ありふれた教室に潜んだ二人の変人の話。 (不可思議可思議)
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第一章、雫視点。
プロローグ「水が無いなら血で洗えば良いじゃない」



 

 

 小学校からの、あるいはそれよりも前からの友達、幼馴染と言ってもいい人が私にはいる。だけどそれは別に、小学校と中学校の合わせて九年間、九回行われるクラス替えで、その全てを一緒のクラスで居られたかと言えば、決してそんなことはない。

 全員バラバラな年が小学生の時にはあったし、中学生の時にも一度、中学二年生の時にあった。

 

 幼なじみどころか、親しい友人の一人さえも一緒のクラスになれなかったという、中学生にしてみれば地獄のようなクラス。地獄のような始まり方をした一年間。

 

 ……だけどきっと、これからもあるであろう学生生活の内、最も激動だったのは、異世界に来てしまった今年か、中学二年の時か。悩ましいのが、いっそ悲しくもある。

 

 


 

 

 中学校でその二人は、ある意味で有名人だった。断じて、良い意味ではなく、問題児的な意味で。

 

 私の幼なじみの三人、香織と光輝、龍太郎も、……そして遺憾ながら私も、それなりに名の知れた生徒ではあった。だけど、それでも私達四人と、彼女たち二人、どっちが輝いているかと問われたら、私は間違いなく問題児二人の方を指差す。……目を逸らして、ついでに口笛でも吹きながら他人事のように指を差す。

 

 七五三(しめ)七子(ななこ)と、海胆岬(うにみさき)ほろり。

 幼なじみの『天之川光輝』も結構な名前だと思うけれど、それでもその二人は名前だけでも頭三つは抜けて異端だった。キラキラネームとも若干違う気がするけれど、二人の名前を括れる単語を私は知らない。

 

 七子とほろりは、幼稚園より前からの幼なじみらしい。二人とも京都出身で、こっちの方の小学校に転校してきたタイミングは何年かずれ、年単位で会わない時期もあったそうだけど、それを思わせないくらいに二人は仲が良い。

 

 教室で片方を見つければ、もう一人も半歩歩けば顔と顔が当たるような距離に居るし、外で見かければ大抵は手を繋ぐか腕を組んでいる。ほろりの家は料理店を営んでいて、ほろりが店の手伝いをしている時は七子も店に居座っている。親ぐるみの仲で、ほろりの両親が容認しているのだとか。

 

 彼女達について語れることはまだまだ多いけれど、やはり最も語るべきは、私を巻き込んだ中学二年生の時の問題行動なんでしょうね。――私も香織も光輝も龍太郎も別々のクラスになった、中学二年生の一年間。以下、一例。

 

 


 

 

 梅雨の時期が過ぎた頃。雨の降る頻度が一気に減り、代わりに降ってくる日差しと気温が強烈になってくる時期。誰かは知らないけれど、今日に夏と名付けられている。

 

 最もしんどい時間帯である、午後の二時間。これさえ過ぎれば放課後である時間だけれど、今日はある意味特別であった。

 周りのみんなが行っているのは授業ではなく、もちろん自習でもなく、修学旅行の班行動、その計画決めだった。

 

 四月、五月のうちに問題児係を周囲に押しつけられた私は、件の二人との、計三人という少数の班を半ば強制的に組まされた。……強制したのが担任ではなく、七子だというのが、この話の、と言うか問題の始まり。

 

「今更、京都なんて行ってもねぇ……。こっそり抜け出して別のとこ行かない?」

 

 なんて言い出すのは、問題児二人組のもっぱら行動担当であるほろり。その言葉に、同じく修学旅行の行先でもある京都を出身とする七子は何か本を読みながら頷く。

 

「私はローソンのプリンが食べたいわ」

 

 ほろり曰く、七子は結構な方向音痴らしい。おかげで、単独での行動範囲は自宅が目で見える範囲で、コンビニに行くことすら冒険なのだとか。それゆえの言葉だと思えば、……いや、それでもあり得ないわね。京都まで行ってローソンって。

 

「あなた達ねぇ。一個くらい行ってみたい観光地とかあるんじゃないの?」

 

 消去法的に班長となった私が言ってみるも、やはり二人の目に修学旅行への意欲は見られない。

 

「だってさーぁー、雫ちゃーん。京都なんて神社と寺しかないよ? 餅よりも上手く絵が描けるくらい見まくってるって、あたしら」

 

 地元の観光地には行かないっていう風習みたいなのが日本人にはあるって聞くけど、二人は例外らしい。むしろ頻繁に通っていたと、本人達は現地で退屈そうに語った。

 

「ほろり。『絵に描いた餅』に、描くのが簡単みたいな意味は無いわよ」

 

「あれ、そうだっけ?」

 

 既に修学旅行への興味は失せたようで、二人はほとんど関係のない話題で雑談を始めてしまう。

 

「『餅が無いなら絵に描いた餅を食べれば良いじゃない』っていうのが正しい使い方よ」

 

「なにその絵に描いたようなマリーアントワネット」

 

「『棒に当たるなら歩かなければ良いじゃない』って言った人よ」

 

「あっはっはっ! その国絶対長生きできないって!」

 

「『橋が無いなら他国の石橋を砕いて橋にすれば良いじゃない』とも言っていたわね」

 

「あははははっ!! 鬼だ! そのマリーちゃん絶対三日天下だって!」

 

「『背に腹を代えられないなら五臓六腑で代えれば良いじゃ無い』とは、そのマリー何某の母親が残した言葉よ」

 

「うわぁ! 血は争えねー!」

 

「『水が無いなら血で洗えば良いじゃない』という、先祖代々受け継がれている家訓があるのよ」

 

「あたし、その人達に『お前らの血は何色だー』って聞いてみたい。どこの人だっけ、フランス?」

 

「なに言ってるの、日本よ。血で炊いた赤いご飯が、後に改良を重ねられ、赤飯になったのよ。料理人になるなら覚えておきなさいな」

 

「へー。まぁ、鉄分は大事だもんね」

 

 周りの班はバスでどこまで行くとか、ここのお土産買いたいとか話している中、私たちの班だけはなに一つとして計画が立てられることもなく、愉快な雑談だけが繰り広げられている。

 

「じゃあ、伏見稲荷の千本鳥居でとおりゃんせ歌って、清水の舞台でジャンピング御祈願して、あとは本屋さん巡る感じで」

 

「待って。じゃあって何よ」

 

 毒にも薬にも、……微妙になりそうな雑談を聞き流していたら、急にほろりの方から計画の話題にシフトされていた。付いていた頬杖がガクッと外れ、肩と首を痛めながらもなんとか突っ込む。

 

「いろいろ突っ込みたいんだけど、……なんでとおりゃんせ?」

 

「私が好きなのよ、とおりゃんせ」

 

 七子はそう言いながら、読み終えた本をパタリと閉じて机に置いた。

 

「あっはー。とおりゃんせの発祥の地は京都じゃなくて埼玉だけどねぇ」

 

「いや、そういう問題じゃなくて、普通に怖いんだけど」

 

 ……まぁ、伏見稲荷大社に行くのは良いとして。

 

「次。ジャンピングなんだかって、何よ」

 

 言うと、ほろりとは不思議そうな顔をした。

 

「あれ、雫ちゃん知らない? 清水寺で紐なしバンジーすると願いが叶うって、地元じゃ有名な話なんだけど」

 

「知ってる。それは日本人の大概は知ってると思う」

 

 むかしむかし、清水の舞台から飛び降りた人がどうとかっていう有名な逸話か何かがあったはず。

 

「ドラゴンボール集めるのは面倒だけど、清水の舞台なら行って飛び降りるだけで叶うんだよ? やらないわけには行かないって」

 

「普通は死ぬからそういう伝説が残されてるんでしょう?」

 

 私が現実的に考えた考察を述べると、それに七子が反論する。

 

「実話として、飛び降りたホームレスが宝くじを当てて社会復帰したという近代の伝説が今も語り継がれているわ。つまり確実とまでは行かずとも、飛び降りてから行動に移れば成功率は上がるということが実証されているのよ」

 

「そのホームレス、社会復帰したはいいけど時代について行けなくて、結局ホームレスに逆戻りしたらしいけどね」

 

「何、その悲しい都市伝説……」

 

 聞きたくなかった。特にほろりの後付けで、下手な怪談より背筋がゾッとした。

 

「中学生になったら一緒に飛ぼうって、ほろりとの約束なのよ」

 

「心中!? やめなさいよ気味悪い! なんで了承しちゃったの!」

 

「願いが叶うなら、飛び降りなんて安いものじゃない」

 

 ……首輪とリードでも用意したほうが良いかしらね。

 

 

 ちなみに後日、二人は何処で練習したのか、清水寺で見事な五点着地をして警察と救急車が呼ばれる事態となった。このことは、母校ではいまだに伝説になっているらしい。

 本人達は黒歴史扱いしてるけど。

 

 


 

 

 修学旅行ほどではなくとも、匹敵しかねない問題行動を一日一回以上のペースで起こし、そして度々私も巻き込まれていた。その時を幼馴染みに一度も見つからなかったのは不幸中の幸いで、その経験があったからこそ、後の幼馴染み達の奇行に全く動じずに付き合い続けられたというのは墓場までの秘密だったりする。

 

 とはいえ、二人との付き合いも同じクラスだった中学二年生の頃だけで、三年生になってからは別のクラスになったからか、殆ど顔を合わせることも無かった。

 所詮は学校内だけでの交友。物理的に壁と距離が置かれれば、もう連むことも付き合わされることも無い。

 

 ……と、勝手に思い込んでいた私は既に過去の存在だった。

 

 なんと、彼女達は私たちと同じ高校に進学し、あろうことかクラスメイトになっていた。

 幼馴染み四人揃って同じクラスになることすら意外と貴重なのに、加えて二人までいる。どんな奇跡よ。クラス分けでこの二人をセットにした先生の正気を真面目に疑う。

 

 高校生にもなれば、流石に落ち着いているかとも思ったけれど、決してそんなことはなく。

 七子はしばらく見ていなかったうちに、ネットで小説家として活動し始めたらしく、学校にノートパソコンを持ち込んでいる。授業中だろうと構わずにキーボードを叩いては、先生に怒られているのはもはや風物詩。

 ほろりは高校に上がると同時に店を継いだらしい。それは一向に構わないのだけど、なぜか彼女は制服を着てこない。日によって柄が違うものの、基本的に毎日、青色の着物を着て登校している。一応許可は取っているらしいけれど、事情を知らぬ人達には度々注意を受けて、物騒な騒動に発展することも珍しくない。

 

「ほい、雫ちゃん」

 

「……ええ、ありがとう」

 

 今は昼休み。朝や放課後は幼馴染みと一緒にいることが多いけれど、この時間は問題児二人と過ごすことが多い。別にそういう決まり事が出来てるわけじゃないけれど、自然にこうなった。

 ほろりは私と七子の分のお弁当をわざわざ作ってくれるし、悪い気はしない。どころか、ほろりの料理はプロ並みに美味しい。現金な話だけれど、悪い気はしないどころか、ありがたくすらある。

 幼馴染みである香織は初恋真っ只中で、とあるクラスメイトの男子にお熱だし。光輝と龍太郎はその男子にやっかみにいってるし。この時間の私の居場所は、どうしようもなくここなんでしょうね。

 

 そして七子はと言えば、さっきまで授業をしていた畑山先生からのお説教を受けている。授業を聞かずに小説を書いていたらしい。七子の堂々とした行動に、今や説教をするのも畑山先生ただ一人。職員室では『最後の希望』なんて呼ばれているのだとか。

 とはいえ、七子がああも大人しくお説教を受けているのも珍しい。気に入らない先生だと逆に言い負かして保健室送りにすることもあるのに、畑山先生に対してはそう言う態度だけは絶対に見せない。それはきっと、畑山先生が素敵な先生だからに違いない! ……いえ、二人とも子供みたいに小柄だから、単に同族意識かもしれないけど。

 

「昨日、七子ちゃんと一緒にコーラ作ったんだけどさー」

 

「え、コーラって作れるの?」

 

「いや、それが不味くってさー。コーラはコーラなんだけど、甘くないし寧ろ辛いし、後味がシナモンの味しかしないの。だから放課後、ウチに飲みにこない?」

 

「その説明をされて行くって言うと思ったの?」

 

「捨てるのはもったいなくってさー」

 

「……そういうところだけは良い子よね、あなたって」

 

 家が料理店だからなのか、ほろりは食べ残しを自分にも他人にも許さない。そもそもお客さんの好き嫌いの判別が上手いし、胃の容量にあった量にしてくれるし、美味しいしで、残す理由も無い。

 

 

 だから私は、初めてほろりが本気で怒ったところを見てしまった。

 

 

 なんの前触れもなく唐突に、教室に幾何学模様と円、所謂魔法陣が現れ、強烈な光を放った。畑山先生も流石にお説教を止め、「みんな! 教室から出て!!」と叫んでいる。その叫びと、魔法陣の光がより強まるのは、ほとんど同時だった。

 


 




七五三(しめ) 七子(ななこ)

 本作の主人公の一人。
 既出本だけじゃ満足出来ず、自作を始めたほどの活字中毒者。
 京都出身で、家族は母と妹。父親は正体不明で行方不明。

 雫は「子供よりも純粋で、大人よりも芯が丈夫でしなやか。口先は日本刀よりも切れる」と評している。
 誰に対しても一貫した態度をとることから、年上からはやっかみを受けることも多い。

 趣味が読書ということもあって、運動が出来なさそうな印象を受けるも、実際のところ、運動はそれなりにできる。中学では、人間関係のトラブルにより一年足らずで辞めたものの、卓球部に所属していた。

 身長は約百四十センチと、子供のように小柄で、同じく小柄(とは言え十センチ程度高い)畑山先生から、教師と教え子として、可愛がられている。
 髪は腿半ばまで伸ばしていて、一切の乱れも無い綺麗なストレート。目付きが若干悪いものの、自他ともに認める美人。しかし本人が髪に興味なく、髪のツヤは概ね妹に手によるもの。
 男子からモテることを極端に嫌い、過去には容姿を褒めただけの光輝の股間を四度蹴ったことがある。

 ほろりとは家族ぐるみの仲で、本人たちは親友か姉妹のようなものと認識している。






海胆岬(うにみさき) ほろり

 本作の主人公の一人。
 両親それぞれが料亭の家の出で、生粋の料理人。
 七子と同じく京都出身で、一人っ子。両親健在。

 雫は「不安定だけど他人に支えられるのが上手な子。前世はきっとサイヤ人」と評されている。

 七子とは対照的に、明るい性格で、特に女子とは仲良くなるのが早い(友達が多いとは言ってない)。

 高校生になると同時に本格的に店を継ぎだし、元々趣味でもあった料理の腕は両親をも凌駕するほど。
 店は元々料亭だったものの、ほろりの希望でほとんどを改装。和食以外の料理も提供する、料理店としか形容出来ない店へと変貌した。
 注文の無い料理店『蛍』の名はそれなりに知れ回っている。
 
 何か特別運動をしてきたわけでは無いものの、資質はあるのか、身体能力は異様に高く、暴れだすと雫でも抑えることは不可能。

 校則に何か恨みでもあるのか、禁止されているはずなのに髪を金髪に染め、ポニーテールに結んでいる。
 日常的に青い着物で過ごすことが多く、店ではその上にエプロンと三角巾をつけている。
 身長は女子にしては高い方だが、(172cm)ほどではない。

 七子もほろりも、京都弁で話そうと思えば話せるけれど、特にほろりは京都弁で話さない。


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第一話「とりあえず、エヒトってやつを土下座させる」

 強烈な光に思わず目を瞑り、次に目を開いたのは、笑い声が聞こえてからのことだった。

 

「はっ。ははっ。はははっ」

 

 笑っているはずなのに、全くもって楽しそうでも、嬉しそうでもない、ともすれば怒っているように聞こえる笑い方。

 

「ははははっ。はははははっ」

 

 顔を真上に向けて、天か、神にでも届けるように、怒気の滲んだ笑い声を上げているのは、ほろりだった。

 

「ははははははっ! あっはははははははっ!」

 

 目に写るのは、草原や湖や山々の描かれた巨大な壁画だとか、どこからどう見ても教室では、あるいは日本でもない見える大理石の大広間。

 みんな気を取り直してあちこち見ている中、ほろりと、そして七子だけは、動じている様子が見えない。

 

「ほろり、ダメよ」

 

 七子は犬のリードを腕に巻きつけるように、ほろりの手を掴んで窘める。するとほろりは、首の関節をゴキリと鳴らしながら七子を見下ろして、笑い声とは裏腹に全く笑っていない目を向けた。

 

「あっはー。止めるんなら、七子ちゃんでもぶっ飛ばすよ?」

 

「あなたにされるならそれも良いけれど、ダメよ。……私だって我慢しているの。抜け駆けはずるいわ」

 

「はぁい、はい。不味いなぁ……」

 

 ほろりが笑みを収めると、七子は掴んでいた手を離し、今度は胸に抱くように腕を組んだ。ほろりも受け入れてるようで、別に何を言うでもなく口を閉ざし、三十人近くいる、私たちを取り囲んでいる人達の観察に移った。

 

 私たちがいるここは台座のようになっていて、教室にいた全員が立っても余裕があるくらいには大きい。

 そして取り囲んでいる人たちは、全員が金の刺繍が施された法衣のようなものを着ていて、傍らには先端が扇状に広がり、円盤が数枚吊り下げられた杖のようなものを置いている。

 

 そのうちの一人、一際豪奢な格好をして、高さ三十センチはありそうな烏帽子、のようなものを頭に乗せた老人が進み出てくる。

 老人、とは言ったものの、しかし老人と言う言葉が似合わないくらいに、覇気と言うか、オーラと言うか、雰囲気と言うか、何か力強さのようなものを感じる。

 力強さはそのままに、杖をシャラシャラと鳴らしながら、深みのある声音で私たちに話しかけてきた。

 

「ようこそ、トータスへ。勇者様、そして御同胞の皆様」

 

 と。どこからどう見ても日本人ではないし、日本でもないこの場所で、老人は違和感の全くない日本語で言った。

 

「私は聖教教会にて教皇の地位に就いております、イシュタル・ランゴバルドと申す者。以後、よろしくお願い致しますぞ」

 

 イシュタルと名乗る老人は、あからさまに怒りをぶつけているほろりから目を逸らしながらも、好々爺然とした微笑を見せていた。

 

 


 

 

 私たちは場所を移され、十メートルは余裕でありそうな長いテーブルが幾つも並んだ大広間へと通された。

 相変わらず煌びやかな作りをしていて、装飾品や、絵画、壁紙まで何もかもに、職人の技術を感じられる。

 上座に光輝から順に私たちは座り、私の隣には畑山先生、反対側の先生の隣には七子、その隣にほろりが座っている。香織が一目惚れしたと言う男子は、残念ながらここからはあまり見えない。

 

 ここに案内されるまで、ほろり以外誰も騒がなかったのは、いまだに誰も認識が追いついていないからだと思う。私や光輝は勿論、一人頭抜けて落ち着きを見せている七子だって、慌てていないだけで目はあちこち泳いでいる。

 

 全員が着席すると、見計ったようなタイミングで、……メイドさん達がカートを押しながら入ってきた。日本にいるような、萌えという歪んだレンズで設計された華奢な女の子と言うわけでもなく、そして外国にいるでっぷりしたおばさんでもない、美女や美少女揃いでありながらも仕事の出来る目をしたメイドさん達だった。

 こんな意味のわからない状況でありながらも、男子はどこまで行こうと思春期なようで、男子達は下卑た目でメイドさんを凝視している。

 

 メイドさん達が全員に飲み物を給仕し終えたのを確認すると、イシュタルさんは話し始めた。

 

「さて、あなた方においてはさぞ混乱していることでしょう。一から説明させて頂きますのでな、まずは私の話を最後までお聞き下され」

 

 そう言って始められた、まるで物語のような話は、七子の好きそうなファンタジー味あふれるもので、まるでゲームの設定のように、勝手極まりないものだった。

 


 

 この世界はトータスと呼ばれており、人間族、魔人族、亜人族の三つの種族に分けられている。

 人間族は北、魔人族は南を支配していて、亜人族は東にある巨大な樹海でひっそり暮らしているのだとか。

 

 内、人間族と魔人族は何百年も戦争を続けている。魔人族は質、人間族は数の力で拮抗していたけれど、最近、魔物と言う凶暴な野生動物(モンスターみたいなものかしら)を使役し、数でも人間族を圧倒し始めたのだと。滅びの危機を迎えているのだと。

 

 それに対抗するために、人間族は質を欲した。

 

 その願いを、エヒトという神が叶えた結果が、私たちの召喚。

 エヒトは人間族が崇める守護神のような存在であり、聖教教会の唯一神であり、この世界を創生した至上の神だと、イシュタルさんは恍惚とした表情を浮かべながら語っていた。

 


 

 

 話が終わると、突然立ち上がり猛然と抗議する人が現れた。

 七子では勿論なく、未だ不機嫌そうなほろりでも、光輝でもなく、畑山先生だった。

 

「ふざけないで下さい! 結局、この子達に戦争させようってことでしょう! そんなの許しません! ええ、先生は絶対に許しませんよ! 私達を早く帰して下さい! きっと、ご家族も心配しているはずです! あなた達のしていることはただの誘拐ですよ!」

 

 ぷりぷり、という擬音の似合う怒り方をする畑山先生。

 今年で二十五歳とかなり若い先生で、低身長、童顔、よく跳ねるボブカットの髪が噛み合って、同じ小柄でも七子には無い微笑ましさを今も発揮させている。

 可愛らしいながらも真面目な先生で、七子とほろりが認めるくらいに素敵な先生で、今回も理不尽な召喚理由に怒り、立ち上がったのでしょう。……残念ながら、ほとんどの教え子達は「ああ、また愛ちゃんが頑張ってるなー」と眺めているけれど。

 

 そして、次のイシュタルさんの言葉に、私たちは思わず凍りついた。

 

「お気持ちはお察しします。しかし、あなた方の帰還は現状では不可能です」

 

 と、なんてことないように。ともすればペットに病院に行くことを告げる飼い主のような顔で、言われた。

 誰も彼もが、何を言われたのか分からないと言いたげな表情でイシュタルさんを見やる。

 

「ふ、不可能って……ど、どういうことですか!? 喚べたのなら帰せるでしょう!?」

 

 畑山先生がまた叫ぶ。ほろりが横から「そーだそーだー」と言うけれど、やっぱりイシュタルさんの顔に大した変化は無い。

 

「先ほど言ったように、あなた方を召喚したのはエヒト様です。我々人間に異世界に干渉するような魔法は使えませんのでな、あなた方が帰還できるかどうかもエヒト様の御意思次第ということですな」

 

「そ、そんな……」

 

 畑山先生は脱力したように、ストンと椅子に腰を落とす。他の生徒達も口々に騒ぎ始め、阿鼻叫喚寸前といった様子。

 

 けれど私は、イシュタルさんが何も言わず、静かに眺めているのを見てしまい、騒ぐ気力なんて微塵も無かった。

 

 そしてふと、私は昔にした七子との会話を思い出した。

 

 どんな流れでそんな話をしたのか覚えていないけれど、その話は、私たちの現状にも決して無関係では無い内容だった。

 

 召喚されるのが一人だったり、数名だったり、クラス丸ごとだったり、大規模なものだと国単位、地球丸ごとなんてこともあるらしいけれど。それらを一括りに、異世界転移モノなんて言うらしい。

 私たちのように召喚された彼らは、酷い奴隷扱いをされることもあれば、神や天使のように扱われることもある。個々人の『ステータス』や『職業』で扱いが変わることもあるとか。

 

 そんな前知識のようなものを思い出し、その上でイシュタルの顔を見てみれば、その目には侮蔑が込められている気がしてならない。

 それも、この世界の人たちにしてみればそういうものなんでしょうけれどね。

 神様に英雄として選ばれたのなら喜んで当たり前の世界なのだから。私たちのように嫌がって泣き喚くなんて、下手をすれば不敬に思われても仕方ない。

 

 今更私まで騒ぎ出したりはしないけれど、これからを思うと憂鬱になり、頬杖をつく。すると、突然テーブルから腕、頬へと衝撃が走り、顎と奥歯が痛んだ。

 パニックを収めるために、光輝がテーブルを叩いたらしい。途端、注目が集まり、光輝は話し始めた。

 

「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ」

 

「そう言われただけで、人の手で帰れない証拠は一つも無いけれどね」

 

 光輝は何か御高説の述べるつもりだったのでしょうけど、そうはさせまいとでも思ったのか、七子が口を挟んだ。

 騒がしいのは好きだけど煩いのは嫌う七子は、やっぱり煩いのが嫌だったみたいで、眉間にシワを作りながら言葉を続ける。

 

「ここは剣と魔法の世界。ドラゴンクエストみたいな、敵を殺したり、殺されたりする世界。不老不死や死者蘇生みたいな夢物語があるかもしれない世界。味方だと思っていた王様や神様が実はラスボスかもしれない世界。プルプル震えるだけの、悪くないスライムがいるかもしれない世界」

 

 この場において、七子は光輝よりも経験値、あるいは知識という点において遥かに優っている。

 ただでさえ、光輝は現状のような()()を、その物語を好んで読む人を毛嫌いしている節がある。俗にオタク文化と呼ばれるものに対し、拒絶していると言ってもいい。秋葉原なんて行ったら吸血鬼みたいに灰になるに違いない。

 

 そして七子の知識や発想には、日頃の行いという、普段は全く役に立たない説得力がある。オタク趣味で活字中毒な彼女の知識に、言葉に、私たちは耳を傾けざるを得なくなる。

 

「別にそこの教皇が言うみたいに勇者をやれとか、私の言うことになんの文句も言わず従えなんて言わないけれど、判断は自分で、この世界を自分の目で見た後でしなさいな」

 

 七子は出された飲み物を恐れずに飲み干して、美味しかったのかちょっと機嫌の良さそうな顔をしてさらに続ける。

 

「元の世界に帰る方法を探す。それは良いわね、実に現実的」

「魔人族との戦争に参戦して、富と名誉を得る。別に良いんじゃないかしら、帰れる保証は一切皆無だけど」

「首を括るなり、どこからか飛び降りるなりして自殺する。勝手になさいな。死ねば地球だろうと異世界だろうと同じよ」

 

 三つ例を挙げて、七子は深い溜息を吐いた。

 

「私が見たくないのは、誰かの意思、言葉に乗っかって、自分や誰かが死んだ文句を言い出しっぺに吐き捨てるシーンよ。実に醜い。ついでに大人気ないし可愛くもない。目に泥を塗られる気分よ。泣きたくなる」

 

 光輝も、畑山先生も、イシュタルも。誰も彼もが意見や文句があるだろうけれど、誰も口を挟めない。

 何せ、七子は自分のことを語っているだけだから。何一つとして強要していないし、ただ私たちに考えるタイミングを与えてくれているだけなのだから。

 

 言うだけ言って満足したのか、味を気に入ったのか、七子は追加で給仕された飲み物に口をつけたっきり、何も言わなくなった。

 

 やっとターンが回ってきたと言わんばかりに、光輝が改めて話しだす。

 

「……俺は、戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放っておくなんて俺にはできない。それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。……イシュタルさん? どうですか?」

 

 七子の話の後では、光輝がいかに格好よくとも、カリスマがあろうとも、誰の心にも響かない。

 何せ、肝心な説得力が欠けてしまっている。七子の話も、光輝の決意も、結果がどうなるのかは『かもしれない』止まりで、結局どうなるのかはその時にならなきゃ誰にも分からない。

 

 俺、宝くじ買うからみんなも一緒に買おうぜ! って言われても、全員が乗り気にはならないように。

 丁寧に当たる確率なんかを解説された後なら、尚のこと。

 

 ただ一人、イシュタルは頷いた。

 

「そうですな。エヒト様も救世主の願いを無下にはしますまい」

 

「俺達には大きな力があるんですよね? ここに来てから妙に力が漲っている感じがします」

 

「ええ、そうです。ざっと、この世界の者と比べると数倍から数十倍の力を持っていると考えていいでしょうな」

 

「うん、なら大丈夫。俺は戦う。人々を救い、皆が家に帰れるように。俺が世界も皆も救ってみせる!!」

 

 光輝はどうやっているのか歯をキラリと光らせながら、そう宣言した。

 

 けれど、これも一つの意見。一人の進路。学園の王子様が東大なりハーバードなりを受けるからといって、みんな応援はしても一緒に受験したりなんてしない。

 ……その難易度を知らない馬鹿を除いて。

 

「へっ、お前ならそう言うと思ったぜ。お前一人じゃ心配だからな。……俺もやるぜ?」

 

「龍太郎……」

 

 龍太郎は馬鹿というか、脳筋というか、まぁ悪い奴ではないけれど、あまり考えるということをしない。光輝の選択は間違いなく正解だと信じて、いつもその隣に立っている。

 そして二人は私と香織に、何か期待するような目を向けてくる。香織は私を不安そうな目で見てきて、よくみれば畑山先生まで似たような目を向けてくる。

 

 残念ながら、異世界に来ても私が問題児係なのに変わりはないらしい。

 

「イシュタルさんやこの世界の人には悪いけれど、ちゃんと考えた方がいいと思うわ。これだって進路選択みたいなものなんだから、人任せにしたり、適当に決めたりしたら、絶対後悔すると思う」

 

「え、えっと、私も雫ちゃんの言う通りだと思うな。喧嘩したりとか、私苦手だし……」

 

 香織の言葉を皮切りに、みんなの反応はそれぞれだった。仲のいい友達と話し合ったり、一人で悩んで頭を抱えたり、急に泣き出したり。

 

「ほろり、あなたはどうするのよ?」

 

 七子はほろりの肩に頭を乗せて問う。

 

「んー? 私は料理人だよ。ここがナメック星だろうと、新世界だろうと、異世界に来た程度でそれを変えるほど股の緩い女じゃないのさ」

 

「そう。じゃあ、私もそうするわ」

 

「とりあえず、エヒトってやつを土下座させる。帰る方法を探すのはそれからだね」

 

「そうね。許しがたいわ、エヒト」

 

 二人は相変わらずなようで何よりだけど、……大丈夫かしら。やっぱりリードと首輪は必要かもしれない。

 

 


 

 

 ほろりが怒っていた理由は、せっかく作ってきたお弁当を粗末にされたかららしい。食べ終わってから召喚して欲しかったってイシュタルに熱弁して、困らせていた。

 七子が「我慢している」と言ったのも似たような理由で、本もパソコンも強引に手放されたのが気に入らないって、イシュタルに熱弁して困らせていた。

 

 気に入らないのはわかるけど、八つ当たりしてもしょうがないじゃない……。

 

 


 



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第二話「料理人は見ての通りだな。料理を作る職だ」


 

 

 戦争参加は見送ったものの、結局私たちは戦いの術を学ばなければならないらしい。いくら規格外の力を持っていても、元が平和主義者の日本人。光輝のように戦争参加を決意したとしても、いきなり魔物や魔人と戦え、殺せというのは難しい。

 事情を聞いた、騎士団長、メルドという人からの助言らしく、一応、希望者のみという形を取っている。それでも、珍しく意見の合った光輝と畑山先生の説得の末、護身術とするためにも全員が戦闘訓練に参加することになった。

 

 訓練云々の事情は予想していたらしく、イシュタル曰く、この聖教教会の麓の、ハイリヒ王国に受け入れ態勢が整っているらしい。

 

 王国は聖教教会と密接な関係があり、聖教教会の崇める神――創世神エヒトの眷属であるシャルム・バーンという人物が建国した最も伝統ある国なんだとか。

 

 聖教教会は神山の頂上にあるらしく、荘厳な門を潜るとそこには雲海が広がっていた。高山特有の息苦しさが無かったおかげで、こんな場所にいたということすら気がつかなかった。七子が「こういう不思議現象は魔法が頑張ってると解釈するのが楽」と言っていたから、きっとそんな感じなんだと私も思うことにした。……というか、これで科学的な説明がイシュタルの口からされたら、それこそ興醒め極まりない。

 

 イシュタルに促されて先へ進むと、柵に囲まれた円形の大きな白い台座のようなものが見えてきた。大理石の回廊を進みながら、促されるままに台座に乗る。

 

 台座には魔法陣のようなものが刻まれている。柵の向こう側が雲海であるためみんなが中央に身を寄せ合っていると、イシュタルが何やら唱えだした。

 

「彼の者へと至る道、信仰と共に開かれん――天道」

 

 途端、台座の魔法陣が輝き、まるでロープウェイのように台座が動き始めた。初めて見る魔法に、誰も彼もがキャッキャとはしゃぐ。ほろりもさっきとは違い、上機嫌そうに笑いながら、「マジでラピュタあるんじゃない? 誰か望遠鏡持ってないかな」なんて、緊張感の欠片もないことを言い出した。

 

 イシュタルが言うには、この台座は王宮まで続くらしい。

 

 望遠鏡は誰も持っていなかった。

 

 


 

 

 王宮に着くと、私たちは真っ直ぐ、王座の間とやらに案内された。

 教会に負けず劣らずの煌びやかな内装の廊下を歩く。道中、騎士っぽい装備を身につけた人や文官らしき人、メイドさん等の使用人とすれ違うのだが、皆一様に期待に満ちた、あるいは畏敬の念に満ちた眼差しを向けて来る。私たちがどういう経緯でここに来たのか、ある程度知っているらしい。

 

 七子が途中で逸れそうになって、畑山先生が必死に捕まえていた。七子の場合、放っておいたらどこで何をするか分からないという心配もきっとあったのでしょうね。ほんと、グッジョブ。

 

 美しい意匠の凝らされた巨大な両開きの扉の前に到着すると、その扉の両サイドで直立不動の姿勢をとっていた兵士二人がイシュタルと勇者一行が来たことを大声で告げ、中の返事も待たず扉を開け放った。

 

 イシュタルはそれが当然というように、悠々と扉を通る。私たちは恐る恐るといった感じで扉を潜った。ほろりが「冒険の書って王様から貰うんだっけ」とか言い出して、ドラゴンクエストを知っている数名が吹き出したのはご愛敬。

 

 扉を潜った先には、ある意味で私たちが想像したものに似たような光景が広がっていた。

 玉座には王様っぽいおじいさんがいて、隣には王妃っぽい人がいる。実写版ドラゴンクエストと言われたら、そうとしか見えない光景。

 王様、王妃の他にも、金髪碧眼で十歳くらいの美少年に、私たちとそう変わらないくらいの、同じく金髪碧眼の美少女が控えていた。二人の目は、私たちの中で唯一の金髪であるほろりの方に向いている。……やっぱり目立つのね。

 

 玉座の手前に着くと、イシュタルは国王の隣へと進んだ。そこでおもむろに手を差し出すと、国王は恭しくその手を取り、軽く触れない程度のキスをした。

 七子が真似をしてほろりに手を差し出すも、ほろりは手ではなく、前髪を上げさせておでこにキスをして返した。……何してんのよ、あんた達。

 

 そこからは、ただの自己紹介。国王の名をエリヒド・S・B・ハイリヒといい、王妃をルルアリアというらしい。金髪の美少年はランデル王子、王女はリリアーナ。後は騎士団長や宰相等、高い地位にある者の紹介がなされたけれど、正直、ほろりと七子の方に気を取られていて、ろくに覚えられなかった。

 だって二人とも、名乗った人の顔を見て、何年後にハゲるか、ハゲてから何年経つかを本気で話し合い始めるんだもの。ハゲ歴三十年認定を受けたおじさんなんて、あちこちの血管がピクピクしていた。

 

 その後、晩餐会が開かれ異世界料理を堪能した。ほろりが言うには、地球の洋食と大差は無いらしい。たまにアメリカンな変な色のソースとか、虹色のジュースなんかが出てきて、日本人を騒然とさせた。ほろりは料理人としての性なのか、ハゲ談義以上に真面目に研究し始め、七子はその隣で大人しく料理を堪能していた。

 

 結局、虹色のジュースに口をつけた日本人は七子とほろりだけだったけど、他の料理も十分に美味しかった。

 

 

 晩餐会の後には、衣食住が保障されている旨と訓練における教官達の紹介がされ、解散となり、一人一室与えられた部屋へと案内された。天蓋付きのベッドに茫然としたのは私だけではないはず。……早くも、畳と醤油が恋しくなってくる。

 

 


 

 

 翌朝から、さっそく訓練と座学が始まった。

 まず、銀色のプレートが配られる。それを不思議そうに見ていた私たちに、騎士団長、メルドが直々に説明を始めた。

 

「よし、全員に配り終わったな? このプレートは、ステータスプレートと呼ばれている」

 

