時世を廻りて (eNueMu)
しおりを挟む

廻る魂


 遊郭編放送間近につき乗っかって投稿させて頂きます(なお人を選ぶクロスオーバー作品)
 出来るだけ高頻度での更新を心掛けますので、それなりに期待して頂ければ…


 

 何処かの世界、何処かの地。一人の老人が寝床の中で、その生命の終わりを静かに待っていた。

 

 

 「(……もうじきだろうか。少しずつ、己の中に燻る灯火が…小さくなっていくのを感じる。これが────死ぬということか)」

 

 

 老人は、広くその名を轟かせた狩人だった。あらゆる地に蔓延る猛き獣らと、その身一つで渡り合う。それが、かの世における「狩人」。中でも老人は飛び抜けた実力を誇り、かつては同業者でその名を知らぬ者など居ないといっても過言ではない程だった。

 

 しかしそれも、半世紀以上も前の話。老人のことを知る人物は、今では随分と限られている。老人自身、現役を退いてからは長い月日が経っていることを自覚していた。ゆえに、今はただ緩やかな走馬灯に意識を委ねていく。

 

 

 「(団長に誘われて、『我らの団』に入ってからというもの……苦難は絶えなかったな。幾度となく、世界を背負わされた。最早鎧すら纏えぬこの身からは、到底想像もつかないな、ふふ…)」

 

 

 老人が思い出すのは、旅の記憶。個性豊かな仲間たちと共に過ごしたキャラバンでの日々は、老人にとってかけがえのない宝物だ。

 

 

 「(豪山龍の撃退に始まり、黒蝕竜との因縁。シナト村の詩は…今この瞬間にも誦んずることができよう)」

 

 「(蛇王龍は、凄まじかったな。あれほど魂が痺れた経験は、後にも先にも数える程だった)」

 

 「(ドンドルマの防衛は、しばらく日課のようになっていたか。初代撃龍槍、叶うならば形が残ったまま大長老にお返ししたかった…)」

 

 

 想いを馳せるたび、老人の意識は霞んでゆく。今際の時でさえ冒険と狩猟への渇望を抑えられない己を、老人は自嘲する。

 

 

 「(嗚呼………やはり、捨て切れなかったな。結局私は、どうしようもなく『狩人』なのだ。生命を漲らせ、大地を、海を、空を巡るあの昂りが……己の生命が枯れても忘れられない)」

 

 

 闇に呑まれるその直前まで、老人は切に願う。

 

 

 「(もし……もう一度、機会があるとして。それでも私は、この生命の全てを本能のままに燃やすだろう。あと一度、たった一度で構わない……この未練を………拭い去る機会が……………)」

 

 

 

 

 

 その思考を最期に…老人は、永い眠りに就いた。

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 「魂」が、地脈の流れに乗って還ってゆく。

 

 

 

 

 

 この時偶然にも、地脈のエネルギーはその進路に裂け目を生み出していた。

 

 

 

 

 

 運命の悪戯か、神の奇跡か。

 

 

 

 

 

 時世(ときよ)を廻り、「魂」は全く異なる場所へと流れ着いた。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 「(…?ここは……)」

 

 

 「赤子」がゆっくりと、目を開く。瞳に映った光景は、赤子の見知らぬ景色であった。

 

 

 「(何だ?何が起きている?私は、確かに…)」

 

 「あら…見てください芳江(よしえ)さん、目を覚ましたようです」

 「おや。御当主様がもうじき来られますから、頃合いでございますね」

 「ええ、そうですね。私が一足先にこの子に挨拶してしまう形にはなってしまいましたが」

 「ご心配には及びませんよ。あの方の顔を一目見れば、たとえ赤子でも忘れられなくなるでしょうから」

 「まあ、うふふ」

 

 

 赤子の耳に入ったのは、2人の女の会話。母親と産婆と思しき人物が、何やら話しているようだ。

 

 

 「(……聞き取れない…。共通語では無いのか。────家屋の構造は禍群(カムラ)の里や東方の国のものに近い。そのいずれかだろうか…?その辺りで独自の言語を用いる国は記憶に無いが…)」

 

 

 赤子は、その会話の内容を理解できていない。尤も、生まれたばかりで言葉を聞き取り、意味を解することのできる赤子など尋常な存在ではないが。

 

 そこに…激しい足音が近付いて来る。足音が止まったかと思えば、次の瞬間────襖を勢い良く開けながら、男が声を張り上げた。

 

 

 「(む…!?金獅子!!────いや違う、人か…)」

 

 「吾輩の子は!!?」

 「御当主様!どうかお静かに願います!」

 「そうですね、この子が驚いてしまいますから」

 「む…済まぬ」

 「はい。して、闘志(とうじ)さん。見ての通り、愛らしい女の子でございますよ」

 「おお、そうか…!」

 

 

 男は、母親の伴侶であった。母親に抱き上げられた赤子は自らの扱いに、漸く状況を把握する。

 

 

 「(────!?これは……赤子だ!!私が、赤子なのだ!!何ということだ…!!夢でも見ているのか!?)」

 

 「御当主様。一つ、申し上げておかねばならないことがございます。奥方様、失礼致します」

 「…ええ」

 

 

 産婆が母親に抱えられた赤子に近づき、首元の衣をずらす。これにより、父親…闘志からも()()がはっきりと確認できるようになった。

 

 

 「……これは…傷か?」

 「いいえ御当主様、どうやらこれは痣のようです。奇妙なのが、出産に際してできたものという訳ではなく…元よりこの痣が浮かんだまま、御子は産まれ落ちました」

 

 

 赤子には、左頬から首筋にかけて、四筋の爪痕のような痛々しい痣があった。今でこそさしたる大きさではないが、成長するにしたがって痣も広がっていくことが予期される。

 

 

 「…この子の身体には、何か障りがあるのか?」

 「それについては、まだ何とも…なにぶん初めてのことでございますから、どういった兆しなのかまでは判りかねます。ただ、普通よりもかなり体温が高く……正直、こうして平然としているのが不思議な程で」

 「うむ…そうか」

 

 「(空気が少し…張り詰めているな。あまり喜ばしい話題ではないようだ……いや、待て!整理がまだだ!察するに、今私を抱いているのが母親で、目の前の男が父親で………!)」

 

 

 難しい顔になり、我が子の痣に目を遣る闘志。その時、彼の方に視線を向けていた赤子と目が合った。同時に、彼の妻が口を開く。

 

 

 「!」

 「…闘志さん。私はこの子を育てます。痣や障りの有無は、今気にしても仕方がないじゃありませんか。それよりも…少しでも多く、この子に愛を注ぎたい」

 「……そうだな。其方(そなた)の申す通りだ。吾輩としたことが、些事に気を取られておったわ」

 

 

 闘志は己の額を掌で打ち、再び我が子に目を向けた。憂いは、すでに晴れたようだった。

 

 

 「(────!)」

 

 

 慈しむような想いで赤子を見つめる両親。混乱の最中にあった赤子も、その視線を受けて落ち着きを取り戻す。

 

 

 「(……何と優しい瞳だ。我が子への愛情が、言葉にせずとも伝わってくる。間違いなく、心の清い者たちなのだろう。………そうだな。これが現実であるならば…ひとまず彼らにこの幼き身を預けるというのは、悪い選択ではあるまい)」

 

 「のう、結美(ゆみ)。この子の名は決めておるのか?」

 「勿論です。男の子の名と女の子の名、どちらも用意しておりましたよ。この子は女の子でしたから────『滲渼(にじみ)』。如何ですか?」

 「滲渼、か…うむ、良い名だ。……吾輩にも滲渼を抱かせてくれ」

 「はい。気をつけてくださいね」

 

 「(…!この男…隻腕か)」

 

 

 赤子────滲渼は、はたと気付く。父、闘志には…右腕が無かった。

 

 

 「(生まれついて無かったのか、或いは…失ったのか。……今は気にせずとも良いな。いずれ、分かる時が来るだろう)」

 

 「ふふ…実に利発そうな子だ。そら滲渼、吾輩のことは父上と呼ぶがいい」

 「ご、御当主様…流石に無茶な話です」

 「うふふ、せっかちですねえ」

 

 

 穏やかな日差しと父母の眼差し。狩人の数奇な第二の人生は、こうして始まったのだった。





 【狩人コソコソ噂話】
・本作主人公の前世に当たるのは、「モンスターハンター4/4G」の主人公です。本作では性別はぼかしておりますので、男でも女でも好きなようにご想像下さい。鬼滅で言うなら縁壱…は言い過ぎかもしれませんが、そのぐらい凄い人物です。多分2〜3回は世界救ってますし、無惨的立ち位置の敵も倒したと作中で明言される正真正銘の化け物ですね。ちなみに1番凄いのはこれらの功績が狩人(ハンター)として活動を始めてからごく短期間で打ち立てられたものだということ。なお、老衰によってその生涯を終えるのというのは(ほぼ)公式設定です。

・モンハン世界において、ムキムキマッチョな人物はとりあえず金獅子「ラージャン」に例えられます。ラージャン自体は角の生えたゴリラで、獅子というか狒々なのですが…これは彼(もしくは彼女)が怒った時に黄金の鬣が逆立つことが由来なのだと思われます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七度目の雪解け


 前世性別不明って、TS転生タグとか必要だったりするんでしょうか…指摘が増えれば追加します

(追記)性転換タグを追加しました。デフォルトの4/4G主人公が男性想定であることなどを鑑みた保険に保険を重ねた一応の処置なので、このタグを活かした展開などは一切ございません。予めご了承ください。


 

 春の兆しが訪れたその日、刈猟緋(かがりび)家の屋敷の縁側では、幼い少女が朝日に照らされて輝き融ける残雪を眺めていた。

 

 

 「(また、冬が終わる。ここでの暮らしも…随分と慣れてきたものだ)」

 

 

 少女の名は、刈猟緋(かがりび)滲渼(にじみ)。並ならぬ事情を抱える彼女は、しかし着々と新たな世界に馴染みつつあるようだ。

 

 

 「(流石は、赤子の脳だと言うべきか…全く未知の言語は、二年もすれば何の苦もなく理解できるようになった。文字を書くことはまだ少し難しいが、会話などは特に支障なくこなすことができる。細かな性質が共通語と似通っていたというのも大きかったやもしれん)」

 

 「(ただ、赤子になった原理については皆目見当もつかない。それこそ、『魂』が実際に存在するというのでもなければ……いや、だが…古龍の力は、摩訶不思議といって差し支えのないものも多かった。頭ごなしに見えないものを否定するのも、あまり良いとは言えないな)」

 

 

 滲渼がこのような分析を行うのは、初めてではない。未だ幼い彼女には、直ぐに何か成さねばならないことがある訳でもなく、暇になればこうしているか、()と共に外で遊ぶかしているのが常だった。そこへ、一人の女性がやって来る。

 

 

 「滲渼様、こちらでしたか」

 「!芳江殿」

 「雪を見つめるのは、程々になさってくださいね。目を痛めてしまいますから」

 

 

 芳江と呼ばれた女性は、刈猟緋家に仕える使用人だ。産婆や教師としての心得も有し、長らく重用されている優秀な人材で、滲渼も彼女には頭が上がらない。

 

 

 「ご忠告、有難く存じます。して、私に何か?」

 「御当主様がお呼びです。滲渼様にお話があるようで」

 「御意。直ちに参りましょう」

 

 

 芳江は、刈猟緋家の現当主である闘志…滲渼の父が滲渼に話があるということで、彼女にそのことを伝えるべくここに来ていた。言伝を聞かされた滲渼は足早にその場を去り、父の部屋へと向かう。

 

 

 「………すっかり御当主様の言葉遣いが、移ってしまわれて…もう少し柔らかな口調でも、芳江は良いと思うのですがねえ」

 

 

 残された芳江は、ほんの小さな不満とため息を漏らしてから、自らの仕事に戻っていった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「父上、ただいま参りました……む?母上も居られましたか」

 「ええ。お早う、滲渼」

 「さて…まずは座れい。話はそれからよ」

 「御意」

 

 

 闘志に促され、彼の正面に正座する滲渼。闘志の隣には母、結美が並んでおり、二人の表情から恐らく重要な話が始まるのだと考えられた。

 

 

 「そろそろ、話しておくべきだと思うてな」

 「泰志(たいし)にも、去年話したの」

 「…と、いうと。此度の話について、ということでございましょうか」

 

 

 滲渼の問いに重々しく頷く闘志。そのまま、厳かに口を開いて語り始める。

 

 

 「……滲渼。これより吾輩が其方に語るのは、決して空言の類いではない。全ては真であり…我が家に託された使命でもある」

 「覚悟をもって、聞いてね」

 「…はっ」

 

 

 真に迫る両親の様子を見て、より気を引き締める滲渼。しかして始まった話の内容は、確かに常人が耳を疑うであろうものだった。

 

 

 「この日の本には、世にも恐ろしい『鬼』が潜んでいる。夜の闇に紛れ、人を襲い、喰らい、苦しめる悪鬼…今宵も必ず、奴らの毒牙にかかり、罪無き人々が命を落とすだろう」

 「………鬼、ですか」

 

 

 闘志の語った、まるで幼子を躾けるための作り話のような内容。それを滲渼は、心中で吟味する…ここでこの話をする意図を、読み取りながら。

 

 

 「…確かに信じ難い話ではありますが…抗う術も、あるのでしょう?」

 「如何にも。…飲み込みが早いな。流石は滲渼だ」

 「闘志さんの一族、刈猟緋の家門はね。戦国の世から代々、鬼と戦い続けてきたの。勿論、刈猟緋家だけじゃないわ」

 「悪鬼どもを滅するべく、人々は力を合わせ…奴らと戦うための部隊を築き上げた。名は、『鬼殺隊』。吾輩も、其方の兄…泰志が産まれる以前まではその一員だった」

 

 

 そう言って自らの存在しない右腕に目を向け、顔を顰める闘志。滲渼はそれで、大凡の事情を理解した。

 

 

 「……父上の右腕は、鬼との戦いで失われたのですね」

 「左様。悔しいが、奴らは強い。特に、『十二鬼月』と呼ばれる鬼どもは別格よ。吾輩の右腕を奪い、臓腑を破いたのもその内の一体…『下弦の陸』。十二鬼月で最も弱いとされるその鬼相手ですら、吾輩はそれだけの代償を支払った。倒しはしたが…最早、戦うことはできぬ肉体となってしまった」

 「何と……」

 

 

 父の身体が想像以上に傷付いていたことに、衝撃を隠せない滲渼。同時に、筋骨隆々とした闘志がそれだけ苦戦したという鬼たちは果たしてどれほどの強敵なのかと、尋ねずにはいられなかった。

 

 

 「鬼とは、如何様な化生なのでございますか。体躯は?膂力は?何か奇妙な力でも操るので?」

 「ふむ…気になるか。鬼というものが」

 「!!し、失礼致しました…」

 

 

 少しばかり目を見開き、滲渼を見る闘志。顔色を悪くする結美と合わせて、滲渼は自らが粗相を働いたと思い、謝罪を口にする。しかし、闘志は気にした様子もなく言葉を続けた。

 

 

 「いや、良い。…鬼は、その多くが我らとそう変わらぬ容貌をしておる。一様に異なるのは、牙か。鬼はみな、鋭い牙を携えている。体躯は様々だが、例外無く膂力は並外れておるな。それに、『血鬼術』という面妖な異能を扱う者もおる。十二鬼月は、まず間違いなくこの血鬼術を扱う。鬼ごとに術が全く異なるというのも、恐るべきことよ」

 「成程………それにしても、我らと変わらぬ姿、ですか……不思議なことも、あるものですね」

 「否。おかしな偶然などではない………鬼が我らに似ておるのは、必然よ。────全ての鬼は、元は人間であった故」

 「な…!!?」

 

 

 ここにきて明確に、滲渼の表情が変わる。彼女の驚愕に応えるように、闘志は話の要へと迫った。

 

 

 「元凶は、鬼舞辻無惨。鬼殺隊の誰一人として姿を知らぬ、ただ名のみが伝わる其奴こそが、鬼を生み出す諸悪の根源……鬼舞辻を討たぬ限り、我らの戦いに終わりが訪れることは無い」

 「…鬼舞辻、無惨……」

 

 

 その名を噛み締めるように呟く滲渼。鬼の存在も、無惨の名も、彼女にとっては未知そのもの。だからこそ…恐れと期待に、身が震える。

 

 

 「とまあ、ここまで話したが…何も其方に鬼殺隊に入れと強いるつもりは毛頭ない。吾輩が其方にこの話をしたのは、あくまでもそのような道もあると示しただけに過ぎぬ。泰志も、鬼と戦うつもりはないと言っておった」

 「だから、貴女が恐ろしいと思うなら……この屋敷の中で、穏やかに一生を過ごすというのも構わないわ。鬼は、藤の花を嫌うから…この屋敷ではいつも藤の花の香を焚いているの。ここなら、何にも怖がることは無いのよ」

 

 

 滲渼の両親は、鬼殺隊への入隊を強制しようとはしていない。結美に至っては、どうもそちらの道を選んで欲しくないようだった。…だが、滲渼の答えは既に決まっていた。悪を許すことが出来なかったのもそうだが、何より己の望みを叶える機会が得られた奇跡を手放そうとは思えなかったのだ。例えその選択が、優しい母の想いを無碍にするものであったとしても。

 

 

 「(…申し訳ありません、母上)」

 

 「父上。私は、鬼殺隊に入りとうございます。鬼を討ち、無辜の人々がこれ以上苦しまないように。悪がこれ以上栄えることのないように。どうか、私に鬼と戦う術を伝授して頂きたい」

 「……そうか。相分かった!では明日より其方には、鬼殺隊に入隊するための稽古をつける!厳しいものとなるだろうが…覚悟は良いな!」

 「はっ!」

 

 

 闘志は戦いに身を投じる決意をした滲渼に、今一度覚悟を問う。力強く返事をした彼女を、結美は悲しげな目で見つめていた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 夜。滲渼は翌日より始まるだろう稽古に想いを馳せながらも、依然として状況分析を重ねていた。

 

 

 「(『鬼』に、『鬼殺隊』。どちらも馴染みのない存在だ。────薄々感じてはいたが、きっとここはかつての私がいた世界では無いのだろう。………そういえば…『鬼殺隊』という言葉は断裂群島に足を運んだ時に聞いたことがあった。次元の歪みが、異世界の文化をもたらしたのだと誰かが言っていたか)」

 

 「(可能性として…地脈のエネルギーが何か悪さをして。一度繋がった異世界に私の『魂』が紛れ込んでしまったというのは、あり得ない話ではあるまい)」

 

 「(『鬼』は、父の話から判断する限りではモンスターと似たようなものなのだろう。人に戻すことは、できないのだろうか?善良な者がある日突然鬼にされるということもあろうに)」

 

 

 そうして思索に耽る滲渼に…眠っているかと思われた結美が、声を掛ける。

 

 

 「滲渼…起きてるかしら?」

 「!……母上?」

 

 

 彼女が起きていることを確認すると、結美はぽつりぽつりと静かに話し始めた。

 

 

 「……ねえ、滲渼。私ね、心構えは出来ていたわ。刈猟緋家に嫁ぐ時、全部闘志さんに教えてもらったもの。子供たちにも、鬼との戦いをさせることになるかもしれないって聞いてたわ。……でもね、いざそれが現実味を帯びてくるとね…凄く、恐いのよ。貴女が何処か、手の届かない所へ行ってしまいそうで。貴女の選択を咎めることはしないけれど、貴女の道を阻むつもりは無いけれど」

 「…」

 

 

 あまりにも切実な母の吐露。滲渼は寝返って母の方を向き、目を合わせる。

 

 「だからね、お願い。ううん、約束。………生きて。死んじゃ、嫌よ」

 「…はい。約束です」

 

 この七年で学んだ、約束事の合図。小指を結び、己と母に誓った滲渼は、久々に母の胸元で眠りに就いた。





 【狩人コソコソ噂話】
・滲渼の前世はひどくお人好しで、頼まれたことはとりあえず引き受けてしまいがちです。正義感も強く、困っている人は見過ごせない性格ですが、MH4/4G作中では特に言葉を発することはないものの登場人物とのやり取りから案外人間くさい所もある人物であることが分かります。

・実はモンハンと鬼滅は、スマホアプリの方でコラボしたことがあったりします(当該アプリは既にサービス終了済み)。モンハンシリーズでは他にも様々な作品とのコラボがあり、果てはハリウッドとまで共演しましたが、本作ではそれらを地脈エネルギー(モンハン世界の謎エネルギー。『新大陸』と呼ばれる場所に顕著に存在)の働きかけによって異世界と繋がりが生じ、人や物が流入したものと解釈しています。「モンハンで異世界?」と思われるかもしれませんが、新大陸調査団は割とすんなり受け入れていたので突拍子もない考え方という訳ではないです。

 【明治コソコソ噂話】
・現在、時系列は明治。まだ日露戦争も起こっていません。

・滲渼の兄「泰志」はかなり気弱で、今で言うインドア派。度々外で遊びに誘ってくる妹には辟易していますが、家族としての愛情は確かです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

稽古の日々

 

 「父上、本日より宜しくお願い致します」

 「うむ。改めて言うが、鬼と戦う力を其方に授けるべく、稽古はかなり厳しくなるだろう。己の選択を曲げたくなければ、確りと付いてくるが良い」

 「御意」

 

 

 刈猟緋家の敷地は極めて広大だ。屋敷の建つ山、丸ごと一つが刈猟緋家の私有地。当然、修行場や稽古場に困ることはない。早朝、滲渼と闘志の二人は日差しが降り注ぐ広場に立っていた。

 

 

 「鬼殺隊の隊士が用いるのは、大きく二つ。『日輪刀』と、『呼吸』だ。『日輪刀』は傍目にはごく普通の刀と変わらぬが…剣術を鍛えた者が握れば、刃の色が変化する。『呼吸』には多様な種類があり、それらの素養に応じて刃の色もとりどりに変わる。其方はまだ身体が小さい故、先ずは『呼吸』の稽古からだな」

 「呼吸とは…今私たちが行っている?」

 「否、唯の呼吸には非ず。人の身に眠る力を最大限に引き出す、特別な呼吸法よ。当然、扱う者たちそれぞれで適する呼吸法は異なる。とはいえ、基本となる『水・雷・風・炎・岩』の呼吸の何一つとして合わぬという者はそうおらぬ。案ずることは無いぞ」

 

 

 滲渼の疑問に丁寧に答える闘志。説明を終えると共に、腰に携えた刀に手を掛け、抜き放つ。刃が青く染まった、美しい業物だ。

 

 

 「吾輩からは、『水の呼吸』を授けよう。身に合わぬと思えば、己なりに手を加えよ。ではよく見ておれ────行くぞ!!」

 「!!」

 

 

 刀を構え、裂帛の掛け声を放つ闘志。身構えた滲渼の目の前で、彼は一文字に刃を振るった。

 

 

 「『水の呼吸 壱ノ型 水面斬り』ィィイイイッ!!!」

 「な────」

 

 

 刃の軌跡に、凄まじい波濤が描かれる。瞬きののちに全ては泡沫のように消えてしまったが…滲渼にとっては、心底目を瞠るべきものだった。

 

 

 「ち、父上!今の激流は、一体!?」

 「うむ。これぞ、日輪刀と呼吸の真髄。正しい呼吸法をもって振るわれた日輪刀は、それらに応じた幻すらも見せるのだ」

 「……何という…!!これを、私に伝授して頂けるのですか!」

 

 

 想像を絶する妙技に目を輝かせ、逸る気持ちを抑えられない滲渼。しかし────

 

 

 

 

 

 「うむ!たった今見せた通りよ!さあ滲渼、倣ってみせよ!!」

 

 

 

 「………はっ?」

 「呆けることなど何も無いぞ!肺臓をこう、ぬんっ!!として!筋肉をせいっ!!と!もう一度見せてやろうか?」

 

 

 

 「………は、その…お願い、致します」

 「相分かった!!ぜええぇいィィッ!!『水の呼吸 壱ノ型────』」

 

 「(…………成程。これは、厳しい稽古となりそうだ………ある意味で)」

 

 

 闘志には、絶望的なまでに育手としての才能が無かった。滲渼の目は、既に明後日の方を向いていた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 稽古が始まって一ヶ月。闘志の酷すぎる教え方にも不平を漏らすことなく、滲渼は今日も呼吸の練習に励んでいた。

 

 

 「むむ……動きは悪くないのだがな…やはり呼吸はからきしか」

 「はっ…はっ…申し訳、ありません……」

 

 

 近頃は呼吸の稽古があまりに進まないので、小さめの竹刀を持ち、剣術の稽古も並行して行い始めていた。どうしても呼吸が使えず、肉体的にも幼さが残る分、闘志との模擬戦は負け続きだ。

 

 

 「目を凝らしてみよ、滲渼。筋肉の動かし方さえ学べば、じきに肺臓も赤子の手を捻るように操れるようになろう」

 「(…目を凝らす、か……)」

 

 

 滲渼は、この世界に産まれ落ちてからというもの、そういったことを一度たりとも行ったことが無かった。命のやり取りを行う相手が居なかったことや、それに伴ってそもそも必要が無かったというのが要因としては挙げられるだろう。

 

 しかし、事ここに至ってはそうも言っていられない。命を懸ける戦いへの備えであるから、出来ない、やらないなどというのは通用しないのだ。

 

 かつての日々、若かりし頃を思い出して…滲渼はその双眸に、力を込めた。

 

 

 「……ッ!?」

 

 

 ────瞬間。世界は確かに、滲渼の瞳に透けて映った。

 

 思わず怯み、眼から力を抜く滲渼。世界はいつも通りの光景を取り戻したが…驚くべきことが連日続くあまり、ついつい立ち眩んでその場にへたり込む。

 

 

 「!?どうした、滲渼!大事無いか!?」

 「ち、父上。父上の筋肉が…臓腑が、まろび出たのかと……」

 「…どういう事だ?………何が見えた?」

 

 

 闘志の問いかけに、滲渼は訥々と事実を述べる。

 

 

 「……申し上げた通りに、ございます。父上の筋肉が…衣を、皮膚を通して見えました。同様に、臓腑も。確かに、心の臓が、鼓動を刻んでおりました。……これは、一体…?」

 「何と…」

 

 

 当然、闘志にとってもこれは驚くべきことだった。滲渼はこれがこの世界の常識なのかと慄いているが、決してそんな事はない。彼女という存在が、桁外れに常軌を逸しているだけなのだ。

 

 

 「……滲渼。其方はやはり、神仏の寵愛を受けて産まれて来たのやも知れぬ」

 「寵愛、ですか…?」

 「もう一度、吾輩を『透かして見る』ことはできそうか?」

 「…やってみます」

 

 

 先程と同じように、眼に力を込める滲渼。やはり世界は透き通り、父の筋肉や臓器までもが顕になった。

 

 

 「…できました、父上。違いなく、同じことが起きております」

 「そうか……そのまま、動けるか?」

 「無論です」

 「…よし。では、行くぞ。肺臓を確と見るが良い。『水の呼吸』、己が物として見せよ!!」

 「はっ!!」

 

 

 ────この日、滲渼はこれまでの苦悩が嘘であったかのようにあっさりと「水の呼吸」を習得した。まだまだ手をかけたばかりといった所ではあるが、肺の動かし方を知った彼女はここから爆発的にその力を増していくこととなる。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「『水の呼吸 拾ノ型 生生流転』」

 「……見事!実に美しい!」

 

 

 初めて「水の呼吸」を習得してから一年。滲渼はついに、壱から拾の型全てを完璧に繰り出すことができるようになった。また、身体も成長したことで、日輪刀を振るうことにも大きな問題は無くなっていた。

 

 

 「流石と言うべきか…一度掴んでからは、早かったな。吾輩よりも余程才がある」

 「ありがとうございます。……ただ、何と申せば良いのか…」

 

 

 称賛を受け、礼を返す滲渼。しかし、何やら口籠もっている様子を見て、闘志が彼女の心中を代弁した。

 

 

 「合っておらぬか、水の呼吸が」

 「!…はい。率直に申せば、私には少し……大人しすぎます」

 

 

 水の呼吸は、滲渼に適した呼吸では無かった。「水」から派生させるというのも少々考え難く、その一切が彼女と噛み合わないものであったようだ。

 

 

 「済まぬな…吾輩も水の呼吸以外はまるで素人、これ以上呼吸について教えられることといえば…『全集中』と『全集中・常中』ぐらいしか残っておらぬ。後者については又聞きした程度で、吾輩も身に付けた訳ではない。何より、どちらも合わぬ呼吸で無理に習得すれば、妙な癖が付いてしまうだろう。其方はやはり、己だけの呼吸を編み出すべきだな」

 「私だけの、呼吸……」

 「焦ることはない。剣術の稽古もそう間を置かずに皆伝をやれるだろう。時間をかけて、少しずつ練り上げていくが良い」

 

 

 呼吸の稽古が一段落し、剣術も闘志の想像以上の速度で腕を上げる滲渼。心と体の成長に合わせ、彼女は自分なりの呼吸法を模索していく。





 【明治コソコソ噂話】
・闘志は水の呼吸しかできないと言っていますが、その水の呼吸もかつての育手である先代当主からは絶対に合っていないと言われていました。しかし、変な反骨心で頑張った結果、何故か拾ノ型まで習得できてしまい、育手を仰天させました。多分本人の最適正は岩か炎です。

・今闘志と滲渼が使っている日輪刀は先代当主が遺した一振りです。闘志の刀は下弦の陸との戦いで相討つ形で折れてしまいました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

倣うべきは

 

 滲渼は、気付けば十歳になっていた。闘志との模擬戦ではもう久しく負けていない。呼吸を覚えたこと、そして肉体が育ち、前世での感覚を取り戻しつつあることで、剣術の勘を取り戻したことが理由だ。唯一、己に合った呼吸だけが見つけられないままだった。

 

 

 「はい、宜しいでしょう。美しい字でございますよ」

 「ありがとうございます」

 

 

 そんな彼女は、今は文字を書く練習をしている。結美や芳江が、滲渼にも最低限の教養を身に付けさせるべきだと闘志に進言したのだ。そのため、稽古が始まる前よりは少ない時間ながら、引き続き勉学に励んでいる。しかし滲渼本人は、あまり身が入らないようだった。

 

 

 「では、次は……おや?どうかなさいましたか?」

 「…その……呼吸法について、考えておりまして」

 「おやまあ…少々、根を詰めすぎではありませんか?たまには刀を置いて、他のことに目を向けてみてはいかがでしょう」

 「はい…尤もだと思います」

 

 

 滲渼は芳江の提案に賛同してはいたが、どうしても己の呼吸を編み出すことに囚われてしまう。呼吸法の模索を始めて既に三年、悩みの大きさも一入だ。

 

 

 「残念ながら、私にはそういった心得はございませんで…奥方様もあまり積極的にはなれないでしょうし、困りましたねえ……」

 

 

 芳江にとっても今の滲渼の状態は喜ばしいものではない。どうにかして力になってやりたいとは思うものの、彼女に出来ることは限られていた。そんな折、ふと思いついて口に出す。

 

 

 「そうですね、泰志様に聞いてみるというのはどうでしょうか?あの方もお年の割に随分と聡明な方でありますから、何か色よい答えが得られるかもしれませんよ」

 「…兄上に?しかし、兄上は戦いに身を置くことを厭悪していると…」

 「ええ、その通りでございます。しかし、こういうことは何事も先ずは手を拡げるというのが肝要です。意外な見方というのもありますから」

 「……ふむ…」

 

 

 ややあって、確かに芳江の言い分も一理あると考えた滲渼。自分だけで試行錯誤を続けるより、少しでも手掛かりを得ることを選んだようだ。

 

 

 「…一度、兄上の下に足を運んでみようと思います」

 「それがよろしいかと。では、書き取りを続けましょうか」

 「御意」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「兄上」

 「…滲渼!?珍しいじゃないか。近頃は稽古で忙しそうだったのに」

 「はい。そのことで少し、相談事がございまして」

 「相談?」

 

 

 滲渼は兄…泰志に、己が今行き詰まっている内容と原因を掻い摘んで説明した。呼吸などの具体的な単語は出さなかったが、それでも泰志は大凡を理解した様子で頷いた。

 

 

 「成程…自己流の技術か。僕から何か、その材料となるものを引き出したいんだね」

 「良き案は、無いものでしょうか」

 「うーん……」

 

 

 滲渼は、思っていたよりも積極的に頭を動かしてくれる泰志に驚きつつも、彼が言葉を発するのを待った。こういう時に口を出すのは、邪魔立て以外の何物でもない。ただ静かに、兄を見据える。

 

 そのまましばらく沈黙が続き…ふと、泰志は一言問いかけた。

 

 

 「………滲渼は、無から有を捻り出そうとしていないかい?」

 「…?それは、己だけの流派を築くために……」

 「ちょっと、違うかな。滲渼は凄く賢いけれど、頭も凄く硬いね」

 「??」

 

 

 泰志の指摘に首を捻るばかりの滲渼。くすりと泰志は笑いながらも、自らの考えを妹に告げる。

 

 

 「全ての流派には、必ず源流がある。それは学問であっても武芸であっても、或いは子供の遊びであっても変わらないよ。元となったものから、少しずつ、時に大胆に手を加えて、別なものとしていくんだ。この時大事なのは…何にどう手を加えるか」

 「……」

 「剣術に筆捌きを重ねるも良し、手遊びに斬り合いを重ねるも良し。父上から教えてもらったものが肌に合わなかったからといって、滲渼は暗闇に突き落とされた訳じゃない。今まで見てきたものから、何か着想を得られる筈だよ。後は、それを自分に合わせていけばいい。こっちは簡単だ。まだ形が決まっていない、在るが儘の素材を…自分の中に流し込む。そうすればほら、ぴたりと嵌るだろう?」

 「見てきたもの……好ましいものがあると良いのですが」

 「あるさ、間違いなくね。見つからないと思っても、無意識のうちに除けていたりするものさ」

 

 

 

 「────────無意識」

 

 

 泰志の言葉に、視界が白んでいくような錯覚に陥った滲渼。彼女は自らが気付かぬ間に分けていた、記憶の山に思い当たった。

 

 

 「(そうだ………私には、半世紀を超える経験の蓄積があるではないか。何故、これ程素晴らしい原石の数々を見過ごしていたのか。己より遥かに経験の少ない兄に気付かされるとは、恥ずべきことだ)」

 

 「…力になれたかな?」

 「!…はい。兄上、誠に感謝致します。貴方のお陰で、光明が射しました」

 「……そうか。………滲渼」

 「はい」

 

 

 顔を輝かせる妹に、泰志は小さく頭を下げた。

 

 

 「!?兄上…?」

 「済まない。僕が君より勇敢だったなら……父上は、君に刀を持たせる道を示すことさえしなかっただろう。僕は跡継ぎだからと自分に言い聞かせて、悪が蔓延ることを良しとした………卑怯者の臆病者だ。この先も辛いことがあるようなら…その怨み、存分にぶつけてくれて構わない」

 

 

 滲渼と同じ、七歳の頃。泰志は父から鬼の話を聞いて、すぐに臆した。真偽はともかく、外に出ることが無性に恐ろしくなった。彼が選んだのは、刀を持って悪を討つ道ではなく、広くも狭い屋敷の中で生涯を終える道だった。対して勇敢にも戦いの道を選んだ妹に、彼はずっと罪悪感を抱いていた。

 

 

 「……兄上。私が貴方を怨むなど、未来永劫あり得ません」

 「…滲渼」

 

 

 しかし、滲渼にとっては降って湧いた千載一遇の機を掴んだだけのこと。誰かを怨むなど、初めから慮外な事でしかなかった。

 

 

 「これは私が己の意志で選んだ道です。それに、この刈猟緋の家門を継ぎ、護ることが出来る者は兄上を置いて他に居りません。我等は互いに、為せることを為しましょう」

 「……そうだね。…ありがとう」

 

 

 兄と妹。分たれた道は、時に引き返せば再び手を取り合うこともあるだろう。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 翌日。早朝から、屋敷の裏手で一人佇む滲渼。彼女は今、呼吸の原型を己の内から引き出し、また同時に己の内に収めんとしている。

 

 

 「(命のやり取りをする者の動きは既に知っている。この肉体は、かつてのそれより遥かに脆い。しかし同じだけ、遥かに身軽でしなやかだ)」

 

 

 滲渼の肺が、軋む。雄大な自然が、人の器に溶け込んでいく。

 

 

 「(────滾らせろ。私の血がさざめく音を思い出せ。模倣の経験は、今世で十分過ぎるほどに得た)」

 

 

 過ぎし日の自身を核に、あらゆる猛威から、少しずつ。

 

 

 「(()()の力を、借り受ける。比すれば矮小な人の身なれど、その断片を背負うぐらいはしてみせよう)」

 

 

 

 

 

 「ガルルルル……」

 

 

 刈猟緋滲渼の『呼吸』は、遂に…その重い(あぎと)を持ち上げた。





 【狩人コソコソ噂話】
・モンハンシリーズには多種多様な武器種がありますが、滲渼の前世はその全てを超人的センスをもって扱うことができました。もしかすると、特定の武器種しか使わない所謂縛りプレイを己に課していたかもしれません。その辺りもご想像にお任せします。

 【明治コソコソ噂話】
・現在、本作の時系列は日露戦争真っ只中。しかしながら刈猟緋家は徴兵の条件に沿う人物が居ないので、三割ぐらいは他人事です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

猛き咢に畏れを抱け

 

 時は明治四十年。滲渼はその年、十三になった。未だ成長を続ける身体は、それでも既に高さ五尺三寸といったところ。筋肉も美しくその身を飾り、非常に恵まれた体格を手に入れていた。

 

 

 「……本当に行くのか?吾輩が最終選別に臨んだのは十五。確かに其方は今や吾輩の全盛さえも比べ物にならぬ程力を付けたが………少々急いてはおらぬか」

 「いえ。この一月、只管に己と向き合って出した答えにございます。焦りも逸りもありはしません。技はその全てが完成に至った訳ではございませんが……討つべき相手無くしては、画竜点睛を欠くというもの。戦いの中で極めてみせましょう」

 「…………そう………無理は、しないでね」

 

 

 そして同じ年…滲渼は鬼殺隊に入隊するため、最終選別に臨むことを決意した。使用人たちまで総出で滲渼を見送りに来ている中、結美は気が気でない様子だが、闘志は彼女の隣で滲渼の選択を問いただしながらも、本音としてはあまり心配はしていなかった。

 

 勿論、決して薄情な訳ではない。それ程までに滲渼が強すぎるのだ。久しく鬼と戦っていない彼でも、滲渼が規格外の実力を有していることは容易に見て取れた。仮に彼女が最終選別を通過できなかったのならば、それは確実に鬼以外の要因が絡んでくる場合だと闘志は確信している。

 

 

 「で、あるか……ここは、其方の意志を尊ぶとしよう。繰り返し言うが、鬼殺隊は公には認められておらぬ。刀を携えることも罪に問われる故、藤襲山までは人の目に触れぬよう向かえ。それと……選別では鬼に情けをかけるな。急所である頸を一息に断て」

 「御意」

 

 

 闘志から日輪刀を託され、忠告を受ける滲渼。少しの間瞑目し、精神統一を図ると…愛すべき家族に出立を告げた。

 

 

 「行って参ります」

 「…うむ。行けい!」

 

 

 すぐに振り向き、地を蹴る。たった一歩で、既に屋敷は彼方遠くへ離れていた。

 

 滲渼が立ち止まることは、なかった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「皆様。今宵は最終選別にお集まりいただき、誠にありがとうございます」

 

 

 その日の夜。半日程で最終選別の地、藤襲山へと辿り着いた滲渼は、日が落ちて漸く姿を見せた女性を観察する。

 

 

 「(若い。それに…美しい髪だな。白髪は健康を損なっている証左であることも多いが……彼女の臓腑に悪い所は無さそうだ。生来のものであろう)」

 

 「育手の方々から知らされているとは思いますが、改めて。最終選別の通過条件はただ一つ。鬼が彷徨うこの藤襲山で、七日間生き延びること。────御健闘を、お祈りしています」

 

 

 簡潔に説明を終え、山への入り口から退く女性。血気盛んにも飛び込んで行く者が大半を占める中、いざその時になって腰が引けている者もいる。滲渼は慌てるでもなく、しかし速やかに山に足を踏み入れた。

 

 

 「(救える命は、救うべきだ。足の運びからして、鬼と戦うには実力が及んでいない者も少なくはない。或いは恐怖で思うように動けなくなる、ということもあり得る。少しばかり傲慢な考えではあるかもしれないが……この七日間、誰一人として死なせはしない)」

 

 

 …そう考える滲渼の死角から、ひたりと近づく影が一つ。

 

 

 「(クク…女のガキにしちゃ随分とデカいじゃねえか…!!悪く思うなよ?怨むなら…俺をこんなクソみてえな山に放り込んだ鬼狩りを怨め!!)」

 

 

 姑息な悪鬼が涎を滴らせ、久々の御馳走にありつこうとその牙を剥き出しにして……

 

 

 「ガルルルル…」

 

 「(…?何だ……?狼なんざこの山には────)」

 

 

 

 

 

 

 

 (あぎと)の呼吸 ()ノ型 (はやて)

 

 

 

 

 「…は?」

 

 

 その頸を、宙に舞わせた。

 

 

 「(おい 嘘だろ 斬られた いつ?)」

 

 

 混乱し、死への恐怖すらも麻痺してしまった鬼。消滅の直前に彼が視たのは、夜に溶け込んだ漆黒の凶刃だった。

 

 

 「(化け物────)」

 

 「成程……確かに、人とそう違わぬ姿であるようだ。名も知らぬ鬼よ、許せとは言うまい。我等が生きるため…散るがいい」

 

 

 一瞬でその場から姿を消す滲渼。鬼の亡骸も塵と化し、後には何も残らなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「う、うわあああっ…!!」

 「がはは、その刀は飾りか!?そら、喰ってやるから大人しくしろ!!」

 「おい譲れ!!先に見つけたのは俺…」

 

 

 

 「咢の呼吸 (てん)ノ型 空燃(そらもゆ)火群(ほむら)

 

 

 少年を追う二体の鬼に、上空から無数の火球…否、斬撃が襲い掛かる。彼らは己の頸が斬られたことを知覚するよりも早く、全身を引き裂かれ、滅びて消えた。助けられた少年も、何が起きたのか正確には理解できていない。ひとまず、目の前に降り立った少女…滲渼に礼を言うことにした。

 

 

 「は、え…?あ、ありがとう…?」

 「構わぬ。それよりも…生き延びたくば、無闇に声は上げぬことだ。大きな音を立てると鬼が寄ってくるぞ」

 「わ…分かった」

 「また逢おう」

 

 

 少年を残し、また付近で鬼の気配がする方角へ向かう滲渼。道すがら見かけた鬼の頸を斬りながら、考えを巡らせる。

 

 

 「(鬼の気配は薄らと感じ取れる……明らかに人のそれとは異なるからだ。しかし奇妙なのは、その気配が減る速度が異様に速い。まだ東の方へは向かえていないが、そちらの方でもみるみるうちに鬼が討たれていく。誰か、私と同じような行動をしている者が居るのか?)」

 

 

 ふと、そこで意識を目の前に戻す。選別参加者と思しき少年たちが固まり、包囲を敷くように立ちはだかる複数の鬼に立ち向かっていた。戦況は悪くはないようだが、だからといって滲渼もそれを無視することはできない。いくらかの鬼の頸を落とし、少年らに声を掛ける。

 

 

 「今だ」

 「!!よ、よし、皆行くぞ!!!」

 「「「うおおっ!!」」」

 

 「丁度良い!儂の取り分が増えた、感謝するぞ娘────おっ?」

 

 「いいや…其方等は皆此処で死ぬ。一欠片とて、人の肉を口にすることは無い」

 

 「おい莫迦ども!!雑魚は捨て置いてこっちの女を先に……」

 「あぁ!!?誰が莫迦だ…ぎゃッ!!」

 

 

 鬼に協調性などありはしない。たまたま利害が一致した彼らは、互いに互いを侮り、嘲り、罵り合う。その場から鬼の気配が絶えるまで、十秒とかからなかった。

 

 

 「助かった!俺、村田って言うんだ!良かったら君も一緒に…」

 「済まぬ。まだ助けが必要な者達が居るやも知れぬ故、私は行く。必ず生きて、再び集おうぞ」

 「そ、そっか。それじゃ…」

 

 

 最終選別一日目。未だ、日が昇るには遠い。





 【狩人コソコソ噂話】
   〜咢ノ息吹〜
・「地ノ型 迅」
「迅竜」ナルガクルガから着想を得た技。闇夜に紛れて獲物を狙う音速の刃は、不可視と同義。鬼は自らの頸がいつ斬られたのか、最期まで理解することは出来ないだろう。

・「天ノ型 空燃る火群」
「火竜」リオレウスから着想を得た技。空の王者とも呼ばれた火竜の吐く業火は、碧落をも焼き尽くす。鬼の身体が失せぬ道理など、決してない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出逢い


 今回から、原作キャラに独自の設定を追加する、もしくはそれに準ずる描写が登場します。苦手な方は申し訳ございません。

※一人称視点あり


 

 「ふぅっ……ふぅっ……」

 

 

 最初の夜から何度日が昇り、沈んだだろう。育手には大丈夫だと送り出してもらったけれど、正直今のこの有様は大丈夫とは言い難い。

 

 鬼を前にすると、どうしても身体が強張る。頸を斬るにしても逃げるにしても、必要以上に力んでしまうせいで、思っていたよりずっと消耗が激しい。夜の闇が、恐ろしい。あと何日、こうしていれば良いのだろうか。

 

 

 「…ッ!!情けないっ!しっかり、しないと…!」

 

 

 唯一、鬼への憎悪だけが私を奮い立たせてくれる。私の大切な家族を奪った仇。赦すことなんて出来ない。根絶やしにしてやりたい。だから……こんな所で、死ぬ訳にはいかない。

 

 

 「見てて……私、頑張るから…!!」

 「落ち着け」

 「きゃあああああっ!!!!!」

 

 

 あまりにも突然だった。背後からの声に吃驚して、思わず刀を振ってしまう。理性ある人の声であったことに一拍遅れて気づき、しまったと思ったけれど…もう、止められない。どうしよう、どうしよう、どうしよう────

 

 

 

 

 

 「…す、済まぬ。そこまで驚くとは思わなかった。ただ、消耗しているようであれば身を隠すことも視野に入れるべきだと……」

 「……う、ううん。……私の方こそ、ごめんなさい…怪我は、無い?」

 

 

 咄嗟の一振りは、容易く受け止められた。刃を摘むようにして立っていたのは、大きな女の子。長い黒髪を後ろで結っていて、言葉遣いも凄く堅苦しい。痛々しい左頬の爪痕も相まって、まるで歴戦の侍だ。でもよく見れば、私と歳は変わらないようにも見える。

 

 

 「心配無用。それよりも……今ので鬼が、寄ってきているな」

 「!!ご、ごめんなさい…!!」

 「案ずるな、驚かせた詫びだ。この一帯の鬼は全て殲ぼして行こう」

 「え…」

 

 

 鋭い眼を更に鋭くして、腰に刀を構えた女の子。耳を澄ませば、獣の唸り声のような呼吸音が聞こえる。そういえばさっきから、ずっと響いていたような────────

 

 

 「『咢の呼吸 地ノ型 迅』」

 

 

 そう思うのと、彼女が飛び出したのは同時だった。尤も、飛び出した瞬間が認識できた訳ではなかったけれど。

 

 

 「…嘘、でしょう」

 

 

 そこまで感覚が鋭くない私でも、すぐに分かった。瞬き程の時間で、接近して来ていた鬼の殆どが死んだ。残った鬼たちも、多分偶然躱せて生き残っただけだ。それを示すように、慌てて何事かを喚いているのが聞こえる。そしてその声さえも、次の瞬間には途絶えた。

 

 

 

 

 

 …次元が、違う。もし私が万全の状態であったとしても、間違いなくこんな芸当は不可能だ。それに、「咢の呼吸」なんて育手からは聞いたことがない。もう既に、自分だけの派生を編み出しているということなのだろうか。

 

 そんなことを考えているうちに、彼女は私の前に戻ってきた。飛び出す前と同じ涼しげな顔だったけれど…ほんの少しだけ、憂いが混じっているようにも見えた。

 

 

 「…っあ、ありがとう…」

 「いや、構わぬ。先程も言ったように、詫びも兼ねてのことだ。其方が気に病むことではない」

 「そ、そう……」

 「では、また二日後に逢おう」

 

 

 二日後。そっか、もうそんなに…いや、それどころじゃない。

 

 

 「待って!」

 「済まぬ。まだ手の及んでいない場所があるのだ。皆を助けなくては」

 「!!…あの!私、尾崎!尾崎あやめ!!明後日、生きてもう一度逢いましょう!!」

 「………刈猟緋滲渼だ。失敬」

 

 

 私だけじゃない…皆を助けて回ってるんだ。凄い……本当に、凄い。

 

 刈猟緋滲渼。彼女の、名前。それだけ告げて、すぐに何処かへ行ってしまった。…彼女みたいに、なれるだろうか。

 

 

 『身を隠すことも────』

 

 「…そうだよね。まずは、生き延びないと」

 

 

 今日ここで、彼女と出逢えて良かった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…静かだ」

 

 

 山を駆けながら、小さく滲渼は呟く。選別は既に五日目、滲渼が鬼を殺し続けたこともあってか、藤襲山の空気は日を追うごとに穏やかさを増していっている。鬼の気配も、格段に少なくなっていた。

 

 

 「(やはり、私と同様…参加者を助け、鬼を葬って回っている者が居るな。────それも、今はすぐ近くに)」

 

 

 目と鼻の先で、鬼の気配が再び消える。人の足音も二人分聞こえるが…片方はこの五日間で遭遇した者の中でも、類を見ないほどの足運びだ。確実に、強い。

 

 

 「(さて…少しだけでも、お目にかかろうか)」

 

 

 木々の合間を縫い、話し声の下まで辿り着いた滲渼。その場に居たのは、二人の少年だった。

 

 

 「む…其方は、初日の。また逢ったな」

 「あ、ああ。凄いな…五日前と顔色がまるで変わってないじゃないか。こっちは皆と逸れるし、刀は折れるし散々だよ」

 

 

 狐の面を被った宍色の髪の少年と、妙に艶々とした黒髪の少年。後者は以前村田と名乗った、滲渼とも面識のある人物だ。流石に疲労が隠せない様子だが、気丈に言葉を返す。

 

 

 「知り合いか」

 「ああ、うーん…ほんの一言、挨拶程度に話しただけだけど」

 「……面の少年。其方が、どうやら()()であるようだな」

 「…そうだな。そう言うお前も、俺と同じらしい」

 

 

 狐面の少年と滲渼は、早い段階でお互いの存在を認識していた。はっきりと確信に至ったのはこれが初めてのことであったが…すぐに力量を認め、言葉を交わす。

 

 

 「死ぬな。共にこの選別、通過するぞ」

 「言われなくとも。お前こそ、油断はするなよ」

 

 

 二人はそのまま、すれ違う。それぞれの実力を信じて、彼らは残る二日間も同じように刃を振るうだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 「………刀、折れてるから…連れてって欲しかった、かな〜……」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 ────そうして迎えた七日目の夜。この日、運命は僅かに、しかし大きく変わる。

 

 

 「フフフフッ…鱗滝の奴も莫迦だよなァ……丹精込めて作った面のせいで、手前の弟子はみんな俺の腹の中だ………お前も、すぐにそうなる」

 「────やってみろ」

 

 

 静かに怒りを滾らせ、異形の鬼に立ち向かう狐面の少年。

 

 

 「クッ…」

 「小賢しい!」

 

 

 地中からの奇襲。

 

 

 「(!!これを躱すのか…!)」

 「焦っているか?種を明かすのが…早かったな!」

 

 

 更なる異形の変形。

 

 

 「終わりだ、外道。皆の仇…取らせてもらうぞ」

 

 

 その全てを看破し…鬼の頸に、刀を振るう。

 

 

 「(ま…まずい!だが……俺の頸は硬いんだ!!斬り損ねたその瞬間を狙って────)」

 

 

 

 

 

 ………本来なら、少年はここで異形の鬼…手鬼の頸を斬り損ね、命を落とす筈だった。

 

 

 

 しかし、異常が発生したこの世界の運命は違う。

 

 

 

 少年の刀は、本来よりもずっと摩耗が少なかった。

 

 少年の体は、本来よりもずっと疲労が少なかった。

 

 どちらも滲渼が、彼の奮闘の多くを肩代わりしたからだ。

 

 

 「『水の呼吸 壱ノ型 水面斬り』!!」

 「が────」

 

 

 その結果…少年の刃は、確かに手鬼の頸を断ち切った。

 

 

 「………鱗滝さん…やりましたよ」

 

 

 

 

 

 

 

 今回の最終選別は、隊士達の間で語り草となる。

 

 ────「死者及び脱落者無しの、空前絶後の大記録。当時藤襲山に居た全ての鬼が滅びた」…と。





 錆兎の実力の解釈については、意見が分かれる所だと思います。

 炭治郎が誰よりも硬く大きな岩を斬った、何より一騎打ちで錆兎を破ったということから、そもそも錆兎は炭治郎に及ばなかったとする意見。

 或いは当時の炭治郎にはまず不可能だったであろう、参加者全員を守り抜きながら鬼を討つという行動が災いして手鬼の頸を斬れなかったとする意見。

 私としては後者を支持したいと考え、今回のような展開になりました。無理は無いと思います…多分。

 また、尾崎さんが錆兎らと同期であるという設定はありません。下の名前の「あやめ」も創作です。本作のキーパーソンとなる予定なので、彼女の設定は今後も盛りに盛ります。ユルシテ…()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼殺の誓いに身を賭す時

 

 「…!」

 

 

 最終選別終了後、再集合の朝を迎えて。産屋敷あまねは、僅かながら目を瞠った。

 

 

 「(本当に、誰一人欠けずに……鴉から知らされてはいましたが、この目で見て改めて驚きましたね)」

 

 

 それと同時に、悲しくも思う。見たところ、選別を通過するには心体問わず少しばかり未熟な者が多いのだ。それら全員がそうなるとは断言出来ないが、どうしてもきっと長生きすることは無いだろうと考えてしまう。

 

 

 「(しかし…他方で、彼らは驚異的と言うほかないでしょう。特に、()()。どの隊士よりも………或いは、既に柱よりも────)」

 

 

 次にあまねの目に留まったのは、二人の少年少女。面を被った宍色の髪の少年と、滲渼だ。どちらも何やら、落ち着かない様子で辺りを見回している。少しして、二人はあまねに問いを投げ掛けて来た。

 

 

 「すみません…!負傷した友人を、他の参加者に預けていたのですが……!!何か、ご存知ありませんか…!?」

 「何人か、足りぬようだが…。彼の朋友等と思しき者達は夜明け間近にも見かけた。生きている、筈なのだ…何故此処に居ない」

 

 

 強く優しい二人の瞳。鬼殺隊の未来が拓けつつあるようにも感じながら、あまねは彼らの不安を取り除いてやった。

 

 

 「ご心配には及びません。大きな怪我を負っていた方々は、夜が明けると共に『隠』が治療を施すことのできる場所へ連れて行きました。その際、近くに居た参加者にも、前もって今後の流れをお話しながら手伝いに当たってもらっています。よって今回の最終選別、死者や脱落者は御座いませんでした。────お見事です」

 「本当ですか…!?良かった…!」

 

 

 あまねの説明を聞いて胸を撫で下ろした滲渼と少年。落ち着きを取り戻した所で、互いに向き直った。

 

 

 「感謝する。お前のお陰で、思わぬ所で助けられた。俺は、鱗滝錆兎。お前は?」

 「刈猟緋滲渼だ。私からも、其方の働きを讃えよう。欠ける者が現れなかったことは、疑いようも無く其方の力あってのことだ」

 

 

 手を取り、握手を交わす二人。そこに、もう一人の少女が飛び込んで来る。

 

 

 「あの!この間は、ありがとう!また逢えて良かった!」

 「!其方は…尾崎と言ったか。大事無いようで何よりだ」

 

 

 息も絶え絶えといった様子の参加者が目立つ中でも、尾崎は少なからず体力が余っているようだ。滲渼の忠告を受け、言われた通りに動いたのだろう。

 

 そんな風に再会を喜ぶ参加者たちに、あまねは改めて選別の終わりを告げる。

 

 

 「皆様、ご苦労様でした。そして、おめでとうございます。これより皆様は鬼殺隊の隊士となり、鬼と戦うためにより一層研鑽に励んで頂くこととなるでしょう。本日につきましては隊服の支給、階級の刻印、玉鋼の選定…そして、鎹鴉の進呈が主な予定となります」

 

 

 一息に入隊の準備作業の概要を伝えたあまねは、そのまますぐに手を叩く。すると、何処からともなくその場に居る参加者の数だけ鴉が現れ、それぞれの手や腕や肩に止まった。

 

 

 「(…ふむ。並の鴉より脳が発達しているな。きっと良く躾けられているのだろう────)」

 「オイ。ジロジロ見ルナ」

 「………??……気の所為、か…?」

 「見ルナッツッタロ!?少シハ遠慮シロォ!カァーッ!!」

 「な…!?」

 

 

 鴉を「透かして」じろりと眺めていると、唐突に鴉が言葉を話し始めた。流石にこれには滲渼も面喰らい、他の参加者たちも目を丸くしている。そんな光景にも眉一つ動かさずに、あまねは言葉を続けていく。

 

 

 「鎹鴉は主に連絡手段として用いられます。人の言葉を理解し、話すこともできる優秀な鴉ですので、良き関係を築いていって下さい」

 

 「…とのことだが」

 「オ前ノ態度次第ダナ」

 「(……少々頑固者だな。打ち解けるのには骨が折れそうだ)」

 

 

 鴉の振る舞いに内心溜め息を漏らしながら、滲渼はあまねの説明に耳を傾ける。

 

 

 「それでは、此方にあります玉鋼を選んで下さい。各々が選んだ玉鋼が、そのまま己の刀となりますので…熟考なさる事を、お勧め致します」

 

 

 あまねの側には、大きさや形が微妙に異なる複数の玉鋼があった。机上に並べられたそれらを見て、滲渼は成程と感嘆する。

 

 

 「(あんなことを言っていながら、その実どの鋼も質は殆ど変わらない。あくまでも己が選んで手に取った、謂わばもう一つの命であるということを強く意識させることが目的なのだろう。…ともあれ、ここは先陣を切っておこうか)」

 

 

 滲渼には、鉱物の良し悪しを見定める目も備わっている。それは世界を透かして見ることが出来るから…ということでもない。ただ純粋な、経験としての審美眼だ。迷いなく、一つの玉鋼をその手に収めた。

 

 

 「(ほんの僅かに、誤差の範疇ではあるが…この鋼が最も上質だ。素材としての性能は燕雀石と同等か…少しばかり此方が優るだろうか。加工には相当な技術を要するに違いない)」

 

 「…そちらで宜しいですか?」

 「うむ、この鋼で頼む。それで、隊服を支給するとのことだったが…」

 「はい。これから指定する場所で、寸法の計測と藤花彫りによる階級の刻印を行います。隊服はそこで支給されますので、その後は鴉から指令が出るまでの間ご自由になさって頂いて構いません」

 「成程、相分かった」

 

 

 

 

 

 そして…あれよあれよという間に全ての段取りが終了し、滲渼は一足飛びに刈猟緋邸へと戻った。家族に抱き締められ、使用人たちには手厚く労われ。

 

 彼女はごく短い、しかし暖かな憩いのひと時を満喫するのであった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それからおよそ二週間。刈猟緋邸の裏手で、滲渼はその日も鍛錬に励んでいた。暫く安穏と過ごしていた分を取り戻すように熱心に刀を振るい……はっと、誰かが屋敷に近付いて来ることに気付く。

 

 

 「(足音は二人分。…人力車か、これは。偶然此処を通っているということはあるまい)」

 

 

 刀を納め、ひょいひょいと屋敷を飛び越えて表へ出る。足音の主は、黒子のような衣装を纏った二人組だった。

 

 

 「わわっ。吃驚した…えーっと、刈猟緋滲渼さん、ですか?」

 「如何にも、私がそうだが……其方等は?」

 「日輪刀をお届けに参りました。詳しくは、この方から」

 

 

 二人の若人はその場で止めた人力車から、乗っていた老爺を降ろす。小さな身体ながら脇に長方形の箱を抱え、滲渼を見上げるその老爺は、ひょっとこの面を被っていた。

 

 

 「やァ、君が滲渼ちゃんか。凄い子や聞いてたけどおっきいなあ。取り敢えず、屋敷に上がらせてもらおかな」

 「…はっ。ご案内させて頂きます」

 

 

 幼子に見紛う程の体躯の老爺は、しかし滲渼の目で見れば一目で分かる程に手練だった。

 

 

 「(……稀代の鍛冶師だ。腕と、掌。刃を鍛える上で、寸分の無駄もない肉付き。立居振る舞いも芸術的と言って良い。恐らくだが…この者を超える鍛冶師はこの国には居るまい)」

 

 

 敬意をもって彼を案内する滲渼。屋敷に入り、事情を使用人に伝えて…数分もしないうちに、彼女と闘志は老爺と客間で向かい合う形を取っていた。

 

 

 「改めまして。ワシ、鉄地河原鉄珍。刀鍛冶が集まってる里で、長やってるの。えらいんよ、それはもう」

 「はっ。その腕の程、人智の域を超えたものとお見受け致します。このような山間までお越し頂き、恐悦至極に存じます」

 「何と…鉄珍様であらせられたとは、無礼をお許し下さい。二十年遡って尚、貴方様のお噂は隊士の間で伺っておりました」

 「うんうん、ええ子らやな。ほいじゃまあ、刀のお話しましょかね」

 

 

 そう言って傍らの箱に手を伸ばす鉄珍。取り出したのは、美麗な一振りの日輪刀だった。

 

 

 「(……これまた、途轍も無い業物だな…。公に打たれた刀であったなら、確実に歴史に残る銘刀となっただろうに)」

 

 「これ、滲渼ちゃんの刀ね。こない平凡な刀打ったん久々でな、気に入って貰えればええけど。握ってみ」

 「御意。失礼致します」

 

 

 鉄珍の差し出した箱から、日輪刀を取り出して掲げる。滲渼の手から延びるように、その刃を染めたのは────

 

 

 「藍か」 「紅…」 「(みどり)やね」

 

 

 

 

 

 「「「?」」」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「ほんまに凄い、面白い子や。玉虫色言うんかね?初めて見たわぁ」

 「美しいな…見る角度で色を変えるか。一つの作品として見ても完成されている」

 「これが、私の刀…」

 

 

 玉虫色。光の具合が角度によって変じるために、あらゆる色に映り得る不思議な色だ。滲渼の呼吸の由来を思えば、これ以上相応しい色はそう無いようにも思えた。

 

 

 「ええもん見れた、来たかいあったわ。これから頑張ってな、滲渼ちゃん。ワシは一足先にお暇します」

 「ありがとうございました。門前までお見送り致します」

 

 

 

 

 

 鉄珍が人力車に乗って去り、入れ替わるように結美と泰志が現れる。泰志の肩には、滲渼の鎹鴉が止まっていた。

 

 

 「滲渼。指令が届いたみたいだ」

 「カァーッ!刈猟緋滲渼!麓ノ村、鬼ノ目撃情報アリ!今宵真偽ヲ確カメヨ!!初任務!初仕事!失敗スルナヨ!!」

 「…御意。直ぐに向かおう」

 「………ああ、やっぱり…。貴女なら、そう言う気がしていたわ…」

 

 

 未だ日は没していないにも関わらず、任務へ出ると言う滲渼を憂う結美。滲渼はそんな彼女を見つめ、改めて誓う。

 

 

 「母上。私は、必ず生きて戻ります。あの日の約束、違える積もりはありませぬ」

 「…ええ。信じているわ、滲渼」

 「吾輩も、泰志も。この屋敷に住む者は皆、其方を信じて待っておる。いつでも帰ってくるが良い」

 

 

 選別の日の朝と同じように、皆が滲渼の旅立ちを見送る。そして滲渼も、己の渇望を充す以上に彼らを守りたいと強く思うようになっていた。

 

 

 「(鬼を目の当たりにしたことが…私の心の有り様を少しは変えたのだろうか)」

 

 「…皆。行って参ります」

 

 

 滲渼が再び、新たな一歩を踏み出す。

 

 風が、吹き始めた。





 【狩人コソコソ噂話】
・「燕雀石」とは、通称「マカライト鉱石」と呼ばれるモンハン世界の鉱石のことです。割と頻繁に出たり出なかったりする鉱石ですが、実は結構凄いんです。

 【明治コソコソ噂話】
・滲渼の鎹鴉の名前は「(よう)」。かなりプライドが高く、基本的に人間を侮っていますがその賢さは本物。自分で自分に名付け、漢字まで考えたスーパーエリートです。でも、字の意味は知らない。なお、泰志は会って間もないですが完全に舐められています。お労しや兄上()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む




※一人称視点あり


 

 「(流石に、まだはっきりとは分からないが…何か違和感はあるな。雑踏の中、微かに人の気配とは違うものを感じる。この辺りに鬼が出没することに間違いは無いだろう)」

 

 

 やや大きな麓の村で、滲渼は鬼殺隊の隊士として初の任務に臨んでいた。日は傾き出してはいたが、夜の訪れにはもう少しだけ時間がかかる。まだまだ人通りも多く、堂々と刀を携えて出歩くのは望ましくなかったので、今は人目を避けて村の中を探索している所だ。

 

 

 「(確実なのは…その出没頻度の高さだ。少なくとも目撃情報が入ってくる程度には頻繁に現れている……更には、日中ですら拭いきれない気配の残滓。今宵も現れる可能性はかなり高い)」

 

 「ドウダ?何カ分カッタカ?」

 「!鴉か…何処へ行っていたのだ?」

 「………俺、『(よう)』ナ。俺タチモ暇ジャネエ…隊士トハ別ニ動イテ、鴉同士デ情報ノ伝達トカシテンノサ」

 「ふむ……成程」

 「ソレデ、鬼ハ居ソウナノカヨ?」

 

 

 滲渼はこれまでの予測を燁に伝え、次いでに任務の内容を再確認する。

 

 

 「任務は噂の真偽を見定める、ということだったが…真であったならば、目標も改まるのだろう?」

 「当然ダ。鬼ヲ見過ゴスナンザ有リ得ネエ」

 「で、あるな」

 

 

 

 

 

 彼らが会話を交わしている間にも時間は流れ……村を囲む山々の向こうに、太陽が消えていく。鬼の時間は、すぐそこだ。

 

 

 「ソンジャ…俺ハ空カラ見テテヤルカラナ。シクジンナヨ」

 「其方は手を貸してくれぬのか?」

 

 

 揶揄うように笑いかける滲渼に対し、燁も器用に嘴を歪めて言葉を返す。

 

 

 「鴉ノ領分グライ俺ガ一番分カッテル。ソレニ、俺ガ居ナキャ下ッ端ノママダゾ?精々コノ燁ニ釣リ合ウ隊士ニナレルヨウ頑張リナ。カァーッ!」

 「ふ…精進しよう」

 

 

 翼をはためかせ、空へと昇っていく燁を見送る滲渼。既に彼の姿を隠してしまう程、空は暗くなっていた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(確か…今の私は癸、だったか。父上曰く、最高位の甲の更に上、『柱』と呼ばれる位の者達が居るそうだが…そこまで辿り着くには────)」

 

 「…!!て、てめえ……鬼狩りか…!」

 「其方のような鬼を、どれ程狩れば良いのだろうな?」

 「訳の分からねえことを…!」

 

 

 鬼は、静まり返った村の中を只管に徘徊していた。何やら物色するような動きに、滲渼はその目的を推し量る。

 

 

 「大方、足の付かぬよう独りでいる者を捜していたのだろう?運悪く、何者かに目撃されていたようだがな」

 「ちぃ……穴場だったのによお!!その澄まし顔ごとてめえを喰って、早いとことんずらさせて貰うぜ!!」

 

 

 そう叫び、鬼は滲渼に急接近する。腕を振るい、彼女を引き裂かんとしたが、これを滲渼は易々と躱した。滲渼からの反撃を恐れてか、打って変わって慌てて距離を取る鬼だったが…全ては遅きに失している。

 

 

 「『咢の呼吸 地ノ型 迅』」

 「ぉ……?」

 「『血鬼術』とやらが目に出来るやもしれぬと思ったが……初動が肉弾攻撃となれば、当てが外れたか」

 

 

 

 

 

 断末魔の叫びすら上げないまま消えてゆく鬼を見て、静かに日輪刀を納めようとして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸 地ノ型 迅』」

 「『天ノ型 空燃る火群』!」

 

 

 瞬時に、反応する。

 

 

 「やるねぇ…流石にこれだけ妙ちきりんな『呼吸』を扱うだけはある」

 「……何奴」

 

 

 滲渼を突如襲ったのは、彼女自身の技である筈の「咢の呼吸」の技だった。立て続けに現れた、尋常でない様子の新手に警戒心を高める。

 

 

 「(今の『迅』の精度……私のものと遜色が無かった。元来知っていたということは、有り得ない。一体何が…)」

 

 

 そこまで考えて…眼前の存在が鬼であり、また同時に並ならぬ者であることに気付いた。

 

 

 「(────下壱。潰されてはいるが、確かに右目に刻まれている…。まさか…)」

 

 

 

 「さっきの雑魚が血鬼術を覚えるまで、隠れて尾けてたんだが…運が良い。派生した『呼吸』は()()()だ」

 

 

 鬼は、片手に刀を持っていた。よく見れば、どうやら鬼の肉体の一部であるようだ。更にはその右瞳に刻まれた、「下壱」の文字。滲渼の脳裏を掠めたのは、父の語った「十二鬼月」「下弦」という単語だった。

 

 

 「感謝するぜ、鬼狩り。アンタのお陰で…一気に悲願成就が近づいた。礼と言っちゃなんだが………俺の申し出を受けてくれりゃ、見逃してやる」

 「…驕りが過ぎる…と、言いたいが。念の為聞いておこう」

 「アンタの技、全部俺に見せな。簡単なことだろ?」

 「断れば?」

 「殺す」

 「望む所だ」

 

 

 両者が再び、刀を構える。彼らがぶつかるその前に、鬼が名乗りを上げた。

 

 

 「元下弦の壱、児猴(じこう)。安心しな…じきに『元』は消えて、『下』は『上』になる。俺に喰われても、恥じることはねえよ」

 「…ならば、私も名乗っておこう。刈猟緋滲渼、階級癸。最低位の隊士に討たれること、存分に恥じるが良い」

 「くく…抜かせぇええッ!!!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 まだ俺が、十二鬼月だった頃。上弦と下弦が全員集められた時に、偶然()()を耳にした。

 

 

 「知ってるか、児猴。上弦の壱はな…鬼殺の『呼吸』を使うらしい」

 「…何だと?」

 「まあ、眉唾物だがよ。でもな、考えてもみろ。人間が使う分でも俺たち鬼と良い勝負出来る様になるような代物だぜ?鬼が使えばそりゃ強えよなあ」

 

 

 「馬鹿馬鹿しい」と、その時は一笑に付したが…すぐ後に、俺は下弦の壱を剥奪された。無惨様が言うには、

 

 

 「猿真似には飽きた」

 

 

 だと。

 

 茫然自失…その時は頭が真っ白になって何も言えなかったが、正直それで良かった。あの方は面と向かった鬼の心が読める、「巫山戯るな」なんて考えてれば今頃俺は死んでた筈だ。

 

 俺が居た頃も、下弦は下らない理由でしょっちゅう入れ替わってた。上弦の鬼どもはそれをただ眺めてるだけ…自分たちは安全ですみたいな顔が、心底気に食わねえ。

 

 

 「上弦の壱は、『呼吸』を使う……」

 

 

 藁をも縋る思いだった。呼吸のことなんて微塵も知らねえ、あまつさえ自分が使うなんて考えたこともねえ。それでも()()()()()なら、不可能じゃねえと思ったんだ。

 

 

 「う、嘘だろ…!?この鬼、『水の呼吸』を────」

 

 

 拍子抜けする程、上手くいった。呼吸を猿真似された鬼狩りは、皆間抜けな顔して死んでいく。鬼と人、同じ技を繰り出せばそりゃあこっちに軍配が挙がる。身体の構造からして俺たちは奴らより上の生き物…ちょっと考えりゃ直ぐ分かることだ。

 

 水も、風も、炎も岩も雷も。鬼狩りどもが基本だなんだと喋くってた呼吸は、いつしか全部俺のものになった。派生とやらがあるのを知ったのは、同じぐらいの頃。欲しくなったが、そういった鬼狩りには中々遭遇しなかった。

 

 ……あと少しなんだ。あと少しで、上弦の鬼どもの鼻を明かしてやれる。最後には上弦の壱の「呼吸」も貰って、俺が最強の鬼になる。

 

 そしたらよ、無惨様。俺に…「凄い」って言ってくれ。ただ、それだけでいいからさ。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「『咢の呼吸 天ノ型 空燃る火群』!!」

 「!」

 

 

 またしても滲渼に襲い掛かる己の技。迎撃を避け、一先ずは回避に徹しながら分析を重ねる。

 

 

 「(恐らくは、血鬼術!呼吸を模倣するのか!?いいや、それだけということはあるまい!)」

 

 「何か考えてるな?多分、思ってる通りだぜ……『血鬼術 (かがみ)(くだ)し』!!『殺目篭』!!」

 「む…!!」

 

 

 唐突に滲渼の周囲に、籠のような糸の檻が現れた。糸の強度は鋼鉄をも凌駕する程であり、それが急激に縮んで彼女を仕留めにかかる。

 

 

 「『咢の呼吸 地ノ型────』!!」

 

 

 更には動きを止めた滲渼目掛けて、児猴が同時に呼吸技での攻撃を試みている。滲渼に許されたのは、二つに一つ。そのまま檻に刻まれるか、檻を切り裂いて己の技に沈むか。

 

 

 

 そう、児猴は考えていた。

 

 

 

 「『咢の呼吸 天ノ型────』」

 

 「(間抜けが…!その技はもう見たぜ!!真似た技に対処出来ねえ程、俺は弱くねえぞ!!終わりだ…刈猟緋滲渼!!!)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『狼烏(ろうう)(わだち)』」

 

 

 「……………な、に…!?」

 

 

 狂気的な猛撃が、糸の檻を断ち、児猴を襲う。完全に未知の技を前に、彼は立ち尽くしたままその四肢を捥がれることしか出来なかった。

 

 

 「く、くそおッ……!!『鏡降し』!!!」

 

 

 慌てて血鬼術を発動させ、回復を図る児猴。足下に襖が開くと、彼はそこに落下して滲渼の前から掻き消えた。

 

 

 「!………いや…そう遠くへは行っていないな。完全に逃げた訳ではないか」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(クソ……!!どうなってやがる…!?確かに『天ノ型』つってたよな!?派生ってのはそういうもんなのか!?或いは俺を騙したのか、あの野郎────)」

 

 

 

 「『地ノ型 灼炎(しゃくえん)()り』」

 

 「!!!う、おおおおッ!!!?」

 

 

 肉体の再生が終わらないうちに、児猴の下に滲渼が追いつく。手狭な蔵の中に隠れていた児猴は扉越しの不意の一撃を辛うじて躱しながら、外に飛び出した。

 

 

 「……壊してしまったな。申し訳ないことをした」

 「ぐ、く……!!おいアンタ……!!同じ型で別の技、こいつは一体どういうつもりだ!!?鬼の俺が言うことじゃねえが、姑息だとは思わねえか!!?」

 

 

 およそ弱肉強食を是とする鬼らしからぬ児猴の非難。それを受けて、滲渼は滔々と事実を述べた。

 

 

 「…済まぬな。『咢の呼吸』は、私だけの呼吸につき……少々特殊なのだ。一つの型に、複数の技が存在する。『迅』と『灼炎斬り』は何方も『地ノ型』。『空燃る火群』と『狼烏の趾』は何方も『天ノ型』。(たばか)る積もりは、無かったが」

 

 

 そこまで口にすると、刀の鋒を児猴に向ける。

 

 

 「いずれにせよ、其方の命は此処で潰える。手の内を見せるのは……これきりと心得よ」

 「……舐めんなよ………俺の力は────こんなもんじゃ、ねえ!!!」

 

 

 再生を終え、皮下から刀を取り出す児猴。決着の時は…近い。





 【狩人コソコソ噂話】
   〜咢ノ息吹〜
・「型」
型は四つ、されど技は四つに非ず。偉大なる自然の前に、頭を垂れて慈悲を乞え。

・「地ノ型」
大地を駆ける自然の権化。力強い命の奔流は、相対する者に根源的な畏れを抱かせる。

・「天ノ型」
大空を翔ける自然の権化。見上げる程の命の威光は、相対する者に本能的な慄きを感じさせる。

・「天ノ型 狼烏の趾」
「黒狼鳥」イャンガルルガから着想を得た技。憚ることを知らぬ気狂いは、己の肉体すら顧みることは無い。守りを捨てた猛攻に、鬼どもはただ臆するのみ。

・「地ノ型 灼炎斬り」
「斬竜」ディノバルドから着想を得た技。熱され、研がれ、鍛えられた剛刃の一閃は、触れるもの全てを両断する。硬い鬼の頸も、水面に刃を進めるが如くするりと断ち切られるだろう。

 【明治コソコソ噂話】
・「血鬼術 鏡降し」
今までに見たことのある血鬼術・呼吸を同様の精度で再現する。呼吸の再現は元より備わっていた能力だったが、児猴が気付いたのは術の発現からかなり遅れてのことだった。全貌を収めなければ見たことにはならないため、鳴女の襖転移は予め転移先を指定しておくことで使えるが、無限城まで生成することはできない。無惨様は「じゃあ鳴女でええやん」ってなった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

例え児戯に等しくとも


 少々短めです。前話の切り所が難しかった()

※一人称視点あり


 

 「『血鬼術 鏡降し』!!『飛び血鎌』『咢の呼吸 天ノ型 狼烏の趾』!!!」

 

 

 自身の血液を斬撃として放出しながら、見たばかりの滲渼の技を並行して繰り出す児猴。しかし、その全てを滲渼に弾かれ、躱される。

 

 

 「化け物が…!!上弦の血鬼術だぞ!!?」

 「そうか。しかし、上弦になるというのなら……そう頼るような口振りは避けるべきではないか?」

 「!!チィッ……!!!そんなこと、言われるまでもねえんだよォッ!!!」

 

 

 

 

 

 児猴はその後も多種多様な血鬼術を滲渼に差し向けた…が、やはり一切は微塵に刻まれて消え、そよ風を厭うように跳ね除けられ、既知であるかのように看破された。

 

 

 「うおおおおッ!!『八重帯斬り』!!!」

 「(ぬる)い」

 

 

 数え切れない程人を喰い、これ以上無いと思うまで力を付けた。

 

 

 『アンタ…不細工だし、喰べるのは止しておくわ。感謝しなさい』

 

 

 十二鬼月としても貪欲に高みを目指し続けていた。

 

 

 『貴様ァ!!我らの……鬼殺隊の誇りを侮辱するなァァア!!!』

 

 

 呼吸さえも己がものとし、最早敵など居ない筈だった。

 

 

 「(こんなこと……あっていい筈がねえ!!此処からなんだ!!俺は、こいつの『呼吸』を使って十二鬼月に返り咲く!!人間如きに敗けるなんざ、万に一つも────)」

 

 

 

 「『咢の呼吸 天ノ型 螫影(せきえい)』」

 

 

 

 意識の間隙を突く、鋭い一閃。手当たり次第にばら撒いた血鬼術ごと、切り裂かれる。頸を守ることが出来たのは、奇跡に近かった。

 

 

 「ぶ、ぐふっ……!!また、新しい技を…!!」

 「…此れ迄、だな。如何やら血鬼術というのは、使用にも限度があるらしい。其方自身の動きが、明らかに鈍りつつある」

 

 

 滲渼の足音が近付く。児猴には、それが己の死期の宣告であるように感じられた。

 

 

 「(駄目だ まだ 終われねえ)」

 「眠れ」

 

 

 

 

 

 つまるところ………それは最後の足掻きに過ぎなかった。それでも、児猴は全霊をその瞬間に投じたのだ。

 

 

 「ゔぐお゛お゛お゛っ……!!!」

 「!?」

 

 「(下弦には…しばしば無惨様のお怒りを買って、惨たらしく喰い殺される奴らが出てくる。目にも留まらぬ速度で変形し、愚昧な鬼を貪るあの方の肉体────────それを、真似た…!!無惨様の一部を…俺は今、この身に宿している!!!)」

 

 

 

 

 

 鬼の首魁の変貌を、血鬼術で再現する。その試みは、半分は成功したと言っても良かった。だが……それを振るうだけの余力が、児猴には残っていなかった。

 

 

 「ぐううううぅぅ…!!!ゔごけえ゛え゛ぇぇッ…!!!」

 「………児猴。それ以上は、止せ。自壊が始まっているぞ」

 「はぁっ…!!!はぁっ…!!!アンタに、勝たなきゃ…同じことだ………!!!」

 

 

 壮絶なまでの児猴の執念。それを目の当たりにし、滲渼は少し思い直して…距離を取った。

 

 

 「児猴……其方の覚悟は、伝わった。ならば私も、今出せる全霊をぶつけるとしよう。それが、私が悪鬼に表する…最大限の敬意だ」

 

 

 腰を落とし、肩の高さに刀を構える。児猴の目にも、彼女の全てが研ぎ澄まされていくのが理解出来た。

 

 

 

 

 

 「(………ああ、凄えな。間違いなく、凄え技だ。ちゃんと、見て、俺のものに────)」

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸 (らん)ノ型 殃禍(おうか)(ぐら)』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 『母様!見ていて下さい、犬の物真似で御座います!』

 

 

 何だ、これは?

 

 記憶か?誰の?

 

 

 『うふふ…おまえは物真似が上手ね、本当に。猿楽の名手になれるやもしれません』

 

 

 思い出せない……

 

 ────「思い出せない」…?

