ストリップ・アイドル・ユニット:TRK26 <<pure!?>> STAGE-CLIMAX!? (添牙いろは)
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14話 萩名里美

 色鮮やかに翻る青・赤・黄色のドレスたち。会場を内側から炸裂させんばかりの高らかな歌声。狭いながらも客席は埋め尽くされており、高々と掲げられたサイリウムは歌に合わせて右へ、左へ。もちろん曲に合わせたコールも欠かさない。聴く側も実に訓練されている。

 そんな音と光の海に立つ彼女たちではあるが――それはまだ、()()()姿()ではない。

 何故ならば。

 彼女たちが唄っている場所は、ホールの真ん中に備え付けられた円形のお立ち台――『盆』と呼ばれる特殊舞台とメインステージを真っ直ぐに結ぶ、いわゆる花道と呼ばれる細道。ここの構造は、一般的なライブハウスとは明らかに異なる。

 だからこそ、誰もが()()()姿()を待ち望んでいた。

 観客たちだけに留まらず、ステージに立つ彼女たち自身も。

 

       ***

 

 ビジネスから娯楽施設まで何でも揃う街・新宿。だが、その中に一際異色を放つ一角があった。新歌舞伎町――例外的に、風俗産業が最大限に認められた特区。治安は悪いが人は絶えない。そんな明暗入り交じる領域を取り囲む大通りの対岸に、ひとつのビルが建っていた。敷地面積としてはさほど広くもないが地上一〇階建て。隣接するビルと比較しても充分な存在感を誇っている。その一階エントランスには料金表と『カラオケ』の文字――そのカラオケボックスの一階事務室に彼女はいた。

 その面持ちは至って勤労的だが、彼女の着るTシャツの胸を横断する文字は『Workers are Losers』――あえて自分を皮肉っている――わけではなく、量販店で安売りしていたのをまとめて買ったうちの一枚だと本人は言う。ゆったりとしたキュロットを穿いているため油断しているのか、右ももはどっかりと左ひざの上に。さすがにここまで豪快に乗せてしまうと、裾から下着が見えてしまう。机の下ならば覗き込む者などありえないが。

 そんなラフな装いに対して、頭髪だけはしっかりと整えられている。背もたれにかかるロングヘアは元より、さらに目を引くのはバネのような両サイド。その縦巻きロールこそが、彼女の本質を示していた。 丘薙(おかなぎ) 糸織(しおり)――このカラオケボックスの『雇われ副店長』である。

 他業種での店長経験はあれども、当業種は初めてのこと。慣れないサービス業に頭を悩ませていると――コンコン、と扉が敲かれた。それで、彼女は画面隅に表示されている時刻に目を落とす。そろそろ出かける時間か。こちらの業務も大切だが――より大切な、彼女本来の仕事に向かわねばならない。

 この事務室は、従業員の休憩室の奥にある。ゆえに、休憩室の一部だと思っている者も少なくない。だからこそ、ノックがあった――ただそれだけのことで、来訪者の予測はつく。そしてそれは、案の定のメイド服――(ひのき)しとれであった。

 しとれが身に着けているのは、仮装でもカラオケボックスの制服でもない。趣味である。彼女はメイド喫茶で名を挙げた。ゆえに、メイドこそ自分の本懐であると信じている。現在着ている紺のメイド服はいわゆる普段着。他にも、ステージ用のきらびやかなものや、フォーマルに寄せた控えめなデザインまで一〇着近く保持しているらしい。先程までベストにブラウスのフォーマルな制服でカラオケのバイトに従事していたが、外出するためにあえてこのメイド服に着替えてきたようだ。

 頭頂近くから垂れるポニーテールを束ねている髪ゴムは飾り気がなく素っ気ない。だからこそ、カチューシャ状の真っ白なヘッドドレスが際立つ。これには、しとれのメイドとしての魂が宿っている、らしい。

 しとれも糸織もこのカラオケボックスに住み込みで働いている。なお、他にも多くの従業員たちが寝泊まりしており、地上九階フロアは実質居住区となっていた。なお、無許可であるため、名目上は休憩室となっている。

 そして、しとれにとってもカラオケボックス従業員は仮の姿。これから()()で本来の仕事に向かうこととなる。

「糸織さま、そろそろリハーサルのお時間ですよ」

 実際のところ、糸織は()()()()()の事情から、様付けされることはあまり好まない。だが、メイドキャラがキャラ付けのために万人に対して様付けしているだけだと理解して、あえて許容している。糸織の口調も、ある種のキャラ付なのだから。

「せやな、ウチもそろそろ出ようと思っとったとこやけど……」

 店長的な立場であっても、糸織の生活は他の住人たちと変わらない。

 ノートパソコンをログオフしてひょいと椅子から降り立つと、しとれと比べて副店長のちんまりとした幼児体型がより際立つ。だが、しとれを見上げることなく、視線は部屋の隅へ。そこには少々無骨な男性ものにも見えるボストンバッグがドスンと陣取っている。ファスナーは開いており、中からはみ出しているのは、まさにいま糸織が着ているのと同じものと思われるシャツの端のようだ。

「ランドリー寄ってってええか? そろそろ 洗濯物(せんたくもん)も溜まっとるさかい」

「構いませんが、でしたら、私もまとめてきます。少々お待ち下さい」

 メイド服を着ているしとれではあるが、本当にメイドとして勤務しているわけではない。なので、家事は各々自身で。しとれの退室を見届けると、糸織は自分の鞄を肩に掛けた。

 

 最近できたばかりの新設のスパ――そこから徒歩数分のところに行きつけのコインランドリーはある。新歌舞伎町たるもの、旧型の機材では防犯対策に不安が絶えない。結果として、綺麗な最新型が取り揃えられている。

 そこに衣服を放り込みながら、糸織は隣のしとれを少し見上げた。

「そーいや、今日のリハはウチら三人だけやっけ」

「はい、授業のある方々は直接本番になりそうです」

 しとれは機械にプリペイドカードをシュッと差し込みながらそう答えた。

 今日の舞台は彼女たちの他にも五名ほど上がる予定となっている。それも、比較的若年組が。客層や治安を考えての編成ではあるが、その結果として、リハーサルに参加できない者も多い。よって、今日も半数以上が欠席である。とはいえ、彼女たちは『めいんでぃっしゅ』としての三人組で上がる予定だ。前後のつなぎは難しいものの、演目自体の確認だけなら申し分ない。

「ほんじゃ、大して時間もかからんし――」

 糸織は持参してきた袋のすべてをランドリーに押し込んだところで――

「し、糸織さま……」

 ()()はいまに始まったことではないので、しとれが驚くことはない。ただ、呆れているだけ。他の利用客がいるにも関わらず、糸織はTシャツの裾に手をかけ、頭の先まで抜き通すと他の洗濯物と同じようにその場でほいっと放り込む。ゆったりとしたキュロットを下ろし――スポーツブラも平然と。寄せて上げるほどの脂肪もないため、ワイヤーは入っていない。とはいえ真っ平らということもなく、ほんのりとした厚みの上にはちょこんと桃色に染められた突起が乗っている。その場にいた男性客たちは、その思い切った脱ぎっぷりに目が離せない。

 それを意識しているのかいないのか――構うことなく、糸織は最後の一枚――パンツまでもするりと太ももに沿って下げていく。胸は控えめだがお尻はしっかりしており、腰のくびれとも相まってれっきとした大人の姿だ。丸めた下着を洗濯槽に放り込むと、くるりとふたりの方に向き直った。他の客たちの期待に応えて、という様子はないが、そのふたつの胸の先と、股の間の割れ目に一斉に視線が注がれる。上半身は発展途上といった様相だが、下腹部に生えている柔らかな毛々は紛れもなく成人女性のもの。その薄さは梳いているわけではなく、彼女生来のものらしい。

 胸部も、股間も隠すことなく、腰に手を当て糸織は堂々と言い放つ。

「せっかくやし、そこのスパでひとっ風呂浴びてこうや。この時間なら空いとるやろし」

 ニカっと笑う糸織にしとれの返事は軽いため息だった。

「……まあ、構いませんけれど」

 ちらりと店内を覗き見ると、男たちはさっと自分たちのすべきことに手を戻す。だが、その動作は極めて遅い。時間を稼ぎ、少しでも長く事の成り行きを見守りたいようだ。

 そんな男たちの執着心を承知した上で――しとれもまた、メイド服を脱いでいく。いま着ているものはステージ用と異なり脱着も難しくないし、このように一般的な洗濯機で洗うこともできる。エプロンを外し、上着を脱ぎ――カップの大きなブラジャーは白。シンプルで飾り気はないが、濃紺のスカートとよく似合っている。何だかんだで、脱いだ後のことも意識しているようだ。例えメイド服で喜んでもらえたとしても、やはり期待しているのはその中身なのだと、しとれは重々承知している。ゆえに、その期待に応えるように。ショーツもまた抜かりなく、上と合わせて質素なもの。露骨に生地が小さかったり、レースやフリルで彩られていたりすることはない。メイド服の内側として、ここでもキャラを貫き通している。何より、まだここはあくまで通過点に過ぎない。下着そのものはじっくり鑑賞するものではなく、先の展開を焦らすもの、ということだ。

 背中に両手を回すと、男たちの熱気はさらに強くなってくる。そして、ブラを緩め、カップをこぼすと――言葉はない。けれど、歓喜の想いだけは伝わってくる。やはり、これこそがメイドとしてのご奉仕――だから、最後の一枚も脱いであげたい――ロングブーツにパンツの輪を少し引っ掛けながらも、踵の先まで抜き通した。

 人前で裸になることはやはり恥ずかしい。けれども、それで元気づけられ人たちがいるのなら頑張れる。何より、しとれ自身も勇気づけられているのだから。『めいんでっしゅ』――そして、この『TRKプロジェクト』のセンターを務める()()によって。

「それじゃ、早くいこうよーっ!」

 ()()がいつの間に脱いだのか――少なくとも、ふたりと共に入店して、ふたりと共に服に手をかけていたはず。にも関わらず、男たちは彼女が突然現れたかのように感じられた。ゆえに、どんな下着を着けていたのかも思い出せない。だが、確かに彼女はすでに一糸まとわぬ姿となっている。

 その胸は大きい。だが、しとれと比べれば同じようなもの。胸の先の温かみは少し控えめで、色薄く、輪郭も小さい。だからこそ、その蕾がよりはっきりと意識されるのかもしれない。腰はすらりと細いがモデルほどではなく、下腹部の膨らみもあくまで一般的なもの。だからこそ、誰もの目を引くのかもしれない。どこにでもいるような女のコが、目の前で裸になっているのだから。

 髪の色は少し茶色がかっている。だが、それが自毛であることは足の付け根を見れば明白だ。眉の下あたりで真っ直ぐ切りそろえられた前髪は少し幼い印象を受けるが、その身体つきからもしっかりと大人であることは疑いようもない。

 だが、彼女を最も輝かせているのは、紛れもなくその笑顔だろう。それまでも、ニコニコと楽しそうではあったが、裸になった彼女は――恥ずかしそうに少し頬を染めながらも、どこまでも活き活きとしている。その内に秘める情熱を抑えきれないほどに。

 だから、糸織は平然と裸になることができる。何故なら、すべての視線はあのセンターが持っていってしまうのだから。

 そして、しとれにも後ろめたさはない。その堂々たる姿は尊敬に値し、彼女と並べるのであれば、むしろ誇りさえ感じられる。

 そんなふたりの想いはさておき――当の本人もまた、男たちの想いは感じていた。それは、店の中だけでなく、通りを歩いている者たちの足さえも止めてしまうほど。

 胸の中に熱いものがこみ上げてくる。だが、ここで見世物になっている場合ではない。

「はい、それでは行きましょうか」

 店舗の外はまだ夕方前であり、人々の往来は多い。それでもしとれは止めることなく、ふたりに出発を促す。

 その様子は、まるで静かな 水面(みなも)をボートで切り裂いていくかのように。賑やかながら平穏だった街並みが、彼女たちを中心にざわりと色めきだつ。三人の様子はあくまで日常的なもの。だが、何も着ていない。なのに、ハンドバッグだけは持っているあたりが異様であり、ある意味幻想的でもある。そんな彼女たちの姿に誰もが目を疑わずにはいられない。その行く手を遮る者はなく、誰もが自主的に道を開けていく。

「それにしても、あまりあのランドリーで裸になるのは……」

 しとれは、まだこのような行為に慣れていないらしい。つい、糸織の胸先を意識して、そこに向けて話しかけてしまう。その視線を糸織は堂々と受け止めながら悪びれることなく答えた。

「せやかて、スパに一番近いんがあの店やし、どーせ脱ぐならついでに最後の一枚まで洗っときたいやん」

 しとれの言い分は糸織にもわかる。あまりこのようなことをしていては、店側に迷惑がかかるかもしれない、ということだ。

 しかし、ふたりの間を歩いていた彼女は、そのあたりの事情も聞いている。

「大丈夫そうだよー。おかげで自販機の売上も倍増してるって」

 本来の利用客はもとより、彼女たちがやってこないかと飲み物で一服して時間を潰す者も多いらしい。それだけでなく――ふと通り沿いの喫茶店の方に振り向くと、窓際の席の男性客と目があった。彼らは彼女たちが通りがかることを期待してお茶していたファンたちである。このように、女のコたちが現れる場所は、何かと潤っているようだ。

 それでも、カメラを向ける者はない。その本業を知る者ならば当然の配慮として、知らない者たちにとっても――これが何かヤバイ事務所の企画撮影だとしたら――女のコが裸で出歩いていたとしても、ここは危険な街なのである。

 だからこそ、その目に焼き付けておきたいと願うのか――男たちの瞳にはより一層の力が篭もる。そんなみんなに――聴いてもらいたい――見てもらいたい――!

 何気ない歩調はトントンとダンスのステップに変わっていく。

 両腕の動きもゆらりゆらりと大きくなり、その動きに合わせて揺れる胸に、揺れるお尻に、誰もがのめり込んでいく。

 しかし。

「ここで唄ったらあかんで。収拾つかなくなるわ」

 きっと、ミニライブの規模になってしまうことだろう。アカペラであっても、彼女の――正確には、()()()()()()()()()()()()()()()の歌声にはそれほどまでの力があった。なので、糸織は唄い出す前にやんわりと止めざるをえない。

「むぅ、残念」

 誰にも聴いてもらえなかった歌々がある。

 裸にならねばこの歌声は出せないが、裸になれる場所は多くない。

 ずっと、誰に聴いてもらうことなく、それらはひとりで消えていった。

 

 しかし――

 

       ***

 

『~~~~♪』

 このステージならば、唄いながら裸になっても良い――何故なら、ストリップ劇場だから。男性客に囲まれて胸を、お尻を、股の間まで開示する――いまでも、少しは躊躇する気持ちがないこともない。けれども、上着を脱ぎ、スカートを下ろしていくと、膨らんでくるのは高揚感。

 ここに辿り着くまで、自分の歌は誰にも聴いてもらえないと諦めていた。みんなが歌を聴いてくれる場所に、自分が立つことはできない、と。

 彼女は脱がなくては唄うことができない。踊ることもできない。手足は縛られ、喉は締め付けられる――下着一枚であっても、その感覚はその身を苦しめ続ける。

 だが、こうしてすべてを解き放った後ならば――

『~~~~♪』

 ストリップという性質上、流れとして少しずつ脱がねばならない。他のユニットは大サビに向けて一番・二番と少しずつ進めてゆくところ、この三人の振り付けは最初のサビで脱ぎ終える特急仕様だ。それでも、そこまでは完全にふたりに頼り切りになっている。

 だからこそ、そこからは――!

 糸織もしとれも美しい。それでも、中央に位置する彼女の存在感の前では霞んでしまう。

『全裸限定の天才アイドル』

 ――それが、 蒼泉(あおずみ)(あゆむ)の通り名であり『TRKプロジェクト』の発端でもあった。

 

 紆余曲折あって、彼女たちはメンバーを二十六人集めることを目標としている。現在はちょうど半分となる十三人。未だ道半ばであるだけでなく、この人数ではまだ外部の踊り子にも頼らなくてはならない。それでも、だいぶローテーションも安定してきた。若年層のファンも増え、劇場も賑わってきている。

 とはいえ。

 劇場の外でまでこのような行為に到れるようになったのは、本当に数日前のことである。『 萩名(はぎな)の乱』――界隈の者たちにそう呼ばれる事件により、彼女たちはこの街における極めて特殊な立場となったのだった。

 

       ***

 

 一度規制によって締め付けられた文化は、開放されてもそう簡単に戻るものではない。かつては都内にも何箇所か建っていたストリップ劇場だが、二十一世紀末となる現在はこの新歌舞伎町の一軒を残すのみである。

 その控室の一角をパーティションで区切った応接室は、異様な空気に満たされていた。それを発しているのはひとりの女性。ブラウスの上からグレーのジャケットを羽織り、それに合わせるのは膝上ながら品の感じられるスカート――あくまで標準的なビジネスシーンである。

 そのはずなのだが。

「この度は、()が無理を強いてしまい、申し訳ありませんでした」

 ソファに座ったままではあるが、彼女は深々と頭を下げる。その仕草、その物腰に一切の棘はない。それでも――その存在だけで、相対する者を萎縮させてしまう。

「い、いえっ、お気遣いなさりませんよう……っ。今回の応募は、正規の手続きを踏んだものですし……」

 彼はプロデューサーとして何とか平静を保とうとしているが、さすがに焦りの色は隠せない。正面に座っている彼女がその気になれば、この劇場を一瞬で吹き飛ばすことができる――そんな破壊力を有しているのだから。

 TRKのメンバーたちもさすがに入室することは憚られ、廊下で中の様子について議論している。しかし、想像の域を出ないため、実りのあるものにはなりそうもない。

「ふぅん、 赤落猫(あかおちのねこ)関ってエッチな動画に詳しいんだねぇ」

「これから、まこさまのことは『AVマイスター』とお呼びしましょう」

「てかアンタたち、なんで自分たちの業界のこと知らないの!?」

“赤落猫”とオリジナルの四股名で囃し立てるのは、同じくメンバーの 駒辺(こまべ)(けい)。その隣で、丁寧な口調ながらしっかりと話に乗っているのはしとれ。 萩名(はぎな)という苗字だけで、来訪者が大手AV会社の――実際はAVだけに留まらないのだが――その社長令嬢であることを看破したまこに対して、向けられたのは尊敬ではなくAVに詳しいというレッテルだった。

 赤落猫の本名は 天菊(あまぎく)まこ――彼女は直近に加入した最後輩にあたる。ゆえに、一日でも早くメンバーに追いつこうとアダルト動画から性的な魅せ方を学ぶだけでなく、どこかで会う可能性のある関係者についても熱心に予習していた。しかし、現場を越えて企業の上層部までいくと些かマニアックだったかもしれない。

「私も()()()()は日夜拝見させていただいておりますが……なるほど、なるほど。スタッフやスポンサーまで押さえているとは、まこさんの特訓は一味違いますね。勉強になります!」

 メンバーの中では比較的古参の 晴恵(はるえ)は、特訓熱心な新メンバーに感心している。だが、まこの方は褒められている気がしない。

「うぅ……AVマイスターとかゆーなら(もも)の方が観てるでしょーに……」

「そりゃー観てるけどねー、まこにゃんほどマニアックな観方してないもーん」

 ぐいっと胸を張って一歩寄れば、頭ほどありそうな巨大な丸みがもゆんとまこを後ろへ押し出す。そのサイズは一〇七のJ。異性はもとより、同性であっても意識せずにはいられない存在感だ。ゆえに、そのブラジャーはプロジェクトによる特注モノ。ただ、個人に合わせて作られただけにどんな服より着け心地は良いらしく、トップスを羽織ることなく下着丸出しで雑談に興じていた。それもまこの目のやり場を悩ませている。

 まことて背の高い方ではないが、桃の背丈は糸織と並んでメンバー最小クラスだ。ふにふにと揺れるツインテールに垂れ目気味のぼんやりとした瞳。そんな幼気な顔つきの女のコがとてつもないボリュームを胸にぶら下げて迫ってきては、まこも思わず後退ってしまう。

「マ、マニアックゆーな!」

 実際、桃の方が鑑賞本数は多い。それどころか、すでに何本ものアダルト動画を配信している。かつて、悪い男とつき合っていた頃、本人に無断で販売されたものだが。それほどまでのアドバンテージを有しながら、何故かまこの方がマイスター扱いされてしまう――そこが彼女の要領の悪さであり、また、ファンやメンバーから愛されている所以でもあった。

 さて。

 劇場の控室はいわゆるたまり場として機能しているところがあり、自然と人が集まってくる。そして時間が来れば、そのままステージのための準備が始まるはずだ。しかし、定刻にはまだ早い。早いはずなのではあるが――彼女たちの色とりどりなコスチュームはまるでステージ衣装――というより仮装。一般的なファッションとは程遠い。

 しとれはいつものメイド服――テカテカと明るく照り返す緑の生地は、メイド喫茶の従業員のようだ。

 一方、慧は――メンバー全員を四股名で呼ぶだけのことはあり、その襟首で束ねた後ろ髪を持ち上げて少し高めに束ねた髪型は力士の()()を意識しているのかもしれない。だが、その姿はそれ以上に力士そのもの。ただし、それは女子相撲のものではない。女子の相撲は水着の上から廻しを着けるが、彼女は男子のように素肌の上から――ゆえに、力士のように豊満な胸――だが、その乳頭は男子よりも明らかに色鮮やかであり、ぷくりとした乳首も大きく人の目を引く。両腕両足、腰回りはむしろ一般的な同年代の女子よりほっそりしているがゆえに、逆に際立っているといわざるを得ない。だが、これが慧のこだわりであり、ゆえに女子相撲と相成れない理由でもあった。とはいえ、本人も自分の方が邪道であると認めており、相撲とは別物である『おすもうプレイ』と切り分けているとのことではあるが。

 さらに、晴恵に至ってはその廻しすら着けていない。劇場の廊下で全裸である。いや、正確には全裸ではない。柴犬の着ぐるみの頭だけはかぶっている。

 元来、晴恵は水着どころか一般的な洋服すら『身体の線が見える』と恥じらっていた。しかし、プロデューサーとの出会いをキッカケに、()()()()()()()()()だと気づいたのである。もしかすると、それまでの異常なほどの服に対する抵抗感は、異常なまでの裸身に対する関心の裏返しだったのかもしれない。無自覚ながら、裸になることで高揚するらしく、『特訓』と称して何かと脱ぎたがる。いまもこのような全裸マスクで――着ぐるみの頭をマスクと呼べるかはさておき――館内を出歩いているようだ。とはいえ、まだ外は()()()()も多く往来している時間帯である。よって、住居から劇場までの五分ほどの道のりは身体の線が出ない大柄な柴犬の着ぐるみで来た。しかし、劇場に着くと頭だけ残して胴体を脱いでしまうのである。その中には何も着ていない。胸も薄めで、日々筋トレを欠かさないため引き締まった――本人は全然筋肉が足りない、と気にしているようだが――それでも、顔さえ隠していれば胸の先から股の割れ目まで晒しても恥ずかしくないどころか清々しい気分になれる。それが 園内(そのうち) 晴恵(はるえ)の性癖であった。

 メイド服に廻し一丁にブラ丸出し、挙げ句には全裸柴犬頭――それと比べれば、まこの装いは極めて一般的――と呼ぶにはあざといフリルやレースがややガーリーといえるが、この中で比べれば一般的である。にも関わらず、特異でマニアックな格好の女子たちにAVの達人かのように扱われることに、まこは得心がいっていない。

 とはいえ、彼女たちはストリッパーであってAV女優ではないのもまた事実。

「自分たちの業界ゆわれても、ウチらAVは 出演()とらんで」

「えっ、そうなの?」

 メンバーの出演作はすべて目を通しておくべきだろう、と視聴しておいたのだが、糸織から一蹴されてしまった。

 糸織は、スパへ寄る際に全裸で出歩くこともあるが、いまは普通に英字プリントのTシャツとハーフパンツである。このメンバーの中では最も一般的といえるかもしれない。ただし、キャラクターのシルエットという形で記号化はされているが、実のところアニメTシャツであり、印字されたアルファベットも作品タイトルの洋題である。これもまた、安売りで買ったものらしい。

 そこに続いて話に加わろうとしているのは、大きなシニヨンを結った落ち着いた雰囲気の 崎乃平(さきのひら) 花子(はなこ)

「あー…もしかして、あたすのビデオ観たん? アレは、ここに入る前に悪い事務所に騙されて撮ったもんだべ」

 地方から出てきたばかりのため、まだ故郷の訛りが抜けていない。それでも、その佇まいからはメンバー最年長としての貫禄を感じさせる。だが、カラオケボックスのアルバイトから直接来たらしく、制服のレディスーツの上から割烹着という着こなしであり、これではどうにもキマらない。それに、メガネのフレームも厚ぼったく、きちんとオシャレなデザインのものにすれば可愛くなるのに、と周囲からは思われている。

 だが、花子はその眼鏡でビデオにも出ていた。何故なら、田舎娘がアイドルを目指す、という内容だったからである。騙した事務所についてはすでに取り潰されており、当然配信・販売も停止済み。ただ、本人が記念にとディスクのひとつを事務所で保管しており、それをまこが借りて拝見したようだ。

 動画のことを思い出して、まこはわかりやすく赤くなる。

「うー……あのくらいならあたしにもできると思ったんだけど……」

 水着とはいいながらも、その布面積は胸の赤みが隠れるか否かというほど。股間の方も割れ目に食い込んでいた。それでも、一度人前で水着から全裸に剥がされた事故に遭っているためか――隠すべきところは隠しているし、今度はちゃんと毛も梳いてるし、とややズレた安心感から、自分でも似たような水着を用意してみたらしい。室内での着用には成功したので、今度は動画のようにそのまま散歩にも挑戦してみよう、と密かに意気込んでいたようだ。が、やらなくて良かった、とまこは内心ホッとする。

 と、いうことは――と、桃は楽しげな推測を見出した。

「相手はエッチビデオのお偉いさんでしょ? もしかしたら、そっち系のお仕事の話とか!_?」

 それはとんでもないこと――という拒絶の色はなく、桃はむしろワクワクしている。かつて、元彼によって無断で売られたことはあったが、撮影自体はむしろ好きだったらしい。

「それも、ネタ色のライブネットやさかいなぁ。せやったらウチも同席させてほしかったわ」

 糸織は元々ネタ系のアダルト動画を自己配信していた経歴がある。ライブネットによる撮影であれば、むしろ歓迎できる可能性が高い。

 にも関わらず――肝心のプロデューサーは、この手のことに及び腰だ。メンバーたちに無理はさせられない、と無難なヌードでお茶を濁したりしないだろうか、と気を揉んでいる。

 そういう意味もあり、しとれは様々な意味で心配になってきた。

「相手は女性ということもありますし……店長ひとりで対応するのは荷が重かったかもしれません」

 プロデューサーが女性に対して強く出られないのは、彼を知る者なら誰もが察している。いま頃、おかしな方向で話がまとまりかけているかもしれない。

「んっふふー、だったら、次からはあたしが秘書役としてPクンの営業に同行してあげよっかな!」

 と大きすぎる胸を張る。自分がついていれば、押すべきところと引くべきところの助言ができるし、何よりエッチで楽しい話がたくさん聞けそうだ。

「次もそういう相手だといいね」

 と他人行儀に慧は水を差す。ただ、秘書役自体は必要ではないか――誰もがそう考えざるを得ないほど、プロデューサーの女性との接し方に致命的な弱点があることは否めない。

 そんな井戸端会議は、当事者の登場により終わりを告げた。ガチャリとドアが開かれて、メンバーたちは一斉にそちらへ振り向く。

「皆さん、ここで一体何を……?」

 廊下に出てきたプロデューサーは、集合には早すぎる面々に淡々と問いかけた。そして、彼に続いて退室してきた令嬢もまた同じく。婦人の裸であれば自社パッケージで見慣れていた。しかし、メイドや下着はともかく廻しに犬頭――これは、初めて見る()()()()だ。制作側としての興味は尽きないが、今日はそのために来たのではない。

「この中に、ユニットのセンターを務めていらっしゃるかたはおられますか?」

 その一言に、一堂はビクリと身を竦ませる。それは、彼女がこの界隈を牛耳る力を持っているからではない。その育ちがそうさせるのか、一挙一動に周囲を平伏せさせる圧を孕んでいる。ゆえに、メンバーたちは皆そろって何も言えない。

 ()()()()であった糸織を除いて。

「ウチがセンター……と言いたいところやけど……呼ばれとるで、歩はん」

「え? え?」

 正直、()()の歩を令嬢の前に出すのは気が引ける。ここへもみんなと一緒にくっついて来たが、結局賑やかな様子を輪の外から静かに眺めていただけだった。そしていまも、完全に浮足立っている。これがリーダーか、と安く見られるかもしれない。本人がいなければ糸織自身がセンター代理として交渉に出ても良かったが、残念ながら本人在席である。とりあえず、前へと引っ張り出してみたが、オロオロした様子には不安しかない。

 そんな小さな女のコに向けて、来訪者は丁寧に頭を下げる。

「この度、TRKプロジェクトに参加させていただくことになりました、 萩名(はぎな) 里美(さとみ)と申します」

 里美の一言一言が周囲に対して激震を与える。TRKに参加――? まさか、令嬢本人がステージに立つはずもないので、スポンサーとして後ろ盾になってくれるということ――? 歓迎の言葉を返そうにも、その真意がわからない。ただ、プロデューサーの顔つきはみんなで仲良くしてほしい、という表情ではなさそうだ。むしろ、全力で警戒しており、何か問題のある言動があれば、すぐさま止めに入りそうな構えである。

 里美もそれを感じ取っているからこそ、この場で話を進めようとはしない。とはいえ――自分の前にセンターとして押し出されたのは白いシャツに淡桃色のカーディガン、薄橙のミニスカート――服の色合いからしても消え入りそうな希薄感だ。噂話には得てして尾びれや背びれが付く。全裸で街中を疾走した上に、ビルの屋上から飛び降りても傷ひとつなく、さらにはそのまま路上ライブまでやってのけるほどの胆力――その片鱗などはまったく感じられない。だが、新歌舞伎町の三大勢力・ファンムードの一角である金山プロデューサーを摘発したのはこのグループのセンターを務める女性だと聞いており、それは根も葉もない噂話などではなく、それなりに裏を取った調査報告である。何か事情があるのかもしれないが、本人の口から聞いた方が手っ取り早い。

「せっかくお近づきになったのですから、貴女とふたりでお話したいことがあるのですけれど」

「え? わた、私と……ふた……っ?」

 このままでは呑まれる――だからこそ、糸織はひとつの賭けに出た。

「里美はん、せっかくやし……裸の付き合いでもしよーや」

「と、申しますと?」

 糸織の素っ頓狂な申し出に対しても、里美は動じることなく応じる。

「近所にスパがあってな。そこで話そうっちゅーことや」

「なっ……!?」

 真っ先に驚愕したのは、彼女たちの責任者であるプロデューサーだった。萩名令嬢に対して何と失礼なことを……っ!

 だが、糸織は何も言わずに、さっと腕を伸ばして彼を制す。面接と称して応接室で何を要求されたのかは知らない。だが、その直後にメンバーのリーダーとふたりになりたい、ということは、プロデューサーとは合意に至らなかったということを意味する。ライブネットとの敵対は絶対に避けなくてはならない。ゆえに、これが唯一の突破口になるはずだと糸織は信じていた。

 

 さて、スパといえば公衆浴場である。だが、萩名の力をもってすれば、一時間ほど貸し切ることなど造作もない。

「あ、あれぇ……? 誰もいない……?」

 静まり返っている脱衣所に、歩はポカンと口を開けている。

「はい、ふたりだけでお話したかったので」

 彼女たちが入室したところで、表には『清掃中』という看板が立てられているはずだ。

 公の場に引きずり出せば、第三者も立ち会うことができるかもしれない――それも糸織の狙いだったが、想像を上回る萩名の権力によって阻まれた。プロデューサーもそれなりの育ちであるはずなのだが、そもそも彼は女性に弱腰なところがある。糸織はかつて彼に男らしく助けてもらったこともあるが、今回ばかりは頼りない。いや、相手が女だからこそ、女の手で解決しなくてはならないのだろう。

 そして、糸織が見たところ、あの場で里美と対等にやりあえるのは自分だけだった。しかし、里美はその思惑を察した上で 隔離(パージ)する。これは、糸織を警戒したからではない。ただ純粋に、見定めたかったのだ。自分が与するユニットのリーダーの器を。

 しかし、歩にはそのあたりの事情がまったくわかっていない。ただ、糸織がスパへ行けと言い出した理由は何となくわかる。少なくとも、あのままでは何も言えなかったに違いない。

 話せる時間は限られている。ふたりは何となく、それぞれ左右対面のロッカーへ。しかし、そこからの歩の脱ぎっぷりは極めて迅速に。カーディガン、シャツ、そして、スカートと中のパンツは合わせて。靴下もついでに指で引っ掛けながら。そしてブラも取り、丸めてロッカーに押し込み戸を閉めた。貸し切りなのに鍵をかけるのは令嬢を疑うようで失礼かとも思ったが、あえていつもどおりに。

 振り向くと、里美はまだ上を脱いだだけで、スカートに手をかけているところだった。その脱ぎゆきが遅いわけではない。歩が急いていただけだ。もしダメそうなら、早めに援護を呼ぶために。

 里美は背後からの視線には気づきつつ、そのままスカートを下ろし、下着姿になったところでふわりと振り向く。ブラジャーの形状は決して扇情的ではなく機能重視。それでも、最低限のデザインは配慮されており、縁にはレースが施されている。服の上からはそれほど目立たなかったが、胸の肉厚はカップから溢れ出しそうだ。そして里美は、それを惜しげもなく開示する。背中のホックを外すと、たぷんとその中身が顕になった。

 その表情を観て、歩は断ずる。

「里美さん、()()()()()()()は?」

 たったその一言で――里美の瞳は輝きを増した。しかし、そこは令嬢である。目に見える形で浮かれることはなく、くすりと笑うように口の端を上げて。

「嗜み程度に」

 しかし、それは令嬢としての嗜みである。準備はできていると考えて良さそうだ。つまり、彼女は最初からそのつもりで来たのである。決してマネージャーとして新興ユニットを牽制するためではなく――自ら、舞台に上がるために。

 

       ***

 

 ファンの間で『お風呂会談』と呼ばれるこの話し合いは予定の一時間できっちり収められた。里美はまだ語り足りないようだったが、定刻に合わせて闖入者が現れたのだから仕方がない。だが、入浴前から里美の方向性は決まっていたのだろう。だからこそ、その()()は滞りなく実行された。

 このときのことを里美は『初めて話の通じる相手と出会えた』と表している。だが、決してプロデューサーとて話のわからぬ堅物ではない。そんな彼をもってしても、里美の提案を受け入れることはできなかった、ということだ。それほどまでに壮大で、かつ無謀ともとれる方向性――ゆえに、ファンたちだけでなく、新歌舞伎町の関係者たちからも『萩名の変』と呼ばれるこの事件が起こされたのだろう。それはまさに、プロデューサーに対する直訴そのもの。これが、メンバーの総意であるとして。

 だが、後に里美はステージで語る。本当は、父の意向を逆手に取った――ただの自己実現であったと。

 

       ***

 

 どうやら最初から、糸織は時が来次第浴場に飛び込むつもりだったらしい。圧力という名の約束であった一時間が経過したところで、スパの管理人は女湯の前に立てていた『清掃中』の札をすぐさま撤去した。それと同時に糸織は脱衣所に滑り込む。聞こえてくるのは和やかな声色であるため、一先ず揉めてはいないらしい。けれど、戦力はひとりでも多い方が良いだろう。

 そのまま服を脱ぐことなく、ガラリと浴室の扉を開いた。それまで楽しげに話していたふたりは、ハッと言葉を止めて着衣の小さな入湯者に注目する。

 どうやら、それが里美にとってのトリガーとなったらしい。

「歩さま、先程お話しました件ですけれど」

 堂々と入室してきた糸織の姿を見て、里美は歩に進展を促す。

「何やオモロイ話しとったみたいやけど、ウチも一枚噛ませてもらってええかいな」

 てっきり歩が何らかの圧力をかけられているのかと思ったが。

 実際、ある種の圧力ではあったのだが。

「構いませんわ。ただ、そのまえにひとつ確認したいのですけれど――」

 令嬢の表情は、むしろ糸織のように。

「撮影のご準備はよろしくて?」

 あっさり第三者に情報提供するとした上、突如現れた自分に協力を仰ぐとは――それにより糸織もまた、里美のことを『話のわかる相手』として認識した。そして、撮影の準備、ということであれば――むしろ、なくてもすぐさま準備したことだろう。何やら、面白いことを始めようとしているのであれば、この波に乗らない手などない。

 

 その日はプロデューサーにとって試練の連続だった。

 彼がプロデュースしているのは、アイドルはアイドルでもストリップアイドルである。門戸を開いたところで、自らくぐろうとする女性はそう多くない。その数の少なさゆえすぐに気がついた。萩名の姓を持つ里美という名の女性の応募――住所もご丁寧に本社ビルのある中央区――これは、メンバー加入を装った事業干渉である。いつかは向き合わねばならないと思っていた。しかし、まだ早すぎる。対等な関係など結べようもない。

 プロデューサーは自分たちを過小評価していた。まだ、大手の目に留まるほどではないだろう、と。実際、事業規模としてはまだまだ小さい。だが逆に、そんな小さな劇場が新歌舞伎町の勢力図に影響を与える大きな一手を打ったのだ。たとえ、無自覚であったとしても。

 ゆえに、プロデューサーと里美の面談は終始噛み合わなかった。

 サンプルとして自撮りしたストリップ動画を見せようとする里美。

 何よりも、父親である萩名社長の意向を確認したいプロデューサー。

 ならば、とその場で脱ぎ始めようとする里美。

 それは勘弁してほしいと必死に頭を下げるプロデューサー――

 彼からすれば、里美は萩名社長からのメッセンジャーに過ぎない。実際、彼女は父からいくつかの伝令を承っていた。しかし、改めてそれを伝える必要はない。新歌舞伎町にまつわる情勢は予想の範疇を出ないものであり、社長からの要望も――アイドル活動は結構だが、己がストリップ劇場であることを忘れることなかれ――むやみに街の外まで活動を広げて、再び規制の手が伸びることを警戒していた。

 しかし。

 そんな父のやり方を、逆に娘は警戒する。秩序から生まれた人工的な見せかけだけの無秩序――それはこの街を停滞させ、緩やかな死へ向かわせるものではなかろうかと。

 それを阻止するため、我が身を犠牲にして――もし、目の前で脱ごうとしていた里美を止めなければ、()()()()()によってそこに本質はないと彼自身も気づいたはずだ。脱衣所で共にした歩のように。しかし、社長の娘を辱めたと知られれば、この劇場の存続自体が危うくなる。

 ゆえに、彼らは終始噛み合わなかった。

 とはいえそれが、彼がメンバーたちから慕われる所以である紳士性であり、また、限界だったともいえる。

 だからこそ、彼の目の届くところでは事態は進展しない――ゆえに、糸織は提案した。指名を受けた歩が最大限のポテンシャルを発揮できる会議の場を。だが、そこはどうしても男子禁制となる。彼とて、メンバーを信用していないわけではない。が、心配は尽きない。

 打ち合わせが終われば歩から連絡があるはずだ。そろそろステージも始まる頃合いであり、彼はいつものように舞台袖から会場を見守るつもりでいる。だが、今日ばかりは気が気ではない。何かあれば、すぐさま対応できる心づもりではいた。

 しかし――

「……ッ!?」

 スマホの着信を見て、彼はすぐさま凍りつく。発信者は予想外の相手。その内容も予想外のもの。まさに、あらゆる意味で。プロデューサーは驚愕をもって、己の認識の誤りを悔やむ。

 彼の動揺は傍から見ても明らかだった。それは当然、出番を待っていたまこの目にも。

「糸織から何かあった?」

「知っていたのですか!?」

「ううん、全然」

 今日の糸織は歩・しとれとの『めいんでぃっしゅ』ではなく、まことのふたりユニット『 AB-solute(アブソリュート)』として出演する予定だった。その相方が不在なのだから心配にもなる。もっとも、ひとりでもステージをやりきる自信はあった。根拠のない自信だとしても。

「知らないけど……きっと、何かやらかしたんじゃない? 行ってきていいよ。ここにいたって、プロデューサーがステージに出るわけじゃないんだし」

 口では頼もしいことを言いながらも、内心が顔に出やすいところはまこの欠点でもあり、美点でもある。

「いまから出れば……うん、あたしの出番、最後の方だし……」

 そんな不安そうな呟きのおかげで、プロデューサーは冷静さを取り戻す。まこは舞台で裸になることにまだまだ慣れていない。信頼のおける責任者には近くにいてほしいのが本音だ。それでも、あえて背を押している。それはただの強がりかもしれない。だからこそ、彼は期待に応えたいと思う。歩や糸織、そしてまこ――メンバーすべてに対するプロデューサーとして。

 

 糸織からの着信メッセージには、ライブ動画のURLと、これから向かおうとしている喫茶店の場所が記されていた。動画の方は招待制で、一般非公開であるため大事には至らない。だが、喫茶店は――それ以前に、そこへと至る道中は――!

 街の気配はざわついておらず、まだ事件にはなっていない。だが、時間の問題だろう。これから夕方にかけて賑わってくる直前の大通りを、彼は真っ直ぐに駆け抜けた。

 しかし、時すでに遅く――

「ちょっとちょっと、コレ、お金もらってるの?」

「いえいえ、ただの趣味ですから」

「あ……あははー……」

 まだ陽も暮れていない頃合いだけに、人通りは極めて多い。そのような時間帯に女のコがふたりで全裸行脚――さすがに通報は免れなかった。プロデューサーに動画を送っていたのは糸織だったが、その姿はすでにない。歩が警官の接近を察知して、事前にカメラマンの離脱を促していたおかげである。ゆえに、かろうじてただのストリーキングとなっていた。だからこそ、里美は堂々と趣味だと言い張っており、組織的な犯罪臭はない。もっとも、公然猥褻にはあたるが。

「ともかく、ほら……これ羽織って」

 警官は、持ってきていた毛布を里美の肩に掛けようとする。

 だが――すでにプロデューサーは()()()()()()()()()になっていた。

「そんなものを羽織らせるなんてとんでもない!」

 大胆にも、制服の公務員の肩を後ろからグイと掴む。何事かと振り返るも、そこにはスーツ姿の若者が爛々と瞳を輝かせていた。

「あなたたちは感じないのですか!? この……彼女たちの輝きを!」

 プロデューサーは里美をメッセンジャーとしか見ていなかったことを恥じる。父のために、無理をしているだけなのだろう、と。しかし、公衆の前で裸になり、押し付けられた毛布を背中に回してパっと広げる里美の姿は――腰の線から足の流れに至るまで意識された()()()()()()()()()

 プロデューサーがファンたちの前に出てくることはあまりない。だが、メンバーたちの言の葉の節々に現れる単語がある。<スポットライト>――それは、女のコが特定のシチュエーション――大抵は裸になったときに感じられるという光とのこと。プロデューサーはそれを察知すると、スカウトせずにはいられなくなるらしい。その光を人々に届けることが自分の責務である、という使命感をもって。それを、初めて里美の裸身を観たときに受け取ったのだろう。彼女のスタイルは申し分ない。ただ脱いだだけでも、その美しさに魅了される者は後を絶たないだろう。

 だが――このような表現は失礼にあたるが、プロポーションに優れた()()の女性なら、そう珍しい存在でもない。逆に、TRKのメンバーの容姿はまさに千差万別だ。しかし、それでもただひとつ共通するところがある。それは、誰もが裸になることで輝くということ。恥じらい知らずのオープンな女のコから、恥ずかしがりならも頑張っているコもいる。だが、そこに後ろ向きな気持ちは一切ない。

 だからこそ、輝くのだ。そして、その輝きを、里美もまた放っていたのである。それに歩も感化されたからこそ――くるりと身を翻す里美と背中を合わせると、その一枚の毛布を広げたまま受け取る。そして、さらに――ひらり、くるりと舞いを魅せた。即興であるにも関わらずそれは天女のように美しく――これが、ストリップアイドルのセンターを務める者の実力か、と里美は敬意を新たにする。同性からさえ憧憬の念を抱かれるのだ。それが異性であれば――道行く人々やプロデューサーだけでなく、咎めに来た警官さえをも魅了する。

 だが、逆に、だからこそ。

「おたく、どこかの事務所? 許可してるって話は聞いてないよ?」

 その動きは素人ではない。しかし、俗っぽい卑猥さはなく、ただのAV撮影ではなさそうだ。

 だからこそ、新たな輝きを前にしたプロデューサーの弁にも熱が入る。

「私は……彼女たちの輝きを送り届ける者です!」

 彼は彼なりに真剣だった。しかし、この状況でこれは良くない。それでは、自分たちが組織的にやっていると暗に認めるようなものだ。とはいえ、かろうじてその表現はぼやけている。だからこそ、まだ取り繕う余地もあった。

 少し離れたところから事を見守っていた()()()は、そろそろ頃合いか、と自ら取り調べの輪に加わる。一応の及第点は認めた上で。

「まぁまぁマッポさんよ、そんくらいにしといてもらえませんかね」

 スーツ姿だがノーネクタイで、口調は軽いが眼光は冷たい。その上、纏う空気には周囲を否応なく刺し貫くような鋭ささえ感じられる。プロデューサーにも、突如現れたその男と直接の面識はなかった。だが、その雰囲気だけで、一度資料で確認したプロフィールと記憶が結びつく。これが大物の貫禄か、闇の街の一角を牛耳る存在感か――ライブネットの代表取締役・ 萩名(はぎな) 兵哉(ひょうや)、その人だった。

 警官たちも、この街の治安を守る者としてその顔は知っている。他の市民に対しては高圧的でも、絶大なる権力者に対して同じようには当たれない。

「しかしですね、町中でこのようなことをされては……」

「所業自体は褒められたもんじゃあねぇけどよ、さほど迷惑をかけてるわけでもねぇだろう。ほれ、店のオーナーもふたりの尻に釘付けじゃねぇか」

 親指でクイと背後のガラス戸を差すと、そこには店のロゴ入りエプロンを掛けた男がデレデレと嬉しそうに全裸の女のコたちを眺めている。何しろ、元々このような街だ。若い女性による露出行為程度では営業妨害になどなり得ない。

 むしろ、警察には別に対応してもらいたい事案がある。

「それより……三丁目のマンションの件、知らんのかい?」

「いえ、それは……」

「昨日も苦情があったそうだぜ。上の階から日暮れになると外国語の討論会が開かれてるってよ。こんな小娘ふたりより、そっちのがよっぽど治安に悪そうだぜ?」

 討論会、とは称したが、実際のところは多数集まっているというところに本質がある。新歌舞伎町のマンションの一室ともなれば――当然、警察もその情報は掴んでいる。ただ、日暮れ頃というのは初耳だ。その言が本当なら、そろそろ動き出す頃である。

「は、はぁ……」

 店のオーナーも大喜び、通行人も驚きつつふたりの女子に振り返る。そして、女子たちもそんな人々に笑顔で手を振り返し――この行為によって不利益をこうむっている者が誰もいない。

 そして、警官たちも暇ではない。むしろ、暇ではなくなるよう誘導されたのだが。

「我々はもう行くけど……キミたちはすぐに服を着てね!」

 里美たちに向けてそう言い残すと、警官たちは足早に去っていった。これで、少しは空気も和らいだかもしれない。肝心の大御所がいる限り、気が休まることはないのだが。

 兵哉はポケットに両手を入れたまま、少し顎を上げてプロデューサーと向き合う。

「さて、うちの娘をべた褒めしてくれたこたぁ嬉しく思うがよ、ちょいと真っ直ぐすぎんな。そんなこっちゃあ、この街ではやってけねぇぜ?」

 萩名里美の父であること――自らがライブネットの元締めであることを隠すつもりはないらしい。そして、娘を送り込んだくらいなのだから、相手の――プロデューサーの顔も知っている。

 お互いの立場を表明した上で、里美はあえてプロデューサーの隣に立った。

「ふふふ、その真っ直ぐさが、この街には必要ではなくて? お父様」

 アダルト関連事業のトップとその娘である。全裸で相対していてもまったく動じることはない。

「ふん、言ってくれる。それにしても……()()()()の輝きを届ける者……ねぇ」

 そこには萩名取締役の娘も含まれている。

「オメェにそんなことしろと言った覚えはねぇんだがな」

 当然、父の意向は外部顧問としてTRKというグループが新歌舞伎町のバランスを崩さないよう監視すること。だがしかし。

「わたくしには、わたくしの思惑がありますので」

 露骨に背いた娘に対して、咎めるような素振りはない。彼とて、娘が作品に自ら出演したがっていたのは知っていた。作品の主役は作品の中にいる。自分は外の脇役ではなく、主役になりたい――と。だが、本気にしていなかった。しかし、こうして本気を見せつけられたのである。

 そもそも、何故こんな街中に大企業のトップと偶然出会したのか――もちろん、偶然なはずがない。娘として、父のスケジュールにアクセスすることなど造作もない。この行為は、里美の中で予め計画にあった。ただ、いつ実行するか――歩と風呂場で思いの外意気投合したこと、そこに、悪ノリの代名詞ともいえる糸織が合流したこと、そして父が新歌舞伎町で商談を行っていたこと――それらが噛み合ったことによる突発的な強行であった。

 取締役の娘によるアダルト作品――組織内であれば恐れ多くて撮影など叶わない。また、他社であっても父の影響は免れないだろう。

 だが。

 兵哉は思う。自分の娘であると知りながら、このような違法行為を伴った撮影を敢行するほどの度量――娘本人が強引に押し切ったのかもしれないが――実際のところは、押し切るどころかプロデューサーには無断でやらかしていたのだが――ともかく、この新造グループであれば、自分の娘だからと萎縮せず、特別扱いもせず、里美の望みを叶えてくれるかもしれない。何より、本人が選んだ道である。

「……ふっ、娘のことは頼んだぜ」

 少なくとも、直ちに驚異になりえる勢力ではないだろう。ならば、我が子の好きにさせるのもまた一興か。

「ふふふ、娘を嫁に出す心持ちでございましょうか?」

 そっとプロデューサーの腕に自分の腕を絡める里美。あからさまに驚きを見せているのは照れや恥じらいではなく、里美による父に対する露骨な挑発行為に対して。だが、そこは親子である。

「バカ言うな。敵国に人質を取られたような気分だぜ」

 クヒヒと笑う兵哉だったが、プロデューサーは真っ青になって震えるしかなかった。

 

       ***

 

 里美からプロデューサーへの訴え――それは、低迷中の天然カラーズを吸収し、TRKプロジェクトが新たな第三勢力として決起すること。そのために、自分をストリップのステージに上げてもらうこと。父の傘下にない事務所への所属と出演――後戻りできない決別表明である。

 ただ、このような重い頼み方も良くなかったのかもしれない。無下に断ることも、承諾することもできずに、持ち帰って検討させて欲しい、という時間稼ぎ一辺倒の返事しかプロデューサーにはできなかった。それで、里美は第二次プランに移すしかなかったのである。

 ゲリラ露出に全裸ライブ――それを父と衆目の前に見せつければ、自分の意志が公のものとなる――それが、TRKリーダーと共にあればできると信じていた。歩にそこまで重い決意があったわけではない。ただ、脱衣所で里美の脱ぎっぷりを見たとき――この人も、ステージに上がりたがっている――そう感じただけだった。自分が自分の舞台を見つけたように、里美にも同じ景色を見せてあげたい――ただ、それだけのことだった。なお、糸織の動機は本当にただの悪ノリである。

 さて。

 こうして、TRKのメンバーはライブネット・萩名取締役の後ろ盾を得て、白昼堂々と全新歌舞伎町内を裸で往来することが認められた――わけではなく、黙認されるようになった。もちろん、何らかの営業活動を行えば、直ちに警察も牙を剥くだろう。しかし、彼女たちは金のために脱いでいるのではない。そのような見返りを求めて肌を晒す女性が光り輝くことは決してないのである。

 とはいえ。

 萩名グループの社長令嬢がストリッパーデビュー――人々の認識は、まだその程度だった。自分の関係会社では自由に動けなかった小娘ひとりの暴走にすぎない、と。

 しかし、彼らが街の一翼を本気で担うつもりであると表面化したのは、その直後に発生した『メスブタ・ハンター・ハンター事件』がキッカケだった。

 



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15話 草那辺蘭

 彼女たちはアイドルグループの仲間として、これまで友情を育んできた。しかし、譲れない戦いもある。このカラオケボックスの休憩室がこんなにもピリピリした緊張感に満たされたのは、彼女たちが来てから初めてのことかもしれない。

「むむむ……うむむむむーぅ……」

 人数マイナスふたり分で計十二本。うち、アタリは七本、ハズレは五本。分のある勝負で始まったはずだ。が、()()()()()()次々とアタリくじを引いてゆき、(あゆむ)に番が巡ってきたときには、すでに一本を残すのみ。

 それでも、一本は残っている。ハズレは四本。確率にして二〇%。どんなに唸ったところで、この現実は変わらない。

「ほれほれ歩はん、後ろがつかえとるでー」

  糸織(しおり)が握るティッシュのこよりのうち、一本は端に色が付けられている。が、それがどれかは握っている本人にもわからない。彼女自身は業務の都合で辞退しているため、完全に他人事として成り行きを楽しんでいる。

 最近、プロデューサーは劇場の方で寝泊まりするようになり、地味に距離が離れてしまった。ゆえに、今回の旅行はそれを取り戻す千載一遇の好機かもしれない。そんな期待を密かに込めて、歩は――

「……ちょっと、服、脱いでいい?」

 これには一堂脱力する。裸の歩の歌唱力、ダンス力は誰もが認めている。だからといって、透視能力が身につくわけではない。単なるゲン担ぎである。

 メンバーたちに見守られる中、歩はパンツの一枚まで脱ぎきった。そういえば、お風呂や舞台では慣れたものだけど、このような場所ではあまりない。だからか、少し照れながら――歩は自然体になれた気がする。

 これでダメなら仕方ない――

 軽い気持ちで、歩は残されたうちの一本を小さく摘まみ取った。

 

       ***

 

 目的の島に空港はない。船で本土から丸一日――太平洋の只中にインターネットは届かず、暇を持て余したメンバーたちによってプロデューサーは絶えず貞操を狙われ続けていた。が、航路も残すところ一時間となったあたりで、 春奈(はるな)がアンテナ圏内に入ったことに気づく。

「ほ、ほらっ、皆さん! 電波入りましたよっ」

 みんなでプロデューサーの客室に遊びに行こう、と決まったところまでは良かった。しかし、生真面目な彼女はその後の展開についていけない。私服だと落ち着かないから、と夏休み中にも関わらず学生服姿。肩にかかるくらいの短めな後ろ髪。その風貌は優良学生であり、中身もおとなしめで極めて優良。だからこそ、みんなの暴挙を何とかして止めようとしていた。それがようやく叶ったのである。

「やったっ! いまのうちにログボもらっとこーっと」

 それまで服も着ずにプロデューサーの股間を狙っていた 紫希(しき)は、おもちゃから興味を失った子供のように、パっと自分のスマホに飛びついた。その様子は、傍から見ると寝起きのズボラOLが目覚まし時計に手をかけているようでもある。それは、フンワリと広がった髪はそう長くないもののところどころ跳ねているのと、ぼんやりした目蓋の所為かもしれない。だが、その内にある瞳は爛々と輝いている。仕草や雰囲気だけは子供のようだが、胸のサイズはGカップあり、巨乳が揃っているメンバーの中でも一回り大きい。

 そんな塊を後ろからムニムニと抱きしめていた 朱美(あけみ)だったが、抱擁から逃れられてしまったことで残念そうにじっと手を見る。

「む、むぅ……シーちゃん……ちぇーっ、なのー」

 朱美もまた髪はミディアムくらいだが、紫希と異なり跳ねてはいない。実家では四人姉弟の長女だった。ゆえに、自分を『おねーちゃん』と呼び、比較的しっかりしたところはある。だが、長年みんなで入浴していたことから全裸で賑やかなスキンシップを好み、誰かが脱げばハメを外し気味だ。このユニットでは大抵誰かが全裸なので、常時ハメを外しっぱなしといえなくもない。

 紫希のゲームの邪魔になっては良くないな、と朱美は乗り上がっていたベッドから下りた。ここはプロデューサーひとりの客室だが、部屋はすべてふたり用であるため、寝台もふたつある。朱美はもう片方のベッドで暇そうにゴロゴロしていたもうひとりにターゲットを変えた。

「シロちゃんー、ぎゅー、なのーっ」

「あーはいはい、今回も誘惑失敗だね」

 シロちゃん―― 雪見(ゆきみ) 夜白(やしろ)は積極的なアプローチを面倒くさがる。が、プロデューサーとの行為に興味がないこともない。なので、直接は参加せず、彼が籠絡されるのを横になって全裸で傍観していたようだ。が、首謀者たる紫希がネットゲームに夢中になっているので、作戦は強制終了してしまったのだと察する。が、改めて動くのも面倒くさいので、そのまま彼の客室のベッドでくたりと脱力した。その頭髪は紫希より短く刈られているが、やはり整えるのが面倒らしく、側頭部については同じように跳ねている。しかし、襟首だけは長く伸ばした髪をひとつに束ねていた。曰く、後ろ髪は邪魔にならないから切るのも面倒くさい、とのこと。大らかというより、きっと何事を考えることも好きではないのだろう。

