ナンバーズ!! (通りすがりの猫好き)
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(re)start

 作者は野球を見るのは好きですが、やった事はありません。
ですので至らぬ点も多々あると思いますが、よろしくお願いします。


 

 一原数人の野球人生は栄光と共にあった。

中学時代の頃から既に頭角を現した彼は、自慢の直球を武器に他の打者を圧倒し全国の頂点に立った。

当然、そんな彼をスカウトが見過ごすはずもない。是非うちに、というラブコールが連日のように押し寄せた。

 

 葛藤の末に一原が選んだのは東京の名門校。これまで甲子園優勝を三度経験している学校だ。高校生になっても彼の実力は留まる事をしらず、名門の激しい争いの上に一年にしてベンチ入りを果たし、二年生になるころにはエースとして君臨する。甲子園の土を踏めたのは三年の選抜大会のみ。それでも一原はポテンシャルの高さを遺憾なく見せつけた。マウンドでは他の投手がせいぜい150km/hが限界の中、平均球速153㎞/hを連発し、打席に立っても二試合で3番打者として4安打の暴れっぷり。スポーツ雑誌は一原の事を「十年に一人の逸材」と褒め称え、一位指名候補として取り上げた。

 

 そして運命の秋。

二球団競合の末、一原は東京タイタンズに外れ外れ一位として指名された。

動揺はなかった。自分の実力に絶対的な自信を持っていたから。

 

 入団会見、大勢の報道陣が詰めかける中、一原はマイクを持って高らかに言い放った。

「数年後には、必ず球界を代表する投手になってみせる」、と。

 

 

 それから三年がたった春のこと、一原は二軍でひたすら投げ込んでいた。

野球人生が順風満帆だったのは高校まで。プロに入ってからはその壁の高さにぶつかっていた。

一年目の防御率は十点台。二年目は流石に改善こそしたものの、防御率六点台。

しかもこれは一軍ではなく、二軍での成績だ。ファンの期待とかけ離れた成績になっているのは言うまでもない。

ネット上では入団会見の発言をビッグマウスとなじられ、嘲笑されていた。

 

 当の一原も高い高いプロの壁を前にして心を折られかけていた。

高校の頃の打てるものなら打ってみろと言わんばかりの強気な投球は鳴りをひそめ、コースに集めようと置きに行った球を軽々と捉えられた。

 

(何故だ…どうして上手くいかない)

 

 一原の武器は最速154超のストレート。だが言ってしまえばそれしかなかった。(・・・・・・・)

制球はお世辞にも良いとは言えないし、変化球も大して空振りを取れるわけではない。

相手も直球が武器だとよく理解いるので簡単に打ち返される。投球内容の改善も見られず、早くもクビ候補としてその名前を挙げられていた。コーチもお手上げ状態、プロ野球選手としては手詰まり。そんな状態の彼に転機が訪れた。

 

 「トレード…ですか」

 

 「そうだ。明日から北海道に行ってくれ」

 

 自球団ではこれ以上の成長が見込めないと捉えたタイタンズは匙を投げた。まだ価値がある内にと他球団との金銭トレードを成立させたのだ。移籍先は別リーグの北海道ベアーズ。長年4位以下から抜け出せないチームだと一原は記憶していた。しかし、何でも首脳陣の刷新や若手の台頭により今年こそはという期待も大きいらしい。

 

 「じゃあ、移籍先で成功する事を願っているよ」

 

 二軍で指導していたコーチが作り笑いを浮かべながら淡々と言葉を投げかける。

―――そんな事、思ってもないくせに。荒れた胸の内はしばらく晴れそうにも無かった。

 

 

「ようこそ北海道へ!!まぁ、一旦座ってくれ」

 

 北海道に来て一日目。監督室でまず一番に響いた一声がそれだった。

 

「…はぁ。どうも」

 

「ほら、肩の力を抜いて!そう力まずにしてくれていいから!」

 

 力むなという方が無理な話だ。なにぶん、目の前にいるのはレジェンドながらにして今年から監督を務める漆原光彦その人なのだから。漆原は高卒で野手としてベアーズに入団して以降、チーム一筋で主軸として長年にわたって打線をけん引した人物だ。積み重ねた安打の数は2098本。各ポジションで一人ずつしか選ばれないベストナインに選出される事十回。二軍ですらろくな成績を残せない一原にとって、漆原は雲の上の存在だった。

 

「さて、とりあえず本題に入ろうか。まず我々が獲得に踏み切った理由だが…君には内野手として活躍してもらいたいと思っている」

 

「……は?」

 

 突然告げられた野手転向の話に、一原は自分の耳を疑った。野手転向?俺が?ありえない、というか考えた事も無かった。嫌だと言いたかった。しかし今までの成績を振り返ると何も言い返せなかった。

 

「……それは、投手としての俺に価値がないという事ですか」

 

「それは違う。球種を新たに覚えるなりして経験を積めば、数年後に先発の一人に割って入る事も不可能じゃないだろう」

 

「それなら……!!」

 

「落ち着いて聞いてほしい。それでも我々は……いや、俺は野手(・・)として君を評価しているんだ」

 

「そんな事、突然言われましても……」

 

 そうしろと言われて、はいそうですかと首を縦に振るわけにはいかなかった。

少なくとも自分は投手として活躍してきた。まだプロには通用してはいないが、努力すればいずれ通用するものだと思っていた。それを支えにしてこれまでやってきたのだ。

 

「高校通算43本塁打。これは高校生の頃の君が積み重ねた数字だ。それに俺は君のバッティングには類まれなるセンスがあると思っている。指導次第では、3割30本塁打30盗塁だって夢じゃない」

 

 センスがある。そんな事、プロになって言われたのは初めてだった。

どいつもこいつも、自分以上のセンスの塊ばかりだったから。

 

「それに、君の肩の強さは内野手…特にサードあたりでこそ生かされると思う」

 

 憧れの投手として評価されたかった強肩が、まさか野手として評価されるとは。笑えない皮肉だ。しかも内野手としてだ。内野を守った事など一度も無いというのに。

 

「今すぐ決断してほしいとは言わないよ。でも、我々の評価も忘れないでいてほしい」

 

 投げかけられたその言葉に、一原は俯いたまま、両の拳を握るだけで何の返事も返せない。自分を信じて投手をとるか。監督の言う通り、野手として再スタートするか。

投手として活躍した人間が野手に転向するなど、よくあるケースだ。それでも一原には一原なりに積み重ねてきたものがあった。

 

 (分かってんだよ、今の俺が投手として通用してないことくらい……!)

 

 二軍相手に滅多打ちにされた光景がフラッシュバックする。いつしか失望の眼差しばかり刺さるようになっていった。自尊心と現実の間で、心が絶え間なく揺らぐ。野手に転向したところで、活躍できるなんて保障はない。

 

 (だけど、このまま投手にこだわって終わる方がずっと嫌だ)

 

 それでも一原は、あがくことを選んだ。

結論はもう決めた。もう引き返すのも、振り向くのもナシだ。

投手への未練はある。戸惑いだってある。それでも進む事を決めたから。

 

「……分かりました。監督、俺コンバートします」

 

 漆原は少しの間呆気にとられたようだったが、すぐに何度も頷いて通常運転に戻った。

 

「……そうか、そうかそうか!!いやはや、嬉しい限りだ」

 

 漆原から差し出された手を握る。

こうして、一原数人のプロ野球人生は挫折から始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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歓迎会

お久しぶりです…。書くモチベ失ったりしてるうちにこんなに間隔が空いてしまいました。


 「おら、もう一本行くぞ!!」

 

 「す、少し休憩は……」

 

 「んなもんあるか!お前は人一倍練習しなきゃな!」

 

 春キャンプ。息も絶え絶えになりながら一原はひたすらノックを受けていた。

 

 「先ほども言ったように、君は内野手として起用するつもりだ。だから最低限守れるよう、みっちり練習してもらうぞ」

 

 漆原監督が予告していたように、待っていたのは守備練習だらけの日々だった。

朝に早出してはマンツーマンでの特別指導、午前は他の野手に混ざって守備練習。

午後の打撃練習を挟んで走塁練習、そして最後におまけとばかりに鬼のようなノックが入る。今は最後の鬼ノックを受けている所だ。

 

 流れる汗が頬を伝う。ここまで徹底的に練習したのは一原にとって初めての経験だ。

一時期は本当に練習のし過ぎで倒れるんじゃないのかと思ったほどだった。体勢から送球まで教わった動きをとにかく体へと刷り込ませる。いつかはここで教わった事を感謝する日が来るのだろう。……多分、きっと来るはずだ。

 

 

 (ふん、中々筋はあるみたいだな)

 

 北海道ベアーズの守備走塁コーチを務める北方謙二は中途半端に伸びたあごひげをさすりながら感心していた。一原は練習漬けで今にも死にそうな顔をしているが、動きは格段に良くなっていた。守備はまだまだ改善の余地あり。送球も偶に一塁手の頭をとうに超えるような暴投もする。それでも所々に光るものを北方は感じとっていた。

 

 (そんで何より、漆原の言う通り地肩がいい)

 

 北方が特に目を見張ったのは肩の強さだ。多少体勢を崩されようともノ―バウンドで届くのは充分な武器たりえるだろう。後は基礎を固めるだけか。ちらりと時計を見やると、短針は六時を過ぎていた。本当はもう少し練習を続けたいところだが、今日は先約がある。

 

 「よし、今日の練習は終わりだ!荷物を片付けて早いとこ行くぞ」

 

 「……?行くって、どこにですか?」

 

 「何だお前、聞いてないのか?……歓迎会だよ。お前らのな」

 

 

 「ッシャ―――、飲んでるかオメ―ら!!」

 

 北方の車で宴会場に着くと、既に何人かは出来上がっているようだった。

入った瞬間、視線が一気に一原の元へと集中する。

 

 「お、主役が来たみてーだな!ほれほれ、こっちに来いよ!ルーキーも含めて自己紹介してもらうぞ――!」

 

 先ほど先頭でマイクを持って盛り上げていた男の声で、一原は強制的に前へと押し出される。

横を見れば、ルーキーらしい数人が隣に歩いてきていた。

 

 「よーしじゃあ名前とポジション!後は今後の目標について話してもらおうか!まず一原からな!」

 

 そう言ってマイクを手渡される。

いきなりの事態に言葉が詰まる。

―――こういう時、一体何を話せばいいのだろうか。

学生の頃からこういった空気は苦手だった。

 

 「え――、タイタンズから移籍してきました一原数人です。ポジションは…今のところサード。目標としては、……その、3割30本塁打30盗塁を目指しています」

 

 拍手といいぞーという歓声があがる。どうやら下手な事は言わずに済んだようだ。ほっと安堵してマイクを隣の大男に手渡す。

 

 「大学からドラフト一位で入団した五十村(いそむら)裕也です。ポジションは投手。目標は相手打者のバットを十本以上折る事です」

 

再び大きな歓声が上がる。―――いやおかしいだろ。バットに恨みでもあるのかコイツは。なんて思っている間にもマイクは左へと流れていく。そして一人ずつ目標を話して、左端までマイクが渡ったあと、再び選手達は酒を片手に騒ぎ始めた。

一原達も適当に割り当てられた席に座らされた。

 

 「よっす一原!随分お疲れみたいだけど大丈夫か?ほれ、水」

 

 自分を呼ぶ声に思わず振り返る。見上げてみれば最初にマイクを持っていた男だった。

 

 「あ、どうもありがとうございます。…えっと」

 

 「二葉だ。二葉昴(ふたば すばる)。年はお前の二個上だ。ポジションは外野。よろしくな」

 

 「……あぁ、二葉先輩ってあの」

 

 名前を聞いて思い出した。彼は一原が一年の頃に甲子園を沸かせた選手の一人だ。

中でも準々決勝で見せたレーザービームは今も高校野球ファンの間では語り草になっている。プロに入ってからは目立った噂もなく、対戦した記憶も無かった。

 

 「お―――知ってんのかオレの事!そうかそうか!嬉しいな――!!」

 

 二葉は声を上げて笑いながら無遠慮に背中を叩いてくる。正直背中が痛い。

この人もこの人で面倒くさそうだ。

 

 「痛いっす」

 

 「おっとわりぃわりぃ。酒のせいでついテンションが上がっちゃってな」

 

 「でもまぁ、俺らの世代じゃ知らない奴はいないと思いますよ」

 

 その一言に、二葉は分かりやすく顔を輝かせた。

一原の肩に両手を当て、大きく体を揺すってくる。

 

 「そっか――!そっかそっか――!!困っちゃうなぁ有名人で!!何せ今年こそレギュラー奪えそうだしな――!!」

 

 「お前にレギュラーなんざ百年はえーわ」

 

 二人の会話に割り込んできたのは、一原の隣に座る大柄の男だった。

筋肉質な体型は野球選手にしては線の細い二葉とは対照的だ。強面で、何とも言えない近寄りがたさがある。

 

 「あぁ?何か言ったか十九川(とくがわ)ぁ?」

 

 「打率二割前後の奴がレギュラーを取れるほどここの外野陣は甘くねーよ」

 

 「ほーお?言ってくれんじゃん一軍に来る度炎上する三流投手が」

 

 「お?やるか!?」

 

 「あぁん?」

 

 一触即発とはまさにこの事だ。とりあえず俺を挟んで言い争うのは勘弁してほしい。飯に集中できない。一原は火花を散らす二人から逃げ出すように間をすり抜け隣の席へと移動し、対面に座る浅黒い肌をした男に助けを求める。

 

 「あの、二人が喧嘩始めちゃったんですけど……止めてくれません?」

 

 対面に座る男はにらみ合う二人を一瞥すると、僅かにジョッキに残ったレモンサワーを飲み干す。

からん、とジョッキの中の氷が響く。そうして一呼吸置いた後、ようやく怠そうに口を開いた。

 

 「あぁ、あの二人なら大丈夫だよ。あれで通常運転だし」

 

 「え、でもここから殴り合いに発展なんてしたら……」

 

 男は少し吹き出し、手を横に振る。

 

 「ないない、あいつらそういう一線は絶対超えないから!むしろ十九川が投げる時の二葉なんて気合がすごいからな。同期としてお互いに切磋琢磨するライバルみたいなもんよ」

 

 「ちょっとノエさん!そういう事言わないってお約束!!」

 

 ……ライバルか。そんな奴、タイタンズ時代にはいなかったな。

同期は年上ばかりであまり自分からも関わろうともしなかったし。

 

 「……少し、羨ましいっすね」

 

 自然とそんな言葉が喉を突いてでた。

ハッとして顔を上げれば、ノエさんと呼ばれた男が穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 「ま、ライバルなんて勝手にできるもんよ。そう気にするもんじゃねぇから安心しな。それにサードなんてうちじゃかなり争いが厳しいぞ?ちょっと数えてみただけでも五人はいるからな、お前含めて」

 

 「そうですか。何かそれを聞いて安心しました」

 

 「そういや自己紹介がまだだったな。俺は九重優(ここのえ ゆう)。ポジションは捕手だ。お前、投手やってたんだって?」

 

 「はい。といっても、成績はからっきしでしたけどね」

 

 「そりゃ来て早々打者転向させられるくらいだ、よっぽど投手として酷かったか、野手としてのポテンシャルの高さに惹かれたかのどっちかだろうな。ま、今度慣らしがてらにキャッチボールでもしようぜ、お前がどれほどの投手だったか俺が見てやるよ」

 

 そう言って九重はケラケラと笑う。酒の影響か九重の人柄かは分からないが、不思議といつもより話が弾んだ。さすがプロの捕手というべきか、言い知れない包容力がある。

 

 「ついでだ。お前のライバルになる奴を教えてやるよ。まず…あぁいた。おーい五島(ごしま)!」

 

 「あっ、はい!何でしょうか九重先輩!!」

 

 呼ばれて飛んできたのは体格の大きな優男だった。気弱さを感じさせる雰囲気こそあるが、細い眉に大きな瞳など整った顔立ちでいかにも女性受けしそうだ。

…この人も甲子園で確か話題になっていたような気がする。何て愛称で呼ばれていたっけ。ええと…

 

 「…『甲子園の貴公子』」

 

 その言葉に五島は分かりやすく顔を歪ませた。

 

 「うわぁ。その呼ばれ方、正直からかわれるから苦手なんだけどな」

 

 一原の一つ上の彼は甘いルックスとその顔に似合わぬ怪力で甲子園を沸かせていた。

特に女性人気が強く熱狂的なファンも多かった。ドラフトも2球団競合の末の1位だったはずだ。

 

 「あれ、でも五島さんってポジション捕手ですよね」

 

 「色んなポジションについてんだよ。うちが今求めているのは本塁打を打てる打者だからな。キャッチャーはまぁ、油断できないけど俺がいるし」

 

 九重は親指で自分の胸をつついてみせる。

 

 「で、お前確か三塁を守ってなかったか?」

 

 「それでも僕はキャッチャーとしてノエさんに勝ちたいですけどね。まぁ三塁もやらされるし、君のライバルってことになるのかな?僕は五島遙太(ごしま ようた)。まぁ仲良くしていこうよ」

 

 照れくさそうな笑顔から差し出された手に、生半可な返事をしながらその手を握る。

なるほど相当バットを振っているらしい。端正な顔に反して手は豆だらけだった。

 

 「でも一番のライバルは僕じゃなくて野木さんじゃないですか?僕は外野や一塁を守る事も多いですし」

 

 その一言に九重はポン、と手をつく。

 

 「あぁそうな。サードのレギュラーが欲しけりゃ一原もお前もまず野木さんを超える事だな」

 

 聞き覚えのある名前だった。野木一成(のぎ かずなり)。数年前までは不動の2番ショートとして活躍していた。現在は守備の負担を避けるために三塁手へとコンバート。打線も下位に下げられたものの、広角へ打ち分けられる打撃は健在だ。何よりの武器は守備力である。キャンプ中に彼の守備を観察していたが、とにかく無駄が無い。チームの中でも明らかに頭一つ抜けていた。

 

 「よぉ、俺の事を呼んだか?」

  

 振り返るとそこには笑顔の野木がいた。カーキ色のパーカーにジーパンを穿いている。五島と九重も直前まで気づいていなかったらしく、勢いよくむせていた。 

 

 「ゲホッゴホッ…の、野木さん、いつの間にここに」

 

 絞り出すような声で九重が呟いた。

 

 「なに、ちょっと挨拶に来ただけだ。それにしても…うん、中々いい顔してるじゃないか」

 

 「……ッス」

 

 じろじろと顔を観察してくる野木に対して、俺はほとんど言葉にならない返事しか出来なかった。

 

 「ま、俺からレギュラーを取るのは何年後になるかな。何にしてもレギュラー争い、楽しみにしてるよ」

 

 そう言って野木は背を向ける。その時何かのスイッチが入ったような音が頭の中で響いた。

何を思ったのか、気づけば口を開いていた。

 

 「……あ、あの!!」

 

 野木が振り返る。

 

 「ん、どうした?」

 

 「負けませんから。何年後とかの話じゃなくて、今年も来年以降も、俺は野木さんに勝つつもりでいます」

 

 そこまで言ってハッとした。何を言っているんだ俺は。大先輩に向かって。下手すればボッコボコにされるぞ。しかし、予想に反して野木は顔をほころばせた。

 

 「へぇ?そーかそーか、そりゃあ負けてられねーな!」

 

 そう言って今度こそ野木は自分のいた席へと戻っていった。みんな一安心したというように一つ大きく息をついた。……とんでもない事を言ってしまった気がする。というか言ってしまった。

 

 「いやー言っちゃったなぁ一原!」

 

 「すごいよ一原君、先輩相手にあんなに強気に出るなんて」

 

 「……それ以上言わないで下さい。今反省してますんで」

 

 その後は落ち込む俺を二人がひたすら励ます会になった事くらいしか覚えていない。

 

 

 

 

  

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、オープン戦へ!


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オープン戦 VS埼玉ホワイトソックス①

第三話にして初めての野球回です。


 

 気がつけば気温もキャンプの頃よりずっと暖かくなり、TVでは花粉シーズンに入っただの桜の開花だので話題は持ちきりだった。

3月。別れの季節であると同時に、新社会人や学生にとって新しい季節に備えるための重要な期間である。そしてそれは、野球選手においても同様だった。同月某日、沖縄の各球場に選手たちが集まっていた。彼らはこれから始まるオープン戦の成績の如何で一軍か二軍か決まるのだ。無論それは一原とて例外ではない。昨夜は試合前日だというのに遅くまでバットを振りこんでいた。

 

 「明後日、スタメンで使うからな」

 

 遡る事一昨日。それが漆原監督から一原にかけられた唯一の言葉だった。そしてその宣言通り、スターティングメンバーの名には一原の名前がある。一応確認のために目をこすったが、しっかりと「7番サード 一原」と書かれていた。間違いではない。その事実に体の芯までが震える思いだった。

 

「よーぉ一原!今日スタメンなんだってな!!」

 

 後ろから肩を叩かれ、振り返った先には二葉がいた。

 

「あ―、まぁその、おかげさまで?」

 

「おかげさまって何だよ~!こっちは何もしてねーっつーの!それより聞いてくれよ、今日の俺は一番だぞ一番!」

 

 二葉の笑顔につられて一原も苦笑いを浮かべる。

 

「まぁくれぐれも変に気負うなよ。まだオープン戦だし、相手は去年のリーグ優勝チームだからな」

 

 埼玉ホワイトソックスは昨年の日本一決定戦には敗れたものの、悲願の二連覇を達成したチームだ。四番に座るキングスを始めとした厚みのある打線で投手たちをことごとく返り討ちにしている。

一原も投手時代に何度か二軍戦で登板したが、とにかく嫌な打者の多いチームだった。どんなボールにも力強く振り回してくるのは、投手にとってこれ以上ない程のプレッシャーとなって重くのしかかる。投手陣も盤石とは言い切れないが、粒ぞろいのピッチャーが整っている。

 

(それでも、簡単に負けるわけにはいかないよな)

 

 たかがオープン戦。されどオープン戦。

ここからの試合で自分の立場が大きく変わるのだ。俺はここで、プロ野球人生を変えて見せる。

そんな思いを胸に一原は円陣を組むチームの輪に入っていった。

 

 

「えー、お世辞とかは苦手だから単刀直入に言うぞ」

 

 円陣の中、監督の漆原が口火を切る。

 

「お前らの立場は様々だろう。レギュラーを掴みかけている者、既に安泰な者、それともそろそろ首が涼しい者だとか色々いると思う。分かっていると思うがオープン戦の成績次第で評価を改める事もある。だからこそお前らの強みを遺憾なく発揮する事を願っている。以上だ!」

 

 監督の言葉に選手たちは力強く「応」と返した。

 

北海道ベアーズ スターティングメンバー

 

一番 ライト     二葉

二番 センター    小村

三番 DH      万丈三郎(ばんじょうさぶろう)

四番 キャッチャー  五島

五番 レフト     ヘンダーソン

六番 ファースト   四谷 

七番 サード    一原

八番 ショート   加藤

九番 セカンド   万丈一郎(ばんじょういちろう)

投手        億平

 

 

「センター!」

 

「オーライオーライ!」

 

 二回の裏、ホワイトソックスの七番打者・藍葉(あいば)の放った打球は力の無いフライとなってセンターのグラブへと収まる。沖縄で始まったオープン戦は両先発ともに上々の立ち上がりを見せ、早くも投手戦の様相を呈していた。この回、先発の億平は先頭打者のキングスにこそ出塁を許したものの、後続をきっちりと絶ちゼロを並べる。そして回が変わり三回の表、先頭打者の一原がバッターボックスに立とうとした所で漆原は彼を呼び止めた。

 

「次の打席、思いっきり振ってこい。遠慮はいらん」

 

「はいっ!!」

 

 威勢よく返事こそしたのはいいものの、言われてみるとこれが中々難しい。高めのボール、低めのボール、そして真ん中のボールをそれぞれ想定して素振りをする。深呼吸して息を整え、左のバッターボックスへと入る。

 対峙するは高卒六年目を迎える本格派右腕、紅本 慎太郎(くれもと しんたろう)。防御率は四点台前半を記録しながら、打線の援護に恵まれ念願の二桁勝利を達成している。紅本はロジンバッグに手をつけると、睨みつけるように一原へと視線を送った。キャッチャーのサインに二度首を横に振った後、ようやく頷いてワインドアップから投球モーションに入る。大きく腕を振りかぶり、投じた一球目。

 

(甘いストレート…!!)

 

 コースもそれほど厳しくない速球。すかさずバットを走らせる。しかし一原の予想に反してボールは手元で鋭く沈んだ。迷いのないフルスイングも虚しく、ボールはキャッチャーミットへと収まった。

 

(今のがシンカーか)

 

 シンカー。紅本の代名詞であるこの変化球は他の投手のそれに比べて落ち幅が少ない。その分球速が早く変化も遅いため、打者がストレートと錯覚して空振りを取りやすいのだ。

 

(さて、次は何で来るか…)

 

 素振りをして呼吸を再び整える。今度もシンカーを続けてくるか、それとも速球で来るか。先ほどのスイングで自分の体が思い通りに使える事は把握した。甘いコースなら確実に持っていける。そこに根拠なんてものは一切ない。ただ本能がそう告げているような気がした。一原はマウンドを睨みながらも不敵に口角を上げる。

 二球目は力んだのか、ボールがワンバウンドして明らかなボール球になる。紅本は一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに向き直りキャッチャーのサインをあおぐ。一度首を横に振っただけで、今度はサインがすぐに決まったようだ。頷いて投球フォームに入る。カウント1-1から投じられた三球目。すっぽ抜けかと思われたボールは大きな弧を描きながらストライクゾーンへと吸い込まれる。現代の魔球、カーブだ。一原も一瞬ボールだと見たため手を出さず、審判の手があがる。これでカウントは1-2、先にバッテリーが一原を追い込んだ。

 

「ファール!」

 

 続いた四球目と五球目。ストレートで押し込めようとするバッテリ―に対して、一原は若干遅れながらもついていく。二球ともバックネットへと打球が直撃した。追い込まれながら粘る一原に対してキャッチャーの紫堂(しどう)も攻めあぐねていた。次に投じられたストレートはギリギリでこれも一塁線を切れる。徐々にだが速球に慣れてきている―――。バッテリーが思う所は同じであった。

 そして七球目、紅本はついに勝負に出た。ストレートのサインに対して首を横に振り、カーブのサイン、これにも頷かない。五回目のサイン交換でシンカーのサインが出たところでやっと首を縦に振った。ワインドアップから投球モーションに入る。下半身で溜めた力を上半身へ、そして右手の指先へと集中させ渾身の一球を投じる。

 

(あっ、曲がるなコレ)

 

 ボールが投じられた刹那、第一に一原の頭に浮かんだ感想がそれだった。決して曲がりが一球目と比べて早いわけではない。むしろキレで言えば今回の方が上だ。それでもシンカーだと見抜けたのはそれ程までに一原の集中力が高まっていたという事に他ならない。真ん中低めのシンカー、それが一原の脳が反射的に打ち出した計算だ。すくい上げるように、それでいて力強くボールを叩く。乾いた快音が球場内に響き、歓声と悲鳴の混じったごちゃまぜの音があふれ出す。右翼席へと高く上がって消えゆく放物線を目で追って、視界を蒼が覆っていく。見上げた先の沖縄の空は、飲み込まれそうなほど、どこまでも青く広がっていた。

 

 

 がくりとうなだれる紅本を横目に、一原は淡々とベースを踏みしめていく。三塁コーチャーとタッチを交わし、悠々とホームへと生還した。ネクストバッターボックスに控える加藤とハイタッチして戻ったベンチは、静寂に包まれていた。ヘルメットを脱いで一つ大きな息を吐き出した後、辺りをキョロキョロと見まわした。

…あれ、おかしいな。オープン戦とは言えホームランを打ったのだ。大歓声とまではいかなくても、もう少し祝福とか何かがあると思っていた。それは自分の考えすぎだったのだろうか。数刻おいて、ベンチがわっと盛り上がる。それが自分を祝うものだと気づくのに少し時間がかかった。これが大リーグで言う「サイレントトリートメント」というやつなのか。他の選手達に囲まれてもみくちゃにされながら心地よい気分に浸る。たまにはこういうのも悪くはない。…たまには。

 

「今日の紅本さん調子良かったよね!最後のシンカーは読んでたの?」

 

 興奮しながら五島がメモ帳を取り出す。どうやら配球やら打撃でのコツを書き溜めているらしいそのメモは、随分と使い古されていた。

 

「いや、偶然得意なコースに来ただけです。速球を張ってたのは事実っすけど、ほとんど反応打ちに近いんであんまり参考にはならないと思いますよ」

 

「そっかぁ…勉強になると思ったんだけどなぁ」

 

 そう言って五島は肩を落とす。この人、こんな端正な顔立ちしておいてよくもまぁここまで純粋な性格に育ったもんだな。周りからちやほやされ放題だったら少しくらい天狗になってもおかしくないだろうに。

 

「五島さんの打撃理論はどんな感じなんですか。気になります」

 

「え、僕?うーん、参考になるかどうか分からないけど…」

 

 それからは攻撃が終わるまで、同じ左打者としてバッティングについて熱い談義を重ねた。

 

 一原達が談義に花を咲かせる中、監督の漆原はじっと試合を見つめていた。

 

「お前の指示通りだったな、光彦。ホームランも計算の内か?」

 

 漆原が振り返ると、ヘッドコーチの南場がニヤニヤと笑みを浮かべていた。

 

「その通りと言えば恰好がつくんだろうが、ホームランを打ったのは一原本人の実力だよ。…なぁ南場。一原の強みは何だと思う?」

 

「何って、そりゃあ…恵まれた身体能力とかじゃねーの?」

 

「勿論それもある。だけどな、一番恐ろしいのは振り切るのを恐れない事だ」

 

「それは、どういう?」

 

「プロでもよく言われるだろ。バットを振り切れだの、腕を振り切れだの。だが実際それをできるのはほんの一握りだ。誰だって常に思い切り振り切れるわけじゃない。状況によって当てに行く奴の方がずっと多い。だがあいつは、三振を恐れず俺の言う通りにフルスイングしやがった。そういう姿勢が投手にとっては、一番恐ろしい」

 

 漆原の言葉に南場は納得したように頷く。

 

「なるほどな。流石名球会入りした好打者様だ。俺たちと着眼点が違うわけだ」

 

茶化すんじゃねーよ、と軽く南場の肩を叩く漆原。試合に目を移すと、丁度一番打者の二葉が詰まらされてサードへのゴロを打ったところだった。

 



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オープン戦 VS埼玉ホワイトソックス②

 投稿間隔はこのくらいになると思います。


 先発の億平は三回に入ってもなお好調だった。先頭の八番打者を直球でボテボテのファーストゴロに抑え、続く九番打者に対しては左打者の外角から逃げるようなスライダーで空振り三振に仕留めた。そして打順は一巡し、一番打者の草間(くさま)が右のバッターボックスに入る。最初の打席はアウトハイへの直球でレフトへのフライに仕留めたが、いかんせん打撃力がウリのチームで一番打者を務めているだけあって、足だけじゃなく芯でとらえれば一発長打もある厄介な打者だ。

 

 草間はバットをゆらゆらと小刻みに揺らしながら不気味に構えている。一球目は内角へえぐりこむようなスライダー。草間がこれにピクリとも反応せず見逃して1ボール。迎えた二球目。投じられたのはこの日唯一と言っていい程の失投だった。ど真ん中への球威もさほどないストレートを捉えた打球は、快音を残してワンバウンドし一瞬でサードの元へと到達した。

 

(一度で取れなくてもいい。ここで一番ダメなのは後ろに逸らすことだ)

 

 北方コーチに教えてもらったことを頭で反復しながら一原は捕球体勢に入る。とにかく前に弾く、それだけを意識した。ボールは腹部に命中したが、何とか前に転がった。

 

(痛ッッッてぇぇぇ!!クッソがああああ!!)

