタシア・ツェペシュは、第二十六代目アヴァロニア騎士王として、ネウストリア国王陛下に忠誠を尽くすと共に、必ずやこの戦いに勝利し、約束の地を取り戻すことを、神に誓います。

 同時に、第三十四代目ガラテア国王として、国民の皆に誓います。真に取り戻すべきものは、ガラテアの誇りであると。

 

 この戦いは、かつて失われた同胞たちの、尊厳を取り戻すための戦いです。

 彼等の死に、意味などなかった――彼等の死を悼み、あなた方が零した涙の一つ一つに意味がなかったなどと、私はあなた方の王として、断固認めることはできない。

 

 だから私は、剣を取ります。

 あなた方のために、剣を振るう道を選びます。

 

 人は誰しも、一人では勇者にはなれません。背中を押してくれる者がいて、初めて勇ある者となり得るのです。

 窮地に立たされたとき、剣を握るその手に力を与えてくれるのは、生者の励ましだけではありません。そこには死者の叫びも含まれていると、私は考えます。

 あのとき失われた同胞たちの魂は、まだ死んでなどいない。

 なぜなら彼等が残した意志は、魂は、残された私たちの心にこうして火を灯し、未来へと進む勇気を与えてくれるからです。

 

 十年前の記憶は、死者の無念は、生者の痛みは、この戦いの勝利をもって、等しく終わりを告げると、私は強く信じています。

 

 共に戦いましょう。共にその先の景色へと向かいましょう。

 そして最後に、もう一つだけ誓わせてください。

 

 私は必ず、ここへ帰ってきます。

 共に勝利の賛歌を、愛すべきガラテアの言葉で歌いましょう――」

 

 そう告げると、騎士王はふっと優しく笑みを浮かべる。

 

 すると次の瞬間、万雷の拍手が轟いた。

 人々は一様に立ち上がり、ある者はエールを送り、別の者は口笛を鳴らし、またある者は感極まって涙を流していた。

 

 拍手喝采、鳴り止まぬスタンディングオベーション。

 場内は、異様な熱気に包まれていた。

 

 俺は一人呆けたようなツラを浮かべ、そして思った。騎士王――

 

 おまえ今……()()()なんだ……?



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39 イカルガ鉱山

「ほえー。我々は歴史的瞬間を目撃した……だって。どの新聞も陛下のこと称賛してるわあ~。いいなあニケってば、そんな瞬間に立ち会えて」

 

 翌日、カムイの工房にて。

 昼休憩の最中、カムイの奥さんにそう言われて、俺は渋い顔を浮かべた。

 

「すんません、アツコサン。雇われの分際で、出過ぎた真似を……」

「ん~? 良いのよどうせ、この身体じゃ無理はできないし。カムイもそれわかってて、あなたにあげたんだし……」

「はぁ」

「でもチケットって二枚あったんでしょ? ねえ誰と行ったの? 女の子? ねえ女の子なんでしょ」

「ハハッ」

 

 やれやれ、またその質問か……好きだねえ君たちも。

 ったく、モテる男は辛いぜ……

 

「一人です。急なことだったので」

 

 真実を告げつつも、急でなければ誘える女の一人や二人いるという余韻を生み出す、このオトナな対応……

 

 どうよ! 

 俺を含めて、誰も傷つかない世界の完成よ……と思ったが、いい年こいた男が人妻相手に一体何と戦っているのかと虚しくなったので、結果俺だけが傷つく世界が完成した。

 

 運命よ。貴様は一体、どれだけ俺を追い詰めれば気が済むのか……

 

「それよりお子さん、そろそろですよね」

「うん。マーガレットさん(※百戦錬磨の産婆として名を馳せる近所のばあちゃん)の話だと、あと一月くらいだって」

「そろそろ休んでくださいよ。カムイだって、そのために俺を雇ったんだから」

「嫌よ。うちの母さんだって、陣痛来るまで農作業してたって言うし。ガラテアの女は、みんなそうやって生き抜いてきたのよ……都会の軟弱モンに、この苦労はわかるまいて……」

 

 休息だけが人生だとの旗印を掲げ、出産とか関係なく、年がら年中休み続けてきた俺には耳が痛いコメントだ。

 アツコサンは膨らんだお腹を撫でながら、「男の子だといいなあ……」とこぼした。

 

「ロゼッタだと、つわりが軽いと男の子って言われてましたね」

「そうなの? じゃあ期待していいのかなあ。カトブレスだと、その手の類いって、人によって全然言うこと違ってさあ……マーガレットさんは、おっぱいが右の方が大きくなると男の子、左の方が大きくなると女の子って言ってたんだけど、私妊娠とか関係なく、元々右の方が大きかったから、こういう場合はどうなるんだろう……?」

「……おっぱいに左右差とかあるんですか?」

「そりゃあるわよ。手や耳だって、よく見れば右と左で形違ったりするでしょ。それと同じ」

 

 なるほど。では早速拝見拝見……百聞は一見にしかずと言いますしおすし。

 

「なにニヤついてるのニケ……やらしー……」

「え? いや、これはその……ウェヒヒヒ」

 

 そうこう話しているうちに、カランカランと店の入口の鈴が鳴る。カムイが帰ってきたようだ。

 

「ただいま~。外はすごい雪だよ……参った参った」

「お疲れ様っす」

「ああニケ、悪いね。朝から不在にして」

「アツコサンに魔石の加工の仕方とかいろいろ教えてもらってたんで……おかげでずいぶん勉強になったよ」

「へえ。ニケって結構、ああいう気が遠くなるような作業得意だよな……意外と細工師に向いてるんじゃないか?」

「奇遇だな。アツコサンにも、全く同じこと言われたよ」

 

 カムイがハハッと笑った。

 ちなみに午後は「人妻と背徳感」と題して、おっぱいの左右差について、実技を交えてレクチャーしてもらう予定でしたと言おうとしたが、さすがに頭おかしいのでやめておいた。

 

「それはそうと、朝から急にギルドに呼び出されたって……何かあったのか? アツコサンは、こんなの珍しいって言ってたけど」

「ああうん、実はね……」

 

 コートの雪を払い、ポールハンガーにつるすと、カムイは俺の向かいの席に座った。

 そこでアツコサンが、温かいコンポートを持ってきてくれた。

 林檎やベリーなどの果物に砂糖を加えて煮詰めた飲料で、これが中々のマイフェイバリット。個人的には、仕事の合間に最適な飲み物だと思ってる。

 

 一般に北方人と言うと、真っ昼間からウオッカを飲み干し、血潮はアルコールで心は白金(プラチナ)のイメージしかないが、それはノルカ・ソルカだけらしい。

 ガラテア人曰く、「あいつら超人と一緒にするな」とのこと。

 

 ベリーのコンポートを一口飲むと、カムイが言った。

 

「実は、新規の開発事業に誘われたんだ」

「開発って、新しい鉱床掘り出そうってヤツ? トルフィンさん家が主導でよくやってる……」

 

 アツコサンの言葉に、カムイが首肯する。

 

「うん。ただ、今回のモノは少々訳が違うみたいでね。政府が一枚噛んでるんだ。トルフィンが好きな自発的な開発ではなく、上からの依頼なんだよ。だからギルドを通じて、俺にも話が来た。ちなみに場所は、ノルカ・ソルカ」

「ノルカ・ソルカぁ? 何でまた……国内じゃないの? しかもこのクソ寒い時期に」

「話すと長いんだが……どうも戦争が関係してるみたいでね」

 

 カムイの話を要約すると、こうだ。

 

 ノルカ・ソルカ南東部、ガラテアに程近い国境地帯には、イカルガ鉱山という大規模な鉱床地帯があったのだが、二次東征の最中、大規模な魔力泉の暴走が起こり、周囲の生物が凶暴化したことで、発掘が不可能となり、長らく放擲された状態が続いていた。

 

 ところが近年、魔力泉の活動に収束が見られたということで、麓の村は鉱山の再開を目指し、ノルカ・ソルカ政府に、鉱山に巣くう魔物の討伐を懇願していたのだが、一向に受け入れてもらえなかった。

 

 というのも、ノルカ・ソルカは戦後間もなく先代騎士王が崩御し、その後国が分裂して、王が空位という混沌状態が長く続いていたためだ。

 王が空位という空前絶後の事態は今なお決着がついておらず、第三次東征も、ノルカ・ソルカはおそらく参戦しないであろうという見方が強い。

 戦後著しく復興を遂げたガラテアとは対照的に、あの国は未だ敗戦の影を引きずっているのだ。

 

 さて、そんなイカルガ鉱山に目をつけたのが、我等が騎士王陛下こと、ロロ様である。

 

 騎士王は半年ほど前、イカルガの採掘権を売却してもらうよう、ノルカ・ソルカ暫定政府に働きかけた。これは国家財政が逼迫していたノルカ・ソルカとしても願ってもない話だったようで、両国間での交渉は速やかに成立。

 条約が調印されるや否や、騎士王は電光石火で派兵を決定。イカルガ鉱山の魔物を掃討し、今回の発掘隊第一陣派遣にこぎ着けたのだという。

 

「あー、思い出したわ……アンブロワーズが噛み付いてきたヤツでしょ。『これは合意に見せかけた資源争奪、侵略戦争にほかなりませんわ! 騎士王は恥を知るべきですわ!』とかナントカ」

「エスメラルダ家も必死なんだよ。諸侯国連合の中で、騎士王を最も輩出した国としてのプライドがあるんだろう。東洋有数の魔鉱石産出地まで手に入れられて、これ以上、ガラテアの台頭を許す訳にはいかないって警戒されたんだ」

「そんなの、ガラテアからしたら知ったこっちゃないわよね。第一あの国って、戦後ノルカ・ソルカをボロクソに叩いてた筆頭じゃない。その口が今さら、ノルカ・ソルカの味方のような顔して、何を偉そうに言ってるんだか。移り身の早さに、開いた口が塞がらないわ」

「さあね。立場変われば、景色の見え方も変わるからなあ……」

 

 二人の会話を聞きながら、俺はふむと口元に手を当てる。

 

 アンブロワーズのエスメラルダ家といえば、先祖がネウストリア王家の外戚にあたり、東洋随一の名門として名高い一族である。同時に、アツコサンが言ったように、傲岸不遜が服着て歩いてるような連中としても有名なのだ。

 長いものには巻かれて、短いものは徹底的にすり潰す――それがエスメラルダ家に伝わる、一子相伝の秘術なのである。

 

 そういや、ロゼッタを旅立つ前に、なんかそんな風に両国が揉めてるニュースを聞いたような気がするな。元々両国は昔から犬猿の仲で有名だから、まーたやってんのかコイツら程度にしか思ってなかったけど……

 

「それで……カムイはこの話、受けるつもりなのか?」

「いや、断ろうと思う。せっかくの話だけど、発掘はこないだのが最後だ。俺にはやっぱり、アツコサンが一番大事だからね。これから出産に向けて大事な時期に入る。しばらくはずっと、彼女の側にいてあげたいんだ」

 

 おお……よく面と向かって、そんな台詞さらっと言えるな。これが本当の、大人な対応ってヤツなのか。

 思わず俺まで嬉しくなっちゃった! なんでだよ。

 

「いや、私に構わず行きなさいよ」

 

 チョロい女の俺とは対照的に、アツコサンは淡泊にそう言った。

 二秒くらいの沈黙のあと、彼女はため息をついた。

 

「イカルガといえば、ガラテアじゃ取れない魔鉱石がたっくさん……運が良ければ、今まで見たこともない魔石だって発見できるかもしれない。はっきり言うわ。魔石を仕事にしてる人間で、この話を魅力的だと感じない人間は、もう終わってる――さっさと店畳んで、故郷の田舎でベリー栽培始めた方が性に合ってるわ」

「いや、そういう話じゃ――」

「そうも何もない。私は大丈夫だから。マーガレットさんもいるし、アーちゃんもミィちゃんもいる。それに……あなただって、本心では行きたくて仕方がないんでしょうが」

 

 店のカウンターに腰掛けたアツコサンは、うつむき加減に続けた。

 

「トルフィンさんの誘いだって、内心行きたくてウズウズしてたの、私は知ってるんだぞ。あなたはお金を理由にずっと断ってたけど、本当は自分に万が一があれば家族がって……それを一番心配してたんでしょ。何年一緒にいると思ってるの。口に出さなくても、それくらい私にもわかるよ」

「……うーん……」

「良い機会だから言っておくけど……私はこれ以上、あなたが家族を理由に、自分の気持ちに蓋を閉めるのをやめてほしいの。ガラテアの女を舐めないでちょうだい。夫の留守番くらいまともにできずに、ガラテアの女が務まるかってんだ……!」

 

 言い切ると、彼女は頬に手を当て、ぷいっと窓の外へ視線を逸らした。

 肉料理に添えられた香味野菜のような心境で、二人の行く末を見守っていると、やがてカムイが口を開いた。

 

「いやダメだな。やっぱり行けない」

 

 カムイが顔を上げる。

 自然、アツコサンと視線が重なった。

 

「だって、初めての子供なんだから。生まれる瞬間には、そりゃ立ち会いたいよ。人生で一度しかないことなんだ。お金にも、俺たちの夢にも替えられるものじゃない……そうだろ?」

「……」

 

 アツコサンは口元をもにょもにょと動かし、何やら反論しようとしていたみたいだが、結局何も言わず、再び窓の外へ視線を逃がした。

 

 個人的には、「俺たち」の夢って言ったのがポイント高かったな。さすがカムイ。モテる男は言葉のキレが違う……

 なんだかんだ言いつつ、結局アツコサンも本心では、夫に側にいてほしいのだろう。

 

 やれやれ。

 ったく、しゃーねーなー。このアツアツ夫婦め……

 

「なあカムイ。あんたの代わりに、俺が行くってのはダメか?」

 

 カムイとアツコサンが、ほぼ同時に俺の方を見る。

 

「代理で俺が行けば、イカルガの状況もわかるし、ギルドにも顔が立つだろう。おまけに、カムイはずっとアツコサンの側にいてやれる。良いことずくめだと思うんだが……どうかな?」

 

 カムイとアツコサンは、無言のまま顔を見合わせる。

 カムイは一瞬嬉しそうな表情を浮べたようにも見えたが、すぐに視線を落とす。そして言った。

 

「ニケ。そう言ってくれるのは非常にありがたいんだが……今回の発掘には、一つ条件があるんだよ」

「条件?」

「ああ。ギルド長の話だと、イカルガ鉱山には、山賊が住み着いてしまったらしくてね」

「山賊だって?」

「ノルカ・ソルカは、戦後政府がほとんど機能しなくなって、治安が急激に悪化したからね……。騎士王が鉱山の魔物を討伐してくれた後の隙を突かれて、タチの悪い連中に占拠されてしまったようで。現に麓の村でも、農作物が奪われるなどの被害が出てるんだと」

「そんなことになってたのか……騎士王はもう、力を貸してくれないのか?」

「開戦が間近に迫っていることもあって、難しいんだと。戦力をこちらに割く余裕がないそうだ」

「むう……そうは言っても、このまま山賊どもに好き勝手させといたら、一体何のために高い金払って鉱山を獲得したのかわからんだろうに」

「ああ。そこは政府としても、歯がゆい事態らしく……ギルド長曰く、昨日政府から呼び出されて、冒険者ギルドなどを活用して自前で戦力を調達し、ギルドで解決を図ってもらえないかと提案されたそうだ。経済的な援助は行うという条件付きでね」

「なるほど、話がつながってきた。急に呼び出された、一番の理由はそこか……で、ギルドはどうするつもりなんだ?」

「引き受けるそうだ」

 

 カムイが即答した。

 

「このまま山賊を野放しにすると、魔鉱石の密輸が横行するだろう。それは、俺たちの商売にとって大きな損失となる。指をくわえて見過ごす訳にはいかない……それに、ここだけの話だけど、陛下はイカルガ鉱山の運用管理を、石工ギルドに任せる方向で考えてるらしくてね。ギルドとしても、これは有り難い話ではあるから……中々強く反発できない事情もあって。うん……」

 

 カムイはお茶を濁すような言い方をしたが、要は背景に政治的な駆け引きがあるということなんだろう。

 ふむ。やりおるな騎士王……いつの間にやら相手の問題にすり替えてしまう手腕は流石というか。若いのに老獪とか、おじさんホント意味わかんないよ……

 

「要するに発掘に参加したい者は、それぞれ自前で戦力を調達してこいと。それが今日の会議での、ギルド長からのオーダーか」

「ああ。大体そんなとこだ」

「なら、ニケは打ってつけじゃない? 魔石の知識はあるし、発掘の経験だって積んだ。おまけに自分の身も自分で守れる。この仕事にピッタリな人材よ」

 

 クスッと笑って、アツコサンが言った。

 

「だって、二等級の冒険者なんでしょ? ましてドラゴンを討伐したことある冒険者なんて、そうそういないわよ!」

 

 あっ、と思った。

 案の定、カムイは寝耳に水と言った顔をしていた。

 

「え……ええ?! ニケ、君はそんなに凄い人だったのかい?」

「あ、いや……隠してた訳じゃないんだけど。はい」

「二等級の冒険者だとは知ってたけど……俺はてっきり、君は知的分野や文化的な功績で、昇級が認められたタイプの冒険者だと思ってたから。まさか、そんな凄い達人がウチの案件を引き受けてくれてたなんて……恐縮だよ」

 

 すんません。戦士も真っ青の、ゴリゴリ脳筋ルートで昇級してます。

 しかも五階級特進してます。

 

 ちなみにアツコサンがドラゴン討伐のことを知っているのは、二人だけの時に、俺がイキリ散らしてベラベラ語ったからである。

 

 正直に申し上げますと、女性に褒められたかったんだ! 

 それがたとえ、人妻であっても褒められたかったんだ!! 

 それの何が悪いんだ!!!

 

「トランシルヴェスタの悪竜退治に一役買った、すごーい魔法使いなんだから。ね? ニケ」

「運がよかっただけですよ。ハハッ」

「そうか。じゃあ……すまないニケ。ここは一つ、君の好意に甘えさせてもらっていいだろうか? もちろん、この分の報酬は上乗せさせてほしい」

 

 カムイはすっと立ち上がるや、俺の手を握り、いつになく真摯な眼差しでそう告げた。

 むろん、俺としても断る理由はない。

 

「承知しました。俺に任せてくださいよ」



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40 湯けむりの夜

 仕事が終わり、街の定食屋で夕食を済ませ、宿のベッドでゴロゴロしてからしばし。

 二十二時を過ぎたころ、夜な夜な公衆浴場へと繰り出すのが、カトブレスに来てからの、俺のルーティンとなっていた。

 

 こんな時間だと、すでに閉店している公衆浴場も多いのだが、水商売が多いエリアなんかだと、夜遅くに仕事を終えた人たち向けに、二十四時(てっぺん)過ぎても営業してる店がチラホラある。

 つまり二十二時という時間帯は、一般の客はとうに利用を終え、水商売の人たちが来るには早すぎるという、海で言うところの、凪の時間帯なのだ。

 

 したがって、混雑を避け、風呂を独り占めできる可能性が極めて高い。

 

 もはや顔なじみになった番頭に挨拶がてら、お金を払う。

 相場に比べると料金は高めだが、ここの風呂屋の売りは、なんといっても露天風呂だ。小高い丘の上に位置しているということもあって、カトブレスの夜景がこれまた綺麗でねえ……

 

 のれんをくぐり、更衣室に向かうと、誰もいなかった。いつもは一人二人客がいるのだが、ラッキーなことに今日は俺一人だけらしい。

 

 テンションマックスと化した俺は、すぽぽぽーんと服を脱ぐと、いち早く浴場へダッシュ。飛び込むようにして風呂に入ると、しばし潜水のち浮上。

 キンタマ丸出し、生まれたままの姿で、大空に向かってガッツポーズするという奇行に及んだ。

 

 ウヒョー! これぞお一人様の特権よ!

 

 空は青白く、半月が浮かんでいた。辺りには小雪が舞っており、海の方角から微かにさざ波の音色が伝う。

 桶には自前の熱燗(中身はレモンベースのホットウオッカ)を配備、ぷかぷかと温泉の熱で温めるという粋なスタイル。

 

 雪・月・酒。

 欲を言えば、隣で身を預けてくれる大人のお姉さんがいれば、何も言うことはなかったのだが……

 

 熱燗を一口飲み、身体は熱すれど、心は一向に温まりそうになく、その対比にどうしようもない虚しさを覚えたので、肩までどっぷり風呂に浸かることにした。

 

 くゥ~、最高です! 

 温泉ってのは、たまらんぜ……日々の疲れを洗い流してくれるパワーがありますよパワーが。

 アルルにて、温泉というものをしてみんとてするなりした結果、すっかり熱烈な温泉信者と化していた俺なのであった。

 

 冬の星空をぼけーっと眺めながら、しんみりと今までの旅路を振り返ってみる。

 

 色々あったが、まあ何とか西方への入口まで来ることができたのは及第点だな。

 結果として、ノルカ・ソルカに寄り道することにはなったが、こういう機会でもなければ、あんな最北の辺境に行くことはまずないだろうし……

 

 イカルガ鉱山にも、興味はあった。

 というのも、今回の発掘でハイスペックな魔石をゲットし、新たな魔導具を導入できれば――という気持ちがあったのだ。身も蓋もなく言うと、そういう打算があったからこそ、俺はカムイの代理を名乗り出た。

 

 現在、俺の所有している魔導具は、母さんの形見でもある指輪のみ。

 

 個人的には、魔導具を何個もチャラチャラつけて、ウホウホご加護マンと化している魔法使いは「煩悩まみれの欲しがりクソ野郎」と内心バカにしまくってきたのだが、盛者必衰の理があらわされた結果、そうも言ってられなくなってきた。

 魔石の加護だろうが何だろうが、出涸らしは出涸らしらしく、すがれるものは何でもすがっていかないと、正直この先やっていける自信がない。

 

 まあ二つくらいなら、別にいいよな……

 欲張って魔導具を装備しすぎると、加護が競合して打ち消し合ったり、逆にマイナスの効果を及ぼすって聞いたことあるから、現実問題、メイン1・サブ1くらいが妥当な選択肢なようには思う――

 

 身体もだいぶ温まってきたので、岩場に腰掛け、足だけ湯船に漬ける足湯スタイルへと切り替える。その時だった。

 

 女子の声がした。

 

 衝立の向こう、女湯のエリアから、明らかに若い女子(おなご)のそれと思われる声がした。

 

「……た~! 独り占め……るじゃん!」

「…………ことか?」

 

 どうやら二人組らしい。その後も何やら喋っていたが、はっきりとは聞き取れなかった。 

 ふむ……どれ、少し近づいてみるとするかのう……

 

「私夢だったんだ~♪ こういうの」

「普段…………が言うことか?」

「いいじゃん別に。最初で最後かもしれないんだから」

「……でもない……」

「ねえねえ、せっかく故郷に帰ってきたんだからさ」

「ガラテアは故郷じゃねえ」

「寂しいこと言わないでよ。同じ北方人のよしみじゃん」

「ハハハ……明暗分かれたけどな。……のせいで」

「…………のせいかなあ?」

「さあね。……というと自滅だろありゃ。…………だと、そりゃ見限る人間も出てくるわ」

「……みたいに?」

「……ノーコメントで」

「ねえ。おっぱい触っていい?」

「脈絡なさすぎじゃない?」

「うわ。おっきい~!」

「おいコラちょっと……やめなさいっての」

 

 女性の傍らの方は、声のトーンが低いこともあり、やや聞き取りづらい。しかしそんなことより……パイオツカイデー、だと?

 ふむ。アリィちゃんか。これはちと、調査する必要がありますね……

 

「いいな。女として勝てる要素が一つもない」

「それは嫌味で言ってるのかな?」

「まさか。私も貴方のように、あるがままに生きたいんだよ」

「十分楽しんで生きてるように見えるけどな。私より」

「フフフ。わかってないなあ……乙女心が」

「それを言うなら……って。ん? ちょっと」

「何……モゴモゴ」

「衝立の向こう……妙な気配がする」

 

 ピクリと俺は耳をそば立てる。

 まずい……魔力を察知されたか? いかん、ひとまずここは戦略的撤退――

 

 いち早く更衣室へ退散しようと思ったそのとき、ドゴォ!! と強烈な音がして、目の前の衝立が粉々に砕け散った。

 同時に、「どえー! ちょいちょいちょい!」というトーンの高い方の女性の声がこだまする。

 

 ……は?

 

「人がくつろいでる時に襲撃たァ、いい根性してるわねえ。どこの回し者だ……って、あ?」

 

 目を疑った。

 バレッタで束ねられた蒼く銀色にも近い美しい髪に、タオル越しにもはっきり主張してくる胸部の双丘。

 

 今や勇者の仲間となった女神官アリシアが、そこにはいた。

 

「へ……どうしてアンタが、こんなとこに……」

「あ、ハイ。どうも……ご無沙汰してます」

 

 お互い三秒くらい硬直したのち、アリシアは軽くため息をついた。俺の貧相なキンタマにガッカリしたのだろうか。

 そんな邪推を察したのか否か、彼女はゴキッと指を鳴らす。

 

「まぁアレだ……とりあえずくたばっとけ」

 

 間断許さず、手刀らしきものが振り落とされ、俺の意識はそこで途絶えた。

 

 

    *

 

 

 虚ろな視界の先に、ぼんやり明かりが灯る。

 見知らぬ天井――ではなかった。ここはおそらく……風呂屋の更衣室か?

 

「目ェ覚めたか」

 

 声がした方へ顔を向けると、アリシアがいた。

 ロッキングチェアーに腰掛け、肘当てに頬杖をついている。すでに浴衣に着替え、長い髪を無造作に下ろしていた。

 

 俺はおもむろに上半身を起こし、そこでようやく、下半身にタオルがかけられていたことに気付く。つまりタオルを取れば、俺は全裸である。

 俺はすっと、アリシアに視線を戻した。

 

「……お前、見たのか?」

「あ?」

「そうか、見たのか……アリィのエッチ! ヘンタイ!! ドスケベ!!!」

「はあああ?!」

 

 アリシアはいきり立って席を立つも、俺がタオルで顔を覆い、股間を丸出しにした状態で悲しみに打ちひしがれていたので、慌てて視線を外した。

 

「あーもう、目覚ましたんならさっさと着替えなさいよ。調子狂うな……」

「ひどい。あんなことしといて、私とはやっぱりその場限りの――」

「いいからさっさと着替えんなさいよ!」

 

 さすがにこれ以上やると、いい加減マジでぶっ飛ばされるなと思ったので、大人しく着替えることにした。

 

「そもそもなんだが……お前何でここにいるの?」

「そりゃこっちの台詞だっつーに」

「俺はまあ、色々あって陸路をエッチラホッチラ、はるばるやって来たんだよ」

「ルナティアからカトブレスまで船出てんじゃん。乗れよ」

「君たちみたいな特権階級と一緒にしないでくれる? しがない庶民は、せいぜいアルルまでの三等客室の運賃しか払えんのだよ」

「……どこまでも遠回りが好きなのね」

「それよりお前、クロノアの仲間に選ばれたんだって?」

「よくご存じで」

「いやー、僕も鼻が高いですわ。なんたって次世代を担う英雄にグーで殴られたんですからね。一生の思い出です。トラヴィスさんは元気ですか? その節は大変お世話になりましたとお伝えください。君の気配りには、心底感謝していますとね」

「……うぜぇ」

「アリィ」

「誰がアリィじゃ」

「お友達はどうした? ツレがいただろ」

「ああ……アイツは別に――」

 

 とかなんとか言ってるうちに、のれんの向こうから声がした。

 

「おーい、アリィ~! ニケくん目覚ました~? こっちは番頭さんにちゃんと話して、今日はもうお店閉めてもらうことにしたから~。アリィも後でちゃんとこっち来て、謝るんですよ~!」

 

 俺とアリシアは無言のまま、一瞬だけ目を合わせた。

 

「オカンみたいな友達だな」

「ありゃ半分面白がってんのよ。どうにも腹の底が読めんヤツでね」

「ちなみに謝るってのは、お前が衝立を壊した件のことだと思うが、お前はその前にまず俺に謝るべきだと強く思うな。ただ風呂に入っていただけの善良な一般人を襲うなんて、貴様それでも正義の味方か」

「聞き耳立ててたスケベが何言ってんのよ。衝立越しにも、邪気が伝わってきたっつーに」

「邪気? 男気と言ってくれないかね」

「死ね」

 

 言い残すや、アリシアはスタスタとのれんの向こうへと消えていった。

 俺はやれやれと嘆息し、やれやれと荷物をまとめて、やれやれとタオルを首にかけ、やれやれと歩き出す。

 

 やれやれ。

 

 のれんをくぐり、待合室に出ると、右手の方から、「いいのよそんな気にしなくて」、「いえ申し訳ありませんでした。全力で弁償させてください」との話し声が聞こえてきた。アリシアと番頭の女将だろう。

 アイツ、人にちゃんと謝るとかできたんだな……

 

 ふと左手の方へ視線を向けると、ロッキングチェアーでぐらぐら揺れてる女の子と目が合った。

 彼女が口を丸くする。

 

「お」

 

 肩に流れる程度の、ピンク色のふわふわクルクルヘアー。くりくりのパッチリしたお目々に、テカテカしたカラフルな付け爪。

 熱いのか、わざとやってるんだかよくわからん着崩した浴衣に、膝の上で組まれた美しいおみ足。

 

「お~! 君がウワサのニケくん? ははっ、本当にクルクルじゃん。私と一緒~♪ ウケるんだけど~」

 

 赤い実がはじけたように、彼女はケラケラ笑っていた。俺は両目を細める。

 

「……クルクル?」

「髪の毛。私も君と一緒で癖っ毛なんだよね~。これよく勘違いされるんだけど、生まれつきなんだよ。巻きたくて巻いてる訳じゃないんだよ」

「へぇ、なるほど……」

 

 女の子は指先でクルクルと、肩にかかる髪の毛をいじっていた。

 

 陰に生きる者特有のスキル、何の発展性もない同意と、「なるほど」感がこれっぽっちもない「なるほど」の二連コンボがオートで発動し、またぞろ初見の者を無慈悲に斬り伏せてしまうが、彼女は全く意に介していないようだった。

 此奴……中々の実力者とお見受けした。

 

 少し視線を外すと、壁に立てかけられている剣が目に入った。

 刀身が納められた鞘は、何と言うかこう……光り物がちりばめられてデコられて、「きゅぴきゅぴルンル~ン♪」していた。

 

 むぅ……さすがにここまで揃えられると役満(フルハウス)か。

 まあ、アリシアがあそこまで過度に警戒していた時点で、何となく察しはしていたが……

 

 壁際の長椅子に腰掛け、この店のサービスでもある霊泉場から汲み上げられたキンキンに冷えた水、略してキンキン水をごくりと飲んでから、俺は言った。

 

「あなた、騎士王ですよね?」

「よくわかったね~。いかにも! 余がアヴァロニア第二十六代目騎士王である! 以後お見知りおきを~♪」

 

 ビシッと、脇を閉じて二本の指をこめかみに当てる大陸式の敬礼。

 俺は思った。

 

 軽っ。

 めっちゃ軽っ!

 

「王様が、こんな所にいていいんですか?」

「いいんじゃない? ある意味最強の護衛もいるし、別に減るモンでもなし……って、あ! そのタオル!」

 

 彼女は椅子から乗り出すと、俺の首にかけたタオルをがしっと掴んだ。

 

 例のモヒーニキから買った(買わされた)、可愛らしいコウモリのイラストが入ったタオルである。

 公演が終わってから、身体ふきふき風呂用タオルとして使い回していたのだ。

 ちなみにモヒーニキにそれを言うと、「お前はそのタオルを何だと思ってるんだ」と小一時間説教を食らった。タオルを純粋にタオルとして使ってるだけなのに、僕のどこに落ち度があるんですかね……

 

「私のヤツじゃん! どこで手に入れたの? なになにニケくんってば、私のファンだったりするの?」

「これはその、こないだカトブレス劇場に行ったときに買って……」

「え? うそ、最終公演見に来てくれてたの?」

「あ、はい……綺麗な歌声で。すごくよかったです。めちゃくちゃ感動しました」

「ホント~? やだ、超嬉しいんだけど~♪」

 

 そう言って、俺の肩を揺すぶってくる騎士王。

 

 グイグイ来るなコイツ……おかげで着崩した浴衣の合間から覗く、胸の谷間が気になって、オラ全然会話に集中できねぇぞ……

 あと笑ったときに見える八重歯が可愛い。

 

「今日はまた、あの時とだいぶ雰囲気が違うんですね……」

「そりゃそうじゃん。あの時は外向け、今は内向けっていうか」

「アリシアみたいな?」

「うーん。アリィほどスイッチが極端っていうか、ゼロか百しかない人は珍しいと思うけど……女の子は、大体みんなそうなんじゃないかな。相手や状況によって、いくつものペルソナを使い分けているのだよ」

「そういうの、辛くないっすか? 俺だったら疲れて、一年後に自分探しの旅に出ますね」

「もう出てんじゃん! ウケる~」

「ハハッ。確かに出てたわ」

 

 なんか知らんが、会話が盛り上がってしまった。

 上手く立ち回ったと言うよりは、上手く転がされたようなこの高揚感……やりおるわ。

 

 騎士王はロッキングチェアーから立ち上がり、俺のすぐ隣に座った。そして両膝を組む。

 近いよ。あと何で俺の手に手を重ねてくるの。おじさんをからかうのもいい加減にしなさい。

 

 彼女は下から覗き込むようにして、俺の目を見た。

 

「ねえ、ニケくんはアリィとどういう関係なの? 色んな人から聞いた話だと、普通の知り合いってカンジではないよね~」

「普通とは? まずはその定義を教えていただきたい」

「しらばっくれないで。ずっと気になってたんだから」

「アリシアに聞けばいいでしょう」

「聞いても教えてくれないんだもん」

「そりゃそうですよ。話したくもないんじゃないかな」

「なんで?」

「まあその、ロゼッタにいた頃に色々……最悪な別れ方をしたもんで、まだお互い腹の底に気まずさがあるというか……」

「……」

 

 騎士王は俺から身体を離し、うつむき加減に正面に向き直った。それから、ピンと人差し指を立てる。

 

「なるほど。つまり二人は付き合ってたんだね」



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41 Re:邂逅

「付き合ってた?」

「うん。恋人だったんでしょ」

 

 ハハッ、それなと一瞬同意しかけたが、おい待て。何でそうなる。

 

 えぇ?!

 

 どうして……あっ! 別れ方とか言ったからか! 

 いや確かに最悪な別れ方はしたけど、それは男女のニュアンスとかでは決してなくて……あ~もう、言葉って難しいよお!

 

「お。ウワサをすれば元カノが帰ってきましたね」

 

 顔を上げると、キンキン水を手にしたアリシアさんがいた。

 おいちょっと……もう少しタイミング読めよ。俺の心臓までキンキンに冷えるところだったじゃねーか……

 

「ロロ、あんた……なんか近くね?」

 

 目を細め、不機嫌にも見える表情で、アリシアがそう言った。

 

「そう? さっきまではもっと近かったんだけどな~。ね? ニケくん」

「あ、はい……そうっすね」

「ねえ、さっきからどうしてそんな敬語使うの? 私ニケくんより年下だよ。もっとフレンドリーにいこうよ~」

「いやその、仮にも騎士王たる陛下に対して、そのような振る舞いは……」

「私がいいって言ってるから、いいの! 普段アリィにもやってるように、私にも接して」

「善処します」

「ちなみに私のことはロロって読んでね。ロローナだから、ロロ。アリィしかり、クロちゃんしかり、親しい人はみんなそう呼んでるの!」

「クロちゃん?」

「クロノアのこと。知ってるでしょ?」

「ああ、それはもちろん……」

 

 クロノアはちゃん付けするなら、クロちゃんって言うより、ノアちゃんって感じだけどな……とかナントカ、どうでもいいこだわりを披露してる場合ではなかった。

 完全に乗せられてるやんけ。

 

 案の定、正面のアリシアさんはゴミを検分するような目つきで、俺を見下していた。月は無慈悲な夜の魔王……

 

「年下の女の子にデレデレしやがって。キモッ」

 

 アリシアは振り返り、奥のカウンターの方へ消えていった。

 騎士王がニマニマした表情で、俺の方を見てくる。

 

「作戦成功。あれは完全に妬いてますねえ……ぐふふふ」

「……」

「でもよかったじゃん。あっちはまだその気あるよ。アリィって、本心と真逆の反応取っちゃうような所あるから……本当はまだ、ニケくんのこと想ってる可能性が高いと思うな。ヨリ戻せるんじゃない? ニケくんにその気があれば、だけど」

「…………」

 

 俺は両の親指でこめかみをグリグリし、内心頭を抱えた。

 

 おい~違うんだよロロ~。アイツの言葉は文字通りの「キモッ」で、言葉に裏とかないんだよ~。それ以上でも以下でもないんだよ~。

 アリシアもアリシアで、何で騎士王の邪推を裏付けるようなリアクションばっかり取るんだよ~。もっと俺のこと、空気みたいな扱いしてくれよ~。

 

 もういい。とりあえず、話題を変えよう……

 

「なあ、アリシアはどうしてガラテアに? 今色々忙しい時期だと思うんだが」

「ああうん、まさにそれ。仕事で来てたのよ。アリシアは北方人だからね……こっちの言葉もしゃべろうと思えばしゃべれるから、勇者絡みでのガラテアとの調整は、彼女に一任されてるんだ」

「え? アイツ北方人なの?」

「出身はノルカ・ソルカだよ。元カレなのに知らなかったの?」

「え? まあ……アイツ自分のこととか話さんし」

「あ~。アリィは苦労人だからね……話したくない過去もたくさんあるんだと思う。まあ、聞くと意外と話してくれたりするんだけど」

「……アリシアとは付き合い長いのか?」

「長いっちゃ長いよ。アリシアのおじいちゃんが、昔ノルカ・ソルカの軍のお偉いさんだったからね。二次東征でもバリバリ前線張ってた、北じゃ結構有名な人で……昔は隣国つながりで交流も盛んだったから、パーティーだのなんだので、幼い頃から顔合わす機会は多かったかな」

 

 遠くのカウンターで、おっさんみたいに腰に手を当て、キンキン水をお代わりしているアリシアの後ろ姿が、視界の先でちらつく。

 なぜだろう。アイツが透明な水を飲んでいると、ウオッカにしか見えない……

 

「久しぶりに会った時は、ホントびっくりしたな~。まさか、あの時のアリィなのって? 見た目は相変わらず綺麗なままだったけど、雰囲気がずいぶん変わっててさ……まあ十年近く会ってなかったから、変わってて当然なんだけど。お花みたいに可憐だった少女が、しばらく見ない間にトゲだらけのヤンキーみたくなってて、結構衝撃だったなあ……しかもどういう訳か神官になってるし」

「ヤンキーって……今日びあんまり聞かんぞ」

「そう? 東部や南部の人間は、北部の人間のこと、そう言って揶揄するんじゃないの? またの名を戦闘民族とかナントカ」

「……。後半の部分は否定しない」

 

 てか、アリシアって元々は結構良いとこのお嬢さんだったんだな……ふーん。

 それがどうしてあんな鬼畜神官に……時の流れは無情だねえ。人のこと言えた義理じゃないけど。

 

「クロノアやトラヴィスとも、仲良いのか?」

「仲良いって言われるとヘンな感じするけど、良い方なんじゃない? なんだかんだ、十年近く騎士王やってますから、付き合いはそれなりにねえ……。クロちゃんに至っては、もうほとんど幼馴染みみたいなモノだから」

「ああ……共に聖剣に選ばれし者だもんな。聖剣チルドレン」

「何それ~。ヘンなくくり方しないでよ~」

 

 騎士王はクスクスと笑い、壁に立てかけていた「きゅぴきゅぴルンル~ン♪」な鞘を取った。

 

「おお。言われて飛び出て、ダーインスレイヴ……」

「ほう。さすが、ダーくんは有名人だねえ」

「……ダーくん?」

「ダーインスレイヴだから、ダーくん。可愛いでしょ」

「……可愛いかどうかはさておき。なんか、知ってるのと形が違うような」

「ああ、公演のときにみんなが持ってるヤツのこと? あのギザギザは第二形態だから」

「第二形態? どういうこと?」

「ダーくんは本気出せば出すほど、トランスフォームしていくんだよ。縦横無尽の変幻自在、剣の定義すらも凌駕する――それこそが、聖剣ダーインスレイヴの特性なのだ……」

 

 ほーん……第二形態ってことは、あと何回か変身を残してるってことか? 私、気になります!

 

 ちなみにダーインスレイヴに限った話ではなく、聖剣はすべて固有アビリティとでも言うべき、その剣にしかない特性を備えていると聞く。ゆえに、聖剣なのである。

 

「聖剣って全部で七本あるんだっけか」

「教団の伝承だとそうなってるけど、正確な所はわかんないね。うち人類が所有しているのは、四本だけだし」

「三本だろ。ローランのシリウスは、行方不明になったから」

「ああそっか、そうだね……まあそれを言ったら、西方のライキリも行方不明だけど。シャンバラが滅ぼされたから」

「ありゃ絶対、アイゼンルートがくすねてんだろ。『今時、まだ剣とか使ってんの?』とか真顔で言ってきそうな連中だけど、聖剣なら話は別じゃないか」

「ふふふ……仮にそうだとしても、聖剣は使い手を選ぶから、持ってるだけじゃ無意味だけどね。選ばれざる者が無理に扱おうとすれば、必ず災いが降りかかるって言われてるし」

「災い?」

「うん。神に選ばれざる者が装備すると、天罰が下されるんだよ。我が眠りを妨げるのは貴様か……ってね」

「ホントか? それもう、聖剣じゃなくて魔剣じゃん」

「なら試してみる?」

 

 騎士王は笑顔を浮かべて、俺にダーインスレイヴの柄を差し出した。

 禍々しい妖気が……フオオオオ! と言いたいところだが、見た目は至って普通の剣だった。鍔の部分が、翼を広げているような独特な形でオシャレくらいしか、コメントの仕様がない。

 

「やめとくわ。触らぬ神に祟り無しって言うし」

「賢明だね。ダーくんは聖剣の中でも気位が高いことで有名だから。私以外には心開いてくれないんだよね~。まあそこが可愛いんだけど」

 

 気位が高い……要はウホウホオラつきマンってことか。今頃不本意にデコられまくっていじけてるんだろうな、たぶん。

 

 しかしどうせ罰を与えられるなら、クロノアが持ってるブリュンヒルデの方がいいな……あっちは戦乙女が剣の名前の由来になっていることもあって、擬人化するなら大人のお姉さんって感じだし。

 弄ばれるのはウホウホオラつきマンより、大人のお姉さんの方が断然いいからな。むしろ弄ばれたいまである。

 

「ロロ。もういいでしょ。そろそろ行きましょう」

 

 顔を上げると、水も滴るいい女のアリシアさんがいた。

 呼んでますよ、アリシアさん! 呼ばれた騎士王は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

 

「えぇ~、いいじゃん! もうちょっとくらい」

「そこの何某に対する延長サービスは、オプションにございませんので」

「いいじゃんいいじゃん! アリィだって、本当はニケくんともっと話したいくせに!」

「あぁ? 話すことなんかねえよ」

「ふんだ。話したいことは、二人きりの時に全部話したんだ……どうせ私は仲間外れなんだ……」

「アンタが時折見せる、その謎の独占欲は何なのよ……」

 

 八重歯をちらつかせては、ぷんすかしてる騎士王の右腕を無造作に掴むと、アリシアはいとも容易く、彼女をするりと肩に担いだ。

 いや、米俵じゃないんだから……それ騎士王ですよ、アリシアさん。なんというパワー系神官……

 

「おら、帰るぞ。湯冷めするから、温かいお召し物にお着替えなすって」

「嫌じゃ~! 離さんか~、この狼藉者が~!」

 

 騎士王は聖剣の鞘で、アリシアの背中をベシベシ叩いていたが、アリシアは全くダメージを受けていないようだった。

 二人が更衣室ののれんをくぐろうとしたとき、俺は言った。

 

「アリィ」

「誰がアリィじゃ」

「色々大変な時期だと思うけど、まあ無理しないようにな」

 

 彼女が振り返り、自然と目が合う。

 

「頑張れ」

「…………」

 

 五秒ぐらいの沈黙が流れたあと、アリシアは無言で振り返った。

 振り返ると同時、回転ドアみたいに、今度は担がれた騎士王と目が合う。

 

 この元カレ感漂う、神妙な気遣い……どうよ!!

 案の定、騎士王は口を丸くし、「おお……やるやんけ」みたいな表情をしていた。

 

 二秒後、二人の姿が見えなくなって、俺は大きく息を吐き出す。

 

 ……。

 またつまらぬ嘘を重ねてしまった……

 

 

    *

 

 

 二日後。

 

 俺はカムイに連れられて、イカルガ鉱山に出発すべく、石工ギルド本館に向かっていた。アツコサンからは、見送りにあたって、人妻チャージ(励ましの言葉とお弁当の差し入れ)をいただき、身も心も装備も準備万端である。

 ちなみにイカルガまでは竜車での移動になるため、ポチョムキンはカムイとアツコサンに預けて、しばらくの間世話をお願いすることとした。

 

 小雪舞う中、カムイと共にギルド本館前の広場に到着すると、すでに大勢の人間やらドワーフやら蜥蜴人やらでにぎわっていた。

 二十人……いや三十人くらいはいるだろうか。中々の大所帯だ。

 

 カムイに案内されて、今回の派遣隊の隊長を務める、トルフィンというドワーフの毛深いおっさんに挨拶する。

 

「おお! お前がニケか! 竜退治の経験がある、凄腕の魔術士なんだって? カムイもまた、とんでもないヤツ連れてきたな~。嬉しいぜ~!」

 

 そして激しく抱擁された。

 おっさん、これ抱擁って言うより羽交い締めなんでは……しかもなんか匂う……ムゴゴゴ……

 

「せっかくだから、みんなにも紹介しとくか……おいみんな、忙しいとこ悪い! ちょっと集まってくれ! お待ちかねのスーパースターの登場だ!!」

 

 スーパースターって、またご大層な……と思っていると、それまで荷物の積載やらで慌ただしく動いていた周囲のメンバーが、途端に居住まいを正し、一斉に俺の方に向き直った。

 その視線に、遠慮というか、若干の緊張を感じる。

 

 ……ん?

 

「ここに控えおりますわ~……トランシルヴェスタの悪竜退治にて、名を馳せた豪傑! 竜殺しの異名を持つ、天才魔法使い! ニケにございますゥ~~~!! 彼が来てくれたからには、鉱山のチンピラどもなど恐るるに足らず! みんな、大船に乗ったつもりで安心してくれい!!」

 

 トルフィンが口上を終えると、そこかしこで「うおおおお!!」と歓声が上がった。

 

「頼りにしてるぞニケェ!!」

「あんまり強そうには見えんが……」

「馬鹿野郎、能ある鷹は爪を隠すんだよ」

「お前が来るって聞いたから、人を雇う手間が省けたぜ! あんがとな!」

「俺たちの命、お前に預けたぜええええ!」

「よっ、男前! 憎いね大統領!」

「言うほど男前か?」

 

 様々な声が入り交じる中、俺は目を糸のように細めて、無言のまま微笑をたたえていた。

 が、内心は完全に凍り付いていた。

 

 は? 

 ちょま……え? どういうこと? 命を預ける? 何それ、つまり山賊退治は、俺一人で受け持つってことなのか?

 

 慌ててカムイの方を見ると、彼はふっと笑って、グッとサムズアップした。

 

 えぇ?!

 

 おい~! 違うよ違うよそうじゃない、いくら何でも話盛りすぎ~! 

 まるで一人で竜退治を成し遂げたかのような英雄(ヒーロー)扱いは、さすがに分不相応っていうか、どうしてこうなった……

 

 ああ~!! そういえば俺、アツコサンには調子こいてイキり散らして、ほとんど自分の手柄みたいに喋ってたわ……

 つまり、カムイはそれを全部又聞きして……

 

 うおーん! まさかこんな風に、過去の自分が今の自分を殺しに来るなんて!

 

 舞い落ちる雪のように、真っ白な心で天を仰ぐ俺の肩を、トルフィンがポンポンと叩いた。

 

「ガハハ! まあいくらお前が天下無双の魔術士って言っても、さすがに一人じゃ荷が重いと思ってな……余計なお世話かもしれんが、お前のサポートができそうな魔法使いを、俺の方で雇っといた。どうせタッグ組むなら、同業者の方がやりやすいだろ? ついでだから、紹介しとくぜ」

 

 お、おっさん……!

 藁にもすがる思いで目を輝かせる俺をよそに、トルフィンが彼方に向かって叫んだ。

 

「お嬢ちゃん! こっち来な!」

 

 その時、向こうの馬車の近くで佇んでいた、背丈の小さな魔法使いがこちらへと歩き出す。

 女魔法使いの象徴ともいえる、つばの大きなハット。漆黒のドレスに、毛皮のマント。手にしたワンドに埋め込まれた紅い宝石が、鈍い光を反射する。

 

「こんにちは。私は魔法使いドロシー」

 

 両肩にかかる紅い髪が風になびくと、見覚えのある魔法少女は、ハットのつばを指で押し上げて、俺にこう言った。

 

「よろしくね。()()()()使()()さん――」



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42 雪降る山奥の村で

 ドロシーだった。

 ロゼッタで御前試合を見ていた者なら、必ずわかる……あれはどう見てもドロシーだ。俺の妄想が生み出したドッペルゲンガーなどではない。

 

 竜退治の折に、女魔術士テレサから又聞きした情報だと、ドロシーはクラインから登録を抹消し、理由も告げずに突然姿を消したとされている。

 個人的には、音楽性の違いによる勇者一行との決別が原因と睨んでいるが、真相は不明である。

 ていうか……

 

 何でここにいるの?

 

 今頃勇者の隣で、天才魔法少女として惜しみない声援を受けていたはずであろう彼女が、何が楽しくて、こんなむさ苦しいドワーフまみれの鉱山発掘ツアーに交じっているのか。

 

 俺と同じで西方に用があり、金策に困っているのかなとか、安定を捨ててまで叶えたい夢があったのね、とどのつまりはやはり音楽性……などと色々考えてみたが、結局納得できる理由は見つからなかった。

 

 違和感は拭えない。

 本来混ざるべきでない色が、そこに混ざっているかのようなアンバランス。

 

 幸い、発掘隊の愉快な仲間たちの中で、俺以外に彼女が「あのドロシー」だと気付いている者はいないようだから(身元を明かしていないのは元より、素性がほとんど知られていなかったことも関係しているのだろう)、俺もこれ見よがしに、「ウホッ……ロゼッタのドロシーさんですよね? 僕ファンなんです。前から応援してて……ウホッ」と訊くのは控えることにした。

 

 いっそ話しかけるなら、周囲の邪魔が入らない二人の時に限る。

 

 別にやましい下心や、あわよくばワンチャン期待の願望ある訳じゃなく、いやそれもないことはないこともなくなくないが、真面目な話、一人の魔法使いとして、彼女が魔法に対してどういう哲学を備えているのか、純粋に興味があるのだ。

 

 よくよく我が半生を振り返ってみれば、お互い腹を割って、朝まで魔法談義ができるような相手は、師匠くらいしかいなかったからな……

 

 学生時代は、よくも悪くも浮いてたし。あとは大体、本の中の故人が友達でした。

「生きている魔術士の言うことなんぞ信用できるか。死してなお生きている魔術士の言葉にこそ、魂が宿るのだ」とか本気で思ってました。人はそれを黒歴史と言う。

 

 ここで会ったのも何かの縁、「よーし! ドロシーと仲良くなっちゃうぞ!」と意気込む俺だったが……

 

 イカルガへ辿り着くまでの間、俺とドロシーは一言も言葉を交わさなかった!!

 一言も言葉を交わさなかった!!! 

 交わさなかった!!!!

 

 これについては、ちょっと言い訳させてほしい。

 確かに俺がチキンで、終始モジモジしてはチャンスを逃した節はある。しかしそれ以上に、他のメンバーが俺に興味持ち過ぎだった。

 端的に言うと、俺がモテないのはどう考えてもドワーフのオッサンどもが悪い。

 

 お前ら、俺が休みの日何してるとか、そんなんどうでもいいだろ。ずっと一人だよ。何か文句あるか。

 いやまあ、コイツらの前では、ドラゴンを一人で退治した魔術士で話が通ってる以上、物珍しさや、親しくなりたいと思う気持ちが勝るのはわかる。わかるけどさあ……

 

 俺が親しくしたいのは、ドロシーなんだよおおお……! 

 頼むから一人にさせてくれよおおお……!

 

 ちなみに「ロゼッタの魔法アカデミー出身? その割にはあまり聞いたことない名前だな」等、過去について聞かれた時は、「膝に矢を受けてしまってな……しばらくは表舞台に出ず、研究に勤しんでいたんだ」と適当に答えて、その場をしのいでいた。

 

 正確に言うと、矢を受けたのは膝じゃなくて心の方ですけどね。おかげで誰も触れることのできないハリネズミの完成ですよ。ええ。

 I am the bone of my pain.

 

 一方、ドロシーもドロシーで、数少ない女性のドワーフたちと会話する機会を除けば、積極的にメンバーと交わる気が一切合切金輪際ないご様子。

 こりゃ完全にビジネスと割り切ってますね……あちゃー。どうしたもんか……

 

 さてさて、そんな俺の気持ちとは裏腹に、旅路は至って順調。

 ノリノリンスキー街道を北に三日ほど進み、イカルガ鉱山の麓の小さな村に到着した俺たちだったが……

 一つ、困ったことが起きた。

 

 宿のベッドが足らない。

 田舎の宿屋のキャパシティでは、雑魚寝上等のタコ部屋体制を強いても、それでも何人かはあぶれる計算になってしまう。

 宿屋の姉ちゃんには「こんなに来るとは思ってなかった」と言われてしまった。

 そりゃそうだ。道中にあった、街道沿いの宿場町は、上手い具合に部屋を確保できていたのだが……

 

「ガハハ! 言われてみれば盲点だったな。どうするニケ?」

 

 トルフィンが呵々大笑して、そう言った。

 この様子だと、今まで宿が確保できていたのは、事前にちゃんと下調べしていたとかじゃなく、ただの偶然くさいな……

 

 ドワーフの大雑把さは音に聞こえた話で、なぜこんな性格の連中からあれほど繊細な工芸が生み出されるのかは、世界七不思議の一つだと個人的に思っている。まあそれはともかく、どうして俺に意見を求めてくるのか。

 

 「解散! ほなまた!」が本音なのだが、ひとまず数少ない女子組を優先して部屋に割り振ることとし、結果あぶれた野郎ども数名を、一時的にかくまってくれる善良な村人はいないか交渉してみた。

 すると、

 

「あーん、大勢で押しかけなきゃ大丈夫だと思うな。ひーふーみー……武器屋に薬屋に、ローウェルさん家に頼めば、まあなんとかなるか」

「すみません……お手数お掛けして面目ない」

「いやいや。いくら二月の厳寒期は過ぎたって言っても、この土地でこの時期に野営しろとは言えないでしょ……鉱山が栄えてた頃は、ウチ以外にもたくさん宿屋はあったんだけどねー……。あなた、発掘隊の代表者?」

 

 宿屋の姉ちゃんにそう言われて、俺はトルフィンの方を見る。トルフィンは「さっさと酒飲んで暖まろうぜ! グハハ!」と仲間と騒いでいた。

 おっさん……

 

「じゃあ……ニケだっけ? 貴方がローウェルさん家でお願いね。アレでも一応、村一番の有名人だから。仲良くしといて損はないわよ」

「有名人?」

「うん。拳闘士のおじいちゃんがいて……ローウェル流って聞いたことない? 北国じゃ結構名うての流派なんだけど」

 

 知らん。

 剣術と同じく、武術も死ぬほど興味がないので、名うてと言われても、全くピンと来ない。

 

 とはいえ、これも何かの縁。

 それなりに名の通った人間なら、むしろ安心できるだろうと思い、その場は快く引き受けることにした俺だったが……

 

 数日もせぬ間に、その判断は大いに間違っていたと思い知らされることになる。

 

 

    *

 

 

 薄暗い黎明の空を、鳥の群れが列をなして飛んでいく。朝日が山脈の稜線をオレンジ色に染め上げ、山奥の村に夜明けが訪れた。

 

 ここは、イカルガの村。

 

 村の中心にある楼閣の大広間で、俺は座禅を組んでいた。

 氷のように冷え切った木目調の床。凜とした空気が伸ばした糸のように張り詰め、軒先に連なった氷柱から、一滴の雫がこぼれ落ちる。

 

 何故俺が朝っぱらからこんなことをしているかというと、恥の多い人生を悔い改め、ついぞまっとうな生き方を志すようになったからではない。

 

 ハメられたのだ。とあるジジイに。

 

「きえええーーーーっ!!」

 

 静寂を破り、俺の脳天に強烈な一撃が走った。

 

「集中が足らん! 雑念が交じっておるぞ!!」

 

 しゃがれた男の声。

 うっすらとまぶたを開くと、片手にヒノキの棒を持ち、北国特有のルバシカというプルオーバーの衣服を身に纏った老人の姿があった。

 

「何だその目は……返事はどうした返事はァ!」

 

 うるせぇなと俺は思う。俺に雑念が交じってるかどうか、何でアンタにわかるんだよ。確かに余計なこと考えてたけどさ――

 

「うつけものォ!!」

 

 ビシィ!! っと、痛恨の一撃が俺の右肩を襲う。

 ああん……!