 騎士団長が訓練につきっきりでいいのかとも思ったけれど、やはり勇者一行様をそこらの騎士に任せるわけにはいかないということなのかしらね。本人も面倒な仕事を副団長に押し付けられてラッキー、みたいなことを言っていたし、まぁ平気なんでしょうけど。

 

「これは文字通り、自分の客観的なステータスを数値化して示してくれるものだ。そして最も信頼のある身分証明書でもある。これがあれば迷子になっても平気だからな、失くすなよ?」

 

 多分、七子なら迷子になってからこれがあってもどうしようもない展開になると、私はすぐに確信した。あの子は日本でさえ、迷子になっただけで行方不明事件へと発展させた事例を両手じゃ足りないくらい起こしているんだから。

 

「プレートの一面に魔法陣が刻まれているだろう。そこに、一緒に渡した針で指に傷を作って魔法陣に血を一滴垂らしてくれ。それで所持者が登録される。 『ステータスオープン』と言えば表に自分のステータスが表示されるはずだ。ああ、原理とか聞くなよ? そんなもん知らないからな。神代のアーティファクトの類だ」

 

 なるほどと頷き、それぞれ指とか腕とかに針を刺し、浮き上がった血を魔法陣に擦り付けた。すると、魔法陣が淡く輝く。私も同じように血をつけた。

 


八重樫雫 十六歳 女 レベル:1

転職:剣士

筋力:80

体力:60

耐性:20

敏捷:120

魔力:80

魔耐:50

技能:剣術・言語理解


 

 と、表示された。

 本当にゲームみたいだと、はしゃぐ皆を見て私も思った。

 

「全員見れたか? 説明するぞ?」

 

 というメルド団長の言葉に、とりあえず全員黙って注目した。

 

「まず、最初に『レベル』があるだろう? それは各ステータスの上昇と共に上がる。上限は100でそれがその人間の限界を示す。つまりレベルは、その人間が到達できる領域の現在値を示していると思ってくれ。レベル100ということは、人間としての潜在能力を全て発揮した極地ということだからな。そんな奴はそうそういない」

 

 要するに、レベルが上がるとステータスも上がる、っていうことじゃなくて、ステータスに応じてレベルも上がる、ということだと思う。

 

「ステータスは日々の鍛錬で当然上昇するし、魔法や魔法具で上昇させることもできる。また、魔力の高い者は自然と他のステータスも高くなる。詳しいことはわかっていないが、魔力が身体のスペックを無意識に補助しているのではないかと考えられている。それと、後でお前等用に装備を選んでもらうから楽しみにしておけ。なにせ救国の勇者御一行だからな。国の宝物庫大開放だぞ!」

 

 言葉から推測するに、メルド団長は私たち全員が戦う、戦争に参戦すると思っている。

 実際のところどうなるのかは、現状誰にも分からない。例えば、畑山先生が教会に人質にとられたりすれば、間違いなく七子とほろりはこの国を滅ぼしにかかる。逆に魔人族にとられれば、魔人族はきっとその日のうちに滅ぶ。

 

 今はみんな、未来に備えて力をつけなければならない。

 

「次に『天職』ってのがあるだろう? それは言うなれば才能だ。末尾にある『技能』と連動していて、その天職の領分においては無類の才能を発揮する。そもそもの話、天職持ちは少ない。戦闘系天職と非戦系天職に分類されるんだが、戦闘系は千人に一人、ものによっちゃあ万人に一人の割合だ。非戦系も少ないと言えば少ないが……百人に一人はいるな。十人に一人という珍しくないものも結構ある。生産職は持っている奴が多いな」

 

 改めて自分のステータスを見てみれば、確かに剣士と記されている。これは地球で剣道をやっていたからこその天職なのか、それとも始める前から剣の才能があったのか。

 

 と、自分の才能について考え初めてすぐに、私は自分よりも例の問題児二人のステータスに興味が湧いた。

 趣味も仕事も料理なのに、剣道部である私や光輝をものともしない馬鹿力を持つほろりに、問題児であることに目を瞑れば意外と成績のいい七子。特に七子の天職は、予想がつかない。

 

「後は……各ステータスは見たままだ。大体レベル1の平均は10くらいだな。まぁ、お前達ならその数倍から数十倍は高いだろうがな! 全く羨ましい限りだ! あ、ステータスプレートの内容は報告してくれ。訓練内容の参考にしなきゃならんからな」

 

 レベル1の平均は10なのだと。確か、ドラゴンクエストも同じくらいだったかしら。

 好奇心に耐えられず、私は二人の方へと近寄って声をかけた。

 

「あなた達、ステータスはどうだったのよ」

 

 尋ねれば、二人は嫌なくらい素直にステータスプレートを手渡してきた。

 


七五三(しめ)七子(ななこ) 十七歳 女 レベル:1

天職:創作士

筋力:90

体力:50

耐性:0

敏捷:20

魔力:10000(一回)

魔耐:0

技能:脚本・執筆・絵描き・創作魔法・エンパス体質・侵略・演技・言語理解


 


海胆岬(うにみさき)ほろり 十六歳 女 レベル:1

天職:料理人

筋力:300

体力:100

耐性:90

敏捷:80

魔力:10

魔耐:30

技能:包丁捌き・限界踏破・直感・言語理解


 

 

 なんとなーく、予想はついていた。ほろりの異様な筋力とか、七子の曖昧な天職とか。そもそもが、平均の対義語のような二人のステータスを、平均を作る材料と比べるのもおかしな話。

 突っ込むのはやめ、プレートを返すとすぐに二人はメルド団長に呼びかけられた。

 

 団長はまずほろりのステータスを見て、思わず最初に確認して光輝を呼び戻してステータスを見比べた。そして一箇所を、おそらく天職の部分を指で擦ったりした後、なんとも言えない表情でほろりにプレートを返した。

 

「ああ、その、なんだ、料理人は見ての通りだな。料理を作る職だ。……ああ」

 

「そりゃ、あたしは料理人だからね。これで殺人鬼なんて出てたら、まずは人間族とやらを絶滅させてたかもしれない」

 

 なんて、物騒な返答をもらった団長は次に七子のステータスを見る。

 

「……あー、なんだ……。二人とも、鍛えれば普通に戦えるから安心してくれ」

 

「あら、随分と当たり障りの無い言葉をもらってしまったわね。面白くないわ」

 

 頭一つ低い背、半分しかないように見える肩幅で、七子は偉そうに言った。

 

「そう言われても、あまり前例の聞かない天職でなぁ。生産職の一種だとは思うが、まぁ頑張ってくれ」

 

「ええ、頑張るわ」

 

 そう言って、七子とほろりはこっちに戻ってきた。

 次に団長から呼びかけられたのは、香織が一目惚れしたという、南雲ハジメ君だった。

 

 



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第三話「千里の道の一歩目で死ね!!」


南雲ハジメ 17歳 男 レベル:1

天職:錬成師

筋力:10

体力:10

耐性:10

敏捷:10

魔力:10

魔耐:10

技能:錬成・言語理解


 

 

 貧弱、というか凡弱極まりないステータス。当人の気弱な性格に示し合わせたような低い数値の羅列は、異世界であろうとも彼を標的に定めた。

 

「おいおい、南雲。もしかしてお前、非戦系か? 鍛治職でどうやって戦うんだよ? メルドさん、その錬成師って珍しいんっすか?」

 

 ニヤニヤと笑い、首へと強引に腕を回して絡むのは、檜山大介。他にも、香織が原因で彼を目の敵にしている男子達は、小動物を見つけた肉食獣のような目を向ける。

 

 団長も嘲笑ったりはしないが、苦笑いを浮かべて頼りない表情をしている。

 

「……鍛冶職の十人に一人は持っている。国お抱えの職人は全員持っているな」

 

「オイオイ、南雲〜。お前、そんなんで戦えるわけ?」

 

「さぁ、やってみないと分からないかな」

 

 とは言うものの。彼に何か特別なものなんて、……少なくとも私は知らない。香織ならあるいは、何か知っていることもあるかもしれないが、それがこういう場で役立つものでないのは明らか。

 

 ステータスプレートを檜山が奪い取ると、その平均値のようなステータスを見てさらに笑う。つられるように、取り巻きの男子達も爆笑なり、失笑なりしていく。

 

「ぶっはははっ~、なんだこれ! 完全に一般人じゃねぇか!」

「ぎゃははは~、むしろ平均が10なんだから、場合によっちゃその辺の子供より弱いかもな~」

「ヒァハハハ~、無理無理! 直ぐ死ぬってコイツ! 肉壁にもならねぇよ!」

 

 次々と笑い出す生徒に、私も香織も憤然と動き出す。……けれどそれより早く、二人の小さな背が怒り言った。

 

「こらー! 何を笑っているんですか! 仲間を笑うなんて先生許しませんよ! ええ、先生は絶対許しません! 早くプレートを南雲君に返しなさい!」

 

 小さな体で精一杯怒りを表現する畑山先生。しかし、その怒りは彼らまで届かず、先生を無視してゲラゲラと笑う。

 見かねて、というかあからさまに苛ついた様子で、七子は檜山の腕を蹴り上げた。ステータスプレートも手放され、天井近くまで跳ね上がる。

 

「イッテェ!? 何しやがる!!」

 

 I字バランスのように右足を上げた七子は、足を上げたまま左手を真横に伸ばして、ステータスプレートをキャッチした。

 

「見苦しい。耳障り。ウザい。そしてウザい。大して強いわけでもないくせに、随分と楽しそうね」

 

 ゆっくりと足を下ろし、ステータスプレートは南雲君へと返す。その背丈はこの場の誰よりも小さいのに、間違いなく、七子はこの場で一番高等な人間だった。

 

「しっ、七五三さんっ! 仲間を蹴ったりなんかしちゃいけません!!」

 

 南雲君が「あ、ありがとう……」と礼を言ってから、畑山先生は七子の両肩に手をやって叱り付ける。けれど、七子はいつも通り、不敵に言って返す。

 

「安心なさいな。私はこの下種を仲間とも同族とも思っていないもの。……っていうか、これも同じクラスだったの? 原住民じゃなくて?」

 

「……そうでしたね。そういう子でしたね、七五三さんは……」

 

 畑山先生ではなく、檜山へと向いた鋭い言葉に、諦めるように手を下ろした。

 けれど先生はすぐに気を取り戻し、自分のステータスプレートを南雲君に見せた。

 

「南雲君、気にすることはありませんよ! 先生だって非戦系? とかいう天職ですし、ステータスだってほとんど平均です。南雲君は一人じゃありませんからね!」

 


畑山愛子 25歳 女 レベル:1

天職:作農師

筋力:5

体力:10

耐性:10

敏捷:5

魔力:100

魔耐:10

技能:土壌管理・土壌回復・範囲耕作・成長促進・品種改良・植物系鑑定・肥料生成・混在育成・自動収穫・発酵操作・範囲温度調整・農場結界・豊穣天雨・言語理解


 

 畑山先生はよく分かっていないようだったけれど、そのステータスの強力さは、戦闘に向かないだけで光輝にも負けず劣らずのもの。

 もしや仲間がいたかもしれない、と期待していたのか、南雲君は死んだような目をして遠くを見だした。畑山先生は「あれっ、どうしたんですか! 南雲君!」と揺さぶるけれど、そう簡単には回復しなかった。

 

「愛子。私とほろりも非戦系の天職なのだけど」

 

「二人は普通に強いじゃないですか……」

 

 


 

 

 この世界に来てから、二週間が経った。

 

 最初の一週間は、誰も彼もが戸惑っている中でも、特に七子とほろりはいつも以上に荒れていた。

 というのも、ほろりはメイドさんを捕まえて料理をしたいと言ったら「勇者様御一行にそんなことをさせるわけにはいきません」と断固拒否されて、今でも食事前には若干機嫌が悪くなる。

 七子は小説を書きたがっていたのに、王宮から支給された紙とペンの質が低く、すぐに断念したらしい。けれど欲求不満が解決したわけではないそうで、よく訓練をサボっては図書館に入り浸っている。ほろりもレシピ本を読んだりして、なんとか我慢しているのが現状。

 

 そして今日は、休憩時間に誘われて、私も図書館に来ていた。思えば一度施設を案内される時に来て以来で、この世界の本なんてろくに見てもいなかった。

 

「あら、こんにちは。あなたも誘われた口かしら」

 

 意外、というわけでもないし噂には聞いていたけれど、来てみれば、二人の他に南雲君も図書館で何か図鑑のような本を読んでいた。

 集中していたなら悪いかとも思ったけれど、挨拶程度に声をかけたら彼は素直に顔をあげてくれた。七子なんて返事はしても顔は動かさないから、これだけでも好感が持ててしまう自分がチョロく思えるし、やっぱり七子は問題児なのだと再認識する。

 

「ど、どうも、八重樫さん。珍しいね、こんなとこに来るなんて」

 

「珍しいって言えるくらいには、あなたはよくここに来てるのね」

 

「え、やっ、えっと……」

 

 何度か光輝に「本ばかり読んでいないで、体を鍛えたらどうだ」と言われてるからか、申し訳なさそうに顔を俯かせながら、言葉を濁らせる南雲君。光輝も龍太郎も絶対見せないような仕草が、私には可愛らしく見えてしまった。

 

「雫。これ、この国のファッション雑誌よ」

 

「こっちは家庭料理全般のレシピ本だよー」

 

 いつも関わっている問題児共とまったくタイプの違う相手に、どうした接したものかと考えながら対面に座ると、ここに誘った二人が私に本を勧めながらやってくる。

 

「……この厳かな図書館のどこからそんな、女子っぽい本見つけてくるのよ」

 

「じゃあ、この世界のファンタジー系のラノベでも読む? なんか邪馬台国っぽいけど」

 

「「そんなのあったの!?」」

 

 ほろりが出した二冊目の本に、私と南雲君の突っ込みが重なった。

 

「ラノベなんてほろりが言ってるだけで、卑弥呼っぽいキャラクターが異教徒相手に妾スゲーするだけの退屈な御伽話よ」

 

「いや、十分ラノベっぽいと思うけど」

 

 受け取ってパラパラと飛ばし読んでみても、七子が語った内容と大した差異は見られなかった。興味ありそうな顔をしてるし南雲君に渡して、次はファッション誌を見てみる。

 

「それ、写真がないから絵っていう理屈は分かるのだけど、そもそも絵が可愛くないのよ」

 

「……そうみたいね」

 

 ファッション誌っていうより、海外の面白くない漫画みたいな雑誌だった。なんとなく、エジプト神話の壁画っぽくもある。

 

「このレシピ本は当たりだよー。どこでもありそうな食材だけで出来るし」

 

「……逆にそうじゃないレシピ本ってどんななのか気になるわね」

 

「んーっとねぇ、モンハンの攻略本っぽい感じ」

 

「「モンハンの攻略本」」

 

 って、どんな料理よ。

 

「竜の尻尾、泣き喚く青い根菜、笑う玉ねぎでビーフシチューみたいなのが出来るとか、そんな感じ」

 

「その本、なんでファンタジーの世界でファンタジーやってるのよ。ていうか、魔物って食べたら死ぬんじゃなかった?」

 

「注釈に、三百年以上煮込んで毒素を抜かなければ死ぬって書いてたはず」

 

 ほろりの付け加えたような言葉に、思わず全員押し黙った。

 

「……南雲君、何かお勧めの本はないかしら」

 

「えっと、図鑑とか歴史書なら何個か……」

 

「じゃあそれ、何か紹介してよ。ほら、二人はアレだから」

 

 呼ぶだけ呼んでおいてもう飽きたのか、二人も本棚の探索に行ってしまっている。王立図書館、なんて大層な図書館なだけあって、うっすらと声は聞こえても姿は見えない。

 

「じゃあ、ちょっと待っててよ。持ってくるから」

 

 南雲君もそう言い残して、小走りに本棚の海へと駆け込んで行った。

 心なしか、頬が赤らんでいた気がする。

 

「……香織に嫉妬されるわね」

 

 悪いことをしたかもしれない。

 

 


 

 

「しーずーくーちゃーん!!」

 

「……悪かったわよ、ほんとに」

 

 休憩の時間が終わり、南雲君と二人で訓練施設に戻ると、頬を膨らませて目を怒らせた香織に捕まった。……南雲君が言った通り、入るタイミングをずらせば良かったわね。

 

「次があったら香織も誘うから、勘弁して頂戴」

 

「むぅ……。まさか! 雫ちゃんまで南雲君に!?」

 

「そんなわけないから」

 

 香織は私と南雲君が図書館でよろしくしていたと思い込んだらしい。

 

「まぁ、あなたが惚れた理由はなんとなく分かったけどね」

 

 そういえばあんまり話したことはなかったし、今日まではただ根暗で、香織に目をつけられた可哀想なオタク男子だと思っていた。抱いてる印象なんて、檜山とも大差は無いかった。

 でも実際に、ちゃんと話してみて、印象は大分変わった。

 

「可愛い子よね」

 

「え? かっこいいよ?」

 

 ……どうやら、私と香織の彼への印象はまた結構違うらしい。別に惚れたわけじゃないし、張り合う気も無いけど。

 

 香織と話しているうちに面子が揃ってきたのか、どこもかしこも騒がしくなってきた。そろそろ団長達も来て、各自のステータスや天職に合わせた訓練が始まる……、はずだった。

 

「雫ちゃんちょっと来て!」

 

「え、ちょっと!?」

 

 準備運動がわりに素振りでもしようかと思ったら、左腕を掴まれて勢いよく引っ張られた。

 とはいえ敏捷値的に、香織に追いつけないことはないため、隣を走りながら事情を聞く。――否。聞くまでもなく、見れば分かった。

 

 檜山とその取り巻き達のリンチにあっている南雲君と、ツヴァイヘンダーというらしい、二メートル近い長さのドイツの大剣で今にも襲いかかりそうなほろりの姿があった。

 ツヴァイヘンダーは、ほろりの「出来るだけ重くて使いやすい剣」という注文に南雲君が応えて作られた、この世界には無い武器。普通の剣との違いは、刀身の根元にも持ち手があり、グリップと鍔が二つ縦に並んだような形になっている。鍔も大きく、掴めるようになっていて、使い手の創意工夫次第では槍と剣の両方の上位互換になりうるのだとか。……って、こんな武器について語っている暇じゃない。

 

 取り巻きの誰かが、南雲君の背中を剣の鞘で殴り倒した。直後、ほろりが大剣の腹でまとめて殴り払った。訓練用で刃は付いていないものの、あれだけ長くて重たい武器だと殺傷力に大差はないはず。

 

「あーあー、あー! あー!! あー!!! 不味い不味い不味い! 美味しくなぁい!!」

 

 お腹が空いてるのかそんなことを怒鳴り散らし、曲芸のように鍔とグリップを持ち替えながら乱雑に剣を振り回している。

 足下で倒れている南雲君に一応気遣っているのか、何度も剣先が地面を抉るも、彼に当たることは一度もない。

 

「女子高生を卑猥な単語だと思ってるやつは押し並べて死ね! 蝶のように死に蜂のように死ね! 飯を残す奴は腹裂けて死ね!!」

 

 怒りながらも器用なことをするみたいで、だんだんと地面を抉る量は増えていき、飛んでいく土は全部檜山達に向かって飛んでいく。

 

「鳴かずば撃たれまい思いながら死ね!! 出ぬ杭も打たれて死ね!! 毒を皿まで食い切れず死ね!!!」

 

 剣の振り回される音が、だんだんと爆音へと変わっていく。……え、ソニックブーム? 音速超えてんのあれ?

 下手な爆弾よりも近寄りたくないし、あの突っ込みどころしかない、暴言なんだか愚痴なんだかもわからない言葉にも触れたくない。……爆心地の足下にいる南雲君が本気で気の毒だけど。

 

「千里の道の一歩目で死ね!! 棚から落ちた牡丹餅で頭打って死ね!! 飛んで火に入る夏の虫に刺されて死ね!!」

 

 ……なんか、だんだん面白くなってきた。

 

「……香織、あれどうするの」

 

「えっと、……雫ちゃんならほろりちゃん止められない?」

 

「七子以外には多分無理よ。私の剣じゃ折れちゃうもの」

 

 剣の技術なら負けない自信もあるけど、ほろりのあれはもう剣術じゃない。動きこそ複雑なものの、やってることは巨大なミキサーと大差ない。

 土は来ずとも、爆風はこっちにまで飛んで来ている。持つ位置を頻繁に変えるから間合いは分かりにくいし、近寄った時点で怪我をしかねない。南雲君が無傷なのも奇跡に近い。

 

「長い物に締められて死ね!! 七回転んで死に、八回起きて死ね!! ミイラ取りはミイラにもなれず死ね!!! 身からでた錆に溺れて死ね!!!!」

 

 ほろりと南雲君の周りがクレーターみたいになり、抉る土も無くなると、ほろりは刀身半ばぐらいまで深々と地面に突き刺して止まった。

 気絶してひたすら土をかけられていた檜山達は土の山の一部になっていて、放っておけばうっかり死にかねない。

 

「南雲くん!!」

 

 ほろりが止まった途端、香織は彼の元へと駆け出した。檜山達のリンチなんて忘れたように、顔を真っ青にさせて、怯えた様子で香織にしがみ付いた。

 香織は手酷く打たれていた背中をさすりながら治癒魔法をかけてあげている。

 

 その間に、私は突き刺さった剣を引き抜こうとしているほろりに詰め寄る。

 

「ちょっとほろり、あなた何をしているの」

 

「んっんー? あー……。やーやー、雫ちゃん。さっきぶりー」

 

 反省も罪悪感も全くない様子で、童話の『おおきなかぶ』のように剣を引っ張っている。

 

「あなたは檜山達を痛めつけに来たの? それとも南雲君を助けに来たの?」

 

 この場合、ほろりを叱るのは私じゃない。香織か、南雲君の役目。そしてお説教は畑山先生の役目。

 だからとりあえず、私は事情を聞くことにした。

 

「んやー、やーね? 最初は普通に助けるだけのつもりだったんだよ?」

 

「大剣でひっ叩くのを一般的に人助けとは言わないわよ」

 

「ひっ叩くなんて怖いことしてないって。お肉の手入れをしてあげただーけ」

 

 お肉の手入れって……。あ、もしかして肉叩きのことかしら。確かに、スケールを人間並にしたらそれくらいのスケールになるのかもしれないけれど。

 

「だけどさぁ、美味しくないんだもん。七子ちゃん流に言うなら、目に泥を流しこまれる気分だっ、た!」

 

 ほろりは鍔を両手で掴んで踏ん張り、勢いよく剣を引っこ抜いた。

 

「お腹空いてたわけじゃないのね?」

 

「……そういえば運動したからお腹空いたかも」

 

 もしかして、『不味い』『美味しくない』っていうのは、七子が言うところの、『見苦しい』『耳障り』みたいな意味なの?

 そういえばたまに、特に不機嫌な時にそんな感じのことを言ってた気がする。

 

 悪いことをしたのは檜山の方だし、地球にいた頃のことも併せて自業自得か、なんて、私は無理やり納得しようと思ったけれど。だけど、集まってきた面子の中には納得のいかないものもいた。その中でも声をあげたのは、光輝だった。

 

「なんでこんなことをしたんだ!! 答えてくれ、海胆岬さん!!」

 

 光輝は土山から檜山達を救出しながら、怒りの目をほろりに向けている。声音から察するに、さん付けで呼んでいるのがいっそ意外なくらいの激怒。

 

 しかし、燃えるように怒っている光輝に対して、焼き尽くすように暴れた後のほろりの態度は酷いくらいに冷め切っていた。

 

「あたし的には、虐められてた子を助けたって感じなんだけどねぇ。ちょっとばっかやり過ぎたかもしんないけど、そいつらは武器で南雲君をぶん殴ったんだよ? 殴り返されても文句は言えないでしょ」

 

 言いながら、ほろりは南雲君の方を見た。釣られるように、光輝や他の面々も香織達の方に注目した。

 

 そんな視線なんて無視して、ほろりは剣を放り投げて南雲君に近寄る。手を伸ばして襟を強引に掴み、香織から奪い取るように持ち上げた。

 

「ちょ、ちょっと、ほろりちゃん!」

 

「悪いけどすっこんでてよ、香織ちゃん」

 

「ぇあ、その……」

 

 非難めいた、というか非難そのものな目で睨む香織を、ほろりは睨み返して黙らせた。

 香織の胸に抱かれて隠れていた南雲君の顔が、私にも見えた。幾らかマシになったようだけど、まだ顔色は悪く、涙と鼻水と土汚れでグチャグチャになっている。掴む手が離されると地面にへたり込み、ほろりに怯えた目を向けた。

 

「君も君だよ、南雲君」

 

 ほろりは不良のようなポーズでしゃがんで、南雲君に目線を合わせて言う。

 

「こういうの、あたしじゃなくて七子ちゃんの役目なんだけどねぇ」

 

 面倒臭そうに頭をかきながら、返事を待たずに続ける。

 

「いじめは我慢すれば勝手に飽きて終わるとか考えてんじゃない? だったら検討外れ、その選択は間違いだよ。いじめっ子が飽きていじめをやめる時っていうのは、いじめる対象から血も悲鳴もお金も、出るもの全てを絞り切った後のことを言うんだから。――どんな下種でも、流石に死体まで殴るような真似はしないじゃんよ」

 

 言いたいことは言えたのか、ほろりは立ち上がって剣を拾い、光輝や香織の文句には振り向きもせずこの場を去って行った。

 ただ、南雲君の弱々しい「ありがとう、ございました」という言葉にだけ、担いだ剣を揺らして返していた。

 

 ……ていうか、こんな時に七子はどこに行ったのよ。

 



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第四話「その人の長所を全否定したいの」


 

 

 訓練が終了してすぐに、私は施設から飛び出した。

 別に、訓練が終わってから夕食までの休憩時間が、一秒でも惜しかったってわけじゃない。

 ほろりが暴れていた時も、去って行って、訓練が始まってからもずっと頭の片隅にいた、七子への懸念。

 

 七子は方向音痴なくせに、単独行動を好む節がある。学校のトイレに行くだけでも迷子になるし、そういう時に限ってトラブルに巻き込まれがちで、私にとって七子は下手な子供よりも目の離せない存在だった。

 ほろりは七子に同行することが多いけど、それでも四六時中ずっとというわけではない。

 

 そういえばほろりも今はどこに居るのかわからないし、唯一二人を完全に制御できる畑山先生は農地開拓とかで王宮にはいない。

 一番いいのは、七子とほろりが一緒になって大人しくしていることだけど、二人がそんな優等生な行動をとるわけがない。……そもそも、訓練をサボってる時点で優等生ではないのだけども。

 

 勢いよく扉を開けて、なんとなく人の少なさそうな方に体を向けたタイミングで、不意に声をかけられた。

 

「そんなに急いでどうしたの。トイレなら逆よ」

 

「え? いや、そうじゃ……、って七子!?」

 

 扉を開けてすぐのところにいたのは、目当てだった七子だった。訓練着を着ている私とは違って、白いワンピースを汚れなく着こなす美少女が、思わず叫んだ私に怪訝そうな顔を見せる。

 

「私が私以外の誰かに見えるのなら、病院に行くことを勧めるわ」

 

「いや、そうじゃないけど……」

 

 あいっ変わらず、口が悪いというか、良いというか。とりあえず七子がすぐに見つかって一安心ではあるけれど、だけど心配はより一層深まった。

 

「ほろりは、一緒じゃないのかしら?」

 

 問うと、七子は不思議そうな顔をして聞き返してきた。

 

「一緒というか、今さっきここに迎えに来たのだけど。……まさかここにいないの?」

 

「まぁ、そうね。いろいろあって、すぐに出て行っちゃったのよ」

 

 話しているうちに、片付けを終えたみんなが出てきたから、とりあえず場所を移すことにした。道中に何があったのかを話しつつ、たどり着いたのは私の部屋。

 初めて寝泊まりした日からあまり変わっていないこの部屋に備え付けられた椅子に座ってもらって、とりあえず私はポットで紅茶を淹れることにした。

 

「……まぁ、私から言えることなんて、殺されなくてよかったね、くらいのものよ。料理ができなくてストレス溜まってたし、キスとかハグくらいじゃ発散できなくなってたもの」

 

 自分の部屋のように足を組んで座り、両手で頬杖を付きながら、えらっそうにそんなことを言い出した。

 

「殺さずに発散しきれたんなら、ご飯の時間には顔を出すわよ」

 

「色々突っ込みたいんだけど、……え、あんた達ってそういう仲だったの?」

 

「そんなわけないじゃない。私もほろりも女よ」

 

 電気ではなく魔法で沸かすケトルからお湯を注ぐ。そんな私の手元を見ながら、当然のことを当然のように七子は言ってのけた。

 

「まさか、女同士だからノーカウントとか、そういう理屈?」

 

「親友だから、よ。雫、あなたも香織とするでしょ?」

 

「しないし、したこともないから」

 

 それが普通……、よね?

 言ってる本人が異常者だし、ええ、私の考えが普通に決まってる。親友で、キスは、しない。

 光輝と龍太郎でだってしてるところを見たことないし。

 ……あれ、でも七子とほろりがしてるところも見たことはない。確かに普通、人前でキスなんてそうそうしないだろうし。

 

 まさか……。

 

「……普通するの? 親友同士でキスって」

 

「欧米じゃ、挨拶みたいな、ものなのよ」

 

 なんでわざわざ川柳っぽく言う。

 

「え? 嘘……。光輝と龍太郎も?」

 

 カップに紅茶を注ぎ、渡しながら尋ねると、七子は頷きながら、小さな両手で包むように受け取った。

 

「当たり前じゃない。昨日も、一昨日も、今日も明日も、夜のベッドで一皮剥ければ、ドッチュンドッチュンよ」

 

「ドッチュンドッチュンなの!?」

 

 ほろりと七子ほどでなくとも、それなりに長い仲だと思っていたけれど、まだ知らないことってあるものなのね……。

 

「お互いに覚束ない手つきで頬を撫で合い、その手は次第に首筋、胸、臍と降りて行く。腿を撫でたり、擦り合わせながら、貪るように唇を重ねて、まるで戦争のように、互いの舌が口内を蹂躙する。熱い吐息が鼻元を撫で、口の周りは混ざり合った唾液で濡れて糸を引く」

 

「そんなに!? そんなになの!? 男同士の友情ってそんななの!?」

 

 聞いてるだけで顔が熱くなってくる。茹だった頭を冷まそうと、私もカップに口をつけるけれど、残念なことに紅茶は熱い。

 でも、語る七子も恥ずかしいのか、口が微妙な笑みを浮かべ、何度も足を組み直し、頬もいつもより赤くなっている。

 

「さぁね。今言ったのは、昨日のほろりと私をできる限り言語化してみただけだもの。……流石に恥ずかしいわ」

 

「……やっぱり、あなた達が変なんだと思うわ」

 

 っていうか、とんでもない話を聞いてしまった気がする。友達二人が毎晩そんなことをしてるとか、聞きたくなかった……。

 

「あなたも混ざる? ほろりも、雫なら嫌がらないと思うわ」

 

「あり得ないから」

 

 

 本当に夕食の時間になったら普通に現れたほろりにそれとなく聞いてみたら、流石に七子の冗談だったらしい。キスくらいはするけど、流石にそんな恋人みたいなことはしないって、笑いながら言ってた。

 

 ……キスはするのね。

 

 


 

 

 

 夕食の後のこと。いつもなら何もなく解散になっていたけれど、今日は違った。メルド団長から伝えることがあると。

 

「明日から、実戦訓練の一環として『オルクス大迷宮』へ遠征に行く。必要なものはこちらで用意してあるが、今までの訓練とは一線を画すと思ってくれ! まぁ、要するに気合入れろってことだ! 今日はゆっくり休めよ! では、解散!」

 

 と、一息に伝えるだけ伝えてさっさと行ってしまった。みんな口々に騒いでる中、予想通り大した反応もせずに、虹色のジュースのおかわりを貰っている七子とほろりが目についた。

 

「迷宮だってよ、迷宮。つまりダンジョンでしょ? やっぱり出会いとかあるのかな」

 

 段々と人が減っていくのに、ほろりはまだここを出るつもりは無いみたいで、七子に話しかける。

 

「魔物との出会いならあると思うわよ。モテモテじゃない」

 

「それは出会いじゃなくて殺し合いじゃんさぁ」

 

「そもそも、そういうのは私がいるじゃない」

 

 うわっ。すごいセリフを聞いちゃった。

 残ってる面子に光輝が御高説述べてるけど、そんなの耳に入らないくらい強烈なセリフが七子から出てきた。

 

「そうじゃなくてーぇ。まずあたしが男に一目惚れされるじゃん? そこそこ強くて、そこそこ格好いいタイプがいいな。天之川君みたいな」

 

 ほろりって、光輝みたいなのがタイプなの? ちょっと意外ね、なんて思ったけど、それが全く違うのは目を見れば明らかだった。

 

「それで、何がしたいのよ」

 

 ほろりの目は恋する乙女みたいな綺麗な目じゃなくて、いっそ獣のようにも見える、ギラギラと輝くような目をしていた。それでも七子は大して興味なさそうに、ちびちびジュースを飲みながら言い返している。

 

「それでねぇ、自信満々に告られた上で、振りたいの。あたしはもっと可愛い子がいいですー、もっとか弱い子がいいですーって。その人の長所を全否定したいの」

 

「いい趣味してるわね」

 

「あたしの趣味は料理だよ。趣味じゃなくて、性格がいいの」

 

 いや、あなた達二人は絶対に趣味も性格も悪い。

 

 

 


 

 

 

 座学で習ったことの一つには、七大迷宮と、そのうちの一つ、オルクス大迷宮のこともあった。

 全百階層からなる大迷宮で、下の階層に進むに連れて、出てくる魔物も強力、凶暴になってくるらしい。

 にもかかわらず、オルクス大迷宮は冒険者や傭兵の訓練に非常に人気がある。それは、階層により魔物の強さを図りやすいからなのだとか。

 

 そして例に漏れず、私たちも訓練のために大迷宮へと足を踏み入れる。

 

 とはいえ、全員が同行するのは、大迷宮に挑戦する冒険者達のための宿場町『ホルアド』まで。というのも、大迷宮での訓練は下手をすれば命を失う可能性があるし、そうでなくても相手が人間では無いため、後遺症が残る怪我をするのも珍しくないから。

 だからホルアドまで来た後に、申し出た者は町に残ることが許される。

 

 ホルアドまでは全員行かせるのは、一人でも多く訓練に参加させるためだろうと、七子は言っていた。確かに「ここまで来ておいて来ないのか?」なんて言われたら、残るとは言いづらくなると思う。

 

 

 私たちはメルド団長率いる騎士団数名と共に、ホルアドに到着した。王国直営の宿屋があるらしく、今日はそこに泊まることになる。

 

 全員が最低でも二人部屋で、私は四人部屋。香織と、七子と、ほろりが同室になった。……押し付けられたわね。何をとは言わないけれど。

 

 部屋は王宮と違って、比較的普通と言える。とはいえ、日本じゃないから当然のようにベッドで、ダイブした香織の顔を見るに、寝心地はむしろ王宮より良いらしい。疲労回復も鍛錬のうち、ということなのかしらね。

 

「聞いて聞いてよっ! ここの料理人さん達に話したら、明日の晩ご飯ならみんなの分の料理をあたしが作って良いって! 楽しみにしててねぇ!」

 

「楽しみなのはあなたでしょう」

 

 すぐ逸れる七子を私と香織に預けたほろりは、部屋に荷物を置くより先に厨房に行ってたらしい。王宮では一度も料理をさせて貰えなかったからか、子供のように笑いながら七子に飛びついた。

 七子は頬擦りするほろりを鬱陶しそうにしながらも抵抗はせず、ため息混じりに呟いた。

 

「まぁ、私も楽しみにしているわ」

 

 私とは違い、香織とほろりは名前で呼び合うものの、実のところあまり接点は無い。お互い、友達の友達くらいの認識だった。そして南雲君をリンチから助けたり泣かせたりした件以来、その絶妙な距離感はより複雑になった。

 

「二人と雫ちゃんは、中学校の時からの友達なんだよね」

 

 香織はベッドの上で身を起こして、私とほろり達の方を交互に見ながら言った。

 

「友達っていうか、……まぁ、友人ではあったわね」

 

 七子は一拍どころか、五拍くらい置きながら香織の言葉を肯定した。ほろりは満足したのか七子を離し、私たちの方に顔を向けた。

 

「雫ちゃんは友達っていうより、お姉ちゃんって感じだったからねぇ。むしろ保護者かな」

 

 ほろりはヘラヘラと笑いながら言うけれど、冗談じゃなさ過ぎる。

 

「被害者の間違いじゃないかしらね。巻き込まれた覚えしかないんだけど?」

 

「私たちが一度でも、あなたに刃を向けたことがあったかしら?」

 

 ……確かに、直接は無いけども。

 迷惑と面倒は嫌になるくらい見て来たと思う。

 

「……納得いかない」

 

「説得する気が無いの。……今日は疲れたわ」

 

 七子はそう言って、長い髪を鬱陶しそうに払いながらあくびをこぼした。

 確かに、今日は訓練こそなかったけど、移動は長かったものね。歩幅の狭い七子には私よりずっと大変だったかもしれない。

 

「明日はきっと大変だし、まだ少し早いけど寝ましょうか」

 

「う、うん、そうだね……」

 

 香織は何か煮え切らない様子で、ゆっくり頷いた。

 

 


 

 

 ふと物音が聞こえて、目が覚めた。

 

「……香織?」

 

「あ。……ごめん、雫ちゃん。起こしちゃった?」

 

 白いネグリジェにカーディガンを羽織った香織は、どこかにいくのか、扉に手をかけていた。七子とほろりは、一つのベッドで抱き合いながら熟睡している。

 

「気にしないで。流石に、寝るには早すぎたみたい」

 

「あはは、うん。だよね、やっぱり」

 

 二時間くらい寝てたのか、もうトータスじゃ十分に深夜にあたる時間。だけど地球にいた頃なら、私も家族もまだまだ起きているような時間だった。

 

「こんな時間に、どこかいくの?」

 

 トイレだけなら、わざわざカーディガンを羽織ったりしないはず。……なんて、七子達と関わるようになったせいか、私の脳は変に推理を始めていた。

 

「うん。……ちょっと、南雲くんのところに」

 

 はにかみ笑いを浮かべながら、香織は言った。

 

「そう。一応、気をつけてね」

 

「……止めないの?」

 

 私の言葉が意外だったのか、ドアノブから手を離して首を傾げた。

 

「光輝と一緒にしないで。私は普通に応援してるんだから」

 

「うん、ありがと」

 

 飲み込むように頷いて、香織は南雲君の部屋へと向かって行った。

 

 ……あれ?

