パパ、認知して (九龍城砦)
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ロシアより愛を込めて

「念願の日本に〜……キター!!!」

 

 羽田空港のロビーに降り立った私は、両腕を高々と上げて歓喜の雄叫びを上げる。周囲の人々から奇異の視線を感じるが、そんな事は気にならないくらい今の私は舞い上がっていた。

 ああ、懐かしき羽田空港。都会の香り、人の波、それら全てが今の私の目にはとても輝かしく映っている。故郷の山と草原しかないド田舎と比べれば、その人口密度は天と地ほどの差がある。

 

「いやー、テーマパークに来たみたいですねー! テンション上がるなぁー!」

 

 母親譲りの銀色の髪を振り乱し、私は空港を飛び出して懐かしき東京の街へと足を踏み出した。見渡す限りの人、人、人。まさしく人の洪水と称して問題ないレベルの賑わい方だ。

 

「わ、キレー」

「コスプレか?」

「シスター服だ……」

「なんでシスター?」

「かわええ」

 

 ワイワイ、ガヤガヤ。まるで常からお祭りをやっているかの如き賑わい。いや、故郷の村ではお祭りだって言ってもここまで人は集まんなかったけど。全員集まって100人行くか行かないかの限界集落だったしなぁ。

 と、昔を懐かしむより、私がここに来た目的を果たさなければ。シスタークラーラから貰ったお手製の旅行カバンから、一枚の地図とメモ用紙を取り出す。

 

「えーっと、このメモによれば……きゃっ!?」

「おわっ!? チッ、オイコラ! どこ見て歩いとんねん!」

「す、すみません!」

 

 しまった、やってしまった。こんなに人が多いというのに、ながら歩きなんてするんじゃなかった。故郷でもよく牛とか馬にぶつかってたんだから、こういう所でこそ気をつけなくちゃいけなかったのに、私のバカバカ。

 っていうか、今ぶつかった人ってヤクザじゃない? なんか黒いスーツ着て、グラサンかけて、如何にもカタギじゃないって雰囲気醸し出してるけど。

 

「んー? 嬢ちゃん、外国人か?」

「あ、はい。ロシアから父を訪ねて少々」

「ほー、まだ若いのに大したもんやなぁ」

 

 褒められてしまった、テレテレ。

 

「せやかて子供一人でこんなトコまで来よったら、路銀も心許ないやろ」

「あー……そうですね、飛行機のチケット高かったです」

 

 なんで最下位のエコノミークラスですらあんなに高いのだろうか。おかげで向こうにいた頃コツコツ貯めてた貯金が半分ほど消し飛んでしまった。まぁ、その分乗り心地は最高だったんですけど。やっぱり日本の技術すごいよ、うん。

 

「せやったら、ラクに大金稼げる美味し〜い仕事があるねんけどな。どや、お嬢ちゃん一発やってみぃひんか?」

 

 目の前のヤクザさんが、心底愉快そうに顔を歪める。何とも悪そうなイイ笑顔だ。

 

「ラクに大金!? やる、やります!」

 

 とかいう、生娘みたいな反応を期待してるんだろうなぁ……そしてそれを忠実に再現して見せてあげる私なのであった。

 リップサービスですよ、リップサービス。

 

「ヘヘ、よしじゃあ早速────」

 

 ワキワキと動く邪な両手が、ゆっくりと私の紺色の修道服に伸ばされる。私はそれを笑顔で待ち構え。

 

「君、こっち! 付いてきて!」

「わ」

 

 急に人混みから出てきた手に腕を掴まれ、そのまま人混みの中へと引きずり込まれた。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

 唐突ですが転生したようです。

 

 あぁ、おっしゃらないで、分かってます。またテンプレかよって思ったでしょう。そうです、テンプレ通りに現代で死んで転生したタイプの転生者ですよ。死因は覚えてないけども。前世は男だったなーって、ぼんやりしか覚えてないけども。

 

(うーむ、どうしてこうなったやら)

 

 この自意識が芽生え始めたのは、この体がこの世界に生まれ落ちてから5年が過ぎた頃。ほんとに唐突に、なんの前触れもなく、心地よい眠りから覚めるように、私はこの体の主導権を手にした。

 じゃあこの体の元の持ち主はどうしたって言うと、どうやら最初から居ないみたいだった。事実、私が目覚めるまでこの体は日がな一日ぼーっとしているだけだったらしい。話しかけても、体を揺すっても何も反応がなく、まるで糸の切れた人形のような有り様だったとか。

 

 今までがそんな感じだったからか、私のお世話係をしていたメイドさんは大層びっくりしたそうだ。まぁ、今まで人形みたいにうんともすんとも言わなかった女の子が急に「腹減った」とか言ったらそりゃびっくりするよな。二重の意味で。

 とまぁ、そんな感じで私の第二の人生は幕を開けたわけだが……今回の人生、かなりの勝ち組で転生してしまったらしい。

 

 まず第一に、この体はめちゃくちゃ運動神経がいい。

 

 イメージした通りに体が動くし、どれだけ走っても息切れすら起こさない。前世の頃の平凡だった肉体とは雲泥の差である。そのハイスペックさが楽し過ぎて、お世話がかりのメイドさんと追いかけっこをしていたら先にメイドさんの方がバテる始末である。5歳の子供に負けるとか恥ずかしくないんですか?(煽り)

 

 そして第二に、この家はとてもお金持ちだ。

 

 どこまで続いてるんだと言いたくなるほどの荘園と、前世だったらお目にかかることすらなかった程の大きなお屋敷。ぶっちゃけこれだけでもう十分すぎるほどに勝ち組だと思う。まぁ、住人は私と母親とメイドさん二人しかいないという、宝の持ち腐れ状態なんだけどね。

 

 そして最後に、この体はとても美少女だ。

 

 肩まで伸びたクセの無い艶やかな銀髪、くりくりとした可愛らしい銀色の瞳、そしてシミひとつ無い白磁のような肌。成長したら確実に美人になることが約束されているような、超がつくほどの美少女だった。ぶっちゃけ、前世の自分が見たら一目惚れしてしまうような美少女だと思う。

 もうね、鏡を見たら目の前に絶世の美少女がいてびっくりしたよ。思わずその場で鏡に向かって「結婚してください!」とか言っちゃったもんね。そのコントみたいな光景を見ていたお世話係のメイドさんは若干引いていたが。死にたい。

 

 という感じで、なんの不満もない今世なのだが、一つだけ気がかりになっていることがある。

 

「エレーナ」

「あ、お母様!」

 

 私がメイドさんと屋敷の中庭で追いかけっこをしていると、メイドさんに押され、車椅子に座った母がやって来た。そう、私が唯一気になっているのがこの母の事である。

 母は私と同じく銀色の髪に銀色の瞳をしている美しい女性なのだが、私と違って体がかなり弱い。それはもう、風邪とか引いただけで命の危険があるレベルだ。だから普段は病院にいて、滅多に家に帰ってくることはないのだが────今日はどうやら調子がいいらしい。

 

「お帰りなさい! お母様、今日はなんだかとっても顔色が良さそうだわ!」

「ふふ、そうね。お医者様にもお墨付きをもらってしまったの」

 

 私は一直線に母の下へと駆けて行って、そのまま母の胸に飛び込んだ。もちろん、母の体に負担を掛けないよう、細心の注意を払いながらだが。あぁ〜、ふかふかなんじゃぁ〜。

 

「今回はどのくらいお家に居られるの!? 一週間、一ヶ月、それとも一年かしら!?」

「あらあら、この子ったらよくばりさんね。大丈夫、もう病院には戻らなくていいと言われたの。だから、これからはずっと一緒よ、エレーナ」

「本当!?」

 

 まさしく花の咲いたような笑顔を浮かべ、私は母にぎゅーっと抱きつく。いやぁ、よかったよかった。生まれてこの方それだけが心配だったから、その唯一の心配が解消されて何よりだ。

 自慢じゃないが、私は重度のマザコンなのだ。そりゃもう、自他共に認めるレベルというか、母以外の女性を好きになるとかあり得ないというか。とにかく、それくらい私は母のことが大好きなのである。

 

「ぜー、はー……お、お嬢様、少しお待ちを……う゛ぇっほ、げっほ!!」

「ライサ、はしたない」

「はぁ、はぁ……んなこと言ったって、しょうがないでしょゾーヤ……お嬢様に付いてくのがどれだけ難しいと思ってんの……げほっ」

 

 私に少し遅れて、お世話がかりのメイドさん、ライサが息を切らしてこちらへやってきた。その様子を、もう一人のメイドであるゾーヤは冷ややかな目で見つめていた。

 ライサは私のお世話係をしてくれているメイドさんで、ゾーヤは母のお世話係をしているメイドである。基本的に二人ともすごく優秀で、炊事・洗濯・掃除なんでもござれで、もう出来ないことは無いレベルで器用なメイドさん達なのだ。

 

「ライサ、いつもありがとう。エレーナを任せきりにしてしまってごめんなさいね」

「いっ、いえいえ、そんな滅相もない! お嬢様と過ごす時間はとても楽しくてこれ以上ないくらいの幸福でありますとも! むしろこちらからお願いしたいくらいと言いますか! というかもうお嬢様のことは全て私にお任せください! この命にかけて完璧に職務を全うしてみせます!」

「うふふ、そう言ってくれるとありがたいわ」

「…………」

 

 薄々思ってたけど、こいつロリコンだよな……しかも結構重度の。おふろに一緒に入ってる時とか、私を見る目がヤバいもん。私がハイスペックボディの持ち主じゃなかったらとっくに襲われてるところだ。

 

「粛清」

「あだぁー!? い、いきなり何すんのゾーヤ!!」

「お嬢様を(よこしま)な目で見た。だから殴った、それだけ」

「見てないっつーの! 変な言いがかりやめてくれますぅー!?」

 

 暴走しかかっていたライサの頭を、ゾーヤが音速の拳で殴りつけた。ロリコンというわかりやすい欠点があるライサと違い、ゾーヤは正真正銘完璧なメイドさんだ。まるで機械のように冷静に、完璧に仕事をこなすパーフェクトメイドさんなのだ。

 

「さぁ、お嬢様こちらへ。私が悪の変態ロリコンメイドから守って差し上げます」

「だーれが悪じゃコラァー!」

 

 あ、ロリコンって部分は否定しないんだ。じゃあもう確定ですね、うん。

 

「あーもー! 今日こそはお前をぶっ倒してお嬢様をいただいてやるわ、ゾーヤ!」

「ふっ……できるものならやってみなさい、ライサ」

「うふふ、ライサとゾーヤは今日も賑やかで楽しいわね」

「お母様……」

 

 そして母は超がつくほどの天然さんだ。いや、別に全然構わないんですけどね。むしろそんなところが一番の魅力っていうか。でも、娘の貞操がかかってるような会話を賑やかの一言で済ませるのはどうかと思う。

 

「さぁ、お屋敷に入りましょうエレーナ。今日はあなたの大好きなヴァトルーシカを焼いてあげるわ」

「本当!? やったー!」

 

 自慢じゃないが、母の作るお菓子はこの世のものとは思えないくらい絶品なのだ。体の問題が無かったら、文句なしでパティシエになれていたと思うくらいの腕前である。

 

「ライサ、ゾーヤ。あなた達も手伝ってくれるかしら?」

「ぐるるる……ハッ! は、はい! もちろんですとも!」

「……右に同じく。全身全霊でお手伝い致します」

 

 さっきまで鬼の形相でいがみ合っていた二人だったが、母が一声かけるとすぐさま元の完璧メイドに元通り。うん、マジでこういうところは凄いと思う。一瞬で清楚なメイドに早変わりだもん、マジ凄いと思うわ。

 

「お母様、お手を」

「あらまぁ。ふふ、ありがとうエレーナ」

 

 私は母の隣に立ち、その手を取る。

 

「おかえり、お母様!」

 

 車椅子から立ち上がって、母は私のエスコートで屋敷の玄関まで歩いて行く。こうして手を繋いで歩いていると、まるで普通の親子になったように思えて────私は自然と笑顔になってしまうのだった。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

「はぁ、はぁ……ここまで来れば、大丈夫でしょ……!」

 

 先程の大通りとは対照的な程に静かな、薄暗い路地裏にて。私をあの場から助け出してくれた人は、ゼーゼーと肩で息をしながら壁に背を預けていた。

 くすんだ金髪を後ろ手に一つで纏め、動きやすいラフな服装をした女の人だった。歳は……20とかそこら辺かな。お肌のハリ的に。

 

「あ、ごめんね、いきなり引っ張ってきちゃって……なんか如何にもピンチって感じだったから、ほっとけなくて」

「Спасибо」

「え、あ……ど、どういたしまして。あれ、日本語喋れるよね?」

「喋れますよー」

「だよねビビったー! わたし、ロシア語は基本的な単語しか分かんないからさー!」

 

 目の前の女性は大げさな仕草で胸を撫で下ろす。賑やかな人だな、なんて思いながら私は微笑みを浮かべた。

 

「これも神のお導きでしょうか……お名前をお伺いしても?」

「あ、うん──わたしは柊雪って言います。好きなように呼んでね」

「では、柊さまと」

「さ、さま!? いやいや、それは流石に大仰だってー!」

 

 私がそう呼ぶと、柊さんは照れくさそうにはにかんだ。うーむ、なんだこの人かわいいな。なんていうか、普段そんなに笑わない人っぽい。その証拠になんだか笑顔がぎこちないように見える。

 でも、だからこそ笑った時の破壊力は抜群と言える。そういうのは恋人にするものですよ、絶対勘違いする人が出てくるからね。

 

「それにしても、どうしてあんなところでヤクザなんかに捕まってたの?」

「はい、私なにぶんドジなもので。地図を見ながら歩いていたところ、先程のおじさま方にぶつかってしまったのです」

「地図……失礼だけど、スマホは?」

「申し訳ありません。幼き頃から修道院暮らしのこの身、あのような高価なものに触れる機会などある筈も無く……」

「持ってないってことねー」

 

 柊さんはガシガシと頭をかいて、困ったように宙を仰いだ。

 

「えっと、日本に来た理由は観光……って雰囲気じゃないよね。もしかして人探しとかだったり?」

「まぁ、さすがは柊さま、なんでもお見通しですのね。お察しの通り、私はとある人を探してロシアからはるばるやってきたのです」

「いやぁ、ははは……(当てずっぽうだったんだけどなぁ)」

 

 当てずっぽうだったんだろうなぁ。目がそう言ってるもん。

 

「でも、そういうことならわたしも力になるよ。これも何かの縁ってやつで!」

「よいのですか?」

「もっちろん! こんな中途半端で投げ出したら、スタジオ大黒天の名が泣くってものだよ!」

 

 どん、と柊さんは自分の薄い胸を叩いて、自信げに口角を上げた。ふむ、じゃあせっかくだしお願いしてみようかな。ハッキリ言って、なんのコネもない状態でこの日本という広い国からたった一人を探し出すっていうのも、結構現実的じゃない道程だったもんね。ご好意には存分に甘えさせてもらおう、うん。

 

「じゃあ、まずはその探してる人の名前を教えて? 有名な人だったらスマホで簡単に出てくるかも知んないし!」

「はい、それではお言葉に甘えて。私の探している人の名前は────」

 

 私は口を開いて、探し人の名前を告げる。

 

「黒山墨字」

「んん!?」

 

 私が、幼い頃から殺したいほど逢いたいと思っていた肉親の名前を。

 

「私の、父です」

 

 

「ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン!!!!!?????」

 

 

 目の前で、目玉が飛び出さんばかりに驚いている柊さんに告げた。

 




【エレーナ・黒山・ノヴィコフ】

年齢:16歳
誕生日:12月24日
身長:173cm
血液型:A型
職業:修道女
好物:母の作ったお菓子、母の作った料理
趣味:お祈り、お昼寝、お説教
好きな映画:「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「となりのトトロ」「黒山墨字の映画」
『ジブリ大好きっ子。修道院の自室で、よく他のシスターと共に見ていたようだ』



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太陽にほえろ

「えっと、今日は墨字さん出かけてて。その辺のソファにでも座って待っててください」

「はい。お邪魔いたします」

 

 父が、というかスタジオ大黒天が借り入れているというビルの一室に私は招き入れられていた。外から見た以上に狭い部屋だった。元々そこまで広くない上に、そこかしこに置かれた撮影機材や得体の知れないコードなんかが、部屋の狭さに拍車をかけているのだろう。

 それでも話し合いのスペースはしっかり確保しているのか、部屋の片隅には面と向かって話せるように二組のソファと縦長なテーブルが置いてあった。応接室とかでよく見るやつね。

 

「粗茶ですが」

「まぁ、ありがとうございます」

 

 部屋の片隅に置かれていたソファに座った私の前に、柊さんが緑茶を持って来てくれた。うわ、緑茶とか飲むのいつぶりだ? 転生してから初めてだから、10年ぶりくらいか? いや懐かしいとかいうレベル通り越してんなこれ。

 

「それで、さっきの話なんだけど」

「私の父が黒山墨字だという件ですか?」

「そう」

 

 対面のソファに座った柊さんは、とても真剣な面持ちで私の目を見つめてきた。うむ、可愛い。柊さんってよく見なくても顔がいいよね。綺麗というより可愛い系の美人さんというか、目鼻立ちがしっかりしているというか。もしかして私と同じくハーフだったりする?