 

「集中しろ集中! わかったらもう一度やれェ!!」

 

 俺はやれやれと観念し、目を瞑って、大きく深呼吸した。

 

「押忍!!」

 

 朝の冷たく、凜とした空気の道場に、俺の声が染み渡る。

 やがて、ペチペチとヒノキの棒を手で叩く音が伝った。

 

「うむ。やればできるではないか……心を無にすることは、何事においても重要だ。お前もようやく、その意味を理解し始めたか」

 

 ブツブツ言って、老人は俺から離れていく。中身は所詮ジジイの小言なので、まともに聞いてない。

 

 えーと、どこまで話したっけ? 確かジジイにハメられたとこまでか。

 

 あの老人の名前は、ロイド・ローウェル。この村で隠居生活を送る、齢七十前後のじいさんだ。

 宿屋の姉ちゃんから聞いたところによると、若い頃は高名な拳闘士として名を馳せたらしく、指一本で野生のクマを倒したこともあるとかなんとか。

 

 さらに十年前の二次東征においては、すでに六十近い年齢ではあったものの、一度の会戦で三百以上の魔物を撃破する武功を上げたらしく、あのローランをもってして、「万夫不当の勇、一騎当千の豪傑。戦場の修羅とは、まさしく彼のことだ」とまで言わしめたそうな。

 

 果たしてどこまでが本当でどこまでが嘘かはよくわからないが(噂とは往々にしてそういうものだ)、そういう生ける伝説みたいなジジイがいるのなら、一度会っておいても損はなかろうと、期待を膨らませたのが、そもそもの間違いだった。

 

「ローウェルさん家に確認したら、是非にってさ。ただ一応、おじいちゃんに挨拶しといてって。さっきも話したロイドさんのことね。薪割りの日課終えたら、いっつもお堂でブツブツ言いながら掃除してるから。すぐわかると思うよ」

 

 宿屋の姉ちゃんのサッパリした物言いに、俺の目が細くなる。

 

 なんだこの、近所のボケたジジイみたいな扱いは……生ける伝説にしては、扱い軽すぎないか。「ロイド様は、今日もお堂で禊の儀式に励んでおりまする」みたいなさァ……もうちょい言い方ってあると思うんだよね。

 一抹の不安を抱きつつ、俺はそのお堂とやらに向かった。

 

 いた。

 

 奴がいた。

 

 濃紺のルバシカに、毛皮のウシャンカ、右手にはシャベル。

 老齢ながらがっしりとした体躯、顔や身体の一部に見える古傷は、これまで数々の修羅場をくぐり抜けてきたことを窺わせた。

 

「ん? なんじゃお前。見ない顔だな……」

 

 生ける伝説が俺をまっすぐ見る。見るというより、射貫くに近い。

 その鋭い眼光に、「これぞレジェンドのなせる威圧感か」と一瞬たじろぎそうになったが、すぐに経緯(いきさつ)を伝える。

 

 簡単な自己紹介から、発掘隊の一員としてこの村にやってきたこと、しばらくこの家でお世話になりたいこと……さらには天下に武名が轟いているおじいさんのことも個人的に興味があり、この機会に是非お話を聞かせてほしいと、お世辞を塗りたくるのも忘れなかった。

 

 生ける伝説は、俺の話をロクにうなずきもせず、突っ立ったまま聞いていた。

 十秒くらいの沈黙を経て、彼がようやく口を開いた。

 

「なるほどな……つまりお前、ワシに弟子入りしたいということか」

 

 なんでやねん。

 

 あとは大体お察しのとおりだ。

 いや、何をどういう風に解釈したら、俺の説明が「あなたに弟子入りしたい」に発展したのかは、俺だってよくわからないし、おそらく永遠に明かされることのない謎だが、ローウェル家に転がり込むことになったその日から、早速座禅に組手と修行の日々が始まった。

 

 さらに不幸なことに、弟子入りした翌日、イカルガの鉱山一帯が、三月では珍しいほどの猛烈な吹雪に見舞われ、呑気に山登りなんかしてる状況ではなくなってしまった。

 村の最長老、雲の動きと空気の匂いで天気が読めるという薬屋のロジーナさん曰く、

 

「氷の精霊さんの最後の抵抗やね。数年に一回あるんじゃよ。こっから一気に温かくなるんじゃけど、雪崩が心配やねえ。鉱山の辺は、昔からようけ雪崩が起きる場所じゃけぇ。しばらくは様子見た方がええ思うで。急いてもロクなことにゃあならん」とのことであった。

 最悪である。

 

「きええええーーーーーーっ!!」

 

 奇声と共にヒノキの棒が後背に打ち付けられ、頭の中が真っ白になる。

 

「雑念が交じっておると、何度言えばわかる……ニケ」

「すみません……集中が足りていなかったようです」

「うむ。精進せえよ」

 

 含蓄めいた口調で物申すと、ジジイは何を思ったのか不意に衣服の上半分を脱ぎ、縁側の戸を開いて庭先に降り立った。

 ヒノキの棒を投げ捨て、腰を落として深く呼吸。そして大喝一声、虚空に向かって正拳突きを繰り出す。

 

「はあッ! せいッ! そいやァ!!」

 

 肌を刺すような、冷たい冬の朝。半裸のジジイの馬鹿でかい声が、静寂の空に響き渡る。

 もう、訳がわからない。

 

 余りにも意味不明なので、俺は俺で一人変顔を作って、暇つぶしに興じることにした。

 最近、真面目な雰囲気の中で、「いかに相手に気付かれずに変顔を浮かべることができるか」というミッションが、自分の中のブームになっている。

 ここだけの話だが、カムイや騎士王と話してる時も、隙を見ては密かにやってた。悪いとは思ってる。

 

 不意に、道場の入口の戸が開く。小さな男の子がひょっこり顔を覗かせ、にんまり笑ってジジイ譲りのデカい声を発した。

 

「じいちゃん! 兄ちゃん! ご飯できたよ!!」



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43 ローウェル・ファミリー

「はい! みんなそろって、お手を拝借! いただきまーす!!」

 

 母親のやたらテンション高い声に合わせて、子供たちが元気よく「いただきまーす!!」と応じる。

 そして一斉に目の前のメシをガツガツ掻き込み始めた。卓に並べられたおかずが恐ろしい勢いではけていく。

 

「ニケの兄ちゃん、その卵焼きもらっていい?」

「おう。食えよ」

「やりぃ♪」

「あー! ずるいぞワーニャ、お前だけ!」

「ずるくないですゥー、これは俺のモンですゥー」

「うるせーよこせ! 三本の弓の誓いを忘れたか!」

「それを言うならミーチャ、ボクだってもらう権利あるよねー」

「それとこれとは話が別だ! ワーニャにアリョーシャよ、兄より優れた弟など存在しないッ! 貴様らに年功序列の重みを、今日ここで教えてやるッ!!」

「こら! 三人とも行儀悪いからやめなさい!」

 

 祖父に父母、長男・次男・三男と今やすっかりお馴染みになった大家族の食卓風景ではあるが、最初は驚きがあった。軽いカルチャーショックと言ってもいい。

 

 そもそも居酒屋の一人息子である俺は、大人数で食卓を囲む習慣が家庭内でほとんどなかった。

 親父も母さんも、夜は接客に忙しくて自分のメシどころではなかったし、親父は大抵昼過ぎまで寝てる生活習慣だったから、三人揃ってメシを食うとなると、祝い事の席くらいしかなかった。

 

 そのせいか、「メシは家族一同顔を合わせて、ワイワイガヤガヤ食べるものである」という共通認識が当たり前のように敷かれていることに、新鮮な驚きがあった。

 お恥ずかしながら、自分の家庭の常識は、世の中の非常識だったんだなと、この年になって初めて知ったのだ。

 

「あら、おかわりいる?」

 

 ミソスープを飲み干すと、はす向かいに座るお袋さんが声をかけてくれた。

 澄んだパープルの瞳に、整った顔立ち。長くさらさらな銀髪に、優しい口元。

 

 一言でいうと、お袋さんは美人だ。

 四十を過ぎてなお、これほどの美しさを保っているというのだから、若い頃は超がつくほどの、典型的な北方美人であったことが察せられる。

 

「ニケさんって、やっぱりミソスープが好きなのね。うちのお父さんと一緒だわ」

 

 お袋さんがスープをよそいつつ、そう言う。

「俺が好きなのはミソスープではなく貴方ですよ。結婚してください」と言いたかったが、そこで親父さんを挟んで、角の家長席に座るジジイと不意に目が合った。

 

「何じゃ。こっち見るな」

 

 見るなと言われたので、見ない。

 お袋さんに視線を戻すと、彼女が可笑しそうに笑った。

 

「ミソスープって、この辺りじゃあまり見ない食べ物でしょ。元々は西洋のシャンバラってお国のソウルフードだったらしくて。お父さんが若くてつよーい拳闘士だったころ、シャンバラの知り合いから教わって、それ以来ずーっと飲み続けてきたんだって!」

「へえ……ってことは、自家製なんですねコレ」

「そう! 大豆から丹精込めて作った、お父さん自家製のミソです!」

 

 言われて、俺は再度ジジイの方を見る。

 あんた……意外とマメなんだな。豆だけに。

 

「ノンナ、あんまし余計なこと話すな……ところでアレン。そろそろ動くのか?」

 

 ジジイはアレンこと親父さんの方を見ながら、ミソスープをすすった。

 

「ああ。天候も落ち着いてきたし、ニケとドロシー、トルフィンを交えて、近々自警団の連中と方針を固めようかと」

 

 親父さんの言葉に、俺は小さくうなずく。

 

 俺たちがこの村に来て、すでに一週間が経った。

 発掘隊をいつまでも手持ち無沙汰にしておく訳にはいかないので、ドロシーにも確認のうえ、村の自警団を束ねる親父さんに掛け合い、山賊退治へと動き出すことにしたのだ。

 

 幸い、ここ最近は山賊による盗みの被害もないそうだ。

 ちなみにトルフィンは、「まだ一ヶ月くらいのんびりしててもいいんだがなあ。なんつって! ガハハ!」と言っていた。

 おっさん……

 

「ふん。結局この村の人間は、一丁前に文句は言うくせに、肝心な所はいつも他人任せか」

 

 妙にトゲのあるその言い草に、普段温厚な親父さんが、珍しく眉根を寄せた。

 

「そんな言い方はないだろ。これは村のみんなで決めたことだ。鉱山が再び栄えることで、この村もかつての活気を取り戻すことができる。そのためには協力を惜しまない――そういう話だったはずだ」

「金も払わず、命も危険にさらさず、阿呆みたいに口開いて、誰かが解決してくれるのを待っているのを他人任せと言わずして、何と言うのだ?」

「そうは言ってもなあ親父。鉱山が閉山になってから、みんなの生活は苦しくなる一方で、腕利きの冒険者を雇う余裕なんかありゃしない。まして、こんな田舎の村の自警団じゃ、自分たちの身を守るのが精一杯で、山賊連中を打ち負かす力もない……。

 わかるだろ? 俺たちは所詮、持たざる者なんだよ。限られた選択肢の中で、できることをやるしかなかった……それを怠慢だと言うのは、持てる側の人間の傲慢じゃないかな。少なくとも、俺はそう思うよ」

「……ふん」

 

 ジジイは表情を変えず、ミソスープを啜る。

 

 むう。

 どうも話の流れから察するに、イカルガ鉱山の再開を巡って、この村で一悶着あったみたいだな……

 

 妙に重苦しい沈黙が流れる中、お袋さんがぽつりとこぼした。

 

「あの子がいたらねえ……」

 

 その一言に、ジジイと親父さんが会話を止める。

 

()()()()がここにいてくれたら、たかが山賊ごとき、一人で簡単に追い払って、ぜーんぶ解決してくれたのにね」

 

 緊張が走る。おかずの争奪戦でぎゃあぎゃあ騒いでいる子供達の声が、少し遠のいた。

 

 え? アリシアって……おいまさか……

 

 俺の疑問を叩き潰すかのように、ジジイが拳で床をどついた。その場に居合わせた全員が背筋を立てる。さすがの子供達も、この時ばかりは沈黙した。

 

「……ワシの前で、あいつの名前を出すな」

 

 動作とは対照的に、低く、寂しげにも響いたその声。

 ジジイはすぐに席を立ち、奥の居間へと姿を消した。

 

 

     *

 

 

 ジジイが消えてから、俺はお袋さんに事の真相を問うた。

 案の定、アリシアとはやはり、あのアリシアだった。

 

 正式名称、アリシア・ローウェル。

 

 イリヤ教団の司祭であり、勇者クロノアの仲間に選ばれ、騎士王ロローナの前では俺と元カノ元カレの関係にされている、稀代のおっぱい魔人だ。

 自慢じゃないが、彼女とは裸の付き合いもしたことがある。嘘は言ってない。

 

「そう、ニケさんはロゼッタの生まれだったのね……なら、知っててもおかしくはないわ。なんたって、世界を救ってくれるあの勇者さまの仲間に選ばれるほど、頑張ったんだから。こないだ手紙で教えてくれたのよ」

 

 お袋さんは嬉しそうに、そう語ってくれた。

 その長く銀色の髪と、アメジストのような眼差しは、言われてみれば娘に瓜二つだ。あとおっぱい。

 

「あの子はうちで最初にできた子だから、お父さんすごく可愛がってね……小さい頃から、しょっちゅう連れ回しては、自分と一緒に修行させてたわ。実際、筋も良かったんだと思う。『アリシアは優秀な拳闘士になるぞ。ワシの跡を継ぐのはアイツしかいない』って、お父さん嬉しそうに語ってたから。アリシアもでアリシアで、お父さんにすごく懐いてて……『わたしもおじいちゃんみたいに、つよくなりたい!』って、目を輝かせながら言ってたわ。でもね……」

 

 そこまで喋って、お袋さんはうつむいた。

 

「その幸せは、長くは続かなかった」

 

 事の発端は、二次東征の勃発だった。

 ジジイは当時、国軍の「幻狼隊(フェンリル)」とかいう特殊部隊(スペツナズ)のリーダーだったらしい。

 

 時の騎士王はノルカ・ソルカ国王、マロノフ・ユッテナイネン。

 王が東征の総司令官を任されていたという背景もあり、軍団の象徴的存在として古くから名を馳せてきた幻狼隊には、大きな期待が寄せられていた。

 

 ジジイが軍人だったということもあり、当時ローウェル家はノルカ・ソルカの首府であるハバネロフスクに居を構えていたらしいのだが、毎日毎日、お偉方が挨拶に来たりやらパーティーへの出席やらで、てんやわんやだったとお袋さんは語った。

 ちなみにアリシアとロローナが初めて出会ったのも、この辺りの出来事らしい。

 

 そして時は巡り、戦争の火蓋が切って落とされた訳だが――

 

「初めのうちはよかったのよ。まるで火の玉みたいに、向かうところ敵なしの快進撃で……まさにノルカ・ソルカここにありって感じでね。やっぱり北国は強いなあって、色んな国から称賛されて、私もこの国の人間として、鼻が高かったわ」

 

 そうなのだ。

 実際、ノルカ・ソルカはめちゃくちゃ強かった。開戦初期の勝利のほとんどは、彼らの働きによって為されたものだと言っても過言ではない。

 

 強さの理由は、彼等の祖先にある。

 

 ノルカ・ソルカ人は、古代に東洋沿海部を派手に侵略して回った海上の民、「ヴァリャーグ」と呼ばれる武装集団の末裔と言われている。

 さらに言えば、約束の地であるアウストラシアからの渡来人を祖先とするネウストリアら極東諸国とは異なり、元々東洋に住み着いていた狩猟民族の血が色濃く受け継がれているのだ。

 

 そんな歴史的経緯もあってか、東洋人の中では、北方人イコール戦争にめっちゃ強い野蛮人……じゃなかった。歴戦の強兵というイメージが、遺伝子レベルで刷り込まれている。

 

 実際、ゆうに二メルトを超える筋骨隆々の大男たちが、ハルバードだの大剣だのを振り回して、魔法や弓矢を物ともせず、脇目も振らずに突撃してくるのだから、こんなモンまともに組み合って勝てる訳がない。

 東部や南部の人間が、たまらず脳筋だの狂戦士(バーサーカー)だのヤンキーだの揶揄したくなるのも、むべなるかなという所である。

 

 ジジイはそんな大男たちを統率し、東征軍の勝利に大いに尽力したと言う。

 例の一度の会戦で三百撃破とかいう、破天荒というより、前衛職でこのキル数は単純に頭おかしいとしか思えない荒業を成し遂げ、ローランに一目置かれたのも、この頃の話である。

 

「『うちのおじいちゃんが英雄になった!』って、アリシアが喜んでたの、私よく覚えてるわ……。無事に帰って来てくれたらそれでいいって思ってた私や旦那と違って、あの子は一途に、誰よりお父さんの強さを信頼してたのよ。『むしろ当然の結果。エッヘン!』って感じでね。まあそれだけ、ずっと近くで見てきたってことなんでしょうね……」

 

 さっきから思ってたが、どうも少女時代のアリシアは、俺の知ってるアリシアと全くイメージが違うようだ。純真でおじいちゃん思いの女の子にしか聞こえない。

 

 それが、どうしてああなった……真っ直ぐに育ったのは、今となってはおっぱいぐらいじゃないですかね。

 

「今思えば、きっとあの頃からもう、色んな事がおかしくなり始める予兆はあったのかもね……ここから先の話は、省略してもいい? ニケさんも東洋人なら、知ってるでしょう。この国の人間としては、語るに辛いことばかりで……」

 

 俺はうなずいた。

 

 周知のとおり、東征軍はここから坂を転げ落ちるように敗戦が続く。魔王軍の反撃攻勢が強まり、各国の足並みも乱れ、地獄の沼をのたうち回るような厭戦状態に突入する。

 結論から言うと、ノルカ・ソルカは全軍撤退後、敗戦の責任を全て押しつけられる形となった。

 

 これについては、「総司令官の地位にあったのだから、敗北した以上は当然の帰結」、「実際、時の騎士王の戦術は突撃一辺倒で、戦略もへったくれもなかった。田舎の不良同士の喧嘩ではないのだから、あんな阿呆が頂点にいる時点で負けは決まっていた」と賛同する声もある一方で、「ノルカ・ソルカをスケープゴートにして、責任を逃れようとする他国の策略」、「理不尽極まりない。ノルカ・ソルカがいなければ、もっとひどいことになっていた。出席するだけで満足してた他国の連中が、どのツラ下げて彼等を批判するのか」との反論もあり、賛否両論入り乱れて、未だに決着がついていないのが現状だ。

 

 そりゃそうだろう。失敗に理由が一つしかないなんて、そんなことあってたまるかよ。

 

 全部俺が悪いなんて発想は、見方を変えれば、俺は悪くねえと同等もしくはそれ以上に無責任で傲慢な考え方だ。失敗のプロである俺が言うんだから間違いない。

 この場合、どちらの主張にも一理あるとしか言い様がない。

 

 けれど人間の集団心理とは往々にして複雑怪奇で、いつの時代もわかりやすい批判対象を求めたがる。

 

 俺たちの顔に泥を塗り、何年にも渡る努力を水泡に帰したクソ野郎は誰だと、叫ばずにはいられないのだ。誰でもいいから徹底的に糾弾して断罪して、己の正義の正しさを確認しないことには気が済まない生き物なのである。

 

 結果として吊し上げられたノルカ・ソルカを、運が悪かった、誰かが犠牲にならなければ収拾がつかなかったと、わかったような言葉で片付けてしまうのが正しいのかどうか、俺にはわからない。

 

 ただ、一つだけ確かなことがあるとすれば、こんな結末では、前線で命を賭して戦い続けた兵士たちは、誰一人として報われなかった――ということだ。

 

「お父さん、ああいう性格だから、多くは語らなかったけど……戦場から帰ってきてしばらくは、心ここにあらずって感じが続いて……ほとんど別人に見えたわ。そりゃそうよね。身も心も削って、仲間だってたくさん失って。それでも勝利を信じて戦い続けてきたのに、戻ってきて浴びせられた言葉が、『よくものうのうと生きて帰って来られたな』だもの。そんなの……そんなのって、あんまりよね……」

 

 ジジイは人一倍責任を背負い込むタイプに見えるから、なおのこと思う所はたくさんあっただろう。俺たちは一体何のために戦ってきたんだという彼の思いを想像するだけで、胸が潰れそうになる。

 

 そしてそれは、孫娘においても同様だったに違いない。

 

「今思えば、その頃だと思う。アリシアが、お父さんの意志を継ぐって決めたのは……言葉にしたことはなかったけれど、たぶんそう……似てるのよ、あの二人って。家族にすら弱い部分を見せないっていうか。いつも、肝心なことは言葉にしてくれないの」

 

 クスっと笑って、お袋さんはそう言った。

 その仕草はどこか達観したようでもあり、それでいて哀しげにも映った。

 

 その後ジジイは負傷を理由に退役し、下野する道を選んだ。

 それに伴ってローウェル家は首府ハバネロフスクを離れ、ジジイの故郷でもあるイカルガへ移り住むことになった。

 

 それから二年後のことだ。アリシアが、村を出ると言い出したのは。

 

 諸国を旅して、拳闘士としてさらに一回り技術を磨き、行く行くは勇者の仲間に加わり、魔王を倒す一翼を担いたい――

 親父さんとお袋さんは、同じ屋根の下で暮らしてきた自分の娘のことだけあって、薄々その意志を察していたから、ここは寂しい思いをこらえて、快く送り出してあげようと考えていたのだが、一つ問題が起きた。

 

 ジジイが反対したのだ。

 

「お父さん、『ふざけるな! 勝手に決めて、そんなのワシは認めんぞ!』って、ものすごーく怒ってさ……挙げ句の果てに、『お前も結局、故国を見捨てるんだな』とまで言っちゃって。さすがにアリシアも、カチンと来たんでしょうね。『うるさいジジイ! いつまでも子供扱いすんな! アンタに私の何がわかるのよ!』、って大喧嘩が始まって……実際、殴り合いにまで行く寸前だったのよ。あの二人が本気で喧嘩始めたら、家の一つや二つ簡単に消し飛ぶから、家族みんなで必死になだめて……

 でも最後にアリシア、『アンタは戦争から帰って来て変わった。もう、私の知ってるおじいちゃんはここにはいない』って、とどめ刺しちゃったんだよね……はあ……」

 

 身振り手振りで必死に説明するお袋さんの様子から、事態は本当に深刻だったんだろうなと推察できた。

 初めて聞いた俺ですら、絵面を想起しただけで胃がキリキリしてくる。

 

 なんつーか、お互い今言われて一番ムカつく台詞ランキング第一位を、ここぞの場面で的確に繰り出してくる辺りは流石と言うか……急所を見定めるのは得意なんだね。さすが拳闘士。

 ホントアンタら、似たもの同士なのね……

 

 結果どうなったんですかという俺の問いに、お袋さんはためらうような沈黙を挟んでから、応じた。

 

「追い出しちゃったの。師範代の地位も取り上げて、『お前にうちの流派を名乗る資格はない。もう二度と帰ってくるな』って……お父さん、そう言っちゃったの」

 

 腑に落ちた。

 ならば当然、奴とよく似た孫娘の回答はこうだろう。

 

「わかった。アンタにはもう頼らない。私は私の足で、私の道を行かせてもらう」

 

 そして彼女は神官になったのだ。

 

 いや、何がどういう経緯で、アリシアがネウストリアに辿り着き、神官にジョブチェンジしようと考えたのかは、俺だってよくわからないし、おそらく永遠に明かされることのない謎だが、とにかくお袋さん曰く、それ以来一度も彼女の姿を見ていないのだという。

 

 たまに手紙が送られてくるものの、

 

「ザクソンのカポエイラ流を訪ねた。ザコしかいなかった」

「アンブロワーズに行った。胸くそ悪い国だ。お母さんはくれぐれもあんな所行かないように」

「神官の試験に受かる。白魔法始めて三ヶ月なのに。どうなってんのかしら」

「アタラクシアの修道院に入った。聖職者ってのはクズしかいない職業なのか? 白に交われば黒くなる。一つ勉強になった」

「ロゼッタに配属になった。勇者のツラでも拝んでくるとしよう。お母さん、サイン欲しい?」

 

 等々、まるでオッサンの手記のような、簡潔な文章しか綴られておらず、詳細はわからないのだという。

 

「たぶん心配させたくないのよ。でも、長々書き連ねるのは恥ずかしくて、意地張って……根は優しい子だから。生きてるってこと報告してくれるだけで、私は十分有り難いんだけどね」

 

 根は優しいの部分は大いに疑問だが、これで概ね事情は把握できた。

 最後に、俺はお袋さんに尋ねた。

 

「その手紙、おじいさんは見てないんですよね?」

 

 軒先の氷柱から雫が滴り落ち、囲炉裏の熾火が音を立てる。

 お袋さんが、こくりとうなずいた。

 

 「晴れて勇者の仲間になったことくらい、伝えてあげてもいいんじゃないですか」などと、余計な言葉は口にしなかった。居候の分際で、人の家庭の事情にあれこれ口出しすべきではない。いずれクロノアが決起すれば、嫌でも知ることになるだろう。

 遅かれ早かれの違いが、あの男に何らかの影響を及ぼすとは思えない。

 

 いや……たぶん違うな。もうとっくに知ってるんじゃないか。

 

 たかが一週間ほどの付き合いではあるが、俺は俺なりにロイドという人間を観察してきた。どうにもこうにも、あの男はあえて偏屈なジジイとして振る舞っている嫌いがある。根拠はないが、確信はあった。

 

 なぜなら俺とジジイは、本質的にはよく似たタイプの人間だからだ。出力されるものに違いこそあれど、たぶん根底には同じ川が流れてる。認めたくないと思っているのが、何よりの証拠だろう。

 

 しかし――だからと言って、俺に何ができると言うのだ?

 

 永久凍土のように凝り固まったジジイの心を溶かす仕事など、悪いが報酬に含まれていない。お断りである。

 第一、似た者同士だから分かり合えるほど、世の中単純じゃない。似た者同士だからこそ、互いに譲れない部分だって生まれるのさ。どこぞの祖父と孫みたいにね。

 

 ったく、大人しく後方師匠ヅラしとけばいいものを、訳の分からんジジイだぜ……

 

 ごちそうさまでしたと言い残すと、俺は静かに席を立った。



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44 Hello again

 それから数日は何事もなく過ぎた。

 強いて言うなら、何を思ったのかジジイが急に「氣」の使い方を教えてやると言い出したことくらいか。

 「座禅で精神が研ぎ澄まされてきたから、そろそろ教えてやってもよかろう」というのが奴の言い分だったが、俺としてはそんなの嬉しくも何ともない。てかやめろ。このままだとマジで弟子になりかねんだろ。

 お互い、「氣」の使い方より、気の遣い方を学ぶべきなのでは……

 

 言っても聞かないジジイであることは承知しているので、しぶしぶ「氣」の使い方を教えてもらうことになった俺だったが、いざやってみるとこれが意外に面白い。

 

 そもそも「氣」とは、体内に流れる肉体的・精神的エネルギーの総称で、人間は日常生活において本来有しているエネルギーの二割程度しか消費しておらず、その他の部分は閉ざされている状態が常なのだという。

 惜しみない鍛錬によって、その他の部分を開放し、通常ではあり得ないパワーを生み出すのが、「氣」という戦闘技術らしいのだ。

 

 この考え方を応用すると、「俺まだ本気出してねえから」は、誰にとってもあてはまる真実となる。だって普段は、二割程度の力しか使ってないのだから。

 長い人生の貴重な言い訳の一つとして、是非ストックさせていただくことにした。

 

 「氣」という戦闘技術は、トルファンで発祥し、その後南洋や西洋に広まったらしい。今は無きシャンバラとか、たぶんその辺だ。

 

「人体にはエネルギーが集まり、出入りを繰り返す箇所が七つある。頭頂、額、喉、胸、鳩尾、丹田、尾骨……これをトルファンでは『チャクラ』と呼んでいて――」と、ジジイがもっともらしい蘊蓄を垂れていたが、大して興味がなかったので、適当に聞き流していた。

 どうしてキンタマはチャクラになれなかったのか、その悲劇の半生についてずっと考えていた。反省はしてる。

 

 ジジイに言われるがまま、修行に励む俺だったが、最初は中々上手くいかなかった。

 見えない力を具現化する作業は、魔法で散々やってきたから、こんなんお茶の子さいさいやんけと思っていたが、想像よりずっと難しかった。

 

 考えてみれば、魔法は内側のオドと外側のマナを調律する作業があるのに対し、「氣」はナマのエネルギーをそのままアウトプットする。

 どおりで勝手が違うわけだ。

 同じ酒でも、味わいがロックと水割りくらい違う。違いがわからないとか抜かす小僧は、ママのミルクでも飲んでな……悪いがガキはお呼びじゃないんでね。

 

 「えい!」からの「あれぇ……おかしいなあ? プンスカ」を何百回と繰り返し、あまりの進捗の無さに、俺はひょっとして怪しい宗教にでもつかまったのかと疑念を抱き始めた頃、偶然ではあるが、素手で薪をたたき割ることに成功した。

 

「それじゃよ、ニケ!」

 

 そう言って、破顔したジジイの表情は何とも印象的だった。このジジイもこういう無邪気な笑い方ができるんだなと、意外に思った。

 

 ジジイはそれから上機嫌で、「ワシが宮仕えをしとった頃はなあ……庭で修行をしておったら、勢い余って宮殿の植栽をぶっ壊してしもうて。ふふっ……姫様が珍しく、オカンムリだったわ。温厚な姫様をここまで怒らせたのは貴方が初めてだと執事に言われてしもうてのう……」と昔語りを始めた。

 

「姫様?」

「先代騎士王の妃じゃよ。もっとも、当時は嫁入りしとらんかったから、まだ第一王女じゃったが」

「ん? てことは、先代は婿入りしたってことなんですか?」

「ノルカ・ソルカは、代々世襲制を取っておらんからのう。元々四つのデカい豪族が連合して、一つの政権となった歴史があって……王が死ぬと、四大氏族がそれぞれ王選の候補者を立てて、選ばれた者が先代王の娘と結婚する――というのが、古くからの習わしなんじゃよ」

「王選って、選挙でもするんですか?」

「いや。早い話が殴り合いじゃ。一番強い奴が王になる。それだけよ」

 

 なんじゃその天下一武闘会……

 ちなみに候補者は、必ずしも血縁者である必要はなく、氏族に与する勇猛な男なら誰でもいいらしい。たとえば俺みたいな、どこの馬の骨かわからん奴でも、四大氏族のいずれかの推薦を取り付けることができれば、王選に出馬できるシステムなんだと。

 

「へえ……じゃあロイドさん。あなたも若い頃、王選に名乗りを上げて、今は亡き先代と、姫様を巡って拳を交わした――なーんてことがあったり?」

 

 茶化した風にそう言ってみせると、ジジイは瞬きを止めたのち、ハハッと鼻で笑った。

 

「どうかのう……昔のことすぎて、もう忘れてしもうたわ」

 

 俺もまた笑みを浮かべつつ、内心「とぼけやがってこのジジイ」と思っていた。 

 このぶきっちょなジジイにも、青臭い時代には恋と友情のラブロマンスがあったのかと思うと、己の半生の無味乾燥さに死にたくなってきた。俺が一体何をしたって言うんだ。

 うん。何もしてこなかったからだね。わかってるんだよそんなことは。こん畜生。

 

「姫様はまだ、ご健在なんですか?」

「いや。だいぶ前に死んでもうたよ」

 

 ジジイは遠くの雲一つない空を見つめたまま、やがて言った。

 

「二次東征の直前に、病でな……妃といい、先代といい、腹立たしいことにどいつもこいつも、ワシを置いてさっさとくたばりおるわ……少しは残された方の気持ちも、考えてほしいもんじゃて」

 

 言い回しこそいつものジジイのそれだったが、語気には鋭さを欠き、神妙な空気が流れる。「あたしゃ湿っぽいのは嫌いでねえ……」とか言いたかったが、なんかそんな雰囲気でもない。

 

 そうこうしているうちに、ジジイが「そろそろ休憩は終わりにするか」とその場から立ち上がる。

 アッハイ……え? まだやるの?

 

 あとはいかに安定して、力を発揮できるようになるかが重要だとジジイは言った。

 奴曰く、そこが一番難しくて、何十年修行を積んでも、答えに辿り着けない部分でもあるらしい。

 

 なぜなら、「氣」という不確かな力は、使用者の体力や精神状態に大きく左右され、同じ人間でも置かれた状況で大きく力が変動してしまうからだ。

 ハマれば会心の一撃を連発するほど強いが、判断を誤れば即座に死に至る恐れもある――装備は極力軽装にして、身一つで立ち向かうスタイルであるから、なおさらその傾向が強い。

 

 捨て身の精神の有無。伸るか反るか。

 そこが武具を頼りにする重装の戦士との大きな違いだ、とジジイは言った。

 

 まあそんな感じで、俺とジジイの修行は今日まで続いている。

 むろん一日中修行に励んでいる訳ではなく、暇を見つけては親父さんの農作業を手伝ったり、子供達の相手をしたりしてる。

 

 あれ? 俺は一体この村に何をしにきたんだっけ……と思ったことは一度や二度ではない。いやホント何しに来たんだ。強くなることが、いつの間にか手段から目的にすり替わっていた戦士のような、時の無情さを覚える。

 最近は宿屋の姉ちゃんを初めとした村人たちに「お弟子さん」と親しみを込めて呼ばれるようにまでなった。おかしい。こんなはずでは……

 

 ロゼッタで無職に励んでいた頃、俺は自分のことを、割と明確な意志を有しているタイプだと思っていた。

 ところが世界に出てみると、そんなことは全然なくて、むしろ流されるがままに流されているような気がして、俺の自我なんて世界の前ではハナクソ程度の価値しかなかったんだなと、良くも悪くも開き直ってはいる。

 

 

 ピロリ~ロリ♪ ピロリロリロ~!!

 

 

 頼まれた農作業をサボり、一人メランコリックで散文的な感傷に浸っていたところを、素っ頓狂な音がして現実に呼び戻される。

 

 オカリナ? 

 いや実を言うと、それまでも誰かが丘の上でオカリナ吹いてんなという意識は頭の片隅にあったのだが、淀みない演奏だったので、特に気にも留めていなかった。

 ところがここに来て、「型にはまった音楽などクソだ」と言わんばかりの、大地揺り動かす魂のオーバードライブである。

 

 どうせミーチャかワーニャ辺りがふざけてやってるんだろう、しゃーねーなクソガキと思いつつ、音がした方に近づくと、そこには意外な人物がいた。

 

 ドロシーだ。

 

 

    *

 

 

 白銀の丘の上、俺は偶然ドロシーと出会った。

 彼女の視線がこちらを向き、自然と目が合う。

 

「…………」

 

 ドロシーはくわえたオカリナを離すと、それをサッと背中に隠した。

 沈黙が流れる。一陣の風が吹いて、頬の冷たさを知った。

 

「……音楽、好きなのか?」

「え? いや……別に嫌いではないけど」

「そうか。じゃあ俺と一緒にロックやろうぜ。こう見えてリュートの演奏には自信があるんだ。ボーカルはお前でいい。どうだ? 俺と一緒に、虚飾と欺瞞に満ちたこの世界を、真っ白に塗り替えようぜ」

「は? やらないし塗り替えないわよ。ていうかロックって何?」

 

 でしょうね。君はロックなんか聴かないだろうからね。

 

 外角低めの渾身のボケを、真っ直ぐに綺麗にはじき返された悲哀を噛みしめつつ、「すまん。俺は疲れると意味不明なことを口走る癖があるんだ……隣、いいか?」とドロシーに尋ね、許可も得ずに彼女の隣に腰を下ろした。

 

「それにしても、音楽の嗜みがあったとは……驚いたよ。誰かに教わったのか?」

「まあ……たぶん」

 

 たぶん? いいねえ、その切り返しもまたロックだ!

 

「ねえニケ。あなた、ロゼッタの出身なんでしょ。トルフィンから聞いたわ」

「聞いたって言うより、アイツが勝手に喋ったんだろ。そしてアイツは喋ったことすら忘れている。アレはそういうオッサンだ」

「まあ、それはそれで間違ってないんだけど……ロゼッタの人間なら、私のこと知ってるでしょ?」

 

 知ってるも何も、「俺はお前のファンクラブ会員第九号、キモさ余って憎さ百倍こと漆黒の弾丸(ダークネス・ブレット)ニケだぞ」と勝ち誇りたかったが、さすがに気持ち悪いのでやめておいた。

 

「もちろん。クラインの魔法使いランクでずっと一位だったことも、御前試合のことも、勇者の仲間を辞退したことも知ってる」

「……そう。ひとまず礼を言っておくわ。ありがとう。知っててずっと、黙っていてくれたのよね」

「お互いの素性に深入りしないのが、冒険者の暗黙のルールだからな。ま、バレたところで、バレる相手がアイツらじゃ害もないと思うが」

「確かに」

 

 ドロシーはくすっと笑った。

 

「ねえ、一つ訊いていい? あなた、ドラゴンを仕留めるほどの腕を持ちながら、どうしてロゼッタにいた頃はギルドに登録していなかったの? 名前すら聞いたことなかったわ」

 

 厳密に言うと、全くの無名ではなかったんだが。

 ワシはその昔、天才と持て囃されてた時代もあってのう……輝きはほんの一瞬でしたけどね。さながら超新星爆発(スーパーノヴァ)の如く、砕け散りましたけどね。

 

 まあその辺は説明するの面倒くさいから、適当にごまかしておこう……

 

「膝に矢を受けてしまってな……しばらくは、魔術士をやめていたんだ」

「しばらくって、どれくらい?」

「五、六年くらいかな」

「ふーん……じゃあ、知らなくても仕方ないか。私がロゼッタに初めて来たの、二年前だし」

「箒で来たのか?」

「ホウキ?」

「ごめん。何でもない」

 

 箒星と箒を掛けた俺の高度なボケに、ドロシーは納得したようなしてないような、微妙な表情を浮かべる。

 

 しかしまあ何だ、改めてこうやって近くで見てみると、何だか年相応の可愛らしい女の子にしか見えない。意外と言えば意外だし、当たり前と言えば当たり前の話だった。

 うん。さっきから何を言っとるんだ俺は……。

 

「あ、そうだ。ドロシーお前、アリシアとは仲良いのか?」

「どうだろ。クロノアやトラヴィスほど、ビジネスライクな付き合いってカンジではなかったけど……色々親身になってくれたのは事実だし」

「親身? それは金のアリシアさんか? それともブラック?」

「ブラックってなによ」

「外向けの綺麗なアリシアさんか、内向けのキレたナイフのアリシアさんかってこと」

「ああ……ああって、納得しちゃったな私……。どっちなんだろね。私にはあんまり厳しいこと言わなかったから。『なんかあったら相談してね』とか、『一人が寂しくなったら、いつでも私のところに来なさい』とか、とにかく優しくて……面倒見が良いって言うのかな。何で特定の人にしかその優しさを使わないのか、私にはよくわかんないけど」

 

 えぇ……おいおいマジか。

 相手によって態度変えるとか、大人として恥ずべき行為だと思います。誰に対してもスタンスを変えない俺を、少しは見習ってほしいものだ。

 まあ俺は、誰にも相手にされないが故に公平なんだけどな。妬み嫉み僻みと、一抹の寂しさだけが友達だから仕方ない。

 

「そっか……実はな。俺が今世話になってるローウェル家。アリシアの実家なんだよ」

「え?! そうなの?」

「俺もびっくりしたんだけど……何かどうもそうらしくて」

「言われてみれば、アリシア・ローウェルって。ほえー……世間って、存外狭いものなのねえ」

 

 ドロシーはかじかむ手を吐息で暖めながら、そうこぼした。

 俺はボリボリと後頭部をかく。

 

「それと……悪いな。なんか、グダグダになっちまって」

「ん?」

「クエストのこと。サクッと終わらすつもりだったんだが、まあ色々あって……」

「ああ。どうせ四月までは、カトブレスから身動き取れないだろうなと思ってたから、別に……西方に用事があってね。クエストを引き受けたのは、言い方悪いけど、雪解けまでの暇つぶしというか……割の良い依頼ではあったから」

 

 ドロシーはこちらに向き直り、俺の目を真っ直ぐ見て言った。

 

「私、アルス・ノトリアを探してるのよ」



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45 誰がために雪は舞う

 翌日、俺はジジイと親父さんに連れられ、ドロシーと共に、自警団の詰所に向かった。

 村の最長老、薬屋のロジーナさんから「そろそろいけるやろ」のお墨付きをいただいたので、満を持しての作戦会議である。

 

 といっても、別に話すことはない。

 考えたらわかると思うが、俺とドロシーが鉱山に乗り込んで、派手に暴れて大立ち回りのチョチョイのチョイ☆なので、作戦もクソもない。

 なので、作戦会議という名の、事実上の激励会が催されることになった。

 

「ハァ~~~~~ドッコイショオ! ドッコイショオ!(ドッコイショオ!×2)
ア~~~~~ソーランソーラン!(ソーラン!×2)」

 

 瞳に映るは、七人の屈強な北の男達。

 上半身裸の彼等は己の鍛えた筋肉を躍動させ、低姿勢から左右に身体を大きく動かし、息の合ったキレの良い舞を見せる。見せつけてくる。

 

「エンヤァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ヤーレンソーランソーランソーランソーランソーランソーラン(ハイ!×2)」

 

 俺は上座の椅子に座らされて、じっと彼等の踊りを見ていた。

 

 つらい……

 

 顔面には精一杯、「無茶しやがって……でもありがとな」みたいな表情を貼り付けていたが、そろそろ限界である。

 一体何が楽しくて、オッサンどもの血湧き肉躍る、雄々しい民俗舞踊を観賞せねばならんのか。

 

 しかしこのオッサンども、ここまで元気があるなら、もう自分たちで山賊退治できるんでは……農作業で鍛えた筋肉は勇ましく、滴る汗は男の勲章。グーで殴られたら、軽く5メルトは吹き飛ぶ自信がある。

 山賊がこの村を襲わず、夜な夜な盗みを働く程度に留まっているのは、村人の逞しさにビビっているからなのでは……割とマジでそう思うよ。

 

「ニケ……どうだった、俺たちの踊り」

 

 親父さんが呼吸を乱しながら、いつになく真剣な眼差しでそう言うから、俺は思わず胸キュン……じゃなかった、真面目に答えることにした。

 

「いやハイ、よかったですよホント! これぞ北国の男って感じでしたよ!」

「そうか……じゃあもう一つあるから、見ていってくれ」

「え?」

 

 するとオッサンどもが再びフォーメーションを組み、猛り始めた。

 

[フレ~ッ…………フレ~ッ…………ニーケ。フレ~ッ…………フレ~ッ…………二~ケ。

フレッフレッニーケ! フレッフレッニーケ! フレ~~~~~ッ!!」

 

 俺は目を細め、満面の笑みを浮かべた。

 

 つらい……

 

 ふと、遠くの方へ視線を外すと、お袋さんとドロシーが談笑している姿が目に映った。モグモグメシ食ってるドロシーの隣で、うふふとお袋さんが笑っている。ドワーフの女子組も混ざって、女子会絶賛開催中の模様だ。

 いいなァ、そっちは楽しそうで……

 

「ニケェ!! いよいよだなァ、期待してるぜ大将! いよっ、男前!!」

 

 オッサンどもの余興が終わると、待ちわびたとばかりに、トルフィンにバシバシ肩を叩かれる。さらに他のドワーフ連中も便乗して、俺の頭だの背中だのケツだのを嬉しそうにベシベシ叩く。痛っ、ちょい痛いってば……

 クッソ~! どうしていつも、俺の周りは野郎ばかりなんだよおおお……

 

「それでは皆さんご注目ゥ~~~~! 酒の準備はよろしいですかな? これからいよいよ山賊退治に向かう、ニケとドロシーの前途を祈念いたしましてェ~~~~! 乾杯ッ!!!」

 

 トルフィンの音頭を合図に、村人や発掘隊の面々が、あちこちで盃を交わす。俺はもみくちゃにされた後、胴上げされるという手荒な祝福を受ける運びとなった。

 どうせなら俺のオハコである全身飲みを披露したいところだったが、そんなアホなことをして風邪でも引いたら、ドロシーにポカリ☆と頭を叩かれそうなのでやめておいた。

 

 宴たけなわにして、夜深し。

 

 空になった盃が目立ち、いつの間にやらすっかり日も暮れた。

 妙に気疲れしたので、便所がてら外の空気でも吸ってくるかと思った矢先、派手にグラスが割れる音がした。

 

 間髪入れず、部屋の片隅から威勢のいい男の声が響く。

 

「ふざけんじゃねえ! お前みたいな小娘に、山賊を倒せる訳がねえだろうが!!」

 

 振り向いた視線の先、五十代前後の、中老の男の姿が目に映る。

 あれは……刀工のオヤジか? 名は確か、モーリスといったはず。

 

「あのうさん臭いモジャ頭の魔術士といい、このガキといい……なあ、みんな。本当にこいつらに任せて大丈夫なのか? 俺は正直信用ならねェ……大体人間のくせに、黒魔術に手を出す奴なんか、ロクなモンじゃない。みんな、頼むから冷静になろうぜ!」

 

 うさん臭いモジャ頭って俺のことか? 前後の経緯はわからんが、とりあえず冷静になるのはお前の方だよ。 

 はて、と思い、俺は向かいに立つ人物を見る。やはりというか、そこには彼女がいた。

 

「はあ? 冷静になるのはアンタの方でしょ」

 

 ドロシーが言った。

 

「勝手な思い込みでベラベラベラベラ……ずいぶんと想像力が豊かなのね。使い方は甚だ間違っているようだけれど」

「ああ?! なんだと!」

「私は自分自身の実力に嘘はつかないわ。そこまで言うなら、自分の身体で確かめてみる? あなた、ずいぶんと物わかりが悪いようだから」

 

 剣呑とした空気が流れる。トルフィンと愉快な仲間たちも、さすがにこの時ばかりは黙っていた。俺は目を糸のように細め、ポリポリと鼻の頭を掻く。

 

 あちゃー……やっちまいましたね、ドロシーさん……

 

 モーリスの些細な小言をきっかけに、ムッとしたドロシーが言い返して、徐々にエスカレートして……大体そんなとこだろうか。

 諸君はお忘れかもしれないが、ドロシーさんは基本的に「やられたらやり返す、倍返しだ」のカウンター型ではなく、「やられる前に殺る、ぶっ殺す」の前陣速攻型なのだ。ソースは御前試合。

 

 アホだなアイツも。酔っ払いの戯れ言なんざ、適当に聞き逃しときゃいいのに……

 

「もう我慢ならん! 一度痛い目にあわせてやる!!」

 

 そう叫んで、モーリスが拳を掲げた、その時だった。何者かが彼の腕を素早く掴み取る。

 

 俺だ。

 

 クールな俺が、最高にスタイリッシュに参上――と言いたいところだが、ごめん嘘。実際に腕を掴んだのは俺じゃない。

 俺は椅子に座ったまま、小指でハナクソをほじっていた。

 

「モーリス、もうやめておけ。それにドロシー、お主も矛を収めよ」

 

 ジジイの一言に、聴衆がハッとして息を呑む。

 ドロシーは唇を固く結んだまま、一方のモーリスは、掴まれた腕を振り払おうとしていきり立つ。

 

「離してくれロイド! 邪魔すんじゃねえ!」

「落ち着け。お前では彼女に近づくことすらできん」

 

 ジジイは淡々とした口調で言った。

 

「目を見ればわかる……ドロシーは強い。年を取り、肉体が衰えたとはいえ、俺は相手の本質を見抜く眼力まで失ったつもりはないよ」

 

 重みのあるその一言に、さすがのモーリスも押し黙った。

 対照的に、ふふんとドロシーが口角を上げた。

 

「あら、あなたはわかってくれるんだ?」

「当然じゃ。お前はお前の師匠より、ずっとわかりやすい」

「うん? 師匠?」

「ああ。そこのモジャ頭よりな」

 

 ジジイのその一言を合図に、皆の視線がモジャ頭こと俺へと注がれる。

 

 俺のチャームポイントである、じいちゃん譲りの癖っ毛を、そんな風に腐すのはやめてもらえます? 雨期は髪の毛のまとまり具合で周囲の湿気が推し量れるというスグレモノなんだから……

 とか何とかアホなことを考えてるうちに、ドロシーが先に口を開いた。

 

「あははっ、違うわよ。ニケと私は、師弟関係じゃない。ただのビジネスパートナー……以上でも以下でもないわ」

 

 ジジイは無言のまま、俺の方へと目をやる。

 

「そうなのか? ニケ」

「え、ああ……はい。ドロシーの言ったとおりですけど」

「……そうか」

 

 ジジイはそれ以上、何も語らなかった。

 一体何を根拠に、そう思い至ったのだろうか……「俺実は、アイツのファンクラブ会員第九号なんスよ~」とか、二人の関係性について言及した記憶はないが……

 

「くそっ、気に食わねぇ、どいつもこいつも……」

「しつこいぞモーリス。まだ言い足らんのか」

「当然だ! 父祖代々、ずっと守ってきた俺たちの鉱山を、こんな形で余所の人間に奪われて……挙げ句の果てに、そいつらに媚びるようなやり方でしか生きていく道がないなんて、こんな情けない話があってたまるか!」

 

 モーリスが床をどつき、叫び声が無情に響き渡る。

 誰もが視線を背ける中、ふとある人物が割って入る。誰かと思えば、親父さんだ。

 

「モーリスさん、アンタの言うことは一理あるが……その件については、皆で時間を掛けて話し合ってきたじゃないか。今さら蒸し返すようなことはやめてくれ。ここにいる他のみんなだって、内心は悔しいんだよ。それでも、ぐっと堪えて、現状を受け入れることを選んだんだ」

「理屈じゃねえんだよアラン! くそったれ……それもこれも、全部戦争のせいだ! あの憎ったらしい二次東征が、この国を変えちまったんだ!!」

「頼むから落ち着いてくれ! 子供も怯えている……頼むから」

「うるせえ、偽善者が……。お前に……お前らなんかに、俺の気持ちがわかってたまるか」

 

 不意に、モーリスの両肩が震え出す。何事かと思い、目を凝らした瞬間、ハッとした。

 

 彼は、泣いていた。

 男の頬を伝った涙が、ぽたりぽたりと床を濡らしていく。

 

「俺は……俺はあの戦争で、子供を二人も亡くしたんだ……生きてりゃきっと、今頃孫の顔にだって会えたはずで……これくらい、言わせてくれたっていいだろ……。

 戦争終結以来、この国はずっとメチャクチャで……マロノフの統領(オヤジ)を筆頭に、俺たちの誇りだったかつてのノルカ・ソルカは、見る影もない。戦争で全部壊されたんだ。どれほど悔やんだって、あの時代にはもう、戻れやしねえんだ……!」

 

 モーリスは白髪の目立つ頭をかしげ、顔をクシャクシャにして泣き続けていた。

 

「アレン……それにロイド。お前らだって、本心はそう思ってるんだろ……。どうして。どうして俺たちばっかりが、こんな目にあわなくちゃいけないんだ……」

 

 ようやくわかった。

 このオヤジが執拗に噛み付いていた理由も、彼の一見子供じみた振る舞いに、村人たちが強く反論できなかった理由も……

 

 救いの見えない沈黙の中、ある人物が口を開く。モーリスと同様、この国の浮き沈みを間近で見てきた生き証人だ。

 

「モーリス。気持ちはわかる。だが……辛いのはお前一人だけではない」

 

 ジジイの言葉に、地面に膝をついていたモーリスが、ゆっくりと顔を上げる。

 

「ワシとてあの戦争で多くのモノを失った。部下に、主君に、背中を預けてきた友に……必ず生きて帰ると誓った家内の死に目にだって、結局会えなかった。だが、いくら嘆いたところで、過ぎ去りし時は戻りはせぬ――それもまた事実じゃ」

 

 しんとした空気の中、ぽつりぽつりと、丁寧に紡ぐようにしてジジイは語った。

 

「失ったモノばかりに目を向けるのは、お互いもうやめにせんか。それよりも、残ったモノや、これから生まれてくるモノに目を向けるべきだ……ワシにもお前にも、幸いにしてまだ命があるじゃないか。命がある以上、過去ばかり見ず、未来を見据えて生きていくのは、残された人間の務めだとワシは思う。

 それに……血の繋がりはなくとも、お前と似たような辛さを味わった者は、お前が思っている以上に大勢いるはずだ。人間、分かち合えるのは喜びだけではない。哀しいことだって、分け合うことで、お互いの肩の荷を小さくすることはできるはずだ。だから……」

 

 一度周囲を見渡してから、ジジイはモーリスの目を見た。

 

「辛い時は人を頼れ――お前が誰かを頼らなければ、その誰かがお前を頼るということもできなくなってしまうよ。そんな哀しい話、あってはならんとワシは思う……」

 

 暖炉の熾火が紅く輝き、窓の外では静かに星々が瞬いている。

 モーリスは唇を強く噛みしめ、大粒の涙をこぼした。

 

「うぅ……すまねぇ。すまねぇ、ロイド……!」

 

 温かい空気が周囲の緊張を弛緩させ、あちこちで鼻を啜る音が聞こえた。やがて村人たちが、一人、また一人とモーリスの元に駆け寄り、銘々がいたわりの言葉を掛ける。

 

 ドロシーは窓の外へ視線を逸らしながら、少し居心地が悪そうな、でもまんざらでもなさそうな顔を浮かべていた。

 

 それを確認すると、俺は役割を終えたとばかりにさっさと消えたジジイの後を追った。

 

 

    *

 

 

 吐く息は白く、青白い空には月が浮かび、天球の至る所で星々が瞬いている。

 雪の上に残された足跡を追って進むと、壁にもたれて、一人煙管をふかしている老人が目に入った。ジジイだ。

 

「なんじゃモジャ頭。何しに来た」

 

 開口一番、ジジイはそう言った。「その呼び方、やめてくださいよ……」とぼやきつつ、俺は彼の隣へと歩み寄る。

 

「綺麗事に聞こえたか?」

「え?」

「モーリスに言った言葉だよ」

 

 ジジイは煙管をふかし、大きく煙を吐いた。宙に吸い込まれるようにして、煙が霧散していく。

 

「別にそうは思いませんでしたが……」

「嘘つけ。それができたら誰も苦労しねえよとか、腹の内で考えとったじゃろお前」

 

 性格悪いなこのジジイ……いや確かに、そう思わなくもなかったこともなかったこともなかったけどな。つまり思った。

 

「……正直に言うと、意外でした。あなたはどちらかと言うと、一人で背負い込むことに、ある種の美学を感じているタイプの人間だと思ってたので……だから、あなたの口から人を頼れって言葉が聞けたのが、少し驚きでした」

 

 ジジイは煙管を口にくわえたまま、しばし黙していた。

 

「意外、か……そりゃそうじゃろ。アレはローランの受売りじゃからな」

「え……ローランって、あの?」

「あの以外にどのローランがおるんじゃ。勇者ローラン・ヴァロンドール、その人じゃよ」

「知り合いだったんですか……」

「二次東征の時に、少しな」

 

 マジかよ……いや風の噂で知ってたけど、まさか本当だったとは。

 改めて、このジジイは只者じゃないんだなと思い知らされる。東方不敗の格闘王。生ける伝説の看板は伊達じゃない。

 

「だがまあ、そうやって人を頼ることの大切さを説いていた男を、皮肉なことにこの世界は見殺しにした訳だ」

 

 口から煙を吐き出し、ジジイが言った。

 

「誰もが勇者を頼った結果、勇者は誰にも頼れなくなっていた。その内に抱えていた不安や孤独を、誰とも分かち合うことができなかった。勇者が孤独の中でただ一人立つ者の役回りを引き受けていたことに、愚かにも誰一人として気付けなかったのじゃ……そして結果として、彼はアクゼリュスの地に……

 これを悲劇と言わずに何と言う。むろん、ワシとて偉そうに言える立場でないことはわかっておるが……こんな結末では、ローランが報われまい。アイツが生涯を通じて掲げた哲学が、全て否定されたような気がしてな……」

 

 星屑を散りばめた遠くの空を見つめながら、ジジイはため息をつく。夜の凍てつく冷たさが、肺に刺さるようで、少し痛かった。

 

「すまん。余計なことを話したな」

「いえ……クロノアがきっと、ローランの無念を晴らしてくれるでしょう。何より、彼には仲間がいる。ローランと同じ轍を踏むことはないはずだ。そして――」

 

 言うべきか否か、逡巡はあった。

 そういう役回りを引き受けることに、いささかの抵抗があったのは事実だ。

 

 だが、理屈をこね回すより早く、俺はその先を口にしていた。

 

「あなたが果たせなかった意志は、今やクロノアの仲間となったアリシアが、成し遂げてくれるはずだ」

 

 煙管をくわえたままのジジイと視線が重なり、時間が止まる。青白い月が、空から俺たちを見下ろす。

 やがて、ジジイは煙管を口から離し、ふーっと煙を吐いた。

 

「……大方、ノンナにでも聞いたか」

「ええ、まあ……探りを入れた訳ではないんですが」

「そうか。アイツはアレンにはもったいないほどよくできた家内だが、お喋りなのが玉に(きず)だな……」

 

 ジジイはこめかみに手を当て、渋い表情でそう言った。

 

 実際、お袋さんは隙あらばあれやこれやエピソードを語ってくれるので、俺もすっかりローウェル家の事情に詳しくなっていた。

 魔術士は見た! ってな。正確には聞いただけど。

 

「この際だから、一つ訊いていいですか……あなたがアリシアを冷たく突き放したのは、彼女に帰る場所を与えたくなかったからですよね?」

 

 畳みかけるように、俺は告げた。

 

「自分にはいつか戻れる場所がある――そんな生半可な覚悟で叶えられる夢ではないことを知っていたから、あなたはああいうやり方を選んだ。つまり、偏屈なジジイを演じて、アリシアを追い込むような道を選んだ……違いますか?」

 

 月明かりが、二人の影を淡く伸ばす。

 ジジイは煙管をポンポンと指で叩き、少しの間を置いてから言った。

 

「お前は本当に嫌な奴だな」

「よく言われます」

 

 俺は口角を上げ、両肩をすくめてみせる。

 あと卑屈とか陰険とかへそ曲がりとかこじらせてるとか何か気持ち悪いとかよく言われる。何かって何?

 

「答えを教えてやるよ。半分正解で半分間違っとる」

「え?」

「俺は俺の意志を、アリシアに引き継いでほしくなんかなかった。それは事実じゃ」

 

 ジジイはざくざくと雪を踏み砕いて、数歩進んだ位置で立ち止まった。

 そして両腕を組み、青白く透き通った夜空を見上げる。

 

「もううんざりなんだよ。誰かのために生きようとして、自分をすり減らす奴を見るのは……一度しかない人生なんだから、アリシアはアリシアの現実を生きればいいい。老い先短いこのクソジジイの無念など、その辺の犬にでも食わせておけばいいんじゃよ…… 」

 

 吐く息は白く、星明かりが遠くに見える山の稜線を、うっすらと浮かび上がらせる。

 降り注ぐような星空は、ネウストリアで見るそれよりも、ずっと美しくて、それでいて哀しくも映った。

 

 哀しさと美しさは両立する。ゆえに、罪深い。

 

「余計なお世話を承知で言いますけど……アリシアは、ずっと泣いていたそうですよ」

 

 ジジイの背中を見つめながら、俺は言った。

 

「あれほど頑張ったおじいちゃんが、どうしてこんなに辛い思いをしなきゃいけないんだって。力になれない自分が悔しいって、ずっと泣いては修行に明け暮れていたって……お袋さんに、そう聞きました。だからまあ、その……なんだ。自分のためが誰かのために、誰かのためが自分のためになれば最強なんじゃないですか。知らんけど」

 

 ジジイは立ち止まったまま、微動だにしなかった。

 が、すぐにうつむき加減になって、両肩を震わせる。どうやら泣いている――じゃない。笑っていた。

 

 笑ってる?

 

「知らんけどってお前……なんじゃそれは」

「予防線です。わかったようなこと言ってる奴が一番よくわかってないってのは、往々にしてあることなんで」

「真面目に答えんでいい」

 

 一体何がツボだったのかはよくわからんが、ジジイはなおも可笑しそうに、声を殺して笑っていた。その様子を見て、俺も自然と相好を崩す。

 

「ニケ。お前、極光(オーロラ)って見たことあるか」

「ないですね。伝承では聞いたことありますけど……」

「そうか。じゃあ死ぬまでに一度は見とけ」

「そんなに価値のあるものなんですか?」

「ああ。見ればわかる」

 

 Don't think. Just feel it. ってか?

 なんつー雑な説明だよと思ったが、ジジイは素知らぬ顔で煙管を口にくわえている。深く煙を吐き出すと、彼は言った。

 

「そろそろ戻れ。これ以上身体を冷やすと、明日に響くぞ」

「そうですね。そろそろ……」

「この空だと、明日はよく晴れそうだ。みっちり稽古はつけてやったから、あとはせいぜい頑張れよ」

「ハハハ……ロイドさんが付いてきてくれると、頼もしいことこの上ないんですがね」

 

 ジジイは鼻で笑った。

 いくら衰えたとはいえ、実際、この男が本気を出せば、山賊退治程度朝飯前なのだろう。それをしないのは、たぶんきっと……

 

 俺は振り返り、元来た道を戻る。空では依然として、流星群が瞬いていた。

 

 

    *

 

 

 翌日。

 

 平原を真白に染め上げていた雪も少しずつ解け始め、春の到来を予感させるような晴天が広がっていた。

 エルの剣を肩に背負い、リュックを担いだ俺の元に、ローウェル家の子供たちが駆け寄る。

 

「おっ、兄ちゃん魔術士なのに剣持ってたの?! スッゲー、魔法剣士だ!」

「うほほーい! 魔法剣士魔法剣士!」

 

 長男のミーチャと次男のワーニャが、ベシベシと俺の背中を叩く。

 痛っ! 痛いっつーの、このクソガキども……!