 

「あの子、なんで南雲君の部屋の場所知ってるのかしら」

 

 よく無い方向に直走りそうな思考を切り上げて、眠る二人の頭を軽く撫でてから再び眠りについた。

 

 


 



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第五話「こういう時こそ、いただきます」


 

 

 

 翌朝。

 オルクス大迷宮の入り口がある広場で、私たちには一悶着起きていた。

 というのも、七子が「嫌な予感がするから行かないわ」と言い出した。素人ながらも小説家としての勘、とも言っていて、ほろりと、あと何故か香織以外はその言葉を本気にしていない。

 メルド団長も誘いはしたものの、七子の答えは変わらない。そして痺れを切らした光輝が七子の胸ぐらを掴んで持ち上げ、「いい加減にしろ!」と怒鳴った。

 

「みんなで協力して戦うんじゃなかったのか!!」

 

「そんなこと、私は言った覚えも聞いた覚えも無いのだけど」

 

 それもそのはず。光輝がそれを言って鼓舞していたのは、ちょうど七子が訓練をさぼっている時のことだったし、聞いていなくとも仕方ないといえば、仕方ない。

 

「それに、私はあなたと違って戦争に参加するつもりは無いの。護身術程度なら現状で十分だし、無駄に危険を冒してまで強くなる理由も、だから無いのよ」

 

 七子の筋力は、トータスに来てすぐの時こそ、光輝と大差ないくらいに高い数値だった。だけど、七子はあまり訓練には参加しておらず、今では倍以上の差ができている。それに戦闘職じゃないし、発想が暴力的なだけで、暴力を好むわけでも無い。

 だから本当に、嫌な予感とかがなくとも、わざわざ死ぬ可能性のある迷宮に入る理由はないのでしょう。

 

「イシュタルさん達の話を聞いて、この世界の人たちを助けたいとは思わなかったのか!!」

 

「思うわけないじゃない。私は地球にいた時から、人類なんて滅亡しろ、絶滅しろって、神社のお参りの時に願う程度には思っていたわ」

 

 七子は言いながら、ゲシゲシと光輝の足を蹴る。何回か蹴ったところで、光輝は思わず手を離し、背後にいたメルド団長にぶつかるまで後ずさった。

 

「……君、それでも人間か」

 

 その目に映った色は、畏怖と嫌悪。

 そんな目を向けられても、七子は薄らと笑うだけ。

 

「さてね。肉体の構造で人間を定義するのなら、私は間違いなく人間よ。精神の構造で人間を定義するのなら怪しいところだし、思想で判断するなら間違いなく、人類、あるいは社会の対極に位置するわね。人はそれを社会不適合者、あるいは神様とか、悪魔、なんて風に言うわね」

 

 うん、でしょうね。私を含めて、七子の言葉に聞き入っていた皆がそう思ったと思う。

 

「安心なさいな。私は別に、何もかもを破壊してやろうなんて欠片も思っていないわ。面倒だしもったいないもの。本も、命も」

 

 言いながら、七子はワンピースの首元を直す。その様子に、なんとなく、嘘なんて全く言っていないのだと感じ取れた。

 

「極論すれば、私は地球に帰れなくても最悪かまわない。毎日ほろりの料理が食べられて、面白い小説を好きなだけ読んで、たまにあるハズレに文句を垂れていれば、それで十分に幸せなのよ」

 

「……家族のもとに帰りたいとは、家族が心配だとは思わないのか」

 

「あら、これからクラスメイトを死ぬかもしれない場所に連れていくあなたがそれを言うの?」

 

 光輝が「うっ……」と言葉を濁らせた隙に、七子は言葉を続ける。

 

「でもそうね……。妹は私の上位互換だし心配はしていないけど、でも寂しい思いをさせるのは私だって心苦しいし、私も会えないのは寂しいわ。だから、できれば地球に帰りたいとは思う。――それが戦争に参加する理由には全くならないけど」

 

 そもそも、現状で戦争に参加すると言っているのは光輝と龍太郎だけ。私や香織を含め皆は、まだこれからどうするのか、今後の進路とでも言うべきものを、ほとんど決められていない。

 きっとこの先、光輝に賛同して戦争に参加する子は少なくない。そしてそれと同じくらい、七子のように参戦を拒絶する子もきっと出てくる。

 

 これはもう、光輝と七子の戦争と言っても間違いではない。

 

「そういえばほろり、あなたは迷宮に行くの?」

 

 気になって、私はすぐ近くにいたほろりに尋ねた。背負っている巨大な剣に後頭部を預け、空を見上げてボーッとしていたほろりは、目だけをこっちにむけた。

 

「べーつに、あたしと七子ちゃんはいつだってセットってわけじゃないよ。一緒にいたいから一緒にいるだけで、やりたいことも進んでいく道も全然違うからさ」

 

「親友、なのよね?」

 

「だからこそだよ。別々の道に行ったほうが、一緒にいる時間は楽しくなる。おんなじ男を好きになるより、別々の男を好きになったほうがお得、みたいな感じ?」

 

「分かるような、分からないような……」

 

「あたしはあたしのために、そしてついでに七子ちゃんのために、戦うよ。そのためなら戦争なんて根こそぎ絶滅させるのも、まぁアリかなってね」

 

「ついで、ねぇ」

 

 むしろ、七子のためってほうが大きいようにも見える。

 

「あれだよ。本よりも付録の方がメインの雑誌みたいな感じ」

 

「そう。……あなた達のそういうところは、嫌いじゃないわ」

 

 言ってて恥ずかしくなって顔を逸らすと、ポンと頭に手を置かれた。馬鹿力とは無縁に感じるくらい、優しい手つきで頭を撫でられる。

 

「あたしと七子ちゃんも、雫ちゃんのことはそれなりに好きだよ。困ってれば助けてあげたくなるくらいにはね」

 

「私を困らせてんの、八割ぐらいはあんた達なんだけどっ!」

 

 頭の上の手をはたいて思わず叫ぶと、ほろりは笑った。

 

「あっはっは! そんなこと言われたら、残り二割もあたしらのものにしたくなるよ。全く美味しいなぁ、雫ちゃんは」

 

「……やめてよ?」

 

「良い食材を見ると、料理したくなるよねぇ」

 

「ほんとに」

 

 視線を戻し七子達の方を見たら、もう話しは終わったらしい。結果は光輝の負け。これで何連敗になるのかしらね。

 

 私たちは屋台の串焼きを手の代わりに振る七子に見送られて、オルクス大迷宮へと足を踏み入れた。

 

 

 


 

 

 

 迷宮の中は、外の賑やかさとは全くの無縁だった。

 縦横五メートル以上ある通路は、身長よりもずっと長い剣を持つほろりでも余裕で歩け、何故か明かりがあるわけでもないのにうっすら発光していて、松明や魔法具がなくても視認ができる。

 

 隊列を組んでしばらく進むと、広間に出た。ドーム状になっていて、天井の高さは七、八メートルはありそう。

 

 あちこち目を巡らせていると、私たちの前に、壁の隙間から灰色の毛玉が湧き出て来た。

 

「よし、光輝達が前に出ろ。他は下がれ! 交代で前に出てもらうからな、準備しておけ! あれはラットマンという魔物だ。すばしっこいが、たいした敵じゃない。冷静に行け!」

 

 その言葉通り、ラットマンと呼ばれた魔物が結構な速度で飛びかかってきた。

 私は指示に従い、光輝、龍太郎と三人で前に出た。

 

 灰色の体毛に赤黒い目が不気味に光る。名の通りネズミっぽいけれど、……そういうものなのか、二足歩行をしていて、上半身には立派な筋肉が備わっている。

 

 剣を抜くと、背後から恵里、鈴の詠唱の声が聞こえて来た。訓練通り、堅実なフォーメーション。

 

 

 

 殴りかかってくるラットマンを迎撃しようと剣を振るったけれど、思わず腰が引けて、思ったように斬れなかった。

 肩から腰にかけて、完全に切り落とすつもりで剣を振り下ろした。

 だけど、命を奪うという、日本では昆虫以外にしたことのない行為に、どうしようもなく気が、そして腰が引けてしまった。メルド団長は初めてにしては、とか褒めてくれているけれど、私の前で苦しんでいるラットマンは、まだ死んでいない。

 

 止めを、刺さなきゃ。

 

 内臓の位置なんて詳しくは知らないけれど、胸あたりを刺そうと剣を持ち直した。

 だけど刺す前に、別の剣先がラットマンの頭を地面ごと貫いた

 

 槍のように長いその剣の名は、ツヴァイヘンダー。ほろりが南雲君に頼んで作ってもらったという、金属の塊のような剣。

 

「いくらモンスター、魔物だって言っても、殺すならちゃんと殺してあげなきゃだめだよ、雫ちゃん」

 

 真上から、ほろりの声が聞こえた。

 棒高跳びを一時停止したような姿勢になっていて、私に声をかけながら、剣を倒すように地面に降りてくる。

 

「その、……ごめんなさい」

 

「それはあたしに対して? それとも、無駄に苦しませた魔物に対して?」

 

 ほろりの顔は、外にいた時とは一変して、真面目な顔をしていた。トータスに来てからは一度として見ていない、地球でならキッチンや厨房で見慣れるほどに見た、仕事中の顔。

 

「こういう時こそ、いただきます、ご馳走様でしたって大事だと、あたしは思うんだ」

 

 ツヴァイヘンダーの鍔を右手で掴み、ライフルでも構えるみたいに左手を刀身に添えて(るろ剣の牙突のオマージュ?)、ほろりはラットマンを次々と刺し殺していく。

 

「別に手を合わせる必要はないし、声に出す必要もないけどさ。食べたら死ぬから食べるわけにはいかないけど、それでも死んだ彼らは、殺したあたしの糧になっている。なら一言、心の中ででも、お礼は言わないとね」

 

 次々と刀身に刺さっていき、串焼きみたいになったラットマン。それを壁に叩きつけるように振り払うと、ほろりは「ご馳走さまでした」と丁寧に言い、こっちに顔を向け直した。

 

「あとは慣れだよ、慣れ。あたしの場合、生きてる魚とか動物を捌くこともあったからってのもあるんだろうけどね」

 

 いただきます。ご馳走様でした。……ね。

 命を奪うことへの罪悪感がなくなったわけではもちろんない。だけど、なんとなく、重たい荷物が一つ降りた気がした。

 

「……平気よ。次は、ちゃんと出来る」

 

「大丈夫。雫ちゃんの思ってるそれは、人間として真っ当な感情だからね」

 

 ほろりはそう言いつつも、真横から襲いかかって来たラットマンを蹴り上げ、天井に叩きつけて殺した。……その殺し方に感謝の気持ちはあるの?

 

 問うのはやめておいた。

 

 


 

 

 誰一人として欠けることもなく下の階層へとどんどん降りていき、もう二十階層の探索を始めている。

 迷宮の各階層は数キロ四方にまで及び、未知の階層では全てを探索しマッピングするのに、数十人規模で半月から一ヶ月はかかるのが普通なんだとか。

 

 二十階層の一番奥の部屋は、まるで鍾乳洞のように氷柱状の壁が飛び出していたり、溶けたりしたような歩きにくい地形をしている。この先に進むと、二十一階層に続く階段があるのだとか。

 

 ふと、一番先頭を歩くメルド団長の足が止まった。すぐに、私たちは戦闘態勢に入る。

 

「擬態しているぞ! 周りをよ~く注意しておけ!」

 

 メルド団長の忠告が飛ぶ。

 

 その直後、前方でせり出していた壁が突如変色しながら起き上がった。壁と同化していた体は、今は褐色となり、二本足で立ち上がる。そして胸を叩きドラミングを始めた。どうやらカメレオンのような擬態能力を持ったゴリラの魔物のようだ。

 

「ロックマウントだ! 二本の腕に注意しろ! 豪腕だぞ!」

 

「そろそろ、映画の主役張れるモンスターじゃない?」

 

「ほろり、緊張感」

 

「七子ちゃんに預けて来たから無いよー」

 

 一階層で私に教えてくれていた真面目なほろりはどこに行ったのか、退屈そうに剣で壁を突いている。

 

 ほろりのことは一旦無視して、龍太郎が豪腕を弾き返している方に意識を向ける。光輝と目配せして、取り囲みに行く。

 ……行こうとしたのだけど、足場が悪くて思うように取り囲むことができない。こういう時、棒高跳びの要領で飛び回れるほろりの多様さが羨ましくなる。

 

 龍太郎の人壁が抜けられないと判断したのか、ロックマウントは後ろに下がり仰け反りながら大きく息を吸った。

 

「グゥガガガァァァァアアアアーーーー!!」

 

 その直後、部屋全体を振動させるような発せられた。

 

「ぐっ!?」

 

「うわっ!?」

 

「きゃあ!?」

 

 全身にビリビリと衝撃みたいなのが走り、ダメージは無いけれど、思わず足を止めてしまった。

 

 私たちの硬直の隙に何をするかと思ったら、傍らにあった岩を持ち上げ、香織達後衛の方へと投げつけた。

 後衛は、準備していた魔法で迎撃せんと、魔法陣が施された杖を向けた。避けるスペースは、ここから見ても心許ない。

 

 だけど、後衛まで、衝撃的な光景に硬直してしまった。

 

 なんとびっくり、投げられた岩もロックマウントだった。空中で見事な一回転を決めると、両腕をいっぱいに広げて香織達に迫る。

 香織も恵里も鈴も「ヒィ!」と、思わず悲鳴を上げて魔法を中断してしまった。

 

「こらこら、戦闘中に何やってる!」

 

 と、メルド団長が言った直後。

 

「キモいこっちくんな!!」

 

 という叫びと共に、剣を放り捨てたほろりがロックマウントをこっちに蹴り飛ばした。

 悲鳴の原因であろう血走った目を私にまで見せながら、蹴り飛ばされて来たロックマウントは、投げたロックマウントとぶつかり、押し倒す形になった。

 すぐに鈴の「ポロリンありがとっ!」という元気いっぱいの声が聞こえて来る。

 ポロリンとは、言わずもがな、鈴がほろりにつけた、あんまりにもあんまりなあだ名だったりする。私にはシズシズ、七子には確か、ナンナン、だったかしら。七子が関西人であることも加味された、だけどやっぱり、あんまりなあだ名。本人は嫌がってるから鈴もあんまり呼ばないし、「何なん?」と七子が言ったこともない。

 

 私も思わず安堵の息を吐き、慌てて立ち上がれないうちに止めを刺そうと思い立つ。だけど私より先に、光輝がキレた。

 

「貴様……、よくも香織達を、許さない!」

 

 どうやら、香織達の悲鳴が死の恐怖によるものだと勘違いしたみたい。彼女達を怯えさせるなんて! という怒りに呼応してか、聖剣が輝きだす。

 

「あっ、こら馬鹿者!!」

 

「ちょっと、光輝!?」

 

「万翔羽ばたき、天へと至れ――天翔閃!」

 

 私とメルド団長の声を無視して、光輝は光輝は大上段に振りかぶった聖剣を一気に振り下ろした。

 

 その瞬間、詠唱により強烈な光を纏っていた聖剣から、その光自体が斬撃となって放たれる。ようやっと立ち上がれたか、といった状態のロックマウント達に避ける術はなく、二体纏めて両断し、さらに奥の壁を破壊し尽くしてようやく止まった。

 

 パラパラと、破片が落ちてくる。……崩落したりしないわよね?

 怖くなり、離れようと私はほろりのいる方へと走った。後ろからはメルド団長に叱られて、バツが悪そうに謝罪する光輝の声が聞こえて来る。

 

 怪我をしていないか私の体を見て回っていた香織は、ふと何かに気がついて、壊れた壁の方に指を差した。

 

「……ねぇ。あれ、何かな? キラキラしてる……」

 

 その言葉に、全員が香織の指差す方に目を向けた。

 

 そこには青白く発光する鉱物が、花咲くように生えていた。「なんだ、ご飯じゃなくて石か」とでも言いたげな顔をしてるほろり以外の女子は、美しい宝石にうっとりとした表情を浮かべている。

 

「ほぉ~、あれはグランツ鉱石だな。大きさも中々だ。珍しい」

 

 聞いたことのない名前だけど、地球には無い宝石なのかしら。

 メルド団長があの宝石について簡単な説明をすると、香織が「素敵……」と声を漏らした。

 

 それを聞いてのことなのか、唐突に檜山が動き出した。

 

「だったら俺らで回収しようぜ!」

 

 と言い、ひょいひょいと崩れた壁を登っていく。それに慌てるように、メルド団長が叫んだ。

 

「こら! 勝手なことをするな! 安全確認もまだなんだぞ!」

 

 けれど檜山は聞こえないふりをして、とうとう鉱石の場所に辿り着いてしまった。

 団長は止めようと追いかけ、同時に騎士団員の一人がフェアスコープという道具で鉱石の中を確認し、そして一気に顔を蒼褪めさせた。

 

 だけど。

 

「団長! トラップです!」

 

 という警告さえ、檜山がグランツ鉱石に触れるまで一歩遅かった。

 部屋全体に魔法陣が広がり、輝きを増していく。――まるで、召喚されたあの日のように。

 

 

 

 七子が言った『嫌な予感』というのがこのことだったと察するのは、誰一人として笑わぬ帰り道でのことだった。

 

 

 



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第六話「とったどー!!」


 

 

 トラップは部屋にいる全員を転移させるものだったみたいで、光が収まる頃には、足下に歩きにくさは消えていた。

 

 ここは、巨大な石造りの橋の上だった。横幅は十メートルくらいありそうだし、長さも百メートルか、二百メートルか。地球ではそうそう見ないスケールの構造物。橋の下は底まで光が届いていないのか、真っ暗で何も見えない。

 私達は橋の中央に転移したみたいで、両端には奥へと続く通路と、上階への階段も見えた。

 

 それを確認したメルド団長が、険しい表情をしながら指示を飛ばす。

 

「お前達、すぐに立ち上がってあの階段の場所まで行け! 急げ!!」

 

 轟いた号令に、尻餅をついて呆然としていた子も、ワタワタと動き出した。

 

 だけど、こんな子供の落とし穴レベルなわけがなく、撤退は叶わなかった。

 

 階段側の橋の入口に魔法陣が現れ、大量の魔物が出現した。さらに反対側にも魔法陣が出現し、そこからはあからさまにボスっぽい、巨大な魔物が出現。その姿をメルド団長は呆然と見つめ、呻くように呟いた。

 

「……まさか、ベヒモス。……なのか」

 

 

 前方には剣を持った骸骨の魔物、トラウムソルジャー。数は百体近い上、現在進行形で増え続けている。

 後方にはトリケラトプスをより凶悪に、より巨大にしたような(トリケラトプスの大きさなんて知らないけど)、一体だけの怪物。

 

 進めど地獄。退いても地獄。

 

 誰も彼もが、どっちに剣を、杖をむけていいのか分からなかった。

 だけど、この世界はドラゴンクエストみたいに、行動を選ばなければ敵も動かないような都合の良い世界じゃない。

 

「グルァァァァァアアアアア!!」

 

 洞窟じゃないだけ幾らかマシだけど、ロックマウントとは比べ物にならない咆哮をベヒモスは上げた。

 おかげで正気に戻ったのか、メルド団長は矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 

「アラン! 生徒達を率いてトラウムソルジャーを突破しろ! カイル、イヴァン、ベイル! 全力で障壁を張れ! ヤツを食い止めるぞ! 光輝、お前達は早く階段へ向かえ!」

 

 メルド団長に限らず、騎士団の人達は自分の命よりも、私たちを優先してくれている。――否。しなければならない。それが神の意思であり、教会の意思ならば、勝利のための捨て駒へと躊躇わず身を投げる。

 それを意識的にか、無意識にかは知らないけれど、光輝も察したようで、食い下がった。

 

「待って下さい、メルドさん! 俺達もやります! あの恐竜みたいなヤツが一番ヤバイでしょう! 俺達も……」

 

「馬鹿野郎! あれが本当にベヒモスなら、今のお前達では無理だ! ヤツは六十五階層の魔物。かつて、『最強』と言わしめた冒険者をして歯が立たなかった化け物だ! さっさと行け! 私はお前達を死なせるわけにはいかないんだ!」

 

 メルド団長の鬼気迫る表情に一瞬怯むも、「見捨ててなど行けない!」と、光輝は踏み止まる。

 私が強引にでも連れて行ったほうがいいかと思った瞬間、再度ベヒモスは咆哮を上げた。そしてついに、こっちに向かって突進して来た。

 下手な車よりずっと重たく聞こえる足音。何もしなかったら、間違いなく、踏み殺されるか、轢き殺される。

 

「「「全ての敵意と悪意を拒絶する、神の子らに絶対の守りを、ここは聖域なりて、神敵を通さず――聖絶!!」」」

 

 そうはさせるかと、騎士団員三人掛かりで全力の多重障壁を張る。

 一回こっきり、一分間だけの防御だけど、何物にも破らせない絶対の守り。純白に輝く半球状の障壁がベヒモスを阻んだ。

 

 衝突の瞬間、その衝撃でベヒモスの足元が粉砕される。石造りなはずの橋が大きく揺れ、人間も魔物も無差別に体勢を崩させた。

 

「下の魔法陣ってさぁ! 地面ごと抉れば消せるんじゃない!?」

 

 後ろから、ほろりの声が聞こえて来た。

 立体軌道を得意とする故か、単なる馬鹿力によるものなのか、一人だけ揺れをものともしないでトラウムソルジャーの、文字通り骨身を粉砕していく。

 まるでボーナスタイムみたいだけど、だからこそ、その時間はそう長くは続かない。トラウムソルジャーよりも先にみんなが立ち上がり、パニックになりながら武器や魔法を振り回し始めた。一人で暴れたほろりに感化されたというのもあるんでしょうけど、だけど飛び交う魔法によって、最高戦力の一角を担っているほろりは動きにくそうにしている。

 

 こういう時こそ、感情を調整できる七子か、感情を一纏めにできる光輝の出番だっていうのに。

 起き上がってくるトラウムソルジャーの首を跳ねながら、ベヒモスの方に向かって行った光輝の方を見る。

 

「ええい、くそ! もうもたんぞ! 光輝、早く撤退しろ! お前達も早く行け!」

 

 障壁の展開にメルド団長も加わっているけれど、それでもほとんど焼け石に水といった状態だった。ベヒモスは何度も突進を繰り返していて、その度に橋に悲鳴を上げさせ、障壁も既に全体に亀裂が入っている。

 

 そんな中、光輝はメルド団長と言い争っている。

 

「嫌です! メルドさん達を置いていくわけには行きません! 絶対、皆で生き残るんです!」

 

「くっ、こんな時にわがままを……」

 

 メルド団長は苦い顔をする。

 幾ら広いと言えど、橋は橋でしかない。この限定された空間では巨体を誇るベヒモスの突進を回避するのは、それこそほろりのように飛びまわれない限り難しい。だからこそ、逃げ切るためには障壁を張り、ところてんのように押し出されて撤退するのがベスト。

 団長はこっちにも聞こえるくらい大声で説明し、撤退を促すけれど、光輝はどうしても納得ができないらしく、また、ベヒモスを倒せると思っているのか、いつかのほろりにも似た、暴力的な目をしている。

 

「光輝! 団長さんの言う通りにして撤退しましょう!」

 

 ほろりの時そうだったように、焼け石に水だと分かっていても、私は叫んだ。トラウムソルジャーも決して雑魚ではないため、もうあまり見ている余裕はないけれど、それでも仮にも幼馴染み。ただ指を加えて、闇雲に剣を振っているだけじゃいられなかった。

 

「へっ、光輝の無茶は今に始まったことじゃねぇだろ? 付き合うぜ、光輝!」

 

「龍太郎……ありがとう!!」

 

 焼け石に水をかける幼馴染みに対抗するつもりなのか、もう一人の幼馴染みは焼け石に火炎放射でも浴びせながら、ベヒモスの方に走っていく。

 

「状況に酔ってんじゃないわよ! この馬鹿ども!」

 

 思わず叫んだ。

 

「雫ちゃん! 骨だけだと流石に食べる場所ないんだけど、これでもいただきますって言ったほうが良いのかな!?」

 

「黙って食べなさい!!」

 

 緊張感の欠片もない話題を突然振られて、もっと叫んだ。

 だけども、ほろりももうあまり余裕はないらしく、骨を砕くペースはあからさまに落ちている。

 

 ベヒモスが障壁を決壊させて私たちが死ぬか、私たちが決壊して全員死ぬか。どっちにしても時間の問題かと思われた、その時。一人の男子が、私のすぐそばを通り抜けて、光輝達の方へと走って行った。

 その男子というのは、必死な表情をした、だけど何処にいても戦力としては力不足な、南雲君だった。

 

「早く撤退を! 皆のところに! 君がいないと! 早く!」

 

「いきなりなんだ? それより、なんでこんな所にいるんだ! ここは君がいていい場所じゃない! ここは俺達に任せて南雲は……」

 

「そんなこと言っている場合かっ!」

 

 つい先日、助けてくれた女の子に泣かされた子とは思えない力強い声に、私まで背中を押された気がした。こんな時だってのに、私の口は薄く笑みを浮かべているのが、剣を振りながらでも分かった。

 

「ほろり! 七子じゃなくて悪いけど合わせなさい!!」

 

「オーキードーキー!!」

 

 私は勢い任せに切り払い、ほろりのすぐそばまで駆け寄った。隣に立つと改めて、安心感とも、万能感ともとれるその力強さを実感する。

 

 二本の剣を真っ直ぐに前へと向けて、脇は締める。るろ剣の牙突のように左手を伸ばして刀身に添える。

 声は、ほろりに釣られるように自然と出た。

 

「「アー!! アーアーアーアー!!!」」

 

 ベヒモスのように全部纏めて、とはいかないものの、それでも階段まで一直線に突破した。後は力任せに道を広げれば私たちは撤退出来る。

 と、思い、振り返ったその時。

 

「下がれぇー!!」

 

 という団長の悲鳴と共に、ついに障壁が砕け散った。暴風のような衝撃波がこっちまで襲ってくる。

 南雲君が錬成で石壁を作ったけれど、多少威力を殺せる程度で、あっさり砕かれてしまう。舞い上がる埃も咆哮で吹き払われた。

 もう、あっちをどうしたら良いのか。とりあえず戦おうと剣を構え直すと、隣から肩を叩かれた。

 

「雫ちゃん、こっちは任せるよ」

 

「……は?」

 

 ほろりは端的に言い残したかと思ったら、剣をトラウムソルジャーの群れを両断してできた道に突き刺し、何もかもを棒高跳びで飛び越えて、南雲君の元へと走って行ってしまった。

 

「みんな! これる人からどんどんこっちに来て、道を広げて!!」

 

 最悪の場合でも、ほろりならベヒモスを飛び越えられる。……大丈夫よね? 本当に。

 

 

 


 

 

 

 やっとみんなの連携が取れて来て、南雲君の方に意識を向ける程度に余裕ができた。

 

「……はぁ?」

 

 あっちでは、負傷したらしい光輝と龍太郎がメルド団長と共にこっちに向かって撤退し始めていて、ベヒモスは南雲君とほろりが足止めしていた。

 

 錬成を上手く使ったみたいで、ベヒモスは頭部を橋に埋めてもがいている。こんな状況じゃなければ、指を指して笑えるくらいに間抜けな格好。

 そして、文字通りその上から、ほろりはツヴァイヘンダーを背中から腹までしっかり貫き、ベヒモスと橋を縫い合わせるようにしていた。

 

「とったどー!!」

 

 なんて、どこの無人島生活だと言いたくなるような叫びが聞こえて来て、こっちは思わず苦笑いを溢してしまった。

 

 光輝もこっちに参戦して来て、光るし飛ぶ純白の斬撃を何度も放ち、私とほろりが切り開いた道をどんどん広げていく。

 香織の治癒も次々と進み、ついに反撃の狼煙が上がる。強力な魔法と武技の波状攻撃が、さっきまでのグダグダはなんだったんだと言いたくなる速度で殲滅して行き、ついに召喚速度を超えてしまった。

 

「皆! 続け! 階段前を確保するぞ!!」

 

 光輝の掛け声と共に、まだトラウムソルジャー達の向こう側にいた子達もこっちに流れ込んでくる。

 

 そして遂に全員が包囲網を突破した。背後で再び橋との通路が肉壁ならぬ骨壁により閉じようとするが、そうはさせじと光輝が魔法を放ち蹴散らす。ずっと向こうに残った南雲君とほろりの逃げ道を確保し続けるために、まだ剣を収めるわけには行かない。

 

「ほろり!! 南雲君!! あとはあなた達だけよ!! 急いで!!!」

 

 私が叫ぶと、すぐに二人も撤退を始めたのが見えた。

 南雲君は錬成のために地につけていた手を離し、ほろりはツヴァイヘンダーを刺したまま手放して、自分より足の遅い南雲君の首根っこを強引に捕まえて、こっちに向かって走ってくる。

 

「前衛組! ソルジャーどもを寄せ付けるな! 後衛組は遠距離魔法準備! 一斉攻撃であの化け物を足止めするぞ!!」

 

 メルド団長の、ビリビリと腹の底まで響くような声にみんな気を引き締め直す。中には階段の方を名残惜しそうに見ているものもいるけれど、仕方ない。

 いつ死ぬかわからないのだから、一秒でも早く、一メートルでも遠く安全なところにいたいと思う気持ちは私だってそう変わらない。

 

 二人はトラウムソルジャーの群れのすぐそこまでたどり着いた。

 光輝が二人を避けるように斬撃を放ち、再度道を切り開いた。すぐに閉ざそうと、数を増やし、身をひしめき合わせるトラウムソルジャーを、ほろりは蹴り殺しながら突き進む。

 

 そして私たちは、目を疑った。

 

 背から腹まで剣で貫かれても、確かにもがいていたベヒモス。それでも瀕死だと思われていたのに。今はなんてことないように、腹の下で剣先を擦らせながらこっちに向かって、突進して来ている。

 

 こっちからは、一斉に魔法を放つ他ない。あらゆる属性魔法が、トラウムソルジャーを突破した二人の頭上を超え、ベヒモスへと殺到する。

 結局、ダメージらしいものを与えられたのはほろりの剣だけで、魔法もあまり効いていないけれど、それでも足止めにはなっている。

 

 いける! と確信したのか、ほろりが笑みを浮かべた次の瞬間。

 火球が三つ、あからさまに軌道を曲げた。

 

 ……ほろり達の方に向かって。

 

 一つがほろりの顔面に命中し、もう一つは南雲君を掴んだ手に。そして三発目は、南雲君が手から離れて身軽になったほろりの足によって蹴り払われた。

 

「ほろり!」

 

「南雲くん!!」

 

 目にダメージを負ったのか、閉じたままこっちに走ってくるほろりは私が抱きとめた。

 

 ……南雲君は、トラウムソルジャーの群れの向こう側まで吹き飛ばされてしまい、指一本すら見えない。

 

 一人でトラウムソルジャーの群れに突撃しようとする香織を光輝が抑えているうちに、ついに散々痛めつけられた橋が崩壊を始めた。

 

「グウァアアア!?」

 

 というベヒモスの悲鳴だけが聞こえて、橋の大半やトラウムソルジャーと共に、南雲君も暗闇へと消えて行った。

 

「……お腹空いた」

 

 香織の悲鳴と、ほろりの呟きが、嫌に響いた。

 


 



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第七話「……お腹空いた」


 

 

 

 手放せば奈落の底まで追いかけて行きそうな香織をメルド団長が気絶させた。

 

 あれだけ戦っても顔の軽い火傷以外に怪我を負っていなかったほろりは、いっそ暴れてくれたほうがありがたいくらいに冷静で、簡単な治癒魔法で完治してからは、騎士団の人から借りたナイフを片手に、メルド団長よりも前を先導して歩いている。

 魔物が出たらどうするんだ、という忠告は何度もしている。私も、団長も、光輝も。

 だけど実際に出てくれば、心配無用と言わんばかりに、ほろりが一人で魔物を殲滅してしまう。殴り殺し、蹴り殺し、砕く骨がなければ首を切り落とす。人間ではなく戦闘マシンだと言われたほうが納得のいく、異常なまでの強さ。

 

 その力の秘訣は、きっと、ステータスにあった『限界踏破』という、光輝の持つ『限界突破』に酷似した名前の技能。

 光輝の限界突破は発動すれば一時的にステータスを向上させるのに対し、ほろりの限界踏破は常に発動している。上昇量は不明。説明文には「感情によって全ステータスが増減する」とだけ書かれていた。

 

 だからこそ、今のほろりは矛盾しているように見える。

 ほろりがツヴァイヘンダーを振り回している時はいつだって、思いっきり笑うか、怒るかしていた。おかげで、光輝が限界突破しても両手で持ち上げるのが精一杯の大剣を振り回せるのだと思っていたし、南雲君が吹き飛ばされるほどの火球を受けても軽い火傷で済んだんだと思っていた。

 

 だけど今は、まるで料理中みたいに、口元をピクリとも動かさずに淡々と魔物を殺している。

 

 みんな疲れているし、戦闘を一人でこなしてくれているのは正直ありがたい。だからこそ、みんな心配はしても下手に止めたりはしない。

 

「……ごめんなさい」

 

 思わず、口から出たこの言葉。

 助けられなかった南雲君に向けられたものなのか、私の背で眠る香織に向けられたものなのか、押し付けてしまっているほろりに向けられたものなのか。私たちにも忠告はしてくれた七子か。光輝か。団長か。先生か。

 

 私には、わからなかった。

 

 


 

 

 大分長い間階段を登り、感覚的には三十階くらいは行ったと思う。メルド団長が「そろそろ休憩を挟むべきか……」と呟いた頃に、階段は途切れた。

 上方に魔法陣が描かれているだけの、大きな壁。

 みんなの顔に生気が戻り始める。メルド団長は扉に駆け寄り、詳しく調べ始めた。フェアスコープを使うのも忘れない。

 

 その結果、トラップでないことがすぐにわかった。魔法陣に刻まれた式は、この大きな壁を動かすためのものらしい。

 

 メルド団長が刻まれた式通りに一言詠唱して、魔力を流しこむ。すると隠し扉みたいに回転し、奥の部屋へと道を開いた。

 

 勝手に先頭を歩くほろりの後を追うと、そこは元の二十階層の部屋だった。

 

「帰ってきたの?」

「戻ったのか!」

「帰れた……帰れたよぉ……」

 

 みんな次々と安堵の吐息を漏らす。中には泣き出す子やへたり込む子もいる。正直、私も一度香織を下ろして休みたい。

 

 みんな期待の目をメルド団長に向ける中、急に岩が崩れ落ちるような音が聞こえた。

 

 少し離れたところで、三体のロックマウントが倒れた。そして四体目をほろりが蹴り殺し、私たちの方に目を向けて、久方ぶりに口を開いた。

 

「……お腹空いた」

 

 と、一言呟いて、先に進んでいく。言葉が足りないどころじゃないけれど、私たちを急かしているようだった。

 

 次いで、メルド団長もみんなを立ち上がらせる。

 

