【探索者SS】神話を取り巻く日常よ (Ron_lucky)
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探索者プロローグ
プロローグ:紅雲レオ


当エピソードには、以下のシナリオの冒頭の展開の仄めかしがあります。
致命的なネタバレはありませんが、従者の設定により開示される情報が含まれている場合がございますので、ご留意下さい。

・クトゥルフ神話TRPG『Rico/Rita』(作:悠々笑夢 様)


 俺という人物に明確な分岐点があったとすれば、それは彼と出会ったことだろう。

 中学時代のある時。休憩中に一人で本を読んでいた俺に、そいつは話しかけてきたのだ。

 

 「紅雲くん、やったかな。何読んどんや?」

 「……何の本だろう」

 「どういうことや」

 

 その日は、読めない言語で書かれた本を読んでいた。記憶が確かなら英語の本だった気がする。

 中学生の英語力ではほとんどの単語が分からず、辞書も持ち合わせていないためほぼ解読不能となっていた。

 母が図書館の管理者をしている関係で、俺自身も本の整理を手伝うようなこともあった。その過程で何となく目に付いたものを適当に流し見しているだけで、知識の吸収を目的としたものではない。

 

 どうやらそれは、周囲からは不気味に。目の前の人物からは、面白そうに見えたらしい。

 読んでもええ? と聞いてくる彼に、本を差し出す。眺めて数秒、「分からん!」と少し大げさに呟いていた。

 

 「何となーく小説っぽい気はする。紅雲くん、これ読めるん?」

 「読めない。家……の近くにある図書館から、目についたのを借りただけだ」

 「ほー……。何やそれ、面白い(おもろい)奴やな」

 

 本を返した勢いで、隣の席から椅子を拝借して座る。俺の隣のクラスメイトは、今はグラウンドでサッカーでもしていることだろう。

 

 「勢いで座ってもうたけど、良かったかな」

 「うん? 隣の奴なら昼休みいっぱいまで帰ってこないし、俺の許可をわざわざ取る必要も無いだろう」

 「いやあるやろ。嫌がるなら退()かなアカンって」

 

 そういうものだろうか。きっとそうなのだろう。自分がそういうマナーに疎い自覚はある。

 疑問から口にしただけだったが、もしかすると声色から警戒を匂わせてしまったかもしれない。そんなことを考えつつ、次の発言を待つ。

 読めない本に目を通すより、クラスメイトと話した方が有意義だろう。

 

 「君がそう言うなら、それでええわ。じゃあ、改めて自己紹介やな。俺は」

 「星海シン、だろう。変な口調だから、すぐ覚えられた」

 「まーまー、折角やし自己紹介させてや」

 

 「俺は、星海シン。君の……お前の名前は?」

 「紅雲レオ。よろしく、星海」

 「よろしゅう!」

 

 それが、星海シンとの出会い。

 彼と出会わなければ、この後岸上ケンゴと知り合うことも、白天原家と関わることも――今の職場に、就職することも無かっただろう。

 

 運命的な出会いだったなんて、そんな言葉は選ばないが。

 仮に人生に分岐点があるとすれば、大きなものの内の最初の一つは、間違いなくここだった。

 

 

 中学生から大学生時代においても、イベントと呼ばれるものはいくつかあった。

 目立ったものと言えば高校生時代に流行っていた、とある不良の噂にまつわる事件に首を突っ込んだことが挙げられるが、それについては割愛する。

 あくまで紅雲レオという人間における重要な話というのであれば、もっと相応しい話がある。

 

 「聞いたかレオ! イクソスが、従業員の一般公募をしとるらしいで!」

 「……何の話だ?」

 

 ある日、友人は俺を捕まえてはそんなことを言ってきた。

 噂に疎い俺が、星海の話を聞く。二人で噂について調べ……というのが、いつものパターンとなっていた。

 

 「レオはやっぱ知らんか。おーけー。ざっくり説明するわ」

 

 名家イクソス。要は白天原のようなお金持ちが、何故だか従者の一般公募を始めたらしい。

 職種に指定はなく、応募者もとい合格者の適性を見て、何に従事するかを決め打つとのこと。

 応募資格には様々なことが書かれていたが、どうやら俺たちには応募資格はあること。

 色々なことを話していたが、大事そうなのはこの三点だった。星海の言いたいことを察して、言う。

 

 「まさか、受けろと?」

 「記念に受けようや! 俺とお前で!」

 「動機が不純過ぎる……」

 

 だいたい、イクソス側の動機が不明だ。

 例えば共通の友人の親が運営している白天原は、従業員は基本的に縁を伝って確保しているらしい。

 身近な例を挙げると、星海と俺の友人である岸上ケンゴは、彼の友人でもある白天原カミノに誘われる形で白天原に入っていった。

 俺たちにも声は掛かっていたが、ひとまず保留という形にしていたはずだ。その状況で、別の家の試験に臨もうというのか。

 そしてイクソスはどうして、所縁もない人物を招き入れようとしているのか。

 

 「お前らしいと言えばお前らしいが。お前、俺が苦手なもの知ってるだろ」

 「目上の人が苦手なんやろ? どう接して良いか分からなくなるから……やっけ?」

 「そうだ。どうも緊張は人一倍でな……」

 「克服するチャンスやって!」

 「面白がってるだけだろ」

 

 あとお前、慣れたら割と猪突猛進やん。

 分かったように言う彼の言葉に、曖昧な表情で頷く。

 本やデータなどの情報ならともかく、人間観察には自信が無い。それが自分であってもだ。

 もう少し正確に表現するなら、彼の『人を見る眼』への信頼の方が、自分のそれよりも高い。

 本当に嫌であれば、彼が踏み込んでこない人間であることは知っている。少し思案して、

 

 「まあ、いいか」

 

 挑戦してみることが悪いとは思わない。自分がやるとなると実感は湧かないが、俺自身そういった人々を応援したいと思っているタイプの人間だ。

 就活に失敗したとしても、母の仕事を継いだり、白天原を頼ったりという手段は残されている。

 

 (何とも恵まれた人間だな、俺は)

 

 せっかく提案してくれたのだ。友人付き合いのことを考慮する気は一切無いが、可能なことならやってみたい。

 もっとも、名家の試験に合格するなんてことを、俺のような普通の人間に為せるとは思わないが。

 

 「受ける。ただ、受けるなら真面目にやることだ。この場合、マナーについて勉強した方が良いのだろうか?」

 「いや普通に勉強しとけや! って言いたいけど、どうやろうな。案外大事なんかなぁ」

 「ただ、個人的にマナー本はアテにしていない。ううむ……」

 

 了承の後、そのまま作戦会議に入る。

 初歩的なマナーは白天原に相談してみよう。面接練習は教授を頼ろう。

 勉強は普通に頑張ろう。あと何か変わった特技があれば良いだろうか。

 

 ともかく、俺たちは出来うる準備を整えて、イクソス家の試験に臨んだ。

 

 ――――そして、俺一人が試験に合格したのだった。

 

 

 その後、俺のスマホには多数の連絡が入った。

 星海や岸上等の友人や、家族からの祝いの連絡。

 昔のクラスメイトからの祝いと、イクソス家のことを知りたいという旨の連絡。

 例えば、以下のようなメッセージに対して、俺は次のように返事をしていた。

 

 『合格おめでとう!』「ありがとう」

 『どんな試験だったの?』「守秘義務がある。言えない。悪いな」

 『当主様ってどんな人だった?』「守秘義務がある。悪いな」

 『お嬢様? お坊ちゃま? 居た?』「守秘義務がある。悪いな」

 『格好いい人/かわいい人/金持ちを紹介して!』「無理だ」

 『そっか。じゃあね』「あまり話せなくてすまない。また」

 

 暫くは山のように来ていたメッセージも、一ヶ月もすれば止んだ。それきり昔のクラスメイトからの連絡もぱったり途絶えたが、特に気にしていない。

 やはり名家というのは気になるものらしい。そういう意味では白天原も好奇の対象なのだろうが、あちらはある程度オープンだから、本人たちに直接質問をぶつけているのかもしれない。

 

 本当は言っても問題ない内容もあったかもしれないが、その線引きを完全には理解出来ていない俺の落ち度である。旧友に申し訳無いと思いつつ、頑としてイクソスのことは話さなかった。

 あるいは、それも含めて『試験』であった――とは友人で、当時はまだ次期当主であった白天原カミノの言である。

 口が軽い者を雇いたがるところは少ない。名家であればなおさらだ。『軽薄そうに見えて一線を超えない者』であれば需要はあるが、それを一般に求める者も無い……とのこと。俺には良く分からない話である。

 

 とにかく。そんな訳で、俺はイクソス家に勤務することとなったのだ。

 

 

 そうして一年と少しは、何事もなく時間が過ぎて行ったような気がする。

 屋敷で働いている方々は個性が強そうであったものの、俺はいち清掃員。時間があれば書庫番手伝いもこなしていたが、ほぼ一般人と言って問題ない程度だ。

 彼らとの関わりも多くはなく、名前をギリギリ覚えられるか程度の距離感で、顔の輪郭を覚えている。

 見た目よりも経験値がありそうな雰囲気漂う先生。

 岸上を数段尖らせたあとに丸くしたような感じのする運転手さん。

 なぜか変わった仮面を被っているメイドさん。

 他にもちらほらと、街を歩いているだけでは知りえない独特な雰囲気を纏う従業員が多い印象である。

 それこそ、星海の言う「エモそう」に相当しそうなくらいには。

 

 しかし、その程度の情報だとしても、それはあくまで俺が一方的に知っているだけだ。

 すれ違えば挨拶を交わしはするものの、清掃員としてはそもそも視界に入らないよう、速やかに掃除をするのがベターらしい。

 そういう意味では、むしろ覚えられていない方が光栄なのでは? 比較的暇な時間にそんなバカなことを考えられる余裕が出てきた頃。

 

 ――――当主が亡くなったとの、連絡を受けた。

 

 

 

 不可解なことがあったとすれば、当主の遺書に出てくる四人の従者である。

 リコお嬢様とリタお嬢様。彼女たちのどちらかを次期当主として決め打つための試験における、四人の試験官。それぞれ、本邸に勤務している従者たちが割り当てられていた。

 その中に、自分の名前が書いてある。彼女たちのことを何も知らない、彼女たちの信頼を得ていない、特別な技術も持ち合わせていない、自分がだ。

 真相を確かめる方法が無い以上、『何かの間違いではないか』という意味の無い発言はしなかった。

 ただ、考える。自分に何故、そんな重要な任務を与えたのか。

 

 『重大な仕事を任されたが、なぜ選ばれたのかが分からない』

 『なんや重い話だったりするんか?』

 『詳しくは話せない。ただ、なぜ任されたのかが分からなくて、無駄に考え込んでしまう』

 

 にっちもさっちも行かなくなって、気付けば友人にメッセージを送っていた。

 星海シンも今は部外者ではあるが、俺の友人の中で、俺の次にイクソス家について詳しいはずである。(この時、俺はカミノに連絡するという考えを失念していた)

 

 『何も考えんでええ……っていうのは無責任か。でも結論言うならそれなんよなぁ』

 『何も考えなくていいとは、例えば?』

 『例えばも何も。理由があったら、どうにかして直接言うとるやろ。重大な仕事……勝手に社長さん――じゃないわ。アウクセシア当主からのもんって思って言うけど』

 『あの人、『遠回しにヒントを残す』はしても、『言わない。察しろ』はせんやろ。そういういい加減な人では無いわ。知らんけど』

 『やから、レオに心当たりが無いってんなら、自然体のお前が必要ってことや』

 

 一度は自分で考えはしたものの、こうして他人に言われると謎の安心感を覚える。

 

 『なるほど。ありがとう、気が楽になった』

 『なら良かったわ。頑張ってな。あー、ただ何かアドバイスするとしたら』

 

 画面に集中する。貰えるものは何でも欲しい。

 他人のアドバイスである以上話半分に聞くのが吉だろうが、そんなことは言ってられない。

 

 『レオが一番の新人やってんなら、「既存のルール」を疑わせる……慣習への懐疑?当然への追求?みたいな目的があるんちゃうかなー』

 『……つまり?』

 『〇〇するべきとか、〇〇して当然とか。そんなんに目を向ければええんちゃうんかな』

 

 何気なしに聞いた言葉に、何となく聞き覚えがあった。

 記憶の中を掘り返す。……喉まで出かかっているが、ハッキリとは思い出せない。

 けれど、その言葉は何となく、胸に留めていた方が良い気がした。

 

 『ありがとう。参考にする。長ければ一ヶ月くらい連絡付かなくなるから、よろしく』

 『多分長めに見積もっとるなコイツ。一週間とかそこらやろ!……まあええわ』

 

 惜しい。スケジュール通りなら三日間だ。

 その日は近付いているが、どうなるかは一切分からない。何をすれば良いかも分からない。

 

 だから、自分に出来ることをしよう――――。

 

 

 ――――

 

 

 「何を仰ってやがりますかーー!!」

 「い、いや、想定しているのは子供でだな」

 「……」

 

 後日。どう転んでもお嬢様方と関わる可能性が出ることに気付いた俺は、白天原を頼ることにした。

 対名家のことは名家に聞く。女性のことは女性に聞く。お嬢様のことはお嬢様に聞く。道理だろう。

 

 そうして白天原の令嬢――サクラを頼り、いつの間にかシチュエーション対応クイズなるものが開催され。

 いつの間にか、怒鳴られている。

 

 「リコさん、リタさんのことでしょう!? 年齢的には子供でも! レディとして接するべきですわ! 『お嬢様は、一人前の女性として扱うこと』、復唱!」

 「お、『お嬢様は、一人前の女性として扱うこと』」

 「声が小さい!」

 

 ちなみに、今回の問題は『トラブルが起きて、お嬢様方の着替えに出くわした。どうする?』だ。

 想定している相手……リコお嬢様、リタお嬢様は十歳ほどの子供なので、(無論相手が気にしないこと前提であるが)別段気にしなくて良いだろう。

 そう思いながら回答したところ、こうなった。俺が悪いのだ、間違いなく。

 

 「『お嬢様は、一人前の女性として扱うこと』!」

 「よろしい! では次ですわ!」

 

 赤いフチの伊達メガネを掛け、ノリノリで先生役をしているサクラ。

 彼女の趣味に付き合わされている気がしなくもないが、せっかくの機会だ。

 

 従者として恥じない常識を、身に着けてみせる――――!!



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プロローグ:岸上ケンゴ

 今日も、いつも通りに陽が差していた。

 

 「ケンゴ、今日の依頼だ。お前に任せるべき内容は――」

 「一宮さんから聞いてる」

 

 働き詰めな上、なぜかこういう伝達までしたがる友人兼当主。彼の言葉を遮って、今日の仕事内容を整理した。

 とは言うものの、俺がやるべき仕事は簡単な肉体労働だ。

 午前は近所のイベント設営準備を手伝って、午後はある一般家庭の引っ越し手伝い。地元の便利屋のような位置付けである白天原には、この手の応援依頼が後を絶たない。

 

 「なるほど、一宮め」

 「伝達係がしたいなら、仕事を減らせ。気ぃ遣ってくれてるんだ」

 「当主であるからには、これ以上怠けては居られん。伝達は俺の趣味だ」

 「これ以上ってアンタ」

 

 怠けるも何も、この白天原で一番働いている人物は彼だと言っても過言では無い。むしろこれ以上仕事を抱えないよう、従者皆で対策を講じているのが現状だ。

 苦笑しながら、続ける。

 

 「むしろ怠ける努力をした方が良いだろ、お前は」

 「は、鏡でも持ち歩けば良かったか?」

 

 軽口を言い合いながら、二人揃って部屋から出る。数分前に彼――白天原カミノが、俺の部屋を訪れていたのだ。

 部屋から出ると、恐ろしいほどの早足でカミノは歩き去って行った。あの競歩じみた歩き方から察するに――。

 

 「……頑張って下さい、一宮さん」

 

 カミノの側近である整体師の顔を思い浮かべながら、小さくため息をついた。

 今日のカミノの仕事量は、平時の3割増程度あるはずだ。業務のフォローやカミノの休憩時間確保などに苦心するに違いない。

 

 俺に出来ることがあれば良かったのだが、彼の業務で俺に手伝えることは何も無い。

 そのほとんどが事務仕事であり、俺の管轄外である。他に出来うることを探そうにも、まずは今日の仕事を終えなければ。

 

 

 「助かったぜ、白天原のお兄さん! 予定より30分も早く終わったよ」

 「ぜぇ……ぜぇ。当然の、ことをしたまでです」

 

 肉体労働の仕事は、俺の望むところでもある。負荷を多めに、他の人よりも重い仕事を。

 派遣先の職場に迷惑は掛けられないのである程度はセーブしているが、それでもある程度自分を追い込みたい。

 その結果、設営準備が終わる頃には肩で息をする俺が出来上がる訳だ。

 

 「いやー、相変わらず凄いねちっこいのに! ほら、スポドリ」

 「……」

 

 ちっこいのに。ちっこいのに。

 俺の身長は160cmほど。平均よりは確かに少し小柄なのかもしれない。格闘家である親父は大柄だったが、残念ながら身体的な特徴は受け継げなかったらしい。

 ありがとうございます。礼を言ってから、ペットボトルを受け取った。

 

 「お兄さん、昼は空いてるかい。良かったらご飯でも」

 「いえ、結構です。まだ時間があるので」

 

 端末にサインを貰って、白天原の事務担当に提出する。午前のイベント設営手伝いは、滞りなく完了。

 ついでにやれることが無いかを聞いてみて――特に無いと返信を貰う。一時間程度、時間が余ったことになる。

 今日はこの後引っ越し手伝いがあるから、筋トレはやりたくない。そうなるとゴミ拾いでもするのが妥当だろうか。

 そんなことを考えながら、俺はその場を後にした。

 

 

 さて。この辺りで、自己紹介といこう。

 俺の名前は岸上ケンゴ。年齢は……23歳。高校を出た後、友人である白天原カミノに声を掛けられる形で、白天原家の従業員として働くことになった。

 抱えた夢は『正義の味方』。昔はとにかく悪いヤツを倒し続ければなれるものだと無根拠に思っていた訳だが――色々あって、その辺りの強迫観念は薄れてきた。

 代わりに目指す像も朧気になってしまったものの、ひとまずは肉体を鍛えようという結論で納得しようとしている段階だ。

 

 昔の話は、長くなるので割愛しよう。

 夜な夜な街を徘徊して悪いヤツを倒して回ったり、それで変な渾名が付いたり、後に友人となる変な男と出会ったり。そんな感じだ。

 俺にとって申し訳なく、罪悪感を燻らせられるエピソードでもあるため、あまり大っぴらには話したくは無い。

 強いてコメントを残すとすれば。あの出来事を経て、俺は今の俺になったと。その程度だ。

 

 趣味は筋トレ。それ以外には特に無いが、友人から度々漫画を勧めてくるので、それを読むことはある。

 それ以外の自由時間は、基本的には街を回ってトラブルの種を潰している。落とし物の主を捜したり、重そうな荷物に困る人を手助けしたり、迷子の親を一緒に捜したり。

 この時代、それが原因で通報されたこともあったが……最終的に誤解は解けてくれるので、構わず続けている。

 

 俺のことはこんなところで良いだろうか。

 こうした経緯で白天原で働いている俺は、今日も今日とて誰かの手伝いを続ける訳だ。

 

 イベント会場を後にして、これからどうするかを改めて考える。

 作業を終えた段階ではゴミ拾いでもしようかと思っていたが――――。

 

 「……ちっこい」

 

 気にしていない。

 確かに体格が小さいというのは体積が小さいということであり、その分出力される力はどうしても劣ってしまう。しかし、小さな体格を活かした立ち回り方というのももちろんあるし、俺はそう言った闘い方に慣れてきた。

 実用性以外の面で考えるなら。身長というのは男性的な特徴の一つにも挙げられる要素ではあると認識しているが、この現代においては固執するべきでないものと言っても良いだろう。

 ……気にしていない。

 

 「公園で雲梯(うんてい)でもやるかな……」

 

 昔に比べると公園は廃れたように思うが、まだそういった遊具はあったはずだ。

 白天原にあるジムなら突き詰められるだろうが、そこまで行くと午後の作業に支障が出るくらいやり込んでしまう。

 外の公園であれば、ある程度はセーブが効くはずである。懸垂でも構わないが、公園ならではの遊びを取り入れるのも手だろう。

 そうと決まれば出発だ。あてもなく歩いていた俺の足は、近場の公園へと方角を変えて一歩踏み出し――――。

 

 「ケンゴ様!!」

 「おっと」

 

 横から飛び込んできた少女を、正面から受け止める。

 タックルでもするかのような勢いで俺に突貫してきた少女は、直ぐ様俺の腕に自身の腕を組ませ――る前に、相手の肩を掴んで引き離した。

 

 「午前のお仕事、お疲れ様ですわ。お疲れでは無いですか?」

 「大丈夫だ。サクラはどうして?」

 「お食事でも!」

 

 腕に抱きつくのは不可能と判断したのか、彼女の柔らかい両手が俺の右手を包む。

 手を引くことで抵抗しようとしたものの、がっちりと掴まれてしまって、解こうとすれば乱暴に振り払わなければならない。観念して自由にさせることにした。

 元気な笑顔を振りまく彼女は、白天原サクラ。当主の妹であり、

 

 「それでわざわざ捜しに?」

 「恋人ですもの、当然ですわ!」

 「違います」

 

 フンス! と胸を張る彼女を適当にあしらう。

 彼女とは高校時代……サクラが中学生の時にカミノ経由で知り合い、そこから親交はあった。

 はじめはただ友人の妹という感じだったのだが――いつの間にやらこのように、俺の恋人を自称している。

 その度に俺は否定しているものの、彼女は認めない・めげない・辞めない。俺のどこが良いのやら。

 

 「まあそれはそれとして。あなたとお昼を共にしたいのは本当ですわよ?」

 「……分かった、ご飯だけだぞ。どこがいい」

 「お任せしますわ!」

 

 またもやドヤ顔。最初はもっとお淑やかというか、大人しい女の子だったような気がする。

 俺たちと知り合ってから――というか、あいつと知り合って、漫画だのアニメだのに手を出し始めてから、ああいったリアクションじみた仕草が増えたように思う。

 性格に影響を与えたのか、それとも本当に『リアクション』止まりなのかは俺にも判断が付かない。一度聞いてみたところ、「楽しいからやっているのですわ!」と返されたので、それからは何も言っていない。

 サクラ本人が楽しめているのなら、それが一番良い。

 

 それより、お昼ご飯は何にしよう。

 一人で行くならファストフード店やコンビニで適当なものを買うだけで良かったが、サクラ……年頃の女の子を連れて行くとなると、どこが妥当だろうか。

 

 「近場で、座れて……ラーメンやうどんは無いか。汁跳ねたら嫌だもんな」

 

 様子を伺うように視線を飛ばすも、彼女は俺の手を握って歩きながら、ニコニコと周囲を見渡している。大方知り合いに今の姿をアピールしようとしているのだろう。

 油断したところで抜け出そう。そんなことを思いながら、俺は適正な飲食店を考え。

 

 「定食屋でいいか」

 「ふふ、もちろん!」

 

 くすりと笑う彼女を少しだけ訝しみつつも、手を引いて誘導を始めた。

 隙あらば、歩きにくくなるほど距離を縮めようとする彼女を、けれど手は解かず。

 手を繋いだまま、店の前まで来てしまっていた。

 

 「着いたぞ。そろそろ、手」

 「?」

 

 手を放して欲しい。直接言うのが憚られたため、それだけ言って指示をする。

 サクラはキョトンとしたように俺を見たあと、にやりと笑う。そのまま握り込んだ手をもぞもぞと動かして、彼女と俺の指を絡めるように手を握り――。

 

 「やめなさい」

 「あいた!」

 

 空いていた左手で軽くチョップ。大袈裟なリアクションと共に、彼女は両手で頭を抱え始めた。

 う~~、と呻いたあとに、一言。

 

 「もう、素直じゃないんですから!」

 「そういう話じゃない」

 

 こんなやり取りも、いつものことである。

 手を放せた俺たちは、定食屋へと入って行く。客入りは、昼時には少し早いからかまばらである。

 店員に人数を伝え、適当な席へ。運ばれたお冷で喉を潤すと、隣のテーブルから聞き覚えのある声がした。

 

 「さっきのお兄さんだ。なんだ、彼女と食べるならそう言えば良かったのに」

 「彼女では無いです」

 「あー、従業員とお嬢様だもんな! そういうことにしておくよ」

 「だから本当に――」

 

 午前の仕事で顔を合わせた面々の誤解を訂正しようとする。

 どう答えても「みなまで言うな!」という態度を崩さない彼らと俺のやり取りを、サクラは慈しむような表情で眺めていた。

 

 「サクラ、お前からも何か……やっぱいい。余計混乱させそうだ」

 「あら残念。そういう訳ですので、この件はどうぞご内密に」

 「分かってる分かってる! ごゆっくり!」

 

 抗議の目を周り全員に向ける。サクラはどこ吹く風といった様子で、彼らは俺が照れ隠しでもしていると思っているのだろう。視線が若干温かい気がする。

 効果無し。これも何回目のことかは分からない。先ほどサクラは「内密に」と言っていたが、それがただの演技というか、リアクションの一環であることも何となく察している。

 目撃証言というか、そう言ったものはきっと多いのだろう。

 

 「……はあ」

 「浮かない顔ですわね。……ご迷惑、でしたか?」

 

 注文を済ませてから、そんなことを言ってくる。

 顔色を伺う。表情をコロコロと変える彼女は、今は不安げだった。

 一度、ため息をつく。否定しているのは本心からであるが。

 

 「迷惑じゃない。むしろ迷惑掛けてるのは俺の方だろ」

 「迷惑ではありませんわ。こんなやり取りも、きっと愛しい思い出になりますもの」

 

 好意を無下にし続けている俺になお、彼女はそんな言葉と、微笑みを向けてきた。

 胸の奥で、何かが燻る感覚がする。俺はこの関係を変えたいのか、変えたいとして、どんな形に変えたいのか。

 そのことには、いつも頭が回らなかった。こういった人間関係に対しては、あまり深く考えられない。

 

 ただ漠然と、彼女の好意に応えてはならないという直感がある。

 おかしい話だ。俺への接触を別に見たとしても、彼女は紛れもない善人だというのに。

 

 「……」

 

 大学で、きちんと相応しい人を見つけたらどうだ。

 何度も思ったことが、どうしても口から出てこない。過去に一度くらいは言ったことがある気がするが、その時は軽く躱された。

 二人して、沈黙する。サクラは俺をじいっと見ていて、俺はばつが悪そうに視線を逸らしていた。

 

 ふと、窓の外を見る。今日も普段通りに、陽が差していた。

 こんな日が漠然と続くものだと。変化なんて予期されないものであると。

 意識していた訳では無い。

 けれど俺は、この日常を変わらないものだと。変えたくないものだと思っていたかもしれない。

 

 今日も、陽が差している。明日も陽が差すだろう。

 いつだって予兆なんて無いまま、変化は訪れるものなのだから。



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プロローグ:白天原サクラ

 自由の意味を、考えていた時期があった。

 

 物心が付き、自分自身が恵まれた人間であると理解し始めた頃。私も名家の一員として、家のため、街のために出来ることをしようと考えていた頃。

 私に割り当てられるはずの仕事を全て奪い取って、兄は高らかに叫んだ。

 

 「自由を謳歌しろ、サクラ! 俺は使命を謳歌する!」

 

 自由を謳歌しろとは、つまり家に縛られるなということなのだろう。

 白天原家の使命に縛られず、やりたいことをやればいい。そう言っていることは理解出来た。けれども、私にやりたいことなど何一つ無かったのだ。

 

 だから、私は自由の意味を。自由を与えられた意味を考えていたのだ。

 街を守る者たちという使命から解き放たれ、やるべきことを定めなければならない荒野に放り出された。

 それで兄を憎むようなことは無いけれど、率直に言って困ってしまう。

 私は何をしたいのか。私は何をするべきなのか。

 追い求めていた訳ではない。ただ、漠然とそんなことを考えていた。

 

 そして、その時は訪れた。

 その時の私は中学生。当時は唯一と言って良い友人である赤空さんと、暗くなった時間での帰り道。

 文化祭の準備で遅くなってしまった私たちは――高校生くらいの、柄の悪い男の人たちに囲まれていた。

 

 凶器も何も持っていなかった彼らは、ともすれば大きな脅威とは言えなかったかもしれない。

 けれどまだ幼い私たちには、夜に見知らぬ男性に詰められている状況は、とても恐ろしいものだった。

 震えて声も出ないのは二人ともだったけど、せめて赤空さんを庇うように立つ私。手を伸ばしてくる男たちの死角から、襲い掛かった男の子。

 

 「邪魔だ」

 

 はじめて聞いたその声は、人が出したとは思えないほど冷たかった。

 声と共に倒れていく高校生。私は赤空さんを叱咤して、覚束ない足取りでその場を走り去った。

 彼の傍を通る直前――彼の顔が助けを求めているかのように苦しそうだったことを、今もハッキリと覚えている。

 

 さらに時を進めよう。

 私と彼がはじめて言葉を交わしたのは、それから数ヶ月先のことだった。ちょうど、何やらバタバタしていた兄の様子が大人しくなった頃である。

 

 友人を招待する。良ければサクラもどうだ。

 使命に邁進していた兄から、友人なんて言葉が出るなんて。この兄と付き合う友人がどんな人物なのか気になったから、頷いた。

 

 「ようこそ白天原へ! 改めて名乗ろう。俺は白天原家次期当主、白天原カミノだ」

 「おー、様になっとんな」

 「気の抜けた拍手をするな!」

 

 変わった口調の男性は、真っ先にパチパチと拍手をした。

 賞賛でない拍手を聞いたことは何回もあったけれど、彼のものは親しみが込められた、絶妙な感触の拍手。

 兄も笑いながら、彼に指を指していた。

 彼の名前は、星海シンという。

 

 「なるほど」

 「強くしろということではない!」

 「そうか。すまない……」

 

 そのやり取りを見ていた男性は、真顔で弾けんばかりの拍手を始めた。

 過剰な程力を込めたそれは、人によればからかっているようにも感じ取れるだろう。

 どうやら先の男性と同じ扱われ方をしているらしい。兄の叫び声を聞いて、拍手を止めた。

 彼の名前は、紅雲レオという。

 

 「はじめて見る子も居るし、自己紹介は必要か」

 「そういう訳だ。いや俺がする必要は無かったが、浮かれてしまっていたな。サクラ、彼らが俺の――サクラ?」

 「……」

 

 そして三人目。ぶっきらぼうに私に目配せしてきた彼。

 彼の声と顔には、確かな見覚えがあった。けれど、見知ったものとは違い、少しだけ優しい雰囲気を帯びている。

 

 「サクラ、どうかしたか?」

 「い、いいえ! ごきげんよう、お客様方。私は白天原サクラ。いつも兄がお世話になっております」

 「カミノの妹さんか……」

 

 男性としては少し小柄だろうか。常に険しい顔付きをしているようだが、じいっと見ると体格相応の輪郭をしている。

 頬には傷の痕が残っており、一言で言うなら「不良」という単語が当て嵌まるような形相だった。

 彼は興味の無さそうな瞳で――。

 

 (あら?)

 

 一度瞬きして、違うと気付く。彼は私のことを優しく見つめ……てはいない。

 有り体に言えば、普通の人が当たり前に宿しているような、最低限の光ある瞳で私の姿を映していた。

 その姿に違和感を覚えて、内心で首を傾げる。失礼なもの言いではあるが、彼はもっと光無い目で万物を捉えていたような気がするのだ。

 

 (……あの時一瞬見たくらいで。思い込みも甚だしいですわね)

 

 意識を切り替える。目の前の彼があの時の彼である確信こそあったが、その変化をわざわざ指摘する気も無かった。

 幸い、彼らは何も思っていないらしい。私の挨拶に、次々と名乗ってくれる。

 星海さん、紅雲さんが自己紹介を終えた後に、彼が小さく咳払いした。

 

 「俺は岸上ケンゴ。カミノたちは、俺の恩じ――」

 「友達や」

 「友達だ」

 「友人だろう」

 「……友達だ。サクラ、で良いかな。これからよろしく」

 

 怒涛の指摘を受けて、曖昧な表情。結局は言い直した岸上さんは、私へ手を差し出してきた。

 差し出された手をまじまじと見つめる。よく見ると分かることだが、鍛えているだけでなく、相応に傷付いている痕があった。

 知り合いに格闘道場の娘さんは居るけれど、彼女の手はここまで傷付いてはいない。彼女の手と比較して考えると、彼の手はわざと痛めつけたような感覚さえ覚えた。

 

 悩んだ末、気付かないふりをした。

 差し出された右手を、両手で包み込むように握り返す。

 

 「よろしくお願いいたします、岸上さん! 紅雲さん、星海さんも!」

 

 

 「……ふふ」

 「なんだよ。急に笑って」

 

 対面に座って、コーヒーを飲んでいたケンゴ様が目を細めた。

 今日は彼と私が二人とも休みだったので、知り合いの来なさそうな喫茶店へデートに来ている。

 

 「いえ? 私とあなたの馴れ初めを思い出していただけです」

 「言い方。何回も言うけど、付き合ってる訳じゃないからな」

 

 むう。不満そうに息を吐く彼の言い分は、もう何百回も聞いている。

 私が彼を愛していて、彼も私を愛しているのだから、恋人と言って過言では無いと思っているのだけれど。

 素直じゃない人に微笑みながら、手元にあるティーカップを傾ける。彼が頑とした態度を採るものだから、二人のいわゆる甘い時間はこの程度のものであった。

 

 「そういうことにしておきますわ。あなたが認めるまで、待っていますから」

 「……多分、認めることは無い。もっと、有意義に過ごして欲しい」

 「私にとっては有意義なのです」

 

 様子を伺うと、ケンゴ様が表情を陰らせていることが分かった。

 私から提案した現状維持の関係ではあるが、それに思うところがあるらしい。だったら早く受け入れて欲しいものだが――きっと、それはそれで彼を苦しめてしまうのだろう。

 だから彼が認めるまで、待つことにしたのである。

 彼が自分の意志で、その苦痛を乗り越えて、その上で私を受け入れて欲しい。そう思うのは、我儘だろうか。

 

 「損な役回りだな」

 「当然です。白天原(わたくしたち)は皆のための名家ですので、自ずとそういう気質になります」

 

 私はそういった使命感は薄いので、今言ったことはただの建前だが。

 そもそも損をしているつもりも無い。他人の都合に合わせることを『損な性格』と言うならば、彼だってそうだろう。

 後ろめたそうに僅かに視線を逸らすケンゴ様を、微笑みながら見つめ続ける。空になったカップが冷めるまで沈黙を続けた頃、彼が小さく話し始めた。

 

 「サクラ。最近は物騒だから、気を付けろよ」

 

 唐突に放たれた警告は、私を案じてのものだろうか。

 普通に返事をしようとして、一呼吸置く。確か、最近見たアニメか何かでそれっぽい言い回しの台詞があったはずで――。

 

 「『どうした急に』、ですわ」

 「どこかの漫画の台詞か? あのな、俺は真剣に話して――それは分かってるか」

 

 湧いて出た本音に、それらしい台詞を代入出来そうだったら言う。

 私が変わった言葉遣いをする時はそういう使い方をしているので、出てくる言葉そのままの意味で本音を言っている。

 それは彼も分かっているようで、一度大きくなりそうだった声を、収める。私は誤魔化すように笑顔を浮かべていた。

 

 「じゃあ続ける。って言っても、それ以上に言うことは無いけど……知らない人について行ったりとか、しないよな?」

 「もう、私を何だと思っておりますの? 流石にそんな、怪しい人にはついて行きませんわ?」

 「困ってるから助けてくれ、って時も、なるべく一人で着いて行くのは駄目だ。出来れば、白天原の誰かと行動して欲しい」

 「むむ。それはちょっと……約束しかねると言いますか」

 

 彼の心配は尤もだが、私たちの事業は言ってしまえば「人助け」である。

 もちろん、実務にほぼ関わっていない私にその理念はあまり受け継がれていないが、ゼロでは無い。

 それに、私だって名家の令嬢である。多少であれば、怪しい人物かどうかの見分けはつく……はずだ。

 

 「だ、め、だ。サクラに何かあると――」

 「何かあると?」

 

 必要な情報は共有されつつ、ちょっと真剣な話になりそうなことを察知。

 今現在、両者ともに「恋人」と思い合っている訳では無いものの、これはデートなのである。湿っぽい話は程々に、です。

 

 遮るように聞き返すと、ケンゴ様は言葉を詰まらせた。数秒の沈黙の後に、

 

 「……カミノが、悲しむだろ」

 「もちろん、お兄様も悲しみますわね。でも、それだけでしょうか?」

 

 意識して、悪戯っぽい表情を作る。

 彼が何を考えているかは何となく分かるものの、どうせなら言葉で聞きたい。

 

 「白天原の皆も」

 

 表情を変えずに見つめ続ける。

 

 「大学の友達」

 

 表情を変えずに見つめ続ける。

 

 「星海たちだって」

 

 あと少し。沈黙を続ける。

 

 「……。俺も、友達が、辛い目に遭うのは嫌だ」

 「ええ、及第点ですわ! 今日はこれでもう満足です!」

 

 せめてもの抵抗か。「友達が」と強調する彼は、照れ隠しでもするようにメニューを見始めた。

 形はどうあれ、私が大事だと明言されて、嬉しくないはずは無い。欲を言えばもっと強く言って欲しいものだけど、それは後の楽しみにしておこう。

 

 「サクラ、注文はどうする?」

 「そう、ですわね……」

 

 メニューを受け取って、開く前にテーブルを見る。

 手元にある空のティーカップと、前方にある空のマグカップを見る。

 残念ながら、お茶をする時の好みは別々だった。ブラックコーヒーは、苦くて苦手だった。

 

 「今度は一緒のものを頼みましょう! この、季節限定のパンケーキと、ミルクティーなんて如何?」

 「分かった。すみません」

 

 店員さんを呼んで、注文。暫くして到着したスイーツを頂いて、直ぐにお店から出ていくことになった。

 

 帰り道。最寄り駅から歩いている時に、私から話しかける。

 

 「今日も楽しかったですわ! 次はいつ、お出掛けしましょう」

 「サクラの予定考えるなら……来週の土曜日なら、何とか」

 「むむ。その日はちょっと難しいですわね。赤空さんと遊びに行く予定なので」

 

 今回は雰囲気重視で、わざわざ待ち合わせ場所を決めてのお出掛けである。

 具体的にどこに行くのかは決めていないが、普段の調子であれば映画でも見に行くことになるだろうか。

 

 「それなら良かった」

 「良くはありません! ケンゴ様も一緒にどうです?」

 「遠慮しとく。正直、赤空とサクラに囲まれたくない……」

 

 冗談半分で誘い、想定した通りの答えを得る。

 私と赤空さんの二人で固まると、話題はたいてい恋バナになる。そうなると、男性であり話題の中心でもあるケンゴ様は気まずいのだろう。

 