 

「ねえねえ、兄ちゃん。ちょっと耳貸して」

 

 三男のアリョーシャが、俺の服の裾を引っ張る。背丈の小さい彼に合わせて、身を屈めると、彼がこう言った。

 

「無事に戻ってこれたら、兄ちゃんこの村のヒーローだね。姉ちゃんの婿養子にでもなったら?」

 

 アリョーシャがにんまり笑う。

 俺がアリシアの夫に? オホホホ……この子ったら、無邪気な顔して何て恐ろしい事を言うのかしら。今のうちにその芽を摘んでおく必要があるわね……

 

「ふーん、魔法剣士ねえ。意外」

「おん?」

 

 振り返ると、ドロシーは両肩をすくめ、冷めた口調で告げた。

 

「別に。貴方がそういう邪道を使うとは思わなかっただけ」

 

 シードロちゃんよ。それを言ったら、俺の生き様がそもそも邪道なんだが……

 

「まあ見とけよ。この剣がただの飾りでないってことを、お前はいずれ知ることになるだろうさ」

「何か格好つけた言い方してるけど、言ってることはもの凄く普通よ。その剣がただの飾りなら、貴方は動く博物館か何かなの?」

 

 口では勝てないことを悟ったので、あさっての方を見ると、お袋さんと親父さんの姿が目に入った。

 

「はいニケさん! ピロシキたーっぷり作っといたから!」

「ワオ! ありがとうございます!」

 

 俺は満面の笑みを浮かべるも、受け取った風呂敷は思いのほか重く、どう見ても今日のランチの量を超越していた。

 これは……新手の筋力トレーニングですかね……

 

「ドロシーちゃんがね、ああ見えて結構食べるのよ。私嬉しくなって、ついたくさん作っちゃった♪」

 

 ついって……ついの量超えてるよ。まあ可愛いから許すけど……

 

 しかし、ドロシーが腹ペコペコリーヌだったとはな。言われてみればアイツ、昨日の激励会でも、大体モグモグしてたような。

 その割には肝心な所に栄養が回っていないとお見受けするが……。

 

「ニケ。ルートは先日案内したとおりだが……決して無茶はしないようにな。必ず生きて帰ってきてくれ」

 

 親父さんはそう言うと、俺に右手を差し出す。差し出された右手を、俺もまたがっちり掴む。

 雪降る山奥の村で、僕と握手!!

 

「あーそうそう。これは親父からの伝言なんだが……『教えるべき事は教えた。あとは好きにしろ。無事に戻ってこい』とのことだ」

 

 ふーん。

 好きにしていいのに、無事に戻ってこいって、矛盾してねえか。ていうか、何でこの場にいないんだよ。うんこでもしてんのか。

 

「直接自分の口で言えばいいのにねえ。何を恥ずかしがってるのかしら、お父さん」

「まあ、そういう親父だから……」

 

 夫婦のやり取りを見て、俺も察した。

 ホント、ようわからんジジイだ。ようわからん俺が言うんだから間違いない。うんこしてた方がまだマシだよ。

 

「それじゃ、いってきます!」

 

 振り返り、立ち去ろうとする俺とドロシーに、相次いで激励の言葉が贈られる。

 

「いってらっしゃーい!」

「頑張れよ!」

「希望を持たず生きることは、死ぬことに等しい――兄ちゃんよ。苦しむこともまた、才能の一つなのだ!」

「何言ってるの? ミーチャ」

「アレだよ、いつもの思春期病だよ」

 

 しばらく進むと、道ばたの方から、トルフィンたち発掘隊の面々や、宿屋の姉ちゃんら村人たちが、こちらに向かって声援を送っている姿が目に入った。

 よく見れば後ろの方に、ドロシーとやらかしたモーリスのオヤジもいて、心なしかホッとした。

 

「まあまあ、ご大層なことねえ」

「田舎は面倒くさいんだよ、こういうの。人情味があってよいではないか」

「ホントにそう思ってる?」

「思ってるよ。この邪気のないスマイルが、目に入らんかね」

 

 ドロシーは俺の顔を見るや、鼻で笑った。

 

「ま、いっか……」

 

 白亜の山脈の果てには、抜けるような澄んだ空が続く。

 俺と小さな魔法使いは、一路イカルガ鉱山を目指した。



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46 敵情探索

 イカルガ鉱山は別名「神々の傷跡」とも呼ばれており、縦坑の深さは最大で300メルトにも達すると言われている。

 螺旋状の鉱床は、俯瞰して見るとまるで巨大隕石が落ちたかのようで、よくもまあここまで掘り下げたモノだと感心する。同じ露天掘りの鉱床でも、レーヴ鉱床より規模がさらに一回り大きく、さながら巨大な砦といった印象を受ける。

 

 もっとも、四半世紀ほど前に、鉱山の地下に大規模な空洞が見つかったことで、露天掘りは中止され、坑道を掘り下げての採掘に切り替わっていたそうなのだが。

 

「ふむ……」

 

 鉱山を見下ろせる見晴らしのいいポイントで、俺は地面に這いつくばっていた。

 恥の多い己の半生を悔い改め、大自然に土下座をしていたのではない。千里眼を行使していたのだ。

 

「見張りが四、五人ってところか。さすがに洞窟の中の様子まではわからんね。覚悟はしてたが、こりゃ敵情を探るのに、骨が折れそうだぜ……」

 

 俺がそうぼやくと、隣で突っ立っていたドロシーが言った。

 

「ニケは透視とか使えないの?」

「使える訳ないだろ。俺は魔術士であっても、超能力者じゃない」

「そう。使えそうな顔してたから」

 

 どんな顔だよ……

 ちなみに使いたいって本気で思って、本気で修行してみたことはあります。透視ができれば、女風呂を覗き放題だからね! ヒーハー!

 

「俺自身が透明になることならできるかもしれんが……」

「何それ、どういうこと?」

 

 むろん社会的な意味でだよと答えたかったが、そんなアホなことを言うと、ポカリ☆と頭を叩かれそうだったのでやめておいた。

 

「空間を歪曲させて、光を巧みに調節して……不可視化には成功したんだが、一つ重大な欠陥があることに気付いてな」

「何?」

「俺からも相手が見えない」

「ダメじゃん」

 

 そんなことはない。本当に「見えていなかった」のはお前の方なんだという、メタファー的な意味では大成功だと思うよ。いや大失敗だよ馬鹿野郎。

 

 術を解除すると、俺はふーっと大きく息を吐き出した。

 

「あーダメだ、偏頭痛がする……俺、昔からどうも千里眼は苦手なんだよなあ……」

「わかる。私も索敵系は、神経削るから苦手意識あるわ」

 

 HAHAHA……でしょうね。削るより削らす側だもんね。なんかそんな顔してるよ。

 

「しゃーない。使い魔を走らせましょう」

 

 すると、ドロシーはワンドを正面に向けて、詠唱を始めた。すると、フクロウが一羽、中空で散開して、坑道目がけて飛んでいった。

 

感覚共有(リンク)? 器用だねえ」

「大人しくして。集中できないから」

 

 大人しくしろと言われたので、大人しくする。暇なので、小指でハナクソをほじることにした。

 

「しっかし、山賊どもも、何が楽しくてこんな所をねぐらに選んだのかねえ……中は意外と快適だったりするのかな。暗闇ってのは、意外と居心地よかったりするからな。余計な物を見ずに済む。何なら一生引き籠もっていたいくらいだ。見えてるモノを見落とせるのも、立派な能力の一つだって、俺思うんだよね――」

「私、大人しくしろって言ったよね?」

 

 三分が経過した。

 ドロシーがぱちりと目を開け、「捉えた」と呟く。

 

感覚共有(リンク)のチャネルを、聴覚にも広げるわ」

「お」

 

 ドロシーの双眸と両耳の近くに、菱形の魔法陣が展開する。俺にはよくわからんが、彼女には見えているらしい。

 

「俺も接続(コネクト)していいか」

「は? 嫌よ。勝手に入ってこないで」

 

 拒絶された。

 ちなみに接続(コネクト)ってのは、感覚共有(リンク)感覚共有(リンク)することだ。またの名を相乗りとも言う。

 お手々を握って、ぎゅっとすると、あら不思議! 俺の感覚は俺のモノ、貴様の感覚も俺のモノってなるスグレモノよ。

 

「そうか。俺と一緒にトゥギャザーは、そんなに嫌か……」

「嫌とかじゃなくて、接続(コネクト)って乗っかる方は楽だけど、乗っかられた方は気分悪くなるのよ。頭がざわつくっていうか、身体がムズムズする」

 

 俺クラスになると、むしろそのムズムズが心地よいんだがな……ああっ! 私、支配されてるッ! こんな、どこの馬の骨かわからないような下賤な男に! 的なのがね……

 わかるかな? わからんだろうなあ。わかったら終わりだと思います。

 

「それに接続(コネクト)って、お互いの相性が良くないと失敗する可能性高いし……」

「ああ。有名なローレンツの実験か」

 

 そうなのだ。

 一口にコネクトと言っても、お手々とお手々を握れば、誰でも彼でも簡単に感覚をシェアできる訳ではない。仮に接続できたとしても、相手がキャッチしてる情報の、2~3割程度しかシンクロできないことの方が多い。

 

 ところがどっこい、相手が夫や妻、恋人に親友の場合だと、シンクロ率が6~7割くらいまで上昇し、さらには接続された側の不快感も軽減するということが、ローレンツという魔術士の実験で明らかにされている。

 

 ちなみに、双子でかつ同じ環境で育った場合は、シンクロ率が9割を記録した一方、双子であっても養子に出されるなど、異なる環境で育った場合は、シンクロ率が3割にも届かなかったという面白いデータもある。

 

 さて肝心の原因だが、正直な所はっきりしない。

 魔力の波長や育った環境だの、ローレンツのオッサンは論文中で主張しているが、そうだとするなら、生まれ持ったオドや魔力の波長は後天的に変化するという論にも結びつき、個人的には納得しかねる。

 

 まあアレだ。

 愛の力は、理屈じゃ説明できないってことでいいんじゃないかな……何でもかんでも、つまびらかにすればいいってモンじゃないのサ……

 

「残念だな。自慢じゃないが、俺は友達が少ないんでな……過去に同じ魔術士同士でちゃんとシンクロできたのは師匠くらいだったから、試しに一度やってみたかったんだが」

「師匠? あなた、師匠がいたの?」

「いたよ。もう死んだけど」

 

 俺は言った。

 

「二次東征に行ったきり、帰ってこないんだ。生きてて頼りをよこさないような人じゃないから、まあ……亡くなったんだろうな。きっと」

「ふーん……そうなんだ」

 

 ドロシーはそれ以上何も言わなかった。

 積もる話もあるせいか、なんか唐突に師匠に会いたくなったな……まあ、仮に生きてた所で、今さら合わす顔もないんだが。

 

「……繋がった。男が一人、二人……見張りの連中とは明らかに身なりが違うわね。幹部ってとこかしら……」

 

 「ホウ」と思って顔を向けると、ドロシーが顔の前に人差し指を立てる。

 調子こいてまたペラペラ喋ると、いい加減「私が何で怒ってるのかわかる?」と、女子特有の無慈悲な面構えでジャッジメントクロスされそうなので、ここは様子見に徹しよう。

 

「……退屈だなあ。一体いつまでこんなこと続けなきゃいけないんだよ。四の五の言うな、我慢しろ……」

「どうしたんだドロシー。心の声が漏れ出てるぞ」

「違うわよ! 貴方には聞こえないから、声に出して伝えてあげてるんでしょ!」

 

 ドロシーがプンスカと怒り、俺は思わず苦笑を浮かべる。

 

「悪い。冗談だよ」

「もう! 調子狂うなあ……えーと。何々」

 

 気を取り直し、ドロシーが再度アクセスを試みる。

 

「……俺もリブローと一緒にメシの調達に行きたかったぜ。ずっとこんな所にいると、気が狂いそうだ。ガラテアに行きたい。色町で女を抱き……抱きたい。がはははは……北国の女はいいぜえ。美人揃いだし、ケツがたまん……ねえんだ。後ろから腰をつかんで強引に犯すのが……くそっ! このゲスども……男ってどうしてこうも、くだらない連中ばかり……!」

 

 ドロシーは顔を紅潮させて、ガシガシ雪の塊を蹴っていた。面白いやっちゃな。

 

 やがて冷静になったのか、ため息にも近い深呼吸の音が聞こえた。

 

「ごめんなさい……つい」

「いや、気にするな。続けてくれ」

 

 ドロシーはうなずき、気を取り直して、会話のトレースを続けた。

 

「騎士王のいぬ間に洗濯ってな……売れるだけ売りさばいて、さっさとずらかりたいモンだ。麓の村で妙な動きがあるようだし……妙な動き? ああ。発掘隊と思しき連中がこの村に集結してるらしい。たぶんカトブレスからだろう。発掘隊? 討伐隊じゃなくてか? ああ。手下曰く、まともに武装してる奴がいないし、一向に動き出す気配がないって……。何だそりゃ。遠足にでも来たのか? 何考えてんだよ。いや、俺に聞かれても……」

 

 ふむ。どうやら、俺たちの動きは探られていたようだ。

 

 しかしどういう訳か、意図せず相手の警戒心を逸らすことに成功してしまったらしい。

 のらりくらりしてたことにも、一応意味があったということか……逸らしてる方向がだいぶ斜め上だが……

 

「それより聞いたか? 親方が、いいクスリを手に入れたらしいぜ。クスリ? ああ。最高にハイになれるクスリらしいぜ。おいおいマジかよ、今夜はお楽しみだな……」

 

 その後はどうでもいい話題が続いた。

 

 とりあえず、話し込んでいる二人は、ネウストリア語こそ使っていたが、北方人特有の訛りが散見されることから、奴らは事前の情報どおり、ノルカ・ソルカから湧いてきた山賊である可能性が高い。

 冬場のどさくさに紛れて鉱山を占拠し、火事場泥棒的に魔石をくすねて、騎士王が勘付いた頃にはスタコラサッサ。やがては極東の連中にでも、取れ高を売りさばく魂胆なのだろう。ふむ。

 

 しかし、最高にハイになれるおクスリねえ……

 お世辞にも柄の良い連中とは言えなさそうだ。厄介な事に巻き込まれなきゃいいが……

 

 

    *

 

 

 結局その日のほとんどは、索敵やマッピングといった準備作業に費やした。

 

 俺は人間はおろか動物にさえ愛されない罪深き存在なので、使い魔との契約は結んでいない。情けない話ではあるが、向いてないものは向いてないのだからしょうがない。

 

 言っただろ。共同作業は苦手だって。

 

 使い魔こそ使役できないが、地属性の魔法は得意なので、自作ゴーレム君(小型リモート式・視覚共有ネットワーク搭載)を作り出して、ピコピコ坑道内で動かしては、ちまちま地図を書き出す作業を、延々繰り返していた。

 

 言っただろ。ソロ活動は得意だって。

 

 その甲斐あってか、山賊のアジトの大まかな構造が浮かび上がってきた。

 奴らがねぐらとして使っている坑道を降りていった先には、大きな空洞が広がっており、地下水が流れ、天井からは鍾乳石が垂下している。

 

 想像していた以上に広い、というのが正直な感想だ。試みにゴーレム君と触覚を共有してみたが、外部よりもずっと暖かい。真冬の寒さもしのげる訳だ。

 

 間取りも驚きの八部屋、焚火で豪快吊るし肉! みんなでワイワイ盛り上がれるパーティールームを備え、外は天然の冷凍庫。

 寝床や最低限の料理道具も用意されており、全国の山賊・盗賊さん寄ってらっしゃい見てらっしゃいの優良物件である。

 

 アホな冗談はさておき、魔力泉の暴走で鉱山が閉鎖される以前に、当時の発掘隊が拠点として使っていたものを、装い新たに再利用しているのだと思う。

 山賊どもが一から拵えたにしては手が込みすぎだし、そう考えるのが自然だ。

 

 日中は魔石の発掘作業に精を出し、日没後はみんなでワイワイパーリナイ☆♪

 定期的に魔石の運び出し、食料の調達を手分けしながら行っている、というのが連中の日常みたいだ。

 

 おいおい、ロゼッタにいた頃の俺より仕事してんじゃねえか。山賊のくせに生意気な……

 

「ねえ。終わった?」

「いや。もうちょっと待って」

「凝り性ねえ。もう日が暮れるわよ」

「いや。もうちょっと待って」

「さっきからそれしか言ってないわよ」

「いや。もうちょっと待って」

「……」

 

 後ろから軽く舌打ちの音が聞こえたような気がしたが、たぶん気のせいだろう。その程度の揺さぶりに動揺する俺ではない。

 

 ドロシーは途中から索敵作業に飽きたようで、ゴーレム君の操作に夢中になっている俺をよそに、お袋さんが用意してくれたピロシキをムシャムシャ頬張ったり、読書に勤しんだり、あくびをするなどしていた。

 

 それにも飽きると、使い魔の黒猫を出して、「うりうり~」と鼻をいじったり、「ニャ~♪」と声を出すなど、やりたい放題のご様子。

 ったく、参りますなァ。うちの姫様の奔放っぷりには……

 

「おっしゃ。撤収するぞ。山小屋まで引き返そう」

「ニャ?」

「ニャじゃねえよ、ニャじゃ……」

「ねえ。ニケは猫派、犬派どっちなの?」

「昔は猫派だったが、今は完全犬派だな」

「犬? なんか意外……てか、途中で宗旨替えした理由は何なのよ」

「色々あって一周して戻ってきた結果、素直が一番という境地に達した。わが身世にふるながめせしまに、そう感じるようになってしまったのさ」

「どういう意味?」

「俺自身が奇々怪々な代物になってしまった分、余計にそう感じるということだ」

「……なんか哀しいね……」

 

 ドロシーが両目を細めて虚な表情を浮かべる。

 猫がにゃあんと可愛らしく鳴いて、ドロシーのほっぺたをなめていた。

 

 いいよなお前は、いつだって自由で。

 

 

    *

 

 

 山の中腹に位置する山小屋は、その昔採掘が盛んだった頃に、坑夫たちの休憩場所として設けられたものらしい。

 

 閉山と共に廃屋と化していたのだが、親父さんたち村の有志が、俺たち発掘隊のために突貫工事で手直しをしてくれたため、内部は想像以上に快適だった。外の寒さがほとんど気にならない。

 おまけに寝具や椅子も新調されていて、暖炉用の薪や、水や食料もキッチリ備蓄しているのが素晴らしい。あの個性的な家族に囲まれて、絶えず板挟みになりながら年を重ねてきた匠の気遣いが、随所に感じられた。親父さんの苦労がしのばれる。

 

 天窓を見上げると、夜空に青白い満月が浮かんでいるのが見えた。

 暖炉に火を付けていると、外で結界を張る作業をしていたドロシーが戻ってきた。戻ってくるや、炎魔法を使って、早速紅茶をいれてくれた。

 

 ありがてえ、ありがてえ……

 

 温かい紅茶を口に運ぶと、かじかんだ身体がじんわりと弛緩していく。

 ロッキングチェアーに身を預けてまぶたを閉じると、本日の疲れが解き放たれて宙に浮かび上がり、魂が星へと帰っていくような心地がした。

 

 ニケ。お前、消えるのか……?

 

「それで。明日はどうするつもりなの?」

 

 帽子を外し、ベッドの上に腰掛けたドロシーが髪を櫛で梳かしながらそう言った。

 

「仕事が終わったのに、まーた仕事の話か……君も好きだねえ」

「いや、そういうんじゃなくて……あそこまで熱心に調べてたんだから、何か策があるのかと思って。なんて言うかさ、あなたって結構慎重なのね。実力行使でちゃっちゃと終わらせればいいのに」

 

 つまり、小細工など弄さず、正面からカチコミ掛ければええやんってことか……

 それは圧倒的強者だからこそ許される戦術なんだよなあ。俺には無理なんだよなあ。でもドロシーやトルフィンの前では圧倒的強者で通ってるから、余計に話がややこしくなってるんだよなあ。

 

「獅子は兎を狩るにも全力を尽くすと言う……油断は大敵。闇雲に踏み込むなんて愚の骨頂だ。慎重に行くべきと俺は考える」

 

 しゃあしゃあとそんな風に言ってみせると、ドロシーは「ほーん」と言った。

 まるでハナクソでもほじりそうな勢いの「ほーん」であった。

 

「……できることなら」

 

 俺は言った。

 

「皆殺しというやり方は取りたくないんだ。強硬的な手段に出て、藪蛇になれば最悪だしな」

「藪蛇? どういうこと?」

「これは俺の勘だが、あいつらはたぶん、あいつら自身の意志であそこに居座ってる訳じゃない。背後で糸を引いてる連中がいる」

「え? それって……黒幕がいるってこと?」

「ああ。この厳寒期に、好き好んで鉱山を占拠するなんて、まともに考えたら不自然だと思わないか? それも、あの騎士王に目を付けられてる鉱山に……連中がよっぽどの馬鹿じゃなければ、誰かに指図されてると考えるのが自然だ」

「まあ……一理あるかな」

「だろ? だからこそ、ここは慎重に行くべきだと俺は思うぜ。後ろに何が控えてるかわからん以上、なおさら石橋を叩くべきだ」

「まさか、連中を生かしたまま捕まえて、真相でも吐かせるつもり?」

「それは向こうの出方次第だな」

「物好きねえ……所詮仕事なんだから、そこまでやる義理は無いと思うけど。まあ、好きにしたら」

 

 ドロシーは紅茶の残りを飲み干すと、指先で宙をなぞるような動作をして、言の葉を結んだ。

 

「清廉なる水よ。霧となりて、我を包み隠したもう」

 

 すると、ドロシーのベッドの周囲が霧で覆われる。俺からは一切、彼女の姿が見えなくなった。

 

「この程度の初級魔術で詠唱とは、珍しいね。お得意のウイッチクラフトはどうした?」

「……アレ、あんま好きじゃないのよ」

「好きじゃない? どういうこと?」

「魔術として、不自然な感じがするから」

 

 ドロシーは努めて冷淡な声音で、そう言った。

 

「じゃあ、私はもう寝るね。一応言っとくけど……近づいたら、命はないと思いなさい」

 

 生々しい衣擦れの音がする。どうやら寝間着に着替えてるらしい。

「今夜は寒いから、一緒に寝ていい?」的な展開を期待していた俺としては、何とも非情な宣告である。

 

 もうちょっとこう、異性とのエッチ・スケッチ・ワンタッチなイベントの一つや二つ、僕に恵んでくれてもいいんじゃないですかね神様。

 現実とは、かくも冷たきものなり……

 

「まだ寝るには早いだろ。せっかくの機会だし、俺の話を聞いてくれないか」

「壁にでも話してれば?」

「つれないこと言うなよ……そうだな、たまには昔の話でもしようか。俺の初恋は師匠だった。初めて会ったのは十二歳の秋で……忘れもしない。紅葉が綺麗な季節だった。母親の旧友で、はるばる南洋からやって来た所を――」

「…………。あなたの師匠って、女性だったの?」

「当然だ。俺が野郎に教えを請う訳がない」

「……ロイドさんには教えてもらってたじゃない」

「アレは例外中の例外だよ……社交的な理由と言いますか。そもそも教わってたのは魔術じゃなくて武術だし」

「ふーん……しかし、初恋の人が先生ってねぇ……」

「興味あるのか?」

「ないわよ。ないけど、その……年の差とかさ。あるじゃん」

「年齢なんて関係ないだろ。恋はいつだってnon stop dancing……第一それを言うなら、師匠は人間じゃなくてエルフだから、俺と会ったとき、すでに126歳だったぞ」

「確かにそこまで離れてると、どうでもよくなるか……それで? お付き合いを前提に、弟子入りさせてくださいとか言ったの?」

「すごいなお前。何でわかったんだ」

「嘘でしょ。冗談で言ったのに……」

「ドロシーは、師匠とかいないのか?」

 

 外の風で、二重窓がカタカタと揺れる。暖炉の薪がぱちぱちと音を立てて爆ぜた。

 沈黙のあと、ドロシーが言った。

 

「いると思う……ケド」

 

 ケドって……ん? どういうこと?

 あーわかった。もう一人の自分が、脳内で「お前の本気はそんなものなのか? ニケ」とか話しかけてくる感じのヤツだろ? またの名をイマジナリーマスターと言いましてね……

 俺も昔よくやってたわ。「やれやれ。お前はいつだって簡単そうに言いやがる」とか呟いたり、「うるさい。お前は俺の何なんだよ!」とか、たまに反発したりしてね……いやー懐かしい。

 

「私の話はいいでしょ。あーもう、与太話はここまでで十分だから……今日はもう寝るからね。おやすみ」

 

 アホなことを考えてるうちに、ドロシーに会話を打ち切られる。

 

 しかしコイツ、あんまし自分のこと話さないな……

 隠してると言うよりは、言い憚っているような印象を受けるのが気にかかる。

 

 まあ俺も自己開示に関しては、人のこと言えた義理じゃないけどな。自慢じゃないが、エルでさえちゃんと打ち解けるまで一年掛かったから。

 さすがに掛かりすぎだって? やれやれ、これだから陽の者は……だからお前らは嫌いなんだよ。一体いつから、お前の常識が世界の常識だと錯覚していた?

 

 天窓から星明かりが射し込む。

 暖炉で揺らめく炎をじっと見つめていると、いつの間にやらまどろんで、俺の意識もまた闇の中へと落ちていった。



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47 紅の狂宴

 翌日明朝、俺たちは再びイカルガ鉱山の採掘場を訪れていた。

 決行にあたって朝の時間帯を選んだのは、山賊の生活習慣上、夜襲より朝駆けの方がより効果的だと判断したからだ。

 

 辺りは薄暗く、吐く息は白い。

 朝焼けで空がほんのりと紅く染まり始めた頃――南洋風に言うなら、彼は誰時に俺は鉱山を見下ろせる見晴らしのいいポイントで、再び大自然に土下座――じゃなかった。千里眼を発動していた。

 

「ふむ……全く人気がないな」

「そりゃこんな時間だもの」

「にしても、見張りすら置かないとはね。麓に妙な連中がいると知りながら、ずいぶんと舐められたものだ」

「遠足に来たと思われてるのよ。きっと」

 

 ドロシーは「ふあああ……」と興味なさそうにあくびしていた。それからワンドをかざすと、昨日と同じように使い魔のフクロウが現れて、索敵を開始した。

 が――フクロウは洞窟の入口に近寄るや、すぐに引き返してこちらに戻ってきた。

 

「ん? どうしたの」

 

 フクロウはドロシーの肩に降りると、ふるふると小刻みに身体を震わせていた。

 

「この子があからさまに怯えるなんて、珍しいわね……」

「なんて言ってるんだ? 『腹が痛くて帰って来たホー』、『ちょっとウンコしてくるから待っててホー』か?」

「んな訳ないでしょ……身の危険を感じたのよ。たとえば」

 

 ドロシーが言った。

 

「血の匂い、とかね」

 

 三秒ほどの沈黙が流れる。

 

 ゴーレム君を起動させるのも一つの手だが、アレは無機物であるが故に地味に魔力食うんだよな。今後戦闘が見込まれる状況では、極力使用を避けたい。

 ならば……

 

「突入しよう」

「お。やっとその気になった?」

「竜巣に踏み込まずんば、竜涎香を得ずってな。個人的には、君子危うきに近寄らず派なんだが、仕事となると話は別だ」

「ふーん……私は逆だけどね」

「まだ若いのに、役人みたいなこと言うなよ」

「合理的に生きてるだけよ」

 

 周囲を警戒しつつ、道沿いに下山を開始する。十五分ほどかけて、ようやくお目当ての入口に辿り着いた。

 例の山賊どもが、ねぐらとして使用しているポイントだ。

 

「相変わらず、人の気配が全くないわね……不気味なくらい。まだ寝てるのかしら?」

「ふむ。ガイラルがここにいればなあ」

「誰それ?」

「竜退治の時に世話になった白魔術士で……あいつレベルの索敵結界が使えたら、敵にも気付かれず、中の様子もバッチリ探れるんだろうけど」

「ま、私らじゃ無理よね。二人とも、黒が専門だし」

「俺の専門は黒というより、灰色なんだけどな……アイアムデバフマン」

「へえ……すごくしっくり来たわ。確かにあなた、人の足を引っ張るの好きそうな顔してるものね」

「君も人をおちょくるの好きそうな顔してるよ。お互い、バフよりデバフ向きだね」

 

 ドロシーは「ふふふ……」と笑い、洞窟へと入っていく。

 なにわろてんねんと思いつつ、俺も彼女の後に続いた。

 

 洞窟の中は冷気の塊に手を突っ込んだかのような、外とは違った質の寒さが滞留していた。陰気くさくて、得体が知れず、気味が悪い。まるで俺みたいだ。

 足音が残響し、ぽちゃりぽちゃりと、どこからともなく水滴が垂れる音が聞こえた。

 

 一定間隔で置かれている篝火を一つ、二つ、三つと通過して、やがて階段の終点へと辿り着くと、不意にドロシーが足を止めた。

 何事かと問うより早く、俺もまたすぐに異変を察した。

 

「…………死体、か。どう見ても事切れてんな」

 

 ドロシーはうなずく。そして死体の方へ近づいていった。

 

 面倒事には人一倍敏感な俺は、この時点でもう帰りたい気持ち満々になっていた。

 嫌な予感がする。俺の中の天使と悪魔がガッチリ握手をして、「君子危うきに近寄らず」条約における「仕事となると話は別」条項の削除に合意し、互いに満面の笑みを浮かべている。

 

 しかし、怖い物知らずでスタスタ歩いて行くドロシーを見捨てる訳にもいかない。

 なんという強メンタル……ため息を一つ、すぐに彼女を追った。

 

 ハンガーにつるされた鉄鍋。ほのかに残る熾火の近くに、山賊の亡骸が一つ。

 少し離れた所に、もう一つ。

 

 片方は腹部を抉られ腸が飛び出しており、もう片方は首から上がなかった。紅い液体が地面を染めている。

 いずれも武器を手に持ち、応戦しようとした形跡が見られた。

 

「おいおい。宴席での喧嘩ってレベルじゃねえぞ……」

「血の乾き具合からするに、死んでから二・三時間は経ってるかな」

「だが……変だな。人間がやったにしては」

「やっぱりあなたも思った? 人殺しにしては、殺し方が残虐過ぎるのよ。ここまでやる必要あるっていう……衝動的な殺意が原因なら、なおさらね」

「だよな。怪物の類いに襲われたと考えるのが妥当か」

「ええ。この爪痕……人間に近い体躯ね。中型で、残虐な殺し方を好む魔物といえば、吸血鬼が思い浮かぶけれど……こんな人里離れたところに、吸血鬼が現れる訳ないし」

 

 ブツブツ言いながら、死体の周囲を探索してるドロシーを見て、俺は眉根を寄せた。

 

 地面には血を引きずったような跡が残っている。

 薄暗くてはっきりとは見えないが、昨日のゴーレム君情報だと、奥は確か大空洞に続いていたはず……

 

 俺の視線を察したのか、ドロシーがすっと立ち上がる。

 

「行きましょう、ニケ」

「ええ? 行くの?」

「当たり前でしょ。あなた何しに来たのよ」

 

 ドロシーは簡易魔法で淡い光の球を作り、スタスタと洞窟の奥へと向かっていく。

 んもう、ホント怖いモノしらずなんだから……

 

 細い通路を伝い、再び開けた場所に出た。

 予想通り、そこには大空洞が広がっていた。天井は高く、石筍が林立しており、地下水のせせらぎが聞こえる。魔力を帯びた水晶が、妖しい輝きを放ち、この場に不気味な神秘性をもたらしていた。

 

 そして案の定、そこかしこに死体が転がっていた。

 

 1、2、3……

 

 ざっと15かそこらか。

 中には、見覚えのある奴もいた。死体の数の多さから、おそらくここが主戦場だったのだろう。割れた酒瓶や、飛び散った血痕が生々しい。

 

 怪物は入口から襲って来て、山賊達はここに追い込まれて……大方そんなストーリーかね。先ほどの入口で見つけた二つの死体は、第一犠牲者といったとこだろうか。

 

「むごいな……全滅か」

「ニケ。ちょっとこっち来て」

 

 ドロシーに呼ばれて、しゃがんでいる彼女の頭越しに死体を覗く。

 光の球が、仰向けに寝転んでいる死体の肩口を照らし出した。

 

「この傷跡。さっきのと違うと思わない?」

「さっきのって……前のフロアで見た、二つの死体のことか?」

「うん。よく見て」

 

 そう言って彼女が指差した箇所は、肩口から袈裟懸けに一筋、真っ直ぐに皮膚が抉られていた。

 

「剣による切り傷……と見て間違いなさそうだな」

「おかしいと思わない?」

「何が?」

「怪物が剣なんて使うワケないじゃない。入口の二人とは、死因が異なるってことよ」

 

 俺はハッとして、瞬きを止めた。

 

「つまり……そいつは人間に殺された?」

「ええ」

「おいおいちょっと待てよ。コイツらは、怪物に襲われたんだろ? なのにどうして、人間同士で争ってんだ?」

「そんなの私が訊き――」

 

 ドロシーが何か言いかけた所、不意に地面が揺れる。

 初めはただの気のせいかと思った。だが違う。一秒、二秒と時間が経過するにつれ、それは確信に変わった。

 

 震動と共に、地鳴りのような何かが、こちらへと着実に近づいてきている――

 

「おいでなす――」

 

 剣の柄を握ると同時、背後でヒヤリと冷たい感触が走る。アクアブルーの光芒。

 気付いた時には、鋭い氷柱が、音のした方へ雨あられと降り注いでいた。

 

 ドロシーの氷魔法だ。ノーモーションからの無詠唱。つまり、ウイッチクラフト。

 こいつホント、容赦ねえな……

 

「せめて、俺が喋り終えるまで待ってくれない? あと二、三文字だったのに」

「ん? 何か言った?」

「いえ別に……」

「心配しなくても、咄嗟の魔法でくたばるような相手じゃないわよ」

「……みたいですね」

 

 ほくそ笑んでるドロシーさんから目を離すと同時、「グオオオオオオオ!!!!」と鼓膜が破れるような唸り声が、洞内にこだました。

 ゆうに人間の倍はある毛深い体躯に、二つの耳、つり上がった眦、鋭い牙……何より特筆すべきは、それが二足歩行であるということだろう。

 

 俺は唇を噛み、舌打ち混じりに言った。

 

「人狼――か」

 

 

    *

 

 

「残念。吸血鬼じゃなかったな」

「ホッとした?」

「まさか。滅茶苦茶最悪が、滅茶最悪になったくらいの違いしかない」

「それよりアレ……狼が先か、人間が先か。どっちだと思う?」

「滅多なこと聞くんじゃねえよ。前者であることを切に願う」

 

 距離にしておよそ三十メルト。人狼が雄叫びを上げてこちらに突進してくる。

 

 俺は素早く腰元の剣を引き抜き、刀身に手をかざす。

 丹田に力を込めると、左手から溢れ出す闘気が剣へと伝播し、刀身が淡く光を帯びる。

 

「我が剣の錆となれ――」

 

 格好付けてるだけで威力や発動には全く影響がない、要するに特段意味はない掛け声と共に、腰を落として、逆手に掴んだ剣を左下から右上へ斬り上げる。

 刹那、その軌跡をなぞるように衝撃波が生まれ、人狼へと飛来する。

 

 突然のことに、人狼が足を止める。

 奴は力尽くで俺の衝撃波を打ち消そうとしたが、異変を察したのか、土壇場で半身を転じた。

 ギリギリのところで躱すと、後方の岩石が派手な音を立てて崩れる。わずかに掠った左腕からは、一筋の切り傷。だらりと血が流れていた。

 

「グオオオオ……!!」

 

 人狼が歯をきしり、両目を剥いて、激しく俺を睨みつける。

 

 クククク……運の良いヤツめ。すんでの所で気付いたか。

 

 飛ばした斬撃――その刃は、俺の氣を高度に研ぎ澄まして練り込んだ必殺の一閃。

 黒鉄(クロガネ)をも傷つけるその一撃は、生身の身体で受け止められるような代物ではない。その道理がわからぬ阿呆は、気付いた時には身体が真っ二つになっているというカラクリよ。

 

 ジジイとの修行の末に編み出した、とっておきのワザなのさ……

 

 魔力ではなく氣を出力に、遠距離から攻撃できる手段が欲しいという俺のリクエストに応え、ここ二週間徹底的に俺を痛めつけてくれたジジイには恨み――じゃなかった。感謝しかない。

 おかげでエルから貰ったこのプラチナソードも、ようやく日の目を見ることができたという訳だ。

 

 まあ、とっておきを初撃から使ってる時点で、とっておきじゃないだろって話だけどな。細かいことは気にするな……新しいモノはすぐに試したくなる性分なんでな。クククク……

 

 不意に、視界から人狼の姿が消える。

 消えた? いや――

 

「ニケ! うしろ!!」

「――」

 

 ドロシーの声とほぼ同時、振り返った瞬間、それは来た。

 

 鋭い爪が俺の喉元を抉るよりわずかに早く、差し出した剣が一撃を弾く。弾くと同時、互いにノックバックして、互いに隙が生じる。

 

拒絶せよ(ヴァイガーン)

 

 ドロシーが即座に風魔法を発動し、人狼の身体が吹き飛ぶ。2メルトを超える巨体が、磔刑されたが如く、洞窟の壁面へ叩き付けられた。

 

 砂塵が微かに舞う中、ドロシーは帽子のつばに手を当て、俺の背中に手をやる。

 

「大丈夫?」

「すまん……助かった」

 

 両手には痺れがまだ残っている。

 一人なら、次の一撃で確実にやられてたな……今頃壁面に叩き付けられていたのは、俺の方だったに違いない。

 

「しかしあの巨体であのスピード……どういうことだ?」

「さあ。昨晩は満月だったからね。血の気が旺盛なんじゃない?」

 

 ドロシーが鼻で笑った。

 いや、別にそんなスタイリッシュで気の利いた冗談は求めてないんだが……

 

「それより、こういう閉鎖された空間だと、ド派手な上級魔法は使えないわ。かといってあのタフさだと、下級や中級魔法では、チマチマやるのは骨が折れる」

「一点強化で射殺すほかないな。つまり一撃必殺。お得意の氷なら、そんなの朝飯前だろ?」

「簡単に言うわね。懐に飛び込まないと厳しいし、アジリティに秀でた相手だと、リスク高いんだけど」

「なら俺がヤツの足を止める。お前はそれまで応戦して、動きが止まった瞬間、ヤツの脳天を貫け」

「信用できないって言ったらどうする?」

「信用してくれって、土下座してる間に俺が殺されるだけだ」

「なら信じる」

 

 するとドロシーはマントを脱ぎ捨て、ワンドを手放し、右手に魔剣を具現化させる。

 トントンと、準備運動でもするかのようにその場で二、三回軽くジャンプすると、次の瞬間、スタン状態から立ち直った人狼へと肉迫する。

 

 バフによるストレングス及びアジリティの一時的強化――

 ったく、度胸のあるお嬢ちゃんだぜ……まあ俺が命令したんだが。

 

 ドロシーが魔剣を振りかざし、人狼と一合、二合と撃ち合った頃合いを見て、俺は詠唱に入った。

 

「汝が影に問う。その闇はいづかたより来たりて、いづかたへか去る。常闇に潜むその姿は、汝のもう一つの姿――」

 

 洞窟ゆえ、光が少なく、敵影が捉えづらい。照準が目まぐるしく動いては、ブレ続ける。先を読め。目標をセンターに入れてスイッチ。奴の動きを予測して、ここぞというタイミングで――

 

「捉えた――影踏み(シャドウ・タグ)

 

 瞬間、俺のデバフが発動して、人狼の影を突き破るようにして現れた黒い奔流が、背後から巻き付くようにして、植物の蔓の如く、奴の両手両脚を拘束する。

 

「くたばれバケモノ――」

 

 ドロシーが左腕を引いて出力を上げると同時、蒼い魔力の残滓が瞬く。左手を覆うようにして現れた氷の刃が加速し、その鋭き切っ先が、人狼の眉間を射貫こうとした――

 

 その時だった。

 

「!」

 

 ドロシーが前のめりにバランスを崩す。沼地に足を取られたが如く、倒れ込む彼女を見て、俺は思わず瞬きを止めた。瞳に映った光景を疑った。

 彼女を妨げたのは――

 

 山賊の、死体……?

 

 あろうことか、近辺に転がっていた山賊の亡骸がドロシーの足首を掴み、一体、二体と立ち上がって、群がるように彼女に覆い被さろうとする。

 

「ちょ、やめ……離しなさいよこの!」

 

 ハッとして向けた視線の先、人狼の瞳が真紅に妖しく光っていた。既視感(デジャビュ)

 あれは確か、竜退治の時の――

 

「ニケ! 何とかして!」

 

 それまで人狼を絡め取っていた、デバフの拘束が破られる。迷う暇もなく、俺は剣を振り払った。

 次の瞬間、人狼の右腕が――殺意に満ちた爪撃が、ドロシーへと振り下ろされる。

 

「つっ――!」

 

 咄嗟に放った斬撃の波が、人狼の右腕、肘から先を切断する。時間差で送った二撃目は――外した。

 奴の首筋を狙った一撃は、すんでの所で躱される。行き場を失った斬撃が、洞窟の壁面にぶつかり反響して、土砂に崩れる音が伝った。

 

 それをかき消すかのように、痛みを押し殺し、憎悪に満ちた人狼の叫び声が、洞窟内に響き渡る。

 

 アンデッドの群れを振りほどいて、何とか立ち上がろうとするドロシーの下に、人狼が迫り来る。

 斬撃? いや魔法――ダメだ。もう間に合わない。

 

「ドロシー!!」

 

 まるで時間が止まったかのような錯覚に陥った。

 どうすることもできず、映像がゆっくりと流れていくのを、唯々眺めているかのような……

 

「……え?」

 

 我知らず、息が止まった。

 

 振り下ろされたはずの人狼の左腕は、ドロシーに届こうとする寸前で、停止していた。

 一瞬、本当に時間が止まったのかと思った。でも違う。何度目を凝らしても、人狼の左腕は、中空で不自然に止まり、微動だにしなかった。

 

 デバフ……か?

 

 おそらくは干渉の類い。力場を巧みにコントロールすれば、できない芸当ではないが……そう言えばドロシーは、御前試合でゴライアスに似たようなことをやっていたはずだ。

 

 ふと、人狼の様子がおかしいことに気付く。

 奴は俄に全身を小刻みに震わせ、怯えたように恐怖したように、口から泡を吹き、両膝を地面に突いた。

 

「アアアアア……アアア……!」

 

 その発狂を合図に、ドロシーにまとわりついていた山賊の亡骸どもが、ピタリと動きを停止する。

 糸を断ち切られた操り人形のように崩れ落ち、アンデッドから物言わぬ死体へと戻っていた。

 

 どういうことだ? 何が何やら……

 

 混乱する俺をよそに、ドロシーがすっとその場から立ち上がる。

 やおら立ち上がった彼女は、それまでと雰囲気が違っているように映った。魔力の波長が揺らいで、妙なオーラを纏っているようにも感じる。

 

 愛用のハットがふわりと、地面を滑るようにして落ちた。

 

「……ドロシー?」

 

 ゆらりゆらりと、彼女は人狼へと近づく。そして、右腕をすっと前に伸ばし、次の瞬間、掌をグッと握りしめた。

 

 すると、人狼が激しく身もだえする。断末魔の呻き声を上げ、やがて、その半身が地面へと沈み込む。

 遠目に奴が事切れたことを確認すると、俺はすぐさまドロシーの元へと駆け寄った。

 

「おい、ドロシー。どうしたんだ? お前、さっきからなんか――」

 

 声に応じて、ドロシーがゆっくり振り返る。頬には返り血が付いていた。俺は両目を見開いたまま、呼吸を止めた。

 

 彼女の瞳は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 明らかに、まともな人間のそれではなかった。



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48 選択の時

「――そうか。何はともあれ、無事でよかったよ。人狼を仕留めてくれたことは、村を代表して感謝する。お疲れ様だったね」

「……はい」

 

 囲炉裏の炭火が、音も無く紅く灯っている。

 向かいに座る親父さんの目を見ながら、俺は言った。

 

「申し訳ありません。まさか、一晩の間にあんなことになっているとは思わず……」

「人狼……人狼なァ」

 

 ジジイの呟きに、親父さんが反応した。

 

「どうした、親父?」

「いや。ワシも七十年近く生きてきたが、イカルガの周辺で人狼が出ただなんて話は、一度も聞いたことがなくてな。なぜ、唐突に……」

「そのことなんですが……。あれはたぶん、人間が変異したものだと思います」

 

 俺の一言に、この場に居合わせた三人の目が一斉にこちらを向く。真っ先に反応したのはトルフィンだ。

 

「おいおい、何言い出すかと思えばニケ……人間がバケモノに変化するなんて、そんなのお伽噺の世界だろ。満月の夜、呪いによって人間が人狼へと変貌するってのは、確かに有名な迷信だけどさア……人狼はあくまで狼の変異体だ。恐れ多くも人間様に、怪物に生まれ変わる力なんてねえさ」

「確かに。トルフィンの言うとおりではあるが……」

 

 親父さんは口元に手を当て、ジジイの方を見る。意を合わせたかのように、ジジイが口を開いた。

 

「ニケ。なぜそう考えた?」

「一つ目は、山賊の死体です。死体の一つに、明らかに刀傷と思われる損傷があった。人間同士の争いが起きた証拠です。変異体が変異に苦しみ、暴れるのを抑えようとした時に、受けた傷だと考えれば……。

 そして、もう一つは、死体の数です。昨日探った情報だと、山賊は全員で16人いた。ところが、昨日見つけた死体の数は15……足らないんですよ。ちょうど一つ。逃げ延びた奴がいるのか、あるいは……」

 

 ジジイは俺の説明にうなずきもせず、ずっと渋い表情を浮かべていた。

 逡巡を断ち切るように深く息を吐き出すと、やがて彼が言った。

 

「なるほどな。だが、仮にお前の言うことが正しいのなら……」

 

 面を上げ、ジジイが俺の目を見る。

 

「イリヤ教団の教理に反する。魔族のルーツは、人間であるという思想に結びついてしまう……わかるよな? それが、アヴァロニアでどれだけ危険な主張であるか」

 

 どこからともなく隙間風の音が聞こえた。囲炉裏の土瓶がぐつぐつと煮え、炭火が爆ぜる。

 平素はお喋り好きなトルフィンが、いつになく真剣な面持ちを浮かべて言葉一つ発さない事実が、この沈黙の重さを雄弁に物語っていた。

 

 わかってるよジジイ。言われんでも、そんなことはわかっとる。

 

 魔族を絶対悪とみなす教団の教理からすれば、人間と魔族が生物として結びついているなど、言語道断の危険思想だ。

 仮に公の場で堂々とそんなことを主張したら最後、異端審問官――一般には暗部と呼ばれている連中に目を付けられ、一週間後には、耳鼻を削がれ、爪も剥がされた死体が、ヴェルダン河辺りに浮かび上がっているのがオチだ。

 

「なあニケ。ふと思ったんだが……」

 

 ぽつりと、親父さんが口を開いた。

 

「君の主張は、魔力泉の暴走とは関係ないのか? イカルガ鉱山は、かつて大規模な魔力泉の暴走が起きた場所だ……君の主張と、決して無関係ではないような気がしてね」

「そうとも言えるし、そうでもないとも言えます」

「どっちなんじゃ」

 

 ジジイの一声に、俺は努めて中立的な笑みを浮かべた。

 

「濃度の高い魔力は人体に有害で、場合によっては死に至るケースもある。現にイカルガ鉱山の奥深くでは、そのような瘴域が残っている可能性は高い。けれど、その事実だけをもって、人間が怪物に変異するとは考えがたい。

 濃度の高い魔力に曝されることは、人間が怪物に変異する条件の一つかもしれないが、他に何らかの決定的なトリガーがあるはず――というのが俺の見解です」

「トリガー? 満月の光でも浴びるのか? 狼男だけに」

 

 そう言うと、トルフィンは「ガハハ! ガハ……」と笑った。

 いつもの「ガハハ!」とは違い、残尿感のような「ガハ……」があった分、この男もこの男なりに空気を読んだのだろうが、あながち間違いとも言い切れないのが何とも……。

 

 魔術の界隈だと、月光が神秘的な力を秘めているというのは通説だし。大規模な魔術を決行するにあたって、魔術士がわざわざ満月の深夜午前二時を選ぶのは、一応それなりの理由があるのだ。

 まあ個人的には、あんなの願掛け程度にしか思ってないんだが……

 

「わかった。この件に関しては、四人の胸の内に留めておこう」

「いいのか親父? 騎士王には……」

「確証もない今の段階では、余計に話を広げない方がいい。どこで何が繋がっているかわからん以上、沈黙を貫くべきだ。身の危険を防ぐ意味でもな」

 

 俺と親父さんが同時にうなずく。

 トルフィンは「余計なこと聞いちまったな……まあ酒飲めば忘れるか! ガハハ!」と言っていた。

 おっさん……

 

「して、ニケ……ドロシーの容態はどうなんじゃ」

 

 ジジイの言葉に、俺は顔を上げる。

 実を言うと、ドロシーはあの後すぐに気を失ってしまったのだ。

 

 呼吸こそあるが、呼びかけても返事はなく、永久に目を覚まさない眠り姫のように、彼女は意識を失っていた。頬をペチペチしても、脇腹をくすぐっても、反応はなかった。

 キッスをすれば目覚めるかなとも思ったが、さすがにやめておいた。俺は王子様ではない。

 

 やむなく、彼女を背負って村まで引き返し、今に至るのだが……

 

「人狼との戦闘で、力を使いすぎたんでしょう。目立った外傷はないから、そのうち意識を取り戻すと思います」

「……そうか。ならいいのだが」

 

 囲炉裏の炎が揺らめいて、影が揺れる。

 

 ジジイの眼差しに何か探るような意図を感じたが、俺はあえて気付かないフリをした。当然、戦闘中に起きた彼女の異変については、何も語らなかった。

 いや、言えるはずがない。

 

 だってあれは、どう見ても魔族だけが持ちうる瞳の輝き……

 

 魔眼にほかならなかったから。

 

    *

 

 魔族の中でも高位に位置するものは、瞳に秘められた特別な力で、他の生物を意のままに操ることが可能だという。心の支配。強制的な隷属。

 

 それが魔眼だ。

 

 直接見たことがない人間からすれば、何とも滑稽な話だが、現に二次東征――

 古くは一次東征の書物を紐解けば、高位の魔族が持つ魔眼の力によって、味方同士が傷つけあったり、指揮官が突如乱心したりと、人類側が大いに苦戦させられた記録が残っている。

 こんなん勝てる訳ないやんけと、俺も子供心によくハナクソをほじったものだが、師匠に聞いた話によると、付け入る隙はあるという。

 

 まず、これほどの魔法である以上、術者にも相当な負荷がかかることは間違いない。ゆえに、効果は一時的かつ限定的であることが多い。

 

 次に、というかこれが一番重要なのだが――同じ人間でもかかりやすい状況と、かかりにくい状況が存在する。

 ある種の催眠術のようなものなのだろう。強烈な憎悪や恐怖心に苛まれると、即座に魔眼の虜となってしまう一方で、折れない精神や挫けぬ心は、魔眼に立ち向かう強力な楯となる。

 

 要は「強く正しい心」があれば、魔眼など恐るるに足らない、と師匠は言った。

 現にシリウスやローランのような聖剣に選ばれし気高き精神の持ち主は、魔眼の邪気を退けて、幾度となく勝利を収めたそうな。また、魔石の加護により、邪気を弱めることは可能だとも師匠は言っていた。

 

 とまあ、つらつらと魔眼について述べたが、俺が語りたいのは魔眼の必勝法・攻略法などではない。

 ドロシーのことだ。

 

 どうして人間であるはずの彼女が、魔族にのみ与えられし特別な力を宿しているのか。

 

 二晩考えてみたけれども、結局答えは出なかった。

 当然の話だ。俺はドロシーについて多くを知らない。知らなさすぎた。

 

 ドロシーは二年前、ロゼッタにやって来たと言っていた。

 ロゼッタに来るまでの間、彼女がどこで生まれ、何をしていたのか。どうしてロゼッタにやって来たのか。どのようにして、魔法の才覚に目覚めたのか。彼女の圧倒的な才覚は、魔眼の特殊性に起因しているのか……

 俺はあの子について何も知らない。知らない以上、答えなど出るはずもない。そもそも俺は……

 

 どうすべきなんだ?

 

 その気になれば、一国の王さえも意のままに操れる力だ。教団にでも嗅ぎつけられたら最後、ただでは済まないだろう。

 

 クロノアやトラヴィスはこのことを知っているのか? 

 いや、知らないのだろう。知っていたら、これほどの力を、連中がみすみす手放すとは思えない。使いようによっては、魔族に立ち向かう切り札にもなり得る力だ。だったらなおさら、己が目の届く範囲に置いておくはずだ。クラインの脱退など、認める訳がない。

 

 第一ドロシーは、あの力を制御できていないように思えた。もし街中で暴走でもすれば、ジョーカーは一転して死神にもなり得る。

 早い話が、その辺に野放しにしておいていいような力ではないのだ。教団、いや魔族にでも利用されることがあれば……

 

 何にせよ、考える事は多すぎた。

 そして考えれば考えるほどに、俺には到底手に負えない力であることがはっきりしてきた。

 

 手に負えない? 

 おいおい何を勘違いしてるんだニケ。お前とドロシーは元々他人同士だろ。仕事上、偶然巡り会ったパートナー。それ以上でも以下でもない。ならば当然、お前が取るべき選択肢は一つだ。

 

 何も知らない振りをして、さようなら。

 それだけだ。お前はいつだってそうしてきたじゃないか。

 

 一々言われなくとも、そんなことはわかっていた。厄介事は嫌いなんでね。俺はもう大人なのだ。良くも悪くも、周りが見えていなかったガキの頃とは違う。

 それが賢い大人の選択などと嘯きながら、そうやって自分さえも欺いて、いつしか欺いてたことすら忘れてしまった進化形――それが今の俺だ。らしくもない選択肢に頭を悩ますなど、俺らしくもない。

 

 なのに……

 

 だというのに、踏ん切りがつかないのは、心の底がわだかまっているのは、きっと……アイツがああ言ったせいだ。

 

 私、アルス・ノトリアを探してるのって。

 

 咄嗟のことで聞き流してしまった言葉の真意を、その理由を、知りたいと思ったから、たぶん俺は――

 

「いてっ!!」

 

 頭に鈍い衝撃が走って、ハッとして我に返る。

 振り向いた視線の先で、ミーチャとワーニャがけらけら腹を抱えて笑っていた。どうやらガキどもに雪玉をぶつけられたしい。

 

「お前ら……」

 

 ミーチャとワーニャは「悔しかったら、報復してみろー!」と叫んで、スタコラ逃げだしていった。

 先週、二人が「軟弱なネウストリア人風情が、俺たち北方人に雪合戦で勝つなど百年早い」と調子こいていたのに腹が立ったので、魔力を駆使した弾数無限・変幻自在の早撃ちサイキック・スノーボールで、フルボッコにしてやった腹いせなのだろう。

 

 やれやれ。これだからガキは嫌いなんだぜ。

 俺は世の中の厳しさについて、身をもってレクチャーしてやっただけだというのに……

 

 報復する気も起きなかったので、その場からやおら立ち上がり、家の方に向かう。

 

 雪道をざくざく進んでいくと、もくもく煙が立ち上っているのが見えた。ジジイとアリョーシャが焚火をしているようだ。ゴミでも燃やしてるのだろうか。

 アリョーシャが俺に気付いて、こちらに手を振った。

 

「お茶でも持ってくるよ」

 

 そう言って、アリョーシャがぱたぱたと勝手口に走って行った。

 さすが、末っ子は気が利く。ろくでもない姉貴やしょうもない兄貴の失敗を、この目で見届けてきた教訓が生きているのだろう。

 

 縁側に腰掛けていたジジイの隣に、よっこらしょういち……じゃなかった。失礼しますと言って腰掛ける。沈黙が流れた。

 

 男は信頼に足る人物が相手だと、おのずと黙ってしまうものですよと昔誰かが言っていたが、そいつはいささか綺麗に表現しすぎではないかと思った。

 俺はどうでもいい奴が相手の時でも黙るぞ。むしろ、誰とも口利かないまである。

 

「採掘、近いうちに始めるってトルフィンから聞いたぞ」

 

 ジジイが口を開いた。俺は肩を丸め、腿の上に頬杖をつきながら応じた。

 

「らしいっすね。政府にも報告して、許可が下りたら動き出すようです。発掘隊の数も、段階的に増やしていくって言ってましたよ。この村も賑やかになるんじゃないですか」

「……お前はカトブレスに帰るのか?」

「はい。ドロシーが目を覚ませば、直に……」

「そうか。寂しくなるな」

 

 本当にそう思ってるのかよと思ってしまう辺り、やはり俺はアレだ。アレといえばアレだよ。察しろよ馬鹿野郎。

 クソお世話になりましたと男らしく頭でも下げるべきかと思ったが、何かそんな雰囲気でもない。気付けば、自分でもよくわからんうちに口を開いていた。

 

「あの、ロイドさん……」

「ん?」

「以前……俺とドロシーのことを、師弟の関係だと勘違いされてましたよね。あれって、何か理由があったんですか」

 

 沈黙が流れる。

 ジジイは縁側に腰掛けたまま、背筋を伸ばし、じっと両腕を組んでいたが(相変わらず姿勢の良い男だ)、やがてうつむき加減に静かに息を吐き出した。

 

「妙な所を覚えてるんだなお前は……そう感じたからだよ」

Just feel it ってことですか?」

「何を言っとるんかよくわからんが、ワシにはそう映ったんだよ。お前とドロシーの間には、何年も前からずっと一緒にいたような気配を察したんじゃ。()、とでも言うのかな……何年何ヶ月と、同じ時間を分かち合った者同士の間でしか生まれない独特の空気が流れているように感じたんだ。それだけだよ」

 

 燃えかすの山から灰が立ち上り、こげついた匂いが鼻腔をつく。

 俺は小鼻をぽりぽりと掻いて、「ムウ」と唸った。

 

「そう言われても、俺とドロシーはこの仕事で初めて知り合った仲なんですけどね」

「ああ。だから、おかしなこともあるもんだと思うてな。ワシの勘も衰えたかのう……」

 

 そこで、アリョーシャが二人分のお茶を持ってきた。床の上に湯飲みをことりと置くと、彼はにこりと微笑み、「ごゆっくりと」と言い残して、お盆を携えて奥へと消えていった。よくできた書生のような振る舞いであった。

 さすが、末っ子は気が利く。柄の悪い姉貴や子供じみた兄貴に囲まれて育つと、色々と感じる所が多いのだろう。

 

 ついこないだまでの晴天が嘘のように、空はどんよりと薄暗く、灰色に染まっていた。冬が再び訪れて、このまま永遠に春が来ないんじゃないかと疑うような空色だった。

 

「ニケ。お前、これからどうするつもりなんじゃ」

 

 ぞぞぞと緑茶を啜っていると、唐突にそんなことを訊かれる。

 

「そもそもお前は、どうして旅を続けているんだ。一体何が目的で、故郷から遠く離れたこんな所にまでやって来たのか……お前と来たら、しょうもない冗談はペラペラしゃべるくせに、肝心な所は一向に手の内を明かそうとせん。たとえば、半端な実力を隠している所とかな」

 

 ハッとして、俺はジジイの横顔を見る。

 

「気付いていたんですか?」

「当然じゃ。あれだけ一緒に修行をすればな……ワシは魔術に疎いからようわからんが、何らかの理由でお前の能力が大幅に制限されているような印象は受けた。隠していても、それくらいわかるさ」

「……」

「なあニケ。何だかんだ、二、三週間同じ釜のメシを食うてきた仲じゃろ。いい加減、お前の口から、お前の話を聞かせてくれてもいいんじゃないかのう……」

 

 言葉とは裏腹に、無骨というか、ぶっきらぼうなその口調は、何ともジジイらしくて内心少し笑ってしまった。

 裏を返せば、それは偽りのない本心なのだろう。

 

「いいですけど……旅に出たのは、極めて個人的な理由ですよ」

「どんな大層な理由も、掘り下げれば全部極めて個人的な理由じゃろ。みんなのためにとかこれ見よがしにほざく(やから)に、ロクな連中がいた試しはない」

 

 確かに……後半の部分は全面的に同意ですわ。

 ワンフォアオール、オールフォアワンとか、イカれた洗脳以外の何物でもないと幼少時から思ってました。

 なるほどだから、俺もジジイも友達少ないんだな。納得。

 

「なくした魔力を取り戻したいんですよ。そのための方法を探してる」

 

 湯飲みを床の上に置くと、俺は両手を組み、続けた。

 曇天の空に浮かぶ、山の稜線をじっと見つめながら。

 

「自分で言うのも何ですけど、俺は子供のころ将来を嘱望された魔術士だったんです。王立ロゼッタ魔法学士院って、歴史ある魔術士の養成機関に、史上最年少で入って……実際、神童だの何だの騒がれた時期もあった。順調にいけば、君は将来魔王を倒す勇者の右腕になれるって、周りからそんな風に言われていて……それが、十五の時に、事故に遭ったんです」

「事故?」

「死んだ母親を蘇らそうとして、禁術に手を出したんですよ」

 

 隣にいる老人の顔付きがこわばるのを、肌で感じた。

 目で見ずとも、それくらいは伝わった。

 

「その結果、失敗して……俺は五年ほど、ずっと意識を失っていた。医者からは、このまま一生目を覚まさないかもしれない、と言われていたそうです。それが奇跡的に、二年前に回復して……まあそこまではよかったんです。問題は、意識を取り戻したあと、俺は魔力の大半を失っていたということです」

 

 その身に雪を纏った枝葉が、そよ風に吹かれて微かに揺れていた。

 努めて淡々と、俺は語り続ける。

 

「もはや出涸らし程度の魔力しか残されていない魔術士に、魔術士としての価値などありません。天才は凡人になった……まあ控えめに言って、絶望しましたね。それまで魔法しか生き甲斐のなかった人間が、その生き甲斐を失ったんだから当然です。

 しばらくは何も手につかず、生きてるんだか死んでるんだかよくわからない日々を過ごしていました。でも結局、あきらめきれなくて……」

 

 自然、組んだ拳に力が入った。よせよと思ったが、無理だった。

 それは怒りというより、怒りに耐えるための痛みだった。

 

「魔法とは違う、全く別の世界で生きていくという選択肢もあったんでしょうけど、できなかった。頭でそうしろと言っても、心が納得しないんです。どれだけ離れようとしても、結局ここへ帰ってきてしまう。ありもしない可能性にすがりついてしまう。だから……

 俺がやろうとしていることは、傍から見ると、ひどく諦めの悪い、馬鹿げた行為なのかもしれません。でも。それでも、俺は……」

 

 そこまで話すと、俺は大きくため息をついた。

 

 興ざめ以外の何物でもない、クソみたいな自分語り。心底気持ち悪い。

 

 ありがちな不幸、ありがちな絶望。同情が欲しいなら壁にでも話してろ? 