 

心の中で叫びながらも周囲の状況を確認するのは忘れない。だってそうじゃないと体を張った意味が無い。幸いにも打球が強かったおかげで草間から一塁ベースまでにはまだ距離がある。咄嗟に右手で掴んで投げたボールはまっすぐに一塁手の元へと飛んでいく。バシン、と気持ちの良い音が響いて一塁審判が右手を上げた。

 

 

「お疲れさん」

 

 腹をさすりながらベンチに座る一原の前にグラブが突き出される。顔を上げてみれば、そこには先ほどまでマウンドに立っていた億平がグラブを差し出していた。若干汗こそかいているものの、普段通りの涼しげな表情は崩さない。一原は一瞬躊躇したが、呼応するようにグラブを突き合わせた。

 

「ども」

 

「さっきのプレー、助かったよ。後ろに抜ければ確実に長打になってた」

 

「…そりゃあまぁ、コーチに教えられたとおりに従っただけですよ」

 

「それもそうか。ところで、お前はこの試合どうなると思う?」

 

 急な話題の転換に目を丸くしながらも今後の展開を予想する。試合に目を移せば、三番打者の万丈三郎が丁度ヒットを放ったところだった。

 

「そうですね。こっちはヒットも出ていますし、このまま攻め立てれば終始優勢を保ったまま勝てるんじゃないですかね」

 

 今度は乾いた快音が球場に響き渡る。四番打者の五島が結果を出したようだ。打球はあっという間にライトスタンドへと突き刺さった。

 

「ほら、やっぱりこっちが優勢ですよ。今日はこのまま勝てるんじゃないですか」

 

 ホームランを打った五島はベンチ内で手荒い歓迎を受けている。その様子を億平はどこか冷たい目で見ているようだった。

 

「見込みが甘いな。…いや、若いと言うべきか」

 

 億平が呟くように吐いた言葉に思わず顔をしかめる。…なんだよ、質問してきたのはそっちじゃないか。聞いておいて甘いだの若いだの言うのかよ。そんな一原の表情を察してか、億平はまぁちょっと落ち着いて聞けよと宥めるように語り出した。

 

「今日のホワイトソックス打線を見た限り、やっぱりあのチームは強豪だよ。さっきまでの俺のピッチングだって、薄氷を歩いて渡るぐらい危ない場面がいくつもあった。何て言うか、あいつらには打席でも余裕を感じるんだよ。二、三巡目にもなれば確実に捉えてくると思う」

 

「余裕、ですか」

 

「まぁ今日のところはもうお役御免だ。後はお前らが頑張ってくれよ。俺はこの試合、結構な接戦になると思うね」

 

「肝に銘じておきます」

 

「というかそろそろお前の打席だろ?ぼさっとしてると監督に怒られるぞ~」

 

 手をひらひらと振りながらベンチ裏に引き返していく億平の背中を眺めながら、彼の言っていた言葉をぼそりと反芻する。接戦か、俺にはこっちがイケイケな展開に見えるけどな。…っと、そんな事をしている場合じゃなかった。急いで準備しておかないと。そうこうしている間に五、六番打者が凡打に倒れ、攻撃の時間は終わりを告げた。

 

 

 

(クソッ、億平さんの言う通りだった…!!)

 

 同点に追いつかれ、尚もノーアウト一二塁。投手の細田(ほそだ)はストライクこそ入るものの、結果としてここまで一つもアウトを取れていない。考えれば本当にここまで一瞬だった。四回の裏、回の頭から入った細田はいきなり先頭打者のグリーンにフェンス直撃の一打で二塁まで進まれると、続く赤石(あかいし)にも冷静にセンター前ヒットで繋がれる。そしてとどめに四番打者のキングスは初球を叩きあっという間に打球はレフトスタンドへ。130メートルを超える特大の3ランホームランで追いつかれ、相手打線はなおも単打と四球と勢いが止められない。細田の課題としていた左打者への対策は未だ形を成していない様子だった。

 

「とにかくストライクは取れてますし、いい球も来てます。引きずらずに、まずは目の前のバッターから抑えていきましょう」

 

 投手を中心に作られた輪の中で、五島が細田に声をかける。それでも五島の言い方は悪い意味でありきたりでしかないし、投手の細田も頷きはするが心ここにあらずといった状態だ。こうなってしまうと焼け野原になる未来しか見えない。そうなると分かっていながら、一原は何の言葉も交わさなかった。何もしないのではない。一つの方法を除いて何も出来ない事を心底分かっているからだ。それは、ずっと投手をやっていた一原だからこそ共感できるものだった。投手という生き物はひとたび崩れてしまえば修正するのが中々難しい。どうすればいいのかと脳を回し、あがけばあがくほどにドツボにはまっていく、いわゆる「底なし沼」というやつだ。結局、誰も細田を立ち直らせる言葉を見つけられないまま、痺れをきらした主審に咎められ輪は解散する事となった。

 

 ホワイトソックスの打順はこれから下位につながっていく。まずは7番・キャッチャーの紫堂が右のバッターボックスに入った。一昔前のキャッチャーのようなずんぐりむっくりとした体型から繰り出される怪力は凄まじく、素振りのスイングで鳴る音はチーム内でも明らかに際立っていた。その双眸は今にも投手を射殺さんばかりに睨みつけている。初球、真ん中から外角低めへ逃げるスライダーを見逃し1ストライク。続いて投じられた内角高めを外れるストレートに紫堂は上体を仰け反らせ1ストライク1ボール。そして3球目真ん中付近に寄ったカットボールに手を出した。真芯を外されながらも捉えた打球は素早いゴロになって一原の手元へと転がっていく。

 

(来た!この打球ならいける!)

 

 一度荒れ始めた投手を外側から落ち着かせる唯一の方法。それは守備でリズムを作ってやることだ。ボールをグラブに収めたその足で三塁ベースを踏み、これで1アウト。そしてそのまま勢いに乗せて体を浮かせ、セカンドベースで待つ二塁手の元へと送球する。二塁塁審が右手を突き上げ、さらに2アウト。セカンドが急いで送球するも流石に一塁までは間に合わない。それでもあわやトリプルプレーとなった守備に球場全体が沸いた。歓声の中でも平静を崩さず、一原は細田に2アウトだとシグナルを送る。ようやく細田は落ち着きを取り戻したらしく、一瞬だけ嬉しそうにはにかんでみせた。リズムを取り戻せば後はこちらのもの。細田は続く八番打者を伝家の宝刀スライダーを連投し三球三振に打ち取って見せた。

 

 

 回は巡って五回の表、一原は先頭打者として打席に立った。ホワイトソックスの投手は先ほどの回から左の速球派助っ人のグレイにスイッチしている。先ほどの回で五島に2ランホームランを浴びながらも、そこからは冷静に持ち直していた。先ほどの投球をぱっと見た感じ、最速150キロ中盤の速球と縦に曲がるカーブでごり押しして詰まらせるタイプの投手だ。肝心なのはストレートに押し負けない事。直球を意識して素振りする。よし、タイミングを崩されなければいけるはず。

 

 グレイがキャッチャーからのサインに頷き、左足を大きく上げて投球モーションに入る。初球は縦に割れるカーブが手元でワンバウンドした。バットが回りかけたが、何とかハーフスイングで踏みとどまる。キャッチャーの紫堂が三塁審へと確認をとるが、判定はボールのまま変わらず。2球目は真ん中高めに大きく外れるストレート。3球目のストレートに反応しファウルとなるも、続けてストライクが入らず。結局カウント3-1から四球を選んで1塁ベースへ労せずして進む事が出来た。レガースを外してボールボーイに預ける。

 

 打者は八番打者の加藤へと移る。一原はリードを取りながら三塁コーチャーから送られるサインを確認した。両手を二回叩き、左の耳に触れた後今度は右の耳に触れる。グリーンライト、つまり盗塁できそうなら盗塁しろとのサインだ。

 

(いや、いけるかコレ…?)

 

 そうこう迷っている間にグレイがセットポジションから投球に入る。モーションが大きく、クイックが出来ているとは言い難い。これがシーズン中ならもう少し様子を見るところだが、今日はオープン戦だ。自分をスタメンで使ってくれる機会が後何度訪れてくれるかなんて分からない。だったら今のうちにどんな形であれ結果をだしてアピールしておきたい。2球目、投手と呼吸を合わせタイミングを掴む。そして勝負の3球目、投手が投球フォームに入った途端にスタートを切る。走り出しはほとんど完璧と言ってよい。これなら盗塁も余裕でセーフになるはず―――。瞬間、文字通り矢のような送球がショートのグラブへと収まった。

 

(嘘だろ、早ッ…!?)

 

 ベースに手が届く寸前にボールはもう届いている。タイミング的には完璧にアウトだ。しかしだからと言ってアウトになるとは限らない。これしきの事であきらめてたまるか。

 

「うおらぁぁぁぁ!!」

 

 叫びをあげながら体をずらし、回りこむようにセカンドベースに滑り込む。ショートのタッチは結果として追いタッチとなった。二塁審が両手を水平に広げる。すんでの所でセーフになったらしい。…それにしても結構余裕あったのにな。足にはそこそこ自身があったし、スタートもよかった。それでも紫堂の肩が勝っていたという事実に、ただ唇を噛みしめる。

 

 加藤はその後セカンドゴロへと倒れ、続く万丈一郎もセンターへのポップフライに倒れてベアーズはこの回にランナーこそだしたものの、結局得点を奪う事が出来なかった。

 

 

 

 



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オープン戦 VS埼玉ホワイトソックス③

段々どういう方向性に行っているのか分かんなくなってきましたが私は元気です。


 試合は両者膠着状態に入ったまま、中盤を終えて終盤に入ろうとしていた。5回を互いに無得点で終え、両チームともに継投策に入る。6回の表、二死ながらツーベースヒットと進塁打でランナーを得点圏に置き、迎えるはこの日七番に入った一原。今日の成績はホームラン一本に四球、盗塁が一つとチームに貢献する打棒を発揮している。対する投手は育成選手ながら今年のキャンプ中からもずっと一軍に帯同している青海 京一郎(あおうみ きょういちろう)。データは少ないながらも二軍で20セーブを挙げ、セーブ王に輝いた実績を持っている。ランナーを出しながらも落ち着いた投球を見せている。

 

 セットポジションから入った初球、インコースにツーシームを投げ込み1ストライク。続く2球目はアウトコースギリギリへと入ってくるスライダーも審判が手を上げず1-1。3球目、糸を引くようなストレートにバットが振り遅れてこれがファールとなり1-2。追い込まれながらも一原の頭は普段通りに回っていた。心は熱く、頭は冷静に。頭の中で繰り返し念じて意識を集中させる。4球目に投げ込まれたストレートをカットしてファールで逃れる。5球目、低めにワンバウンドするスライダーを見送り、カウントは2-2とイーブンになる。そして勝負の6球目、長い間を取った後ようやく投球フォームに入った。

 

(来た!ど真ん中への失投!!)

 

 一瞬ふわりと浮いたボールは力なく真ん中へ入っていく。それに合わせるようにバットを滑り込ませる。しかし予想と反してボールは緩やかな軌道を描いて低めへと落ちていく。ワンバウンドする球にバットは止めることができず、中途半端なスイングで三振となった。振り逃げを狙ったものの、キャッチャーが落ち着いて一塁に送球しあえなくスリーアウト、チェンジ。ベアーズは千載一遇のチャンスを逃すこととなってしまった。

 

(今のはフォーク…いや、パームか…?)

 

 空を仰ぎながら一原は先ほど投じられた一球について考えていた。独特の軌道を描いたあの変化球には見覚えがある。高校時代、後輩が新しい変化球を覚えたと大はしゃぎしながら投げていた球と変化の仕方が酷似していたからだ。その時は三球目で見切ってホームランにしてやったが、今回の球はそれと違って非常にブレーキがかかったボールだった。

 次は必ず打つ。ベンチでバッティンググローブを外して、頭の中で打つイメージを固めて闘志を燃やす。…片手にバナナを持ちながら。タイタンズで投手をしていた頃もよく食べていたが、沖縄で食べるバナナはやはり別格だ。袋の裏にはフィリピン産と書かれていたが、そんな事は重要ではない。食べ物とはどこで採れたかよりもどこで食べるかが大事なのだ。それはそうとバナナうまし。

 

「おい、お――い守備の時間だぞ。さっさと用意しろー」

 

「モグモグ…何ですか二葉さん。バナナならあげませんよ」

 

「いや、だからこれから守備だって」

 

「…モグモグ、ゴクン。今集中してるんで…」

 

「守備だっつってんだろ!バナナ食っとる場合かい!」

 

 後ろから二葉に肩を揺すられ、現実に引き戻される。3アウトになっていたのを忘れていた。急いで残りのバナナを口の中に入れてグローブを取り出し、グラウンドへと駆け出した。

 

 ベアーズは6回裏に五十村を投入。その五十村は、首脳陣の期待に応えてホワイトソックス打線を三人とも内野ゴロできっちり抑えてみせた。七回は両セットアッパーが走者を出しながらも結果として0でしめる。均衡が破れたのは8回の裏。この回、抑え候補の2年目助っ人投手・ハンドが登板したものの、先頭打者に早速粘られる。最終的にハンドが折れ四球で出塁を許すと、続く打者に対してはストライクが一球も入らずストレートの四球。ランナーがたまったところでとどめの二点タイムリーツーベースヒットであっさりと勝ち越し打を浴びてしまう。

 

 そして9回表、二死。ランナーなしで一原が打席に入る。ホワイトソックスは2年前から抑えを務める台湾の英雄・(ヤン)投手がマウンドで仁王立ちしている。ここまで奪ったアウトは全て三振。打席に立った一原は何とも言い難いピリピリとした緊張感を肌で感じ取っていた。今まで対決したどの投手とも違う、圧倒的なまでの威圧感に押しつぶされそうになる。二軍やキャンプでは見た事の無い、超一流の投手であるという事は投球練習を見れば一目瞭然だった。でも、だからこそこの投手からヒットを打つことに価値があるというものだ。

 

 燕がロジンバッグへと手をやり、白い粉が辺りへと舞い散る。おもむろにロジンバッグを投げ捨て、セットポジションから投球モーションに入る。左腕から繰り出されたストレートはうなりをあげながら勢いよくキャッチャーミットへと吸い込まれ、球審が右手を上げてストライクを宣告する。球場のスコアボードには151キロと表示されていたが、体感ではそれよりももう2,3キロほど早く感じた。矢継ぎ早に投じられた二球目はインコースいっぱいにカットボールが決まり一気に2つ目のストライクを奪う。そして追い込んでから投げられた3球目。

 

(…え、は?消えた?)

 

 月並みな表現だが、本当に「消えた」としか言い表せない変化だった。アウトコースへのカットボールかと思われたそのボールは、一原の視界から逃げるように手元で大きく変化した。高速スライダーよりもさらに球速は速く曲がりは大きい。燕投手の名前を取って俗に「ツバメスライダー」とファンから称されるその変化球は左打者殺しの魔球だった。

 

「クソッ!全く変化が見えなかった…!」

 

 スパイクで地面を蹴ってベンチへと引き下がっていく。先ほど対戦して三振に終わった青海とは全く違う感覚。手も足もでないとはまさにこの事だろう。この投手からははっきり言って打てるビジョンがわかなかった。終わり良ければ全て良しという言葉があるが、今回はそれと真逆の状態だ。気色の悪い感覚が頭にまとわりついて離れない。引きずらずに次の試合に向かわなければならないのに、最後に空振りしたあの球はこの先も脳裏について回るような嫌な感じがした。

 

「そんなに死にそうな顔すんなよ。二打席連続三振なんてよくある事だぞ」

 

「そうそう、九重先輩の言う通り!お前の場合深く考え込みすぎなんだよ」

 

「…俺、今そんなに怖い顔してますか」

 

 ベンチに戻ると一原の表情をみかねたのか、九重と二葉が声をかける。二人から指摘されてようやく一原は自分が酷い顔になっていた事を自覚した。心配ないと無理に笑みを作ろうとするが、普段の表情筋が固いせいか中々上手くいかない。手で口角を無理矢理上げようとしたが途中であきらめた。そんな事をしたところて何の意味もないと気づいたからだ。

 

「まぁ気にするな!今日はホームランも打ってるし、初戦としては上々だろ!」

 

「…そうっスね」

 

 九重の言葉に、一原は中途半端な返事を呟くほかなかった。

 

 

◇◇◇

 

 【実況スレ】北海道ベアーズVS埼玉ホワイトソックス Part5

 

200:野球好きの名無し ID:Gsk2ge3Da

最後は三者連続三振で勝利!

お疲れ様でしたー

 

201:野球好きの名無し ID:da52DlDiL

マケタデー

切り替えて明日や明日

 

203:野球好きの名無し ID:SLde49DJk

サンキュー燕 フォーエバー燕

今年もよろしく頼むわ

 

204:野球好きの名無し ID:LE7r1kgar

う――ん一原三振か

燕の球に全然タイミングあってなかったな

 

206:野球好きの名無し ID:Le2ea8Dwk

キングスもグリーンも燕も最高や!

ずっとホワイトソックスにいてくれよな~

 

207:野球好きの名無し ID:Id34ALcc6

去年と課題は相変わらずだな

点が入るのは大体ホームランでタイムリーが出ない

チャンスに弱いのかそもそもチャンス自体を作れないのか

 

209:野球好きの名無し ID:wDig9a7ad

今日は良い選手と悪い選手がはっきり分かれてたな

一原と五島はナイスホームラン

細田とハンドは反省な

 

212:野球好きの名無し ID:Kde1i7gal

ワイの推しの五島きゅんが活躍したから満足や

今年こそはレギュラーに定着してくると信じてる

 

216:野球好きの名無し ID:ND18Kidea

キングスの一発で目が覚めたわ

っぱ野球は長打よ

 

217:野球好きの名無し ID:1DldAnc70

すまん、純粋な疑問なんやが

一原って長距離砲タイプなんか?

 

220:野球好きの名無し ID:Yk9wod2aw

>>217

高校通算本塁打30本以上でセンバツでもホームラン打ってるし長打力はある方だと思う。

長距離砲かどうかは知らね

 

221:野球好きの名無し ID:Dka38wond

ホワイトソックス打線強すぎて草生える

今年は日本一やね

 

222:野球好きの名無し ID:Fj63Enaiq

ハンドは相変わらずやね

四球四球で自滅じゃ守る方もどうにもならんよ

 

225:野球好きの名無し ID:4Cqo0gead

紫堂もいい当たりあったし若手が順調に育ってきてますわ

ホワイトソックス最高や!

 

228:野球好きの名無し ID:aor4SEs6T

>>225

当たりは良かっただけに運が無かったな。

にしてもあれで1塁ランナーアウトにしてくるとは思わんかったわ

一原お前ほんまに内野初めて1年目か?

 

233:野球好きの名無し ID:he61KKstr

>>228

あの守備+ホームランだからな。

三振二つは気になるけどこのままいけば野木のポジション奪えそう

五島と並んで貴重なホームラン打てる打者だし大事に育ててほしいわ

 

236:野球好きの名無し ID:v9Bw48hQi

ところで6回の守備につく時に一原が何か口をもごもごしてたけど何かあったんか?

 

240:野球好きの名無し ID:Opd10tYOu

>>236

現地観戦民たけどバナナ食ってたみたいやで

ベンチにいる内に食べきれなくて残りを一気に口に入れてたのが見えた

 

244:野球好きの名無し ID:v9Bw48hQi

>>240

サンキュー

にしても涼しい顔してバナナ食ってんの草生えるわ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




選手名鑑①
一原 数人
身体能力の高さが目立つ大型内野手。元投手だけあって肩の強さは一級品である。芯に当たれば一発長打も秘めている厄介な打者である。性格は冷静かつストイックで、常に自分のバッティングについて貪欲に探究している。ちなみにフルーツが好物で、特にバナナを試合中にベンチで食べている場面がよく見られている。


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衝突

 あっという間に月日は流れ、オープン戦も今日の一戦を終えてすべての日程を消化していた。最終的に残した成績は打率.250、本塁打2本、打点は9に盗塁3つという何とも評価し難いものである。

 

2軍や俗に1.5軍レベルと呼ばれる投手からは快音を響かせるものの、1軍で安定してローテーションやリリーフを務める投手からは中々ヒットが出ない。特に左投手からは燕のスライダーが余程脳裏に浮かぶのか、打率.167、5三振という酷い有様であった。そんな俺の成績を見て首脳陣が下した決断とは…

 

「一原、すまんがお前には基礎から叩きなおしてもらう必要があると判断した。明日から千葉に向かってくれ」

 

 千葉にはファーム、いわゆる二軍に在籍する選手のための寮がある。要するに二軍調整、という残酷なものだった。

 

「…そうですか」

 

 歯を食いしばって拳を握りしめる。この結果に納得がいかないというわけではない。同じポジションを争う野木は自分よりも高い打率を叩きだし、出したエラーが少なかったのも知っている。

ただただ、自分の成績が良くなかっただけだ。自らのふがいなさに怒りを抑えるので精一杯だった。俯いたまま顔を上げられない自分の表情を察してか、監督の漆原は付け足すように話を続けた。

 

「まぁそう肩を落とすな。二軍で万全の状態までもっていってから一軍に上がってもらいたいんだ。それにな、お前には二軍で学んでもらいたい事がある」

 

「学んでもらいたい事?」

 

「そうだ、同じく二軍調整が決まっている四谷(よつや)にバッティングを教えてもらえ。ここ最近のアイツはあまり調子が良くないが打撃理論はしっかりとしたものを持っているからな。学べることも多いだろう」

 

「はぁ、よくわかりませんが。とりあえず話だけでも聞いてきます」

 

「その調子だ一原。お前がやってくるのを楽しみにしてるからな!」

 

 その後は世話になった先輩たちへの挨拶をすませようと二葉と九重を探した。奇遇な事に二人とも同じ場所にいたので、探すのにはあまり手間取らなかった。二軍に降格になった事を率直に話すと、二人とも意外そうな顔をしていた。話を聞いてみれば二人とも自分が一軍に残る事を微塵も疑っていなかったらしい。二葉に至っては自分が一軍に残る事に3日分の昼食代を賭けていたらしい。それでも二人とも発した言葉は同じだった。

 

「「先に一軍で待ってる」」

 

 期待をかけてくれた二人の期待に応えるためにも、最短で一軍で帰ってくる。そんな思いを胸に千葉へと向かう飛行機に乗った。

 

◇◇

 

 二軍で調整に励むこと半月が過ぎた。いつの間にか桜は散り、辺り一面ピンク色で染められていた寮近くの公園も緑色に衣替えしていた。ここまで俺はファームでは主に三番・サードとして出場し打撃成席は打率.333、ホームランは3本で打点は12と順調な成績を残していた。オープン戦でも2軍の選手からは打っていたのである意味当然と言えば当然の事だった。

 

克服したのは左打者に対するバッティングである。自らの映像を繰り返し確認し、二軍コーチとのマンツーマンで取り組んだ結果、突っ込みがちだった体勢を立て直すことに成功した。これにより外角から逃げる変化球に対して余裕をもって見逃す事が可能となり、ボール球のスイング率の減少に繋げる事ができたのだ。

 

 そして二つ目の課題である四谷 将大(よつや まさひろ)との接触だが…

 

 

 

全くうまくいっていなかった!!

