最凶の現代ホラーエロゲ世界に入り込んだらしい (赤雑魚)
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プロローグ

 薄暗い廃デパートを歩いている。

 

 

 足元には蛞蝓や虫が這いまわり、丸々太った蝿がぶんぶんと飛び回る。

 

 数十年前に潰れ、良からぬ噂と怪奇現象で放棄され、話題に出すことさえも避けられる曰く付き物件。そんな場所を息を殺し、極力音を立てないように静かに歩く。

 

 

 ぐちゃり、と水っぽい音がする。

 

 

 肉を踏み潰す生々しい感触に眉を潜め、しかし無視して歩を進める。

 

 

 不愉快な感触だが、仕方がないことだと無理矢理納得する。

 正体不明の赤黒い肉が、通路一面に植物のように根を張っているのだ、避けたくても避けられない。.........まあ幸いなことに敵対的な存在ではないようだから、そこまで注意を割く必要はない。

 

 

 油断したところを襲われる可能性も否定できないので、完全に無視できないのが嫌なところだが。

 

 

 なんにせよ、目的はさっさと果たすに限る。

 

 

 できるだけ()()()()()()に見つかるのは避けたい。素早く視線を走らせて目当てのモノを探す。

 

「.........お、見っけ」

 

 肉植物の根に埋もれた通路の端。

 暗がりにキラキラと光るものを拾い上げ、手で転がしながら観察する。

 

 直径2センチほどの宝石。

 どこか清浄な気配を漂わせる大粒の輝石は、丸くカッティングして磨き上げられ、紐を通せるように中心に穴が開けられている。

 

 間違いなく退魔士の数珠玉として利用されていた宝珠。

 

 俺が探していたモノの一つ。

 魑魅魍魎が棲む異界の中で、魔に対抗可能な力を持つ数少ないアイテムだ。

 

 思い通りに事が運び、品物が入手できた喜びに思わず頬が緩みそうになり______何かに気付く。

 

「............?」

 

 ふとした違和感に首を傾げ、少し黙考して違和感に気が付く。

 

 

 辺りが、妙に静まりかえっている。

 

 

 先ほどまでは不快で仕方なかった蝿の羽音も、這いまわる蛞蝓と蛆の水っぽい音も、肉植物の幹から響く脈動も全てが聞こえない。 

 まるで何かから逃げたのか、或いは隠れているかのような不自然な静寂。

 

 嫌な予感がして、周囲を見回す。

 

 通路は広く薄暗く、壊れかけの商品棚や張り巡った肉植物などの障害物で視界が悪い。

 『魔』に対する心得がない自分では見逃すもの方が多いだろうし、そもそもただの勘違いかもしれないが、背筋を這いまわる悪寒が何かを探せと急かしている。

 

 神経を尖らせて視線を走らせる。

 

 

 .........()()

 

 

 先ほど通り過ぎた通路、そこに生えた肉植物の大樹の洞にソレはいた。

 

 

 ______ソレは人間ではなかった。

 

 

 人のカタチではある。だが人間を明らかに超える体躯、剥き身の筋肉のような肌、なにより捻じ曲がった角が生えたそいつは、物陰に身を潜め、赤い眼でじっとこちら見ていた。

 

 おそらくは俺がこの通路で探し物をしていた時から。

 

「______!」

 

 理解の及ばないナニカに、観察されていたという事実に皮膚が粟立つ。胸の奥底から湧き上がる怖気に思考が止まり、一瞬遅れて「逃げる」という選択肢が浮かび上がる。

 

 

 ______あまりにも遅かったが。

 

 

 異形と目を合わせるべきではなかったし、合わせたのなら即座に逃げるべきだった。それを実行できなかった時点で只人の末路は容易く確定する。

 

 弾けるように駆け寄って来た異形に、がしりと腕を捕まえられる。

 

「ひぁ.........!?」

 

 情けない声が漏れる。

 

 男の自分でも抵抗できないほどの明確な腕力差。

 振りほどくことも出来ずに無様に引き倒され、そのまま組み伏せられる。

 

 抵抗できない。

 

「■■■■■!!」

 

 獲物を捉えて異形がげたげたと嗤い声を上げる。

 

 怪物に捕まった人間の結末は明白だ。

 特に()()()()()()死か、それよりも悪い事の二択しかない。そして目の前の異形から自分は逃げられず、この状況を覆せる力もない。

 

 終わった。

 

 諦めと絶望で目の前が真っ暗に染まりかけ______

 

 

「_____シィッ!!」

 

 

 横合いからの拳が、異形の頭を吹き飛ばした。

 

 肉と骨が砕けて粉砕される快音が耳を打つ。

 真夏のスイカ割り、というよりも地面に力尽くで叩きつけられたザクロのように異形の頭がはじけ飛ぶ。

 

 頭部を失った異形の身体はふらふらと揺れた後、ざらりと塵になって消滅した。

 

 残ったのは情けなく地面に転ぶ俺と、助けてくれた者だけだ。

 

 まだ呆然としている俺に手が差し伸べられる。

 

「大丈夫ですか? ナガヒサさん」

「なんとか.........」

 

 差し伸べられた手を取り立ち上がる。

 

 命の恩人は小柄な少年だ。

 線の細い端正な顔立ちからは中性的な印象を受ける。

 

 彼はこの廃デパートで行動を共にする数少ない協力者であり、そして俺の生命線である。彼がいないと非力な俺はなにも出来ずに死ぬ。

 

「マジで人生終わったかとおもったぜ.........」

「あまり離れないで下さいね。アラカを探してくれるのは有難いですけど、離れすぎるとフォローできませんから」

「肝に銘じとくよ.........」

 

 アラカ、この廃デパートに迷い込んでもう何度も聞いた単語を聞き、眩暈のような感覚を覚える。

 

 諦観と言ってもいいかもしれない。

 嫌でも自身の状況と立場を理解させられ、同時に軽い絶望感に襲われる。

 

 これがナニカの間違いであれば、どれほどによかっただろう。

 

「ええと、探してるお嬢さんの名前はなんだったっけ?」

「アラカですよ、伊早瀬アラカ。.........僕の大事な人なんです」

「.........ああ、そうだな。早いところ見つけて帰ろうか」

 

 肉と陰気で満ちた悍ましい空間、恐ろしい異形、そして「伊早瀬アラカ」を捜す少年。

 この少年と廃デパートをうろついてしばらくになるが、やはり()()()()()()と改めて認識する。

 

 ここは「淫界人柱アラカ」の世界なのだ。

 

 JK退魔士ホラー探索RPGと銘打たれた凄まじく過酷なことで有名な18禁ゲーム。

 伊早瀬アラカは作品上のメインヒロインであり、そして失踪した彼女を探しに廃デパートに入り込んだ少年は「アラカ」の主人公で間違いない。

 

 しかし、だからこそ頭の痛い状況になっている。

 

 目の前の少年をまじまじと見る。

 

「どうしました?」

「いや.........うーん、なんというか良く似合ってるなと思ってさ」

「はあ、ありがとうございます?」

 

 少年はアラカ世界の主人公、それは間違いない。

 

 一つのミスがバッドENDに直結しかねない世界だという事も受け入れよう。

 

 だが高頻度で出現する魔物、異界化したデパート、なにより()()()()()()()()()()()()()()()()()というとんでもない事実を元に、俺の脳内で一つの結論を出す。

 

 

 

 

 ______この世界は原作乖離を起こしてる。

 

 

 

 たぶん原作知識でフォローできないレベルで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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アラカとは

 『淫界人柱アラカ』という作品を知っているだろうか。

 

 

 現代を舞台にした退魔士ホラーRPG。

 

 対象年齢は18禁。

 

 ざっくりとした説明になるが人に害をなす妖魔や悪霊と、それを祓う退魔士と呼ばれる対魔物の専門家が存在するダークな世界観と、暗い世界設定を存分に活かした重厚な物語が特徴的な同人ゲームである。

 

 18禁ならではの実用的な作品______いわゆるヌキゲーという部類に属するため、単純にエロ目的でプレイすることも可能なのだが、実力派のクリエイターが集う制作陣によってシステム的にもストーリー的にも作り込まれた『アラカ』は、ゲームとしての完成度が非常に高い。

 

 世界設定もよく練られており、考察的な面でも楽しめるのだから脱帽するほかない。

 

 しかし、である。

 

 アラカはヌキゲーである。

 

 いや、本質はヌキゲーではないのかもしれないが、しかし『淫界人柱アラカ』はエロという方面において明らかに突出した性能を誇るゲームであるのは間違いがない。

 

 それもその筈、時代の先を駆けるどころか最果てへ飛翔するレベルの性癖を持つことから、界隈において『邪神』なんて呼ばれているクリエイターが結集し、一つのゲーム製作にその才能を存分に発揮したのだ。

 「活字で抜ける」ほどのハイレベルなシナリオをライター達が構成した上で、シナリオの描写に応え得る実力派のイラストレーター達が物語を鮮明に彩るのだからそりゃ凄いことになる。

 

 まさに性癖のオーケストラ。 

 

 邪神ジャーズのアッセンブルなんて言われていたし、構成メンバー的に実際そんな感じだった。

 

 ダークな世界観のエロゲであるため、なかなかにハードな内容。

 ちなみに舞台である廃デパートでは、主人公を除いて登場した人間は軒並み悪霊や妖魔の餌食となり凄まじい責め苦を受けることになっている。エロシナリオは邪神ライター達が様々なシチュエーションを書き上げたために、恩情や手心は一切存在しない。

 

 ユーザーからは「性癖の過重積載」「何食ったらこんなシナリオ思いつくんだ」「誰か助けて」「正直興奮するよな」といった悲鳴が聞こえたとか聞こえてないとか。

 

 ともかく「淫界人柱アラカ」はエロゲとして最高峰の作品であり、凄まじくハードな凌辱ゲーであり。

 

 

 

 ______そして俺が迷い込んだ世界であるという事だ。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「短い人生だったな.........」

 

 肉植物の侵食が比較的少ない雑貨コーナーの床に腰を下ろし、死んだ目でどうしてこうなったのかを思い返す。

 

 確か俺はベッドに入ってシコって寝た。で、目が覚めたら廃デパートの床に転がっていた。明らかに異常と分かる事態にパニックになってたら、女装したアラカの主人公に出会った。

 

 以上、終了。

 

 

 .........ダメだ。

 

 

 意味不明で経緯不明で理由も不明、オマケに問題の解決手段も不明。

 「アラカ」の世界なのは間違いないが、それもどこまでプラスに働くのかもわからないし、場所が廃デパートなのだから現在進行形で絶体絶命なまである。

 

 

 魔物達の住処なのだ、廃デパート(ここ)は。

 

 

 現世の理が通じない『異界』と呼ばれる領域。

 常人は取り込まれたら最後、けして逃れることはできないと言われる最悪の場所と言われている。

 

 誇張ではないだろう。

 

 事実として、ゲームでこの場所を無事に脱出できた人間は主人公だけなのだから。

 

「あの、大丈夫ですか? 顔色悪いですけど」

 

 心配そうな声に意識が引き戻される。

 気か付けば、腰を下ろしている俺を、首を傾げるように少年が覗き込んでいた。 

 

「あー、大丈夫大丈夫。それよりもほら、さっき見つけた数珠玉から何かわかった?」

 

 まあまだ完全に手詰まりではない。

 色々おかしなことになっているが、希望はあるのだから出来る事から進めていこう。

 

「いえ、今から視るところです。少し待ってくださいね」

 

 そういうと少年は、先ほど拾った宝珠を懐から左手で取り出す。

 右手に嵌めていた黒い手袋を口で咥えてするりと抜き取ると、宝珠を右手で軽く摘まみ上げる。

 

「んっ.........」

 

 少年が電流が流れたかのように肩を震わせる。

 見れば彼の視線が虚ろになり、右手と宝珠が何かに反応するように妖しい光を放っている。

 

 

 ______サイコメトリー

 

 

 「淫界人柱アラカ」における主人公に与えられた特異な才能。

 右手を通して触れた対象の『残留思念』や『情景』を読み取る力だ。異なる世界に接続するという意味では極上の能力とも言及されていたか。

 普段は見えすぎてしまうがために使用を控えているらしいが、原作では主人公はこの異能を使用して、アラカの痕跡を辿りながら探索を進めることになる。

 