 ちなみに、ケンゴ様は基本的には人のことを名字呼びするのだが、私とお兄様、ツバキさんは例外的に名前呼びなのである。

 理由としては、私とお兄様は名字呼びだとどちらか分からなくなるため。ツバキさんは、ある事情で名字を二つ持っているためらしい。

 私としては『私がそう呼んでいるから、その影響』だったりしたら嬉しいのだが、実際はどうだろうか。

 

 「それもそうですわね。……しゃーねーですわ!」

 

 無意味にドヤ顔をして、胸を張ってみる。ちらりと隣を見ると、呆れたような視線で返事をされた。

 それが無性に楽しくて、辞められない。

 

 そのまま他愛ない会話を続けて、屋敷に入って、すれ違った方々に挨拶をして、それぞれの部屋に戻る。

 そうすれば、あとは一人の時間だ。漫画を読んで時間を潰して、お風呂に入って、晩御飯を頂いて、眠って、次の日を迎える。

 

 『おやすみなさい、ケンゴ様』

 『おやすみ、サクラ』

 

 眠る前にメッセージのやり取りをしたりなんかして。これが私の日常だ。

 彼が居なくても成立するかもしれないけど、彼が居たからこそ愛しい日々。毎日が楽しい穏やかな非日常を、生きている。

 

 これが、私の謳歌する自由だ。

 私のやりたいことをやる自由。私の善性を続ける自由。

 わざと変な人を気取ってみる自由に、一人に恋してみたりする自由。

 

 人によっては自分勝手な横暴かもしれないけれど、こうして生きる私の毎日は、何より楽しい。

 

 ――いいえ。

 

 「楽しくなるように、生きるのですわ」



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プロローグ:七式ヒサメ

 「アルカシエル・コウマ・ガハーラ――後の七式アルカシエルであり、この診療所の創設者」

 

 ある休診日。暇を持て余し、かと言って外へ行く気分でも無かった私は、ある資料を読み耽っていた。

 それはこの診療所に残された古い資料。この七式診療所――私の家であり職場、ひいては現在の私に至る時代のものである。

 七式家は元々平凡な家系だったそうなのだが、このアルカシエルという人物と出逢ってから色々と変わったらしい。

 

 彼は独自に医療を極めた人物であり、その実力を買われてか、気付けば診療所を一つ建てるまでに至ったようだ。

 この資料には、その成り立ちが事細かに書かれている――と、思ったのだが。

 

 「アルカシエルが、ご先祖を口説いたり惚気たりすることばっかりだ……」

 

 曰く、「千代さんの料理が美味しいデース」「雨の日に鼻歌を歌っているのも可愛いのです」みたいなことばかり書かれている。

 惚気の雨あられにうんざりしながら読み進めていると、「今日診療所を建てたデース! イェイ!!」と、簡潔に記されていた。

 

 声には出さず、ゆっくりと長くため息。どうやら情報収集的な意義は無いらしい。

 それでも手に取ったのだからと、ペラペラと読み進める。1920年程の年代を最後に、アルカシエルが書いたと思われる日誌は途切れていた。

 診療所が建ってからは、医療に関することもちらほらと書かれていた。中には最近発見されたような治療法の原型と思われるものや、今となっては意味の無いオカルト知識なんかも並べられている。

 きっとアルカシエルは、優秀な医者であると同時に、当時の感覚で言う祈祷師のようなこともしていたのだろう。

 

 その名残は、現代まで残っている。

 本来なら可愛らしいぬいぐるみなどが置かれていたかもしれないスペースには、夜に見れば不気味に見える各種アイテムが並べられていた。

 

 「オカルト知識、か」

 

 父、サミダレに教えを受ける時も、何故かその知識まで授けられている。

 もちろん誰かに危害を加えるタイプのものでは無い。現代まで継がれた意図は分からないものの、要は精神的な支柱の一助となるものなのではないか。私はそう思っている。

 

 「当時はそれが最先端だったのだろうね。祈りや神様、儀式が台頭していても、何らおかしくは無い」

 

 一人納得して、資料を仕舞う。

 ちょっとした興味で調べ始めたことだが、中々愉快な先祖であったことを知れたのは収穫かもしれない。

 

 「そういえば」

 

 気になって、更に別の資料を探す。

 今見たものは、七式アルカシエルが書き残した、七式診療所の成り立ちについてのものだ。

 ここまで見た以上、個人的にはアルカシエルの方の家――ガハーラ家、だろうか。そっちも少し気になってくる。

 

 だから、私は埃を被っていた書類たちに一通り目を通したのだが――。

 

 「……。無い」

 

 あってもおかしくは無い、その資料だけが見当たらなかった。

 『七式』に関する資料は山のように出てくる。しかし、彼の出身。その情報が一切見当たらない。

 一般人ならば理解出来る。田中であるとか山田であるとか。とにかく「ごく普通の人が、ごく普通の七式と結婚した」程度の話であれば、そういった資料が見つからなくても納得出来た。

 けれど、アルカシエルの――七式家を大きく変えた彼の情報が見つからないのは、不自然に思えた。

 

 そんな考えが脳裏を過ると、先刻見た資料にも疑問が湧いてくる。

 七式家での暮らし。七式千代と過ごした日々。七式アルカシエルとしての人生。

 そんなことばかり書かれていて、『アルカシエル・コウマ・ガハーラ』としての記述は、それこそその名前一つだけだったのだ。

 

 「まさか、意図的に隠されている……?」

 

 何のために。

 一度疑心暗鬼の思考になると、延々と意味を探し回っていってしまう。

 仮にガハーラ家のことを書かなかったとして、その狙いは何なのだろう。

 結論が出ない堂々巡りが始まりそうになった頃――。

 

 「ヒサメ、ここに居……なんだこの部屋」

 「ちょっと本でも読もうかと思ってね。お父さんこそ、どうしたの」

 「まァ、ちょっとな」

 

 足下に散らばっていた本を的確に整理。空きスペースを作った父――七式サミダレは、その場に座り込んだ。

 

 「ヒサメ。お前が良ければ、お使いを頼みたくてな」

 「お使い? 別に良いけど……どこへ」

 「あー、あそこだ。日条診療所に、これ持って行ってくれ」

 

 菓子だ。別に今日じゃなくていいから。

 差し出された袋を受け取りながら、私は今しがた聞こえた診療所について考える。

 

 日条診療所。診療所と言うからには、私たちと同じ医療機関ではあるのだろう。

 そういった施設は数多いはずではあるものの、少なくともこの街の近くではない。そうであれば、もっとハッキリとした聞き覚えがあるはずである。

 しかし、それでも名前に聞き覚えがあった。懐からスマホを取り出して、調べる。住所に見覚えは無い。

 

 「場所は分かったけど、どうしてお土産を?」

 「何回か前の一人旅の時、雷に打たれてな。そこの先生によくして貰ったから、礼だ」

 「……それで」

 

 何でもないように語る父の、表情を読む。

 確かに以前、父が数日間入院した話は聞いている。その時に日条診療所の名前も聞いたのだろう。

 

 「自分で行かないのは、その先生に会いたくない理由があるからかな?」

 

 誤魔化すような笑顔を浮かべていた父の裏に、僅かな後ろめたさを察知する。

 助けてもらったお礼を娘である私に託すのも変な話だ。そう思って指摘すると、父は更に深くにやりと笑う。

 

 「やっぱりお見通しか。流石の目だな、ヒサメ」

 

 耳を叩きながらそう言う父は、私が彼の表情や仕草から心情を見抜いたことを確信しているようだった。

 七式の医者の特性――かは知らないが。私は目で、父は耳で、相手の様子を伺おうとするきらいがある。人の考えをある程度見通そうとするのは、私と父の悪癖のようなものだった。

 

 「それで、どうして?」

 「……気まずいんだよ。ちょっとな、頼みを断ってな」

 「――なるほど。だいたい分かったよ」

 

 言葉に出されずとも、察する。

 父は基本的に、他人からの頼みを断らない。医者としてはもちろん、七式サミダレという個人としても、不可能な頼み以外は引き受ける。

 そんな彼が頼みを断ったということは――きっと、父の譲れないもの。あるいは自覚的に引いている一線に触れる類のものだったのだろう。

 

 「それじゃあ、今度の休診日にでも行ってくる。他に伝言は?」

 「無ぇ」

 「分かった。ここは埃が立つから、私の部屋にでも置いておいて」

 「おう、ありがとな」

 

 私からお菓子を受け取った父が、部屋を出ていく。

 遠ざかる足音を聞きながら、少しの間目を閉じる。

 

 「なんで嘘を吐いたのかは、言及しないでおこうか」

 

 嘘は二ヶ所程度だろうか。

 頼みを断ったのは本当だろうけど、怪しい点がいくつかある。けれど悪意は感じなかったため、流すことにした。

 

 そんなことより、私は今日すべきことがある。

 

 「さ。続き続きっと」

 

 埃だらけの資料に手を伸ばしながら、私の今日は暮れて行った。

 

 

 この世には、たくさんの人たちが居る。

 その中に、確固たる夢を持っている人はどれほど居るだろう。少なくとも私は、そうではなかったらしい。

 

 七式サミダレの教えを受けて、精神科医となった。

 受けたものを吸収して、それをそのまま出力しているだけの人生。きっと才能はあったのだろう。それ自体を悪いことだとは思っていない。

 

 ――ただ、そういった生き方をしたからこそ。

 望み、何かを掴む人生に夢を見ることがあるようだ。それに気づいたのはごく最近である。

 

 例えば、私が大学生だった頃の噂話。

 深夜に街を徘徊し、どうしてか悪人にばかり喧嘩を売る少年が居たらしい。

 いつの間にか目撃証言も噂も消えてしまったが、何が少年をそこまで駆り立てたのだろう。

 

 例えば、地元の人間なら誰もが知る噂。

 名家と言われる白天原は、どうしてか人々のために日々働いているらしい。

 自分たちの生活基準を落としてまで、なぜ他者を助けようとしたのだろう。

 

 例えば、数年前に軽く耳にした噂。

 前述とはまた別の名家が、一般人の従業員を募集していたらしい。

 合格者はごく普通の大学生だったらしい。なぜ、その名家は普通の人を選んだのだろう。

 

 「きっと素敵な理由があるはずだ、なんて」

 

 見慣れない街並みを歩きながら、思う。

 今日立ち寄った日条診療所の先生もそうだった。流石に深く聞く気は無かったが、彼も大切な何かのために日々頑張っているらしい。

 

 「……」

 

 努力を尊いと思う。

 望みを素晴らしいと思う。

 星々を掴む人を視たいと思う。

 

 こう言葉にしてみると、案外私はロマンチストだったりするのだろうか。

 その対象に自分が入っていないのが、何とも残念であるが。

 

 「もう26だ、なんていうのは言い訳か」

 

 心の底から、私はそういう類の人間では無いのだろう。

 流されるままに生きてきた自覚がある。空を眺める雲のように、重さに引かれる星のように。

 

 「さ。変なネガティブ思考もこれくらいにしておこう」

 

 暇潰しの思考をしている内に、駅のホームまで辿り着いていた。

 あと数分で、電車が来る。それで家まで帰って、また日常通りに仕事に励むのだろう。

 

 「やるべきことは一通り終わったし、散歩も楽しんだつもりだし」

 

 ――――つまり私に燃えるような意志はなく。

 

 ――――だから私は溢れんばかりの夢もなく。

 

 ――――けれど私は。

 

 「そろそろ」

 

 遠くから電車の音が聞こえる。あと十数秒ほどで、遊び惚けていたに等しい今日は終わりだ。

 終わってみると、あっという間の一日だったように思う。

 

 久し振りに電車に乗っての休日だった。そう思い返して、そんな気分になる。

 だから私は区切りをつけるように、パチりと瞼を閉じたのだ。



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プロローグ:兵堂ナタ①

 「あ、兵堂くんだ。こんな所で何してるの?」

 「ああ……?」

 

 特にやることも無く、日中の街中を歩いていた時のことである。俺の前にひょっこりと出てきたその女は、開口一番そう言った。

 栗色のセミロングが風に揺れる。髪と同じ色の目が、自分の視線と交わった。

 

 「……あー、名前が出てこねぇな」

 「ひどくない!? 香上(こうがみ)麻菜(マナ)だって! 同じクラスだったじゃん!?」

 「だから顔は覚えてたんだよ。香上ね。お前こそ、なんでこんな所に居る」

 

 香上麻菜。高校で3年間を共にしたクラスメイトの一人である。

 何回か話したことはあるものの、友人とまで言える関係では無かったはずだ。それがどうして――と、考えかけて辞めた。

 女の、というより他人の行動にいちいち理由や意味を求めていてはキリが無い。

 

 「最近引っ越してきたの。兵堂くんはこっちで働いてるの?」

 「……まあ、そんな所だ。転々としながら働いてる」

 「転勤続きって事? 忙しいんだね」

 

 まあな。適当に話を流して、わざとらしく辺りを見回す。

 俺としては用事は無いものの、このまま街中に立ちっぱなしというのもばつが悪い。

 

 「どうする。このまま立ち話ってのも何だが」

 「そだね。えーっと。じゃあ、そこのカフェでお茶とか……?」

 

 香上が控えめに指を指す。少なくとも、ここで「はいさよなら」という気分では無いらしい。

 

 「分かった。積もる話があるか分かんねぇが、付き合ってやる」

 「その態度変わんないね。……転勤続きってことは、儲かってる? 奢って貰おうかなぁ?」

 「一方的に奢る仲でも無ぇだろ。自分の分は自分で出しな」

 「冗談だって!」

 

 そうと決まればと言わんばかりに、俺の背中を押してくる。妙に勢いのある彼女の誘いを受けて、俺たちはカフェへと入って行った。

 

 今日は平日というのもあり、人の影はまばらである。

 お互いにコーヒーを注文して、店員が席を外したタイミングで、香上は仰々しくこう口にした。

 

 「兵堂ナタくん。貴方は、神を信じますか?」

 「これお代、じゃあな」

 「あー待ってって!! ごめんほんの冗談だって!!」

 「紛らわしい冗談言ってんじゃねぇぞ」

 

 久し振りにあった元クラスメイトが、たちの悪い宗教や商売に嵌っていた。そういう話は枚挙に暇がなく、思わず即時撤退が脳裏を過る。

 千円札を机に叩きつけて席を立った俺を、涙目になった香上が引き留める。泣きついてくる様子を見ると、何となく学生時代のコイツの挙動も思い出してきた。

 

 「あー、よく冗談言えば空回ってたよな、アンタ。言葉選んだ方が良いんじゃねぇの?」

 「兵堂くんはその刺々しい余計な一言を辞めた方が良いと思います」

 

 ボケかツッコミかならボケ。それも雑に扱われるリアクションでクラスを和ませていた――ような気がする。

 愛嬌があって男子人気はあったとは、誰の評価だったか。俺は特に気にしたことは無かったが。

 

 (何年も経ってるせいか、クラスメイトの顔も朧気だな)

 

 今日のように、また会えば思い出すのだろうか。そんなことを考えながら、席に戻る。

 視線を前に向けると、数刻前に思い出したばかりの女が、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 

 「で、本題は?」

 「何か用があるって思ったの?」

 「言ってみただけ。それで、実際は? 世間話しに話しかけたのかよ」

 「うーん……それじゃ、単刀直入に」

 

 言葉を区切ってから、暫し沈黙。

 頬を紅潮させた香上麻菜は、緊張を紛らわせるように両手を弄びながら、このようなことを口にした。

 

 「えっとね。私、好きな人が出来て」

 「そりゃあ良かったな。それで、何の相談だ?」

 「プレゼント選びを手伝って欲しいんだけど、それよりもまず、一回会ってみて欲しい」

 「なんで?」

 「う。その人――シルバール司祭っていう神父さんなんだけど、ほら。そういう神職の人って何が好きかとか分かりにくいじゃない?」

 

 一言話していくたびに、香上の表情が和らいでいく。楽しそうとも嬉しそうとも違う彼女の表情は……月並みの表現だが、恋する女の顔をしていた。

 そんな彼女の言葉に相槌を打っていると、懐に仕舞ってあったスマホに電話が掛かってくる。

 

 「悪い、電話だ。ちょっと出てくる」

 「うん、行ってらっしゃい」

 

 店員に会釈をして、店の外へ。そのまま着信先と数分ほど話して、直ぐに店の中へ戻った。

 香上といえば、俺のことを待っている間はスマホを弄って待っていたらしい。戻る際にちらりと画面を覗き見ると、銀髪の男性らしき人物と香上のツーショット写真があった。

 

 ――この男がシルバール司祭か。

 

 「待たせた」

 「ううん、早かったね?」

 「まあな、大した用事でも無かった」

 「仕事のこと? それとも彼女? 兵堂くん、クールっぽいし割とモテそうだよね」

 「バカ言え、んなこと一度も無ぇよ」

 

 ニヤニヤと調子に乗る香上にぴしゃりと一言。生憎と俺は、そう言った話には興味が薄いようだ。

 こんなふうに余計なことを詮索しようとする香上の追求を躱しながら、世間話を重ねていく。

 

 結局、その日は「後日、兵堂ナタとシルバール司祭を会わせる」という結論に落ち着いた。

 

 

 そして、その『後日』となる今日。

 俺の目の前には、荘厳な雰囲気を放つ銀髪の男性が腰掛けていた。視線を更に奥のほうへ動かすと、日光を浴びて各々の輝きを放つステンドグラスが目に入る。

 

 「ようこそ、兵堂ナタ君。私はロベルト・シルバール。香上君から話は聞いているよ」

 「どうも、兵堂だ。あー、こういう時は何だったか。本日はお招き頂き恐悦至極で――」

 「ははは、慣れないものを言うことは無い。ありのままの言動で良いとも」

 

 身に纏う雰囲気とは裏腹に、口調は軽いらしい。どうぞ、と差し出された紅茶を見つめる。

 相変わらずの仏頂面が、茶色い水面に映し出されていた。

 

 「ならコレで。さて、じゃあ話させて貰うか」

 

 視線を巡らせる。神父の隣――結構近くに腰掛けている香上。幸せそうに微笑むだけで、話を回してくれそうな気配は無い。

 光差すステンドグラス。特に怪しいものは無い。神聖さを出すための構造なのか、たまたま描いたその形を、神聖だと感じるように人の感性が変化してきたのか、なんて下らないことを考える。

 今俺が入っている建物の、目の届く範囲を余すことなく見渡した。聖堂の広間だからだろう、趣向品らしきものは見られない。各部屋に続くであろう扉はいくつか見られたが、今この場で「案内してくれ」と言える立場でもあるまい。

 

 「司祭、だったか。ならここはアンタの仕事場ってワケだ」

 「如何にも。自宅兼仕事場、と言えば分かりやすいかな」

 「ほお。なら、アンタの部屋もあるんだな。休日は何を?」

 「大したことはしていない。花鳥風月を愛でる、その程度だ」

 

 こういった様子で、他愛ない話を重ねる。気は乗らなかったが、一応香上の頼みだ。

 好みを把握出来るような話題選びをしたつもりだったが、核心を付けた感触は無い。謎多き神父というのが、現時点での印象である。

 

 「――って感じだな。正直、好みは把握出来なかった」

 「そうだね。全然会話入れなくて、ゴメン」

 「全くだ。隣に座って満足してんじゃねぇよ」

 

 帰路に付きながら、香上と作戦会議。とは言うものの、元手となる情報は無い。

 

 「じゃあアレだ。適当なショッピングモールとかで良いだろ。次、いつにする」

 「明後日とかなら」

 「ならそれで。時間も同じくらいでいいだろ」

 

 香上が立ち止まったことに気付いたものの、そのまま数歩離れてから振り返る。夕陽に照らされた笑顔が見えた。

 

 「じゃあね、兵堂くん。また今度」

 「じゃあな、香上」

 

 軽い調子での会釈。それが、香上麻菜との最後の挨拶だった。

 

 

 そして、その日が来る。

 俺は一足先にカフェへ足を運んで、ひとり香上を待っていた。

 

 だが、彼女は一向に姿を現さない。

 

 「来ねえ。アイツ、忘れやがったか」

 

 先日会った時の時刻から、二時間ほど経っただろうか。

 電話を掛ける。……応答は無い。

 もう一度電話を掛ける。……やはり、応答は無い。

 

 「……」

 

 スマホを操作して、香上とは違う人間へと電話を掛ける。その人物に一方的に用件を告げて、席を立った。

 タクシーを呼んで、比較的教会に近い適当な施設まで移動する。その後は歩いて、教会を目指す。

 これといった出来事もなく教会に辿り着いた俺は、迷いなくドアを開け放った。

 

 (誰も居ねぇ)

 

 大広間を見回す。変わったところは無い。当然ではあるが、ここで何かが起こった訳では無いらしい。

 適当に目星を付ける。臭い――嗅覚に寄らない勘をもとに、一つの扉を開け放った。

 

 「アタリだ」

 

 暗い、昏い空間に、地下へと続く階段が、眼下に広がっている。暗闇が漏れ出るように、生臭い臭いが鼻を刺激した。醜悪な臭いに、眉を顰める。

 念のために、少しずつ臭いを嗅ぎ取る。それが有害……少なくとも、ただちに影響が出るものでないことを把握してから、階段を下りて行った。

 

 灯りのない真っ暗闇を歩き続けると、ある程度進んだところで、灯りが目に入った。

 これまでの階段では灯りが無かったにも関わらず、ここでは薄ぼんやりとでも光がある。

 つまり、ここは何かをするための場所だった。そう考えるのが自然である。

 

 そして、その考察とも言えない推理紛いの考えは、

 

 「……香上、か」

 

 荒削りの石の机の上にある、腹を裂かれた女の死体が物語っていた。

 俺が呟くと同時に、暗闇の向こうから声が聞こえてくる。コツ、コツという足音は、その人物が落ち着いて歩いていることの証左だろう。

 

 「如何にも」

 

 いつかの応答と全く同じ声色で。世間話の延長でもするかのような様子で、男の声が空間に響いた。

 

 「ようこそ、兵堂ナタ君。教会の地下まで、何の用件かね」

 「は、こんな惨状の中で堂々としてやがる。当事者だってんのがバレバレだぜ、神父さん」

 

 周囲に視線をやる。特に惨い状態になっていたのは香上だったが、周囲にある牢の内に、子供の姿がちらほら見える。

 動かなかったり呻いていたり、少なくとも平常な精神状態を保っている者は、一人足りとも居なかった。

 

 ロベルト・シルバールの住処であり仕事場。そして、今目の前に佇んでいる人物。

 彼が、この状態を知らないはずも無いだろう。ああ、そう思うと胸がざわつく。

 

 「隠す必要も無いのでね」

 

 司祭は手元にある何かを操作すると、石机の上にそれを置いた。遠くで何かが動く音がする。

 

 「この音は……ああ、施錠してんのか」

 「察しが良いな。逃げ場を塞ぎ、プレッシャーを与える意図だったのだが――」

 

 銀色の瞳と睨み合う。あまり長くは無い沈黙の中で、探り合うように。

 沈黙を破って、司祭が口を開いた。

 

 「しかし、堂々としているのは君も、では無いかね」

 

 その声には確信が宿っていた。ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべているような、はたまた真摯な神託を告げているような。

 

 「死体は見慣れているのだろう? 君は何者なのかな、兵堂ナタ」

 「――ハッ」

 

 口元が、三日月のように歪む。

 俺は吐き捨てるように、嗤うようにこう告げた。

 

 「ああ、俺はただの人殺しだよ」



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プロローグ:兵堂ナタ②

 兵堂ナタは殺人鬼である。

 高校時代に初の殺人を犯し、卒業後も殺人を続けてきた。その理由は後ほど語るとして。

 

 「人殺し。なるほど、今の私を前にそう言うか」

 「相手なんて関係ねぇだろ。法王を前にしたら司祭を名乗れなくなるのか、アンタは」

 

 適当に言葉を返した兵堂は、ちらりと香上麻菜の死体を見やった。

 兵堂ナタは殺人鬼であるが、彼女を殺害した人物は別にある。それが今、兵堂と相対している人物――ロベルト・シルバールだ。

 

 「それより、どうして殺した?」

 「本当はもう少し待つつもりだったのだがね。興味本位でここに辿り着いてしまったものだから、生かしておく訳にはいかなくなった」

 「へぇ……」

 

 死体をつぶさに観察する。致命傷は裂かれた腹の傷。他にも、顔面の殴打痕に、乱暴に脱がされた衣類。更には、血の臭いとは別種の独特な臭気。目をやると、それらしい行為が為された痕跡があった。

 『口封じのために殺害した』というには少々遊びすぎと言う他ない。

 

 「あいつがお前に好意を寄せてたの、気付いてたのか? 普通に抱いてやって、秘密も共有して共犯にすりゃあ良かったのに」

 「それも考えはしたとも。しかし、そうすると鮮度が無くなると思ってね」

 「鮮度?」

 

 司祭が愉しそうに笑う。

 

 「君も殺人犯だと言うのなら、やってみると良い。自らが育んだ善性を手折る快感は、存外癖になる」

 「クセになる、ね……」

 

 本心を晒したロベルトを前に、兵堂は大きくため息を吐いた。聖職者の本心がここまで邪悪なことへの呆れと、共感し得ない思考への仄かな理解。

 激情は無い。知人が尊厳を壊されて殺害されたとしても、彼の心はそこまで動くものでは無かったらしい。

 

 それよりも、大きな落胆が一つ。

 

 「気に入らねぇな」

 「……さては、君が先に目を付けていたのかな?」

 「そういうことじゃねぇよ神父サマ。あんな普通の奴に興味は無ぇ」

 

 久し振りに会った時に、友人に向けるような笑みを見せた。

 真剣なフリをして冗談を言う表情、、邪険にされて涙ぐむ目元、好きな人のことを話していた幸せそうな顔。

 別れた時の、夕陽に照らされた自然な笑顔。

 

 きっとあの女は普通の人間だった。

 大した悪性を抱えることは無く、飛び抜けた善性を瞬かせることも無く。常識の範疇にある感性で持って生きる、ただの女。

 それが兵堂ナタとロベルト・シルバールから見た、香上麻菜の人物像だった。

 

 「自分が異常なことに気付いてるんだろ?」

 「少なくとも人殺し同士、持っている感性は尋常のものでは無い」

 

 だが、それがどうした。ロベルトが続ける。

 

 「私はその狂った感性を果たせる役職と実力があった。今牢に居る子供たちは災害孤児でね、表向きには死んだものとされている」

 「それで?」

 「出来ることをしたまで、というだけの話だよ。花や鳥を愛でるように、風や月を詠うように。私にとっての幸福が、それだった。私は破滅するまで、これを続ける。それだけだ」

 「……開き直りやがったか」

 

 ロベルトの一人語りに耳を傾けた兵堂は、一度鬱陶しそうに舌打ちする。

 不機嫌になったらしい殺人鬼は、しかし次の瞬間には笑みを浮かべた。まるで目の前に獲物が出てきた時の肉食獣のような瞳は、ともすれば今、この瞬間に目の前の人物を『その対象』に定めたということなのだろうか。

 

 「まあ、良い。お前の本質はこの際どうでいいんだ」

 「ふむ。相手の善悪という観点は大事だろう。善良なものであればあるほど、汚し、壊す感触は大きくなる」

 「口を閉じろよクソ神父。下らねぇ言い分は聞き飽きた」

 

 兵堂ナタは、懐からそれを抜き放った。数歩先に佇んでいる神父へ、そのナイフを突きつける。

 彼は、人を害す際にナイフを好んで使っている。手段に拘りは無いものの、使いやすい得物がたまたまそれだったのだ。

 これを用いて、彼は何人もの()()を殺害してきた。

 

 「お前の言いたいことの理解はしてやる。イカれた感性を、永遠に抑えることは出来ねぇ」

 

 彼の殺人の動機だが、実を言えばロベルトのものと大差は無い。

 人を殺害することが好きだから、それでしか得られない快感を覚えてしまったから、そのように振る舞っている。

 しかし、彼は自らその本能に枷を掛けた。それが今まで彼が積み上げた死体の共通点――殺人犯に類するほど、稀少な人物であるということだ。

 

 前提として、彼の感性として殺害出来れば誰でもいい。

 それを悪人――厳密には、特別な人間のみ害するという縛りを自分に設けて、事実そういった悪人たちだけを手に掛けてきた。

 

 この事実はいつしか、ある噂になった。その題名は、悪の敵。

 曰く、その人物は悪人に人生を狂わされた被害者である。

 曰く、その人物は悪者を許せない歪んだ正義感を持っている。

 曰く、その人物は悪を以て悪を制する者である。

 

 ――何もかも、違う。バカが仕立てた物語でしかねぇ。

 

 彼が標的を悪人だけに絞っているのは、自制のためだ。

 世界に人は溢れている。その多くは善人。正確には、大きな罪を犯したりなどはしない、特別でも無い人物たちだろう。

 そういう奴を殺し慣れると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「だからこそ、発散先は選ばねぇとなぁ?」

 

 理性を持った殺人鬼は、目の前の神父へ笑いかけた。

 

 「お前を殺しても、クセにはならねぇ。お前は、きっと特別だ」

 「ああ、正面から向かってくる男性は……何人目だったかな」

 

 兵堂はナイフを持った右腕を大きく振りかぶり――左手に隠していた、石を投擲する。

 不意を突かれた形になったロベルトは、それを腕を払うことで凌いだ。その間に、殺人鬼は距離を詰めている。

 突き出されたナイフは司祭の喉元へ。彼は首を傾け、刃は空を切った。そして司祭から放たれた拳を身を翻して回避し……という応酬を、数度繰り返す。

 

 「正面戦闘は慣れてないのか」

 「かもしれないな」

 

 状況は優勢。兵堂が圧しており、ロベルトは徐々に後退していく。次第にロベルトの顔には、焦りのような感情が浮かんでいるようだった。

 

 「……」

 

 攻撃を続けながら、兵堂は思考を回す。ロベルトはその身ひとつで迎え撃っている。

 達人級とまではいかないものの、何らかの武術を嗜んでいる動きであることは間違いない。軽快な動きはしていないことから、一撃の重さに偏らせたものだろう。

 人を殺せる能力もあるが、いまいち腑に落ちない。

 

 がしゃん! という音と共に、本棚が倒れた。ロベルトが大きく体勢を崩す。

 兵堂は警戒心を強めるように、じりじりと司祭ににじり寄っていた。一歩、二歩。ある程度近付いた時、ロベルトが勢いを付けて振り返った。

 

 いや、振り返っただけでは無い。その両手には、刃渡り80cmほどの剣が握られている――――!

 

 「だろうな」

 

 不意打ちとも言える一撃を、嗤いながら潜り抜ける。右手に持ったナイフは、真っ直ぐロベルトの心臓へ。

 大きな隙を見せたロベルトは、この攻撃は回避出来ない。肉を裂く音と同時に、司祭の手から剣が零れ落ちた。

 

 地面に落ちた剣を上から踏みつける。ちらりと兵堂が視線を落とすと、やはりその剣は血に塗れていた。

 

 「遊び過ぎだ。香上を剣で殺したろ。刃物をお前が持ってないなら、どこかにあるって、バカでも分かる」

 「そう、か。残、念だ」

 

 倒れた司祭にトドメを刺すように、ナイフは彼の頸を切り裂いた。それきり、ここの主の声は聞こえなくなる。

 人を殺めた兵堂ナタは、凶器に付いた血を払って懐に仕舞う。そして上着を脱いでから、香上麻菜の遺体へ歩み寄った。

 上着を片手に、空いた手で電話を掛ける。すぐに、応答があった。

 

 『やっほーナタ君! 電話してくれたってことは、一仕事終わった感じ?』

 「ああ。案の定やってたぜ、あの神父。で、警察より先にアンタらが事後処理してくれんだろ?」

 『もっちろん!』

 「じゃあ好きにさせて貰う」

 

 遺体の身体を隠すように、上着を被せる。生命の灯が消えたまま開く瞼を、左手で閉じた。

 その後、香上麻菜のものと思われる鞄を漁る。財布を取り出して、中にあるレシートを確認した。

 

 「……チ。結構マメに棄ててたんだな」

 

 中に入っていたのは、先日兵堂と共にしたカフェの領収書のみだった。中身を戻して、また移動する。

 次に向かったのはロベルト司祭の下。同じように遺体の懐を漁って、財布を取り出す。中身をぱらぱらと確認して、適当に一つ取り出した。

 

 兵堂ナタは、殺した人物の荷物を漁る習性があった。

 殺人を至高の趣味としている彼であるが、一般的にそれが逸脱した感性であることは自覚している。

 そのためか、彼は殺害した人物の荷物を漁り、レシート――確かに存在した日常生活の断片を掴み、それを追体験することで何かを得ようとしていた。

 それが何かの成果になったことは無い。特に満たされることも無いまま、日常の猿真似を繰り返している。

 

 「中華料理屋か。なになに、麻婆豆腐5皿。5皿……多いな」

 

 レシートを仕舞う。ここには後日行くことにしよう。

 これからの行動を考えていたところ、数人の男たちがこの場所へ降りて来た。

 

 「兵堂様。お待たせしました」

 「お疲れさん。じゃあ俺は上がらせて貰う」

 

 施錠されていたはずの地下室への道。そこへ入ってきた彼らは、テキパキと後始末を始めた。

 

 「死体はどうする?」

 「行方不明として処理すれば良いだろう?」

 「死んだことにしとけ。親は一般人だ、殺されたことくらいは伝えてやれ」

 

 一方的に言付けて、兵堂ナタは、教会を後にした。

 

 

 数日後。兵堂ナタは、香上麻菜と時間を共にしたカフェへと訪れていた。

 コーヒーを飲みながら、何をするでもなくぼうっとしている。スマホを取り出して人物写真でも眺めようとしたが、特に見ていたい人物など居なかったことを思い出して取り止めた。

 

 「香上麻菜、か……」

 「ナタ君、どうかした?」

 「……」

 

 ノスタルジーに浸っていた……ようなふりをしていた兵堂の下へ、快活な声が響く。桃色のポニーテールをした、赤い瞳の少女である。

 特に断りもなく兵堂の前に座り、お冷を出しに来た店員にカフェオレを頼んでいた。

 少女の名は、虹天原(にじまがはら)マリン。殺人鬼・兵堂ナタの雇い主であり、今回の事件において、何度か兵堂ナタへ通話していた人物である。

 

 マリンは以前からロベルト・シルバールを殺人犯と睨んでおり、調査を秘密裏に進めていた。

 兵堂と香上が偶然遭った際にコンタクトを取り、ロベルトが怪しい人物であると兵堂へ共有。この流れでもって、兵堂は迷うことなく教会へ辿り着くことが出来た。

 

 兵堂にとっては雇い主であり、特別な悪人を紹介してくれる有難い人物であり、単純に苦手意識を持つ明るい女。それだけの関係。

 

 「別に、何もねぇよ」

 「そっかそっか。退屈そうなのはいつものことだもんね」

 「うるせぇ。……あの後、どうなった」

 

 特に話題も出てこなかったためか、先日の事件の後について聞いてみる。

 マリンは淡々とした様子で、次のようなことを話始めた。

 

 「とりあえず、生きてる子供たちは腕の良いお医者さんのところに順次送る予定。七式診療所って言うんだけど、知ってる?」

 「知らねぇ」 

 「死んじゃった子供たちは放置かな。元々死んだ扱いだったから、そのままロベルトに殺されたことになる」

 「ああ」

 「麻菜ちゃんは……うん。ナタ君が余計な痕跡残しちゃったからさ。事故に遭ったことになってるよ」

 「そうか」

 

 悪びれもせずにコーヒーを啜る。おおむね、思っていた通りの結果になった。

 香上麻菜の遺体に上着を被せたり瞼を閉じたりしたのは、完全なる気まぐれである。あるいは認識している倫理から導き出された行動であり、少なくとも、自覚的に弔ったようなつもりは無い。

 

 「次の仕事は特に無いかなぁ」

 「了解。それまで適当にやってる」

 

 コーヒーを飲み切って、席を立つ。金を払ってから、兵堂ナタは街へ繰り出した。

 ロベルトから入手した中華料理屋へは後日向かうとして、今日は一日中歩くことに決めている。特に興味も湧かない街中を、ぶらぶら歩く。

 

 「ああ、退屈だ」

 

 街行く人々を見る。殺人鬼の指先は、ピクリとも動かなかった。



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プロローグ:サリー・オブサーブ

 この世界においても、『虹天原』の役目は変わらない。

 あらゆる手段を模索して、世界の救済を実現する。その理念は共通していた。

 そして、ここにある理念を掲げた虹天原があった。

 彼女たちは武器をはじめとした道具、それを活用した人類の進歩。それを人類の救済であると定義した。

 

 「そんなんで人類救える訳ねぇだろ」

 

 それに真っ向から反発していたのが、私ことサリー・オブサーブである。

 年相応の反発心か、それとも自分なりに譲れない信念があったのか。どちらにしても、結果は変わらない。

 18歳の誕生日。私室で目覚めた私は、まず母親と目があった。

 自分の部屋に入り込んでいるなんて珍しい。不快感とまでは言わないものの、嫌味の一つも言いたくなる。

 『なんだよ、娘の部屋に忍び込むなんて趣味が悪い。サンタクロースなんてやる年でも性格でも無いだろ、アンタ』

 そう言おうとした。言おうとした、考えようとした。その思考は塗り潰された。

 

 『目を移しとオハヨちょうしはどう?ウ、サリーいたけどsoreha sekaisinoええ、おやすみmagann』

 

 自室のベッドに入る直前に、執務室で書類整理をしている母親から何でもないように言われた事後報告。

 直ぐに異常であることに気が付いて、身体が飛び上がってゆっくりとベッドに入る。消灯のスイッチを押した後に明るくなった部屋の内装がくっきりと理解出来た。

 

 「……ぇ、あ?」

 

 何十回も発したかのように自分の声が反響する。無限の一言を皮切りに目まぐるしく変化する風景、一時間前から一時間後の風景を繋ぎ合わせたタイムラスプ動画のようで、その視点があまりにも混沌としていたため正確に認識することが出来ない。

 あまりの気持ち悪さに胃が震える。身体が反応して胃液を吐き出す。そういったことがあったのだと思い返すという感覚に襲われた。服を汚したそれの臭いはしない。

 

 「ああっ……、あ」

 

 いずれ叫び出した。発音する前に私の悲鳴が響き渡る。

 涙で潤む視界で母親はしっかりと微笑んでいて、『waハイru成so功uneするとい、チャッタ アラいのだけど』と意味不明な言語で話している。

 何もかもに耐え切れなくなって、目を瞑るのだろう。初めに感じた暗黒に追いついたその時、私は意識を手放した。

 

 

 

 というのが、私が今の私になった経緯だ。

 18歳の誕生日に、何を思ったか私の母親は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それは"世界視の魔眼"という神話武装……オーパーツ的アイテムで、その効果は『過去、現在、未来の光景が視える』というもの。

 なので目覚めた私にはその部屋の過去、現在、未来が視えていたし、それが何か分からなかったから身体が拒絶反応を起こしていた。

 過去・未来酔いとでも言えば良いのか。何も準備出来ていない状態で受けたせいで、『現在の自分』がどんな状態にあるのかも掴めなかったのだ。

 