話しかけるまではいい、大した問題ではない。いくら「クールぶっているだけのコミュ障」だとか「野球の事しか考えていない男」と言われた俺にだって他人に話しかける事くらいは簡単にできる。問題はそこからだ。とにかく会話が続かないのである。

 

話してみて分かったが、四谷も自分と同じようなタイプであった。あまり長く語る事を好まず、そんな時間があるなら野球の練習に費やす種類の人間だ。この前話しかけた時だって「バッティングの邪魔だ、後にしろ」と邪険に扱われていた。

 

 ただ、それにしたって違和感がある。何というか、一言では言い表せないけれど、コミュニケーションが苦手というよりは意識して話すのを避けているような感じだった。

 

それに、バッティングにも違和感が残る。四谷は一塁手や指名打者として四番に座るものの、打率は.235、ホームランは1本、得点圏打率に至っては.200と低空飛行を続けていた。特に俺が出塁した時なんてほとんど打ったのを見た事がない。

 

 俺が記憶している限り、四谷将大という打者は超一流の二塁手だったはずだ。当然のようにレギュラーの座に座り30本塁打以上を記録する事二度、90打点を超える事三度。チャンスに強いバッティングを見せ、ベストナインの常連として名を連ねていた。

 

怪我をして二軍調整をしている事は風の噂で知ったが、それでも本来二軍でくすぶっているような打者ではない。それがどうして今現在二軍で打撃不振にあえいでいるのか、それにどうして本職の二塁ではなく一塁を守っているのか、考えてみれば謎だらけだ。

 

だけど、それがどうした。だからといって諦めるわけ理由になんてならない。ここで打撃理論を教えてもらってさらに成績が向上すれば堂々と胸を張って一軍に昇格する事が出来る。というわけで、今日も今日とて俺は四谷に話しかける。

 

 事件が起きたのはそんな春のことだった。

 

 

 

 ファームで迎えた千葉マリナーズとの三回戦。ここまで試合展開は拮抗しているものの、6回裏、連続ヒットで無死一二塁のチャンスを作ると打席には四番の四谷。彼ならこの場面でうってくれるはずだ。

 

2ストライク1ボールと追い込まれた状況、完全に当てに行っただけの弱弱しい打球はセカンド正面へと転がっていく。頭から滑り込むもギリギリのタイミングで二塁はアウト。ボールを受け取ったショートが一塁に送球しこれもアウト。この状況では最悪のダブルプレーだ。

 

ベンチに戻りながら四谷の表情をうかがうが、相変わらず覇気がない。ベンチに座ると珍しく四谷の方から話しかけてきた。自分に心を開いたのかと期待したが、呟くように吐かれた言葉はそれを大きく裏切るものだった。

 

「そんな必死になってどうする」

 

 ―――は?今この男は何といった?四谷の顔には苛立ちが浮かんでいる。言うに事欠いてあんたがそれを言うか。あー、ダメだ。これはダメだ。言ってはならない。頭の中では分かっているはずなのに俺の口はとどまる事を知らない。

 

「少しでもセーフの可能性があるなら滑り込むのは間違いではないと思いますが」

 

「そういう話じゃない。大して評価されない二軍の試合でそんなプレーをして何の意味がある」

 

「じゃあ何ですか。四谷さんは評価のためだけに野球やってるんですか」

 

「プロ野球とはそういうものだろう」

 

「俺はアンタとは違う。勝つために野球をやってる。アンタだってそうだったはずだろう!!他の選手達だってそうだ、勝つために野球をしているんだ!アンタが後ろで立ち止まってる分には構わない!だがな、前に進もうとする選手の邪魔だけはしないでくれ!!」

 

「何やってんだ!やめろ一原!!」

 

 一番に座る小村の一言でヒートアップした頭が冷めていく。気付けば四谷につかみかかるような体勢になっていた。小村が俺と四谷の間に立って何とか取りなそうとする。

 

「へ、へへへ。すいませんね、こいつ、物を知らないもんで。ほら一原も謝れ」

 

 冷静になったところで答えは変わらない。俺は間違ってなどいない。だから、頭を下げる気などこれっぽっちも無かった。

 

「アンタがそんなスタンスなら俺が証明しますよ。次の打席、ホームランを打ちます。それならどれだけ俺が本気か、認めてもらえますか」

 

 小村が頼むから察してくれ、という視線を送ってくるが知った事ではない。四谷は冷たい表情を変えないまま、踵を返した。

 

「…好きにすればいい。どうせ俺には関係の無い事だ」

 

 すかした態度を取りやがって。今に見ていやがれ。あわあわと右往左往する小村を置いておき、小さく舌打ちをしてグラブを取って守備の準備をする。試合に目を移せば、丁度タイミングよく五番打者が内野ゴロに倒れたところだった。

 

 

 

 

 ◇

 

 四谷将大は正真正銘、野球の天才である。幼少の頃からその才能を遺憾なく発揮し、中学の頃のシニアでも高校でも当然のように名門にスカウトされた。貴重な右の大砲として1年生ながらベンチ入りし、2年生の夏を終えてからはキャプテンを務めた。主に遊撃手を守り、高校三年間で重ねた本塁打の数は50本を超えた。

 

その結果、ドラフト会議では高卒内野手でありながら北海道ベアーズに単独一位指名を受ける。チーム事情の影響を受けて二塁手へとコンバートしたものの、自慢の打棒は変わらなかった。年を追うごとに順調に成績はステップアップし、5年目にして正レギュラーとしての立ち位置を確固たるものとした。守備では名手の野木一成と二遊間を組み、守備コーチからの熱心な指導も功を奏して年々守備指標も向上していた。私生活でも同級生と結婚し、二人の子供に恵まれた。これからもその成長を誰もが、そして何より四谷自身も信じて疑わなかった。

 

 最初はちょっとした違和感だった。肩がいつもより重たい。本当に小さなものだったし、申告すればレギュラーを外されるような気がして監督にもコーチにも話すことはなかった。

 

しかしそれは最悪の形で明るみに出る事になる。二年前、真夏の試合でそれは起きた。一塁に送球しようとした時、鋭い痛みに襲われたのだ。普段かく爽快感とは全く別の、冷たい汗が頬を伝う。肩を襲う激痛を前に、ただただうめき声を上げる事しかできなかった。立ち上がれないまま担架に乗せられ、病院へと直行した。医者からの診断によると、肩の靭帯を損傷したとの事だった。自分の座っている椅子ごと奈落にゆっくりと落ちていく感覚。あの時の感覚を四谷は忘れる事はない。否、忘れる事などできない。

 

 戦列に復帰してからも肩の痛みは続いた。今でこそようやくまともになったが、送球するときなどには痛みが走ってまともにコントロールする事も難しかったため、あっさりとセカンドの座を明け渡す事態になった。コーチとの相談の末に、セカンドよりも負担の少ないファーストを守ることになった。

 

バッティングを取っても以前の力強い打球は鳴りを潜めて、以前ならスタンドインしていたボールも外野手の前で減速してしまう。そんなプレーが続くうちに、いつしか怪我をすることが、野球をすることが恐ろしくなった。四谷将大は正真正銘、野球の天才である。天才であるがゆえに、「挫折」を知らなかった。

 

 試合は九回の裏。先頭打者の一原が打席に入る。先ほど吹っ掛けてきた言葉で気合が入っているのか、明らかに目の色が違った。もしかするともしかするのかもしれない。四谷は一人、ネクストバッターサークルで相手投手の投球を見ながら、考えていた。自分はなぜあそこまで一原に対して苛立っていたのか。

 

(…そうか、俺は)

 

 相手投手が投球モーションに入る、と同時に一原も右足を上げる。

 

(重ねていたんだ。昔がむしゃらにプレーしていた自分と一原を)

 

 乾いたバットの音が響く。大きく上がった打球をライトが追う。まだ追う。

 

(怪我する事など微塵も恐れていなかった、あの頃が羨ましかったんだ)

 

 一原が右の拳を高く掲げる。今日一番の歓声が球場を包み込んだ。

 

 ◇

 

 球場のスコアボードに灯った「1×」の文字を見ながら、今にも頬が緩みそうになるのを抑える。完璧なタイミング、真芯で捉えた自画自賛の一発。その感触は両手にしっかりと焼き付いている。勝利の余韻に浸っていると、誰かが声をかけてきた。

 

「一原」

 

 振り返った先には四谷がいた。何とも言い難い気分になる。(相手は認めてなどいないかもしれないが)勝負に勝ったのだ。ちょっとくらい威張りたい気持ちにもなるが、そこは流石に自重する。

 

「…なんですか。勝負は俺の勝ちですよ」

 

「そうだな、その通りだ。意地の悪い言い方をして、すまなかった」

 

 そう言って四谷は頭を下げた。素直に謝罪された事に戸惑いの色を隠せなかった。てっきり互いに意地を張り続けるものかと。別に謝ってほしかったわけではない。自分のやり方に口を挟まれるのが単に気に食わなかっただけだ。それでも、バッティングを教えてもらうタイミングは今しかない。直感的にそう悟った。

 

「それなら俺の打撃練習に付き合ってください。一軍で活躍するために、…勝つために四谷さんの協力が必要なんです」

 

「…俺は教えるのには向いてない。何より、今の俺のバッティングは二軍でも通用していない。それでも構わないと言うのなら」

 

「構いません」

 

 食い気味に即答した。元より断る気など全くない。左手を差し出す。

 

「これで契約成立ですね。よろしくお願いします」

 

「分かった。お前がそれでいいのならな」

 

 四谷も同様に左手で握手する。この日から、特訓の日々が始まった。

 

 

 

 




選手名鑑②
二葉 昴
 俊足と強肩で球場を沸かせる若手外野手。特に走塁技術は群を抜いて上手く、圧倒的な速さで一気にホームを狙う。高校3年の夏の甲子園では、伝説と呼ばれるレーザービームでチームのサヨナラ負けを阻止した。十九川とは同じ年にドラフトで指名された同期で、何かと競う事が多い。


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特訓の日々

 

 四谷は勝負をした次の日から早速バッティング練習に付き合ってくれた。

 

「違う、そのスイングじゃ打球が上がらない。もっとバットを軌道に乗せるように…こう、だ」

 

「う――ん、頭では分かりますけど。実際やれって言われると難しいですね」

 

「付き合ってくれと言ってきたのはお前だろう。それとも諦めるか?」

 

「ハッ!言ってくれますねぇ四谷さん!諦めるわけないじゃないですか!!」

 

 減らず口を叩きながらバッティングを続ける。確かに漆原監督が言っていたように四谷の指導はしっかりとしたものだった。どうスイングすれば長打が増えるか。より遠くに飛ばすために必要なスイングスピード、体全体を使ったスイング、弾道の高さ、それらすべてを身につけるためにはロングティーが効果的らしく、四谷はスラッガーとして必要な素養はロングティーで身に着けたと言っていたのを覚えている。

 

片付けを自分たちがやる事を前提に、既に二軍コーチからの許可は貰ってある。普段の練習が終わった時間を利用して、追加で練習に付き合ってもらっているのだ。まず四谷の言われたとおりにスイングし、細かい指摘を受けて修正する事の繰り返し。5日これを続けた事で、打球の飛距離はみるみるうちに伸びていった。

 

「にしても、勿体ないっすねぇ」

 

 休憩中、ベンチでスポーツドリンクを片手にぼそりと呟いた。四谷は自分の練習もしたいからとロングティーに熱中しているが、打球は俺よりも飛んでいない。彼のバッティングセンスの凄さは隣で見ていたから分かる。なのに今は調子が悪いのか、それとも怪我がまだ尾を引いているのか。そのどちらかを知る術はないが、あそこまで実績のある彼がこのままくすぶっているのはあまりにも勿体ないような気がしてならない。

 

「よっ!何が勿体ないって?」

 

「あ、ムスカさん。これはどうも」

 

「誰がラピュタの王じゃい。六笠(むかさ)だ馬鹿野郎。…ったく、それにしても、お前と四谷さんが一緒に練習するなんてな」

 

 隣でよっこいせ、と声を上げながら腰掛けるのは去年ドラフトで指名された社会人出身のショート六笠 等(むかさ ひとし)だ。地味ながら安定した守備に加え、卓越したインコースへの対応力を持っている。彼も先日の騒動を傍から見ていたようで、俺と四谷さんの仲を心配していたらしい。

 

「まぁ勝負に勝って練習に付き合ってもらう約束をしましたから」

 

 勝負?と頭にクエスチョンマークを浮かべる六笠をよそに、話を続ける。

 

「勿体ないって言ったのは四谷さんの事ですよ。…あれだけのバッティングセンスを持ってるのに二軍にいるままなんて」

 

「まぁ実績だけで打てれば世話ないわな。四谷さんもそろそろモデルチェンジする時なんじゃね」

 

「モデルチェンジ?」

 

「ほら、よくあるだろ?速球派だった投手がある時を境に技巧派になったりだとか、若い頃は俊足がウリだった選手がベテランになって巧打で存在感を示すようになったりとかさ」

 

「…あ、そっか。そうすればいいんだ!」

 

「お、おぉ。納得してくれたんなら何よりだけど」

 

「じゃあ六笠さん、練習に付き合ってください」

 

「ほぇ?」

 

 四谷が振るバットの音と、六笠の素っ頓狂な声が夕方の空に溶けて消えた。

 

 

 六笠等は困惑していた。以前の試合でいがみ合っていたベテランの四谷と若手の一原が、仲良くバッティング練習をするようになったのは別にいい。二人の間に何があったかは全く知らないが、その光景は大変微笑ましいものと言えるだろう。ただ、それにしたってなぁ…

 

「何で俺まで巻き込まれてるんだよッ!!」

 

「うるさいですよ六笠さん」

 

 六笠の虚しい叫び声が球場内に響く。どう考えてもおかしい、どうしてこんな事態になったのか。二軍での試合とその後の練習を消化して、寮に帰ろうとしたところを一原に呼び止められたと思えばこれだ。バッターボックスでは四谷が我関せずという様子で黙々と打ちこんでいる。

 

「ぜぇ、ぜぇ…。叫んでちょっと落ち着いた。…で、何でわざわざ俺を呼び止めたんだ?」

 

「それはですね…」

 

「それは…?」

 

 ごくり、と唾を飲み込む音がして、沈黙と緊張が辺り一帯を走る。一瞬とも長い間ともとれる沈黙の後、ようやく一原が口を開いた。

 

「……ぶっちゃけ近くにいたからです」

 

「おうちかえる」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!冗談、冗談ですから!!」

 

 荷物を整理しようとする六笠のユニフォームを、一原が引っ張って引き止める。

 

「離せ――!!どうせお前だって俺の事を何の特徴もない地味な男だと思ってんだろー!!」

 

 何かしらのコンプレックスを刺激されたらしい六笠の言葉に一原は若干言いよどむ。確かに彼は外見にも野球に関してもあまり目立つようなタイプではない。率直に言ってしまえば確かに一原は彼の事を地味な人だと思っていた。

 

「分かりましたよ。本当の事を話しますから…ね?一旦落ち着いてください」

 

「…うう。本当だろうな?」

 

 これはおだてておかないとまずい。普段コミュニケーションを得意としない一原でも流石にそれを悟った。

 

「ほら、六笠さんって社会人時代は巧打の右打者として活躍していたじゃないですか。その実績がある六笠さんなら四谷さんのモデルチェンジに付き合ってくれると思いまして」

 

「な、何だよ~、褒めたって何も出やしないんだからな~」

 

 今度は顔をパアッとほころばせる六笠。コロコロと表情を変える彼を前に一原は詐欺か何かに騙されやしないか心配になる。

 

「…でも、お前は自分のバッティングを教えてもらえればそれでいいんじゃないのか?てっきり俺はそんな風に思ってたけど」

 

 六笠がそう言うと、一原は不思議そうに首をかしげた。

 

「俺だけ一方的に教えてもらうのもおかしな話じゃないですか。こういうのはお互いにウィンウィンの関係じゃないと」

 

「ふーん…。お前って変なところで律儀なのな」

 

「何ですか、変なところって。ほら、早く行きますよ」

 

 どこか納得したような六笠を半ば引きずりながら一原は四谷の元へと歩き出した。

 

 

 

「…遅かったな、待ちかねたぞ」

 

「ひえっ」

 

 鋭い四谷の視線を前にして咄嗟に六笠は自分の後ろに隠れる。呆れた、せめて普通に話すくらいは出来てほしかった。

 

「いつも一緒に野球をしてるじゃないですか。何をそんなに怖がってるんですか」

 

「い、いやいやあの視線を真っ直ぐに受けるのは流石に恐ろしいって!逆に何でお前は平気なんだよ!」

 

 何でって言われても…まぁ確かに四谷さんの目つきは一般的に見てもかなり怖い方だとは思うけど、実際は言葉選びのセンスが絶望的に悪いだけで、悪い人じゃない。この前の言葉だって後から聞けば怪我を心配して言ったらしい。それならそうと言ってくれればいいのに、不器用にもほどがあるでしょ。それはそうとして、面倒くさいけど目の前の問題を解決しなくては。

 

「四谷さん、顔が怖いらしいんでもう少しマイルドな顔出来ませんか」

 

 怯える六笠をひとまず置き去りにして、彼に聞こえないように声を潜めて話しかける。そう言うと四谷は顔をもごもごさせた後、歪んだ笑顔を見せた。あっ、ダメだこのパターンは。

 

「ひええ、何、威嚇!?怖いぃ!」

 

 …帰りたい。というか、帰ろうかな。ともかく、早く練習がしたい。漫才のような二人の掛け合いを見て、俺は心底そう思った。

 

「…もういいんで、始めますよ」

 

「…?何を始めるんだ?」

 

 ごほん、と一つ咳払いをして間を置く。これから大事な話をする、という事を暗に示す合図のようなものだ。

 

「つかぬ事をお聞きしますけど。四谷さん、あなたは今の自分のバッティングに満足してるんですか?」

 

「まさか。満足はしていない。だからこうして練習を続けているんだ」

 

「四谷さんも薄々気付いているんじゃないんですか」

 

「何にだ」

 

 本当は四谷も分かっているはずだ。気づかないふりをしているのかは知ったこっちゃないが、恐らく認めてしまうのが怖いのだ。野手転向を打診された時の俺だってそうだった。だけど言わないと始まらない。前に進めないのだ。それを分かっているから遠慮なく言葉を発する。

 

「今のままじゃ通用しないってことです。このままじゃ、数年後には戦力外ですよ」

 

 沈黙が俺たち三人の間を包む。四谷は顔を伏せて何やら考えこんでいたようだったが、しばらくしてようやく絞り出すように話し出した。

 

「……そうか。お前たちからしても、そう見えるか」

 

「だから、モデルチェンジしましょう。俺たちも手伝いますから」

 

「は?モデルチェンジ?」

 

 少し四谷が興味を示したように見えた。しめた、これはチャンスだ。畳みかけるように話を続ける。

 

「変わる時は今です!今こそ長距離打者から新しい自分に転身する時です!そのために六笠さんも連れてきたんですから」

 

「ど、ど~も~」

 

 遠慮がちに六笠が手をふる。この期に及んでまだ四谷を怖がってるのはどうなのか。

 

「分かった、やろう。…元より俺は怪我で一度死んだようなものだ。まだこの世界で野球を続けていけるなら、俺はその可能性にかけたい」

 

「よし、それじゃあ決まりですね。時間ももったいないんでそろそろ練習しましょう」

 

 かくして二人(・・)の特訓の日々が幕を開けた。

 

 

 俺たち二人の特訓が始まって3日が過ぎた。六笠の指導のもと練習を続けていたが、今のところ目立った変化は見られない。

 

「そもそもですけど、四谷さんってどういう事を考えて打席に入っているんですか」

 

「とにかく鋭くスイングする事。あとはストレートに力負けしないこと。今まではとにかくそれだけを強く意識していれば上手くいってたんだが」

 

「ははぁ、要するにほとんど感覚で打ってたわけですね。ちくしょう、これだから天才ってやつは!」

 

 何やら叫んでいる六笠の事はひとまず置いといて、きがかりなのは四谷の方だ。やはり今までやってきたことを変える事はどうにも簡単にいかない。高く打ち上げるようなアッパースイングから、鋭い打球を飛ばせるようなレベルスイングの練習を試してみたはいいものの、これもどうにも納得がいっていない様子だ。

 

 一旦休憩してくると言って四谷はベンチへと引き上げていった。ぽつんと残された俺たち二人はこれからの事について話し合うことにした。このままじゃあダメだ、だけどいい方法が見つからない。

 

「完全に行き詰ったな。ここからどうすりゃいいんだ?」

 

「分かりませんけど、とにかくいろんな方法を試してみるほか無さそうですね」

 

「というか俺も練習していい?何か二人を見てたら俺も頑張らないといけないような気がしてさ」

 

「まぁ別に構いませんけど」

 

「じゃぁ四谷さんのバットを拝借して…って何じゃこのバット!?重ッ!!」

 

「そんなにですか?…うわ、本当だ。重い」

 

 四谷のバットを持ち上げるとずしりとした木の重みが両腕にのしかかる。そこで気が付いた。どうやら俺たちは初歩的な所を見落としていたらしい。四谷が普段どんなバットを使っているかなんて考えたこともなかった。ちょうど四谷が休憩を終えて戻ってくる。ベンチ裏で顔を洗っていたようで、前髪や眉毛がかすかに濡れていた。

 

「四谷さん、今まで重いバットを使っていたんですね」

 

「…?あぁ、その方が長打を打ちやすかったからな」

 

「打てなくなった原因、ひょっとしたらこれかもしれません。試しにちょっと俺のバットを使ってみませんか?」

 

「分かった。お前がそう言うのならやってみよう」

 

 そういって四谷は俺が差し出したバットを受け取ると、軽く素振りを始めた。10回ほど振ったところで納得したように頷いた。

 

「…打ちやすい」

 

「バットの重みが違うんで長打は以前ほどは打てないと思います。それでもヒットは打ちやすくなるんじゃないんですかね」

 

 たった数十グラムの違い。されどそれで劇的に変化するほど、野球選手というものは繊細なのだ。

 

「これからはこれと同じ重さのバットを使おう。六笠、このバットはお前にやるよ。練習に付き合ってもらった礼だ」

 

「えっ、いいんですか!?じゃあついでにサインもお願いします!」

 

 眼を細めながら注文をつける六笠。打ち解けたら急に図太いなこの人。それでいいのか六笠よ。それにしても、何だか思っていたよりずっと簡単に解決した気がする。…でも、まぁいいか。解決したんならそれで。

 

 その日を境に四谷の打率は飛躍的に向上した。直近5試合での打率は5割に迫る勢いで、特に得点圏では当然のようにヒットを量産した。

 

 そして、4月も終わりにさしかかろうとしたころ。

 

「おめでとう。今日からお前ら二人は一軍合流だとよ」

 

 俺と四谷の一軍行きが決定した。




今回の選手名鑑はお休みです


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NO.4

こんなに長くなる気は無かったんや…


 

「あっはっはっは!そんなことがあったとはなぁ!!」

 

 俺と監督の漆原の二人だけが残された監督室に笑い声が響く。目じりに涙をためるほどに爆笑している漆原を前に、一つ大きなため息をついた。

 

「笑いどころじゃないですよ。こちとら大変だったんですから」

 

「ひ―腹痛い。あー笑った笑った」

 

「まさかとは思いますけど、こうなることを見越して俺と四谷さんを接触させたわけじゃないですよね」

 

 俺の言葉に漆原はわざとらしく目をぱちくりさせる。何だかそれは、とても白々しく感じた。

 

「まさか。そりゃあ四谷の尻にそろそろ火をつけてやらないとまずいと思ってたのは確かだし、お前なら教えてもらいながら発破をかけてやる事もできるとは思ってたよ。だけど…ハハッ、そこまでやるなんてなぁ」

 

 相変わらず食えない人だ。そう思ったところで漆原が両腕を組む。さてと、じゃあそろそろ本題に入ろうかとまた話し始めた。いつしかその顔は、真剣なものに変わっていた。

 

「お前には代打からスタートしてもらう。レギュラーになってもらうためには、まずはそこで結果をだしてからの話になる」

 

「やっぱりいきなりスタメンで使うっていうのは難しいですよね」

 

「まぁお前の打力も捨てがたいが、総合力で言えば野木の方がまだ上という評価だ。評価を覆すには、それだけの結果がいる」

 

そりゃあそうか。分かってはいたはずだったけど、頭の片隅ではちょっと期待していただけに、残念だ。

 

「あと最後にもう一つ」

 

 漆原が自分に向かって人差し指を突き出す。その表情には笑みが浮かんでいた。

 

「PV撮影、しよっか!」

 

 

 PV(プロモーションビデオ)。要するにホームで出場する時に電光掲示板に流れるその映像は、選手のプロフィールを紹介するとともに、選手が個性を出せる数少ない場面である。といってもほとんど自分には関係のない話と言ってもよい。

 

 今年のチームスローガンは「常勝気流」。何度使い古されたかも分からないその言葉は、一周回って逆に新しいと言えなくもないものだった。何でも紹介する選手が雲に乗って現れるシーンは相当に気合が入っているものらしい。二葉なんかはバットを如意棒に見立てて孫悟空の真似をしたとかなんとか。

 

「はーい、もう少し肩の力を抜いてくださいね~。あ、まだちょっとにこやかに出来ないかなー」

 

 写真撮影は思いのほか時間がかかった。自分は普通の表情を保っているつもりでも、表情が硬いと何度も指摘され、結局は折れたカメラマンが妥協したというような形だった。シーンは大きく分けて三つ。全選手共通で、雲に乗って現れるシーンと拳を上に高く掲げるシーン。そして最後にバットを構えるシーンへと繋がっていく。合わない事をしたせいなのか、何だかどっと疲れが肩にのしかかってくる。やはり慣れない事は滅多にするものじゃない。

 

 撮影を済ませたあとは、球場での練習だ。ベアーズのホームは北海道ドームという大きな建物だ。日本にあるほかの球場と比べても1、2番を争うほどに広く、その上フェンスも高いときた。この球場でホームランを打つのは、なかなかに厳しいだろう。

 

「おーい、一原ー」

 

 そんな事を考えていると、先客がこちらへとやってきた。

 

「どうも、二葉さん」

 

「一軍上がったなら俺らにも報告しろよな~。つっても俺たちは知ってたけどな」

 

「…まぁ、向こうで色々あったんでバタバタしてて」

 

「あ!それ知ってるぞ。お前四谷さんと喧嘩したんだってな。度胸あるなぁ、何てったってあの四谷さんだぞ」

 

 最悪だ。考えてみれば当然の事だが、噂は一軍の選手たちの耳に入るほど広がっていたらしい。思わず頭を抱えたくなったが、二葉の手前だ。和解しましたけどと最初に念置きしておいて、冷静を装って話を続ける。

 

「喧嘩なんて人聞きの悪い。ちょっとソリが合わなかっただけのことですよ」

 

「でもその喧嘩してた二人が仲良く一軍に上がるなんてな~…何かあった?」

 

 勝負した後に特訓をしていた事をどうやら二葉は知らないらしい。ただその色々を一々説明するのも面倒だったので、適当な言葉で濁しておいた。

 

 

 

 

 

 試合前の最後の練習を終えて、ベアーズの選手たちは円陣を組んでいた。チームはここまで引き分けを挟んで3連敗中。順位は5位で、一昨日から始まった大阪オリオールズとの3連戦でもすでに負け越しが決定している。

 

「今のチームに必要なのは全員が100%の力で戦うことだ。今日スタメンで出る選手も、ベンチスタートの選手も、今日は自分がヒーローになるぐらいの気持ちで臨め!」

 

 監督の漆原の言葉に選手たちは大きな返事で答える。電光掲示板に今日のスタメンの名前が映し出される。

 

 スターティングラインナップ

 

大阪オリオールズ        

1番 センター   中原    

2番 ライト    藤井文   

3番 ショート   藤井敏   

4番 ファースト  上地

5番 指名打者   オールビー  

6番 レフト    ガルシア   

7番 キャッチャー 岡村    

8番 セカンド   土屋     

9番 サード    田山     

投手        馬越

北海道ベアーズ

1番 ライト    二葉

2番 セカンド   万丈一郎

3番 指名打者   万丈三郎

4番 ファースト  ヘンダーソン

5番 レフト    五島

6番 ショート   加藤

7番 センター   七海

8番 サード    野木

9番 キャッチャー 九重

投手        十九川

 

 

 十九川と馬越の投げ合いで幕を開けたオリオールズとベアーズの9回戦。試合は早速初回から動きを見せた。1回表、ヒットで出塁した中原を置いて、3番藤井敏が右中間を破るタイムリーツーベースヒットでいきなり得点。さらに2死3塁から5番オールビーが打球をセンターへ運び再びタイムリー。立ち上がりから十九川を攻め立ていきなり2得点を先制する。

 

 しかし連敗中のベアーズも負けていない。1番二葉から連続四球で無死一二塁のチャンスを作ると、三番万丈三郎がレフトへのヒット。この間に二塁ランナー二葉が一気に生還し、1-2。さらに4番ヘンダーソンが進塁打でランナーを進め、5番五島がライトへ犠牲フライをきっちりと上げ同点に追いつく事に成功する。

 

 試合は乱打戦になるかと思われたが、二回からは両先発が踏ん張りを見せる。特に十九川は得意球の右打者に食い込むシュートがさえわたり、2回からは3塁を踏ませないピッチングで5回までを2失点でまとめてみせた。一方の馬越も打者の手元で大きく落ちるフォークで相手打者を翻弄し、こちらも得点を許さない。

 

 

 試合が再び動いたのは6回の表。疲れが出始めた十九川がオリオールズ打線に捕まり始める。先頭打者の藤井敏が放った二遊間への鋭い打球を二塁手の万丈一郎が滑り込みながらバックハンドでキャッチ。すかさず一塁へと送球して1死となるも、続く上地にはセンターの頭をゆうに超えるツーベースを浴びる。次の打者であるオールビーに四球を与えたところでたまらず投手コーチが飛び出した。

 

「十九川、今日はよくやった。交代だ」

 

 オリオールズ打線はこれからガルシア・岡村と十九川が苦手とする左打者が続く。それを考慮したベアーズの首脳陣は早々に十九川の降板を決断した。

 

 変わって登板したのは左のオーバースロー・四万十(しまんと)。最速150キロ超を誇る直球に加えて、曲がりの大きなスライダーとのコンビネーションで三振の山を築く左のワンポイントだ。

 

しかし今日の四万十はスライダーの曲がりが早かった。ガルシアにスライダーを見極められ、カウントを取りに行った直球に狙いを定めて振りぬいてきた。打球はセンターとショートの丁度間にポトリと落ちて、その隙に二塁ランナー上地が一気にホームを狙う。センター七海が送球するも間に合わず、勝ち越し点を献上した。

 

 後続は絶ったものの、中盤にして重い重い一点がチーム全体にのしかかる。それでもなお、監督は冷静さを失ってはいなかった。

 

「…そろそろか。一原、四谷。いつでも代打で出られるように準備しておけ」

 

「あ、ハイッ!」

 

「分かりました」

 

 四谷と共に一原はベンチの裏に入る。練習場にはモニターがあるので、試合の状況を逐一確認することができた。二人は鏡に映る自分の姿を確認しながら素振りをする。…よし、今日も問題なく体は動いてくれている。それに、教わっていることをちゃんと意識できている。後はどう打席に入るか。そんな事を考えていると、珍しく四谷の方から声をかけてきた。

 

「…俺は、お前に伝えないといけない事がある」

 

 また何か始まるのか、と一原は本日何度目かも分からない深いため息をついた。

 

「何ですか、藪から棒に」

 

「言葉にして言ってしまうのは簡単だ。だがそれをしてしまうのは、あまりに軽いような気がする」

 

「まどろっこしいですね。つまり何が言いたいんですか」

 

「野球人として、結果で示す。かつてお前がそうしてくれたように、今日ヒーローになって伝えたい」

 

 そう語る四谷の目には、確かに闘志が宿っていた。

 

「…へぇ、そりゃまた大きく出ましたね」

 

「当然だ、それくらいでなくては意味がない」

 

「おーい、一原ー。準備しろだってよ~」

 

 二人の会話を遮ったのは、二葉の間の抜けた声だった。一原はベンチへと引き返しながら、呟くように言葉を吐き出した。

 

「ま、楽しみにしてますよ。ヒーローになりたいのは俺も同じですけどね」

 

 

 

 試合は7回の裏、オリオールズは左のセットアッパー・泉を投入する。しかしその先頭打者の加藤がいきなりヒットで出塁すると、代走の万丈二郎が一塁ベース上に立つ。そして続く七海に対する初球。二郎は勢いよくスタートを切った。キャッチャー岡村は捕球した体勢のまま動けない。ほとんど労せずして二郎は二塁を陥れた。