 だからこそ、裸の同性からくっつかれてどう思っているかはわからない。だが、朱美は嬉しそうに枕のごとく抱きしめている。その隣で(ゆう)は淡々と服をまとい始めていた。

「やれやれ、シないのなら帰るわよ。時間の無駄だから」

 キッチリと整えられたショートボブ。目つきは凛々しく、余計な口を叩くことはない。やや小ぶりな胸をブラに収めると、ベッドに座ったままお尻を浮かせてパンツを穿いた。そして、上着に頭を通すため、掛けていたメガネをそっと外す。だが、その僅かな間に。

「あーれーっ!? ミッション失敗!? ちょっとー、これじゃ素材足んないんだけどー!」

 何やらゲームでうまくいかなかったらしく、紫希はテンションのままに対面のベッド――優たちがいる方に勢いよく飛び込んだ。寝台全体が脈動し、優の傍から眼鏡がぴょんと逃げていく。

「ちょ、ちょっと……あれ?」

 優の裸眼で細いフレームを探すことは難しい。シーツの上を撫で回していたが、見かねたしとれが床から探しものを拾い上げた。

「優さま、眼鏡はこちらに」

 しとれは、いつものメイド服を脱ぐことなく着用している。これは、彼女が春奈と同じく止める側の立場にあるという意思表示かもしれない。彼の貞操は、このような形で奪うものではない、と。

 優は眼鏡を受け取ると、軽く礼を述べる。

「ああ、ありがと」

 ようやく視力を取り戻した優だったが、今度は服が紫希の下敷きになっているようだ。

「どきなさい。というか、服を着なさい。そろそろ着くわよ」

「えー? 今度のお仕事って裸の撮影じゃなかったっけ」

「撮影までは裸じゃないのだから」

「最初から裸じゃダメ?」

「ダメよ」

「うー、めんどくさいー……」

 とぼやきながらも、寝転がった紫希は天井に向けたスマホをスリスリと操作しており、一向に服を着る様子はない。どうせ脱ぐなら着る必要はない、というのが彼女の主義であり、これまで裸を生業としていた彼女ならではの考え方だった。

 ようやくメンバーたちが落ち着いたところで――やっぱりこうなったか、とプロデューサーはため息をつく。期待はしていなかった。が、船の中で少しでも仕事を進めておきたかった。しかし、ネットにはつながらないし――リゾートロケに気分が盛り上がった彼女たちから迫られるのは予想の範疇だったといえる。

 とはいえ、ようやく女のコたちが思い思いに楽しみ始めているので、彼はひとり静かに部屋を後にした。到着前に、忘れ物がないかもう一度戻ってきてみればいい。

 デッキに出てみると、外はどこまでも澄み渡っていた。遥か彼方に小さく島々が見える気がする。一体目の前にどれだけの距離が広がっているのか。あらゆるものを凝縮した新歌舞伎町という雑踏に育てられた彼とって、これはまさに未知との遭遇である。知識としては知っていたものの、初めての実物に触れているような心持ちだ。

 やはり、本物は違う――この中で、彼女たちを最大限に輝かせるには改めて別角度から再検討してみるべきかもしれない。水平線の果てをじっと見据えて、彼は撮影のことに思いを馳せる。

 そこに、スッと彼女は寄り添った。半袖とミニスカート――他の客たちの中にいても目立つことのない没個性。だから、景色に夢中になっている彼に、彼女は声をかける。隣に自分がいることに気づいてもらうために。

「お疲れ様、()()()()

 彼女と彼の出会いは、カラオケショップの客とオーナーとして――本当はそれよりもっと前に、同じ高校を卒業していたはずだ。が、彼女の中にその頃の思い出はあまりない。ゆえに、アイドルとしてプロデュースしてもらうようになったいまでも、彼をそう呼んでいる。

 一方、彼にはもう少し記憶があるようだ。

蒼泉(あおずみ)……さん」

 思わず学生のように呼び捨てそうになって、すぐさまプロデューサーとしての顔を取り戻す。

「あははー、いまはいいよ、同級生スタイルで」

 せっかく観光地に来たのに、少しは気を楽にしたら、と歩は言う。主だったメンバーはプロデューサーの部屋をごろごろと占拠しているだろうから。

「……悪い。さすがに、今朝は疲れたよ」

 昨日の昼間はまだマシだった。メンバーも珍しい船旅をそれなりに楽しんでいたということもあって。だが、さすがに一晩明けると飽きも出てきたらしい。今日は朝から、裸の女のコたちにずっともみくちゃにされていた。

「うんうん、大変だったねー」

 しかし、歩はその輪に加わっていない。もちろん、興味がないこともなかったが――彼女が望んでいたのはそのような場ではなく、むしろこうした穏やかな時間だった。

 歩には、伝えなくてはならないことがある。それは、彼だけに告げればいいということではない。が、彼にだけは必ず告げなくてはならない。それができるのではないか、と歩はこの撮影に名乗り出た。もっとも、観光を兼ねたビーチリゾートでの(ミュージック)(ビデオ)となれば、好んで辞退する者など先ずいない。ただ――カラオケボックス副店長を務める糸織だけは、残された者の管理のために自らも残らざるをえなかったのだが。

 公正なるくじ引きを経て、歩はここにいる。そして、奇しくも彼女が望む状況となった。いまこそ伝えないと――けれど――不覚にも、気持ちの整理がついていない。実のところ、船の往路では諦めて、宿泊中に目標を定めていた。せめて、裸になれれば変わるかもしれない。あのくじ引きで、五本のうちの一本を引き当てられたように。だが、ここで突然脱ぎ始めるのはあまりに不自然だ。何より、遠からぬ場所にはこの景色を楽しんでいる他の乗客もいる。

 まごまごと迷っているうちに、歩の時間は終わりを告げた。

「お疲れさまです、プロデューサーさま」

 海風にふわりとなびく長い髪。白いワンピースはまさに海模様にうってつけ。飾り気がないだけに、大きな胸が一際目を引く。その瞳はどこかおっとりとしており、物腰も丁寧。目上の者に対する礼儀もわきまえている。だが、低い背丈の下から見上げられているにも関わらず、どうしても上司のような雰囲気は拭いきれない。何故なら彼女は、新歌舞伎町の三大勢力・ライブネットの社長・ 萩名(はぎな) 兵哉(ひょうや)の一人娘―― 里美(さとみ)だからである。

 初めて会ったときには、まともに会話も成立しなかった。プロデューサーの答えひとつでプロジェクトの命運が決まってしまう――その覚悟で臨んでいたのだから。しかし、萩名社長にTRKプロジェクトをどうこうするつもりはないらしい。むしろ、里美嬢が参加してくれたことにより、業界の人間からは天然カラーズ、ファンムードに続く第四勢力として捉えられているフシさえある。実際のところ、力を失いつつある天然カラーズに代わり、TRKに新歌舞伎町の均衡を担ってほしいと里美は願っていた。それに応えられるかはわからないが――プロジェクト存亡の危機を乗り切った彼は、里美ともメンバーのひとりとして向き合うことができる。

「お疲れさまです、萩名嬢」

 だが、すべてのメンバーが馴染めているわけではない。それは、令嬢が令嬢として育てられた過程で身につけてきたものなのか。隙のない佇まいに、歩は一歩後ずさってしまう。

「あ……あははー……」

 とはいえ、ここであからさまに踵を返してはあまりに失礼か。何より、里美はムッとして眉をひそめている。とはいえ、これは歩の態度に対してではない。

「プロデューサーさま、わたくし、そのような呼ばれ方は好みません」

 すでに父親とは決別した身であり、彼女もまた他のメンバーと同様にカラオケボックスの一室に住み込んでいる。だからこそ、お嬢様扱いなどされたくはないのだが。

「とはいえ、萩名様は重要取引先のひとつでありまして」

 兵哉社長のことを思うと、他のメンバーと同じようにさん付けで呼ぶことはどうしても憚られる。

「では、名前の方で――」

 と言いかけて、歩の視線に気がついた。彼女を含め、メンバーの多くが下の名前で呼ばれたがっている中、家庭の事情でひとりだけ特別扱いしては、グループとしてのバランスが崩れてしまう。

 里美が言葉を止めたことで、歩は自分が無意識に良くない顔をしていたことに気がついた。そして、それは当然プロデューサーも。しかし、これを機とばかりに、彼は唐突に話を変えた。

「ところで……そろそろ()()()()()を聞かせていただけませんか」

「?」

 と首を傾げるのは歩。今回の撮影は、里美のコネで決定したことは聞いている。ゆえに、その本人だけはくじ引きの対象外として参加が決定していた。しかし、メンバーの多くは、お金持ちだから、くらいでしか捉えていない。

 だが、プロデューサーにはただの撮影とは思えないことがあった。

「今回の参加人数…… 丘薙(おかなぎ)さんと事前に打ち合わせておりますね」

「えっ? 糸織ちゃんと?」

 歩は、自分の知らないところで難しいやり取りがあったことをここで知る。だが、里美としても隠すつもりはないらしい。

「それはもちろん、劇場の運営に支障を来たしては困りますでしょう?」

 離島への船旅は楽ではない。船中泊も含めて四泊五日――短くもない期間を回せる最少人数は、彼の見積もりでも六人は必要となる。ちょうど、残された数だ。参加を望むメンバーたちの期待に最大限に応えるため――でなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。

「も、もしかして……私、席を外した方がいい……?」

 まったく話についていけない歩はおずおずとプロデューサーの顔色を窺う。

「いえ、蒼泉さんも、センターとして」

 歩と里美は『お風呂会談』にて語り合った仲だ。話しにくい 機密(こと)などないだろう。だからこそ、里美に他意はない。

「ふふふ、それはまだ知るべきときではありません」

 不敵に笑うと、令嬢はふわりと踵を返す。

「それではわたくし、下船の支度がありますので」

 彼女の背中は引き止めて問い質せる雰囲気ではない。きっと、また何か大きなことを企んでいるのだろう――それは間違いなく、あの街の勢力争いに関わることで。

 それを彷彿とさせるように。

「今回の旅程はわたくしが精一杯ご案内させていただきますので、何のご心配もなく南の島をご堪能くださいませ」

 背中越しにチラリと不敵な笑みを覗かせて、里美は自室へと戻っていった。

「『秘書役』、ずっと里美さんなの?」

 歩は素朴な調子でプロデューサーに尋ねる。

『秘書役』とは――先週の里美嬢の襲来を機に設立されたメンバー内の役割のことだ。ここの責任者は何かにつけて女性に弱く、悪い女から悪い条件を飲まされかねない。そのため、メンバーの誰かが交代で秘書役として補佐するようにしている。

 面会相手の性別はさておき――事業規模も当初と比べると急拡大していた。それは、ライブネット社長・ 萩名(はぎな) 兵哉(ひょうや)に認められたからかもしれない。TRK事務所から辛うじてアポイントメントを拾いつないでいくどころか、一日中何らかの打ち合わせが入っている。それをひとりで捌くのは難しくなってきていたため、その提案をプロデューサーも了承した。

 そして、今回の旅程については、話を持ち込んできた里美自身がその役目を買って出ている。おかげでプロデューサーは撮影内容の検討だけに集中することができた。メイクやカメラマンは現地の専門家にお願いするよう手配してもらっている。だが、ロケーション選びは責任者次第だ。

 しかし、旅程の根本的な事情くらいは押さえておくべきだったのかもしれない。

 ホテルくさなべ――港から離れた島の反対側に位置するその旅館は、立地こそ不便だがオーシャンビューは壮大であり、プライベートビーチも備えている。もちろん、撮影許可も取得済み。だが、交渉次第ではもう少し踏み込んだ撮影ができるだろう。何故ならば――

「はっ、萩名様のご紹介と聞いており……あっ、ワタクシ、この旅館の支配人を務めておりますクサナベと申します……っ!」

 南国だけに年中日差しが強く、袖から覗く日焼けの跡は男らしく見える。が、身体の線は細く、ズレた眼鏡がやや頼りない。もう少し落ち着いてくれれば、礼儀正しいホテルマン、といった雰囲気にもなりそうなものだが。

 ともあれ、ここは里美の家の影響下にあるらしい。恐縮した様子で名刺を差し出されたので、プロデューサーとして一応交換しておいた。自分はむしろ、萩名勢とは相対している身ということは伏せて。彼女たちの輝きのためならば、ある程度のズルさも許してほしいと願いながら。

 しかし。

「萩名様御一行()()()は、最上階の大部屋となります……っ」

「やった! 最上階!」

 プロデューサーに差し出された鍵を、紫希は横から奪い取る。そしてそのまま、たーっとエレベーターの方へと向かっていった。なお、さすがに上陸前に服は着ている。が、大きなTシャツをワンピースのように羽織っているのみ。裾の長さも心許なく、慣れない現地民や宿泊者たちには刺激が強すぎるようだ。そんな彼女をガードするように囲みながら続いてくメンバーたち。しかし、プロデューサーはその数に疑問を呈す。

「九名……?」

 粗相がないかと緊張に満ちた支配人ゆえに、その呟きに対してすぐさま反応した。

「ま、まさか手違いが……? すいません! ですがこちら、十二人までお泊りいただけますので……っ」

「いえ、メンバーは()()のはずなのですが……」

 だが――ひとり手続きの違和感に気づいて引き返してきていた里美は、それを聞いて背後からくすりと笑みを投げかける。

「ふふっ、プロデューサーさま、ご自身をお忘れですよ」

 ちょっとした数え間違いを指摘したつもりだったが、世間体としては重大な問題である。

「まさか……男女で相部屋……?」

 船の部屋は狭く、ふたり部屋が五つ充てがわれていた。ゆえに、プロデューサーが当然のようにひとりで。彼はこれを、女性の中の男性ゆえの配慮だと思っていた。しかし、実際のところは違ったらしい。

「皆さん一緒でしたら揉めませんでしょう?」

 どうやら、()()()()()()()()()()()()()()()()()で譲ろうとしなかったため、平等に彼だけがひとりとなったようだ。

「い、いえっ、そうではなく……男女の相部屋というのはマズイのでは……」

「それはつまり、夜這い先がなくなる、ということ……?」

 少なくとも、うちの作品は同室でしたが、との里美の言を聞いて――

「それは、アダルト作品の話ですから!」

「……はて?」

 これまで令嬢として事務手続きはすべて使用人に任せていたところがある。実家から離れたこともあり、このくらい自分でも――と挑戦してみたが、ここぞというところで配慮が抜けていた。

 これに、支配人は解釈を誤る。

「しっ、失礼しました! 里美お嬢様のお部屋をすぐに用意いたしますので……っ!」

 令嬢用の個室の予約がなかったことの方に、支配人自身は不思議に感じていた。しかし、問い返すだけの度胸がなければ言われたとおり鵜呑みにするしかない。自身の判断の甘さに狼狽する支配人だったが、里美はむしろがっかりした様子を見せる。

「わたくし……皆様と一緒の大部屋に憧れていたのですけれど……」

 むしろ、これまでの重役対応の方に疎外感があったらしい。それを聞いて、支配人もほっと胸を撫で下ろす。

「それでしたら、こちらのお部屋でご一緒にお寛ぎいただければと」

「はい、ありがとうございます」

 里美はニコリと微笑み、話は決着してしまった。プロデューサーとしても、これ以上事態を掻き回すことは憚られる。一先ず――今夜は、レンタカーでの車中泊しかないか、と腹を括っていた。

 

 フロントにてそのようなやり取りがあったことは、他のメンバーたちは知る由もない。到着した当日は自由行動ということもあり、各々早速プライベートビーチに繰り出していた。

「……紫希さん、せっかくのビーチリゾートなのに、スマホなんですね」

 しっかり水着を着込み、浮き輪を引っ下げ遊ぶ気満々の春奈は、パラソルの下のデッキチェアで寛いでいる紫希と優に向けて残念そうに声をかける。

「んっふふ~♪ 日頃引きこもってるからねぇ。何より……ここ、服着なくていいんでしょ?」

 プライベートビーチであるため、咎める者はいない。ここに来るまでも乳首を浮かせたTシャツ一枚で道行く男たちの心を騒がせてきたが、強い日差しを浴びて汗ばんでしまった。どうせ着替えてもまた汗ばむのだから新たに着る必要はない、というのが紫希の弁である。

「優さんは……泳ぎませんか?」

「いい。疲れるし」

 水着も着ているのだから泳がないともったいない、と春奈は思う。だが、優はこの空気を満喫していた。締めて何万もするような旅行にタダで来ている――それを実感することで、優は何にも勝る充実感を得られるのだった。

「……おや、夜白さまは……?」

 しとれのワンピース水着の肩フリルと白いパレオはメイド服をイメージしているらしい。なお、頭上のヘッドドレスも健在で、これも防水仕様とのことだ。

「……あー……シロちゃん、浮き輪に乗ったままあんな遠くにいるのー……」

 朱美が指差した先で、夜白は点になりかけている。

「ちょっとアレ、流されてるんじゃない?」

「わー、早く助けに行ってあげなきゃー」

 と口にしながら、優と紫希に助けに行こうとする様子は微塵もない。

「ひぇ~、大変です。春奈、行ってきます!」

 浮き輪片手にザブザブと立ち向かっていく春奈だったが――結局、本人も流されてゆき、しとれと朱美によって浜へと引き戻されたのだった。

 

       ***

 

 それなりに遊び疲れたのか、翌日の撮影に備えてか、食事を終えたところでメンバーたちは早々に床に就いている。だが、プロデューサーの仕事は終わらない。寝静まってくれたからこそできることも多く――ようやく一服つけたと思えば、すでに日付が変わっている。

 なお、メンバーたちが海ではしゃいでいた間、彼は島を散策していた。この島は、素晴らしい。海際の街道を歩けば、木々の隙間から覗く海の蒼さは東京湾のそれとはまったく異なる。予定していたプライベートビーチだけでなく、街中使って撮影に望みたいくらいだ。許可を取れる範囲で。

 彼はそんなことを、深夜の大浴場に浸かりながら考えていた。結局、夕食時を除いて彼は部屋に戻っていない。男が同室していては落ち着かないだろう、と気を使って。実際、落ち着かなかったと思われる。今朝の再来、という意味でも。ゆえに、宿ではもっぱらロビーで仕事をしていた。日々の業務と、そして、明日に向けての最終確認を。そこは何かと人通りがあるので、メンバーたちに襲われることもない。

 撮影に備えて一〇人乗りのバンは借りている。今夜はそこで眠ることになるだろう。ついでに、夜の島の様子を見て回ってもいいかもしれない。明日は、一日撮影に使えるのだから。

 このような時間ということもあり、彼の他に入湯者はいない。男湯ということでメンバーたちが入ってくることもない。彼はこの旅程で、初めてゆったりと羽根を伸ばしていた。

 しかし。

 カラカラ、と扉が開いたのでそちらを見やると、予想外の事態に彼は我が目を疑う。

「あっ、蒼泉……っ!?」

 あまりのことに、思わず学生のように呼び捨ててしまった。ハッとして湯船を見回すが、先に浸かっていたのは彼ひとり。少なくとも、すぐに騒ぎになることはなさそうだが、他の誰かが来れば即座に大問題だ。

 一方歩は、少しはにかみながら――小さなタオルでは、胸も股間も隠せていない。むしろ、隠す気もないのだろう。何故なら、いつも見せている身体なのだから。胸の谷間からおへその下辺りまで、申し訳無さそうに生地を垂らしている。

「あははー……ちょっと、ご一緒させてもらっていいかな?」

 持参したタオルは、長い後ろ髪をまとめるためのもの。頭に巻いてしまえば、わずかでも身体を隠せるものはなくなった。その全身は普段見慣れたもののはず。だが――入浴という私生活の一部を魅せつけられているようで、彼はいつもと異なる艶めかしさを感じていた。

 歩はさっとかけ湯を済ますと、静かにつま先を湯船へと沈める。そして、湯気を掻き分けて彼の隣に腰を下ろした。柔らかな下腹部がふわりと触れそうなほど近くに。

「お疲れ様。けど、みんな心配してたよ。オーナーがなかなか帰ってこない、って」

 彼は少し考えて――やや疲れていたのかもしれない。

「俺が女のコと同室するわけにもいかないだろ。何か間違いがあったらどうするんだ」

 それは、プロデューサーとしてではなく、同級生の顔で。だから歩もまた、当時の顔に戻っている。

「間違いって……誰と?」

「誰って……いや、そういうことじゃなく」

 質問をはぐらかそうとする彼を、歩の視線は逃さない。その瞳には普段らしからぬ圧が含まれていた。

「積極的な紫希ちゃん? くっつくのが大好きな朱美ちゃん? 間違いって言うなら……春奈ちゃんがそれっぽいかも」

「蒼泉……?」

 歩の様子は普段と違う。それは、彼が見てきた――それこそ、学生時代とも。

 それを自覚したからこそ、ふいに歩は微笑んだ。自分は自分――いつもの私だよ、と言いたげに。

 海の上で、それを告げることはできなかった。けれども、いまならできる。むしろ、いましかできない。だからこそ。

「私ね、ずっと謝りたかったんだ」

「謝るって、何を」

「前に、黙って何日も空けちゃったこと」

 かつての歩は迷っていた。裸にならねば唄えない自分の未来を悲観して。だが――短所は長所――まこからの激励を受けて、歩は開き直った。自分で言うのもナンだが、人前で裸になれる女のコはそう多くはない――はず。このユニットはそんな女のコばかりだが。それは例外として。例外的な女のコによる集団のひとりとして。

「あのときは、その……イベント直前で、すぐにでも何とかしなきゃだったからバタバタしてたけど……」

 イベント――次の日曜日に、共に出演するパートナーが壇上で全裸に剥かれてしまうかもしれない――忽然と姿を消した歩は、そんな情報を持って駆け込んできた。皆の待つカラオケボックスに。全裸で。

 そのときも謝ったつもりではあった。が、自分がしでかしたことに対して、ちゃんと叱ってもらえた気がしていない。

 だから。

 歩はプカプカと漂うように流れて彼と向き合う。

「本当に、ごめんなさい」

 鼻先がお湯につきそうなほど、歩は深々と頭を下げた。

「まあ、心配したし、代役探すのも大変だったけど――」

 同級生に戻っているからこそ、少しだけ漏れた本音。

「――無事に戻ってきてくれて、本当に良かった」

 これもまた、本心だ。

 しかし。

「でも、何だか私の気が済まなくて……」

「蒼泉?」

 メンバーの中で唯ひとり、歩を責めるのは歩自身。

「だって、あんなムチャクチャしたのに、何もなく無罪放免、なんだもの」

「罰が欲しかったのか?」

 執拗に自罰的な歩に、彼は思わず笑みをこぼす。本人も至極反省しているし、何より、センターたる歩に何らかの処分を下すことなどできようもない。

 そんな事情を、彼女自身何となく理解している。だが、はっきりとはわかっていない。

 だから。

「踏ん切りをつけるためにはね」

 このユニットにとって、そして、彼にとって――自分は一体何なのか。

 彼はプロデューサーとして、みんな平等に接している。

 だが、その一方で――

 歩は自分が特別な存在であるとは思っていない。

 けれども、特別な存在になりたいとは思っている。

 あの件では、本当に迷惑をかけてしまった。

 それは、申し訳なく思っている。

 だからこそ。

 自分が許されるだけの理由がほしい。

 最初のひとりだからとか、センターだからとか、そういうことではなく。

 オーナーから見て、自分自身が特別である証を。

 それを求めて、歩は彼を抱きしめた。

 男の胸に自分の胸を預け、男の足の上にふわりと自分の重さを乗せる。

 ――柔らかい男のコ。さっきまで――湯面が波立っていてもちゃんと見えていた。漂うことなく硬く、力強く流れに逆らっていたところが。けれど――おそらく、こうして寄り添う直前に――彼は、平静を取り戻したのだろう。自分の立場――TRKのプロデューサーであることを思い出して。

 けれど。

 それでも、できることはある。

「だから、もし、オーナーが()()を私に悪いことだと思っているのなら――」

 きっと次に彼が言葉を発するときは、プロデューサーとしての言葉遣いに戻っていることだろう。

 だから、それは聞きたくない。

 それ以上何も言わせないため――歩は静かに目を閉じた。そして息を止め、鼻を交差させるように距離を詰める。

 このとき――彼は、迷っていた。

 歩は、前に進むキッカケを欲している。

 ここで彼女を拒むことは、彼女の歩みを止めてしまうのではなかろうか。

 だからこそ、歩は止まらない。

 私は、オーナーと――

 

 ガラリッ!

「歩さまッ!!」

 

 その物音に彼が振り向いたので、歩の唇は男の頬に着地した。そして、観念したように、ゆっくりと男の身柄を開放する。

 扉を開いたのは、しとれだった。服は着ていない。これから入浴しようというのだから何ら不自然なことはない。ここが男湯であるということを除けば。あと、頭のヘッドドレスを除けば。おそらく、海で着けていたのと同じ防水仕様のものなのだろう。

「あ……あははー……しとれちゃん……こんなところで、どしたの?」

 ここまで、綿密に計画を立ててきた。海では遊んでいるフリをしながら軽く流してあまり疲れないように。部屋が寝静まってからも、時々彼の様子はこっそり確認していた。布団の中で横になっていても――裸であれば、強い意志を持ち続けられる。そして、仕事をしていたオーナーの姿が消えたのを見計らって、決行に移した。ロビーにおらず、部屋にも戻っていないのであれば、行き先は極めて限られている――表の廊下には勝手に清掃中の看板も立てさせてもらって。彼と、ふたりきりになるために。

 しかし、それがよくなかった。

「おかしいと思ったのです。()()()()()()()()()なんて」

「……あ」

 複数の浴場があるのなら、清掃時間はずらした方が宿泊客も入浴しやすい。実際、パンフレットによればそのようにスケジュールは組まれている。メイド気質のしとれは、それを自然と記憶していた。ゆえに――夜、ふと目が覚めたとき、いまならふたりきりになれるのでは、とロビーに赴いてみたものの無人。そこで歩と同じく、開いているはずの大浴場に向かったのだった。なのに、予定にない清掃中。訝しんで中に入ってみれば――!

 かけ湯も疎かに、ジャバジャバと歩の方へと詰め寄るしとれ。すーっと逃げていく歩には見向きもせずに、しとれはプロデューサーの元へ真っ直ぐ詰め寄る。どうして良いのかわからず、彼はその場から動けない。じっと顔を突き合わせたその刹那――

「んぐっ!?」

 それは、思わぬところで。水面下に向けてにゅっと伸ばされたしとれの手は真っ直ぐに彼の股間を鷲掴みにしていた。このまま握り潰されるのか――? 彼は恐れおののき身動きひとつできない。その様子で、しとれがナニをしているのか歩にもわかった。

「しとれちゃんだって……ナニしてるの!」

 一度は逃げてみた歩だったが、すぐさま引き返して問い詰める。これに、しとれは端的に答えた。

「睾丸の張り具合を確認しておこうかと」

「え……?」

 これには彼も、男として呆気にとられるしかない。

「どうやら、射精後ではなさそうですね」

「そっ、そうだよ、未遂未遂!」

 しかし、射精を伴わない事後もある。ゆえに、しとれには看過できない。

「未遂だとしてもっ!」

 せっかくこれまでプロデューサーが抑えてきたことを、台無しにしようとするのか、としとれは叱りたい。だが、自身も裸で入室してきたため、どうしても勢いと説得力に欠ける。どう言葉にして良いものかとしとれ本人も迷っていたところ――

「あらあら、こちらは男湯で良かったかしら?」

 男湯でありながら、すでに女子の人数の方が多い。そこへさらに里美まで加わってしまった。これではもはやまったく男湯としての体を成していない。なお、彼女もまた全裸である。歩のようにタオルさえ持参していない。

「男湯とわかっていながら入ってきたのですか……」

 さすがに三人目ともなると、プロデューサーも驚きはしない。だからか、里美の方もごく自然体で。

「女子は男湯に入っても良いのでしょう?」

「それはまた、御社のビデオによる通例ですか?」

「あら」

 また自社の企画モノを真に受けていたらしい。そして、この後の展開も企画モノと同じであれば――

「里美さまも、店長の貞操を狙って……!」

「いえいえ、わたくしはプロデューサーさまとお話があっただけで」

「私もオーナーとお話してただけだよー」

 ここぞとばかりに自らを正当化してみる歩。

「なら一緒じゃないですか!」

 それは建前である、と悪い方向で里美も統合されてしまった。

 しかし。

「ですから、わたくしはお話をしに来たと。ですが――」

 テステスと洗い場を歩く里美は湯船に入る様子はない。

「歩さまもいらしたのでしたら、都合が良いかもしれません」

 里美が歩に声をかけるとき――それは必ず、TRK全体に関わる。しとれは自分が蚊帳の外であることに異存はないが――店長の貞操は私が守らなくては、と自分のことを棚に上げて構えていた。

 そんな覚悟とは裏腹に、里美はひとり部屋の隅へ。そこで、ふいっと彼の方へと振り向く。

「プロデューサーさま、ちょっとこちらへいらしていただけますか?」

 呼ばれてはいないが、他のふたりも同伴する。

 里美がやってきていたのは閉ざされた扉の前。そのガラス戸の向こう側は露天風呂になっている。昼間ならば広々とした水平線が一望できたかもしれないが、この時間は真っ暗で何も見えない。その上、この浴槽にお湯が張られておらず空のまま――使用されていない理由は時間帯ではなく他にありそうだ。

「これは、この旅館の構造の欠陥なのですけれど……」

 その扉には『調整中につき使用できません』と張り紙だけは貼ってある。だが、施錠などはされていない。ガチャリとドアノブを回すと、里美は静かに外へ出た。続いて、プロデューサーたちも。室内の明かりを窓が通してくれているため足元に不安はない。だが、辺り一面闇夜である。月が出ているため薄ぼんやりと地形くらいは感じられるが、まるで黒地に刷られた黒い版画だ。

 しかし、そんな暗闇の中だからこそ、人工的な光はよく見える。

 どうやらそこは、下階の個室風呂のようだ。景色を優先するあまり囲いが甘く、上から丸見えになっている。空き室ならば良かったが、現在まさに使用中。だが、こんな景色も楽しめないこの時間に――?

 何故ならば、その者たちの目的は景色ではなかった。一応女性の方は海の方を向いているが、岩を模した湯船の縁にもたれかかっている。そして、その後ろからしがみついている男性は――

「も、もしかして……」

「あまり覗いて良いものでは……」

 里美が見せたかったものはこれらしい。だが、事前情報なしにこのシーンはあまりに衝撃的すぎた。三人は各々、まぐわうふたりから目をそらす。その先に――

「……あれ?」

 歩は暗闇の中で何かを見つけた。

 それとは別に、プロデューサーは個室風呂での不自然さに気づく。

「あれは……カメラ、ですかね……?」

 向こうの浴室にいたのは三人。裸の男と、裸の女と――カメラを担いだ着衣の男。明らかにカタギに見えないのはその髪型ゆえか――側頭部を剃り落とし、残りの中央部をエビのように編み込んでいる。むしろ、渋谷のストリートでラジカセを担いでダンスに興じていそうな――そこまでのステレオタイプはすでに絶滅危惧種ではあるが――しかし、彼が担いでいるのはラジカセではなくビデオカメラである。しかも、個人で所有するようなものではない。言われて、しとれもまた確信した。

「もしかしてAV撮影……?」

複雑そうな面持ちで呟く。だが、プロデューサーはある種の楽観を期待していた。

「とはいえ、ここはライブネット系列の旅館とのことですし……」

 当然、そのスタッフにも里美の顔が利く――そうあってほしかったのだが。

「ふふふ、まだあまりこの業界にお詳しくありませんのね」

 だからこそ、自分がここにいるのだ、と里美は誇らしげに微笑む。

 そこに――

「はっ、萩名お嬢様……ッ! そちらは危険ですので、お立ち入りはご遠慮いただきたく……ッ!」

 支配人には里美が男湯どころか、勝手に禁止区域に入ったことを咎めることなどできない。彼が来たのはただ、夜の見回り中に時間外の清掃中札が出ていたことを不審に思っただけだった。もちろん、危険なのは露天風呂自体ではない。ここからの視界によって発生しうる客同士のトラブルの方だ。

 ゆえに。

「支配人、お尋ねしたいのですが――」

 実直なプロデューサーのことなので、単刀直入にAV撮影について切り出しかねない。なので、里美はさり気なく手を差し出して彼を制する。

 歩もその様子を感じ取ったのか、それとも、本当に気になっていたのか。

「しっ、支配人さん! 大変なの! そのー……事故が……っ」

「事故?」

 それについては他の誰も見ていないが、ここは歩に任せておく。

「あっちの崖の上から誰かが飛び込んだように見えて……」

 撮影現場から視線をそらした際に、それは偶然目に入った。いや、入ったような気がしただけかもしれない。何やら、少し離れた崖の上を海に向かって何かが滑り、そのまま中空に放り出されたような。もしそれが本当なら――この時間帯ということもあり、一大事である。しかし、支配人はのんびりとした様子で。

「あー……それはうちの子かもしれません」

「お子さん?」

「ええ、何と言いますか……うーん……」

 と一頻り悩んだ後。

「……ああ、旅館の裏方で働いとるんですが、あまり人前に出たがらないところがありまして」

 そんな性格だからこそ、裏方なのかもしれない。

「こういう、ひと気のない深夜に出歩いているようなのです」

「出歩くというか、海に飛び込んでたんですけど……」

 この闇の中では海面がどうなっているかすら見えようもないというのに。それでも、支配人はさらりと答える。

「夜目が利くようでして」

 それは、夜目でどうにかなるレベルなのだろうか。さすがに誰にも納得できないが、支配人は強引に話を閉じる。

「ということで、外で不審者を見かけても……そっとしておいてやってください」

「……は、はぁ……」

 プロデューサーは気の抜けた返事をすることしかできないが――これで決まったようなものかもしれない。この支配人も()()()()()()()()()である、と。

 

 とはいえ。

 男湯に乱入した女子三名――彼女たちもまた、不審者に他ならない。支配人によって清掃中が解除されてしまったいま、じきに他の客が湯浴みに来るかもしれない。そろそろ出ておいた方がいいだろう。

 そう思って、プロデューサーは脱衣所に来ていた。歩としとれも同様に。しかし、里美からの話は終わっていなかった。浴衣に袖を通したプロデューサーのところに、里美は着衣もせずに()()を手にしてやってくる。

「プロデューサーさま」

「先ずは服を着られてはいかがでしょうか」

 すでに劇場にも出演してもらっているので、いまさら全裸であっても動揺することはない。が、あまり健全な状況でもない。

 そんなプロデューサーの意向を無視して、里美はスッと一枚の名刺を差し出す。

「こちらに見覚えは?」

 当然あった。

「それはもちろん、こちらに到着した際に交換しました支配人の――」

 と言いかけて、彼は思わず目を見張る。一見だけだったので姓名まではっきりと覚えているわけではない。だが、肩書きは確実に間違っている。

『南国企画 監督』――

「この手口、プロデューサーさまもご存知では?」

「ええ」

 リアリティを出すための肩書きだけ差し替えた偽名刺――数ヶ月前、彼もやられたことがある。それによって、あらぬところからのクレームを彼らが受けることとなったのだ。そして、女のコたちを騙し、悪質な撮影を強要していたのは――

「ファンムード……ですね」

 ようやく彼は、里美の思惑を理解した

「これが、今回の撮影旅行を企画した意図です」

 もう、里美が事情を隠す必要はない。

 それを見計らったかのように――

 

「話は聞かせてもらったっ!」

 

 ちょうど、支配人によって清掃中の札が取り除かれた直後だったのだろう。ドカドカと乱入してきたのは紫希だった。しかし――?

「……あのー……、脱衣所はここなのですが」

 なのに、外から全裸で入ってくるのはどうしたことか。

「え、だってこれからお風呂入るんでしょ?」

 平常運転である。

「だったら、部屋で脱いできた方がいーじゃん」

 一緒にやってきた夜白もまた全裸だった。

「その方が効率的なのだから当然よね」

渋長(しぶなが)さん!?」

 普段、こういうことをやらかさない優までも全裸でやってきたことに、プロデューサーは少なからず驚かされた。優にとって、効率的であれば入浴時の姿で旅館の廊下を出歩くことくらい造作もない。

「ほらほらー、やっぱりそうなのー。だ・か・ら、ルナちゃんも脱ぐのー」

 そう言ってベタベタと春奈にくっついている朱美。みんな揃って裸の付き合いをしたいようだ。

「ぬ、脱ぎますけれど……脱衣所で」

 このユニットの良心というべき春奈だけが、ここまで服を着てやってきている。だが、惜しい。こちらは男湯である。

 彼女たちの目的も、基本は前のふたりと変わらない。寝るのが早かったため、ふと目を覚ました紫希はスマホでゲームを始めていた。そこで、ふと何人かメンバーが足りないことに気づく。夜這いに行ったのかなー、と男湯を目指し、それに気づいた夜白が続き、ふたりがゴソゴソと動き始めたことで次々と起き出してきたようだ。

「奇しくも皆さま揃いましたので……お話しましょう」

 里美が仕切り始めてしまったので、紫希もこの場での誘惑は諦めねばならない。それでも、朱美には充分だった。

「一緒にお風呂入りながら、なのーっ」

 これが、ファンの間で語り継がれている『男湯制圧事件』の発端である。すでに部屋の外の清掃中の立て札は取り除かれていたが――中から女のコたちの華やかな声が響く風呂場へと踏み込んでいける男はなかなかいない。

 

 あまり良いことではないと承知の上で――こうして、そのまま男湯大浴場で作戦会議となった。何故なら、ここはある意味盗撮や盗聴の危険性が最も低い。先程の支配人の様子――男湯に若い女子が三人も入っていたのに、それに対しては驚いている様子がなかった。それは、この旅館内では珍しいことではなく――この建物自体が、内通者の手が入っていると疑ってかかった方がいい。

 そんなわけで、広い湯船に男ひとりと女子が八人。淑女協定によりプロデューサーに対して一定距離を確保したため、あたかも男子が女子集団に包囲されているようにも見える。

 弧を描くその中心――プロデューサーの正面に座するのはやはり里美だった。

「今回、プロデューサーさまに撮影旅行を持ちかけたのは、先程お見せしました名刺を入手したためです」

 このあたりから聞き耳を立てていたようなので、事情については紫希たちも何となく把握している。だが、その前に別件を確認しておかなくてはならない。

「先程の、私がこの業界に詳しくない、というのは……」

 彼も不勉強であることは自認している。それによって状況を見誤るわけにはいかない。

 ゆえに里美は、先ずプロデューサーの認識違いを正す。

「新歌舞伎町の内部勢力は概ね三つに分かれておりますが……その外で、いずれかの勢力に属している、というケースはあまりありません」

「……それは……ああ、はい、そうですね」

 街の勢力図は頻繁に上書きされる。その度に誰がどこの陣営で、などと、外の人間が逐一対応していくことは難しい。ゆえに、基本的には業界全体に対して平等に協力的な姿勢を取ることとなる。『AVにてよく見かける風景』というものは、そのような事情によって生じているということだ。逆に、本当に萩名家と経営的なつながりがあれば、その関係性は明確に切り離すだろう。AV会社が運営する旅館、という肩書きは、一般客には敷居が高い。

 ゆえに、ここの支配人も同じこと。ライブネットだろうがファンムードだろうが、平等に腰が低いのだ。

 なので――

「……オーナー、明日の撮影、もっと色々できるんじゃ、って考えてる?」

「あ、いえ、そのようなことは」

 と誤魔化しつつも、(全裸の)歩にウソは通じない。

 ということで、彼は改めて本題に向けて真摯に向き合う。

「萩名嬢、あの名刺の入手の経緯についてお話しいただけますか」

 自分たちと同じように心当たりのないクレームを受けた、ということであれば、支配人を協力者に組み込めるかもしれない。だが、業界御用達の名刺をコピーする図太さには理由がある。

 順を追って説明するために、里美はふいに視線を逸した。その先に座するのは――

「店長、()……という女のコを覚えておられるでしょうか」

 里美から唐突に説明役を委任されたが、しとれは動じることなく話を切り出す。

「それは……はい。メイド喫茶で働いておられたという……」

 先月開催されたメイドフェス――そこでのしとれの訴求力は絶大だった。だがそれゆえに――ステージには上がれどもメイド喫茶には戻らなかったことに落胆し――店を辞めていったのならまだしも、しとれの後を追いかけてきたひとりの後輩がいた。

 とはいえ――やはり裸になることには馴染めなかったらしい。ストリップ動画を添付しての応募だったが、<スポットライト>は感じられず、その表情はむしろツラそうであり――残念ながら採用見送りとなった。そこまでは、しとれの耳にも入っている。しかし、この話には続きがあった。

「実はあのコ……あの後、『花丸動画』というところに所属することになりまして……」

 そこは天然カラーズ傘下の事務所である。そこで経験を積んで、またTRKに挑戦したい、と言っていたそうだ。しかし。

「一本目の収録が終わったところで、彼女から相談を受けたのです」

『南国企画』と称する別事務所からの撮影依頼――自分たちは南の島でのミュージックビデオを専門に扱っていて、同じ天然カラーズ傘下だから問題ない――一線で活躍中の先輩方も一緒だから――それがむしろ、新人たる湊を疑わせた。確かに、他の参加者の中には、名前を聞いたことのある人もいる。そんな先輩たちと、まだ初心者同然の自分が肩を並べて――?

 よほどの大手でなければ、事務所の名前が検索サイトにヒットすることはない。そんな折に、里美がTRKに加わった。そこで、この事務所を知っているか、と尋ねてみたのである。その結果――

「大変申し訳ありません、店長。まさか、ここまで大事になるとは思いもよらず……」

 しとれはメイドとして世話を焼くことには慣れていても、焼かれることには慣れていない。里美どころか上司にまで迷惑をかけてしまった、としとれは慎重さを欠いた行動を悔いていた。

 ゆえに、里美は議論のバトンを奪い取る。メンバーの誰が悪いものではないとして。

「確かに、この島にはかつて撮影事務所はありました。ただし……ライブネットの」

 その時点で天然カラーズ傘下と名乗る者たちの真偽は怪しくなってくる。そこで、萩名家のネットワークを駆使して調べた結果、とんでもない事実が発覚した。

「名前は頻繁に変えているようですが、現・南国企画と称する事務所は、ファンムード傘下の中でも最も悪質な……引き抜きを目的としている事務所です」

「ひぇっ!?」

 引き抜き騒動で危険な状況に陥ったことのある春奈は、その単語だけで身を竦ませる。

 一方、騒動にならずに引き抜かれた優は冷静にそれを受け止めていた。

「悪質ってことは、同意をもって、じゃなさそうね」

「はい。天然カラーズの事務所は原則として『本番禁止』となっております」

 天然カラーズは元々グラビア等を扱っていた事務所の一部門だ。ゆえに、アダルト方面への深入りは禁じているところがある。

 だが。

「つまり、天然カラーズの女のコを騙して本番撮影を強行、それをネタに移籍させる、という手口なのです」

 ゆえに、一旦規約違反の証拠を押さえられてしまえば、女のコたちは強く出られない。それが、堂々と世話になる旅館の名刺を偽造できる所以である。最初に説得力さえ持たせてしまえば、事後にトラブルがあっても問い合わせなどできようもない。なお、その調査報告を受けて湊は撮影を辞退したとのこと。他の参加者たちのことは心配だが、新人女優に先輩を止められるだけの力はない。

 それで、里美がこの件を引き取ったわけだが。

「でもそれ、さすがにヤバイんじゃないのー?」

 夜白も一応風俗店に所属している身である。そのようなことをしたら血で血を洗う抗争に発展しかねない。

「それだけ、天然カラーズの力が弱まっている、ということです」

 だからこそ。

「なので、近年増長しつつあるファンムードに一撃を加えた上で、落ち目の天然カラーズを立て直します」

「立て直す? 恩を売る、の間違いじゃ?」

 紫希は里美の表現に違和感を呈する。もしこれが三国志のようなゲームだったら、小国が弱っているところに肩入れするなど自殺行為だ。クリア目的は中国――ではなく、新歌舞伎町の統一、と紫希は捉えている。その上で、あえて天然カラーズの側に立つ理由は――

「内部から懐柔するつもりでしょ、天然カラーズ勢力を」

「……女のコたちを助けることには変わりません」

 否定なき肯定によって、里美の意図は明らかとなった。最終目的としては、天然カラーズの地盤を我々TRKが引き継ぎ、ファンムード・ライブネットと共に三者による街の統治――里美はちらりとプロデューサーの顔色を窺う。少なくとも、明るい色は見えない。だから、里美はここまで秘匿してきた。後戻りできないところへと彼の背中を押していくまで。

「当然、撮影内容は聞いております。だからこそ、ピンと来ました。先程、こっそり旅館内でスタッフと思われる方のお顔を拝見させていただいたので、間違いないでしょう。今回敢行されるタイトルは『メスブタ・ハンター』です」

「…………ッ」

 その単語を聞いただけで、プロデューサーは眉をひそめる。彼は、女のコを貶めるようなテーマを好まない。

「よく知んないけど、『ハンター』ってゲームっぽいねー」

 メスブタという修飾語を聞いてなお、紫希は興味津々だ。

「ゲームっぽい、というのは正鵠を射ております」

 それは、ゲーム形式の企画である。しかし、そのような題材はむしろライブネットの方が強いはずだ。それがファンムードから出ている、ということは、ゲームよりもその先――罰ゲームの方に重きが置かれている、ということを意味する。

「ルールは簡単で、一定時間女のコが逃げ切れれば女のコの勝ち、ハンターに捕まれば負け、ということです」

 この場合、負ければどうなるのか、想像に難くない。そして、参加するのは『本番禁止』の天然カラーズの女のコである。その意味は、ただの陵辱だけに留まらない。

「もちろん、販売中の作品も拝見させていただいております。迫真の表情だとは思っておりましたが……それは、ただの演技ではなかったようです」

 負ければ本来の事務所から追放されるだけでなく、イメージを毀損したとして多額の賠償金を請求されてしまう。そして、それをファンムードが肩代わりすることで撮影を拒めなくなり――すでに、何人もの女のコたちが苦しんでいる。

 そんなことを、プロデューサーには見逃すことはできない。しかし。

「ですが、どうやって……」

 司法権力の力を借りて撮影を阻止することは、新歌舞伎町の流儀に反する。出演している女のコに対して事前に接触しては、即事務所同士の問題になりかねない。萩名社長から一目置かれ、里美嬢を擁立しているとはいえ、ここで無様な醜態を見せれば、即座に見限られ、劇場ごと潰されてしまうことだろう。

 だからこそ、里美は最も危険な手段を選んだ。

「それは当然、天然カラーズに()()()()()()()女のコがすり替わる、ということですよ」

「……ッ!」

 これもまた、プロデューサーには許容できない。女のコたちを危険に晒すことなど。

 だが。

「おもしろそーっ! 紫希やるーっ!」

 逃げ切れる自信があるのか、捕まっても平気なのか、紫希の瞳に曇りはない。

「やるかどうかはギャラ次第ね」

「今回は、わたくしからの提案ですので、予算はこちらで担保いたします」

「なら問題ないわ」

 金さえ積めば、優はいつでも即断である。そして、朱美もまた。

「楽しくないイチャイチャなんて、許せないのーっ」

 彼女を含め、メンバーたちからは何やら熱に浮かされている雰囲気を感じる。だが、プロデューサーとして、今度ばかりは容認できない。

「皆さん、今回の件は自衛を超えています。ですから――」

 以前は、自分たちが直接名誉毀損の被害に遭っていた。しかし、今度は別事務所同士のトラブルである。天然カラーズの女のコたちが心配ではない――ということはない。だが、彼はTRKプロジェクトのプロデューサーである。なのに、最も近しい人を危険に晒して、部外者を救うというのも本末転倒ではなかろうか。

 それでも。

「ほっとくの? そんなこと、できないよね?」

「蒼泉さん……」

 歩は、彼の気質を最もよく理解している。

「やろう、オーナー。多分、ここで女のコたちを見捨てちゃったら、きっと、すごく後悔すると思うよ」

 中でも、最も強い意志を持っていたのは、意外なことに春奈だった。

「プロデューサーさん、もし、私に舞台に上がるだけの素質がなければ、助けてもらえなかったのでしょうか」

「そんなことは、絶対にありません……ッ!」

 これだけは断言できる。だからこそ。

「だよね」

 と、歩は続ける。

「後ろめたい気持ちを抱えたまま前に進むのって、きっと何かと苦しいから」

 どうやら歩は彼よりもっと長い未来を見据えていたようだ。目の前の平穏よりも、ずっと一緒に、胸を張って進んでいける道を目指して。

 そのために、どんなに汚れようとも。しとれは、店長に向けて微笑みかける。

「私たちには、帰る場所があるのですから」

 かつて、メイド☆スターとしての地位を失った自分を迎え入れてくれたのは、彼なのだから。

「……わかり……ました」

 何があっても、受け止めてくれる人がいる――それがプロデューサーとして彼女たちの期待に応える最大限の役目なのだと、彼もまた覚悟を決めることにした。

 

 なお、夜白は終始どっちでも良かったが、やる方向でまとまったので流れに従うことにした。

 

       ***

 

 最終確認として、件の動画を部屋で鑑賞するメンバーたち。最初はのどかな旅行のシーンから始まる。だが、出演者のひとりが部屋で男たちに言い寄られ――

「え? え? これに出てるのって、天然カラーズのコたちのはずじゃあ……?」

 まだハンティングが始まったわけでもないのに禁止事項に手を染めている。予想外の展開に、春奈は真っ赤になってしまった。一方、他のコたちはこの程度で狼狽えたりしない。当然、歩も。

「つまり、女のコの中にも裏切り者がいるってことだねー」

 何よりも、女のコの喘ぎが演技っぽい。このあたりの事情は制作側の里美がよく知っている。

「はい。スタッフさんたちとの間に立ち、信頼させる役割ですね」

 ハンティングのシーンは正味三〇分程度しかない。ビデオ作品としては尺が足りず、ヤラセのようなシーンも必要になる。それが、昨晩個室風呂で行われていた撮影なのだろう。

 そんな裏の事情も知らずに、女のコたちの旅程は穏やかに進んでいく。そして、森の中のヌード撮影の最中に――空気は一転した。

『え、え……ちょっとっ!』

『私たちの荷物!』

 それは、突然のこと。山奥での撮影中に起きた。全裸で撮影していた女優たちを残して、衣類を含めて私物を載せていた車両が現場を立ち去ってしまったのである。

 何が起きているのかと混乱する全裸の女優たち。回答の代わりに渡されたものは、ひとり一本ずつの腕時計だった。

 そして、監督と思われる男が高らかに宣言する。

『いまから、お前たちはメスブタだ』

 あまりの暴言に、女優たちも唖然とするしかない。だが、男は慣れているのだろう。女たちの反応を顧みず、一方的に説明を続けていく。

『あの車は一時間後、駅に到着する予定だ。人に戻りたければ、辿り着け』

 今回のロケ地はどこかの地方村で、車を使わないのであれば電車を待つしかない。一日に数本しか来ない過疎路線を。きっと、帰りはその電車を使う予定になっているのだろう。そこに最短距離で辿り着いたところで肝心の服も電車もない。むしろ、むしろ袋のネズミとなってしまう。

『はぁ? こちとら全裸なんだけど』

 女優のひとりが男に向けて牙を剥いた。当然だ。一時間も全裸で放り出された上、駅前で服を受け取る際も全裸である。誰にも見つからずにやり過ごせるはずがない。だが、男はそれも承知している。

『ブタが人間みたいなこと言ってんじゃねェよ』

 ここで、監督のわきにいたふたりの男たちも下半身を曝け出す。『本番禁止』の女のコたちに向けて。

『人に戻る前に捕まったブタは……』

 下半裸の男たちが、ひとりの女性めがけて襲いかかる……!

『ちょ、ちょっと、マジで!? やっ、やめ……ッ!!』

 本気で抵抗しているようにも見える。が、彼女はすでに昨日のシーンで致しているコだ。つまり、仕込みである。捕まったこうなる、というデモンストレーションのための。

 すぐ傍で本当に襲われ、冗談ではないと知った女のコたちは一目散に逃げ出した。しかし、全裸のまま警察沙汰になれば所属事務所にも迷惑がかかるし、何より、捕まらなければ禁止事項にも抵触しない。そう信じて、女のコたちは散り散りに逃げていく。

 ここからしばらく、グルだった女子の陵辱シーンが続いていた。その間、他の女のコたちの様子はわからない。きっと、時計を凝視しながらどこかに身を潜めているのだろう。街に人はいるが、素っ裸であるため助けを呼ぶこともできない。

 男たちはひとしきり満足したところで、別のターゲットを狩りにゆく。当然、狩られる方もそう簡単に捕まったりしない。だが、健闘むなしく、ひとり、またひとりと――

 ここまでノリノリで食いついていた紫希だったが、このあたりで急につまらなそうな顔に変わった。

「ねぇ、これ、メスブタチームが助かったこと、ある?」

「いえ、これまでの作品では必ず全員犯されております」

「だよねー。多分、腕時計にGPSでも仕込まれてるんじゃない?」

 実際のところ、捕まらないと絵にならない。ゆえに、出来レースということだ。

「つまんないっ!」

 紫希はごろんと背中から後ろに倒れ込む。

「下りますか?」

 今回の作戦は危険を伴う。里美としても強要はできない。だが、むしろ紫希は闘志を漲らせているようだ。

「そんなにヤりたいなら、全力でヤってあげよーか。あーいうちんぽは好みじゃないけど」

 そう言って、勢いよく起き上がる。

「Pちん、ウチであんなゲームやるときは、ズルはなしだからね」

「やりませんよ……」

 ともかく最後まで流れは確認したので、里美は前もって用意していた作戦を皆に伝えることにした。

「スタッフたちは同じ建物に宿泊しております。足取りを追うことは容易でしょう」

 どうやら、すでに相手の車両に取り付けるための発信機も用意しているらしい。

「女のコたちが逃げた後はずっと男性カメラでした。つまり、女のコ側に監視はない、ということです」

 もし、男たちが追い始めるまでの裸の女のコを撮影していたのなら、それを作品に収録しない理由はない。

「ですから、我々は逃走中の女のコが捕まる前にアクセスして、ウィッグとメイクで変装して、入れ替わります」

「ば、バレませんかね……?」

 春奈は少し及び腰だ。

「問題ないでしょう。相手は女のコを位置情報として識別しておりますし、人違いを疑うほど、街中で全裸になっている女性は多くありません」

 テレビによる鑑賞はここまでだ。続きは、里美のスマホの中に。

「参加している女優さんたちの情報はすでに取得済みです。この中で、最も体型が似通っている方にお願いしたいと思います」

 画面は小さいが、メンバーたちは寄り添って覗き込む。

「私の見立てでは、『シホ』……こちらの小さな方は春奈さま」

「ひぇっ!?」

 覚悟はしていたが、いざ白羽の矢が立つと緊張の色は隠せない。

「ねぇ、このおっきーコ、紫希がやろーか?」

 と指を差すのは『ミナミ』という女優。

「いえ、彼女についてはわたくしが……」

 発起人として、自ら前線に立つべきだと里美は思う。だが。

「んー、オッパイは似てるけど、背が足りなくない?」

 紫希と里美の間には一〇センチ以上の差がある。どちらに近いか、と問われれば、やはり紫希に軍配が上がりそうだ。

「……わかりました。お願いいたします」

 そして、最後のひとり『ナビキ』の代役は――

「歩さま、お願いできますでしょうか」

「……うん」

 神妙な面持ちで承る。これで当日のメンバーは決まった。あとは、綿密に作戦を詰めていくだけである。

 

       ***

 

 とはいえ、先ずはTRKとしての撮影である。プライベートビーチだけに留まらず、島の様々な場所で裸での撮影を許可してもらうことができた。南の島だけに大らかなのか、観光資源として切実なのか――それが、今回の『メスブタ・ハンター』のロケ地として選ばれた一因なのだろう。

 ただし、撮影許可がもらえるのはあくまで私有地のみ。公道まで巻き込んだあの撮影が警察に知られることとなれば――スタッフについては自業自得なので構わない。が、知らずに巻き込まれた女のコたちにとっては災難だった――で済まされない事情がある。いまは二十一世紀末、自己責任の時代。おそらく、誰にも助けてはもらえないだろう。

 だからこそ、自分たちが助けなくては――そんな大義名分など彼にはない。ただ、女のコを悲しませたくないだけだった。

 そして。

 滞在三日目――本来の旅程ならば、荷物をまとめて帰りの船に乗り込むだけのはず。だが、誰もがここからが本番、といった面持ちだ。

「撮影現場の位置も確認しております。あとは異変があり次第、女のコの身柄を保護すればよろしいかと」

 最も重要な役割――情報管制と天然カラーズたちの保護を担うバンには、プロデューサーと里美、代行役である歩・紫希・春奈の三人が同乗している。『メスブタ・ハンター』の前哨となるイメージビデオの撮影現場はここから数百メートル先の山中だ。発信機によって場所も確認している。とはいえ、プロデューサーたちには女のコの動向を探知することはできない。ゆえに、そこからゴールである船着き場に向かう際に通りそうな地点にはしとれ・優・夜白がそれぞれ控えていた。そして、肝心の船着き場には朱美が控えている。

 各所に配置したメンバーからの情報を待ちつつ、プロデューサーは緊張と不安の面持ちで待ち構えていた。しかし、最初からこれでは身が持たない。

 里美は軽く腕時計を見る。短針も長身も真上を差していた。

「……まだしばらく始まらないと思いますので、あまり気負いすぎませんよう」

「何故始まらない、と?」

 里美から穏やかに窘められるも、彼には根拠なく気を緩めることはできない。

「おそらく、船の出港時刻に合わせると思いますので」

 先の撮影でもそうだった。電車の到着に合わせて車がやってくるので、服を受け取ってすぐに電車に乗り込め、というルールである。実際は、全員陵辱された後、その場に放置されることとなったのだが。

「出港時刻が午後三時、ということは……」

「おそらく、女のコたちが逃げ出すのはその一時間前でしょう」

 そして、冒頭一〇分少々は仕込みの女のコとのプレイを存分に撮影し、残り時間で速やかに捕まえて犯す、という段取りか。あまり長時間全裸の女のコにうろつかせるわけにはいかない事情もあるが、何しろ、男側は女のコの位置が丸わかりなのである。手早くヤることを終えて、そのまま帰りの船でトンズラをキメるつもりなのだろう。

 そして、その予想通りに。

 午前二時が過ぎると、双眼鏡を構えていたプロデューサーの指にも力が入る。

 そこへ。

「……まさか……本当に……ッ!」

 兎一匹見逃さない勢いで凝視する中、その女性たちは現れた。様々なルートは考慮しつつ、被害者女性たちが通りうる中で最も可能性が高いのは、当然一直線に結んだ最短距離――本陣たるバンを停めていたのは、まさにそこを視認できる車道。そこに三人固まってやってきていた。

 しかし、アスファルトで行く手を遮られて、彼女たちは立ち止まる。ここまでは人のいない森だった。しかし、ここから先は舗装された公道であり、いつ車がやってくるかもわからない。大抵、このような場所で意見が別れてバラバラになり、後にひとりずつ捕らえられていく。

 せっかくまとまっているのだから、はぐれる前に接触しておくべきか。とはいえ、車で近づいては警戒されるし、スーツ姿の男が声をかけるなどもっての外である。

 ゆえに、女のコたちにとってはここからが戦いの始まりだ。

 彼女たちは、腕に抱えたコートを自分で羽織ることはない。それは、これから救出する人たちのためにある。

「そんじゃ、行ってくるねん」

 紫希の口調は軽いが、目が笑っていない。一糸まとわぬ女のコとは思えぬ、まさに狩人の瞳である。

「わわわ……私……頑張りますから……っ!」

 だから、無事に戻ってきたらいっぱい褒めてください……っ! 涙目になりながらも、確かに感じられる<スポットライト>――だからこそ、プロデューサーに彼女を止めることはできない。

「オーナー……絶対、無事に帰ってくるから」

 あの夜、未遂で終わってしまった続きの前に、他の男に犯されたくはない。ゆえに、強い決意をもって。

 三人はバンから降り立ち、駆け足で女のコたちの方へと向かっていく。全裸同士であれば、話を聞いてもらえるだろう。その間、里美は各地に連絡を入れていた。

 それから数分して。

「プロデューサー、女のコを保護したって聞いたけど」

 真っ先に戻ってきたのは、バンから最も近いところに配置されていた優だった。彼女たちの足はレンタサイクルである。帰りは船着き場に放置することになるので、バンと共に現地スタッフに返却してもらうよう依頼済みだ。ただし、そこまでは運ぶ必要があるので、女子三人分の空いたスペースに自転車一台を担ぎ込む。そして、状況の説明を。

「保護はこれからですが、渋長さんは沖道さんとの共同戦線をお願いします」

 基本的には少し離れて 二人一組(ツーマンセル)で行動する。囮役が襲われた時点で、撮影中の男をさらに撮影すれば、完全に強姦現場の実行犯である。彼らが安心して襲えるのは契約上の縛りがあると信じているからだ。今回は、そこを逆手に取る。優はこれから春奈と行動し、襲われている決定的瞬間を捕らえたところで優が悲鳴を上げ、その隙に春奈が離脱する、という段取りだ。ウィッグを取れば、別人――契約による脅しが利かない相手だということはすぐに理解するだろう。

 一方、別の場所で構えていたしとれには港の方へと向かってもらった。そこで、朱美と合流する。そこは名目上の集合地点であり、帰りの船が出る場所だ。ファンムードの関係者が控えている可能性が高い。ここまでは天然カラーズを取りこぼさないよう広域に網を張っていたが、確保したのなら朱美にこれ以上単独行動させる必要もない。もし、何かトラブルが起きても、いずれかが助けを呼ぶこともできる。

 あとは、現在こちらに向かっているであろう夜白を待つだけ。彼女は紫希と共に、里美は歩と共に行動することになっている。歩は三人から腕時計を受け取ってその場で待機。三人固まったまま行く先を決めかねている、と男たちに錯覚させるためだ。演出として、逃げた三人をそのままセットで、では絵にならない。こうしているうちは、男たちもやすやすとは動かないだろう。

 そして、紫希に牽引されて天然カラーズたちがバンまでやってくるはずだったのだが、しかし――?