 一度気絶した後、私はベッドに縛り付けられた状態で、最低限の栄養補給を受けながら徐々に刺激を与えられていっていた。

 長い月日を経て、多少は対処法を学べたらしい。眼の焦点を外して、俯瞰したような視線を保つようにすればマシになるし、意識を集中すれば調べたいものの情報を調べられたりもする。

 確かに、強力無比なモノなのだろう。使いこなせるようになった今なら、そう思える。

 

 「にしても、無許可で急にやるのは意味分かんないけど」

 

 昔を思い返して、愚痴を零す。

 絶えず視界に出てくる数多の時間から俯瞰して、必要そうなものだけ抽出する。

 数秒後に鳥の糞が頭上に落ちる。早足でその場から逃れる。

 目的地へ付く前に雨が降る。急げば間に合うことが分かったから、このまま行ってしまおう。

 

 この瞳を、アイツは"世界視の魔眼"と呼んでいた。詳しい仕組みは理解していないが、簡単に言うと私の眼には『偉大なるイス』と呼ばれる神話生物が住み着いているらしい。

 あらゆる知識を蓄え、探求するもの。時間において全知と言える程まで蓄積された彼らにとって、この程度の過去・未来は何をせずとも算出されてしまうらしい。

 その僅かばかりの余波が、私の脳に流れている形になっているのだ。

 

 そんな私はと言うと、旅に出ている。

 眼の扱いにも慣れてきた24歳。アイツ――私の母親は、そんなことを言って私を外の世界に放り出したのだ。

 

 『イスと契約してるのよ。あなたを通して、より正確に人間を学ばせる。それを条件にして、その眼に宿ることを許可する。だいたいこんな感じ。分かった?』

 「お前の思考回路が全然分からないけど、要は出てけってことだろ? いいぜ、こっちから出て行ってやる」

 『初期投資はしておくわねー』

 「……貰えるもんは貰っとくか」

 

 元々あんな家も願い下げだ。

 自立出来る年齢になったら自分から出ていくつもりだったが、準備の途中で魔眼を移植され、それどころじゃなくなっていた。

 そうして私はあてもなく車を走らせていた。立ち寄った街で、ちょっとした噂を耳にする。

 

 『ここから東に進んだ街に、妖精が出るって噂があるみたいだ』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()根も葉もない噂には慣れてるが、"妖精"という言い回しは珍しい。

 どちらにせよ本当に目的は決まってなかったので、素直にその街へ向かうことにした。

 つつがなく目的地に到着する。適当に街を回って、人の多さに辟易とした。

 

 同じ人物が何人も歩いているような映像が目に入る。それが別々の観測結果であることは理解しているので、『現在』以外の過去や未来を意図的に視ないようにする。

 あくまで意識的な対処であり、実際に邪魔な視界が消えた訳では無い。それでも多少はマシになったようで、私は一息ついた。

 

 「……さて、人が居そうな場所は」

 

 望む未来を測定する。今までの無意識下の未来演算ではなく、意図的に辿り着きたい未来を算出しようとする。

 私の視界にあったであろう、私の意識が気にも留めない情報が収集され、蓄積され、分類され、計算される。直ぐに結果は出た。ある目的を持った一通りは、ある建物に集まって行っていることを理解した。

 

 「はいはい、酒場ね」

 

 歩を進めて、その場所へ。私が視た未来通りに、そこへ辿り着く。

 扉を開けて建物へ入ると、そこには冒険漫画の酒場のような光景が広がっていた。

 私に気付いた店員が、駆け寄ってくる未来が視える。先にそちらへ振り向いて、言葉を待った。

 

 「ジャネットの酒場へようこそ! こちらへどうぞ、仲間探しに来た方ですか?」

 「……」

 

 『仲間探し?』と聞いた時の返答が脳裏を過る。妖精探索の仲間探しのことだと言われ、おおよその温度感は理解した。

 一応、オウム返しに聞いてみる。予測した通りの返答を受けて、適当に聞き流すことにした。

 今のところ、旅の仲間を探す気はそんなに無い。

 

 案内された先で、客らしき人物と話をする。ある程度話をして、この街の噂……『妖精が出る』という噂が、ただのオカルトとして扱われていることを確信した。

 言ってしまえば――この酒場は『妖精探索』をダシにした合コン会場のような側面も大きいらしい。

 そう思った矢先、何やら騒いでいる様子の子供の姿が目に入る。視線を向ける。

 

 今、その子供は野菜が食べられないだの駄々を捏ねているようだった。

 近い過去、その子供は父親に連れられてここに来ているようだった。

 近い未来、その子供は夜に街に出て、人とは言い難い何かに殺害されていた。

 その何かの外見は、今の段階では掴み切れない。

 

 (……つまり、妖精かどうかはともかく何かはあるってことか)

 

 納得して、考える。その未来が近いことは何となく理解した。その出来事への情報が少ないことも理解した。

 理解した上で、この現象についてどう対応するかを考える。私は眼が良いだけで、戦闘能力は高くない。

 危機を回避することには出来るし、相手に攻撃を当てることも可能だろう。ただし、それは殺傷力を持たない。

 

 「どうすっかなー」

 

 独り言を呟いた矢先、新たな客が入ってくる。

 ヘラヘラした様子の金髪の青年。拳銃と、それとは別の特別な"何か"を持った旅人。私の眼は、一目でそいつの姿を映し出していた。

 

 「珍しいな」

 

 ああ、そいつは他の奴とは違うのだと何となく思った。だから私は、そいつに話しかけに行ったのだ。

 

 「あんた、アレに興味があるのか?」



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通過シナリオの後日談
後日談:使徒生む天啓(岸上ケンゴ)


当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます

・クトゥルフ神話TRPG『使徒生む天啓』(作:悠々笑夢 様)
・クトゥルフ神話TRPG『其ノ手』(作:悠々笑夢 様)


 「ぐ――っ!!」

 

 予期していた衝撃に、備える。全体重を集中させてガードをしても、一瞬たりとも拮抗しない。

 腕が圧し折れる予感に従い、地面を蹴って後ろへ飛び退く。前方にただ広がる暗闇を睨みながら、衝撃を逃がすように転がった。

 

 「この!」

 

 視界は何も捉えていないのに、次に何か来るかを察知出来る。突き付けられるソレを振り払おうと腕を振り――。

 ――何も叶わず、頭蓋が弾け飛ぶ。音もなく命を奪った銃撃を見つめながら、俺は意識を手放していった。

 

 

 夢での死を感じながら、そっと目を開ける。

 電灯が点いていない、暗い天井が目に入った。

 

 「知らない天井、だ」

 

 漫画で見たような台詞を呟きながら、身体を起こす。節々が痛んだが、そっちに関しては心当たりがあったため無視出来た。

 

 それよりも。

 見たところによると、ここはどこかの病室らしい。

 この部屋のような間取りは、何回も見たことがある。

 けれど、自分にとって不自然に映るものもあって。

 

 「なんだ、これ」

 

 魔方陣を描いた羊の木彫り人形や、ペンデュラムのようなものなど、不可思議なグッズが置いてある。

 患者を安心させる目的でファンシーなぬいぐるみを置くことはあっても、意図が不明なアイテムを置くことはあるだろうか。

 

 変わったものを見つけてか、警戒心のギアが上がる。

 改めて見回して、何もないことを確認。ひとまず病室から出ようと立ち上がろうとした時。

 ガララ。ドアが何者かに開けられた。

 

 「っ!?」

 「ああ、驚かせてしまったかな。もう起きてたんだね」

 

 入ってきた白衣の女性は、ドア近くのスイッチを操作。数度の点滅を経て、部屋に明かりをもたらした。

 女性は、表情一つ変えもしない。甲高い靴音を反響させながら、ベッド近くの椅子へ腰かける。

 次に立ったままの俺を見上げて、「座って」と言葉と所作で促した。

 

 ベッドに腰掛けた俺へ、女性は落ち着いた様子で話し始める。

 

 「まずは自己紹介から始めようか。私は七式ヒサメ。この診療所で医者をしている」

 「……岸上ケンゴ。ここは」

 

 どこですか。口にする前に、医者の視線に違和感を感じた。

 水のように透き通った瞳は、俺を映している。

 姿、呼吸、微細な動きを何一つ逃さず捉えている。その視線はついに内面さえも見透かしているような感覚を覚えて、

 

 「お前は、何者だ」

 

 身の毛がよだつ。背筋に冷たい汗が伝う。そう表現するしか無いものに襲われた俺は、咄嗟に質問を切り替えた。

 明らかに態度を変えた俺の様子を気に留めることもなく、医者は質問に答える。

 

 「さっきも言ったように、この診療所の医者だよ。警戒する気持ちは分かるけど、落ち着いて」

 

 珈琲でも淹れようか? ……要りません。

 

 「君が言いかけた質問にも答えよう。ここは七式診療所。君は佐藤ツバキさんとの組手中に意識を失って、ここに搬送された。経緯に覚えは?」

 「……あります」

 「記憶は確かで良かった。それと、敬語は外して構わないよ。君の場合、先ほどの口調の方が素に近そうだ」

 

 そういうものと思えば、視線の不快感は薄れていく。

 医者の様子は……やはり、落ち着いているままだ。

 

 経緯についても答えた通りだ。

 白天原で組手をしていた最中に、ツバキ――友人の格闘少女が訪れたため、試合を申し込んだのだ。

 年下であるものの、彼女の実力は俺以上。何度も闘いを挑み、五回ほどKOされ――次の六回目の記憶は無い。おそらく、試合開始直後に倒れたのだろう。

 

 「ならこれで話させて貰う。運ばれておいて何だけど、俺はこのまま退院出来るか?」

 「……なるほど、そういう」

 

 一瞥して、納得したように頷く。俺からすると、その挙動一つ一つが怪しいものだ。

 音の無い病室で、視線だけが交わる。人の心さえ見透かしてしまうような医者の視線に、既視感があることに気が付いた。

 尤も、あちらは()()()()()()()()()()()()()()。雰囲気としては、僅かながらもアレに近い。

 

 「肉体は問題無い。何日か入院して休ませた方が良いかもしれないけれど、それは自宅療養で問題無い範疇だ」

 

 でも、と。医者が言葉を継ぐ。視線一つで、心臓を掴まれたような感覚を覚えた。

 

 「私は精神科医でね。少し、君と話をする必要があると判断した」

 「どういうことだ」

 「分かりやすく言うなら、カウンセリングだよ」

 

 おもむろに席を立つ。一歩一歩踏みしめて、部屋の照明を落とした。

 扉に体重を掛けた七式ヒサメは、真っ直ぐに俺の方を向く。

 

 暗い部屋では、彼女の視線は分からない。

 

 「とは言うものの、今日は本来休診日だ。君の情報を基に、少し不気味ではあるが我流でやらせて貰う」

 

 応えず、押し黙る。俺の様子など構いもせずに、医者は話し始めた。

 

 「君の噂は聞いている。数年前にこの地域の悪人を退治して回る『悪食のハイエナ』、岸上ケンゴ」

 「その時からそうだったかは知らないが、今君はあるものを目指しているらしい」

 

 ――――正義の味方。

 

 俯いた様子でぼそりと呟く。自身の夢を他人に言い当てられたことで、動揺が走った。

 

 「何が言いたい」

 「その影響だろうか。それとも、何か夢でも見たのかな」

 

 七式ヒサメは答えない。淡々と、俺が置かれている状況の説明を続けていく。

 

 「より君は、強さを求めるようになった。なりを潜めていた無茶な特訓は再び熱を帯び、」

 

 白天原にも、主を守るためや争いを収めるために武を磨く者は居る。

 彼らを連続して相手取り、何度も何度も闘いを続けて、己を痛めつけて意思と力を磨いた。

 

 この行為が常軌を逸していると、理解はしている。

 昔、ある事件を経て、この無茶は辞めたのだ。自分だけが、強くなる必要は無いと知ったから。

 だから辞めて、普通の善人のように振る舞って――――圧倒的な武力を前に、何も出来ずに倒れ伏した。

 

 「その結果が、今日だ。君の肉体はこれ以上の負荷に耐えられない。何を求めたとて、急速な成長は得られない」

 「それでも、俺は強くなる必要がある」

 

 あの空間での出来事を、思い出す。

 不甲斐ない自分に苛立ち、吐き捨てたように答えた俺に、医者は初めて反応を示した。

 面を上げて、俺を見る。心根を丸裸にするその瞳は、この暗闇にも機能しているのだろうか。

 

 数秒の沈黙。息を飲む音。次に言葉を紡いだのは、七式ヒサメだった。

 

 「でも、君にはチャンスがあったのだろう?」

 「お、まえ……!!」

 

 彼女の言葉を聞いて、即座にその光景が繋がった。

 

 同時に、ある可能性に思い至り、激昂する。

 勢いよく立ち上がって、女の胸ぐらを掴んで扉へ押し付けた。

 

 「テメェ、何を知ってやがる!」

 「――。今は、話をする時だろう? 私が何を知っていたとして、こうして脅せば情報が出てくるとでも?」

 

 睨んでから、手を離して一歩下がる。ありがとうと聞こえた音は、聞き流した。

 そのままベッドまで下がって、乱暴に腰掛ける。

 

 「そう、君にはチャンスがあった。なのに君はそれを蹴って、非効率的な修行に励んでいる」

 

 女が言っているのは、あの空間に現れた存在――『総意』のことだろう。

 あれに同意すれば自分の存在と引き換えに、世界を救うに足る力を手に入れられる。それはあれと敵対していた『ムユウ』という存在が証言していたことでもある。

 

 俺は、それを断った。自分を犠牲にして力を手に入れる選択肢を、受け入れられなかったのだ。

 今、身を犠牲にするような修行をしているにも関わらずに。

 

 「改めて問おう、岸上ケンゴ」

 

 

 「――君は、何故あの時『正義の味方』にならなかったのかな」

 

 

 医者の言葉を受けて、考える。

 あの時、男の言葉を聞いて尚、俺はあの手を取るかどうか迷っていた。

 偉そうな言葉回しは最初から気に食わなかったが、それでも力はずっと欲しかった。

 

 あのシスターにも負けて、無力であることを実感して、

 奴の言葉に叫び散らして、最終的に提案は蹴った。

 

 ただ気に食わなかったから、そのように動いたのだろうか。

 違う。俺は確かに、「自分を犠牲にする選択は取れない」と、確かに言った。

 時間を遡れば、過去の俺は受けていたと明言した上で、現在の俺はその末路を否定した。

 

 「力が欲しかったのは、紛れもなく本当だ」

 

 無意識に、結論を先延ばしにしたかったのかもしれない。

 頭からゆっくりと、零すように話始める。

 

 「劇的な過去なんて無かったけれど、それでも俺は正義の味方になりたいと思った」

 「俺の知る手段が暴力しか無かったから、ただ鍛えて悪人に喧嘩を売り続けた」

 「助けた人も逃げて行ったけど、俺はそれで良かったんだ」

 

 医者は何も言わない。俯きながら話す俺には、彼女がどう思っているのかを知る術は無い。

 

 「ただ、星海――ある先輩と会って、協力して、笑い合うように人を助けたことがあって」

 「それで、ただ悪いヤツを倒すだけじゃ駄目だってことを思い知った」

 

 何年も前のことだ。騒がしい男が、心底楽しそうに俺の前に現れた。

 そいつはぐいぐい人の事情に踏み入ってきて、いつの間にか俺を手伝うなんて言い始めて。

 そうして、見事にあの事件を解決してみせた。最後はグダグダだったけど。

 

 「……なるほど。それで、単なる暴力装置になる道では駄目だと、断ったのかな」

 

 確かに、俺の転換点はそこだろう。

 これを機に、深夜に喧嘩に明け暮れることは無くなった。

 あいつを中心に友人も増えたし、誰かと協力することをするようになった。

 沢山迷惑を掛けた家族にも、謝ることが出来た。

 

 けれど。

 無言で、首を横に振る。

 

 「関係してない訳では、無いと思う」

 

 ただ、あの時に思ったのはあいつのことでは無かった。

 手を伸ばしかけたあの時、脳裏に過ったのは――――。

 

 「……」

 

 名前を呼んだら何かが変わってしまう気がして、喉が固まる。

 それを見て、医者は何を思ったというのだろう。

 

 「岸上君」

 「……なんだ」

 「それは、私にでなくていい。けれど、君は言葉にしなければならない」

 「どうして」

 

 思わず、顔を上げる。ある程度自分の感情を吐露したからか、先ほどまで感じていた怒りは収まっていた。

 七式ヒサメはいつの間にか俺から一歩離れた場所まで近付いている。

 

 「君は正義の味方になりたいと言った。だからこそ、君は『誰のための正義の味方』を目指すのかを明かさなければならない」

 「誰のため……」

 「ずっと遠くに行きたかったのなら、その手とやらを取っていたはずだ」

 「なら、断ったその時。思い浮かべたモノが、君の本当に守りたいもので、」

 

 淡々と話しているはずの様子に、違和感を覚える。

 意識的に瞬きをすると、医者と目が合った。水色の瞳は、変わらず俺を映して――。

 

 ――いや、これは違う。

 この女と会って初めて、この瞬間だけ確信した。

 今この時、この言葉を言う間だけ、彼女は誰も見ていない。

 

 「これからの君の、生きる意味なんだろう?」

 

 瞳の奥に、捻じ曲がった世界を幻視する。

 数多の線が重なり、虹彩を影の帯で塗り潰したような様。

 自らの視界の情報さえ否定して、そうとしか感じられなくなる気配を帯びた、彼女の視線。

 

 知っている。この、何かに執着するような情動を、俺は既に経験していた。

 

 「っ、ああ」

 「おっと、失礼。恥ずかしながら、今の私はそういうものを求めている性質(たち)みたいでね」

 

 わざと軽い調子でおどけて見せた医者に、面食らう。

 仰け反った状態で固まっていた俺を尻目に、医者は部屋の電灯を再度切り替えた。

 部屋に、明かりが灯る。

 

 「ま、初診でそこまで引き出せたのなら良かったかな。助言は一つ。思いはキチンと言語化しなさい」

 

 以上! もう帰っていいよ。

 締めくくるように手を叩いて、彼女はカウンセリングが終わったことを告げた。

 

 余りにも唐突な終わり方に、警戒心と呆れが中途半端に混じり合う。

 

 「な、何だったんだ……」

 「あ、そうだ。私は君の夢については何も知らないんだ。ごめんね、鎌かけた」

 「はあ、そうなんで――なんだって?」

 

 フリーズ気味の俺にあっけらかんと釈明する女医。生返事で答えようとして、その言葉が引っ掛かった。

 

 「厳密には、『岸上ケンゴが変な夢を見てるかも』ってタレコミを受けたんだ。嘘は吐いて無さそうだったから、会話に使えるかと思ってね」

 「は……? え、だったら、『君にはチャンスがあった』とか、そういうのは」

 「君が正義に焦がれてること、夢を見ただけで無茶なトレーニングを始めたことを考えれば、『夢に望むものがあった』とアタリを付けることは出来るだろう?」

 

 怪しい人みたいな喋り方したから、勝手に錯覚してくれたかもしれないし。

 悪びれた様子も無く言う七式を見て、今度こそ完全に毒気を抜かれた。

 

 「アンタなぁ」

 「今日は休診日っていうのは本当。だから私のやり方でやっただけ。『ナナシキ医療術』……なんてね」

 「聞いたことないぞ、そんな医術」

 

 軽い調子で雑談を交わしながら、荷物の受け渡しを行う。

 医療費はカミノ――友人兼雇い主が持ってくれるらしい。……申し訳ないので、後で何か持って行こうと思う。

 

 店の外に一歩出た俺は、見送りに来てくれた医者に振り返った。

 

 「ありがとうございました。それと、さっきは胸ぐら掴んでしまって、申し訳ありません」

 「急に敬語になるな君は。あれのことなら、いい。私が誘導したようなものだし、それだけ君に余裕が無かった証でもある」

 「……すみません」

 「そう思うなら、今度その『守りたいもの』を連れてきてくれ。君の生きる意味を、この目で見てみたい」

 

 その提案には苦笑いで返して、俺は診療所を出て行った。

 歩いていくと直ぐに見覚えのある道に出た。

 立ち止まってスマホを取り出すと、着信履歴が五、六件ほど来ていた。どれも同じ人物からである。

 

 立ち止まって、思案する。医者に言われた言葉が、脳内で繰り返し再生され……。

 

 「……心配かけたから、謝るだけだって」

 

 何故か逸る鼓動を吐き出すように、彼女に電話を掛け返した。

 

 「もしもし、サクラ――」

 

 ――。

 ――――。

 ――――――。

 

 では、ネタばらしといこう。

 

 岸上ケンゴを見送った医者は、そのまま踵を返してあの病室へと戻っていった。

 別段、部屋に変わったことは無い。今日の医者が知る通りの状態だ。

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ドアを開けた医者を、少女の声が出迎えた。

 

 「ケンゴ君、帰ったー?」

 「帰ったよ。それで、君は満足?」

 

 桃色のポニーテールを揺らしながら、少女がご機嫌な様子で身体を揺らす。

 

 「うん! とりあえず、ナ……他の人が見た幻覚じゃないってことが分かったのは収穫かな」

 「夢であるに越したことは無かったけどね」

 

 七式は、目の前の少女からいくつかの情報を貰っていた。

 一つ。この前起きた『皆どっと疲れた事件』(少女命名)の中に、疲れていない人が居たこと。

 二つ。その夢と思われる事象に、二つの超常的な存在が関わっていること。

 三つ。片方は、大いなる力を授けようとしてきたこと。

 四つ。今回搬送されてきた岸上ケンゴは、その夢を体験した可能性が僅かながらあること。

 

 これらの情報を統括して、彼女はケンゴの中身を引き出そうと試みたのだ。

 

 「それにしても」

 

 笑顔のままベッドに倒れ込んだ少女は、その表情のまま疑問を呈する。

 今回、彼女はある人物から聞いた話を、医者に提供していたに過ぎない。

 

 「よく信じたよね、私の話。現実的な話でも無いし、しかも伝聞だよ?」

 「さっきも岸上君の前で言った通りだよ。君、嘘は吐いて無かったでしょ」

 

 それに。

 ヒサメが、少女を視る。澄んだ水面のような瞳は、人の心を映す鏡のように。

 

 「君だって、大抵ヘンな子でしょ。なんというか、ツギハギだらけだ」

 「……変な言葉使いをするんだね」

 「んー。見た目と中身は子供で大人、って感じかな? ちょっと上手く言えないな」

 「あはは」

 

 笑って聞き流す少女。その胸中は……さて、少女の内だけに隠せているものだろうか。

 医者は気にした様子もなく、視線を外す。

 特異らしい性質の少女に、踏み込み過ぎるべきでは無いと判断したようだ。

 

 誤魔化し笑いを最後に、部屋に沈黙が訪れる頃。

 思いついたように、少女があることを口にした。

 

 「私の変な話を信じてくれるくらいだから、きっとお医者さんも不思議な体験をしたんだろうね!」

 「意趣返しかな。別段、変わったことは無いよ。うっかり、事故に遭いそうになったくらいだ」

 

 あら、これは強敵。

 おどけたように呟く少女を無視して、ヒサメは扉へと歩いていく。

 半歩ほど部屋から出た医者は、背後を振り返り、

 

 「何か飲み物を淹れようか。珈琲は飲める?」

 「砂糖とミルクマシマシで!」

 「ましま……? 甘いのね、ちょっと待ってて」

 

 行ってくるとでも言うように軽く手を振って、七式ヒサメは病室を出て行った。



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後日談:使徒生む天啓(兵堂ナタ)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます

・クトゥルフ神話TRPG『使徒生む天啓』(作:悠々笑夢 様)

また、上記シナリオの作風から解釈したオリジナル要素……いわゆる三次創作的な要素も含みます。


 人気の無い路地裏を、好んで歩く。

 なるべく治安の悪い道を、なるべく世界から置き去りにされた場所を、わざわざ捜す。

 

 暗闇に目が慣れても、簡単には見通せない闇の中。今日の獲物が、そこに居た。

 右手に持った得物を弄ぶ。威嚇するように回したけれど、獲物……女はそれに気づいていないようだった。

 

 「よう、お姉さん」

 「な、なんですか……!」

 

 警戒心を隠しもしない。

 身に包んでいるのは、光の下でぎらつきそうな、趣味の悪いドレスのようなもの。

 日常的に見るものでは無いそれは、例えば夜の仕事に勤しむ女のものだろうか。

 

 なんて、偏見に満ちた視線を向ける。

 どちらにせよ、格好なんてどうでもいい。今日はむしゃくしゃしているから――。

 

 「啼いてくれや」

 

 後退る女よりも速く、刃物を奔らせた。

 薄く女の腕に傷を付けると、一転。俺という殺人鬼と遭遇してしまった一般人は、悲鳴を上げるために息を吸う。

 

 「っあ――」

 「おっと静かに」

 

 助けを呼ばれたら厄介だ。

 大音量を響かせる前に相手の喉を掴むと、そのまま壁に圧しつける。

 

 「助けを呼ばなかったら、助かるかもしれない。呼びやがったら、俺が捕まる前にお前を殺す」

 

 もちろん生かす気は無い。

 そうやって脅すと、哀れな女子供はぷるぷると震えながら頷くものだ。

 その無様を見るのが楽しくて、そうしている。こればかりはワンパターンに、いつもいつも変えられない。

 

 さて、どこから動かなくしてやろうか。

 これから感じることが出来る快楽に思いを馳せながら手元の()を握り直した時。

 

 「楽しそうだな、俺も混ぜろよ」

 

 俺を嗤う、男の声がした。

 

 

 ――――――――――――

 

 

 「噂だあ?」

 「そ、噂。最近この街でね、殺人鬼が出てるって」

 

 雇い主に言われるがまま着いてきて、いくつか駅を超えて何泊かしたある日の朝。

 人がまばらな個人経営のカフェで、俺たちは話をしていた。

 わざとらしく『噂』とやらを話すこの少女の名は、虹天原(にじまがはら)マリン。

 俺――兵堂ナタの、現在の雇い主……のような者である。

 

 笑みを絶やさずに話す様は、何もかもが嘘らしい。

 念のため、声には出さずにスマホでメッセージを送る。

 

 『まさかとは思うが、俺のことじゃねぇよな?』

 『もちろん。君の噂は「悪の敵」。今回の噂は……そうだね』

 

 『「狂気の芸術家」って、呼ばれてるらしいよ?』

 

 最近は奇妙な奴を一回殺したお陰か、そういう気分になることは少ない。

 そんな俺に、わざわざ巷で噂の悪人情報を持ち込むということは……。

 

 視線を交わす。それだけで意思疎通は出来たようで、ニヤリと笑い合った。

 直後、マリンが真顔になる。

 

 「あ、でも聞き出しておきたいことがあるんだよね」

 「なんだよ梯子外しやがって」

 

 大袈裟に不満がりつつ、マリンの発言を待つ。

 彼女も彼女で「えっとねー」なんて言いながら、これまたわざとらしく頭をとんとんと突いていた。

 

 「そう。彼も、もしかするとナタ君と同じかもしれない」

 「あー、というと。『見た』かもしれない奴ってことか」

 

 情報の前提は、拠点から出る前に共有している。

 同じというのであれば、俺と同じ怪奇現象に遭遇したということ。

 その怪奇現象について少しでも情報を集めたいらしいこの女は、日本中を駆け巡っているらしい。

 恐らく一部は嘘だ。勘だが、こいつ自身はそんなに動いていない。情報網が広いのだろう、きっと。

 

 「話を聞きに行くのは何人目だ?」

 「ナタ君、ケンゴ君、ツバキちゃん、ソウジ君。彼で5人目かな」

 

 聞き覚えの無い名前ばかりだが、そういうこともある。

 きっと遠いところに居る人物たちなのだろう。

 単に強い奴が招かれる世界であったなら、例えばあの銃使い――リブラ、と言っていたか。

 あいつも遭遇したかもしれないが、招かれる条件が不明な以上は野暮な妄想でしかない。

 

 そんなことはどうでもいい。

 今回の獲物は、その5人目とやら。

 『狂気の芸術家』なんて異名が何由来かは分からないが、取れる情報は取ってしまえ。

 

 「名前は判ってんのか?」

 「んー、まだ分からないんだよね。私とは違う『私たち』が匿ってるのかも」

 「ああ? 良く分からねぇ言い方だが……それは、アレか?」

 

 ――やって良いんだろうな?

 口だけ動かして伝えると、マリンは邪悪な笑みで頷いた。

 

 「どうせ、思いつきの私たちでどうにか出来るなら大した存在じゃないよ。一応、目的はお話を聞くことだからね?」

 「分かってる。……話はこれで一通り終わったか? 次はどこに、いつ行けばいい」

 「せっかちだなあナタ君は。折角遠出したのに、『デートするか』とか誘ってくれないの?」

 

 心にも無いことを言う邪悪人間に、吐き捨てるような笑い声を返した。

 何かの間違いでそう誘ったとして、のらりくらりと躱すか、デートにかこつけてロクでもない何かを試すに違いない。

 

 「は、冗談キツい。お前を口説くくらいなら、ナンパの一つでも試した方がマシだ」

 「ひどーい」

 

 えーんえんと極端なまでに感情の籠らない泣き声を上げながら、俺の端末に位置情報を送ってくる。

 集合場所と時刻は、今のやり取りで分かった。

 

 「じゃあ、また後で」

 「じゃあねー」

 

 席を立って、支払いに向かう。

 雇い主がマリンである以上彼女の方が金持ちであることは明白だが、俺の数少ない良識と意地が『年下の女の子に奢られる』という状況に堪えられないらしい。

 いつか「店での飲み食いの会計はさせろ」と言ってから、この形になっていた。

 

 そうして、彼女と別れる。

 この日の俺は何をするでも無く、街中の店を冷やかしつつ一日を過ごしていった。

 

 

 そうして、夜。

 人気の無い路地裏の、数少ない人の通り道。夜、一人で出歩く女を見張れる場所で、俺たちは集まっていた。

 

 すると、どうだ。事前調査の時には見かけなかった、黒い格好の男の姿が見える。

 男は女に声を掛けると、直ぐに右手の武器を構えて女を襲い――。

 

 一部始終を眺めているだけの俺に、マリンが視線を送ってくる。

 決めておいた対話のパターンから、何を言いたいかは大体分かった。

 

 『不意打ちする?』

 『……いや』

 

 握り込んでいた投擲用の石を戻し、男の背後まで忍び寄る。

 忍び歩きは得意では無いが、興奮している様子もあってか、男は俺に気付いていないようだった。

 

 だから、それだけで理解出来る。

 『狂気の芸術家』――女子供を分解するという手段でもって存在している、連続殺人犯。

 こいつは俺と同じ手段に走りながら、やはり俺とは違う人種であった。

 

 人を害して己を満たす手段に変わりは無い。

 違うのは、満たされる条件。俺が持つ殺人衝動とは別の、拷問衝動とでも言うべき情動。

 もちろん、その違いを知ったところで俺のやることは変わらない。

 

 逸脱した自分を満たすために、ただ日常を生きてきた人間を終わらせるその行為。

 これもまた常軌を逸した悪事であり、中々お目に掛かれるものでは無い。

 ならば――――。

 

 思案しつつ、俺は男に声をかけた。

 

 「楽しそうだな、俺も混ぜろよ」

 

 第三者の声が響いて初めて、男が振り返った。

 明らかに隙を見せる行為であったが、俺は何もせずに彼らを見つめている。

 

 恐怖心からか、既に足を傷付けられているのかまでは不明だが、行き止まりに追い込まれた女が逃げ出す気配も無い。

 

 (当然か。別に、俺だって助けるつもりで割り入った訳じゃない)

 

 わざとらしく、両手を掲げてみせる。

 『一応、話から始める気はある』というパフォーマンスをどう見たのか、男は得物を女に突きつけながら返事をしてきた。

 

 「なんだ、お前。警察……って感じでも無さそうだ」

 「さあな。案外、同業者かもしれねぇなぁ」

 

 はぐらかすような口調で会話をすると、男が小さく舌打ちをしたのが分かった。

 俺の態度が気に入らないらしい。

 

 暗闇をいいことに、横に立つマリンへ視線を送る。

 彼女は俺と視線を合わせることもなく、へらへらと笑いながら男を見つめていた。

 

 ――好きに動いていいよ。

 ――ありがたいことで。

 

 「まあ、いい。さっそく本題だ。お前、何日か前に変わった夢を見たな?」

 「夢ぇ? ……どんな夢か、言ってみろよ」

 「扉の先に、誰が居た?」

 

 マリンの推測が当たっているものと仮定して、『分かっているふう』を装って語り掛ける。

 これでとぼけられたら追求しようが無いし、そもそも見ていない可能性だってある。

 そうでなければ話は終わりだ。ただ、最期に不毛な会話をしたという事実が残るのみ。

 

 しかし、結果から言えばこれは有意義なやり取りだった。

 

 「あ?」

 

 小さく零された声には、先ほどよりも昏い怒気が宿っている。

 不満・不機嫌とは大きく違う、明確な怒りが表出した。アタリ、だろうか。

 

 「テメェ、まさかあの爺の差し金か?」

 「はー、何のことか分からねぇな」

 

 とぼける。俺はそのジジイとやらに心当たりは無いが、どうやらこの男はうまく勘違いをしてくれたようだ。

 俺が扉の先で出会ったのは、世にも奇妙な能楽師。

 視線を向ければ向けるほど注目が難しくなるような、炎に揺らめく影の如く虚ろな人間。

 あいつの年齢は分からない――記憶に残しにくい気色の悪いヤツであったが、『ジジイ』と断定出来るような人物像では無い。

 例えば今、俺が彼を『男』とすら断定出来なかったように。

 

 閑話休題。今ここに居ない人物のことはいい。

 この男が咄嗟に『爺』と呼んだということは、少なくともあの能楽師では無いのだろう。

 さて、であればこいつが出会った人物とは誰なのか。

 

 「とぼけんなよ、虚虹流(きょこうりゅう)とか言うふざけた剣術使いの爺。あいつの差し金なんだろ、お前たちは」

 「キョコウリュウ?」

 「うそ、あのお爺ちゃんまだ生きてたの……?」

 

 聞き慣れない単語に、マリンが反応した。思わず顔を顰める。

 この女がそんな言い方をするということは、『キョコウリュウ』という謎の剣術は結構な厄ネタなのだろう。

 話を聞かない方が良いのではないか。そんなことを思う俺をよそに、今度はマリンと男が話し始めた。

 

 「やっぱりな……! お前ら、何のつもりで」

 「ちょっと待って欲しいな! 私、そのお爺ちゃんを探しにきたんだよ!」

 「は?」

 「虹天原の……名前は知らないけど、武を窮めて悟りに至ろうとした剣士! 彼の扱う剣術の名前が虚虹流。逸脱した精神力で錯覚を起こさせ、無限の刃を幻視させる一太刀!」

 「……ああ、やっぱりそうだな」

 

 堂々と『今、はじめて気になったこと』を探し求めていたかのように話す彼女に、男はまんまと乗せられていた。

 恐らく剣術の解説そのものは真実で、それにより彼女の言葉に信憑性を帯びさせたのだろう。

 矢継ぎ早に言葉を継ぐことで、『この二人はあの爺の関係者』であると強調して言いくるめたような形になる。

 

 細かく粗探しをすれば不自然な点は出てくるだろうが、それを気にする者はここには居ない。

 男はもう眼中に無いだろうし、マリンは話を続けられれば何でも良いし、俺はハナからどうでもいい。

 

 わなわなと、男が拳を震わせているのが見えた。きっと、嫌なことでも思い出しているのだろう。

 状況を整理する。確か、今の俺たちの立ち位置は『虹天原の剣士の差し金で、この男に接触しにきた』だ。

 

 「案の定、根に持ってるみたいだな? で、憂さ晴らしにそうやって愉しんでるわけか」

 「鬱陶しいヤツだな。それで、何だ。『人の営みなんてどうでもいい』なんて言っておいて、俺を止めるのか? どの面下げて来てんだよ」

 「痛いところを突いてくるな。それにしても良く怒る。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「あ? あの爺に殺された後なんて何も無かったよ。すぐに目が覚めて、それからずうっとむしゃくしゃしてんだ」

 

 だから殺す。

 殺意を隠しもせずに、男は手元の武器を女の喉元に突きつける。

 すぐさま殺めようとしないのは、何を狙ってのことか。

 

 「最近、何人やってもスッキリしない。それで今、思ったんだよ」

 「へぇ」

 「交換だ。この女を解放してやるから、そこのガキをこっちに寄越せ。んで、お前は失せろ」

 「バカじゃねぇの?」

 

 きっとここが明るければ、男の目からは後先考えない狂気を見い出すことが出来ただろう。

 声で、ある程度察することは出来る。この男は言葉通り、虹天原に関する者を殺したくて仕方ないらしい。

 それが件の剣士本人でも、差し金としてやってきた二人でもどうでもいいのだろう。

 

 「……で、どうする?」

 「えー、どうしよっかなー」

 

 男の眼前で、堂々と会話を始める。

 俺たちにとっては、現在襲われそうになっている女のことなんてどうでもいい。

 むしろ人質を解放せずに殺してくれたら、こちらだってこの男を手にかけやすくなるというものだ。

 

 「んー。行ってあげてもいいよ?」

 「献身的なことで。お前、死ぬぞ」

 「それ言われると、怖くなっちゃうなー」

 

 声を震わせたのは、嘘か真か。彼女の真意は分からないまま、マリンは一歩前に踏み出した。

 殺人鬼が、上機嫌に鼻を鳴らす。

 

 「民間人の安全が第一、か。良いねぇ、そういう『いい奴』を、痛め嬲って殺すのが、どれだけ楽しいもんか」

 「せめて隠して欲しいよね、分かり切ってることとは言え。でも、仕方ないかあ」

 

 

 「――()()()()()()()()()

 

 何も語らずに、素早く石を取り出して投擲する。

 この暗闇にも、もう慣れた。それは相手にも同じことが言えるだろうが……重ねて言う。

 俺は、被害者のことなんてどうでもいい。これを受けて錯乱した男が女を殺そうが、俺がすることに変わりは無い。

 

 「了解」

 

 頭部に着弾しかけた投石を、男がすんでの所で回避する。

 一瞬注意が逸れたその隙に、地を踏みしめて数歩駆ける。抜いたナイフを右手に構えて、男の首目掛け振り抜いた。

 

 「この……!」

 「おお、よく避けた、な!」

 

 直ぐに意識をこちらへ向けた男は、ナイフの一撃を容易く避けた。返す刀で浴びせる二撃目を、男の得物――鉈が弾く。

 

 「隙見せたら、倒せるとでも思ってんのか!」

 「正確じゃないな」

 

 三度、四度と振るわれる斬撃を、軽いステップで回避する。

 黒く塗られた刀身は見え難いものではあるが、件の能楽師の動きよりは捉えやすい。

 それに、殺人犯としての性質が分かっている以上、彼がどこを狙うのかも大体分かる。

 

 「殺した人物を分解する『狂気の芸術家』」

 「だが、その仕事ぶりに反して、死体の損傷は、切り口は荒いらしい」

 「鉈なんてもの使ってるのも原因だろうが……」

 

 回避、回避、受け流し。

 語りながら、踊るような動きをもって殺人犯の攻撃を捌いていく。

 意識的に真似している訳では無かったが、やはり一度見たら忘れられないモノを残していくらしい。

 舞うように、一歩一歩で破滅を避ける。

 

 「これの理屈はおそらく単純だ。お前、人を痛め付けるのが好きなんだろ?」

 「それが、どうしたァ! 避けてるだけじゃ、なあ!」

 「……。その辺はどうでもいい。大事なのはお前が連続殺人犯であり、悪人であり、中々お目に掛かれない存在だってことだ」

 

 急所ではなく、かつ動きに支障が出る関節付近に意識を割いて、守る。

 男の攻撃は段々と大振りになってきていた。

 肩を抉る軌道で振るわれた鉈を、その場で回転することで回避する。

 

 「つまり」

 

 その勢いのままに、自分のナイフを男の首に突き立てた。

 これまでの攻防で主導権を握っていたとでも思っていたのか、男の反応が僅かに遅れる。

 

 「ガッ――!!」

 「お前ほど特別な奴なら、殺したってクセにはならない」

 

 回転の勢いのままに、突き立てたナイフを振り抜いた。

 殺人犯は体勢を整えるようなことは出来ず、ただ一つの傷から赤黒い液体を撒き散らして倒れ込んだ。返り血は放置して、ナイフに付いた血を拭う。

 

 男の様子を見る。痙攣したように動いてはいるものの。そろそろ絶命するであろう出血量だった。

 何も出来るとは思わないが、念のために鉈を蹴飛ばし、脚を切り裂いておく。

 最期の力で一矢報いられた、なんてことで殺されてしまったら笑うしかない。

 

 一仕事終えた俺は、周囲の様子を観察する。

 色々とやっていたものの、未だ人通りらしきものは感じない。マリンは女に何らかの処置――気絶させたとか、一部の記憶を消す等の措置を行っているようだ。

 多少の時間は残されていると判断して、趣味に走る。

 

 俺は息絶えた男の隣に屈むと、彼の荷物の物色を始めた。

 

 「財布財布……あったあった。どれどれ」

 

 中身を開けて、無造作にレシートを一枚取り出す。

 それはどうやら、何らかの飲食店の領収書であったようで――。

 

 

――――――――――――

 

 

 そうして数日後。俺は一人である店に入っていた。

 殺した相手の懐を漁り、在ったはずの日常生活を追体験する。奇妙な習慣ではあるが、これが俺の趣味だった。

 

 入手したレシートの店名を調べたところ、どうやらここはデザート食べ放題の店らしい。

 甘いものは趣味とまでは言えないが、前回が超激辛麻婆(アレ)である。

 そう思うと、心持ちも幾分軽かった。

 

 ――軽かった、のだが。

 

 「聞いたか、あの噂」

 「聞いた聞いた。殺されたんだろ、『狂気の芸術家』」

 

 甘ったるいショートケーキをブラックコーヒーで流し込んでいる時に、そんな話し声が聞こえてきた。

 耳を傾けると、先日殺したあの殺人犯についての話題らしい。

 

 「なんでも、心臓に穴が空いた上に、全身を滅多刺しにされてたらしい」

 「え、マジ? 頸を飛ばされてたんじゃなくて?」

 

 噂となる上で、尾ひれが付き放題になっていたのだろう。

 殺した張本人が知らない死体の状況を語り合う男たちに、他の客から冷ややかな視線が投げかけられている。

 話題はどんどんエスカレートする。いつの間にか、脳髄だとか腸が引き摺り出されていただとか、過激な言葉が飛び出すようになっていた。

 

 ここまで来ると、客たちの反応はただの異物扱いから、脳裏に浮かんでしまう虚像への不快感へと変わる。

 中にはベリーソースやイチゴジャムに何かを見い出したのか、食器を置いてしまう者も居た。

 

 「なあ、やっぱアレかな、『悪の敵』かなぁ?」

 「だろうな。殺人鬼殺しの殺人鬼。執拗に死体を損傷させる手口は、恨みでもないと出来やしない」

 「なー、すげぇよなぁ……!」

 

 (俺はまず急所を狙うし、そもそも常識人の前提を殺人鬼に当てはめてんじゃねぇ)

 

 イライラしながら、内心で悪態を吐く。

 話に尾ひれが付く以上、仕方のないことではある。それでも俺の殺人スタイル……悪人狙いが一部で英雄視されているのは、何度聞いても不快感を煽られる。

 

 店内の空気は最悪。そろそろ店員辺りが注意に来るだろうか。

 そう思っていた矢先、ダン! と机を叩く音が、店中に響いた。

 俺を含めた全ての人間の視線が、そちらへ向けられる。

 

 「あなたたち!」

 

 ウェーブがかった白髪の、高校生か大学生くらいの女性だ。

 その立ち姿からは気品され感じるものの、一歩踏み出した瞬間に年相応の動きに変わる。

 端的に言えば、過剰なほど『怒り』という感情を体現しているように見えた。

 

 「ここは、甘いスイーツを頂くお店です。物騒はお話はしないて頂けるかしら?」

 「はあ? お嬢ちゃんには関係ないでしょ」

 「あるに決まってるでしょう! あなたたちが大声で怪談話なんてするもんですから、ケーキがマズくてしかたねーですわ!!」

 

 しかたねーですわ……?