 

 七海はフルカウントから投げられたカットボールに詰まらされ、ボテボテの打球はセカンドへと転がる。その間に二郎は三塁へと到達し、これで1死3塁。ヒット、もしくは犠牲フライでも点が入る状況となった。

 

 そして次の打者である野木のところで、監督の漆原は決断した。

 

『選手交代のお知らせをします。バッター、野木に代わりまして、一原。背番号31、一原数人』

 

 湧き上がる歓声の中で、心臓が脈打つ音がやけにうるさく響く。電光掲示板に映る自分の姿を見ながら、頭の中では思考がぐるぐると回っていた。やっぱりもうちょっと格好つけるべきだったかな。いや、そんな事よりもこれが一軍の、日本最高峰の野球の景色か。思わずバットを握る手が熱くなるような思いだった。

 

 いつも通り素振りをして、土を払い、左のバッターボックスに立つ。普段の動きをトレースして、はやる気持ちを抑え込む。相手の内野陣はいつもより前進している。バックホーム体制なので内野ゴロで得点を取るのは難しそうだ。狙うなら外野の深いところ。息を大きく吸い込んで構えをとった。

 

 初球はインコースからストライクゾーンに入ってくるカットボールを見逃してストライク。そうだ、投手の泉にはこれがある。左打者から逃げるように大きく曲がるカットボールと、インコースを突くような小さく変化するツーシームを軸に打者をきりきり舞いにするのだ。しかし基本的な球種は直球が半速球かの二択しかないので、目が慣れてしまえばそこまで怖い投手ではない。自分のスイングが崩されなければ、打てるはずだ。

 

 二球目、投じられた球は打つ手前でワンバウンドする。またカットボールだ。どうやらカットボールを中心に攻める心づもりらしい。確かにこの球は厄介そうだ。

 

 三球目、今度はストライクゾーン高めのストレートを何とかバットに当ててファールにする。電光掲示板に計測された球速が表示される。158キロ。先ほどのようにカットボールばかりに意識を向けていては直球に詰まらされる。

 

 そして四球目、低めに来たカットボールをライトへと打ち上げた。タイミングを外され、不格好なスイングでカットボールを下から叩いた打球は途中で勢いを失っていく。それほど強い打球ではないが、それなりに飛距離はある。犠牲フライには十分な距離だ。ライトの藤井文が捕球すると同時に二郎がスタートを切る。送球がセカンドへと中継される間に生還した。

 

「ナイス犠牲フライ、これで同点だ!」

 

 完全に力負けした。ベンチに戻るとランナーの万丈二郎が背中を叩いて祝福してくれたが、どうにも納得がいかない。自分が打ったのはしょせん最低限の当たりで、状況が状況だったから得点が入ったものの、こんなものじゃダメだ。教えてもらったことを生かせていない。

 

「ほら、プロ初打点だぞ初打点!もっと喜べよ!」

 

「…いえ、そうもいきません。次こそ必ず打ちます」

 

 不思議そうにしている二郎を差し置いて、頭の中で反省とシミュレーションを重ねる。次に打席に立つときは、もっといい結果を残せるように。

 

 8回の表からそのまま守備に入ったが、打球が飛んでくることはなかった。強いて言うなら、ファールボールが飛んできたくらいだ。9回になってもボールが飛んでくることはなく、俺に守備をさせないつもりなのかと疑ったほどだ。

 

 8回表はセットアッパーの十文字(じゅうもんじ)がマウンドに上がり、1死一三塁のピンチを招くも続く打者を内野へのポップフライに仕留め、窮地を脱した。9回表にはハンドが登板した。今日のハンドはかなり調子がいい方だった。ガンガンとストライクゾーンに力のこもった真っ直ぐを投げ込み、力押しで打者三人できっちり抑えて見せた。

 

 9回の裏。オリオールズベンチは直球と鋭く曲がるカーブのコンビネーションがウリの若手リリーバー・福田を投入した。万丈二郎と七海はカーブにバットが回り、二者連続三振であっさりと2死まで追い込まれた。

 

 そして次の打席には俺。その初球、わずかに高く浮いたカーブを叩いた。打球はポール際へと吸い込まれて消えた。審判が両手を横に広げる。ファール、ファールだ。甘く入った球だっただけに、今のは仕留めたかった。

 

 二球目は力んだのかボールがワンバウンドしてボールとなる。これでカウントは1-1のイーブンだ。三球目、今度は完全な失投。高く浮いたストレートをフルスイングする。打球は伸びて伸びて…ライトフェンス上部へと直撃した。その間に一塁ベースを蹴って一気に二塁まで到達する。

 

(今の、ここじゃなけりゃ入ってたな)

 

 心の中で愚痴をこぼす。今のが入っていたら、ヒーローは確実だったのに。ともあれ、ヒットはヒット。それもプロ初安打だ。ベンチが打ったボールを回収しているのがかすかに見えた。何となくだが、ようやくプロの舞台に立てたような、そんな気がした。

 

 二塁ベースから次の打者を確認する。打順で言えば次は九重の打席だが…ネクストバッターサークルで準備をしているのは四谷だ。そう気づいたときに、丁度アナウンスが流れ始めた。

 

『選手交代のお知らせをします。九重に代わってバッターは四谷、背番号4、四谷将大』

 

 ワッと球場内に歓声と拍手が響く。それで気づいた。ファンの人々も彼が戻ってくるのをずっと心待ちにしていたのだ。その熱気は肌にピリピリと伝わるほどだった。一打が出ればサヨナラという場面で、オリオールズの外野陣は前進している。浅い当たりなら帰さない構えだ。

 

 四谷が放っている雰囲気は二軍で見たものとは全く別のものだった。張り詰めた空気の中で、一人だけ別の空間にいるような、そんな感じ。その初球、低めに制球されたスライダーを捉えた。打球はショートの頭を超えて、レフト、センターの間に落ちる。

 

打球には目もくれず、打った瞬間にスタートを切っていた俺は三塁コーチャーの指示を仰ぐ。回した、回した!三塁ベースを踏みぬいてさらに加速していく。足を前へ、手を前へ。呼吸をするのも忘れて一目散にホームへと駆け抜ける。間に合え、間に合え。ここで間に合わなきゃ何より男じゃねぇ!!

 

世界がスローモーションで回っていく。キャッチャーがホームベースの位置から少しずれているのが確認できた。ボールが頭の上をかすめるような感覚。それと同時にホームベースへと手を伸ばす。審判が両手を広げた。

 

「セーフ!セ――フ!」

 

 そして世界はいつも通りの速さを取り戻した。ベース上で寝転ぶようにして、ようやく深呼吸をする。一塁ベースを見れば、四谷がチームメイトから手荒い祝福を受けていた。とっさに一塁へと駆け寄ると、四谷はもみくちゃにされながらも拳を伸ばした。

 

 呼応するようにこちらも拳を突き合わせる。何か熱い抱擁があるわけでも、激しいハイタッチを交わすわけでもない。けれども二人の間には、もうそれだけで十分だった。

 

 

『放送席、放送席。ヒーローインタビューの時間です!!本日のヒーローは二人!プロ初安打初打点の一原選手と、サヨナラタイムリーを放った四谷選手です!』

 

 そう来たか、と思いながらグラウンドへと走り出す。てっきりサヨナラタイムリーを打った四谷と投手の誰かが選ばれるものだと思っていたが、まさか自分が選ばれるとは。照明と記者のたくフラッシュが重なって眩しい。

 

『まずは一原選手。8回の犠牲フライ、どんな気持ちで打席に入りましたか?』

 

「ええ、まぁとにかくランナーを返す事を一番に考えていました。内野は前進守備でしたし、とにかく外野へ飛ばそうと」

 

『次に9回のツーベース。打った時どんな感触でしたか?』

 

「とにかく一本をと思っていたのでいい感触でした。欲を言えば、ホームランになってほしかったですけどね」

 

 球場内に笑いが巻き起こる。初めてのヒーローインタビューにしては中々上出来なのではないだろうか。

 

『そして四谷選手。さすがの一打でした』

 

「初球から積極的にいこうという気持ちで打席に入ったので。いい結果に繋がってよかったです」

 

『ありがとうございます。それでは最後に四谷選手、一言お願いします』

 

「はい。一時期怪我の影響で苦しい時期もありましたが、ここまで戻ってこれたのはファンの皆様、そして自分をここまで押し上げてくれた人達のおかげです。本当にありがとうございます」

 

 そういって四谷は深く頭を下げた。盛大な拍手が球場を包み込んでいく。自惚れでなければ、押し上げた人達という中に、自分も入ってるのかもしれない。

 

「これからもチームが勝てるよう努力していきますので、応援よろしくお願いします」

 

『ありがとうございました。以上、ヒーローインタビューでした!』

 

 ファンに向けて頭を下げて振り返ると、そこにはバケツを持った二葉がいた。気づくと同時に水を頭からぶっかけられる。四谷も同じように、九重から洗礼を食らっていた。俺たちは二人、びしょびしょになったお互いの姿を見て、笑みをこぼした。

 

 

 

 

 

 

 

 




選手名鑑④
四谷 将大
勝負強いバッティングでチームを救うベテラン内野手。
昨シーズンはキャリアワーストの出場数にとどまったが、ここから再起を図る。
好物は焼肉。


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正捕手と守護神

「はい、じゃあチームの勝利を祝して、かんぱーい!!」

 

 野木の音頭のもと、4つのグラスが音を立てて重なった。祝勝会に集まったのは俺に野木、九重、そして四谷。俺と四谷は試合後そのまま帰ろうとしていたが、野木の『祝勝会なのにヒーローがいなきゃ話にならないだろ』との一声で強制連行された。もっとも、四谷は焼き肉だと聞いた途端素直についてきたが。

 

「よし、何から頼む?今日は俺のおごりだからジャンジャン食えよ!」

 

「じゃあ俺は牛タンとハラミ、あとご飯で」

 

「俺は野菜セットでお願いします」

 

「おいおい、最初から野菜かよ一原。遠慮しなくていいんだぞ」

 

「いや、野菜が好きなんです」

 

「あ、そう。で、四谷は?」

 

「…今はまだ考えてるところなんで後で頼みます」

 

 天才とは孤高にして孤独である。それは焼肉においても同様だった。話すようになって分かったことだがこの男、三十にしてピーマンを食べられないくらいには幼稚である。その証拠にさっきから肉のページしか開いていない。あまりの様子に見かねた俺は、助け舟を出してやることにした。

 

「ほら、四谷さん。この肉詰め合わせセットとかどうですか。食べられない分は俺たちがもらいますんで。だから俺が食えない野菜の分も食べるの手伝ってくださいよ」

 

「…なるほど。考えたな」

 

 何格好つけてんだこいつ、そんな決め顔したってアンタが野菜を食えないのはダサいままだぞ。この人はこれが素なのだ。野球を除けば純度100%の天然、それが四谷将大という人間である。

 

「それほどでも」

 

 そんな俺たちの光景を見て何を思ったのか、野木の頬には一筋の涙が伝っていた。突然の涙に目を丸くする。

 

「えっ何ですか、何かしましたか俺ら」

 

「泣いてない、これは煙が目に沁みただけだ」

 

「大丈夫ですか」

 

「いやぁ、冗談冗談。何だか感慨深くてな」

 

「………?」

 

四谷(コイツ)はなぁ。昔っからこんななんだよ。口数は少ないわ、口を開いたかと思えば喧嘩の種を蒔くわでとにかく誤解を生みやすい奴でな。フォローするのも大変でさ」

 

「…そんなことはないですよ」

 

 当事者は黙ってろ。とはいえ、なぜか簡単に想像できてしまう自分が嫌だ。四谷のことだ、コミュニケーションエラーを起こすのは日常茶飯事だったのだろう。と、想像していると頼んでいたものがちらほらと届き始めた。九重がそれを素早く鉄網の上に乗せ始める。

 

「何だかお前ら二人が仲良くしてるの見て安心したわ。一原、お前を四谷係に任命しよう」

 

「何ですかそれ、聞く前から既に嫌なんですけど」

 

「四谷の意図を訳して他の人との衝突を避ける係。ちなみに前任は俺な」

 

「普通に嫌です」

 

「そんな事言わずにさぁ~」

 

「ほらほら二人とも、焼けてきましたよ」

 

 二人の会話に割り込んで九重がバランスよく焼けた肉や野菜をそれぞれに分けていく。雛に餌をあげる親鳥、という表現がふと頭に思い浮かんだ。

 

「さっすが九重、肉を焼くのは一流だな」

 

 九重が鼻高々に笑みを浮かべながらトングをカシャカシャと動かす。

 

「まぁ周りを見る能力はキャッチャーで培ったんで?このくらい余裕ですぜ」

 

 揃って肉に食らいつく。勝利の後で食べる肉は、やはり格別だった。

 

「ほら、四谷さん皿出して。野菜あげますよ」

 

「いらん」

 

「さっき食べるっていったでしょう」

 

「考えたな、とは言ったが食べるなんて一言も言ってない」

 

「子供ですかアンタ!いや子供でもまだまともな屁理屈こねるわ!」

 

 鉄の箸での熱いつばぜり合いが始まる。やっぱりこの人の世話は無理だ、というか絶対にしたくない。

 

「はは、やっぱお前らお似合いだよ」

 

「「うるせぇ!!」」

 

「えぇ…まさか四谷にまで大声でののしられるとは。俺一応お前の元世話係だぞ」

 

 久しぶりに大声出す場面がこんなのでいいのか四谷。さっき打った時の感動返せよ。

 

 

 中途半端に残ったコークハイはすでに炭酸が抜けかけていた。九重の見事な焼き加減とトング捌きっぷりにプロ野球選手4人の食欲も重なって、あっという間に空になった皿が山のように重なっていく。全員かなりの量を食べたため、箸はほとんど動かない。ほとんど喋るだけの席に移行していく中、トウモロコシを鉄網に乗せながら九重がいきなり爆弾を投下した。

 

「それにしても、一原がいきなりヒットを打つとはねぇ。こりゃあ野木さんも焦るんじゃないですか?」

 

 その言葉で空気に亀裂が走った。平然としているのは四谷だけで、彼は肉を食べることに没頭している。こんな時でもマイペースでいられるところは尊敬するが、そうなりたいとは流石に思わない。九重は「俺、なんかまずいことでも言っちゃいました?」という顔をしている。いや本当にその通りだよ。祝いの席で急に変なことを言うんじゃないよ。重苦しい空気が辺りを漂う中、野木が口を開いた。

 

「そりゃあ驚きはするけど、俺は負担が減るなら願ったり叶ったりだよ。戦力が増えるっていうのはチームとして嬉しい悩みだし」

 

 そんな事より、と今度は野木が反撃に出た。

 

「お前こそ危ういんじゃないか。第三捕手で力を付けてきてる安藤に、打撃が今好調な五島だっている。守備力だけでポジションを守れるほど、キャッチャーってポジションは甘くないだろ」

 

「はは、参りましたね。それを言われちゃこっちは言い返せないですわ」

 

 九重が照れたように頭を掻く。確かに、九重の打率は2割台前半で、五島は2割8分台を記録している。本塁打の数を取っても二人には大きな差があった。それでも九重の余裕は崩れていない様に見える。慢心とは違う、確信めいているような何かがあるのだろう。裏に何かを隠したような胡散臭いその笑みに、どこか漆原と重なるものを感じた。

 

「ま、でも俺もぼちぼち死ぬ気でやっていかないとまずいかもなぁ」

 

 誰に向けたわけでもない九重の言葉に答える者はだれもおらず、鉄網から立ち込める煙の中に溶けていった。

 

 

 一原と四谷が一軍に帯同するようになってから、徐々にだがチーム状況は良くなりつつあった。チームは首位を快走するホワイトソックスと8ゲーム差で離れた4位。それでも3位の千葉マリナーズとは2.5ゲーム差まで詰めている。

 

 四谷は代打の切り札から一気に首脳陣の信頼を勝ち取り、ファーストや指名打者での出場を増やしていった。ここまでの打撃成績は打率.316、本塁打1本、打点16。クリーンアップにしては本塁打が少ないが、得点圏での打率はチームでも屈指の高さなので最近は4番に据えることが多い。

 

 一原は代打での出場が基本的に多いが、野木が休みの時の二番手としての地位を確立している。ここまでの打率は.272、本塁打2本、打点7。野手転向一年目ということを鑑みても成績は順調だ。これからはスタメンでの出場も増やしていく予定で、野木と正三塁手の座を奪い合うことになるだろう。

 

 打撃陣が順調に成績を伸ばしているベアーズだったが、一方で漆原を悩ませる大きな問題があった。絶対的な抑え投手、つまりは守護神の不在である。シーズンが始まってからというものの、ベアーズにはクローザーというものがいなかった。

 

 抑え候補だった新外国人投手のフレッチャーは開幕3戦目で打球が足に直撃して以来、登録を抹消されている。守護神はチームの勝利を決定づけるとともにその勝敗の責任を一身に背負う立場である。それだけにかかるプレッシャーは多大なものだ。現状は日替わりでクローザーを決めているが、やはりというべきか救援失敗のケースも多い。

 

(どうするべきか…十文字やハンドはセットアッパーとして定着しているし動かしたくない。となれば他の投手だが、五十村はコントロールも良くないし被弾も多い。何より本人は先発希望だ。細田は左打者相手だと極端に弱い。…はぁ、どこかにコントロールがあって決め球も持っている投手がいないものか)

 

 そう考えたところで、漆原は一つの結論に思い至った。その条件に思い当たる投手が、二軍に一人だけいる。経験で言えばまだ浅いし、ムラも大きい。だが彼が守護神に定着することができればチームにとってこれ以上ないカンフル剤となるに違いない。

 

 漆原光彦にとって、挑戦とギャンブルはほぼほぼ同義といってもよい。前進することとはすなわち賭けに出ることであり、挑戦した先にこそ結果がついてくるということを信じてやまなかった。そうと決まれば善は急げだ。漆原は急いで投手コーチへと電話をかけた。

 

 

 

 今日から始まる交流戦に向け、選手達は甲子園で練習に励んでいた。相手は兵庫パンサーズ。昔から人気のある古豪で、今でもその人気は12球団の中でも熱心なファンが多いことで有名である。

 

 そして俺にとって甲子園は、高校時代に出場してからめっきり訪れていない球場だった。久しぶりに訪れる高校球児の聖地に有り余る興奮を抑えきれず、あたりをぐるぐると見渡す。ほかの球場では見られない黒土に、綺麗に整えられた芝はまさしく野球の聖地といったところだろう。

 

「よっ、一原」

 

 興奮冷めやらぬうちに、次の衝撃がやってきた。

 

千石(せんごく)!?お前一軍に上がってたのかよ!ってか何だその顎鬚」

 

 千石は顎に整えられたひげをたくわえている。きっちり整えられた眉に大きな瞳をした彼は確かにイケメンの類に入るだろうけど、腹が立つからそれは絶対に言わない。面識があるのは高校以来だから、その後何があったのかは知らない。けれども中身が変わってないことは顔を見ればすぐに分かった。

 

「どう?やっぱ似合ってる?いや~色男は何やってイケメンだからな~」

 

「うっぜぇ…」

 

「おいおい、知り合いか一原?」

 

 驚きで固まっていると、横から二葉が話に割り込んできた。

 

「こいつは千石 秀樹(せんごく ひでき)。高校時代、日本代表で知り合ったやつです」

 

「ども~♪」

 

 千石が軽く頭を下げる。軽薄なのは相変わらずだ。

 

「高校時代は右の一原・左の千石なんて言われましたけど、俺からすればこんなナルシストと一緒くたにされるのは心外ですよ」

 

「酷いこと言うなよ。俺たちマブダチだろ~?」

 

「そんな事は言った覚えがない。しかしまたこいつと野球をすることになるとは…先が思いやられる」

 

「本当は嬉しいんだろぉ~?」

 

「ええい、寄るな気持ち悪い!」

 

 絡んできた千石を両手で払いのける。俺はこいつのこういう所が昔っから嫌いだ。飄々としながらパーソナルスペースにずかずかと入り込んでくる。遠慮というものがこいつの辞書には存在していないらしい。ほら、二葉をみろ。お前のペースに追い付けず呆然としているじゃないか。

 

「あ、そうだ。何なら投球練習見て行けよ」

 

 千石は思いつくままに話をころころと転換していく。頼むからもう少し脈絡のある会話をしてくれ。

 

「やだよ面倒くさい」

 

「そんな事言っちゃって。お前、投手辞めたんだってな。俺の投球見たら投手復帰のヒントになるかもよ?」

 

 やっぱりこいつは嫌いだ。何の気なしに急に核心を突いてくる。

 

「…いい。俺は野手一本でやるって決めたんだ」

 

「へぇー、そっか。でもまぁ見に来てくれよ。どうせ暇だろうからさ」

 

「余計なお世話だ」

 

 吐き捨てるように言ったその言葉を聞いたのか聞いていないのか、千石はじゃあまた後で、と言って去っていった。

 

「…なんというか、嵐みたいなやつだったな」

 

「昔からあんな感じですよ。まったく人の気持ちも知らないで」

 

「で、見に行くのか?」

 

「さぁ、どうでしょう」

 

 二葉にははぐらかしたまま会話を終えたが、その後どうするかで頭を抱えさせられた。あいつの事を見に行くのは癪に障るが、この後の時間は空いている。誠に面倒くさいが、見に行かなかったらそれはそれで千石がいじけて後々厄介な事になるのが察せられるので、仕方なく千石の投球練習を見に行くことにした。流石に俺の方がオトナだからな、今回は譲ってやるよ。…はぁ、本当、誰に言い訳してんだろ俺。

 

 

 時計の針が3時をさす頃、バナナを片手に装備した俺は、ブルペンから少し離れて投球練習を眺めていた。今投げているのは今日先発予定の京極に、リリーフの五十村。そして自分から一番近いところにお目当ての人物がいた。

 

「次、ストレート行きまーす」

 

 相変わらず間の伸びた話し方で千石が球種を予告する。両手を大きく上に掲げ、投球モーションに入る。胸を大きく張って、溜めた力を爆発させるように腕をしならせる。そうして投じられたボールは、キャッチャーミットへ気持ちの良い音を立てて突き刺さった。188㎝というプロでもそれなりにある身長から投げ降ろされたボールには角度があって打ちずらそうだ。

 

「次ー、チェンジアップ」

 

 間を置かずに次の球を宣告する。今度も同じように大きく両手を掲げるフォームから放たれたボールは打者の手元で沈むように変化してミットに収まった。ほとんど変わらないフォームからブレーキの利いたタイミングをずらす良い球だ。元投手としては感嘆せずにはいられず思わずおぉ、と声を上げる。それに気づいた千石がこちらに視線を向けると、もの凄い速度でこちらに近づいてきた。

 

「よぉ相棒、オレのピッチングはどうだい」

 

「誰が相棒にまで昇格したよ。…まぁ、悪くないんじゃねーの」

 

「一原ならそう言ってくれると思ってたぜー」

 

「でもお前、あの球はまだ一球も投げてないだろ」

 

 そう言うと千石は少し考えるようにボールを見たが、すぐ向き直った。

 

「見たいってんなら一球だけ投げてやるよ」

 

 千石はそう残してマウンドへと戻っていく。そうして戻った彼は、次の球種を告げた。

 

「次、フォーク」

 

 そう言って投げられた球は不規則に大きく横揺れしながらキャッチャーの目の前で急速に落ちてワンバウンドする。ボールはキャッチャーミットには収まらず、捕手の股を抜いて後ろへと転がっていった。投手だった頃の俺と千石の間にあった絶対的な違い。それは決め球(ウイニングショット)の有無だ。コイツのフォークは他の投手のフォークと違って独特の軌道を描きながら打者から空振りを奪っていく。もはや高速ナックルと言っても差し支えないその変化は、捕手にとっても打者にとっても脅威だった。

 

「ほら、な?」

 

 彼が何を言いたいのかは分からなかったが、このボールにどこか納得していないような感じである事だけは分かった。

 

 

 大きな鳴り物の音が球場全体を大きく包み込んでいる。試合は一点差の九回裏の守備を迎えていた。俺は代打として出場し、今日の役目をすでに終えてベンチで応援に徹していた。漆原が審判に選手交代を告げる。最近流行りの音楽に合わせてリリーフカーに乗りながら登場したのは千石だ。リリーフカーを降りて、マウンドで土をならしながら五島の構えるキャッチャーミットへ淡々と球を投じていく。

 

『九番・野見山に変わりまして代打、熊本。背番号、66』

 

 投手に変わって打席に入ったのは俊足巧打で絶賛売り出し中の若手、熊本だ。投球練習を終えた千石をにらむようにして左のバッターボックスに入った。初球・二球目はまっすぐを投じて連続ファール、これで一気に追い込んだ。球速は152キロを記録している。どうやら調子は良いらしい。そして三球目、長い間をとって投げられた球は熊本のバットから大きく離れて空振りを取った。

 

 しかし、ここからが問題だった。五島がボールを大きく後ろに逸らしたのである。振り逃げだ。五島が急いでボールを取りに行くも、取ったころにはすでに一塁に到達していた。

 

『一番・センター、遠野。背番号5』

 

 続けざまに一番打者の遠野が左打席に入る。その初球、鋭く落ちたフォークはまたも捕手の股下を掠めて転がっていく。五島が握りなおした時にはランナーが俊足を飛ばして二塁に進んでいた。大きく沸く歓声の中で、たまらず五島と千石を中心とした輪が作られる。千石はグラブで口元を隠しながらも、何度も首を縦に振るそぶりをみせた。

 

 しかし、この一球以降千石がフォークのサインに応じる事はなく―――。直球とチェンジアップだけで何とか2アウトまでこぎつけたものの、フォアボールとヒットから満塁のピンチを招く。そして五番打者の小森にストレートを捉えられ、打球は右中間を真っ二つに破る。一人目、そして二人目のランナーが生還した。

 

 球場内に響く歓声と太鼓の音。打球が飛んで行った先を一点に見つめる千石。その背中は、いつもよりずっと小さく見えた。




選手名鑑⑤ 五島遙太
高いバッティング能力が武器の若手捕手。右投げ左打ち。
高校時代にはその甘いルックスで「甲子園の貴公子」と呼ばれ一時期話題になったが、本人はその二つ名を気に入っていない様子。
昨季はプロ初の二桁本塁打を達成し、今シーズンの飛躍に期待がかかる。好物はドライフルーツ。


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NO.1000

『ベアーズ9回にまさかの暗転…指揮官「こういう時もある。また、次の機会にやってくれれば」』

 

 コーヒーを机に置いて、眉をひそめながら新聞に書かれた文字を目で追っていく。あれから一夜明け、朝刊の一面を飾ったのは昨日の試合だった。写真は打球を呆然と見つめる千石の姿が映している。記事は千石の投球内容をなじるばかりで擁護するようなコメントはほとんどない。どいつもこいつも言いたい放題の状況だった。

 

(ええい、やめだやめだ)

 

 こんなニュースを見たところでモチベーションが下がるだけで、何の意味もない。ふと、千石の顔が思い浮かんだ。いつもは平然としているあいつでも、今回ばかりはさすがに落ち込んでいるのだろうか。新聞を畳んでコーヒーに手を付けようとすると目の前に腕が見えた。腕の付け根まで視線を移し、見上げた先には、当事者である千石が腕を組んでニヤニヤしながら座っていた。

 

「おはよう、元気してる~?」

 

 思わずコーヒーをこぼしそうになる。今日の服は白いポロシャツだ。こぼせば確実に跡がつく。危ないところで何とかコーヒーカップを持ち直して事なきを得る。

 

「何で、っていうかいつからいたんだ」

 

 意識して声のトーンを落とす。そうしないと確実に怒気を孕んだ声になってしまうと察したからだ。この場で怒るのも別にいいが、それはこいつの思うつぼのような気がする。

 

「え~、いつからだと思う~」

 

「答えないならそれでいい」

 

「分かった分かった、言うよ」

 

 千石は両手を上げて降参、というポーズを見せる。

 

「いやぁ、朝飯を食べに来たらお前がすげー神妙な顔して新聞を見てたからさ。驚かしてやろうと思って。にしてもオレってば気配を消すのも上手いときたらもう弱点がないな~」

 

 子供か!と喉から出かかった言葉を飲み込む。そういえばこういう奴だった。

 

「で、何の記事見てたんだ?」

 

 どうせ後で知るのなら隠す必要もない。黙って新聞を手渡してやった。新聞の記事を「へ~」だとか「なるほど~」と言いながら目を動かしていく。新聞くらい静かに読めないものか。

 

「あ~、結構な言われようだな。まぁあんな負け方したらそりゃあ色々言われるわな」

 

 千石はケロリとした様子で話し続ける。その様子を見る限り、昨日の試合が特に響いたとかそんな感じではないらしい。

 

「昨日の事、気にしてないのか?」

 

「まぁでも、そういう日って誰にでもあるじゃん?昔から『明日は明日の風が吹く』って言うし、あんまり気にしないようにしてんのよ」

 

 なぁんだ、心配して損した。本人がそういうならそうなんだろう。ただ、一つだけ昨日の試合で疑問に残る事があった。

 

「でもさ、何でパスボールのあとフォークを投げなかったわけ?何回かサイン出てただろ」

 