「ありがとうございます! けど……もうひとりいるんです!」

 歩たちが届けたコートを羽織り、バンへと駆け込んでくる女のコは予定通りの三人組。彼女たちが叫んでいるもうひとりとは、おそらく最初に捕まった仕込み役のことだろう。

「言い難いことですが、あの方は……」

 歩たちが届けたコートのおかげで、被害者たちは肌の露出を抑えることができている。しかし、危うい格好であることには違いない。男であるプロデューサーは運転席から動くことなく、里美が彼女たちに対応している。だが、里美はそこでようやく違和感に気がついた。

「……はて、もうひとりこちらから使者をお送りしたはずなのですけれど」

 ここから女のコ対応は里美から紫希に交代し、里美自身は歩の現場を撮影に行く――それが事前に決められていた手順だったはずだ。しかし――それが紫希だけに、プロデューサーにも悪い予感しかしない。必要になるであろう連絡先をスマホに表示し、あとはワンタップで発信できる。

「ミ……ミナミの時計を受け取った方なら、自分から合流した方が早い、と森の中へ……」

「またあの人はッ!!」

 即座に発信。走行中のはずだが、夜白にもすぐに繋がった。

「すいません!  姫方(ひめかた)さんが独断でそちらに向かってしまい――」

 だが、夜白は紫希のことをよく知っている。

『あーはいはい。でも、紫希のことだからまっすぐ来ると思うんだよねー』

 まさに、その見立てのとおりだ。森林地帯を突っ切ってくるのであれば、レンタサイクルでは逆に走りづらい。

『てことで、あたしの自転車は合流地点に置いとくから、回収はお願いねー』

「……了解しました。もし、車道沿いで発見しましたら、こちらで補足しますので」

 体格が似ていたからといって、やはり紫希には荷が重かったかもしれない。ひとりのときに、何事もないことをプロデューサーは祈っていた。

 

 しかし、夜白が着いたときにはすでに時遅く――

 

「あちゃー……困るよー。そんな勢いよく抜かれたら」

 ふにゃふにゃになったところを懸命にしごいているが、男は精根尽き果てて指一本動かすことができない。頭にはカメラ付きのヘッドギアが付けられており、これによってまるで視聴者本人が襲っているかのような臨場感ある絵が撮れるのだろう。だが、いまのそれは頭上の木々を映すばかり。

「だって、このちんぽビンカンすぎんだもん。乳首もアヘアヘだったし。女子みたく」

「紫希の手にかかったらどんな男でも女子みたくなっちゃうんだから、もっと自重してくれなきゃ」

「えへへ、それほどでも~♪」

「褒めてないよ。今回についてはね」

 夜白が撮らなくてはならないのは強姦の現場だ。しかし、このままでは逆になりかねない。

「んー……しゃーないね。とりあえず、紫希が下になって、男かぶせたところ撮っとこか」

「ぐえー、この()()()、結構重いよ?」

 紫希は男のことを『ちんぽ』と呼ぶ。ゆえに、そこに巨根という意味はなく、単純に身体が重いというだけのことだ。

「文句言わないの。そもそも、紫希が勝手に突っ走ったのが悪いんだから」

 こんな感じではあったが、一応それっぽいシーンを撮ることはできた。

「やっ、ダメッ! いやああああああッ!! ……こんな感じでいい?」

 下からモゴモゴと突き上げるように動くことで、抵抗しているように振る舞いつつ、男も腰を振っているように見えなくもない。

「ホント、そういう演技だけは得意だよね」

 これには夜白も脱帽する。紫希にとって、男を悦ばせるための技術については得意分野だ。しかも、いずれも高次元で習得している。

「えへへ、それほどでも~♪」

「今回は……うん、褒め言葉として受け取っていいよ」

 とはいえ、これが強姦現場の証拠動画として成立するだろうか。それ以上のことは、プロデューサーに丸投げするつもりの夜白であった。

 

 一方その頃――

「ひっ、ひぇっ、ひえぇぇぇ……っ!」

 春奈のそれは迫真の演技ではない。本気で嫌がっている。襲っている男の方も、どこか本人と違う気がしていたが、まさかこんなところに別の女が全裸でウロウロしているとは知る由もない。男に抱かれるとキャラが変わるのだろうと納得して、細い足首を強引に掴み、股を開かせようとしている。

 その様子は、少し離れたところから優によってしっかりと撮影させてもらった。もう充分だろう。

 あとは、悲鳴を上げて注意を引きつけるだけ。だがしかし。

「あああ――ああ」

 思いの外、期待するような声が出ない。

「……そういえば、そんな悲鳴なんて上げたことなかったわね」

 元々優は演技が苦手だ。女なら誰もが普通にできることと高を括っていたが、いざやってみると案外難しいらしい。だが、このままでは春奈が本当に犯されてしまう。

 ならば、自分なりにやってみるしかない。カメラはカバンにしまい込み、男の背中の前まで歩み寄る。そして、堂々と一言。

「ちょっと貴方、女のコが嫌がってるじゃない」

 これには男の方も、少しは驚いたらしい。こんな森の中で誰かに声をかけられるなど思わなかった。しかし、このような状況も想定の範囲内である。

「いえいえ、これがこのコの趣味ですから」

 男は足首を掴んだまま振り向き答える。段取りにない展開なので、春奈はどうして良いのかわからない。助けてくださいと叫んでいいのか悪いのか。しかし、自分が逃げ出して優と男が一対一になってしまったら、今度は優が犯されてしまうかもしれない。

 そして肝心の優も、これ以上のことは考えていなかった。とはいえ、ここで『ハイそうですか』と踵を返すのは格好が悪すぎる。男も、睨まれたままでは続行できない。

 こうして、三者の動きが止まったとき――ガサガサ……と頭上の木々がざわめいた。

 そして。

 

 ドスン!

 

 突然のことに、春奈も優も目を丸くした。しかし、男だけは目を回していた。まさか、頭上から人が落ちてくるとは思いも寄らない。しかも、それは――

「お、女のコ……?」

 全身日焼けで黒く、頭髪が短いため一瞬男のコかとも思ったが、胸は春奈並に――優よりも大きく膨らんでおり――何より、その股間には男のモノが生えていない。それが、はっきりと視認できる。

「って……素っ裸……?」

 相方たる春奈も全裸なので、優にも人のことは言えない。だが、顔見知りではない。ターゲットでもない。まったく見知らぬ裸の第三者たる女のコが突然現れたのだ。そして、彼女は雄叫びを上げる。

「捕まえたゾーーーッ!」

 満足そうに男の上でガッツポーズをキメるとひょいと立ち上がった。

「よーし、次捕まえるゾッ!」

 そのまま、たーっと走っていく。その後姿を、優と春奈には見守ることしかできなかった。

 

 そして、歩は――

「いやっ、いや! やめ……てぇ……っ!」

 一先ず、犯されているところを撮らせないといけないため、地面に押し倒される形とはなった。だが、しかし……こんな男にこれ以上は……ッ! 丸出しにした男根を突きつけてくるが、歩は腰を捻ってそれを拒否。だが、これもよくある展開であるため、男側にも遠慮はない。

「大人しくしてろよ、このメスブタが……ッ!」

 女は二・三発殴れば大人しくなる――経験上、男はそれをよく知っている。ただし、その拳を当てることができれば。

 

 ガスンッ

「ぐあっ!?」

 

 真っ直ぐに振り下ろされた男の拳はそのまま地面に突き立てられた。右手で殴るには、左手一本で相手を拘束しなくてはならない。右手首だけは押さえつけられているが、そこ以外は比較的自由に動く。軌道さえ読めれば――歩自身にも不思議だったが、それをはっきりと認識できた。ならば、それを躱すことはそう難しくもない。

 だが、それが男の逆鱗に触れる。

「こ……いつ……ッ!」

 マウントを取っていることは変わらない。ならば、首を絞めて失神させて――

「ご、ぉ……ぅ……」

 今度は男の股間に歩の膝がめり込んでいる。襲うことばかりに気を取られ、襲われることに警戒が薄くなっていたらしい。

 身体を回して男の下から歩は脱出する。撮るものも撮ったし、あとは逃げるだけ。そのはずだったのだが――

「里美さん……?」

 彼女は逃げない。悲鳴も上げない。ただ、ズンズンと歩たちの方へと歩み寄ってくる。

 そして。

「ガ……ッ!?」

 男の側頭部にめり込む鋭いつま先。痛みに悶え苦しんでいた男は、今度こそ完全に気を失った。

「そ、そこまでしなくても……」

 全裸の歩は多少のことでは動じない。それでも、里美が孕む怒気は尋常ではなかった。

「なるほど、これがお芝居ではなく、本当のレイプ現場、というものなのですね」

 里美は現場視察という形で、このようなシーンを何度も見てきている。しかし、当然本物は初めてだった。その感想は――

「申し訳ありません。何とも……非常に胸糞が悪かったもので」

 やはり、強姦ネタは創作に限る。それが里美の出した結論だった。

 そこでふと、男の腰に巻かれていたポーチが開いていることに気づく。その中できらめいているものを、里美は目ざとく発見した。

「あらあら、手錠ですね。わざわざこんなものまで……おや、縄まで用意されているとは」

 よほどのサディストであり、徹底的に陵辱するつもりだったのだろう。しかし、里美の()()はこの男に匹敵する。

「ついでですから、殿方も撮影しておきましょうか。二度と、このようなことができないように」

「あ……あははー……」

 こんなことをしている場合ではないことはわかっている。だが、しなければ里美の怒りは収まりそうにない。だから、手短に済ますために歩も手伝う。男を全裸にひん剥き亀甲縛りに。他に如何わしい形のシリコン棒も入っていたので、ついでにそれも尻穴に突っ込んでおいた。

「……やはり、男ではどうも締まりませんわね。ああ、誰かわたくしを美しく縛り上げてくださいませんでしょうか……❤」

「それは……どうでしょう……?」

 歩には、里美がサドなのかマゾなのかわからない。だが、いまの顔を見てしまったら、どんな男も縄の手を緩めてしまうことだろう。

 

 少し手間取ってしまったが、里美からプロデューサーへ任務の完了が報告された。春奈と優もすでに乗車している。里美たちの位置情報を基にふたりを回収し、あとは紫希たちを残すだけなのだが――連絡がなければ、どのような状況になっているのかわからない。

「思いの外、苦戦しているのでしょうか……?」

 紫希と夜白が合流したところまでは確認している。その後、停滞と移動を繰り返し――すでに市街地は目の前だ。これ以上踏み込めば、警察に通報されるリスクが高くなる。だからといって、司令塔の方から連絡を試みれば、状況によっては紫希たちが窮地に陥ってしまう。せめて、郊外に向かってくれれば、車で迎えに行きやすいのだが――ここでようやく、夜白から連絡が入れられた。しかし、その内容にプロデューサーは焦りを禁じえない。

『あー、紫希がねー、このまま港に向かった方が早いからー、って』

「ですが、服は……ッ」

『あたしは着てるよー』

「姫方さんがです!」

 きっと、珍しいプレイの連続で、気持ちが昂ぶっているのだろう。紫希は全裸のまま現地集合と言い出した。電話口は、紫希の歌声も拾っている。夜白の撮影によっては、ビデオのワンシーンとして組み込めるかもしれない。

『うんうん、いいよいいよー。はい、そこでポーズー』

 夜白も悪ノリを始めてしまったのか、街中で堂々と紫希の撮影を始めているようだ。音声だけでは<スポットライト>を感じることはできない。だが、きっといい笑顔をしていることだろう。

 それに、何よりも。

「オーナー……ここから迎えに行くより先に着きそう……」

「……そのようですね」

 あまり遠回りをしていては港で待機している朱美たちとの合流が送れてしまう。

「わかりましたけれど……くれぐれも周囲に迷惑はかけませんように」

 この街は新歌舞伎町とは異なるものの、比較的大らかな雰囲気ではあった。あとは、彼女たちの無事を祈るしかない。

 そこに、再び連絡が飛んでくる。それが夜白ではないとすると――

『Pさん、緊急事態なのーっ! ()()()の女のコが……っ!』

 その緊急事態は、まったく想定外のものだった。

 

       ***

 

 島から本土に向かう船は一日に一本しかない。それが出港態勢に入っているのだから、さぞ港は混雑しているだろう――と思ったが、目立つ人影はあまりない。それもそのはず、外でたむろするくらいならば船内で待機していた方が良い。そしてそれは、彼らが保護した女のコたちにとっても。狭く密集した場所の方が助けを呼びやすいし、襲う方も逃げ場がなく危害を加えにくい。

 ゆえに、天然カラーズとTRKメンバーには先に乗船を済ませてもらうこととなった。プロデューサーは単身、問題の現場へと早足で向かっている。報告によると、どうやら駐車場に裸の女のコが到着していたらしい。この時間ともなると続々と車は集まってくる。そのため、身を隠せる死角も多い。おそらく、人目の隙を窺いつつ、ゴール地点を目指しているのだろう。制限時間は近い。出港間近となれば、きっと無理を押して飛び出してくるはず。彼はその道を拓いてあげるだけでいい。間違いなく、そこで関係者の誰かが妨害してくるだろうから。

 しかし――

「こ……れは……ッ!?」

 まさか、女のコではなく成人男性を発見することになろうとは。()()は、うつ伏せのまま車両と車両の間で昏倒している。おそらく、頭を強く打ったのだろう。だが、この特殊な髪型――ツーブロックの残りをエビのように編み込んだこの後頭部は見間違えようもない。初日の晩、個室風呂でカメラを担当していた男である。それが――何故――?

 そのとき――ギクリ、とプロデューサー自身にも悪寒が走る。まるで、獣に狙われているかのような鋭い視線。一瞬でも気を緩めれば、取って食われてしまいそうだ。

 報告にあった四人目の女のコのことは気になるが、先ずはこの場を離れた方がいい。ゆっくりと、周囲を窺いながらプロデューサーは少しずつ立ち位置を移していく。

 だが、そうのんびりもしていられなくなった。

「わーっ、わーっ、Pちんちーーーーーん!」

「ごめーん、やりすぎたー」

 駐車場を真っ直ぐに横断してくるのは紫希と夜白。それだけで、何に追われているのかわかる気がする。さっきの男については警察に任せればいい。それ以上は先方の責任だ。しかし、女のコだけはこちらで保護したい。

 ゆえに、プロデューサーは賭けに出た。その報告は、春奈と優から受けている。ばっと両腕を広げて、前方を威嚇するように。その分、背後への対応はしづらくなる。それを待っていたかのように――

 

 ――ボンッ!

 

 ボンネットの上で何かが跳ねる音。何が起きているのかはわからないが――背後の太陽に一瞬影が差したように感じた。

 来る――ッ!

 両足のスタンスは大きく前後に。前足を強く踏み込んだところで――

 

「捕まえたゾーーーーーッ!」

 

 無警戒であれば、そのまま地面に組み伏せられていたことだろう。先程倒れていた男のように。そして、彼は肩にまとわりつく柔らかさをよく知っている。船の中で、旅館の客室で、事あるごとに寄せられてきたものなのだから。まさか、これが四人目――? 状況はよくわからない。だが、船が発つまで時間がなく、紫希たちにもまた危機が迫っている。ゆえに、彼はただ走り出した。

「オ、オ、オッ、オオオオオッ!?」

 しがみつかれた耳元に、女のコの楽しげな声が木霊する。しかしいまは、この状況から離脱する他ない。

 

       ***

 

 こうして、四人の天然カラーズの女のコたちを救出することができた――と思っていたのだが――

「え……? メンバーではない……?」

 プロデューサーから問われたカラーズの女のコたちも顔を見合わせて首をかしげるばかり。

 帰りの船もまた、プロデューサーはひとり用の個室である。が、そこにメンバー全員に加えて天然カラーズを含む新規の四名まで押し込まれているため、とんでもない人口密度になってしまった。しかも、最後に確保したひとりは、まったくの無関係らしい。

 改めて謎の四人目に、プロデューサーは問いかける。

「あのー……貴女は、ヌード撮影に参加した方では……?」

「ン? ン?」

 謎の女のコはまるで野生の動物のようだ。軽くあぐらを組んで、キョロキョロと周囲を見回している。どうやら、この土地の人間らしい。強い日差しの中で、支配人と同じように肌は褐色に焼けている。髪はさっぱりとして短め。だが、櫛を通すという概念がないようで、バサバサと跳ね回っている。そんな野生児のような風貌ではあるのだが――意外といっては失礼かもしれないが、きちんと胸もあり、スタイルも良い。だからこそ、当初は天然カラーズの女のコだと疑わなかったほどだ。

 そして、春奈たちからの情報通りの全裸である。どうやら、服は陸地に置いてきてしまったらしい。

「誰か、このコにも服を――」

 とメンバーたちに声をかけたが――

「ヤだゾ! こっちのコも着てないゾ!」

 それはまるで猫のように。ぱっとプロデューサーの傍から飛び退き、ベッドに座っていた紫希の後ろにボスンと着地した。確かに、紫希は服を着ていない。だが、着なくて良い理由はない。

「では、姫方さんも……」

「ヤだゾ♪ こっちのコも着てないゾ♪」

 真似をして――謎の少女のように飛び跳ねることはできないが、椅子の方に座っていた歩に、回り込んで後ろからぎゅーっと抱きつく。

「あ……あははー……すいません」

 歩は服を着ていない方が何かと頼りになることが多い。この不測の事態に対して、全裸待機してもらっている。

 ということで、歩の方から確認を。

「えーと……春奈ちゃんたちを助けてくれた……んだよね?」

 車内で事の経緯は聞いている。襲われそうになったところを、謎の女のコが助けてくれた、と。

「オゥッ! 捕まえたゾッ!」

 両腕でグッと勝利のポーズを見せてくれる。

「うちに泊まってたお客さんが、裸で鬼ごっこしてたからナ。ランも混ぜさせてもらったゾ」

「うち……もしかして、ホテルくさなぎの……」

「オゥッ!」

 ここで、歩は気がついた。

「オーナー、もしかしたら私たち、思い違いをしてたのかも……」

「と、言いますと……?」

「支配人さんがゆってた『人前に出たがらない』って本当は『人前に出せない』ってことなんじゃ」

「……確かに、服を着ていないのであれば人前には出られないでしょうけれども」

 決して不審者を容認する、ということではなく、自分の娘に対して言葉を選んだだけだったのかもしれない。

 プロデューサーはまだ信じられないようだが、歩は決定的な根拠に気づいている。

「それにほら、このコ……()()()()()()()()……」

「……あー……」

 これには、プロデューサーも納得するしかない。この島の日差しで肌が焼けたのなら、服なり水着なりの部分が白く残るはずだ。にも関わらず、この少女は上から下まで万遍なくこんがりしている。日頃から全裸で生活しているのなら――人前になど出せるはずがない。

 ここで、女のコのお腹がクゥと鳴った。もしかすると、昼も食べずに飛び回っていたのかもしれない。

「ともかく、服を着てもらえないと食事にも行けないわけでして……」

 ここでようやく、裸の女のコも聞く耳を持つ。

「どうしても着なきゃダメカ?」

「少しだけお願いします。せめて、食堂に向かう間くらいは」

「……ションボリ」

 空腹の前に、彼女は折れた。渡したコートは、天然カラーズたちのために用意していたもの。いまではメンバーに服を借りているため、上着の方をこんがり少女に羽織らせてみた。これで、目のやり場に困ることはない。だが、しかし――

「……ッ」

 女のコは、ションボリしている。とてもとても、ションボリしている。それは、プロデューサーが直視できずに目を背けてしまうほどに。

「プロデューサー?」

 彼の様子は、優が心配して思わず声をかける。決して、コートが似合わないわけではない。だが――なんと悲しい目をするのだろう。そんなにも服を着たくないのか。どれだけ嫌かは、境目のない日焼け肌からも明らかなこと。ただ、コートを羽織ってもらっただけなのに――彼は、途方も無い罪悪感に苛まれていた。

 ゆえに、つい。

「……脱いでくださって結構です」

「オゥッ!」

 嬉しそうに女のコは脱皮するようにポンと脱ぐ。だが、決して<スポットライト>を感じているわけではない。むしろこれは、<逆スポットライト>――とでも呼ぶべきか。服を着せると、彼女の悲しみがひしひしと伝わってくる。

「貴女は……いつも裸なのですか?」

「オゥ! ラン、服キライ」

 そろそろ彼女の名前にも心当たりが出てきた。

「お名前は、クサナベ・ラン……でよろしいでしょうか」

「オゥ!」

 決して、人前に出せない少女――ゆえに、ずっと陽の当たらない裏方で。しかし、それでいいのだろうか。決して彼女は日陰を望んでいない。だからこそ、こうして表に出てきたのだから。

 このコを――開放してあげたい。彼には、その可能性を示すことができる。

「わかりました。が――」

 すくっと立ち上がったプロデューサーは、ランの方を見下ろす。

「クサナベさん、歌と踊りを練習に励んでいただけますか?」

 身体能力はこの目で見ている。少なくとも、振り付けの方はすぐに対応してもらえるだろう。

「店長……まさか……」

「ナンでだゾ?」

 しとれは察しがついたが、肝心のランが理解していない。

「裸で生活するためには必要なことです」

 決してステージの外で裸になって良いわけではない。が、裸になるのが仕事である。あの環境であれば、いまよりは暮らしやすくなるはずだ。

 ゆえに。

「オゥッ! 服着なくて済むなら、ラン、頑張るゾ!」

 とてもいい笑顔である。この笑顔を曇らせないためならば――

「では、交渉に行ってまいります」

「……ん、そだね。その方がいいかもしれない」

 歩も何となく感じていた。このコには、このコに相応しいステージがあるのではないか、と。

 

 電話越しにはなるが、これからが大変になるだろう。娘さんのことは自分に任せてほしいとお願いするのだから。

 これも、ある種の<スポットライト>と呼べるのかもしれない。女のコの魅力には色々あるのだな、とプロデューサーは認識を新たにしていた。

 しかし――

 ただ眩いだけではない光――彼はそれをどこかで見たことがあるような気がする。それはまるで、周囲の空間を歪めるような、吸い込むような、そんな不思議な感覚を――

 



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16話 桑空操

 何故、彼が部屋から出ることになったのか。元々そこは彼の場所であったはず。

 しかし。

 カラオケボックス一階奥――スタッフたちの休憩所のさらに向こう側――ここは、この店の事務を司る店長室である。複雑な事情があるとはいえ、一応、事実上の店長は彼に違いない。ただ、実質的なところで取り仕切っているのは副店長たる 丘薙(おかなぎ) 糸織(しおり)であるから――ということを彼が意識したというわけではない。彼はただ、音声通話の着信があったため、反射的に部屋を出た――それだけだった。彼にはいつも、自分が組織の最高責任者であるという自覚が薄い。

 残されたのは空のパイプ椅子と、事務机の主として着任している糸織、それと、部屋の隅に置かれた簡易ベッドに腰掛けた 里美(さとみ)だった。糸織はいつもTシャツとパンツのラフスタイルであり、この店の実権を握っているようには見えない。一方、里美はカラオケボックスのバイト制服であるレディーススーツだが、従業員というより、その雰囲気は最高責任者――出ていった彼を含めて、三者の外側と中身はことごとく食い違っている。

 それでも、彼女たちのプロジェクトの最高責任者は、名実ともにあのプロデューサーだ。その彼が離席しては話を進めるわけにもいかない。ゆえに、ふたりは黙り込み――聞き耳を立てている、というべきか。軽い営業電話ならすぐに済むことだろう。発信先が誰かはわからなかったが――彼の第一声で、その相手に察しがついた。

「お電話ありがとうございます。こちらからも()()()()の件ですぐにご連絡差し上げようと思っていたところでして――」

 あの三名――間違いなく、離島での件だ。ならば、ここでもちょうどそれについて話をしていたところである。ようやく、何か進展してくれそうだ。

 ここでふと――糸織は里美の佇まいを改めて眺める。布団を座席にしているところはカジュアルだが、背筋、手の置きどころから肘の角度、視線に至るまで――どうやら、良家の教育方針はどこも似たようなものらしい。それはまさに、かつての自分のようだ――と糸織は気不味そうに視線を逸らす。かつてはそれを打ち壊したくて、そのために実家を離れ、いまの自分を作り上げた。大きすぎる父に対して、その娘という立場――里美ならば、共感してくれることだろう、と糸織は思う。実際、 萩名(はぎな)家の令嬢もまた、自らの道を切り開くためにここまでやってきたのだから。

 糸織は里美に自分の素性について話していない。が、里美は当然のように察していた。なので、糸織が突然しとやかに語り始めても驚きはしなかっただろう。それでもいまは、TRKの一員として振る舞いたい。

「せやけど……()()はん、ちょいと処分厳しすぎやせんか」

 (てん)カ――天然カラーズは、新歌舞伎町の中でも比較的マイルドな風俗業を営んできたことで有名である。にも関わらず、キャストの規律についてはあまりにハードすぎるのではなかろうか。

「結局、未遂やったんやろ」

「一応は、ええ」

「ほんになぁ、相手が他所の傘下やったんも、騙されとったわけやし」

「それについては、少々誤解がありますね」

 ただし、誤解という意味ではわたくしにも落ち度はありましたが、と付け加えた上で。

「本来、事務所に所属している女のコは、別の事務所の作品に出演することは禁止されております」

「おいおい、そいつは話がちゃうねんで」

「厳密にいえば、ですけれど。同グループの傘下であれば“黙認”されている、というだけです」

 確かに、どの事務所がどの傘下か――その勢力図は頻繁に上書きされる。元締めの管理部門でもなければ、正確に把握している者はなかなかいない。

「……まあ、今回みたいな()()を防ぐためにも、ってか」

 親会社が変わればルールも変わる。今回の件は明らかに騙し討ちだが、女優側が勝手に勘違いしていた場合は擁護のしようもない。

「ゆえに、そこは<自己責任>、ということで」

 それがこの時代の鉄則である。

「ところで……ちょいと気になったんけど」

 厳密なルールを知りつつ――恩を売るはずが突っぱねられたのは、里美にとっても計算外だったはずだ。

「さっき、ちょいと漏らした“落ち度”って――」

 それは説明不足、という意味だけとは思えない。

「――っ、すいません、お静かに」

 どうやら、部屋の外で何か異変があったようだ。盗み聞きのようで気不味いが、相手が相手である。自分たちとの打ち合わせにも影響してくる可能性が高い。部屋の外で、彼の声にも苛立ちが混ざっているようにも聞こえる。

「いえ、ですから、何度も申し上げておりますように、()()はうちのメンバーではありませんので――」

 どうやら、何らかの無理難題を吹っかけられているようだ。先方の抱えているメンバーを保護したにも関わらず、該当三名については規約違反につき契約解除とする――それが事務所側の判断であり、泣きついてきた被害者との橋渡しを務めているのがTRKのプロデューサーだった。とはいえ、彼が言うとおり、彼女たちは自分たちのメンバーではない。できることは限られている。

「……わかりました。では、話だけ通してみますので……はい、改めて」

 こうして、プロデューサーと天然カラーズの交渉は一時休戦となった。あまり穏やかな雰囲気ではなく、事実上の決裂かもしれない。ゆえに、部屋に戻ってきた彼に対して――なんや、白旗か? ――そんな軽口を糸織は飲み込む。目の前で困っている女のコを見捨てることほど、彼にとって辛いことはないのだから。なので、言葉に詰まった糸織の代わりに里美が尋ねる。

「プロデューサーさま、どうやら天然カラーズさまからのお電話のようでしたけれど」

「はい」

 短く答えて、彼は黙り込む。どうやら、様々なやり取りがあったらしい。それを、ふたりにどう伝えたものか――迷った末に、一言で表す。

「少なからず、難しい条件を提示されてしまいまして」

 そしてそれは、話せば長くなるのか、それとも、話しづらいことなのか。ゆえに、里美は先に断ずる。

「わたくしのことでしたら、お気遣いなさいませんように」

 萩名令嬢は自分の意思でここへ来た。そして、このプロジェクトと共に新歌舞伎町の一角を担う――そのためならば、我が身の犠牲も厭わない。里美は、父とは決別したものの、未だ多大な権力を有している。交渉材料に使われても不思議はない。

 しかし、今回は別の条件だった。

「いえ、実は――」

 そこに、ノックの音が響く。彼の知る限り、入室前に扉を敲くメンバーはほとんどいない。だが、扉を開いたのは、まったく予想外の人物だった。

「お疲れ。来週のミニライブの件で相談があるんだけど」

 ミニライブ――カラオケボックス最上階は小規模な舞台となっており、ちょっとしたライブイベントのようなものが行われる。その常連にもなっているのが、この――

「これは……ちょうどいいところに。いえ、ある意味悪い、とも言えますが」

「どっちよ。歯切れ悪いわね」

 言葉に悩むプロデューサーに対してはっきり言い放つのは――ミディアムボブの内向き髪――キリリと整った眉に力強く鋭い視線――その装いはビジネススーツだが、それは彼女の表向きの姿。一度ステージ衣装に着替えれば、ゆく先々で人々を熱狂させる実力は本物であり、それは全裸の(あゆむ)と即興で合わせられるほど――

 彼女の名は 憐夜(れんや)(のぞみ)――自由を求め、決して表舞台にデビューすることのないライブアイドルである。

 

       ***

 

 この時代、人々はすべての不浄をこの地に押し込めようとした。そのため、不浄を成すのに必要なものは、一通り新歌舞伎町に揃っている。人から物、そして箱まで。ロビーとなっている一階から上――その一階さえも撮影に使われることもあるが――二階から八階に至るまで、コンビニ、教室、果ては電車の座席を模した部屋まで――あらゆるシチュエーションを実現するこのスタジオは、まさにその象徴といえるかもしれない。

 天然カラーズから電話があった三日後のこと――前のミーティングが早く終わったから――希に言われるがまま、予定時刻より三十分も早く彼らはそこへ向かっている。天然カラーズ社長・ 相馬(そうま) 智之(ともゆき)との交渉のために。相馬社長は直前までアイドルの撮影に同伴しているという。その様子を見てみたい、というのが希の弁だ。

 ゆえに、抜き打ちのように。先方には事前通達することなく建物三階へ向けてエレベーターに乗り込む。その間、ゴンドラ内には不穏な空気が漂っていた。

「……あくまで交渉の席に乗ってあげるだけだからね」

「わかっとる。皆まで言うな」

 糸織が苛立っているのは希に対してか、それとも、何かと女子に弱いプロデューサーに対してか。

 希はTRKのメンバーではない。が、歩の実力には一目置いており、部外者ながら何かと協力している。その縁もあり、カラオケボックスのミニライブ会場を度々利用していた。来週も一件予定していたが、仕事の都合で――希のスーツ姿は伊達ではない。別に本業を持っており、今日もその帰りだという――次のイベント開催が難しくなってきたため、代わりに自分の知り合いのバンドに舞台を使わせてほしい、との交渉を希は持ちかけてきたのである。

 これに対してTRK側から依頼したのが、今回の天然カラーズとの打ち合わせだった。交渉の場には、希にもついてきてほしい、と。それは、天然カラーズ側からの条件をそのまま横流しした形である。

 希は、TRKに肩入れしていることを隠していない。あの、どこにも属さない一匹狼が、である。その噂は各芸能事務所にも知られており――最初に天然カラーズ側が要求してきたのは、憐夜希の加入――さすがに、部外者に対する決定権はないので、交渉の場を設けるだけ――こうして、南の島で保護した天然カラーズのメンバーたちの事務所復帰の約束を取り付けたのである。

 だが、その結果として出てくるのが相馬社長本人なのだから、先方の熱の入れ方は尋常ではない。今日の日程も希に最大限譲歩した形だ。ゆえに、勝手に撮影現場を覗き見しようと、多少の非礼は大目に見てもらえるだろう。何よりそれ以前に、プロデューサーは性格的な都合で、女のコに対して強く諌めることはできない。

 結局、希に引きずられる形で、彼らは三階ロビーに降り立った。閉ざされたその扉の奥にはファーストフードの客席が広がっている。だが、用があるのはあくまでこちら側。エレベーターホールの隅に設けられている四人席の打ち合わせ用テーブルセットの方である。そこで大人しくしていてくれれば――と彼は願うが、希の要望は現地視察だ。

 とはいえ。

 希だけは許されたとしても、そのはしご役まで許されるものではない。ゆえに同伴することなく、プロデューサー自身は先に椅子の方に着席する。そして、このようなとき、率先して悪ノリしたがる糸織であったが、珍しくプロデューサーの隣に腰を下ろした。そして、速やかにカバンからノート端末を取り出す。早くも仕事の態勢だ。

 その様子が意外だったからか、つい糸織の方を見つめてしまったらしい。それに気づいた糸織は、少し微笑んで優美に応える。

「いまの()は、プロデューサーの秘書ですので」

 元々、糸織は秘書に向いた性格をしていない。むしろ、秘書をつけて取り仕切る側の人間である。実際、これまでは――そもそも、カラオケボックスの運営も任せているため、秘書役は他のメンバー間で回していた。それが、乗りかかった船だからか――今回に限り、彼女がこの役を買って出たのである。

 社長本人が出てくるとあっては、事前に対策を講じておかなくてはならない。ふたりきりのカラオケボックス事務室――色気のない話題だったとしても、糸織はそれなりに充実していた。それを唐突に、希の都合で切り上げられたのである。糸織の不満はそこにあった。ゆえに、あてつけのように。(あんさん)と違って、ウチは真面目に仕事しとるんで、と言いたげに。

 だとしても、希がそのようなことを気にかける必要はない。いつだって彼女は、自分のやりたいようにやる。外面は良くても、身内に対しては罵声を浴びせる上長など腐るほど見てきた。断る理由を求めて希は扉を開く。すると、そのとき――

 

 ――ゾワッ。

 

 心配そうに希の背中を見守っていた彼は、突如全身に鳥肌が立つような感覚に襲われた。それは、彼女が持つアイドルとしての素質――<スポットライト>――だが、彼女が放つのは、歩たちのように眩い光ではない。空間を捻じ曲げ、周囲の人々を吸い込んでしまうような――その正体は得体が知れない。だが、あえてそれをステージ上で解き放ってみたい。同時に、本当に解き放って良いのだろうか、という不安もある。

 スタジオを覗き込んだ希が何を見たのか。それは――

 残念ながら撮影自体はとっくに終わっていたらしい。室内にいたのは担当アイドルと、社長だけ。窓を眺めるようにカウンター席に座っていた社長の上に、男の襟首を抱きしめて跨るアイドル――

 女同士で目が合った。ゆえに、希は静かに戸を閉める。そして、振り向いた彼女は薄ら笑いを浮かべていた。かつて、路上ライブで魅せたものより圧倒的に強大な<スポットライト>を漲らせて。だからこそ、ロビー側で待っていたプロデューサーには彼女が何を見たのか想像もできない。ただ、社長との交渉の結果は()()()()()()()()になるのでは――それだけを予感していた。

 そして、すぐに彼らは現れる。

「いやー……、お待たせしてしまってすいません」

 凛々しい眉に、少し垂れ気味の優しい瞳。年齢は若く見えるが――彼は 萩名(はぎな) 兵哉(ひょうや)らと並んで新歌舞伎町を立ち上げた英傑のひとりである。ゆえにおそらく、四十代後半といったところだろう。オールバックの頭髪にしっかりした高級スーツ――それが少し着崩れている理由は、当事者と希だけが知っている。相馬智之――天然カラーズを治める社長、本人だ。

 その隣で、少しむくれている女のコがひとり。彼女がさっきまで撮影していたアイドルである。ファーストフードの室内とはいえ店員ではなく、客としての設定だったようだ。小柄で、高校のブレザーを着込み――それは決して衣装ではない。リアルな等身大を撮影するため、普段の装いで――リアルだからこそ、ふたりの距離の近さには犯罪的な雰囲気が感じられる。

「……今日は、このあと空いてるって言ってたのに……」

「ごめんごめん、急な用事が入っちゃったからね」

 そう言って、希の方にちらりと視線を送る。それが気に入らなかったのか、天然カラーズの女のコは――すっと背伸びして、男の頬に唇を付けた。

「私、事務所に戻ってる。終わったら迎えに来てね」

「けど、長くなるかも――」

「待ってるから」

 一方的に強く告げると、一階へ戻されたエレベーターを待つことなく、女のコは階段の方で下りていった。希と共にこの場に居づらかったのだろう。あからさまな敵対姿勢であるが、希の方はまんざらでもなさそうだ。しかし、プロデューサーにはどうしても気になることがある。

「申し訳ありません。ところで、先程の方は……」

「ああ、御堂カナ、という現在当社でイチオシのキャストです」

 もしかすると恋人なのかもしれない、と思って尋ねたが、そういうことでもないらしい。彼はTRKのプロデューサーとしてメンバー全員に対して平等に接するよう心がけてきた。が、天然カラーズではあえて差別化することで競争意識を高めようとしているのかもしれない。奇しくも、天然カラーズの内情を希に垣間見せることができた。それをどう受け取るかは本人次第である。

 さて。

 二対二で向き合う席配置であったが、希が社長の隣に座ることはない。広間の方へと一脚引っ張り出し、自らお誕生日席を作り出した。すると、社長の視線は対面ではなく真横へ。あまりに露骨ではあるが、眼中にないのならばそれでいい、とプロデューサーは思う。粛々と自身の要求を確認するだけだ。

「それでは、ミナミさん、シホさん、ナビキさんの件については、お約束どおりに」

「ああ、はい。構いませんよ。事務所残留といたします」

 相馬社長の言い草はあっさりしているというより投げやりにも感じられる。やはり、目当ては希ひとりなのだろう。ならば、早々に退席させていただきたい。彼はそう考えていたのだが――

「ついでと言ってはナンですけれど……貴殿には別件でご相談したいことがありまして」

「それは、私にも用件がある、と?」

 彼にとってこれは意外だった。

 相馬社長はどこから話すべきか、と呟いたのち。

「かつて起きた『歌舞伎町クライシス』については……ご存知ですよね」

「それはもう、重々に」

 半世紀ほど前の話になる。子供を性犯罪から守るため、と称して歌舞伎町を中心に風俗産業が一掃されたことがある。その結果、表向きは綺麗になった。しかし、正確には穢らわしいものに蓋をしただけであり――女性を求める男と、金を求める女による利害の一致――そんな違法行為を管轄するのは違法な組織――年齢に関わらず厳罰に処されるのなら、法を破るのにも年齢を問わない。摘発してみれば、手を染めていたのは規制していた頃より低年齢層――そんなケースが相続いたところで、現実的な法による管理が求められた。その先陣を切っていたのが、ライブネットの萩名兵哉、ムードファンの 周防原(すおうばら) 明夫(あきお)、そして、天然カラーズのこの男、相馬智之である。

 彼らの働きによって様々な規制は撤廃され、歌舞伎町は“新”歌舞伎町として蘇った。しかし、相馬にとって、ここはさして重要な場所ではないらしい。

「当時の私は『ブラウンキャップ』の一部門におりました」

 それは、アイドル事業を営んでいる芸能事務所である。当時、浄化運動の煽りを受けて水着グラビアを封殺されただけに留まらず、女のコを被写体にすること自体が女性軽視による性の搾取である、と活動家たちによるバッシングを受け続けていた。このままでは経営が成り立たない――そこで、上層部は相馬にひとつの使命を下した。

「今度設立予定のお色気部門……もし世論を動かし実現することができたら、その部署は私に任せる、とね」

 とはいえ、彼ひとりにすべてを任せるのではない。すでに萩名・周防原の両名が活動していることは知られていた。彼らと合流し、一気に盛り返そう、という計画である。当然ながら、ブラウンキャップに所属する女のコたちは自分が性的に搾取されているなどとは微塵も考えていない。反対運動に本職のアイドルが加わったことで――彼女たちは職業柄宣伝能力に長けている。最初からそれに期待して、周防原側から協力を持ちかけられたようだ。

 こうして、新歌舞伎町としての復活と共にブラウンキャップ傘下のお色気担当『天然カラーズ』は設立され――ただし、本家と差別化するために分社化され、本番行為を除くヌード撮影などは行っている。

 とはいえ。

「天然カラーズの社長となったいま……私の目的は自社の繁栄であり、法の正常化ではないのです」

 当時はやむにやまれず矢面に立った。しかし、それは彼の本懐ではない。

「……これは内部情報となるので私の口からは申し上げられませんが……」

 と断った上で。

「新歌舞伎町内での弊社の勢力を、どう見ます?」

「そ、それは……」

 面と向かっては答えにくい質問。だが、希に遠慮はない。

「あんまやる気ないわね。撤退も視野に入れてるとしか」

 これについてはプロデューサーだけでなく、糸織も同じ見解だった。救出した三人のうち、ミナミとナビキは、去年までブランドを代表して活躍していた人気キャストである。ただし、ヌードアーティストとして。そのふたりをいとも簡単に切り捨てようとしていたのだから――間違いなく、事業としての方向転換を目指している。

 そして、希にも合点がいった。

「で、表舞台への足がかりに、ワタシを使いたいってわけ?」

 そもそも、希は脱ぐ仕事をしていない。天然カラーズに勧誘されたところで水着程度ではブランドのファンたちの期待に応えることはできないだろう。だから、彼女はいまでなく、見据えているその先のために。

 これを受けて、相馬社長は何も言わずに微笑んだ。どうやら正解らしい。

「見たところ、御社も弊社と同じ方針で運営していると思われます」

 あくまで、ストリップとして裸を披露するだけ――性の街にありながら一線を保ち、表舞台を目指している事務所同士――だが、現在積極的な表舞台への進出は考えておらず、その一線を頑なに堅守するつもりもない。もし、本番行為によって輝く女のコがいるのなら、それもまた検討するつもりだ。――実際、何人か心当たりもある。

 それはさておき。

 彼は相馬社長から求められた同意を沈黙によってやりすごした。異議がないようなので、先方はそのまま話を進める。

「そこで、提案なのですが……」

 内容によっては断らざるを得ないだろう。そう覚悟してプロデューサーは臨んでいたが、それは、事業提携とは程遠いものだった。

「周防原……ファンムード系列の暴走を止めていただけませんでしょうか」

「つまり、我々に監視役になれ、と?」

 相馬社長は(かぶり)を振って、その解釈を一蹴する。

「彼らは、その行動原理からして人としての良心を逸脱している……そうは思いませんか?」

 確かにファンムード系列の撮影は、女のコを騙すことさえ厭わない。おそらく、彼らが供給したい作品を撮るためには必要なことなのだろう。それ自体は許されることではない。だが――互いに合意の上でなら問題ない、と彼は考える。その結果、合意を取っていては期待する供給を満たせなかったため、いまの暴挙はあるのだが。

 しかし、ここでの問題はそこにない。重要なのは、ファンムードの行動原理――価値観そのものの否定――それはつまり、かつて『歌舞伎町クライシス』を起こした元凶でもある。

「ま……さか……」

 しかし、社長にその意識はないらしい。

「何を驚かれているのです。てっきり、意図的に動いているものかと」

 プロデューサーに、そのつもりはなかった。ただ、女のコを脅かしていたのが、どれもファンムード系列だった、というだけのこと。しかし、相馬社長にはそう映らなかったようだ。

「御社が弊社の代わりに街の規律を正してくださるのであれば……我々がこの街に固執することはありません」

「それはつまり――」

「ファンムードの活動を無力化させていただければ、新歌舞伎町における弊社の地盤を、すべて御社にお譲りしましょう」

 そして、天然カラーズは新天地に向けて旅立っていく、ということだ。

「弊社のキャストには、この街に残るか、次の舞台を目指すか確認しますが……残ったキャストたちについては、お願いできますでしょうか」

 確かに、ファンムードの行き過ぎた制作方針は是正しなくてはならない。しかし、その結果として彼らが沈黙し、天然カラーズさえも身を引けば、その後に残るのはライブネットの一騎打ちである。それは、萩名里美嬢のお父上と正面から争うことに他ならない。

「わ、わかりました……が、一旦持ち帰らせて――」

「即決しなさい」

「丘薙さん!?」

 このような交渉事は糸織にとって得意分野である。ゆえに、ここで退いてはならないと空気で感じた。だからこそ、歌い手としての関西弁ではなく、経営者の娘の顔で。

「ここで尻込みするような決断力では、この街で戦ってゆけません」

「ですが……」

「里美嬢のことを考えているのですね」

 この男は甘い、と糸織は思う。だからこそ、放っておけない。

「だとしたら、逆に失礼ですよ」

「……ッ!?」

「彼女とて、その程度の覚悟で袂を分けたのではないでしょう?」

 ここで、彼女の言葉を思い出す。『わたくしのことでしたら、お気遣いなさりませんように』――里美自身、すでに覚悟していたのだろう。天然カラーズの撤退方針を感じ取り、その結果が訪れるこの状況を。

 ならばプロデューサーとして、ここでこれ以上無様な姿を晒すわけにはいかない。

「……わかりました。その話、お請けします」

 それは、彼にとってこれまでにない決意だった。相馬社長の考え方に対して全面的に賛同できるわけではない。だが、ムードファンの横暴は見逃せないし、それを制するためには力がいる。そのために、萩名社長と争うことになろうとも――ッ!

 だが、相馬社長の反応は淡白だった。

「ありがとうございます」

 やはり、去る者にとって新歌舞伎町の勢力図はあまり関心がないらしい。ゆえに、重要なのはどうやって風呂敷を畳むかだけ。

「それでは先ず手始めに、一件お願いしたいことがあります」

 早速ファンムードに対して牽制攻撃を加えたいようだ。これに、プロデューサーは鼻白む。だが、これまでのやり取りで相馬社長は、どうすれば相手を乗せられるか何となく察していた。

「これには我が社の系列のキャストたちも被害に遭っておりまして」

「は、はぁ……では、先ずはお話だけでも」

 他社のキャストの問題に首を突っ込み、そのためにこうして憐夜希まで連れてきてくれたのである。よほどのお節介焼きなのだろう、という相馬氏の予想はあながち間違っていなかった。

 ひとまず聞く耳は持っているようなので、社長はカバンからノート端末を取り出す。そして、予め用意していた画面を開いて三人に向けた。

「こちら、いわゆる出会い系の掲示板でして」

 それはかつて歩と組んでもらうためのメンバーを探していた頃に見たことがある。だが、このような投稿は初めてだ。

『今度の日曜日の深夜、六本木の街でストリーキングを行います』――ッ!?

「目隠し線は入っておりますが……間違いないでしょう。……『ハニートラップ』という弊社傘下の一ブランドの製品のパッケージですから」

 確かに、プロフの顔写真は背景からしても一般人による自撮りには見えない。

「キャストにはただの撮影だと伝えておきながら、実際にはこうして部外者のギャラリーを集めているのです。そして、間違いなく、その中に男優スタッフが多数潜入しており――」

 見世物のような形で陵辱される――それが、ヤツらのやり口だ。

「過去、二度ほど行われておりまして、今回も同じ文面であることから間違いないでしょう」

 ここで、希は当然の疑問で口を挟む。

「わかってるなら先に止めればいいでしょうに」

 しかし、相馬社長はもちろん、プロデューサーもその事情は何となくわかっていた。

「もちろん、本人にも警告しております。他事務所への出演は禁止している、と。しかし、本人はそんなことしていない、の一点張りで……」

 プロデューサーは『メスブタ・ハンター』の件で重々承知している。彼らは、女のコの弱みを握って支配するのだと。

「弊社としましては、所属キャストが警察沙汰という事態は絶対に避けたいところでして」

 社長の表情は穏やかだ。しかし、それと相対する糸織たちは――特にプロデューサーは女のコたちを預かる立場として、相馬社長に不穏なものを感じていた。きっとここで断れば、一方的な理由でそのコとの契約を解除してしまうことだろう。

 だからこそ。

「了解しました。ただし、ひとつ条件があります」

「何なりと」

「彼女の、()()()()()()()()については目をつぶっていただけますでしょうか」

 それはつまり、力及ばず彼女が犯されてしまった場合は――本番行為禁止については堂々と受け止める、ということ。そこには自分たちが必ず救い出す、という強い意志が込められている。

 だからこそ、希は気に入った。

「いいじゃない。ワタシ、本当はすぐにでも帰るつもりだったのだけど……気が変わったわ」

 それがブラフかどうかはわからない。だが、これが交渉というものだ。

「その条件を飲んでくれれば、ワタシの天然カラーズ入り、このあと話に乗ってあげる。最大限、前向きにね」

 それでも、この場で確約しないのが希らしいというべきか。相馬社長としては、解雇寸前のキャストひとりより、希の方が遥かに大きい。

「いいでしょう。交渉成立、ということで」

 これで、あとはこの被害者を助けるだけとなった。しかし、相馬社長にとってそれは瑣末事にすぎない。

「……では、憐夜希さんにはこのまま……よろしいでしょうか?」

「ええ、いいわよ」

 ふたりからニコリと微笑まれて、彼と糸織は退室を余儀なくされた。少なくとも、TRKとしてここでこれ以上なさねばならないことは何もない。

 

       ***

 

 ストリーキングの情報は掲示板の方に細かく記載してあった。深夜一時、ゲートパーク駐車場に裸で行くので、皆さん私の恥ずかしいところをいっぱい見てください――とのこと。しかし、その後のルートについては書かれていない。だが、本命と思わしきポイントは見当がつく。人目のある場所で集団陵辱などできるはずがない。ならば――街外れにある広い公園か。そこを仮のゴールとして、駐車場から至る道程をプロデューサーの車両で押さえておくことにした。

 さて。

 今回は離島での一件とは事情が異なる。先ず、この街には個人的に撮影を許可できるような広い敷地はない。主に公道をロケ地と定めており、完全に違法である。ゆえに、撮影を妨害したからといってその場で揉め事に発展することはない。直接手を下すことをしなければ。一方で、警察を介入させて止めるような手段は、新歌舞伎町の人間として禁じ手である。ならば――

「皆さん、今回の目的は間接的な撮影の妨害ですので……」

「あははー……これだけ裸の女のコがいっぱいいたら、色々台無しだもんねぇ」

 いまは土曜日の午後十一時半――そろそろ、この六本木の街には下心に満ちたマニアックな男たちが詰めかけているはずだ。そのギャラリーに視姦させることで、作品として完成する。ゆえに、予定外の女のコが出現し、男たちが分散してしまえばいい絵を撮ることができない。人が減れば、陵辱用のスタッフを紛れ込ませることも難しくなる。あとは、女のコの方に他社で撮影している証拠を突きつけ、もうこのようなことをしないよう諌めるだけだ。今回だけは特別にお目溢しをもらえる、として。

 今回はメンバーを厳選しているため、バンを借りることなくいつもの送迎用車両でやって来ている。厳選しなくてはならない理由としては――

「はいっ! 今回のトレーニングはお巡りさんから逃げ切ればいいのですね! 人生、日々特訓、です!」

 毒をもって毒を制す――自分たちも法に触れるため、顔を隠してのストリーキングである。ならば、と真っ先に白羽の矢が立てられたのが 晴恵(はるえ)だった。首から下は全裸だが、いつものウサギのマスクを着用している。彼女の体力ならば、警官も振り切ることもできるはずだ。

 それと――撮影現場に直接干渉するわけにはいかないが、その状況は把握しておきたい。付かず離れず、何かあれば連絡する――この難しいポジションは歩が担当することになった。かつて、別のファンムード傘下の事務所を押さえた際に、全裸で活躍した実績を買ってのことである。着衣すると途端に動きの鈍る歩ではあるが、眼鏡やヘッドセット等はステージでも着けていたこともあり、このウーパールーパーのマスクをかぶっても大丈夫であることは確認している。

 そして、陵辱現場の本命であり、最も危険が伴う公園に張り込むのは――

「オゥッ! ラン、そこらのオスに捕まったりしなイ」

 離島でメンバーに加わった 草那辺(くさなべ)(らん)――その驚異的な身体能力はプロデューサー自身、その身をもって味わっているし、夜目が利くことも歩が確認している。万が一誰かに見つかってもそう簡単に捕まることはないだろうし、全裸のまま駆け回ってくれれば、それだけで撮影を止めることができる。ライオンのマスクは、褐色肌も手伝って、むしろ捕食する側の様相だ。

 なお、()()()()()参戦予定なのだが、彼女は直接()()から配置場所に向かうことになっている。土地勘もあるため、作戦についても彼女が立案したようなものだ。加えて、自分なら抜け道やら隠れ場所をいくらでも知っている、と晴恵と共に陽動役として参加する。配置に着き次第、連絡をくれるはずだ。

「それでは、これから各々の担当場所までお送りいたしますが……くれぐれも、無理はなさらないよう」

 はいっ、という威勢のよい返事ふたつにオウッ、という楽しげな掛け声が混ざる。車でひとり、またひとりと送り届け――とうとう車内は彼だけとなった。

 時刻は〇時。どうやらあと三十分で終電がなくなるらしく、撮影は人通りがなくなった頃に敢行されるらしい。

 とにもかくにも、彼は女のコたちの無事を願う。TRKのメンバーだけでなく、天然カラーズのキャストに対しても。そこに、コンコンと扉を敲く音が聞こえてきた。窓の方を振り向いてみると――

「な……っ、何故、丘薙さんがここに!?」

 それも、一糸まとわぬ姿にて――! しかも、身元を隠すためのマスクさえしていない。このままにしておくことなどできないので、プロデューサーは大慌てで助手席側の鍵を開けた。

「よーっす、お疲れさん」

「お疲れ……ではありませんよ! 決行まで脱ぐ必要はないでしょう!」

 糸織は晴恵と共に、少し離れた場所で歩からの情報によって適宜動く予定である。ここからはそう離れていないが、それでも道のりは短くない。

 だが、糸織は彼の想像を遥かに上回っていた。

「……服は家に置いてきた。この戦いにはついてこれないだろうからなっ」

 ニヤリと笑ってプロデューサーを見る。これには彼も絶句するしかない。

「もし、誰かに見つかったらどうするのです。ご近所様と顔を合わせたら生活もしにくくなるでしょう」

 六本木住みの糸織にとって、ここはまさに地元のはず。それを危惧して、彼は一度糸織を今回の人選から外していた。が、それを突っぱねたのは他でもない糸織自身である。

「せやから、大丈夫ゆーたやろ」

 それを証明するために、あえて全裸で来たのだった。

 しかし、ここで急に糸織はキャラを変える。

「私のこと、信頼していただこうと思いまして」

「!?」

 実家にいた頃のお嬢様口調――いつも唐突に切り替えるので、プロデューサーは対応できずに面食らう。その様子を見るのが糸織は大好きだった。が、今夜の彼女はからかいに来たわけではない。彼を通して、自分自身を見つめるためにここにいる。

「信頼してくださいますか? 私があなたのことを信頼している、と。信頼しているからこそ、このようなことができるのだと」

 少し重い雰囲気になったことを察して、糸織は再びキャラを戻した。

「なーんてなっ。ちょいとウチらしくなかったかいな。せやけど――」

 再び、伏し目がちになり。

「選んでください。貴女に必要な『丘薙糸織』はどちらでしょうか」

 糸織はこれまで何度か名前を変え、キャラを変え、自分自身を取り繕ってきている。その演技力はメンバーの中でも突出して高い。これはまさに、別人がふたりいるかのようだ。

 そんなふたりが、交互に呼びかけてくる。ただ、状況が状況だけに、遊びでこんなことをしているわけではないはずだ。今後のために、大切なこと――なので、彼は偽ることなく答えを出す。

「どちらも、ですね」

 あまりにくだらなく、そして予想通りの反応だった。ゆえに、この程度のことで糸織がヘソを曲げることはない。

「せやろな。けど、そーいう話しとるんとちゃう、ってのはわかっとるんやろ」

「それは、はい」

 一応、この男の話に臨む姿勢は確認した上で。

「では質問を変えますが……どちらの私が、()()()姿()だと思いますか?」

「それは、こちらの()()()の方、ですね」

「正解♪」

 彼女は生来お嬢様として過ごしてきた。そして、関西弁のキャラで歌い手を始めたのは大学に入ってからのこととなる。つまり、人生の大半はそちらだった、ということだ。かといって、関西弁の方も別段肩が凝ることもない。むしろしっくり来ていて、気軽にやらせてもらっている。だが、この男のことなので、無理して作ってるのでは――そう考え、慮るような選択まで誘導すればいい。

「僭越ながら……私、実家におりました頃から何度も歌唱のコンクールにて賞を頂いてまいりました」

「でしょうね。丘薙さんの歌声は一朝一夕のものとは思えません」

 むしろ、実家にて――()()()()()()()()()()()()で積んできたものだ。ゆえに、もうひとりの自分を消したところで、舞台に立てなくなるわけではない。それも理解したことだろう。

 ならば――

「――丘薙さんには、先日の相馬社長との打ち合わせの際にもお世話になりました」

「!?」

 ここまではウチのペースで進んでいたはず――しかし――この期に及んで先を読まれた――? 糸織の中に初めて動揺が芽生える。ご近所全裸踏破であっても、ここまで緊張することはなかったのに。

 プロデューサーには――糸織の言いたいことがすでにわかっている。

「あのとき、背中を押していただけなければ……こうして、キャストさんを助け出す機会さえ得られなかったかもしれません」

「わ、わかっとるんならええねんけどな」

 不覚にも関西弁が出てしまったことで、糸織の目論見は崩れかけている。このキャラはもう不要――令嬢として、プロデューサーの力になればいい――もちろん――

「舞台も、当然こなすこともできますわ。だって、私――」

 お嬢様キャラを貫いた上で、脱いでいくこともできることだろう。それを証明するために、わざわざ()()姿()でやってきたのだから。

 しかし。

「――プロデューサーとして、私は関西弁のお嬢様に<スポットライト>を見出しましたので」

 それを聞き――糸織は()()()()()()()()()。多少のイレギュラーはあったが、その答えは想定内のひとつだ。

「では……私には<スポットライト>は感じられない、と?」

 糸織にその概念は認識できない。けれども、自信はある。この誰もいない場末の路上で唄って踊れば、必ずや納得させられるはずだ、と。

 しかし、彼がその問いに取り合うことはない。

「それはわかりませんが……()西()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は変わりませんので」

「っ!?」

 その答えは、糸織にとって最大級の誤算だった。

「……まさかウチらのこと、二重人格とでも思っとるんやないやろな?」

「もちろん、ひとりの丘薙さんと理解しております。ですから、私にはどちらも必要なのです」

 <スポットライト>の有無にかかわらずお嬢様を必要としている――だからこそ彼は、前の打ち合わせでは世話になった、と礼を述べた。カラオケボックスの運営も任せており、経営者の令嬢としてのキャラクターにはすでに幾度となく助けられている。

 そして、アイドルとしては当然のこと。例え、お嬢様キャラが映えたとしても――関西キャラで輝いていた事実は消えたりしない。そのキャラで輝いている限り、彼はそのようなプロデュースを望んだことだろう。

 この一言をもって、糸織は計画の失敗を理解した。今後、大きくなっていく組織を回すためには、おちゃらけたキャラクターでは相応しくない。ゆえに、いまのうちに路線変更――組織人として、彼の隣で支えるために。だが――それは無意識か、それとも意識しないようにしていただけか――アイドルとして活躍できる期間は限られているどころかあまりに短い。ならば、その後は――運営側としてなら、ずっと彼の力になれる――そのためならば、慣れ親しんだもうひとつの顔を失うことになっても――

 しかし、彼には見抜かれていた。やはりそれは、容易に捨てられるような一面ではなかったことを。だからこそ――このような形で、誰にも邪魔されない状況で持ちかけたのだろう。きっと、新しい自分に変わるよう背中を押してもらえると信じて。そして、少しの不安を、彼に慰めてもらえると期待して。それは、糸織自身も知らず知らずのうちに。

 ゆえに、彼女は負けを認めた。結局自分は――ただ、甘えたかっただけなのだろう、と。己の足で踏み出す勇気もなく、その一歩を他人に押し付けた上、さらにその本人から優しくしてもらおうなどとは何と無様なことか。

 だが、しかし――

 無様なのは承知で、糸織は()()()()()()()

 彼に優しくして欲しい――その本心を認めてしまったから――

「確かに……どちらの自分も私ですね」

「はい、ですから――」

 ここで彼は、言葉を止めた。じっと自分を見つめる彼女の心がわからない。正確には――関西人のような、お嬢様のような――どちらの雰囲気とも異なる。

 どちらの雰囲気をも併せ持っている。

 何か話してくれれば、その口調から判別できるかもしれない。だが、こうして黙って見つめ合っていると――無言であることから、彼は察する。言葉ではなく、自分の想いを感じ取ってほしい、と。そして、瞳まで閉ざすのであれば――伝え合う手段は()()しかない。

 だが、それは――

 しかし、ここで近づいてくる彼女を拒むことは、彼女の想いを拒むことにもなる。

 ふたつの丘薙糸織――その両者を拒むことになるのでは――

 

 ゴンゴンッ!!