 

「えっと……本当なの?」

「嘘をつく必要など無いはずですが」

「それはそうなんだけど……」

「信じられないというのならば、これを。こちらが証拠になります」

 

 私はカバンの中をごそごそと探り、その中から一枚の写真を取り出した。生家であるあのお屋敷に唯一残っていた、父と母のツーショット写真だ。

 お屋敷の中庭にて、仲睦まじそうにお茶をしている二人の姿が映っている。

 ちなみに、なぜか他に父が映っている写真は一枚も見つからなかった。この写真だって、母の部屋にある金庫から偶然出てきた幻の一枚なのだ。

 

「…………マジだぁ」

「ですから、そう言っていますのに」

 

 写真を受け取って、その写真を穴が開くほど凝視し、その果てに柊さんはどこか遠くの空を見つめるような悲痛な表情を浮かべた。なんだこの人、面白いな。

 

「何やってんだよ墨字さん!!!!!」

「あらまぁ」

 

 両手を握り込み、勢いよくテーブルを殴りつける柊さん。いきなりのバイオレンスな行動、私でなかったら驚いちゃうね。あ、テーブルに置いてあった緑茶は無事ですよ。サッとフレーム単位の動きで回収しといたからね。

 

「この度はウチのロクデナシがガチのロクでもないことをしてしまって誠に申し訳ありません」

「いえいえ〜」

 

 呆然としたり、怒ったり、果てには土下座して謝ったり。柊さんは見ている方を飽きさせないような、見事な七変化を披露している。いやぁ、苦労人なんだなぁ、柊さんって。

 

「柊さんに謝っていただかなくとも、父には私から相応の処置をさせていただきますので。止めないでくださいましね?」

「いえいえそんな滅相もない。わたしも手伝いますので、あのヒゲに地獄を見せてやりましょう」

「まぁ、頼もしい」

 

 ひいらぎゆきが、なかまになった!

 テテーン。

 

「落ち着きましたか?」

「はぁ、はぁ……うん、落ち着いた」

 

 肩で息をしながら、大きく息を吐き出した柊さん。いやまぁ、故郷では職業柄色んな人の懺悔を聞いて来たけど、ここまではっちゃけた懺悔は初めてだったなぁ。こう言っちゃ失礼かもしれないけど、とても愉快ですごく面白かった。まるでミュージカルのコメディパートを見てるみたいな気持ちになったよ。

 

「うん、まぁ、その……わたしから言うのもなんか違う気がするけど──やっぱり言っておくね、ホントにごめんなさい」

「柊さま、顔をあげてください」

「いいの。わたしが好きでやってることだから」

 

 ソファに座り直した柊さんは、私に向けて深々と頭を下げている。その様子は先程までの勢いに任せた謝罪ではなく、本気の謝意がこもった真摯なものだった。

 

「わたし、墨字さんとはパートナーになって長いと思ってたつもりだったけど……全然あの人のことを知らなかったんだなって。こんな可愛い娘さんが居るのだって、今初めて知った」

 

 ポツリ、ポツリと、懺悔するように柊さんは言葉をこぼす。気を抜けば聞き逃してしまいそうな音量のまま、柊さんは己の内に渦巻いている感情を言葉にしていく。

 

「理由はどうあれ、墨字さんが今まであなたを捨てて生きてきたのは間違いない。わたしには、その事実を受け止める責任がある」

「いいえ、そんなものはありません」

「わたしなんかがいくら頭を下げても、どうにもならないって事はわかってる。それでもわたしは謝るよ」

「柊さま」

「わたしがもっと早く気づいてれば、あの人のケツを蹴っ飛ばしてでもあなたを迎えに行かせてた。だから──」

「頭を上げてください」

 

 私はソファから立ち上がり、柊さんの隣に腰を下ろす。そして今まで着けていた手袋を外し、ゆっくりと柊さんの手に自分の手を重ねた。女性らしい、小さくて滑らかな手。その手は僅かに震えていた。

 今の私には、柊さんが父のために何故ここまで自分を追い込んでる(謝っている)のかが分からない。なので、今からそれを理解する。彼女の肌に触れ、その過去を覗き見る。

 

「──なるほど」

「え?」

「あなたは、父をとても尊敬しているのですね。表には決して出さないけれど、心の奥深いところで信仰にも似た憧憬を抱いている」

「ふぇっ!?」

 

 主よ、お許しください。この人の心を救うためなのです。他人の心の中に土足で踏み入る私を、どうかお許しください。

 

「だからこそ、あなたは父の犯した不誠実な行いが許せない。そうなのでしょう?」

「え、えっと……!?」

「大丈夫」

 

 私は柊さんの頭に手を回し、ゆっくりとその体を抱き寄せる。

 

「あなたの想いは、しっかりと受け取りました。あなたがどれだけ父を好いてくれているかという事も」

「あ、あの、エレーナちゃん……?」

 

 ああ、まったく幸せ者だな父は。こんな可愛らしい女性からこんなに慕われてるなんて。

 

「そうですね。あなたの誠意に免じて、父への追及は激しくしないようにしておきます」

「そ、そっか……ありがとう」

「ええ、約束しましょう。あなたが悲しむような行為はしないと」

 

 努めて優しく、私は柊さんを諭すように言い含めた。その言葉に安心したように息を吐き出し、柊さんは顔を上げた。私はそんな安堵の表情を浮かべる柊さんに微笑みを向ける。

 でも。それでも。口では、優しい口調でそう言ってはいるけれど。

 

「ふふ」

 

 心の中では。

 本当は。

 全部、めちゃくちゃに壊してしまいたいと思ってしまっている。

 

愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)愛しくて(憎くて)

 

 私から一番大切なものを奪ったあの男を、どうしようもないくらい呪ってしまいたくなる。

 

「……いけませんね」

 

 気を抜くと、この激しい衝動に飲み込まれてしまいそうになる。目と鼻の先に父がいると言うこの状況だからこそ、なおさら。胸の奥で激しく渦巻く、この怨嗟の炎に呑まれてしまいそうになる。

 

「どうしたの?」

「いえ、私もまだまだ未熟だなと反省していただけです」

 

 神に仕える身として、こんな激情に呑まれていてはいけない。平常心、平常心。ビークール、ビークール。落ち着け、落ち着け私。素数を数えるのだ、どこぞのエセ神父のように。素数は1と自分自身でしか割れない孤独な数字、私に勇気を与えてくれる。2、3、5、7、11──

 

「おーう、帰ったぞ柊」

「ぁ?」

 

 と、そんなふうに落ち着こうとしていた時。部屋の扉を開けて一人の男性が入ってきた。とても自然に、まるで自分の家に帰って来たかのような動作で。その男性は私の目の前に姿を現した。

 

「いやー、今日は散々だったぜ。やっぱりアリサからのくだらねぇ頼み事なんか引き受けるんじゃなかっ──」

 

 その目が、私の方を向いた。

 

「──────は?」

 

 呆気に取られた、呆然とした、予想だにしなかった。そんな、驚愕という感情だけに支配されたまま私を見つめる父の姿を見て、私は。

 

「会いたかったです、墨字さん」

 

 ずっと昔から考えていた、イタズラと言う名の復讐を実行する事にした。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

 理解が追いつかなかった。目の前の光景を理解したくないと、脳がフリーズして情報の処理を拒否する。しかしそれでも、目の前の現実はちゃんとそこにあるわけで。

 

「会いたかったです、墨字さん」

 

 直視したくない現実は、確かな実体を伴ってソファから立ち上がった。

 

「な、ん」

 

 言葉が出ない。開いた口が塞がらないとはこのことか。唇は無意味にパクパクと開閉するだけで、何の意味のある言葉も紡がない。喉は一瞬でヒリつくように渇き、心臓が壊れたように脈動して血液を吐き出す。だというのに、背筋は氷の棒を突き入れられたように冷たい。

 とてつもなく嫌な予感がする。

 

「どうしたんですか? まるで幽霊でも見たような顔をして」

 

 ふわりと。踊るように、舞うように。まるで舞台の上でスポットライトを浴びる役者のように。その少女は黒山墨字の前まで躍り出た。

 

「……ナーシャ」

「あらまぁ、まだその名前で呼んでくれるんですね」

 

 ふふっ、と可愛らしい笑い声を漏らし、花が咲くようにその少女は微笑みを浮かべた。

 月光をそのまま流したかのような美しい銀色の髪。宝石をそのまま閉じ込めたかのように錯覚するほどに輝く銀色の瞳。そしてそれらを引き立てる淡雪のようにきらめく白磁の肌。

 どこを取っても完璧としか称することのできない美少女が、怪しい雰囲気を纏って目の前に立っていた。

 

「いや、違うな。誰だお前」

「誰だ、とは随分な物言いですね」

「うるせぇ。とっととその下手な三文芝居をやめやがれ」

 

 理性と自我を総動員して、目の前の悪夢を振り払うように黒山は少女を突き放す。その言葉を受けた少女は、くりくりと輝く大きな瞳をスッと細めた。

 

「なーんだ。やっぱりこのくらいの見分けはつくんですね、()()()

「は? お、おとう……なんだって?」

 

 少女の口から飛び出た言葉に、黒山は頭の上にはてなマークを大量に出現させていた。

 

「私はお父様とお母様の娘──エレーナと申します」

「は、はぁぁぁぁ!!!???」

 

 表の大通りまで聞こえそうな、大音量の絶叫が響き渡る。いつも全てを見透かしたようなニヒルな笑みを浮かべている黒山らしからぬ、とても狼狽した叫び声だった。

 

「いやいやいや! 俺に娘とか居ねぇし! 何かの間違いだろそりゃ!」

「そ、そんな……せっかく海を越えてお父様と再会できたというのに、そんな事って……」

 

 よよよ、といかにもわざとらしい泣き真似を披露してみせるエレーナ。そんな光景を見て、黒山は困惑した表情のままエレーナを見つめていた。

 そんな黒山の前に、もう一つの人影が歩み出た。スタジオ大黒天の美人秘書、柊雪である。

 

「墨字さん」

「お、おう柊、なんなんだこいつ。説明し──」

「歯ぁ、食いしばってくださいね」

 

 にっこりと、今まで見たことのないような笑顔を浮かべ、柊は硬く握り拳を作った。

 

「は? いやいやおい、どういう事だよ。おい、笑顔のまま近づいてくんな!」

「逃しません♪」

「ぐっ!? いやお前、離せこの謎の小娘! ってか力強ぇな!?」

 

 いつの間にか背後に回ったエレーナに羽交い締めにされ、黒山はその場から動くこともできなくなってしまった。なんとか拘束を解こうと力を込めるも、まるで壁に埋まっているかのようにビクともしない。

 そんなことをしている間にも、イイ笑顔を浮かべた柊はズンズンと距離を詰めて来ている。

 

「せめて、出会って初めての言葉が娘に向けるものならお説教ぐらいで済まそうと思っていたんですよ? でも、よりによって何て言いましたか、墨字さん」

 

 普段とは比べ物にならないくらいの怒気を孕みながら近づいてくる柊の言葉に、黒山はついさっき発言した自分の言葉を思い返していた。

 まぁ、今更そんなことをしても、もうどうしようもないくらいに手遅れなのだが。

 

 

「実の娘に向かって『何かの間違い』は無いでしょうがぁぁぁーーーーー!!!!!」

 

 

 この日、スタジオ大黒天の窓ガラスが一枚、思いっきりブチ割れたのだった。




エレーナちゃんは特殊能力持ちです。どんなやつかは秘密です。


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ナイトミュージアム

「いちち……」

 

 のちに伝説と呼ばれることになる、柊さんによる事務所の窓ガラス破壊騒動より数分後。そこでは部屋の真ん中で、頭にでかいタンコブをこしらえた父が無様に正座させられている最中だった。

 

「いやー、イイもの見せてもらいました」

「テメェ、この腹黒娘! ソファから高みの見物してんじゃねぇ! お前が全ての元凶だろうが!」

「墨字さん」

「ハイ」

 

 目の前に仁王立ちする柊さんの圧に負けて、父は従順な犬のように頭を下げた。あぁ、無様無様。何という惨めな状況なのでしょうか。これは一刻も早く救って(煽って)あげなければ。

 

「さて、ここからは楽しい楽しい質問タイムなんですが」

「…………」

「ぶっちゃけ、お母様とセックスしました?」

「ブフォッ!!!!!」

「した」

「墨字さんんんんんっ!?!?!?」

 

 予想通りというか、もはや鉄板というか。鬼もかくやという表情を浮かべていた柊さんは、私が父にした質問によって、一気にその雰囲気を霧散させた。うむうむ、計画通り。

 

「じゃあ確定じゃないですか。それなのによくもまぁ覚えがないとか言えましたね」

「いや待て、ちゃんと避妊はしてたぞ」

「どのくらい?」

「そりゃコンドーム付けるくらいだが」

「ハッ、あんな薄皮一枚をよくもまぁそこまで信用できましたねぇ?」

 

 ピルすら使ってなかったのに、それでよくもまぁ避妊してたとか言えますこと。

 

「ちょっと!? 二人ともその生々しすぎる会話やめてくれない!?」

「おや、柊さまには刺激が強すぎましたか」

「こいつ、見た目にそぐわず純情だからな。赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとか思ってるタイプ」

「いやいやいや!? ちゃんとそのくらいの知識はあるからね!?」

 

 えぇ〜、ホントにござるかぁ〜?

 

「ホントだってばー! なにその生暖かい視線はー!」

「いやぁ〜」

「だってなぁ〜?」

 

 柊さん、見た目以上に純情っぽいんだもん。そりゃそういう感想も抱くっていうか。むしろ、柊さんにはこれからも純情なままでいてほしいっていうか。というか、なんか思った以上に父と息が合うな。これが親子の絆ってやつなのか、ムカつく。

 

「って、な〜んか二人とも仲良さそうじゃない?」

「いえいえ、気のせいですよ。こんなクソ親父に向ける親しい感情なんてありませんとも」

「あぁ、そうだな。こんなエセシスターに娘だなんて名乗られてイイ迷惑だぜ」

「はぁ?」

「あぁん?」

 

 誰がエセシスターだ、誰が。こちとら故郷の村ではどんな悩みも聞いてくれる敏腕シスターとして名を馳せていたんですけど。普段の雑事から、いろんな祭事に至るまで、村の至る所で引っ張りだこだったんですけど。マザーにも認められてる立派なシスターなんですけど!

 

「あのなぁ、軽々しく親父なんて呼ぶなよ。こちとら、まだお前が俺の娘だなんて認めたわけじゃねぇからな」

「あら、ここまで来て認知してくれないんですか? いい大人なのに、意外と意気地が無いんですね」

「うるせぇ、腹黒娘」

「事実でしょう、ダメ親父」

 

 あぁ〜ん? 何だ、やるかコノヤロウ。言っとくが私は強いぞ。ケンカでは村にいる誰にも負けなかったからな。まぁ、喧嘩したのも数えるほどしかないので、井の中のかわず大海を知らずってやつなんだろうけど。

 

「ハイ、やめやめ! 殴ったわたしが言うことじゃないかもしれないけど、これ以上部屋を破壊しないでください!」

「ホントだぜ。柊おまえ、もっと女性のお淑やかさってものを覚えた方が──うごっ!?」

「あらあら」

 

 やーい、殴られてやんの。そういうデリカシーのないこと言うからだぞ、ちょっとは反省しろー。

 

「いってぇ……! おい、人の頭を軽々しく殴んな! バカになるだろうが!」

「大丈夫でしょう、元からバカなんですから」

「お前なぁ……」

 

 うーむ、何でこれで父が柊さんに愛想つかされないのかが不思議で仕方ない。まぁ、この人は映画に対しては真摯だからな。柊さんはそういう部分に惚れているのだろう。かくいう私も、父の作った映画は大好きだ。

 

「ま、いいか。で、これからどうするんだ、腹黒娘」

「どうするとは?」

「こっちで生活するのか、向こうに帰るのかって話だ」

 

 ああ、そういう。ならば私が取る選択は既に決まっている。私は、そのためにこの国へと来たのだから。

 

「もちろん残ります」

「住む場所も、働く場所もねぇのにか?」

「ちょっと墨字さん!」

「黙ってろ、柊」

 

 父の視線が鋭くなり、先ほどとは違う雰囲気を纏いながら私を睨み付ける。それはまさしく相手を見定める監督の目だった。今目の前に居るのは、先程までのいいかげんな父ではない。映画監督として、こちらを試している父だ。

 

「あら、おあつらえむきの働き口がここにあるじゃないですか」

 

 だからこそ、私はその視線に応えるように父を見つめ返した。

 

「私を、このスタジオ大黒天で雇ってください」

 

 私は帰らない。父に、私を認めさせるまで。私が、母の娘であると認めさせるまで。

 それに、私が本当に帰りたいと思っている場所は──もう無いのだから。

 

「いいぜ、気に入った」

 

 ニヤリと、人を喰ったようなニヒルな笑みを浮かべて。

 

「ようこそ、スタジオ大黒天へ」

 

 父は、私の就職を二つ返事で認めた。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

 というわけで、無事に私はスタジオ大黒天の一員になる事が出来ました。よーし、機材運びとか、テント設営とか、いろいろ張り切ってこなしちゃうぞー。

 伊達に田舎の村出身じゃないからね、こういう力仕事には慣れているんですよ。さぁ、どんな雑用でもドンと来い。

 

「とか思ってたのに」

 

 父との邂逅から一日ほど過ぎ、私はとあるスタジオに連れて来られていた。いろんな照明に照らされていて、いろんな機材が置いてあって、いろんな人が出入りしている。

 そんな慌ただしい雰囲気を尻目に、私はスタジオの中央に置かれている豪華なソファに座らせられていた。

 

「どうしてこんなことに?」

 

 故郷の村では一度もしたことのないメイクをしてもらって、今までで一番綺麗だと思えるようなドレスを着させてもらって。目の前には、カメラを構えた女性の人が立っていて。

 これは、まさか。

 

「エレーナちゃん、大丈夫? もしかして緊張してる?」

「いえ、緊張というより困惑ですね、これは」

 

 隣に立つ柊さんが、少しだけ申し訳なさそうに話しかけてきた。ちなみに、父の姿は無い。なんでも昨日から大手事務所のオーディションに駆り出されてるとかで、今日も終日不在なのだそうだ。そういうところだぞ、ロクデナシめ。

 

「これは噂に聞く、写真撮影というやつでは?」

「うん。これからエレーナちゃんをモデルに、いろいろ写真とかビデオを撮らせてもらうね」

「Почему?」

「え……墨字さんから聞いてたんじゃないの?」

「なにも聞いていませんが」

 