 

 

 『私めを、大名様の側仕えに!?この上ない光栄で御座いまする!!』

 『うむ。風の噂によれば、真似事に長けておるとか。折角ぞ、余興のつもりで儂の物真似など如何だ?上手くできればその分褒美も弾もう』

 

 

 いや、違う。莫迦が、舞い上がりやがって……

 

 

 『ど、どうして!?これは一体何だと言うのですか!!』

 『喧しい、吠えるでない。お主など、儂の影武者として置いていたに過ぎぬわ。いざとなれば身代わりに往ね、それが恩返しというものぞ』

 

 

 

 『生き永らえたくはないか?貴様を捨てた主に、報いを受けさせてやりたいとは思わないか?』

 『……私は……俺、は……………』

 

 

 そうか。

 

 

 『駄目よ、お願い!!!正気に戻って!!!!!』

 

 

 これは、俺だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……………母様……愚かな俺を、許してくれますか」

 「勿論……こうして戻って来てくれただけで、十分です」

 

 

 ああ………付いてこなくて良いのに。

 

 なあ、仏様。母様の分の地獄は……猿真似の見せ掛けという訳には、いかないだろうか。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「………願わくば、来世にて幸巡らんことを」

 

 

 涙を流しながら、児猴の頭が散っていく。夜の帳が降りた村で、滲渼の初任務は無事成功と相成った。そうして一息ついた滲渼の下に、燁が戻って来る。

 

 

 「ヨウ。イキナリトンダ大物ガ引ッカカッタナ」

 「うむ……全くだ。ところで、報告は済んだのか?」

 「中継ギ役ガ居ルカラナ、後ハソイツラノ仕事ダ。ホレ、次行クゾ」

 「何?未だ就眠の一つも取っておらぬぞ」

 「夜働イテ、昼ニ寝ル!コレガ優秀ナ隊士ノ常識ダ!カァーッ!」

 「………まあ、構うまい…行き先は何処だ?」

 

 

 暗闇を駆け、鬼を狩る。滲渼の隊士としての活動は、まだまだ始まったばかりだ。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 鬼殺隊の本丸、産屋敷邸にて。現当主である産屋敷耀哉は、早朝に届いた鎹鴉からの報告に、穏やかな笑みを僅かに深くした。

 

 

 「…そうか。初任務で、元とはいえ十二鬼月を斃すとはね」

 

 

 徐に青空を見上げ…想いを馳せるは、同じ空を戴く先祖代々の大敵だ。

 

 

 「少し、風向きが変わったようだよ……鬼舞辻無惨」

 

 

 菩薩を思わせる十五の青年は、今も虎視眈々とその刻を待っている。





 【狩人コソコソ噂話】
   〜咢ノ息吹〜
・「嵐ノ型」
天地を揺るがす、驚嘆すべき自然の権化。時に災厄に比肩するとも謳われた命の狂騒は、相対する者に直感的な滅びを予期させる。

・「天ノ型 螫影」
「影蜘蛛」ネルスキュラから着想を得た技。狡猾にして、冷酷。一意専心に獲物を追い詰める捕食者は、その仕上げさえも無情そのもの。鬼が生物である限り、被食の宿命から逃れることはできない。

・「嵐ノ型 殃禍啖い」
「恐暴竜」イビルジョーから着想を得た技。弱者も強者も天災も、全ては等しく肚の中。鋭く斬りつける第一の刃を起点とし、音よりも速く返される第二の刃が貪欲に鬼の頸を狙う。その様は、正しく肉を喰らう獣。

 【明治コソコソ噂話】
・児猴はそこそこ強いです。ここまでに出ている咢の呼吸の技を模倣した状態であれば、半天狗ぐらいまでならどうにかなったかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

同期との交流

 

 早いもので、滲渼の初任務から既に一ヶ月。その日彼女に届いた指令は、いつもとは少々事情が異なっていた。

 

 

 「此処ヨリ北西ノ町、多数ノ鬼ガ集ウトノ報告アリ!他隊士四名ト共ニ、合同デ討伐ニ当タレ!カァーッ!」

 「合同、か。複数人での任務は、初めてだな…」

 

 

 燁から告げられたのは、他の隊士との合同任務。どうやらそれなりに大きく栄えた町であるらしく、単独での制圧には時間が掛かるようだ。

 

 

 「少しずつ帝都に近付いていっているが……より多くの人々が集う地には、相応に鬼も蔓延っているな。良からぬ言い方をするならば、絶好の狩場ということか」

 「ソレダケジャネエ。人ニ紛レルノモ簡単ニナルシ、単純ニ広イカラ鬼同士デ鉢合ワセシニクイノサ。奴ラモ無意味ニ共喰イハシナイ」

 「ほう、成程な」

 

 

 鬼がそこに居付くのにも、少なからず理由がある。やはり命ある存在なのだと滲渼は再確認しながらも、その刃を振るうことに躊躇いは感じない。

 

 

 「(命を奪う者は、常に自らも奪われることを念頭に置く。かつてはそれこそが真理だった………此方でもそれを強いるつもりは無いが、少なくとも私が鬼を討つ心構えとしては十分だな)」

 

 

 疾駆する滲渼の影が町に辿り着く。

 

 今宵も、鬼に斟酌が加えられることはないだろう。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「あら、刈猟緋さんじゃない!」

 「え!?……本当だ…五人目がまさか君だったとは…」

 「…む?尾崎に、村田……そうか、任務に合同で当たる隊士達とは其方等のことであったか」

 

 

 町に入ってすぐに、滲渼は二人の知人と遭遇した。同期の隊士である、尾崎と村田だ。二人とも目を丸くして彼女を見ていたが、少しすると落ち着いたのか、会話を再開した。

 

 

 「四人とも同期だったから、最後の一人もそうだとは思ってたけど…」

 「そうなの?私はむしろ、隊歴の長い人が先導してくれるのかと思ってたわ」

 「四人、ということは…既に全員が?」

 「ああ、ほら。あそこに居るだろ?」

 

 

 そう言って村田が指し示した先には、二人の少年が居た。一人は、口元に傷のある少年。滲渼も知っている鱗滝錆兎だ。しかし、もう一人の凪いだ瞳の少年のことはよく知らなかった。

 

 

 「(選別の時に見掛けたような気はするが…直接会話はしていなかった筈だ。鱗滝が選別後に気にかけていたのは、彼か)」

 

 「いい加減にしろ、義勇!いつまでそうしているつもりだ!一人での任務の時も、ずっと座り込んでいた訳じゃないだろう!」

 「……俺は足手纏いになる」

 「その台詞も聞き飽きた!立つんだ!男がへこたれるな!」

 

 

 どうにも、錆兎は友人の世話に手を焼いているようだ。腰を下ろして俯いたまま一向に動こうとしない少年について、村田が滲渼に補足する。

 

 

 「俺が着いた時からずっとあの調子で……冨岡の奴、最終選別で鬼を一体も倒さなかったみたいでさ。多分、そのことが原因なんだろうけど…」

 「ふむ………つまりは、己の力に信が置けぬということか…」

 

 

 しかし、と滲渼は考える。透かしてみれば、冨岡というらしい少年の肉体は意外な程に鍛えられており、素質もあるように思えた。

 

 

 「(元来あのような心持ちの人物なのであれば、ここまで強くはなれまい。選別でのことが、余程心に傷を刻んだのだろう)」

 

 「済まぬ。少々口を挟んでくる」

 「え?お、おい!……大丈夫なのか…?」

 

 

 何とか少年の心を奮い立たせてやりたいと、滲渼は早足で二人の下へ向かう。村田の制止が聞こえていない訳ではなかったが、ただ傍観しているというのは彼女の性に合わなかった。

 

 

 「失敬。久しいな、鱗滝」

 「!…刈猟緋。そうか、お前もこの任務に……済まん、義勇が梃子でも動かないんだ。以前まではこんなことは無かったんだが…もう少しだけ待っていて欲しい」

 「いや…私も手を貸そう」

 「何?」

 

 

 一言二言錆兎と話した滲渼は、そのまま一歩だけ少年…冨岡義勇に歩み寄る。目線を合わせるべく彼の側に屈むと、義勇も顔は上げなかったが僅かに反応を示した。

 

 

 「…」

 「…冨岡。鬼が恐ろしいか」

 

 「…」

 「ならば、憎いか」

 

 「…」

 「そうか」

 

 

 

 

 

 

 

 「……………え?意思疎通出来てるのか、あれ?」

 「…わ、分からないけど……鱗滝くんも固まってるわよ」

 

 

 傍目からはまるで理解不能な、常軌を逸したやり取り。滲渼本人はというと、場違いにも懐かしさすら感じていた。

 

 

 「(ふふ、何と言おうか……この少年は、ジュリアスに良く似ている。きっと心根は優しく穏やかなのだ…ただほんの少し、口下手なだけでな)」

 

 「案ずるな。この世に産まれ落ちたその瞬間から、全てを打ち破ることのできる者など居らぬ。悔いることがあったというのなら、抱えて蹲るよりも背負って前を見よ。強さとは、そういうことだ」

 「…」

 

 

 いつしか、義勇は顔を上げ、滲渼に目線を合わせていた。差し伸べられた手を取り、静かに立ち上がる。彼の心の傷は、僅かながら癒えたようだ。

 

 

 「まだ、名乗っていなかったな。刈猟緋滲渼だ。宜しく頼む」

 「…ああ。宜しく」

 

 

 

 「おお…よく分かんないけど、丸く収まったみたいだ」

 「そうみたいね。私たちも行きましょう!」

 

 

 義勇が腰を上げたのを見て、割り込むに割り込めなかった尾崎と村田も三人の下に向かう。漸く、彼らの任務が始まろうとしていた。

 

 

 「刈猟緋さん!ごめんなさい、私たちでどうにかしておければ良かったんだけど…」

 「いや、構わぬ。私が好きでしたことだ」

 

 「しかし、義勇が人見知りだったとは思わなかったぞ。俺の時はすぐに仲良くなれたんだがな」

 「錆兎とは、気が合ったから」

 「俺も選別の後、手当てとかでしばらく一緒だったけど…口数はそんなに多くなかったな」

 「…そういうつもりは無かった」

 「気分次第ということもあろう。見知らぬ人間と積極的に口を利くような気にはなれぬ程、心が沈んでいたのではないか?」

 「…分からない」

 「確かに、そういうこともあるかもしれないわね……ねえ、冨岡くん!私、尾崎あやめって言うの。宜しくね!」

 

 

 

 

 

 「…」

 「え、えぇ!!?なな何で!!?どうして急に黙っちゃうのよ!!?

 

 「(……単に人見知りだったか。そういう所もそっくりだ)」





 【狩人コソコソ噂話】
・「ジュリアス」とは、MH4/4G本編にて「筆頭リーダー」の名で登場する人物のことです。選ばれたエリートとして主人公の前に現れますが、紆余曲折あって友人になります。義勇に負けず劣らず中々のコミュ障で、彼の恩師に主人公を友人として紹介した際に「嘘やろ?」みたいな反応をされるぐらいには友人が居ないみたいです。

 【明治コソコソ噂話】
・義勇は原作よりも少しだけ明るく、打ち解け易くなっています。錆兎が死ななかったので、心の壁がそこまで分厚くなっていないのが要因ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼か人か

 

 「それじゃあ、一先ず二手に分かれよう。北側には俺たちが当たるから、刈猟緋と尾崎は南側を頼む。基本的に鬼は単独で出て来るだろうが、万が一数で劣勢になったら迷わず仲間と合流するんだぞ」

 「大勢鬼が巣食っているとのことだったが……強靭な個体が統率しているという見込みは無いのか?」

 「考えられなくはないが、強い鬼がそんなことをする必要は無いからな……自分で人を襲う方が早いだろう」

 「成程…それもそうか」

 

 

 滲渼たち五人は、男女に分かれて町中の鬼を捜索・討伐することにした。一人ずつ行動するよりは安全であるし、それぞれの戦い方を共有できるようにしておいた方が、今後にも役立つと考えたのだ。何より、折角の合同任務の特性を活かさないというのは好ましくないように思われた。

 

 

 「明朝、再び此処へ集うということで良いか?」

 「そうだな。決して無理はするなよ」

 

 

 錆兎の言葉は、滲渼以外にも掛けられたものだった。そしてそれは、錆兎自身とて例外ではない。皆、誰一人仲間が欠けることなく夜明けを迎えられることを願いながら、夜の町へ溶け込んでいった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「刈猟緋さん……貴女の日輪刀、凄い色ね…」

 「うむ。ここまで変わるものかと、握ったその時は心底驚いた」

 

 

 任務開始に伴い、刀を抜き放った滲渼。その刃を見て、またも尾崎は目を丸くする。育手から聞いた限りでは、滲渼の刀の色は前例が無い筈だった。

 

 

 「『咢の呼吸』、だったかしら?何の呼吸から派生したの?」

 「…派生元の呼吸は、無い。強いて言うならば、『水の呼吸』から呼吸というものの基礎を学んだ故、それらが微かに響いているやも知れぬが……」

 「………そう。やっぱり、凄いのね。殆ど一から呼吸を編み出すなんて」

 

 

 そう呟いた尾崎は、己の刀に目を向ける。彼女の刃は、鋼の色がそのまま残っているだけだった。眉を下げ、諦めたように声を漏らす。

 

 

 「私、きっと才能が無かったんだわ。育手の元で精一杯努力して…呼吸だって、肺がひっくり返るんじゃないかってぐらいの思いをして身につけた。でも、選別じゃ思うように動けなかった。日輪刀の色も、変わらなかった。こんな有様で、隊士としてやっていけるのかしら……」

 

 

 抑えていた悲嘆が、次々に飛び出す。まだ知り合って間もない、会話すらそれほど多くは交わしていない相手に対して話すには、あまりにも繊細過ぎる話題。それでも、何故だか滲渼には話したくなってしまった。

 

 

 「……幾つか、訂正があるが…先ずは本分を果たすとしよう」

 「…えっ?」

 

 

 しかしながら、そこに水を差すのは今回の目的そのもの。滲渼が静かに刀を構え、その気配の出所を探る。彼女の様子を見て、尾崎も鬼との接触に気が付いた。

 

 

 「何…?なんだか妙な感覚が……」

 「…そう、だな……或いは、既に術中か」

 

 

 二人の肌を撫でる、奇妙な違和感。特に、鬼の気配を感じ取る能力が優れている滲渼には、それが鋭敏に感じ取れた。

 

 

 「(鬼が近くに居ることは確実だが…上手く位置が掴めない。血鬼術だろうか?だとすれば、遠からず動きがある筈だ)」

 

 

 滲渼の考えを裏付けるように、状況に変化が生じる。二人の周りを取り囲むように、無数の鬼が突如出現したのだ。

 

 

 「これは…!!刈猟緋さん!!!」

 「承知している」

 

 

 錆兎の忠告に従い、言外に退避を促した尾崎。だが、滲渼はそれに返事をしながらも応じる素振りは見せなかった。代わりに、構えた刀を存分に振るう。

 

 

 「『咢の呼吸 天ノ型 海中(わたなか)雷鳴(かんなり)』」

 

 

 四方八方に延びた稲妻が辺りを蹂躙するように、凄まじい数の刃閃が次々と鬼を斬り裂いていく。ところが、そのいずれもが悲鳴すらも上げることなく、煙のように消えてしまった。

 

 

 「…本当に、凄いけど……今のは一体?」

 「幻……とは、少し異なるか。恐らくは血鬼術によって、数多の鬼()()を産み出したのだ。強さで言うならば、藤襲山の鬼よりも更に、遥かに弱かったがな」

 「そうなのね………って、ちょっと待って。もしかして…」

 「うむ。鬼が多いというのは、間違いなくこの血鬼術の術者が一因だな。無論、普通の鬼も少なからず潜んでいるのだろうが」

 

 

 そう滲渼が話し、もう一度気配を探ろうとして…失策に気付く。

 

 

 「! 拙い、術者が逃げている!!」

 「何ですって!?まさか、さっきの鬼擬きたちを倒したから!?」

 「あれは試金石だったのだ!済まぬ、先んずる!!」

 「あっ!……は、速い…!間に合うかしら…」

 

 

 信じられない程の速度で駆けていく滲渼の行方を、どうにか辿っていく尾崎。道中、頸を斬られて消滅しつつある鬼を何度か見掛けながら、術者への怒りを滾らせた。

 

 

 「(許せない!!きっとああして、力のない人々ばかりを襲ってたんだ!!なんて、卑怯なの…!!)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 尾崎が滲渼に追い付いた時、既に術者と思しき鬼は両脚を斬り飛ばされており、虫の息だった。何故滲渼は止めを刺していないのかと訝しみながらも、二人の元へ近付いていく。

 

 

 「刈猟緋さん……?そいつが、さっきの血鬼術を使ってた鬼なの?」

 「………如何にも」

 「あぁ…そっちの嬢ちゃんも、鬼狩りかい……なあ、聞いてくれよ。あの辺りは、俺が昔…人間だった頃に、住んでた所なんだ……。知り合いも、沢山居る。皆を、守りたくて……夜はああして、怪しげな奴や、他の鬼を遠ざけてたんだ…!誓って人は喰っちゃいない!頼む……見逃してくれ…!」

 

 

 鬼は両脚を失った状態ながら、器用にも地に頭をつけた。話を聞き、滲渼の様子を見て、尾崎は成程と得心がいった。

 

 

 「────ねえ、貴方…その怪我は、どうするつもりなの?鬼は人を喰わないと、再生だってままならないんでしょう?」

 「心配、要らねえよ…。ちょいと不便にはなっちまったが、傷は塞がる。この身体でも、血鬼術は問題無く使えるさ」

 「ふぅん…ところで、血鬼術はいつ頃から使えるようになったの?」

 「え?あ、ああ、そうだな……鬼になってすぐ、だったかね。あの方の血と相性が良かったんだろう。お陰で、人を喰わなくて済んだ」

 

 

 尾崎が問いかけ、鬼が答える。その短いやり取りを終えて、彼女は鬼の()を見抜いた。

 

 

 「あら、そう。それで、()()()あの辺りを守ってるのね」

 「そ、そうなんだ……本当に、運が良かった────」

 「ねえ」

 

 

 

 

 

 あまりにも冷たく轟いた、尾崎の声。刀を持ったまま傍観していた滲渼も、これには目を剥いて彼女の方を向く。尾崎の顔からは、一切の感情が抜け落ちていた。

 

 

 「………知らないみたいだから、教えてあげるわ。血鬼術はね………人を喰い続けて、力を蓄えていないと……!!すぐに!!!使えなくなるのよッ!!!!!

 

 「ひッ!!や、止め────」

 

 

 鬼の命乞いは、最期まで聞き届けられることは無かった。絶叫と共に怒りに顔を歪めていった尾崎が刀をその頸に振るい、鬼が消滅していく。

 

 

 「ち、ちくしょおおおおぉぉぉッ!!!」

 「はぁっ……はぁっ……私はね…お前みたいな鬼が、一番嫌いなのよ…!!」

 

 

 

 

 

 鬼が完全に消滅した後も、二人はしばらくその場に立ち尽くしていた。尾崎が息を整えたことを確認してから、滲渼が彼女に謝罪を行う。

 

 

 「…済まぬ。虚言であることは、分かっていた積もりだったが……仮に真であったならと思うと、頸を断つことが出来なかった」

 「ううん、良いのよ。でも、これだけは忘れないで。────『鬼は自分を守るためなら平気で嘘をつくし、それを信じて虐げられるのは鬼殺隊以上に罪の無い人たち』。育手を引き受けてくれた人が、そう教えてくれたの。……選別の時も、憂うような顔をしていたから気になっていたけど…刈猟緋さんは、きっと鬼を殺すことに罪悪感を抱いているのね」

 「……そんなことは、無い筈だが…」

 「多分…自分でも気付けていない程、小さな意識なのよ。貴女は鬼に、人間だった頃の心が残っているのかもしれないって思ってるんじゃないかしら?」

 「…」

 

 

 滲渼にも、心当たりが無い訳ではなかった。善良な者でさえ、無差別に人を襲う悪鬼に変貌するということが…何よりも、鬼にされた者には何の咎も無かった可能性があるということが、彼女には到底受け容れ難かったのだ。

 

 

 「例外は、無いものだろうか……」

 「…無いわ。そう思っておいたほうが、貴女にとっても幾らか気が楽な筈よ」

 「むん……仕方あるまい…」

 

 

 鬼に情けを掛けるつもりは無かったが、己の思わぬ心の隙間を指摘され、滲渼は恥を知らずにはいられなかった。

 

 

 「(情けないことこの上ない、な…そもそも、鬼の言葉に耳を傾ける癖も良くないだろうか。……見たところ、尾崎は鬼に対して並ならぬ憎しみを抱いている。鬼殺隊という組織の性質上、そういった者たちも多く集まっている筈だ。彼らのことを思えば、今回の失敗は忘れてはならない経験だと言える)」

 

 「やはり、今一度詫びておこう。済まなかった、尾崎。このようなことは、もう二度とないように努めよう」

 「……もう、頑固ね。良いって言ってるのに」

 

 

 そうして二人の会話も一段落し、改めて彼女らは任務に励む。時に一人ずつに分かれ、時に共に戦い。夜が明けるまで、町の南部の鬼を狩り続けた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「そうか。思った程鬼が居なかったのは、そういうことだったか…」

 「でも、どの鬼も今まで戦って来た鬼と比べて強かったな。それだけ、人を喰ってたってことなんだろうな…」

 「…無事で何よりだ」

 

 日が昇り、町の人々がちらほらと出歩き始めた頃。五人は再び集まり、それぞれを労った。一夜の間に起きた出来事なども話題にしていると、滲渼がふと思い出したように尾崎に話しかける。

 

 

 「そうだ、尾崎。血鬼術に遮られてしまったまま、すっかり忘れていたが…其方の言葉を、三つ程訂正させて欲しい」

 「え?あ…そういえばそんなこと、言ってたかしら」

 「先ず一つ。私の呼吸は、一からと言うほど手探りで産まれたものではない。百も千もある中から汲み取った、単なる余沢に過ぎぬ。二つ、日輪刀の色は、それだけで才覚の有無を決めることのできるものではない。父上曰く、派生した呼吸に適性がある場合には、それを身に付けぬ限り色が変わらないこともあり得るそうだ。そして、三つ。あの鬼を討った後のやり取りでも、そう感じたが…其方は疑いようもなく、立派な鬼殺の剣士だ。胸を張っていい」

 「……刈猟緋さん」

 

 

 柔らかく頬を緩めた滲渼の表情。彼女の笑顔はまだ見ていなかったなと、そんなことを考えながら…尾崎は告げられた言葉に、感激を覚えたのだった。

 

 

 「カァーッ!オ疲レサン、滲渼。丁度、鴉ガコレ持ッテ来タゼ。見テミナ」

 「む?」

 

 

 そんな中、任務を終えた滲渼の元に待っていたと言わんばかりに燁がやって来て、手紙を渡す。紐を解き、中身を一通り確認して…一言呟いた。

 

 

 「もう、か……存外早かったな」

 「? どんな内容だったか、聞いても構わないかしら?」

 「柱の打診だ」

 「ふぅん…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「えっ?」





 【狩人コソコソ噂話】
   〜咢ノ息吹〜
・「天ノ型 海中の雷鳴」
「海竜」ラギアクルスから着想を得た技。海の王者とも謳われた海竜の放つ豪雷は、大洋すらも乾涸びさせる。放電のように広がる刃の乱撃から、逃れることのできる鬼など居ない。

 【明治コソコソ噂話】
・今回モブ鬼が使った血鬼術は強そうにも見えますが、控えめに言ってゴミです。成人男性より少しだけ強い「鬼っぽい何か」を最大20体まで産み出せますが、呼吸を使う鬼殺隊に対してはあまりにも…
ちなみに、「鬼っぽい何か」は攻撃用で、それで殺して自分で喰う感じになりますね。滲渼たちに手を出した理由としては、「鬼狩りか…」→「女やし行けるやろ!」です。なお()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

史上最速最年少

 

 鬼殺隊には、「柱」と呼ばれる別格の隊士たちがいる。全体のほんの一握り、最大で九人のその人物たちは、彼らを見たことのない隊士ですら畏れ敬う程に…ただ只管に、強い。

 

 ────そんな「柱」という存在へと、入隊から僅か一ヶ月と二週間で昇り詰めた、十三の少女が現れた。これは紛れもなく、何か大きな変化の前触れであると…そう、産屋敷耀哉は予見していた。

 

 

 「(この男が……鬼殺隊の、頭か。あの最終選別を是とするというのだから、どんな羅刹や修羅が出て来るかと思えば…彼からは、むしろ真逆の印象を受ける。………だが…目を疑う程に身体が脆弱だ。このままでは、いつ死んでもおかしくはない)」

 

 

 そう内心で独白するのは、鬼殺隊本部へと連れて来られた滲渼だ。柱の打診の手紙を受け取ってすぐに承諾の返事を行い、その後鴉や隠たちに案内される形でここまでやって来ていた。

 

 

 「(それに、柱と思しき剣士たちも随分と少ない。私の他に、四人しか姿が見えない……単に欠席しているのか、柱であっても頻繁に欠員が出てしまうということなのか、或いは…九人の内に選ばれる程の実力者が、それだけ限られているということなのか)」

 

 「皆、よく来てくれたね。今日は臨時の柱合会議…まずは、新しい柱の就任について話しておこう。自己紹介してくれるかい、滲渼」

 

 

 耀哉に従い、一歩前に出て口を開く。周りの柱たちからは、早くも値踏みをするような視線を向けられていた。

 

 

 「御意。…刈猟緋滲渼、齢は十三。この度、柱就任の命について是非御拝命したいと考え、馳せ参じました」

 「は…!?じ、十三、だと……!?」

 「…煉獄殿」

 「! ……失礼」

 

 

 滲渼の側で、燃えるような髪色を持つ年嵩のいった男と、数珠を手にした大男が小さく言葉を発する。尤も、前者が思わず口を出してしまったのを、後者が咎めるといったような内容ではあったが。

 

 

 「滲渼は初任務で元十二鬼月を斃し、その上今日までに斃した鬼の数は百にも迫る勢いだ。階級はつい先日甲に上がったばかりだけれど、その実力は間違いない。彼女を柱に据えることに、異論はあるかな?」

 

 「ありません」

 「同じく」

 「……子供を柱とすることに、疑問が無い訳ではありませぬ。が…実力が確かだというのなら、敢えて異を唱えることはしますまい」

 「………承服、致します」

 

 「(…炎の如き髪色の男……煉獄、と呼ばれていたか。少し様子がおかしいな。私が来た時から生気の抜けたような顔をしていたが、それに加えて激しく動揺しているようにも見える)」

 

 

 一応は満場一致で滲渼の柱就任が決定されたものの、少しばかり煮え切らない雰囲気となってしまった柱合会議。知ってか知らずか、耀哉はそんな様子を気にすることなく話を進めていく。

 

 

 「では、滲渼には今日から『咢柱(がくばしら)』として鬼殺隊を支えていって貰うね。欲しいものがあるのなら、いつでも言うと良い。可能な限りは叶えてあげよう」

 「はっ…精進して参ります」

 「うん。それでは、柱合会議を始めようか────」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 柱合会議では、取り立てて述べるような内容は無かった。新たな柱加入に際して、臨時で開かれただけに過ぎなかったため、報告・共有すべき事柄が少なかったのだ。

 

 強いて言うならば、滲渼が自身の屋敷を所望しなかったため、彼女の担当地域が実家を中心とした地域に決まったという程度。早々に会議を終えた柱たちは、各々の責務を果たすべく解散する。その内の一人、煉獄槇寿郎の元へと滲渼が駆け寄っていった。

 

 

 「もし。煉獄殿、で宜しかったでしょうか」

 「! ………何の用だ」

 「いえ……少々気に掛かる事が御座いまして。終始、会議も上の空であったようですが…無理をなさっては居られませぬか」

 「……貴様には関係の無い事だ。知った所でどうすることもできん。分かったらさっさと失せろ」

 「……申し訳ありませぬ。失敬」

 

 

 滲渼の言葉に対して、吐き捨てるようにそう返した槇寿郎。滲渼もそれ以上追及することは望ましくないと考え、頭を下げてその場を後にした。

 

 

 「(…嫌われてしまっただろうか。ついつい干渉したくなってしまったが、触れられたくない事であったのだろうな……再び歩み寄る機会があれば良いのだが)」

 

 「刈猟緋、滲渼……」

 「! 貴方は…」

 「悲鳴嶼行冥。半年程前に、お館様から柱として認めて頂いた…今は『岩柱』として、日々悪鬼滅殺に尽力している」

 

 

 槇寿郎と入れ替わるように滲渼の前に現れたのは、数珠を持った大男。名を、悲鳴嶼と言うらしい。

 

 

 「悲鳴嶼、殿…。して、私を呼び止めたのは…?」

 「聞きたいことがある。…何故、この道を選んだのだ」

 「……鬼殺の道に進んだ訳、ですか」

 

 悲鳴嶼は、滲渼にどうしても尋ねておきたかった。十六、七の女性と比べてもより高い位置から悲鳴嶼に声を届ける彼女は、実際には十三だという。それを聞いて……以前鬼から助け、その後無謀にも鬼殺隊への入隊を所望してきた姉妹の姿を重ねずにはいられなかった。

 

 結局彼女らは、悲鳴嶼の出した「諦めさせるための課題」をこなしてしまったために、現在は彼が紹介した育手の元でそれぞれ鍛錬に励んでいる。それが正しいことだったのか、悲鳴嶼には今でも分からない。だからこそ、彼女らと同じ年頃の滲渼ならば、何らかの答えを出してくれるのではないかと期待したのだ。

 

 

 「ただ、純粋に……鬼の手から人々を守りたかったから、でありましょうか。刈猟緋の一族は、代々鬼殺隊の一員としてそうして来ましたから。それに、性に合っておりましたので」

 「………そう、か」

 

 

 しかし、滲渼の答えは悲鳴嶼を納得させるものではなかった。彼女は…「普通」とは、あまりにもかけ離れていた。

 

 

 「(ああ、駄目だ。分からない、ままだ…。この少女は、安穏とした日常の中で生きる町娘などとは違いすぎる。どういった人生を送ってきたのかは知る由もないが、この声色と言い分……確かに命の重さを、軽さを知っている。あの二人の鏡には、なるまい……)」

 

 「…引き留めてしまって済まない。これから、同じ柱として宜しく頼もう。さらばだ」

 「はっ。此方こそ皆様と肩を並べて戦うことができ、光栄で御座います」

 

 

 踵を返して去っていった悲鳴嶼。心做しか、滲渼の目には肩を落としているようにも見える。

 

 

 「(……またも良い印象を与えられなかったのか?自分で思っているよりも、会話が下手なのだろうか………)」

 

 

 滲渼としても、長い付き合いになる可能性もある彼らとは親しくなっておきたい所だ。本部から去り、生家へと戻る道中でも、彼女の悩みは尽きなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「そうか…!この僅かな期間で、柱となったか!流石は滲渼だ…と、これを言うのも何度目だろうな。はっはっはっ!」

 「つきましては、この地域一帯を私が巡回することとなりました。それ故、これまでよりはこの屋敷に戻って来ることも多くなるかと思われます」

 「そう……沢山面白いものを見て、楽しんで。沢山土産話を聞かせてね」

 「御意」

 「滲渼、鬼殺隊としての暮らしはどうだい?上手くやれていると、良いんだけど」

 「大事ありませぬ、兄上。屋敷の皆も、健在で嬉しく存じます」

 

 

 刈猟緋邸では、親子が無事での再会を喜んだ。柱となった滲渼を祝い、屋敷中が活気に満ちている。使用人たちも滲渼の帰還を歓迎し、その日の昼食は実に豪勢なものであった。

 

 

 「友達は出来たの?大変な仕事だとは思うけど、一人で居るよりはきっと肩も軽くなるわ」

 「友、と呼べるかどうかはまだ分かりませぬが……同期の者たちの内何名かとは、少しずつ仲を深めていけていると思います。ああ、そうです。同期の中に、尾崎という者が居るのですが────」

 

 

 鬼殺の日々からほんの少しだけ抜け出し、穏やかな交流を重ねる。刈猟緋家の屋敷は、今でも滲渼の拠り所だ。日が暮れ、滲渼が再び任務に向かうまで、彼らは思う存分に団欒の時を過ごしたのだった。





 【明治コソコソ噂話】
・現時点で柱は四名。悲鳴嶼と槇寿郎に加えて、名もなき柱が二名います。槇寿郎は瑠火を亡くして数ヶ月といった所で、色々とボロボロな時期ですが、一応まだ会議には律儀に出席しているということにしています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

胡蝶の如く華やかな

 

 滲渼が咢柱に就任してからというもの、実に一年近くは変わり映えのしない日々が続いた。多少強い鬼が現れることも無い訳では無かったものの、児猴という強力な鬼を相手取った滲渼にしてみれば、正しく誤差程度の違いでしかない。

 

 しかし一方で、柱就任以降は任務も落ち着き、刈猟緋家の屋敷に滞在している頻度も高くなった。そのために家族と過ごす時間が増えたほか、訪問者が現れるようにもなっていた。

 

 

 「刈猟緋さん、おはよう!今日もよろしくね!」

 「うむ、始めるとしよう」

 

 

 といっても、訪問者というのはその殆どが尾崎だ。合同任務以降も何度か顔を合わせている内に、尾崎の方から剣術の稽古をつけてほしいと申し出があったため、日中は時折刈猟緋邸で稽古を行っている。

 

 

 

 

 

 「はっ!やあっ!」

 「やはり、基本は出来ているな。二月程前と比べると動作の遷移も滑らかだ。基礎体力の強化は順調か?」

 「毎日、欠かさず!やってるけど!中々、伸びなくて…!」

 

 

 木刀を交え、同時に尾崎の動きを具に観察しながら、平然と会話を始める滲渼。尾崎も木刀を振るいながら応答するが、どうにも息が乱れてしまう。つられて挙動にも隙が生まれた所を滲渼に突かれ、木刀を横合いから蹴り付けられた。

 

 

 「あっ!」

 「話すことに意識を奪われぬよう、心を配れ。鬼の膂力ならば、今の一撃で刀が折れているぞ」

 「うぅ…も、もう一回お願い!」

 「無論だ」

 

 

 滲渼も、頼まれたからには手を抜くつもりはない。今の尾崎に足りないものを、少しずつ稽古の中で補っていく。そのことが、滲渼自身の成長にも繋がっていた。

 

 

 「体力強化の成果が実らない訳として、考え得るのは────」

 

 

 「全集中・常中って、どんな風に練習したの?………ふむふむ……あぁ、うーん…やっぱり刈猟緋さん、凄いわね…」

 

 

 「鋒を目で追ってみよ。速さに眼を慣らせば、自ずと対応出来るようになろう」

 

 

 毎度、それまでよりも力をつけ、経験を積む二人。この日の稽古は、昼過ぎまで続けられたのだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…町に、二人で?構わぬが……何か手が必要か?」

 「そういう訳じゃないけど、たまには息抜きしましょう!刈猟緋さんたら、いつもいつも刀を握ってるんだもの」

 「あら、ありがとうあやめちゃん。滲渼も行ってきなさい、適度に肩の力を抜くことも大切よ?」

 「ふむ…それもそうですね」

 

 

 稽古を終えて。今日はまだ指令が届いていないという尾崎が、滲渼を外出に誘う。特に何か目的があるわけでは無かったが、常に気を張っているようにも感じられる滲渼を気遣ってのことだった。結美もそれに賛同し、いまいち腑に落ちていない様子の娘を諭す。それを受け、とりあえず納得することにした滲渼。いざ行かんと、鬼殺隊の隊服の上に天色(あまいろ)の羽織を纏った。

 

 

 「その羽織、本当に綺麗よね……何度でも見惚れちゃうわ」

 「そうだな…私も、気に入っている」

 

 

 所々に雲の意匠が施されたその羽織は、柱となった祝いに家族から贈られたものだ。幼少期、物思いに耽る際にしばしば空を眺めていた彼女の姿が、屋敷中の人間に強く印象付けられていた。名家の潤沢な財産を活かして特注された、この世に二つとない逸品であった。

 

 

 

 

 

 「では、行って参ります」

 「ええ。気をつけてね」

 

 

 まだまだ、日は高く。滲渼の羽織をそのまま映し出したような青空が、地平の果てまで広がっていた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それから数刻。予定もなくふらりふらりと町を往来し、店を見て回ったり、甘味に舌鼓を打ったり。田舎の町であるために目新しいものはさほど無かったものの、滲渼にとっては久々の享楽となった。

 

 

 「(柱になってからというもの、燁も幾分か落ち着いた。認めて貰えたということか…何にせよ、良い傾向だ。しかし、同じ柱仲間がな……。悲鳴嶼殿は相変わらずよく分からないし、煉獄殿に至っては話し掛けようとすると睨まれる。………仲良くなれそうだった水柱は、先日亡くなってしまった。ままならぬものだ…)」

 

 「! ねえ、刈猟緋さん…見て。あの二人、鬼殺隊の子じゃない?どっちも凄く美人だわ」

 「む……?」

 

 

 緩い風を感じながら、様々な思いを巡らせる滲渼。ふと尾崎に呼ばれ、彼女の視線の先を追うと…そこには、二人の少女が居た。片方は多少上背があるが、尾崎や滲渼と同年代にも見える。

 

 

 「確かに、両名隊服を着ているようだが…一方が幼過ぎはせぬか?高く見積もっても十かその辺りではなかろうか」

 「そういう歳の子でも、境遇次第では入隊は有り得ないとは言い切れないわ。選別を通過したのは、凄いと思うけど」

 「そうか……む? …近付いて来るぞ」

 「あら、本当……」

 

 

 隊士なのかどうなのか、と話し込んでいるうちに、向こうの方から滲渼たちに近付いてきていた。大分幼さの残る少女の方は少なからず警戒心を見せているが、もう一方は不躾に見られていたことを不快に思ったという様子でもなく、友好的な雰囲気が漂ってきている。足を止め、先に口を開いたのは、背の高い方の少女だった。

 

 

 「ごめんなさい、突然。鬼殺隊の方々かしら?」

 「ええ。やっぱり、二人も?」

 「あぁ、良かった!お互い刀を持っていなかったから、『そうに違いない!』とまでは言えなかったのね」

 

 

 尾崎が聞き返した台詞に頷き、安堵したと息を吐く少女。そのまま、自己紹介を行った。

 

 

 「私、胡蝶カナエです。この子は妹のしのぶ。女性隊士は珍しいみたいだから、仲良くできたら嬉しいわ!」

 「そう、姉妹だったのね!道理で似てると思ったわ…私は尾崎あやめ。よろしくね」

 「刈猟緋滲渼だ。楽な道では無いが、共に励んで行こう」

 「ええ、ええ!よろしくね、二人とも!」

 「…よろしく、お願いします」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「あら…何となくそんな気はしてたけれど、同い年だったのね!」

 「ええ。それにしても、しのぶちゃんはまだ十一なのね…その年で選別に合格するなんて、凄いわ」

 「いえ、私はそんな………」

 「謙遜することはない。選別の条件は、生き残ることが出来るか否か。此処に居る事こそが、其方の力の証明だ」

 

 

 四人の少女は、思いの外あっさりと打ち解けることができた。最初は一歩距離を置いて滲渼たちと接していたしのぶも、話をするうちに自然と溶け込んでいき、緊張が解けたようだった。

 

 

 「あの、刈猟緋さんはどうしてそんな喋り方を?お年寄りみたいでちょっと吃驚してしまって…」

 「これは…父上の口調が少々移ってしまってな。幼い頃から、遊びにも良く付き合って貰っていた故」

 「あ……そう、ですか」

 「………其方等は、何故今日此処に?」

 「! そうね、まだ話していなかったわ。この辺りで任務があるみたいだったから、早めに来ておいたの。忙しなく動いていると、余裕も無くしてしまうでしょう?」

 「成程、良い心掛けだ」

 

 

 己の返事に対するしのぶの反応を見て、滲渼はその心中と彼女らの()()を機敏に察知した。それ以上は触れまいと、話題を切り替える。可憐で人当たりの良い二人にも、鬼殺隊に入隊するだけの理由があるのだと、滲渼は改めて理解した。

 

 偶然にも、そして幸運にも出会った少女たち。とりわけ、滲渼との出逢いによって…それぞれの運命が、大きく変わろうとしていた。

 

 





これまで毎日更新して来ましたが、明日はちょっと忙しく、多分更新出来ないです。0.001%ぐらいの可能性で出来るかもしれませんが、出来なかったらごめんなさい。

 【明治コソコソ噂話】
・滲渼は咢の呼吸を完全に物にするまでに三年近い月日を要しましたが、常中の習得には一週間と掛かりませんでした。尾崎には、「何も考えずに呼吸が出来るのだから、全集中の呼吸とて同じことだ」みたいなことを言いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

臨時柱合会議:其ノ壱


間に合わず。瞼が重いです。

ここからありえないほど時間が飛びまくり、ありえないほど柱関連の話が続きます。滲渼の活躍が見たいという方も居るかもしれませんが、今暫くお待ち下さい。


 

 明治四十一年のある日。滲渼が向かっていたのは、これまで何度か足を運んでいる鬼殺隊本部、産屋敷邸だ。臨時の柱合会議があるとの報せを受けて絶賛疾走中の彼女は、新たに加わるという同僚に想いを馳せた。

 

 

 「(柱合会議が開かれるのは、どうやら新しく就任する柱を紹介するためらしい。私の後に誰かが柱となるのは、これが初めてだな)」

 

 

 癖の強い人物が目立つ現在、出来ることなら親しみ易い人物が入って来てくれるなら嬉しいと考える滲渼。同時に、今度こそ槇寿郎に歩み寄りたいと願いながら…誰かの気配を感じ、首を横に向けた。

 

 

 「よう。速えなアンタ。柱だろ?」

 「…ふむ。確かに私は柱だが……其方も中々の健脚だな。それに、随分と大きい」

 

 

 気付いた時には隣に居た男。独特な鉢金を巻き、これまた独特な化粧を左目辺りに施した彼は、疾走する滲渼に遅れることなく並んで着いて来ていた。

 

 滲渼の速度は、案内役の鴉が全速力で飛んで何とか先導できる限界寸前の速さだ。並の隊士が多少無理をした所で到底追い付くことなど不可能な程の速度であり、即ち今の状況は目の前の男の正体を察するには十分過ぎる手掛かりでもあった。

 

 

 「そうか……其方が新たな柱か」

 「御名答!折角だ、一足先に自己紹介させて貰うとするか」

 

 

 そう言って、男は大仰な仕草をしながら名乗りを上げる。丁度足場がやや不安定な地帯に差し掛かっていたため、器用なものだと滲渼は感心した。

 

 

 「俺の名は、宇髄天元!御館様の御厚意で、『音柱』の称号を戴くことになったド派手な男だ。このままアンタに着いて行きゃ、本部に辿り着けるんだろ?」

 「うむ。とはいえ、鴉の先導任せにはなってしまうがな。情けない話だが、未だ道を覚え切れておらぬのだ。……私は刈猟緋滲渼。『咢柱』に就き、じき二年といった所だ。宜しく頼む」

 「おう。…しっかし、やけに地味な喋り方だな。くのいちにもそこまでの奴は居なかったぞ」

 「……くのいち?済まぬ、聞いた事が無いな。其方の出身か?」

 「ん?そうか、アンタは知らねえか。忍ってもんは、聞いたことあるか?」

 「忍……嗚呼、成程な。女の忍を指す言葉か。面白い言い回しをする」

 「外つ国の人間みてえなことを……それに、忍は知ってんのか。一体幾つだアンタ?地味に気になって来たぜ」

 

 

 麗しさを漂わせる女性の見た目をしながら、歳を重ねた様な口調で話す滲渼。忍を知っていても、くのいちは知らなかったと言う滲渼。色々と支離滅裂な彼女の年齢が分からなくなり、宇髄は直接問い質した。

 

 

 「齢か?十五だ」

 「は、はぁ!?十五だと!?俺の三つ下じゃねえか!!何でそんなデケェんだ!!」

 「む……?上背は其方の方が…」

 「そういう話じゃねえよ!!なぁにが『咢柱』だてめえ!!『ガキ柱』に改名しやがれ!!」

 「ははは、上手いな。しかし、私に物申されても仕方がない」

 「てか、何か!?ならてめえ十三で柱になったのか!?待て待て、情報量が派手に多すぎるぞ!!」

 「落ち着け…いや。落ち着かれよ、ええと…宇髄殿」

 「今更敬語は必要ねぇ!!それより整理する時間くれ!!」

 「ふむ……では、そのように」

 

 今までとはまた異なり、大層賑やかな柱仲間が現れた。やはり癖は強そうだが、彼とは仲良くなれそうだと小さく頬を綻ばせるのだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「一ヶ月と二週間ねぇ……こちとら忍時代の下積みがあって尚、一年以上掛かったんだぞ」

 「案ずるな、私が初めて刀を握ったのは七つだ。木刀を数に入れるのならな」

 「あぁそうかい」

 

 

 滲渼の時と同じように、形式的な紹介と就任に際する是非の確認を経て、特筆事項の無い会議を終えた柱たち。宇髄は行きがけの道中で聞きそびれたことなどを滲渼との会話の中で尋ねつつ、またしても繰り返し目を丸くさせた。

 

 

 「しかし、忍が今も実在したとはな。伝聞した限りでは滅びたとも言われていたが」

 「そりゃあその方が都合が良かったんだろうよ。地味にコソコソやるのが生き甲斐みてえな奴らの集まりだからな、忍ってのは」

 「…成程。それに嫌気が差したという訳か」

 「ま、そんな所だ」

 

 

 一方の滲渼も、宇髄の話を聞いて少なからず驚いていた。前世でも忍に当たる存在が居ると聞かされていたものの、終ぞ会うことが無かったために、半ば伝説上の存在なのだろうと考えていたのだ。

 

 

 「(禍群の辺りでも東方の国でも、血眼になって団長と探し回ったというのに……無論、旅人の前に姿を現す忍など、忍とは言えないだろうが…。まさか、今になって目にしようとは夢にも思わなかった)」

 

 「それにしても、御館様の招集だってのに無断で欠席する柱なんてのも居るとはねえ。得体の知れねえ坊主みてえな柱が泣いてんのか怒ってんのか訳分かんねえことになってたぞ」

 

 

 そうして滲渼が忍にまつわる思い出を心に浮かべていると、宇髄が他の柱…槇寿郎についても言及する。彼は一年程前から、定期的な柱合会議にも出席しないようになっていた。

 

 

 「…煉獄殿が来なくなったのは、私が原因やも知れぬ。今度こそは来ていまいかと、期待したのだが………」

 「原因?何かやっちまったのか?」

 「初対面の時に、彼の個人的な事情に触れてしまってな……一応は詫びを入れたのだが、それ以来どうも避けられているようだ」

 「何だそりゃ。柱がそんな下らねえことでいつまでもうじうじと地味に拗ねるかよ……どうせてめえが居なくても、同じようになってたと思うがね」

 

 

 槇寿郎の怠慢は滲渼の責では無いと、迂遠に励ます宇髄。しかし、滲渼はそれを否定する。

 

 

 「いや……下らないと一蹴するべきではなかろう。仮に煉獄殿が、家族を亡くして悲嘆に暮れていたならば?そこに他所者が踏み込んでくれば、決して良い気はするまい。柱とて、一人の人間であることに変わりは無いだろう」

 「……家族、ねえ」

 

 

 宇髄は彼女の言葉を飲み込み、自身に置き換えて考える。大切な者たちを失う痛みが耐え難いものであろうことは、彼にも容易に想像できた。

 

 

 「……確かに、俺も嫁が死んだら派手に泣き散らかすかもしれねえな。誰か一人でも、欠けて欲しくねえ。尤も、それでも仕事はきっちりこなすだろうが────」

 「待て。……伴侶が居るというのも初耳だったが、そこはまあ、構うまい。………まるで、複数居るかのような口振りだったが?よもや其方、不貞を働いている訳では…」

 「んな訳あるか!嫁は三人!全員正式に俺と結婚してるわ!!」

 「じ、重婚とは……。其方、見た目に違わず節操が無いな……」

 「おい莫迦てめえ!俺のことそんな風に思ってやがったのか!?大体、ガキ柱の癖して人様の色恋に口出しすんじゃねえよ!!」

 「いや、こればかりは世話を焼かせて貰おう。本当に三人を等しく愛しているのだろうな?優劣をつけてはいないか?伴侶たちの仲はどうだ?良ければ構わぬが、喧嘩をするようなら取り持ってやることも────」

 「だあああ!!!喧しいぞこの耳年増ァァッ!!!」

 

 

 彼らの会話を少し離れた屋敷から見守る耀哉。新参の二人も上手くやれているようだと、いつものように目を細める。滲渼と宇髄は、存外相性が良いのかもしれなかった。





 【狩人コソコソ噂話】
・一応前世とは言語が異なりますので、「くのいち」などのあまりにも限定的過ぎる単語は滲渼に通じません。生活に支障が出ることは無いでしょうが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

臨時柱合会議:其ノ弐


お気に入り数がやたら伸びるなあと思い、もしやとランキングを覗いたら本作が載っていました。読んで下さっている方々、ありがとうございます。


 

 「あら?あらら?刈猟緋さんじゃない!」

 「うむ。こうして直接会うのは久々だな」

 

 

 宇髄が柱入りしたさらにその翌年も、臨時の柱合会議にて新たな柱が加わった。「花柱」────胡蝶カナエだ。邂逅以来、鴉を介した文通なども行ってはいたが、これまで滲渼が柱であることを明かして来なかったため、カナエは大層驚いている様子を見せていた。

 

 

 

 

 

 「そう、あの時にはもう……言ってくれれば良かったのに」

 「済まぬ。だが、無闇に明かしても萎縮させてしまうやも知れぬと思ってな。歩み寄りたいと考えていた此方としても、それは望ましくなかったのだ」

 「大丈夫よ〜、そんなことで距離を置いたりしないわ。でも、こうして定期的に会えるようになれたのは良かったわ!しのぶにも教えてあげなくちゃ!」

 「うむ………ところで、御館様が仰っていたが…既に屋敷を賜っていたのだな?」

 「ええ。柱になるならって、歴代の花柱が使っていた屋敷を譲ってもらったの。こまめに手入れされてたみたいで、凄く綺麗だったわ。お庭には大きな桜の木もあるの!また今度、尾崎さんと一緒に遊びに来てね!」

 「そうだな。都合が合えば、顔を出そう」

 

 

 再会を喜ぶカナエとの談笑に耽る滲渼。しかし、ふと耀哉からの「お願い事」を思い出し、彼女に断りを入れる。

 

 

 「と、済まぬ。御館様からの依頼があるのだった。この辺りで失礼する」

 「あら、そう…『蝶屋敷』の場所は、また手紙で送るわね〜!」

 「感謝する。それでは」

 

 

 肩書き通り、花の咲いたような笑顔を浮かべて手を振るカナエ。滲渼も手を挙げてそれに応え、「蝶屋敷」というらしい彼女らの屋敷を桜が満開となる春にでも訪れようかと考えたのだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 『滲渼。槇寿郎の様子を見て来てくれないかい?彼はきっと、抱え込み過ぎてしまったんだ。本当なら僕が行きたいのだけれど、近頃は遠出するのも難しくてね』

 『御意。………御館様。どうかお身体を顧慮なさいますよう…私に医学的知識があれば、出来る事もあったのやも知れませぬが……こうして忠言するに留まること、真に申し訳ありませぬ』

 『いいんだ滲渼。君はもう、十分過ぎる程に頑張ってくれている。僕のことは、僕の方でどうにかするから大丈夫だよ』

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(御館様の容体は、年々悪化しつつある。病の類いなのかそうでないのかは分からないが、既に左目は光を失っているようだ。願わくば、あの方が存命であるうちに鬼舞辻無惨とやらを討ちたい所だが……現状、その影すら掴めてはいない。数百年、ただその名が伝わるのみというのは伊達では無いらしい)」

 

 

 鴉に従い滲渼が向かっているのは炎柱邸…即ち、煉獄邸だ。耀哉の生命力が会う度擦り減っていることに心を痛め、一刻も早い鬼の根絶を希えども────未だ、その糸口は掴めないまま。少しでも人手が欲しい今、槇寿郎の怠慢を正すことは一定の意義を持っているようにも思われた。

 

 

 「む……あれが、そうか」

 

 

 案内を終えた鴉が、ぐるぐるとその場を旋回する。すぐ側では立派な屋敷が広大な土地を占有しており、この屋敷こそが煉獄家の実家であるということは滲渼にも直ぐに理解できた。門前に立ち、意を決して声を上げる。

 

 

 「煉獄殿!!刈猟緋で御座います!!御館様より貴方の御様子を確かめるようにとの要望を頂き、此方まで参りました!!一先ず、顔を合わせるだけでも────」

 

 

 そこまで言った所で、門が開かれる。立っていたのは、燃えるような髪に凛々しい眉を持った人物。しかし、槇寿郎では無かった。

 

 

 「失礼!鬼殺隊の方でしょうか!?御足労痛み入りますが、父は動く素振りがありません!」

 「……其方、煉獄殿の子息か」

 「はい!煉獄杏寿郎と申します!」

 

 

 溌剌とした少年が、滲渼の前に現れる。杏寿郎と名乗った少年は活気と覇気に満ち溢れており、槇寿郎と似通った姿でありながら滲渼に真逆の印象を抱かせた。

 

 

 「父は除名されるのでしょうか!?」

 「いや、未だそこ迄には至ってはいない。尤も、他の柱の憤懣は限界を迎えつつある故……遠からず、そうなる見込みはある」

 「左様ですか!ご迷惑をお掛けし、申し訳ない!」

 「詫びる必要は無い。代わりと言っては何だが、煉獄殿に会うことはできるだろうか?」

 「はい!ご案内致します!」

 

 

 滲渼の面会の申し出を快く承諾した杏寿郎。勝手知ったる己が屋敷を進み、父の元へと客人を案内する。

 

 

 「此方です。父はかなり荒れておりますので、お気を付けて。何かあれば直ぐに呼んで下さい」

 「承知した」

 「はい、それでは!」

 

 

 去っていく杏寿郎の背中を見ながら、よく見れば道着であったかと遅れて気付く。滲渼は稽古を邪魔したのであろうと考え、少々申し訳ない気持ちを覚えつつも襖を開いた。

 

 開いた襖の先では滲渼も知る槇寿郎その人が背を向けて座っており、彼女が訪問して来たこと自体は分かっていたらしいことが窺えた。部屋には酒瓶が転がっていることから、隊士としての活動すらまともにこなしてはいないようだ。滲渼は静かに脚をたたみ、正座の姿勢で槇寿郎に声を掛けた。

 

 

 「煉獄殿」

 「帰れ」

 「…改めて、申し訳ありませぬ。貴方の心を慮る事なく、不躾にも踏み荒らすような真似をしてしまいました。先ずはそのことについて、謝辞を述べたく」

 「ならば失せろ。貴様と話すことなど何も無い」

 「失せませぬ。申し訳なく、またそれ故に…何としても貴方に歩み寄りたい。これは御館様の御意志でもあります」

 「…しつこい、と。言われなければ分からないか?貴様のような人間を、俺は心底厭悪する。腹の内では才の無い者を嘲笑い、そうした弱者に手を差し伸べる己に心酔しているのだろう」

 「………そうですか。私のことを、そのように思われておられたのですか」

 

 

 槇寿郎の勝手な推察は、滲渼に少なからず悲傷をもたらした。まるで的外れなものではあるが、だからこそ自身の心が一切伝わっていなかったことも判り、それが滲渼には堪らなく苦しかった。

 

 

 「貴様に限った話ではない。────鬼の生贄にされかかっていた子供を助けて。その従姉妹と引き合わせた時に、目の前で身の毛もよだつ真実をぶち撒けられた。人間の心は、かくも醜いものかと吐き気すら催した。俺たちが必死に守っていたのは、そんな程度のものでしかなかった。そんなもののために、俺は全てを擲った。もう、誰に期待することもない」

 「全ての者がそうだという事はありますまい。……煉獄殿。瑠火殿は、醜い心など持ち合わせてはいなかった筈です」

 「!!! 貴様…!!」

 

 

 出る筈のない名が滲渼の口から飛び出したことに槇寿郎は激しく動揺し、この日初めて滲渼に顔を向けた。憎々しげに顔を歪めた彼に睨まれても、滲渼は姿勢を崩すことなく言葉を続ける。

 

 

 「御館様に、御教え頂きました。………死は、不可逆の摂理です。如何なる人間であれ、これを覆すことは叶わない。どうも私に天賦の才があるとお考えの様ですが……私にも、失われた命を取り戻すことなど出来はしませぬ。これは力があるだとか、無力であるとか、そういった類いの話ではないのです。

 

 

 

 ────もう、御自分を赦してやっては如何ですか」

 

 「…言いたいことは……それだけか」

 

 

 言葉の応酬が途切れ、部屋が静寂に包まれる。幾許か時が過ぎたのち、立ち上がったのは滲渼だった。

 

 

 「………待っております。何時迄も」

 「貴様が俺の何を待つ。柱としての責務を果たせとでも言うつもりか」

 「私ではありませぬ。御子息はきっと、貴方が戻って来ることを願っている」

 「…」

 「失敬」

 

 

 潮時だと判断し、最後に少しだけ口を開く。鍛錬に励んでいるのだろう彼の息子は、そのままかつての槇寿郎を映し出しているのだと…漠然とそう感じた滲渼。槇寿郎が柱として再起するにせよしないにせよ、この一家があるべき姿に返るその日を想い、煉獄邸を後にした。

 

 

 

 

 

 ────後日。槇寿郎はその足で本部を訪れ、引退を申し出る。

 

 常日頃漂っていた酒の匂いは、幾らか薄くなっていた。





 【明治コソコソ噂話】
・煉獄(杏寿郎)は滲渼のことをだいぶ年上だと勘違いしています。実際には一歳差。現在滲渼は180cmを超える超長身なので、しょうがないしょうがない()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

臨時柱合会議:其ノ参


感想での言及があったので補足を。滲渼の前世はキャラバン所属につき、世界中を旅していた…ということにしています。4/4Gの要素だけだと少々限定されてしまうので。


 

 ある日のこと。刈猟緋家の屋敷を、いつもとは異なる人物が訪れた。

 

 

 「…鱗滝ではないか。珍しいな、こうして訪ねて来るとは」

 「ああ。少し相談したいことがあってな……」

 

 

 訪問者は、鱗滝錆兎。任務先で偶然出会う以外に特に深い交流をしてきた訳では無かったが、それでも同じ選別を生き抜いた仲間。相談に乗ることに躊躇いは感じなかった。

 

 

 「ふむ、構わぬが……兎も角、屋敷に上がるか」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「成程…柱の打診とその辞退、か……」

 

 

 錆兎が滲渼に相談してきたのは、柱となる事についてだった。少し前に就任の打診があったという彼は、しかしそれを断るつもりなのだという。

 

 

 「俺自身、柱になる事が嫌な訳じゃない。むしろ、救える命が増えるのなら喜んで承りたいさ。……けど、な。俺以上に『水柱』に相応しい奴が、居るんだ」

 「……よもや…冨岡か?」

 

 

 滲渼の質問に首肯する錆兎。滲渼はそのことが、俄かには信じ難かった。彼女の知る限り、義勇は優秀な人物であることは窺えたものの、錆兎には遠く及んでいなかった筈だった。二、三年で埋まる様な差でも無い、大きな隔たり。思わず彼に、再度訊き返す。

 

 

 「…本音を言うならば、想像がつかぬ。彼が、其方を抜き去るとは……贔屓目の無い、事実であるのか?」

 「……今はまだそうとは言い切れない。だがそう遠くないうちに、あいつは誰よりも水柱に相応しい男になる。これは、断言してもいい」

 「何と…」

 

 

 錆兎をしてそこまで言わしめるとはと、滲渼は驚嘆する。彼もまた出会った頃とは比較にならない程成長しており、柱以外で殆ど見かけたことの無い「常中」体得者でもある。そんな彼を遠からず超えるというのならば、義勇の才覚は彼女が考えていたよりもずっと優れていたということなのだろう。

 

 

 「お前と出会ったあの日から…あいつは死に物狂いで努力してる。『水の呼吸』には存在しなかった『拾壱ノ型』まで編み出したんだ。それが完成する頃には、柱になるための条件も満たすだろう」

 「…つまり、現状では断る由が無いと……そのような辞退が赦されるのかが、気になった訳か」

 「ああ、そうだ」

 

 

 確実性に欠ける、錆兎の直感のみに基づいた辞退理由。彼程の人物がそう考えるのであれば問題は無いだろうと感じつつ、そうでなくともと耀哉の人柄を思い起こした。

 

 

 「…確かに柱は不足気味ではあるが……それでも私が就いた頃よりは多い。御館様も、理由の如何で辞退を咎めるようなお方ではない。先程述べた旨を綴れば、水柱の席は空いたままにして頂けよう」

 「そうか…!助かった、恩に着る!」

 「構わぬ。この程度、何ということはない。………ところで、以前会った折に妹弟子の話をしておったが…その後はどうだ?」

 「ん?ああ、真菰なら去年選別を通過したぞ。合間を見て鱗滝さん……育手と一緒に鍛えてやったからな、良い剣士になった。今も元気でやってる」

 「そうか、何よりだ」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「────と、いう訳だ」

 「…理解出来ない」

 「そう言うな。鱗滝の言った通り、今の其方は前任の水柱と比べても格段に強い。己を卑下しすぎることは、彼らの侮辱にもなり得るぞ」

 

 

 …その後。再三に渡り開かれた臨時の柱合会議にて、当時の錆兎との会話を義勇に伝えた滲渼。柱の打診に際し、錆兎に上手く丸め込まれて承諾の返事をしてしまった義勇は、まさか初対面の耀哉に面と向かって不平をぶつけることなど出来る筈もなく、同期である滲渼に「何故錆兎が選ばれなかったのか」「錆兎は俺より相応しい」などと繰り返し言い募った。それを受け、滲渼は件の会話内容を彼に明かしたのである。

 

 

 「………俺はお前のように強くない。錆兎のように守りながら戦うこともできない。柱として、足りないものが多すぎる」

 「…冨岡。全ての柱があらゆる面で優れている必要はない。必ず其方にしか出来ぬことがある筈だ。此処は、鱗滝の想いを汲んでやってはくれぬか」

 「……善処しよう。だが、すぐに代わりは現れる。そうなればお前もきっと、俺に失望するだろう」

 「案ずるな。後継が現れる前に鬼は滅びる」

 「……そうか」

 

 

 義勇はそれ以上、何も言わなかった。

 

 

 

 ────否。言えなかった。

 直後に胡蝶カナエが来襲し、屈託の無い笑顔を振り撒いて二人に話しかけたためである。滲渼とカナエが談笑する側で、上手く反応を返せず、更には宇髄までそこに加わり、場の雰囲気は義勇が最も苦手とするものへと変わっていった。

 

 

 

 彼は黙ってその場を去った。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(冨岡の人見知りを侮っていた……あまりにも大人しすぎる。そのせいで、一癖も二癖もある柱の面々とは反りが合わないようだ。彼が溶け込めるように、橋渡しをしてやらねばな…)」

 

 

 柱合会議から少しして、滲渼はその時の反省を心の中で並べていった。義勇が彼女の想像を超えた人見知りであったことや、その彼を脈絡もなく柱の中でも特に積極的な二人と接触させてしまったこと。

 

 悲鳴嶼辺りならば仲を深め易いだろうか…と考えた所で、()()()()()()を外された。

 

 

 「ぜぇ……ぜぇ……が、咢柱様……到着、致しました……」

 「うむ、御苦労であった。……体躯の大きな者は複数名で運ぶように進言しておこうか?」

 「い、いえ……!!大丈夫、です…!この位、隠として、当然、の!!責務ですので…!!」

 「そ、そうか…」

 

 

 息を切らしながら目的地への到着を告げた隠とのやり取りを経て、眼前に広がった展望を眺める。滲渼は今、刀鍛冶の里へと来ていた。

 

 理由はただ一つ…刀の新調だ。

 

 

 「(特に今の刀に不満がある訳では無いが……()()()()()()()というものはある。こればかりは、年季の問題だからな……感覚的な馴染み方が違う)」

 

 「咢柱様ですね?お待ちしておりました、此方へ」

 

 

 

 

 

 案内に従い、里の中を進み、一つの屋敷に足を踏み入れる。廊下を歩き、階段を登り…導かれた先で待っていたのは、滲渼の担当をしている鉄地河原鉄珍だった。

 

 

 「いやぁ、久しぶり。元気してたみたいやね。前会うた時よりもっとずっと大きなったなあ」

 「ご無沙汰しております、鉄珍殿。此度は時間を割いて頂き、感激の至りに御座います」

 「ええのよ、女の子の頼みは聞き入れてこそやからね。それで、や。新しい刀欲しいんやってな」

 「はっ。私と致しましては────」

 「うんうん。短かったか、刀

 「!!! …その通りで、御座います」

 

 

 鉄珍に要望を出そうとしたその時、彼が指摘したのは刀の刃渡り。刀鍛冶の長は、滲渼の所作や重心の偏りから彼女の求める物を瞬時に見抜いた。

 

 

 「(…神懸かった眼力。読心とすら錯覚する程に正確だ。やはりこの方を超える刀鍛冶は、この国には…否。この世界には居ないだろう)」

 

 「そやねぇ。…六尺六寸。刃の長さは、そんなもんかな。変に手加えんで、普通の大太刀にするんがええか。柄も両手持ち出来る程度の長さは欲しいな。どう?」

 「…申し分ありませぬ。真、見事な審美眼で御座います」

 「そないに褒めんでもええ。鍛冶師として、このぐらいは出来て当たり前や。後は、鞘やけど……そっちは願鉄に任せよか。ほいじゃ、ちゃっちゃと取り掛かろかね。十四、五日ぐらいしたらお家の方に持ってくから、楽しみにしといてや」

 「はっ。改めて、感謝致します」

 

 

 滲渼の望むものを、聞き出すことすらせずに完璧に言い当ててみせた鉄珍。承諾の確認をとったのち、すぐさま両脇に控えていた鍛冶師と共に立ち上がり、鍛造の準備に向かう。滲渼も頭を下げながら、偉大な刀鍛冶が己の担当である幸運を喜んだ。

 

 

 

 

 

 そして、約束通りの日程に刈猟緋家の屋敷にやって来た鉄珍。前回同様人力車に乗ってやって来た彼は、どこにそんな力があるのか長大な箱を抱えたまま屋敷に上がる。

 

 そして箱の中から現れたのは、「悪鬼滅殺」の文字が刃に刻まれた唯一無二の大太刀。これ以降滲渼の愛刀となる、至高の一振りであった。




 【明治コソコソ噂話】
・義勇の柱就任時期は原作だと炭治郎遭遇時点で「柱になって間もない」だったり、回想でカナエと一緒に居たりと良く分からないことになっていますが、本作では錆兎が居るので義勇も頑張った、ということで後者に合わせました。

・滲渼の新しい刀は長過ぎて普通に抜刀するのが難しい…というか背中に背負う形となる関係上不可能なので、伊黒の鞘と同じ感じになってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

強さ


(追記)カナヲの台詞を修正。カナエとしのぶはこの時点では彼女を弟子としては認めていなかったようですね。


 

 「いい御身分だなァ おいテメェ 産屋敷様よォ」

 「!」

 

 

 義勇の柱就任から少しして、またしても新しく柱となる隊士が現れた。しかし、その隊士が柱合会議で放った第一声に、柱たちは皆多少なりとも顔色を変える。滲渼もこれには少々面食らったが、それでも言葉は発さなかった。

 

 

 「不死川…口の利き方というものが、わからないようだな…」

 「いいよ行冥。言わせてあげておくれ。私は構わないよ」

 「ですが…お館様…」

 「大丈夫だよカナエ」

 

 

 こうして、耀哉が皆を宥めるであろうことを理解していたからだ。彼がそういったことを気にするような人物でないことは分かっていた。そして、そんな彼の人となりを不死川実弥という隊士が目の当たりにするであろうことも、同様に。

 

 

 

 

 

 結局滲渼が予期した通り、不死川もまた産屋敷耀哉という人物の暖かさと優しさを知り、涙を流して無礼を詫び、忠誠を誓うこととなった。だが、その過程で耀哉が口に出した言葉が、彼女の耳に強くこびり付いて離れない。

 

 

 『君たちが捨て駒だとするならば、私も同じく捨て駒だ』

 

 『私の代わりはすでに居る』

 

 「(ずっと……疑問だった。聖人の如く慈悲深いあの方が、何故あれ程過酷な最終選別を強いるのか。…それが今日、漸く腑に落ちた。────御館様。貴方は…()()()()()()()()()()())」

 

 

 滲渼はここに来て漸く、産屋敷耀哉という人間の本質を知った。彼が一体何を考え、何故そうしているのか。全ての点が、一つの線で繋がれてゆく。

 

 

 「(誰かの死を悲しむことは出来るのだろう。誰かの痛みを想うことは出来るのだろう。その上であの方は、一切の情けを掛けない決断を下すことも出来るのだ。『産屋敷耀哉』と『鬼殺隊首長』を切り分けることに、何ら痛痒を感じることは無いのだ)」

 

 

 その強さの源を正確に把握することは未だ困難ではあるものの、鬼殺隊の性質を思えばおおよその推測は可能であった。滲渼には無い、しかし多くの隊士が抱く感情。

 

 

 「(()()。数多のそれを束ねることが出来るのは、より圧倒的な憎悪以外の何物でもない。鬼に対するものなのか、或いは鬼舞辻無惨に対するものなのか……後者であってもおかしくは無い。会ったことも、見たこともない相手に対して、張り裂けんばかりの憎しみを抱くことが…あの方には出来る筈だ)」

 

 

 滲渼は思う。鬼殺隊の頭として、耀哉以上に優れた人物は後にも先にも現れることは無いだろう、と。それと同時に、一層強く己に誓う。

 

 

 「(御館様が健在である、その内に…必ず全てを終わらせる。あの方の、皆の執念が報われるように)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それからも絶えず時は流れ、滲渼が十七となって。彼女はその年の春、尾崎を連れて蝶屋敷を訪れた。そこで二人を出迎えたのは、カナエとしのぶ……のみならず、更に五人の少女たち。

 

 

 「いらっしゃい!待ってたわ、二人とも!」

 「お久しぶりです、刈猟緋さん、尾崎さん」

 「うむ。息災であったか」

 「久しぶりね、胡蝶さんにしのぶちゃん。後ろの子たちが、手紙に書いてあった?」

 「ええ、そうよ。皆、自己紹介してあげて」

 

 

 カナエに促され、まず一歩前に踏み出したのはとりわけ小さな三人。そっくりな顔で、順番に名前を口に出していく。

 

 

 「中原すみです」

 「寺内きよです」

 「高田なほです」

 「………姉妹か」

 「ち、違うわ刈猟緋さん。名字が別々よ」

 

 

 礼儀正しく綺麗に揃って腰を折った彼女たちに、思わず血の繋がりがあるのかと錯覚する滲渼。尾崎の訂正にハッとしつつ、残る少女たちの自己紹介を待つ。

 

 

 「神崎アオイです。今はまだ鬼殺隊の隊士ではありませんが、カナエ様の継子になるために弟子として日々精進しております。よろしくお願いします!」

 「うむ、宜しく頼む」

 「そう、継子に……よろしくね、アオイちゃん!」

 「はいっ」

 

 

 一瞬尾崎の様子がおかしかったかと思いながらも、滲渼は最後の一人に目を向ける。少女はちらりとカナエに目を遣り、彼女が頷いたのを確認してから口を開いた。

 

 

 「…栗花落カナヲ。…です。よろしくお願いします」

 「そうか。宜しくな、栗花落」

 「よろしくね。貴女も胡蝶さんのお弟子さんなのかしら?」

 「…」

 「……あ、あれ…?」

 

 

 ぽつりと名前を告げ、挨拶を行ったカナヲは、続く尾崎の質問に対して黙りこくってしまう。何故自分はこうも無視されるのかと心の中で涙を零した尾崎だったが、直後のやり取りで何らかの事情を察した。

 

 

 「カナヲ。喋っていいのよ」

 「…私は……特に誰の弟子というわけでもない、です」

 「! ……うん、そうなのね」

 

 「胡蝶。これは…」

 「カナヲちゃんね、育った環境があまり良くなかったみたいで……親に売られてたのを、私たちが引き取ったのよ。名前も付けられないまま、大変な思いをしたんでしょうね…自分から何かをするのが苦手なの」

 「…そうか……」

 

 

 滲渼は、言葉が出なかった。幸運にも家族に恵まれた彼女としては、カナヲに何と声を掛けてやるべきなのかが分からなかったのだ。

 

 

 「大丈夫。私たちも一緒に、少しずつあの子と歩んでいくわ。だから、そんなに辛そうな顔しないで」

 「…気遣い、真に痛み入る」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(世界には、理不尽と悲劇が溢れている。何処であっても、それは同じか……)」

 

 

 夕暮れ時。一日を通して胡蝶姉妹や共に暮らす少女らと会話を楽しんだ滲渼は、屋敷の庭先で今朝のカナエの話を思い返す。人が人を虐げるということ自体は、前世でも嫌というほど目にしていた。その度に心を痛め、悲しみを覚えたことは記憶に新しい。

 

 

 「(モンスターという共通の大敵が居てもなお、人々は互いに争った。それが居ないのであれば……或いは、公になっていないのであれば言うまでもない、ということだな…)」

 

 「刈猟緋さん」

 「! む…尾崎か。話は済んだか?」

 「ええ。夜も近いし、そろそろ帰りましょう」

 

 

 そうして思考に耽っている所に、尾崎が現れる。アオイやしのぶと色々話していたようだったが、十分満足したようだ。彼女の後から、カナエたちも続いてやって来ていた。

 

 

 「今日は楽しかったわ、二人とも。また沢山お話しましょう」

 「どうか、お元気で。…尾崎さん、頑張って下さいね」

 「うん。ありがとう、しのぶちゃん」

 「…? …では、発つとしよう。お互い、再び無事で(まみ)えようぞ」

 「「「さようならー!御武運をお祈りします!」」」

 「私も、皆さんに追いついてみせますから!いずれまた会う日まで!」

 

 

 

 

 

 少女たちに見送られ、橙の空の下を往く滲渼と尾崎。

 

 蝶屋敷が見えなくなり、さらにそこから少しした頃、尾崎が突然話を切り出した。

 

 

 「────刈猟緋さん。…私、貴女の継子になりたい」

 「…何だと?」

 

 

 その内容に、滲渼は耳を疑う。そもそも「継子」とは、柱の方から一般隊士の中でも見込みのある者を指名して弟子入りさせる制度だ。隊士の方から申し出た所で、基本的には門前払いされる。そして、継子となってからもその道は険しい。次期柱として鍛え抜かれることになるため、訓練の厳しさは尋常では無く、時には柱の任務に同行する必要もあり、命の危険も相応に大きくなる。そして何よりも、呼吸を習得することが出来なければ意味が無いのだ。

 

 

 「……何度も言うが…『咢の呼吸』は私以外が扱うことを考慮しておらぬ。はっきり言えば、其方が習得出来る見込みは限りなく皆無に近い。その事は、理解しているか?」

 「…分かってる。辛いのも、苦しいのも、無茶なのも。……それでも、私が強くなるには…これしか無いと、思うから」

 「………尾崎。強さの定義は一つでは────」

 「違う!違うのよ、刈猟緋さん!!」

 

 

 力への渇望を隠さない尾崎を、滲渼は窘めようとして……彼女の叫びに遮られる。二人の足は、いつの間にか止まっていた。

 

 

 「私が欲しいのは、力なの!!心が、想いが強くても、肉体が弱いんじゃ駄目なの!!強く、強くならないと………

 

 

 

 ────貴女に、置いて行かれてしまう…!!!

 

 「……………尾、崎」

 

 

 涙を流し、へたり込んで滲渼の裾を握り締める尾崎。何も気負うことなく、彼女との稽古をこなしてきた滲渼は…彼女がそれ程まで思い詰めていたことに、気付くことが出来なかった。

 

 

 「貴女が凄いのは、最初から分かってたの……!でも、でも…!刈猟緋さんは、優しいのよ…!時々抜けてるのは可愛らしくて、刀を持ってる時は格好良くて……凄い人なのに、一緒に居て楽しくて!!だから……隣でとは、言わない!言えないけれど…!貴女の背中を追うことの出来る距離に居たい!!」

 「…」

 「……………私たちの同期、ね。もう殆ど、残ってないって。皆隠になったか、辞めたか、…死んでしまったって。村田くんが言ってたわ」

 「! ……そう、か」

 「残ってる人は、皆凄い人ばかり。刈猟緋さんと冨岡くんは柱でしょう?鱗滝くんも、ずっと前に階級は甲まで上がってるみたいで。……ねえ、刈猟緋さん。家族も皆居なくなった私には、もう……友達しか残ってないの…!私、貴女に…!皆に置いて行かれるのは、嫌…!!」

 

 

 

 

 

 魂の告白を、滲渼は静かに聞き届けた。既に日が落ちた闇の中、彼女は意を決して答えを返す。

 

 

 「……尾崎。一切の手心を加えることは無い。容赦無く、叩き潰す積もりで其方を鍛える。それでも構わぬか…否。構わぬな?」

 「!! …うん!!絶対、折れないからっ!!!」

 「…良いだろう。明日より、其方には艱難辛苦が降り掛かる。………故に、今は…泣けるだけ、泣いておけ」

 「…う゛んっ!!ありがとう…!!あり、がとう…!!!」

 

 

 …この日。尾崎あやめの運命は、哭泣に紛れて大きく音を立てて捻じ曲がった。

 

 好転か否かは、まだ誰にも分からない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

咢の継承

 

 「ぐ、うぅう…!!!」

 「…どうした。肺が苦しいか」

 「…苦しい、けど!!止めない、わ!!」

 「……良し。続けよ」

 

 

 刈猟緋邸。屋敷の裏手で、血反吐を吐くような顔をしているのは尾崎だ。ここ最近は、ずっとこうして咢の呼吸の習得を目指しながら鍛錬に励んでいる。

 

 

 「咢の呼吸には、四つの型がある。其方に教えるのは内二つ、『地ノ型』と『天ノ型』だ。それぞれには更に幾多もの技があるが、それはその時に教えよう。先ずは死に物狂いで咢の呼吸を身に付けよ。…では、剣術の稽古を始めるぞ」

 「は、い!!」

 

 

 肺が破裂するのが先か、捻じ切れるのが先かという程に壮絶な呼吸を繰り返しながら、木刀を構えて滲渼に向かっていった尾崎。激痛に動きが鈍りに鈍っているものの、これまでの稽古もあって最低限の動きは出来ている。

 

 

 「とこ、ろで!何で!!残りの、二つの型!!はっ!!教えて、くれないの!!?」

 「至極単純なこと。地と天が出来ぬ者に教える意義が無い故。特に…四つ目の型はな」

 

 

 滲渼は尾崎の質問に悠々と答えつつ、心中で己の呼吸について、一人想う。

 

 

 「(元より人の身にはあまる存在の模倣。私も四つ目の型の掌握には長い時間を要した……そして終ぞ、()()()()()()()()()()()()の力を借りることは、一欠片の内の一欠片とて叶うことはなかった。あれらはやはり、生物としての格が違うのだ)」

 

 「そら、残りの型も体得したいと言うのなら…この程度で乱れては居られぬぞ。疾く次を打って来るが良い」

 「言われ、なくとも!!はあぁっ!!!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「ガルル……」

 「…『咢の呼吸』、その基礎中の基礎は物にしたようだな」

 「うん…!これ、とんでもないわ…!!ほんの少し、呼吸をするだけでも……その間だけは別の生き物になったみたいに感じる!!……感じる、だけだけど………」

 

 

 告白の夜から暫くして。滲渼の予測を超える速度で、尾崎は「咢の呼吸」の方法を身に付けた。尤も、まだ単に身に付けたというだけだ。呼吸を続けたまま技を出すことも、ましてや走ることすらもままならない状態であり、進度でいえば門の扉が僅かに開いたといった程度。咢の呼吸を使って戦うことなど、夢のまた夢だった。

 

 

 「そうか。では、これからは全ての稽古を『咢の呼吸』を維持したまま行うとしよう。途切れれば、その日の一つ目の稽古からやり直しとする」

 「え゛」

 「…何か異存が?」

 「うっ…!! な、無いわ!!やってやろうじゃない!!」

 

 

 しかし、滲渼はあくまでも限界を超えることを尾崎に課す。無論いきなりそれが可能であるなどとは思ってはいないが、長く停滞することも好ましいとは言い難い。また、尾崎自身も自分から言い出したことであったために、譲歩や加減を求めることはしなかった。

 

 

 

 「動きを止めるな。乱すな。正しく刀を振り続けろ」

 「ふぅっ…ぐ!!やぁっ!!」

 

 

 

 「はっ……はっ……っあ…!」

 「────今…途切れたな。山の登り降りからやり直しだ」

 「っ…!!!」

 

 

 

 「巡回に向かう。呼吸を切らさず後に続け。案ずるな、心体の精魂が尽き果てたとて私が居る」

 「はいっ!!」

 

 

 

 ────そんな一層厳しさを増した鍛錬を、陰から見守るのは滲渼の家族たちだ。

 

 

 「あやめちゃん、大丈夫かしら…見てて凄く辛そうよ」

 「『継子』とは、そういうものよ。吾輩の同期にも、柱の継子となった者が居たが……翌週には死にそうな顔をしておったわ。そうして、間を置かずに継子を辞めておった。生半な覚悟で務まるものではない、ということよな」

 「…滲渼も、尾崎ちゃんの覚悟を汲んでいるんだね。だから二人とも、一切妥協しない……無理は止して欲しい所だけれど」

 「無理を押すことも時には必要となる。それが、鬼殺隊ぞ。いずれにせよ、吾輩たちが口を挟むことでは無かろう。……強くあれ、若人よ」

 

 

 せめてこの屋敷の中ぐらいは安らぐことの出来る場所であるべきだと、彼らも使用人たちと共に細やかな気配りを巡らせる。長く付き合いのある尾崎もまた、刈猟緋邸の一員であった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 季節は移り、各地では草葉が青々と茂り始めた。春と比べて少々気温も高くなり、暖かいというよりも暑いという言葉が相応しくなった頃のある夜、尾崎は漸く滲渼から「型」の伝授をしてもらうことになった。

 

 

 「先ずは、『地ノ型』から。この『型』の技は、何れも技を出すまでの構えが似通っている。その中でもとりわけ単純で至便なのが、『迅』だ」

 「『迅』…最終選別で、鬼を一気に仕留めた技ね」

 「うむ。一息に鬼の頸を断ち、そしてその刃の軌跡は悟らせぬ。連続して放つことも容易である故、初めに覚える技としては悪くなかろう。差し当たっては、私の『迅』をしかと見よ」

 「うん、分かったわ!」

 

 

 尾崎に概要を伝え、改めて己が技を放つのを披露する滲渼。日輪刀で放つと幻が見えてしまうので、視覚的な理解のし易さを考えて今回は木刀での実践となる。

 

 

 「『咢の呼吸 地ノ型 迅』」

 

 

 「────…綺麗だわ……本当に」

 

 

 当時目撃したものよりも数段速度が落ちた「迅」だったが、これは尾崎がしっかりと目で追うことが出来るようにするための措置だ。それでも、彼女の目にはこの上なく速く美しい剣技に映った。

 

 

 「如何だったか」

 「ええ、何とか見えたわ。刀を振り抜いていく間も、少しずつ刃の角度を変えてるのね……限界まで、鬼の視界に刃が入らないようにするために」

 「うむ。真剣は木刀よりも更に刃が薄い。この暗い夜の闇、光が届かない中であれば、見方によっては不可視であると見誤る程に」

 「…改めて、凄いわ。『咢の呼吸』は、最終選別の前から完成していた。それはつまり、鬼との戦いを経験したことの無い状態で全ての技を考え付いたってことでしょう?その上それらを実現にまで至らせた……まるでずっと昔から、戦う術を知っていたみたい」

 「………何度も見て、覚えるのだ。一度やって見せよ」

 「あ、うん!────ガルルルル………

 

 

 技を説明していく中で飛び出した核心に迫る発言を流しつつ、尾崎に再現を促す。彼女は咢の呼吸特有の肉食獣の唸り声にも似た呼吸音を響かせ、見た物と伝えられた物を併せて木刀を振り抜いた。

 

 

 「『咢の呼吸 地ノ型 迅』!!」

 

 

 「…ふむ……足を踏み出す必要は無い。下半身の筋肉は使うが、『迅』自体に踏み込みなどの予備動作は付随せぬ。加えて、振り抜きが鈍すぎる。手首や姿勢の遷移は悪くなかった……とはいえ、肝心の速度が足りておらねば『迅』と呼ぶには今一つ、だな」

 「そう……もう一度、お願い!」

 「うむ、繰り返し見ればその内に────」

 

 

 尾崎の繰り出した技の精度を評価し、目に付いた改善点を指摘する滲渼。再度技を見せて欲しいと言われて頷き………そこで、激しい羽音を察知した。燁が指令を下しに来たかとほんの一瞬考えたが、平時と比べると明らかに様子がおかしく聞こえる。

 

 

 「(焦っているのか?一体何が────────)」

 

 

 

 「上弦ノ弐出現!!!上弦ノ弐出現!!!花柱・胡蝶カナエガ現在交戦中!!!此処ヨリ北西ニ凡ソ三里ノ地点!!!」

 

 「え────」

 

 

 

 

 

 ズドンと、爆ぜたような音が刈猟緋邸の裏手に轟く。音の方に顔を向けた尾崎は、大きく抉れた地面を認める。

 

 燁の告げた内容を尾崎が完全に飲み込む前に、滲渼はその場から早々に消え失せていた。

 

 

 

 暑い筈の夏の夜、不思議と凍えるような心地がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

凍み張り付いた偽りの

 

 「フゥゥ────ゴホッ…! ……フゥゥゥゥ………!!