 確かに情報を集めるという意味でこれほど便利な才能はないだろう。人間には理解の及ばない『異界』だとしても、アラカに縁のある持ち物であるのならば、その足取りを正確に追跡することができる。

 

 

 だが______

 

 

「______ダメみたいです」

 

 主人公の瞳に光が戻る。

 

 どうやら無事解読を終えたらしいが、成果に反して表情は暗い。

 

「今回もハズレか」

「ええ、別の退魔士の持ち物だったみたいです。読み取れたのは宝珠の用途とその持ち主の.........」

 

 少年が言葉を濁すが、その先をあえて追及はしない。

 

 性質上、彼は触れたモノの記録を辿れるが、それが道具であるならば持ち主の記録を見ることができる。()()()()()()()()()()()()()()()、だが。

 

 ゲームでは言ってしまえばヌキゲー要素にあたる部分であり、サイコメトリーを駆使して様々なシチュを回収できるのだが。現実ともなれば「持ち主」の末路を知っているだけに同情しかできない。

 

 持ち主の彼女はすでに手遅れ。

 すでに『淫界』と呼ばれるこの異界の深部に取り込まれてしまっている。

 

 彼女は、如月ヨミと呼ばれた少女は、今も淫界のどこかで苦しんでいるのだろう。

 

「やるせないね、どうも」

「.........すみません。ナガヒサさんに手伝ってもらっているのに、僕は何も成果を出せていない」

「いやいや君がいなかったら、とっくに俺は仏様だから。マジで感謝してるから」

 

 むしろ死ねればマシで、ぶっちゃけ温情なまである世界だ。主人公君と出会わなかったらと思うと背筋が寒くなる。

 しかもこんな危険な場所で初対面の人間を守ってくれるとか人格者どころじゃない。流石は主人公、飛び抜けた善性は伊達じゃないぜ。

 

 状況が状況じゃなかったら拝み倒してる。

 

「ほとんど足手まといだし、探し物の手伝いくらいはするよ」

 

 酒も飲める歳なのに情けない。

 せめて原作知識無双ができればよかったのだが、原作との乖離が大きすぎてどうやらマトモに機能しそうにない。

 

「せめて貴方を脱出させられれば.........」

「あー、それね」

 

 原作乖離その一、「廃デパートが異界化している」

 

 何が原因なのか全くわからないが現世が異界に呑まれ始めている。肉植物がデパート内を侵食しているのはそのためだ。

 

 ゲームでは探索を「主人公パート」と「アラカパート」の二種に分けられており、主人公は基本的に何の変哲もないデパートを探索することになる。つまり俺が主人公に出会っている以上、ここは現世にあるただの廃デパートであるべきなのだ。

 

 しかし実際に広がるのは異界化してしまっている未知の領域。

 

 異界化している影響なのか、建物内の構造がメチャクチャになってしまっているので、俺も主人公も現在地がマトモに把握できていない。異界が安定していないのか構造が常に変わっているようで出口も見つけられない状態だ。

 

 故に俺も離脱ができない。

 

 かと言って完全に異界化しているわけでもない様子なので、伊早瀬アラカと同じ空間にいるわけではないらしい。

 

 伊早瀬アラカは異界の最深部に取り込まれているのだ。現状ではまだ「浅瀬」でとどまっているのだろう。

 

 つまり、どうにもなんねぇ。

 

「___ナガヒサさん、敵です」

 

 少年が低い声で警戒を促す。

 

「.........マジで?」

「超マジです」

 

 視線の先には、道と呼べるか怪しいほどに捻じ曲がった通路、光はなくただ闇だけがひたすらに広がっている。

 

 だが、塗りつぶしたような黒の中で何かが動いた。

 一匹や二匹ではない。もっと多くのナニカが暗闇の中で蠢いている。

 

 遅れてナニカもこちらに気付いたのだろう。ピタリと動きを止めてこちらを見ているのを気配で察する。

 

 セーラー服の少年が懐からスマホを取り出してライトで闇を照らす。

 

 それが合図だった。

 

 漆黒から無数の赤い瞳が輝くと同時に、通路から溢れ出した異形の怪物が襲撃を開始した。

 

「どうする! 逃げるか!?」

 

 原作乖離その2「妖魔・悪霊が出現する」

 

 本来は異界同様、「アラカパート」にのみ出現するエネミーだ。ここまでも道中で何度か遭遇はしていたが、今回は異様に数が多い。

 

 距離はまだある。逃げること自体は可能だ。

 即座に逃走を提案するが、目の前の少年は動じた様子もなく妖魔の群れを見据えている。

 

「ちょ、主人公さん!?」

「.........大丈夫ですよ、ナガヒサさん」

 

 一際足の速い妖魔が少年の目前に迫ってなお、焦りは見えない。

  

 気が付けばスマホを片手に、彼は慣れた動作で手袋を口に咥えていた。

 素女性用の細身の手袋を噛んで引っ張り、しっかりと()()の指先まで通し______同時に妖しい光が瞬いた。

 

 

 

「______ぶん殴って除霊しますから」

 

 

 

 刹那、妖魔が少年に到達すると同時に弾け飛んだ。

 宙を舞い凄まじい勢いで群れに叩き返され、同族を巻き込んだところで殴られた腹部を起点に白い焔が爆発し、周囲の妖魔を纏めて焼き滅ぼす。

 

 ソレは邪悪を清める聖なる炎。

 実力ある退魔士が使用を可能とする『浄火』と呼ばれる高等技能である。

  

 燃え上がり狂乱に包まれる妖魔たちを背景に、セーラー服の彼はどこか艶めかしい笑みを浮かべる。

 

「三分で終わらせますね」

「あ、ああ。後ろで見てるわ.........」

 

 原作乖離その3「主人公が女装してる、あと戦える」

 

 戦闘能力が皆無なはずの主人公がアラカの制服を着てる、あと一方的に妖魔を蹂躙するレベルで強い。おそらく数ある中で唯一メリットのある原作乖離なのだが、先ほどの主人公の笑みにどこか胸騒ぎが止まらない自分がいるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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乖離の正体

 「淫界人柱アラカ」に含まれる要素として、『退魔士モノ』が挙げられる。

 

 人を害する魔と、魔を祓う異能集団といった関係性は、現代ダークファンタジー系作品において珍しいものではない。「敵対的な魔物」という明確な脅威に対して、人間側が対抗するという構図は、物語を展開するうえで合理的かつ理解しやすいものであり、『退魔士モノ』はあらゆる創作において扱われることの多い優秀な題材だ。

 

 そして退魔士モノと切っても切れないのが「戦闘シーン」である。

 

 緊張感のある描写からお色気まで、物語として幅広い展開を持たせられるために戦いの要素を採用する作品は多い。

 

 「アラカ」においても「戦闘シーン」は採用されており、物語に重厚さを与えると共に、敗北の屈辱をフレーバーとしたR18描写をより濃密に仕上げている。

 

 ゲームの仕様、そして物語の展開上、戦いを避けることは不可能であるため、「人淫界人柱アラカ」には魔物と戦闘を行なうためのキャラクターが存在する。

 

 

 

 ______伊早瀬アラカである。

 

 

 

 ゲーム内では主人公を守るために妖魔を祓う退魔士として描かれ、作品上のヒロインに位置する少女だ。()()()にプレイできればエネミーに敗北することはほとんどないと言っていい程に破格のキャラ性能をしており、設定上においても非常に優秀な退魔士であることが示唆されている。

 

 作中ではうっかりでサンドバッグを破壊する攻撃力、人を遥かに超える巨大エネミーに対抗可能であることが描写されている。女性に対して悪辣かつ強力な特攻性能を発揮する『淫界』でなければ、彼女は廃デパートを容易く攻略していたに違いない。

 

 

 一方でアラカを助けに来た主人公は非力な存在として描かれている。

 

 

 サイコメトリー能力を除けば一般人であり、退魔の心得もアラカから聞きかじった程度の素人ぶり。異界に取り込まれたアラカを助けに廃デパートに乗り込んだのはいいが、主人公一人では何もできずに人生が終わっていたのは間違いない。

 

 まあ主人公は探索に特化したキャラクターであり、強さは本来必要のない位置付けなのだ。

 

 

 力がなく、危険であると理解していて、それでも少年は一人の少女を助けに来た。

 

 

 それはとても美しく、尊い事で、何一つ異論を挟む余地などない。

 アラカの本質は「愛と勇気の物語」であり、少年の強さは力ではなくその心にあるのだから。

 

「そう、勇気こそが最大の武器.........だった筈なんだけどなぁ」

 

 

「「「______■■■■■■!!!」」」

 

 

 人ならざる存在の悲鳴が聞こえる。

 

 

 打撃の音とは思えないほどの異音が大気を震わせる。

 ぶち撒けられた肉片と鮮血、輝く白焔の光が廃デパートを赤と白に染め上げる、悪夢のようなコントラストの中で、主人公は舞い踊るように妖魔を攻撃する。

 

「アハハハハハ!」

 

 弱かったはずの少年の面影はどこにもない。

 拳を振るえば妖魔が弾けて臓物を撒き散らすし、指を鳴らせば白焔が妖魔を焼き尽くす。目の前に広がるのは筆舌に尽くしがたいほどの蹂躙劇場である。

 

 ふと、戦いを続ける少年と目があった。

 血と破壊に酔った、艶めかしい瞳が俺を捉える。

 

 

 ______ゾクリと、皮膚が粟立つ。

 

 

 端麗な容姿故か、それとはまた別の要因か。

 目の前の少年はどこか危うい美しさを感じさせた。

 

 どうしよう、主人公がちょっと怖い。

 

 明らかに原作ではあり得ないレベルのパワーアップしている。

 マジで探索者ポジションどこ行ったとか思わないでもないが、しかしそれなりの時間を過ごして、主人公の原作乖離の正体がだんだん解ってきた。

 

 戦場を駆ける少年の手元を注視する。

 

「やっぱアレが原因だよな.........」

 

 右手に嵌められている手袋、が妖しく輝いているのを確認する。

 

 小さめで細身に作られており女性用、手のひらに梵字のような文字が刻まれている不思議なデザインの手袋だ。宝珠を調べる前につけていた、主人公が普段右手を封印するためのものではない。

 

 おそらくは、伊早瀬アラカが所持していた呪具だろう。

 

 ゲームをクリアするために必要な六つのキーアイテムの一つ。

 退魔士の少女が使用していた、妖魔を殴り殺すための戦闘用グローブを少年は自身の武器として運用している。

 

 だが、退魔士の道具を持ったからと言って強くなれるわけではない。素人が銃を持ったからといって、撃った弾が上手く的に当てられないのと同じ理屈だ。

 長い修練と経験を積み上げて初めて、人は武器の性能を引き出すことができる。

 

 

 では、なぜ一般人に過ぎなかった彼が、妖魔の群れを壊滅させるほどの能力を発揮しているのか?