「お前達! 座り込むな! ここで気が抜けたら帰れなくなるぞ! ほら、もう少しだ、踏ん張れ!」

 

 少しくらい休ませてくれよ、という生徒達の無言の訴えをギンッと目を吊り上げて封殺する。

 

 結局、帰りの道中に私たちも、騎士団も、一度として剣を抜くこともなく地上まで来てしまった。

 手足を血で汚したほろりも、太陽を見上げて深呼吸した後、思いっきりくしゃみをした。

 今知ったけど、太陽を見るとくしゃみをしたくなるのはトータスでも同じらしい。

 

 香織を他の子に預け、ほろりを労いにいくと、向こうから「ねぇ」と声をかけられた。

 

「なに? 怪我とかしてないわよね?」

 

 尋ねると、やっとほろりは笑った。

 

「ご飯、なにが食べたい?」

 

 ほろりは時々、人や状況に対して『美味しい』『不味い』といった、独特な表現をする。

 私に対して美味しいと言ったのはおそらく高評価みたいな意味で、檜山なんかに不味いと言ったのは低評価みたいな意味だと私は思っている。

 なら『お腹空いた』というのも、文字通りの意味ではなく、そういう意味もあったかもしれないけれど、それ以上に、欲求不満的な意味があったのだと、私はやっと理解した。

 

 ほろりはトータスに来てからずっと、料理をしたがっていた。飢えた人が食事を渇望するように、ほろりは料理を渇望していた。

 

「美味しくて、日本っぽいものが食べたいわ。卵焼きとか」

 

 だから私は、労うのはやめることにした。今のほろりは、労いの言葉よりも、睡眠よりも、美少女とのキスよりも、料理と注文を望んでいるのだから。

 

「うん、わかった」

 

 頷いてすぐ、ほろりは宿屋の方に向かって一人歩いて行った。

 

 振り返ると、未だ目を覚さない香織や、気を落としている子が何人も目についた。ほろりのご飯で、少しは元気になってくれるといいんだけど。

 

 


 

 

 町に戻ると、私も含めてみんな、寄り道をする元気もなく宿屋の部屋に入って行った。

 扉の前まできて、私は香織を背負っていて両手が塞がっていることに気が付く。面倒だけど一度降ろそうと思ったら、それより前に扉が開いた。

 

「おかえり。案の定だったみたいね」

 

 扉を開けてくれたのは七子だった。町で買って来たのか、ベッドの上を本で散らかして、その中の一冊には、護身用として渡されて持ち歩いているナイフが抜き身で、しおり代わりに挟まれていた。

 

 私たちが大変だったっていうのに、この子はのんびり買い物と読書を楽しんでいたと思うと、……なんかもういっそ安心感すら覚える。というか迷子になってなくて本当によかった。

 

 ベッドに香織を下ろし、防具だけ外して寝かせる。できれば着替えさせてあげたいけど、今は自分が着替えるのも面倒なくらいに、全身がくたびれている。

 

「……七子」

 

 私も防具を外し、剣を下ろしてベッドに寝そべった。シーツが汚れるけど、……うん、仕方ない。

 

「あなた、どこまでわかってたの?」

 

 疲れてはいるけど、色々ありすぎてすぐに眠れる気もしなくて、七子に話しかけることにした。

 

「どこまで、なんて言われても、なにも知らないわよ。おみくじで凶が出た、くらいの感覚だったのだもの」

 

 七子は散らかった本をサイドテーブルに積み重ねながら答えた。一番上には、ナイフが挟まった本が置かれる。

 

「それで、誰が死んだの? 天之川? それとも檜山?」

 

 出て来た名前は、きっと七子にとって生きているより死んだほうがありがたいと思っているであろう名前。期待している、なんて風には流石に見えないけれど、その二人が死んだとして、きっと七子は表情を変えずに、あるいは薄ら笑いを浮かべながら「そう」とだけ返したんでしょう。

 だけど、現実は違う。

 

「南雲君よ。トラップで六十階層あたりに転移して、ベヒモスと戦うことになって、いろいろあって、誰かの魔法が当たって橋から落ちてしまったの」

 

「……そう。それは、残念ね」

 

 やっぱり、七子の表情は変わらない。だけどベッドから降りて、香織の方に歩み寄った。

 

「私、南雲には一つ頼み事をしてたのよ」

 

「頼み?」

 

「依頼と言い換えてもいいわね」

 

 七子は枕元に座り、香織の頬を撫でた。

 

「図書館で会ったときに、タイプライターを作って欲しいって頼んだの。構造が分からないから無理だって断られたけどね」

 

「……でしょうね」

 

「報酬は私の書いた小説を読ませてあげることだった。……今思うと、ローマ字の小説なんて私も読みたくないけどね。断られて当然だわ」

 

 懐かしむように、悲しむでも笑いもせず、七子は語り出した。

 

「ほろりはドイツの大剣、ツヴァイヘンダーと、日本の形式の包丁をいくつか作ってもらっていた。お礼にいつか地球の料理を食べさせてあげるって言ってたわ。……それも、死なれたとあっては叶わないけれど」

 

 ほろりも七子も、光輝達と違って南雲君を見下したり、卑下したりせずに接していたのは知っている。そんなやり取り、取り引きがあったのは知らなかったけれど。

 

「惜しい人を無くすって、こんな感覚なのかしらね。……死ぬのがもっと無能なクズだったらよかったのに」

 

 狙ったのか、偶然か、それは檜山達が南雲君に絡むときによく使っていた言葉だった。

 話は終わったのか、七子は香織のベッドから立ち、私の顔を見下ろす。

 

「夕食までは時間があるし、今は寝て休みなさいな」

 

 確かに、まだ夕方にもなっていないくらいの中途半端な時間帯。だけど、まだ手には肉を、命を斬った時の感覚が残っていて、鼻には血の臭いが残っていて、目を閉じても眠れる気がしない。

 

「変に目が冴えちゃって、全く眠くないのよ。私のことは気にしないで」

 

 ――好きにしていい。

 って言おうとして、思わず私は口を閉ざした。七子は自分の着ている白いワンピースが血と土で汚れるのも気にせず、私の隣に寝そべった。

 

「いいから寝なさいな。近くで悩まれても居心地が悪いわ」

 

 そう言って、七子は腰に腕を回し、抱きついてくる。ご丁寧に私の腕を枕にして、自分も眠る気らしい。

 

「ちょ、ちょっと?」

 

「ほろりや妹が言っていたわ。しんどい時は、私を抱きしめて寝るのが一番楽って。……抱き枕かぬいぐるみ扱いなのは癪だけど」

 

 微妙に力強く抱きつかれて、引き剥がすこともできない。仕方ないし、私も片腕で抱き返す。

 

 七子は、基本的にお風呂を嫌がる。というより、水風呂を好む。王宮に幾つかある湯船のうち、子供用の小さな湯船は今や七子専用のものになっていて、七子が浸かる一時間前には氷を浮かべて水を冷やしているのだとか。

 体温が高いから、お湯に浸かるとしんどいって言ってた。確かにこうしてみると、触れている部分が暖かくなってくる。子供は体温が高いって言うけれど、まさしくそんな感じだった。

 

 鼻や口に触れる七子の髪は、妙に甘ったるい香りがして、私もいつの間にか眠っていた。

 

 

 


 

 

 

 私が目を覚ましたのは、ほろりの「ご飯だよー」という言葉がドア越しに聞こえてからだった。

 急いで綺麗な服に着替えて、寝ぼけている七子も別のワンピースに着替えさせてから、廊下に出た。

 

 みんな似たような状況だったらしく、服だけ着替えて髪は乱れっぱなしな子がほとんど。

 唯一ほろりだけは、仕事着でもある青い着物を身にまとい、その上に青いエプロンを掛け、ポニーテールの上に三角巾が乗っている。

 

 女子が全員出てくると、ほろりは私たちを食堂まで連れて行った。男子も誰かに起こされて来たみたいで、みんな眠そうにしている。

 

 ほろりは上座に座るメルド団長の隣に立つと、にっこりと上機嫌そうに笑った。

 

「今日の晩ご飯は私が作ったよ。味と量は保証するけど、残したら――ぶっ殺す」

 

 殺気のような何かの滲んだ最後の一言に、私たちは全員さっぱりと眠気を覚ました。隣で聞かされたメルド団長なんて、腰に掛けていない剣を抜こうとしている。

 

 ほろりは厨房に向かって行って、すぐに料理を両手に持って戻って来た。ここの宿屋の料理人さんたちも後に続いて、次々と料理を運び込んでくる。

 

「醤油とか味噌とかが無かったから、和食はできなかったけど、できるだけ地球の味を再現したよ。特にマヨネーズとソース、ケチャップはいい感じに出来たから、いっぱい食べてね」

 

 懐かしい匂いのするハンバーグに、マクドナルドで見慣れた太さの、細いフライドポテト。レタスや薄切りの玉ねぎのサラダ。ニンジンとジャガイモがゴロゴロ入ったシチュー。私が注文した卵焼き。

 他にも、テレビでは見たことがあるけど地球でも食べたことのない料理や、この世界のものだけど美味しそうなパンが山盛りに出される。

 

 一通り並ぶと、ほろりも七子と私の間の席に座った。メルド団長や騎士団員の人達がこの世界での『いただきます』にあたる、なんとなくキリスト教っぽくもある祈りを捧げようとして、それにほろりは待ったをかけた。

 

「メルド君達、今日くらいは、あたし達の国でのやり方に合わせてもらってもいいかな」

 

「……構わないが、どうしたらいいんだ?」

 

 騎士団の中には、ほろりに訝しむ目を向ける人もいるけど、ほろりは構わず続ける。

 

「あたしらの故郷、日本では、まず両手を合わせるの。ほら、みんなも」

 

 そう言って、ほろりはパンッと音を鳴らして両手を合わせた。

 

「これは、神様とか死んだ人とか、そういう目に見えない人にメッセージを伝える合図だったり、ポーズ、儀式だったりするの。日本には仏教と神道っていう、ざっくり分けると二つの宗教があるんだけど、どっちでも手を合わせるのはおんなじなの」

 

 ……言われてみれば、確かにそうね。

 私たち日本人も、ほろりに習うように手を合わせる。誰一人として、空気を読まずにフォークを持つ人はいない。

 

「そして、あたし達の胃に収まり、明日の糧になる食材達への感謝と謝罪の意を込めて、一言、こう言うの。『いただきます』」

 

「「「「いただきます」」」」

 

 小学校の給食を思い出しつつ、ほろりに続いて私たちも言った。メルド団長達も不慣れそうにしながらも、むしろ日本人よりよっぽど真面目な雰囲気で、「いただきます」と、バラバラながらも言った。

 

 知ってはいたけどほろりの料理は本当に美味しくて、でも今はそれ以上に地球の料理の味が懐かしくて、やっぱり美味しくて、何人かは涙を流しながらゆっくりと味わって、パンの一欠片も残すことなく完食した。

 

 

 ちなみに、騎士団全員に好評だったのはマヨネーズだった。エネルギー効率が良くて味も最高だと絶賛しながらスプーンに乗せて食べる姿には、ほろりも微妙な顔をして、「マヨネーズは調味料だから、無理に食べなくていいよ? 苦手な人もいるだろうし」と、言っていた。

 

 




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第八話「好いとぉよ」


 

 

 

 ハイリヒ王国、王宮。ここは香織に与えられた部屋。けれど、主である香織は、未だに目を覚さない。

 

 あの日、迷宮で死闘と喪失を味わった日から既に五日が過ぎた。

 あのあと一泊し、早朝には高速馬車に乗って私たちは王国へと戻って来た。到底、迷宮で訓練を続行できる状況では無かったし、七子という前例がいた以上、誰も彼もが訓練を拒絶した。

 それに、誰からも無能扱いを受けていたとはいえ、勇者の同胞が死んでしまった以上、報告は必要だった。

 

 私は、早く香織に目を覚まして欲しい。

 ……だけど、このまま眠っていて欲しいという思いも、確かにある。

 

 帰還を果たし南雲君の死亡が伝えられたとき、王国側の人達は誰も彼もが愕然としたものの、それが『無能』だったと知ると安堵の息を漏らした。

 

 国王やイシュタルですら同じだった。強力な力を持った勇者一行が迷宮で死ぬこと等あってはならないこと。迷宮から生還できない者が魔人族に勝てるのかと不安が広がっては困るらしい。そもそも、戦争に参加したいと言っているのはまだ一割にも満たないというのに。

 

 けれど、あの人たちはまだマシ、だったかもしれない。貴族の中には平気で罵る人もいた。死んだのが無能でよかっただの、神の使徒でありながら役立たずなど死んで当然だの。それはもう好き勝手に乏していた。

 なるほど、死人に鞭打つ、という言葉が現代に残るわけね。心底腹が立つわ。って、七子もナイフを研ぎだすくらいに苛ついていた。

 

 実際、正義感の強い光輝が真っ先に怒らなければ、私か、ほろりか、七子か。あるいは南雲君に助けられたという子か。誰かしらが、うっかり殺しにいってしまいかねなかった。

 光輝が抗議したおかげで、やっと国王や教会も悪い印象を持たれてはまずいと判断したのか、罵った人たちは処分を受けたそうだけど。それで、怒りや憎悪が収まるわけでもない。

 

 しかも、光輝は無能にも心を砕く優しい勇者だと噂が広がり始め、ほろりは南雲君が作った、訓練用のツヴァイヘンダーの手入れを始めた。これで料理を封じたまま放って置いたら、殺しに行きかねない。

 

 

 クラスメイト達は、図ったように、あの誤爆の話をしない。自分の魔法は把握していたはずだが、あの時は無数の魔法が嵐の如く吹き荒れており、『万一自分の魔法だったら』と思うと、どうしても話題に出せない。なんとも人間らしいというか、日本人らしいというか。

 

 メルド団長や、現場にいなかった七子を中心に犯人を特定しようという動きがなかったわけではない。団長自身、救えなかったことに心を痛めているし、七子はほろりも狙われた事にも怒っている。――というか、怯えているようにも見えた。

 ほろりが狙われるということは、七子も後に標的になる可能性は高いし、犯人が見つかろうが、なかろうが、犯人がクラスメイトの誰かだというのは決まっている。

 誰が好き好んで、殺人犯と一緒に剣を振ろうと思うんだって、剣を振らないくせに七子は熱弁していた。

 

 だけどそれも、叶わなかった。イシュタルと国王が、私たちへの詮索を禁止にしてしまった。

 

「あなたが知ったら、怒るでしょうね」

 

 あれから一度も目を覚さない香織の手は、浮き出た骨の影が深くなった気がする。あれから何も食べていないし、仕方ないのでしょうけど。

 お医者さんの診断では、体に異常はなく、精神的ショックから心を守るため防衛措置として深い眠りについているのだろうと。そういうことだった。故に、時が経てば自然と目を覚ますらしい。

 

「いっそ、面子を集めてデモとかしてみるのもいいかもね。グループ名は『南雲ハーレム』で決定」

 

 最近は一緒にいる時間の増えた七子は、冗談めかしてそんなことを言い出す。冗談じゃない、なんて思おうにも、この件で怒ったり、不安に思っているのは一人の例外もなく女子のみ。もしそんなグループが出来てしまったら、それに『南雲ハーレム』みたいな名前が付いても仕方ない。

 南雲君の男子からの人望の無さに、私まで泣きそうになってくる。

 

 ……その原因、香織なんだけどね。

 

 手持ち無沙汰になり、なんとなく香織の手を撫でていた、そのとき。

 

 

「っ!」

 

 不意に、手がピクッと動いた。

 

「香織! 聞こえてる!? 香織!!」

 

 七子とほろりが一緒にいることなんて忘れて、何度も呼びかけると、ついに、ゆっくりと、香織の目が開いた。

 

「……雫ちゃん」

 

 香織の右手が上がり、私の頬、目元に触れた。触れられて、私は涙を浮かべていることに気が付く。

 

「やーやー、香織ちゃん。無事起きて、まずは何よりだよ」

 

「……ほろりちゃん?」

 

 ほろりが呼びかけると、香織はそっちに顔を向けて、不思議そうな顔をした。

 

 私は急いで袖で目を擦る。……真横に美少女の薄ら笑いが見える気がするけど、きっと気のせい。

 

「七子ちゃんも……」

 

「ええ」

 

 七子は照れ隠しのつもりか、どこからか出した本の方に目を向けながら小さく返事した。

 何から話したものかと、リストアップしていたら、ほろりが突然、突然なことを言い出した。

 

「香織ちゃん、南雲君ぶん殴りに行かない?」

 

「「……は?」」

 

 ほろりが笑いながら言い出したことに、困惑の声が香織と被った。

 

「間違えた。南雲君とあたしを撃った奴をぶん殴りに行かない?」

 

「…………南雲君、無事なんだよね?」

 

 言いながら、香織は重りを全身につけたみたいに気怠げに身を起こし、何度も目をほろりへ、私へと行ったり来たりさせる。

 

「ううん、助けられなかった」

 

 私はどうにか話を逸らそうと思案する隙があれば、すぐにほろりが返事をしてしまう。

 

「嘘、……だよ、ね? 私が気絶した後、南雲くんも助けられたんだよね? そうだよね? ほろりちゃんは無事なんだもん、そうなんでしょ? 南雲くんはいまどこ? 訓練所? それとも図書館かな」

 

「今もきっと奈落の底だよ。生きてるか、死んでるかはわかんないけど、地球なら即死だろうさ」

 

 現実逃避するように言葉を紡ぐ香織を、逃さないと言わんばかりにほろりが現実を語る。

 正直、今はやめてあげて欲しいのが本音。明日とか、明後日とか、落ち着いてから、身も心もちゃんと回復してからでも、遅くは、……無い、はずなんだから。

 

「……もしかしたら、奈落の底はエリクサーの湖になっていて、生きてるかもしれない。奈落の底に町があって、助けられているかもしれない」

 

 ほろりの言葉が香織の心に攻撃的すぎると思ったのか、七子は逆の方向の言葉を紡ぐ。

 

「言ったでしょう。ここはドラゴンクエストみたいな世界。敵を殺したり殺されたりする世界で、そして、死んでると思われていた人が生きていたり、生き返ったりもするかもしれない世界。現実を見るのもいいけれど、恋する乙女ならもう少し夢も見なさいな」

 

 ……あなたにだけは言われたくない。

 と、言いそうになってすぐに飲み込んだ。香織のためにも言うべきではないと思ったし、それ以上に、それは間違いだと気がついた。

 七子はなんとなく、現実のように非道なリアリストっぽいけれど、実態はその真逆。現実よりも物語を好み、そしてついには自分でも描くようになった、生粋の夢見る少女なのだから。

 

「……そう、だよね。それなら、迎えに行ってあげなきゃ、だよね。私が助けるって、守るって、約束したんだもん」

 

「そういうことなら、あたしも協力するよ。料理をご馳走するって約束をまだ果たせていないし、ちょっとばっか怖い思いもさせちゃったからね。ちゃんと謝らなきゃいけない」

 

 ほろりはカップに水を注いで香織に手渡し、過去を思い返すように、吐息を吐き出した。

 

「……雫ちゃんは、手伝ってくれる?」

 

 一杯の水を一息に呷った香織の目に、もう現実逃避の色は見えない。いつもの、というよりいつも以上に、恋する乙女、少女漫画のキャラクターみたいな色をしている。

 これで奈落の底まで行って、南雲君の死体でもあったらと思うと、私まで怖くなってくる。光輝なら、きっと考えを正そうとする。きっと諦めろって言う。

 

 ……だけど私は、幼馴染みであり、それ以上に親友であるこの子を裏切るような真似は、絶対にしたくなくなった。

 

「当然でしょ、親友」

 

「雫ちゃん!!」

 

 起きているだけでもしんどいだろうに。身を乗り出して、私に抱きついて何度も礼を言う。

 ……七子達のせいで私の精神年齢が上がっているのか、だんだんと妹のように見えてきた。

 

「それは結構前からよ。あなた、たまに『あの子』とか、『この子』とかって、私や香織に言ってるじゃない」

 

「……ナチュラルに心を読まないでもらえるかしら」

 

「読心術は夢見る乙女の嗜みよ。――おねーちゃん」

 

「ちょっと!?」

 

 説教の一つもしてやろうと手を伸ばすも、届かない位置まで移動して躱された。追いかけようにも香織が抱きついたままじゃ動くに動けない。

 

「……香織。ちょっと離れてもらっていいかしら」

 

「え、どうしたの? ……お姉ちゃん」

 

「あなたまで言うの!?」

 

 この際まとめて説教よ。

 

 と、思ったのに、七子は部屋のドアに手をかけている。……この子、逃げる気ね。

 ひ弱な香織の腕をちょっとばかし力を込めて引き剥がし、私も立ち上がった。殴る蹴るなら敵わないけれど、敏捷値的にも捕まえるのは容易い。

 

 七子が音を立ててドアを開ける。

 私は一歩目を思いっきり踏み出した。

 

 二歩目は、七子の満面の笑みと、その顔で出た言葉によって踏み外した。

 

「ウチ、雫と香織のこともけっこう好いとぉよ」

 

 唐突な京都弁での、唐突な告白。

 

「なっ!?」

 

 色んな意味でのショックで思わずバランスを崩した隙に、七子は閉じた扉の向こうへと消えていった。

 

「あっはー。七子ちゃんは昔から捻くれ者でね、本音ほど冗談めかしたくなるんだよ」

 

「……つまり、どういうこと?」

 

 香織はほろりの言葉を理解しきれなかったのか、首を傾げた。私は耳を塞ぎたいけれど、塞ぎたくないという、矛盾と葛藤させられる。

 

「七子ちゃんは二人のことが大好きってこと。普段絶対使わない京都弁で言っちゃうくらいにはね」

 

 ……聞かなきゃよかった。これからあの子をどんな目で見たらいいのよ。

 あ。あの子なんて言ってる時点で、私も手遅れかもしれないのか。

 

「私も雫ちゃんも、女の子だよ?」

 

「そっ、そうよ!」

 

「あたしも女の子だよー」

 

 香織の疑問に私も同調したら、ほろりまで冗談めかして話し出した。

 

「ほろりちゃんは、京都の方言で喋らないの?」

 

「あたしの家は料亭だったりするからね。両親も標準語だったし、あんま得意じゃないの。もちろん、出来ないわけじゃないけど」

 

「結構真面目な家なのよ。娘がこんなんだけど」

 

「雫ちゃん、それ地味に傷つくよ? 否定はしないし、大体七子ちゃんのせいなんだけどね」

 

 そういえば、とほろりは懐かしむように続ける。

 

「七子ちゃんは親戚のお婆ちゃん達に可愛がられる子でね、それで移ったみたいで、京都に住んでた頃はコッテコテの京都弁で話す子で滅茶苦茶可愛かったんだよ。今も可愛いけどさ」

 

「「何それ超見たい」」

 

「実家にビデオがあったかなぁ。帰れたら見せてあげるよ。ついでにうちの料理も食べてってね」

 

 変なところで、地球に帰る目的が増えてしまった。

 

「じゃ、あたしは七子ちゃん探しに行ってくるよ。今頃どっかで迷子だろうし」

 

 ……あ。

 

「ついでに撃った奴らぶん殴っとくからー。よかったら香織ちゃんも来てねー」

 

 ほろりが言い残していった言葉に、香織は「う、うん……」と小さく返事はしたけれど、顔を見るに、行く気はないらしい。

 

 ……奴ら?

 

 


 



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第九話「なんで、今日は誰も協力してくれなかったの?」


 

 

 香織が完全復活と言えるくらいに回復してから、私たちは再びオルクス大迷宮にやって来た。ただし、来ているのは光輝の率いる、勇者パーティーと呼ばれる私達と、檜山率いる、小悪党パーティーと密かに私が呼んでいるパーティー、それに永山君という大柄な柔道部の男子が率いる、男女五人のパーティーの、三つのパーティーと、ソロで動き回るほろりだけだった。

 

 人数が大幅に減った理由なんて、もう言わずもがな。南雲君の死が皆の心に深い影を作り、日本では全くと言っていいほど無かった、死の危険というものを強く実感してしまったから。おかげで武器を持てなくなってしまった子もいる。

 

 当然、身近な人が死ぬことに、ある意味慣れているこの世界の人たちはいい顔をしない。毎日のように、復帰を促して来た。

 

 だけど、私達日本人は決して、NOと言えない日本人じゃない。そもそもが、戦争や訓練への参加は基本的に自由参加ということになっているし、ずっと迷宮に入りたがらない七子は、王宮での訓練にすら参加しなくなってしまった。

 それに、七子だけじゃない。農地開拓で王宮から離れていた畑山先生も、教会関係者相手に猛然と抗議していた。

 

 南雲君の死亡を耳にして、一時はショックに寝込んだ畑山先生。

 自分だけ(正確には七子もだけど……)安全圏でのんびりしている間に、生徒が死んでしまったという事実に、全員を日本に連れ帰ることが出来なくなったということに、先生は酷くショックを受けていた。

 

 思い人を失った香織なら、親友であり対等である私になんとか出来た。今の元気そうな姿の裏には、友人であるほろりの協力もあるでしょう。

 

 だけど、先生と私達じゃ、どうしようもなく立場が違う。纏う責任が違う。

 幾ら子供のように小柄とはいえ、大人である以上、時間と愛情だけで回復できるものではない。

 

 だからというか、止むを得ず、畑山先生のことは、一番可愛がられていて、立場を理解した上で対等に接する七子に任せるほか無かった。

 生徒の問題児係が私なら、職員室の問題児係は畑山先生。……であるはずの私たちが揃いも揃って、問題児筆頭の一角である七子に慰められてしまったと、苦笑いを浮かべあったのも、もう一週間近くも前のこと。

 

 

 今日で迷宮攻略六日目。

 ほろりが七子と会えなくて、いつ爆発するかと心配だったけれど、毎日宿屋で料理をさせてもらえているからか、むしろ上機嫌に魔物を殺している。

 

 だけど今、誰の言うことも聞かないほろりでさえも、足を止めてしまった。別に疲れたわけではない。

 

 ただ、私たちの目の前には、断崖絶壁が広がっていた。前の時とは違う場所のようだけど、次の階層に進むには崖にかかった巨大な橋を進まなければならない。

 

 ほろりは真っ直ぐと、橋の先を見据えている。

 香織は、きっと奈落に続くであろう、崖下の暗闇をジッと見つめる。

 二人とも、何も言わずに動かなくなった。

 

「香織?」

 

 放って置いたら、闇に吸い込まれるように落ちていってしまう気がして、思わず呼び掛けた。

 するとゆっくりと振り向き、私に優しい笑みを見せる。

 

「うん、分かってる」

 

「それならいいんだけど……」

 

 念のため、絶対に誰かのそばにいるよう言い聞かせてから、ほろりの方にも声をかけておく。

 

「ほろり。さっきから、どうしたの?」

 

 ここにいる中で、一番強いのは間違いなくほろり。光輝は頑なに認めないけれど、その実力は、一度ベヒモスを串刺しにした時点で折り紙付き。

 

 振り返ることなく、この世界の研師五人掛で研ぎ直された、元訓練用のツヴァイヘンダーを振って反応を見せる。

 

「……お腹、空いたね」

 

 ……またそれか、と。呟きが聞こえて、思わずとも思わされた。

 目の前に立ちはだかった魔物を殲滅し尽くす状態のほろりは、七子が言うには別に怒っているわけではないらしい。

 だけど、限界踏破はこの状態が一番ステータスを向上させているのも一目瞭然。ならどんな感情が原因で、あるいは原動力となって限界の先の力を出し続けているのかと、七子の推測によれば、それは殺意……らしい。

 

 それは怒りとは全くの別物で、けれど一切無関係というわけでもなく、元を辿れば『七つの大罪』やそれに匹敵する、生命活動に必要不可欠な欲求にあたるのだとか。面倒だから殺す、むかつくから殺す、お腹が空いたから殺す、欲しいから殺す。

 あらゆる感情がいきすぎ、やりすぎ、殺意という最果ての感情へと辿り着く。

 

 今のほろりには、殺意以外の感情が全くと言っていいほどに無くなっている。それが人間に向けられていないのは、人間を客とする、つまりは神様ともする、料理人としての自制心、単なる我慢なのだとか。

 

 だからこの場で無理をさせちゃいけないのは、香織よりもむしろほろりの方だった。人間に攻撃する口実が出来てしまえば、間違いなくほろりはこの場の何もかもを、人間だろうと魔物だろうと区別なく殺し尽くしてしまう。

 ……それじゃあ、七子に合わせる顔がない。

 

「ねぇ、恵里ちゃん」

 

 また、外に出るまで「お腹空いた」しか言わないと思っていたら、相変わらずほろりは私たちに背を向けたまま、後方にいた恵里に声をかけた。

 

「え、なに?」

 

 学校じゃあまり接点が無かったと思う恵里は、名指しで呼ばれたことを意外そうにしながら首を傾げた。

 

「あたしが死んだら、この身体は恵里ちゃんにあげるよ。煮るなり焼くなり、料理させるなり殺させるなり、好きに使っていいから」

 

 日本じゃ絶対に聞くことのない台詞が、一切の感情も込められずに吐き出された。それは天職が降霊術士であり、死体と魂の扱いに長けた恵理に許しを与えたというより、そう願っているように、私は聞こえた。

 ほろりと違って、美人ではあっても日向よりは木陰の似合う恵里はどう返すのかと思ったら、まるで旧知の仲であるかのように笑いかけて頷いた。

 

「じゃあ僕が死んだら、この身体はほろりちゃんにあげよっかな。煮てもいいし焼いてもいいけど、美味しく料理してよね」

 

 ほろりはまた、担いだ剣を振って返すと、急に剣を構えた。もう見慣れるくらいに見た、何物にも弾けない突きの姿勢。

 

 そしてそのまま、メルド団長と光輝の静止の声を聞き入れず、橋の向こう側へと向かって走り出した。

 

「ちょっと!?」

 

 流石にここまで来れば勝手なことはしないと思っていた、私が馬鹿だった。……そしてほろりはもっと馬鹿だった。

 

 ほろりが近付いたからか、一つの大きな魔法陣が輝き、案の定の怪物が現れた。

 

「グゥガァアアア!!!」

 

 咆哮を上げ、地を踏み鳴らす異形、ベヒモス。ほろりを壮絶な殺意を宿らせた眼光で睨む。

 

 ほろりは睨みも殺意も気にせず足を進め、まだ突進の姿勢になりきれないベヒモスの頭を、真上に突き上げた。

 

「良薬の苦さに苦しんで死ね」

 

 前足が浮き上げられ、隙を見せた腹に三度蹴りが放たれる。

 

「禍いの転じた福に溺れて死ね」

 

 三度目の回し蹴りで横向きに倒れたところを、力任せに振り下ろされたツヴァイヘンダーで、頭部の兜のような角を全てへし折られる。

 

「蜂に刺されて泣きっ面晒しながら死ね」

 

 ひび割れた頭部から血を吹き出して苦しんでいる間にも、殴る、蹴る、斬る、突くの、四種の入り混じる連撃が何度も腹部に叩き込まれ、内臓を痛めたのか血反吐を吐き出す。

 

「二階から降った目薬で頭打って死ね」

 

 堪らず、滅茶苦茶に暴れ出し、なんとか立ち直すも、今度は横薙ぎに頭部を切り裂かれる。

 

「喉もと過ぎた熱さで焼け死ね」

 

 鼻あたりで頭が真っ二つになっても死なないタフさを見せ、咆哮をあげるも、攻撃は止まらない。

 

「火のない所に立った煙で燻されて死ね」

 

 顎を蹴り上げられ、断面から血ではない何かを撒き散らす。

 

「下手な鉄砲が百発百中して死ね」

 

 跳び上がり、ツヴァイヘンダーを脳天から突き刺し、前足を強引に曲げさせて、地面と二枚に別れた頭を縫い合わせる。

 

「仏に三度顔面踏まれて死ね」

 

 断末魔を挙げることもできないまま、頭に刺さった剣が倒れ、頭が四等分に斬られる。

 

 ……時間にして、一分足らず。多分攻撃してる時間よりも妙な文句を言ってる時間の方が長かった一方的な戦いは、ベヒモスの死亡によって終了した。

 

 満足したのか、ほろりは鼻歌まじりにこっちへ戻ってくる。

 

「あっはー。やってみるもんだね。意外と余裕だった」

 

 ……そういえば、前の時だって一度突き刺していたものね。足手纏いさえいなければ、自分一人であればベヒモスでも倒せるだけの実力は持っていた、と。

 

 ベヒモスという、最強の冒険者でも倒せなかったという怪物を倒したっていうのに、ほろりは体育でちょっと活躍した、みたいな気軽なノリで香織達とハイタッチしようとして、嫌がられてしょんぼりしてる。私の方にも向けられた手は、肌色の部分が全くないくらいに血で汚れていて、あまり触れたくはない。

 そう伝えると、ほろりは持ち込んだ飲み水で手と、ツヴァイヘンダーの持ち手を洗い始めた。

 

「……なんでだ。……どうしてなんだ」

 

 手についた血をしっかり洗い流してきたから、今度はハイタッチに応じる。私としたあとは、香織、恵里ともして、鈴にも、幾ら鈴が小柄とはいえ必要ないのにわざわざ中腰になって手を差し出して、ビンタのようなハイタッチをもらっている。

 

「……それだけ強くて、何故南雲を助けなかったんだ」

 

「別に、ただ力不足で助けきれなかっただけだけど」

 

 あ、無視してたわけじゃないのね。

 光輝は鞘に収まった剣に手をやっていて、今にも斬りかかりそうな声音でほろりに問うた。

 

「君は一人であいつを倒せるくらい強いじゃないか!! ……悔しいが、俺よりも強い君がいて、あの時だって倒せたはずなのに、なんでだ! 答えろ!!」

 

 女子高生らしく嬉しそうにしていたほろりは、「……美味しくない」なんて呟きながら、笑みを収めて、光輝の方に身を向けた。

 

「あたしに何を期待してるのかなんて、あたしは七子ちゃんじゃないからわからないけどさぁ。……他人に理想を押し付けないでくれるかな」

 

「話を逸らすな! どうしてあの時に本気を出さなかったのか聞いてるんだ!!」

 

 光輝の剣を持つ手が震えて、鞘からカタカタと音が聞こえてくる。あの時一番ほろりと近くにいた私が言おうかと思ったけど、それより早く、ほろりが言ってしまう。

 

「周りに人がいて戦いにくかった。敵も多くて剣を大振りに振り回せなかった。……南雲君を助けられなかったのは、相手もあたしも一人じゃなきゃ殺せないくらい力不足で、状況が悪かった」

 

 要するに、足手纏いが多過ぎて、全力は出せても全開にはできなかったと、ほろりは暗にそう言っている。

 

「それは嘘だ!! 今日だって君一人で戦って勝てたんだ。あの時も俺たちと協力していれば勝てたはずだ!! 南雲も死ななかったし、香織と畑山先生が悲しむこともなかった!!」

 

「だったらなんで、今日は誰も協力してくれなかったの?」

 

 ほろりの、光輝へと向けたうんざりとした声音と言葉は、光輝だけでなく私たちの口までも閉ざさせた。

 

「いや、今のはあたしの言い方が悪かったね。ごめんごめん」

 

 ほろりは光輝ではなく、私たちの方に向けて軽く謝ってから続ける。

 

「協力できたかったんでしょ。皆の力不足がどうこうじゃなくて、あたしに近寄れなかった」

 

 ……悔しいけど、全くもってその通り。

 ほろりの愛用している武器、ツヴァイヘンダーは、光輝でも持ち上げるのが精一杯なほどに重く、刀身も二メートル以上と長い上に、扱いも構造も特殊な大剣。

 剣のように振ることもできれば、槍のように突くこともできる。しかもほろりは、棒高跳びのように使って、空中戦までやってのける。敵だけでなく味方でも動きが予測出来ず、近づけば邪魔になり、魔法で援護しようにも、うっかりほろりに当たりかねなかった。

 それでもいざ近くで戦う人がいれば、ほろりは気遣って振り方を弁えるでしょうけれど、でもその一例が、助けたはずなのに泣いてしまった南雲君。

 あんな剣で、そんな戦い方をされたら怖いに決まってる。

 

 ほろりの戦い方は、どうしようもなく、光輝の好むチームプレイに向いていない。

 

「数の暴力が必ずしも最適とは限らないなんて、日本人なら誰でも知ってるでしょ。少数精鋭なんて言葉もあるし、例外のない規則はないってことわざもある。これは日本じゃなくて西洋のことわざだけどね。元はラテン語」

 

 ラテン語って言うと、途端に創作っぽくなるよねー。なんて冗談めかして、ほろりは続ける。

 

「みんなが協力するべきって規則があるのなら、あたしはその例外だよ。――料理は普通、一人でするものだからね」

 

