我々は皆、怪物である (西城文岳)
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序章 絡めとる魔手
第1話 ヒューマントラップ


 コンクリートで出来た一室。

 部屋の中心にある机に向き合って座る二人。

 スーツを着た初老の男性から放たれる威圧感に押しつぶされそうなパーカーにジーンズの少年。

 厳つい顔つきの根本で結ばれた白い顎髭をした老人は自分よりも背の高いオールバックで指輪やネックレスで身を包んだ不良少年を真剣な眼差しで見つめている。

 窓は夕日に染まり机に置かれた小さなライトが暗い部屋の唯一の光源だった。

 

「君は一体ナニを見たんだ?」

 

 少年はただ老人の問いかけに縮こまって細々と喋り出す。

 

「俺は……最初誰かが溺れてるんだと思ったんです。川の藪の中に誰かが浮かんでいて……」

 

「それで君はどうした」

 

「急いで仲間と助けに行ったんですけど……その…その人はうつぶせで浮かんでいて俺はもう駄目だと思って警察に電話をしたんです」

 

「だが警官がそこに着いた時そこには君しか居なかった」

 

「そ、その間に仲間は……」

 

 少年は声を震わせて何とか次の言葉を絞り出そうとする。

 歯を食いしばりその拳を強く握られている。

 

「みんな既に……」

 

 

 

 当日昼頃

 

「おい?どうしたんだよ。みんな?」

 

 警察に通報を終えた青年、(やなぎ)風斗(ふうと)は川岸の藪を覗いている砂利の上に立つ友人達に違和感を覚えた。彼らは藪を覗いてから立ち止まり一言も発しない。

 余程、仏の状態が酷かったのかと野次馬根性満載の好奇心で近づこうとした時だった。

 

 仲間たちは足元から崩れた。

 

 倒れたのではない、人の形が砂であったかのように崩れ去ったのだ。

 

「へ?」

 

 彼の目の前の砂の山の中に服やアクセサリーが覗いている。そこに例外は無く友人達人数分。目の前にある砂山の内一番奥のものは今も川に流され小さくなっていく。

 

「え?あ、う?

 

 

 うわああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 彼は一体何を見たか自分でもわからなかった。わかるはずがない。

 

 瞬く間に知り合いが消え、そこにはただ、お前の知り合いだったものが人としてではなく、乾いた砂になった恐怖、少し早く自分もそこにいたと思ったとき自分も同じ終幕を迎えていた恐怖。

 

 尻餅をつきその場から動けず無様なチンピラを見た警察はヤクでもキメているのだろうとまともに取り合わない。

 

 そうだろう。そうだろう。お前はただのヤク中としてここに運ばれたのだから。

 

 

 

「そうか……」

 

 取調室の老人は彼の話しを聞き終えるとそう一言だけ呟いた。

 

「本当なんです!俺は薬なんかやってない!!みんな、みんな突然あんな姿に……!!!」

 

「そりゃそうだな。検査でも反応はなくお前は正気だとわかったし今その砂の成分分析の資料もあるしその内容は人間の皮膚が乾燥したモノだって書いてある。」

 

「……!!」

 

 奥歯を嚙みしめていた彼は、はっと顔を上げ目の前の刑事を見る。

 

「だが一番気になっていることがある」

 

 

 

「お前が見たという仏は何処にもない」

 

「え……?」

 

「だから柳さん、お前が見たと言う土左衛門、水死体が何処にもないんだよ」

 

 柳の顔は怒りから困惑に変わり椅子から立ち上がる。

 

「どういうことなんですか!確かに見たんです!」

 

「どうもこうもねぇ。ただこれだけは言える。お前はもうあの川に近づくな」

 

 刑事は表情を変えることなく顔を柳から逸らし、ただ淡々と告げた。

 



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第2話 逃れられない

 

 その後、柳風斗は自宅であるアパートに帰された。ただどうすればいいのかわからない。

 

 一瞬にして友人を失いそれどころか未知の恐怖が全身を駆け巡る。

 何故、友人達はあんな最期を迎えたのか。

 何が友人達をあの姿に変えたのか。

 何もわからない。あの刑事は何も教えてくれなかった。

 

 ただ今まで感じたことのない死の恐怖に恐れ慄いた。

 バイトも大学にも行く気になれず外を出るだけでも恐ろしかった。

 

 ただ楽しかった思い出達は砂となり川に流された。

 馬鹿みたいに遊んでいた日々はもう来ず、危惧せず踏み入れてしまった悪夢はいつ襲ってくるかわからなかった。

 

 来る日も来る日も彼は家に籠り続けた。酒を飲み食糧が無くなるまで。そうして三日で食べれる物が無くなりかけ自分の今後に不安を感じた。

 

 このまま餓死するか未知が潜む外に出るか。

 

 このままであれば死ぬことは避けられない。だが外にはまたあのような死が潜んでいる。彼は大層それが恐ろしかったのだろう。避けられぬ死を目前に自宅最後のビールを飲みなるべく頭を蕩かし外に出る。夜であったことが余計に恐怖を掻き立てる。

 

 傍から見れば彼はまともな人間ではないのだろう。

 

 酒の匂いを漂わせて目は虚ろ、少しの音に過剰に反応する様はどう見ても異常者のそれだった。

 

 夜、それも人通りの少ない地方に住んでいるからこそ目的地のコンビニまで誰とも出会わなかったのが幸いだろう。

 

 長く持つように。彼は荒れ果てた心の中、コンビニで目的の食糧を確保する。なるべく多くなるべく長く持つよう。コンビニに1万円分の食べ物を買った酒臭い異常者に店員は怪訝な顔をしたが。両手に買い物袋を下げた足取りの覚束ない男はゆっくりと帰路につく。

 

 一歩、一歩。

 

 一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩一歩

 

 帰れない。

 

 

 男は焦燥していた。いつもの大したことがない市街地を徒歩五分程の短いコンビニとアパートまでの距離。

すぐ行けてすぐ帰れる。そのはずだ。そのはずだから男は外に出たのだ。ビール一缶のアルコールが抜けてきてより男はより恐怖を感じてきた。

 帰れない。コンビニまで五分、だがコンビニから今十五分。そんなはずがない。

 

「ははは、あははははおははは!」

 

 男はとうとう恐怖を誤魔化す為笑いながら走り出した。頬を冷たい一滴冷たい水滴が垂れる。

 

「ほらここを曲がれば!」

 

 男が目にしたのは橋の上。冷たい風が男の脇を通り抜ける。

 橋の下に友人達と別れた藪が見える。男の帰り道には川は渡らない。

 

「いやだ」

 

 男は自らの結末を想像した。

 

「いやだ」

 

 恐らくこの異常を起こす主はきっとそこにいる。

 

「いやだ……」

 

 とうとう男はろくに動く事も出来ず恐怖に心をへし折られる。

 その場に座り込みうずくまる。彼の周りに誰もいない。助けなどない。

 

 

 

 はずだった。

 

「お前さんこんな所で何してる」

 

 柳は顔を上げ声を掛けた人物を見る。

 

「刑事さん?」

 

 それは彼を取り調べていた刑事だった。

 



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第3話 少しでも抗う為に

 

「こりゃあひでえ顔だな。何があった」

「げいじざんん……」

 

 柳は涙や鼻水で歪み切った顔でどうなるかわからない中の唯一の希望に文字どうり縋りついた。

 

「おわ!きったねぇな!」

 

 初老の刑事は思わず蹴り飛ばす。何かを発する間もなくなす術なく仰向けに倒れこむ柳。

 

「酷い……」

 

「てめぇの様な厳つい男が泣きつくのを喜ぶ奴がいるか」

「というか。何があったかを話せ。じゃないとどうもできんぞ」

 

 起き上がる柳を見下ろす様にそのまま訪ねてくる。その目はただ真剣だった。

 

 柳はありのまま今日起こった事を告げる。食糧が無くなって買いに来た事、帰れなくて帰りたくて一番来たくないところに来てしまった事。

 

「ふーむ?という事はやはり印をつけられているか。この時間にワシがいて幸運だったなお前。ついてこい」

 

 何を意味する言葉か解らなかったが言われた通りに後を付いて行く。

 

 がそこは柳が一番来たくない事件現場。川の直前土手で立ち竦む柳に刑事は

 

「何してる。早く来い」

 

 何事もないかのように一言。信じられない。あの男は自分の友人達がどういう最後を迎えたかを知ってるはずなのに。柳はその刑事に初めて何か異常である鱗片に気が付いた。

 事件のあった藪を背に刑事が話しかける。

 

「さてお前に二つ言いてぇ事がある」

 

 柳は今何が起こっても逃げられるよう身構えている。顔が恐怖に歪むのを必死にこらえながら。

 

「一つ目はお前はこれからもこう言った理不尽に出くわす事がある。これからも、この先ずっと。多分死ぬまでだ」

 

 柳は一歩後ずさろうとする。もうこんなところに居たくない。

 

「おめぇ、これからもそうやって逃げんのか?」

 

 心を見透かしたような質問に足が動かせなくなる。

 

「お前のお仲間はさぞかなしむだろうなぁ。お前さんこの近辺の不良グループのリーダーやってんだろ?それが見る影もなく何かに怯え縮こまって」

 

 自分の事を小馬鹿にしてくる目の前に糞爺に柳の思考は止まる。いくら今怯えて弱々しい柳でも小中高と仲間たちと築き上げた漢としてのプライドがある。やられたらやり返す、弱きを守り強きを砕く。小学生から決めてきたチームのルール。

 

「それが今じゃあただのヤク中まがいの異常者だ。ははは」

 

「お前に!…お前に何がわかる!」

 

 そう怒りを爆発させた時だった。

 

 

 

 ザパッ!

 

 刑事の後ろの藪から真上に何かが飛び出した。

 

 宙にスローモーションのようにその存在と水飛沫が跳んでいる。

 柳はこの時しっかりとその存在を目に焼き付けながら脳裏に走馬灯が流れていた。

 

 それは全身から手の指先まで青く膨れ、だがその頭部はミイラのように茶色に干乾びており黒く顔の大半を覆う黒い二つの眼球、口があるはずの場所から伸びる細い蝶の口のような触手はそれを人間ではないと告げている。

 人型である様だが人と言うにはかけ離れた溺死体は柳に一直線に向かい口先がゆっくりと柳に目掛けてのびていく。その光景は彼の思考では追いつかずただ直感だけが死を認識していた。

 

 

 

 ズドン!

 

 その音で柳は現実に引き戻された。

 自分目掛けて飛んでいたはずの怪物は自分の脇を転がり過ぎていく。

 

 その音源にはリボルバーを構えた刑事が不敵な笑みを浮かべていた。銃口から漂う煙が自らを守ってくれたことが分かる。

 

「そこまで啖呵切るったぁ死にとうないんじゃな?」

 

 真剣だったはずの刑事の目はこれから起こることが待ちきれないかのように笑っていた。

 

「二つ目ぇ!なら戦え!殺せ!叩きのめせ!その怪物は獲物を待ち伏せて喰らうだけの雑魚だ今ここで殺してみろぉ!ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャー!」

 

 柳は信じられなかった。あんな真面目そうな老人がここまで悪魔のように狂うような人間だったとは。怪物に向けらていた筈の銃口は間違いなく柳に向けられていた。それはここで戦うのを拒否したら殺すとでも言いたいように。

 背後では痛みに悶える怪物の形容しがたい甲高い悲鳴を聞きながら柳はただ自らの恐怖を飲み込み怪物に向き合うしかなかった。



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第4話 狂気の門

 柳と向き合う怪物は息も絶え絶えだが立ち上がり柳の向けて口を伸ばす。

 だがそれは柳までは届かずただ威嚇してるかのように激しく荒ぶらせる。脇腹から滴る液体は血と言うには透明で柳には先ほどの銃弾は致命傷とは言えないように感じた。

 

「ほれ、使え」

 

 柳の足元に折り畳み式のナイフが投げられる。刃渡り十五センチ。

 刑事は顔は笑っていたがその声は取り調べの時も聞いた真剣そのものだった。

 

 ナイフを拾い怪物に向き合う。フラフラとした足取りだが少しずつ柳に近づいて来る。柳はこいつが友人達を砂山に変えた元凶だと背後の刑事の態度から当たりを付けていた。どうやったかはわからない。だがこの存在は一瞬にして人を殺せる。ナイフを握る手に緊張が走る。

 

 怪物は鞭のように口と腕を子供のように振り回し近づいて来る。その口の長さはその腕と同じ。知性の感じられない怪物の攻撃には楽に仕留められそうだと思うがそれよりも怪物の攻撃を警戒して近づけない。

 一歩一歩。柳より遅い足取りに柳は少しづつ後ろに追い込まれていく。

 奇声を上げ半狂乱に振り回される攻撃は柳の冷静さを奪う。

 柳が後ろに周りこもうと動いても怪物の首は可動域の限界を迎えることなく柳を捉え続ける。埒が明かないと、とうとう柳はずっと振り回される腕に翻弄されつつナイフを何度も振り回す。

 

「この!当たれ!」

 

 刃物など使ったことがない柳には心得などない。それでも彼が手放さないのは慣れた拳を叩き付けるよりも効果がありそうだったからだ。

 がむしゃらに振り回すナイフは何度か腕を掠めるがブヨブヨの腕は上手く切れずただ表面を撫でるだけ。

 手ごたえの無さに焦りを覚える中ナイフを持つ右手を掴まれる。

 

「ッ!」

 

 柳が焦った時には遅く右腕に口先を刺されてしまう。

 腕の血、それどころか水分を抜かれるような脱力感に柳は友人達の最期を連想させた。右腕が萎び力が抜けナイフを取り落とす。カラカラに乾燥した右腕を見た柳は恐怖がピークに達する。

 

「うああぁぁぁぁ!」

 

 柳がナイフ落とすと同時に自由な左手で怪物の目に手を突っ込み力の限り引き抜く。自身が黒い血に塗れる事も厭わず。

 その行動は反射的に、本能が生命の危機感じて起こしたものだった。

 

 瀕死の状態で傷を癒すため唾を付けていた餌に自身の大切な片目をえぐられる屈辱は計り知れないだろう。人より多く繊細な視神経を引きちぎられた痛みは怪物の想像を絶するもので餌から口を離し悲鳴を上げた。痛みに耐えかねよろめき、見るからに冷静さを失い柳から離れる。怪物にも恐怖があるのだろうか。

 痛みに悶え殺してやると振り向いた時、怪物が見たのは白銀に輝く一閃だった。

 

 

 

 怪物の目に根本まで突き刺さったナイフからは黒い液体が流れ落ちる。

 怪物は鳴き声を上げる間もなく倒れた。

 

「これ……で…どう…だ」

 

 怪物に向けて投げられたナイフは見事命中。

 理不尽に挑み仇を討った一人の漢は力なく倒れる。急激な脱水症状と体を無理やり動かした限界が来たのだ。柳は安堵の笑みを浮かべる。

 

「ふーむ。ここまで食らいつくとは」

 

 構えていた拳銃を下し無線機に連絡を入れる刑事。

 

「久しぶりの新人だ。殺すなよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「~~~~~!~~~~!」

 

 少しずつ意識が戻って来た。

 近くで何かが聴こえるがそれが何かはわからない。

 

 

「あら、目が覚めたのね」

 

 女性の声が聞こえその方向を向く。

 朦朧とする意識ではその輪郭を捉える事は出来ないが何故か声がハッキリ聴こえる。

 

「ほら患者が目覚めたわよ。ほら黙った黙った!」

 

 椅子から立ち上がり手を叩いて注目を集めているようだった。

 

 次第に意識が明確になって来た。

 

 そして自分が柳風斗であった事を思い出す。川であった出来事も。

 

 目に映る三人の人間。

 

「もうこの話はいいじゃないですか。せっかくの新人なんですよ」

 

一人は自分から見て左の壁にもたれかけた取調べと川で会った初老の白い顎髭、白髪の刑事。

 

「話を逸らすんじゃない!ったく稲永(いななが)君、君が発砲したせいで住人から苦情が来たんだぞ。もっと他にも手段があったんじゃないかね!」

 

二人目は正面に立つでっぷり太った恰幅いい黒いスーツの男性だった。輝く頭頂部をお持ちのちょび髭オヤジだ。

 

「そんな楽な話はないです(ふく)警部。それにその程度適当にあしらえるじゃろう」

 

「そんなんだから君は警部補止まりなんだぞ!」

 

「いい加減にして!ここはあたしの病院なんだよ!」

 

 三人目は自分が横たわるベットの右横に居る黒スーツに白衣をした……鴉頭被った女性?目にわかる体のラインから女性だとは思う。ペストマスクの周り黒い羽根を纏ったマスクをしている。

 

 全員警察関係者だろうか?

 

「あんたらこの子と話がしたいんじゃなかったの?」

 

 少し怒気を込めて吐かれた鴉女医の言葉に伏と呼ばれていたちょび髭親父が自分の前に出る。

 

 さっきまで怒っていたのが噓みたいに営業スマイルになりへこへこしながら話しかけてくる。

 

「やぁやぁ、君が柳風斗君だね?このくそじじいから話は聞いてるよ。大変だったね。私は六課警部の伏泰平だよ」

 

「お、おう……」

 

 あまりの変わりように反応に困る柳。突然態度を変えたこの男が胡散臭く感じる。

 その言葉の中で一つ気になったことがある。

 

「六課?そんな部署ありました?」

 

「六課というのは警察の中でも暗部。神秘や超常現象に関わった部分の調査を担当している部署だ。この地域ではワシとそのハゲしかおらんがな」

 

「一、ニ、三、四、六と他の部署と距離を置かれているのさ、彼らは」

 

そういったのは鴉女医だった。

 

「え?あなたは警察じゃないんですか」

 

「あたしはただの医者だよ。君みたいな事件の被害者のね。本業は葬儀屋だけど」

 

 彼女の言葉からは深く聞いては行けない何かを醸し出している。

 

「さてここからが本題なんだけどね」

 

目の前の人物から一体どんな言葉が飛び出すか身構える柳。

伏警部が次の言葉を放つ時その目だけは笑って無かった。

 

「君はもう日常には帰れないんだ」

 

 



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第5話 お前もこっちに来い

「どういう……ことなんです?」

「言葉通りだ。お前さんは知り過ぎた。そのままで帰す訳にはいかん」

「いやちょっと待ってくれよ!関わらせたのはあんたじゃないか!」

 

 それは怒りではなく純粋な焦りから出た言葉だった。

 

「いや、あの土座衛門に会った時点でお前さんは呪われていた。ワシがおらんかったら今頃砂山が一個増えてただけだった。あのまま座りこんでてもそのうち向こうからやってきてたぞ」

「そんな……」

「ワシはお前さんが仇討ちしたいか聞きたかっただけじゃ。あそこで逃げとったらワシが始末してただけじゃぞ。まぁあれが逃がしてくれたかはわからんが」

 

 どうもはぐらかされているような、もっともではあるが本心では無いような返答に柳はどうにも煮え切らない。

 

「まぁ君が逃げていようとこの決定は変わらないんだ。すまないね、柳君」

 

 伏の笑顔から業務的で無感情な謝罪が投げかけられる。柳が聞きたいのはその定型文のような謝罪ではなくその後の自分の処遇だ。

 

 「君にはまずこの書類にサインをしてほしい」

 

 伏警部から渡された書類を見る。

 

 

 

_________

 

 秘密保持契約書

 

(甲)         と

(乙)S県A市警察署六課との間における、秘密情報の取扱に関して以下のとおり契約を締結した。

第1条 (定義)

本契約における秘密情報とは甲が遭遇した超常現象全般、怪異全般、六課及び警察

の捜査情報であり、但し、以下の各号に該当する場合にはその限りではない。

1.乙もしくは乙関係者が許可した情報。

2.秘密情報を隠す為のカバーストーリー

 

第2条 (秘密保持義務)

甲は、知りえた情報を注意をもってその情報を管理・保持するものとする。

甲は、乙もしくは乙関係者の許可がない限り機密情報を知る必要のある者以外の者及びその他の第三者に情報を開示してはならない。

 

第3条 (複製・複写)

本件の契約に係る情報については、必要のある場合にのみ複製・複写を行なうことができる。

 

第4条 (契約違反)

甲は本契約に定める秘密保持義務に違反して秘密情報を漏洩した場合には、甲及び甲が秘密情報を漏洩した第三者の生命もしくは人権の保証は日本国憲法に該当しないものとする。

 

第5条 (有効期限)

本契約の有効期限は無期限とする。

尚、本契約の解消などについては甲乙協議により決定し記憶処理を受けた後とする。

 

_________

 

 

 

 

 柳は契約書の中身を見ない人間だった。

 何を考えるわけでもなくサインをしてしまう。

 

 それよりも柳はこの先自分がどうなるかが不安だった。

 

「君はしばらくは監視が付くだろう。ああ心配しなくてもいい君に昨日あった事を言いふらされないかを見張るだけだ。まぁ分かってると思うがもし、喋ったら……」

 

「ズドン」

 

 にやけた顔の稲永と呼ばれた白髭の刑事が呟く。

 

「こちらは公安以外にもコネがあってね。君の事を監視してくれるツテがあるんだ。君も死ぬような目には会いたくないだろう?」

 

 柳はただ息をのみ、話を聞くしか出来ない。

 

 そんな柳を見かねてか伏警部は話を切り出した。

 

「ここから本題なんだがね。柳君、うちで働いてみないか?」

「へ?」

「稲永君から聞いたんだがね、君はあの怪物を一人で殺したそうじゃないか。今来てくれたら手当もするし。どう?」

 

 ここまで聞いて柳が思った事は「さっきくそじじいって言ってなかった?」だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!少し考えさせてください!」

 

 柳は場の空気飲まれて返事しないように考える。

(上の立場の人間が下手(したて)に出て相手に頼むのは何かをさせたい時の常套手段。さらにこちらはこれから監視される立場。向こうとしては監視対象を部下にして監視と人手不足の解消のメリットがある。だがこちらのメリットはなんだ?自分としてはまたそんな恐ろしい目に会いたくない。手当と言っていたが金はそんなに困って…)

 

 そういえば自分の右手はどうなったのかと目を向ける。

 ギプスが巻かれている。動かそうとしても力が入らない。

 

「まさか、手当って右手の……?」

 

「そうだよ?こんなカラッカラの手はどこの病院でも治せない。知ってる限りじゃこの県にはいない。あたしだけ。あ、勿論金は弾んで貰うよ?千万くらい」

 

 そう答えたのは隣の鴉女医だった。

 

「そんなのヤクザの脅しじゃないか!?」

「その通り。このおじさんは君の腕と治療費を人質に下に置こうとしているんだよ」

「柳、お前は一つ勘違いしている。ワシらは警察組織の人間だが公的な存在じゃない。そんな正義の味方みたいな人間たちは()()()

 

 その言葉は今まで聞いた稲永刑事の言葉の中で一番冷たかった。

 

「どうかね?来てくれるかい?」

 

 柳は自分の立場を理解した。自分はいつ消えてもおかしくないただのチンピラ。

 彼らは市民の安全のため全力で守るのではなく市民が混乱しないように隠すための存在だと。

 目に映った怪物たちはいつ襲って来てもおかしくない存在だらけ。

 そのことは彼らのような人間(怪物)が組織された事が証明している。

 今まで自分は強い人間だと思っていた。だが怪物は容赦なく人間に牙をむき摘み取る。危険に気付き、逃げようと走ろうにもその足には既に魔の手は絡み付いている。

 

 

 (人間)はただ頷くことしかできなかった。

 



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第一章 地獄の門番の仕事
第6話 地獄の新人研修


 柳風斗は昔、正義の味方に憧れていた。

 テレビに出て来るヒーローのように戦い、勝ち、人々を守る。

 

 単調ながら英雄のように称えられる彼らは柳の童心を刺激した。

 

 彼はそんな姿に憧れて地元を縄張りに不良グループを築き、街やって来る人間の悪意たちに目を光らしていた。

 近所の噂から不審者についての情報を集めた。

 暴れた不審者を取り押さえもした。

 詐欺グループの位置を特定する為、地域一丸となった事もあった。

 そして警察に怒られた。

 

 皆にバレないように法に触れるような事をした。

 

 だが今や首輪を繋がれた犬。

 

 

「ダーハッハッハッハ!おめぇもスーツ着させられりゃ!借りてきた猫だな!アーッハッハッハ!」

 

 稲永は何が面白いのか柳を見て笑っている。

 

 

 

 あの後柳は三日程で問題無く右腕を動かせる程になった。

 鴉女医が自分に何をしたかは麻酔でずっと眠らされわからなかった。というより鴉女医は葬儀屋と副業で医者をしてることしか教えてくれなかった。

 女医自身も「名前?好きに呼びなよ」と言って頑なに何も教えてくれなかった。

 

 そして今。

 柳はスーツを着てアクセサリーを外されオールバックは見栄えのいいよう適度に切られ、伊達眼鏡を付けさせられていた。

 その見た目は完全にヤクザ。柳の若い悪人面がそれを引き立たせる。

 顔を怒りと恥辱で赤く染めた柳の目は稲永を睨み付けていた。

 

「ふむ。中々様になってるじゃないか柳君」

 

 本心の分からない胡散臭いちょび髭親父に言われても喜べない。

 二十歳の柳はこの五十六の胡散臭いハゲ親父と、六十二の白いクソ爺の、平均年齢四十九の集まりから逃げたかった。

 平日の午後、警察署の地下の狭いオフィスでその地獄の歓迎会は行われている。

 