 

 

 答えは単純だ。

 

「______サイコメトリー能力、か」

 

 触れたものの『残留思念』『情景』を読み取る異能。それは言い換えれば『記録』と『本質』を視抜く力に他ならない。あらゆるものを問答無用で容易かつ強制的に暴き立てる能力をもってして、彼は道具に刻まれた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 長い修練も経験も、積み上げる必要はない。

 

 歴戦の退魔士としての立ち回りも、霊力の運用における真髄も、必要な修練と経験(ソース)はすべて道具に刻まれているのだから。

 

 少年は、ただ記憶を読み取るだけでいい。

 作中でも退魔士としての才覚があることを示唆されていたのだ。素質は十分、伊早瀬アラカの戦闘経験が加われば、少なくとも有象無象の妖魔程度では相手にもならないのだろう。

 

 加えて、アラカの制服による女装。

 

 モノを、別のモノとして「そうあれかし」と扱うことによって力を与える『見立て』と呼ばれる呪詛。作中でも強力に作用する呪いを用い、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 これが不自然な強さの正体。

 

 

 出会ってから、彼が交戦を行なったのは片手で数えられる程度だが、今回の妖魔の群れとの戦闘を見て確信した。

 この世界の主人公は、伊早瀬アラカという歴戦の退魔士に限りなく近い実力を獲得している。

 

 非常に心強い。

 

 とは言え、()()()()()()()()は幾つかあるので、素直に喜ぶことはできないが。

 俺が主人公と遭遇するまでの過程のどこかで、彼はこの反則に辿り着いたのだ。恐らくはこの異界化したデパートで生存するために。

 

 

 では、主人公の成長した原因が異界化にあると仮定するならば______そもそもデパートが異界化した原因とは何なのだろうか。

 

 

 異界が現実を侵食するほどの、異常とは何なのだろうか。

 

 

 考えても応えは出ない。だが、漠然とした不安と焦燥感が自分の心を掻き乱していた。

 

「______お待たせしました」

 

 トン、と主人公が目の前に着地すると同時に、思考に沈んでいた意識が引き戻される。

 

 見れば、大量にいた妖魔たちは全滅していた。

 まだ弱々しく動くものもいたが、じきに「浄火」の炎によって焼き尽くされて消えるだろう。

 

「まったく頼りがいがあり過ぎて困るぜ、キミ」

「ふふ」

 

 機嫌が良さそうに少年が肩を揺らす。

 

 妖魔の群れを殴殺した結果、返り血で凄まじいことになっているが、主人公が特に負傷した様子はない。少年が無事だったからか、それとも単純に自分がまだ生きているからか、どちらともつかない安堵の溜息を漏らす。

 

 だが

 

「あ、れ______?」

 

 唐突に、主人公が倒れ込んだ。

 

「は? ............オイオイオイオイ!!」

 

 一瞬フリーズ、遅れて状況を理解して少年に駆け寄る。

 

 華奢な肩に手を回し、抱えるようにして身体を支え、素人ながらに彼の状態を調べる。

 

 戦闘直後と打って変わって呼吸が浅い、顔色が悪く、焦点が定まっていない、もしかしたら意識もないかもしれない。

 気付かなかっただけで妖魔から傷を受けていたのかもしれないと思い、制服を捲り上げてみるが、それらしいものは見当たらない。

 

「う、ぁ_____」

「だ、大丈夫か!? 気分が悪いのか!? どっか痛いところはあるか!? もしかしてお腹減ったか!?」

 

 廃デパートではロクな治療も出来ないだろうが、情報が無ければ対応も出来ない。意識が戻ったのかうめき声を上げた主人公に、パニック気味に質問を投げかける。

 

 だが、返って来たのは予想外の言葉だった。

 

 

「______あなた、誰?」 

 

 

 少年の言葉に固まる。

 

 穏やかに話す少年とは真逆の、氷を思わせる張りつめた声色。

 意識が安定していないというより、全く別の人間に切り替わったような印象。あとは嫌な話だが、そもそも俺の存在を忘れてしまっている。

 

 自分の持つ情報を繋ぎ合わせて、何が起こったのかを理解した。

 

 少しだけ冷静さを取り戻す。

 

 睨むように視線を飛ばす主人公に対して、ゆっくりと口を開く。

 

「俺だよ、アズマ ナガヒサだ」

「知らないわよ、そんな人」

 

 怪訝そうな表情。

 

「そんなはずはないだろ、この廃デパートで一緒にウロウロしてたんだから」

「廃、デパート.........? そっか、私.........仕事で異界に______」

 

 

「______行ったっきりのアラカちゃんを捜しに来たんだろ? んで、まだ見つかっていない」

 

  

 自身の記憶を辿るように吐きだす言葉を断ち切る。

 同時に妖しく輝きを放っている______少年の右手に嵌められた手袋を慎重に抜きとる。

 

 それで終わりだった。

 

 主人公の瞳から警戒が抜ける。

 冷たい氷から、穏やかな表情へと戻っていく。

 

「そう、ですね。.........アラカは、まだ見つかってないんだ」

 

 ゆっくりと少年が立ち上がる。

 

 青白かった顔色に朱が戻っている。

 どうやら体調は回復したようだが、自分に何が起こったのかを理解した少年の表情は暗い。 

 

 

 ______サイコメトリーによる経験模倣(リーディング)は、無視できないリスクが存在する。

 

 

 

 先の出来事でようやく気が付いた。

 

 少し考えればわかる事だ。

 

 そもそもが他人の経験。

 

 行なっているのは、けして一致することない情報を、強引に自身に上書きする荒業である。

 主人公の右手が全てを視抜く規格外な代物であろうとも、経験を押し込まれるのはただの人間だ。不自然には歪みが生じ、歪みは致命的な破綻を招く。

 

 その結果が先ほどの意識の混濁。

 

 右手で情報を読み取るほどに自他との境界が曖昧になり、他者の記憶で自我が保てなくなる。

 

 アラカのアイテムだけではない、ここに至るまでにどれほどの犠牲者の過去を読み取ったのかはわからないが、しかしその量は決して少ないものではないだろう。

 

 兆候はあった。

 

 好戦的な言動、安定しない情緒、なにより()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。このまま右手の異能を行使し続ければ、自我を失うのはもはや時間の問題だろう。

 

 少年も、おそらくはソレを理解している。

 

 解決の糸口は見えず、しかし自身のタイムリミットは着実に近づいている。おそらく主人公の心は焦りに満ちているに違いない。

 

 

 けど、まあ、しかしだ。

 

 

「とりあえず、別の場所で状況整理がてら休もうぜ。戦いで疲れただろ」 

 

 先ほどの戦闘は、お世辞にも静かなものではなかった。

 騒ぎを聞きつけた妖魔が襲ってくるかもしれないし、この場からなるべく早く離れたい。

 

 異論はないのか少年が頷く。

 

「なら急ぐか」

「わかりまし______わっ!?」

 

 主人公を抱え上げて足早に歩き出す。

 

「じ、自分で歩けますから!!」

「あのね、アレは歩けるって言わないんだぜ。ふらふらしてるっていうんだ。まー移動くらいは任せてくれよ」

「.........でも、重いでしょう」

「______いや、そんなことないね」

 

 

 本当に、重くない。

 

 

 細い肩だ。肉付きも良くないし、身長も高校生では低い部類だろう。

 霊力なんて馬鹿げた概念が無ければ見た目通りの非力な人間なのだ、目の前の少年は。

 

 

 では、そんな少年に守られなければ生きられない自分は何なのだろうか。

 

 

「.........まったく酷い性根だよ、本当に」

 

 

 解りきった問いだった。

 

 さほど悩むことなく頭に浮かんだ答えに自嘲しながら、俺は通路の闇に向かって一歩踏みだした。

 

 

 

 

 

 

 







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選択

 

 

「______淫界をぶっ壊しましょう」

 

 

 

 暗い廃デパートを速足で進みながら今後の身の振り方を考えていると、抱えられた主人公がそんなことを口走った。 

 

「なあ大丈夫? 意識乗っ取られてない?」

「今は大丈夫です、たぶん。あとそこ直進で」

「うっス」

 

 本当ォ? なんか発想が荒くない?

 

 サイコメトリーの異能でかなり彼は不安定な状態になっている。退魔士の戦闘力をコピーできたのはいいが、自分の名前を忘れるレベルの自我の混濁なんて代償を背負ってしまっているのだ。

 混ざるのが退魔士アラカの記憶だけならギリギリセーフだと思うのだが、主人公は「淫界の犠牲者」の記憶も集積してしまっている状態だ。

 

 何が言いたいのかというと妖魔にメス堕ちした人間______まあ精神的に敗北してしまっている人格に主人公が潰されると、無抵抗で妖魔に敗北してしまう可能性がある。

 

 滅多なことでは起こらないかもしれないが、しかし完全に否定しきれない要素だ。

 原作でも『犠牲者達の残留思念が混ざり生まれた妖魔』が出て来ており、かなり破滅的な人格だった。過程が違うとはいえ主人公も似たような存在に()()する可能性もあるので気を付けたいところだ。

 

 まあできるのは会話と手袋の付け外しくらいだけども。

 

「道中で説明しましたが、僕が僕でいられる時間はもうほとんど残っていません。ナガヒサさんのケアがあって、なんとか誤魔化せてるくらいに酷い状態です______右に曲がってください」

「突き当りの通路ね。............まあ確かに苦しい状況なのはわかる」

 

 体力なんて平均以下の人間なので大した速度は出ないが、指示に従って駆け足気味に道を進む。

 正直しんどいが、しかし「年下主人公が体を張っている手前、自分だけ楽をするのも気が引ける」という辛うじて残ったプライドみたいなもので頑張る。

 

「ですから、異界攻略による短期決戦を狙います」

「ああ、なるほど」

 

 

 原作「淫界人柱アラカ」において、クリアする条件は2つ存在する。

 

 .........いや、何をもってクリアと定義するのかにもよるが______アラカを連れて廃デパートから脱出し、それ以降も生存し続けるのをクリアと呼ぶのであれば、達成しなければならない条件が存在する。

 

 

 1つ目は「異界に囚われている伊早瀬アラカの発見」だ。

 

 まあ主人公の目的なので当たり前ではある。

 だが普通に廃デパートを巡るだけでは、彼女を発見することはできない。

 

 そもそも異界というのが現世に重なる「近いようで遠い場所」だ。

 異界側からなら現世を認識できるが、現世からでは異界に取り込まれた者を見つけるのは非常に困難。たとえ同じ場所にいようとも触れることはおろか、存在を認識することすら難しい。

 「見えない世界」に呑まれている以上、見える前提で探索するのは悪手となる。

 

 では、どうするか。

 

 今回の状況では、伊早瀬アラカの持ち物を回収するのが正攻法となる。

 原作では彼女が現世に落とした思い入れのあるもの、身に付けていたものを所持することで伊早瀬アラカを認識することができるようになるのだ。

 

 

 退魔士の知識を得た少年曰く、「(えにし)を結ぶ」と言うらしい。

 

 

 由縁のある物を持っているという事実が、アラカとの繋がりを作る。関係が結ばれている以上、その繋がりの先には必ず本人がいる______といった理屈なのだとか。

 目に見えないものを捜す手がかりになるものが、同じく目に見えない繋がりだというのはなんとも(まじな)い的な発想だが、実際に原作でもアラカ発見の決め手となる以上、それなりに信頼はできる。

 

 他にも必要な条件は幾つか存在するが、「アイテムを集めて、かつ伊早瀬アラカを見つける」と考えるくらいの認識で問題はない。

 

 

 2つ目が「淫界の破壊」である。

 

 アラカ廃デパートを脱出するだけであれば別に異界を破壊する必要はない............と言いたいところなのだが、この『淫界』、どうやら領域内に入り込んだ人間に執着する傾向がある。

 原作では探索が失敗に終わった主人公は後日、異界からの妖魔に()()()()()を渡されメンタルをやられるか、あるいは殺されてしまうような底意地の悪い結末が待っている。

 

 何十人もの犠牲者を出し続けながら、それでもなお数十年間に渡り退魔士達の目を欺き続ける程の用心深さ。女性にのみ絞られるとはいえ最高位の退魔士すら捕らえる悪辣さ。更には自身の身を守るために陽動を行なうほどの計画性。

 

 明らかに()()()()()()()()()()()()()()

 

 脱出後も平穏に生きたいのであれば、淫界を構成する『核』を見つけだし、必ず破壊しなければならない。

 

 つまり原作において「主人公によるアイテム回収」→「アラカ発見」→「アラカと主人公による淫界の核を破壊」→「廃デパートから脱出」という流れが理想であり正規の攻略ルートとなる。

 

 

 しかし、もはや正規ルートを辿るのは不可能に近い。

 

 

 原因不明の廃デパートの異界化、及び無数の妖魔の出現。

 ここまで原作乖離を起こしてしまえば最善手なんて打ちようもない。正規ルート通りに進もうとしても、狙い通りに事が運ぶとは思えない。

 

 そもそも異界化の影響で、回収アイテムの配置がメチャクチャだ。

 主人公に確認はしたがアラカ発見の為のアイテムは半分も回収できていない。手袋、靴、制服が手に入っているのが奇跡と言っていいくらいだ。拾ったアイテムが無ければ、主人公は妖魔の脅威に抗うことも出来なかっただろう。

 

 他に回収できたものは宝珠が4粒程度。退魔士が使用していた呪具の一部だけあって霊力はあるみたいだが、アラカとは無関係な為に『縁』を繋ぐ要素には成りえない。

 