 ほろりと七子の共通点というのは、実のところ少ない。

 それこそ京都出身ってことと、それと集団行動が苦手ってことくらい。

 いつか、ほろりは言っていた。

 二人は一緒にいたいから一緒にいるだけで、やりたいことも進んでいく道も全然違う、と。つまりは、仲の良い二人でも、協力し合うつもりなんてさらさらないと。

 二人は互いに足を引っ張り合うことはあっても、手を引いて導き合うことは絶対にしない。

 

 それを親友と呼べるのかわからないけれど、きっと、二人の仲は親友の規則からも例外なのでしょう。

 

「あたしがやっつけてる間に、皆少しは休めたよね? なら先に行こうよ。生きてるにしても、死んでるにしても、南雲君と出会うなら早い方がいいに決まってるんだから」

 

 ほろりはそう言って、橋の向こうへと歩き出してしまう。

 七子に散々言い負かされて、ついにはほろりにまで負かされた光輝は龍太郎に任せることにして、私達も先へと進む。

 





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第十話「チャンバラごっこしようぜっ! お前ボールな!」


 

 

 ベヒモスを突破し、道順のわからない未知の階層へと足を踏み入れ、いざ本番だと意気込んでいたところで、残念ながら攻略は一度中断、王宮まで戻ることになった。一番落ち込んでいたのは、またしばらく料理ができなくなると嘆くほろり。……いい加減、ほろりに厨房を開放してあげればいいのにと、思わないでもない。

 

 別に、休養だけなら宿場町ホルアドでも特に問題はない。どころか、ほろりの料理もあるし、そっちの方が有意義とすら思える。

 それでもそう出来なかったのは、迎えが来てしまったから。

 ヘルシャー帝国から、勇者一向に会いに使者が来るのだとか。

 

 なぜこのタイミングなのかといえば、元々、エヒト神による神託がなされてから私達が召喚されるまで、ほとんど間がなかったらしい。そのため、同盟国である帝国に知らせが行く前に勇者召喚が行われてしまい、召喚直後の顔合わせができなかったのだとか。

 けれど、王宮までの道中にメルド団長から聞いた話では、仮に勇者召喚の知らせがあっても帝国は動かなかったのだと。

 帝国は三百年前にとある傭兵が建国した国であり、冒険者や傭兵の聖地とも言うべき完全な実力主義の国だからである。

 

 ……行ったことはもちろんないけど、その国と七子が相性最悪なのはわかる。

 

 突然現れて人間族を率いる勇者だと言われても、きっと納得しないでしょう。召喚されてすぐの頃なんて、訓練しなきゃまともに戦えない子がほとんどなのだし。

 

 そして今回、オルクス大迷宮の攻略で、歴史上の最高記録である六十五階層を突破したという事実が帝国にも届き、是非会ってみたいと知らせが来た。そして王国もいい時期だと、了承した次第。

 

 


 

 

 そんなわけで私たちが王宮に戻ってきて、さらに三日後。遂に帝国の使者が訪れた。

 

 私達、迷宮攻略に赴いたメンバーと、王国の重鎮達。そしてイシュタル率いる司祭数人が謁見の間に勢ぞろいし、レッドカーペッドの中央に帝国の使者が五人ほど、立ったままエリヒド殿下と向き合っていた。

 

「使者殿、よく参られた。勇者方の至上の武勇、存分に確かめられるがよかろう」

 

「陛下、この度は急な訪問の願い、聞き入れて下さり誠に感謝いたします。して、どなたが勇者様なのでしょう?」

 

「うむ、まずは紹介させて頂こうか。光輝殿、前へ出てくれるか?」

 

「はい」

 

 日本で七子に勧められて読んだ小説でも見たようなやり取りを見せられて、すぐに私達のお披露目になった。陛下に促されるまま、前に出る光輝。

 そして光輝に続き、次々と迷宮攻略のメンバーが前に出た。

 

「ほぅ、貴方が勇者様ですか、随分とお若い……。そしてそちらが、単身であのベヒモスを仕留めたという……」

 

 使者は光輝を見て、すぐにほろりの方に目を移した。ツヴァイヘンダーを背負っているとはいえ、外見は華奢な女の子であるほろり。失礼な態度こそ取らないものの、その目には疑いの色が見える。使者の護衛の一人なんかは、値踏みするように上から下までジロジロと眺める。

 男が女子にするようなことではないし、見ていても腹立たしい。ほろりとて変わりないようで、ツヴァイヘンダーの柄に手をやった。

 

「……すまない。女性にすべきことではなかった」

 

「あっはー。お客様は神様ってのがあたしらの故郷の風習だけどさぁ」

 

 急にほろりの口から出た言葉に、使者も、イシュタル達司祭も耳を傾けた。

 

「これって逆説的に、神様がお客として来ても、失礼であれば叩き出すってことだと思うんだよねー。――どんだけ偉い人なのか知らないけど、次は無いよ」

 

 宗教の権威が凄まじいこの世界で言っていいことじゃないけれど、一応、イシュタルにはその辺の事情を説明してある。日本という小さな島国には八百万の神様がいて、この世界の神、エヒトと違い、身近な存在だと。

 だから、嫌な顔こそすれ、急にほろりを、私達を異教徒だと捕らえたりはしない。住んでいた世界が違うというのは、お互いに知り尽くしているのだから。

 

「部下が無礼を働いた手前、頼みにくいのですが、私の護衛の一人と模擬戦でもしてもらえませんか? 実力を示していただくなら、それが一番手っ取り早いでしょう」

 

「……まぁ、ジロジロ見られるよりマシだけどさぁ」

 

 ほろりも、なんだか疲れたように頷き、イシュタルも頷いた。

 

「構わんよ。海胆岬(うにみさき)殿、その実力、存分に示されよ」

 

「決まりですな、では場所の用意をお願いします」

 

 そうして、料理人対帝国使者の護衛という、字面だけ見れば滑稽な模擬戦の開催が決定した。

 

 


 

 

 ほろりの対戦相手は、さっきジロジロと視姦してきていた護衛だった。平凡、という言葉が南雲君以上に似合う男で、身長は高すぎず、低すぎず。特徴と呼べるものを何も持たず、人混みに紛れたら五人に増えそうな平凡な顔。これはほろりも大して変わらないけれど、あまり強そうには見えない。

 

 刃引きされた、ツヴァイヘンダーほどで無いけれど大型の剣をだらんと無造作にぶら下げていて、一見、構えらしい構えをとっていない。

 

 ほろりもツヴァイヘンダーを抜きこそしたものの、特に構えたりはしない。……というか、剣術はさっぱりなほろりにとって、構えは味方に攻撃手段を知らせる合図でしかない。

 

 両者ともに、ただ見合っている。

 

 ふと、護衛の方が口を開いた。

 

「……珍妙な剣だな。ただの長い剣でもあるまい。銘をなんと言う」

 

 銘とは、簡潔に言うならその武器の名前。日本でも名刀であれば、その名はゲームに使われたりもする。最も有名な名だたる剣であれば、やっぱりエクスカリバーでしょう。

 だけど、ほろりの剣にそんなものはない。ツヴァイヘンダーは種類の名前で、日本刀を刀、西洋剣を剣と呼んでいるようなもの。

 

「死んだお友達が作ってくれた、故郷の世界の異国の剣、ツヴァイヘンダー。銘、ねぇ。……考えたことなかったなー」

 

 会話に応じたほろりは、相手から目を逸らし、自分の持つ剣の方に目を向けた。

 

 それを隙と見たのか、護衛は一息に斬りかかった。

 

「おっと」

 

「む……」

 

 けれど、それは油断ではあっても隙ではなかった。

 ツヴァイヘンダーに限らず、長い武器の弱点は接近戦。長さが仇となり、相手の剣の速さに追いつけず斬られてしまう。

 

 だからほろりは、剣ではなく爪先で、相手の手を受け止めた。

 

「よし決めた。この剣には『竹串』と名付けよう」

 

 ……いやそんな、南雲君が死んでたら形見にあたる剣に竹光(切れ味の鈍い刀、あるいは竹製の偽物)みたいな名前をつけてあげないで。

 

「……剣は使わぬのか?」

 

「使わなくても戦えるんだから、剣以外で戦っても問題はないじゃんさ」

 

 言ってからすぐに、ほろりは攻勢に出た。

 爪先を一度、短く離してからすぐにもう一度蹴って剣を蹴り飛ばす。

 剣を手放してしまった護衛は、敵わず距離をとった。それはほろりでなければ、重量級の武器を持つ相手であれば、模範解答と言える行動。

 

 だけど、相手はほろり。

 

「あたしの故郷では、子供たちは皆こう言うよ。――チャンバラごっこしようぜっ! お前ボールな!」

 

 ほろりはなんの躊躇いもなくツヴァイヘンダーを放り投げ、護衛が後ずさるよりずっと速く駆け寄り、まるでサッカーでもしているように蹴飛ばした。

 

 あと、断じてそんな言葉、定形文はないと、剣道をやってた身として否定したい。

 

 護衛はサッカーボールのように綺麗に飛んでいって、壁に衝突、跳ね返らずに落下した。

 

「はぁ……、はぁ……」

 

「あれ、意外とタフだね。皆より強いんじゃない?」

 

 壁に背を預けて、立ち上がる事もできずに空気を貪る護衛を見て、ほろりは意外そうな顔をした。

 

「ハッ、ハハァ……。まいった、まいった。こりゃ、ベヒモスでも勝てねーわ」

 

「下手な魔物なら、首か腰で捥げて死ぬんだけどね」

 

「そんな威力で蹴ったのかよ!?」

 

「もちろん冗談だけどね。――この程度の力じゃ、ベヒモスを殺せないよ」

 

「手加減してこれかよ……。嬢ちゃんが勇者じゃねぇのか?」

 

 立ち上がらない護衛の言葉に、ほろりは悪い冗談だと言わんばかりに笑った。

 

「はっはー。あたしの本職は料理人だよ。勇者も悪魔も神様も人間と同列にもてなすのが仕事」

 

 ツヴァイヘンダーを拾って、肩に担ぎ直すと、ようやっと護衛は立ち上がった。

 ほろりが「まだ続きやる?」と尋ねるも、護衛はゆっくりと首を横にふった。

 

 だというのに、ほろりは剣を向け、護衛の頬を掠めた。

 戦意のない相手への暴挙にあちこちから驚愕と非難の声が上がるも、イシュタルが錫杖で地面を突き、音を鳴らす事で鎮める。

 

 ほろりがついたのは、護衛の右耳についていたイヤリング。ぶら下がる装飾が歪み、一部が欠けたものが地面に落ちる。

 

 すると、まるで霧がかかったように護衛の周囲の空気が白くボヤけ始め、それが晴れる頃には、全くの別人が現れた。

 四十代位の野性味溢れる男の顔。短く切り上げた銀髪に、狼を連想させる鋭い碧眼、スマートでありながらその体は極限まで引き絞られたかのように筋肉がミッシリと詰まっているのが服越しでもわかる。

 攻撃されたにも関わらず、その顔には怒りではく苦笑いが浮かんでいる。

 

「オイオイ、結構いい値段するんだぜ?」

 

「詐欺はやったほうが悪い。それが故郷の常識なんだけど、こっちじゃ違うの?」

 

 男も、ほろりも、言った後で馬鹿らしくなったのか、見合わせて大爆笑する。

 

 だけど、周囲は違う。

 

「ガ、ガハルド殿!?」

 

「皇帝陛下!?」

 

 なんとびっくり、ほろりに蹴飛ばされた男は、現皇帝、ガハルド・D・ヘルシャーだった。想定外の事態らしく、エリヒド陛下が眉間を揉みほぐしながら尋ねた。

 

「どういうおつもりですかな、ガハルド殿」

 

「これは、これはエリヒド殿。ろくな挨拶もせず済まなかった。ただな、どうせなら自分で確認した方が早いだろうと一芝居打たせてもらったのよ。今後の戦争に関わる重要なことだ。無礼は許して頂きたい」

 

 謝罪すると言いながら、全く反省の色がないガハルド皇帝。それに溜息を吐きながら「もう良い」とかぶりを振るエリヒド陛下。

 

「……しかし、分かってて剣を構えた皇帝を蹴飛ばすか?」

 

「故郷にも天皇っていう、皇帝がいるけどさ。代々その人たちって、現人神、つまりは神様扱いだったりするんだよ。あんなのと比べたら、おじさんなんてただの人だよ」

 

 なんかもう、私たちは置いてけぼりになっていた。周りの様子を見るに、常日頃からあの蹴飛ばされた皇帝はフットワークが軽いらしい。――つまりはいい歳して問題児であるということ。

 それがほろりと出会ってしまい、変な化学反応を起こしてしまった。

 

「……ほろりが寝取られたわ」

 

「え……、七子!?」

 

 手持ち無沙汰になってきたところで、急に視界の外から鈴音のような高い音の声が聞こえてきた。その方向、っていうかほぼ真下を見ると、どこから忍び込んだのか、水色のワンピースを着て、長い髪をポニーテールにした七子がいた。

 

「……なんでこんなとこにいるのよ」

 

「大きい音が聞こえたから、気になったのよ」

 

 ……多分、ほろりがツヴァイヘンダーを放り投げた時の落下音ね。金属の塊だけあって、迷宮で聴き慣れたとはいえ、落ちると非常にうるさい。

 

 ……っていうか。

 

「よく迷わずにこれたわね」

 

「リリアーナに案内させたわ」

 

「王女様に何させてるのよ……」

 

 なんとなしに扉の方を見たら、小さく手を振りながら、逃げるように去っていくリリアーナ王女の姿が見えた。

 

 ほろりの方は話し終わったのか、こっちに戻ってきて、七子を見つけると走って抱きついた。ツヴァイヘンダーを背負ったままだからか、その重量に負けて七子は数歩後ずさる。

 

「やーやー、七子ちゃん。見てた? あたしの快進撃」

 

「快進撃って、別にただ蹴飛ばしてただけじゃない」

 

 タイミング的に見ていないはずなのに、七子は分かっているような口ぶりで返事しながらほろりの頭を撫でる。

 

「それより、あなたにいい知らせがあるわ」

 

「なに? もしかしてプロポーズ?」

 

「それは生きて帰れたらよ」

 

 生きて帰ったら、私達、結婚するんだ。みたいなやりとりに、私達まですっかり緊張感が削がれてしまう。

 

「リリアーナをナン……じゃなくて説得して、厨房を占領したわ」

 

「あなた本当に王女様になにしてるの!?」

 

「えっと、つまりあたしが料理していいってこと?」

 

 七子は私の突っ込みを無視して、ほろりの言葉に頷く。

 

「私も愛子もお腹が空いたから、好きなだけ作りなさいな」

 

「オーキードーキー!!」

 

 ほろりはベヒモスを倒した時よりよっぽど嬉しそうな顔をして、飛び出していった。扉の縁にツヴァイヘンダーの両端が当たって壊れるも、止まらずほろりは去っていく。

 帝国からの使者達が、閉まりきらなくなった扉の方に変な目を向けていて、エリヒド陛下も叱るに叱れず、微妙な顔をしていた。

 

「私はもう行くわ。愛子とリリアーナと三人でしりとりの最中だったのよ」

 

「……あまり言いたくないけど、異世界まで来てやることがそれでいいの?」

 

 返事はもらえず、七子は縁が壊れて動かなくなった扉を蹴り倒してどこかに行ってしまった。

 

 問題児にとって、扉は使い捨てらしい。



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第二章、愛子視点。
第十一話「愛しているわ、愛子。大好きよ」


今話から愛子視点、原作でのハジメの物語を丸々カットし、第三章に当たる部分からスタートです。



 

 

 私にとって教師とは、知識を生徒へと教え、成績の向上に努め、生活が模範的になるよう指導するだけの存在ではない、と考えています。

 もちろんそれらも大事なことですし、七子ちゃんや海胆岬さんを見ていると、この仕事の大変さ、大切さは骨身に染みるほど分かります。

 

 だけどそれ以上に、味方であることこそが、最も重要であると考えています。

 ……そう七子ちゃんに言ったら、「味方であることを辞めた教師なんて文字通り敵じゃない」って、言われちゃいましたけど。

 

 要するに私は、頼れる大人でありたいのです。

 私だってかつては子供でしたから(今も子供扱いされることは多いですけど……)、だからこそ、外での頼れる大人というのが、大人の数の割りに途方もなく少ないのはよく知っているんです。

 

 困ったことがあっても、大人達は『子供の悩みなんてちょっとしたこと』と勝手に決め付けて、助けてくれる大人なんてごく少数。たとえ警察官であろうとも、あるいは学校の先生でも、悪戯はやめなさい、そんな暇はないと、つっぱねる。

 

 そんな大人には、絶対になりたくないのです。

 

 ……けれど、幾ら味方であり続けても、力がなくてはどうしようもない。そういう現実を、今いる非現実的な世界は理不尽に叩きつけてくる。

 気がつけば生徒達のほとんどは私の手の届くところから離れ、私自身も流されて、遠ざけられて、望んでもいない戦争の準備をさせられている。つい少し前までペンを持っていた子達が、今やみんな武器を持って日々を過ごしている。

 

 味方でいることすら、私にはできていなかった。

 あろうことか、生徒に味方になってもらってしまっている。慰められてしまっている。

 理不尽な世界でも変わらずに一定の距離を保ち続けていられる七子ちゃんの方がおかしい、なんて言い訳でしかありません。

 

 王宮に戻って来てみれば、一人が死んでしまったと悲報が聞かされるし、生徒達の目の色は、日本にいた時のものとは違うものになってしまっていた。

 元々戦争に否定的だった七子ちゃんと、日本にいたときから一貫して料理人であり続ける海胆岬さん。

 生徒達の中でも飛び抜けて非現実的だった二人だけが変わらずいてくれるのは、なんて立派な皮肉でしょう。

 

 そして私は、またも流されてしまう。

 

 戦争に参加したくないと、戦いたくないと嘆く生徒達の味方でありたくて、私は「戦え」と言い続ける教会、貴族に立ち向かった。これが間違いだったとは、思いたくない。

 

 確かに、生徒への働きかけは無くなった。

 

 そこまでは良かった。

 問題は、戦争は嫌だけど、農地を巡る私の護衛はしたいと言ってくれる生徒達。一人の人間として、気持ちは嬉しい。だけど教師としては、やめてくれと言いたくて仕方がない。というか、言った。確かに言ったはずである。

 護衛なら騎士の人たちがしてくれる。だから生徒達には安全な場所に居続けて欲しい。そういう旨を、授業でもするかのように伝えたはずなのに、逆にそれが生徒達を焚きつけてしまった。

 

 結局押し切られてしまい、同行することになってしまった。

 

 七子ちゃんの「引きこもりをいつまでも守り続ける義理は彼らには無いし、外に出した方が安全かもしれないわね」という言葉が、せめてもの私の心の救いだった。

 ……生徒にこんなことを言わせてしまい、別の場所が心苦しくなりましたけど。

 

 


 

 

 

 今日で、帝国の使者がハイリヒ王国に来訪して来た日から大体二ヶ月が経つ。

 私たちは馬車に揺られ、新たな農地の改善へと向かっている。目的地は湖畔の町、ウル。

 

「……ブス」

 

「スカスカ頭の脳無し人形」

 

「……うるさいです」

 

「炭でも食べてまずは中身から洗浄しなさいな」

 

「……泣きむし」

 

「実家の隣がボロ墓場」

 

「……バカ」

 

「蛙の子は蛙というわけね。井の中から出直して来なさいな」

 

「七子ちゃんのアンポンタン!! ……あ」

 

「ハイ負け。もっとよく考えてからものを言いなさいな」

 

「終わっても続くんですか!?」

 

 馬車での移動というのはどうしても退屈なもので、七子ちゃんとの()()()()が白熱してしまった。

 ……園部さん達の目が痛いです。

 

「……なにやってんの?」

 

「ただのしりとりよ。勝った方が次のルールの決定権を得るの」

 

「……今のは罵倒縛りでしたね」

 

 もちろん、罵倒縛りを決めたのは七子ちゃんでした。ちなみにその前は擬音縛り。これは私が決めましたが、すぐに負けちゃいました。

 

「……アンポンタンって、絶対に数年前大学生をしてた女子の罵倒じゃないわよね。実は昭和生まれ?」

 

「なんで終わったのに罵倒が続くんですか!?」

 

「じゃあ、次のルールは愛の告白縛り。ギブアップはもちろん無しよ。暇ならあなた達もやる?」

 

 七子ちゃんは、護衛の騎士さん達や、園部さん達を誘う。けれど全員が揃って無言で首を横に振った。

 

「あら、残念」

 

 七子ちゃんはそう言いながら、んっん、と喉の調子を整えてこっちに向いた。それは、このゲームの開始の合図。

 

「愛しているわ、愛子。大好きよ」

 

 いつもの鈴みたいに高い声じゃなくて、一つ低い、渋みのあるけれど、それでも可愛い声での告白。

 私は顔が真っ赤になるのを感じながら、よ、から始まる告白を考える。

 

「よ、よろしければ、付き合ってください」

 

 こう、セリフでしりとりをすると、どうしても語尾がついてしまう。この語尾をどうするかで、しりとりに新たな戦略が生まれるんです。

 

「いつまでも一緒にいたいわ」

 

「……私と一緒にいてください」

 

「一生大事にするわ」

 

 ……い、はダメかもしれません。

 ていうか、なんでそんなポンポン、恥ずかしげもなく言えるんですか。

 

「……私との関係、一歩先へと進めませんか」

 

「可愛いあなたの、可愛くないところが嫌いじゃないわ」

 

「私じゃ、ダメですか?」

 

「彼女になってください」

 

「……いつからか、あなたのことが好きになっていました」

 

「たった一度の人生、共に死ぬならあなたがいいわね」

 

「……願いが一つ叶うなら、私はあなたの恋人でありたい」

 

「一緒にここを出よう。一緒の家に住んで、一緒にご飯を食べるんだ」

 

「誰かじゃなくて、あなたがいいんです」

 

「好きな人に別の好きな人がいても、私は好きでい続ける。だから覚悟しておきなさいね」

 

 ね……、ね?

 ねなんて、そもそも『ね』から始まるセリフがそうそう思いつかないのに……。

 

「……寝ても覚めても、あなたのことばかり考えてる私がいます。まだ起きてるかな、もう寝てるかなって。おかげですっかり、私は寝不足です。勉強も集中できないし、成績が下がりました。……責任、とってくださいね」

 

 長くなったし、ズルいかもしれない。

 だけど暗黙の了解というか、明文化していないルールとして、可愛ければ、格好良ければ、面白ければそれでよし、というのがある。それは七子ちゃんから言い出したことで、良かったのか、なにも言わずに悩み始めた。

 ……これ、下手に許された方が本気っぽくて逆に恥ずかしいですね。

 

「眠るお姫様は王子様に犯されることで救われて、結ばれた。でも私は起きている。そしてあなたも起きている。だったらどっちがお姫様かなんて、些細な問題だと思わない?」

 

「……それ、告白ですか? あ」

 

 今、冷静になっていなかった私の脳が忘れていた、今度は明文化されたルール――しりとりになっていないことは言ってはいけない。

 

「……告白と認められなかった私の負けね」

 

「……もう、どっちの負けでもいいですよ。それより恥ずかしすぎてドロドロした何かを吐きそうです」

 

 もう、顔どころか指先まで熱くなってる気がする。

 だというのに、七子ちゃんはいつも通り平然としていて、何か大人としての敗北感のようなものを感じてしまう。

 

 次のルールは、人名縛り。

 社会科教師としての腕の見せ所です。

 

 

 ……異世界まで来て、なんでこんなに本気でしりとりしてるんでしょう、私。

 

 

 


 

 

 

 さらに四日間馬車に揺られて、ウルの町に到着しました。

 

 ひとまずは旅の疲れを癒しつつ、ウル近郊の農地の調査と改善案を練る作業です。

 

「……あの、七子ちゃん? 動きにくいっていうか、やりにくいんですけど」

 

「気にしなくて構わないわ」

 

「私が構うんです!」

 

 生徒達の多くが私を『愛ちゃん先生』と親しげな呼び方をするのもそれはそれは遺憾なのですが、七子ちゃんの場合、親しげを超えて近しいのレベル。それも物理的に。

 唯一無二の親友だという海胆岬さんが近くにいないのがよっぽど寂しいのか、最初のうちは出発前に馬車に詰め込まれた本を読んで大人しくしていたのに、それらも道中に飽きるほど読んでしまったらしく、それからはこうして背後や前から、外なら腕に抱きついてくるようになってしまいました。

 

 子供達から頼られる大人になりたいとは確かに言いましたが、お母さんになりたいと思ったことなんて一度もありません!

 

 しかも香水の類ではなく、昔からの体臭らしい甘い香りと、子供のように高い体温で、こっちまで眠くなって来てしまう始末。二重の意味で仕事が捗らない。宿の部屋で出来る作業が終わったら一度みんなに自由時間を設けて、今ある本を売り払って新しい本を買いに行く予定ではありますが、……このままじゃ、それもいつになることやら。

 

「……七子ちゃん。これが終わったら本屋さんに連れて行ってあげますから」

 

「そう、ありがとう」

 

 ……伝わらないなぁ。

 普段ならなにも言わなくてもわかってくれるのに、こういう時は遠回しに伝えてもなかなか離れてくれない。

 

「離れてくださいって言ってるんです」

 

「……私は邪魔?」

 

「……はい。作業が捗りません」

 

「そう……」

 

 一応、正直に言えば離れてはくれる。だけど思わず、ベッドで枕を抱きながら無気力そうにしている七子ちゃんを見てしまって、罪悪感のようなもので心が痛む。

 私は確かに、お母さんと思われるのは複雑ですけど、だけど別に、生徒に寂しい思いをして欲しいわけでもない。くっつかれるのは正直勘弁して欲しいところですが、会話くらいならいくらでも出来ます。それがこの世界でもできる、数少ない先生らしいことですから。

 

「七子ちゃんは、どうして私に同行するんですか? それこそ、海胆岬さんと一緒にいることも出来たのに」

 

「……図書館の本も、国の本屋に出回っている本も、大体読み切ってしまったのよ。だから残る理由がなかったって、それだけよ」

 

 初めて授業で出会った時から、七子ちゃんはよく本を読んでいる子だなとは、思っていた。

 というか、まぁ、出会う前から知ってはいました。

 中学校でも海胆岬さんとやんちゃしてたみたいで、二人の噂は近隣の高校にまで届いていましたし、その二人が受験して来たとあって、それはもう、職員室が大騒ぎでした。

 

「ああ、あと、どうせ何時かは外に出るつもりだったわ。この世界の神、私達を苦しめている元凶、私から本とパソコンを奪い、ほろりの弁当を粗末にした生きる価値のない愚か者、エヒトを殴って土下座させるための手がかりを探しに」

 

「一人で、ですか?」

 

「当たり前じゃない。ほろりと一緒にいても、探す範囲が一人分増えるだけだし。手分けして探した方が早いわ」

 

 ……本当に、目的が一貫している。

 そういうところはどうしても、眩しく見えるし尊敬してしまう。私と違って流されないし、自分の意思一つで行動を決めている。

 悔しいですが、私よりずっと大人に見えてしまう。

 だからこそ、子供らしく甘えてくれるのを嬉しく思っている私がどこかにいる。この子の為の大人でいられると、安堵している私がいる。

 

「……だから愛子に同行しているのは、そのついで程度のもので、好都合だったからよ。私は方向音痴だから、どうしても路頭に迷う危険があるもの」

 

「路頭に迷うが文字通りの例は初めて聞きましたよ」

 

 きっと七子ちゃんは単独行動が得意で、でも独りが苦手な子なんだと思います。矛盾しているようでしていない。だからこそ、何かに依存していないと、掴まっていないと、歩くべき道を見失ってしまう。

 流されて、流されて、最後には真っ暗で何も見つけられないまま、独りで死んでしまう。生きてしまう。

 誰かが一緒にいてあげないといけない。

 八重樫さんも言っていましたが、私からしても、目が離せない。できることなら、出入口の無い部屋で大人しくしていて欲しい。

 

 きっと、暗闇まで流されきってしまったら、七子ちゃんを見つけられるのは海胆岬さんだけですから。

 

 

 



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第十二話「俺、日本に返ったら香織と結婚するんだ」


 

 

 ウルに来てから、早二週間になります。

 仕事は順調。農地の拡大、改善は予定通りに進行していて、うまくいけば近いうちに次の町へと移ることになるでしょう。

 ……そう、うまくいけば。

 

 今も私を不安と心配で締め付けているのは、一人の生徒が行方不明になったからです。

 私の護衛隊として同行していた、清水幸利君。彼は二週間と数日前に、なんの前触れもなく失踪しました。

 

 あるいは、護衛隊に参加したことそのものが、前触れなのかもしれません。

 

 元々大人しい、インドアな生徒で、七子ちゃんとは全く別の意味で社交性が高くなかったですし、特別親しい友人がいるわけでもなさそうでした。だから護衛隊に参加したことには、私以上にクラスメイト達が驚いていたくらいです。

 

「愛子、あまり気を落とすな。まだ、何も分かっていないんだ。無事という可能性は十分にある。お前が信じなくてどうするんだ」

 

「そうですよ、愛ちゃん先生。清水君の部屋だって荒らされた様子はなかったんです。自分で何処かに行った可能性だって高いんですよ? 悪い方にばかり考えないでください」

 

 そう声をかけてくれるのは、護衛隊隊長のデビットさんと、生徒の一人である園部さん。他にも騎士達と生徒達が口々に私を気遣うようなことを言ってくれて、嫌でもこのままではいられなくなる。

 

「皆さん、心配かけてごめんなさい。そうですよね。悩んでばかりいても解決しません。清水君は優秀な魔法使いです。きっと大丈夫。今は、無事を信じて出来ることをしましょう。取り敢えずは、本日の晩御飯です! お腹いっぱい食べて、明日に備えましょう!」

 

 声だけでもテンションを上げて、自分の心に鞭打ってでも立ち直させる。

 

 

 私達が宿泊している宿の名は、『水妖精の宿』という、歴史のある高級宿です。

 一階部分がレストランになっていて、なんと、この街の名物であるお米料理が数多く揃えられていています。

 王宮とは違い、落ち着きのある内装をしていて、地球でも人気店になれそうな、歴史を感じさせる老舗のようなところ。

 

 ……正直、高級すぎて落ち着かないんですけどね。

 そう言って他の宿にしようと提案しましたが、『神の使徒』『豊穣の女神』なんて呼ばれている私や生徒達を普通の宿に止めるのは良くないとかで、結局お世話になってしまっています。

 

「私は七子ちゃんを迎えに行って来ますね。皆さんは先に食べててください」

 

 最初の頃こそ、こう言ってもみんな注文せずに待ってくれていましたが、流石に慣れてしまったみたいで、「は〜い」と、軽い返事が幾つか飛んできました。

 

 料理の匂いと、慌ただしくもリズミカルな調理の音に食欲を誘われながらも、階段を上がり、私達が宿泊している部屋の扉をノックしてから入る。

 

「七子ちゃん、晩ご飯の時間ですよ」

 

「……ん」

 

「七子ちゃん?」

 

 今はベッドで読書ではなく、机で何かをしているみたいで、呼び掛けても顔も向けないで、ペン先が机を叩き、紙を撫でる音の方が良く聞こえる程度の相槌だけが返ってくる。

 邪魔をしては悪いですし、そっと手元を覗き込んで、私は呼吸を忘れた。

 

 七子ちゃんが旅の道中に、買っては売り払いを繰り返し、厳選された紙とペンで書かれていたのは、久しく見ていない、日本語の文章でした。

 

 召喚された私たちに一人の例外もなく与えられた技能、『言語理解』は、この世界の言語を完全に、日本語以上に文字通り完全に、私達に言語を理解させています。おかげでこの世界の人たちと話せるし、日本語でも英語でもない文字だって何も問題なく読める。……読めてしまう。

 メモを取るだけにしても、日本語で書く生徒なんていませんし、私だってこの世界の言語で文字を書きます。

 言語とは理解力だけで扱いの変わるものですから、日本語より得意な言語ができてしまった以上、無意識にそうなってしまうんです。

 

 だから、ちゃんと日本語の文章を見たのは何ヶ月ぶりのことです。

 

「七子ちゃーん?」

 

「……ん」

 

 嫌に懐かしいですね、……このやろう。

 思いかえせば、授業中にもノートパソコンを開いてはずっとキーボードを叩いていた。作業を邪魔されるまで反応もしないから、何度も授業中に注意をしては、今みたいに無視されてきました。

 

 日本にいた時と同じように、タイミングを見計らって手元に手を差し出す。

 ちょうど紙とペンが離れたところで手が止まり、七子ちゃんは私の顔をじっと見つめる。……いえ、違いますね。今見ているのは、私ではなく、その先の窓。

 

「……もうこんなに時間が経っていたのね」

 

「晩ご飯の時間です、一緒に行きますよ。遅くなるとお店の人に迷惑ですから」

 

「ええ、わかったわ」

 

 ペンをトレーに置いて、インク瓶に蓋をしてから七子ちゃんは席を立った。

 首や肩から、折れてるんじゃないかってくらいのゴキゴキという関節を鳴らす音が聞こえてきて、こっちまで肩がビクってなる。

 

「何を書いてたんですか? やっぱり小説?」

 

 日本ではずっと、本を読むか小説を書いていたと思う。進路希望調査には進学でも就職でもなく、小説家と書いて進路相談室を騒然とさせたとか。

 だけど、違ったみたいで七子ちゃんは首を横に振った。

 

「小説じゃなくて、小説家よ」

 

「はい?」

 

 書いていたのは小説ではなくて、小説家を書いていた、って言いたいんですかね。……私も本は読みますが、良くわからない言い回しですね。

 

「私には大した文才が無いのよ。だから色々書いて練習していたわけだけど、今日は別の方法を模索してみてるの」

 

「それで、どんな方法を?」

 

 喋りながら部屋を出て、しっかりと鍵を閉める。盗んでお金になるようなものなんてほとんどありませんが、それでも女性二人が泊まる部屋ですもの。

 

「文才が無いなら作ればいいじゃない、という結論に至ったのよ」

 

「いや、そんな、マリーアントワネットじゃ無いんですから……」

 

 それが出来たら、人は努力なんてしませんよ。

 と、言いたくもなったけどそれは言わない。それは、七子ちゃんのしていることが、例え遠回りであろうとも、努力では無いと断じてしまうことになりますから。

 

「とてつもなく遺憾だけれど、私のやろうとしていることはエヒトの真似事でもあるわ」

 

「そうなんですか? この世界の神話は、座学程度にしか知らないんですけど」

 

 その辺りの知識量は、確実に七子ちゃんに負ける。……訓練も何もせず、ずっと本を読んでるわけですからね。

 

「この世界の創世神、真名エヒトルジュエは、手駒として眷属、『神の使徒』という存在を生み出していたわ。キリスト教で言うところの天使に当たるわね」

 

「え?」

 

 神の使徒といえば、それは教会関係者を初めとした人たちが、召喚された私たちを指し示す言葉でもあった。その人たちが、エヒトの手駒にして眷属を神の使徒と呼ぶことを知らない筈がない。

 

「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ」

 

 それじゃあまるで、私たちを眷属と、手駒と呼ぶみたいじゃないですか。

 キリスト教の聖書でも、天使は神に決して逆らえない存在だった筈です。唯一神を越えようとしたのが、堕天使ルシファー。

 

 ……仮に、本当にもし仮に、私達が戦争に参加したとして、魔人族に勝ったとして、地球に帰してもらえる可能性が少しでもあるんですか?