 突如乱暴になった言葉遣いに、男たちが面食らう。厄介な奴に絡まれたとでも言いたげに、二人して目を合わせている。

 それでも不満げな様子を見せる彼らを見て……なぜだろうか。少し加勢してやろうという気になった。

 

 「因みに、そう思ってるのはその嬢ちゃんだけじゃねぇ。周り、見てみな」

 「……」

 

 そうして、はじめて周りの視線に気が付いたのだろう。

 ばつが悪そうな様子で席を立ち、「怪談話じゃねぇし!」と捨て台詞を残して、この場を去って行った。

 

 「一昨日きやがれ、ですわ!」

 

 そこで指を立てない程度の分別はあるらしい。拳を握って、威嚇するように女は見送る。

 彼らが会計を始めたのを見届けると、すぐに微笑んで歩き始めた。

 視線を映すと、不安げな様子の少女が涙を堪えている。父母が慰めている様子を見せており、子供本人も泣き出しそうな訳でもない。そんな少女に、女は近付いて。

 

 「さっきは大声を出してごめんなさいね? 大丈夫でした?」

 「……あのお兄ちゃんたち、怖い話ばっかしてて」

 「ええ。この私と、そこのお兄さんが追い返しましたから、もう大丈夫」

 

 優しく微笑みながら、両親に目配せして少女の頭を撫でる。

 

 「良く泣きませんでしたわ。偉い偉い」

 「ありがと」

 「どういたしまして!」

 

 立ち上がって、周囲に礼をする。

 そんな彼女を見て、誰かがパチパチと手を叩き始めた。一人が始めた拍手は瞬く間に広がって、直ぐに女を喝采が包み込む。

 

 (なんか居心地悪くなってきたな。撤退しよう)

 

 手早くスイーツを胃に押し込んで、席を立つ。客に手を振っている女の様子を見ながら人混みを抜けようとして、

 

 「そこの方! 先ほどは援護射撃ありがとうございました! あれが無かったら……その、手を出していたかもしれません」

 

 あはは、と苦笑いする女に、軽く噴き出す。

 あの勢いのままに男二人をビンタする姿を、簡単に想像出来た。

 

 「面白れぇ。そうなるなら見守っといた方が良かったか?」

 「ダメですわ。子供が泣いてしまいます」

 「は、それもそうか。じゃあ俺は帰らせて貰う。腹いっぱい甘いもん食ったしな」

 

 冗談めかしく返事をして、その場から離れる。

 注目を集めてい待った俺には、店中の視線が集まってきていた。先ほどの俺の行動を見たせいか、そのほとんどに悪意は無く、温かいもの。

 

 普段の俺であれば、悪人を善しとするなと不快感を示すものであったが。

 

 ――この身はあなたの、人としての輝きを願っています。

 

 「なに。今回は一言喋っただけだ」

 

 きっと、甘い物を食べてストレスが緩和されていたとか、その辺りが理由だろう。

 不思議と嫌な気持ちになることはなく、俺は店から出ることが出来た。

 

 ……なお、これは余談だが。

 

 『ずるいずるいずるい!!!』

 『私もサクラちゃんにお礼とか言われてみたい!!』

 『なんだよちょっと良い友達みたいな感じになっちゃって!』

 『というかスイーツバイキング行ってるのもずるい!』

 『今度私も連れてって!!』

 

 帰る途中。ふとスマホを確認すると、マリンから鬼のようなメッセージが届いていた。

 どうやらあの面白い女はマリンの知り合いらしい。思ったよりも狭い世間に、苦笑いしながらため息を吐いた。




三次創作要素:『虚虹流』の剣士。

探索者「虹天原マリン」のバックボーンに関係する組織、「虹天原」の一つ。
彼の理念は『武術を介して悟りに至り、是を人類救済とする』というもの。

それを実現するにあたり、彼は一度も剣を振ることなく、剣の頂きに立つことを志した。
意識がある時は脳内で、失っている時は夢の中で剣を振るい続け、それがいつしか『何か』に繋がったらしい。
『精神世界で相対する』という非常に困難な前提が成立した時、最強に比する剣士が現れることとなる。

『シナリオに出てくる無数の扉の先には、色んな強いヤツが居るのでは?』という軽率な考えで導入しました。

シナリオと擦り合わせるに辺り、
・特に空間を用意されなくても、(精神体であるなら)彼なら自前で用意出来るのでは? という思考。
・現実から逃避する様を「人間性」と呼ぶべきか怪しい。
・上記要素を問題外としたとして、あの四人に匹敵出来るかは不明。
ということで勝手に脳内補完している。


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後日談:使徒生む天啓(佐藤ツバキ①)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます。

・クトゥルフ神話TRPG『使徒生む天啓』(作:悠々笑夢 様)


 アラーム音と共に目を覚ます。慣れた操作で目覚ましを止めると、気合いを入れて掛け布団をひっくり返した。

 今日は友人と約束がある。そのために早起きして、日課のトレーニングを終わらせておくのだ。

 朝の用意を進めながら、先に見た夢について考える。

 

 あの不思議な出来事で見えた暗殺者――本人は愚師を自称していた彼の武術。

 格闘技のものとは異なる、あくまで相手を殺害するためだけの技。初見の脅威に直面した私は、それを打倒した。

 殺意に当てられる感覚は慣れるものでは無かったし、可能なことならもう関わり合いたくは無い。

 次に相対することがあれば、今度こそ殺されてしまうかもしれない。そう思う一方で。

 寝癖を直しながら、一言口にした。

 

 「次も、勝つよ」

 

 鏡の中の私は、微かに笑っていた。

 

 

 電車を乗り継いで移動し、三駅分程度の走り込み。

 そのまま友人宅――白天原(しらまがはら)の屋敷へ向かい、シャワーを借りる。

 そして、置かせて貰っている着替えに袖を通して、彼女の部屋へ向かう。

 私が友人と遊ぶ時にいつもしていることだ。

 数回ノックして、返事を待つ。「どうぞ」と、若干気の抜けた声が聞こえてきた。

 

 入ると、机に突っ伏した状態の友人と目が合う。彼女は、いかにも気だるげだった。

 

 「身体が重くて敵いませんわー……」

 「どうしたの、サクラちゃん」

 

 珍しく元気のない様子の友人、白天原サクラの正面に座る。

 喧しい・騒がしいを擬人化したような彼女だが、今日に限っては違うらしい。

 

 「運動でも始めた?」

 「そういう訳ではありませんけど。ここのところ、お兄さま含め皆疲れ気味みたいで」

 

 悩まし気な様子を見せるサクラちゃん。原因らしきものに心当たりは無いらしい。

 白天原の業務……には関係無いだろう。彼女の兄・カミノさんが、半ば強引にサクラちゃんが受け持つべき執務までこなしている事実は、彼女たちと親交のある人物ならば誰もが知っていることだ。

 どちらにせよ、彼女も分からないのであれば、私に分かる道理も無い。

 

 疲れを訴える友人に、自分で出来るストレッチやマッサージ、適当な食事のメニューについて話す。

 彼女は真剣な様子で――特にマッサージの辺りはより真剣に、私の話をスマホのメモ帳に記録していた。

 

 「参考にさせていただきますわ! ありがとうございます、ツバキさん!」

 「あはは……」

 

 わざとらしく手をにぎにぎとする友人に、苦笑いで返す。十中八九、彼に試そうとするのだろう。

 彼……岸上ケンゴという、役職上はサクラちゃんの従者にあたる人物に、彼女は執心なようだ。

 端的にいうと、彼の話をする彼女は常に暴走気味だ。聞き流すつもりで聞く方が良い。

 そんなことを思っていたら、ほら。

 

 「それで、最近のケンゴ様なのですけれど」

 

 案の定、彼の話を切り出された。

 あまり打ち込むことも多くない彼女が持つ話題は、学校のことや最近遭遇した出来事。または、岸上ケンゴについての――要は、恋バナくらいである。

 私としてはよく分からない話ではあるのだが、楽しそうに話す彼女を見るのはなんだかんだで楽しい。

 だから私はいつものように、話を聞き流しつつ本心から笑顔を返すのだ。

 

 ……と、思っていたのだが。

 どうやら今日は、私も興味をそそられる話題だったらしい。

 

 「最近、熱心に対人戦? に励んでいるようでして」

 「対人戦って言うと、組手かな。何の?」

 「ルール無用、降参オアKOまで終わらないストリートファイト仕立て! だそうで」

 「待って何それ物騒」

 

 白天原家は、簡単に言ってしまうと地元の元締めのような一族である。

 人材の派遣、町内の問題解決、道路のゴミ拾いから落とし物の捜索、浮気調査等々、幅広く手を伸ばしているらしい。

 その全容は把握しきれていないが、その仕事の一つに『喧嘩の仲裁』くらいはあるのだろう。

 だからそんな無茶苦茶なルールの組手も、あくまで身内相手であれば成立する――とはサクラちゃんの言だ。

 

 スポーツの組手ではそうはいかない。格闘技と言っても、たいていはある程度の安全性は考慮されている。

 何でもしていい、どうなっても構わないなんてものは、スポーツとは呼べない。

 そんな方式で闘うなんて――――。

 

 「でも、ちょっとは興味があるのではなくて?」

 「……はずかしながら」

 

 ほんの少しだけワクワクする。なんて思う私は、ズレてしまっているだろうか。

 にっこりと笑う友人から、視線を逸らす。格闘家を名乗る以上、そういったものを好むわけにはいかない。

 湧いた興味と自身の矜持を戦わせている私をよそに、彼女は話を続ける。

 

 「今のところ十戦全勝! 流石はケンゴ様ですわ!」

 「全勝、かぁ。確かに、ルール無用なルールだと強そうだよね、彼」

 

 彼の実力は、私も把握している。単純な能力も優れているが、何より脅威なのは二点。

 暴力への躊躇いの無さと、決して挫けぬ意志。特に後者が厄介だ。

 相対すると、判る。闘う時に雰囲気が変わるのは、私もその部類ではあるのだけど。

 

 「岸上さんの相手……」

 「特に六戦目の駆け引きが――――」

 

 キャー! と今にも黄色い声を上げそうな程浮足立つ友人はさておいて。

 戦うとなった彼の、冷たい視線を思い返す。ただ冷静なだけでなく、ただ別の結果を求めているような雰囲気。

 格闘家(わたしたち)とは根本的に異なる人物であることを、サクラちゃんは理解しているのだろうか。

 

 戦闘態勢に入った彼のことを考えていると、不思議そうな声が聞こえてきた。言わずもがな、サクラちゃんである。

 

 「でも、全然満足していないというか。話を聞くと、勝ちたい相手が居るようで」

 「……。勝ちたい相手? 誰だろう」

 

 四六時中岸上さんに詰め寄る友人の姿が脳裏にちらつく。

 ……深く考えるのはやめよう。ここは素直に、彼が言ったらしいことについて考えることにした。

 

 岸上ケンゴは、私たちとは違う人種である。

 彼が武道に励むとしたら、それは何か別の目的のため。だから、勝ち負けなんて関係無い。

 そう思っていたのだが、どうやら違うらしい。私に負けた時はそこまで引き摺らないのに。

 ともあれ気になった私は、軽い気持ちでサクラちゃんに

 

 「その相手って、誰?」

 「よくぞ、よくぞ聞いて下さいました!!」

 

 軽い気持ちで、火に油を注いでしまったらしい。

 机を勢いよく叩いて、立ち上がる。心なしか若干手を痛そうにさすっていたものの、直ぐに拳を握り込んだ。

 いつからか、サクラちゃんはこのようなオーバーリアクションを取ることが多くなった。誰の影響だろうか。

 

 「聞かれたからには、私の話も聞いていただきます! 聞いて下さい!」

 「そのお相手なんですけれど、『名も知らないシスター』だそうなんですよ!?」

 

 予想外の答えに、面食らう。

 シスター。急に彼女が妹や姉のことをシスターと呼ぶはずも無いので、ここは順当に修道女のことだろう。

 修道女。教会で働いて、祈りを捧げる人……だろうか。その程度のイメージしか持ち合わせていない私には、やはり疑問が先立つようで。

 

 「シスターって……。教会とかに居る、あの?」

 

 何かの聞き間違いではないか。そう思ってしまった私を否定するかのように、彼女は叫ぶような勢いで肯定してきた。

 

 「そうですわ! 信じられません!!」

 「確かに」

 

 信じられない。

 修道女が軟弱だ、等というつもりは無い。しかし、それでも戦闘モードに入った岸上さんは厄介だ。

 具体的には、私の中にある『あんまり戦いたくないランキング』で2位~5位を争うほど。

 

 そんなことを考えたせいか、最近ぶっちぎりで1位を更新した老師が脳裏を過る。

 一撃一撃に命の危機を感じた刹那。初めてぶつけられた本物の殺意に、自分の内にある何かが啓く感覚。

 紛れもなく私の実力を伸ばした闘いではあるものの――あの死合は二度としたくない。負ける気は無いけれど、怖いものは怖いのだ。

 

 閑話休題。ともかく、私をして戦いたく無いと称する岸上さんを倒す、名も知れない修道女。

 それは気になるというものだろう。私も、その人のことが気になったくらいには。

 

 「それは確かに気になるね。あの岸上さんが――――」

 「ええそうでしょう!? 私という女が居ながら、他の女に夢中になってるなんて!!!」

 

 あー、この子はこういうヤツだった。

 天を仰ぐ私を気にもせずに、サクラちゃんは矢継ぎ早に喋り始めた。

 こうなっては誰も止められない。

 

 「私の方がケンゴ様のことを愛していますのに!」

 「そもそも、修道女と一緒に組手なんてします普通!?」

 「――ハッ! もしやこれは星海さんが言ってた『シスター物』の」

 「落ち着いて」

 

 暴走する彼女の話を聞き流しながら、適当に相槌を打つ。

 彼女は発散出来ればそれで満足なようで、ある程度雑に接していても「聞いていますの!?」と激昂するようなことはない。

 だから対応そのものは楽なんだけど、それはそれとして惚気られ続けるのも辞めてほしいものだ。

 本っ当に……はて、何を考えていたのだっけ。

 

 「ぜぇ、ぜぇ……ぶちまけたらスッキリしましたわ!」

 「……その。こう、良家のお嬢様的にその言葉遣いはいいの? 今更だけど」

 「モーマンタイですわ! この口調を使うのは、お友達か子供とお話する時か、威嚇する時だけです!」

 

 なぜか自慢げに胸を張る彼女を、冷ややかな目で見つめる。

 乱雑な言葉遣いのほとんどは意図的なのだろうけど、最近は素でそっちの話し方が出てきているような気もする。

 サクラちゃんが楽しいならそれで良いけれど、やはり「本当にいいのだろうか?」と思う心もあり。

 

 「まあ、いっか」

 「ですわ!」

 

 よく分かりませんけど! とドヤ顔を見せるサクラちゃん。どうも喋り倒して機嫌が良いらしい。

 

 「そういえば、話を戻しますけれど」

 「いいよ。どこまで戻すの?」

 「白天原の組手の相手――ケンゴ様の対戦相手。よろしければ、ツバキさんも如何?」

 「う……」

 

 格闘家としての矜持。それとは別の、佐藤ツバキに宿る興味。

 率直に言って、かなり迷っている。やってはならないような、でもやってみたいような。

 二つの思いは拮抗していたものの――ああ。

 

 「……友達の頼みなら」

 「ふふ、ありがとうございます!」

 

 ちょっと悪いななんて、自分で思う。

 『友達の頼みは断らない』なんてそれっぽい理由を並べて承諾した私へ、慈しむような視線を向けるお嬢様。

 彼女はある程度分かっていて、そんな提案をしてきたのだろう。

 

 「それじゃあ次はツバキさんのお話ね。ぜひ、お聞かせ頂けるかしら!」

 「そんな面白エピソードは持ってないけど、そうだね……」

 

 意識を切り替えて、考える。日々鍛錬な私の日常に、サクラちゃんのお眼鏡に敵う話はあっただろうか。

 最近は料理も作っていないし、彼女と違って恋愛だの何だのと言った話には無縁だ。

 変わったことと言えば、あの夢での出来事くらいなものだけど……死闘の話をして楽しませられるはずも無く。

 

 脳内で整理していると、ふと一人の顔が脳裏を過った。

 あんまり親密に話せた訳では無いけど、どうせならお土産話として共有してみよう。

 

 「これは、この前見た夢の話なんだけど」

 「ええ!」

 「その夢の中で、シトちゃんっていう女の子と会って――――」

 

 

 ――――後日。

 私はサクラちゃんと約束したように、白天原での模擬戦に参加した。

 その結果、岸上さんを病院送りにしてしまう事態になってしまうのだが……これはいつか、またの機会に。



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後日談:使徒生む天啓(佐藤ツバキ②)

当エピソード単体に、クトゥルフ神話TRPG『使徒生む天啓』のネタバレはございません。


 刹那、呼吸を止める。自分の腰より下から飛んでくる蹴りを、左腕で弾いて軌道を逸らす。

 一撃を凌がれた相手は驚きながらも、もう片方の足を突き出してきた。

 

 二度目となる蹴撃。倒れたような体勢から腕で身体を支えている彼の動きは、適当なようで必要な力は込められている。

 蹴り上げるというよりも、空を踏むという表現に近い攻撃に、私は後退することで回避した。

 視線の先では、蹴りの勢いで起き上がっている彼の姿が見える。

 

 型に嵌らない、というと少し異なるだろうか。どのような体勢でも蹴り技に繋げられるような体運びをする戦闘スタイルは、間違いなく何らかの武術を学んだ者の身のこなしだ。

 

 「流石だな」

 「……」

 

 賞賛の声に応えない。私は前を見据えている。彼の呼吸を見通している。

 相手がどう思っているのであれ、今は闘いの時だ。無駄口を叩くようなことはしない。

 一応は賞賛の声を漏らした彼も、似たようなものらしい。すぐさま目を細めると、また駆け出してくる。

 

 今までの彼の行動を考える。正面からの飛び蹴り、正拳突きに見せかけた引っ掻き、拳をチラつかせてからの回し蹴り。

 視線のフェイントも交えた攻撃からは『当ててみせる』という意志を感じさせる。彼はこれまでの四戦で、一度も慢心も、諦観も、容赦もしていない。

 ……いや。そういう表現もおそらく間違いだ。今日の彼は、切羽詰まっているような気がする。

 普段よりも良く考えるのに、平常よりも強い一撃を放つのに――――。

 

 「ッ!」

 

 風を切るような音がする。強き意志が込められたそれは、それこそ『殺意』とさえ呼ばれるものに近かった。

 以前の私であれば、瞬間的にも恐れを感じたであろう気配。きっと悪意は無いのだろうけど、その真剣さは刃のようで。

 

 だから、その一撃がどこに来るのかは分かりやすかった。

 

 右肩の関節を目掛けた肘鉄を、掴んで受け流す。その勢いで接近した彼の顔面を裏拳で撃ち抜いた。

 掴んでいた腕を放してやると、後ろへ何歩かよろめいた後に倒れ込む。

 

 「一本!」

 

 審判の声が道場内に響き渡る。

 これで、この人との試合は五戦全勝。今日の私の試合数で言うならば……八戦全勝だ。

 

 「ふう。ありがとうございました」

 「……ぐ。ありがとう、ございました」

 

 大きく息を吐いてから、一礼。彼はよろめきながらも立ち上がると、私と同じように頭を下げた。

 けれど、彼の纏う雰囲気は変わらない。案の定、すぐに彼からその一言が放たれた。

 

 「ツバキ。もう一回頼めるか」

 「……岸上さん。もうボロボロでしょ。ダメだよ」

 「頼む」

 

 肉体は明らかに万全では無いものの、瞳の闘志は健在だ。

 本当は、ここで考えるべきですらない。私の強さを私は理解している。彼との実力差も把握している。

 無理矢理にでも止めるべきで。勝負なんて、受けるべきでは無くて。

 

 「ツバキ、頼む。俺は、強くならなくちゃいけない」

 「……」

 

 違うんです、と。ここで彼に教えるべきなのだろう。

 こんなことを続けていても、あなたは自分が傷付くことに慣れるだけ。心の在り方は闘いから戦いへ移り、この日本では必要ない常在戦場の精神を鍛え上げる。

 けれど。

 

 「……あと一回、ですからね!」

 

 体を鍛えるなんて言いながら、体格に合わない無茶なトレーニングを続ける彼の姿を知っている。

 変にここで止めてしまったら、更に無茶な筋力トレーニングに走ってしまうのではないかという不安があった。

 

 それに、こんな時でも無いと、彼が(だれか)を頼ることなんて無い。視線と共にそんなことを考えてしまって、断るに断れなくなる。

 ありがとう。嬉しそうに笑う彼の顔は、何度も地面に倒れたせいか生傷が出来ていた。

 

 (次は、組み伏せてテンカウント取ろう。ダメなら一分でも、十分でも止め続ければ……降参してくれるよね?)

 

 次の試合運びを考えながら、所定の位置につく。そうして試合開始の合図が鳴って……すぐに、岸上さんが地面に倒れ込んだ。

 少しの間、場が固まる。静寂を引き裂いたのは、試合を見学していた彼女の悲鳴だった。

 

 「ケンゴ様!」

 

 それを皮切りに、道場中が騒音に包まれる。

 サクラちゃんが岸上さんの様子を診ている間に、カミノさんがどこやらに電話連絡している。

 他の人たちはスポーツ飲料や氷嚢などを取ってきたりしていて――私はそれを、ただ見下ろしていた。

 

 「岸上、さん……?」

 

 一本目。危なげなく、私が勝った。

 二本目。意志を燃やす彼を迎え撃って、私が勝った。

 三本目。そろそろラストかなどと一瞬考えて、私が勝った。

 四本目。動きを鈍らせている彼を心配しつつも、私が勝った。

 そして五本目。既に無茶をしていると知りながら、彼を圧倒した。

 これまで何回も闘って、彼が限界であることを知れたのは私だけだったのに。

 

 今さっきの判断を後悔する。すぐにでも、やめろと言うべきだったのだ。

 青ざめている私の肩を、誰かが叩いた。振り返ると、白天原カミノさん――サクラちゃんの兄であり、白天原家の現当主が私を見つめている。

 

 「ツバキ」

 「っ……! ご、ごめんなさ」

 「謝罪は不要だ。気にする必要もない。それよりも、岸上を運ぶ。手伝ってくれ」

 

 淡々として、指示を与えてくれる。立ち尽くしている私を気に掛けてくれたのだろう。

 一旦頭を空にして、岸上さんを抱える。抱え方についてはサクラちゃん……医学生の指示に従った。

 

 そうして彼を安全な場所まで運び、カミノさんが手配した救急車に搬送される彼を見送る。

 

 「岸上のことは心配するな。腕の良い医者の所に預けるよう手配した」

 「……ありがとうございます」

 「気を、落とすな」

 

 軽く、頭をチョップされる。励ましてくれているのだろう。それは、分かっているのだけど。

 やはり、気落ちしてしまう。私がもっと早く判断出来ていれば、こうはならなかった。

 彼が簡単に無茶をする人間だってことは、私もよく知っていたのに。

 

 自責の念が堂々巡りする。

 思考はどんどんエスカレートして、彼の容態が悪化したらなんて考えていると――。

 

 「ツバキさん!」

 

 今度はバシンと。頭を勢いよく叩かれた。思わず、顔を上げる。

 強かな、桜色の瞳と目が合った。

 

 「大丈夫です」

 「……でも」

 「大丈夫! ですわ! だって」

 

 なおも食い下がってしまう私の目の前で、サクラちゃんが両手を広げる。

 舞台に立っているように高らかに。意志を疑わない彼女の声は、何よりも眩しい。

 

 「ケンゴ様は、誰よりも強いのですから」

 

 絶対の自信と共に、言い切った。先ほど彼を圧倒した私の前で。今しがた意識を失った彼を見て。

 それでも、心配する必要もないくらいに、彼は強い人であると。

 ……喉から、声が漏れる。やはり私には、彼が強い人間になんて見えないけれど。

 

 「凄いね、サクラちゃんは」

 「当然ですわ! 彼の()()ですので!」

 

 『恋人』を強調しつつ、胸を張る。そんな彼女を羨ましいと思いつつも、

 

 「いや、恋人じゃないでしょ?」

 

 岸上さんは否定しているのだ。一度苦笑いしてから、そんなツッコミを入れたのだった。

 

 

 ……という訳で後日。

 あれからどうしても帰らなければならない用事に直面し、私が帰ってから数日後。

 あちらに居る人物から、連絡が来た。どうせまたサクラちゃんだろう。

 

 その時は、自室のベッドに寝転んで漫画を読んでいる時だった。すっかり気を抜いた状態でスマホを確認する。

 差出人を視認した。『岸上ケンゴ』。

 

 「うえ!?」

 

 変な声が出た。危うくスマホを投げそうになって、手元でわちゃわちゃと躍らせる。

 

 「……岸上さん、なんで!?」

 

 この前の怨み言、では無いだろう。彼は多分、ああなっても私に「ありがとう」なんて宣うタイプの人種だ。

 こっちの気も知らないで、無茶したことを反省せず、あまつさえ苦しめられたことに感謝する。

 そんな人間だから私は――じゃない。用件を確認しなければ。

 

 『この前は急に倒れて悪かった。今度、何かお詫びがしたい』

 「は?」

 

 案の定、と言うべきか。用件は「自分が倒れたので迷惑をかけた」という謝罪だった。

 思わず低い声が出る。言うべきことは絶対それじゃないだろう。

 凄く心配しただけに、一気に怒りが湧き上がる。これはガツンと言ってやらねばならない。

 ……もしかすると、漫画に影響されて熱い気持ちになっていたのもあるかもしれない。謎の義務感に駆られた私は、(ある種いつも通りの)短絡的な思考を以て、岸上さんへ通話をかけた。

 

 ワンコールで、相手が応答する。メッセージを送ってから開きっぱなしだったのだろう。

 

 『もしもし』

 「もしもし! ちょっと、岸上さん!」

 『ええと、何だ?』

 「何って、その」

 

 カッとなって電話を掛けて、点火した導火線はそこまでしか燃えなかったらしい。

 何でもない様子の声を聞いて、思っていたよりも安堵している自分に気が付いた。

 

 理解すると、途端にこの状況へ意識が向く。相手がどんな状態かは知らないが、少なくとも私はベッドの上で寝転がっている。

 何というか、これで二人きりの通話を繋いでいるというのはまるで、

 

 (――って、なに考えてるの! 赤空さんじゃないんだから!)

 

 過りかけた単語を、変な友人の名前を出すことにより無理矢理封印する。

 

 「無事で、良かったです」

 『本当に、すまない。もうちょっとやれると思ったんだけど』

 「もう。無茶しちゃ駄目ですよ」

 『気を付ける』

 

 申し訳なさそうに返事をする岸上さん。

 ただ、この人の「気を付ける」はだいたい信用ならないものだ。

 

 「……念のために言いますけど。文字通り、「無茶しちゃダメ」ですからね? 倒れなければ無茶してもオッケー、では無いですからね?」

 『……』

 「そこは頷いて下さいよ……!?」

 

 言葉はそこまでで、笑う。あんなことをがあった後なのに、友人同士で語り合うのが無性に楽しかった。

 

 『それで、お詫びの件なんだが。何か欲しいものとか、あるか?』

 「欲しいもの……?」

 『して欲しいことでもいい。ツバキにはかなり心配掛けたって、カミノに聞いた。なるべくちゃんとしたことで返したい』

 「律儀ですね」

 

 あと、私が狼狽えていたことバラされたんだなぁ。

 口止めしなかった自分に後悔しつつ、心の中でカミノさんにジト目を向けつつ。

 でも、特にやりたいことが出てくる私でもない。

 

 一番身近なのは鍛錬だけど、岸上さんに付き合って貰う訳にはいかないし。

 ご飯を奢って貰うくらいが固いけど、あんまりお店でご飯を食べ過ぎる訳にもいかない。仮にも格闘家として、その辺には気を遣っているつもりだ。

 したい買い物なんかも特に無いし、これはいよいよ手詰まりか。

 と言ったところで、一つ候補が出てくる。

 

 「……料理」

 『料理か。長らくやってないが、やってみる。何が――』

 「ではなく。最近料理作ってないので、私が作ったのを食べて下さい」

 

 電話の向こうで、「む」と不満な声が聞こえた。

 

 『それだと俺が得するだけだ。ツバキに負担が……』

 「趣味『人助け』みたいな人が言っても説得力無いですよ。それに、久しぶりにお弁当作ってみたい気分になったので」

 『そう言われると……断れない』

 

 渋々ながらも了承を受けたので、部屋にあるカレンダーを確認する。

 予定の上では、一週間後に白天原へ行く用事があった。

 

 「それじゃあ一週間後。そっちに向かいますから、よろしくお願いしますね」

 『わ、分かった。えー、楽しみにしてる』

 「頑張ります!」

 

 電話を切って、スマホを消灯する。

 元気そうで何よりだ。そんなことを思いながら枕に顔を埋めて……。

 

 「うん?」

 

 思い付きでした約束を、改めて振り返った。

 

 『私が作った料理を食べて下さい』

 『今度そっちに向かいますから』

 

 そんなことを言った気がする。いや、言った。確実にそう言った。

 確かに最近凝った料理はしていない。自分用となるとやる気が出ないし、家族用ならお母さんが作った方がずっと上手だ。

 なので友人に振る舞うという動機は順当な言い訳ではある。

 

 「デートみたいじゃん……!!」

 

 今度は心の中で抑えてはおけなかった。思わず口に出して、ベッドの上で一回転する。

 勢い余って、そのまま転げ落ちた。

 

 「あいた!」

 

 声を上げつつ、布団越しに身体を打った痛みに意識を寄せる。そうでもしないと、「手作り弁当」「デート」辺りの単語が頭から離れてくれなかった。

 しばらくして、毛布と共にベッドへ戻る。気分転換に、漫画の続きを読もうとした。

 

 「う」

 

 主人公の女の子が、男の子にお弁当を手渡している場面が目に入り、ページを閉じた。

 趣味に逃げようとしたが、八方塞がりであるらしい。

 

 「……どうせなら、私の好きなものを入れちゃえ」

 

 自分の好きなものを詰め込みました! と言えば、『あなたの為のお弁当』感は薄れるのではないだろうか。

 そう思った私は、半ば開き直ってお弁当のレシピを考え始めた。



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後日談:使徒生む天啓("灰かぶり"リブラ)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます。

・クトゥルフ神話TRPG『使徒生む天啓』(作:悠々笑夢 様)
・クトゥルフ神話TRPG『死刑制度廃止記念日』(作:悠々笑夢 様)


 シンデレラ。童話に出てくる、ガラスの靴を与えられたお姫様。

 はじめは何も無かったけれど、ふとした時に救われた少女。

 時計が十二時を指す時に、終わってしまう奇跡の魔法。

 魔法が切れたその時も、王子様が迎えに来たという結末。

 

 ……心底、自分には似合わないものだと思う。

 俺はそういったシチュエーションへの憧れは無いし、もう俺は救う側の人間だ。

 本当なら、こんなコードネームは一刻も早く返上したい。

 

 それなのに、手放すことは出来ない。

 唯一、彼女が残したもの。それが俺に与えられた名前だったのだから。

 

 「――ああ」

 

 意識が浮上する直前、そんなことが過った。夢、というには淡々とした情報の羅列だったような気がする。

 どちらにしても、やることは変わらない。さっさとベッドから起き上がって、身支度を進める。

 

 あの戦いから数日。俺は自分でも、『強くなること』への執着が大きくなっていることを感じていた。

 だから、今日も訓練場に向かう。普段使っているアサルトライフル、拳銃を用いた射撃訓練だ。

 

 訓練場で準備を進めていると、声がかけられた。

 振り返ると、見知った顔が目に入る。一瞬だけ『この人物がここに居て問題無いか』を考えて、彼なら居ても不自然ではないだろうと結論付けた。

 

 「リブラ」

 「白天原か、珍しいな。何の用だ」

 

 客人の名は、白天原カミノ。昔、俺が一般人に紛れて生活していた時期に世話になった家の、現当主。

 何かと顔が広い白天原であれば、この拠点を知っていても不思議では無い。

 

 「少し、灰天原に相談をな。そうだ、お前にも――」

 

 何か言いかけたところで、カミノがスマホを取り出す。どうやら着信が来ていたらしい。

 小声で「いいか?」と尋ねられたので、「構わない」と返す。

 

 「すまない、待たせた。生憎今は外でな。……その案件か。口頭でいいか? 助かる」

 

 そのようなことを言いながら、カミノは二、三件の仕事をその場で捌いていた。

 話には聞いていたが、本当に白天原の当主は忙しいらしい。電話を終えたカミノに、問いかける。

 

 「もう一度聞くが、何の用だ。相談とは言うものの、直接出向くなんて珍しい」

 「電話やメールでも良かったのだがな。逸る気持ちもあり、こうして足を運んだ次第だ」

 

 それで、その内容だが。

 カミノは神妙な顔付きで、その名を告げた。

 

 「――ムユウという男を、知っているか」

 「その、名前は」

 

 予想だにしていない名前を聞いて、思わず息を飲む。

 ムユウと言う名前には、聞き覚えがある。それどころか、遭ったことさえ。

 

 名前と共に、フラッシュバックする。

 あの異空間に現れた異物。自身を人類の敵であると自称する謎の人物であり、圧倒的な戦闘能力を有する存在。

 

 「カミノが知っているとは思わなかった。どこで知った?」

 「妹が誘拐された」

 「何?」

 

 カミノの妹――白天原サクラのことは、もちろん知っている。カミノがほぼ全ての役割を独占したせいで、名家の令嬢でありながら一般人のような生活を送る少女。

 裏社会に強い繋がりを持たず、表の世界で輝く太陽のような立場。間違っても、あんなモノとは無縁だったはずの人生。

 それが、誘拐されたと確かに言った。カミノが冗談を言わない人物であることは知っている。彼の認識が誤りである可能性を除外すれば、それが真実だ。

 