 そのとおりだ。ホールドアップ。どうか撃ち抜けるものならその銃で、俺の頭をぶっ放してくれ。

 

 しかし、それでも伝えたかった。わかってほしかった。

 「ありがち」だなんて言葉で括られてたまるかよという想いを伝えるのが、これほど難しいということだけは、理解してほしかった。

 

「馬鹿げてなんかいないよ。お前は間違っていない」

 

 不意に、ジジイが言った。

 

「どれほど月日が流れても、どれだけ理屈をこねても、それでもあきらめきれなかったんだろ? 成し遂げたいと思ったんだろ? ……だったらそれは、紛れもなくお前自身の本心だ。お前の選択が正しかったかどうかはわからんが、少なくとも間違ってはおらん。俺はそう思うがな」

 

 俺はジジイの横顔をじっと見て、やがて湯飲みの底に視線を落とした。

 

「なんすかその予防線張ったみたいな言い回しは……俺みたいな答え方しないでくださいよ。おじいさん、俺に似てきたんじゃないですか」

 

 そうぼやくと、ジジイは珍しく声を出して笑った。

 やがて湯飲みを口元に運び、音も立てずに茶を啜る。

 

「して、ニケ。それは、一人でも叶えられる夢なのか?」

「……え?」

 

 ジジイと目が合う。

 その目に平素の厳しさはなく、しんしんと穏やかに降る雪のような静けさが潜んでいた。

 

「一人でやるということは、失敗も成功も全て自分に跳ね返ってくるということじゃ。これが二人や三人なら、成功は倍に、失敗は分け合うことだってできる。それがわかっていたから、あのクロノアでさえ、あれほど手間暇かけて仲間を集めたんじゃないのか? ここまで言えば、もうワシが何を言いたいかわかるよな?」

 

 重なった視線の先、逸らすことを許さないその眼差しを見て、俺は呟いた。

 

「人を、頼れと……」

「そのとおりだ」

 

 ジジイはうなずき、静かに茶を啜った。

 

 きっと、この男は全てを見抜いていたのだろう。だから、具体的に誰を頼れとは言わなかった。理由付けに利用されることをよしとしなかった。

 「人様にそう言われたから、そうやりました~♪ 別に俺が選んだんじゃないし~。チース!」とかいうクソしょうもない逃げ口に俺が逃げ込んで、またぞろ物事の本質から目を逸らすことを、許しはしなかったのだ。

 

 つくづく嫌な性格してんのはお互い様だが、そういう男なのだ。それがこの男なりの優しさなんだということは、俺もいい加減理解はしていた。

 

「わかってはいるんです。あてがない訳じゃない。というか、今の俺が置かれた状況を考えれば、頼る相手はアイツしかいない……そんなことはわかってるんです。でも……」

 

 時間にすれば三秒。一瞬とも永遠とも思える間を置いて、俺は言った。

 

「俺に、その資格があるんでしょうか。つまりその、ドロシーの隣に立つ資格が……」

 

 軒先の氷柱から、ぽたりと雫が垂れ落ちた。遠くからは村の子供達がじゃれ合う声が聞こえた。

 

「俺も同業者として、彼女の才能については理解してるつもりです。アレは十年に一人とか言う次元じゃない。間違いなく後世に名を残すような……いや。名を残さなければならない器だと思います。はっきり言って、こんな所でフラフラしていていいような人間じゃないんです。クロノアや騎士王のように、表舞台に立ち、正当な栄誉に与るべき人間なんです。それをわかっておきながら、俺の一存でどうこうするのは……」

 

 そこまで言うと、俺は押し黙った。押し黙った理由は、むろん魔眼のこともあったからだ。

 言葉の切れ端は宙に浮かんだまま、その続きをたぐり寄せることはできなかった。

 

「難しい問題じゃな……天才には二種類いる。周囲を触発し、与え、引き出すことのできる者と、周りからひたすら奪っていく者の二種類だ。あの子がどちらに転ぶかはまだわからんが、あれほどの器と並び立つとなれば、相応の覚悟が求められる……お前の迷いは必然だろう。でもな……」

 

 ジジイは湯飲みを床の上に置くと、やがて口を開いた。

 

「対等でなければ、隣に立ってはいけないなんて決まりはどこにもないよ」

 

 俺はジジイの目を見る。

 目が合うと、奴は口の端を上げた。

 

「資格なんて哀しい言葉を使うなよ……人が誰かの手を取るのに、資格なんて要らない。それに、お前は気付いていないんだろうが、ドロシーにはなくて、お前にはあるものだってたくさんある」

「俺に、あるもの……?」

「ああ。たとえば、お前は挫折を知っている。大切なものを失うことがどれだけ辛いか、お前は知識ではなく、経験としてそれを理解できる。さらに言えば、天才と呼ばれている人間の孤独や苦労にだって、共感できるはずだ。お前だって、かつてはそいつらと同じ天才だったんだから」

「……」

「ドロシーはいくら天才とはいえ、まだ十代前半の女の子だ。傷つくことだってたくさんある。そして、そのことに気づくことができる人間は、意外にも少ないだろう。子供が大人の世界に身を置くとは、そういうことだ……

 だから、ドロシーが弱っているとき、お前のような人間が隣にいてくれることは……あの子にとって、何より大きな支えになるんじゃないか」

 

 俺は膝の上で両手を組んだまま、しばし黙していた。

 

 考えたこともなかった。

 

 当然だ。向き合うことからずっと逃げていたのだから。

 見えるはずもないモノばかり見ようとしていたのだから、足下の小さな明かりに気づけるはずもない。

 

「ニケ。お前はまだ若いから、己の挫折や失敗と冷静に向き合うことは難しいだろう。理不尽な面にばかり目が行ってしまうのも、仕方ないと思う。でもな……もう少し時間が経てば、その経験をプラスに変えられる時が必ず来る。巡り巡って、今のお前を突き動かす原動力にだってなり得るはずだ。

 そしてそれは……陽の当たる道を歩いているだけでは、決して手にすることのできない類いの力だと、俺は思うよ」

 

 そこまで言うと、ジジイは腰を上げ、棒きれで庭先のゴミの燃えかすをいじくり始めた。灰の山から、死にかけた最後の残り香のような煙が上がる。

 

「元天才と、現天才。いいコンビだと、ワシは思うんじゃがのう……」

 

 しんみりした口調で、ジジイはそう独りごちた。

 

 曇天の空は未だ薄暗く、晴れそうにない。しかし、明日は晴れるかもしれない。

 俺は迷いを断ち切るように、大きく息を吐き出す。

 

「ありがとうございます。おかげで腹は決まりました」

「……そうか。そいつはよかった」

 

 そう言った彼の背中が、いつもより小さく、年相応に見えたのは気のせいだろうか。

 湯飲みを手に取り、口元に運ぼうとしたところで、ジジイが俺に告げた。

 

「ニケ。大事なのは、どうすべきかではない。自分自身がどうしたいかだ――そのことだけは、ゆめゆめ忘れるな」

 

 口に付けた緑茶は、さっきより少し冷めていたけれど、その分温かく、心の奥まで染み渡った。

 振り向くことのないその背中に向けて、俺は深々と頭を下げた。



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49 始まりの終わり

 選択の時は来た。

 翌日夕方、親父さんから「ドロシーが目を覚ましたらしい」との一報を受け、俺は足早に村の宿屋へと向かった。

 受付の姉ちゃんに話しかけると、彼女はドロシーに話を通しておいてくれたらしく、すぐさま二階の部屋へと案内してくれた。

 

「ねえねえお弟子さん。あなた、アリィと知り合いなんだって?」

 

 宿屋の姉ちゃんがニマニマした顔でそう訊いてきたので、俺は「仲良くさせてもらってます」と微笑で応えた。

 嘘は言ってない。物事には色んな言い方があるのだ。

 

 何でも宿屋の姉ちゃんは、アリシアと年が近いらしく、子供の頃よく一緒に遊んだ仲なのだという。

 

「あのイキリ散らしてた跳ねっ返り娘が、今や世界の救世主サマだもんねー……いやはや時の流れってのは恐ろしいわ」

「イキリ散らしてたって……昔からあんな感じだったんですか?」

「そうねえ。昔から白黒ハッキリつけたがるタイプではあったけど……いわゆるサバサバ系よ。サバサバ」

 

 サバサバというより、キレキレとかスパスパとかグサグサといった表現の方が的確な気がしたが、大人しく黙っておくことにした。

 

「ま、ブレない子ではあったわよ。良い所も悪い所も、全部おじいちゃん譲りっていうか……今となっては、その辺は貴方の方が詳しいんじゃないかしら。いずれ添い遂げるんでしょうし」

「ええ」

 

 考えもなしに即答してしまったところで、ふと足を止めた。

 

「ん? 添い遂げる?」

「うん……って、え? ……そういう関係なんじゃないの? 実家に挨拶まで済ませたんだし。アリィのおっぱいの一つや二つ、とっくに揉んでる仲なんでしょ」

「……」

 

 ええ?!

 

 つまりどういうことだってばよと困惑していると、宿屋の姉ちゃんが「村ではもう周知の事実になってるわよ」と言われて、俺の混乱にいっそう拍車がかかった。

 

 よくよく訊いてみると、どうやらジジイが俺の弟子入りを認めたことが、事の発端だったようだ。すでに隠居生活を送り、表舞台からは身を引いた、あの頑固一徹ロイドじいちゃんが今さら弟子を取るとは、つまりそういうことだよなあ……しかも、年頃の男……ゴクリ。

 そして邪推が拡散されるに至ったのだ。

 

 Oh……Shit! なんということだ。神よ、こんな仕打ちはあんまりです。俺はまだ、アリィのおっぱいに触れることすら叶わないというのに……

 

 木目調の階段が軋む。

 突き当たりの部屋の前で立ち止まると、宿屋の姉ちゃんは扉をノックする。返事があったので、宿屋の姉ちゃんは「ごゆっくり~♪」と残してその場を去った。

 

 俺は深呼吸を一つ、扉の取っ手にそっと触れた。

 

「入るぞ」

 

 開かれた扉の先には、毛皮の絨毯、暖を取るための火鉢……テーブルの上には呪文書が積まれ、その隣に彼女のトレードマークであるつばの大きな黒いハットが置いてある。

 しんとして、少し薄暗い。

 真っ白なシーツと厚手の毛布が敷かれたベッドに、ドロシーはいた。

 

「おっす。久しぶり」

 

 ベッドの側に椅子を引っ張って来て、ようよう腰掛ける。

 正面にはベッドを挟んで窓があり、遠くに連峰の輪郭が映った。南西の空に三日月が浮かんでいる。

 

「よく眠れたか? お前、三日もスヤスヤしてたんだぞ。さすが成長期だな」

「……まあ。ぼちぼち……」

 

 上半身を起こしたドロシーは、枕にもたれ、うつむき加減にほんの少し唇をとがらせている。

 

 少し大きめの、袖余りのカーディガンを羽織った身体の線は、細くて弱々しい。今俺の目の前にいるのは、天才魔法使いドロシーではなくて、ただの普通の、か弱い女の子にしか見えなかった。

 

「宿屋の人から、概ね事情は聞いたわ……あなた、私が意識を失ったあと、鉱山からおぶってくれたんですってね。ごめんなさい。迷惑掛けて……」

「気にすんな。お互い無事だったんだから、何よりだ」

「そうね……」

 

 ドロシーは耳元の髪をかき分ける。

 何か言い淀んでいるような、そんな空気を感じ取って、俺は窓の方へ視線をやった。

 

「どこまで覚えてる?」

 

 空はすでに闇に覆われ、山の稜線をなぞるように、茜色の光がぼうっと灯っていた。

 それは今日という一日が死ぬ前の、最後の輝きのようにも見えたし、旅人へ明日の訪れを知らせるための、ささやかな希望の光のようにも映った。

 

「人狼に襲われて、応戦して……人狼の目が光った瞬間、山賊の死体がお前に襲いかかって……そこまでは覚えてるよな? 問題はその後だ――」

 

 パチンと指を鳴らし、サイドテーブルの上、燭台の蝋燭に簡易魔法で火を灯す。

 炎が揺らめいて、二つの影が床に延びた。

 

「お前にとどめを刺そうとした人狼が、突然動きを止めたんだ。そして、うなされたようにその場にしゃがみ込んで、間もなく事切れた……そこで俺はようやく気付いたんだ。

 お前の瞳が、紅く染まっていたことに――それからすぐ、お前は気を失って……なあドロシー」

 

 目が合うと、俺は言った。

 

「ありゃ何だ? どう見ても、人様に許されてる力の範疇を超えてるように、俺には映ったが……いや、今さら誤魔化しても意味ないな。はっきり言おう――あれは、魔眼じゃないのか?」

「……」

 

 ドロシーはうつむき、お腹の前で組んだ両手をじっと見つめていた。時間の経過を鈍らせるような重い沈黙が、刻一刻と積み重なっていく。

 

 やがて、俺は深々と息を吐き出した。

 

「安心しろ。このことは誰にも言ってない。即刻教団に突き出して、火あぶりの刑にしてもらうなんて物騒なことも言わねえさ。ただ、その……こうして知ってしまった以上、白黒はっきりつけないと、俺も居心地が悪くてな。どう見ても人間にしか見えないお前が、どうして魔族の力を宿しているのか、気になってよ……」

 

 ドロシーはなおも黙っていた。何かためらっているようにも感じる。

 

「余計なことを知られたなと思うなら、今すぐ俺の記憶を操作すればいい。魔眼の力を持ってすれば、それくらい造作も――」

「無理よ」

「……え?」

「あなたの心は操れない。私にはわかるの」

 

 顔を上げ、ドロシーが言った。

 

「わかるからわかるとしか言いようがないんだけど……どう説明したらいいのかな。見えるではなく、感じ取るっていうか」

Just feel itってことか?」

「何言ってんのかよくわかんないけど、私には他人の心の律動のようなものを感じ取れるのよ。この人は優しい旋律、この人は恐怖と憎悪に満ちている……みたいな感じでね。音色の特徴さえ理解できれば、操るのは造作もないわ」

「……それは、意識しなくとも聞こえるものなのか?」

「ええ。だから、普段は閉じるようにしてるの。開きっぱなしにしてると、色んなモノの音が漏れ聞こえて、うるさくてしょうがないから」

「……なるほど」

 

 さもわかったようなツラで「なるほど」と言ったが、実際は半分も理解できてなかった。

 

 心の波長? 音色?

 

 おいおい。黙って聞いてりゃ、コイツは中々パンキッシュな音を掻き鳴らしてくれるじゃねえか……さすが、音楽性を理由に勇者一行から脱退しただけのことはある。

 

「それで、その……俺の心が操れないってのは、俺の心の音色が聞こえないってことなんか? 誰にも心を開かない、虚しい男ってことなの?」

「いや、知らんけど……別にあなたが初めてじゃないのよ。どれだけ耳を澄ませても、音が聞き取れない人は他にもいた」

「誰?」

「クロノアと、騎士王。面識がある人の中では、あなたが三人目よ」

 

 ホウ、と俺は口元に手を当てた。

 

「なんか、俺だけ格落ち感が半端ないんだが……アリシアやトラヴィスを押しのけて、何で俺なの? おかしくない?」

「しゃーないじゃん。んなこと言ったって、聞こえないものは聞こえないんだから」

「ふむ……」

 

 クロノアと騎士王は、「強く正しい心」というか、強靱な精神力の持ち主ということで説明が付きそうだが、俺にそんなモンある訳ないしな……

 むしろ一番欠けてるモノだろ。弱くて脆い意志の男。自慢じゃないが、それが俺。

 

「まあいい……そんなことより俺が知りたいのは、お前がどうやってその力を手に入れたのか、だよ」

 

 両手を組み直し、俺はドロシーの横顔をじっと見つめる。

 窓の外はすっかり暗くなって、三日月が妖しく光っていた。やがて、ドロシーが俺の方を見る。

 

「話してもいいが、一つ条件がある……」

 

 らしからぬ口調というか、妙に厳めしい口調で彼女がそう言ったので、俺は瞬きを止めた。

 

「条件?」

「ええ。今から私がする質問に、正直に答えてちょうだい。いいわね?」

 

 し、質問……どうしよう。私のこと好き? とか訊かれたら……ダメ! ダメよドロシー君……私には、ゴライアスという心に決めた人が……

 

 アホなことを考えている俺をよそに、ドロシーは至って真剣な眼差しで、俺に問うた。

 

「あなたの本当の名前は、ヴィクトル・サモトラ。間違いないわね?」

 

 

    *

 

 

「ロゼッタ魔法学士院には、史上最年少で入学し、神童と謳われ、かつてのシリウスにおけるノルンのように、勇者の右腕として活躍するのは間違いないと言われながら、突如として表舞台から姿を消した、天才魔術士がいた……

 それが、ヴィクトル・サモトラ。あなたのことで間違いないわよね?」

 

 視線が重なったまま、数秒。

 やがて、観念したように俺は頭をボリボリ掻いた。

 

「誤魔化してもダメそうだな……いかにも。ヴィクトル・サモトラとは俺のことだ。どこでその名前を知った?」

「クロノアに教えてもらったのよ」

 

 意外な人物の名に、俺は少し驚いた。

 

「クロノアだって?」

「ええ。確か、御前試合の前後だったかしら……この国には、将来を嘱望されながら、道半ばにしてその道を諦めざるを得なかった魔術士がいるって、彼が教えてくれたの。そこから、学士院に残っている記録をあさったり、トラヴィスの伝手を頼ったりして、あなたのことを色々調べさせてもらったのよ」

「ほーん……じゃあ俺の口から一々説明しなくても、大方の事情は把握してるのか……」

「まあね。魔力の大半を失っていることも、紆余曲折あって、結局旅に出たことも……。もっとも、あなたが力を失うきっかけとなった事件については、どれだけ調べても、簡潔に事故としてしか処理されていなかったから、その裏に何があったのかまでは知らないけれど……」

 

 だろうな。

 詳細に記録を残されていたら、今頃俺はここにはいない。教団の暗部に、とっくに処分されてる。

 今となっては、そういう寛大な処置を図ってくれた関係者方に感謝するほかないが……

 

 前髪をくしゃりと掴み、俺は大きく嘆息した。

 

「参ったな。必死に取り繕おうとしていたのに、お前には全部筒抜けだったのか……何と言うピエロ……」

「魔力がほとんどないこと? ないなりに工夫しているようには映ったけどね。隠すのはまあ、魔術士にとって自分の手札を明かすのは自殺行為に等しいから、同業者として理解はできるけど。仕方なかったんだろうなって」

「……いつから気付いてた? 俺の正体」

「いつからと訊かれたら、まあ出会ったときかしらね……心の音が聞き取れない時点で、おかしいなとは思ってた。ドラゴンを倒したって噂も一役買ってたわね。色々話してみると、やたら魔法に詳しかったりするし、外見もアリシアから聞いたのと大体一致するし……」

「ん? アリシア?」

「うだつの上がらない風采、もじゃもじゃした髪型、やる気に満ちていない瞳、肝が据わってるのかと思いきや中々目を合わせようとしないチキン、しょうもない冗談はほざくくせによくわからん所でキョドったりする不安定なコミュ力、酒呑ますと人格が変わる小心者、あとむっつりスケベ……」

「もういい。もうわかったから」

 

 後半の部分どころか、全体の九割九分は怒濤の悪口だったが、逆にそれが他ならぬアリシアさんの解説であることを証明していた。逆にってどういうこと? 

 

「ロゼッタを出るとき、彼女が教えてくれたのよ。アルス・ノトリアを探すんなら、いずれどこかで会うかもしれないからって。まあ、こんなに早く、こんな形で会えるとは思わなかったケド……」

 

 アリシア……あいつ、余計な気を回しやがって……

 とか本来なら言うところなんだろうが、死んでも言いたくなかった。まして、アイツが俺とドロシーを引き合わせようとしていたなんて、絶対に認めたくない。

 

 いや、それを言うなら、ドロシーに今回のクエストを紹介したのがクラインな時点で……そもそも、事の発端がクロノア……

 

 俺はクソデカため息をついた。

 

「どうしたの? ため息ばっかり」

「自分で踊っているつもりが、その実踊らされていた男の哀愁だよ」

「は? 意味わかんない」

「わからない方が幸せなこともある。お前もいずれわかるさ」

 

 ドロシーは何言ってんだコイツという顔をしていた。

 そんな目で見つめられると、おじさんちょっと嬉しくなっちゃうな……なんて。

 

「俺の話はもういいだろ。それより、お前の話を聞かせてくれ」

 

 ドロシーは視線を落とし、袖の余ったカーディガンから覗かせた手指を、モジモジと動かしていた。ふぅと息を吐き出すと、彼女は意を決したように言った。

 

「私、自分に関する記憶がないのよ」

「記憶?」

「ええ」

 

 ドロシーはうなずいた。

 

「二年前、ロゼッタ郊外の森で倒れていたところを、偶然トラヴィスに拾われて……それより以前の記憶が全くないの。自分が何者なのか、どうしてそこにいたのか、どこからやって来たのか……いくら頑張っても、霞がかかったように思い出せないのよ。唯一思い出せたのは、自分の名前がドロシーであるということ……それだけ」

 

 予想外の告白に、俺はしばし茫然と、言葉を失っていた。

 吾輩はドロシーである。記憶はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で――

 

「本当なのか……?」

「嘘言ってどうするのよ」

 

 ドロシーは冷めたような調子で笑った。

 

「だから、あなたの質問には答えられないわ。人間であるはずの私に、どうして魔族の力が宿っているのか……それを知りたいのは、むしろ私自身」

「そうか……だからお前は、アルス・ノトリアを」

「うん」

 

 ドロシーは首肯した。

 

「私は、自分が何者であるのかを知りたい――自分がいつどこで生まれたのか、どうして記憶を失ったのか、何の目的でロゼッタにいたのか、どうやって魔法を習得したのか……そして、なぜ魔眼を扱えるのか……。

 だから、クロノアの元を離れて旅に出ることを選んだ。この世のすべての理を明らかにしたとされる『アルス・ノトリア』を手に入れたら、失われた私の記憶を蘇らせることができるかもしれないから……」

 

 小さな身体に秘められた強い覚悟を目の当たりにして、ほつれた糸がほどけたように、得心がいった。それまで不揃いだった点が結ばれて、一つの線になったような感覚があった。

 

 言うべきことなんて決まっている。

 

 まさかこの期に及んで、「そうか……ほな頑張って。以上解散! 本日もお疲れ様でした!」という訳にもいくまい。散々迷って、散々考えて、散々振り回されて、散々踊らされてきたんだ。

 だから、最後くらいは自分の足で踊ってやるさ。震える足でな。

 

 覚悟という名前の銃弾を装填したら、あとは引き金を引いて、真っ直ぐに撃ち抜くだけ。

 銃口はどこに向けるって? 決まってるだろ。

 

 手前自身の脳味噌にだよ――

 

「ドロシー。俺と一緒に行こう」

 

 俺は告げた。

 

「実は俺も、お前と一緒で、アルス・ノトリアを探してるんだ。俺の過去を知ってるお前なら、大方見当はつくよな……そうだ。俺は、失われた力を取り戻したい。

 俺は魔力、お前は記憶と、互いに願うものは違えど、俺たちの目的は一致してる。思えばこうして巡り会えたのも何かの縁だ……どうだ? お前さえよければ、俺と手を組まないか?」

 

 重なり合った視線を離さず、俺は続けた。

 

「むろん、協力は惜しまない。手を組む以上、ドロシーの目的は俺の目的だ。お前が記憶を取り戻すために全力を尽くそう。実戦では二流でも、座学ではこれでもまだまだ一流のつもりなんだ……お前の役に立てることもあるだろう。分不相応な申し出であることは承知してる。お前にとってはメリットの少ない選択かもしれない。

 けれど、それでも……俺は、お前と一緒に行きたいんだ。俺にはお前が必要なんだ」

 

 部屋はしんとして、音一つない。南西の空に三日月が浮かんでいた。時の余白に、ひっそりと沈黙が積もっていく。

 やがて、ドロシーが口を開いた。

 

「……いいの? 私、この力であなたを傷つけるかもしれないよ」

 

 すると、彼女の碧い瞳が、黒く紅く、妖しく輝いた。

 

「あなたも見たとおり、この力はひどく不安定なのよ。完全に制御することは難しい。一度顕現したら最後、私の意志とは無関係に暴走してしまう可能性だってある。それに、この力は使いようによっては、一国を牛耳ることだってできる恐ろしい力よ……こんな不気味な人間が側にいて、あなたは怖くないの?」

「怖いって言っても、お前はその力を使って世界征服を目論んでる訳じゃねえだろ。お前がそういう人間じゃないことくらい、俺にもわかるさ……第一、俺に効かないんじゃ、俺がお前の力で傷つくこともないだろうよ」

「だとしても! 私がもし、あなたの大切な人間を傷つけてしまったとき……あなたはそれに耐えられるの?」

「そうならないように、側にいるんだろ。仮に暴走した時は、俺が傷ついてでも、お前のアタマをひっぱたくさ。そしたら大切な人間が傷つくこともないだろ」

「でも……それじゃあ、あなたが……」

「別にそれでいいじゃねえか。お前だって、もう十分傷ついてきたんだから」

 

 闇に染まった彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返して、俺は言った。

 

「ドロシー、お前さ……訳のわからん、得体の知れない力を一人で抱えこまされて、ずっと辛かったんじゃないのか? おいそれと人様に言えるような話でもないし、誰かと親しくなるのにもためらいがあっただろう。

 お前はずっと自分の力に苦しめられてきたんだ……俺、さっき言ったよな。協力は惜しまないって。パートナーとして、お前一人だけ傷つくのはフェアじゃない」

 

 ドロシーは目を真ん丸にして、瞬きを何度も繰り返していた。

 

「だから、俺も傷つくって? 何それ意味わかんないんだけど……」

「うるせえな。俺だって、自分で言ってて意味わかんねえよ」

 

 ドロシーはクスクスと笑った。

 年相応の少女らしいその笑みを見て、俺もまた自然と笑みを浮かべた。

 

「安心しろ。傷つくことには慣れてるんだ。なんたって俺は、挫折のプロだからな」

「それ、あんまり褒められたことじゃないと思うけど……」

「物事には色んな言い方がある。最初は不気味だと思ってたお前の魔眼も、よく見れば夜空に浮かぶ紅い月のようで、とても美しい……まあ何が言いたいかって、一つの見方にこだわるのは、非常にもったいないということだ」

「それも一つの見方だけどね」

「うるさいな。人が珍しく良いこと言ったのに」

「別に。上手いことまとめようとしてたのが、少し癪に障っただけよ……」

 

 ドロシーは手指をいじりながらブツクサ言っていたが、やがて、顔を上げて、俺の目を覗き込むように見た。

 

「ダメって言っても聞かなそうね……その証拠に。やっぱり、私にあなたの心は操れないもの」

 

 ドロシーが微笑む。彼女が微笑むと同時、瞳の色が元の色へと戻っていく。

 その時だった。

 

 窓の外から一条の光が射す。見れば夜空に、淡く翠に紫に輝く光のカーテンがたなびいていた。オーロラだ。

 

「わぁ…………」

 

 俺もドロシーも、言葉もなくその景色をじっと眺めていた。

 

 揺らめいてはたなびいて、光っては陰って、自在に形を変えては消えていく……

 静かに流転していくその様は、なるほど確かにジジイが教えてくれたとおりの、得も言われぬ美しさがあった。ゆえにエモい。

 

「知ってるか? オーロラってのは一説によると、マナと大気中の粒子が衝突して励起し、元の状態に戻ろうとする際に起こる発光現象のことらしい」

「無粋な説明ね。これほどの美しさを前に、理屈は必要ないでしょ」

「じゃあ何だ? 星の息吹とか、生命の脈動とか言った方がよかったか?」

「ええ。その方がずっと詩的で、儚いわ」

 

 さすが魔術士というか、常日頃詠唱のことを考えてるだけあって、コイツも中々のポエマーだな……などと感心してる俺をよそに、ドロシーはずっと窓の外のオーロラを眺めていた。

 そして俺は、その横顔をじっと見つめていた。

 

「……ここに契約は完了した、ということでよろしいかな?」

 

 俺がそう言うと、ドロシーの碧い双眸がこちらを向く。首肯すると、彼女は俺に手を差し出した。

 

「よろしくね、ニケ」

 

 うなずき、差し出された手を握り返したとき、終生自分は今日ここで見た景色を忘れないだろうという予感があった。何故だかはわからない。

 その理由はきっと、未来になればわかるだろう。不思議とそんな確信があった。



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50 一陽来復

 翌朝。

 俺は朝食の場で、ローウェル家一同にこの村を去ることを告げた。案の定、反応は様々だった。

 

 親父さんは黙ったまま小さくうなずき、お袋さんは一瞬哀しそうな顔を浮かべたあと、「でも仕方ないわよね」、「ピロシキたくさん作るからね」と、優しく微笑んだ。子供たちもはじめはシュンとしていたが、次第にいつものようにおかずを巡ってぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。

 子供という生き物は、良くも悪くも切り換えが早い。時としてそれに救われることもあるのだが。

 ジジイはジジイで、物言わずミソスープを啜っていた。

 

 それからトルフィンに挨拶すべく、ギルドが集う村の集会所へと向かう。

 近日中にいよいよ騎士王から許可が下りるということで、一向は発掘に向けて忙しなく動き始めていた。働くと決めたらあくせく働き、酒を呑むと決めたらとことん呑む。

 なるほどいかにもドワーフらしい性分ではある。

 

 五分ほど待たされたあと、トルフィンがようやく顔を出す。

 

「ニケェ!! 何だよドロシーが目ェ覚ましたんだって? よかったなァオイ!!!! ってこたァ、お前らもうカトブレスに帰んのか?」

「ああ。そのつもりで、挨拶に来たんだ」

「ンだよ、もうちょっとゆっくりしていきゃあいいのによう……人間ってのは、つくづくせっかちな種族だよなァ」

 

 それは俺たちがせっかちと言うより、お前らがのんびりしてるだけなんでは……と言いたかったが、トルフィンの毎度お馴染みガハハ笑いを眺めていると、次第にそんな気も失せた。

 

「あァ、そうだニケ。せっかくだからこれ持ってけ」

 

 トルフィンは後ろ手でズボンの中をまさぐり、俺にぴかぴかのブツを差し出す。

 ちょ、お前……どこに仕舞ってんねん。一瞬ケツから生まれたのかと思ったじゃねーか。

 

「これは……魔石か?」

「おうよ。昨日、鉱山の視察に行ったときに、モノは試しで発掘したら、偶然上等なのが取れてよ。お前にやる」

「いいのか? これ、市場に流せば結構な値が付くラピスラズリだと思うが……」

「いいっていいって! ほれお前、せっかく鉱山に来たから魔石の一つくらい持って帰りたかったって、こないだボヤいてたろ。土産と思え土産と」

「マジか、わざわざ覚えててくれたのかよ……」

「たりめェだろ! お前と一緒に過ごした時間、中々悪くなかったぜ!!」

 

 そう言うと、トルフィンは屈託のない表情で「ガハハ!」と笑った。

 おっさん……

 

「ありがとう」

 

 その言葉に偽りはなく、実際嬉しかったのだが……うん。

 やっぱ匂うな、この魔石……

 

 トルフィンの元を去ると、今度は鍛冶屋へ向かった。

 

 以前ドロシーと一悶着起こしたモーリスが番頭を務めている鍛冶屋で、俺もつい最近まで知らなかったのだが、実はこのオッサン、ノルカ・ソルカでは知る人ぞ知る、名うての刀工らしいのだ。

 元々は首府ハバネロフスクで軍属の刀工として活躍していたそうだが、戦後のあれやこれやで宮仕えに嫌気が差し、故郷のイカルガに帰って来た……つまり、ジジイと同郷でかつ、似たような経歴の持ち主なのである。

 

 人狼の討伐が終わり、ドロシーが目覚めるのを待つまでの間、ひょんなことをきっかけにモーリスと話す機会があり、

 

「その刀は、てめェの筋力じゃ分不相応に過ぎる。なんでそんなモンぶら下げてんだ。そいつの身の丈に合った武具を提供するのも、刀工の仕事の一つなんだよ。てめェにそれを売りつけた刀工をぶん殴ってやりてェ」

 

 と、すごまれたのだ。

 

 股間にぶら下げているブツも、個人的には分不相応と思っているのだが、それはさておき、実は幼馴染みの鍛冶見習いが俺のために云々……と事情を話すと、モーリスは「チッ」と舌打ち。

 「貸せ」と一言、俺の剣を奪って、奥の工房へと消えていった。

 

 これぞ本当の火事場泥棒……などとしょうもない冗談はともかく、偶然用事でその場に居合わせていた宿屋の姉ちゃん曰く、意訳すると、「お前が使いやすいように加工してやるから、時間をよこせ」ということらしい。

 いや、略し過ぎだろ……もはや意訳の範疇を超えて、超訳のレベルじゃねえか……

 

「ああ見えてあの人、意外と優しい所あるのよ」

「わかりづらすぎません? 手先は器用なくせに、口先は不器用すぎるでしょ」

 

 この国のオッサンどもは、自分不器用ですからの一言で許容できるレベルを超えていると俺が嘆くと、宿屋の姉ちゃんが声を出して笑った。

 

「男どもがあんな感じだから、北国の女は我が強くなるのかもね-。言いたいことは口に出さなきゃ伝わらねえんだよオラァ! ってさ」

「はぁ。言われてみれば、もの凄く腑に落ちるな……」

「アレでモーリスさんは、酸いも甘いも噛みしめてきた人だからねえ。あの人、最初はロイドじいちゃんと同じで軍人だったのよ」

「ああ、そんな雰囲気ありますよね。目元の傷とか……コワモテだし」

「そうそう。実際、めちゃくちゃ勇猛な戦士だったらしいわよ。それが従軍中に一度大怪我して……満足に歩けなくなったんだよね。未だにびっこ引いてるような所あるのは、そのせい。結局戦士としては引退せざるを得なくなって、それをきっかけに刀工の道に進んだんだってさ」

 

 宿屋の姉ちゃんは煙管をふかし、ふーっと煙を吐き出した。

 

「刀工って、アタシはよく知らないんだけど、十代から弟子入りして、十年以上修行してようやく独り立ちできるような世界らしいのよね。それをあの人は、三十やそこらで始めて、この国じゃ名うての職人と呼ばれる所まで駆け上がったんだから……大したモンよ。でも、そうやって鍛冶の道を極めたら、今度は戦争で子供を亡くしちゃって……人生って、ホントつくづくままならないわよね。神様はどうして、頑張ってる人には平等に報いてあげないのかしら……」

 

 そこまで言うと、宿屋の姉ちゃんは煙管を片手に、思い出したような顔付きで俺を見た。

 

「ああごめんね。なんか急に語っちゃって」

「いえ……お構いなく」

「まあアレよ。何が言いたいかって、人は見掛けによらないってこと。気難しそうに見える人も、心の底を叩いてみると、どこか哀しい音がする――って、昔どっかの偉い作家が言ってたでしょ?」

 

 そんな作家がいたかどうかは知らんが、まあ言わんとする所は理解できた。

 人はみんなそいつなりの地獄を抱えて生きているのだ。俺のような陰気な人間には、こっちの言い回しの方がしっくり来る。

 

「性格は不器用でも、想いは真っ直ぐだから、あの人は優秀な刀工たり得るのかもね……きっとそんな気がするわ」

 

 工房からは、トンテンカンテンと金属を打ち鳴らす音が聞こえてきた。その一定のリズムは、よくよく聴いてみれば、どこか心地よくすらある。

 さもありなん、と俺は思った。

 

 ――とまあ、前置きが長くなったが、そんなやり取りがあって、俺は本日モーリスの元を訪れている。

 俺の顔を見るや、モーリスは無言で工房に戻り、俺の剣を携えて姿を現した。

 

「おらよ。とっくに仕上がってんぞ」

 

 受け取った剣を鞘から引き抜き、「ふむ……中々どうして、悪くない」とあらかじめ用意しておいた台詞を呟くより早く、異変に気付いた。

 

「リーチが……短くなってる?」

磨上(すりあげ)しといた。てめェの身の丈、腕力じゃ、それくらいが分相応だろ」

 

 確かに、刀身がそれまでの3分の2くらいの長さになっていた。

 短くなって軽くなった分、ずいぶん扱いやすくなったような気はする。実用性が増したというか……

 

「剣ってのは、長くはできねえが、短くなら調整できる。てめェは基本が魔術士だから、自分から近接戦に持ち込んだりはしねェだろ」

「しないっすね」

 

 我ながら清々しいほどの即答だったが、モーリスは意に介さず、続けた。

 

「早い話が、リーチなんざあっても無用の長物でしかねえんだよ。いざという時の打ち合いに耐えられる強さがあれば十分。かといって、短くしすぎても意味がない」

「どうしてですか?」

「てめェがチキンだからだよ。相手の懐に飛び込んで首元掻っ捌くなんて真似、お前にできる訳がない」

 

 全くもってそのとおりなので、何も反論できなかった。

 そんな物騒なのは、最近都会で流行りのストライダーとやらにでもやらせておけばよい。

 

「それと……てめェも魔術士なら、ある程度魔法剣は嗜むんだろ。短刀はリーチがない分、魔法剣での応用の幅も狭まるからな。その辺の戦闘スタイルも考慮して、やや大きめの脇差しくらいがちょうどいいんじゃねえか。大体そんなとこだ」

「なるほど」

 

 剣を短くしたのに合わせて、鞘も短く加工してくれたようだ。鍔やグリップも新調されており、匠の気遣いが随所に息づいている。

 宿屋の姉ちゃんが言っていた「意外と優しい所あるのよ」は、まんざら嘘でもないらしい。

 

「あの、お金は……」

「あァ?!」

 

 すごまれた。

 相変わらず導火線がどこにあるのかよくわからんオッサンだが、あなたはノルカ・ソルカじゃ指折りの刀工と聞いてる。これほどの仕事ぶりに対価を払わないのは気が引ける云々と講釈を垂れると、モーリスは「チッ」と面倒そうに舌打ちした。

 

「俺が好きでやったんだよ。金なんざ要らん」

「いや、しかし――」

「あァ?!」

 

 すごまれた。

 このままでは永遠に「あァ?!」のループから抜け出せそうにないので、しぶしぶ折れることにした。俺も二十年と幾許生きてきたが、こんなよくわからん折れ方をしたのは俺史上初ですよ……「おれ」だけに。ごめん何でもない。

 

「……それ、てめェの幼馴染みが打ったんだろ?」

「ああ、はい。そうですけど」

「んじゃ伝えとけ」

 

 それまで頑なに目を合わせようとしなかったモーリスが、初めて俺の目を見て言った。

 

「まだまだ荒削りで不器用だが、今自分のできる全力で、心を込めて打ったことは伝わる。俺も久しぶりに自分の拙かった頃を思い出して、何だか目が覚めた。おかげで、大人しく後進に道を譲り渡す気などさらさら失せた、とな」

「……」

 

 ひょっとして……

 

 色々理屈を垂れてはいたが、結局短刀にしなかったのは、エルが打った剣の原型がほとんどなくなってしまうから。それではエルが、拙いなりにこの剣に込めた想いまで失われてしまうようで、それをこのオッサンなりに汲み取ってくれたからなんでは……

 よく見れば新調された部分も、原形の意匠を可能な限り尊重してくれているように感じるし……

 

 だがしかし、そんなことを口にすると、またぞろ「あァ?!」の無限ループから脱出できなくなるので、大人しく黙っておくことにした。

 何とも面倒くさいオッサンである。かくも世界は、面倒くさいオッサンで満ちあふれているのだ。

 

 モーリスに改めて礼を言い、俺はようやくローウェル邸への帰路につく。

 すると、遠景に縁側でお袋さんと談笑しているドロシーの姿が映った。

 

「お」

 

 

    *

 

 

「あらニケさん。挨拶回りはもう終わったのかしら?」

 

 お袋さんに声を掛けられて、俺はうなずく。

 ニコニコと微笑んでいる彼女のそばで、ドロシーは唇をもにょもにょ動かしながら、うつむいていた。

 

 ……。

 髪型が、ツインテールになっていた……

 

「イメチェン?」

「そうなのよー! ドロシーちゃんって人形さんみたいに可愛らしい顔立ちしてるから、こういう可愛い髪型の方が絶対似合うって思って! ロングのストレートは、もう少しお姉さんになってからの時に取っておきなさいって。お母さん張り切っちゃった! うふふ」

 

 ドロシーに聞いたつもりが、お袋さんから怒濤のコメントが返ってきた。

 

 耳の少し上くらいの位置で、紺色のリボンで束ねられた二つのお下げは、確かによく似合っている。ちょっと子供っぽい気はするけど、実際子供だもの……仕方ないよね。たまに忘れちゃうけど。

 

 ドロシーはお下げの片方を指でいじりながら、上目遣いで俺を見た。

 

「ど、どう……? 似合ってる?」

 

 どうと言われましても。

 

 ドロシー! ドロシー! ドロシー! ドロシーぃぃいいいわぁああああああああああああああああああああああん!!! あぁああああ…ああ…あっあっー! あぁああああああ!!! ドロシードロシードロシーぃいいぁわぁああああ!!! あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! いい匂いだなぁ…くんくん……んはぁっ! 

 って、したくなるくらいには似合ってると言おうとしたが、さすがにキモすぎるのでやめておいた。

 

「そうだな……俺も思い切って丸刈りにしようかと思うくらいには、似合ってるよ」

「は? 何それ褒めてるの?」

 

 ドロシー的には三十点のコメントだったらしい。残念。

「要するに、とっても似合ってるってことよ」とお袋さんが言い足すと、ドロシーは「ムゥ……」という顔をしていた。

 

「そろそろ出発するんでしょ? みんな、呼んでくるわね」

 

 お袋さんがその場から立ち去る。俺はドロシーの隣に、よっこらしょういち……と腰掛けた。

 空は昨日の曇天が嘘のように、春らしく澄み渡っていた。雪解けの季節が訪れたのだ。

 

「なあ、一つ訊いていい?」

「おん?」

「お前、自分のことは名前以外記憶がないって言ってたよな? 自分の年齢は知ってるのか?」

「十五歳」

「十五?」

「たぶんそれくらいじゃねって、アリシアが言ったから。じゃあそれでいいかってなった」

「なんじゃそれ。じゃあお前は十二歳の可能性もあるし、十八歳の可能性もあるの?」

「なくもないんじゃない。知らんけど」

 

 おいおい何てこった……これは由々しき問題ですよ。

 特にドロシーファンクラブ会員を語る全国の紳士諸君にとっては、進退を揺るがす非常に由々しき問題……

 

「そういや、私も一個訊いていい?」

「おん?」

「あなた、本名はヴィクトルでしょ。なのに何で、ニケって名乗ってるの? 全然関係なくない?」

「ああ、ニケってのはガキの頃からのあだ名で……名付け親の幼馴染み曰く、メテオラ神話に出てくるニケって女神のネウストリア語読みが、ヴィクトリアらしい」

「ああ、ヴィクトリアを男性名に直すとヴィクトルだから……」

「そう。由来が女神なら悪くないって思って。野郎の神ならお断りだが」

「じゃあこれからも、本名じゃなくニケって呼んでいいの?」

「ああ。俺的にもその方がいい。ヴィクトル・サモトラという魔術士はもう死にました……今ここにいるのは、ヴィクトルの弟なんです」

「ごめん。何言ってるのか意味わかんない」

 

 そうこう話しているうちに、親父さんがやって来た。

 声を掛けられ、立ち上がると、彼はすっと俺に右手を差し出した。握手を交わすと、お互い、自然と口元に笑みが浮かんだ。

 

「ニケ、君とは有意義な時間を過ごせたと思う。短い間だったが、楽しかったよ。山賊退治の件といい、本当にありがとう。どうか元気でな」

 

 俺がうなずくと、子供たちが一斉に駆け寄ってきて、俺の尻だの腰だの足だのをベシベシ叩いた。

 

「そうだ、元気でな!」

「たまには顔見せに来るんじゃぞ!」

 

 ミーチャとワーニャが、ジジイの口調を真似ながらそう言う。

 すると、アリョーシャが俺の服の袖を引っ張る。そして耳打ちした。

 

「兄ちゃん。次会う時は、アリシア姉ちゃんを連れて帰ってきてね。楽しみにしてるから」

 

 それは一体どういう意味なのか図りかねるポーズを取ったものの、なんかもう面倒くさくなったので、「任せておけ」とうなずくことにした。

 男に二言はない。そんな時代はもう終わったのだ。

 

「そうだニケ。お前さえよければ、我が村に伝わるヤーレン節で二人を送り出したいんだが」

「いや、大丈夫です親父さん。気持ちだけで十分ですから」

「遠慮するなよ。みんな呼んでくるから」

「いや、本当に大丈夫です。俺たちのために来てもらうのも悪いんで」

 

 親父さんは「そうか……」と、ショボンとした様子だった。

 気持ちはありがたいが、オッサンたちの舞いなんぞ一度見れば十分。いつぞやの激励会の時のように、辛い思いはしたくないんでな……

 

 親父さんがドロシーに感謝の意を述べている最中、唐突にジジイが姿を現した。

 目が合うと、さも当然の如く視線を逸らされる。何だよ。今日はうんこしてないのかよ。残念だな。

 

「ほらお父さん! 最後なんだから」とお袋さんに背中を押され、ジジイはしぶしぶといった様子で俺とドロシーの元へ歩み寄った。

 

「やれやれ。ようやく収まるべき所に収まったというか……ニケ」

 

 ジジイは顔を上げると、すっと俺の眼差しを射貫くように見た。

 

「お前はもう舞台の上に上がったんだよ。簡単に降りることはできんぞ。その意味がわかっておろうな」

「もちろん」

 

 首肯すると、ジジイは微かに笑ったような納得したような安堵したような、そんな仕草で何度か小刻みにうなずいた。

 

「まあ、これが今生の別れという訳でもあるまい。またどこかで会える日を祈っておるよ……二人とも、どうか達者でな」

 

 この人物らしいのからしくないのか、簡潔な物言いではあったが、たぶんらしいんだろうなという結論に落ち着いた。想いを伝えるのは言葉だけではない。

 

「また会える日までくたばるなよジジイ」と内心ぼやきつつ、俺は言った。

 

「ロイドさん。俺、昨日オーロラ見ましたよ」

「あん?」

「前言ってたじゃないですか。一生に一度は見とけって。なるほど確かに、一生に一度は見ておく価値があるものだと思いました」

「……」

 

 ジジイはしばしの沈黙ののち、嘆息した。

 

「お前、最近の若いヤツにしては珍しく、人の話をよく聞いてるんだな」

「それ、最近の若いヤツ関係あります?」

 

 ジジイは答えず、鼻で笑った。

 

「北方の伝承だと、オーロラは死者と生者の世界をつなぐ炎の架け橋とされている」

「死者? よくない前触れってことですか」

「いや、その逆だ。先祖がこちらの世界へと帰ってきて、我々子孫を守護してくれる……つまり、吉兆じゃよ。旅立ちを前にオーロラを見られたのは、旅人にとってこれ以上ない僥倖といえるだろう」

 

 ほーん……なんとも都合の良い言い伝えではあるが、まあ何だ。たまにはこういうの信じてみてもいいだろう。

 

「わかりました。縁起のいいものとして、胸に留めておきます。それじゃ……」

 

 一同を見渡して、俺は告げた。

 

「いってきます」

 

 そのやり取りを最後に、俺とドロシーは振り返ってその場から歩き出す。

 

「いってらっしゃーい! 元気でねー!」

「幸運を祈る!」

「絶望の中にも焼け付くような強烈な快感がある――兄ちゃんよ。決して屈するなかれ!」

「何言ってるの? ミーチャ」

「アレだよ、いつものエエカッコシイだよ」

 

 後ろから送られる声援に、俺は右手を上げて応じる。

 

 何も言わない。振り返らない。一度歩き出したが最後、そうすると決めていた。

 別れを愛おしむ権利は、見送る側の人間だけにあって、離れる側の人間にはないと思うからだ。

 

 例外は死ぬ時だけだ。

 ジジイも言ったように、生きている以上、またどこかで会える可能性は消えないのだから、潔く去り行くのは、離れる者の最低限の礼儀だと思う。その内に秘めた想いがどうあれ――

 

「ニケ」

 

 低く、それでいて強く響いたその声に、俺はぴたりと足を止める。

 一々振り返らずとも、声の主が誰であるのかはわかっていた。

 

「うちの孫娘に会うことがあれば……こう伝えてくれないか。『お前はお前の現実を生きろ、俺もそうするから……』と」

 

 てめぇの口で言えよと思ったが、それができるならとうにしているということなんだろう。

 俺たちは物語の登場人物ではない。まして然るべき機会に、言いたい言葉が自然に浮かんでくるほど器用な人種でもない。

 そして大抵、後悔する。言えずに終わった言葉の墓守に勤しむことになる。

 

 まあ色々世話になった手前、これくらいの頼みに応じなければ、男が廃るというものだ。将来の家族になるかもしれないしな。誰が家族やねん。

 

 振り返り、ジジイと目が合うと、俺は言った。

 

「伝えておきますよ――離れていても、心は繋がっているとね」

 

 白亜の山脈の果てには抜けるような青空が続き、庭先に植えられた木々はその身に蕾を宿している。

 

 老人は笑っていた。

 俺たちが見上げた空に、もう雪は降っていない。



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51 風雲急を告げる

 カトブレスに戻り、ギルドで任務の完了報告だの何だの、面倒な事務的手続きを済ませると、俺は大きく背伸びをした。

 冬場は肩だの腰だのが凝ってしょうがない。もっとも、暦の上ではすでに春なんだが。

 

「さてと……ほんじゃま、カムイの店に向かうか」

「カムイ?」

 

 ドロシーが小首を傾げる。

 

「そういやドロシーには詳しく話してなかったか……俺は元々、石工ギルドのカムイという男に雇われていたんだ。イカルガの発掘には、そいつの代理で出向いてたワケ。要は下請けだよ、下請け」

「ふーん……カムイね。なーんか聞き覚えあるような……」

 

 カラフルな木組みの家々が軒を連ねる石畳の道を歩き、起伏の緩やかな坂を上っては下り、上っては下る。吹く風は穏やかで、ほんの少しだけ花の匂いを孕んでいた。

 春が訪れたせいか、人の往来は増え、慌ただしくなった町並みは、以前より活気を取り戻したように感じられた。

 

 石工ギルドの紋章の下に、小さくカムイの魔道具店と書かれた看板。

 扉を開けると、新聞を読んでいたアツコサンとばったり目が合った。

 

「お……おお~! 誰かと思えば、ニケじゃない。なによもう~、全然連絡よこさないし、心配してたんだぞ!」

 

 筆不精なのは今に限った話ではないので、「ウェヒヒヒ……」と毎度お馴染み取り繕うような気持ち悪い笑みを浮かべておいた。

 存在しないことで存在感を発揮する行為に無上の喜びを見出している、少し変わった生き物なのだ。

 

 にわかに騒がしくなったのを察したのか、奥の工房からカムイが姿を現し、優しく微笑んだ。

 

「ニケ……帰ってきたのか」

 

 むくつけき男同士の熱い抱擁を交わすと、ぐっと互いの手を握り合う。

 雪解けのメルヘンな街で、僕と握手!

 

「無事山賊退治を終えて、政府に発掘許可を正式に申請したところまでは、ギルド本部から伝え聞いてたんだが……中々帰ってこないから、アツコサンと一緒に心配してたんだ」

「いやまあ、後始末とか色々あって……はい」

「ところでニケ、さっきから気になってたんだけど、そこの女の子は?」

「ああ、紹介するよ。彼女は――」

 

 そこまで言ったところで、アツコサンが「え?! ドロシーちゃんじゃない!」と声を上げる。

 なんじゃらホイホイ、「知り合いなんですか?」と俺が問うと、アツコサンはこくこくとうなずいた。

 

「魔導具を探しに、よく店に来てたからねえ。人形さんみたいに可愛らしい子だから、一度見たら忘れないわよそりゃ……も~う、水臭いんだからドロシーちゃんったら。挨拶が遅れちゃってごめんね」

「ああ、はい……どうも。お久しぶりで」

「うん? 髪型変えたの?」

 

 アツコサンが娘を捕まえたみたいにドロシーの髪をいじったりして、キャッキャウフフと花を咲かせている。ドロシーは存外こういうのが苦手なのか、「お、おう……照れるぜ」みたいな顔を浮かべていた。

 

 ドロシーは俺より早くカトブレスを拠点に活動していたから、どうやらその頃に知り合った仲らしい。

 

「それでニケ、どうしてドロシーと一緒に?」

 

 カムイに問われて、俺はざっとこれまでの経緯を伝える。

 むろん、ドロシーの魔眼のことや、虚飾と欺瞞に満ちた俺の人生については伏せておいたが。

 

「ほえ~……それで結託したってワケかあ。私らが共通の知り合いだなんて、まさかこんな偶然もあるのねえ」

「なるほど。ガラテアから陸路で西方に向かうとなれば、野盗や魔物の巣窟であるスピカ荒原を突っ切るか、エルフの縄張りである鬱蒼とした森林地帯、ダーク・ヘッジスを迂回するかの二択だからなあ……いずれにせよ、一人より二人の方が心強い旅路であることは間違いないよ」

「そこでカムイ……一つお願いがあって。イカルガで上等なラピスラズリを手に入れてな。せっかくだから、俺に魔導具を作ってほしいんだけど……」

 

 そう言うと、俺はケツから……じゃなかった。鞄から蒼い魔石を取り出し、カムイに手渡す。

 カムイは頭にかけていたゴーグルを下ろし、ほうほうと言った調子で、魔石を眺めた。

 

「こいつは……驚いたね。極めて純度の高いラピスラズリだ。色合い、透明度、光沢……どれを取ってもトリプルAランク。最近のマーケットじゃ、まずお目にかかることはできない一品だよ」

「うんうん。さすがイカルガ鉱山ブランドねえ……ひょっとして、魔力泉の暴走が鉱物の生成に何らかの影響を及ぼしてるのかしら」

 

 アツコサンも興味津々といった様子で、魔石を観察していた。

 

「ニケこれ、市場に流せば1200万レイくらいは値がつくわよ」

「1200万レイって、フランに換算すると……」

「ざっと300万」

 

 ドロシーが補足すると、俺のお目々が点になった。

 

 さ、300万……竜退治三回分……そりゃあ、トルフィンも後生大事に懐で温めるわな……懐という名のケツで……

 

 ていうか、トルフィンも当然、魔石の値打ちには気付いていたはずだよな。それをあっさり俺に譲ってくれるとは……なんとまあ、気前のいいことで。さすがドワーフ。人間ならこうはいかない。

 俺が逆の立場なら、もっと値打ちの低いジャンクを恩着せがましく押しつける自信がある。

 

「売って、旅の資金にする手もあると思うけど、どうする? ニケはもう魔導具一つ持ってるんでしょ」

「ああ……」

 

 言われて、俺は自分の右手の薬指に目を落とす。銀色の指輪に嵌め込まれた魔石が、白い光を反射していた。

 

「不思議な指輪よねえ、それ。何回見ても、今まで見たことのない魔石だし。お母さんの形見なんだっけ?」

 

 俺はうなずいた。

 実際、所有している俺もこの指輪の魔石が何なのか把握してない。したがって、この魔導具の効能も知らない。

 というのも、この指輪を譲り受けた一週間後に、母さんは帰らぬ人となってしまったからだ。

 

「サブとして、もう一個増やしたいとは考えてたんだ。今の魔術界隈は、魔導具複数個持つのが当たり前になってるみたいだし」

「といっても、このクラスの魔石のコアだと、サブにしておくのはもったいないレベルだが……サブの主張が強すぎると、メインと競合する可能性もあるし」

「ん、どういうこと?」

「魔石の組み合わせには、相性があるんだ。力の強すぎる魔石同士を掛け合わせると、互いの良さを打ち消し合って、術者にかえって不利益に働くケースが多い」

「つまり、闇雲に高価な魔導具を揃えればいいという話ではないと?」

「そのとおり」

 

 カムイの脇で、すかさずアツコサンが補足する。

 

「言ってみれば、人間関係と同じよ。個性の強い人間ってのは、互いに譲れない信念を持ってるから、どうしてもぶつかり合っちゃうでしょ。魔石も然り。力関係や役割分担をはっきりさせておかないと、船頭多くして船山に上る――なーんてことになりかねないのよ」

 

 なるほど、つまり音楽性の違いにより解散する可能性があるということか……さすがロックだぜ。石だけに。ごめん何でもない。

 

「俺の魔石は得体が知れんから、相性も出たとこ勝負ってワケか……」

「そうだね。でもラピスラズリは、相手に合わせるような所がある魔石だから、大丈夫じゃないかな。だから重宝される訳だし」

 

 俺は笑った。

 

「なんだ、本当に人間みたいに言うんだな」

「実際そうだからね。リスクを気にするのなら、コアを二つに分けて、魔導具を二つ作ることもできるけど。君とドロシーで分け合えばいい」

 

 カムイにそう言われて、俺はドロシーを一瞥する。

 彼女は両肩をすくめてみせた。

 

「私はいいわ……ワンドとペンダントで、用は足りてるし。三つ目も色々試してはみたけど、最終的には要らないという結論に達した」

「そうそう、ドロシーちゃんの魔石って凄いのよ! 最高級のスノーサファイアに、バイカラートルマリン! 特に後者は世界に数個とも言われる超希少価値よ! 一体どこで手に入れたのっても教えてくれないし~」

 

 ドロシーの言葉を半ば遮るように、アツコサンが怒濤のムーブをかました。

 

 ドロシーは「いやまあ……昔世話になった人がくれて」と適当にはぐらかしていたが、実際知らないのだろう。

 ある日目が覚めたら、記憶と引き換えに自分が最強ステータス・最強装備だったって、お前は物語の主人公か何かなの?