 「わぁ…凄い凄い、呼吸続けるんだあ!もう普通に息するのもしんどいでしょ?健気だなぁ」

 

 

 明治四十四年のある夏の夜。花柱である胡蝶カナエは、絶望的な戦いに臨んでいた。相手は…十二鬼月・上弦の弐。単純に考えるならば、鬼舞辻無惨を除いた鬼の中で二番目に強い存在。上弦の鬼であるというだけでも百年以上討伐の記録が残されていないというのだから、たった一人で倒せるなどとは微塵も考えてはいなかった。

 

 それでも、カナエは抗い続ける。唯一残された肉親を想い、共に暮らす少女たちを想い、────同じ鬼殺隊の少女たちを想い。

 

 

 「『花の呼吸 弐ノ型 御影梅』」

 「『血鬼術 枯園垂り』────頑張って!そうそう、上手だよ!」

 

 

 上弦の弐────童磨と名乗ったその鬼は、どう考えてもカナエを揶揄っていた。彼女が繰り出す技に対して対応しやすい血鬼術をわざわざ後から合わせて来たり、子供を煽てるように称賛の言葉を口にしたりと、遊んでいることは明白だった。それでも、カナエにとっては好都合だ。

 

 

 「(彼はきっと、夜明け前までこうして適度に此方を殺しに来る程度の攻撃ばかりする筈…そこまで、耐えるの。耐えて、最後に彼が本気で喰らいに掛かって来た所を狙う。あわよくば、討つことが出来るかもしれない。或いは叶わなくても…誰かに、上弦の弐の情報を伝えることが出来るかもしれない。諦めちゃダメよ、胡蝶カナエ…!!)」

 

 「ほら、足を止めちゃあいけないよ?『血鬼術 寒烈の白姫』」

 「くっ…! 『花の呼吸 肆ノ型 紅花衣』!」

 「あはは、綺麗だね!たくさん練習したのかなあ?もっと色々見せておくれよ!」

 「……貴方は、凄く…哀しい鬼ね。『花の呼吸 陸ノ型 渦桃』!」

 「えぇ?今ので俺、哀しい奴に見えるの?変なこと言わないでよ〜」

 

 

 カナエは必死に避け、反撃し、辛うじて命を繋ぎ止める。一方で童磨は呑気にお喋りしながら片手間に血鬼術を放ち、反撃を受け止め、取りこぼした攻撃で受けた傷も瞬く間に再生させる。残酷過ぎる力の差が、二人の間には存在していた。

 

 

 

 

 

 「……うーん、あんまり遊びすぎるのも良くないかあ…。君のことはちゃんと喰べてあげたいし、そろそろ────」

 

 

 まさに全ては童磨の掌の上。これ以上の負傷を避けるべく手堅く立ち回るカナエに痺れを切らし、戦いに本腰を入れようと考えた彼は、両手の鉄扇を構え直し────即座に後頭部へ向かって振るった。

 

 

 「ち……」

 「吃驚したあ!何処から来たの!?近付いて来るのが分かんなかったや!」

 

 

 彼は背後から己の頸を狙う気配に、間一髪で気付いたのだ。突如戦場に現れた剣士は、小さく舌を打つとカナエの前に降り立った。

 

 

 「────刈猟緋、さん…!?」

 「…間に合ったか」

 「ええ、大丈夫…致命傷は、受けていないわ。でも、どうして……」

 「鴉から伝令があったのだ。少々時間が掛かってしまったが……何とか、といった所だな」

 

 

 増援は、刈猟緋滲渼。カナエは自身と同じく柱である人物の救援に安堵しながらも、それでもやはり童磨を倒すことは難しいと考える。

 

 

 「あれ?君、女の子だ!あんまり大きいから間違えそうになっちゃったよ。俺、童磨って言うんだ。君も俺が救ってあげるね!」

 「…刈猟緋滲渼。言葉の意味が解せぬが……今宵斃れる者に尋ねる必要は無さそうだ」

 「……刈猟緋さん。あの鬼は、強いわ。きっと貴女が戦ってきたどんな相手よりも、遥かに」

 「…うむ。確かに、そのようだ」

 

 

 ひらひらと鉄扇を扇ぐ余裕を見せる童磨を、透かして観察する滲渼。飄々とした態度に反して、その肉体は空前絶後の強靭さを誇っている。間違いなく、これまでで最強と言って差し支えの無い鬼だった。

 

 

 「(何より…あの粉のような氷の粒。血鬼術、か)」

 「気をつけて。彼、技と一緒に目に見えない程小さな氷をばら撒くの。吸い込んでは駄目……肺がやられてしまうわ」

 「承知した」

 「うん、それじゃあ一緒に────」

 「後は任せよ」

 「えっ!?」

 

 

 カナエが協力を申し出たのも束の間、滲渼はなんと一人童磨へと突っ込んでいく。或いは冷静さを欠いているのかと思い始めたカナエだったが………

 

 彼女はまだ、誤解をしている。

 

 

 

 刈猟緋滲渼の実力を……未だに低く見積り過ぎている。

 

 

 

 「相談は終わったかな? …なんて、相談したって君たちじゃどうしようも…」

 「『咢の呼吸 地ノ型 轟咆(ごうほう)』」

 「!!」

 

 

 けたたましい音と共に、滲渼が童磨の肉体を押し込んでいく。カナエが追いかける間も無くどんどんと遠ざかり、町を離れていくようだ。

 

 

 「『血鬼術 蔓蓮華』」

 「『咢の呼吸 地ノ型 (かま)()り・奈落(ならく)』」

 「つっ!痛たた…」

 

 

 血鬼術を繰り出して抵抗を図る童磨だったが、それと殆ど同時に術ごと全身を刻まれる。僅かに後ろに跳び退いたことが功を奏して頸は繋がったままだが、異様な痛みが彼の節々に襲い掛かって来る。

 

 

 「…ああ、成程ね。君もそういう質か────『冬ざれ氷柱』」

 「! 『咢の呼吸 天ノ型 空燃る火群』」

 

 

 しかし、短い攻防を経て滲渼の狙いを見抜いた童磨は…血鬼術を、周囲の家屋に対して放った。反射的に技を繰り出し、術の全てを斬り捨てる滲渼だったが……童磨はその隙を逃さない。

 

 

 「優しいねえ!でも残念、これでお仕舞い。『血鬼術 散り蓮華』」

 「────」

 

 

 数多の氷の刃が、滲渼の元に殺到する。無情にも彼女の身体はそれらに刻まれ、引き裂かれ────

 

 

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸 地ノ型 鏡花水月(きょうかすいげつ)』」

 「え?」

 

 

 直後。無傷の滲渼が、童磨の頸を斬り裂いた。

 

 

 「……驚いたな。今のを躱すか」

 「いやあ、俺の台詞でしょ!なんだい今の技?確かに当たったと思ったんだけどなあ」

 

 

 しかしながらこの傷もまた、浅い。童磨の頭を落とすには至らず、じわじわと傷口が塞がっていく。

 

 

 「それに、『粉凍り』もずっと撒いてるのにどうして何ともなさそうなのかな?君、体温高いみたいだけど……そんな程度でどうこうなるような技じゃないんだよ?」

 「簡単なこと。息を吸わねばそれで良い」

 「……?? いやいや、さっきからずっと鬼殺の呼吸使ってるじゃない。答えになって…────」

 

 

 童磨の方も、手を替え品を替え自身を追い詰めてくる滲渼には驚かされ続けている。人間に対する必殺の威力を自負している技も、どういう訳か彼女には通じていない。思わず尋ね、頓珍漢な答えが返ってきたことに首を捻り…そこまでして、動きを止めた。

 

 

 

 「え、嘘。ちょっと、待って。────君、ほんとに息吸ってないじゃないか」

 「如何にも。気は済んだか?」

 「……うわぁ、うわあ!君、人間じゃないでしょ!?そんなこと出来ちゃ駄目だって!俺、結構賢いからさあ!知ってるよ!?蚯蚓とかと同じだ!

 

 

 

 

 

 

 

  ────────『皮膚呼吸』だよね、それ!?」

 

 

 

 

 

 皮膚呼吸。体表から酸素を取り込む、環形動物や両生類の一部に見られる特有の呼吸方法。人間にも、生まれつき皮膚呼吸の機能は備わっているが……それだけで生命活動を維持出来る程、大量の酸素を取り込めるようにはなっていない。

 

 

 「肺に氷の粒が届かねば、『粉凍り』とやらは意味をなさぬ。………化生を見たような目で見てくれるな。肉体機能を操る程度、出来ぬ道理は無いだろう」

 「…君、可愛い女の子だと思ってたけど……何だか気持ち悪いね。良いや、さっさと喰べちゃおう────」

 「『咢の呼吸 地ノ型 轟咆』」

 「っとと!無駄無駄、ちゃんと見てたからね。もうその技は通用しないよ」

 「そうか。『天ノ型 激奔(げきほん)(じゅう)徹甲(てっこう)』」

 「う、ぐうぅ!?ちょ、またこんな…!!」

 

 

 「轟咆」が通じなくなったと見るや、すぐさま別の技で童磨を弾き飛ばす。彼が吹き飛んだ先は、広大な田畑が広がる平地。もう周りに、人の気配は無かった。

 

 

 「…此処でなら、存分に刀を振るえそうだ」

 「……追いついて来るのも速いなあ…。さっきの女の子も柱だった筈なんだけど、君とは全然違うね。…まさか柱じゃないなんて言わないよね?」

 「案ずるな。咢柱の座を戴いている……覚悟は決まったか?」

 「おいおい、勘違いされちゃ困るよ。俺だってまだまだ本気じゃなかったんだからさ……勝ったつもりになるのは、早すぎるぜ?」





 【狩人コソコソ噂話】
・水中で戦わなければならないこともあるハンターにとって、水中の酸素を効率的に摂取できる皮膚呼吸の強化は必須級の技術……というのは冗談です。が、まあそのぐらいは出来てもおかしくないでしょう。多分。

   〜咢ノ息吹〜
・「地ノ型 轟咆」
「轟竜」ティガレックスから着想を得た技。耳を劈くような咆哮を轟かせながら、目に映るもの全てを轢き潰し、喰らう。後には暴君の爪痕が残るのみ。淀みなく直進する斬撃に巻き込まれた鬼は、儚くその命を散らすだろう。

・「地ノ型 鎌刈り・奈落」
「鎌蟹」ショウグンギザミから着想を得た技。獲物を引き裂く死神の鎌は、命を繋ぎ止めた者にも激しい苦痛を与える。鬼であれど例外は無く、八つ裂きにされた身体が壮絶な痛みに苛まれることは必定。奈落の底からの喚び声は、罪業を決して赦さない。

・「地ノ型 鏡花水月」
「鏡花の構え」「水月の構え」から着想を得た技。名の由来そのまま、鏡に映った花が掴めぬように、水面に映った月が掴めぬように、技の使い手を仕留めることは不可能となる。全ての生物は、攻撃の命中に際して心に隙を作る。そこを突くことこそが、この技の真価だ。

・「天ノ型 激奔・重徹甲」
「重甲虫」ゲネル・セルタス、「徹甲虫」アルセルタスから着想を得た技。岩山を砕き、崖を削り、時に竜の心の臓すらも貫くは、雌雄の虫が成す破壊の奔走。目にも止まらぬ速度で放たれる刺突により、鬼の肉体を枯れ枝のように撥ね上げる。

 【明治コソコソ噂話】
・滲渼は12km前後の距離を7分ぐらいで走破しました。時速に直すと大体100km/h、まるで列車みたいだあ()


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

極ノ型

 

 「滲渼ちゃんだったかな?君、凄く強いからさ……俺も様子見は止めるよ────『結晶ノ御子』」

 「! …これは」

 

 

 童磨が徐に鉄扇を振るうと、現れたのは彼を象った小さな氷像。

 

 

 

 その数────百七体。夏の夜の空気までもすっかりと冷え込んでおり、明らかに尋常な様子ではない。

 

 

 

 「『冬ざれ氷柱』」

 「!!!」

 

 

 そのまま童磨が血鬼術を放つと、なんと百七の氷像も同様に血鬼術を繰り出した。数え切れない数の氷柱が、辺り一面に降り注ぎ始める。更に氷像の内幾つかは別の血鬼術を発動したらしく、氷の霧が滲渼の足元へと迫って来ていた。

 

 

 「逃げ場は無いよ?」

 「…そのようだ。故に、作るとしよう────『咢の呼吸 嵐ノ型 燎原(りょうげん)』」

 

 

 これに対して滲渼は、深く腰を落とすと……周囲を数度、刀で斬り払う。

 

 

 「…正直、これで終わるなんて思っちゃいなかったけどさあ……全部斬っちゃうんだ?ほんとにおかしいね、君」

 

 

 ただそれだけで、百七の氷像は無数の血鬼術諸共塵と消えた。流石の童磨も不快感を示し、顔を顰める()()()を見せる。しかしながらそれもほんの一瞬、彼は気を取り直して再び百七体の「結晶ノ御子」を召喚した。

 

 

 「ほらほら、折角だしもう一回やってみせてよ。この子たちなら幾らでも出してあげられるからさ」

 「………偽り、だな」

 「あはは、そう思うかい?でもね、それが出来るから俺は上弦の弐なんだぜ?その辺の鬼と一緒くたにしないでおくれ」

 「否。純然たる事実だ…全ての鬼は、際限無く血鬼術を使うことは出来ない。其方は私に、精神的な揺らぎを与えようとしているだけだ」

 「……あぁ、可哀想に。現実を受け止め切れないんだね…すぐに俺が、君を救ってあげるから────」

 「そして

 

 

 氷像を並べ、滲渼を挑発する童磨。実際の所、「結晶ノ御子」はまだまだ召喚すること自体は可能ではあるが、無限に生成し続けることは不可能だ。どんな血鬼術であったとしても、血であれ何であれ鬼として必要なものを費やすことに変わりは無い。

 

 だが、童磨はあくまでも己の術に終わりは無いと主張する。百七体の「結晶ノ御子」を瞬時に斬り滅ぼされたのを見て、正面から滲渼とぶつかるのは得策ではないと考えたために、肉体ではなく心を攻めることにしたのだ。果ての見えない戦いに、滲渼が精神を疲弊させることを狙ったのだ。

 

 

 

 

 

 ────まさか、己の心の穴を突かれるとは、夢にも思わずに。

 

 

 

 

 

 「偽りは、もう一つ。先程から其方は恰も感情が豊かであるかのように振る舞っているが……その実、何も理解出来てはいまい

 「………どういうことかなあ」

 「感情の機微は分かるのだろう?但しそれは、これまでの経験の中からそうなると知っているだけだ。何故そうなるのかは、理解出来まい。表情の意味は分かるのだろう?但しそれは、これまで見てきたものの中からそうであると知っているだけだ。何故顔色が変わるのかは、理解出来まい。────────心の底から同情しよう。其方程哀れな鬼は、後にも先にも現れまい」

 

 

 滲渼は、その瞳の輝き方に見覚えがあった。よくよく観察していると、それが作られたものであると気付くことが出来るのだ。

 

 

 「(世界を旅していた頃は、本当に多種多様な人間と出会ったものだ。………己の心が他と違うことに悩み苦しむ者も、一人や二人では無かった)」

 

 「…凄く意地悪なこと言ってくれるんだね。俺はむしろ、周りの人間がそれはそれは頭が悪いものだから、そっちの方が可哀想だと思ってたけど」

 「……そうか。人であった頃から、既に心の形が異なっていたのか。………殊更に、哀れだな。そうでなければ、或いは鬼とならぬ道もあったやも知れぬ」

 「────ねえ。ねえねえねえ!何だろうね、これ!?胸の辺りかな!?脳味噌かも知れない!!何だか凄くざわざわするよ!!!君を喰べれば、分かるかなあ!!?『血鬼術 霧氷・睡蓮菩薩』!!!」

 

 

 カナエからの言葉。滲渼からの言葉。募り募った心の靄…遂に童磨が、爆発する。無表情のまま声を荒らげ、己の血鬼術の中でも最大の規模を誇る技を繰り出した。周りの氷像も、一斉に同じ技を使い…真冬の夜にも等しい極寒が、一帯を包んでいく。

 

 

 「残ってね、滲渼ちゃん!!!喰べてあげたいから!!とっても莫迦な君を、救ってあげたいから!!」

 「……済まぬ、童磨。私を捉えた積もりだろうが────この位置、この距離ならば…外すことは無い。其方の期待に応えることは、出来ぬ」

 「そっかあ!!良く分かんないけど、残念だなあ!!

 

 

 

 

 

 ────天上(てんしょう)ノ無(のむ)

 

 

 

 

 

 童磨の生み出した百八の菩薩像が、音を立てて砕け始める。像が崩れていく程に、空気もまた一段と冷たくなっていく。このままでは滲渼は絶対零度の冷気を全身に受け、微塵に砕けて死ぬだろう。

 

 

 

「『咢の呼吸』」

 

 

 

 ────だがしかし。それは、起こり得ない未来の話だ。

 

 

 

 

 

「『(ごく)ノ型』」

 

 

 

 

 

 「(………何だろう 何か 途轍も無く拙い何かが)」

 

 

 童磨は、言いようの無い怖気に襲われた。

 

 

 ただ、それだけだった。何をすることも、出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『(かざ)()け』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷たい風が、吹き荒れる。

 

 夏の暑さを取り戻した夜の空気………逆さになった景色の中、童磨は確かに────

 

 

 

 

 

 

 

 嵐に舞う黒い影を視た。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「あれえ?ひょっとして……琴葉?てことは、やっぱり俺死んじゃったのかー……でも、まさかあの世があるなんてねえ。頭の悪い妄想じゃなかったんだあ」

 「…教祖様。私、貴方のことはまだ怖いです」

 「? ……いきなりどうしたの?」

 「…でも、貴方の側で伊之助と過ごしたあの日々は……本当に、暖かくて楽しかった。せめてそのことは、お礼が言いたかったの。………さようなら。もう、会うことは無いでしょう」

 「え?え? …行っちゃった。一方的に変なこと言うんだもんなあ……ほんとに琴葉って頭が悪いんだ。会話にならないぜ」

 

 

 その身を灼き始めた地獄の業火にも、童磨は特に気を払わなかった。

 

 ただ少しだけ……滲渼とのやり取りを経験した上での、先程の愛らしい女性の言葉。そこに少しだけ、何かを感じたような気がした。

 

 

 

 

 

 答えを教えてくれる者は、もう誰も居ない。

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「こ、れは……」

 

 

 呼吸の度に感じる痛みを堪えながら、どうにか遠目から激しい戦闘が見えた地点へと辿り着いたカナエ。そこは正しく、災害が通り過ぎたかのような様相を呈していた。暫く呆然としていた彼女だったが、ぽつりと佇む滲渼を見て、我に返る。

 

 

 「…はっ!か、刈猟緋さん!!無事なの!?」

 「うむ。たった今、上弦の弐は討った。……実に哀しき、鬼であった」

 「! ……ええ、そうね…。きっと、沢山の人を喰らったんでしょうけれど……いつの日か、その罪を浄めることが出来ますように」

 

 

 朝日が射し始めた、激闘の日。それは、鬼殺隊の歴史が大きく覆された日でもあった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(童磨が死んだ。……率直に言って、嫌悪していた男だったが…実力は確かだった。まさかたかが女一人に敗れるとは……最期まで、本当に苛々させてくれる)」

 

 

 暗い夜の町、まだ日が昇り切らない頃。一人の男が腹立たしげに顔を歪め、目の前にいる別の男を眺めていた。別の男は直前まで地に伏せていたものの、丁度立ち上がろうとしている所だ。

 

 

 「(だが…私は運が良い。何ということもない、通りすがりの男。このような時間であるから、人通りも少なかった……癇癪半分で大量に血を流し込んでみれば、これ程早く適応するとは)」

 「う、ぅ……一体、何が…くっ!頭が、割れそうだ……」

 

 

 意識が混濁しているのか、何事か呟きながらふらふらと立ち上がった男。しかし、瞳孔が縦に伸びており、口からは鋭い牙も覗いている。彼は、鬼と化していた。

 

 

 「(────呪いを外されてしまったことが気掛かりだが、これは千載一遇の好機だ。太陽を克服する可能性は、十二分にある。逆らうようならさっさと殺してしまえばいいだろう)」

 

 「……あ、あの…?貴方はどういった方なのでしょうか…?ぐ、く……私、どうやら倒れていたようなのですが…」

 「…ほう。素晴らしい……理性も残っているか」

 「…はい?」

 「貴様は選ばれた……着いて来るがいい。この私の役に立てることを光栄に思え」

 「?? …その、私はこれから………あ、れ…。……何をしようと、していたんだったか………き、記憶がぐちゃぐちゃで…」

 「……呪いが外れると、こうも面倒なものか………鳴女。この男も入れろ。それと、上弦共を呼べ。奴等の無能と怠慢には呆れる…一度釘を刺しておかねばな」

 

 

 ────運命の歪みは、四方八方へと波及していく。





 【狩人コソコソ噂話】
・「極ノ型」
極致へと到りし、畏怖すべき自然の権化。生きとし生けるものに抗うことを許さない命の旋律は、相対する者に絶対的な格の差を思い知らせる。

・「嵐ノ型 燎原」
「爆鱗竜」バゼルギウスから着想を得た技。通り過ぎた地に根付く全ての命を焼き滅ぼす、加減を知らぬ気高き外道。刀を振るった領域、またその衝撃が及んだ領域に存在するあらゆる鬼や血鬼術を斬滅する。

・「極ノ型 風翔け」
「鋼龍」────或いは「風翔龍」クシャルダオラから着想を得た技。嵐を纏い、天候すらも司る鋼の龍は、尾の一薙ぎを以て飛竜の命を奪い去る。ただ、一刀。一撃の下に全ては風に拭い去られ、天災に巻かれた鬼は跡形も無く葬られる。

 【明治コソコソ噂話】
・童磨が本気を出したのは、本人的には「何となくそうしたかったから」ぐらいの気持ちですが、実際には本能的な防衛反応です。ただ、残念ながら逃走が正解でした。

・「血鬼術 天上ノ無」
完全なる創作。そもそも百七体の御子が創作。御子&自分で繰り出した百八の睡蓮菩薩を一斉に粉砕し、辺りを絶対零度の空間へと変貌させる。完遂されれば技の範囲内の全ては粉々に消えて無くなり、天国も地獄もない「無」が出来上がる。滲渼には通じなかった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

瞢爬


※一人称視点あり


 

 琵琶の音が、次々と鳴り響く。一体、また一体と、広大な絡繰屋敷の如き空間に鬼が現れる。

 

 

 「ヒョッ!これはこれは、猗窩座様!いやはやお元気そうで何より…九十年振りで御座いましょうかな?私はもしや貴方がやられたのではと心が躍った…ゴホゴホン!心配で胸が苦しゅう御座いました…ヒョヒョッ」

 「怖ろしい、怖ろしい…暫く会わぬ内に玉壺は数も数えられなくなっておる。呼ばれたのは百九年振りじゃ。割り切れぬ不吉な数字…不吉な丁…奇数!!怖ろしい、怖ろしい…」

 

 

 彼らは、上弦の鬼。壱から陸までその数六体、鬼の首魁・鬼舞辻無惨が選んだ最強の鬼たちだ。しかし、今回その場に揃えられたのは五体だけだった。

 

 

 「琵琶女。無惨様はいらっしゃらないのか」

 「いえ。既に御見えです」

 「!」

 

 

 琵琶を携えた女の鬼…「鳴女」の言を聞くなり、一人を除いて上弦の鬼たちは一斉に頭上を見上げる。絡繰空間「無限城」の中、上弦たちよりも高い位置に、鬼舞辻無惨は立っていた。

 

 

 「随分と……楽しそうに談笑をしていたな?ええ?玉壺に、半天狗。余程持ち帰った成果に自信があると見える」

 「ヒイイッ!御許しくださいませ!どうか、どうか!!」

 「む、無惨様…申し訳ありませ────」

 

 

 玉壺と呼ばれた壺に入った顔面の構造が破茶滅茶な鬼が、半天狗と呼ばれた老爺に続いて謝罪を口にした所で…その頸を、無惨の掌中に収められてしまう。

 

 

 「貴様の謝罪に何の意味がある?無駄口を叩く必要は何処にも無い。黙って頭を垂れていろ」

 「(無惨様の手が私の頭に!いい…とてもいい……)」

 

 

 玉壺に冷たい視線と言葉を投げ掛け、すぐにその頸を手放す無惨。被害者である玉壺は、むしろ恍惚とした気分に浸っているようではあるが…直後に告げられた言葉に、他の上弦同様顔色を変えた。

 

 

 「……童磨が死んだ。上弦の月が欠けた」

 「「「!?」」」

 「…驚いたなぁあ……俺たちはあいつに推薦されてここに居るからなぁあ、強いってのはよぉく知ってるつもりだったのに…」

 「童磨は女一人に負けた。恐らくは、柱。……だが、そんなことは関係が無い。鬼狩りだろうが何だろうが、人間一人に負けるなどあってはならない事だ。それ程に上弦の鬼とは弱かったのか?百年以上も顔触れが変わらなかったのはただの偶然か?産屋敷の一族を根絶やしに出来ない。『青い彼岸花』も見つけられない。極め付けには今回のこれだ。呆れ果てて物も言えないな」

 「返す…言葉も……無い…。この汚名……如何様に…雪ごうか…」

 

 

 無限城へ召喚されてからここまで、一切取り乱す様子を見せなかった侍のようなの鬼…上弦の壱「黒死牟」が、初めて言葉を紡ぐ。その他の面々も各々の反応を示す中、再び無惨は口を開いた。

 

 

 「…さて。百九年振りに上弦を殺されて、私は不快の絶頂だ……と。言いたい所だが…幸運にも、気分が良くなる出来事もあった。鳴女」

 「はい」

 

 

 無惨の指示により再び琵琶が掻き鳴らされ、新たな鬼が上弦の鬼たちの前に現れる。その容貌は、あまりにも平凡。平均的な体格に、特徴の無い頭髪と顔立ち。瞳孔と牙が隠されていれば、鬼であるとは分からない程の男であった。

 

 

 「あ、あぁ……漸く明るい場所に出られた。…その、ええと……り、凛々しい紳士様!一体全体、私はどのような…!!」

 「此奴は、つい先程私が鬼にした男だ。────判るか?お前たちの何れよりも遥かに多い量の私の血を、この鬼は受け容れている。童磨の穴を埋めるには丁度良いだろう」

 「…確かに……凄まじい肉体だ……。無惨様の血液に……かなりの度合いで…適応している…」

 

 

 混乱する男を無視し、上弦の鬼たちに簡単な説明と己の意向を述べた無惨。そのまま、上弦の参…「猗窩座」に命令を下す。

 

 

 「猗窩座。此奴と戦え…そのまま弐に据えるか、それ以下の数字を与えるか…「入れ替わりの血戦」を以て決める。肆以下も心構えはしておけ」

 「…御意」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「あ、あの…!いきなり戦えと言われても、まるで話に着いて行くことが出来ておりませんで…!」

 「狼狽えるな莫迦者が。貴様は私に従っていれば良いのだ…言われた通りにしろ。ぐずぐずするな。疾く下に降りろ」

 「は、はぁ……」

 

 

 …弱そうな男だ。気の小ささは半天狗に匹敵するだろう。しかし、無惨様の事も全く分かっていない様子なのはどういうことだ?あの方の呪いを通して、己が鬼であるということも、何を為すべきなのかということも、容易に理解出来る筈だが……気にすることはないか。俺はただ、奴を捻じ伏せることに心血を注げば良い。こんな弱者を踏み付けに「上弦の弐」まで登るのは、不本意ではあるがな。

 

 

 「その…猗窩座様、ですか。宜しくお願いします」

 「…ふん。先に言っておく……俺は弱者が、大嫌いだ」

 「はい?」

 「『術式展開』────『破壊殺・羅針』。…行くぞ!」

 

 

 早々に終わらせてしまおう。この戦いは、無意味過ぎる────

 

 

 「うわぁっ!?……あ、あれ…!?意外と避けられた…!」

 「……『破壊殺・乱式』!!」

 「う…くぅう……!!あ、危、ない…!」

 

 

 ……何だ?何が起きている?

 

 闘気を見ているんだぞ。動きを先読みしているんだぞ。

 

 

 「よ、良し…!!ええと、反撃、しますよ!?」

 

 

 何故攻撃が…躱される?

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「ちょっと、嘘でしょ!?アイツ、猗窩座と渡り合ってるじゃない!」

 「…いや……渡り合うなんてもんじゃねえなぁあ……()()()()()()

 

 

 上弦たちは、一様に目を瞠っていた。頂点に立つ黒死牟ですらも、僅かに顔色を変えて「入れ替わりの血戦」を観戦している。現在の戦況は、誰一人として予想だにしていなかったものだった。

 

 

 「『破壊殺・脚式────』…ぐっ!?く、そォッ!!?」

 「ハッ…ハッ……!!」

 

 「獣のように必死に牙を剥くその姿…!美しさとは程遠いが、それもまた良し…」

 「否、最早獣そのものじゃ……四足で駆け回り、目玉をぎらつかせ…怖ろしくて堪らぬ………」

 

 

 男は、血鬼術の類いを一切使っていない。だというのに…全力を尽くしている猗窩座が、彼に真面な攻撃を浴びせられないでいる。対して男の攻撃は、既に何度も猗窩座に命中している。異常という他ない現状、それでも猗窩座が敗北していないのは、男の奇行故だ。

 

 

 「────あっ!し、しまった…また!()()ような気が、したのに……!」

 「貴、様……情けを掛けているつもりか!!?」

 「ま、まさか!!何か、足りないんです!ある筈の何かが…!!」

 

 「…また……硬直か…」

 

 「(気色の悪い動きをするかと思えば、不自然に動きを止める……脳に異常でもあるのか奴は?…だが、もう良いだろう。猗窩座が奴に勝つ光景は思い浮かばん)」

 

 

 痛打を叩き込める瞬間にそうしない男の行動に不愉快な感覚を味わいつつも、おおよその実力は理解できた無惨。猗窩座に逆転の目は無いと判断し、血戦を終わらせた。

 

 

 「そこまでだ」

 「「!」」

 「…猗窩座。何方の勝ちか、言う必要は無いな?」

 「……勿論で御座います」

 「結構。……この血戦を以て、新たな上弦の弐を決定する!おい、貴様!」

 「!? は、はい!!」

 「貴様には此れより、上弦の弐の座を与える。加えて、もう一つ……これからは『瞢爬(もうは)』を名乗るがいい。鳴女、瞢爬を」

 「畏まりました」

 

 

 無惨の目の前に移動させられた男…「瞢爬」の双眸に、「上弦」「弐」の文字が刻まれる。戦いを終えて落ち着いた瞢爬は、改めて無惨に質問をした。

 

 

 「あの、一体私はどうなってしまったのでしょう…?」

 「何だ?今更そんな事を訊くのか?貴様は『鬼』となったのだ。人間とは比べ物にならない優れた生物…貴様は晴れて、その存在へと昇華した。どうだ、喜ばしいことだろう?」

 「…お、鬼……? …何というか、実感が湧きませんね……記憶がこんがらがっていて、以前までの自分が思い出せないのです…」

 「それで良い。今の貴様は『瞢爬』。この私、鬼舞辻無惨の忠実なる下僕だ。余計なことを気にする必要などない」

 「そ、そうですか……」

 「あぁ、そうだ…一つだけ。太陽の光は浴びてはならない。────私が良いと言った時以外はな」

 「太陽……あぁ、はい…分かり、ました……」

 「良し…これから期待しているぞ?…猗窩座!」

 

 

 散々自分が無視した質問に今更かなどと呟きながら答え、一方的に瞢爬の思考と行動を縛る無惨。釈然としない様子で頷く瞢爬を他所に、猗窩座を呼びつける。

 

 

 「瞢爬。貴様は常に、此奴と行動を共にしろ。一人になることは許さない。分かったか?」

 「はぁ…まあ、構いませんが」

 

 

 呼びつけられるなり新人のお守りを任された猗窩座は、自分への確認は無いのかと考えそうになり、途中で踏み止まる。それとほぼ同時に、無惨からの思念伝達が届いた。

 

 

 『(猗窩座。貴様には伝えておくが、瞢爬は私の呪いが外れている。貴様が引き連れ、私の目の代わりをしろ。何があっても監視を怠るな)』

 『(…御意)』

 

 

 不満をどうにか押し殺し、承服の意を伝えた猗窩座。それを受け、無惨は漸く無限城を後にした。

 

 

 「お前たち。分かっているとは思うが……これ以上私を失望させてくれるなよ?」

 

 

 

 

 

 その台詞を残して消えた無惨に続き、上弦たちも続々とそれぞれの居た場所へと戻されていく。唯一元とは別の場所に飛ばされたのは、猗窩座との行動を義務づけられた瞢爬だ。

 

 

 「…瞢爬。俺の邪魔だけはするな」

 「は、はい。善処致します、猗窩座様」

 「……様は止めろ。強者が媚を売ること程無様なことは無い」

 「い、いえ!どうにも、一応の先達という形にはなるようなので!お許しください!」

 「…ちっ。好きにしろ…行くぞ」

 「はい!……ところで、いきなりなのですが…雲を貫く程に高い山をご覧になったことは?」

 「………何の話だ?」

 「その、私の記憶を整理しようかと思いまして!とりあえず見覚えのないものはこうして尋ねて行こうかと!」

 「…知らん。大方人間の時に富士の山でも見たのだろう」

 「ほうほう、富士の山。余裕があれば、この目で確かめてみたいところですね」

 「生憎だが、娯楽に興じている余裕など俺たちには────」

 

 

 瞢爬。

 

 本来ならば、上弦に加わることの無かった鬼。

 

 本来ならば、鬼になることは無かった人物。

 

 

 

 今はまだ、ただそれだけの男だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

激戦の終わり、激動の予感

 

 「姉さんッ!!」

 「ごめんなさい、しのぶ。心配を掛けてしまったわね」

 

 

 童磨との戦いを終えた滲渼は、そのままカナエを背負って藤の花の家紋の家へ向かおうとし……鴉からの伝達を受けて姉を追って来たしのぶと鉢合わせた。泣きながら駆け寄ってくる彼女を見て、背中からカナエを下ろす。しのぶは隊服が血で汚れることも厭わずに、姉を強く抱きしめた。

 

 

 「上弦だって、聞いて…!!怖くなって……!!!居ても立っても居られなかった……!」

 「…うん。大丈夫よ、しのぶ。姉さんはちゃんとここに居るわ」

 「ぅ、うっ…あああああああぁっ!!!!」

 

 

 

 「(胡蝶の怪我はあまり軽いものではない故、刺激するのは好ましくないが………今ぐらいは、構わないだろう)」

 

 

 

 

 

 少しして落ち着いたしのぶは、カナエたちを蝶屋敷へと連れて行った。滲渼が疑問に思って尋ねた所、どうやら彼女たちの屋敷は医療施設としての機能を備えつつあるらしい。まだまだ試験的段階ではあるようだが、全てはしのぶや同居する少女たちの努力の賜物であった。

 

 そうして蝶屋敷に到着した滲渼は、どういう訳か門前で尾崎と出会う。

 

 

 「む? …尾崎……何故此処に」

 「あ、刈猟緋さん!良かった、無事だったのね!貴女の後を追うつもりで鴉に着いて行ったら、ここに連れて来られて……聞いても『ここに居ろ』としか言わないし、もう何が何だか……」

 「……ふむ。燁!」

 

 

 滲渼は己の鴉が彼女を誘導して来たということを知り、まだここにいるだろうかとその名を呼ぶ。するとすぐに、聞き慣れた羽音が聞こえてきた。

 

 

 「ヨウ、燁ダゼ…ナンツッテナ」

 「何故尾崎を蝶屋敷まで?」

 「総合的ニ見タッテ訳サ。滲渼ハ確実ニ胡蝶姉ヲ助ケテ上弦ノ弐ヲ倒ス。胡蝶妹ハ姉ノ元ヘ向カイ、ソノ先デ二人ト会ッテ蝶屋敷ニ戻ル。ナラ尾崎ガ一番早ク、カツ確実ニオ前ト合流出来ル場所ハココダ」

 「…成程、な」

 「あ、ありがとう。ちゃんと考えてくれてたのね…」

 「あらまあ…刈猟緋さんの鴉、賢いのね。それに、凄く信頼されてるみたい」

 「姉さん、とりあえず屋敷に上がってから…」

 「あ…そうね。今更だけど、肺が痛くて痛くて……」

 「ね、姉さん!!!」

 

 

 つらつらと自身の予測を述べた燁に目を丸くするカナエ。一刻も早く怪我の治療をしたいしのぶはそんな彼女を急かし、また戦いの昂奮が途切れたカナエ自身も痛みを訴え始める。足早に屋敷へと上がって行く二人を見て、滲渼たちも一先ずその後を追うことにした。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…後は、安静にしていれば……肺以外は完治に向かうわ」

 「そう、ありがとうしのぶ」

 

 

 カナエの治療にそれ程時間は掛からなかった。カナエ自身が呼吸で止血と自然回復力向上に努めていたため、外傷の殆どは大したものでは無くなっていたのだ。但し、内側はそうではない。

 

 

 「……肺は、治らないのだと…耳にしたことがある」

 「…そう、ですね。正確には、肺胞と呼ばれる器官が無数にあって……それらは一度壊れてしまうと、もう再生しないのだと言われています」

 「そんな…」

 

 

 滲渼の呟きに肯定気味の返事をしたしのぶ。尾崎もその場に居合わせているが、皆表情はやや暗い。

 

 カナエの肺の損傷は、命に関わる程のものでは無い。しかし同時に、健全とも程遠い状態であった。ただ普通に息をするだけでも少なからず体力を消耗し、鬼殺の呼吸を行えば激しい痛みが襲い掛かる。これ以上の症状の悪化を避けるため、カナエに残された道は一つしかなかった。

 

 

 「………そっか。私もう、戦えないのね」

 「…済まぬ。もっと早く向かえていれば……」

 「刈猟緋さんが謝ることじゃないわ。それに、常日頃から覚悟はしていたもの。むしろ、助けて貰ったんだから感謝してもし足りないくらい」

 「…私からも、お礼を。こうして話が出来るのも、貴女のおかげだと私は思います。……本当に、ありがとうございます」

 「……そう、か」

 

 

 頭を下げたしのぶを見て、口を閉ざす滲渼。義勇に自己の卑下について咎めた手前、自分が同じ轍を踏む訳にはいかない。申し訳なさは感じながらも、兎も角胡蝶姉妹の礼を受け入れる。直後、蝶屋敷の住人たちが顔を出した。

 

 

 「しのぶ様!カナエ様はご無事ですか!?」

 「しのぶ様!もう御一緒しても構いませんか!?」

 「しのぶ様!何か手伝えることはありますか!?」

 

 「…くす。大丈夫よ、三人共。ほら、こっちへいらっしゃい」

 「「「カナエ様ぁぁっ!!」」」

 

 

 

 

 

 「…ねえ、刈猟緋さん。あの子たちの笑顔を守ったのは、間違いなく貴女よ。だから、そんな顔しないで」

 

 

 

 「………泣いているが」

 「も、もう!そういうことじゃなくて!!」

 「ははは、分かっている。……尾崎。有難う」

 「…うんっ」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それから幾らか月日が過ぎて。定期柱合会議にて議題に上がったのは、各柱に事前に伝えられていた、鳴柱・花柱の引退。前者は老齢が理由、後者は「上弦の弐」との戦闘による負傷が理由であり、特に焦点が合わせられたのは後者だった。

 

 

 「皆も既に知っているだろうけれど、上弦の弐はカナエと滲渼によって討たれた。上弦の撃破は実に百九年振り……その上死者無しとなれば、疑いようもなく大戦果だ。改めて、二人には感謝しよう」

 「はっ…有難き幸せ」

 「……刈猟緋。胡蝶の怪我はどんなもんだァ?本当に戦えねえ程なのかよォ」

 「…うむ。下手に激しく動けば、肺の調子が悪化する。そうなれば今度こそ、彼女の命に関わるだろう」

 「………そうかァ」

 「やれやれ、地味に柱が増えてきた所だったんだがなあ……ここに来て、また二人抜けるか」

 「甲の隊士らは、皆良い実力を備えているが……柱となるにはまだまだ、だな……」

 「…お館様。水柱が二人という訳にはいかないのでしょうか」

 「ごめんね、義勇。それは出来ないんだ」

 「…そうですか」

 

 

 不死川がカナエの容体を尋ね、滲渼が答える。柱の欠員と補充について、宇髄と悲鳴嶼が嘆き、義勇が進言する。そのまま話題は「上弦の弐」へと移っていった。

 

 

 「しかし刈猟緋。どうだった、上弦は?強かったのか?」

 「ああ、強かった。嘗て元下弦の壱とも戦ったが……彼奴が赤子にも等しく思える程に、上弦の弐は強かった」

 「そういう割には随分元気だなァ」

 「相性が良かったのだ。奴の使う血鬼術は、胡蝶がそうなったように肺を蝕む。皮膚呼吸を鍛えていなければ、勝敗は分からなかったやもしれぬ」

 「…んん?おい待て……地味に聞き捨てならねぇ単語が聞こえたぞ?なんだテメェもっぺん言ってみろ」

 「む……『相性が良かった』『肺を蝕む』『皮膚呼吸を鍛える』『勝敗は分からなかった』……何れだ?」

 「はい三つ目ェェーーッ!!!おい!!?何だ『皮膚呼吸を鍛える』って!!?ひょっとしてアレか!!?息吸っちゃいけねえ血鬼術みてえな感じだったんだな!!?じゃなきゃそんな訳わかんねえこと普通しねえよなぁ!!?まず鍛えてんのもおかしいけどな!!!」

 「何と……忍の基本技能では無かったか」

 「テメェは忍を何だと思ってやがる?」

 「…落ち着け宇髄。上弦を倒すというのなら、そのぐらいはしなければならないのだろう」

 「落ち着いてんのは冨岡テメェだけだ……!見ろ!!不死川と悲鳴嶼が固まってんだろうが!!」

 「滲渼。皆に皮膚呼吸の鍛え方を教えてあげられるかい?」

 「(……え?俺たちにもやらせるんですかお館様?)」

 「必要とあらば。しかし、時間が掛かる上に少々要領が御座いますので……今から皆が身に付けられるかどうかは分かりかねます」

 「構わないよ、よろしくね。それじゃあ、それぞれの担当地区の近況について────」

 

 

 柱たち…とりわけ宇髄の動揺が収まらない内に次の議題へ移行してしまった柱合会議。皮肉にも、柱としての自信があまりない冨岡だけは滲渼の曲芸について特に疑問を呈してはいなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(上弦の月が欠けたね無惨。気付いているかな?状況はもう、確実に動いているよ)」

 

 

 会議を終えて。耀哉は一人、これからを想う。

 

 

 「(滲渼だけじゃない。ここ五年以内に、確実に大きな変化をもたらす人物がこの鬼殺隊に現れるだろう)」

 

 

 その超常的な「勘」、あるいは「予知」を働かせながら、見えなくなりつつある瞳で空を見上げる。

 

 

 「(……けれど。きっとそちらにも、そういう人物が現れる…或いはもう、現れているんだろうね。

 

 

────皮膚呼吸の強化、か。

 

 

  荒唐無稽な技術に思えるかもしれないけれど……どうしてかな。あった方がいい、なんて……そんな気がするのは)」

 

 

 

 

 

 今日も空は、青く澄み渡っている。

 

 

 

 

 





 【明治コソコソ噂話】
・引退した鳴柱の人物は創作です。不死川が柱に就任した最初の柱合会議にちらっと服だけ描写されてた人です。本当は多分鳴柱じゃないし、歳も取ってない。

・後で童磨の特徴を聞いたしのぶは、カナエを痛めつけておいて何をへらへらしてるのかと怒りに震えました。地獄に堕ちたから許したって。

・滲渼は教えるのは下手ではないです。でも柱たちに皮膚呼吸の鍛え方を教えたら、皆いつも首を捻ってしまいます。悲しいね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

意地と隠し事

 

 カナエが引退してから一年と少し。蝶屋敷には、しばしば鬼殺隊の隊士たちが運ばれて来るようになっていた。本格的に医療施設としての稼働を始めた屋敷内は、日夜慌しい雰囲気に包まれている。落ち着くことのできる時間は、住人の少女たちにとっても貴重なものだった。

 

 

 「年号、変わりましたね…」

 「そうねえ。けれど、鬼殺隊の日常は変わらないわね。……アオイちゃん、しのぶはどうかしら?ちゃんと良い師匠になれてる?」

 「あ…はい。カナエ様とはまた違ったやり方ですが、ちゃんと力は付いていると思います」

 「………そう。…それなら、良かった」

 「…? …あ、しまった!もうこんな時間…!カナエ様!」

 「ええ。そろそろお昼の支度、しましょうか」

 

 

 近頃、カナエはしのぶと一緒に居ることが少なくなっていた。蝶屋敷の住人たちもその事には気付いてはいたのだが、環境が変わったことによってそれぞれの役目が出来たためにたまたま別々になっているのだろうと…そう、考えていた。

 

 しかし、どうもそうではないらしいとアオイは感じ取る。カナエは頻りにしのぶのことを気に掛けているようだが、その顔はいつも明るさに欠ける。しのぶは何かに追い立てられるように鍛錬に打ち込むようになり、稽古も少々厳しくなった。

 

 

 「(…カナエ様、ひょっとして……)」

 

 

 二人の様子がおかしい理由に思い当たったアオイ。意を決して、隣を歩くカナエに問いかけた。

 

 

 「……カナエ様は、しのぶ様に鬼殺隊を辞めて欲しいんですか?」

 「────え?」

 「その、突然すみません。でも何となく、そうなのかなって…」

 

 

 カナエはアオイの質問に意表を突かれたか、目を丸くして立ち止まった。不安そうな顔をして同じように足を止めた少女に向き直り、少し間を空けて口を開く。

 

 

 「……そう、ね。ごめんなさい、アオイちゃん。貴女が鬼殺隊に入りたくて、ずっと頑張ってきたのは知ってるわ。だから、今もしのぶに稽古をつけて貰っているんだものね。…でも、私はあの子には普通の女の子として生きて欲しいの」

 「…カナエ様。しのぶ様は、私以上に努力しています。今までずっと、この屋敷で見てきました。血の滲むような努力を重ねて重ねて……そうです、ついこの間には階級も甲まで上がったって…! ……今辞めてしまったら、何のために今まで…」

 「分かってるわ。あの子の頑張りを、誰よりも長い間側で見てたもの。…それでも、どうしようもないことはあるのよ。……力の無さは、足で、知識で補った。けれど、何方も通用しない相手は居るわ。そんな相手と、出会ってしまったら………もう私は、助けに行ってあげられない。手の届かない所で、しのぶが死んでしまうかもしれない。……ごめんね…本当に、ごめんなさい……ただただ、怖いのよ…!!」

 「………カナエ様……」

 

 

 震えながら声を絞り出すカナエ。尊敬するかつての師、愛する姉に等しい彼女の、これ程までに弱々しい姿を見たのは初めてだった。アオイはあまりの衝撃に立ち尽くし、掛ける言葉が見つからない。

 

 

 「…その────」

 「全く、もう…」

 「「!」」

 

 

 と、そんな中…厨への廊下に新たに現れたのは、今まさに話題の中心であった人物。

 

 

 「し、しのぶ…」

 「こんな所でする話じゃないわよ、姉さん」

 「ち、違うんですしのぶ様!私が差し出がましいことを言ってしまって…!!」

 「アオイは悪くないわ。悪いのはずっとくよくよしてる姉さんよ」

 「う、ううぅ……」

 

 

 二人の会話を聞いていたしのぶは、開口一番姉を咎める。アオイが庇うが更にしのぶは姉を詰り、カナエはとうとう小さくなってアオイの背に隠れてしまった。

 

 

 「……刈猟緋さんに『覚悟はしてたから』なんて言っておきながら、妹が死ぬのは怖いのね」

 「……当然でしょう?たった一人の肉親なのよ」

 「────ええ、当然だわ。私も姉さんが死ぬのは怖いもの。考えるだけで心が張り裂けてしまう」

 「…えっ?」

 

 

 揚げ足を取るようなことを言うかと思えば、直後には打って変わって同調する。しのぶの言いたいことが、カナエには中々見えてこない。

 

 

 「でもね、姉さん。私がずっと『鬼と仲良くするなんて無理だ』って言っても、姉さんは聞かなかったでしょう?だから、私もそうするわ。姉さんが幾ら辞めろって言ったって、辞めるもんですか」

 「そ、それは…」

 

 

 しかしてしのぶが口にしたのは、子供のような理屈。意地っ張りには意地っ張りで返す、側からは命が懸かっている話題だとはとても思えないような言い分だ。しのぶはそのまま、懐から一枚の手紙を取り出してカナエに見せる。

 

 

 「ほら見て、これ」

 「……嘘」

 「柱の打診よ。さっき、承諾の返事も書いて送ったわ。…どう、姉さん?最初に辞めろって言った時、何て言ってたかしら?『柱になんてなれっこない』? お生憎さま、この通りよ」

 「…しのぶ……」

 「……姉さんみたいにはなれないってことぐらい、私が一番良く分かってる。でも、私には私のやり方があるから………だから、信じて。絶対に、姉さんを…皆を置いていったりしない」

 

 

 命を捨てるような真似はしない。それが、()()でのしのぶの誓い。カナエの命が繋がれたが故に、彼女にははっきりと帰るべき場所が見えていた。

 

 

 「……いいわ。そこまで、言うのなら……しのぶ。貴女を信じます。今の言葉、決して忘れてはなりませんよ」

 「…うん。私、ちゃんとやり遂げるから」

 「……………はい!えと、それじゃあお昼の支度を急ぎましょう!!ね、カナエ様!!」

 「うふふ、そうね。カナヲたちもきっとお腹を空かせてるわ」

 

 

 ────大正元年。胡蝶しのぶ、『蟲柱』に就任。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…と、いうのが半年程前の出来事ですね」

 「そうか……何にせよ、丸く収まったというのならば良きことだ。しのぶ、改めて宜しく頼もうぞ」

 「こちらこそ、よろしくお願いしますね!」

 

 

 そうした一連の出来事を、しのぶはその後の柱合会議にて顔を合わせた滲渼に話した。就任直後の臨時柱合会議では蝶屋敷が忙しい時期だったために、またこの頃は滲渼も尾崎の「咢の呼吸」習得に向けて一層力を入れつつあるために、どちらも中々ゆっくりと話す機会が作れなかったのだ。

 

 久々の談笑を楽しむ二人…そこに突然、闖入者が現れる。

 

 

 「…刈猟緋」

 「!? …と、冨岡さん?私の後ろから刈猟緋さんに話しかけるの止めて貰えませんか…?」

 

 

 水柱・冨岡義勇。滲渼が苦心して他の柱たちとの橋渡しを試みているが、今尚馴染めない埒外の人見知りだ。

 

 

 「…胡蝶の話に出て来た、姉について聞きたい」

 「無視ですか……」

 「む…それならば肉親であるしのぶの方が、詳しく知っていると思うが……」

 「……………」

 

 

 滲渼の返事を受け、視線をしのぶに移した義勇。そのまま彼女の顔を穴が空くかという程に見つめ続ける。しのぶは呆れながらも、彼に姉について話してやることにした。

 

 

 「はぁ……仕方ありませんね。何が聞きたいんですか?」

 「…鬼と仲良くするとは、どういうことだ」

 「! ……姉さんの…夢、みたいなものですよ。別に鬼に情けを掛けようとか、そういうことではないのでご心配無く」

 「…そうか。…………例外は、居ると思うか」

 「…え? ……ひょっとして、『仲良く出来る鬼が居ると思うか』って聞いてます?まさか…考えられませんね」

 「…そうか」

 

 

 しのぶにカナエのことを尋ね、「鬼」の例外について尋ね、返事を聞くだけ聞いてさっさと立ち去った義勇。しのぶは彼の不審な行動を訝しみながらも、不審なのはいつものことかと思い直した。

 

 

 「……冨岡さんって、本当に生き辛そうですよね。この間も偶然任務にご一緒したんですけど、縛られてるのに『自分で何とかする』って…どう考えても無理でしょう」

 「…ふむ……しかし、今日の冨岡は様子がおかしかったな」

 「────えっ?」

 「何か、隠し事でもしているかのようだったが……考えすぎだろうか」

 「え、えっと……具体的に、どの辺りがおかしかったと思うんですか?」

 「む? …表情が、強張っていた」

 「(???)」

 

 

 しかし、滲渼は冨岡の様子が普段とは違っていたと話す。しのぶ自身彼と出会ってそれ程長い訳でもないが、記憶に残る以前の彼と比べても全く滲渼の言う変化が分からない。これ以上首を捻っても時間の無駄だと思い、考えるのを止めた。

 

 

 「そうだな……鱗滝に訊ねてみようか。彼ならば、或いは冨岡の異変の訳を知っているやも知れぬ」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 義勇の異変の理由を、錆兎に手紙で訊ねた滲渼。ところが返って来たのは、期待通り半分といった程度の内容だった。

 

 

 『久しいな、刈猟緋。そちらも健在であること、喜ばしく思う。さて、義勇が隠し事をしているのではないか、という件についてだが…確かに義勇はお前に隠し事をしている。だが、それは俺や妹弟子の真菰も承知していることだ。そして、まだお前に話すことはできない。時が来れば、恐らくはお館様の方からお前に何かお伝えになられるだろう。それまでこの件を秘すること、許して欲しい』

 

 「……ふむ………どうやら、思いの外重大な事であるようだな…」

 「刈猟緋さあああん!!!!!出来た、出来た、出来たわあああっ!!!!!」

 「!! 真か!!? 少し待て、今行く!!」

 

 

 手紙の内容に従い、一先ず義勇の隠し事については気にしないことにした滲渼。すぐ後に聞こえてきた尾崎の絶叫に、手紙から顔を上げて応答を行いその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────それからも、時は流れ。新たに炎柱、蛇柱、恋柱が柱に加わり、遂に九人の柱が揃い。

 

 

 

 

 

 「今宵は、任務か?」

 「ええ。山に鬼が巣食ってるみたいで、部隊を組んでその討伐に向かうみたい。確か……那田蜘蛛山、だったかしら」

 

 

 

 

 

 滲渼が錆兎の手紙を受け取ってからおよそ二年が経った、ある夜のことだった。

 

 

 

 

 





 【大正コソコソ噂話】
・本作ではしのぶはカナエの真似をしていないので、鬼に対してお友達になりましょうとか言わずに普通に黙って殺します。それによって何かが大きく変わったりはしませんが。

・柱メンバーは原作から無一郎OUT、滲渼INです。理由は単純に柱になった順番の問題。もしかしたら甘露寺の方が無一郎より後だったのかもしれませんが、本作では無一郎が最後だったということにします。アオイちゃんは普通に選別で心を折られました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

運命を手繰る糸


※一人称視点あり


 

 那田蜘蛛山。山としてはそれ程規模の大きくない、しかし健やかな木々がその生命を漲らせる健全な土地。だが、そんな一見何の変哲も無い山も、暗い夜の闇に乗じてその本性を顕にする。

 

 

 「ど、どうなってるんだよ…!!?この山、一体何が潜んで…!! ────う、わあぁぁああっ!!!」

 

 「クソッ……!!敵の正体が分からない!!皆、一箇所に固まるんだ!!散らばるのは拙い!!」

 「じっとしてたらやられるだろ!?とにかく山を降りて、助けを呼ばないと!!」

 

 

 任務を遂行するべく山を訪れた鬼殺隊の隊士たちが、一人また一人と闇に呑まれて消えていく。次は己かと身を震わせ、どの隊士も思うように動くことが出来ない。命の危機を前に冷静で居られる程、彼らは死線を潜り抜けてきた訳ではなかった。

 

 

 「……もう…駄目だ…!!皆……皆死んじまううぅぅっ!!!」

 「弱音を吐くな!!戦い続けるんだ!!何とか鬼を探して────ぐっ!!? …か、身体、が…!?」

 

 

 更に、厄難はそれだけに留まらない。何人かの隊士の身体が、本人の意思とは無関係に動き始める。そして…

 

 

 「え……ぎゃあッ」

 「は!?な、なんで────ぐあぁっ!!」

 「おい…!!?何だよ、これ!!?止まれぇッ!!!止まってくれよぉぉぉッ!!!」

 

 

 隊士同士での斬り合いを始めた。彼らは決して、錯乱状態に陥った訳でも、自暴自棄になっている訳でもない。これが、この山に潜む鬼の血鬼術なのだ。

 

 

 「こんなのどうすりゃ良いんだよ!!?柱でもないと、対処なんて……う、うわぁあっ!!身体、身体が勝手に!!!皆離れろおおぉっ!!!」

 「散らばっても、固まっても駄目…止めるには、鬼を倒すしか無いってのか!?何処に居るかも分からない、鬼を…!!」

 

 

 山を覆う新緑が、がさがさと風に揺れる。漂ってくるのは人の血の匂いばかりで、鬼の気配など完全に紛れて消えてしまっている。慰め程度の月明かりが、これが太陽であったならと今ばかりは恨めしく思えた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 いつも通り……いや。本音を言えば、人数が多い分いつもよりずっと簡単な任務になると思っていた。私はなんて莫迦なんだろう…それだけ鬼が強力であるということの証左だと、気付けない方がおかしかった。

 

 

 「皆、絶対に離れないで!!常にお互いに気を配って!!逸れたら、命は無いわよ!!」

 「わ、分かった…!!」

 

 

 鬼の気配を探るのは、今でも下手くそだ。余程近付かないと、居るということすら分からない。刈猟緋さんなら、山に入ったその瞬間にはもう終わらせることが出来たんじゃないだろうか。

 

 でも、私はそうじゃない。……だからといって、不貞腐れている暇は無い。継子になってからの四年間、それまでの稽古がぬるま湯だったと言ってもいい程に熾烈な稽古を乗り越えた。全ては、置いていかれたくない一心だった。足手纏いに、なりたくなかった。

 

 

 「さっき、鴉が飛び立って行ったのが見えたわ。誰のかは、分からないけれど……少なくない人数が、この山で命を落としてる。きっと柱が救援に来る筈よ」

 「ほ、本当か!?」

 「ええ。だから、諦めちゃ駄目よ。焦りも禁物。私たちは、山を回って少しでも多くの命を守る。鬼を見つけられたら、討伐する。一つ一つ、確実にこなしていきましょう」

 

 

 まだまだ、背中は遠いけれど。走って走って、追い縋ることの出来る距離には居ると思いたいから……今はただ。

 

 

 「…うっ! ……血の匂いが、物凄いな…!!」

 「……そうね。きっと、この辺りにも隊士が居たんだわ。恐らくはもう────」

 「うわあああっ!!な、何だこれ!?身体が操られてる!!助けてくれえっ!!」

 「!!皆、それぞれ一定の距離を保って!!!私が対処するわ!!」

 

 

 

 手の届く限り、命を救う。

 

 

 

 「(────!! …糸!!きっと、これがこの山の鬼の血鬼術!!!)」

 

 

 

 それが、今の私に出来る最大限。

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸 地ノ型 迅』ッ!!」

 

 

 

 

 

 「あっ…!!う、動けるようになった…!!ありがとう!」

 「気を緩めないで!!またすぐに仕掛けて────」

 

 

 ────────何か居る。蜘蛛?

 

 

 

 …こんなに沢山、集まるものなの?

 

 

 「うおっ!?腕が……引っ張られる!!?」

 「!! 彼の近くにいる人たち、誰でも良いから糸を切って!!彼の腕に絡んでるわ!!」

 

 

 

 糸。………蜘蛛の、糸!!!

 

 

 

 「…そういうことね…!!『咢の呼吸 天ノ型 群翅棘(ぐんしきょく)』!!!」

 

 

 飛び掛かって来ていた、小さな蜘蛛の群れ。辺りを這い回っているのも一緒に斬り刻む。良く見れば、糸がくっついてるみたい。

 

 この蜘蛛こそが、血鬼術の全貌!!

 

 

 「皆、足元に気を付けて!!!小さな蜘蛛が沢山居るわ!!!張り付かれると、糸を身体に巻かれてしまう!!!」

 「えっ!?うわっ!ほんとだ!!き、気持ち悪い!!」

 「言ってる場合じゃねえぞ!!よく見りゃとんでもねぇ数居やがる!!とにかく斬りまくれ!!」

 

 

 ………しばらくは、これで誰かが連れ去られたり、さっきみたいに操られたりはしなくなる筈だけど……集団の移動速度がかなり落ちてしまった。何より、救援が来るまで皆の体力が持つとは限らない。

 

 …どうしよう。

 

 鬼の場所を、見つけられる人は居ないの…!!?

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「アイツ絶対ぶん殴ってやる!!!」

 「そういうこと言うのやめろ!!」

 「クソ猪とか言われたんだぜ紋次郎!!!」

 「炭治郎だ!!」

 

 

 騒がしく鬼の根城である那田蜘蛛山を駆けるのは、入隊して間もない二人の隊士。名は、竈門炭治郎と嘴平伊之助だ。任務として山に赴いた彼らは、その優れた知覚を以て早々に血鬼術の正体を看破。先輩隊士である村田に浅い場所を任せ、自分たちはより深くへと切り込んでいく。全ては、元凶である鬼を討つために。

 

 村田とのやり取りを思い返し、腹を立てた様子で喚く伊之助。炭治郎はそれを宥め、また名前の間違いを訂正する。そうしながら走っているうちに、彼らは隊士の集団と鉢合わせた。

 

 

 「うおお!!めっちゃ居る!!!」

 「それ程怪我はしていないようだけど……大分疲れてるぞ」

 「! 貴方たち、何処から来たの!?救援部隊かしら!?」

 

 

 集団の中から女性の隊士…尾崎が二人に駆け寄り、声を掛ける。炭治郎ははきはきと自己紹介をしながら、ここまで来た目的を述べた。

 

 

 「応援に来ました、階級癸・竈門炭治郎です!この先に、糸を操る鬼が居る筈です!皆さんもそのことに!?」

 「…えっ。…ご、ごめんなさい……全然気付かなかったわ……」

 「そうですか!大丈夫です!俺たちに任せて下さい!!」

 「鈍感だぜ」

 「ぅ…き、気にしてるんだから止めてよ!!」

 「謝るんだ伊之助!!」

 「へーん!!さっさと行くぞ!!」

 「あっ! …済みません、行きますね!鬼は複数居るようなので、お気を付けて!」

 「!? 本当!?分かったわ、ありがとう!!」

 

 

 必要なことを告げると、ばたばたと去っていく炭治郎たち。一部始終を見ていた他の隊士が、尾崎に対して不安を洩らす。

 

 

 「お、おい……大丈夫なのか?あいつ、癸って言ってたぞ。多分猪頭の方もそうだろ?殺されちまうんじゃねえのか」

 「大丈夫よ」

 

 

 しかし、尾崎は毅然と言葉を返す。炭治郎に伝えられた他の鬼の襲撃に備えつつ、足元の蜘蛛を斬り続ける彼女は、確かに炭治郎と伊之助の実力を察していた。

 

 

 「誰だって初めは癸だけど、癸だからといって弱いとは限らない。そして……あの二人は、強いわ。どうやら鬼を見つけ出す術もあるようだったし、彼らに任せましょう。私たちはこのまま生存者を助けながら、他の鬼を探すわよ」

 「……俺が言える立場じゃねえけどさ…鬼の気配が分かんねえのに人間の強い弱いは分かるのかよ?」

 「う、うるさいわねっ!!強い人特有のそういうのがあるのよ!そういうのが!!無駄口叩かずに体力温存してなさいっ!!」

 「お、おう…」

 

 

 滲渼という絶対的強者との鍛錬を日常的に行ってきた尾崎は、人物を見ただけである程度の実力を測るぐらいは出来るようになっていた。尤も、最低限度の強さを持った者であるという前提条件がついて回るのだが。

 

 

 「(……それに…あの子たちからは、刈猟緋さんと似た()()を感じた。きっと、信じていいと…そう思うわ)」

 

 

 炭治郎たちに言いようのない光明を見出した尾崎。

 

 

 

 彼女は気付かない。気付くことは、永劫ない。

 

 

 

 

 

 四方八方から忍び寄る宿命を、自らの手で振り払ったという事実に。

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
   〜咢ノ息吹〜
・「天ノ型 群翅棘」
「飛甲虫」ブナハブラから着想を得た技。人間にも比肩する程の巨躯は、されど彼の地にては矮小極まる弱者の証。だが、しかし、侮る勿れ。羽虫の一刺しは時に竜の喉笛にすら届き得る。取るに足りない突きであると軽んじるなら、その鬼の頸は宙を舞うことになるだろう。

 【大正コソコソ噂話】
・那田蜘蛛山の生存者は原作より多いです。勿論、尾崎さんが頑張ったからです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

那田蜘蛛山での出来事

 

 尾崎と別れた炭治郎ら二人は、その後無事に糸を操る鬼を撃破。しかし直ぐのちに、それぞれが別々の鬼とぶつかることになった。伊之助は蜘蛛の頭部を持つ巨大な鬼と、そして炭治郎は対照的に小さな子供の姿をした鬼────「下弦の伍」、累と。

 

 蜘蛛鬼は強く、今の伊之助には少々荷が重かった。首の骨をへし折られるという所で、間一髪水柱の冨岡義勇に救われていなければ、彼の命は無かっただろう。

 

 また同時刻、炭治郎も累に苦戦を強いられていた。下弦とはいえ十二鬼月である彼の実力は本物であり、そう易々と討つことが出来る程弱い鬼ではない。彼を倒すために、炭治郎はこの戦いの中で成長する必要があった。

 

 そんなことは露知らず、仲間を連れて山の探索を続ける尾崎。彼女の前にも漸く鬼が現れる。

 

 

 「! 皆止まって!! 鬼が居るわ!!」

 「!? ちっ…!! 今まさにコイツを喰ってやる所だったっていうのに…!! わらわらと群れるしか出来ない雑魚共が、邪魔すんじゃないわよっ!!!」

 

 

 捨て台詞を残して逃走に転じようとする少女の鬼。すぐ側には球状の糸束が転がっており、彼女の言い分からその中に人間が閉じ込められているのであろうと考えられた。

 

 

 「こんな山に複数で籠りっきりの貴女たちが言えること? ────逃さないわ。『咢の呼吸 地ノ型 (ひき)(かえ)し』」

 「は────!?」

 

 

 背を向けた鬼の正面へ、高く跳び上がって回り込む。驚愕に目を剥いた鬼の頸を、尾崎は躊躇無く断ち切った。

 

 

 「そ、んな…!! いや、嫌……!! 死にたく、ない…!!!」

 「…罪の無い人を殺しておきながら……虫が良すぎるとは思わない? 存分に地獄を味わいなさい」

 

 

 尾崎は、鬼の断末魔が嫌いだ。頸を斬られたのだから黙って死ねばいいものを、わざわざ救いの懇願や頸を断った己への恨み辛みを吐き散らすから。礼を述べるような鬼も居るが、これも嫌いだ。無垢で穏やかな声や眼差しを向けられると、自分の行いに疑問を抱きたくなってしまうから。

 

 

 「ふぅ……まだまだ未熟ね…っと! そうだわ、糸玉!!」

 

 

 波立つ心を落ち着かせ、小さく息を吐く。そうしてふと、血鬼術に囚われていた人間が居たことを思い出した。鬼を倒したのだから、術も消えている筈だと振り返り……

 

 

 

 

 

 「…よう、尾崎。その、はは……ありがと、な………」

 

 

 

 

 

 そこに居た全裸の村田を見て、絶句する。

 

 

 「……………村田くん? ………どうして……裸なのかしら?」

 「おい待て。そんな目で見ないでくれ。疾しいことは何もない! 血鬼術で溶かされたんだ! 本当に危ない所だったんだって!」

 「あぁ、良かったわ……同期の隊士が問題行動で処分されるなんて、悲しすぎるもの………」

 「一瞬でもそう思われたことが辛いぞ!」

 「あはは、ごめんなさいね。何にせよ、無事で良かったわ。誰か、彼に羽織るものだけでも渡してあげられないかしら!?」

 

 

 大した怪我は無いらしい友人を少しだけ揶揄いながらも、尊厳は守ってやらねばなるまいと、連れ立って来た隊士たちに衣服となるものを要求する尾崎。丁度羽織を着ていた隊士が何人か居たので、村田は彼らの一人から借り受けた羽織で隠すべき所を隠しておくことにした。

 

 流石にこの状態で山を練り歩く訳にはいかないと、一旦下山を提案しようとした所で……遂に、尾崎たちが待ち望んだ強力な援軍が到着する。

 

 

 「あら、こんなに沢山の隊士が一箇所に……って! 尾崎さん!?」

 「しのぶちゃん…!! 救援に来てくれたのね!!」

 

 「しのぶ…胡蝶しのぶ様か!?」

 「蟲柱様だ!! やったぞ、皆!! 柱が来たんだ!!」

 

 

 現れたのは、胡蝶しのぶ。尾崎の考えた通り、鴉の報告は那田蜘蛛山に柱を呼ぶという結果をもたらした。粘り勝ったのは、鬼殺隊の方だった。

 

 

 「そうですか…尾崎さんが、隊士たちを助けてくれたんですね。ありがとうございます」

 「ううん。私に出来ることは、これぐらいしか無いと思ったから……しのぶちゃんが来てくれて良かった」

 「それでも、貴女の活躍は確かです。お陰でかなり動き易くなったと思いますよ。後は私たちに任せて、皆さんは先に下山を」

 「…私たち?」

 「はい。今この山に居る柱は、私ともう一人…冨岡さんです」

 

 

 隊士たちに怪我が無いことを確認しつつ、尾崎の功績を称えたしのぶ。謙遜する尾崎だったが、その後のしのぶの発言でもう一人の同期が来ていることを知った。

 

 

 「そっか、それならきっと大丈夫ね。皆! 後は柱の御二方に任せましょう!」

 「…おお。そう、だな…」

 「頑張ってね、しのぶちゃん」

 「はい。尾崎さんもお気を付けて」

 

 

 尾崎と言葉を交わし、山奥へ颯爽と向かっていったしのぶ。少しの間彼女が消えた木々の間の暗がりを見つめていたが、間もなくして目を丸くしたままの隊士たちを率いて下山を始めた。中々彼女に話を切り出せない彼らを代表して、村田が尾崎に問い掛ける。

 

 

 「…尾崎。お前いつの間に柱と知り合ったんだ…? ていうか、えらく仲が良さそうだったけど…」

 「え? ああ、そうね。刈猟緋さんと一緒に居た時に、知り合う機会があったのよ。それからも何度か会ってたし」

 「……継子って凄えんだな」

 「継子はあまり関係無いと思うけれど…」

 

 

 

 

 

 そんな他愛もない話をしながら、慎重に那田蜘蛛山を下っていく尾崎たち。最後まで気を抜かないよう、着実に歩みを進めていく。

 

 いつしか森を抜け、煌めく星明かりが隊士たちの目に映った頃。漸く彼らは息をつくことを許された。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 一方、炭治郎の戦いもまた終わりを迎えていた。命の危機に瀕して彼が咄嗟に繰り出した「ヒノカミ神楽」は、彼の家系に伝わる単なる舞踊である筈だったが……驚くことに、それは累に通用する技として発現した。結局の所ヒノカミ神楽で累を討つには至らず、またしても間一髪で現れた義勇が彼の頸を断つ形にはなったものの、炭治郎にとって今回の戦いは非常に重要なものであったといえるだろう。

 

 ────そして、現在。

 

 

 「……冨岡さん。どうして鬼を庇うような真似を?ああ、そういえばこの間例外がどうとか言ってましたっけ。ひょっとしてその鬼なら仲良く出来るとか思っちゃってます?」

 「…そうなのかも、しれない」

 「そうですか。私はそうは思わないので、さっさと殺してしまいますね」

 「…炭治郎。妹を連れて逃げろ。死に物狂いで動け」

 「!! 冨岡さん……すみません! ありがとうございます!!」

 

 

 彼は再び、危機に陥っていた。理由は、彼の妹にある。

 

 竈門禰豆子。家族を鬼舞辻によって殺された炭治郎に残された唯一の肉親であり────「鬼」だ。

 

 幾ら肉親であるといっても、鬼と化した者を連れているなど、本来ならば正気の沙汰ではない。だが、禰豆子は極めて特殊な鬼だ。人を襲わず、傷や疲労は睡眠で癒す。義勇が出会ったその当時は鬼になりたてであったが、それでも禰豆子は人を襲うよりも兄を守ることを優先した。

 

 だからこそ義勇は、二人を見逃した。何かが違うと、直感的に感じたからだ。

 

 

 「…隊律違反ですよ、冨岡さん。会議の度に冨岡さんと他の柱の方々の橋渡しに苦心している刈猟緋さんがこの事を知れば、さぞかし悲しまれるでしょうね」

 「…俺は頼んでない」

 「まあ酷い。刈猟緋さんが居なければ今以上に嫌われていたと思いますよ?」

 「俺は嫌われてない」

 「…自覚が無かったんですか?」

 「…」

 「……時間の無駄ですね。あの鬼を殺してしまえば、無かったことに出来ますから。どいてくれます?」

 

 

 柱との関係や滲渼の頑張りなど、状況に似つかわしく無い話をしながらも刀を握る手は緩めないしのぶ。義勇はそんな彼女を宥めようとして…逆鱗に触れてしまう。

 

 

 「…姉の夢が、叶うかもしれないんだぞ」

 「────ッ!!! 叶いませんよあんな戯言は!! 姉さんの唯一理解に苦しむ点です! 何を思って鬼と仲良くしようなんて────」

 「止めろ! …家族の夢を、何故そう頭ごなしに拒絶する! 心から分かり合える筈の、血を分けた者の夢を!」

 「貴方が姉さんを引き合いに出してきた癖に良く説教なんて出来ますね! 姉さんのことは大好きです! あの人の気持ちだって誰よりも良く分かってる! それでも! 鬼に歩み寄るなんて莫迦げてるにも程があるとは思いませんか!? 父さんも母さんも鬼に殺されたのに!! どうしてニコニコ笑いながらそんな風に言えるの!!? どうして哀れだなんて思えるの!!? ……そこだけが、分からないから……苦しいんじゃないですか…!!!」

 

 

 しのぶは、涙を溢して叫ぶ。これには流石の義勇も面食らい、己に非があるだろうと省みるが…

 

 

 「…済まん」

 「………もう、いいですから。もう一度言いますけど、どいてください。兄妹なんでしょう、あの子たち。今のうちに目を覚まさせてあげないと、可哀想です」

 「それは────」

 

 

 それでも、ここを譲ることは出来ない。二人の存在は、この先必ず鍵となる。そう考える義勇の耳に、福音ともいえる鴉の鳴き声が届いた。

 

 

 「伝令!! 伝令!! カァァァ!!」

 「「!?」」

 「伝令アリ!! 炭治郎・禰豆子両名ヲ拘束!! 本部ヘ連レ帰ルベシ!!」

 「!! これは…」

 「……お館様の、ご意向ということだ。従わざるを得ないだろう」

 「…『安心した』って顔に書いてありますよ」

 「!?」

 「はぁ……言っておきますけど、これであの兄妹の安全が保証された訳じゃありませんからね。きっと彼らは、柱合裁判にかけられます。どうしても二人を守りたいのなら、弁護の準備ぐらいはしておいた方がいいと思いますよ」

 「…そうか」

 

 

 鬼殺隊本部…即ち産屋敷家は、少なくとも今すぐに彼らを始末することを是とはしていないようだった。少ししてしのぶの継子であるカナヲが箱に入った禰豆子をしのぶの元に連れて来て、本部へ連れて行くことの是非を視線で問う。しのぶは頷いて箱を受け取り、義勇と共に本部へと向かうことを決めた。

 

 

 「ちゃんと着いてきて下さいね、冨岡さん。貴方の隊律違反も、隠す訳にはいかなくなりましたから」

 「…構わない」

 

 

 ────そして、翌日。九人の柱による柱合裁判が、始まりを告げる。

 

 





カナエRPをしていない分、原作よりはしのぶさんが鬼に対して攻撃的であるべきだと思いますが……解釈違いであればすみません。

 【狩人コソコソ噂話】
   〜咢ノ息吹〜
・「地ノ型 蟇返し」
「鬼蛙」テツカブラから着想を得た技。地盤を捲り上げる程の力強い跳躍から流れるように繰り出されるのは、やはり地盤を捲り上げんばかりの猛烈な爆進。開かれた大口の奥は暗く、呑み込まれる獲物は闇への恐怖でその身が固まる。人智を超えた大跳躍、そこから着地によって生まれた一切の力を次なる斬撃に注ぎ込む。意表を突かれた鬼は、抵抗すら許されない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

柱合裁判:其ノ壱


ごめんなさい、いやマジで。思ってたより長くなったので分割します。


 「────起きろ。起きるんだ」

 

 

 隠が、気絶して眠ったままの少年に呼びかける。

 

 

 「起き…オイ! オイコラ! やいてめぇ!! やい!!」

 

 

 中々起きない彼を見て、次第に声を荒らげていき…

 

 

 「いつまで寝てんださっさと起きねぇか!!」

 「!!」

 

 

 最後の一声で、漸く少年…炭治郎ははっきりと目を覚ました。

 

 

 「柱の前だぞ!!」

 「!?」

 

 

 彼の視界に入って来たのは、丁度三人ずつ計六人の男女。しかし目を覚ましたばかりの炭治郎は新人であるということもあり、「柱」の意味や縛られて地面に寝そべる自分を見下ろす彼らが何者であるのかが分からない。

 

 

 「(柱…!? 柱って何だ? 何のことだ? この人たちは誰なんだ? ここはどこだ? …それに、()()()()()()()()()()()! 何もかも分からないことばかりだ…!)」

 「ここは鬼殺隊の本部です。貴方は今から裁判を受けるのですよ……竈門炭治郎君」

 

 

 そんな炭治郎の疑問を感じ取ったのか、六人の内の一人…蟲柱・胡蝶しのぶが簡単な説明を行う。それに対して炭治郎が反応を返すよりも早く、他の柱たちが声を上げた。

 

 

 「裁判の必要などないだろう! 鬼を庇うなど明らかな隊律違反! 我らのみで対処可能! 鬼もろとも斬首する!」

 「ならば俺が派手に頸を斬ってやろう。誰よりも派手な血飛沫を見せてやるぜ。もう派手派手だ」

 「(えぇぇ…こんな可愛い子を殺してしまうなんて…胸が痛むわ 苦しいわ)」

 「あぁ…なんというみすぼらしい子供だ、可哀想に…生まれて来たこと自体が可哀想だ」

 

 

 隊律違反を犯した炭治郎をすぐにでも処刑しようというのは、炎柱・煉獄杏寿郎。更には音柱・宇髄天元、岩柱・悲鳴嶼行冥もそれに同調する姿勢を見せる。彼らの言動に目を丸くしたのは、咢柱・刈猟緋滲渼だ。

 

 

 「殺してやろう」

 「うむ」

 「そうだな。派手にな」

 

 「(ふむ……鬼を連れた隊士、か。何分前代未聞のことである故、皆浮き足立っているのだろうな。ここは私が先導して、穏便に事を進めて行くとしよう)」

 

 「(禰豆子!! 禰豆子どこだ────)」

 「もし。少年」

 「!?」

 

 

 物騒なことを言い募る柱たちを尻目に、気配の感じられない妹を首を回して必死に探す炭治郎。そんな彼に、滲渼は静かに話し掛けた。

 

 

 

 「実に見事な耳飾りだ。何処で此れを?」

 

 

 

 「…あの、刈猟緋さん?」

 「おい…今それどころじゃねえだろ……」

 「(ちょっとズレてる刈猟緋さん、可愛いわ! きゅんとしちゃう!)」

 

 「(…む? 場を和ませる積もりが……当てが外れたな)」

 

 

 まずは些細な話から…と考えた滲渼だったが、事態は彼女が考えているよりも深刻なものだった。微妙に間の抜けた彼女の振る舞いに、何人かの柱は思わず気が抜ける。

 

 

 「これは代々────ぐ、ゲホッ!! ゴホッゲホッ!!」

 「! 竈門君、これを。鎮痛薬入りの水ですから、少しは楽になるかと」

 

 

 そして、そんな少々場に相応しくない滲渼の質問にも誠実に答えようとした炭治郎だったが、全てを言い切る前に顔を歪めてむせてしまう。顎を負傷しているために、口を開くだけでも鋭い痛みが彼を襲うのだ。

 

 しのぶが証人である彼に配慮を示し、応急的な対応を施した所で……言葉を発したのは、炭治郎ではなく蛇柱・伊黒小芭内だった。

 

 

 「待て。冨岡はどうするのかね? 先にそちらの処遇を決めるのが筋では無いのか? ただでさえ拘束もしていないというのに、まさかこのままお咎め無しとでも? 隊律違反は等しく罰せられるべきだ。例え柱であろうとな」

 「…」

 

 