「そりゃあお前…」

 

 そういって千石は固まった。もしかしたら何かまずい事を言ってしまったのか?でも千石は気にしてないって言ってたし…。もう少し追及しても罰は当たらないだろう。

 

「無理に答えなくていいけど、引きずらないのと反省しないのは別の話だぞ」

 

「分かってる。分かってるよ」

 

「まぁいいさ。次投げる時に打たれないようにしてくれよ」

 

「…お前なら、分かってくれると思ったんだけどな」

 

「??」

 

「いや、何でもない。じゃあまた後でな」

 

 千石は何かを言いかけて、そこで話を無理矢理に強制終了させた。席を立って、朝食をもらいに行くその背中は昨日と同様小さく感じた。ポツンと一人残されたテーブルに静寂が訪れる。ようやく落ち着いたところで、コーヒーを喉に流し込む。ブラックコーヒーの苦い味が口の中を支配していくのを感じながら、一人の時間を謳歌しようとした丁度そのころ、誰かに肩を叩かれた。

 

「やぁ一原君。ここ、座っていいかな」

 

 声の主は五島だった。どうして誰もかれも俺の近くに座ろうとしてくるのか。他にも席は空いてるだろうに。俺の平和な時間をどうか返してほしい。とはいえ、先輩の手前「嫌です」と言えるはずもなく、どうぞとだけ返した。五島は朝食を載せたプレートを机の上において、席についた。

 

「さっき一原君さ、千石君と話してたよね?良かったら、何を話したか教えてくれないかな」

 

 その言葉で合点がいった。なるほど、目当ては千石か。さしずめ昨日の件をそれとなく聞くつもりなのだろう。

 

「別にあいつは昨日のこと気にしてないって言ってましたよ」

 

 そういっても五島の顔は複雑そうだ。何やらもごもごと言おうとしているが、はっきりと口には出そうとしない。少し時間がたってからようやく口を開いた。

 

「一原君は昨日、何で彼がフォークを投げなくなったんだと思う?」

 

「あぁ、それはさっき千石に訊きましたよ。はぐらかされましたけど」

 

「あれは多分、僕が悪いんだ。サイン違いとかじゃなくて、純粋にあのボールを取れなかったから」

 

 五島の表情は真剣だ。それが謙遜などではないことは、目を見れば明らかだった。

 

 ああそうか、だからあいつは。それを投球練習の時から気にしていたんだ。自分の決め球を取れるキャッチャーがいないと思っていたのだ。それを俺に伝えようとしていたんじゃないのか。

 

「通りで投げたがらないわけだ」

 

 フォークを投げようとしなかったのはきっとそのせいだ。しかしそれでも、自分にはどうこうする術もない。出来るとするなら彼のフォークを捕れるキャッチャーが現れることを願うくらいだ。

 

「九重さんなら、どうしていたかな」

 

 すがるような五島の呟きに、何も応えられなかった。

 

 

 

 

 

 千石秀樹はきっと今、野球人生の岐路に立たされている。決め球のフォークを捨ててストレートとチェンジアップだけでやっていくか、それともフォークの変化量を落とすよう模索するか。昔からフォークをウリにしていた千石だったが、それを受け止められるキャッチャーは中々いなかった。高校時代、三年間バッテリーを組んでいた同級生が、3年の春ごろにようやくしっかりと捕球できるようになったくらいだ。そのキャッチャーは高校で野球を卒業している。

 

 高校日本代表に選ばれた時だって、世代最高と謳われたキャッチャーが前にこぼすので精いっぱいだった。もしかすると、この先も俺の望むキャッチャーなど現れないのかもしれない。そんな邪念を振り払うかのように、千石はブルペンで投げ込みを続けた。

 

「おい、もうそろそろ止めといた方が…」

 

「いえ、もう少しだけお願いします」

 

「そんなこと言ったってな、これ以上はオーバーワークだぞ」

 

「その通りだ。そこらへんで止めておけよ」

 

 ブルペンの外から聞こえた声。声のする方へ目を移すと、そこに立っていたのは九重だった。九重優。高い守備力と巧みなリードで投手を引っ張る扇の要。ベアーズの正捕手。彼が千石のフォークを取れないならば、このチームでフォークを投げることはもうないだろう。それを確かめてしまえば、自分の居場所がなくなるような気がして。怖くてそんな事はとても言えなかった。

 

「九重さん、でしたっけ。今いいところなんで邪魔しないでください」

 

「いーや、そうはいかないね。お前は抑えだ。今日登板するって時にばててちゃ困るんだよ」

 

「でも…」

 

「どーしてもっつーんなら」

 

 九重がにやりと口角を上げてプロテクターやマスク、レガースをはめていく。

 

「五球だけ、俺が受けてやんよ」

 

 それくらいならいいですよね、と九重がブルペン捕手に確認をとる。彼は一瞬たじろいだ様子だったが、「お前がそう言うなら」と渋々了承した。

 

「…分かりました。じゃあしっかり取ってくださいよ」

 

「お、言ってくれるじゃないの!いいねぇ、そういうの嫌いじゃないよ。じゃ、投げる球は俺が指示するよ。初めはそうさな…ストレートで」

 

 コクリとうなずいて投球モーションに入る。スムーズな体重移動で力を指先にまで伝導させて投げられたその球は、心地よい音を響かせてキャッチャーミットに吸い込まれていった。

 

「ナイスボール。なんだ、やっぱりいい球もってんじゃん」

 

 右打者のインコースをえぐるような綺麗なクロスファイアー。球速は150キロ前後といったところか。九重がうんうん、と首を縦にふりながらボールを千石へと投げ返した

 

「それはど~も」

 

「次は、やっぱりそうだな。あのフォークを投げてみろよ」

 

 心臓の鼓動がやけにうるさく響きだした。フラッシュバックしたのは昨日の光景。ボールが捕手の間をすり抜けていく風景。もしこの人でも取れなかったら?そんな考えが靴にひっついたガムのように頭から離れなかった。

 

「どうした?」

 

「い、いや!何でもないです!」

 

 両手を高く掲げる。大丈夫だ、落ち着けオレ。きちんと、普段通りに。しかし動揺が体に伝わったのか、フォークが指に上手く引っかからなかった。

 

「しまっ…!!」

 

 叩きつけるような形になった球は打者のずっと手前でワンバウンドした。完全な暴投。そう思った瞬間、九重は膝を滑り込ませてボールを体にぶつける。プロテクターに直撃したボールは九重の前を少し転がって、止まった。

 

「おっと…なるほどな」

 

 何かを察した九重がマスクを外し、千石のもとへと駆け寄ってくる。

 

「さてはお前、フォークを投げるのが怖いんだろ」

 

「…!!」

 

「まぁ昨日の連続パスボールを見たらそうなるわな。でも気にするな。あれは五島が悪い」

 

「だけど俺は」

 

 有無を言わせず九重は話を続ける。

 

「いいか?いい球を放るのが投手の仕事なら、捕手の最低限の仕事はそれを捕ってやることだ。お前がよっぽど酷いボールを投げない限り、その責任は俺たちキャッチャーにある。昨日のアレは暴投なんかに入らねーよ。それにな、周りが捕れないからってお前が合わせてやる必要なんてないぞ」

 

「え」

 

「お前のフォークは一級品だ。それを投げなくなるのは、間違いなく球界にとっての損失になる」

 

「いいんですか、投げても」

 

「当たり前だろ。どんな球でも捕ってやるのが正捕手ってやつなんだぜ?」

 

「どうしてオレを持ち上げるんですか?」

 

「そりゃあお前が守護神になれると思ったからだよ。お前の球を唯一取れる俺は、もしスタメンを剥奪されても抑え捕手として起用してもらえるだろ?」

 

「はは、何ですかそれ」

 

 思わず笑みがこぼれる。どうやら自分の事ばかり考えているのはお互い様らしい。

 

「…分かりました。九重さんを信じます」

 

 うなずいて戻っていった九重がミットを構える。三球目に要求されたのも同じフォークだ。しっかり指にかかったボールは理想的な変化を描き、打者の手元で大きく沈んだ。九重は膝をたたみ、横にスライドしてボールを前に落とす。

 

(やっぱり、この人なら捕ってくれるのかもしれない)

 

 そして最後の五球目。三度投げられたフォークは今度こそしっかりとキャッチャーミットに収まった。

 

 

 

 

 

 

北海道ベアーズ      兵庫パンサーズ

 

一番 ライト   二葉  一番 センター  遠野

二番 セカンド  万丈一 二番 ショート  上野

三番 レフト   五島  三番 ファースト マルセル

四番 ファースト 四谷  四番 ライト   里

五番 サード   一原  五番 サード   小森

六番 ショート  木下  六番 セカンド  猪原

七番 センター  七海  七番 レフト   磯井

八番 キャッチャー九重  八番 キャッチャー竹谷

九番 ピッチャー 億平  九番 ピッチャー 春山

 

 

 甲子園で迎えた対パンサーズ二回戦。ベアーズは左の億平、パンサーズは右の春山と共に技巧派投手の先発で幕を開けた。試合は初回、フェンス直撃の二塁打を放った五島を二塁において、バッターは四番四谷。芯でとらえた打球はセンターとレフトの前に落ちるクリーンヒット。この隙に五島が激走して生還。幸先よくベアーズが一点を先制した。

 

 この日は億平が絶好調。早いカウントで追いこんで、振りに来たところを詰まらせる戦法が上手くハマっていた。得意の打たせて取る投球術で、パンサーズ打線を寄せ付けない。5回に連打で1死一二塁のピンチを招くも、スライダーを引っかけさせて4-6-3。教科書のようなダブルプレイを完成させてグラブを叩く。これで勝利投手の権利を得た。

 

 一方の春山は対照的に、苦しいながらも粘りのピッチングを見せる。6回まで毎回のランナーを出しながらも、初回以降は失点を許さず踏ん張ってみせた。特に六回は先頭の一原にツーベースヒットを浴び、木下に死球を与えたところでピッチングコーチが出てくるも、志願の続投。続く七海、九重、億平を凡退に抑えてこの回もピンチを凌いだ。

 

 両投手の好投が続いたが、ついに9回裏。疲労の色が見えてきた億平にパンサーズ打線が襲い掛かる。一番・遠野が9球粘った末に四球で出塁し、続く上野は3球目を捉え打球は二遊間を破る。一塁ランナーは二塁ベースを回ったところで止まったが、無死にして一二塁のチャンスを迎えた。

 

(そろそろ潮時か…)

 

 億平の球数は既に110球を超えている。ましてやこのピンチでクリーンナップ、今の億平の状態からしても抑えるのは至難の業といえるだろう。

 

 やってきたピッチングコーチともども捕手や内野手がマウンドに集まる。ベンチではボールを受け取る漆原の姿が見えた。

 

「億平、今日はここまでだ。お疲れさん」

 

「…チッ、あともう少しで完封だったのによぉ」

 

 軽く舌打ちをしながら億平はすごすごとベンチへと引き下がっていく。そして電光掲示板に次の投手の名前が告げられた。

 

『ピッチャー、億平に代わりまして、千石。背番号13』

 

 歓声と太鼓の音がより一層大きくなったように感じる。そのほとんどはパンサーズファンのものだろう。無理もない。つい先日に千石はサヨナラタイムリーを打たれたばかりだ。昨日の展開を思い起こしてサヨナラ勝ちを期待しているファンがほとんどだろう。リリーフカーから降りた千石が輪の中に近づいてくる。

 

「ど~もど~も野手の皆さん。オレがやってきましたよ~」

 

 その表情は憑き物が落ちたように晴やかだ。何か吹っ切れるようなことがあったらしい。絶体絶命なこんな状況でも笑みを崩していないのは相当に自信があると見える。

 

「それくらい余裕があるんなら大丈夫そうだな。ちゃんと肩も作ってきたんだろうな?」

 

「そりゃあ勿論、ちょうどあったまってきたところですよ」

 

 千石はぐるぐると肩を回して見せる。

 

「昨日と同じ。いや、それ以上にキツイ場面だ。お前がリベンジを果たす場として、これ以上のものはないだろう?」

 

「そうですね。今なら誰にも打たれる気がしないです」

 

「よっしゃ、そんだけ大口叩けるなら上出来だな。ここの歓声を全部、悲鳴に変えてやろうぜ」

 

 そう言って千石は投球練習に入る。一球投げるごとにグラブに快音が響く。それはある種の宣戦布告だった。このボールを打てるものかと問いかけるように、昨日とは全く違うことを見せつけるように。

 

『三番、ファースト、マルセル』

 

 右の打席に入ったのはメジャーリーグでの経験もあるパンサーズの助っ人、マルセルだ。助っ人らしく恵まれたパワーは勿論のこと、抜群な選球眼を持っている。注目の初球、指にかかったストレートが容赦なくインコースへと決まり、審判がストライクをコールする。表示された球速は152キロ。昨日とほとんど同じ速さなのに、体感速度もノビも比べ物にならないほどのものだった。

 

 千石が淡々とキャッチャーから投げられたボールを受け取る。次に投じられたストレートは高めに外れてカウント1-1。3球目はど真ん中へのストレートがバットに当たりファール。追い込んだところでさらにストレートを続けるも、これには手を出さずカウントは2-2になる。ランナーを一二塁に置いている投手側としてはこのカウントで決めたいところだが、打者にとってもそれは重々承知だ。マルセルがバットを深く握りなおす。

 

 そして投じられた5球目、独特の軌道を描いたフォークボールは揺れながら右打者のアウトコースに逃げるように落ちた。マルセルがバットを回すも、完全に泳がされた形となりバットは空をきった。これでワンアウトだ。マルセルは驚愕の色を隠せないままベンチへと引き換えしていった。

 

『四番、ライト、里』

 

 今度は左のバッターボックスで里が土を払う仕草を見せる。今年で二年目を迎える里は昨年ルーキーながら20本塁打を記録した強打者だ。千石もロジンバッグに手をやり、白くなった手に息を吹きかける。飛び散った白い粉が風に吹かれて霧散していった。

 

(初球からこの打者は迷いなく振ってくる。となれば選択するボールは…これだ)

 

 九重がサインを出し、千石がそれにうなずく。セットポジションから投げられたボールは打者の手元で減速して沈んだ。

 

(チェンジアップ!?)

 

 予想だにしていなかった球種にタイミングを崩された里は腰砕けになりながら打球を詰まらせる。弱弱しい打球がサードベース方面へと転がっていく。

 

「頼む一原!」

 

「任せろ!」

 

 千石の言葉に応じるように一原が猛チャージをしかける。相手は左打者。加えて足もそこそこ速い。グラブで捕球していては間に合わない。そう判断した一原は右手で直接ボールをつかんだ。

 

「間に合えッ!」

 

 こうなれば一原の肩と里の俊足とのぶつかり合いだ。一原が走りながら送球する。ファーストの四谷も目一杯足を伸ばす。ボールは里の足から一歩分早く、ファーストミットに収まった。

 

「アウト!アウト―!!」

 

 これで2アウト目。しかしまだ油断はできない。ボテボテのサードゴロを捌いている間にランナーはそれぞれ進塁している。単打が出ても同点、さらに言えばサヨナラ負けの可能性が出てきた。

 

『五番、サード、小森』

 

 何の巡りあわせか、ネクストバッターサークルで待ち構えているのは昨日サヨナラタイムリーを放っている小森だ。すかさずタイムが入り、投手コーチと内野陣がマウンド上に集まる。

 

「千石…次の打者は敬遠で行く。それで」

 

「待ってください」

 

 投手コーチを止めたのは意外にも、捕手の九重だった。

 

「千石、お前が決めろ。敬遠して次の打者勝負か、それともここで逃げずに勝負するか」

 

 自分に向いた矛先に面食らった千石はしばらく黙り込んだ後、腹をくくったように顔を上げた。

 

「勝負させてください。お願いします」

 

「っはー、たく、打たれたら承知しねーからな」

 

 投手コーチはため息をつき、ぶつくさと言いながらベンチへと引き下がっていった。

 

「…俺が言うのもなんだけど、良かったのか?」

 

「そりゃあ怖くはありますけど~…ここで逃げたら、男じゃないような気がして」

 

「ハハッ、それでこそ抑え投手だ。まぁなんにせよ残りワンアウト。踏ん張っていこうぜ!」

 

 今や内野陣の思いは一つだ。絶対にこの試合をものにしてみせる。各々がそれぞれの思いを抱えながら守備位置へと戻っていく。

 

 バッターボックスには小森がバットの先で弧を描きながら待ち構えている。九重がサインを出した。少し戸惑った様子を見せた千石だったがすぐに表情を引き締めた。初球を投じる。投げられたボールはやや左に揺れながらストライクコースに決まった。九重もしっかり捕球している。これでワンストライク。

 

 素早くサイン交換をした千石は間髪入れずに二球目を投じた。ボールは今度は右に揺れながら鋭く落ちた。これも九重は前にこぼしてみせる。すんでのところで小森はバットを止めようとしたが、九重が一塁審に確認をとったところ、ハーフスイングが認められツーストライク。これでバッテリーが追い込んだ。

 

 そして三球目、九重が出したサインに二度、千石は首を横に振った。

 

(やっぱり、コレか)

 

 三度目のサインに千石はうなずいてみせた。ここでこの球を選択してくるのは、キャッチャーである九重を信頼している証だ。

 

(心配しなくても、絶対、逸らさねーよ)

 

 セットポジションからついに投じられた三球目。今度はきれいな軌道からストンと落ちる。フォークボールだ。小森は今度こそストレートが来ると思い込んでいたのか、バットを振りぬく。しかしボールは掠ることもなくすりぬけた。

 

(全く…)

 

 甲子園を包む歓声が落胆の声に変わっていく。千石が投じたフォークボールは、しっかりと九重のミットの中に収まっていた。

 

(一原といい、生意気な後輩を持ったもんだぜ)

 

 マウンド上で一人、千石は舌をペロリと出して見せた。

 

 

 

 

 




選手名鑑⑥
千石秀樹
ノビのある直球と落差の大きいフォークで空振りを奪う若手左腕。
昨年は二軍で12セーブを記録するなど、成長の一端を見せた。
今季は春からアピールを続け一軍の座を勝ち取りたい。
飄々としているようで、意外と繊細。


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十年に一人の天才

『快適な空の旅を、お楽しみください』

 

 飛行機内にCAのアナウンスが響く。窓をみれば、一面を青い空が包み込んでいた。

 

 あの試合を終えた後、勢いそのままに三回戦はベアーズ打線が爆発し、2勝1敗でパンサーズとの三連戦を終えた。それで今は、ホームでタイタンズを迎え撃つべく飛行機に乗っているというわけだ。

 

 隣に座る千石は空港で買った土産を美味しそうに食べている。確か名前は…何ていうんだっけ。名前がおしゃれだったこと以外思い出せない。どうせなら俺も何かしら買っておけばよかった。

 

「ほれ、一個やるよ」

 

「いいのか?」

 

「まあ横で食べるの見るだけってのも辛いだろ。いやー、オレってば優しい!」

 

「その一言さえなけりゃ感動してたわ」

 

「どうだか。それにしても、タイタンズ戦、お前としちゃ気合入るんじゃねーの」

 

「?何でだ?」

 

「何でって…もといたチームだろ?あるだろ、因縁とか」

 

「いや、特にねーよ。もともとずっと二軍生活だったしな。一軍の選手とはあまり面識なかったし」

 

「はぁ、な~んだ。がっかり」

 

 千石はわかりやすく肩を落として見せた。昔からの因縁なんてベタなものが好きなコイツとしてはあまりウケが良くないらしい。

 

「あ~でも、そういえば一人だけいたな。俺に結構かまってくれた先輩が」

 

「えっ誰それ!気になるんですけど!」

 

「ほら、いるだろ?『十年に一人の天才』って呼ばれた広瀬って選手。あの人だよ」

 

 広瀬 晃(ひろせ あきら)。確か五島と同じ世代、そして同じ左打者だった彼は、五島と並んで名スラッガーとして名を馳せた。五島が野球ファンに愛された存在と言うならば、広瀬は野球そのものに愛された存在と言ってもよい。というか、野球をするためだけに生まれたような選手だ。体格に恵まれているのはもちろんのことだが、彼ほど野球センスに長けた選手は今まで見たことがない。

 

 ある年の春キャンプでシート打撃に登板した時、渾身の直球を簡単にフェンスの外へと放り込まれた。この人のバッティングは天性のものだと悟ったのはその時だ。しかし私生活においてはノリのいい兄貴分といった感じで、よく飲みに誘ってくれた。俺が二軍でくすぶっている間も「いずれお前の力が必要になる時が来る」と励ましてくれたものだ。トレードとなった時も、一番悲しんでくれたのが広瀬だった。

 

「『十年に一人の天才』ねぇ…お前もそう呼ばれてなかったか?」

 

「俺の場合は『十年に一人の逸材』だよ。つっても俺と広瀬さんの実力には雲泥の差があったけどな」

 

「違いが全然分かんねーけど。で、具体的に広瀬選手の何がそこまですごいんだ?」

 

「何がって言われると難しいな…あの人守備でも打撃でもすごかったから。どんな球にも軽く対応してくるし、決め球を余裕で見逃してくるし、バットに当たった時の飛距離すごいし…」

 

「お、おお、随分恨みがこもってるな」

 

「まぁでも一番すごかったのは、どの方向にも飛ばせることかな」

 

「というと?」

 

「とにかく相手の投球によって打ち分けるのがうまいんだよ。センター方向はもちろん、ライト方向にもレフト方向にも軽々と飛ばす技術を持ってる」

 

「はーん、なるほど。つまりどのコースに対しても簡単に対応してくるわけか」

 

「まぁそんな感じ。でも強いて欠点を挙げるとするなら、あの人ちょっと馬鹿なんだよ。要は野球の出来るゴリラってイメージ」

 

「ゴリラって…大分失礼だし(いっつもバナナ食ってる)お前が言うか」

 

「何か?」

 

「いや、ナンデモナイ。とりま、寝るわ。着いたら起こしてくれ」

 

 そう言うやいなや、千石はアイマスクを被って寝息を立て始めた。聞くだけ聞いて寝やがった。全くもって勝手なやつだ。少しすると、飛行機の心地よい揺れが睡魔を掻き立てる。…着いたら起こしてと言われたけど、まぁ先に起きれば何の問題もないか。そんなことを考えながら、俺は体が望むままに睡魔に身を委ねた。

 

 

 北海道ドームに到着したころには、一足先に着いていた東京タイタンズの選手たちが汗を流していた。バッティングケージでは丁度広瀬が快音を飛ばしている。相変わらずバットで捉えた時の飛距離がものすごい。

 

「うひゃー、飛ばすなぁ」

 

 感嘆の声を上げたのは隣にいた二葉だ。長距離砲とは程遠い彼にとって、広瀬はさぞ雲の上のような存在なのだろう。

 

「お!カズじゃねーか!元気してたかぁおい!」

 

「カズ?」

 

「タイタンズの時のあだ名です。数人のところから、カズ」

 

「あー、なるほど」

 

 練習を終えた広瀬がこちらに気づき駆け寄ってきた。遠慮なく肩に腕をかけてくる。

 

「おかげさまで何とか上手くやれてます。広瀬さんこそ絶好調のようで」

 

 昨日までの試合で、広瀬は本塁打12、打点35を記録している。本塁打はリーグ3位、打点はリーグトップの数字だ。ここまで若手ながら他の選手を圧倒する成績を残している。昨年は確か21本塁打だったので、このままケガなく出場し続けられればキャリアハイの数字を残せるだろう。

 

「世辞はいいっての!まぁ絶好調なのには変わりないけどな!!」

 

 広瀬が豪快に笑う。あっけらかんというか、表裏がないというか。そういう意味では、この人が好きだ。尊敬する者が多いのも、彼の人徳あってのことだろう。まぁ時々うっかり失言することも多いわけなんだけれども。それから他愛のない身の上話で談笑した後、ふと何かを思い出したように呟いた。

 

「そういや、五島はいねーの?」

 

「ここにいるよ」

 

 横から五島がぬっと姿を現す。え、いつからいたんだ?ひょっとしてスタンバってたの?そんな疑問が頭から噴出する。

 

「おー五島!去年の交流戦ぶりだな!」

 

「はは、そうだね…あれから一年もしないうちに君は遠くへ行ってしまった」

 

 広瀬が一瞬だけ表情を歪めたのを、俺は見逃さなかった。何かが彼の琴線に触れたらしい。ただすぐに表情を変えて五島の背中を叩いた。

 

「そんなことねーよ!今だってお前は俺のライバルだ!」

 

「広瀬君はすごいよ…僕なんて君には到底追いつけない」

 

「…なんだそりゃ」

 

「僕はキャッチャーとしても、打者としても全然君に追いつけないから」

 

 長い沈黙が漂う。広瀬の顔は隠れて見えないが、その手は小刻みに揺れていた。

 

「昔っからお前はネガティブな奴だったけどよぉ…今回ばかりは見損なったぜ五島」

 

「え?」

 

「もうお前はライバルでも何でもない。ただの敵だ」

 

「…」

 

 その言葉に五島はただうつむくだけで、何も返さなかった。

 

「じゃーなカズ!また、試合でな!」

 

「え、あ、はい!」

 

 突然回ってきた会話に、たどたどしい返事で応対する。広瀬はこちらに手を振りながら練習場へと帰っていった。

 

「あの、五島さん。いいんですか」

 

「まぁこんなもんだよ。僕より上なんてたくさんいるからさ。…じゃ、軽くキャッチボールでもしようか」

 

「そりゃあいいですけど…謙遜と自虐は別の話ですよ」

 

「あはは、痛いところをつくなぁ」

 

 五島は苦笑いをしてみせる。しかし、心の中に引っかかるような違和感はずっと残ったままだった。

 

 

 北海道ベアーズ         

 1番 サード   一原     

 2番 ライト   二葉     

 3番 キャッチャー五島     

 4番 ファースト 四谷     

 5番 指名打者  ヘンダーソン   

 6番 ショート  六笠     

 7番 センター  七海     

 8番 セカンド  万丈一    

 9番 レフト   木下     

   ピッチャー  十九川       

 

 東京タイタンズ

 1番 セカンド  吉山

 2番 センター  三角

 3番 ライト   広瀬

 4番 サード   岡木

 5番 ショート  榊

 6番 ファースト 下田

 7番 指名打者  フランコ

 8番 レフト   カーター

 9番 キャッチャー大林

   ピッチャー 菅

 

 北海道ドームでのベアーズ対タイタンズの一回戦。試合は初回から動きを見せる。

 

『3番、ライト、広瀬』

 

 吉山、三角を凡退に打ち取り、ツーアウトランナーなしで迎えるは今日3番に入っている広瀬。ボールを待つときに軽く右足を上げるフォームが特徴的だ。その初球、外角高めに浮いた甘いストレートをとらえた。その当たりで確信したか、ピッチャーの十九川は崩れるように体を屈めた。レフト方向に打球は伸びていってレフトがフェンスの向こうへと視線を移した。打球は減速することなくそのままレフトスタンドへと吸い込まれていった。

 

「っしゃあ!!」

 

 広瀬が三塁コーチャーとガッツポーズを交わしながら雄たけびをあげる。これでリーグ二位タイに並ぶ13号だ。その後、この回はランナーを出しながらも京極が粘りを見せて1失点にとどめた。

 

 そして、その回の裏。今までのキャリアで初めて1番に入った一原が打席に立つ。相手投手はタイタンズの絶対的エース、菅だ。カウント1-2から迎えた五球目、低めに入ってきたスライダーを掬い上げた打球は、すんでのところでセンターの頭を超えた。三角がボールを処理している間に一原はスライディングすることなく二塁へと到達した。

 

 これで無死二塁のチャンス。続く二葉は2球目をきっちり送りバントでつなぎ1死3塁となる。そして打席に入ったのは今日3番を務める五島だ。しかし彼の表情には違和感を感じた。何というか、どこか気合が抜けているように一原には見て取れた。

 

 注目の初球、ワンバウンドするフォークにバットが回り1ストライク。2球目、アウトコースいっぱいのボールに手が出ず2ストライク。3球目、今度はインコース、ボールゾーンに来たストレートにバットが止まり、1ボール2ストライク。手を出さなかったというよりかは、手が出なかったという表現の方が正しいだろう。それを理解してのことか、キャッチャーの大林が選択したのはまたしてもストレートだった。真ん中高めの吊り球に対して慌てて五島がバットを出すも、完全に振り遅れてボールはキャッチャーミットへと突き刺さった。球速は155キロ。守備側としては最高の、攻撃側としては最悪の展開だ。内野は前進していない。せめて内野ゴロでも打っていれば一点を返すことができたかもしれないのに。

 

「すみません。後、よろしくお願いします」

 

「…ああ、任せておけ」

 

 ベンチへと引き返す五島と入れ替わるようにして四谷が打席に入る。四谷はフルカウントまで粘った末に最後はワンバウンドしたスライダーを毅然として見送り四球を選ぶ。ピッチャーが苦い顔をしながら土を蹴るのを意にも介せず一塁ベースへと歩いていく。チャンスは2死一三塁にまで拡大した。

 