 更に言うのであれば、本意は主人公を廃デパートから脱出させるため、異界側から手助けをしてくれる筈の伊早瀬アラカからは、それらしきアクションが何一つとしてない。

 単純に内部構造の複雑化で助ける余裕がないだけか______それとも妖魔に敗北したか。

 

 

 どちらにせよ、相当に不味い状況になっている。

 

 

 離脱が困難な異界、潜む無数の妖魔、主人公のタイムリミット、複雑な異界内での伊早瀬アラカの遺品収集、本人の発見、そして異界の破壊。制限時間付き、戦闘回数制限付き、変化し続けるマップ内では、全てを達成するのは非常に難しい状況。

 

 だが

 

「淫界を破壊すれば何もかも解決するってことか」

 

「はい、魔に堕とされてなければ異界側にいるアラカも解放されます」

 

 元凶を取り除けば、そこから派生する問題も解消される。

 

 道理と言えば道理だ。

 

 原作では主人公がアラカを発見せずに淫界のみを破壊したルートが存在するが、「伊早瀬アラカ」は異界から自力での離脱を成功させている。状況証拠からの考察にはなるが、異界に完全に取り込まれてさえいなければ現世に帰還すること自体は可能なのだ。

 

 そういえば失踪した伊早瀬アラカの当初の目的は、仕事として異界を()()するのが目的だった。

 わりとお人好しなヒロインが「犠牲者の救出」ではなく「異界の破壊」に絞っていたのは、諸々の問題をすべて解決できる手っ取り早い手段だったからなのかもしれない。

 

「でも、問題はあるぜ。伊早瀬ちゃんが完全に取り込まれていないかってことだ」

 

 異界から帰れるのは取り込まれていない者だけだろう。

 つまり淫界に馴染んでしまっていれば、淫界と共に消滅してしまうリスクもあるという事だが______

 

「______大丈夫ですよ。アラカは凄い娘ですから」

 

 落ち着いて少年が答える。

 

 信頼しているのだろう。

 まあ確かに、原作の主人公が絡んだ伊早瀬アラカの不屈っぷりは凄まじいの一言に尽きる。余程の悪選択をしない限り、たぶん無事なはずだ。

 

「............他にも問題はある。淫界の核の場所だ」

 

 そう、未だ自分たちは複雑怪奇な異界の真っただ中。

 異界の核を壊そうにも、場所がわからないのでは意味が_________

  

「いえ、()()()()()()()()()()()()()()

「............マジ?」 

「はい、構成する異界と同質の、けどもっと濃い気配。この通路の先に『核』があります」

 

 想像もしていなかった朗報だ。

 

 生還が現実的になって来た

 

 どくり、と心臓が興奮で跳ねる。

 

 主人公が迷いなく通路を指示していた理由はこれか。

 恐れだけでなく、僅かな期待が身体に力を与える。急いた心に従うように、暗い通路をさらに進もうとして______

 

「______っ!?」 

 

 闇に潜む気配に足を止めた。

 

 ()()

 

 存在を感じた瞬間には、すでに奴らは動き出していた。

 待ち構えていたかのような初動、先ほどの交戦よりも遥かに多い物量の妖魔が溢れ出す。もはや疑いようもない。

 

 

 この先に核があり、妖魔はソレを守護している。

 

 

「______ナガヒサさん、僕の後を付いて来てください」

 

 ぐっ、と布に手を押し込む音が聞こえた。

 気が付けば少年が、俺の腕の中からするりと飛び出していた。

 

 

 白焔が走る。

 

 

 閃光、爆発、轟音。

 

 妖魔によって塞がれた通路に巨大な風穴を開ける。

 焔によって闇が洗われていく、清浄な光が道を照らす先で壊れそうな少年が薄く微笑んでいた。

 

「僕が貴方を守ります。戦いとは僕に任せてください」

「............ああ、それ以外は俺に頼ってくれ」

 

 主人公は限界だ。今ですら()()()()()()()()()()()()()()

 

 主人公が壊れる前に淫界を破壊できるのかどうかは未知数だ。それでも彼は少ない残量をこの場所、この局面で切ると決めた。であれば、それに応えるしかないだろう。

 

 

 少年が通路を疾駆する。

 

 

 無駄な戦闘は極力避ける必要がある。俺を守るために進行速度を落とすのも戦力を割くのも論外だ。

 恐怖で止まるな、思考を回せ、最善の立ち回りを意識しろ。それだけが俺にできる事だと胸に刻め。 

 

 

 

 乱れた呼吸を無理に整え、俺は少年を追って走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 



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決戦

 暗闇の中を清らかな白焔が走る。

 

 溢れ出る闇の眷属が炎を呑み込み、また一方で焼き滅ぼされていく。

 

 世界を染める光と闇、白と黒のコントラスト。

 邪悪と清浄がせめぎ合う白昼夢のような光景の中で、たった一人の少年が妖魔を祓っている。

 

 ステップ、スライド、ターン。

 

 流麗な動作と浄火の指鳴り、破魔の打撃を交えて繰り返される。

 思わず見惚れそうになるほどに美しい戦舞。尽きることなく押し寄せる妖魔を滅ぼしながら、されど止まることなく少年は通路を進んでいく。

 

「ハァ、ふぅ.........ふっぐ!!」

 

 その後ろ姿を必死になって追いかける。

 

 信じらんねぇ。

 

 主人公が妖魔の大群を殲滅しながら進む速度が、俺の全速力と同等以上ってどういうことなの。霊力パワーがすごいのか、コピー元のアラカの性能がすごいのかはわからないが、とにかくこれ以上距離が開かないように走り続ける。

 

 白焔で出来上がった道のお陰で妖魔は襲ってこれない。ていうか全滅している。

 

 白焔も物理的な現象の炎とは違うらしく、熱くもなければ息苦しくもない。

 

 順調だ。今のところは全く問題ない。

 

「あとは問題の『核』を見つけさえすれば............!」

 

 原作において「淫界の核」はそこまで強くない。

 

 伊早瀬アラカ(最強ユニット)が作ったとはいえ、主人公が護符を張るだけで倒せてしまうくらいだ。

 淫界という巨大な異空間を形成することにリソースを割いている辺りが原因だろう。現在のアラカインストール主人公であれば問題なく破壊できる。

 

 故にあとは時間との勝負だ。

 

 主人公の自我が壊れるか、淫界の核が壊れるか。

 

 主人公が限界を迎える前に淫界の核を見つけ出せれば、こちら側の勝利は確定する。

 

「「「______ォ オ オ!!」」」

 

 あちら側もそれは理解しているのだろう。

 

 進むごとに表れる妖魔の攻撃の激しさが増している。

 仲間を踏み潰しながら押し寄せる光景はもはや雪崩だ。恐ろしいほどの妖魔のリソースを主人公に費やしているのが目に見えてわかる。

 

 捨て駒として投入された妖魔たちが主人公を足止めしている間に、遥か先の通路でドクンドクンと肉植物が脈動し膨張し始める。

 

「ッ! 通路が!?」

 

 肉植物によって通路が塞がれていく。

 

 狙いは足止め、そして内部構造の変化だろう。

 一度道を見失えば絶望的だ。露骨に時間稼ぎをしていることから察するに、恐らく淫界にはこちらの狙いがバレている。核を追いかけ続ける余裕は、もう主人公に残されていない。

 

 

 白焔を妖魔の壁で遮りながら、ギチリと道が閉ざされる。

 

 

 残ったのは行きどまりの通路、先のない道。

 腹の底から這いあがってくる、諦めとも絶望ともとれない得体の知れない感情に支配されそうになる。

 

 だが

 

「______」

 

 閉められた通路に向かって主人公が走る速度を上げる。

 砲撃めいた拳打で妖魔を潰し、白焔で妖魔を焼き払い、僅かに生まれた隙間に______()()()を指で弾きいれた。

 

 

■■■■■■!!

 

 

 聞いたことのない呪詛めいた単語(ワード)が闇に響く。

 次いでパキリと硬質なものが砕ける音。

 

 

 

 最後に______極光が爆ぜた。

 

 

 

「ぐぉ!?」

 

 全てを塗り潰さんばかりの閃光と衝撃に目と耳を隠す。よどんだ空気が掻き乱され、凄まじい爆風に飛ばされそうになるのを必死にこらえる。

 一瞬だけ飛んだ意識を引き戻して立ち上がった時には、道を塞いでいた肉植物や妖魔は跡形もなくなり、残っているのは崩れかけの廃デパートの通路だけだった。

 

 

 爆心地を中心に、魔物関係のモノはすべて消し飛ばされていた。

 

 

 数秒だけ立ち止まった少年が、こちらの安否を確認する。

 

「行きましょう」

「あ、ああ」

 

 頷いて走り出した主人公の後を追う。

 どうやら先ほどの爆発で一帯の妖魔を浄化しつくしたらしく敵が現れる気配がない。

 

 ソレを察したのか主人公が速度を落としたので、俺も駆け足でそれに合わせる。

 少しだけ余裕ができたので、主人公の意識のケアも兼ねて先ほどの新技について質問する。

 

「............ミサイル打ち込む退魔術とかあるんですか???」

「違いますよ」

 

 そう言って少年が取り出して見せたのは、直径2センチほどの宝石だった。

 どこか清浄な気配を漂わせる大粒の輝石は、丸くカッティングして磨き上げられ、紐を通せるように中心に穴が開けられている。

 

「あっ」

「昔、この場所に訪れた退魔士の遺品です。本来は数珠に込められた膨大な霊力による、強力な結界の持続的な展開ができるんですが______今回は壊して霊力を解放させました」

「それであの爆弾みたいな威力か.........」

「退魔に性能を振り切ってるので、人間には効果はないので安心してください。でも目と耳は塞いだ方が良いですね」

「それは先に言って欲しかった」

 

 宝珠は淫界人柱アラカにおけるサイドストーリーで語られる退魔士の持ち物だ。

 

 退魔士の名前を如月ヨミ。 

 

 強力な退魔士なのだが、アラカと同じく淫界に敗北してしまっている。

 作中内では数少ないネームドキャラなのだが、主人公が廃デパートに乗り込む数十年単位で前から淫界に囚われているような描写がある上に、特に個別ルートが存在しない等のあまりの救いのなさから、『如月ヨミ救済ルート』の存在しない記憶を語るユーザーがいるとかいないとか。

 

 淫界攻略後にも脱出したなどの描写がない辺りから、完全に淫界の一部になってしまっていると思われる気の毒な人物でもある。

  

 ............少し思考がズレたが、とにかく如月ヨミは強力な数珠型の呪具を所持していたキャラであり、その呪具の一部がこの数珠玉なのだ。

 

「んで、あと三回は使えるわけか」

「貴重な呪具を使い潰すのはあまり好ましいやり方ではないですけれど、低級な妖魔の群れなら一粒使い潰せば容易く祓えますね」

 

 妖魔だけでなく通路の肉植物が消し飛んでいるあたり、どうやら光の届く範囲の妖魔を浄化できるらしい。道を進むにつれて再び肉植物が蔓延りだしているが、光の奔った通路はすごく走りやすくなっている。

 

 封鎖された通路を突破し、三回だけだが強力な切り札も得ている。

 

 状況は悪くない。

 

「______この道の先から、『核』の気配がします。発見次第破壊するつもりですが、おそらく淫界側も相応の力で対抗してくるので注意してください」

 

 闇に隠れた通路の遠方を見据えて、主人公が目を細める。

 俺自身も進むほどにゾクゾクとした悪寒が強くなるのを感じている。近づく決戦の予感にごくりと唾を飲み下す。

 

「ああ、なにか俺にできる事はあるか?」

「手の届く範囲で妖魔から隠れていて欲しいですね。あと僕が戦闘している間に『核』を見つけてください............と言いたいところですが、核の姿形がわからない以上それは現実的じゃないですね」

 

 

 それ、たぶんわかるんだよなぁ。

 

 

 たしか肉塊だったはずだ。小動物の肉と骨でできたみたいな気持ち悪い感じのやつ。それが社か祠か、それっぽい雰囲気の建造物に入っていた。

 本来はデパートの最上階にあったはずだが______おそらく異変のせいで位置が移動したのだろう、という事までは想像できる。

 

 まあ教えないが。

 