 樹上に居座る伊黒が言及したのは、水柱・冨岡義勇の隊律違反について。しのぶの話によれば、鬼を庇ったのは義勇も同じであるようだから、彼もまた処罰の対象なのだと主張する。

 

 

 「冨岡。そう隅に縮こまるな。そら、行くぞ」

 「…刈猟緋。ついでにそいつを縛り上げろ」

 「まあ待て小芭内。先ずは少年の話を聞いてからでも、遅くは無かろう。鬼を滅する我らとしても、無感情に人を罰することは好ましくあるまい」

 「…ふん」

 

 

 伊黒の言葉に特に何を言うでもなく、義勇は庭の片隅にぽつりと黙って立ち尽くしており、それを見かねた滲渼が彼の手を引いて柱たちの元に帰る。伊黒は尚も義勇の拘束を提案したが、炭治郎の弁明次第だという滲渼の言葉を聞いて、渋々引き下がったようだった。

 

 

 「……一応聞いておきます。冨岡さん、彼を弁護する内容はありますか?」

 「…あれは確か二年前────」

 「はい。竈門君、詳しく話して貰えますか?」

 「む? しのぶ、何故冨岡を遮る」

 「二年前から長々と話されるのが目に見えていたからですよ刈猟緋さん…! それでは日が暮れてしまいます」

 「ふむ。一理ある」

 「テメェ地味に悠長な所あるよな……」

 

 

 念のためにしのぶが尋ねた義勇の弁明は、出だしからかなり暗雲が漂うものだった。さっさと切り替えて、今度こそ炭治郎から話を聞き出す。

 

 

 「……俺の妹は、鬼になりました。だけど人を喰ったことはないんです。今までも、これからも…人を傷つけることは絶対にしません」

 「下らない妄言を吐き散らすな。そもそも身内なら庇って当たり前…言うこと全て信用できない。俺は信用しない」

 「あああ…鬼に取り憑かれているのだ。早くこの哀れな子供を殺して解き放ってあげよう」

 「聞いてください!! 俺は禰豆子を治すため剣士になったんです!! 禰豆子が鬼になったのは二年以上前のことで、その間禰豆子は人を喰ったりしてない!!」

 「話が地味にぐるぐる回ってるぞアホが。人を喰ってないこと、これからも喰わないこと。口先だけでなくド派手に証明してみせろ」

 「其方の妹が洗脳や催眠に類する血鬼術を扱うということは考えられぬか? これまで妹に関わった者全てが、気付かぬうちにそう思い込まされているだけやもしれぬ」

 「違います!! 禰豆子はそんなことはしない!! 俺が殺されそうになった時も、身を挺して庇ってくれたんです!!」

 

 「オイオイ何だか面白いことになってるなァ」

 「!」

 

 

 柱たちが炭治郎の話に疑義を感じ、そして炭治郎も彼らの言葉に感情的に反論を述べる。幾らかこのやり取りが繰り返されたのち、新たに登場したのは…風柱・不死川実弥。

 

 

 「困ります不死川様! どうか箱を手放してくださいませ!」

 「鬼を連れてた馬鹿隊員はそいつかいィ? 一体全体どういうつもりだァ?」

 

 

 不死川は、その手に禰豆子の入った箱を掲げて現れた。勝手な行動をする彼に対し、隠に箱を託しておいたしのぶは不快感を顕にする。

 

 

 「不死川さん…勝手なことをしないでください」

 

 

 だが、しのぶの諫言にも不死川は耳を貸さない。彼が見据えるのは、炭治郎ただ一人だ。

 

 

 「鬼が何だって? 坊主ゥ…身を挺して庇ってくれたァ? だから人は襲いませんってか? そんなことはなァ」

 

 

 腰の刀を抜き放ち、その鋒を箱に向ける。何をするのか、炭治郎にも予想はついたが……当然、止めることなど出来なかった。

 

 

 「ありえねぇんだよ馬鹿がァ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────但し。柱であれば、その限りではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────止せ。不死川」

 「(────!!? 何、だ!? 急に凄い匂いが…!!! ()()()の、匂いなのか…!!?)」

 

 

 炭治郎の鼻に、突然強烈な匂いが届く。修練者の匂い。強者の匂い。猛者の匂い。その源は…紛れもなく、不死川の前に瞬間的に現れた滲渼だった。

 

 そうして、理解する。何故目覚めてから今まで、何の匂いも感じなかったのか。

 

 

 「(………慣れて来たんだ…!! 鼻が慣れて、漸くまともに機能し始めた!! とんでもなく……感覚が麻痺してしまう程に濃い匂い!!! こんな事、初めてだ…!!! 間違いなく、今まで見てきた人の中で────一番、強い!!!)」

 

 「……刈猟緋ィ。この手は一体何のつもりだァ?」

 

 

 炭治郎の角度からは見えていなかったが…滲渼は、不死川の刀の鋒を摘んで止めていた。不死川は相応の力を込めた刀がびくともしないことに少なからず苛立ちながら、滲渼を睨みつける。

 

 

 「中に居るのは、鬼であろう? 下手に刺激するのは拙い。此処は御館様の屋敷だ……万が一という事もあり得る」

 「心配は要らねェ。暴れたらすぐに頸を斬ってやる。それに、あの坊主の言う通り優しい優しい鬼さんなら…ちょいとばかし刺されたぐらいで腹立てたりはしねぇだろォ」

 「暴れ出した鬼を、即座に斬滅出来るという保証は?上弦の鬼に匹敵する、或いは上回る力を持っていたならば…如何だろうな」

 「………何だァ? テメェまさか…鬼を庇おうっていうんじゃねぇよなァ?」

 「単に静置すべきだという話だ。何、案ずるな……全ての責は私が引き受ける」

 「……いいぜ。好きにしなァ」

 

 

 いきり立つ不死川だったが、存外あっさりと滲渼の説得に納得して刀を納め、箱を下ろした。傍観していた炭治郎は、そのことに安堵と不安の両方を抱く。

 

 

 「(あの傷だらけの人が退いたのは……大きい女の人を、信じているからだ。何かあっても、この人ならどうにかしてしまう…そう確信しているんだ。………どうなんだ…!? この人は、禰豆子を認めてくれるのか…!?)」

 

 「お館様のお成りです」

 「!」

 

 

 炭治郎の思案を遮るのは、幼い子供の声。柱たちは直ちに反応し、屋敷に向かって整列を始めた。

 

 

 「(!? 何だ…!? 今度は一体…)」

 

 「少年」

 「!」

 「寝たままの姿勢で構わぬ。出来る範囲で頭は下げておくと良い」

 「は、はい。分かりました」

 

 

 滲渼の提案に応じ、痛む顎を素直に砂利に添える炭治郎。直後、一人の青年…産屋敷耀哉が屋敷の中から姿を見せた。

 

 

 「よく来たね。私の可愛い剣士(こども)たち」

 

 





 【大正コソコソ噂話】
・滲渼の強者の匂いは炭治郎にはきついですが、勿論普通の人には分からないです。くさくないよ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

柱合裁判:其ノ弐

 

 「お早う皆。今日はとてもいい天気だね。空は青いのかな? 顔ぶれが変わらずに半年に一度の『柱合会議』を迎えられたこと…嬉しく思うよ」

 

 「(傷…? いや病気か? この人がお館様?)」

 

 

 目の前に現れた病気を患っているらしい青年を見て戸惑う炭治郎を他所に、柱たちは一斉に跪いて頭を下げた。彼らを代表して、不死川が挨拶を返す。

 

 

 「お館様におかれましても御壮健で何よりです。益々の御多幸を切にお祈り申し上げます」

 「ありがとう実弥」

 「畏れながら…柱合会議の前に、この竈門炭治郎なる鬼を連れた隊士について、ご説明いただきたく存じますがよろしいでしょうか」

 

 「(……ま、まるで別人だぞ…)」

 

 

 先程まで過激な言動を繰り返していた不死川が、突然敬語を使って丁寧に話し始めたことに目を疑う炭治郎。一方で耀哉は彼の言葉を受け、炭治郎のことを柱たちに伝える。

 

 

 「そうだね、驚かせてしまってすまなかった。炭治郎と禰豆子のことは私が容認していた。そして皆にも認めてほしいと思っている」

 「!!」

 

 「(………成程、読めてきたな。冨岡や鱗滝が隠していたのは…この二人のことだったか)」

 

 

 いつかの答え合わせを行う滲渼だが、それがあるからといってこの件について無条件に従うという訳ではない。鬼を受け容れるという耀哉の言葉に、他の柱の反応も分かれた。

 

 

 「嗚呼…たとえお館様の願いであっても、私は承知しかねる…」

 「俺も派手に反対する。鬼を連れた鬼殺隊員など認められない」

 「私は全てお館様の望むまま従います!」

 「一先ず、中立とさせて頂きます。何方に立つにせよ、確たる根拠が有りませぬ故」

 「……私は…あまり賛同したくはありません」

 「…」

 「信用しない、信用しない。そもそも鬼は大嫌いだ」

 「心より尊敬するお館様であるが理解できないお考えだ!! 全力で反対する!!」

 「鬼を滅殺してこその鬼殺隊。竈門・冨岡両名の処罰を願います」

 

 

 大方が炭治郎と禰豆子を拒絶し、剣呑な空気が高まる中…耀哉はそれを予期していたように、次なる手を打つ。

 

 

 「では、手紙を」

 「はい。…こちらの手紙は、元柱である鱗滝左近次様から頂いたものです。一部抜粋して読み上げます。

  『────炭治郎が鬼の妹と共にあることをどうか御許しください。禰豆子は強靭な精神力で人としての理性を保っています。飢餓状態であっても人を喰わず、そのまま二年以上の歳月が経過致しました。俄には信じ難い状況ですが、紛れもない事実です。もしも禰豆子が人に襲いかかった場合は、竈門炭治郎及び鱗滝左近次、鱗滝錆兎、鱗滝真菰、冨岡義勇が腹を切ってお詫び致します』」

 

 

 

 

 

 ────手紙の内容を聞き終えた炭治郎の瞳からは、人知れず涙が溢れていた。自分たち二人のために、尊敬する師匠や兄弟子姉弟子、柱である義勇までもが命を懸けてくれている。手紙越しなれど人の暖かさを確かに感じ、心が震えたのだ。

 

 尤も、それは当事者である炭治郎だけの話だ。柱たちにとっては、それでも納得がいくとは言いづらい。

 

 

 「……切腹するから何だと言うのか。死にたいなら勝手に死に腐れよ。何の保証にもなりはしません」

 「不死川の言う通りです! 人を喰い殺せば取り返しがつかない!! 殺された人は戻らない!」

 

 

 だが、彼らの反論にも耀哉は冷静に対応してみせる。

 

 

 「確かにそうだね。人を襲わないという保証ができない、証明ができない。ただ…人を襲うということもまた証明ができない」

 「!!」

 「禰豆子が二年以上もの間人を喰わずにいるという事実があり、禰豆子のために四人の者の命が懸けられている。これを否定するためには…否定する側もそれ以上のものを差し出さなければならない」

 「……っ」

 「……むぅ!」

 「………同様に…血鬼術が行使されているかどうかについても、判じ難いという訳で御座いますか。少なくとも、今は当事者等の証言を信ずるに留まると」

 「その通りだ、滲渼。────それに炭治郎は、鬼舞辻無惨と遭遇している」

 「!?」

 

 

 そして耀哉が最後に持ち出したのは、炭治郎の価値を唯一無二足らしめる情報。彼から鬼の首魁、鬼舞辻無惨に繋がり得るという可能性の提示。柱たちは一様に目を見開き、挙って炭治郎に詰め寄る。

 

 

 「そんなまさか…!」

 「柱ですら誰も接触したことが無いというのに…!!」

 「こいつが!?」

 「どんな姿だった!? 能力は!? 場所はどこだ!?」

 「鬼舞辻は何をしていた!?」

 「根城は突き止めたのか!?」

 「おい答えろ!!」

 「黙れ俺が先に聞いてるんだ!! まず鬼舞辻の能力を────」

 

 

 ────喧騒がぴたりと止む。ただ耀哉が人差し指を唇に添えたその所作だけで、声を上げていた柱たちは沈黙を促されたことを理解したのだ。静寂を取り戻した屋敷の中から、再び耀哉が話し始める。

 

 

 「鬼舞辻はね…炭治郎に向けて追っ手を放っているんだよ。その理由は単なる口封じかもしれないが…私は初めて鬼舞辻が見せた尻尾を掴んで離したくない。恐らくは禰豆子にも、鬼舞辻にとって予想外の何かが起きているのだと思うんだ。……わかってくれるかな?」

 

 

 今度は、柱たちは表立って否定の意思を示すことをしなかった。合理的に考えて仕方なくといった風ではあるが、炭治郎と禰豆子の存在が容認されようという所で……

 

 

 「わかりませんお館様…!!! 人間ならば生かしておいてもいいが鬼は駄目です承知できない!!!」

 

 

 血を滲ませる程に歯を軋らせた不死川が、憎悪を剥き出しに拒絶の意を述べる。そのまま刀を抜いて腕に刃を滑らせ、鮮やかな己の血を滴らせた。

 

 

 「(え? え? 何してるの何してるの? お庭が汚れるじゃない)」

 「お館様…!! 証明しますよ俺が!! 鬼という物の醜さを!!」

 「実弥…」

 

 

 庭が紅く染まるのを見て、不死川の傷よりもそちらの心配をする恋柱・甘露寺蜜璃。無論、不死川とてとち狂って自傷に走った訳ではない。彼の血は鬼にとってご馳走である「稀血」、更にその中でもとりわけその性質が強いものだ。箱の中に居る禰豆子にそれを嗅がせれば、容易に本性を現すだろうと考えたのである。

 

 

 「箱を寄越せ刈猟緋ィ!!」

 「……その必要は無い。庭の掃除がてら、私が試してやろう」

 「!」

 

 

 ところが禰豆子の箱を持った滲渼は、それを渡せという不死川の提案に応じなかった。かといって禰豆子の本性を暴くという行為自体には否定的な様子を見せず、庭に零れた不死川の血液を器用に掬い取る。美しくしなやかな掌が汚れることも厭わぬまま、日の当たらない産屋敷邸へと上がった。

 

 

 「御館様、失礼致します。────鬼の少女よ。箱を開けるぞ」

 

 

 わざわざ鬼にも事前に宣言を行う滲渼。不死川の血を付着させた掌を差し出しながら、禰豆子の入っている箱の戸を開けた。

 

 

 「……フゥッ…!! ……フゥッ…!!」

 「禰豆子…!!」

 「動くなよ坊主ゥ…。余計な真似はすんじゃねェ」

 「(……竹の轡。人を襲わせないようにする配慮か。…目の前の少女の鬼は、不死川の血液を前に激しく葛藤しているようにも見える。……………そう、葛藤しているのだ。あまりにも異常…! 例えるなら、轟竜が目の前に転がったポポの肉に喰らい付くかどうかを逡巡しているのと同義…! 強靭な精神力というのは、成程偽りでは無いらしい)」

 

 箱から現れ、全身を緊張させて己の衝動を堪える禰豆子。それを見て滲渼は、強い感嘆を覚える。彼女の知る常識を遥かに超越した現象。ただ躊躇っているだけ、その「だけ」が如何に常軌を逸しているか、少なくとも滲渼はそのことを正確に理解出来ていた。

 

 

 「禰豆子!!」

 「…!!」

 「頑張れ禰豆子!! ね────かっ!!?」

 「喧しいぞ糞餓鬼ィ!!! 黙って見てろォ!!!」

 「不死川! 傷病者の扱いは心得よ!」

 「! チッ…」

 

 

 炭治郎の応援が癪に触ったか、不死川が彼の背中を押さえて強引に黙らせる。すぐに滲渼が咎めたことで、乱暴な拘束は解かれたが……その直後に事は動いた。

 

 

 「…ムー! フン、フン……!!」

 「……ほう。驚いたぞ…違え無くな」

 「…どうしたのかな?」

 「鬼の女の子はそっぽ向きました。目の前に血塗れの掌を突き出されても、我慢して噛まなかったです」

 「…ではこれで、禰豆子が人を襲わないことの証明ができたね」

 「!!」

 

 

 禰豆子は、不死川の血に理性を失うことは無かった。幼い少女のような仕草で顔を背ける彼女の姿は、柱たちにとっても驚愕すべきものだった。

 

 

 「炭治郎。それでもまだ、禰豆子のことを快く思わない者もいるだろう。…証明しなければならない。これから…炭治郎と禰豆子が鬼殺隊として戦えること、役に立てること。────十二鬼月を倒しておいで。そうしたら皆に認められる。炭治郎の言葉の重みが変わってくる」

 

 

 特有の波長を持つ耀哉の声に、不思議な高揚感を感じた炭治郎。勢いのまま、大仰な目標を力強く宣言する。

 

 

 「俺は…俺と禰豆子は鬼舞辻無惨を倒します!! 俺と禰豆子が必ず!! 悲しみの連鎖を断ち切る刃を振るう!!」

 「今の炭治郎にはできないから、まず十二鬼月を一人倒そうね」

 「………はい」

 

 

 ある意味真っ当とも言える耀哉の返事に、顔を赤くして頷く炭治郎。柱たちも各々反応を示す中、いつの間にか炭治郎の隣に戻っていた滲渼が彼に声を掛ける。

 

 

 「恥じることは無い。目標を高く持つ事は良い事だ」

 「は、はい! ありがとうございます!」

 「…うん。鬼殺隊の柱たちは当然抜きん出た才能がある。血を吐くような鍛錬で自らを叩き上げて死線を潜り、十二鬼月をも倒している。だからこそ柱は尊敬され優遇されるんだよ。炭治郎も口の利き方には気をつけるように」

 「は…はい」

 

 

 その後、耀哉が一部炭治郎たちに対して強く当たっていた柱への忠告を行い、会議の開始を提案するが、待ったをかけたのはしのぶだ。

 

 

 「……竈門君は、私の屋敷でお預かりさせて頂きます」

 「ふむ…? どういった風の吹き回しだ?」

 「…彼の負傷を治療するのもそうですが……鬼の妹さんに異変があった場合に、最も多角的な対処が可能なのは私の屋敷だと思いますから。お館様、よろしいでしょうか」

 「そうだね、構わないよ」

 「ありがとうございます。…隠の方々、お願いします」

 「はァい!! 前失礼しまァす!!」

 

 

 しのぶの指示を受け、迅速な動きで炭治郎と禰豆子の箱を回収する隠たち。炭治郎が屋敷を離れる間際、耀哉は彼に対してある人物の名を口に出した。

 

 

 「炭治郎。────珠世さんによろしく」

 「!?」

 

 

 彼の言葉を受けて隠たちに停止を求めた炭治郎だったが、彼らがそれに応じることはなかった。ただでさえ不死川に箱を取り上げられる時に心臓を破られる思いをしたというのに、これ以上あの場に居られる程隠たちの肝は座っていなかったのだ。

 

 

 次なる舞台は、彼ら兄妹が連れられて行ったしのぶの屋敷、「蝶屋敷」。

 

 

 

 

 

 もう一つの運命が、動き出す。

 

 

 

 

 





まさかほぼ原作沿いの裁判に二話掛かるとは…蝶屋敷編はそれなりにコンパクトにするつもりです。無限列車編がかなり重要になってくるので、さっさとそこまで進みたい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蝶屋敷:其ノ壱

 

 柱合裁判を終えて辿り着いた蝶屋敷。炭治郎を背負った隠が玄関に立ち、訪問を知らせる挨拶を行う。

 

 

 「ごめんくださいませー!」

 「はーい!」

 

 

 それに奥から返事があり、少しして返事の主が顔を出す。彼らの前に現れたのは、元花柱・胡蝶カナエだ。

 

 

 「いらっしゃい、怪我をした隊士の子を運んで来てくれたのね。こっちへどうぞ」

 「は、はい! あと、その…胡蝶しのぶ様が仰るには、この隊士を蝶屋敷にて預かる予定とのことで…」

 「俺のこの箱に入ってるのも一緒に…えっと、何というか……」

 「竈門炭治郎です! 隣の方が背負っている箱には、妹の禰豆子が入っています! 鬼ですが、人は襲いません! よろしくお願いします!」

 「馬鹿ヤロオォォッ!!!!!」

 

 

 炭治郎を滞在させるというのはともかくとして、どうにか上手く禰豆子のことを伝えようと四苦八苦した隠…後藤。だが彼の努力も虚しく、炭治郎が馬鹿正直に全てを堂々と明かしてしまう。流石にこれには怒りと焦りで平常心を保てず、大きく取り乱してしまった。

 

 

 「もっとあるだろうが言い方がァァァ!!! すみません胡蝶カナエ様!!! でも本当に特殊な鬼なんです!!! 俺も驚きましたが、皆様を傷付けるようなことはしないと思います!!! だから────」

 「………鬼? ……本当に? …人を喰べたことは?」

 「ありません! 禰豆子は二年以上前に鬼にされてから、一度も人を襲ったことは無いんです! 本当です!」

 

 

 後藤の弁明が終わらない内に、カナエが目を丸くしたまま質問をする。それに対する炭治郎の返答を聞き、彼女の目は益々瞠られた。

 

 

 「……隠さん。その箱、お預かりしてもよろしいかしら?」

 「は、はい! どうぞ!」

 「ありがとう。………炭治郎君、開けても構わない?」

 「はい、大丈夫です」

 

 

 隠から禰豆子の箱を受け取り、了承を得て箱の戸を開く。カナエの視界に入って来たのは、実に愛らしい少女の姿をした鬼だった。

 

 

 「まあ…!」

 「ムー」

 「まあまあ!」

 

 

 目を輝かせ、表情を綻ばせるカナエ。彼女が後退ってやると、禰豆子もそれに伴ってとてとてと箱の中から歩み出る。その動作が、カナエにはより一層禰豆子の愛らしさを強調するものに思えた。

 

 

 「可愛いわ、物凄く! こんにちは、禰豆子ちゃん! 私の名前は胡蝶カナエ。仲良くしてくれる?」

 「…ムー!」

 「まあまあまあ! ありがとう!」

 

 

 カナエから親愛の情を感じ取ったか、禰豆子は彼女の申し出に応える代わりに抱き着くことで肯定を示す。その笑みを深くしたカナエは、改めて隠たちに向き直った。

 

 

 「ごめんなさい、待たせてしまって。二人とも、しっかりうちで預からせて貰うわ。まずは炭治郎君の治療からね」

 「畏まりました!」

 「…あの! カナエさん、ありがとうございます!」

 「…え?」

 「鬼である禰豆子のことを、こんなにも大らかに受け容れてくれて。柱の人たちには、あまり認めて貰えなかったので」

 「……そうだったのね。でも、お礼を言うのは私の方だわ。────ありがとう…炭治郎君、禰豆子ちゃん」

 

 「(…感動している匂いがする。深い感激、何かが成就したような……この人は、鬼が憎くはないのだろうか?)」

 

 

 炭治郎は、これ程までに鬼に対して寛容な鬼殺隊関係者に出会ったことが無かった。善逸ですら禰豆子を目にするまでは若干の怯えがあったし、何より彼の態度は炭治郎への評価を加味した上でのものであったから、禰豆子一人にここまで暖かい感情を向けるカナエには却って疑問すら湧いて来る。その場で尋ねることはしなかったが、彼女の態度は炭治郎の心に引っかかって離れなかった。

 

 それからは、仲間との再会が続く。薬がどうのと病室で騒ぎ立てるのは、山では炭治郎たちと行動を別にしていた少年…我妻善逸。首周りの負傷によって喉が潰れ、更に自信の喪失によってやたらとしおらしくなってしまった嘴平伊之助。また、炭治郎本人は気付いていなかったが、あの夜に炭治郎を気絶させた張本人である栗花落カナヲとも遭遇。生き残った同期のほぼ全員が蝶屋敷に集う形となった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「気まずかった…怖いよ柱…隊士の数ばっかりで質はそうでもないとかで皆ピリピリしててさ……刈猟緋が唯一の救いだった」

 

 

 炭治郎らが蝶屋敷にて療養し始めてから、幾らか月日が経ち。お見舞いに来た村田は、柱合会議での仔細報告が中々に辛かったのだと彼らに話す。

 

 

 「刈猟緋、さん…? 柱の人ですか?」

 「ん? ああ、そうだよ。炭治郎も大変だったんだってな。裁判の時、凄え背の高い女の人居なかったか? そいつが刈猟緋だよ」

 「あっ…あの人か…!!」

 

 

 脳裏に過ぎる、壮絶な存在感。大きく見えたのは錯覚などでは無かったらしいと思いながらも、滲渼の言動を思い返す。

 

 

 「(そういえば……あの人は一度も、禰豆子を殺すべきだとは言わなかった。かなり疑って掛かって来ていたけれど、今思えば公平な態度だったような気もする。それに、傷だらけの人から結果的に俺や禰豆子を庇ってくれた。匂いが強すぎたせいで感情の動きが分からなかったけれど……思っていたより、優しい人なのかもしれない)」

 

 

 滲渼の振る舞いは、結果を見れば炭治郎たちにとってはやや好ましいものだった。厳格そうな言葉遣いや見た目ではあったが、実際には穏やかな人物であるのだろうかと印象を改める。

 

 

 「刈猟緋、威圧感凄いけどさ…良い奴だよあいつ。それに、滅茶苦茶強いんだ。入隊から一ヶ月半で柱になったんだぜ」

 「えっ!? ほ、本当ですか…!!?」

 「(背が高くて強いって……熊みたいな女の人なんだろうなぁ…)」

 

 

 話を聞いていた善逸は、筋骨隆々とした毛むくじゃらの豪傑を想像した。

 

 

 

 

 

 ────だが…それが間違っているということに、そう間を置かずして気付かされることになる。

 

 

 

 

 

 「!? あ…この匂い……!!」

 「え? 匂いって…?」

 「────な…何……? ちょ、ちょっと待って…!!? 何か……あり得ないぐらいでっかい音が近付いて来るんだけど……!!?」

 「お、お前らの話についていけない…」

 

 

 炭治郎と善逸が、いち早くそれを察知する。よく見れば伊之助も何かを感じ取っているらしく、やけにそわそわし始めた。

 

 

 「や、待って! 待ってええ!! 煩い五月蝿いうるさい!!! 何!!? 誰これぇええ!!?」

 

 

 

 

 

 ────病室に、天色の羽織がちらつく。

 

 

 

 

 

 「……金色の少年よ。大声を出すと身体に障るぞ」

 「────!!」

 

 

 彼にしか聞こえない爆音が轟く中、何故かはっきりと通って来た滲渼の声に黙って頷く善逸。強く耳を塞ぎながら、彼女を観察する。

 

 

 「(……え!? この人だ!! 多分、いや絶対この人だ!! この上なく鍛え抜かれた音がする!! 鍛えるとかいう次元じゃないけど!! この人が刈猟緋さん!!? めっちゃ美人じゃん!!!)」

 

 「つい先日振りだな、村田」

 「刈猟緋! 何でここに?」

 「何、其処の…竈門少年の様子を見ておきたいと思ってな。大事無いか、少年」

 「はい! 禰豆子も元気にぐっすり眠ってます! 刈猟緋さん、禰豆子のことを認めて下さってありがとうございます!」

 「……ふむ。認める、とは…少々異なるやもしれぬ。私は其方の妹に強く興味がある。そして、其方にも。鬼殺の任を務めて八年、これまで欠片程も掴めなかった鬼舞辻無惨への糸口が…此処へ来て唐突に見えて来た。────其方等は間違い無く、運命を切り拓く鍵だ。故にこそ、手放したくは無いと感じたのだ」

 

 「(……この少年からは、『龍歴院の英雄』や『導きの青い星』と同じものを感じる。掻き乱れる運命の中心に位置する者…或いは英雄譚の()()()が持つような、形容出来ない何か。彼という存在は、確実にこれからの鬼殺隊に必要となるだろう)」

 

 

 善逸の視線を気に留めることなく、炭治郎と言葉を交わす滲渼。その中で彼女が口にしたのは、炭治郎たち兄妹への期待だった。

 

 滲渼がかつて出逢った、類稀なる狩人たち。それぞれが偉業を成し遂げたのだという彼らは、一目見ただけで「違う」というのが理解出来た。彼女はそれを、炭治郎にも見出したのである。

 

 

 「そうですか…でも、大丈夫です。ちゃんと認めて貰えるよう、俺たち頑張りますから!」

 「…そうか。…其方は、真に人当たりが良いな」

 

 「(ギャアアアア゛ア゛ア゛!!! ほ、微笑みが!!! 微笑みが眩し過ぎるウウゥッ!!!)」

 

 

 快活な返答を行う炭治郎に、頬を綻ばせる滲渼。善逸はそれを見て、無駄に器用に両目両耳を塞ぐ。

 

 

 

 騒ぎ声を聞きつけて病室にやって来たアオイは、彼の奇行を目の当たりにして軽く引いた。

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・滲渼は前世でMHX/XX、MHW/W:IBの主人公と会っている設定です。時系列などを考慮すれば、決してあり得ない設定では無いです。

 【大正コソコソ噂話】
・滲渼の身長は195cmまで伸びました。もう打ち止めですが、高さとしては柱の中で三番目。ちなみに、父の闘志や兄の泰志の身長は2mを超えます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蝶屋敷:其ノ弐

 

 「こんにちは」

 「あっ、どうも…じゃあ、俺そろそろ帰るからさ。三人とも頑張れよ。またな、刈猟緋」

 「うむ」

 「はい! ありがとうございました、村田さん! お元気で!」

 

 

 アオイに続いて病室にやって来たのは、しのぶ。彼女の来訪を機に、村田は蝶屋敷を去ることにしたようだ。炭治郎たちに別れを告げて、病室を後にした。

 

 

 「どうですか、体の方は」

 「かなり良くなってきてます。ありがとうございます」

 

 

 身体の調子を炭治郎に尋ねるしのぶ。快方に向かっていると、炭治郎が礼を述べたが…彼女はそれを受けて聞き慣れない単語を口にした。

 

 

 「そうですか。では、そろそろ『機能回復訓練』を始めましょう」

 「…?」

 

 

 

 

 

 伊之助と善逸は、未だ容態が健全とは言い難かった。炭治郎だけが一先ず「機能回復訓練」に参加することになり、訓練場にて説明を受ける。

 

 

 「まず、あの三人…すみ、きよ、なほたちが寝たきりだったあなたの身体をほぐします。それが一段落すれば、今度は反射訓練を。あそこに並んだ湯飲みを使うわけですが……これは見た方が早いですね。ということで、刈猟緋さんお願いします」

 「成程、故に私を呼び止めていたのか」

 

 

 「反射訓練」は少々言語化するのが面倒であるため、実践して見せるのが良いだろうと考えられた。湯飲みが並んだ机を挟み、しのぶと滲渼が向かい合う。

 

 

 「では、分かりやすいよう速度を緩めながら行います。よく見ていてくださいね」

 「はい!」

 

 

 

 

 

 ────空気が張り詰める。

 

 

 しのぶが手を伸ばしかけた湯飲みに向かって、滲渼が先に手を伏せる。そのまま彼女が左手を出した湯飲みへしのぶが目を向け、すんでの所で湯飲みの口を押さえつける。

 

 幾度か同じようなやり取りが繰り返された後、滲渼がしのぶの警戒を抜けて湯飲みを持ち上げた。彼女の目の高さまでそれを持って行った所で二人の動きが止まり、しのぶが炭治郎に視線を戻す。

 

 

 「と…このように、相手が押さえるよりも早く湯飲みを持ち上げて、注がれた薬湯をかけることで訓練完了となります。押さえられた湯飲みを強引に持ち上げたりはしないでくださいね」

 「成程…! 分かりました!」

 「そして最後に全身訓練…簡単に言えば、鬼ごっこを行います。反射訓練と全身訓練はアオイとカナヲが相手をしますが、二人とも鬼殺隊の隊士ですから、気は抜かないように」

 

 

 しのぶたちについて来たアオイ、そして予め訓練場に待機していたカナヲが横に並ぶ。実際の所、アオイに関しては選別以降鬼殺の任務をこなしている訳ではないのだが、それをわざわざここで話す必要はない。しのぶは彼女も隊士であるのだということだけを伝えた。

 

 

 「それでは、これから頑張ってくださいね」

 「はい! ご丁寧に、ありがとうございました!」

 「刈猟緋さんも、ありがとうございます。呼び止めてしまってすみません」

 「構わぬ。特に急ぎの用も無かったのでな」

 

 

 ────その後始まった炭治郎の機能回復訓練は、正しく地獄そのものだった。三人の少女は痛みを訴える炭治郎にお構いなく、容赦なく身体をほぐしにかかる上、反射訓練ではアオイとカナヲに匂いのきつい薬湯をかけられまくる。全身訓練でもカナヲを捕まえられない日々が続き、その日常は伊之助が訓練に参加し始めてからも変わらなかった。善逸の参加以後、漸く反射訓練でアオイに勝てるようになり始めたが…カナヲには一方的にやられてばかり。伊之助と善逸もそれは同じで、心が折れた二人は訓練に来なくなってしまった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 そして、二週間以上が経った夜。すみたちに教えてもらった「全集中・常中」の概念をものにしようと一人奮闘する炭治郎は、瞑想の最中にある人物と再会する。

 

 

 「────郎君」

 「…」

 「えい」

 「!? ……えっと…カナエさん? こんばんは」

 「こんばんは、炭治郎君。頑張ってるのね」

 

 

 屋根の上で自分の世界に没頭していた炭治郎は、カナエの呼び掛けに気付かなかった。頬をつつかれて初めて彼女の存在に気付き、挨拶を交わす。

 

 

 「禰豆子ちゃんは、起きたかしら? あまり様子を見に行けなくて」

 「はい。ぐっすり眠って元気になったみたいです」

 「そう、良かったわ! お話したいことが沢山あるのよ」

 「……あの、ずっと気になってたんですけど…カナエさんは、鬼が憎くないんですか?」

 

 

 可憐な笑みを浮かべて、鬼である禰豆子と話がしたいのだと言うカナエ。その心に偽りは無く、だからこそ炭治郎は疑問が絶えない。鬼殺隊に入ったのは、鬼と仲良くするためなのかとも思ったが…カナエの答えは、その予想を覆すようなものだった。

 

 

 「…憎くない訳じゃないの。でもね……それ以上に、可哀想だなって。殆どの鬼は、人を喰い殺してやりたいと思って鬼になった筈は無いでしょう? ある日突然無理矢理に、或いは彼らなりの理由があって……。それなのに…全部忘れてただ人を喰らい、鬼舞辻無惨の言いなりになる。当然そうでない鬼も居るとは思うけれど、私はそんな彼らの助けになりたかった。それに、仲良くなれることが証明出来れば、殺してしまう以外にも道が見つかるかもしれない…鬼のせいで悲しむ人も居なくなるかもしれないと思ったのよ。………結局、自分で見つけることは出来なかったけれど」

 

 

 眉を下げ、悲し気に微笑む。炭治郎はこれまでに、カナエがかつて柱であったこと、今は引退して蝶屋敷での炊事洗濯などを担当していることなどを耳にしていた。道半ばで引き返さざるを得なくなった彼女の胸中を想い、自分まで悲しくなってしまう。

 

 

 「カナエさん…」

 「だけど…そこに君たちが現れたの。人と鬼が互いに想い合う、私が追い求め続けた理想の姿。禰豆子ちゃんのおかげで私、心のもやもやが晴れたわ。絵空事なんかじゃなかったんだって、そう思えた。改めて…ありがとう、炭治郎君」

 「…俺が言うのもなんですが……禰豆子は特別です。他にも禰豆子みたいな鬼が居るとは、簡単には言えません」

 「…そうね。でも、いいの。あり得ることだって分かった、ただそれだけで良いのよ。もう、十分」

 

 「(珠世さんたちのことは…話すべきじゃない。嘘は吐きたくないから濁しておこう……ごめんなさい、カナエさん)」

 

 

 カナエは、鬼と仲良くすることが不可能では無いと知れたことが嬉しかった。他の隊士たちにそれを強制するつもりなどない、ただ自分の夢が間違いなどではなかったと……己の中で決着をつける。後は…人々を救う使命は、仲間たちに託して。

 

 

 「だから、炭治郎君は自分の信じる道を進んで。これ以上、鬼が人々を苦しめないように」

 「…安心してください。俺たちが…カナエさんの想いも背負って戦います。皆が笑って暮らせる世界にしてみせますから────」

 「それは良い心掛けですね、炭治郎君」

 「!?」

 

 

 その時。二人の背後に音もなく降り立ったのは、しのぶだ。任務を終えたのか担当地区の巡回を終えたのか、蝶屋敷に戻って来ていたらしい。

 

 

 「し、しのぶ────」

 「姉さん。梯子が架かっていたけれど…まさか自力で屋根まで上ってきたんじゃないわよねえ? 激しい運動は厳禁だって、分かってるものねえ?」

 「あ、あのね、聞いてしのぶ────」

 「それとも梯子を上り下りするぐらいは大した運動の内には入らないかしら? ────ちょっとお話、しましょうか

 「あわわ…」

 

 

 朗らかな笑みの中、血管を額に浮かべたしのぶ。炭治郎は匂いで彼女の激しい怒りを感じ取っていたが…彼女が怒っていることは誰の目にも明らかだ。怯えて小さく丸まったカナエを横抱きにして、しのぶは屋根を下りる。

 

 

 「………よし、頑張ろう!」

 

 

 炭治郎は、しのぶだけは怒らせてはならないと学んだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

引力

 

 それからも機能回復訓練は続き、炭治郎の成長も続き。彼の成長に焦りを感じた伊之助と善逸も訓練に復帰してからは、猛烈な勢いで力を付けた。その結果、三人は見事常中を体得。怪我も完治、刀も新調され、万全な状態で次なる任務に臨むこととなった。

 

 

 「(カナヲ、自分に素直になれるかな? なれるといいな!)」

 

 

 蝶屋敷を離れる際、炭治郎は同期最後の一人である不死川玄弥とすれ違い、またカナヲの意思決定についてちょっとした世話を焼いた。玄弥には無視されてしまったが、カナヲの様子には少しだけ変化が見られた。彼女が自分の心のままに動くことが出来るようになれば良いと思いながら、彼は伊之助、善逸と共に…「無限列車」へ乗り込むべく歩を進める。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「こいつはアレだぜ、この土地の主…! この土地を統べる者! かりかりぴーとかいうのに負けず劣らずの威圧感……油断するな!!」

 「お前もしかして刈猟緋さんのこと言ってる? あと汽車な」

 「俺が一番に攻め込む! 眠ってる今が好機だぜ!」

 「守り神かもしれないだろう。それに急に攻撃するのも良くない」

 「いや汽車だって言ってるじゃんか。列車知らねえのか田舎者共が」

 

 

 炭治郎たちの視界を占領する、長大で重厚な無限列車。都会で暮らした経験の無い善逸以外の二人は、一見してそれが乗り物であるとは理解出来なかったらしい。炭治郎は善逸の指摘を受けて初めて、目の前の巨体が列車という存在であることを把握した。

 

 

 「猪突猛進!!」

 「やめろ恥ずかしい!!」

 

 

 ところが、伊之助はまるで話を聞いていなかった。列車に頭突きをかまし、あまつさえ駆けつけた駅員に帯刀を目撃されて警官を呼ばれる始末。ただ乗車するだけでも、少なくない苦労に見舞われた三人であった。

 

 

 

 

 

 因みにだが、今回炭治郎たちは特に指令を下されてここに居る訳ではない。

 

 炭治郎はしのぶやカナエに「ヒノカミ神楽」について尋ねたものの、色良い答えが得られなかった。彼女たちは代わりに、炎柱ならば何か知っているのではないかと彼に伝えたのだ。そのため、彼は任務のために無限列車に向かった煉獄杏寿郎に会うことにしたのである。伊之助と善逸は火急の任がある訳でも無く、何となくついて来たようだった。

 

 そして、現在。

 

 

 「うまい! うまい! うまい!」

 「……あの人が炎柱?」

 「うん…」

 「うまい! うまい!」

 「ただの食いしん坊じゃなくて?」

 「うん…」

 「うまい!」

 

 

 ある意味で煉獄と鮮烈な邂逅を果たした炭治郎たちは、大袈裟な程に弁当の感想を口に出す彼をどうにか宥め、会話が成立する状態まで持っていった。炭治郎はヒノカミ神楽について尋ね、その返事に期待を寄せるが…

 

 

 「うむ! そういうことか! だが知らん! 『ヒノカミ神楽』という言葉も初耳だ! 君の父がやっていた神楽が戦いに応用できたのは実にめでたいが、この話はこれでお終いだな!」

 「えっ!? ちょっともう少し…」

 

 

 煉獄はばっさりと「知らない」と断言してしまった。その上さっさと話を切り上げ、唐突に継子になれと提案したり、呼吸の歴史を振り返ったりと会話が四方へ飛んでいく。

 

 

 「…と、このように呼吸ごとに歴史の長さや刀の色も様々な訳だが! 我流の呼吸を扱う者も居るには居る! 柱ならば、刈猟緋・宇髄・胡蝶・伊黒・甘露寺がそうだな!」

 「我流、ですか?」

 「うむ! 五人共、自ら呼吸を派生させた者たちだ! 刈猟緋はよく分からんが!」

 「? よく分からない、とは…」

 「派生元の呼吸が無い! 似通った呼吸も無い! ややもすれば、彼女ならば『ヒノカミ神楽』について何か知っているやもしれん!」

 「本当ですか!?」

 「望みは薄いがな! 彼女がそういったことを口にしていた記憶は無い!」

 「ありがとうございます、手掛かりだけでも十分です」

 

 

 だが、支離滅裂に思えた煉獄の台詞にも繋がりはあった。つまるところ、ヒノカミ神楽は歴史に残らない程使い手の少なかった呼吸なのではないかと言いたかったのだろう。彼としても滲渼が知っているという可能性は呈示しておいたが、まずそれはあり得ないとも考えている。

 

 

 「うむ! ところで、溝口少年! 君の刀は────」

 「うおおおお!! すげぇすげぇ速ぇええ!!」

 「危ない馬鹿この!」

 「俺外に出て走るから!! どっちが速いか競走する!!」

 「馬鹿にも程があるだろ!!」

 「む! 危険だぞ! いつ鬼が出てくるかわからないんだ!」

 

 

 そうして話の続きをしようとした煉獄だったが…伊之助たちの騒ぎ声に反応し、忠告に切り替える。彼の発言を聞いて善逸は顔を青褪めさせるが、時既に遅し。列車は高速で走行しており、途中下車は叶わない。

 

 列車に潜む鬼────下弦の壱、魘夢と戦うことは、彼らにとって避けようのない運命だった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 同時刻。二体の鬼が、今宵も探し物がてら人を喰らう。

 

 

 「見つかりませんねえ…産屋敷家の居場所の手掛かりも、『青い彼岸花』も」

 「当然だ。百年以上も見つからないものがこんな所に転がっている筈はないだろう。人間を喰うついでに、念のため調べているだけだ」

 

 

 辺りに飛び散った血がその場で起きた事を如実に示している。骸こそ何処にも見当たらなかったが、二体…猗窩座と瞢爬の口元を見れば、その理由は明白だろう。

 

 

 「しかし、猗窩座様と共に居られることは私にとっても実に良いことでございましたね。こう言ってはなんですが、おこぼれを頂戴できるので」

 「……わざわざ俺が見逃した女を喰わずとも、貴様ならば自力で調達できるではないか」

 「それはよろしくありません。目撃されたのですから、生かして帰せば鬼狩りの方々が話を聞きつけてやって来てしまいます。そうなれば、動き辛くなってしまうでしょう?」

 「弱者の集団に怯えることはない。強者ならば勧誘して鬼にすればいい。上弦の鬼である俺たちが、人間如きに敗れると思うか?」

 

 

 猗窩座の余裕は、武を極めた者としての自負から来ている。これまで()()()()()()強いと思えるような猛者とは何度か遭遇したが、それでも命の危機を感じたことは一度も無かった。どこまで行っても人間には限界がある。それが、猗窩座の持論だった。

 

 だが、瞢爬はそうは思わない。

 

 

 「…猗窩座様。それは驕りです。私の前任であった童磨様は、鬼狩りの方お一人に殺されたという話だったではありませんか」

 「それこそ童磨の驕りと油断だ。奴は手を抜く癖があった。大方様子見でもしている内に頸を斬られたに違いない」

 「甘いですよ。人間という種族は、強い者はとことん強い。まさか、あんな小さな生き物に────…?」

 

 

 人間の恐ろしさを、瞢爬は知っていた。人間の気高さを、瞢爬は学んでいた。

 

 ………鬼になる以前に。それがいつのことだったかまでは、思い出せないが。

 

 

 「…すみません。何でもない、です……。とにかく、驚く程に強い者というのは居るものなのです。努々油断なさいませんよう」

 「ふん、それは良い。是非とも会ってみたいものだな」

 

 

 猗窩座は瞢爬のことを相手にしなかった。彼と一緒に行動すること早四年、既に瞢爬という鬼の性質は嫌というほどに思い知らされていたのだ。

 

 間違いなく強い癖をして異常に用心深く、特に鬼狩りと戦う際には徹底的に全力での先制を心掛ける。瞢爬が手を出した鬼狩りは、皆例外なく一撃で頭を粉砕されて絶命した。そんな彼ならば、塵芥のような鬼狩りを前にしても油断をするなと言うに違いない。

 

 無惨もやたらと臆病な瞢爬のことは気に入らないようで、最近は猗窩座たちを呼びつけて瞢爬を日光で炙る頻度が高くなっていた。明らかに実験観察の範疇を超えた憂さ晴らし。これでもし瞢爬が逃げ出せば責任は自分に問われるのだろうと考えると、猗窩座は苛立ちが収まらなかった。

 

 

 『猗窩座』

 『! 無惨、様?』

 

 

 と、そんな時。猗窩座の頭に響くのは、無惨からの思念伝達の声。この距離で頭の中を覗かれたのかと戦々恐々していた彼だったが、どうやらそうではなかったらしい。

 

 

 『魘夢が、最後の下弦がしくじった。後始末をしろ。お前たちが居る場所のすぐ近くだ。横転した列車がある』

 『…畏まりました』

 

 

 また尻拭いかと溜め息を吐きたくなる猗窩座。しかし仮にも下弦の壱を倒したとなれば、その鬼狩りはそれなりに強いのだろうと思われる。微かな期待を胸に、瞢爬を呼んだ。

 

 

 「瞢爬、無惨様からの命令だ。下弦の壱がしくじったらしい、尻拭いをする。ついて来い」

 「! 分かりました! 童磨様を討った鬼狩りが居なければ良いのですが……」

 「そうならそうと無惨様が仰るだろう。残念だが、件の女では無さそうだ」

 

 

 ────鬼が夜空に飛び出す。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「緊急指令!! 炎柱・煉獄杏寿郎ガ乗リ込ンダ無限列車ヲ追エ! カァーッ!」

 「…ふむ……? 良く分からぬ指令だが……構うまい。無限列車が運行しているのは、確か…向こうか」

 

 

 ────麗人が闇を駆ける。

 

 

 

 

 

 彼らが相見えること…或いはこれもまた、避けようのない運命だ。

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「かりかりぴー」とは、モンハンにおいては「狩猟笛」を指す愛称です。転じて「カリピスト」なんていう単語もあったり。

 【大正コソコソ噂話】
・滲渼への指令は耀哉がわざと遅めに出しました。彼女の存在が必要になるのは確実なれど、煉獄と一緒に列車に乗せてしまうと禰豆子を彼に認めさせることが出来ないという勘が働いたためです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜をも狂わす

 

 列車が生きているかのように大きく跳ね、線路を外れて横転する。乗客たちの命は無いかと思われたが…驚くべきことに、全員が一命を取り留めていた。

 

 全ては、鬼殺隊の隊士たちが無限列車に居合わせたからこそ。列車と一体化した下弦の壱を、炭治郎らが力を合わせて撃破。断末魔と共に暴れた車体、横転の際に煉獄が無数に技を繰り出して衝撃を抑える。加えて魘夢自身の肉が緩衝材の役割を果たしたこともあり、乗客は皆負傷に留まった。人間を弄ぶ悪鬼の策は、その一切が無に帰したのである。

 

 しかしながら、その過程で炭治郎は腹部に決して軽くない傷を負ってしまった。列車から投げ出された格好のまま、今は呼吸による止血を煉獄に教わっている。

 

 

 「…そこだ。止血────出血を止めろ」

 「ッ…!!」

 「集中」

 「………ぶはっ…! はあっ…! はっ…!?」

 

 

 鬼殺の呼吸は、人が鬼と戦うために編み出した身体強化の術。その効果は鬼を討つことに限られる訳では無く、単純に自然回復力や体力の強化が見込めるものなのだ。

 

 

 「うむ! 止血できたな! 呼吸を極めれば様々なことができるようになる。昨日の自分より確実に強い自分になれる」

 「…! はい」

 「皆無事だ! 怪我人は大勢だが、命に別条は無い! 君はもう無理せず────」

 

 

 任務を終え、人命を守り、一件落着かと思われたその時。彼らの側で突如轟音が響く。大きな土煙が巻き起こり、そして次第に晴れ…現れたのは、二体の鬼。

 

 

 「(────上弦の…弐と、参? どうして今、ここに…)」

 「瞢爬。そこに転がっている弱者は好きにしろ。何度も言うが、俺の邪魔はするなよ」

 「善処致します」

 

 

 ────短いやり取りの直後。信じられない程の速度で、瞢爬の拳が炭治郎に迫った。

 

 

 「『炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天』!!」

 「おっと……炎の方。貴方には猗窩座様のお相手をお願いしてもよろしいですか? でないと私が怒られてしまいます」

 

 

 煉獄は殆ど命中しかかっていた拳と炭治郎の額の間に限り限りで刀を滑り込ませ、間一髪で瞢爬を退ける。瞢爬は特に動揺した様子も無く、僅かに切れた手の甲を瞬時に再生させながら煉獄に提案を持ち掛けた。

 

 

 「断る。なぜ手負いの者から狙うのか、理解できない」

 「猗窩座様のご命令でしたので…」

 「そういうことだ…。お前も弱者を庇う必要など無い。一方で今の瞢爬の一撃を防ぐその実力……お前は間違いなく強者だ」

 「…俺と君では物ごとの価値基準が違うようだ」

 

 「(………何をされたのか……全くわからなかった。それに、何なんだあの二人は? 参が弐に命令? 十二鬼月は、数字が小さい程強くて位が高いんじゃなかったのか…!?)」

 

 

 炭治郎の目では追い切れなかった一瞬の攻防。両者共再び動き出す気配は無いが、煉獄は今も瞢爬の動きを注視しているようだった。

 

 

 「そうか。では素晴らしい提案をしよう…お前も鬼にならないか?」

 「ならない」

 「見れば解る、お前の────」

 「猗窩座様。これ以上の問答は無意味かと」

 「…チッ。俺の話を遮るなと…以前も言った筈だがな?」

 「承知しております。ですがあれ程にべもなく断られては、心変わりを期待する方が難しいです。早く終わらせてしまいましょう」

 「……臆病者は引っ込んでいろ。後ろの虫けらも放っておけ。全て俺一人で片をつける。……勝手に何処かへ行くなよ」

 「………はぁ…。危なくなれば加勢致しますので」

 「要らぬ心配だ」

 

 

 そんな中、またしても参が弐に指図をするという異様な光景が繰り広げられる。瞢爬はこれにも不服そうではあるものの従い、少し離れた位置に腰を下ろした。

 

 

 「待たせてすまない。ところで…柱だろう、お前は? 至高の領域に近いその闘気…一目で見て取れる強さだ」

 「…俺は炎柱・煉獄杏寿郎だ」

 「俺は猗窩座。改めて言う…鬼になれ杏寿郎。人である限りお前は至高の領域に踏み入ることはできない。だが長い時を生きれば、そうでは無くなる。共により高みを目指そう」

 「それは違う。死ぬことも老いることも、人間という儚い生き物の美しさだ。そこには愛しさがあり、尊さがあり、強さがある。────この少年は弱くない。侮辱するな」

 

 

 鬼の強さを謳う猗窩座。人の強さを謳う煉獄。両者の考えが相容れることは、無い。

 

 

 「何度でも言おう。君と俺とでは価値基準が違う。俺は如何なる理由があろうとも鬼にならない」

 「そうか」

 

 「(だから申し上げたではありませんか……)」

 

 

 煉獄はどうあっても、鬼にはならないだろう。無駄な問答に溜め息を吐いた瞢爬を他所に、猗窩座と煉獄が激突する。

 

 

 「『術式展開 破壊殺・羅針』────鬼にならないなら殺す」

 「『壱ノ型 不知火』!!」

 

 「(目で……追えない!!)」

 

 

 再びの轟音。刀と拳が幾度も交差し、それでも猗窩座は声を上げる。

 

 

 「今まで殺してきた柱たちに炎はいなかったな!! そして俺の誘いに頷く者もなかった!! なぜだろうな? 同じく武の道を極める者として理解しかねる!! 選ばれた者しか鬼にはなれないというのに!!」

 

 

 対して煉獄には余裕が無い。猗窩座の一挙手一投足を細かく観察し、常に対応できるよう身構えていなければならない。その上、猗窩座の後ろには更なる強敵が控えている。

 

 「(この鬼を倒しても…或いは追い詰めても、上弦の弐が動き出す!! 皆の命を守り抜くために!! ここで下手に傷を負う訳にはいかない!!)」

 「素晴らしき才能を持つ者が醜く衰えてゆく!! 俺はつらい!! 堪えられない!! 死んでくれ杏寿郎…若く強いまま!! 『破壊殺・空式』!!」

 「! 『肆ノ型 盛炎のうねり』!!」

 

 

 初見の技の性質を見切り、ほぼ全てを受け切った煉獄。一刻も早く猗窩座の頸を落とすために、空けられた距離を強引に詰める。

 

 その頃、炭治郎の側には新たな味方がやって来ていた。尤も、事ここに及んでは力不足と言わざるを得ない人物ではあったが。

 

 

 「伊之助…」

 「……あいつ、か………! この……巫山戯た馬鹿みてぇな威圧感の主は……ッ!!」

 「…え?」

 

 

 伊之助が被り物の上から視線を向けていたのは、猗窩座…ではない。その後方にて彼らの戦いを見守る上弦の弐、瞢爬だ。

 

 

 「(確かに…鬼舞辻の匂いは猗窩座よりも強い。でも……伊之助がこんなに震えるなんて。一体どういうことなんだ?)」

 

 

 炭治郎には、伊之助が酷く怯えていることが感じ取れた。明らかに様子がおかしいのだ。普段の彼からは想像もつかないほど、尻込みしてしまっている。

 

 だが、伊之助は理解していた。瞢爬という鬼の…本質を。

 

 

 「(……………化けもんだ………!!! 乗ってた奴らを引き摺り出してた時からビリビリ感じてた!!! とんでもねえ奴が居るってのは!!! こうして目で見てやっとハッキリした…!!! あいつと同じ場所に居ちゃいけねえ!!! 糞がぁッ…!! 情けねえッ!!! どうしようもねえ程に…身体が震える!!!)」

 

 

 そんな彼とは裏腹に、無理を押して煉獄の加勢に向かおうとした炭治郎。しかし、煉獄自身によってそれは阻止される。

 

 

 「動くな!! 傷が開いたら致命傷になるぞ!! 待機命令!!」

 「!!」

 

 

 

 

 

 炭治郎たちは、動くことができない。

 

 ただただ傷の増えていく煉獄を、眺めていることしかできない。

 

 

 「死ぬな杏寿郎」

 

 

 煉獄は、限界だった。左目を失い、肋骨が折れ、内臓が傷付き。これ以上の戦闘継続は、最早不可能。絶望的なのは、猗窩座に負わせた傷は全て元通りになってしまったこと。そして……全快の瞢爬がまだ残っていること。

 

 だが、それでも。

 

 

 「俺は俺の責務を全うする!! ここにいる者は…誰も死なせない!!」

 

 

 彼は心の炎を絶やさない。

 

 ────故にこそ、その気高さは報われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……!! あ、あぁ…!!!」

 「!!! こ、の…感覚は…!!!」

 

 「…うぇっ!!? な、何!!? 何の音!!?」

 

 

 

 

 風に乗って…炭治郎の鼻に匂いが届く。伊之助が鳥肌を立たせ、気絶していた善逸も目を覚ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『咢の呼吸 極ノ型』────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇に、大太刀が躍る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『弓形(ゆみなり)(ぼうき)月穿(つきうが)ち』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────猗窩座様ッ!!!」

 「!!?」

 

 

 

 大地に、巨大な穴が生まれる。

 

 人間がもたらしたただの一撃……まるで隕石でも墜ちたようなその大穴の底には、一人の女が立っていた。

 

 

 「…………信じ難し。此の攻撃から…救い出すか」

 

 

 刈猟緋滲渼。繰り出した必殺の攻撃に手応えを感じられず、目を剥いて瞢爬を捉える。

 

 

 「…刈猟緋。なぜここに」

 「緊急の指令が下ったのだ。其方の乗り込んだ列車を追えと言われ……追いついたかと思えば鬼が二体。…何方も、上弦とはな」

 

 「(更には片方は弐…既に童磨の後任が現れていたか。……しかし、妙に気に掛かる。何か、奴からは不可思議なものを感じるような…)」

 

 

 そして、猗窩座を抱えて何とか救い出した瞢爬も…目を剥いて彼女の存在を確認した。

 

 

 「猗窩座様!! 退却しましょう!!! 童磨様を討ったのは…間違いなく彼女です!!!」

 「…ほう!! 素晴らしい!!! 女でありながら今の一撃を放つか!!! 離せ瞢爬!!!」

 「ぐっ!!? あ、猗窩座様!!!」

 

 

 猗窩座は無理矢理瞢爬の腕を振り払い、滲渼へと近付いていく。

 

 

 「名は何という、女」

 「……刈猟緋、滲渼。………済まぬが…私は其方に興味が無い。『嵐ノ型 滅砕(めっさい)()』」

 「な────」

 

 

 しかし。猗窩座はまるで滲渼の攻撃に反応できなかった。またしても瞢爬に首筋を掴まれ、爆発的な刺突をどうにか免れる。瞢爬は息も絶え絶えといった様子で、それでも滲渼に声を掛けた。

 

 

 「…刈猟緋、殿。失礼ながら、何処かでお会いしたことは?」

 「……無い、筈だ。だが、奇遇だな………私も其方とは初対面である気がしない」

 「そうですか。ともすればこれは、運命の出逢いというものでございましょう。ここは一つ、見逃して頂く訳にはいきませんか?」

 「聞けぬ願いだ」

 「………それは残念」

 

 

 瞬間、脱兎の如く背を向けて逃げ出す瞢爬。その両腕に猗窩座を抱えたままであるためなのか、いやに走り辛そうにも見える。当然、滲渼からは逃げ遂せる筈もない。瞢爬は両脚を刻まれ、猗窩座を投げ出してしまう。

 

 

 「────逃れることは出来ぬ。さらばだ」

 「(あ────)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(────暗い。これは、なんだろう?)」

 

 

 

 

 

 闇色の殻が、裂ける。

 

 

 

 

 

 「(そうだ……ずっと、何も見えなかった)」

 

 

 

 

 

 ────それでもまだ、空は暗い。

 

 

 

 

 

 「(………いや違う。目が見えなかったことはない。

 

…誰の、記憶だ?)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 滲渼の刀が、瞢爬に振り下ろされることは無かった。寸前、横合いから猗窩座の拳が飛んで来たのだ。

 

 

 「……ち。先ずは其方を────」

 

 

 ────────今度は、滲渼は猗窩座から目を離すことができなかった。

 

 

 「はあぁ…。なぜだか………今俺は、無性に虫の居所が悪い」

 「(────馬鹿な)」

 

 

 毒々しく、その皮膚は染まり。

 

 

 「どうしてだと思う? 滲渼。お前に弱者のような扱いを受けたからなのか?」

 「(有り得ない)」

 

 

 目は爛々と、禍々しく輝いている。

 

 

 「俺自身にもよくわからんが……反面身体は羽根のように軽い」

 「(どういう事だ)」

 

 

 鬼には必要の無い呼吸。最早習慣として付随するのみの吐息は……漆黒。

 

 

 「この苛立ちをぶつけるには、丁度良さそうだ!!!」

 「(これは────)」

 

 

 

 

 

 それは、疑いようも無く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(狂竜化だ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「狂竜化」
あるモンスターによって引き起こされる現象の一つ。他のモンスターを凶暴化させるが、それには歴とした理由がある。鬼にこれが発現した場合の効果は現状不明。

   〜咢ノ息吹〜
・「極ノ型 弓形彗・月穿ち」
「天彗龍」バルファルクから着想を得た技。遥か高空から墜ちて来る銀翼の凶星は、音をも置き去りにする。着地点は蒸発し、災厄を垣間見た全ての生物はただ無為にその命を散らすだろう。長い助走を必要とする、咢の呼吸の技の中で予備動作が最も大きい技。さる銘弓からとったその名に違わず月をも穿つかという程の威力を誇り、並大抵の鬼が喰らえば日輪刀で頸を断たれるまでもなく塵一つ残らない。

・「嵐ノ型 滅砕華」
「砕竜」猛り爆ぜるブラキディオスから着想を得た技。乱れ咲く爆破の大輪は、相対するものの一切を消し飛ばす。それが所以、紅く染まる双腕は返り血に非ず。鋒が瞳に映ることはない必殺の突きは、その頸諸共鬼の上半身を消滅させる。次なる再生が間に合うことは、無い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

痛恨

 

 「『破壊殺・乱式』!!!」

 「(速い!!)」

 

 

 狂竜化。あり得ざる力を手にした猗窩座の技は、その速さを数段増した。滲渼は高速で迫る拳の雨を紙一重で躱しながら、猗窩座の頸に刃を振るう。

 

 

 「『地ノ型 迅』!!」

 「! くっ…!!」

 

 「(浅い…が、まだどうにかなる範疇だ! まだ余裕の残る程度の速さだ! 何故この鬼が狂竜化したのかまでは分からないが……今ここで仕留めなければ、取り返しがつかなくなる!!!)」

 

 

 直撃はしなかったものの、やはりまだ猗窩座の実力は滲渼には及ばない。このまま一騎討ちを続ければ、確実に滲渼に軍配が挙がるだろう。一瞬()()()()を聞き出そうかとも考えた彼女だが、それよりも早々に猗窩座を殺してしまうべきだと思い直す。

 

 上弦の鬼は、生物として間違いなく頂点付近に君臨する程に強靭だ。更には人が感染した場合とは明らかに異なるこの症状、放っておけば()()()()()()へと進んでしまう可能性は大いにある。何としても、この場で猗窩座は倒しておきたかった。

 

 …だが、そうは問屋が卸さない。

 

 

 「グォアアッ!!!」

 「!? お、のれ…!!」

 

 

 獣のような絶叫と共に滲渼を襲う瞢爬。律儀にも猗窩座の回収に固執しているらしく、滲渼を睨んだまま四つ足の体勢で彼に進言する。

 

 

 「猗窩座様! じきに日が昇ります!! 逃げられるのは…今しかない!!!」

 「喧しい!!! 貴様一人で逃げていろ!!!」

 「そういう訳には────!!」

 「『極ノ型 風翔け』!!!」

 

 

 滲渼は瞢爬を巻き込みながら、猗窩座の頸を執拗に狙う。だが、瞢爬の反応があまりにも速い。猗窩座を体当たりで射程外へと突き飛ばすと、そのまま滲渼の刀を破壊しに掛かる。

 

 

 「グオオォッ!!!」

 「(側面!! 合わせて反撃を────)」

 「余計な手出しをするな!!!」

 「ッ────!!!」

 

 

 そして再び、猗窩座の復帰。別角度からの強襲は、刀の逃げ道を的確に潰して来た。滲渼がその手に持つ限り、最早破壊は避けられない。

 

 故に。

 

 

 「(!!? 刀を蹴り上げて────)」

 「『嵐ノ型 (きん)(りょう)(ちから)』!!!」

 「がっ…!!?」

 

 

 猗窩座に対抗するような、肉弾の嵐。瞢爬の攻撃を右脚で、猗窩座の攻撃を両腕でいなし、反撃に転じる。およそ人間になし得ないような絶技を前に、猗窩座はなす術もなく受け入れることしか出来なかった。

 

 ────顔面に、鈍い痛みが走る。

 

 

 『────生ま……わ……少…────』

 「!? ッ…!! ば、化け物が…!!!」

 「グォアッ!!!」

 

 

 怯んだ猗窩座の隣、瞢爬は跳び上がって落下しつつある滲渼の刀を奪い取ろうと試みた。が、ここで体格差が響く。滲渼の伸ばした腕が、瞢爬よりも早く刀を掴んだ。

 

 空中で姿勢を崩した瞢爬。

 

 未だ立ち直れていない猗窩座。

 

 両者共に、最大の隙を晒している。

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸 極ノ型』────」

 「(駄目だ 駄目だ 絶対に撃たせるな 止めなければ全て終わる)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかして、悪辣な奇跡は起きる。

 

 

 「────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずるりと、瞢爬の背から一対の巨腕が伸びた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────ああ、やっぱり。()()と思ったんです」

 「(────何だこれは)」

 

 

 闇色の爪。黒い外套の如き翼が付随した、凶器。

 

 

 「(先刻から………一体何が起きている)」

 

 

 

 

 

 滲渼に翼脚が迫る。技を繰り出すよりも、遥かに速く彼女に届く。とどめの一撃は、中断せざるを得なかった。

 

 身を翻した彼女が次に目にしたのは、猗窩座を翼脚に掴んだまま空へと飛び立つ瞢爬。日が射し始めた暁色に、黒い衣が舞う。

 

 

 「ち、いぃ……ッ!! 夜明けか…!!!」

 「…猗窩座様。どの道私たちではまだ刈猟緋殿には勝てません。機が熟するのを待って────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………更にそこへ、天色が混ざる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「は────!!!?」

 「────逃さぬ!!!」

 「……ぁ…きらめが!!! 悪いですよッ!!!」

 

 

 瞬間、明確な恐怖を感じた瞢爬だったが…すぐさま冷静さを取り戻して飛行速度を上昇させる。彼の頸を落とす筈の剣戟は空振り、滲渼は地上へと落下していった。

 

 

 「(……落ちて死んでくれれば、良いのですがね)」

 

 

 太陽の輪郭が、地平の向こうから僅かに覗き始める。未だ影の残る方角、遥か遠くへと………瞢爬たちは飛び去って行った。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「刈猟緋さん!!!」

 「案ずるな! ────『天ノ型 激奔・重徹甲』」

 

 

 一方、地上に向かって技を放つ滲渼。技の勢いで着地の衝撃を和らげ、跳躍した地点へと降り立つ。心配して声を上げた炭治郎がほっと息をつく中、ある程度止血を済ませた煉獄が滲渼に謝罪を述べた。

 

 

 「…すまない刈猟緋。手が出せなかった。俺は柱失格だ」

 「……それは違う。其方は列車の乗客等を、竈門少年等を守り抜いた。其方の務めは不足無く果たされている。………奴等を取り逃がした私こそ、己の力を活かせぬ愚者よな」

 「そんなことはない! 皆がこうして朝を迎えられたのは、刈猟緋の働きがあってのことだ! 逃げられてしまったことは仕方がない! 今は生き延びたことを喜ぼう!」

 「……そう、か。………兎も角、手当てが必要だな。其方の傷は深い…このままでは命に関わる」

 「む! 背負っていってくれるのか! 手間を掛ける!」

 

 

 煉獄を背負い、炭治郎らよりも先に蝶屋敷へと向かおうとする滲渼。手短ながら、新人の隊士たちに詫びておく。

 

 

 「済まぬ、杏寿郎には一刻も早い処置が必要なのだ…隠を待ってはいられない。先んじる事を許して欲しい。では…」

 「……少しだけ待ってくれ、刈猟緋」

 

 

 ところが、いざ走り出そうとした滲渼を煉獄が引き留める。彼はそのまま炭治郎へと顔を向けると、穏やかに笑みを浮かべて言葉を紡いだ。

 

 

 「…竈門少年。俺は君の妹を信じる。鬼殺隊の一員として認める」

 「!!」

 「汽車の中で、あの少女が…血を流しながら人間を守るのを見た。命をかけて鬼と戦い人を守る者は、誰が何と言おうと鬼殺隊の一員だ」

 

 

 重い怪我を負っていながら、はっきりと禰豆子を認めると力強く断言する煉獄。炭治郎の瞳から、涙が零れ落ちる。

 

 

 「また逢おう。いつか再び、隊士として肩を並べられる日を……君たちの成長を見られるその日を、心待ちにしている」

 「……はいっ!!!」

 

 

 全てを聞き届けた滲渼は、静かに走り出す。遠ざかっていく煉獄の背を、炭治郎は見えなくなるまで目で追い続けた。

 

 

 

 

 

 「……なあ。刈猟緋さんの音が、聞こえて来てたけど…何が、あったんだ?」

 「…紋逸か」

 「善逸…」

 

 

 少しして、禰豆子の箱を背負った善逸が合流。彼らは滅茶苦茶になった周辺を見て顔を青くする善逸に、僅かな間に起きた激戦を語り聞かせる。

 

 

 「じ、上弦が二体…? 煉獄さんが大怪我って……大丈夫なのかよ、それ」

 「大丈夫、だと……思うけど…」

 「…ギョロ目は『また逢おう』っつってたぞ。あいつは嘘吐くような男じゃねえ」

 

 

 鬼が去り、柱が去り。驚く程に静まり返った線路沿いの平地で、少年たちは各々の想いを吐き出していく。

 

 

 「……頑張らなくちゃ、いけないなあ…!! 煉獄さんに、認めて貰ったんだから……!! 強く、ならないと……!!!」

 「……なんで泣くんだよ………俺まで泣けてきちゃうじゃんか………」

 「…俺だって!!! 情けなく震える弱ぇ男のままじゃねえからな!!! ギョロ目の目ん玉が飛び出すぐらい強くなってやらァァァ!!!」

 

 

 …間もなく、隠たちが到着する。無力さを知り、弱さを知り。それでも、だからこそ、彼らは強くなるだろう。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…刈猟緋に助けて貰うのは、これが二度目だな」

 「…はて。任務先で其方と出逢ったのは、此度が初めてである筈だが」

 

 

 早朝、暖かな光が滲渼と煉獄を包み込む。二人の会話の種は、その出逢いへと向かっていく。

 

 

 「そうだな。だが、かつて俺は君に救われた。もう、五年も前のことだ」

 「……よもや…あの時か? 煉獄殿を、訪うた」

 

 

 当時の炎柱であった煉獄槇寿郎が、会議に来なくなり。耀哉の頼みで彼を訪問した滲渼は、ごく短い時間ながら煉獄杏寿郎とも接触していた。

 

 

 「ああ。父の荒れ様は、それは凄まじいものだった。立派だったあの人の背中は、何処へ消えてしまったのかと…堪らなく残念で仕方がなかった。ところが君が訪れたあの日以来、父の態度は少しずつ改まっていった。酒の量は減り、気まぐれに昔のように稽古をつけてくれることもあった。きっと、君が変えてくれたんだろう?」

 「………私は……何かを強いた訳では無かったと記憶している。ただ、其方という息子にとって…誇れる父親であって欲しかった。恐らくは、ただそれだけだ」

 

 

 滲渼が槇寿郎を見たのは、あの日が最後だ。それ以降彼がどうなったのかまでは、詳しくは知らなかった。しかし、当時の短い対談は、思いの外大きな役割を果たしていたらしい。

 

 

 「………君は、俺の母に良く似ている。容姿の話ではないぞ? 芯の通った性格に、力強い眼差し。君と話していると、ふと彼女との記憶が蘇るんだ。或いは父も、そうだったのかもしれない」

 「……如何だろうか。鋭く睨まれたことは、良く覚えているのだが」

 「ははは、そうか。………刈猟緋。改めて、ありがとう。君は俺の恩人だ」

 「…ふむ。その礼は返上しても、何時迄も突き返されそうだな。此処は素直に受け取っておこう」

 「うむ! それがいい! しかし、柱となって君と再会した時は驚いたぞ。よもや歳の差一つだったとは────」

 

 

 二人の会話は、蝶屋敷に到着するまで途切れることは無かった。滲渼も、瞢爬を猗窩座を仕留めきれなかった苦悩を、その間ばかりは忘れることが出来たのだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…杏寿郎は?」

 「一命は取り留めました。ここからどうなさるかは、煉獄様の判断に委ねられると思います。…ただ……潰された左目までは、残念ながら」

 「…そうか」

 

 

 蝶屋敷。しのぶは間が悪いことに朝からカナヲと共に任務に出掛けていたらしく、煉獄の処置はアオイらが担当した。どうにか容態は落ち着いたようだが、損失は決して小さくない。

 

 滲渼はアオイに礼を述べ、蝶屋敷の庭へと向かう。眠った煉獄が目を覚ますまでの間は、ここに滞在する腹積もりであるようだ。

 

 

 「(………上弦の弐────瞢爬。正体…いや、その魂の主ははっきりした。

 

────黒蝕竜。

 

  今はまだ、そう呼ぶべきだ。そして同時に、今の内に討たねばならない。何の因果か運命か…再びこうして相見えることになろうとは)」

 

 

 想いを馳せるは、因縁の宿敵。人ならざる化生から、人へと身を窶した者。

 

 

 「(……在るべき場所へ、還さねば。いずれは、私の魂も)」

 

 

 一人静かに…決意を固めて。

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「嵐ノ型 金鬣の膂」
「金獅子」ラージャンから着想を得た技。破壊と滅亡をもたらす黄金の暴風雨は、捉えた敵を持ち前の膂力で木っ端微塵に叩き潰す。その剛腕の餌食になれば、原型を留めたまま死ぬことすら幸運となる。己より力の強い鬼の攻撃を最低限の動きで受け流し、反動を利用して鬼の急所を打撃によって破壊する。咢の呼吸の技の中で、唯一刀を使わない技。

 【大正コソコソ噂話】
・瞢爬の血鬼術
正式名称無し。記憶を辿り、あの日の姿を、力を取り戻す。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

風鳴りの歌

 

 「……お父様。少し外の空気を吸って参ります」

 「おお、そうかい。あまり人目につかない所へ行ってはいけないよ」

 

 

 幼さの残る少年が、立派な邸宅の外へと出る。歳不相応な礼儀と立ち振る舞いに、屋敷に招かれていた客人たちは挙って彼と彼の父…養父を褒めちぎった。

 

 しかし…少年は養父の言いつけに従うことなく、人気のない場所へと歩みを進める。辺りに誰も居ないことを確認したのちに、その本性を顕にした。

 

 

 「────それで? 改めて申し開きを聞こうか……瞢爬、猗窩座。どういうことだ?」

 「…途中で邪魔が入り……御命令を遂行することが叶いませんでした」

 「僭越ながら。あの刈猟緋滲渼という鬼狩りの強さは、常軌を逸しております。我ら上弦よりも遥かに────」

 黙れ

 

 

 少年…無惨の呼び声に応じて姿を見せた瞢爬と猗窩座。後始末を頼んだというのに、それすらも満足にこなせない彼らに無惨の苛立ちは頂点に達していた。滲渼について警戒を促そうとした瞢爬の口許を握り潰し、猗窩座には呪いを以て罰を与える。

 

 

 「上弦だ。人間よりも優れた生物である鬼の中でも、とりわけ強力なごく一握りの存在だ。何がどうなれば人間如きに劣るというのだ? 調子に乗るな。図に乗るな。私はいつまで待てばいい? いつになれば鬼狩りは消える? 産屋敷の血は絶える? 青い彼岸花は手に入る? 言われたこと何一つやり遂げられないとは、心の底から失望したぞ」

 

 

 荒ぶる声を抑えられない無惨。感情の制御が利きそうに無かったがために、彼はこうして外に出て来たのだが…そのせいで二人への対応もかなり過激になってしまっている。

 

 

 「私は何か難しいことをお前に命じているのか? 猗窩座」

 「…次こそはご期待にお応え致します」

 「次か。それはいつだ? この後か? 明日か? 千年後か…!? 柱一人殺せないお前に何を期待しろと言うのだ猗窩座…! 猗窩座……猗窩座………!!」

 「差し出がましいことを申し上げますが、猗窩座様は煉獄杏寿郎なる柱の鬼狩りには優っておりました! 刈猟緋殿さえやって来なければ────」

 「ィィィいい加減にしろ瞢爬…! 私の神経をこれ以上逆撫でするな無能の極みが……貴様の価値はただ一つ…! 太陽を克服する可能性が最も高いということだけだ。私に口出しする権利も資格も、貴様には無い。二度と私の目の前で言葉を発するな」

 「そ、そんな無茶な────」

 「黙れ黙れ黙れ…! 首肯以外は許さない…!! 理解したか!!?」

 

 

 理不尽にも程がある無惨の命令。だが、異論を唱えた所で意味は無い。瞢爬は黙って小さく頷き、そのまま俯いた。

 

 

 「……はぁ………上弦の弐も、参も……地の底まで堕ちたという訳か。下がれ」

 

 

 彼の命に従い、二体の鬼はその場を後にする。萎れた植物のようになってしまった瞢爬とは裏腹に、猗窩座の頭の中は殺意に満ち溢れていた。

 

 

 「(刈猟緋、滲渼…!!! 次こそは必ず殺してやろう!!! 貴様から受けた屈辱、百倍にして返してくれる!!!)」

 

 

 鬼として、何より求道者としての自負をへし折られた猗窩座。何故だか抑えられそうにない怒りと憎しみを胸に、更なる高みを志す。

 

 

 悪しき風が、吹き始めていた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 瞢爬・猗窩座との戦いから一週間。治療を受けてから眠り続けていた煉獄が、漸く目を覚ました。未だ怪我は完治してはいないが、同じく蝶屋敷にて治療を受けている炭治郎たちは心の底から彼の生還を喜んだ。

 

 

 「煉獄さん…!! 良かった…本当に、良かった…!!」

 「ありがとう、竈門少年。ただ、あまり動かないようにな。あれから一週間も経ってしまったそうだが、君の腹の傷は深かった。まだ治りきってはいないだろう?」

 

 

 炭治郎は涙を流し、善逸はお見舞いと称して厨からくすねた饅頭を持ち出し、伊之助は煉獄に挑戦を申し出た。賑やかな病室はすぐ後にやって来たしのぶの喝によって一気に静けさを取り戻したが、蝶屋敷全体の雰囲気もまた一段と明るくなったように感じられた。

 

 

 

 

 

 そして、善逸と伊之助が病室から去り。煉獄は炭治郎に、これからの話を切り出す。

 

 

 「……えっ? 柱を、辞める…?」

 「うむ。骨と内臓は時間が経てば元に戻るようだが、左目ばかりはどうしようもないそうだ。隻眼ともなれば、やはり以前のように戦うことは難しくなるだろう。であるなら、より相応しい者にこの座は譲るべきだ」

 「…そう、ですか……」

 「気に病むことはない。俺自身、あの時のことを悔んではいない。それに、柱でなくとも立派な隊士の一人! 人々を守るという責務は変わらない! 煉獄杏寿郎は、今なお健在だ!」

 「…はい! 煉獄さんは今も凄い人です!」

 

 

 好ましい話題ではないが、それでも煉獄は明朗に語る。己の行いを正しいと信じ、誇りを曲げまいと戦った。これはその結果であるからこそ、憂いや翳りは示さない。煉獄杏寿郎とは、そういう人物なのだ。

 

 

 「さて…君への本題は、ここからだ。眠っている間に、昔の夢を見てな。歴代の炎柱が残した手記が、俺の生家にはあったんだ。俺自身は読んでいないから内容はわからないが……『ヒノカミ神楽』について、何か記されているかもしれない。刈猟緋に尋ねるよりは、幾らか当てになるだろう」

 「歴代炎柱の、手記……」

 「俺は暫く動けない。君は怪我が治り次第、煉獄家に行ってみるといい。訳を話せば、俺の父が手記を見せてくれる筈だ」

 「わかりました。ありがとうございます!」

 

 

 古くから伝わっているのだろう手記ならば、或いはヒノカミ神楽についての手掛かりが見つかるかもしれない。炭治郎は期待を胸に、日夜治れ治れと己に念じるのだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「……刈猟緋さん、大丈夫かしら…」

 

 

 そして、刈猟緋邸では。緊急指令を遂行してからというもの様子がおかしい滲渼を、家族たちが心配していた。黙々と何かを案じていることは以前からしばしばあったのだが、その回数が明らかに多い。話し掛けても気付かないことも、一度や二度ではなかった。

 

 月が屋敷を照らす中、尾崎が任務を終えて刈猟緋家の屋敷へと戻って来る。皆寝てしまっているだろうと、忍び足で上がろうとして……

 

 ふと、耳を澄ませた。

 

 

 「『やみがそのめをさますなら…』」

 

 「(……? 歌………? 上手く聞き取れないけれど……)」

 

 

 微かに、裏手から歌声が聞こえて来たのだ。遠いせいなのかと思い、玄関を回ってそのまま声の許へと向かう。しかし、幾ら近付いても歌の意味が尾崎には分からない。とうとう裏手へと辿り着き、声の主を確かめてみれば…

 

 

 「…あれ? 刈猟緋さん…?」

 「……む。尾崎………帰って来ていたか」

 「……今のは、一体…」

 

 

 歌声の主は、屋敷の縁側に腰を掛けた滲渼だった。丸切り内容が理解できない歌を、何故彼女が歌っていたのか。不思議に思い、尾崎は問う。

 

 

 「………そうか。聞こえていたか………」

 

 

 小さく呟いた滲渼は、そのまま天を仰ぐ。頭上には、今も煌々と月が輝いていた。

 

 

 「────此れは、遠い……それこそ、あの空に浮かぶ月よりも遠い………然様な在処の、小さな村に伝わる…歌だ」

 「…? 外つ国の歌、なのかしら…? どうして、そんなものを…?」

 

 

 迂遠な言い回しに首を捻りながら、歌っていた訳を尋ねる尾崎。滲渼はやはり、訥々と言葉を連ねる。

 

 

 「……在りし日を、想い。如何しようと私は………宿命というものからは、逃れられぬらしい」

 「……………」

 

 

 それは、尾崎が見たことがない滲渼の表情だった。これ程までに切ない顔をした彼女を、ともすれば家族ですら見たことはないのではないかと思えてしまうような。

 

 

 

 だからこそ。

 

 

 「…刈猟緋さん。その歌は……この国の言葉にできる?」

 「……何?」

 

 

 肩を貸してやりたいと、感じたのだ。彼女の心を、支えてやりたいと。

 

 

 「聞いた限りじゃ、全くわからなかったの。だから、外つ国の言葉なんだと思って。でも貴女は、意味を知ってるんでしょう? …私にも、聞かせて欲しいな」

 「………ふむ…。正しく意味を取れているかは、分からぬが……吝かではない」

 

 

 滲渼は尾崎の提案に応じ、今いるこの国の言葉で歌い直す。題名などは、存在しない……短く名もない、伝承の歌を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『闇がその目を覚ますなら  

 

彼方に光が生まれ来て

 

大地に若芽が伸びるなら

 

此方に闇が生まれ来る

 