 

「ほんじゃ、俺専用で作ってもらうけどいい?」

「好きにすれば。個人的には、相手に合わせるっていうラピスラズリの特徴が癪に障るのよ。あなたには自分の主張がないのって、イライラする」

 

 またぞろドロシーさんが、顔に似合わずパンクな発言をかましていた。

 コイツは本当に、骨の髄までロックだぜ……と感心する反面、本当は俺とのお揃いが恥ずかしかったんだよなと、内心悦に浸り、ほくそ笑む俺であった。

 

「じゃあ頼むよカムイ。余った外核は譲るから、その分安くしてもらえると助かる……」

「ははは……他人行儀だな。俺とお前の仲じゃないか。金のことは気にしなくていい。いつまでに仕上げればいい?」

「そうだな、一週間以内であれば」

「任せとけ。超特急でやるよ」

 

 不意に、赤ん坊の泣き声が聞こえた。そこで俺はようやく、一番大事なことを忘れていたのに気付いた。

 

「わあ……」

 

 アツコサンが生まれて間もない赤ん坊を抱えて戻ってきて、ドロシーが感嘆の声を上げる。アツコサンがよしよ~しと揺すってあげると、ぐずっていた赤ん坊の表情が和らいでいった。

 

「二週間前に生まれてね。これほどの安産は珍しいってマーガレットさんに褒められるくらい、穏やかな出産だったわ」

「ほえー……男の子、ですよね?」

「うん! ばっちし希望通り! 名前はプックルって言うの!」

 

 プックル……個人的にはボロンゴかゲレゲレの方がいい気がしたが、人様のご家庭のネーミングセンスに口出しすべきではない。

 

 ドロシーはプックルちゃんのほっぺたをツンツンしながら、「ぷにぷに……」とよくわからんことをのたまっていた。

 ちょっとお嬢さん! 新種のスライムじゃないんですよ。

 

「せっかくだから、ニケも抱いてみる?」

 

 そう言われて、赤ん坊の手を取ると、どういう訳か「びえ~~~ん!!!」と泣き出した。ぱっと離すと、すっと泣き止み、そっと触れると、わっと泣き出す。そのやり取りが三回続いた。

 

 あからさまなその態度に、三人が笑い出す。

 

「おっかし~。なんか嫌われちゃったみたいだねえ、ニケ……」

「生まれて間もない赤子は感覚が限定されているが故に、高度にソフィスティケートされた俺の御魂にただならぬ何かを感じ取ってしまうんでしょうね……」

「何ワケのわかんないこと言ってるのよ。どう、ドロシーちゃんも抱いてみる?」

 

「まだ首が座ってないから、気をつけてね~」とアツコサンに促され、ドロシーは恐る恐るといった調子で、赤ん坊を引き受ける。

 抱いた瞬間、ドロシーと目が合うと、プックルはにんまり微笑んだ。

 

「……かわいい」

 

 ドロシーの何気ない一言に、カムイとアツコサンも笑い、和やかな空気に包まれる。

 俺一人だけが、その空気から排除されていた。まるで俺の上空からのみ、豪雨が降り注いでるかのような気分だ。

 

「あらら~、ニケの時とはえらい違いだねえ。ドロシーちゃんのこと気に入っちゃったかな~」

「これはいけませんねえ、奥さん。この子は天性の女たらしかもしれない。今のうちからしっかり教育しておかねばなりません」

「何ワケのわかんないこと言ってるのよ。そんなに悔しかった?」

 

 ふとプックルと目が合うと、ヤツはどういう訳か、ふんと鼻を鳴らすような笑い方をした。

 

 おのれ小童めが……スケベそうな顔しやがって……

 将来お前が大人になったら、おじさんが絶対いじめてやるからな!

 

「ん? なんだか外が騒がしいわね……」

 

 アツコサンがそう言ったので、窓の外へ視線を移す。港の方へ向けて慌ただしく走り出す子供たちの姿が見え、遠くから歓声が聞こえた。

 

「ああ、そういや今日だったか……勇者さまが来られる日」

「ん? 勇者さま?」

 

 カムイがうなずいた。

 

「俺も最近知った話なんだけど……ロゼッタから勇者様一向が来られるそうなんだ。それだけじゃない。ネウストリア国王を筆頭に、アヴァロニア諸国の首脳がこのカトブレスの地に集うらしい」

「お偉いさんが一堂集結? ってことは――」

「ああ」

 

 俺とドロシーの目を見て、カムイが言った。

 

「第三次東征が、ついに開戦する。出陣式だよ。東洋諸国決起に際し、イリヤ教団総主教、かのネフェル3世もご来訪されるとの噂だ――」

 

 

  ***

 

 

 同日同時刻、カトブレス、ブラン城貴賓室――

 

「ふぁあああああ~っ! にしても長ぇなオイ……もうかれこれ二時間は待ってるんだが」

 

 長卓の下座に座った大男が、背中をボリボリ掻きながらそう愚痴った。

 南部の山岳地帯の民俗衣装でもある二本の角が特徴的な兜を被り、口元には胸元まで届きそうな髭をたくわえ、いかにも退屈そうな顔を浮かべている。

 

 何より特筆すべきは、その屈強な体つきだ。

 身丈も身幅も、列席する他の諸侯の軽く倍はあり、彼一人でテーブルの三席分くらいは占めていると言っても過言ではない。

 

「まあそうぼやくな、イシルドア。気長に待つのも首班たる者の責務の一つであろう。聖下は心お優しい御方だ……きっと今頃、民衆の声に応えているのではないか」

 

 斜向かいからそう諫めたのは、アルルの統領ことバルザックだ。

 相変わらず、頭部はテカテカと潔いくらいにハゲている。朝方たっぷり、温泉にでも浸かってきたのだろう。

 

 南部の山岳地帯を治める、ザクソンの統領イシルドアは、ふーっと鼻息を吐き出す。

 彼にしてはささいな仕草であったかもしれないが、長卓に置かれた燭台が彼の鼻息で揺れていた。

 

「ってもよォ、俺はバルザックのじいさんと違って、気が短くてねえ……アンタだってそうだろう? ドラクロワ。お互い戦争に向けて仕事は山積みなのに、急な指令で遠路はるばるやって来て、大変だよなァ」

 

 イシルドアの向かいに座るドラクロワは、トランシルヴェスタの統領だ。

 八の字に口ひげをたくわえ、竜の鱗をモチーフにした軍服を身に纏う彼は、バルザックの士官学校時代の後輩で、以来知己として交わってきた仲でもある。

 

 なるほどイシルドアが言ったとおり、各国の首府からカトブレスまでの距離は、ドラクロワの居城アラドが一番遠い。

 

「イシルドア。騎士王の御前であるぞ」

 

 よく通る声で、ドラクロワが言った。

 

「貴公の歯に衣着せぬ物言いは、友としては爽快だが、時と場所をわきまえよ。騎士王は我々の同輩であると共に、我々のリーダーでもあるのだ。頂点を敬えぬ組織に、未来はない」

「か~っ! 相変わらず堅物だねェ……イモばっか掘ってないで、いい加減少しは女遊びでも覚えたらどうだ」

「それを言うなら、貴公こそ穴掘りにばかり励んでないで、一国の王たる者の気品を身につけよ」

 

 アヴァロニアの穀倉地帯と呼ばれ、農業大国であるトランシルヴェスタと、鉱山開発を国家事業の中心に据えている資源大国のザクソン。

 互いの長所をなじり合う、毎度お馴染みの不毛なやり取りではあったが、今日は珍しく、そこに割って入る人物がいた。

 

「トランシルヴェスタ公の仰るとおりですわ」

 

 ドラクロワの斜向かい、イシルドアの隣に鎮座する女性がパチリと扇子を閉じ、唐突に口を開いた。

 

「前々から常々思っていましたが、ザクソン公。そなたの粗野な振る舞いは、一国の王として、アヴァロニア諸国に列する者としての自覚が欠けていますわ。いくらドワーフとは言え、相応の良識と品格を備えていただけませんこと?」

 

 やけに、ドワーフの部分を強調する物言いだった。

 

 随所に宝石をちりばめた瀟洒なドレスに身を纏う妙齢の美姫こそ、アンブロワーズ領を束ねるエスメラルダだった。アヴァロニアでは知らぬ者のいない、名門エスメラルダ家第三十九代目当主である。

 ちなみにブロンドをクルクルと複雑な塔のように巻いているのは、彼女の趣味というより、家の伝統である。

 

 彼女の日頃の高圧的な振る舞いは、衆目の知るところであったので、敵に回すと分が悪い。真面目に受け答えするより、風のように流すのが対応としては正しい。

 イシルドアとて、そのことは弁えていた。

 

「はあ……なんかすんません」

 

 頭をボリボリ掻きながら、鼻息交じりにそう零したイシルドア。

 彼としては十分な謝意を示したつもりだったが、その無骨な反応が、エスメラルダの癇にさわった。

 

「マリア!!」

 

 大声を発するとほぼ同時、貴賓室の扉が開いて、一人のメイドが入ってきた。

 

「紅茶を替えてくださる? 隣に座る男の鼻息で、少し冷めてしまいましたわ」

 

 メイドは「ただちに」と殺戮を忠実にこなす機械のような音声を発して、カップを下げた。そして部屋を後にする。イシルドアはあさっての方向を眺めながら、「おぉ……おっかな」と呟いた。

 

 ものの三十秒程度でメイドが持ってきた熱い紅茶を口に付けると、エスメラルダが吐息を零した。

 

「この席は少々窮屈ですわねえ……誰とは言いませんけれど、右隣に座る無駄に図体ばかりデカくて中身の詰まっていない男のせいで……」

 

 すると、彼女はちらりと視線を左に流した。口元には微かな愉悦が浮かんでいる。

 

「騎士王。替わっていただけないかしら?」

 

 その一言が何を意味するかは、今晩の晩飯何にしようかなと考え始めたイシルドアを除いて、皆が察していた。

 年若くかつ同性である騎士王に対して、エスメラルダが快くない印象を抱いていたのは明白だった。事実、彼女は事あるごとに騎士王の施策や方針に対して難癖つけていた。ガラテアがノルカ・ソルカから買収したイカルガ鉱床を巡る領土問題などはその最たる例である。

 

 さらに言えば、今日の座席は、最奥の角席にイリヤ教団総主教が腰掛けるのは当然のこととして、向かって左奥の席から順に右、左と左上位で座っていく席順になっている。

 席順とは、すなわち東洋諸国内での序列。

 アヴァロニアの最高君主たるネウストリア国王が一番目に座り、次いで臣下筆頭の騎士王……あとはその時々で変わるが、末席にトランシルヴェスタ公が座るのは永らくの定番となっている。

 

 つまり、ナンバースリーに座するエスメラルダが、ナンバーツーの騎士王に「席を替われ」と告げたのは、「小娘のお前には分不相応だから、私にその地位を譲れ」と言ったも当然であった。

 これにはもちろん、歴代で最も多く騎士王を輩出した名門エスメラルダ家の意地とプライドもあったのだろう。ていうかそれしかない。

 

 なんかやべえなこの雰囲気……と思ったバルザックは、左隣のドラクロワを足でけしかける。お前、さっき「騎士王の御前であるぞ」とか言ってただろ。同じ事言えよとの念を込めて。

 

 しかし、ドラクロワは動じなかった。

 彼は顔の前で両手を組み、「見ざる聞かざる言わざる」のポーズを貫いていた。悲しい哉、これがかれこれ二百年は騎士王を輩出せず、最下位の地位に安寧を見出しつつある田舎の領主の処世術か……とバルザックは虚しい気持ちに駆られた。

 だが、理解できなくもない。

 

 というのも、トランシルヴェスタはアンブロワーズと隣国ということもあって、昔から散々嫌がらせのような無理難題をふっかけられては屈したという哀しい歴史があるのだ。アンブロワーズの領土がいやに東西に長いのは、通行税で儲けたいという思惑の下、トランシルヴェスタの領土をちょっとずつちょっとずつ分捕っていったからに他ならない。

 

 長年の辛酸の末、生き抜くためには大人しく子分面しておくのが得策という最適解を見出した、トランシルヴェスタの立場には、バルザックとて同情するものがある。

 にしてもなァ……

 

 聖下も陛下も、頼むから早く来てくれ。こういうのは上の立場の人間から言わんことには、どうにもならねえよ……

 

 ああ、こういう時にユッテナイネンのオヤジ*1がいてくれたらなあ……あのオヤジは色々とメチャクチャだったけど、面倒な役回りはきちんと引き受けて、もめ事は鶴の一声でまとめる長者の気質があった……それに比べて最近の若いモンは。

 ホント惜しい男を亡くしたなァ……とバルザックが現実逃避という名の思い出巡りに心を馳せたとき、騎士王が不意に言った。

 

「ふふーん♪ わがまま言ったらダメだよ、メイちゃん。今日は自由席じゃないんだから」

 

 焼き肉がいいか……いややっぱカトブレスだとシーフード食いてえなと未だ逡巡しているイシルドアを除いて、その場にいた全員が凍り付いた。

 

 今、なんと……

 

「ななな……誰がメイちゃんですって! 私をその名で呼んで良いのは、血を分けたお母様とお父様の他には、天上天下ネウストリア国王陛下唯一人のみですわよ!」

「いーじゃん別に~。お互い結構長い付き合いなんだからさ。仲良くしようよ~。あ、私のことはロロって呼んでいいから!」

「そういう問題じゃなくて……ああもう! マリア!!」

 

 すぐさま、扉が開いて先ほどと同じメイドが馳せ参じた。

 

「お花を摘みに参ります! 付いてきて!」

 

 口元を扇子で隠しても大声で丸わかりだし、第一アンブロワーズのお嬢はメイドがいないと一人で便所にも行けないのかとバルザックは思ったが、まあそんなことはどうでもいい。

 転じた視線の先、騎士王ことロローナは、にへらと笑っていた。

 

「悪いねえ、妙な空気にしちゃって」

「いえ。騎士王こそアンブロワーズ公には常日頃手を焼いていることでしょう。心中、お察しいたします」

 

 しゃあしゃあとそう言ってのけたドラクロワを見て、バルザックはコイツ、こういう時だけはホント調子良いな……と白目を浮かべた。

 鬼の居ぬ間に洗濯ということであろうか、ドラクロワは、

 

「おい、イシルドア。いい加減晩飯のことを考えるのはやめろ」

「え? 何でわかったんだ」

「お前がそういう顔をしているときは、メシのことを考えてる時だと相場は決まってるんだ」

 

 と、イシルドアと謎のやり取りをしていた。何だかんだ言いつつ、こいつらは仲が良いらしい。

 

「ねえ、バルザックさん」

 

 話しかけられて、バルザックは騎士王に目を向ける。

 

「後で時間があるときでいいんだけど……数ヶ月前にアルルが解決したアルヴァ・ユリアの竜退治のこと。詳しく聞かせてもらっていいかな?」

 

 俺じゃなくて、隣の調子の良い、どうにもきな臭い事件だからお前も一枚噛んでくれと泣きついてきたひげ面の男に聞いてくれと言いたかったが、待てよ。これは騎士王の腹を探るいいチャンスかもしれない。

 

 あの事件は、間違いなく裏で教団が糸を引いている。

 ガイラルが上げてきた報告から考えるに、限りなく黒に近い灰色なのか、完全に黒なのかの二択だ。

 

 散々トラヴィスにけしかけられていたことでもある。騎士王をこちら側に引き込むのか引き込まないのか、カマをかけるにはいい機会だろう……

 

「ええ。よろしいですよ……私もその件で、閣下に伝えたいことがございます」

 

 その時だった。不意に部屋の扉が開く。

 

 ずいぶん早いお花摘みだなとバルザックは一瞬感心しかけたが、現れたのはエスメラルダではなく、屈強な大男だった。獅子を象った勇壮な兜に、腰に佩いた長剣。

 はて、どこかで見覚えがあるような……

 

 彼は一堂に向けて礼をすると、外で控える人物に告げた。

 

「陛下、こちらでございます」

「うむ。ご苦労であった、ゴライアス。外で待っておれ」

 

 恭しく頭を下げたゴライアスと引き換えに、現れたのはネウストリア国王その人であった。

 バルザックを始め、一同がすばやく席を立つ。

 

「こうして皆で集まるのは、いつ以来かのう……皆、元気そうで安心した」

「はっ。陛下こそ、ご壮健で何よりです」

 

 調子の良い男ことドラクロワが口火を切ると、銘々が再会の言葉を述べる。

 ネウストリア国王が席に着くと、イシルドアがハナクソをほじってから言った。

 

「それでよお、オヤジ。こうしてみんなが集まったってことは――」

「オヤジはよさんか。エスメラルダが怒りおるぞ……おや。エスメラルダはいずこに?」

「ションベン行ったみたいだぜ。長いから、うんこの方かもしれん」

「……そうか」

 

 ネウストリア国王は、末席の方へ目を移してから呟いた。

 

「ノルカ・ソルカは欠席か?」

「うん。国内情勢的に、それどころじゃないみたい」

 

 騎士王が応じると、ネウストリア国王は小刻みに何度かうなずいた。

 

「無念だな。戦わずとも、顔だけでも見せてくれればよかったのだが……」

 

 本当にそう思っているのかいないのか、釈然としない面持ちで彼は呟いた。わざとそういう演技をしているんじゃないかという疑念すら湧いてくる。

 

 やがて、彼が「騎士王。そなたから頼む」と言った。ロローナは席を立ち、皆の顔を見回した。

 

「ようこそガラテアの王都、北の白都カトブレスへ! ってみんなを歓待したいところなんだけど、残念ながらそうはいかないんだよねえ……みんなに急遽集まってもらったのは……はい! イシルドアさん、答えて!」

「お、オウ……俺か? 聖下まで来るっつーんだから、そりゃあ第三次東征の開戦だろう?」

「正解! ですが、それだけなら出陣式やるからヨロシク~♪ の一言で済んだワケです。わざわざ事前にコソコソ示し合わせて、集まる機会を設けたのは~……」

 

 騎士王は、にこりと笑って一同に告げた。

 

「御上の方針に、大幅な変更が生じたからです♪」

 

 バルザックはロローナの屈託のない笑顔を見つめて、内心やれやれとため息をついた。

 胸騒ぎがする。嫌な予感がする。形容しがたい違和感を覚える。

 

 お花摘みに出かけたエスメラルダは、このまま帰ってこない方がよさそうだなと、彼は思った。

*1
先代騎士王。旧ノルカ・ソルカ統領



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52 騎士王からのいざない

 野次馬根性よろしく、ドロシーと共に港へ出向いた俺であったが、結論から言うと、その日は結局、総主教の顔を拝むことはできなかった。

 

 偶然出くわした我等が事情通、モヒーニキの話によると、混乱を避けるために、港に現れるというフェイクニュースをあえて流し、その間に陸路でブラン城に向かったのではないか、とのことだった。

 

 なるほど、ガラテアは熱心なイリヤ教徒が多いことで有名な国だ。ガラテア国民の多くは、ネウストリアからの移民の末裔であることは以前にも触れたとおり。歴史用語で言うところの、西方植民である。

 つまり、古からの土着民が国民の大半を占めるノルカ・ソルカやザクソンとは、少々勝手が違う。地理的には西部に位置しながらも、お国柄が保守的で極東に近いのは、こうした歴史的背景が関係している。

 

「しっかし、この人の多さにはうんざりするな……みんな暇なんかね。十年前からほとんど見た目が変わらない、恐れ多くも麗しい総主教サマを見たいって気持ちはわかるけどよ」

「まあそう言うなよニケ。大陸じゃ数百年ぶりの公会議なんだ。歴史が動く瞬間を、みんなこの目で見たくて仕方ねえのさ。まして、預言者たる総主教様自らお出ましとなれば、これを拝まずに死ねるかって話だ」

「そりゃ、じいちゃんばあちゃん世代の話だろ。俺らの世代からすれば、預言者だの何だの言われても、正直ピンと来ない」

「おい、滅多な事言うんじゃねえよ……危なっかしいなお前は」

 

 モヒーニキは慌てて俺の口を塞いだが、正直お前だってそう思ってるんだろというのが本音だった。

 

 第一総主教が神の預言者なら、どうして神のまにまに決行された二次東征が失敗に終わったんですかね。小さい頃、親父にそうぼやいたら、「うるせえ! 神だって間違えることくらいあるんだよ!」って怒られたっけ。その諭し方もどうかと思うが……

 

 神は死んだ。もしくは、休暇取ってバカンスに出かけたまま、行方不明になった。

 それでよくないか?

 

「それよりニケ。あの女の子何なんだよ。お前のコレか? コレ」

 

 モヒーニキが小指を立てて茶化してくるので、俺はやれやれとため息をついた。

 シードロちゃんは、そういうのとは、ちょっと違うんだよなあ……

 

 芋洗うほどの雑踏を引き返し、骨折れ損のくたびれもうけ。

 

 こんな日は温泉にでもどっぷり浸かるに限ると思い、カムイの店に戻ると、アツコサンが慌てた様子で俺に駆け寄る。何でも、ギルドから呼び出しがあったという。

 ギルドはギルドでも、石工ギルドではなく、クラインの方だ。

 

 ドロシーを連れて、至急本館まで来いとのことだった。

 

 

   *

 

 

 成功報酬の支払いは明日にでも手続きしようと考えていたのだが、向こうから催促してくるとは、一体どういう風の吹き回しだ。どうにも解せんなと思いつつ、来いと言われた以上は行くしかない。財布を握りしめられてる方はいつだって立場が弱いからね。

 

 茶をしばく暇もなく、麓の本館に向かうと、入口を塞ぐようにやたら豪勢な馬車が止まっていた。

 どこの趣味の悪い金持ちだよクソがと車輪を蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが、不意に紫煙の香りが鼻腔をくすぐる。見覚えのある白髪の後ろ姿に、正直嫌な予感しかしなかった。

 

 奥にいた女性――毎度お馴染みいつもお世話になっております受付のお姉さんが、俺とドロシーの姿に気付いてこちらに手を振った。

 

「あらら、ずいぶん遅かったわねえ」

「さーせん、外出先から戻って知ったもんで」

「ふーん。ひとまず、二人ともこないだの討伐はお疲れ様でした。紹介するわね、こちらは――」

「結構です。存じ上げておりますので。こう見えて、僕たちとっても仲良しなんです。ねえ――」

 

 そう言うと、俺は傍らで煙草をくゆらす男をじっと見た。

 

「ギルドマスター。トラヴィス・クリーヴァーさん」

 

 名を呼ばれると、彼は煙草をピンと指で弾き、ブーツのつま先でもみ消した。そして、いつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

 

「久しぶりだねぇ。会いたかったよ、ゴクツブシ」

 

 俺は悟ったような顔でうなずき、そして言った。

 

「もう帰っていい?」

「早ぇよ。まだ要件も言ってないだろ」

「どうせロクな用事じゃないんだろ」

「騎士王がお前に会いたいんだと。デートのお誘いだ」

「嘘つけ」

「いいから乗れよ。こんな所で立ち話も何だ、話は車中でしよう」

「嫌だと言ったら? 俺は騎士王よりゴライアスが好きなんだと言ったら?」

「面倒くさいなコイツ……ほれ、相棒はもう乗ってるぜ」

 

 トラヴィスが親指を立てて背中の方を指すので、見ると確かにドロシーが馬車に乗り込んで、かじかんだ両手を吐息で温めていた。

 目が合うと、彼女は言った。

 

「どうせ拒否権なんてないのよ。あきらめなさい」

 

 俺は両肩をすくめ、やれやれと嘆息した。

 

 

   *

 

 

 車輪の軋みでガタガタと揺れる車内で、俺は窓の外で移りゆく町並みをじっと見つめていた。心境はさながら、憲兵に逮捕されて護送されている罪人の気分である。

 

「いやー、こんな偶然もあるんだねえ。まさか、お前ら二人がいつの間にか結託してたなんて」

 

 開口一番、トラヴィスがいやに大仰な口調でそう言った。

 俺は両目を細めて、ついでに口元も細める。

 

「白々しいにも程があるだろ、オッサン……」

「え? 何のこと?」

「とぼけんな。お前やクロノアが影でコソコソやってたのは、こちとらわかってんだよ」

「え? 何のこと?」

 

 俺はクソデカため息をついた。

 

「まあ問いただすなら、結果より過程の方じゃないかしら」

 

 ドロシーが口を開いた。

 馭者が用意してくれた茶菓子のクッキーを一つまみ。ムシャムシャと小動物のように頬張っておられた。

 態度のでけぇ罪人ですね……

 

「ニケと私のこれまでの経緯を総合すると、貴方やクロノアは、私たち二人を引き合わせようとしていたとしか思えないのよね。まあ、それ自体は別にいいのよ……目的を同じとする者同士、バラバラに泳がせるよりは一緒にまとめといた方が、貴方たちからすれば都合が良いだろうし。

 問題は、その手段よ。どうして、こんな回りくどいやり方を選んだのかしら? コソコソ裏で手を回して、まるで誰かに見つかることを恐れていたようにすら映るけれど」

「…………」

「答えないってことは、これからその答え合わせをするってことでいいのかしら? 貴方がこうして直々に来てるってことは、城で待ってるのは騎士王だけじゃないんでしょ」

 

 トラヴィスはなお答えなかった。

 懐の煙草に手を伸ばそうとしたが、ドロシーさんのジト目を察して、右手を所在なげに首の後ろに回し、観念したように言った。

 

「今日召集をかけたのは、勇者じゃなくて騎士王。それは事実だ……イカルガの件で礼が言いたいんだと。とりあえず連れてこいとしか言われてないから、俺も詳しくは知らん」

「奥歯に物が挟まったような言い方だね。奥歯だけでなく、前歯にも挟まってるようにお見受けするが」

 

 俺がニンマリ笑うと、トラヴィスが鼻で笑った。

 

「楽しそうだな、お前」

「愉悦だよ。自覚がなくとも、魂というものは本能的に愉悦を追い求める」

「悪いな、喋りたくてもこれ以上は喋られないんだよ。俺はもう、無職のツケにも寛容なギルドのバーテンダーは卒業して、今や勇者の仲間の看板背負う立場になっちまったんだ」

「寛容とは一体? 先生怒らないから、説明してみなさい」

「散々タダ酒飲ませてやっただろうが」

「ならばバーテンダーではなく詐欺師の間違いでは? 一体何をどう勘定したら、ツケが100万にも膨れ上がるのかね。ソロバンの弾き方から勉強し直してきた方がいいんじゃないの」

「利子という言葉をご存じかな? あと迷惑料」

「ガキの言い合いみたいなのはどうでもいいからさ……つまりトラヴィス、貴方は本当に騎士王の小間使いとしてやって来たってこと?」

 

 ドロシーがそう言うと、トラヴィスは彼女の目を一瞥して、小さくため息をついた。

 

「さっきからそう言ってんだろ。少なくとも俺とクロノアの中では、このタイミングでお前らに会うつもりなんざなかった」

「痛くて仕方ない腹探られるもんな」

「悪意のある言い方をするなら、まあゴクツブシの言うとおりだよ」

「ふーん……天下のギルドマスターさんと言え、騎士王の前ではただのおべっか使いか……」

「しゃーねえだろ。アイツ腹曲げると面倒くさいんだよ」

「普段ヘラヘラしてる人間ほど、実は結構根に持つタイプだったりするもんねえ」

「わかってらっしゃる。女の話は女にするに限るね」

「アリシアとは違うって?」

「安心しろ。そこまでは言ってない」

「でも何だろ。アリシアの実家にお世話になったからかなあ」

「それ俺も人伝に聞いたんだが、マジなの?」

「マジよ。彼女のおじいちゃんにも会ってきた。ノルカ・ソルカの生ける伝説なんでしょ。案外普通のおじいちゃんだったけど」

「普通てお前……今は亡き幻狼隊の首領、ロイド・ローウェルと言えば、ノルカ・ソルカじゃそれはそれは……泣く子も黙る恐ろしい武人で有名だったんだぞ」

「二次東征で活躍したんだっけ? 何か凄かったって話は聞いた」

「まあ……とんでもねえジジイだったことは確かだよ。俺もこの目で見たからな……人を滅多に褒めない副船長が、『アレはバケモンだ。同じ人間と思うな』って言ってたから」

 

 二人の会話に割り込むタイミングを完全に見失った俺は、一人虚しく紅茶を啜るほかなかった。

 心なしか、いつもより酸っぱい味がしたね……

 

「なあ。副船長って誰?」

「ん? 何だゴクツブシ、お前もたまには人間に興味持つのか」

「アンタこそ、俺の友達が壁しかいないとでも思ってるのか?」

「いや、他にも草木とか花とか、路傍の石とか……」

「やめろ。俺が悪かった」

 

 トラヴィスは乾いた声で笑った。

 懐の煙草に手を伸ばそうとしたが、ドロシーさんのジト目を察して、右手を所在なげに首の後ろに回した。

 

「俺が二次東征に駆り出されてたって話、お前にしたことあるっけ?」

「したとも言えるし、していないとも言える」

「どっちだよ。南洋の哲学問答みたいな答え方すんな」

「悪いね。瑣末な話は酒と一緒に抜けちまうのさ」

「そうか……じゃあ、俺が当時海賊だったことも知らんわな」

「海賊? アンタが?」

「そうよ」

 

 ドロシーが言い足した。

 

「ネウストリア王家に私掠免許を与えられた政府公認海賊、カルヴァドス海賊団って聞いたことない?」

「カルヴァドスって……最後の海賊とか言われた伝説の――」

「そう。トラヴィスはそこの一味だったのよ」

「一味つっても、しがない航海士でしかなかったけどな」

 

 トラヴィスはそう言って、紅茶を啜った。

 おいおいマジかよ……そうか、それで戦後は陸に干されて、昼は商人、夜はストライダーとかいうクソダサ職業にジョブチェンジしたのか……

 

「あれ、でも……カルヴァドスは二次東征に従軍して、確か全滅したんじゃ」

「ああ。だから俺は数少ない生き残り。ちなみにお前がさっき聞いた副船長もまだ生きてる。それ以外は大体死んだ」

「そうか……いや、カルヴァドスってロゼッタのガキんちょの間では有名というか、ピカレスク的な人気があったから……全滅したって聞いて結構ショックだったの覚えてるよ。まさか生き残りがいたとは……」

「お前が驚くのも無理はねえさ。俺だって、あの時くたばってた方がいっそ楽だったって、今でもたまに思うよ」

「そうか……じゃあ明日にでも」

「何でだよ。掌返すの早すぎだろ」

 

 ドロシーがふふっと笑った。

 俺的には一時間後でなく明日にした時点で十分譲歩したつもりだったのだが、上手く伝わらなかったらしい。ディスコミュニケーション。

 

 一方、トラヴィスは眉間に指先をあて、「クソ、煙草吸いたい……」とぼやいていた。どうやら、密室でかつレディーの前では吸わないのがコイツの流儀らしい。

 

「で、副船長はどこいったの? まだ生きてるんだろ」

「ああ、今は呑気に……ってあれ。お前、たぶん会ってるんじゃねえか」

「会ってる? いつだよ」

「いや。覚えてないんなら、別にいいけど……」

「ねえ、アリシアやゴライアスもここに来てるの?」

「来てるよ。つっても、ゴライアスは国王陛下の護衛に付いてるから、俺たちとは別行動だが」

「ふーん……勇者に勇者の仲間に総主教に、アヴァロニアの七王が揃い踏みとは、これから一体何が始まるのかしらねえ」

 

 ドロシーがクッキーをつまみながら言った。

 それはたぶん俺の分だと思うのだが、姫様のご機嫌を損ねるのもいかがかと思い、大人しく黙っておくこととした。

 

「さあねえ。皆で新春かくし芸大会でもやるんじゃねえか」

 

 しゃあしゃあとそう言ってのけたトラヴィスを見て、「白々しい……」とドロシーがすねたような顔を浮かべた。

 

 俺的にはゴライアスに会えないのが寂しかったが、こればかりは致し方ない。会えない寂しさが二人の情念を育むのだ。

 それはまるで空から舞い落ちる雪のように……触れればそっと消えてしまう、淡く切ないすれ違い……

 

「てかさ。ニケって騎士王と接点あったの?」

「ああ……ドロシーと会う前に、この街で一度だけ」

 

 詳細は面倒臭いので説明しなかった。てかあんなんどうやって説明するよ。巻き込まれた俺が一番摩訶不思議アドベンチャーだよ。

 

「会ったのって夜?」

 

 質問の意図をはかりかねて、ドロシーの目をちらりと見る。断じていかがわしいことはしていないはずなのだが、妙にそわそわ挙動不審。

 ふっ。これだから、モテる男はつらいぜ……

 

「言われてみれば夜だったけど、それが何か問題でも?」

 

 図らずも質問を質問で返してくる奴は大抵胡散臭いという鉄則に従う形となってしまったが、ドロシーはうつむき、「やっぱりか……」と漏らした。やっぱり?

 

「騎士王って、日中は人前に姿を現さないことで有名なのよね」

「……吸血鬼の末裔だからか?」

「うん。伝承によると、吸血鬼って太陽の光に弱いらしいから。割と本気でそう疑ってる人もいるとかいないとか……」

「何だよそのホラー……」

「そんなモン嘘に決まってるだろ。わかっててわざとやってんだよ。アイツはそういうとこあるからな」

 

 トラヴィスが呆れたように言った。

 確かに……なんかそういうの好きそうだもんな。子供っぽいんだか、子供っぽく振る舞っているんだか、未だに腹の底が読めない人物ではある。

 

 紅茶に一口つけてから、俺は言った。

 

「民衆はそういうゴシップが好きだからな……毒をもって毒を制す。仮にアイツが吸血鬼だったら、俺たち人間は魔族を倒すために魔族を総大将に立てたってことになる。いくら何でも、コイツは笑えねえ冗談だ」

「……同感だな」

 

 トラヴィスは珍しく俺の発言に同調すると、静かに紅茶を啜った。

 馬車は石橋を渡り、間もなくブラン城の城門をくぐった。



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53 好奇心は猫をも殺す

 ブラン城は今を遡ること二半世紀前、現騎士王のひいひいひいひいひい(途中省略)じいさんに当たる、ゴットフリート1世によって建築された。

 

 元々はトランシルヴェスタの有力諸侯であったツェペシュ家が、ガラテアに移封された際、カトブレスをトルバ海の一大貿易拠点とすべく、整備する過程で築かれた城なんだとか。

 その後ゴットフリート3世の治世に、カトブレスは首都と定められ、北の白都として花開く。例の世界一周を成し遂げた冒険家、ネルソン・トラヤヌスが生まれたもその時代だ。

 

 さて、ブラン城に着くや、俺は早速うんこをしていた。

 

 どうも俺は初めての場所に来ると、うんこをしたくなるという習性があるらしい。前世は犬だったのかもしれない。

 マーキング……いやマーキングはうんこじゃなくて小便だから、そう言うと犬に失礼か。図らずとも俺は犬畜生以下の習性の持ち主であることが判明した。またしても、業の深さが一つアップデートされてしまったか……愉快愉快。いや不愉快だよ。

 しかし……

 

「……」

 

 どうやら道に迷ってしまったようだ。

「うんこしたい」とトラヴィスに告げると、汚物を見るような目で場所を教えられ、最上階の会議室で待ってるからなと言われたのだが、その最上階に辿り着けない。

 

 肝心の用は済ませたから人間としての尊厳は保たれたのだが、余りに待ち時間が長いと、「あれ? ニケ君遅いね」、「ああ。アイツうんこしてんだよ」、「え? キモっ」、「くっさ……」、「やっぱり天パに碌な奴はいねえな」、「陰毛みたいな髪型してるだけのことはある」と言われること必定である。尊厳は保たれど、名誉は失墜すること間違いなしである。

 

 何より、騎士王を俺のうんこ待ちで待たせるなんて、恥の余り俺を八つ裂きにして公開処刑にしてくれと叫びたくなるようなカルマを感じる。この者、自らの便意を優先し、陛下の貴重な時間を奪った罰により、晒し首の刑に処す――

 などと考えて急いだのが、今思うと全ての失敗の始まりだった……

 

 いや待てよ、最上階まで登ればいいだけの話だろと思った諸君に一つ言い訳をさせていただきたいのだが、この手の城は、侵入者に備え、あえて複雑な造りにしているのが定番なのである。

 

 例えば、四階に行くのには、一階から入って二階に上って地下一階に降りて、三階まで上がって二階に降りてようやく四階に行ける……みたいな。冗談みたいな話だが、本当にそうなのである。

 

 あー……やべえよ。何階も上り下りした結果、今自分が何階にいるのかすらわからなくなってきた……

 お前の人生みたいだなって? うるせえな。そのとおりだよ。

 

 索敵魔法? 悪いがもうとっくに行使してる。俺の人生史上こんな情けない理由で索敵魔法を使うのは初めてだが、そうも言ってられない。

 うんこ待ちのカルマは、それほどにまで深いのである。不快なだけに尚更深い。

 

 しかし残念ながら、俺の索敵魔法の精度では、何となくあの辺りにいるんだろうなくらいしか掴めない。ルート検索なんて便利な機能は、当然ない。

 てかそれをやるのなら、マッピングの工程を挟んでからじゃないと……ブツブツ。

 

 気が付くと、篝火が灯るほの暗いエリアに侵入していた。どこからともなく、ピチャンピチャンと水滴の音が聞こえる。

 

 地下か? たぶん地下なんだろうな。索敵魔法の反応を見る限り、目的地まではさらに遠ざかってるようだし……

 簡易魔法でトーチを作ると、周囲に光が射して、土壁が照らされる。奥へとさらに進むと、ハッとして背筋に冷たいものが走った。

 

「……牢屋か?」

 

 道沿いに鉄格子がまっすぐ続いている。

 

 アンデッドでもいないだろうなと、恐る恐る一部屋一部屋、牢の中を覗いていったが、中身はどれも空っぽだった。今は使われていない古い設備なのかもしれない。

 このまま進んでも行き止まりだなと思い、引き返そうと思ったその時、奥に階段があるのが見えた。どうやら上に上がれるようだ。

 

「……」

 

「進むか退くか迷った時は、退けば取り返しがつかなくなるかどうかで決めろ。後は時と場合による」という師匠の古い教えに従い、前に進むことにした。

 そして後悔した。

 

「何だこれ……拷問部屋か?」

 

 縛り台に鉄格子の吊り籠、トゲトゲの椅子、締め具の類いに、鞭や鎖鎌といった拷問具の数々、用途不明の実験器具、ガラスの中に液体漬けにされた謎の物体……奥にはかの有名な鉄の処女(アイアン・メイデン)もあった。

 

 聖母をモチーフとした、高さ2メルトほどの空洞の人形。前面の扉の内側には、無数の釘がびっしり。

 空洞部分に押し込めた人間がどうなるかは、推して知るべし……

 

 一説によると、ツェペシュ家初代当主ゴットフリート1世は、その昔領内の美しい娘を連れ出しては、鉄の処女でもだえ苦しむ姿を見て楽しんでいたそうな。

 絞り出した血液を全身に浴びることで、「ここ数年で最高のできばえ」、「柔らかくみずみずしさすら感じる珠玉のヴィンテージ」などと嗜んでは、吸血鬼として必要な血を摂取していたということである……

 

 嘘か本当かは知らんが、とんだド変態もいたものだ。

 過剰な権力は、人の心をいとも容易く歪めてしまうということか……そう考えると、権力などまるで有していない俺がこれほどの変態性を保持できているのは、逆に凄いことなのでは? ニケ、恐ろしい子……

 興味半分、恐ろしさ半分で鉄の処女に触れると、ふと肩を掴まれたような感覚があった。

 

 ……ん?

 

 幽霊だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 声にならない悲鳴を上げて、素早く振り返ると、そこには予想だにしない人物がいた。

 

「ニ~ケくん♪ こんな所で何してんの?」

 

 八重歯を見せて、軍服に身を包んだ騎士王が、にこりと微笑んでいた。

 

 

    *

 

 

「……すんません。陛下自ら、わざわざご足労をいただき……」

「いやいや。この城って、けったいな造りになってるからね。部下はみんなバタバタしてて、私が行かないと、他の人じゃわかんないから」

「……すんません」

 

 僕のうんこのせいで……と心中で言い足す。用も足せたからオールオッケー! などと、隙あらば申し開くのが俺の悪い癖だとは重々承知している。

 

「にしても、あんな所まで迷い込んだのは君が初めてだよ~。普通途中で引き返すでしょ~」

「過ぎたことは振り返らないのが、僕のモットーなので……」

「ははっ。嘘つけ~。振り返りまくるタイプのくせに~」

 

 さすがは陛下、類い希なるご慧眼の前では、小生如き丸裸のスッポンポン。

 実際、隙あらば振り返っては悶々と憂鬱に浸り、時のラビリンスをセルフプロデュースする男だからな。

 身体は忘れても、心はどうやったって覚えておるのだよ……あの日の傷をね……

 

「にしても、あの部屋何なんです?」

「見てのとおり、拷問部屋だよ。今は使ってないけどね。昔の名残っていうかさ」

「その割には、部屋が妙に片付いてましたけどね。俺の鼻ムズレーダーが反応しなかった」

「鼻ムズレーダー?」

「埃っぽくなかったってことです。俺、古臭い部屋に入ると、くしゃみ連発して、鼻水がダラダラ滝のように流れ出すんです。あの部屋にはそれがなかった」

「ふ~ん……なんかよくわかんないけど、そっか。気付いちゃったんだね……」

 

 すると、騎士王はこちらへ振り返った。

 両手を軍服のポケットに突っ込み、身をかがめて首を突き出すようにして、彼女は俺の顔を下から覗き込んだ。

 

「そうなんだよ……私、吸血鬼だからさ。夜な夜なあそこに若いメイドを連れ出しては、拷問に掛けて血液を絞り出して……」

「笑えない冗談はやめてくださいよ」

「ふふっ。バレちったか~……」

 

 近い。顔が近いっての。

 気恥ずかしさの余り目を逸らすと、騎士王は何でもない様子で振り返り、再び歩き出した。

 

 考えてみれば、彼女とこうして二人きりになるのは初めてか……

 

 初めてか……とかほざく辺り、だいぶキモいのは承知してるが、どうせキモいついでに、「ロロ。どこにも行かないでくれ。ずっと俺の側にいてくれ」とか言って後ろからぎゅっと抱きしめて、柔らかくていい匂いがするクンカクンカの挙げ句、八つ裂きにされて公開処刑にされる生き様も一つアリかなとキモい妄想に想いを焦がしていると、騎士王がふと階段の踊り場で立ち止まった。

 背中はこちらに向けたまま。

 

「ねえ、ニケくん。君、イカルガ鉱山の一件に関与してたんだってね」

「ああ、はい。よくご存じで……」

「どこまで知ってるの?」

 

 知ってるって何? アリシアのスリーサイズ?

 しかし騎士王の様子を見る限り、そんなふざけた話を期待している訳ではなさそうだ。

 

「ギルドの指示どおり、鉱山に巣くう山賊を退治しただけですよ。山賊は人狼に殲滅させられてたので、結果として人狼を退治することにはなりましたけど」

「うそ」

 

 聞こえるか、聞こえない程度の音量。

 騎士王は振り返り、俺の目をまっすぐ見た。

 

「君は、トランシルヴェスタの竜退治にも絡んでた……だったらもう、わかるよね。君の中で答えは出てるんじゃないかな」

「……」

 

 その目は生来陰っているようにも見えたし、鈍い闇の中で微かに輝きを保っているようにも映った。窓から射す光が褪せていたことが、その印象に僅かな誤差を与えているのかどうか、考えてみたけれど、結局わからなかった。

 

 俺は嘆息し、ぼりぼりと頭を掻いた。色んな可能性を考えた。警戒されているのか? ならばとっくに消されているような気もするが。

 いずれにせよ、彼女が本当はどちら側の人間なのか判然としない状況では、答えられることなどたかが知れている。

 

「あなたは俺に、何を期待してるんですか?」

 

 騎士王は答えなかった。

 やがて、彼女は視線を落とし、正面へ振り返った。小さなため息が、耳元を伝う。

 

「ごめん、何でもない。今の忘れて」

 

 突き放すようなその言い草は、なぜだろう。彼女が初めて俺に漏らした本音のように聞こえた。沈黙が流れる。

 

 やはりここは、後ろからぎゅっと抱きしめて、「ロロ。どこにも行くな。ずっと俺の側にいてくれ」と言うべきだったか……いや絶対違うな……

 

「ねえ、ニケくん。仮に、私があなたのことを好きだとして」

「はい……ハイ?」

「私の寿命があと一年しかないって言ったら、あなたはアリィより私を選んでくれる?」

 

 辺りは森閑として、真冬の夜のような静けさだった。ありとあらゆる音が壁の中に吸い込まれ、ここだけ時が止まったみたいだ。

 お生憎様、こういう時にシャープな切り返しができる男なら、俺はとっくにモテているはずだし、道化に身を落とさずにすんだはずだ。誰が道化やねん。

 

 二十秒ほど石像と化したのち、俺は重くて鈍い口を開いた。

 

「陛下」

「陛下じゃない。ロロって呼んで」

 

 二十秒ぶりに喋ったかと思えば、三文字で否定されるとは……

 おおニケよ! だからそなたはモテぬのだ……

 

「……ロロ」

「はい」

「その……言い出すチャンスを逃してしまったというか、ロクに否定もしなかった俺も悪いんだが……俺とアリシアの間には別に何もないよ。アイツとは友人……いや別に友人でもないな。知り合い……といえば知り合いか。ようわからんけどそんな感じの仲だ」

 

 ようわからんのはお前の言動だよと自分で自分に言いたくなった。

 すると、騎士王はにわかにふるふると両肩を震わせて、両手を顔に押し当てた。

 ……え?

 

「ちょちょちょ、え? ロロ、さん……?」

 

 慌てて彼女の腕を掴むと、ばっちり視線が合う。べーと舌を出すと、彼女は言った。

 

「知ってるよーだ」

 

 小悪魔みたいないたずらっぽい笑みを浮かべると、「あー満足した♪」と言って、彼女は階段をスタスタ上がっていった。

 俺はその場に硬直すること三秒、そして無情なる心で天を仰いだ。すると神がこう囁いた。

 

 おおニケよ! だからそなたはモテぬのだ……

 

 

    *

 

 

「たっだいま~! ニケくん連れてきたよ~!」

 

 会議室の扉を開けた瞬間、開口一番ロローナがそう言うと、窓際で煙草をふかしていたトラヴィスがこっちを見た。

 

「おう。ずいぶん長いクソだったな。漏らしたのかと思って心配したぞ」

 

 出会って二秒で即漏らすとか、コイツのお口はホント緩いこと……俺の肛門を少しは見習えよ。漏らさないように限界まで耐えてくれたんだぞ。

 

「ちげえよ。道に迷ってたんだよ」

「迷ってるのは人生だけじゃなかったのか?」

 

 トラヴィスはくっくと笑い、「迷子の迷子のゴクツブシ。あなたのお家はどこですか~♪」と言っていた。

 

 うるせえな。「困ってしまって、ワンワンワワーン!」とでも言えばいいのか? 

 ちなみに「ワンワンワワーン!」は俺の魂の叫びでもあるからな。世の中には、涙のない泣き顔ってのもあるんですよ……大人になれば、君もいずれわかる。

 

「君が噂のニケ君か。お初にお目にかかる」

 

 夕陽を背負ったその影が揺れる。

 腰元には剣を佩き、2メルトにまで届く鎧姿の巨体。筋骨隆々の男が、俺の元へ歩み寄った。

 

「私の名はゴライアス。君のことは、クロノアやトラヴィス、そしてアリシアからもよく聞いてるよ……一度こうして、挨拶しておきたいと思っていたんだ。よろしくな」

 

 ふっと微笑を浮かべると、彼は俺へと掌を差し出す。

 

「ああ……よろしく」

 

 俺もまた、すっと手を差し出し、男と男の契り、またの名を握手を交わす。

 握りしめた掌は分厚くて、温かかった。これが、夢にまで見た生ゴライアスか……おお。すごく、おっきい……

 

「国王陛下の護衛に就いてるんじゃなかったのか?」

「問題ない。こうして君と会うために、時間をいただいてきた」

「おいおい。そこまでして会う価値のある奴じゃねえよ」

「そんなことはない。只者じゃないと聞いているよ」

「そんなことはない。自慢じゃないが、只者だ」

 

 ゴライアスは一瞬目を丸くしたが、すぐに冗談だと気付いて、笑っていた。いや冗談じゃないんだけどな……

 お近づきの印に、「ちょっと大胸筋か上腕二頭筋触らせてもらっていいですか?」とお願いするべきか否か逡巡していると、後ろから声がした。

 

「ニケ! 遅かったわね~。何してたのよ」

 

 ドロシーだ。トテトテと俺の方に駆け寄ってくる。

「わりィ。うんこしてたんだ」とスマートに切り返せる度胸もなかったので、何か上手い言い訳はないかと探していると、ふと、ドロシーの三歩ほど後ろにいるアリシアと目が合った。

 

「……」

 

 互いに無言。何か気まずい。

 斜め後ろにいるロローナがニヤニヤほくそ笑んでいるような気がして、妙に居心地が悪い。

 アリシアは後ろ手にボリボリ頭を掻くと、視線を斜め下に逸らした。

 

「あー……そのなんだ。ドロシーから話は聞いたわ。うちの実家が色々世話になったんだってね……」

 

 一瞬俺の目を見ると、アリシアは再び視線を下げ、それからぼそりと言った。

 

「……ありがと」

 

 てっきり開口一番、「てめぇ、ウチの実家に土足で上がり込むたァどういう了見だおおん?!」と胸ぐら掴まれて恫喝されるまであると思っていた俺としては、正直予想外の反応だった。予想外すぎて、物足りなさすら感じる始末。

 

 後ろ手にボリボリと頭を掻き、視線を斜め下に逸らして、俺は言った。

 

「あー、そうそう。その件で、お前のじいちゃんから言付けを頼まれててな……『お前はお前の現実を生きろ、俺もそうするから』……だってよ」

 

 アリシアは瞬きを止めて、やがてふっと苦笑を浮かべた。

 

「言われんでもそうするっつーに……あのジジイ」

 

 伝わったのか伝わってないのか、でも結局伝わったんだろうなという気がした。

 言葉の外側にある想いは、きっと当事者間でしかわからないことだし、二人にしかわからないものでいいんだと思う。I am a messenger.

 

「やったじゃんアリィ~! ほら言ったでしょ。ロイドじいちゃんは、あなたの味方だって!」

 

 ロローナが満足そうに微笑んで、アリシアに抱きついていた。

 アリシアさんは「やめろウザい」と口では言っていたが、満更でもなさそうだった。

 

「よかったね」

 

 ドロシーが俺の方を見て、そう言う。

 お前のおかげでもあるんだぞと髪をワシャワシャしてやりたかったが、ナチュラルに拒絶されたら傷つくのでやめておいた。ダメ、絶対。イケメンムーブ。

 

 不意に、部屋の扉が開く。風が吹き抜けて、カーテンが揺れた。

 

「お待たせしました。皆さんお揃いのようですね」

 

 見ればそこには、クロノアがいた。

 

 数ヶ月ぶりに目にした彼は、以前よりほんの少し背が伸びて、顔付きもどことなく勇ましくなったような気がした。

 彼の覚悟がそうさせたのか、周囲の環境か……少なくとも俺が十五か六の頃は、もっと腑抜けた顔をしていた。隙あらばおっぱいの尊さについて哲学していた。恥の多い人生を歩んできたとは自覚している。

 

「お久しぶりですね、ニケさん。いつ以来でしょうか」

「さあな。一万年と二千年ぶりくらいじゃないか」

 

 つまりそれくらい、俺とお前の公転周期はかけ離れていて、直列に並ぶことは半永久的にないんだよと言いたかったのだが、上手く伝わったのかはわからない。そもそも伝える気がない。

 

 クロノアは柔和な笑みを浮かべ、「相変わらずですね……」と言った。

 笑うといつもの優しいクロノアきゅんに戻るのは、実家に帰ってきたかのような安心感があって、Feel so good だった。

 

 さて、役者も揃ったところで……といっても、一人は場違いの道化だが……

 

「そろそろいいだろ……俺とドロシーを、ここに呼んだ理由を説明してくれないか」

 

 俺がそう言うと、全員の視線が騎士王とクロノアへ集まる。

 テラスから見える夕陽が薄暗い部屋に影を落とし、風は静かに謳っていた。

 

 やがて、クロノアが言った。

 

「トランシルヴェスタの竜退治の件について、お伝えしておきたいことがあります――あの事件には、教団が深く関わっている」

 



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54 こたえあわせ(まちがいさがし)

「教団が……? どういうことだ?」

 

 俺がそう言うと、トラヴィスがテーブルのグラスの中にワインを注いだ。

 「お? 俺にくれるの? 気が利くねえ」と言いたいところだったが、奴はそのままグラスを口元に運んだ。

 

「先日バルザックから最終報告書が上がってきてな……トランシルヴェスタの竜退治に加わってたお前なら、当然知ってるはずだ。討伐したドラゴンが、魔眼に近しい力を有していて、それによって討伐隊が苦戦させられたことを」

「もちろん」

「結論から言うぜ。あの地に悪竜が現れたのは、魔力泉の暴走による偶然の結果なんかじゃない。教団の手によって生み出されたんだ。教団が実験動物として玩具にしていたドラゴンが暴走した結果、あの村は惨劇に見舞われた。それが事の真相だと俺たちは踏んでいる」

 

 俺は口元に手を当て、窓の外に目をやる。

 

「……いや、まさか。いくら何でも、そんな……」

「まあ、それが普通の反応だよね」

 

 騎士王が口を開いた。

 

「私だって、バルザックさんから聞いたときは、絵空事としか思えなかったもの。教団があの村を拠点に、バスティヴァル山脈で怪しげな実験を繰り返してたなんて……けど、そう考えると腑に落ちる部分が多いのも事実なの」

「ちょっと待て」

 

 俺が口を挟んだ。

 

「陛下……ロローナは、この件について知らなかったのか? お前は教団側の人間じゃないのか?」

「表向きはね」

 

 椅子に腰掛けて両脚を組み、騎士王が微笑を浮べた。

 

「表向きは体制側の人間だけど、本音の部分ではクロちゃんたちの仲間だよ」

「いや、そのクロちゃん含めて体制側の人間にしか見えないって話をしてるんだが。教団の神官サマが、堂々とこの場にいらっしゃるじゃねえか」

 

 そう言って俺がアリシアの方を見ると、彼女はフンという顔をした。

 

「私ゃ、ただの駒よ。体の良い密偵というか……えーと、どう説明したらいいのかしら」

「つまり、アヴァロニアは一枚岩ではないということです」

 

 クロノアが補足した。

 

「イリヤ教団が主導権を握っているとはいえ、七王は各々の思惑を抱えて、その御旗の下に集っているに過ぎない。中には、今の体制に疑問を持っている者もいる」

 

 言われて、ふむと俺はうなずく。

 

「たとえば、アルル公のバルザックとかな」

「そうです。仮にこれを派閥と言うなら、ロローナを含め僕たちはバルザック派に属している」

「へえ。その心は?」

「アヴァロニアを教団の軛から解き放ち、現体制を刷新する」

 

 思い切ったその発言に、俺もドロシーも返す言葉を見失う。

 予想はしていたが、その枠を越えてきたと言うか、何と言うか……

 

「おいおい。教団あってこその、ネウストリアだろ。そのネウストリアから選ばれている勇者ご一行サマが、そんな過激な思想をお持ちだったとは……」

「心配ない。このことは、すでにネウストリア国王陛下の耳にも入っている」

 

 ゴライアスが言った。

 

「今の教団が信用できない、と言うのは国王陛下のご意志でもある。といっても、あくまで国王陛下自身のご意志に過ぎず、当然ネウストリア政府自体が反教団の一色に染まっている訳ではない。そういう背景もあって、自ら動くのではなく、アルル公に本件を一任しているというのが実態だ」

「……騎士王とアルル以外の諸侯は、このことを把握しているのか?」

「アルル公の知己でもあらせられるトランシルヴェスタ公以外には、まだ。下手に話を広げると、機密が漏れる懸念もあってな」

「ねえちょっと、話が飛躍しすぎてて付いていけないんだけど……」

 

 口を開いたのは、ドロシーだ。

 彼女は皆の方を見渡しながら、続けた。

 

「貴方たちは表向きこそ教団に従っているけれど、内心でその支配を快く思っていないことは十分わかったわ。でも、その理由は何なの? 教団を切り捨てて、明確に敵とみなすまでの理由がわからないんだけれど」

「当然の疑問だな。そこで、話は竜退治の件に戻る」

 

 トラヴィスが言った。

 

「まず、悪竜の被害を受けたとされるアルバ・ユリアは、不自然なくらいに村が徹底的に破壊されていた。ゴクツブシも、現地で妙に思わなかったか?」

「まあ、言われてみれば……悪天候もあって、気にする者は少なかったが」

「報告書によると、家屋は大部分が潰され、生存者はおろか、人の形を保った死体一つすら見つからなかったらしい。近隣の村々にも調査を行ったが、逃亡者は一人も見つからなかったそうだ」

「それって、つまり……どういうこと?」

 

 ドロシーが疑問を口にする。

 トラヴィスは胸元から煙草を取り出し、「少しいいか」と言って、火を付けた。吐き出した煙が、テラスからの風に流されて消えていく。

 

「いくらドラゴンが暴れ回ったとはいえ、逃げおおせた奴が一人もいないなんて、どう考えたって不自然だろ。つまり、ドラゴンが異常なほど真面目で掃除好きだったか、あるいは……」

「お片付けした連中が別にいるってことだな」

 

 俺がそう呟くと、トラヴィスはニッと笑い、ドロシーは唇を甘噛みした。

 

「嘘でしょ? そんな……」

「口が割れるとマズい証拠でもあったんかね。たとえば、村の中に手引きした者がいたとか」

「おそらくな。金貨でも握らせて、教団からよしなに便宜を図るよう頼まれてた村人はいたと思うよ」

「だとしても、行商人すら寄りつかないような田舎だったしな。いくら手引きするっても、どうやって人目に付かずに――」

 

 そこまで言ったところで、俺は瞬きを止めた。

 

「そうか。教会か――」

「ご明察」

 

 トラヴィスは口から離した煙草の先を、ピッと俺に向けた。

 

「教団の関係者を装えば、見知らぬ顔であっても、村人は不自然に思わない」

「その仮定を裏付けるために、教団内部を秘密裏に調査したところ、あの村はここ一年で五回も司祭が入れ替わってることがわかったわ。そのどさくさに紛れて、田舎に赴任する司祭が必要だとは思えない物資が色々動いてる。鎮静剤とか、スクロールとか……さすがに背後の人の動きまでは追えなかったけど。まあ追えないってことは、暗部が水面下で動いてたんでしょうね」

 

 アリシアがそう言うと、俺は細い目を浮べた。

 

「お前、そういう知的な仕事もできたんだな……てっきり人を殴るのが専門かと思ってたよ」

「ああ? アンタ私を何だと思ってるのよ」

 

 俺はあえてクールに無表情を装ったまま、小指でハナクソをほじる。

 

「言われてみれば、あの村には潜むのに打ってつけなカタコンベがあったっけな……いざとなれば、村ごと消し去る算段は整えていたということか。だからこそ、事が起きても、口封じのために迅速に動けた。逆に言えば、そこまでしなければならないほどの、超重要機密事項を扱っていたということか」

「さすが、悪人の心の機微を理解するのは上手ね」

「善人は不得意だけどな。やかましいわ」

 

 アリシアのからかいに、騎士王とトラヴィスがくっくと笑う。

 やがてトラヴィスが手元のワイングラスをゆらゆらと揺らし、一口つけた。

 

「だがそうやって、あとはドラゴンを処分するだけで事件を完全に隠蔽できたと思っていた教団にも、一つだけ手落ちがあった。それが――」

「ジギスムント」

 

 俺の答えに、トラヴィスがうなずく。

 

「アルバ・ユリアの自警団長であり、たまたま村を出ていたあの男が迅速に動いたことで、事件が明るみに出て、教団は方針を変えざるを得なくなった……前後をまとめると、そういうこったね」

「ほえー。じゃあその人に聞けば、教団黒幕説を裏付ける証拠だって、もっと――」

「いや、できない」

 

 俺はかぶりを振った。

 

「ジギスムントはもう死んだ。おそらく、殺された……トラヴィスたちの推理が正しいのなら、教団の手によって」

 

 ドロシーが瞬きを止める。

 

「……え」

「ニケの言うとおりよ。ここまで辿り着くのがもう少し早ければ、保護するなり何なり手は打てたんでしょうけど……暗部に一歩先を行かれたって感じね」

 

 アリシアがポンとドロシーの肩に手を置く。

 彼女は悄然とした面持ちでうつむいた。

 

「だが、ジギスムントは亡くなる前に一つ、俺たちに重要な手がかりを残してくれていた。勤務日誌だ」

 

 トラヴィスの言葉に、俺は顔を上げて奴を見る。

 

「勤務日誌?」

「奴はえらく筆まめなオッサンだったみたいでな。村の自警団長として、日々の記録を克明に残していた。何かの証拠になるかもしれないからと言って、ギルドに預けていたことが、死後明らかになってな……そこから、驚くべき事実が浮かび上がってきたよ。

 教団の関係者を名乗る馬車の出入りが、最近妙に多いこと。村の狩人から、山で不審な連中を目撃したとの情報が寄せられていたこと。ドラゴンを見かける機会が少なくなって、村人から不安の声が上がっていたこと……そういうのが、根掘り葉掘り出てきた」

「なるほど……お前らが教団に不審を抱く理由は大体わかった。叩けば叩くほどに埃が出てくるのなら、疑うのも無理はない。だが――」

 

 俺は一同を見渡し、そして告げた。

 

「教団の目的は何なんだ? お前らも知ってのとおり、教団の教義だと魔族は人類に仇なす絶対悪だ。コソコソ田舎の山奥に隠れて、自らの掲げた信念に背いてまで、奴らは一体何を成し遂げようとしてるんだ?」

 

 その言葉に、皆が一様に押し黙る。

 張り詰めた緊張の糸を断ち切るかのように、クロノアが口を開いた。

 

「おそらく……教団の上層部は、魔眼の力を欲している。彼らは人造的に、魔眼の力を開発しようと企んでいるのでしょう」

 

 

    ✳︎

 

 

「……魔眼の力を? おいおい、冗談はよしてくれよ。その力を頼りに、世界征服でもするってのか?」

 

 想像の斜め上どころか、一周回って背後から奇襲を仕掛けてくるかのような、あり得べからざる推測。

 半ば冗談かと思い、おどけた調子でそう言ってみせるも、彼方のクロノアは至って真剣な面持ちだった。

 

「最終的に人間がその力を自在に操るのが目的なら、あながちその想像も夢物語ではないのでしょうね」

「そんなバカな……」

「ニケくん。シラを切るのはよそうよ。君もドロシーちゃんも、イカルガで見たはずだよ。討伐した人狼が魔眼を宿していたこと――君たちは知ってるはず」

 

 騎士王が俺の目をまっすぐ捉えて、やがて言った。

 

「君たちがこれまで口外しなかったのは、あの人狼の正体は、人間が暴走し、変異した結果だという可能性を捨てきれなかったから……違う?」

 

 俺は心中でため息をつく。コイツはまた……どうしてそのことを? 