「さて、みんな準備が良さそうだしそろそろ始めようか」

 

 警部はホワイトボードの前に立ちデスクに座る二人に話しかける。

 

「改めて自己紹介しよう。私はこの六課を指揮する警部、伏泰平だ。そこに座るクソ爺が稲永頼三(らいぞう)、警部補だ」

 

 喋り方は最初に会った時の胡散臭さは一切変わってないが口は悪い。

 

「はい質問です」

 

「何かね?柳?」

 

「なんで二人は警部と警部補なんですか?」

 

 そう聞いた瞬間、伏警部の顔が曇る。一瞬にして表情を無くし、全身から真っ白に燃え尽きた様な哀愁が漂う。

 

「それはどういう意図の質問かね……」

 

 

「いや病院にいる時、暇で調べてたんですけど伏警部の年齢ならもっと上の階級でもおかしくはないと思って……というか稲永のクソ爺は流石に退職してるはずなんですが……」

 

「ハッハッハ、そりゃあ国家試験をクリアしたキャリア組の話さ。ワシはよく問題を起こしてるノンキャリアだからな。というかここ六課じゃ動けなくならん限りそう易々と切れんのよ」

 

 どういう理由かは分からないが、つまりこいつはそれに胡坐を掻いて座っているのだ。それも活きのいいクソ爺が。

 

「そうさそこのクソ爺はともかく私はキャリアだったはずなんだ若い頃あんな事件関わらなかったら今頃書類仕事を楽しくやってさなのに今じゃ同僚にはめられ厄介な六課に入れられクソ爺の後始末をして人手不足のせいで未だに警部だ、警視監になっても全然おかしくないのにカモフラージュの為の警部、六課とその他課の同時統括は危険だからと警部、そのせいで署のみんなから落ちこぼれとみられブツブツブツ……」

 

 今までの恨みをひねり出すかのような早口で蚊のように小さな声で呟きだした。

 見るに堪えない。

 

「よく言うぜ。給与だけは警視長と同じだけ貰ってるくせに」

「警視長だぞ!私の年齢なら警視監でもおかしく無いのに!」

「それこそよく言うぜ。()(へつら)うのと保身が得意なあんたがそこまで行けるかどうか怪しい。行けるだけ行ったら能力の無さに気付かれその地位で飼い殺される。」

 

「待って待って!どういうことなんです!?ちゃんと説明してください!」

 

「あ?わかんだろ。ワシは言った通りじゃがこのキャリアは下手打ったせいでこの六課に飼い殺されとる。万年人手不足のせいで警部という地位でな」

「なんで人手不足な「誰が行きたがる。こんな給料が高いだけの死亡率が高い課に。そもそも配属されるのはお前が見たようなバケモン達と遭遇した奴だけだ。それも強制でな。この守秘義務のせいで六科に入れる人間自体少ない」

 

 足を組み、頭の後ろに手を組み退屈そうに吐き捨てる稲永。

 

「そう!そうなんだ柳君!」

 

「おわっ!」

 いつの間にか調子を取り戻した警部に肩を掴まれ驚く柳。

 

「君のようなある程度戦える貴重な民間人を協力者として雇用出来る制度が出来てね!君は希望の星なんだ!」

 

 鼻息を荒げ柳の肩を揺すり熱弁する伏警部。

 

 柳は深い後悔と共に凄い嫌な顔をしている。

 

 柳は死亡率だの守秘義務だの人手不足だの冗談じゃないと言いたかった。だが書類に書いたサインと、初めて出くわした怪異の時の恩と、目の前の必死なオッサンを見ると何も言葉が出ない。

 

「とりあえず。坊主の立ち位置と仕事内容の話をした方がいいじゃないか?」

 

「は!?、すまないね。取り乱してしまって。研修に戻ろうか」

 

 この上司と部下の上下関係がもはや逆転している。

 

「えっと、何処まで話したかな?」

 

「ここが危険ですごい人がいない部署ってとこまでです」

 

「そうか、じゃあ今から君の六科での立ち位置と仕事の話をしよう。」

 

 そう言って伏はホワイトボードに三角形を書きそこに、警察の階級を書いていく。

 そこの上から六番の階級の警部と、その下の警部補をペンで刺す。

 

「本来、私たち警部、警部補というのは余り現場にで出ないんだ。人手不足のせいでいつもは稲永君が現場に出て、その現場周辺の始末を私と私の持つコネでするのが専らなんだけどね。もっと人数が居れば私直々に現場に出張る必要は無かったんだけどね……」

 

 まだ引きずっている。

 

 今度はその下の下から三番目の階級、巡査部長を指す。

 

「ここから下が現場に出て働く人間だ。本来は六課にもここの階級の人間が欲しかった。つまり君は今日から臨時職員として、最高で巡査部長までの権限を与え雇うことが出来るようになったんだ!まあ、実際は六課の雑用係みたいなものだがね。」

「公務員になるってことですか?」

「いや、実態はただの下請けだ。でも金は弾むぞ」

 

「さて、じゃあ六課が何をしてるかの話をしよう。実は六科の人間ってだけでまあまあの権力はあるんだ。怪事件の捜査を打ち切れるくらいにはね。六課警部の名前を出せば後は向こうが察してくれる。本庁からはお払い箱みたいな扱いだがね。その後に私たちが事件を捜査する。相手が相手だけに危険だからその手の厄介者に任せると言った具合だ」

 

「君にはその事件の捜査に協力してほしい。具体的には稲永君のサポートをして欲しい」

 

 柳は川でけたたましく狂う稲永の姿が脳裏を()ぎり不安になる。

 

「というわけだ。明日から調査とワシらがどういう事件を扱うかの説明をする」

「というわけだ柳君、今日は終わりにしよう。明日からは頼むよ?」

「待ってください」

 

 終わる前に柳は一つ大事な聞きたかった。

 

「どうして貴方達はそんなに平然と仕事が出来るんですか?怖くは…無いんですか?」

 

 この二人から怪物と向き合う恐怖を乗り越える方法が知りたかった。

 だがその答えはそんなのどうでもいいと言わんばかりに無情だった。

 

「そんなの気にしてどうする?」

 



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第7話 柳風斗の過去①

 

 暗いアパートの一室。

 研修を終えた柳は不安だった。自身の今後について。袋一杯のビール缶から一つを取り出し一杯煽る。

 

 恐怖は今も精神を蝕む。

 だがそれは彼が恐怖のどん底に叩き落とされた日よりかは酷くない。

 

 友を失い、日常から転び落ちてから一週間。寝る前に酒を飲まなかったのは病院にいたときだけ。

 

 学校もバイトも辞めた。

 それが何がきっかけかは自分の中でもはっきりしない。皆を巻き込まない為の偽善なのか、楽しかった日々を思い出したくないのか、あの刑事達の事を知れば自らを取り巻く恐怖を乗り越えられると思ったからか。

 

 だがいずれにせよ彼は過去を棄てた。

 

 けれど過去はいくら忘れようと無かったことにはならない。

 

 微睡(まどろ)む意識の中、夢を見た。

 

 夢の中の彼はいつも善良とは言うには問題がある人間だった。

 S県A市にある中学校の一クラスの中。

 顔は恐いがその優しさはクラスの誰もが知っていた。

 

 他校との揉め事に彼は関係ないのに首を突っ込んだ。

 ひったくりをラリアットで捕まえた。

 仲間達と大騒ぎして迷子を探した事もあった。

 いじめを行う人間を見つけたら迷いなく叩きのめした。

 ヤクザと揉め傷だらけになった。

 

 それらは頭の悪く、ガタイと人を殴る才しか自分に取り柄を見出せなかった彼なりの自分の存在意義だった。

 誰かの為に闘うそれは、世間一般からは不良となじられようと、彼にとってはそれはまごうことなき正義の味方だったのだ。

 

 夢は過去の彼を見せた後に場面が変わる。

 

 夢の中の柳は誰かの手を引き、狭い路地を走っている。

 後ろには姿は分からないが誰かの怒りの声が聞こえるような気配がする。

 

「捕■■ろ!」

「追■!」

 

 柳はただ後ろから追ってくる屑から手を引かれる彼女を守ることで頭がいっぱいだった。懐かしい顔、初恋の彼女。

 

 急いで逃げる先にある一つの扉を開け、中に入る。

 

 そこは薄暗い廊下だった。灯りは全て両脇に一定間隔に置かれたロウソク。

 廊下の一番奥の扉には誰かがけたたましく祈るように叫んでいる。

 柳はゆっくりと歩き右腕に力を入れる。

 彼女の手を握っていたはずのそこには血に濡れた銀色に輝くバットが握られている。

 ゆっくりと一歩ずつ茶色の不思議な紋様が描かれた扉に向かう。

 

「■■!■■■■!■■■■■■■■■■■!」

 

 扉の先の男は紫のローブを身にまとい魔法陣の中のでこちらに気付く事なく、狂ったように目の前の怪生物の像に向けて叫び続ける。

 

 柳はその男の背後から渾身の力を込めて振り下ろす。

 

 何度も何度も何度も、男は苦悶の声を上げる。

 

 何度も何度も何度も、抵抗しようと動くが。

 

 何度も何度も何度も、叩き潰され。

 

 何度も何度も何度も、悲鳴を上げ。

 

 何度も何度も。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も

 

 

「もうやめて!」

 

 愛しい、可愛らしい声がして手を止める。

 目の前にはもの言わぬ肉が裂け骨の剝きだした赤く染まった塊が転がり血が辺りに飛び散っていた。

 

 その夢で一番恐ろしいのは、それを見る柳は屈託のない無邪気な笑みをを浮かべていたことだった。

 

 その日から彼は何者でもない。彼の中の義賊としての正義のミカタはその時失われたのだ。

 

 くたびれた布団の上で恐怖から身を守るように縮こまる彼は今や、その当時の面影など見る影もない。



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第8話 神秘の印

 

 その日の柳の目覚めは最悪だった。

 

 曖昧な記憶の中、思い出したくても思い出せないそれは柳に困惑を与えた。

 

「おえ」

 

 柳は二日酔いはそこまで強くない体質だがこの吐き気はもっと違う何かだと思った。洗面台の鏡に映る黒い眼は、柳のくすんだ心を見ているようだった。

 

 

 

 昨日と同じようにスーツを着る。

 社会人として想定より少し早く出てしまった。

 今なら何をしていたかを考えようとするが柳は咄嗟のところで止めた。

 

 

 

 指定された8時より少し早く警察署に行く。

 オフィスには伏警部が誰かと話してる。

 

 スーツを着た若い美しい黒いボブカットの女性のように見える。結構楽しそうに談笑している。

 

 軽く会釈をしながらオフィスに入る。

 向こうもこちらに気付いたのかこちらに近づいて来る。

 

「君が例の新人クンか~。あの狸から話は聞いてるよ~?あの即死持ちのスロールを一人で倒したって?やるねー!」

 

 なんだこいつ馴れ馴れし過ぎる。と思った柳はその胸は無いがスーツからわかるそスレンダーなスタイルの良さは…………

 

 

 

 まて、自分はこんな事を思ってないぞ!?

 

 

「あちゃ~君も耐性もち~?まぁ~な~る~ほ~ど~?ここに来れるだけは~?ってあれ?」

 

 彼女は目を見開いて柳の目をのぞき込んでくる。

 

「やめてくれないかね?ヤマダクン。うちの貴重な戦力なんだ。ダメにしてもらっては困る」

 

 そう淡々と語る伏警部は初めて見る冷徹な目だった。

 その威圧感は普段の朗らかさからは想像出来ない。

 

「しょーがないなー?ポンは~。まっいいもん見れたし。バイビー!」

 そう言った後に柳に近づいて

 

「ラブラブだね。君ぃ~」

 

 そう小声で言った後にボン!と音を立てて煙を立てて消える。

 

「え?え!?なんだったんですか!?」

「私の普段使いたくないコネの一つだよ……」

 

 そうつぶやく伏警部の顔は少し悲しそうで悔しそうだった。

 柳はそれよりもさっきの発言の意図が気になっていた。

 

「さて、あのクソアマはさておき稲永君が来たら早速外回りなんだが、その前に色々渡して置こう」

 

 そう言っていつもの調子に戻り、壁際の棚からいくつか何かを取り出す。

 柳は六課関係者、実は全員仲が悪いのではないかと非常に不安だった。

 

 出て来た小道具は全部で七つ。

 警察手帳、警棒、手錠、稲永から渡されたのと同型のナイフ、無線機、

 ガイガーカウンターのような機械、そして……名状しがたき()()()

 

 まず二つ、迷わず聞きたいことがあったが常識的な方を選んだ。

 

「拳銃はないんですか?」

「巡査部長クラスとはいえ君は銃の訓練を受けてないだろ?」

 

 その一言で納得はできた。

 

「で、これなんです?」

 

 これは本当に言葉では形容できない。常に形と色を変えるせいで言葉を見つける度に形が変わる。そして重い。一キロ程の手のひらサイズは変わっていない。

 

「さぁ?」

「さぁ!?」

「あのクソアマが君に渡してくれと」

「大丈夫なんですか…それ……」

「まぁ、あのクソアマとはいえ人間の敵ではないからな。君の役には立つだろう」

 

「え?それってまるであ「おーう!もう来てたのかお前さん!」

「お。稲永君が来たじゃないか。ではお行き。うちの部署に朝礼はないからね」

「えちょ」

 

 柳は聞きたいことだらけだったが稲永に速攻で連れ去られた。

 

 

 

 

 

「さて柳。今日は失踪事件の調査をしながら基本的なことを教える。」

 

 木々の隙間から指す陽の光。夏の終わりとはいえまだ少し暑い。

 KEEP OUTと書かれた黄色いテープを潜り抜けながら稲永は話す。

 

「基本ああいう怪異、異常存在は色々種類がある。幽霊、妖怪、宇宙人、外来人、神など。

 基本的には幽霊、妖怪が怪異と呼ばれ、宇宙人と外来人と神が外的存在と呼ばれている」

 

「それらは何か違うんですか?」

 

 二人は封鎖された森の中を歩きながら喋る。稲永の吸うたばこは取り分け臭いが強かった。

 

「怪異は人間の念が生み出し、外的存在は文字通り何処か別の星、次元からやって来る」

「それらには種類ごとに他にも特性があるが今はいいか。全部殺せば死ぬし」

 

「え?神と幽霊殺せるんですか!?」

「適切な手段を取れば普通に殺せる。死なないのは結構レアなケースだ。」

 

長い山道。二人以外に生き物の気配は無い。

 

「お前さん、前に土座衛門を殺したろ。その前にどこに行っても帰れなかったて言ってたよな?あれはああいった異常存在の使う基本的な術、(しるし)の仕業だ。」

「それがあるとどうなるんです?」

「印は凄く単純で作用は二つ。自らの下に来させ罠に掛ける逃亡不可の呪い、もう一つは、異常存在からの祝福」

「祝福?」

「ああ、奴らごとに効果は違うが基本はそいつの為を思って付けられる」

「そして印は強ければ強い程体に体に浮き出る。お前のガイガーカウンターみたいな奴、Abnormal Sensor(異常探知機)にもそういうのに反応出来るよういじってある」

 

 事件の現場として知らされた伐採場跡前に付いた時、稲永は立ち止まった。

 

 柳のASの針は、ほんの少し揺れていた。

 

「そしてお前さんが土座衛門殺すまで気付かなかったんだが」

 

「お前さん、まだ印付いてるぞ」

 

 そう言って稲永が見せたASは一切針が動いていなかった。

 



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第9話 地獄の門

 

「お前さん、まだ印付いてるぞ」

 

 柳は稲永が何を言っているのか信じられなかった。

 

「心配するな。呪いだったら二つ付けられた時点でどっちか消えるから多分祝福だ。」

 

 続けられた言葉に柳は胸をなでおろす。

 

「そうなったら縄張り争いみたいに、餌巡って殺し合ってる、で強い方が残る。祝福ってのは呪いと表裏一体のように思ってんのかもしんないが別モンだ。」

「だが妙なんだよなー。ここまで弱い印は中々見ねぇ」

 

 稲永が柳まで後一メートルのところで針が動きだす。

 

「ここまで弱いと印の主が相当弱ってるか、相当つけられてから日がたってるかの二択だ。心当たりは?」

 

「そんな……俺はいままでそん……なん…と…?」

「どうした?」

 

 柳は過去の記憶を探ってみるが何一つ思い出せない。()()()()()()()()()()()()

 あれ、おれはいったいいままでなにをしていきてきたんだ?

 

 大学やめてバイト辞めて……?

 

 そのまえなにしてたっけ?

 

 

 何もない、問題ない、以前変わりなく。

 

 あなたは()()()()()()、何も変わってない。

 

 ()()()()()()

 

 

 

 

「だいじょうぶです。心当たりはないですね。」

 

「そうか。まぁそれについては今心配しても仕方がねぇ、行くぞ。」

 

 そう言って伐採場に入っていく稲永。

「さて今日の仕事はこの近辺で行方不明になってる若者の捜査兼、原因の調査だ。まぁ、わかると思うがワシら理由不明の失踪とかの調査だ。たまに現場周辺の警備もする」

「具体的には何を?」

「そこらへん見て回って、調べて見つけて終わり。簡単じゃろ」

 

「まぁ、少しショッキングなものはあるかもしれんが」

「こういうとこには大抵変死体なんてザラだ」

 

 柳の方を見て楽しそうに言う稲永を見て、やっぱりクソ爺なんだと再認識した。

 

 稲永は親指と人差し指で輪っかを作り両手のそれを重ね、中を覗きながら辺りを見廻す。

 

「……何してんすか」

 

 柳は突然の奇行にクソ爺がボケたのではと心配する。

 

「やっぱあの建物になんかあるな、よし行くぞ」

 

 稲永は伐採場でも一番大きい建物を覗きながら答える。柳の疑問は無視された。

 

 

 その建物は木材を保管する倉庫だろうか。大きな倉庫で金属製にのスライド式の大きな扉があるが錆び付き南京錠まで付いている。

 

「駄目です。開きません。ホントにここなんですか?」

「ああそうだ。お前が磁石みたいな奴じゃなければ証明のしようがあるんだが。」

 

 常に揺れる柳のASは宛てにならない。

 

「で、さっきのは何なんですか?」

「さっきのってなんだ?」

「手使ってなんか覗いてたアレです。」

 

「術だ」

「術?」

「ああ、こんな世界に長くいれば呪術だの魔術だの忍術だの見る。その一つだ」

「火とか氷とかで攻撃出来る、アレ?」

「そんなん使えるのは妖怪か神しかいねぇ。人の身でそんなん出来たらそいつは神の部類に入る。人の出来る術ってのは超能力的なもんばっかだ。火出せても精々アルコールランプ位のサイズだ。さっきのはそう言った術を使った痕跡を見る術だ。」

 

 この老兵は恐らく他にも熟達した術を持っているのだろう。

 

「お前は物理で殴ってろ。そう言った術ってのは人の身に余る」

 

 だが忍術がそれらと同列に扱われるものなのか疑問なのだが。

 

「さてどうする?何処かに入り口はねぇか?辺りには痕跡は見えん。この中が殆どだ。」

 

 そう言いながら稲永は両手の輪で覗きながら下の方向へ視線を移す。

 

「地下がある?」

「あるな。となると…柳、俺は右側を調べる。お前は左から探れ。なんかあったら無線で呼べよ」

 

 そう言って、そそくさと倉庫の右側に歩いて行ってしまう稲永。

 

 柳は少し心細かった。

 

 が、そうも言ってられない。

 

 柳は建物の影に隠れながら倉庫の左側を覗く。

 大の男が厳つい顔だけ出して覗くのはとてもシュールだろう。

 

 大しておかしなところは無い。

 柳から見て右側の倉庫の壁に穴があるわけでもない。扉にも鍵がかかっている。

 一番奥の先には正面にはフェンスがありその先は川。

 一番左側には事務所であっただろうプレハブ小屋の中は目を引く物は何もない。だが中には入れない。

 

 何処にも入れない柳は消去方的にフェンスに向かう。

 

 こんな真っ昼間、どうせ何も出ないだろうと暇つぶしに川にを見る。

 小さな川で子供数人が遊べそうではある。

 柳のトラウマである藪は何処にもない綺麗な小川だ。

 

 ふと、視界の右端に何かが見えた。気がした。

 

 柳が目を移したときは何も無かった。そこはちょうど倉庫の壁が死角になっており、妙にそこが気になった。だがこちらからではフェンスが邪魔で倉庫の裏には行けない。

 

「稲永さんちょっと来て下さい」

 

 無線の向こうから応答がある。

 

「何か見つけたか?」

「川のあたりに一瞬動くものが見たんです。」

「へっ。なんだ怖気付いたか?」

 

 このクソ爺は人を煽る隙を常に伺っているのだろうか?柳は対して平然と気になった事を告げる。

 

「いや、それが倉庫の方に消えたんで何かあるんじゃないかと」

「……」

「……」

「……そうか。先にこっちに来い」

 

 大人の対応に少しだけ無言になった。最後の返事は少し気恥ずかしそうだった。

 八つ当たりでもされるのだろうか、と気になったが取り敢えず稲永が向かった右側に向かう。

 

「柳、これ見ろ。どう思う?」

 

 そこにあったのは白いバンだった。

 稲永は真剣な目で車を眺めている。

 

「この車、放置されてそんなに時間が経っていない」

 

 柳は開けられたままの車内を見て言う。

 シートは真新しく埃が全然積もって無い。

 後部座席には封の切られたペットボトルが一本。

 

「となると、ワシらの封鎖をコッソリと抜け道かなんかで来たのか?まぁ放置されてるところを見ると、恐らく今頃全員仏じゃな。」

 

 柳はいとも容易く消えていく人間に哀しみを感じた。

 

「川の方に行くぞ。」

 

 伐採場の裏側、川のせせらぎは何処にも異常はないと語るが、柳は一切信じれず川を眺め警戒する。

 倉庫の裏側にはちょうどナニかが内側から飛び出たかのように引き裂かれていた。

 ちょうど人一人通れる大きさの穴として。

 

「あの車の連中は何でここを通ろうと?明らかにヤバいだろ……」

 

「いや違うぞ」

 稲永はしゃがみ込み倉庫に続く穴と自分たちが立つ土の境目を指す。

 

 そこには倉庫の奥へ続くように敷かれた二本の土色の線。よく見ると上から何本も上書きされているのか真ん中辺りは濃く、端は薄い。

 

「無理矢理連れ込まれた、と言った方が正しい」

 

 裂けた倉庫の壁にある赤い手形を見ながら稲永は言った。

 

 



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第10話 無知の愚かしさ

 柳は非常に恐ろしかった。

 硬い鉄とトタン板を引き裂き、人を引きずり込む怪物。

 

 この無理矢理に造られた、怪物の異界に入る覚悟は並の人間にはできない。

 

「柳、離れてろ」

 

 そう言った稲永は穴から少し離れ、穴に向き合って手のひらを向ける。

 稲永が手を横に動かすに連れて穴がまるで最初からそうであったかのように元の戻る。

 

 手を降ろした時にはそこにあったはずの裂め目は、違和感無く、そこに無かった。

 

「え!?え!?」

 

 

「そんなに狼狽えるな、やかましい。ただの幻術だ」

 

 そう言って穴があった場所にその辺の木の枝を突っ込む。

 枝は壁をすり抜け、壁は蜃気楼のように揺れながら枝にかき回される。

 

「暫く様子を見るぞ。」

「え?入らないんですか?」

「馬鹿野郎、虎穴に下準備無しで行く馬鹿がどこにいる。こっちは相手の正体すら知らねぇんだぞ。来い。向こうの岸から様子を見る。相手が賢ければすぐ出てくるぞ」

 

 稲永が指差した先は川向こうの先、そこから見える遠く離れた崖だった。

 

 

 

 

 

「……結構時間経ってますよね?意味あるんですか?」

 

 稲永と崖の上に来てから時間が経つ。そろそろ日が暮れそうてきそうな時間。

 

「幻術に異常は無い。恐らく夜に行動する獣だ。ASにも反応はねぇ。こっちには気づいてないはずだ」

 

 双眼鏡で倉庫を凝視し続けている稲永。切り株に腰かけ微動だにしない。

 

 コンビニで買っていた携行食を食いながら、柳は木にもたれかけている。

 

「そんなにASは使えるんですか?」

 

「印に反応する時点で優秀だ。なんせ印があれば標的を絶対に見失わない。つまり自分の危機を察知して迎え撃つことだって可能だし、誰が付けられるかで作戦も立てられる」

 

 稲永はいつもの小馬鹿にした態度でなくまるで孫にでも言い聞かせるかのように喋る。

 

「いいか柳?異常存在は未知だから厄介なんだ。情報があるからこそ戦える。戦争だってそうだろ?事前準備無しで勝てる奴は元から強いか相手がよっぽど弱いかだ。

策ってのは強いバケモン相手に弱い人間が勝つには絶対必要なんだよ」

 

 言われてみればそうだ。八岐大蛇だって酒に酔った所を斬られ、極悪非道の猿を打ち倒すのに栗、蜂、臼、糞は作戦を練った。(なんでこのメンバーなんだろう)

 

「それにしても全然動きが無いですね」

「刑事ドラマでもあんだろこういう張込み。相手がバケモンなだけで」

 

 今まで異常事態に巻き込まれていた柳は何処か自分の居る世界が異世界であるかのように感じていたが、稲永が言った発言でまだ自分の知る世界なんだと安心した。

 