すべてを照らすは光なれ

 

あまたの影は地に還り

 

いずこに光が帰る時

 

新たな影が生まれけん

 

やがては影が地に還り

 

新たな命の息吹待つ

 

共に回れや 光と影よ

 

常世に廻れや 光と影よ

 

そしてひとつの唄となれ

 

天を廻りて戻り来よ

 

  時を廻りて戻り来よ』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────歌が終わり、深い夜に相応しくもある閑静。しみじみと感じ入った尾崎が、少しして再び口を開いた。

 

 

 「……何だか…凄く、哀しい歌ね。光と闇………まるで、人と鬼の戦いは終わらないんだって言ってるみたい」

 「…そうではない。此れは、決意…誓いの歌」

 「……誓い?」

 「猛き自然と、向き合い……共に歩んで行くと、他ならぬ己等自身に誓いを立てた歌だ」

 

 

 滲渼は、歌の意味を補足していく。古い記憶の底から、当時伝え聞いたものを引き出して…今度は自身が、伝える側として。

 

 

 「光と闇は、何方が人で、何方が自然かは定まっておらぬ。人間にとってみれば、日々を脅かす災厄は闇であり悪だ。広大な世界にとってみれば、所構わず蔓延り続ける人間という種は闇であり悪だ。だが、何方が欠けたとしても均衡は崩れ去るだろう」

 「………だから…自然と向き合って生きていく」

 「そうだ。生きる限り、全ての生き物は他の生き物の命を糧としなければならぬ。人も鬼も、それは同じだ」

 「……………そっか。刈猟緋さんは……ずっとそうだったのね。鬼だって、生きているんだって……ずっと思っていたのね」

 「……鬼は紛れも無い悪だ。人間が穏やかに日々を生きたいと望むのであれば、彼等の滅びは必定。故にこそ、目を逸らすことはするまい。ただそれだけでも…散っていった彼等への……嘗ての同胞への手向けとなろう」

 「……そう、ね」

 

 

 ────話し終えた滲渼は、肩が軽くなったような感覚を覚えた。一方の尾崎もまた、少しばかり自身の考え方が変わりつつあるのを感じている。二人は互いに、小さくない影響を与え合っているようだった。

 

 

 「………実の所……歌として伝わっているのは、此処迄だが………詩には未だ、続きがある」

 「……えっ?」

 「…私は、そちらの方が好みでな。此れが、そうだ…『────…』」

 

 

 

 

 

 時を経て…様々なものが、継承されて行く。これもまた、人間の尊さだ。

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・今回出てきた歌は、「シナト村」というMH4/4Gに登場する村に伝わっている、実際にゲーム中にて詩が明かされているものです。作中においてはかなり重要な意味を持ちます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

また来年も

 

 「刈猟緋さん、行きましょう!」

 「うむ。しかし、そう()く事はあるまい。予定の時刻には未だ早いぞ」

 「あらあら、駄目よ滲渼。こういうのは始まる前から雰囲気をじっくり楽しむものなの。折角のお休みなんだから、思う存分羽を伸ばしていらっしゃい」

 「む…そう仰るのであれば……」

 

 

 瞢爬との邂逅を果たしたあの日から、一ヶ月以上が経過したある日。滲渼と尾崎は昼過ぎから何処かへ出掛けようとしていた。

 

 

 「(…花火、か……前世でも小さなものは見たことがあったがな。わざわざ出向く程の規模というのは、想像がつかない。尤も、祭事自体は嫌いではない。偶にはこういった事があってもいいだろう)」

 

 

 目的は、花火の観覧だ。張り詰めた様子の滲渼に息抜きをさせてやろうと思った尾崎が提案したことであり、家族たちもそれに賛同した。夜間は巡回の務めがあるため、それ程長居出来る訳ではないが…それでも、彼女には心に彩りをもたらすような経験を少しでも積んで貰いたかったのだ。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、屋敷を出て暫く。二人は道すがら、互いに近況報告を行っていた。

 

 

 「えぇ!? 十四歳!? また凄い子が出て来ちゃったわね…」

 「うむ。御館様によれば、前年には既に柱としての資格を有していたそうだ。刀を振り始めて二ヶ月で、な」

 「……流石に誇張が過ぎるんじゃないかしら…? 天才なんてものじゃないわよ、そんなの」

 「虚言を述べる必要はあるまい。然様な者も居るということなのだろう」

 

 

 炎柱・煉獄杏寿郎の柱引退。同じ柱たちにとって衝撃的なその報せは、すぐ後に新たな衝撃によって上書きされてしまった。

 

 後釜に収まったのは、霞柱・時透無一郎。齢十四だというのに柱となったその少年は、何と刀を握って二ヶ月の段階で柱となるための条件を満たしていたらしい。当時は柱が満員であったために、長らく階級甲の隊士として活動していたようだが、この度晴れて…というべきかはともかく、柱に就任したのであった。

 

 

 「私なんて何年も何年も鍛錬を重ねて、やっとの思いでここまで来たのに…ちょっと自信無くしちゃうわ」

 「案ずるな。私も呼吸と剣術の稽古を始めたのは七つの時だ。此度の少年が並外れているだけの事」

 「あら…そうだったのね! てっきり刈猟緋さんもそういう感じだとばかり思っていたから、吃驚だわ。でもそうなると、新しい柱の子は本当にとんでもないのね……」

 

 

 意外にも、滲渼の積んだ修練の量は人よりもかなり多い。呼吸という未知の技術を身に付けることに手間取った上、育手にあたる闘志の教え方があまりにも酷過ぎたためである。そこから咢の呼吸を完成させるまで更に数年、一朝一夕には上手くいかなかったものだった。

 

 

 「…そういえば……少し前、気になる通達が鴉からあって。鬼を連れた隊士が居るって、本当?」

 「……む。成程…全ての隊士に共有されていたか」

 「…ということは、本当なのね」

 

 

 続いて尾崎が尋ねたのは、これまた彼女にとっては衝撃的な話題。討つべき鬼を連れているという、ある隊士についての話だ。

 

 

 「特例で容認されているそうだけど……大丈夫なの? 正直、不安で堪らないわ…」

 「ふむ…少なくとも、隊士の素行には問題は無い。件の隊士……竈門炭治郎は、実に誠実な少年だ」

 「………竈門……炭治郎…あっ! 思い出したわ! 那田蜘蛛山で会った、癸の子…! あの子が鬼を…!?」

 

 

 滲渼が出した名に聞き覚えがあった尾崎は、己の記憶を探ってその正体に思い至った。以前任務先で遭遇した、市松模様の羽織を着た少年だ。快活な雰囲気の彼がそのような隊律違反を犯していたとは思わなかったし、何よりそのことが認められているというのも不可解だった。

 

 

 「少年が連れている鬼は、彼の妹でな。私自身が直接目にした訳では無いが…杏寿郎曰く、人を守って戦ったのだという。故に私は、今は彼等を信頼している」

 「……根拠としては、今一つだと思うけど…」

 「それだけならば、勿論そうだろう。だが、人を襲わないという証明は既に為されている。それに加えて、万が一彼女が人を襲った場合には、五人の人間が責任を取り腹を切ることになっている。冨岡と鱗滝も、その内だ」

 「え……そ、そんな! もし何かあったら…!!」

 「…うむ。覚悟の上、ということだ。何れにせよ、御館様の決定には従わねば…我等には、あの方と彼等を信じることしか出来ぬ」

 「……そう。…うん、そうよね。鱗滝君の性格は、よく分かってるもの。彼が命を懸けるだけの何かが、その兄妹にはあるんだわ。気にしても仕方ないわね」

 

 

 事は、尾崎が考えていたよりも複雑であるようだった。人を襲わない鬼というだけでも俄には信じ難いことであるのに、それどころか人を守るときている。何故今更そのような例外が現れたのかは分からないが、一隊士が口出しできるようなことではない。何事もなく、味方として励んでくれることを願うばかりだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「流石に、大分人も集まってきたわね…」

 「うむ。場所を移すか?」

 「ううん、ここが良いわ。ここが一番大きく綺麗に見えるの」

 「ほう、良く知っているのだな」

 「…まあ、ね。何度も…家族とここで見てたから」

 「! ………そうか」

 

 

 現地に到着してから少し。辺りはすっかり暗くなっており、もう間もなく花火が上がり始める筈だった。予め尾崎が決めていた地点にて、その時を待つ。

 

 

 「ここの花火はね。江戸の頃から、百年以上も続いてるそうよ。人間が紡いで来た、伝統の証。きっとこれから先も、ずっと……ずっと継がれていく」

 「……百年、か。途方も無いな」

 「だからこそ凄いのよ。────あっ! 始まったわ! 見て!」

 「……………これは」

 

 

 二人が言葉を交わす中、花火の打ち上がる音が響く。漆黒の夜空に、鮮やかな光の花が咲き始めた。

 

 滲渼の想像を遥かに上回る、壮絶な規模の光の群れ。視界を覆う色とりどりの輝きは、前世を含めてもなお彼女にとっては未知そのもの。あまりの美しさに、心を奪われる。

 

 

 「(………小さな樽に詰めたようなものではない。さぞ大きな器に、ふんだんに火薬が込められているのだろう。或いは、兵器として転用し得る程に。それをこうして空に放つ…そのことに、意義があるのかもしれない。平和という、細やかながら切実な望み。手放しに、称賛に値する────至上の芸術だ)」

 

 

 内からも外からも瞳をきらきらと輝かせる滲渼。そんな彼女に、尾崎が小さな声で話しかける。花火の音に掻き消されるような、か細いとすら思える声。それでも、滲渼には確かに届いた。

 

 

 「────ねえ、刈猟緋さん」

 「! …どうした?」

 「ありがとう。私、貴女から返しきれない程沢山のものを貰ったわ。鬼への考え方も、少しだけ変わった。貴女と出逢っていなければ、私はとうの昔に死んでしまっていたかもしれない」

 「…それは、大袈裟だ」

 

 

 己を卑下するような尾崎の台詞を否定する滲渼。だが、尾崎は譲らない。彼女にとって、滲渼との出逢いは何物にも代え難い奇跡だ。それが自分の中でどれだけ大きなものであるか、最も理解できているのは尾崎自身だった。

 

 

 「そんなことないわ。貴女が居たから、私は今ここに居る。謙遜してる訳じゃないのよ? 自信を持ってそう言えるの」

 「……そうはっきりと言われると…むず痒いものがあるな」

 「くすくす、本当? ……綺麗でしょう、花火」

 「…うむ。真に……この上無く美しい」

 

 

 花火の打ち上げはますます勢いを増し、音も激しくなっていく。二人の声は互いにも聞こえにくくなりつつあった。

 

 

 「………また、来年も…ここで花火を見ましょうね。約束」

 「! ………無論だ。次は────全てが打ち上がるまでを、見届けよう」

 

 

 これ以上見ていることは、出来ない。滲渼が巡回を怠れば、担当地区内で鬼の被害が広がってしまうだろう。連続する玉火の終焉は、鬼が絶えない限り目にすることは叶わない。

 

 

 「(…約束が、また一つ増えてしまったな。初めはただ、狩猟の滾りをば再びと……そう考えて鬼殺の道に進んだのだが。この世界で過ごす内に…人との繋がりの暖かさを、思い出してしまった。────壊させはしない。何者であろうと…()()()()を侵させはしない)」

 

 

 ────滲渼はこの瞬間、「刈猟緋滲渼」として完成した。己の生きる世界を見つめ、愛しき全てを守り抜く…その覚悟を、確かなものとした。

 

 

 

 今だけは、かつての仲間たちに別れを告げる。いつか還る、その日まで。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

潜入任務

 

 時の流れは早いもので、煉獄が柱を引退して四ヶ月が経とうとしていた頃。炭治郎たち同期三人組は、連日蝶屋敷での鍛錬やそれぞれの任務に精を出していた。

 

 

 「(結局、ヒノカミ神楽についてわかったことは殆ど無かった。あの後煉獄さんの実家に行ってみたけれど、肝心の手記はずたずたに破り捨てられてまともに読めなくなってしまっていて……お父さんの槇寿郎さんが原因だったみたいで、何度も謝られた。手記を修復したり、思い出したり…とにかく、何かわかったら教えてくれるそうだ。機会があれば、刈猟緋さんにも聞いてみよう)」

 

 

 炭治郎は「ヒノカミ神楽」について調べた結果、「日の呼吸」がそうなのではないかという話を槇寿郎から聞き出すことが出来た。どうやら、彼の耳飾りは当時の日の呼吸の使い手が身に付けていたものだったらしい。また、額には特徴的な痣があったそうだ。炭治郎の痣は後天的に外傷によって出来たもので、彼自身はその剣士の痣とは関係が無いと考えているが…槇寿郎は、それすらも運命なのではないかと語った。

 

 

 『……率直に言えば、才能豊かな者たちのことは妬ましい。だが、突き詰めれば同じ人間だ。彼らも喜び、悲しみ、憎むのだ。少しずつ…折り合いをつけていきたいと思っている。竈門君…君がその耳飾りと「ヒノカミ神楽」を受け継いだことも、額に痣が出来たことも、私には運命だと思えてならない。君には必ず、類稀なる何かがある。そのことは忘れないで欲しい』

 

 「(……俺には、父さんのように一日中ヒノカミ神楽を舞うことなんてできない。技を一つ繰り出すだけでもかなり頑張っている。本当に、才能なんてあるんだろうか…)」

 

 

 もし本当に、自分に才能があったなら。あの日の結末を、もう少し変えることが出来たのではないか。瞢爬たちを倒し、煉獄は今も柱で居られたのではないか。そう思わずにはいられない炭治郎だったが、思索はそこで取り止められた。任務から戻って来たものの、蝶屋敷の方が何やら騒がしいのだ。

 

 

 

 

 

 「放してください! 私っ…! この子はっ…!」

 「宇髄、アオイとなほを離せ。彼女等は戦えぬ」

 「(わり)ィがな刈猟緋。俺はテメェみてえに手段を選んでらんねえのよ。使えるもんは使わなきゃならねえ。例えそれが役立たずの下っ端でもな」

 「なほちゃんは隊士ですらないわ!」

 「……何? ちっ…ほらよ、降りろ」

 「あぅ…」

 

 

 蝶屋敷の玄関先。洗濯物を干している最中だったアオイたちを、突如現れた宇髄が攫っていこうとしている。カナエやカナヲ、更には偶然居合わせた滲渼たちがそれに抗議するが、宇髄も中々譲らない。カナエの台詞を受けて漸くなほを手放したが、アオイは未だ担がれたままだ。

 

 

 「…」

 「…あん?」

 「……カナヲ…!!」

 

 

 それを見て、静かにカナヲが前に出る。黙って担がれたままのアオイの手を引き、異存を示した。はっきりと自分から行動した彼女に、カナエは目を丸くする。

 

 

 「地味に引っ張るんじゃねえよ。お前は先刻指令が来てるだろうが」

 「……」

 「何とか────!!」

 「宇髄さん。これ以上頑固でいるようだと、本当に悪者になっちゃいますよ?」

 「はぁ……だからってテメェ一人じゃどうしようもねえだろ()()! 派手に分身でもしてくれりゃ話は別だがな」

 「…あの! それじゃ、私を連れて行ってください!!」

 「!?」

 

 

 宇髄の立場がみるみる悪化していくが、彼にもそうするだけの理由がある。無理にでもアオイを連れて行こうとして…声を上げたのは、尾崎だった。

 

 

 「…尾崎? 其方、よもや…」

 「……このまま見過ごしたりはできないわ。お願い、刈猟緋さん。私に行かせて」

 「………ふむ…」

 

 

 滲渼としては、かなり不安だというのが本音だった。尾崎は継子として経験を積み続け、並の隊士よりも遥かに高い実力を持っている。それでも、滲渼が以前戦った童磨や猗窩座、瞢爬といった上弦の鬼たちには為す術もないだろう。加えて、宇髄の担当地区は滲渼の担当地区からはやや遠い。カナエの時のように鴉の通達が間に合うかは微妙な所だった。

 

 だが、それではアオイを危険な場所へ向かわせることになる。宇髄曰く潜入の任務をさせるとのことなので、長期間居座ることのできない滲渼が代わることも不可能だ。選択肢は、初めから一つしか無かった。

 

 

 「………構うまい。だが…必ず、帰って来るのだぞ」

 「! ……ええ、勿論! 約束は破らないわ!」

 

 「……話は纏まったみてえだな。そんじゃ、とっとと…」

 

 

 案ずるような滲渼の言葉に、力強く笑ってみせた尾崎。最低限、二名の女性隊士を確保した宇髄はそのまま任務に向かおうとして……

 

 

 「ああ、お前ももう────」

 「女の子に何してるんだ!! 手を離せ!!」

 

 

 屋敷に帰って来た炭治郎の憤怒の叫びに、アオイを降ろしておかなかった自身の愚かさを悔んだ。

 

 

 「(面倒くせぇ……)今放すとこだ。これで良いだろ?」

 「良し! じゃあ次は、謝るんだ!」

 「何抜かしてんだこのガキがァ!! 柱の俺が下っ端に下げる頭はねえェェーッ!!!」

 「! あれ…真菰さん!? お久しぶりです!」

 「うん。久しぶりだね、炭治郎」

 「話聞けェェーーーッ!!!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「そうだったんですね。冨岡さん、継子は取っていないのか…」

 「うん。だから、錆兎と一緒に鱗滝さんの家で暮らしてたんだけど…突然宇髄さんがやって来て。何事かと思っちゃった」

 「目ぼしい女隊士の居所は把握してたからな。近場に居たのがテメェと蝶屋敷の連中だけだった」

 「…ただの変態じゃん」

 「んな訳あるかクソガキ!! 任務のために決まってんだろ!!!」

 

 

 紆余曲折あって。何故か宇髄たちの任務に同行することになったのは、炭治郎・善逸・伊之助のいつもの三人だ。柱としての何がどうのと騒ぎ立て、炭治郎が強引に参加を表明。そこへ丁度帰って来た伊之助も乗り気になり、一人で蝶屋敷に残ろうとした善逸は直後に真菰に釣られて掌を返したのである。

 

 

 「しかし、五人もいらねぇんだがなあ…ま、テメェら三人は当てになるか怪しいからな。数に入れられるのは鱗滝と地味顔だけか」

 「ちょっと!! 尾崎です!! 地味顔って何ですか!?」

 「…確かに、宇髄さんの言ってることもあながち間違ってないね。炭治郎たちには、今回の任務は難しいと思うな」

 「ハァァン!? テメェみてえにヒョロい女に言われる筋合いはねえ!!」

 「コラ伊之助!! …でも、どうして俺たちには難しいんですか? そんなに強い鬼が…?」

 「そういえば、私も潜入任務ってことしか知らないわね…具体的には、何をするのかしら?」

 

 

 宇髄と真菰の言い分からすると、今回の任務をこなすには炭治郎たちでは力不足であるかのような印象を受ける。しかし、実際にはそういう訳ではないらしい。

 

 

 「詳しいことは途中の藤の家に着いてから話す。だが、目的地ぐらいは教えておいてやろう……日本一、色と欲に塗れたド派手な場所────鬼の棲む『遊郭』だ」

 

 

 そう言い切ると、同行する隊士五人に向き直る宇髄。やたらとソワソワし始めた善逸を尻目に、「ド派手」な宣言を行う。

 

 

 「いいか!? 俺は神だ!! お前らは(ごみ)だ!! まず最初はそれをしっかりと頭に叩き込め!! ねじ込め!! 俺が犬になれと言ったら犬になり!! 猿になれと言ったら猿になれ!! 猫背で揉み手をしながら俺の機嫌を常に伺い全身全霊でへつらうのだ!! そしてもう一度言う!! 俺は────神だ!!」

 「(やべぇ奴だ…)」

 「(………やっぱり…行くのやめようかな……)」

 「それじゃあ早く行きましょうか宇髄さん」

 

 

 前途多難。どう考えても滅茶苦茶なことを言い出した彼に善逸は引き、尾崎は辟易し、真菰は聞かなかったことにして話を切り上げようとした。ところが、素直な炭治郎はそれを真に受け、伊之助に至っては張り合い出す。半分の人間がまるで違う方向を向いているという有様に、比較的常識を持ち合わせた三人は頭を抱えるしかなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「成程…鬼の居場所を暴くために、潜入を…」

 「そうだ。遊郭に潜入したら、まず俺の嫁を探せ。俺も鬼の情報を探るから」

 「────とんでもねぇ話だ!!」

 「あ゛あ?」

 

 

 藤の家での支度中。任務の説明を受けていると、善逸がいきなり大声を出した。何事かと皆が視線を向ける中、彼は宇髄に対して捲し立てる。

 

 

 「ふざけないでいただきたい!! 自分の個人的な嫁探しに部下を使うとは!!」

 「はあ!? 何勘違いしてやがる!!」

 「我妻君、違うよ。宇髄さんには奥さんが三人居て、元々は彼女たちが遊郭に潜入していたの。でも連絡が途絶えたから、代わりに私たちが…」

 「三人!? 嫁…さ…三!? テメッ…テメェ!! なんで嫁三人もいんだよざっけんなよ!!! ────おごぇっ!!」

 

 

 割り込んで真菰が彼の勘違いを正すが、それはむしろ火に油を注ぐ結果となった。最早狂乱といってもいい状態に陥った善逸の腹を宇髄が殴りつけ、無理矢理黙らせる。

 

 

 「何か文句あるか? …んでまあ、これが鴉経由で届いた手紙だ。読んでみろ」

 

 

 そのまま手紙の束を炭治郎に投げ渡し、彼がその内の幾らかを読み進めていく。尾崎も後ろから覗き込み、内容を確認しているようだ。

 

 

 「……あの…手紙で、来る時は極力目立たぬようにと何度も念押ししてあるんですが…具体的にどうするんですか」

 「そりゃまあ変装よ。不本意だが、地味にな。それと、お前ら男三人衆には()()()()()()()潜入してもらう」

 

 

 その後宇髄の口から語られたのは、彼の嫁が潜入した経緯とその場所。三人はそれぞれが遊女として店に潜り込んでおり、「ときと屋」には「須磨」が、「荻元屋」には「まきを」が、「京極屋」には「雛鶴」が居る筈だという。途中伊之助が不謹慎な台詞を吐いて伸されたりもしたが、とにかく必要な説明と準備を終えて彼らは任務遂行を開始した。

 

 

 

 

 

 「………それが、これ? 信じられない……それに、嘴平君はそのままでも良かったじゃない」

 「うーん…美形すぎて逆に目立っちゃうから、これで良いんじゃないですか? でも、あんなに野生的な子が凄く綺麗な顔で吃驚です」

 「それは確かにそうね。正直ちょっと羨ましいわ…」

 

 

 …しかし。ここに来て漸く、炭治郎たちは真菰の言葉の意味を理解した。遊女の店に潜り込むということは、少なくとも女性でなければならないのだ。男である彼らが潜入するには、苦肉の策を取る以外に方法は無かった。

 

 即ち、女装。男であると判り難くするために過剰なまでに化粧を施された三人の顔面は、壊滅的という言葉が相応しいものになっていた。

 

 

 「いやぁ、こりゃまた…不細工な子たちだね……」

 「ちょっとうちでは…奥の二人はともかく、先日も新しい子入ったばかりだし悪いけど…」

 「…まあ、後ろの子と一人ずつくらいならいいけど」

 「!?」

 「じゃあ一人頼むわ。悪ィな奥さん」

 

 

 だが、そこは宇髄の色気で補う。ときと屋の遣手が男前な彼に免じてということか、三人の内の一人を引き取ると言い出した。旦那が隣でじとりと視線を向けているが、気にせず頬を染めて引き取る者を選ぶ。

 

 

 「じゃあ、後ろの右の子と…手前の真ん中の子を貰おうかね。素直そうだし」

 「ありがとうございます」

 「一生懸命働きます!」

 

 

 ────尾崎あやめ改め「綾子」、竈門炭治郎改め「炭子」、就職決定。

 

 

 その後鱗滝真菰改め「(まも)()」、嘴平伊之助改め「猪子」も荻本屋の遣手に引き取られていき、残った我妻善逸改め「善子」は宇髄によってタダ同然で京極屋に売り払われた。

 

 

 「(さァて……ここから、どう転ぶかね)」

 

 

 

 次なる舞台は、此れにて整ったのである。

 

 

 




遊郭編です。やっと真菰を活躍させてあげられそう。しばらく…といってもあと二話か三話程度だと思いますが、滲渼は出て来ません。

 【大正コソコソ噂話】
・本作の炭治郎は錆兎と真菰には「さん」付けかつ敬語で話します。両者生存により錆兎二十一歳、真菰十八歳という設定にしているためです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暴き出す正体

 

 「炭子ちゃん、よく働くねぇ」

 「白粉をとったら額に傷があったもんだから、昨日は女将さんが烈火の如く怒っていたけど…」

 「はい! 働かせてもらえてよかったです!」

 

 

 ときと屋に引き取って貰ってからというもの、炭治郎は実に良く働いていた。ずっとここに居られる訳ではない、いずれは抜け出す必要がある…だからこそ、今だけでも精一杯ときと屋の役に立とうとしている。竈門炭治郎とは、そういう人物なのだ。

 

 

 「竈門君、手伝うわ」

 「! 尾崎さん、ありがとうございます!」

 

 

 そして、ときと屋にはもう一人…尾崎が炭治郎と共に潜入している。二人は那田蜘蛛山で僅かに会話を交わして以来だったので、遊郭にやって来る道中にて改めて自己紹介を済ませていた。

 

 

 「鯉夏花魁への贈り物だそうです。部屋まで届けてあげましょう」

 「えぇっ? こ、これ全部一人に贈られたものなの? …花魁って凄いのね……」

 

 

 山積みの荷物を肩に担いだまま、二人の会話は続く。炭治郎は尾崎が今回の任務に参加した経緯を聞いていなかったことに気付き、そのことについて彼女に訊ねた。

 

 

 「そういえば、尾崎さんはどうして潜入任務に? 指令があったんですか?」

 「ううん。蝶屋敷の子たちが無理矢理連れて行かれそうで、代わりにって思って。あの子たちには、あの子たちの居るべき場所があるから」

 「そうだったんですか……尾崎さんは、優しい人ですね!」

 「ふふ、ありがとう」

 

 

 思ったことをすぐに口にする炭治郎。きっと良いことばかりではないのだろうが、それでも裏表の無い彼の態度は尾崎にとっても好ましいものだ。────故にこそ、鬼の妹の件については聞いておかねばならないと感じた。

 

 

 「……ねえ、竈門君。君の…妹さんについて、聞いてもいいかしら?」

 「! …ご存知だったんですね」

 「ええ、鴉から連絡があったの。私以外の隊士も、もう知っていると思うわ。……妹さんは…本当に、人を襲わないの? 何があっても」

 「…禰豆子は絶対に人に危害を加えません。そんなことには、俺がさせない」

 「…そう。………君自身のことは、凄く信頼してる。でも、妹さんの方は…まだ何とも言えないわ。できれば今回で、私を心の底から納得させて欲しい」

 「……それは…できるかどうか、わかりません。俺は禰豆子を戦わせたくはないんです。どうしても、助けて貰わないといけないことも多いけど…すみません」

 「…謝ることはないわ。私こそ、無神経なことを言ってごめんなさい。家族を守りたいなんていうのは、当たり前のことよね」

 

 

 尾崎は未だに禰豆子と接触したことがない。見たこともない。話に聞く限りでは確かに普通の鬼では無いようだが、だからといって蟠りが綺麗さっぱり消え去る訳ではなかった。彼女を信用できるようになる日が来るのはいつになるかと考えながら、話をそこで切り上げる。鯉夏花魁の部屋に到着したのだ。

 

 そこで新たに手に入れたのは、宇髄の妻の一人…「須磨」と鬼に繋がる手掛かり。どうやら須磨は「足抜け」をして姿を消したということになっているらしく、またこの足抜けは鬼にとって非常に都合の良いものだった。行方不明者の足跡を具に追われるようなことでも無い限り、怪しまれるということが少ないのだ。炭治郎は須磨の身を案じ、尾崎は狡猾な鬼のやり方に憤る。何としても、見過ごす訳にはいかなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 そして迎えた定期連絡の日。真菰は荻本屋での出来事を、炭治郎らに報告する。

 

 

 「鬼が荻本屋に!? 間違いないんですか!?」

 「うん。伊之助君が騒ぎを大きくしちゃってね、色々大変だったけど……何とか尻尾は掴んだよ」

 「見つけたのは俺だけどな!! こう…こういうのが!! こんな感じの奴だ!!」

 「………??」

 

 

 伊之助が身振り手振りで鬼の全貌を伝えようと試みるが、それがあまりにも独特過ぎるために炭治郎と尾崎にはまるで理解できない。真菰は己の感じたものを伊之助に代わり二人に話す。

 

 

 「細長い…蛇みたいな気配だったよ。それに、薄い。でないと、()()()()()()はできない」

 「あんな逃げ方?」

 「はい。まるで、壁の隙間を縫うような────」

 

 

 尾崎の質問に答えようとした真菰だったが…途中で、何かに気付いたように口を閉ざしてあらぬ方向へ顔を向けた。殆ど同時に尾崎もそちらに目を遣り、その人物を認識する。

 

 

 「宇髄さん」

 「…炭治郎。伊之助。お前らはもう吉原を出ろ」

 「…え?」

 

 

 遅れて宇髄の存在を確認した炭治郎たちは、開口一番彼の放った台詞に耳を疑った。理由を訊ねる前に、宇髄が再び話し出す。

 

 

 「善逸が消えた。行方知れずだ。────お前たちには悪いことをしたと思ってる。俺は嫁を助けたいが為にいくつもの判断を間違えた。端から階級の低いお前らを連れて来るべきじゃなかった。ここにいる鬼が『上弦』だった場合、対処できない」

 「…上弦」

 

 

 宇髄が告げたのは、善逸の失踪と「上弦」が潜んでいるという可能性。滲渼からその強さを伝え聞いている尾崎は、戦慄する。仮にそうであれば、既に宇髄の嫁たちも善逸も生きてはいまいと考えて。

 

 

 「消息を絶った者は死んだと見做す。後は俺と鱗滝たちで動く」

 「いいえ宇髄さん!! 俺たちは…!!」

 「恥じるな。生きてる奴が勝ちなんだ。機会を見誤るんじゃない」

 「待てよオッサン!!」

 

 

 炭治郎たちに言い聞かせながら立ち上がった宇髄。伊之助の制止も聞かずに、彼はその場から姿を消した。離脱を命じられた炭治郎は、階級の低さが原因なのかと考えたが…

 

 

 「俺たちが一番下の階級だから、信用してもらえなかったのかな…」

 「? 俺たちの階級『庚』だぞ、もう上がってる。下から四番目」

 「えっ?」

 

 

 その認識は、微妙にずれていたようだ。伊之助が藤花彫りによる階級の刻印を示し、それが偽りでないことを証明する。

 

 

 「早いのね…那田蜘蛛山に居た時は、癸だって言ってたのに」

 「炭治郎たち、頑張ったんだね」

 「ハッ! このぐらい朝飯前だぜ!!」

 「あれ? でもそうなると、お二人はそれ以上の階級だってことですよね?」

 「うん。私は『甲』だよ」

 「一応、私も……」

 「な…何ぃ!?」

 

 

 そして当然、宇髄が上弦相手でも対処が可能であるかもしれないと考えた二人は最高位の階級である「甲」だ。褒められて少し鼻を伸ばした伊之助は、その鼻をすぐに押し戻された。

 

 

 「────それで、二人はどうするの」

 「「!」」

 

 

 そして、真菰が話を本筋に戻す。彼女が訊ねたのは、炭治郎たちがここからどうするのかだ。

 

 

 「言われた通り、このまま帰る? 柱の人の指示だから、従わないといけないもんね」

 「…真菰さん。俺たちは残ります。善逸も宇髄さんの奥さんたちも、皆生きてると俺は思うんです」

 「…うん。炭治郎なら、そう言うと思った」

 

 

 炭治郎は、宇髄の指示に従うつもりはないようだった。伊之助も頷き、それを見て真菰は口角を上げる。ならば次は、四人の方針を定めなければならない。

 

 

 「全員生存は楽観的過ぎるような気もするけど…」

 「いいえ、尾崎さん。鬼はきっと、人間の振りをして店で働いている。だから、人を殺すのには慎重になる筈です」

 「……そうか…! 殺人の後始末には手間が掛かる。血痕は簡単に消せねえしな」

 「成程…筋は通ってるわね」

 「それじゃあ、鬼が店の中で動く頃合い…夜になったら、荻本屋に集まって。必ず、皆で皆を助け出そう」

 「はい!」

 「…俄然やる気になって来たぜ!!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「うぅ…本当に、どうしてバレていたのか……」

 「あはは……流石にバレない方がおかしいわよ、しょうがないわ…」

 

 

 日暮れ時。鯉夏に別れを告げた炭治郎は、そこで自身が男であると露呈していたことを知り、少なからず恥ずかしさを覚えていた。尾崎と共に荻本屋へと向かう途中も、思い出しては頭を振る。今はそれどころではないのだ。

 

 

 「────!!」

 「! どうしたの!?」

 

 

 彼の鼻に届いた匂い。立ち止まって確実に判別し………それが鬼の匂いであると看破する。

 

 

 「鬼の匂いです!! 近くにいる!!」

 「!! ごめんなさい、私にはわからないの!! 着いていくわ!!」

 「はい!!」

 

 

 来た方へと引き返していく炭治郎たち。匂いはどんどん強くなり…暫く進んで、ある部屋の中から漂っているようだと理解できた。

 

 

 「ここは……!!」

 「鯉夏花魁の!? まさか…!」

 

 

 窓を、開く。

 

 

 「鬼狩りの子? 来たのね、そう」

 

 

 瞳には、「上弦」「陸」の文字。

 

 

 「何人いるの? 一人は黄色い頭の醜いガキでしょう。柱は来て────あら?」

 

 

 そこに居たのは、鯉夏を「帯」の血鬼術で拘束している「上弦の陸」堕姫。彼女は動きを止めて、炭治郎………の奥から顔を覗かせる、尾崎に視線を向ける。

 

 

 「(………地味な女。でも、強いわ。柱なのかしら? どちらにせよ、喰ってやってもいいわね。限り限り許容できる顔だし)」

 「「その人を離せ(しなさい)!!」」

 「────誰に向かって口を利いてんだお前らは」

 

 

 黙って尾崎を値踏みしていると、二人が声を上げる。短い間ではあったが鯉夏と交流を深めた彼らは、目の前で害されようとしている彼女をすぐにでも救い出したかったのだ。だが、それが癇に障った堕姫は己の背から帯を猛烈な速度で伸ばし、二人に叩きつけんとした。

 

 

 

 ────しかし。

 

 

 

 「…ッ! 『咢の呼吸 天ノ型 (ひろ)がる銀鱗(ぎんりん)』!!」

 「!」

 「怪我は無い!?」

 「!? …あ、ありがとうございます!!」

 

 

 

 尾崎によって、弾かれる。

 

 

 

 「(この女……思ったよりやるじゃない。少なくとも、今まで喰ってきた柱よりは上だわ…)」

 「(やった…!! 上弦相手でも、反応できた!! 頑張ってきたこと何一つ…無駄じゃなかった!!)」

 

 「…ガキの方も目は綺麗ね。ほじくり出して喰ってあげる」

 「竈門君。その箱は…」

 「妹が入ってるんです。背負って戦います」

 「…わかったわ。まずは、鯉夏花魁を…ッ!!」

 「私の前でお喋り? 随分と余裕ぶっこいてくれるじゃない」

 

 

 体勢を立て直し、堕姫と距離を取った二人。作戦を立てようとしたが、追撃が飛んで来たことで妨害されてしまう。それでも────

 

 

 「(! 鯉夏を閉じ込めている所を…)」

 

 「これで大丈夫です、尾崎さん!」

 「ありがとう! 今度は私が助けられちゃったわね…!」

 「…いいわね。アンタも意外と骨がある。不細工だけど、可愛いわよ。見苦しくもがく…死にかけの鼠みたいでね」

 

 

 どうにか戦況を有利な方へと傾けていく。

 

 遂に、炭治郎…そして、尾崎と上弦の鬼の戦いが、始まった。

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「天ノ型 氾がる銀鱗」
「水竜」ガノトトスから着想を得た技。水中を支配する巨大な魚影、時にそれは人間の領域すらも侵略する。砦すら貫く水流はその質量も比類無い。辺り一帯を水底に沈め、溺れた哀れな獲物を骨まで喰らい尽くすだろう。当たっていないと錯覚してしまうような広い太刀筋、水のように揺らぐ軌道を以て、鬼を惑わし頸を落とす。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

上弦との死闘:其ノ壱

 

 遠くで、轟音が響いた。出処を示すように土煙が高く上り、びりびりと炭治郎たちの側まで空気の揺れが伝わって来る。

 

 

 「喧しいわね塵虫が…何の音よ、何してるの? どこ? 荻本屋の方ね。それに雛鶴…アンタたち何人で来たの? 四人…いや、五人かしら?」

 「言わない」

 「自分で考えなさい」

 「……いちいち癪に障るような言い方しやがって…ちょっとアタシの攻撃を防いだぐらいで………いい気になってんじゃないわよ!!!」

 

 

 堕姫の質問に取り付く島もない様子の二人。苛立ちを抑えられなくなってきた堕姫は、早々に目の前の鬼狩り二人を殺してしまおうと帯を躍らせる。

 

 

 「『ヒノカミ神楽 烈日紅鏡』!!」

 「『咢の呼吸 地ノ型 鎌刈り・奈落』!!」

 「ッ!!」

 

 「(ガキの方は太刀筋が変わった…その上、格段に動きも良くなった! 地味女の技は、何……何よこれ! 痛い…斬られた帯が痛みを訴えてくる! 益々苛々して来たわ…!!)」

 

 

 堕姫の攻撃を上手く凌ぐ炭治郎と尾崎。ヒノカミ神楽によって一時的に力を増した炭治郎は、堕姫とも渡り合える程になっている。また、尾崎は言わずもがな。五年以上の月日を滲渼の継子として過ごした彼女の実力は、歴代の柱と比べても決して見劣りしないだろう。

 

 

 「『炎舞』!!」

 「『地ノ型 迅』!!」

 「ちっ…!! 鬱陶しい…!!!」

 

 

 そんな彼らを、中々捉えることができない堕姫。炭治郎だけならば如何ということはないのだが、そちらに集中することはできない。尾崎は間違いなく彼女が今まで戦ってきた鬼狩りの中でも最上級に強い。ともすれば、()()()()()()勝てないと感じる程に。

 

 

 「アンタ…地味な癖して柱なのね? その辺の雑魚と同じような格好だからわからなかったわ」

 「………私が…柱?」

 

 

 だが、彼女の目算には誤りがある。

 

 

 「────『天ノ型 馘断兜(くびだちかぶと)()り』」

 

 「(速────!!)」

 

 

 高速の突きをすんでの所で躱す。しかしそのまま尾崎は地面を蹴り、高く跳んで堕姫へ追い縋った。彼女の頭に振り下ろされんとした刀は、集められた帯の束に軌道を変えられ狙い通りには当たらない。代わりに、目にも止まらぬ連撃が全ての帯を切り刻んだ。

 

 

 「(凄い…!!)」

 

 「…何かご不満? アタシの頸を落とせなくて悲しいのかしら? 安心しなさい。柱如きが上弦であるアタシに────」

 「柱なら。…今ので貴女を殺せていたわ」

 「……何ですって?」

 「わからない? 私は柱じゃないの。柱の弟子、継子なの。運が良かったわね、貴女。私の師事している人は……こんなものじゃないわよ!!!」

 

 

 それは堕姫にとって、この上ない衝撃だった。目の前の鬼狩りの女は、どう考えても柱並みの実力がある。一目見ただけで、強いというのが理解出来たからだ。

 

 だがそれよりも更に、今代の柱は強いのだという。

 

 

 「(冗談でしょう…!? 一体何が……)」

 

 「『火車』!!」

 「『天ノ型 空燃る火群』!!」

 「すっとろいわね不細工!! アンタなんて居ても居なくても同じなのよ!! 引っ込んでなさい!!」

 「引っ込まない!! お前を倒すまで!!」

 「このガキ…!!」

 

 

 尾崎は明らかに堕姫に優っている。だというのに、二対一。彼女の我慢は限界に達しようとしていた。

 

 その上…

 

 

 「(! 何だ? 帯が体に入っていってる……いや、戻っているのか! 分裂していた分が…!)」

 

 「…!! そう…()()()は柱ね、間違いないわ…! いつもなら喜んで喰い殺してた所だけど……分が悪いわね…!!」

 

 「(姿が変わった…!! 心做しか、先刻までより強くなってるような…!)」

 

 

 どうやら本物の柱が来ているということまで判明した。分体を取り込んだことである程度力を取り戻しはしたものの、やはり堕姫一人では厳しい状況に変わりはない。

 

 

 「おい、何をしてるんだお前たち!!」

 「!! (しまった!! 騒ぎで人が…!!)」

 「人の店の前で揉め事起こすんじゃねぇぞ!!」

 「…うるさいわね」

 

 

 そして今度は、外での喧騒を聞きつけてやって来た人間が怒鳴り声を上げる。次々と堕姫の神経を逆撫でする出来事が続き……

 

 

 「だめだ下がってください!! 建物から出るな!!!」

 「こっちに来ちゃ駄目────」

 

 

 

 

 

 八つ当たりの暴力が、花街の一角を襲った。

 

 

 

 

 

 「……はっ……!! はっ……!!」

 「尾崎、さん…!」

 「…本当……嫌になる程強いわね。でも、全部は守れなかった。聞こえるわ……醜い人間の醜い悲鳴が」

 「…お、まえ……ッ!!!」

 

 

 外に出て来ていた人間と炭治郎を庇い、無数の帯を斬り伏せた尾崎。しかし、あまりにも規模が大き過ぎた。取りこぼした攻撃が家屋を切り裂き、あちこちから血の匂いと悲鳴が届く。

 

 

 「ひっ、ひっ、弘さんっ!! 嫌ァア!!」

 「許さないッ!!!」

 「許す許さないなんてねぇ…!! 弱い奴に決められる筋合いは無いのよッ!!!」

 

 

 尾崎が怒りのままに堕姫に斬りかかり、激しい攻防が再び幕を開ける。そんな中炭治郎は、己の底から湧き上がる激憤にその身を委ねようとしていた。

 

 

 「『血鬼術 八重帯斬り』────」

 

 

 

 

 

 「『ヒノカミ神楽 灼骨炎陽』」

 「!?」

 

 「(…竈門君!? 今……動きがまるで違って見えた!!)」

 「(斬られた所が…灼けるように痛い!! 再生も出来ない…!! 先刻の地味女の比じゃないわ!!)」

 

 

 激しい怒りに血涙すら流しながら、炭治郎は堕姫へと詰め寄る。

 

 

 「失われた命は回帰しない。二度と戻らない」

 「…竈門君」

 「生身の者は…鬼のようにはいかない。なぜ奪う? なぜ命を踏みつけにする?」

 「…っ(この言葉…どこかで聞いた)」

 「『何が楽しい? 何が面白い? 命を何だと思っているんだ』」

 

 

 堕姫の脳裏で、誰かの姿が炭治郎に重なった。

 

 

 「(誰? 知らない)」

 「どうしてわからない? 『どうして忘れる?』」

 

 「(これはアタシじゃない。アタシの記憶じゃない。細胞だ。無惨様の細胞の記憶……)」

 

 

 それは、遥か古の記憶。五百年以上も前の、ある人間の記憶。無惨が唯一恐れる人間の記憶。

 

 

 「人間だったろう、お前も…かつては。痛みや苦しみに踠いて涙を流していたはずだ」

 

 

 全てを振り払うように、堕姫は地面を強かに踏みつける。

 

 

 「ごちゃごちゃごちゃごちゃ五月蝿いわね。昔のことなんか覚えちゃいないわ。どいつもこいつも許さないだの何だのと……アンタたちは家畜に何かしら感慨を抱くの? 大抵は食い物としてしか見ないでしょう? それと同じよ。多少の区別はあってもね…所詮は人間なのよ。アタシは今鬼で!! 弱い人間をどうしようと私の勝手!! 何をしたっていいのよ!!」

 「わかった。もういい」

 「!」

 

 

 強く踏み込んだ炭治郎は、一息に堕姫へと接近し、その頸に刃を振るう。堕姫は未だ帯の再生が完了していない。想定以上の速度で飛んできた黒刀を甘んじて受け入れざるを得ず…

 

 

 「…アンタなんかにアタシの頸が……斬れるわけないでしょ…!!」

 「! (柔らかいんだ。柔らかすぎて斬れない…しなって斬撃を緩やかにされた)」

 

 

 柔軟な頸でしっかりとそれを受け止めた。

 

 

 ────だが。炭治郎一人では、そうなるというだけの話だ。

 

 

 

 

 

 「『地ノ型 灼炎斬り』!!」

 「あ」

 

 

 

 

 尾崎の刀が、炭治郎の刀と頸を挟んで交差する。

 

 

 堕姫が帯を再生させて、反撃に転じるよりも先に……

 

 

 

 その頸が、刎ねられた。

 

 

 

 「……! ヒュゥゥッ…!! ゲホッ、ゲホ……スゥゥ…!!」

 「大丈夫、竈門君!? 斬ったわ!! 上弦の頸は落としたわ!!」

 「大、丈夫、です…! 体力が……思っていたよりずっと限界に近付いていたみたいで…!!」

 

 「ちょっと何よ!! 余所見!?」

 「「!!?」」

 

 

 ────尾崎の判断を咎めることのできる者は、いないだろう。

 

 

 「よくもアタシの頸を斬ったわね!! ただじゃおかないから!!」

 「……何よお前。さっさと死になさいよ」

 「ふざけんじゃないわよ!! アタシまだ負けてないからね!! 上弦なんだから!!」

 

 

 鬼は頸を斬れば死ぬ。それは常識であり、頸を狙えるのならば狙うべきであるから。

 

 

 「(……何? この違和感……こんなに長い間…消滅しないことなんてあるの? 頸を、斬ったのに)」

 「わぁぁああん!! 死ねっ!! 死ねっ!! 皆死ねっ!! わぁああああああああ!!」

 

 「(………そうよ、おかしいわ。だって…()()()()。刈猟緋さんの話通りなら…私なんかが上弦の頸を斬れる筈が────)」

 

 

 

 

 

 ────まさか堕姫がそうでないとは、誰にも想像出来ないことであったから。

 

 

 

 

 

 「頸斬られたぁ!! 頸斬られちゃったああ!!

 

 

 

お兄ちゃああん!!

 

 

 

 

 

「うぅううん」

 

 

 

 

 

 尾崎の行動は速かった。堕姫の身体から何かが現れようとしていると認識したその瞬間には、その頸を落とそうと動いていた。

 

 惜しむらくは、彼女では何もかもが足りていなかったこと。

 

 

 

 速さも、力も、技術も────

 

 

 

 上弦の陸、「妓夫太郎」を討つには少しばかり足りていなかった。

 

 

 「(躱された!? 速過ぎる────!!)」

 「泣いてたってしょうがねぇからなああ…頸くらい自分でくっつけろよなぁ。おめぇは本当に頭が足りねぇなあ」

 

 「(何だ…!? 何がどうなった!? あの鬼は一体…!? 殆ど何も見えなかった!!)」

 

 

 堕姫を抱えて距離を取り、彼女をあやす新手の鬼。その姿は呼ばれた通り彼女の兄のようであったが、尾崎は気を緩めずに次の動きを注視する。

 

 

 「ひでぇことするなよなああ。妹は綺麗な顔してるんだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ────お前よりずうっとなぁ」

 「!!!」

 

 

 急接近。防御に意識が傾いていた尾崎は、間一髪で妓夫太郎の攻撃を防いだ。だが、それも初手の一撃だけだ。妓夫太郎は両手の鎌を素早く掲げ直し、尾崎に向かって振り下ろす。

 

 

 

 

 

 「(どうしよう これ 躱せない)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『水の呼吸 拾ノ型 生生流転』」

 「!!!」

 

 

 

 

 

 だがしかし。致命の攻撃は、援軍によって未然に終わった。

 

 

 「…真菰ちゃん…!?」

 「一旦距離を!」

 「! うん、ありがとう!! 竈門君、動ける!?」

 「は、はい!! 幾らか回復して来ました!!」

 

 

 到来した真菰は、攻撃を妨害しつつ妓夫太郎を斬りつける。相当硬いのか全て半ばまでしか刃が通っていなかったものの、彼の動きは一時的に停止した。

 

 

 「……やるなぁ…一人一人は、大したことねぇのに……よく今のを凌ぎ切れるなあ」

 「…真菰ちゃん……アイツは、強いわ。それに、後ろの女の鬼は頸を斬っても死ななかった」

 「! …わかりました。今、伊之助君たちと宇髄さんがこっちへ向かっています。行方不明の人たちは、皆無事だったみたいです」

 「…そう。良かった」

 

 

 真菰は、荻本屋に空いた抜け穴を通って鬼の許へと向かった伊之助を追って外へ出た。そこで宇髄が地面に風穴を開けた場面に出くわし、地下で帯に囚われた人々が生きていることを確認。同時に戦闘の気配を感じ取り、炭治郎たちの所までやって来て今に至る。

 

 

 「お兄ちゃん!! コイツらさっさと殺してよ!! 特に地味女と不細工なガキ!! アタシを二人がかりでいじめてきたのよォ!!」

 「そうかぁ…そりゃあ許せねぇなぁ……俺の可愛い妹が足りねぇ頭で一生懸命やってるのをいじめるような奴らは皆殺しだ」

 「時間を稼ぎましょう。宇髄さんたちが到着するまで」

 「ええ!」

 「はい!」

 

 

 忙しなく刀を揺り動かしながら、全員の集結まで防御に専念することを提案する真菰。敵の実力を冷静に鑑み、炭治郎たちもこれに賛同した。

 

 

 「生意気だよなぁ……時間稼ぎ? 弱い癖にそんなもんできると思ってんのかああ? 震えて刀がゆらゆら揺れてるぞ、お前」

 「……そう。()()()()

 「…?」

 

 

 

 「(────本当に、良かった。そう見えてるんだとしたら……全員集合で確実に勝機が見えて来る)」

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「天ノ型 馘断兜割り」
「兜割り」から着想を得た技。巨躯を誇る怪物の硬い甲殻をも人の絶技は破り得る。頭蓋を割られた鬼は肉体が麻痺し、次なる連撃を躱せない。幾度となく頸を斬りつけられ、分たれ、ただ屍を散らすのみ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

上弦との死闘:其ノ弐

 

 「『血鬼術 飛び血鎌』!!」

 「『拾ノ型 生生流転』」

 

 

 妓夫太郎から、大量の血の斬撃が放たれる。尾崎ですら辛うじて反応が間に合うといったような速度のそれを、真菰は鮮やかに捌き切ってみせた。

 

 

 「こっちは私に任せてください。二人は妹鬼の方を────」

 「!! 危ない!! 『地ノ型 轟咆』!!」

 

 

 しかし、斬り払った血の斬撃が軌道を変えて彼女を襲う。尾崎が破壊力のある技で湾曲した斬撃を消し飛ばし、一先ずやり過ごすが…

 

 

 「斬撃…いや、血なのかしら!? とにかく、操れるんだわ!! 完全に弾けさせないと!!」

 「ひひひっ、死に物狂いだなぁ……無駄だけどなああ」

 「兄さんが居れば、アンタたちなんて何も怖くない!! くたばりなさい塵共!!」

 「くっ…!!」

 

 

 堕姫と妓夫太郎は、息つく暇も与えてはくれない。妓夫太郎の速度について行くことが出来るのは真菰だけだが、真菰だけでは彼の血鬼術に対処出来ない。かといって尾崎まで妓夫太郎の方に意識を向けてしまっては、堕姫を止められない。

 

 

 「(拙い……!! このままじゃ、すぐに三人とも……!!)」

 「そぉら…まず一人」

 「っ!!!」

 

 

 伸びてきた堕姫の帯に対応していた隙に、妓夫太郎が尾崎に牙を剥く。瞬時に距離を詰め、振り抜かれた鎌は…彼女の心臓を貫通した。

 

 

 「尾崎さ…!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────かに見えた。

 

 

 

 

 

 「『地ノ型 鏡花水月』!!!」

 「!?」

 

 

 突然姿を消し、同時に妓夫太郎の懐に潜り込んでいた尾崎。渾身の力で刀を頸に振るい、落とさんとするが…刃が入った所で、止まってしまう。

 

 

 「そんな…!!? 初めて成功したのに…!!!」

 「惜しかったなああ…!! 今のはたまげたぜ…」

 

 

 高難度の技を土壇場で成立させたというのに、その結果はあまりにも無慈悲。妓夫太郎の頸は、尾崎一人が落とせる程に柔くない。彼は改めて鎌を掲げ…そこに、真菰が割り込む。

 

 

 「『拾ノ型 生生流転』」

 「馬鹿の一つ覚えみてぇに同じ技を────」

 「お兄ちゃああん!! また頸斬られたあああっ!!!」

 「!」

 

 

 堕姫の絶叫に気を取られ、真菰の斬撃を躱せなかった妓夫太郎。とはいえ、元々必死に躱すようなものでもない。彼女の刀では自身の肉体にまともな損傷を与えられないと考えて…

 

 

 「(………馬鹿な。腕を切断されちまった)」

 

 

 その威力の変化に目を瞠った。

 

 

 「そこのすばしっこい女よ!! そいつもめちゃくちゃにしてやって!!!」

 「尾崎さん。大丈夫ですか」

 「ええ、ありがとう!」

 「……お前…なんかおかしいなああ……手を抜いてた訳じゃなさそうだもんなぁ」

 「…どうかな」

 

 「(……? 真菰さん…何か変だ。全集中・常中とはまた違う…何かをずっと……)」

 

 

 真菰に対して、妓夫太郎と炭治郎が不自然な感覚を抱く。特に妓夫太郎は強くそう感じていた。明らかに、彼女の技の威力が増しているのだ。

 

 

 「真菰ちゃん、距離を!」

 「いえ! 先刻の血鬼術…却って被害を広げかねない! 近付いて戦います!」

 「! わかったわ、血の斬撃は私が────」

 「アタシのこと、忘れてるんじゃないかしら!?」

 「っ! 『天ノ型 海中の雷鳴』…ぐぅっ!?」

 

 

 そして再び、堕姫が復活。唐突に死角から飛んできた攻撃を防ぎきれずに、とうとう尾崎が負傷してしまった。両の二の腕を帯が掠め、そこから血が溢れ始める。

 

 

 「さっさと死ね────」

 「させない!!」

 「!? 竈門君!!」

 

 

 窮地に陥った尾崎を救ったのは、炭治郎。水の呼吸で帯を受け流し、尾崎に振り返って告げる。

 

 

 「この鬼は俺一人で抑えます!! 真菰さんの援護をお願いします!!」

 「! …わかったわ! 貴方を信じる!!」

 

 

 彼の言葉を受け、妓夫太郎の方へと尾崎は向かう。炭治郎はその背に差し向けられた帯の一切を弾きながら、堕姫の正面に立ち塞がった。

 

 

 「ここで…お前を止める!!」

 「不細工が図に乗ってんじゃないわよ!! 女二人もすぐに兄さんが殺すわ!! アンタら全員終わりなのよ!!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「『天ノ型 激奔・重徹甲』!!」

 「(ちっ…次から次へと技が変わるなぁ、コイツはなああ……威力もまちまちだ。無視するには不安が残る……)」

 「『拾ノ型 生生流転』」

 「…だからってお前から目を離すのはあり得ねえからなああ…!! もう終わらせるか────『血鬼術 円斬旋回・飛び血鎌』!!」

 「「!!」」

 

 

 ひらひらと舞うように攻撃を躱しながら、徐々に技の威力を増していく真菰。攻め際、退き際を弁えており、的確に攻撃を差し込んでくる尾崎。

 

 二人の立ち回りに痺れを切らした妓夫太郎は、最大威力の血鬼術を解放。破壊の嵐を巻き起こした。

 

 

 「尾崎さん!!」

 「ぐっ、う…! 私の、ことは…!! 気にしないで…!!」

 

 

 真菰はこれさえも上手く潜り抜けたようだったが、尾崎は違う。技での相殺を試みたものの僅かに威力が足りずに押し切られ、浅くない切り傷を負ってしまった。

 

 

 

 ────更に。

 

 

 

 「!? あ、がぁぁっ…!!?」

 「お、尾崎さん!!?」

 「やっと一人…仕留めたなぁあ。俺の血鎌には猛毒が入ってるんだ。そいつはもうお終いだぜ…ひひっ」

 「…っ!!!」

 

 

 妓夫太郎の血液には、極めて解毒が困難な猛毒が含まれている。並の人間ならば、十秒と持たずに命を落とす代物だ。

 

 

 

 

 

 最早彼女の生存は、絶望的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『────必ず、帰って来るのだぞ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……………ガルル…」

 「…あぁん? 何で立つんだああ?」

 「……悪い、けど…お前なんかに、殺されてやれないのよ…!」

 「ひひひっ。ガタガタじゃねぇか、なああ! 最期くらい寝てろよなああ」

 

 

 数瞬前までは頗る元気だった肉体に鞭を打ち、尾崎は気力を振り絞って立ち上がる。約束を違えない、今はただそれだけのために。

 

 

 「尾崎、さん」

 「だい、じょ、うぶ。心配、しないで。こんなの、へっちゃらよ」

 「…っ! わかりました……必ず、コイツを倒しましょう」

 「……ええ」

 

 

 

 「よく言った」

 

 

 

 ────夜の闇に、派手な男の影が躍る。

 

 

 

 「ッ!!! あぶねぇなああ!! お前…柱だなあぁ!?」

 「そういうテメェは上弦の陸…後ろの雑魚とは違う……俺が探してたのは、派手に間違いなくテメェの方だぜ」

 

 「お兄ちゃああん!! また、またあああ!!!」

 「…アイツは本当にだめだなぁ……本当になああ」

 

 

 宇髄天元が、漸く上弦との戦いに参戦した。

 

 

 「宇髄、様…」

 「尾崎。やれるか」

 「やり、ます。それと…後ろの鬼は、まだ死んでいません」

 「何?」

 「頸を斬っても死ななかったそうです。恐らくは、何か条件が」

 「…ははーん。成程な……派手にピンときたぜ。とにかく行くぞ、コイツの頸をド派手にぶった斬ってやる」

 

 

 同時に飛び出すのは、宇髄と真菰。今吉原にいる人間で最速の二人が、妓夫太郎の頸を狙う。

 

 

 「威勢ばっかり良くてもなああ…実力が伴ってなきゃいけねぇぜ? 『血鬼術 円斬旋回────』」

 「『咢の呼吸 地ノ型 狼烏の趾』!!!」

 「!!!」

 

 「(撃たせない!! 二人がコイツの頸を斬るまで!! もうコイツには…何もさせない!!)」

 

 

 二人を迎撃しようとした妓夫太郎だったが、尾崎の守りを捨てた猛攻に思わず頸を庇ってしまう。鬼気迫る彼女の様子は、上弦をも怯ませた。

 

 

 「(何だこの女…!! 死にかけてる癖しやがって…!! いや、だからこそなのかああ…手前の命はもう惜しくねえってかぁ…!?)」

 

 

 妓夫太郎は、それを決死の行動だと判じた。

 

 だが、違う。

 

 

 「まずお前に死んでもらうかああ…」

 「そいつは派手に呑気だな!!」

 「『拾ノ型 生生流転』」

 「お前らが居ることも端から頭に────」

 「『地ノ型 追這連漣(ついはれんれん)』!!!」

 「は…?」

 

 

 彼が宇髄と真菰を躱して尾崎を仕留めようとした瞬間、明後日の方向に彼女が飛び出す。突然の奇行に気が狂ったのかと思った妓夫太郎だったが……

 

 

 

 

 

 「(!!! 軌道が急に変わって────!!!)」

 「甘いわ」

 「なぁ…!!?」

 

 

 跳ね返るような刃の軌道に面食らい、それでも何とか弾き返す。ところが、またしても急激に慣性が変化した刀は、遂に妓夫太郎の肩口を割り裂いた。

 

 

 「離れて!!」

 「!?」

 

 

 更に、屋根の上からまたしても援軍が現れる。宇髄の妻、雛鶴だ。絡繰装置を利用して、無数のクナイを妓夫太郎に放つ。

 

 

 「真菰、ちゃ…!」

 「大丈夫です! コイツはここで!!」

 「(────良くねぇなぁ…!! 無意味な攻撃じゃねぇ!! 確実に何かある、が…!!)」

 

 

 事ここに至って無意味なことをする筈がないと、妓夫太郎はクナイを防御したいと考えた。しかし、尾崎以外が離れない。宇髄は巻き込まれることを承知の上で、真菰は全て躱し切る自信の上で彼に突っ込んでいく。

 

 

 「『血鬼術 跋弧跳────』」

 「『拾ノ型 生生────』…えっ?」

 

 

 再び腕を斬り落とそうとした真菰。だが、妓夫太郎は血鬼術を中断した。

 

 

 「なんてなああ!! 二つに一つなら…お前を殺すのが先だぜ…!!」

 「うぐっ!?」

 「鱗滝!!!」

 

 

 クナイを迎え撃つべく振り上げた腕を、真菰に向かって振り下ろす。意表を突かれた真菰はこれを躱せず、袈裟斬りに傷を負ってしまう。

 

 猛毒が、彼女の身体にも回り始めた。

 

 

 「宇髄さん゛!!! 私の゛ことは気にせずに!!!」

 「(済まん!! 必ずお前に報いる!!!)」

 「(クナイの方は…間に合わねぇか…!!)」

 

 

 直後、クナイの雨が降り注ぎ…宇髄と妓夫太郎の肉体は、針山もかくやといった様相を呈していた。

 

 そして。

 

 

 「(!! 体、が…!! やはり何か塗られていた!! 拙い……!!)」

 「派手にくたばれえええええッ!!!」

 

 

 

 

 

 宇髄の独特な構造をした刀が、妓夫太郎の頸を捉えた。

 

 

 

 

 

 聞こえてくるのは、金属が擦れるような異音。

 

 

 「(ふざけんじゃねえ 硬すぎだろくそったれが)」

 「ぐ、ぎいぃああ……!!!」

 

 

 音柱全力の一撃は、それでも妓夫太郎の頸半ばで止まっている。斬り落とすには、遠すぎる。

 

 

 「け、け…『血鬼術────』!!」

 「(やべえ…!! もう毒を分解して…!!)」

 

 

 無数のクナイの毒も、分解されてしまった。このままでは…全てが水泡に帰す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸』!!!」

 「!?」

 

 

 もう一振りの刀が、妓夫太郎に振るわれる。

 

 

 「(馬鹿な もう死んでたっておかしくねぇぞ……────!! こ、この女!!)」

 

 

 

 

 

 尾崎の脇腹には、クナイが突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 「(藤の花の毒が塗られていることを、見抜いたのか!!! 俺の毒をクナイで弱めてやがる!!!)」

 「『地ノ型』!!!」

 

 

 朦朧とする意識を繋ぎ止め、放つは今出せる最高の一撃。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『蒼霆(あおいかづち)』!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月下に雷鳴が轟く。

 

 

 

 

 

 

 

 「…ごめ、なさ」

 「(…だめだ 足りてねぇ)」

 

 

 

 

 

 妓夫太郎の頸に斬れ込みを入れ、尾崎の刀は折れた。そのまま彼女自身も、気絶する。

 

 

 

 まだ、斬れない。

 

 

 

 

 

 「『円斬旋回────』」

 「ご、ぼっ……じ、『拾ノ型』…!」

 

 

 

 

 

 二人でも、届かない。

 

 

 

 

 

 「(────速い 先刻までより 更に)」

 「(そうか…!! 鱗滝、テメェ……!!! 地味に派手なことやってんじゃねえよ!!!)」

 

 

 

 

 

 では、三人ならば。

 

 

 

 

 

 ────真菰は、この場に駆けつけてからというもの、今までずっとあることをしていた。

 

 或いはそれは、炭治郎のヒノカミ神楽の真髄にも通ずる技術。

 

 

 

 水の呼吸の今代最高の使い手は、義勇だ。

 

 だが、純粋な威力という点を見れば錆兎に軍配が挙がる。

 

 すると…真菰はどうか。

 

 

 

 

 

 力が無い、速さだけが取り柄だと自身を評価する彼女が取った方法は一つ。

 

 力は技で補う。

 

 水の呼吸には、出し続けることで威力を増す技が存在する。

 

 

 「生生流転」。

 

 

 真菰はこの瞬間まで、規模の大小問わず刀を回転させ続けていた。常に遠心力を掛け続け、威力を高め続けていた。

 

 高度な技術を必要とするこの戦い方を、持ち前の素早さを活かして舞うようにしながら続ける。

 

 それこそが、真菰の唯一無二の強み。

 

 

 

 

 

 彼女だけが辿り着いた、もう一つの水の呼吸の極致。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『生生流転・輪廻環(りんねのめぐり)』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────妓夫太郎の首が、宙を舞う。

 

 

 「(嘘だろ …いや、問題ねぇ 妹が────)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────また。

 

 

 「『壱ノ型 霹靂一閃・神速』」

 「お……お兄ちゃん!!! 助けて!!! 頸斬られちゃう!!!」

 

 

 炭治郎も、既に一人では無かった。

 

 

 「『ヒノカミ神楽 火車』!!」

 「『陸ノ牙 乱杭咬み』!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼の兄妹の頸が、隣り合わせに転がった。

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「地ノ型 追這連漣」
「水蛇竜」ガララアジャラ亜種から着想を得た技。最も賢い竜であるとその名を挙げる者も多いかの竜は、己の甲殻を利用して変幻自在に水弾を操る。熟練の狩人ですらその狙いを完全に看破することは難しく、一泡吹かされたという者が後を絶たなかった。次々と角度を変える斬撃に初見で対応することのできる鬼は居ない。

・「地ノ型 蒼霆」
「雷狼竜」ジンオウガから着想を得た技。月下に吼える無双の狩人、迸る稲妻は縄張りの証。死地に迷い込んだ哀れな獲物は、その姿を見るまでもなく己の運命を悟るだろう。激しく、眩く、鮮烈かつ熾烈に鬼へと斬り込む。技を目の当たりにした鬼は、当事者であろうと傍観者であろうと生き永らえることを諦める。それ程までに、ただただ驚異的。

 【大正コソコソ噂話】
・炭治郎は堕姫との戦いで水の呼吸とヒノカミ神楽の合わせ技を習得しました。その他細かい成長なども多分原作通り進んでいるんじゃないでしょうか()

・「水の呼吸 拾ノ型 生生流転・輪廻環」
完全なる創作。手鬼による真菰評を鑑みれば、生きていたとして強くなるならこういう方面だったのではないかと思ったのでこうなった。使い続けた生生流転をそこで解放し、超威力の一撃を放つ。平たく言えばめっちゃ強い生生流転。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

兄妹

 

 「やった、のか…!?」

 「…! 見ろ!! 蚯蚓女の身体が崩れてくぞ!!」

 

 

 上弦の陸。陽光以外にその命が潰える条件は、兄と妹の頸を同時に切り離した状態に置くこと。

 

 即ち…炭治郎たちは、勝利したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ────尤も、戦いが終わった訳ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 「逃げろォォーーッ!!!」

 「「「!?」」」

 

 

 気絶した尾崎を脇に抱え、炭治郎たちに有らん限りの声で呼び掛ける宇髄。真菰と共に、全速力で彼らの方へ駆けて行く。

 

 見れば、頸を失った妓夫太郎の肉体から巻き上がろうとしている血の斬撃の嵐。消滅しかかっている今、それは最後の足掻きを意味していた。

 

 

 

 炭治郎たち三人が逃走に転じた直後、妓夫太郎の最期の血鬼術が放たれる。花街は瞬く間に瓦礫の山と化し…全てが収まった所で、漸く吉原は深い夜にあるべき静寂を取り戻したのだった。

 

 

 

 

 

 「……全員、無事か?」

 「俺たちは大丈夫です…! でも、街が滅茶苦茶に……」

 「だな……ま、花街の連中は地味に根性がある。なんだかんだ言って立ち直るだろ」

 

 

 一夜にして失われた人命は、決して少なくはない。それでも遊郭に潜む鬼は、鬼殺隊によって討たれた。ここも時間をかけて、元の暮らしに戻っていくだろう。

 

 

 「………鱗滝。毒はどうにかなりそうか」

 「! …お気付きでしたか」

 「ああ。尾崎もお前も、毒を喰らってるのは見りゃわかる。……まだ抜けてねえのもな」

 

 

 宇髄はぽつりと真菰に問う。彼女の怪我はかなり深く、だというのに毒にも蝕まれているとなれば事態は一刻を争う。

 

 

 

 しかし、心の何処かでは分かっていた。もう彼女たちが、どうしようもないことを。腕の中で命の灯火を弱めていく尾崎が、明瞭にそのことを物語っていた。

 

 

 

 「…残念ながら。あと数分もすれば、私は死にます。尾崎さんも、恐らくはじきに」

 「……そうか」

 「………真菰、さん…」

 

 「天元様ぁ〜〜!!!」

 「!」

 

 

 そんな彼らの許に、宇髄の妻三人がやって来る。彼女たちも早々に身を隠していたために、どうにか無事であったようだ。

 

 

 「須磨! まきを! 雛鶴! 誰でもいい、解毒薬を!!」

 「!! はい!」

 

 

 くのいちの心得として、ある程度融通が利く解毒薬は常備している彼女たち。須磨が宇髄の指示に従い、なんとか意識の無い尾崎に解毒薬を飲ませるが…

 

 

 「て、天元様ぁ…! 効いてないです、多分…!」

 「……だめか…!」

 

 

 尾崎の衰弱は止まらない。

 

 再び、宇髄の手から命が零れ落ちようとしていた。

 

 

 「……う、ずい、様」

 「!! 尾崎! 呼吸だ!! 毒の巡りを遅らせろ!!」

 「………刈猟緋、さんに…伝えて、欲しいです。約束、守れなくて……ごめん、なさいって」

 「ッ! ……わかった」

 「…ありがとう、ございます……」

 

 「(そんな……!! どうして、俺が生き残るんだ…!! 尾崎さんも真菰さんも……俺なんかよりずっと凄い人たちなのに!! これからの鬼殺隊に、必要な人たちの筈なのに!!!)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼が、静かに下りていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、禰豆子がひょっこり顔を覗かせた。

 

 「ムー」

 「…え?」

 

 

 

 

 

 「うおおおおおい何してんだテメェェェッ!!? 派手に燃やすにゃ早すぎるわ馬鹿ガキィィィッ!!!」

 「────宇髄様」

 「!?」

 

 

 止まりかけていた拍動が、力強く刻まれ始める。

 

 

 「………毒が………消え、ました」

 「……オイオイ」

 「禰豆子ちゃん……」

 

 

 眼前の奇跡、その立役者の名を思わず呟く真菰。彼女にも禰豆子は近付き、血鬼術の炎でその身を包んでやる。すると、同じように真菰の身体からも毒が抜けた。

 

 

 「な、なんだかよくわからないけど……皆助かったってことで良いんでしょうか!?」

 「…そう、なんじゃないの」

 「まだよ! この子、傷が深いわ! 手当をしないと!」

 

 

 宇髄の妻らが真菰に応急処置を施す傍ら、意識をはっきりと取り戻した尾崎は宇髄の腕から離れ、炭治郎に話しかける。

 

 

 「竈門君」

 「! はい、尾崎さん!」

 「…あの子が、禰豆子ちゃんなのね。………あんな偉そうなことを言っておきながら、助けられちゃったわ」

 「…いいんです。俺は、皆さんが助かったことが嬉しいです。きっと禰豆子も、そう思ってます」

 「…本当に、ありがとう。……ねえ、竈門君。私は…貴方のことも、禰豆子ちゃんのことも……信じることにする」

 「! …ありがとうございます」

 「……流石にこれだけド派手な奇跡を起こされちゃあ…納得せざるを得ねえな。炭治郎…俺も、同じ考えだぜ。お前たち兄妹に、感謝と謝罪を。改めてこれから、よろしく頼む」

 「…! はい! 宇髄さんも、ありがとうございます!」

 

 

 

 

 

 その後、不安だと言って上弦の頸を探しに行った炭治郎と、それに着いて行った尾崎。二人の背を見ながら、真菰を任された宇髄は雛鶴の言葉に耳を傾ける。

 

 

 「……『上弦を倒したら一線から退く』。そんな約束をしたのを、覚えておられますか」

 「…ああ。今でも派手に頭に残ってる。………悪ぃが、もう少しだけ先送りにさせてくれ。五体満足で引退なんぞしちまったら、他の柱にどやされる」

 「……ふふ、はい。どこまでもお供致しますよ」

 

 

 

 「ぐわははは!! やったぞ紋壱!! 完璧に俺たちの勝ちだぜ!!! お前も笑え!!!」

 「止めてぇぇ!! 何なの!!? 何があったらこうなるの!!? 身体あちこち痛いし!!! 揺さぶんないでぇええ!!!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「あら、猫……? 竈門君? 何してるの?」

 「えっと…鬼の血を研究している方が居て! その方に十二鬼月の血を採ってくるよう言われているんです! この子はそのお使いで!」

 「えぇ? 随分と難題を押し付けてくるのね……信頼できる人なの?」

 「大丈夫です! 凄く良い方なので!」

 「そう…まあ、竈門君が言うなら心配いらないわね」

 

 

 一方で、堕姫と妓夫太郎の頸を探す炭治郎たち。尾崎の傷は浅くはないが、致命傷という程でもない。十分呼吸での止血が可能な範疇にあったので、彼女も炭治郎と共に頸の捜索に励んでいる。

 

 途中炭治郎が妓夫太郎の血液を回収し、茶々丸に預けている場面に遭遇したが、あまり深くは考えなかった。鎹鴉という存在が身近にいるせいで、猫が使いをこなしていることにも違和感を抱かなくなっているらしい。

 

 

 「…! こっちです! 鬼の匂いが強くなってきた!」

 「本当!?」

 

 

 炭治郎が指し示した方へ向かうと、騒ぎ声らしきものが近付いてくる。どうやらまきをたちが遊郭の人間らを避難させていたようなので、声の主は殆ど分かりきっているようなものだった。

 

 

 「あれは……」

 

 

 

 「なんで助けてくれなかったの!?」

 「俺は柱を相手にしてたんだぞ!!」

 「だから何よ!! 柱以外をとっとと殺しておけば良かったでしょ!? 大したことないとか言ってた癖に!!」

 「そいつらには毒を叩き込んだだろうが!! ほっときゃ死んでた!! お前が耳飾りのガキ一人殺せねえからこうなったんだ!!!」

 「後から二人来たの!! 三対一だったのよ!!?」

 「お前は最初は一対一だった!! なのに柱でもねえガキを仕留めきれなかった!!」

 「じゃあアンタが操作するべきだったんじゃないのアタシを!! 大体そっちだって最初は柱は居なかったじゃない!!!」

 

 

 

 「(まだ生きてる…しかも言い争ってるぞ)」

 「(こんな時まで他人のせい? つくづく救えないわね、鬼って…)」

 

 

 堕姫と妓夫太郎は、頸だけで喧嘩をしていた。散りゆく中、残り少ない命で仲違いをしていた。

 

 

 「うるせぇんだよ!! 仮にも上弦だって名乗るんならなぁ!! 下っ端の一匹や二匹くらい一人で倒せ馬鹿!!」

 「!!」

 

 

 感情の昂りに応じて、反射的に二人の呼吸が荒くなっている。かつて人であったことを、思い出したかのように。

 

 

 「…アンタみたいに醜い奴がアタシの兄妹なわけないわ!!!」

 

 

 「「!!」」

 

 

 「アンタなんかとはきっと血も繋がってないわよ!! だって全然似てないもの!! この役立たず!! 強いことしかいい所が無いのに!! 何も無いのに!! 負けたらもう何の価値もないわ!! 出来損ないの醜い奴よ!!」

 

 

 「────何言ってんのよ、アイツ」

 

 

 あまりにも残酷な言葉の数々。妓夫太郎も、口汚く罵り返す。

 

 

 「ふざけんじゃねぇぞ!! お前一人だったらとっくに死んでる!! どれだけ俺に助けられた!!? 出来損ないはお前だろうが…!! 弱くて何の取り柄も無い! お前みたいな奴を今まで庇ってきたことが心底悔やまれるぜ」

 

 

 「(…そうじゃないでしょ? ……兄妹なら……もっと言うべきことがあるんじゃないの?)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それは、まだ尾崎が刈猟緋邸に出入りし始めたばかりの頃。滲渼の兄、泰志との一幕。

 

 

 「…あ。…こんにちは」

 「やあ、こんにちは。今日も剣術の稽古かな? 頑張ってね」

 「はい。………あの」

 「? 何だい?」

 「……刈猟緋家は、代々鬼殺の任を務めているのだと聞きました。…どうして、貴方ではなく刈猟緋さんが?」

 

 

 ある意味当然の疑問。滲渼の父である闘志が鬼殺隊に所属していたということは、少なくとも跡継ぎであるから免除になるということはない筈だった。しかし、現実として隊士となっているのは泰志ではなく滲渼だ。尾崎はそれが何故なのか、気になって仕方がなかった。

 

 

 「……それはね。僕が、逃げたからだ」

 「…え?」

 「父は僕にも、鬼と鬼殺隊の話を聞かせてくれた。その上で、どうするかを僕に委ねたんだ。そして恐れをなした僕は……鬼殺隊に入ることを拒んだ」

 「…」

 

 

 尊敬する親しき友人、その兄としては実に似つかわしくない告白。あまりの衝撃に、尾崎は声が出なかった。

 

 

 「父は刈猟緋の伝統を重視している人ではないから、今代で鬼殺の責務が途絶えても特に気にはしなかっただろう。それでも僕が鬼殺隊に入隊していれば、滲渼にその話が行くことは無かったかもしれない。………まあ、こんなものだよ。面白い話じゃなくてごめんね」

 「……泰志さんは」

 「?」

 「泰志さんは、それで良かったんですか? 刈猟緋さんが危険に晒されていることについて、何も思わないんですか!?」

 

 

 彼が臆したからこそ、尾崎は滲渼と出逢うことが出来た。だとしても、兄ならば妹を想って後からでも代わってやるべきではなかったのか。滲渼が望んで進んだ道なのだとしても、共に歩んでやるべきではなかったのか。そんな考えが、彼女の心を支配する。

 

 だが。

 

 

 「思うよ」

 「!!」

 

 

 柔和な泰志の雰囲気が、突然引き締まる。眼鏡の奥に光る眼差しは、彼が滲渼と血が繋がっているのだということを尾崎に思い出させた。

 

 

 「今日は無事に任務を終えただろうか、明日は大丈夫だろうか……毎日そう思いながら過ごしてる。それでも、僕は滲渼の隣には立てないよ。僕には僕のやるべきことがあるから」

 「…」

 「……兄弟というのはね、尾崎ちゃん。誰だって自分の兄弟のことを大事に思っているものだよ。たとえ一雫程であろうと、ね。だってそうだろう? 生まれたその瞬間から兄や妹を憎むことが出来る程、人間は感情的にはなれないんだから。身も蓋もない言い方をすれば、肉親を守ろうとするのは生物としての本能だ。人間は理性だけで出来ている訳じゃない。………君は、家族を失ったそうだけれど…或いは君にもそんな想いを抱いていた兄弟が、居たんじゃないかな」

 「……兄弟は…誰だって自分の兄弟のことが大事、ですか」

 「うん。こんな安全圏にいる僕が言ったって、説得力は無いかもしれないけれど……出来るなら、心の片隅にでも留めておいて欲しい」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「お前さえいなけりゃ俺の人生はもっと違ってた!! お前さえいなけりゃなあ!!」

 

 

 堕姫の瞳から、涙が零れる。

 

 

 「何で俺がお前の尻拭いばっかりしなきゃならねえんだ!! お前なんか生まれてこなけりゃ良かっ────」

 「嘘だよ」

 

 

 妓夫太郎を遮ったのは、炭治郎だった。尾崎も、彼らの側に座り込む。

 

 

 「本当はそんなこと思ってないよ。全部嘘だよ」

 「…兄弟はね、誰だって自分の兄弟のことが大事なんだそうよ。……貴方たちはどう? 本当のことを言いなさい。────これが、最期なのよ」

 「────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『俺たちは二人なら最強だ。寒いのも腹ペコなのも全然へっちゃら。約束する…ずっと、一緒だ。絶対離れない。ほら……もう何も怖くないだろ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「兄妹」の脳裏をよぎる、過ぎし日の思い出。口をついて、溢れ出していく。

 

 

 「………うる、さい………!!! 何よ…!! アンタらに何がわかるのよ……!!! お兄ちゃんっ……!! お兄ちゃんっ!!! 一緒な゛ん゛でしょ!!? ずっど!!! ぐずっ、離れ゛な゛いって!!! 約束、したでじょ!!? ごべんな゛ざい゛ぃっ!!! 謝る゛がらぁっ!!! アタシの、ことっ!!! 見捨てな゛いでえ゛ぇ!!! 置いでかな゛い゛でよぉ゛ぉっ!!!」

 「…!! う、梅!! 嘘だ!! 全部、嘘だから!!! な!!? 俺が居るから!!! ずっと、側にいる!!! 俺たちは…いつまでも一緒だ!!! そうだろ!!?」

 「ゔんっ!!! ぐすっ、えへへ!!! ずっと、ずっと────」

 「梅ェ!!! 梅────」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────この先に、楽しいことなんてねぇぞ」

 「知らない!! お兄ちゃんと一緒がいい!!」

 「……馬鹿だなぁ。どうしようも、ねぇ奴だなあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…仲直りできて、よかったです」

 「……もっと苦痛と悲嘆の内に死ぬべきだったわ。あんな救われたような死に方…殺された人たちは納得しないわよ」

 「……大丈夫です。報いは必ず、受けているはずですから」

 「…あの世ってこと? 竈門君、意外とそういうの信じてるのね…」

 「あはは……────でも、ありますよ。きっと」

 

 

 

 月は今宵も、煌々と輝いている。

 

 

 





なんかどんどん文字数が増えていってますが、大丈夫です(?)
これから余計に忙しくなり、予告なく更新しない日が出てくるかもしれません。二日以上の間隔は空けないよう努めますので、今後ともよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もう一つの転機

 

 「ふぅん、そうか。ふぅん……。陸、ね。一番下だ、上弦の。陸、とはいえ上弦を倒したわけだ。実にめでたいことだな。陸、だがな。褒めてやってもいい」

 「いやお前から褒められても別に…」

 「そうですよ!」

 「…随分遅かったですね」

 「おっおっ遅いんですよそもそも来るのが!! おっそいの!!」

 「まあまあ、皆さんその辺りで…」

 

 

 戦いが終わり、荒れ果てた吉原の一角。ねちねちと実に嫌らしい言い回しをするのは、伊黒だ。鴉の連絡を受け、救援に来たようだが…一足遅かったらしい。とはいえ、それは彼に限ったことではない。