 次に打席に入ったのはヘンダーソン。ここまで打率.232、本塁打4本と突出した成績は残せていないが、本来のバッティングができればフェンス外へ飛ばす能力は持っている。初球はアウトコースへのスライダーを空振り、そして2球目はこれまたアウトコースへのストレートを見逃しこれもストライク。タイタンズは外への配球を徹底して、たった二球にしてバッテリーが追い込んだ。そして3球目、アウトコースのストレートにバットが反応した。ボール球、それもバットの先で詰まったあたりではあるが、そこは持ち前のパワーでセカンドとライトの間まで持っていきポテンヒット。その間にランナーの一原が生還し、同店へと追いついた。

 

 試合は両投手の調子が悪いのか、乱打戦の様相を呈していた。表にタイタンズが2点を奪ったかと思えば、その回の裏にすぐさまベアーズが驚異的な追い上げで2点を返す。引き離しては追いつくの繰り返しで、両者ともに譲らない展開が続く。

 

 そして五回の表、5-5となった展開からまたしても試合が動く。投手は十九川からスイッチした五十村。一原のエラーとヒットで1死一三塁のピンチを招く。ここで打席に立つのは広瀬だ。先ほどの打席はショートゴロに倒れ、これが三打席目。その初球、スプリットで空振りを奪うも、そのあとのストライクが入らない。結局カウントが3-1となった5球目、インコースへの直球を広瀬が捉えた。広瀬は確信したか、バットを投げ捨て悠々と歩きながら打球を見送る。打球はライトポール際へぐんぐんと伸びていき、ライトスタンドへと突き刺さった。本日二本目のホームランにして、リーグ単独2位となる3ランホームラン。

 

 広瀬がゆっくりとベースを踏みしめながら三塁ベースへと向かってくる。そして三塁ベースに差し掛かったころ、一原に向かってへったくそなウインクを返してきた。一原は最初の一瞬何かの宣戦布告か思ったが、彼に限ってそういう事はしないだろうと考え直した。あのウインクの意味はさっぱり分からないが何かしらの激励なんだろう。そう思うことにした。

 

 その回の裏、ヘンダーソンに一発が飛び出したが、そこから先が続かない。タイタンズの継投策を前に、あと一本が出ない。特に五島は、3度得点圏で打席を迎えながらヒットはおろか、打点も0。打線のストッパーになってしまった。とどめと言わんばかりに投手陣も軒並み安打を浴び、結局合計11失点。大敗を喫した。

 

 試合後、ベンチにてタオルを被っていると、横から怒鳴り声が飛んできた。その方向を見てみるとバッテリーコーチが五島を叱っているところだった。今日ずっと投手陣をリードしていたのは五島だ。この失点数に加えて無安打。もちろん責任がすべて五島にあるというわけではないが、ひしひしとキャッチャーというポジションの難しさが伝わってくる。しばらく説教が続いて、ようやく気が済んだのかバッテリーコーチが舌打ちをしてベンチ裏へと帰っていった。残されたのは、俺と五島の二人だけだ。

 

「…言い返さなくてよかったんですか」

 

 ぽつり、とつぶやくように言う。そう言われた五島は顔をタオルで拭きながら困ったような笑みを見せた。

 

「まぁ事実だから。今日の敗戦は半分くらい僕の責任だし」

 

「打てなかったのはやっぱり、広瀬さんとの口論が?」

 

「そんな事はないよ。今日はただ調子が悪かった。それだけの話だよ」

 

 それが嘘であることは五島の顔を見れば簡単に分かった。メンタルはどのスポーツにしても重要とされる部分だ。試合前の喧嘩がよっぽど効いていたらしい。無意識にしろ、広瀬が五島に与えた影響はチームとしても功を奏したらしい。もっとも、広瀬本人がこれを知れば憤慨するだろうが。

 

「…それならいいですけど」

 

 本人がそう言う以上自分で解決するだろう。一人物思いにふけている五島を置いてベンチを後にした。

 




今回の選手名鑑はお休みです。


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NO.5

今回から実況・解説を付けてみました。よろしければ感想などお願いします。


「ストライク!!バッターアウトッ!!」

 

 最後の打者である五島が見逃し三振に倒れ、ゲームセットとなる。2-4の接戦を落とし早くも二連敗を喫したベアーズはタイタンズに対して負け越しが決まってしまった。特に重症なのは五島だ。これで13打席連続のノーヒット。対パンサーズ三戦目でヒットを打って以降、まともな当たりが出ていない。もともと成績が日によって極端な選手ではあるものの、ここまで不調が続くのはさすがに珍しい。やはり昨日の件が尾を引いているのだろうか。

 

「五島のヤツ、思いつめてないといいけどな」

 

 そう二葉がこぼす。打線の核となる五島の不調は、チームの勝敗に大きく左右する事態だ。その前後に勝負強く打率もいい四谷が入るだけに、五島の復調は急務であった。

 

「…そうですね」

 

 こういう時の選手の考えは分かりやすい。自分で何とかしないと考え込んでしまうのだ。だがそう思えば思うほどドツボにはまっていく。そこから引き上げるのは容易ではない。しかし、だからといって自分には関係ないと放っておくわけにもいかない。だから俺は、勇気を持って項垂れたままの五島に話しかけることにした。

 

「今日、よかったら飯食いに行きましょうよ」

 

 

「いらっしゃーせー!!何名でございましょう!?」

 

「二名で」

 

 入った先の居酒屋は人で溢れかえっていた。どこかしこから騒ぎ声が耳に入ってはすり抜けていく。目を移せばアルバイトらしき店員が忙しそうに行ったり来たりを繰り返している。筋肉隆々で声のでかい男の店員に促されるまま、席に案内された。

 

「それで?どうして僕を誘ったの?」

 

 席に座って開口一番、五島から出た言葉がそれだ。まぁそりゃあ気になるだろうな。誘われる事はあれど人を誘うなんて滅多にしないし。

 

「とりあえず飲みましょう。この空気で明るい話題はあんまりできないでしょう」

 

 そう言って呼び出しボタンを押す。待ちかねていたかのようなタイミングで先ほどの男が顔を出した。

 

「はい!何にございましょう!?」

 

「ビール。それと唐揚げ、卵焼き。それと枝豆で」

 

「じゃ、僕はハイボールでも飲もうかな」

 

「かしこまりましたぁ!!」

 

 でかい声を発しながら店員が裏へと入っていく。かなり距離もあるはずなのに、彼の元気な声はよく響いた。ちょっと暑苦しい。それからほどなくして、それぞれの飲み物とおつまみが届いた。

 

「それじゃ、乾杯しますか。とりあえずお疲れ様ってことで」

 

「うん、それじゃ、乾杯」

 

 乾杯してグラスに入ったビールに口をつける。苦い感覚が舌からじわじわと広がってくる。大人の味とよく言われるけれど、まだ大人になりたての自分にはその良さがよく分からなかった。

 

「ところで、唐揚げにレモンをかけときましょうか」

 

「…ようだな」

 

「え?」

 

「死にたいようだな」

 

「え、あの、失礼しました?」

 

 しまった。唐揚げレモン過激派だったか。まさか日頃優しい五島がこんなところで怒るなんて。人間とはよく分からないものだ。何か口調もゲームで出来そうなラスボスみたいになってないか?店側も折角出してくれたし、おいしいのにもったいない事をするなぁ。

 

 お互い二杯目のグラスの残りが半分を切ったところで、そろそろ本題に切り出すことにした。

 

「今日誘った理由なんですけど、少し広瀬さんについて話したいことがありまして」

 

「…まぁ、とりあえず話だけでも聞いてみようか」

 

「あの人って単純っていうか、結構バカなんですよ」

 

「は?」

 

 呆気にとられた様子をした五島を放置して、話を続ける。

 

「ああいや、別に広瀬さんを侮辱したいだとかそんなわけじゃないんです。ただあの人、ちょっとベタな展開に対して強い憧れを持ってて」

 

「あぁ、それはちょっと分かるかも。高校日本代表のチームメイトとして戦った時もサヨナラホームラン打ちたいってばかり言ってたし」

 

「その中でも、ライバルって存在に強い憧れを持ってて」

 

「ライバル…ライバルかぁ。広瀬君には正直そういう人いないと思うけどなぁ」

 

「そこで問題です。昨日広瀬さんが怒ったのは何が原因でしょうか」

 

「え、そりゃあ同学年の僕が恥ずかしい姿を見せているのが情けなかったからでしょ?」

 

 …やっぱりこの人は鈍いというか、自己評価があまりにも低い。もう少し自分の実力を信じてあげても罰は当たらないだろうに。意を決した俺はビールの残りを一気に飲み干して、机を軽く叩いた。

 

「ウップ、いいですかぁ五島先輩!広瀬さんが怒った原因はですねぇ!」

 

「原因は…?というか一原君ちょっと酔ってない?」

 

「んなこたぁどうだっていいんですよ!!要はですね、広瀬さんは五島先輩を唯一無二のライバルだと思ってるんですよぉ!広瀬さんも言ってたでしょう、『お前は俺のライバルだ』って!」

 

「…い、いやいや、僕は広瀬君の足元にも及ばないような選手だよ?そんな僕がライバルなわけ」

 

「いやそういうとこ!!謙虚すぎるんですよ五島先輩は!広瀬さんは俺がタイタンズにいた頃から言っていたんです!『ベアーズに俺の永遠のライバルがいる』って!」

 

 いかん、大分酔いが回ってきた。でもこれは、これだけは言わなきゃいけない。

 

「いいですか!!五島先輩はあの広瀬さんに実力を認められるほどいい選手なんですよ!!それを自分から信じようとしないでどうするんですか!」

 

「いや、でも」

 

「でももしかしもない!!返事はイエスだけだ!」

 

 あ、やばい。瞼が重たくなってきた。

 

「五島先輩はですねぇ…自己評価が…」

 

「一原君?おーい一原君?」

 

 五島の声が途切れ途切れに聞こえる中、俺の視界は暗転した。

 

 

「あはは、中々ボロクソに言われちゃったなぁ…」

 

 唐揚げに手をつけながら、向かいで寝息を立てている一原を見る。九重の言う通り、ちょっと生意気な後輩だが、先輩に対しても臆せずものを言えるところは本当に凄いと思う。

 

「いい選手、かぁ」

 

 思い返すのは高校三年の夏の話。かつて高校最後の甲子園大会に出場したころは、「甲子園の貴公子」なんて似合わないあだ名をつけられていたっけ。そのあだ名については、キザすぎて今でも微妙だと思っているけど、一人の人間として注目を浴びるのは悪い気分じゃなかった。地方では敵なんていなかったし、あの時は自分こそ選ばれた人間だと思って疑わなかった。少なくとも広瀬君に出会うまでは。

 

 あの夏を忘れられないのは、自分よりの上の存在がいることを知ったからだ。準々決勝、僕たちの高校は広瀬君率いる名門校に惨敗した。あの日、広瀬君は4打数4安打1本塁打3打点。僕もその試合でホームランを一本放ったけれど、それ以上にキャッチャーとして、チームとしては大敗を喫した。どのコース、どの球種でも簡単に打ち返された記憶は、今でも頭の中に焼き付いている。初めて自分が頂点にいる人間ではないことを悟った。

 

 それから高校代表に選ばれた僕は、当然のように選出されていた再び広瀬君と相まみえることになった。今度は敵ではなく、味方として。二度目の邂逅を果たしたわけだが、彼が自分の事を覚えているなどちっとも考えてはいなかった。

 

「お前、準々決勝で戦った五島遙太だよな!光栄に思え、お前は俺のライバルだ!!」

 

 初めての会話がこれだ。あの時の僕は、それを何かの冗談だと思った。片や高い実力を持った好打者と、話題性だけ高い僕。その実力は歴然だ。どう考えても釣り合うわけがない。会話をするたびにあの時の敗北感が体を支配する。そんな思いは、プロになった今でも残っていた。そんなんだから、とうとう広瀬君にも見放されてしまったのだ。

 

 それでも、誰かが自分の実力を信じてくれるのなら。僕も少しだけ僕のことを信じてみたい。根拠なんてないけれど、こんな僕だって努力すれば広瀬君に負けず劣らずの選手になれるのかもしれない。だから、もう少しだけ立ち上がってみよう。そう思った。

 

「ほら、一原君。そろそろ起きて、お会計するよ」

 

「う~ん、苦しゅうない。バナナ持ってこーい」

 

「どんな寝言…馬鹿言ってないで早く起きないとおいていくよ」

 

 寝ぼけた状態の一原君を半ば引きずりながら、僕たちは帰路へ着いた。

 

 

「何ィ?キャッチャーの極意を教えてほしいだぁ?」

 

「はい、どうかよろしくお願いします」

 

 午前の練習で五島が真っ先に向かったのが九重のいるところだ。九重を見つけた途端、頭を下げて教えを乞うたのだ。その言葉に、九重は一度大きなため息をついて向き直った。

 

「そりゃあまた、何で俺に?つーかどういう風の吹き回しだ?」

 

「僕はまだまだ未熟です。打者としても、捕手としても成長しなくてはいけないんです」

 

「それは殊勝な心掛けだな。でも俺が教えることなんて何もないぞ」

 

「そんなことは…!」

 

「いーや、ないね。大体お前がキャッチャーとしても上手くなったら、俺の立つ瀬がないだろ」

 

「…」

 

 五島が顔を伏せる。言われてみればその通りだ。そんな都合よく教えてくれるはずがない。心のどこかで分かっていたはずなのに。そんな五島の表情を察してか、九重はまた一つ、大きなため息をついて話し始めた。

 

「…仕方ないな。かわいい後輩がそこまで言うんだ。俺だって鬼じゃない。二つだけアドバイスしてやるよ」

 

「ッ!本当ですか!!ありがとうございます!!」

 

「そんじゃその1。キャッチャーの極意なんてものは存在しねーよ」

 

「…それは、どういう?」

 

「盗塁を刺したり、フレーミングやホームでのクロスプレーには確かに技術がいる。でも基本キャッチャーのリードなんて結果オーライならそれでいいのよ。相手の心が読めるわけじゃないし、ピッチャーも要求通りの球を常に投げてくれるわけじゃない。周りに何言われようが、しっかりボールを取ることさえできりゃそれでいいんだよ」

 

「…そんなものでいいんですか」

 

「お前の場合は責任を一人で背負いすぎ。打たれたとしてもそれは捕手だけのせいじゃない。バッテリーのせいだ。だから、お前ひとりでそんなに気負う必要なんてねーよ」

 

 ま、その分投手に対する声掛けは意識しておかないといけないけどな、と九重が付け足す。

 

「そんでもう一つアドバイス。それは散々失敗すること」

 

「失敗すること…?」

 

「おめーら若手に必要なのはとにもかくにも経験だ。常に頭を回せ。悩め。もがけ。のたうち回って、それでも答えを出すんだ。仮にそれが間違いだとしてもいい。それはそれでいい経験になる。むしろ、失敗した方がいい薬になる」

 

 まぁちゃんと失敗から学べないと意味ないけどな、と忘れたように九重が付け足す。

 

「分かりました。教えてくださって、どうもありがとうございます」

 

「…ハッ、たまたま気が乗っただけだよ」

 

 深々と五島が頭を下げる。それに対し、九重は照れくさそうに顎をかいた。

 

 

『こんにちは、本日も野球の時間がやってまいりました。北海道ベアーズと東京タイタンズの一戦。実況は私、南雲 旭(なぐも あさひ)、そして解説は言わずと知れたベアーズのレジェンド・甲斐 雪男(かい ゆきお)さんでお送りしています。それでは本日のスターティングラインナップを見てみましょう』

 

   北海道ベアーズ      

        

 

 1番 サード   一原 

 2番 ライト   二葉    

 3番 指名打者  万丈三    

 4番 ファースト 四谷     

 5番 キャッチャー五島     

 6番 レフト   ヘンダーソン    

 7番 センター  七海     

 8番 ショート  六笠  

 9番 セカンド  万丈一   

    ピッチャー 細田            

 

   東京タイタンズ 

 

 1番 セカンド  吉山

 2番 センター  三角

 3番 ライト   広瀬

 4番 サード   岡木

 5番 ショート  榊

 6番 ファースト 下田

 7番 レフト   フランコ

 8番 指名打者  カーター

 9番 キャッチャー大林

    ピッチャー ベンツ

 

『互いにほとんどスタメンは変えないまま臨んできましたね。甲斐さん、これについてどう思いますか?』

 

『妥当だと思いますね。下手にいじるよりもこのメンバーで戦った方がよい、という判断でしょう』

 

『心配なのはこのカードで当たりが出ていない五島選手ですが…』

 

『彼もまだまだ若いですからね。一生懸命に試行錯誤して何とか復調の糸口を見つけてほしいところです。今のベアーズは長打力に長けた選手があまりいないので、そういった意味でも彼の復活は必須でしょう』

 

 試合は両先発同様に立ち上がりをきっちりと抑えて始まった。続く二回、細田が榊に安打を浴びるも下田、フランコを連続三振に抑えてここは踏ん張って見せる。

 

 そしてその回の裏、1死で打席が回ってきたのはこの日五番に入った五島。打席で土を足でならしてバットを構える。確かに広瀬はすごい選手だ。正直、今だって怖いと思う。だけどもう、逃げたりはしない。正面から彼に立ち向かって見せる。誇り高い自分でいるために。今まで自分の事をライバルだと呼んでくれてありがとう。これはその答えだ。バットをライト方向へと真っ直ぐに向ける。球場全体がざわつきだしたのを肌で感じた。

 

『おっとこれは…ホームラン予告でしょうか!?大きく出ましたね甲斐さん』

 

『そうですね。彼の性格上あまりこういう事はしないとは思っていたんですが…どんな勝負になるか、楽しみですね』

 

『ピッチャーのベンツとしては怒り心頭でしょう。グラブで顔は隠れて見えませんが、気迫がこちらまで伝わってきます』

 

 その初球、タメを作って左腕から放たれたスライダー。それに対して五島もバットをゆらゆらと揺らしながらフルスイングで応える。ボールはバットを掠めてキャッチャーミットにボールが入った。だけどタイミングは合っている。ボールも見えている。早まる心臓の鼓動がどこか他人事に聞こえた。

 

『おおっと、いきなり強振で来ました。これは予告通りホームランを打つつもりなのでしょうか!?』

 

『いいスイングですよ。今日は吹っ切れているみたいですね。これはひょっとするかもしれません』

 

『バッテリーとしてはどういう狙いなのでしょうか』

 

『とにかくタイミングを外そうという感じですね。ただ今のボールにもついて来ているので、緩い球を続けるのは危険かもしれません』

 

『さぁベンツ、サインに頷いて二球目、投げました!』

 

 投じられたボールが一瞬ふわりと浮いたかと思えば沈んでいく。コースは低め、球種はおそらくカーブ。スローモーションのように映るボールを眺めながら、五島はひたすら念じていた。まだだ、まだ。踏ん張れ、僕の足。今のままだとライトポール側を切れる。力をためろ。バットを握りしめてひたすらその時を待つ。

 

(―――今!!)

 

 マグマの底にためたような力を噴火させるように爆発させ、全身でバットを振る。芯でしっかりとボールを捉え、かち上げるようにフルスイング。打球は乾いた音を立てて一気にライトの奥まで飛んで行った。

 

『打った―――!!これは大きい!ライト広瀬はもう追わない!!打球はそのまま伸びていって伸びていって…IT’S GONE!!!予告通り第九号、ソロホームラン!』

 

『いやーこれは文句なしですね。よく我慢しました。これが五島遙太という選手の恐ろしさですよ。ここまで飛ばす力を持っているんですから』

 

 ゆっくりと、確実にホームベースを踏む。ベンチでは二葉らを中心としてお祭り騒ぎと化していた。ヘルメットを乱暴に叩かれながら手荒い祝福を受けた後、ようやくベンチの片隅で一息つけた。こういう気持ちのいい当たりをした感覚を忘れないようにメモしておかなくては。

 

「…ふぅ」

 

「ナイスバッティングです、五島先輩」

 

 横に座っていた一原が一言だけ告げた。おそらくそれは、彼にとって精いっぱいの賛辞なのだろう。だからそれに対して、五島はいつも通りの困ったような笑みを返した。

 

「あはは、何とか面目は保てたかな。ホームラン予告しておいて三振なんてできないし」

 

「俺は五島先輩なら打ってくれると思ってましたよ」

 

「…ありがとう。君があの時励ましてくれたから、僕はこうしてホームランを打てたよ」

 

「打ったのは間違いなく五島先輩の実力ですよ。俺はなにもしてません」

 

「そんなことn…いや、そうなのかもしれないね。だけど感謝はさせてほしいな」

 

 出かけた謙遜の言葉を喉の奥にとどめる。…マイナスのことを考えがちな自分の悪い癖は直しておかないといけないな。

 

「どうぞ、ご勝手に」

 

 そう言って一原はそっぽを向いた。きっと照れくさいのだろう。ほんのり赤くなっている耳がそれを物語っていた。

 

 

『さぁ7回の裏、2点ビハインド。1死満塁で打席には今日ホームランを打っている五島が待っています』

 

『先発の細田選手が7回表まで三角の3ランホームランだけで凌いでいるので、ここは何とか援護したいですね。何とか勝ち投手の権利をつけてあげたいところです。それが捕手なら、尚更でしょう』

 

『そしてタイタンズ側は投手を変えるみたいですね…右の桑本に代わって、左のサイドハンド・高那須が準備しているようです』

 

『タイタンズとしては、リードを保ったままこの回を終えられればという考えでしょう。双方にとって、ここがターニングポイントになるでしょうね』

 

『高那須は今シーズン左打者からの被打率は2割を切っています。まさに対左の切り札と言える存在ですね』

 

『しかし五島もサウスポーをあまり苦にしていないですからね。変則的な投球にどう対応していくかがカギになりそうです』

 

 マウンドで高那須がボールを投げ込んでいる。五島は投球に合わせるようにして素振りをしてみる。やはり左殺しと呼ばれているだけに、左打者から逃げるようなあのスライダーを打ち返すのはなかなかに難しそうだ。

 

「プレイ!!」

 

 投球練習を終えていよいよ五島がバッターボックスに入る。犠牲フライでは足りない。狙うならタイムリーヒットだ。左中間に運ぶ意識を頭に植え付ける。

 

『さぁセットポジションから構えて、第一球、投げました!…ボール!初球からスライダーで来ました!』

 

 アウトコースに逃げていくスライダーを見送る。間近で見てみると余計打ちづらそうに見える。バッテリーとしては引っかけさせて本塁ゲッツーか、それとも三振を狙っているのか。キャッチャーである自分としてはとにかく本塁にランナーを帰したくは無いところだ。狙うなら本塁封殺か。

 

『外野陣をみてみると少し前進気味になっています』

 

『そうですね。一点取られても二点目までは取らせない姿勢のようです。しかし裏を返せば長打を打たれると一気に一塁ランナーも帰ってきますからね。大きく出ました』

 

『さぁ高那須がサインに頷いて、第二球、投げました!』

 

 二球目、今度は速球が高めに飛んでくる。少しタイミングが遅れ、当たったボールは勢いよく三塁線を切れていく。

 

『今度はストレートで来ました!甲斐さん、今の配球はどのような意図なのでしょうか』

 

『うーん。やはり打者の五島がスライダーを意識している中での直球が効いていますよね。タイミングがあまり取れていないみたいです』

 

 三球目、来たのはまたアウトコースに逃げるスライダー。バットが中途半端なところで止まり、球審がハーフスイングをとって2ストライク1ボールとなる。打者としては追い込まれた形だ。

 

 四球目、インコースへえぐりこむようなシュートボールが内角に外れカウントは2-2に。再びカウントはイーブンとなる。

 

『外れました、これでカウントは2-2です』

 

『バッテリーとしては次の球が勝負ですよ。私としてはスライダーで来ると思います』

 

『さぁカウント2-2から第五球、投げました!!』

 

 来たのはアウトローへのストレート、しかしボールはシュート回転して若干だが内へ入ってきている。ボールを引き付けて、決して流れに逆らわず逆方向に引っ張るイメージで。そうして振りぬいたバットはボールを貫き、レフト方向へと大きな当たりが飛んでいく。

 

『打ちました!いい当たりだ、犠牲フライには充分か!レフト下がって…いや、まだ伸びるぞ!?』

 

「いっけぇーーー!!」

 

 走りながら五島が力の限り叫ぶ。犠牲フライじゃ足りない。もっと、もっと奥へ。その先のスタンドへ。

 

『伸びていく、レフトが下がって…IT’S GONE!!今日二本目のホームランは、窮地のチームを救う逆転グランドスラム!!!』

 

『まさか今の当たりが入るとは…素直に驚きました。我々は今、新たなスターの誕生を前にしているのかもしれません』

 

『さぁ三塁ベースを踏んでバッターランナーが帰ってきました。これで5対3!ベアーズ、逆転です!!』

 

 ホームベースの周りには、ランナーの一原や二葉たちが興奮気味に五島のことを待っている。気分?そんなもの最高に決まっている。

 

「っしゃあ!!」

 

 ホームをしっかりと踏み、二葉らとハイタッチを交わしてベンチへと戻っていく。北海道ドームは、今日一番の熱気に包まれていた。

 

 

『試合は九回表、タイタンズの攻撃。2死ながらランナーを一三塁において打席には広瀬が入ります!抑えの千石、このピンチを抑えられるか!!』

 

『広瀬選手はここまでの試合でヒットを打っていないですからね。彼が

 試合はそのまま動かず9回の表、今度はベアーズがピンチを迎えていた。長打が出れば一塁ランナーが一気に帰ってくる恐れがある。一発が出れば一気に逆転、という場面だ。二死だけに、ここが正念場だ。キャッチャーがタイムをとり、内野陣がそろってマウンド上に集まる。

 

「あと一人、何とかここを抑えれば勝ちだ。踏ん張っていこう」

 

 途中から守備に入ったキャッチャーの九重がそう告げる。はやる気持ちを抑えるように千石は小刻みに頷いてみせた。

 

「…広瀬さんと勝負ですね」

 

「そうだ。何か不満があるか?」

 

「いや、大丈夫です。むしろ燃えてきました」

 

「ならよし」

 

 九重が千石の背中を思い切りたたいて守備位置へと帰っていく。それを皮切りに、マウンドに集まった円も解散していった。

 

 そして、その初級。大きく揺れながら落ちるフォークが広瀬のバットを掠め、キャッチャーの後ろを転がっていった。

 

『おっとこれは!?いや、審判が両手を上げました。ファール、ファールです』

 

(まじか。今の球を初見で当ててくるのかよ)

 

 思わず千石の頬を冷汗が流れる。流石に十年に一人の天才と呼ばれるだけあって、持っているのは長打力だけではない。難しい球に対して合わせてくるだけのミート力も兼ね備えているのが恐ろしいところだ。

 

 二球目、今度もボールゾーンに落ちるフォーク。しかし広瀬のバットは動かずカウントは1-1となる。

 

『カウントはこれで1-1です。甲斐さん、ここからの配球はどうなると思われますか?』

 

『とにかく一球ストライクゾーンに入れたいところですが…広瀬選手が何を狙っているのか分からないのが不気味です』

 

 こうなればバッテリーも綱渡り状態だ。九重がリードに苦心しているのがマウンドから見ても分かる。しばらく考えこむ動きをしたのち、九重がようやくサインを出す。滴る汗をぬぐいながら、千石もそれにうなずいた。

 

『さぁ三球目のサインが決まったようです。ピッチャー構えて…投げた!』

 

 投げたのはインハイへのストレート。しかしこれにもついてくる。バットに当てられ打球は一塁線へ切れていく。一塁審が両手を広げファールを宣告した。

 

(狙っているのはストレートか…?もし今のを続ければ、次はホームランにされるかもしれない)

 

 九重の頭に悪い予感が顔を出す。この場面ではストレートを続けるのは危険と判断した。そして四球目、またしても手元でワンバウンドするフォークボールに広瀬のバットが止まる。九重が体を張ってボールを前にこぼすも、状況は依然変わりはない。むしろバッテリーの方が追い込まれた気すらしてくる。

 

 続くボールは明らかにストライクゾーンから外れた高いストレートとなりこれでフルカウント。千石が苦い顔をしながら左手を見つめる。次の打者が四番の岡木である事を鑑みても、ここは勝負しなくてはいけない。

 

『ここまでフォークを続けていますが、広瀬はなかなか手を出そうとしないですね』

 

『ある程度割り切っているのでしょう。それにしても、よくボールが見えてます。この打者を打ち取るのは至難の業ですよ』

 

『ピッチャー千石、まだサインに頷きません。…5回目のサイン交換にようやく首を縦に振りました。さぁ構えて、投げた!!』

 

 千石の投げたボールに呼応するように広瀬がバットを出す。しかし広瀬の予想に反してボールは減速して沈んでいった。だが広瀬とてただで終わる気はない。出かけたバットを極限まで腕力で抑えてタイミングを合わせてきた。技と力のぶつかり合い。それを制したのは―――

 

「…くそッ、もう少しタイミングが遅かったか」

 

『三しーん!!最後は空振り三振!千石、ピンチを無失点で抑えました!!』

 

 決め球はチェンジアップ。空振りこそ取れたものの、タイミングはかなり合っていた。ゲームを終えてキャッチャーたちと握手している間も、千石は冷や汗が止まらなかった。最後の打者を打ち取った安心感よりも、タイミングを合わされた事への焦燥感が勝っていたのだ。

 

(あ、あっぶね―――!!今のもうちょっとでタイムリーヒットだったじゃねーか!!)