 ついでに言うなら、一言も話してませんが。起き抜けに『来い』って言われて誘拐犯の如くワゴン車に乗せられて、そっからこのスタジオに直行したので、今現在のこの状況がどうなっているのかすら分かっていない私なのですが。

 

「あのヒゲ……ごめんねエレーナちゃん、後でまたシバいておくから」

「いえ、それはいいんですけど」

 

 私はなにをすればいいのかだけ教えてほしい。このままじゃなんの準備もできないまま初のお仕事に臨む事になっちゃう。

 

「えっとね、今日のお仕事は雑誌に使う写真と、宣伝に使うイメージビデオの撮影ね。三社の合同で行われてる企画なんだって」

「大仕事じゃないですか」

「うん、まぁ、そうね……」

 

 こんな大事な仕事場に事前説明もなしで連れてくるとか、もしかして父はバカなのか? 柊さんとの約束が無かったらとっくに殴り飛ばしてるぞ。

 

「今回の撮影のコンセプトは、夢の国のお姫様がするようなファッションを着こなす女の子──まぁ、要するにシンデレラとかをイメージしてもらえるといいかな」

「ふむふむ」

「大仰ではなく、それでも煌びやかに。ターゲット層は子供向けらしいけど、もちろん大人も見る」

「むしろ、そういう親たちをターゲットにしてますよね」

「お、エレーナちゃん鋭いね」

 

 そりゃそうだ。結局のところ、お金を払うのは子供ではなく親だ。子供が駄々をこねたって、買ってもらえる限度額というのは決まっている。だったら最初から親の方をターゲットにして、無理なくお金を落としてもらうのが賢い商売方法というものだろう。

 実際、子供を着せ替え人形にして楽しむ親は一定数存在する。子供の姿に過去の自分を重ね合わせ、一時だが華々しい夢を見たいと願っているのだ。

 

「なるほど、そう言うことなら」

 

 やって見ようか。こういう形で人々を救うというのも、またシスターとしての務めだろう、たぶん。

 私はソファから立ち上がり、居住まいを正す。そして、にっこりと教会で磨き上げた笑顔をカメラマンさんに向けた。

 

「よろしくお願いいたしますね」

 

 さぁ、これが父に私を認めさせるための第一歩だ。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

 撮影は驚くほど順調に進んだ。NG撮影は最初の数回だけ。その後はコツを掴んだのか、写真の方は問題なく全て撮り終わった。残りはイメージビデオの撮影を残すのみ。

 柊雪は目の前に立つ少女の姿を見て、少しだけ戦慄する。経歴を聞く限り、目の前の銀色の少女はこういう仕事は未経験のはずだ。だというのに、少しも物怖じせずにカメラの前に佇むその姿は、まるで熟練の女優を思い起こさせる。

 

「すご……」

 

 思わず感想が漏れる。エレーナの容姿がこういう仕事に向いているというのは、一目見た時から分かっていた。まるで絵本の世界から出てきたかのような、浮世離れした美貌の持ち主。けれど、中身まで備わっているというのは完全に予想外だった。

 

「まぁ。ダンスへのお誘い、ありがとうございます」

 

 スカートを摘み、華麗な動作でお辞儀を披露するエレーナ。その姿はまさに童話に出てくるお姫様を彷彿とさせる。

 大人び過ぎず、子供っぽくもない。そんな成長途中の美しさを内包した可憐な容貌が、幸せそうにゆっくりと微笑む。

 

「こちらこそ。光栄ですわ、王子様」

 

 王子様が差し出した手を取るエレーナ。柊雪は、いや現場のスタッフ全ては、その場には居ないはずの王子の姿を幻視していた。

 

「ふふっ」

 

 本当に幸せそうに、くるくると軽やかにダンスを披露するエレーナ。その挙動を、カメラは一挙手一投足逃さずに撮影している。スタジオ内のさらにその中央。限られたスペースの中で、エレーナは最大限自分の魅力を活かした立ち回りを披露している。

 望まれたことを、望まれるままに。

 お姫様らしく、可憐な幻想らしく。見ている人が全ての現実を忘れ、ただ一瞬でも夢の世界へと入り込めるように。エレーナはそのために踊りを続ける。

 

「あぁっ、もうこんな時間! 急いで帰らなければ!」

 

 そうして、一夜の幻想は幕を下ろす。転ばぬよう、ドレスの裾を上げて、エレーナはお姫様という役から降りていった。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

「ふぅ」

 

 できた。

 できていた、筈だ。お姫様の演技なんてやったこともなかったけれど、それでもなんとか乗り切った。

 カットって聞こえたし、もうオッケーってことだよね? これ以上の演技とか、今の私にやれる余裕ないぞ。

 

「お疲れ様、エレーナちゃん!」

「柊さま」

 

 スポーツドリンクを持った柊さんが、スタジオの片隅に置いてあった椅子に座りこんでいる私の横にやってくる。その顔は感動とも驚きともつかない、色々なプラスの感情が混じり合った表情をしていた。

 

「すごかったね! 初めてとは思えないくらい上手にできてたよ!」

「そう言ってもらえるとありがたいですが」

 

 興奮したように、柊さんは私に笑顔を向けてくる。うむ、やっぱり柊さんは可愛いな。

 

「実は、あの演技はお母様の真似だったんです」

「お母さんの?」

 

 スポーツドリンクを受け取って、蓋を開けてその中身に口をつける。

 自分では気づいていなかったけれど、相当に緊張していたようだ。カラカラに乾いていた喉に、確かな潤いが染み込んでいく。

 

「お母様は本当に、どこぞのお嬢様かお姫様かと思うくらいに可愛くて、魅力的な方でした」

「え、あれ? エレーナちゃん、修道院で育ったって言ってなかったっけ」

「はい。ですが、もっと幼い頃はお母様とメイドさん二人と、四人でお屋敷に暮らしていたんです」

 

 私が修道院に入ったのは7歳になってから。それまでは、あのお屋敷で四人で楽しく暮らしていたのだ。女性しかいない、ちょっと歪な家庭だったけれど、とても幸せな家庭だった。

 

「けれど、お母様が亡くなってしまって。そこから私は修道院のお世話になっていました」

「────え?」

 

 隣に座ったままの柊さんが驚愕の表情を浮かべた。

 ああそうか。この話はまだしていなかったか。

 

「私の母──アナスタシアは、もうこの世にはいません。既に天国へと旅立ちました」

 

 私は、そう言って昔を懐かしむように、スタジオの天井を見上げながら小さく呟いた。



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鍵泥棒のメソッド

「はぁ……疲れました」

 

 初めての撮影を終えた私と柊さんは、そのままスタジオ大黒天の事務所に帰ってきていた。窓の外はもうとっぷりと日が暮れてしまっており、結構な時間を撮影スタジオで過ごしたのだと実感させてくれる。

 いやマジ疲れた。やっぱり人が多い場所でお仕事するのって疲れるんだねぇ……なんて感想を抱きながら、私はボフッと事務所のソファに寝転んだ。意外とふかふかなのよね、このソファ。

 あ、ちなみに言うと、私はこのスタジオ大黒天の事務所に寝泊まりさせてもらっています。ホテル代もバカにならないし、今日みたいな急なお仕事とかにすぐに対応できるしね。結構いい物件なのだ。

 

「お疲れさま。さて、初めてのお仕事を終えたエレーナちゃんに渡すものがあります」

「あら、なんでしょう」

 

 一緒に帰ってきていた柊さんが、ゴソゴソとカバンの中を探っている。そしてその中から一枚の紙を取り出した。

 

「墨字さんが渡してなかったっぽいから、これ」

「契約書……ああ、就職するときに書くやつですか」

「うん。事後承諾みたいな感じになっちゃったけど、大丈夫?」

「ええ、構いません」

 

 まぁ、まさかの撮られる側として就職するとは思っていなかったけれど。私はてっきり雑用係から始めるものだとばかり思っていたのに。

 

「ま、逆に好都合です」

 

 私は契約書の内容に目を通し、サラサラっとサインを記載する。これで、私は正式にスタジオ大黒天の一員になれたわけだ、うむ。

 疲れたけど、ああやってカメラの前で演技するっていうのは楽しかったし、悪い仕事じゃ無いのは確かだろう。

 

「それと、これ」

「ん、これは……噂に聞くスマホ、というやつですか?」

「今日撮影したイメージビデオの素材が入ってるの。よかったら見てみる?」

「是非」

 

 電源を入れ、柊さんの手引きで動画ファイルを開く。

 すると、そこには。

 

「────綺麗」

 

 煌びやかなドレスを着て、優雅に、幸せそうに踊る絶世の美少女の姿があった。

 銀色の髪を靡かせ、まるで本物のお姫様のようにダンスを踊るその姿は、同性の私でも見惚れてしまうほどの魅力がある。

 

「これは誰ですか?」

「エレーナちゃんでしょ、何言ってんのさ」

「え、私ってこんなに美人でしたっけ」

「うわ〜、ちょっとムカつく発言〜」

 

 いやだって、こんなの私じゃない。

 いつも顔を洗う時に鏡で見てはいるけれど、こんな幸せそうな笑顔なんて見たことない。確かに、顔のパーツは私のものだけど、表情が私の物じゃない。これでは、まるで。

 

「お母様みたい」

 

 そう、これではまるで私じゃなくて母を撮ったみたいな、そんな感じがする。

 

「……真似してただけの筈なんですけどね」

「ん?」

「あ、いえ、なんでもありません」

 

 あの時は、母ならどうするだろう、なんて考えながら撮影を行っていた。だというのに、これではまるで、私自身が母になってしまったようだ。

 スッと、背筋に冷たいものが走る。何となく、この映像を長く見ているのはマズい気がする。

 

「…………」

「エレーナちゃん?」

「ありがとうございました、柊さま」

 

 スマホの電源を落とし、柊さんに突き返す。今は少し落ち着きたい。日本への旅や初めての仕事など、慣れないことの連続で少し疲れた。昨日父から教えてもらった、この事務所の下にある銭湯というでっかいお風呂に行って、この疲れをとってくるとしますか。

 

「では、私はお風呂に行って……きま……す……?」

「わ、ちょ!? エレーナちゃん!?」

 

 あれ、からだにちから、はいらな──しかいも、なんか──くろく、なって────

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

 ソファから起き上がろうとしたエレーナは、そのままパタリと柊の膝を枕にして倒れた。すわ気絶でもしたのかと驚く柊だったが、すやすやと穏やかな寝息を立てているのを確認したため、その心配は杞憂に終わった。

 

「すぅ……すぅ……」

「疲れちゃったのかな」

 

 柊の膝を枕にしながら、事務所のソファで眠るエレーナ。その肩までかかる銀色の髪を、柊はスッと指ですいた。

 

「うっわ、何これサラサラ過ぎでしょ……羨ましいなぁ」

 

 キューティクルもバッチリで、枝毛すら一本もない。まさしく全女性の目指す理想の髪と言える。いや、完璧すぎて逆に人間離れしているようにすら見えるだろうか。何か、見えざる力が宿っているようにも感じる。

 

「って、なんだそりゃ」

 

 エレーナの髪から指を離し、柊は鼻を鳴らして自分のバカバカしい考えを一笑する。そうして所在なさげに視線を動かすと、今度はエレーナの寝顔が目に入る。控えめに言っても、美しすぎるという感想しか出てこない女神のような美貌。

 

「…………」

 

 柊は、それに吸い込まれるように手を伸ばして。

 

「おーい、何してんだ」

「わひゃぁっ!?!?!?」

 

 唐突に後ろからかけられた声に驚いて、とっても情けない声を上げた。

 

「す、すすす墨字さん!? 脅かさないでください!」

「いや、お前が勝手に驚いたんだろうが」

 

 バクバクと鳴る心臓をむりやり落ち着けて、柊はソファの後ろに立つ黒山に視線を向けた。幸いというか、先ほどの悲鳴を聞いてもエレーナは起きていなかった。よっぽど眠りが深いのだろう。

 

「っていうか、こんな時間までどこ行ってたんですか! エレーナちゃんに仕事のことも言ってなかったみたいだし!」

「スカウトだよ、スカウト」

 

 のんべんだらりと、気だるげな雰囲気を隠そうともせず、黒山は対面のソファへと移動して腰を下ろした。

 

「俺が作る映画の主演に、ピッタリな女優が見つかった」

「それは……良かったですけど。でも」

「二人ほどな」

「え?」

 

 寝ているエレーナにチラリと視線を送った黒山は、ニヤリと人を喰ったような笑みを浮かべた。

 

「送られた素材、見たぞ」

 

 瞳の奥に鋭い光を宿して。

 

「いい()()()()()()だった」

 

 映画の感想でも口にするように、そう言った。

 

「メソッド演技って……」

「ああ、1940年代のアメリカで生まれた演劇技法。役柄の内面に注目し、その感情を追体験することで、自然かつリアリスティックな演技を行う技法だ。ま、一般常識だな」

「それを、エレーナちゃんがやっていたと?」

「無意識だろうがな」

 

 訝しげな表情を向ける柊に対して、黒山は得意げに笑みを浮かべる。いつも通りの、全てを見透かしたかのようなニヒルな笑みだ。

 

「こいつはあの瞬間、完璧に母親を演じきっていた──いや、母親そのものになっていた」

「……本当なんですか?」

「俺の見立てが間違ってた事、あったか?」

 

 無いけど、と内心で柊は愚痴るように言葉をこぼした。こと映画において、役者において、演技において。黒山の見立てが外れたことは一度もない。

 黒山は全てを見透かしている。まるで始まり(プロローグ)から終わり(エピローグ)までを全て知っているかのような、そんな印象を受けるほどに。

 

「あの表情はあの日、出会って間もない頃に、おふざけでダンスに誘われた時に見せたアイツの表情と全く同じだったんだよ」

「そ、れは」

「ああ。いくらメソッド演技だとしても、それは()()()()だ」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ。柊には気付けないような、そんなレベルで黒山は瞳を揺らがせた。

 

「その人物になりきるのではなく、その人物そのものになる。もはや人格の交代だな」

「だ、大丈夫なんですか、そんな事して!? っていうか、出来るんですかそんな事!?」

「そりゃ大丈夫じゃねーよ。現に、腹黒娘はこうしてエネルギー使い果たして寝ちまってるしな」

 

 焦る柊を尻目に、黒山は冷静に言葉を紡ぐ。今ここで慌ててもどうしようもないとわかっているが故の反応だ。

 

「ま、安心しとけ。一応応急処置は考えてある」

「し、信じますよ?」

 

 けれど尚も不安そうな表情を続ける柊を見て、黒山は少しだけ視線を逸らす。その先には、夜の帳が落ちた街が見える。夜の闇の中にあっても、光を失わない街。

 

 眠らない街。

 

 この少女が住んでいた小さな村とは、似ても似つかない発展した街並み。その眩しさを再確認しながら、黒山は再び視線を正面に戻した。

 

「で、問題はコイツが俺に会いにやってきた理由だが」

「え、普通に墨字さんと暮らすためじゃないんですか?」

「バッカ、コイツがそんなタマかよ。下手すりゃどこでだって生きていけるようなヤツだぞ。それこそ、無人島とか、山の中でもな」

「えぇ〜……」

 

 黒山の発言に、柊は若干引いた。出会って一日なのに、もう既に娘のことをそこまで理解している事実に引いた。

 いや、本人は頑なに娘ではないと言い張ってはいるが。

 

「じゃあ、何のためにエレーナちゃんは日本に来たんですか?」

「そこは俺にもわからねぇよ。俺に娘だと認めさせるとか言ってたが、それも建前だぞ、ありゃあ」

 

 ガシガシと頭をかいて、難しい顔をする黒山。そんな黒山を見て、柊が青い顔をして口を開く。

 

「じゃあもしかして……自分を捨てた墨字さんをぶっ殺す為に……!」

「やめろ縁起でもねぇ! ってか、それだったら出会った瞬間に死んでるだろ、俺は」

「それもそうですね。顔合わせた瞬間に刺し殺されて終わりだと思います」

「笑顔で言うな、笑顔で」

 

 はぁ、と黒山は重いため息を一つ吐いた。

 

「ま、何にせよコイツの目的は、コイツ自身が話すまで解らねぇってこった」

「……いつか、話してくれますかね」

「そうだな。いつか、な」

 

 二人の視線を受けてなお、スヤスヤと寝息を立てるエレーナ。その寝顔は、どこにでもいる子供と変わらない、無垢で無邪気なものであった。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

「ん……ふぁ〜、ぁふ」

 

 目を開けて、意識を覚醒させる。伸びをして、体の機能を確認する。

 よし、今日もこの体は絶好調だ。

 

「あ、昨日はこのまま寝ちゃったんでしたっけ」

 

 修道服を着たままの自分の姿を見て、少しだけ苦笑する。そんなに疲れていたのか、昨日の私。

 

「あれ」

 

 もう一着の予備の修道服に着替えようと事務所内を見渡したところ、目の前のテーブルにビニール袋が置かれていた。やけに大きい、いろいろな食品が入っている袋だった。

 コンビニで買えるような、おにぎりや菓子パンが主に入っているのだろうか。いや、それにしても多い気がするが。

 

「ん……ふふっ」

 

 ガサガサと中身を漁ってみると、中から二枚のメモが出てきた。一枚は柊さんからのメッセージ。そして、もう一枚はなんと父からのメッセージだった。

 

『昨日は初めてのお仕事お疲れ様! お祝いパーティの代わりってことで、埋め合わせにいろんな食べ物買っておいたから、起きたら食べてね! 柊より』

『報酬だ、食え』

 

 いやいや、いやいやいやいや。

 

「ぷっ、あははははは!!」

 

 柊さんはともかく、不器用すぎでしょお父さん。なんだその、報酬だ食えって。言葉のイントネーション、絶対ピッコロさんの『仙豆だ、食え』じゃん。

 いやズルい。こんなの、笑いが止まらなくなるに決まってるじゃないか。

 

「あははははははっ! おなっ、お腹超痛い〜! あはははははっ!!」

 