 「とはいうものの、直ぐに帰ってきたらしいがな。曰く、『特別な旅行を経験してきた』だそうだ」

 

 一冊の本を開いて、俺に見せる。開かれたページには、人間社会の文化についての記載があった。

 ただ、違和感を感じる。カミノの了承を得て、本をよく読む。

 

 確かに、そこにあったのは人類が持つ文化の情報だった。

 どのような経緯で、何が成り立ち、その結果その文化圏の属する人物がどのような振る舞いをするか。それが事細かに書かれているのだが……良く見ると、そのページの中身は未来のそれを指している。辛うじて理解は出来る情報であることから、少し未来の年代のものだろうか。

 ページを捲って、戻る。20XX年となる現在、1920年頃の近代、それ以前まで遡った歴史上の事実。

 

 「莫大な情報網を利用した未来予測……では無いな」

 

 敢えて、真っ先に思い浮かんだ可能性を排除する。

 ムユウへの話題として提出された証拠品であれば、この程度の話であるはずが無い。

 これより荒唐無稽な可能性を考えるのであれば――。

 

 「これからこのように世界を変革するという設計書。または」

 「――これが、既に辿った未来の世界である」

 

 遮って、カミノが口にした。瞳には、確信めいた光が宿っていた。

 

 「滅亡した地球から帰還したサクラが、奴より譲り受けたものらしい。そこには、滅びるまでの人類の文化が記されている」

 

 カミノが差し出してきた時のページまで戻り、ぺらリと捲る。それで、異様に分厚い本が閉じられた。

 

 「エージェント、"灰かぶり"リブラ。お前なら、この言葉の意味が分かるな?」

 「ああ」

 「サクラは気付いていないのか、気付かないふりをしているかまでは分からない。ただ」

 

 ――――近い未来、地球は滅びる運命にある。

 

 この部分は、誰も言葉にしなかった。

 本をカミノに返す。もっと有効利用出来るところへ預けるべきなのだろうが、精査が必要だ。

 軽々しく灰天原の上層部に提出しようものなら、機関から機関へたらい回しにされ、いずれ『地球を救う虹天原』の手に渡ってしまう可能性すらある。

 

 「同じ判断を、支部長に受けた。俺も賛成だとも。逸る気持ちはあるが、これは白天原に保管しておく」

 

 必要ならば取りに来い。

 言い残して、カミノは鞄に本を仕舞い込んだ。

 

 「さて、それではお前が持つ情報を教えて貰おうか。機密もあるだろうが、妹も無関係ではない。なるべく教えてくれ」

 「……なるほど。そうだな。俺が持ちうるものであれば――」

 

 話し始める。

 ムユウは、いわゆる『人類の意識の集合体』とは敵対関係にあること。

 今思えば、総意は近い未来に地球が滅びることを確信していたからこそ、あんな空間を設けていたのだろう。

 それは俺の自由意志を捻じ曲げるような形ではあったものの、行動理由としての理解は出来る。

 彼はそれを妨害しようとした。観客染みた登場だったが、確実に人類という種の仇となる行為である。

 

 ムユウは、虚空より無数の銃を取り出すことが出来ること。

 とは言うものの、俺が見られた数は多くない。現れる虚空を破壊しても無意味であることと、その精密さは人類の到達点と言っても過言では無い程であること。これらは身をもって断言出来た。

 他にも回避行動や肉弾戦など、『人に出来ること』であればいずれも人類最高峰として振る舞うことが出来るだろう。

 武力行使で排除するには、あまりにも強大な相手と言える。

 それこそ、あの総意の手を取った上なら僅かに可能性が――いや、断定は不味い。まだ力を隠している可能性は大いにあるだろう。

 

 ムユウに関する情報であれば、ミスカトニック大学が把握している可能性があること。

 同席していた魔女教授という人物が、彼を知っている様子だった。

 彼が大学に勤め始めて彼のことを知ったのであれば、あの場所に彼の情報が眠っている可能性はある。

 ただ、それは彼への対処法を知ることには繋がりにくい。

 

 他、外見や第一印象等についても共有し、一通り話終わった頃。

 カミノが何やら考えながら、礼を言ってきた。

 

 「情報提供、感謝する。俺が出せる情報よりも濃いものだったが、良かったのか?」

 「構わない。俺たちは"白"に世話になっている。そうだろう?」

 「好きでやっているだけだとも。しかし、ミスカトニック大学か。……"虹"に伝手はあるだろうか」

 「あるだろうが、勧めはしない。マリンの"虹"はまだ安全な部類ではあるだろうが、それでも人道を軽視したような領域であることは確かだ」

 

 その後いくつか案を出し会ったものの、即座に行動に移せるようなものは見つからなかった。

 結局俺たちはその場で黙り込んで――話を切り出すように、カミノが口を開いた。

 

 「では、俺はそろそろお暇しよう。一人で帰ってもいいが……そうだな。リブラ、護衛は頼めるか?」

 「構わない。仕事としても、友人としても。お前からのものなら断らないとも」

 

 それだけ話して、カミノを送る。カミノが一人で乗ってきた車を代わりに運転しながら白天原を目指す。

 

 「リブラよ。捜し人は見つかったか?」

 「見つかってない。というより、ずっと前に死んでるはずだ」

 「そうか。……では、生きる目的や理想は?」

 「まだ見つからない。ただ、そうだな」

 

 世間話というには若干重い話題を、何でもないように返事をする。

 アオイのことは、もう諦めている。二十年ほども行方不明になっていて、生きているとは思えない。

 生きていたとしても、それを灰天原アオイと呼べるかは分からない。それでも。

 

 「自分から、過去を投げ捨てたくは無い。俺はそれだけで、抗えるらしい」

 「……。それは良かった。はは、あいつもそれくらい、素直になればいいものを」

 「あいつ?」

 「こちらの話だ。気にするな」

 

 赤信号の停車中に、ちらりと助手席を見る。カミノは窓の外を見ていた。すぐに視線を正面に戻す。

 

 「近日中に、白天原で実戦形式の戦闘訓練が行われる。銃器の類は使えないが、お前もどうだ」

 「一般人の組み合いだろう?」

 「そうだな。だが、見どころのある奴も居るとも」

 

 そうか。とだけ返事をして、思案するふりをする。

 

 「少し用事がある。おそらく参加出来ない」

 「そうか。残念だ」

 

 嘘は言っていない。後回し出来る用事ではあるものの、早いに越したことは無い。

 一般人と組手をするのも本意でないし、銃が使えないなら訓練としてもやりにくい。上手く出来るに越したことは無いのだが、どうしても優先度は低めになる。

 会話はそれきりで、互いに黙る。そうしている内に白天原の屋敷まで到着し、カミノとは別れた。

 

 帰路に付きながら、必要な物資を考える。

 一応の戦闘準備と、普通の旅行準備。銃器を持ち出すのだから、取締りを受けないための根回しも必要だろう。

 上層部に申請を出す準備も必要だ。通訳については……不要、だろうか。今の時代は翻訳アプリも優秀であるし、本当に多少であれば、本来持っている知識で代用可能だろう。

 

 「事態は急を要するらしい。一つでも多く、奴に対する情報が必要だ」

 

 ――用事とは、ミスカトニック大学への訪問だ。

 可能であれば知り合いであると思われる魔女教授に接触を試みたいが、不可能であれば図書館等で情報収集出来ればそれでいい。

 

 沈みゆく夕陽を眺めながら、明日のことを考える。

 十二時を過ぎた程度で、今の世界は変わらない。奇跡は起こらないか、既に起こり続けている。

 現実とはそういうものだ。簡単に、物事は変わらない。

 

 「だから、あの本が成立する未来は変わらないかもしれないが」

 

 この行動も織り込み済みで、結論は変わらないかもしれない。それを知る方法は存在しない。

 それでも、構わない。過去のために、今を投げ捨てないと自覚した。それだけで、行動を起こすには充分だ。

 

 「一先ずは、出来ることを」

 

 暗くなっていく空へ、一歩踏み出した。



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後日談:ウミガメのスープ(天原ミコト)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます。

・クトゥルフ神話TRPG『ウミガメのスープ』(作:悠々笑夢 様)


 今日は、全然集中出来なかった。

 教壇の先生の話は右から左に抜けて行って、板書は適当に写すだけ。練習問題は最小限の思考で解いたからか、正答率は一割ほど減っていた。

 お弁当は何とか食べたけど、午後の授業もそんな調子。数人のクラスメイトから心配されたものの、生返事で乗り越えた一日だった。

 

 そうして、今は放課後。

 机に突っ伏している私の頭を、小さな手ががしりと掴む。その感触からは分からなかったけれど、やりそうな人物になら心当たりがあった。

 

 「シアさん」

 「おや、起きていたのですねミコトさん。今日は絶不調だったようですが、何かありましたか?」

 

 私が頭を動かすと、レティシア・シルヴェンツ――シアさんは、直ぐに手を除けた。応えるように頭を上げる。

 腕を瞳に当てていたせいだろう。開いた瞼の先は、少しの間だけぼんやりしていた。白髪の少女が目に入る。

 

 「――っ」

 

 違う。脳裏に過った少女の姿を、理性で否定する。目の前の少女は満月のような金色の目をしている。

 私が重ねたものは、血のような赤い瞳だ。

 

 「何か驚かれたように見えますが」

 「……き、気のせいだよ」

 

 シアさんが目を細める。私の様子から、それが誤魔化しであると気付いたらしい。

 私の頬に両手で触れて、睨むように顔を近付けてくる。次に放たれる声色は、何となく予測出来た。

 

 「善意で声を掛けた相手に、誤魔化しなんて生意気です。こんな時には中華をお見舞いしましょう。さ、今日も奢ってあげますので」

 「そんなに怒らないでって」

 「怒っていません。精々、宿題を提出したのに、教師の連絡不足で理不尽に叱られた時のような感覚ですとも」

 「かなりイライラしてるじゃん!?」

 

 いつの間にか私の鞄を奪っている。このままだと、彼女はいつもの中華料理屋へ直行することだろう。鞄を奪われた状態の私は、そこについて行かざるを得なくなる。

 ……無理やり奪い返せばいい、というのは禁句だ。その辺は友人特有のコミュニケーションということで。

 

 慌てて席から立って、鞄を受け取る姿勢を取る。

 

 「ではいつものということで。今日は煮えたぎるマーボーの気分です」

 「……」

 

 『煮えたぎる』という単語を聞いて、良くないものが脳裏を過る。

 ああ、今日は本当に、気分が悪い。

 

 「ごめん、シアさん。ちょっと食欲湧かなくて」

 「珍しいこともあるものです。やはり今日のあなたは、様子がおかしい」

 

 そんなに変だった? とは言わなかった。

 私たちは放課後の教室に居座っている。他のクラスメイトは誰も居ない。窓からは夕陽が差していて、遠くから運動部の号令が聞こえてくる。

 

 「うーん……一時間くらい寝てた?」

 「そのようですね。およそ一時間ほど、日直()を待たせていた訳です」

 

 シアさんが教室の鍵を見せる。どうやら気を遣わせてしまったらしい。

 ごめんごめんと軽い調子で謝って、鍵を受け取り――。受け取る前に、シアさんが手を引っ込めた。

 

 「あれ?」

 「……」

 

 鍵のやり取りはしないままに、シアさんが立ち止まって振り返る。金色の瞳が、真っ直ぐに見つめてきていた。

 彼女がそんなに真剣な顔をするのは稀だ。

 『奢る』というポーズをして激辛料理を振る舞い、人が苦しんでいる姿を見るのが好きな彼女のことである。私の調子が優れないと察しても、普段通りの薄ら笑いを浮かべているものと思っていた。

 

 人の不幸を愉しむ笑みではない。もちろん怒っている様子でも無い。

 ただ、真っ直ぐに。ただ真剣に、私を視ている。

 

 「どうしたの急に、珍しい」

 「さあ、どうでしょうね。私の本職は、迷える子羊を受け入れる修道女ですので」

 「本当かなぁ」

 「おや、生意気なミコトさんは……こほん。これでは堂々巡りです」

 

 わざとらしく咳をして、教室のドアへ向かって行く。ついて行こうとすると、「座って下さい」と言われてしまった。

 大人しく、離れたばかりの自分の席へ戻る。その間にシアさんは教室のドアを閉めて、鍵を掛けた。

 

 「え?」

 

 私の声に返事はせず、逆側のドアも施錠する。次に机を四つ固めて広い机を作り、夕陽に背を向けて座った。

 そうして向かいの席を手で差して、「どうぞ」と一言。どうやら、彼女は私と話がしたいらしい。

 

 「なんていうか、物々しいね。三者面談みたい」

 「ええ、可能な限り物々しく。それでも簡素ではありますが、こんなところで良いでしょう」

 

 涼しい顔で言っているであろうことは分かる。ただ、逆光のせいで実際の表情は分からない。

 

 「――告解の時間です、天原ミコト。あなたの憂い、ここで晴らしていきなさい」

 「告解って。そんな大したことじゃ……」

 「ええ、大したことでなくて結構。これは告解の名を借りたお悩み相談。正規のものではありませんので」

 「シスター的に、そういうのって大丈夫なの?」

 「主はお赦しになるでしょう」

 「ダメそう」

 

 こんなふうに話を逸らそうとするものの、少し話せば「では」と話を戻される。どうやら観念するしかないらしい。

 とはいえ、どうするべきか。あの出来事について正直に話したところで、信じてくれるとは思えない。

 けれど、嘘を吐くべき雰囲気でも無かった。彼女が私を案じてくれていることくらい、とっくに気付いている。

 

 「……信じてくれなくても、良いんだけど」

 

 そうして、ゆっくりと話し始めた。

 昨夜。眠ったと思ったら知らない場所で目が覚めたこと。

 そこで女の子――甘楽(つづら)杏夢(あむ)ちゃんと、シロちゃんに出会ったこと。

 二人、途中から三人で探索して、『スープの具材』を捜したこと。

 それが脱出の手段であったこと。そのスープがグロテスクだったから、朝から気分が悪いこと。

 

 詳細は伏せたが、こんなところを話した。

 彼女は何も言わずに頷いて、私が話終わるのを待ってくれていた。

 

 「まだ隠していることはあるように見えますが?」

 「……ごめん」

 「赦しを乞うならば、罪を晒さねばなりません。が――ひとまず、事情は分かりました」

 

 夕陽が雲に隠れた。薄暗い教室では、絹のような白髪さえ、くすんで見える。

 修道女はゆっくりと瞳を閉じて、神託のように語り始めた。

 

 「あなたに動揺を与えた『何か』を、私は与り知りません。けれど、ならばこう思えばいいのです」

 

 ――それがどれだけ現実的でも、起こったことが非現実的だというのなら。

 

 「復唱しなさい。『それは、ただの夢なのだから』、と」

 

 金の瞳が、無機質に覗く。

 人間味を感じさせない視線は、意図的にそうしているのか。それこそが彼女の本心なのか。

 

 「眠りによって分断されたのならば、それは夢の世界です」

 「おおかた、オカルト研究部で話した何かと接続してしまったのでしょう」

 「もしそれを夢だと思えなくとも、夢であると言い続けなさい」

 

 淡々と言葉を述べる。そうすれば、きっと薄れる時が来ると。

 そこまで話したところで、教室に夕陽が差し始めた。雲が通り過ぎたらしい。

 

 「もちろん、掘り起こしてまで唱え続ける必要はありません。あくまで不快感に苛まれた時に、そう飲み込むと良いでしょう」

 

 大きく息を吐いてから、普段通りの無表情に戻る女の子。

 彼女なりに私を励まそうとしてくれたのだろう。あんな様子の彼女、初めて見た。

 

 「ありがとう」

 

 だからまずは、心からのお礼を。

 

 「でも、夢じゃないんだ」

 

 そして、明確な否定を返す。

 先まで悠然としていた彼女が、ピクリと震えた気がした。

 

 「……それは、どうして?」

 「えーと、色々あるんだけど」

 

 一気に暗くなった彼女の声に、申し訳なさが先立つ。誤魔化すように視線を泳がせながらも、キチンと言うべきことを脳内で整理した。

 

 もちろん、夢なら良いなと思ったことはいくつもある。

 だって私は、あの空間で『人を殺して自分が助かる』っていう酷い方法を考えていた。自分がそんな冷たい人間だとは思っていなかったから、正直ショックだ。

 だって私は、あのスープを……人肉を食べたことがある感覚なんて、覚えたくなかった。一切記憶にないその味を、どこかで食べたことがあるかもしれないなんて、信じたくないに決まっている。

 だって私は、何か異質なものを感じてしまった。それが何なのか確信を得ることは無かったけど、あの時。キッチンを捜索している時に、何かに見られていたような――――。

 

 数えればキリが無い。スープの味自体も、胃の中でダメなものがぐちゃぐちゃに溶けていくような感覚も、一秒でも早く風化させたい。

 けれど、それでも二つ。私にとって、実在していて欲しいものがある。

 

 「やっぱり、友達が出来たからかな。甘楽さんと、シロちゃん」

 

 言って、思う。甘楽さんはともかく、シロちゃんへは『友達』なんて思う資格は無いかもしれない。

 後ろめたいことを考えていた過去も手伝って、仄かな罪悪感を感じてしまう。でも、だからこそ。

 

 「どこに居るのかは分からないけど。叶うなら、会って無事であることを確かめたいし、不安にさせてゴメンって謝りたい。それって、夢だったら出来ないから」

 

 思ったことを正直に。シアさんの目を見て伝える。

 数秒間の見つめ合い。先に逸らしたのは彼女の方だった。

 

 「相変わらず、変なところで意固地ですね」

 「えへへ。唯一の取り柄だから。本当に、ありがとね。ちょっとマシになったかも」

 

 吐き出せばスッキリするというのは本当らしい。

 まだまだ嫌な感覚は残っているけれど、だいぶ楽になってきた。

 動かした机や椅子を二人で戻しつつ、他愛のない話を続ける。

 

 「そういえば、そのツヅラさん、シロさんとやらはどんな方で?」

 「どんな? 甘楽さんは物静かな子だったかな? 私と同年代くらいで、背はちょっと大きかったかも」

 

 あと「紫!」って雰囲気で、よく見ればたくさんピアス付けてたかも。

 私より探し物……資料を探すのが得意で、子供に優しいのかな。

 あと料――ごめんちょっと思い出しちゃった。深呼吸深呼吸。

 それから、結構ピアス付けてたかもしれない。

 

 頭の中で整理はしないで、浮かんだ言葉をそのまま話す。内容はだいたいそんな感じだったはずだ。

 

 「シロちゃんは……不思議な子だったなぁ」

 

 キッチンで嫌な本を読んだあと、オカルト研究部か、あるいは漫画を嗜む現代人としての感性か。

 『人の解体手順を載せてる本が置かれてるなら、「人を解体する」というのが正しい手順なのだろう』と考えてしまっていた私としては、こちらは印象よりも罪悪感が先に来る。

 思い返す度にぐさりと心臓に刺さってくるが、落ち込んでなんていられない。それは次、会うことがあって初めて償える悪事なんだから。 

 そう思い、先ほど同様つらつらと話し始める。

 

 言葉を話せない子で、私たちが来た時には椅子に座って寝てたんだよね。

 シロちゃんっていうのは甘楽さんが付けた名前で……そうだ。起こしたのは私なんだけど、なんていうか、力を取られる感覚? があったなぁ。何だったんだろう、アレ。

 でも全然危ない子じゃなかったよ。危ない場所は危ないって教えてくれたし、スー……最後まで手伝ってくれた。

 

 「二人とも、帰れてたら良いんだけど」

 「では、私も祈っておきましょう」

 

 最後の机を戻したシアさんが、十字架を持って祈り始める。私も倣って、見様見真似で両手を組んだ。

 お寺も流れ星もない、そろそろ陽が沈む教室で。二人して沈黙する。

 

 (また会いたいけれど、それより前に。二人が無事でありますように)

 

 

 ――――祈り続けて数分。

 

 突如、教室のドアが鳴動した。

 心を落ち着けていた私は大いに驚き、「なに!?」と叫ぶ。すると、ドアの向こうから声がした。低い低い、男性の声。

 彼は一体何者なのか。答えは直ぐに分かった。

 

 「何とはなんだバカ者め! なんで鍵を閉めてるんだ! 誰が籠ってる、出てこい!!」

 「……。あー」

 

 再三となるが、ここは教室である。

 私が居眠りをしていたせいで、まだ施錠されていないはずの、けれどシアさんが先ほど施錠した部屋。

 

 先生のうちに誰かが、教室の鍵が返されていないことに気付いたのだろう。

 そして様子を見に来ると、今度は教室が施錠されていることに気付く。つまり、生徒が無断で立て籠もっているということに。

 

 「ミコトさん、あいつは体育教師の高羽でしょう。私たち女子ならば、丸め込むことも出来そうですが」

 「いや何する気なの。素直に怒られようよ。すみません! 今出ます!」

 

 先生にしっかり怒られた私たちは、その勢いで帰路についたのだった。



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後日談:autopurification(虹天原■■■)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます

・クトゥルフ神話TRPG『autopurification』(作:悠々笑夢 様)
・クトゥルフ神話TRPG『使徒生む天啓』(作:悠々笑夢 様)


 兵堂ナタと大星彼方の別れから、数日ほど経過しただろうか。

 今回の事例において蚊帳の外だった人物――虹天原マリンは、ある人物と連絡を取っていた。

 

 自分と、自分が干渉出来る相手をかき集めての捜索をしたものの、彼女に出来たことは、ある日の大星彼方の行動スケジュールを把握することのみ。

 他、大星彼方にとって重要であろう事柄――例えば、地球の化身であったり、それが発生し得るという現状であったりを認識してはいるものの、その意味を真の意味では理解していない。

 

 だから、知っているであろう人物に報告している。 

 

 「――私がナタ君に聞いたのは、こんなところ」

 「そうか。報告ご苦労」

 「うん。じゃあね、お父さん」

 

 それだけ残して、通話が途切れる。残された男性は、携帯端末を懐に仕舞いながら、ひとり物思いに耽っていた。

 薄ぼんやりとした、発光しているらしい液体が、無表情を映し出す。

 彼はぶつぶつと呟きながら、次のようなことを考えていた。

 

 「地球の化身、大星彼方。混沌、ムユウ。それらと繋がった、いち殺人犯の兵堂ナタ」

 

 報告によると、元々大星彼方はムユウに追われていたらしい。

 その後、兵堂ナタと接触。どちらの提案かは不明だが、彼らは逃避行を始め、最終的に、超常存在であるムユウを退けた。

 

 ムユウについて判明していることを考える。

 ――証拠不十分。これまで得た知見から、()()と同類なのだろうと推定するが、確証は得られない。

 確定事項:それは人の外にある存在である。よって、我らの理念には関係のない存在だ。

 

 兵堂ナタの経歴を思い返す。

 一般家庭に生まれ、高校時代に初の殺人を犯す。相手は悪名高い資産家で、事件は彼を敵視していた者によって迷宮入りとなった。

 それから家を出て根無し草になり、灰天原の標的になる。銃弾に倒れたところをマリンに保護され――。

 

 「ただの人間だ、間違いない」

 

 思考を停止する。少なくとも、彼自身の出自は紛れもなく一般人そのものだ。

 今まで接触してきたムユウ、総意、天啓の使徒。そして大星彼方に何らかの影響を受けている可能性は考えられるが、それは後日調査すれば良いことだ。

 

 資料を捲る。兵堂ナタのスマートフォンを遠隔操作でもしたのだろうか。

 かなりブレていたものの、そこには金髪の少女が映っていた。

 

 「……。人型で、かつ地球由来のモノか」

 

 暫く眺めた後、男は小さく呟いた。

 もし、大星彼方が『人型』でなければ、彼は何も言わなかっただろう。あるいは、それが地球の外から来る偉大なる、あるいは悍ましいモノ共であった場合も同様だったはずだ。

 

 何故なら、彼が掲げるのは『人類に愛される労働力による、人類の救済』である。

 極論、人と同じ形をしたもので、制御可能であれば、それが人間でなくとも構わない。

 

 捕獲は現実的ではない。

 少なくとも、地球規模の重力操作が確認されている。それこそ惑星を静止させる規模のものでなければ生け捕りは期待出来ず、それをした暁には世界中を異変が襲うことだろう。

 魔術的なアプローチは専門外だ。そもそも通じるかも分からない。

 

 破壊も現実的ではない。

 上述の通り、難易度自体が最高に近い。我々を総動員すれば、可能性自体はあるだろう。

 しかし、その先にあるのは化身の欠如。化身の生まれた理由――来る脅威への対抗手段の喪失。

 

 つまり、『大星彼方の再現』は現実的ではない。

 その欠片を拝借し、これから再現する人間に埋め込む。この程度が関の山だが、化身に適応出来る人間なぞ存在するだろうか。

 

 「脱線したな。まだ得ていないものを考えるのは時間の無駄だ」

 

 兵堂ナタと大星彼方が別れた以上、彼に命令して何かを得ることも出来ないだろう。

 急を要する案件では無いと判断。来る脅威の全容も掴めないものの、()()()()()()()()()()

 

 それが為されれば我々の研究を続けられなくなることは理解しているが、これは自身に対処出来るものではないと結論付けていた。

 

 「まずは兵堂ナタの検査。何か影響や残滓が無いかを調べておこう」

 

 しかし、彼はマリンのお気に入りらしい。

 何か重大な秘密はあったとしても、捕縛および分解はすべきでは無いだろう。

 タスクが山積みである現状、新要素の追求は優先事項ではない。大切な実験体(むすめ)のモノを取り上げるデメリットの方が大きいはずだ。

 

 「次に大星彼方の捜索。世界中の同胞へ、依頼と警告を。『地球救済』の虹天原には知られない方が良い」

 

 どれだけの人間が勘付くかは分からないが、ある程度は彼女が力を行使することも考慮した方が良い。

 そうなった場合の事態の隠匿と、『地球救済』への威嚇。両立させるために、居場所を察知しておく必要がある。

 

 「そして最後に」

 

 男が振り返る。視線の先には誰も居ない。けれども彼は虚空を見つめたまま。

 

 「報告によると、混沌が煮え湯を飲まされたらしい」

 「お前はどう思う、マガハラ」

 

 ――――――――――――

 

 「という訳で! 健康診断をすることになりました!」

 「あっそ。普通の病院探すか」

 「ダメです!」

 

 嫌そうな様子を隠しもしない兵堂ナタを、数人の男女たちががっちりと取り押さえる。

 「やっぱりこうなりやがったか」と怨嗟の声を漏らしてみるものの、誰にも響かない。

 

 「ほらほら、まだ傷も治り切って無いんだから、大人しくしててよね。危ないことはしないからさ」

 「信じられるかよそんなもん」

 「はい採血しまーす」

 「テメェ……!!」

 

 手早く消毒された後、注射針が突き刺さる。こうなっては暴れる方が危険だと察した兵堂は、大人しく力を抜いた。

 その後は為されるままである。内容自体は普遍的な健康診断だったものの、

 

 「それで、女の子と? 同じ部屋で? 何してたのかなー?」

 「鬱陶しいなお前。眠っただけだっつってんだろうが」

 「彼方ちゃんにはアイスとかご飯とか奢ってあげたんだっけ?」

 「金無いなら出すしかないだろ」

 「……むぅ、せっかく嫉妬ムーヴしてるのに全然響かない」

 「ふざけ半分で言ってんのがバレバレなんだよ。演技の練習でもして出直せ性悪」

 

 「ひどいー!」とわざとらしく目を覆う。

 このように事あるごとに絡んでくるマリンに、兵堂は辟易していた。

 

 ――ったく、演技臭いこと以外は、何となく似てんのが余計に癪だ。

 今にも「地球の化身ほどじゃないだろうけど、私も結構美少女だと思うんだけどなー!」と自慢なのか僻みなのか分からないことを言いだしそうな桃色を、意図的に視界から外す。

 

 「兵堂様、お次は」

 「おう、とっととやってくれ」

 

 自身が絡まなくなったことにより、順調に進行する健康診断。

 いじけた演技で体育座りをしながら、虹天原マリンはこれまたわざとらしく、悪態を吐いていた。

 

 「まったく。私の連絡無視した上に、あんなの一方的に送ってきて、お礼の一つもしないでさぁ」

 

 何回メッセージを送っても返事をしなかった彼に、最後通告として堅苦しい文面で送ったもの。

 それに対する返信は、『地球の化身』『調べとけ』の二言だった。とにかく緊急事態らしいことを察知した彼女は、父親である虹天原ウーズに調査を要請し――。

 

 「……まあ私、お父さんに言いつけただけだけど。でも、居場所捜しは手伝ったんだけどなー」

 

 何となく凄い! と知識としての認知がある地球の化身を一目見たかったものの、間が悪かったらしい。

 結局一度も会うことは無く、今回の事件は幕を閉じていた。

 

 そういった経緯もあり、虹天原マリンは現在いじけ中なのである。

 いじけていることそのものは本音だが、ある程度感情を拡張して、オーバーリアクション気味に振る舞っている自覚はあった。

 

 「甘いものがー! 食べたいなーー!!」

 「ああもう、後で奢ってやるから、黙ってろ。うるせぇ」

 「やった!」

 

 大袈裟に喜んでみせる。

 こういう時は、大星彼方が食べたものと同じものにすれば良いのだろうか。それとも別のものを選んだ方が良いのか。

 デート風味となるイベントを空想しながら、彼女はそっと目を閉じた。

 

 

 ……ジジ。

 思考の奥で、ノイズが走る。虫食いの記録が採掘される。

 

 『夏はアイスやろ!』

 『おおー、その変な口調、様になってきたねー■■君』

 『せヤロせやろ。っちゅ■■で、お姉さんに奢■■■わ!』

 

 電流が走るように白く染まる。視界を染めた光は徐々に薄くなり、けれども違和感を残したまま黒へ還る。

 感情の海で、何かが落ちる。覚えのない記憶が再生される。

 

 『ソウジ君、私はアイスを所望します』

 『……あいす? とは、なんだ、■■■』

 『ええー、せっかく女王様みたいな話し方にしたのにぃ。えっと、アイスって言うのは――』

 

 崩れ落ちる。思い出したという事実を忘れる、他愛ないやり取りを忘れる、かけがえのない思い出を忘れる。

 

 虹天原マリンは、ただ眠っていただけだ。

 

 

 「おい」

 「あいて」

 

 夕陽が差す頃。兵堂ナタに頭を小突かれて、虹天原マリンは目を覚ました。どうやら、眠っていたらしい。

 視線で兵堂ナタへ不満を訴えるが、彼は表情を変えないまま、マリンの腕を引っ張って立たせた。

 

 「そろそろ行くぞ。あー、なんだ。アイスでいいのか」

 「――」

 

 窓から差し込む光のせいで、彼の顔をうまく認識出来なくなる。

 そのせいだろうか。あるいは、その空白に何かを見い出しかけたのか。マリンは少しの間沈黙して、

 

 「うん。せっかくだし、彼方ちゃんが食べたもの貰おっかな。それとも、より高いの貰っちゃおうかな!」

 「ざけんな、同じもので我慢しとけ。で、どっちの店のだ」

 「最後に食べた方!」

 

 笑う。そうしている内に、目覚める直前に見たものへの意識は逸れて行った。

 

 

 ある日起こった、人を害する殺人鬼と、人を愛した少女の出会い。

 大きな出来事と呼べるものに関わってなお、虹天原マリンは変わらなかった。



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後日談:死刑制度廃止記念日(レティシア)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます。

・クトゥルフ神話TRPG『死刑制度廃止記念日』(作:悠々笑夢 様)


 「神は、どこに居たのでしょう」

 

 『世界の終わり』という題材は、あらゆる媒体で取り扱われるものだ。

 学校で流行っている漫画やゲーム、時たま世間を揺るがす予言、あらゆる宗教にある聖典。とにかく多岐に渡る。

 

 私が視た世界の終わりは、そのどれでも無かった。

 草木一つ無い荒れた大地に、『イス』と呼ばれる異質な種族が造り上げた人類記念館。死者の上に積み木を積むような悪趣味は、けれども誰に咎められることなく成立していた。

 

 もちろん、見ていた時に悪趣味を感じていた訳では無い。目を見張るばかりの図書館も、あらゆる技術と生物を集めた博物館も、この日本に在れば名所になっていただろうとさえ思う。

 これはあくまで、振り返って見ればという話に過ぎない。振り返って見れば、あれは悪趣味な光景だった。振り返って見れば、現実感を忘れるような話だった。振り返って、見れば。

 

 ――あの結末に、『神』は存在していなかった。

 

 シルヴェンツ家が日本へ来てから、その宗教観は日本のものに染められて行っている。しかし、それでも私の根底にある信仰は最も有名とされるあの宗教。

 世界の終わりに、神が審判を下すという話。あるいはそれがもう過ぎて、事実抜け殻になった世界がアレだったのか。

 

 「……」

 

 手元にある本を捲る。いつの間にか手元にあったそれは、世界中の宗教について描かれていた。過去に成立し、今に続き、未来へ発展していく信仰。

 それら全てが集められた本は、けれども未来永劫は続かない。少し先の未来まで綴られて、おしまい。

 無感動に閉じられた本は、そのまま世界の結末さえ表しているようだった。

 

 頭の中で巡る。

 突如自分へ声を掛けたムユウという学者。彼の仕草を合図として飛ばされた未来世界。

 そこで出会った(さかき)智優(ちひろ)という少女――失礼、おそらく同年代ほどの男子高校生。

 白い扉の先に居た少年少女・アダムとイヴ。そして、甲虫のような姿をしていた『イス』と呼ばれたモノ。

 

 「夢、と思う方が楽なのでしょう」

 

 以前、友人に似たようなことを言ったことがある。

 どれだけリアルな質感だったとしても、起こったことが信じられない・信じたくないものであれば、それを夢と断じなさいと。

 

 今回私が経験した状況は、きっとアレに近いものだ。幸い私はそこまで酷いものを見た訳では無い。彼女のように、一日中吐き気に襲われるような事態にはなっていない。

 けれど、考えれば考えるほど、あの直感が脳を埋め尽くす。

 

 発明品の展示エリアにて、私は知識で知っていた宇宙望遠鏡を目撃した。

 米国で開発され、その成果を期待されていた宇宙望遠鏡。つまりは、今日以降の近い未来に活躍するモノ。

 それのレプリカが展示されていること自体は、いい。技術の粋を集めれば、特殊な縁が重なり合えば、そういったことも可能だろう。

 問題は、展示エリアがそれで打ち止めになっていたことだ。過去から未来へ向けて用意された膨大な展示品。それが、近い未来を指して終わっている。これでは、まるで。

 

 悪いだけでは無かったと言えそうな旅行のうちにある、唯一の否定したい未来。

 その一つを否定するためだけに『あれは夢だ』と唱えようとして――考古学者が置いて行った、この本が目に入る。

 

 「――本当に、悪趣味」

 

 夢であるとするならば、何も持ち帰ってはならない。否応なしに、アレが現実の延長だったことを報せてくる。

 よしんばあの光景が幻覚に類するものだったとしても、それはそれで恐ろしい。

 

 最近はそういうことをよく考える。私はそういう人格(キャラ)では無いと思っていたが、やはり少年少女の年代にとって、『世界の終わり』というものはそれなりの衝撃だったのだろうか。

 

 「シアさん、どうかした?」

 

 本を閉じた状態でぼうっとしていた私へ、隣から声が掛かる。振り向くと、友人である天原ミコトさんが私の顔を覗き込んでいた。

 一人で図書室に赴き、本を読んでいたのだが――はて。時計を見ると、放課から数時間が経過していた。

 彼女が所属しているオカルト研究部の活動も終わり、わざわざ私を探しに来てくれたのだろう。

 

 「いえ、何も。……帰りましょう」

 「うん。それじゃあ、失礼します!」

 

 司書さんへ挨拶して、そのまま学校を出る。

 帰り道、地面に伸びる影を眺めながら、ポツリと呟いてみた。

 

 「もし」

 「どうしたの?」

 「もし、世界が明日終わるとしたら。ミコトさん、貴女はどうしますか?」

 

 特に、立ち止まるようなことはしない。淡々と歩を進める私に、ミコトさんが歩幅を合わせてくれている。

 暫くの沈黙は、彼女が真剣に考えてくれている証拠だろう。もし明日、世界の終わりが――あの光景に至る出来事が起きた時、天原ミコトはどのような最期を迎えるのか。

 

 「皆と、居たいかな」

 「皆、とは?」

 「皆は皆だよ。お父さんにお母さん、クラスの友達やオカ研の皆に、もちろんシアさんも。もし会えるなら甘楽さんやシロちゃんとも――って思うけど。もちろん全員に明日会える確証は無いから、『出来たら』かな?」

 

 はにかみ笑いを浮かべる。大切な人たちと最後を過ごすという答えは、この問いに対して最も考えられるうちの一つだろう。

 そこに恋人などの特定個人でなく、頭に浮かんだ友人全員を挙げるのが彼女らしい。

 

 「旅行だとか豪遊するだとか、そういった感じでは無いのですね」

 「皆で美味しいもの食べに行くのはアリかも! でもシアさんは激辛が好きだから、うーん……」

 「おや、私の好みに合わせてはくれないのですか?」

 「流石に最期の晩餐が激辛麻婆は……。私だけならともかく」

 

 真剣に悩んでいるその姿を見ると、なんだか楽しくなってきた。わざと言葉を止めて、続きを待つ。

 ある程度まで「全員で食べにいくならどんなお店が良いか」を真剣に考えたあと、ふいに彼女がこんなことを口にした。

 

 「じゃあ、シアさんはどうするの?」

 「私ですか?」

 「そうそう。さっきまでのは私が勝手に言ってるやつだから、シアさんはどう思ってるのかなって」

 

 そうですね、と思案する。

 世界の終わりということが分かっていたのなら、世界はきっと大混乱していることだろう。強がり、破滅を信じず、狂乱し、絶望し、直視なんて出来ないままただ騒ぐ。きっと、それが笑い話で収まるようにと。

 その光景は、きっと魅力的だ。そんなことになれば、私も羽目を外してしまうかもしれない。

 ただ、それでも。

 

 (きっと貴女は、それでも笑おうとするのでしょうね)

 

 天原ミコトが、絶望に膝を折ることは無いのだろう。根拠もなくそう思うと、少し退屈で、でも温かいような不思議な感覚に襲われた。

 ちらりと彼女を見る。正面を歩きながら、答えを待つようにチラチラとこちらを見る彼女と目が合った。

 

 「どう?」

 「……。私も似たようなものでしょう。貴女と、あとは数人の友人と過ごせれば」

 「え、誰々?」

 

 何となく嬉しそうな様子。あまり人間関係に執着しないように見える私が、そんなことを言ったことが意外だったのかもしれない。

 数人の名前を挙げる。彼女経由でそこそこの親交がある友人に、オカルト研究部の面々。そして、

 

 「榊さんという方と知り合いになりまして」

 「榊さん? 私は知らないな……」

 「当然です。この前、偶然行動を共にしただけなので」

 