 

「千石、最後の一球は肝を冷やしただろ」

 

「そりゃあそうっすよ九重さん。完全に崩したと思ったのについてきたんですもん」

 

「安心しろ。俺も同じ気持ちだ。…お互いに、もっと成長しないといけないな」

 

 こりゃあ反省会かもな、と九重が小さくこぼしたのを千石は聞き逃さなかった。

 

「げぇ、反省会っすか。でもまぁ、今回は従いますよ。実質的に負けたような形で終われないですし」

 

 

 ヒーローインタビューを終え、ロッカーで着替えをすませた五島は、一原と談笑しながら球場内を歩いていた。そんな二人の元へと駆け寄ってくる影がひとつ。

 

「待て、五島!」

 

「広瀬君…?」

 

 影の正体は広瀬だった。二チームのベンチ裏はそれぞれ真逆の位置にある。ということは、広瀬はわざわざこっちまで歩いてきたというわけだ。

 

「負けた!今回は俺の負けだ!」

 

 あっけらかんと、そう広瀬は言い放った。

 

「だがまたやる時はこうはいかねぇ!日本シリーズではギッタギッタにしてやるからな!」

 

「あ、あはは…」

 

「あとカズ!お前が元気そうで安心したぜ!それじゃあなぁ!!」

 

 それだけ言って、広瀬はづかづかと去っていった。相変わらず嵐のような人だ、と一原は思った。

 

「はは、勝ったって言っても一試合だけで後は負け越しているんだけどね」

 

「…別に勝ったのが一試合でもいいじゃないですか」

 

「え?」

 

「大事なのはその時の感覚を忘れないことです、好きなように解釈すればいいんですよ。だから今日のホームランの感覚、忘れないでくださいね」

 

「う、うん!忘れないよ!」

 

「ならそれでいいんです、次また弱音を吐くようなら今度はその背中、ぶっ叩いてやりますから」

 

「あはは、その時はまぁ、お手柔らかにね?」

 

 柔らかな笑みを浮かべる五島。その顔からは、既に陰りが消えていた。

 




選手名鑑⑦
広瀬 晃
十年に一人と呼ばれた怪物スラッガー。
右へ左へ、どこへでも打ち分けられる技術も兼ね備えた、まさに怪物。
若くしてタイタンズが誇る主砲として確固たる立ち位置を手にしている。
野球以外の事に関してはてんで馬鹿だが、何事にもやり抜く精神の強さを持っている。
ベアーズの五島遙太とは自称ライバル関係。


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万丈三兄弟

お久しぶりです。


 

「レギュラー争い、ですか?」

 

「そうだ。お前には本格的に野木と正三塁手の座をかけて戦ってもらうつもりだ」

 

 北海道ドームでの試合前練習。監督の漆原の一声で呼び出された一原に投げかけられたのはそんな言葉だった。

 

「まぁでも肩の力を入れなくてもいい。現状ではお前の方が優位に立ってる。お前はまだ若いし、打撃力を鑑みても野木にはない長打力を持っているからな」

 

 だけど、と一つ咳払いをしたのち漆原は目をかっ開いた。

 

「スタメンで使うにはまだまだお前の守備は粗い!とにかく凡ミスやエラーが多い!今は肩の強さで補えるのかもしれないが、シーズンが続いて疲れが出るころにはそう上手くごまかしができると思わない方がいい。付け焼き刃の守備では限界があるという事だ。そのためにも…お前には守備を学んでもらう必要がある!」

 

「守備を学んでもらうって、一体誰に?」

 

「安心しろ。うちには守備のスペシャリストがいる。…カモン、万丈三兄弟!!」

 

 そう言ってぱちん、と漆原が指を鳴らす。

 

「「「イエッサー!!!」」」

 

 その声に反応して、勢いよく三人の男が顔を出す。その顔は三人ともそっくりだ。三兄弟という名の通り、体格も似通っている。

 

「どこでも守れて、小技も出来る超万能型ユーティリティープレイヤー!万丈一郎!!」

 

「代走、守備固めはお任せ!頼れるチームのスーパーサブ!万丈二郎!!」

 

「…打撃が得意。万丈三郎」

 

 そう言って一郎、二郎の二人がまるで戦隊モノに出てくるようなポーズをとる。一方の三郎は気恥ずかしそうに二人を見るだけで、何の動きも取ろうとしない。

 

「おい三郎!打ち合わせ通りにやろうっつったろ!すまんな、三郎はちょっとシャイなんだ」

 

「いや、シャイっていうか…。あのさぁ、一郎兄ぃも二郎兄ぃももういい年でしょ。そんなことやってて恥ずかしくないの?」

 

 その一言に二郎が勢いよく反応する。

 

「バッキャロウェイ!!ヒーローはいつだって青少年の憧れじゃろがい!お前にはロマンってやつが無いのか!兄さんはお前をそんな子に育てた覚えは無いぞ!」

 

「俺だってあんたらに育てられた覚えはねぇわ!第一、一郎兄ぃも二郎兄ぃももう青少年って年じゃないでしょうに。…はぁ、ほんっと付き合わされるこっちの身にもなれっての」

 

 一原は呆気にとられながらも、どちらかと言えば三郎に対して同情の意を払っていた。一人だけノリが違うというのは中々に精神的に辛いものがある。それが兄弟ともなればなおさらのことだ。まったくもって年功序列というものは度し難い。

 

「ま、そんなわけで。頼んだぞお前ら」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!この空気(じごく)のまま置いていくんですか!?」

 

 一原が慌てて漆原を引き留めようとする。正直言ってこのノリは一原にとって耐えがたいものであった。そんな空気に放り込まれるなら、まだ砂漠の真ん中に置き去りにされた方がマシだ。

 

「つっても…俺だって他の選手を見とかないといけないしなぁ。明日からのヤンキース戦の対策も立てておかないとだし、そんな暇じゃねーのよ」

 

「そんな殺生な…」

 

「まーまー、慣れれば普通にいい奴らだから。それにほら、『住めば都』ってことわざもあるじゃん?じゃ、そういうことで」

 

 それだけ残して漆原はそそくさと去ってしまった。住めば都はあんまり関係ないだろ。あの野郎め、説明するのを放棄して逃げやがったな。そんな事を考えている一原の背後からぬるりと手が伸びてきた。

 

「そんじゃ、まずはキャッチボールから始めっか」

 

 手の主は、一郎だった。

 

 

「キャッチボールは二人一組でやるぞ。ここは公正を期してグーとパーで分かれよう。いっせーのーで」

 

 それぞれが一郎の合図で手を出す。結果はすんなりと一度で決まった。

 

「お、綺麗に分かれたな。俺と二郎。そんで…あちゃー、一原は三郎とかー。まぁ頑張れよ」

 

 え、今あちゃー、って言ったよねこの人。何、何なの?三郎も一郎や二郎に負けず劣らずの問題児という事なのか?恐ろしい想像が勝手に頭の中をぐるぐると回っていく。…いかんいかん、無粋な詮索はやめにしよう。大体、三郎はさっきのやりとりを見るに三兄弟の中でも一番まともそうだったじゃないか。うん、この人を信じよう。

 

「…じゃあ行きますよ」

 

「よし、来い」

 

初めはそこそこの距離で程々に力を抜きながら投げていく。そこから少しづつ距離を広げながら力を入れていく。そしてある程度二人の間があいたところで、そろそろ本格的に力を入れて投げることにした。

 

「フッ!!」

 

 しっかりと指にひっかけて投げたボールは唸りをあげて綺麗な軌道を描きながら三郎の胸元へ真っ直ぐに届いた。ボールはバシンという音を立てて三郎のグラブに収まった。うん、我ながら中々にいい送球だ。今日は調子が良い、と肩を回しながら思った。

 

「なるほど、試合でも目にはしていたが中々肩は良いようだな。それに、スローイングも悪くない」

 

「…そりゃあどうも」

 

 当たり前だ。今まで俺が戦ってきたのはマウンドの上、そこでは寸分の狂いも許されない。ボール一個分でもずれが生じればボールになってしまう。それに比べれば、キャッチボールで相手の胸元に投げることなど造作もないことである。体勢が崩れてさえなければこれくらいの事は朝飯前だ。

 

「だが肩の強さなら俺も負けてはいない。いくぞ」

 

 そう言い残して三郎が投げたボールは勢いよく放物線を描いて飛んで行った。…キャッチボール相手の俺が目で追うしかできないほど。

 

「すまん、すっぽ抜けた」

 

 すっぽ抜けるのは誰にだってある。まぁそれくらいなら仕方ない。ボールを取りに小走りで向かう。後ろで笑みを浮かべる二郎の事は気にしないことにした。

 

「今度はちゃんと投げてくださいね」

 

 忘れないように念押しをしてボールを投げ返す。三郎も短く「おう」と返事をした。これで大丈夫。大丈夫なはずなのに、どこか胸騒ぎがするのは何故だろうか。

 

「ふんッ!」

 

 今度はずっと手前でボールがバウンドする。今度は力みすぎか。ちょっと雲行きが怪しくなってきたぞ?

 

「すまん、少しだけ力んだ」

 

 少し?うん、まぁそう言うと思った。それにしたってボールが暴れすぎだ。緊張しているのか?それなら慣れれば良くなるだろうけど…。

 

 そんな淡い期待は当然のように裏切られた。いくら投げてもまっすぐに飛んでくる気配はない。それどころか制球はむしろ悪化しているようにさえ見える。にやにやと笑みを浮かべながら二郎が近づいてきた。

 

「一郎兄ィが『あちゃー』って言った理由、分かったろ?三郎はな、昔っから肩が強い代わりに絶望的にコントロールが悪いんだ。まぁボールがまっすぐ飛んでくることなんてそうそう無いし、守備の練習にもなるだろ?俺たちは三郎の送球を取ってる度に守備が上達していったからな」

 

「それってイップスか何かなんじゃ」

 

「いや、多分それはない。野球を始めたころからあんな感じだから」

 

「じゃあ指導者の問題では?」

 

「いや、それがな?不思議なことにスローイング以外は成長してるんだよ。バッティングも守備も。ただ送球するときだけどんなアドバイスも致命的に形を成さないっつーか…まぁ俺もよく分かんねーけどよ」

 

 なるほど、だから指名打者以外では試合に入らないわけか。もしも彼が内野手でもやろうものなら暴投のオンパレードになるに違いない。四方八方に暴れるボールを前に苦悩する内野陣の表情が見て取れる。

 

「それでもぶっちゃけ、俺たち三兄弟の中で一番野球センスがあるのは三郎だよ。一郎兄ぃに比べて三郎はミート力もパワーも持ってるし。俺なんてスーパーサブ専門だからな」

 

「そうなんですか?」

 

「送球の事さえ除けばあいつは選手として高い完成度を持ってる。本当、送球さえ人並みにできればなぁ…」

 

「…」

 

「おっと、話しすぎたかな?まぁ何にせよ、頑張れよ」

 

 そう言って二郎は離れていった。…一体何だったんだ。

 

「行くぞ、一原!フンッ!」

 

「あ、ちょっとタンマ!あー…」

 

 三郎が投げたボールは、本日何度目かも分からない大暴投だった。

 

 

「じゃあいよいよ本題の守備だ、俺や二郎の動きをしっかり目に焼き付けておけよ」

 

「一郎兄ぃ、俺の守備は?」

 

「お前は論外」

 

「ひどい!」

 

 一郎を始めとして四人で三塁ベース上に集まっている。先頭にいた一郎が重心を少しだけ下げた。

 

「いいか、守備において大事なのはまず一歩目だ。この一歩があるかないかで勝負は大きく変わる」

 

 一郎がグラブを叩き、乾いた音が響いた。いつでも来い、という合図だ。それに反応したノッカーがボールを打った。打球は三塁線を襲うあたりだ。一郎は打球が飛んでくる前に軽くジャンプして、軽快に三塁のファールラインへと一歩目を踏み出す。バックハンドで打球を掬い上げ、踏ん張って一塁へと送球した。ボールは多少ファーストミットをずれたものの、ほとんど問題なく収まった。

 

「げ、最後の送球がまずかったか。まぁ理想よりは少しずれたけど、大体こんな感じだ。今ので分かったか?」

 

「分かったような、そうでもないような…」

 

「じゃあ次は俺の番だな!バッチコーイ!」

 

 今度は二郎が勢いよく声を上げて合図を送る。今度は痛烈な打球が三遊間を襲う。しかし二郎は動じない。華麗な足取りから表情一つ変えずにボールを捕球し、余裕をもって一塁方向へとステップを踏む。そしてそのまま一塁へと送球した。スナップの効いた送球は心地よい音を響かせてファーストミットに収まった。

 

「これで分かったろ?いかに足の動きが大事か」

 

「…まぁ何となくは。とりあえずやりながら確かめてみます」

 

「ああ、ちょっと待った!最後にもう一つ!」

 

「何ですか」

 

 実践しようと構えを取ったところで一郎からストップがかかる。一原は苛立たしげに一郎のいる方へと顔を向けた。

 

「これは俺たちが教えられるような問題じゃないが、やはりプロ野球選手というものには華が必要だ。それに大事なもの、何だか分かるか?」

 

「そりゃあまぁ、しっかりとした基本動作じゃないですか?」

 

 それが当たり前だろう、と言わんばかりに一原は首を傾げた。一郎はそれを聞いて唸りながら下を向いた後、口を開き始めた。

 

「うん。間違ってはいないな。だがもっと根本的なものだ。いいか一原、大事なのは想像力、つまりインスピレーションだ。Repeat after me. inspiration.」

 

「その微妙に発音がいいの辞めてもらえますか。何だか微妙にムカつきます」

 

 一郎はチッチッチっと舌を鳴らしながら指を揺らす。何だろう、本当にグーが出そう。でもここはぐっとこらえる。グーだけに。自分で考えておいてだけどしょうもな。マジでしょうもない。

 

「ん、ん―――。まぁ要するにだな。爆発的な想像力は時として一番の助になる。忘れるな、『自由こそ一番の武器』だ。まぁ、つっても結局は頭に思い浮かんだものを現実で出来るかも大事だけどな」

 

「はぁ」

 

「あ、お前本気にしてないだろ!言っとくけどこれはガチだからな!そんな素っ気ない態度してると泣くぞ!?ほら泣くぞ!?」

 

「それは流石に幼稚だからやめてくれよ一郎兄ぃ…」

 

「…まぁ、一応参考にはさせてもらいますよ。ありがとうございます」

 

「お、おお!分かればいいんだ分かれば!じゃあ練習を再開しようか!」

 

「はい!」

 

 

 

「違う!もう少し体の向きをこう、そんですぐに送球に移行できるようにするんだ!」

 

「…こう、ですかッ!?」

 

「一歩目がまだまだ遅い!お前ならもっと早くボールに反応できるはずだ!自分の力を信じろ、それがヒーローになるための第一歩だ!」

 

「いやヒーローになる気はさらさら無いですけど…」

 

「こまけぇ事ぁ気にすんじゃねぇ!つべこべ言わずにやるぞ!」

 

 ドームから吹く涼しい空調が汗に濡れた髪を軽く揺らす。そこからは、マンツーマンで一郎、二郎の二人から指導を受けながら、ノックを受けてひたすら基礎の動きを体に覚えさせることに従事した。

 

 

 とある上空。ジャージを着た選手やコーチ・監督らの一行が飛行機に乗っていた。その内の一人がゆっくりとアイマスクを外し、大きくけのびをした。

 

「…あ―――、よく寝た。ヤス、今どこら辺?」

 

「今は東北らへんらしい。まだ北海道につくのには時間がかかるっぽいな」

 

「けっ、わざわざ福岡から直で北海道まで行こうってのがおかしいんだ。選手様の負担考えろっての。ま、時間があるならいいや。練習すんのもだりぃし。もう少し寝てようかな」

 

「そういやタツミ、知ってるか?」

 

「あぁ?今寝ようとしてたところだろうが。話の流れ聞いてたか?」

 

「まぁ聞けって。次のベアーズ戦、大方の予想だとサードには一原が入るらしいぜ」

 

「一原、一原…あぁ、あの一時期野手転向で話題になってた奴か。そりゃあいいな。ひよっこ共に野球ってもんを教えてやるいい機会だ」

 

「でも、お前今下半身のコンディション不良っつってなかったけ?」

 

「あーあー聞こえなーい。監督ー、俺、練習は無理ですけど試合になら出れますからねー!」

 

 男はわざわざ前方にいる監督にも聞こえるような声で話しだした。監督と呼ばれた白いひげの生えた老夫はそれを一瞥すると、何もなかったかのように視線を前に戻した。男はその様子を見て小さく舌打ちをする。

 

「いいんですか監督、あいつを放っておいて」

 

 監督の肩を不安げに叩いたのは、今年からチームのヘッドコーチを務めている関という男だった。年齢としては監督と呼ばれる人物よりも一回り、いや二回り近く下だろうか。

 

「いつもの事じゃい。アレに気を使ってると瞬く間に神経がすりきれるぞ」

 

「はぁ、そんな物でいいのでしょうか。しっかし勿体ないですねぇ。選手としては打撃も走塁も超一流。特にバッティングはリーグ、いや、日本でも再強打者と言われるくらいだ。守備もまずまずなのに、当の本人が練習嫌いときては」

 

「別にええわい。結果を残してくれる以上はな。ファンからもアレを使わないと非難轟轟じゃしの。アレはチームの核じゃ。頼りきりなのは気分が悪いが、それでも今のチームを一位に導いてきているのは、間違いなくアレの功績じゃからな」

 

 監督と呼ばれた老人―――狐坂は不気味に笑みを浮かべる。そして同様に、アイマスクをしている男も不敵に歯を見せる。

 

「「俺(アレ)がいる限り、このチームが最強なのは揺らがねぇ」」

 

 去年の覇者が、北海道へと来襲する。




選手名鑑⑧
万丈 一郎
どこでも安定して守れるユーティリティー性と無難な打撃力がウリの選手。
昨季は主に二塁手として出場し、チームを救う守備を何度も見せてきた。
ヒーローオタクで、戦隊ものに関しては妙に詳しい。


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初回の攻防

すみません、お待たせしました。
しばらく不定期更新が続くとおもいます。


 

 時刻は13時を回るころ。東京ヤンキースの選手たちは打撃練習に精を出していた。球場内に流れるBGMに合わせるようにして快音が響き渡る。

 

 東京ヤンキースは、現時点において日本球界最強のチームである。サードを守る5ツールプレイヤー、高橋 達実(たかはし たつみ)を中心として、好守の光る外野のスラッガー、高橋 康弘(たかはし やすひろ)など「ダブル高橋」を始め、日本を代表する選手達が在籍し、この三年間、日本一の称号を欲しいままにしてきた。

 

「ほっほっほ。今日も調子はいいようじゃの」

 

 彼らの打撃練習を見て微笑みを浮かべる男が一人。名将と呼ばれる壮年・狐坂である。5年ほど前に監督に就任し、会見では「素材は揃っている。二年もあれば立て直すのには充分ですな」と大胆不敵な発言で一時期世間を沸かせた。そしてその宣言通り、Bクラス常連だったチームをたった二年間で日本一の座まで登り詰めてみせた。彼はたった五年で、ヤンキースファンを始めとした野球ファンの心をわしづかみにしたのだ。

 

「監督~、試合に出してくださいよ~」

 

「なんじゃい達実。お前まだ納得しとりゃせんのか」

 

「そりゃあそうっすよ。ファンだってぇ、俺を出さなきゃ怒るんじゃないんですか」

 

「余計な心配を…メディアを通して既に説明はしておる。お前は今現在下半身のコンディション不良で調整中だとな。むしろお前には万全の状態で出場してもらわないと困る」

 

「ちぇっ、つまんねーの」

 

「聞こえてんぞ」

 

「げ、分かりましたよ。分かりましたから百本ノックだけは勘弁してください」

 

「分かりゃあいいんだよ。状態が戻ったらノックはやるけどな」

 

「えぇー…」

 

「つっても代打としては出てもらうつもりだ。準備だけは怠らないようにしとけよ」

 

「へーい」

 

 軽口を叩いてバッティング練習に戻っていく達実を見送りながら、狐坂は呟く。

 

「もっと監督に対して従順ならいい選手なんだがなぁ…アレに限ってそれはないか」

 

 いくら名将と言えど、監督である以上気苦労は絶えないらしい。

 

 

「よっしゃ、今日もスタメン!お前もスタメンらしいじゃねぇか、何でそんなに不貞腐れてんだ?」

 

「上位打線じゃない…」

 

「ん?」

 

「上位打線じゃない!最近は一番で使ってもらってたのに!」

 

「あ―――、まぁお前最近打率下がってきてるし仕方ないんじゃねーの。まぁいいじゃねーか。俺なんていっつも下位打線だぜ?」

 

「それはそれ、これはこれです!まぁ確かに最近ちょっと調子悪いですけど!」

 

「そういう悔しさは打席で発散するんだな。それはそうと、守備の事も忘れんなよ?」

 

「そりゃあ当たり前ですよ。何のために特訓を続けてきたと思ってるんですか!!」

 

「お、おお…。分かってるんならいいんだけどよ」

 

「おーい、お前ら。そろそろ円陣組むぞー」

 

 外から飛んできた声に、一郎と一原が反応する。

 

「あ、はい。今行きます」

 

「まぁいい。とにかく、これまで鍛えた事を忘れんなよ」

 

「分かってますよ」

 

 二人は円陣の中へと入っていく。今日の声出し当番は二葉だ。

 

「ごほん、えー今日の相手は中央リーグ首位のヤンキースですが…相手も同じ人間です。普段通りのプレーをしていけば勝てるはずです!気合入れていきましょう!!せーのっ!」

 

「「「「おう!!!」」」」

 

 大きな声を出して円陣が解散していく。互いがそれぞれの思いを胸に秘め、いよいよ試合が始まる。

 

北海道ベアーズ

 

一番 ライト   二葉

二番 ショート  加藤

三番 指名打者  万丈三

四番 ファースト 四谷

五番 キャッチャー五島

六番 レフト   ヘンダーソン

七番 センター  七海

八番 サード   一原

九番 セカンド  万丈一

投手 十九川 秀幸

 

東京ヤンキース

 

一番 レフト   坂内

二番 サード   今西

三番 センター  高橋康 

四番 ファースト バーバリー

五番 指名打者  蜂須賀

六番 キャッチャー岡上

七番 ライト   鹿野

八番 セカンド  甲田

九番 ショート  尾瀬

投手 アーノルド・リッチマン

 

 

『さぁ今日も野球の時間がやってまいりました。実況は私、南雲旭。解説にはベアーズОBの甲斐雪男さんをお招きしています。甲斐さん、今日はよろしくお願いします』

 

『はい、よろしくお願いします』

 

『今日のベアーズのラインナップですが…ここのところ一番を任されていた一原が八番に下がっていますね』

 

『まぁここのところ凡退続き。内容もあまりよくないという事で一番を任せるのには難しいでしょう』

 

『そして一方のヤンキース。今日も高橋達実はスタメンに入っていませんね。普段四番に入っている高橋康弘が入っています』

 

『やはり状態があまり良くないのでしょうか。それでもベンチには入っているので、いざという時の代打での登場に期待しましょう』

 

『さぁ打席にはヤンキースの若き切り込み隊長、坂内が左打席に入ります』

 

 打席に入った坂内を見下ろすかのように十九川が帽子を深く被ってマウンドに立つ。その初球、インコースへの直球を坂内は弾き返し、ファールゾーンへと飛んで行った。続く二球目、今度は左打者の外角から逃げていシュートにバットが止まり、これでカウント1-1となる。そして三球目、真ん中低めのスライダーを捉え、打球は一二塁間へ。しかしこれはセカンドの正面を突き、平凡なセカンドゴロとなる。

 

『いい当たりでしたが、ここはセカンド正面。甲斐さん、ここはセカンドの万丈一郎がいい場所に守っていましたね』

 

『ポジショニングが良かったですね。坂内選手は引っ張り傾向の強い打者なので、それを予期しての位置だったのでしょう』

 

 初めのアウトを取って勢いをつけたのか、続く今西もサードへのポップフライに打ち取り2アウトとする。

 

『先発の十九川、ここまでの調子はいかがでしょうか』

 

『ちょっとストレートの制球が怪しいですけど、変化球で上手くかわしていますね。後はこの人、三番の高橋康弘を打ち取る事が出来ればリズムに乗って行けると思いますよ』

 

 右の打席には三番・高橋康弘が入る。今までの打者とは違う、手強いバッターである事は投手の十九川や捕手の五島にもピリピリと伝わっていた。まずもって、漂うオーラが別物だ。ヘッドを完全に寝かせたフォームからは力感が抜けており、どんな球に対しても柔軟に対応できるように見える。それでいて、丸太のように太い腕が顔を覗かせている。既にシーズン15本塁打を達成している実力は本物だ。

 

(ここはとにかく長打警戒で行きましょう。単打ならまだOKという事で。とにかくゾーンを広く使って、高橋さんに的を絞らせないように)

 

 キャッチャーの五島が十九川へ、そして守備陣へとサインを伝達する。サードの一原が若干ベースに近づき、それに伴い他の守備陣も引っ張りを警戒した守備をとった。

 

(相手が右打者ならいける。球界を代表するスラッガー?それがどうした。相手にとって不足ナシだ)

 

 十九川が得意とするのは右打者の内角へとえぐりこむように変化するシュートだ。コントロールは粗いが、直球も中々の球威を誇っている。この二球種で打者を惑わせて詰まらせるのが十九川の投球スタイルである。

 

 まずは初球、インコースに構えた五島のグラブから大きく外れてボールは外角の高めに外れる。高橋康はピクリとも反応しない。

 

(ちょっと力みすぎです。一旦落ち着いて、冷静に仕留めに行きましょう)

 

 五島が肩を動かし、力みを取るようにジェスチャーを取る。十九川が頷き、一つ大きく息を吐いた。

 

(本当に伝わっているといいけど…)

 

 悪い意味で何かが起こりそうな、首筋に何か刃物を突き付けられているような悪寒。そんな不安が拭えないまま五島が次のサインを決める。今度に要求したのは外角低めへのスライダー。あくまでも、低め低めで抑える心積もりだ。十九川がゆっくりとモーションに入り、ボールを投じた。

 

(甘ッ―――!?)

 

 そう五島が判断するよりも先だったか、彼の視界は何かによって塞がれた。それがバットであると気づいたのはその一瞬後の事だった。

 

『打ちました!打球はライトへ!!これはフェンス直撃!』

 

 つんざくような打球音が響く。外角のボールに合わせるような逆方向への打球は伸びて伸びて、フェンス上段に直撃した。幸い二葉のクッション処理が完璧だったために、高橋康は一塁を回って二塁を窺うのみにとどまったが、完全に捉えた当たりだった。

 

『いい打球が飛んでいきましたね。甲斐さん、今の対戦をどう見ますか?』

 

『ちょっとキャッチャーの要求からは外れていましたね。肩に余計な力が入っていたと思います。もっとも、その失投を完璧に捉える高橋康選手には素直に脱帽ですね』

 

 咄嗟に五島がタイムを取り、ピッチャーマウンドに上がって十九川の背中をポンと叩いた。

 

「…済まない。お前の要求通り投げられなかった」

 

「むしろ単打で良かったと考えましょう。とにかく引きずらず、次のバッターに切り替えてくことが大事です。次のバッターは左打者ですからね。長打警戒でいきましょう」

 

 タイムを取り終わり、五島がキャッチャーのポジションへと帰っていった。そして左打席にはバーバリーが入る。ピアスをした金髪に30という歳の割にはつぶらな瞳が印象的なバッターだ。

 

 フォームは典型的なオープンスタンス。武器はその大柄な見た目通り、悠々とフェンス外に持っていけるパワーだ。今日は四番に入っているが、普段は五番に入っていたと五島は記憶していた。

 

(この人は確か変化球に強かったはず…だったら)

 

(直球で押し通す!)

 

 初球、2球目と速球を続け早くも2ストライクと追い込む。しかし問題はその後だ、と五島は唾を飲み込んだ。まずはアウトコースに逃げていくシュート。指に上手くかかった誘い球だったが、バーバリーは振りかけたバットを止めた。三塁審に確認を取るが手を水平に伸ばしてアピールされる。

 

(次の球が勝負球になるな…)

 

 キャッチャー、投手、そして打者。考える事は同じであった。五島が左のバーバリーの内側にミットを構える。

 

(お願いします。ここに、最高のストレートを!)

 

 十九川が力強く頷く。左足を上げ、翼を広げるようなフォームからストレートが繰り出された。右投手から左打者のインコースへえぐり込むようなクロスファイアー。バーバリーがバットを出すもボールが当たったのはその根元だった。打球はふらふらとファーストへと飛んでいく。

 

「ファースト!」

 

「分かってる」

 

 弱弱しい打球を一塁手の四谷ががっちり掴んでスリーアウト。この回はヒットを浴びながらもきっちり無失点で抑えてみせた。ベンチに戻りながら、五島が十九川に声をかける。

 

「最後の一球、ナイスボールでした。あれくらい気合が入った球なら相手もそうそう打てないですよ」

 

「ああ、今の球は自分でもいい感触だった。続けられるよう努力する」

 

「その調子なら大丈夫そうですね」

 

 声をかけおわった後はバットを取り出し打撃のシミュレーションをする。全くもって、キャッチャーというポジションは忙しい。投手のケアは当然のことながら、野手としても貢献しないといけない。…まぁだからこそこのポジションに惹かれたわけだが。さて、今度はこちらが攻撃に転じる番だ。

 

『1回裏、ベアーズの攻撃は1番・ライト、二葉。背番号22』

 

 審判への一礼をきっちりと済ませてから、右打席に二葉が入る。対するヤンキースの先発は右の長身投手、リッチマン。基本は直球とカットボールでゴロを打たせていくタイプの投手だ。

 

(十九川に勝ちを付けんのは癪だけど、こっちも打撃成績がカツカツなんでな!)