 今話した情報は『原作での知識』だ。主人公はおろか、退魔士の伊早瀬アラカですら知りえない情報だ。冷静に考えて退魔士でもない奴が、急に「淫界最大の急所を知ってます!!」と言っても信用されないだろうし。

 そもそも異変による原作乖離でどこまで当てになるかもわからない以上、心の中に留めておくぐらいがベストだろう。

 

 とはいえ年下の少年が頑張ってるのに何もしないのは、心苦しいのは変わらないわけで。

 

 なんとなしに苦肉の策を提案する。

 

「............囮役とか、どうよ? 俺が逃げながら妖魔の気を引いて、焼き払う的なやつ」

「馬鹿ですか。浄火は人体に無害ですけど、妖魔から逃げ損ねたら死にますよ。ていうか素人は前に出ないでください」

「ですよね。ごめんなさい」

 

 なんか言い方キツくない? と思いながらも正論なので謝ってショボーンとしていると、少年がふっと表情を緩める。

 

「貴方には無事に帰って欲しいんです。大丈夫ですよ______僕、強いですから」

「それ、負けフラグですよ」

「もうっ、茶化さないでください!」

 

 曲がりくねった通路の先に暗闇の終りが見えた。

 たぶん、これが最後の戦いになるだろう。ならなければ、主人公に限界がきてお終いだ。

 

 より淫界の深部に近づき、再び肉植物が張り巡らされた通路を駆け抜ける。

 

 

「全部終わったらパーティ―でもしませんか。ゲームとかお話とかしながら貴方の事、僕にもっと教えてください」 

「ああ、そりゃもちろん」

 

 

 「ていうか俺、元の世界に帰れんのかな............」とか思いながら、俺達は暗い暗い道の先、開けた空間へと飛び出した。

 

 

◆◆◆

 

 

 通路を抜けた先は異形の場だった。

 

 廃デパートの名残を残した奥行きのある広い空間、おそらくはホールだった場所。

 目立つのはホールから繋がるいくつかの出入り口と()()()()()()()()()、もはや床から天井にまでみっちりと張り巡らされた肉の木は、広い筈の空間を圧迫しているようにさえ見える。

 

 ナニカの体液の流れる溝口、爛熟した赤い実を垂らす肉樹、皮膜のようなもので覆われた壁、赤黒い肉一色で彩られた文字通りの異空間。

 

 

 奧殿(おうでん)

 

 

 淫界における深部に位置する領域。

 人を取り込み世界の供物として造り変える、悍ましくも艶めかしい最悪の場所。

 

 だが、あれほど道を阻んできた妖魔たちの姿はない。

 

 空間に充満する悍ましい気配から、この場のどこかに『核』があるのは間違いない。

 思い出すのは道中での戦闘だ。アレは明らかに異常な戦力を投入していた。単純に妖魔の品が切れたのだろうか。

 

 そう思った瞬間。

 

 

 ()()()()()()()()

  

 

 自分たちの向かいにある通路から、凄まじい速度で黒影が飛び出した。

 疾駆の後を引く残光、暗闇で輝く紅い眼光、そして肌で感じる明確な敵意が脅威となって、俺の喉元を食い破ろうと______

 

「______出ましたね。奥の手」

 

 影の攻撃が、少年によって阻まれる。

 グローブを用いた砲撃めいた打撃。轟音が響き、殴り飛ばされた影が()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 脅威が離れたのを見て、ぶあっと汗が出る。

 

 あぶねぇ、守られてなかったら死んでいた。

 明らかに他の妖魔と格が違うのだろう、主人公も現れた脅威から目をそらさない。

 

「............何も見えなかった」

「気を付けてください。おそらく淫界でも最上位の個体の妖魔です」

 

 超強化主人公が一撃で屠れなかった妖魔は初めてだ。

 だが睨み合っている妖魔の姿を見て、その強さに納得する。

 

 臓物が如き赤黒い体毛、人を遥かに超える体躯の魔獣。

 泡に濁った唾液を垂らし、狂気で牙をむき出しにした、人と狼が混ざったような悍ましい貌。

 

 本来は伊早瀬アラカを阻む最初の壁。

 強力な()()として登場した最上級位の妖魔が一体。

 

 

 

 魔狼の名を夜陰明神。

 

 

 淫界に呑まれ弱体化していたとはいえ、純粋な速度において()()()()()()()()()()()ほどの存在が俺達を睨みつけていた。 

 

「■■■■■■■!!」

「............ッ!!」

 

 邪悪が咆哮する。

 

 大気のみならず、魂すら震わせんとする狂気の雄叫び。

 だが怯むことなくギチリと手袋を嵌め、少年が右手を妖しく輝かせる。

 

 もう時間がない。

 

 故に勝負は一瞬。

 

 魔狼が身を屈ませ、四肢に力を溜めるその刹那。

 敵が動き出すよりも早く、少年が白焔を纏いながら接近した。

 

「は、ぁ............ァア!!」

「________!?」

 

 数メートルあった距離を踏み潰し、同時に放った拳打で魔狼を奥へ押し込んだ。

 

 体重で遥かに勝っている筈の相手に力負けしている事実に魔狼が驚愕する。

 そこが致命的だった。少年が妖魔の動揺を逃さずに頭部を鷲掴み、力任せに地面に引き倒し、打撃と白焔で更なる追撃を加え続ける。

 

「■■■■■■■!?」

 

 

 _______拘束追撃(マウンティング)

 

 

 原作においてもっとも優秀だった技だ。

 回避も反撃も許さない以上、一度捉えれば容赦のない攻撃を一方的に与え続ける。ある種、伊早瀬アラカの最終奥義すら超える強力な戦術は、現実においても凶悪さを発揮していた。

 

「これは、なんとかなるか............?」

 

 スピードで逃げ回られたら厄介だった相手を捕まえ、抑え込めている。あとは主人公の火力で潰しきればそれで終わりだ。

 

 拘束追撃の弱点は複数の敵に対して無力な点だが、他の低級妖魔の姿がないため問題はない。万が一、いたとしても主人公であれば片手間で撃破できるだろう。

 

 だが、胸騒ぎがする。何か大事な点を見落としている感覚。

 

 気のせいだと割り切ろうとする感情を押さえつけ、周囲を見渡しながら不自然の正体を探る。

 

 何かおかしい点があるはずだ、思考を回せ。

 

 

 ______ギチリ

 

 

 夜陰明神はアラカが戦う最初のボスだ。

 なぜ拘束追撃が通った? アラカを知っているのならば対策なんていくらでも取れたはずだ。なぜアラカの持つ戦術を把握していない? これが不自然の正体か?

 

 

 ______ギリギリギリギリギリ

 

 

 いや違う、知らなくても不自然ではない。そもそもアラカが夜陰明神との戦闘まで辿り着いていなければ、戦術を知ることはないのだから。

 

 つまりはそうだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 _____ギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリ

 

 

 淫界の心臓である『核』を守るために強力な手駒を配置する。誰だって考える当然の発想だ。

 

 だが、ならばおかしい。

 

 「淫界人柱アラカ」において敵は深部に行くほど強力になる。そして夜陰明神は最初の壁、最初のボスだ。つまり、本来であればさらに強力なボスがこの場にいるべきなのだ。

 

 

 ギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリギリ________

 

 

 『核』を守る局面で在りながら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 いない筈がない、だが姿は見えない、ならば答えは限られる。

 できる限りの大声で、何としても伝えるために、距離の離れた少年に向けて気付いた事を叫ぶ。

 

「気を付けろォ!! この何処かにまだヤバイ妖魔が_________」

 

 

 

 ________バツン

 

 

 

 結論として、少年に向けて「強力な妖魔がどこかに隠れている」というメッセージは伝わった。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に踏み潰される自分の姿を見せつけたという、全くもって納得の行かない形ではあったが。

 

 

 

 俺が最後に見た光景は、呆然とした少年の表情と______巨人の汚い足の裏だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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絶望に至る

 

 

 いつかの過去にあった夢を見ている。

 生きていた頃の過去ではない、アラカ世界に迷い込んだあとの回想でもない。恐らくは、その半ばに在った記憶の再送。

 

 白昼夢のような現実感のない、けれど穏やかに時間の流れる奇妙な世界。

 絢爛な装飾が施された館の広間の中で、用意された紅茶に口を付けながら、見目麗しい使用人の話に耳を傾ける。

 

『______此処は世界のどこでもない場所、久遠を結ぶ、終わりなき館。初めまして「館」の管理を任されております、名を■■と申します』

 

『つまりはそう、お客様は新たな人生を歩む権利を手に入れました。数奇な運命にて『館』に辿り着かれた貴方様の願いを叶える、その一助になりたいと()()()()は仰っておられます』

 

『いえいえ、遠慮はなさらないでください。資格があるからこそ、貴方様はこの場所まで辿り着かれたのですから』

 

『しかし言い得て妙ですね。確かにここは『あの世』に近い場所かもしれませんね』

 

『ですが一つ訂正を、この世界は死後の世界ではありません。形式としては夢の中ですから、時が経てばいづれ目が覚めますわ。だからこそ、決断は早いことが望ましいのですが______ええ、ええ! それでは案内をさせていただきますね?』

 

『では、どのような世界がお望みでしょう。人を壁に埋め込んで快楽を機械的に管理する『墓場』の世界でしょうか、或いは魔物が人間を狩り続ける『狩場』の世界? 人から栄養を啜る寄生植物が支配する『淫花』の世界もいいかもしれませんね。 ああそれとも________神が人を道具として消耗し続ける『人柱』の世界とか?』

 

『え? ラインナップが酷い? 貴方の主人はとびきり性格の悪い神さまか悪魔だったりしますか............ですか?」

 

『いえいえ、そのような()()()()()ではございませんわ。

 ただの神ごときでは人を救えません、アレは存在する事実自体に人が救いを見出すだけですから。悪魔では人の願いに応えません、アレは本質的に悪魔の利己による契約なのですから。故に『深淵』のみが、人の願いを真に叶え得る』

 

『さて、提示はしましたが究極的には選択肢は2つだけです。すなわち「願う」か「願わない」かの簡単なものです。無論、この夢が覚めるまで寛いで頂いても問題ありませんが______心配は不要でしたね』

 

『かしこまりました。では望みのままの、然るべき世界に、素晴らしき末路をご用意いたしましょう』

 

 

 

『それではお客様、良き成就を願っております』

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 ______覚えのない記憶と共に、目を覚ました。

 

 

「がはッ!」

 

 息を吹き返すように、肺の中の空気を入れかえる。

 遠のいていた筈の意識が、全身をバラバラにされたような痛みによって、強引に繋ぎとめられる。

 

 思い出すのは天井から落下してきた巨人。

 

 神聖なはずの仏像を模した、冒涜的な妖魔だ。

 

 

 ______偽仏

 

 

 

 作中において淫界最強の妖魔として扱われたエネミーだ。

 

 その性能は極めて単純。

 

 妖魔の中でもっとも巨大で、そして妖魔の中でもっとも力が強い。

 

 わかりやすくシンプルな能力、だが同時に隙が無い。

 人を片手でつかめるほどの巨大な体躯、そしてそれを支えることを可能にするパワー、質量はそれ単体で十分な脅威に成りえる。妖魔に物理法則がどこまで働くのかは未知数だが、しかし一部の例外を除いて、純粋な力勝負は伊早瀬アラカですら不利であるという事実はけして楽観できるものではない。

 

 

 そんな奴が上から降って来たわけだ。 

 

 

 垣間見た人間一人を踏み潰せるサイズの馬鹿でかい足の裏。

 でもって避けられない自分。

 

 衝撃、そして暗転。

 

 その結果がコレだ。

 

 凄まじい重量によって圧力を掛けられ、踏み砕かれた瓦礫に半ば埋もれてしまっている。例えるなら人に踏み潰された虫けらといったところか。

 

 抵抗なんてできるはずもない。

 

 自分は無力の極まった一般人、最上位妖魔の踏みつけなんてものを喰らえば即死するに決まっている。別に最上位妖魔でなくとも、人は大質量で押し潰されれば普通に死ぬ。

 

 

 では、なぜ生きているのか。 

 

 

 視線を下に動かす。

 