 

「ハロー!元気~?」

 

 そう思っていた矢先、突然横から大声がする。

 

「帰れクソアマ」

 

 柳は驚きその方向を見る。稲永は声だけで誰かわかったのか一切その方向を見ない、素っ気ない態度だ。その正体は今朝、伏警部と会話していたヤマダと呼ばれていた人だった。

 

「新人クン~。朝ぶりだね~どう?仕事は慣れた~?」

 

「え……あ、はい」

 

 突然現れ詰め寄ってくる態度に柳はしどろもどろになる。

 

「何しに来やがった。この野郎」

 

 稲永はそのままの姿勢でいつもより声色は張りつめている。

 

「二つ伝えたい事があってね。新人クン、今朝貰ったアレちゃんと持ってる?」

 

「え?ああこれですよね?なんなんですか?これ」

 

 柳はスーツのポッケから取り出した不定形のナニかを出す。

 

「ちゃんと持ってるね。いい仔♪いい仔♪」

 

 彼女はそれを大事そうに抱えて撫でる。

 彼女は何というか不気味なのだ。柳の本能的な違和感を刺激している。

 

「おい、オメェなに渡してやがる!」

 

 引き抜かれた拳銃はヤマダに向いていた。稲永は見たことない程激昂している。

 

「やだなーもう、酷いじゃないかそんなことしてー。悲しくなっちゃうな」

 

 白々しい程感情が込められていないそれは余程稲永の神経を逆なでしたのだろう。

 

「言え!今すぐ!そいつに何渡しやがった!」

 

「やだなーこれは危険なものじゃないよー。これはピンチの時に使える御守りみたいなものだよー」

 

 

「ワシが!ワシが今一番気にしとるのは()()()()()()()()()()()と言うことだ!」

 

 柳は気が付いた。実はそれが柳から出るASの反応元だという可能性に。

 そして自分のASには、今それを持つヤマダと離れても変わりは無い。最初と同じようにずっとわずかに揺れている。

 

「言ったでしょ?危険なものじゃないよー。それにいいのー?また別のアホどもがくるよ?」

 

「何?」

 

 稲永は後ろを振り返る。

 急いで覗いた双眼鏡には、ヘッドライトを付けた乗用車が一台走ってきていた。

 それに乗る彼らはこれから起こる恐怖を知らないのか、非情な事に楽しそうだ。

 

 稲永が奥歯をかみしめて振り返った時、そこには柳しかいなかった。

 

 柳にはヤマダがいつ消えたのかもわからない。沈み切った太陽と登り始めた満月がその異常を見つめていた。



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第11話 月の来訪者

 

「くそ!柳!あれは持ってるか!」

「え、ええ!」

 

 柳は地面落ちた不定形のナニかを拾う。

 

「とっと来い!あのバカども止めるぞ!」

 

 

 とりあえず稲永はヤマダの言う事を信じたようだ。

 焦っている稲永は早急に崖を降り始める。同じように坂道を駆け降りる柳。

 

「何をそんなに焦っているんですか!」

 

 急変した稲永に柳は走りながら尋ねる。

 

「あのクソアマが出るってことは十中八九、神か厄介な外来人が関係してる!クソが!最初から言えってんだ!」

 

「神だと何がまずいんですか!」

 

「クソ強いのを呼ぼうとする奴らが居るか、クソ強いのが居るかの二択だ!それも世界を一瞬にして変えるような奴が!あのバカどもはそうとも知らずに生贄になりに来たってことだよ!」

 

 柳は戦慄した。その神の事実にではない。何にかは、何故かはわからない。

 ただ、自分の中の赤いナニかがそれを止めろと言っている。それを殺せと言っている。だがなにがそれかはわからない。

 

 伏警部と通信する稲永の背中を見ながら、柳は自分の中のそのナニかが蠢き、それが自分の中で漏れていく。だが赤く蠢くナニかとは違う、別の黒いナニかが柳の体を覆う。

 

 

 

 彼らは幸運だろう。

 行方不明者の出る廃墟に冗談半分で行って彼らの求める最凶の恐怖の感じれるのだから。だがその代償は支払って貰う。

 

 車から降りた彼らの一人は楽しそうに言う。

 

「へーここが例の心霊スポット?雰囲気あんじゃん」

「噂ではここで何人も消えてるとか~」

「チョーヤベー!」

「「「ギャハハハハ」」」

 

 何が面白いのか若者どもの笑い声は山に響き渡る。

 

「で、ここホントに幽霊いんの?」

「消えてるて事はなんかはあるっしょー」

「ど・こ・に・いるのかな~」

 

 最後の一人がカメラを回し撮影を始める。

 

「お、アレ車か?」

 

 そう言って、手に持ったライトを白い車に向ける。

 

「開きっぱで何処いったんだ?」

 

「ヤベー。ガチじゃん」

 

 だが彼らは何故それが他人事に映るのだろう。

 ここに来て出る行方不明者、そしてそれを裏付ける状況証拠。

 ここに来た自分たちもその一人になりえるというのに。

 危機を忘れ、平和に頭まで漬《つ》かり切った現代人には楽しみを見出す事にしか脳にない。

 

 車に夢中な彼らの背後で、倉庫の裏側から出る黒く逆立った毛がまばらにの生えたやせ細った腕がゆっくりと現れる。

 

 

 何か面白いモノはないかと辺りを探る。

 

「こいつらどこ行った探してみようぜ!」

 

「いいね!結構ヒマ潰せそうじゃぁん!」

 

 愚かにも目を輝かせて別々に動き出す若者たち。きっと彼らは危険スポットとして心霊スポットを使うのではなくお化け屋敷か何かと勘違いしているようだ。

 

 明るく輝く満月は彼ら一人一人を見つめている。

 

 一つ、二つ、三つ。

 

 金色の満月たちがそれぞれ三日月に笑い出し、その声が天にこだまする。

 

 その音鳴りは鈴虫のようだと勘違いしただろう。

 

 彼らがそこを見たときには三日月たちは倉庫の上から今宵の生贄を吟味している。

 

 青く暗い空に溶け込む様に黒い毛を生やした青い肌の怪物は頭部には月のように美しく輝く瞳一つのみを持つ。人より長く細い体は二メートル五十は優にあるだろう。

 腕部と脚部にのみ生えた逆立った黒い毛は太く鋭い。

 

 若者三人、月の瞳が三つ。誰がどれを選ぶかを話し合うようにジェスチャーした後、一人づつ離れたところにいる若者たちの前に未知の怪物たちは降り立つ。

 

 若者たちは金色の瞳に見つめられてそれぞれの行動を取る。

 ある者はすぐそばの白い車に立てこもり、ある者は自身よりも高い怪物に恐れ戦き尻餅をつく。

 最後の一人は事態を理解出来ずただ立ち竦む。

 

 最後の一人に大きく振りかぶられた右手の鋭い四本指の爪が降ろされた。

 

 噴水のように溢れ出る血液は空を赤く染める。怪物は宙を舞う頭部を掴み、制御を失った胴体を掴み倉庫の裏に消える。

 

「ひっ」

 

 事務所の前で尻餅をつく一人はその瞬間を見たわけではない。

 だが倉庫よりも高く打ちあがり血を振りまく見覚えのある物体を見てしまった。

 

 そんな若者を気にする様子もなく怪物は容赦なく腕を振り上げる。

 

 

 残った一人は絶望の沼に残された。彼は戦う事も出来ず白い車に隠れた。怪物は彼を取り出そうと何度も爪を車に叩きつける。屋根を叩き穴が開く音が鳴る、窓を叩き罅が入る。

 このままここに居てもそのうち壊され取り出され皆と同じ末路を追うだろう。

 扉が引きはがされ、天に響く轟音で意識を失った。

 

 

 

 白いバンを執拗に狙う青い月の怪物は自分になにが起きたかわからない。

 

 ただ自分が贄にしようとしていた人間に爪を伸ばした時に贄の背後の窓から大きな音と共に高速で何かが飛んで来てガラスを破り、自身の視界を奪われそこでその生を終える。

 

「柳、まだいるはずだ。気抜くんじゃねぇぞ」

 

 轟音を聞きつけた怪物は稲永が塞いだ壁をすり抜け、こちらにゆっくりやって来る。

 稲永は出て来た怪物目掛けて怪物の眼球を狙い撃つが太い毛で覆われた腕で防がれてしまう。

 

 稲永は辺りを見渡し舌打ちをする。

 赤く汚れた場所が二箇所。だがその染料の元となる絞りかすは何処にもない。

 ここに来たうちの二人は既に門の向こう側なのだろう。

 

「柳!ワシは右を殺る!お前は左だ!」

 

 稲永がそう言った時だった。

 

「ヤナギ?」

「ヤナギ」

「ヤナギダ」

 

 腕で目を隠しながら月の瞳は我々にも解る言葉で喋り出す。

 稲永は訳が分からない。何故こいつらがこの若造を知っている?

 その時に稲永は気が付いた。崖から降りてきてから当の柳が言葉を発していないことに。

 

「柳?」

 

 柳の目は何処にも向いていない。

 ただ手前の月二つでは無く、天高く輝く月を見ていた。

 

 その目は宇宙の黒い神秘の光に覆われていた。

 

「どういうことだ……?」

 

 目から黒い光を発する柳は怪物の方へとゆっくりと歩き出す。稲永は今まで見たことのない異常事態に呆気に取られる。稲永と柳のASがけたたましく鳴る。

 

「オマチシテイマシタ、ヤナギサマ」

「マシタ」

 

 月の瞳達は深々と頭を下げる。

 

「ワタシタチノ主ガ、オマチシテイマス」

「主ハイマモ、ヤナギサマヲマッテイマス」

 

 その二人の間を柳は通る。

 

「サァ、コチラニ」

 

 月の瞳が倉庫のスライド式扉を開ける。

 

 錆び付いた金属製扉が忌々しい轟音を響かせ、その音は怪物の鳴き声のようだった。

 

 そこにあったもの、それは人の肉で造られた禍々しい門。

 

 倉庫の扉の先にあるはずの景色は人の顔が、腕が、足が、臓器が所狭しと繋げられ、ぶら下がり形作られている。悲鳴を上げ助けを求めるモノ、痛みに苦しみ悶えるモノ、ただ泣き叫ぶモノ。倉庫の裏からは一切確認出来なかったモノ、夥しい数の魔術の痕跡が隠す、生命を冒涜し造られたおぞましき門。その門の向こう側には宇宙が見える。

 

 

 稲永はその異常な門、自身の経験上ではそれは神のいる国と繋げる異界の門だと確信する。知的生命の塊から造られたその門を破壊しようとするがその拳銃が手元にない。

 

「ダメだよ。頼三」

 

 そこにいたのはヤマダだった。いつの間にか稲永の持っていた拳銃を手で遊ばせている。

 

「またお前が!またワシに部下を見殺しにさせる気か!返せぇぇぇ!」

 

 稲永は普段のニヒルぶった面影も無くヤマダに飛び掛かる。

 

「大丈夫だよ。今回はちゃんと帰ってくる。」

「貴様が!貴様がそれをいうか!」

 

 それをひらりひらりと受け流し稲永を躱すヤマダ。

 拳銃を諦め柳の下に走ろうとしてもヤマダに取り押さえる。

 

 憎たらしいだろう。

 許されることはないだろう。

 

 けれど彼女は今もその役を務める。

 彼女が唯一の人間と人外の理解者だから。

 

 柳が門を潜ると同時に門は崩れ、月の瞳も霧のように消える。

 

「クソ!クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 ヤマダが拳銃を稲永に返したのはそれを見届けた後だった。

 

「何故だ!何故お前はいつも!」

 

 ヤマダの胸倉を掴み、その視線は憎悪に満ちている。

 そっと稲永の拳銃を掴み、ヤマダは自身の胸に突き付けさせる。

 

「私はどこにでもいて、どこにもいない。もし今回柳クンに何かあればその時は私を殺しても構わない。だから、今回ばかりは信用して欲しい」

 

「クソ……、クソ…!」

 

 稲永頼三は引き金を引け無かった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて出来なかった。



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第12話 招待のマーキング

 

 柳が気が付いた時、そこにあったのはどこまでも続く闇だった。

 

 柳は起き上がり辺りを見る。

 

 自身が立つ地面は相対的に白い石が一面に広がっている。所々、岩山のように隆起し、又は谷のように窪んでいる。柳の前に立つ一直線に敷かれた石レンガの道は目の前の大きな山に続いている。

 

 ここが何処か解らない柳はただ目の前の道を進む。

 

 天の黒と地の白がどこまでも続く。

 

 頭の中が黒いナニかで覆われていく。

 

 その時、柳の正気を取り戻したのはASの警告音だった。柳が一歩ずつ歩くに連れてその音は強くなる。針はとっくに振り切れ。ランプが赤く光る。無線は何処にも繋がらない。

 

 結局、何も出来ることはなく歩み続ける。

 

 そこにいくしかない、何が待ち受けようと。

 この白い道の先にきっと自分を祝福した存在がいるはず。その先の山の奥に。

 

 その景色に変化があったのは山の山頂に登った時だった。

 

 黒しか見えなかった虚空の空にその他の色があった。緑と青と白と肌色で出来た球体が柳の視線の先に漂う。1つの大きな惑星が柳の目を奪う。その色々は柳の記憶にある物を想起させる。

 

 地球。

 

 では、ここは?1番地球に近い天体観測と言えば?

 

 ここは月だ。

 

 ASが音を立てて壊れた。だが柳はなぜ月で呼吸が出来るのかとかなぜ宇宙服も無く生きて居られるのかとかどうでもよかった。

 

 柳は稲永と走ったあとの記憶を失った。

 その間にいったい何があったのか、稲永はどうなったのかその事ばかりが心配だった。

 

 柳の立つ白い岩の山頂からその先、地球の真下のクレーター。その中心には白い髪の黒いワンピースを着た少女がこちらを見ている。少女はこちらを気付くと此方に手を振っている。

 

「フーウートー!」

 

 遠くから彼女声が聞こえる。

 

 その声には聞き覚えがある。

 だがどうしても思い出せない。

 

 自身の中の黒い何かが柳の中で蓋をしている。

 その日の朝に、目覚めで感じた不快感に近い。

 

 その不気味な感覚が柳を支配する。

 その時は二日酔いでわからなかった。

 今は脳を直に触られているような感覚が柳を襲っている。

 

 

 柳の記憶にはなにもない。

 と言うことにしなければ脳を崩されると感じた。

 

 一歩ずつ彼女の下に向かう。

 少なくとも彼女は何かを知っている。

 

 

 

 クレーターの底に着き、柳を見る彼女は笑っている。

 背丈はそこまで高くない。中高生程の小柄で白いサイドテールをして月を思わせる金のティアラを付けている。

 

 

「やっぱりフウトだ!」

 

 ただ、自分を見つめて向日葵のように微笑んでいる。

 自分の中の黒いナニかが無ければ彼女の事も何か思い出せていたのだろうか?

 

「えっと…あんたはだれ…なんだ?」

「あ!そうか!自己紹介してなかったね!えーっと……」

 

 元気よく発言したのち頭を上に向け彼女も何かを思い出そうとしている。

 顎のあたりに人差し指を置き硬直している。背丈も相まって子供らしい。

 

「わかんない!」

「なんじゃそりゃ」

 

「シツレイ、客ジン」

 

 結局、誰もわからないかと思っていたが背後から呼びかけられ振り返る。

 

 青い肌を持つ金色の瞳を持つ怪物がそこに立っていた。

 

「うわっ!「オドロカナクテモ、ワタシハナニモシナイ」

 

 目しかないはずの頭部から、ゆっくりと話しかけてくる。

 

「シツレイ、姫サマ」

「いいよー!」

「姫?」

「コノカタハ、白痴の姫。新シキ神ノ一人デス」

「新しき神?」

「エエ。コノ世界デ産マレタ新シイ上位者。ココ最近デハソウイッタ存在ハケッコウイルノデス」

 

 柳は稲永の言葉を思い出す。目の前にいる少女も世界を変えてしまう力を持つのだろうか。

 

「君たちは一体何なんだ?ここはどこなんだ?」

 

 会話ができる相手にはとにかく自分の疑問をぶつける。とにかく情報が必要だ。この状況から脱出するためにも。

 

「それはねー「姫サマハ、ダマッテ居テクダサイ。スグ忘レルデショウ?」

 

 少女は不満そうに不貞腐れその場に座り込む。

 

「マズワタシハ月ノ瞳。コノカタニ仕エル奉仕種族デゴザイマス」

「彼女ハ白痴ノ姫。スグニ何カヲ忘レテシマウ」

 

「フウトのことは覚えてるもん!」

 

「ソレハ貴方ガ神ニナッテ、スグニ印ヲ刻ンダカラデス」

「この子が俺の印の主なのか!?」

「ソウデゴザイマス。白痴ノ神ノ祝福デス。タダソノ術ノ詳細マデハ知リマセン。」

「そうか……」

 

 ただこれでわかったことがある。時折来る記憶の空白は恐らくこれなのだろう。だが記憶を消す祝福とは一体何なんだ?記憶を消すことの何が俺のためになるんだ?

 

 何故彼女は、()()()()()()()()()()()()()()()()のだ?

 だがそれを考える前に視界がナニかで黒くなる。

 

「うぐっ……何を……」

「ソシテ、ココハ月ノ庭。姫サマノアソビバデス」

「そう!ずっとここで遊びましょ!何もかも忘れて!」

 

 天に浮く地球を遮るように宙を舞い始め、これから悪戯でもするかのような小悪魔的な笑みを浮かべ笑い出す。向こうに帰す気はないと言わんばかりに。

 

 

「それは困るな、お嬢ちゃん。約束が守れないじゃないか」

 



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第13話 君は優しいね

 

「ん?お、おう?」

 

 柳には何が起こったのかわからない。確か自分は白痴の姫に遊ぼうと言われて……?

 起き上がり頭を抱える柳が目にしたのは

 

「というわけでこれからは地球に迷惑かけちゃ駄目だよ?」

「はーい……」

 

 当の少女はヤマダに怒られていた?何がどうなってそうなったのかはわからない。

 

「ヤマダさん?どうしてここに?」

 

「稲永ちゃんに連れてこいといわれちゃってねー。この子にことは気にしないでいいよ。もう大丈夫。ほらお兄ちゃんに言う事は?」

 

「ごめんなさい」

 

しゅん、とした顔で謝る彼女は元気がなさそうだ。よっぽどこっぴどく怒られたのだろうか。

 

「なぁ、何があったんだ?」

 

「簡潔に言えば彼女が暴走して君を自分のモノにしようとしてー、倉庫にここに繋がる門を作ってたって事なのさー。それを私は頑張って止めた」

「頑張ってってなんですか……」

 

 

多くを語らない彼女に柳は慣れない。疲れているのか朝程の覇気は無いようだった。

 

「俺の印はどうなったんです?」

「彼女が消したくないって。だけど前みたいにいきなり記憶は無くならないと思うよ。そう約束させた」

 

 

「ヤマダさんは、ヤマダさんも新しき神なんですか?」

「何処で聞いたの?」

「月の瞳がそう言うは結構いるって。普通の人間だったらどうやってここに来るんですか」

「アハハ!それもそうか!」

 

彼女は何かを言うわけでもなくただ笑った。

 

「変なもの渡したでしょ。あれは転送装置みたいなものでね、それでここに来たの」

「そう……なんですか」

 

お守りみたいなモノと言っていたがそんな大層なモノだったとは思わなかった。

 

「あの!フウト」

「ん?」

 

白痴の姫は柳に近づき初々しく話しかける。

 

「また来てくれる?」

「それは駄目、この兄ちゃんは仕事があるからね。」

 

無慈悲に答えたのはヤマダ。今にも泣きだしそうな彼女を見かねて柳は彼女と目線が合うようにかがむ。

 

「こっちから会いに行く事はできないけど、会いに来るなら全然かまわないぞ」

「ホント!?」

 

無邪気に笑う彼女の顔は何処か懐かしい香りがする。今は黒いナニかが沸き出る事も無く、その朧げな記憶が柳の心を潤す。

今はまだ思い出せないが、柳にはこの無邪気な少女が悪い者には見えなかった。

 

「あーあ、そんな約束しちゃってー。しらないよ~?」

 

ニヤニヤと笑うヤマダは微笑ましそうに見てくる。

 

「さてじゃあここでしておくことはない?帰るよ、新人クン」

 

 

白痴の姫と月の瞳は柳に向かって手を振っている。

 

「ばいばーい!」

 

柳は笑いながら手を振り返す。

 

柳は知らない。

稲永がどうにかしてくれただろう倉庫の事件、月の瞳が柳を連れて来る為だけに人を材料にしていた事を。

 

柳は知らない。

ヤマダと白痴の姫の間に何があったのかを。

どんな取引があったかを。

 

柳は知らない。

姫が柳に聞こえないようになんと呟いていたかを。

「絶対にボクのモノにするんだから……」

 

 

「で、どうやって帰るんです?」

「こうやって」

 

ヤマダが手を二回叩いた瞬間。

 

そこは六課の事務所だった。



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第14話 神とは約束するべきでない

 

「どう?一瞬でしょ?」

 

ヤマダが何をしたかわからなかった。だが彼女が言っていたように転送装置か何かを使ったのだろう。ともあれ柳は六課に戻って来た。

事務所の時計は五時を指している。部屋が地下にあるせいで今は朝なのか夕なのかはわからない。一番奥のデスクで伏警部が寝ている。

 

「まーたこの狸はー。えい!」

「ふげっちゃ!……?」

 

伏は奇怪な悲鳴を上げ起き上がる。

そして数秒、硬直している。

 

「ど、どうも心配掛けました…」

 

十秒程の硬直があった為、柳は声を掛ける。

 

「や、柳君なのかね?」

「え、はいそうですけど」

「ど、何処か異常は?」

「?、ないですけど?」

 

伏警部は大急ぎでスーツからASを取り出し柳に向ける。

 

「ヒィ!」

 

柳から反応が有った事に驚き反応する。

 

「ポン、ASは怪異と術に反応するのであって、人間と外来人と神には反応しないよ」

「じゃ、じゃあこの反応はなんだというんだ!」

「頼三から聞いてるでしょ?、神のしーるーし」

「ブフッ」

 

虎を前にした狸のように怯える伏警部に柳は笑ってしまう。

伏は柳の身体を触りすり抜けないかを確認している。

 

「じゃあ、本当に?」

「本当」

「本当にホント?」

「ホントホント」

 

そのまま一瞬にしてデスクの受話器を取り出し電話を掛ける。

 

「稲永君!柳君が帰って来たぞおぉぉぉぉぉぉー!」

「なんじゃとぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!」

 

アイマスクを付けた稲永が一瞬で飛んでくる。

ちなみに仮眠室はすぐ隣である。

 

「本当にお前柳なのか!?おいヤマダ!ホントに柳なんだろうな!」

「ホントだよ。死んでないよ」

 

それを聞いた稲永は力なく床に座り込む。

 

「はは、マジかよ……」

 

なにが信じられないのか稲永がその場で座り込む。

 

「え?ど、どうしてそんな反応なんですか!?」

「簡単だよ。今まで六課の人間が異界の門を通って五体満足で帰って来た事はないからね。君は本当に運が良かったんだ」

 

隣のヤマダがあっけからんと言った。

 

「そうだよ!柳君、君が今どれほど危険な状態だったか認識した方がいい!」

「いや、祝福だと思って見過ごしていた自分の失態です」

 

そう言って稲永が立ち上がり言う。

 

「そうだな。我々の失態でもある……基本的に友好的だからと安心してはいけない事を再認識したよ。彼らは超常の存在、気持ち一つで我々は簡単に消え去る」

 

そうヤマダと並ぶ自分達を見つめて喋る伏警部。

 

「暫くはここで講座でも開こう。いきなり実施は早すぎた……」

 

「そうじゃな……」

 

重苦しい雰囲気が事務所に事務所内に漂う。

 

「そう言えばあの後どうなったのですか?」

「あの後?ああ後処理か。崖降りてるときに呼んだ警部に民間人任せて後はそのままだ。流石にあの肉の塊を……」

「肉の塊?」

「ああいや、気にしないでくれ。とにかく仕事は終わった。今日はもう帰っていいぞ。後はヤマダクンに任せる」

「えぇー!?私ぃー!?」

 

 

 

 

仕事を終えて自宅に帰る柳。

 

今日は柳は何もしてないように感じた。

まだ自分の弱さを認識しアパートのドアを開ける。

 

「おかえりー!」

「ただいまー」

 

と反射的に応えた柳は目を見開く。

 

自身のアパートの一室、一人暮らしの柳の部屋に第三者が居る。

 

それも月で別れた少女が居た。

 

無垢に笑う少女、一瞬彼女の目が鷹のように鋭くなった気がした。



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君は何があったのか知りたいのかね?
第12.5話 神々の会合


 
 君は何があったのか知りたいのかね?
 月の上で柳風斗が気を失った時に。

 悪い事は言わない。知らない方がいい事もある。

 そうでないなら次を見たまえ。親切にも次の回で人物紹介を用意してくれている。
 別に興味ないなら第二章を待っていてくれ。
 
 そんなに知りたいのかね?本当に?
 じゃあ私から言う事はない。
 そのままスクロールを行いたまえ。

 見ないでいる事でも楽しめる事はあるとは言っておこう。
 まぁ逆もまた(しか)りなんだが。



 あぁ、一応言っておこう。ここであった事は六課の二人及び柳君は一切知らない。
 これは彼らの物語だからね。神々の思惑なんて知らないのさ。



 