 ソファの上で転げ回って、ひとしきり笑い続けた私なのであった。いや、起き抜けに強烈な一撃をもらってしまった。

 父め、こんな方法で私の腹筋を破壊しに来るとは、いい根性してますわ。

 

「はぁー、はぁー……よぉし!」

 

 袋の中身をゴソゴソと漁り、菓子パンを取り出す。クリームパンだった。

 

「はむっ、もくもく……うまい!」

 

 日本のご飯はハイレベルだ。パン一つ取ってもすごい美味しくて、自然と頬が緩んで笑顔になる。安い女だなぁ、我ながら。

 

「お、起きてたな」

「おはよーエレーナちゃん」

「おはようございます、柊さま」

「おいコラ、俺には挨拶無しか」

「ごきげんようクソ親父」

「テメェ、開口一番がそれかよ。あと親父はやめろって言ってんだろうが」

 

 そんなことをしていれば、事務所に父と柊さんが入ってきた。二人とも、昨日までと変わらないままで何より。いや、ちょっと機嫌が良さそうかな? まぁ、どっちでもいいか。

 

「今日もお仕事ですか?」

「いや、今日はお前にはアシスタントに入ってもらう。仕事をする奴は、これから俺が連れてきてやる」

 

 ふむ。だとすると、昨日のスタッフさんたちみたいなことをすればいいのかな? 幸いなことに、荷物の運搬や機材の設置なら得意分野だ。存分に活躍させてもらおう。

 

「柊と一緒に先に現場で待ってろ。必ず連れて行く」

「かしこまりました」

 

 父のその言葉に、私は恭しく頷いた。父は普段からいい加減な性格をしているが、こと映画に関してはとことん誠実だ。少なくとも()()()()()()()()そうだった。

 

「期待していますね、黒山さん」

「ハッ、テメェに言われるまでもねぇよ」

 

 私が笑顔でそう告げると、父は意味深な笑みを浮かべて不遜な言葉を返した。そうして、父はスタジオ大黒天が所有しているワゴン車で何処かへと行ってしまったのだった。っていうか、今さら思ったけど、あのロクデナシを一人で行かせて良かったのだろうか。なんだか果てしなく嫌な予感がしているのだが。

 ま、いいか。父も子供じゃないのだ、なんかトラブルが起きても自分で処理するだろう、たぶん。

 

「それじゃわたしたちも行こっか、エレーナちゃん」

「はい。荷物運びならばお任せあれ」

「お、早速やる気満々だねー」

 

 ふふん。何を隠そう、私は故郷の村で行われた『酒樽持ち上げ祭り』の優勝者ですから。重いものを運ぶことには慣れまくっているのですよ。

 いや、冷静に考えてみると奇妙すぎるお祭りしてんな、ウチの村。お祭り男とかやって来そうなタイトルしてる。ワッショーイ。

 

「さぁ、今日もがんばろー!」

「おー」

 

 意気揚々と右手を突き上げる柊さんに習って、私も右手を突き上げる。こうしていると、まるで仲のいい姉妹みたいだ。

 

「ところで」

「ん、なに?」

 

 父が出て行った時から抱いている素朴な疑問を、私はポツリと呟いた。

 

「私たち、どうやって仕事場まで向かうのですか?」

「あっ」

 

 車は父が乗って行った。つまり。

 

「……エレーナちゃん、ダッシュ!」

「はぁ、やれやれですね」

 

 そうして、私と柊さんは最寄りの駅まで全力ダッシュをかますことになったのだった。

 




原作一話、終了。


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ワイルド・スピード

「はぁ、はぁ……ま、間に合った……!」

「お疲れさまです、柊さま」

 

 事務所をダッシュで飛び出して数十分後。私たちは無事に撮影が行われるスタジオまで辿り着いていた。うむ、久々に全力疾走したけど、やっぱり体を動かすのは良いものだね。

 まぁ、柊さんにとっては、そうでもなかったみたいだけど。

 

「さて、まずは何から運びましょうか?」

「いやいや待ってエレーナちゃん! あんなスピードで走ってたのに、なんで息切れすらしてないの!?」

「なんでと言われましても」

 

 この体のスペックが凄すぎるから、としか言えないかな。走っても跳んでも、まったく疲れたりしないすごいボディーなのだ。

 あ、ちなみに発育の方も大変よろしくって、生前の母に負けないレベルでおっぱいが大きくなってます。普段は動くのに邪魔だからサラシで潰してるけどね。

 

「さぁさぁ、何でもどんとこいですよー」

「ちょっ、エレーナちゃん待ってー!」

 

 すでに疲労困憊な柊さんをスタジオの入り口に置いて、私はスタジオの中に入り込む。そこでは昨日見たスタッフさんたちが、ワイワイと忙しなく撮影の準備をしている最中だった。

 今日のセットは昨日のお城の舞踏会のような豪華なものとは違って、ごく一般的な家庭のキッチンを模しているようだった。

 

「こんにちはー、お手伝いに来ましたよー」

「お? あれ、君は昨日の……なんでこんなところに?」

「おと……こほん。黒山さんの指示で、スタッフとして現場に入るように言われました。重いものを持ったりするのは得意なので、どんどんこき使ってください」

「お、おぉ……う、うん。じゃあお願いしちゃおうかな」

 

 にっこりと親しみやすい笑顔で、そこら辺を走っていた男性スタッフさんに話しかける。若干キョドりながらも、そのスタッフさんの対応は紳士的だった。

 

「あそこにあるセットの壁たちを中央にある土台にはめてほしいんだ。一人じゃ無理だろうから、あと何人かに声かけて全員で──」

「あの壁を持ち上げればいいんですね?」

 

 うむ、そんなの朝飯前だ。私はスタジオの隅に立てかけてあるセットの壁に近づいて。

 

「よい、しょっと!」

 

 一息に、その壁たちを持ち上げた。

 

「うわあぁぁぁぁ!?!?!?」

「ええええええぇぇぇ!?!?!?」

「あの、ぶつかったら危険なので離れていてくださいね」

 

 スタジオ中の視線が私に集まっているのを感じる。いや、みんな何をそんなに驚いているのだろうか。こんなの、酒樽十個よりは全然軽いんだが?

 

「な、なんであんな軽々持てるんだ……」

「あの壁、何キロだったっけ」

「全部合わせて100キロくらいか?」

「あの細身のどこにそんなパワーがあるんだ……」

 

 周囲から何やら声が聞こえてくるが、そんなことは関係ない。私はそのまま壁を持ってスタジオの中央に歩いて行き、一個ずつセットの土台に壁をはめていく。よし、これにて仕事完了だな。

 

「ふぅ、さて次は何をしましょうか」

 

 私は額の汗を拭う動作をしながら、とびっきりの笑顔を浮かべてスタッフの皆さんに話しかけるのだった。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

「予定より三十分も早く準備終わったんだけど」

「それは重畳ですね。ではゆっくりと黒山さんを待ちましょう」

 

 スタジオの扉の前に立ち、仕事終わりの一杯を呷る。うむ、うまい。緑茶の味がおいしいって感じるのは、やっぱり元の魂が日本人だからなのかな?

 まぁ細かいことは気にしないのが吉だ。うむ、今日もお茶がうまい。

 

「いやいや、エレーナちゃん何あれ」

「なにか問題がありましたか?」

「問題っていうか! あんなに大活躍されるとプロとしての私たちの立つ瀬が無いっていうか!」

 

 なにやら頬を膨らませ、プンプンという擬音が聞こえてきそうな感じで柊さんは怒っている。いやそんな理由で怒られても。早く仕事終わったんだから、ラクできたぜラッキーって感じに思っておけばいいのに。大人ってヘンなの。

 

「それにしても遅いね墨字さん。セットが早くできても、肝心の役者と監督が居ないんじゃ──」

「ん、来たみたいですね」

「えっ」

 

 前方の道路から、ものすごい勢いで爆走してくるワゴン車を視認する。側面にはスタジオ大黒天の文字。間違いなく、父が運転しているワゴン車であった。

 いやまって、なんかフラフラしてない? うわ、ちょっ、ぶつかるって、危なっかしい! カースタントかよ! あっ、駐車場の壁にぶつかって爆発した──いや、何で爆発すんの? あと、なんで爆発したはずの車の中から平気な感じで飛び出してきてんだあのダメ親父。

 なに、今ここだけギャグ漫画の時空になったの? 意味が分かんないんだけど。

 

「ほら事故ったじゃねぇか! お前が暴れるから!」

「暴れて当然でしょ、この犯罪者!」

「誰が犯罪者だ!」

 

 あと、小脇に制服姿の女の子を抱えてるのも意味がわからん。なんだ、誘拐でもしてきたのか? ふむ、もしもしポリスメン?

 

「芝居を教えてやるって言ったろ!? 親切だろうが!」

「信用ならないのよ! 現に誘拐でしょこれ!? 犯罪よ!!」

「違いますぅー! 送迎ですぅー!」

 

 めっちゃ暴れてんな、あの女の子。いいぞもっとやれー、髪の毛とか毟ってやれー。

 

「墨字さん……ついにそこまで」

「通報しました」

「うぉい! せめてお前らはフォローしろ!」

 

 いやまぁ、私は通報するための電話を持っていないので、通報できないんですけどね、初見さん。

 というか、こっちに助けを求めないでほしい。大人なんだから、そういう面倒ごとは自分で処理してほしいものだ。

 

「はいはーい、お荷物お預かりいたしまーす」

「あっ、テメェこの、返しやがれ腹黒娘!」

「いーやでーす」

 

 音も無くスルリと近づいて、父の手から女の子を奪取する。うわ、軽いなー。さっき運んだ機材とかと比べたら、羽毛布団みたいな軽さだ。

 というか、別に父のものじゃないだろう、この子は。

 

「大丈夫でしたか? あのヒゲにセクハラとかされませんでしたか?」

 

 女の子を安心させるために、そんな言葉をかけて顔を覗き込む。すると、そこには。 

 

「ありがとう。そういうのはされなかったわ、平気よ」

「────わぁ」

 

 大和撫子の具現化と言っても大袈裟ではない、絶世の美少女がこちらを見つめていた。

 

「か、か、か」

「か?」

 

 ちょっと、初めて感じる未知の感情だ。母に抱いた感情(親愛)とも違う、父に抱いた感情(愛憎)とも違う、心の内側をくすぐるような、言語化できない不思議な感情の大波が私を飲み込む。

 気がつけば、私は地面に降ろしたその子を抱きしめていた。

 

「か〜わぃぃぃ〜〜〜!!!」

「わ」

 

 のちに、私はこれが一目惚れという感情だと知ることになるのだけど──今の私は、その感情の名前すら理解できないまま、目の前の愛しい少女を衝動のままに抱きしめるのでした。今思えば、すごい失礼だったなと猛省する私なのでした。

 

「いい?」

 

 私に抱きしめられた少女は、キョトンとした不思議な表情を浮かべるばかりだったが。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

「ご迷惑をおかけいたしました」

「ううん、かわいいって言ってもらえて嬉しかったわ」

 

 スタジオのジオラマ前。テーブルについた少女、夜凪景さんに向けて、私は渾身の土下座を披露していた。夜凪さんの対面には、笑いを必死で堪えている父と、気まずそうな表情をしている柊さんが座っていた。

 うん、柊さんごめん、私の奇行のせいでめっちゃ微妙な空気になってしまった。あと父は帰ったらコロス。

 

「くっ、ぶふっ……いや失礼、続けて?」

「墨字さん、今のエレーナちゃんは煽らない方がいいと思いますよ」

 

 ぶっ飛ばしますわよ? 控えめに殴って、成層圏の彼方までぶっ飛ばしますわよ? 

 オイコラ、笑うのやめろや。自分でもらしくないことしたなーって反省してるんだから、ほじくり返すんじゃねーよ。

 

「それで、何のために私を連れてきたの?」

「そりゃお前、最初に言っただろ。お前をウチの事務所にスカウトするために連れてきたんだよ」

 

 二人は名刺を取り出して、夜凪さんの前に置く。スタジオ大黒天映画監督・黒山墨字と、スタジオ大黒天製作・柊雪。

 え、名刺あるんだったら私にも渡してよ、なんかズルい。いや、名刺とか渡し合う関係になる前に就職したから、渡すタイミング無かったのかもだけどさぁ。

 

「ふーん……あなたは?」

「ん?」

「あなたも、この事務所の人なんでしょ?」

「え、まぁ、はい。一応は、ですが」

 

 目の前の二人から視線を切って、地面に体育座りする私に視線を向けてくる夜凪さん。

 いやぁ、私にはまだ役職とかそういうのは無いんですよねぇ。強いて言うなら雑用係みたいな?

 

「あぁ、そいつはお前のマネージャーだよ」

「そうそう、私はあなたのマネージャ……ぁ?」

 

 おい、今このヒゲなんて言った。

 

「そして、お前のライバルでもある」

「???」

 

 本格的になに言ってんだこのヒゲは。

 ちょっと、誰か説明して。こいつ言葉が足りなさすぎる。

 

「それはどういう意味でしょうか、黒山さん?」

「言葉通りの意味だろ。おい夜凪、コイツはお前のマネージャーであると同時に、一人の役者だ」

「うん」

「うん、じゃないですよ?」

 

 一方の夜凪さんは、父の言っていることを理解して飲み込んでいるようだった。理解が早ーい。

 

「お互いに喰らいあって成長しろ。残った方が、俺の撮る映画の主演だ」

「黒山さん、それ蠱毒って言うんですよ?」

「面白そう」

「え、夜凪さん?」

 

 困惑する私とは対照的に、一寸の迷いもなく、夜凪さんはその凛とした瞳で父を見据えていた。

 その横顔ですら、私にはまるで一枚の絵画のように見えてしまって。思わず呼吸も忘れて、時間が止まったように夜凪さんの横顔を見つめ続けてしまった。

 

「わかったわ。私、この事務所に入る」

「ホント!? じゃあこれ、契約書です!」

 

 夜凪さんの返答に、今まで一部始終を見守っていた柊さんは嬉々として懐から契約書を取り出した。もしかしてあれ、いつも持ち歩いているのだろうか。私の時もカバンから出してたし。 

 差し出された契約書に名前とサインを記入した後、そのまま夜凪さんは私の方を向いた。

 

「名前」

「え?」

「あなたの名前、聞いてなかったわ」

 

 ああ、そういえば言ってなかったか。

 私は立ち上がり、修道服の裾を摘んで少し持ち上げながら、恭しくお辞儀をした。

 

「エレーナ。シスター・エレーナとお呼びください」

「そう──よろしくね、エレーナちゃん」

 

 私の挨拶を受けて、夜凪さんは少しだけ微笑みながらそう言ったのだった。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

「マザーシスター・クラーラ!」

 

 とある村の、とある修道院。その院長室の扉が乱雑に跳ね開けられる。開いたそこから入ってきたのは、年端もいかぬ金髪碧眼の女の子であった。

 

「おや、どうしました。そんなに慌てて」

 

 そんな小さな来訪客を、この部屋の主である銀の髪をした老齢の女性──クラーラは落ち着いた態度で出迎えた。中央の机に着いたまま、走らせるペンの速度も変わらない。

 対して金髪の少女は、苦虫を噛み潰したような表情で、ツカツカとクラーラの前に詰め寄った。

 

「どうしました、じゃありません! シスターエレーナの件、なぜ黙っていたのです!」

「話す必要がありませんでしたからね」

「何を仰っているのです! 彼女がここを去るなど、村の全員に知らせなければならない重大事件ではありませんか!」

 

 端正な顔を顰めながら、少女はクラーラを糾弾する。しかしその怒声を受けても、クラーラはどこ吹く風といった様子だ。

 

「知らせたところで、何かが変わるのですか? たとえ村の住民全員にその事を伝えても、あの娘がこの村を去るという事実は変わらないのですよ」

「それはっ……!」

 

 ギリッ、と少女は唇を噛み締める。クラーラの言っていることがあまりにも正論すぎて、言い返す言葉すらも失ってしまったのだ。

 

「でも……でも、せめてお別れの言葉ぐらい……!」

 

 少女の目に涙が滲む。一番の親友である自分にすら、その事を伝えていなかった事が。お別れの言葉すら言えなかった事が。エレーナの様子に微塵も気づけなかった自分の不甲斐なさが。一粒の涙となって、後悔となって頬を伝う。

 そのまま、数分の時が流れた。部屋には少女の嗚咽が響くばかりで、それ以外の物音は聞こえてこない。

 

「あの娘は、皆に愛されていました」

 

 そんな中、クラーラはポツリと言葉をこぼす。

 

「皆に伝えなかったのは、あの娘自身にお願いされたからです。『旅立つ際にみんなの顔を見てしまうと、決心が鈍ってしまうので』と。そう言っていました」

「ひっく、あの、バカ……!」

 

 泣きじゃくり、目元を真っ赤に腫らした少女は、それでもまだ諦めてはいなかった。目の奥に宿る輝きは、まだ失われてはいなかった。

 それどころか、より強い輝きを放っている。

 

「ぐすっ……エレーナの行った場所、教えて下さい」

「本気ですか? シスター・クローネ」

「本気も本気、超本気です」

 

 涙を拭い、クラーラを正面から見据えるクローネ。その瞳は、決意の光で満ちていた。

 

「もう一度アイツに会って、ちゃんといってらっしゃいって言ってやるんです」

 

 シスタークローネ、日本へ旅立つまであと100日。

 





アンケート、投票していただきありがとうございました。
80票ほどの差で、最終話まで認知しない、に決定されました。
今回のアンケート等についての小話を活動報告に置いたので、時間がある方は見てやってください。


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バック・トゥ・ザ・フューチャー

 マネージャーという言葉には、芸能人について仕事の交渉にあたる人、という意味の他に、チーム(個人)の世話をする人という意味合いもあるらしい。

 つまり、父が言うマネージャーとは面倒を見る人。つまり、私に夜凪さんの仕事を引っ張ってこいと言っているわけではない。夜凪さんが立派な女優になる面倒を見ろ、という意味で私をこの役職に任命したのだろう。

 

「言葉選びがいちいち回りくどすぎるんですよね」

「うっせぇ。だったら、ライバルでも競争相手でもなんでもいい。要はおまえが夜凪と()()()()()()になればいいってこった」

 

 隣でこぼした私のぼやきに、父はいつも通りの悪態で返してくる。いやいや、無視していいんですよ、こんな呟き。これから大事な大事な夜凪さんの初仕事なんですからね、ええ。

 いやもう、これっぽっちも拗ねてなんていませんとも、ええ。

 

「準備はいい?」

「ええ」

 

 目の前のセットの上に立つ夜凪さんに向けて、柊さんがカチンコを向けている。セットの外とその内側、2台のカメラが異なる角度から夜凪さんを捉えている。私の時と同じ感じで撮影するという事だろうか。 

 今回、夜凪さんが演じる役は『父の日に初めて一人でキッチンに立った少女』という設定らしい。これから家に帰ってくる父のために初めて台所に立ち、不慣れながらも温かいシチューを作るという芝居をするそうだ。

 

「へぇー……父親にシチューですかー……へぇー」

「なんだよ、なんか文句あんのか」

 

 いえ別に。

 ただ、どのツラ下げてこんな仕事取ってきたんだって思ってるだけですよ、ええ。

 それ意外に特別な感情は抱いていませんよ、うん。

 

「テスト、よーい!」

 

 柊さんがその言葉と同時、カチンコを鳴らす。

 さて、夜凪さんはどんな演技を────

 

「えっ」

 

 手慣れた様子でニンジンの皮を剥いていく夜凪さん。

 すごい速さでタマネギを微塵切りにしていく夜凪さん。

 そしてそれをアルコール度数の高いお酒で炒めて、香ばしくも味わい深い素材に仕立て上げる夜凪さん。

 

「えぇ……?」

 

 そうして出来上がったシチューは、プロも顔負けのすごく美味しそうな出来だった。うむ、遠くからの匂いだけでお腹が鳴りそうなくらいには美味しそうだな、あのシチュー。もしかして夜凪さんって、相当に料理上手?