 

 二葉の身長はプロ野球選手としては小柄な171㎝。190㎝をゆうに超すリッチマンとは親子と見紛うばかりの身長差だ。しかし身長だけが勝負を決めるわけではないと二葉は理解している。その体をさらに屈める事でストライクゾーンをさらに狭くする。リッチマンが息をついて、テイクバックの大きなフォームから初球を投じた。

 

(直球か!?いや、違う!)

 

「ストライク!」

 

(あっぶね、今の打ってたら内野ゴロだったな)

 

 恐らく球種はカットボール。成程、確かに厄介なボールだ、と一人二葉は納得する。曲がりが鋭い上に、球速も早い。直球と錯覚するのも無理はない。

 

(だったら、少し揺さぶってみるか)

 

 二球目。今度は相手が投げた瞬間にバントの構えをとってみせる。すぐにバットを引いたが、ボールは高めに外れた。処理をしようと走っていたリッチマンが少しだけ顔を歪ませたのを二葉は見逃さなかった。

 

(へへへ、嫌がってる嫌がってる)

 

 内心ほくそ笑みながら、二葉は冷静に次の手を頭の中で練っていた。三球目は見逃してボール。四球目、五球目をファールで逃れた。六球目はカットボールがワンバウンドし、これでフルカウント。

 

(さて、ある程度球は見れたしそろそろ出塁したいな)

 

 キャッチャー岡上のサインにリッチマンが首を縦に振る。そして投じられたボールは外角へと吸い込まれていく。ギリギリストライクゾーンへのコース。バットを出して、ボールを無理矢理引っ張った。打球は早いゴロとなって三遊間を襲う。

 

(詰まった!いや、でもこのコースは…抜ける!)

 

 ショートがボールに飛びつこうとするも虚しくグラブを掠めたのみに留まった。打球はそのままレフトの足元へと転がっていき、レフトがゆっくりと捕球する。二葉は一塁ベースを大きく回った所でストップした。

 

『先頭打者が出ましたベアーズ!いやー追い込まれてからのしぶといバッティング、見事でしたね!』

 

『打者としては打ち取られた形ですけど、飛んだコースが良かったですね』

 

「ナイスバッティング、二葉」

 

「へへ、いやーどーもどーも」

 

 一塁コーチャーとヘラヘラしながら拳を交わす。きっと今のは運が良かった、と見ていたほとんどの人が言うのだろう。

 

(だけど、構わねぇ。どんな形であれヒットはヒットだ。恰好悪かろうが、泥臭かろうが、俺は自分を肯定し続行けてやる…!)

 

「さーて、走っちゃいますよ~!」

 

 わざと相手にも聞こえるような声を出して大きくリードを取る。言語は違えど挑発の意図は伝わったらしい。次の打者である加藤が打席に入るのを待ちながらリッチマンが小さく舌打ちをしたのが聞こえた。

 

(ま、相手の心象で飯食っていけるなら俺もこんなことしないけどね)

 

 性格が悪いだなんていわれるだろうけど、これってリードオフマンとして普通の事をしてるだけだから。幾度目かの牽制を終えてようやくリッチマンが打者の加藤に向き直る。そしてその初球。

 

『ランナースタート!!』

 

「ッ!くそっ…!」

 

 確かにリッチマンのフォームは大きく、強肩の岡上をもってしてもフォローしきるのは難しいだろう。しかし、投げることすらも許さない。それほどまでに二葉は速かった。スライディングをする事すらなく、余裕で二塁ベースに立っていた。今シーズン10本目の盗塁。それは他の誰も寄せ付けない、完璧な盗塁だった。

 

 続く加藤は送りバントできっちりとランナーを三塁に進め、これで1アウト三塁。内野は前進してバックホームの体勢を取っている。

 

『バッターは3番・指名打者、万丈三郎。背番号03』

 

 続くバッターも右打者の万丈三郎。しかし彼の威圧感を前に中々ストライクが入らない。カウントは3-1、依然としてバッター有利だ。

 

(さぁどうした…!投げてこい!)

 

 しかしバッテリーは勝負を避けた。続くボールも外れ、フォアボールが宣告された。万丈三は何か言いたそうな顔を投手に向けた後、しぶしぶといった様子で一塁ベースへと歩いて行った。

 

『ここは勝負しませんでしたね。無理に勝負にはいきませんでした』

 

『まだ初回ですから、投手としては何とかゼロで次の回に行きたいといった感じですから、次の四番で勝負という事ですね』

 

「四谷さん、ここで一本お願いしますよ」

 

「…あぁ」

 

 一原の声に振り返る事もなく、短く淡々とそれだけ返して四谷はネクストバッターサークルから歩き出した。

 

『バッターは四番・ファースト、四谷。背番号4』

 

 バッターボックスに入る四谷はあくまでも落ち着きを保ったままだ。それは息をするのと同じように、それが元ある姿であるかのように、バットを構える。その所作は自然体そのものだった。その完成された姿に、あるファンは息をのみ、またあるファンは大きな歓声を上げた。

 

(相手も初球を警戒しているはず…ならば狙うのは変化球か)

 

 甘く入ってきた球を打つ。四谷の脳内に走る信号は至ってシンプルなものだった。その雌雄はたったの一球で決した。何度かのサイン交換の後の初球、低めに入ってくるカーブ。四谷はそれを逆らうことなく右へと打ち返した。打球はライトの前でワンバウンドする。

 

『打った、ライト前ヒットー!ベアーズ先制!!』

 

『いいバッティングですね、力感が上手く抜けています』

 

『さぁなおもランナー一二塁のチャンス!打席には左の五島が入ります!』

 

『バッターは五番・キャッチャー、五島。背番号25』

 

 滑り止めをバットに吹きかけて、五島が左のバッターボックスに立つ。バットを寝かせて虎視眈々とボールを待つその姿は、投手にとって腹をすかせた猛獣のように見えた。カウントは2-2、高めに浮いたボールを捉え、これもセンター前に抜けるゴロ性の打球になる。

 

「行かせるかよォッ!」

 

 ―――刹那、弾丸のような送球がセンターからホームベースへと突き刺さった。ノーバウンドで返球された球は、雷が直撃したかの音を立ててキャッチャーミットに収まった。これには三塁ベースを回りかけていた万丈三も足を止めざるを得ない。

 

「今のは…」

 

「さっすが『怪鳥』高橋康弘だな。やる事のスケールがちげぇ」

 

「一郎さん、怪鳥って?」

 

「あぁ、一原は知らないんだっけか。外野のフィールドを駆け回ってそこら一帯を支配するからついたあだ名が『怪鳥』。な?カッコいいだろ?」

 

「…いや、どうですかね」

 

「ははっ、まぁそこは個人の感性によるか」

 

 ランナーはなおも満塁。打席には六番のヘンダーソン。ここはライト方向に飛距離充分のフライを打ち上げ、これでランナーの万丈三が生還。そして二塁ランナーの四谷もスタートを切り、一気に三塁を陥れる。

 

『七番・センター、七海。背番号57』

 

 まだチャンスは続く。左打席に入った七海は五島と同じようにバットを寝かせるようなフォームをとった。初球、二球目と追い込まれながら続いた三球目、あわやワンバウンドになるかというレベルの低めのカットボールを掬い上げた。スピンのかかったボールはショートとレフトの間にぽとりと落ちてこれもタイムリーとなる。

 

「…さて、じゃあ俺も続かないと」

 

「力みすぎんなよ一原ー」

 

「分かってますよ。…ここで結果を出しますとも」

 

 視線の先にはあっぷあっぷ状態の投手。ここでダメ押しして試合を一気に決めたいところだ。

 

『八番・サード、一原。背番号31』

 

(狙うなら初球に来るであろう直球、きっとまず一つストライクが欲しいはず…。そこを狙う!)

 

 リッチマンがボールを投じる。狙い通りの直球。結論から言えば、一原の考えは決して間違ってはいなかった。しかしそこに誤算があるとするのなら。

 

「ッく!?」

 

 自身の状態の悪さを把握していなかったことだ。ボールはサードへの平凡なゴロとなり、慌てる事無く一塁にボールが届く。

 

「っくっそが!」

 

 あまり荒立たないように一原が小さく悪態を零す。しかしこの回いきなりベアーズは三点を先制した。

 

 試合はまだ、はじまったばかり。

 

 

 

 

 

 

 




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中盤戦

ちょっと間が空いてすいませんでした。


 

「ストライク!バッターアウト!!」

 

 試合は二回の裏、二番打者の加藤が見逃し三振に倒れベアーズの攻撃は終わりを迎えた。

 

「チッ、もう立ち直りやがったか」

 

 二葉の言葉が示す通り、この回のリッチマンの投げるボールは先ほどまでとは明らかに別物だった。普段多用しがちなカットボールの割合を抑えて直球の球威で押し切るスタイルにシフトすることで、ベアーズ打線をきっちりと三者凡退に打ち取って見せた。

 

 そして、4回の表―――。ヤンキースは先頭打者が死球で出塁すると、迎えるバッターは3番・高橋康弘。先ほどの打席と同じくバットを寝かせ、余裕をもって打席に入っている。その目はまるで猛禽類のように鋭く、被捕食者である投手をただ一点に見つめていた。俺が決める、俺が、俺が。自身満々にバットを構える姿が今の張りつめたような空気を作っているのは見て明らかだった。

 

(ランナーを出している状態で勝負はしたくなかったけど仕方ない。カウントが悪くなったら歩かせよう)

 

 五島は右打者の外角にグラブを構える。サインはストレートだ。しかし、この時点で五島は気づくべきだった。一つ、自分の考えがまとまらないままにボールを要求したこと。そしてもう一つ、十九川が先ほどの死球を引きずっていたこと。決して甘く入ってはいけない、とあまりに意識しすぎていた事。一つ一つできた小さな綻びが重なって、それは大きなヒビとなった。

 

 ボールはアウトコースからど真ん中のコースへ中途半端な回転をしながら入っていく。投手の十九川も、捕手の五島も一瞬で分かるほどの完全な失投、それを超一流の打者である高橋康が見逃してくれるはずもない。不気味に口角を歪ませ、バットを走らせる。

 

「甘いぜ、ベイビー」

 

 鋭いスイングがボールの真芯を叩いた。振り抜いた体勢からバットが高く宙を舞う。驚くべきはその弾道だ。思い切り引っ張った打球はアーチを描きながら外野の高く、そしてさらに奥へと飛んでいく。

 

『いったー!これは大きな当たりだ!!レフトのヘンダーソンが下がる!尚も打球は伸びて…フェンスの外に突き刺さりました!!高橋康、追撃となる19号2ランホームラン!!完璧な当たりでした、打球はあっという間にスタンドへ!』

 

『これは明らかな失投ですね。ボールがシュート回転して打者にとって一番打ちやすいところに入ってしまいました。彼レベルの選手になるとこういう球は見逃してくれませんよね。バッテリーにとっては痛いミスです。ここは割り切ってズルズルと引きずらないようにしたいですね』

 

 相手のベンチでは生還した高橋康が控えの選手たちとタッチを交わしている。一方の十九川は対照的に膝に手を当てたままの状態で俯いたままだ。試合展開からすれば、最悪に等しい。死球からの被弾、それも特大の。これで試合の流れは一気にヤンキース側へと―――。

 

「パァン!」

 

「!?」

 

 とはならない。その流れを許さない、空気の読めない男が一人ここにいた。乾いたグラブの音が十九川の意識を覚醒させる。ふと音のする方向へ目を向けると、三塁ベースの横で一原がじっとこちらを見ていた。

 

『こっちに打たせて来い。後は俺が何とかしてやる』

 

 そんな声が聞こえてくるような目を、一原はしていた。思わず十九川が、五島が目を見開く。なんて高慢で不遜でわがままで…自由な奴。こんな空気の中を切り裂くような彼の態度は普段ならいざ知らず、今は頼もしく思えた。

 

(ははっ、一番下手な野郎がそれをやるかよ)

 

「よーし、こっち打たせてこーい!」

 

「こっちだ、こっちに来い!どんな球でも捌いてやらぁ!」

 

 波紋が広がるように声援はサードから内野陣へ伝播していく。球場の流れは確かにヤンキースに傾いていた。しかし、少なくともこのダイヤモンドの中だけは、十九川に追い風が吹いていた。それを背に受けた十九川の眼が明らかに変わったことに、五島は何となくだが気が付いた。

 

 ここから十九川の投球は劇的に変わった。適度に暴れる球を駆使し、球威で押し切る普段のピッチングを発揮する。続くバーバリーをサードへのファールフライで打ち取ると、5番・6番を連続でショートゴロで簡単に料理してみせた。

 

「…っし!」

 

 グラブを何度も叩きながら3アウト目を取った十九川はベンチへと引き上げていく。

 

『十九川、ここは立ち直りました。しかしヤンキースはこの回、2点を返しています』

 

『いいピッチングですね。吹っ切れたといいますか、開き直りましたね』

 

 そこから十九川は粘りのピッチングを見せる。5回は先頭打者こそ歩かせたものの、続く8番の甲田をセカンドへの併殺打に打ち取り、その後の9番尾瀬も高速スライダーで三球三振に仕留めてあっさりと勝利投手の権利を手にした。

 

 そして十九川は6回も続投。しかしいきなり1番坂内にセンターへのツーベースヒットで出塁され、続く2番今西には送りバントを決められる。これで1アウト3塁、一打同点のピンチを招いた。

 

『三番・センター、高橋康弘』

 

 そして打席には、今日本塁打を含む二安打を記録している三番の高橋康。バッターボックスの前で豪快な素振りをしながら、獰猛にその歯を見せていた。

 

「タイム!」

 

 投手コーチがこちらへ駆け寄り、内野の選手達もマウンド上に集まってきた。とにもかくにも、このまま勝負するのはまずい。球数はもうすぐ100球を超す。そうなれば球威が落ちるのは当たり前だ。幸いにもチームは一点リードしているし、一塁ベースは空いている。さらに言えば、その次のバッターは今日二打席とも凡退しているバーバリーだ。無理に戦わなくてもいい。迷うことはない、ここは敬遠するべきだ。

 

「十九川さん、ここは勝負を避けて―――」

 

「これでいいんすか、十九川さん」

 

 五島の声を遮ったのは、またしても一原だった。思わず五島も顔をしかめて威嚇するように一原を睨んだ。一原はその視線を知ってか知らずか、平然とした表情を崩さない。

 

「一原君!何を言って」

 

「今日、あの人にやられっぱなしですよ。このまま勝負から逃げて後でモヤモヤするよりも、一か八かで当たって砕けた方がいいと思いませんか?俺がこのマウンドに立つなら、こう思います。マウンドから降りる前に絶対一泡吹かせてやる、って」

 

 どうして一原がそう十九川を焚き付けようとするのか、五島には理解が出来ない。マウンドに立つ投手とそれを横で眺める元投手。二人にあって自分にないもの。それは多分、投手としての矜持だ。けれどもそんな物を優先させて何になる。チームを勝たせることがベストなはずだ。僕は間違っていない。一度面食らった五島は自分を奮い立たせ、一原を手で制止する。

 

「やめないか!今チームは勝っているんだ、中央リーグの首位のヤンキースにだ!…ここは勝負を避けて次のバッターを打ち取るのがベストです。ですよねコーチ!」

 

「監督は投手の意思に任せろとの判断だ。十九川、お前が決めろ」

 

「…五島、俺は」

 

 言葉はそこで一度止まった。十九川は大きく息を吸い込み、何かを決心したように球場の一番上を見上げた。

 

「俺は、勝負がしたい。あのバッターと。戦わないのは逃げるのと同じだ。このまま勝てたとしても目覚めが悪い」

 

「十九川、さん…」

 

 遅かった。一原が着けた火は既に、導火線を伝って彼の燃え盛るプライドを呼び起こしてしまっていた。もう捕手のコントロール下に、彼はいない。

 

「それと、一原」

 

「なんすか?」

 

「一か八かじゃない。やると決めた以上俺は十を出す。この回のピンチを凌いで、必ず勝ち投手になる」

 

「…あれってそういう意味じゃないんだけどなぁ。まあ好きにやっちゃってください。どうせ143試合中の1試合。一回くらい真っ向からのぶつかり合いがあったっていいでしょ。打たれても俺が打ち返して勝ち投手にしてあげますよ」

 

「問題ない。ここで打ち取る。それでいいか、五島」

 

「…十九川さんが、それでいいのなら」

 

「よし、じゃあ決まりだな」

 

 奥歯を噛みしめ、何とか言葉を絞り出す。本当は止めるべきだ。リスクを無理に負う必要はない。だけど意地の張り合いになって、投手のコンディションに変調をきたす事こそ避けるべきだ。あぁくそ、こうなればやけだ。円陣が解散し、選手たちはそれぞれの守備位置へと戻っていく。五島も例にもれず、ポジションへと戻ってキャッチャーマスクを被り直す。

 

「逃げないんだな、お前の顔は浮足立っているように見えたが?」

 

 感心したように、高橋康が声をこぼした。

 

(うるさい…こっちだって勝負したくて勝負しているわけじゃないんだ)

 

「…まぁ別に。このまま勝負しても打ち取れるって算段ですよ」

 

「ほぉ…?」

 

 これが精一杯の虚勢だ。見え見えの安い挑発に乗ってくれたのか、高橋康のフォームに力が入っているのを感じた。これで力んで打ち損じてくれればいいが。相変わらず、威圧感のある構えだ。…本当にこれで打たれたら恨みますよ、十九川さん、一原君。

 

 十九川がちらりと三塁ランナーを目で牽制し、キャッチャーの五島から出されたサインに頷く。左足を上げ、胸を張って右手から投げ下ろす。ボールは鋭く回転しながら右打者の内角、ベルトの高さへと吸い込まれた。

 

「ストライ―ク!」

 

 初球は時速154㎞、ここにきて今日最速のボール。一球目で捕手の五島、そして打者の高橋康までもが気が付いた。―――明らかに気合のノリが違う。ここまで対戦していた時とは別人だ。投げ終わったままの状態で静止する十九川の目には、確かに闘志が宿っていた。

 

「うらぁ!!」

 

 気合の乗った声で帽子を吹き飛ばしながら投じられた二球目は、外角への真っ直ぐ。高橋康はこれを見逃し、ボールが宣告される。球速は時速152㎞を記録しており、大柄な体重も上手く乗っていて、球威もかなりのものだ。

 

(…これなら、いけるかもしれない!)

 

 ボールを投げ返して、3球目のサインを決める。今度は右打者の内角へと食い込むシュート。十九川の投球スタイルはシュートと高速スライダーを使って打者を横に揺さぶるのが主だ。これには高橋康も苦し紛れにバットを出し、打球はファールゾーンへ。これでバッテリーが追い込んだ。

 

 しかし、高橋康は一流のバッターである。ここからの粘りが強かった。3球連続でファールを打つと、次にワンバウンドするストレートを余裕を持って見逃して2ボール。隙をうかがう3塁ランナーを手で制した。

 

(俺が返してやるよ。だからジタバタすんじゃねぇ)

 

 勝負は続き、あっという間にフルカウントへ。ストレートも、シュートも高速スライダーも、手の内はほとんど見せている。球数からしても、これ以上はこの次のバッターとの対戦にも支障をきたす。かといって出塁を許せば、降板は必至だろう。

 

(こうなったら…)

 

 鬼が出るか蛇が出るか。だけどもう、これを試すしかない。サインを伝達する。一瞬だけ面食らった様子を見せた十九川だったが、すぐに勝負を覚悟した顔つきになった。十九川もこの状況を理解している。ここが試合のターニングポイントだ。そして、12球目。

 

 ―――投じられたのは、ハエが止まりそうなほどの緩い球。まるで世界が一瞬だけ止まったような、そんな気持ちの悪い球。シュートでも高速スライダーでも、ましてやストレートでもないその球に、高橋康のバットは思わず止まった。

 

「ストライク!バッターアウト!」

 

 コースは外角の低めいっぱい、ギリギリのストライクゾーンに入る球だ。高橋康は一瞬だけ不服そうに審判を見やった後、すごすごとベンチに引き上げていった。

 

(くっそー、ランナー返せなかった。にしても何だ、今のボールは)

 

『見逃し三しーん!ここはピッチャーの十九川が投げ勝ちました!それにしても、最後の球は何だったのでしょうか』

 

『恐らく…チェンジアップでしょうか。まだまだ改良の余地はありそうなボールでしたが、完全にバッターの虚を突きましたね。十九川選手は速い球を主体に組み立てていくタイプですから、完全に速球を意識していたでしょうね』

 

『さぁしかしまだピンチは続きます。次は四番打者のバーバリー!』

 

 四番・バーバリーとの勝負はたった一球で決着した。粘った後の初球を狙っていたのだろう。左打者へのフロントドアに入っていくシュートを打ち上げ、打球は高く上がってライト方向へ。右翼手の二葉が前進し、余裕をもってボールを掴んだ。

 

「っしゃあ―――!!」

 

『雄たけびをあげた十九川!1アウト3塁のピンチでしたがここは0で凌いでいます!』

 

『いやーいいピッチングでしたよ。これは十九川選手にとっていい経験になったと思いますね』

 

 ベンチに帰った十九川に監督の漆原が歩いてきて何かを話している。多分、今日はここまでだという事だろう。球数が110球を超えていることを考えれば、妥当と言える。遅れて戻ってきた一原がスポーツドリンクを飲んで一服していると、監督からの話を終えた十九川がこちらへと歩いてきた。

 

「今日はお前のおかげで助かった。礼を言う」

 

「何言ってんすか。抑えたのは十九川さんの実力でしょうに。…ま、でもさっき奪った三振、気持ち良かったでしょ?」

 

「…あぁ、野球人生の中でも最高の瞬間だったよ。五島もありがとな。お前のリードのおかげで抑えられた」

 

「僕は何もしていないです。十九川さんの球が相手の想像を上回った、それだけですよ」

 

 呼び止められた五島は他人行儀の微笑みを見せ、ベンチのさらに端っこの方へと引き下げ、バットを取り出して見つめている。貼り付けられたようなその笑顔に、一原も十九川も首をかしげた。

 

「お腹でも好いたんですかね?バナナならありますけど」

 

「喉でも乾いてたんじゃないか」

 

「でも五島さんの飲み物ならこっちにありますけど」

 

「本当だ。じゃあ何故…」

 

「やっぱりお腹空いたんすよ。ちょっくらバナナ渡して―――」

 

「まぁまぁ、俺に任せとけって」

 

 二人の間からぬっと顔を出した九重に、仰天した一原の手からバナナがすり抜けていく。慌てふためいてバナナをキャッチしようとする一原の手は無情にもただそれを弾くだけに終わる。勢い余って前のベンチに頭を打った一原の横で、十九川の膝の上へとバナナが着地した。

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

「…ぶっちゃけ大丈夫じゃないっす。何で急に顔出してくるんですか」

 

「にひひ、常にずる賢くあるのがキャッチャーとしての極意ってな。五島の事なら心配いらねぇよ、ちょっくら俺が励ましてやるから」

 

「まあ九重さんがそう言うなら…」

 

「うんうん、ってなわけでお前らはじっとしてろな?」

 

「うっす」

 

 物を言わせぬ圧に一原は押し黙るほかない。返事を受け取った九重は満足そうにうなずき、鼻歌を歌いながら五島の元へと歩いて行った。

 

「ごっしま~♪今大丈夫か?」

 

「あ、どうぞ。すいません、ちょっと考え事をしてました」

 

「だろうな。どうせお前の事だ。投手を信じられなかった自分を責めているんだろ?」

 

「それは…、認めます。その通りです。誰も何も言わなければ迷わず敬遠していました。だけど十九川さんは勝負することを選んだ。そしてその言葉通り、抑えてみせた」

 

「それで自分の意見に自信を持てなくなった、って感じか」

 

「一原君が言っていたんです。投手ならせめてやられた相手に一泡吹かせてやりたいだろって。僕はリスクだけを見て、目の前の投手の事を見れていなかったんじゃないかって」

 

「ほ~お、一原が?やっぱ同じ投手だったって分、通ずるもんがあるのかねぇ。ま、でもできなかったことに気づいた時点で成長だよ。後はどう取り返すか…だろ?」

 

「どう取り返すか?」

 

「今できない事はどうやってもできねぇ。だから出来るモン積み重ねてやるしかないだろ。考えてみろ、五島。お前は今の時点で何ができる?」

 

「できることの、積み重ね…」

 

「おーい五島、そろそろお前の打席だぞ、準備しとけよ」

 

 ヘッドコーチの南場が五島の名前を呼ぶ。試合の方に視線を移すと、打席には2番打者の加藤が入るところだ。五島も急いで準備を始める。

 

「おっと。じゃあ俺からのアドバイスはここまでだ。まー程々に頑張れよ。皆お前に期待してるんだから」

 

 九重に軽く肩を叩かれ、五島は立ち上がる。過去を取り返すことはできない。だからこそ、自分にしかできない事を成し遂げるために。

 

 試合は6回の裏、先頭の二葉がレフト線を破る痛烈な2塁打を放つ。その後2アウトとなるも、ランナー三塁。続く四番の四谷がカウント3-1から四球を選んでランナーは一三塁、初回以降一点が遠いベアーズにとって大きなチャンスとなった。

 

『五番・キャッチャー、五島。背番号55。五島遙太』

 

『なんでもないよ、なんでもないよ♪』

 

(…そうだな、なんでもない。本当に何てことないんだ)

 

 登場曲の「なんでもないよ」に乗せられて観客のボルテージが高まっていくのを感じる。マウンドに上がっているのはこの回から登板した2番手の葛城。主にストレートとフォークを軸に打者から三振を奪うタイプの投手だ。防御率はここまで3.64。勝ちパターンの一角とは言えなくとも、リリーフとしてはそこそこ優秀な成績を残している。

 

 バットを持ち直し、大きく五島が息を吐く。今日は3打席に立ってヒット一本、四球が一つだ。先ほどの九重の言葉が頭の中を駆け巡る。自分が今、できること。

 

(確かに守りはまだまだ未熟だ…だけど!)

 

 葛城がこちらに向き直って足を上げる。それに呼応するように五島もバットを握る力を強める。球種はストレート。コースは真ん中低め。

 

(だったら打つ方で貢献してやる!!)

 

 そのまっすぐを、バットの芯で完璧に捉えた。しまった、という顔をして打球の方向を目で追う投手をよそに、五島は打った途端すぐに一塁ベースへと走り出す。

 

 打球はセンター方向へ。高橋康が背走しながらボールを追いかけるも、ボールは彼の遥か頭上だ。ウォーニングゾーンまで走ったところで、彼はボールを見送った。

 

『打球はーーーバックスクリーンへーーー!It's Gone!Goodbye!五島、第11号は中押しとなる3ランホームラン!』

 

『いいコースではありましたが、五島選手の得意なゾーンでしたね。それにしてもバッティングに関しては本当に高い完成度を持っています。これでまだ高卒4年目ですから、末恐ろしい選手ですね』

 

「うらぁ!!」

 

 ベースを回りながら小さくガッツポーズをして吠えた。二葉からヘルメットを叩かれ祝福された後で、ベンチに帰っていく。ハイタッチを交わそうと並ぶ選手たちの中には肩にアイシングをした十九川の姿もあった。

 

「ナイスバッティング」

 

「ありがとうございます」

 

 十九川から突き出された突き出された拳に、五島も顔をほころばせながら拳で返す。自分はきっとまだまだ未熟だ。しかし、九重さんにできない事ができる。いっそのこと開き直って、そう思う事にした。

 

「自分にできる事、見つかったか?」

 

「…はい!」

 

(僕は打てるキャッチャーとして正捕手を目指す)

 

 ベンチに座って一人決意を決める五島の横で、九重もしてやったりという笑顔を浮かべる。試合はいよいよ終盤を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




選手の登場曲の妄想 上位打線編(下位打線はあまり固定されていないので保留)
ジャンルが偏ってるのはお許しを…

一原数人
PANIC! AT THE DISCO 『high hopes』
BRUNO MARS 『runaway baby』 洋楽多め、野心に溢れる曲が好き。

二葉昴
UVERworld 『core pride』
Mrs.GREEN APPLE 『インフェルノ』 etc... アニソン多め 曲が多すぎて数えきれない

万丈三郎
ロードオブメジャー 『心絵』
ロードオブメジャー 『さらば蒼き面影』 メジャー好き。

四谷将大
Ed sheeran 『shape of you』
BON JOVI 『ITS MY LIFE』 The 王道を行く男。

五島遙太
マカロニえんぴつ 『なんでもないよ』
Mrs.GREEN APPLE 『HELLO』
米津玄師 『VIVI』  ピュアな歌詞が好き。


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