 具体的に何があったかはボカすことにした。変に話して誤解されて、心配されるのも問題だ。

 

 「一見女子のようにも見えますが、実際は男子であるようです。どうやら気にされているようなので、弄る際はほどほどに」

 「弄らないって」

 「そうですか、残念です」

 「残念なの……!?」

 

 時折入ってくるツッコミのような相槌が楽しくて、ついつい口を開いてしまう。

 

 「動物に好かれる体質のようで。ミコトさんはどうですか?」

 「どうだろう? 猫とか犬とか可愛いよね」

 「いわゆる『優しい人』に分類される人かと」

 「そうなんだ。良い友達が出来て良かったね!」

 「友達……?」

 

 はたと、足が止まった。

 何でもないように言われた『友達』がしっくりこなくて、棒立ちになる。

 

 「友達、ですか?」

 「てっきりそうだと思ったんだけど、違うの?」

 「ええ。ただ数時間行動を共にしただけで、連絡先の交換もしていません」

 「でも、嬉しそうに話してたから」

 

 こういう時に限って、天原ミコトという人間は食い下がってくる。どうやら彼女の瞳には、そういうように映っているらしい。

 少し黙って、ゆっくりと言葉を返した。

 

 「ですが、あちらがどう思っているかは分かりません」

 「確かめてないなら、もちろんそうだよ。でも、それまでは友達って思ったらいいじゃん」

 「気軽に言いますね」

 「うん、言う。シアさんに友達が出来ると、私も嬉しい」

 

 抵抗する私へ、満面の笑みを返してくる。こういうところがズルいと思うのだ。他人事にそうやった喜ばれると、わざわざ否定するのも野暮となってしまう。

 

 「では、ミコトさんに免じてそういうことにしておきましょう。ああ、これで榊さんに『別に友達じゃないよ?』と言われた日には、泣いてしまうかも」

 「その時はご飯でも食べにいこっか」

 「ふふ。泣くというのは冗談ですが、お言葉には甘えましょう」

 

 物騒な仮定から、いつの間にやら雑談へ。

 何でもない話を続けながら、私たちはまた歩き始めた。

 

 ふと、暮れ始めた陽に目を向ける。

 あと何年後に、あるいは何ヶ月後に、その日はやってくるのだろう。

 世界を変える手段が私に無い以上、きっとそうなると、覚悟しておく必要がある。

 

 ただ、叶うなら。

 世界の終わりが訪れるその時、一人でも多くの友人たちが、願いを遂げられますように。

 

 陽を浴びる私は、柄にもなくそんなことを考えていた。



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後日談:沼男は誰だ?(虹天原マリン①)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます。

・クトゥルフ神話TRPG『沼男は誰だ?』(ma34様原作・むつー様改変)








 あの事件から、数日経った。

 いや、世間からすると『最近起こった事件』として、今も話題沸騰としているところか。

 

 『同時多発怪死事件! 某国の生体兵器の暴発か!?』などと、報道の皮を被ったオカルト番組まで昼間から放送されている。長々と流される的外れな特報を聞き流していると、とある単語が耳に入る。あの数日間で何度も聞いた、もう居ない人たちの名前。

 

 『人が泥になる事件ですか。人と泥というと、「スワンプマン」という思考実験が出てきますねー』

 

 思考実験:スワンプマン。

 ある日沼の傍を歩いていた男は、不幸にも雷に打たれて死んでしまう。

 そして、その後直ぐに沼へ雷が落ちる。この時男と沼は科学反応を起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

 その生成物を、スワンプマンと呼ぶ。

 スワンプマンは死んだ男と同じように生活を営み、同じように会社へ赴き、同じ家に帰ってくる。

 さて、このスワンプマンは、元の男と同じと言えるだろうか。

 

 だいたいそういった話が、何度も何度も繰り返されている。

 この話を期に映像がスタジオに切り替わり、コメンテーターたちが思い思いの話をしていた。適当に目を逸らす。

 

 「気になんのか?」

 「別にー? テレビ消そっか」

 

 向かいのソファーに腰掛けた男性――兵堂ナタの質問を適当に誤魔化す。テレビを消すと言いながら、チャンネルを適当に回す。

 この時間帯は全部の放送局で先の特集がされていたので、やはりテレビの電源を落とすことにした。

 テレビと共に、部屋から音が消える。不機嫌そうな瞳で、私たちは見つめ合っていた。

 

 「スワンプマンな。最近よく聞くな」

 「本当、そうだよね。この所ずうっと、飽きないのかな」

 「……ああ。そういえば」

 

 気だるそうに、ナタ君が横になる。私はきっちり座ったまま、彼の言葉を待っていた。

 

 「俺が追ってたヤツ、泥になって死んだんだよな」

 「は?」

 「なんだっけな。灰天原が取りこぼしたヤツの始末だったか」

 

 『泥になって死んだ』

 その現象には覚えがある。あの時、スワンプマンに突然訪れた終わり。

 スワンプマンに二人きりで触れられてしまうと、瞬く間に捕食されてしまうという特性を、私は把握している。

 理解が至った瞬間、私は彼に飛び掛かっていた。服越しに身体をべたべた触って、存在を確かめる。

 

 「ナタ君大丈夫!? その人と、二人きりになってから触ったりしてない!?」

 「なんだお前!? 急に近付くなって――うん?」

 

 触る。人体の感触だ。どこも泥にはなっていない。

 当然だ。スワンプマンはあの時に全滅しているし、何かの偶然でスワンプマンが残っていたとして、それを確かめる術は無い。

 しかしその仮定は有り得ない。スワンプマンは死んだ。

 

 鐘有藍美さんも、馬久留くんも。一入ノアくんも、八代幸くんも。

 私の知らない人たち100万人以上が、あの時に亡くなっている。ナタ君がスワンプマンになっていたとしたら、彼の肉体は泥と化していることだろう。

 少なくとも、この家には帰ってきていない。

 

 「ナタ君」

 「……お前、アレか。心当たりがあんのか?」

 「うん。ナタ君は、スワンプマンについてどう思う?」

 

 そんな彼に問いかける。『スワンプマンは、元の人間と同一か』

 これはあの事件の話でなく、それこそ最近ニュースで聞く思考実験についての話。

 

 彼は数秒考えると、質問自体には答えてくれた。

 

 「正直に言う。どうでもいい」

 「どうでも良いって?」

 「俺が雷に打たれて死んだとして、泥紛いが俺になったとして。その上で、『泥の俺』がすることは変わらねぇ。いつも通りに人を殺したくなって、そのために特別を捜して、殺す。それをするなら、そいつも俺だ」

 「――――」

 

 『その信念こそが、ボクをボクたらしめる』

 いつか聞いた探偵の声が、聞こえた気がした。全然違う生き方をしてきた人物。

 人の悩みを解決してきたであろう探偵と、人を殺害することを快楽としてきた殺人鬼。似ている、なんて言わないけれど。

 

 ニヤリと笑う。全然違う人種から、似たニュアンスの言葉を聞くことが奇妙に愉快だった。

 

 「それ、信念ってやつ?」

 「そんなキレーなもんでもねぇよ」

 「またまた~」

 

 さっきの勢いのまま、肩をぽんぽんと叩いてみたり。

 彼は嫌そうな顔をしながらも、私の目を真っ直ぐに見返している。

 

 「お前はどうなんだ?」

 「私?」

 「なに意外そうにしてやがる。俺に聞いたんだからお前も答えろ。お前がスワンプマンになったなら、お前は自分をどう思う」

 

 ……。

 ふざけている様子は無い。というより、彼は人殺しの性質さえ除けば結構真面目だ。その茶色い瞳が、嘘は許さないとでも言うように私を視ている。

 今までの私なら、何を言っていただろうか。適当にはぐらかして、『そんなのなってみないと分からないよね!』と誤魔化していたことだろう。

 

 「ちょっと前提を変えてもいい?」

 「なんだよ。……別に、好きにすればいい。変に弄らなかったら気にしねぇ」

 「うん、じゃあ変えるね。例えば。スワンプマンが『自分が偽者だって気付いた』時とか」

 

 兵堂ナタの瞳が、少し揺れた気がした。動揺だろうか、きっと違うのだろう。

 何かに気付いたように、口元が少し歪む。悪意までは感じないその表情を、何故だか不気味なように感じた。

 

 「先に言っておくが、その場合も俺の答えは変わらねぇ」

 「律儀だね。それで、私がその前提でスワンプマンだった時だけど」

 

 私こと、虹天原マリンは人造人間である。父である虹天原ウーズにより製造された『虹天原マリン』の再現体。

 この事実を知るものはほとんど居ない。目の前の青年はおろか、私の知り合いの大多数は知らないだろう。

 先日酷く動揺してしまった時にうっかり喋ってしまい、それはある刑事さんに聞かれている。しかし、面と向かって明かしてはいない。薄々察せられている可能性はあるけれど、父本人を除くと私のことを実際に聞いたのは彼くらいなものだろう。

 今生きている人物に限って言えば。

 

 「うーんとね。すごく動揺すると思う。だって私は人間として生きたかったから、そうじゃない事実に堪えられない」

 「……」

 「でも私は今、こう思うよ。結局元の私とスワンプマンの私は別人で、だからこそ得られたものがあるって」

 

 ナタ君から離れて、先ほどまで座っていたソファーへ座り直す。

 柔らかな感触に包まれながら、部屋の全体を見渡した。この部屋も、きっと10年前はこの状態じゃ無かったと思う。

 姿見にある私の姿と目が合った。我ながら結構かわいい見た目だと思う。16歳の肉体は、10数年前の『虹天原マリン』が象っていた姿であるはずだ。

 

 それは、決して私ではない。何故ならば。

 

 「スワンプマンになってから経験したことは、オリジナルの私のものじゃない」

 

 そういうふうに、言ってくれた人が居た。

 私と同じように、けれど違う方法で造られた鐘有藍美という女性は、最後にそんな手紙を遺してくれた。

 『虹天原マリンたちと出会ったのは、人間の鐘有藍美でなく、今の自分である』と。

 

 そんな彼女は、最後にこう記してくれたのだ。

 『私を人間にしてくれて、ありがとう』と。

 

 思い返して、目頭が熱くなる。瞳が潤んでいくのを感じる。

 

 「そうなってから得た、楽しかった記憶は私のもの。もし私が『私』の代替品として生まれても、今生きているのはこの私だから。それだけは、『私』にだって譲らない」

 

 あの日鐘有邸に赴いたのは、いつか亡くなった虹天原マリンでなく、私だ。

 あの時藍美さんに共感したのは、いつか亡くなった虹天原マリンでなく、私だ。

 藍美さん、ノアくん、創真さん、幸くんと共に過ごして、内藤に苛立って、馬久留くんに叫んだのは、今ここに居る私なのだ。

 

 だから言い切る。藍美さんが自分を肯定したように。私だって同じだったはずだから、私を誇っていけるのだ。

 

 「……って、あはは。『私』ばっか言っちゃって分かりにくかったかな?」

 「だいたい分かった。なるほどな、お前……」

 

 ナタ君が立ち上がる。ポケットに手を突っ込んだままの彼は、一歩私に詰め寄った。

 私の言葉に、彼は何を思ったのだろう。見上げながら、彼の反応を待つ。さて、彼の第一声は。

 

 「お前、とっくに人間だったんだな」

 「ありがと」

 

 彼の素直な賞賛に、私も素直なお礼を返す。彼の仏頂面と見つめ合うこと数秒。何か、違和感があることに気が付いた。

 今、彼は『とっくに人間だった』と言ってくれた。それは嬉しい。私はあの時はじめて自分を肯定出来ただけでなく、あの事件に踏み入る前の私も肯定してくれている気がしたからだ。

 でもそれはおかしい。おかしいと言うより――私が人間じゃないっていう前提があるような。

 

 「待って、ナタ君? その、私の正体って……」

 「今日、お前の親父から聞かされた。人造人間なんだってな、お前」

 「え」

 

 呆気に取られる私をよそに、兵堂ナタはどうでも良さそうな調子で、わざとらしい欠伸をした。

 私が彼にだけはバレまいとしていた秘密をあっさり知った上で、そんな反応をしていることにムカっとする。

 ……あの時から、ちょっと苛立ち易くなった気がする。自分を人間として肯定するというのは、良い影響だけを与えてくれるものでは無いらしい。

 

 「ちょ、ちょっと待ってよナタ君!? え、君ってほら。特別殺しの殺人鬼でしょ? 私、放置で良いの……?」

 「それ、『殺してくれ』って言ってるようなもんだぞ」

 「そんな訳ないけどさ! え、何とも思わないの?」

 

 兵堂ナタは殺人鬼である。

 厳密には悪人専門の。もっと正確に言うならば――殺人鬼に類するほどの、『特別』な存在であること。

 彼にとって必要なのは、その人物は大多数存在するものでは無いという最低限の枷である。事実、彼はとある世界で特別な善人を殺害しかけている、らしい。

 彼にそれを認めさせる危険度すら一瞬忘れて、混乱した私は説明する。

 これが漫画的な世界観なら、きっと私の目はグルグルと渦を巻いていたことだろう。

 大きく溜息を吐いた彼は、私に近付いてから拳を突き出した。軽くではあるが硬い感触により、額を小突かれる。

 

 「結構痛い」

 「良いか、一度しか言わねぇ。造られた人間であるお前は、『自分は自分である』という答えを出した」

 

 殺人鬼は、殺害する人間を選んでいる。

 より特別な悪人を、より特別な人間を。特別ならば、混沌にさえ刃を向けた。

 

 「だと言うのなら。お前の出自がどうであれ、お前の造りがどうであれ」

 

 そんな彼が私を視ている。

 彼だけの感性、遍く人とは異なる視点でもって、けれど一人の人間として、そう告げる。

 

 「お前は普通の人間だ。そんな奴を殺しちまったら、クセになる」

 

 クセになる、とは。彼特有の言い回しだ。

 彼にとっては先に殺人衝動が先に来ていて、後から特別を害するという枷を嵌めた形になっている。

 それを取り辞めて、相手を選ばずに繰り返す殺人行為。その先にあるのは、抑えきれない衝動に従った結果の、白昼堂々の無差別殺人。そうならないように、彼は先の制限を掛けている。

 彼はその仮説に基づいて、対象がありふれた一般人(クセになる)特別な存在(ならない)かを分別しているらしい。

 

 「……私のこと、普通だって言ってくれるんだ。えへへ」

 「性格は良く無さそうだがな、それは普通の範疇だろ」

 

 はい感謝タイム終わり。

 幾ら人間と認めてくれたことが嬉しくたって、許しちゃならない言葉と言うものがある。いつもは適当に流すけど、今はちょっと怒らせて貰おう。

 さっきからずっとご高説を垂れてくれた殺人鬼へ、煽る気持ちを込めて語り掛ける。

 

 「む。人殺しが、普通とか人間とかを語るんだ?」

 「文句あんなら、ヒトと星にでも言うんだな」

 「ああ言えばこう言う!」

 

 何でもないように躱された。かつての私がやっていたように、明日からの私がするように。

 立場を変えて、気持ちを変えて、虹天原マリンは生きていく。

 

 ナタ君の背中を押しながら、お昼を食べるために部屋を出ようとする。

 彼が私の掌から逃れて自力で歩き始めた頃、私はひょっこりと部屋の中を見つめた。

 

 電灯が消えた小さな世界の、机の中。今は見えないけれど、そこには藍美さんが遺してくれた手紙がある。

 私は一度微笑んでから、外へ一歩踏み出した。

 

 「さようなら。ありがとう、鐘有藍美さん」

 「あなたが自分を人間だと思ってくれたように、私も、私だって、あなたたちのお陰で、私を誇れるよ」



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後日談:沼男は誰だ?(虹天原マリン②)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます。

・クトゥルフ神話TRPG『沼男は誰だ?』(ma34様原作・むつー様改変)








 白天原は、いわゆる土地の管理者的な立場にある。

 その業務は多岐に渡り、基本的には市民の悩みに寄り添う役所のような立ち位置となっている。

 イベントの設営、引っ越し手伝い、浮気調査等々。本当に何でも、聞くだけは聞いてくれるらしい。

 

 しかし、一部の者からはまた別の役割を持っている。

 表・裏の人物たちと広い縁を持ち、主に管理している土地――地元のアレコレに融通を利かせられる組織。

 例えば似た名前を持つ黒天原や緑天原など……天原(まがはら)系統の家は、白天原を指して『ここに子供を放り込めば一般人として生活を体験させられる』と認識している。

 裏の人物とのやり取りについては諜報組織・灰天原や秘密結社・虹天原と比較すると大きく劣っているものの、こと平和に過ごすことを考えるのであれば、最も優れた相手の一つになる。

 

 その白天原に、客人が一人。虹天原マリンこと、私だ。

 応接室へ通された私に、白天原サクラ――令嬢本人が紅茶を運ぶ。サクラちゃんは、彼女にしては珍しく怪訝な表情を浮かべながら、私へ問いかけた。

 

 「今度は何を企んでおりますの……?」

 「企んでるなんて、そんな。私が一回でも変なことしたことあったかなー?」

 「ええ、片手では数え切れない程度には!」

 

 そっか、ごめんねー。謝意を一切見せない調子で謝る。

 私は個人的な事情で白天原に縁があり、時折虹天原家が創り出した道具を持ち込んでいた。

 その詳細は割愛するものの、サクラちゃんの反応から、何らかのトラブルを撒き散らすものであったことは察して貰えると思う。

 

 差し出された紅茶を飲みながら、私はサクラちゃんに視線を移す。

 白天原サクラ。19歳の医大生であり、白天原の業務に縛られずに自由を謳歌する女性。当家に勤務している岸上ケンゴを恋人と呼んでおり、友人の影響からか時々奇抜な喋り方をすることもある。

 なお、当のケンゴくんは恋人疑惑を否定している。段々と外堀を埋められていっているらしいから、時間の問題だろうとは思われる。

 

 (昔の私の記憶では、赤ん坊のサクラちゃんが居るんだよねー)

 

 改めて考えると変な感覚である。

 虹天原マリンの実年齢――人間のまま生きていた場合の年齢は28歳。サクラちゃんと年が離れたお姉さんという立ち位置だった自分が、いつの間にか彼女よりも年下となっている。

 冷静に考えると意味が分からないなと、一人思案していた。

 

 「まあ、今回は本当に何も無いって! ちょっと白天原にやって欲しい手続きがあってさ」

 「そういうことにしておきますわ。”虹”の要件ですもの、お兄様でなければ対応出来ないもので、合っていますか?」

 「その通り! でもカミノ君の仕事、もうちょっと色んな人に割り振った方が良いと思うよ?」

 「急に正論を言わないで下さいまし。それについては私や皆さんも常々注意しているのですが……」

 

 私の向かい側、正面を避けた位置に腰掛けたサクラちゃんは、ぷんぷんと怒りながらも流れるような所作で紅茶を一口。一般人の影響を受けたとはいえ、その根幹は令嬢であるらしい。

 

 「サクラちゃんはさ」

 「?」

 「結構変わったよね? 言葉遣いもそうだけど、なんか明るくなった?」

 

 あまり関わることは無いけれど、白天原サクラのことは遠巻きに見ることが多かったように思う。

 それこそ人間時代から、ちらほらの彼女のことはお世話していたはずだ。記憶はあやふやだが、大人しい子だったという記憶は確かにある。

 今の私が初めて彼女と会った時も、物静かな女の子――人によっては高嶺の花であると形容した少女だった。それが今では一挙手一投足で感情を表す女性に変化している。

 

 「そうかしら? 赤空さんや星海さんの影響もあるでしょうけど」

 

 『星海』。

 その単語を聞いた瞬間に、耳がピクりと震える。私の中ではある程度整理を付けているつもりだけど、やはり『私』である以上その名前に思うところはあるらしい。

 サクラちゃんの方は――私の様子に気付いた感じはしない。このまま次の話を待つ。

 

 「とにかく! 難しいことはいいのですわ。私は私、そうでしょう?」

 

 胸を張って、手を添える。自信満々にそう言う彼女は、桜という儚い名前に似合わないほど強かに咲き誇っていた。

 ずっと私が得たかった答えを最初から持っている彼女を見ても、不思議と黒い感情は湧いてこない。僻みを感じさせないのは、私も成長したからか、彼女があまりにも堂々としているからか。

 

 そうだね! と返事をすると、ノック音が部屋に響いた。私が「どうぞ!」と声を掛けると、ドアが開く。

 サクラちゃんのような白い髪に、桜のような桃色の瞳。整った容姿をした男性はサクラちゃんの兄であり、白天原家の現当主。

 名を、白天原カミノという。

 

 「対応ご苦労、サクラ。すまないな休日に」

 「お安い御用ですわ、お兄様! そも、私だけ普通に休んでいるのが本来は――」

 「おっと、その話は無しだ。仮にも客人の前だからな。さ、お前はお前の日常に戻るといい」

 「むぅ……」

 

 有無を言わさず、カミノ君がサクラちゃんの背中を押して部屋から追い出す。似たようなことをこの前ナタ君にやったなーなんて思いながら、私はもう一度紅茶を飲んだ。

 暫くしてドアが閉まる音。少しして、私の正面に現当主が腰掛けた。

 

 「まずはようこそ、虹天原マリン。今度は何をしに来た?」

 「全然信用されてないなぁ、私。今回は本当に、虹天原として手続きをして貰いたくって来ただけだよ? ソウジ君みたいなアレ」

 「……お前が?」

 

 目の前に居る当主が、怪訝な顔をする。意外そうなというには訝しむ色が強いそれは、その表情通りの意図をそのまま私に伝えてくれていた。

 ここ数日は普通の女の子みたいな扱われ方をすることが多かったから、なぜか新鮮ささえ感じてしまう。私本来の立ち位置と言えばこっちなのだ。

 

 また、先ほど私が言ったソウジ君とは、諜報組織のエージェントの本名である。

 諜報組織・灰天原。そこに拾われた少年は灰天原ソウジと名付けられ、後に”灰かぶり”リブラというコードネームを獲得することになる。

 しかし、その人生でのある期間は、この白天原が管理する土地で生活していたらしい。その時の名前は、確か高梨ソウジ。一般人としての身分を得て、普通の学校で生活を送っていたのだ。

 

 ――そう、学校。

 

 「うん。私、学校に行きたいんだ。だからこう、経歴とか? その辺のアレを上手いことやって欲しいっていうか」

 「気軽に言ってくれるな。俺がやったことはまだ無いが……先に理由を聞いても?」

 

 桜色の瞳が、私を視る。

 私はと言うと、真っ直ぐに彼を見返している。この要望は、何も遊び半分で言っている訳じゃない。

 こと学習においては元々出来る環境があって、ある程度勉強は出来ているつもりだ。友人を作らなくても生活は出来ているし、そもそも『虹天原マリン』は一度死んでいる。

 きっと、他の人から見れば、私はただ暇潰しに学校へ行くように見えるのだろう。

 

 「新しいものを見たくて」

 「ほう?」

 「私って、昔から学校行ったことが無くてね。関わりがあると言えば、お父さんとその研究の出資元、私たち以外の虹天原と、あとは白天原くらいかな」

 「……ふむ」

 

 相槌を打ちながら、白天原カミノは私の話を聞いてくれている。私の様子を見てか、直ぐに口を挟むようなことはしなかった。

 

 「でも、この前。ちょっとした事件があって」

 

 『ちょっとした事件』と聞いて、カミノくんが目を細める。組織の長たる彼の観察眼は、あるいは私の嘘を見抜いたのかもしれない。

 今はどうでもいいことだ。ちょっとした事件であれ、世界を震撼させた大事件であれ、私が語りたい主題ではない。

 

 「そこで、初めて会った人たちが居たんだ。私がすっごく共感出来る人が居て、芯が強い人がいて、へらへらしてるけど守ってくれた人がいて、笑っちゃうくらいお人好しな人がいて」

 

 仕事人! って人や、ムカつく奴も居たけど。

 

 「とにかく、たくさんの物を貰ったんだ。それのお陰で、私は私を肯定出来る。そう思ったら、新しいものを見てみたいって思っちゃって」

 「なるほど、自分の為にそれを望むと?」

 「うん」

 

 意地悪な笑みを浮かべながら、白天原の現当主が問い掛けてくる。私は彼の瞳を見据えなら、一度大きく頷いた。

 エゴだ、と彼なら思うのだろう。白天原は他者を助けることを生業としている。そんな彼から見れば、私はひどく自分勝手な人物に映るに違いない。

 

 「そうか。なら問題ない」

 「カミノくん的には嫌かもしれないけど――あれ?」

 

 だから使える手札全部使って押し通そうとしたのだが、返ってきたのは承諾の声。

 思わず素っ頓狂な声を上げる私を見て、青年は「ふ」と微笑した。

 

 「え、大丈夫なの? カミノくん的に、このワガママ通していいの?」

 「白天原は皆のための組織というのなら、依頼人は自分のために訪れる。これが道理だろう」

 「私、虹天原だよ?」

 

 何というか。今まで厄介な女と見なされることが多かったからか、こんな扱いをされると困惑してしまう。

 どうせなら乗っかってさっさと手続きを終わらせてしまえば良いのに、下手を打つと彼の機嫌が変わってしまいかねないことを聞いてしまっていた。

 吐いた唾は吞みこめない。彼の返答を、待つ。

 

 「関係無い。見たところ、お前はお前としてここに来ている。虹天原の使者としてでなく、マリンという少女の頼みであれば、何も憂うことは無い」

 「……そっか」

 「経歴の方は後で考えよう。まずは名前だ。お前が時々名乗る小鳥遊(たかなし)マリンで構わないか?」

 

 名目上は、あまり『虹天原』という名前を表に出さないようにするというのが、私たちの暗黙の了解だ。

 様々な思惑が絡まってそういう話になったのだろうと思うが、私も詳しいことは知らない。

 その辺りの、人類救済の秘密結社である虹天原のことは、お父さんの方が余程詳しいはずだ。そのお父さんに、一つ相談し、返事を貰っていることがある。

 

 「ううん。虹天原マリンでお願い」

 「……そうか」

 「お父さんの許可は取ってるからね!」

 「虹天原の当主とやらか。俺も詳しいことは知らないが、会いたくは無いものだな」

 

 正直に言うと、私個人の話で語るなら、『虹天原』という名前に拘りは無い。小鳥遊という名前もちょっと可愛いし、これはこれアリだと思う。

 でも、今ばかりは駄目なのだ。苦笑したカミノくんの言葉にニヤリと笑いながら、「会わない方がいいよ」と軽く返す。

 

 「これも理由あってのものか? お前たちは秘密主義であると思っていたのだが」

 「『他の虹天原は大抵名を伏せている。名乗ったところで、それに特別な意味を見い出す人間は多くない』だってさ」

 「何とも適当だな。それだけ娘に甘いのか? まあ、それはいい。何故わざわざ虹天原を名乗りたがる」

 「そう呼んでくれた人が居たから」

 

 即答する。名乗ったキッカケは気まぐれに近いものだったけど、確かにあそこに居る私は『虹天原マリン』だった。

 だから。新しいものを見に行くならば、この名前を持っていきたい。もう居ない友人が、私に似た女性が、確かに私を私として見てくれた証なのだから。

 

 白天原カミノは応えない。ただ微笑みを一度零して、手元にある手帳にスラスラと何かを書き込んでいた。

 私はそれ以上は何も言わずに、ペンが走る音をただ聞いていた。

 

 ――――――――――――

 

 視線の先には、開かれた扉がある。部屋の中に居る人は、しっかりした机――教壇に手をついて、このようなことを話していた。

 

 「今日は転校生を紹介する」

 

 部屋の中がざわついていることを感じる。

 「え、誰?」と席を立つ音が聞こえたので、誰からも見えない位置まで下がった。

 

 「やっぱり転校生か」

 「男子かな、それとも女子か?」

 「女子! 女子!」

 「うるさい!」

 「何かこういうの、ラノベっぽいよね! まさか現実で出逢えるなんて」

 「変に期待すんのやめときなって。入りにくいでしょその子が」

 

 思い思いの言葉が私の耳にまで聞こえてくる。物珍しさだろうか、すごく期待されているらしい。

 

 「騒ぐんじゃない。じゃ、さっそく自己紹介を頼む」

 「はいはーい!」

 

 教壇に立つ人物――教師が手招きしたため、私はそのどよめきへ一歩踏み出した。

 堂々と教室に踏み込むと、「女子だ!」という叫び声が聞こえた。そう発言したらしい男の子へ、手を振って挨拶する。

 席に座っている一部の男の子から歓声のようなリアクションが上がった。どうやらテンションが高いらしい。何がそこまで彼らを駆り立てるのだろう。

 

 一礼して、黒板に名前を書き始める。『虹天原マリン』と書き込んだ。

 教室の声が、歓声に似た騒ぎから困惑へと切り替わる。

 

 「にじ……てんはら?」

 「あまばら、じゃない?」

 「いや、アレで特殊な読み方してるってセンもあるぞ」

 「それって何?」

 「分からん」

 

 ニコリと笑う。確かに虹天原(にじまがはら)なんて読みにくいことこの上無い。

 私は髪を揺らしながら、大きく息を吸い、

 

 「――虹天原(にじまがはら)

 「お、ご名答! 今言ったの誰かな? まあいいや」

 

 正解者が居たので、即座に指摘。ちょっと出鼻を挫かれたけど、大丈夫。

 もう一度息を吸う。

 

 「はじめまして、虹天原(にじまがはら)マリンって言います! ちょっと色々あって学校には行って無かったんだけど、今日やっと高校デビューということで!」

 

 嘘は吐かない程度の理由も添えてから、笑顔を浮かべる。

 

 「これからよろしくね!」

 

 ぱちぱちと鳴らされる拍手を受け終えると、先生が私にある席を指差した。

 私から見て右手側―――窓に隣接する隅の席。そこには誰も座っていない。

 

 「虹天原は窓際の席に。隣の奴に色々教えて貰え。大丈夫か、鐘下」

 「……」

 「鐘下!」

 「えっ、はい! 大丈夫です!」

 

 私の名前を呼んだ後に何故だか得意気な顔をする先生。彼に呼ばれた女子生徒は、驚いた様子で席を立った。

 それが面白く見えたのか、座っていた生徒たちの何人かがクスりと笑う。私は特に気に留めず、彼女に話しかけた。

 

 「おはよう! で、良いのかな? 私は虹天原マリン。よろしくね?」

 「……鐘下朝陽(かねした あさひ)。こっちこそ、よろしく」

 

 彼女が笑って、私の方へ手を伸ばす。握り返して、ぶんぶんと振った。

 きっと、友達になれますようにと。



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後日談:人のみが(岸上ケンゴ)

当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます

・クトゥルフ神話TRPG『人のみが』(作:悠々笑夢 様)










 シスターを抱えて船の中に戻って行った俺を出迎えたのは、シーマさんの部下たちだった。

 どんな会話を交わしたかは覚えていないが、とにかく大慌てだった気がする。やれ現状確認だとか異形はどうするのだとか、なぜ零部隊がそんな状態になっているのかだとか。

 

 「なんであなた血塗れなのに人背負ってるんですか!? 誰ですかロープで括りつけた人!」

 

 手早くロープを切断される。そうして第四部隊の人たちにシスターを回収されかけて、思わず腕に力を込めた。

 困惑した声が聞こえるが、何となく遠い。

 

 「あの、キシガミさん? 彼女を医務室へお連れしますので」

 

 暫く間を置いて、何となく悪意らしきものを感じないことと、『医務室』という単語が耳に入る。

 それを聞いてやっと、腕から力が抜けた。シスターが彼らの手に委ねられ、背が軽くなる。今まで抱えていた重さが抜けた影響だろうか。肩の力が抜けると同時に、何となく足取りも覚束なくなったような――。

 

 「あなたもですよキシガミさん! キシガミさん?」

 「キシガミさん!? 運ばなきゃ……すいませんアッパさんお手伝い頂いても――お静かにお願いします!」

 

 

 目が覚めると、何日か前に見ていた船室の天井があった。

 全身が痛い、特に頭が痛い。教会に仕掛けられた爆弾を解除する時に受けた爆風と、錯乱したらしい竜胆に蹴られた痛みがしっかりと残っていた。

 むしろ臨戦態勢の緊張が解けた分、痛みをより鮮明に感じ取っているらしい。堪らず頭を押さえると、包帯らしきものに手が触れた。どうやら治療されたようだ。

 

 「全然覚えてないってことは、もしかして気絶したのか? それは……」

 

 悪いことをした。最後に話した人の顔も朧気なので、後でシーマさんに謝っておくことにした。

 状況を確認する。ベッドから起き上がれないほど重体では無い、視界は気絶前と比較すると明瞭、身体が治癒にエネルギーを使っているからだろうか。少し空腹感がある。

 持ち物を確認すると、あの時持っていたもの全てが手元に残っていた。特筆すべきものを挙げるなら――光を失った腕輪と、電源を切っていた携帯端末。

 

 「腕輪はシスターの時のアレ、だよな」

 

 四肢を失くして今にも命を終えようとしていた彼女に歩み寄ったことを覚えている。

 あの時腕輪が一度瞬いて――それで、彼女は一命を取り留めた。『そんな使い方をするんだ』と、愉しむような声と共に。

 詳しい原理は分からないものの、不思議な体験を経て渡された不思議なアイテムには、その経歴に恥じない不思議な効果があったということなのだろう。

 

 「携帯は……ああ」

 

 確か今日の朝。超常存在――シュブ=ニグラスだっただろうか。そんな奴と戦わなければならないことを察して、カミノにメッセージを送ってすぐに電源を切ったのだった。

 送ったメッセージの内容を思い出す。『俺が死んだらアイツを頼む』と、確かにそう書いて送った。

 

 「……」

 

 気まずい。

 せめて最期に言葉を遺したいと思った故の行動だったが、今からスマホの電源を入れるのが恐ろしい。

 この前ツバキと組手をして倒れた時に、各方面から怒られたのは記憶に新しい。今回やってしまったことは、掛けてしまった迷惑はあの時の比では無いのだろう。

 

 重ねて思う。気まずい。

 生き残ることが出来て良かったと安堵する自分。『生き残ることが出来て良かった』なんて感情を抱いたことに困惑する自分。

 そんな感情を吹き飛ばす程度には、この端末の電源を点けた先に待っているであろう展開に対する気まずさの方が大きかった。

 もうこの時点で『ケンゴ様! あなた何を仰ってやがりましたの!?』なんて怒り出す友人の幻聴が聞こえている。

 

 「都合よく電源が壊れてたりとか……しない、か」

 

 携帯端末は何の問題もなく起動した。件の人物から、数時間前まで鬼のような不在着信が来ていたようだ。

 現在は沈黙している。現在時間を確認すると、午前0時を過ぎていた。寝ているのかもしれない。

 

 迷って、一通だけメッセージを送る。宛先は白天原カミノと白天原サクラ。

 内容は二人同じく『悪い、もう大丈夫だ』と打ち込み、送信。送ると同時に既読マークが表示された。

 

 「あっ」

 

 それを認識して、一言。言い切るかどうかというタイミングで、白天原サクラからの着信が入る。

 軽快な電子音は、俺の内にある気まずさと反比例するように陽気だった。

 息を飲んで、応答する。

 

 「あー、もしもしサクラ?」

 『……』

 「ええと、サクラさん?」

 

 思わずその場で座り直す。電話の向こうから声は聞こえない。拾える音声と言えば……何かを堪えるような啜り泣き、だろうか。

 言葉を探す。結局何も出てこなくて、出せたのは立った二言。

 

 「悪い、心配掛けた」

 

 啜り泣きは暫く止まない。

 どうしてか手を伸ばしたくなって、どこに伸ばせるものでもないと引っ込める。気の利いた言葉も浮かばなかったから、ただその声にならない訴えを聞いていた。

 奇妙なほど長く感じた数分の後、彼女は鼻声になりつつも話し始めた。

 

 『それで、どうしてあんなことを言い残したのですか?』

 「詳しくは言えないんだけど」

 『どうしてそう、貴方はいつも私に隠し事をするのですか』

 「……」

 

 友人の結婚式に赴いたら、その島は怪物が支配する魔窟だった。

 かつて知り合った物騒なシスターと一戦交えて、その後例の怪物と戦って撃破した。

 戦闘の規模は、少なくとも戦艦による長距離一斉砲撃が用いられるものであり、一般人が立つ戦場では無い。

 大雑把に出来事を振り返って、流石に説明出来ないと即断する。こんなの、仮に俺が軍人でもおいそれとは話せない。

 

 「端的に言うと、島で起きてた抗争に巻き込まれてな。銃だとか何だとかが飛び交う場所だから、死ぬかもしれないと思って」

 『どうして逃げて下さらないのですか』

 「それは……」

 

 普段よりも数段しおらしい気配が、俺の頭から誤魔化すという選択肢を溶かしていく。

 やり場もなく動かしていた片手を抑えるように、強く握り込む。

 

 「その友人が巻き込まれてたから。良くしてくれた島の皆にも被害が及びそうだったから」

 『それだけですか?』

 「そうだな、それだけじゃない。もっと単純な話だ」

 『あなたが、正義の味方だから』

 

 沈黙を、肯定を返す。まだ成れているなんて思わないし、どうやれば成れるかも分からないけれど。

 俺は昔から、正義の味方と呼ばれるものを目指し続けている。時を経て、その形が変わっても。

 

 「放っておくことが、正しいこととは思えなかったんだ」

 

 視線を上に。視界は天井を映していても、脳はあの時の光景を思い返している。

 変哲の無いと思っていた島に隠されていた異変、その調査・解決にあたっていたらしい特殊部隊、その関係者だったのあのシスター、三日目に直面した島民の異形化に、それさえ上回る化物の姿。

 放っておくなんて嘘だと思った。知り合いの夫婦が巻き込まれているという事実さえ、もしかしたらただの言い訳だったのかもしれない。

 

 電波の向こうで、溜息。

 

 『はあ。本当に貴方は。止めて下さい……って言っても、聞かないのでしょうね』

 「悪かったな。この辺は昔から変わらないんだよ」

 『でしょうね。分かっています』

 

 くすりと笑う声が聞こえる。調子が戻ってきたらしい。今度は俺が大きく息を吐く。

 

 『どうしました?』

 「調子が戻ったみたいで、安心した」

 『誰のせいで気をもんだと思っていますの!?』

 「それは悪かったって。この三日間、そっちの方はどうだった?」

 

 このままだと説教が再開されそうで、咄嗟に話を振る。向こうもそれを分かっているのだろうが、それでも質問には答えてくれた。

 結論から言えば、サクラの周囲に変わったことは起こらなかったらしい。ニュースで大きな事件があったと報道されたくらいだろうか。詳細を聴いて、思わずゾッとする。

 

 「サクラこそ、本当に大丈夫なのか?」

 『ええ、唯一の心配事も解決しましたので!』

 「良かった」

 

 そうして他愛ない話へと戻る。

 島の景観や幸――遠山夫妻や、現地で話した人々について。幸経由で知り合った竜胆のことも話したが、秘密結社らしい篤波をはじめとした特殊部隊の皆のことは伏せて話す。

 

 『面白いことを追い求める旅人ですか。何だか星海さんみたいですね』

 「あー、道理で妙に話しやすいと思った」

 

 気配の話となると全然違うが、その辺の言動は確かにアイツに似ていたと納得する。

 次はサクラの身の回りであったことを改めて聞いて――そんな話の折、ふとサクラが呟いた。

 

 『そういえば、結婚式はどうなりましたの?』

 「延期になった」

 『えぇっ!? で、では貴方ヤクザの抗争に巻き込まれただけではないですか!?』

 「はは、それどころじゃ無かったんだって」

 

 『抗争』の中身については誤魔化しが効いているらしい。大袈裟なリアクションに笑いを零す。

 

 「その内やるってさ。友人も連れてきて良いってことだから――」

 『では私も行きましょう! 他の方は……星海さんとか?』

 「さあ、どうだろうな?」

 『ここではぐらかすのですか……!?』

 

 確かに星海を呼んだら良い感じに盛り上げてくれそうだが、そもそも結婚式に盛り上げ要因は必要だろうか。

 訂正しようとも考えたが、勘違いしているようなのでそのまま放置する。実際その時になってみないと、どうなるかは分からない。

 そうして、いつもの会話へ。帰ったら出掛けようだとか、そういった話をサクラとする。俺にとっては罪悪感を煽られる、彼女にとっては楽しいらしいひと時の約束。

 

 他愛のない話を続けていると、話は急に逸れるものである。

 島の出来事を思い出すにつれ、ある問答が脳裏を過った。

 

 代行者は告げた。人のみが、この地上で繁栄する権利を、主よりいただきました。

 戦士は叫んだ。人間と言う社会を形作る心持ちが人である

 婦警は連ねた。人のみが、仮初を以て未知を既知へと近付ける。

 旅人は語った。人のみが、夢を持って求めることが出来る。

 学者は断じた。下らない。正義も無ければ神も居ない。人か害虫か、それだけだ。

 (ゆき)は言った。人のみが、今ここに無いものを想うことが出来る。

 (さち)は言った。人のみが、何の利益もないもののために頑張ることが出来る。

 俺は確か、人のみが正義を変え、捜すと言った。

 

 人とは何か。異常な環境で問われたそれは、色々な人の人間性を暴くものだったように思えた。

 今俺と話している彼女は何を思うのだろうと、気になった。

 

 「サクラ、もしもの話だ」

 『物騒な話は嫌ですわ?』

 「……多分、大丈夫。もし、人間だけが成せる何か。人間だけが思える何か。『人のみが』と言えるものがあったとして。サクラ、お前は何だと思う?」

 『また難しい話ですわね……人のみが、ですか?』

 

 肯定を返す。彼女は「少々お待ち下さい」と返して、数分間黙り込んだ。時折り唸り声のようなものが聞こえるが、彼女が実際何を考えているかは分からない。

 やがて、「決まりました」と返事が来る。

 

 「なんだ?」

 『人のみがとか、そんなものはありません!』

 「……うん?」

 

 例えば、ですわ!