 胸元が薄く輝いている。

 いや、正確には胸元にあるナニカが温もりのある光を放っている。痛む身体をどうにか動かして光を放つ何かを、懐から取り出す。

 

 出てきたのは護符だ。

 高価そうな布地に女性の髪を編み込むことで独特の紋様が刻まれた小さなお守り。一目でわかるほどに丁寧に作られたソレは、自分を守るように淡い光を放っていた。

 

 伊早瀬アラカが主人公を守るために遺した置き土産。おそらくは抱えて走っていた時に俺の懐に潜ませたのだろう。

 

「.........頭上がらねぇな」

 

 自身の生命線の一つである護符を他人に分け与えるという。自分の首を絞める行為と知りながら、それでもなお赤の他人を気遣う度を越した善性の主人公に感謝する。

 とはいえ、生きてはいるが巨人の踏みつけなんて食らったのだ、全身がどうなってるのか分からないほど痛む。ロクに動ける気がしない。

 

 だが、とにかく状況が知りたい。

 おそらく意識が飛んでいたのは一瞬だが、あの後はどうなった把握する必要がある。

 

 だから、どうにか首だけを動かして戦場______凄まじい轟音と破壊を繰り広げる場所に目を向けた。

 

 

 目に映るは一人の人間、禍々しき二匹の怪物。

 

 

 強大な巨人がげらげらと嗤いながら、その腕で乱打を繰り返す。

 隙間を縫うように魔狼が疾駆する、その爪牙をもって命を刈り取らんと猛り狂う。

 

 あの伊早瀬アラカですら、持て余しかねない凶悪な妖魔。その二重攻撃。

 

 只人では即座に肉塊と化す絶死の空間、致命的な暴力の嵐。

 

 

 だが少年は耐え続ける。

 

 

 躱す、守る、あるいは受け流す。

 その積み重なった経験と洗練された技術をもってして、あらゆる攻撃を紙一重で回避する。とはいえ、そのどれもが辛うじて成立している程度のモノ、妖魔たちが決定的な攻勢に出ていないが故に、ギリギリのところで何とか持ちこたえている状況だ。

 

 だがそれも終わりが近い、じわじわと壁際まで追い詰められている。

 

 避けようのない破綻。

 

 目前に迫る絶望。

 

「............ぁ」  

 

 ズルリと、少年が足を滑らせた。

 

 最初から、此処はぬめついた肉に覆われた領域。

 最初から足場としては最悪に近い場所で、幾つもあった致命的な綻びの一つが最悪のタイミングで表面化した形だった。

 

 

 _____ぐじゃり

 

 

 おぞましい音が聞こえた。

 

 限界まで熟れた果物を叩き潰したような水っぽい音。

 それが勢いよく振り下ろされた巨人の手の先から響いていた。

 

 悍ましい静寂が奧殿をしばらく支配した後、偽仏が手のひらを退けた。

 

「げぶっ.........! げぼ......っ!?」

 

 砕けた床の上で、潰された虫けらのように、びくびくと痙攣する少年の姿が見えた。

 口から胃液と泡を零しながら必死で立ち上がろうとするが、肉体反射による痙攣のせいか起き上がることも出来ていない。

 

 

 そして

 

 

 致命的な隙を晒し続ける少年を、妖魔たちは静かに見下ろしていた。

 

『_________』

 

 転がる主人公に偽仏が静かに手を差し伸べる。

 慎重に、丁寧に、繊細なものを扱うかのように少年を摘まみ上げ、自身の両手の中に乗せると仏らしい慈愛に満ちた表情を浮かべ_______凄まじい力で包み込み始めた。

 

「がっ.........!? ぃ.........ギっ!!」

 

 僅かに回復した主人公が辛うじて、巨人の手を支えるようにして踏ん張る。

 

 別段気にした風もなく、穏やかな表情を張り付けながらそんな少年にギリギリと負荷をかけ続ける偽仏と、それを眺める魔狼の様子を見て気付く。

 

 愉しんでいるのだ、こいつらは。

 

 もはや戦いは終えている。

 最上位個体二匹(じぶんたち)であれば問題なく勝利できる。であればどう戦うかではなく、運良く手に入れた玩具(おもちゃ)をどうやって弄ぶかのほうが重要というわけだ。

 

 もとより此処は、人の消耗こそを是とする異界。

 どのような存在であれ、人であるのならば最上の苦しみと至高の絶望をもって、潰し、解体し、改造し、変成し、淫界の一部として取り込むだけのこと。

 

 だから、どうか______

 

 

 ______壊れるまではワタシタチを愉しませてくれ。

 

 

 そんな声が妖魔から聞こえてくるようだった。

 

 詰んだかなぁ、とぼんやりと考える。

 

 ボスクラスの妖魔が2体、俺は瀕死、主人公に至っては現在進行形で弄ばれている最中だ。主人公がどうにか魔狼か偽仏のどちらか一体を倒せたとしても、残る一体が即座に少年を殺すくらいは想像がつく。

 『淫界』もそのつもりで最上位個体を二体ぶつけて来てるのだろうというのは間違いない。未だ行方不明なアラカ(本物)が乱入してくれればなんとかなるだろうが、淫界がそんなに甘い計画を立てているとは思えない。

 

 あーやべ、また意識飛びそう。

 

 なんか思考も取っ散らばって来たし。

 

 これで終わりかぁ、心残りは.........ありすぎて困るな。

 主人公君にも申し訳ないな、いろいろ助けてもらって結局これだもんな。もっと上手い方法があればよかったけど。

 

 でも追い込まれてたからって女装してるのやっぱおかしいよ。

 

 てか主人公君どうしてる? まだ生きてる?

 

 まあ妖魔のキルレート的に楽には殺して貰えないだろうなと思う。少なくとも減った妖魔は苗床にして補填させるぐらいは当たり前みたいにするのが淫界だ。

 しかも場所が()()()()()()()()()()()である『奧殿』なので、例え死んだとしても強制的に蘇生させられるだろう。更に淫界の性能を発揮しやすい女性の肉体にTS化、死ねないように不老不死化、人外の快感を与える感度3000倍化のオプションがあっても不思議じゃない。

 

 宙を眺めていた視線を戻す。

 恐ろしい妖魔たちは変わらずそこに居て、偽仏は変わらず潰そうと手に力を込め続けている。

 

 依然変わらず状況は絶望的。

 

 現状、逆転は不可能。

 

 では、少年はどうか。

 

 今にもつぶれそうな凄まじい圧力の中。

 挟み込む妖魔の掌の隙間から、ギリギリと抵抗を続ける彼の姿が垣間見えた。

 

 もしかしたら錯覚だったかも知れない。

 

 だが一瞬にも満たない時の中で。

 

 

 ______諦めるだなんて微塵も考えていない、どこまでも澄んだ瞳の少年と目があった気がした。

 

 

 

 

「______ッ!!」

 

 ほとんど反射だった。

 

 言葉にならない衝動が自分の身体を動かした。

 

 全身に力を込めて、陥没した床から身体を引き抜くように立ち上がる。

 ギシギシと体が軋みを上げて痛の悲鳴を上げる。だが立ち上がって動くことができている。どうやら手足の骨は折れていない事だけは理解できた。

 

 脳の奥に響くように痛みが走る、踏み潰された時に頭を強くぶつけたか。

 ドロリと頭部から垂れる血液を舌で舐めとる。独特のとろみ、生ぬるく鉄臭い血の味、つまり不味い。頭の出血が痛みと合わさって、まるで脳味噌が零れているかのように錯覚する。

 

 頭の傷が一番酷そうだ。だが今にも飛びそうだった意識は痛みで逆にはっきりした。

 

 なに一つとして問題はない。

 

「はは_____っ!」

 

 理由はわからない。けれど少年がまだ諦めていない、それがどうにも嬉しくて弾けるように駆けだした。目指すべきは当然、主人公がいる方向_______

 

 

 ______()()()()()()()()()()()()

 

 

 理由なんてものはない。ただの直感による行動。

 

 故にその()()()()()()()()()()

 

 思い出すのは淫界での出来事だ。

 少数で襲ってきた下級の妖魔、次いで道中を阻むように展開される妖魔複数体との戦闘、封鎖される通路、決め手は魔狼を囮にした偽仏による奇襲。

 

 散発的に現れた妖魔との戦闘で少年の戦力を引き出し、さらには最高位の妖魔を囮に得た奇襲、千載一遇の好機に主人公を差し置いて、戦力にならない一般人の自分を潰しに来るという戦術。

 

 以上の情報もって淫界は極めて計画的に妖魔の配置ないし戦闘を行なっていると確定する。

 

 単純な性能だけでなく、もはや主人公一人では精神が安定しないという点まで把握し、それに応じた計画を構築するという周到性。

 

 老獪な悪意と付け入る隙のない用心深さ。これが数十年単位で退魔士から目を欺き続けた異界の本性なのだろう。

 

 この淫界は極めて合理的かつ悪辣な知性を持っている。

 

 

 そうだ______だからこそ逆転の可能性がある。

 

 

 合理的だからこそ淫界の核を予測できる。 

 

 主人公はもはや伊早瀬アラカと同一と言っていい。その戦力は淫界の最上位妖魔すら完封しえる。たとえボス格二匹であれば圧倒できるとしても、その戦闘の余波による被害は凄まじいものになるだろう。

 

 であれば、核を配置する場所は限られてくる。

 戦場と化したホールにおいて、淫界の核は戦いの被害から最も遠い真逆の方向に配置するのが()()()なのだから。

 

「_____見えたぞ」

 

 肉植物の影に、小さな社が見えた。

 人は入れないサイズ、あくまで供え物を奥程度の、崩れかけた建築物。塗装はとうの昔に剥がれ落ち、朽木を晒しているソレは、近付くほどに大きくなる不快な気配を発していた。

 

 軋みを上げる身体を無視して、さらに踏み込み距離を詰める。

 

 淫界の核をここで破壊する。

 

 当然、俺に破壊できるものではないだろう。

 本体に攻撃力ほぼがないとはいえ、そこにあるのは淫界の真髄。不用意に触れたが最後、侵食されて死に至るのは原作でも示されているのだから、素人にどうこうできるものではないのだ。

 

「アラカ主人公バンザイ!」

 

 ______本来であれば、だが。

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 最強の退魔士が主人公に遺し、少年が俺に託した数少ない守護。

 原作において淫界破壊の要因にすらなった一品。偽仏からの脅威を退ける程の効果は身をもって実証済み。故にこそ_______この瞬間において最大の切り札となる。

 

 脅威に気付いたのか肉植物が蠢いて遮ろうとするが、あまりにも遅い。

 

 絡みつく触手樹を振り払い、社の扉を蹴り抜く。

 朽ちて脆い扉が容易く砕け飛び、その中から黒々とした肉塊を視線で捉える。ぎりり、と振りかぶるように護符を引き絞る。

 

 これでいいのかと疑念で一瞬だけ躊躇う。

 

 だが結局勢いづいたまま護符を、肉塊に叩きつけようとして_______

 

「ガッ.........!?」

 

 

 ______横合いからの衝撃に吹き飛ばされた。

 

  

 視界が宙で回転する。何が起こったのかもわからず、飛ばされた先の壁に叩きつけられる。

 予想外の衝撃に呻きながら立ち上がると、先ほどまで自分が立っていた場所に、巨大な黒狼が身構えていることに気が付いた。

 

「............ああ」

 

 なるほど。

 

 突撃は失敗に終わったらしい。

 一般人の決死の全力疾走は、魔狼が気付いて妨害に間に合ってしまう程度のモノだったか。

 

 そこが限界だった。

 

 鞭うって動かしていた身体から力が抜けてガクリと崩れ落ちる。

 素人ながらに死力と作戦を捻りだし、どうにか圧倒的不利な状況を逆転することのできる起死回生の一手、ソレを無様に遮られた。もはや俺にできる事はない。

 

「ゲッゲッゲっゲッゲッゲ!!」 

 

 こちらの目論見を阻んでやったと嘲るように魔狼が吠える。

 

 だから俺も笑うことにした。

 

「なに悠長に笑ってんだ。______お前ら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()」 

 

 裂くような悲鳴が響いた。

 

 見れば少年を抑えていた筈の巨人は、血やら臓物やらをまき散らしながら肉片となって崩れ落ちたところだった。地鳴りが起きるほどの大質量の崩壊が轟音を響かせる。

 

 優位だったはずの偽仏の死に、魔狼が目を剥き出して硬直する。

 

「おー」

 

 なかなかスプラッタな光景に座り込みながら声を上げる。

 

 そう、淫界撃破など為せずとも問題はない。そんなものは出来ればラッキー程度のものだ、本命は強力な駒(妖魔)が弱い俺に時間を割くことだ。

 

 一対一であれば、主人公にも十分な勝機が存在するのだから。

 

 滝のように降るどす黒い血の雨をかき消しながら、白光を纏った主人公がに現れる。

 近寄りがたいほどの清浄な光を纏った少年は、両手に三枚ずつ血で呪言を描いた符を握りしめて、静かに夜陰明神を見据えていた。

 

「■■■■■ァ!!」

 

 状況を理解した魔狼が、弾けるように疾駆を開始する。

 

 一陣の風と化した妖魔は乱反射するが如く地を、壁を、天井すらも足場として駆け抜ける。広大なホールと、伊早瀬アラカすら圧倒する速度を十分に活用した戦闘機動。

 

 依然として主人公は活動限界(タイムリミット)が存在する。ならば持久戦に持ち込めば妖魔に勝機は十分存在する_______!