「それは困るな、お嬢ちゃん。約束が守れないじゃないか」

 

 その声は柳のポッケから聞こえた。

 うずくまり頭を抱える柳のポッケから蠢く不定色の触手が飛び出し、姫に向かって勢い良く伸びていく。

 

 それは難なく避けられ柳の前に降り立つ。

 

 それが蠢き、足元から人の形が形成され始める。一秒も満たない内にそれはヤマダの形に完成した。

 

「今すぐそれをやめなさい」

 

 地球を背にした姫に銃が向けられる。姫の表情は影になって見えない。

 

「姫サマ!」

「待って!」

 

 月の瞳が姫を守ろうとして動くが制止させられる。

 

「わかった……」

 

 そういうと同時に柳は糸が切れたように動かなくなり横に倒れる。

 

「死んでない。強くやったから気を失っただけ。それより約束って言ってたよね?お姉さん、フウトの何?」

 

 姫から漂う雰囲気は能天気な少女を演じていたそれと違う。

 

「仕事仲間のヤマダ。そっちは新人クンの何?」

 

 ヤマダと白痴の姫の間に張り詰めた緊張が走る。

 

「フフフ、何なんだろうね……ただこれだけでは言える。彼はボクのモノだ」

「いいや、誰のものでも無い。彼は彼のモノだ。君が力を使って好き放題するなら我々は容赦しないよ」

 

 そう宣言するヤマダの顔には円を描くように五つ目のみが並んでいる。

鋭い眼光が姫を捉える。

 

「ここでやり合う気?」

「まさか、だが今彼に一番近いのは私だけど?」

「……」

 

 白痴の姫とヤマダ。二柱の神は睨み合う。先に言葉を発したのはヤマダにだった。

 

「お嬢ちゃんは新人クンが欲しいだよねー?」

「そうだよ……」

 

 突然声色を変えて、いつもの道化の態度を取るヤマダに警戒する姫。

 

「一つ取引をしない?」

「取引?」

「お嬢ちゃんは新人クンを独占したい。私たちは仕事をしてくれないのは困る」

 

「私には未来が見える」

「それで?」

 

 緩急を付けて喋るヤマダの思惑を聞き出そうとする姫。

 

「誰にも伝えてないけど近いうちにこの世界に大規模な侵攻がある。その時に手伝って欲しい」

 

 この時、柳が起きていないのは幸運だったろう。それを六課に知られる危険は無い。

 

「……」

「そうなれば最悪、貴方も彼も、私もみんな殺される。向こう側との戦争が始まる。だからそれまで向こうからやって来る危険因子を狩らねばならない。その後、私は彼に何もしないと約束する。聞かれたら恋愛相談だってしてあげる」

 

「それ本当なの?」

「神に誓って」

「敵は?」

 

 ヤマダの渾身のボケは殺された。

 

「平行世界の生き残った古き神話の神」

「少し考えさせて。」

「今決めて。時間はないの。こうしてる間に奴らの手先がやってくる。我々は味方がいない。だから新人クンも貴方も戦ってもらわないと勝ち目は無い。」

「それ程の相手なの?」

「新人クンの加護、あれって記憶や感情をいじるんでしょ。基本的には関わらないで。戦いの時は恐怖だけを忘れさせてあげて。じゃないと死んじゃう」

「……」

「…そうやって信頼させていけばいづれは新人クンの心も手に入るんじゃないの?見た感じ結構誠実な感じだし~?」

 

 最後のその言葉はめんどくさそうに吐き捨てられた。

 

「わかった、けど一つ言っておく」

 

 何が彼女の信頼を獲ったのかわからない。

 

「?」

「昔のフウトなら、戦いの時は一切恐怖を感じていない」

 

「そう…。なら今ここで神々の協定は結ばれた。汝とは盟約者、この契りは破られる事は無い。だが汝もそれを破る事なかれ。それを破棄することは汝の消滅を意味する」

 

「この巻物は絶対に持っていて。何かあれば天に掲げて。私が行く、盟約のため」

 

 白痴の姫は気を抜けないだろう。これから起こる戦争、柳の記憶、自身の危機。

 だがそれらは柳の死よりは軽い。

 

「じゃ、よろしくね!私もダーリンのこと死なせたくないからね!」

 

 とことん食えない女であると姫は思う。

 だがとことん使えるモノは使ってやると思った。自身の目的の為に。

 

「じゃ新人クンを起こして?」

 

 それまでは無垢を演じる。



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第一章終了おまけ 現時点での人物・用語紹介

(やなぎ)風斗(ふうと) 男 21

 身長 180㎝

 体重 90 ㎏

典型的な不良、チンピラ。今はスーツを着て六課に勤めている。

武器はナイフと拳と鈍器。成績は良くないが遊ぶのは大好き。頭が悪く暴力で物事を解決して来たが、喧嘩を売られなければ基本的に大人しく、いい子。

だが過去に何かを抱えている。

 

  忘却の祝福

  施術者 白痴の姫

  柳に付けられた祝福。

  黒いナニかが柳の中を覆い記憶を封じる。今は発動しないらしい。

 

 

稲永(いななが)頼三(らいぞう) 男 62

 身長 172㎝

 体重 71 ㎏

警察六科(超常現象の捜査を担当)に属する刑事。警部補。武器は術と拳銃。

素行が悪い。

細い体と白い顎髭と白髪が特徴。こう見えてもまあまあ筋肉がある。今は詳しい事はわからないが六課では最年長であり歴戦の老兵。だが人をおちょくるクソ爺。

ヤマダとは過去に何かあった模様。

 

 

(ふく)泰平(たいへい) 男 56

 身長 168㎝

 体重 85㎏

六科に配属された哀れな一般人。六科警部。まんまるふくよかハゲ。

詐欺師顔負けの胡散臭さを持つ人間。プライドが高くいつも愚痴をまき散らすが仕事はする有能。臆病者。いろいろとコネを持ってるらしい。

 

 

・ヤマダ 女 ⁇

 身長 163㎝

 体重 秘密なんだぞ☆

スーツを着たボブカットの謎の女性。少々言動がイタい。伏のコネの一人

自称「どこにでもいて、どこにもいない」

変なもの持たせたり、突然現れるヤベー奴。

稲永の事を名前で呼ぶ。

 

 

・鴉女医(本名不詳) 女 32

 身長 166㎝

 体重 ⁇⁇

六課が懇意にしてる闇医者。本職は葬儀屋。

人間かどうかも怪しい。一応凄腕の医者ではあるが恐い。伏のコネの一人。

 

 

白痴(はくち)の姫 女 ⁇

 身長 159㎝

 体重 49 ㎏

かわいい系の顔立ちの神。神になった時と同時に柳に印を刻んだ。

何が彼女をそこまでさせるのだろう?

無邪気な振舞いをする忘れん坊。

月の瞳に崇められている。

 

 

・土座衛門

 平均身長 170㎝

 平均体重 180㎏

虫のような干乾びた頭部と水死体が合わさったような外見。

死体のふりをして体液をすする怪異。水に浸かって触手を刺して気づかれないように体液を吸う。刺されたらほぼ即死。筋力と耐久性は高いが頭部は成人男性が両手で引き抜けるくらい脆い。柳にもっと脆い目をくりぬかれた哀れな子。

 

 

・月の瞳

 平均身長 250㎝

 平均体重 100㎏

青い肌と黒い毛、満月のような瞳が特徴の神に仕える奉仕種族

耳と目以外の器官はない。四本指。

目が弱点だが腕と足の剛毛がめっちゃ硬い。鋭い爪がすごい痛い。

姫のことは微笑ましく見てる。カタコトながら喋る。

 

 

・伐採場に来た三人組

 平均身長 170㎝

 平均体重 71 ㎏

プロットでは柳にボコボコにされ追い返される予定だったが、その後にホラー要素が少なくなりそうだったから二人殺した。どちらにせよその後応援に来た伏に記憶処理される。生き残った一人は月の瞳のことは何も憶えていない。ただ二人友達が消え、今頃自身が犯した過ちに震えている。

 

 

用語

 

・警察六科

警察の中でも超常現象に遭遇した警官が送られる場所。表向きには厄介払い。

だがそれでも一部捜査に強引にでも関われる点は皆不思議に思っている。

あくまでも警察であり決して怪異から人を守る正義ではない。

 

・Abnormal Sensor(異常探知機)

通称AS

超常の業、術に反応する機械。霊や一部妖怪にも反応するが神や宇宙人、外来人には反応しない。

 

・印

術の中でももっとも簡単なもの。

視認した相手にくっつけて自分に引き寄せる呪いや、種族ごとの祝福を与えたり出来る。これを付けた存在は対象の位置をずっと認識できる。超常の存在は大体使える。呪いと祝福の一つずつ、計二つが同一人物につけられる限界であり絶対。被った属性は強い方が残る。

 

・門

別世界と現世を繋ぐ冒涜的な門。作り方は様々だが倉庫の肉塊は人間を大半に使われている。知的生命体一人は必須条件。維持するにも何人か必要。

 



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第二章 二人のメアリー・スー
第15話 懐かしい香り


 

「え?なんで……?」

 

「約束してくれたじゃん!来るのは構わないって!」

 

 そう言えばそうだった。とは言えこんなすぐに来るか?それにどうやって部屋に……いや、これは神相手に考えるだけ無駄なのだろうか?

 

「フウトの為に洗濯も掃除もしておいたよ!」

 

 散らかっていた柳の部屋はゴミは全て袋に詰められ、入口すぐにあるキッチンの食器は全て洗ってある。洗濯物は全て畳まれており、これはしまう場所がわからなかったの机に置かれている。

 自由奔放で不器用そうに思えた彼女は随分と家庭的だ。

 

「どう!褒めて褒めて!」

「お、おおう」

 

 元気いっぱいの忘れん坊の少女に流され言われるがまま、大人しい記憶を食われた大男は戸惑いながらも少女の頭をなでる。

 

「ふへへ」

 

 にんまりと頬を緩めされるがまま撫でられる。かわいい。

 だがそれがここに無断で来ていい理由ではない。

 

「よし、姫。何でここにいるんだ?」

「え?だから来ていいって」

「俺は来てもいいとはいったが、何時でもいいとは言ってないぞ。せめて連絡くらい入れてくれ」

「どうやって?」

「……」

「……」

「確かに……」

 

 月に住む神がどうやって現代人と連絡を取り合うのだろう。そこを失念していた。月から光でモールス信号を送られてもこちらは気づけない。

 

「ねぇ、いいでしょ~?迷惑かけに来るわけじゃないし~?」

「うーむ……」

 

 確かに姫が来ることで、いつもしていた家事は終わっている。そこまで彼女がここに来ることで起こる弊害が無いか?

 

(基本的に友好的だからと安心してはいけない事を再認識したよ。彼らは超常の存在、気持ち一つで我々は簡単に消え去る)

 

 そこで柳の脳裏に伏警部の言葉が思い出される。だから距離を置こうと断ろうとするが、すんでのところで言葉を飲み込む。

 柳は気付いたのだ。断って機嫌を損ねても面倒になる。どちらにしてもデメリットがでかい。結局柳は穏便に済ませるべく姫に許可を出した。

 

「やったー!」

 

 こちらの気も知らずに無邪気に飛び跳ねる姫に柳は先が思いやられた。

 

 

 

 

「出来たよー?」

 

 料理まで出来るとは思わなかった。彼女は一体何故神になったというのだ?

 そんな大層な存在にならなくても普通に生きていけたろうに。

 

「はーい」

 

 机に置かれたはカップ麵。そんなことはなかった。

 

「材料が何もなかったからね……」

 

 それもそうだ。ろくに自炊してない人間なのだから自炊の為の食材もない。

 適当な肉と魚の缶詰、米、後はインスタントしかないような人間だから。

 

「そうか……」

「さぁ食べよ!」

「そうだな」

 

 気を取り直して食事に移る。

 

「「頂きます」」

 

 こうして誰かと一緒に食卓を囲むのはいつぶりだろうか。

 

 中学卒業の後に一人暮らしを始めた柳はとても懐かしい。

 両親は事故で亡くなりボロい実家を売り払い土地と遺産、バイトで賄ってきた。

 よく遊んでいた友人達も今は居ない。

 

 彼女の麵を啜る姿が空白の記憶と重なる。

 柳が一番幸せだったはずの空っぽの高校時代。

 傷だらけで微笑む彼女。

 

 今まで独りだった柳にはとても暖かく耐えられない。

 

「うぅぅ、ぐすっ」

「ど、どうしたの!?」

「アァ、くそ、くそ!」

「大丈夫!?なにがあったの!?」

 

 柳は泣いた。

 彼女の胸の中、かつての懐かしい香りのする彼女の胸の中で。

 



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第16話 柳風斗の過去②

 

 深夜、姫と親子のように眠る柳。

 

 彼はこの日、酒を飲まなかった。

 

 この日の柳は子供の前で飲むわけにもいかなかったし、飲む理由も無かった。

 恐怖はなかった。幸せだった。

 幸せの中で眠る柳はきっと夢の中も幸せなんだろうか。

 

 

 

 記憶の空白、その中が少しづつ鮮やかに彩られていく。

 

 高校生活にも慣れてからの冬、外は夕焼けが耀いている。

 この頃の柳には何も無い。親を失い、友は高校進学と共に殆どが離れた。

 

 バイトに向かう柳の前には二人の少女がガラの悪いゴロツキ二人に絡まれていた。

 

「やめてください!ボクたちは何度も行かないって言ってるじゃないですか!!」

 

 そう言う彼女達は無視されそのままどこかに連れ去られようとしていた。

 だから、柳は迷わずその男達の頭に手を置き叩きつける。

 硬い頭蓋骨どうしがぶつかり脳を揺さぶられ力なく倒れる。

 

「気を付けな」

 

 それだけ言うと柳は歩き去る。景色も同時に白に染まる。柳は詳しく憶えていないこの記憶が彼女との出会いだった。

 

 

 今度は地元より少し離れた高校の教室が描かれていき、その中には柳しかいない。

 

「待った?」

「ああ」

 

 空き教室に柳は呼び出されていた。背後の扉から少女が現れる。黒髪のサイドテールで柳の肩辺りまでの伸長の少女。教室の窓の外は夕焼けに彩られた町並みが広がっている。

 

 だがその顔は黒く塗りつぶされてわからない。

 

「寒いね」

「そうだな」

「…ボクを暖めて」

 

 柳にはその時の彼女が何を求めてるかなどわからない。ただ自分なりにできそうなことをするだけ。彼女に自分のブレザーを被せ抱きつく。

 純粋で無邪気でやつれた心を持つ当時の柳には、邪な気持ちは無かった。いや、寂しいと言う気持ちはあっただろうか。

 

「大きいね」

「その分あったかいはずだ」

「君は……何なんだい?」

 

 彼女の口から出たその言葉は少し不服そうだった。

 

「俺はただ……俺に出来る事をするだけだ」

 

 質問の意図が理解出来ず、思ったことをそのまま出す。

 

「君は、思っていたより純粋なんだね」

「どういう意味だ?」

「ふふ、悪い意味じゃないよ」

 

 夢は柳のアパートに変わる。

 

 彼女と二人きり。産まれたままの姿の二人。布団の上で眠る彼女の体には傷痕があった。長い切り傷、小さな火傷痕達、青い痣。手首の一筋の傷。

 

 この時の柳はどう思ったのだろう?少なくとも柳も傷だらけだった。

 だが彼女のそれは柳と同じではない。されるがまま。彼女は柳に自分と近しいナニかを感じたのだろうが、柳が感じたのはどうしようもない赤い感情。

 

 柳の横で眠る彼女の目から流れた水滴の跡を見て、その感情と愛おしさがせめぎ合っていた。

 



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第17話 伏泰平先生のオカルト授業

 

 柳が目を覚ました時、そこには満足そうに眠る少女。

 

 布団から置き身支度を始める。久しぶりに目覚めがいい。柳は自身に取り憑いていた落ちモノが綺麗に剝がれた感覚だった。

 だがそれと同時に夢の内容を思い出す。あの黒く塗りつぶされた少女、最初出会った時は朧げで顔もわからない。

 

 今も布団で眠る子供に柳は視線を移す。

 だがその確証は無い。彼女自身も記憶が無い。

 

 仮説を立てても立証しようがない問答は捨て置き、朝食を作る。肉と米を調理しながら今後の事を考える。いつまで姫がここにいるのかはわからないが、彼女の為にもちゃんとした食材を買っておくべきだろうか?

 

「ご飯?」

「あぁ、肉しかないが」

「缶詰は?」

「あーサバ味噌ぐらいか?」

 

 寝起きで眠たそうに言う姫。

 いくら子供でも缶詰めそのままで旨いものはあるのだろうか。少なくとも柳の家にあるのはサバ缶くらいだった。甘くもないトウモロコシや味の薄いツナよりかは違うはずだ。

 

「食べる~」

 

 

 

「姫、お前どうすんだ?」

「どうするって?」

「俺は仕事があるがお前は今日どうすんだよ」

「ボクも神だからやる事があるからね~」

 

 寝ぼけまなこの少女はどう見ても髪色以外は普通の少女に見える。それも海外から来た子と言ってしまえば済むようなものだが。柳には実感が無いがそれでも彼女は神。そんな彼女のやる事とは一体なんだろうか?

 

「何すんだよ?」

「ふふふ~秘密~」

 

 そこまで気にしていない柳はそうかと言って話を切る。

 

 

 

 

 朝八時、家を出て姫と別れた柳。警察生活七日目、柳が月に誘拐されてから五日間。一日だけ濃すぎる警察生活だったが、伏警部は「基本をおろそかにしていたら意味が無い事を失念していた」とこの五日間で捜査の基本や訓練をつけてくれた。稲永は捜査に行ってる。

 

「さて柳君、君はどこまで異常存在について知っているのかね?」

 

 そして今日、柳は伏警部とマンツーマンで講義を受けている。

 

「えっと、霊と妖怪の怪異と……神のなんでしたっけ?」

 

「よし、じゃあ念のため最初からやろう」

「異常存在、幽霊と妖怪の怪異、宇宙人と神と外来人が外的存在と呼ばれる」

「はい」

「何かね?」

「宇宙人と神はわかるんですけど、外来人てなんですか?」

「外来人とは神と似たようなものだ。厳密には神の眷属だ」

「眷属?」

「そう。神ほどの力ではないが、神によって力を得たの能力者だ。その者達は大抵、別世界から送られてくる。カミサマテンセイ?とか訳の分からない戯言を吹き込まれた者たちの場合、好き勝手するから冗談じゃない!全くこちらとしてはいい迷惑なんだ!この世界は掃き溜めじゃないんだぞ!」

「警部!ちょっとちょっとそこまでにしましょう!」

「ああそうだったな。たくっ」

 

 伏警部はこの話をしただけでこめかみに青筋が浮かんでいる。

 

「じゃあ先にこの話をしよう。外的存在は別世界からくると言ったが怪異は何処からくるか」

「人間の念が生み出すんですよね?」

「そうだ。じゃあその二つの違いは何か?霊は人間一人一人の念で作られ、妖怪は多数の人間の恐れから産まれる。個人か多人数かだね。無論人数が多ければ力も増すが一つ例外がある。それは狂気。尋常ならざる感情を含んだそれは並大抵の怪異を圧倒できる程の力を得る。要するにどっちの感情が強いかの勝負だ。ちなみに怪異はASに反応するぞ」

「へー」

 

 今ここで柳がどれほど覚えられたかは定かではない。

 

「実は六課としてはそこまで怪異は敵ではない。対処法は分かり易いからね。戦闘能力が無くても退治はできる。問題は外的存在だ」

「と言うことは戦闘能力必須なんですか?」

「それもそうだし何よりも神が一番厄介なんだ。力ある妖怪でもまだ先人の残した術から分析して封印出来る。」

「分析できるんだ……」

 

 その研究をした人は一体何者なんだろうか。

 

「伝承ある神はまだどうにか出来るかもしれないが、事件を起こす多くの神は未知の勢力なんだ。それ故に力で黙らせるしかない」

「そう簡単に行くんですか?」

「そう行ってくれたらいいんだがなぁ」

 

 悲しそうに言う伏警部はきっと苦労させられているのだろう。

 

「じゃあ一番簡単な宇宙人から行こう。彼らは基本的に一芸に秀でた種族とでも思っていればいい。科学技術や身体能力、魔術のどれかが超越レベルで発展していたりバランス良く整ってたりする。策使って物理で殴って殺せる。次に外来人。彼らは基本人間と変わらない、神の力を使えるだけで」

「なにが神とは違うんですか?」

「耐久性と知能、身体能力、術全てだ。要するに神の下位互換だ。頑張れば殺せる。まあ言ってしまえば超能力者だ。だがそれは世界の理まで書き換えることが出来てしまうのだがね。君はその力を受けてないからまだわからないと思うが」

 

 確かに柳は誘拐されて少し記憶を消されただけ。これだけでもただ事ではないのに伏警部曰く、まだ生ぬるいレベルだそうだ。

 

「そして神。全知全能から何か一つの概念のみを司る者もいるが全てにおいて人間を超越している。まず人間では殺せないと思ってくれて構わない」

 

 柳は理解した。その一言で柳は常に命の危機にいる状態だったのだと悟った。

 

「あ、あの伏警部……」

「何かね?」

「俺の家に居候してる神が……」

「あぁ、諦めてくれ……ヤマダクンから聞いてる」

 

 二人揃って深い悲しみに暮れる。彼が言うのだから我々ではどうしようもないのだろう。

 

「どうにかならないんですか」

 

 とはいえ簡単に諦められる問題ではない。

 

「どうにかと言ってもその神の目的は何なのかね?基本的に神は権能と欲が行動理由だ。それさえどうにかすれば勝手帰ってくれるはずだが?」

「どうも彼女の奉仕種族が言うには神になると同時に俺に印を刻んだらしいのですが」

「じゃあもう駄目では?君にどういう理由かは知らないが最初から執着されてはこちらとしては何も言えないよ」

 

 無慈悲な狸の宣告に柳の希望は砕かれた。

 



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第20話 応援要請

 

 稲永が高校に向かう同時刻。警察署地下、六課。

 

「まぁ柳君、そこまで悲観する必要はない。せいぜい利用してやればいい」

「なに……言ってるんですか?」

 

 狸の口から飛び出た言葉に耳を疑う柳。

 彼は自分の口で神の恐ろしさを語ったはずなのに

 

「いくら神と言っても君に害意を持って接しているわけではないらしいじゃないか。ならばそれを上手いこと回していれば心強い味方にはなるぞ?」

 

 きっと彼は今までもそうやって生きて来たのだろう。

 柳は伏泰平が六課に来た理由が、少しわかったような気がした。

 

 彼は刑事にしておくには、何処か危うい。そう直感した。

 

 柳には純粋無垢の少女を利用できるような狡賢い人間にはなれない。彼も純粋だから。

 

「さて、取り敢えず。異常存在はこんなものだ。何か聞いて置きたいことはあるかね?ないなら……このまま昼食にしよう」

 

 そう言って部屋の時計を確認する伏警部。

 時計は十二時を指している。

 

「無いですね」

 

 それではと、警部がデスクに弁当を取り出していざ食べようとした時、伏の電話が鳴る。

 

「はい。伏です。あぁ稲永君。アレ?、アレってアレか?柳君に?そうか、相手は?は?外来人?流石に危険じゃ……」

「ジャーン!」

 

 伏が稲永の提案を却下しようとした時、柳の背後、入口近くのロッカーからヤマダが飛び出してくる。

 

「うわ!」

「待ってくれヤマダクン、今電話中なんだ」

「そのことで来たんだ」

 

 驚く柳だが慣れ切った冷静な伏の対応は呆れているようだった。

 

「新人クン、連れて行って。」

「何を言っているのかね!?神より弱いとはいえ…」

「だからだよ。今のうちにその鱗片を知って置かないと」

 

 伏警部の言葉を遮ったヤマダは、柳の前に出て言う。

 そのヤマダの顔を見た伏警部の顔つきが変わる。

 

「……何を知っている?」

「私独特のネットワークとでも」

「……君はいつもそうだ。頑なに詳細を言おうとしない。君は何の為に行動しているのかね?」

 

 身動きしないヤマダと、机に肘を置いて顔の前で手を組み、今にも射て殺さんとする眼付きの伏。

 柳には二人の間で何が起こっているのかは分からない。

 長い沈黙の後ヤマダが口を開く。

 

「ここしばらく外的存在による事件が増えてくる」

「それも君のネットワークかね」

「それに対抗する為に私は敢えて柳君は月に行かせた」

「……そうか、そう言うことか」

 

 そのままの姿勢で俯く警部。彼の頭の中で、一体どんな想定が組まれているのだろうか。その声は重い。

 

「柳君、ちょっと待っていてくれ」

 

 そう言って伏警部は立ち上がり部屋から出る。

 ヤマダはその場から動かない。

 どういうことかわからない柳は目の前のヤマダに話を聞こうとする。

 

「何なんです?何の話だったんです?」

「気にしないで。大した話じゃないから~」

 

 そう振り返ってヤマダはいつもの調子で言う。だが柳にはどうにも釈然としない。彼女らの話から柳がわかった事は、我々が彼女の掌の上で転がされていたこと。

 だがそれで事態が深刻にはなっていない。柳には彼女の何も知らない。追求しようにも柳は彼女を動かせるだけのカードがない。

 

「どうしたの?新人クン?」

 

 ただヤマダを見つめ何も言わない柳に彼女は不思議そうに尋ねる。

 

「柳君!これを稲永君のところに持って行ってくれ!」

 

 部屋に戻って来た警部は、柳に不思議な紋様が描かれた黒く漆塗りされた二つの

木札を渡した。

 

「それが有れば神や外来人の精神干渉に抵抗出来る。まぁ効くのは精神攻撃であって普通に物理干渉は無理なんだがね。あ、後それAS反応するから切った方がいい」

 

 柳がASを見ると警告一歩手前、ランプは黄色に光ってる。

 上着を着て六課事務所の扉に手をかけ、何処に持って行けばいいか聞いていなかったと気付いた柳が振り返ると同時に、ヤマダが手を叩いた。

 

「時間がないから私が連れてくね~」

 



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第18話 ドキドキ!魔法少女!