 困惑する俺に、彼女は自信満々にその持論を語り始めた。

 

 曰く。何を人と思えるかは、その時の状況による。

 大きなドラゴンが居たとして、人を食べる姿しか知らなかったら自分はそれを化物と思うだろう。人に焦がれて人を愛する姿を知っていれば、それを人と――同胞と思えるだろう。

 人として造られて、人として正しい機能を獲得出来なかった人造人間が居たとして、それもやはり自分からすれば人間である。

 結局は自分が判断すること、何を見て何を信じようとしたかが全てであり、その瞬間の前にはどんな前提だって脆く崩れてしまう。良くも悪くも。

 

 『ですから、私はその時の私の判断を信じます。そう思ったら、いちいち定義だのなんだのめんどくせー事は言ってられませんわ!』

 「なんというか、お前らしいな」

 

 元も子もない言い分に、何度目かの笑い声が出てくる。

 白天原サクラとはそういう人間なのである。彼女自身が抱く正義……否、良識や善性に従う太陽のような人格。考えない訳でも無いのに、最終的には今の気持ちに正直になる素直な女の子。

 

 『ええ! そうやって生きてきましたので!』

 「その真っ直ぐさは羨ましいよ、まったく」

 『あなたも愚直さでは変わりませんけれど。ささ、次のお話です!』

 

 また話を戻す。そうしてずっと飽きるまで話続けようとしたら、全然飽きは来なかったらしい。

 数時間ほど経って、水を飲むために席を外す。戻ってスマホを手に取ると、スピーカーからは規則的な寝息が聞こえて来ていた。

 

 「もうこんな時間か」

 

 盗み聞きも良くないと、耳からスマホを離す。通話を切るのはちょっと惜しくて、そのままベッドに倒れ込んだ。

 目を瞑って、もう一度想う。時系列は、あの怪物に挑もうとする直前。人智を超えているらしいモノの存在を知って、それでも戦うと決めて。

 ……自分が、死ぬのが怖いなんて感じるようになっていたことを自覚した。

 

 そういう時、脳裏に過るのはいつだって一人の女性である。

 ああ、俺が死んだらこいつは悲しむんだろうな。俺が死んだらこいつにもう会えないんだろうな。

 振り返ると、きっと俺はそんなことを考えていたのだろうと思う。

 お前のせいで、と思うべきだろうか。お前が居なければ、俺はもっと強かったのだろうか。あのシスターのように。

 けれど、もしそうだったらあの時差し伸べられた手を取っていたのだろう。そうなれば、俺はもう死んでいる。

 お前のせいで、お前のお陰で、お前が居るから、お前が居たから。

 

 枕元の装置を弄って消灯する。

 布団を被って目を瞑る直前、スマホの向こうへ一方的に呼び掛けた。

 

 「ありがとう。おやすみ、サクラ」



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幕間:星を結んだもの

クリスマスを控えたある日。
日高葵を連れてとある場所へと向かった星海シンを見送りながら、二人の人物が話し合う。


 件の場所へ向かった星海シンたちを見送りながら、紅雲レオは何をするでもなく空を見上げた。

 住宅街であるそこでも、綺麗な星々が見える。生憎その星空模様の解読は彼には出来ないものの、美しいものを美しいと思う感性自体はあったらしい。

 

 (さて、星海はどうなるか)

 

 今日の様子を見る限りでは、問題無いように見える。

 日高葵から星海シンへの感情は友好的だったし、星海シンからの感情も同様だ。

 むしろ現時点で付き合っていないのが不思議なほど――というと、もう一組居るので何とも言えない。

 ”もう一組”の安否にも思いを馳せる。あちらの希望でレオたちは一切手を貸さないようにしていたが、そろそろ連絡を取っても良いのだろうか。

 

 「岸上も問題無いとは思うが……」

 

 そんなことを呟いた後、小さく足音が聞こえる。

 不審者だろうか。一時期味わった不可解な事件により、彼の警戒心も強化されている。

 視線を向ける。そこには、小さな背の少女が立っていた。暗くて色は分かりにくいが、おそらく桃色の髪に赤い瞳をしている。名は、

 

 「虹天原マリン」

 「そだよ。ごめんね、ちょっと気になっちゃって」

 

 マリンが先を指差す。日高家が所有している庭園が見える。姿こそ見えないものの、あそこで星海シンと日高葵が向かい合っているはずだ。

 彼女も、見守りに来たのだろうか。レオはそう考えた。

 

 「君も星海の知り合いだ。構わない……という権利は無いのだが」

 「お固いことは無し、だよ。流石に見るまではしないって。もうちょっとしたら帰るよ」

 

 声を潜めて話し合う。そこからは沈黙。正確には、話せることが無くなった。戻ってきた彼らから、結果を聞くまで待ち続ける気は無い。

 レオからすれば、高校生程度の女の子一人を寒空の下放置するのも忍びなかった。

 暫くして、レオが口を開く。

 

 「今日はどうやって帰るんだ?」

 「歩きかな。駅まで」

 「それは……」

 

 歩いてくるには少し遠い。少しだけ考えて、提案が口を出た。

 

 「送って行こう。今日は冷える」

 「いいの? それじゃ、お言葉に甘えて」

 

 簡単なやり取り。マリンはレオに促されるまま、彼の車へ乗り込んだ。

 

 

 「……これは私のお姉さんの話なんだけどね?」

 

 制限速度に従って進む車の中、ぽつりと呟いた。視線は窓へ向けている。外の風景ではなく、窓に反射する虹天原マリンの影を見ている感覚。

 もちろん、レオ君は与り知らないことだ。続きを待ってくれているのか、返事は無い。

 

 「お姉さん、シン君のことが好きでさ」

 

 ぎゅ、っと胸の辺りを握る。今の私でも、意識的に切り分け無ければ、必要以上に意識してしまうらしい。

 

 「私のことじゃないんだけど、親類として? 気になってたっていうか」

 「……」

 「だから、何だろ。せめて見守ろっかなってね」

 

 レオ君は応えない。

 

 「でも、いざ追ってみると……なんて言ったら良いのかな。『ああ、あの人は葵ちゃんを選んだんだなー』って思ったって言うか。わた――お姉さんとの時間とか、乗り越えちゃったんだなーって」

 

 声が上擦る。喉が締まるような感覚がある。目頭が熱くなる。まるで、この肉体がこれ以上喋りたく無いとでも言うように。

 そもそも、この気持ちだって虹天原マリン(わたし)が勝手に思ってるだけだ。別に彼とそういう関係になる約束を交わした訳じゃないし、交わしてたとしても、その人は今の私じゃない。

 何とも複雑な状況だと思うけど、気持ちは残ったままなのだからこれくらいの乙女心は許して欲しい。

 こんなことを彼にぶつけても何にもならないことは理解している。何も解決しないし、態度によっては私の真実に勘付かれる可能性さえある。

 でも、きっと今くらいしか喋れない。

 

 「そう思うと、もの哀しい、のかな。なんて言えば良いんだろ。おどけて言うなら『私とは遊びだったの!?』って感じだけど」

 「……もし」

 

 ここまで話して、レオ君が口を開いた。

 顔を上げる。顔を上げたことで、今しがたまで自分が下を向いていたことを自覚した。

 

 「もし、あいつが君のお姉さんとの関係を早々に割り切っていたのなら、もっと早く日高さんに告白出来ていたと思う」

 

 まあ、だから、なんだ。

 

 「君の言う通りあいつは初恋を乗り越えたのかもしれないが、意外と最近までは引き摺ってたんだ。そういう意味では、君のお姉さんが残した影響は長かった」

 「それって」

 

 彼の言葉通り、星海シンという人間の片隅に常に居る虹天原マリンを想像する。

 例えば他の子からの告白を曖昧な表情で断ったりとか。

 例えば私みたいなシルエットの子を見て目で追いかけたりとか。

 なんだか、そう思うと。

 

 「私のお姉さんのせいで色々遅れちゃったってこと?」

 

 にやあ、と笑いながらそんなことを言ってみると、前方から咳払いが聞こえた。

 

 「そういうつもりで言った訳では無かったんだが、確かに、そうなってしまうな?」

 「ごめんごめん、冗談だって!」

 「そうか」

 

 即座に調子を取り戻した彼は、そう返事をすると何を言うでもなく車を進めた。私もそれからは何をするでもなく、ぼうっと星々を眺めていた。

 車内の暖房がちょうど良いのもあったのだろう。ぼうっとし続けていると、段々と、瞼が、重くなってくる――。

 

 『そっかー。シンくん引き摺ってたんだ。だったら、しょうがない。これでおあいこってことにしておいてあげる!』

 

 

 「着いたぞ」

 「んー……。あ、もう着いた?」

 

 夢は見なかったらしい。伸びをして辺りを見回すと、もう駅に着いていた。スマホを確認して時刻を確認する。元々帰る予定だった時間よりも随分早い。

 駅前の駐車場に止めているようで、私が目覚めたことを確認すると、レオ君が運転席から離れた。ちょっとの間を置いて、私の隣にあった扉が開く。

 

 「ありがと」

 「もし保護者が居ないなら、君の家まで送って行こうと思うんだが、大丈夫か?」

 「えー、レオ君遅くなっちゃうよ?」

 「君が一人で夜に歩く方が問題だ」

 「うーん……」

 

 家に居る人たちについて考える。

 ナタ君は居るか居ないか分からないが、呼べば来てくれるだろう。

 誰も呼ばない場合、一人で帰るかレオ君の言葉に甘えることになる。

 彼に見つかって困るようなことは……多分、無い。仮にあったとしても上手く隠すだろうと思うし、彼が私の情報を悪用するとも思わない。

 

 「じゃあ、お願いしよっかな」

 「ああ」

 「せっかくだし、シン君の話とか聞いてもいい?」

 「そうだな。あまり変なことは話せないが」

 

 駅のホームで電車を待ちながら、共通の知人の話をする。

 昔の私が好きだった人。今の私もそれに引っ張られて、まあ、多分好きな人のことを。

 失恋したようなものなのだから、本当は一刻も早く頭から追い出すべきなんだろうけど、折角彼の友人と話す機会が出来たのだ。

 ここまで来たら出来るところまで話し尽くして、時間を掛けつつ一気に消化するしかない! と思い立ったのである。

 

 「あいつ、昔は関西弁じゃなかったらしい」

 「知っ――。そうだったんだ。大阪の方に行ったりとかしてたの?」

 「いや、特にそういうことは聞いてないな。中学の時点で関西弁だったから、何かあったんじゃないかと思う」

 「ふぅん」

 

 「あいつが時々言う『エモい』だが、昔は『きれい』と言っていた」

 「……そっか」

 「確か高校の時くらいに言い換え始めたんだったな。今風の言い回しと当時は言っていたから……」

 「今は古い?」

 「そうかもしれない」

 

 「あいつは人の長所を見つけるのが趣味みたいなところがある。その癖自分は『何も持っていない』という感覚で居るから、よく分からない」

 「……それ、レオ君にも当て嵌まってない?」

 「いや、俺は本当に変わったところは無いからな」

 (本当に何も持ってない人が、イクソスに居る訳無いんだけどね……)

 

 他にも、学校生活について根掘り葉掘り聞いてみると、「きなこ揚げパンでテンションが上がるタイプだった」とか、「噂とか追うのが好きだ」とか、大したことから下らないことまで色々と聞くことが出来た。

 私が知らない彼が沢山居ることに思うところが無いと言えば嘘になるけど、そこは「でも最近まで私のこと引き摺ってたし?」って思うことで溜飲を下げることにした。我ながら、あんまり性格が良く無いなと思う。

 そうこうしている内に、見慣れた家が視界に入る。まだギリギリ深夜徘徊では無い時間帯だ。

 

 「ここだよ。今日はありがとね」

 「ああ。こちらこそ、あいつを気に掛けてくれてありがとう。お姉さんにもお礼を言っておいて欲しい」

 「あー……うん。それじゃあね。バイバイ」

 「また今度、機会があれば」

 

 軽く挨拶して、レオ君はその場から離れていく。手を振って彼を見送りながら、「そういえばお姉さんが居た設定だったな」なんて思い返していた。

 玄関の鍵を探しながら、思案する。結果はどうあれ、これで本格的に私と星海シンが恋人関係になる可能性はほぼ消えたと言っても良い。

 葵ちゃんに何かあったら――なんて考えたくは無いし、いわゆる愛人的ポジションになるのも有り得ない。考えとしては脳裏を過らせてしまう自分にちょっと辟易する。

 告白する前に振られたようなものだ。この前――変な空間で会った時に分かってたことではあったけど。後々、やっぱり堪えることになるのかもしれない。

 

 「失恋の治し方とか分かんないんだよねー」

 

 重い後遺症を患ったようなものだ。私の場合は『前の私』から引き継いだものなので、本当にそういう扱いかもしれない。

 これに関しては、ぐちぐち言いつつ時間と共に解決していくしか無いのだろう。

 私は目元を拭ってから、家に入って行った。

 

 「ただいま」



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探索者エピローグ(ロスト)
エピローグ:アークトゥルス(蹂躙するは我が手にて)


当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます。

・クトゥルフ神話TRPG『蹂躙するは我が手にて』(作:みやした 様)









 星の聖剣は、見事怪物――クトゥルフを破壊した。

 通常では有り得ない現象だ。退散の呪文が失敗に終わったなら、待ち受けるのは破滅の終着のみ。

 しかし、そうはならなかったらしい。反則的とも言える『例外』が存在する世界線。それがこの世界の前提だった。

 

 これは、人類を滅する災厄が消えた後のお話。

 己の魂を擦り切らせ。見事打倒を成し遂げた王様の、最期のひとときだ。

 


 

 消滅する異形を見届ける。

 あれほど遠くに、けれどハッキリと視認出来る距離に居た得体の知れない怪物は、跡形もなく消滅していった。

 遅れて、B国(リベリオン)をはじめとして前線に出ていた者たちからの連絡が入る。クトゥルフは無事、消滅したらしい。

 

 ぱきん。

 ガラスに罅が入るような音がした。それが何なのかを本能的に察知する。

 『鞘』を我が国(アスト=ガルデム)の防衛に回している以上、この剣の出力は私から捻出されることとなる。

 つまりはそういうこと。最後の最後で、私は己に残された時間をほぼ全て消費したのだ。

 

 (……まだ)

 

 だと言うのに、まだ意識は残っている。

 力が抜けて座り込みそうな足腰を、剣を支えに悠然と佇むことで誤魔化した。

 そういうことには慣れている。この聖剣を扱う力を除けば、私の力は理想の王たらんとする事一つのみ。

 

 けれど、どうしてこんなことをしようとするのだろう。

 必要が無いはずだ。すべきことを全て為したのだから、ここで崩れ落ちてしまっても問題は無い。

 理想の王は告げる。この後の未来に私が王として君臨することは無いのだから、ここで綺麗に終われば良いと。

 

 そんなことを考える間に、皆が集まる。

 かつて世界を乱した張本人である私たちが、今回は世界を救うことになろうとは。

 お互い対等な立場で、何かを為したことは無い。言うべき言葉に迷う。

 

 「ご苦労だった……というのも違うな。こういう時は、何と言えば良いのだったか」

 「お疲れ様。私はそう学んでいる。また会えて嬉しいとも」

 

 リベリオンの戦闘用アンドロイド、No.142857(イシ)がそう指摘する。

 そうですねと返した後、残る二人――C国(個人国家)のウォーメイカーと、D国(デミウルゴス連邦)のウィチェン・ウゥン・ボイジャーに視線を向けた。

 彼らは何というか――その能力や今回の件の働きは評価するものの、善人とは言い難い思考・行動をしている。

 

 「イシはともかく、あとの二人はもう少し分かりやすく善人然としていれば良いのですが」

 「君は嬉しくはないのか? 私は今喜びという感情を学んだよ」

 「嬉しくはありますが、複雑な心境と言いますか」

 「……確かに私は、世界を滅ぼそうとしたアレと同じように悪魔のように思われてるのかもしれないね」

 「私は喜んで良いものなのか、少々疑問に思っている」

 

 多くの犠牲が出た。その上で私は、『生きててよかったね。これからハッピーエンドだ』なんていう面持ちにはなれないが。

 ウォーメイカーが続ける。戦争を引き延ばした彼であるが、こういう所は不思議と真面目と言うか、誠実と言うか、律儀というか。

 

 イシの「それとこれは分けて考えるべき問題だ」という指摘を受けて、ウォーメイカーが雄叫びを上げている。

 それを私は子供のようだななんて思いながら見届けていて――。

 

 

 気付けば、見知らぬ室内に転移していた。

 

 「――っ!?」

 

 思わず身構える。手元に聖剣も両手剣も無かったことに違和感を抱きながらも、何かの脅威が差し迫っていることは察していた。

 周囲を見渡す。室内に居るイシが目に入る。

 

 「イシ、どうやら何者かに攻撃されているようです。迎撃態勢を」

 

 私の声を聞いたアンドロイドは、一瞬彼なりの迎撃態勢を取る。

 しかし直ぐに警戒態勢を解除して、こう言った。

 

 「脅威は感知出来ない」

 「そんなはずは無い。私たちはあの場所から、何者かによって転移させられた」

 「……? すまない。何を言っているのか特定出来ない。我々は国際同盟の案内を受け、君たちは食事を摂ったばかりだろう?」

 

 相も変わらず、驚くほどの小食だった。そうイシが私を評する。

 疑問符を浮かべながら、己の体調を客観視する。確かに、胃に何かが満ちているような感覚があった。

 更に注意深く周囲を観察する。ウォーメイカーと視線が交わった気がしたが、それよりも一名欠けていることに気が付いた。

 

 「ウィチェンは?」

 「国際同盟の職員と話していることまでは把握している。別の場所へ連れられたと推定出来るが、どこに居るかは判別出来ない」

 「そう、ですか……」

 

 私なりに、今置かれている状況を咀嚼する。

 考えられるパターンは大きく二つだ。

 私が幻術に掛けられているか、私がここに来るまでの過程をすっかり忘れているだけか。

 

 (……後者、でしょうね)

 

 記憶の網を引き寄せるものの、思い出せなくなったものが幾つかある。

 死刑執行当日、セイギ氏が来るまでの他愛ない会話内容だったり、それまでの牢屋の生活の7割程度だったりが、私の記憶から消失している。

 より正確には、記憶を司る部分が死んでいる。それほどまでに、私の肉体は限界を迎えているらしい。

 

 「すみません、ジョークです。これから生きるためには備えていた方が良いだろうと思いましたが、なるほど。難しいらしい」

 「危機感を煽るものは推奨し難いな」

 「……気を付けます」

 

 咄嗟に誤魔化して、ひとまず今日の間に用意された部屋に向かう。

 簡素な造りのベッドに横たわりながら、私は瞼を閉じた。

 

 「明日、体調が戻っていると良いのですが」

 

 どうして、そんなことを思うのだろう。

 瞬きするような主観で、夜が明ける。

 

 「――あ」

 

 今度は、咄嗟に体を動かすことが出来なかった。

 体の感覚が、無い。血が通っていないようかのように固まった肉体を無理矢理動かして、どうやら動けはするらしいことを認識する。

 己の首に触れても、温度を感じない。どうやら触覚も死んだらしい。

 

 「困りました」

 

 発声練習のようにそう呟く。苦労はしたものの、何とか発言は出来た。

 

 「これでは、約束を守れない」

 

 不意に口を出たのはそんな言葉。約束と聞くと……ウォーメイカーと交わしたものを思い返す。

 彼が私たちに協力してくれた条件は、私たちが生きて、その罪を償うことだ。

 約束は契約だ。破ることなんてあってはならない。だから私は罪を償わなければならないのに――。

 

 「……」

 

 体が昨日のようには動かせない。これでは前線に出て戦うことは出来ないだろう。

 脳が昨日のようには動かせない。これでは政治を支えることも出来ないだろう。

 理想の王であったアークトゥルスの機能は、きっと今日の内に停止する。

 

 そう結論付けるのに、時間は掛からなかった。

 起き上がって、用意されていたクローゼットを開ける。中には私が常に身に帯びている軍服があった。

 元々、王としての生活以外はしてこなかった身だ。いわゆる私服というものは持っていない。

 無造作に取った一つの軍服に袖を通す。いつもより時間は掛かったが、幸い今の私に仕事は無い。

 

 時計を見る。まだ夜が明けていないほどの時間帯だ。ゆっくりと、宿舎の玄関から出る。

 見張りが居るものだと思い込んでいたが、どうやらそれどころでは無いらしい。区画から脱走しようとすれば見つかるかもしれない程度で、建物から出るまでに誰かと遭うことは無かった。

 イシやウォーメイカーは気付いているかもしれないが、察しているからこそ見逃してくれたのかもしれない。

 

 風が吹いていることは何となく感じるものの、夜風特有の冷たさは感じない。

 まだ日が出ていない時間帯で、視線の先にその男が居た。

 

 「やあ、アークトゥルス」

 「……気付いていましたか、マーリン」

 「勿論。あの場所で君を見たその時から、こうなることは分かっていたとも」

 

 君、クトゥルフを視た時点で限界だっただろう?

 そんな、よく分からないことを言ってくる。確かにアレは理外の怪物だとは思うが、視ただけで死に至るモノでは無いと思うのだが。

 現に私はアレを見ても挫けなかった――ああ。『挫けない』という意志が必要な程度には、確かにあの怪物は常軌を逸していたらしい。

 

 「とにかく、頑張った君には報酬をあげなきゃいけない」

 

 何でもない調子で、マーリンが『門』を開く。

 己の精神力を捧げて作成する大魔術ですら、彼にとっては児戯のように行えるものだった。あるいは、他者にはそのように見せているだけなのかもしれない。

 

 「どこに行きたい?」

 「アスト=ガルデムへ」

 「もっと具体的な場所は?」

 「国を見て回ります。顔を隠すものを用意するように」

 「……。仰せのままに」

 

 ローブに身を包んで、『門』を潜る。

 身分を隠して視察することは何度かあったが、本当に見て回ることが目的でこういったことをしたことは無い。

 私にとっての最後の時間で、私は思うよりも贅沢出来るらしい。

 

 未だ眠る街を見守るように、焼き付けるように歩き回ること数時間。

 国はもう目覚めていて、思い思いに活動を続けている。『鞘』で防衛をしていたためか、他の場所よりは致命的な損害は負っていないらしかった。

 しかし、そうなると今度は大損害を被った国や土地から救援要請が届くはずで――。

 

 「ええ、それは次の世代に任せましょう」

 

 意図的に思考を中断する。活動を終えかけの脳機能では、最適な政略を組み上げることは出来ない。

 出来ることが無い以上、私はやりたいことを為そうとした。

 特に目的を抱かず、行けるところに行こうとした。だからだろうか。ずっと遠い記憶。もう訪れることは無いと思っていた、一軒家が目に留まる。

 

 「……」

 

 国民の情報は概ね把握している。それを差し引いたとしても、私はこの場所を知っていた。

 ウィリアムズ家、と言うべきだろうか。

 30年ほど前に家主であるダン・ウィリアムズが病死し、27年ほど前には一人娘であるエマ・ウィリアムズが転落死している。そのように、なっている。

 今この家に居るのは、ダンの妻でありエマの母であったクリス・ウィリアムズ婦人ただ一人なのだろう。

 

 大きく息を吸って、玄関をノックする。すぐに応答があった。

 

 「はい」

 

 こうやって正面からその顔を見るのは、久し振りだ。

 おおよそ60歳近い年齢の彼女は、それに相応しい外見をしている。柔和な表情は変わらず、それでも時を重ねていることは一目瞭然だった。

 

 「失礼、旅の者です。道に迷ってしまって……」

 

 予め考えていた通り、観光名所の一つである湖への行き方を彼女に尋ねる。

 彼女は嫌な顔一つ見せず、その内容を教えてくれた。話を聞きつつ家の中に視線をやると、家族三人で撮影していたと思われる写真が飾ってある。

 埃一つ被っていないそれは、彼女が今もそれを見返し、大事にしている証なのだろう。

 写真の中の彼女たちは、笑っていた。

 

 「ありがとうございました。お元気で」

 

 それを見られれば充分だった。踵を返す。

 私はアークトゥルス。第三次世界大戦を始めた理想の王。クリス・ウィリアムズとは何の関係も無い他人。

 よしんば関係があったとして、それは王と国民という最低限のものでなければならない。

 そうでなければ――私がエマ・ウィリアムズであったことが公表されてしまえば、彼女の人生は大きく歪むことになる。

 

 「旅の方」

 「はい……?」

 「あなたの行く末に、幸せがありますように」

 「――」

 

 きっと、彼女は気付いていないはずだ。

 だからこれは、彼女が旅人になら誰でも言うような言葉で。

 王でも娘でもない、誰でも無い誰かを送り出すための言葉で。

 だからこそ、彼女はその言葉を、誰にでも言えるくらいに綺麗な心を保っていたと言える。

 

 「ありがとうございます。あなたの方こそ、お元気で」

 

 繰り返し、その言葉を返す。

 どんなことがあったとしても、この人は元気に、正常な命を全うして欲しい。

 

 

 「良いのかい? アークトゥルス」

 「何が?」

 「いや、最期の一幕だろう?」

 

 ウィリアムズ家を後にしながら、マーリンがそう口にした。

 確かに、やれることは幾つかあったのだろう。

 それこそ、彼女だけになら私がエマだったことを明かしても良かったのかもしれない。

 考えて、思考を止める。明かした所で何にもならない。

 仮に私の満足の話をするのなら。答えを紡ぐ。

 

 「ええ。最期だから欲張ってしまいました」

 「ささやかだなぁ、相も変わらず」

 

 彼にはそう見えるのだろう。

 本来なら軟禁状態で命を終える私を故郷まで転移させ、国中を見回る時間を与え。私の不自然過ぎる歩みを誤魔化すように魔術を展開する魔術師が護衛についているのだ。

 性格に難はあるが、この時点で贅沢していると言って過言では無い。

 その上実の母の顔まで見れたのだから、思い残すことなんて――。

 

 「本音を言えば。もう一つ知りたかったことがあるのですが」

 

 一人の顔が思い浮かんで、そんなことを口にする。

 彼が名乗るその名前が、偽名であることは明らかだ。

 私の名前がバレているのだから、せっかくだから彼の秘密も暴きたい。

 それは叶わない願いだろう。少なくとも、アスト=ガルデムに居る間は。

 

 気付けば、その場所に立っている。

 昨夜経験した記憶の欠落だろう。今の私は湖の前に立っているのに、どうやってここに来たのか思い出せない。

 

 「マーリン。私は正常に歩いていましたか?」

 「察しが良いね。君はちゃあんと自力で歩いていたよ」

 「今日の記憶は……概ねありますね。良かった」

 

 これからどうすれば良いかは、何となく分かっている。

 マーリンに手渡された聖剣を持ったまま、この湖に身を沈める。言ってしまえば入水自殺だ。

 それでこの遺物は正常な状態へ還る。きっと鞘も返還されることだろう。その後、どうなるかは私の与り知ることでは無いが、時が来れば、再び姿を表すはずだ。

 同じく湖に入った私がどうなるか定かではないが……宗教的な観点で見るなら、行き着くべき楽園に歩を進めるのかもしれない。

 私のような大量虐殺者が、そこへ辿り着けるとは思わないが。

 

 水面に映る自分の顔は、普段よりも青白く見えた。

 それでも、私の知る光景よりは――私が開戦しなかったか、あるいはクトゥルフに蹂躙され尽くした未来よりはマトモな光景だった。

 一歩、足を動かそうとする。普段ならスムーズに行われるはずの動作は、肉体の感覚が希薄な今だからこそ、少しだけ難儀した。

 その間に差し込まれるように、声が。

 

 「やっぱりお前はいけ好かないよ」

 「おや。初めまして、と思うんだけど」

 「私は調べたからね」

 

 振り返る。予期しない人物がそこに居た。

 彼はマーリンに嫌悪感を向けながら軽口を叩き、次いで私に視線を移す。

 

 「ウォーメイカー。どうして、ここに」

 「約束を破る気なのか?」

 

 彼の瞳が私を捉える。『逃げるな』と、彼は言うのだろう。

 理解はしている。私は死なずに罪を償わなければならない。

 けれど……。

 

 「生きたいのはやまやまなのですが。クトゥルフを屠ってから、体の感覚が無くなっていっているようで」

 

 正直に伝える。

 記憶の欠落が著しいことも、脳の回転があまり良くないことも、現時点で肉体の感覚がほとんど無くなっていることも。

 追記するように、マーリンが聖剣の副作用について解説する。私の寿命ではなく地球の寿命まで利用していることは知らなかったが、それについては『覚悟の上です』と聞き流した。

 もしかしたら知っていたかもしれないが、どちらにせよ私はその情報を記憶していない。

 

 「クトゥルフか……。私の世界も、そうやって滅んだ世界だったんだ」

 「……そう、ですか」

 

 きっと普段であれば、突然何を言いだしたのかと問うていたことだろう。

 けれど先日、私は超常的な存在を複数見ている。世界を滅ぼしかねないクトゥルフに、裏で糸を引いていたらしいトリクフ・エルゲン。

 アスト=ガルデムに在る聖剣やマーリンのような例もある。ウォーメイカーにそれが無いと考える方が、この場では不自然とさえ言えた。

 

 「あの手紙は読んだかな」

 

 あの手紙。正常に思い出せた。私たちが別行動をする直前、ウォーメイカーがそれぞれに渡したものだ。

 生き残れたら読めと、そう言われたことを覚えている。なぜ、私は手紙内容を把握していないのか。

 クトゥルフを撃破した直後から『生き延びられない』と察していたかもしれないし、一度読んだものの内容を忘れているのかもしれない。

 

 「最期に読もうかと」

 

 誤魔化して、手紙を開く。

 書かれていた内容は、私たちの常識で計り知れない科学技術。

 人間以外が人間と子を為すためのバイオテクノロジーに、ナノテクノロジー。

 不毛の大地に生命を芽吹かせるための手法。

 そして、肉体・精神の寿命を擦り減らしきった人間を治し得る医療技術。

 そのどれもが、今、私たちの世界では明かされていない理論で記されていた。

 荒唐無稽な机上の空論だろうか。

 

 ――否。技術者では無い私でも、王政をする上で最低限の知識は備えている。

 既存の理論の隙間を縫うように、けれど可能であるはずの諸々がそこにはあった。

 

 「平行世界、ですか」

 

 その記述を見つける。そう言われると合点がいった。

 彼の怪しい言動も。どう考えても個人では成し得ない立ち回りも。それを凌駕するほど進んだ技術や知識があったとすれば、納得出来る。

 

 「私はね。蹂躙する世界から抜け出せなくなった、平行世界の旅人なのさ」

 

 そして世界を回れば、その世界の知識や技術が手に入る。

 彼が言わんとすることは分かった。言葉の続きを待つ。

 

 「理に反することだが、君は生き延びることが出来る」

 「それは魅力的な提案ですね」

 

 視線を逸らす。湖に映る自分の顔は青白い。このまま終わりを迎えるのが、私の天寿。

 

 「きっと、前までは迷うことも無かったはずです」

 

 沢山の人を殺した。直接的にも、間接的にも。

 灰色爆弾を相殺したり、クトゥルフを撃破したり、確かに世界に益をもたらしたこともあるのだろう。

 けれど、それだけ。何度でも思う。私は、あまりにも人を殺し過ぎた。

 

 だから天寿を全うすべきだ。

 

 「ここは私の行き着く場所。いえ、最初に見た光景よりも、もっとずっと穏やかで」

 

 最初に、その未来を視た。私がエマだった頃、剣に触れた時に知った光景。

 無数の家屋は焼け爛れ、見覚えのある場所は瓦礫に埋まり、

 友達だった人たちは原型さえも怪しくて、お母さんは泣いていた。

 

 次に、その未来を視た。私がエマを辞める頃、王様になるとどうなるか、という光景。

 無数の家屋は思い思いの営みを続け、見覚えのある場所は寂れたり栄えたりして、

 友達はそれぞれの未来に向かって、お母さんは泣いていた。

 最後に見えたのは、私が最期に行き着くはずだった場所。処刑台とされるもの。

 

 そんな未来に比べると、何と恵まれた最期だろう。

 迷うことなんて無い、悲惨な結末なんかじゃない、私はこれで良い。

 『アークトゥルス。いや、エマ・ウィリアムズ』

 『必ず生きて帰れ。そしてこれを開けてくれ。生きて、私の前にもう一度姿を現してくれ』

 

 これで良い、はず、だったのに。

 

 「あなたのせいですよ、ウォーメイカー」

 

 声が震えているのが分かった。視界が少しだけ滲む。

 彼は普段通りに悠然と佇んでいる。その表情だけが、にやりと笑ったような気がした。

 

 「それは半分正解。私の本名は、レーヴァン・L・ローカスト」

 「レーヴァン。良い名前ですね」

 

 レーヴァン。……レーヴァン。

 刻み込むようにその名前を記憶する。

 

 「あの時。民衆に声を掛けたあの時。あなたから掛けられた言葉が、脳裏を過りました」

 

 なんと言ったら良いのか。

 咄嗟に出てきた言葉だから、詰まってしまう。言うべき言葉が、出てこない。

 

 「私、は……」

 「生きたいと言えよ、泥水啜ってでも」

 

 迷う私が遮られる。滲んだ視界でも、彼が私を真っ直ぐに見据えていることが分かった。

 

 「アークトゥルスとしてではなく、エマとして!」

 

 彼の考えていることは分からない。

 ただ、事実として。

 このまま死を迎えようとしている――今まで殺してきた人々から、死を使って逃げようとしている私を許さないでいてくれることは分かった。

 かつての名を呼ばれる。私の中にある少女(エマ)が刺激される。

 

 「本当に、ズルい方だ」

 

 湖から遠ざかるように、前へ。

 一度だけ振り返ると、そこには誰も居なかった。私の手元には何も無い。

 魔術師と聖剣は私を見限ったのか、あるいは送り出してくれたのか。

 

 感覚の無いまま、前へ。

 自分の足で、自分の意志で彼の下へ進む。

 摂理に反しているという声も、もう脳内を巡ることは無い。

 

 彼の手を取ろうとして――足に力を入れられなくなって、倒れ込む。

 触れられる距離だったのが幸いした。倒れ込む前に、レーヴァンに肩を支えられる。

 

 「――」

 

 ゆっくりと姿勢を正そうとする刹那、彼との距離が近いなと認識した。

 頭がぼうっとする。そもここで命を終えようとしていたのだ。本当に、私は限界に近い。

 ここまで来て、消えてしまうのは嫌だった。存在を確かめるように、彼の背に腕を回す。

 

 「そんなことを言うからには。責任を、取ってもらいますからね」

 


 

 女は本を読んでいた。

 とても大きく、分厚い本。一ページごとに膨大な量の文字が綴られているそれを、女はゆっくりと読み上げ続ける。

 

 それはどうやら、大量の名前の羅列のようだった。

 ある戦で失われた命が、その本には無機質に記録されている。

 一冊では収まらないその情報は、彼女の傍にある本棚に収められていた。

 

 「今読み上げた方々が……」

 

 別の資料に目を通す。その戦において、どこでどんな規模の争いがあって、何人が戦死したとされるのかという情報の羅列がある。

 女は、二つの情報を紐づける。彼らは、ここで命を落としたのだろう。

 

 女は立場上、今の世界に大きく関わることが出来なかった。

 戦士としても政治家としても、彼女はその能力を持ちながら、世界を変革する権利を持たない。

 だから彼女は、その情報を望んだ。今の彼女に出来るのは、かつて起こった痕跡を知ることただ一つ。

 

 いくつかの宗教により伝えられている、安息を祈る言葉を告ぐ。

 

 「……。少し休憩を取りましょう」

 

 キッチンへ赴き、慣れた手付きでスコーンを焼く。

 淹れた紅茶は二人分。トレーに乗せて、テーブルへ運ぶ。

 互いの名前を呼び合った後、女は男の隣に座った。

 

 罪が許されることは無い。少なくとも、彼女たちの罪は許されるものではない。

 とても償いきれない罪を抱えながら、二人は穏やかな日々を送る。

 沢山の人々を殺めた罪。世界の摂理を歪めた罪。これらの罰が、いつか下る時が来るのだろうか。

 

 「私、幸せです」

 「……そうか」

 