 

 運転席の窓が乱暴に叩かれる。彼は思わず外を見るが、糸織は急に止まれない。唇の先端で彼の頬に着地し、横目で来訪者を見てギョっとする。そこには――

「あ、歩はん……なんでここに……?」

「それはこっちのセリフだよ!」

 相当大きな声で叫んでいるようで、閉ざした扉の内側でもその言葉は聞き取れる。むしろ、くぐもった糸織の声をよく聞き取ったものだ――実際のところ、唇の動きと状況でおおよそ察したにすぎない。

 そして、歩も何故かマスクを外して全裸である。ゆえに、とにかく車内に匿わなくてはならない。運転席にはすでにふたりいるので――と言いたいところだが、歩は直近の持ち手に指を添え、他の座席に入るつもりはないようだ。なので、彼は仕方なく運転席の鍵を開ける。すると、そこから乗り込んできた。向こう側へと糸織を押しのけるように。

「お、おいおい、(あぶ)いなぁ。昔、レバーが刺さって大怪我したって事故があったん知らんかいな」

「そんな太いのがヌルリと入るほど、糸織ちゃん、ガバガバなの?」

 昔の仕様ならともかく、昨今はそのような悪戯を防止するためかグリップは大きく設計されている。何より、状況が状況だけに、歩の言葉選びは辛辣だ。

「というか、なんで糸織ちゃんがここにいるの? 持ち場、ここじゃないよね?」

「そっ、それは……っつーか、そのセリフ、歩はんにそっくり返すでっ!」

「私は、状況報告に来ただけ。駐車場の周り、人がいっぱいで近づけないよ、って」

 どうやら、思いの外ギャラリーが大勢に集まっていたらしい。

「せやかて、全裸で来るこたないやろ」

「道に迷ったら嫌だから」

 普段の歩らしからぬ強い口調と断言である。これまでの経験上、歩が全裸になると色々と捗ることは疑いようもない。人が少ない時間帯だけに、全裸の方が確実に到達できると考えたのだろう。

 しかし、この行動は何かと不自然だ。

「いやいやいや、スマホで連絡すりゃええやろ」

「だから、人が集まってきてたんだって。通話して誰かに聞かれたら困るし」

 それが仕込みのスタッフだったら大問題である。しかし。

「せやったら、文字で打てばええやんか」

「え?」

 ここで、歩の理屈は綻んだ。

「歩はんなら、人がおらんとこに身を隠すことなんて楽勝やろし」

「け、けど、隠れてる間に事態が急変したら……」

「ほんならここに来てる時点であかんやろ!」

 やはり、この状況を正当化するのは無理があったらしい。

「歩はん……ここに来た理由、結局ウチと一緒やん」

「そ、それは……えーと……」

 今回もまた、危険を伴う作戦である。南の島で未遂に終わった件を完遂すべく機会を窺っていたが、今回は一歩遅かったらしい。

 これ以上、歩が糸織を言及することはないだろう。そこで、作戦立案役として、改めて本来の指示を下す。

「っつーことで、歩はんは元の現場を頼むで」

 だが、それは本人も同じこと。

「糸織ちゃんも配置場所に向かってくれなきゃ!」

 もう時刻は〇時五〇分になる。そろそろ動きがあってもおかしくない。

 だが、そこに――

 

 ピピピピ……ピピピピ……

 

 それは、プロデューサーのスマートフォン。何かあればすぐに連絡がくるものだ。ここにいる歩でも糸織でもないとすると――

『もしもし、コーチですかっ!?』

 晴恵の話し方は常に威勢がよく、焦っているのかいつもどおりなのか判別できない。

『実は……すいません、男の人たちに見つかってしまいまして! いえ、お巡りさんでないことは確認しているのですがっ!』

 晴恵はそもそも、裸を見られることに関する羞恥心がない。こと、マスクによって顔を隠している場合限定ではあるが。そのため、どうやら警察以外に見つかることに配慮していなかったらしい。

『どうやら、掲示板には()()()()()までOKと書いてあったようでして……いかがいたしましょう!?』

 どうやら、一般人の男から掲示板の主と間違われて言い寄られているらしい。状況はかなりマズイようなのだが、晴恵の口調からか、まったく緊迫感が伝わってこない。むしろ、お相手しても構わない、とさえ聞こえる。だが、今回の目的はそれではない。むしろ、触発されて天然カラーズの女のコまでスタッフではない一般人に襲われてしまう危険性もある。

「……丁重にお断りして、車まで戻ってきて待機していてください」

『了解しましたっ! 特訓、継続しますっ!』

 通話は切られた。しかし、あまりに杜撰な状況に、彼にはもう、何も言えない。

「……Pはん、どないすんねん」

 糸織にとっても、晴恵の不始末は想定の範囲外だったようだ。ならば、一度仕切り直すしかない。

「一先ず、現地の状況を見て判断します。 蒼泉(あおずみ)さん、もう一度持ち場に戻っていただけますか。 園内(そのうち)さんが男性たちを引きつける形で人が減っているかもしれませんので」

「う……うーん……?」

 あまりいいことはなさそうだが、そうするしかないのだろう。

「丘薙さんは車両で待機していてください。草那辺さんもこちらに戻して、状況を立て直します」

 予想外の事態に対して、先方の出方が掴めない。ならば、歩の監視情報によって一から再検討すべきだろう。

 しかし、問題が収まることはない。

「……草那辺さん……何故……っ!?」

 メッセージを送った後、念の為に通話も発信しておいた。だからこそすぐに気づく。蘭からの音信が途絶えていることに。

「あのコ、スマホ使えないとか!?」

「原始人やあるまいし!」

 時は二十一世紀末、このご時世にもなってスマホ操作のできない者はさすがに皆無だ。実際、蘭にも社用携帯を持たせており、何度か連絡も取り合っている。

「と、ともかく、私は草那辺さんの持ち場に向かってみます! 蒼泉さん、丘薙さんは先程の通りに――」

「いや、ウチが案内するわ。マンションの敷地突っ切った方が近道やで」

 ここは、一刻を争う。車の鍵を開けっ放しにしていくのは心配だが、蘭の身の安全には変えられない。車内にはコートが用意してあった。しかし、それを羽織る間さえ惜しんで糸織は外へと飛び出していく。これを、彼が止めることはない。何かあれば身を挺してかばう覚悟が彼にはあった。だからこそ――好んで露出する趣味のない糸織でもこうしてストリーキングに繰り出すことができる。何があっても、彼なら自分を守ってくれるだろう、と信じているから。

 

 さすがは現地住民である。糸織の言うとおり、案内された道は地図アプリではフォローできないものだった。

「こっちや! このフェンス乗り越えんとぐるりと遠回りさせられるで」

 他所の敷地内を勝手に突っ切り、ふたりは公園の裏手に辿り着く。しかし、園内は広い。プロデューサーはもう一度通話を試みるが、やはり応答はなかった。

 中央を走る通りは街灯に照らされて明るいが、一歩外に出ればそこは木陰であり、この時間では極めて暗い。その闇の中で何が行われていても見逃さないよう――目を凝らしながら進んでいくが――

「なぁ……Pはん、アレ……」

 そこはおそらく、公園の中心部にあたる場所だろう。円く拓けた石畳の広場には大きな街灯が立てられており、そこはまるでステージに当てられたスポットライトのようだ。それを囲むように一〇人以上――深夜とは思えない数の男たちが集まっていた。スマホを構えている者もいるのだから、そこで何かが行われているに違いない。

「ちょっ、おい……って!」

 糸織の静止を振り切り、良からぬ予感が彼の足を急がせる。助けを求める叫び声が聞こえないのが唯一の救いかもしれない。

 だがしかし、そこでは彼が予想だにしないことが行われていた。

「オッ、オッ、オオォッ!?」

 蘭が何者かに襲われている。だが、彼女を捉えることは難しい。顔面へと撃ち抜かれた右拳、左拳を上半身の動きだけで躱し、腰を狙って振り込まれた右足にはすかさず距離を取る。間合いができたことによって相手は踏み込み――跳躍! 中段蹴りの勢いはそのままに、首から上を刈り取るような鋭い回し蹴り――だが、蘭はすかさずしゃがみ込み、上から降ってくる追撃に備えて側面へとコロリと転がり立ち上がった。そして、改めて向き合う。蘭がライオンのマスクをかぶっているため、まるで人が素手で獣に立ち向かっているかのようだ。そんな激しい攻防が一息つき、ギャラリーからも感嘆の声が漏れる。

 だが、それはあくまで格闘技に対するもの。裸の女のコに対する欲情ではない。そして、ふたりの動きが止まったことで、彼はようやく視認する。蘭に暴力を奮っていた相手が肌色一色であることはわかっていた。男が彼女を殴り倒そうとしていたかのようにも見える。しかし――その股間にぶら下がるモノはない。胸の膨らみは――控えめながら、筋肉によるものではない、と両の乳首がはっきりと主張している。その髪型はサイドテール――だと思われたが、少し離れた地面に落ちているのは、彼女の自毛――蘭によって切り落とされたものでなければ、ウィッグ。どうやら、元々ツインテールだったが、戦いの最中に落ちたらしい。その傍には格闘の邪魔になったのか、掛けていたと思われる赤縁眼鏡も添えられている。

 紛れもなくこれは――全裸女子同士の戦い――!?

「や、やめてください!」

 とにかく事態を収拾しようと、プロデューサーはふたりの間に割って入る。これが撮影中ならスタッフが止めに来るはずだ。しかし――? 撮影失敗を悟って離脱したのだろうか。これまで全裸組み手を観戦していた男たちは、ひとり残らずこの場をさーっと離れていく。

 そして、この状況を意に介していないのか――格闘少女の怒りは冷めやらない。

「あンだ、てめぇ。サツでもねーんだろ」

「そ、それは……」

 彼女が天然カラーズの女のコのはずだ。助けに来たはずなのに、逆に凄まれるとは思いもよらない。

 やっぱ、おにゃのこには弱いなぁ、と糸織はため息をつきながら、糸織が仲裁を買って出る。

「見物ちゃうで。この男はそこのライオン頭とウチのプロデューサーでな」

 興奮していた女のコだが、その単語に少し気分も冷めてくる。

「プロデューサーってこたぁ……同業者かよ」

「では、やはり貴女が、天然カラーズの……」

 目の前に立っているのは、別のアイドルをプロデュースしている関係者――それを理解できたからこそ、女のコもすっかり我に返った。

「きゃ~、男の人たちに見られちゃって恥ずかし~ん♪」

 これまでの威勢が嘘だったかのような変わり身である。いや、すでに手遅れであり――いまさら猫をかぶったところで、虎の威を借る狐ならぬ、猫の威を借ろうとする虎である。

 だが。

「…………っ!?」

 この場で、彼女に熱視線を送るものはいない。いや、正確には彼ひとりだけなのだろう。彼女は、視線を受けて昂ぶっているわけではない。このように振る舞うこと自体に恍惚としているのだろう。それが――美しい――まさに、闇夜を照らす<スポットライト>――!

 それを、こんなところで摘み取ってしまうわけにはいかない。この輝きを舞台に届けることこそ自分の使命なのだから。

「ハニートラップのミサさん……ですね? 他事務所の撮影は禁止されているはずですよ」

「だからぁ、アタシ、そんなことしないも~ん」

 一度事務所からも注意を受けているため警戒しているのだろう。しかし、もうその心配はない。

「大丈夫ですよ。この件については不問にするとお墨付きをいただいておりますので」

「……えーと、アタシ、ハニートラップの仕事しか請けてないんだけど」

 なかなか信用してもらえない。いきなり言われても無理な話か。

「後で事務所に確認していただければわかりますので、この場はひとつ……」

 ここで、ミサの堪忍袋の尾が緩む。

「……しつけぇぞ、ニーチャン。事務所がもっといい仕事くれてりゃ、オレだってこんなことしてねぇよ」

 しかし、ハッとして彼は周囲を見回した。よく見れば、少し離れたところから男たちは女のコを覗き見ているらしい。それに恥じることなく、ミサはクネクネとポーズを決める。

「ミサ、もっとも~っといっぱいカワユイとこ、見てもらいたいな~って❤」

 この変わり身は、先程魅せつけられた糸織のようだ。

 だが――だからこそ断言もできる。ミサというアイドルとしての姿は、あくまで仮初であると。しかしきっと、だからこそ、その姿に憧れ――美しく輝かせるのだろう。

 

       ***

 

  河合(かわい)ミサ――こと、 桑空(くわそら)(みさお)に、他事務所への無断撮影の事実はなかった。本当に、彼女自身が望み、独断で行ったことらしい。

 彼女はこれまで、卓越した空手の腕前と男勝りで粗暴な性格が災いし、女のコ扱いしてもらえたことがなかった。しかし、可愛さに対する執着は確かに秘めており、普段らしからぬぶりっ子キャラで動画配信を開始。だが、視聴数は増えず、破れかぶれになってアダルトサイトで脱ぎ散らかしてみたところ――そこで、彼女は知った。自分のような身体にも需要はある、と。

 こうして、アイドルの中でも裸を披露する天然カラーズをあえて選び、みんなに可愛がってもらうことを願っていた。しかし、撮影は閉ざされたスタジオばかり。もっとみんなからの歓声を受けたい。ネット配信で、画面越しに流れていたログのように――その結果が、あの公開ストリーキングだった。

 実のところ、操はたまたま見かけたファンムードの手口を何も知らずに真似しただけらしい。自分で考えるのも面倒だったし、こういう文面で告知すればきっと人が集まるのだろう、と。

 なので、スケジュールに厳密な縛りはない。早めに到着していた操はすでに観客が集まっていたため三十分繰り上げてストリーキングを開始。一番()()()()()()()()()()()公園を目指していた。しかし、そこで出会ったのである。同じ趣味のオンナと――蘭のそれは趣味ではないが、彼女もまた、晴恵と同じく警察以外には無頓着だったようだ。しかし、操にとっては都合が悪い。他に似たような裸の女がいては、男の視線が分散してしまう。むしろ、スタイルの差からして、その多くを取られてしまうかもしれない。ゆえに、口論となり――

 つまり、最初からファンムードはまったく関係がなかった。ゆえに、事務所から責められる筋合いは何もなく――ストリーキング自体、違法行為ではあるのだが。

 ただ、裸を披露できる劇場があると知り――操は社長特権により、別事務所への出演を許可されている。よって、天然カラーズ傘下・ハニートラップに所属しつつも、TRKと兼業することとなった。ここで、男からの歓声を浴びるために。

 しかし、彼女はこの街のことを少し深く知りすぎてしまったようだ。

 プロデューサーは劇場の応接室で仕事をしていることが多い。舞台の際には舞台袖から見守れるし、何かあればすぐに対応もできる。

 そして、何かあった。電話越しでも 春奈(はるな)の狼狽ぶりが伝わってくる。

『ぷ、プロデューサーさんっ、操さんが、そのー……また広場で……』

 ライブネット社長・萩名兵哉の後ろ盾があるため、営業目的でない限り、女のコが新歌舞伎町で裸になったところで警察が動くことはない。それを知った操は、テンションに任せて勝手に路上でヌードショーを開いてしまうことがある。いまのところ、警察のお世話になったことはない。が、営業目的でなかったとしても、やりすぎては補導対象になるだろう。

 やはり、自分が止めに行かなくてはならないのか、と腰を上げる。そこに――

「ちょ、ちょ、ちょ……プロデューサー!」

 大慌てで入室してきたのはまこだった。どうやらちょうどリハーサルを終えたところだったらしい。普段は常識的にきちんと服を羽織ってくるのに、全裸で飛び込んできたあたり、相当慌てているようだ。

「見て、見て……コレ……ッ!」

 差し出してきたスマホに表示されているのは、いわゆる芸能関係情報サイト。まこは常にアイドルたるため、このような情報を弛まず収集している。そしてそれは――

「『元』風俗嬢によるアイドルユニット……『PAST』……ッ!?」

 アイドルとヌード――その方向性はやや似ている。だが、それを PAST(過去)のものとしているのだから、その真意はある意味真逆。

 何より、まこを、そして、プロデューサーをも驚愕させたのは――

「プロデューサーは、ライブアイドルとして人気の高い……憐夜希氏……!?」

 



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17話 高林霞

 だって、しとれちゃんに『おかえりなさいませ』って言ってもらえないから――

 

 その劇場は夕方から深夜までスケジュールが詰まっているため、他のイベントを開催するのであれば、その前となる。日曜日の午前中に設定された『めいんでぃっしゅ』による初のサイン会――なお、糸織が提案していた“パイ拓”については見送りとなったため、今回は普通にサインのみである。

「ほいほい、名乗りな、次のニーチャン」

  糸織(しおり)は軽快にファンの行列を捌いていく。

「ワタナベといいます! 『まじかる☆えりりん』の頃から応援してました! CDも持ってます!」

「ほー、古参やなぁ。今度ソロステージがあったら何か唄ったるで」

「ありがとうございますッ!」

 糸織は歌い手時代にサインを求められたこともあり、このような催しも初めてではない。それに引き換え、慣れない(あゆむ)はついサインばかりに集中してしまう。

「えーと、次は……」

「ほれ歩はん、名前訊かな」

「あー、そうなんだよねー」

 転売防止のために名入れは必須だ。

「ミサキって言います! えーと……結構前から応援してました!」

 隣のワタナベ君に対抗しているのか、女のコは応援経歴を声高に主張する。とはいえ、歩の芸歴は極めて短い。むしろ、活動を始めたばかりなので、ここで並んでくれているファンたちは――みんな、古参と呼ばれる人たちになってほしい――そのためには、末永く頑張らなくちゃ、と歩はホール外まで並んでくれている人たちを見て気持ちを新たにする。

 その隣で、糸織は少々昔を思い出しているようだ。

「おっ、ニーチャンはこんきつねチャンネルからかい。何なら、『こんきつね』でサインしてやってもえーで?」

「そ、それは……!」

 男性の糸織ファンは本気で悩んでいる。どうやら、こんきつねにかなりの思い入れがあるらしい。エロス具合でいえば、いまの劇場より動画の頃の方が激しかった。結局、男はエロいんやなぁ、と糸織はニヤニヤしながら葛藤している男性客を眺めている。見れば、続く列は男ばかりだ。それに引き換え、歩の方には女性ファンもそれなりの割合で混ざっている。

「ユイ、です……。応援してます……ッ」

「ありがとー。ごめんね、こんなカッコで」

「いっ、いえ! そのー……いい脱ぎっぷりでしたっ!」

 歩たちも、最初は衣装を着て応対していたし、事前にもそのように告知している。しかし、蓋を開けてみれば歩の列がみるみる滞ってゆき――案の定の特例措置。バランスを取るために、結局三人ともいまは全裸で対応している。

「やれやれ、ええなぁ歩はんは。ウチも、一枚くらいおにゃのこにサイン書いてみたいもんやわ」

「お、男ですいません……」

 列後ろからの早くしろプレッシャーに負けて、とっさに『しおり』を選択した男性客は、申し訳なさそうに頭を下げる。

「ま、ええねんええねん。ウチの客層の方が正常やさかい。ほなまたな。次のニーチャンは――」

「『えりりん』でお願いしますッ!」

 すでに考えをまとめていたらしい。何年ものブランクがあったはずだがすんなりとサインをこなせるのは、密かに復習していたからか。

 糸織は歩を羨んでいたが、歩も糸織が羨ましい。

「なーんか、カッコイイなぁ、別名があるの」

『まじかる☆えりりん』『こんきつね』――この劇場でも、『(まいど)(めいど)(わいど)』としてステージに上がる際には『まいど』を名乗っている。歩は歌も踊りもトップスキルを持っているが、使い分けられるほど器用ではない。

「私も、何か別名義とか二つ名とかほしいなぁ」

「欲しけりゃ勝手に名乗ればええねん。けどな、それよりも……」

 糸織はチラリと反対側を覗き見る。おそらくこれまで書いてきたサインの数なら()()が三人の中ではダントツのはずだ。

「『メイド☆スター』は業界から認められた称号みたいなもんやからな。ウチの自称とはモノがちゃう」

「うん、やっぱりスゴイよねぇ、しとれちゃん」

 そのしとれだが――目の前の来場者を見上げてピタリと手を止めている。

「……しとれちゃん?」

「あっ、は、はい、お呼びでしょうか、歩さま」

「サインサイン」

 そう長い時間ではなかったようだが、しとれはペンを片手に固まっていたようだ。

「もっ、申し訳ありません、ご主人さま。すぐにご用意いたしますので……」

 どうにも、ファンの間ではいつから応援していたかがステータスになっているフシがある。その男性客は、メイド喫茶の頃からの常連だったらしい。お店の方もよろしくお願いしますね――しとれにとって、それは軽い社交辞令のつもりだった。しかし――彼はもう、喫茶の方には行っていないらしい。何故ならば、そこにしとれがいないから。

 それを聞いて、しとれは――自分がしてしまったことの罪深さを思い知る。頭上に戴くヘッドドレスはメイドの魂――全裸であっても、それだけは守ってきた。しかし――肝心のメイド喫茶は――。メイド☆スターと称えられながら、やっていることは、メイド喫茶からの客引きに等しい。そんな自分に、メイド☆スターなどと名乗る資格はあるのだろうか。いや、むしろ『スター』などと呼ばれること自体――

 ならば。

「……ありがとうございます、ご主人さま」

 店長には、再びご奉仕の機会を与えてくれたことに対して恩義がある。だからこそ――自分が守らねば、と決意した。突如現れたライバル・アイドル・ユニット『 PAST(パスト)』――本来メイドは、情勢の深くに立ち入るべきではない。しかし、自分はただの“メイド”ではなく“メイド☆スター”――このプロジェクトを、劇場を、先頭に立って盛り上げていかなくてはならない立場にある。

 だから――それを思い出させてくれた店長のためにも、やらねばならないことがあるはずだ。

 

       ***

 

 プロデューサーに同席する秘書役は、スケジュールの空き具合を見て各自に振り分けられている。サイン会から一夜明けた翌日――その日は 朱美(あけみ)が入る予定だったが――当人同士の話し合いによって――控室の一角の応接間――いまはしとれがここにいる。いつものメイド服を着てきた上で。

「よろしかったのですか? 今夜はステージも入っておりますけれど……」

「いえ、私に同席させてください」

 リハーサルをキャンセルしてでも――それは、しとれにしては珍しいことだった。けれども、今回の面会は自分が立ち会わなくてはならない、としとれは急遽この役割を買って出たのである。

 ただ、それは来客にとって想定外の事態だったらしい。

「せっ、先輩が……どうして……っ?」

 来客が訪れたのは時間ちょうど。ノックと共に入ってきた。ひとりは、話題のプロデューサー・ 憐夜(れんや)(のぞみ)。そして、それに付き従うのは――

「私からご紹介した方がよろしいでしょうか、店長。それとも……」

「いえ、彼女については存じております」

 頭上にまとめられた小さなツインテールは、いまは解かれている。服装も一般的なブラウスにパンツルックだ。それでも、彼の記憶に新しい。一度は、TRKに応募してくれた女のコなのだから。

 

 さて。

 突然のアイドルユニット結成――PAST――それは、カメラの前で脱いできた女子二名によって結成されている。だが、ずっとふたりだけで終えるつもりはないらしい。新歌舞伎町には裸の女のコが多数ひしめいている。その中で、裸の人生からの脱却を願う者を従え――まるでハーメルンの笛吹きだな――それが、彼の印象であり――ゆえに敵対表明として受け止めている。

 だからこそ、こうして対談の場を設けたのだ。事情を説明したい、という相手の意向を受け入れて。ゆえに、彼女は折り目正しくビジネススーツでやってきている。お互い、アイドルユニットを受け持つプロデューサーという立場として。

 出されたコーヒーに一口つけて、希は相手に対して謝意を示す。

「……驚かせてしまったでしょうね」

 憐夜希――ライブアイドルとして人気を博しながらも本業があるから、とデビューの話はすべて断り、自由気ままにアイドル活動を行ってきた。先日、天然カラーズとの交渉に巻き込む形で先方の社長・ 相馬(そうま) 智之(ともゆき)との間を取り持ったが、まさか希本人のデビューではなく、プロデューサーという形となるとはあまりにも予想外である。

 一方で、希にも別の予想外があった。

「本人がついていきたいと言うから連れてきたのだけど――」

 希も、()()がかつてメイド喫茶で働いていたことは知っている。なので、メイド☆スター・(ひのき)しとれと知り合いでも驚きはしない。意外だったのは――その、しとれ側の反応だ。普段から連絡を取り合う仲だとも聞いている。にも関わらず、あまり友好的には見えない。

 ゆえに、これは希の誤算だ。こういうところで無茶をするようなコではないと思っていたのだけれど――PASTは急造のユニットだけに、意図しないところで不和が起きてしまったようだ。本当に、今日は事情を説明しに来ただけだというのに。

 とはいえ、このセッティングには()()自身も驚いている。肩をすぼめて、キョロキョロと視線も定まらない。これでは、話し合いにも支障を来す。

「――先に帰っていてもいいけれど」

 希の一声に()()はビクリと身を震わせた。しかし、プルプルと大きく(かぶり)を振る。

「い、いえ……あたし、まだ――」

 ――まだ、やらなきゃいけないこと、できてませんから――。打ち合わせにしては少々大きめのボストンバッグ――その中に、()()()は収めてきた――けれど、いまはこれだけ。()()から教わった――メイドの『魂』だけ――

 湊はカバンの中から白いレースのあしらわれたカチューシャ――ヘッドドレスを取り出す。それは、他でもない先代から教わったこと。どんな奇抜なメイド服でも難なく着こなす先輩に、どこからどこまでがメイド服なのか、と尋ねた際――これこそが、メイドの『魂』なのである、と――

 彼女は弱く、小さく、あまりに未熟。だが、しかし――

「……まあ、アナタだって曲がりにも『メイド☆スター』だものね」

()()()メイド☆スター』 橋ノ瀬(はしのせ)(みなと)――しとれがメイド喫茶『 Cheese O'clock(チーズ・オクロック)』を去った後、その名を襲名したのは彼女だった。

 しかし――自分に実力が伴っていないことは湊も重々に自覚している。ゆえに、初めから彼女の中に喜びはなかった。ただ、先代の名に恥じないよう――それだけを考えて。

 しかし、事あるごとに先代の歌唱力と比較され――それどころか、流出動画のような()()()まで疑われる始末。結局のところ、二代目に求められていたのは歌や踊りよりも、集客のための旗振り役と――先代の汚名に耐えるだけの精神力だったのである。

 それでも、メイド喫茶界隈には『メイド☆スター』の存在が必要とされていた。ゆえに実よりも名を――二代目メイド☆スターとして名を広めるために開催された『メイドフェス5』だったが――まさかの初代の帰還によって、もたらされたものは、むしろ、初代の偉大さだけ。そして、ステージを共にすることで湊は悟ったのである。メイド喫茶にではなく、“自分自身”にこそメイド☆スターが必要だったのだと。

 そのためならば、裸になることさえ厭わない――そんな覚悟をもって臨んだTRKへの応募だったが――添付されたストリップ動画はむしろつらそうであり、プロデューサーはそこに<スポットライト>を見出すことはできなかった。ゆえに、加入は見送りとなったが――自分には覚悟が足りなかった、と天然カラーズ傘下の『花丸動画』に参加。そして、初めてのMVを観た希によって、その可能性を見出されたのである。

 明らかにTRKと敵対するコンセプトに、湊の中でも最初は戸惑いもあった。しかし、拒まれてしまったのなら、こうするしかない。自分が先輩に近づけないのなら、先輩の方から自分に近づいてもらうしか――

 しかし、湊には自分だけで先輩を引き抜くだけの力量を持たない。ゆえに――『今日の打ち合わせの後、お時間をいただけますでしょうか』――希プロデューサーと一緒に説得すれば、少しは話を聞いてくれるのでは――そんな甘さは、当の本人によって打ち砕かれた。話し合いを拒むつもりはない。だが、それはプロジェクト責任者たるプロデューサーを交えた上で。

 希も湊の目的は聞いていたので――裏目に出たのだな、とため息をつく。だが、あえてこのまま話を進めることにした。『メイド☆スター』の顔を立てる意味でも。

「ワタシとしても最初はね、在籍はしないまでも、たまに協力くらいしてやってもいいかな、くらいの距離感のつもりだったのよ」

 それは、TRKと同じように。だが、相手は天然カラーズ社長である。それで終わらせない策を用意していた。

「けどアイツ、最初からワタシ自身をデビューさせるつもりはなくて――」

 必ず断られるとわかっていたのだろう。

「ワタシ()アイドルをプロデュースしてほしいって言い出したのよ」

 それは、希にとっても意外だった。ゆえに、惹かれたという事実もある。

「……ねぇ、アナタたち、このままでいいの?」

「このままとは?」

 彼も、TRKをこのままにしておくつもりはない。何より、()()()()()()()()()()()からの約束もある。メンバーを二十六人集めたとき、この建物を正式に譲り渡そう、と。

 だが、希の野望は箱ひとつ、この街ひとつでは収まらない。

「ストリップなんてやってたら、いつまで経ってもここに押し込められたままじゃない。もし、()()()()()()()()()()()()()のなら、アナタにプロデューサーの座を譲ってもいい、って思ってるの」

()()()……ッ!?」

 TRKのストリッパーたちは漏れなく裸になってきた。PASTへの加入条件は全員満たしている。つまり、自分たちを吸収し、いや――

「アナタたちはいまこそ、()()()()()()()()だわ」

 希が相馬社長の案を呑んだ目的は我欲でも敵意でもなく――TRKとメジャーレーベルの橋渡しのため――!

 だが、しかし。

「それは、できません」

 彼は誰もが知るとおり、女性に弱い。それでも、彼はきっぱりと拒絶した。彼が女性に対して強く言えるとき、それは――

「……つまり、アナタたちは、こんな劇場ひとつで終えるつもりなのね」

 一般部門も設けると聞いていたのに――少しこの男を買いかぶっていたか――あまりの見込み違い――様々な失望に、希の中で怒りがこみ上げてくる。それは、矛先を向けられていないしとれどころか、隣に座っている湊さえもすくみ上がらせるほどに。

 だが、これに彼は正面から向かい合う。

「そうとは言っていません」

「言ってるわよ」

 すぐさま畳み掛ける希に、彼は少しだけ間を置いて。

「そうかもしれません」

「どっちよ」

 馬鹿にしているのか、と希の怒りは目に見えて増した。しかし、それでも彼が女性に呑まれることはない。何故なら、彼はもう迷わないと決めたのだから。

「それは、瑣末事だと申し上げているのです」

 彼が女性に対しても一歩も退かないとき――それは、自分の背後に守るべき女性の存在があるときだ。

「私が願うのは、メンバーたちの<スポットライト>を人々に届ける――ただ、それだけです」

 いまは、この劇場のステージ立つことが、彼女たちを最も輝かせる――そして、その枠に収まらないようなら、必要に応じて然るべき世界に旅立てばいい――だが、メンバーの多くはこの劇場でなくては輝くことはできない――いや、この劇場でこそ、最も美しく輝くことができる。ならば、まだ旅立つときではない。それだけのことだった。

 しかし。

「そのスポットライトとやら……輝ける期間は短いでしょうね。それは、普通のアイドルよりも、ずっと」

 希がアイドルデビューの話を蹴ってきたことには様々な理由がある。そのひとつとして――アイドルとは、永遠ではないからだ。多くの場合、一定の期間を積み重ねれば、女優や歌手への転身を余儀なくされる。ならば、地に足の着いた職を持ちたい――いつかくる、ライブアイドル引退の日のために。

 だからこそ、希は懸念する。この劇場で脱いできた踊り娘たちは、この後どうするのか。いまは良い。しかし、近い将来、ストリップアイドルとして通用しなくなる日が来るだろう。そのとき、何らかの足がかりがあれば、アイドル以外の何かにつながるかもしれない。だが、この風俗街でのつながりとなると、著しく限られている。それを承知で、その場限りの<スポットライト>とやらのために若さを消耗させるというのか。

 希の言い分は、彼にもわからなくもない。ただしそれは、女性性のほんの一部にすぎない、と考える。

「いえ、どんな形であれ、<スポットライト>は永遠に輝き続けるものですから」

 いまは、脱ぐことで感じられることが多い。しかし、それだけではないはずだ。彼には、メンバーたちにアイドルであり続けて欲しいという願いはない。ただ、いまはアイドルであることが最も輝かしいだけのこと。他のことで輝けるのであればそちらで輝いてほしいし、何らかの形で輝くものと信じている。

 だが。

 希には、彼の思いが疑わしい。彼の言う<スポットライト>という概念を適切に理解できないこともあるが――結局、この男の目指すところは、女のコたちの成長ではなく自己満足――自分の手の届くところで好きにしたいだけではなかろうかと。

 ならば、プロジェクトを解体させてでも――だが、最低限の仁義は通す。それは、自分が押し付けたことゆえに。

「じゃ、ひとつだけ警告してあげる」

 それは本来、()()()()()つもりで来た。先月、歩の不在中にボーカル役として協力したツケがある。それに加えて、天然カラーズとの交渉にも同席した。それらを合わせてもなお、今回の件は()()()()。友好的な関係であれば、今後埋め合わせることもできたかもしれない。しかし、こうして決別したうえ、敵対意思を顕にしたのである。ゆえに、かけるべき言葉はひとつだけ――それ以上の情けはない。

「こないだ、お願いした代替バンドだけど……ぶっちゃけ、アナタたちの手には余るわよ」

「…………」

 どのような意味で言っているのか、それを問うても答えてはもらえないのだろう。そして、希の方も訊かれたところで答えるつもりはない。だから、一方的に情報の断片だけを残す。

「普通のバンドと同じだと思って自分たちで何とかしようとしないことね。ちゃんと専門の運営に入ってもらわないと……大変なことになるわ」

 希にこれ以上話すことはない。

「ワタシの目的は変わらない。やると決めたことは必ずやり遂げる。それだけよ」

 スッと席を立つと、湊は慌ててノート端末の蓋を閉めた。しかし――先輩と何も話せていない、と湊は焦る。むしろ、両プロジェクトの溝は決定的なものとなってしまった。本当は、友好的な形で一緒になれたら良かったのだけれど――それでも――湊は思う。自分には、先輩が必要なのだと。だが、それだけではなく――

「せっ、先輩っ!」

 希はすでに背を向けている。ゆえに、長く時間はかけられない。

「メイド☆スターは肩書きじゃありませんっ。メイド☆スターは先輩であり、先輩がメイド☆スターなんですっ!」

 もはや、湊自身何を言っているのかわからなくなってきた。しかし、その迫真の表情が説得力を懐く。

「二代目なんてないんですっ! 先輩でないと、メイド喫茶には先輩がいてくれないと……っ!」

 それは、メイドによるメイドからの訴え――だからこそ、しとれは無視できない。

「でも、私はもう――」

 TRKプロジェクトの先頭を走る者として――

「先輩はいまでもメイドですっ! メイド☆スターです! だって――」

 ――メイドの魂をいまも掲げているのだから。

 ボロボロと泣き出してしまった湊は、もう言葉を紡ぐことはできない。ゆえに、希がこの場を締める。

「安心しなさい。ワタシが『メイド☆スター』を引き上げてあげるから。他のメンバーと一緒にね」

 古くいかがわしい小さな泥舟から――そう言いたげに、希は控室の扉を開く。それに続いて、湊もまた、涙を拭いながら。

 ふたりの来客が去り――重苦しい空気が部屋にのしかかる。湊を泣かせたのはプロデューサーではない。だとしても、女のコを悲しませることは、彼にとって心を痛ませる。そして、その原因となったのは――

「……後輩が失礼致しました、店長」

 湊とは堂々と向き合うつもりでこの場に同席したが、このような形となってはむしろ逆効果だったかもしれない。それに何より――私は、メイド☆スター――メイド喫茶を貶め、それでもなお求められ、拒み、また迷惑をかけている。

 そして、今度はそんな自分を拾ってくれたこの劇場にまで――本当に自分は、皆から望まれるようなメイド☆スターなのだろうか――。いまは、胸を張ってそういえる自信はない。だからこそ、証明したい。PASTから、この劇場を守り切ることで。

 

       ***

 

 それは、放たれた矢のように。しとれは即座に馴染みのイベント運営会社との打ち合わせの場を取り持ってくれた。元メイド☆スターとしての顔も利いたのだろう。その当日の夜に、新宿郊外のファミレスで話を聞いてもらえることとなった。

 しかし――とにかく、早くしなければ――彼女は、本当に焦っていたらしい。しとれはこの後ステージが控えている。紹介した本人が同席できないことを思い出したのは時間を決定した後のこと。無理を言ってねじ込んでもらった以上、改めてずらすことも叶わない。

 ならば、誰が同伴するのか。彼はひとりでも大丈夫だと言うが、相手は女性だと聞いている。甘い彼のことなので、とんでもない条件を飲まされかねない。その点においてのみ、彼はメンバーからまったく信頼されていなかった。

 とはいえ、夜のステージと時間が重なっているため、出演者たちは動けない。また、現在学生は夏休みの真っ最中のため、カラオケボックスは大変混み合う。バイトのシフトを動かすことも難しかったが、そこは糸織が何とかしてくれた。

 しかしその結果、秘書役として白羽の矢が立ったのはよりにもよって――

「……ったく、なんでオレがこんなことを……」

 やっぱカラオケボックス住みに釣られるんじゃなかったぜ、と(みさお)はぼやく。しかし、ここを住処とすることは彼女にとって都合がいい。大学まで通いやすいということもあるが――彼女はTRKだけでなく、『ハニートラップ』という天然カラーズ傘下の事務所にも所属している。そことの打ち合わせも新歌舞伎町で行われるため、そちらの方にも通いやすい。しかしそのためにはカラオケ店のバイトとしても雇用契約を結ぶ必要がある。そして、今夜もシフトが入っていた。が、カラオケ店スタッフとしても直近で入ったばかりの新人であるため――TRKメンバーではない一般人に急遽シフトに入ってもらい、代わりに誰が抜けるかといえば当然の選択か。

 プロデューサーの秘書役は持ち回りである。良い経験になるだろう、と今回は操が任命された。

 とはいえ、肝心の彼女にこの仕事を覚える気がない。

「先に言っとくけど、メモ係なんて期待すんなよ。オレはレポート書くのだって苦痛なんだからな」

「は、はい……」

 どうやら、体育会系の見た目に反しない中身のようだ。ただ、期待されているのはそのような細々とした書記係ではなく、女性に対して弱腰になっているのを察したら喝を入れる役なので、その点については問題ないだろう。

 さて。

 打ち合わせとして選ばれたのは劇場から徒歩一〇分ほどのファミレスだった。新歌舞伎町に面しているが、彼のカラオケボックスと同じく道路一本隔てた外側にある。さすがに、表の企業に夜の暗黒街で打ち合わせを、とはいえようもない。

「何だよ。この時間なら飲み屋の方が元気いいじゃねーか」

 どうやら、操にはこれが仕事であるという意識はまったくないようだ。それは、彼女の()()()からも明らかである。彼女の仕事のオンオフは極めてわかりやすい。初めて会ったときは、 仕事(プロ)として。ツインテール――の片方――と、眼鏡――は外れていたが――ともかく、それがアイドルとしての彼女だ。しかし、それらはあくまで仕事用の変装のようなもの。平時の操は、パーカーにストレッチパンツ。眼鏡も伊達であるため視力は良く、髪の毛も――ウィッグが着けられるくらいの量はあるが、それでもさっぱりとしたシルエットだ。すでに女子としての中身も見ているが、服を着ているとなおさっぱりしている。凛々しい瞳を和らげるために仕事中は眼鏡を掛けているようだが、太く力強い眉毛の方はいじっていない。本人曰く、男はそんな細かいところ見ていないから。ミーティングと無縁な私物の詰め込まれた黒のショルダーバッグも機能性を考えて少し大きめのものを袈裟懸けにしている。これでは、男子と間違われるのも無理はない。

 オンオフで雰囲気を変えているのは、あくまでその両者を結びつけてほしくないから、とのこと。実際、大学ではアイドル活動について伏せている。普段の“可愛らしくない”所作は、アイドルとしてマイナスにしかならない、と自覚しているらしい。ゆえにいつか、別の機会に可愛くなった自分に出会い、自分だと気づかず欲情してくれることを期待して。

 だからこそ、操の様子はまさに普段どおりである。彼にとって、ステージにて<スポットライト>を輝かせてもらえるのなら、その外でとやかく言うことはない。とはいえ、少なからず気を緩めすぎではなかろうか。

「飲み屋は元気すぎて……声も通りにくいので……」

 できれば喫茶店が良かったが、この頃合いとなると閉店時間が心配になってくる。何より、その店は先方の社屋から近く――これまで何度かしとれ自身が打ち合わせに使ったことがあったので、そこを指定したらしい。ならば、そこが一番なのだろう。

「こちとら、仕事のつもりはねぇぞ。全力で食わせてもらうからな」

「はい……ええ」

 実のところ、彼は操を連れて歩きながら、少なからず萎縮していた。彼女はこれまでのメンバーとは少し毛色が違う。何というか――どことなく、怖い。

 というのも、操は男全般を蔑んでいるフシがある。空手の腕っぷしなら並みの男たちより断然強いのに女というだけで甘く見られ、それどころか、『(おとこ)(おんな)』だの『絶対()()()()』だのバカにされ続け――なのに、裸になれば掌返し――決して、それらは同一人物ではないのだが、操にとっては同じ()である。結局のところ、男って生き物はその程度の輩なのだと見下しており――それは、プロデューサーとて例外ではない。裸になって猫を被っている――むしろ、狼の皮を脱いでいると表現した方が適切か――そのときに放つ<スポットライト>は本物だ。しかし、ステージの外では狼の牙が常に突きつけられている。

 ゆえに、彼の方から無駄に言葉をかけることはない。操の愚痴を適宜いなしつつ、ふたりは目的の店へとやってきた。駅から見て風俗街の向こう側、という立地もあり、幸いながら待っている先客はいない。相手方もまだのようなので、先に四人席を押さえておくことにした。

 席に着くと、操はノータイムでメニューを開く。

「ふっふっふ~♪ やっぱ肉、だよな~、肉。それをメガジョッキでガーっと流し込んでーっと」

 店内の香りのおかげか、操の機嫌が良くなってくれたことは喜ばしい。だが、黒毛和牛のページを見ながらそのように呟かれると、少なからずもったいない気もしてくる。食べ方は人それぞれだし、今日は無理を言ってついてきてもらった。が、豪快な飲み食いは打ち合わせが終わってからにしてほしい――とは思いながらも、女のコには強く言えないプロデューサーであった。

 なので、食事は仕事が済んでから、やんわりと頼んでみたところ、操はニッと笑みで返す。飲み放題もつけていいのなら、と。これで大人しくしていてくれるのなら安い買い物だ、と彼はむしろホッとした。

 食い物は後でも茶くらい飲ませろ、と飲み放題だけは注文し、その後待つこと一〇分少々、ようやく相手もやってくる。店員に伝えていたからか、迷わず案内してもらえた。

「お待たせしてしまって申し訳ありません」

 女性だとしとれから聞いていたが、ずいぶんしっかりした体格である。けれど、決して肥満体ではない。それでも大きく見えるのは、堂々とした胸周りや高い身長だけでなく、肩幅も女性にしては広いのだろう。キリっとしたスーツの背中に垂れるのは長く真っ直ぐな後ろ髪。眼鏡の奥の眼光も鋭く、上から見下されただけでも大変な威圧感だ。

 ただし、そんな容姿であっても、プロデューサーには関係がない。彼は、相手が女性であれば平等に弱腰になってしまうのだから。

 とはいえ、先ずは挨拶を。彼はすぐさま席から立つ。

「本日は急なご連絡にも関わらず、お時間をいただきましてありがとうございます」

 さっと懐から名刺入れを取り出すが、相手の女性は受け取ることなく静かに横へ一歩避けた。その背後には小柄の女性がひとり。歳は四〇代後半といったところだが貫禄はなく、大柄の女性の陰にすっかり隠れていた形だ。

「こっ、これはご丁寧にー……。私が 天堂(てんどう)コンテンツ企画部部長の 山田(やまだ)と申しますー……。こちらは秘書の 高林(たかばやし)でしてー」

 その様子を窓側の席から眺めていた操は、思わず口に含んでいたコーラを鼻から噴き出しそうになる。どう見ても、先陣切ってやってきた方がボスではないか。にも関わらず、あっちのへなっちょい方が偉いだと? きっと、決定権は強そうな方にあり、あっちのオバチャンはただの操り人形に違いない――そんな失礼なことを考えていた。

 プロデューサーもまた、操と似たような印象を受けていたが――それを見越した秘書の対応だったのかもしれない。名刺を出す前に上司を紹介してくれたことで、結果的に失礼をせずに済んだ。

 だから、というわけではなさそうだが――本来上役が座るはずの奥側に、部下が。山田氏の方がチラチラと秘書の顔色を窺い、先に席へ着かせようとしていたようにも見えたので、きっといつものことなのだろう。もしかすると、複雑な事情のある上下関係なのかもしれない。

 一方、プロデューサーが通路側に座っていたのは――そこに操を座らせると、飲み物のおかわりのために足繁く離席を繰り返すのではないか、と懸念してのことだった。せめて打ち合わせ中の飲み放題は自重してほしい。そんなわけで結果的に、マナーを度外視した席配置になっている。

 これで、ようやく役者は揃ったようだ。時間も遅いということで、山田氏は注文より先に本題を切り出す。

「えー……しとれちゃんから……まー……簡単に話は……聞いております……がー……」

 プロデューサーもまた、しとれから簡単に話は聞いている。『天堂コンテンツ』は比較的中小規模のイベント運営を得意としており、お世話になっているメイド喫茶も多いらしい。しとれは秋葉原にある様々な会場にゲストで呼ばれていた。そのたびに顔を合わせていたので、次第にお互い名前を覚えるほどの間柄になったのだという。

 一方、天堂コンテンツ・山田部長がしとれから聞いていたのは、少々難しいグループを舞台に上げなくてはならなくなった、ということだけ。なので、先ずはその相手について詳しく聞かなくては始まらない。

「そのー……今回のバンドというのは、どちら様でしょうー……?」

「まだ駆け出しではあるのですが、『ミトックス』と申しまして」

 彼女たちとは、希をスカウトする際に一度だけライブを観たことがあった。少し前に流行っていた 古竹(ふるたけ) 未兎(みと)というアイドルのコピーバンドである。まだ経験が浅いためスキルは発展途上だったが悪い印象はない。だからこそ、不思議だった。思えば、これまですべてのデビュー話を断ってきた希が交渉の席に着く条件として呑む程である。そのときはたまたまTRK事務所に対して頼み事があったためであり、これだけでツケを解消できるとはプロデューサーも考えていなかった。が、逆にそれでは重すぎる、と頼んだ本人さえ捉えている。ミトックスとは一体――? だが、希の表現に誇張がなかったことを、彼は部長の様子からも理解する。

「え、え、えー……ちょっと、よろしいー……で、しょうか……」

「部長」

 席を立とうとした山田氏を、秘書が強く呼び止める。少しオロオロした部長だったが――やはりそのままフロアに立った。そんな上司に秘書はキツめに釘を刺す。

「こちら、檜氏からご紹介ということをお忘れなきよう」

「わかって……ますー……。ええ……わかってます……から……」

 秘書に怖気づきながら、山田氏はプロデューサーにも離席を促した。どうやら、このようなことは頻繁にあるらしい。だからこそ、山田氏自身が通路側に座りたがっていたのだろう。秘書に、逃げ道を塞がれないように。

 

 こうして、ふたりは店の外までやってきた。灰皿が置いてあるので、店外の喫煙所なのだろう。だが、そこに人はおらず、ふたりも一服しに来たのではない。

 あたりに人がいないとわかると、山田氏はすぐさま――

「ごめんなさいっ!」

「ッ!?」

 勢いよく頭を下げる部長に、プロデューサーは思わず後ずさる。

「か、顔を上げてください……一体、どうなさったのですか」

「ミ……ミトックスは……いえ、古竹未兎だけは……ッ!」

 有無を言わさぬ勢いだが、これではプロデューサーも判断できない。

「……お話を聞かせていただけないでしょうか」

 本来は希から聞くべきだったのかもしれないが、このような形になってしまって申し訳なく思う。

 説明するために、山田氏はようやく顔を上げてくれた。

「古竹未兎の件は……あー……どこまで……ご存知で……?」

「すいません。昨年引退したアイドル、というくらいしか」

「そ、そうですね……芸能界……とは、違いますし……」

 と断りを入れて。

「古竹未兎……未兎ちゃんの引退……の理由は……熱愛、だったのです」

「はぁ」

 プロデューサーはその手の話に極めて疎い。

「しかし、よりにもよって……その相手……は、『 松塚(まつづか) 芸能(げいのう)』の…… 吉坂(よしざか)(みのる)クン、で……」

「それは……随分大きな話だったのですね」

 吉坂稔の名はプロデューサーも聞いたことがあった。人気グループ・ SAQS(サックス)のリーダーである。その程度の認識しかないプロデューサーはついのんびりと応じてしまったが、イベント運営に携わる者としては対岸の火事ではない。