 

「カァァァット! 達人かお前は! 初めてキッチンに立った少女の役だぞ!? 真剣にやれよ!!」

「真剣よ! 味見してみる!?」

「真剣に作れじゃねぇ! 真剣に演じろ、ボケ!」

 

 たまらずカットを出し、セットに上がって夜凪さんと口論を始める父。いや、なんで喧嘩腰なのさ。

 しょうがない、連れ戻しにいくか──とセットに上がった私は、ふわりと鍋から漂ってくる魅惑の香りを間近で嗅いでしまった。

 ぐぅ〜、という音がお腹から響き、フラフラと灯かりに吸い寄せられる蛾のように、自然と足が鍋の方に向いてしまう私なのであった。

 

「わぁ……とても美味しそうですね。ご飯、いただいても?」

「あ、そうね! 今すぐ炊くわ!」

「炊くわ、じゃねぇんだよ! なに本格的に飯の時間みたいになってんだ! つーか引っ込んでろ、腹黒娘!!」

 

 うーむ、舞台のセット組み立てるので思ったよりカロリー使ってたみたいだ。この体、頑丈だしハイスペックなんだけど、燃費が悪いのが珠に疵だよなぁ。

 あっ、夜凪さんお米研いでる。冷水でチャチャっと研いで、適量の水と一緒に釜に入れて、炊飯器のボタンをポチっ。まさに料理に手慣れた、主婦の動きそのものだった。

 

「あーもう、カオスすぎるでしょこの状況……」

 

 そして、そんな私たちを見て天を仰ぐ柊さん。ごめんなさい、ものすごくグダグダにしちゃって。でも、お腹が空くのは生命だったら当然のことだと思うのです。健康な証だと思うのですよ、うん。

 でもまぁ、夜凪さんが色々とぶっ飛んでるっていう子なのは理解できた。こりゃ制御するのが大変なじゃじゃ馬娘ですわ。

 

「それで? こっからどう軌道修正するおつもりですか、黒山監督?」

「おう、テメェの最初のお仕事だ。夜凪にどういう演技すりゃいいかアドバイスしてみろ」

「うふふ、部下に仕事丸投げとか、いい度胸してますわね?」

「あんまりにも的外れなこと言うようだったら、俺が修正する。いいからやってみろ」

 

 ふむ、そういうことなら。

 私は夜凪さんの正面に立ち、その麗しの美貌を覗き込む。うーむ、やっぱり顔がいい。初対面の時のようにいきなり抱きつきこそしないが、油断すれば表情がにやけてしまうくらいには美人さんだ。

 

「では夜凪さん、僭越ながら私から演技というものについてのアドバイスを一つ」

 

 きっと父は、私の演技に対するスタンスを知りたいのだろう。だからこうして、夜凪さんにアドバイスさせるという形で私の言葉を引き出そうとしている。

 まったく、言葉選びといい、コミュニケーションといい、どうしてこうも父は回りくどいのか。聞きたいことがあるんだったら、私に直接聞けばいいのに。まぁ、それで素直に話す私ではないんですけどね?

 

「演技とは────その人物の過去と向き合うことです」

「過去?」

 

 ニヤリと、父が私の斜め後ろで意味深に笑ったような気がした。

 

「ええ。その人物が今まで出会ってきた人間、体験してきた経験、抱いた感情、その全てを煮溶かし、自分という鋳型に流し込むのです」

「人間、経験、感情……」

 

 夜凪さんの綺麗な瞳が、真っ直ぐにこちらを向く。

 ああ、まるで黒い夜空に星をまぶしたような、とても綺麗な瞳だ。

 そんな瞳が、真っ直ぐに私を撃ち抜いている。

 

「過去を積み重ね、今のキャラクターができている。それ即ち()()()()()()()()()()()()()()ということ」

「…………」

「その過去を読み解き、理解し、自分のものにする。そうすることで、演じるキャラクターの時間を未来へと進ませる事ができる──それこそが、役を演じるという事だと、私は思っています」

「……そっか」

 

 夜凪さんの瞳の奥に、先ほどとは違う煌めきが宿る。

 燃え盛る太陽のような輝き。そして、それを閉じ込める果てなき夜空の瞬き。

 ああ、彼女は今この瞬間にも噛み砕いている。

 

 自身の過去を。

 自身の体験を。

 自身を、初めてキッチンに立った女の子(キャラクター)として、その過去を煮溶かしている真っ最中だ。

 

「ありがとう。ちょっとだけ、お芝居についてわかった気がするわ」

 

 ちょっとだけ、か。

 どうやら、彼女はまだまだ食べ足りないらしい。目の前の少女はまだまだ伸び代だらけということだ、うむ。

 そんな彼女を見て、父は満足したような表情でセットから降りていく。その後に続いて、私も夜凪さんにエールを送ってからセットを後にする。

 

「準備はいいな、夜凪?」

「ええ、もちろん」

 

 映画監督としての父からの言葉に、役者としての夜凪さんは凛とした表情で答えた。

 もう、先ほどまでの彼女とは違う。

 今ここにいるのは、夜凪景という一人のキャラクターだ。

 

「よーい……アクション!」

 

 父の掛け声と共に、カチンコの音が鳴らされる。

 その瞬間、現場の雰囲気が変わった。

 さっきまでの弛緩した空気ではない。暖かくも柔らかい、幸せな家庭を思い起こさせる雰囲気が、スタジオ内を一瞬にして包み込んだ。

 

「わっ、えっ……さっきまでとは別人みたい……」

「撮り逃すなよ」

 

 夜凪景(ヨナギケイ)が、不器用な手つきでニンジンの皮を剥く。

 夜凪景(ヨナギケイ)が、危なっかしい手つきでタマネギを切っている。

 夜凪景(ヨナギケイ)が、包丁の切っ先で指を怪我した。

 

「симпатичный」

 

 今目の前にいるのは、夜凪さんじゃない。夜凪さんであって、夜凪さんじゃない。

 過去の自分を噛み砕き、煮溶かし、新しく自分という鋳型に流し込んだ、まったく新しい彼女だ。

 過去そのものを演じるのではない。キャラクターの過去──経験や感情、人生そのものを()()自分に混ぜ入れて出力する。

 そうすることで、よりリアルに、さまざまな人物へと中身を変える事ができる。

 過去を知り、中身をそのキャラクターの今に変える。これが私にとっての演技というものの在り方。私はただ、その基本的な始まりの一歩を夜凪さんに教えただけに過ぎない。

 

「これで満足ですか、黒山監督?」

「ああ。30点ってところだな」

 

 低いなぁ。でも、その割には随分と嬉しそうじゃん。

 努めて無表情を作ろうとしてるみたいだけど、その奥に隠しきれないほどの喜びがあるのが丸わかりだ。

 

「素直じゃないんですから」

 

 まぁ、素直じゃないのはお互い様だけど。

 苦笑いを浮かべながら、ふと夜凪さんに視線を向ける。

 味見を終え、穏やかな笑顔を浮かべる夜凪さん。

 

「ああ、ほんと──呆れるくらい綺麗ですね」

 

 そんなこんなで、夜凪さんの初めてのお仕事は無事(?)に終了したのだった。

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

 時間は過ぎ、帰りの車の中。

 

 柊さんの運転で、私たちは事務所への帰路についている真っ最中だった。運転席に柊さん、助手席に私、後部座席に夜凪さんと父が乗っている。

 私は夜凪さんの隣に座りたかったのに、なぜだか父が横取りかましてきたので、仕方なくこうして助手席に座っているというわけだ。

 いや、柊さんの隣も安心するから、嫌いじゃあ無いんだけどね。でもやっぱり初対面だから親交を深めておきたいと言いますか。

 

「…………」

「夜凪さん、さっきからずっと素材見てますね」

「けいちゃん初めてのお仕事だったからね〜、嬉しくてしょうがないんでしょ」

「おい夜凪、こっちのも見てみろ」

 

 父が懐から取り出したスマホを夜凪さんに手渡す。

 そのスマホを受け取った夜凪さんは、キョトンとした顔でそれを覗き込む。どうやら何かの映像が再生されているみたいだ。

 

「これは?」

「腹黒娘の初仕事の素材」

「ちょっ──!?」

 

 なんてもん見せてんだこのクソ親父!?

 わ、ちょ、見ないで、見ないで夜凪さん。恥ずかしいから、色々とヤバいから。

 

「わ、エレーナちゃん綺麗ね。お姫様みたい」

「でしょ〜? エレーナちゃん綺麗だよね〜」

「外見だけは良いからな、この腹黒娘」

「ぶっ飛ばすぞ、ヒゲ」

「!?」

 

 あ、ヤベ。思わず口調が崩れてしまった。夜凪さんが驚愕の表情でこちらを見ている。

 

「エレーナちゃん! けいちゃんが見たことない表情になってる!」

「あ、失礼……こほん、ぶっ飛ばしますわよ、ひげ?」

「エレーナちゃん! フォローできてない!」

 

 柊さん、ツッコミも良いけど前見て前。車すっごい蛇行運転してるから。事故ったら私はともかく、みんな無事じゃ済まないから。

 いや、父と夜凪さんは大丈夫か? 爆発した車の中から平気な感じで飛び出してきてたからな。

 

「二人は、結構親しい関係なの?」

「ええ、それはもちろん」

「んなわけねぇだろ、知り合いですらねぇよ」

「はぁ?」

「あぁん?」

 

 オイオイオイ、知り合いなんかよりよっぽど深い関係だろうが。なんなら遺伝子レベルで関係してるだろうが。

 いやまぁ、外見はお母さん100%みたいな見た目してるから、パッと見じゃ絶対にわかんないとは思うけどさぁ。

 

「あのですね、この際だから言っておきますけど、私とあなたは親子なんです。それはもう変えようのない真実なんですよ」

「えっ」

「自己申告だろーが。なんなら遺伝子検査でもやってみるか?」

 

 お、それいいね。帰ったら早速やってみよう。もちろん、検査費は全額父持ちで。

 ふふん、決定的な証拠が出てくれば、父も私を娘として認めるしかないはずだ。勝ったな、第三部、完。

 

「……えっ、まって。二人が親子って、本当?」

「あっ」

「ん゛ん゛っ」

「あちゃ〜……」

 

 会話の中から聞こえてきた衝撃の事実に、驚愕の表情を浮かべる夜凪さん。やっちまったと天を仰ぐ私たち三人衆。

 しまった。売り言葉に買い言葉で、ついいつものテンションで口喧嘩をしてしまった。

 うむむ、これはもう誤魔化せないか? まさか夜凪さんに、こんなふざけた形で私の秘密が知られてしまうなんて思ってもみなかった。

 

「あ〜……暫定、本当ということで」

「……まぁ、八割くらいな」

 

 気まずそうに、それとなく真実であると肯定する私たち。そんな私たちの回答を受けて、夜凪さんは。

 

「ぜっ、全然似てない!!!」

 

 今日一番の面白表情(おもしろがお)を晒して、車内に響き渡るような絶叫を披露したのだった。

 



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となりのトトロ

 夜凪さんの初仕事から三日後。

 

 本日は土曜日、スタジオ大黒天に就職してから初めての休日である。

 とは言ってもその間、今日に至るまで特にお仕事などもなく、ずっと休日みたいな日々が流れていたのだが。

 

「ここ、ですかね」

 

 私は一枚の地図を手に、とある日本家屋の前までやって来ていた。

 表札には夜凪の文字。

 そう、何を隠そう、この家は私のライバルであり、友達であり、仕事仲間の夜凪さんが住んでいる家なのだ。

 

「はぁ、まったくどうしてこんなことに……」

 

 ことの発端は、私が事務所で寝泊まりしていると夜凪さんが知ってしまった所からだった。

 一緒にお仕事をしたあの日から、夜凪さんは放課後になると毎日スタジオ大黒天の事務所へとやって来ては、ジーッと私の方を見つめてきていたのだ。

 

『エレーナちゃん、今日も早いのね。学校が近いの?』

『あ、いえ。私、この事務所に住み込みで働かせてもらっていますので』

『えっ』

 

 そんなある日、毎回私が先にいることに疑問を持ったようで、ちょっとだけ私の身の上について質問をされたのだ。

 そうして、ロシアから父を訪ねて日本までやって来て、今はこのスタジオ大黒天の事務所に寝泊まりさせてもらっているということを話したら。

 

「夜凪さん、危機感が無さすぎですよ……一緒に住まないか、だなんて」

 

 なんと、ウチに一緒に住まないかと提案されてしまったのである。

 

『エレーナちゃん、一緒に住みましょう』

『え? いや夜凪さん、それどういう』

『良いわよね、黒山さん?』

『おう、いいぞ』

『ちょっ……ひ、柊さま』

『まぁ、良いんじゃない? ずっとこんな狭いトコで暮らすのも健康に悪いし』

『み、味方が居ません……!』

 

 いやなんでさ、と思ったのだが、夜凪さんってそういう所あるから、理由については深くはツッコまないでおいた。

 そんな経緯があって、私は今夜凪家の玄関前にやって来ているのだが。

 

「……えい」

 

 五分くらい玄関の前をうろうろした後、意を決してインターホンをプッシュした。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 

「はーい、どちらさまです……か?」

「うわ! 誰このおねーちゃん!」

 

 ガラリと引き戸を開いて現れたのは、小さな二人の子供だった。可愛らしい、幼い女の子と男の子。

 二人とも、顔立ちにどことなく夜凪さんの面影がある。おそらく夜凪さんのきょうだいなのだろう。

 

「ど、どうも。私はエレーナと言いまして、夜凪さん……えーっと、景さんからお誘いを受けまして、その」

「ルイ! ケーサツ呼んで!」

「…………」

「るーいー?」

「あっ、う、うん!」

「あらあら……」

 

 うーむ、やっぱりこうなったか。唐突に修道服着た超絶美少女が訪ねてきたらこうもなっちゃうよねー。妹ちゃんの方は対応が迅速だ。弟くんの方は、ちょっぴり見惚れてたみたいだけど。

 ほーら、怖くないよー。至って普通のかわいいおねーちゃんだよー。いや、なんで逃げるの。何もしないってば。

 

「ひゃ、119だっけ!?」

「ちがう! 110だよ!」

「あの、ほんと、冗談抜きで通報するのやめてくれません……?」

 

 一応パスポートがあるとはいえ、やっぱり警察のお世話になるような事はしたくない。

 柊さんに迷惑がかかるからね。父は知らんけど。

 

「レイ? ルイ? 何を騒いで──」

「は、はーなーせー!」

「ルイを離してー!」

「うん、ほんとごめんなさい……その受話器から手を離したら解放しますから……」

 

 弟くんの両脇に手を入れて、ひょいっと抱え上げる。そして、そんな私の足をポカポカと叩いてくる妹ちゃん。なにこれカワイイかよ。

 いやまぁ、その程度の攻撃で弟くんを離したりはしないんですけど。ガチで通報する構えだったからね、最近の子供は怖いなぁ。

 

「ナニゴト?」

「あっ、夜凪さん」

「おねーちゃん! 助けて、ルイが拐われちゃう!」

「拐いません」

「食べられるー!」

「食べません」

 

 ちょっとこの子たち、私のこと怪獣か何かだと勘違いしてない?

 というかそもそも、何で私はこんなに子供から嫌われるのだろうか。やっぱり修道服が良くないのだろうか。一張羅なんだけどな、これ。

 

「とりあえず落ち着いてください、これから一緒に暮らすことになるんですから」

「「えっ」」

 

 めっちゃ驚いた顔するじゃん。

 これ、大丈夫なんすか。いきなり前途多難な感じプンプンするんですが。

 

「……夜凪さん、話してなかったんですか?」

「そういえば、話してなかったわね」

 

 うぉぉぉい。

 っていうか、夜凪さんに兄弟がいることも聞かされてなかったんですけど。

 ホウレンソウはちゃんとしてほしいなー、なんて。

 

「えっと、こういう時は……てへぺろ?」

 

 あっ、かわいぃ〜……って誤魔化されるかいっ!