 

「やば!遅刻する!」

 

(わたしは今!某県K市の学校に通う普通の高校生!)

 とでも思っていそうな眼鏡をかけた地味な少女。聞き飽きたフレーズを心の中で唱える彼女は普通ではないモノを持っている。

 

「また~!?遅刻しそうなのに~!」

 

 彼女の目の前現れる、青い肌の一つ目の怪物たち。

 

「ああ、もう!鬱陶しい!」

 

 彼女が手を怪物にかざす。乱暴な言葉遣いと共に一瞬にしてしてレーザーが放たれ怪物の集団が爆発と同時に一掃される。

 

「こっちは急いでるの!邪魔しないで!」

 

 そうして彼女は学校への道を急ぐ。

 

 彼女には幼い頃から不思議な力があった。

 ゲームや物語に出てくるような魔法だ。だが現代では大して活躍も出来ないだろうと思っていたがここ最近では謎の怪物達が襲い来るようになった。彼女にはただ抗えるから正気を保っているようなもの。自分以外のまともな世界、ゲームには蘇生やリスタートはあれどこの世界には無い。いつ死んでもおかしくない彼女は正直言って、気が気でない。また、死にたくない。

 

 彼女は道を邪魔する怪物に夢中で黒いワンピースの少女がそれをまじまじと電柱から見下ろしていることには気付かなかった。

 

 

 

 

 彼女の名は伊吹(いぶき)(ゆき)

 いわゆる前世の記憶を持つ転生者というものらしい。前世で事故に遭い命を失うが、神によって新しい人生を送る少女。そんな彼女は普通の人生を望んだはずだった。

 

(何でこんなものを持たせてこんな世界に来させたんだろう)

 

 伊吹は不満だった。自分が望んだのと違う人生。

 前に居た世界と同じようでオカルトや人外魔境が潜むこの異世界で、静かに生きようにも向こうからやって来る。

 

 こうして授業を受けていたり普通に暮らしていても一人になった瞬間、それらは容赦なく襲ってくる。

 

 見たことのない怪物や見覚えのある妖怪、それらならまだしも、何処からともなくやって来る視線や感覚。何処を見てもその人物はいない。普通とはかけ離れた未知の恐怖がここ最近頻発している。

 

 如何に力を持っていようと正体不明の恐怖には敵わない。

 少女はこの世界の異常に引き込まれつつあった。

 

 だがある日、そんな彼女の正気に止めを刺さんばかりに異常がやって来る。

 

 それは突然現れた転校生。

 

「俺の名前は龍造寺虎徹。取り敢えずお前ら全員俺の物な」

 

 頭の悪い屑がそう言った瞬間、騒がしかったクラスメイト全員が静かになる。

 

 彼女を除いて。

 

 彼女は幸運だったろう。

 その異常に呆気にとられ周りと同じ様に動けなかったのが幸いして気付かれなかったのだ。

 

 彼女の目の前で吟味され、無感情で犯される若い担任。

 無抵抗のクラスメイトのみならず自身の身の危険。

 自分が動けると気づかれたときどうなるか。

 ここで抵抗した場合どうなるのか。

 魔法で皆を巻き込んでしまう。殺してしまう。

 その元凶の狂人。

 

 限界を迎えていた彼女の精神は悲鳴を上げ、身体が震えだす。

 自身もあのケダモノに犯されるのだろうか?魔法で倒せるのか?抵抗出来ず襲われたら?そもそも突然やって来たあの男は何者なのか?

 ただでさえ未熟で、すり減った精神には不安が募り、まともな思考から遠ざかって行く。

 

 人相手に戦えない未熟な少女。最悪の状況になった場合の罪悪感は一般人には耐えられない。

 

「ん?」

 

 その男が教室の異常を感じてその席を見たとき、そこには誰も居なかった。

 



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第19話 奇妙な教室

 

 稲永はその日、長い張り込みの後で狩った妖怪を燃やして後始末をしていた。

 

「くそ、何度も分裂しやがって」

 

 張り込みの途中で持ってきたガソリンが無ければ今頃大変なことになっていただろう。ここが草木の少ない岩場で助かった。森だったら今頃一面焼け野原だったろう。

 

 炎に抱かれ黒く燃え盛る複数の怪異だった塊を横目に一服する。

 

「ねぇ、らーいぞう」

「またお前か。ヤマダ」

 

 そう言う稲永の口調は前程ではないが少しキツイ。

 

「調子はどう?」

「何の用だ。先に要件を言え」

 

 稲永はたばこの煙を深く吐出しながら問い詰める。

 いつもの調子のヤマダに嫌な感覚を覚えながら。

 二人は決して近づくことなく、何メートルも離れた所で話し合う。

 

「そこまで心配しなくていいよ。今回は別件で動いて欲しくてね」

「何だ?」

「某県K高をちょっと調べて欲しくてね」

「なんだ、そこに神でも出たか?」

「手先がね。今も遠くからだけど見てもらってる。なるべく急いで、面倒なのも出てきたらしい」

「で、その面倒な……」

 

 稲永の質問が聞こえてないかのように、少し姿がブレた瞬間ヤマダは消える。

 

「クソッ、だから詳細を言えってんだ……」

 

 詳細がわからないまま兎に角、高校に向かう稲永。

 その場には地面にこびりついた焼け跡だけが残った。

 

 

 

 

「ここに何があるってんだ?」

 

 稲永がたどり着いた校門前。

 だがその発言は訝しげに言ったのではなく、警告音を鳴らすASを見て警戒して出た言葉だった。

 しかし、このまま壊れた目覚ましのように音を鳴らしても不審に思われる。

 ASの電源を落とす。

 

「さて、どうしたもんか。どうやって捜査すればいい?」

 

 稲永は頭を抱える。何か事件があったことにして、捜査を行おうにもどこの誰がヤマダの言う外来人なのかわからない。ぼろを出して教師に警戒されてしまえば意味が無い。

 

「そもそも、在校生なのか?教師なのか?誰なんだ?」

 

 両手の輪を覗きながら校舎を見る。

 校舎全体が紫の波紋状のオーラに包まれている。

 

「術は一つか?波紋は一つだ」

 

 その波紋を揺らす発生源を探す。

 

「あの教室か?」

 

 目に付いたのは三階にある一つの教室。こっちからでは廊下になっていて何もわからない。

 

「むぅ、どうしたものか」

 

 自身の髭を撫でながら考える稲永。

 腕時計は十二時を指している。

 対象がわからない状態で校舎に入ろうにも先の行動の難易度が高い。

 

「きっかけがあればいいんじゃが……」

 

 稲永は悩んだ挙句、取り敢えず校舎の周りを歩くことにした。校舎内には入らず周りを歩き、何か切っ掛けを探すことにしたのだ。校舎、体育館、プール、運動場。一見普通だ。どこにもおかしな所はない。

 グラウンドで走る生徒。遠くて見づらいが普通に授業が行われているように見える。だが一つの教室だけカーテンが閉め切られている。稲永が波紋、術の痕跡を見た教室だ。

 

「ん?」

 

 その教室の屋上、一人の女子生徒が屋上からこっちを見ている。表情は遠くてよく見えないがフェンスを掴んで立ち竦んでいる。グラウンドを見る限りまだ授業中、そんな時間に彼女は何をしているのだろうか。

 

「何かあるな」

 

 刑事の勘がそう言っている。

 だがそれは稲永の想像より最悪だが。

 

「ハァ……あんまり、使いたくはないんだがなぁ」

 

 折り畳み式の携帯電話を取り出し伏警部に電話を掛ける。

 

「警部、柳にアレを持って来させてください」

 



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第21話 伊吹雪の嘆き

 

 学校の屋上で一人、彼女は誰にも気づかれないように屋上の入口の上、横にある梯子を使って行ける給水タンクのある空間の壁にもたれかけ座る。ここは室外機やタンクを隠すため遮蔽物が多く周りの目をごまかせる。自分一人、屋上にいるのを老人に見られた時に彼女はなんとなく身を隠したくなった。

 

「どうして……何で……」

 

 屋上で独り泣く彼女には勇気が無かった。

 

「こんな世界に来ちゃったんだろう……行きたいなんて思ってない……」

 

 昼休みを告げるチャイムが校舎に響く。

 

 

 

 伊吹は死んでここに来る前は普通の女子高生だった。

 特に波風立てられる影響力もなく、少し成績がいい程度の人間だった。そんな彼女は不幸にも命を落とした。

 

「ここ、どこ?」

 

 暗い闇の中で目を覚ました。

 見渡す限り闇。地震災害に寄って命を落とした彼女はきっと埋められたと思っていたのだろう。

 

「誰か!誰かいませんか!」

 

 自身の体すら見えない闇の中彼女は叫ぶ。だがその時、見えはしないが体が自由に動かせることに気づき、状況が理解出来なくなる。倒壊によって埋められた場合どこかに圧迫感や拘束されるような重さがあるはずなのに。

 

「え?なんで?ここどこなの?」

 

 全身を覆い始めた闇が彼女の心を包み込む。

 自分の足にも地を踏んでる感触が来ず、五感の全てが機能せず自分がどうなっているかさえわからない。やがて宙に浮いているかのような錯覚を覚え始め、自身がどうなるかさえわからない。

 

 永遠の闇の恐怖に怯え、伊吹は精神が見えない恐怖に追い詰められていく。

 それに変化を与えたのはその闇から聴こえる何者かの声。

 

「お前は恐ろしいか?」

 

 そのものが何者かはわからない。低く唸るような、けれど、どこか暖かいような不気味な声が響く。

 

「怖い!」

 

 ただ彼女はここにいる恐怖から逃れようと反射的に叫んだ。

 

「ならば生まれ変わらせてやろう。お前たちは刺激に飢えているのだろう?自由に、愉悦に、闘争に飢えているだろう?お前たち人間は」

 

 彼女は物語に出て来るような人間と違う。常識も文化も違うような世界で生きていける程の胆力を持ち合わせていない。何処でも生きようと抗える図太さなんて無い。

 ただ死にたくない、恐ろしいものに会いたくない、不幸に会いたくない。そんな消極的な弱い人間。そのような人間が人を殺してしまうかもしれない状況で戦える精神などない。罪の重さに耐えられず潰されてしまうだろう。

 

「い、嫌です!そそんな恐ろしい事……」

 

 だがそれは無情にも受け入れられない。

 

「お前には現実に近いが少し違う世界に送ってやる。怪物と戦える素敵な世界だ」

「え?待って?そんなのいらない!」

「だからお前にはそんな世界で生きられるよういいものをやる」

 

 話を聞いてくれない、どころか定型文のようにあらかじめ決められた言葉を吐き続ける機械であるかのように勝手に話が進められる。

 

「待って!やめて!いや!」

 

 何を言っても反応しない声に彼女は底知れない恐怖がやってくる。

 私は一体ナニと話しているのだろう。私は一体そのナニから見てどういう存在なんだろう。視界が段々白くなる。

 ああ、何故私はこんな目に遭うのだろう。

 こうして彼女はここに来た。きっとあの男もこうしてここに来たのだろう。きっとまともではないのだろう。こんな人間には過ぎた力、持て余してる彼女は実感が無いけれど、あのケダモノは思うがままに振り回して来たのだろう。

 

 こんな世界来たくなかった。そう思う彼女は絶望しか残っていない。

 

 そう、給水タンクにもたれうなだれる彼女は階段を登る音を聞き取る。

 その時、彼女の下にある屋上の扉が開かれた。

 

「ヒィ……」

 

 身を伏せ気付かないよう息を潜める。あのケダモノに見つからないように。

 

 



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第22話 手詰まり

 

 柳は一瞬にして目の前に現れた校舎に目を奪われた。どこか見覚えがある。

 

「連れて来たよ~!」

 

 ヤマダは明るく校門前に立つ稲永に向けて手を振る。

 

「お前か、アレは持って来たんだろうな?」

「新人クンが持ってるよ~」

 

 稲永が柳に目を向けるが柳は動かない。ずっと校舎を見ている。

 

「柳どうした、とっとよこせ」

「あ、はい」

 

 惚けていた柳は急いで稲永に持って来た木札を渡す。

 

「さぁいくぞ。目標は屋上だ。」

 

「えっ?今、入るですか?」

 

「まだチャイムはなっていない。今のうちに行けばどっかから来た別の教師かなんか

 と勘違いしてくれる」

 

「いや、こういう事は無断でやっていい事じゃ…!」

「そんなもんは後で警部が泣きながらやってくれる。というか元チンピラのお前が何を言う。暴行事件起こしてたお前が言うか?」

 

 柳はその一言で何も言えなくなった。というか稲永にとって、伏警部は完全に雑用係として舐められている。

 

「私はちょっとやる事があるから」

 

 ヤマダがそう言った瞬間、学校のチャイムが鳴る。

 

「急ぐぞ。騒がれても面倒だ」

「警察が不法侵入……」

 

 稲永を先頭に昇降口に入って行く。

 

 

 某県立K高校、柳は校舎を進む。入口傍の階段を上がる。道中何人か生徒と通り過ぎる。彼らは自分たちを学校説明会かインターンシップの人間と勘違いしてのか挨拶を返してくる。柳はとても悪い事をしているような、いたたまれない気分になっている。

 そうこうしているうちにに着いた屋上の扉を稲永が開け放った、が屋上には誰も居なかった。飛び降り防止のフェンスを通り抜け、そよ風が吹き続けている。

 

「どこかにはいるはずじゃが……」

「何が?」

 

 柳は木札を持って来ただけで一切の詳細を知らない。強いて言えば外来人が関係してるくらいだ。

 

「授業中にも拘らずここに居った生徒を見たからここに来た。それだけだ」

 

 辺りを見渡すが誰もいない。

 

「もう降りたんじゃ?昼休みになったから下に降りて、何処かに紛れこんだじゃないですか?」

 

 柳がそう言うと稲永が屋上入口の上を指す。給水タンクが目立つがそれを隠すように後付けの壁が建てられている。

 

「あそこ、誰か隠れられそうじゃないか?見てこい」

 

 言われた通りにそばの壁に付けられた梯子に手をかける柳。

 

 カツン、カツンと一段一段登る。

 

「誰もいないです」

 

 その先には稼働する室外機と色褪せた貯水タンクしかない。そこは誰かが隠れられるような隙間はない。誰かが盛ったのかその痕跡のゴムやその箱が転がっている。柳の眉間にしわが寄っている。

 

「無い……下校時刻まで待つか?ASが使えりゃいいんだが」

「顔は憶えてるです?」

「グラウンドを挟んで屋上を見ていたんだぞ。あんな距離で顔を認識できるか」

「というかそもそも、他に何の手掛かりがあるんです?」

「ねぇよ」

「無い!?」

「仕方ねぇ、あの教室の様子見にでも行くか?だが流石に危険過ぎる。どうしたもんか……」

 

 そう言って二人は屋上を後にしようとした時だった。

 

「貴方たちはここで何してるんですか!屋上は教師であっても使用禁止なんです!」

 

 鋭い眼つきの腕章をした男子生徒が屋上にやってきてこちらに向かって叫んでいた。



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第23話 塗られていくキャンパス

 

 黒髪スポーツ刈りの生徒、枯れ木のように細い彼の体格だが、柳は一目でわかった。彼はなにかしらの武道を収めてる。腕章を見る限り風紀委員だろう。

 だがそれは柳が腕章を見てそう思ったのではない。彼の立ち振る舞いに柳の空白の記憶が彩を塗られていく。だがそれは下手な水彩画のように不鮮明だ。

 

「今すぐ立ち退きなさい!」

「すまない。すぐ出ていく」

「ん?貴方たち……見ない顔だ。うちの学校の教師じゃありませんね?」

 

 稲永はその言葉にどうしたもんかと頭を抱える。

 口を開いたのは柳だった。

 

「ああ、ここの卒業生だ」

 

 そう、柳は思い出した。自分はかつてここに居た。彼と同じように何度か怒られていた。だがそれは何故だ?その記憶は無い。

 

「そちらの方は?」

「俺の恩師だった人だ。もう退職してる」

 

 柳はよく自分でもこんな出任せを思いついたものだと内心笑った。

 噓というものは本当と織り交ぜると説得力が増す。風紀委員の彼は柳の顔を見て何かに気付く。

 

「もしかして貴方?柳さんですか?」

「あ、ああ。そうだが……」

「よく問題を起こしていた?」

「そ、そうだ」

 

 柳はまだ自分がここ在籍していたことしか思い出していない。

 過去の自分が何をしていたのか分からないが、この状況を乗り越えるため頷くしかない。

 

「あーなるほど、そういうことですか……取り敢えずここは立ち入り禁止なんですから出ていって下さい」

「何かあったのか?俺がここに来た時は屋上は開いていたはずだが」

 

 三人は階段に向かいながら喋り、二人階段に進むのを確認した風紀委員は鍵を掛けている。

 

「何言ってるんですか?先輩からよく聞いてますよ、無理矢理ここに来て占拠していた迷惑な奴だったって」

「そうじゃない、()()()()()()()()()()()()()()ぞ」

「なんですって?」

 

 柳のあとの稲永の発言に耳を疑う風紀委員。

 

「ワシがここに来る前に誰か屋上にいるのを見たぞ」

「本当ですか?」

「誰か心当たりが?」

 

 柳はさりげなく風紀委員から情報を聞き出そうとする。

 

「いえ……少なくとも貴方がここを去ってからそんな例は聞いていないそうですが……」

 

 過去の柳は一体どれだけ傍若無人だったのだろう?

 

「とにかく私はこの件を報告しに行きます。」

 

 そこで風紀委員と別れた。

 

「結局、手掛かりはありませんでしたね」

 

 柳は肩を落とす。柳の記憶の第一歩はあった。だが事件にまつわるものは何一つ見つかってない。

 

「いや二つあった。まず普段から入ることのない生徒がここにいたって事はやっぱり学園内で何かがあったってことだ」

「二つ目は?」

「柳、お前ここの卒業生なら違和感とか無いのか?何でもいい。それを掴めれば進めるかもしれんぞ」

「そんなこと言ってもあんまり憶えてないんですから」

「物は試しだ。ヤマダの野郎が言うんだ。何かはあるはずだ」

 

 柳は気が進まなかったが校舎内をうろついてみることにした。事件よりも自身の記憶を塗りなおす為に。

 

 

 

 廊下を歩いていく柳。見覚えはある。がそれだけ。

 記憶にはないが、どこかで見たことがある気のする既視感が柳にこびりついて離れない。

 

「例の怪しい教室はどこですか?」

「三階の端、体育館とは反対のとこだ」

 

 今は既に昼休みを終えている。生徒達は今授業で教室にこもっている。廊下には人っ子一人居ない。教室の窓ガラスは全てすりガラスでこちらの姿を認識されないのは都合がいい。

 柳は曖昧な記憶と目の前の現実を摺り合わせ、何か異常がないかを探る。

 この学校は教室棟とその他、特殊教室がある特別棟に分かれそこから体育館に通じている。教室、技術室、家庭科室、化学室、生物室、コンピュータ室等々。多くの教室の前を進んできたが今は特に異常はない。誰もいなさそうな教室も中を見てみるがおかしなところもない。

 だが職員室を通った時一つあることを思い出す。確か自分の担任は鍋川と言う名前だったはずだ。

 柳は稲永に離れているように言った後職員室に入る。

 

「すいません」

「ん?君は誰だ?」

 

 突然やって来た柳に対して尋ねる教員。彼には見覚えがない。

 

「俺、ここの卒業生で鍋川先生に会いに来たんですけど……」

「鍋川先生?ああ、彼なら今なら生徒指導室だよ」

「そうですか。ありがとうございます」

 

 先生に礼を言い職員室を出る。稲永はすぐに柳に近づいてくる。

 

「で、なにがわかった?」

「それを今から聞きに行きます。ずっとここにいる人に」

 

 生徒指導室に行こうとする柳に呼び止められる。

 稲永はちょっと言いにくそうに話しを切り出す。

 

「そうか。だがちょっといいか?」

「なんです?」

「さっきここを通り過ぎた若い女の先生が居たんだがな。その先生、なんか変だったぞ」

 

 稲永の眼は倉庫の時と同じ何かに感づいている眼だ。

 

「なんかって…なんすか」

 

 稲永はポケットからピンク色の何かを出す。その手は捜査で使う白い手袋をしている。

 

「虚ろな眼でこれを落とすなんざ、絶対になんかあるに決まってる」

 

 それは屋上でも見たものだ。

 

「教師が……ゴムを?」

 

 しかも使用済みだった。

 

「絶対に何かある。多分教師だけじゃなく生徒もな」

 

 稲永は何かを確信しているがその詳細を言おうとしない。

 

「でも単にただの校内恋愛なんじゃ?」

「ああ、お前の疑問ももっともだ。だからもっと証拠が必要なんだ。ほら、聞き込みに行くぞ」

 



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第24話 神聖だった学び舎

 

 生徒指導室、そこは特別棟と教室棟の間、二階の渡り廊下にありその下は昇降口と保健室がある。

 

「失礼します」

 

 柳は職員室に入った時と同じように生徒指導室に入る。

 

「誰だぁ?」

 

 そこで柳を迎えたのは伏と同じような体系だがその肌は浅黒く日焼けし、白髪が目立つ男性だった。

 

「久しぶりです。鍋川先生」

 

 柳は細かい記憶を思い出した訳ではない。だがそれを掘り出す為に彼に話し掛ける。少しばかりその声は緊張で(うわ)ずっていた。

 

「ん?お前?」

「柳です。柳風斗」

「は?え?お前が?」

 

 その教師は信じられ無いモノでも見るかのように目を丸くしていた。それもそうだろう。大学でネックレスなど貴金属を身に着けていたような人間だ。高校も似たようなものだろうと想像はつく。

 実のところ中学の時の柳はそこまで行っていない。夢でも見た高校生であったであろう柳もそこまで行っていない。

 柳が知りたいのは高校から大学までの間の空白の記憶だ。

 

「は、はっはっ……がーっはっはっは!あ、あんな、あんな聞かん坊だったお前が?スーツ着て?メガネ?う、噓だろ?」

 

 最近こんな反応を誰かにされた気がする。

 ともあれ豪快に笑う鍋川に柳は、どう話を進めよか考える。

 

「いいじゃ無いですか、今はこうして就職先を見つけたんですから」

「いやー意外だな。そうか、そっかー」

 

 鍋川先生は非常に嬉しそうだ。

 

「で、どこなんだ」

「なにがです?」

「だから、お前どこに言ったんだ?まさかマル暴の世話になるようなとこじゃないだろうな」

 

 そう柳を小突きながら言う鍋川先生の言葉は笑いながらではあるが威圧感があった。柳には少し不快に思ったが目にも物を言わせてやろうと含み笑いを浮かべながら言う。

 

「それが聞いて驚かないでくださいよ」

「なんだよ~」

 

 たったこのやり取りで想像できる。きっと柳は最後にはこの人と打ち解けていたのだろうと。だがその時の記憶はない。

 

「実は……」

 

 そうして懐から黒い手帳を取り出す。

 

「ほー?ほ?巡査部長?は?巡査部長!?こんな短期間でお前なにしやがったんだ!?」

 

「まぁーちょっと特殊なんですけどね。自分、ここまで昇進いたしました!」

 

 ふざけて敬礼までしてしまう柳。

 

「……」

 

 あんぐりと口を開けて驚いてしまった鍋川。彼は最初とは違う、信じられないと言う驚愕の顔で止まってしまった。

 そして柳はノリでここまでしてしまった為、後のことを何も考えていない。敬礼を行う柳の背中には焦りの汗が流れる。

 

(やっべ、どうしよう……)

 

 怪異やここにいるらしい外来人のことは聴けない。如何にか上手い事、彼にこの学校の異常を聞き出さなければならない。だが柳から見てその異常はどこにも見つからない。

 

「すいません、少々よろしいでしょうか」

 

 そこに真面目な声でやって来た稲永。

 柳は突然やってきた稲永に驚く。稲永は二人の会話に割り込んだ。

 

「あなたは?」

「こいつの上司です。稲永警部補です。実はこの辺りでおかしな事件がありましてね。」

「は、はぁ」

 

 続けざまに起きた突然の出来事で上手く反応出来ない鍋川。

 

「これなんですがね」

 

 そう言って稲永が取り出したのはさっき廊下で拾ったモノ。

 古ぼけたハンカチにくるまれていた。

 

「そ、それは?」

 

 鍋川は糸を引くソレに身を引いている。

 

「これなんですがね、さっきすれ違った先生が落としていったんですよ」

「あ~……またそう言った輩ですか」

「と言いますと?」

「ここ最近誰が使ったのかわからない、そういう痕跡が街中にあるそうなんですよ。まさか教師まで、しかもこの校舎内でも行われているとは……」

 

 鍋川は言葉を濁して言う。

 

「……ん?でもこれって警察が調べることなんですか?」

「まぁ、そこは今のところ捜査状況を簡単にお話は出来ないですが……」

「そうですか……」

 

 稲永は申し訳なさそうに言うがその表情は何かをかんがえているようだ。

 

「まぁそういうことなんだよ。先生」

「そうか、あんな怒りん坊だったお前が刑事か……どうなるかわからんもんだなぁ」

「ホントだよなぁ、ワシもそう思うよ」

「刑事さん、この馬鹿の事、頼みます」

「うるせぇ……」

 

 柳そっちのけで始められた保護者会に、柳は苦虫を嚙み潰したような顔になる。

 だが、部屋に入ってきた人物の言葉で状況が変わった。

 

「今話されてたことについて何ですが、龍造寺様のものですから気にしなくていいですよ」

「ああ、そうか。ということですので、もう大丈夫そうだな、柳」

 

「は?」

「は?」

 

 屋上で会った風紀委員が言った意味の解らない一言で、安心そうに言う鍋川に二人は理解が追い付かない。

 まるで皆が知ってるかのように、龍造寺様とやらが関われば全て問題ないと言わんばかりに、それが当たり前かのように今までと同じように話す彼らはきっと何の疑問もないのだろう。今まで普通だと思っていた人間が一瞬にして変わってしまった、まるで自分たちだけが常識に取り残されたのではないかと錯覚してしまった程の衝撃。

 だが何かがおかしいことは柳と稲永だけが知っている。狼狽する柳とは対称に稲永は深くため息を吐き気、木札を見る。少しづつ焼け、炭に変わりつつあるそれ。時間はあまり残されていない。

 

 ここからがこの学園に現れた異常、狂気の始まり。

 



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第25話 猿の楽園

 

「だいぶ強力な奴じゃねぇか……」

 

 稲永はゆっくりと焦げ、灰に変わりつつある木札を見ながら言う。このままだと木札は五分も立たない内に効力を失うだろう。

 

「良かったですね。龍造寺様がした事なら何も問題がありません」

 

 柳には信じられ無かった。

 

「は?何言ってんすか?……鍋川先生?」

 

「そうですよ、柳さん。龍造寺様の事だからもう大丈夫なんです。だからもう調べなくていいんです。そうです。しなくていいんです。素晴らしいので必要ないのです」

 

 風紀委員の彼も鍋川先生も突然人が変わったように喋り出す。聞いてもない事をベラベラと、それも壊れたラジオのように。

 柳は初めて怪異と出くわした時とは別の恐怖を感じていた。

 知り合った人間が変わってしまった。だがそれは人格が変わってしまったというには歪《いびつ》で無感情。実は最初から人形だったと言われても信じてしまうような変わり様。

 柳風斗、君は一体どれ程変わって無いと言えようか?