「いやいやいやいや! 大きいだなんてモンじゃないですよ!」

 その深刻さは、山田氏の顔色を見れば明らかなこと。

「SAQSも稔クンも社運を賭けたアイドル……なのに、ここで恋人発覚……だなんて……女性ファンたちが……大激怒、ですよ!」

「そ、そうなのですね……」

 今後、人気が出てきたら自分たちも気をつけようと彼は思った。

 事務所側による必死の消火活動について、山田氏は語る。

「そこで、未兎ちゃんが一方的に……言い寄ってるだけ、ってことで、決着させて……それでもふたりが……別れようとしなかった、ので……」

「……なるほど」

 とはいえ、未兎の人気も捨てたものではなかったはずだ。実力もあると聞いている。ならば、事務所を追放されても引く手は数多に違いない。

 だからこそ。

「以来、古竹未兎は芸能界の……禁忌。彼女に協力する者は……松塚さんの、逆鱗に触れることになるわけ……で」

「まさかそれは、彼女の歌を唄う者さえも……?」

 歌と歌手は別物だと思うのだが。

「いえ、そういうわけではない……のですが」

 ならば、コピーバンドが恐れられる理由がない。それについて、山田氏は一応の確認を挟む。

「ところで、そのー……ミトックス、についての噂は……?」

「そちらについても……申し訳ありません」

 彼も彼女たちの活動自体は時折チェックしていたが、直近の情報は漏れていた。しかし、山田氏はむしろ腑に落ちたような表情をしている。

「はぁ、はぁ、なるほどー。そう……でしょうね。知らなければ……話を受けるはずも、ありませんし」

 ということで、山田氏はそちらの事情の説明を始める。

「ミトックスは、ミカ、ミキ、ミクの三名組、だったのですが……ちょうど昨年末、ボーカルのミキちゃんが……辞めて……しまって」

「辞めた? 何故」

「音楽性の違い、とブログにはあったそうですが、内情は……痴情のもつれと言うか……」

 どうやらプロアマ問わず、音楽と性愛は切り離せないらしい。

「ともかく、代わりに入ったミケちゃん……なのですが……新曲のデモを聴く限り、どう考えても……未兎ちゃん本人、としか……」

「そんなまさか」

 辞めたとはいえ、元プロのアーティストである。自分のコピーバンドに入るとは思えない。

「わた、私もそう……思う、のですが……けど、万が一……万が一にでも、未兎ちゃんに関わったとなれば……社が、飛んでしまいます……ッ!」

「…………」

 この怯えようは、本当なのだろう。

「な、なので、予算の折り合い等、御社の都合で……この件は……何卒……ッ!」

 ここまで深々と頭を下げられては、彼に話を進めることはできない。だが、解せないこともある。

「それは致し方無いとは思うのですが……でしたら、そのような回りくどいことをしなくても」

 普通に天堂コンテンツから断ってもらえれば良いのだが。

「……しとれちゃんからの、依頼ですので……」

「檜さんの……?」

 そういえば、先程秘書の方もそのように念を押していた気がする。自分の部下と向き合うように、山田氏はこわごわと顔を上げた。

「いま……その……メイド喫茶でのライブイベントが……低迷しており……」

「それはつまり、スターの不在による……?」

 実力を伴わない湊が二代目に押し上げられるほど、現状唄える人材が不足している。元々、メイド喫茶は音楽イベントを提供する場ではない。ゆえに、このままではメイド喫茶界隈からライブ文化が消滅してしまう。山田氏のようなイベント運営に関わる人々にとって、それを放っておくことはできない。

「ゆえに、我々は……メイド☆スターの再来を……求めて……いるのです……ッ!」

 おそらく、湊に二代目を押し付けたのも、この運営会社の意向に違いない。だが、その二代目さえもアダルト業界に流れ――本当に風前の灯なのだろう。

「……わかりました」

 この件について深入りすれば、先方が要求してくるのは間違いなく『メイド☆スターのメイド喫茶業界への復帰』――それは、しとれのTRKからの脱退を意味する。本人の意思はともかく――プロデューサーとして、それを飲むことはできない。

「――では、そろそろ店内に戻りましょう」

 交渉の席にて、無理難題を吹っかけるのは心苦しいが――あとは、操にそのあたりの相場観がないことを祈るばかりか。

 だがしかし。

「も、も、もう少し……こちらで具体的な打ち合わせを……ッ!」

「?」

 山田氏はまだこの場に引き留めようとする。

「話し合いはなるべく手短に……持ち帰る形で……具体的な指示は、あー……こちらで、出しますので……」

「どうやら、他にも問題があるようですが」

「はい、秘書の、高林がですね……」

 初対面での見立て通り、決定権を握っているのは秘書の方だったようだ。

 と、思ったが――実際のところ、それどころではないらしい。

「彼女は、その……優秀()()()きらいがありまして……」

「は、はぁ……」

 たとえ役職が上だとしても、実力の差が明らかな部下を持ってしまうと胸を張ることなどできなくなる。

「私()()()が部長職になれた……のも、すべては、高林が難しい案件をすべて……仕切ってくれたおかげ、でして……」

 どうやら、操が受けていた印象は間違っていなかったようだ。

「しとれちゃんからのご依頼ですから……この一件を取りまとめて、メイド喫茶ライブを復興させよう……と」

「なるほど、それは……」

 どのような方向であっても、しとれを交渉材料としてくることは間違いない。山田氏の懸念はそれではないが、秘書の前で話を進めるべきではないことは理解した。

 TRKやしとれを守るためにも、ここは慎重に事を進めるべきだろう。

「それでは、卓上にお互い材料を並べたところで、うちのメンバーに頼んで連絡を入れさせます。急用であるとして。それをもって我々は引き上げますので――」

 そのとき――店内から女性の金切り声が上がったような気がした。

「……戻りましょう、急いで」

 彼が抱いていた深刻さは山田氏にも伝わる。

「は、はい……まさか……とは、思いますが……」

 どうやら、彼女にも悪い予感があるらしい。

 

 早足で店内への扉を開くと、騒ぎの元凶はすぐ目に入った。各座席はパーティションで区切られているが、()()()の上半身は隠れることなく、豪快に仕切りをも上回っている。このような惨状にも関わらず――彼は感じてしまった。()()()の眩い<スポットライト>を。

 思わず見惚れていた彼は、傍からは呆然としているように映ったらしい。

「はっ、は、は……早く……止めませんと……っ!」

「あ、は、はい。そうですね」

 部長に急かされ、早足でフロアを駆け抜けると――上半身だけでなく、下半身も想像通りの状態だった。

「いやぁ~ん♪ ミサ、恥ずかしい~❤」

 操はミーティングの用意はしていなかったが、このような小道具だけはしっかりと持参しており――これが、アイドルとしての操の姿である。今日はちゃんと両方のツインテールが付いており、赤縁縞縁の伊達メガネもきちんと掛け――そのニーソックスは、スカートがあれば絶対領域を作り出したことだろう。だが、いまの彼女にそれはない。スカートどころか、ショーツもない。股の間まで見られることを意識しており――毛の密度はやや濃いながらも、多すぎないよう梳いているし、割れ目の方は綺麗に剃られている。

 元々スポーツは得意としており、ダンスの方は難なくついてきた。そんな腰から下はきゅっと引き締まっており、掛け値なしに美しい。そして、胸の方も――そんなお尻とよく似合っているようだ。小さくとも身体を揺らせば胸先も一緒にふるふると踊る。自分の身体の魅せ方を自分なりに熟知しているらしい。

 しかし、よりにもよってこのような場所で――ッ! 美しく輝いていることは認める。だが、そこまで非常識ではないと思っていたのだが――操をノせた別の者がいたようだ。

「あーっはっはーっ! 酒ーっ! 酒呑ませーっ!」

 操と並んでいなければ同一人物だとは信じられなかっただろう。長い髪を振り乱し、色づいた先端まで余すことなく放り出された胸の膨らみは、服の上から受けた印象通りの豊満なもの。ソファに乗り上げ、片足は卓上を踏み締め――止めに入った男性店員の顔面を豪快に蹴り飛ばしてしまった。そして、そのまま股の間まで店中に見せびらかす。操と異なりムダ毛に気を配っておらず、脇はともかく、割れ目の方はもっさりだ。

 暴力沙汰が発生したというのに、操はさらに盛り上がる。

「いいねいいね~♪ アタシたちのカワユさに、文句があるならかかってきなさい☆」

 秘書に蹴られた方は、驚いて転倒しただけのようだ。しかし、操は男に対して容赦がない。もし力づくで止めようとすれば、空手キックで迎撃する構えを見せている。

 ふたりの上長たちは、思わぬ相手が裸踊りを披露していることに驚愕を禁じえない。だからこそ、山田氏は無意識に探していた。それは必ずあるはず、と。そしてそれは、堂々とテーブルの上に鎮座していた。泡の残った空のジョッキがひとつ。

「だっ、だ、だ……誰がビールを……っ!」

桑空(くわそら)さんっ! 食事は打ち合わせの後でと……ッ!」

「食いもんは、だろ? 飲みもんくらい先に呑ませろよ」

 ふたりがいなくなり退屈していた操が、ビールサーバーから注いできたものらしい。

「ま、ま、まさか……高林さんの前でお酒を……っ!」

 常識的に、会議をしながら酒を注文する者がいるなど考えもしなかった。そして、酒を飲んだ秘書に同調する者がいることも。

 酒に酔い、唐突に全裸となった秘書を、操は()()()。自分ばっかりカワユイところを見せびらかして――自分のカワユさも魅せつけたい――! 新歌舞伎町が近いこともあり――何より、堅物だと思っていた女の臆することにない脱ぎっぷりが気に入った。つまり――悪い意味で噛み合ってしまったのである。

 だが、山田氏は狼狽しながらも――この状況は()()()()()()だった。

「すっ、す、すいません! 警察対応は私がしますので……高林のことを……お願いします……っ」

 警察を呼ばれている前提で動いているところからも、どうやら初めてではないらしい。操はともかく、秘書の方は正常心を失っている。なので、腰回りに腕を失礼して、強引に肩へと担ぎ上げた。それを見た操は、少しだけ感心する。

「へぇ、意外と鍛えてるじゃねぇか……じゃなくて、プロデューサーさん、つおーい❤」

 少し地が出たあたり、素で彼を見直してくれたらしい。ほんの少しだけだが。なので、操もまた彼に協力することにする。

「よーっし、それじゃアタシ、外でお巡りさんを引きつける役してあげよっかな♪」

 可愛らしく言っているが、やることは危険極まりない。山田氏の発言で、これから警察が来ることは操も把握している。ならば、自分が全裸のまま追手を引き付ければ、その間にプロデューサーは秘書を担いで無事に逃がすことができるということだ。

 とはいえ、男に媚びていると思われるのも癪である。

「同じステージで脱いだ仲だモン。捕まってほしくないからね~」

 最近、新歌舞伎町内で全裸の女子が徘徊しているという噂を山田氏も聞いていたが――彼女がその張本人だと思い知らされていた。やはり、闇の街に常識は通用しないらしい、と。

「で、では……事情は後ほど説明しますので……」

 少なくとも、ここは闇の外である。おそらく引き金となったであろう秘書のことは予め承知しているし、自分ひとりで対応した方がこじれない、と山田氏は考えた。なので、オロオロしながらも彼らに退店を促す。それに応じる形で、彼は操を連れて離脱した。あとで店にも改めて謝っておかなくてはならないな、と頭を下げながら。

 

 夜の街は通勤帰りのサラリーマンで賑わっている。そんな中、裸の女と、裸の女を担いだスーツの男が飛び出してきた。この時点で、すでに騒ぎが飛び火したともいえる。ゆえに、速やかに沈下させなくてはならない。

「くれぐれも、やりすぎませんよう」

「だーいじょうぶっ。だってアタシ、カワユイもーん♪」

 そう言って、くにゃっと身をくねらせ、道行くの男たちに色目を送る。時と場所をわきまえない露出行為に、人々は欲情よりも危機感の方を募らせているようだ。しかし、プロデューサーは紛れもなく<スポットライト>を感じている。だから、彼は操と共にこの場から速やかに立ち去った。彼女たちを輝かせる舞台は、ここではない。

 

       ***

 

 実際に彼が山田氏より釈明を受けるのは翌朝のことになるのだが――辣腕でありながら、高林が秘書という立場に留まっている理由――それは、酒癖の悪さにあった。これまで何度も問題を起こし、その度に別会社への転職を余儀なくされ――三度目ともなれば悪い噂は広まっており、さすがに表に出ることは難しい。そのため、秘書という形で裏方に入った。山田氏を陰から支え、社に貢献するために。

 しかし――外で酒を呷る度に警察沙汰になっていたことは山田氏も聞いている。実際、今回も程なくしてやって来たらしい。ただ、操が現場の外で挑発してくれていたおかげで、天堂コンテンツは深く追求されることはなかった、とのこと。

 しかし。

 高林秘書の懲戒免職は避けられないだろう――山田氏からの報告を待つまでもなく――ライブが始まり静かになった劇場の控室にて、プロデューサーは察していた。ならば、新たなステージに立ってほしい。泥酔アイドル――非常に難のある売り出し方だが、一度<スポットライト>を感じてしまえば、それを放っておくことなどできないのが彼の(サガ)だった。

 部屋の隅を切り取った応接間――高林秘書はそこに寝かせている。照明をつけるのも忘れて彼は打ち合わせ用の席にひとり座り、様々なことを逡巡していた。

 まずは、いまも全裸で駆け回っているであろう操のこと。少なくとも、新歌舞伎町内に逃げ込んでくれれば、ただのストリーキングとして扱われる。それでも、TRK事務所に苦情は来るだろう。街の中ならともかく、外での露出行為は謹んでくれ、と。こういうとき、どこの誰が脱ごうがクレームを受けるのは、きっと無条件にこの劇場だ。実際、いつもやらかしているのはメンバーの誰かだし、もしも――兼業している『ハニートラップ』に話がいけば、口頭による注意だけでは済まされない。

 それに、山田氏と、迷惑をかけてしまった店のこと。明日の朝、改めて謝罪するつもりでいた。

 それから、高林秘書のこと。スタッフとしてステージを創ることは達者でも、自分が立つことなど考えたこともないだろう。しかも、ストリッパーとして。シラフで話を聞いてもらえるだろうか。

 そして、もうひとり――

 

「店長……ッ!?」

 

 扉が開かれると、暗い室内に四角い明かりが差し込んでくる。そこに立つシルエットは柔らかく、優しい。どうやら、ステージを終えてから直接来たようだ。

「私、心配で……山田さまに打ち合わせのお礼のためお電話を差し上げたのですけれど……」

 そこで、トラブルがあったことを知ったらしい。そして、匿うのであればここだろうと真っ先にやってきたようだ。出演者たちは演目の最後にカーテンコールが控えている。ゆえに、本来舞台裏から動くことはない。だから、しとれもそれまでに戻らなくてはならないのだが。

「ごめんなさい! 私……秘書さまのこと……っ」

「いえ、さすがに知らなくとも無理はありません」

 だが、しとれがメイド喫茶に籍を置いていた時期はそれなりに長い。

「……実は、噂話くらいなら聞いたことはあって……」

 しかし、とりとめのない流言で他人を貶めるのも良くないだろう、と判断し伝えなかった。それを事前に話していれば、このようなことにはならなかったはずなのに。

「やはり私は――」

 自分の立場は理解している。理解しているつもりだった。しかし――

「私には、メイド☆スターの肩書きに相応しくないようです……」

 そう言って、しとれが自ら頭上に手を伸ばしたので――

「お待ち下さい!」

 プロデューサーは慌ててその手首を掴んで止めた。しとれがこのような形でメイドとしての『魂』を手放そうとするなどただ事ではない。ただ、突然のことだったので――

「……っ!」

「す、すいません」

 驚きに顔を歪めるしとれに、慌てて彼はその手を放した。

 照明は暗く、廊下から差す光が目尻に小さく照り返しているのは、決して腕の痛みから来るものではない。

 肩から力が抜けたしとれに、彼は穏やかに真意を問う。

「……いま……“やはり”……と申されたようですが……」

 つまり、唐突なことではなく、ずっと考えていたことに違いない。

 ただ、それはここに訪れるずっと前から。

「何故か私はメイド☆スターと呼ばれ、私に憧れた、とお店に入ってくれたコも少なからずおりましたので」

 恐れ多いことに、とその言葉に付け加えて。

「きっと、本人的には私を立てようとしてくれたのでしょうね。けれど……私はそんな器ではありません」

 ライブとなれば、必然的にその中心に立つことになる。だが、その外側では――

「私はリーダーでもメイド長でもありません……っ、そんな私に……どうしろと……っ!」

 うめき声のような叫びは、彼に向けられたものではない。きっと、メイド喫茶では――事実上のトップとして持ち上げられてきたのだろう。だが、目の前のことには対応できても、人々の間を取り持つのは別の才能だ。そのようなことが続き――彼女は一線を引く。自分はメイドであり、ご主人さまにご奉仕するだけの存在だと。

 だが。

 この劇場に来て、やはり自分はメイド☆スターだと気付かされて――今度はうまくやる、と心に決めていたけれど――勝手にミーティングに参加して店長に心労を追わせ、イベント会社を勧めれば、適切な補足事項も説明せず警察沙汰に――やはり、自らしゃしゃり出るべきではなかった。身の程をわきまえるべきだった。

「店長……お願いがあります」

 それは、先程しとれがしようとしていたこと。

「メイド☆スターとしての名を、返上させていただけないでしょうか……」

 お腹の下で両手を重ね、静かに頭を下げるしとれ。だがそれは――かつて、彼に掲げてもらったものを、彼の手で外してもらいたいという現れ。

 ゆえに――

「いいえ、それはできません」

 メイド☆スターの肩書きが、しとれを苦しめていることは違いない。だが、それは向き合い方が誤っていたから、と彼は思う。何故ならば。

「橋ノ瀬さんが申しておりましたとおり――メイド☆スターは檜さんであり、檜さんこそがメイド☆スターなのですから」

 しとれは、メイドとして振る舞っているときが一番美しい。そして、彼女がメイドである限り、メイドの星――メイド☆スターなのだろう。しかし、その荷が重いと彼女は言う。ならば。

「私にも、その肩書きを支えさせていただけないでしょうか」

「え……っ?」

 しとれは驚いて顔を上げる。

「メイド☆スターとて、すべてを背負いきれるわけではありません。期待がその身に余るとき――何なりとお申し付けください」

 彼女に大いなる肩書きを背負わせてしまっていることは否めない。ならば、そんな彼女を支えるのが自分の役割だとプロデューサーとして思う。

「つらいとき、苦しいとき――微力ながら、私は何でもいたします。ですから――メイド☆スターとして、輝くお手伝いをさせていただけないでしょうか」

 メイド☆スターだからといって、何でもできるわけではない――かといって、何もできないわけでもない――どうしてそれに気づかなかったのか、としとれは唖然と受け入れる。きっとそれは、誰も教えてくれなかったから。手を差し伸べてくれなかったから。しかし、ここにはそれがある。気づいてくれた人がいる。だから――

「……まさにいま、つらいのですけれど」

 そう呟くしとれの中に、先程までの()()()はもうない。しかし、欲しいものはある。どんなことでもしてくれる、と約束してくれたのだから。

 ふわり――としとれはその胸により掛かる。そこは強く広く、彼ならば支えてくれるといった言葉も信じられるようだ。

 なので。

 しとれは顔をもたげて、目を閉じる。その約束が本物だと確かめるために。だが、彼は――このようなことになると思わず、少なからず戸惑っている。何しろ、自らどんなことでもすると言ったばかりだ。しかし、これは――プロデューサーとアイドルという関係として適切ではない。とはいえ、ここで彼女の期待に答えねば、自分の言葉が嘘になる。何より、これが彼女を支えることになるのなら――

 

 ガチャリ。

「ちょ……おま……っ!?」

「しとれちゃん! 何してんの……ッ!」

 

 慌てて振り向き、しとれが涙を拭ったところで部屋の明かりが灯された。入ってきたのは糸織と歩――ふたりもまた出番を終えたままの姿で。

「こ、これは……な、何でも……」

 しとれはすぐさま彼から離れるが、言い訳できない状況は目撃されている。

「何でもないわけあるかいッ!」

 暗い部屋でふたりきり――しかも、女の方は全裸で――正確には、全裸の高林氏もぐったり寝ているが――そんなところで顔を寄せ合っていて、何もなかったはずがない。

 彼は無実を証明するため、ポケットからティッシュを取り出し、ゴシゴシと強く唇を拭う。一先ず、移る色彩はないようだ。

 だからといって。

「あんさんなぁ……これまでPはんが平等に接してきたんを台無しにする気かいな」

 それはあまりに他人事のような責め方。ゆえに、見逃せない者もいる。

「そんなこと言って、先にオーナーに言い寄ってたのは糸織ちゃんじゃん!」

 歩は先日の六本木での一件を忘れていない。勝手に持ち場を離れて、プロデューサーの待機する車両に上がり込み――もう少し自分の到着が遅れていたら、糸織との間で一線を超えていたかもしれない。

 糸織を責める歩の姿はあまりにも他人事である。しとれがこの場で咎められたのは事実だが、歩にそのようなことを言う資格があるだろうか。

「それを言うなら、歩さまこそ大浴場で……ッ!」

 自分も同じ動機で近づいたことには違いない。だが、裸で抱き合っていたなど――あと少し遅ければ、歩との間で一線を超えていたかもしれない。

 だが。

「そ、それは……というか、いまのいま、現行犯のしとれちゃんに言われたくない!」

 ふたりがあのまま舞台裏で控えていたら、いま頃しとれとの間で一線を超えていたかもしれない。

 今日はステージが始まる前からどこか不安そうにしていた。それで心配して探してみれば、プロデューサーから直々に慰めてもらっていたのだから開いた口が塞がらない。

 もちろん、しとれにそこまでの打算はなかった。しかし、そうなってほしかったという願望は拭えない。

「現行犯ではありません! 未遂です!!」

 言って気づく。これは、歩とまったく同じ言い訳だったと。

 だからこそ、三人は同じ結論に行き着いた。薄々感じていた真実に。

「……あー、わかったで。うん、あんさんらのこと、よーくわかった」

 今日のしとれと、しとれが口にした歩の話で。糸織はひとしきり力強く頷く。

「ふたりとも、 紫希(しき)はんらと(ちご)うて……遊びやないやろ」

 糸織の言いたいことを、歩もしとれも正しく察していた。しかし、それはここで言ってはならないことだとも。

 だが、糸織はあえて口にする。

「ウチはな、Pはんのことが、好きや」

「な……ッ!?」

 と驚いているのはその男だけ。女子ふたりは黙って拳を強く握りしめる。

「頼り甲斐あるんに頼りなくて、ほっとけん。ずっと……うん、生涯添い遂げたいと思っとる」

 そして――まるで、彼は自分のものだと言いたげに――静かに歩み寄った糸織は彼の左腕を絡め取った。それを――宣戦布告としてしとれは受け取る。先程の一件について、抜け駆けしようとしていた自覚はあった。しかし、それに関する後ろめたさはすでにない。何故ならば、すでに――少なくとも、このふたりには抜け駆けされていたようだから。

「店長」

 彼の右腕を取るだけでは飽き足らず、そのまま踵を上げて――その頬に唇を触れさせる。

 目の前でそのようなことをされ、糸織は思わず舌を打った。だが、ここで自分まで対抗心を燃やしてはいよいよ収拾がつかない。自分にも六本木の車中での一件があるため、この場はあえて不問にする。ただし、歩が見逃すのならば――そう思い、彼女の出方を窺う。だが、歩にもしとれを責めることなどできようもない。自分が同じことをした現場を、しとれから咎められているのだから。

 踵を床に下ろすと――しとれは彼を睨みつける。だが、三人から同時に視線を送られ、彼は誰に焦点を合わせれば良いのかわからない。不審な挙動の彼に対して、しとれは一方的に詰問する。

「店長は、私のために何でもしてくれるとおっしゃいましたよね?」

 ハッとして、戸惑う彼の視線がしとれに下ろされた。当然、こんな状況で持ち出すために告げたのではない。それでもしとれは構うことなく。

「ならば……私を、愛してください」

 瞳をそらさず、じっと見つめたまま言い切った。が、これは糸織には煮えきらないように聞こえたらしい。

「なんや他人任せやな。愛されるより愛したい、って知らんのかい」

「それは、愛に満ち溢れてる人間の傲慢な言葉よ」

 これまで、メイドという形で周囲の皆々にご奉仕してきた。だからこそ、自分だって愛されたいとしとれは思う。そしてこの一言は――この場に向けての“宣戦布告”でもあった。

「お、メイド言葉はどうした、メイドはん」

「糸織は上司でもないし、ご主人さまでもないでしょ。それに……歩もね」

 ここまで会話に加われなかったもうひとりを、しとれは強引に引っ張り込む。何故なら、大浴場で迫っているところをその目で見ているのだから。この場で、傍観者のままなど許されない。

 当然、糸織も同じ気持ちで。

「歩はんは……どーすんのや?」

 唐突に話を振られて、歩はドキリと狼狽える。睨みつけてくる糸織としとれ――これまで向き合ったことのないふたりの顔。

「わ……私は……」

「ちゃうんなら、はっきりそー言いや。ほんなら許したる」

 少なくとも――違う、とこの場で口にすることはできない。しかし、ふたりのように想いを言葉にすることもできない。裸になれば何でもできる、と信じていた。けれど、むしろ溢れてくる想いを受け止めきれず――

「……フン、時間切れや。イクで。そろそろ大トリの Left&Light(エルエル)はんが終わる頃やろ」

 このような状況でも、糸織は自分の仕事を疎かにすることはない。何故ならそれが、プロデューサーに対する誠意だから。しかし――

「カーテンコールやで。……ウチら、『めいんでぃっしゅ』のな」

「!?」

 彼の腕への抱擁を解き、舞台へと向かおうとする糸織の小さな背中は、とても遠く、冷たく見えた。そして、ふわりと長い髪をなびかせ彼女たちの方へと顔を向ける。だが、その瞳に感情は見えない。

「自分の大切なモンを()ろうとしとるヤツと、仲良く唄って踊れるとでも思っとんのか」

 歩はそれでも、ふたりと共に唄いたいと願っている。しかし――

「…………」

 しとれの無言が現実を示していた。ゆえに、糸織はふたりからの視線を断ち切る。

「せやから、解散や。今日をもって、めいんでぃっしゅは活動無期限停止とする。ええな?」

 ゆっくりと頷くしとれ。直視できずに俯く歩。

 そして彼は――ただただ打ちひしがれていた。音楽業界とは切っても切り離せない問題――遠い日の話だと思っていたことがこんな目の前にあったのにも気づかず、そして、つらそうな女のコたちに対してどうすることもできない自分の無力さに。

 



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18話 古竹未兎

 突然のめいんでぃっしゅ解散宣言――ただしそれは、劇場公認というわけではない。だが、出演してもらえない以上、プログラムを組み替える必要はある。とはいえ、あの三人はこの劇場でも最大の人気を誇るユニットであるため、彼女たちが目当ての観客も少なくない。ゆえに、出演保証がないのでは、返金にも応じなくてはならないだろう。

 だから、というわけでもないのだが。

 非公式な解散から一週間後の公演――ホームページにはとある告知が追記されている。『驚天動地のスペシャルゲストがまさかの乱入!?』――ただ、その()()()()とは観客だけに留まるものではない。この劇場が、新歌舞伎町が、それどころか、日本全土を巻き込む騒動となるだろう。

 その中心人物をひと目見ようと、当日の劇場控室には十七人のメンバーが勢揃いしていた。不測の事態を考慮して、カラオケボックスは臨時休業――現場への入場も、動きを悟られないよう開幕一時間前に――今日のスペシャルゲストは、それほどまで厳重に扱わなくてはならない大物なのだ。

「ありがとうございます。アタシに、チャンスを与えてくれて」

 大物は、関係者に向けて丁寧に頭を下げる。テレビではハキハキサバサバとして、先輩たちにもタメ口で突っ込んでいたが、それはあくまでメディア用に作られたキャラクターだったらしい。

 太い縁に縞模様の入った大きなサングラスを掛けており、顔の半分くらいは覆い隠されている。ブラックジーンズのパンツを穿き、ダークブルーのTシャツは『IMPOSIBLE』の白地ロゴのみが入った地味なもの。それでも――芸能人の特性ともいうべきか、只者ではない雰囲気は確かに漂わせていた。

 ここまで来れば、もう変装は必要ない。眼鏡を取り、深くかぶっていたハンチング帽も脱ぐ。ステージではトレードマークとしていつもポニーテールにしていたので、髪が下ろされているというだけでも珍しい。それでも、誰もが知っている――一部、テレビを観ない(らん)などはよくわかっていないようだが――ほんの半年ほど前まで、数万人規模の会場さえ満席にする人気を誇っていたトップアイドル―― 古竹(ふるたけ) 未兎(みと)が、TRKの前に立っている。

  花子(はなこ)は、本物に会えて感激し、

 まこは、腰が抜けそうなほど恐縮し、

  紫希(しき)は、よく知らないけれどヤバイ相手だと直感した。

 お家柄から、そのような相手は初めてでない 糸織(しおり) 里美(さとみ)でさえ、無意識に姿勢を正している。

 一応、未兎は『ミトックス』のメンバーとしてやって来ていた。しかし、同メンバーであるはずのミカ、ミクさえもまるでアシスタントのように緊張している。

 このプレッシャーは、里美の来訪に匹敵するだろう、とプロデューサーは引き締まるものを感じていた。そのような人物の招致を実現させたのは、彼の隣で屹立するスーツ姿の眼鏡の女性――これまで、彼の付き添いは手の空いたメンバーが適宜行っていた。しかし、彼女が来て以来一任してもらっている――一任せざるを得ない圧倒的な事務能力――そして、補佐能力――彼女だからこそ、実現できたのだろう。 高林(たかばやし)(かすみ)――()()()()を起こした後、正式に前職を辞し、TRKプロジェクトにて彼の秘書を務めることとなった。

 しかし、プロデューサーとしては彼女を秘書だけに留めておきたくはない。何故なら、見出してしまったから。()()()()の最中に、<スポットライト>を。『自らステージに上がる気はないか』という問いに対しては、『その時が来ましたら』と答えるのみ。現状、スケジュール調整は彼女に任せているため、本人が納得してくれるまで待つしかないようだ。

「こちらこそ、ご足労ありがとうございます」

 霞もまた、ビジネスマナーに則って頭を下げるが、未兎の望んでいる関係はこのような他人行儀なものではない。ゆえに、顔を上げた未兎はニッと笑った。芸能人としてではなく、普通の女のコとして。

「……もう、こういうのはいいわよね。アタシたちこれから……()()()()()()になるんだし」

「「「!?」」」

 未兎は、これまで置かれてきた自分の境遇の特異さを理解している。普通の人たち――()()()()()()()()で生きてきた人たちにとって、自分はまさに別世界の人間だ。ゆえに、一度失敗している。その場のひとりとして馴染むことに。

 藁をも掴む低頭平身で加入を打診したミトックス――しかし、そもそも彼女たちは未兎のコピーバンドであり、本人の降臨は神にも等しい。最後輩のつもりで加入したつもりが、出会った瞬間に立場は逆転――この疎外感は尋常ではない。

 自分はもう、テレビ関係者ではなく、モニタのこちら側の人間――だから、新たに世話になるこの劇場ではせめて等しく――そう願っていたにも関わらず――見たところ、何人かは普通に接してくれそうだが、半数以上からはすでに距離を置かれている。肝心のプロデューサーさえ、動揺を隠しきれていない。これでは未兎も不安になってくる。今回限りではなく、TRKというアイドルプロジェクトに加えてくれるという話は、自分の勘違いだったのかと。

 ゆえに、霞はこの場で強引に話を進める。プロデューサーには通さないままで。

「問題ありません。不定期にはなりますが、古竹さんにはTRKのひとりとして、今後も引き続きこの劇場にて出演していただきます」

「しかし――」

 と口を挟もうとしたプロデューサーだったが、霞からのひと睨みで思わず言葉を止めてしまった。そして――これは、彼女の前職の上長・山田氏も手を焼いただろうな、と管理職として深く同情する。

 霞がここへ来てからまだ一週間に満たないが、彼女はメンバーだけでなくプロデューサーの気質をも適切に把握していた。女性を統べる代表者として、彼は女性に対して遠慮し過ぎる――それが、霞の出した結論である。だからこそ、今回の件は独断で進めてきた。許可を取ったのは、芸能界の禁忌とされている古竹未兎を出演させること――この劇場では撮影が禁止されているため、証拠を掴まれることはない。いまも未兎に圧力をかけ続けている 松塚(まつづか) 芸能(げいのう)がこの件を噂話として受け取り、どう動くか――その反応を見ることで打開策を探ってみる、という案だ。これは、TRKを表舞台に引っ張り出そうとしている PAST(パスト)プロデューサー 憐夜(れんや)(のぞみ)に対する牽制にもなる。松塚芸能との間でいざこざがあっては、テレビ業界へ進出などできようもないのだから。

 それはさておき――引退したとはいえ、古竹未兎はトップアーティストである。あえて脱ぐ必要もない。ただ唄うだけで<スポットライト>を放つことができるのはプロデューサーも感じていた。だからこそ、彼は彼女をこの劇場に上げる判断を下したのである。誰よりも唄いたがっているのに、唄うための舞台に立てない――そんな女のコを、彼が放っておけるはずもなかった。

 とはいえ。

 この劇場で唄うということは、裸にならねばならないことを意味する。女のコには敷居が高い。ゆえに彼も彼で、独自に代替案も検討していた。どうにか、カラオケボックスのミニライブ会場に上げられないかと。しかし、そこは間近とはいえ特区の外側。何かあれば松塚の手が直接下されかねない。だからこそ慎重に、何か抜け穴はないものかと模索していたが――第一案にてあっさりと承諾を得られてしまったのである。

 しかし、それはあくまで一回限りだから――彼はそう捉えていた。しかし、メンバーになるということは、今後も裸であり続けるということである。あの、古竹未兎が――?

 彼の脳裏には、いまも様々な心配事が駆け巡っている。だからこそ、未兎は感じた。 秘書(マネージャー)が橋渡しをしてくれたものの、自分はまだ、プロデューサーの信頼は得られていないと。歌ならば自信はある。ゆえに、危惧されているのは服の方か。

 ならば、それを証明するまで。

「それじゃ、早速だけど衣装を見せてくれる?」

「はい、こちらに」

 未兎からの問いかけに、霞は速やかに衣装掛けの方へとつま先を向ける。すると、その前にいた 朱美(あけみ) 春奈(はるな)は慌てて後ずさり道を開けた。霞は霞で、未兎とは別の意味で恐れられているらしい。そして、霞は指定の一着を取り、当人へと渡す。それをひと目見て、未兎はその滑稽さに思わず吹き出してしまった。

「チョーカーに腕袋にブーツだけって」

 他の出演者たちは――糸織とまこはフリルの強い揃いのガーリー、しとれと(もも)はメイド服、(ゆう)と里美はガールズロック――各々可愛らしい衣装を纏っている。だが未兎に渡されたものには決定的に足りないものがあった。装飾品は揃っているのに、トップスやスカートが掛かっていない。

「本来は曲の合間に一枚ずつ脱いでいくのがこのユニットの方針なのですが……」

 なお、外来のストリッパーたちは従来の流れに則り、ダンスショーと脱衣が切り分けられている。しかし、未兎はこれでもTRKのメンバーだ。

「悪いわね。すぐに新しい振り付けは用意しとくから」

 彼女のダンスはストリップを考慮されいない。ゆえに妥協案として――落ち着いたイントロではマントを羽織って静かに唄い、テンポの上がるAメロが始まると同時にそれを脱ぐ――わずか二段階のストリップ――霞からそのような要望を受け、未兎は受諾した。

 とはいえ。

 この姿で舞台に上がる――みんなの前で唄うためとはいえ――ちゃんと歌を聴いてもらえるのだろうか――いや、むしろ、ちゃんと唄うことができるのだろうか――結局、 吉坂稔(元カレ)とさえまだだったのに――お互い人気アイドルであり多忙を極めていたため、真っ当に一夜を過ごすことなく事務所に押さえられてしまったのだから。けれど、それで良かったと未兎は思う。第三者の言いなりになって別れ話を切り出してくるような根性なしが初めての相手だなんてあまりにダサい。

 むしろ、芸能界を敵に回しても自分を受け入れてくれた、この男にこそ――

 女性が着替え始めようとしている雰囲気を感じ、プロデューサーは席を外そうとする。しかし。

「待って」

 それを止めたのは、他でもない女性本人だった。

「ちゃんとそこで見ててくれる? 着こなし間違ってないか気になるし」

 しっかり見ていなさいよ。これが正真正銘、()()()()()()()()()なのだから――

 これに、まこが怖気づく。あの、天下の古竹未兎が自らシャツの裾に手をかけて――これ以上は見てはならない、とアイドルオタクは思わず腰が引けていた。

「そっ、そうだ糸織っ、そろそろ袖に行っとかないっ!?」

 しかし、そんな弱気な相方を糸織は一蹴する。

AB-solute(アブソリュート)は二番手やろ」

 このとき糸織は、未兎の空気に不穏なものを感じていた。それは、友に対して宣戦布告したことで鋭くなっていたからかもしれない。この女、どっかしらで()のことを――

 結論からいえば、それは糸織の考えすぎだった。少なくとも、この時点では。とはいえ、未兎の言葉にそれ以上の想いが込められていたことには違いない。それが何かのキッカケで彼の方に転べば、いつか――

 未兎が恥部をこのような形で晒すことに抵抗があるのは明らかである。もし、この場で着替えることができなければ、それを理由に力不足として叩き出してやる――ゆえに、あえてプレッシャーまでかけて。糸織は、徐々に顕になっていく胸元を凝視する。

 だが、未兎にそんな挑発を受ける余裕はない。初めて、男の前で――男に、自分の身体を見せるのである。同性の視線など気にしていられない。彼も彼で、目を逸らせない気迫を感じている。もし、無為に遠慮するようなことがあれば、未兎から叱咤を受けてしまいそうだ。ならば、それに応えた上で――誰と組んでもらうのが映えるか――それを検討するため、彼女の想いを受け止める。

 肩まで伸びる後ろ髪を襟口に通し、脱いだシャツは打ち合わせ用の机に軽く放った。もちろん()()()()()できたので、ブラは新品な上、汚れの目立たない黒。レースは自分のキャラに合わないと思い、控えめな白いリボンによって縁取られている。そして、上とお揃いのショーツも。とはいえ、このまますんなりパンツを下ろしていくのはまるでトイレのようで格好がつかない。これは、あくまでストリップなのだ。あくまで自己流、あくまで初心者。けれども、自分なりに。ジーンズのホックを外し、抱え込むように膝まで下ろしたところで、あえて上半身をもたげた。つま先の方には充分余裕もある。なので、ここからは手を使わずに――

 このようなパフォーマンスは、短くもない芸能活動でもやったことがなかった。けれども、うまくいった。そして、膝を高々と掲げたとき――()()()()()()()()()と確信する。いまはまだ落ち着かないけれど、本番になれば、きっと。

 右足が抜かれれば、左足一本はそう難しくない。思えば、水着はともかく下着を披露したことはなかったな、と未兎は思い返す。衣装もパンツルックが多かった。自覚はなかったが、スカートの翻りが危ういから、と言われて。別段そこに拘りはなかったので気にしていなかったが、いまでは当時のマネージャーに感謝しつつ――もう、パンチラどころではないな、と自嘲する。

 残るは二枚。未兎は背中に手を回すと、男の視線の先を確認する。ちゃんと胸に焦点は当てられているようだ。しかし、意外でもある。その眼差しは真剣そのものであり――初めてがこの男で良かった、と思う反面、もう少し嬉しそうにしてくれても、と物足りなさも感じる。けれど、それはきっと変わらない。こうして、カップを外したとしても。

 そして――未兎の予想通り、やはり変わらなかった。彼は純粋に、造形美として吟味している。未兎は肌の露出で売ってきたわけではないが、それでもステージに上がる者として日々スタイルには気を配ってきた。形を整える支えを失っても、その丸みは張りがあって美しい。頬の紅潮のように温かく染まる先はほんのりと優しい。ぷくりと突き出した小さな蕾もツンと彼の方を見据えている。

 初めて自らの胸を披露した未兎の鼓動は未だ収まりそうもない。男が冷静な分、自分だけが恥ずかしいことをしている、という意識に押し潰されてしまいそうだ。いますぐ両腕で隠したい。が、肩に力を込めて何とか耐える。

 未兎は、初めて舞台に立った六年前といまを重ねていた。それで、表情がぎこちなくなっていたことを自覚する。これは、新たな自分の初舞台なのだ。ならば、笑顔は絶やさずに。口元は上向きにできたが、見開かれた瞳は泳いでいる。

 このままでは耐えられない。早く次に進めてしまうため、残された下着に掴みかかろうとする。だが、その次に訪れるのはさらなる羞恥。何しろ、両サイドのリボンを解けば、簡単に崩れてしまうのだから。

 最初からそのつもりで、これを穿いてきている。自室でも練習してきた。足を閉じていてはうまくいかない。なのに、無意識に足を閉じ気味に構えていた。立ち位置を直すのってかっこ悪いな、と未兎はそちらを恥じる。本番では――音響とライトの中ではそうならないよう深く心に刻みつつ――足の開きを保ったまま、未兎は二本のリボンを高々と引き抜き――摘んだ両指をぱっと放す。

 ふわりと落ちた黒地の下着。その腰回りに残されているものはない。ならば、下は綺麗に剃っておいた方が可愛いのではないか、とも未兎は考えた。しかし、ステージの方針もあるし――何より、一度剃ってしまっては改めて生えてくるまで期間もかかる。なので、バランスが悪いところを整えただけ。これでいいのかはわからない。男も、何も言ってくれない。ただ、太腿の隙間をじっと見据えている。厭らしい雰囲気はないので、これから行おうとしていることが期待に応えることになるかはわからないが――未兎も一応ストリップについて勉強してきた。本来見えない股の間まで見せなくてはならないのだろう。どのようなシチュエーションになるかわからなかったので、何パターンか用意していたが、立ったままというのはその中で最も難しい。だからこそ、少し()()()()。自分ならできる、と信じて。

 それは、Y字開脚というほど華麗なものではない。腿は高々と持ち上げながらも、ふくらはぎは垂れたうさぎの耳のように。それでも、高度なバランス感覚と関節の柔らかさを要するため、メンバー内でもこなせる者は限られる。それを数日のうちに習得できたのは彼女が持つポテンシャルによるものだった。

 両足の付け根のその内側、ふわっと膨らんだ可愛らしい唇にひげは残っていない。だからこそ、彼女も堂々とこのポーズを取ることができる。ふぅ、と一息ついたところで我に返り、ついドスンと足を落としてしまった。詰めが甘いな、と未兎は反省する。そのすべてはもっと大勢の前に立ったとき――()()()()ステージで活かせばいい。

 もう脱ぐものはなく、あとは衣装を着るだけ。もっとも、両腕両足と襟元のみだが。それでも、この先躓くことはないだろう。ゆえに糸織も、一先ず未兎を認めることにした。

「……フン、まこはんイクで」

「う、うん……」

 めいんでぃっしゅの間に何があったのか、まこは知らない。しかしその日を境に、糸織の笑顔が()()()()なっている、と感じていた。早く本調子に戻ってくれないと、自分もやりづらい――糸織の底抜けな明るさがあるからこそ、まこも安心して頼れるのだから。

 未兎の初舞台は、一先ず終幕している。もし、ここで拍手でもされようものなら当人としても堪らなかっただろう。しかし、糸織が率先して場を離れたこと、そして、霞が柏手を打ったことで、新メンバーのお披露目はお開きとなった。

「はい、本番はもうすぐよ。みんな、準備して」

 AB-soluteに続いて出演者たちは本番へと向かってゆき、出演予定のない者たちは会議用のパイプ椅子に腰を下ろして歓談を始める。ようやく時が動き出したように未兎にも感じられた。これまで、自分のことで精一杯になっていたことを心のうちで詑びつつ、ずっと自分の後ろで直立していたふたりに声をかける。

「アタシはこれでイクけど……」

 TRKに加入するのは未兎だけだ。ゆえに、同伴したミトックスのふたりが脱ぐ必要はない。だが。

「もっ、もちろん我々もっ!」

()()さんと共にっ!」

 一応、ミトックスには『ミケ』という芸名で加入している。そう呼んでほしいと最初に頼んだから、ということもあるが――これは、彼女たちの決意に他ならない。

「だってこれが……ミケさんと一緒に演奏する、最初で最後のミトックスなんですからっ!」

 未兎が、自分のコピーバンドがあると知り、そこなら自分の正体を隠して唄えるのでは、と密かに混ざってみたものの――どこから情報が漏れたのか、ミケを加えた第二次ミトックスは、あらゆるライブハウスに出演を断られてしまった。なので、こうして一緒にステージに上がるのは初めてのこととなる。

 三人はミトックスとして活動を続けていくことも考えた。しかし、ここはストリップ劇場のステージである。ミカはともかく、ミクには脱ぎ続けていくだけの胆力はない。

 だから、これが最初で最後。

 ミカが果敢に脱ぎ始めている隣でミクは、ここは女子更衣室のようなもの、と思い込もうとするも――室内には堂々と男の人が混じっている。そんな、女のコたちの中からひとつの不安を、プロデューサーは汲み取った。

「高林さん、打ち合わせは外で」

 ここの女子たちは、男に裸を見せることを生業としている。プロデューサーが出ていこうとしても、むしろ引き止めるほどだ。にも関わらず、たったひとりのゲストのために――非常に甘い、と霞は思う。だが、相手は部外者だから、ということで納得し、彼女は彼に続いて外に出た。

 

 支配人室でも使えれば良さそうなものだが、そこでは()()()()が生活している。それに、本番が始まれば劇場の様子を見に行かなくてはならない――とプロデューサーは考えているが、それは秘書たる自分の努めだと霞も考えている。いずれにせよ、あまり長い時間は取れないため、立ち話で充分とした。

「松塚さんの方に動きは?」

 と、彼は尋ねる。松塚芸能――自社の()()に手を出した未兎を目の敵にしており、彼女と関わる者には秘密裏の制裁も辞さない――それを恐れ、関係者たちは完全に忖度している。だからこそ、霞は来た。いずれにせよ、ファミレスで乱痴気騒ぎを起こした彼女の懲戒免職は避けられなかったが、そこはそれ。古竹未兎の案件をまとめるのであれば、社に迷惑は掛けられない、として自ら辞表を提出してきた。

 ここは、松塚芸能の手すら届かない裏舞台である。とはいえ、指を咥えて見ているだけとは思えない。

丘薙(おかなぎ)さんを通して報告を受けておりますが――」

 霞は秘書として、メンバーたちを苗字で呼ぶ。その一線の引き方から見ても、舞台に出演してもらうには先が長そうだ、とプロデューサーは感じていた。

 それでも、いまは秘書としての手腕に期待している。

「――古竹さんには、二十四時間監視がついているようです。デモ音源を収録したスタジオは、()()()()として三ヶ月の()()()()に追い込まれました」

 そのスタジオを利用した者、その者を採用した関係者とは、今後一切取引しない――という松塚芸能による()()()の通達。だがそのスタジオは、コピーバンドに本物の古竹未兎が混ざっていたとは知らなかったので、()()()()()()によって恩赦を得た形だ。それもこれも、人気男子アイドルの九割を松塚芸能が牛耳っているからこその暴挙だろう。

 だから――

「だからヤなんだよねぇ。一社が突出するってのはよぅ」

 ここは関係者以外立入禁止である。そこに堂々と、のんびりした口調でその男は話に割って入ってきた。無精髭を生やし、短い髪をバリバリと掻きながら、のらりくらりと。薄汚れたブルゾンにヨレヨレのチノパン。見ようによっては、ガード下の浮浪者の風貌である。だが、霞は――前職の『天堂コンテンツ』は中小規模のイベントを扱っていたが、それまでは――それこそ、古竹未兎のような大物を相手にしていた。その経験により、相手の装いで見誤ることはない。

「…… 萩名(はぎな)様、本日はどのようなご用件で」

 とはいえ、萩名氏側は間違われることを密かな喜びにしているフシがある。顔馴染みならともかく、初見の相手に看破されたことは少し残念に感じていた。

「……ま、いいや。さっきまでホールの方にいたんだけどよ。……『めいん』ちゃん解散、って噂は本当だったみてぇだな」

 先週までのスケジュールでは、今日の一番は『めいんでぃっしゅ』として三人が登場予定だった。しかし、一番手でステージに上がっているのは歩と――メンバーの中では比較的歌の上手い(けい) 春奈(はるな)ではあるものの、やはり糸織たちと比べると聴き劣りは否めない。ゆえに、少なからず歪である。あの三人が揃えば、完璧な舞台となるというのに。

『めいんでぃっしゅ』としては出演できない――だが、メンバーに不調があるわけでは決してない――それをアピールするため、あえて三人はバラバラに上がっていた。しかしだからこそ、体調以外の理由で組もうとしない――そこに釈明がなければ、不調ではなく不和――たった数日で、ファンの間ではめいんでぃっしゅ解散疑惑が持ち上がっていた。

 しかも、歩の次に控えているのは糸織とまこによるAB-solute――さらにその次は『 糸織(まいど)』を欠いた『(めいど)(わいど)』――これでは、むしろ疑惑がより濃いものとなってしまう。

 三人の個別出演は観客の永続的な離脱を防ぐための措置だったが、想定より反応の進行が早い――霞は事前情報の把握の甘さを軌道修正することにした。

「丘薙さん、(ひのき)には、今日のステージは下りていただきます」

 おそらく舞台袖で待機しているだろうが、ここには萩名氏も来ている。直接は向かわず、すぐさま電話で指示を出すことにした。しかし、この演目変更にはプロデューサーとして承服できない。

「彼女たちのファンは多く、リハーサルもこの段取りで確認しております。何より、あと数分で一体誰を――」

 突然出番を奪ってしまったふたりについては後日フォローするとして――そもそも、彼女たちが勝手に解散宣言などしたのだから、そのツケであると霞は断ずる。そして、この急変はすべて自分の判断――ならば――

「……私が出ます」

「!?」

 プロデューサーは、霞をアイドルとして説得するためにはかなりの時間がかかると考えていた。なのに、こんなあっさりと――? 彼は彼自身、自分の審美眼を()()()()()。彼が<スポットライト>を感じた以上――高林霞に秘められた()()()()()()()()()()には一点の曇りもない。

 とはいえ霞自身も、こんなに早く機会が訪れるとは思っていなかった。少なくとも、表層上の意識では。しかし、心の奥底ではそれを望んでいたのかもしれない。今日は事前告知どおりの『スペシャルゲスト』が控えている。ゆえに、あくまで穴埋め。ここで未熟な自分が醜態を晒しても、未兎が続けば場の空気は盛り返せる。

「私が時間を稼ぎますので、その間にミトックスには出演の準備を依頼します」

 未兎乱入タイミングは告知していない。本来であれば大トリであるべきだが、フレキシブルに調整できるようにはしている。ゆえに、それは可能だ。

 有無を言わせない沈黙を責任者からの合意と受け取り、霞は自身のスマホを舞台裏につなぐ。

「……もしもし、丘薙さんを呼んでくれる? 段取りの変更よ。時間がないから急いで」

 霞の覚悟はすでに決まっている。『貴女には秘書ではなく、アイドルとしてステージに上がってほしい』――その言葉を彼からもらったその日から。自分には歌も踊りも何もない。年齢を考えれば、伸び代があるとも思えない。だが、それでも上がれと言ってくれたのだ。男のその言葉を信じているわけではない。だが、信じたかった。

 そして、ここがストリップ劇場であるという事実と――無意識下にある本能が結びつく。いま、必要なのは()()に違いない。もちろん、プロデューサーが持ち合わせていることなどありえないが――萩名社長が持参していたことは偶然である。昼行灯を装うための小道具として。ゆえに、それを差し出したことに深い意味はない。だが、それは霞にとって願ってもないことだった。

「そんじゃ、景気づけに一杯、どーだい?」

 糸織に指示を出し終わって一息ついた霞に差し出されたのは、三五〇のビール缶。その爽やかさを思い出し、思わず霞の喉が鳴る。しかし、それは彼女にとって許されないものだとメンバーたちには知らされていた。

「ちょーっとちょっとちょっと、そこのオッチャン!」

 ズカズカと割り込んできたのは――

「そこの秘書さんはね、お酒ダメなの!」

 まこはフリル満載の可愛らしいワンピースに身を包みながらも大股で、ブンブン腕を振り回しながら歩み寄ってくる。そして、まったく相手の正体にも気づかずに、こともあろうか社長相手に説教を始めてしまった。あまりの勢いに、プロデューサーが止めるのも間に合わない。

「てか、昼間っからお酒って……それよりここ、関係者以外立ち入り禁止なんだけど!?」

 いまさらながら、プロデューサーが止めに入る。

「あ、 天菊(あまぎく)さん! この方は萩名嬢の御父上で……」

 それを聞いて、まこは少し首を傾げた。里美さんのお父さんってヤバイくらいエライ人じゃなかったっけ……?

「……ウッソ、何でこんなとこいんの!?」

 慌てふためく小娘と若造――これこそ、萩名社長の見たかったものだ。

「カカカッ、いいねいいねぇ、嬢ちゃんは……まこちゃん、だったか」

「お、覚えていただいて……そのー……恐縮です……てか、ホントに本物?」

 別記事で確認した際にはちゃんとスーツを着ていたので、そちらの印象を拭いきれていない。だが、この期に及んで疑っているところも、萩名氏の期待するリアクションである。彼は、今後まこのことを一目置くことにした。萩名氏率いるライブネットは、企画モノを得意としている。もし、彼女が自社作品に出演したら――それを期待せずにはいられない。

「なぁ、プロデューサーさんよ、ここのメンバー、掛け持ち可だろ?」

「い、いまは本番中ですので、そのようなご相談はまた後ほど……」

 さらにややこしい話になりそうなので一先ず保留とさせてもらった。

「それより天菊さん、何故ここへ?」

 いまさらながらプロデューサーはまこに問う。霞が連絡したのは糸織だったはずだ。

「えーとね、糸織が霞さんを迎えに行ってやれって」

 それをまこは、まだここに来てから日の浅い霞が順路を間違えるのでは、と懸念している――と誤解していた。霞はまこが思うほど間が抜けているわけではない。ただし、それはいつもの霞であれば――

「あっ! 霞さん!」

 まこは慌てて止めようとするも、プロデューサーから肩を叩かれてドキリと身を竦める。皆に見守られる中、霞はビールの缶を傾けてゆき――

 霞はこれまで、何度も止めようと思ってきた。それでも止められなかったのは、アルコール依存症というわけではない。何故なら、霞は覚えている。酔った末の、自身の痴行を。それが、社会的に認められないことだとはわかっている。それでも――

 霞が求めていたのはアルコール自体ではない。アルコールをキッカケとする、その先のこと――!

 プロデューサーにとっても、これは賭けだ。ファミレスで見せてくれた<スポットライト>を、霞が再び放つことができるのか――もしできれば、きっと――

 ふわり、とした感覚に、霞は思わず飲みかけを滑り落としてしまった。しかし、込み上げてくる思いでそれどころではない。

 完全に、()()()()()()()()

 この場にいる者たちは裸の女に対して理解がある。それだけでもう――闊歩したくて仕方がない。いま纏っているものを全部脱ぎ捨てて。胸の先から股間まですべてを晒して。

 だが、この先はさらに()()()。きらびやかな舞台であり、ぎっしり詰め込まれた男たちが自分を下から見上げている。そんなところへ出ても良い、と他でもない責任者から許可をもらっているのだ。そんなのもう――止められるわけがない!