 

 

⭐️⭐️⭐️

 

 

「えー、では第152回、夜凪家家族会議を始めます」

 

 あれからとりあえず暴れる2人をなだめて、四人揃って居間に移動した私たち。

 いまだに複雑な表情で私を見てくる二人──特に妹ちゃん──だが、とりあえずは敵じゃないと理解してくれたらしい。

 

「まずは自己紹介からね」

「はい。私、エレーナと申します。夜凪さんと同じ事務所に所属している女優兼、夜凪さんのマネージャー兼、スタジオ大黒天の雑用係をしています」

「エレーナちゃん、そんなに役職持ってたの?」

 

 役職って言っていいんだろうか、これ。ただ単に、体のいい便利屋みたいな仕事してるだけな気がするけど。

 

「エレーナちゃんはね、お父さんを訪ねてはるばるロシアから日本まで来たんだって。それで私が、住む場所が無いなら家で一緒に住もうって言ったの」

「ふーん」

「………………」

 

 うっわぁ〜……妹ちゃんが親の仇みたいな視線でこっちを見てくるよ〜……どうすりゃ良いんですか、これ。こっから仲良くなるの無理でしょ。

 妹ちゃんからの視線に耐えきれず、私はたまらず口を開いた。もちろん、すぐにここからお暇する意図を伝えるために。

 

「あ、いえ……お邪魔ならば、私はこれからも事務所で寝泊まりしたって全然──」

「エレーナちゃん」

「ハイ」

 

 すると今度は、有無を言わせぬ夜凪さんの視線が突き刺さる。

 どうすりゃええっちゅうねん。眼力の板挟みで私の胃が死ぬ。

 

「じゃあ多数決で決めましょう。賛成の人」

 

 夜凪さんの声に合わせて、三本の手が挙がる。

 私と、夜凪さんと、なんと弟くんのものだった。

 

「ちょっ、ルイ!? どーして!?」

「え、住むとこ無いのはかわいそうかなーって」

 

 至極あっけらかんと、弟くんはそう告げた。しかしその言葉を告げられた妹ちゃんは、信じられないものを見たような目で弟くんを見ている。

 まるで昼ドラに出てくる、恋人に裏切られた片割れのように。

 

「わ、わたしはやだよ!!」

「レイ、わがまま言わないの」

 

 妹ちゃんが立ち上がる。

 夜凪さんがそれを諌める。

 

「わがまま言ってるのはおねーちゃんじゃん!!!」

 

 ピタリと、夜凪さんの動きが止まった。

 

「おねーちゃんはわがまま言ってよくて、わたしはダメなの!? なんで!?」

 

 タラリと、夜凪さんの頬に汗が流れる。

 

「わたし、絶対にやだよ! こんな()()()()()()人と一緒に暮らすなん──」

 

 パシン。

 

「────ぁ」

 

 とても軽い、ひどく乾いた音だった。

 夜凪さんの右手が、妹ちゃんの頬を叩いた。

 

「レイ……そんな酷い言葉、人に言ったら……いけません」

「────っ!」

 

 叩かれた頬を押さえて、妹ちゃんは居間を飛び出した。目にはいっぱい涙をためて、納得いかないと瞳を燃やして。

 

「レイ!」

「待ってください、夜凪さん」

 

 走り出そうとした夜凪さんの腕を掴んで、居間に留める。

 弟くんは呆然としていて、何が起きているのか理解できていない様子だ。

 

「私が追いかけます。元はと言えば、私が原因な訳ですし。私のせいで家族が喧嘩するというのは、なんとも申し訳ないですから」

「でも……!」

 

 喧嘩した直後ってお互い頭に血が上ってて、話すと余計に関係がこじれるんだよねー。だからここは、外から見てた私が行くのが適任だろう。

 そもそも、こうなったのは私が原因だしね。そこはきっちりリカバリーしなくては。

 

「大丈夫ですよ。私こう見えて、村では一番の人気者だったんですから」

 

 まぁ、だいぶ時間をかけたからこそなんだけどね。おかげで結構コミュニケーションスキルは磨かれたんじゃないかな、たぶん。

 

「それに、二人だけのほうがぶつけやすい事もあるでしょうし」

 

 というか、むしろそっちがメインだ。夜凪さんや弟くんがいない場所で、たーっぷりお話(意味深)しましょうねぇ……ぐへへ。

 あ、違います、違いますよ。決して邪な考えは持っておりませんとも。ただ純粋に、私のミスをリカバリーしようとしてるだけですよー。だから石を投げつけないでくださーい。

 

「夜凪さんは弟さんと一緒に待っていて下さい。大丈夫です。この命に代えても、妹さんにはキズ一つつけませんから」

 

 キリッと、サムズアップをしながら夜凪さんに頷きかける。まぁ任せておきなさいって、こういうメンタルケアもシスターの仕事なのですよ、うむ。

 

「あ、そうですそうです。一つ、お願い──というか、貸してほしいものがあるのですが」

「?」

「???」

「まぁ、取るに足らない小さなもので十分です」

 

 そう言って、私はするりと手袋を外した。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

 日が暮れた河川敷。

 夕日が辺りを優しい茜色に染め、流れる川のせせらぎは疲れた心を癒やしてくれる。

 そんな、どことなく幻想的な風景の中で、一人の女の子が泣いていた。

 

「ぅぅ……ひっく……おねぇちゃんのばかぁ……」

 

 草の生えた地面に、体育座りで座りながら、その女の子はぐしぐしと両目を拭っている。

 しかし拭っても拭っても、溢れてきてしまう涙は一向に止まる気配がない。

 

「ひっく……ぐすっ……」

 

 あと一時間もすれば、夕日は完全に沈んで辺りは真っ暗になってしまうだろう。そうなれば、危険度は今現在の比ではない。

 帰らなければ、と思っている自分がおり、帰ってやるもんか、と意固地になっている自分もいる。

 どちらが本当の自分か分からぬまま、女の子はただただ涙を流すのみ。

 

「見つけた。こんなところにいたのね、レイ」

「えっ……!?」

 

 そんな女の子の背後から、一つの声が掛けられた。驚いて咄嗟に振り向く女の子。

 そこには、モロッコというカタカナがデカデカと描かれているクソダサTシャツを着た少女の姿があった。

 キャップを目深に被り、顔の全貌は分からない。けれど不思議と、女の子にはそれが誰だか分かった。

 

「お……ねぇ……ちゃん……?」

「迎えに来たわよ。さぁ、一緒に帰り──」

「じゃ……ない……?」

「──────」

 

 一歩、女の子の方へと歩みだした足がフリーズする。

 あぁ、やっぱり、この子は。

 

「──やっぱり、バレちゃったかぁ」

 

 分かっているのだ。私が、どうしようもなく()()()()()()演技をしていることを。

 

「ぁ──さっきの、人……」

 

 深々と被っていたキャップを脱ぎ、髪留めを外して元に戻す。

 うーむ、今の夜凪さんの演技にも結構自信あったんだけどなぁ。まだまだ未熟ってことかね、私も。

 

「うん、そうだよ。気軽にエレーナって呼んでね」

「ぇ」

 

 だから、取り繕うのはやめた。

 きっとこの子には、()()()()で接しても無駄だ。

 なればこそ、素顔の(オレ)を見せなければ。

 

「いやー、レイちゃん凄いねー。子供の頃からずーっとやってたオレの演技、一発で見破っちゃんだもん」

「はぇ……?」

 

 こっちを見ながら、ポカンとした顔を晒すレイちゃん。

 何その顔、ウケるー。

 まぁアレだよな? 清楚で美少女なシスターが、いきなり気怠げにオレとか言い出したら──そりゃびっくりするよな?

 

「ま、そういうことなんだよね。実はオレ、可憐で清楚なシスターじゃねーんだわ」

「ぇ……? え、えぇ……???」

「いつもは猫被ってんの。何重にも何重にも、それこそ雪国の人もビックリなぐらい被ってんだよね、猫」

 

 はー、久々に演技しないオレを出せたわー。いや、根底の自意識から演技するとか、それもう一種の病気じゃね? って思うけどね、オレは。

 まぁ、実際病気なんだと思うよ、オレ。絶対マトモでは無いもん。

 

「オレの本性を見破ったレイちゃんに大サービスだ。まだだーれにも見せたことのない、本当のオレを見せてやるよ」

「え、あ、ありがと……?」

「うんうん。その驚き顔、お姉ちゃんそっくりだよ」

 

 特に目元とかね。いやぁ、流石は姉妹だわぁ。

 

「で、どう?」

「へ……?」

「これでもう()()()()()()()()だろ?」

「あ……」

 

 今までのオレの演技は、レイちゃんから見れば見るに堪えないきもちわるいものだったのだろう。

 舌が肥えたプロの美食家に、真っ黒に焦げた料理食わせてるようなもんだしな。

 そりゃ誰だってそうなる。オレだってそうなる。

 

「ゴメンな、レイちゃん。不出来なモン見せちまって」

「…………」

「まー、夜凪さんが一緒に居る以上、ずっと素のままって訳にはいかねぇけど……二人っきりのときは、猫被らないって約束するよ」

 

 今回の騒動の原因は、オレの未熟と不誠実さが招いた結果だ。

 なればこそ、レイちゃんには誠実さを見せなければならない。

 まだまだ未熟なオレに出来るのは、このぐらいだ。

 

「……ぜっ、絶対に?」

「絶対に」

 

 頭の後ろに手を回して、泣き腫らしたレイちゃんの顔をゆっくりと引き寄せる。

 

「ゴメンな、ホントにゴメン」

「っ…………!!」

 

 今のオレには、謝ることぐらいしか出来ないから。

 

「──わ、わたっ、わたしもっ……!」

 

 震える声で、オレの胸に顔を埋めて、レイちゃんは呟く。

 

「ぇぐ……きもちわるいなんて言って……ひっく……ごめんなさいっ……!」

 

 そう言って、再びダムが決壊したように、レイちゃんは泣き出してしまった。

 きっと、子供ながらに色々と溜まっていたのだろう。自分でも気づかないうちに、色々と。

 オレはそんなレイちゃんを抱きしめ、気が済むまで泣かせてやるのだった。

 



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最高の人生の見つけ方

聡明な読者の皆さんなら気づいているでしょうが、本作のタイトルは全部映画のタイトルから取られています。
面白そうなタイトルだな〜と少しでも思ったら、レンタルするなどして視聴してみてね☆


『はい、コレ返すわね』

 

 夜も更けた丑三つ時。突然教会の自室へとやってきた親友は、無遠慮に、こちらへ向かって一冊の本を投げ渡してきた。

 私は難なくそれをキャッチし、若干呆れたように本の栞へ目を向けた。

 

『返すって……また途中までしか読んでないじゃないですか。ちゃんと最後まで読んでから返しに来てください』

 

 本の中程に挟まっている、カラフルな色の栞。それはまさしく、目の前に居るこのコンチクショウが、いつもの悪癖を発揮させたことの証明であった。

 悪い癖だ。いつもいつも、物語を読めば途中までしかページを進めない。

 さてはこやつ、生まれてから一度も物語を読み終わったことが無いのではなかろうか──なんて思ってしまうほどには、彼女の悪癖はよく発動している。

 

『読んだわよ』

『読んでないじゃないですか』

『読んだっての、頭の中で』

『あのですね……世間一般の常識では、それは読んだとは言わないんですよ──クローネ』

 

 金色の美しい髪を短く切り揃え、如何にもキツい性格ですと言わんばかりのツリ目を携えた、私の非常識な親友。

 修道服こそ着ているが、彼女に信仰心なんてものは欠片もない。

 何事に対してもいい加減で、その上誰にでも噛みつく猛犬のような自由人。当然、他人の話なんてまるで聞きやしない。しかし、それでいて情には熱いという、典型的な昔の不良みたいな少女だ。

 

『あたしが読んだって言ったら、それはもう読んだことになるのよ』

『なんですか、そのよく分からないジャイアニズムは……』

『大体ねぇ、物語ってのは終わりに向かってる最中が一番面白い時期なのよ? その面白い時期で終わったほうが、ある意味幸せだと思わない?』

『魔王みたいな思考してますね、あなた』

 

 ホントに、彼女は自分勝手の権化だと思う。出会ったときから周囲を振り回し続けていて、彼女が起こしたトラブルは数しれず。

 だけど──だけれど。

 私がこの小さな村で、死んだように退屈な日々を過ごさずにいられたのは、間違いなく、彼女のおかげだと思う。

 

『そもそも、物語の終わりってのはどれも似たりよったりで面白くも何ともないのよ。『これからも彼らの幸せな日々は続いていくだろう』ってね。まったくもう、オリジナリティの欠片もないわ』

『じゃあ、あなたならどんな終わり方にするんですか』

 

 至極呆れたように、クローネは首を振る。

 そして力強い視線でこちらを見やると、堂々とした笑顔で口を開いた。

 

『そんなの決まってるじゃない! 『あたし達の物語はこれからだ!』で決まりよ!』

『それ、打ち切られてますよね』

 

 典型的な打ち切りの最終ページだった。いやまぁ、彼女らしいといえば、彼女らしいのだけれど。

 

『じゃあ、そう言うエリィはどうなのよ。あなたはどんな最期がお望みかしら』

『縁起でもないことを言いますね……ですが、そうですね』

 

 私は──オレは──どんな最期がお望みか。

 

『私は、やっぱり────』

 

 

⭐⭐⭐

 

 

「…………」

「すぅ、すぅ」

 

 目が覚めたら、目の前に美幼女の寝顔があった。なんだこれは、天国か?

 ほっぺたが千切れるくらいつねってみるが、一向に目は覚めない。どうやら、紛れもない現実だったようだ。

 

「ここは……そうでした。私昨日から夜凪さんの家に……あら、夜凪さん?」

 

 布団から身を起こして部屋の中を見回してみるが、そこに夜凪さんの姿は無い。布団の中で気持ちよさそうに寝ている、レイちゃんとルイくんだけしか残っていない。

 時刻は朝の四時前。朝日もまだ登ってこない時間だ。なんともまぁ、早起きですこと。人のこと言えないけどね。

 

「んしょ……ふぁぁ……ぁふ」

 

 二人を起こさないように布団から抜け出し、ソロソロと夜凪家の寝床をあとにする。

 この時間に起きてすることと言えば、朝ごはんの支度か、もしくは新聞配達のアルバイトとかだろうか。私の貧困な想像力では、そのくらいしか思いつかない。

 

「夜凪さーん? いませんかー?」

 

 ご近所迷惑にならぬよう小声で呼びかけながら、夜凪さんを捜索する。

 居間には……いない。

 台所には……いない。

 お風呂場にも……いない。

 どこに行ってしまったのだろうか。やっぱり、アルバイトにでも行ってしまったのだろうか──と、そんなふうに考えを巡らせていた時。

 

「あ」

 

 見つけた。

 玄関を出て、キョロキョロと周囲を見回したら、視界の端に艷やかな黒色を見つけることができた。

 家の壁に背を預けて、ぼぅっと夜空を見上げる少女が一人。それは紛れもなく、夜凪さんだった。

 

「夜凪さん」

「……エレーナちゃん」

 

 ゆっくりと、上の空な夜凪さんに近付いていく。

 今はまだ、空の端が薄っすらと白み始めてきた時間帯。

 真上ではまだまだ暗い夜空が大きく口を開けており、その明と宵のコントラストは非常に美しく感じられる。

 私はスルリと夜凪さんの隣まで移動し、その神々しいまでの空を見上げながら口を開いた。

 

「早起きですね。いつもこんなに早いのですか?」

「……いいえ、今日はなんだか目が覚めちゃって」

「なるほどそうでしたか。実は私も、枕が変わるとよく寝つけないタイプなものでして。そのせいでこんな時間に起きてしまいました」

「枕、持ってこなかったの?」

「空港で没収されました。なんでも天然の干し草で作っていたのが良くなかったようで……日本は厳しい国ですね」

「……ふふっ」

 

 私の小粋なジョークに、控えめな表情でこちらを向いて笑う夜凪さん。

 その顔には、出会った時からあった元気さが感じられない。

 というか、目の焦点が私を捉えていない。完全なまでの上の空モードだ。

 

「夜凪さん、よければ相談に乗りますよ?」

「え?」

「私、こう見えてシスターのはしくれですから。相談されることには慣れているのです」

 

 故郷の村では、よく色々な人の懺悔を聴いていたものだ。晩ごはんのおかずをつまみ食いしてしまったとか、干してある洗濯物を盛大に倒してしまったとか、どうやったら母ちゃんに喜んでもらえるかとか、そりゃもう色々な懺悔をされていた。

 いや、村の悪ガキ共からの懺悔が異様に多かったのは気づいていましたけどね?

 あの子達もしっかり男の子してるんだもんなぁ。私を見て鼻の下伸ばしてるのがバレバレだったわ、まったく。

 

「でも……」

「もちろん、誰にも口外したりは致しませんので。私、こう見えて結構口が堅い方なんですよ?」

 

 まぁ、夜凪さんがこうなってる理由はだいたい想像がつくんだけどね。

 おそらく、昨日のレイちゃんと喧嘩した一件だろう。一応、あの後一緒に夜凪家へと戻り、お互いに謝罪して仲直りはしたのだけれど……やっぱりまだ引きずってるようだ。

 

「…………」

 

 重症ですねクォレは。いやまぁ、ずっと一緒に暮らしてた家族に図星を突かれればそういう状態にもなるか。

 私だって、後輩のシスターに『大食いキャラ止めてくださいキモいので』なんて言われたら3日間寝込む自信あるわ。

 

「はぁ……仕方ありませんね」

 

 私は軽くため息をついて、手袋を外す。

 ちょっと荒療治になるが、仕方ないだろう。

 

「夜凪さん、手を出してください」

「え? 何するの、エレーナちゃん?」

「私の左手にこう、右手を乗せてくださいな」

「こうかしら?」

「そうですそうです」

 

 よしよし、これで準備完了だ。

 

「では行きますよ──バルス!」

「えっ」

 

 目が、目がぁぁぁ〜!