 

「今日の夜にはお披露目できるだろうから、楽しみにしていなさいな」

 

「いや、あの……、なんでもないです」

 

 今は、きっと言わない方がいいんでしょうね。

 無為に絶望だけさせていては、教師失格です。絶望させうる可能性を伝えるのは、希望に繋がる可能性を発見した後でも遅くはない筈ですから。

 

 それに、七子ちゃんが同じようなことを考えついていても不思議ではありません。

 今は、珍しく年相応に楽しそうにしている七子ちゃんの邪魔になりたくない。

 

 

 


 

 

 七子ちゃんを連れてきた私も生徒達と同じテーブルに着き、夕食に舌鼓を打つ。

 毎晩テンションが上がりっぱなしの生徒達のようには、はしゃげませんが、それでも日本の料理に似た食事には、舌から胃まで喜ばざるを得ません。

 王宮で海胆岬さんが作ってくれた、ほとんどが洋風とはいえ地球の味付けの料理。あれもすごく良かったんですが、日本らしいといえば、この町の料理でしょうから。七子ちゃんも「ほろりのほどじゃない」なんて言いながらも、ちゃんと美味しそうに食べている。

 

「皆様、本日のお食事はいかがですか? 何かございましたら、どうぞ、遠慮なくお申し付けください」

 

「あ、オーナーさん」

 

 話しかけてきたのは、この宿のオーナーである、フォス・セルオさん。背が高くて、細い目は穏やかで、白髪混じりの髪をオールバック。宿の雰囲気に合う、落ち着いた人柄の男性です。

 

「いえ、今日もとてもおいしいですよ。毎日、癒されてます」

 

 それなりの期間お世話になっていますから、意識せずとも、お礼を言う時には作り笑いができてしまう。オーナーさんも「それはようございました」と微笑み、……しかし、次の瞬間にはその表情を曇らせました。

 その似合わない表情に、何事かと、七子ちゃん以外のみんなが手を止めてオーナーさんに注目しました。

 

「実は、大変申し訳ないのですが……香辛料を使った料理は今日限りとなります」

 

「えっ!? それって、もうこのニルシッシルが食べれないってことですか?」

 

 園部さんがショックを受けながら言った、ニルシッシルとは、地球で言うところのカレーに当たります。見た目はなぜかシチューのように白っぽいですが、味はカレーと呼べるほどに近く、そして美味しいものです。

 それが食べられなくなるショックは、私にとっても決して小さなものではありません。心の支えの一つに間違いなくなっていたものですし、カレーライスは生徒達の大半の好物でもありますから。

 

「はい、申し訳ございません。何分、材料が切れてしまいまして……。いつもならこのような事がないように在庫を確保しているのですが、ここ一ヶ月ほど北山脈が不穏ということで採取に行く者が激減しております」

 

 と、オーナーさんは語る。

 

「つい先日も、調査に来た高ランク冒険者の一行が行方不明となりまして、ますます採取に行く者がいなくなりました。当店にも次にいつ入荷するかわかりかねる状況なのです」

 

「あの……、不穏っていうのは具体的には?」

 

「何でも魔物の群れを見たとか……。北山脈は山を越えなければ比較的安全な場所です。山を一つ越えるごとに強力な魔物がいるようですが、わざわざ山を越えてまでこちらには来ません。ですが、何人かの者がいるはずのない山向こうの魔物の群れを見たのだとか」

 

「それは、心配ですね……」

 

 それに、場合によっては町そのものが危うい可能性だって十分にある。

 日本では熊一匹が町に降りてくるだけで大騒ぎになりますから、幾ら異世界といえども、全人類が戦えるわけではもちろんありませんし、騒ぎになるほどの魔物は熊よりずっと強い筈です。

 

 オーナーさんは、申し訳なさそうに「食事中にする話ではありませんでしたね」と言ったものの、この場の雰囲気を盛り返すように明るい口調で話を続けた。

 

「しかし、その異変もそう遠くないうちに収まるかもしれません」

 

「どういうことですか?」

 

 みんなが首を傾げる中、私が代表して尋ねた。代表というかまぁ、単に好奇心が先走って、それが誰よりも早く口から出ただけなんですけども……。

 

「実は、今日のちょうど日の入り位に新規のお客様が宿泊にいらしたのですが、何でも先の冒険者方の捜索のため北山脈へ行かれるらしいのです。フューレンのギルド支部長様の指名依頼らしく、相当な実力者のようですね。もしかしたら、異変の原因も突き止めてくれるやもしれません」

 

 実力のある冒険者、と言われても正直ピンとはきませんが、騎士団の人たちの反応をみるに、一目置くに足る存在ではあるみたいです。

 

「おや、噂をすれば。彼らですよ、騎士様」

 

 オーナーさんが言うものですから、私も、その方向に意識を向ける。すると聞こえてくるのは、男性と、少女二人の声。どうも、少女の一人が男性に文句を言っているらしい。

 

「彼等は明朝にはここを出るそうなので、もしお話になるのでしたら、今のうちがよろしいかと」

 

 オーナーさんの言うことの何かがおかしいのか、騎士団の人達は困惑したように顔を見合わせていました。

 

「……愛子。この退屈な二ヶ月、無駄ではなかったみたいよ」

 

「はい?」

 

 食べながらも話を聞いていたらしい七子ちゃんは、カーテンの向こう側を目で指し示しながら、私にそう言いました。

 私達がどうしても目立つため、簡易的な個室にするために閉めてもらっているカーテン。その向こうから、騒がしめの会話が聞こえてくる。

 

「もうっ、何度言えばわかるんですか。私を放置してユエさんと二人の世界を作るのは止めて下さいよぉ。ホント凄く虚しいんですよ、あれ。聞いてます? ()()()さん」

 

「聞いてる、聞いてる。見るのが嫌なら別室にしたらいいじゃねぇか」

 

「んまっ! 聞きました? ユエさん。()()()さんが冷たいこと言いますぅ」

 

「……()()()……メッ!」

 

「へいへい」

 

 ……ハジメ?

 私の記憶が間違っていなければ、それは南雲君の下の名前のはずです。授業中に居眠りをしていることが多くて、あまり返事をしてもらえない、彼の名前であった筈です。

 同名の他人、という可能性もある。声の雰囲気も変わっている気がするし、口調にも違和感がある。

 

 もし違ったらと思うとカーテンを開ける勇気が出ず、悶々としていると。

 

「私が作るまでもなく、南雲ハーレムは出来始めているみたいね」

 

「七子ちゃーん!?」

 

 七子ちゃんは一切の躊躇いもなくカーテンを開けてしまいました。

 

「あ? …………げ」

 

 そこにいた、白髪で、鋭い目つきをしている、南雲君だと言う可能性を知らなければ絶対にわからないくらい変貌している南雲君は、こっちを、というか七子ちゃんを見た途端にあからさまに表情を歪めて真後ろに向き、逃げ出そうとしました。

 

「私は白雲派(白崎×南雲)だったのだけど、あなた達に期待していた私の気持ち、どう責任を取ってくれるのかしら」

 

 けれど外に出るより前に、扉まであと数歩という所で、飛び出していった七子ちゃんに蹴り倒されてしまいました。って、何をしてるんですか!?

 

「ああ、泣きそうだわ。今にも子供みたいに泣き出して、ありもしないあなたと香織の甘ったるい恋愛劇場を叫びそうだわ」

 

 南雲君が連れていた女の子二人がほとんど同時に名前を叫んで、七子ちゃんには敵意を見せて睨みますが、七子ちゃんは気にせずに、南雲君を立ち上がらせまいと背中を踏む。

 

「七子ちゃん! 喧嘩はダメっていつも言ってるじゃないですか!!」

 

「いや、先にこっちの心配しろよ、先生……」

 

「あ……」

 

 彼は今、間違いなく私のことを先生と呼んだ。もう間違いようがなく、色々変わってしまっていますが、彼は死んだと思われていた南雲ハジメ君です!

 

「ほら、口に出して言いなさいな? 『俺、日本に返ったら香織と結婚するんだ』って」

 

「死亡フラグじゃねぇか! 死んでると思ってた奴が生きてたのに殺そうとする奴があるか!?」

 

「死にたくなくば、死になさいな」

 

 七子ちゃん? ご機嫌なのはいいですけど、とりあえず、足を降ろしてあげましょう?

 




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第十三話「これからの不可思議可思議先生のご活躍にご期待ください」


 

 

 南雲君との再会がよっぽど嬉しかったのか、散々遊び倒してようやっと足を離した七子ちゃんは相も変わらず上機嫌で、食事を終えてから、蹴られて踏まれてと散々な目にあっている南雲君の対面に座りました。私も残りをかっこんで、急いでその隣に座ります。

 

 ニルシッシルを大層楽しみにしていたようで、美味しそうに食べる南雲君。その両隣には、七子ちゃんに負けず劣らずの美少女が二人。

 金髪赤眼で、私とあまり変わらないくらいの背丈なのに、間違いなく『可愛い』ではなく『美しい』の部類に含まれる少女と、亜人族の一種、兎人族であろう、白ウサギを彷彿とさせる、可愛らしい女の子。

 二人もニルシッシルに舌鼓を打ちながらも、あからさまに七子ちゃんに警戒心を向けている。

 

「えっと、南雲君? それでそちらの女性たちは……」

 

 食事を残したら殺す。という精神の持ち主である海胆岬さんの影響か、七子ちゃんは食事中である二人の邪魔にならないようにただ対面に座っているだけだけれど、私は我慢仕切れずに、ひとまず誰かもわからない二人について問いました。

 

 すると二人とも、私にまで警戒心を向けながら、衝撃的すぎて驚きの声をあげることすらできない自己紹介をしてくれました。

 

「……ユエ。ハジメの女」

 

「シアです。ハジメさんの女ですぅ!」

 

 お、女?

 いや、ええ? 確かに七子ちゃんが『南雲ハーレム』なんて、悪趣味な組織の存在をほのめかすことを言ってましたけど、……ええ?

 

 そして七子ちゃんも何の対抗心なのか、妙な自己紹介をしました。

 

「私は南雲七子。ハジメの姉よ」

 

 いや、いや、いや。

 いろんな意味で無理がありますって。本人が目の前にいますし、嘘をつくにしても身長的に妹じゃないですか。

 ユエさんとシアさんも不思議そうに、七子ちゃんと南雲君の顔を交互に見比べ始めてますし。

 

「急に意味もなく嘘をつくな。……このちっさいのは、七五三(しめ)七子(ななこ)だ。隣のちょっと高いけどちっこいのが畑山愛子先生」

 

 視線を鬱陶しそうにしながら、南雲君は簡潔に私たちを紹介します。って誰がちっこいですか!!

 

「人類皆兄弟という言葉を知らないの? それは随分と暗い日々を過ごしてきたのね」

 

「そりゃ奈落の底に居たからな。あとあんたらに関しては人類だとすら思っていない」

 

「さすがサイボーグ。言葉が冷たくて愉快極まりないわ」

 

「……そこまでわかるのかよ」

 

 え、サイボーグ?

 それって、身体を機械に改造したりとか、って、そういう奴、ですよね? 片腕だけ、妙に丈夫そうな鎧をつけてるとは思いましたけど……、まさか、ですよね?

 

「私は蹴飛ばした人間のことは踏みにじるようにわかるのよ」

 

「マジで踏む奴があるかよ。……てか、待て。今の俺って天之川より大分強くなってる筈だぞ。なんで蹴飛ばせてんだよ」

 

「秘密は女を綺麗にする、という言葉まで暗闇に忘れてきたみたいね? こんな可愛くて綺麗な美少女に秘密が無いわけが無いじゃない」

 

 自分で言いますか、それ……。

 

「……あなた、ハジメのなに?」

 

 思わず呆れていると、ユエさんの方から七子ちゃんに問い掛けられました。

 確かに、彼女だというのなら気になりますよね。……彼氏の姉を騙る謎の美少女とか。

 

「もちろん、お友達よ」

 

「殺すぞ」

 

 南雲君、そこまで強烈な否定をしなくても……。でも、再会早々に蹴られて踏まれてますし……。私はどっちから叱ればいいんでしょう。

 

「じゃあ妹でいいわ」

 

 じゃあって。

 せめて嘘でも誤魔化す努力はしましょうよ。南雲君も黙っちゃったじゃないですか。

 

「……真面目に答えて」

 

 ユエさんが真剣な表情で言うと、鏡合わせのように、七子ちゃんも少し表情を引き締めました。

 

「真面目に、と言うのなら真面目に聞きたいのだけど、私ってあなたの何なのかしらね?」

 

「敵だ」

 

 真剣ながらもやっぱり楽しそうな表情は、ユエさんではなく南雲君の方に向いている。

 その表情は冷たくあしらわれても変わらず、ジッと南雲君に向き続けている。

 

 十秒くらいずっと向き合った後、根負けした南雲君は鉛のように重いため息を吐いた。

 

「ただの同胞、クラスメイトだ。別に友達でも兄弟でも、ましてや恋人でもなんでも無い」

 

 冷たく、だけどきっと真実な言葉。七子ちゃんも「あら、残念」と言って、店員さんを呼びつけ、何か飲み物を注文しました。

 

 七子ちゃんは満足したみたいですけど、私はまだ満足も納得もしていません。聞きたいこと、話したいこと、沢山あるんです。

 

 


 

Q、橋から落ちた後、どうしたのか?

A、超頑張った

 

Q、なぜ白髪なのか

A、超頑張った結果

 

Q、その目はどうしたのか

A、超超頑張った結果

 

Q、なぜ、直ぐに戻らなかったのか

A、戻る理由がない

 


 

 

 何を聞いてもおざなりにしか答えてくれなくて、答えの雑さがエスカレートするごとに七子ちゃんが爆笑し始めて、思わず私は、「真面目に答えなさい!」と、怒鳴りつけてしまいました。

 案の定、南雲君も七子ちゃんも、柳に風が吹いていると言わんばかりな様子だし、ユエさん、シアさんと感想を言い合いながらニルシッシルに舌鼓を打っている。

 

 なんかもう、「問題児がもう一人増えちゃったなー」なんて、半ば他人事のように思えてきてしまう。問題児筆頭である七子ちゃんも、見た目ではどんな味なのかもわからない、血のように真っ赤なジュースを美味しそうに飲んでいますし。

 

「おい、お前! 愛子が質問しているのだぞ! 真面目に答えろ!」

 

 そんなこのテーブルの様子に、護衛隊隊長のデビットさんが、拳をテーブルに叩きつけながら大声を上げました。

 南雲君も七子ちゃんも、ユエさんにシアさんまで、チラリと見てすぐに手元へと視線を戻しました。

 

「食事中だぞ? 行儀よくしろよ」

 

 全く相手にされていない態度に、神殿騎士にして重要人物である私の護衛隊長を任されているだけあって、その高まり過ぎたプライドが爆発したみたいです。我慢ならないと顔を真っ赤にして、何を言っても雑な答えしか返さない南雲君から、ついに矛先を変えました。その血走った視線の先にいるのは、シアさんです。

 

「ふん、行儀だと? その言葉、そっくりそのまま返してやる。薄汚い獣風情を人間と同じテーブルに着か」

 

 トン、と。言葉の途中で鳴ったその音は、一時停止したかのようにデビットさんの言葉を途切れさせた。

 その音は、七子ちゃんの持っている、空のグラスがテーブルを叩いた音でした。

 

「ここはレストランよ。人だろうと獣だろうと神だろうと、料理人が客だと言えば客でしかない。客ではなく騎士だと言うのなら、剣を抜くのなら、実家の畑からやり直しなさいな。不愉快極まる。ほろり風に言うのなら、不味い」

 

 侮蔑がじっとりと染み付いたような目で、七子ちゃんは睨みつけた。

 最初に怒ったのは私です。でもそれは南雲君の態度、物言いにであって、女性を二人侍らせていることには、別に怒ってはいませんし、非もありません。そりゃ、日本人としてハーレムはどうなんだとは、今でも言いたいですけど。

 だから、デビットさんの言葉は私からしても不愉快ですし、他の騎士の人達がシアさんに向けた目も、酷く悍ましいものに見えてしまいました。

 

「ここはレストラン、食事をする場所よ。兎を狩りたければ山に行きなさいな」

 

 デビットさんは、逆上して剣を抜こうともしましたが、すぐに正気に返り、小さく悲鳴を漏らしました。勇者、天之川君ですら七子ちゃん相手の口論では全敗し、時には目で黙らせて口論にすらならないこともあった。そんな絶対零度の視線を向けられて、戦意も敵意も、畏怖で塗り潰されてしまった。

 顔を青白くさせて、デビットさんは席へと戻って行く。他の騎士の人たちも、気まずそうに、こっちから目を逸らした。

 

「……あの、ありがとうございます」

 

 七子ちゃんの威圧的な目に当てられたのか、シアさんは怯えながらも、スプーンを置いて礼を言った。「別に」と返すその顔には、既に威圧の色なんて全く見えず、赤らんだ頬を隠すように顔をそらした。揺れる髪からはいつもの甘い香りが漂ってきて、でもそれだけじゃなくて、うっすらですけどお酒臭いような……。

 

「っ!」

 

 七子ちゃんの持っていたグラスを嗅げば、案の定、普通のジュースには無い独特な臭いが鼻腔を擽った。

 

「七子ちゃん! まさかっ、お酒飲んじゃったんですか!?」

 

「別に、酔った勢いで黙らせたわけじゃないわ」

 

「酔った勢いであんなこと言ったんですか!?」

 

 ちょっとかっこいい、なんて思ったのに。それが酔っ払いの所業だと思った途端、あの言葉が理不尽な気がしてきました。

 

「あ、ちょっと!」

 

 七子ちゃんは顔を隠すように立ち上がり、気持ち足早にここから去っていく。あの先は、……浴場?

 

「お酒の後にすぐお風呂は危険ですよ!!」

 

「いや、注意するのそこじゃないだろ。未成年飲酒」

 

 七子ちゃんは聞こえていたのか、いないのか、小さく手を振りながら、行ってしまいました。

 

 


 

 

 七子ちゃんが行ってしまってからも、食べ終えた南雲君達と幾らかお話をしました。

 金属に覆われているように見えた片腕は本当に義手で、眼帯に隠された目も、特殊な鉱石で作ったアーティファクトが収まっているそうです。それから、奈落の底から這い上がるために作ったという、銃まで見せてくれました。

 

 そして、その上で。

 私たちのもとに戻る気なんて全く無く、騎士の一人が提案した銃を量産して兵力を上げる、という話にも、する気は無いと言っていました。

 

 前者はともかく、後者に関しては無理強いしません。というか、生徒たちにも、その周りの人にも、銃を持って欲しくはありません。できることなら剣だって手放して欲しいくらいです。

 

 明朝、仕事に出て依頼を果たせばそのままここを出ると、最後に言い残し、二人を連れて二階へと上って行ってしまいました。

 

 

 残された私達の間には、何とも居心地の悪い空気が流れていました。

 死んだと思っていた南雲君が生きていた、という事実は嬉しい。だけど、私たちの事なんて眼中に無いと言わんばかりだった。

 それに、檜山君達のイジメや、()()事件。これまでの何もかもが負い目となり、楽しく雑談しようという空気にはどうしても出来なかった。

 

 七子ちゃんのように、力づくで引き止めるなんてことは、到底出来なかった。

 

 入浴中も、部屋までの短い道中も、彼はあの事件をどう思っているのか。私たちをどう思っているのか。恨んでいるのでは無いか。そんな、本人から聞かなきゃわからない疑問が延々と、脳内を廻り続けました。

 

 


 

 

 深夜、というには微妙に早いけど、眠るのには全然早く無い程度の時間。

 相部屋である七子ちゃんは酔っている様子なんて全く無い顔で、机に向き合ってペンを走らせている。

 呼び止めて、相談しようか。それとも、眠れる気はしないけど、もう寝ましょうとベッドに誘うか。

 

 私は皮張りのソファに深々と座り、窓から空を眺めながら思案していると。

 

「出来たわ」

 

 と、いつの間に立ち上がったのか、背後から声を掛けられ、肩がビクってしました。

 A4用紙よりひとまわり小さいくらいの紙を五、六枚くらい持っていて、細かな日本語がビッシリと書き連ねられているのはすぐに分かります。

 

「あの、今から読書はしんどいというか、疲れているというか……」

 

 付き合ってあげたいけれど、せめて明日にして欲しい。そういうつもりで言ったけれど、七子ちゃんは「何言ってんだこいつ」と言わんばかりに首を横に振った。欧米人みたいに両手を大袈裟に掲げているのが微妙にむかつく。

 

「これは小説ではなく小説家よ。お披露目と言ったんだから、ちょっと見ていなさいな」

 

 宿の一室で何をするつもりなのか、部屋の中央に椅子を移動させて、誰も座っていない筈の椅子に座っている人の顔あたりを見るように顎を引く。

 

 と、突然、私たちしかいない筈のこの部屋の中から声をかけられた。

 

「……何してるんだ?」

 

 声の主は椅子のあたりではなく、部屋の扉の方からだった。そこには、扉にもたれながら腕を組んでいる南雲君がいました。七子ちゃんが何か企んでいたわけでは無いみたいで、目を丸くさせている。

 

「な、南雲君? な、なんでここに、どうやって……」

 

「どうやってと言われると、普通にドアからと答えるしかないな」

 

 私が尋ねると、さっきの七子ちゃんがしたみたいに、両手をやれやれと掲げながら言う。

 

「えっ、でも鍵が……」

 

「俺の天職は錬成師だぞ? 地球の鍵でもあるまいし、この程度の構造の鍵くらい開けられるさ」

 

 飄々と答える南雲君に、私が文句を言うより先に七子ちゃんが「まぁいいわ」と声をかける。

 

「変に見せびらかすものでも無いけど、見ていきなさいな」

 

 南雲君は怪訝そうな顔をして尋ねる。

 

「……何をする気なんだ?」

 

「キャラ作り」

 

 七子ちゃんは、したり顔で答える。思わぬ言葉に、私も南雲君も黙ってしまった。その隙に、七子ちゃんはその『キャラ作り』とやらを始めてしまった。

 

「――開け、(うつつ)を食らい夢を吐く書物の門よ」

 

 それは詠唱なのだと、すぐに分かりました。

 けれど出現したのは魔法陣じゃなくて、一枚の白い板のようなもの。

 それが椅子の背もたれに掛けられるように鎮座している。

 

「我は汝を我が子と呼ぶもの。我は汝が神と呼ぶもの」

 

 白い板はキャンバスなのか、線画のようなものが描かれる。

 

「顔無き名に身を授け、音無き声に肉を与えるもの」

 

 それは、人物画。まるで鏡のように、そこには七子ちゃんと瓜二つの美少女が勝手に書き上げられていく。

 

「行間を超え、文脈となりて、」

 

 座っているようなポーズで描かれた七子ちゃんに、色がついていく。一見鏡のようだけれど、七子ちゃん以外には何も描かれていないおかげで、なんとか鏡ではなく絵なのだと認識できる。

 

「母にあなたの顔を見せなさいな」

 

 急に雰囲気の違う一言を最後に、七子ちゃんの『創作魔法』であると思われる魔法は発動した。

 絵が見えなくなるくらいに眩く光り輝き、思わず、目を強く閉ざしてしまう。

 

「私は詩的に素敵で不敵に無敵な小説家、不可思議( ふかしぎ )可思議 ( かしぎ )よ、私」

 

「私は七五三七子よ。――初めまして、私」

 

 瞼の向こうで光が収まると同時に、七子ちゃんの声が二つ聞こえました。

 

 目を開けるとそこには、顔も服装も全く同じで、ただ髪色だけが異なる二人の七子ちゃんがいました。

 

 いつもの、黒髪の七子ちゃんは薄ら笑みを浮かべている。

 対して、さっきの絵のように椅子に座っている、茶髪と金髪が縞模様みたいになっている七子ちゃんは完全な無表情。

 

 これのどこがキャラ作りなのか、七子ちゃんが二人に増えたらこれからは二倍大変なんじゃ無いか、とか思っていたら、次の瞬間には、七子ちゃんは一人に戻っていました。

 

 ホッとしたけれど、失敗だったんじゃないかとも思えて、「……七子ちゃん?」と、零れるように声が出ました。

 それに答えるように、私に向けられた七子ちゃんの顔は、酷く歪んでいた。その色は恐怖というより嫌悪、あるいは憎悪で染まっている。

 

「……自分と顔を合わせるのって、思ってた以上に不気味だわ。二度としない」

 

「はぁ……」

 

 いや、そんなものを私と、かなり久しぶりに会った南雲君に見せたんですよ?

 

「ていうか、髪がアバンギャルドな色になってますけど」

 

 さっき一瞬出てきたもう一人の七子ちゃんの髪色が混ざったみたいに、黒、茶色、金色がグチャグチャな縞模様になっていて、元の綺麗な黒髪とは比べ物にならないくらい、……汚く染まっている。

 

「それで、何をしたんだ?」

 

 南雲君が尋ねると、七子ちゃんは椅子に座って説明を始めました。

 

「私は小説が書きたい。そして、使える程度の筆記具は手に入れた。後は出来るだけ高性能な文才と頭脳が欲しい。……だから、小説家、不可思議可思議という、七五三七子をベースに小説家の才能を持って生まれたキャラクターを作ったのよ」

 

 ……才能を人ごとDIYしちゃったってことですね。

 いや、説明されても意味わかんないですけども。

 

「私のステータスにもある『創作魔法』は、自作の創作物を現実にする魔法。だけど今までの私じゃキャラの設定を練りきれなくて、キャラクターを呼び出したりなんて出来なかった」

 

 ……あ。なるほど。だから、練るまでも無く知り尽くしてる自分なら作れるって理屈ですね。いや、やっぱり意味わかんないですけど。

 どういう発想ですか、自分の性格とか全部同じのキャラクターを作って、魔法で目の前に出すって。

 

「さっき出てきたもう一人の私はざっくり分けると、文才と、不可思議可思議というペンネームと、七五三(しめ)七子(ななこ)の三つを組み合わせて出来ていた。本当はもっと細かいし整理が必要だったのだけど、それがさっきまで書いていたこれね」

 

 七子ちゃんはその紙束を細々と破いてしまう。

 説明通りなら、それは個人情報どころでない、七子ちゃんの何もかもを掻き集めて書き集めた情報の塊のはず。

 

「そしてあれも七五三七子だったから、複数は存在できなくて一体化した。……だからまぁ、『これからの不可思議可思議先生のご活躍にご期待ください』ってことよ」

 

「最終回じゃねぇか」

 

 ……南雲君、しばらく見ないうちにツッコミキャラが染み付きましたね。

 

 南雲君がここに来た理由も聞けてませんし、今夜は、まだ眠れそうにありませんね。

 

「私たちの戦いはこれからってことね」

 

「七子ちゃん、うるさいです」

 





 もちろん、今回で最終回じゃありませんよ。

 七子ちゃんの詠唱、一応まとめておきます。
 このままなり、書き変えるなりしてご自由に使ってくれて構いません。



 ――開け、(うつつ)を食らい夢を吐く書物の門よ。

 我は汝を我が子と呼ぶもの。
 我は汝が神と呼ぶもの。
 顔無き名に身を授け、
 音無き声に肉を与えるもの。
 行間を超え、文脈となりて、

 母にあなたの顔を見せなさいな。




 初回から変な使い方してますけど、普通は召喚魔法みたいに使う魔法ですよ。


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第十四話「読心術は夢見る乙女の嗜みよ」


 

 

 七子ちゃんのステータスにだけあった、『魔力:10000(一回)』の一回という記述は、一度に全魔力を使い果たすという意味だったみたいです。

 おかげで説明してすぐに魔力切れの症状を起こし、南雲君の話を聞く前に私の元で倒れるように眠ってしまいました。

 

 おかげで、私は七子ちゃんに抱きつかれたまま、南雲君からは変な目で見られながら話をされてしまいます。

 

 その内容を簡潔に言ってしまうなら、今では反逆者と呼ばれる、解放者と狂った神の遊戯の物語。

 


 神、エヒトは人類を駒とした戦争ゲームを、神話の時代から今までずっと続けている。

 人類が神々に裏から操られて戦争へと駆り立てている状況に耐えられなかった者達が、解放者。

 

 彼らは『神域』と呼ばれる神々がいると言われている場所を突き止めた。『解放者』のメンバーでも先祖返りと言われる強力な力を持った七人を中心に、彼等は神々に戦いを挑んだ。

 

 けれど、その目論見は戦う前に破綻した。

 神は人々を巧みに操り、解放者達を世界に破滅をもたらそうとする神敵であると認識させて、人々自身に相手をさせた。

 結局、守るべき人々に力を振るう訳にもいかず、神の恩恵も忘れて世界を滅ぼさんと神に仇なした『反逆者』のレッテルを貼られ解放者達は討たれていった。

 

 最後まで残った中心の七人は自分たちでは神を討てないと判断すると、バラバラに、大陸の果てに迷宮を作り潜伏することにした。試練を用意し、それを突破した強者に力を譲り、いつか神の遊戯を終わらせる者が現れることを願って。


 

 

 長々と話を聞いた後、私は南雲君に問いました。それを天之川君達に伝える気は無いのか、と。

 答えとしては、無いとのことでした。わざわざ探し出して伝えるのは面倒だし、伝えたとしても天之川君が信じるとは思えないと。

 

 なぜ、という疑問は湧きませんでした。

 変貌した少年の言葉と、大多数の救いを求める声、どちらを信じるかなど考えるまでもないでしょう。むしろ、エヒト様を愚弄したと非難されるのがオチです。

 そもそもの相性や関係性もあるのでしょうが、南雲君から天之川君に関わるつもりは無いみたいです。

 

 偶然会った私に話してくれたのは、私から伝えればあるいは、生徒達も信じてくれるかもしれないと、あるいは影響くらいは与えるだろうと判断してくれたからみたいです。

 ……絶対何か、天之川君への嫌がらせじみた意図があるでしょうけど。

 

 

「まぁ、そういうわけだ。俺が奈落の底で知った事はな。これを知ってどうするかは先生に任せるよ。戯言と切って捨てるもよし、真実として行動を起こすもよし。好きにしてくれ」

 

「南雲君はもしかして、その狂った神をどうにかしようと旅を?」

 

「ハッ、まさか。この世界がどうなろうが心底どうでもいい。俺は俺なりに帰還の方法を探るだけだ。旅はそのためのものだよ。教えたのは、その方が俺にとって都合が良さそうだから、それだけだ」

 

 ……うん、でしょうね。

 七子ちゃんとも長い付き合いですから、自分本位な人の思考は大体わかるようになってきました。

 

「……そういえば、海胆岬はいないんだな」

 

 話したいことは済んだのか、南雲君は扉に手をかけてから、思い出したように振り返って言いました。

 

「やっぱり、そう思いますよね」

 

「まさか、……死んだか?」

 

「いえ。二ヶ月前に、ベヒモスを単身無傷で討伐したとかで、王国中で話題になってましたよ」

 

「……元気そうだな」

 

「七子ちゃんとはそれぞれで、情報を集めるそうです。エヒトを土下座させるとかなんとかと、地球に帰る方法を探すって」

 

 何か共有すべき情報があるかもしれないと伝えると、南雲君は素っ気なく「そうか」とだけ言い残して、今度こそ部屋を出て行きました。

 

 ……今日ばっかりは、眠れそうにありませんね。

 

 


 

 

 夜明け頃。

 月が薄れ、空が白み始めた時間帯。

 結局眠れなかった私は、変な時間に起きた七子ちゃんに連れ出されて、南雲君達に同行を頼むことになりました。

 目的は行方不明者を探すなら大人数の方がいい、という口実と、同じく行方不明である清水君の捜索。

 

 ……いえ、七子ちゃんにとっては清水君のことすらも口実でしょう。あからさまに、新しい本を買った時と同じ目をさせてましたから。

 何を考えているのか分かりませんが、まず行方不明者を探す顔じゃないでしょう。

 

 南雲君たちが捜索に向かう北の山脈へと向く北門に馬を連れてきて、私は七子ちゃんの汚れたような髪をせめてマシになるように三つ編みにしながら待ちます。

 

「髪、染め直さなきゃいけませんね」

 

「私は別に、このままでも構わないわ」

 

「ダメですよ。せっかく綺麗だったんですから、諦めるのはもったいないです」

 

「そう言われて悪い気はしないけど、いちいち見られるのは鬱陶しいのよ」

 

 冗談でもなんでもないようで、うんざりしているのが背後からでもわかる声音をしている。

 

「これはこれで目立つと思いますけど」

 

「外見で目立つなら、美人で痴漢に遭うより、ブスで誰も近寄らない方が楽でいいわ」

 

「また、変に敵を作りそうなことを……」

 

 セットするのが面倒と言って下ろしてるから色のムラが目立つ髪も、三つ編みにすれば幾らかはマシに見えますかね。

 身長と中身はともかく顔は満点な七子ちゃんは大概の髪型が似合いますし、セットのしがいがあるんですよね。

 

 しばらく待つと、細めた目をこっちに向ける南雲君と女性達の姿が見えてきました。

 

「……何となく想像つくけど一応聞くぞ。何してんだ?」

 

 半眼になって、南雲君は私に尋ねてくる。

 

「私達も行きます。行方不明者の捜索ですよね? 人数は多いほうがいいです」

 

「ぶっちゃけ、こっちにも面倒な事態が起きてるのよ。具体的には、……名前忘れたけど、一人が行方不明なの。仕事ついでに協力なさいな」

 

「却下だ。……てか名前、忘れてやるなよ」

 

 私と七子ちゃんが言っても、南雲君は一瞬も悩むこともなく断ってしまう。

 

「別に、名前なんてどうでもいいのよ。いなくなった奴の名前が織田家康太郎左衛門・アントワネット・バートリだったとしてもどうでもいいわ」

 

「そんな名前のクラスメイトがいたら俺の方が気になるわ」

 

「って言うかなんですか、その歴史の教科書を煮込んだような名前は……。行方不明になったのは清水君です」

 

 教えても思い出すどころか、南雲君は首を傾げ、七子ちゃんも「そんな名前だったっけ?」とでも言いたげな顔をしてしまう。……清水君、頑張ってください。

 

「一億人くらい居そうな名前ね。一人くらい減っても気付かないんじゃない?」

 

「……七子ちゃん、清水君にどんな恨みがあるんですか」

 

「まぁ、二酸化炭素にされてしまった酸素のことは別にいいのよ」

 

 ……それは本当にどうでもいいですけども。清水君も関係ないじゃないですか。

 

「つべこべ言わず、連れて行きなさいな。断るようなら、クラスメイト達を全員殺すわよ」

 

 七子ちゃんはいつになく真面目っぽい雰囲気で、って何を言ってるんですか!?」

 

「……脅しのつもりか?」

 

「もちろんあなたも殺すし、雫も、愛子も、香織だって例外じゃないわ。ほろりは共犯するから別として、血にも触れたくないから天之川と檜山くらいは残すかもしれないわね」

 

 流石にハッタリ……、ですよね?

 南雲君は銃に手を伸ばしてますし、七子ちゃんも拳を握ってますけど……。

 

「私たちを連れて行くのと、私と殺し合うの。あなたはどっちが楽で手っ取り早いかの区別もつかない殺人鬼?」

 

 七子ちゃんの言葉に、南雲君は苦々しい表情を浮かべる。

 大分強引な手ではありますけど、南雲君に少しでも良心があれば、交渉の場は成立してしまう。

 

「……やっぱ、あんた達を人間とは思えねぇよ」

 

「なら、あなたが人間であることは誰が証言してくれるのかしらね?」

 

「それ、我ながら最近怪しく思えてきてな……」

 

 先に折れたのは、南雲君の方でした。

 ……いや、ほんと良かった。七子ちゃんだと、本気で殺しかねないですもん。

 

「南雲君。先生は先生として、どうしても南雲君からもっと詳しい話を聞かなければなりません。だから、きちんと話す時間を貰えるまでは離れませんし、逃げれば追いかけます」

 

 だから、七子ちゃんには絶対に殺しをさせないためにも、私から追い込みをかける。

 

「南雲君にとって、それは面倒なことではないですか? 移動時間とか捜索の合間の時間で構いませんから、時間を貰えませんか? そうすれば、南雲君の言う通り、この町でお別れできますよ。……一先ずは」

 

 保険じみた後付けまで忘れず言うと、南雲君は空を見上げました。釣られて、私も見上げる。

 いつの間にか空は青くなり始めていて、漂う雲が存在を主張し始めています。

 

「……わかったよ。海胆岬が敵になられたら今の俺でも多分勝てねぇ」

 

「ありがとう。ついでにタイプライターを作ってくれると助かるわ」

 

「それはやらん。面倒だ」

 

「日本語のやつがいいわね」

 

「……それ、あれだろ? 漢字二千文字に対応してるけどタイピングできないとかいう、意味のわからんやつ。できても小説で使えないだろ」

 

「作らせることに意味があるのよ」

 

「俺への嫌がらせにしかなってねぇよ」

 

「じゃあノートパソコン」

 

「できれば俺がやってる」

 

「スマホ」

 

「俺は錬成師であって電気工作師じゃねぇよ」

 

 ……あれ、実は二人、仲良しだったりしません?