 

 

 「…何という、惨状だ」

 「! ……よぉ、刈猟緋。派手に手間取っちまった。恥ずかしい限りだぜ」

 「どうやら俺たちは遅かったそうだぞ? この女どもによるとな」

 「貴方とこの人じゃ全然距離が違うじゃないですか!!」

 

 

 伊黒が着いて間もなく、滲渼も吉原に到着した。瓦礫の山を目の当たりにして、珍しく青褪めている。

 

 

 「………尾崎は、何処に居る」

 「安心しろ、向こうの方に鬼の頸を探しに行ってる。ま、身体は崩れてたからな…特に問題はねぇ筈だ」

 「! そうか、感謝する」

 

 

 宇髄が自身の疑問に答えるや否や、すぐさま指し示された方へと移動した滲渼。彼女の消えた方角を一瞥したのち、伊黒は再び口を開いた。

 

 

 「なぜお前が行かないんだ。柱のお前が率先して行うべきだろう」

 「俺たちはコイツ! 鱗滝の面倒見てたんだよ!! 平気な顔してるが重傷者だ!!」

 「すみません、伊黒さん。お話の通り私が原因なので、宇髄さんを責めるのはお止めになってください」

 「…やれやれ。いつから柱は若手介護人になったのか……」

 「…まあ、そう言うなよ。皆よく育ってるぜ……お前の大嫌いな若手もな」

 「………おい。まさか…生き残ったのか? この戦いで────竈門炭治郎が」

 

 

 伊黒の問いに答えたのは、瓦礫の向こうから聞こえて来る声。気に食わない後輩の後を追って行ったらしい若手たちの騒がしい声が、彼の耳に届く。

 

 

 「炭治郎ォォォ〜!!! 生きてて良かったよぉぉ〜ッ!!!」

 「かりかりぴー!! 今回は俺たちがやってやったぞ!! 凄ぇだろ!!」

 「うむ。上弦の撃破、真に見事だ。…尾崎。其方も、良くやった」

 「! …わ、私一人の力じゃ…!」

 「刈猟緋さん! 尾崎さん、凄かったんですよ! 『柱はこんなものじゃない!!』って上弦の鬼を…」

 「や、やめて竈門君!! なんか恥ずかしいから、それ!!」

 

 

 

 「…ふん」

 「……伊黒さん。炭治郎は、まだまだ強くなりますよ」

 「喧しい。ああ、そうだ。鱗滝と言えば、竈門禰豆子についての約定に名を連ねていた筈だな? 無駄口を叩く暇があるなら己の命の心配でもしておけ。切腹の準備でも構わんがな」

 「ふふ、そっちも大丈夫ですよ。禰豆子ちゃんは、人を襲ったりしませんから」

 「だな。今回ばかりは、俺も竈門禰豆子に助けられた」

 「……何だと? 詳しく聞かせて貰おうか────」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「そうか…!! 再び、上弦を倒したか…!! 天元、炭治郎、禰豆子、善逸、伊之助、真菰、あやめ…!! 皆、よくやった!!」

 

 

 産屋敷邸。布団を血反吐で汚しながら歓喜の声を上げるのは、当主・産屋敷耀哉。鴉の気遣う声を意に介することもせず、込み上げる感情のままに言葉を連ねる。

 

 

 「予期した通りだった!! 滲渼が上弦の弐を討って四年!! あの日、五年以内に大きな変化が訪れると……そう感じた通りだった!! あまね!!」

 「はい」

 「わかるか!? これは『兆し』だ!! いや、或いは既に結実し始めているのか…!! いずれにせよ、運命は大きく変わってきている!! 鬼舞辻無惨…!! 我が一族唯一の汚点!! 奴にこの揺らぎが波及する日も、そう遠くはないだろう!!」

 

 

 最早起こしていることにすら大変な苦労を伴う己の身体に鞭を打ち、憎むべきその名を口にする。かつて滲渼が成して以来の、二度目の上弦討伐。百年以上も陥落することのなかった聳え立つ巨壁が、短期間で次々と崩れていく。間違いなく、情勢は変化しつつあった。

 

 

 「(無惨!! 無惨!!! 私たちの代で、お前は倒す!! お前は必ず倒れる!! 必ず…!!!)」

 

 

 血に咽せる耀哉を、あまねたち家族が介抱する。炯炯と輝く盲いた瞳は、ともすれば鬼よりも遥かに恐ろしく思えるほどに力が込められていた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 琵琶の音が、鳴り響く。

 

 上弦たちはそれだけで、何事かを静かに察していた。

 

 

 「(さて…今回は、何奴が死んだのか)」

 

 

 無限城に召喚された猗窩座は、ちらちらと辺りを見回す。前回通りの位置に上弦たちが並ぶ中、堕姫と妓夫太郎の姿が見えない。

 

 

 「(……成程な。結局は弱者から死んでいくという訳だ…しかし、わかっていても腹立たしい。何を人間如きに敗れているのか…────!! チッ…!!)」

 

 

 殺されたのだろう上弦の陸を内心で侮蔑する猗窩座。だが、彼の頭を掠めるのはあの日の光景。完膚なきまでに叩きのめされ、あまつさえ同じ拳打ですら上回られた苦い記憶。

 

 

 「(……俺は負けてはいない…!! 夜が続いていたならば、俺が勝っていた筈だ!! そうだ…!! 俺は太陽から逃げたのだ!! 負けを認めた訳ではない!!)」

 

 

 自分に言い聞かせることで、忌々しい経験の痛みを少しでも和らげる。だが、その苦しみが完全に癒えることはない。あるとすれば、滲渼を猗窩座自身の手で殺す以外に術はないだろう。

 

 

 「(奴は必ず…俺がこの手で……!!)」

 

 

 どうにか苛立ちを治めた彼は、無惨からの指示を待たずして膝を突いて頭を垂れる。前回のことで懲りたのか、玉壺と半天狗も黙って無惨の到着を待っているようだった。

 

 

 「あの…猗窩座様? これは一体…」

 「……黙って俺と同じようにしろ。無惨様がいらっしゃる」

 「! は、はい」

 

 

 上弦として呼ばれたのは初めてである瞢爬も、彼らに倣って静かにその時を待つ。特に彼は無惨から「目の前で喋るな」と言われている以上、声を出すことは好ましくなかった。

 

 

 

 再び、琵琶の音が鳴る。

 

 

 

 現れたのは、実験器具をその手に携えた無惨だった。

 

 

 「……妓夫太郎が死んだ。またしても…上弦が欠けた」

 

 

 短い言葉の中に、激しい怒気を感じた上弦たち。何か口出しするでもなく、次の言葉をひたすらに待つ。

 

 

 「妓夫太郎は負けると思っていた。案の定、堕姫が足手纏いだった。初めから妓夫太郎が戦っていれば勝っていた。そもそも堕姫を何処かに隠して……いや、もうどうでもいい。────期待して、裏切られて…お前たちにはほとほと愛想が尽きた。私は二度とお前たちに期待しない」

 

 

 無惨は声を荒らげることはせずに、淡々と上弦への怒りを述べた。時折彼が実験器具を繰る音が聞こえ、少しして再び話し出す。

 

 

 「…だが、もしも。少しでも私を喜ばせようという気概があるのなら…是非とも自分の成果を告げてみせろ」

 「………む、無惨様!! 私は、ほんの今しがた!! 鬼狩り共の生命線ともいえる刀鍛冶の集う隠れ里について、情報を得た所で御座います!! 恐らくは、そこさえ────」

 「恐らくは?」

 

 

 震えながら声を発した玉壺。彼は無惨に、彼らにとっては極めて有用な情報を掴んだのだと話した。そのまま自身の推論を語ろうとした所で────いつぞやと同様に、頸を無惨に捥ぎ取られる。

 

 

 「まだ確定していない情報を嬉々として伝えようとするな。これ以上私をぬか喜びさせてくれるな。わかったか?」

 「も…勿論で御座います……!!」

 

 

 玉壺の頸を手放すと、彼ともう一人の上弦に無惨は命令を告げる。

 

 

 「玉壺。情報が確定したら半天狗と共にその隠れ里とやらへ向かえ。私が納得できる成果を上げろ」

 

 

 彼が話し終えるのと同時に襖が閉じられ、無限城から無惨の気配が消える。半天狗と玉壺は命令の内容について各々の反応を示しながら、帰還に備えようとしている。

 

 

 「ああ……また、伝え損ねてしまいましたね…」

 「……刈猟緋滲渼のことか? 以前もそのことで咎められただろう。だというのに、強いて無惨様にお伝えするようなことではない。奴を倒すというのなら俺だけで十分だ」

 「………不可能だと、思いますがね…」

 「…チッ。貴様にとやかく言われる筋合いは────」

 「……ふむ………刈猟緋、か……」

 「!」

 

 

 無惨を目にし、今度こそしっかりとした注意喚起をと意気込んだ瞢爬だったが…どのようにして伝えようかと腐心している内に、無惨が去ってしまった。()()()()()()()()()()()ので、出来る限り早めに対応案を伝えておきたいと考えている瞢爬。そんな彼を猗窩座は窘めて────思わぬ人物の登場に驚く。

 

 

 「……黒死牟。何の用だ」

 「…取り立てて……用事があるという訳ではない………。ただ……いと懐かしき名が…聞こえた故…」

 「懐かしき名、ですか…?」

 

 

 上弦の壱・黒死牟。彼は刈猟緋の姓、その名をしばしば耳にした……人間時代の記憶を語る。

 

 

 「戦国の世……刈猟緋は、さしたる名家でもなかったが……その打たれ強さだけは…広く知られていた…。よもや………この大正の世にまでその名を残していようとは……」

 「ほうほう…中々、面白い話で御座いますね。その血もまた、しぶとかったという訳ですか」

 「……だが、それでは奴の強さの説明がつかん。打たれ強いなどという話ではなかったのだぞ」

 「………刈猟緋の子孫は…強者か」

 「! ……いずれ、俺に殺されるがな」

 「……そうか…励む…ことだ…」

 

 

 話の流れで、自ら人間を強いと口にしてしまったことに再び苛立ちを見せた猗窩座。黒死牟は思い出話に満足したということなのかどうなのか、そのまま彼らの許を離れる。

 

 

 「(しかし…確かに彼女は、打たれ強いだとかそういった次元の存在ではなかった。勿論、血筋で全て決まるなどということはありはしないが……或いはそこに、彼女に対する不思議な既視感の正体が…隠されているのだろうか)」

 

 

 そう間をおかずに、猗窩座たちも無限城から帰される。

 

 

 

 

 

 瞢爬の疑問は、未だ彼自身の中に留まったままだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

それぞれが少しずつ

 

 吉原遊郭での戦いから二週間。炭治郎と尾崎が同じ日に療養を終え、これにて真菰以外の任務参加者全員の負傷が完治したということになった。機能回復訓練に参加するその前に、炭治郎は真菰の病室に足を運ぶ。

 

 

 「真菰さん、おはようございます。体の調子はどうですか」

 「おはよう、炭治郎。もう少しすれば、動けるようになるよ。運良く内臓には届いてなかったみたい」

 「そうですか…大事に至らなくて良かったです。尾崎さんは、もう?」

 「うん、つい先刻訓練場に。炭治郎も機能回復訓練でしょ? 頑張ってね」

 「はい! 頑張ります!」

 

 

 既に目を覚ましていた真菰と短く会話を交わし、尾崎の後を追う形で機能回復訓練に臨むこととなった炭治郎。姉弟子の怪我が早く良くなるようにと祈りつつ、訓練場へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 そうして始まった機能回復訓練。尾崎は初めてなのに対して、炭治郎はこれが二度目。多少なりとも手本になれるだろうかと彼は考えていたのだが…

 

 

 「お、尾崎さん凄いですね……順応が早いというか………同じ二週間なのに、この差は…」

 「……私自身吃驚してるわ…。こんなにも動けるものなのね……」

 「不思議です…。まるで安静にしていた筈の二週間も隠れて鍛錬していたかのような…」

 「…!? き、きよちゃん! そんなことしてないわ、本当よ!? そんな顔で見られても困るわ!」

 

 

 なんと尾崎は、身体の柔軟性以外は殆ど以前と遜色ない動きを見せたのだ。きよが「まさかこの患者」とでも言わんばかりの視線を彼女に向けるが、尾崎としても自身の動きに驚いている。疚しいことなど何もないのだ。

 

 

 「だとすると……『呼吸』の違いでしょうか? 尾崎さんの『咢の呼吸』は、あの刈猟緋さんが編み出した呼吸ですから…何かとんでもない効能が付随していてもおかしくはないかと」

 

 

 そんな中アオイが指摘したのは、「咢の呼吸」の特異性。要するに、体力の低下を抑えるような効果でもあるのではないかと言いたいらしい。尾崎としても、納得のいく話であった。

 

 

 「確かにあり得るわ…実はね、咢の呼吸で全集中・常中ができるようになったの、一年程前のことなのよ。単純に、凄く大変なの。呼吸を習得するのにも何年も掛かったし…刈猟緋さんが気付いていないだけで、そういう効果があるのかもしれないわね」

 「それはそれで、信じ難い話ではありますけど…」

 

 

 とはいえ、そういった副次的効果に変化や強化が現れるという話には前例が無い。全ての呼吸の副次的効果は身体能力の向上などに留まるため、咢の呼吸はやはり例外中の例外なのだと考えられた。

 

 

 「何にせよ、これ以上考えても仕方がないですね。とにかく尾崎さんが強くなったということでいいでしょう」

 「………凄くいい加減な纏め方をされたような……」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「あら…新しい刀、届いてたのね」

 「! そっか、尾崎さんも折れてたんですよね。俺も一応、少し前に届いたんですけど……」

 

 

 その日の訓練を終え、尾崎が手にしたのは新たな日輪刀。妓夫太郎の頸を斬り付けた際に折れてしまっていたのだが、療養中に蝶屋敷に届けられていたようだった。

 

 刀と聞いて苦い顔をするのは、炭治郎だ。彼もまた堕姫との戦いで酷く刃毀れした刀を新調したのだが…彼の担当である鋼鐡塚螢は、己の刀が損なわれることを異常に嫌う。その結果…

 

 

 「鋼鐡塚さんにお見舞いついでに渡して貰って、その時は特に気にしてないように見えたんです。でも、夜中にふと目を覚ますと…」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…ない……さない」

 「……ん…?」

 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない……!!

 「ギャアアアアアアアッ」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「こ…怖ッ! えぇ!? 何よ、帰ってなかったの!?」

 「はい…確かに帰っていくのを見送ったんですけど、いつの間にか病室に潜り込んでいたみたいで……結局、騒ぎ声を聞きつけたしのぶさんに追い出されてしまったんですが」

 「それはそうでしょう………竈門君、担当の人変えてもらった方が良いんじゃない?」

 「いえ、悪いのは鋼鐡塚さんじゃなくて俺ですから。俺がもっと上手く刀を使えるようになれば良い話です」

 「本当に真面目ねぇ……真面目すぎるくらいだわ」

 

 

 鋼鐡塚の呪詛じみた振る舞いにも、炭治郎は腹を立てることなく精進の切っ掛けとしていた。ここまで来ると炭治郎の方も中々だと思いながら、尾崎は届いた刀の柄を握る。

 

 鞘からは、まだ抜かない。

 

 

 「…尾崎さん?」

 「……竈門君。私の刀の色、覚えてるかしら」

 「あ……はい。えっと、鋼色だったと思います」

 「うん…そうね。……あれはね、染まってなかったのよ。或いは薄らと何色かに染まっていたのかもしれないけれど…それでも、わからない程度で」

 「え? でも、尾崎さんは刈猟緋さんの継子で…」

 

 

 それは、炭治郎にとって驚くべき事実だった。日輪刀の色が変わらないというのは、つまり呼吸の才能が無いということだ。比較的容易であるとされる水の呼吸ならば努力を積めば身につけることも不可能ではないだろうが、それ以外の呼吸……ましてや派生させた癖の強い呼吸など、習得出来る筈もない。それでも尾崎は、咢柱の継子として咢の呼吸を習得している。

 

 

 「(確かに、刈猟緋さんの刀は鮮やかな色だった。しかも、次々と色が変わる。玉虫色……本当に綺麗な刀。だけど、尾崎さんは…)」

 

 「『咢の呼吸』を習い始めて…かれこれ四年か五年か。刀の新調は、初めてなの。私はまだ、咢の呼吸の技だって全てを使えるまでには至っていない。………色は、変わっているかしら」

 「尾崎さん」

 「!」

 

 

 尾崎の手は、震えていた。色が変わっていないのなら、それは「咢の呼吸」も彼女の適性ではなかったということ。刀を抜く決心が、つけられないでいるのだ。

 

 だからこそ、炭治郎は彼女の背中を押した。

 

 

 「大丈夫です。刀の色が変わっていなくても、尾崎さんは刈猟緋さんの継子です。凄い呼吸を使う、凄い人です。────だから、安心して刀を抜いてください」

 「……!!」

 

 

 尾崎の心の靄が、晴れる。

 

 

 「────ありがとう、竈門君。その通りね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一息に抜き放った日輪刀は、仄かに玉虫色を帯びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……うん。綺麗」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それから一ヶ月と少し、取り立てて大きな出来事は無かった。しかしながら、何も変化が無かったのかと言われればそういうことでもない。炭治郎が任務に復帰し、鬼殺の日々を過ごす中で…禰豆子にも、少しばかり異変が生じていた。

 

 

 「……特に問題は無いようです。今は見た目も普段通りですし、当分暴走の心配は無いかと思います」

 「本当ですか!? ……禰豆子に、一体何が起きているんでしょうか…」

 「…簡単な話です。鬼化が進行しているんですよ」

 「鬼化が、進行……」

 

 

 ある時のこと、炭治郎は少しばかり苦戦したことがあった。無論彼一人で十分にどうにか出来る相手ではあったのだが…彼と共に戦っていた禰豆子は、危機感を覚えたらしい。

 

 その姿を成人女性程にまで成長させると、以前よりも遥かに強力な力を獲得。そのまま相手取っていた鬼を一方的に蹂躙してしまった。更には理性を飛ばしかけ、付近の民家へと突っ込んで行こうとしたのを炭治郎が阻止。羽交い締めにしつつ噛み砕いてしまった竹の轡の代わりに刀を噛ませ、何度も何度も呼びかけてどうにか彼女を落ち着かせたのである。

 

 

 「私自身、毒の調合などの関係上鬼についてはそれなりに詳しいと自負しています。今の禰豆子さんの状態は、有象無象の鬼が血鬼術を獲得しようとしている段階…或いは十二鬼月級の存在へ至ろうとしている段階に近しいものです。人を喰わない分、その成長は変則的であるようですが……鍵となるのは、炭治郎君だと思いますよ」

 「俺、ですか…?」

 

 

 禰豆子は今、一定の壁を越えようとしている段階にあるのだとしのぶは話す。その上で炭治郎に言い聞かせるのは、禰豆子が「人」であり続けるための方策。

 

 

 「炭治郎君が傷つけば、禰豆子さんは悲しみ、怒ります。それは急激な成長を彼女にもたらすでしょうが、今回のように暴走する危険と隣り合わせとなるでしょう。最も良いのはこれ以上貴方が怪我をしないことですが…そうでなくとも、ただ彼女の側に居てあげてください。……互いに守るべき者の存在がわかっていれば、貴方たちはどこまでも強くなれる」

 「しのぶさん…」

 「あらあら、良いこと言うわねしのぶ」

 「! ね、姉さん!? いつからそこに!?」

 「さぁ〜、いつからだったかしら」

 

 

 炭治郎と禰豆子の絆を肯定するような、しのぶの発言。彼女にも禰豆子のことが認められつつあるのだと炭治郎は感激し、いつの間にかその場に居たカナエは鬼嫌いの妹から出たとは思えない台詞を茶化す。

 

 

 「全くもう…!」

 「…ねぇ、しのぶ」

 「……何、姉さん」

 「禰豆子ちゃんとは、仲良くできそう?」

 「………ええ、まあ」

 「うふふ、そう。良かったわ。炭治郎君、これからも頑張ってね」

 「はい、ありがとうございます!」

 

 

 

 心体問わず、誰もが少しずつ成長していく。そんな二ヶ月が過ぎて行ったのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

渾沌に呻く

 

 ある日のこと。蝶屋敷の縁側、渋い顔をした炭治郎が見つめるのは数枚の手紙だ。

 

 

 「(鋼鐡塚さん、滅茶苦茶怒ってる…)」

 

 

 すみたちから渡されたその手紙は、彼の担当刀鍛冶である鋼鐡塚からのもの。禰豆子の轡代わりに使ったせいでボロボロになってしまった刀を再び新調しなければと考えていた炭治郎だったが、鴉の連絡に対して帰って来たのは怨念の塊のような手紙だけ。その後一週間程待ってはみたものの、新たな刀が届けられることは無かった。

 

 そういうわけですみたちが炭治郎に伝えたのは、刀鍛冶の里へ赴いて直接話をしてみてはどうかという提案。許可があれば行くことができると知らなかった炭治郎は目を丸くしながらもその提案に乗り、刀鍛冶の隠れ里へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 ────そしてこれは、その裏で起きていた話。

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「………あれが、富士の山…」

 「満足したか? 偶々この辺りに来ていただけなんだ……呑気に山を見つめていられるような余裕は無いぞ。『青い彼岸花』の情報が得られなければ、早々に去る」

 「……………違う。あの山では、ありません」

 「ちっ……貴様の我儘に付き合わされる俺の身にもなってみろ。これ以上探し回るような面倒な真似はせん。とっとと行くぞ」

 「……はい」

 

 

 東京府を離れ、無惨の求める「青い彼岸花」について調べているのは猗窩座と瞢爬。尤も瞢爬は猗窩座について来ただけで、その捜索にはあまり積極的では無い。彼が熱を上げているのは、専ら己の記憶を辿る旅だ。

 

 

 「(どうしてなのだろうか。猗窩座様と共にこの国の至る所を巡ったというのに、気になるものに限って見つからないのは……。私は一体、どこであれらを見たのだろうか)」

 

 

 記憶の混濁は、以前にも増して酷くなった。以前猗窩座に教えられたこととして、人間だった頃の記憶は鬼になって時間が経てば経つほどに薄れていくらしいというのは知っている。だが、どうも瞢爬はそうではないらしい。

 

 

 「(知らない記憶が増えていくばかり。きっと人であった時のものなのだろうが……こうもわからないことだらけでは、頭が割れてしまいそうだ)」

 

 

 漠然とした、形容し難い不安感。記憶と己が乖離していくような、奇妙な感覚。唯一確かなものとして強く意識したのは、一人の鬼狩りの存在だ。

 

 

 「(刈猟緋滲渼…。彼女とは、あの日初めて会った筈だった。彼女の方も私と会ったことはない筈だと言っていた……しかし互いに、何かを感じた。………これは、偶然なのか?)」

 

 

 彼女のことを考えると、無性に背中の辺りが疼く。己が血鬼術を行使した際に、禍々しい翼を伴った巨腕が突き出る位置。瞢爬は茫然と猗窩座の背を追いながら、頻りにその辺りを気にしている。

 

 

 「(……教えてくれ。()()は………何を知っているんだ?)」

 

 

 肉体の一部に問うたとて、答えが返ってくることはない。それでも彼は、繰り返し同じ質問をする。どうしても知らなければならないような、そんな気がして。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「さて……手をつけていくとするか。来い瞢爬」

 「……はい、猗窩座様」

 

 

 猗窩座は百年以上も「青い彼岸花」の発見に心血を注いでいる。勿論彼にとっては強者との戦いも望むべきことではあるのだが、無惨に任された使命を遂行することは何よりも優先される。他の上弦についてもそれは同じであるとはいえ、彼程真面目に「青い彼岸花」を探している者は居ないだろう。

 

 そして一世紀を超える月日をただ一つの花の捜索に費やしてきた猗窩座は、その捜索範囲をある程度絞り始めていた。

 

 

 「この港は大きい……何かしらの手掛かりが見つかる見込みは十分考えられる」

 「はあ……そうですか」

 「…生返事する暇があるなら手を動かせ」

 

 

 それは…港。彼が目をつけたのは、海外からの輸入品だ。これだけ国内を探しているのにも関わらず一向に見つからないということは、そもそも彼岸花の原種同様外つ国由来の植物なのではないか……そう、猗窩座は考えたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …しかしながら、彼の奮闘と努力が報われることは無い。

 

 「青い彼岸花」という植物は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()などというあまりにも埒外な生態を有している。従って、鬼が独力でこの植物を手に入れることはどう足掻いても不可能なのだ。人間社会に溶け込んでいる無惨であっても、ここまで限られた条件の植物の情報を仕入れることはまず出来ない。

 

 無惨の求めるものは、少なくとも一つは未来永劫彼の手に渡ることは無い………のだが、そんなことを知る由もない上弦の鬼たちは今日も今日とて無意味な捜索に励むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あっ、猗窩座様見てください。植物の……図鑑、でしょうか? 丁寧に挿絵が載っていますよ」

 「……外つ国の言葉が読めなければ無意味だろう。…とはいえ、『青い彼岸花』について記されていないとも限らんな。念の為持っていろ」

 「はい」

 

 

 猗窩座に図鑑を確保しておけと告げられた瞢爬は、彼が青い彼岸花の捜索を続けるのを尻目に図鑑をぱらぱらとめくる。もしかすると、この中に記憶の手掛かりとなるような植物が載っているかもしれないと考えたのだ。

 

 

 「(……しかし、当然ではあるがまるで字が読めない。意味が理解できたなら、少しは助けになったのだろうが……国内の図書も、可能ならば確認したい所だ)」

 

 

 目に入るのは、文字とも認識できない記号の羅列。かなり出来の良い挿絵がなければ、瞢爬にとっては流し見る価値も無い代物だっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────つまるところ、彼がここでこの図鑑を手にしたことは…不運以外の何物でもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────────」

 

 

 

 頁をめくる手が、止まる。

 

 

 

 「(────似て、いる。雲を衝く山の、小さな植物。霞のような……この爪先で触れるだけで、押し潰せてしまいそうな程に儚い────)」

 

 

 

 

 

 目を向けたのは、己の掌。

 

 

 

 

 

 「(────そんな馬鹿な。私の指は……幾らなんでもそこまで大きくはない。……一体、何が…)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 誰かが、目の前に立っている。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(!? ……まただ…! やはり、暗い…!! 覚えのない、記憶……!! 暗雲の立ち込める、空────)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 その()()とは、何度も戦った。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(……………見たことは無かった それでも一目で理解できた)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 翼を、広げる。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 吼え、猛る。

 

 

 ーーーーー

 

 

 六つの脚で、駆け出した。

 

 

 ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 猗窩座が異変を察知したのは、瞢爬が港の積み荷を崩したためだった。

 

 

 「おい…何をしている? 余計なことは…」

 「猗窩座、様…!!? こ、れは、()か……!!? き、記憶が……!! 過去が、混じって…!! おかしいんです!!! 私は、私は────

 

 

 

 

 

────私は一体………何者なんだ!!?

 

 

 

 

 

 血鬼術が、暴走する。

 

 

 「!!? 瞢爬!!! 貴様、何を…!!」

 「戻ら、なくては………何処へ? …何処かへ…!! う、ぐぅぅゥ……!!」

 「何だというんだ……!! 『破壊殺・羅針』!! まずはその翼を捥いで────」

 

 

 

 

 

 飛び出した闇が、剥がれ落ちていく。

 

 

 

 

 

 「な────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────猗窩座が気付いた時には、既に瞢爬は消え去っていた。

 

 

 倒壊した倉庫の瓦礫を押し退け、遠い富士の山を見遣る。無惨から何と言われるだろうか……そんなことを考えながらも、視線はその頂に被さった夜の闇よりも暗い雲に注がれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギュァァァァァォォォン────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





というわけで、刀鍛冶の里編はカットです。下手に手を出すと立たなくなってしまうフラグがそれなりにあるので…原作とほぼ同じ流れで進みましたということで一つ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悲願

 

 炭治郎が刀鍛冶の里に滞在している間に、様々な出来事があった。同期である不死川玄弥や、恋柱・甘露寺蜜璃、そして新たな柱である霞柱・時透無一郎との交流。絡繰人形の中に隠されていた一振りの刀。体格が変わった鋼鐡塚。

 

 そして…上弦の肆、伍の襲来に加え、禰豆子の太陽克服。

 

 状況は、これまでになく大きな変化を迎えようとしていた。

 

 

 「あーあァ…羨ましいことだぜぇ。なんで俺は上弦に遭遇しねえのかねえ」

 「こればかりはな…遭わないものはとんとしない。甘露寺と時透、その後体の方はどうだ」

 「あっ、うん! ありがとう! 随分良くなったよ! (キャッ!! 心配してくれてる!!)」

 「僕も…まだ本調子じゃないですけど…」

 

 

 当然柱とて例外ではない。この日彼らは、緊急の柱合会議にて顔を合わせていた。理由は、甘露寺と無一郎に現れた異変。

 

 

 「しかし、今回は派手にツイてたと思うぜ。言いたかねぇが…下手すりゃあ柱が欠けてもおかしくなかった。上弦二体ってのは、それだけド派手にやべぇ事案だ」

 「その通りだ…この度誰も欠けることがなかったのは、何よりも尊く幸運であったといえるだろう」

 「…蜜璃と無一郎は、決して軽くない手傷を負っていたと聞いている。だが……だとすれば、これだけの短期間で癒えたというのは奇妙なことだ」

 「ええ…今回のお二人の傷の治りは異常なまでに早いです。何があったんですか?」

 「その件も含めてお館様からお話があるだろう」

 

 

 今回半天狗・玉壺とそれぞれ戦った蜜璃たちは、どちらも復帰が信じられない程に早かった。常人のそれを逸脱した回復速度、自身の異常を正確に把握しているのは無一郎だけだ。

 

 義勇が口を開いて間もなく、あまねが子供らを連れて柱たちの前に姿を現す。

 

 

 「大変お待たせ致しました。本日の柱合会議…産屋敷耀哉の代理を、産屋敷あまねが務めさせていただきます。そして当主の耀哉が病状の悪化により、今後皆様の前へ出ることが不可能となった旨…心よりお詫び申し上げます」

 

 

 彼女の台詞を聞いた九人の柱は揃って頭を下げ、代表して悲鳴嶼が了解を述べた。

 

 

 「承知…お館様が一日でも長く、その命の灯火燃やしてくださることを祈り申し上げる…。あまね様も御心強く持たれますよう…」

 「……柱の皆様には心より感謝申し上げます」

 

 

 僅かながら心の揺らぎを見せたあまねだったが、すぐに気を引き締める。ここからは、己が耀哉の代わりをしなければならないのだと…己に言い聞かせて。

 

 彼女はそのまま、太陽を克服した禰豆子を無惨が狙うだろうということ、そしてそのために総力を挙げてかかってくるだろうということを話した。即ち、戦力で劣る鬼殺隊は何としてもそれまでに力をつける必要がある。

 

 

 「上弦の肆・伍との戦いで、甘露寺様・時透様の御二人に独特な紋様の痣が発現したという報告が上がっております。御二人には痣の発現の条件を御教示願いたく存じます」

 「!?」

 「痣?」

 

 

 そのためにあまねが縋ったのは、産屋敷家に伝わる伝承。戦国時代からの逸話に基づく希望の復元だ。

 

 

 「戦国の時代…鬼舞辻無惨をあと一歩という所まで追い詰めた始まりの呼吸の剣士たち。彼らは全員に鬼の紋様と似た痣が発現していたそうです」

 「「「!?」」」

 

 

 柱たちの間に走る激震。聞いたこともない話ではあるが、あまねによれば知っている者は知っているのだという。不死川が何故これまで教えてくれなかったのかと問い、再びあまねがそれに答える形で話し出す。

 

 ────ただ一人。滲渼は目を瞠り、己の左頬に手を添えていた。

 

 

 「────『痣の者が一人現れると共鳴するように周りの者たちにも痣が現れる』………? 刈猟緋様? 如何なさいましたか」

 「……いえ………その痣とやらが……例えば。生まれついて発現していたというような者は、居たのでしょうか」

 「……? いえ、そういった言い伝えは────────」

 

 

 

 

 

 あまねの顔が、硬直する。

 

 

 

 

 

 「────失礼ながら。左頬の、爪痕は……()()()()()?」

 「否。────此れは、痣に御座います。母によれば……私は此れを、生まれ落ちたその時から携えていたと」

 「!!!」

 

 

 

 

 

 あまねにとって……予てから、不思議ではあった。上弦の弐を討ち、その後参と新たな弐を同時に相手取って圧倒するような彼女が、一体何者に傷を負わされたのかと。入隊の時点から、熊を相手にしたとしてもまるで怪我を負うようには思えない彼女が、癒えず残る程に深い爪痕を何に負わされたのかと。

 

 

 

 

 

 何のことはない。

 

 

 

 

 

 そもそも、傷などではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 「………コイツは派手にぶったまげたな。要は、その訳わかんねぇ痣が浮き出せば強くなるって話だろ? ────そんでもって…刈猟緋はこの世に産まれた瞬間からその痣を出してた訳だ。テメェ前世で世界でも救ったのか?」

 「人の能力は生まれつきある程度決まっているものですが…ここまで来ると、笑うしかありませんね」

 

 

 宇髄としのぶが苦笑いを浮かべ、滲渼の顔を見た。他の柱たちも少なからず反応を示したが、あまねに至ってはその衝撃が一目でわかる程に動揺している。

 

 

 

 …それもその筈。彼女は痣の発現に()()があるということも、良く知っているからだ。

 

 元よりそのつもりではあったが、どうあっても今回の好機で全てを終わらせなければならなくなった。

 

 

 「……刈猟緋様の痣が、件の痣であるかどうかはわかりませんが…生まれついてのものであれば、条件などはわからないかと存じます。ですので、御教示願います……甘露寺様、時透様」

 

 

 とにかく、先ずは痣の詳しい発現条件を広めることが優先。今回二人と同様に痣を出した炭治郎の報告は真面なものではなかったので、彼らから聞き出す必要がある。

 

 

 しかし…

 

 

 「(あまね様素敵…!) はっ、はい!! あの時はですね、確かに凄く体が軽かったです!! えーっと、えーっと……! ぐあああ〜ってきました! グッてして、ぐぁーって! 心臓とかがばくんばくんして耳もキーンてして、メキメキメキィッて!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 産屋敷邸の空気が凍る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(教えることが下手な者は、皆同じようなことを言うのだな…)」

 

 

 滲渼は闘志の稽古指導に、一人思いを馳せた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 その後、何とか無一郎から参考に足る情報を得られたあまね。彼女は柱たちに、告げなければならない事実を告げる。

 

 

 「ただひとつ…痣の訓練につきましては、皆様にお伝えしなければならないことがあります」

 「何でしょうか…?」

 「もうすでに痣が発現してしまった方は、選ぶことができません……痣が発現した方は、どなたも例外なく────」

 

 

 まだ若い、三人の柱に目を遣って。

 

 

 

 

 

 「────齢二十五を迎える前に命を落とします」

 「…え?」

 

 

 声を漏らしたのは、甘露寺だった。そして…滲渼もまた、明確に表情を強張らせる。

 

 

 「……やはり…無理が、あるのですね。恐らくは…人間が三十九度の体温を維持するということ自体に」

 「…詳しいことはわかりません。ですが、二十五を超えて生きたという者の記録がない。………よく、お考えになられますよう」

 

 

 

 

 

 あまねたちが退室して暫く、柱たちは言葉を発さなかった。その理由は様々だが…しのぶは、唇を震わせて刈猟緋に問う。

 

 

 「………刈猟緋さん…体温を、測ったことは?」

 「…無い。だが、産婆を担った者曰く……私の体温も、平常より高かったそうだ」

 「………そう、ですか」

 

 

 これで、滲渼の痣があまねの話した痣であることはほぼ確実となった。つまり…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────五年先には、滲渼は居ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…悪ぃ刈猟緋。考え無しに言っちまったな」

 「気にすることはない。これもまた、私の運命だ」

 「ま、わかりやすくなったんじゃねえかァ。今回で終わらせちまえば良いってだけだァ」

 「うむ…しかし、そうなると私は一体どうなるのか…南無三…」

 

 

 だが、悲嘆に暮れている暇はない。最早取り返しがつかないのであれば、ひたすらに進むのみだ。後ろを向くのは、全てが終わった後で良い。

 

 

 「…刈猟緋」

 「案ずるな。思う所が無い訳ではない。なれど、成すべきことを成さねばならぬ。それが我等の務めぞ」

 「…そうか」

 

 

 同期である義勇が、滲渼に声を掛けた。彼女の返答は、柱としての責務を訴えるもの。それを受け、義勇は口を閉ざしたが…それでも、限られた命を燃やす()()に恥じない自分でありたいと、上げかけた腰を再び下ろす。

 

 

 「まずは、今後の立ち回りでも決めてくかァ?」

 「…そのことだが……ひとつ提案がある」

 

 

 …全ては、皆が願う平和を実現させるために。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…無惨様。申し訳、ありません」

 「? ……あぁ、そうか。瞢爬が何処ぞへと消えたのだったな。安心するがいい猗窩座……今の私は実に気分が良い。許してやろう、奴のことなど捨ておけ」

 「!? …そのことについて、私をお呼びになられたのでは?」

 

 

 所変わって、無限城。召喚された猗窩座は早々に謝罪を口にしたが…なんと、罰や罵倒が飛んで来ることは無かった。どうも、無惨はいつになく上機嫌らしい。

 

 

 「これよりお前たちは、とにかく人を喰って強くなれ。散りばめた鬼はじきに無限城に回収する、その分黒死牟とお前の取り分が増えるという訳だな」

 「…『青い彼岸花』の、捜索は?」

 「くくく、その必要はもうない。瞢爬の顔を見る必要も無くなった…! 太陽を克服した鬼が、現れたのだ!! 鬼狩りを滅ぼし、かの鬼…竈門禰豆子を喰らうための備えを進める!! 私の悲願が叶うその日が、すぐそこまで近付いているぞ…!!! 究極の生物となる、その日がな!!!」

 

 

 歓喜に声を張り上げる無惨。猗窩座としても瞢爬から解放されたことは喜ばしいことではあったが、それ以上に気にかかるのは滲渼のことだ。

 

 

 「…無惨様。一つだけ、望みを申し上げてもよろしいでしょうか?」

 「……ふむ。言ってみろ」

 「刈猟緋滲渼は、私が相手をしても?」

 「何だ…そんなことか? 好きにするがいい、その時が来ればお前とあの女をぶつけるように鳴女に言いつけておこう」

 「はっ…! ありがたき幸せ!」

 

 

 無惨は、変わらず滲渼に何の危機感も抱いてはいない。数多いる人間の一人でしかないと…そう考えている。故に、猗窩座一人に彼女を任せることにしたのだ。

 

 

 

 それぞれが、決戦に向けて…最初の一歩を踏み出した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

生きるべく足掻け

 

 「遅い遅い遅い遅い!! 何してんのお前ら意味わかんねぇんだけど!! まず基礎体力が無さすぎるわ!! 走るとかいう単純なことがさ!! こんなに遅かったら上弦に勝つなんて夢のまた夢よ!? ハイハイハイ、地面舐めなくていいから!! まだ休憩じゃねぇんだよもう一本走れ!!」

 

 

 宇髄が叱咤を浴びせているのは、継子でもない普通の隊士たち。携えた竹刀でへばった彼らの背を叩き、徹底的に走り込みを行わせている。

 

 これは、新たに始まった「柱稽古」。鬼の出現が止んだ今、余裕の生まれた柱たちは鬼殺隊全体の強化に奔走することになったのだ。甲以下の全ての隊士は宇髄から始まり、七名の柱の許を順に巡っていく。それぞれの稽古で力をつけ、最低限上弦を相手になす術なく死ぬことが無いように。

 

 

 

 しかしながら、この稽古に積極的な参加が出来ない柱も居る。

 

 まずしのぶだが、彼女は他の隊士に稽古をつけている暇が無い。耀哉からの命により、様々な薬の開発をしなければならないのだ。

 

 

 

 そして…もう一人は、滲渼。

 

 

 

 

 

 「………やはり…()()()、か」

 

 

 何処かの森の中、彼女は何かを手に取り布に包む。辺りは日射しが木々に遮られて暗くなっており、更には至る所に何かが暴れたような痕跡が残っている。

 

 

 「(……鬼の気配の残滓が感じられる。間違いなく、つい先日までは生きていた筈の。だが、此処で力尽きた)」

 

 

 回収物の一部を、大太刀で斬りつける。すると、鬼の肉体同様に塵と化して消えてしまった。

 

 

 「(鬼としての…血鬼術としての性質は、有したまま。幸か不幸かで言うならば、確実に幸だとは言える。しかし……こういった場に()()が遺されているという可能性は、決して高くない。ともすれば、鬼舞辻無惨よりも余程拙い存在が野に放たれたやもしれぬというのに)」

 

 

 改めて布に包んだものを懐に納め、その場を後にする。

 

 ────これが、滲渼が稽古に参加出来ない理由だ。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…上弦の弐の血鬼術、ですか?」

 「あれは……何があっても、野放しにしてはなりませぬ。ひいては、単独での行動をお許し頂きたく」

 

 

 少し前。滲渼は耀哉の代理を務めるあまねに、瞢爬について単独での探索・調査がしたいと訴え出た。猗窩座の一件…「狂竜化」に加え、近頃世間で騒がれている「()()()()」の噂から、状況は日々悪化していると判断。今回の好機を利用し、少なくとも対抗手段を確立させるべきだと考えたのである。

 

 

 「……構いません。産屋敷耀哉が申しておりました…刈猟緋様の申し出があれば、容認するようにと。恐らくは、並ならぬ何かがあるのだと存じます。是非ともお望みの通りになさってください」

 「はっ。御厚意、真に痛み入ります」

 

 

 以降、彼女は各地────特に、「紫黒の雲」が目撃された周辺地域を探して回った。その対象は瞢爬であり、また…

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「………これ、は…?」

 「…あまり直視してはならぬ。魅入られるぞ」

 「! あ…す、すみません。ありがとうございます………それで、その水晶のようなものは一体…」

 「────狂竜結晶。名を付けたのは…そうだな、一先ずは私であるとしておこう。…これは、上弦の弐の力の一端だ」

 

 

 蝶屋敷に赴いた滲渼は、しのぶに回収物…「狂竜結晶」を見せた。疑問を募らせる彼女に、適宜返事を行っていく。

 

 

 「血鬼術の一部、ということですか?」

 「然り。……其方には、此の結晶の内に燻る成分を沈静化させる薬の開発を頼みたい。引き受けては、くれまいか」

 「…やれることは、やってみます。ですが、何故…? 上弦の弐との戦いでは、参も居合わせた中で終始優勢だったそうですが……どうしても対策が必要なのでしょうか?」

 「……うむ。必ずや………無くてはならぬものとなろう。脅しをかける積もりは無いが…抗う術が無ければ、人の世は終わりを迎えることとなる」

 「……………えっと、その………冗談、ですか………?」

 

 

 しのぶは、滲渼の言葉が上手く呑み込めなかった。彼女の言い回しは分かり難いことも多い。今回もその類いかと考えて……滲渼の表情に、息が詰まる。

 

 

 「…済まぬ。だが、私一人では何もなし得ない。医学の知識も、薬学の知識も無い私には……惨劇を防ぐ手立てが無い。………頼む」

 「────」

 

 

 滲渼が誰かにものを頼み、頭を下げる。それはあまりにも衝撃的な光景だった。無敵を誇るような彼女が、力不足を嘆いている。しのぶははっきりと、ここが正念場であることを理解した。

 

 

 「………わかりました。刈猟緋さん、任せてください。必ず、お望みの薬を完成させてみせます」

 「…忝い」

 

 

 災厄を阻む希望の光は、小さな少女と……思わぬ援軍の手に、託される。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「………真に…鬼、であるな」

 「そうだと言っているだろう妖怪女」

 「愈史郎!!」

 「済みません珠世様!!」

 

 

 後日、蝶屋敷に呼び出された滲渼。彼女はそこで、耀哉が協力を申し出たのだという二人の鬼…珠世と愈史郎に出会った。とはいえ、少量の血液だけで生きているらしい彼らの気配はかなり人のそれに近しい。特に愈史郎に至っては殆ど人間と変わりがなく、滲渼は禰豆子以来の驚きを見せた。

 

 

 「お呼びして申し訳ありません、刈猟緋さん。こちらの…珠世さん、が…どうしても聞きたいことがあるそうで」

 「…ふむ。如何様な事を?」

 「はい。…単刀直入にお訊ねします………貴女は、現上弦の弐とどのようなご関係なのでしょう?」

 「……成程な」

 

 

 珠世は会ってすぐの滲渼に、瞢爬との関係について問い質した。これは、ある意味当然の疑問。そもそも「狂竜結晶」などという物質を探し出し、その性質を見極め、対抗策を練ろうなどという発想に零から辿り着くまでには相応の時間がかかって然るべきなのだ。

 

 だというのに、滲渼は瞢爬と会って一年も経っていないと聞く。何より、狂竜結晶なるものの存在が発覚したのも彼女が蝶屋敷に持ち込んだが故。最早、初めから知っていたとしか思えない程に行動が早いのである。

 

 

 「貴女は……上弦の弐『瞢爬』は、何者なのですか?」

 「……………互いに決して相容れぬ者。或いは神仏がそう設えたのか……我等が争う事は、永きに渡る宿命よ」

 「………答えになっていないが。大きいのは図体だけか?」

 「いい加減にしなさい愈史郎!!」

 「済みませんッ!!!」

 

 

 だが、滲渼の答えは要領を得ないものだった。彼女自身、前世の事については隠しておきたかった。特に仲間たちが決戦へと一丸になりつつある今、余計な混乱を招くのは望ましくない。何より、ここで瞢爬の正体を伝えた所でさしたる意味は無いのだ。

 

 

 「(報告によれば、上弦の肆・伍・陸は何れも狂竜化していなかった。それは即ち、上弦の鬼は狂竜の力に対して相当な抵抗力を有しているということの証左。そして鬼の途絶と『紫黒の雲』の噂を考慮するに、現在瞢爬は単独行動をしていると見て間違いない。また仮に猗窩座との協働時間が私が童磨を討った直後からであったとするならば、残る壱と鬼舞辻無惨が狂竜化している可能性は皆無に等しい。────瞢爬も、猗窩座も……私が討つ。私が討たねば、ならない)」

 

 「……決して、悪意故にはぐらかした訳では無い。ただ、理解して欲しい。平和を尊ぶ想いは、私とて同じだ」

 「…わかりました。……安心しました、刈猟緋さん。或いは貴女が、鬼と通じているのではないか………そう考えていたものですから」

 「な…!? 珠世さん! この人に限ってそんなことはあり得ません!!」

 「良い、しのぶ。この件については総じて私に非が有る」

 「刈猟緋さん…」

 「……本当に、信頼されているのですね。しのぶさんがこれ程はっきりと誰かを庇うというのは、意外でした」

 

 

 珠世としては、彼女が潔白であると窺えただけでも十分だった。最悪自白剤などを混ぜた茶でも出せば良いのだが、それは鬼である自身を信じて協力してくれている鬼殺隊の面々を裏切る行為に他ならない。短いやり取りの中でも察することが出来る程に滲渼が誠実な性格であったことは、望外の幸運だった。

 

 

 「して、目処は立ちそうか」

 「今はまだ、何とも……ですが、珠世さんもお力を貸してくださるそうなので」

 「お任せください。これでも永く生きておりますから、知見には自信があります。新たに入手した『狂竜結晶』があれば、またお持ち願えますか?」

 「無論だ。私に出来る事ならば、何であろうとしてみせよう」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「────うーん………済まない、英国の分も持って来てくれ」

 「畏まりました」

 

 

 一方、刈猟緋邸。泰志は独自の経路で手に入れた外つ国の新聞を、辞書も無しに読み進めていく。内容をしっかりと確かめて、天を仰ぎ溜め息を吐いた。

 

 

 「はぁ……『原因不明の伝染病 家畜等壊滅状態』…か」

 

 

 既に、世代交代は済んでいた。闘志の跡を継ぎ刈猟緋家の現当主として奮闘する泰志は、国内外問わず社会情勢に敏感だ。そんな彼の頭を悩ませているのは、世界各地で蔓延している謎の病だった。

 

 

 「(どこの国も同じだ。未知の流行り病が、その地の生態系を蝕んでいる。明らかに……尋常ではない何かが、起きている)」

 

 

 当然、心当たりはあった。

 

 

 「(……『紫黒の雲』。国内では、目撃地点を中心として山や森の生き物が大量に屍を晒している。何かしら関連があるのは間違いない。…恐らくは、『鬼』)」

 

 

 足りないのは、外へと踏み出す勇気。

 

 

 「(………そうだな)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────否。それも既に、過去の事。

 

 

 「(────これはもう、『鬼殺隊』だけに留まる話じゃない。全ての人間に関わることだ。………動かなければ、いけないんだ)」

 

 

 

 

 

 希望の光を掴み取るための、最後の鍵が…漸くその重い腰を上げた。

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「狂竜結晶」とは、「黒蝕竜」ゴア・マガラ及び「天廻龍」シャガルマガラが操る力が生物の体内で結晶化して固まったものです。結構な危険物なので、取扱いには細心の注意が必要だとかなんとか。

 【大正コソコソ噂話】
・義勇は柱稽古に最初から参加していますが、稽古をつけるのが下手…というかコミュニケーションができないので何をどうすれば良いのか全然分からず、隊士たちの間では最難関だと恐れられています。たまに一通り稽古をやり遂げた錆兎と真菰が助けに来てくれます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最後の一押し


ギリセーフ。


 

 「え? 刈猟緋さん、柱稽古やってないんですか?」

 「そうなのよ…何だか忙しいみたいで。頻繁にどこかへ出掛けてて、たまに戻ってきたかと思えばまたすぐにどこかへ……その繰り返しなの。蝶屋敷に出入りしているようだから、きっと大事な用事なんでしょうね」

 

 

 柱稽古が始まって半月と少し。炭治郎は最後の柱稽古の場である悲鳴嶼の屋敷の許で、偶然出会った尾崎と近況を伝え合った。尾崎曰く、滲渼は刈猟緋邸には殆ど滞在していないらしい。無論全ては瞢爬への対策のためなのだが、そんなことなど知る由もない彼女は滲渼の稽古が受けられないことを大層残念に思っているようだった。

 

 

 「そういえば、不死川様の所で何か騒ぎがあったそうよ。大丈夫だった? 巻き込まれたりしなかったかしら?」

 「あぁ〜……えっと、ですね…むしろ俺が中心といいますか……」

 「えぇ…? ………ひょっとして、禰豆子ちゃんのことで何かあったの?」

 「いえ、そうじゃないんです。俺の友人に、不死川玄弥という隊士が居るんですが…」

 「不死川? もしかして、不死川様の兄弟?」

 「はい。でも、不死川さんは玄弥のことを弟なんかじゃないって……それに、なんのかんのと言って無理矢理玄弥に鬼殺隊を辞めさせようとしたんです。それで結局…」

 「う〜ん、聞いた限りだと不死川様が悪い気もするけれど……何か事情があるのかもしれないわね」

 「…成程。確かに、そうかもしれないですね…」

 

 

 また、不死川邸での一悶着についても話した炭治郎。こんな時まで仲違いしている場合では無いような気もしたが、尾崎の言葉にはっとする。不死川は、必ずしも玄弥のことが嫌いだという訳では無いのかもしれなかった。

 

 

 「それじゃあ、私はそろそろ行くわね。竈門君も頑張って」

 「あれ……尾崎さん、もしかして岩を動かせたんですか!?」

 「ふふん、驚いた? こう見えても力は付いてるのよ! ………動いたのは、ほんのちょっぴりだけど…」

 

 

 話が終わると、尾崎は一足先に悲鳴嶼の許を去った。次は義勇の屋敷で稽古に励むということらしく、炭治郎も彼女や兄弟子らに追いつかんと猛奮起する。後日合流した玄弥の助言もあり、彼は本来よりも少しだけ早く岩を動かすことに成功したのだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 そうしてやって来た冨岡邸。様子のおかしい善逸や預けたままの禰豆子のことを案じつつ、炭治郎が屋敷の庭を覗くと…

 

 

 「(あれっ! 刈猟緋さんだ! 用事が落ち着いたのかな────)」

 

 「『風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ』!!」

 「『水の呼吸 参ノ型 流流舞い』」

 「『咢の呼吸 天ノ型 不壊(ふえ)なる(よろい)』」

 

 「(────はっ…速っ!!! 冨岡さんと不死川さんの動きは何とか目で追える、けど! 刈猟緋さんは相変わらず何してるのか殆どわからない!! というか、二対一なのか!? どういうことだ!?)」

 

 

 そこに居たのは、三人の柱。中には用事で忙しい筈の滲渼も混じっており、かと思えば次の瞬間には三人がそれぞれ木刀を振るって技を繰り出すという状況に。まさか喧嘩でもしているのかとも思ったが、割り込むには激しすぎる。炭治郎は一先ず、隠れて様子を見ていることにした。

 

 

 「チィッ……!! 余裕ぶってくれやがってよォ…!! 『捌ノ型 初烈風斬り』!!」

 「『地ノ型 轟咆』」

 「ぐぉ…!!」

 「『漆ノ型 雫波紋突き』」

 

 「(! 当たった!?)」

 

 「────『地ノ型 鏡花水月』」

 「!」

 

 

 滲渼は殆ど動かない。不死川と義勇の攻撃を待ち、鮮やかにそれに対処してみせる。命中したように見えた攻撃も、いつの間にか位置をずらしていた滲渼に反撃を取られてしまう。

 

 

 「『陸ノ型 黒風烟嵐』!!」

 「『拾ノ形 生生流転』」

 「『嵐ノ型 燎原』」

 「「!!」」

 

 「(あっ…!! 木刀が…!)」

 

 

 執拗に滲渼へと喰らい付く不死川に、義勇もしっかりと息を合わせる。しかしながら、彼女が一枚上手だった。二人の攻撃が届くよりも速く彼らの木刀をはたき落とし、それで漸く戦いが一段落したようだった。

 

 

 「よォしじゃあ次は素手でやるぞォ」

 「すみません!! その辺りで一旦止めましょう!! 何が何だかわからないけど!!」

 「…うるせェんだよテメェはァ。そもそも接触禁止だろうがァ…先刻から盗み見しやがってこのカスがァ」

 「案ずるな竈門少年。我等は決して果たし合いを行っていた訳では無い」

 「え? そ、そうなんですか?」

 「おい無視すんじゃねェ」

 

 

 慌てて止めに入った炭治郎だったが、どうやら喧嘩をしていた訳ではなかったらしい。滲渼が木刀を置きながら、彼に説明する。

 

 

 「柱は柱同士で稽古を行っているのだ。とはいえ、先日迄は少々都合が合わず……本日より漸く、私も加わることが出来るようになった」

 「そうだったんですね。でも、どうして二対一に?」

 「コイツはそれぐらいじゃなきゃ稽古にならねぇんだよ。……二人でも足りなかったみてぇだがなァ」

 「然様な事は無い。其方と冨岡の連携には、目を瞠るものがあった。反りが合わぬかと思ったが…存外仲は良いようだな」

 「おォい冗談じゃねぇ…!! 誰がコイツと仲良しこよしだとォ…!? 反吐が出るぜェ」

 「…不死川とは、仲は良くない」

 「む? そうか…」

 

 「(うわぁ……本当に相性悪そうだ…)」

 

 

 稽古の説明の最中、不死川と義勇の連携を称賛した滲渼。二人の仲も良いのかと考えたようだが、残念ながら彼らの相性は最悪に近い。彼女は微妙に鈍感な所があるのかもしれないと、炭治郎は学んだのだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「成程……上弦の弐は、そんなに拙い血鬼術を?」

 「うむ…本音を言えば、鬼舞辻無惨よりも遥かに危険だと考えている」

 「そこまでですか…!?」

 

 

 不死川がさっさと帰ってしまった後、炭治郎は滲渼がこれまで何をしていたのかを尋ねた。滲渼は瞢爬についての話を一通り彼に伝え、加えてしのぶたちへの感謝を述べる。

 

 

 「彼女等には、感謝してもし過ぎるということはあるまい。……兄上にも、な」

 「兄上…? お兄さんがいらっしゃったんですか?」

 「うむ。兄上は、鬼殺隊には縁の無い暮らしをしていた。よもや…此処で救われるとはな」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「しのぶ、お客様がいらしてるわ」

 「お客様……? 誰かと会う予定は無かった筈よ?」

 「ええ…でも、どうしても会いたいって。刈猟緋さんのお兄さんだそうよ」

 「刈猟緋さんの…? ……とりあえず、会うだけ会ってみましょう」

 

 

 ある時蝶屋敷を訪問したのは、滲渼の兄・泰志。突然現れて面会を持ち掛けてきた彼に対して、しのぶは懐疑を抱いたまま玄関へと向かう。しかして戸を開けた所に立っていたのは、上背だけならば宇髄をも上回る青年であった。

 

 

 「こんにちは、突然すみません。ここで『紫黒の雲』について調べているとお聞きしたもので。どれほど役に立てるかはわかりませんが…力を貸させて頂く訳にはいきませんか?」

 「……『紫黒の雲』? …そんな噂を耳にしたことはあります。ですが、それについて何かをしているということは…」

 「いいえ、間違いない筈ですよ。貴女がたが『上弦の弐』と呼んでいる鬼と『紫黒の雲』は、同一の存在と考えて良いのですから」

 「! ………一体どこでそのことを?」

 

 

 泰志は、明らかに知りすぎていた。蝶屋敷へと辿り着いたこともそうだが、ここでしのぶたちが瞢爬の血鬼術について研究していると知っているのは異常というほかない。滲渼の兄だということは、彼女が洩らしたのかと考えたが…

 

 

 「ああ、滲渼から聞いた訳ではありませんよ。私がここに居るのは、地道に調べた結果です。あの子を疑うのは止してあげてくださいね」

 「(……何、この人……でも…これは確かに────)」

 

 

 滲渼の兄だということを、会って数分もしないうちに思い知らされた。その言動から漂う底知れなさ…それがあまりに不気味で、しのぶは彼に警戒心すら抱き始めていた。だが、その上で信用すべき相手だとも感じる。

 

 

 「……私が信用するに足る何かを提示して頂ければ、屋敷にお招き致します。今すぐにとは言いませんから、また日を改めて…」

 「ふむ……それなら、こういうのは如何でしょう?」

 

 

 しのぶの提案に対して、すぐさま泰志は動きを見せる。懐から取り出した小さな袋をまさぐり、日に当たらないように何かを摘み上げて提示した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これ、鹿のフンです」

 「……………あ、あの…」

 「調べてみたところ、未知の物質が混入していました。またフンの主は狂乱ののち、突然死したようです

 「!!!」

 

 

 ────それは、か細い光明を広げる糸口となり得るものだった。しかし同時に、災厄の兆しとも言えるもので。

 

 

 「上弦の弐がもたらす災いは、生きとし生けるもの全てを巻き込みます。ですが鬼を討てば、それに連なるものも消え去るのでしょう?…破滅の到来は、我ら皆で防がねばならないのです」

 「………お入りください。今は少しでも人手が必要です」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 滲渼が蝶屋敷へと戻ったのは、それから一週間程経った頃。

 

 

 「…!? 兄上……!!? 何故此処に…!?」

 「やあ滲渼。大変なものと、戦って来たんだね…改めてそう実感したよ」

 「刈猟緋さん。細かいことは後ほどお話しますが……泰志さんのお陰で、完成しましたよ。こちらです」

 「真か!?」

 

 

 しのぶが差し出したのは、掌に収まる程度の円形の箱。蓋を外せば、軟膏状の薬が姿を現した。

 

 

 「名付けるなら…『抗竜膏』。狂竜結晶に含まれる特定の物質の働きを極端に抑える膏薬です。人差し指の先程の量を刀に塗って使用してください。また、自分が感染した場合には肌に塗り込んで頂ければ宜しいです」

 「…自分が? 生物への感染も確認済みであったか…効果の程は判明しているのか?」

 「うん。僕が身を以て実証済みさ」

 「な…!?」

 「あはは、生体状のものをうっかり吸い込んでしまってね…けれど、人間とは相性が悪いみたいだ。症状としては風邪のようなものだったよ」

 「…いえ、咎めることは出来はしませぬな。元はと言えば、私が持ち込んだ話である故」

 

 

 少々危ない橋を渡ったようだったが……とにかく期せずして、抗竜膏の有効性は確認された。

 

 後は、瞢爬と猗窩座を討つのみとなったのだ。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…と、いう訳だ」

 「凄いです…刈猟緋さんのお兄さんも、凄い人ですよ…!」

 「……ああ。私の兄は、素晴らしい人だ」

 

 

 炭治郎と滲渼は、その後も会話に話を咲かせる。朗らかな彼らの様子は、最後の戦いに見出された微かな希望を象徴していた。

 

 

 

 義勇は、二人の隣で黙ってにこにこと相槌を打っていた。

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「天ノ型 不壊なる鎧」
「鎧竜」グラビモスから着想を得た技。重々しく歩みを進める巨竜の外殻は、壮絶な硬度を誇る。鈍重な動きは強さの証、かの竜の縄張りに天敵は居ない。彼の鎧を破ることの出来ぬ弱者が、ただその身を竦ませるのみ。緻密な無数の太刀筋が使い手の身を守り、一切の攻撃を内側に通すことはないだろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決戦

 

 その夜の産屋敷邸は、異様に静かだった。まるで、何かを待っているかのような…そんな静謐さの内に在った。

 

 

 「……やあ。来たのかい。…初めましてだね。鬼舞辻……無惨…」

 「…何とも…醜悪な姿だな。産屋敷」

 

 

 そこに踏み入るのは、招かれざる客。或いは、耀哉が狂おしい程に待ち望んだ仇敵。鬼の首魁・鬼舞辻無惨だ。既に病床に臥せったまま起き上がることすらままならなくなってしまった耀哉は、あまねに無惨の容姿を訊ねる。それについて彼女が具に述べるのを聞き届けると、無惨の来訪を予期していたことを彼自身に明かした。

 

 

 「君は私に…産屋敷一族に酷く腹を立てていただろうから…。私だけは…君が…君自身が殺しに来ると…思っていた…」

 「…私は心底興醒めしたよ産屋敷。身の程も弁えず千年にも渡り私の邪魔ばかりしてきた一族の長が、このようなザマで」

 

 

 だが、無惨の反応は至って冷淡だ。だから何なのだと言わんばかりの返答を行い、殆ど死に体の耀哉を言葉だけで嘲笑う。

 

 

 「醜い…何とも醜い。お前からは既に屍の匂いがするぞ…産屋敷よ」

 「そうだろうね……。私は…半年も前には…医者から…数日で死ぬと言われていた…。それでも、まだ…私は生きている…。医者も…言葉を…失っていた」

 

 

 耀哉は震える身体に鞭を打ち、無惨の声を辿って潰れた瞳を彼に向ける。解けた包帯の内から現れたのは、血の滲んだ…それこそ鬼のような目玉だった。

 

 

 「それもひとえに…君を倒したいという一心ゆえだ…無惨…」

 

 

 彼が語るのは、無惨と産屋敷家の因縁。何と無惨は耀哉たちの先祖にあたる存在であり、産屋敷の一族は邪悪を生み出した咎によって代々神仏から呪いを受けて来たのだという。

 

 無論、全ては確たる根拠のないことだ。無惨はそれらを妄言だと一蹴した。

 

 

 「そんな事柄には何の因果関係もなし。なぜなら…私には何の天罰も下っていない。何百何千という人間を殺しても私は許されている。この千年、神も仏も見たことがない」

 「……君は…そのようにものを考えるんだね…ゴホッ! だが、私には私の…考えがある…それに」

 

 

 超然たる態度を取る無惨にも、耀哉は怯まない。彼もまた、我の強さでは負けてはいない。憎悪一つでここまで盤面を動かした執念の権化は、あくまでも穏やかに、諭すように語り掛ける。

 

 

 「神や仏は現れなかったのかもしれないが……その使いは、どうだったのかな?」

 「────」

 

 

 無惨の脳裏によぎるのは、一人の「化け物」。すぐさま、あり得ないと頭を振った。

 

 

 「…世迷言だ。全ては何かに縋らねばならない人間の弱さが生み出した絵空事だ。それほど私が安穏と生きてきたことが信じられなかったのか? 哀れでならないな」

 「ふふふ…さて、神の使いかどうかは…誰にもわからないだろうけど…。その様子だと…少なくとも一人、思い当たる人間が居たのかな? …それなら…良いことを教えてあげよう。この時代にも…

 

 

 

 

 

────神の使いの如き剣士が居るんだよ」

 

 

 

 

 

 無惨は瞬間的に耀哉の許へと近付いて、その命を絶とうとした。気色の悪い安堵感と耀哉の振る舞いが合わさり、不快感が頂点に達したのだ。

 

 ────だが。

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸 極ノ型 陽炎(かげろう)』」

 

 

 

 

 

 突然、踏み入った屋敷から叩き出される。その上…頸までもが斬り飛ばされて。

 

 

 「(…馬鹿な 鬼狩りの気配は無かった 鳴女の視界も奴のことは…)」

 「…御館様。頸を断った鬼舞辻が立ち上がりました」

 「うん、そうか…なら…やはり、無惨には太陽の光しか通用しないみたいだね」

 

 

 何の前触れもなく出現したのは、刈猟緋滲渼。どうも初めから産屋敷邸に潜んでいたようだったが、無惨にはその気配が感じ取れなかった。更には秘蔵の部下の血鬼術も、眼前の鬼狩りを映してはいなかったのだ。

 

 

 「……貴様…刈猟緋、滲渼…! 何故ここに…!」

 「…其方と会うのは初めてだがな。其方は私の事を一方的に知っているようだ」

 「君が当てにしていたのは…『肆』の字が刻まれた目玉の鬼かな? 残念だけど…滲渼はすぐに気付いてしまったそうだよ?」

 「索敵用の術の類いであると、早々に看破すべきでした。さすれば、斯様な事態は防ぎ得たでしょう」

 「構わないよ…わかっていたからこそ…敢えて放っておいたんだ」

 「『黒血枳棘』!」

 

 

 二人の会話を遮るのは、無惨の技だ。血液の茨が産屋敷邸諸共滲渼へと襲い掛かる。しかし、彼女はこの程度でどうにかなるような人物ではない。

 

 

 「『嵐ノ型 鏖角旋(おうかくせん)』」

 「(な────)」

 

 

 刃の渦が、術と無惨を呑み込む。全身を瞬時に引き裂かれた無惨だったが…彼もまた、そう易々と討つことができる程容易い相手ではない。

 

 

 「(落ち着け…!! ()()()に比べれば、どうということはない!! そもそもこの女の刀は────赫く染まっていないではないか!! 奴の斬撃が私の命を奪うことはあり得ない!!)」

 

 

 即座に腕を変形させ、滲渼目掛けて振るう。滲渼は直撃を待たずしてこれを微塵に斬り刻み、無惨について離れない。

 

 

 「…何だ今の攻撃は。力任せにも程がある……まるで児戯だな」

 「…愚鈍な人間にはわからないか? これで十分だということだ」

 「不足故に私はこうして立っている」

 

 

 無惨の四肢が変形し、更に全身から触手が伸びる。手数では明らかに彼が滲渼を上回っていた。それでも…滲渼は涼しい顔のまま、四方八方から迫り来る神速の乱撃を撃ち落としていく。

 

 

 「……チッ…!!」

 「『嵐ノ型 燎原』……脳は多ければ良いという物でも無い。却って思考の衝突を引き起こすのではないか…と。何処かで耳にしたことがある」

 「!!? …気味の悪い女が…!!」

 

 

 激しい攻防の最中、滲渼が口にしたのは無惨の肉体構造についてだった。どういう訳か肉体の内側を覗かれているという事実に無惨は寒気立ち、嫌悪の視線を彼女に向けた。

 

 そんな二人の戦闘を傍らで見守るのは、耀哉とあまね。目の見えない夫に、妻は戦況を逐一伝える。

 

 

 「…あまね」

 「はい」

 「滲渼は…無惨と渡り合っているのかい」

 「…彼女の攻撃は、鬼舞辻には通じておりません。ですが、攻勢に出ているのは常に刈猟緋様です。側から見れば、どちらが優っているかは一目瞭然かと」

 「…そうか……そうか…!!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「なりませぬ」

 「…そうだろうね…滲渼は、そう言うと……思っていた…」

 

 

 無惨襲撃の数日前。死期が近い耀哉の許に呼び出されたのは、悲鳴嶼と滲渼の二人だった。彼らはそこで無惨の襲撃が近いことと、その際に耀哉自らが囮になるということを聞く。それに対する滲渼の返答は、否。

 

 

 「でも…滲渼には…言っておかなければいけなかった…。君はきっと…()()()()()()()()()()

 「御館様。貴方は結末を知らねばならないのです。鬼殺隊には、貴方の為に死んでいった隊士たちも多く居る。貴方自身が、戦いの終わりを見届けねば…彼等は如何して報われるというのでしょう」

 「…刈猟緋。お館様は我らを信じてくださっているのだ。我らの手で戦いを終わらせることが、黄泉へと向かわれるお館様への手向けとなる」

 「わかって欲しい…これが…最善なんだ…」

 

 

 耀哉の決意は固かった。無惨を倒すためならば、彼はあらゆる犠牲を厭わない。それが今回は耀哉自身だったというだけのこと…悲鳴嶼も全てを受け入れて、滲渼を説得する。だが、滲渼とて救える命を取り零したくはなかった。

 

 

 「…御館様。叶えられる限りの願いは、叶えると…私が柱となったあの時に、貴方は仰った」

 「…」

 「私に任せては頂けませぬか。決して鬼舞辻に気取られぬように致します。……私が、必ず奴を押し留めます」

 「刈猟緋…」

 「……参った、な…。…意外と、君は……強かだ…」

 「……最期の時まで、生きてください。それが私の願いに御座います」

 

 

 切実な滲渼の懇願。

 

 耀哉の勘が、再び働いた。

 

 

 「…承諾しなければ?」

 「それでも私は、貴方の許へ向かいます」

 「……そうか。…全く…仕方のない子だ……。…君の好きにして…構わないよ」

 「! …心より、感謝を…!!」

 「…お館様。宜しいのですか」

 「…うん。大丈夫だよ…そんな気が、するんだ」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(最善の方法ではなかったのかもしれない。けれど…掴んだ結果は最善だった。────ありがとう、滲渼)」

 

 

 無惨と滲渼の周囲に、肉の種子が漂い始めた。

 

 

 「(血鬼術!!)」

 「私に構うな!! 放て!!」

 

 

 種子から飛び出した巨大かつ凶悪な棘が、無惨の肉体を固定する。逃げ場など無いようにも思えたが、滲渼はするりとそれらを潜り抜けていた。

 

 

 「(固定された…!! 誰の血鬼術だ、これは!! 肉の中でも棘が細かく枝分かれして抜けない!! …いや、問題ない…! 大した量じゃない 吸収すれば良い────)」

 

 

 棘を消化しようとした無惨。その鳩尾に、何かが突き刺さった。

 

 

 「────珠世!! 何故お前がここに…!!」

 「この棘の血鬼術は貴方が浅草で鬼にした人のものですよ!!」

 「(目くらましの血鬼術で近づいたな……目的は? 何をした? 何のためにこの女は…)」

 

 

 突き刺さっていたのは、呪いを外して無惨の支配を逃れた鬼・珠世の腕。彼女がここに居る理由も、その目的もわからないまま…無惨は彼女の拳を吸収してしまった。

 

 

 「吸収しましたね無惨!! 私の拳を!! 拳の中に何が入っていたと思いますか!? ────鬼を人間に戻す薬ですよ!! どうですか!? 効いてきましたか!?」

 「!?」

 

 

 彼女の掌の内に握り込まれていたのは、人間化の薬。無惨は迂闊にも、それを拳諸共吸収してしまったのである。

 

 あり得ないと狼狽える無惨に、珠世は状況が変わったのだと話す。単身では完成まで漕ぎ着けることはできなかっただろうが、人間との協力がそれを可能にしたのだと。苛立ちを罵声に変えて珠世にぶつける無惨だが、彼女の覚悟もまた既に決まっていた。命を賭して、無惨討伐に尽力する。最早、揺るがすことはできそうになかった。

 

 

 「悲鳴嶼さん、刈猟緋さん!! お願いします!!」

 「南無阿弥…陀仏!!!」

 「応ッ!!!」

 

 

 

 

 

 無惨の選択は、早かった。

 

 

 

 

 

 「!?」

 「(何だ…!? 肉が蠢いて…!!)」

 「!!! いけないっ!!! 無惨が!!! 無惨が分裂して────」

 

 

 無惨の肉体が膨れ上がり…

 

 

 

 

 

 ()()の肉片が、辺りに散って飛んで行く。

 

 

 「(…? 棘のせいでしくじったか…? だが、十分────)」

 「『天ノ型 千刃裂(せんじんざ)き』!!!」

 「(────!?)」

 

 

 だが…あろうことか、滲渼はその全てを瞬時に叩き落とした。一ヶ所に寄り集まって醜い肉塊と化した無惨が、徐々に元の姿を取り戻し……信じられないようなものを見る目で、滲渼を捉える。

 

 

 「…化け物……!!!」

 「間に合ったぜェエエ!!! テメェかァ!! いい度胸してやがるゴミクソはァァーッ!!!」

 「(!! 柱たちが…!)」

 「お館様ァ!!」

 「お館様!!」

 

 

 そこへ集う強き隊士たち。無惨の退路は…完全に塞がれた。

 

 

 「無惨だ!! 鬼舞辻無惨だ!! 奴は頸を斬っても死なない!!」

 「「「!!」」」

 

 

 悲鳴嶼の台詞を受け、柱たちの憎しみと怒りが爆発する。決め手となったのは、共に駆けつけた炭治郎の叫びだった。

 

 

 「無惨!!!」

 

 「『霞の呼吸 肆ノ型────』」

 「『音の呼吸 弐ノ型────』」

 「『蟲の呼吸 蝶ノ舞────』」

 「『蛇の呼吸 壱ノ型────』」

 「『恋の呼吸 伍ノ型────』」

 「『水の呼吸 参ノ型────』」

 「『風の呼吸 漆ノ型────』」

 「『ヒノカミ神楽 陽華突…』────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして…怒り故か。柱たちは、炭治郎は、反応できなかった。

 

 

 

 足許に突然開いた襖の奥へと、呑み込まれていく。

 

 

 「これで私を追い詰めたつもりか!!? 貴様らがこれから行くのは地獄だ!!」

 

 

 

 

 

 しかし、唯一。

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸 天ノ型 馘断兜割り』」

 「めざッ────」

 

 

 

 

 

 元下弦の壱・児猴との戦いでそれを目にしていた滲渼だけは、反応が間に合った。

 

 

 「刈猟緋さん!!」

 「皆死ぬな!!! 生きて勝つぞ!!!」

 

 

 全ての襖が閉じられ、柱たちは分断されてしまう。だが、無惨と珠世の許には滲渼が残っていた。

 

 

 「ッッッッッ猗窩座ァアアアアアアアッ!!!!!」

 「!!!」

 

 

 ところが、無惨の絶叫と共に響いた琵琶の音が…滲渼を二人から引き剥がす。

 

 落下する滲渼の横合いから飛び出してきたのは、猗窩座だった。

 

 

 「久しいな!!! 滲渼ィイイッ!!!」

 「…ッ!!!」

 

 

 滲渼は先制の剛拳を躱し、そのまま猗窩座と共に無限城の一角へ転がり込む。ゆっくりと、その姿を確認しながら…迫り上がる唾を飲み込んだ。

 

 

 「(…黒い煌めき。赤紫の皮膚。……薄々、そんな気はしていた)」

 「ずっとこの時を待ち望んでいたぞ!! お前から受けた屈辱を拭い去る、この時を!!!」

 

 

 それは、瞢爬に備えた前哨戦というには…あまりにも強大な相手。

 

 

 「(────極限状態!!!)」

 「さぁ………あの日の続きを始めようッ!!!」

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「極限状態」
種族としての極みに至った一握りの生物が、狂竜の力を我が物とした姿。鬼に発現した場合の効果は現状不明。

・「極ノ型 陽炎」
「炎王龍」テオ・テスカトルから着想を得た技。獄炎を纏う灼熱の帝王は、其処に在る全てを灰塵へと還す。陽炎の奥に揺れる威容を目にした者は、感動に視界が潤んでいるのかと錯覚しながら息絶えるのだという。放たれる斬撃は、欠片程の情け容赦も持ち合わせてはいない。全ての鬼を、無慈悲に地獄へと送る。

・「嵐ノ型 鏖角旋」
鏖魔ディアブロスから着想を得た技。己の体液を蒸しながら狂ったように突き進み、生物の範疇に収まらない力を解き放つ暴君。凄惨な形状に捻じ曲がった角は、他の命を奪うことを至上の命題とした主の写し鏡か。回り、唸り、閃く大渦は、呑み込んだものを跡形もなく斬り尽くすだろう。

・「天ノ型 千刃裂き」
「千刃竜」セルレギオスから着想を得た技。逆立つ鋭い黄金の鱗、それは千の刃にも喩えられる。地を征けば草木は引き裂かれ、天を征けば雲は離散する。舞い散る無数の鱗の全てを目にすることは、どんな生物であろうと叶わない。一瞬の間も置かず、殆ど同時に振るわれる千の刃は、決して獲物を逃がさない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

限りなく極みに迫りし者

 

 滲渼は、無惨襲撃の直前に抗竜膏を刀に塗っていた。そのため、まずここで取るべき行動は…

 

 

 「(異常硬化部位の確認!! 抗竜膏には、抗竜石のような副次効果は存在しない!! ただ狂竜の力を抑制することしか出来ない!! だが…それで、十分だ!!)」

 

 「『破壊殺・乱式』!!」

 「!」

 

 

 大太刀を構えた滲渼に、猗窩座はまたしても先制して攻撃を仕掛ける。────闘気の先読みを補助する『破壊殺・羅針』の発動を、無しにして。

 

 

 「()()()!! 視えるぞ、滲渼!! お前の動揺が、戦慄が!! 手に取るようにわかるぞ!!」

 「────其方、よもや……()()()()()()()のか!!!」

 

 

 己以外に「透き通る世界」へと踏み入った者を目にしたのは、これが初めてのこと。滲渼は驚きつつも、気を取り直して刀を振るう。

 

 

 「瞢爬は何処へ行った!? 姿が見えぬようだが!! 『咢の呼吸 天ノ型 空燃る火群』!!」

 「『破壊殺・脚式 流閃群光』!! 安心しろ、奴なら勝手に暴れて一人で消えたぞ!! 俺たちの戦いを邪魔する者は居ない!!」

 

 

 猗窩座の乱れ打つ蹴りを、滲渼の刀が掠める。超高速の攻撃の応酬、その最中に散るのは紫色の火花。

 

 

 「(足・脛・腿は駄目か!!!)」

 「素晴らしい!!! あの時よりも、更に磨きがかかっている!! 咢! 唯一無二の技の数々!! 鬱憤を晴らすつもりだったが…どうにも、楽しくなってきてしまったな!!!」

 「『極ノ型 夢幻(むげん)(かむ)()け』!!」

 「『破壊殺 鬼芯八重芯』!!」

 

 

 続いて、腕と刀が接触。浅く滑った滲渼の刀は、猗窩座の二の腕を斬り裂いた。更に引き際に胴を突くと、これも鋒が肉に沈む。

 

 

 「(二の腕と、胴!!!)」

 「良い技だ!! 美しさすら感じるぞ!! 『破壊殺・砕式 万葉閃柳』!!」

 「!! …ち……! 『天ノ型 狼烏の趾』!!」

 

 

 猗窩座の足場を攻める技によって、僅かに体勢を崩した滲渼。その隙を狙う猗窩座に対し、攻めを以て応える。

 

 

 「恐ろしく鋭い!! そして速い!! 長物は隙も大きくなり易いものだが…お前に限ってはそうとも言えんらしい!!」

 「(頭と胸にも通らないか…!!)」

 

 

 しかしながら、すれ違いざまに斬りつけた部位も刃を通さない。これで残すは頸のみとなったが…

 

 

 「(極限状態へと移行した故なのか……猗窩座の能力が格段に上昇している!! 今の奴の力は────明らかに鬼舞辻無惨よりも上だ!!!)」

 

 

 その頸が、狙えない。猗窩座はかつて滲渼と無限列車の側で相見えた当時よりも、遥かに強くなっていた。無惨と一対一で戦った滲渼をして…彼より強いと言わしめる程に。

 

 こうなると、ただ頸を斬るというだけでも容易ではない。滲渼は一先ず、頸の切断よりも極限状態の沈静化を優先することにした。

 

 

 「『破壊殺・脚式 飛遊星千輪』!!」

 「『極ノ型 (くら)水脈(みお)』!!」

 「(速い…!! 何という反応速度だ!! 剣術の腕も尋常ではない!! 常に刀をへし折るつもりで攻撃しているというのに…未だ刃毀れ一つさせられんとは!!)」

 

 

 一方の猗窩座も、舌を巻く。目の前の鬼狩りは、心技体全てが過去に類を見ない程に練り上げられている。人の身でありながら…「至高の領域」に、あっさりと踏み入っていた。

 

 

 「ふふふっ…!! そうだ、お前には訊いていなかったな!! どうだ滲渼!? 鬼になるつもりは無いか!? どの道鬼狩りは今宵滅びる!! だが鬼になれば、お前の命は助かるだろう!! それだけではない…! お前程の強者であるならば、間違いなく最強の鬼になれる!! こちらへ来い滲渼!! 悠久の命を滾らせて…俺と永遠に戦い続けよう!!」

 「…その誘いは!! 赤子の私にすべきであったな!! 答えは断じて否だ!!」

 「そうか…!! 残念だ!! ここでお前を、殺さねばならないのがな!!」

 

 

 猗窩座は、滲渼を鬼にしたくなった。だがやはり、彼女はそれを拒む。弱者は鬼にしてくれと命乞いをするのに、強者は人であることに命を懸ける。それが、猗窩座が鬼狩りとの永い戦いの中で学んだことだった。

 

 

 「(強い者は決して俺の誘いに頷かない。何故なんだ? 何故俺が認めた者に限って、鬼になることを厭うのだ? …きっと滲渼に訊いた所で、俺の納得できる答えが返ってくることは無いのだろう)」

 

 「『破壊殺・空式』!!」

 「(────! 空気の弾丸か!!)『極ノ型 風翔け』!!」

 「これも見切るか! 当時の俺の空式ですら、杏寿郎は全てをあしらうことはできなかった!! お前は選ばれた人間の中でも、とりわけ優れている!! 神仏の寵愛を受けた人間だ!!」

 「…」

 

 

 空式を繰り出したことにより、猗窩座と滲渼の間には距離が生まれた。両者はそこで、一旦動きを止める。

 

 