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「はい」

「はい?」

 

 夜凪さんはこっちを見て、めちゃくちゃキョトンとした表情を晒している。何そのレアショット、ちょっと写真撮っていいですか。ダメですか、そうですか。

 いや、そんな目で見ないでくださいよ。チョットしたジョークじゃないですか〜ハハハ。

 

「…………こほん。では、目を閉じてください」

「わ、分かったわ」

 

 ちょっとふざけ過ぎたかもしれない。ここからは真面目にやろう、うん。

 夜凪さんと共に私も目を閉じて、左手に置かれている夜凪さんの手に感覚を集中させる。昔からそうだが、物とかよりも本人のほうが覗ける精度は高くなるのだ。

 

(……相変わらず、この()()時の感覚は好きになれませんね)

 

 一面の暗闇に沈んでゆく。

 ゆっくりと、自分の輪郭も溶けて消えてゆく。

 そんな中に煌めく、一つの星のような小さな灯り。

 

(おじゃまします、夜凪さん)

 

 私はゆっくりと、その灯りに手を伸ばした。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

 唐突であるが、一つだけ秘密をカミングアウトしようと思う。

 

 実はこの体には、普通の人には無い特殊な能力が備わっているのだ。いや、厨二病とかじゃなくてマジのやつ。これはいわゆる、転生特典ってやつなのだろう。

 そんな私の特殊能力とは、触れた人や物の記憶を覗き見る、世間一般においてサイコメトリーと呼ばれる能力だった。

 

(……深い)

 

 この能力が初めて発現したのは、母の死に立ち会った時であった。

 お屋敷のベッドで横たわる、病的なまでに白い肌をした母。その姿を呆然と見つめながら、私は母に誘われるがまま、その手に触れた。

 その瞬間、私は母の記憶を受け継いだのだ。

 

(こんなに深く潜るのは、初めてですね)

 

 あの時から、私の中には母が居る。

 

(もう少し……)

 

 母の無念が、母の渇望が、母の最期の願いが。

 

(ん、しょっ……)

 

 父への想い(愛情)が──渦巻いている。

 

「にょわっ!?」

 

 泥のような暗闇を抜け、一筋の光に触れたその瞬間、私は扉を開けて見知らぬ病室に飛び込んでいた。いきなりのことだったので、スッ転んで思いっきり顔面を強打してしまった、これはハズい。

 誰にも見られていなかったのは、不幸中の幸いというべきだろうか。私は何事もなかったかのように、優雅に立ち上がって服の埃を払う。

 

「ふ、ふふふ……流石は夜凪さん……記憶の中でも私を翻弄するとは、罪な女ですね……!」

 

 いやまぁ、夜凪さんにそんなつもりは毛頭無いのだろうが。

 というか、遊んでいる時間はない。早く、夜凪さんを傷つけずに元気にできるようなキッカケを、見つけなければ。

 

「と、ここは……病院でしょうか?」

 

 周囲を見回してみると、清潔感あふれる真っ白な壁やシーツが目に入った。いかにも、日本の病院ですという雰囲気を放っている。

 鼻を突く消毒液の匂い、窓から射す穏やかな陽の光。それらすべてが、オレ()の心に、どこか懐かしさを感じさせる。

 

「夜凪さん、子供の頃は身体が弱かったりしたのでしょうか。それともご家族が──」

『おかーさん、お姫様ごっこしましょ!』

「ん?」

 

 無機質な病院に似つかわしくない、元気で可憐な声が聴こえてくる。

 窓際のベッド、その脇。そこで人目から隠れるように、二人の人物が楽しげに密談をしていた。

 

『ろーまを案内して!』

『あらあら、またお父さんのビデオ勝手に見たの?』

 

 一人は、ヒラヒラとした黒いワンピースを着た小さな女の子。

 もう一人は、白い患者服を着た妙齢の女性。

 

「レイちゃん……? いや、夜凪さんですね……あれは」

 

 顔のパーツがレイちゃんと似てはいるが、ピョコンと飛び跳ねるアホ毛があるので、あれは間違いなく夜凪さんだろう。

 だとすると、一緒に話している女性は、夜凪さんの母親ということになるのだろうか。

 

『ねろさま、今日はどこへ連れて行ってくれるのですか?』

『そうであるな……では、ティベレ河にて川下りなど如何であろうか?』

『かわくだり! 面白そう!』

『あらあら、お姫様なのにお転婆なのね』

 

 あっという間に素に戻った夜凪さんを見て、夜凪さんのお母さんはとても嬉しそうな声色で笑っている。この角度では口元しか見えないが、声だけで優しい人であることが伝わってくる。

 その雰囲気が、どこか母を彷彿とさせて。

 

「…………」

 

 私は、無意識のうちに唇をかみしめていた。

 

「……潜りすぎましたね、次に行きましょう」

 

 私は楽しそうに笑いあう親子から目を逸らして、病室の扉に手を掛けた。

 壁と同じ色の扉を開けると、そこには。

 

『お母さん……!』

 

 病室のベッドの上で横たわる母親と。

 

『行かないで、お母さん!』

 

 その手を握る、夜凪さんの姿があった。

 

「…………ぇ?」

 

 どこかで見たような光景に、思考がフリーズする。いや、分かってはいた。分かってはいたのだ。

 この家には──夜凪家には、父親も母親も居なかった。夜凪さんと、そのきょうだいであるレイちゃんとルイくんが住んでいるだけ。

 だから、自然とその可能性は予感していた。典型的な、けれど最も見たくない悲劇のカタチを。

 

『泣かないで……景』

 

 握り返すその手に、全く力が入っていないのが傍目からでも分かる。

 私はその光景から目を逸らすこともできずに、ただ釘付けにされたように、目の前の二人を見つめていた。

 

『笑って、景』

 

 夜凪さんの心が、深い悲しみに浸されていくのが分かる。夜凪さんの心の奥から、どうしようもない怒りの炎が燃え上がってくるのが分かる。夜凪さんの心が、人の死という理不尽に押し潰されようとしているのが、手に取るように分かる。

 

『お父さんを、許してあげてね』

『っ……!』

 

 ハ、なんだ、それは。

 

「許す……?」

 

 何を、どう許せというのか。

 

「どうやって許せっていうんですか」

 

 あの父親を。

 

「私たちを捨てた、あの男を」

 

 いったい。

 

「どうやって許せって言うんですか!!!!」

 

 それは、私の叫びだったのだろうか。

 それとも、夜凪さんの声にならない怒りだったのだろうか。

 わからない。

 わからない、けれど──これで少しだけ、夜凪さんのことが理解できたような──気がする。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

「エレーナ……ちゃん?」

 

 目を閉じてから、3分が経過した。

 ここまで時間が過ぎると、流石に疑問が湧いてきて。

 夜凪景は、ゆっくりと瞼を開けてしまった。

 

「…………」

「……泣いてるの?」

 

 お互いの手を重ねたまま、エレーナは遠くを見つめて泣いていた。景の声も聴こえていない様子で、ただ一筋の涙が頬を伝っているだけ。

 そのエレーナの姿を見て、景はあの日の自分と重ね合わせていた。母が死んだ、あの日の自分と。

 

「エレーナちゃん」

「……ぁ」

 

 重ねた手を解いて、ギュッとエレーナを抱き寄せる。それは奇しくも、自分があの日一番してほしいと思っていた行為で。

 

「…………」

「…………」

 

 お互い、何も言葉を発さず、ただ時間だけが過ぎてゆく。

 お互いの体温だけが、抱きしめあった部分を介して鮮明に感じられる。

 

 そのまま、二人は朝日が地平線から顔を出すまで、静かに抱きしめあっていたのだった。



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魔女の宅急便

ちょっと、偉大なる先人たちに引っ張られて勢いで書きあげてしまいました。
いや、2作品同時はズルい。こんなん書くしかないじゃん。


 やってしまった。

 今世紀最大のミスを犯してしまった。

 

「あの……わたし本当に気にしてないから、もう頭を上げて、エレーナちゃん?」

「もうすこしこのままでいさせてください」

 

 死にたい。ちょっとナイアガラの滝で紐なしバンジーして死にたい。恥ずい。いやもう、何ていうか……死にたいを通り越して消えたい。

 

「二人とも、ごはん冷めちゃうよ?」

「もぐもぐ……わ、これおいしい」

 

 時刻は朝。夜凪さん宅の居間にて、私は深々と土下座をかましていた。先刻見せた醜態のせいで、頭の中がヤバい事になっている。

 夜凪さんを励ますつもりが、夜凪さんの記憶に逆に取り込まれて、動けなくなって余計に心配かけるとか、マジで何やってんだろうって感じだ。

 

「ひとまえでいきなりなきだすなんておとなしっかくですちょっとそこらへんでにゅうすいじさつしてじんせいりせっとしてきますね」

「まって、それはご近所さんの迷惑になるわ」

 

 離せー!私は自由になるんだー!肉体という檻から魂を解き放ってやるんだー!

 

「どう鎮めればいいのかしら、これ」

「ルイ、テレビで見たことある! 暴れる人の首をこう、トンってするの! そうすれば大人しくなるよ!」

「首をトン……こうかしら?」

「うきゅっ☆」

 

 い、息がっ……!?

 

「おねーちゃん! 前とうしろ逆だよ!」

「思いっきりするどい手刀が入った……」

「わ、ごめんなさい! 大丈夫、エレーナちゃん!?」

 

 う、うーむ、実を言うとちょっと危ない……この体でこんなダメージ受けたの久しぶりだわマジで。意識飛びかけたよ。

 前々から思ってたけど、夜凪さんって身体能力のスペックバカ高いよね?今の手刀で確信したわ、もう。

 

「ゲホッ、ゴホガホッ……だ、大丈夫ですよ、体は頑丈な方なので……あ、あ〜、うん、よし治りました」

「それはそれでどうなの?」

「エレーナおねーちゃん大丈夫?」

「ノープロブレムですとも!」

 

 この体は自然治癒力も凄いからね。ちょっと喉が潰れたくらいじゃ、どうってことないのだ。

 

「ほ、本当に大丈夫……?」

「大丈夫ですよ。夜凪さんって、意外と心配性なんですね」

 

 ここらへんは昔の、それこそお母さんの死が糸を引いてるのかもしれない。こればっかりはなぁ……どうにもできないし、黙っておくしかないだろう。

 

「だって……」

 

 バツが悪そうな顔をしてるところ悪いけど、そろそろお腹が減ってきたので朝食にしたいんだけどな。

 ちなみに今日の朝食は、これからお世話になるお礼ということで、全部私が作らせてもらった。母直伝、ロシアの家庭料理スペシャルだ。

 まぁ、本物の材料は無いから、夜凪家の冷蔵庫にあった野菜とか果物でそれっぽく作っただけなんだけどさ。味は保証するよ、うん。

 

(うむむ……どうしましょうか。ごはんのこと考えてたら、本格的にお腹減ってきました……)

 

 となれば、アレを試してみるか。夜凪さんの記憶を覗き見たときに、色々と見えてしまったからね。せいぜい有効活用させてもらおう。

 私は少しだけ息を吸って、目を閉じて、()に仕舞ってあった思い出を引っぱり出した。

 

「しんみりしちゃヤですよ。夜凪さんは困ってる顔より、笑ってる顔の方が何百倍も可愛いんですから」

「えっ?」

 

 記憶の中にあったニッコリスマイルを創って、夜凪さんに笑いかける。すると夜凪さんは一瞬だけキョトンとした表情をして、その直後に視線を逸して頬をほんのり朱色に染める。

 

 ッスゥ〜〜〜〜〜〜〜〜────

 

 KA★WA★I★I

 

 いつもクールで天然なのに、その反応は反則でしょうよ。今だって、普通に「そう、ありがとう」って軽く流されるのは覚悟してたんですよ。

 

 なのになんですかその反応は。

 

 惚れてまうやろ。

 

 っていうか今惚れた、惚れ直したわ。

 

「……………………………………」

 

 んで、そんな珍しいテレテレ夜凪さんの後ろで、般若みたいな形相でこっちを見てる幼女がいるんですけど。怖い怖い、レイちゃん怖いよ。ゴメンって、また下手な演技見せちゃったこと謝るからさぁ。

 しょうがなかったんだって。しょんぼり夜凪さんを元気づけるには、これぐらいしか方法が思いつかなかったんだって。まぁ、最初に元気づけられてたのは私のような気もするけど、そこは気にしない方向で。

 ほら、夜凪さん元気になったし、結果オーライってことで許してください──という意図を込め、両手を合わせて頭を下げてみる。日本に古来から伝わる、ゴメンナサイのポーズだ。

 

「…………はぁ、ぼくねんじん」

 

 なんかため息つかれた。えっ、なんで?

 

「おねーちゃん、はやく食べないとがっこう遅れちゃうよ?」

「あ、ホントだもうこんな時間!」

 

 弾かれたように立ち上がり、時計を確認して慌てる夜凪さん。いや、そんなにあわてなくても大丈夫なのでは……だって今日は。

 

「夜凪さん、夜凪さん」

「お弁当も作ってないし着替えも──」

「今日、日曜日ですよ」

「──あ」

 

 何この生物、かわいいの化身かよ。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

「…………」

 

 黒山墨字は映画監督だ。

 常に最高の映画を撮ることだけを目的とし、人生のすべてをそれに捧げている職人(キチガイ)だ。

 そんな黒山であるが、過去に一度だけ、映画とは無関係の時間を過ごしていた時期がある。今となっては映画作成の糧となっているが、当時は無駄としか思えなかった時間が。

 

「…………」

 

 スタジオ大黒天の編集室にて、黒山は一本のビデオテープを眺めている。

 古臭く、埃を被っているそれは、たった今部屋の棚から引っ張り出してきた過去の遺物。

 

「……ハッ、大概女々しいな、俺も」

 

 ガシガシと頭を掻きながら、ビデオテープをデッキに入れる。テレビのスイッチを入れると、そこには見慣れた砂嵐が映し出された。

 

『──ん──ですか──とって──っる──』

 

 徐々に砂嵐が治まってくると、そこには一人の女性の姿が映っていた。銀色の髪に銀色の瞳、そしてこちらに向ける柔らかな陽光のような笑顔。

 その外見はエレーナと酷似していた。しかし、そっくりそのままという訳ではなく、いくばくか年老いている。

 エレーナが順当に歳を重ねればこうなるのだろう、と思わせるほどには、女性の容姿はエレーナそのものだった。

 

『ふふっ、綺麗に撮ってくださいね』

 

 その女性が、画面の中で微笑む。普通の人が見れば一発で虜になるような、老若男女別け隔てなく虜にするような、そんな神々しい──魔性の──笑顔だった。

 

「懐かしいな……アナスタシア」

 

 普段の黒山からは考えられないような、酷く弱々しい声色の呟きだった。

 眉をひそめ、口をむすび、揺れるひとみで画面の中を覗き見る。

 画面の中の女性が、こちらを見ている。しかし、画面の中の女性は黒山を見ていない。

 

『え、急にそんなこと言われても……こ、こうかしら?』

 

 華々しいドレスを着た女性が、ドレスの裾を摘んでお辞儀をする。それはとても洗練された、物語に出てくるお姫様がするような、そんな所作だった。

 

「…………」

 

 黒山は、そんな女性の姿をじっと見つめている。暗闇の中でテレビの光だけを反射するその瞳に、過去の憂いと慙愧の念がこびりついているようだった。

 

「ったく、外面が良いのは間違いなくお前譲りだよ」

 

 いつものようにガシガシと頭をかいて、いつものように悪態をつく。そのいつも通りが、かえって今の黒山の不自然さを際立たせていた。

 そうして、画面の中の女性がひとしきりお姫様らしいポーズを取ると、最後に誰かの手を取る場面で映像は終わっていた。

 止まったままになったテレビの画面を見て、黒山は何かを吐き出すように深いため息をついた。

 

「はぁー……厄介な置土産、残していきやがって」

 

 手を伸ばして、テレビの画面に触れる。もちろん、指先に伝わるのはガラスの感触。人肌の柔らかさなどでは決してない。

 だけど。それでも、今の黒山には、確かにアナスタシアの温もりが感じられた。

 

「あいつの面倒は俺が見てやるよ。まぁ、少し厳しくはなるがな」

 

 黒山は、画面の中で微笑むアナスタシアに誓う。

 

「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす──っていうだろ?」

 

 いつもとは全く違う──泣きそうな──鋭い無表情のまま。

 

 

⭐⭐⭐

 

 

 世の中の子供は、皆ごっこ遊びが好きである。いや、皆というと語弊があるかもしれないので、全体の8割ぐらいは好きであるということにしておこう。かくいう私も子供の頃はごっこ遊びが好きだった……ような気もする。覚えてないけど。

 とにかく、子供は何かを真似するのが大好きなのである。それはやはり、人間が誰かと繋がる事を本能的に求めているからなのだろう。

 

 だからこうして、子供は誰かになりきろうとする。

 

「さぁ来いウルトラ仮面! 実は私は一回殴られただけでやられるぞー!」

「出たなー、悪いかいじんめー! てやー!!」

「ぐわー! 負けたー!」

 

 どてーん、と大袈裟に畳に転がる。今しがた私に自慢のパンチを食らわせた、ウルトラ仮面ことルイくんに、倒れながらもこっそりと視線を向けた。

 

「やったー! やっつけたー!」

 

 キラキラとした笑顔で、やっつけた怪人である私を見下ろすルイくん。うーむ、可愛い。夜凪さんやレイちゃんとはまた違った愛らしさがあるよね。元気いっぱいな所がとても可愛らしい。

 そんなルイくんの笑顔に応えるために、私は倒れた姿勢から、勢いよくバク転してそのままの勢いで立ち上がる。

 

「ふっふっふ……貴様を倒すために地獄から蘇ってきたぞ、ウルトラ仮面! さぁ、覚悟せよ!」

「…………」

「って、あら?」

 