 ただの揺さぶりではないのだろう。ある程度の真実は知り得ている……まさかとは思うが、ドロシーが魔眼を有していることまで把握しているのか?

 

 いずれにせよ、ここはシラを切るしかない。

 コイツが今日俺とドロシーをここに呼んだ真の目的が真相を質すことなら、なおさらシラを切り通すしかない。

 慎重になれ。その手札を開示するには、まだ早すぎる。

 

「なぜお前がそれを知っている?」

「質問に質問で返すのはやめなよ。怪しく見えるぞ♪」

「いいから答えろ」

「……トルフィンの報告書にそう書いてた。これで満足?」

 

 あのオッサン……あれだけ外には漏らすなって、言ったのに……

 テキトーなオヤジを装っていたのは芝居で、その実騎士王から密命された、体の良い監視者だったんじゃないかと疑いたくなるくらいだ。

 まあいい……冷静に考えて、俺しか見ていないドロシーの秘密を、騎士王が知っているはずがないのだから。

 

「……わかった。なら、こちらとて隠す意味もない」

 

 俺は言った。

 

「俺の推測だと、討伐した人狼は、外部から突然湧いてきたものじゃない。人間が何らかのトリガーをきっかけに変異した、成れの果てだと思ってる」

「ふーん、やっぱりね。アルバ・ユリアの件といい、教団が裏で糸引いてるのは間違いなさそうだね」

「? イカルガの事件と、教団は無関係なんじゃ……?」

「んな訳ないよ。だってあの鉱山をノルカ・ソルカから接収するよう、私に圧力をかけてきたのは、他ならぬ教団だもの」

「ちょ……は? どういうことよロロ」

 

 俺やドロシーが言うより早く、アリシアが驚いていたことに、俺は驚いた。

 しかし、知らされていなかったのは、どうやら彼女だけではないようだ。

 

「私も初耳だな」

「右に同じく」

 

 ゴライアスとトラヴィスが、相次いで同調の意を示す。

 最後の一人となったクロノアが、騎士王の目を見て言った。

 

「ロローナ。どういうことか、説明してもらえますか?」

 

 騎士王は両腕を組み、八重歯を見せて微笑した。

 

「やだなあ、みんな……そんな問い詰めなくてもいいじゃん。第一種機密事項で一切の口外禁止って脅されたら、さすがの私だって大人しく黙るよ」

「第一種機密事項? またエラく信用されてんだな」

「そりゃね。ちまたじゃ教団の犬、教団の傀儡として史上最年少で騎士王の座に就いたと言われてる私ですから」

「誇るとこじゃねえけどな」

 

 トラヴィスが煙草をふかしながら苦笑するのを見て、ロローナも鼻で笑った。

 

「最初に話があったのは、半年くらい前だったかな。まあ、教団の仰せのままに鉱山を買収したまではいいんだけど……神領扱いで一切の立ち入りを禁止するとか言うじゃん。相変わらず理由は説明しないんだなと思いつつ言うとおりにしてたら、山賊が勝手に占拠したとか情報が上がってきて……さすがのロロちゃんも、こりゃーヘンだなと思いましたよ」

「すまん。どの辺が?」

 

 独特な語り口調に気が行って、話が頭に入ってこなかった俺は、改めて彼女にそう問うた。

 ロローナはチッチッと人差し指を左右に揺らす。

 

「女のカン。教団はここを第二のアルバ・ユリアにする気だなって、そう思ったのサ☆」

 

 彼女は続けた。

 

「ちょうどその辺りにアルバ・ユリアに関する一連の情報も入ってきてね……バスティヴァル山脈とイカルガ鉱山の共通点が、大規模な魔力泉の湧出地となれば、こりゃ単なる偶然で済ませていい話かなと私も勘ぐったワケです」

 

 トラヴィスが煙草の火を灰皿に落とし、頭を抱える。

 

「お前、そういうことはもっと早く言えよ……」

「確証があればそうしたよ。でもないなら、こちらから確証を得るしかない。だから私は、ギルドを介して現地を探らせる道を選んだ……幸い、ガラテアにはクラインで名を馳せた魔術士が滞在してるって話を、アリィから聞いてたからね」

「……それって、私のこと?」

 

 ドロシーがそう尋ねると、騎士王は両手を合わせて天使のように微笑んだ。

 

「そのとおり! いやーまさか、おまけでニケ君まで付いてくるとは思ってなかったんだけどね! 私の見立てだと、どうせ山賊を装った教団員が悪さでも企んでるんだろうと踏んでたんだけど、まさかこんな展開になるとは思ってなくてさ! ホントごめんね! でも万一こういうこともあると思ったから、信頼できる実力者を付けたんだけどさ!」

 

 怒濤の開き直りにポカンとしているドロシーの肩に、アリシアがぽんと手を置く。

「ごめん、まさかこうなるとは思ってなかった……」と消え入るような声が聞こえたことから、彼女にそういう意図はなかったのだろう。

 

 俺は大きく息を吐き出し、コキ……と手首を鳴らした。

 

「過ぎたことはもういいさ……だが、そこまでわかってたってことは、教団が山賊に渡りを付けた証拠もちゃんと押さえたんだろうな?」

「もちろん」

 

 ロローナはうなずいた。

 

「部下を使って、仲介人を務めた男を抑えて吐かせた。仲介人の仲介人の仲介人くらいまでいたらしいから、相当骨が折れたみたいだけどね……イカルガ鉱山を一定期間、力ずくで占拠してほしい――教団の暗部を名乗る人物から、そういう話を持ちかけられたのが、事の発端」

「占拠? 何のために?」

 

 ドロシーの疑問に、騎士王がふふっと小悪魔めいた笑みを作った。

 

「そんなの決まってるじゃん。ヒントはさっき、ニケ君が言ったとおりだよ」

 

 その言葉に、ドロシーは眉をしかめていたが、やがて憑きものが落ちたかのように、ハッとした表情を浮べた。

 

「魔眼の力を手に入れるための、人体実験……?」

「そのとおり♥」

 

 騎士王がうなずいた。

 

「要はモルモットが欲しかったんだよ、教団は。だから、身元が怪しい山賊なんかを使った。アルバ・ユリアの時と比べて、なりふり構わぬようになってきてるのは、向こうにも何か急いでる理由があるんだろうね……」

「なるほど。アルバ・ユリアとイカルガ。これら二つの事件を総合的に勘案すると、クロノアの言ったことも理解できなくはないか。だが……」

 

 俺は再度大きく息を吐き出し、コキ……と手首を鳴らした。

 

「何でそんな重要なことを俺たちに――」

「それは私が魔眼を使えることと、何か関係あるのかしら?」

 

 一瞬、息が止まった。息だけでなく、瞬きや脈拍や便意や心臓の鼓動すら、止まったような気がした。

 

 え? ドロシー、おま……

 

 制止するより早く、彼女の双眸が、紅く妖しく燃えるように輝いた。

 

「人間である私がこの力を顕現できることと、クロノアの仮定には何かつながりがあるの? 長いのよ話が、さっきから。教団が何を企もうが、私もニケも知ったこっちゃない。私たちに必要なことだけを簡潔に話して」

 

 誰もが呆気に取られた表情を浮べる中、唯一人俺だけが無情なる心で天井を仰いでいた。仰ぎすぎてこのまま天井を突き抜けて、大気圏まで突入できそうな勢いだ。

 

 この子ったら、もう……どれだけロックな生き様をすれば気が済むの!!

 

 やがて、何が可笑しいのやら、騎士王が声を出して笑い出した。

 

「ぷっ……くくく……ははははっ!! は~……サイコー。ドロシーちゃんったらマジサイコーだわ……くくくっ……」

 

 サイコー? サイコの間違いでは? なにわろてんねん。

 狂ったように腹を抱えて笑っている騎士王とは対照的に、クロノアパーティは妙に沈着な態度を保っていた。おや……?

 

「参ったな。想定の範囲内ではあったが、まさかホントに……」

「想定の範囲内? どういうことよトラヴィス」

「御前試合の時ですよ」

 

 ドロシーの疑問に、クロノアが割って入った。

 

「ゴライアスにとどめを刺そうとした時の事です。あのとき貴方は、魔眼のような力を用いて、周囲の人々から魔力をかき集めていた。特にアリシアとゴライアスの両名は、誰より近くでそれを見ていた」

「ああ、言われてみれば……そう。それで察してたってワケか」

「むろん、可能性の一つとしてですが……ニケさん。勘の良い貴方のことだ。貴方も気付いていたのでしょう?」

 

 クロノアの言葉に、俺は「まあな」と悟り顔で首肯した。

 むろん俺も気付いていたぜと言いたい所だったが、全然気付いていなかった。イカルガでドロシーの力を目の当たりにしてもなお、そんなことは及びもしなかったぜ……

 

 鈍いのは色恋沙汰だけじゃなかったとか、もはや救いようがないのではこの天パ……

 

「けれど、感謝しますよドロシー。貴方が自身の秘密を開示してくれたおかげで、僕の推論はより確信に近づいた」

「確信?」

「ええ。僕は貴方の失われた記憶の中に、一連の謎を解く重要な手がかりがあると睨んでいたんです」

 

 クロノアが、俺とドロシーを相互に見ながら、言った。

 

「貴方がいつどこで、どうやってその力を宿したのか……僕にはアルバ・ユリアから始まる教団の動きと、貴方の過去に、なにがしかの繋がりがあるように思えてならないんです」

「貴方が私とニケを結びつけようとしていたのも、結局そこなの? 元天才魔術士としての経歴を持つニケなら、私の力になってくれるだろうって」

「ええ。仰るとおりです、ドロシー」

「……ふーん」

 

 ドロシーは魔眼の力を解き、まじまじと俺の方を見てきた。

 何だよ。そんな目で俺を見るなよ。確かに、いつもの控えめなクロノアきゅんと比べて、妙に前のめりだなとは感じるが……

 

「繋がりって言ってもな……気持ちは分かるが、時系列がチグハグじゃねえか。人間でありながら魔眼の力を宿しているドロシーは、いわば教団が血眼になって追い求めている理想形でもある訳だろ。んが、教団はイカルガでの人狼の暴走を見る限り、まだその力を完全に手に入れたとは言い難い。一方、ドロシーは二年前にトラヴィスに拾われた。この二つの因果を繋げるには、さすがに無理がねえか。齟齬が多すぎる。切り離して考えるべき事柄だと、俺は思うぜ」

「……まあ、それはそうかもしれませんが……」

 

 歯切れの悪い言葉。

 うつむき加減にそう零したクロノアの肩に、アリシアが手を置き、俺たちの方を見て言った。

 

「とにかく! 私たちは当面、三次東征に集中する必要がある。教団の化けの皮を剥がすのはその後……ニケとドロシーは、予定通りエフタルに向かい、アルス・ノトリアを手に入れてちょうだい。そこでドロシーの記憶が戻れば御の字よ」

 

 俺は両腕を組み、フムと口元に手を当てた。

 

「相変わらず何の見返りもなしに、人様を顎で使うのが上手い女だね」

「うっさいな。だから包み隠さず、裏の部分まで話してやったでしょうが」

「機密を打ち明けることで、引くに引けなくしたの間違いでは?」

「第一、自由に泳がせてやってるだけ有り難いと思いなさいよ。アンタはともかく、ドロシーは本来三次東征をやり合う上で重要な戦力だったんだから。それを、クロノアがどういう思いで――」

「まあまあ。言い合いはよさないか」

 

 すわ天の声かと思い、振り向くとそこには我等がゴライアスがいた。

 

「ドロシーの力が教団に発覚したときのリスクを考えると、当面は彼等の影響力が薄い中西部に身を潜めておいた方が安全だろう。そういう考え方もできる」

「だな。ゴライアスがそう言うなら仕方ない」

「おいコラ。対応の違いが露骨すぎんだろ」

 

 俺の移り身の早さに不審がるアリシアをよそに、ドロシーがスタスタと俺の前を横切り、クロノアの前に立った。

 

「ひとまず、共同戦線成立ってことでいいのかしら?」

 

 そう言って、彼女は手のひらを差し出す。

 「不可侵条約の方が適切では?」と言った俺の向こう脛に、アリシアがすかさず蹴りを入れてきて、俺はその場に悶絶する。

 

 ゴライアスが笑い、トラヴィスが呆れたように煙草をふかし、騎士王は両脚を組んで愉悦の表情を浮かべている。

 

 開け放たれたテラスの窓からは、夕日が射し、夜の匂いを纏った風が吹き込んできた。

 

 クロノアはわずかに瞬きを止めた後、差し出された手を取る。

 そして、微笑をたたえてうなずいた。

 

「ええ。よろしくお願いします」



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55 ファントム・メナス

 その三日後――

 

 イリヤ暦1692年芽月(ジェルミナル)芽月31日、ガラテア王国の首都カトブレスにて、第三次東方遠征軍は決起した。

 時のイリヤ教団総主教ネフェル3世は、カノープス大聖堂にて、居並ぶ六人の王を前に訓示を述べる。

 

「……十年前の雪辱を果たすべく、かくして我等は再起する。アヴァロニアの六王よ、天命を全うせよ。今こそ我等の故郷であり、聖地たる約束の地を取り戻し、諸悪の枢軸たる魔王に神罰を下さん――」

 

 合図と共に、讃美歌が響く。そして総主教自ら、アヴァロニアの最高君主たるネウストリア王に聖剣を授ける。

 続いてネウストリア王から、騎士王へ聖剣が託される。第二十六代目騎士王ことロローナ・アナスタシア・ツェペシュは、聖剣を鞘から引き抜くと、跪く四人の王に向けて告げた。

 

「我等五人、必ずや使命を果たし、約束の地を取り戻すことをここに誓う」

 

 トランシルヴェスタ、ザクソン、アルル、アンブロワーズの王に、盾、マント、笏杖、指輪、首飾りが授けられる。

 一連の儀式を終えると、総主教ネフェル3世は聖座から徐に立ち上がる。

 

「ウェニ・サルウァトール(来たれませ、救世主)」

 

 古メテオラ語が聖堂内に響く。長い回廊に敷かれた赤絨毯の上を、一歩一歩踏みしめて歩くものが一人。

 奥から姿を現したのは、勇者だ。

 

 勇者ことクロノアは、守護師の前に進み出ると、恭しく膝をつく。

 ネフェルは階下に降り立つと、厳かにこう告げる。

 

「信じる者の心は、常に神と共にあります。汝が進む道に、聖霊の導きがあらんことを……」

 

 そして、クロノアに月桂冠が授けられる。

 それと同時、堂内に「ヴィーヴ・サルウァトール(救世主、万歳)!」の大合唱がこだまする。参列者から割れんばかりの拍手喝采が送られる。

 

 この日を境に、勇者は救世主となる。

 かくして、運命の歯車は回り始めた――

 

 

    *

 

 

「はああああ……私も見たかったなー、聖下の麗しきお姿……」

「無茶言うなよ。俺たち下々の者じゃ、聖堂に入ることすら許されんのだし」

「だとしてもさー……生きててこんなチャンス、もう二度とないんだし。遠巻きに見るくらいはしたかった……ぐぬぬ。もう少し背が高ければ……凱旋の時、一瞬だけ見えたって、ミィちゃんが言ってたから尚更悔しい……」

 

 机の上で項垂れているアツコサンを見て、カムイが苦笑を浮かべる。

 彼はやおら立ち上がると、俺の元に例のブツを差し出した。

 

「ほらよ、ニケ。首飾りに細工しといたぞ」

 

 受け取ったラピスラズリは蒼く透明な輝きを放っている。首元にぶら下げると、俺はホウとしてうなずいた。

 

「ちょっとチャラくないかな?」

「何の心配してんのよ」

 

 窓際で紅茶を啜っていたドロシーさんから、手厳しいご指導ご鞭撻を頂く。

 ションボリした顔をしていると、「テストしなくていいの?」と言われたので、言われるがまま、掌を空に向ける。

 

「ふぅ~~~~~~はあああああああ~~~~っっっっ!!!」

 

 すると、ボッと灯った炎が、にわかに激しく燃え盛り、明滅すると共に、赤から青へと色が変わっていく。

 

「フン、ぬらばっ!!」

 

 発生と共に、青白い輝きを放ち、元の安定を取り戻した。

 カムイとアツコサンが、「なんかようわからんけどすげえ……」という顔をして、ぱちぱちと拍手をする。

 

「超一流の炎の使い手は、赤ではなく青の炎を自在に操ると聞いたことはあるが……実際に見たのは初めてだよ。さすがだなニケ、さらりとやっちまうとは」

 

 フフンとしたり顔の俺だったが、「言うほどさらりとやってたかしら? なんか唸ってたし。意味あんのそれ?」と、ドロシーが間髪入れずに二回連続攻撃を繰り出してきた。

 

「バッカ、お前。気合いだよ気合い。魔術はこう見えて意外と、パッションが大事なんだよ。パッションだよパッション、わかる?」

「東洋然り西洋然り、そんな発想聞いたことないけど……」

「少なくとも、俺の師匠はそう言ってたんだよ」

「けったいな人に師事してたのねえ、貴方……」

 

 俺とドロシーのやり取りを見て、カムイとアツコサンが顔を見合わせて苦笑を浮かべる。

 

「それでどうなのよニケ、おニューの魔導具の感触は?」

 

 アツコサンが興味津々といった様子で、俺の顔を窺うので、俺は手元の炎とペンダントを交互に見た。

 ふむ……中々どうして。

 

「悪くない」

「要するに良いってことか」

「いや。薬師の世界にはプラシーボ効果って言葉もあるからな。魔導具もまた然り。しばらく使ってみないことには結論はでないが、とりあえずのファーストインプレッションとしては中々悪くないという所だ」

「素直に『良い』でよくない? まあいいけどさ……」

 

 口ではそう言いつつも、アツコサンの目は「面倒くせえなコイツ……彼氏にはしたくないタイプだわ」と言っていた。

 お楽しみいただけたかな? モテざる者の嗜みをね……

 

「実際、術式安定の効果はあると思うわよ」

 

 ドロシーが口を開いた。

 

「火属性の何が難しいって、一定の出力で安定して顕現させることなのよ。まして、顕現させる炎が高出力なら、難易度は数段跳ね上がる。普通青の炎を片手間で、しかも掌の上に収まる規模で安定させるなんて、できっこないわ。馬鹿でかいエネルギーを、コンパクトに収めるのって、素人が考えるより万倍難しいから。規模とか考えずにぶっ放す方がずっと簡単なの。そこの人はしれっとやってるけど」

 

 さらっと種明かしをされて、何ともいたたまれない気持ちになる。

 カムイが「……ニケ。頼むからそれ、慎重に取り扱ってくれよ……」と恐る恐る言う。

 

 わかってるって。炎はトモダチ、怖くない……

 

「大したモンねえ……ひょっとするとニケ、アイゼンルートの炎剣にも匹敵するんじゃない?」

 

 手元の炎を収束させると、ふとアツコサンがそんなことを口にする。

 

「炎剣? 誰それ?」

「知らないの? アイゼンルートの将軍の一人よ。アイゼンルートには黒魔法に精通した六人の魔術士がいて……炎・水・風・土・氷・雷それぞれの属性を極めたスペシャリストが皇帝の元に集っているの。通称、六芒星(アスタリスク)

 

 六芒星(アスタリスク)……アイゼンルート風に言うと、シュタンヒンか。

 舌噛みそうなネーミングだな……

 

「六芒星のうち、炎属性を背負って立つのが、炎剣のブレイズよ。皇帝クラウスがまだ一将校に過ぎなかった頃からの配下で、叩き上げの猛将として名声を博してる。何でも、侵掠すること火の如しを体現したような人で、彼に攻撃された陣地は、文字通り草の根一つ残らないらしいわ……」

 

 何だオッサンかよ、どうせ焼き尽くされるなら綺麗なお姉さんの方がずっといいと、少し残念な気持ちになったが、まあそれはどうでもいい。

 

 ちなみにアツコサンが詳しいのは、友人のミィちゃんがこういうの好きだからだそうな。

 こういうのがどういうのかは、推して測るべし。ちなみに俺もこういうの好き。

 

「さーて、ニケとどっちが強いのかしらねえ」

「まあ言うて剣でしょ剣。剣に頼ってるようなバカタレが魔術士名乗ってる時点で、個人的には業腹ですわ。ボコボコにしてやりますよ、そんなオッサン」

「おっ、大きく出たな~コノコノ~」

 

 アツコサンが俺の脇腹を小突く。

 まあそんな危ないオッサン、実際に会ったら速攻で逃げ出すけどな。火気取扱注意。火の用心、火の用心……

 

六芒星(アスタリスク)……」

「ん? どうしたんだいドロシー?」

 

 カムイの言葉に、ドロシーはハッとして頭を振った。

 

「あ、うん……ごめんなさい。何でもないわ」

 

 風薫り、花は咲き、空は抜けるように青い。

 もらうべきモノももらったので、頃合いと思い、俺は席を立つ。

 

「それじゃ、カムイ……そろそろ旅立つよ。ホントにお代はいいのか?」

「構わんさ。君にはいろいろ世話になったからな」

 

 世話になったのはむしろ俺の方な気がするのだが、彼の好意を無下にする訳にもいくまい。アツコサンが抱いている赤ん坊のプックルを見て、俺は言った。

 

「わかったよ。じゃあそこのガキんちょがもう少し大人になった時、また顔でも見せに来るさ。その時はぜひ、ニケ先生の大冒険譚を聞かせてやるからな……」

 

 赤ん坊のほっぺたに指を伸ばすと、合点承知の助。

 プックルは顔をぷるぷると震わせた後、大声で泣き始めた。

 

「どこまで嫌われてんのよアンタ……」

 

 ドロシーの一言に、アツコサンとカムイが笑い声を零す。

 

 やれやれ、これは敵意ではなく畏怖だと何回言えばわかるのかね……強大すぎる力を、赤子でも耐えられるよう抑えこむのも楽ではないのだ……フッ。

 

 外に出ると、ポチョムキンが準備万端、待ちくたびれたぜ旦那と言わんばかりに「ヒヒーン!」と高らかに嘶いた。

 どうどう……やはりお前だけだ。同じものを見て、聞くことのできる真の仲間は。

 

「ありがとなカムイ。ポチョムキンの世話……助かったよ」

「いやいや、聞き分けの良い子で全く手が掛からなかったよ。本当に良い馬持ってるよなニケ……あ、そういや結局、ダーク・ヘッジスを抜ける道を選んだんだって?」

「私はスピカ荒原を一気に駆け抜けた方が楽だって、散々言ったのよ。それをこの人が聞かないから」

 

 カムイの言葉に、ドロシーが不満タラタラで返す。

 

「尋常にジャンケン勝負した結果、無様に敗北したお前が悪い」

「にしてもさあ……あんな陰気くさい場所、うろつきたくないんだけど。ジメジメしてて、不潔そうだし」

「なるほど。俺には相性の良さそうな場所だ。友達になれそうな気がする」

「……。万一エルフにでも出くわしたら、面倒なことになるんじゃない?」

「大丈夫だ。気配を察せられない能力には自信があるから」

「その果てしなく後ろ向きな自信はどうかと思うけど……」

 

 ドロシーは無言のまま、両肩をすくめた。アツコサンが苦笑を浮かべる。

 

「あそこは磁場が狂ってて、コンパスがまるで役に立たない場所とは聞くわ。深入りしたら最後、二度と出られないって……だから、みんな遭難を恐れて近づかないのよ」

 

 ゆえに、通称樹海か。

 出口があるだけまだマシだろう。本当に恐ろしいのは、出口のない迷路を、出口があると信じて彷徨い続けることだから。たとえば俺の人生とかな。

 

「それゆえ、貴重な薬草や鉱物の宝庫だって言う人もたくさんいるけどね。人の手が全く入っていないから、太古の生態系が維持されているらしい」

「……まさかとは思うけど、ニケ。それ狙ってるんじゃないでしょうね」

「どうかな……」

 

 「ウェヒヒヒ」と気味の悪い笑いを漏らして、俺はポチョムキンにまたがる。

 一方ドロシーはその場で仁王立ちしたまま微動だにしないので、「はて?」と俺は疑問符を頭に浮かべる。

 

「あっ……足が短いから、馬に乗れないのか」

「違うわよ! 前に乗ろうか後ろに乗ろうか、悩んでただけよ!」

 

 ムキーと地団駄を踏んで、ドロシーが怒濤の声量で反撃してきた。そんなに怒らなくてもいいだろうに……

 

 しかし、抱きしめるか、抱きしめられるかの二者択一か……相手が妙齢の麗しき貴婦人ならば迷うことなく「後ろにお乗りくださいませ」とエスコートするところだが、此度の相手は洗濯板。むしろ押しつけられて痛いまである。ならば前乗りか?

 手綱を握らなければ馬を走らせられないが、手綱を握ったままではお前を抱きしめられないというダブルスタンダードも克服できるしな……

 

「後ろでいいんじゃない? カムイ、ドロシーちゃん手伝ってあげて」

 

 そうこう悩んでるうちに、後ろ乗りが決定していた。洗濯板……

 

「なんか不服そうな顔してない?」

「いや。滅相もござらんよ」

 

 後顧の憂いは断ち切れたのか断ち切れてないのか判然としないところではあるが、お後もよろしいようなので、ここらで旅立つこととした。

 別れの挨拶。

 

「それじゃ、ニケ。元気でな。東方から帰ってきたら、また顔見せに来てくれよ」

「ドロシーちゃんも元気でね! プックルが大きくなったら、ぜひ会いにきてあげて」

 

 アツコサンがプックルの小さな右腕をつかんで、バイバイと手を振らせる。プックルはドロシーを見てにこりと笑い、俺と目が合った瞬間真顔になった。

 最後の最後まで、可愛げのない小僧ですね……

 

「それじゃ、バイバーイ!!」

 

 

    *

 

 

 同日同時刻、ノルカ・ソルカ、イカルガ鉱山――

 

「自害した形跡あり……あー、こりゃダメだ。実験失敗なのだ」

「おかしなこともあるものね……ケダモノに落ちてもなお、理性が残っていたのかしら。良心の呵責というやつ?」

「それはあり得んのだ。今回のおクスリは、前回の反省を活かして、戦闘本能が大幅に増幅するよう設計したのだ。理性ぶっ飛びのガンギマリ仕様なのだ」

「ならばこの、釈然としない結果は何?」

「……たぶん、第三者がいた」

 

 その言葉に、対面する人物が、開いていた扇子をパチリと閉じた。

 

「あり得ないわ。霊絡が残っていない」

「偽装に消滅……それなりの手練れなら、自身の霊絡を消すことなど造作もない。おそらく、その人物はコレが変異体だと見抜いていたのだ。事態の異常性を察して、足がつくことを恐れ、自らの痕跡を徹底的に抹消したのだ……用心深い人物ではありんしょう」

「だとしても、どうやって変異体を始末したの? 貴方だってわかってるでしょう――こんな殺し方、殺す側も変異体でないとできないわ。それも、この出来損ないを遙かに上回る、上位互換じゃないとね」

 

 沈黙が流れる。確かにそのとおりだった。

 変異体を操り、自害しろと命令するなど、この失敗作より強力な魔眼の持ち主でなければできない芸当だ。こんな贋作ではなく、純正の魔族に近いそれ……

 

「アルバ・ユリアの時より賢くやりなんしと言うのが、御上の命令でござんしたが……中々上手くいかないモンなのだ」

「騎士王の報告書には、発見したときには既に事切れていたとあったけれど」

 

 手渡された報告書に、彼女は目を通す。

 イカルガ鉱山を獲得した後、現地の魔物を駆逐。その後鉱山を占拠した山賊に対し、ギルドを介して討伐隊を派遣。掃討に成功。安全を確保したのち、第一次発掘隊に命じて採掘を再開する手筈……

 

「嘘は言ってない。んが、以上でも以下でもない。そんな報告書に見えるのだ」

「どういう意味?」

「……こんなこともあろうかと、わっちは事前に探りを入れていたのだ」

「口を割らせたの間違いじゃなくて?」

「そこはどうでもいいのだ。姉上は細かいのだ……どうも騎士王が勝手に派遣した討伐隊のメンバーは、腕のある二名の魔術士で構成されていたようで」

「名は?」

「ドロシー・オルコットと、ニケ・サモトラ」

 

 刹那、対面する人物の瞳孔が見開いた。

 

「一方は勇者の仲間になるはずだったが、寸前で姿をくらませたネウストリアじゃ有名な魔術士。もう一方は、等級こそ二等級でありんすが、無名……ただし、わっちや姉上なら、よく存じ上げている人物」

「ええ」

 

 対面する人物は、こぼれた不敵な笑みをごまかすかのように、扇子を開いて口元を隠した。

 

「その二人なら、こんな出来損ない、始末するのも容易だったはずだわ。その後の手際の良さも、おのずと納得がいく……」

「問題は、どちらが変異体だったのかという点に尽きるでありんすが……どうするのだ?」

「そんなの決まってるじゃない、コウメイ」

 

 しゃがんだままの妹の方へ向き直り、もう一方の人物ことチュウタツが言った。

 

「二人の身辺を徹底的に洗い出してちょうだい。然るのち、手を下す」

「一方は連れ帰り、一方は始末する――それでよろしいんで?」

「それが私たち異端審問官の仕事でしょう? これ以上の失態を許してくれるほど、ネフェル様は寛容ではない。今の暗部に必要なのは、誠意ではなく成果」

「へいへい……姉上は、仕事となるとこえーのだ……これじゃ中々結婚できないのだ……」

「何か言った?」

「何も言ってないのだ」

 

 コウメイが立ち上がり、出口の方へ向かう。

 チュウタツは扇子を閉じ、パチンと指を鳴らした。すると、腐乱した人狼と山賊の遺体が燃え始め、火の粉が爆ぜた。

 

「ふふふ。また会えるわね……ニケさん」

 

 

   *

 

 

 同日夕刻、ガラテア王国首都カトブレス、カノープス大聖堂。暁星の間。

 

 ステンドグラスから夕闇の光が射し込む。

 すでに夜は近く、身廊へと延びる淡く儚い茜色の光は、天から示された希望の道筋のようにも、天へと続く一縷の望みのようにも映った。

 

 静かな空間だ。

 

 昼間の喧騒が泡沫の夢のようにさえ思える。

 はるか昔、中世の時代に描かれた天井のフレスコ画の聖人たちを除けば、この空間には二人しかいないことが、その印象を際立たせていた。

 

「ロローナ。近くにおいで」

「はい」

 

 ネフェル3世が進み出て、ロローナを強く抱きしめる。まぶたを閉じると、その長い睫毛が美しく映えた。

 

「長かった。十年の雌伏を経て、今こそ私の願いは成就される……わかっていますね、ロローナ。貴方はどうして選ばれたのか……そして、何のために生まれたのか」

「もちろんです」

 

 目が合う。

 ロローナはその場に跪くと、ネフェル3世の右手にキスをした。

 

「全ては、聖下の御心のままに」

 

 そう誓った彼女の右目は強膜の部分が黒く、虹彩の部分が真紅に染まっていた。

 夜空に浮かぶ真紅の月のようなその輝きを見て、ネフェル3世は慇懃にうなずく。

 

「愛しき子よ。自らの信じるところに従いなさい……それでこそ、()()()()()()()()です」



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第5章 ダーク・ヘッジス編
56 深い森


 思えば最近、太陽の光をほとんど浴びていない。

 

 別に冒険者をやめてプロの引きこもりとしてカムバックを果たした訳ではなく、あの日以来、俺の本当の人格は心の奥のずっと奥の方の深い闇に閉ざされて、半ば永久的に癒えることのない傷を負ったまま、出口のない迷路を彷徨っているという何言ってんのかよくわからないメランコリックなナルシシズムに浸っている訳でもない。

 

 本当に浴びてないのだ。物理的に。

 

 巨大樹の根がまるで血管のように、苔むした大地を覆い尽くし、見上げた先に空はない。

 鬱蒼と茂った枝葉が視界を埋め、ほんのわずかな隙間を縫って、申し訳程度の光が射し込むだけ。

 

 ほの暗い。

 

 初めは綺麗だなと感動すら覚えた、グローワームが放つ星空のようなターコイズブルーの輝きにも、さしたる感慨を抱かなくなった。

 

 葉擦れの音が聞こえる。

 生まれてこの方見たこともないような黒い怪鳥が、低音のけったいな鳴き声を発して、枝から枝へと飛び立つのが見えた。

 猿の奇声みたいな声が、どこからともなく、止んだと思ったら再び、一定の周期でこだましている。

 

 ふと左の方角を見れば、俺の背丈の半分くらいはありそうなデカいカマキリがのしのし歩いていた。玉虫色のトカゲが予期せぬ闖入者を警戒するような顔付きで、妙にかさの高い巨大キノコの上でじっとこちらを見ている。

 何だよお前。

 ふと、服にムカデのような節足動物が張り付いているのに気付いた。

 

 ……。

 地獄かな、ここは?

 

「おーい……誰かァ。誰かいませんかー? いたら返事をしてくれえええーーーーーー!! うおおおおーーーーーーい!!!」

「ここにいるわよ」

 

 後ろからゴツンとワンドで頭を叩かれる。

 振り返ると、ポチョムキンにまたがったドロシーがいた。

 

「急に意味不明な大声発しないでよ。ポチョムキンがびっくりするじゃない」

 

 ドロシーが呆れたような顔をしている。

 

「悪い。世界にたった一人取り残されたような気分になってね」

「あっそ」

「ドロシー。背中に蛇が這ってるぞ」

 

 ドロシーが右下に目をやると、おはようコンニチハ。チロチロと舌を出している黄色い蛇と目が合った。

 

「…………」

 

 ドロシーは眉間に皺を寄せる。無言で蛇を掴むと、グルグルと振り回して、ぽいっと草むらに投げ捨てた。

 そして何事もなかったかのように、ポチョムキンと共に奥へと進み始めた。

 

「行きましょう」

 

 俺的には「きゃーーっ!!」、「怖い! 助けてニケ!!」的なのを期待していたのだが、全然全くそんな素振りは見せてくれそうにもない。

 

 そういやコイツはネウストリアにいたとき、人里離れた森の奥に一人で暮らしてたんだったな。人の心の律動が読める魔眼の副作用だかで、大勢の人間に紛れると気が滅入るらしい。

 まあ都会の軟弱者よろしく、毛虫だの蛇だのに一々驚いてるようでは、田舎でまったりスローライフなんぞできんからな。たくましいことで。

 

 俺たちが、ガラテアの国境線を越えて、さらにその先に位置する広大な樹海ダーク・ヘッジスに入って、すでに5日が経過した。

 

 当初の予定では一週間ほどで森を抜けられる腹づもりだったが、途中俺が嵐のような下痢ピーに見舞われるなどのトラブルなどもあり、それも少し怪しくなってきた。進めど進めど、より深い所に入っているんだろうなという印象しかなく、出口に近づいているという感触はまるでない。

 

 一応、太陽の高度や苔の生え具合などから、進路が逸れていないことを都度確認はしているものの、確証はない。 

 まっすぐ歩いているつもりでも、気付けば進路を大きく逸れている。人間の感覚なんて、所詮その程度でしかないからな。人生もまた然り。

 

 三十分ほどエッチラオッチラ歩くと、小川の見える開けた場所に出た。

 

「今日はここで休憩にしましょうか」

 

 うなずき、俺はそそくさと野営の準備を始める。

 旅に出てから半年以上が経過し、ソロキャンパーぶりが板についてきたせいか、野営にもずいぶん手慣れてきたこの俺である。手短に周囲の枝葉をかき集めて火を起こすと、続いて料理の支度に取りかかる。

 本日のメインディッシュは、ビーツにニンジン、タマネギ、セロリに、月桂樹・ディルシード・ローリエのハーブをじっくりコトコト煮込んで、仕上げにイカルガで手に入れた岩塩を一つまみ。ボルシチの完成である。

 

 驚くなかれ、これで5日連続5度目のボルシチである。

 

 ちなみに3日目はさすがにウンザリしてきたので、その辺で摘み取ったキノコをぶち込んでアレンジしたら、翌日俺が腹を下した。お粗末!

 

 料理が完成した頃合いに、結界を張り終えたドロシーが戻ってきた。

 この辺り、男女の役割が逆転しているような気がしないでもないが、まあこれはこれで……

 

 ドロシーはハットを外し、石の上に腰掛け、無言でスープをすする。旨いとも不味いとも、さすがに飽きたとも言わない。

 「どうして……どうして何も言ってくれないのよ!」とにわかに主婦目線になる俺であったが、そこは腹ペコペコリーヌのドロシーさんのこと。

 

 5日連続5度目のボルシチの仕打ちを与えておいて、文句を言われないだけ万倍マシだと思い、大人しくポチョムキンに餌を与えることにした。

 

「はあー…………こんなんじゃ、スピカ荒原を突っ切った方がよかったかな」

 

 別に悪意はないのだろうが、本音がこぼれていた。

 俺はポチョムキンのたてがみを撫でながら、天を見上げる。鬱蒼と茂る枝葉の合間から、星の瞬きがおやすみコンバンワしていた。

 

「どうかね。そっちを選んでたら、今頃二人とも墓の下だった可能性もあるぞ」

「まあね」

 

 まるで熟年夫婦のような短いレスポンス。

 沈黙に気まずさを感じなくなったのは、心の距離が縮まったせいか。まあ、お互いそんなことを気遣うタイプでもないんだが。

 

「エフタルには、ムセイオンっていう学堂があってな」

「おん?」

「ファラオの方針で、太古から身分、種族を問わず、万国の英哲俊士を招集したことから、学問が大いに隆盛したんだ」

「ああ……あそこは元々獣人族が治める国だものね」

「そういう背景もあって、東洋や西洋では、宗教上の理由などから到底受け入れられなかった研究の類いが、こぞってエフタルに集まったんだ。アウトローが最後に流れ着く場所。ラストエグザイル。結果、独自の学問が発展したという。つまり――」

 

 スプーンをピッと立てて、俺は言った。

 

「魔眼に関する研究も、見つかるかもしれない」

 

 ドロシーはふむ、と目を瞑って渋い顔でうなずく。

 

「まあ、それくらい私も考えてたけど」

 

 スッテンコロリン派手に崩れ落ちると、俺は何事もなかったかのように、ゴリゴリ薬草をすり鉢ですり潰し始めた。こういう時は、ハーブでキメるに限る。

 

「何してんの?」

 

 夕食を食べ終えたドロシーが、膝の上に顔をのせて、所在なげな視線でこちらを見てくる。

 

「採集したハーブを調合して、少し気持ちよくなれるお薬を作ろうと思ってな」

「気持ちよく?」

「要は魔力を一時的に増幅させる薬だよ。ちょっとしたハイな気持ちになって、全能感を得られる」

「なんかヤバくない? その薬……」

 

 ヤバいかヤバくないかで言えば、ヤバいんだろうな。この手の薬は効能が強烈であればあるほど、それに比例して中毒性も増す。

 その昔、西方の戦士たちは、戦いに臨むにあたって、痛覚を鈍らせるために、この手のオクスリを常習的に服用していたそうな。嘘かホントか知らんけど、東洋人が西洋人を、北方人と同様もしくはそれ以上の野蛮人と揶揄するのも、むべなるかなという所。

 

「冗談だよ。俺にそんなもん作れる技量も知識もない。今作ってるのは、虫除けの薬だよ」

「なんだ、びっくりさせないでよ……」

「ペパーミントオイルだ。昨日道中でたまたまミントを採集できたからな……こうやってすり潰したミントの葉に、たっぷりオリーブオイルをかけて……あとは弱火でぐつぐつ煮込む」

 

 ドロシーは興味を持ったのか、腰を上げ、鍋の方へ近寄る。

 ツンとした爽やかな香りが、周囲を包んだ。

 

「これが虫除けになるの? いい匂いとしか感じないけど」

「ああ。人間にとっては心地よい香りでも、虫はコイツが苦手みたいでな。たぶん、匂いがきつすぎるんだと思う」

 

 たぶん、綺麗なものには近づきたくないんだろう。

 我等は醜いが故に、それを畏れ――人間界のインセクトこと、ニケさんからの貴重なメッセージだ。誰が虫だって? 無視すんなよ。ブーンブーン。

 

「ふーん……じゃあこのオイルをお肌に塗っておけば、自然な虫除けになるって訳か。香水代わりにもなっていいわね」

「ああ。あと、虫刺されが気になるときはいつでも言ってくれよ。ドクダミをアルコールに浸した自家製かゆみ止めを鞄に常備してある。下手に掻きむしって炎症でも起こすとひどいことになるからな」

「詳しいのね。薬師みたい」

「まあ……一応、かーちゃんが元薬師だったからな。ハーフエルフだったこともあって、ハーブとかやたら詳しかったんだよ」

 

 ぱちぱちと焚火の炎が爆ぜる。辺りからは凜々と鈴のような虫の音が聞こえた。

 

「ハーフエルフって……え? そうだったの?」

「言ってなかったっけ?」

「聞いてないわよ……ってことはあなた、混血種だったの」

「4分の1はね。つっても4分の3は人間なんだから、ほとんど人間だろ。都会じゃ色々面倒くさいから、人間で通してきたけど」

「むむむ……意外というか何というか……」

「話戻すけど、俺の薬の知識が、妙に生活臭のするおばあちゃんの知恵袋的な方面に偏ってるのは、大部分が母親の影響だよ。火傷に効く軟膏とか、切り傷の化膿を防ぐ塗り薬とか色々持ってるから、お前も興味あるなら今度教えてやるよ」

「ああうん……ありがとう」

 

 ドロシーは俺の隣にしゃがみ込んだまま、すーっと大きく深呼吸した。

 

「ミントの香りって落ち着くわよね。今まであんまり意識したことなかったけど……何て言うのかな。なんか……懐かしい感じがする」

「記憶と嗅覚は、密接なつながりがあるって聞いたことあるぜ。案外、そういう引き出しはお前が記憶を取り戻す上で、重要な手がかりなんじゃないか」

「うん……そうかもね」

 

 ドロシーは「水浴びしてくるわ」と言って、その場から立ち上がる。

 「俺も一緒に行っていい?」と5日目連続5度目の台詞を吐きそうになったが、頑張って我慢した。後には虫の鳴き声だけが残る。おまけに猿の雄叫びみたいな声も聞こえてきた。

 ついに大自然にまで己のスケベ心を非難されるようになるとは……ニケ、恐ろしい子。どこまで成長すれば気が済むの……

 

 後片付けでもすっかと、腰を上げたまさにその刹那だった。一瞬の出来事。

 気付けば口元を塞がれ、背後から声が射す。

 

《貴様ら、ここで何をしている?》

 

 何と言ったのかはわからない。東洋の言語系統でないことは確かだ。

 首元には、鋭利な匕首を突きつけられていたが、すぐに意識が朦朧とし始める。

 

 きっと、口元に当てられた布きれには、薬が塗りこまれていたに違いない。

 何一つ抵抗できないまま、やがて視界が闇に墜ちた。

 

 

    *

 

 

 ハッとして目覚めたとき、自分は檻の中にいるのだと悟った。

 檻?

 

 そう檻だ。木組みの鳥籠みたいな囲いの中に、俺はいた。

 両腕には手錠が嵌められている。そっと魔力を込めて見るも、反応はない。案の定、魔力の循環を制御する術式が施されていた。

 

 おぼろげに周囲を見渡してみる。

 辺りは薄暗く、右側前方に松明の炎が揺らめいてるのが見えた。同時に人影も。

 

 おそらく見張りだろう。

 どこからともなく、奇天烈な猿の雄叫びみたいな声がこだまして、その人物と目が合った。やはりというか、予想通り人間ではなかった。

 

 鋭く尖った耳に、翡翠の瞳。

 エルフだ。

 

 耳馴染みのない音の羅列を発した後、彼は「そういやそうだった」と言う顔をし、気を取り直して、俺に近づいてもう一度言った。

 

「目が覚めたか?」

 

 今度は俺でもわかる言語だった。メテオラ語の系統だ。

 

「生身の人間を見るのは、百年ぶりなものでな……失礼した。俺が何を言ってるか、わかるか?」

 

 俺はこくりとうなずいた。そしてそれ以上、何も言わなかった。頭が未だぼんやりとしていて、適切な言葉が浮かばなかったと言った方が正しいのかもしれない。

 夢うつつな意識をリアルタイムにチューニングしている最中、再び奇天烈な猿の悲鳴のような声が聞こえた。

 

「なあ」

 

 俺は言った。

 

「この森に入ってから、ずっと気になってたんだが……ありゃ何だ? 猿か?」

「猿じゃない。あれは鳥だ」

「鳥?」

「モンキーバードと言う」

 

 それはほとんど猿なんじゃないかと思ったが、結局何も言わなかった。エルフなりのユーモアだったとすれば、申し訳ないことをしたと思う。

 

「仲間はどうしたと、訊かないのか?」

 

 顔を上げると同時、エルフの男と目が合う。

 

「言えば、もし彼女が無事だったとき、俺たちに余計な情報を与えてしまうからか? 人間にしては、存外冷静なんだな。もしくは怯えているだけか」

 

 別に何も言ってないだろ、勝手に話進めんなと言いたかったが、結局何も言わなかった。申し訳ないが、初対面のくせに馴れ馴れしい野郎には、決して心を開かないと決めているのだ。

 なお、相手が妙齢の淑女であれば、この限りではない。

 

 エルフの男は、じろじろと俺をなめ回すように見ていたが、そのうち焦点が一つに定まった。何やら俺の手元をじっと見ている。

 俺の魔導具でもある、左の人差し指に嵌めている指輪が、どうやら気になっているらしい。

 

 やがて、男がため息をつき、檻の扉をガチャガチャいじった。

 

「出ろ」

 

 扉が開き、男が俺に槍を突きつけて言う。

 そして手錠の鍵を解いた。

 

「お前が目覚めたら、連行しろと奥方に言われている。お前の仲間もそこにいる」

 

 

     *

 

 

 男に導かれるがまま、薄暗い牢屋を出て、螺旋状の階段を下り、外に出る。そこでようやく、俺は自分が大樹の中にいたのだということを理解した。

 大樹?

 

 そう大樹だ。

 馬鹿でかい大樹の幹をくりぬいて、内部を居住できるように施工した、巨大な木の家だ。一体どういう建築技術なのかさっぱりわからんが、おとぎ話にでも出てきそうな妖精の家みたいな所に、俺は捕らえられていたらしい。

 

「こっちだ。付いてこい」

 

 男に従い、大樹を囲むように組まれた足場を進んでいく。生まれてこの方見たこともないような大樹があちこちに林立しており、枝と枝の間に梯子や、小さなツリーハウスがあるのが視認できた。

 

 ふと空を見上げると、鬱蒼とした木々の枝葉で埋め尽くされており、合間を縫うように木漏れ日が射していた。陰気と言うべきか、幻想的と言うべきか、判断の難しいロケーションではある。しかしどういう訳か心地よく感じるのは、たぶん俺が日陰者のせいだろう。

 

 どうやらここは、ウッドエルフの里と見て間違いないようだ。

 

 エルフの中でも純血種とされる連中で、遡ること四百年前、一次東征後に勃発した「ハーシェルの叛乱」以降、他種族との交わりを一切絶ち、ダーク・ヘッジスに引きこもることを決めた連中の末裔である。

 つまり、俺からすると偉大なる引きこもりの先輩方でもあるのだが、内心は厄介な連中に目を付けられたなと舌打ちしたい気分だった。

 

 実を言うと、連中の祖先――叛乱の盟主であったハーシェル・リャナンシーは、元々は勇者シリウスの仲間の一人だった。

 シリウスが生きていた時代――つまり、四百年前の時代、エルフは人間に対して最も友好な種族であり、第一支援者としての地位を確立していた。

 

 それが一次東征終結後、両者は次第にいがみ合い、決裂するに至った。そして勃発したのが「ハーシェルの叛乱」である。

 人間はエルフが戦争に協力する見返りに、国家としての独立など、様々な権利を約束していたが、そのほとんどを反故にされたのが原因と言われている。

 

 この叛乱を鎮めたのが、同じくシリウスの仲間の一人であった、大戦士アレクであるのは、東洋ではあまりに有名な話だ。アレクとハーシェルは、恋仲であったという逸話も含めて。

 

 そういった歴史的背景から、ウッドエルフはおそらく、未だに人間を忌み嫌っている。

 おそらく、と言ったのは、本当の所、連中がどう思ってるかなんて誰にもわからないからだ。

 

 知るとすれば、人間社会の中に溶け込んでいるエルフたちの情報を頼りにするしかないが、彼等の多くは純血種の閉鎖的な傾向に嫌気が刺して、集落を飛び出してきた「はぐれエルフ」ないし、その子孫だから、情報には当然バイアスがかかる。

 

 だから、彼等がいくら「本家」のことを石頭だのなんだの揶揄しようと、連中の言うことを鵜呑みにするのはフェアじゃないというのが俺の意見だ。石頭にも石頭にならざるを得なかった理由があるはずであり、一方的に嫌悪感情を募らせているのは、むしろ人間の方ではないかという気さえする。

 四百年の断絶は、それほどにまで重いということだ。

 

 まあこれ、全部ハーフエルフだった母ちゃんの受け売りなんだけどな……

 

 男に連れられ、木組みの長い吊り橋を渡る。

 

 橋の下からは、小川のせせらぎが聞こえた。一歩踏み出すたびに震動が下半身に伝わり、恐る恐る進んでいくと、不意に下の方から、「クケケケ……」と、まるで俺の笑い声のような鳴き声が聞こえた。

 虫だろうか?

 はては俺の前世かなと、戸惑った表情を浮べていると、エルフの男が「あれはカエルだ」と教えてくれた。

 

「ファントムフロッグという」

「ファントム?」

「業の深い人間が転生した姿だという伝承がある。だからああやって、常に不気味な声を発しているんだ。エルフの世界では、誰かを呪わずには生きられない業を背負った、哀しい生きものの象徴として扱われることが多い」

 

 なるほど、つまりは俺の来世の姿か……恥の多い半生を少しは悔い改めるべきだなと自戒の念をこめていると、目的の場所に着いた。

 

 樹齢何万年と言われても納得してしまいそうな、ひときわ巨大な大樹の中に入り、螺旋状の階段を上っていくと、開けた場所に出た。

 

「奥方。(くだん)の人間をお連れしました」

 

 赤い絨毯が敷かれた先、階段を三段上った所に、玉座があった。薔薇の蔓のようなものが幾重にも絡み合った、洒落た椅子だった。座り心地は至って悪そうだが。

 

「ご苦労」

 

 エルフの酋長(しゅうちょう)らしき女性は、翡翠の瞳を大きく見開いて、俺をじっと見た。

 

 純度の高いエメラルドのような、美しい瞳だった。編み込まれた白髪は腰元まで届きそうなほどに長く、頭部の黄金のティアラと、胸元の銀のネックレスが目を引く。

 エルフらしく真っ白なローブに身を包み、触れればすぐに壊れてしまいそうな華奢な身体とは対照的に、芯の強さと言うか、近寄りがたい独特なオーラが流れており、妖艶というか、オカルティックでエキゾチックでオリエンタルな女性だった。要するにミステリアス。

 

 やがて、彼女は俺から目を逸らし、斜め四十五度の方角に首を向けた。

 

「ドロシー。そなたの仲間で間違いないか」

「ん?!」

 

 すると、テーブルでメシをかき込んでいた挙動不審かつ見覚えのある小さなシルエットが、すっくと立ち上がった。

 

「ニケ?! よかった……無事だったのね!」

 

 口元には食べかすが付いていた。言葉と行動が釣り合っていない。

 存外のんびりしていて拍子抜けしたが、まあ何だ。お前こそ元気そうで良かったよと思いつつ、俺は目を細める。

 

「あ、いやその、これは……お腹が空いて……うん。ここにいるエルフたちは、私たちに危害を加えるつもりはないそうよ。最初は見逃すつもりだったのだけれど、少し気になることがあって、ここへ連行したって」

「気になること?」

 

 ドロシーがうなずく。

 タイミングを合わせたかのように、酋長が玉座から立ち上がり、俺へと歩み寄った。

 

「ニケ。そなたが身につけている、左手の指輪について、話を聞かせてもらいたい」



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57 湖の乙女

 酋長曰く、せっかくだから場所を変えようとのことだった。

 どこへ行くんですかと訊くも、「行けばわかる」としか言われなかった。要領を得ないというか、俺にもまずメシ食わせるのが礼儀じゃないのかと思ったが、逆らったところで詮がないので、大人しく従うことにした。

 

 そんな訳で、俺とドロシーは、ウッドエルフの酋長と、従者の男に連れられるがまま、さらなる森の深部へと向かっている。

 ちなみに酋長の名は、オラシオンと言うらしい。従者の男の名は、ヴェルギリウス。

 

「ドロシーはどうやってここへ?」

「うにゃ……貴方の反応がなくなったことにはすぐ気付いて、ポチョムキンと一緒に慌てて追いかけたんだけど……結局見つかって。話を聞けば、貴方に危害を加えるつもりはないって言うじゃない。すったもんだの末、今に至る」

 

 こう見えて意外と「細けぇこたぁいいんだよ!!」の性分な彼女らしく、だいぶざっくりした説明だったが、まあそれはいい。

 

 ドロシーは、緑色の球形の果実に、葦のストローを刺して、中身をチュパチュパすすっていた。何だと訊いたら、「トロピカルココナッツレインボージュース」だと言われた。若い女子はどうしていつの時代も、頭が悪くなりそうな名前の飲み物が好きなんかねと思ったが、大人しく黙っておいた。

 

「悪い。完全に油断してた……迷惑かけたな」

「別に……まあ持ちつ持たれつってことで」

 

 ぞぞぞとストローを啜る音が聞こえる。

 

 もう……そういう照れ隠しがたまらなく愛おしいのッ! とでも言えばよかったのかも知れないが、キモさ余って憎さ百倍なのでやめておいた。ウザさ千倍、腹立たしさ万倍まである。

 

「そういやドロシー……まさか、魔眼のことは話してないだろうな?」

「話すワケないじゃん。これ以上話ややこしくしてどうすんのよ。それに、私はまだここにいるエルフたちを完全に信用したワケじゃないし」

「……その割には、出されたメシ完食してたような」

「うっさいな。毎日毎日ボルシチばっかり食わされてたら、いい加減他のモノ食べたくなるわよ」

 

 さすが腹ペコペコリーヌで鳴らしたお嬢さんだ。そんなに食欲旺盛なのに、どうして身体の発育はよろしくないんでしょうかね。パラメータの振り方間違ってるんでは……

 

 橋を渡り、滝が見える場所にまで行ったとき、不意に酋長改めオラシオンが口を開いた。

 

「ニケ。お前はどこでその指輪を手に入れた?」

 

 俺はちらりと、自分の左手の薬指に目をやる。

 下手にごまかす意味も無いので、正直に答えることにした。

 

「自分にもわからないんですよ。というのも、これは母親から譲り受けたものなんです。母は俺にこの指輪を託した後、すぐに亡くなったので……母はこれを大切な人に預かったと言ってましたが、詳細はわかりかねますね」

「……そうか。ならば、お前はそれが、我々一族にとって重要な意味を持つ指輪であることも知るまい」

 

 俺が小首を傾げると、オラシオンは歩みを止め、従者を促す。

 従者ことヴェルギリウスは、畏まって姿勢を正し、俺に視線を向けた。

 

「ニケ。お前が持つ指輪は、『賢者の指輪』と言ってな。現代では失われた、ミスリルという特殊な金属を加工して作られた指輪で……ダークマターという魔族が用意した魔石を使用している。その昔――と言っても、お前ら人間からすると遙かいにしえの時代、エルフとドワーフ、そして魔族の協力によって生み出されたモノなんだ」

「魔族の協力?」

「ああ。お前ら人間が、中つ国に定住するよりずっと昔、魔族はこの地にも住んでいたんだ。ドワーフが細工し、エルフが魔力を込めたものを光の指輪。魔族が魔力を込めたものを、闇の指輪という」

 

 突然の通告に、俺は眉をひそめる。

 

「……本当か? そんな歴史、聞いたこともないんだが」

「そりゃそうだろう。お前ら人間は、寿命が短いのを良いことに、都合の悪い歴史はすぐに忘却の彼方へ葬り去る。後に残ったのは、ひどくねじ曲げられた虚無だけだ」

 

 ぐうの音もでなかったので、何も言えなかった。一瞬、自分のことを指摘されたのかと思ったまである。

 ヴェルギリウスが「話を戻すぞ」と言った。

 

「賢者の指輪は全部で七つあった。光の指輪が四つ、闇の指輪が三つ。種族間の話し合いにより、光の指輪はエルフとドワーフが二つずつ、闇の指輪は魔族が有することとなった。その後、人間の中つ国への入植が始まると、魔族はアウストラシアへと移り住む。したがって、中つ国には光の指輪四つのみが残った。やがてそれらは、全て人間の手によって強奪された」

 

 いきなり算数の問題みたいな話をされて、少々頭がこんがらがる。

 タカシくんは右手に光の指輪を四つ、左手に闇の指輪を三つはめて、こう言いました。

 チェケラッチョ!