 

 実は君も人形なのではないかね?

 

「柳!」

「は、はい!?」

 

 この狂気に飲まれかけた柳を呼び止めたのは稲永の叫びだった。

 冷静な声で、しかし焦燥した表情で稲永は言う

 

「元凶のとこに向かうぞ、時間がねぇ。一瞬でケリつけなきゃならん」

 

 柳には何も言えずただ後ろをついて行くのみ。生徒指導室はただ似たような言葉を繰り返す人形が二つ残された。

 

 

 

 稲永見たという例の教室、中はすりガラスで見えないが廊下からでも異常がわかる。

 中の生徒達の嬌声と乾いた破裂音が響く。それだけでその経験がある者は中で何が行われているか理解するだろう。少なくとも昼過ぎの校舎内で行われていい事ではない。

 

 稲永はその教室に入って行く。

 

 秩序あった教室は今やケダモノ共に溢れ、学び勉学に励むはずだった学徒たちは腰を振り、情欲に頭を蕩かす。規則正しく並べられていた机はまばらに倒れ、奥の棚には玉座のように並べられた机や椅子の上にてこちらを見下ろす一人の男。金に染められた髪にシャツは豪快に開け放たれている。

 

 自分達がここにやってくるのがわかっていたかのように、獣の群れには紛れていない、まさしく自分こそが王とでも言いたいかのように。その左眼だけが怪しく光る。

 

「ふうん、お前、効いてないんだ。誰かが来たって風紀委員の子から聞いたから範囲広げたのに」

 

「お前がこの現象の元凶か?」

 

 稲永は黒板のそばの教壇に立ち獣達を見下ろす。

 柳は入口傍で様子を見ている。

 

「で、あんたらナニモンなんだ?」

「そう聞くならお前から名乗れ」

 

「俺は龍造寺虎徹。どこにでもいる高校生だ」

 

 そう言う龍造寺の顔は勝ち誇っているかのように口角を吊り上げ邪悪な笑みを浮かべる。

 だが稲永はそれを周囲を一瞥してから嘲笑う。

 

「はっ、猿山のボスの高校生か……そりゃあ卒業後は山に還るんだろうな?こりゃあ人里に降りてくるまでに人間様が狩ってやらねばなぁ?」

 

「オイオイオイ、自分で言っといて名乗らないのかよ?流石に道理が通らんだろ」

 

 龍造寺はこめかみに青筋が出てるが表面上は平静を取り繕う。

 

「は?なぜこのワシがお前のような猿に自己紹介しなきゃならんのだ?会話してやってるだけありがたいと思え」

 

「こんの!?てめえ!」

 

 稲永はキョトンと、まるで純粋な疑問であるかのように放った侮辱に龍造寺は遂に怒りをこらえきれず感情をあらわにする。

 

 瞬間、稲永は躊躇なく発砲した。懐から拳銃を引き抜く早撃ち。

 熟練の腕から放たれる一切の慈悲の無い不意打ち。寸分たがわぬ眉間に向けて放たれた一撃。

 

 だがそれは突如、彼を庇おうとした生徒が飛び出し彼の腕に命中する。

 

「くっ、危ないな~警察がそんなことしていいの~?」

 

 稲永の先制に面食らったものの、ニヤニヤと笑いながらが指を鳴らすと獣だった生徒の中の何人かの男子が起き上がる。彼らは焦点が合わない眼で稲永を見つめ感情が伴わない言葉が作られる。

 

「龍造じぃ様が正しい…」

「危けんなぁ人間…」

「じゃ魔しないでぇ」

 

「チッ……屑が…」

 

 稲永は撃たれた生徒のことなんて気にしていない様子だ。それよりも障害物が多過ぎる。

 獣の一人が稲永に跳び付くのを皮切りに数十の獣が襲い掛かる。ひらりと初撃を躱した稲永は廊下の窓を突き破り逃げ去る。

 

「追え!生かして返すな!」

 

 窓や扉から後を追う獣ども。教室は静かになり嬌声も止む。

 獣に追われた稲永は人間の身体能力を無理矢理向上させられた生徒を躱す。

 

 足元に向けて飛び掛かったのを上に跳んで避け、教室の窓を突き破り生える手をスライディングで躱し、廊下での挟み撃ちを外側の窓から飛び出しその勢いのまま、三階から二階の窓を突き破り逃げる。

 

 一息つきながら言葉をこぼす。

 

「後は頼むぞ柳」

 

 



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第26話 外道と不良

 

 柳は稲永に釣られて出て来た理性の無い生徒達には驚いたが、柳には目もくれず仇であるかのように稲永を追っていった。

 

「マジかよ……」

 

 ヤクでもキめられたような正気ではなく、半裸だった者までいた。すりガラスで見えなかった他の教室ではどのような事があったか。想像もしたくない

 

 柳はコッソリと教室の中を見る

 

 

 

 静かになった教室。

 先程まで荒れ狂った世界は嘘であったかのように静寂に包まれてる。だがその被害者である少女たちは虚ろな眼で教室の隅に横たわっている。

 

「クソっ、なんなんだよあのジジイ……」

 

 自分の思い通りにならない男。それも目の前の異常を気にもかけず、ただ自分に向けて殺意を向けてきたその男に、今まで思い通りに全てを操ってきたこの子供は癇癪を起こした。

 龍造寺は近場にあった肉を蹴る。肉は悲鳴をあげるが彼は気にすることなく蹴り続ける。

 

 柳はその光景がどこかと被る。

 

 (ああ、そうだ、確かあの時も彼女は……)

 

 柳の脳裏には幾つかの情景がフラッシュバックする。

 

 暗い室内で磔にされた彼女。

 それを崇めるローブの狂人ども。

 血に汚れ、気を失った彼女。

 彼女を連れて帰る最中、閉じ込められていた少女たち。

 

 感情が沸々と赤く煮えたぎり、その目の前の人間以下の外道を見つめる。

 こいつ()ここで殺さなければ

 

 

「おい」

「あ?」

 

 龍造寺は声の方向に振り向く。

 

 次に龍造寺が認識したのは鋭い衝撃音と自身が吹き飛ぶ感覚だった。

 

「ガッハアァァ!」

 

 情けない声と共に簡易玉座に顔面からぶつかる。

 積み上げられていた椅子や机が崩れ龍造寺の上に雪崩れ込む。

 

 玉座は崩れ王は威厳を失った。

 

「起きろ、人間相手には負ける気がしねぇんだ」

 

 崩れた玉座から汚物を引き抜き、片手で首を絞める。

 首を掴まれているというのに龍造寺も柳を睨み返す。

 

「てめぇ!何しやがる!」

 

 頭から血を流した龍造寺は制服から素早くスタンガンを引き抜き柳の首目掛けて振るうが、柳は首にナイフが来る前に龍造寺を地面に投げ飛ばす。

 龍造寺は痛みに悶えながらも立ち上がり吠える。

 

「てめぇらが来なければ俺はずっと頂点だったんだ!俺を屑とさげずんだあいつらと同じ人間を復讐していたはずなんだ!」

 

 彼を動かしているのは自分が頂点でなければならないというプライドだろうか、彼がここに来る前にあった出来事への八つ当たりだろうか。だが柳はそれを一蹴した。

 

「他人にそれをぶつけんじゃねぇ!」

 

 柳は叫ぶと同時にナイフを投げる。

 

「うるせぇぇぇ!お前に何が分かる!」

 

 龍造寺は近くの椅子を掴み、それで受け止めて投げ返す。

 椅子には数センチ程、刃が貫通している。

 

 柳の警棒を抜き取り椅子を弾いて、龍造寺に突っ込む。

 椅子に続くよう龍造寺も突っ込み激突した。

 

 スタンガンと警棒。二つが交差する。携帯型のスタンガンの先端に柳の警棒がぶつかる。先端窪みに警棒が捉えられる形で鍔迫り合いが始まる。

 

「てめぇのようなカスがいるから…あの娘のような人が被害者になるんだ…!」

 

 柳は自分でも何を言っているのか解らない。

 あの娘とやらの素顔も何もわからない。予想するしかない。

 朧げの記憶では明確な言葉に出来ないはずなのに、その赤い感情、憤怒だけが柳の口を動かす。

 

「クソ!なんなんだよ……なんなんだよお前!」

 

 そのまま龍造寺を上から押し込み、龍造寺は体勢を崩され尻餅を付く。

 柳は怒りのまま脳天に向けて振りかぶった時。

 

 柳は後ろから殴り飛ばされ龍造寺との硬直が解かれ逃げられる。柳のスーツから残り僅かの木札が落ちる。

 

 目の間には恩師、鍋川が虚ろな眼で木刀を携えて立っていた。

 

「よくもやりやがったな!そこから一歩でも動いてみろ!こいつの命は無いぞ!」

 

 その後ろで動かない少女の首に椅子から回収されたナイフを突き立てる龍造寺。

 柳は今、赤く蠢いた感情が爆発した。

 



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第27話 我儘な子供の末路

 

 龍造寺の犯したミスは二つ。

 割腹のいい鍋川を前にたたせ、柳が視界から隠れた事。

 そしてよりにもよって、痛めつけられた女子を人質にした事。

 

「さあ!やれよ!デブ!」

 

 龍造寺の発言と同時に鍋川が木刀を振り上げると同時だった。

 鍋川の体がこちらに飛んできた。

 

「は?」

 

 そのまま巨体に押しつぶされ、悲鳴もあげることもできない。

 柔らかく大きいボールが飛んでくるのを想像してもらえればいいだろう。その一撃そのものの、殺傷力は低い。だが衝撃は強く簡単に体勢を崩される。肥満体の男性が全身に飛んでくる。

 柳はただ鳩尾を殴っただけ。高速で放たれたカウンターの正拳突き。

 幼少から人を殴っていた彼は我流ながら格闘術も持っている。

 

 大きくものを振り上げ、反り返った人間を、くの字にへし曲げ吹き飛ばす。鞭のような脱力から瞬発力、全身のアドレナリンから押し上げられた馬鹿力、我流武術から全身の力を込めた掌撃。

 

 デカい体格と筋力から放たれた一撃を容赦なく恩師に叩き込んだのだ。いくら憶えていないとはいえ、親しかったであろう人間への一切の躊躇なし。

 

 赤く目を血走らせ、息を荒げる柳は正気でない。

 

 人質の少女は幸運だったろう。彼女は衝撃によって後方に飛ばされ、後ろの龍造寺がクッションとなった。龍造寺は教室の壁に叩きつけられ、ナイフを取り落とした。

 人質も手放し、床に倒れる。

 

「お前……正気かよ……」

 

 龍造寺、君はどんな手を使ってここまでの悪行を重ねてきたのだろう。神から力を貰い、それは増長した。人を操り自身には何の証拠もない。君が過去、どのような人間だったにせよ過ぎた力で暴れまわったツケはやって来る。

 

「お前、お前、お前も俺の言う事を聞けよ!」

 

 龍造寺は柳の目を見ながら叫ぶ。眼が怪しく光る。倒れ伏した他の少女たちが起き上がり柳を抑えにかかる。

 だが柳は怒りのまま龍造寺に向けて歩みを止めない。既に柳から落ちた木札は灰になっているというのに。手や足に亡者のように縋られても勢いは止まらない。

 

「なんでだよ、とまれよ…」

 

 龍造寺、どこに逃げようと理不尽はある。龍造寺は札の事は知らないが貰い物の能力が効かないという、自分より強い人間に当たってしまった。

 柳は近くに逆さまになった机の足を握る。

 

「こんの、野郎!」

 

 ふらつく足取りでスタンガンを押し当てようと走る。十数に組みつかれた一人の人間には当てられるはずだった。

 冷静さを失った二人、勝つのは強い方。横なぎに振るわれた机が龍造寺に直撃。

 重い一撃にそのまま倒れ伏す。スタンガンは机の天板に叩き潰される。

 

「待ってくれ!そ、そうだ!俺の力があればお前らの役に立つはずだ!助けて!」

 

 負けを悟った龍造寺、証拠を残さないようにしてきた狡猾な頭脳で命乞いという取引をする。柳はただ龍造寺を見下ろし、獣の咆哮を揚げ、振りかぶる。机の天板がギロチンの刃となり、龍造寺の喉をとらえる。

 

「……!?」

 

 喉を潰され喋る事が出来ない。

 会話の出来ない獣に取引を吹っ掛けるなど、意味の無い。それを他でもない龍造寺自身が、知っているはずだった。彼が快楽で痛めつけた、生徒たちのように。

 

 鈍い板では首を切断出来ない。続けざまに二撃目が振るわれる。龍造寺は死の恐怖に怯え目をつぶり、手で身を守ろうとする。

 

 腕は容赦なく砕ける。ささやかな抵抗はただその時を遅らせただけ。

 

 そして三撃、四撃、五撃。少しづつ血を吐きながら、涙を流しながらその時を待つことしか出来ない。

 

 そして六撃目、トマトが弾けた。

 

 

 

 

 死屍累々の教室。いや死者は一人だが、誰もが倒れた教室から柳は教室から出る。

 柳を今動かしているのは赤い憤怒だけ。その感情、本能が何かを知っている。廊下は何人かの生徒は血を流し倒れている。割れた窓ガラスや打撃痕、生徒がいなければここが廃墟なのではないかと思うほどの惨状。何故、誰もこの騒ぎに駆け付けないのか。そんなことはわからない。

 

(そう言えばあの夢の場所、同じ階だったな……)

 

 一歩、一歩、遅い足取り。

 

 柳の中は今、空っぽの頭でそこに向かう。傀儡のようにぎこちない歩み。無気力な思考。屑を見た時に思い出した記憶が柳を疲弊させた。

 

(またあの夢に近い場所に行けば安らぐだろうか?)

 

 何分とも思える長い廊下の先、教室の扉を開ける。そこは夢で見た光景と重なる。まだ昼過ぎで明るいがそこから見える景色は紛れもなく同じだった。

 だがそこに立っていた少女は違う。

 同じ制服を着ていたが首が無い。鋭利なもので切り取られ、力なく倒れている。

 

 その傍に白痴の姫が首だけの少女の髪を持ち佇む。その下には彼女のものだったであろう眼鏡が落ちていた。

 

 こちらに気付いた血に濡れた姫はあどけなく微笑む。ただ微笑んでいるはずなのに、彼女の狂気が柳の肌を伝う。

 

「もう大丈夫だよ。後は任せて」

 

 そこで柳は意識を失った。

 



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第28話 不都合は曖昧に消える

 

 日が傾き始め、少しずつ傾きカラスが鳴く。

 そろそろ学生達が家路に帰る時間だ。

 

「盛大にやってくれたな。ヤマダクン」

 

 伏警部は今にもブチぎれそうな程、顔を歪めている。

 気を失った生徒達を一人づつ教室に並べている。

 

「しょうがないよ。外来人とはそう言うものだし」

 

 そうヤマダがあっけらかんと言ってのけ並べられた彼らに呪文をかけていく。

 一人一人、傷や服の汚れが巻き戻っていく行くように直っていく。治りきった人から朦朧と歩いて教室を出ていく。誰もそのことに疑問に思っていないようだ。

 

「これを私と君だけで後始末出来ると思って彼らを野放しにしたのか?」

「そー言わないでよ、だから私は月のあの子を引き込んだんだよ?」

 

 ヤマダが指した窓の先には白痴の姫が空に手を掲げ何かを唱えている。

 学校の敷地を覆うかのように半透明の結界が作られている。外から見たそれは朧げに映っているが近くを通る人間は誰も気にしていない。むしろそれを見た人間は何も考えていないような腑抜けた顔になる。

 

「ここまでの大事、ばれたら大目玉を喰らうだろうね~、ポン?」

「……記憶を消し、彼らの時を巻き戻し、後は気づかれないように調整する。我々が上手く隠してこれたのは少人数だったからだ。その程度だったら記憶違いでどうにかなる。だがこの規模、それも一つ組織単位で同じ違和感を持たれた場合どうなるか解らない。君はそれを理解しているのかね?」

 

 伏警部はヤマダに問い詰める。自身の立場からして伏から見たヤマダも世間から隔離するべき存在。今までは協力的だったからこそ見逃されていた。今回の事例で伏はヤマダを警戒している。

 

「メアリー・スー、知ってる?」

「なんの話かね」

 

「ネット発祥の言葉。元あった創作を論理とか道理を無視した改変、ようは自分のやりたいよーに滅茶苦茶に変えちゃうの。世界丸ごと、関わるものすべて。そんな相手に学校一つ、まぁ他にも被害者いるかもしれないけど、だけど学校一つで済んでるんだよ?」

 

 伏警部は顔を手で抑えた。それは諦めからでた仕草だろうか、それとも今後の心配からだろうか。

 

「覚悟はしていたが……ここまで大事なったのは初めてだ……」

「言ったでしょ。ただでさえ危険な神を引き込まなければいけない程の事件が起こるんだよ。新人二人の初仕事、結構ハードじゃないと後々大変なんだよ」

 

 黙々と作業を続けていく。全校生徒を家に帰した

 

 

 日も暮れ、カラス達は飛びたつ。校舎は陰り一部職員以外誰もいない。

 伏警部が学校を後にしようと車に乗ろうとした時だった。後部座席には柳が寝ている。稲永は伏警部がやって来ると同時に柳を放り込み助手席で寝てしまった。

 

「あ、そうだ。ポン!」

「何かね?」

「これあげる」

 

 そう言ってヤマダから渡されたもの、それはバスケットボール程の黒い袋に入れられた何か。

 

「これは?」

「いやー()()にも協力してもらおうと思ったんだけどねー、()()()()()()()()()()()()()

 

 その袋を伏は開ける。

 

 まず目に入ったのは袋の中で乱暴に絡まった細く黒い髪。

 その上に置かれた誰かの眼鏡。

 さらにその下の肌色をつたった涙の跡。

 

 伏はヤマダを睨み警戒心を剝き出している。

 

「見込みある外来人を見つけて姫ちゃんにしばらく面接させてたんだー、能力には問題無かったんだけどねー」

 

精神が未熟だったから不合格になっちゃって(あんまりにもワガママいうから殺しちゃった)ー☆」

 

「そうか……女医君も喜ぶだろう。材料が二つも手に入って」

 

 そう諦めたように言う伏は乗ってきた車に既に一つ、同じ様な黒い袋が積まれている。

 

「わたしとしては引き込みたかったけどな~」

 

 ヤマダは気にもしてないようにその辺の石を蹴り飛ばす仕草をする。

 言葉とは裏腹に表情は全然悲しそうではない。

 

「あ~疲れた~。たった一日とは言え三百ちょっとの人数を戻すのはしんどい~」

「一日だけなのかね?」

「うん、ホシが転校してきたのは今日だからね。余所の県で始末出来なかったのがうちに回ってきただけだから」

 

 ヤマダは伏の前に歩みを進め門を出る。境界を抜けたヤマダの後ろ姿は影に溶けるように見える。辛うじて電灯から出る光がヤマダの輪郭が分かった。

 

「なぜ、なぜ君は、そこまで協力的でありながら全てを明かさない?今回だってここに来るまでに仕留めてどうにか出来ただろう」

 

 ヤマダを責めるように言う伏警部。

 一瞬、ヤマダは立ち止まるがすぐに歩き出して姿を消した。

 

「わたしはみんなみたいに強くないから……」

 

 闇に溶けるよう小さく吐かれた言葉だけが伏の耳に入った。

 



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第29話 狂気と恐怖

 

 目が覚めた柳は体を起こす。

 

 六畳程の仮眠室、適当なソファと畳の上の布団、病院にありそうなベッド。何故か何種類もある寝台の中、柳は畳の上で目が覚める。布団は掛かっていない。

 

「ん?起きたの。取り敢えず検査するから」

 

 目の前に居た人物は見覚えのある鴉羽のペストマスクを被っていた。柳を仮眠室の端にある机に連れてくると、彼女は柳が何かを言う前に道具を取り出し柳の目にそれを向ける。どう見てもレジにある赤外線センサーにしか見えないが。

 青紫の光が柳に向けて照射される。怪しい光が目に来る。鴉女医のマスクのレンズに映った柳の顔に、青紫の魔法陣が見えた気がした。

 

「ちょ!それ何なんです?」

「んー?聞いてたもの以外は特にないか」

 

 鴉女医は柳の顔をに手を置き、目や口の中を調べる。柳の話を聞いてないのか装置を置いて検査を続けようとする。

 今度はディスプレイを取り出し柳に向ける。そこから鮮やかな砂嵐と共にごちゃ混ぜの音楽が流れる。不快な映像に柳は顔をしかめようとした。だが自分がその映像を食い入るように見つめていると気づいたのは鴉女医に質問された時だった。

 

「最近、体に異変は?」

「とくにない」

 

 頭が真っ白になる感覚とは違うが、情報が強制的に送り込まれる感覚に脳が追い付かない。体は動かせず、自分の意識とは別に口は喋り始める。意識はあるが体を制御できない状況に恐怖を覚えた。

 

 だが、はて?この感覚。柳には覚えがないはずなのに既視感があるようだ。いつそれはあった?