 

 

 だが、少年は焦るそぶりを見せない。

 

 

 当然だ。それはあくまでも先行きの見えなかった先ほどまでの話。

 

 最上位個体の妖魔が2体に対して、この場を決戦の地と定め、消耗した霊力をすべて運用し()()を出すのであれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「疑似発動______」

 

 其れは「淫界人柱アラカ」において最強の退魔術。 

 大量の霊力と引き換えに放つことを可能とする最大射程、最大範囲、最大威力を誇る伊早瀬アラカの奥義そのものだ。

 

 効力は「場の妖魔全てに大ダメージを与える」というものだったか。

 中小ダメージに留まる白焔退魔技術ですら妖魔が消し炭になる威力、現実世界の奥義の威力など想像するのも億劫だ。

 

「■■■■■ォォォォオオ!!」

 

 魔狼が咆哮と共に背後から襲い掛かる。

 アラカを再現する少年すら捕捉しきれない妖魔最速の一撃。

 

 だが、それより早く奥義は完成していた。

 

 

 

『______(とばり)切断(せつだん)

 

 

  

 少年の細い首を引き裂くその瞬間。

 

 魔狼が最後に見たのは、全方位に幾重にも折り重なるように放たれる極光の斬撃だった。

 

 

 

 刻み殺された偽仏の後を追うように、魔狼は極光に斬り裂かれて死んだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 肉に覆われたホール。

 どうにか身体を起こして、大きく息を吐く。

 

「げほっ、やりました! ナガヒサさん、僕達、勝ちましたよ.........!」

「............ああ」

 

 魔狼も、巨人も、その場にはもういなかった。

 空間内をすべてを刻み込む全方位斬撃攻撃、あの厄介な夜陰明神ですら細切れになって塵になって消えていった。最悪自分も刻まれるだろうと覚悟していたが、しっかり俺を避けて発動できたというのは有難い話だった。

 

 俺達の勝ちだ。

 

 絶望的な状況から、強力な妖魔二体を出し抜いてどうにか勝利を拾うことができた。もはやこの場で俺達を害するものは存在しない。

 

 淫界の核があった場所に目を向ける。

 

 『帳の切断』の斬撃を受け、核は真っ二つに斬り裂かれていた。

 ざらざらと塵に変えるように崩れ始め、そして宙にとけるように消えて行ってしまった。

 

「______まあ、そうだよな」

 

 崩れる雰囲気もなければ、変容する予兆もない、淫界にはなんの変化も起こってはない。

 

 核が無くなったにも関わらず、淫界は健在である。

 

 理由は一つ

 

 

 目の前にあった『核』は偽物だ。

 

 

 ありえた可能性だ。

 数十年生き延びた老獪な淫界が正直に核の気配を垂れ流すなんて都合が良すぎる考えだったのかもしれない。とはいえ、主人公の活動限界も考慮すれば、僅かな可能性にすがるしかなかったか。

 

 淫界の核は、今も安全などこかに潜み続けているのだろう。

 

 なんのことはない。淫界がこちらよりも用心深く、何枚も上手だったというだけの話だ。

 

「ああ、クソ」

 

 ピシリと足場に亀裂が入る。

 異界が脈打つ、世界がより暗く、赤く塗り替わっていく。足場がほころび、崩れた床と一緒に下へ下へと落ちていく。

 

 下へ

 

 

 下へ

 

 

 下へ堕ちていく。

 

 

 

 淫界の更なる腹の底。

 蝿と蛆の妖魔が巣食う、更なる絶望の場所。

 

 

 

 その先で、俺達は邪悪に嗤う聖母の妖魔に出会う事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




新ルート「懐胎の退魔士」が解放されました。


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奈落の底にて

 

 肉に埋もれた足場がほころんだ瞬間、どうしようもない浮遊感に包まれる。

 

 

 落ちている。

 

 

 先の戦いで、淫界において内部の空間を自由に弄ることができるのは解っている。偽仏を隠すために肉植物を天井に張り巡らせたように、俺達の足場もまた肉植物によって偽装されていたのだろう。

 

 主人公が決死の覚悟で戦っていた場所は、巨大な落とし穴だったというわけだ。

 

 悔しい、とは思わない。

 

 ここまで警戒に警戒を重ねられ、こちらの消耗を待ち続けられてはどうしようもない。淫界がこれほど慎重な存在であったのなら、最初から逆転の目はなかっただろう。

 

 奇襲有りのラスボス二体同時戦闘を潜り抜けただけでも大金星だ。

 

「あー.........」

 

 落下に身をまかせて目を閉じる。

 

 流石に限界だ。

 

 身体中の痛みがエライことになっている。

 アラカワールドの霊力が使えれば何とかなるのかもしれないが、こっちは一般世界の一般人である。巨人に踏み潰されて全力疾走やっただけ大したもんだろう。

 

 しかしどこに落ちてるんだろうか。

 

 主人公が全力を出し尽くし、淫界にこちらの手の内をすべて把握された以上、ロクでもない場所に落とされていることは間違いがない。

 思いつく候補としては、最有力が下級妖魔による逃げ場のない物量地獄、次点で原作の脱出不能の肉歯車地獄だろうか。

 

 他の行き先候補を考えようとして______面倒臭くなって止めた。

 

 うーん、無理。

 

 何が来ても無理。

 

 三番目は流石にないと思うが、何が来ようとどのみち淫界の核が見つけられないので話にならない。どこに逃げても淫界の腹の中だ、完全な離脱ができないのだから、主人公は消耗し続けるしかない。

 

 というか、伊早瀬アラカさんはどこにいったんですかね。

 

 まさか序盤ボスの夜陰明神と戦ってすらいないとは思わなかった。

 おそらく複雑怪奇に捻じ曲がった淫界の中で迷子になっているか、最悪の場合は妖魔に敗北して苗床になってしまっているかなのだが、どちらにしろ合流するのは不可能だろう。

 

 救助や援護は期待できない。

 

「ん.........? あれ、なんか忘れてるような______あヴっ!?」

 

 なにか思い出しそうだったが、突如横合いからの衝撃に思考が飛ぶ。

 

「ク、ぅ........ッ!!」 

 

 見れば主人公だった。

 

 落下中の俺を左腕に引っ掛けるようにしてキャッチ、そのまま空いた右手で肉壁に指を食い込ませる。肉を素手で引き裂くものすごい異音が響き落下の速度がガクリと落ちる。

 

 だが完全には停止は出来ない______勢いのままに底に叩きつけられた。

 

「ごぼ.........っ!?」

 

 衝撃でバシャァンと粘り気のある水を散らす。

 そして背中で何かをぶちぶちと潰す悍ましい感触に慌てて跳ね起きる。

 

 幸か不幸か墜落死だけは避けられたようだ。

 

 主人公の必死のあがきと、なにより着地場所が良かったらしい。

 なにせ淫界の最奥、壁から床に至るまで肉一色、クッション代わりになったのは異様なほどに生えている肉触手と______

 

 

「______蛆虫、か?」

 

 

 ザバリ、水面を揺らして立ち上がる。

 

 膝まで浸かるほどの粘液に()()()()()()と浮かんでいるのは白い繭を思わせる蝿の幼体だ。ただし、そのどれもが拳大に届くかというほどに肥大した異常サイズの、だが。

 

 奈落の底にある広大なプールの一面を泳ぐそれらを見て生理的嫌悪で皮膚が粟立つ。

 

 一瞬だけ取り乱しそうになるが、自分を助けた主人公の存在を思い出して我に返った。素早く辺りを見渡し、肉壁にもたれ掛かるように蹲る少年の姿を捉えて慌てて駆け寄る。

 

「大丈夫か.........!?」

 

 大丈夫なわけねェだろ、と自分に突っ込む。

 

 淫界に入ってからの休息のない妖魔との連戦、加えて偽仏の攻撃が直撃している。

 消耗に次ぐ消耗、なにより伊早瀬アラカの奥義を行使できてしまっている。つまりは他者の真髄を再現できるほどに同調しているという事だ。

 

 限界だ。

 

 ゆっくりと壁に呑み込もうとする触手を払いのけ、少年を片手で抱き上げる。

 顔色が青を通り越して白くなっている。視線が定まらず、そして呼吸が異様に浅くはやい。明らかにヤバい状態だ、これで末期じゃなかったら嘘だ。

 

 問答してる暇はない。

 

 右手に嵌まった、妖しく輝く手袋を引き抜こうとして______

 

「ぁ、あァ!」

「っ!?」

 

 バシ、と手を払いのけられる。

 

「誰!? 大丈夫です! あ、アラカを、助けないと.........!」

「わかってる、落ち着け」

 

 名前もわからない少年は立ち上がろうとして、それでも立ち上がれない彼を支える。

 あまりにもすり減っている、あらゆるものが擦り切れている。

 

 この状況は、たぶんもうどうにもならない。

 

 だが、少年が伊早瀬アラカの救出を諦めないのなら、やはり彼自身が立ち直らなければならない。幸い、まだ脅威になりそうな妖魔は近くにはいないようだ。原作ではボスとして位置付けられる偽仏、夜陰明神という強力な個体の妖魔を撃破している。

 

 今のうちに主人公が自我をはっきりと保てるまでに回復してくれさえすれば、もうしばらくは戦うことができるはずだ。

 

 

 ___a......La___Aa...Ua

 

 

「.........あ?」

 

 遠くから音が、聞こえた気がした。

 

 いや、確かに聞こえる。

 

 主人公が暴れてそれどころではなかったから気付かなかったが、耳をすませばどこか規則的な音が暗闇の中から響いている。

 

 

 La......AAAa___LaUa____

 

 

 違う、()()()()()

 

 呪歌、とでもいうのだろうか。

 聞こえる音の意味は解らない、だが幼子をあやすように、或いは眠りに誘うように、底知れぬ悪意を含むナニカの歌声が、この広い蛆の奈落に満たされていた。

 

 

 嫌な予感がする。

 

 

 蛆、歌、この二つのキーワードに関連する原作の物語は一体何だったか。

 

「まさか、な」

 

 静かに流れる邪悪な歌の方向に、薄暗い奧殿の中で目を凝らす。

 

 暗闇に慣れた目が、流れる絹のような白髪、シミ一つない白い女体を捉える。

 

 ソレは巨大な美しい女性の姿をしていた。

 二十メートル近かった偽仏ほどではない。だが数メートルはあるその妖魔は、瞳を閉じ大きく膨らんだ腹を愛おしそうに抱えながら、肉壁にもたれ掛かるようにして座っている。

 

 それは聖母とさえ思える様な美しさと、神々しさを纏っていた。

 

 

 La_____.........。

 

 

 歌が止んだ。

 

 気付いたのではない。

 

 ただ単に歌いきったというだけだろう。

 

 淫界に落とされた以上、最初から奴はこちらを認識していた。

 だから、先ほどの歌は奴の余裕に他ならない。()()()()()()()()()()()()という単なる事実がある故に、あの妖魔にはなにも焦らない。

 

 微笑を湛えた聖母が閉じた瞳を開く。

 