 「…父上からも、同じことを言われた。私は、神の愛を一身に受けてこの世に産まれたのだと」

 「不満があるのか? 誇れ。お前は誰の目から見ても尋常ならざる存在だ。俺はあの時よりも強くなった…それでも、お前は未だ無傷だ。本当に人間なのかと疑わしくなる」

 「……私が強いというのは、確かに事実なのだろう。だが、神に愛されているなどということは無い。若しそうであるならば…『瞢爬』が現れる事は、無かった筈だ」

 「…何?」

 「此の命は、私に任ぜられた責務を果たす為のものなのだ。其れは鬼の根絶であり、鬼舞辻無惨の打倒であり…瞢爬の討伐。全てを成すために、私は今一度歩むことを許されたのやもしれぬ」

 「……まるで意味がわからん。やけに瞢爬に拘るではないか。奴など大方太陽で焼け死んでいるぞ」

 「否。奴は必ず、生きて私の前に現れる。────少し、話が過ぎたか」

 「…ふん、まあいい。お前と戦えるなら、何であろうと構うまい!!」

 

 

 話は終わり、二人の距離が再び縮まる。猗窩座の拳が滲渼を襲い、その隙間を縫う斬撃が猗窩座を襲う。滲渼は打撃の雨を全て紙一重で躱したが、猗窩座は斬撃の嵐に腕を斬り飛ばされた。

 

 

 「『破壊殺・脚式 冠先割』!!」

 「『極ノ型 黒創岩潰(こくそうがんかい)(しょう)』!!」

 「ぐぉ…!!?」

 

 

 即座に反転して下から蹴り上げ、滲渼の顎を狙う。だが、脚が届く前に凄まじい衝撃が猗窩座の背を襲い、胴の半ばが千切れ飛ぶ。

 

 

 「(信じ難い絶技だ…!! 他の人間が刀を振るったとて、こうはならない!! 同じ人間でもこれ程威力に差があるものなのか!!)」

 「『地ノ型 迅』!!」

 「甘い!!」

 

 

 猗窩座は腕を再生させ、滲渼の追撃を辛うじて逃れる。さらに千切れた下半身で、滲渼の背後から奇襲を仕掛けた。

 

 

 「!!? ぐっ…!!」

 「反応が遅れたな!! 負傷したのはいつぶりだ、滲渼!? 『破壊殺・乱式』!!」

 「ッ! 『天ノ型 氾がる銀鱗』!!」

 

 

 遂に、滲渼が傷を負った。猗窩座の頸を狙う好機であったがために、ほんの僅かに意識の分散を怠ったのだ。ひとりでに動いた猗窩座の脚に蹴り飛ばされ、壁面に叩きつけられる。上手く衝撃を逃していたようだが、蹴られた背中は痛みを訴えていた。

 

 続く猗窩座の猛攻をすんでの所で凌ぎ切り、再び攻勢に出る。

 

 

 「『極ノ型 蛟霞(みずちのかすみ)弥都波能売(みづはのめ)』」

 「! …ほう。面白い技だな……だが、俺の好みではない。『破壊殺・終式 青銀乱残光』!!」

 

 

 滲渼の姿が一瞬にして掻き消える。霧のように彼女の在処が薄く散り、闘気すらも辿ることができない。猗窩座の目には少々姑息な技に映ったらしく、全方位への乱打を放つことで無理矢理滲渼を炙り出した。

 

 

 「(────やはり頸か!!!)」

 

 

 技を中断し、再び姿を現した滲渼。後方から猗窩座の頸に刃を振るったが、猗窩座はこれを間一髪で回避。彼の項を、大太刀の鋒が掠めた。

 

 

 「…ちっ…!!」

 「惜しかったな…だが、卑怯な手は俺には通用しない。正々堂々、正面から来るがいい。お前はそれができる人間だ」

 

 

 猗窩座は滲渼の舌打ちを、頸を断てなかったことが理由だと考えた。

 

 しかし…そうではない。

 

 

 

 

 

 「(紫色の火花…!!! 頸も異常硬化しているのか!!!)」

 

 

 

 

 

 猗窩座の肉体は極限状態への移行に伴い、胴と二の腕以外の全てが異常硬化を引き起こしていた。そもそも日輪刀による斬撃も効果が薄く、このままでは猗窩座を倒すことは不可能だ。

 

 

 「(やはり、極限状態を解除しなくては!!)」

 「行くぞ!! 『破壊殺・滅式』!!」

 「!! 『極ノ型 黒創岩潰衝』!!」

 

 

 壮絶な戦闘の余波は、既に無限城の一角を廃墟同然の状態へと変貌させている。長引けば、近くに居るかもしれない隊士たちを巻き込みかねない。

 

 

 「(とにかく手数を稼ぐ!!) 『天ノ型 千刃裂き』!!」

 「『破壊殺・乱式』!!」

 「『地ノ型 鎌刈り・奈落』!!」

 「はははっ!! はははははっ!!!」

 

 

 何度も拳と刃がすれ違い、それぞれの攻撃が閃く。

 

 

 「『破壊殺・脚式 飛遊星千輪』!!」

 「『地ノ型 轟咆』!! 『天ノ型 海中の雷鳴』!!」

 

 

 敢えて二つの技で受けることで、手数を増やす滲渼。急激に距離を詰めて来た猗窩座に、強烈な反撃を見舞う。

 

 

 「『嵐ノ型 殃禍啖い』!!」

 「『破壊殺・脚式 流閃群光』!! 『破壊殺・空式』!!」

 

 

 そして、迎撃。猗窩座はここに来て…必殺の瞬間を、狙っていた。

 

 

 「『破壊殺・砕式 万葉閃柳』!!」

 「『地ノ型 蟇返し』!!」

 「(跳んだな、滲渼!!)」

 

 

 彼が予期していた通り…滲渼は迅速に反撃へ移ろうと、跳び上がる形で猗窩座の技を躱した。だが、空中では大きく動きが制限される。

 

 

 「これで幕引きだ!! 『破壊殺・終式 青銀乱残光』!!!」

 「…だろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────『地ノ型 鏡花水月』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滲渼の姿がぶれ、猗窩座へと肉薄する。彼女が狙ったのは、終式の誘発。

 

 

 「(この技は隙が大きい!! 立ち直るまでに最大限────)」

 

 

 

 「…などと、思っているか? 滲渼」

 「────」

 

 

 

 

 

 ────だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『破壊殺・(ごく)式』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誘われたのは、滲渼の方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『残輪紅光(ざんりんべにこう)()』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「極ノ型 夢幻の雷解け」
「幻獣」キリンから着想を得た技。遭遇することすら奇跡ともされる幻の存在。その姿は何よりも気高く、荘厳。不躾にもかの領域に踏み入った空者には、神の裁きが下される。閃く稲妻が影となる程の速度で振り抜かれる刃はこの上なく美麗だが、その目に捉えることのできる者は限られる。

・「極ノ型 溟き水脈」
「溟龍」ネロミェールから着想を得た技。「激流のぬし」なる異称に偽り無し。国をも沈めると謳われる絶対的な龍が近付けば、人は海鳴りを耳にするのだという。溟い波濤を前に、赦されるのはただ祈ることのみ。せせらぎのように穏やかな太刀筋は、その実目を瞠る程に速く鋭い。風雅に気を緩めたならば、鬼の頸は宙を舞うことになる。

・「極ノ型 黒創岩潰衝」
「滅尽龍」ネルギガンテから着想を得た技。数多ある災厄がそれぞれの領分を弁えぬなら、天を脅かす牙が目を覚ます。万象を圧倒する比類なき暴力は、天を墜とし、海を涸らし、大地をすり潰すだろう。致命の絶技に抗う術は、何一つ無い。どこまでも鬼の命を狙い、いずれは喉元に喰らい付く。

・「極ノ型 蛟霞・弥都波能売」
「霞龍」オオナズチから着想を得た技。霧の立ち籠めた一帯には、決して足を運んではならない。立ち寄ったが最後、二度と戻らぬ神隠しに遭うだろう。人々はそれが、龍の仕業であると長らく気付くことができなかった。時には豊作を祈り、生贄を差し出すこともあったといわれている。技の使い手の痕跡は立ち所に消えてなくなり、後には霧のような曖昧な気配が漂う。鬼は惑い、逸り、忍び寄る死の足音を聞き洩らす。

 【大正コソコソ噂話】
・「破壊殺・極式 残輪紅光露」
完全なる創作。猗窩座が滲渼と戦うために強くなって編み出した技。渾身の蹴りで周囲一帯を薙ぎ払う、最大規模の破壊力を誇る文字通りの必殺技。長めの「溜め」が必要となるため、その隙を補完する立ち回りが重要となる。仮に人間が喰らえば、跡形も残らない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

掌に消えた淡い雪


※一人称視点あり


 

 無限城内部にけたたましい破壊音が轟く。鬼の巣窟へと引き込まれた隊士たちは、皆例外無くそれを耳にした。

 

 

 「(!!? …何だ…!? 何の音だ!? 誰かが戦っているのか!?)」

 「炭治郎!」

 「!! っと…!」

 「気を抜くな。敵は常に俺たちを分断しようとしている」

 「はい! すみません!」

 

 

 敵を探し、無限城を駆ける義勇と炭治郎。接敵していない彼らは、未だ願うことしかできない。

 

 仲間が一人でも多く、生き残ることを。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 猗窩座の極式は、周辺を瓦礫の山にした。天変地異でも起きたかというような有様となった戦闘区域には、彼以外の何者も立ってはいない。

 

 

 

 

 

 ────そうでなければ、おかしい筈なのに。

 

 

 

 

 

 「……………馬鹿な。………何故……生きている? 何故、立っているんだ……滲渼」

 「……フゥッ……!! フゥッ……!!!」

 

 

 滲渼は、今なお健在だった。

 

 

 「(『極ノ型 ()(じろ)蛇王(じゃおう)………あの蛇王龍の、極々一部…その模倣。ただ身を揺するその様を……刀に、乗せた)」

 

 

 極式発動の瞬間、滲渼は自らの技の中で最も威力の高い技を繰り出した。状況的に回避が不可能であったこともそうだが…仮に猗窩座の極式がそのまま放たれてしまった場合、他の隊士たちにも被害が及ぶ可能性が高かったことから、彼女が選んだのは相殺だった。

 

 

 

 …だが、どうしても埋めようのない格差というものは存在する。

 

 

 「……ゴフッ!! ぐ、うぅゥッ……!!!」

 「!」

 

 

 逃しきれなかった衝撃は、滲渼の肉体を存分に苛んだ。内臓も少なからず損傷しており、吐血という形で痛手を受けたということを露呈させた。そして更に、天秤は傾き続ける。

 

 

 「(…皮膚呼吸を心掛けていたつもりだったが……極式とやらに加え、咄嗟に繰り出した先刻の技────思わず息を、吸ってしまった)」

 

 

 滲渼の身体を、狂竜の力が蝕み始めたのだ。尤もそれ自体は、他の生物よりもこれを克服することが容易な人間にとっては然程大したことではない。問題なのは、呼吸器への侵蝕。

 

 

 「(呼気、吸気。何れにしても、咳き込んでしまうことへの懸念が高まった……生憎、皮膚呼吸は吸う分にしか使えない)」

 「…どうした、滲渼……やはり立っているのがやっとだったか? ………もう…終わりなのか?」

 「! ……否。言った筈だ…鬼を滅し、鬼舞辻を斃し、瞢爬を討つ。全てを成すまで、私は死なぬ」

 「…くくっ。ふははははっ!! そうか、そうか!! まだ幕は下りきってはいないか!!! 素晴らしい返答だ…滲渼ィィイッ!!!」

 

 

 弾かれたように飛び出す猗窩座。滲渼は構え直した刀を振るい、迫り来る死を一つ一つ捌いていく。

 

 

 「(決して軽い傷では無い筈だが……未だこれ程!!!)」

 「『天ノ型 千刃裂き』『激奔・重徹甲』『螫影』!!!」

 「ぬ、ぐおおお…!!!」

 

 

 いなし、斬りつけ、貫き、断ち切る。

 

 

 「『地ノ型 轟咆』『追這連漣』『迅』!!!」

 「(…あり、得ない…!! 加速していく…!!!)」

 「『蒼霆』!!! 『灼炎斬り』!!!」

 

 

 刀を握るその手に込められた力が、少しずつ強くなり…玉虫色の大太刀は────ゆっくりと赫く、耀き出して。

 

 

 「『破壊殺・脚式』────」

 「『嵐ノ型 燎原』『滅砕華』『殃禍啖い』!!!」

 「(!! と、止めただと…ッ!!?)」

 「(猗窩座の体内の狂竜物質の動きが…目に見えて緩慢に!!! あと、数手!!!)」

 

 

 遂には猗窩座の攻撃を、真正面から受け止めた。

 

 

 「(!? …熱…!!? この刀、何か拙い────!!!)」

 「『極ノ型』!!!」

 

 

 

 

 

 不意の出来事に、体勢を崩してしまった猗窩座。今にも振り下ろされんとする刀を躱すことは、できそうになかった。

 

 

 

 

 

 「(回避が、間に合わ────)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ゴホッ……」

 

 

 刀は、振り下ろされなかった。滲渼が、噎せてしまったがために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(────何という…ッ!!!)」

 「…悲しいな滲渼…!!! この戦いの幕引きが!!! こんな下らんものだとは!!!」

 

 

 ほんの僅かな、しかしあまりにも致命的な隙。体勢を立て直した猗窩座が、即座に拳を引き絞って…

 

 

 「然らば────」

 

 

 

 

 

 

 

 『けほっ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────今度は、彼の動きが止まった。

 

 

 

 

 

 「(…? ……今のは…誰だ?)」

 

 

 或いはそれは、警告だったのか。それ以上進んでは、もう戻ることができないという、そんな。

 

 見知らぬ記憶と、目の前の光景が重なって……ふと、滲渼をその目に捉え直す。

 

 

 「(……違う。血に噎せたのでは、ない。…病か? 馬鹿な…一体いつから?)」

 

 

 透けた身の内には、病魔のようなものが巣食っていた。少なくとも、戦いが始まったその瞬間には無かったものだ。猗窩座は、己の拳に目を遣った。

 

 

 

 

 

 

 

 「(────何だ これは)」

 

 

 

 

 

 

 

 毒々しい赤紫色。己の肉が、不気味な色へと変じていたことに……彼は漸く、気が付いたのだ。

 

 

 

 

 

 『…れかが井戸に毒を……』

 「(毒 毒だ 俺の身の内にも同じ病魔が)」

 

 

 

 

 

 滲渼を蝕む何かは、猗窩座の肉体にも潜んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意図せずして彼は…己の最も憎悪する戦い方に手を染めていた。

 

 

 『……恋雪ちゃん…』

 「(恋雪 名前か? 人の名前 誰なんだ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『狛治さん…!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 記憶が、蘇る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ガアアアアアアアアアアァァァァッ!!!!!」

 「!?」

 

 

 喉を破り裂きながら、猗窩座は己の全身を破壊し尽くしていく。だが、上手くいかない。どんなに殴っても、打ち付けても、再生が追い付いてしまう。

 

 

 

 

 自らを殺すことが、できない。

 

 

 

 

 「はぁっ…!! はぁっ…!! ふ、ふっ……巫山戯るなァァァッ!!! 塵屑にも劣る弱者が!!!! 毒を振り翳す外道の極みがッ!!!! 生きる価値など何処にあるんだァァッ!!!! もう、もう止めろォォォッ!!! 俺を地獄に叩き落としてくれェェェエエッ!!!!!」

 「────猗窩座ッ!!!」

 「!!」

 

 

 狂乱する猗窩座を呼び戻したのは、滲渼だった。

 

 

 「……何も聞くまい。仕切り直すには、それが最も良かろう」

 「………黙って……斬り掛かれば、良いものを」

 「期せずして、私は其方に見逃された。ならば、私も一度は返さねばな」

 「……そうか。………滲渼。お前はやはり、真の強者だ」

 「………次こそ、幕引きだ」

 「…ああ」

 

 

 両者は、静かに構えを取る。

 

 

 

 合図も無しに、同時に踏み出す。

 

 

 

 「ウオオオオオッ!!!」

 「『極ノ型 陽炎』ッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────猗窩座から、黒い煌めきが消え失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『猗窩座!! 猗窩座!! お前は強くなるのだ!!! 誰よりも強く────』

 

 

 

 「(……俺では、どう足掻いても滲渼を超えられない)」

「『咢の呼吸』」

 

 

 

 

 

 正面から、その強さを認めた鬼狩りを見据える。

 

 

 

 

 

 「(だって、そうだろう? お前は必ず────)」

「『極ノ型』」

 

 

 

 

 

 無為なる命を、終わらせるべく。

 

 

 

 

 

 「(俺を、殺してくれるから)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『()たての六花(りっか)』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷たい花弁が、猗窩座の瞳を包む。

 

 それはかつて、幾度と無く見た…愛した人の、象徴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 ……また…新しい記憶だ。

 

 

 『……これ……簪、ですか?』

 『…まあ、はい。そうですね』

 『これを、私に…?』

 『…はい。偶々町で見掛けて……貴女に相応しいな、と…』

 

 

 …そうか。こんなことも、あったな。

 

 

 『…凄く綺麗です。私には、勿体ないくらいに』

 『そんなことはありません。貴女だからこそ、俺はこの簪を選んだのです』

 『…え?』

 『嘘か真か、俺には分かりませんが……聞くところによると、この簪の細工は雪の粒を象ったものだそうです』

 『雪の、粒…』

 『目を凝らせば…このような形をしているのだとか。……すみません、荒唐無稽な話でしたね』

 『……いいえ。…ありがとうございます。大切にしますね。ずっと、大切に』

 

 

 …結局俺は、守りたいものを守れるほど強くはなれなかった。惨めなことこの上ない……これは、当然の末路なのだろう。

 

 

 

 

 

 「────狛治さん」

 

 

 

 ………駄目だ。俺は、貴女の側には居られない。

 

 

 

 

 

 「私がついていきます。どこまでも…戻ってきてくれた、あなたの側に」

 「狛治。俺たちも一緒だ。嫌だって言っても無理矢理ついてくぞ」

 

 

 …師範。親父。

 

 

 

 どうしてだ……どうして、俺を赦せるんだ。何一つ守れなかった、この俺を。

 

 

 

 「いいのよ。もう、いいの。ね? ありがとう…私たちのことを、思い出してくれて」

 

 

 

 

 

 ……良いのか? 

 

 

 こんなにも情けない俺が……人間に戻っても、いいのか?

 

 

 

 

 

 「ただいま」って、言っても良いのか?

 

 

 

 

 

 「! …ええ、ええ……!! おかえりなさい、あなた…!!」

 

 

 

 

 

 …そうか。

 

 

 

 ただいま、親父。

 

 師範。

 

 恋雪さん。

 

 

 

 

 

 ────ありがとう、滲渼。

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…終わった、か」

 

 

 猗窩座の肉体が、塵となって消えていく。滲渼も狂竜の力を克服し、一時的に身体機能が向上しているようだった。

 

 

 「(止血、自然治癒……問題ない。少し経てば、十分回復するだろう)」

 

 

 これにて懸念事項の一つは取り除かれた。残るは無惨と、瞢爬。鬼の首魁の気配を追いながら、滲渼は己の刀を眺める。

 

 

 「(────赫い。そして同時に…握り締めた柄も、刀身も、燃えるように熱い。正しく、日輪の如く。恐らくは、過剰な握力を起因としている。…これは……日輪刀に秘められた力なのか?)」

 

 

 

 

 

 滲渼は知らない。

 

 

 

 

 

 猗窩座の視界を共有していた無惨が、今現在死に物狂いで人間化の薬を分解しようとしているということなど。

 

 

 

 

 




 【狩人コソコソ噂話】
・「極ノ型 身動ぐ蛇王」
「蛇王龍」ダラ・アマデュラから着想を得た技。地の底から天上を覗こうかという程の巨体を誇るのは、御伽噺に出ずる長虫。蛇王が軽く身を揺すれば、即座に天地はひっくり返る。生きてそこに在るというそれだけで、世界は滅びの一途を辿り得る。天才的な剣士が、超絶技巧を持って全身全霊で刀を振るう。そこまでして漸く、その僅かな断片が顕現するのみ。

・「極ノ型 果たての六花」
「冰龍」イヴェルカーナから着想を得た技。絶対零度の極地に眠る、艶やかなる氷の麗龍。冷たい眼差しに射抜かれた生物は、己の身が凍り付いたのかと取り違えるが…全ては数瞬ののちに現実となる。氷河に転がる氷像は、哀れで矮小な骸の成れの果て。太刀筋が描くひとひらの雪は、静かに鬼の頭を割き、頸を断つ。鬼の肉体は朝日に散る雪のように淡く消えるが、冥府へと堕ちた魂は罪を雪がれたその果てに再び命の花を咲かせるだろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

堕ちた鬼狩り:其ノ壱

 

 「お館様。刈猟緋様が上弦の参を撃破しました。そのまま無惨へと急接近しています」

 「! 良し…そのまま向かわせるんだ。滲渼なら、無惨と互角以上に戦える。人間化の薬の分解を阻止できれば、早期決着が望めるだろう」

 「畏まりました。……しかし、上弦の参は何故あれ程までに強く? 刈猟緋様が負傷なさるとは…」

 「今は余計なことを考えるな。私たちが鬼殺隊を勝利に導かなくては」

 「はっ、申し訳御座いません」

 

 

 所変わって、新産屋敷邸。屋敷内で指揮を取るのは、()当主・産屋敷輝利哉。四人の姉や妹からの報告を受け、それに応じた判断を適宜下している。

 

 

 「! 上弦の陸、撃破されました。我妻隊士が単独で倒しましたが、重症です。愈史郎さんを含めた数人の隊士が救援に当たっています」

 「そうか。…これで、城内に残る上弦は壱と肆か。肆には予定通り天元・小芭内・蜜璃をぶつけて時間を稼ぐ。天元が居れば味方の分断と無惨の逃走補助を妨害できる可能性はかなり高まるだろう」

 「壱には残りの柱を?」

 「ああ。可能なら、早々に行冥が辿り着いて欲しいところだが…」

 「……! 上弦の壱と隊士が接触! これは────煉獄様と嘴平隊士です!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…随分と荒れているようだが……仲間の死が堪えたのか? だとしても、物に当たるのは好ましくないな」

 「ハッハァーッ! ギョロ目について来て正解だったぜ!! やっと強そうなのがお出ましだ!!」

 「……鬼狩り……か…」

 「階級甲、煉獄杏寿郎! 隣の少年は嘴平伊之助だ! さて、そういう君も刀を差しているようだが!」

 

 

 上弦の壱・黒死牟が猗窩座の敗北に憤り、広大な一室の柱を数本斬り倒した直後。部屋に足を踏み入れたのは、煉獄と伊之助だった。黒死牟は煉獄と言葉を交わしながら、二人の肉体を()()()()観察する。

 

 

 「……如何にも…私もまた……かつては鬼狩りだった…。それにしても………煉獄、か……その名にその強さ……何故炎柱を拝命していない?」

 「柱は引退した。隻眼の俺よりも強い剣士は、まだまだ沢山居たのでな。……そんなことより! 君は何故鬼になった! 俺はそれが聞きたい!」

 「知れたこと……我が剣技を、強さを…永遠のものとするため………」

 

 

 かつて人間だった黒死牟は、己の技が失われることが許せなかった。強く美しい存在の命が有限であることが許せなかった。あくまでも己が人よりも優れているということに価値を見出していた彼は、人間の営みの一つである「継承」に理解を示すことはなく…鬼舞辻の提案に乗る形で、鬼の道を選んだのだ。

 

 

 「強き者は弱き者を守らなければならない! だが…君はその責務を放棄し、あまつさえ邪道に手を染めた。……俺は君を蔑如する」

 「…相容れぬか……哀しきことだ。お前も鬼とならば、更なる高みへと手が届き得ただろうに……」

 「鬼の勧誘は既に断っている。…が、改めて君にも言おう。俺は鬼にはならない。────これ以上の問答は無用だな」

 「……来るか…煉獄の裔」

 「行くぞ、嘴平少年!!」

 「おう!!」

 

 

 黒死牟は細めていた六つの目を見開き、内四つで刀を構えた煉獄の動きを、残る二つで伊之助の動きを見定めていく。

 

 

 「(煉獄の裔…良く練り上げられた肉体だ。先程の言は謙遜……或いは、隻眼となって久しいのか。隣の獣擬きも悪くはないが、煉獄の裔は比にならない。……仮に痣を出せば、初代をも…)」

 「『炎の呼吸 壱ノ型 不知火』!!」

 「…うむ……やはり、良き太刀筋だ…」

 「(! 躱された…! 猗窩座と比べてもなお速い!!)」

 「『獣の呼吸 参ノ牙 喰い裂き』!!」

 「ほう……! 初見の呼吸か…! (風に似通っているが……刃毀れした刀が却って威力を上げている。その上、二刀流…面白い)」

 

 

 煉獄が黒死牟との距離を一息に詰め、刀を振るう。軽々とこれを躱した黒死牟は、続いて背後に迫る伊之助の攻撃を観察。初見ながら、技の性質と特徴を看破した。

 

 

 「クッソォ…速ぇ!!」

 「怯むな! 『炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり』!!」

 「技の繋ぎも実に滑らかだ……さぞ研鑽を積んだのだろう…」

 「『獣の呼吸 壱ノ牙 穿ち抜き』!!」

 「荒々しくも、鋭い…師は風の一門か?」

 「『獣の呼吸』は俺が一人で編み出した!! 誰の真似でもねぇ!!」

 「! 独学……! ますます面白い…」

 

 

 更なる追撃に及ぶ煉獄と伊之助だが、やはり黒死牟に攻撃を命中させることができない。瞬き一つする間に、彼が狙いから外れてしまうのだ。特に伊之助は感覚的に外れることがいち早く理解できてしまうため、歯痒い思いで上弦の壱を睨む。一方の黒死牟は伊之助の剣技が独学であることを知ると、とうとう腰の刀に手をかけた。

 

 

 「此方も抜かねば…無作法というもの…」

 「!!」

 「『炎の────』」

 「危ねぇ!! ギョロ目ェッ!!!」

 「────『月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮』」

 

 

 瞬間、伊之助は肌が粟立つ感覚を覚え…技を繰り出そうとした煉獄の襟首を掴んで一挙に後方へと退がる。直後に彼らの居た場所を襲ったのは、血鬼術が合わさった類稀なる剣技だった。

 

 

 「(何だァ今のは…!? でけぇ斬撃にちっせぇのがくっついてやがった!! 刀を躱してもあれに当たっちまうぞ!!)」

 

 「済まん、嘴平少年! これは俺が助けられたな!」

 「俺だって強くなってんだ!! 足手纏いにはならねぇぜ!!」

 「……やりおる………よもや躱すとはな…」

 「(…もう納刀しているのか。驚くべき剣術の腕前……『上弦の壱』は伊達では無いな)」

 

 

 ここに来るまでの道中でも、伊之助の戦いぶりは見ていた煉獄。下弦相当の力を無理矢理に与えられた鬼を相手に一切梃子摺る様子を見せていなかったことから、その成長の程は窺えたが…ここに来て明確に、彼の実力が発揮された。唯一無二の感覚の鋭さは、煉獄の反応速度をも上回ったのだ。

 

 黒死牟も、伊之助の評価を上方修正する。肉体の完成度だけでは測れない彼だからこその強み。油断なく、再び刀の柄を握った。

 

 

 「『月の呼吸 弐ノ型 珠華ノ弄月』」

 「(まるで嵐……!! それでも、俺なら抜けられるぜ!!)」

 

 

 距離を詰め、刀を抜いた黒死牟。余裕を持って退避した煉獄に対し、伊之助は逆に突っ込んでいく。並の人間ならば既に微塵に刻まれているであろう緻密な斬撃の群れを……彼は、()()()()()()()()()潜り抜けた。

 

 

 「(────馬鹿な 人間に出来て良い芸当ではない)」

 「『獣の呼吸 肆ノ牙 切細裂き』!!」

 「真、面白い…!」

 

 

 そのまま即座に全身の関節を元に戻し、技を繰り出す伊之助。対する黒死牟は納めかけていた刀を抜き直すことでそれを受け止めた。

 

 

 「!! 何だぁこりゃあ!!? 気持ち悪ぃ刀しやがって!!」

 「『月の呼吸 伍ノ型』────」

 「『炎の呼吸 伍ノ型 炎虎』!!」

 「! ……『捌ノ型 月龍────』」

 

 

 刀を止め、その刀身を目にして意識を逸らした伊之助に、静止状態から放つことの出来る技を叩き込まんとした黒死牟。しかし、発動の直前に煉獄の攻撃が接近。回避を優先し、逃れた先で別の技を繰り出す。

 

 

 

 

 

 ────つもりだったのだが…

 

 

 

 

 

 「『蟲の呼吸 蜂牙ノ舞 真靡き』!」

 「(新手!! 速い────!!)」

 

 

 死角からの攻撃を中途半端に察知してしまったがために、僅かな隙が生まれてしまう。突き刺さった刀は、黒死牟の身体に何かを打ち込んだ。

 

 刀を引き抜いた援軍…しのぶが叫ぶ。後方からは、カナヲもやって来ていた。

 

 

 「今です!!」

 「『炎の呼吸・奥義 玖ノ型』────」

 

 

 細かな言葉は必要ない。しのぶが毒を喰らわせたのだと理解した煉獄が、最大威力の奥義を黒死牟に向けて放つ。

 

 

「『煉獄』!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────虻に咬まれ……蜂に刺されたとて………鬼が息絶える筈も無し……」

 「く………っ!!!」

 「そ、んな…!!」

 

 

 …煉獄の奥義は、瞬時に毒を分解した黒死牟に容易く止められた。強引に押し切ろうと力を掛ける煉獄だが、流石に膂力では勝ち目が無い。刀を弾かれ、胴を切り裂かれる。

 

 

 「ぐ…!!」

 「ギョロ目ェェェエッ!!!」

 「先ずは一人……」

 「『花の呼吸 陸ノ型 渦桃』!!」

 「…『月の呼吸 伍ノ型 月魄災渦』」

 

 

 一瞬の硬直。煉獄に止めを刺すべく、刀を掲げた黒死牟。背後からそれを阻止しようとしたカナヲ諸共斬り刻むつもりで、技を繰り出した。

 

 

 「カナヲ!!! ……えっ?」

 

 

 技の範囲内に屍は転がっていない。即ち……入ったのは、再三の横槍。

 

 

 「────次々と…降って湧く…」

 「すみません…! ありがとう、ございます」

 「……こうも助け出されてばかりでは…煉獄の名を戴く者として不甲斐無い限りだ」

 「気に病むな、煉獄……我ら鬼殺隊は百世不磨。鬼をこの世から屠り去るまで…ひたすらに足掻き、戦うのみ」

 「胡蝶さん、煉獄さんの止血と縫合を。後は僕たちに任せてください」

 

 

 新たに駆けつけたのは、悲鳴嶼と無一郎。行動を共にしていたらしく、二人でカナヲと煉獄を凶刃から救い出した。次から次へとやって来る鬼狩りに、流石の黒死牟も辟易するが…すぐに、顔色を変える。

 

 

 「! …うむ…やはり、そうか……。長髪の、お前…名は……何という」

 「…まずは挨拶からって? 行儀がいいね……鬼の癖にさ。…時透無一郎。お前が死ぬまでの間、よろしく」

 「…ほう………痣を出していたか……しかし…絶えたのだな、『継国』の名は…」

 「……? 何の話だ?」

 「時透。無駄な問答を交わす必要はない…」

 「! はい」

 

 

 無一郎の肉体を視て、彼が己の血縁であると判じた黒死牟。「継国巌勝」として残して来たものは、形を変えつつも大正の世にまで紡がれていた。そのことに妙な感慨を抱き、しかし次の瞬間には戦いへと思考を切り替える。悲鳴嶼が無一郎を諭したこともあり、詳細までをわざわざ語ることはしなかった。

 

 

 「(横の大男も素晴らしい肉体だ…これ程の剣士を拝むのは…それこそ三百年振りか…)」

 「────ゴウン、ゴウン…」

 

 

 それぞれが出方を量り、静けさに包まれた戦場。伊之助は空気が震えていることを感じ取り、カナヲは空気が揺れていることを視認する。響き続ける独特な音は、悲鳴嶼の武器の一つである鉄球が振り回されている音か、それとも……

 

 

 「(『岩』の呼吸音!)」

 

 

 悲鳴嶼の鉄球が黒死牟に飛んで行くのと同時に、伊之助・カナヲ・無一郎の三人が動き出す。鉄球を回避した黒死牟は、その内無一郎との距離が大きく縮んだ。

 

 

 「『霞の呼吸 弐ノ型 八重霞』!!」

 「『月の呼吸 参ノ型 厭忌月────』」

 

 

 無一郎の技を躱し、反撃を試みた黒死牟。しかし、またしても鉄球が飛んで来たことで技の中断を余儀なくされる。それでも退き際に一太刀振るい、無一郎の右腕を浅く裂いた。

 

 

 「『月の呼吸 肆ノ型────』…ッ!」

 

 

 一先ず悲鳴嶼に狙いを定め、接近しつつ技を備えるも…僅かな予備動作に思いがけない攻撃を差し込まれ、再び不発に終わってしまう。

 

 

 「(手斧を投擲…! 鎖を手繰り、斧と鉄球を操るか!)」

 「『獣の呼吸 陸ノ牙 乱杭咬み』!!」

 「『月の呼吸 玖ノ型 降り月・連面』」

 「『岩の呼吸 弐ノ型 天面砕き』」

 

 

 今度は伊之助の攻撃。無視して悲鳴嶼への対処を優先し、彼に技をぶつける。軌道を急激に変えた鉄球と三日月の如き斬撃が衝突すると共に、伊之助の刀が黒死牟の頸を捉えた。が…

 

 

 「(か…硬ぇッ…!! 全然刃が立たねえ!!)」

 「引けど押せど同じこと……お前では私の頸に刃を通すことはできぬ」

 

 

 黒死牟の頸には、傷一つ付けられない。鋸のように刃を動かしても、薄皮一枚削ぐことは叶わない。

 

 しかし、先刻の相殺も併せて黒死牟の動きは僅かながら止まっている。悲鳴嶼は器用に伊之助と黒死牟の間に斧を通して彼の身体に鎖を絡めると、両手に戻した武器を勢い良く手前に引いた。

 

 

 

 

 

 その意図を探り、鎖に目を遣る黒死牟。

 

 

 

 

 

 「(────この鎖は斬れぬ!!)」

 

 

 離脱しようとしたが、頸を挟む二振りの刀が邪魔をする。伊之助を蹴り飛ばすことで致命傷は避けたものの、上手く回避しきることができずに肉から生み出した刀身が灼き切れてしまった。

 

 好機と見た隊士たちが、総攻撃を仕掛ける。

 

 

 「『霞の呼吸 漆ノ型 朧』!!」

 「『花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬』!!」

 「『獣の呼吸 伍ノ牙 狂い裂き』!!」

 「『岩の呼吸 肆ノ型 流紋岩・速征』!!」

 

 

 

 

 

 「────『月の呼吸 陸ノ型 常世孤月・無間』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斬撃が、荒れ狂う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒死牟の刀は、既にあるべき姿を取り戻していた。予測不能な反撃によって最も集中的に攻撃を受けた悲鳴嶼は腕と顔面を斬り裂かれたが、それでも戦闘継続に問題は無い。だが、残りの三名は違う。

 

 伊之助とカナヲはそれぞれ感覚と視覚を活かし、命に関わる攻撃は紙一重で回避した。しかし全身に傷を負ってしまい、激痛を堪えながら黒死牟と戦うにはあまりに厳しい。また、止血及び手当をしなければ失血死が近付く。

 

 そして、無一郎は左腕を失った。止血の判断は早かったが、片腕では出来ることが極端に限られる。

 

 

 

 

 

 六人の隊士の内、真面な戦力として数えられるのは最早一人…

 

 

 

 かに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(────!!)」

 

 

 銃声が轟き、弾丸が黒死牟に向かう。彼が考えていた以上の速度で飛来した弾丸は、刀で弾いたにも関わらず曲線を描いて黒死牟の身体を貫いた。

 

 

 「(何だと────!!?)」

 

 

 それは、取るに足りないと彼が捨て置いた…七人目の鬼狩り。

 

 

 「、ぐぅ……!!」

 「(あの姿!! 異形の南蛮銃…!! よもや、鬼喰いを…!!)」

 

 

 不死川玄弥が………()()()()変貌した姿で放った、「血鬼術」だった。

 

 





 【大正コソコソ噂話】
・宇髄の参戦により、鳴女は自分のことで手一杯。分断工作などの無限城をいじくる作業にリソースを割くことができず、結果として不死川兄よりも先に悲鳴嶼たちが到着しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

堕ちた鬼狩り:其ノ弐


今回で黒死牟戦を終わらせるつもりだったのですが…思いの外長くなってしまいました。申し訳ないです。


 

 黒死牟の体内で、弾丸が変形する。それはまるで、植物の種子のようで。

 

 

 「(これは……!! う、動けぬ!! 床面と、体中に根を張って……!!)」

 

 

 みるみるうちに大きく育った樹木は、黒死牟の動きを縛った。身動き一つ取れない彼に、悲鳴嶼が鉄球を振り翳す。

 

 

 「────南無三!!!」

 「(………死だ 体の芯が凍りつくような死の感覚 四百年振りの────)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒死牟が視たのは、老いた弟との一幕。鬼となった起源を思い出させるような、そんな走馬灯の一欠片だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ウオオオオオオオオオオッ!!!!!」

 「!!!」

 

 

 人間時代の記憶の想起、そして絶叫。猗窩座と同じような過程を辿りながら、それでも黒死牟は鬼として戦い続けることを選んだ。

 

 ────正しく、鬼神。黒死牟の全身から伸びた刀より放たれた無数の斬撃が、彼の肉体を繋ぎ止めていた樹木を微塵に刻み、周辺を破壊していく。しのぶは煉獄を連れて離れていたが、その他の隊士は巻き添えを喰らってしまった。

 

 無造作に乱発された斬撃を、必死の形相で潜っていく伊之助とカナヲ。全身が悲鳴を上げる中、己の命をどうにか繋ぐ。無一郎と悲鳴嶼はそれに比べると幾らか余裕があった。或いは至近距離で喰らっていれば分からなかったと考える無一郎だったが、今懸念すべきはもしもの話ではなく現実として暴れている上弦の壱をどうするか。

 

 

 「(もう一度玄弥の血鬼術で…────!! そうだ、玄弥は!!?)」

 

 

 振り返った彼の目に留まったのは、無傷の玄弥。躱しきったのかと安堵の溜め息をつく無一郎だったが、違和感を覚える。

 

 

 「(………玄弥? …何だ……? あんなにも、禍々しい気配を纏って……)」

 

 

 無一郎は、玄弥の鬼喰いについては知っている。だが、今の玄弥はただ鬼化しているというだけでは無いように思われた。

 

 あまりにも、気配がドス黒いのだ。肌は紫がかった色味になり、瞳は獰猛にぎらついている。

 

 

 「玄弥!!」

 「…! 時透、さん……!! 俺がアイツを…足止め、します……!!」

 「(────明らかに意識が曖昧だ…!! 鬼化が進み過ぎているのか!? このまま玄弥を戦わせて良いのか…!?)」

 

 

 何が正しい判断なのかがわからない。意見を仰ぐべきしのぶとは戦っている内に位置が離れてしまっており、ここからしのぶの許に向かうのは彼女と煉獄を危険に晒してしまう恐れがある。

 

 しのぶも柱の一角である故、戦闘能力自体は低くはないのだが…如何せん敵が強過ぎるのだ。尚且つ、医学・薬学に精通している彼女がここで欠けることは非常に拙い。

 

 

 「(……悩んでる暇は無いか…!! 先刻までだって相当厳しかった!! もう手段を選んで勝てる相手じゃない!!)」

 

 

 結局無一郎は、玄弥を止めなかった。片腕を失った己も決定打を与えることは出来まいと、彼を追って凶悪さを増した黒死牟の足止めに向かう。

 

 

 「……灼け落ちた私の刀身を喰らったか………!!! 醜く脆い鬼擬き……目障りなことこの上無し…!!!」

 「好きに、言ってろ……!!!」

 

 

 再び異形の南蛮銃を構えて弾丸を撃ち出す玄弥。黒死牟は歪に変形した大太刀を振るい、また同時に全身の刀から斬撃を乱発し、玄弥を細切れにしながらこれを斬り落としにかかる。

 

 

 「『岩の呼吸 壱ノ型 蛇紋岩・双極』!!」

 「(────!! 此奴も痣を!!!)」

 

 

 玄弥と弾丸を刻んだ黒死牟は、すぐさま悲鳴嶼に向き直った。斬撃を掻い潜り攻撃を仕掛けて来た彼の腕には、新たに罅のような痣が。

 

 

 「『月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え』!!」

 

 

 悲鳴嶼の長い射程に合わせ、同じく間合いの長い攻撃を放つ。その間にも全身の刀からは不規則に斬撃が放たれており、伊之助とカナヲは近付くことさえままならない。

 

 

 「(畜生……!! 攻撃が来るってのがわかってても避けられねえ!! 速すぎる…!! アイツの間合いの内じゃあ全快でも多分一発躱すのが精々だ…!!!)」

 「(……もう、ここで使うしかない!!)『花の呼吸 終ノ型 彼岸朱眼』!!」

 

 

 伊之助が攻めあぐねている内に、カナヲが再び飛び出す。「彼岸朱眼」は奥の手にして禁じ手…長時間の行使は失明の危険性が著しく高まる。全身の怪我も相まって、彼女はこの戦い以降二度と刀を握ることは出来ないだろう。しかし、出し惜しみをしている余裕など無い。

 

 

 「(この鬼を倒さないと……無惨には届かない!!)」

 

 「(! 女隊士の動きが段違いに良くなった…!!)」

 

 

 視界の端にカナヲを捉えた黒死牟は、その変貌ぶりに驚愕する。だが、それでも悲鳴嶼に比べれば羽虫同然。早々に両断してやろうと考えて────

 

 

 

 

 

 眼窩の如き銃口と、目が合う。

 

 

 

 

 

 「!!?」

 「効かねぇ、なァ!!!」

 

 

 悲鳴嶼・カナヲの対処に追われ、放たれた種子の着弾を許してしまう。それ自体も黒死牟にとっては痛恨ではあるが、目を瞠るべきは玄弥の再生速度。

 

 

 「(有り得ぬ!!! 微塵に刻んだのは数瞬前のこと!!! 鬼喰いと言えど死んで然るべき有様、ましてこの短時間で完治など……!!!)」

 

 

 先程と同様、樹木が黒死牟の肉体に根を張る。新たに刀を生やし、拘束から抜け出そうとした彼は……異変に気付いた。

 

 

 「(────刀が……技が出ぬ!!!)」

 

 

 樹木が養分としていたのは、黒死牟の血液。技の発動に費やされようとした分を優先的に吸い上げているのか、何度技を繰り出そうとしても不発に終わる。

 

 その硬直は、絶好の隙。カナヲの刀が首筋を、悲鳴嶼の鉄球が項を捉え、更には無一郎が樹木の隙間から胴を突き刺す。

 

 

 「ぬ……ァアアアア!!!!!」

 「(何という強靭な頸…!!! まだ攻撃が足りない!!!)」

 「(折角、届いたのに…!!!)」

 

 

 それでも黒死牟の頸は落とせない。悲鳴嶼の鉄球が項を灼いてはいるが、切断には程遠い。カナヲの刀に至ってはただ接触しているだけだ。

 

 

 「(役に立て!! 片腕じゃ頸を落とす助けにはなれない!!! 少しでも、コイツの動きを…!!!)」

 

 

 無一郎は、必死に刀を握り締める。現状唯一敵の肉体を貫通している刀で、露程であれど苦痛を与えんと歯を食いしばる。

 

 

 

 …白刃が、ゆっくりと赫く染まっていく。

 

 

 

 「!? ぐ、ァアアアアッ!!?」

 

 

 赫い日輪刀は、黒死牟に激痛をもたらした。彼自身も痛みの発信源に目を落とし、その事実を理解する。

 

 樹木と鉄球、そして忌々しい赫刀。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────黒死牟の憤懣は、とうとう頂点に達した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「図に…乗るな……!!! 凡愚が何人集い………!! 些細な奇跡を起こしたとて…!! 真の強者には永劫に及ばぬ!!!

 「…!!! お前ら離れろォッ!!!」

 

 

 好機に駆け出していた伊之助が急停止し、四人に退避を呼び掛ける。彼が感じたのは、猛烈な悪寒。黒死牟が初めて刀を抜いたあの時よりも、遥かに暗く冷たい何か。

 

 警告を聞いて後退を選んだのはカナヲのみ。悲鳴嶼も無一郎も、決して傷を癒させまいと離脱の素振りを示さない。そしてカナヲも、最早回避が間に合う段階にはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(………貞子。就也に、弘、こと…寿美も)」

 

 

 「そんじゃ、兄ちゃんたちちょっと出掛けて来るけど……すぐ帰って来るからな。大人しく良い子で居ろよ」

 「うん、大丈夫だよ!」

 「あたしたち、ちゃんと留守番できるから!」

 「…本当かぁ?」

 「ほんとだよ! 心配しなくて良いからね! 良い子で待ってるからね!」

 

 

 「(────昔の、記憶だ……。………何だって俺は………土壇場でこんなことばかり、思い出すんだろうな)」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(……今……とんでもない力で引き剥がされた…! 一体、誰が……────!?)」

 

 

 

 「────────一体……何だと言うのだ……お前は…!!!」

 

 

 黒死牟の姿が、大きく変じる。全身から生えた刀はそのままに、不揃いな棘や茨のような触手、鎌のような突起物が無数に飛び出して。

 

 それでも、異形化と共に放たれた攻撃による死者は居なかった。

 

 

 

 

 

 「……俺にもよくわかんなくなって来た…。ただ────」

 

 

 

 

 

 ────仲間たちを庇い、その全てを玄弥が防いだから。

 

 

 「……弟妹がお利口さんに待ってんだ。いっぱい土産話持って帰ってやらなきゃなんねえ」

 

 

 彼の身体からは、絶えず黒い煌めきが噴き出していた。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 そもそも、瞢爬は猗窩座以外の鬼とも僅かながら接触していた。そのためこれまでの鬼喰いでも、玄弥の身の内には狂竜物質が蓄積されていたのだ。

 

 だが、幸か不幸かそれらが表出するのは決まって鬼喰いをした直後の鬼化が活性化した状態。人の姿を保っている間は、定期的に彼を診ていたしのぶでさえ気付けない程に不活化する。

 

 そして、今回の無限城での戦い。雑兵の鬼と黒死牟の刀身を喰らった分で、狂竜物質の量が一定量を突破。玄弥は鬼化と同時に、狂竜化に至り……たった今、極限状態へと移行した。

 

 

 

 極みへと至るのがこれ程までに早いのは鬼喰いという特異性故なのか、或いは人としての性質も併さっているということなのか……

 

 

 

 「……凄ぇ…!!」

 「玄弥……」

 

 「オラァァアアアッ!!!」

 「(この黒い波動…!! 近日の猗窩座と同じ…!!?)『拾ノ型 穿面斬・籮月』!! 『拾肆ノ型 兇変・天満繊月』!!!」

 

 

 いずれにせよ、玄弥は黒死牟と渡り合うまでに強くなっていた。

 

 

 「(勝てる…!! 後は、呼吸が使えない玄弥の代わりに……誰かが隙を突いて、頸を斬れば…!!!)」

 

 

 

 足りないのは戦いを終わらせる決め手。悲鳴嶼一人では落とせなかった黒死牟の頸…後一人、柱が必要だと無一郎が考えた所で────

 

 

 

 

 

 「『風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ』!!!」

 「!!」

 

 

 

 

 

 到着したのは、ある意味で救援として最高の人物だった。

 

 

 

 

 

 「兄貴…!」

 「……見てわかるぐれェにクソみてぇなことになっちまってるが………とにかく先ずはこの気持ち悪ィ塵をぶっ殺すぞォ!! ────()()ァ!!!」

 「…!! ………おうッ!!!」

 

 「……兄、弟…!!! 不愉快、極まりなし…!!!」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二度と交わらぬ月日


※一人称視点あり


 

 「『月の呼吸 陸ノ型 常世孤月・無間』!!!」

 「(見える…!!! 嘘みてぇだ!! あんなにどうしようもねぇように見えた攻撃が…! 何となくとはいえ目で追える!!!)」

 

 

 怪物と化した黒死牟の放つ斬撃は、技巧こそ劣化したものの威力と速度は増している。だというのに、玄弥は四苦八苦しながらもそれらを捌いていく。

 

 

 「(どうなってやがる…? ついこの前まで玄弥は鬼喰い込みで丙かそこらって所だった。客観的に見てそれは間違いねェ。だってのに…今は上弦の壱と渡り合ってる。……テメェ…本当に大丈夫なんだろうなァ……!!?)」

 

 

 不死川にとっては、喜ばしさよりも懸念が勝る事態だ。急成長というには飛躍が過ぎる。彼の弟の肉体に何らかの異常が起きているのは確実だった。

 

 とはいえ、今の玄弥無しで黒死牟と戦うのは難しい。不死川に出来るのは、一刻も早く上弦の壱の頸を落とすことだけだ。再び参戦してきた悲鳴嶼と共に、黒死牟へと斬りかかる。

 

 

 「『岩の呼吸 伍ノ型 瓦輪刑部』!!」

 「『風の呼吸 漆ノ型 勁風・天狗風』!!」

 「『月の────』」

 「させるかァ!!」

 「……お…の、れェエエエエエ!!!」

 

 

 黒死牟としても反撃したい所だが、どこまでも玄弥が邪魔をする。呼吸を繰り出そうとした瞬間に銃弾が放たれたために、技を中断してそちらへの対処を優先せざるを得ない。不気味な触手を縦横無尽に振り回し、玄弥の肉の一部である銃弾をすり潰していく。

 

 当然並行して全身の刀から斬撃を放ったのだが、似たようなことは玄弥にも可能だ。銃弾を四方八方から撃ち込みつつ、悲鳴嶼と不死川の攻撃が直撃するように斬撃を肩代わり。

 

 

 「(無傷だと────!!?)」

 

 

 最も信じ難いのは、玄弥に黒死牟の攻撃が殆ど通らなくなってしまったこと。どういう理屈なのか、彼の肉体は紫色の火花を散らして斬撃を反射して来る。直接刀で斬りつけたとてやはり肉を裂くには至らない。

 

 対して玄弥の銃弾は数発が黒死牟の肉体に侵入し、これまで以上に大きな樹を芽吹かせる。

 

 

 「がァァアッ…!!! 性懲りも、無く…!!!」

 

 

 そうして彼の頸に届く鉄球と刀。どちらも悪くはない威力だが、未だ黒死牟の頸は健在だ。

 

 

 「(硬ェのもそうだが…再生速度が尋常じゃねェ!!)」

 「(傷を広げるよりも速く塞がってしまう!! 即座に落とさねば堂々巡りか…!!)」

 

 

 刀を食い込ませようとしても、肉が盛り上がり押し戻される。かと言って、一息で頸を落とすことも出来ない。

 

 

 「ウ、オオオオオッ!!!」

 「!!」

 

 

 だが…苦し紛れに玄弥が振るった刀が、黒死牟の頸へと吸い込まれる。

 

 今度ははっきりと、その傷口から血が溢れ始めた。

 

 

 「(馬、鹿な…!! 鬼擬きなどという半端者が………赫い刀を…!!?)」

 「往生際がァァ……!!! 悪いんだよォォオッ…!!!」

 「ぐぅおおおおお……!!」

 

 

 頸に入った傷が、深く大きくなっていく。震える程にその手に力を込めた玄弥は、己の刀が赫くなっているということに気付かない。

 

 

 

 …そして。これが柱の刀であればそうはならなかっただろうが……剣術の腕前が今一つの玄弥では、唐突に膂力を増したということもあって刀へ適切に力を掛けられず……過剰な負荷によって、刃は半ばからへし折れた。

 

 

 

 「!! ち、畜生…!!! (やべぇ…!! このままじゃまた…!!)」

 

 

 もう一度、今すぐに同じことが出来なければ────千載一遇の機会が、失われてしまう。

 

 

 

 

 

 「────!! 悲鳴嶼さん、不死川さん!!! ()()()()!!! 柄でも何でもいい!!! 潰すぐらいのつもりで!!!」

 「刀が、赫くなる!! 太陽のような熱を帯びて…ぅ、ぐ…!!」

 「「!!!」」

 

 

 

 

 

 そんな時、助言を飛ばしたのは玄弥によって黒死牟から引き剥がされた無一郎とカナヲだった。

 

 無一郎は先程の己の経験と現状を照らし合わせて、カナヲはその優れた視覚を以て日輪刀が強化されるという事実とその条件を看破。カナヲは途中で痛みに身体が強張り足を止めるが、無一郎はそのまま空中に身を躍らせて刀を振り上げる。

 

 

 

 

 

 握り締めた柄から熱が伝わり…再び、白刃が赤熱した。

 

 

 

 

 

 「合わせて!!!」

 「承知!!!」

 「しゃアアアアアア゛ッ!!!」

 

 「かぁあああああ…!!! このような…!!! 姑息な血鬼術如き…!!!」

 

 

 黒死牟は、未だ動けない。樹木に血を吸われ、全身が麻痺している。

 

 

 

 

 

 「(負けられぬ…!!! どうあっても!!! 私は負ける訳にはいかぬ…!!!)」

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 樹木に阻まれて上手く首を回せない。それでも、鬼喰いの兄と大男の武器が赫く染まっていくのが判る。

 

 

 「くたばれェエエエ!!!」

 

 

 

 

 

 視界が闇に染まる。

 

 

 

 音も聞こえない。匂いもしない。

 

 

 

 ────頸を…鉄球に潰されたのか。

 

 

 

 

 

 …まだだ。まだ、負けでは無い。

 

 頸を再生させる。弱点を克服し、不愉快な鬼狩りを全て殺す。

 

 

 

 『兄上の夢はこの国で一番強い侍になることですか?』

 

 

 

 そうだ。

 

 

 

 「────やがったあの野郎!!! 糞が!!! 畜生がアア!!!」

 「攻撃し続けろ!!! 玄弥の血鬼術はまだ効いている!!! 頸を落とされた直後であることも踏まえれば、相当に身体は脆くなっている筈だ!!!」

 

 

 

 私は、決してこの程度の有象無象に敗れはしない。

 

 

 

 「────!? また動きが速く…!!」

 「後ろだ無一郎!!」

 

 

 

 『いつか…これから生まれてくる子供たちが。私たちを超えて、さらなる高みへと登りつめてゆくんだ』

 

 

 

 そのようなことは有り得ない。私たちは特別なのだ。

 

 私と鎬を削ることのできる剣士など現れない。

 

 お前を超える人間など生まれない。

 

 

 

 「く…────? …玄弥!!」

 「()()()()!!! 俺が押さえつけてる!!! 絶対に離さねぇから!!!」

 

 

 

 ましてや私たちよりも優れた兄弟など────

 

 

 

 「とっとと地獄に堕ちやがれェエエエ!!!」

 

 

 

 

 

 …二人。二人掛かりでも、私一人に及ばない。弟に至っては鬼喰いだ。

 

 

 

 

 

 半端者。未熟者。兄は恐らく柱…その才覚には天と地程差がある。

 

 

 

 ………兄の方が、弟よりも優れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …縁壱。

 

 何故お前は弟だったのだ。

 

 お前が兄で、私が弟であったなら。

 

 私は分不相応な夢など見ることはなかったというのに。

 

 

 

 『俺はこの国で二番目に強い侍になります』

 

 

 

 何故私にお前のような力が無かったのだ。

 

 神の寵愛を受けたのが私であったなら。

 

 我らは互いに望むものを手に出来たというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この鬼狩りの兄弟は運が良かっただけだ。

 

 偶々兄の方が優れていた故に、兄と弟で居られただけだ。

 

 

 

 或いは、偶々安穏とした時代に生まれ落ちたが故に────

 

 

 

 

 

 『俺は兄上と双六や凧揚げがしたいです』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────私たちが…

 

 

 

 もしも、私たちが生まれたのが…明治の世であったなら。

 

 大正の世であったなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『兄上! 今日は何の遊戯を致しましょう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …そんな未来も、あったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「……完全に…消滅、した…」

 「…漸く死に晒したかァ……あん? …んだこりゃァ」

 「…笛か。既に破損しているな」

 「なんだってこんなモンを持ってやがったんだァ?」

 「さて…奴ならば用途を知っていたのだろうが……尤も、見たところ何か仕掛けられていたという訳でもない。気にすることはあるまい」

 「まァ、そうだな────」

 

 

 戦いを終え、緊張を解いた隊士たち。一先ず討伐の確認を行い、傷の手当などに移ろうとして……

 

 

 ガ、ギィイイイイイ…!!!

 「!!?」

 

 

 異常な呻き声に、全員が顔をそちらへ向けた。

 

 そこに居たのは…玄弥。蹲り、歯を食いしばり、必死に何かに抗っている。

 

 

 「…玄弥!!? テメェどうした!!? 何が…!!?」

 「……兄ちゃん…。…ごめん………俺、多分…駄目だ」

 「────な、にを言ってんだァ…!? オイ!! 玄弥!!!」

 

 

 謂わば代償。鬼の力、狂竜の力…どちらも真面な人間が扱えて良い代物ではない。

 

 即ち…玄弥はもう、人では居られなくなっていた。

 

 

 「頼むよ……俺を」

 「それ以上言ってみろ…!! 二度とテメェとは口利かねェぞ!!! どうにか……どうにかしてやるから黙ってろ!!!」

 「………兄ちゃん…」

 

 

 喉が震える。汗が噴き出す。不死川は必死に弟を救う術を考えるが、今この瞬間に無惨を殺す以外の方法が思いつかない。玄弥が完全に鬼になれば、もう取り返しはつかないだろう。

 

 …するとそこへ、戦いの終結を察知した鴉が伝達にやって来る。

 

 

 「カァァァ!! 無惨、薬ノ分解ヲ試ミルモ失敗!! 刈猟緋滲渼ノ妨害ニヨリ失敗!! 現在両者交戦中!!」

 

 「!!!」

 「我らが戦っている最中も、戦局は動いていたか…!!」

 「オイ!! 刈猟緋は無惨を倒せそうなのかァ!!?」

 「城内カラノ離脱作戦ヲ進行中ニツキ討伐ハ先延バシ!! 無惨逃走ノ恐レハナシ!!」

 「んな余裕はねぇんだよこっちにはァ!!! 今すぐ無惨をぶち殺せェ!!!」

 

 

 鴉によれば、無惨は滲渼が襲撃をかけたために人間化の薬の分解に失敗したらしい。だが、ここで無惨を倒してしまえば上弦の肆も道連れとなり、無限城内の隊士たちが全滅する可能性がある。無惨が人間に戻ってしまっても同様だ。そのため、無限城からの脱出は最優先事項。

 

 とはいえ今は一秒でも惜しい不死川にとって、その情報はこの上なくもどかしいもの。玄弥が助かるかどうかが懸かっている状況下…憎き無惨を殺せるというのならすぐに殺して欲しいというのが本音だった。

 

 

 

 

 

 ────だが、希望の光は常に思わぬ方向から射し込むものだ。

 

 

 

 

 

 「不死川さん!!」

 「!? 何だァ胡蝶!!」

 「これを!! 『人間に戻す薬』です!! 弟さんを診せてください!!!」

 「!! オイ…!? 冗談とかじゃねぇだろうなァ!!?」

 「本物ですから、ご安心を!!」

 

 

 不死川に声を掛けたのは戦線を離脱していたしのぶ。小さな木箱を懐から取り出し、中身を取り出して玄弥に駆け寄る。それは、彼女が珠世とは別の方法で作り出した「人間に戻す薬」だった。

 

 

 「……胡蝶さん…」

 「全く…! 全部終わったら一日中説教してやりますからね…!!」

 「…すみ、ません……」

 

 

 ガラスの容器に入った液体を、針を通して玄弥の腕に流し込む。……筈が、上手くいかない。

 

 

 「何、これ…!!? 硬すぎて、刺さらない…!!!」

 「注射じゃなきゃ効果ねェのか!!?」

 「いえ、摂取できれば何でも────」

 

 

 しのぶに質問した不死川は、その返事をおおよそ聞いた段階で薬を彼女からひったくり、玄弥の口に押し込んだ。

 

 

 「噛み砕け!! 飲み込め!!」

 「もが……!!」

 「ご、強引な………ですが、これで!」

 

 

 

 

 

 

 

 ────玄弥の肉体が、元の血色を取り戻していく。黒い煌めきは霧散し、その瞳も人間らしいものへと変化した。

 

 

 

 「……玄弥?」

 「…うん。俺だよ」

 「………馬鹿野郎……!! 無茶すんじゃねェ……!!!」

 「……ごめん。ありがとう」

 

 

 「良かった…玄弥、落ち着いたみたいだ」

 「うむ。…これで後は…」

 「無惨をぶっ殺すだけだ!!」

 「戦いの終わりが、見えて来たな!」

 「! ギョロ目! 無事か!?」

 「ああ! 無惨を討つため寝てはいられない…俺も最後まで戦うぞ!」

 

 

 

 大なり小なり怪我をした者はいるものの、それでも死者を出すことなく上弦の壱は撃破された。

 

 行方不明の上弦の弐を除けば、これで残すは無惨ただ一人。

 

 

 

 鬼の首魁の喉元には、既に幾百もの刃が突き付けられていた。

 

 

 





 【大正コソコソ噂話】
・しのぶが人間に戻す薬をカナヲに渡していないのは、別に童磨に喰われて死ぬ予定でも何でも無かったからです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

千古不易の夢の終わり

 

 時は、少しばかり遡る。

 

 

 「(鬼舞辻無惨…随分と遠くまで逃げたな。……だが、断じて間に合わない距離ではない)」

 

 

 猗窩座を倒し、傷をある程度回復させた滲渼。彼女は微かな無惨の気配を追って、無限城を縦横無尽に駆け巡っていた。

 

 

 「(或いはこの程度で誤魔化せると考えたのか? だとすれば、哀れなことだ)」

 

 

 滲渼は前世で、嫌というほどに追跡の経験を積んだ。時には一切の手掛かりも無い中でも標的を探し出した彼女にとって、今の状況は大して問題のあるものではない。凄まじい速度で、無惨との距離を詰めていく。

 

 

 

 「(────見えた。あの肉塊か)」

 

 

 

 縦に長い空間に飛び出し、遂にその姿を視界に捉える。壁面に根を張るようにして宙に浮かんだ不気味な肉塊の内に、無惨と珠世は居た。

 

 飛び出した勢いのまま、刀に手をかける。

 

 

 

 

 

 「『咢の呼吸 極ノ型 弓形彗・月穿ち』」

 

 

 

 

 

 ────轟音。途轍も無い衝撃に見舞われた肉塊は、原型を失い…落下していく残骸の中から、二人分の人影が現れる。滲渼はその内上半身のみが残る方…珠世を抱え、落ち着ける場所に着地した。

 

 

 「珠世殿。大事は有りませぬか」

 「……はい。…刈猟緋さん、私のことは構わずに無惨を!」

 「御意」

 

 

 救い出した珠世とほんの少しだけ言葉を交わしている間に、無惨は全速力で何処ぞへと逃走していた。身体が大きく欠けた珠世は、それでも問題はないと話す。彼女の言葉に従い、滲渼は無惨の後を猛追する。

 

 

 

 

 

 「鳴女!! 鳴女ェエエエ!!! 私を地上に────」

 「その機はとうに逸している」

 「────」

 

 

 

 

 

 無惨の肉体が微塵に刻まれる。少し前ならばそれもすぐさま完治しただろうが、今回は中々再生が終わらない。

 

 

 「(赫刀!!! おのれ猗窩座…!!! 半端に追い詰めて敵に塩を送るとは!!! 役立たずにも程がある!!!)」

 「(……これでも死なないのか。だが、再生が遅いな。この赫い刃は、やはり陽光に近しい効果を持っているらしい)」

 

 

 灼けた断面をどうにか繋げ、這ってでも逃げようとする無惨。当然、そんなもので滲渼を振り切ることなど不可能だ。今度は迎え撃とうとしたものの、敢えなく粉々に切り分けられる。

 

 

 「ぐぁ────!!!」

 「諦めよ。其方の罪の全てを贖う刻が、やって来たのだ」

 「──!! ──…つこ、い!!」

 「…む?」

 

 

 激痛に苛まれながら、無惨は尚も再生に励む。原型を失った耳でどう聞き取っていたのか、彼は再生直後に滲渼の宣告を切って捨てた。

 

 

 「しつこいのだお前たちは…!! 心底うんざりさせられる!! 口を開けば親の仇子の仇兄弟の仇……まるきり馬鹿の一つ覚え!! 私に殺されることは大災に遭うのと同じこと!! 生き残ったのならばそれで充分だろう!!!」

 「…ふむ。言いたいことは山程有るが……其方は一つ、思い違いをしているな」

 「……何だと?」

 

 

 あまりにも自分勝手な無惨の言い分に、さしもの滲渼も眉を顰める。だが、滲渼に対しての彼の言葉には明らかな誤りがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「私の親兄弟は健在だ。身近な者誰一人、鬼に喰われたという話は耳に入っておらぬ」

 

 

 

 

 

 「…………………………は………?」

 

 

 

 

 

 「私が鬼殺隊に身を置いているのは、我が刈猟緋の一門が代々そうしてきた故。勿論、人を害する鬼を滅するべきだという考えもあってのことだが」

 

 

 

 

 

 無惨には、滲渼の思考回路が理解出来なかった。

 

 

 「(……………何だ この女は)」

 

 

 彼女の眼差しが、表情が…途端に読み取れなくなる。

 

 

 「(私が人を喰らうのは、生きるためだ。いや、厳密には喰う必要はあまり無いが…それでも、食欲は生物として正しい本能だ。結果として、人が死ぬというだけであって)」

 

 

 決して城内は暗くない。だというのに、視界が暗く淀んでいく心地がする。

 

 

 「(そうして身内を殺された者たち。憎悪だけで千年もの間、私を追い続ける異常者共。……理解はできる。共感はできないが、奴らが私を狙う理由はわかる)」

 

 

 

 

 

 ────暗がりには、悍ましい獣が咢を擡げていて。

 

 

 

 

 

 「(では、この女は? 何故此奴は私を狙う? 何故何も奪われていないのに命を奪う? 意味がわからない 理解ができない)」

 

 

 

 

 

 使命、義憤、正義感。それらが理解出来ない無惨にとって、滲渼は未知なる恐怖そのものだった。

 

 

 

 

 

 「(…()()()が本物の化け物だとするのなら。この女は────本物の異常者だ)」

 

 

 「滲渼!! 鬼舞辻無惨ハマダ殺スナ!! 産屋敷ノオ偉方直々ノゴ注文ダ!!!」

 「!」

 

 

 その時、彼らの頭上から降って来たのは鴉の声。滲渼の鎹鴉である燁が、彼女に指示を出したのだ。我に返った無惨は目障りだと言わんばかりに変形させた腕を彼へと伸ばすが、滲渼がそれを阻止する。

 

 

 「…そうか。御館様曰く、其方の死は配下の鬼の死を意味するのだったな。………気に掛かることも多いが…先ずは此処から抜け出さねばならぬ訳か。仰せに従うとしよう」

 「……貴様は……!!! 神にでもなったつもりか!!? 私の命を手玉に取るのはさぞ愉快だろう!!! 言ってみろ!!! 貴様と私で何が違う!!?」

 「……………齢」

 「…く、きぃぃぃいい……!!!!! 貴様はァァ…!!! 貴様だけは殺してくれる!!! 刈猟緋、滲渼!!!!!」

 

 

 …滲渼はこれでも、半分真面目に答えている。真剣に考えて思いついたのが、「種族」「性別」「年齢」しか無かったのだ。いずれを口にしたとしても無惨が怒るのは分かっていたが、一応律儀に返答した。結果、予期していた通り無惨は激昂した。

 

 

 「潰れろ!!! 砕けろ!!! 消えろ!!! 貴様は────がっ!!」

 「…其方の攻撃からは、技術の欠片も感じられぬ。全てが直情的……命を脅かす程の相手と戦ったことは殆ど無いのだろう? 或いは、只管に逃げ隠れて生きて来たのか…何れにせよ、猗窩座にでも武術の心得を習うべきだったのではないか」

 

 

 尤も、怒りに任せて攻撃した所で無惨の攻撃が滲渼に届くことはない。異形と化した腕諸共、いとも容易く細切れにされる。

 

 

 「…気付いているか? ────城が動いているぞ。どのような作戦なのか、どのような術を使っているのかは知らされておらぬが…先程の其方の望みは叶うだろう。地上へは我等鬼殺隊も共に行くがな」

 「────!!!」

 

 

 そうこうしている内に、作戦は最終局面へ。裏では上弦の肆・鳴女を宇髄・伊黒・甘露寺の三人が抑えている間に、目隠しの血鬼術を使って接近した愈史郎が鳴女の脳を支配。無惨の呪いを外した上で、彼女に代わって無限城を操作していた。

 

 詳細までは把握していないものの、鳴女に何らかの異常が起きているのだということを察知した無惨。即座に鳴女を殺害しようとして……出来ないことに、気が付いた。

 

 

 「(────呪いが完全に外れている!!!)」

 「其方の全てを否定はするまい。生きることはあらゆる生物に等しく許された権利だ。その過程でどれだけの命を糧にしようと、無意味なもので無ければそれは唯の生存競争に過ぎぬ。だが、其方は徒に命を奪う。価値無き殺戮を繰り返す。ならば私は其方を討とう。…先刻は自身を『大災』に喩えたな? 確かに自然の災害に復讐を誓う者は居ない。しかし…災いに抗うこともまた、人間の強さなのだ。────鬼舞辻無惨。其方に夜明けは訪れぬ。今宵の内に、永きに渡った戦いは終わるだろう

 「喧しい……!!! 下等生物が…知った風な口を利くなァァアア!!!」

 

 

 

 

 

 暴れる。

 

 

 刻まれる。

 

 

 再生し、暴れる。

 

 

 再び、刻まれる。

 

 

 

 

 

 「永遠を…!!! 貴様にも永遠をくれてやろう!!! 老いることのない肉体が欲しくはないのか!!? 若く、強く、美しいまま!!! 悠久の時を生きていたいとは思わないのか!!?」

 「桜の花は儚く散る故にこそその美しさが際立つ。銀雪は儚く融ける故にこそその美しさが際立つ。限りある故にこそ……全てのものは堪らなく美しい。────永遠など、虚しいだけだ」

 

 

 命乞いにも似た勧誘。滲渼はこれをにべもなく断る。

 

 

 

 一度人生の終わりを迎えた彼女は、未練を残して生まれ変わった。

 

 

 

 ところが、未練はいつの間にか消え去っていた。

 

 

 「(ともすれば、私が求めていたのは────)」

 

 

 彼女はただ……

 

 

 

 

 

 『お前さんなら、できるできる!』

 

 

 

 

 

 「(────掛け替えの無い仲間と過ごす…儚く貴い日々だったのかもしれない)」

 

 

 もう一度、誰かと笑い合いたかったのだ。

 

 

 

 

 

 「………別れを告げたというのに…如何しても、思い出してしまうものだな」

 「何を訳の分からんことを…!!!」

 「…済まぬ。此方の話だ…────!」

 

 

 棒立ちで過ぎし日に想いを馳せる滲渼にも、無惨は傷一つつけられない。片手間に振るわれた刀は、無数の攻撃を一息に斬滅して……

 

 

 

 とうとう、その瞬間が訪れる。

 

 

 

 「(頭上に襖が…!!)」

 「く、そ……!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「地上だ! 皆、地上に戻って来たぞ!!」

 「上弦の鬼は全滅したのか!? 無惨は!?」

 

 

 そこは、広々とした平野の中心。事前に産屋敷家が立てていた計画通りの地点に、無惨と鬼殺隊は排出された。

 

 遠くに山や森は見えるが、少なくともこの場を中心として周囲およそ三百間に日光を遮るものは何も無い。朝が来れば、無惨は確実に死亡する。

 

 

 「無惨!!!」

 「…竈門…炭治郎……!!」

 

 

 「無惨…! アイツが、無惨なのね…!!?」

 「俺の家族の、仇…!!!」

 

 

 炭治郎に、尾崎に村田。皆、鬼に家族を奪われた者たち。

 

 

 彼らだけではない。今ここにいるほぼ全ての隊士は、鬼によって大切なものを失っている。

 

 

 「(もう一度分裂を……!!!)」

 「!」

 

 

 ここまで劣勢ともなれば、無惨の選択は一つ…逃走以外にない。今度こそ分裂によって逃げ出そうとするが…

 

 

 「…!?」

 「(……?)」

 

 

 何故か、殆ど肉が分かれなかった。勢いもまるで足りず、数個の肉塊がべちゃりと地面に崩れ落ちる。事前に察知して阻止するつもりだった滲渼は、肩透かしを食らった。

 

 

 「……無、惨…」

 「…!? 珠世、貴様ァ…!!」

 

 

 それぞれが蠢いて不恰好に形を戻していく無惨の許にやって来たのは、愈史郎に抱き抱えられた珠世。彼女もまた、無惨に全てを壊された被害者だ。

 

 

 「珠世様、まずは再生を…!!」

 「………愈史郎、大丈夫ですから。…無惨。お前に叩き込んでやった薬は……実に良く効いたようだな?」

 「ッ……!!!」

 

 

 憎悪に身を焦がし、獰猛な笑みを浮かべる珠世。無惨に対しては、珠世にも「鬼」としての性質が強く顕れる。

 

 

 「…()()だ」

 「…何?」

 「……ふ、くく………薬の数だ!! お前に投与したのは、五つの薬!!! 『人間に戻す薬』!! 『分裂阻害の薬』!! 『老化の薬』!! 『細胞破壊の薬』!! ()()()()()()()()()()()()()()!! 信じ切っていたな!!? 私の言った言葉を馬鹿正直に受け取ったな!!? あはは、あはははは!!! どうだ無惨…!!! 逃れようのない『死』が近付いて来る気分は…!!!」

 「!!! ま、さか…!!!」

 

 

 無惨は、今夜だけで二度の分裂を試み…いずれも失敗に終わっている。本来であれば二千弱の数に分かれる筈の肉片は、一度目は数百個、二度目は数個。後者に至っては飛散速度まで劇的に落ちていた。

 

 それらは全て、珠世の薬によるものだったのだ。

 

 

 「! ゴフッ…!?」

 「さぁ……全ての薬が本格的に効き始めたぞ? 頭の悪いお前にももう分かっているだろう!!? ────地獄はすぐそこだ…!!!」

 「(手、が…震える!! 脚が戦慄く!! 肉体がどんどん弱って…!!)」

 

 

 見れば、牙のようなものが並んでいた身体は人間と変わらないものになっていた。髪は白く染まり、ただ立って震えているだけで次々と抜け落ちていく。

 

 

 「さァ…どうやって殺してやろうかァ…!!」

 「この国の平和を地味に乱し続けた罪……派手に死んで償いな」

 

 

 柱も全員が集い、囲むようにして無惨を睨む。隊士たちがじりじりと距離を詰めていく中────突然、滲渼が待ったをかけた。

 

 

 「……皆の者。刀を納めよ」

 「!? 刈猟緋さん、どういうつもり!!?」

 「…無惨に情けをかけるというのか」

 「そうではない。……見よ」

 

 

 滲渼が無惨を指し示し、隊士たちは少しだけ冷静さを取り戻す。

 

 

 

 

 

 

 

 「ゼヒュー……ゼヒューッ………ゴ、ゲホ、ゲホッ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 「…あれが……無惨…?」

 「……ただの老爺にしか、見えん…」

 

 「…然り。……今の無惨は、唯の老爺だ。………既に、鬼ではない。そして……間もなく死ぬ。…強いて人間の血を刀に塗る必要はあるまい」

 

 

 無惨は、人間に戻っていた。変形も、超再生も、普遍の若さも過去のもの。彼にはもう何も出来ない。

 

 

 

 

 

 

 後はこのまま、老いて死ぬだけだ。

 

 

 

 

 

 「わ、私は……!! 不滅の存在となるのだ……!!! 究極の、ゴフッ! 生物となるのだ!! こ、んな…ゲホッ!!! こんなことがあって良い筈がない……!!! ふ、ふめつ…! 永遠………えい、えんを………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつしか、妄執を呟く声は途切れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永遠を希い、理想のために悪逆非道の限りを尽くした鬼畜。

 

 その終わりは、あまりにも呆気ないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白く輝く翼が、闇を翔ける。

 

 

 「ジャアアアアア…

 

 

 言い知れぬ名残りを抱えた魂に、強く惹かれて。

 

 

 

 

 





 【大正コソコソ噂話】
・無惨様が最後の方でも一応分裂できたのは、人間化の薬の分解に失敗していたからです。原作通り、人間化の薬が分解されなければその他の薬の効果は強く発揮されないようになっていました。追加の五つ目の薬は全身麻痺など、非常に強力な効果もありますが……平たく言えばおバカになる薬です。こうなると元々ガバガバな無惨様の頭は空っぽ同然ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

時世を廻りて戻り来よ

 

 無惨の屍は、荼毘に付すという体で入念に焼き滅ぼされた。骨は細かく砕かれ、隠の面々によって遺灰と共に壺に納められる。それを後々海に沈めるという形で、無惨の遺骸は完全にこの国から取り除かれることになった。

 

 ────そして。

 

 

 

 

 

 「珠世様…!! 珠世様!!! どうして……どうしてこんな…!!!」

 「……珠世さん…」

 

 

 ……珠世の肉体は、今なお胴から上だけだった。治る素振りはまるで無く、少しずつ彼女の命の灯が小さくなっていっている。

 

 

 「……ごめんなさい、愈史郎…。こうなることは……わかっていました………」

 「…珠世殿。肉体が…」

 「…はい。……私はもう…鬼ではありません」

 「!! そ、そんな…!!!」

 

 

 珠世もまた、無惨同様人に戻っていた。老化の薬まで取り込んだのか、その美貌から若々しさが失われていく。

 

 

 「…無惨の体液を介してか」

 「その通りです……喰われた所から、薬が混じり込んで…コホッ」

 「………元よりその腹積もりであったな?」

 「……多くの人々をこの手にかけました。のうのうと生き延びるなど、赦されはしないでしょう」

 

 

 無惨に喰われた際に、唾液などを媒介して薬が混入していたのだ。さしたる量ではなかったが、元々珠世は取り立てて強力な鬼という訳ではない。それだけでも、人に戻るには充分だった。

 

 

 「駄目だ…!! 嫌だ!!! 珠世様、珠世様!!! 生きてください!!! 死なないでください!!!」

 「愈史郎……ありがとう。こんな私を、慕ってくれて」

 「ふ、ぐぅううっ……!!! あぁあああっ!!! 嫌だぁあああああっ!!!」

 「………本当に、ごめんなさい。…炭治郎さん」

 「! …はい」

 「禰豆子さんも、もう人に戻った頃だと思います。……どうか、兄妹仲良く」

 「…はいっ……はい…!!!」

 

 

 側に居る者たちに、別れの言葉を告げていく珠世。愈史郎の慟哭を聞きつけ、後からしのぶもやって来る。

 

 

 「珠世さん…!?」

 「…しのぶさん。貴女には、心の底から感謝しています。鬼である私を信じて、力を貸してくださった……ありがとうございます…」

 「…!! …こちらこそ、ありがとうございます。私一人では、決して抗竜膏も五つの薬も完成しなかったでしょう。珠世さん……貴女は素晴らしい()です」

 「……あぁ…! 本当に、ありがとう……!」

 

 

 掠れ、か細く弱々しい声。死の訪れは、もう間も無くだろう。

 

 

 「刈猟緋さん……貴女にも、お礼を。……きっと…地獄に堕ちるとは、思いますが……それでも、私は人として死ぬことができる…全ては、貴女のお陰です」

 「……神仏が居るならば、其方の尽力は見ていた筈だ。何らかの救いがあることを…私は祈ろう」

 「…ふふ……お優しい方ですね…」

 

 

 

 

 

 最期に…もう一度、彼女は愈史郎に顔を向ける。

 

 

 

 

 

 「……珠世様……俺もすぐに後を追います…!! 極楽でも地獄でも、必ず貴女についていきますから…!!」

 「…いけません。……最後のお願いです。────茶々丸の世話を、お願いね」

 「……ッ!!!」

 

 

 珠世が愈史郎に言いつけたのは、お使いを務め続けた愛猫の世話。

 

 今回の戦いが始まる直前に鬼にしたのだが、愈史郎が居なければ人の血液を確保することはできないだろう。或いは、そのことを見越した上で珠世は茶々丸を鬼にしたのか…本心は、彼女にしか分からない。

 

 

 

 …閉じかかった珠世の目が、見開かれる。すぐに表情が綻び、涙が流れ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……ごめ、なさ……! 本当に、ごめんなさい……!! ……ありがとう…! ずっと、待ってぃて、れて……あり………が………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 珠世は、頬を緩めたまま…それきり、動くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────珠世、様………ッ!!!」

 「…眠りに就いた……か」

 「……最期に家族が、迎えに来てくれたんでしょうか」

 「…そう、ですね。……もしかすると、そういうことも…あるのかもしれませんね」

 「ぐ、うぅっ……うわああああああああああっ!!!!!」

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 暫くして、愈史郎が落ち着いてから。滲渼は彼に、気に掛かっていたことを訊ねた。

 

 

 「鬼舞辻無惨が斃れれば、全ての鬼もまた滅びるという話を聞いたのだが…其方は何故?」

 「………詳しいことはわからない。だが、珠世様の推測によれば……無惨の呪いを外した者であれば、その限りでは無いとのことだった。脳の支配権を奪った上弦の肆も、用が済んでからは放っておいたが…どうやら死んだようだしな……。奴の配下の鬼はもう残っていないだろう……」

 「………そうか」

 

 

 滲渼は、その話がいまいち腑に落ちない。彼の言葉通りならば、既に瞢爬は死んでいるということになるのだが…

 

 

 「(……本当に死んだのか? 無論、そうであるならば何も問題は無いのだが………こうもあっさりと、全てが終わるのか? ────私の因縁に、決着がついたというのか?)」

 

 

 彼女には、とてもそうは思えなかった。勘とは少し異なる…確信にも近い心情。未だ、胸の奥がざわめいている。

 

 

 「鬼殺隊の皆様」

 「!」

 

 

 そんな折、滲渼の耳に届いたのはやけに通りの良い声。他と比べて流暢に言葉を話す鴉が、隊士たち全員に産屋敷輝利哉の言葉を代弁して伝えた。

 

 

 「…先程、先代当主である産屋敷耀哉が永逝致しました」

 「!!」

 「お、お館様…!!!」

 「……南無阿弥陀仏…」

 

 

 内容は、耀哉の死。地平の裏から日が近付き始め、薄明るくなった空の下…鴉は耀哉の最期を語る。

 

 

 「耀哉は、鬼舞辻無惨死亡の報せを受けて……皆様に、謝罪と感謝を申し上げたと聞きました。辛く、苦しい戦いを強いてしまったこと。悲願成就のため、多くの隊士を犠牲にしてきたこと。…それでも、皆様がここまで戦い、遂には無惨を討ち果たしたこと。────全てを言い終えると、そのまま穏やかに事切れたそうです」

 

 「…謝ることなんて、何も……!!!」

 「感謝したいのは、私たちの方なのに…!」

 「…お館様。どうかゆっくり…お休みください」

 

 

 彼に恩義を感じ、身命を賭して尽くすことを決意した者たち。皆が口々に耀哉の死を悼み、涙を流す。

 

 

 「……鬼殺隊の皆様。私、輝利哉からも改めて…ありがとうございました。今日この日を迎えることができたのは、皆様のお力添えがあってのこと。もう、人々が鬼に苦しめられることはありません。失われたものは帰ってこない。死んでしまった子供たちが蘇ることはない。……けれど、漸く。漸く彼らも報われました。本当に、お疲れ様でした。これからは、皆様の望むように…歩んでいってください。────鬼殺隊は、本日を以て解散致します」

 

 「あぁ……全部、終わったんだな…」

 「ええ。…見て。太陽が昇るわ」

 「! ……やべぇ、何か涙出て来た…! おい、皆!! 夜明けだぞォー!!!」

 

 

 暖かな日差しが、辺りを照らす。それは、鬼という存在の滅亡…ひいてはこの国全体に訪れた確かな平和を、如実に示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「シュルル……」

 「…? どうした、鏑丸…そんなに怯えて…?」

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 産屋敷家別邸では、五人の子供たちが戦いの終わりを喜んだ。額に貼り付けられた愈史郎の血鬼術の札を剥がし、鴉との視界共有を取り止める。

 

 

 「ひなき姉様、にちか姉様。それに、かなたとくいな。四人も、最後まで戦ってくれてありがとう。後は子供たちのこれからを支援する方策や、身寄りのない者たちを…」

 「…お館様」

 「? どうした、かなた」

 「……鴉たちが、皆一様に同じ方角へ向かっています」

 「…何?」

 

 

 しかし、そのうちかなたは札を剥がす直前、奇妙なものを見る。

 

 鎹鴉が、渡鳥のように集団で勝手に何処かへ飛び去っていく。

 

 ………まるで、何かに追い立てられているように。

 

 

 「どの鴉も札を剥がし忘れる程に酷く怯えています……一体、これは…」

 「…三人とも、もう一度札を。何かおかしい」

 「「「はい」」」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「どうしたの、刈猟緋さん。随分暗い顔だけど……お館様や、珠世さんのこと?」

 「………否。…尾崎。直ちに此処から去れ」

 「…え?」

 「恐らく…皆聞き入れはしまい。だが、其方だけでも……此処はじきに、死地となる」

 「…ま、待って!? 何を言ってるの? 無惨は死んだわ! 鬼は皆滅んだんでしょう!? 戦いはもう────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────()()は、地平の彼方から伸びて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……えっ? 何だ、あれ…?」

 「雨雲かぁ……? にしちゃ、やたらと速いな……」

 

 「(────やはり、か…!!!)」

 「な、何が…!? 刈猟緋さん!?」

 「離れていろ尾崎!! 私の側は拙い!!!」

 「えっ、え!? あ、ええ…! わかった、わ…?」

 

 

 

 

 「紫黒の雲」が、途轍も無い速度で天を覆っていく。

 

 

 

 

 

 眩い陽の光が、分厚い闇に遮られる。

 

 

 「…何か、変じゃないか……?」

 

 「(…えっ? ……鬼の、匂い…!!?)」

 「(!! こ、この雲……血鬼術!!! 太陽に灼かれて……でも、それ以上の速度で発動し続けて…!!?)」

 

 

 炭治郎とカナヲは、その正体にいち早く気が付いた。尤も、それで何かが変わるかと言われれば…残念ながら、誤差であるとしか言いようがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「皆備えよ!!! 戦いは未だ終わっておらぬ!!!」

 「!?」

 

 

 滲渼の叫びに反応したのは、ごく僅かな精鋭だけだった。柱たちが即座に臨戦態勢となる中、事態に頭が追いついていない者も多い。

 

 

 「な、何がどうなってんだ…!? 朝が来てただろ……!!? 何もかも、終わった筈だろ…!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャアアアアア────」

 

 

 「…こ、これ…あの時……列車の裏から聞こえた鬼の音…!」

 「……間違いねぇ……アイツだ…!!!」

 

 

 不気味な咆哮が、隊士たちの心魂を慄かせる。

 

 

 「…刈猟緋。────何が来る」

 「…上弦の弐、と。呼ばれて()()ものだ」

 

 「(…感じる。奴の、気配を……魂の輝きを。そうか────唯の黒蝕竜ではない)」

 

 

 

 

 

 信じ難い速度で近付いてくるのは、懐かしさすら感じる気配。

 

 

 

 

 

 それは…かつて荒れ狂う海原で、未知なる樹海で、黄金の平原で……

 

 

 

 

 

 ────天を衝く山の禁足地で相見えた、旅の宿敵。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(────────お前だったのか)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い影が、平野に降り立つ。

 

 衝撃で暴風が吹き荒び、地盤が割れる。

 

 

 

 

 

 「……ん、だァ…!!? この……バケモンはァ…!!!?」

 

 

 

 

 

 滲渼以外の人間には、分からない。彼らの知る、蛇の如き()()とは異なる容貌。

 

 

 

 だが、別の世界では確かに────「龍」と呼ばれる存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(────天廻龍!!!!)」

 

ジャアアアアアアアアアッ!!!