 

 ひとしきり、当たり障りのない質問を答えさせられた後にようやく解放された。

 

「これ何の検査何ですか……」

「どう思った?」

「どう思ったってなんですか……」

 

 意図の分からない質問、怪訝な表情の柳はその答えを口から捻り出す事が出来ない。

 

「ただ、どこかで感じたような……というか、何なんですか!?それ!体から脳を切り離されたかと思ったんですが!?」

「ふむふむ。即席としては上出来かしら」

 

 鴉女医は柳の怒りをさらりと流し、柳の答えをもとにカルテか何かのレポートをまとめている。手持ち無沙汰で不満の募る柳は、なんとなくディスプレイを見る。自分をあんな状態にした装置、どういうものなのか純粋に気になったのだ。

 

 机の上の真っ黒の画面、その先のコードは、女医が座る椅子の隣りに一つのカバンに伸びている女医の荷物だろうか。赤外線センサーも鞄から出ているがそれにはコードは着いておらず、それ単体の装置だとわかる。

 

 だが一番目を惹かれた物体、それは半球状のガラスに覆われ何かピンク色の物体が浮いている。半球には幾つかコードと中のピンク色の物体に伸びた鉄線と繋がっている。だがそれをよく見る前に鴉女医の発言に気を取られた。

 

「やっぱりあんたはここに来るに値するだけのモノはあるんだね」

「なんだって?」

「最初、あたしはすぐ音を上げて逃げ出すかと思ってけど、あんたも六課に居られる条件が揃っていたとはね。あ、検査は問題ないよ。警部に挨拶して帰んな」

 

 仮眠室の時計は十時を指していた。

 鴉女医から励ましなのかよくわからない言葉に取り敢えずの礼を言い、部屋を出ようとした時。

 

「ぁ…」

 

 柳の背後から男性の声が聞こえた気がした。急いで振り返ったがそこには鴉女医が荷物をまとめて居るだけで他の人間は居なかった。

 

「どうかした?」

 

 鴉のようなマスクの女医からは表情は読み取れない。

 

 

 

 柳は帰路につく。

 

 警察署を出る際、伏警部はデスクの上で目の下に隈を作りながら書類を纏めていた。稲永は既に帰ったとのことだった。案の定のクソ爺っぷりだが伏警部は気にする事無く書類をを書いてはデスクに積み上げていく。警部曰く、あんなのに大事な書類は任せられないそうだ。

 

 暗い帰り道、この街は柳が思っていたよりもおかしなことが多い。日常のそばの怪異、産まれたばかりの新しい神、余所から来た神の使い。

 今も電柱や路地裏から何かが表れてもおかしくない。だが初めて怪異と出くわした時の程恐怖心は無い。柳は帰る前に伏警部に聞いた六課に居る条件が頭から離れなかった。

 

「そうだね、まずは裏を知っていること。次は……」

 

 その次の言葉が柳の耳から離れない。

 

「……どうしようもない位、狂ってることだね」

 

 柳は自分がまともだと思いたかった。

 だが彼は気が付かないだろう。

 昔から怒りに身を任せてきたが故の、自分と世のズレに。

 

 その手は既に血に濡れている。昔からずっと。

 肉を潰し、骨を砕き、悪を憎んで来た故に。

 



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やぁ、また会ったね。
第22.5話 伊吹雪は強くない



 君はまた知りたいのだろう?

 今度は伊吹雪がどうなったか?
 彼女は幸運だったろう。魑魅魍魎が蔓延る異世界で、無い精神を振り絞り、よく高校生として生きれたものだ。

 よくもまぁ、そんな彼女の最後の姿を見たいと思えるね。

 おっと気を悪くしないでくれ。君の為を思って言ったのだよ。今回は少々ショッキングだからね。

 知らない方がいいこともある。警告はしたよ?
 まぁ、どうせ君はスクロールを行うのだろう? 

 言っておくと事があるとすると、異世界とやらに幻想を持つのはやめておいた方がいい。その先が君の望む世界である確率なんぞ計り知れない。そもそも、ここと違う世界で適応出来る人間はどこでも適応出来るのだよ。

 彼女は……ここで生きるのには悲観的過ぎた。そこまでの力を与えられたにもかかわらず。力があるのだから何が来ようと迎え撃てば良かったのに。

 全て終わった後にで嘆いても仕方ないか。
 弱者は食われるしかない。どこでもそれは同じだ。


 

 伊吹は息を潜める。

 

 男二人の会話が聞こえ緊張で身を固める。

 

「どこかにはいるはずじゃが……」

「何が?」

 

 伊吹には二人の声に聞き覚えは無かった。

 だがその年老いた声は発言でこちらを見ていた老人を思い出した。

 

「もう降りたんじゃ?昼休みになったから下に降りて、何処かに紛れこんだじゃないですか?」

 

(彼らは何者なの?)

 

 彼女はあのケダモノを知らなさそうな彼らと関わるか悩んだ。

 

「あそこ、誰か隠れられそうじゃないか?見てこい」

 

 自分の存在を知られどうなるか。彼女が見た異常は教室にとどまり外から来た人間には及んでいないかもしれない。だがその確証は無い。

 そうして梯子を登る人物に、恐る恐る声をかけようとした時だった。

 

「駄目だよ」

 

 そう、背後から少女の声が聞こえた瞬間だった。

 

 

 

 彼女は月に居た。伊吹の首裏に刻まれていた印が煌々と黒く輝き熱を持つ。

 月のクレーターの中心、そこを取り囲む青黒い人影達。空は黒く、だが地表は太陽で照らされた空間。明るいはずなのに、天は明るさを失った世界が伊吹の精神にとどめを刺した。

 

「ねぇ」

 

 空からそう声が聞こえたと同時に彼女の脳裏には、この世界に彼女を連れて来たあの存在が呼び起こされた。

 瞬間、周囲が爆ぜた。伊吹を中心にクレーター内で絨毯爆撃のように何度も爆発が起きる。クレーターの縁で立っていた人影は爆炎で吹き飛び砂塵が舞う。無から生み出された爆発が周囲を破壊し尽くす。

 空からそれを見る黒いワンピースの少女はつまらなさそうだ。彼女の目にはそれが無差別に行われ、まさに子供が泣きながら必死に手を振り回す行いと同じ様に思えたのだ。

 

「こんな子供、味方にしても足しか引っ張らないでしょ……」

 

 癇癪を起こした子供のように暴れ回りとうとう伊吹はクレーターから飛び出た。彼女は泣きじゃくりながら、声にならない悲鳴を上げながら爆発を連れて走る。その目はどこも捉えておらず、脅威と思われた佇むだけの人影の何人かが巻き込まれる。

 

「はぁ~あ、めんどくさいっな!」

 

 少女が指先を伊吹に向けて言う。

 

「”わすれろ”」

 

 少女の指先から白く細い光が発せられ、伊吹の首筋の印が今度は白くなり伊吹は立ち止まる。

 

「”うかべ”、”こい”」

 

 今度は伊吹の体が浮かび少女の前に引き寄せられる。

 

「もー、好き勝手して。”おまえ、どういう立場か理解してんの?”」

 

 底冷えするような声が直接伊吹の脳に響く。泣きじゃくっていた彼女は強制的に正気に戻される。何も無い空間に磔にされ、目の前の少女を反射的に攻撃しようにも頭が白く染められ何も行動に移せない。

 

「さて?どうしよっか?」

 

 そう言う少女と伊吹はだんだん地面まで高度を下げる。降り立った地面には青い人型の怪物が伊吹を取り囲む。隙間なく青に埋め尽くされ、何十もの金色の瞳が伊吹を見つめる。

 

 恐いだろう?今まで自分を襲ってきた怪物の親玉と言わんばかりにふんぞり返る少女は。だがその顔は不機嫌に鋭い眼つきを向けている。抵抗しようにも、言葉を出そうにも、思考が出来ずただ少女を見つめることしか出来ない。

 ただ恐怖のみが募っていく。

 

「よいしょっと」

 

 目の前の少女は突然巻物を取り出し天に掲げる。

 

「よっと」

「捕まえたよ。で、これどうすんの?」

 

 どこからともなく現れたスーツを着た女性。

 彼女は動けない伊吹に近づき目を覗いてくる。

 

「ほーほーほー、なるほどね」

「なにしてんのー?どうするのよー」

「姫ちゃん、今まで見てきてこの子どうだった?」

「こっちに引き入れるかどうかの話?ダメ、癇癪持ちの子供を入れても肝心な時に足引っ張るだけでしょ。攻撃力は満点だけどそれ以外が最悪」

「そっかぁ」

 

 伊吹は散々言われて恐怖と共に今までの理不尽と怒りがこみ上げてくる。

 

「何なんですか!?あなた達!私に付き纏って何なんですか!私はこんなこと言われるような何かしたんですか!」

 

 スーツの女性は間近で叫ばれた事に驚き、目を丸くして肩が飛び跳ねる。

 それは彼女が見せた最後のささやかな抵抗だった。

 

「ふ、ふふふ、あはは、あっはっはっは!」

 

 それを見て少女は嗤う。

 

「おまえ、まだ自分のこと、人間だと思っていたんだ?この状況で?そんな力を持っておいて?」

 

 伊吹雪は少女の言うことがわからない。自分は変な能力を持たされただけの少女だったはずだ。そうだそのはずなんだ。

 

「じゃあ、ゲームをしよう。君がクリア出来たら考えてあげる」

 

 何事もなかったかのようにスーツの女性の口元は笑っている。

 

「ゲーム……?」

「そうゲーム!姫ちゃん」

「なに?」

「彼女の何がダメなの?」

「精神」

「とのことなのでそれをどうにかしましょう!」

「ルールは簡単!」

 

 そう言った瞬間、彼女の顔が歪み五つの目だけが伊吹を捉える。

 伊吹はそれと同時には磔から解放される。

 

「満足するまで遊ばれろ」

 

 その目の一つから光線が放たれ伊吹の頬を掠める。

 

「ヒィ!?」

「恨むならボク達じゃなくその力を恨むんだね」

 

 伊吹は急いでその場から逃げる。青い人影を搔き分けてウサギのように逃げる。

 

「いや!やめて!」

 

 頭の中で声がする。

 

(困っているようだな……)

 

 彼女をここに連れてきた声。パニックになった彼女は気にしている余裕はない。

 

「やだ!帰してよぉ!」

 

(助けてやろうか?)

 

「たすけ」

 

 藁にでも縋るように、反射的に助けを求めようとした時、光線が喉を焼いた。脊髄を貫き、首から空気が漏れる。声を出せず啞然とする彼女は体を動かせなくなり、うつ伏せに倒れる。

 

「君には恨みはないけれど、こっちも必死でね。向こうの影響を受けた人間を野放しには出来ないんだ。まぁ、流石に可哀想だし生かしてはあげるよ」

 

 そこで彼女の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 暗い部屋の中、棚の中に大量の瓶が並ぶ。どれも瓶というには丸く開け口が無い。ガラス玉というには平らなそこがある。瓶には何本かコードやチューブが繋がり、その中で浮いているピンクの脳。

 

(タノシイ……)

(キモチイイ……)

(ウレシイ……)

 

 くぐもった音が部屋に響くように聞こえるが実際に音は鳴っていない。

 

「おお、いいこいいこ。」

 

 一人の女性がそれの一つを抱え愛おしそうに撫でる。

 

「女医君、居るかね?君に届けものだ」

 



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第三章 空白の亡骸
第36話 真理の館


 

 時刻は三時、柳は一旦家に帰った後、一人で例の林の一本道に来ていた。空は少しだけ赤みがかっている。夢で見た一本道を歩く。後ろから闇が迫ることもなく進む。

 道は所々荒れ果て、落ち葉や土が被り汚れている。枯れた木々の上に数羽の烏が止まっている。

 

 夢で見た時はここまでは汚れて居なかった。

 

 館の門は雨風と時間による劣化で錆び付き、鎖を巻かれて閉ざされている。館自体も白い塗装が剝がれ、かつて見た美しさは何処へやら。門の奥に見える噴水は枯れて庭にあった調度品の数々は無くなっている。

 

 柳は門をよじ登り、中に入る。スーツの裾に錆が付いた。

 廃れ、誰も入ることのない館に久しぶりの来客だ。

 

 昼前に見た資料で見たカルト宗教「真理の瞳」と呼ばれる連中は教祖の夏川宗一が全てを見渡す真理の神からもたらされた瞳によって世界に確変をもたらそうとしていたらしい。詳しいことは資料からはわからない。少なくとも柳の中学生時代には聞いた覚えはない。

 

 だが夢で見たこの景色、更には闇がその全容を隠している。闇が隠す秘密を求め扉に手をかける。

 

「開いてる……?」

 

 柳は不審に思いながらも館に入る。館の中自体は埃が被っただけで異常は無く、掃除すればまだ使えそうだ。入ってすぐのエントランスは広く薄暗い、壁紙やシャンデリアは劣化している様子は無い。

 

「まだ綺麗だな」

 

 館の中は昔、誰かがそこで暮らしていたのか生活の痕跡が残っている。埃が被っているもののそこに残された物品はまだ使えそうだ。信者が生活していたであろう簡素なベッドルームや謎の像やボードが保管された部屋達、食堂やトイレ、シャワールームなどがあり、住み込みでの生活が行なわれていたのだろうか。鍵のかかった部屋もあり、その中は分からない。だがその部屋の扉には化学室や技術室と書かれている。

 

「宗教で化学?」

 

 館の部屋を一つ一つ見て回るが、見たところでは誰もいない。ここで惨劇が行われていた時、どんな状態だったのだろう?

 

 そんな時、柳の目に一つだけやけに豪華な扉が目に留まる。館の正面奥の先、その部屋の扉は綺麗に装飾され、プレートがつけられている。

 

「夏川……?」

 

 ここを仕切っていたであろう人物の部屋だ。

 だがそれはプレートの真ん中に「夏川」とだけ刻印されている。教祖というからには様づけとかもっとこう……敬うだろう。

 

「なんで、夏川だけなんだ?」

 

 その答えは扉の先にあった。その扉の先は玄関。

 

 ?

 

「???」

 

 一瞬、自分に何が起きたかわからない。館の奥の一つの扉の先が、まるで一般家庭にあるような玄関が柳を迎えたのだ。自分が何処か別の場所にいるのではないかと後ろを振り返るが、後ろはさっきまでの館の廊下だ。

 

 館の中に家?

 

 随分と素っ頓狂な設計だ。建物の中に建物とは。つまりあのプレートは表札だったのだろう。マトリョーシカのようなこの設計に何が隠されているのか気になった。

 



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第30話 柳風斗の過去③

 その日の夜、柳はアパートの自室でアルバムを探していた。

 知らぬ間に忘れていた高校時代、その中身を探していた。

 

「あった」

 

 押入れから取り出された一つのアルバム。

 そこに映る柳はどれも笑顔は一つもない。むしろ怒りなのか悲しいのかわからないが不機嫌なものが多い。だが年が経つに連れそれも無くなり三年の頃には誰かと楽しそうだった。

 

 記憶の無い風景。

 

 だがそれが恐怖や違和感を抱くよりも懐かしく感じるが、ただそれだけではない得も知れぬ空白の感覚が柳に残っている。

 

 柳は押し入れの後ろに目をやる。

 柳のすぐ後ろの布団で眠る姫。

 

 彼女と過ごして早一週間は過ぎ、未だ彼女のことが良く分からない。わかるのは柳に好意を向けていること。頭の悪い柳でも嫌でも意識してしまう。外見こそ違えど、この子は夢で見たあの人なのではないか?

 

「姫、もしかしてお前……?」

 

 そんなまさかが、柳の中を廻る。

 

 だが足りない情報で答えが出るわけでもなく横になる。安らかに眠る目の前の姫。

 考えても埒が明かない。そのまま布団の中で眠る。

 

 

 

 柳は幼い頃、悪と戦う正義の味方の番組を見て育った。一本筋の通った自身の正義を変えることなく戦う。その生き様に憧れたのだ。

 英雄になることではなく何があっても曲げない生き様に惚れたのだ。

 なまじ身体能力だけはあった柳はその正義と同じ様に生きた。かつて彼が友人達と纏めたそのグループは柳の象徴と言えよう。

 

 夢の中、柳は車に乗っていた。後部座席で一人、助手席には母、運転席には父が居た。そこで二人は楽しそうに話していた。内容はわからない。柳の新生活の事だったかもしれないし、今から向かう楽しい旅行の事だったかもしれない。

 

 だが一瞬にして全ては燃えた。

 

 そのとき柳が理解出来たのは何かが車にぶつかり車が宙に浮いた事だけ。

 

 気が付いた時、そこは燃える車内だった。朦朧とする意識、煙が足元に向かい上がる。目の前は赤いインクが一面に広がっている。

 ベルトを外した時、頭から天井に叩きつけられた事で始めて車が反転していることに気づいた。火の手は自分のそばに来ていた。少しづつ割れた窓ガラスまで這って出る。柳はその後の事はよく覚えていない。

 

 ただ古ぼけた屋敷の暗いリビング、仏間には二人の写真が有った事だけ。

 

 二人は柳の事を愛していた。柳の事を否定することなく、ただ不器用で学を気に付けられなかった彼が生きやすいようにと、人としての道徳や社会のことを教えてくれた。暴力的な風斗が不貞腐れる事無く正義でいられたのは間違いなくこの二人のおかげだった。

 

 柳には二人の死が受け入れられなかった。ずっとこの家で暮らすことは度々のフラッシュバックで出来ず、家を管理することも出来ず柳は最低限の荷物を纏め、今の駅に近いアパートにやって来た。幸い怪我もなく入院もしなかったが柳が失った物は多い。

 

 思い出したくもない記憶。

 だがこの先を知らねば柳は今置かれている謎には近づけない。

 意を決して、夢の中でその次を見ようと目を閉じる。

 

 

 

 目を閉じた瞬間、柳は闇の中に立っていることに気付いた。目を開けても変わらない暗黒。足元には水たまりがあるのか足を動かすたびに、チャプチャプ音が鳴る。そこから少し離れた場所にポツンと、電灯とその灯りが地面を照らす。その下の水は白く反射して一面水浸しだということがわかる程だ。暗黒の中を柳は歩く。

 

 白熱電球から出る光は暖かく懐かしい。その下に立ったと同時に周りの風景が変わり始める。

 

 暗い林道に点在する電灯の一本道の先にある洋館。

 柳はそこに何度か行った事がある。理由は解らない。それ以外、全て黒く塗りつぶされた闇が広がり情報が得られない。背後から何度か何かが割れる音が鳴る。

 

 振り返ると後ろの電灯が一個ずつ割れ、闇が迫る。急いで館に走る。迫る闇は黒一色で電灯と並木を飲み込んでいく。最後の電球が割れると同時に門に飛び込み扉が閉められる。庭の調度品を照らすライトや、真ん中の広場の噴水を照らすライトが闇を追い払う。

 

 一息つき柳はその館を探索しようとした時。

 

 ジリリリと鳴る目覚ましが時間切れを告げる。



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第31話 表向きの日常

 煩わしい目覚ましの咆哮が響く。

 もう少しあれば夢の中を探れたのに。時計は八時、今日は土曜、休みだ。柳は今日見た夢に違和感が有った。何がどうおかしいのか自分でもよくわからない。

 

 渋々起床しキッチンに向かう。自分一人ならこのまま寝ていたいが姫が腹を空かせるだろうと柳は歩き出した。季節はそろそろ秋に入る頃だろう、足が冷える。

 

 ひと月の研修も終わり、今は十月。段々と六課にも馴染めてきた。あの事件以来は訓練ばかりで、取り敢えず殺せば死ぬを徹底して殺しのイロハを仕込まれた気がする。警察が基本、人間相手ではないとは言え殺し。益々、警察六課が正義ではないことを痛感する。

 

「今日のごはんはー?」

 

 寝起きの姫が訪ねてくる。

 

「目玉焼きでいいか?」

「うん」

 

 フライパンの上で焼ける二つの卵と少しばかり厚いベーコン。焼けた卵に塩コショウ、レタスとベーコンをパンで挟んだ簡単なサンドイッチ。

 生活は前より良くなった。夜遅くだが最近は二十四時間やっているスーパーもある。仕事終わりに適当に食材を買って帰る。この間の給与は並の手取りは家賃食費抜きで五十万。地方の二十代では信じられない給与だ。

 柳にはあまり物欲がない。この前付けていたアクセサリー類は硬いし武器に使えるから持っていたような所が大きい。仲間はそうではなかったようだが。今はそんな物より、もっぱら食費に費やされている。

 

「今日はどうするの?」

「そうだなぁ……」

 

 柳は普段この頃は何をしていただろう?何処かのゲーセンか適当な街中で遊んでいただろう。だが仲間も居なくなり独り。

 

「服でも買いに行くかお前の、ワンピース一個だけじゃ寒いだろ」

「やったー!」

 

 だが、今柳には姫が居る。

 

 

 

 柳の住んでるA市駅周辺から離れたところ、国道沿いにあるショッピングモール。

 都会ならば駅近くにあるものだが、田舎とはそういう所だ。

 ここに来たのはいつぶりだろうか?夏休みに来て以来、誰とも来ていなかった。柳のすぐ後ろから着いてバスを降りる姫。

 

 柳と並んで歩く姿は兄妹のような印象を与える身長差だ。

 久しぶりに私服の赤いパーカーで外に出た柳と。傍から見れば日系人とロシア系のハーフの子に見えるだろう。

 

「フウト、どんな服がいい?」

「そう言われても俺にセンスなんざないぞ」

「フウトが選んだものがいいのー」

「そうは言ってもなぁ、どうするか?」

 

 女子の服に興味の無かった柳はどうするか決めあぐねていた所に、救いの手が差し伸べられる。

 

「お困りですか?」

「ん?ああそうなんです」

「わぁーかわいー!」

 

 柳そっちのけで姫の方に構う店員に面食らった柳。

 

「ふふーん!そりゃあそうでしょう!」

「妹さんですか?」

「似たようなもんです」

「んが!?」

 

 胸を張り誇らしげにする態度に適当に柳にあしらわれたのがショックなのか、それとも妹と間違われたショックか、今度は姫が大口を開けてショック受けた。

 その身長差と幼い振る舞い相まって、そう思われるのも無理はない。実際は神とそれに付き纏われている人間なのだが、それが分かる人間はその当人だけだろう。

 

「じゃあ、この中か選んで下さい!私がそれにオススメの服を教えますので!」

 

 結果、姫のコーディネートはもこもこした暖かいグレーのファスナー付きのパーカーに黒いベレー帽、下は少し緑がかったベージュのロングスカートになった。

 

「フウト!どう!」

「わからん!」

「えぇ……」

 

 店員に引かれ、不機嫌になった姫と店を出る。その服を買ったが柳には乙女心なんてわからない。それを知っているのは()()()()()()()()()だろうと言うのに。

 どうしたものかと頭を抱える柳に姫が言った。

 

「いいもん!分からないならボクが教えるだけだもん!フウト!」

「ん?」

「こっち来て!」

 

 そうして連れられて来たのはメンズファッション店。

 

「今度は僕の番だからね!」

 

 ここから数時間、柳は散々、自分のファッションショーに付き合わされることになる。

 

 

 

 満足そうに前を歩く姫と、その後ろを大荷物で歩く柳。長い間服を着させられるという長い拘束時間に晒されその顔は虚空を見つめいる。

 

「どうだった?」

 

 そんな柳の顔を下から覗き込むように顔を見せてくる。整った顔立ちがいたずらっ子のように微笑み、うつむく自分の顔近くにまで迫る。

 

 小悪魔のような妖艶さとあどけない無邪気さが混ざった顔に、柳は胸が高鳴る。

 

 夢で見たあの少女と姿が重なる。

 

「なぁ」

「なあに?」

 

 自分の喉まで出かけた言葉を発していいのか悩む。悩むうちにその心臓の高鳴りが彼女への好意から来るのか、それとも彼女の正体を言及した時に起きる予測不可能な現象に対するものなのかがわからなくなる。

 

「い、いやなんでも……」

「ふふーん?」

 

 そのまま嬉しそうに軽やかな足取りで帰路に向かう姫。

 自身より小さい少女に弄ばれる柳は、今もそのドキドキの正体が判らずにいる。

 



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第32話 裏の関係性

 柳は帰りのバスで隣に座る姫を見る。バスは空いており運転手と前に座る数人以外客は居ない。一番後ろの席に座る二人

 鼻歌を唄いながら窓を楽しげに眺める彼女の横顔。ショッピングモールのどこかの店の一角で流れていた曲を口ずさむ。

 

「~♪~♪」

 

 何の歌かはわからないがテレビや街中でよく流れているような曲だった。それをどう思うというわけでもないが、柳はその横顔を眺めていた。

 

 自分とその少女の関係性。

 傍から見れば兄妹(にしては全然似てないが)、だが実際は人と神、それも最低でも顔馴染みの可能性が大きい。自身の記憶を封じた張本人、なのに自分と仲良く遊んでいる。腹の内が見えないが彼女の振舞いには柳の事を思って何かをしている。

 

 少なくとも今の姫には恋愛感情は抱いていない。柳はそれを再確認した。

 

「次はT街~」

 

 ふと、窓の外を何か見覚えのあるものが過ぎ去った。流れゆく建造物の隙間に見えた林、その奥に見える一本道。一瞬だけだがその奥深くに建物が見えた気がした。

 柳の中のまさかが内に渦巻く。次でバスを降り、その奥に行くべきかどうか。

 

「どうしたの?」

 

 突然顔色が変わった柳に尋ねる姫。だが楽しげな表情が一転、固く結ばれた口に凍てついた眼が柳を捉えていた。心配そうに気遣う声とは裏腹に今にも柳を狙わんとする眼が、柳を身体を硬直させた。隣の席のすぐそば、目と鼻の先の脅威に身構えてしまう。実際に身体を動かせずだが、警戒だけが白痴の姫に向けられていた。

 

「?」

 

 だがそれも瞬きと同時に緊張がほぐれる。その後に見た彼女の表情は凍てついたものではなく、単に柳を気遣っているように思えたのだ。

 

「あ、いやなんでもない……」

「?、そうなの?」

 

 先程見たそれは、彼女を警戒するが余り見た幻覚だろうか。

 姫は頭に疑問符を浮かべ、また窓を眺め始める。

 バスはそうこうしている間にバス停を通り過ぎ、駅に向かう。

 

「~♪」

 

 窓に向かい鼻歌を唄う彼女の口角は上がっていた。

 

 

 

 その日の終わり。アパートに戻った二人。食用品や服の入った袋をそれぞれ下げ、自室の二階に通じる階段を上がる。カツンカツンと甲高い、靴とコンクリートの音が鳴る。暗い静かな夜に二人だけの足音だけが響く。

 

「ただいまー!」

 

 子供が元気いっぱいに奥のリビングに駆けていく。

 

「お風呂沸かしといてー!」

 