 だが、止められた。

「ちょっ、ちょっ……脱ぐのはステージの上だって……っ!」

 この場でブラウスのボタンに指をかけ始めた彼女をまこは何とか制する。ステージ上で脱衣を披露してくれれば、少なくともストリップとしては成立するのだから。

「よっしゃ、だったらとっととステージ行くべあーっ!」

 霞はすぐにでも脱ぎたくて仕方がない。その様子を見ていた萩名社長は堪えきれずに吹き出す。

「カ……ッ、カカカ……ッ、おめぇってヤツは、ホントおもしれぇ女ばっか見つけてくんなぁ!」

 それは、霞やまこだけでなく、自分の娘も含む。AV撮影の監督という立場にありながら、映される側を熱望して飛び出していくほどなのだから。

 少しでも目を離せば何かやらかしそうな霞を見守りながら、プロデューサーは時計を気にする。そろそろ歩たちが引き上げ、その次の次のミトックスたちも糸織からの連絡を受けて準備を始めているはずだ。そして、その間を取り持つのが、このふたりによる急造ユニット――『泥酔ワークス(仮称)』となる。

「天菊さん、 高林(たかばやし)さんをよろしくお願いいたします」

「ウッソ!? この霞さんをステージに上げる気!? バカじゃないの!?」

 とひとしきり罵倒しても、まこは決して無理だとは言わない。

「おーぅふ、任しときーってぇー!」

「任せられてんのはこっちだってば!」

 普段の霞――いや、数分前の彼女からは想像もできない姿である。それでも、プロデューサーに迷いはない。彼女は今日も、眩いばかりの<スポットライト>に輝いているのだから。――ただし、ステージとして成立するかはわからない。そこは、()()()()()()()()まこにすべてを託すことにした。

 

 とはいえ、霞にステージで主役となった経験はない。ゆえに、MCとしてひと枠使い、そこで全裸ショーを披露している。

「ちょ……きゃーっ、霞さん落ちちゃう落ちちゃう!」

「うっせーわー! 万のチンポがアタイを待っとるっちゅーねん!」

「待ってないから! そこの人っ、おいでおいでしないのーっ」

 ここで爆笑。

「ぐにゅにゅ~……アタイの行く手を邪魔するヤツは……くらえいっ!」

「ぎゃーーー!? そんな乱暴にしたら――あふぁん❤」

 ホールで一体何が起きているのか――廊下から送り出したプロデューサーたちにはわからない。だが、ここまで届くのは悦びの声と笑い声、そして、感嘆。ただの酔っ払いの痴態に留まらない何かが、そこにはあるのだろう。

「……ステージの方はいいのかい?」

 本当は、新たな光を見守りたい。

「ええ、ここから先は、私の手に余ります」

 完全にアドリブであるため、見守ることだけしかできないのが実情だ。

 そして、そのあとは本当に何が起こるかわからないミトックスの出番――それまでに、()()()()()()は解消しておきたい。萩名社長の突然の来訪――決して、ビールの差し入れのためにきたわけではないはずだ。そんな若者の意向を汲み取り――萩名社長としても、公演中のステージからプロデューサーを長々と離しておくわけにもいかないだろう。ゆえに、手短に。

「『めいん』ちゃんたちも、オメェの手には余るのかい?」

 先程、霞に対してもそのようなことを言っていた。解散の噂を聞いて客として潜り込み、『めいんでぃっしゅ』の代わりに歩が独自に出ていたことで確信したのだろう。

 これは、自身の手腕を疑われている、とプロデューサーは覚悟した。しかし、怯むことはない。

「……必ず、彼女たちは復活させます」

 それは、根拠のない確信をもって。

「……そーいうことなら、まーいーぜ」

 若者からの熱意を受けて、もう少しだけ猶予を設けてやることにした。

「けどよ、もしあのコたちがこのまま――」

「そのようなことはありません。決して」

「あーそーかい」

 強く遮るプロデューサーに、萩名社長もそれ以上言及することはやめた。が、現実だけは伝えておく。

「あんまグズグズしてるよーなら……ま、その先は言うめぇ」

 よったよったと、一般フロアの方へと去っていく。その背中は頼りなさげにふらついているのに――まるで、死刑を宣告しに来た死神のようでもあった。娘に免じていまは見逃してやっている。何かあれば、簡単に潰すことなどできるのだ――と。

 

 そして、まこたちもようやく出番を終える。

「ということで……新メンバーの霞さんでしたー……」

 ここからは本当に油断できない。プロデューサーは次の枠に備えて客席の方で待機している。立ち見席――一三〇席余りのフロア全体を見通せる奥の隅に。

 まこは本当に頑張ってくれた。隙あらば客席に飛び込もうとする霞を幾度となく引き止め、引き止めれば霞から逆襲を受け――その内容は、ストリップの域を逸脱していたが――彼はまこの()()()()()()()()()()()()()を見れた気がする。今後は、そのような方向性も検討した方が良いのかもしれない。本人さえ許諾してくれれば。

 花道には円形のリフトが備え付けられている。これは、女のコを乗せたままメインステージと盆を往復するためのものであり――決して荷運びのためではない。だが、この移動式の小舞台に脱ぎ散らかした服と霞本人を乗せると、まこ自身もそこにぐったりとへたりこむ。膝を突いて、頭からリフト面に突っ伏すように。高々と持ち上げられたお尻は丸裸であり、そこから女のコの割れ目が覗いている。それを覗こうと、男の視線が集中していることに本人は気づいていない。このような無防備さも、まこの魅力のひとつといえる。

 そしてそのまま、すーっと盆から花道を通り、左右から閉ざされたメインステージの幕の隙間へと吸い込まれていった。マイクが未だゼーハーというまこの呼吸音を拾っているので、よほど疲れたのだろう。

 これまでになかったタイプのステージは、確かに盛り上がった。しかし、それがひと段落ついたところで――それは残念な失笑に変わる。確かに、ある意味『驚天動地』な新メンバーではあった。しかし、観客たちが本当に望んでいるのはドツキ漫才のようなコントではない。先日から急に『めいんでぃっしゅ』が登場しなくなり、ついには代わりに楽曲さえないMCまで挟まれた。客たちの中には、惰性で来ている者も多い。目当ての『めいんでぃっしゅ』が登場しないとしても、せっかくチケットを取ったのだからと。

 それに、興味深い告知も打たれていた。『驚天動地のスペシャルゲストの乱入』 しかし――それが先程の舞台だとしたら、あまりにも()()すぎる。この劇場はお笑いに舵を切るつもりなのだろうか。

 誰もがそう考えていたからこそ――いまのが『乱入』だと考えていたからこそ――その第一声に、観客たちは意表を突かれた。

『皆さん、()()()()でーすーっ』

 ()()がこの劇場に出たことはない。

 ()()が出ていた場所はもっと広く、もっと身近に。

 ここ数年、CMまで含めれば、()()が地上波に乗らなかった日はなかっただろう。

 その、半年前までは。

 閉ざされた幕の隙間をくぐって現れたのは――その人物はまるで修道女のように、肩から足元まで垂れるマントに全身を包んでいる。顔だけでは、()()が本人であるとは断定できない。そのポニーテールも――わざわざ、髪型まで合わせて――あまりに酷似しているからこそ、むしろ無意識のうちに胸中で否定してしまう。()()は本来、このような場所にいる人物ではないのだから。先程の件もあり――そういえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()。スペシャルゲスト第二弾――“そっくりさん”のストリップであれば、ある意味『驚天動地』――観客たちは、そう()()()()()()()()

 ホールに流れるのはしっとりした前奏。ここにその楽曲を知らぬ者はいない。それは六年前――衰退の一途を辿る邦楽業界にて十数年ぶりのミリオンヒット――当時は救世主だとか持て囃されていたことを、()()は思い出していた。

 決して増長していたわけではない。

 だが、もう少し意識していれば、このようなことにはならなかっただろう。

 ()()はただ、歌が好きだっただけ。

 たくさんの人に歌を聴いてもらえる場所がある、と誘われただけ。

 しかし、そこに一度踏み込んでしまったばかりに――今度は逆に、歌を聴いてもらえる場所を奪われた。

 そして、気づく。アタシは、本当にそこが好きだったのだ――と。

 だからこそ、感謝する。ありがとう――アタシを再び、歌の舞台に立たせてくれて。

 けれど。

 やっぱりまだ、マントの中で足は震えている。

 この内側の自分の姿を思って。

 ただ。

 緊張はあるが、不安はない。

 自分の()()()は、もう済ませている。

 これは、二度目――だから、心配ない。

 胸に向けて、意識を集中させれば――

『~~~~♪』

 最初のひとフレーズで、すべてが変わる。

 会場内のすべてが、()()に注目する。

 これが、()()の力なのか――暗闇の中でひっそりと照らされていた花道が、まるで、真夏の野外フェスのように炸裂した。

 圧倒的な光と熱――ここまでの<スポットライト>はなかなかお目にかかれるものではない。

 そして、()()の足の震えも止まった。

 これから唄える――その喜びによって!

『~~~~っ♪』

 マントを外す手つきに迷いはない。そしてそのまま、歩いてきた花道へと放った。曲調が変わり、メインステージの幕が開いていく。だが、それに気づいている観客は誰もいない。

 半年前まで、あらゆる音楽番組に出演し、

 様々な衣装を身に包んできた()()だったが――

 このような姿は誰も見たことがない。

 膝下まである真っ黒なブーツ。

 肘まである腕袋は靴と同じく革製のもの。

 黒い襟のチョーカーから垂れ下がるのは白いスカーフ。

 それらは、()()のデビュー曲のMVにて着ていたもの。

 だが、その他は――

 胸元を覆っていた革のトップスのカップは浅かったが、それでも湛えられた柔らかさをしっかりと受け止めていた。

 黒光りするスカートは腰から裾まで一直線に切れ目が入っており、中に穿いているのか、いないのか――そのスリットから肌しか見えなかったことで、年頃の男子たちの間では論争になっていたらしい。

 だが、いまは断言できる。穿いていない、と。何故ならば、疑惑の原因となるスカート自体が穿かれていないのだから。一枚脱げば、そこには割れ目を覆うように控えめな毛がふわりと生え揃っていたのだろう。ただ、いまはそれを想像したり、覗き込んだりする必要はない。それを遮るものは何もなく、男たちの目に飛び込んでくる。

 下と同様に、上にも論争はあった。その胸は寄せて上げているだけではないか、パットで厚みを出しているのではないか――その疑惑にも終止符を打つ。ゆったりと肋骨の上で膨らんでいる二房は誰もが認める立派なもの。そのふたつの頂きに至るまで、何ひとつ偽る余地はない。さらにいえば、ぷくりと中身の詰まった丘を彩る花園も華やかに咲き誇っている。

 会場中の視線の集まる中心――盆の上で()()は名乗りを上げた。

『TRK、本日ふたり目の新メンバー……古竹未兎っ!』

 もしこれが偽物ならば、確実に訴えられる案件ではないか――未だ誰もが信じられない。それでも、信じたい思いもある。あの古竹未兎が、自分たちの前で胸を、お尻を――覗き込めば、その割れ目さえ拝めてしまうかもしれない。そんな姿で――舞台に立っているのだと――!

 未兎はAメロを唄いながらメインステージへと戻っていく。会場に背中を――束ねた後ろ髪を――そして、丸いお尻を振りながら。彼女の衣装にはパンツルックが多い。ぴっちりした線はダンスの際に揺れ動いていた。そして、いまも。包み込むものがなくなったことで、より激しく。軽いステップで跳ねるように――誰もがそこから目を離せない。

 そんな彼女を迎え入れるのは、お揃いの衣装の――裸の胸の間にギターのストラップを通したミカと、キーボードの鍵盤の下から大人の毛を覗かせるミク。

 ミカは、何だか楽しくなっていた。慣れ親しんだ相棒の硬く冷たい感触を素肌に感じ、股の間にも風がそよぐ。胸は熱いはずなのに、何故か涼しい。そして、目の前には、憧れのアイドルの生尻が。一周回って笑ってしまう。

 そして、ミクは――今日の姿だからこそ、これで良かった、と思った。すべての男たちの視線はボーカルに集まっており――きっと、自分の裸を覚えている者など――それこそ、自分が舞台に立っていたことを覚えている者さえいないだろう。

 最初から、分不相応だった――いずれにせよ、第二次ミトックスは解散する運命にあったようだ。けれど、これは最高の思い出になる――だから、全力で 演奏(かな)でよう――!

 そんな中でも、彼だけは――やはり、背後のふたりからは<スポットライト>は感じられないことを寂しく思う。プロデューサーとして、未兎と共に輝きを見出したかったが、それは結局叶わなかった。だとしても、このステージだけはやりきってほしい。

 会場は誰が盛り上げる必要もなく、これまでにない最高潮を迎えようとしている。だが、そんな中で――

 チラリ。

 客席の中でただひとり、後ろを向いている者がいる。必然的に、ホール内を見回しているプロデューサーと目が合った。むしろ、その客が彼と目を合わせたのかもしれない。そして、視線の意味を理解して――己の監視が不完全だったことを自覚させられる。誰もが光に夢中になっている中で一際暗く落とされた影――静かに、さり気なく、壁の縁に沿って忍び寄ったその先で――

「……ッ!?」

 花道と向き合う最後列に座っていた女は、膝に鞄を乗せていた。それに男から手をかけられたことで、大切な秘密を守るようお腹を抱く。それで、確信した。

「ご同行いただきます」

 会場内は撮影厳禁であり、スマートフォンを取り出すことさえ許されない。とはいえ、何とかして映像に収めようとする者は後を絶たず――プロデューサーは、そのような違反者からメンバーを守るためここにいる。絶対に逃さないという強い意志を、手首を掴む男から感じて女は観念した。彼は言葉に出すことなく、隣の席の女性客に感謝する。この熱気のおかげか、このやり取りに気づいた者はほとんどいない。壇上で奏でるメンバーふたりさえも。ゆえに、辛うじて救われた。古竹未兎の、TRKデビューライブは。

 

       ***

 

 本番前、控室に集まっていた女のコたちも一通り解散している。ふたりきりの会議机で、プロデューサーは盗撮者に対してカメラの提出を求めていた。

 しかし、盗っ人はいつでも猛々しい。ふっくら豊かな彼女の胸に、鞄はしっかりと抱きかかえられている。

「はぁ? 何の権限があってンなことゆってんの?」

 ただでさえこの会場で女性客は珍しい。だからこそ、近隣の男性客は異性に対して気を使ってしまい、あえて意識しないように――それを計算に入れての狼藉だったのだろう。実際、同性によるアイコンタクトがなければ、プロデューサーも見落としていたかもしれない。

 現場を押さえられたとはいえ、盗撮自体を否認しては虚偽の罪状が加わってしまう。ゆえに、そこは肯定しなければ否定もしない。だが、たかだか劇場のルールによって私物を押収することなどできないはずだ、と女盗撮犯は開き直っている。

 確かに、彼らにそのような権限はない。入場前に手荷物検査を行い、従わない者には入場自体をお断りする――その案もあったが、街の性質上、私事に踏み込みすぎるのも危険なので断念された。実際、そこまでしなくとも――このような事態は初めてではない。ただ、警察に通報するようなことはなく、出禁とするだけに留めている。しかし、今回のようにカメラの提出を頑なに拒む者は初めてだ。これまでの相手は素直に従い、データの消去までは合意してもらっている。仮にここで持ち帰ったデータをネット上に流せば、そのときは改めて肖像権と――営業妨害の罪で多額の損賠賠償を請求せざるを得ない。

 今回、このような者が現れることは事務所としても事前に予想していた。未兎に監視はついていたが、表社会のエージェントは新歌舞伎町に近づくことを忌避している。ゆえに、そこから先は別の者に頼むはずだ、と。

 つまり、今回の違反は下心や拡散目的ではない。松塚芸能による監視の一環である。

 今回のシークレットライブは、ストリップ劇場が撮影禁止であるゆえに相手の出方を見る威力偵察として成立し得た。ここで証拠を持ち帰られては、松塚側から徹底的な攻撃を受けるかもしれない。TRKは、表の芸能界と直接的な関係はないとはいえ、昨今営業活動が盛んになってきている。プロジェクトとして表舞台に立つことはないが、メンバーの一部がそのような仕事を請けることも検討してきた。そのとき、様々な悪影響が出てくることだろう。

 ただ、そのような事情はさておいて。

 彼は生粋のプロデューサーだ。ゆえに、このような形で出会ってしまったことを、とても残念に思う。

「私はずっと、貴女を探しておりました」

 しかし、犯人側にその認識はない。

「はぁ? 何でよ」

 彼の想いを――()()も知っていた。部屋の外で盗み聞きしている者がいるのはいつものこと。なので、突然の入室者にプロデューサーが驚くことはない。そして、()()が入ってきた理由も承知している。

「……チッ、諦めの悪い男やな。それが、その(アマ)の本性やで」

 AB-soluteの出番はなかったが、糸織はその衣装のままだった。妖精のような可愛らしい姿で、彼女はプロデューサーの甘さを咎める。

「本当に、残念です――」

 その歌唱力は申し分なかった。カメラの前での脱ぎっぷりも。しかし、決定打がなかった。しかし、それが見つかることなく、彼はスカウトを断念する。

「――()()()()()さん」

()()()()よ!!」

 特徴的なミディアムソバージュは、当時と変わることはない。服の上からでも肉付きの良いプロポーションは視認できる。ただ、彼が知っていたのは『あんにゃ』が脱いだ後の『にゃむにゃ』名義のものだけ。しかし、その名を嫌う、ということは――PAST――裸の女性の卒業式―― 橋ノ瀬(はしのせ)(みなと)と組み、 憐夜(れんや)(のぞみ)によってプロデュースされたふたりの片割れ――その時点で、裸で活躍してもらうことについては諦めるべきだったのだろう。

 誰もが承知の通り、彼は女性に対して非常に甘い。ゆえに、霞さえ健在ならば任せても良かったが――いや、それでも糸織は出てきたことだろう。この女とは、自分が話をつけなくてはならない、と。

「キサマが出てきたっちゅーことは……」

 あんにゃを睨みながら、糸織はプロデューサーの隣の席に座る。かつてのライバルと対面したことで、あんにゃも遠慮なく本性を――いや、()()()()()()へと振る舞いを変えた。ここにいるのは、歌い手としての自分であるとして。

「ま、隠すこともない()()。リーダーの差し金()()

「うわ、まだそのキャラで通すつもりかい」

 プロデューサーとふたりきりで対面していた間は、まだ自分の正体が割れていない可能性にも期待していた。しかし、バレてしまったからには仕方がない。これは()()()()として――糸織に向けた完全復活の意思表示である。

 糸織とあんにゃの間の因縁は深い。当時を彷彿とさせる火花を散らせる傍らで、プロデューサーはあんにゃがリーダーと呼ぶ人物のことを考えていた。希がこのTRKプロジェクトを潰しにかかっていることは承知している。彼女は、どうやら本気で手段を選ぶつもりはないらしい。こちら側へ来い、と手を差し伸べていたあの希が――

 しかも、そのために自分がプロデュースしているアイドルさえも、このような危険に晒している。

「この街でこのようなことをしては……ただでは済みませんよ」

「他の店だったらにゃ」

 どうやら、希からプロデューサーの性格を聞いているらしい。女のコにはどこまでも甘いことを。

 ただし。

「ま、他の店でもやったけどにゃ。リーダーのためにゃら」

 何やら狂信的な雰囲気を感じ取り、糸織は水を差しておく。

「さっきからリーダーリーダーと。希はんは唄わんやんけ」

 そもそも、PASTはふたりユニットである。ゆえに、三人目がリーダーを務めるというのも筋が合わない。

 が、糸織からの指摘に、あんにゃは逆にほくそ笑む。

「あー、そーかそーか。アンタらは知らにゃかったんよにゃー、リーダーの本職」

 糸織を通じてエージェントに頼めば、すぐに判明することだろう。だが、勝手に探れば、信頼関係は二度と修復できようもない。

「リーダーはにゃ、()()()のチームのリーダーだったのにゃ」

 しかし、それは良くない思い出だったらしい。話しながら、あんにゃの瞳から光が消えていく。

「初めて入った会社……固まることなく肥大し続ける仕様……月三〇〇時間を超える残業……休出……時間外は無給……なのに、不具合はすべて現場の責任だと上層部から詰られる毎日……相次ぐ発狂……過労死……そんな地獄から救ってくれたのが……リーダーだったのにゃ」

 そのような労働環境はいまどき限られている。糸織もプロデューサーも、希の業種が何なのか察しがついた。

「リーダーからの命令は、古竹未兎出演の証拠を掴むこと。その後のことなんて、あんにゃ知らにゃーい♪」

 プイと横を向くが、チラチラと横目で糸織を窺う。

「そこの女狐が路頭に迷ってくれたら、それはそれで滑稽だけどにゃー」

 女狐――アダルト動画時代の『こんきつね』というハンドルネームのことを言っているのだろう。だが、糸織にとってその名は屈辱ではない。むしろ、勝利の証でもある。

「ま、ウチはどんなになっても唄い続けるけどな。本職がどーのと()()()して歌を辞めたもんと(ちご)て」

「にゃ……ッ!?」

 だが、あんにゃにも言い分はある。

「話聞いてにゃかったにゃ!? 唄うどころか、死にゃにゃいだけで精一杯――」

「せやったら、そんな仕事に就いた時点でウチらの勝負は済んだんや」

 糸織は令嬢の娘として、名家の栄枯盛衰の数々を少なからず見せつけられている。ゆえに、理解していた。継続することの難しさ、そして、大切さを。

「で……でも……()()()にだって生活があるにゃ! 唄いたいの唄えにゃい日々……その気持ちはアンタにゃんかにゃわかんにゃいにゃ! この…… 成金女(にゃりきんおんにゃ)!」

 金の力でコスプレ衣装を取り揃え、ネタだけで上位に食い込んできた――あんにゃは、糸織をそのように疎み、嫌ってきた。ゆえに、決して歌の実力を認めるわけにはいかない。だが、糸織は僻まれることに慣れている。

「ウチがカネモ知っとったなら、金でもなんでもせびりに来れば良かったやろが、貧乏人」

 自分はお嬢様であり、資産運用で生活できる身分である。糸織はそれを必要以上に隠さない。嘘をついて(のち)にバレるくらいなら、むしろネタにしてやろうと決めたのである。尾びれ背びれをつけてホラ半分に吹聴するため、大抵の人たちはそれが真実だとは思っていない。それが真実だと知っているのは、あんにゃと糸織の関係だからでもある。

「んにゃことできるわけにゃいでしょ!? アンタ、逆の立場だったらそれができたにゃ!?」

「ああ、できたで」

「!?」

 あまりにすんなりと返されて、あんにゃは思わず呆気にとられた。しかし――これはズルかったな、と糸織は自分の発言を振り返る。

「……スマン、嘘や。できひんかったろーな、当時やったら」

 突然しおらしく訂正する糸織に、あんにゃは逆に戸惑っている。

「てか、ぶっちゃけ、あんさんのこと敵視しとったの、歌やのぅて、乳のデカさでウチの上に立っとると思っとったからや」

「にゃ、にゃんにゃのにゃ、さっきから……」

 この雰囲気は、歌い手として争っていた頃のものではない。つっかかりづらい糸織に、あんにゃは言葉を迷っている。

「あんさんがどこまで調べとるか知らんけど……ここのおにゃのこ見てみぃ、DやらEやら当たり前、桃はんに至っては驚異のJカップやで」

「にゃぁ……」

 Hカップであるあんにゃにとってみれば、DだのEだのは馴染みの域だ。Jはスゴイと思うが、それについて興味もない。

「んなとこにおったら、巨乳はむしろ没個性。逆に、Bのまこはんと組んだら大盛況や」

 それが、AB-soluteである。

「何で、それに気づかんかったんやろなぁ。 関東(コッチ)来て、関西人である自分を活かせるよーになってたっちゅーに」

 捨てようとした自分も大切な自分の一部――それを大切な人が教えてくれたから。

「せやからな、あんさんが活動しとったとき……なして回転数で勝てんかったか、ここに来てようわかったわ」

 最初は特に。周囲は全員ライバルだとして。だが、短い間ではあったが――彼女も少しずつ変わってきている。そして理解した。あんにゃに数値で勝てなかった理由――それは、自分を活かしきれていなかったからだと。

「ウチに孤高は似合わん。みんながおるから、ウチがおるんや」

 プロジェクトの一員としての自覚を持ち、他の巨乳や微乳と組むことで、会場全体が盛り上がっていった。そして、幼児体型な自分自身も。

「せやから、ウチはみんなでトップを目指す。ウチが関わったモンは、みんな一緒にトップに立たせたるわ」

 あんにゃ――にゃむにゃと撮ったコラボ動画――それを、にゃむにゃが引退してなお消さなかったのは――敗北の傷跡をいつまでも残してやる()()()()のつもりだった。しかし、内心――それなりに気に入っていたのかもしれない。

「せやから……まー……あんさんやPAST組も、仲良うやるゆーんなら――」

「……ハンッ、アンタらしくにゃい手口で少し驚いたけど……そんにゃ話にゃ乗らにゃいにゃ」

 糸織は、純粋に戦いたかった。歌でも、身体を張った別の何かでも。それが、自分も相手も盛り上げることだと信じて。しかしあんにゃは、結局ただの懐柔だったと断ずる。

「アンタがここで(にゃに)があったか知らにゃいけど……()()()はアンタが悶え苦しむ顔が見たいのにゃ!」

 あんにゃには、同業者に引き上げてもらうつもりはない。だからこそ――プロデューサーという立場で接してくれたからこそ、希の手を取ったのである。

「これまで()()()に楯突いてきた連中……アンタも、元カレも、言いたい放題言ってくれた客先も全部……全員つま先からジワジワとロードローラーに轢き殺されてしまえばいいにゃッ!!」

 おそらく、就職先でよほど辛い目に遭ってきたのだろう、とプロデューサーは察する。それが簡単に拭えるものではないことも。

「そったら、もしリーダーがあんさん裏切ったらどーすんねん」

「恨むにゃ。地獄の果てにゃでも」

「そーか」

 あんにゃは誰も信じない。親しき仲でさえ、裏切られる瞬間を狙い研ぎ澄ましているとさえ感じる。これはまるで、野生の猫の警戒心。

「……ほんじゃPはん、一先ず今日は、ここまでやな」

 撮影データについては気になるが、ここで奪い取ることは難しい。

「ええ……わかりました」

 ここからは、松塚芸能と敵対してしまった前提で動く必要はあるだろう。

「お客様のおかえりやでー!」

 糸織が扉の方に向かって叫ぶも、返答はない。

「……誰にゆってるにゃ」

「さーな」

 それは、自分と同じように聞き耳を立てていたであろう連中に向けて。

 ゆえに、開放されたあんにゃが退室したところで、廊下は無人だった。何も気づくことなく、彼女は去っていく。盗撮データについては触れさせないまま。

 そして。

 このままできる範囲であんにゃへの対策を立て始めてもいい。だが――カーテンコールまではまだ時間があるだろう。先程の、あんにゃに対する訴えというか、独白というか――それをそのまま持っていかれるのは恥ずかしい。

「……入りや。話があるんやろ」

 そう呼ばれて扉を開いたのは――しとれと、そして、歩。出番を失ったしとれは崩す前のメイド服だったが、歩は出番を終えた後の裸のままで。けれども、自身を過信しない。この姿であってもできないことはある――それを思い知らされているから。

 それでも、友の手を取りたい。

「糸織ちゃん、やっぱり私たち……」

 あんにゃに諭したことが恥ずかしくなって、糸織はプイと横を向く。そんな糸織に対して、しとれもまた何も言えない。先週、ここで宣言したままライバルとして向き合ってくれるのなら、しとれにも戦う心構えはあった。しかし、いまの糸織を前にしては――意地を張り続けることは難しい。それは何より、思いを口にしていた糸織本人こそ。

「ウチかて、あんさんらの歌を疑っとるわけやない。せやけど――」

 恋愛に関しては常に受け身で――歌い手という立場上、受け身であっても男たちは寄ってきた。それ以前は、令嬢として自由恋愛の外側で。ゆえに糸織にとって、これは初めての挑戦である。ひとりの男を、他の女と奪い合うことなど。

 勝負の中には、負けても取り戻せるものもある。だが、これは違うと糸織は感じていた。他の女に取られた瞬間、すべてが終わる。このプロジェクトも、自分の未来も。

 この感覚は、しとれも同調していた。しかし、歩だけが信じられなかったのである。()()()()()()()を見ていたからこそ。

 だが。

 それをこの場で、自分の口から話すべきではない。

 劇場でセンターを張るようになってから、ちょっと裸の開放感に酔っていたけれど――

 自分ひとりで何でも解決できるわけではない。

 けれど、背負い込む必要もない。

 糸織だけでなく、自分だって、しとれだって、ひとりでここまで来たのではないのだから。

 入り口付近に立っていた歩はさり気なく扉を引き開く。突然のことで、もたれかかっていた桃は逃げられようもなく部屋の方へと倒れ込んできた。その後ろには春奈や優たちも――後ろにはまだまだ人の気配がある。

 ここまでプロデューサーは、何を言うべきか――男として、自分から言えることはあるのか――三人の女子に気圧され、黙ることしかできなかった。しかし、集まってくれたメンバーたちを見て思う。めいんでぃっしゅの問題はTRK全体の問題――だからこそ、彼は皆に託すことにした。彼女たちの間でどんな結論が出たとしても、自分は、自分が最良だと信じてプロデュースするだけとして。

 彼が部屋を出ていくと、メンバーたちは続々と入ってくる。今日出演があった裸の者から、非番なので服を着ている者まで。糸織が最初に張り付いていたときには桃と優だけのはずだったのだが。

「……てか、舞台大丈夫なんかい。今日は外部の助っ人もおらんかったやろ」

 それは、未兎を中心としたトラブルに巻き込まれないように。

「最後のひとコマは、未兎ちゃんに譲ってあげたべ。あたす、元々朱美ちゃんの後やったし……な?」

「うんっ、思い出はいっぱい作っといた方がいいし」

 本来出演予定だったしとれの枠も欠けており、一先ずそこは花子に桃と組んでもらうよう打診していた。が、未兎がもう一度出演し、ラストを締めるということで決着したらしい。ゆえにここには――歩を始めとして――泥酔して袖で爆睡している霞を除く十五人のメンバーが集まっている。

 その中で、たまたま前の方にいた慧が、ふいに糸織と目が合った。

織姫浜(おりひめのはま)関たちが土俵際だった理由は、ウン、まあ、知ってるけど」

 これに、だったらあたしにも教えてよー! ――とまこは驚愕の眼差しを向ける。他にも、何人かは知らないようだが――そろそろ潮時か、と糸織は腹を括る。これ以上、チームに迷惑はかけられない。

「せやったら、これ以上黙っとくわけにもいかんやろな。ウチは――」

 ここで宣言する用意はできている。今後も、めいんでぃっしゅとしてふたりとステージに上がるつもりはない。再び仲良くするのは――Pはんとウチら三人の間で決着がついてからや――と。

 ただ、明言し損ねた歩はともかく、しとれは気持ちを打ち明けてくれた。その上で抜け駆けするのは仁義に反する。ゆえに、然るべき時は公平に定めなくてはなるまい。

 そして、その方法とは――

「はー、よっこらしょー、と」

 突然前に出てきた 夜白(やしろ)は糸織の隣の椅子を引き、そこに座ると背もたれにぐでーっと脱力した。今日の出番はなかったらしく服は着ているが、のけぞった胸の上ではTシャツにちょんちょんと突起が浮いている。ダブダブゆえにワンピースのようだが、実際はLLサイズなだけ。中にショーツを穿いているかもわからない。部屋着同然ではあるものの、全裸で出歩く者が多い中、これでも比較的常識的な部類に含まれる。

 戦いの火蓋を切って落とそうという瞬間に、嫌な感じで水を差されてしまった。これには糸織も鼻白む。

「何しに来たねん。そもそも夜白はん、Pはんに興味ないやろ」

「んー……ま、ね」

 夜白はあっさりそれを認めた。ただし部分的に。

「けど、それには理由があるんだよ」

「なんや、ここで話したそうやな」

「察しが良くて助かるね」

 糸織とて、ただ足が疲れたから座りたかっただけ、と受け取るほど残念ではない。夜白はぐんにゃりと、今度は机に向かって突っ伏す。そこから、糸織を見上げるように。

「あたしがプロデューサーを()()()()のは面倒くさいからだよ」

「なんやそれ」

 神経が逆立っているからこそ、糸織はそれを聞き逃さなかった。()()()()()――つまり、心のどこかであの男のことを――その告白は、火に油でも注ぐようなもの。

 その上であえて脱落を宣言する。

「だってさ、競争率高すぎるもん」

「はぁ?」

 三人の異性から想われている男――それを射止めるには一筋縄ではいかないだろう。だが、諦める理由にしてはやや弱い。その疑問に対して、夜白はのんびりと説明していく。

「そりゃ、いい男だと思うよ。惰性でソープやってたあたしに、こんな楽しい場所を用意してくれたんだから」

 夜白にとって、基本的にすべてのことが面倒くさい。だが、頭を空っぽにして脱いでいく――誰かの真似であれば、裸になっても恥ずかしくない。むしろ、楽しくなってくる。それは、個室で男の相手をしていた頃には味わえなかったことだ。

「けどさー、それって、あたし()()?」

「!?」

 糸織がプロデューサーへの感情を自覚したのは最近のことだった。ゆえに、それまで意識してはいなかったけれど――

 嫌な予感に、糸織はまこを睨みつける。釣られるように他のメンツの視線を集めてしまい、まこは真っ赤になって慌て始めた。

「あっ、あたしは……アイドルだし……特定の相手とは……その……」

 これ以上言葉を続ける必要はないほど、まこの表情はわかりやすい。

「けど……これまでどこも受け入れてくれなかったあたしにとって、初めての事務所だし……こうして舞台でアイドルできるのは、プロデューサーのおかげ、というか……」

「あんさんもかいッ!?」

 目立つ間柄だけに気を取られて、獅子身中の虫に気づかなかった。ガタリと思わず立ち上がってしまった糸織を、夜白は下から笑いかける。

「で、どーすんの? 新たなライバルの登場だけど……AB-soluteも解散しちゃう?」

 糸織は他のメンバーを次々と睥睨していく。だが、誰もが頬を赤らめ、その視線を直視することができない。堂々と受け止められたのは、今日の出番はないのに何故か全裸の 紫希(しき)(らん)だけだが――彼女らの場合、無自覚なだけという可能性も疑いきれない。というか、自分を除いた十七人中十三人が――いや、未兎からも何か怪しい気配を感じたし、霞が舞台に上がったのも、もしかしたら――

「……もうええ。無駄な抵抗やったわ」

 夜白が割り込んできてくれたタイミングに、糸織は密かに感謝する。もう少しで、めいんでぃっしゅのふたりどころか、メンバー全員を敵に回すところだった。

 戦い続ける限り負けではない――ゆえにガックリとパイプ椅子に腰を下ろす糸織は、一先ず負けを認めた、ということなのかもしれない。少なくとも、これ以上めいんでぃっしゅのふたりを目の敵にすることはないだろう。

「それでは、皆さまご主人さまのことをお慕いしているということですので……ルールを決めた方がよろしいかと」

 糸織が何らかの形で勝負を挑んでくることは、しとれも察していた。このような状況が長く続けば、TRKとしての舞台にも支障を来す。ただ、まさかメンバー全員を巻き込むことになるとは思っていなかっただろう。なので、一から考え直しが必要だ。

 そこで、歩は手っ取り早くことを収めようとする。

「んーとね、それじゃー、オーナーとのえっち禁止ー!」

「「「えーーーッ!?」」」

 桃や紫希だけでなく、花子や朱美まで難色を示している。声には出していないが、春奈や里美も。

「紫希、Pちんとセックスしたいっ!」

 臆することなく堂々と言い切った。

「それに、Pクン童貞なんでしょ。いつまでも使わずにしまっといたらチンチン腐っちゃうよ?」

「腐りは……しないと思うけど……」

 そう言いながら、歩も少し心配になってきた。

「ほんじゃ、こーしよか」

 桃や朱美たちさえマジだとなると下手に遊ばせるのも心配だし、締め付けては変なところで暴発する。

 だからこそ――結局のところ、これが自分の役割なのかもしれないな、と糸織は感じていた。やりすぎたら、きっと仲間たちが支えてくれる。ゆえに、自分は自分の思ったとおりに先陣を切ればいい。

「あんさんら、ここの支配人との約束は覚えとるな……って、最近のモンは知らんか」

「てかこのユニット、今年の春にできたばっかじゃなかったのかよ」

 ここにいない未兎、霞を除けば最新参の(みさお)が毒づく。今日の彼女はパンツルックであり、眼鏡もウィッグもないオフの装いだ。彼女が脱ぐのは男からチヤホヤされたいがため。ゆえに、舞台がなければ無駄に脱ぐことはない。

 操に言われて、糸織はつい感慨深い心境になっていたことに気がついた。このユニット名に一文字を預け、初舞台から立ち続ける者として。

「ま、細かいことは気にしなさんな」

 ゆえに、あっさりいなして照れを誤魔化す。

「……ともかく、Pはんは()()()()()()と約束しとるんや。メンバー二十六人集めたら、この劇場をもらう、ってな」

「はい、噂では聞いております」

 と里美が応じる。彼女は優と共にステージに上がったので脱衣パーツは外されているものの、上着だけは羽織っていた。優も同様に。

 里美も、プロデューサーと支配人の()()の後にやってきたひとりである。ゆえに、経緯を直接見たわけではない。だからこそ、逆に不思議に感じていた。支配人室で寝泊まりし、舞台が始まるまでは立呑みのバーでカクテルシェイカーを振っているあの老人は何者なのかと。しかし、隠しているわけではないので、知る人ならば教えてくれる。彼こそが本来の劇場の持ち主であり、いつかは譲り受ける約束を取り付けているのだと。正確には、カラオケボックスと交換なのだが、そこにあまり違いはない。

「せやから、ここがTRK劇場となった暁には――」

 糸織は再び席を立ち、皆に向かって右拳を高々と突き上げる。

「みんなでPはん()()()でッ!」

「「「いえーーーい!!」」」

「ちょ、ちょ、ちょっと、皆さま――」

 このまま全員に禁欲を課しては堰き止められず、誰かが抜け駆けするのは目に見えている。だが、しとれはすぐさまメンバーたちの暴挙を止めに入った。さすがに、本人の意思を尊重せず勝手に決めるわけにはいかない。

 そこで皆、我に返ったのか、扉の方をじっと見る。きっと、プロデューサーも聞き耳を立てているはずだ。しかし、外から返事はない。ゆえに、それを合意として受け止めた。

「「「いえーーーい!」」」

 再び盛り上がる女のコたち。今度はしとれも――彼との一夜を思い描いてしまい、止めることができなくなってしまった。

「で、Pちんは一本しかないけど……」

 紫希の呼ぶ『Pちん』は『プロデューサーちんぽ』の略である。

「そこは……こっから競争したらまた揉めるやろからな」

 糸織は歩の方をじっと見る。不本意ではあるが――最も納得できる妥協点として。

「……一番は譲ったる。TRKへの加入順や」

 ふたりきりのとき、その気になれば彼を夜這うこともできたはず。けれど、それをしなかった。だからこそ、いまのTRKがある。ある種の年功序列であり、今後覆ることはない。だから、これで 手打ち(しまい)にしようや――これが、糸織が初期メンバーであることの誇りと他のメンバーたちへの自尊心でもあった。

 そして、結果的にセンターが一番手――無難な順序ともいえる。だがこの不意打ちに、歩の気持ちは追いつかない。

「え、それじゃ、私が……」

 それは、自分がオーナーの初めての相手となること――しかも、事もあろうに、それを他の人たちから促されている。これには耐えきれず、歩はフラフラと赤くなる。

「ま、辞退してくれても構わんけどな」

 隣から意地悪く肘で突く糸織。そして、それで奮起するのは続く二番手の 晴恵(はるえ)

「そうすれば、トレーナーとのファーストプライベートレッスンは……ッ!」

 標準装備のウサギマスクの耳がピョンと跳ねる。控えめな胸も、いつもより期待で膨らんでいるようだ。とはいえ。

「だめーーーーーッ!!」

 と歩に止めることはできても、一番は自分だ、などと口にできない。

 だから。

「あっ、そろそろカーテンコールじゃない!?」

 舞台のことを引っ張り出して、歩はこの場を収めようとする。実際、戻っておかなければならない時間だ。舞台に向けて歩や優、まこや朱美が続くが、何故かそこに紫希までも。

「ちょい待ち、あんさん今日は舞台 出演()とらんやろが」

 シレっと加わりそうな勢いだったので、糸織は即座にツッコミを入れる。

「だってホラ、せっかく来たし」

「せっかくって……カーテンコールはそーいうもんやないで」

 しかし、みんなを見ていた歩の胸の中に、熱いものが込み上げてくる。もう、誰と誰がいがみ合うこともない。そして、共に進んでゆくその先には――

「それじゃ……行こうよ、みんなで!」

 この一声で、控室はわーっと歓声に包まれる。それはもはや、カーテンコールとは別物かもしれない。

 けれど、それでいいと糸織は思った。みんながいるからこそ、自分がいるのだから。

 傍らでしとれも思う。このメンバーとなら劇場を守り、支えていくことができるだろう、と。

 そして歩は――

 

       ***

 

 ちょうどその頃――彼は廊下にいなかった。再び客席の方に立ち、先程と同じように監視を継続している。だが、あんにゃのような違反者は現れなかった。未兎はステージの上から、チラチラと彼の瞳を見つめる。

 もう、恥ずかしくない。おっぱいもお尻も、前から後ろから見られているというのに。歌を聴いてもらえることと比べれば、他のすべては瑣末事――集中力が極限まで高まったとき、それ以外のことがすべて気にならなくなるようだ。それは、()()()()()()()()()のときにも実感している。手を使わずパンツを脱いだとき、それに、右足を大きく上げたときにも。とはいえ――そのような()()()()をこのステージでも画策はしていた。が、夢中になってすっかり忘れてしまっている。まるで、いつもの衣装のように――視線が胸や毛に集まっていても、そんなことは気にならない。

 最後まで楽曲を唄い終わり、集中力が途切れたことで未兎の中で羞恥心がぶり返してくる。しかし、少し後ろをチラリと見て――ミカも、ミクも、自分と同じ姿だ。そうあってくれたことに、未兎は少なからず心強く思う。そして、感謝した。

 なので、何をいまさら――恥ずかしさは掻き捨て、両手を振る未兎を収めるために両側から幕が閉じていく。これを超えるステージはもう二度と見られないだろう――そんな思いで、観客たちは声援を送っていた。

 しかし。

 少しして、再びカーテンが上がったその向こう側には――

 おお……ッ、と誰もが声を上げる。カーテンコール自体はいつもの段取りだ。しかし、その中央に立つのは、TRKセンター――蒼泉歩――その左手を握るのは本日欠席していた檜しとれ――逆の手には同じく欠席していた丘薙糸織――その小さな手を、裸のままの未兎がつなぐ。

 その後列にはその他全員――蘭に担がれてぐったりしている霞までが強引に連れ込まれていた。

『めいんでぃっしゅ』の復活――そして、未兎の正式加入――ここに、TRK十八人が勢揃いしている。

 彼女たちは様々なテーマで壇上に上がっていた。原点回帰の未兎を始め、正統派を唄う歩、ふわふわとした神秘的なローブを脱ぎ捨てていく朱美、エトセトラエトセトラ――しかし、ここでは誰もが同じ。裸足で立ち、ネックレスや腕輪も脱ぎ捨てて――生まれたままの姿――優や花子の眼鏡、晴恵のマスク、操のウィッグ等はある種の個性として――それはまさに、誰もがこのときをもって一斉に生まれ変わったかのようだ。

 未兎も、歩も、違いはない。他の誰もが、まったく同じ――誰もが等しくTRKとして――

 それを見て、ファンたちは自分の考えを正す。今日のステージは、確かに『驚天動地』と呼べるものだった。しかし、ここが終着点ではない。何故ならば――

 

「「「目標まで、あと八人ーっ!!」」」

 

 ファンの間でも囁かれていた密かな噂――この劇場は未だメンバー以外の助っ人も要しており、けれど、あと八人――二十六人集まることで、TRK劇場として完成する――それを、彼女たちはステージ上で宣言したのだ。

 その動機は、先程控室で交わされた女同士の“約束”が大きいかもしれない。しかし、こうして公言されたことにより――ファンたちはここがまだ通過点であると確信する。きっとこれからも、今日のステージを超えていくことだろう。彼女たちが――歩が――糸織が――しとれが――こうして、裸のまま手をつなぎ続ける限り――

 

 自分が控室を外している間に、どうやらうまくいってくれたようだ――客に混じって、プロデューサーは優しい拍手を送る。

 鳴り止まない歓声の中、彼の隣にその男は近づいてきた。

「……この数日の噂は、今日に向けての()()だったのかい?」

 どうやら、萩名社長はまだ帰っていなかったようだ。

「そう捉えていただければ幸いです」

 古竹未兎の参入を最大限に盛り上げるために――実際のところは異なるが、おかげですべての疑念は払拭できたといっていい。

「安心したぜ。なら……ついてきな」

 踵を返す萩名氏に、プロデューサーは黙って続く。未だ冷めやらぬホールの外へ。

 

 会場が盛り上がっているいま、ロビーにいる者はチケット売り場の老人だけだった。それでも小声で、ただし、扉でも押さえきれない熱気に押し潰されることはなく。

「別に、俺だってわざわざ脅しに来たんじゃあねぇんだぜ?」

「は、はぁ……」

 それは失礼なことを、とプロデューサーは反省する。実のところ、警告のために顔を出したのでは、と本気で考えていた。

「こっちで面白ェ情報を掴んだんでな、オメェんとこに持ってきてやったんだよ」

 だが、萩名社長の言う()()()()()である。プロデューサーには悪い予感しかしかしない。

「カカカッ、今宵はまさに決戦前夜ってヤツだぜェ。往けよ、この俺とやり合う気概があるんならな」

「それは一体、どういう……?」

 いつか戦う覚悟はできている。しかし、いまは松塚芸能やPASTの問題を抱えておりそれどころではない。

 だが、社長・ 萩名(はぎな) 兵哉(ひょうや)は、相手の状況になど構うことなくその名を告げる。

 

 出てくんだよ、ファンムードの 首領(ドン)―― 周防原(すおうばら) 明夫(あきお)が――な。

 



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19話 乙比野杏佳

 元・人気アイドルの 古竹(ふるたけ) 未兎(みと)の電撃ストリッパーデビュー――劇場の盗撮動画は間違いなく 松塚(まつづか)陣営に渡っている。ならば、もう隠すことに意味はない。

 だが――

「……なんか、ゴメン。後から入ってきて、こんな」

「いンやいや、未兎ちゃん大人気だすからねぇ」

  花子(はなこ)の褒め言葉に悪意はないが、未兎としては心苦しい。自身が社会的に注目されていることは未兎も認識している。が、せめてチームの中では特別扱いしてほしくない。それを察して何気なく接してくれているメンバーも増えている。が、アイドルや芸能界に対して憧れを持っていた者にとっては、やはり古竹未兎は、古竹未兎なのである。彼女としては、あまり人気について触れてほしくはない。とはいえ実際のところ、このTRKプロジェクト内でも絶大な数の観客を動員していることは事実なので、それは甘んじて受け止める。

 しかし、こちらはもう少しどうにかならないものか。

「未兎…………がカバーしていただけ……くれるのならッ! あたし……もう……ッ!」

 同じユニットの仲間なのだから、と未兎から『さん』付け()()()よう、敬語を使()()()()よう、特に堅苦しいまこは直接()()されている。まことしても頑張って抑えてはいるのだが――幼少の頃よりアイドルに憧れ、目指してきた世界の最前線に立っていた人物に対する敬意は他の者たちとは比べ物にならない。憧れどころか雲の上だと眺めていた相手が自分に対して親しげどころか頭を下げようとしているのである。光栄すぎて、直視できない。もっとも、直視できないのは未兎の姿がラフ過ぎるということもあるのだが。ラフというか、素っ裸のまま首からヘッドフォンだけを下げている。どうやら、デビューの際のカーテンコール――みんな生まれたままで、みんな一緒――それが気に入ったらしい。加えて、控室では趣味や怠慢などで少なからぬ女子たちが全裸でうろついている。ならば、自分も全裸の方が溶け込めるのではないか、と考えてのこともあるようだ。しかし、そんな未兎の前で、自分だけが服を着るわけには――とまこもまた自縄自縛の全裸を強いられていることに気づいている者はあまりいない。なお、花子はカラオケボックスの制服のレディスーツである。彼女の私服はベージュやブラウンが多く、本人は気にしていないがあまり映えない。ゆえに、周囲からこの服装を勧められているようだ。

 未兎のヘッドフォンから漏れ流れているのは、彼女がアイドル時代に唯一作詞作曲した自分の著作物。そのタイトルが『裸になりたい』なのだから、因果なものであり、そして――ここへ流れ着いたことは運命なのかも、と感じていた。この劇場での初ライブ――特別出演の際は版権曲を披露してしまったが、ここから先はそうもいかない。唯一残された自作曲と、TRKメンバーのために作成された楽曲のカバー、そして、新曲の準備にも取り掛かっているものの――

「あっ、プロデューサーっ」

 彼が秘書の(かすみ)と共に打ち合わせから戻ってきたことで、待ちわびていた未兎はふたりのもとへと駆け寄る。しかし、彼らの表情は芳しいものではない。それを見て、未兎も表情を曇らせる。

「……ごめんなさい、アタシの所為で、また……」

「いえ、古竹さんには何ら落ち度はありません」

萩名(はぎな)の乱』にて名を馳せてからは一日中何かしらの営業が入っていたというのに、いまでは腫れ物扱いの門前払い。この塩対応は、まるで設立当時に戻ってしまったかのようだ。さらには、松塚芸能からの報復を恐れて、作詞作曲さえ受け付けてもらえない。CDやブロマイド等はきっと桁外れに売れることだろう。だが、残念ながら量産体制の目処が立たない。

 そんな営業面での閉塞感とは裏腹に、劇場は連日大賑わいである。ただし、誰もの目当ては古竹未兎ただひとり。予想していた事態ではあるのだが。予想した上で――未兎は、他のメンバーと等しく扱ってもらえることを望んでいる。ゆえに、あえて通常通りのローテーションに加えたい、とプロデューサーは提案した。が、霞によって、秒速で却下された。むしろ、未兎からもあまり無理をするなと窘められたほどである。

 未兎を加えると決めた時点から、霞はすでに手を打っていた。これまでの経験上、必要になるサーバーのスペックも把握しており、そちらは松塚芸能の手が及ばない海外に。そして、未兎と他のメンバーの出演日をきっちり分けること。これならば、未兎に群がる一見客によってこれまでのファンが煽りを受けることもない。しかし、メンバーの公演スケジュールは大幅に乱れてしまった。未兎は、まこたちの出番を実質奪ってしまったような形になってしまったことを申し訳なく感じている。

 とはいえ、未兎が仲間たちの持ち歌をカバーすることで――どちらかというと、劇場ロビーで販売されているブロマイドの訴求力の方が大きいのかもしれないが――他のメンバーたちに会うために未兎の出演していない公演日の申込者数も増えてきた。

 ゆえに、少しずつでも。

「ところで、 蒼泉(あおずみ)さん」

 プロデューサーは、先日打診していた件を(あゆむ)に問う。

「あ、うん。大丈夫だよ。……ね、未兎ちゃん」

 控室ゆえに、歩は全裸――全裸であれば、相手が 里美(さとみ)であろうと、未兎であろうと物怖じしない。そして、そんな歩に未兎は微笑み返す。少しずつでも、このユニットに馴染めてきていることを実感して。

「曲は、歩のをふたりで分ける形になりそうだけど」

 もし未兎と共に舞台に上がれるとしたら、やはり歩しかいない、と彼だけでなく、誰もが考えていた。

「では、 高林(たかばやし)さん。最短だと……」

 公演スケジュールの調整は秘書に一任している。そして、霞の方でも抜かりはない。

「一週間後ですね。システムもすぐに対応できます」

 こうやって少しずつ、未兎公演日に他のメンバーも絡ませていく――そしていつかは、みんなと同じように。ただ、未兎自身もわかっていた。この熱気はあくまで瞬間的な話題性。一度は自分の裸を見ておきたいだけなのだろう、と。なので。

「早速おふたりのユニット名を告知したいのですが」

 霞からの確認は何気ないものだった。しかし、未兎はそこから目をそらす。いまはこうして、劇場に貢献できているから良い。けれど、人々も飽きて集客できず――松塚からの圧力で劇場運営にも迷惑を掛け――そうなったら、アタシは――この先を思うと、不安が押し寄せてくる。

 自分たちに名前をつけることが。

 名前をつけたものを手放さなければならない日が来ることが。

 それでも。

「うんっ、もちろんだよ」

 陰を落とす未兎を励ますべく、歩は隣から彼女をぎゅっと抱く。全裸で、全裸を。未兎はアイドル時代、男っ気のないキャラを演じていたため、必然的に女子との絡みが多かった。けれど――さすがに裸はない。これには若干引いてしまうが――歩に悪意はないようだし、このユニットはそういう要素も多いので、慣れていった方がいいのかな、と苦笑いで応えている。だが実際、多少の元気はもらえたらしい。

Undresstart(アンドレスタート)……ってゆーんだけど、どーかな」

「え? え? どういう意味?」

 と、話に入ってくるのはまこ。彼女にとって、憧れの(元)スターの新ユニットである。他の誰よりも楽しみにして聞き耳を立てていたが、その字面がイメージできない。

「フフっ、造語だよっ。略称はドレスタ、でいっかな」

 歩からの解説を受けても、まこは未だ正解を求めて思案している。だが、プロデューサーはその単語の意味をすぐに理解した。

「それは、つまり……」

  Undress() Start(開始)を合わせたのだろう。ストリップとは、徐々に脱いでいくショーではあるが、歩は裸になるまで本当の実力を発揮することができない。

 だからこそ――

「……わかりました。それでは、来週より古竹さんの枠は一部ドレスタにて……如何です?」

「はい、問題ありません。あとはユニット名を登録するだけです」

 唄いながら脱いでいく――霞にとって、それはあくまでプロデューサーからの要件のひとつだ。ゆえに依頼主が許容するのであれば、UndressでStartすることに、彼女自身が思うことは特にない。むしろ、ストリップ仕様の新規振り付けの用意できない未兎と、『全裸限定天才アイドル』と呼ばれる歩――ふたりにとって、最良の選択のように思えた。そして、それはプロデューサーにも。あのふたつの強烈な<スポットライト>をかけ合わせたら一体どうなってしまうのか――きっとそれは、想像を絶するステージとなるだろう。そして、その輝きを人々に届けることこそ、自分の務めなのだろう、と確信していた。

 そこに。

「プロデューサーさん、お電話ですよ」

 霞は戻ってきたばかりだったため、代わりに 春奈(はるな)が応対してくれたようだ。きちんと学生服をまとってくれる彼女に、彼は少しだけほっとする。ただ――この情勢に、自らからコンタクトを取ってくるとは珍しい。ゆえに、相手の名も聞かずに応対しようとする責任者を秘書が先んじて制する。

「誰からかしら?」

 プロデューサーには、プロデューサーとしての本分を成してもらわなくてはならない。周辺の雑務は自分の領分である――というのが霞の意図だったが――

「あ、男の人ですよ」

 春奈の方は、例によって、プロデューサーは女性に弱いから、と解釈していた。

「えーと……テレビホープの 蛯川(えびがわ)……って人みたいですけど」

 プロデューサーのことも君付けで呼んでいたし、知り合いなのかな、と春奈は素朴に捉えていた。

 しかし。

「テレビホープの……蛯川……局長……ッ!?」

 大手のイベント運営会社に務めていた霞は、その名を重々承知している。そのような人物が事務所の電話に直接つないできたことに、彼女は驚きを隠せない。

 そして、プロデューサーもまた。ただし、別の理由で。

「エビ……さん……っ!?」

 珍しい名字なので忘れることはなかった。前に会ったのは、もう一〇年近く前だというのに。

 

       ***

 

 テレビホープとは、二十一世紀末現在残されている三つのキー局のひとつである。

「プロデューサーが、蛯川社長とお知り合いとは……何故早くお話していただけなかったのですか」

 それを知っていれば、もっと手の打ちようがあったはずなのに――しっかりした高層階行きエレベーターで運ばれながら、霞は上長の迂闊さに苦言を呈する。

「……まさか、エビさんがテレビ局の局長になっていたとは思わず……すいません」

 架電にて指定されたのは翌日の早朝七時――当然、営業時間外である。そんな頃合いに面会をねじ込んでくるところからも、ふたりが単なる仕事上の関係ではないことは疑いようもない。しかし霞は、局ビルに入っても、最上階のフロアに足を踏み入れても、まだ半信半疑の様子だった。

 それでも、本人と対面しては、もはや疑いようもない。ふたりは親と子ほど年齢が離れている。そんな彼らがどのような経緯で出会ったのか――霞はとても気になるが、プライベートのことなので自分から聞き出すようなことはしない。

「お久しぶりです、蛯川局長」

 と、プロデューサーは一応の礼儀は示してみるも。

「いや、今日は局長としての面会ではないからな。エビさんでいい」

 と、局長自身は言うが、髪の毛はしっかり固めているし、スーツにネクタイまで締めている。どう見ても業務の装いではないか、と霞は警戒していた。直接話したことはないものの――恰幅も良く堂々としており――時折、仕事中に現場で見かけた彼の姿と何ら変わらない。

 ただ、局長ともなれば秘書が付き添うものだが、今日は警備員に案内された後は、扉を開けるところからすべて本人が応対している。応接机の緑茶まで。それに恐縮するような霞ではないが、非公式な雰囲気だけは感じていた。

 各々がソファに座ると、早速プロデューサーは用件を尋ねる。

「ではエビさん、今日はどうしたのです?」

「確認してもらいたい動画があってな」

 蛯川局長は、応接机の上に置いてあったリモコンでテレビモニタを操作する。すると――

「こっ、これは……ッ!」

 映し出された映像に、プロデューサーも少し驚いた。古竹未兎が裸の胸を放り出してステージで踊り尽くしている――のは、もはや見慣れた光景。だが、これがいつ撮られたのかはっきりとわかる。何故ならば。

「これは、キミだね?」

 画面が突然真っ暗になったと思えばグラグラと大きく揺れ、睨みつけるように男が覗き込んでくる。それは、まさにここにいる本人だった。

「はい、紛れもなく」

 彼がエビさんと前に顔を合わせたのは小学生の頃だったが、迷うことなく正解に行き着いたらしい。一切の後ろめたさを感じさせない返答に、局長はふーーーーーぅ…………と極めて長い溜息をつく。

「キミが自ら、この業界に関わっていくとは思っていなかったよ」

「軽蔑、しますか?」

「個人的心情としてはな」

 その率直さは、親しき仲ゆえのものか。

「とはいえ、法に則っている以上、私が止める筋合いもなかろうよ」

「恐縮です」

 だからこそ、逆に。

「現在は、著作権的に問題ない楽曲にて運営しております。この当日は()()()()()()()()()であったため、ご容赦いただけないでしょうか」

「予告しながら、イレギュラーか」

「不確定要素があまりにも多すぎましたので」

 未兎がストリップ劇場で全裸になろうが、それは本人の意志である。だが、楽曲まではそうもいかない。写真どころか、音声付きの動画を撮影されたのは想定外だった。

 この動画は、松塚芸能筋からテレビ局に流れてきたもの。だが、あまりにもスクープとして大きすぎたため、社長預かりとなっていた。

 蛯川は規律に厳しい男はあるが、法の番人でも、奴隷でもない。

「……一先ずは、キミを信じよう」

 仮に著作権料を請求したところで、この劇場の規模では大した金額にはならないし、常習化して開き直っているわけでもない。むしろ、この映像を暴露することに対する各所に対する損失と混乱の方が懸念される。これは、プロデューサーも想定していたこと。

 ゆえに。

「ありがとうございます」

 と社交辞令で頭を下げたところで。

「ですが……そのようなことを咎めるためにお呼びしたわけではないのでしょう?」

 テレビ局の局長ともあろう者が、一支払事務のためにわざわざ問い合わせてくることなどありえない。

「無論だ」

 この動画は、あくまで確認。かつて少年だった彼が、あの街に深く関わっているという。

「ときに…… PAST(パスト)……という音楽グループを存じているかな」

「! 何故エビさんがその名を……ッ!?」

「やはり、な。新歌舞伎町発のユニットだけに界隈も狭いか」

 そして再び、ふーーーーーーぅ…………と長いため息をつく。その間に、プロデューサーは状況を整理していた。

「PASTは地上波進出を目指しておりましたし……もしや、エビさんのところにも挨拶に?」

 彼女たちが番組出演への足がかりとするために局長と接触していても不思議ではない。天然カラーズ自体はブラウンキャップの傘下のひとつだが、親会社はメディア関連でも有数の大手である。それゆえの、コネクションか。