 なにやらポケーっとした表情のまま、ルイくんは私の顔を見つめている。なんだろう、今のシチュエーションとセリフはイマイチだっただろうか。

 そんなふうに思っていると、ルイくんはとたんに目を輝かせてはしゃぎ始めた。

 

「うわーすごい! エレーナおねぇちゃん、スタントマンみたい!」

「え、そ、そうですか? えへへ……」

 

 子供の純粋な尊敬の視線を前にして、私は柄にもなく頬を緩ませてしまっていた。

 いやだって、普通に嬉しいでしょう、ストレートにこんなこと言われたら。

 

「もっと色んなことできる!?」

「もちろんです。あ、じゃあ今からお外に遊びに行きましょう。良いところに連れて行ってあげますよ」

「いいところ?」

 

 私が人差し指を立てて提案すれば、ルイくんは興味津々といった様子でこちらを覗き込む。

 あー、まぁ、いいところとは言ったけど、私にとってのいいところなので、ルイくんにとってはどうかなぁ。

 

「夜凪さーん、ちょっとルイくんと出かけてきますねー」

「はーい。夜ご飯までには帰ってきてねー」

 

 家の中を掃除中の夜凪さんとレイちゃんに断りを入れて、私はルイくんを連れて外へと飛び出す。

 とりあえず連れてってみるか。ダメだったら、お菓子でも買って帰ることにしよう。

 

「ねぇねぇ、エレーナおねぇちゃん、どこ行くの?」

「ふふ、いい景色が見えるところですよ」

 

 今はちょうど夕方だし、絶好の時間帯だ。あそこから見る夕日は絶対気にいると思うんだよね。

 

「ときにルイくん、ジェットコースターはお好きですか?」

「うん! 大好き!」

「それは良かった」

 

 なら、こっちの移動方法で良いだろう。時短にもなるし、スリリングでワンダフルだし、良いことづくめだ。

 確認も取ったので、私はルイくんを背負い上げて、しっかりと抱き締める。

 

「わわっ、何するの、エレーナおねぇちゃん?」

「楽しいことですよ」

 

 絶叫マシーンが大丈夫なら、これも大丈だろう。もちろんスピードは抑えるし、むしろ絶叫マシーンよりは緩い感じだし。

 

「行きますよ──とぅっ!」

 

 私は助走をつけて、目の前の家の屋根までジャンプした。

 二階建ての日本家屋その屋根の上に、私はルイくんを抱えたままジャンプしたのだ。

 

「うわぁ〜! あはははは!」

「大丈夫ですか、ルイくん」

「うん、平気! もっとやって、もっとやって!」

「それはよかった」

 

 着地して、感想をルイくんに訊ねる。どうやら好評だったようだ。

 ならば、もう憂いは無い。一気にあの場所まで駆け抜けてしまおう。

 

「わぁ~! はやいはやーい!」

「こらこら、はしゃぐと落ちますよ」

 

 まぁ、万が一──いや、億が一に落ちても絶対に怪我なく受け止めて見せるけどね。というか、そもそも落とさないし。

 と、そんな風にはしゃぐルイくんをたしなめ、屋根の上を跳び移るNARUTOごっこをしていると、徐々に目的地が見え始めてきた。

 

「そろそろ着きますよ──って、あれは……」

 

 目的地である建物の屋上に、一つの人影が見えた。夕日を見つめて微動だにしないその人影には、見覚えがあった。というか、見覚えしかないシルエットだった。

 

「はいっ──っと、到着で〜す」

「面白かった!」

「それは何よりですね」

「……おいおい」

 

 そのまま屋上に着地した私とルイくんを見て、その人影が呆れたように頭をかいている。

 お邪魔しちゃっただろうか。一人で夕日を見てるとか、センチメンタルな気分だったんだろうか。

 

「なんだってシスターが空から降ってくるんだよ。空から降りてくるのは神様だろうが」

「神様だったりして」

「ぬかせ」

 

 まぁ、そんなセンチメンタルなんて感じさせないんですけどね。せいぜい雰囲気ぶち壊してやりますよ、ええ。

 

「あ、ふしんしゃ!」

「誰が不審者だ、俺は映画監督だっつの」

「まず目つきを改善すべきですね。あと、髭を剃ってファッションにも気を配るべきです」

「うっせぇ。お前は俺のお袋か」

 

 相変わらずの切り返し。呆れたように、見透かしたように、この男は私を見つめている。

 

「で、こんなところに何の用だ」

「ちょっとこの子に、キレイな景色を見せてあげようと思いまして」

 

 これは本当のこと。でも、わざわざ説明すると建前っぽくなってしまうから。

 私はルイくんを連れて、父の前に出る。地平線に沈みかけている夕日が、一面の景色を茜色に染め上げている。レイちゃんと見た夕日もキレイだったけど、やっぱり高いところから見る夕日は格別だ。

 特に、この街は夕日がキレイに見える気がするから、よけいに。

 

「わぁ〜!」

「綺麗ですね」

「…………」

 

 はしゃぐルイくんと、静かに夕日を見つめる親子二人。いや、美女と野獣って表現したほうがいいだろうか。

 まぁその野獣さんは、絶賛センチメンタルな感じになってるみたいだけど。

 

「何かありました?」

「何もねーよ。()の事情をいちいち詮索すんな」

 

 ん?

 

「いやいや、気になるでしょう。いつも自信満々なのに、今日は元気なさげですので」

()()が心配することじゃねぇっつーの」

 

 んん?

 

「あの……」

「いい加減しつこいなお前も。そういうところは()()()そっくりだぜ」

 

 ああ、そういう。さっきからちょいちょい、言葉の端々に気になる単語があったから、何かと思えば。

 

「ふふっ」

「あん?」

 

 今は、気づいても言わないほうがいいだろう。本人が気づいていないのだから、他人が指摘するのは野暮ってものだ。

 

「いえ──夕日が綺麗だなと思いまして」

「……そうか」

 

 それだけ言って、私たちの会話は終わった。これ以上は、言葉を重ねても無粋になるだけだ。

 

(ホント、不器用なんですから)

 

 屋上ではしゃぐルイくんを見つめながら、私はぼんやりとそんな事を考えていた。

 



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ショーシャンクの空に

待たせたな!(スネーク)
メインヒロイン登場回です。


 どうして、こんなことになっているのだろう。

 

「さぁ、入って」

「お、お邪魔します……」

 

 白い少女が、扉を開けて中に入る。

 私もそれに続いて、恐る恐る中へと入る。

 

「あはは、びしょ濡れだねー」

「そ、そうですね」

 

 ポタポタと滴る雨のしずく。

 雨に濡れると女は美人になるというが、全く持ってその通りだと、今この瞬間に理解した。

 

「ちょっと待っててね。今タオル持ってくるから」

「お、お構いなく……くしゅっ」

 

 脱衣所に消えていく白の少女を見送って、私は一つくしゃみをした。

 意外と身体が冷えていたようだ。

 

「…………」

 

 前世ではよく見慣れていた、平凡な──それでも高級そうな雰囲気は随所に伺える──マンションの一室で、私は呆然と立ち尽くしていた。

 ホント、どうしてこうなった。

 

「はい、タオル」

「あ、ありがとうございます」

 

 脱衣所から戻ってきた白の少女は、天使のように穏やかな微笑みを浮かべて、こちらにタオルを差し出していた。

 何度でも言おう。

 

「どうしてこうなったんですかね……?」

 

 未だに何一つ理解できていない私は、首を傾げながらここに至るまでの経緯を思い返していた。

 

 

☆☆☆

 

 

「……迷いました」

 

 月曜日の夕方。とある住宅街にて、私は途方に暮れていた。

 夕飯の材料を買いにスーパーへ出発したら、ものの見事に迷ったのだ。

 どうやら、人混みを嫌って細い道を歩いて来たのが良くなかったらしい。周りがどれも同じような家とビルだらけで、自分がどこに居るのかサッパリ分からない。

 

「うむむ……やっぱり、レイちゃんとルイくんに付いてきてもらうべきでしたかね……」

 

 デキる年上ムーブを見せようとしたらコレだよ。こんなことなら恥も外聞も投げ捨てて、いっしょに付いてきてもらえばよかった……トホホ。

 

「しかもなんか曇ってきてますし……ひと雨来ますかね、これは」

 

 オマケに曇天の曇り空と来ている。もちろん傘なんて持ってきていない。いま手元にあるのは、財布と買い物バッグだけだ。

 分かりやすく詰んでるな、これ。

 

「どうしましょう。夜凪さんが帰ってくるまでには、お使いを終えて家に帰らないと……」

 

 そうしないと、街のそこら中に迷子の紙を張り出される事態になってしまう! 

 十七にもなって、見知らぬ土地で迷子犬みたいな扱いされるのなんて、絶対にイヤだ! イヤすぎる! 

 

「こ、こうなったらちょっとそこらへんのお宅の屋根に登らせてもらって──」

 

 と、力技で解決しようかと思って空を見上げた、その時。

 

「──えっ」

 

 古びたビルの屋上。その縁に、一人の少女が立っているのが見えた。

 

「あ、あれって、まさか……!!」

 

 白いワンピースだけを身に纏い、靴すら履いていないその格好は、まさしく。

 

「だ──」

 

 考えるよりも先に、体が動いていた。

 

「ダメですぅぅぅ!!!」

 

 気づけば、私の体はビルの壁を駆け上っていたのだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 いい感じだ。

 百城千世子は、自身のコンディションを自覚する。

 

「いい風」

 

 シチュエーションも台本通り。

 曇り空に、ビルの上。

 灰色の世界に降り立った、白の少女。

 

「悪くないね」

 

 幻想的、とはこういう事を言うのだろう。

 地上に舞い降りた天使、だなんて最初に役名を聞いたときはびっくりしたけれど。

 でも、これなら何とかできそうだ。

 

「ふふ」

 

 百城千世子は微笑む。

 

 天使は微笑む。

 

 そして、天使が下界に目を向けると。

 

「ダメですダメですダメですぅぅぅぅぅ!!!」

 

 銀髪のシスターが、勢いよくビルの壁を駆け上ってきていた。

 

「は?」

 

 天使の口からすっとんきょうな声が出る。その瞬間、天使はただの人へと戻ってしまった。

 

「あ」

 

 タイミングの悪い、突風。

 背中から吹いてきたそれに押され、千世子はふわりと下界に投げ出された。

 

(あ、死んだこれ)

 

 瞬間、頭に浮かんだものは走馬灯や後悔といったものではなく──ただ自分が死ぬという、そんなどうしようもない現実だけだった。

 

(興味深いなぁ)

 

 これが、死の直前の感覚。

 味わおうと思っても味わえない、極上の体験。

 

「よっしゃあぁぁ! 間に合ったぁぁ!!」

「えっ」

 

 そんな体験に水を差すように、シスターは千世子の体を抱きかかえた。

 そしてそのまま、まるでハリウッド映画のスタントマンさながらに、見事なアクションを決めてビルの屋上に着地したのだった。

 

「ふぅー、間一髪でしたね」

「…………」

 

 心底安堵したように、シスターは息をつく。

 千世子は改めて思う。なんだろうこの状況は、と。

 

「あなた、飛び降り自殺なんてしてはいけませんよ! いのち大事に、です!」

「はあ」

 

 別に飛び降りようとしていた訳では無いんだけど、とは言わなかった。言っても無駄な気がしたからだ。

 

「何か悩みがあれば相談に乗りますよ! こう見えて私、本職のシスターですので!」

「はあ」

 

 千世子を地面に下ろし、シスターは胸を張った。

 見ればわかるけど、とは言わなかった。言っても意味が無い気がしたからだ。

 

「およ?」

「わ、降ってきた」

 

 そんな問答をしていれば、曇天からポツリ、ポツリと雨が降ってきた。

 瞬く間にそれは豪雨となり、二人をびしょびしょに濡らしていく。俗に言う、ゲリラ豪雨というやつだった。

 

「うわぁ……」

「あは、すっごいどしゃ降りだね」

 

 ビルの屋上で、全身くまなく濡れた美少女が二人。

 傍から見れば絵になる光景だが、当人たちにとっては知ったことではない。

 

「ね、ウチくる?」

「へ?」

 

 と、1メートル先も見えないようなどしゃ降りの中で、千世子は笑った。

 雨に濡れてなお、輝きを失わない──いいや、濡れてこそ輝く、天使のような笑顔だった。

 

 

☆☆☆

 

 

「ナマコとか食べる?」

「いえ、お構いなく」

 

 体を拭いて、あらかた水気を取り除いたあと。

 何故か冷蔵庫を覗いている少女に、お酒に合いそうなマイナー食べ物をすすめられた。こういう場合、すすめるのは大抵あったかい飲み物とかだと思うんですが。

 

「そっか。じゃあ一緒にお風呂入ろ」

「え゛」

 

 自由奔放すぎるでしょ、この人。

 いや、濡れてるんだからお風呂入るのは自然な流れだけど、なんで二人一緒なんですかね。私は後でいいんですがね。

 

「い、いえ、お先にどうぞ」

「ダメだよ。待ってる間に風邪引いちゃうよ?」

 

 いや、この体は頑丈だから、間違っても風邪引いたりしな──

 

「くしゅっ」

 

 うぅ、悪寒がする。

 

「ほら」

「…………」

 

 表情は変わってないけど、それ見たことか、みたいな瞳が向けられている。

 どうやら、この体はダメージには強いけど、状態異常には弱かったようだ。

 

「……わ、分かりました」

「うん。素直でいい子だね」

 

 ヨシヨシされた。解せぬ。

 

 

☆☆☆

 

 

「…………」

「わぁ。脱衣所で見たときも思ったけど、君おっぱい大きいねー」

 

 数分後、お風呂場にて。

 向かい合わせに湯船に浸かって、私は少女のおもちゃになっていた。

 いやあの、できればそんな、持ち上げないでもらえると助かるんですけどね。

 

「何食べたらこんな大きくなるの?」

「……強いて言うなら、いっぱい食べるのが秘訣でしょうか」

「へー」

 

 気の抜けた返事を返され、なんだか力が抜けてくる。もうどうにでもしてください。

 

「あはは、ぽよぽよしてて気持ちいいー」

「…………」

 

 めっちゃ気に入ってるじゃん。

 元男としてはまぁ、その気持ちは分からないでもないが。とはいえ、自分のモノにはまったく魅力を感じないんだよなぁ。

 これが、隣の芝生は青く見える現象か。

 

「私のも触る?」

「……い、いや、大丈夫です」

「そう?」

 

 うんまぁ、確かに自分のは興味無いけど、他人のは普通に興味あるんだわ。

 だから夜凪家に居候させてもらうことになっても、お風呂だけはずっと一人で入っていた。

 十年以上女の子やってきても、なんだかんだで男より女のほうが好きなんだよね。教会に女の子しか居なかった、って理由もあるかもだが。

 

「君、こういうの好きそうだなって思ったんだけど」

「……な、何を言ってるのか分かりませんね」

 

 目を逸らし、少女の体を見ないように努める。

 この状況、ものすごく精神に悪い。早く上がってしまおう。

 

「……あ、あの。そろそろ上がりたいので、胸から手を離していただけると……」

「もうちょっと」

 

 延長入りましたー。

 

「…………」

「ふむ、ほぅ、へぇ」

「……はぁ」

 

 興味津々といった様子で乳を揉む少女を見つめつつ、辟易するようにため息をついた。

 ホント──

 

「どうしてこうなったんですかねぇ……」

 

 虚空に向けて呟いてみても、誰も教えてはくれないようだった。

 

 

☆☆☆

 

 

 数分後。

 

「ぁうう……」

「あはは、ごめんね」

 

 すっかりのぼせ上がったエレーナを連れて、千世子はベランダで星を見上げていた。

 雨もすっかり上がり、夜空には満天の星々が輝いている。空に近いおかげで、星の瞬きがよりよく観察できていた。

 

「この時期でも夜は涼しいよね」

「そうですね……」

 

 麦茶を注いだコップを揺らし、千世子は微笑む。

 今の時期は春と夏の境目。故に天候が崩れやすく、あのようなゲリラ豪雨に遭遇してしまったのだ。

 まあ、逆にそういう時期だったからこそ、風邪を引かなくて済んだ、とも考えられるだろうが。

 

「ところでさ」

「……なんでしょうか」

 

 不意に、白の瞳がエレーナを見つめた。

 

「どうしてずっと、女の子の演技したままなの?」

「────」

 

 直後。エレーナの表情は、実にわかりやすい色に染まっていた。

 

 驚愕。

 

 初対面の少女に自身の被る仮面を見破られたという、それはもう特大の衝撃に、頭の中が真っ白になる。

 

「……何を言っているのか、分かりませんね」

 

 しかし、エレーナはすぐさま仮面を被り直し、平静を保つ。

 そんな様子を見て、千世子は少しだけ微笑みを浮かべた。

 

「私には分かるよ。君、仮面を被ってるでしょ」

「…………」

「そうだなぁ……『お淑やかで、上品な、貴族の女の子』そんなところかな?」

「なっ──」

 

 一言一句違わずに、仮面の名称を当てられた。その事実に、エレーナは更に驚愕を顕にした。

 

 見抜かれるのは、二度目だ。

 

 けれど、ここまで詳細に見抜かれたのは初めてだ。エレーナの内心を、驚愕よりも恐怖が上回った。

 

「どう、当たってる?」

「う……」

 

 ニコリと微笑んでこちらを見つめてくる千世子に、エレーナはどこか薄ら寒いものを感じていた。

 まるで仮面の裏側にある素顔を、無遠慮に覗かれているような。そんな感覚を感じていた。

 

「私、見たいな」

「はい?」

「見てみたいの。君の、仮面の奥にある素顔」

 

 笑顔が消える。

 空気が凍る。

 その目は、その瞳は。

 

「ねぇ、見せて。可愛いシスターさん」

 

 どこまでもこちらを貪欲に喰らおうとする、捕食者の眼だった。



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