 七子ちゃん、絶対もう目的忘れて楽しくなっちゃってるじゃないですか。

 

 ユエさんも同じようなことを思ったみたいで、南雲君に声をかけました。

 

「……ハジメ。……大丈夫?」

 

「まぁ、……ちっさいし邪魔にはならないだろ。あとあんなでも教師だしな。放置した方が絶対面倒だ」

 

「面倒なことの方がおまけなんですか!? 私にも七子ちゃんにも失礼ですし!!」

 

 南雲君は私の言葉には耳もくれないで、「へぇへぇ」と雑に返事しながら、魔法なのかアーティファクトなのか、何もなかったはずの空間に大型の自動車のようなものを取り出しました。

 ファンタジーな世界観に似つかわしくない、ともすればSFチックですらある、四輪の異物。

 

「……これも、昨日の銃のように作ったんですか?」

 

「急ぐ旅だからな。さっさと乗ってくれ」

 

 もう、無能と呼ばれるような箇所が見当たりませんね。惜しむらくは成長の方向性が戦いに偏っているところですが、地球に帰ることを目的としているうちは、……きっと大丈夫でしょう。

 

 


 

 

 今日だけだからと、渋々と、嫌々と、南雲君の隣をユエさんに譲って頂いた私は、運転席に座る南雲君と、助手席に座るユエさんの間に挟まれるように座っています。シアさんと七子ちゃんは後ろです。

 硬くて邪魔、とか言ってすぐに三つ編みを解いちゃった髪を、「髪っ、どうしちゃったんですか!?」とシアさんに弄られて、というか心配されている七子ちゃんが大分居心地悪そうにしてますが、私は改めて、事件のことについて南雲君と話しました。

 

 南雲君の視点から当時の状況を聞くと、やはり故意に魔法が撃ち込まれた可能性が高いそうです。信じたくはありませんが、南雲君と一緒に撃ち込まれた海胆岬さんも同じ意見で、二人が犯人ではと疑っている人までも一致していました。

 といっても、根拠としては事件当事者達の日頃の行いからの推測がほとんどで、断定はできませんけど。

 

 どうしたものか。少なくとも、注意喚起はした方がいいかもしれません。……逆に、注意喚起で犯人を刺激して新たな被害者が出るかもしれません。

 七子ちゃんは多分口実でしかないですけど、そういった環境から離れたいという思いが、私に同行している生徒達にあるのも事実です。

 

 結局また悩まされてきて、寝不足も祟ってか口が動かなくなったタイミングで、後ろから七子ちゃんが、唐突に言い出しました。

 

「恥ずかしい告白大会しましょう。一番引かれた人が優勝ね」

 

 一人でやっててください。普段なら流石にそう言うところですが、今だけは、遊びに思考を向けられるのはありがたいです。

 気遣いとかじゃなくて、単に暇だったんでしょうけど。

 

「一番、私。実はレズよ」

 

「「「うわぁ……」」」

 

 私、南雲君、ユエさんの思わず引いてしまったリアクションが被り、シアさんだけが「え、どういう意味ですか?」と首を傾げて南雲君に質問するも、南雲君は何も言いたくないのか無言でハンドルを握り続けます。

 

 っていうか、本当にただの恥ずかしい告白じゃないですか!?

 だからあんなに毎日くっついてきてたんですか!?

 

 ……これ、自分から言わなきゃ七子ちゃんに何を言われるかわかりませんね。『最後におねしょしたのは中学二年生』とかのでっち上げならまだいい方で、知られていないはずの、見られてなくてホッとしたエピソードを暴露されかねないですし……。

 

「言わなかったり、程度の可愛いやつだったら私が勝手に暴露するから覚悟なさいな」

 

「二番私っ! ゴーヤが食べれません!」

 

 七子ちゃんに何も言わせないためにも、とっさに思いついた、そこそこ恥ずかしいけど隠すほどのことでもない、でも誰にも言ったことの無い恥ずかしい話です。……恥ずかしながら、思った以上に苦くて一口でごめんなさいしちゃいました。

 

 七子ちゃんの判定は……。

 

「愛子は職員室で、校長のことを『おじいちゃん』と間違えて呼んだことがあるそうよ」

 

「なんで知ってるんですか!?」

 

「校長もうっかり『おお、どうした愛ちゃんや』って孫に対するような態度をとって、職員室は正月の実家みたいな雰囲気になったそうね」

 

「校長先生まで巻き込まないでくださいよ! っていうかほんとになんで知ってるんですか!? あの日は夏休みだったはずですよ!?」

 

「……てことは、マジなのか」

 

「あ……」

 

 南雲君の言葉に、私はやってしまったことを自覚する。下手に喋って信憑性を与えてしまいました……。

 

「次。あなた達が誰も言わないなら、微妙に知られたく無いことを勝手に言うわよ」

 

「「「……」」」

 

 ユエさんとシアさんは、顔をみるに、どうせでっち上げを言うだけ、と思っているんでしょう。一方、南雲君の方は本当に悩み始めていて、運転がぎこちなくなってる気がする。

 

「奈落に落ちる前の南雲は一人称が僕で、女の子に泣かされるくらい気弱な男の子だったわよ」

 

「そうなんですか!?」

 

「……そうなの?」

 

「信じるな! 大分語弊があるぞそれ!!」

 

 南雲君はシアさんとユエさんの輝く眼から逃げるように身を乗り出して叫ぶ。

 反面、七子ちゃんは薄ら笑みを浮かべて、何かを数えるように指を折っている。

 

「次は、そうね……。アレーティア・ガルディエ・ウェスペリティリオ・アヴァタールが封印されておよそ十時間後。おねしょをどうすればいいかわからず一時間叫びまくったあと、諦めて泣き寝入りした」

 

 アレーティア、ガル……って、誰ですか? ユエさんかシアさんだと思うんですが、……封印?

 

 後ろのシアさんの方を見たら勢いよく首を振ったので、隣のユエさんを見たら、それはもう、顔を真っ赤にして、涙も浮かばせていて、今にも泣き出しそうになるのを必死に我慢しているようでした。

 ……そんな顔になってもしっかり綺麗で可愛いって、やっぱり美人ってずるいですよ。

 

 今はそれ以上に可哀想ですけども。

 

「……なんで、知ってるの。……前の名前だって、ハジメにも話したことないのに」

 

「読心術は夢見る乙女の嗜みよ」

 

「そういう次元じゃないだろ……。シア、さっさと言った方がいいぞ。お前が一番そういうの多いんだから」

 

 南雲君が気遣うような、そうでもないようなことを言って、……皮肉にも、それがシアさんへの止め、というか恥となってしまいました。

 

「ハジメさんにそう思われてるのが一番恥ずかしいですぅ……」

 

「一族で唯一無二の白髪が嫌だった幼少期、頑なに嫌がる父に強請り髪を全剃りして、一族全員を泣かせたことがある」

 

「ギャン!?」

 

「……シア」

 

 七子ちゃんの言葉の直後に聞こえた悲鳴に、ユエさんの涙はすっかり引っ込み、後ろに身を向けて同情の目を向けました。

 

「は、マジなのか?」

 

 南雲君も、運転中ですから流石に後ろを見たりはしませんが、顔には同情と苦笑いが浮かんでいます。

 

 ……七子ちゃんの一人勝ちですね。

 相変わらず口が上手いというか、悪いというか。

 

 え、シアさん本当なんですか?




 七子ちゃんの『創作魔法』について、

 望んだ才能全て手に入れることが出来るんじゃないか? それならチートやなぁ……
※一部抜粋

 という疑問を昨日、感想でいただき、返信したのですが、本編にも無関係ではないので回答をここに記しておきます。




 原理的にはそういう使い方が出来なくは無いですけど、作者的に面白くないし、七子ちゃん的にも気分のいいものではないのでやろうともしません。

 それに、正確には人生を、物語を引き継いだというか、一つの物語に同化したんです。

 完全に同化出来る条件は曖昧ですが、書いている感覚的には、物語を比較して四捨五入したら同じであることです。
 小説家を目指して努力した七子ちゃんと、
 文才があり小説を書ける可思議ちゃんは、よく似た物語だったからこそ同化でき、七子ちゃんには無く、可思議ちゃんは持つものが、物語に矛盾が出ない程度には、足し算のように引き継がれ、矛盾する細かな部分は引き算のように引き継がれました。

 きっと、剣術の才能をもつ七子ちゃん(その子を仮に剣子ちゃんとしましょう)と、七子ちゃんの物語は全く違うものでしょう。

 物語の中から、今回は努力を例にあげます。

 小説を書くための努力の時間があれば、剣子ちゃんは剣術の努力に充てるでしょう。

 それで同化した場合、どちらかの努力は引き算され、無かったことになります。物語として、整合性が取れなくなってしまいますから。

 だから文才であっても、同化して足し算になれるのは、物語に大きな差異が生まれない程度になります。

 だからまぁ、元から多彩で波乱万丈な人生を送っているような人であれば、こういう使い方をすればそれこそ万能の超人にもなれるでしょう。

 そもそも、普通の使い方は召喚魔法モドキなんですけどね。




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第十五話「幸せで美しい死に方」


 

 

 北の山脈地帯。標高千メートルから、八千メートルくらいありそうな山々の連なる一帯は、どういうわけか、生えている木々や植物、環境がバラバラという不思議な場所です。

 日本の秋の山のように華やかな場所があれば、次のエリアには真夏のように青々とした葉が広がっていたり、逆に冬のように枯れ木ばかりというところもある。

 また、普段見えている山脈を越えても、その向こう側には更に山脈が広がっており、北へ北へと幾重にも重なっている。現在確認されているのは四つ目の山脈までで、その向こうは完全に未知の領域なんだとか。

 

 山の麓で南雲君は車を停め、全員が降りると、また何処かに車は消えていってしまいました。

 その代わり、というわけでもないんでしょうけど、次に取り出したのは、三十センチくらいの鳥型の模型のようなもの。空中に放り投げられると、その場で浮遊し、山の方へと飛んでいってしまいました。

 

「あれは、ドローンかしら」

 

 七子ちゃんが目で追いながら言うと、南雲君は「そんなところだ」と言いながら、先導して山道を進み始めました。

 

 

 

 それからおよそ一時間ばかりが経ち、六合目あたりで一度足を止まりました。

 

 そろそろ痕跡がないか探す必要があるのと、それ以上に、それこそ恥ずかしながらも、体力的な問題がありました。

 

「はぁはぁ、けっけほっ……、はぁ、はぁ……」

 

 本来、非戦闘職である私でもこの世界の一般人の数倍の身体能力を誇り、山登りくらいで疲弊するはずはないんです。

 ただ、南雲君達はその数倍の身体能力のさらに数倍どころでなく高いようで、ほとんど全力疾走のような登山となり、既にフラフラになってしまいました。

 

「……なっさけないわね。それでも体育教師?」

 

「社会科教師ですよ……、はぁ、はぁ、……なんでそんな、余裕なんですか……」

 

 確かにステータスに書かれた体力的には、私の五倍近いの体力を持っていたとはいえ、息を乱していない七子ちゃんは、私に呆れるような目を向けてきている。

 南雲君達は近くの川で休憩がてら捜索するらしいことを私たちに伝えて、さっさと行ってしまってから、――なんと七子ちゃんが私に手を差し伸べてくれました。

 

「おんぶか抱っこ、好きな方を選びなさいな」

 

 あの、人を人と思わず、神を神と思わず、私を教師と思わぬ七子ちゃんが、火照った身体にはむしろ気持ちいいくらいに冷たい目をしてますけど、私に優しくしてくれている……。

 

「……えっと、おんぶでお願いします」

 

 火傷するかと思うくらい熱い手で私を立ち上がらせると、七子ちゃんは「ほら」と言いながら、小さな背を向けてかがむ。

 

 首に腕を回して、小さな背中に罪悪感と一緒に身を任せる。首も背中も腰も、私よりずっと熱くて、触れている胸やお腹、抱えられている腿から七子ちゃんの熱が伝わってくる。

 

「……七子ちゃん、実は体調悪かったりしませんか?」

 

「体温が高いのは知ってるでしょう。だから早く冷やしたいの」

 

「……ごめんなさい」

 

「別に、保冷剤代わりにはなってるから十分よ」

 

「お荷物という言葉をよくそこまで綺麗に隠せますね……」

 

「新たに得た文才の賜物ね」

 

「天が二物を与えない理由が証明されちゃいました……」

 

 七子ちゃんは私を荷物とも思っていないように、跳ぶように走って、川の流れる方向へ向かう。

 

 適材適所という現実は地球だろうとトータスだろうと変わらない。それは知ってはいましたが、いざ知らしめられると、心苦しいというか、悔しいというか……。

 見下すわけではありませんが、生徒として見ていて、身長も自分より低い子に背負われているのは、確かに情けないというほかない。

 

「……いい加減、その自責の無限ループみたいな真似をやめてもらえるかしら」

 

 川と、裸足になって涼む三人が見えてきたところで、七子ちゃんはペースを落として、うんざりした口調でそんなことを言い出した。

 ……確かに自責、と言っていいのか分かりませんが、ネガティブになりっぱなしですけど。

 読心術なんていう、超能力のようにも聞こえるようなことができると言っていましたが、そんな漫画みたいに、煩く聞こえ続けるようなものじゃないと思うんですけど。

 

「読心術じゃなくて、それもそうだけど、それよりもエンパスってやつよ。エンパス体質」

 

「それって、確かステータスにもあったやつですよね」

 

「別に技術でもなんでもないのだけどね」

 

 七子ちゃんは南雲君達から少し離れた位置で、川辺に私を下ろすと、靴を脱ぎながら説明し始めました。

 

 

 エンパス体質というのは、地球の人たちでも一定数の人が持つ体質だそうです。

 普通の人との違いは、一口にいえば共感力。

 周囲の人の感情や雰囲気を、過剰なまでに知覚してしまい、程度によっては酔ってしまったり、体調を崩したりすることもあるのだとか。あと霊感がある。

 

 と、そこまでが、客観的にエンパス体質を見た場合の説明。

 

 七子ちゃんの感覚では、他人との境界が希薄なイメージだそうです。

 我が事のように、ではなく文字通り、限りなく我が事で、周囲の人が一人刺されれば自分も刺されたように痛いし、百人が苦しんでいれば百倍苦しいのだとか。

 

 

 これだけでもゾッとする体質に聞こえますが、七子ちゃんが連ねた経験談は聞いているだけでも、身体が芯まで冷えるようでした。

 

 原爆云々の戦争映画を見れば核で焼かれたように辛い。

 失恋シーンを見れば胸が張り裂ける。

 切開シーンのある医療系の映画やドラマなんか見た時には生きた心地がしない。

 ポケモンで遊べば焼かれたり切り刻まれたりする。

 スーパーマリオで遊べば足が痺れるし疲れる。

 カービィで遊べば胃が破裂しそうになる。

 ドラクエで遊べば死んでも死にきれなくなる。

 

 そこまでのことなのか、とは聞いていて何度も突っ込みましたが、だんだんと私まで我が事のように思えてきて、最後には突っ込む気力も体力も失せていました。

 

「だから、近くでいつまでも腐られてると、こっちまで腐りそうになるのよ」

 

「……その、ごめんなさい」

 

「だから、それをやめてって言ってるのよ」

 

 七子ちゃんは足を川に晒したまま横になり、私の脇腹を指先で突いた。

 ただ、言われてもどうしようもなくて、そして謝ろうとしている自分の口があって、まるで、口と思考の繋がりが切れたみたいに――

 

「――わかりました」

 

 ……本当に、思考に全くない、だけど私の声が聞こえました。

 

「なっ、なんですか今の!?」

 

 途切れたのはほんの一言のうちで、次には考えているまんまの言葉が私の口から出た。

 

「ほろり命名、言論侵略(トークマネジメント)。元は読心術、読唇術、腹話術、声帯模写。あとは催眠術あたりかしらね。その辺の付け焼き刃を重ねて悪用した、やろうと思えば誰にでも出来る宴会芸よ」

 

 説明する七子ちゃんの顔は、それはもう、してやったりと言わんばかりにニヤけている。

 

「いや、誰にもできないと思いますけど……」

 

「元にしたのは江戸川乱歩の小説で見たトリックよ。タイトルも内容も覚えてないけど」

 

 ミステリーに腹話術とか声帯模写とか出しちゃ駄目な気がしますけど……。

 

「文才と一緒にエンパス体質まで重くなったのは本当にうんざりだけど、読心術あたりも上達して精度が良くなったのよ。今の私に言論侵略(トークマネジメント)されたら、脳も心も口に逆らえなくなる」

 

「……そういえば、侵略なんていう意味のわからない技能を持ってましたね」

 

「文才のある私と同化してその辺の変化もあるみたいなのだけど、数値に出ない部分がほとんどだから、色々試さないといけないわね」

 

 七子ちゃんはそう言って、自分のステータスプレートを取り出しました。

 

 


七五三七子・不可思議可思議 十七歳 女 レベル:1

天職:創作士・小説家

筋力:90

体力:50

耐性:0

敏捷:20

魔力:10000(二回)

魔耐:0

技能:脚本・執筆[+小説執筆]・絵描き・創作魔法[+人物創作][+道具創作]・エンパス体質・侵略・演技・言語理解[+日本語][+速記]


 

 

 見せてもらってみれば、確かに色々増えている。名前と天職が二つになっているのは初めて見たし、よく見れば魔力の隣に記された回数も増えている。

 

 だけど一番目につくのは、その全く成長していないように見えるレベルと数値。

 

「……何でまだレベルが1のままなんですか。ほとんど戦っていない私でも上がってるのに」

 

「そのままなんじゃなくて、下がったのよ。同化する前のレベルは3だったわ」

 

「いや、それでも低いですよ。私がいない間、ずっとサボってましたね?」

 

「無駄なものは筋肉だろうと持たない主義なのよ」

 

「また屁理屈を……」

 

 ていうか、そんな子に体力で負けてる私って……。

 

「おい。川の上流に手がかりかもしれない物を見つけた」

 

 と。休憩ついでにお説教でもしてやろうかと思ったら、何かを見つけたらしい南雲君が私たちに声をかけました。

 

「見えるのは盾と鞄ぐらいだが、まだ新しい」

 

「すぐ追いかけるから、先に行ってなさいな」

 

 七子ちゃんは身を起こし、足を揚げて水気を払いながら応える。急いで私も川から足を離して、ポケットからハンカチを取り出す。

 

 足を拭いて靴を履く頃にはもう足音も聞こえないくらい離れて行ってしまっていて、急いで私たちは追いかけました。

 

 


 

 

 南雲君たちと合流できるまで川沿いに走り続けると、小さい滝が見えてきました。

 魔物との戦いがあったのか、周囲の木々や地面が焦げていて、へし折られている木も少なくありません。川は途中で大きくえぐられて、支流のようなものが出来ている。

 

 南雲君達は滝の近くにいて、声をかけようと、思った途端。

 

「――波城――風壁」

 

 というユエさんの声が聞こえてきて、滝と滝壺の水が、モーセの伝説のように二つに割れてしまいました。

 

「モーセって、もしかして異世界人だったのかしら」

 

「だとしたら歴史が変わっちゃいますよ……」

 

 本当にそうだったら、社会科の教師である私は一から勉強をし直さなきゃいけなくなります。……いや、その前に研究の方が先ですか。

 

 滝壺の奥にある洞窟には空洞があり、滝が戻って塞がらないうちに、入っていく南雲君達を追いかける。

 

 洞窟の一番奥には、一人の青年が倒れていました。どう見ても清水君ではなく、格好からしてもこの世界の冒険者でしょう。顔色も悪いですが、眠っているだけの様子。

 清水君でないのであれば、これは南雲君の領分。下手に口出しをして邪魔をするつもりはありませんでしたし、黙って見ていると。

 

 南雲君は声をかけるでも、体を揺さぶるでもなく、義手で額にデコピンを当てました。聞いてるこっちまでおでこが痛くなるような音を洞窟に響かせ、「ぐわっ!!」と、青年は悲鳴を上げて目を覚ましました。

 

「お前がウィル・クデタか? クデタ伯爵家三男の」

 

「いっっ、えっ、君達は一体、どうしてここに……」

 

 状況を把握出来ていないようで、目を白黒させる青年に、南雲君は再びデコピンの形を作って額にゆっくり照準を定めていく。

 

「質問に答えろ。答え以外の言葉を話す度に威力を二割増で上げていくからな」

 

「えっ、えっ!?」

 

「お前は、ウィル・クデタか?」

 

「えっと、うわっ、はい! そうです! 私がウィル・クデタです! はい!」

 

 一瞬言葉が詰まっただけでギロリと睨まれ、それに慌てた青年は尋ねられた通りの名前を名乗った。どうやら、仕事で探していた行方不明の人だったみたいです。

 

「そうか。俺はハジメだ。南雲ハジメ。フューレンのギルド支部長イルワ・チャングからの依頼で捜索に来た。生きていてよかった」

 

 ……最後の生きていて良かったって、絶対自分の都合がいいからこその言葉ですよね。確かに遺体なんて運びたくはないですけど。

 

「イルワさんが!? そうですか。あの人が……。また借りができてしまったようだ。……あの、あなたも有難うございます。イルワさんから依頼を受けるなんてよほどの凄腕なのですね」

 

 ウィルさんは、尊敬を含んだ眼差しと共に、南雲君にお礼を言いました。とんでもない威力のデコピンを打たれていたはずですが、それも気にしていないところを見ると、性格とは裏腹に存外大物なのかもしれません。

 

 私たちも含め、簡単な自己紹介を終えると、ウィルさんは何があったのかを話してくれました。

 

 

 ウィルさんと他数名の冒険者パーティーは、五日前、私たちが通ったのと同じ山道に入り、五合目のあたりで十体の魔物と遭遇。敵わないと判断し、すぐに撤退に移ったそうですが、だんだんと魔物の数が増えてきて群れに囲まれ、脱出のために盾役と軽戦士の二人が犠牲になったそうです。

 

 その二人の持ち物であった鞄や盾が、南雲君達によって発見されています。

 

 そして追い立てられながら行き着いたのが、滝から続く大きな川。つまりはすぐそこです。

 

 そこに、漆黒の竜が現れたと、ウィルさんは途端怯えた様子で言いました。

 他の仲間は皆、ブレスや挟撃によって、死体も残さず死んでしまい、唯一滝壺に落ちたウィルさんだけが、偶然この洞窟に落ち、この空洞で身を隠していたそうです。

 

「わ、わだじはさいでいだ。うぅ、みんなじんでしまったのに、何のやぐにもただない、ひっく、わたじだけ生き残っで……それを、ぐす……よろごんでる……わたじはっ!」

 

 おおよそを話したところで、一気に決壊したのか、感情も涙も吐き出すように流し始めた。

 

 聞いていて、最初は南雲君の境遇に似ていると思いました。

 だけど彼の思いは、南雲君の悲報を聞かされた時の私にこそ似ている。

 どうしようもない過去を悔やみ、だけどどうしようもなくどうしようもない、無気力感の爆発。

 

 洞窟の中にウィルさんの慟哭が木霊する。何か言ってあげたくなりましたが、言うべき言葉を、私は持ち合わせていませんでした。

 幸運にも、死んだと思っていた南雲君は今生きているわけですから。私も、克服できたわけではないのです。

 

 私の手は、気がつけば七子ちゃんに握られていた。

 恋人のように繋いでるのではなく、格闘家がりんごを握り潰すみたいに、掴むように握られている。

 

「あの、七子ちゃん?」

 

 私より少しばかり低い顔を見下ろすと、その顔は、嫌悪の色で塗り潰されていました。髪の色と洞窟の暗さも相まって、七子ちゃんだと分かっていなければ、魔物か妖怪だと思ってしまうような、とても怖い顔。

 

 その目はジッと、ウィルさんの方を見続けている。

 

「……七子ちゃん?」

 

 再度私が呼びかけると、掴んでいた手を離し、次にその手はウィルさんの胸ぐらを掴み、目線が合う高さまで力任せに持ち上げました。

 七子ちゃんに邪魔をされたような立場である南雲君は、そんな彼女に意外そうな目を向けて、何を言うでもなくただ見続けている。

 

「喜んでいる癖に何を泣いているのよ、見苦しい。世話になった程度の知人が死んだくらいで、どこに生き残ったことを悔やむ理由があるというの?」

 

「だ、だが私は……」

 

「全員が犠牲になったのでしょう?」

 

「そ、そうです……だから、」

 

「犠牲とは生贄という意味よ。あなたは人を食い物にしたの。ただそれだけのことじゃない。女でもない癖に、食べ過ぎたことを悔やんでんじゃないわよ。女々しいったらない」

 

 ……きっと、私も南雲君達も、ウィルさんと同じ目をしているでしょう。何もかもがとんでもなさすぎて、泣く気も失せて涙が引っ込み、その目は丸くなっている。

 

「人はどれだけ他人と繋がろうと、結局は一人で一つの生命体。一人で生き、一人で死ぬ。自分以外の誰かが死のうが、友人が死のうが、家族が死のうが、恋人が死のうが、恩人が死のうが、自分が死なねばならない理由になるはずがない。――それでも死にたいのなら、自分のためではなく、他人のために死になさいな。バッドエンドはそうでなきゃただの悲劇よ」

 

 七子ちゃんは手が疲れたのかウィルさんを離して、尚続ける。

 

「私はバッドエンドが心底嫌いだけど、人魚姫は好きよ」

 

「下半身が魚の化け物の分際で、人間の王子に恋し、声を犠牲にして人間の足を手に入れた人魚姫が好き」

 

「声を犠牲にしたおかげで王子に思いを告げられない人魚姫が好き」

 

「化け物であるが故に神に愛されず、王子にも妹としてしか愛されなかった人魚姫が好き」

 

「他の女を自分を助けた恩人と勘違いして恋をし、本当は助けたのは自分なのに、別の女と結婚する王子を殺さなければ死んでしまうのに、殺せなくて、王子の幸せを願い一人で海の泡となった人魚姫が好き」

 

 七子ちゃんはまるで演説のように人魚姫を語り終えると、急に、私を背後から抱き締めました。

 

「これが、たとえ人外の化け物であろうとも、人に泣いてもらえる幸せで美しい死に方というものよ。――あなたを生かすために死んだ人間達も、あなたに泣いてもらえるのなら多少は報われたでしょうよ」

 

 きっと、七子ちゃんは気に入らなかったのでしょう。

 人魚姫なら王子様に位置する、犠牲の上で生きるウィルさんが、生きることを拒む姿が。幸せになることすら拒みそうな雰囲気が。

 だから、自分の好みに合う死に方へと促した。

 

 なんとも自分本位。しかもその死に様に立ち会うつもりなんて毛頭ない癖に、ウィルさんの人生を歪めてしまった。

 

「……あの、七子さん」

 

 誰も彼もが聞き入って、言葉を切り出せないなか、シアさんは弱々しい声で七子ちゃんに問う。

 

「その、人魚姫さんのお話からは、私達亜人族に通ずる物を感じました」

 

「そりゃ、そうでしょうね。人魚姫が書かれた国の思想と、この世界の思想は似ているもの」

 

「……私は、ハジメさんとずっと一緒にはいられないんですか?」

 

 シアさんにはきっと、占いや予言のようにも聞こえたんでしょう。王子様が南雲君で、ユエさんが王子様と結婚したお姫様なら、シアさんは人魚姫のポジションになってしまいますから。

 

 七子ちゃんは、心底興味のなさそうな顔をシアさんに向けて、投げやりに答えました。

 

「そんなの私が知るわけないじゃない」

 

「ええ!?」

 

 不満そうな声をあげたシアさんに、仕方ない、と七子ちゃんは言う。

 

「……人魚姫の敗因は大きく分けて三つよ。一つ目は人魚であったこと。二つ目は声以外で思いを伝える術が思いつかないくらい頭が悪かったこと。三つ目は奪ってでも王子と結ばれて幸せになろうという強欲さが欠けていたこと。……諦めなければ夢は必ず叶う、とは言わないけれど、諦めるよりマシな死に方なんて幾らでもあるわよ」

 

 遠回しな、けれど不安を全否定する言葉に、シアさんは満面の笑みを浮かべました。

 

「私、頑張ります!!」

 

「私は別に興味もないし、勝手に死になさいな」

 

 ……その言葉だけ聞いたら、ただドライな人になっちゃいますよ。

 

 あ、七子ちゃんでした。




 あとがき。

 人魚姫が人間になれず、泡になって消えるというのは、人間至上主義のキリスト教の思想ならではの発想だそうですよ。
 人魚は人外のものであり、声を捧げようと、命を捧げようと、人間にはなれない下等な生き物なんです。

 この思想、トータスの世界観にもどこか似たところがありますよねぇ。


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第十六話「目玉を焼いた挙句に油をかけるのか?」


 

 

 日の入りまで、残り二時間と無いくらい。急いで下山すれば、日が暮れる前に町へ戻れるでしょう、というのに。

 

 この世界はとことん、都合の悪いようで、あるいは良いのかもしれませんが、滝壺から出てくる私達を、出迎えるようにそれはいました。

 

「グゥルルルル」

 

 と、低い唸り声をあげる、黒いドラゴン。翼をはためかせて、空中から、黄金の瞳で睥睨する、体調七メートルの巨体。

 翼をはためかせるたびに、異常な風が渦巻く。

 

「退避しろっ!!」

 

「え? あっ」

 

 頂上の存在に心を奪われていたのか、私は目の前の存在を脅威だと認識できていませんでした。

 

「今ならおみくじで大凶も引けるんじゃないかしらっ!?」

 

 七子ちゃんに腕を引かれて、間一髪、冒険者をも消し飛ばしたというブレスが背後の地面を削りました。

 

「あ、ありがとうございます、七子ちゃん……」

 

「このままここを離れるわよ。殴る蹴るでどうにかなる相手じゃないわ」

 

「なっ、南雲君達は!」

 

「あの化け物の相手を任せるしかなさそうね」

 

 私が思わず叫ぶと、七子ちゃんは足を止めて振り向きました。

 

 そこでは、地面を融解させるほどのブレスを、ウィルさんに支えられながら大盾で防いでいる南雲君の姿がありました。

 今でこそ防げているけれど、赤熱は地面だけでなく大楯にまで起き始めていて、融解してしまうのも時間の問題のはずです。

 

 だけど、ここからじゃ近寄ることもできない。というか、近寄ったところで、何ができるというわけでもない。

 

「南雲君を見捨てるわけにはいきません!!」

 

「それは最低でも邪魔にならない力と術があって、それでやっと言える話よ」

 

 説得なんてされずとも、私だって分かっています。

 近寄った時点で、邪魔にすらなれずに死んでしまうことも、万が一近寄れても、ひ弱すぎて何もできないことも。

 

「禍天」

 

 ユエさんの声が聞こえた瞬間、黒竜の頭上に直径四メートル程の黒く渦巻く球体が現れた。それは落下すると、押しつぶすように黒龍を地面に叩きつけた。

 

「グゥルァアアア!?」

 

 豪音と共に地べたに這い蹲らされた黒竜は、衝撃に悲鳴を上げながらブレスを中断する。そしてすぐに、シアさんがハンマーのような武器を頭部にひり下ろす。

 衝突の瞬間、地面が放射状に弾け飛び、クレーターが出来てしまう。

 

「……簡単に倒せる相手じゃないみたいね」

 

 身体を押しつぶされ、頭も叩かれ、決して少なくないダメージを与えた……はずです。

 

「グルァアア!!」

 

 という咆哮と共に、舞い上げられた粉塵の中から炎の弾がユエさんに迫る。それは、右に落ちるような動きで回避できたものの、一度に複数の魔法は使えないのか、黒竜を押し潰していた球体は消えてしまいます。

 

「……南雲君達、大丈夫ですよね?」

 

「さてね。どうせ三人が死んだら、私たちだって死んだようなものよ。今度こそは、安全地帯じゃないもの」

 

「そう、……ですね」

 

 南雲君の悲報を聞いた時に、私は現場に居合わせることができなかったことを確かに悔やみました。だけど、だからってそれは、死にたかったわけでもなければ、足を引っ張りたかったわけでもありません。

 

 ……いいえ。

 

 私は、自分だけが生き残るくらいなら、みんなと死にたいとでも思ったのでしょう。それなら、辛くはあっても悲しくはありませんから。

 

 やらずに後悔するくらいなら、やって後悔した方がいい。みたいな話です。

 地球にいたときには、全く理解のできない理念、思想でしたけれど、今ならわかるかもしれません。

 

 だけどやっぱり、やって成功するのが一番に決まってます。

 

「……七子ちゃん」

 

「ええ、任せなさいな」

 

 今は焼け石に水であったとしても、明日も暖簾に腕押しだったとしても、何時かは微力でも力になれるのなら、まだ私は死ぬわけにはいきません。

 

「とは言っても、私の魔法はどこまでも他人任せなのだけどね」

 

 黒龍は私たちには目もくれず、南雲君達にすら意識を割かず、何故かウィルさんを狙っているように見えます。

 ただ倒すだけでも困難であろう相手に加え、戦力になれない一人を守りながらの戦い。

 

 七子ちゃんはそれらを見据えるように、けれど何処か、別のものを見つめるようにしながら、言葉を紡ぎ始めました。

 

「――開け、現を食らい夢を吐く書物の門よ」

 

 宿で見せられたのと同じように、七子ちゃんの前には一枚の白い板が鎮座する。

 

「暗黒を枯らす情熱。命を照らす灼熱」

 

 全くもって違う詠唱で、七子ちゃんとは全く違う一人の女の子が描かれていく。

 

「太陽の如き笑みを見よ。太陽の如き怒りを知らしめよ」

 

「生に逆らい、死に抗い、終わる運命に火を灯せ」

 

「我は汝を我が子と呼ぶもの。我は汝が神と呼ぶもの」

 

 線画が終われば、次は着色。

 白、茶色、銀色で構成される衣装を身に纏う青髪の少女は、胴から手足、腹から背、首から肩と、あちこちから鉄パイプのようなものを伸ばして纏っている。

 

「行間を焦がし、文脈を焼き、母にその顔を見せなさいな」

 

 絵画通りの少女が、私たちの目の前に現れる。

 

 どうやって着替えるのかわからない、スチームパンク風の衣装で、手にはどことも繋がらない鉄パイプ。配色こそ地味ですが、魔法少女と呼ぶべき風貌の少女が、そのオレンジ色の瞳で七子ちゃんを見据えた。

 

「あたしは煌綺( きらめき )太陽( たいよう )。神命に従い、この名、再び魔法少女達の誇りとなって見せましょう」

 

 私と大差ない身長ながら、老婆のように年季の入った深い笑みで、歴戦の騎士のように跪く少女。七子ちゃんにただ「よろしく」とだけ言われると、すぐに立ち上がり、視線を黒龍へと向けます。

 

 まるで魔法の杖のように鉄パイプを構え、彼女は戦地へと駆け足で赴く。

 

「あたしは核融合の魔法少女、煌綺太陽。アクでも魔族でもないみたいだし、仲良くなれたら嬉しいなっ!」

 

 駆け足は加速し、疾走を超え、彼女は爆音を背に鉄パイプで殴りかかりました。

 

 ……魔法少女?