 

 斜め上に脱線する俺をよそに、ドロシーが言った。

 

「まるでオリヴィエの歌に出てくる一節みたいな話ね。『エルフは光を、魔族は闇を、ドワーフは工芸を、獣人族は交易をこの世界にもたらした。そして人間は、それらすべてを略奪した』……でも、一体どうして?」

「指輪の持つ、強大な力を欲したのさ。人間は集めた指輪を砕き、武器を作った。それが聖剣だ」

「……え?」

 

 我知らず、俺とドロシーは互いに顔を見合わせる。知ってはいけない真実を知らされたような、居心地の悪さを覚える。

 

「……クロノアが持つブリュンヒルデや、騎士王が持つダーインスレイヴは、元をたどれば賢者の指輪から作られた。そういうことかしら?」

「そうだ。かくして、中つ国には四つの聖剣が生まれた。ドロシーの言った二本に加え、アロンダイトとライキリ。その四つだ」

 

 前者はご存じローランが有していた剣で、彼の死と共に行方不明に。

 後者は西方のシャンバラが有していたが、シャンバラがアイゼンルートに滅ぼされると共に行方不明になったと言われている。

 

「もっとも、賢者の指輪が持つ強大な魔力は、土台人間が耐えられる代物ではない。一度握れば、精神を侵食され、意識はダークサイドへと導かれる。早い話が、人間には過ぎたるチカラということだ」

「おいおい。それじゃ聖剣って言うより、魔剣って言った方が正しいじゃないか」

「そのとおりだよ、ニケ。ゆえに、聖剣は神聖なるがゆえに使い手を選ぶと、人間は後世に語り継いだ。物は言い様とでも言うのか……聖剣の持つ負の側面には、一切目を瞑ってな」

 

 魔法は人間にとって過ぎたる技術であるというのは、魔術士の世界では通説だが……聖剣の持つ特異性が魔力に起因しているのなら、ヴェルギリウスの言うことは、あながち間違いだと断定できない。

 

「なるほど。聖剣が教団の手によって管理されていた歴史を踏まえると、否定はできないか……」

「教団が歴史を改竄したってコト?」

「おそらく、な……なあヴェルギリウス。俺たち人間の歴史では、聖剣は全部で七つあるという伝承があるんだが、それは?」

「憶測だが、賢者の指輪が七つあるという伝承が、ねじ曲がった形で後世に伝わったのではないか。魔族が去ると共に、中つ国から消えた三つの指輪の行方は、誰にもわからない。それが真相だ」

「ねえ……ちょっと待って」

 

 ドロシーが口を挟んだ。

 

「数が合わなくない? 聖剣に形を変えたのが四つ、魔族が持って行ったのが三つ……賢者の指輪が全部で七つなら、ニケが持ってる指輪は何だっていうの?」

 

 言われてみれば、ごもっともな指摘だった。

 仲間外れが一つ。Check it out.

 

「ニセモノなんだろ。後世の誰かが似せて作ったとか。第一、これがホンモノの賢者の指輪なら、俺の精神はとっくに汚染されてる。寝るときも風呂入るときも、便所に行くときすら一蓮托生なのに」

「要る? そのカミングアウト。もうとっくに汚染されてるとしか……」

「あ?」

「ドロシー。お主の言うことはもっともだ」

 

 もっとも? それは俺が不潔だという意味でファイナルアンサー?

 アホな冗談はさておき、オラシオンは至って真剣な表情で、俺の指元を見つめた。

 

「だから、それを確かめるために、汝らをここにいざなった」

 

 すると、オラシオンは目を瞑り、虚空に右手をかざし、理解不能な言語で詠唱を始める。それが空間魔法であるのに気付くのに、大して時間はかからなかった。

 

 <門>(ゲート)

 突如として空間が捻れて、穴が開き、その先に別世界が映る。ノルン式転移術とは異なり、魔法陣もなしに空間と空間を繋ぐとは、一体どういう技術なんかね。

 

「飛び込め」

 

 えぇ……魔力酔いしないだろうなと思ったが、残念ながら拒否権はなさそうだ。

 ためらいもなく、<門>(ゲート)へと踏み入ったドロシーの後を追い、俺もまた<門>(ゲート)へと飛び込んだ。

 

 

    *

 

 

 眩しい光に照らされて、目を凝らした先に、開けた湖が映る。

 

 湖はこの世のものとは思えないほどに青く美しく、どこまでも透き通っていた。

 基調は紺碧なのだが、見る角度によって明るくなったり鮮やかになったり、あるいはくすんだりして、青と言うよりエメラルドに変化したりする。きっと季節や時間帯によっても、色合いは絶妙に変わってくるのだろう。

 

 ちょうど湖の形をくりぬいたように空が広がっていて、久方ぶりに太陽の光をまともに浴びたような気がする。

 湖上には赤い睡蓮が咲き誇っていて、水面が波打っては、陽の光できらきらと輝いていた。

 

 ふと視線を左の方に転じると、細い滝が、何層にもわたる苔生した岩の階段を滑り降りていた。光の加減で、ほんのりと虹が架かっているようにも見えた。

 

「へえ……この森の中に、こんなに美しい場所があったなんてね」

「ラーの湖という。特殊な結界を施しているから、外からは認知できない造りになっている」

「幻術ってこと?」

「いや、幻術とは違う」

 

 ヴェルギリウスに代わり、俺はドロシーに言った。

 

「幻術は観測者の意識に働きかけるのみで、観測対象それ自体には干渉しない。この湖の周囲だけを、他の空間と断絶させているとなれば、幻術の範疇を超えている。固有結界の創造、つまりは空間魔法と召喚魔法の複合的応用だろう」

「ふーん……ようわからんけど、ものすごく面倒臭そうなことしてるってのはわかった」

 

 二人のエルフが、こちらへと近づいてくる。一人は老人で、一方は小さな女の子だ。女の子は樫の木でできたステッキらしきものを大事そうに抱えている。

 

 老人と女の子がその場に膝を着き、恭しく頭を下げると、オラシオンが「楽にせよ」と言った。彼女は二人に歩み寄ると、老人と二・三言交わし、女の子の頬にそっと触れた。

 

「姉のように上手く振る舞う必要はない。そなたはそなたの為すべきことを為せ」

 

 そして、彼女は微笑を浮べた。

 すると、カチンコチンに萎縮していた女の子の表情が、少し和らいだ。オラシオンは生まれてこの方、喜怒哀楽を前世に置き忘れてきたような鉄仮面エルフだと思っていたから、意外な印象を覚える。

 ヴェルギリウスもまた微笑ましい表情を浮べて、俺に言った。

 

「彼女はエルマ。まだ幼いが、代々『湖の乙女』の巫女としての役割を担ってきた、リャナンシー一族の末裔なんだ」

「湖の乙女?」

「エルフにとっての守護精霊とでも言うべき存在だ。乙女は太古から我々エルフの歴史を見守り、遠く未来を見通すことができる。彼女は巫女として、湖の乙女と交信し、神託を授かることのできる唯一の存在なんだ」

 

 ふーん……ようわからんけど、かの高名な勇者シリウスの仲間で人類への反逆者、ハーシェル・リャナンシーと同じファミリーネームなのは何か意味があるのかと思ったが、詳細を尋ねるより早く、女の子が俺の方に近寄ってきた。

 

「あ、あなたがニケさんですね……私はエルマと申します。向こうにいるのは私のおじいちゃんで、ソロンと言います……あっ、自己紹介なんてどうでもいいですよね。い、至らぬ点もあるかと思いますが、よろしくおねがいします……」

 

 おそらく、初めて人間と接するからだろう。エルマは終始緊張した面持ちだった。

 どこか既視感を覚えるエメラルドの美しい瞳に、中性的な整った顔立ち。ただ、全体的に幼く、まだ成熟していないような印象を受ける。人間で言うなら十歳前後、エルフで言うなら……夢から醒めそうなので止めておこう。

 

 エルマはぺこりと頭を下げると、ステッキを片手に湖へと足を踏み入れる。膝下まで水が届く位置まで進むと、彼女は厳かに舞い始めた。

 

 どうやら、湖の乙女とやらとの交信が始まったらしい。

 一々踊らないとコミュニケーションしてくれないとか、ずいぶん舐めた野郎だな、引きこもり時代の俺ですら相手にそこまで求めなかったぞと思ったが、黙って見届けることにした。

 

 後方腕組み仁王立ち勢として、エルマの踊りをまじまじと眺めていると、この日のために頑張って練習してきたんだろうなあ、年配の連中には口やかましく指導されて大変だったんだろうなあ、人間社会に生まれていればもっと別の生き方だってあっただろうにと、色んな情念が浮かんでは消えていって、不意に目頭が熱くなった。

 

 ったく、年は取りたくないもんだねえ……自分より若い子が必死で頑張っている姿を見ると、こんなに心が揺り動かされちまうなんて……

 

 まるで娘を見守るオヤジのような心境で、エルマの様子を繁々と観察していると、彼女は上空に掲げた樫のステッキを、すっと胸元に下ろした。

 そして、俺を見る。

 

「湖の乙女の許しが出ました……ニケさん。こちらへどうぞ」

 

 促されて、俺もまた湖の中へと入っていく。

 エルマの隣に進むと、彼女はささやくような声音で、「指輪を取り、湖の上へ落としてください」と言った。

 これ外すの、いつ以来だっけ……などと思いつつ、俺は言われるがままに、指輪を湖に落とす。ぽちゃりと、波紋が立つ音がした。

 

 すると突然、水面に浮かんだ指輪を中心に、激しい奔流が巻き起こり、飛沫が散って視界を奪われた。

 

 なんだなんだと動揺する俺をよそに、エルマはメテオラ語らしき言語で交信を続ける。

 俺には一切聞こえていないが、彼女には聞こえているらしく、その証拠に、三、四度と会話らしきやり取りがあった後、あれほど荒ぶっていた水のうねりが、にわかに静まった。

 

 そして、遠く湖の中心から、光の玉のようなものが現れた。

 

 《おお! 乙女が自ら姿をお示しになられるとは……》

 

 後方で、エルフのじいさんやヴェルギリウスが動揺している声が聞こえた。

 どうやらただ事ではないらしい。昔絵本で見たような精霊の顕現に、しばし思考を忘れた。

 

 やがて、エルマが祈るような姿勢から、俺へと視線を転じた。

 

「乙女から回答がありました。これは、紛れもなく賢者の指輪に相違ないと。その昔、魔族が造った闇の指輪だそうです」

 

 一同に動揺が走る。

 ある者は驚き、ある者は静かに黙し、またある者は諦観めいた表情を浮べていた。

 

「――ただし」

 

 エルマが言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()と、乙女はそう仰っています」

 

 俺は瞬きを止めたまま、エルマをじっと見つめる。

 

「あってはならない? どういうことだ?」

「この時代、この世界において、存在することが不自然であり、理に反すると――」

「……よくわからんな。なら、どうして俺はこんなものを……」

「いえ、違います」

 

 腑に落ちない様子の俺を見て、エルマが首を横に振った。

 

「指輪のことではありません。乙女が本来、ここにあるべきものではないと仰っているのは――」

 

 エルマは透き通った声色で、はっきりと告げた。

 

「ニケさん。あなたのことです」



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58 開かずの扉

 長い夜だった。

 何度寝返りを打ったかわからない。眠れと脳に強く命じても、一向に言うことを聞いてくれない。いっそ開き直って考えごとに耽ってみるも、状況は改善しない。

 こんなのいつ以来だ。

 

 もう眠るのはあきらめて、外の空気でも吸ってくることにした。

 用意された部屋を抜けだし、階段を下りて、扉を開く。

 

 虫の音に、鳥や蛙の鳴き声、滝のせせらぎが遠くから聞こえる。

 夜の樹海は昼間よりいっそう薄暗くて青白く、木々の合間からわずかに射す月明かりが、小川の水面にささやかな光を落としていた。

 

 木組みの欄干にもたれて、大きく息を吐き出す。ため息をついた所で何かが解決する訳ではないが、そうせざるを得なかった。

 

 結局あの後、湖の乙女は仔細を明らかにせず、姿を消した。

 

 オラシオン曰く、乙女は未来を見通すことができても、経緯は伝えてくれない。否、伝えることができないのだと。

 

「乙女に映るのは、断片的な未来に過ぎない。仮に見えたとしても、彼女は結論しか伝えない。なぜなら、お前がそこに辿り着くまでの道のりを知ることで、未来が変わってしまう恐れがあるからだ」

 

 彼女はそう言った。

 だが俺としては、そんな風につかみ所のない真実だけを告げられても、困惑するほかない。それが自分でも思い当たる節があって、それまで不揃いだった点を一つの線で結んでしまうような一言だったなら、なおさらタチが悪い。

 

 そうだ。自分でも、とっくに気付いていた。

 禁術に手を出して、ずっと意識を失って……再びこの世界に戻ってきてからというものの、俺はずっと奇妙な感覚を抱えて生きてきた。

 

 本来、あの時死ぬべきだったはずの命が、誰かのいたずらでつながってしまったかのような違和感……

 

 自分の命なのに、そこにいることが不自然である形容しがたい感覚が、ずっと腹の底に居座っていた。その感覚を、端的に言葉で表すならこうだ。

 

 

 お前は誰なんだ?

 

 

 ヴィクトル・サモトラは、確かにあの時死んだ。

 死んだのだ。

 息をしてるとか脈があるとか、そういう話じゃない。本能的にわかるからわかるとしか言いようがない。間違いなく、俺はあの時死んだはずだった。

 

 ならば、今ここにいるお前は誰だ?

 

 あの日を境に、まるで影をなくしてしまったかのような、自分の魂が剥離してしまったかのような、自分が自分じゃないような違和感が、ずっと頭の片隅を支配し続けている。

 今ここにいるお前は、少なくともあの日までのお前ではない――

 

 そこまで考えて、我知らず舌打ちした。

 馬鹿馬鹿しい。俺は俺であって俺ではない? アホかお前は。俺は俺だよ。この調子だと、もう一人の俺がこの世界のどこかにいるんだとか、そのうち言い出しそうな勢いだ。

 

 欠けた二人が一つになるとき、僕は本当のヴィクトル・サモトラを取り戻す――

 

 寝言は寝て言え。想像力旺盛な十代男子でも、もう少し理性的な妄想をするってもんだ。さっさとメシ食ってうんこして寝ろ。

 

 だが、今日の出来事で、あの時俺の命がつながった理由は判然とした。

 指輪だ。確証はないが、確信はある。

 俺は母さんから譲り受けた指輪の加護で、あの日あの時死なずに、こうして生き長らえることができたのだ。

 

 俺は左手人差し指にはめた指輪を外し、まじまじと眺めた。

 月の光を受けて、リングにはめ込まれた魔石が淡く儚く、白い光を放っていた。

 

 確か……ダークマターとか言ったか?

 まるで魔王でも呼び出しそうなネーミングだよな……この魔石を用意したのは、エルフの伝承だと魔族だから、いかにもアイツらが好みそうなセンスではあるが……

 

 しかも、湖の乙女は、コイツは光の指輪ではなく、闇の指輪だと言いやがった。すなわち、コイツはエルフでなく魔族が造ったということ。

 訳がわからん。

 クロノアたちや、あるいは教団上層部だって把握していないであろう天のお告げを突然授かって、無力な俺は立ち尽くす以外に術を持たない。

 

 こんな曰く付きの代物を、母さんはどこでどうやって手にしたって言うんだ……?

  

 月が陰る。奇天烈な猿の悲鳴のような鳴き声を持つ鳥が、こんな時でも空気を読まずに鳴いていた。

 ため息を大きく一つ。そろそろ部屋に戻るかと思い、顔を上げたそのときだった。

 

 正面に、ドロシーがいた。

 一体いつからいたのか、ツリーハウスの扉の前にもたれるようにして、彼女は腕組みしながらじっと俺を見つめていた。

 

「あー……そのなんだ、うん。ちょっと話さんかね」

 

 

     *

 

 

 前後を要約すると、俺の様子が気になったらしい。

 

 むろんシードロちゃんのことなので、言葉で直接伝えたりはしなかったが、会話の端々や何気ない仕草から、それは読み取れた。不器用というよりは、単純に気恥ずかしいのだろう。年頃の女の子だから仕方ない。

 

 木々の合間からちょうど月が見えるデッキに身を移すと、俺はよっこらしょういちとその場に腰掛ける。

 そして、隣に佇むドロシーを見た。

 

「少しは落ち着いた?」

 

 俺は両肩をすくめた。

 

「ここだけの話、深く傷ついているよ。自分がこの世界に存在してはいけないと言われたような気がして……今すぐにでも消えてしまいたい気分だ」

「アホな冗談抜かす余裕があるみたいだから、大丈夫そうね」

 

 嘆息混じりに、ドロシーがそう言った。

 繊細な演技派として鳴らした俺でも、ドロシーが相手だと分が悪い。物の見事に見抜かれていたようだ。

 

「青二才の頃ならまだしも、幸か不幸か年の功か、傷つくことには慣れてしまったから、今さらね……落胆と言うより困惑の色が強い。どんな時でも一心不乱に落ち込める奴が、最近はうらやましくて仕方がないぜ」

「嫌な年の取り方してんのね」

「ほっとけ」

「困惑したってのは、指輪のこと? それとも、自分のこと?」

「両方かな」

 

 俺は言った。

 

「指輪に関しては、その道の人間に聞いてみても、みんな口を揃えて『見たことのない魔石だ』としか言わなかったからな。むしろ今日の一件で、腑に落ちたくらいさ。そりゃわからなくて当然だよなって……だから問題は、母さんが一体どこでどうやって、コイツを手に入れたかだ」

 

 無数のグローワームが放つ水色の光が、苔むす小川の岩の上で明滅を繰り返していた。星空のような景色が、眼下に広がっている。

 

 しばらくして、ドロシーが言った。

 

「貴方のお母さんって、もう亡くなってたのね……私、知らなかったから」

「ああ、お前にはちゃんと話してなかったよな……俺が十五の時にな。ギルドの仕事で、遭難事故にあって……そのまま」

「その……こんなこと聞いていいのかわからないんだけど」

 

 ドロシーは右手で左腕の肘を押さえながら、俺の方を見た。

 

「貴方のお母さんが亡くなったことは、貴方が事故を起こしたことと、何か関係があるの?」

 

 目が合ったまま、沈黙が流れた。

 青色の羽を持つ蝶が辺りを舞い、暗闇にほのかな光の軌跡を描いた。

 

「その、答えたくなかったら別にいいんだけど……なんて言うかさ。貴方って、こっちから訊かないと、自分の考えとかあんまり話してくれないから。教団のことだってそう」

「教団?」

「うん」

 

 ドロシーはうなずいた。

 

「こないだ騎士王やクロノアと会ったとき……貴方本当は、最初から教団が黒幕だってことに気付いてたんじゃないの? 話を合わせてるように見えたけど、きっと違う。本当はずっと、たぶん私と会う前から、その可能性を察してた……」

 

 俺は顎を上げて空を向き、眉間に皺を寄せる。

 ふむ――

 

「ほら、そういうとこだよ」

 

 ドロシーの一言に、俺はおもむろに顔を上げる。

 

「『ふむ。コイツ、どうしてそのことを……勘の良いガキは嫌いだね』とか、どうせ思ってるんでしょ」

「……」

「ほら、図星だ」

 

 ドロシーが口元を微かに綻ばせる。

 ばつ悪げにハナクソでもほじろうかと思ったが、「お前のハナクソをほじるポーズは、本当にハナクソをほじってるんじゃなくて、話を逸らすために相手の気を引くサインだ」とか分析されると、死にたくなるのでやめておいた。

 

「すまんな。草木や花、あと寝室の壁以外とのコミュニケーションは苦手なもんで……どこまでを話すのが正解で、どこまでを話さないのが間違いなのか、お恥ずかしながらいい年こいてよくわからないんだ」

「正解とか間違いとか、そんなこと気にしながら言葉選んでる人の方が少ないよたぶん」

「……そうか?」

「そうだよ。相手が信用のおける人ならなおさらね」

 

 俺は両腕を組み、無情なる心で天を仰いだ。

 

「そのロジックでいくと、俺は草木や花、寝室の壁しか信用していない男になるんだが」

「実際そうでしょ。別に間違ってないじゃん」

 

 グサリと突き刺さったその言葉。

 確かにそのとおりなので、ぐうの音も出なかった。しかし屁の音は出ないように我慢した。

 いやまあ、たぶんそういうとこなんだろうなきっと……

 

「まあなんだ、要するに私が言いたいのは、もう少し周りの人を信じてみてもいいんじゃないかってこと」

 

 ドロシーはローブの裾を直し、俺の隣に腰掛ける。

 

「別に、何もかも包み隠さず話せとまでは言わないよ。伝えたいこと、伝えたくないこと、それは貴方が選べばいい。でも……貴方が思ってる以上に、貴方の言葉を待っている人は多いんじゃないかな」

 

 ドロシーは両膝を抱え込むように座り、両腕の上に顎をのせて、ぽつりと言った。

 

「……少なくとも、私はそう思ってるよ」

「……」

 

 俺は両手を組み直し、意味もなく指先を上下に動かした。

 

「少し前、ロイドのじいさんにも同じようなことを言われたっけな……」

「うん?」

「いや、独り言。で、さっきの質問だけどな……話したいか話したくないで言えば、話したくない。しかし改めて問われると、なぜ話したくないかの理由をちゃんと考えたことがなかった。俺は今までその理由を、言葉にして上手に伝えるのが難しいからだと思ってたけど、たぶん違う。当事者ではない傍観者ごときに、俺の地獄がわかってたまるかという思いが、腹の底にあったからだ。わかり合おうとかする以前に、あきらめてるんだよ俺は。他人はどこまでいっても他人でしかない。そうやって周りを遠ざけて、ハナから触れられることすら拒絶してしまえば、自分がこれ以上傷つくこともない。このだだっ広い空の下で、俺一人しかいない世界の完成だ。だから、自分の過去に関しては、これまで上っ面を撫でるような情報しか他人には与えてこなかった。他人と他人以上の関係になることを恐れていた。認めたくないが、これが罪深き我が正体だ」

「……」

 

 ドロシーは眉間に皺を寄せ、無情なる心で天を仰いだ。

 

「急に早口でめっちゃ喋るやんコイツ……とか思っただろ」

「いや、思ってない。思ってないけど……ただ、その」

「その?」

「そこまで冷静に自分のこと分析できるのを、少し不思議に思っただけ」

「何事も理屈を付けないと納得できない性分なんだよ。それに、自分と向き合う時間は腐るほどあったからな。探しすぎて逆に見失ったまである」

「でしょうね。確かに自分の殻に閉じこもれば、傷つくことはないのかもしれないけれど……そこから前に進むこともない。どれだけ時間が経っても、ずうっとゼロのままよ」

「そうだ。そのとおり。だから、俺はお前に助けてもらうことにした」

 

 そう言った瞬間、ドロシーが顔を上げて、俺をまじまじと見る。

 視線はむろん、逸らさなかった。

 

「他人は他人の勇者にはなれない。この愚かな男を支配するクソみたいな堂々巡り(トートロジー)を、完膚なきまでにぶっ壊してくれ。()()()()()()()()()、ドロシー」

 

 青色の羽を持つ蝶が、淡い輝きを放ちながら、欄干の淵に止まる。

 短いようで長い沈黙を挟んで、ドロシーがぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 

「や。何言ってるのか、正直よくわからんのですが……」

「要するに、俺の話を聞いてくれということだ」

「……」

 

 二秒後、ドロシーがどっと声を出して笑った。よほど可笑しかったのか、笑い止むまでずいぶん長い時間を要した。

 

「なんでそんなカンタンなお願いが、そこまで回りくどくなるのよ……意味わかんない……」

 

 ドロシーが目頭をこすりながら、そう言う。

 慣れてない状況のせいか、どういう表情をしたらいいのか難儀した。ハナクソはほじらないよう頑張ったから許してほしい。

 

 やがて、ドロシーが口元に微かな笑みをたたえて、俺の目を見て言った。

 

「いいよわかった。ちゃんと聞く」

 

 ダークブルーの彼女の瞳の奥に、未だかつて会ったことのないほど情けなく、それでいて新鮮な自分を見た。 

 俺はうなずき、そして言の葉を紡ぐ。

 

「結論から言う。俺は死んだ母さんを蘇らそうとして、禁術に手を出した。そしてその結果、魔力の大部分を失った……

 今からほんの、五年ほど前の話だ――」



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59 僕しか知らない物語 起

 魔法の才能に目覚めたのは、十歳の頃だった。ローランが国中の期待を背負って旅立ち、しばらく経った後だ。

 

 きっかけはなんでもない、誰にでもある好奇心というヤツで、母方の祖父の遺品を整理していたとき、倉庫から趣味で収集していた大量のグリモワールが出てきて、捨てるのももったいないからという理由で、母さんがそれを俺に預けたことから始まる。

 

 元々本好きだった俺は、暇つぶしとばかりにそいつを読み始めた。

 

 術式の構成にアルゴリズム、詠唱に調律、炎・水・風・土・氷・雷の六つからなる黒魔法に、教団主導で独自の発展を遂げた白魔法、それら二大魔法を支える補助魔法、召喚魔法、空間魔法……広くて深いその世界観は、幼い一人の少年を夢中にさせるのに十分な代物だった。

 散らばった点が一つの線となり、線は一つの形となって、真理へと到達する……

 

 気付けば俺は、魔法の虜になっていた。

 

 ここは広大な宇宙だ。

 先人の叡智が、幾億の星々の如く輝き照らしうごめき、今なおその宇宙は膨張を続けている。無限の可能性がどこまでも広がっていて、自分にしか見えない星座を記すことだってできる――

 

 居ても立ってもいられなくなって、生まれて初めてこの手で構成した術式のことは、未だによく覚えている。

 他人のトレースでしかないそれではあったが、詠唱だけはやたら凝りに凝りまくった、少年の熱量と痛々しさが紙一重のいびつな魔法で、たぶんきっと、死ぬまで忘れることはないだろう。

 

「煉獄の炎帝よ。血の盟約に従い、地の底より蘇れ。気高き御身(おんみ)は燃え盛ること紅蓮の如く、何人(なんぴと)たりとも触れること(あた)わず。蹂躙(じゅうりん)せよ――火炎球(ファイアボール)

 

 瞬間、差し出した掌から光芒が散り、その瞬きが消えると同時に、火の玉が飛び出す。

 彼方の草むらがごうっと燃え上がり、煌々と紅く瞬いては、風に揺られてやがて消えた。

 

 俺は腰を抜かして、しばし呆然としていたが、やがてにんまりと笑みを浮べる。

 嬉しかった。

 

 自分にも魔法を使えるんだという事実がとにかく嬉しくて、飛び跳ねるようにはしゃぎ回った。

 

 たったそれだけの出来事。

 

 たったそれだけの出来事が、今まで空虚だった自分の心にふっと明かりを灯したような気がして、今振り返れば、あの日あの時あの瞬間こそが、俺が魔法に焦がれた瞬間だったんだと思う。

 

「母さん聞いて! 俺にも火炎球(ファイアボール)が使えたよ!」

 

 まさかという表情を浮べていた母さんだったが、俺に手を引かれて、庭先の景色を見た途端、その顔付きが一変した。

 

 草の葉一枚も残らない、焼け焦げた地面。草むらの中に、不自然に生じた空白。

 

「ヴィクトル……あなた本当に、魔導具なしで……」

 

 母さんはしばし呆然とした顔を浮べていたが、やがてその場にしゃがみ込んで、すっと俺の頬に触れた。

 薬指にはめた銀色の指輪が、月の光で淡い輝きを放っていた。

 

「驚いたわ。大したものね……ヴィクトル。あなたひょっとして、魔法の才能があるのかも」

 

 俺の目をまっすぐ見つめると、母さんは微笑んだ。

 

「魔法は好き?」

「うん。すっごく面白い。先に進めば進むほど、どんどん違う景色が見えてくるような気がするんだ」

「そう……なら、これからも精進しなさい。母さんも応援するわ」

 

 良くも悪くも、当時の俺は年相応のガキでしかなかった。

 だから当然、たかが十歳の少年が、ロクな鍛錬もなしに机上の知識だけで、魔導具もなく、しかも初心者には扱いが難しいとされている火属性の魔法の発動に成功した事実が何を示唆するかなんて、全然わかっちゃいなかった。

 

 誰にでもできることじゃない。

 

 その言葉の重みを知るにはまだたぶん、幼すぎたのだろう。おそらくきっと、全てを悟って、見守ることを選択した母さんとは違って。

 

「うん! 任せといて!」

 

 力強くうなずいたその日からというものの、俺は日夜魔法の勉強に励んだ。

 じいちゃんの蒐集癖からこぼれ落ちたグリモワールのコレクションに加え、親父の伝手で、道具屋のマーリンおじさんから、古ぼけた魔術書をタダ同然で手に入れることができたのも有り難かった。

 俺が現在有している魔法の知識のほとんどは、この時期に寝る間も惜しんで勉学に励んだ賜物だと言って差し支えない。日に日に使える魔法を増やしていって、母さんはその度に俺のことを褒めてくれた。

 

 また、時機を前後して、師匠と出会うことができたのも大きかった。

 俺の師匠であるアテナ・エンジュは、義勇兵として二次東征に参加すべく、古い知己である俺の母さんを頼って、ロゼッタの地にやって来た。

 

 イケイケドンドンだった二次東征が時間の経過と共に膠着状態に陥り、窮地に立たされた王国は状況を打開すべく、イリヤ教の宗教的紐帯を利用して、アヴァロニアだけでなく中つ国全土に参戦を呼びかけていた。

 当初共同戦線を期待していたシャンバラが内乱の鎮圧、すなわち対アイゼンルート戦線に手を焼いている最中で、後陣として期待していた彼等の戦力を埋め合わせたい目的もあったのだろう。

 こうした出身も経歴もバラバラの連中が集まった混成軍団は、やがて義勇兵と呼ばれ、二次東征を影で支えると同時に、さらなる地獄への引き金を引く存在ともなるのだが……まあその辺の下りは省略していいだろう。

 

 師匠は当初軍医としての地位を与えられ、居候として俺の家に転がり込むことになった。

 エルフということももちろんあるのだが、細い糸目が特徴的で、とにかく綺麗な人だというのが俺の第一印象だった。洗練された大人のお姉さんとはかくあるべきという本尊を俺の中に支配・確立させたのは、もっぱらこの人の影響であると言っていい。

 

「ねえ、せっかくだからアテナ。こうして再会できたのも何かの縁だし、この子に魔法を教えてあげてくれない?」

 

 何がきっかけでそんな話になったのかはよく覚えていないのだが、とにかくそういう流れになった。

 

「うーん……この子は、自分の道は自分で切り開くタイプだと思うから、上から押しつけるより、自由にさせてあげた方がいいんじゃないかしら」

「そうは言っても、模範になるべき存在は重要でしょう。ほら、学ぶって言葉は真似ぶから派生してるって言うじゃない?」

「まあ、リリィ(※母の名前)がそこまで言うなら……もちろん、ヴィクトルがいいというならだけど」

 

 二人の視線が俺に集まる。

 それまで師などクソ食らえと思っていた俺だが、「よろしくお願いします」というまで五秒と掛からなかった。

 むさ苦しい野郎ならノーサンキューだが、妙齢の淑女ならば是非に及ばず。自慢じゃないが、その素質は、ガキの頃から変わっていない。

 

「わかったわ。それじゃ、仕事の合間にね」

 

 まあそんなこんなで、その日を境に俺は彼女を師匠と呼ぶようになった。

 師匠は「そういう柄じゃないから、やめてよ……」と糸目を微かに見開いては、遠慮がちによく呟いていたが、その仕草が可愛かったので呼び続けることにした。悪いとは思ってた。

 

 師匠からは、実に多くのことを学んだ。

 それまで格式張った東洋魔術しか知らなかった俺にとって、師匠の魔術の根底をなす陰陽道の考え方は斬新であり、こんなにも自由闊達かつ創意工夫が許されるのかという点で、大いにインスピレーションを受けた。

 

 一方で、教えるのが上手だったのかと言われると、師匠の名誉のために言っておくが、決して上手ではなかった。

 

 見た目は清楚で理知的な雰囲気を垂れ流してるくせに、教えるとなると「ズドーン! バコーン!!」等の擬音がやたら多く、一言でいうと感覚派だった。ゴリゴリのロジカルパーソン、何はともあれ入口は形から入って、出口は自由に掘らせてもらうタイプの俺とはまるで対極の存在だったが、不思議と反発することは少なかったし、何かようわからんうちに結果として実になっていることが多かった。エンジュ・マジック。

 

 今だからわかるが、それは専ら師匠の人柄によるものだったのだと思う。

 

 師匠は包容力に長けた人だった。

 普段はのんびりすぎるくらいのんびりした性格で、昼下がりに縁側で茶を啜っている時間が人生で一番幸せな瞬間と言うような人だった。

 彼女が怒っている所は、ついぞ見たことがない。俺がしょうもないイタズラをしても、「仕方ない子ね……」と糸目を浮べて笑っているのが常だった。

 きっと、誰に対しても平等に接していたのだろう。実際、俺だけでなく他の子供にも暇があれば魔法を教えたりしていた。周囲の大人からは感謝されることがほとんどで、それでいて嫌味な所がなく、エルフにしては珍しく、他種族と交わるのに長けた、人望のあるタイプだった。

 

 それだけに、弟子に師匠のこういった長所が一切受け継がれなかったのは、大いなる謎である。爪の垢を煎じて飲むべきではという諸君の忠告にも、真摯に耳を傾けたい所存。出来の悪い教え子で申し訳なかったと、今さらながら反省はしてる。

 

 振り返れば、師匠と一緒に過ごしたあの時期は、俺の人生で一番充実していた時代だったように思う。土に撒いた種が、冬を越え、ゆっくりと芽を伸ばして、やがて実を結ぶように、その先に春が待っているという予感が常にあった。

 余計なことなんて考える気にもならなかった。坂の上にある雲をただ追いかけていれば、それだけで日々は充されていたから。

 

 けれど、その時間も長くは続かなかった。

 季節が巡り、師匠に弟子入りしてから一年が経とうとする頃、師匠は唐突に俺の元を去ることになった。

 

 理由は言うまでもなく、戦争の激化だった。

 泥沼化した戦線に一石を投じるべく、王国は総動員令と称して、予備戦力として本国に控えていた軍隊の大部分を前線に投入することを決断した。つまり、最後の切り札を切ったのだ。

 師匠は後方勤務から前線すなわちアウストラシアに配置換えとなり、それから東洋に戻ってくることは、二度となかった。

 

 最後に交わした言葉は、「こういう時に笑える人になりなさい。たとえ魔法なんかなくても、隣にいる女性を幸せにできるのが、魅力的な男性というものよ」だった。

 

 その言葉に恥じない人生を歩めているのかどうか、俺には全く自信がない。

 心にぽっかりと、大きな穴が空いた出来事だった。

 

 

     *

 

 

 十三歳のとき、俺は国の教育機関である王立ロゼッタ魔法学士院、通称魔法アカデミーにスカウトされた。

 

 二次東征勃発以降、各地で相次いだ魔力泉の暴走により魔物の勢力が増長し、人類の生存圏が少しずつが脅かされつつあるのは、諸国にとって頭痛の種だった。

 

 また、遠く西洋では東洋と同盟関係にあったシャンバラが滅ぼされ、新たに支配者として君臨したアイゼンルートは東洋に対して敵意を明確にしていた。

 さらには戦争が終結したとはいえ、魔族がいつ大東洋を渡って攻めてくるかもしれないという恐れもあり、アヴァロニア諸国は早急な立て直しを求められていた。

 

 亡き父の遺志を継ぎ、魔王を倒すと宣言したものの、クロノアはまだこのとき六歳。

 その両肩に全てを背負わせるのは、あまりに無謀で無策で無責任と言えた。

 

 ネウストリアはクロノアが成人となる十年後に再戦を仕掛けることを基本方針に、彼を勇者として世に喧伝し、彼の周囲を固めるべく、教団とも結託しながら、様々な政策を打ち出す。

 かいつまんで言えば、勇者の仲間にふさわしい人材の発掘だ。

 

 ネウストリアは外部からの招聘と、内部からの結束という二方向から、その目的を実現しようとした。

 

 前者はクラインの酒場を拠点に、世界中から魔王を倒す志のある者を集めようとする招賢政策として、やがて結実する。

 具体的には、トラヴィス・クローバーとかいうオッサンが発起人となって結成したギルド「クライン」が、その舵取りを任されることになる。

 

 一方で後者は、わずか九歳で家督を継いだツェペシュ家の第四王女を騎士王に抜擢するという異例の人事が行われた。

 その理由が、新たな騎士王ロローナ・アナスタシア・ツェペシュは、クロノアと並んで聖剣に選ばれし者であるというから、なおのこと驚きだった。

 

 こうも時機を見計らったかのように、聖剣を使える人間がポンポン現れるなんて、話が出来すぎで裏があるとしか思えない出来事ではあったが、そんなガキの浅はかな勘ぐりをよそに、世間の多くはクロノアと並び立つ騎士王の誕生を、好意的に受け止めていたようだった。

 敗戦のショックから民衆を立ち直らせて、未来に希望を抱かせるクスリとしては、これ以上ないレシピとなった訳だ。

 

 一方で、そうしたアヴァロニア全体での動きとは別に、王国は王国で、自国内の兵力強化を画策していた。

 

 特に魔術に関しては、二次東征で魔族に散々にやられた反省からか、ようやくこの国の石頭どもは自国の魔術の後進性を自覚したらしく、魔族に真っ向から立ち向かえるだけの知識や技量を有した魔術士の育成が急務であると考えるに至った。

 身も蓋もなく言えば、毒を以て毒を制する――革新的な魔術により、西洋の覇権を握ったアイゼンルートの脅威が背景にあったのも、理由の一つだろう。

 

 王国は、権威にかじりつくクソジジイどもの巣窟と化していた王立ロゼッタ魔法学士院を重点強化施設として刷新し、身分や経歴を問わず、国を挙げて魔術士の育成を大々的に行う旨を公表。

 要するに、俺はその取組の記念すべき第一期生、又の名を「次世代を担うスターの原石☆魔術士のタマゴ候補生!!」として、政府から直々にお声が掛かったという訳だ。

 

 ある日突然、役人が俺の家に来て、君の才能を見込んでうんぬんかんぬん。

 ああいう手合いはどうにも話し方が無機質というか、まるで機械がしゃべってるみたいで、今となってはそいつらの顔一つも思い出せないのだが、要約すれば「四の五の言わずに黙って判を押せ」。

 そういうことだったんだと思う。

 

 親父にしろ母さんにしろ、最終的には息子の判断に任せたいと俺の意志を優先してくれたが、俺は特段異議を唱えることもなく、さっさとサインを済ませてしまった。

 

 国から直々に招かれるなんて誉れ高いとか、これを踏み台に勇者の仲間になってやろうとか、そんな野心はまるでなかった。どころか、結婚式の数合わせに呼ぶ、縁の薄いご友人。賑やかしの壁の花に過ぎんなコレはと、内心完全に白けきっていた。

 

 要するにコイツらは、打てるだけの手は打ったという事実を残したいだけなのだ。

 結果など二の次、三の次。識者曰く、観測者が箱を開けるまで、猫の生死は決定していない。ただしその箱は、永遠に開かれることがない――

 

 お役所仕事ここに極まれりで反吐が出るが、にもかかわらず、俺が学士院に入ることを決めたのは、単純に利用価値があると思ったからだ。

 学士院の蔵書には、市場には出回っていないような貴重な文献がたくさんある。アカデミーの学生は、そうした魔術の叡智に自由にアクセスできる権限を与えられると役人から言われたら、断る理由などどこにもなかった。

 

 思慮が足りなかったとも言えるし、ある意味で傲慢だったとも言える。くだらない常識や言いがかりは、実力や才能の名の下に、カンタンに捻り潰せると信じて疑わなかったから、言葉の裏を疑うことを知らなかった。否、その必要性すら否定していた。

 いくら魔術に自信があるとはいえ、その点においては、俺はまだまだ世間知らずの、年相応のクソガキでしかなかった。

 

 だから、ああいう結末を迎えたのは……ある意味当然の報いだったのかもしれないと、今ならそう思う。

 

 

    *

 

 

 学校が終わって放課になると、俺は大通りに面する鍛冶屋に向かう。

 俺の実家である居酒屋の裏手にある、ガーフィールド武具店。俺にとって唯一親友と呼べる人物がいる場所だ。

 

 店番のおばちゃんに挨拶を済ませると、工房を通って、奥の通路の突き当たり。ドアを三回ノックすると、馴染みある声が返ってくる。

 

「ニケ。今日はずいぶん早かったね」

 

 エルレインことエルは、手元の本を閉じて袖机に置くと、ベッドから上半身を起こしたままの姿勢で、俺を見るやニッと笑った。

 

 今でこそ一角の鍛冶屋見習いとして立派に奉公しているエルだが、ガキの頃は呼吸器系が過度に弱く、一年のほとんどをベッドの上で過ごすような、ひ弱な少年だった。

 

「なんかお前……ニートみたいだな」

 

 ベッドの脇にある椅子に腰掛けると、開口一番、俺はそう言った。エルの瞳が、くりんと弧を描く。

 

「にーと? なにそれ」

Not in Education, Employment or Training.略してニートだ。何物にも染まらず、1と0の間に生きる孤高の戦士……早い話が、無職の上位互換だ」

「? それはニケが考えた言葉なの?」

「ああ。俺の理想とする所だ。ニートがさらに進化すると、賢者になる」

 

 そこまで言って、エルは俺の言葉が冗談だと悟ったらしく、クスクス可笑しそうに笑った。

 

「何か言い方は立派だけど、要するに何もしてないってことなんじゃ」

「バカ野郎。奴らは思索のフロンティアを彷徨う、地図なき冒険者たちなのだ。決して馬鹿にしてはいかんぞ……その迷いは海より深く、その悟りは山よりも高い。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやというヤツだ」

「えんじゃく、ってなに?」

「お前みたいなひよっこの事だよ」

「?」

「ククク……無知なることを畏れよ、エル君。無知の知だ。そんな君に、今日は素敵なプレゼントを持ってきた」

 

 そこで俺は鞄を開き、林檎を二つ取り出す。一つはエルに渡して、一つは自分でかじる。

 しゃりっと小気味のいい音がして、甘い香りが口の中に広がった。

 

「学校はどう?」

「……まあまあかな」

 

 林檎をかじり、ムシャムシャと咀嚼して、呑み込むのも待たずに俺は続けた。

 

「環境は申し分ないね。蔵書の数だって、さすがは歴史ある王国だ。道具屋のマーリンおじさんに横流ししてもらってた頃や、比較にならないほどの情報が手に入る。教師も中々、いるだけで満足していたジジイどもを追い出して、新しく余所から招いた人間のことだけはあって、魔法の造詣が深い……まあそうは言っても、師匠の域には到底及ばんがな」

「言うと思った。ニケ、大好きだもんね。エンジュ先生のこと」

「うっひゃいな。師匠が看てくれたおかげで、お前の病気だって、一時期よりかだいぶ落ち着いてきたじゃろ」

「うん。それはもう……ねえニケ。クラスメイトはどうなの? 友達何人できた?」

 

 ごくんと林檎を呑み込んでから、俺は続けた。

 

「俺に友達なぞいらん。お前一人で事は足りてる」

「またそんなこと言って~。ダメだよ、ちゃんと皆と仲良くしとかないと」

「由緒ある名家のご子息に、富裕商人の跡取り……まあ頭数は揃ってるな。庶民として生きてりゃ、一生口も利けないような連中が多いから、なるほど今のうちにゴマをすっておくのは、悪くない選択だ」

「もう、そういう意味で言ったんじゃないってば」

 

 エルはそこでようやく林檎を一口かじった。少ししか口に含んでいないのに、ずいぶん長い時間をかけて、彼はそれを咀嚼した。

 

「ま、そんなことより……魔法の話しようぜ。面白い論文を見つけたんだ。何でも百年以上前の研究なんだが、属性魔法の得手不得手は、術者の性格による所が大きいっていうテーマでな」

「性格?」

「ああ。たとえば、場の空気を察するのが得意で、誰とでも上手く合わせられる優等生タイプは水が得意、クールで感情を表に出さないが、内には固い信念を秘めたタイプは氷が得意とか、そういう感じだ」

「へえ、面白いね。ニケが得意な炎はどう書いてるの?」

 

 そう訊かれて、俺はパラパラと手元の書物をめくる。

 

「えーと……なになに。集中力があり、努力家で、こうと決めたことには徹底的に打ち込むタイプ。基本的に明るく、軽口を叩くのが好きで、よく笑う。一見理知的な性格に見えるが、その実直感や好き嫌いで動いていることが多く、白黒はっきり付けることを好み、気にくわない相手には執拗に噛み付くような所がある。一方で昨日まで熱心に打ち込んでいたことを、ある日突然放り投げるような性分を備えているため、周囲を困惑させることもしばしば……だってさ。当たってる?」

「うーん……大体合ってるけど、ちょっと違う所もあるような」

「まあ、性格分類なんて大体そうだよな。この学者も、人間はそこまで単純に割り切れるものではなく、複合的な気質を兼ね備えているのが一般的って言ってるし」

「でもどうして、術者の性格が、属性の使いやすさに影響するんだろうね」

「人はそれぞれ、生まれつき本人の気質に応じたエレメントの加護を受けていて、それが属性の扱いの得手不得手に影響するんだと。なんかイマイチ宗教臭くて、いかにも中世的な思考って感じがして、個人的には納得できんけど。これだと、周囲の環境による後天的な性格の変化が説明できないしな」

「なるほど……けど、研究するには面白そうなテーマだね」

「だろ? また将来解き明かしてみたい謎が一つ増えたな」

 

 ニヤニヤと不敵に笑うのは俺の昔からの性分だったが、エルはそんな俺のマニアックな話にも、真摯に耳を傾けて聞いてくれた。

 それが俺とエルの日常だった。時間は平坦で淀みなく流れ、そこに終わりが訪れるなんて考えもしないほどに、日々は繰り返すものだと思っていた。

 

「――ニケはすごいなあ、研究熱心で……この調子だと、いつかホントに、勇者様の仲間に選ばれちゃうかもね」

 

 エルは落とした視線を上げると、俺の目を見て遠慮がちに笑った。

 

「勇者クロノアに、魔導師ヴィクトル。二人が並び立つ日がいつか来たら、僕は君の友達として鼻が高いよ」

「……ばか。違うだろ。正確にはこうだ」

 

 ふっと口の端を上げ、俺は言った。

 

「勇者クロノアに、魔導師ヴィクトル。そして戦士エルだ」

 

 その一言に、エルはしばらく瞬きを止めていたが、やがてふふっと声を出し、可笑しそうに笑った。

 

「そうだね……そんな未来が来ると、素敵だね」

 

 俺は膝の上に頬杖をつき、こくりとうなずく。

 開け放たれた窓からは春の風が吹き込み、カーテンが小さく揺れていた。

 

「ねえ、ニケ」

「うん?」

「いつか本当に、勇者様の仲間に選ばれて、魔王を倒す旅に出たそのときは……僕に必ず聞かせてね」

 

 エルは組んだ両手から、俺へと視線を移す。その瞳はまっすぐで、どこまでも透き通っているように映った。

 

「溶岩噴き出す火山に、どこまでも青い海。風吹きすさぶ大地に、果てない砂漠……世界はこんなにも広くて大きいんだってことを、僕は知りたいんだ。王都の片隅の小さな寝室からでは、到底想像ができないほど、この世界は美しくて、多くの不思議に満ちているってこと……他ならぬ親友の魔法使いから、直接教えてほしいんだ。それが僕の夢」

 

 透明なエルの瞳に吸い込まれるように、俺はじっと彼の言葉に聞き入っていた。

 薄く閉じたまぶたを開くと、俺はエルの瞳を見つめ返した。

 

「わかった。約束しよう」

 

 エルはぱっと目を輝かせて、嬉しそうににこりとうなずく。

 開け放たれた窓からはクチナシの香りが漂い、小さく揺れていたカーテンも、いつしかその動きを止めていた。



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60 僕しか知らない物語 承

「煉獄の炎帝よ――」

 

 目を閉じ、集中が増すと同時、足下に六芒星の魔法陣が展開し、蛍火の如く紅き光芒が舞い上がる。

 

「無謬の理に従い、三千世界を照らし出せ。汝が怒りは天をも衝き、世界を蒼く染めたもう――火柱(ヴォルケイノ)

 

 すると、荒れ狂う青の炎が地面から天へとまっすぐに伸び、その熱量で視界が激しく歪む。

 火の粉が散って、光が褪せ、辺りに静寂が戻ると、ぱちぱちと乾いた拍手の音が響く。

 

「エレガント。さすがだ、ヴィクトル・サモトラ。今のが全力だな?」

「……安全に配慮しなければ、出力はもっと上げられますが」

「ふっ、心憎いことを言ってくれる」

 

 教師はうなずき、後ろの席で眺めていたお偉方の連中の側へ歩み寄った。

 身につけた徽章や衣服から、貴族や官僚といった身分の高い人間であることが窺える。

 

「ふむ。その年齢で、恐るべき才能だ。よき生徒を得たな」

「だが、身分は平民か……」

「問題あるまい。勇者の隣に立つ者として、その方が民の信望も厚かろう」

「上手く育ってくれるでしょうか。ただの早熟ということもあります」

「なに、そのときはそのときよ……」

 

 何やらやり取りを繰り返しているようだが、俺の位置からでは、はっきりとしたことは聞き取れない。

 やがて、一番右に座っていた白髪の男が、煙草をくゆらせながら俺の所へやって来た。初めて見る顔だ。

 

「おい坊主。お前、師はいるのか?」

 

 それを聞くより前に、名を名乗るのが礼儀なんじゃないかと思ったが、男はそんなこと気にも留めていないような素振りで、口元から煙を吐き出した。

 

「いるよ。でも、師事していたのは一年足らずだから、ほぼ独学です」

「そうか。どおりで型にはまらない術式だった訳だ……悪いことは言わん。お前みたいなタイプは、こんな所に留まらず、とっとと世界でも見てきた方がいい」

「……どういう意味ですか?」

「狭い世界の狭い物差しで測られることに満足するような器じゃねえし、くだらない足の取り合いに一喜一憂してるうちに、お前の才能がすり潰されるんじゃねえかって心配してんだ」

「……はて。仰ってる意味がよくわかりません」

 

 俺は男の方に向き直り、彼のアンバーの瞳をじっと見る。するとどういう訳か、男は口の端を上げて不敵に微笑した。

 

「そもそも坊主。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 見透かされたようなその質問に、どう返していいかわからず言葉に詰まる。

 やがて、男は足下に煙草を落とし、ブーツの底で火をもみ消した。

 

「ガキにだって、自分の生き方決める権利はあるんだぜ……誰かのためにとか、聞こえの良い言葉で自分の本心押し殺してないか、手前自身とよく相談するんだな。クロノアの隣に立つことを望むなら、なおのことそうしろ。それがアイツへの最低限の礼儀ってモンだぜ」

 

 そう言うと、男は振り返り、元の席へ戻っていった。

 後から知ったが、その男の名前はトラヴィスと言うらしい。ギルド「クライン」の首領であり、これより数年後、勇者の仲間集めを国から一任されることになる、その人物だった。

 

 

    *

 

 

 学士院での生活は、一言でいえば退屈だった。

 授業で習うことの多くはすでに知っていることだったし、周りの生徒もお世辞にもレベルが高いとは言えなかった。

 

 聞いた所によると、生徒の大半が平民ではなく貴族や有力商人の子息で構成されているのは、将来のために箔をつけるというのが実態だったようだ。政界と財界を結びつけるにあたって、同学の士という名の強固なギルドを基盤に、将来役立つ人脈の芽を、早いうちから育てておく。

 

 要するに学閥だ。「優秀な魔術士を育てる」なんて看板は、早い話が外向きの綺麗事でしかなかった。

 一見金にならない魔法アカデミーの立て直しに、財界がこぞって資本を供出したのは、裏にそういう恩恵があったからだ。

 

 大人になった今ならば、「綺麗事だけではまかり通らない。そういうエサだって必要だったんだろう」と割り切れるが、 当時の俺は、それがひどく馬鹿馬鹿しく思えてしょうがなかった。

 

 生温い。

 

 教師も教師で、裏にそういう事情があるから、事なかれのお為ごかしのオンパレード。本腰入れて、この国における魔法の在り方を変えてやろうなんて思ってる奴は、この学校には一人もいないという事実が、なおのこと俺を失望させた。

 

 そもそもが、俺に学校なんてシステムが合ってるはずがなかったのだ。

 

 人を無理矢理鋳型に押し込んで、綺麗にトゲを抜いて、程よく訓練された量産型を社会に送り出そうとするこの発想自体が、くだらなくて無意味としか思えない。10の能力の人間を30に引き上げるために、元々80の能力がある人間がどうして割を食わなきゃいけないんだ? 

 官僚や政治家は、それを声高に平等などとほざくのだから、なおのこと滑稽だった。

 

 結果、俺はほとんど授業に出ず、図書館に引きこもるようになった。

 それでいて、学科や実技の成績は群を抜いていたから、必然学校の中では浮いた存在になった。

 

 クラスメイトからも、話しかけられることはほとんどなくなった。初めは俺の浮きっぷりをからかっていた連中も、次第に何も言わなくなった。空気だ。

 完全に透明人間と化した俺を、教師もどう扱えばいいやら、頭を悩ませているようだった。才能は抜群だが、社会性の欠如したこのはぐれモンスターを、勇者の仲間に推挙していいやら、無駄な会議を延々続けているらしい。

 

 大きなお世話だ。お前らの評価など、知ったことではない――

 

 そんな風に粛々と自尊心を飼い太らせていく日々の中、俺はこんな狭い世界の小さな片隅で、一体何をあくせくやっているんだろうという疑問が、頭の片隅から離れなくなった。

 

 時間の浪費。

 精神の摩耗。

 歪んでいく世界。

 何かが腐っていくような感覚。

 

 どれだけくだらないと見下した世界でも、傍から見れば、自分もそのくだらない世界の中でもがいている登場人物Aに過ぎない。

 

 俺はどうしてここにいるんだ? 何を求めているんだ?

 自分のため? それとも、誰かにやらされていることなのか?

 

 身勝手な話だ。手前で望んで手前で選んでここに来たはずなのに、どういう訳か袋小路に迷い込んで、出口が見つからないと俺は嘆いている。

 勇者の仲間になるなんて目標も、周りがさぞ当たり前のようにそう言うから、何となくここまで来てしまっただけで、本当になりたいかと問われると、正直な所実感が湧かない。そういう未来を想像できない。

 

 そもそも、俺はどこに辿り着きたかったんだ?