 許されない罪を犯した。彼女たちは大罪人だ。それでも、今を生きている。

 王でも旅人でも無い。この時だけは、ただ二人の人間として。



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舞台裏(幕間)
戦闘観測:虹天原


ある世界線において観測された、ある虹天原による実践データ。
他の世界線――『プロローグ』『後日談』シリーズとは異なる前提が適用されている場合がある。


 「応、次はお主が相手になってくれるのかの。珍しいこともあるもんじゃ」

 「私にも欲しいデータはある、ということだ」

 「儂の『救済』はお主のものとは相容れんと思うがなあ」

 

 何も無い世界に、二人の人物が相対していた。

 しわがれた声の老人は、瞳をギラ付かせながら男性を睨む。男性はといえば、意に介していない様子で老人を眺めていた。

 

 「まあ、良い。強者に刀を振るえるならば、相手が誰であろうと何であろうと」

 「この私は素人ではあるがな。お前の期待に応じられればいいのだが」

 「ハ。お主に限ってそれは無い。仮に最弱のお主でも、最悪の結果を持ち運ぶのが虹天原ウーズの性質じゃろう」

 

 話している内に、世界に色が宿る。

 虚無の黒から暗闇の黒へ。大差のない色彩の変化は、それでもこの世界が尋常でないことを表していた。

 

 「何度見ても見慣れないものだ」

 「似たり寄ったりじゃろ、どこの”虹”も」

 「それもそうか。こちらの技術も研究したいものだが――まずは」

 

 男性が大きく後ろへ下がる。いつの間にか、足に伝う感触も岩肌のそれになっていた。

 

 「殺害可能ルールで良かったな?」

 「儂はそれで良いがのぉ。不殺でも良いのじゃぞ?」

 「それではお前にとって意味が無いことだろう、”虚虹流”」

 

 腕を水平に伸ばして、慣らすように拳を握り込む。男性――虹天原ウーズは、それで戦闘態勢に入ったらしい。

 それを見届けた老人――”虚虹流”は、愉しそうにその場に屈みこんだ。

 

 「では、一度殺すか」

 

 瞬間、ウーズの視界から誰も居なくなる。縮地と呼ばれる技術だろうか。

 暗い空間であることも相まって、彼は”虚虹流”の姿を捉えることが出来ない。

 

 勘に任せて、乱雑に腕を振るう。まるで鞭をしならせた勢いで振り抜かれた腕は、しかし何も為さずに空を切る。

 

 「……なるほど」

 

 ウーズの呟きは、重い肉が落ちる音によりかき消された。先ほど振り回した右腕が、肩口から切断されている。

 彼は意にも留めない様子で辺りを見回し――それが自然であるかのように、岩肌に眼球が突き刺さった。

 

 暫しの沈黙。起こったことは単純だ。

 ”虚虹流”は一度刀を振るい、ウーズの右腕を切り飛ばした。返す刀で首を切り、見回すために捻った首が落下した。それだけの話である。

 

 頭を失ったウーズの肉体は、一秒後に瞬きをした。次に、首しかない己を踏み砕く。

 これも起こったことは単純で、切断された腕と首が瞬時に再生したに過ぎない。

 

 「流石の切れ味と見るべきか。首を捻らなければ繋がっていたままだったか」

 「相も変わらず気持ち悪いのう、お主。今度は何をしでかした」

 「大したことは無い。機会があったのでな。一度自分で試し、得られたデータの理想値を反映しているだけだ」

 

 現実に追いつくには数年掛かるだろう。何でもない様子で呟くウーズに、老人は笑い声のみ返した。

 お互い考えていることは似通っている。このまま語り合っても、絶妙に話が通じない。

 

 「色々と試させて貰う。あくまで理想値で参考にはならないが、なに。ストレス発散とでも思えばいい」

 「捌け口にされるジジイの身にもなって欲しいの。まあ、良い」

 

 ウーズが両腕を構え、大砲の如き勢いで突き出した。当たれば人体を圧殺出来るであろう一撃は、すれ違いざまに細断され、地に落ちる。

 肉薄した老人は、相手が回避行動を取るよりも速く、連撃。目に見えぬ銀閃は、強固な人体を四つの肉片に分割した。

 

 中空に浮かんだ肉塊が震えるように蠢いたと思うと、それぞれの肉体から再生が始まる。その回復は一瞬だった。

 いや、これを『回復』と呼んでよいものか。回復とは傷を治すことであり、傷から新たに肉体を生やすことではない。

 ”虚虹流”の前には、四人の虹天原ウーズが立ちはだかっている。

 

 「――殺し切ってやろうぞ。と、格好付けようとしたのじゃが。本当に気持ち悪いなお主。自我とかどうなっとるんじゃ?」

 「気にしたことは無いな。宗教に依るなら、そういうものは勝手に宿るものだろう?」

 「よく言うわい……」

 

 ここまで来れば、呆れる程度の感性はあったらしい。老人は項垂れながら、それでも刀を握って眼前の人物を殺害する方法を考える。

 

 (銃器による集中砲火や、爆弾により細切れに出来れば、或いは殺し切れるじゃろう。儂に出来ることでは無いがの)

 

 下手に斬ってしまえば増殖する。刀を鞘に仕舞って、回避に専念。

 ウーズの攻撃は単調だ。二倍ほどの長さに延ばした腕をしならせた殴打を、両手を使って繰り返している。その間は動くことすら出来ないのか、動きは鈍重だ。

 ”虚虹流”ほどの実力者でなくとも、攻撃を潜り抜けて彼に攻撃を加えることは可能だろう。

 

 バラバラに繰り出され、時々互いの己を攻撃し合う虹天原ウーズ。

 連携を取れているとは言い難い、それでも四方を囲うような攻撃を悠々と躱しながら、老人は考えを巡らせた。

 

 (殺す手段はアレで良いじゃろう。見たところ、連携も取れていない。真実、独立しているということの証左でもあろうが――いやはや、相容れない価値観じゃ)

 

 伸ばされた腕の上に飛び乗り、一歩。そのまま跳ねて、ウーズの頭を蹴り飛ばした。脳を揺らされた男が一人、倒れ込む。男が意識を失いつつあることを察しながら、老人は背後からの気配を感じ取った。

 着地と共に叩きつけられた攻撃をステップして回避。”虚虹流”に当たらなかった一撃は、倒れ込んだウーズの頭を粉砕した。損傷した首から、また新たな頭が生える。

 

 「昏倒させても殺して再生すれば関係ない、と。最悪じゃなお主、自分を殺し慣れ過ぎじゃろう」

 「殺す相手に他人も自分も無いだろう? 一人分の死体が出来ることに変わりは無い」

 「何を言っとるんじゃコイツは……?」

 

 もはや理解しようとすることさえ間違いなような気がした。大きく溜息を吐いて、会話を打ち切る。

 その間にも老人は身を翻し続けている。絶えず続く四人の攻撃に、彼はある違和感を感じていた。

 

 (全員、二歩遠い。まさか、腕を伸ばせる範囲が……ふうむ。その内固結びでもしてやろうか)

 

 次第に息も合ってきている。連携の精度はまだまだ。重心の移動や力の籠め方も拙い。

 武術としては素人、という評価に変わりはないが、その肉体――超常の再生力に伸びる腕を使いこなしているらしい。

 ああ、厄介だ。普通の剣士であれば、既に数度死んでいるだろう。老人は観察を続けながら、次の一手を考え――。

 

 「おおっと!」

 

 抜刀する。

 二度振るわれた刃は、何らかの飛び道具を斬り払った。勢いを失って落ちるソレを一瞥する。

 

 切断されたそれらは、人間の指のようだった。第一関節までの小さな部位を、”虚虹流”は縦に切断していた。

 

 「指弾(バレット)、と呼ぼうか。再生力で指を飛ばす、という考え方は目から鱗だ」

 

 漫画もバカにならないな。

 何でもないように呟く二人のウーズは、両手の指を”虚虹流”へ向けていた。次に何が起こるか、誰にだって予測がつく。

 

 「ハハ、化物め」

 

 変えたのは回避方法。今まで最小限の動きで躱していた動作を辞め、洞窟中を駆け回った。

 耳で音を拾い、彼が指弾(バレット)と呼んだ攻撃が岩肌に着弾していることを把握した。着弾である。そう呼ぶに相応しい音、損傷を、ウーズの指は与えていた。

 

 これはいけない。”虚虹流”は思う。

 複数人からの同時攻撃が厄介か? 否。

 ウーズの新たな攻撃手段が脅威か? 否。

 この化物に、己が恐怖しているのか? 断じて、否。

 

 異能に順応していく肉体に、新たに獲得した攻撃手段。

 数分ごとに、虹天原ウーズは強化されていく。限りなく不滅に近い肉体を、己が力として昇華していく。

 

 「……ハハ」

 

 次は何をしてくる? ギラついた目を向けると、ウーズはこちらに人差し指を向けて来ていた。

 先端は暗黒。第一関節から先が無いそれは、再生が始まっていないらしい。

 

 再生能力が限界を迎えたはずは無い。剣士の予感に解を出すように、ウーズの手が紅く膨張した。

 

 「こりゃあ、愉しくて仕方ないわ!」

 

 瞬きの間に、血液が”虚虹流”へ殺到する。無尽とも言える再生能力を悪用した、超圧力の血液光線。

 指弾とは比較にならない火力を誇るそれは、ウーズが放出を止めるまで洞窟の壁を削り続けていた。アレが当たれば、人間であればひとたまりもあるまい。

 

 「さっきの指よりも速く、強く、けれども連射は厳しいようじゃな」

 「攻撃には優れているものの、反動が大きすぎるな。実用には堪えない。指弾の方が幾分マシか」

 

 当然のごとく回避し切った老人は、けらけらと笑うだけ。それに構うことなく、人外染みた行動に慣れ始めたウーズはぶつぶつと独り言を呟いている。

 両者目の前の戦いに集中していないかのような行動ではあるが、それでも互いに最低限の警戒は抱き続けていた。

 

 ”虚虹流”はその本能から。どれだけ軽い調子であるように見えていても、常に集中状態にある。自然体のような臨戦態勢をもって、これまで四人の化物の攻撃を捌き切っていた。

 ウーズはその観測から、剣士の一撃が致命足り得ないと予測していた。どれだけ彼がこの空間における最強だとしても、理外の再生能力を宿した己を殺し切ることは不可能であると。

 

 その認識に誤りは無い。誤算があったとすれば――”虚虹流”という人間は、気分屋であるということ一点のみ。

 

 呻き声を上げる間もなく、一人のウーズが八つ裂きになった。

 先ほどよりも細かい肉片になった彼は、けれども中空で再生を始める。新たな形を成す前に、更に両断される。

 

 「一点狙いか」

 

 そこでようやく反応出来た三人のウーズは、各々攻撃を始めた。

 一人は腕を振り回し、一人は指を飛ばし、一人は血液を撒き散らす。三者三葉の連撃は、老人の服さえ汚せない。

 

 「ふうむ。細切れにしたら再生せんの。細胞単位までいかずともよいのは僥倖じゃったわい」

 

 シュレッダーに掛けられた紙のようにバラバラにされたものを眺めながら、”虚虹流”は気配のみで次の標的を定めた。

 消え入るような歩法で、男の前に立つ。

 

 「二人目」

 

 ウーズの視界には、全く同一のタイミングで二度刀が振られているように見えていた。

 ”虚虹流”とは、虚ろを体現する虹天原の剣術である。その最大の特徴は、歩法や殺気、生命の圧力を以てして視界を誤認させる幻惑能力。

 連撃でなく同時攻撃。片方が幻覚だとしても、剣を振るう回数が増えると共に回避は困難となっていく。

 

 (最も効果的な対策は、刀の外からの攻撃。または、来る二撃を両方とも受け止めること)

 

 前者はもう間に合わない。実行するならば後者だ、とウーズは考えた。

 腕を×字に組み、自身の内にある再生力を総動員。刀による連撃を少しでも長く耐えようと試みた。

 

 当然のように寸断される。熱したナイフでバターを切るような勢いで、防御を固めた二人目の虹天原ウーズは分解されていった。再生出来なくなるまで細断されるまでに、五秒も掛からない。

 

 そして。残った虹天原ウーズが己を切断し、独立再生を果たすまでの時間も同様だった。

 

 「愉しいには愉しいが、やはり骨が折れるのお」

 

 先ほどウーズが獲得した血液のカッターで己を切断すれば、当然のようにそれぞれが再生する。

 それを繰り返して、現在虹天原ウーズは六名にまで増えていた。”虚虹流”が乾いた笑いを浮かべる内に、もう二人増えて八名になる。

 

 「さあて、ではどちらがより速く殺し、増えるかの勝負となるか」

 

 老人が奔る。今までの肉薄があくまで「歩行」でしかなかったとでも言うように、誰の目にも留まらない程に速く。

 瞬きの間に、四人が分解された。再生の余地を残す斬撃であれば、そのように人を殺せる。それを知覚した者共の視界に、血を撒き散らしながら再生する肉片を投擲した。

 

 「目くらましか。無駄だ、再生に尽力すれば事足りる」

 

 残ったウーズは自身の指を噛み千切り、血液光線の準備を始めた。

 何の躊躇いもない自傷行為は一瞬だ。少なくとも、そこから発揮される威力を思えば。

 これを乱雑にばら撒けば、他のウーズたちはただでは済まない。その肉体は切断され、それぞれ再生し、”虚虹流”が斃すべき人数がネズミ算式に増えていく。

 

 目くらましの間に、数人のウーズを全て殺し切る。その作戦は瓦解したと言って良いだろう。

 ”虚虹流”の戦術が、そうであればの話なら。

 

 ウーズたちが次に感じたのは、大きな音だった。何かが切断され、擦り合いながらずり落ちていく大きな大きな音。

 己を害そうとしていた彼らは、その圧力に耐えるため踏ん張り続ける必要がある彼らは、その音源を直ぐに迎撃出来ない。

 目くらましに加え、元々しようとしていた攻撃の中断。数秒の時間を棒に振ったウーズは、眼前に広がる光景を直視した。

 

 「無茶苦茶だな、”虚虹流”。まさか」

 

 まさか、天井を切り裂いて崩落を起こすなど。

 どのような速度、どのような力、どのような技巧を以てすれば、それが為せるというのか。

 彼が手配したこの特殊な空間に、そういったことが出来る裏技を仕掛けられたと言われた方が納得出来る光景。この場に居る全ての虹天原ウーズを巻き込む軌道で、岩の山が降り注いでいる。

 

 「迎げ――」

 「させんよ」

 

 指を構え直したウーズたちの傍を、風が吹き抜けた。彼らの肉体は崩れ落ち、地に落ちる。

 落下途中で再生は始まっているものの、この崩落には間に合わない。

 

 「殺害可能ルールとは言ったが、殺害で決着するルールではあるまいよ。お主の負けじゃ、虹天原ウーズ」

 

 崩落の影響外まで走り抜けた”虚虹流”の剣士は、地形による圧殺を見届けながらそう呟いた。

 

 

 ――――――――――――

 

 

 「もう少し粘れると思ったのだが」

 『平原じゃと危なかったのお』

 

 ”虚虹流”により圧殺されたはずの虹天原ウーズは、何でもない様子で呟いていた。

 脇にあるモニター―そこに備え付けられているスピーカーから、老人の声が聞こえる。画面には小難しい文字列やグラフが表示されているのみで、老人の表情は見えない。

 

 状況を整理しよう。

 今まで彼らが戦っていた空間は、『楽園創造』を掲げる虹天原により提供された、一種の仮想世界だ。

 彼らはその世界で戦いを繰り広げ、その電脳世界上での死が現実での死に直結する状態で戦闘を繰り広げていた。

 結果、虹天原ウーズは再生を阻害され続けてギブアップ。勝負は”虚虹流”の勝利に終わったのだ。

 

 『ところで、お主の再生能力。実際はどんな程度なんじゃ?』

 「ああ、そのことか」

 

 また、その世界に持ち込める能力は、あくまで現実で発揮出来るものに限られる。

 あの世界で発揮していた能力を、ウーズは『理想値』と評していた。方法も動機も”虚虹流”にとって興味は無いが、世間話として実態はどうであるかを聞く程度の興味はあったらしい。

 

 聞くと、ウーズは部屋を歩き回り、ふと目に付いた裁断機の上に腕を置いた。

 程なくして、刃が降りる。鈍い音と共に、手首から先が分離した。

 

 「まず、手元の自動裁断機で簡単に手首が落とせた。通常の人間よりは丈夫でも、あの空間ほどの強度は無い」

 『そういえばちと硬かった気がするのお。……うん? まさかお主今腕を切り落としたのか?』

 「”虚虹流”の刀捌きの前では何も無いも同然だったようだがな」

 

 本来であれば、あの状態の虹天原ウーズを一人討伐することさえ非情に困難である。通常の人間より幾らか硬い肉体に、人間の範疇の外にある回復能力。

 しかし、それもあの空間では盛られていたらしい。ウーズの所感では、あの空間の自分ではこの裁断機で骨は切れないだろうとのこと。

 

 そういったことを説明している内に、徐々に手首が再生する。

 一分ほどの時間を掛けて手首が完全に生えたものの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「再生はかなり遅い。そして、独立再生と言えばいいのか。切られた部位がそれぞれ再生する現象も起こらないな」

 『なるほど、本来なら首を切ったあの時点で終わっていた訳か』

 「そういうことになる」

 

 脳か心臓、はたまた体積の大小か。

 どこに重きを置いているかまでは分からないものの、あの常軌を逸していた再生能力もアレほどでは無かった。

 

 「ちなみに、この私は腕も伸ばせないし指弾も放てない。一度経験したから肉体が覚えているかと期待もしたが、そもそも出力が足りないのかもしれない」

 『なるほどのお。ところでお主』

 

 ツッコミを放棄した老人。

 彼が研究のために躊躇いなく他人も自分も傷付ける人格であることは先の一幕だけでも実感したし、噂話の範疇ならば以前からも聞き及んでいた。

 

 『お主、今「どの」虹天原ウーズなんじゃ?』

 「……ふむ。それについては私も考えていた」

 

 『楽園創造』の虹天原の技術。それがどのような理論の上で成り立っているかは分からないものの、あの世界において虹天原ウーズは十人以上存在していた。決着の瞬間に限っても、四人程度は崩落の瞬間まで意識を保っていたはずだ。

 字面に起こすと意味不明ではあるが、それは事実である。そして、今ここで目覚めた虹天原ウーズは一人。もちろん彼に戦いの記憶がある以上、最初に首を切られるまでの虹天原ウーズであるはずは無い。

 

 「複数視点の記憶が入り混じっている感覚は無いから、おそらく『私のうちの一人』では無いかと推測は立てられる」

 「だがあの戦いの中で誰がどのように再生した私であるかの記憶までは出来ていないというのが本音だ。残念ではあるが、感覚の話となると把握が難しい」

 

 このようなことをぶつぶつと呟いたあと、彼は次のように結論付けた。

 

 「どちらにせよ、私は私だ。何も問題あるまい」

 『そういうことを「問題ない」と評するお主が、心の底から気持ち悪く見えるの儂には』

 「心か。確かに大事な要素だ。『己を唯一の人と定め、己が悟りに至ることを人類救済とする』お前にとっては、外せないものだろう」

 

 ハハ。老人は笑って受け流した。

 

 「今回は得難い経験になった。いざ受けてみると違うな。可能なら、本体にもこの記録を共有したいものだ」

 『やっておらんのか? 普段はやっておるじゃろお主』

 「この肉体は■■■■■■の薬剤を使っていてな。仮にも虹天原の遺物である以上問題は無いと思うが、念のため独立させてある」

 『そうかそうか。うっかり死なんよう気を付けることじゃの』

 「ああ。礼を言おう、”虚虹流”」 

 

 それだけ言って、虹天原ウーズはこの場を離れて行った。

 誰の目にも留まっていない基地を離れながら、思う。

 

 (あの斬撃)

 

 ”虚虹流”は、言ってしまえば幻惑(フェイント)に特化した剣術と言っていい。

 人から逸脱した移動速度も、鮮やか過ぎる斬撃も、自在な殺気も、受け手に『全く同時に二つの斬撃を浴びせられる』という幻覚を見せるための技術に他ならない。

 ……他ならない、はずだった。

 

 思い出すのは、最終局面で度々浴びた斬撃。あまりに速く斬られたものだから、そう錯覚しただけなのかもしれない。

 しかし、少なくとも虹天原ウーズはこのように直感した。

 

 (幻惑の斬撃も、質量を持っていた。全く同時に、肉体を二回切断されていた)

 

 虚ろとは存在しないものであり、虹も同じく見えていても触れられない虚像のようなものである。

 その二つの名を掛け合わせられた”虚虹流”の真髄は――――。

 

 「言葉遊びが過ぎるか」

 

 どちらにせよ、その憶測に意味は無い。

 虹天原ウーズではどうやってもあの領域の剣術を再現することは出来ないし、”虚虹流”は現実世界で剣を振るうことは出来ない。信念とは別に、もう肉体が限界を迎えている。

 あれは精神世界でのみ生き、夢の世界でのみ在る最強剣士。特殊な空間だからこそ、そういったモノに至れたというだけの話なのかもしれない。

 

 脳内から憶測を放棄する。対峙した彼の気配と、あくまで収集するつもりだった剣術の情報だけ念入りに記憶して、虹天原ウーズは自らの拠点に帰って行った。



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IF(成立しない/しなかったお話)
IF:エピローグ・虹天原マリン(沼男は誰だ?)


当エピソードには、以下のシナリオのネタバレまたは展開の仄めかしが含まれています。
未通過の(特に、今後プレイ予定がある)方におかれましては、閲覧をお控え下さいますようお願い申し上げます。

・クトゥルフ神話TRPG『沼男は誰だ?』(ma34様原作・むつー様改変)





なお、当エピソードは以下の条件を満たすことにより発生する可能性がありました。

・『沼男は誰だ?』中のあるタイミングで、虹天原マリンのSAN値が0になる。


 錯乱した虹天原マリンが眠りに落ちるまでに、十数分の時間を要した。

 尋常では無い彼女の様子に一同騒然としたものの、結論としては様子見の一手を取ることとなった。

 

 何故ならば、今の虹天原マリンには鐘有馬久留により刻まれた紋章が残っている。

 どこからあのおぞましい怪物が襲ってくるか分からない以上、鐘有藍美から離れる選択肢はもとより存在しない。

 かと言って、藍美が付き添って精神病院に入院させる手もまた無かった。彼女の目的は、少しでも早く馬久留と再会すること。この調査から離れる選択肢を取ることも出来ない。

 

 状況の異常性にあてられたのか、或いは大ごとだと捉え切れていないのか。

 同行者である一入ノア、上乃創真、八代幸の三名も、ひとまず今夜は各々の戻るべき場所へ戻ることとなった。

 願わくば、一度眠ったことにより彼女が快復するようにと。

 

 そうして、今。藍美は人気のない暗闇を、マリンを背負って歩いていた。

 背中に圧し掛かる体重は、人間のものの中では軽い部類だ。スワンプマン――理外の膂力を振るうことが出来る藍美からすれば、負担らしい負担は感じない。にも拘わらず、藍美の表情は暗かった。

 原因はいくつかある。己が告げた真実により、少女の精神に大きな負担を与えてしまったこと。自身の目的である馬久留の行方が依然掴めないこと。自身について考えれば考えるほど、不明瞭で不確かな記憶の輪郭。彼女の不安を燻るものは無数に存在するが、目下のところ一番大きな悪い予感は、背負い込んだ少女の熱にあった。

 

 (何も、無い)

 

 違和感は無い。虹天原マリンの肉体は人間のそれで、熱に魘されていたり、逆に熱を喪っていったりするような気配は無い。

 それを背負う自身にも違和感は無い。そう、何も感じない。

 

 鐘有藍美は――スワンプマンは、ある条件を満たすことにより、人間を捕食する習性を持っている。

 今の彼女たちは知りえない事実だが、スワンプマンたちには『母体』とも言うべきものが存在し、ソレが全スワンプマンに捕食命令を送っているのだ。

 条件は、『二人きりで、人間とスワンプマンに触れる』こと。

 しかし鐘有藍美は、その性質に逆らうことが出来た。無自覚に人を殺すスワンプマンたちの中で、彼女が唯一その性質に抗って、人と同じように生を続けることが出来る。

 

 それは却って、一つの事実を示していた。

 逆らうことが出来るだけで、命令を受信している事実は変わらないということを。

 

 (何も感じない。何度か感じたことのある、あの感覚を感じない)

 

 この感覚が不具合で無いのであれば。都合よく、藍美が感じる衝動(しんごう)が停止したという訳で無いのであれば。

 この事実は、ある一つの真実を浮かび上がらせる。それは昨晩、虹天原マリン自ら話したことでもあった。

 

 『私、人造人間ってヤツなんだ』

 

 つまり、虹天原マリンは人間では無いから、スワンプマンとしての捕食本能が刺激されない。虹天原マリンは(少なくとも藍美が認識している人物の中で)唯一、スワンプマンに捕食されない準・人間であると言える。

 それを幸運だとは、藍美は考えていなかった。この事実は、『本物でありたい存在』にとっては致命の一点。自分自身を『甦った鐘有藍美』だと思い込んでいたい彼女にとって、その気持ちは痛いほど理解出来る。

 

 『私たちにとって、あなたが鐘有藍美だよ?』

 

 鐘有藍美にとっての一番の望みでないと知りながら、それでも言ってくれた彼女に、自分は何が出来るだろう。

 そんなことを考えていた時。もぞ、と。眠っていた少女が身動ぎした。

 

 「……あ」

 「マリンさん、大丈夫ですか?」

 「あ、あ……み、さん?」

 「はいっ、鐘有藍美です」

 

 なるべく平然のまま返事をする。自身の髪の上に彼女の頭が乗っている関係で、首は動かせない。

 彼女の様子は見えないものの、マリンの身動ぎが段々大きくなっていっていることを藍美は感じていた。

 

 「あの、マリンさん?」

 「ぁ、ああ、わたし、」

 

 段々と、際限なく。

 

 「そんなに暴れると危な――」

 「やだ、嫌だやだやだやだ! あああぁああ!!」

 

 突然、マリンが藍美の背中の上で暴れ始めた。体を大きく揺らし、手足をバタバタと動かしたかと思えば頭を何度も振って藍美に打ち付けている。

 何かから逃げるような、拘束を振り払うような動作は、誰の目から見ても正気でないことは明らかだった。

 だから藍美は力を込めてマリンの動きを止めようとする。それを認識した彼女は更に強く反発。非力であるマリンを拘束すること自体は難しくなかったが、尋常でない様子のマリンの姿が藍美に焦りを募らせる。

 

 その時、マリンが一際大きく身体を傾かせた。

 焦った藍美は、一度マリンを解放してから再度捉えようと試みる。拘束を緩めると、マリンは藍美を蹴り、その勢いで地面に転がり込む。その勢いで立ち上がって、どこかへ向けて走り始めた。

 

 「マリンさん!」

 

 藍美も追いかける。しかし、この夜も深まった時間帯で少女一人を探すことは困難だった。暫く追い掛けるものの、姿を見失ってしまう。

 

 「……マリン、さん」

 

 立ち止まった鐘有藍美は、肩で呼吸をしながらこれからのことを考えていた。

 頼れる人たちはそれぞれの宿舎や家に帰っている。連絡手段は持ち合わせていないし、仮にスマートフォンを持っていても”今”の鐘有藍美では使いこなせない。

 土地勘も無く、ここには頼れる人どころか人の姿さえ見当たらない。

 

 「待っていて下さい」

 

 自分でどうにかするしかない。

 そう結論付けて、鐘有藍美は再度走り出した。

 

 ――――――――――――

 

 視点は虹天原マリンへ移り変わる。

 鐘有藍美から逃げ出すことに成功した彼女は、一心不乱に走り続けていた。

 

 「ハア、はぁ、は……」

 

 おかしくなりそうな精神を保護するために採った無意識の行動。そうしなければ一秒たりとも正気を保てなくなる程度には、あの真実は虹天原マリンという存在に堪えたらしい。

 やがて足を縺れさせて、減速を許さないまま転倒する。擦りむいて血を流している四肢を意に介さず、マリンはこれまで走った反動を受けるように咳き込み続けた。

 

 「ゲホっ、ゲホ……おぇ」

 

 咳が嗚咽になり、先ほど食べていた夕飯をある程度吐き出してしまった頃。また恐怖心が襲ってくる。

 

 人間として造られた私は人間になんてなれなくてそもそも虹天原マリンという存在は何年も昔に死んでいたことからここに居る私は私として存在を許されない何者でもない私は生きている価値も意味も元々なくて唯一あった『人として生きる』というお父さんから託された目的さえも果たせないまま不完全なガラクタみたいに私私私私――。

 

 「お、お父さん……」

 

 脳がズキズキと痛む。少しでも口を開けば意味不明の文字列しか呟けない今、次に吐けた意味のある単語がそれだった。

 縋るような思いで、父へ連絡を入れる。数コールの後、応答があった。

 

 「マリンか」

 「お父さん! 私は20XX年2月13日に虹天原マリンの人造人間で人として生きてお父さんたちに人間であることを証明するために生きて来てもそれはこんなスワンプマンによって否定されてあなたの研究は失敗のまま」

 「……そうか。マリン」

 

 父――虹天原ウーズは声色を変えない。

 常軌を逸した娘の言動を聞いても、ただそういう結果が出ただけだと受け入れていた。

 彼の冷たい声を聞いても、虹天原マリンに変化は無い。既に変化を終えた彼女はまくし立てるように言葉を紡いで。

 

 「次のマリンを目覚めさせる。お前はもう用済みだ」

 「う、ん?」

 

 ただ、冷たいままの宣告だけは認識出来てしまったらしい。

 

 「お父、さん?」

 「精神崩壊を確認した。今こうして話せるのも一時的なものだろう。何人も見てきた、今回も失敗だ」

 「ま、待ってよ」

 

 一時的に回復したのか、あまりの衝撃に狂うことさえ忘れてしまったのか。

 創造者たる父の言葉に、被造物は動揺しか返せない。

 

 「回収に向かわせる。一つテストもしておくか。動くな――と言っても、今のお前は聞かないだろう。好きにしろ」

 「待って! お願いお父さん! 私を、私を助け――」

 

 そうして、一方的に通話は切られた。折り返しても、応答は無い。

 何度も何度も連絡を続けて――機械的なアナウンスに、携帯端末の電源が切られていることを伝えられた。

 

 「……あはは」

 

 力が抜けて、携帯が手から零れ落ちる。地面に落下した画面がひび割れたが、それを気に掛ける余裕は無かった。

 

 「あはは、はははは……。わたし、なんにもなくなっちゃった」

 

 よろよろと、歩き出す。空を見上げると、綺麗な星空が視界に入った。それが綺麗で、”きれい”で。

 周囲を見渡して、屋上に登れそうな建物を捜す。あの星の海に近付けば、少しだけ安心出来そうな気がしたから。

 どんなに歩みは遅くとも、この程度の距離なら十数分ほどで辿り着いた。廃墟だろうか。目に付いた高さのある建物に侵入し、幽霊のように揺らめきながら歩を進める。

 カツン、カツンと靴音を響かせながらも、それを聞き届ける人は居なかった。障害は無く屋上に辿り着いた彼女は、それでも前へ。

 

 「ああ、きれい。あったんだ、こんなところに」

 

 一歩、一歩。少しでもよく見える位置に、1mmでも高い位置に。

 そう考えていた少女は、当然のように落下防止用の柵に足を掛けた。

 建物の最も高い位置に上った彼女は、つま先で立って腕を伸ばし――。

 

 ――――――――――――

 

 「はあ、はあっ」

 

 鐘有藍美は走っていた。どこへ走っているかも分からないまま、がむしゃらに歩みだけは止めはしない。

 しかし、その歩みも止まる。近くで、何かが破裂するような大きな音が聞こえたためだ。

 

 「今の音は……」

 

 マリンさんでは無い。

 そう思い込む。虹天原マリンという小柄な少女が今の音を出せたとしたら、それは……。

 脳裏に浮かんだ光景を振り払いながら、『少しでも手がかりが欲しいだけ』と音の出所へ向かう。

 

 そこには、血の池事件を彷彿とさせるような血だまりが拡がっていた。中心に、見覚えのある少女が倒れている。

 

 「マリン、さん?」

 

 ゆっくりと近付く。赤い液体が染みこんだピンクのポニーテールに、光を失っている赤い瞳。

 見間違うことなく、虹天原マリンだったモノだった。堪らず、その場に膝をつく。パシャりと音をたてて、藍美の服が赤く染められた。

 

 マリンに触れる。呼吸は無い、心臓は止まっている。それでも、肉体には熱が残っていた。

 

 「……まだ、間に合います」

 

 藍美が、右腕を変質させる。地球外生命体・スワンプマンとしての能力。

 これを使うことにより、怪物の如き膂力と、捕食能力を発揮出来る。スワンプマンの捕食は『捕食した人間のスワンプマンを作り出す』という機能もあることから、この能力によって疑似的に虹天原マリンを甦らせることが可能なはずだ。

 それを、本物の虹天原マリンと呼べるかについては別の話となってしまうが。

 

 「大丈夫。大丈夫、ですから」

 

 呟いてから、異形と化した右腕をマリンに触れさせる。そうして、出来うる限り全力で、その肉塊を蠢かせた。

 こうして、鐘有藍美は虹天原マリンを捕食したのだ。マリンの姿が、一瞬にしてこの世界から消え去り、藍美はの体内で瞬く間に消化される。

 このプロセスを得て、新たな――虹天原マリンのスワンプマンが生成されるのだ。

 

 

 

 

 

 

 捕食が終わった後、そこには何も現れなかった。

 

 「え」

 

 血だまりは残ったまま、鐘有藍美だけがその場に膝をついて座り込んでいる。異形と化した腕は元に戻しており、本来であればスワンプマンとして再誕した虹天原マリンがその場で眠っているはずである。

 しかし、無い。元々あった遺体も、スワンプマンの肉体も存在し得ない。

 

 「どうして」

 

 理解出来ない物言いをしつつも、心の中で察しは付いていた。

 藍美がマリンに触れている間、捕食衝動が発生しなかった。スワンプマンにとって虹天原マリンは捕食対象外であり、翻って再生産の対象でも無いのだろう。

 意識的に捕食することまでは可能でも、そこから生み直すことは出来なかった。『人間』を再構成するスワンプマンの機能では、人間でないマリンを再現できない。それだけの話である。

 

 「そんな、マリンさん!」

 「どうしたの? お姉さん」

 

 慟哭した藍美の後方。十数メートルほど離れた距離に、その少女は立っていた。

 ピンクのポニーテールに、奥に星を宿した赤い瞳。紛れもなく、虹天原マリンその人である。

 

 「え、マリン、さん?」

 「何で私の名前知ってるんだろう。まあいっか。そう、私は虹天原マリン! お父さんに言われて『回収』に来たんだけど、それってあなたのことかな?」

 「回収、ですか?」

 

 会話の中で、違和感を感じる。

 まず一つ、藍美との距離が遠すぎる。スワンプマンによって捕食・再生産された場合、捕食したスワンプマンの傍に発生するはずだ。

 二つ、『お父さんの指示』という聞き慣れない単語を使っていること。この数日で、マリンはそのようなことを一度も言っていない。

 三つ、この虹天原マリンは、自分を「藍美さん」と呼んでいない。

 

 そうして、四つ目。極めつけに、この虹天原マリンは、スワンプマンでは無い。

 鐘有藍美には理解出来る。視線の先に居て、徐々に歩んできている少女は、間違いなくスワンプマン以外の何かであった。

 虹天原マリンが真実人造人間だったと言うのであれば、それも人造人間なのだろう。あの虹天原マリンと同じ工程で造られた、鐘有藍美の知る虹天原マリンとは言い難い何か。

 

 動揺により精神が揺れている藍美は、我慢出来ずにこう問いかけた。

 

 「あなたは、どなたなんですか……?」

 「おっかしいの。さっきお姉さんが言ってたじゃん。虹天原マリンだよ?」

 「では! では、あなたは……」

 

 『私たちにとって、あなたが鐘有藍美だよ?』

 言ってくれた言葉を思い出す。探している途中にも思い出した、今の藍美にとって鐘有馬久留の次に大切な友人の一人がくれた宝物。

 

 「あなたは、私のことを覚えていますか?」

 

 鐘有藍美と虹天原マリンは良く似ている。

 大切な人に造られた被造物であり、自分がニセモノであると自覚してしまった仲間同士。

 そんなマリンだからこそ藍美に共感出来たし、寄り添えた。

 

 「誰? 会ったこと無いよ、お姉さんとは」

 

 鐘有藍美と虹天原マリンは良く似ている。

 共感出来る人格であり、寄り添うことが出来る思考があり、自分のように想える相手でもある。

 自分のように想える相手、扱える相手。『粗悪なニセモノ』が存在することが、許せない相手。

 

 夜の空気と、月明かりを背景にした妖しい瞳。

 今の自分とはまた異質で異端な存在。そんなものを目にして、少しの間正気を失ってしまったのもあったのだろう。

 

 気が付けば、肉塊と化した腕を、虹天原マリンを名乗る少女へ振り下ろしていた。

 ただの一撃で、少女の胴体が潰れる。喉から空気が漏れる音がする。

 

 「あなたは違う」

 

 大きな悲鳴を上げる暇すらない。地面に叩き潰された少女は、全身から血を吐き出している。

 さながら、先ほど墜落死した虹天原マリンの再現だ。徐々に広がっていく血の海は、まだ少女が生きていることを示している。

 

 「いた、い」

 「あなたは違う」

 

 乱雑に振り下ろした一撃は、小さな頭蓋を粉砕した。そうなれば、人間は確実に絶命する。人を象られた少女も例外では無い。

 肉体に残された反射だろうか。まだ胴体に繋がっている手や足が、ぴくぴくと痙攣している。まだ、それは生物である。

 

 「……」

 「あなたは違う」

 

 ぐちゃり。

 何度も、何度も腕を打ち付ける。まだ身体は生きている、まだ人型を保っている、まだ痕跡が残っている。

 目の前に映るものを今にでも排除したい。強迫観念にも似た衝動――人によっては狂気と呼ばれるものに突き動かされた鐘有藍美は、最後に腕を蠢かせた。

 現場には、何も残らない。仮にあの少女が『人間』だったとしても、あれほどまでに損傷してしまえばどうしようも無い。

 

 「あなたは、虹天原マリンじゃない」

 

 焦点の合わない目は、今見た現実を直視しないように。

 あれは虹天原マリンでは無い。あれは……アレは、私の知る何かでは無い。だから殺してなんかいない。

 

 震えながら呟いて、鐘有藍美はその場を後にした。言葉と同じように足を震わせ、一歩。もう一歩。

 帰り道より軽くなった身体を重そうにふらつかせて、ゆらゆらと、ゆらゆらと。

 

 現場には、二つの血の池が遺されている。

 被害者不在の飛び降り自殺は、おそらく血の池事件と類似したものとして捜査されるのだろう。

 ここで二人の虹天原マリンが命を落としたことは、誰も知らない。



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