 一目散にキッチンに向い、料理を始める。冷蔵庫には今まで無かった様な野菜や調味料が増えている。

 ここ最近、ずっと姫はこの調子で家に居る時は家事をしている。さながら新婚夫婦のようだが、柳はこの特殊な関係に踏み込む事が出来ない。真相がわからぬ故、得も知れぬ恐れも故に。曖昧な記憶の中の人間と、今の幼い神。うかつに踏み込む事がどんな結末を孕むのか柳には予想がつけられない。

 

「ああ」

 

 テレビのニュースでは今日は三日月の晴れだの、一か月前のK高校に不審者が入っての臨時休校を受けての各地の避難訓練だの、多数の行方不明者だの、どこかで生まれた子犬の話だ。世間の日常が騒がしく垂れ流れる。

 

 二人の食卓を、窓に写る曇一つない暗黒の中に、金色の満月が二人を見つめる。

 



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第33話 捜査講座①

 休み明けの月曜、柳は警察と違い民間協力者。(巡査部長だが)

 捜査中は土日も仕事はあるが基本休みだ。

 

 今日からは本格的に捜査に入る。

 

「おはようございます」

「ああ、おはよう。柳君」

 

 柳の入った事務所には伏警部以外にも、もう一人。

 

「女医さん」

「やぁ、柳風斗くん」

 

 いつも通りに黒いマスクを被ってここに居る。外でもその格好なのだろうか。

 

「どうだい?調子は?」

「別に……なんともないです」

「なにかあったらウチに来な。君は今日からあたしのお得意様になるようなもんだからね」

 

 そう言って鴉女医は白衣から名刺を取り出す。連絡先と住所が書かれているだけの紙だ。

 

「名前は?」

「だから好きに呼びな」

 

 名前の書いていない名刺なんて怪しいに決まっている。納得のいかない柳だが黙って懐にしまい込む。

 

「で、今日は何をするんですか?」

 

 初任務というわけではないが柳は自分の鍛えた力を試したくて内心うずうずしている。若気の至りだろう。

 

「それなんだが……無い」

「ない?」

「無い」

 

「……え?ない?」

「うん、無い」

「ほんとに?」

「本当に」

 

 本当に無い。ないのだ、仕事が。

 

「え?噓ですよね!?どういうことですか!」

 

 問い詰める柳に伏警部が顔を逸らしながら言う。鴉女医はマスクの嘴から紅茶を飲んでいる。どういう原理なんだそれ。

 

「前に人手不足と言ったがそれは事件の起こった時の話なんだ。二人で捜査はできんだろう?だがそれ以外の時は基本暇なんだ、私以外」

 

 そう言ってる間に柳は逸らされ続ける警部の顔を追いかけ回りをグルグル走っている。

 

「私は基本おかしな事件がないか署を見張り、上層部の指示や見つけ次第に稲永君にゴーサインを出す係なんだ。つまり事件の無い今、君の仕事はないよ。おととい稲永君が手荒く全部燃やしたからね」

 

 この時、伏警部の脳裏には稲永が怪異や宇宙人相手に火炎瓶を投げながら高笑いする姿が映る。おとといの報告書にも大体燃やしたとしか書かれていなかった。手荒にも程がある。警部が上層部らしき所からの苦情を言われながらもを稲永に始末書を書かしていたのは柳も見た。その一枚には火炎の良さがありありと綴られていた。

 

 これだけ見れば放火魔だ。

 そんな稲永は仕事がないと知ると否やサボるらしい。今日もいない。

 

 柳は拍子抜けだった。それもそうだろう。いざ張り切って仕事をしようとしたら全部終わっているのだから。

 

「え~!?じゃあ今日は何するんですか!」

「そう心配するな、柳君。今日はさっき言ったアレ、怪事件探しだ。君にも覚えてほしくてね。事件を調べる時に足掛かりになることもある。今まで殆どはヤマダクンの持って来たものばかりだっただろ?」

 

 

 

 署内をうろつく伏警部とその後ろを歩く柳。時折見知らぬ刑事からジロジロ見られたが警部は気にする事無く歩みを続ける。

 

「大丈夫なんですか……?」

「君が気にすることは無い。もうすぐだ」

 

 見たことない人間に警戒する人間もいれば物珍しそうに見る人間もいる。

 

「誰だ?あのでかいの」

「おい、前のあいつ六課の……」

「ということは珍しく新人が来たのか」

「どこかで見た記憶があるような…」

「どうせ、あいつも長くないんだろうよ」

「落ちこぼれにしては若くないか?」

 

 数人の刑事が好き放題言うが反応する間も無く伏警部は速歩で去っていく。

 

「警部?警部!?」

 

 柳を置いて行かんばかりに歩いて行く。一体彼はどういう思いでここに勤務しているんだろう。少なくとも好まれてるとは思いづらい。

 

「ここだ」

 

 何事もなかったかのように連れられた部屋は資料室。息を切らす柳。

 彼の署内的地位が低いのは絶対、彼の普段の行いだと思う。

 

「あ、今起きてるのから捜すわけじゃないですね」

「事件自体は一週間で一回有ればいい方だよ」

 

 事件があればいいと形容するのは流石にどうだろうか。

 

 そう言って警部は棚から適当に未解決事件のファイルを三個、取り出す。それを持って先程と同じ様に高速で歩く。

 

「警部!?ちょっとぉ!?」

 

 伏警部は六課事務所でそれを広げ柳に尋ねる。稲永が警部を馬鹿にするのが分かる気がする。

 

「これらは表向きには解決していない事件がある。だがこの中から一つ我々が解決した事件がある。それを探してみてくれ」

 

 柳の嫌いな勉強の時間だ。



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第34話 捜査講座②

 目の前の三つの資料を読む柳。

 

 一つ目は川や湖での多発する水難事故。

 二つ目はA市のカルト宗教施設で行われた惨殺事件。

 三つ目は街中で起きた連続猟奇殺人。死体は全て臓器がその場で抜き取られていた。

 

 柳は一つ目のファイルを読む。最初柳が関わった事件かと思ったが違った。どうも証言や証拠からは急に水底に引きずり込まれ、二度と上がってこないらしい。捜索は行われたが水底に遺留品はあれど、被害者計十四名の遺体は見つかっていない。

 

 二つ目のカルト宗教の資料はここ、A市内にある森の中にあった建物で起きた。五年前に公安にも目を付けられていた過激派の新興宗教団体、「真理の瞳」がある日突然、全員鈍器のようなもので撲殺されていたらしい。教祖の夏川(なつかわ)宗一(そういち)の遺体は原型を保っておらず、今も犯人は見つかっていない。その日にそこの宗教団体の集会があったのか、信徒は一人残らず全員殺されていた。

 

 三つ目、この殺人事件はいつも早朝に死体が発見され、推定死亡時刻はそこから一時間以内。そのどれもが、あまりの凄惨な姿で発見者が気絶し通報が遅れることもしばしばあった。一般には広まっていないが仏の腹は裂け、頭は割れ、臓器と呼べるもの全てを引き抜かれた状態だった。肉と皮と骨。おぞましき人の加工肉と言えよう物体が、夥しい量の血痕とそこに残る。六名の共通点の無い被害者が出ており、その事件現場もバラバラ。だが十年前の事件の容疑者、干川(ほしかわ)源削(げんしょう)が被害者として発見されてからは音沙汰がない。

 

「さて、どれかわかるかね?」

 

 柳の頭で纏めた情報では導き出せる答えはわからない。

 どれもこれも六課がらみではありそうではあるが。というかA市が魔境過ぎる。

 

「案外、表に出てないだけでこういうことは地方程多いのだよ」

 

 柳の心を見透かしたように警部はコーヒーを飲みながら言う。

 

「今から一時間、その後に答え合わせだ。もう少し読んでみたらどうだ?スマホ、使ってもいいよ」

 

 吞気にまだ居た鴉女医と談笑しながら警部はタイマーをセットする。

 

 

 

 柳はネットで事件のあった現場周辺に検索をかけ怪しいところがないか探している。水難事故は幽霊が足を引っ張った等の話はあるが、ただ足を水に取られただけだと噂もある。

 

 宗教団体惨殺なら儀式でそんなこともあるのではないかとは思ったが誰か一人を撲殺するならまだしも、最後の一人はどうやって自分を殺すのだ?資料には一人残らずとある。これは人ならざるモノの犯行と言えるのではないか?

 

 猟奇殺人は容疑者死亡として幕を閉じたが犯行方法が不可解な点が多い。犯行現場はそれぞれ裏路地、下水道、山道など人目につきにくい場所ではあるが誰にもバレずに路上で人を解体するのはそう簡単にではない。普通、被害者は抵抗するし臓器を一つ残らず、それも頭部の細かい三半規管なども持って行くような事が短時間でできるのだろうか?これも人ならざるモノの犯行と言える。

 

「さて、もうそろそろ時間だ。わかったかね?」

「これ他の人にも聞いていいんですか?」

「駄目だ。こちらからヒントは与えられない」

「そうですか……」

 

 頭を抱えよく資料に目を凝らす。ふと、気になる点を見つけた。二つ目の資料の事件現場の写真。何処かで見た記憶がある。

 

「そこまでだ。さ、答えは?」

 

 それを考える前に警部が催促してきた。

 

「うーん、二ですかね」

 

「残念。答えは三だ。ま、一を選ばなかっただけ良しとするか」

「答え合わせと行こうか。さて前二つ、実は一つ目は異常存在が関わっている」

「え!?」

 

 柳が驚いたのは二つ目に一切異常存在が関わっていない事だった。

 

「だが我々が動かなかったのは理由は簡単だ。一つ目は幽霊が関わっていて、民間の霊媒師や霊能者と呼ばれる人間で十分だった。二つ目は信者が術を持っていたけど殺したのは全部人間だったという証拠があっただけなんだ」

 

「三つ目にはあたしも関わっていたからね。あんな手際よく解体した奴の(つら)拝んでおきたくてね」

 

 柳が何度もずっと資料を眺めている間、ずっと事務所の紅茶をわんさか飲んでいた鴉女医が口を開いた。

 

「二は単に解決してないだけなんですか?」

「ああ、犯人は未だ行方知れずだが。当時、稲永君にも見てきて貰ったが異常は無かったからね。まぁこの話はおいておこう」

 

 警部は資料を回収する。

 

「さて?どうだった?今日はもう大して何かするわけでもないし終わって良いよ」

「え!?もう!?」

 

 時刻は昼前。思っていたより早く終わって拍子抜けの柳。

 

「ちょっと待って」

 

鴉女医は何かに気づいたのかの機械を取り出し、柳を呼び止める。

 

「今日変な夢見たでしょ」



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第35話 検閲済み

 

「今日変な夢見たでしょ」

 

 突如、通常では言い当てられぬモノを当てられ柳は硬直する。

 

「なんでわかったんですか……?」

「何か見えたのかね?」

「ええ。伏、その資料貸して」

 

 伏警部が資料を渡す前にその手からひったくり、柳に一つずつ資料を見せる。

 

「反応が一番強いのは二つ目か……」

 

 柳のどこの何を見て判断してるのか鴉女医は柳の頭を見つめながら話す。

 

「この子にはもう言っていいんだったっけ?」

「ああ、君が良いなら」

 

 警部確認を取った後に彼女は少し俯いて何かを呟いた後、顔を上げて言う。

 

「”きみやとがはなんぞ?わがまゑにその■をあはらしたまへ”」

 

 その一言の後、柳は何かに吸い込まれる感覚が襲った。

 

 

 

 

 柳が気が付いた時、そこは暗黒だった。その中に一羽の烏が飛んでいる。

 

「目が覚めたかい?」

 

 柳の前にその鴉は飛んで来た。柳の目線の位置に、枝の上にでも止まるかのように

 降りる。そこには枝など無く。暗黒だけがあった。

 

「この姿で会うのは初めてだね。あたしは鳥葬の渡し人。君が女医さんと呼んでいた存在の正体だ」

 

 鴉がお辞儀をするように羽を腹の前に置き頭を下げる。

 

『ここはどこなんです?』

 

 その時、柳は自分の声が自分の喉から出ておらず、その空間にこだましているようにどこからともなく響いてきた。

 

「ここは君の記憶の中だ。ホラ、何か探してみよう。君の過去を」

 

 女医は現実と同じ様に説明よりも先を急いでいる。

 鴉がカァと一鳴きすると闇の中から色が浮かび上がる。

 

『女医さんは何者なんですか?何で頑なに言わなかった名前をここで言ったんです?』

 

 ぼやけた色が鮮明に世界を創り、空を、家を、道を造る。

 

「そうだなぁ、あの世とこの世を繋ぐ渡し人、とでも思っといてくれ。医者をしてるのはこの世で活動するための仮の姿だよ。」

 

 世界が創られたが何処か曖昧で、所々に暗黒が広がっている。

 建物の輪郭はわかるが下手な水彩画のように滲んで、空や道の先に大口が空いているように暗黒が待ち構えている。

 

「こりゃあ酷い。君の記憶は何かを隠すように暗黒に包まれていたという訳だ。これは興味深いな、忘却とは違う。」

 

「移動するよ。ついて着な」

 

 鴉は飛び立ち、柳はまるで鎖でも繋がれているかのように体を引っ張られる。暗黒に飲まれぬよう道を迂回しながら先に進む。数歩進むうちに世界は形を変え街中や校舎、大学、家の中など場所を転々としていく。継ぎ接ぎの動画を早送りしてるように切り替わっていく。

 

「えーっと何だっけ?そう名前だ。君、名前というのは裏の世界において非常に重い意味を持つんだ」

『?』

「名前というのはその世界に縛り付ける枷であると同時に力でもある。だから名前を知られるというのは余所者にとっては送り返されたり、封印されたりする弱点となる。動物の縄張りみたいなもんさ」

『ということは女医さんも余所から?』

「だけど名前を教えるというのはある種、信頼の証。まぁでも教えたのは本名じゃあないんだけどね。こっちで呼ばれた名前だから気にしないで」

 

 柳は知らない神秘に感心しながらも疑問は尽きない。

 

『どうして女医さんはこんな事が出来るんです?』

「あたしの本来の役割は渡し人、その際にその人の罪を覗き閻魔に口添えすること。これはその応用みたいなものさ。」

「今、どこに向かってるんです?」

「君の眼を見て分かったんだけど君が二つ目の資料を見ている時に違和感があってね。気になったのさ、君の記憶にヤマダから送られた資料から何か関係があると思ってね。」

 

 鴉が飛ぶのを止めた場所は夢に見た一本道。

 

 だがその先は既に暗黒に覆われ、先には進めない。

 

「これはもう無理だね。だけど確信したよ」

 

 鴉は振り返ってそう言う。その目線は柳の目の奥を見据えている。

 

「さ、目覚めだ」

 

 

 

 その後、柳は鴉女医に自分の中で何が起きているかを何度も尋ねたが教えてはくれなかった。渋々帰る柳を見送った後、伏警部は尋ねる。

 

「で、女医君。彼の中で何があったのかね?」

「あの子、罪が隠されてるね。それも随分と手の込んでる事で。わざわざ記憶消すのでは無く、()()選択をしてるのが不可解だけどね。」

 

「初めて気付いたときは驚いたよ」

 

 鴉女医はため息を吐いてからいう。

 

「なんせ、それを受け入れているんだから」

 



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第37話 夏川家

 入ってすぐの玄関には右手に階段、左に廊下がありそこにはリビングに通じるといくつか他の扉も見える。

 

 柳は靴を脱いで家に上がる。階段下には収納やトイレ、脱衣場、風呂。左手の扉の先はリビングにキッチン。その間取りは何処をどう見ても一般の家の間取りと同じだった。リビングの窓から見える庭は、狭く塀に囲まれ館の外も中の様子も分からない。ここは完全に玄関を境に外界から隔離されている。

 

「宗教を作って置きながら、当人は信者と距離を置くだなんて随分と身勝手だな」

 

 ここまでして彼、夏川宗一は何を、何から信者を遠ざけたかったのだろうか?少なくとも一階からはそれは分からない。

 

 階段から二階に上がる。二階には部屋が三つ。階段を上がって右側が子供部屋、左側が両親の寝室らしき部屋、正面が書斎だった。

 寝室には特に目ぼしい品は無い。ただの夫婦の営みが行われていたであろうキングサイズのベッドとクローゼットがあるだけ。

 書斎には壁の量際に置かれた本棚には、隙間無く本が敷き詰められ、真ん中に置かれたデスクを後ろの窓から入る夕陽が照らしている。どういう本が並べられているのか柳にはわからない。おもむろにデスクには何かの資料が置かれている。その紙は「閉鎖的集団生活の人間の変化」と書かれた原稿のようだ。著者は夏川宗一と書かれている。その中は人間が閉鎖空間で強い権限の役職を与えられた人間が如何に振る舞うか、如何に下の役職の人間に対する態度が変わるかなどの人間の変化が書き綴られている。

 信者を実験対象にしたかのような記録。殆ど人間が下の人間に高圧的になり自らの役職に固執するようだと書かれた物だった。

 

 知らない家の子供部屋を漁るのは気が引けたが、今更かと柳は扉を開ける。女の子らしい部屋の内装で、一人には少し大きいベッドと二着づつあるK高校の制服がかけられた棚。学習机と趣味の漫画や一昔前のゲーム機が置かれた棚。どこか懐かしい香りのする部屋だ。柳の勘が叫ぶ。

 

「夢の……あの人のか?」

 

 柳の中を廻る既視感と懐かしさがどうしてもここを探せと叫ぶ。わき目も降らず手掛かりを探す。棚やクローゼットを探る中、スクールバッグに目が付き、中を開ける。何だか悪いことをしているような感覚が柳の後ろ髪を引く。ノートや教科書には夏川姫と書かれている。彼女の鞄の中は日用品や筆記具、スマホがある。

 

 

 

 学習机の上に置かれた写真立てに目が行く。その写真には黒髪の少女と見覚えのある男性が写っている。

 

「俺だ……」

 

 写真の中の柳は無表情だが自分の顔だからわかる。少なくとも少女といることが嫌だと思っていない。にこやかに笑う少女の顔はとても楽しそうだった。

 その写真を取り出しよく見ようと写真立てを裏返した。

 

 時だった。

 

「フウト」

 

「え?」

 

 見たことのない程、無表情だが不機嫌だと分かる顔の姫が振り返る柳の前に立っている。

 館を探している間に日が暮れていたのか外はすでに暗い。

その顔は柳の後ろの窓から差す月明かりが、姫の顔を照らす。



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第38話 私が居るから

「フウト、何してるの」

 

 淡々と告げられたその一言に柳は狼狽える。無表情に柳を見据え、はっきりと言う。見開かれた眼は真っ直ぐ柳を見据えている。蛇に睨まれた蛙のように柳は身動きができない。暗い月明かりだけが部屋を照らし、周囲の闇から何が出てきてもおかしくない程、今の姫から出る恐ろしさは計り知れない。

 

「えっと、その……」

 

 柳はしどろもどろに言葉を並べその場をやり過ごそうとうしたが。

 

「ホントの事を言って」

 

 その一言で柳は怯む。落ち着いているようではあるが、怒りが込められているようでもあるトーンで問い詰めてくる。

 

(どうするべきだ?言うべきか?)

 

 少しづつ、精神的に追い詰められて行く柳。

 

 答えずどうするべきか考える中、思考が白く染まる。

 

「ねぇ、”教えてよ”」

 

 白痴の姫、忘却の神。その権能をフルに、柳から答えをひねり出そうとする。

 

「うぐっ…うがぁ……言う、いうから!」

 

 とにかく柳は焦った。このままでは全てを消されてしまう。

 

「曖昧な記憶と勘で、ここに来れば姫の何かがわかると思ってここに来ただけだ!」

 

 悩んだ結果、柳は正直に全てをぶちまけることにした。

 

「この部屋がもしかしたら神になる前の姫の部屋だったかもしれないんだ!」

「ふーん、そっか。」

 

 それだけ言うと彼女は微笑み後ろに手を組む。柳の気はまだ抜けない。

 

「ここがあたしの家だったの?変な家」

 

 あっけらかんと吐き捨てる姫。どうやら姫はここの事を知らなかったようだと、ここでようやく柳は胸をなでおろす事が出来た。

 

「帰って来るのが遅いから心配したちゃったよ。さ、帰ろ!」

「あ、ああ」

 

 いつもの調子に戻った姫に手を引かれ、柳達は夏川家から出る。

 危機は去った、さぁ帰ろう。写真を置いて。()()()()()()()()()

 

 

 

 館を出て、姫と二人で歩く。姫は上機嫌で柳の前を歩く。

 

 振り返って館を見る柳。錆び付いた館が寂しそうに見えるのはなぜだろうか?

 空の月が瞬きしたような気がするのは気のせいだろうか?

 疲れ切った柳は余り元気がない。全て目の錯覚か何かだと片付けた。

 

 館の前に、()()()()()()()()

 

「どうしたの?帰るよ?()()()の家に」 

 

 いつもの調子で言う姫に向き直って、姫が柳の手をつないで帰路に進む。姫が語気を強めたのも気のせいだろう。

 

 館の前で透けた白いワンピースが揺れる。

 その人物は寂しそうに柳の後ろ姿を見つめる。

 

 柳は知らない。彼が分かった気でいる事は氷山の一角。まだ真相には達していないのだ。

 それがわかるのはその当人達だけだ。 

 



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ははは、滑稽だなぁ!
第38.5話 ここまでしても意味はない


 

 ふふふ、君は詐欺師がどうやって人を騙すか知ってるかい?

 一流の詐欺師は噓は付かないんだ。

 

 じゃあどうやって人を騙すか?

 

 本当に大事なことを気付かせないんだ。

 

 聞こえのいいダイエット食品の効果に個人差があることをバレないように小さく書いたり、契約書の注釈を曖昧に書いて捉え方によってはどう転んでも詐欺師に利が出来るようにする。

 

 ふふふ、あはは!

 君、知っておきたまえよ。今回は君にも知っておいて欲しくてね。

 これを知っておけば見え方が変わるんじゃないか?

 

 まぁ、見たくないというなら君の自由だがね。

 

 全く恋煩いも困ったものだ。

 どんなに真似ても彼女は彼女だ。あの人になれない。それに気づかないなんて。

 

 ___________________________

 

 

「ふふふ」

 

 今は夜、白痴の姫は柳が寝た後、ベランダから宙を舞い、飛び立つ。両手を後ろに組み、黒いワンピースをなびかせる。その足取りは重そうだ。

 行き先は今日柳と出ていった館、真理の館。館の噴水の傍に降り立つ。

 

「姫サマ」

「さ、行くよ」

 

 入口で待っていた月の瞳と共に館に入る。暗く月明かりだけが差す館の中を、まるでここに何度も出入りしてるよう迷うこともなく先に進む。館の中奥、夏川家の書斎に何の迷いもなく入る。

 

「やっぱり、ここは気付いてないね」

 

 姫は寝室方面の壁側、本棚の一つにを触る。

 その中の本を一つを抜き取る。

 

 それがスイッチというわけでもなく、一つ残らず月の瞳と協力して本を全て取り出す。

 

 空の本棚を月の瞳が持ち上げ動かす。

 

 本棚があった所の裏の壁に、地下へ続く梯子だけの小さな空間が置かれていた。

 梯子の先のロウソクだけが壁にかけられた狭い廊下、その先の壊れた扉の空間。

 

 砕かれた不気味な石像の前に描かれた魔法陣。その中にはポツンと、砕けた骨が散らばっている。

 

「久しぶり、パパ」

 

 姫が指を鳴らすと同時に部屋のロウソクが一斉に輝き、世界が変わる。

 

 暗黒の星空がだけが空間を支配しする。普通の人間なら自分がどこに立っているかすら解らなくなるだろう。姫の目にあった石像だったものは壊れた肉塊としてその場に漂う。それと魔法陣があった場所に横たわる黒髪の白いワンピースの少女、その顔は()()()()と似ているが、腹から血を流し息絶えている。

 

「久しぶり、おねえちゃん」

 

 不敵な笑みを浮かべその亡骸に言う。

 

 姫は写真立てを取り出し中を開ける。そこから出て来たのは二枚の写真。

 姫の目の前の少女と柳の写真に隠れるように出て来た写真には、姫と少女の写真が出て来た。同じ黒いサイドテールで同じ顔、同じ制服。その違いは当人たちの僅かな違いでしかわからない。だが片方だけが制服の裾から見える傷痕が僅かに見えていた。

 

「フウトはボクに任せて。ふふふ、だから化けて出なくてもいいんだよ?」

「フウトはもう、ボクのモノなんだから!」

 

 写真を投げ捨て、持ちうる限りの力を振り絞りと言わんばかりに腕を白く輝かせその亡骸を消し去る。怒りに任せ、行動する姫を月の瞳はただ見守る。

 

「フウトはボクを見てくれるんだ!最後にはボクを……!」

「……」

 

 消したはずの少女が姫の前に立つ。傷一つない白い肌の白いワンピースの少女が姫の前に立つ。力任せに少女に殴りかかる姫。いつもの純粋無垢さは何処へやら。

 

 死んだ者は殺せない。姫のこぶしは少女をすり抜け姫は体制を崩す。

 

 転び、倒れる姫を見る少女の目はとても悲しそうだった。

 

「ボクが今!姫なんだ!」

 

 起き上がり叫ぶ姫が彼女に対して抱いているのは敵意ではなく嫉妬だった。

 

 月の瞳が拾った写真に写る二人の荷物に、名前が書かれていた。

 

 傷のない少女には夏川姫。

 傷だらけの少女に夏川紗妃(さき)と。



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