 

 

 

 

 

 

────最後の戦いが、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「天廻龍」
「天廻龍」シャガルマガラ。「黒蝕竜」ゴア・マガラの成体であり、幼体とは打って変わって白く光り輝く鱗に身を包んでいる。その生態は異質にして凶悪。その身から放たれる狂竜物質には生殖細胞が内在しており、各地を巡って狂竜物質をばら撒きながら他の生物の肉体を苗床として子孫を増やす単為生殖型の生物。狂竜物質に侵された殆どの生物は、これを克服しない限り遠からず狂死する。またシャガルマガラは単独での生殖を可能とする関係上、番などは必要ない。そのため、自らの子孫が確実に繁栄できるように他のゴア・マガラの成長を阻害する物質も併せてばら撒く。これにより、一つの時代に生まれるシャガルマガラは基本的に一体のみ。かつて出現が確認された際には、出現地域一帯が「禁足地」として進入不可領域に指定された。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大天災


※一人称視点あり


 

 「腕に自信の無い者は退がれ!!! 目の前の鬼は嘗て無い強敵────」

 

 

 瞢爬をその目に捉えた滲渼が、隊士全員に警告を発して……言い終わらない内に、瞢爬の姿が掻き消える。

 

 

 「(────突、進────)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────刈猟緋!!? おい、刈猟緋ッ!!?」

 「案ずるな!!! 無事だ!!!」

 「! おいおい、派手に脅かしやがって…!! (何も見えやしなかった…!! コイツはド派手にやべぇぞ…!!!)」

 

 

 いきなりの突進を、滲渼は辛うじて回避する。傷こそ負ってはいないものの、内心の焦りは尋常ではない。

 

 

 「(馬鹿な…!!! 速過ぎる!!! 筋肉の動きを視ても尚反応出来る限り限りの速度…!!! これを躱し続けるのは…!!!)」

 「ジャアア!!!

 「!!!」

 

 

 続く翼脚の一撃。叫び声を頼りに上手く躱すが、叩きつけられた翼脚は地面を粉砕して…

 

 

 「ギャアアアッ」

 「ぐあっ…!!」

 

 「(────しまった!!!)」

 

 

 飛礫が遠方の隊士たちを直撃し、少なくない犠牲が出てしまう。

 

 …さらに。

 

 

 「ギュイイイ…

 「!! 躱せえええッ!!!」

 

 

 口許に白紫色の光が集まり……三つの光弾が放たれる。滲渼はこれを見切って離脱しつつ、後方の隊士たちに回避を呼び掛けた。

 

 

 「え────」

 

 

 だが、躱せない。並の隊士たちでは、光弾を見てから避けるのは不可能だった。超高速で飛来した攻撃が、次々と隊士を殺めていく。

 

 

 

 あまりにも容易く、命が散る。

 

 

 

 「…ッ!!! 此方だ!!!」

 「ジャアアアッ!!!

 

 

 滲渼は大層申し訳無さそうに苦々しげな顔をしながら、たった今死者が出たことで人の居なくなった方へと瞢爬を誘導する。翼脚を振り乱しながら追随してくる瞢爬を決死の思いで斬りつけるものの、殆ど刃が入らずに滑ってしまう。

 

 

 「(何という硬さ…ッ!!!)」

 

 

 瞢爬の肉体は、滲渼の赫刀ですら浅い切り傷しか与えられない程に硬くなっていた。それも、狙ったのは頸ではないにも関わらず。

 

 

 「(翼脚の硬さは天廻龍譲りか!!! そして恐らく…頸は此れよりも更に硬い!!! ……必殺の隙が、必要だが…!!)」

 

 

 こうなると、頸を落とす手段はかなり限られてしまう。最も容易だと考えられたのは少しずつ傷を刻んでいく方法だが、翼脚の傷は既に完治している。つまり、一太刀で頸を落としきる以外に瞢爬を倒す術は無い。

 

 しかし…それが可能な技は、滲渼の技の中でも数える程しかない。その上いずれも隙が大きい技であるために、ここで放つことは出来なかった。

 

 

 「『咢の呼吸 極ノ型』────…くっ!!!」

 「ギシャアッ!!

 

 

 

 「クソがァ…! 割って入れねェ!!!」

 「(冗談じゃねえぞ…!!? 刈猟緋が押されてんのか!!? 何だって今さらこんなド派手イカれ野郎が出てきやがるんだ…!!!)」

 「(刈猟緋は…何故あの化生と渡り合える? 理由がある筈だ……あの、『先読み』のような動きの理由が…!)」

 「(あの時…猗窩座が言っていた『闘気』…まるで煉獄さんがどう動くか、その未来が見えていたかのような……刈猟緋さんももしかすると、それに近しい何かを…!!)」

 

 

 瞢爬と滲渼の動きが段々と激しさを増していく中、滲渼以外の隊士は視認不可能同然の戦いの傍観者にならざるを得ない。滲渼ですら劣勢の相手にこのまま立ち塞がったところで路傍の小石。下手に割り込むのは却って邪魔になりかねないのだ。

 

 一方、悲鳴嶼と炭治郎が着目したのは滲渼の異常極まりない反応速度。瞢爬の動きが真面に捉えられないのに対して、滲渼の動きは僅かながら認識することが出来る。だというのに彼女が攻撃を躱せているのは何故か…経験と推測から、勝利への糸口を模索する。

 

 

 「か、刈猟緋さん……!!」

 「俺たちにも…できることは、無いのか…!?」

 

 

 また、無力感に苛まれる者たち。彼らとて、刀を握ったまま突っ立っていることを良しとした訳ではない。鬼殺隊解散の報を受けても、心は未だ熱く燃え滾っていた。

 

 

 「(考えるのよ!!! 私が、ここに居る意味は何……!!?)」

 

 

 

 

 

 ────そんな彼らの願いは、この上無く残酷な形で叶えられることになる。

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 …他の鴉共は皆仲良くお空の彼方か。そりゃまあ、ここに残ってる動物は鈍間か馬鹿のどっちかだからな。俺たち鴉は優秀な生き物だ……格上の縄張りを踏み荒らしたりはしねえ。

 

 

 

 ………なのに何で、俺は残ってんだろうな。

 

 

 『(! ────!! ────)』

 

 

 っと。産屋敷の坊ちゃん、漸く俺の札を見つけたな? 他の札が見当違いの景色ばかり映してたんだろう…相当焦ってやがる。

 

 

 『(柱以外は撤退させろ)』

 

 

 駄目だ。全員居なきゃあの怪物は倒せねぇ。

 

 きっとすぐに、そうなる。

 

 

 「カァーッ!! 柱以外ノ隊士ハ離レテ体力ヲ温存!! 次ノ指示ヲ待テ!!!」

 

 

 ………お偉方がたまげてるな。隊士共がちゃんと逃げてねぇからだろう。あぁクソ、声が届きゃもっとやり易いんだが…

 

 

 『(違う 待機命令じゃない 撤退だ 文字が見えていないのか)』

 

 

 馬鹿にしてんじゃ……いや、馬鹿か。ここにいる時点で…俺はどの鴉よりも頭が悪い。

 

 

 『(柱以外の隊士が居ても何も)』

 

 

 

 

 

 ────見えてるか、坊ちゃん。震える程に眩しいねぇ……綺麗な翼を見せびらかしてお怒りだ。こっからは、とんでもねぇことになるぞ。

 

 

 「足許だ!!! 全員足許を注視しろ!!! 離れて居る者もだ!!! 気を抜くな!!! 死ぬなああッ!!!」

 

 

 「がはっ」

 「う、わ…!!?」

 「おい! そこも光ってるッ

 

 

 ……地面が次々爆ぜていきやがる。どこまで広がるんだ、この巫山戯た攻撃は…。

 

 しかもあの怪物、考えてぶっ放してる訳じゃねえのか。こりゃ全部漏れ出たアイツの力の余波だ。気が遠くなるぜ、全く。

 

 

 『(隊士たちを三、四人で固めろ)』

 

 

 ……へえ。急に指示の方針が変わったな? あの世の親父が助言でもくれたか?

 

 ────何にせよ、いい判断だぜ。

 

 

 「カ…ゲホッ! 三人カ四人デ固マッテ動ケ!! ソノウチ相手ガ見ツカル!!!」

 

 

 「は、はぁっ!? 何だその指示!? 曖昧すぎるぞ!!」

 「そのうちってどういうことだよ…ッ!!」

 

 

 知るか。何となくそんな気がするだけだ。野生の勘って奴だよ。

 

 ……やべぇ、な。息が苦しい……頭がおかしくなる。ちゃんと指示出せんのは……多分次が最後か。

 

 

 「…!? な、何の音だ!? 地響き!!?」

 「………おい。………向こう、見ろ」

 

 

 

 

 

 …来たぞ、来たぞ…! こっからが踏ん張り所だ! 死ぬ気で足掻けよ人間共…!!

 

 

 

 

 

 「…ク、ロ!!! 平隊士共!!! 黒イノヲ!! 相手、シロ!!!」

 

 

 

 

 

 ………息ができねぇ。何も、見えねぇ。

 

 

 俺の腹の中を、何かが喰い荒らしてる。

 

 

 畜生…本当に、何で…残っちまったんだか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────なあ、滲渼。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お前、何か隠してたろ? 俺は賢いからな…そういうのは全部わかってたんだぜ。まあ、微妙に抜けてるお前のことだ。俺以外にも誰か勘付いてたかもしれねえな。

 

 …歳食ってくたばる寸前に、聞き出してやるつもりだったのによ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あばよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「何だよ………アイツら…!!?」

 

 

 瞢爬が雄叫びを上げ、地面が輝き爆ぜ始めてから少しした頃。遠い山や森の中から唐突に飛び出したのは、大小様々な無数の黒い生物。皆例外無く、一直線に鬼殺隊の方へと向かって来ていた。

 

 

 「(────こ、黒蝕竜、だと…!!? はっきりとは分からないが…大きさからして赤子か!!? 何故突然!!?)」

 

 「…ク、ロ!!! 平隊士共!!! 黒イノヲ!! 相手、シロ!!!」

 「!!」

 「…良し、皆!!! 俺たちがアイツらを食い止めるぞ!!!」

 「お、おうっ!!!」

 

 

 鴉の指示を受け、比較的小型の黒い生き物たちへと向かっていく隊士たち。滲渼は瞢爬と死闘を繰り広げながら、異常事態の理由を考える。

 

 

 「(元より山の中に!!? いや、有り得ない!!! 確かに古龍種は並外れた知能を有してはいるが、そこまでは…!!)」

 

 「…血の匂いがします!! 熊や猪に、鳥……魚!!? とにかく沢山の生き物の血の匂いが!!!」

 「!!!」

 「何ィ…?」

 「あの不気味な化生共が……山や森の生物を喰らったのか…」

 

 「(────まさか)」

 

 

 そして……炭治郎の報告。

 

 

 「…? ゴホッ…!! 何だ、これ……! ケホッ! 頭が、痛い……急に風邪…!?」

 「うっ…!? い、息が…黒く…!?」

 

 

 奇妙な症状を訴える隊士たち。

 

 

 

 それらから、一つの答えを導き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(────狂竜物質の異常活性化!!! 黒蝕竜は瞢爬が此処に降り立ってからの僅かな時間で孵化した……)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────滲渼の耳に、何かが落下する音が届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……………燁?」

 

 キシャ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「刈猟緋!!」

 「!!!」

 

 

 我に返ることが出来たのは、悲鳴嶼が呼び掛けてくれたお陰だった。鴉の肉を喰い破って出て来ていた小さな黒蝕竜を斬り捨てると、殆ど命中しかかっていた翼脚をすんでの所で回避しながら今一度瞢爬に向き直る。

 

 

 

 …心の傷が、癒え切らないままに。

 

 

 

 「(………燁が指示を出しているのは分かっていた。燁以外の鴉が、居なくなってしまっていたことも)」

 

 

 八年来の相棒は、果てしなく惨い最期を迎えた。

 

 

 「(何故だ燁 何故逃げなかった 何故 何故…)」

 

 

 滲渼の知る燁は、こういった場面では一目散に逃げる性格の持ち主である筈だった。少しでも命の危険がある場所には決して身を置かない性格の持ち主である筈だった。

 

 

 

 

 

 もう、彼は何を語ることも無い。幾ら訊ねても、答えが返って来ることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────然らばだ、燁」

 

 

 

 涙を流すは唯一筋……手向けとして、この戦いを終わらせるべく。

 

 

 「鏑丸!!! どうした、落ち着け!!!」

 「! ────小芭内!!! 受け取れ!!」

 

 

 また…同じ犠牲も、生ませはしない。伊黒の声を確認するや否や、懐の抗竜膏を彼に投げ渡す。

 

 

 「これは!!?」

 「軟膏だ!! 鏑丸の症状を「ジャアア!!!」────ちっ!!!」

 「鏑丸に塗れば良いんだな!!? 蛇にも有効なのか!!?」

 「分からぬ!!! 賭けるしかあるまい!!!」

 「…それもそうか…!!!」

 

 

 本音を言えば、恐らく効果があるだろうと睨んでいた。あの珠世が携わっている薬が、人間にしか効果を及ぼさないなどというのは考え難かったのだ。

 

 

 「(────そうだ 愈史郎殿と使いの猫は!!?)」

 

 

 そこで思い出したのは、珠世に縁深い者たち。戦いが始まって以来、彼らの姿が見えていなかったことに気付き…

 

 

 「! ギュアアァッ

 「!?」

 

 「馬鹿なッ…!! 化け物か…!!?」

 

 

 

 直後、瞢爬の翼脚に掴まれる形で突然姿を現したのは愈史郎。

 

 

 

 その手には、起死回生の鍵が握られていた。

 

 

 

 





 【大正コソコソ噂話】
・鴉の寿命は種類にもよりますが十から十五年程。燁はそのうち八年を滲渼の相棒として過ごしました。お疲れ様、ありがとう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

守りたいもの

 

 「(何が────いや、血鬼術か!)『咢の呼吸 極ノ型 身動ぐ蛇王』!!!」

 「ギュウウ……ガァアア!!

 「くっ……!!! (完全に断ち切りたかったが…!!)」

 

 

 姿を現した愈史郎は、全身が土に塗れていた。どうも、日が昇る直前に地中に潜って立ち去ろうとしていたようだが……瞢爬の出現によって、そうもいかなくなったのだと思われた。

 

 彼を掴み上げたことで僅かに隙を晒した瞢爬の頸へ、間に合う中で最大威力の攻撃を叩き込む。今度はある程度の裂け目が入り、それでも切断には至らなかったものの、瞢爬は堪らず愈史郎を手放した。

 

 

 「愈史郎殿!! 小芭内から抗竜膏を!!!」

 「要らん!! 珠世様が俺たちの分を持たせてくださった!! それと、『賭けるしかない』とは何だ!! 珠世様がそんな甘い製薬を行う筈が無いだろう!!!」

 「! そうか、失敬!」

 「ギュイイイ…

 「うおおっ!!! ────くそっ、正真正銘の怪物が…!!! 何故目隠しの血鬼術が見破られたんだ!!!」

 

 

 光弾に巻き込まれかけた愈史郎は、滲渼の脇に抱えられるようにして救い出された。瞢爬の猛攻を凌ぎつつ、滲渼は彼に質問を重ねる。

 

 

 「目隠しの血鬼術とは!!? 剥がれ落ちたあの札か!!? 何をしようとした!!?」

 「札を貼れば貼っていない者の五感を誤魔化すことができる!! 奴には何故か通じなかったがな!!! ()()を叩き込んでやるつもりだった!!!」

 「!! 薬か、これは!? 『人間に戻す薬』か!!?」

 「違う!!! 『脳と脊髄の働きを鈍化させる薬』だ!!!」

 

 

 愈史郎が滲渼に見せたのは、中枢神経の働きを阻害する薬。無惨に投与された薬の一部、その大元とも呼べるものだった。

 

 

 「ジャアアアアア!!!

 「ぐぁ…ッ!!」

 「刈猟緋!! 俺を降ろせ!!! お前無しではコイツを倒せない!!!」

 「薬……その薬を、奴に飲み込ませるのか!!!」

 「!? 待て、返せ!!! 再生する俺なら失敗しても問題ない!!! だがお前が死ねば……!!」

 「いや…私が担うのが最善だ!!!」

 

 

 人一人を抱えていたために瞢爬の攻撃を避けきれなかった滲渼。天色の羽織が破れ、抉られた脇腹からは鮮血が溢れ出す。それを見て愈史郎は焦りを示すが、滲渼は彼から薬を奪い取るとそのまま彼を後方まで投げ飛ばした。

 

 

 「馬鹿が……っ!! ────刈猟緋!! 絶対にしくじるなよ!!! その薬は……お前の兄が開発した薬だ!!! 奴の想いを無駄にするな!!!

 「────!!」

 

 

 愈史郎は悪態をつきながらも、諦めて全てを滲渼に託す。事実、彼では瞢爬に薬を飲み込ませるのはまず不可能…滲渼ならば可能性は零ではないといった程度。

 

 彼はそのまま吐き捨てるように発破をかけ、遠方の黒い群れに向かって駆け出した。抗竜膏を塗った茶々丸と共に、隊士たちの支援に努めるようだ。

 

 他方彼の発破の内容を耳にした滲渼は、掌中の薬を硬く握る。何としても、自身の役目を果たすために。

 

 

 「(────兄上!!! 貴方という兄を持てたこと……この上ない僥倖にして光栄で御座います!!!)」

 

 「ジィイイイアア……!!!

 「!!!」

 

 

 そして再び激化する戦闘。光弾を放つ際のように、口許に白紫色の光を溜めていく瞢爬…彼の動きを見て、すぐさま滲渼は距離を取った。

 

 

 「(そいつは先刻もう見たぜェ!!!)」

 「駄目だ!!! 近付くな不死川!!!」

 「!!?」

 

 

 間一髪滲渼の警告を聞いて踏み止まった不死川の眼前で、白紫の光が炸裂。凄まじい閃光が視界を覆うが、何とか命拾いしたと考えて……

 

 

 「危ね────」

 「未だだッ!!!」

 

 

 ほんの僅かに気を緩めた不死川の身体が、今度は強く何かに引っ張られる。見れば、胴に鎖が絡まっていた。直後、彼がそれまで立っていた位置に誘爆が巻き起こる。

 

 

 「…悲鳴嶼さん、済みません」

 「致し方無し…! 私とて刈猟緋の声が無ければ…!!」

 「無事か、不死川!!」

 「あァ…! 鏑丸はァ!?」

 「随分落ち着いた! 膏薬のお陰だ…!」

 

 

 柱たちですら、命中が死に直結する攻撃の嵐の合間を縫うことができない。たった今繰り出されたものといい、初見で見切ることなど不可能と言っていい技が多すぎるのだ。

 

 

 「(どうしよう、どうしよう…! 刈猟緋さん一人に任せるなんて、柱の名折れだけど…!)」

 「(見えない! 追えない!! 届かない!!! 片腕の僕じゃ、刹那の足止めにもならない…!!!)」

 「(明らかに上弦の壱より強ェ…!! 何が起きてやがるクソがァ…!!!)」

 

 

 瞢爬と滲渼の戦いは、彼らが嘆いた所で止まらない。巻き込まれないようにするのが精一杯の現状を打破するには、この瞬間に壁を越える必要があった。

 

 

 「炭治郎!!」

 「!! 宇髄さん!!」

 「悔しいが、俺たちが居ても何もできねぇ!!! 黒いのを叩きに行くぞ!!!」

 「待ってください!! 何か…何か掴めそうなんです…!!!」

 

 「(刈猟緋さんの動き…見覚えがある!!! 絶対に、どこかで見ていた筈なんだ…!! 同じように動く人を────!!)」

 

 

 

 

 

 炭治郎は、ただただ目を凝らす。攻撃と攻撃の微かな間隙、瞬くよりも更に短い時間だけその瞳に映る滲渼と瞢爬。

 

 

 

 

 

 「(同じ────…! そうだ…! ………あれは、父さんが死ぬ少し前────)…うっ!!?」

 「ぼーっと突っ立ってんじゃねえ!!! 派手に爆ぜる地面に巻き込まれたら一巻の終わりだ!!!」

 「は、はい!! 済みません!!!」

 

 

 

 …あと、少し。

 

 

 

 幼き日の父との思い出が、炭治郎を極致へと連れて行く。

 

 

 

 「(似ている。あの日の父さんの体捌きと、刈猟緋さんの体捌き……その激しさはまるで正反対なのに────確かに、同じに見える)」

 

 

 「(上弦の壱がそうしたように…!! 我ら人間にも、同じことができる筈!!! あの、神通力の如き振る舞い……!!!)」

 

 

 

 …あと、もう少し。

 

 

 

 命を燃やして潜った死線の記憶が、悲鳴嶼を頂へ押し上げる。

 

 

 

 「(見るんだ)」

 「(よく見ろ)」

 「(刈猟緋さんの動きを)」

 「(敵の動きを)」

 

 

 

 「「(見極めろ!!!)」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そして世界は、透き通る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「「────!!?」」

 

 

 高速で動く滲渼と瞢爬の姿が、悲鳴嶼と炭治郎の視界にはっきりと捉えられた。…両者の筋肉や臓器を、ありありと映し出した上で。

 

 

 「(これだ これだ……!!! 『透き通る世界』!! 父さんが言ったのはここだったんだ!!!)」

 「上弦の弐を注視しろ!!! 誰か、奴の身体が透けて見える者は居ないか!!?」

 「!!?」

 

 

 「透き通る世界」に到達した二人が、共に瞢爬へと立ち向かう。悲鳴嶼はこの場の柱たちに、「透き通る世界」へと至るための所作を呼び掛けた。

 

 

 「竈門炭治郎!! 君も()()()のか!!?」

 「はい!!! 俺も戦います!!!」

 

 「ちっ……『注視しろ』なんて言われても見えねえんじゃ地味に厳しいぞ…!!」

 「(見る…!! 良く、見る…!!!)」

 「(役に立たなくちゃ……!! 最低限、盾になれるぐらいには…!!!)」

 

 

 足許の爆発に気を配りながら、全員が瞢爬の影を目で追い続ける。姿が見えなければ捨て身の妨害も不可能。彼らは命を懸けて戦うために、命を懸けて目を凝らしている。

 

 

 「!! 悲鳴嶼殿!! 竈門少年!!!」

 「これより参戦する!! 『岩の呼吸』────」

 「『ヒノカミ────』」

 

 

 一方の悲鳴嶼と炭治郎は、滲渼と瞢爬の許まで駆け付けるや否や攻撃を繰り出す。「透き通る世界」へと辿り着いた今ならば、多少なりとも痛手を与えられるだろうという判断だった。

 

 

 「待て!!! 攻めるな!!!」

 「ギィイュアアァッ!!

 「(!! この巨躯を持ち上げるだと────)」

 

 

 だが、それだけでは瞢爬に遠く及ばない。世界を透かし、強く握った刀が赫く染まっても、今なお彼らの間には途方も無い隔たりが存在している。

 

 

 「(は、や────)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……ッぐ、おおおッ…!!!」

 「────刈猟緋さん!!」

 「離、れろ!!!」

 

 

 二人を庇い、瞢爬の伸し掛かりを技によって強引に相殺した滲渼。彼女の足許は反動で粉砕されており、そしてこうしている間にも刀ごと瞢爬に押し潰されそうだ。速やかに炭治郎たちは後退し、滲渼も瞢爬の懐に潜り込みながら翼脚による圧殺を免れた。

 

 

 「ジャアアアッ!!!

 「『地ノ型 鏡花水月』!!!」

 「『ヒノカミ神楽 碧羅の天』────!!? 弾、かれた…!!?」

 「信じ難し……!!! 赫い日輪刀で、傷一つ付けられんとは…!!! (今の攻撃…或いは、刈猟緋が自由であったなら…!)」

 

 

 瞢爬はまたしても滲渼を狙う。背後から炭治郎たちが瞢爬の肉体を破壊しようと武器を振るったが、あろうことかどちらも容易く弾かれてしまった。先刻生まれた最大級の隙、悲鳴嶼は仮に滲渼が攻撃を叩き込めていたならばと思わずにはいられない。

 

 

 「(────いや……諦めるな!!! ならばもう一度作るまで!!!)」

 

 

 なればこそ、悲鳴嶼は覚悟を決めた。滲渼と同じことを、今度は自身が行うのだと。

 

 ……それが、己にどのような結末をもたらすのだとしても。

 

 

 「刈猟緋!!! 私の方へ!!!」

 「!? 「ギシャアッ」…ッ! ……囮は必要無い!! ()を飲み込ませれば如何とでも…」

 「何か企てがあるようだが、だとしてもだ!!! お前一人では難しかろう!!!」

 「………ッ」

 「案ずるな!! ────見ての通り、痣も出している!!! もう…長くはない!!!」

 「……忝い…!!」

 「悲鳴嶼さん!?」

 「…君は君の戦いをしろ、竈門炭治郎。……ではな」

 「!! ま、待って…!! 「ギュアアアッ!!」…うあっ!!!」

 

 

 滲渼を何とか説き伏せ、彼女と互いに接近して瞢爬の注意を引く。ところが、そこで待ち受けていたのは想像を絶する致死の暴風雨。

 

 

 「ぬ、ぐ……!!」

 「悲鳴嶼殿!! 瀬踏みの攻撃は私が引き受ける!!!」

 「!! 承知…! ……しかし、ふふ…!! 瀬踏み、か…これが…!!!」

 

 

 滲渼の身体は既にあちこちが傷だらけ。抉れた脇腹も、何故止血できているのか不思議な程の怪我だった。それら全てが「軽い様子見」によってつけられたもので……悲鳴嶼は、死地にあってなお苦笑いせざるを得なかった。

 

 

 「刈猟緋さん、俺も────」

 「其方は此方へ来てはならぬ!!! 薬の効果は未知数、未だ戦える者は必要だ!!!」

 「そんな…!!!」

 

 「(誰か…世界を透かして視ることの出来る者…!! 悲鳴嶼殿と竈門少年以外に、誰か……!!!)」

 

 

 戦力の温存として、炭治郎が瞢爬の正面に立つことを拒んだ滲渼。とはいえ、二人を相手に瞢爬が隙を晒すだけの攻撃を行うかはかなり怪しい。先程のような……彼に「鬱陶しい」と思わせる状況を作り出すには、少なくとももう一人戦力が必要で────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『蛇の呼吸 伍ノ型 蜿蜿長蛇』!!」

 「『水の呼吸 参ノ型 流流舞い』!!」

 

 「(────小芭内!!! 冨岡!!!)」

 

 

 それでも応えてみせるのが、柱というもの。「透き通る世界」に踏み入った伊黒と義勇は、そのまま滲渼たちの隣に立つ。

 

 

 「勝算は!!!」

 「無くとも手繰り寄せる!!!」

 「充分…!!」

 「ギュアアアアアア!!!

 「!! 退がれ!!!」

 

 

 四人を前に、瞢爬は黒い塊を吐きつつ跳び退った。滲渼は警告を発しつつ伊黒を掴み、共に後退。彼らの離脱とほぼ同時に、黒い塊は大きく爆ぜた。

 

 

 「何から何まで爆発ばかりだな…!!」

 「畳み掛けるぞ!!!」

 「ギィイイイ…

 

 

 離れた瞢爬が口許に光を集めるのに対し、四人は攻勢に転じる。放たれた三つの光弾を最小限の動きで躱しながら、瞢爬に狙いを定めて攻撃を叩き込む。

 

 

 「『極ノ型 身動ぐ蛇王』!!!」

 「『伍ノ型 瓦輪刑部』!!!」

 「『拾ノ型 生生流転』!!!」

 「『壱ノ型 委蛇斬り』!!!」

 

 

 

 グ……ギィイュアアァッ!!!!

 「馬鹿、な…!!」

 「(硬いにも程が…!!!)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(────ここだ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滲渼以外の攻撃は、無情にも弾かれた。痺れを切らした瞢爬が再び上体を起こして外敵の殲滅を試みる。そしてその頸には、未だ滲渼の刀が食い込んだまま。滲渼は諸共に持ち上げられ、離脱の機会を失うも…懐に納めておいた薬を、再び取り出した。

 

 

 

 

 

 「(悲鳴嶼殿は────必ずや、やり遂げる)」

 

 

 

 

 

 勢いよく倒れる瞢爬にしがみ付き、口許に目を遣る。このまま瞢爬が地面に衝突すれば、滲渼の肉体は衝撃で散り散りになるだろう。

 

 しかし、彼女は信じた。悲鳴嶼の力と覚悟に、全てを賭けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────大地が、割れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────……ああ…お前たちか……」

 

 

 

 

 …悲鳴嶼は、その身を犠牲に瞢爬の伸し掛かりの威力を抑えた。一瞬にして砕けた全身から、徐々に力が抜けていく。

 

 

 

 

 

 「……私の方こそ……お前たちを守ってやれず…済まなかった………」

 

 

 

 

 

 今際の時に彼が見たのは、裏切られたと思っていた子供たちの暖かな眼差しだった。

 

 

 

 

 

 「……そうか…ありがとう………じゃあ……行こう……………皆で……………行こう………………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ギィイイイイイイイッ…!!!

 

 「悲鳴嶼ァァアアアッ!!!!!」

 「嫌ああああああッ!!!!!」

 

 

 悲鳴嶼の亡骸を、瞢爬が苛立ちの呻きと共に踏み潰す。柱たちの絶叫が轟く中、滲渼はとうとう瞢爬の咢に手をかけた。

 

 

 「(次は私だ 此奴の苛立ちの矛先は確実に私に向く 顔に張り付いた蝿を払うように それと同じように…)」

 

 

 本来であれば、真っ先にすり潰されるのは滲渼だっただろう。だがしかし、悲鳴嶼の決死の行動によって極々僅かな猶予が生まれた。

 

 

 「(────神よ 仏よ 今ばかりは祈らせてくれ どうか どうか効いてくれ)」

 

 

 その僅かな猶予を使い……滲渼が、暗い喉の奥に薬を投げ込む。

 

 

 「────グ!!? ガ、ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!

 

 

 「か…刈猟緋────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼脚に硬く握られ、滲渼の腰から下が滅茶苦茶に捻じ曲がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『だからね、お願い。ううん、約束。………生きて。死んじゃ、嫌よ』

 

 『………また、来年も…ここで花火を見ましょうね。約束』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(……………済まない。………それでも、私は────────皆が生きるこの世界を、守りたかった)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グギィイイイイアアアアアアア!!!!!

 

 

 翼脚が叩きつけられる音は、瞢爬の苦悶の叫びに掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

篝火

 

 同時刻、瞢爬襲来地点より二百間程南にて。

 

 

 「『咢の呼吸 天ノ型 空燃る火群』!!!」

 「キシャアア……

 

 「よし、これで……もう何体目かわかんねぇ!!!」

 「とにかく山程倒してる!! コイツら、数はとんでもないが一体一体は大したことない!! 俺たちでもどうにかできる程度だ!!!」

 「油断しないで!! 次々来るわ!!!」

 

 

 尾崎ら柱以外の隊士たちは、絶え間なく襲い来る幼黒蝕竜の群れに対処し続けていた。

 

 彼らにとっては知る由もないことではあるが、幼黒蝕竜はいずれも産まれて間もない存在。赤子同然である故に、並の隊士たちでも充分倒すことの出来る手合いなのだ。

 

 

 「はぁっ、はぁっ……ヒュウウウ…ッケホ…! 悪い、また息が!」

 「了解、暫くは任せろ! ……しかし、この風邪擬き…これも血鬼術なのかよ!?」

 「『地ノ型 鎌刈り・奈落』!! …そうなんじゃないかしら!! 弱体化に呼吸の阻害、それ自体は致命的とまでは言えないけれど……戦いの中では厄介なことこの上ない!!」

 「「ジャアアッ!」うぉっ…と!! 尾崎!! お前は全然罹ってないだろ!? 何か対策があるんじゃないのか!!?」

 「よくわからない!! 気合いとか!!?」

 「おいおい…」

 

 

 狂竜物質への抵抗手段を知らない彼らは、狂竜症を発症した隊士を一時的に後退させるという方法でどうにかやり過ごしていた。隊士たちの中には殆ど発症しない人物も居るには居るが、その理由もやはり分からない。

 

 ────実際の所は、闘争心の喚起による免疫機能の活性化が狂竜物質の働きを著しく弱めるためなのだが……

 

 とにかく、該当する者が主体となって討伐していくというやり方が比較的安定しているのは事実であった。

 

 

 「(!! 足許!!!)」

 

 

 尤も、瞢爬の魔の手が全く伸びて来ないという訳でもない。時折隊士たちの足許を照らす白紫の光の炸裂は、直撃すれば一撃で全身が肉片と化す。前兆が顕れてから攻撃が放たれるまでの時間も非常に短く、目の前を覆う黒い怪物たちよりも余程恐ろしい存在だ。

 

 

 「ギィイイ…

 「『地ノ型 迅』!!」

 「! 上だ!! かなり小さいのが飛んでる!!」

 「シャアッ

 「(纏めて…!!) 『天ノ型 海中の雷鳴』!!!」

 

 

 当然ながら地面の光の炸裂は幼黒蝕竜にとっても脅威。敵味方共に死の発光から逃れつつ、相手の命を奪いにかかる。全く姿の異なる両陣営の戦いは、正しく生存競争そのもの。明日を生きるために、互いが互いを滅ぼさんとしている。

 

 

 「グォアアア!!!

 「お…らァァアッ!!! …く……こい、つら……!! 何だってここまで死に物狂いで……!!」

 「………白い奴を、助けようとしてる…?」

 「はぁ? そいつの攻撃でこいつらも「ガァァッ!!」────っぶねえ…! …こいつらも巻き込まれてるんだぞ!? だとしたら馬鹿丸出しじゃねえか!!」

 「…いや、あり得るぞ。こいつら皆、多分あの白い奴の血鬼術で産まれたんだろ!? だったら…」

 「ギュアア!!

 「やあっ!! …白い奴が死ねば、こいつらも皆死んでしまう! だから……!!!」

 「成程、な……!! 鬼が無惨に従ってたのと同じようなもんって訳だ!!」

 

 

 即ち…戦いの終わりは二つに一つ。

 

 人が勝つか、龍が勝つか。共存の道は何処にも無い。

 

 

 「(大丈夫…!! 白い奴と戦ってるのは刈猟緋さんだもの!!! 絶対に…絶対に負けないわ!!!)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「グギィイイイイアアアアアアア!!!!!

 「「「!!?」」」

 

 

 その時彼らの耳を劈いたのは、遠方から轟いた瞢爬の絶叫。至近距離で吼えたのかと勘違いしてしまう程の爆音、そして地震が起きたのかと錯覚してしまう程の地響きが、明確な異常を隊士たちに伝える。

 

 

 「ひょっとして……勝ったのか!!? 頸を斬ったのか!!?」

 「待って!!! 気を抜かないで!!!」

 「ジャアアア!!!

 「ギィイイイ…

 「!!! ち、違う!! まだ終わりじゃない!!!」

 

 

 「遂に終わった」と思ったのも束の間、依然として「紫黒の雲」は空を覆い、黒い異形はその身に力を漲らせている。未だ、瞢爬は死んでいない。

 

 

 「でも、あれだけの反応……きっとあと少しだ!! 皆、踏ん張れ!!!」

 

 

 

 「(………何…? …………何なの、この胸騒ぎ………)」

 

 

 

 そのことを理解すると、途端に尾崎の心は不安で埋め尽くされた。彼女にとっての滲渼とは、時に理不尽だとすら感じるような強さを誇る、戦の神にも等しき存在。そもそも苦戦するということ自体が有り得ない。

 

 だからこそ、心が騒めく。

 

 

 「(だって………上弦二体を相手取って、圧倒したって………無惨ですら、刈猟緋さんに傷一つ……………)」

 

 

 

 

 

 そんな彼女が、何故これだけ長い時間戦っているのか。

 

 ────本当に、無事なのか。

 

 

 

 

 

 「ジャアアアアア!!!

 「!!! 尾崎、危ない!!!」

 「ッあ────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『水の呼吸 捌ノ型 滝壺』!!!」

 「『水の呼吸 拾ノ型 生生流転』」

 「ギ…

 「…!!」

 

 

 不意を突かれ、万事休すかと思われた尾崎。彼女を救ったのは、思わぬ援軍たちだった。

 

 

 「鱗滝君!! 真菰ちゃん!!」

 「無事か、尾崎!!」

 「加勢に来ました!」

 「加勢って…!? お前らが一緒に居た隊士は!!?」

 「俺たちの所は倒しきった!! 黒いのは全滅させた!!!」

 「ぜ、全滅…!!? 凄ぇ…!!」

 

 

 横から助太刀に入った錆兎と真菰は、担当していた方角の幼黒蝕竜を全て討伐したのだという。その場に居た他の隊士たちも、今は二人のように別の方角へ救援に向かっているようだ。

 

 

 「錆兎が嫌な予感がするって言うから…でも、来て良かった」

 「本当にありがとう! 二人と一緒なら────」

 「尾崎。お前は刈猟緋の許へ向かえ」

 「!?」

 

 

 すると、錆兎は突然尾崎に妙なことを言い放った。滲渼の加勢をしろというような内容…柱と比べて一段劣る彼女には、あまり相応しい提案ではない。尾崎と組んでいた村田もこれには目を丸くし、異論を唱える。

 

 

 「ギィッ

 「うっ…! おい、鱗滝!! 尾崎を殺す気か!? 白い奴は刈猟緋が戦わなきゃいけないような相手なんだぞ!!? 柱以外の人間じゃ足止めにも……」

 「それでも…尾崎はあいつの所へ行くべきだと思う!! 上手く言葉には「ジャアアアッ!!」、できないが!!」

 「戦力としては、あんたら二人も有難いぐらいのもんだ……俺は好きにしてもらって構わねえけどよ……!!!」

 「……………ごめんなさい!! ここ、任せても良いかしら!!?」

 「! はい、お気を付けて!!」

 

 

 しかしながら、尾崎は僅かな逡巡ののちに彼の提案に頷いて、瞢爬の居る方へと駆け出していってしまった。その背を見送り、幼黒蝕竜を斬りながら、錆兎に詰め寄る村田。

 

 

 「い、行っちまった…!! 本当に「ギュアア!!」…ッ、良かったのかよ…!!?」

 「……良いのか悪いのかはわからん!! だが、間違いではない筈だ!!!」

 「ったく、何だよそれ…!! ……死ぬなよ、尾崎…!!!」

 

 

 具体性に欠ける錆兎の返事に、今一つ納得がいかないが…最早、尾崎を呼び止めるには遅すぎる。彼に出来るのは、長らく共に戦って来た友の無事を祈ることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(刈猟緋さん……刈猟緋さん………!!!)」

 

 

 戦いの行方は…きっとまだ、神や仏にも分からない。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「ジィイイ、グギャアアア…!!!

 「(刈猟緋……!!!)」

 

 

 瞢爬が翼脚を叩きつけた衝撃により、辺りは壊滅状態になっていた。間近に居たために回避が遅れた義勇は、朦朧とする意識を必死に繋ぎ止めながら身を捩る瞢爬の足許に転がっていた滲渼を救い出す。

 

 

 「…………刈猟、緋」

 「………ぅ……」

 

 

 驚くべきことに……滲渼は、未だ生きていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────下半身が、千切れ飛んだ状態で。

 

 

 「……とみ、お…か………やつを……もう、はを………」

 「………死ぬな」

 「…ふふふ……死なぬ、さ…奴を……討つまでは、な…」

 

 

 その瞳に、再び力が宿る。決して上半身も無事ではない。叩きつけられた際に骨が砕け、臓腑は破裂し、筋肉も傷付いていることだろう。それでも彼女は……今も右手に、刀を握っていた。

 

 

 「このくそったれ野郎があああァァッ!!! ド派手に死に腐れぇええッ!!!」

 「『風の呼吸 伍ノ型 木枯らし颪』!!!」

 「『恋の呼吸 弐ノ型 懊悩巡る恋』!!!」

 「『霞の呼吸 弐ノ型 八重霞』!!!

 「『蟲の呼吸 蜈蚣ノ舞 百足蛇腹』ッ!!!」

 「!!」

 

 

 その傍ら、瞢爬に攻撃を仕掛けるのは「透き通る世界」に入ることが叶わなかった、或いはその上でも戦闘に割り込めなかった柱たち。中でもしのぶは特に強烈な攻撃を繰り出した。涙が迸る顔には激しい怒りが顕著に表れており、突き技にも強い殺意が込められているのが見て取れる。

 

 

 

 

 

 「(巫山戯るな 巫山戯るな なんで どうしてなの)」

 

 

 

 

 

 ────悲鳴嶼は、彼女と姉のカナエを鬼から救った。鬼殺隊への入隊は反対されていたが、それが彼の善意であったことは明白。姉妹のことを、家族のように大切に想ってくれていた。

 

 滲渼は、カナエを当時の上弦の弐から救った。表向きにはカナエと滲渼が二人で倒したことにはなっているが、実際にはカナエが出来たのは足止め程度だったのだと本人から教えられた。命を落とす筈だった肉親を、御伽噺の英雄のように颯爽と救ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、彼らの命は一瞬にして散らされた。目の前の白い異形によって、塵芥のように吹いて飛ばされた。正確に言えば滲渼は未だ息があるようだが、長くともあと数分の内に死ぬだろう。

 

 

 

 しのぶは…瞬く間に、二人の恩人を奪われたのだ。

 

 

 

 「返せ…!!! お前が奪ったもの!!! 全部!!! 返せえええッ!!!!!」

 「ギュウウ…

 「! 落ち着いてしのぶちゃん!!!」

 

 

 身を震わせて呻き声を洩らす瞢爬の背に、刀を何度も突き立てる。何度も、何度も突き立て……その全てが、弾かれる。

 

 

 「刺さって!!! 刺さってよおッ!!!!」

 「胡蝶!!!」

 「!」

 

 

 不愉快な外敵を排除せんと、瞢爬がその翼を大きく広げて飛び上がる。そのまま空中で数度旋回し、強引にしのぶを振り落とした。

 

 

 「う、ぁ…ッ!!」

 「(拙い────!!!)」

 「冨岡さん!! 私が受け止めるわ!!!」

 「!!」

 

 

 落下するしのぶを、甘露寺が跳躍して抱き留める。彼女らが無事着地するのを見届けつつ、義勇は上空の瞢爬を見遣った。

 

 

 「(…逃げない。執拗に付け狙っていた刈猟緋は……間もなく死ぬ。薬が効いているのだろう、先程までに比べれば動きも極めて緩慢だ。……それでも、逃げないのか)」

 「グウウウウ…

 

 

 瞢爬の獰猛な眼光は、なおも瀕死の滲渼を貫いている。放っておけば死ぬ人間にこうも執着する理由が、義勇には分からない。

 

 

 「…何、が……」

 「! …目が覚めたか」

 「…冨岡…────!! 刈猟緋は…!」

 「……小芭内…無事、だったか………」

 「!! …済まん」

 「…詫びることなど、何も無い……。全ては………私の、役目だ……」

 

 

 目を覚ました伊黒も合わせ、生存している八名の柱が静かに瞢爬を見据える。

 

 

 「…刈猟緋。俺たちの刀は皆奴に弾かれた。頸を斬れるのはお前だけだ。………どうすりゃ良い」

 「……未だ…後、一度なら………技を放つことが出来よう…。………渾身、全霊を以て………必ず奴の頸を断つ」

 「その隙を俺らで作れって訳だなァ」

 「……頼む………しのぶ、は……竈門少年の…手当を…」

 「はい。………刈猟緋さん……恩を返せない、こんな私を…恨んで頂いても、構いませんから」

 「案ずるな……恩など、売った覚えは一度も無い………。仮に、姉のことを……言っているのならば…その恩も、既に返された」

 

 

 滲渼が、呼吸による止血を終えて()()()()()

 

 

 

 

 

 地面を割り砕く程に強い力が込められた左手が、逆立つような姿勢の上半身を支え…右手には、首筋に峰を添えた大太刀を携えて。

 

 

 

 

 

 

…来い……!!

 

ギュァァァァァォォォン!!!!!

 

 

 

 

 

 恰も夜の闇を照らす篝火の如く………地面からの光が、激しさを増した。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虹視


※一人称視点あり


 

 「突っ込んで来るぞおおおッ!!!」

 

 

 滑空姿勢のまま柱たちへと突撃する瞢爬。宇髄の掛け声に応じてそれぞれが回避に移り、そのまま最後の作戦を開始した。

 

 

 「(まずは刈猟緋からコイツの狙いを…!!) 『音の呼吸 肆ノ型 響斬無間』!!!」

 「ギュウウ…

 

 

 音や光が溢れる派手な攻撃は、通じていないとはいえ瞢爬にとってもかなり鬱陶しいもの。呻き声と共に宇髄へと向き直り、優先的に彼を狙い始める。

 

 

 「ジャアア…!

 「どうしたどうしたぁッ!!? 派手に鈍臭くなりやがったじゃねえか!!! 欠伸が止まらなくなりそうだぜええッ!!!」

 

 

 しかし、滲渼が命懸けで瞢爬に叩き込んだ薬は絶大な効果を発揮していた。万全の状態であれば瞬き一つするよりも速く始末出来た筈の宇髄を、どうしても捉えきれない。彼が鈍化してなお完全には攻撃を捌けない宇髄だが、上手く致命傷を避けつつ瞢爬を挑発する。

 

 

 「ジィイイイイイアアアア…!!!

 「!!」

 「『風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ』!!!」

 「『蛇の呼吸 弐ノ型 狭頭の毒牙』!!!

 「ギッ…!!

 「助かった!!!」

 

 

 瞢爬は口許に光を集めて宇髄を消し飛ばさんとしたものの、不死川・伊黒による決死の妨害がこれを阻止。薬の効果による全体的な隙の増加が功を奏し、滲渼以外の剣士でも瞢爬の邪魔をするぐらいのことは出来るようになっていた。

 

 

 「『音の呼吸 伍ノ型 鳴弦奏々』!!!」

 「『霞の呼吸 陸ノ型 月の霞消』!!」

 「『恋の呼吸 壱ノ型 初恋のわななき』!!!」

 「グ…ジャアアア!!!

 

 

 宇髄の攻撃に合わせ、無一郎と甘露寺も特殊な太刀筋を鮮やかに重ねる。範囲の広いそれぞれの攻撃は、しかし互いにぶつかることなく瞢爬の体表を強かに打ちつけた。

 

 …それでも、やはり傷は付かない。

 

 

 「(これだけ攻撃して…無傷!!!)」

 「(絶対に刈猟緋さんに繋げなきゃ!!! 命を、擲ってでも!!!)」

 「時透!!! 甘露寺!!! そこは拙い!!!」

 「「!!?」」

 

 

 伊黒の警告は、跳んで攻撃した二人の着地点を見てのこと。このまま彼らが足を着けるだろう場所は、どちらも煌々と輝き始めている。

 

 

 「(馬鹿な!!! 明らかに二人の動きを読んだ攻撃!!! 地面の発光は無差別では無かったのか!!?)」

 

 「くっ…!!」

 「(駄目…!! ここからじゃ、姿勢が…!!)」

 「そのまま下手に動くな!!」

 「!?」

 

 

 あわや彼らの命が潰えるかという所で、義勇と伊黒が助けに入る。横から飛び出して空中の二人を脇に抱え、どうにか光の炸裂を躱し…

 

 

 「ギィイュアアァッ!!!

 「(伸し掛かり!! 刈猟緋もすぐ側に…!!!)」

 「全部読み通りってかァァッ!!?」

 

 

 その上で、未だ危機は脱していなかった。一箇所に集まった四人の柱、加えて滲渼を一挙に圧し潰しにかかる瞢爬。不死川と宇髄が死に物狂いで止めようとするが、持ち上がった巨躯は最早倒れるのを待つのみだ。伊黒と義勇は着地したばかり、抱えられている無一郎と甘露寺は言うまでもない。

 

 

 

 ────滲渼以外に、攻撃を受け止められる者が居ない。

 

 

 

 「…『咢の────』」

 「(待て刈猟緋 待ってくれ どうにかする どうにか、するから────)」

 

 

 

 彼女ならば、この攻撃を阻止出来る。だがそうなれば、彼女は今度こそ力尽き…瞢爬を討つことが出来る者は居なくなる。

 

 そして、このまま止めなくとも…彼女を含めた五人の柱が命を落とす。

 

 義勇は考えた。あらゆる可能性を考えた。刹那にも満たない僅かな時間の中で、脳が弾けるのではないかという程に頭を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(────)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その先には、ただ無慈悲な絶望が待っているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『日の呼吸 円舞』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────伸し掛かりは、その威力を大きく減じた。

 

 投与された薬により、力が入っていない…体重だけの攻撃となっていたことも要因の一部ではあった。

 

 

 

 だが、最大の要因は……

 

 

 「……………炭、治郎…?」

 「(…竈門少年!!!)」

 

 

 復活した竈門炭治郎が、その攻撃を受け止めたこと。

 

 

 「ギュアアアアア…!!!

 「冨岡、さん…!!! 済み、ません!!! 俺だけじゃ…!!!」

 「!! 『水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き』!!!」

 「(押し戻せ…!!!)」

 「『恋の呼吸 参ノ型 恋猫しぐれ』!!!」

 「『霞の呼吸 壱ノ型 垂天遠霞』!!!」

 「グォ…!!

 

 

 彼一人では一時的なものに過ぎなかったが、その一瞬が全てを変えた。瞢爬の正面に立つ柱たちが一斉に彼を攻め立て、姿勢を崩させる。

 

 

 

 

 

 「刈猟緋ィイイイッ!!!!! ここしか無ええええッ!!!!!」

 「……相分かった!!!!!」

 

 

 

 

 

 ────滲渼が左腕だけで、遥か高くまで跳躍した。

 

 

 

 

 

 「ギィイ゛イ゛…

 「動かせるなアアッ!!!!!」

 「死ぬ気で止めろォ!!!!!」

 

 

 技、刀、肉体……形振り構わず全てを賭して、瞢爬を拘束する。

 

 

 「『蛇の呼吸 参ノ型 塒締め』!!!」

 「『水の呼吸 拾壱ノ型 凪』!!!」

 

 

 炭治郎も、想いは同じ。眠っていた間に見た()が、彼の心を激しく燃やす。

 

 

 「『碧羅の天』『烈日紅鏡』『幻日虹』『火車』『灼骨炎陽』!!!」

 

 「(動きを止める!! 逃がさない!!! 敵は無惨じゃない、それでも!!! この『日の呼吸』は相手を逃がさないための技術!!! 夜明けが来るまで、いつまでも…いつまででも!!! 技を出し続ける!!!)」

 

 

 「グ ガ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛ ア゛!!!!!

 

 

 

 

 

 瞢爬が暴れ、翼脚が荒ぶる。

 

 

 

 宇髄の左腕が弾け飛び、甘露寺の両脚が粉砕され、無一郎の腸が破裂する。

 

 

 

 不死川の胸に大きく傷が描かれ、伊黒の目玉が潰れ、義勇の肋が割れる。

 

 

 

 それでも、誰一人退かない。怯まない。諦めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『咢の呼吸』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唯一条の、希望の光を絶やさないために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『奥義』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「(────!! やべぇ……もう殆ど見えてねぇのか!!! ほんの少しだが………頸から逸れてやがる!!!!!)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …光が鎖されかけたとしても、それは変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『咢の呼吸 嵐ノ型 滅砕華』!!!」

 

 

 

 「────尾崎!!?」

 

 

 

 「(どうしてこんなことに わからない わからないけれど…!!! 今はただ、自分にできることを…!!!)」

 

 

 

 

 

 逸れた光を導いたのは、尾崎。使えなかった筈の「嵐ノ型」を以て、瞢爬の頸を僅かに突き動かす。

 

 

 

 

 

 ────戦いが、終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『極ノ型』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い空に、天色と虹色がはためいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『(あま)()れの(にじ)』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「おかあさーん! あれ、なに!?」

 「ん? …まぁ! 綺麗な虹ねぇ」

 「にじ?」

 「えぇ。これだけ綺麗なもの、そうは無いわ。今日はきっと良いことがあるわね」

 「ふーん…」

 

 

 ずっと、どうしようもなく焦がれていた。

 

 

 

 頭上に広がっている青い空が、何故か無性に眩しくて。

 

 

 

 

 

 「…えい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空に翳して握った掌の中に、虹は残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……とんでけば、とどくかなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛んで行けば、あの山に帰れると…そう、思っていたんだけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「刈猟緋さん…!!! 刈猟緋、さん…っ!!!」

 「……………尾崎」

 

 

 霞む空は、果てしなく澄み渡っていて。滲渼は、漸く全てが終わったのだと理解した。

 

 

 「ど、して…!! どうして、こんな…!!! 嫌、嫌よ…!!!」

 

 

 たった今到着したばかりの尾崎の目にも、滲渼が死ぬということは容易く見て取れた。だが、それに対して何をすることも出来ない。彼女に出来るのは、こうして滲渼が死んでいくのを眺めることだけだ。

 

 

 「………済まぬ……………約束、は……守れそうに…無い……。……………母上、にも…然様に……伝えておいて……欲しい…………」

 「お願い…!!! 死なないでぇっ…!!!!! 私の、私の命でも何でもあげるからああっ!!!!!」

 「……其れは…………断らねば、なるまい…。…私、が………此の身を賭した…甲斐も………無くなって、しまう」

 「!!!」

 

 

 遠巻きに、炭治郎や柱たちが二人の別れを見届ける。彼女らの時間は、彼女らだけで費やすべきなのだと…そう、考えて。

 

 

 「………尾崎…。………其方に、逢えた事は…………私にとって……至上の…幸運であった……」

 「……やめ、て…」

 「……………生きろ……尾崎……… 此の…愛おしい、世界で…………どうか…………………永く…………………………」

 

 

 

 

 

 横たわる滲渼の身体から、力が抜ける。

 

 

 

 

 

 「────有難う…………………………」

 「────刈猟緋、さん………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …もう、声は返って来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……う、ぁ………あああああああああああああっ!!!!!」

 

 

 

 

 

 憎たらしい程に、その日の空は青かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「…此処は?」

 

 

 暗闇の中に、滲渼は居た。前後左右も分からない闇の中、小さな光の射す方へと歩みを進める。

 

 

 「………あれは……」

 

 

 光の向こうには、華やかな景色が広がっていて…誰に言われずとも、それが何であるのかが理解出来た。

 

 

 「………極楽と、いうものか」

 

 

 己が死んだということは分かっていた。だが、そのまま地脈に還るとばかり思っていた魂は、この世界の秩序に従ってここへと流れ着いたらしい。

 

 

 「(…私は、もうあの世界へは……)」

 

 

 少しばかり切ない想いを抱えながら、極楽へ足を踏み入れようとして……

 

 ────ふと、背後に何かの気配を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り返ったその場所に在ったのは、赤い鯨を模した船。

 

 

 

 

 

 「……………馬鹿な」

 

 

 思わずよろけ、しかしそちらへと一心不乱に駆け寄る。

 

 

 「……私を…迎えに来たのか?」

 

 

 船は何も語らない。

 

 

 「………私に…如何して欲しい」

 

 

 ただ、静かに佇むのみ。

 

 

 「……………約束を、違えたままなのだ。………仮に、生まれ変わるようなことがあるとして…今度こそ、私は私では無くなるだろう。────────それでも……私を、見つけてくれるか。乗せてくれるか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『────』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間の声が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…有難う。……行って来る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 極楽へと向かうその背を、船は静かに見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 【狩人コソコソ噂話】
・「奥義 極ノ型 天滴れの霓」
「天廻龍」シャガルマガラから着想を得た技。生きとし生けるもの全てを蝕み、世界を廻り、その涯に故郷へと戻る。そこに悪意は欠片程もなく、あるのは純粋無垢な生の営み。己の力が故に、その瞳は決して陽の光を捉えることは出来ない。悠久の刻の中…かの龍は何を想い、空を見上げるのだろうか。天に架かる一筋の虹は、何よりも美しく優しい葬送の一太刀。

・「赤い鯨を模した船」
「イサナ船」。「我らの団」をその背に乗せて、海や空を渡り続けた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

歌の続き

 

 上弦の弐・瞢爬。数多の犠牲を出しながらも、最後の鬼は遂に討たれた。負傷者も柱を中心に一刻を争う者が多く、全てが落ち着いたのは討伐から一ヶ月以上も経ってのこと。

 

 今回の戦いで命を落とした隊士たちの葬式は、その間に行われた。産屋敷家現当主である産屋敷輝利哉が一人一人の名前を読み上げ、それぞれへの焼香が為され…仲間たちは犠牲者を想い涙を流しながらも、彼らの分まで精一杯生きていくことを心に決めた。

 

 また、別日に行われたのは悲鳴嶼行冥・刈猟緋滲渼の葬式。隊士たちの命の重みは平等ではあるが、その扱いまでも平等にするという訳にはいかなかった。特に滲渼については、柱であるというのも勿論のこと、彼女が鬼殺隊に及ぼした功績は計り知れない。刈猟緋家自体もそれなりの名家であるために、どうしても葬式の規模は大きくせざるを得なかったのだ。

 

 

 「……と、いうわけだ」

 「…お館様のお葬式は……」

 「産屋敷家だけで小さく済ませたらしい。それが産屋敷耀哉の最後の願いだったとか………不気味な男だとばかり思っていたが、少なからず負い目は感じていたようだな」

 「…そうですか」

 

 

 力を使い果たし、長い間眠っていた炭治郎にそれらを伝えたのは愈史郎。瞢爬の死によって「紫黒の雲」が突然消えてしまったために地中への退避が遅れたものの、どうにか茶々丸と共に命からがら逃げ遂せたとのことだった。

 

 

 「禰豆子にはもう会ったか?」

 「はい。すっかり人間に戻っていて……俺の怪我が治ったら、一先ず家に帰ろうって」

 「そうか。…良かったな」

 「! …ありがとうございます…!」

 

 

 愈史郎が見せたのは、穏やかな笑み。いつも刺々しい態度を取っていた彼からは想像もつかない柔らかな表情に、炭治郎は驚きながらも礼を述べた。

 

 それと同時に、思い出すのは最後の鬼について。

 

 

 「………『瞢爬』。無限列車で出会った時から…一度もあの鬼とはちゃんと話したことがありませんでした」

 「……奴に関しては未だに謎が多い。あれ程の力を持ちながら、何故『上弦の弐』に留まっていたのか……何故刈猟緋に執着していたのか……そして、何故刈猟緋は奴の能力や戦い方を詳らかに知っていたのか。………今となっては、何一つわからんがな」

 「……刈猟緋さんのように匂いが強い人は、感情の機微がわかり辛いんです。そういった匂いが、他の匂いに紛れてしまって」

 「…何の話だ?」

 

 

 炭治郎は、瞢爬から感じ取った僅かな感情を愈史郎に打ち明ける。

 

 

 「……瞢爬は…ずっと、『帰りたい』って思ってました。…きっと、昔住んでいた家に戻りたかったんじゃないかなあ………」

 「………考え過ぎだ馬鹿。奴が殺したのは人間だけじゃない。あの辺りの山や森からは動物が消えた。川は魚の血に染まった。ああも残忍な帰郷があっては堪ったものではない」

 「勿論、そのことは許せません。ただ……凄く哀しいなって、そう思っただけですから」

 「…全く、お前は……手当たり次第に甘い奴だな」

 「え、えぇ…?」

 

 

 鬼となった者に狂気的とも言える程の慈しみを向ける炭治郎。口では呆れたように言いつつも、愈史郎はその態度が嫌いではなかった。

 

 

 「…尾崎さんは…大丈夫でしょうか」

 「……目の前で親しい者が死ぬなど、鬼殺隊では日常茶飯事だったろう。…尤も、俺も刈猟緋が死ぬとは思わなかったが」

 

 

 二人の話題は、瞢爬と相討つ形で命を落とした滲渼に関わる話へと移る。あの日の尾崎の慟哭は、側で見ていた炭治郎も胸を引き裂かれそうになる程のものだった。刈猟緋滲渼という人物は、彼女にとって…ひいては鬼殺隊に連なる者にとって極めて大きな存在であったといえる。

 

 

 「無惨の強さは本物だった。珠世様は常々、あの男と正面から戦うのは不可能なのだと仰っていた。策を練り、罠を張り巡らせて、それでも時間稼ぎが精々だと。……だが、蓋を開けてみれば刈猟緋が殆ど一人で奴を追い詰め、倒してしまった。仮にあいつが居なかったならと思うと………心底寒気がする」

 「…それでも……そんなに凄い人でも、死んでしまうんですね」

 「…あいつも、人間だったということだ」

 

 

 彼女が死ぬことを予期出来た者など、誰一人として居なかった。或いは耀哉ならばそういった勘が働いていたのかもしれないが、とにかく考えられるのは彼ぐらいのものだった。

 

 

 「………俺はもう行く」

 「あ……」

 「…心配するな。俺が珠世様の言いつけを破ると思うのか?」

 「……いえ。お元気で」

 「…ああ。────じゃあな」

 

 

 話すべきことを話し、愈史郎はその場を後にする。もう彼と会うことはないだろう…そんな漠然とした予感の中、炭治郎は朗らかに別れを告げた。

 

 まだまだ寒い、冬の夜のことだった。

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 それから少し月日が流れ、滲渼の四十九日を迎えて。尾崎は早朝から刈猟緋家の墓前に立っていた。

 

 

 「………」

 

 

 ただ只管に立ち尽くし…既に時間は昼を回っている。自分がどうしたいのか、彼女自身にも良く分かっていない。そうして墓を眺めていた所で死者は戻って来ないということは分かりきっているのに、何故ここに居るのかが分からない。

 

 

 「…仇は討ったって……伝えたわ。私の家族も…少しは救われたかしら」

 

 

 待ち望み、希い、漸く成し遂げた鬼の根絶。だというのに、心は少しも満たされない。

 

 

 「(………これから…どうすればいいんだろう)」

 

 

 尾崎は、暗闇に一人取り残されていた。

 

 

 

 

 

 「……尾崎? お前も来てたのか……うわ!? 酷い顔だぞ…!?」

 「…村田君」

 

 

 そこにやって来たのは村田。同期であり、共に最後の戦いを生き抜いた友人の一人。彼は尾崎の顔を見て、その暗澹たる様子に思わず声を上げた。

 

 

 「……お前の気持ちがわかるとは言わないけどさ。少しずつ、前向いていこうぜ。でなきゃ刈猟緋も安心して眠れないんじゃないか」

 「………私…何も、わからないの。…どうして……生きてるのかしら」

 

 

 あの日から今日まで、死のうと思えばいつでも死ねた。それでも、彼女は今も生きている。自分でも不思議な程に、死にたいとは思えなかった。

 

 

 「それこそ俺にはわからない。でも、死ぬのは駄目だ。刈猟緋が命懸けで戦った理由…落ち着いて考えてみるんだぞ」

 「…死ぬつもりは無いわ」

 「そうか、だったら大丈夫だ。お前なら…ちゃんと歩いていけるよ」

 「……知った風なことを言うのね」

 「知ってるさ。お前も刈猟緋や鱗滝と同じぐらい凄い奴だって」

 「…」

 

 

 

 

 

 線香を焚き、目を閉じて手を合わせる村田。ややあって元に直ると、そのまま踵を返して去っていく。

 

 

 「……それじゃ。また、どこかで」

 「…ええ。また」

 

 

 遠ざかる背中を見送りつつ、彼に倣って墓に手を合わせる。無気力の内であっても空腹は誤魔化せない。そろそろ、潮時だ。

 

 

 「…また来るわね」

 

 

 

 「…! あやめちゃん…!」

 「!」

 

 

 立ち去ろうとした正にその時、彼女の名前を呼んだのは…滲渼の母、結美だった。彼女の側には闘志と泰志も居り、四十九日の法要が一段落したのだということが窺えた。

 

 

 「…お久しぶり、です。…お葬式の時は…お声掛けできず、すみませんでした」

 「良いのよ……あやめちゃんも、大変だったでしょう? お疲れ様」

 「…ありがとうございます」

 

 

 滲渼の葬式には尾崎も出席していた。憔悴のあまり当時の記憶は殆ど無いが、その場に居たのだということは記憶している。

 

 

 「……あの時はお伝えし損ねましたが…刈猟緋さんから結美さんに、言伝が」

 「────!」

 

 

 故にここで、滲渼の遺言を彼女に伝えた。

 

 

 「………約束を守れなくてごめんなさい、と…そのようなことを」

 「……………そう………。…そう、なのね。…………………滲渼は………本当に、帰ってこないのね」

 

 

 結美は、取り乱すでもなく静かに受け止めた。

 

 …静かに、滂沱の涙を流している。震えて次の言葉を紡げない彼女に代わり、闘志が感謝の意を表した。

 

 

 「…心より謝辞を申そう。此れであの子も報われるというものよ」

 「いえ、そんな…」

 「謙る事は無い。……尾崎君。君さえ良ければ…我が家に来ぬか?」

 「…え?」

 「身寄りは無いと聞いている。屋敷の使用人たちも、君であれば歓んで受け入れるだろう。…悪い話では、無いと思うが」

 

 

 そして彼から提案されたのは、尾崎にとって思わぬ内容。だが、言葉の通り悪い話ではなかった。産屋敷家が支援してくれるとはいっても、女一人で新しい生活を始めるというのは容易なことではないだろう。刈猟緋家の人々とも長い時間を過ごしたことで親しくなっている。断る理由は、無いように思われた。

 

 …しかし。

 

 

 「…本当に、ありがたいお話だとは思いますが…すみません」

 「……で、あるか。構わぬ…君の意志を尊ぶとしようぞ」

 

 

 尾崎は、闘志の申し出を断った。無論、考え無しにその選択に至った訳ではない。

 

 

 「(本当に、本当に嬉しい提案だけれど…今私が刈猟緋家に転がり込むのは、刈猟緋さんの居場所を奪ってしまうようで……それがこの上なく心苦しい。…私は私の生きる場所を探さなきゃ)」

 

 

 

 「…尾崎ちゃん。代わりと言っちゃなんだけど…これを」

 「…! これ…刈猟緋さんの…!?」

 

 

 すると、やり取りを見ていた泰志がその背から何かを下ろして尾崎に差し出す。上背のある彼が抱えても大きさが明白なそれは、滲渼の大太刀だった。

 

 

 「実を言えば、断られるような気はしていてね。もしそうなったとして、せめてこれぐらいは持っていって欲しくて…ちょっと大きくて重いけれど」

 「そ、そんな…! こんな大切なもの、頂けません!」

 「…あやめちゃん……私たちの家には、もう一振り…入隊した頃に滲渼が使っていた刀があるの。だから、それは貴女にあげるわ」

 「! …そういえば……初めは、普通の刀で…」

 「という訳で、はい」

 「あぁ、ちょ…!」

 

 

 言われるがまま、半ば押し付けられるようにして大太刀を受け取った尾崎。鞘の分もあるとはいえ抱えるだけでもずしりと来るそれを、滲渼は時に片手で振り回していたと思い返して…妙な感慨を覚えた。

 

 

 「……尾崎ちゃん。滲渼のこと、忘れないでやってくれ」

 「…勿論です。一生……忘れません」

 「困ったことがあれば、いつでも頼りにしてね」

 「はい、ありがとうございます。…たまに、屋敷にお邪魔してもいいですか?」

 「! ええ、待ってるわ…!」

 「二振りの玉虫色の刀…道が分たれようと、何時か必ず滲渼が再び我等の血族を巡り合わせるだろう。……達者でな」

 「…はいっ…!! 大切に、します…!!!」

 

 

 

 

 

 足を踏み出す。

 

 何度も振り返り、頭を下げ、手を振る。

 

 

 

 いつの間にか、暗闇は光に照らされて消えていた。

 

 

 

 

 

 『生きろ』

 『どうか 永く』

 

 

 それは、(のろ)いのようで、(まじな)いのようで。

 

 

 『道が分たれようと、何時か必ず』

 

 

 尾崎の脳裏によぎるのは、あの日聞いた歌の続き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(『御魂がその目を覚ますなら   

 

彼方に命が生まれ来て

 

心がその目を覚ますなら

 

此方に想いが生まれ来る

 

すべてを包むは御魂なれ

 

あまたの想いは力に変わり

 

命が御魂に帰る時

 

新たな想いが生まれけん

 

消えぬ想いは御魂に帰り

 

新たな命の息吹待つ

 

共に回れや 命と心

 

常世に廻れや 命と心

 

そしてひとつの唄となれ

 

共に歩みて戻り来よ

 

共に歌いて戻り来よ

 

共に生きるは

 

   魂と想い』)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「刈猟緋さん……私、生きるわ」

 

 

 

 

 

 その日も風は、吹いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「………ぁ…」

 

 

 

 「…お母さん!! おばあちゃん起きた!!」

 「! …お母さん…!? お母さん!! 分かる!? 私!!」

 

 

 老婆は、病院のベッドに横たわっていた。傍目から見てもその衰弱は瞭然で、天寿の全うが近いのは確実だった。

 

 

 「お母さん…!!」

 「……おはよう……………夢を、見てたみたいね……」

 「…夢?」

 「ええ………とっても、懐かしい夢………」

 

 

 死を前にして、老婆は実に穏やかだった。静かに、娘と孫に語りかける。

 

 

 「……約束、覚えてるかしら…?」

 「…虹色の、刀のこと?」

 「…そう………大変だった……鋳潰されそうになった時には………心底、肝を冷やしたわ……」

 「うん…売ったり、捨てたり……とにかく手放しちゃいけないって」

 「………お願いね……ずっと、ずっと…………伝えていって……。……()()()と、一緒に…」

 「おばあちゃん」

 「……うふふ…………良い子でね…」

 「…ん」

 

 

 孫の頭を撫で…開いた瞼が、再び閉じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『────尾崎』

 「────………え………?」

 『…良く、頑張ったな』

 「……………刈猟緋、さん………!! かが、り………び……………………」

 

 

 

 

 

 家族が見守る中、老婆は涙を流しながら永久の眠りに就く。

 

 

 

 

 

 その顔に浮かんでいたのは、悲痛な歪みではなく…喜びの笑みだった。

 

 

 

 

 





次回、最終話です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悠久の涯に輝く命

 

 「えぇ!!? これで『かがりび』って読むの!?」

 「ね! めちゃくちゃ珍しい名字じゃない!?」

 「あはは…よく言われる」

 「てか、脚長…! モデルの仕事とかやってたりする?」

 「いや、そんな……普通の高校生だよ」

 「普通って見た目じゃないけど…でもま、モデルさんとかはそっち方面の学校とか行くもんねー」

 「部活とかもう決めてるの?」

 「うん。剣道部に入るつもり」

 「へぇ〜…意外」

 「でも確かに、結構がっしりしてる。経験者なんだ」

 「親に言われて、小学生の頃から趣味程度にね。私の家、なんて言うか……古臭くてさ。家に日本刀まであるんだ」

 「日本刀」

 「マジの奴!?」

 「うーん……微妙。何か虹色だし」

 「偽物じゃんね」

 「いやいや、意外とそういうのが本物だったり────」

 「ね、ねぇ!!」

 「!?」

 

 「誰!? 虹色の日本刀、家にあるって言ったの!」

 「えっ…? わ、私だけど…」

 「────うちにも、あるよ!! 虹色の刀!!!」

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「(……この辺りも…随分と様変わりした。百年前の面影はまるで無いな)」

 

 

 季節は夏。伝統ある花火大会の開催日、一世紀前と比べてずっと蒸し暑くなった夜の町を歩くのは愈史郎だ。舗装された道路は踏み出した足に確とその硬さを伝え、遠くを見れば角張った摩天楼が群れを成している。もう、()()()を思い起こさせるものは殆ど残っていなかった。

 

 

 「(………郷愁とはらしくない。…ある程度花火を観たら、とっとと帰るか。顔が割れると面倒だ)」

 

 

 今日彼がここに居るのは、ある目的のため。わざわざ足を運ぶ必要は無いと言えば無いのだが、改めて直に観た方が「描きやすい」と考えてのことだった。

 

 

 「(……それにしても人が多い…暑苦しくないのか、コイツら…! ………もう少し疎らな所へ行くか…)」

 

 

 尤も、人混みなどというのは彼にしてみれば不純物だ。己の視力を踏まえれば敢えて人の集まる場所で観ることはあるまいと、合間を縫って静かな場所へ向かおうとして……

 

 

 「あっ…」

 「! 失礼────」

 

 

 誰かと、ぶつかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────刈、猟緋…!?」

 「……? …あの…確かに、私は刈猟緋ですが……どこかでお会いしましたか…?」

 「!! ………いえ。 …済みません、人違いでした」

 「え? 今、刈猟緋って…」

 「同じ名字の良く似た友人と間違ってしまいまして。それでは」

 「あっ…」

 

 

 愈史郎は、足早にその場を去った。

 

 何故だか、胸が熱くなって…涙が零れてしまいそうになったから。

 

 

 「……神もたまには…粋な真似をしてくれるじゃないか」

 

 

 ────花火が、打ち上がり始める。

 

 

 

 

 

 「………綺麗ですよ、珠世様。花火を背負う貴女も、さぞ美しいことでしょう」

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 「………刈猟緋なんて名字……他に見たことないけどなぁ…。……あっ! 花火、始まっちゃった…!」

 「(にじ)()ーっ!! こっちだよ、こっちー!!」

 「! あ、うん! ごめん、(あや)!」

 

 

 人が密集している中、大きな身体を動かすのに四苦八苦する「虹乃」と呼ばれた少女。「彩」と呼んだ少女の方へとどうにか辿り着くと、二人は花火へと向き直った。

 

 

 「うわぁ…! 凄いね、凄く綺麗!」

 「でしょ!? おばあちゃんと何回も来て、何回も感動したからね! 私のお墨付き!!」

 「あはは、何それ」

 

 

 虹乃と彩は、出逢って数ヶ月。そうとは思えない程に仲が良く見えるのは、運命的な巡り合わせ故か。

 

 

 「でも、ホントびっくりしちゃった! 虹色の刀がもう一本あったなんて! おばあちゃんもひっくり返ってたもん!」

 「一応、うちには昔から約束ごとみたいなのがあってさ。『もう一本虹色の刀が見つかったら、それを持ってる家とは仲良くしてね』みたいな」

 「そうそう、そのことでおばあちゃんに聞いたらね! おばあちゃんのおばあちゃんが、亡くなる時に『刈猟緋さん』って言ってたって! 私たちの家系、何か凄い秘密があるのかも!?」

 「そうなのかなぁ…? ……そうだったら…『何か凄い』ね」

 「あはははっ、ねー! 『何か凄い』よね!!」

 

 

 二人が話している内にも花火は次々と上がり、華麗な大輪で夜空を照らしていく。

 

 

 「…でも、不思議。どうして、刀は虹色なのかな。どうして、彩ん家の奴の方が長いのかな」

 「うーん…わかんない。おばあちゃんのおばあちゃんはね、絶対に刀を手放さないでってずっと言ってたみたい」

 「元々持ってたのは、その人だったのかな。……いや、違うか。大正時代って、とっくに廃刀令出てたもんね」

 「もっと昔からのものってこと? むむ…ちょー気になる…! 帰ったらおばあちゃんに色々聞いてみよっと」

 「うん、私も家族に聞いてみる。もやもやしたままじゃ、眠れそうにないや」

 

 

 

 彼女たちは、それからも多くのことを語り合った。

 

 

 

 学校のこと、趣味のこと。

 

 

 

 まだまだ短い人生の軌跡。

 

 

 

 将来への展望。

 

 

 

 話したいことを話している内に、花火は全て打ち上がっていた。

 

 

 

 「…今ので、終わりか」

 「あーっ! 花火大会特有の喪失感が…!」

 「あぁ…ちょっとわかるかも。こう、心が『すんっ』て────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …虹乃の言葉が、止まる。

 

 

 

 

 

 「────あれ? 何、これ…」

 「えっ? えっ? ど、どうしたの!? 何で泣くの!? 怪我してたの!?」

 「……わかんない。………ていうか、彩も…」

 「…あぇ!? や、やばい…! 何か、止まんない…! 待って待って、めっちゃ恥ずい…!!」

 

 

 二人の少女は、訳も分からず号泣していた。止まらない涙は、彼女らの心に不可解な感情を込み上げさせる。

 

 

 「…でも、何だろ……悲しい感じじゃ、ないかも」

 「嬉し涙、ってこと? えへへ、私も多分そうだ」

 

 

 

 

 

 少しして落ち着くと、目元を赤くした彼女たちは小さな約束を交わす。

 

 

 「来年もまた来ようね! ここで一緒に観よ!」

 「…うん。約束」

 

 

 律儀に指切りし、並んで帰路に就く二人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっと今度こそ、約束は守られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・「虹乃」
刈猟緋の血は、途絶えなかった。彩とは出逢って一年も経っていないが、家族以外では今まで会ったどの人間よりも心を許している。剣道は趣味…というのはさして熱を入れていないという意味であり、その実力は埒外の領域にある。家には代々虹色の日本刀が継承されている。

・「彩」
父方の曽祖母曰く、その母に良く似ているらしい。虹乃とは出逢って一年も経っていないが、家族以外では今まで会ったどの人間よりも心を許している。平凡だと思っていた自分の血筋に何やら秘密が眠っていそうで、ドキドキワクワクが止まらない。家には代々虹色の大太刀と不思議な歌が継承されている。



これにて本作は完結となります。
クロスオーバーということもあり、作風の評価については少々不安もありましたが、概ね受け入れて貰えたようで誠に恐悦至極でございます。番外編などの予定はございませんので、お気に入りに登録していてもこれ以上更新されることはありませんが……そのまま登録し続けてくだされば作者はハッピーです()

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。