 

 振り返れば俺の原点は、純粋な魔法への好奇心だった。魔導師ノルンの存在を知り、彼女のような自由な生き様に憧れた所から出発している。

 究極のグリモワール、「アルス・ノトリア」をこの手で見つけ出す――突き詰めて言うと、それは世界への漠然とした憧れでもあった。

 

 理屈じゃない。直感だ。

 行かずに死ねるかという、強い衝動。

 

 このまま一生、ロゼッタの片隅でささやかに年を重ねていくこと。それを望むかと言われたら、答えは間違いなくノーだった。

 別にそういう生き方を否定している訳じゃない。否定している訳じゃなく、俺はもっと広い世界を知りたかった。

 

 此処ではない何処か。

 四方八方どこを見回しても、この空の下にたった一人俺しかいないような自由を、俺はずっと探していた。

 

 理解できないと言われたっていい。そもそも、言葉に置き換えて共感を求めるような話じゃないから。

 

 たぶんきっと、いやもうずっと前から、おそらく答えは決まっていたのだと思う。トラヴィスとかいう、うさん臭いオッサンにほだされるまでもなく、その答えは決まっていた。

 

 俺は世界に飛び出したかった。

 

 彼はこの世界で何を想い、何を為すのかだなんて、クソくだらない三文小説の筋書きで言うところの「彼」にならないことには、その先の答えは出ないというのが俺の答えだった。

 辿り着いた先の答えが、勇者の仲間になるなら、それも悪くはない。

 

 それが俺の得た結論だった。

 

 

     *

 

 

 実家の屋根の上に登って見上げた夜空には、ほんの少しだけ欠けた白い月が浮かんでいた。

 目を瞑ると、虫の音が聞こえ、涼しい風が首元を通り抜けていく。昼間のうだるような暑さはとうに和らいで、草木は囁くように微弱な風に揺れていた。夜は深まり、星々の光が淡く街を包んでいる。

 

 そういやもう夏なんだなと思った。師匠が俺の元を去ってから、すでに二年が経つ。屋根の上の風見鶏が、カラカラと錆びた音を立てて回っていた。

 物思いに耽るのも飽きて、ぼんやりと空を眺めていると、屋根裏部屋の窓が開く。母さんだった。

 

「やっぱりここにいたんだ……ごめんね、遅くなって。今日はお客さんいつもより多かったから」

 

 窓から顔をひょっこり出すと、母さんはふうとため息をついた。

 

「私もそっち行っていい?」

「いいけど……危ないよここ」

「大丈夫。母さんこう見えて運動神経良いから」

 

 窓の桟に足を乗せ、窓枠を掴むと、母さんはひょいっと軽快な動きで屋根を器用に伝い、俺の隣に腰掛けた。

 長い黒髪を束ねたシュシュをほどいて、母さんは「涼しいわねえ」と独り言を言った。

 しばらく黙っていると、むぎゅっと頬をつままれた。

 

「で? 話って何よ」

 

 仕草とは裏腹に、母さんは目を細めてニコニコと嬉しそうな顔を浮べている。

 いついかなる時も、決して明るさを失わない人なのだ。

 

「母さん俺、学士院を辞めようかと思ってる」

 

 想像以上に言葉がすんなり出てきたことに驚いたのを、今でもよく覚えている。

 虫の鳴き声と、風の音以外は何も聞こえなくて、生きとし生けるもの全てが眠りについたかのような、静かな夜だった。

 

「……ほう。どうして? 魔法が嫌いになった?」

「いや……」

 

 俺は首を横に振った。

 

「魔法は今でも好きだよ。でも、なんて言うか……俺が求めていたものは、あそこにはないってわかったんだ」

「それはなに? 周りの人間関係とか、そういうこと?」

「それもあるけど、多分それだけじゃない。俺はもっと先に進みたいんだ……志を同じくする人たちと出会って、もっとその先の景色が見てみたい」

「それは、今の環境じゃ実現できないの?」

「無理だね。いるだけで満足しているような連中がほとんどだ。心の底からわかり合えるような人間は、あそこにはいない」

「言うねえ」

「端的な感想を言ったまでさ」

 

 母さんは何が可笑しいのか、ふふっと微笑を浮べていた。そして、膝の上で頬杖をつく。

 

「それで? 学校を辞めてどうするつもり?」

「世界を旅したい」

 

 俺は告げた。

 

「魔導師ノルンが残した『アルス・ノトリア』をこの手で見つけ出して、彼女が残した『魔法に不可能はない』という言葉を証明したい」

 

 夜のしじまに星々が瞬き、緩く吹き付けていた風は、いつしか止んでいた。

 しばらく沈黙を挟んでから、母さんが言った。

 

「いいんじゃない。行ってくれば」

 

 俺は瞬きを止め、母さんの方へ視線をやった。

 

「……止めないの?」

「そりゃまあ、親としては、あと数年……そうね。あなたが十六歳の誕生日を迎えて、大人になるまでは、そういう我慢も勉強だと思って辛抱しなさいって言いたい所だけど……どうせ聞かないってわかってるし。ヴィクトル、そういう所はお父さんとそっくりなんだもの」

「うるさいな……」

「だってそうじゃない。二人とも、こうと決めたことは梃子でも変えないんだから。ありゃ間違いなくお父さんの方の遺伝子よ。私の方じゃない」

 

 俺としては、自分は母方の血を多く受け継いでいると自負していただけに、認めたくない事実ではあった。あんな偏屈親父と一緒にされるなど、不名誉にも程がある。

 

「それにヴィクトル、昔から言ってたものね。『僕もノルンのような魔導師になるんだ! 彼女のような生き方がしたい!』って」

「……俺、そんなこと言ってたっけ?」

「言ってたわよ。『オリヴィエの歌』を、後生大事に宝物を見つけたみたいに、目を輝かせて読んでたの、よく覚えてるわ。ヴィクトルってば、ご飯だって言っても全然聞かないんだもの」

「マジか……」

 

 我が事ながら、全く身に覚えがない。いや嘘。本当は死ぬまで忘れないレベルで覚えてるけど、恥ずかしくて口に出せなかっただけだ。

 

「何か、相談した側がこんなこと言うのもなんだけど……反対されるとばかり思ってたから、正直戸惑ってる」

「おいおい少年。じゃあ反対しようか?」

「いや、そのままでお願いします……」

 

 そう言うと、母さんは声を出して笑った。笑い上戸なのも、この人の特徴だった。

 

「まあ、同じ血が流れていて、同じ屋根の下で暮らしてる家族だもの。学校、あんまり面白くないんだろうなってあなたが感じていたことくらい、とっくに察してたわよ」

「ホントに?」

「お父さんに相談したことだってあるもの。そしたらあの人、なんて言ったと思う? 『そりゃ言わんこっちゃない。俺が言ったとおりになった』って」

「え、どういうこと?」

「あなたがアカデミーに入るってあっさり決めたとき、お父さん言ってたのよ。『アレはあんな監獄みたいな所に閉じ込められて、大人しく従うタイプじゃない。好き勝手に、自由気ままにやらせた方がいい』って。何でって聞いたら、『俺の息子だからだ』って。笑えるでしょ?」

 

 笑える笑えないで言われたら、当事者として笑えない話なのだが、不覚にも笑ってしまった。

 親父……

 

「いつ頃旅立つつもりなの? まさか明日とか言わないでしょうね。さすがに秋の収穫期は忙しいんだから、せめて次の春までは我慢しなさいよ」

「それは俺もわかってるよ。母さんの言うとおり、次の春に向けて準備をしようかなって思ってた。父さんにも相談しなきゃいけないし……」

「え?! 相談する気あったんだ」

「いやそりゃ……自分で決めたことなんだから、自分の口で伝えないとダメでしょ」

「ふーん。へえ……あの人は別に家のこと以外は何も言わないと思うけどね。むしろ遅かったくらいだこの野郎とか言い出しそう」

 

 母さんはケラケラと、どこか嬉しそうに笑っていた。

 そんな親の姿を見て、俺は膝をかかえて、顔を伏せた。

 

「なんか……俺ってホント、自分のことしか見えてなかったんだな……」

「そりゃ子供なんだから、自分のことだけ考えてりゃいいのよ。大人になったら嫌でも周りのこと考えなきゃいけなくなるんだから、子供の時くらい、子供の特権謳歌しときなさいよ」

「そういうもん?」

「そういうもんよ」

 

 俺は安心したような、憑きものが落ちたかのようなため息をこぼす。

 母さんの前では、あらゆる悩みも風と共に去ってしまう。周囲が度々この人を太陽みたいな人だと言っている本当の意味が、初めて腑に落ちたような気がした。

 

 バチコーンと俺の肩を叩き、母さんが言う。

 

「ほれ少年、話はこれで終わりかい?」

「ああ、はい……ご静聴、どうもありがとうございました」

「うむ。良きにはかりたまえ」

 

 そう言うと、母さんはニヤニヤしたままその場から立ち上がり、家の中に戻ろうとする。その途上で、急に振り返って、俺に言った。

 

「そうだ、ヴィクトル……魔導師ノルンは『魔法に不可能はない』と言った。あれは本当かな?」

「え? まあ……ノルンがそう言うならそうなんじゃないの」

「違うね。私は不可能、あると思うよ」

「……たとえば?」

「旅立つ息子を、寂しく思う親の気持ちを消し去る魔法だ。そんなのは、魔法如きに到底実現できるものではないと私は考える」

 

 俺は瞬きを止めて、母さんの顔をじっと見る。

 こういうときにどういう顔を浮べたらいいか、そんなの一つしかない。

 

「……じゃあ、俺が実現すればいいんでしょ。みんなが幸せになれる魔法」

 

 そう言って笑うと、母さんもまた笑った。「やれるもんならやってみなさい……期待してるわ」と言うと、母さんは窓の格子を伝い、姿を消す。

 

 見上げた空には、一番星が輝いていた。

 カラカラとさび付いた音を立てて回っていた風見鶏も、いつしかその動きを止めていた。



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61 僕しか知らない物語 転

 季節は巡り、秋も深まりつつあったある日の夕方、俺は足早にエルの家へと向かっていた。

 この頃、虚弱だったエルの体調は少しずつ快方へと向かっていて、短時間なら外出もできるようになっていた。短い間にここまで状況が好転したのは、師匠のケアが優れていたのもさることながら、ひとえにエル自身の努力の賜物でもあるのだが、彼がそうまでして治療に専念したのは、何やら理由があるらしい。

 

「アイツなあ、自分の足で外の世界が見たいって言いやがったんだ」

 

 エルの親父さんが、こっそり俺にそう教えてくれた。

 

「ほら、アイツもニケ君が学士院なりで頑張ってる背中を目の当たりにして、俺もボンヤリしてる訳にはいかねえって思ったんだろうな。ニケに置いていかれないよう、俺も人並みに自分の事は自分でできるようにするんだって、聞かなくてよお……」

 

 そう語る親父さんの表情は晴れ晴れとしていて、とても嬉しそうだった。ならば俺も奴の親友として、その思いに応えなくてはなるまい。

 俺は親父さんに、ロゼッタの郊外にある見晴らしの良い丘へ、エルを連れて行っていいかと提案した。

 

 そして今日、晴れてその日を迎えたという訳だ。

 

「お前……なんだよその大荷物は。家出でもすんのか」

 

 長旅にでも出るかの如く、大袈裟なリュックを背負ったエルを見て、俺は嘆息する。

 

「だってほら、もしものことがあったら……薬草とか聖水とか、僕は戦えないから、せめてそれくらいは」

「あのなあ。城門の外って言っても、歩いてせいぜい二十分くらいの所だぞ。万一魔物に遭遇しても、俺の実力ならこの辺りの魔物くらい簡単に屠れる」

 

 呆れたような俺の物言いにも、エルは「でも……」を繰り返すばかりだった。

 やれやれと思いつつ、俺はエルの親父さんとお袋さんの方へ振り返った。

 

「御子息エルレイン・ガーフィールドは、不肖魔法使いヴィクトル・サモトラが身命を賭してお守りしますが故。それでは」

 

 おどけた調子でびしっと敬礼すると、親父さんは「おう!」と元気よく答え、お袋さんはクスクス笑って俺たちに手を振ってくれた。

 一方でエルは「もう……」と恥ずかしそうにモジモジしていた。女の子みたいなヤツだ。

 

 大戦士アレクの像が睨みを利かす南の城門をくぐって、外の世界に飛び立つと、エルは落ち着きなくきょろきょろと周囲を見回しながら「わあ……」とか、「おお……」とか、感嘆の声を上げていた。

 訓練や親父の仕事を手伝いがてら、しょっちゅう街の外に繰り出している俺としては、何がそんなに物珍しいのかよくわからないが、生まれてこの方街中の景色しか目にしてこなかった人間には、きっと特別の感慨があるのだろう。

 

「荷物重くないか? ちょっと待ってろ」

 

 エルを制止すると、リュックを手に当て、俺はぶつぶつと言の葉を結んだ。

 

「……え? なんか軽くなったような」

「重力を制御する魔法だ。効果は一時的だがな」

「へえ、そんなこともできるんだ」

「重力を応用すれば時空に歪みを発生させることができる。この原理を拡張すれば、お前を十年後の未来に飛ばすこともできるんだが……どうする?」

「……へ」

「嘘だよ」

 

 周囲にはすっかり秋の気配が立ちこめ、遠くに見える山並みもいつしか紅葉が目立つようになった。

 背の高い薄が、さらさらと風に揺れている。

 傾いた日の光に照らされて、黄金色に染まる畦道を、俺とエルは歩調を合わせて歩いた。

 

「――ふーん……未来に行くより過去に行く方が、理論的にはずっと難しいってことはよくわかったよ。でもやっぱり、僕は行けるなら過去の方がいいなあ」

「過去なんざ行ってどうすんだよ。勇者シリウスのツラでも拝んでくるのか?」

「それも面白いけど……過去の自分に会ってみたいなって思って」

「過去の自分?」

「うん。昔のずっと寝たきりだった自分に会って……今は辛いかもしれないけど、頑張ればそのうちいいことあるぜって教えてやりたいんだ。素敵な友達だって得られるよってね」

「……呆れた。お前の優しさは、時空まで飛び越えちまうんだな」

「ニケはどうなのさ。昔の自分に会いたいとか思わない?」

「思わないこともないが、会った所でどうせ俺だろ。『俺は聞いてもないのに物語のネタバレをかます奴は、百年先まで恨んでやると決めている。こんな所で油売ってる暇があるんなら、とっとと帰れ』って追い返されるのが関の山だ」

 

 俺の言葉に、エルは声を出して笑った。

 

 東の方角に進むと、太陽が傾き、空が少しずつ紅く染まり始めていた。良い頃合いだな、と俺は思う。

 丘の頂上に達すると、エルは足を止め、見渡す限りの絶景に言葉を失った。

 

「………………」

 

 夕陽が地平線を茜色に染め上げ、最果てまで続く海は、光を反射してきらきらとオレンジ色に輝いていた。眼下に広がる麦の穂は、波を売ったように揺れて、焼けたように紅い空を雲がゆっくりと流れていく。

 砂浜に寄せては返す波の音が、心なしかここまで届いているような気がした。

 

「自然ってスゲえよな。よくわからん魔術士の祈祷なんかなくたって、ここまで美しい風景を創り出せるんだぜ。そして全く同じ絵は、二度と生み出せない……一回限りの、最強の魔法だ」

「……そうだね。そう考えると、これってまるで奇跡みたいだね」

 

 エルは黙したまま、目の前の景色焼き付けるようにずっと見ていた。

 丘の上に並んだ二つの影を見つめて、俺はやがて視線を上げた。

 

「なあエル。あの海の先には、ガラテアとかエフタルとかアイゼンルートとか、俺たちの訪れたことのない国がたくさんあって、俺たちの知らない人たちが息づいているんだ。待ってるのは国や人だけじゃない。溶岩噴き出す火山に、どこまでも青い海。風吹きすさぶ大地に、果てない砂漠……自分の存在がちっぽけになるくらいに、世界はでっかくて、地図の上からでは計り知れない景色が広がっているんだ。考えるだけでワクワクしないか?」

 

 そう言って、俺はにっと笑みを浮べる。エルもまた、優しくうなずいた。

 

「エル。俺、春になったらロゼッタを出るよ」

 

 海から吹いてくる微弱な風が、二人の間を静かに通り過ぎた。

 

「学校を辞めて、世界に旅立つ。いろいろ考えたんだけどさ……やっぱ俺我慢できないや。自分の足で世界を旅して、自分が本当に何をなすべきか見つけることにするよ。このままこの街で悶々としながら、勇者の仲間になる道を選ぶより、そういうやり方の方が俺には合ってると思うんだ。その結果辿り着いた答えが、この街に戻ってくることなら……それも悪くはないと思ってる」

 

 風がやわらぎ、束の間の夕凪が訪れる。

 茜色に染まった空に蜻蛉が飛び立ち、気の早い鈴虫の鳴き声がどこからともなく聞こえてきた。

 

「……何をなすべきかなんて、本当はもうとっくに決めてたくせに」

 

 ぽつりとこぼれ落ちたその言葉に、自然と目が合う。

 

「知ってたよ。わかりやすい名誉なんかよりも、ノルンのように自由に生きる道を選ぶ……それが僕の知ってる、ヴィクトル・ガライという人間だ」

 

 エルはくすりと笑った。

 その笑みは、友の背中を押したいという優しさと、別れを惜しむ寂しさが複雑に交じった笑みだった。それがわからないほど、俺も阿呆ではなかった。エルと俺は、それだけ多くの時間を共有してきたのだから。

 

「ねえニケ。僕も最近、やりたいことが新しく見つかったんだ。聞いてくれる?」

 

 俺はうなずいた。

 

「僕ね、父さんの跡を継いで鍛冶屋になりたいと思ってるんだ。父さんも母さんも、お前には無理だって笑うけど、僕にはわかってるんだ。二人がそう言うのは、僕の身体を心配してくれてるからだって……僕はもう、これ以上父さんと母さんの重荷になりたくない。それよりも、自分の足で歩きたいんだ。周りの優しさに甘えず、自分を信じて、自分の足で前に進みたい。そう――君のようにね」

 

 透明で澄んだエルの瞳が、まっすぐに俺を捉える。

 

「ニケ。君は僕にとっての勇者だ」

 

 瞳には光るものを、口元には依然として優しい笑みを浮かべて、エルは言った。

 

「ずっと自分の部屋の中で、まるで世界の片隅に一人だけ取り残されたような気分になって、そんな僕にとって、君がどれだけ眩しく映ったか……魔法の才能に目覚めて、学士院に入っても、君は変わらず僕の側にいてくれた。ずっと、僕と同じ目線にいた……それが僕にとってどれだけ有り難いことだったか……ニケはたぶん、知らないよね。ずっと伝えたかったんだ、君に――ありがとうって」

 

 沈みかけた夕陽が燃え落ちるように空を輝かせて、星が瞬き、麦の穂が風に揺れる。

 風が吹き付けて、エルが一度目を伏せる。

 

 その空白が意味する所を、俺は知っていた。

 

「……感謝すんのは、むしろ俺の方だろ。こんな魔法オタクのとりとめの無い話を、延々真面目に聞いてくれる奴なんて、世界中探してもお前しかいない」

 

 目元が微かに腫れたエルの顔を見て、俺は肩の力が抜けたような笑みを浮かべた。

 

「エル……なりたかった自分になるのに、遅すぎるなんてことはないんだぜ。世界は広い。お前という人間を受け入れるだけの広さが、この空の下には広がってる――どっかの本から借りてきた言葉だけど、なるほどそのとおりだと思う。大丈夫だ……俺がいなくても、お前はもう一人で歩けるさ。久しぶりに会うときは、立派な鍛冶職人になっててくれよ」

 

 勇者は勇者らしく、最後まで笑おうとした俺の意図を汲み取ったのか、エルは目元をこすり、くしゃっと笑った。

 

「約束だよ」

「ああ。男と男の約束だ」

 

 地平線に落ち行く夕陽を目に焼き付けながら、俺はやがてこうこぼした。

 

「エル。俺はこの先何があっても、今日ここで見た景色は忘れんよ」

「……それは、借りてきた言葉?」

「いいや」

 

 俺は首を横に振った。

 

「俺の言葉だ」

 

 

     *

 

 

 それから数ヶ月が経った。

 季節は冬になり、山並みを彩っていた紅葉も、地に落ちて土へと還った。秋を賑わせていた動物たちの群れは、来る春に備えて少しずつ姿を消し、枯れ木は枝に雪を積もらせながら、寂しそうにそれを眺めていた。

 

「今年は例年になく寒い冬になりそうねえ……」

 

 暖炉の薪がぱちぱちと音を立て、外の吹雪に窓の格子がカタカタと揺れていた。客がおらず閑古鳥が鳴く店の客席に腰掛け、母さんが小さくあくびをしてから言った。

 

「明日の旅程が心配だわ。朝までに止んでくれるといいんだけど」

「俺が護衛しようか?」

 

 本から視線を上げ、俺がそう言うと、母さんは「ヘン」と鼻を鳴らしてみせた。

 

「大丈夫よ。それよりも父さんのこと、よろしくね」

 

 親父はこのとき、珍しく体調を崩して寝込んでいた。口の悪さと健康しか取り柄のない親父が何日も寝込むなんて、俺が物心ついてからは初めてのことだった。

 ルナティアの港に出向いて、商品の仕入れを手伝うギルドの雑務に母さんが駆り出されることになったのも、そのせいだ。

 

「そうだヴィクトル、これ。あなたに預けておくわ」

 

 そう言って、母さんが俺に渡したのは、銀色の魔石が埋め込まれた指輪だった。チェーンに指輪を通してネックレスとして、母さんは肌身離さずそれを身につけていた。

 

「いいの? これ、大事なものなんじゃないの」

「大事なものだから預けるのよ。昔、大切な人から託されたものでね」

「……それって親父?」

 

 母さんは「ふふっ」と笑ったまま、俺の問いに答えなかった。

 まあ、あの親父にこんな洒落たものプレゼントする甲斐性があるとは思えんが……

 

 蝋燭の炎に照らして、まじまじと指輪を眺めてみる。決して派手ではないが、どこか人を惹きつける不思議な魅力のある魔石だった。月にも似た奥ゆかしさとでも言うのか……

 

「本当はあなたがこの街を旅立つ時に渡そうと思ってたんだけど……あなたも一角の魔術士になるつもりなら、魔導具の一つや二つ持っておいて損はないでしょう。お守りとして使ってちょうだい」

 

 お守りねえ……

 お生憎様、俺は魔法の行使において一切魔導具を使わない、この時代においてはもはや絶滅危惧種と言っても過言ではない分類に属していたが、魔導具ではなく単なるお守りとしてなら、有り難く頂くとしよう。

 現に魔術士ではない母さんは、単なるアクセサリーとして使っていた訳だし。

 

「ありがとう、大切にするよ……でも魔導具って、確か魔石の性質に応じた加護を得られるんだよね。この指輪の加護は何なの?」

 

 目が合って二秒。

 ほんのわずかな沈黙を挟んでから、母さんは言った。

 

「時が来ればわかる――私に指輪をくれた人は、そう言い残して私の元を去ったわ」

 

 何じゃそりゃ……蓋を開けるまでのお楽しみってか? 母さんもまた、いい加減なヤツに指輪を託されたもんだな……

 

 外の雪はなお止むことを知らず、辺りの景色を真白に染めていく。

 

 翌朝、母さんはギルドの隊商と共に、ロゼッタの街を出て行った。城門の所まで見送りに行くと、母さんはこめかみ辺りにびしっと手を添えて、口元に毎度お馴染みの人懐っこい笑みを浮べていた。

 俺はそんな母さんに向けて、大きく手を振った。右上で弧を書いた指先には、昨日母さんから貰った指輪を嵌めていた。

 

 

 生きている母さんの姿を見たのは、それが最後だった。

 

 

     *

 

 

 俺が十四の冬、母さんは死んだ。

 旅路の途中、魔物に襲われて亡くなったというのが公の知らせだったが、あの冬は例年になく厳しい寒さだったから、落ち延びた先で遭難したのが正しいのではないかと俺は思っている。

 その証拠に、捜索隊が見つけ出した母さんの遺体は傷一つなく、本当に死んでいるのかと疑うくらいに綺麗だった。

 

 生還者は、12人中0名。

 中にはおよそ原形を留めていない遺体もあったようで、相当タチの悪い魔物に襲われたに違いないというのが捜索隊からの報告だった。

 並べられた遺体の中には、ギルドの繋がりで見知った顔もいくつかあった。死体の顔を覗いた訳じゃない。遺体の側で嘆き悲しむ家族を見て、察したくなくても察するしかなかった。ああ、この人もかと――

 運が悪かったんだよと、震えるように呟いた誰かの声音が、今でも鮮明に思い出せるくらい、記憶に焼き付いている。

 

 母さんの葬式は、翌日三番街の教会でひっそりと執り行われた。

 その日は冬にしては珍しく冷たい雨が降っていて、空は今にも泣き出しそうなくらい低く灰色の雲が垂れ込めていた。参列者の中には、エルやその両親の姿もあった。誰からも慕われる母さんの人柄を表すかのように、想像以上に多くの人が弔問に訪れた。

 

 棺の中で人形みたいに眠っている母さんを見て、俺は未だ現実を受け入れられずにいた。その死が唐突だったせいもあるのだろうが、涙一つ出てこなかった。

 

 涙は悲しみの象徴だというなら、涙を流すことはその人物の死を受け入れることだ。

 

 感情の整理がつかない。認めたくない。今や形見と化した指輪を見つめながら、これは何だと、この茶番は何なんだと、しきりに自問自答している自分がいた。

 

 でも、そんな葛藤は、親父の泣いている姿を見て、ただの甘えなのだと気付いた。

 

 全てが終わったあと、親父は俺の前で初めて涙を流した。葬式の最中、あれだけ毅然として振る舞っていた姿が嘘のように、親父はずっと、「すまない」と、「俺が行っていれば母さんは死ぬことはなかった」と、自分自身を責め立てるように号泣していた。

 代わりに俺が死ねばよかったと、直接言葉にこそしなかったが、彼は間違いなくそう思っていたのだと思う。

 

 ああそうか。これが、人が死ぬってことなんだ――

 

 師匠の時とは違う。こうもまざまざと、人はいつか死ぬ生きものだという現実を喉元に突きつけられたことで、俺はようやくその意味を理解した。

 ロゼッタの片隅のとある宿屋で、俺と親父と母さんが同じ食卓を囲むことは未来永劫ない。あの当たり前で優しい時間は失われて、もう帰ってくることはない。

 

 二度と。絶対に。

 

 そうやって死の輪郭をはっきりと掴むと、あれだけ乾いていた涙が不思議と流れてきた。けれど――

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――?

 

 

 俺はその術を知っていた。不可能を可能にする――それこそが、魔法の存在意義ではないか。

 こぼれ落ちる涙を拭い、俺は親父にこう告げた。

 

「父さん、心配しなくていいよ。俺が絶対に、母さんを生き返らせてあげるから」

 

 

     *

 

 

 この世界には、死者を完全に蘇らすことができる魔法があるという。

 俺も魔法使いの端くれとして、人伝に何度かそういった話を耳にしたことはあったが、いずれも些事として聞き流していた。

 強大な力には、強大な制約が伴う――効果に見合うだけの対価を求めるのが魔法の原理原則ならば、死人を蘇らせるような神にも近い所業は、到底人間様の手に負える範疇ではないというのが俺の見解だった。

 

 より正確に言うならば、机上の計算では成立しても、人間の脆弱な器では、それがもたらす負荷に耐えられない。魔力の経路(パス)がぶっ壊れて、魔法使いとして再起不能になるか、精神汚染が重度に進行して廃人と化すかの二択だろう。

 師匠が生前よく言っていた、「白魔術士は、此岸に留まった魂を彼岸に送ることはできるが、その逆はできない」という言葉の真意はとどのつまり、そういうことなのだろうと俺は理解していた。

 

 第一、死者蘇生が実現可能であるならば、それはこの世界の(ことわり)を根本的に覆してしまう。命に値段が付いて、術者は教祖の如く崇め奉られ、国家に匹敵する権威を築くだろう。

 それがないということは、やはり死者の蘇生など人様に手出しすることが許された領域ではない。つまり、歴史上魔導師として名を馳せたノルンのような連中にも、迂闊に手を出せない事情があったということだ。

 

 おそらく禁術だろうな、と俺は思った。

 

 魔法の「魔」は、魔族の「魔」。

 魔法は魔族に端を発し、人間が種族間の闘争の過程で、彼等の技術をコピーしたに過ぎないというのは、魔術士なら誰でも知ってる常識だが、中には研究の途上、コピーを断念したものもあるという。

 表向きこそイリヤ教団の教義により、「邪悪な魔法」として一切の研究を禁止されているが、その実効果は絶大ゆえに、それに見合う対価も絶大なため、人間には有害と分類されている魔法――それが禁術の実態だと俺は睨んでいた。

 禁術なら、公の書物に一切の記述が残っていないのも納得できる。

 

 俺の読みは、結果として的中した。

 

 学士院の蔵書を隅から隅までほじくり返すように漁った結果、禁術について言及していた本は三冊。厳密に言えばもっとあったのだが、いずれも便所の落書きとでも言うべき取るに足らない内容で、クソの役にも立たなかった。

 

 三冊のうち二冊は、禁術の効果及び術式、さらにはその危険性や有害性についても記述してあり、一魔術士としても興味深い内容だった。

 大陸一つを平気で消し飛ばすような破壊魔法や、天変地異を自在に操作する魔法など、なるほど確かにこんなもん野放しにしていいはずがない。一方で、俺クラスの人間が魔力の経路を全て開放してもなお不足するほどの膨大な魔力を要求したり、とかくアルゴリズムが滅茶苦茶で、術式として完全に破綻していた。

 術者の負荷云々を論ずる以前の問題であり、ナンセンス。数式の破綻したプログラムに実用性を問うようなものだ。

 

 おまけに、詠唱にあたっては人間の生首を四十九、供物として捧げるという記述を見たときは、さすがに笑った。邪神召喚の儀式か何かかよ。

 高度に発達した魔法は科学を駆逐するという、この世界ならではの格言が示すように、魔法だって十分に研究されて合理化が進んでいる時代なのだ。こんな訳のわからん人身御供(ひとみごくう)と混同している時点で、そいつはもう魔法ですらない。

 なるほどこんなデタラメだからこそ、偉大なる教団様の検閲も逃れたのかと大きくため息をつき、もはや諦めるしかないと思って最後の一冊を手に取る。

 

 タイトルは、禁術の研究史。

 

 少々古ぼけたその書物はメテオラ語で記述されており、目録をざっと眺める限り、大魔導師ノルンが開発した、いわゆるノルン式転移術について、端的にまとめた書物にしか見えない。

 が、ページをめくっていくと、所々文字がかすれており、後半に行くにつれ、落丁もしばしば見られる。保存状態が悪いと言えばそれまでなのだが、内容や文体からして、それほど古い時代に著されたものとは思えない。意図的なアナグラムの類いかとも思ったが、だとしても統一性がない。

 ひょっとして……

 

 本を閉じ、目を瞑って魔力を込めると、表紙の紋様が淡く光り始めた。

 

 予想どおりだ。

 この本はそれ自体が魔力を帯びている。俺の魔力に感応したのが何よりの証拠。あとは俺自身の魔力の波長を調律して、この本の持つ魔力にシンクロさせれば……

 

 言葉で言うと簡単だが、実際この作業は相当骨が折れる。高さの異なる複数のピッチクラスの音を同時に鳴らして、寸分の狂いもなく一致させるようなもので、とかく神経を削りまくる緻密な作業なのだ。

 少なくとも、昨今流行りのウイッチクラフトに依存していて、マナとオドを調律させる鍛錬を積んでいない、にわか魔術士どもには絶対不可能な工程だろう。まさか、魔導具を使わず魔法を行使する自分の特性が、こんな所で活かされるとは……

 

 ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返した結果、ようやく魔力の同調に成功した。

 

「よし来た! これだ――」

 

 すると、ページが独りでにぱらぱらと繰られ、記述されてある文字が高速で並び替えられていく。

 そして、タイトルに文字が浮かび上がった。

 

「禁術、又の名を時空を超越する転移術の行使について」

 

 思わず、息を呑んだ。心音がはち切れんばかりに加速する。

 

 見つけた。見つけてしまった。

 発想の転換。視座の転回。

 

 どうして今まで、その発想に思い至らなかったのだろう。死者を蘇らせることができなくても、母さんを救う術はあったじゃないか。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 

 全身の血液が滾って、心臓が脈を打っているのを肌で感じた。

 この巡り合わせを運命と呼ばずに何と呼ぶのかと、そのとき確かに俺はそう思った。



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62 僕しか知らない物語 合

 俺が手にした魔導書は、ノルンの弟子を語る者によって著されていた。

 ノルンの開発した転移術に関心を持った彼は、その術式を拡張し、過去や未来へ跳躍することが可能なのではないかと問題提起した。

 

 結論から言うと、未来へ飛ぶことについては、師弟の見解は概ね一致したようだ。

 

 少々強引ではあるが、空間魔法により人物Aを時間の流れを遅くする特異点に閉じ込めることで、Aの内なる時間では三年しか経過していないが、外の世界では百年が経過している状況を作り出すことで、擬似的ではあるが、未来へのタイムリープは可能だとする理論だ。

 

 この点については、理論的には可能でも、技術的には可能なのかという疑問はあるにせよ、俺も概ね同意だった。

 というか、ノルン式転移術の理論の柱となっているのがこの考え方なのだから、異議を唱えようがない。ノルン式転移術は特異点の創造により、時空の流れを操作するという行為を、秒単位の極めてミクロな世界で実現しているに過ぎないからだ。

 

 一方で、過去へ遡ることについて、師弟の見解は割れた。

 

 ノルンの弟子の主張はこうだ。世界はあくまで一本の巨大な流れに支配されており、Aが過去に遡って歴史を改変した場合は、当然今ここにいる私たちの世界にも影響を及ぼす。しかし、これではタイムパラドックスが生じる。

 例えば、Aが過去に遡って、自身の祖父を殺してしまうと、未来のAは誕生しない。するとAの自我はどうなるのか?

 

 弟子の出した答えはこうだ。

 答えはない。

 

 なぜなら、Aは存在すると同時に存在しないという矛盾をはらんだ存在になるからだ。

 そのような論理的破綻、すなわちリスクとリターンが比例するという魔術の原則に反する以上、過去への回帰は不可能だと弟子は結論づけた。

 

 これに対し、ノルンは、世界が枝分かれするというパラレルワールドという説を唱えた。

 人物Aが過去に飛んだ時点で、Aは元の未来とは異なる時間軸の世界に移行し、自分が元いた世界の未来には何ら影響を及ぼすことができない。

 したがって、先ほどの例で言うと、Aが過去に遡って、自身の祖父を殺しても、それはAが移行した世界の未来にこそ影響を及ぼすが、彼が元いた世界は、彼が忽然として消えたという事実のみを残して、変わらず時を刻み続けているというロジックだ。

 

 結局、師弟間のこの論争は、決着が付かなかったらしい。

 

 というのも、過去への回帰を肯定したノルンの方が、「よくよく考えてみたら、私自身に過去に戻って未来をどうこうしたいという欲望が全くないから、ぶっちゃけ興味なくなった。どうでもいい」と、術式を作るだけ作って、肝心の検証の部分は放り投げてしまったからだ。

 この辺り、熱しやすく冷めやすい、後ろを一切振り返らないノルンの性格が如実に表れているなという印象は受ける。

 

 その後、弟子は過去への回帰は不可能だとする自説こそ曲げなかったが、ノルンが亡くなった晩年、彼女の一連の研究を後世に残し、未来の後進に検証を委ねてみるのも一興ではないかという着想に至ったようだ。

 そして彼はこの本を起こした。それが事の真相。あえて特殊なカモフラージュを施したのは、然るべき人物の手に渡ってほしいという彼なりの配慮だろう。

 

 ちなみに、本の最後には、彼の本名が記してあった。

 エメ・ボードワール。

 王立ロゼッタ魔法学士院の創設者だった。

 

 おいおい……そういやウチの学校は確か、ノルンの死後、彼女の弟子によって創設されたんだったっけな。なるほど、だから学士院の図書館に、こんなアルス・ノトリアの外伝のような書物を紛れ込ませることもできたのか……

 ちなみにこの本は「正式」に起動すれば、三日で消滅するよう仕掛けを施しているとエメは記述していた。

 つまり、生かすも殺すも、お前の好きにしろということか……

 

 本を閉じると同時、俺は自らを落ち着かせるように深呼吸した。

 

 幸いなことに、術式はノルンが残してくれた。

 ノルンの弟子であり、学士院の創設者でもあるエメが詳細に記述を残してくれたおかげで、ノルンが途中で放り投げた検証の部分を補えば、大凡それで事足りる。

 

 ざっとなぞった術式は、さすが転移術の祖であるノルンというべきか、破綻があるようには全く見えない。

 俺がその負荷に耐えきれるかという課題はあるが、これも二週間程度の時間遡行であるならば、さほど支障にはならないだろう。机上で組んだ計算だと、俺の魔力を限界までつぎ込めば、十年前までは遡れるとの答えを得たから、万一失敗したとしても、過度に精神汚染が進行したりするリスクはほとんどない。

 

 ならば問題は――本当にやるのか、やらないのか、その二択。

 

 仮に成功して過去に戻ることができたとしても、ノルンの主張したとおりパラレルワールドに移行するならば、俺が今いるこの世界で母さんが死んだという事実は覆せない。

 

 だとすれば、リスクを背負ってまで過去に戻り、母さんを救い出す行為に意味があるのか?

 

 もしだ。もしその願いが成就できたとしても、そこからまた、元の世界に帰ってこられる保証があるとは限らない。未来へ飛ぶことは、過去に戻るより理論的には容易だが、俺にその決断が下せるのか? 

 俺だって人間だ。過去の世界に居座る俺を抹殺して、奪い取った場所で安寧を見出すという悪魔の囁きに耳を傾けない可能性がゼロとは言えない。

 

 どれほど考えたところで、答えは出なかった。当然の話だ。所詮は自己満足の話に過ぎないのだから。

 うさんくさい奇跡に焦がれるくらいなら、死んだ人間は死んだものと受け入れて、前に進む方がよほど建設的だ。それが大人の割り切り方だ。そんなのはわかっていた。

 

 でも……

 それでも、俺はもう一度母さんに会いたかった。

 

 過去を改変できるとかできないとか、そんなのはどうだっていい。生きている母さんにもう一度会って、ちゃんと最後の言葉を交わしたかった。俺はあなたのいない世界でも、ちゃんと上手くやっていくよって、それだけでいいから伝えたかった。

 

 あんな唐突な終わり方はあんまりだ。その気持ちだけは、どれだけ理屈をこねたって消すことはできなかった。

 

 

 ならばもう……

 一々問わずとも、答えなど最初から決まっていた。

 

 

     *

 

 

 決行は午前2時。

 真円の月が浮かぶ空の下、俺はロゼッタ郊外の母さんの墓場の前にいた。

 

 俺自身の魔力のバイオリズムと、今回行使する術の相性などを考えて、この環境がベストだと判断した。魔法()という言葉が示すように、魔法の成否は周囲の環境に大きく左右される。砂漠では水属性の魔法と地属性の魔法、どちらの発動が容易かは素人でも判断が付くだろう。

 母さんを救うために過去へ戻るという目的を果たすためには、死者の因果がより強く感じられるこの場所がふさわしいと考えたのだ。

 

 母さんが眠る墓の前で、陣の構築を終えると、俺は目を閉じて深々と息を吐き出した。

 辺りには小雪が舞っていて、吐く息は白い。薬指には、母さんの形見である指輪をはめていた。願掛け程度にはなるだろうと思ったからだ。

 

 大丈夫。何度も何度も何度も、これでもかというくらいに検証は繰り返した。

 必ず成功する。必ず……

 

 両目を見開くと、俺は全神経を研ぎ澄ませて、持ちうる全ての魔力を解放する。

 経路(パス)が一つ、また一つと活性化して、全身からオーラのように魔力が這い出ていく。頃合いを見て、俺は両手を差し伸べた。

 

「汝が深淵を覗くとき、深淵もまた汝を試すであろう。我もまた然り。時の回廊。螺旋の階段。円環の理。因果の鎖を解き放ち、彼の者を定めの地へといざないたまえ……

 マハ トラーナ ソテミシア レギダントラン ヒガンテ パラシコロヒーア――」

 

 詠唱に合わせて、あらかじめ構築した魔法陣が不気味に光を帯び始める。

 瞬間、衝撃が走った。力を込めた両腕はミシミシと奇怪な音を立て、今にも血管が破裂しそうな痛みが全身を駆け巡った。だが……

 

 想定内。

 

 一瞬でも気を緩ませたら、すぐにでも呑み込まれそうな底なしの闇を感じるが、これしきで音を上げるつもりもない。歯ぎしりをしながら、俺は掲げた両手にさらなる力を込める。

 

「くそったれ……負けてたまるかよ……!」

 

 増幅していく魔力に比例して、時空を象徴する円環の理が複雑に絡み合った紋様に次々光が迸り、陣が完成していく。白い光芒が空へと舞い上がって、周囲の大気がひび割れんばかりに激しく震える。

 

 そして、(とき)は満ちた。

 

 稲妻のような轟音が鳴り響き、魔法陣が光に包まれ、空間が歪み、〈門〉(ゲート)が開かれる。

 

 いける。ここまで来たら、もう成功は目の前だ――

 

 痛みを堪えて、俺は最後の力を振り絞る。噴き上がる魔力の圧で、身体が裂けそうなくらいに熱く、髪はなびき、舞う雪がかき消される。

 その、刹那だった。

 

 

《……誰だ? 我が眠りを妨げ、摂理に抗う愚か者は》

 

 

 聞こえるはずのない声が、確かに耳を伝った。

 

 

《身の程を知れ。私は誰の指図も受けない》

 

 

 はっとして、これはまずいと、今すぐ術を解除して逃げろと、本能が激しく警鐘を鳴らすとほぼ同時、それが〈門〉(ゲート)の奥から姿を現した。

 

 得体の知れない黒い物体が俺の全身に纏わり絡みつき、両手は縛られ、口元は塞がれ、身動きが途端に取れなくなった。

 じたばたともがくも、どろりとぬめった蛇のような黒いソレは、さらに拘束する力を増して、締め付けるようにして、じわじわと中へ侵食してくる。そして、全身が脱力していくような感覚に襲われた。

 

 まるで一つ残らず、力を喰らい尽くすような……

 

「やめろ……」

 

 おぼろげな視界の先で、脳裏をよぎったのは、遙か昔の記憶だ。

 実家の一階。いつも騒がしかったそこには、陽気なローランに、無愛想に切り盛りする親父。そして、それを笑って見つめる母さんがいた。

 

 そしてその隣に……俺が……

 

「やめろやめろやめろ!!!! やめてくれええええええええええええええええ!!!!!!!」

 

 瞬間、指先で強烈な光が放たれて、俺の身体が解放されて地面へと投げ出される。

 全身を蝕んでいた黒い物体は、光に驚いたのか、シュルシュルと〈門〉の奥へと引き返す。そして鈍い音と共に、〈門〉(ゲート)の境界が閉じた。

 

 まるで何事もなかったかのように、辺りには静寂が戻る。

 

「…………」

 

 地面にうつぶせた俺は、残された力を振り絞って、弱々しく雪を掴む。呼吸は乱れ、意識こそ朦朧としているが、目立った肉体的損傷はない。

 

 だが……今までとは明らかに違う感覚があった。その違和感が意味するところが何であるのか、魔術士である俺にわからないはずがなかった。

 

 ない。

 魔力が、ない。

 

 一時的な損耗などではない。消失だ。どれほど呼びかけても、全身の魔力の経路はぴくりとも反応しない。呼応しない。活性化しない――

 

「……んだこれ……ざっけんなよ……!!」

 

 怒りに任せて地面を殴った瞬間、心臓がとくんと跳ねた。

 全身を焼くような痛みに、頭が真っ白になる。魔力の経路がズタズタに切り裂かれた鋭い痛みを自覚して、たまらずのたうちまわった。

 

「ああ……ああああああァアアアアアアアッ…………!!!!」

 

 口から泡を吹き、呻き声をもらして、芋虫のように地面を這いずる。痛みと悲しみと絶望と怒りがぐちゃぐちゃに混ざって、もう何が何だかわからない。

 

 いっそ夢なら醒めてくれと、そう願えば願うほどに、これは現実なんだと思い知らされた。

 降る雪の白さも、焼け焦げたような全身の痛みも、胸を締め上げる後悔と絶望の念も、紛れもなく現実だった。

 

 もう、受け入れるしかない。

 

 俺の、時間遡行は失敗した。

 

 そしてその代償として、()()()()()()()()()()()()()()――

 

「ちくしょうちくしょうちくしょう……ちくしょおおおおおおおおおお!!!!!! どうしてだよ!! 魔術に不可能はないんだろ!! なあ! どうして、どうして……あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 まぶたからぼろぼろと涙がこぼれ落ち、もはや声にもなっていない絶叫が、辺りに虚しくこだました。

 

 わからない。

 一体どこからが間違っていて、どこまでが正しかったのか、わからない。

 唯一わかっているのは、俺にはもう、奇跡も魔法もないということだけ……

 

 降る雪は儚く、周囲の視界を白く染めていく。

 落ちていく意識の中で、灯火を見た。揺らめいていた炎はやがて翳り、小さくなり、周囲が闇と同化していく様を、ただただ呆然と見届けることしかできない……そんな心象風景だ。

 

 残された世界には、もう何もない。

 あるのはただ、深淵の闇だけだった。

 

 

    ***

 

 

 長い物語を終えると、俺は視線を上げ、月の光で長く延びた自分の影を見つめた。

 

「そこから先の顛末は……正直語るに耐えないんだが、まあ話さない訳にはいかないよな。意識を失った俺は、町の人に救出されて、何とか凍死は免れた。だが、どれだけ待っても、意識が戻ることはなかったそうだ。どれだけ話しかけても、『あぁ……』とか『うぅ……』としか応えない廃人になっていたらしい。転移術の失敗で、精神汚染が重度に進行したんだ。

 そんな風に廃人と化した俺を、親父はエルの手も借りながら、辛抱強く介護してくれたらしい。あの二人には感謝してもしきれないというのが正直な所だ……まあ、その恩をちゃんと返せてるのかと言われると、甚だ疑問だが」

「……そう。そう、だったんだ……」

 

 うつむき加減にそうこぼしたドロシーを見て、俺はふうと息を吐き出した。

 

「廃人生活は、結局五年ほど続いたんだが――ある日突然、自我を取り戻すことができてな。最初は上手く喋れず、人の手を借りないとどうにもならない状態が続いたが、二ヶ月ほど経てば、ほぼ一人で生活できるレベルまで回復できた。

 理由は正直よくわからない……色んな医者に診て貰ったが、『こんなケースは見たことがない』と、異常者みたいな扱いしか受けなかった。いわゆる奇跡ってヤツらしい。そんな安易な言葉で片付けるなよと言いたいが、かといって真相は、自分で探ってみてもさっぱりわからん……そんな感じだ」

「うん……」

「まあ問題は……その後だよな。意識が回復していくにつれて、自分がやらかした事の重大さや、失ったものの数に気付いて……有り体な言い方をするなら絶望したね。五年という歳月を失ったショックよりも、自分が魔術士として再起できないという事実の方に打ちのめされたよ。

 結果、ロクに働きもせず、一人塞ぎ込んでは部屋に引きこもる日々が続いた。あの時大人しくくたばっていた方がマシだったと、何度思ったかわからん」

「……でも」

 

 視線を上げ、ドロシーが俺の目を見た。

 

「貴方はまだ魔法が使えるじゃない。それはどういう理屈なの?」

「ああ、そこなんだが……たぶん、コイツのおかげだ」

 

 そう言うと、俺は自分の左手を広げて、銀色の指輪をまじまじと見た。

 

「俺が魔力を全て失わずに済んだのは、おそらく指輪の加護のおかげだ。この指輪の魔石には、邪気を退ける強力な力が秘められているのだと思う。実際、ほとんどが壊死した俺の魔力の経路の中で、唯一生き残ったのが、左手薬指から心臓へと結ばれる経路だったからな。ここだけはどういう訳か無傷だった。そう考えると、指輪の加護以外に、腑に落ちる理由が見つからない」

「なるほど……だから貴方は、おいそれと魔法を発動することができないのね。身体の負荷を考えると、使える魔力量や発動回数に制約があるから――そしてその制約を解く術として、貴方はアルス・ノトリアを求めている」

「そういうこったね」

「けれど、どうして失敗したのかしら……ノルンの残した術式は、結局間違っていたということ?」

「さあな。失敗したときの記憶は断片的だから、何とも言えんが……誰かの声が聞こえたような気がしたんだ」

「声?」

「要約すると、調子乗んなアホボケカスみたいな……いずれにせよ、どこかで聞いたことがあるような、ないような、そんな声だった」

「へえ……」

「まあ、それはともかく、術式の構成や術者の負荷云々の前に、もっと大きな破綻があったのかもしれない。あるいは、ノルンではなく、エメ・ボードワールの主張の方が正しかったのか……」

「つまり、魔法で過去に遡ることは不可能ってこと?」

「ああ」

 

 ドロシーはうなずき、口元に手を当てる。

 視界の外、小川の側では、青色の羽を持つ蝶が舞っていた。

 

「ねえニケ……貴方はその……たとえわずかな一本の経路(パス)でも、自分の魔術士としての命がつながったことを……後悔してる?」

 

 俺はドロシーの目を見る。

 目が合って二秒、俺は頭をボリボリと掻き、視線を逸らしてから言った。

 

「えらい残酷なこと訊くんだな」

「え? あ、いや……ご、ごめんなさい」

「いや、いいよ……そうだな。少なくとも、『一縷の希望が見つかったぜ! 最高にハッピー!!』なんて風にはなれなかったよ……それも全くないことはなかったが、正直、こんな奇跡起こらない方がよかったって思った方がずっと多かった。魔術士として完全に命を絶たれた方が、色んな現実と誠実に向き合うことができたんじゃないかって。中途半端に希望の余地を残されたせいで、かえって迷走する結果になったというか……。ずっとそんな風に思ってきたけど……」

「けど?」

「最近はそうでもなくなってきてるな」

「最近? どうして?」

「お前と会えたからだよ」

 

 俺は言った。

 

「魔術士としての道をあきらめて、ロゼッタで大人しく過ごす日々を選んでたら、お前と出会って、こうして何かを分かち合うことだってなかった訳だろ。草木や花、寝室の壁以外と心を通わすことができなかった哀れな男が、ようやく一歩進んで、人間様を信用してみる道を選んだんだ――

 それだけで十分、意味はあったんじゃないか。性懲りもなく、魔術士として再起を図ろうとするこの生き方にも、捨てたモンじゃない部分はあったんじゃないかって、今ならそう思う。知らんけど」

「……言い方」

「ほっとけ。それに、お前だけじゃない。旅に出て、色んなヤツと出会って、どうやら俺だけじゃないんだということがわかったんだ。人はみんな、銘々に後悔だとか哀しみだとか自責の念だとか、多かれ少なかれ、面倒なモノを抱えながら生きてるんだってことが、頭ではなくて経験として理解できた。

 そして何の因果か、昨日まで他人だったヤツと、時としてそういう感情を分かち合うこともできるって学んだ。こういう教訓は、ロゼッタの外の世界に出てみないことには、得ることができなかったモノだと思う」

「……ふーん。よかったじゃん。色々回り道もしたけど、貴方は変わろうとしてるってことでしょ。いい傾向だと思うよ」

「……だといいけどな。こうも長く付き合ってると、昔のこじらせた自分にも愛着があって、隙あらばそっちに帰りたくなることが……」

「言い方」

「すんません」

 

 貴方が捨てたのは金のニケさんですか? それとも銀のニケさんですか? 

 いいえ、薄汚くて灰色の、煤けたこじらせ男子ことニケさんですと、どうでもいい空想に思いを馳せていると、隣のドロシーが立ち上がった。

 

「ねえニケ。たとえ失った魔力を取り戻すことができなくても、あなたはきっと変われると思うよ」

 

 不意を突かれたその言葉。

 にわかに思考が停止して、呆けたようにドロシーを見ていると、やがて彼女が言った。

 

「あなたが自分自身に胸を張って、俺は変われたって言える瞬間があるとしたら……たぶんそれはね。失った魔力を取り戻した、その時じゃないと思うの。たとえなくした魔力が帰ってこなくても、そのままの身体で、そのままの姿で、この世界を生きていくのも悪くないって、心からそう思えた時なんじゃないかな。

 ……上手く言えないんだけど、あなたの本当のゴールはそこにあると、私は思うよ」

 

 真っ直ぐなドロシーの言葉に、俺は黙したまま、しばしまばたきを忘れていた。

 やがてうなずき、うつむき加減に口を開く。

 

「……なんつーか、お前と一緒で上手く言えないんだが」

 

 不意に熱くなった心のずっと奥の方を、隠すように握りしめて、俺はこう言った。

 

「ありがとう」

 

 ドロシーは微笑を浮かべ、「じゃあ私は寝るから。また明日ね」と告げて、その場を去って行く。

 こんな風に自然に「また明日」と言える仲間が見つかっただけ、俺も少しは前に進めているってことなんだろうか。隙あらば悶々と思索に耽るのが好きな性分のくせに、大事なことはいつも誰かに気付かされてばっかりだなと、らしくもない想いが脳裏をよぎる。

 

 

 俺が本当に、自分が変われたと思えるその瞬間か……

 

 

 木組みの欄干に蝶が一羽、美しい青の羽を広げて何処(いずこ)へと飛び立つ。

 

 やり直しなんて、今の俺には必要ない。

 

 何もかも失ったようで、それでいてほんのわずかな小さな灯火が残されたこの身体で、それでもどうにか何とか、下手くそなりにちゃんとやっていけてるよって、いつか母さんに伝えることができたなら……

 

 なるほど悪くない未来だなと思い、俺はハナクソをほじろうとしたが、結局やめた。そして一人で笑った。

 

 もう、一人じゃないから。

 

 残された世界には、微かな温もりがある。

 目の前に広がる景色はもう、深淵の闇だけじゃない。

 



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幕間④

「ご命令どおり、エルマを連れて、二人を森の出口まで案内いたしました。三日ほど経てば、エフタルの領土に到達するでしょう」

「そうか。ご苦労だったな、ヴェルギリウス」

 

 酋長のオラシオンがそう告げると、ヴェルギリウスは深々と頭を下げ、謁見の間から退出する。

 入れ替わるように、エルマの祖父であるソロンが進み出た。

 

「本当によろしかったのですか、奥方。あの者を野放しにして……」

「乙女の神託に従ったまでだ。よいも悪いもなかろう」

「ですが……我々の伝承によれば、彼は神託に背きし者。神託から逃れることのできない我々と異なり、因果律の呪縛から解き放たれ、運命を自ら切り開くことを許された者。奥方とて、そのことはご存じでしょう」

「……知っておる。魔族の世界では、それを『魔王』と呼ぶこともな」

 

 オラシオンは指先でコツコツと肘掛けを叩く。

 深い沈黙が訪れた。

 

「……個人的には、どこまで信じるべきなのか疑っている部分もある」

「乙女の神託が、ですか?」

「神託そのものの是非ではない。巫女であるエルマの方だ。あの子は素質こそあるが、如何せんまだ幼い。乙女の神託を、どこまで正確に受け取ることができたのか……ルチアがここにいれば、左様な疑義を呈することもなかっただろうが」

 

 ソロンはぴくりと眉根を寄せると、オラシオンの目を見て、深々と頭を下げる。

 

「申し訳ありませぬ。ルチアについては、我が一族の完全なる失態です」

「よい。過ぎたことを問うても仕方あるまい。ただ……」

「ただ?」

「ニケと一緒にいた、赤髪の少女。あの娘も、決して無関係ではないような気がしてな。ニケが背負わされた業に、あの娘も深く関わっているような、そんな印象を抱いた」

「……」

「いずれにせよ、世界はこれから大きく動くだろう。その中心に、神託に背きし彼がいるとなれば、魔族とて黙ってはおるまい」

 

 そこまで言うと、オラシオンは小さく息を吐き出し、両目を瞑った。

 

「我々もそろそろ、身の振り方を考えねばならぬ時期に来ているのかもしれんな」

 

 

     *

 

 

 ルナティア、モンフォール家屋敷、会談の間――

 

 ティーカップに注がれた紅茶に口をつけると、執事のセバスチャンは愛用の片眼鏡に手を当てた。

 

「ライラ。今日の茶葉は?」

「エクヴァターナです」

「いつもと少し、味わいが違うように感じるな」

「質の良い品が手に入ったんです。今年は豊作だそうで」

「ほう」

「それに、今日の客人は私と同じ、中西部出身の方と聞いているので」

「……。紅茶よりも、酒ばかり飲んだくれてるような奴だがな」

 

 そこで、コンコンと扉を叩く音がする。

「どうぞ」とライラが言うと、案内役のメイドが頭を下げ、客人が通される。

 

 新雪のような白い髪に、アンバーの瞳。かのクラインの元締めであり、今や勇者の仲間の一人でもある男。

 トラヴィスだった。

 

「よお、()()()。久しぶりだな」

「……」

「息災だったか? しつこげにまだ生きてたようで、何よりだよ」

「それはお互い様だろう。掛けろ」

 

 セバスチャンが顎で着席を促すと、トラヴィスは幾何学的な紋様があしらわれた瀟酒なソファーに腰掛ける。

 遅れて、従者らしき人物が入ってきた。美しい翡翠の瞳に、中性的な顔立ち。背中には弓を背負っている。鋭く尖った耳から、エルフであることは明らかだった。

 

 初めて見る顔だな、とライラは思った。

 

「紹介するよ。俺の優秀な部下だ」

「ルチアと申します。初めまして」

「セバスチャンだ。今はモンフォール家の執事長を務めている」

「あれ? お前の上司の元上司だ、とか説明しねえの?」

「お前を自分の部下と思ったことなど、一度もない」

「おいおい。久々に会ってその言い草はねえだろ」

「お前が私の命令をまともに聞いた試しがあったか?」

「……言われてみればほとんどなかったわ」

 

 話には聞いていたが、今や世に名を馳せているあのトラヴィスがその昔、執事長の配下であったことは事実だったんだなとライラは再認識する。

 ネウストリア王家から私掠船の免状を与えられ、最後の海賊と謳われた、カルヴァドス海賊団副船長。セオドア・セバスチャン・エイヴリーの懐刀、トラヴィス・クローバーか……

 

 ライラが紅茶を勧めると、トラヴィスは「気が利くねえ」と一言。片やルチアは、これを固辞した。

 

「お構いなく。私は立ったままで構いませんので」

 

 傍らのセバスチャンとトラヴィスは、先日行われたソフィーお嬢さまの結婚式、すなわちモンフォール家とバルザック家の契りについて、話の花を咲かせているようだった。

 思ったより世間が好意的に受け入れて安堵した、これを機に大陸と本土の結びつきが強まるといいが、それにはまだ少し時間が掛かるだろう等々……

 

 ライラは部下に命じてトレイを下げさせると、セバスチャンの右斜め後ろに立つ。

 それが合図だった。

 

「で。本題は?」

 

 セバスチャンは膝の上で、両手を組み、トラヴィスを真っ直ぐに見つめる。

 空気が一変したのを察したのか、トラヴィスは一度視線を落としてから言った。

 

「アイゼンルート魔導帝国、皇帝クラウス・フォン・クラウゼヴィッツ――」

 

 わずかな間を置いてから、トラヴィスはおもむろに視線を上げる。

 

「奴の暗殺を実行に移す」

 

 セバスチャンは無言。ティーカップを手に取り、紅茶を一口飲んでから言った。

 

「本気なんだな?」

「本気じゃなかったら、わざわざ東征に乗り遅れてまで、こんな物騒なハナシしに来ねえよ」

「……そうか」

 

 ことりとティーカップをソーサーに置くと、セバスチャンはトラヴィスの背後に立つルチアを見た。

 

「彼女が実行者か」

「ああ」

 

 トラヴィスはうなずいた。

 

「クロノアにも相談の上、最終的には俺が決めた。本来なら俺が出向くところなんだろうが……色々と事情が変わっちまったのは、あんたにも先日話したとおりだ」

「苦渋の決断という訳か」

「違うね。最善の決断だ」

「最善の決断が最良の結果をもたらすとは限らない。俺とお前が、どういう訳か生き残ったみたいにな」

「……まどろっこしいな。単刀直入に言うぜ」

 

 するとトラヴィスは立ち上がり、床の上に膝を着いた。

 そして両腕を曲げ、額をぴたりと床に着ける。

 

「頼む。元仲間のよしみとして、俺たちに力を貸してくれ。何度も言うが、失敗は許されない。許されない以上、もうアンタに頼むしかないんだ。ルチアには、アンタの右腕を務めるだけの技量はある。それは保証する。今は亡き船長(キャプテン)が、唯一同格と認めたアンタなら……必ず成し遂げられると、俺は信じてる」

「……」

 

 沈黙が流れた。

 セバスチャンは片眼鏡の縁を上げると、小さくため息をついた。

 

「なあトラヴィス。昔、カルヴァドスの阿呆がこう言ってたんだ」

 

 突然降り出した秋雨のように、セバスチャンが語り始めた。

 

「俺もお前も、船長とか副船長とか偉そうな肩書きが付いてしまった以上、そろそろ舞台から下りる覚悟を決めなきゃいけねえって。どういうことだって聞いたら、アイツは笑ってこう言ったよ。次を託せる主役を作んなきゃいけねえ。次の時代を切り拓くのは、俺たち名のあるオッサンじゃない。今は名も無き、若い連中だって――」

 

 トラヴィスは顔を上げ、セバスチャンの横顔をまじまじと見つめる。

 二人の目が合った。

 

「お前はともかく、俺はもう老いたんだよ。物語の主役じゃない。未来を切り拓くのは、俺じゃなくて、次の時代を生きる人間でなければならない」

 

 紅茶を一口飲むと、セバスチャンが告げた。

 

「ライラ」

「はい」

 

 前に進み出ると、ライラは両手でスカートの裾をつまみ、右足の膝を軽く曲げ、左足を斜め後ろに引いて、会釈をした。

 

「ライラ・サイード。セオドア・セバスチャン・エイヴリーに代わって、皇帝暗殺の任務。謹んでお受けいたします」

 

 言葉のないトラヴィスとルチアをよそに、セバスチャンはカップをソーサーに置き、白い手袋をはめた両腕を、顔の前で厳かに組み直した。

 

「この子は筋が良い。故に、俺の持てる全ての技術を叩き込んできた……なに、そう呆気に取られた顔をするなよ。主役の座こそライラに譲るが、俺も脇役として同行して、二人を支えるつもりだ」

「副船長、あんた……」

「自慢じゃないが、俺もお前と同じかそれ以上に賭け事が好きな性分でね」

 

 指先でモノクルを押し上げると、彼は静かに言った。

 

「くたばり損ないの老人にとって、これほど本気で挑戦しがいのある勝負(ゲーム)も珍しい。お前もそう思わないか?」



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