 蛯川氏はふっと微笑む。どうやらこれが今日の会談の目的らしい。

「その様子だと、それなりに詳しいようだな」

「一応、同業種ですので」

「それは呼んで良かった。実は知りたいことがあったのだよ」

 蛯川氏は、少し目を閉じて考える。

「男の社長の方はともかく……一緒にいた女プロデューサー……えーと、何といったか……」

憐夜(れんや)(のぞみ)氏、ですね」

 彼女に関する情報はできるだけほしい。そう期待していたのだが、話題は唐突に他所へ飛ぶ。

「キミの知る限りで構わんが……あの界隈で、未成年の子供が働かされている、という事案は聞いたことがあるかね?」

「いいえ、それはないと断言できます」

 歌舞伎町クライシスを経てようやく勝ち取った自由である。その一線だけはファンムードさえ超えていない。

「やはり……ふむ、そうだろうな。なるほど」

 本場の関係者からのはっきりした回答に、蛯川氏は何か納得したようだ。しかし、プロデューサーとしてはそれで話を終えられるわけにはいかない。

「憐夜さんから、何かご相談を受けたのですか?」

「実はな、あー……何といったか。どこぞのアダルトメーカーが……」

「ファンムード、でしょうか」

「おお、そうだった」

 この様子からも、あまり真剣に応じていたようには思えない。結局のところ、テレビ業界と新歌舞伎町は原則として交わるものではないのだから。

 だからこそ、裏界隈の問題は、裏界隈の人間で解決しなくてはならない。

「そのファンムードとやらが、()()()()()()を執拗に狙っている、とのことらしい」

「ッ!?」

 それを聞いて、プロデューサーの隣で霞は、また悪いクセが出そうだ、と案ずる。後で、あまり深入りしないよう釘を差しておかなくてはなるまい。

 一方で、話している本人はあまり深刻に捉えていないようだ。

「今度、PASTでダンスメンバーを募集するそうだな」

「ええ」

 その話は、先日()()()()から伺っている。

「何やら、その企画を立ち上げたのは、その子を事務所の下で保護するための名目だったらしい」

「えっ……?」

 それは、TRKサイドも初耳だった。あとで、萩名社長からの情報と合わせて整理しなくてはならないだろう。

「そして、その子とは……」

「訳ありなのか、そういう戦略なのか、教えてもらえなかったよ」

 戦略、というのは、()()()()()()でテレビ局に取り入る算段を指すのか――ともかく、蛯川氏は、最初からこの話を信用していなかったのだろう。

「しかし、まあ……その様子だと、キミたちも未成年を雇うつもりはないのだな」

「はい、それは法に誓って」

「ならば良い」

 局長は短く断ずる。彼にとっての善悪の基準は、あくまで法だった。

「もし、あのプロデューサーの子供であれば十中八九未成年……我々もそれなりに遇するべきだと思っていたが……戯言の類なのかもしれん」

 局長という立場ともなれば、何だかんだと言い寄ってくる輩は多い。

「いえ、憐夜氏に限って、そのようなことは……」

「随分信頼しているようだな。競合他社ではないのか?」

 と口にしながら、局長にもまたその気持ちがわからないこともない。同業他社――他局の局長――重役クラスともなれば、単純に敵以上の感情はある。きっとそのような関係なのだろうと蛯川氏も察した。

 だが、それより、プロデューサーにとっては何よりも。

「それでも、もし困っている女のコがいるのなら、放ってはおけません」

 プロデューサーにとっては、それが何よりも重要なことだった。しかし、このふたりの面識は深い。

「やれやれ、そういうところは変わらないな」

 昔を思い出しながら、蛯川氏は当時から抱えていた疑念を問いかける。

「だがしかし……それが、男児だったら放っておくのかね?」

「そっ、それは……」

 若者は思わず返答に詰まる。そのようなことは考えたこともなかった。

 しかし、この場で彼はひとりではない。

「ご心配なく。弊社は常に社会的良心に基いて経営に臨んでおりますので」

 正直すぎるのが彼の弱点――それを承知の上で、即座に割り込んできた隣の女性を蛯川氏は高く評価する。

「フッ、本当に優秀な秘書を持ったな」

「面目次第もございません」

 頭を掻きながらはにかむその顔は、少し童心に戻っているようにも見えた。そんな横顔を霞は、少しだけ可愛いと感じてしまい――呼吸を整え、正気を取り戻す。ただ、そんな幼気な様子は、蛯川氏を少しだけ安心させた。きっと、この子はまだ昔のままなのだろう、と。

「……彼女たちが訪ねてきた際には一旦断ったのだが……」

 闇の街の住人としてではなく、あくまで、旧知の仲として。

「もし、法に触れる子供を働かせようとしているとわかったら連絡をもらえないか? そのような行いは看過できん」

 それは、PASTがアイドルとして就労させることも含む。ゆえに、その事態に直面したとき、自分はどう取り合うだろうか――プロデューサーは、それを想像することができない。不覚にも再び言葉を詰まらせてしまった彼に代わり、ここは霞が応じる。

「了解いたしました。その際に、こちらからもお願いがございます」

「秘書からか。何かね」

 きっと、プロデューサーは遠慮して口にしない。ならば、秘書として自分から。

「現在弊社は、松塚芸能からの執拗な圧力のため、営業に支障を来たしております」

「ああ、知っとるよ、当然な。しかし……」

 この件については、動画を入手した際に部下から併せて報告を受けている。とはいえ、松塚芸能も愚かではない。

「松塚の社員が直接脅しているわけではないからな。あくまで間接的に、ならば合法の範囲内だ」

 霞も過度の期待は抱いていない。ゆえに、すぐさま引き下がる。

「すまんが、適法である限り、私からどうすることもできん。何か尻尾を掴んだら、持ってきなさい。今回の調査の礼だ。できる限りのことはやらせてもらうよ」

「ありがとうございます」

 ゆるりと頭を下げる秘書を見て、彼もまた慌てて続く。そんな様子を蛯川氏は微笑ましく見守っていた。

 

       ***

 

 TRK事務所であるストリップ劇場に戻る前に、霞はカラオケボックスの方にて打ち合わせをしたいと申し出た。

()()()()()()は機密事項ですので」

 五・六人の小規模だった頃ならともかく、二十人近い大所帯ともなれば、情報統制も必要になる。そのようなときは、カラオケボックス九階――そのフロアは住み込みを希望したメンバーの私室として充てがわれているが、その中の一部屋は会議室として空けられていた。残念なことに、何かあれば聞き耳を立てたいメンバーは後を絶たない。だが、扉にはガラスも張られているため、外に誰かいればすぐにわかる。それに、よほどの大声さえ出さなければ、外に内容が漏れることはない。

 四人部屋ゆえに、椅子はこぢんまりとしたL字のソファがひとつだけ。その各辺にお互い座ると、霞はすぐに鞄からノート端末を取り出す。

「もう一度確認させてください。古竹未兎の()()()()()の後のことを」

「はい」

 ちょうどカーテンコールの頃、萩名氏からロビーへと連れ出され、そこでプロデューサーは重大な情報を授けられたのである。

 氏曰く――現在、PASTでバックダンサーのオーディションが進行している――当然、それはTRKでも業界情報として掴んでいた。その行方については注視していたが、実は企画自体が訳ありだったらしい。

 ファンムードは常に自作品のハードプレイに応じられる女優を探している。その中でも()()は―― 周防原(すおうばら)社長曰く、百年に一人の逸材――そんな()()が、こともあろうに今回のオーディションに参加しているという。

 すでに事務所に所属していれば腕力にて解決できるのかもしれないが、どうやらスカウト交渉中だったらしい。ファンムードの社風を考えれば、むしろ、危険を察知した女性側に逃げられた、という見方が順当だろう。

 そもそも、今回のオーディション自体が急だった。人数が集まり次第一次審査を行い、順次採用していく――女性がPASTに保護を求めてのことであれば、ターゲットが自然に落選することは考えられない。ならば、オーディション自体を潰すまで――もしくは、PASTごと――

 ま、ライバルユニットを潰してもらうのを待っててもいいけどよ――萩名氏はそのような軽口をこぼしていた。そして、霞もあわよくば、と狙っているようにも感じられる。だが、プロデューサーにとっての選択肢はひとつだけだった。何故なら彼は、困っている女のコがいると知って、放っておくことなどできないのだから。

 これに、今日の蛯川氏からの情報が結びつく。どうやら、その逸材というのは憐夜希の関係者らしい。となると、最初からそのコを救うために天然カラーズ・ 相馬(そうま)社長からの提案に乗った、という可能性もある。

 天然カラーズの芸能界進出のためか――

 それとも、TRKを表舞台に立たせるためか――

 それとも、ひとりの女のコを救うためか――

 それとも、そのすべてか。

 PAST――希がプロデュースする理由は一筋縄ではいかないらしい。

「……やはり、本人に確認するのが手っ取り早いのでしょうけれど」

 それができれば苦労はない、と霞はため息をつく。プロデューサーは希との決別以来、自分から先方へ連絡を取っていない。だが、事情が事情である。もしかしたら共闘の余地はあるかもしれない。だが。

 

『お客様の都合で、通話ができません――』

 

 プロデューサーから電話を入れてみるも、自動音声が相手からの答えだった。どうやら、完全に謝絶されてしまったらしい。とはいえ。

「憐夜氏はメンバーとも個人的な付き合いがあったと聞いております」

 霞からの指摘はプロデューサーにも心当たりがあった。プライベートを利用するようで気は進まないが、ひとりの女のコの命運が懸かっている。そして、最もつながる可能性が高いのは、当然――

「……では、蒼泉さんにお願いしてみましょう」

 希は歩と唄い重ねたことで意気投合し、それがきっかけでTRKとの縁ができた。もし連絡がつくとしたら、彼女をおいて他にいない。

「はい、それではすぐさま連絡を。ちょうど、カラオケの方のシフトが入っているはずですので」

 霞も最初から同意見だったようで、歩のスケジュールも復路の間に確認していたようだ。スッと立ち上がると、内線でフロントへ呼びかける。

「もしもし、TRK・高林よ。蒼泉さんを917号室まで呼んでもらえるかしら」

 歩でも通じなければ、ダメ元で天然カラーズに直接掛け合うか、それとも、独自にファンムードの動きを牽制するか――蛯川氏については、一度協力を断っている以上、頼むことは難しいだろう。

 ともかく、できる限りの手を尽くすしかない――歩の到着を待ちながら、プロデューサーはファンムードの陰に怯える女のコの無事を祈っていた。

 

       ***

 

 実のところ、歩と希はそこまで親密な仲ではない。歌に関しては相性が良かったが、そもそも希は単独行動を好む。おそらく、TRKのメンバーの中でも、一緒にご飯を食べに行くような間柄の人はいない――だからこそ、良かったのだろう。希も、プロデューサーは真っ先にブロックしても、そのメンバーまでは気が回らなかったようだ。

『希ちゃんが、大切な女のコのためにPASTを立ち上げたって聞いた。私たちで力になれることがあったら何でも相談して』

 既読がついたらすぐに報告しよう――そう考えていた歩だったが、相手から同時に返信があったことで、それは憚られた。

『このメッセージを受け取ったことは、誰にも話さないこと』

 どうやら、すぐに確認してくれたらしい。しかし、他言無用といわれている。これはどうしたものかと答えの出ないままシフトは終了時刻を迎え――その間に追加のメッセージを着信しており、この時点で歩は様々な選択肢を失った。

『今夜二時に、この地図の場所へひとりで来なさい。全裸で』

 全裸で、といわれても、どこから脱いでおけば良いのかわからない。一応、時間帯が遅いこともあり、車を使えば目撃されることもないだろう。いずれにせよ、徒歩で向かえる距離ではない。終電後の時間帯だし、社用車を使用することになるだろう。

 あとは、みんなに見つからずに抜け出すだけだが――それは、何とかなるような気がしていた。何故から、全裸で来るように言われているので。

 

 店は翌日の始発まで稼働している。ゆえに、深夜であっても賑やかではあるが――歩はこっそり裏口から外へ出た。車両のキーも、事務室が無人だった隙に確保してある。あとは、徒歩数分の駐車場に向かうだけだが――そういえば、新歌舞伎町では全裸でも咎められないが、ここはその特別区画の中ではない。直接見つからなくとも、防犯カメラとかに映ってたら後で問題になるかも――とはいえ、もし怒られたら、そういう命令だった、と後で弁明すれば――許してもらえる――? そのあたりのことはあまり考えていなかったが、もう迷ったり、後戻りしている時間はないので、歩は一気に駆け抜けることにした。

 車に乗った後は――車内は暗いし、多分覗かれていない、と歩は思う。脇見運転をしない日本のドライバーたちに感心しつつ、二十分くらいで指定された地点付近に到着した。そこは、広い河川敷であり、野球のグラウンドがふたつも並んでいる。流れている川も岸辺の面積に見合った立派なものだ。まだ暑い季節であるため、昼間なら泳ぎにやってくる家族連れでこの駐車場もいっぱいになるだろう。けれども、この時間帯ゆえに停めているのは歩のみ。土手の上はサイクリングコースになっているが――周囲に灯りもないため、あの球場を突っ切っても、自分が服を着ていないと判別はできないはずだ。

 しかし、車を出たところで――何となく、歩は視線を感じる。が、その方向はまさに相手から指定されたポイント。もしかすると希が与えた条件――全裸であることを確認したのかもしれない。

 いざ到着したら、男の人たちに囲まれていて――そんな恐ろしい想像が頭をよぎる。けれど、それをすぐさま振り払った。何故ならば――歩は希を信じたい。それに、もし自分を酷い目に遭わせるのであれば、こんな回りくどいことはしないだろう。

 こうして広く見通しの良い場所を歩いている以上は――周囲は暗いとはいえ、遠くの草むらから誰かが這い出してくる様子はない。そのまま真っ直ぐ、歩はそこへと向かっていく。希の指定は橋の根本を指していた。が、全裸でそんなところに呼び出されても困る。ゆえに、常識的に考えて――歩は橋桁の下を目指していた。そもそも、全裸で呼び出すこと自体非常識であることには目をつむるとして。

 その橋は複数車線であり、この時間でも走行車が絶えることはない。普通にその下へ潜り込むのも緊張する。まるでにわか雨から逃れるように、歩は小走りで希のもとへと向かっていた。そこへ近づくにつれて、ようやく相手の姿も見えてくる。しかし――

 希ちゃんじゃ――ない――ッ!?

 相手に動きはないが、はっきりとわかった。それでも歩は、足を止めることも引き返すこともない。その相手に向けて、真っ直ぐに、裸のまま。

 相手もまた、歩に向けて真っ直ぐ向き合っている。やはり、車両を停めた時点で動向は把握されていたらしい。

 そして、高くもないコンクリートの屋根の下に辿り着いたところで。

「お疲れ様です。どちらから脱いできました?」

 見知らぬ女性が歩を労う。

「え、えーと……事務所……から」

「なるほど、()()()があたしに託すだけのことはありますねー」

 どうやら危害を加えるつもりはないようだ。両手は真っ直ぐに腰に沿って下ろされており、凶器の類を隠している様子もない。隠す余地もない。それは、誠意の表明だろうか――相手の女性もまた、歩と同じ姿で待ち構えていた。

 柔らかそうな髪の毛は両耳の下あたりで束ねられており、二本の尻尾が鎖骨にふわりと掛けられている。胸は控えめ――しかし、お腹もすっきりしているし、下の毛も綺麗に整えられているようだ。見られることを意識した身体作り――もしかしたら、同業者――? と歩は察する。それほどまでに、目の前の女性は裸のまま堂々としていた。

「裸で来いと言ったのはこちらですけれど……こちらまで裸でも驚かないんですね」

「まー……私の周りも、似たようなものだし」

 新歌舞伎町の外でこのような相手出会ったことにはほんの少し驚いていたが。

「そうですか……ふむん、世の中まだまだ捨てたものではないようですね」

 歩は全裸になると勘が冴える。ゆえに感じた。この人は、この状況を――楽しんでいる――? だから、歩も少しだけ安心した。

「ところで、貴女は希ちゃんの知り合い……ですよね」

「……ふむん」

 と、おさげ女性は少し考える。その仕草はおとなしいプロポーションもあり、歩より年下にも見える。が、これまで色んな女のコの裸と接してきた経験から感じ取るに、自分と同年代か、少し歳上くらいかもしれない。

 そして、謎の女性は答えを出した。

「ここで余計なことをゆっちゃったら、わざわざあたしが来た意味がないですし」

 歩も妙に納得する。何も言わずに代理人を寄越したということは、色々と複雑な理由があるに違いない。ということで。

「うーん、そーですねー、ひとまずあたしのことは、『パラノイアのきの子』……とでもお呼びください」

「え、えぇ……?」

「おっ、その反応は、()()()の方をご存知ですね」

 パラノイアとは、精神病の一種である。詳しいことは歩にもわからないが、それを『元ネタ』と称したのだから、彼女自身がその症状にかかっているということではないのだろう。いや、こんなところに全裸で来ている時点で正気ではないのだが。

 きの子としても、元ネタを知る相手には色々と言いたいこともあるのだろう。だがしかし。

「ただ、あんまり話しちゃうと……」

「ですね」

 と、歩も相手につられて敬語で返答する。

 ここで、少しの間が空いて。

「では、伝言についてですが――」

 ようやくきの子は本題に入ってくれた。とはいえ、長い話にはならないのだろう。お互い、危うい姿なのだから。

 しかし。

「――脱いでも救えない裸もある――とのことです」

「え……っ!?」

 それは――ストリップアイドルであるTRKでは、希が救おうとしている女のコを救うことはできない――ということ――?

 しかし、きの子がそのあたりの事情に深入りしてくることはない。淡々とメッセンジャーとしての役割に徹する。

「あと、もうひとつ――」

 きの子がくるりと振り向くと、そこには――

「話では聞いてます。歩さん、貴女は……裸になると、()()()んだとか」

「え、え、え、まさか……」

 そこは暗いので、街灯の当たる橋の外まできの子は出ていく。それで歩にもはっきりと()()()

 

 朝霞ミミ 080-xxxx-....

 相沢ナツカ 080-xxxx-....

 ――……

 

 その筋の人のように彫ってあるようには見えない。どうやら、ペンか何かで書き記されているようだ。名前と連絡先が――三十行近く。

「では、これを覚えて帰ってください」

「そ、そんな無茶な……」

 弱音を吐く歩を、きの子は背中越しにぐいっと覗き込む。

「まー、あれでも人を見る目は確かですからねぇ。ですから、きっと信頼されてるんですよ」

 そして、夜空を見上げた。ここは灯りの真下なので、誰かが通りがかっては見つかってしまう。

「ですから、急いでください。そして、期待に応えてあげてください」

「……う、うん……」

 もうやるしかない――歩は覚悟を決めた。元々暗記は不得手である自覚はあったが――何故か、すんなりと脳裏に焼き付いていく。もし、全裸で試験を受けられるのなら何の苦労もないだろうな、と瑣末事を考える余裕があるほどに。

 三度読み直したところで、歩は瞳を閉じて頭の中で反芻する。全二十八人――ひとりとして欠員はいない。

「ありがとう……多分、大丈夫」

「はい、お疲れ様でした」

 振り向いたきの子はニッコリと笑顔で労う。しかし、お互いここでのんびりしている余裕はない。

「それでは、これであたしは失礼しますね」

「えっ」

 すぐに立ち去らねばならないのは間違いないが――きの子が向かっていく先は、まさかの川の方。

「これ、水性ですんで。ま、向こう岸に着くまでにはあらかた流しときますよ」

 証拠隠滅――どこまでも徹底している。

 パラノイアのキノコ――結局何者なのか最後までわからなかった。けれども、あの背中に記したのは希本人だと確信できる。

 何故ならば――

 ――何だかんだで、希ちゃんって優しいな、と歩は思った。大切な人が誰なのか――背中のリストを見ただけで、それが伝わってくるほどに。

 

       ***

 

 そのまま夜は明け、カラオケボックス917号室にて――

「ごめんなさい、誰にも話すな、って言われてたから……」

「だからって馬鹿正直に応じることないでしょう! 貴女はこのユニットのセンターであり、来週からは古竹さんと――」

 プロデューサーなら一言二言で許してもらえただろう。だが霞相手では、それでは済まされないらしい。

「た、高林さん……今回はそのくらいで……」

「そもそもですね、社長は甘すぎるのです! だから、警察からも再三の注意を――」

 見かねたプロデューサーが宥めようとするも、むしろ飛び火してしまった。今後、軽率な行動は本当に控えよう――そう反省しつつ、とにかくいまは彼を霞さんのお説教から救い出さなくてはならない。

「そ、それでですね……肝心のリストなのですが……」

 霞さんから叱責を受けてまで入手してきたPASTバックダンサー応募者リスト――メモを取ってはいけない、と指示されていなかったので、服を着る前にすべて書き写しておいた。霞も一先ずお説教を切り上げ、そのデータに改めて目を通す。その内容はさておき――本人は現れず、回りくどい伝達方法で、伝え終わったら即座に物理削除――ただの応募者の一覧の取り扱いにしては厳重すぎるのが気になっていた。

「もしかしたら、憐夜氏は業界の闇を垣間見てしまったのかも……」

「業界の闇?」

 プロデューサーは、新歌舞伎町に関してはそれなりに通じているが、テレビ業界については詳しくない。

 だが、霞も当事者ではないため、言えることは一般論だけ。

「彼女はテレビホープの局長と会っておりますので」

「エビさんに何か黒い噂でも……?」

 プロデューサーは子供の頃に、彼から色々と親切にしてもらっている。ゆえに、そのようなことは信じられない。だが。

「あの業界に、黒い噂のない上役などおりません」

 と、霞は言い切る。未兎でさえ、囁かれた裏商売とのつながりや枕営業の疑いは数え切れない。けれど結局、真実だったのは松塚・ 吉坂(よしざか)との熱愛だけだったのだが。

「それで、PASTから足を洗いたくなったのかもしれません」

「……ありえますね。元々フリーのライブアイドルだったわけですから」

 闇だの噂だのはさておき、やはり芸能界ともなれば制限が多く――それこそ、彼女が抱えている本業の方に影響が出るとすれば、速やかに手を引こうとするだろう。だが、その制限ゆえに抜け出すことも難しく、さらには大切な誰かを救わねばならない。そんなところで情報流出の疑いまでかけられては、本来の目的さえ遠のいてしまう。ゆえに、痕跡をできる限り残すことなく、そのすべてをTRKに託すため――

 ただ。

 歩はまだ話していない。 きの子(メッセンジャー)が最初に伝えてくれた希からの警告――脱ぐことでは救われない裸もある――いや、普通は救われないと思うけど――脱がすことでこれまで女のコたちを救ってきた彼には話しづらく、これだけはひとりで抱え込んでいた。

 それでも、状況は予想通りに進んでいく。

「だからこそ、こんな()()()()()()情報を蒼泉さんに託したというわけね」

 この二十八人のうち誰が本命か――それを検討する手間さえ必要なかった。天然カラーズ・相馬社長との打ち合わせの日に顔を合わせた 御堂(みどう)カナや、『メスブタ・ハンター・ハンター』の際に助け出した 坂下(さかした)ミナミ等、見知った名前も混在していたため――何故、()()()()()()()()()()()()()、という疑問はさておき――あからさまな正解者がいなければ、あらぬ方向へと議論は流れていたかもしれない。

 その心配がないのは、すなわち――天然カラーズのキャストたちは『漢字の苗字』と『カタカナの名前』にて統一されている。傘下のハニートラップと兼業している(みさお)も、そちらでの芸名は 河合(かわい)ミサだ。そんな中で、ひとりだけ漢字の姓名が混在している。つまりは――彼女だけが、どこの事務所にも所属していないフリーの女子、ということに他ならない。

 

       ***

 

 これでようやく、ひとつの懸念は解消されるはず――プロデューサーは、そう考えていたのだが。

「はぁ? 私が憐夜希の……何ですって?」

「何なのでしょうか……?」

 PASTのバックダンサーの件で重大な連絡がある――そう言って、霞は彼女を呼び出したらしい。まだ学生は夏休み中だからか、即座に応じてもらえた。暑い季節だけに、爽やかな白地のTシャツで。しかし、生地は薄いらしく、中の下着が透けてしまっている。もしかしたら、急いで出てきたのかもしれない。長い髪を左側で軽く止めているが、まこのようにしっかりと束ねているわけではなく、襟首にも短い部分が残ってしまっている。ただ、凛とした瞳のおかげか、ワイルドな雰囲気でまとまっているようだ。

 ここは、新歌舞伎町よりずっと駅に近い喫茶店。渡した名刺にPASTのPの字もなかったため、その時点ですでにプロデューサーたちは疑念の目を向けられていた。

「いや、それ、こっちが訊いてるんですけど」

 質問に質問で返すプロデューサーと、彼女は正面から向かい合う。 乙比野(おつひの) 杏佳(きょうか)――今回のリストの中で、唯一名前がカタカナではなかった応募者だ。ならば、間違いなく希の関係者だと踏んでいたものの、杏佳は希のことを何も知らない。

「あの人、オーディション会場にすら現れなかったんですよ? まー、まだ一次だけど……次は出てくるんでしょうね?」

 そう言って、杏佳は胸の下で腕を組む。すると、その上に挟み込まれた大きな二房がのしかかった。大きいといっても歩やしとれと同じくらいであり、Fカップの霞と比べればむしろ小さい。そんな胸部を跨ぐように、杏佳はチラリと卓上に置いた名刺を再確認する。TRKプロジェクト――やっぱり、PASTじゃない――じゃあ、この人たちは何者――? すぐにでも正体を問い詰めたいが、それで心象を悪くしてダンサーデビューを逃したくはない。文字数は違うけど、アルファベットの羅列ってところは一緒だし――と根拠のない共通点を拠り所にして、杏佳は食い込む機会を窺っている。

 情報の推測に誤りがあった――これは、霞も認めざるを得ない。

「社長……もしや、蒼泉さんの記憶違い、ということは……」

 キョウカをつい漢字で書いてしまった、等。

「いえ、当時彼女は服を着ていなかったと聞いています。ですから、最大限信用して良いかと」

 そもそも、珍しい名字に珍しい名前であるため、カタカナから漢字を連想するのは無理がある。

「何の話してるんですか」

 人のことを呼び出しておきながら、その本人の目の前で内輪話をされても、杏佳としては気分が悪い。

「とにかく私は、ダンサー急募ってのを見かけて応募したんです。今日は結果に関する話じゃなかったんですか?」

 もし、まったくの別人による別件だったら――そんな圧力を孕んでいる。このままではいけない、と霞は直感した。自分は構わない。こんな小娘の威嚇などそよ風のようなものだ。しかし、隣の男が――偶然の手違いで接触しただけの部外者のために、デビュー先が見つかるまで付き合い始めるかもしれない。やはり、ここは早急に話を打ち切るべきだ。

「確認となりますが、現在の所属は……」

「え? してませんけど。だからこそ、デビューしたいわけですし」

 これには、霞も首を傾げる。あとは事務所同士の話し合いに持っていきたかったのだが。

 もしかして、この人たちはPASTとは無関係――? 杏佳からの視線はなお厳しいものとなってきた。

「未経験でも可、って書いてましたよね?」

「それは、ダンスの経験のことでは」

「え? そうなんです?」

 霞からの指摘を受けて、杏佳は何故か腑に落ちた表情を見せる。

「どーりであのオーディション、グダグダだと思った。経験って、プロ経験のことかと」

 言い終わって、今度はハッとする。()()()()()と一緒にされては心外だ。

「あっ、私、プロ経験はないですけど、ダンスは長いですから! もう、一〇年近くっ!」

 ここは譲れないところらしい。だが、大人たちふたりにとってはどうでも良かった。その心情が素っ気ない反応として現れたことで、杏佳はバカにしているのかと憤る。

「じゃあ、見ててください!」

 そう怒鳴ると、勢いよく席から立ち上がった。

「私、音楽さえあれば何でも即興で合わせられますからッ! 何なら、この店内BGMでも――ッ」

 すぅ、と杏佳の呼吸が整っていく。集中力が高まっていくのが、プロデューサーたちにも伝わってきた。ゆえに、マズイ。このままでは、本当に狭い通路で踊り出しそうだ。幸いなこと、落ち着いたピアノ曲であるため、激しく暴れまわることはないだろう。だが、迷惑なことには違いない。しかし、プロデューサーは相手が女のコだからか何と声をかければ良いのか迷っている。こんなときに、本当に頼りない、と霞は苛立ちながら小娘を制することにした。

「わかったから、座りなさい」

 霞はため息をつきながら眼鏡のツルを正す。

「つまり、プロ経験はないけれど、プロとして通用する実力は備えている……そう言いたいのね?」

 心境を解してもらえたことで、杏佳のわだかまりはすっきりと削ぎ落とされた。一先ず落ち着いてくれたようなので、霞は杏佳に着席を促す。

「ならば、その前提で話を続けましょう。PASTのバックダンサー募集について」

 本題に戻ってくれたようなので、杏佳はおとなしく戻ってきた。しかし、霞の表情は硬い。

「けれど貴女は、募集要項を一部読み落としているわ」

「え?」

 おそらく、隣の優男が説明しようとしても、回りくどさゆえに誤解を与えてしまうことだろう。なので、同性の口から単刀直入に。

「PASTはね、カメラの前で脱いできた女性のためのユニットなのよ」

「へ?」

「もう少し言えば、元ヌードモデルや元AV女優のための」

「…………ッ!?」

 相手はまだ子供なのだから手心を――とプロデューサーは思うが、この時代、義務教育を卒業していれば法的にも成人として扱われる。ゆえに、大人の付き合いとして、霞は言葉を選ばない。

「だから、所属を尋ねたの。それとも、個撮の経験が?」

「ないないないないッ! あるわけないですッ! そんなの……ッ!」

 募集要項には『その他、PASTの規定に準ずる』と明記されていた。ただのアイドルかと思っていたので、杏佳はそちらについて確認していない。確かに、応募フォームに出演作品URLという記入欄はあった。が、必須項目ではなかったので、何も入力していない。それが必須条件だったら何故必須項目にしてくれなかったのか――杏佳は悔しさに頭を抱える。一方、霞たちは杜撰な事情を何となく察していた。最初から出来レースであるため、名前と連絡先と――オーディションを行った、という実績が必要なだけだったのだろう。

 あまりの不憫さに、プロデューサーとしては放っておけない。

「き……きっと、他のオーディションなら必ず――」

「……ダメなの」

 杏佳は絞り出すようにポツリと零す。そして、上げた顔は真っ赤に染まっていた。最初のワイルドなイメージやこれまでの豪快な言動に反して、この手の話題は苦手らしい。

「一次のあまりのレベルの低さに、落とされるなんて絶対考えられなくて……それで、私……」

 あまりの屈辱に、涙が滲み始めてくる。

「もし一次で落ちたら……みんなの前で全裸ブレイクダンス踊ってやるって……」

 実にどうでも良い個人的な事情だった。

「い、いえ……周囲も本気にはしていないでしょうし……」

「でもッ、誤魔化したら私の負けじゃないですかッ!」

 霞もプロデューサーの言うとおりだと思うが、肝心の杏佳本人が認めていない。なので、霞は素っ気なく。

「じゃあ、踊ればいいんじゃない?」

「無理ですよ! 全裸でなんてッ!」

 ブレイクダンス自体には嗜みがあるらしい。

 ここで杏佳は、様々な代案に頭を巡らせる。この人たち、一応芸能関係者なんじゃないの? だったら、間違えて違うオーディションを受けてしまって、そこでは一次通ったから、ということにすれば――

「……あ」

 TRKプロジェクト プロデューサー――

「貴方、プロデューサーなんですよね!? 別のアイドルグループの!」

 杏佳は希望の眼差しを向ける。しかし彼は、同情で受け入れるようなプロデューサーではない。その基準は<スポットライト>ただひとつ。それを感じられなければ、どんな有名なアイドルでも、AV女優でも、彼が採用することはない。だからこそ、霞は懸念していた。間違いなく、面倒を見てくれそうな他の事務所を個人的に当たってみるつもりなのだろう。いまは松塚関連でただでさえ業界からの風当たりが強いというのに。

「それについては――」

「社長、この話は後ほどに」

 ここは、彼に口を挟ませず、自分ひとりで話を畳むべきだと霞は判断した。気になったとしても、いま抱えている事案の数々を解消してからにしてもらうとして。

「乙比野さん」

「はいっ!」

 呼びかけられた霞に向けて、杏佳は機敏に返答する。初対面であっても、杏佳はふたりの力関係を何となく察していた。ゆえに、こちらが本命、とばかりに気合いも入る。

 プロデューサーが余計なことを言わないように睨みを効かせながら、霞は淡々と事実を伝えることにした。

「TRKプロジェクトというのはね、ストリップアイドルなの」

「……すとり……?」

 その単語は知っているのだろう。杏佳は呆然として、それ以上言葉を続けられない。そこに、霞は次々と畳み掛けていく。

「ステージ上で男の人たちに見られながら裸になれるようなら、検討してあげてもいいけれど」

 プロデューサーは、高圧的な霞と萎縮している杏佳を心配して交互に見やるが、ふたりは彼を見ていない。

「裸って……どこまで……?」

 下着くらいまでなら何とか……と杏佳は悲しい算段を立てている。

「もちろん、乳首も性器も見えるまで。そのうえで、両足を客席に向けて見えるように大きく開いてもらうわ。ダンスの嗜みがあるのなら、股関節も柔軟なのでしょう?」

 やっぱりか――それを聞かされて、杏佳の思考は停止した。

 その結果、異なる方向に再始動する。

「は……ははぁ……なるほど……」

 杏佳は笑みを浮かべているが、霞には嫌な予感しかしない。

「これは、(てい)の良い断り文句ですね!?」

 小娘の想像は絶対見当違いなものだと思っていたのに、半分当ててきたので、霞は素直に感心した。なので、黙って主張に聞き入る。

「ストリップ劇場なんて、もう何十年も前になくなったって聞きましたもん!」

 どうやら、その単語を耳にした文脈はそれだったらしい。正確には、新歌舞伎町の外の話であり、彼の劇場は休業したまま取り壊しとなる寸前で何とか耐えきったものだ。

「もし本当にストリップアイドルなんてやってるんだったら、楽屋まで連れてってもらえます? そしたら、信用しますから」

 何やら、妙な雲行きになってきた。劇場ならば、ここから近い。おそらく、いまなら夕方の部も始まっている頃だろう。反対意見さえなければ、実物を見せるのが手っ取り早い。だが、そのようなことをこの弱腰な男が承諾するだろうか。

 いや、承諾させなければなるまい。

「そうね、いいでしょう」

 端的に返事をして、霞は即座に席を立つ。

「行きましょう、社長」

 有無を許さず霞はプロデューサーにも同行を強要した。しかし。

「そうですね、はい」

 プロデューサーのこの対応に、霞には違和感しかない。ここまで性的なものを過敏に拒絶する小娘を、ストリップ劇場に連れていくことに異論はないのだろうか。あっても連れて行くけれど。ただ、少なくとも、自分を欺くような計略を企むような男ではないはず――霞は、それだけは信じていた。

 

 駅前から新歌舞伎町までの道のりは短い。そこから先は危険領域――子供たちは大人たちから何度もそう聞かされている。そこに平然と入っていく大人たちのうしろで、杏佳は――平静を装いながらも、()()()()()な看板を目に入れないよう、ふたつの大きな背中をじっと見ながらついていっていた。しかし、街並みが街並みだけに――ミニスカートの裾さえ不安になってしまう。こんなことならパンツで来るんだった、と杏佳はひしひしと後悔していた。

 そして、一行はその建物へと入っていく。エントランスにはフラワースタンドが飾られており、『祝・ご出演』の朱文字が。ならば、少なくとも劇場には違いない。ゆえに、杏佳の中でも真実味が増してくる。もしかして、このご時世で、本当にストリップショーなんてものを……?

 チケット売り場ではなく、スタッフオンリーの扉に平然と入っていったことで、杏佳の不安は膨らんでくる。きっと、普通の演劇か何かだ。そうに違いない――しかし、その期待を舞台袖の女性たちが打ち砕く。

「あっ、プロデューサー、お疲れ様ー」

「なんや、また新しいおにゃのこ見つけてきたんかい」

 挨拶しようと寄ってきたまこと 糸織(しおり)に、杏佳は思わず後ずさる。しかし、どこを見て良いのかわからない。みんな、綺麗に着飾っているのに、それは腕や襟首ばかり。胸も、アソコも、全部見せながら平然と談笑している。丸裸でない分、逆に恥ずかしい。

 しきりに目を泳がせながら、せめて首から下は視界に入れないよう杏佳は各々の顔を凝視する。だからこそ、自分の隣に立っている女性が只者ではないことに気がついた。

「古竹未兎ッ!?」

 芸能人ゆえに呼び捨てで。

「……さん」

 すでに叫んでしまっているが、本人を目の前にしているので、後付けで『さん』を。

 そういう反応は慣れているので未兎も気にしていないが、むしろ、このコが何者かが気になっている。

「プロデューサー、こちら、新人さんです?」

 杏佳の件は自分が進めますので、と言わんばかりに霞は彼に口を開かせない。

「応募者よ。バックダンサー希望の」

 そう紹介されて、杏佳は思わず霞の方を杏佳は見やる。確かに、これまでの流れからすればそうなのだろうけれども――!

 そして、ネットの噂を思い出す。そういえば、古竹未兎がストリッパーデビューしていた、というゴシップは聞いていた。そのときは、すでに滅亡しているのだから嘘に決まっている、と流していたが、まさか、本当に――? そりゃあ、ただ遊びに来ているだけで、こうして素っ裸で混ざることはないだろうけれど――!

 とはいえ、今日は未兎の公演日ではない。ただ、ここでの雰囲気に馴染むため、全裸で舞台袖に出演者たちを労いに来ていただけだった。

 ここで、杏佳の中に邪な野望が芽生えてくる。もし、この劇場にデビューすれば、古竹未兎のバックダンサーに――?

 期待と羞恥心で混乱しきっている杏佳に、霞はさらなる追い打ちをかける。

「ダンス歴一〇年。プロ経験はないけれど、プロ並の実力はある、と自称していたわ」

 本物の芸能人の前で何てことを――! 杏佳は即座に恐縮するが、未兎は霞に怪訝な目を向ける。

「けど……大丈夫なの?」

 その言葉で――杏佳が纏う空気が変わった。

「……それ、どういう意味です?」

 ここまで慌てっぱなしだった新人が急に強気に応じてくる。それは、担がれ続けてきた()()()()では味わえなかったもの。ゆえに、未兎はむしろ興味が湧いてきた。

「レッスンとステージは別世界ってことよ」

「……ッ!!」

「練習のときはうまくできたのに、本番になると声が出なくなっちゃうコ、いっぱい見てきたわ」

 六年に亘り芸能界を渡り歩いてきただけに説得力がある。

 だが、しかし――

「私が……本番に弱い、と……?」

 例え相手がトップアイドルであっても、杏佳のダンスに対する自負は揺るがない。コンクールの類であれば、これまで何度も出演してきている。

「何なら、いまから証明してみせましょうか? ちょうど、本番のステージがそこにありますし!」

 しまった――未兎は自分の行き過ぎた軽口を反省する。このままでは本当に本番に乱入しそうな勢いだ。ごめんなさい、とプロデューサーに向けて助けを求める視線を送るが――

「……!?」

 彼が、深く頷いている……? これには、横で見ていた霞も驚いていた。この男は、女のコに対しては極めて遠慮がちであり、無茶をやらせるような性格ではない。つまり――先程の面接の中で、<スポットライト>を感じていた――?

 ともあれ、責任者が止めないのであれば霞から言うこともないし、未兎が止めることもない。むしろ、少しだけ意地悪く。

「けど……いいの? ステージ、あんなよ?」

 光の先を指差すと、そこでは――

「ひっ!?」

 杏佳は真っ赤になったまま、つい小さく悲鳴を上げる。メインステージに立っているのは春奈と(もも)(けい)による三人組。ちょうど大サビに向けてのCメロだったため――揃ってパンツ一枚の上半裸だった。桃のJカップは、同性から見ても迫力がある。とんでもないものを見てしまった――杏佳は目から星が飛び出しそうだった。

「どうやら、理解できたようね」

 これは、あくまで未兎からの挑発。ただ、これでいいのかは不安なので、随時責任者の顔色を窺いながら。いまのところ、問題はないらしい。

 だが、男のそんな余裕めいた表情が目に入ってしまったため――アイツまで自分を馬鹿にしている――杏佳は自分に対する挑戦だと受けとった。そして、周囲の女のコたちも、誰もができっこないと考えているのだろう。

 だからこそ、退けない。

「あのコたちの出番、あと何分あります?」

 曲自体はすでにこの後は大サビを残すのみだ。しかし、ここはストリップ劇場である。

「時間なら問題ないわよ。これからパンツ脱いで、そこから“ダンスパート”だから」

「えっ!?」

 パンツ脱いで――さらりと打ち出されたパワーワードに、杏佳は思わずステージに向けて首を捻る。おっぱい丸出しで並んでる時点ですごい光景だったけど――そこからさらに三人は、腰のショーツを指に掛けて、そのまま、する、する、する――と。お尻どころか、アソコまで――! 杏佳は驚愕しているが、ストリップとはそういうものである。

 TRKのステージは、楽曲の進行と共に少しずつ脱いでいく振り付けになっていた。しかし、観客が最も欲しているのは全裸になってからのダンスである。それが大サビからの最後だけ、で納得できるはずがない。ゆえに、一曲終わった後で、同じくらいの長さのダンスパートが用意されている。そこはダンスというより、いわゆる“御開帳”と呼ばれるポーズがメインになるが。

「そんなに難しくもないだろうし、メンバーに合わせながら即興で――」

 これもまた、未兎からの挑戦のつもりだったが、杏佳はそれをキッパリと()()

「合わせる必要はありません」

 ここから見ても、ステージのダンスは――残念ながら、PASTの一次オーディションに毛が生えた程度のレベルだ。そんなものに合わせるなど、自分のダンスの沽券に関わる。

「言ったはずです。私は、曲さえあれば合わせられると」

 なお、言った相手はプロデューサーと霞であって、未兎には言っていない。しかし、有無を言わせない気迫で――杏佳は豪快にシャツの裾を持ち上げた。それは、これまで赤くなって恥じらっていた女のコの脱ぎっぷりとは思えないほど。――いや、まだ顔は真っ赤なままだが。それでも、勢いのままに頭から抜くと、それを床へと叩きつける。ふわりと。そして、背中に両手を回し――少し躊躇したが、他の面々の姿を見てカップを外す。そして、それも先程のシャツと同様に。スカートも中の下着ごとズルリと足元まで下ろしてしまった。残っているのは、紺のハイソックスとローファだけ。ステージの学生たちは衣装としてセーラー服のカーラーとリボンだけは残しているが、杏佳にとってそれはどうでもいい違いに見えた。

 そして、ステージの様子を窺う。確かに曲が終わり三人はポーズを決めているが、そのまま終わりそうな気配はない。まるで、アンコールを待っているような拍手が渦巻いている。乱入するなら、いまをおいて他にない――!

 ローファとハイソックスは履いたまま、杏佳はステージへと飛び出していく。演者に対して合図もなしに。

「……ひぇっ!?」

 唄い終わって少し気の緩んでいた春奈は、思わず驚きの声を上げる。何しろ、見知らぬ女のコが裸で躍り出て――事もあろうに、ステージ前方中央に陣取ったのだから。足を肩幅に開き、両の握り拳をまっすぐ下ろして。その様子は楽曲が始まるタイミングを測っているようだ――と、後ろからお尻しか見えない桃たちは思った。しかし、杏佳の顔は真っ赤に染まり、閉ざされた目尻には涙さえ浮かび――彼女はただただ待っている。自分の踊るべき楽曲が鳴るのを。

 慧も少し迷って、袖にいるプロデューサーの方をチラ見している。だが、桃が――サムズアップとウインクを送ったことで――状況は何となくわかったから、あとはこっちで何とかしとく――杏佳のためのダンスパートは開始された。

 桃もまた未兎と同じ発想であり、先ずは自分の振り付けを見せるつもりで正面の杏佳に向けて構えている。だが――飛び入りのセンターは背後に振り向くことはない。だが、自由勝手に――とも言い切れない。先程袖から覗いた雰囲気と曲調――そこから、まるで上位互換のような振り付けを即興で舞い踊っている。

 これには正直恐れ入った桃は――協調することを諦めた。

「~~~~♪」

 その高速ステップの前では、初心者が並んだところでお目汚しにしかならない。ならば、自分たちは別の角度で。元々インストをバックに裸体を披露するのがダンスパートだが、桃は開き直って唄い始めた。両手を振って、左右の慧と春奈にも続くよう促しつつ。

 そして、杏佳の横からさり気なく近づき――杏佳も気づいて桃の姿を横目で確認する。桃は杏佳に向けてハンドサインを送っていた。それは、あちらへ進め、ということ。その先は――花道――そして、盆――客席中央の円形舞台――前後左右、あらゆる方向から視線が降り注ぐ場所――! 羞恥の極みではあるけれど、会場内で最も誉れ高い晴れ舞台であることも否めない。それを、飛び入りの自分に()()()()()()()()――ここで尻込みするのは――士道不覚悟――!

 全身でリズムを刻みながら歩く花道――目下の男たちはできるだけ気にしないようにしているつもりなのに、視線だけはしっかりと突き刺さってくるようだ。けど、最初から踊ってたコたちはずっとだったし、古竹未兎だって――

 だったら――!

 幸いなことに、伴奏はとてもノリが良く、音に身を任せているだけで気分がいい。気分がいいのは、楽曲だけのおかげ――? 杏佳は、この異常な状況に少しずつ馴染みつつあった。熱いライトが直接肌に焼き付けられ、腕や足だけでなく、胸やアソコにまで風が通っていく。これは、開放感――とでもいうのだろうか。広々とした景色を眺めながら寛ぐ露天風呂とも似ている。

 ここは、()()()()()()なのだから――!

 さすがに、男たちから恥部を凝視されていることは割り切れそうにない。けれども、この姿であることは割り切れそうだ。ここは、裸で踊る場所――何も後ろめたいことはない――!

 吹っ切れた杏佳に、観客たちも思わず感嘆を漏らす。それまでの振り付けが霞んでしまうような高速のダンスは最高にキレていた。そして、Cメロのラップが始まると、床に背中からひっくり返り、足を開いて高々と掲げ――それだけで、ふたつの胸の塊が顔に向けて飛び込んでくるようだ。自分の格好は忘れていない。けれど、曲のリズムが、私にこうしろ言っている――! 盆は広くないので、さすがにあまり激しくは回せない。けれど、むしろ男性客にとってはその方が良かったのだろう。床に突いた両腕で身体を支え、パッカリと裸の股間を開かすその姿勢は、これまで見た誰よりも美しかった。

 桃たち三人の生歌をバックコーラスにひとりダンスショー――恥ずかしいけれど――段取りも振り付けもなく、音の渦の中で身を任せるままに――やっぱり、恥ずかしいけれど――これは、これまでのダンス人生の中で、これは最高の舞台かもしれない。

 そして、ここにいれば、そんな舞台が続いていく――杏佳には、そう信じられた。

 

 高校生による三人組ユニット『 Schooling(スクーリング) High(ハイ)!』――に、急遽杏佳を加えた『Schooling High!!』――脱ぐ前はセーラー服であり、偶然ハイソックスとローファが残っていたため、杏佳の姿も馴染むことができた。

 袖のモニタを通じて盆の盛り上がりを眺めながら、未兎は正直な感想を呟く。

「あとで、謝っておかなきゃね。侮ってしまってごめんなさい、って」

 確かにプロとしても通用するスキルは持っていた。おそらく、普通にどのステージでも通用するだろう。だからこそ、このような裏舞台を選んでくれるだろうか――選んでくれる、と彼は信じている。

「はい、そうしてあげてください。きっと、彼女も誇りに思うことでしょう」

 今回ばかりは、自分が気を回しすぎたらしい――ステージの成功を確信し、霞はプロデューサーに問いかける。

「社長、どこで気づいたのですか?」

 霞には、この素質にまったく気づけないどころか、完全に不向きだとして追い出すつもりでいたのに。

「ブレイクダンスの(くだり)のあたり……でしょうか」

「例の……<スポットライト>……を?」

「はい」

 正確には、席を立って踊りだそうとしていたときにも少し。だからこそ、一際強く輝いたとき、その動機まではっきりと見えた。

 もし約束を守れなければ、きっと杏佳は本当にそれを披露しただろう。ダンス部員たちを集めて。しかし、それは彼女にとって敗北ではない。誰もができないと思っていたことをやりきった――その達成感に満足していたはずだ。紅潮し、涙目になったとしても――それを上回る<スポットライト>があれば、女のコは輝ける。だからこそ、あの場で彼はスカウトすることを決めていた。

 しかし――

 少なくとも彼女は希の目的の人物ではない。ファンムードから狙われているという女性は結局不明のままだ。しかし、歩を通じてヒントだけは残してくれている。託してくれている。ならば、応えたい。それが、女のコを救い、そして、新歌舞伎町の未来へとつながっていくのだから。

 そして、すべてが解決した頃には再び出会えることもあるだろう。そのときは、きっと――

 

 だが、彼らはまだ知らない。

 この直後、彼らの想いをあざ笑うかのようなニュースが飛び込んでくることを。

 

 ライブアイドルとして人気を絶大な誇り、最近は自らもアイドルのプロデュースを始めた憐夜希が――

 

 ――ライブ中、突然ステージ上で全裸となり、会場は騒然――

 



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20話 砂橋ルミノ

 何故、自分はアイドル事業を手掛けているのか――

 ほんの半年前は、細々とカラオケボックスを営んできたはず。

 だが、広い世界で輝きたがっている存在を知り、

 その光を届けることが自分の成すべきことだと自覚した――

 しかしいま、()()()()()()()()()()()()()が失われようとしている。

 これを世間では、『アイドル・クライシス』などと呼んで騒いでいるようだが――

 しかし、まだ滅んだわけではない。

 だからこそ、彼は彼女たちを信じている。

 彼女たちの放つ、<スポットライト>の輝きを信じている。

 それは絶対に、悲劇のためのものであってはならない。

 彼女たちの立つ 現実(ステージ)は、喜劇の舞台であるべきだ。

 なればこそ――

 決して『 悲劇(クライシス)』として終幕させるつもりはない。

 もし、これがアイドルたちの『物語』であるのなら、

 この局面はむしろ『クライマックス』と呼べるものだろう。

 直面している、この局面を乗り越えるべく。

 彼女たちが笑っていられる終わりなきフィナーレを向かえるべく。

 いまはまだ白紙の脚本――それを完成させられるのは自分だけ。

 そう、自分の手でやり遂げなくてはならないのだ。

 ゆえに彼は天を仰ぐ。

 彼女たちの『喜劇』をいつまでも輝かせ続けるために。

 

       ***

 

『全裸限定の天才アイドル』 蒼泉(あおずみ)(あゆむ)

『今世紀最後の歌姫』 古竹(ふるたけ) 未兎(みと)

 このふたりによるスペシャルユニット『 Undresstart(アンドレスタート)

 知る者であれば、その成功を疑いようもなかった。

 そして、知らなかった者――未兎しか眼中になかった者たちも、ふたりの輝きの前に思い知る。決して陽の目を見ることのない日陰舞台に、陽の光にも匹敵する眩いほどの情熱が存在していたと。

 ふたりは、衣装を纏わない。

 腕や脚を飾ったとしても、胸や下腹部には決して。

 だからこそ、ふたりは輝く。

 透き通る旋律の渦巻くステージの中で。

 決して他の場所では実在させることは叶わない――

 だからこそ、ここが実在していることを忘れてしまうほど非現実的な幻想。

 ふたりを知る者であれば、その名だけでこの輝きを信じることができた。

 だからこそ、それと同時に――

 他者がこの輝きに辿り着くのは容易ではないと悟らざるを得ない。

 誰よりも、特別ではないひとりであることを望みながら、

 誰よりも、特別な高みへと至ってしまった古竹未兎――

 その隣に歩が並び立てただけでも奇跡なのだと。

 続く光は、残念ながら――

 未兎の公演日は、いまも個人の特別枠になっている。

 ここにようやく、歩だけは加わることができたが――

 しかし。

 ステージには、各々の()()がある。

 若輩ながら卓越した技術と経験を誇る 乙比野(おつひの) 杏佳(きょうか)

 驚異の模倣力を持つ 雪見(ゆきみ) 夜白(やしろ)

 常識外れな身体能力を備えた 草那辺(くさなべ)(らん)

 可愛い拳ですべてを粉砕する 河合(かわい)ミサ

 ――こと、 桑空(くわそら)(みさお)

 ふたりの歌に華を添える四人の女のコたち――

 ダンスに特化した杏佳の出現によって、アイドルとは唄いながら踊るもの、という固定概念が取り払われたようだ。当然、各々歌についてのレッスンは水面下にて継続している。だが、ダンスのみに注力するのであれば、未兎たちと合わせてもまったく遜色はない。乙比野杏佳を中心としたストリップ・ダンス・ユニット『シャドウステップ』は今後も様々なユニットと組んで出番を増やしていくことだろう。

 

 加入したばかりだというのにリーダーに抜擢された杏佳はやや恐縮しながらも――それでも、譲れない信念があったらしい。

 彼女たちはストリッパーでありながらライブアイドルに近い形で活動している。それも、新歌舞伎町という風俗街にて。ゆえに、歌って踊って終わりではない。

「『はぐはぐサービス』、シャドウステップを希望の方はこちらに……って乙比野さんッ!?」

 それはTRKならではの催しのひとつ。イベント終了後にメンバーに抱きしめてもらえる企画だ。もちろん、服は着た上で。

 今日は未兎を中心とした公演日なので、事実上すべての観客は未兎目当てである。これまで、未兎公演日は混乱防止のため特殊なイベントは一切開催されていない。しかし、自分も他のメンバーと同じように扱って欲しいという未兎本人の要望と、今日は他のメンバーも多数出演していることを鑑みて、初めて実施に踏み切ることとなった。

 とはいえ、事実上未兎ひとりに対する行列となることは目に見えている。それをどう捌くか――その対策は講じてきた。が、ここで想定外の事態が発生したのである。

 客席の方まで降りてきた面々は脱衣前の衣装を着直してきたというのに、杏佳ひとりだけ――左サイドで結われたテールはそのままに。だが、衣装については――ステージで着用していた袖袋やブーツまで脱ぎ外してしまっている。つま先に至るまで裸足であり、喉元に至るまで何ひとつ着用していない。

 プロデューサーが驚いたのは、他のメンバーならともかく、これを杏佳がやらかしたことにある。実際、杏佳は羞恥に目を見開き――それでも、胸も股間も両手で隠すことはない。ただ、隠したいという本音の表れか、震える膝はピタリと閉ざし、二の腕に横から挟まれた両胸の間には深く柔らかい谷間が刻まれている。それでも、肩まで上げた両拳はしっかりと力強く握りしめていた。

 このハプニングに――ここがストリップ劇場ということもあり、男性客たちからは遠慮のない視線が注がれている。そして、主催者側としては、誰ひとりとして益がない。

「ほらー、プロデューサー困ってるじゃんー」

「うっさいわね、これは私自身に対するケジメなの……ってか、アンタの所為でしょ!」

 と夜白は杏佳からなじられているが、別段悪いことはしていない。ただ、杏佳はダンスについて自信があった。それを模倣するなどできるはずがない――もしできたら、今日の『はぐサー』は全裸で出てやるわ――……

 夜白のコピーは歩の動きさえ可能にする。もっとも、撮影した動画などではなく、実物を直接見た上で記憶できるのは三十分程度、と限定されるが。夜白曰く“情報量の多い動き”を真似するのは自分を極限まで空虚にできるので何よりも気持ちいいらしい。そして、杏佳のダンスもそれに匹敵する、と夜白は称賛していた。

 それでも、自分の写し鏡のような動きに、杏佳は――これを認めなければ、自分の見る目を否定することになってしまう――極めて遺憾ながら、膝を折った。その結果が、コレである。

 杏佳はまだ人前で裸になることに慣れていない。いまも、顔を真っ赤にして、足はいまにも崩れ落ちそうだ。しかし、美しい――こうして無理を押しているときこそ、杏佳は<スポットライト>に包まれる。

 ゆえに、プロデューサーは困り果てていた。このままでは、他のメンバーとのバランスが悪い。かといって――全員で脱ぎ始めてはそれこそ混乱必至である。

「……裸での実施日は、別途設けますので……」

 杏佳と夜白の口約束を知らないプロデューサーには何があったかわからないが、一先ず矛を収めて欲しい。だが。

「そっ、それじゃあ意味がないでしょッ!」

 杏佳は腰に手を当て、プイと横を向きプロデューサーを拒む。全員の全裸に混じっては罰にならない。そんなのは、()()であり、()()()()()()()()になる。だが、肘はピクピクと胸を隠したがっているようだ。このように虚勢を張っている杏佳はやはり愛おしい。

 ゆえに、彼もまた覚悟を決める。

「……わかりました。仕方がありません」

 そして、ざわつく場内に対して大声を張り上げた。

「列を再編成します! シャドウステップ……杏佳さんを希望する方はこちらへ!」

 これには、ファンたちも困ってしまう。あの古竹未兎とハグできる、と期待してやってきたのに、その反対側には裸の女子――ダンサー体型であるため細く締まっているが、出るべきところは大きく膨らんでいて柔らかそうだ。そんな女のコが、全裸で抱いてほしいと待っているのである。ここは、未兎ファンとしての矜持が試されるところか。

 しかし――やはり加入当初から未兎が見立てていたとおり、その多くが一度は有名人の裸を見ておきたいだけ、という浮ついた連中だったのだろう。その半数が脱落し、全裸女子の方へと流れていった。列は短くなったものの二本となったため、プロデューサーは新たな列整理に追われている。

 だが、そんな中で。

「……あれ? 私でいいの?」

 他のメンバーは、未兎の添え物のつもりでつき合っていた。それは、TRKセンターである歩とて同じこと。なのに、自分の前に歩み寄ってくるお客さんがいる。

 だが、言って歩は思い出した。そもそも、()()()がはぐサーに参加すること自体が珍しい。

「あ、もしかして、いつも来てくれてる……」

「はいっ、先日はサインをありがとうございました!」

 サイン会にも参加していたということは、『めいんでぃっしゅ』のファンである。今日は未兎の独壇場だと思っていたが、自分のために来てくれた人がいてくれたことに歩は嬉しくなってくる。感謝の気持ちで、歩はファンを抱きしめた。

「今日は、ちゃんと服を着れてるねー」

 サイン会では、全裸で書いていたから。

 しかし。

「……はい、()()()()()()()()()()()()()んですしね」

「え……っ?」

 胸に抱く柔らかな女のコの言葉に、歩はどこか重い意味を感じる。

 だが、その真意を問おうとしたとき――

 

「おいっ! アホプロデューサーはどこにゃーッ!!」

 

 ホールへの入り口はふたつ。そのクレーマーは、外から近い正面口から入ってきた。別途、ステージ横には通称『非常口』と呼ばれるあまり使われない扉もある。目当てのプロデューサーは、列を外へ流すためにそこから廊下へと出てしまっていた。会場内は女のコとの抱擁を控えてざわついている。だが、それでもその声が掻き消されることがなかったのは、男たちの低い声の中だったから。

 そして――彼女もまた、アイドルなのだから。

「あっ、あの人、()()()……っ!」

 歩の胸の中で振り向いたファンの女のコは、驚き思わず声を上げる。だが、乱入者のところまでは届かない。それが、通常の声量というものだろう。だが、おかげで傍にいたTRKメンバーたちは状況を把握できた。

 クレーマーは未だ入り口付近で揉めている。それは、有志のファン止めているわけではなく――しがみついている涙目の同僚は(みなと)だった。

「なっ、 成美(なるみ)ちゃん落ち着いて……っ!」

「アホゥッ! 外では芸名で呼ぶにゃっ!」

 かつて 糸織(しおり)と競り合っていた歌い手・あんにゃの本名は成美というらしい。見るからに怒り心頭ではあるが――何故か猫耳をかぶっている。語尾のこともあるし、それが本来のスタイルなのだろう。同様に、湊も普通のシャツとスカートではあるが、ヘッドドレスだけはかぶっていた。しとれにいわれて、同じように持ち歩いているのかもしれない。ただ、必要以上に幼く見える小さなツインテールは下ろされている。この状況は、 PAST(パスト)側にとっても予想外だったようだ。

 盗撮の件は事務所として全体に通達されている。この混雑状況では場外のプロデューサーには届いていないかもしれない。未兎は下手に動けば余計に混乱が増してしまう。ゆえに歩が報告に行こうとするも――狭い非常口は一方通行だと言わんばかりに塞がっていた。廊下も似たような状況だろう。()()()脱げばどうにかなるかもしれないが、これ以上場を乱してプロデューサーに負担もかけられない。

 だからこそ、()()が出た。そういうことなら手加減はいらねぇよな、と。

 いまも、あんにゃは騒ぎ立てている。

「うっせーわ湊ッ! ()()()は絶対ヤツらを――」

 

 ボ――ッ!