 

 赤と黒で構成された人外の瞳が、ぎょろりと獲物を捉えた。

 

 

「La、AaaaaAAAAAAAAAAA!」

 

 妖魔が歓喜の声を上げる。

 呼応するように周囲の触手がざわざわと蠢き、蛆たちが狂ったように跳ね始める。

 

「おいおいおいおい.........!」

 

 ぐったりとした少年を抱え上げる。

 

 身体が軋み悲鳴を上げるがそれどころではない。

 相手にしなければならない妖魔が予想していた数倍はヤバイ。

 

 憎悪と暴威で構成された夜陰の魔狼とは違う。

 

 愉悦と嗜虐に満ちた偽りの神仏にも類しない。

 

 淫界に君臨する最上位二種とは全く異なる性質をもつ、淫界の最奥に隠されたもう一体の最上位。

 

 

 ______あの妖魔に名前はない。

 

 

 サブストーリーでしか存在が確認されていないが故に、原作において明らかに最上位としての格を持ちながらボスとして扱われず、またエネミーとしてもついぞ登場することはなかった。

 だが訓練された『淫界人柱アラカ』のプレイヤーたちの精神(メンタル)を破壊し、性癖を捻じ曲げる程の悪辣さを持つソレは原作においてトップクラスの知名度を誇る。

 

 最凶さでいえば最上位レベルの妖魔との遭遇。

 

 だがそれ以上に本来出会うことはなく、また敵として戦うこともなかった存在と向かい合っているという事実に頭が痛くなる。

 

 理由なんて明白だ。

 

 

如月ヨミ(未実装)ルート突入とか聞いてねェ!!」

 

 

 原作に存在しない未知の領域への介入。

 

 つまりは原作情報なしの状態で、ユーザーに()()()()()()()()()()と言われる妖魔に挑まなければならないという事だ。

 

 助けが来ることはない、そんなものは淫界がとうの昔に断っている。

 

 

 主人公の消耗も相まって、あまりにも行き詰った戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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在処

 

 

 

 

 赤い赤い夕暮れの下、夏の熱が残った坂道を登って帰路へと歩んでいた。

 

 他愛のない一日だった。

 

 僕と■■■は二人で街に繰り出して、あてもなくぶらぶらと遊び回って、長く伸びている足元の影に目を落として、もう夕方なんだという事に気が付いた。

 

 少し惜しい気持ちはあったけれど、また明日があるからと自分を納得させて帰ったことを覚えている。

 

「______?」

 

 今日は楽しかったと、彼女は笑って言った。 

 その後に瞳から涙が零して、驚いた僕にすこし怖くて泣いたのだと彼女は話した。

 

 

 自分なんかに、こんなにも楽しい日が来るなんて思わなかったのだと。

 

 

 人並みの幸福も

 

 ありふれた平穏も

 

 誰かからの救いの手も、自分には縁がないものだと思っていたから。

 

「______!」

 

 それは違うと、思わず大きな声が出た。

 幸福も、平穏も、救いも、■■■みたいな女の子にこそあるべきなのだと、君がそうなれるなら僕はなんでもすると一心に話した。

 

 

 本当? と彼女は問うて。

 

 

 本当だよと、僕は返した。

 

 

 その後に自分より強い彼女に何ができるんだ、と自分の矛盾に気付いて慌てていると、彼女に唐突に抱きしめられた。

 普段の彼女らしからぬ態度に驚いたけれど、肩を震わせて、押し殺すように泣いていることに気が付いてそっと僕も抱きしめた。

 

 本当に少しの時間だ。

 

 強い彼女はすぐに落ち着いて、僕から離れるとありがとうと微笑んだ。

 

 けれど後になって恥ずかしくなってきたのか、「また明日」と坂道を駆けていった。

 

 

「______また明日」

 

 

 彼女がいなくなった坂道でぽつりと呟く。

 

 

 そうだ。

 

 

 こんな時間が続けばいいと、心の底から僕は願った。

 彼女が幸福と平穏を享受できる日々を、また明日と笑い合える日が続きますようにと。

 

 そして、世界がそれを許さないなら僕が彼女を守るのだと心に刻んだのだ。 

 

 

 いつかの誰かの、僕だけの誓い。

  

 

 もう自分の名前もわからないけれど、それでも■■■を守りたいという気持ちは、まだ心に焼き付いている。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「く、ぉ、おォ!?」

 

 

 とっさに少年の腰に手を回して抱え込み、死ぬ気で跳躍する。

 

 

 ______瞬間、さっきまで足があった場所を、凄まじい速度でしなる触手が駆っていく。

 

 

 着地しながら触手を目で追うと、いままでとは打って変ったように肉壁で激しく猛る触手群が目に映る。とっさに飛んでいなければ捉えられていたであろう事実に背筋が寒くなる。

 主人公がダウンしている現状、俺が捕まってしまえばそこで終わりだ。切り返すように伸縮する触手群から逃走を開始する。

 

 殺到する触手の追撃を紙一重で逃れ、危険な肉壁からなるべく距離を取ろうとして______

 

 

『LA、LA、LA、LA________!』

 

 

 ビキリ、と脳がナニカに侵食される。

 墨汁に白紙を浸すように意識が吞まれそうになって______頬の肉を噛み切って踏みとどまる。

 

「............ああクッソ!」

 

 飛びそうになった意識を、痛みでかろうじて保持する。

 だが頭が割れるように痛い。口に溢れる血液を吐き出して、意識を飛ばそうとした相手を睨みつける。

 

『LA、aa.........A?』

 

 妊婦のような腹を抱えた聖母______堕落聖母とでも呼ぶべき妖魔が首を傾げる姿を見て舌打ちする。

 

 

 ______精神干渉できるのかよ!

 

 

 一瞬で意識を持って行かれそうになった。

 

 おそらく妖魔の歌に呪いが乗っているのだろう、さっきから護符がなにかに反応してやたら光っていたのはこれが原因か。護符は光の膜を展開してくれてはいるが、当初に比べてその光の輝きは弱い。たぶんそろそろ使えなくなる。

 

 気を緩めると終わりだ。

 

 わかっていたが、やはり状況は悪い。

 

 目の前の妖魔がどの程度脅威であるのかは定かではない。

 戦闘向きではなさそうだが、しかし呪歌による精神攻撃が飛んできたあたり油断ができない。というか、他にどんな攻撃をしてくるのか想像もつかない。

 

 ないのだ、情報が。

 

 それもその筈、この妖魔は原作において戦闘行為を一切しなかった個体。

 エネミーとして現れることはなく、サブストーリーである『如月ヨミ編』で登場し、そしてたった一人の退魔士に邪悪の限りを尽くしただけの無名の妖魔であるからだ。

 

 そのくせ格は明らかに偽仏や夜陰明神と同等だ。

 

 いや、人間を一切の無駄なく消費するという性質だけを評価するなら、仏や狼よりも明らかに格が高い。

 

 

 淫界とは女性に対し凶悪な特攻性能を発揮する領域______というだけではない。

 

 

 捕らえた獲物を取り込み、作り変え、淫界を維持するための一部とする性質を持つ。

 犠牲者が決して死ぬことがないように肉体を作り変え、想像を絶する快楽を与えながら異形の世界を維持させる柱として永久に利用する。改造し、変成し、やがて独立した責め苦(システム)が完成し、外界から一切干渉を受け付けない異界となるまで。

 

 言ってしまえば「完結した世界の構築と隔離」ことが淫界の理想なのだ。

 

 

 そして、目の前の邪聖母は()()()()()()()()()()()をもっている。

 

 

 だからこそ、出会う事も想定していなかったのだが、上位個体を投入してくるあたり、どうやら淫界は余程主人公を潰したいと見える。なんなら即座に淫界に取り込む準備も出来ていそうだ。

 

 もはやあきらめ気味に状況分析をしていると、薄暗い体液溜まりから跳ねたナニカが腕に張り付いた。

 

「.........あぁ!?」

 

 身体から力が抜ける感覚に、とっさにナニカを叩き落とす。

 

 飛沫を散らして跳ねまわるソレは巨大な蛆だ。

 おそらくは淫界で産み落とされた異形の蟲、その一匹が邪聖母の命令で襲ってきたのか。

 

 現状、大した影響はない。

 

 だがこれは、その少ない影響を積み重ねてくるタイプの攻撃。

 もちろんその攻撃をするのは、淫界の底で無数に生み出され続けている生物に決まっている。

 

「.........クソがよ!」

 

 ______原作によると、この邪聖母が生まれて少なくとも十年、下手をすれば数十年の時間が経っているらしい。

 

 その膨大な時間の中を、際限なく限界なく眷属の生産に当て続けている妖魔がいるとするならば、その眷属の全容は果たしてどれほどのものなのか。

 

 淫界の暗がりから地鳴りのような音が響く。ばちゃばちゃと飛沫を上げ、凄まじい勢いで迫ってくる蛆を見た瞬間、回れ右をして走り出す。

 

 いや無理だこれ。

 

 ほとんど津波だ。

 

 飛び越えるとか、気合で踏ん張るとかそういうレベルじゃない、全力で退避する。大量の眷属を保持するためか、やたら空間に奥行きがある方向に走っていく。

 

 見た目通りというべきか、邪聖母は眷属を生み出し、形成した群れを操るタイプだ。振り返れば、邪聖母の丸い腹がパクリと切れ目が入り、その隙間から巨大蛆が這い出しているのが見える。

 攻撃は手下に任せ、自身は安全な位置から呪歌で削ってくる戦法。直接攻撃力は狼や仏に劣るが、消耗しきった自分たちを()()()()には最も適している。

 

 オマケにあのバケモノの腹には、おそらく______

 

「.........妖魔、風情が」

 

 思考を遮るように、手袋に腕を押し込む音が聞こえた。

 

「は?」

 

 言い訳をさせて欲しい。

 

 恐怖、疲弊、緊張、理由はいろいろあるが、考えていたせいで気付くのが遅れた。まあ気付いても止められなかっただろうが。

 

 腕の中の少年が、振りほどくように飛び出すのを視界にとらえる。

 

「邪魔をするなァァァァアアアアアアア!!」

「それはマジでヤバいって!!!!」

 

 

 怒りの咆哮を上げて、妖魔の津波に特攻する女装少年を、俺は慌てて追いかけた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 浄化の焔が淫界を斬り裂いていく。

 

 

 これまでに幾度となく行った白焔の放出。

 

 狙うは邪聖母本体。

 

 少年の有する「伊早瀬アラカ」の経験も、あの本体を討てと叫んでいる。

 この手の妖魔は動きが遅く、自身の戦闘能力は低い、自衛能力があってもたかが知れている。親を潰しさえすれば、低級妖魔などどうとでもなる。

 

 短期決戦だ。

 

 速攻で本体を叩く。

 

 邪聖母に向けて撃ち放った焔は、しかし親を守るように集まった妖魔の津波に呑まれて消えた。火力が足りていない。だが蛆の量が多少は減った。

 

 それで十分だ。

 

「............っ!」

 

 霊力を循環し、性能を高めた肉体を蟲の津波にぶちかます。

 

 

 轟音が響く。

 

 

 爆弾を打ち込まれたかのような威力に、蟲が肉片の飛沫と化し、妖魔の海が拓かれる。

 

 低級妖魔など有象無象だ。

 

 ゴミ掃除と同じ、邪魔なら排除するのみ。

  

 サイコメトリーの反動で脳の中をぐちゃぐちゃと掻き回されるような感覚に襲われるが、構うものか。目の前に姿を晒している敵の親玉を見据え、勝利を確信する。

 

 高揚、狂気、優越、嗜虐、愉悦があらゆる感情が少年を突き動かす。

 

 一足で距離を詰め、邪聖母に拳を振りかぶる。

 

 眷属共が慌てて集まってくるが、すべてが遅い。

 見知らぬ男も、必死の形相で何かを叫んで走ってきているが、どうでもいい。それよりも自分に盾突く妖魔に復讐をしたい。その果実のように膨らんだ腹を潰してやりたい。

 

 

 なにより、自分は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 だから少年は拳を振り抜こうとして______

 

 

 

「______たすけて」 

 

 

 

 

 邪聖母の腹から、誰かの声が聞こえた。

 

 

 

 

 



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