 

 


 

 

 核融合の魔法少女、煌綺太陽は、かつては最強と言われた魔法少女であり、人類の最強兵器であった。

 だが、幾ら最強と言えども、魔法少女の一生は決まって、というか決められて短い。

 

 十六歳になると死を命じられる魔法少女に例外はなく、それまで億の人々を救ってきた太陽とて、処刑人の手によって死体となった。

 そして体内に生まれ持った核融合炉だけが抜き取られ、人類の光となり、その名は闇へと葬られた。

 

 ただそれでも魔法少女達は、始まりの魔法少女の隣に、核融合の魔法少女の名を並べて語り継ぐ。

 

 その名は煌綺(きらめき)太陽(たいよう)。最も多くの魔族を殺し、最も多くの人類を救った、最強にして最高の魔法少女。

 

 


 

 

 

「全エネルギーを魔力に変換。生命維持機構を魔力式に移行。――あたしを照らすみんなの情熱、くらいなさい! ――死した魔法少女達の一撃(ニュークリア・ドン)!!」

 

『ムッノォォォォオオオオ!?!?』

 

 ウィルさんに気を取られ、南雲君達に迎撃されているところを背後から、彼女は背中を叩き落としてしまいました。……ていうか、いま明らかにドラゴンの悲鳴っぽくない、女性の悲鳴が聞こえましたね。

 

『なっ、なんじゃ! なんじゃあ!?』

 

「「「「……」」」」

 

『なんじゃ今の!? 妾何をされたんじゃ!?』

 

 漆黒の竜が戦いも忘れたように背中を抑えて転げ回っているのを見て、誰もが思わず口を閉ざしてしまった。

 

「始めまして、ドラゴンさん」

 

『……ぬ、む? なんじゃ、妾を叩き落としおったのはうぬか?』

 

「本当に喋ったっ! ドラゴンっぽい魔族の人と話したことはあるけど、本物のドラゴンさんと喋ったのは初めてだよ!」

 

 ……なんか、とりあえず危機は去ったみたいですね。とてつもなく締まりませんけど。

 私も七子ちゃんも、赤熱するほど熱された地面がユエさんの魔法で冷まされてから、彼らの元へと向かいました。

 

「ドラゴンさんって何食べるのっ!? やっぱり人間? それとも草食?」

 

『妾の食生活は人間とそう変わらんと思うが、それがどうかしたのかの?』

 

「人間と一緒? てことは雑食? 目玉焼きにはソース? 醤油?」

 

『なんじゃ、その気色悪い料理は。目玉を焼いた挙句に油をかけるのか? それが人間のすることか?』

 

「あたしはあんまり好きじゃないけど、大体の人は食べるんじゃないかな?」

 

『世も末かのぅ……』

 

 ……なんか、もう。本当なんと言いますか、こう……。

 

「……南雲君、それからシアさんとユエさんも、お疲れ様です」

 

「お、おう……」

 

 さっきまで殺そうと襲いかかってきた怪物が目玉焼きにドン引きしているのを見たからか、三人とも微妙な表情をしてますね……。かくいう私も、人のことを言える顔をしてないでしょうけど。

 

「あなた、竜人族? どこかで絶滅したとかって見たけれど」

 

 私たちのことなんて知ったことかと言わんばかりに無視した七子ちゃんが、黒竜の顔あたりを突きながら尋ねると、彼女? は、『うむ』とだけ頷くと、直後、その体を黒色の魔力で繭のように包み完全に体を覆ってしまいました。それが見る見る小さくなり、ちょうど人が一人入るくらいのサイズになると、その繭のような、卵の殻のような魔力は霧散しました。

 

 魔力が晴れたそこには、絵本の老婆のように背筋を曲げて腰に手を当てた、黒髪金眼の美女が出現しました。

 私とは色々と対照的で、胸も背も大きくて、髪は腰あたりまで伸ばされたストレート。

 

「妾は最後の竜人族、クラルス族の一人、ティオ・クラルスじゃ」

 

「そう。私は七五三七子よ。それで、聞きたいことがあるのだけれど」

 

 私たちを置いてけぼりにして、七子ちゃんはどんどんと話を進めてしまう。

 その問いは、なぜ冒険者を襲っていたのか、というもの。

 

 確かに、例えば豊穣の女神と呼ばれている私なら、私の存在が不都合な人に狙われても不思議はありません。

 あるいはここを住処にしていて、侵入してきたから襲った、という可能性もあるでしょうけれど、どちらにしても、特別有名人というわけでもないウィルさんだけが襲われるのは、酷く不自然です。

 

 その答えとして、ティオさんは操られていた、と答えました。

 

 そもそも、ティオさんは『異世界からの来訪者』という存在について調べるために、竜人族の隠れ里を飛び出して来たそうです。竜人族の中には魔力感知に優れた者がいて、数ヶ月前に大魔力の放出と何かがこの世界にやって来たことを感知した、らしいです。

 竜人族は表舞台には関わらないという種族の掟があるらしいのですが、流石にこの未知の来訪者の件を何も知らないまま、ただ放置するのは自分達にとっても不味いのではないかという議論の末、遂に調査の決定がなされたのだと。

 

 その調査の途中、一度しっかり休息をと思い、竜化して、この山脈の一つ目と二つ目の中間あたりで休んでいた。

 そんなときに、何者かが現れ、洗脳や暗示などの闇系魔法を多用して徐々にその思考と精神を蝕んでいき、なんだかんだで今に至る、と。

 

「つまり犯人は織田家康太郎左衛門・アントワネット・バートリ、というわけね」

 

「誰じゃ、そのあからさまに偉そうで不憫な名の持ち主は」

 

 なんで清水君の名前を覚えられなくて、その妙ちくりんな名前は覚えてるんですか……。

 

 って、清水君? ……なんですか?

 

 確かに、清水君の天職は『闇術師』でしたけど……。

 

「……ふざけるな」

 

 足りなかったパーツの見つかったパズルみたいに、清水君が行方不明になってからのことが繋がってきた、……繋がってしまってきた、そんなときに。

 

 七子ちゃんが南雲君に頼んで(というか命令して)、全員分作らせた岩の椅子に腰掛けたティオさんへ、怒りを宿した瞳で睨んでいるのはウィルさんでした。

 

「……操られていたからゲイルさんを、ナバルさんを、レントさんを、ワスリーさんをクルトさんを! 殺したのは仕方ないとでも言うつもりかっ!」

 

 状況的に、一度大きくできすぎた余裕が引き締まったおかげでか、冒険者達を殺されたことへの怒りが湧き上がったみたいです。

 

「まぁ、仕方なかったと言う気は無いが、反論の余地なくそうなってしまうのぉ」

 

 対するティオさんはと言えば、一切の反論もせず、その全てを受け止めようと、真っ直ぐにウィルさんを見つめている。

 その態度が気に食わないようで、ウィルさんは目に見えて怒りを膨らませていきます。

 

「大体、今の話だって、本当かどうかなんてわからないだろう! 殺されたくなくて適当に言っているに決まっている!!」

 

「妾の話したことは全て、嘘偽りなく真実じゃ。竜人族の誇りにかけて誓おう」

 

「……かの」

 

 尚、言い募ろうとするウィルさん。それにユエさんが口を挟もうとして、七子ちゃんが足音を挟みました。

 座っている姿勢で、小さい体からは想像も出来ない、破裂音のような音。ティオさんも、ウィルさんも、それにユエさんも、目を丸くさせて七子ちゃんの方に目を向けます。

 

「うるさい。耳障り。ティオの言葉を否定したいのは分かったから、じゃあどうして欲しいのかを言いなさいな。あなたは声を奪われた人魚姫じゃないのでしょう? 感情ではなく思いを伝えなさい」

 

「人魚姫? そのように呼ばれたもの、聞いたことがないが……」

 

「ティオ、うるさい」

 

「う、うむ……。妾、結構偉いんじゃぞ?」

 

「お座り」

 

「座っておるのじゃが!? というか犬扱い!?」

 

「待て」

 

「う、ぐ、ぬぅ……」

 

 ……七子ちゃん? その人、滅茶苦茶強い人ですよ? さっきまで私たち全員殺されそうだったんですよ?

 

「……さっきから聞きたかったんですけど」

 

「シア、うるさい」

 

 ティオさんと七子ちゃんのやりとりから目を逸らしながら、シアさんが小さく挙手して何かを言おうとして、ユエさんが七子ちゃんみたいに理不尽に窘めました。

 

「ユエさん!? いや、そうじゃなくって、さっきティオさんをぶん殴った、変な格好の子、居なくなっちゃったんですけど……」

 

 そう言えば声を聞いていない、なんて思いながらいたはずの方向を見てみれば、確かに、空席が一つ。

 

「太陽なら使命が終わったから戻ったわよ。あとうるさいから黙ってなさいな」

 

 魔法で呼んだ子だから、魔法みたいに居なくなっちゃうのも普通、……なんでしょうか? 何かを召喚する魔法、なんてものは大迷宮で魔物を出す魔法陣くらいしか知りませんし、その仕組み自体分かっていないそうですから、それでも不思議はありませんけど。っていうか、不思議しかないですけど。

 

「……なぁ、先生。あれ、あんた達の知り合いか何かなのか?」

 

 南雲君が声の音量を落として、私に問いました。……私も詳しくは知らないんですけど。

 私も気持ち音量を落として、答えられる程度に答えます。

 

「七子ちゃんが魔法で呼び出した子ですよ。宿で私たちに見せてくれたのと、同じ系統の魔法だと思います」

 

「……創作魔法、か。生成魔法と名前、つーか雰囲気が似てるとは思っていたが、似てるのはマジでそれだけってことか」

 

 わざわざ私の部屋に来てまで話した内容にあった、大迷宮で手に入れたという、神代魔法の一つ、生成魔法。

 

 他にどんな神代魔法があるのか想像もつきませんが、想像がつかない点、一般に知れ渡っている魔法と全く異なるという点は、七子ちゃんの創作魔法も匹敵していますよね……。




 後書き。

 原作との大きな相違点となりました、変態じゃないティオさん。
 原作の変態なティオさん、結構好きだったんですけどねぇ。

 清楚な存在である魔法少女とは共存できなかったということですかね、やっぱり。

 今作の詠唱は全てフリー素材です。改変するなりなんなりして、ご自由にお使いください。

 七子ちゃんの詠唱が変わっている理由は、後々明かされる予定です。



――開け、現を食らい夢を吐く書物の門よ。
暗黒を枯らす情熱。命を照らす灼熱。
太陽の如き笑みを見よ。太陽の如き怒りを知らしめよ。
生に逆らい、死に抗い、終わる運命に火を灯せ。
我は汝を我が子と呼ぶもの。我は汝が神と呼ぶもの。
行間を焦がし、文脈を焼き、母にその顔を見せなさいな。

――あたしを照らすみんなの情熱、くらいなさい!
 ――死した魔法少女達の一撃(ニュークリア・ドン)!!


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第十七話「ずっと面白くて格好いい話だわ」


 

 

 

 竜人族のティオさん。

 冒険者のウィルさん。

 高校生の七子ちゃん。

 

 奇妙な三人の神妙な話し合いが済んだかと思えば、七子ちゃんは南雲君に声をかけました。

 

「南雲。ドローンを高高度で飛ばしなさいな。織田家康太郎左衛門・アントワネット・バートリが率いた群れが見つかるはずよ」

 

「いや、なんで俺が……」

 

 渋々、といった様子で、南雲君は一度回収したドローンを、目に見えなくなるくらいの高さで飛ばしました。

 七子ちゃんの言うところの群れがすぐ近くにあったのか、南雲君は神妙な顔つきになります。

 

「いた。群れってレベルじゃねえぞ、五万、六万はいるんじゃねぇか」

 

「そう。それにティオの話と私の予想が正しければ、その群れは町の方に向かっていると思うのだけど、どうかしら」

 

「む、妾、そんなこと言っていたかの?」

 

 尋ねる七子ちゃんと、首を傾げるティオさん。

 南雲君はチラと私の方を見た直後、すぐに目を逸らし、席を立ちました。

 

「ユエ、シア。さっさとフューレンに向かうぞ。保護対象連れて戦争なんてやってられるか」

 

「……ん、分かった」

 

「え、いいんですか!?」

 

「待ってください南雲君! そう言うってことは、そうなんですか!?」

 

 さっさとここから離れようとする南雲君を呼び止めるように問うも、返ってくるのは鬱陶しそうに手で振り払う素振りと、投げやり気味の返答。

 

「そう言ったろ。あんた達もさっさと町に戻って報告しとけよ」

 

「……魔物の群れの中に、清水君は見つかりませんか?」

 

 私がそう言うと、南雲君はキョトンとした目を一瞬見せた後、冷静に答えます。

 

「いや、さっきから群れをチェックはしてるが、それっぽいのはいないな」

 

「……警戒して妾をここに送り込んだのだから、そう易々と姿を見せたりはせんじゃろうな」

 

 南雲君の答えにティオさんが補足を加えて言って、おかげで伝えられる情報の全てが、犯人が清水君であると告げているように聞こえてくる。

 

 ウルの町に向かってくる群れを待てば、いつか清水君に会えるのでは無いでしょうか。

 

 ……いいえ、無理でしょうね。群れに清水君が混ざっていたとしても、出会うより先に、私が殺されるのは目に見えています。

 

「あの、ハジメ殿なら何とか出来るのでは……」

 

 ふと、思いついたようにウィルさんが言いましたが、南雲君は聞き入れず、苛立たしそうにウィルさんの肩あたりを掴み、ついに下山の方向へと歩み始めてしまう。

 

「さっきも言ったが、俺の仕事はウィルの保護だ。保護対象連れて、大群と戦争なんかやってられない。仮に殺るとしても、こんな起伏が激しい上に障害物だらけのところで殲滅戦なんてやりにくくてしょうがない」

 

「あら。数万の敵が相手じゃ敵わない、とは言わないのね?」

 

「……何が言いたい」

 

 私とティオさんの手を引いて追いかけ始めた七子ちゃんが言うと、南雲君はあからさまに声をトーンを低くして問い返す。

 

 対して七子ちゃんは、子供に絵本でも読み聞かせるように明るいトーンで答えます。

 

「あの町のご飯は美味しい。たかが織田家康太郎左衛門・アントワネット・バートリ如きに潰されるのは惜しいわ」

 

「……あんた、地球に帰る気はあるのか?」

 

「もちろんあるわ。でも、ただで帰ってやる気もないの。こっちで暮らした時間をただの無駄と地獄で片付けるなんてもったいないじゃない」

 

「……だとしても、俺の仕事はウィルを連れ帰ることだ」

 

「別に持ち帰るのが死体でも問題のない依頼でしょう? そもそもの生存が奇跡的だったのだから。依頼主には町襲撃のために山脈に集められた魔物に襲われていた、とでも言えば済む話じゃない」

 

「その通りかもしれないが、だとしてもだ。俺に何の得がある?」

 

「私が褒めてあげるわ」

 

「……」

 

「今から三十分以内の了承なら愛子の頭撫で撫でもついてくる」

 

「…………」

 

「織田家康太郎左衛門・アントワネット・バートリを無事で連れてきてくれれば、ティオの処女もあげるわ」

 

「待て。罪の償いとなるのならその程度は吝かでもないが、この身をお主にくれてやった覚えもないのじゃが?」

 

「何を言ってるの、その程度で償いになんてなるわけないじゃない。ただのおまけよ。あるいはご褒美」

 

「……お主、さては妾を嘗めてはおらんか? 妾、竜人族の中でも偉いんじゃぞ? 凄いんじゃぞ?」

 

「私も人間の中じゃ凄く偉そうな方よ」

 

「それ全く誇れんじゃろうが! つまりただ偉そうな奴じゃろう!?」

 

「偉い奴は総じて偉そうなんだから、逆説的に、偉そうな奴は全員偉いのよ」

 

「その逆説は成立せぬじゃろう……」

 

 ……私たちは討論のような何かに延々と巻き込まれながら、急いでウルの町へと向かいました。

 

 

 


 

 

 

 魔動四輪が行きよりもずっと速い速度で爆走し、ミキサーの如き衝撃になんとか耐えるように、私は窓から空を見上げます。

 すっかり夕暮れ時の赤い空に浮かぶ、一点の黒い影。その正体はティオさんで、背中には七子ちゃんが乗っています。

 車内が暑いから嫌、なんて我が儘を言って、定員ギリギリの車を窮屈そうにしていたティオさんを唆し、飛び出して行っちゃいました。

 

 と、そうこうしているうちに。と言うか走行しているうちに、ウルの町と北の山脈地帯のちょうど中間辺りの場所で、武装した護衛隊の騎士達が猛然と馬を走らせている姿が見られました。距離と振動のおかげで顔はわかりませんが、鎧を見るに、私の護衛隊の騎士達でしょう。……彼らから見れば、私と七子ちゃんは朝から行方不明になっていたわけですもんね。心配されても仕方ありません。

 

 彼らにはこの車が魔物か何かに見えるのか、武器を取り出し、隊列が横隊へと組み変わります。

 

 けれど、幾ら異世界と言えども、馬や人が車にぶつかってはただじゃ済みません。南雲君も流石に前で止まってくれるとは思いますが、それを彼らが隙と見て攻撃してきたりしたら、南雲君がどうするかなんてわかりません。

 

「デビッドさーん、私ですー! 攻撃しないでくださーい!」

 

 確かに、私は危険が無いと伝えた、はずです。

 

 ……でもだからって、飛び込んでおいでと言わんばかりに両手を広げられても困りますよ!? 普通に死にますから! 交通事故!

 

 彼らの顔の判別がつくくらいに近付き、南雲君は止まってくれるかと思ったら、どころかさらに加速してしまいました。

 

「南雲君!?」

 

 私の声が届いていないのか、嫌なものを見たような顔をしていて、ハンドルも微動だにしません。

 騎士達は慌てて進路上から退避して、問答無用に素通りしていく私達を追いかけ始めますが……。

 

「南雲君! どうして、あんな危ないことを!」

 

 町が近づいてきて、スピードが落ち着いてから私は南雲君に抗議しますが、その表情はいかにも面倒臭そう。

 

「止まる理由がないだろ、先生。止まれば事情説明を求められるに決まってる。そんな時間あるのかよ? どうせ町で事情説明するのに二度手間になるだろ?」

 

「うっ、た、確かにそうです……」

 

 七子ちゃんでも似たような状況なら似たようなことをしそうですもんね……。

 

 

 

 

 町に着くと、私は町長のいるところへ向かいました。……その途中、先に到着していた七子ちゃんとティオさんが生徒達に捕まっているところに、私も捕まってしまいました。

 

「……朝からいなかった理由はわかったけど、その人は?」

 

「戦利品の馬よ。乗り心地はともかく馬車より速いわ」

 

「誰が馬じゃ!」

 

「大丈夫。ちゃんと毎日ニンジンをあげるわ」

 

「誰が馬じゃ!!」

 

「……蒸した方がいいかしら」

 

「そういう問題じゃなかろう!? ニンジンで飼い慣らされる竜人族なんてお主も嫌じゃろう!?」

 

「そうね。……ジャガイモも欲しいわよね」

 

「お主、わかってて言ってるじゃろう……」

 

「竜人族だと思われるのが不都合なのは分かっているわ」

 

「違う、そうじゃけどそうじゃない……」

 

「玉ねぎは除けてあげるから安心なさいな」

 

「やっぱりわかっておらんじゃろうな!?」

 

 ……なんか、楽しそうで何よりです。あとティオさんはお疲れ様です。

 七子ちゃん達の漫才は見なかったことにして、私は園部さん達に頭を下げました。

 

「……ご心配おかけしました、園部さん。それに皆さんも」

 

「ほんとよ、愛ちゃん先生。もう七子ちゃんから事情は聞いたけど、せめて書き置きくらい残して欲しかったわ」

 

「本当に、ごめんなさい。……って、そうじゃなくて! 大変なんですよ!」

 

 


 

 

 

 かくかくしかじか。この八文字で事情が伝われば、どれだけ良かったことでしょう。いっそスキップ機能が欲しいです。画面右上にボタンがあれば、そこになんと書かれているか確認もせずに私の指はそれに触れることでしょう。

 

 私達は役場へと訪れ、町長に大凡の事情を話しました。……と言っても、厳密には話したのは七子ちゃんでしたけれど。

 話すべきこと、話さないで置くべきこと。それらの分別が曖昧で、何より冷静でない私には任せられないと言われてしまい、私はたまに口を挟んで補足をする程度でした。

 

 七子ちゃんの口から町長へと語られた内容で主に避けられたのは、ティオさんと清水君についてのことです。

 ティオさんに関しては、絶滅したとされている亜人族の一種が実は生きていたと言うのは教会的にも都合が悪いのだと。

 清水君は、まだ可能性でしかないことと、あまり不用意なことを言いたくない私の考えを汲んでもらってのことです。

 

 私もティオさんも事前に話したわけではなかったので、変に口を出しそうになった頃が、まだ平穏なうちでした。

 

 話が終わると、町のギルド支部長や町の幹部、教会の司祭達が集まってきて、すぐにでも逃げ出したいほどに喧々囂々な有様。誰も彼もが言外に「信じられない」「信じたくない」といった形相で、まるで厄介ごとを持ち込んだ犯人であるかのように、七子ちゃんや私に問い詰めてくる。

 

 ただの一般人が、あるいはあり得た可能性として、ウィルさんが伝えたとしても、こうはならなかったでしょう。そんな話があってたまるかと、一蹴されて終わりだったでしょう。

 

 どっちがいいのか、これじゃあわかりませんけれども。

 

 そんな喧騒の中、ウィルさんを追うように南雲君がやってきました。

 

「おい、ウィル。勝手に突っ走るなよ。自分が保護対象だって自覚してくれ」

 

 周囲の混乱などどこ吹く風な態度と物言いに、重鎮達は不愉快そうな眼差しを南雲君に向けました。

 そして直後、不愉快を通り越して不機嫌な七子ちゃんは「うるさい」と、大声でもないのに、いつもより力強い声で言い、囲う重鎮達を退けて南雲君の前に出る。

 

「報告はもう済んだ。後は明日に備えて準備が必要だわ」

 

「……あんたは誰よりも行動的なのは、それが目的へとつながっているからだと思っていた」

 

 端的に伝えて役場を出て行こうとする七子ちゃんを、今度は南雲君が呼び止めました。

 

「間違ってはいないわね。道に迷ったら、私は立ち止まるより足を進め続けるタイプなの」

 

「見ず知らずの人々を救うために戦えって俺に言うのも、その目的のためか?」

 

「ためになるかなんて結局は後になってから分かることよ。町を救ったという事実が目的に全く繋がらなくても大いに結構。無駄なことをしてしまったと酒の肴にでもすれば十分じゃない」

 

 七子ちゃんの答えを聞き、南雲君はその内容を読み解かすように目を閉ざし、この件で初めて思考を巡らせる様子を見せました。

 

「それはただ町を見捨てた話より、ずっと面白くて格好いい話だわ」

 

 七子ちゃんは、それはそれはいい笑顔でそう言って、ティオさんを連れてさっさと役場を出て行ってしまいました。

 

「……先生」

 

「なんですか?」

 

 七子ちゃんに乗じて重鎮達の輪を抜け出した私は、南雲君の言葉に問い返す。

 

「あれ、やっぱ人間じゃねーって。神とか天使とか宇宙人とか、もっと高等ななんかだ」

 

 南雲君は小さくなっていく背を弱々しく指差して、七子ちゃんにとてつもなく失礼なことを言い出しました。

 

「七子ちゃんですからね……」

 

 失礼だとは思いつつも、私も反論はできませんでした。

 七子ちゃんを生徒だとは今でも確信していますし、七子ちゃんが私を先生だと認識しているのは確かです。だけど、それは決して、私を目上の人間として見ているわけではないように思います。トータスに来てからは、その認識がより強まりました。

 七子ちゃんは、何もかもを見下している。自分の方が強いとか偉いとかではなく、自分の方が上に立っているのが標準であり、立場ではなく次元が違うのだとでも言いたげで、その様はまるで、神様のようでもありました。

 

「ま、そんな偉そうな奴にこうも頼まれちゃ、折れるしかない。ユエの為にも、精々格好つけるとするさ」

 

「……そういえば、ユエさんとシアさんは今どこに?」

 

「屋台のある方で待たせてる。今日は大したもの食べてねぇし、俺も腹が減った」

 

 そう言って、南雲君も役場から出て行ってしまいました。

 

 ……現地にいたとしても、私は祈ることしかできないんですね。






 後書き。

 原作では『凄いけど変態な竜人族』であったティオさんですが、今作では『凄い竜人族』になります。変態要素が抜けているので、同時にボケもほとんど抜け、七子ちゃんへのツッコミ役に就任いたしました。
 おめでとうティオさん! 変態なティオさんも好きでしたよ!

 言うまでもないかもしれませんが、作者はティオさん推しですよ。


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第十八話「あらゆる哺乳類を絶滅させて魅せようぞ」


 

 

 報告を終え、晩ご飯と入浴までもを終えてからのこと。

 二人部屋なはずなのに何故か余っていたベッドで横になって、七子ちゃんが読み終えた本を読んでいるティオさんに、私は尋ねました。

 

「失礼かもしれませんが、ティオさんはどうして戦ってくださるんですか?」

 

 食事の席で聞いたのですが、ティオさんは実は滅茶苦茶に年上らしいです。いつも以上に言葉遣いに気をつけながら聞くと、ティオさんは指を本に挟んで、起き上がりながら答えてくれました。

 ……私は早々に眠ってしまった七子ちゃんに抱きつかれていて、失礼ながら起き上がれませんが。

 

「まぁ、そういう約束をしてしまったというだけのことじゃ」

 

「約束、ですか?」

 

「契約と言い換えても、まぁ間違いでは無いかの」

 

 ティオさんが語ったのは、ウィルさんと七子ちゃんと、三人で話し合っていた時のことでした。

 聞くまでもなく、紆余曲折で一刀両断かつ勇猛精進な話し合いがあったみたいですが、そこで交わされた約束というのが、『七子の生涯が続くうちは、七子の元で罪を償い続ける』というものだそうです。

 

「妾を縛る制限こそ弱いが、ほとんど奴隷契約じゃな」

 

 語りながら、ティオさんは自嘲するように笑いました。

 ……って言うか、本当に何様のつもりでそんなことを言ったんですか、七子ちゃんは。

 

「妾もウィルも、一人の小娘にまんまと嵌められたわけじゃ」

 

「……七子ちゃんですもんね」

 

 私の腕の中で眠る生徒の顔を見て、ティオさんに釣られるように私も苦笑いを浮かべてしまう。

 

「身を預けられるだけの器があることは、今日会ったばかりでも分かるのじゃが、……なぁ?」

 

「……そういえば、初対面であれだけの漫才をしていたんですよね」

 

「漫才と言ってくれるでないわ。妾にとっては今後に関わる重要な話し合いじゃぞ?」

 

「七子ちゃんはこれからのことなんて何にも考えていなかったと思いますけどね」

 

「どうだかのぅ……」

 

 私は体力、七子ちゃんとティオさんは魔力の回復のために、明日へと備えて早々に部屋の明かりを消しました。

 

 

 


 

 

 

「……ティオさん」

 

「む、なんじゃ?」

 

「もしもの時は、七子ちゃんをよろしくお願いします」

 

「……うむ、まぁ、一時とはいえ我が主人の先生殿の言葉だしの。生きているうちは存分に任されようぞ」

 

 

 


 

 翌朝。

 北に山脈地帯、西にウルディア湖を持つ資源豊富なこの町が、今日はこんな時間から異様な雰囲気に包まれていました。

 

 南雲君が即興で作った高さ四メートルほどの外壁に町が覆われていて、住人達には既に事情が伝えられています。

 

 もちろん、そんなことをしたから町はパニック真っ只中。町長を始めとする町の顔役たちに罵詈雑言を浴びせる者、泣いて崩れ落ちる者、隣にいる者と抱きしめ合う者、我先にと逃げ出そうとした者同士でぶつかり、罵り合って喧嘩を始める者。

 

 そんな彼らを力尽くならぬ、言葉尽くで収めたのは、デビットさん達らしいです。

 私の『豊穣の女神』という名を上手く使ったそうですが、……正直、あまり聞きたくない英断でした。

 

 過程がどうあれ冷静さを取り戻した人々は、二つに分かれました。

 故郷は捨てられない、場合によっては町と運命を共にするという居残り組と、当初の予定通り、救援が駆けつけるまで逃げ延びる避難組。

 避難組は夜が明ける前には荷物をまとめて町を出ており、今の町には、せっせと戦いの準備をしている者と、仮眠をとっている者とに分かれている。

 

 そんな、人が少なくなり、それでもいつも以上の活気があるような気がする町を背に、城壁に腰掛けている南雲君の隣には、珍しく七子ちゃんが方を並べて座っています。ユエさんとシアさん、ティオさんは、一歩後ろに立ち、全員が同じ方向に視線を向けているように見える。

 

「南雲君、七子ちゃん。準備はどうですか? 何か、必要なものはありますか?」

 

 町長さん達の方にも顔を出していたおかげで遅れてきた私は、先生として二人に声をかける。

 

「全くもって完全無欠に問題ないわ」

 

「まぁ、同じくだ」

 

 七子ちゃんは立ち上がって、腰に掛けた白い棒状の何かを揺らしながら。南雲君は振り返らずに、それぞれ返事が返ってくる。

 

「強いて言うなら、もう少し良いお酒が欲しいわね。変に癖が強くて、安っぽいわ」

 

「なんでこんな大事な時にお酒なんて飲んでるんですか……」

 

 七子ちゃんの片手には、町で時々見かけたラベルの酒瓶が握られていて、既に量が半分くらいに減っている。

 ……未成年飲酒を法律の薄い異世界でしつこく叱るのもどうかと思いますが、度が過ぎるようなら流石に怒りますよ。

 

「お神酒上がらぬ神はなしって言うじゃない。神を呼ぶってわけでもないけど、必要な物なのよ」

 

「必要なら仕方ないかもしれませんが……。じゃあ、腰の棒は?」

 

 問うと、七子ちゃんは壁から飛び降りてきて、私に見せ付けるように、その白い鞘に収められた、日本刀のようなものを差し出す。

 

「私の創作魔法で出した、『一匹狼(ワンワンワン)』の異名を持つ魔女の愛刀。対魔法少女用の魔剣。銘を一殺(ワンコロ)。今日使う予定はないし、まぁ格好つけてぶら下げてるだけよ」

 

「名前がひどい」

 

「南雲よりはマシよ」

 

 いや、南雲君に別の名前をつけてもらった方が良くないですか? 中二病、というものの恥ずかしさは私にはよくわかりませんが、そんな可愛いんだか変なんだかもわからない名前よりはいいと思います。

 

 ……物語の道具にあれこれ言っても無駄なんでしょうけれども。

 

「ティオ。もうすぐに始めるわ。タイミングは見ていれば分かるから」

 

「うむ、了解した」

 

 呆れているうちに、七子ちゃんは壁の上にいるティオさんに指示を出しました。

 ティオさんは何も聞かずに、壁の向こう側へと飛び降りていきます。

 

 直後、南雲君の、「……来たか」という声が聞こえてきました。

 

 来た、と言うことは、魔物のことでしょう。私の護衛として来ている騎士達も、疑心暗鬼ながら警戒の姿勢を見せる。

 

七五三(しめ)、来たぞ。予定よりかなり早いが、到達まで三十分ってところだ。数は五万強。複数の魔物の混成だ」

 

 南雲君が七子ちゃんに声をかけるも、本番になって緊張したとでも言うのか、返事もせずに、空を見上げて、一度、深呼吸をしました。……片手に酒瓶がなければ、十分に綺麗な光景だったことでしょうに。

 

 ゆっくりと吐き出してから、七子ちゃんは私にその顔を向けます。

 

 その目の色は、緊張というより、覚悟を決めたように見える。

 

「一応言っておくけれど、今から呼び出すのは魔族と呼ばれる、人類を絶滅させる意思と力を持った化け物の一人よ。大量殺戮と都市崩壊のプロフェッショナルで、今日みたいな戦争に持ってこいな人材だけど、言うことを聞かなかった場合、魔法少女を持たないこの世界の人間は軽く絶滅するだろうから気をつけなさいな」

 

 すぐ近くにいる私に聞こえる程度の声量で饒舌に語られた内容に、私は悲鳴を上げるでも突っ込みを入れるでもなく、ため息を吐くことしかできませんでした。

 

 すぐに、七子ちゃんは私たちから離れて、前の二回よりずっと重たい声音で、詠唱を始めます。

 

 

「――開け。現を食らい、夢を吐く書物の門よ。」

 

「我は汝を我が子と呼ぶもの。我は汝が神と呼ぶもの。」

 

「我は汝に絶望を植えたもの。我は汝に希望を与えるもの。」

 

 白い板に描かれるのは、赤い鱗を持った、竜と人間の中間のような人型。骨格や胸の膨らみから女性だと分かるものの、顔は竜のように歪で恐ろしい。

 

「生者を殺し、死者を殺し、終わる世界を焼き尽くせ。」

 

「竜神の如く行間を舞い、鳳凰の如く文脈に降り、」

 

「母にその顔を見せなさいな。」

 

 描かれた異形が、寸分違わぬ形で私たちの前に現れる。

 

 上は胸を隠すためだけに巻かれたサラシが一枚(一本?)、下は毛皮をスカートのように巻いただけ。爪先から顔まで鱗で覆われていなければ、着替え途中にしか見えない別世界の住人。

 敵モンスターとして登場した方が納得な容姿をした彼女に、七子ちゃんは半分程飲んだ酒瓶を何も言わずに渡しました。

 

 作法も見た目相応なのか、あるいは単に注ぐ器がないからか、戸惑った様子を見せながらも。彼女は豪快にラッパ飲みで一息に飲み干した。

 

「……不味い。だが、分かっているようであるな」

 

 表情一つ変えず、彼女は七子ちゃんを見下して言った。

 

 その声に私は一瞬、呼吸どころか、心臓まで止まったかのような畏怖を覚えました。

 

 粗暴な外見とは裏腹に、気高くて美しい、芸術品のような女性の声音の言葉。

 

「我は竜章鳳姿(りゅうしょうほうし)の魔族。名をノブレス。核融合の魔法少女の一振りで死したこの身、同じ酒を飲み交わした口からの命令に限り、人類と言わず、あらゆる哺乳類を絶滅させて魅せようぞ」

 

 対面している七子ちゃんは冷や汗が見えるくらいに流しながらも、口を三日月のように歪めて笑って返す。

 

「この町を襲う人間以外の生命体を、一切の例外なく塵に返しなさいな」

 

「よかろう。して、貴様は対価に何を払う?」

 

 計るような目で見られて尚笑う七子ちゃんは、十字架に掛けられた聖人のように。あるいは生贄として捧げられる子供のように両腕を上げた。

 

「なんなりと。一切の死者を出さずに、私の望む全てを完遂したならば、貴女の望む全てを叶えるわ」

 

 ノブレス、と名乗った彼女は、七子ちゃんの言葉を聞いて、高らかに、そして優雅に笑って返した。ワニのように大きい口も、サメのように尖った歯も、彼女の気高い様子を全く邪魔をしていない。むしろ誇張してすらいる。

 

 その光景を、私たちはただ見ていることしかできなかった。

 


 

 

 本名、七五三七子の小説家、不可思議( ふかしぎ )可思議( かしぎ )が手掛けた、魔法少女や魔族が登場する小説には、魔道士と呼ばれる存在が登場する。

 魔法使い、魔女、魔法少女。そしてそれらの成れの果てである魔族。全て総じて、魔道士。

 

 魔族は四文字。

 魔法少女は三文字。

 魔女は二文字。

 魔法使いは一文字。

 

 彼ら、彼女らは二つ名に漢字を持っていて、基本的には文字数と魔法、魔力が比例して高く、またその言葉の意味が強い魔道士もまた強い。

 

 魔道士とは魔法を扱うために人間であることを辞めたもの。人道を捨て魔道を生きる者。

 

 そんな世界観のキャラクターの一人である、竜章鳳姿(りゅうしょうほうし)の魔族、ノブレスは、核融合の魔法少女に殺された魔族の一体である。

 

 魔族とは、元は魔法少女や魔女、魔法使いであり、さらに元は人間であった存在。

 

 守るはずの人間の悪意を見てしまった魔法少女。

 研究の末に人間は絶滅すべきと結論した魔法使い。

 暇を持て余した魔女。

 

 そんな彼らが人間の元を離れ、各々が別の過程を経て、魔族となる。

 

 人類絶滅という使命を持った魔族がいた。

 人類絶滅という義務を持った魔族がいた。

 人類絶滅という野望を持った魔族がいた。

 人類絶滅という職務を持った魔族がいた。

 人類絶滅という趣味を持った魔族がいた。

 

 そして彼らは、人類を絶滅させうるだけの力も持っていた。

 

 その中の一人、ノブレスとて例外ではなく、かつては一人の少女であり、人類のために核融合の魔法少女と肩を並べた世代の魔法少女であり、人類を絶滅させる責務と力を持つ存在であった。

 

 核融合の魔法少女より二つ年上であった彼女は十六歳の誕生日の前日、人類の元を離れた。一年後、核融合の魔法少女の最後の大戦と呼ばれる戦いで、百花繚乱の魔族や、明鏡止水の魔族、花鳥風月の魔族と共に軍勢を組み、そして理論値一億度の灼熱を前に散っていった。

 

 竜章鳳姿(りゅうしょうほうし)とは、竜のように勇壮で、鳳のように気高い姿をしていること。また、内面の充実が外面に現れていて、優れた風采である、という意味である。

 

 


 

 

 

 『百鬼夜行』

 なんて言葉が故郷にありましたが、ならあの光景は、百竜群行とでも言いましょうか。

 竜人族であるティオさんと同じように、しかしずっと禍々しく、痛々しい過程をへて巨大な赤い竜となったノブレスさんは、先に出陣していた南雲君たちよりずっと速いスピードで追い越して行きました。

 背に展開されている巨大な魔法陣からは、一体一体が違う色、違う形をした竜や火の鳥が飛び出てきて、迷うことなく魔物の軍隊を押しつぶし、焼き払う。

 あの中には、ティオさんも混ざっているのでしょうか。黒い竜だけでも数十体はいるように見えるので、どこにいるのか遠目には判りませんが。

 

「竜章鳳姿の魔族、ノブレスは、その名に違わぬ外見、気質で数多の竜と鳥を率いて人類を滅ぼそうとした魔族よ」

 

「なんて人を呼んじゃってるんですか……」

 

 五万の魔物を少数で相手するならそれくらい必要なのでしょうけども。

 

 遅れて南雲君達も殲滅に参加していく光景を眺めながらノブレスさんについて語る七子ちゃんは、映画でも観ているかのように薄く笑みを浮かべていて、お酒が回っているのか頬が赤くなっている。

 

「ノブレスは魔族の中じゃまだ話の通じる方よ。だからきっと平気」

 

「説得力ありませんよ……」

 

「説得できる類の相手じゃないもの」

 

 そういう話じゃないんですよ……。

 とは言え。とも言わずとも、戦力外である私は、ただ祈り待つことしかできません。

 

「南雲君。……清水君も、どうか無事でいてください」

 



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