 

 その訴えは一瞬にして途絶えた。あんにゃには、何が起きたのかわからない。ただ、自分の左耳のすぐ傍を、重く硬い物体が超高速で通過していったような気がする。もし、自分の頭がもう少しそちらに逸れていたら――頬骨あたりが砕けていた――そんな恐怖だけが彼女の背中に残っている。

 息が詰まり、心臓の鼓動に身体が耐えきれなくなり――あんにゃはその場でへたり込んだ。その左頬に、ブーツ越しに足の甲がそっと添えられる。

「ちゃーんと列に並んでくれないと……空手パンチの次は、空手キックで首の骨へし折っちゃうぞ☆」

 口調はアイドルのものだが、口調が纏う凄みは操本来のもの。前に来たとき、このオンナがいなくて助かった――あんにゃにはもう、逆らう気力は残されていない。

 なので。

「よこーいショー」

 蘭が両腕で、バーベルのように無抵抗の人ひとりを担ぎ上げてしまった。下手に暴れて床に落とされたら――まだ腰に力が入らず、大怪我につながるかもしれない。

「そんじゃ、ラン、お客サマ、お持ち帰ル」

 開いていた正面口から蘭はたったか駆け出していく。ここにいても暇だし服は着せられるしで、蘭にとって良いことは何もない。

 そこに、ようやく。

「なっ、何があったのですか……っ!?」

 場内の混乱を把握しても、プロデューサーには人をすり抜けることなどできようもない。列をその場に留めたまま、彼はやっとのことでホールの中まで辿り着いた。しかし、すでに事は片付いている。

 そして、操にとって一撃で沈むような雑魚など瑣末事にすぎない。

「どうもこうもねぇよ。やっぱ、アタシの列ひとりもできねェじゃねーか」

「いまはそれじゃないよね」

 個人的な鬱憤をぶつける操に夜白が冷静に突っ込む。

 プロデューサーが事情を把握できたのは、未兎から説明を受けた後だった。

 そして、杏佳はサービスが始まる前から羞恥と緊張により座席でぐったりしていた。

 

       ***

 

 はぐはぐサービスはイベント中に違反者が出なかった場合に限る――それが、イベント中の治安維持にも一役買っていた。プロデューサーひとりで百人余りの来客に対応できるのも、来客たちの欲望をギリギリのところでコントロールできているからにすぎない。なので――今回のあんにゃの乱入は、そもそも彼女自身がイベント参加者ではなかったということで、現在もホールにて予定通り実施されている。あんにゃの狼藉を理由に中止していては、おそらく男たちの憤りを抑えることはできなかっただろう。

 そしてその頃、控室にて――

「こちらとしても聞きたいことが山程あったし……自分から来てくれたのなら歓迎するわ」

 前回と、雰囲気が違う――担がれてきたあんにゃと、その付き添いの湊は応接用のソファに座らされている。湊はともかく、あんにゃは冷や汗が止まらない。これまでの威勢はどこへやら、小さくなってガタガタ震えている。押せば倒れそうなパーティションなのに、まるで刑務所の外壁のようだ。

 出入りのために一角は開けられているが、その隙間から覗くのは――間合いを瞬時に詰める高速の“刻み突き”から間髪入れずに放たれる破壊力の乗った“中段逆突き”、そこから流れるような“上段回し蹴り”――右足を大きく上げたままの操と、あんにゃはチラリと目が合った。操は、苛立っている。会場の男たちに自分の(カワユさ)を見せつけたいところを脱がないよう命令したのは他でもないプロデューサーだった。なのに、杏佳は特別脱衣が許され――もしあの場で自分も脱げれば、少なくとも列ゼロ人という残念な結果にはならなかったはずだ。

 そして、せめて操が全裸であれば、あんにゃの緊張も少しは和らいだだろう。だが、操にとって裸は男を魅了するためのものであり、女しかいないこの場で脱ぐ意味はない。可愛らしさ増強のためのツインテールウィッグも着けておらず、シャツに短パン――太い眉や短めの髪も相まってまさに男子の様相である。そんな相手から八つ当たりのような怒りに当てられて、あんにゃはいよいよ縮こまる。その隣にちょこんと座る湊は、おとなしくしていれば大丈夫だと信じようとしていた。

「こ、この度は、成美ちゃんがご迷惑をおかけしまして……」

 本名で呼ばれても、あんにゃに反論する余裕はない。なので、代わりに別の者が訂正する。

「カスミ、ソイツ、外では『あんにゃ』、だゾ。ソイツ、自分でゆってタ」

 薄いパーティションに、褐色の少女がひょいと飛び乗った。カエルように膝を開き、両手と足の指まで使って器用に縁を掴んでいるらしい。が、本来は何十キロもの重さに耐えられる設計ではないはず。バランス感覚以前に重力さえ感じられない。その上、先程は軽々と女子ひとりを運んできている。操とは対極的に、蘭は何ひとつ身に着けていない。だからこそ、種も仕掛けも誤魔化しもなく、本人の肉体だけでこの芸当を成していることが否応なしに理解させられる。逃走を試みたところで、彼女ひとりからさえ逃げられる気があんにゃにはしない。

 だが、操と蘭は、いわゆる無断退場者である。はぐサーは、誰も希望者がいなくても本来は会場に残らなければならない。だが、ただでさえ現場は混雑しているし――このふたりはここにいてもらった方が有益そうだ、と霞は暗黙に見逃している。

「そうね、あえてあんにゃと呼ばせてもらいましょうか。貴女もPAST……天然カラーズの傘下のひとりなのだから、()()()()()()()で対応する必要がありそうだし」

 この街のやり方――! 女に弱いプロデューサーと旧知の糸織に()()()勢いのまま乗り込んでみたが――

「ご、ごめんなさい……もうしませんから……」

「このように、成美ちゃんも反省しておりますので」

 ふたりは猛省して頭を下げる。けれど、霞の表情は変わらない。

「反省で済めば警察はいらないのよ。まあ、最初から()()()()()()()()で解決するつもりだったけど」

 元々芸能関係者との付き合いが長いためか、この街でのやり方にもすでに馴染んでいる。

「貴女、月三〇〇時間の過労働にも耐えられるのでしょう? なら、()()()()では使えそうね」

 この街で、一体何の店で働かされるのか――!? あんにゃにはもう、何も言えずに震えて許しを請うしかない。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「な、成美ちゃんは、前職で身体を壊しかけていて、あまり無茶は……」

「でも、アイドル業ができるくらいなら使()()()()()()もあるのでしょう?」

 霞はうっすらと微笑んでいるが優しさはなく、むしろ切り裂かれるような冷たさを孕んでいる。

 これはもう、人生終わったかも――ひたすらに悔いるあんにゃだったが、そこに奇しくも天の救いが到着した。

「うーわアホ巨乳、性懲りもなくまた来たんかいな」

 はぐサーにて予想外の状況になったとして、カラオケボックスの方に助っ人が要請されていた。いまはしとれや優がプロデューサーを手伝って現場対応に追われているが、合わせて糸織も呼ばれていた。あんにゃが()()()()()とのことで、顔見知りの方が話も通じやすいだろうということで。

 どうやって宥めたものかと糸織は鬱々としながら部屋の扉を敲いたが、どうやら、宥めなくてはいけないのは身内の方だったらしい。

「助けて! マジ殺される! ホントにもう、こんなことしないから、今回だけは見逃してッ!」

 パーティションの陰から覗き込んで糸織が見たものは、真っ青になってマジ泣きしているかつてのライバルだった。これまで憎まれ口を叩き合っていた傲慢さのカケラは微塵もない。少し残念そうな霞に、空手の型に殺意を込めている操――これは運が悪かったな、と糸織はもうため息しか出ない。

 

 怯えきっていたあんにゃは、すべてを洗いざらい話してくれた。

 昨日の夜――(のぞみ)はまだライブアイドルとしての看板を下ろしてない――ゆえに、渋谷のとあるライブハウスで活動何周年記念かの単独ライブを行っていた。これまでの全楽曲を休みなくメドレー形式で流し続け、唄いきれなかったら即引退、という企画で。

 あんにゃたちは、むしろそれをアイドルとして幕を引くセレモニーだと捉えていた。これから、プロデューサー業に専念するための。だが、その最中に()()は起きた。

「リーダーの衣装が突然、バラバラに崩れ落ちて……」

 サウンドは無人で勝手に流れ続ける設定になっており、誰にも止められないようになっていたらしい。それで、希は最後まで唄いきることができたようだ。例え、全裸にひん剥かれても。

「多分、一分もにゃかったと思うにゃ……」

 そのアクシデントを前にして湊たちも止めるべきか迷っていた。が、楽曲が終わりかけていたこともあり、結局そのまま唄い通したという。

 一分とはいえ、全裸でステージに立つにはあまりにも長い。その後、希は控室に閉じこもり――今日は先に帰れ、と言われてふたりは会場を後にした。

『ダンススクール・オードブル』に持ち込まれる予定だった解体衣装――霞も過去の報告書にて目を通している。だが、それをPASTプロデューサーに仕掛けてくるとは思っていなかった。しかし、希自身は予感していたのだろう。だからこその、慎重なまでの間接的な情報提供だったのだから。

 希のライブは公開情報である。霞たちはライブの後に直接本人に迫るつもりで会場出口に張っていたのだが――メンバーであるPASTたちさえ行方を知らないのだから、部外者であるTRKにその陰など捉えようもない。

「それっきり……リーダーと連絡が取れにゃくにゃって……」

 あんにゃは、ひとつのスマホを取り出す。

「これ……控室に残されてたにゃ……リーダーの……。データは全部初期化されてたにゃ……」

 次のライブ予定の告知はない。メドレー企画の是非に関わらず、引退することだけは決めていたようだ。

 当事者から確認できたのは、その足取りを追うのが困難になったということだけ。あとは、このふたりにどう落とし前をつけさせようかと霞は考えていたが――ここで責任者が現れたため、穏便に済ませることになりそうだとため息をつく。

「お待たせしてしまってすいません」

 これまでのピリピリした空気が、そのひとりの到来によって和らいだ、とあんにゃは感じる。

「社長、現場は良いのですか?」

「はい。列が半分になりましたため、予定より早く切り上げることができまして」

 この男は前のままだ――これにはあんにゃの気も緩む。

「……(にゃん)で、アンタがこの街で生きてけんのよ……」

 何より、こんなアクの強い女たちが、この男に従っている理由がわからない。しかしそれは、彼の本質を見ていないからこそ。

「あんまPはん甘く見ん方がえーで。これでもニーチャン、頭ひとつデカいゴロツキをワンパンで殴り飛ばしとるさかい」

「ウソにゃ!?」

「頭ひとつは言い過ぎかと……」

 ここまで冗談抜きだったので思わず本気にしてしまったあんにゃだったが――頭ひとつは言い過ぎ、ということは、ゴロツキをワンパン、あたりまでは本当らしい。

 そして何より、糸織の表情が真実だと語っている。あのとき、この男と一緒に歩いていきたい、と本気で思えた――言いたいけれど、いまの糸織にそこまでは口にできない。そんな葛藤を抱えるかつてのライバルに、あんにゃは少し引いていた。コイツ、こんな()()の顔できんのかよ、と。

 しかし、プロデューサーの女子に対する腰の低さは信頼されていない。

「社長、情報は私の方で大方聞いておりますので」

 せっかくだから、このふたりにはファンムードにスパイとして潜り込ませようとさえ考えていたのに、盗人を裁くどころか追い銭まで与えかねない。

 なので、尋問はここまでだ。そんな霞の意図を汲み取ることなく、ただ彼は秘書としての手腕に礼を述べる。

「そうですか、助かります」

 話はすでに霞が一通り聞いているのであれば、プロデューサーから告げることはただひとつだけ。

憐夜(れんや)プロデューサーのことは、我々にお任せください」

 残念ながら、希の行方はむしろTRK事務局側の方が教えてもらいたい状況である。それでも、彼は迷いなくPASTのふたりにそう告げた。

(にゃん)でよ。()()()たち、敵同士にゃ」

 あんにゃがすっかりいつもの調子を取り戻しているからこそ、彼もまた、いつもどおりに。

「このような形での決着は望んでいないからです」

 その瞳を見て、あんにゃは――この男に敵対できる気がしなくなった。

「……ハンッ、あの女狐が(にゃん)でアイドルユニットにゃんかに収まってるのか、わかった気がするにゃ」

 当時、周囲すべてを敵と見做していた『まじかる☆えりりん』が周囲を活かすなどと言い出す方向転換――どうやら彼には、物事を丸く収める才があるらしい。

 だからこそ逆に、()()()()()()()()()もある。

「おっと、その男に惚れるんやないで。ウチら全員敵に回すからな」

「あ、そーにゃの」

 それは、心から意外そうに。

「にゃったら、リーダーとは――」

「成美ちゃんっ!」

 気の緩んだあんにゃを湊が即座に遮った。

「なんや、まだ隠しとる情報があるんやったら軒並み吐いてってもらうで」

 口調は荒いが、対面で微笑みかける霞と比べればそれが殺意なき演技であることはすぐにわかる。だが、湊を怯えさせるには充分だった。

「で、でも……()()()()とは別の話だし……」

「アンタと違ってこのコは怖がりにゃんだから、あんま凄まにゃいほしいにゃ」

 すっかり強気に戻ったあんにゃは、湊のことを慰めながら。

「もし必要な状況ににゃったら話すにゃ。()()()たちだって、リーダーと逢いたいんにゃし」

 ただし、まっとうに話せるのは相手が糸織だからこそ。

「それでは、これからも全面的に極力してもらえる、ということでいいわね?」

 責任者の前で約束させられるのは、せいぜいこのくらいだろう。霞はジロリと来客ふたりを睥睨すると、それだけであんにゃはビクリと身を竦ませてしまった。脅しすぎたことを霞はやや反省する。

 ともあれ、今日の一件で両者間の格付けは済んだようだ。

「それでは、お客様のお帰りよ」

 霞はパンと柏手を叩く。だが、やはり特に動きはない。前に糸織もやっていたので、これがここの風習なのだろう、とあんにゃは判断した。だからきっと、部屋の外で聞き耳を立てられていたとは思いもよらぬことだろう。

 

 部外者ふたりが退室したとき、案の定廊下には誰もいなかった。しかし、いまは再び扉の裏側に張り付いているに違いない。それは霞も承知しているので、場所を応接スペースから会議用の長机に移した。一応、同じく室内にいた操や蘭も着席している。

 だが、霞が資料を差し出すのはプロデューサーひとりにのみ。もっとも、情勢統制されているため、他の者たちが見てもわからないものだが。

「次のターゲットについてですが、すでに目星はついています」

 希絡みで誰かを探していて、杏佳はそこに挙がっていた候補のひとり――そのくらいは何となくの雰囲気でみんな察している。そこから自分なりに予想を立てようとしていた糸織だったが、それより調査の進展の方が速かった。

「もうかい。さすがは辣腕秘書様やで」

 そう言われて、霞は自慢げに眼鏡をクイッと持ち上げる。どうやら、悪い気はしていないらしい。

()()リスト――」

 それは、歩がきの子の背中から記憶して書き写してきた情報のことだ。

「当然、その()()()()が天然カラーズ系列の作品に出演されているキャストの方々です」

()()()()……ということは……」

「はい、ひとりだけ作品が確認できない方がおられます」

 リストの内容自体は機密事項であるため、黒塗りにされていた。その一行を除いて。

「彼女の名は…… 砂橋(すなはし)ルミノ」

 天然カラーズのキャストたちの名は、確かに全員カタカナである。だが、そうであっても、自分の名前をもじったり、もう少し素直な響きの者が多い。例えば、操が 河合(かわい)ミサと名乗っていたように。

「ん? それって本名なのか? 外人かよ」

 様々な芸名を見てきた操だが、ここまで日本人離れしたものは初めてらしい。

「名前以上の情報はわかりません。ただ、珍しい名前ですので……」

 こんなとき、彼らは無言で扉の方を見る習慣がついている。何故なら、何か一言ある者が扉を開いてくれるから。

 そして、今回も。

「あー……うん、知ってる知ってる」

 このユニットの慣例に倣って、杏佳は話を聞いていたらしい。ちゃんとシャツとキュロットで身なりは整えている。が、相変わらずブラは透けているところがやや甘い。

 自分の情報が求められているらしいので、杏佳は入室して空いていた席に腰を下ろした。

「目立つ名前な上、目立つ()()だったしね」

「制服……?」

 プロデューサーは、学校の制服には詳しくない。

「あのコ、 鳥越(とりこし) 学院(がくいん)でしょ」

「鳥越学院……?」

 どこかで聞いたことのある名だ。しかし、とっさには思い出せない。そこで、部屋の外から言いたくて仕方のない者が割り込んできた。

「うわ、マジで!?」

 カチャリと扉が少し開き、覗き込んできたのはアイドルに精通している 天菊(あまぎく)まこ。

「鳥越学院ってゆったら、芸能人がよく通ってる定時制の高校じゃん! ってことはそのコ、結構ガチ?」

 と言うだけ言って、まこは再びドアの外へと捌けていく。それ以上の情報はないから、このまま話を進めてくれ、ということなのだろう。

 扉が閉まる音を聞いて、杏佳は発言権が戻ってきたものと判断した。

「まー、不甲斐ない連中の中でも基礎はできてたみたいだから……うん、警戒していたうちのひとりね」

 そこまでわかれば話は早い。

「それでは……」

 言って、霞は糸織に視線を送る。

「ったく、エージェントはウチの部下でもなく、たんに実家におった頃から世話になっとっただけやからな。しかも、当時は大阪支部のやし」

 金に関して糸織は抜け目ない。

「っつーことで、ツケにしとくで」

「…………」

 こういうところで黙ってしまうのが、霞の秘書として立場ゆえか。

「カラオケボックスの経費から捻出します。でしたら、よろしいでしょう?」

「はい、問題ありません」

 霞が気にするのは劇場の帳簿だけ。カラオケボックスはまだプロデューサーの所管であり、予算の流用はどうとでもなる。

「では、先方の素性が明らかになった、という前提で話を進めますが……」

「あ、そしたら私はもう帰った方がいい?」

 必要な情報を提供したことで、杏佳は席を立とうとする。それを霞が呼び止めた。

「いえ、むしろ乙比野さんがコンタクトを取るのに最も適任なのよ」

「何で? そこに電話番号書いてんじゃん」

 ならば、呼び出すことは容易なはずだ。

「……詳細は言えないけれど、この番号はデタラメなの」

 その理由はプロデューサーも知っている。そもそも希の身内なのだから、正しい連絡先を知っていて当然だ。ルミノはファンムードの社長案件として狙われており、念の為に名前以外は偽るよう指示したらしい。今回必要なのは、『砂橋ルミノ』がPASTのバックダンサーに応募した――その事実だけである。

 そしてそのままデビューさせ、ファンムードに手を引かせる予定だった。しかし、ルミノに対しては社長自ら熱を入れており――それは、PASTそのものを崩壊させるほど。障害を取り除いたのだから、すぐにでも接触してくるかもしれない。お前の逃げ場はなくなった、と脅しをかけるため。間違いなく、監視の目もあるだろう。

 つまり、ルミノに接触するということは敵の渦中に踏み込むに等しい。ゆえに、霞の思惑――同じバックダンサー応募者としての立場であること。そして、まだTRKに加入したばかりで顔が割れていない可能性が高いこと――それは彼も理解できるが、危険であることには違いない。

「とはいえ、乙比野さんに頼むというのは……」

 直接接触するのはあくまで最終手段――その慎重な姿勢が、逆に杏佳の癪に障った。

「……つまり、私には荷が重い、と?」

 ただ鳥越学院の生徒に声をかけるだけ。それさえも自分にできないというのか。

「いえ、荷がどうこうではなく、そのー……この案には危険が伴うわけでして」

「それはわかるわよ」

 詳しく聞かなくとも何となく察せられる。

 ゆえに。

「他の誰よりも、私がやるのが安全なんでしょ? それでなお、私には不適切だっていうわけ?」

「そ、そのようなことを申しているのでは――」

「いいや言った! てか、絶対思ってる!」

 怒鳴る杏佳に、彼はそれ以上何も言えない。何故なら――なんと凛々しいのだろうか――腕を組み、ジっと睨みつけてくる杏佳からまるで後光が差しているようにも見える。これが――彼女の<スポットライト>――

「この件、私が受け持つ。私がその砂橋ルミノってコと会って、その場で洗いざらい吐かせてやるわ」

「い、いえ……そこまでしなくても……」

 どうやら、()()()()でプロデューサーは杏佳からの信頼を失ってしまったらしい。彼の言葉は自分への気遣いではなく、自分を見下しているものとして。こうなってしまっては、もう杏佳は止まらない。その様子を霞たちは微笑ましく眺めていた。珍しく、女のコの扱いが()()()ではないか、と。

 

       ***

 

 学校がわかっていれば、プロのエージェントにとって身元を調べることは造作もない。ただ、これ以上ターゲットに近づくのは難しい、との報告も受けている。やはり、ルミノの身辺には常に複数人の監視人がついているらしい。ゆえに、得られた情報は顔写真とクラスと出席番号まで。そこから先は、 裏の人間(ファンムード)を敵に回しかねない。

 鳥越学院の制服はすぐさま入手し、先ずは、呼び出しから。クラスと出席番号がわかれば、下駄箱の位置もわかる。そして、ルミノが下校した後――監視の目が学校からなくなったのを見計らって、杏佳は果たし状を放り込んだ。三日後の放課後六時、旧校舎裏の駐輪場跡まで来い、と。正しくは、『来てください』と丁寧に。一応、あまり面識もない相手なので。

 このとき、杏佳の護衛として少し離れた位置から監視していたエージェントによると、他の同業者の気配はなかったらしい。やはり、関心はルミノひとりのようだ。

 そして、決戦当日。

 指定した時間は放課後なので、下校で賑わう頃合いを狙って杏佳はさり気なく敷地内に登校させてもらった。今回はターゲットが学校に残っているため、近辺にファンムードの雇った者たちが点在している。そのため、投函時ほど護衛を近づけることはできない。ゆえに、二重警備――杏佳のことを誰かが見守り、その誰かをプロが見守る――だが、何かに遭った際の救援の初動は明らかに遅れることだろう。

 それを知らされていたからこそ、杏佳の挙動は明らかに不審者であった。今回は、敵が自分を監視している――もし、TRKのメンバーだとバレたら、拉致監禁陵辱殺人の被害者になってしまうのではなかろうか――だからといって、ここで引いたらカッコ悪すぎる――! この現場をプロデューサーが見たら、さぞ感動したことだろう。いまの杏佳は、誰よりも()()()()()。みんなが応援したくなる前のめりな初々しい新人アイドル――他の関係者たちがこの美しさに気づく前にスカウトできたのは、TRKにとって幸運だったかもしれない。

 ただ、ここは数多くの芸能人が通う鳥越学院高等学校である。芸能人の卵ともいうべき学生は多数通学しており――驚くべきことに、それでもさほど目立つことはない。おかげで彼女は誰に声をかけられることなく、敷地の奥へ奥へと踏み込むことに成功した。

 旧校舎とは、文字通り現在使われていない校舎で、その教室群は物置か、一部の名ばかり部活の部室となっている。その最奥にあるのが駐輪場跡――もう使われておらず、残されて錆びついた自転車の残骸とも呼べる鉄くずが数台分放置されているのみ。みんなで校内図を見て、怪しまれず、最もひと気がないはここである、と話し合って決められた。

 ここなら他の誰が来ることもない。一対一で対話ができる。現在時刻は――五時五十九分。あと一分だというのに、ルミノが現れる気配はない。もしかしたら、差出人の名前を書かなかったから警戒されているのだろうか。とはいえ、さすがに身元を明かすわけにもいかず、偽名を使えばバレてしまうかもしれない。

 それとも、すでにここには到着しており、自分のことをどこかの木陰から観察している――? 普段人が立ち入るような場所ではないため、あたりは鬱蒼と茂っており見通しは悪い。隠れられる場所はいくらでもありそうだ。

 一先ず、校舎の壁に背を預け、森とも林ともいえる都会の小自然に向けて目を凝らす。どこから――どこから出てくるのか――?

 杏佳は、ふいに手元の腕時計に視線を下ろす。いままさに、午後六時――

 そのとき――

『シャッ』と数珠が滑るような音が小さく聞こえた。それは、本当に彼女のすぐ傍で。背後は校舎であり、窓だった。それで、振り向く。それはただ、無意識のうちに。

 それまで――カーテンが開かれていたか、閉ざされていたか――裏庭ばかり注視していた杏佳の記憶にはない。だが、あえて正解を挙げるのであれば、閉ざされていた。ここは使われていない教室ばかりである。慢性的に、すべてのカーテンは閉ざされたままになっていた。

 ゆえに、わざわざカーテンを開ける者などいない。

 だからこそ、そこに例外はあった。

 しかし、杏佳にはそこにあるものが認識できない。

 だが、何となくグロテスクだな、と直感した。

 まるで、どこぞのポルノのように。

 しかし、それはポルノと呼ぶよりリアリティがある。

 何故ならば、それは被写体――ポルノと呼ばれるものの現物。

 カーテンを開いているのは、両足のつま先。

 左右に大きく開かれた二本の足は、その付け根を隠すことはない。

 縦に一筋入った女のコの割れ目まで。

 しかもそれが、()()()()()を飲み込んでいるところまで――!

「…………ッ!?」

 突然同性の股間を目の当たりにして、杏佳は驚きのあまり声が出ない。

 思わず腰を抜かしそうになったところを、後ろからふわりと柔らかな丸い塊に支えられた。

 が、これはこれで驚愕に値する。杏佳は今度こそ声が出そうになったが、唇に指を立てるジェスチャーを見て、少しばかり落ち着いた。

 そして、それは窓の向こう側の相手をも落ち着かせることになったらしい。

 ルミノと歩――全裸同士の邂逅である。

 

 実のところ――ルミノにとっても、杏佳は予想外の相手だったらしい。なので、自分の行いにむしろ青褪めていた。だからこそ、歩の存在が大きかった。歩の()の存在が大きかった。学校の校舎裏で同じ格好の同性――それだけで、ルミノにとって信用に足る。ゆえに、外から手招きをされて、迷わず内側から鍵を開けた。そして、『カレシ』と書かれた玩具を右手に抜き取ると、少し高い窓枠から飛び降りる。歩はその身体を難なく受け止めた。裸で抱き合う様子は、まるで絵画のようだ。なのに、芸術品とすることを許さない刻印がルミノには記されている。

 彼女の髪は長く、量も多い。それを大きな三編みでふたつにまとめている。顔立ちも、鳥越学園の生徒だからか、やはり可愛らしい。もし他の学生と同じように制服を着ていたら――背が低いこともあり、大人しい妹のように感じられたことだろう。おっとりとした瞳は、男なら護ってあげたくなるタイプかも、と杏佳は思った。胸も大きく――とはいえ、杏佳も大きい方なので、同程度。ついでに、乳輪の大きさは――そもそも、自分のをじっと見たことがないので比べようがない。が、そこから波紋を広げるような二重の円と、真っ直ぐ縦に貫かれた直線。加えて、乳首を中心とした放射線状に縦線とは別に六本――それが、先程杏佳が見せつけられた部位を図形化した記号であることは杏佳も知っていた。さらに、股間の方にも――毛の代わりに、同じような線が引かれている。おへそと股の中間あたりに複雑な模様のハートマークが。それと股とをつなぐのは、太くて不格好な丸みを帯びた矢尻のようなもの。先程ルミノ自身がしっかりと咥えこんでいたもの――の実物、なのだろう。

 この線はきっと、油性マジックか何かだ――杏佳としてはそう思い込みたい。だが――

『カレシいるのでお付き合いできません。ごめんなさい』

『ルミノをオカズにおちんちんシコシコして❤』

 ――そのように書かれているお腹の文字とは線の質が明らかに異なる。そちらが肌の表面に付着しただけのペン書きであれば――

「……間に合わなかった……みたいですね」

 杏佳は項垂れるが、そのような結論に行き着いたのは杏佳だけだったらしい。

「え? むしろせっかく間に合ったのに?」

 事情を説明できておらず、状況が飲み込めていないルミノはともかく、歩まで安心しきった表情である。これに杏佳は納得できない。

「だってこんなの、ファンムードに捕まって――」

「ファン……っ!?」

 その名を聞いただけでルミノは身を竦ませ、歩の腕にぎゅっとしがみつく。よほど怖い思いをしたらしい。だが、ここで杏佳も違和感に気づき始めていた。ファンムードに無理矢理刻まれたのなら、()()()()()は見せたがらないはず。にも関わらず、身体についてはこんなに平然と。

「も、もしかして……」

 そこから先は、杏佳には口にするのも憚られる。なので、歩から。

「見られたい……んだよね……?」

 その美少女は、へらりと口の端を持ち上げる。半開きになった唇はどこか怪しげにも見えた。そしてそのギャップこそ――<スポットライト>は彼にしか感知することはできない。だが――こういうの、オーナーは好きそうだな――と歩は察していた。

 

 あまり長く拘束してはファンムードによる監視者たちに怪しまれてしまう。なので、後日劇場の方に来て欲しい旨だけ伝えて、ルミノにはいつもどおりに帰宅してもらった。もちろん、制服は元通りに着た上で。自身の足で向かう分には、ファンムードたちが怪しんでも力づくで止めることは難しい。

 残されたTRKのふたりは、ルミノがファンムードの手の者を引き連れて学校から離れてくれるのをこの場で少し待つことにした。というより歩が全裸なので、人がいなくなるまで外には出られない。おそらく、プロデューサーが羽織るものを持って、車で校門前に待機していることだろう。

 それにしても、杏佳にとって今回はわからないことだらけだ。

「そのー……歩さん、どうやってここまで来たんです?」

 しかも、全裸で。

「そこのマンションから」

 と言いながら、三階のあたりを指差すのだから杏佳には戦慄しかない。

「ちょ……あの高さって……」

 学校の敷地は塀によって囲まれている。だが、建物の二階くらいまでの高さしかない。

「うん、まあ、下は土だし」

 歩にとって、それは一度飛び降りている高さだ。しかも、アスファルトの舗装路に。だから、彼女にとって何の心配もなかった。だが、それはあまりにも常識を外れている。

「知らないんですか!? 高校生の頃、プロデューサー、()()()()()()()()()って――」

 と口にして、お互い気不味そうに目を逸らす。

「――……知らないはずないですよね……。同じ高校通ってたそうですし」

 しかも、()()()()()()()怪我を負うことはなかった、と杏佳は桃から噂話として聞いていた。なので、この先輩にとっては大した事件ではなかったのだろう、と納得する。それに、監視係が怪我で動けなくなるようでは本末転倒だし、そもそも、そんな危険なことをあの心配性なプロデューサーが許すはずがない――なお、以前もこのような飛び降りを行っていたことを杏佳が知るのは、もうしばらく先のこととなる。

「二重に監視はつける、って聞いてましたけど……」

 まさか、全裸女子が自分の近辺をうろついているとは、どの生徒たちも思わなかっただろう。

「あ、学校に入るまでは糸織ちゃんで、私は敷地に入ってからだよー」

 校門付近の人は多かったが、目視できる距離まで近づいて物陰から杏佳の動向を見守っていたらしい。全裸の歩は極めて勘が冴える。誰にも見つからないよう立ち回ることもできるし、そこは公道と比べて人通りも少ない。だからこそ、杏佳にとっての危険度は逆に跳ね上がる。そこで、全裸の歩が最も状況に対応できると判断されたようだ。とはいえ、命じられていたのは杏佳の監視だけ、自ら出てきたことは指示の範囲外である。

「てか、いつからここにいたんですか……」

「ん、一時間ほど前からかな。で、糸織ちゃんから連絡を受けて」

 そう言って歩は左手首を顔の前に持ち上げる。女子がつける時計にしてはいささか大きく――いわゆる、スマートウォッチと呼ばれるものだ。

「……てことは、私が来たとき、先にいたってことですよね」

「うん」

「時間が来たとき、かなり慎重に周囲は窺ったはずなんですけど」

「うんうん、見てたねー。あははー」

「…………」

 この人は忍者の末裔だろうか、と杏佳は思う。なお、一世紀以上前に、全裸になると最強の守備力を誇るキャラクターのゲームがあったが、当然彼女たちがそれを知る由もない。

 色々と納得できないことも多いが、杏佳はふぅとため息をつく。

「……自分で見せたいんだったら、ファンムードでも何でも行けば良かったのに」

 そのあたりについては、()()()()()()()から歩は何となく察していた。

「多分、男の人、得意じゃないんじゃないかな」

「見せたがりなのに?」

「苦手じゃなかったら、直接会うでしょ」

 杏佳は窓の方を見やる。物理的に隔てられているからこそ安心できるのだろう。

「動物園のライオンは好きでも、柵とか無しに対面したら怖いじゃない?」

「でもそんなことゆったら、学校生活も難しいのでは?」

 鳥越学園は共学である。しかし。

「ここには、『女優科』があるから」

「あー……」

 クラスのアルファベットばかり気にしていたが、H組は女優科に分類されている。少なくとも、女優科に男子はいない。

「それに、ルミノちゃん、手慣れてた」

「確かに……」

 待ち合わせ場所に応じて、開く窓を熟知していたようだ。この旧校舎裏に精通しているとしか思えない。

「杏佳ちゃん、お手紙の写しとかある?」

「書く前のメモなら」

 そう言って、杏佳は自分のスマホを手渡した。余計なことは一切書かず、日時と『旧校舎裏の駐輪場跡まで来てください』とだけ。

「あー……これ、どう見てもラブレターだよねー」

「果たし状ですっ」

 だが、もしラブレターを送った男子が、ルミノのあの姿を見たらどう思うか――歩も、そこに()()()()を感じている。これは、恋する少年にとっては悪夢以外の何物でもない。可愛らしい妹のような――護ってあげたくなる女のコ――それが、全身卑猥な刺青を彫った変態痴女だったのだから。

『脱いでも救われない裸もある』――その意味を歩はようやく理解する。それでも、あの人なら――歩は、そんな気がしていた。

 

       ***

 

 おそらく、歩が全裸で現れたことで、ルミノからの絶大なる信頼を得られたのだろう。もしくは、それほどまでにファンムードに怯えていたか。後日、と約束したにも関わらず、学校から直接劇場まで来てくれたらしい。

 そして――

 

 この場合は、大々的に告知しなくてはならない。ファンムードに対する牽制はもちろん、いまもどこかに身を潜めている希にも報せるために。

『期待の新人・砂橋ルミノ 衝撃デビュー』

 少なくとも、ルミノはファンムードへの所属を一貫して拒んでいた。ゆえに、これは引き抜き以前の話であり――ただ、スカウト相手を間抜けにも横から掻っ攫われただけ。どんなに『先に目をつけていたのは自分たちだ』と声高に叫んだところで、恥の上塗りにしかならない。

 だからこそ――

「クッ、やられた……!」

 ここのところ、後手ばかりに回っていることをプロデューサーは悔やむ。やはり、あのブランドはどこまでも卑劣だった。何しろ、社長案件である。激昂した最高責任者を止められる部下など社内にはいない。しかも、休業日たる週末を挟んでいたのも間が悪かったといえる。

『ファンムード 組織ぐるみでリベンジポルノばら撒きか』

 日頃責任を取ることなく、何かあれば末端を切り捨てて対処してきた――他人任せの危機管理のツケが、ここで回ってきたらしい。

  萩名(はぎな)社長の情報は確かであり、これは紛れもない社長案件――事もあろうに、ファンムード・ 周防原(すおうばら)社長は()()()()からその画像を拡散させたらしい。

 社長はルミノのポルノをダシに自分たちの事務所に所属するよう脅迫していた。それを蹴って何もしないのではナメられる――それゆえの、有限実行。

 だが当然、IPから発信元は筒抜け。一応、部下が勝手にやっただけ、と言い訳しているようだが――休業日であったため、当日本社ビルにいた社員も数えるほど。今度ばかりはさすがに無関係を装うことなどできそうにない。

 これまでも、傘下の有力レーベルがいくつか潰されていた。それに加えてこの体たらくは、まさに落ち目といわんばかり。関係者たちも次々と離れ、今朝は元ファンムード系列だったと思われる事務所からの問い合わせが相次いでいる。応接机の電話は鳴り続け、対応に追われている霞はもはや事務作業どころではない。

 しかし、リベンジポルノ――ルミノの秘密を守ることはできなかった。どのような行為を撮られたのか、プロデューサーは確認していない。だが、あの刺青である。肌を晒しただけでもただのヌードとは比べ物にならない社会的ダメージを負うことになる。実際、学校側からは問答の余地もなく即日退学処分が下されてしまった。希はこうならないよう、歩に想いを託したというのに。

 すべてが終わった後で、プロデューサーは歩からその言伝を聞いた。脱ぐことで救われない裸もある――けれど、彼は歩が思っていたとおりに優しく首を横に振った。ルミノと初めて対面したときのことを思い出して。

 さすがの彼も、その肌の模様には驚かされた。そして、そんな驚いた彼を見たルミノは――<スポットライト>を輝かせていたのである。ゆえに、彼は救いたい。彼女が脱ぐことで、彼女の裸を。

 

 パーティションに囲まれた応接スペース――その陰から、彼はそっと室内を覗いてみた。ここの女子たちは性関係への耐性が人並み外れて高い。そのため、ルミノの刺青をまったく気にすることなく、平然と打ち解けている。ルミノ自身も、このような場で全裸のまま過ごすことに何ら疑問を感じていない。中でも、学校の都合で芸能人慣れしているためか、未兎に対しても分け隔てなく接している。

「ルミノちゃん、何観てるの?」

 何気なく声をかければ、何気なく返してくれる。それが未兎にとって、何よりも嬉しい。

 ただ。

「あ、エロビデオ会社さんが流したっていう動画ですぅ~♪」

「!?」

 何気なくとんでもないことを言い出すので、未兎だけでなくプロデューサーさえも耳を疑う。先程から 紫希(しき)や操たちと和気藹々とスマホを囲んでいたが、まさかそんなものを鑑賞していたとは。

「おかげで、学校は退学になっちゃいましたけど……でも、ここにいれば……フフ……フフフ……❤」

 どうやら、退学の宣告を受けた際に、怖いもの知らずとなったルミノは校内で()()()()()()()()をやらかしたらしい。それを目の当たりにできなかったことを、プロデューサーは残念に思う。それを回想しているだけでも、ルミノはこんなにも嬉しそうに輝いているのだから。

 そんなルミノに苦笑いする未兎に対して、操はさも普通のこととして受け止めている。

「ハハッ、男にもずいぶん慣れたみてぇだな」

「あの舞台の高さなら……はい」

 乱入防止のために階段等も設けられていないため、ルミノも安心できるらしい。観客の反応も良く、鳥越学園出身ということで基礎能力もある。ただ、女優科であるため専門は演技だ。歌も踊りもそれほど得意ではない。それゆえにPASTは、一先ず目立たないバックダンサーとして保護することにしたのだろう。ゆえに、TRKのメンバーとしても、できる範囲で。壇の高さによって隔てていればともかく、はぐサーやサイン会は難しいので、それについては除外している。このような細やかな配慮ができれば、ファンムードとも迎合していたに違いない。ただ、出演者の弱みを握って自社の都合を強制するのがあの会社の常套手段である。ルミノがこうして笑顔でいられるのは、女のコに寄り添うこの劇場であるからこそだ。

 しかし、希はルミノの痴態自体を隠したかったに違いない。何故なら彼女の母親は希の姉――つまり、ルミノは希の姪ということになる。ただ、ルミノも『希さん』――芸名で呼んでいたことからも、かなり疎遠だったようだ。それでも気にかけていたのだから、それなりの縁はあるのだろう、とプロデューサーは考えていたが――霞はまだ何か明らかになっていない家族関係があるのでは、と予感している。

 そんな思惑とは無関係に、ルミノと紫希、それに操は流出動画に見入っていた。それはまさに、杏佳が校舎裏で見た光景――とはいえ当然、杏佳が撮影したものではない。別の日に、別の誰かに対して似たようなことをしていたことは、まさに歩の想像通りだったらしい。

「うーん……やっぱ下の毛は剃った方がカワユイかなぁ」

 同性の性器を見ながら、操は自分の身体について考察する。

「生えてる方がエロくない?」

「いや、エロさじゃなくてカワユさを目指してるんだよ」

 操と紫希の間には少々食い違いがあるようだ。

「けど……それを録画して芸能事務所に売るんだから許せねぇ野郎だな」

 操は男に対しては本当に容赦がない。おそらく、先日乱入してきたのが(あんにゃ)ではなく男だったら、本当に病院送りにしていたことだろう。

「どんなちんぽだったか覚えてる?」

 ルミノは、紫希が『男』を『ちんぽ』と呼ぶことをまだ把握していない。

「それが……この人だけ、おちんちん見せてくれなくて……」

 ひと気のない校舎裏であることと、突然見せられた想い人の痴態に、ショックのあまり放心し――自分をオカズにしろ、と書かれたボディメッセージに突き動かされるように――その場で致してしまう男子がほとんどらしい。

 操は紫希の呼び方を承知しつつ、あえて言葉通りの意味で話を続ける。

「でもよ、逆にそれならツラの方は覚えてんじゃねぇか?」

「それはもちろん……えーと、 吉坂(よしざか)先輩っていう、三年生の……」

吉坂(よしざか)(みのる)ッ!?」

 と、真っ先に反応したのは未兎だった。

「う、うん……そうだけど……」

 気圧されているルミノの横で、未兎はひとり納得して頷いている。

「あンのクソガキ……そうね、たしかに鳥越に通ってたっけ……ッ!」

 その男性アイドルの撮影した動画がファンムードの自社から拡散されたのだから、何らかの裏のつながりがあってもおかしくはない。

「おっ、なんかクソ野郎がいるのか? やったれやったれ♪」

 詳しい話はわからないが、男嫌いの操は男をとっちめる算段と察してノリノリで喜んでいる。

 だが、誰よりも喜んでいるのは――

「……なるほど……今回不祥事を起こしたファンムードと 松塚(まつづか)が……ね」

 霞は何やら悪い顔をしているが、プロデューサーはあえて止めない。未兎のためにも。

 そこに水を差すような呼び出し音が卓上の電話機から鳴り響く。これは外線の着信音だ。また避難を希望するファンムード系列の者に違いない。即座にテンションを切り替え、無意識に対応しようとしたプロデューサーの手に割り込むように霞が受話器を攫う。

「はい、TRK事務局です」

 だが――

 どうやら、今度はこれまでの相手とは異なるらしい。相槌を打つ霞の表情から、何やら深刻な用件であることは窺える。

 そして電話を切った。短いやり取りだったが、重大な事案が降り掛かってきたらしい。

「社長、至急の面会です」

 営業に関しては霞が一手に担ってきた。おかげで、プロデューサーは女のコたちのプロデュース方針の検討に注力できている。なので、自分に話が通されるのは地味に久しい。

「どなたでしょうか」

 霞はプロデューサーのスケジュールをすべて把握している。ゆえに、予定を組み入れる際にそれ以外の事情は一切考慮しない。

「本日十二時より、先方の本社ビルにて――」

 これから一時間後なのだから、よほどの急用である。そして、そんな無茶を押し通してくるのは――

「天然カラーズ社長、 相馬(そうま)様とです」

 間違いなく、希の件だろう。ならば、プロデューサーとて断る理由はどこにもない。

 

       ***

 

 どうやら相当切羽詰まっているようで、すべての予定をキャンセルしてでも、最優先で会いに来い、と相馬氏は言っていた。というより、怒鳴り散らしていた。希の身に何があったのか、プロデューサーとしても不安になってくる。

 その場で会えれば良かったが、社長室へ赴いてみると、そこにいたのは社長だけだった。だが、明らかに様子がおかしい。いつもの余裕めいた笑顔はなく苛立ちを顕にし、髪も服も乱れている。外見を取り繕う余裕さえないようだ。

 そして、案内してきた秘書を乱暴に部屋の外へ追い出すと、着いたばかりの来客に向けて苦々しく毒づく。

「貴様たち……ファンムードを潰しやがったようだな……」

「はぁ……」

 潰すよう提案してきたのは相馬氏の方のはず。ゆえに、それは本人も承知の上で。

「ああ、ああ、わかってる。貴様らの言いたいことはわかってる。俺が言い出したことだって言いたいんだろ? だがな……」

 落ち着かずに部屋の中をうろついていた相馬社長は、腹立たしげに傍の机に握り拳を叩きつけた。

「やり方くらいは考えろ!」

「やり方……?」

 このような陳腐な威嚇でたじろぐほどプロデューサーたちもヤワではない。ただ、もしかすると、何らかの落ち度はあったのかもしれない、と考えを巡らせていた。が、結論を待つことなく、社長は矢継ぎ早に攻め立てる。

「本社の犯罪暴いちまったら……警察が図に乗るだろうがよ!」

「!」

 それは想定外だった。もっとも、ファンムードの自爆なのだが、それを誘発させたことには違いない。

「貴様らがやらかしたツケを……見せてやる」

 相馬社長は卓上からリモコンを掴み取るとモニタに向ける。そして、再生ボタンを押した。すぐに流せるよう、準備していたらしい。座るよう促されていないし、相馬社長本人も立ったままであるため、プロデューサーたちは少し上から画面を見下ろしている。

「これは……政見放送でしょうか」

「国営じゃねぇ。民放だよ。そもそも選挙までまだあと何ヶ月あると思ってんだ、アホ」

 これまでの紳士ヅラがすべて剥げ落ちている。これが、相馬社長の本性のようだ。

 しかし――

「……こ、これは……ッ!?」

 社長の変わりように気を取られて気づくのが遅れてしまったが、たしかに民放のようだ。しかし、熱弁を振るっているのはまさかのテレビホープの局長―― 蛯川(えびかわ)氏――ッ!

『今回、いたいけな少女が被害に遭い、さらには取り返しのつかない心の傷を負わせたのです!』

 被害者の心境を代弁しているつもりらしいが、当のルミノは退学についても動画流出についても何とも思っていない。むしろ、楽しんでいるフシさえある。

 それにしても、あの蛯川氏が……何故……? しかし、よく見ると肩書きは『テレビホープ局長』ではない。

「『キッズ・ガーディアン 代表』……ッ!?」

「フン、貴様でも知っているか」

「ええ、まあ」

 それでも、()()()()()で、とまで口にすることはない。

「アイツは、子供の人権を守るって団体の代表なのさ。ハハハハッ、立派な志じゃァありませんかッ!」

 相馬社長は一周回って普段の口調に戻っている。だが、カラカラに乾いており、まるで張子の虎のようだ。

 一方、蛯川氏の主張はますます熱を帯びてくる。それは、自分の正義にまったくの疑いを持たないからこそ。

『自己責任の成れの果てがこの事件なのです! やはり、子どもたちは我々大人が社会的責任を負い、未来を護っていかなくてはなりません!』

 この発言にはプロデューサーも背筋が凍る。行き過ぎた自己責任主義の反動については常に頭の片隅にあった。それを爆発させてしまったのが――あの事件だった――だと――?

「よく聞けよ、ここからのヤツの壮大な寝言をな」

 だが、社長自身は画面から目を逸らす。どうやら、自分は訊きたくないらしい。

『よって我がテレビホープは、今後……学生の出演を自粛いたします!』

「!?」

 成人として認められている学生まで――あまりに行き過ぎた保護政策に、プロデューサーと霞も戦慄する。そしてそれは、アイドル事業を束ね、芸能界に乗り出そうとしていた相馬社長にとっては致命打以外の何物でもない。何しろ、アイドルの多くは学生だ。それを画面から排除するというのは――もはやアイドルそのものを滅ぼすに等しい。

 何より、そのように推し進め、行き着いた末に巻き起こされたものこそが『歌舞伎町クライシス』であり――まさか局長は、あの悲劇を再び繰り返すつもりなのだろうか――!?

「このジジィ、頭おかしいだろ……ッ! すべてのアイドルが悪い大人たちに無理矢理やらされてるとでも思ってんのかッ?」

 そう吐き捨てる相馬社長だったが――それはまさに、当の本人がファンムードに対して断じていたことでもある。彼らの作品は、人としての良心に反する、と、他人の良心を勝手に定義して。

 そして、その自己中心性はそれだけではない。

「だが、ヤツを調子に乗らせたのは、貴様らだってのを忘れるなよ……?」

 社長はプロデューサーたちを睨みつける。

「こちとら、ファンムード潰した後は()()()に規制対策は任せるから大丈夫っつーて、 茶豚(チャブタ)から許可もらってたんだからなッ!」

 茶豚――茶蓋―――ブラウンキャップ――相馬社長率いる天然カラーズの親会社である。いわゆる蔑称的ネットスラングで呼んでいるところからも、愛社精神は感じられない。

 そして、目の前の部外者に対しても。

「子会社……まさか……ッ!?」

 それが、TRK劇場のことを差すというのなら――ッ!

「残りのビッチ共はテメェに預けるってゆったろーが」

 新歌舞伎町に残る天然カラーズキャストたちの面倒をみて欲しい、という話は聞いている。が、子会社化については別件だ。が、相馬社長の中では、そこまで決定事項だったらしい。おそらく、キャストたちの環境を保証するためには、自分たちの傘下に入った方がやりやすい等と押し通す形で。

 だが、それもすべて潰えた。

「規制は進み、肝心の()()()はライブで裸踊りかましやがって……ッ! 俺にはもう何も残ってねぇんだよ……ッ!」

 動物園のクマのようにせわしなく歩き回っていた相馬社長だったが、己の状況に堪えたのか、ソファにドスンと腰を下ろした。

 そして、頭を抱えて。

「何が、アダルト業界からの救済だ……ッ、自分から踏み込みやがって……頭のネジぶっ飛んでんじゃねーの?」

「いえ、それはファンムードに……」

「だったら、少しは被害者ぶりやがれ! スッポンポンのまま最後まで踊り通したって話じゃねーか!」

 それは、途中で止められない企画だったから、ということもあるだろう。アイドルとしての矜持を貫いた、とも。だが、それらはすべて第三者の憶測に過ぎない。やはり、本人の口から真相を聞くべきだ。

「相馬社長……憐夜希氏の所在はご存じないでしょうか」

「知らねぇよ。一発ヤッたし、もうあんなカス使い道ねェ」

「社長……?」

 ここまで 下手(したて)に出て聞き流していたが、女性に対してこの言い草は聞き捨てならない。その怒りを察知した霞が別の話題で割って入る。

「しかし、一民放がそのように言い出したところで、他の二局が続くでしょうか」

「続かざるを得ないように仕向けてんだよ。あの、天下のテレビホープ様がな……ッ!」

 画面を睨みつける相馬社長の視線に釣られて、ふたりはテレビを見る。だが、そこに映っていたのは――

『氏は、今度の選挙戦に立候補予定の、この問題に詳しい――』

「!?」

 ここまでも、驚きの連続だったといえる。

 だが――

「見ろよ! 政治の世界にまで持ち込みやがって、マジのガチだぜ!」

 プロデューサーは――

 社長は大声でがなり立てているが、その耳には届いていないだろう。

 画面の方こそ見ているが、おそらく目には入っていないだろう。

 

 ()()()が――最後に顔を合わせたのは――もう、五年以上前のこと――

 だが――それでも、その顔を忘れることはない――

 

 フラフラと後ずさり、プロデューサーは背後のソファに躓いてその上にボスンと腰を落とす。

 真っ青になっている上長の顔色に気づき――

「御社はこの問題について、どのような対策を?」

 踏み込まれる前に、霞はすぐさま相手に踏み込んだ。

「これからだよ。っつーか、うちだけじゃどーにもなんねぇ。そもそも、茶豚の方が死活問題だろうよ」

 そこはアイドル事業を預かっている総本山であり、キャストの八割以上は学生である。それが、三つしか残されていないキー局のうちのひとつが事実上の出禁宣言となれば、事業そのものが傾きかねない。しかも、局長自ら次の選挙の立候補者を担ぎ上げているのである。世論を導くことは容易であり、この時点で確実なる当選は疑いようもない。

「これから本社で緊急会議だッ! これは貴様が撒いた種だから、貴様が何とかしておけよッ!」

 そんな捨て台詞を吐くと、あとは勝手に帰れ、と言わんばかりに相馬社長は部屋から出ていった。現在もテレビの中では児童労働の問題について延々と講じているが、霞は黙ってテレビを落とした。

 ありきたりな苗字であったためこの場で相馬氏が気づかなかったのは霞たちにとって僥倖だった。しかし、プロデューサーのこの動揺――そして()()()――調べればすぐに行き着くことだろう。

「社長、もしや、先程の立候補予定者は……」

「……ああ、俺の――」

 

 ――父さんだ。

 

       ***

 

 まだ陽が地平にかかりかけたばかりの静かに澄んだ朝靄の下で――彼は遥か頭上を仰ぎ見る。通りの入り口に掲げられた真っ赤なアーチには『新歌舞伎町』の文字。それはかつて、一度は取り崩されたもの。だが、こうして蘇った。

 しかしそれは、 萩名(はぎな) 兵哉(ひょうや)社長たち先人の努力があったからこそ。その安寧の揺り籠に甘んじてきたつもりはない。だが――今度ばかりは事が大きすぎる。

 父は、新歌舞伎町のことを誰よりも愛していた。

 しかし、愛深きゆえに、愛する街に背を向けた。

 その父が、今度はアイドルの敵として戻ってきたのである。

 彼の野望は確実に時代を逆行させ――歌舞伎町クライシスの再来――いや、日本全土で()()()()()()()()()()()()()になるだろう。

 それを自分が、ここで食い止めなくてはならない。訪れようとしているアイドルたちの『 悲劇(クライシス)』を喜劇の『クライマックス』とするために――

 

 そんな、街を隔てる新宿両国通りの向こう側――

 早朝のゲートを仰ぐ彼をそっと見守るひとつの陰があった。古びたビルに寄り添うように佇むその姿は白く、亡霊のようでもある。だが、そこに感じられるのは確かな生。ほんのりと胸の先を染める温かみと、静かにそよぐ腿と腿の隙間に茂る柔毛。二本の足で歩道に立ち、じっと彼と街を見つめている。

 普段、この街は人に溢れており、人が途絶えることはない。だが、まるで無人の一瞬を切り取ったかのように、彼とふたりきりとなったそこに、彼女はいる。

 ――頑張ってくださいね。女のコたちの未来はきっと――貴方と、貴方を慕う女のコたちにかかっているんですから――

 そう呟くと、彼女は誰に気づかれることなく踵を返して眠る街に背を向ける。それに合わせて――おとなしめな胸へと垂れ下がっていた二房の髪が、ふわりと円く舞いなびいた。

 



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