静かなる伝承者の日常 (fell@かぶとがに)
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静かなる伝承者は想い人の夢を見るか?

今宵も夜の帳が下りる。

陽が没して月と星明りが目を覚ましたなら、そこからは私の時間だ。

 

今日は金曜日。

恐らくアイツも家路についていることだろう。

昼の時点では、残業などはない、と言っていた。

 

カフェに色々と考えさせることもねえな。

彼女が部屋へ戻ってくる前に出ようと窓を開ける。

それと、部屋のドアが開くのはほぼ同時のタイミングだった。

 

「行くの……?」

 

入浴を終え、湿って頬に貼り付く髪をタオルで拭いながら、カフェが部屋に戻ってきちまった。

 

「……うん。ごめん」

 

そうしよう、と提案してきたのはカフェだったが。

こんな私とて、彼女に対しては良心の呵責がないわけではない。

 

ついいつものように謝罪の言葉が口をついて出てくると、カフェは微笑みながら頭を左右に振った。

 

「大好きなアナタだから、私は構わないよ。いつも寂しい想いをさせちゃってるんだから」

 

またこれかよ。

私に罪悪感の尻拭いさえさせてくれない。

そういう子だというのは、十年以上前から知っていたがな。

 

「それじゃ、行ってくる」

「帰ってきて私が寝てたら、起こしてね……行ってらっしゃい」

 

私はカフェを背に窓から、僅かな星が光る夜空へ飛び立った。

 

******************

 

マンハッタンカフェとそのトレーナーは、固い絆と愛情で結ばれている。

 

ここに至るまで、紆余曲折があった。

カフェはなかなか人を自分のテリトリーに入れたがらなかったし、トレーナーは彼女を尊重し過ぎる余り傍観者の立ち位置にいた。

 

だから、私が背中を押してやった。

 

横からずっと見てりゃ、カフェがトレーナーに、トレーナーがカフェに想いを向け始めているのは明らかだった。

 

トレーナーの真摯で思いやりのある態度、そして何よりもありのままの自分を受け入れてくれることに惹かれていったカフェ。

 

他人には理解し難い、カフェの妖艶でありつつも等身大の少女の純粋さを併せ持つ魅力に気付き、そして何よりもひたむきなその姿に惹かれていったトレーナー。

 

互いが互いに一歩を踏み出さないものだから、散々お節介をしてやった。

その末、ようやく覚悟を決めて踏み出した二人の、そこからの進展は早かった。

 

見てみろよ。

これは今日の昼休みの空き教室。

二人してソファーに腰掛けてコーヒーを飲んでいる。

それだけなら普通の光景と思うだろ?

 

ほら、マグカップが空になるとカフェが甘えだした。

何も言葉は口にしない。

が、ねだるようにトレーナーを上目遣いで見上げ、静かに襟元をくいっと引っ張る。

 

その口元は僅かに開き、目元は潤んでいて。

そんなカフェの姿に耐えられるはずもなく、トレーナーはその唇を奪う。

 

甘く、蕩けるような時間の中で。

二人は貪るように相手を求め合っている。

 

とまぁ、これがいつもの景色だ。

 

しかし、そこは流石にカフェとトレーナー。

学生のうちは一線を越えない、とかなんとか、青臭い約束を交わしている。

 

そこまでやっといて一線もクソもねぇだろうよ、と見ていて常々思ってはいるが、まぁそこは二人の自由だろう。

 

私はというと、最初は二人の気持ちが分からなかった。

なんせ私は自分の生を歩んでいた頃、そんな経験はなかったからな。

 

数少ない味方だった恩師は年老いていて、若者は誰も私に近寄らず。

引退後トレーナーをやっても、母国では引く手皆無だった。相当な実績を残してやったはずなのにな。

 

だから恩師に薦められ、この国に来た。

そして出会い、私にこの国での生き方を教えてくれたのが、私が生まれた世界でトレーナーをしていたマックイーン。

 

それに……目の前でカフェと舌を絡ませている、この男だ。

 

そのときは仕事場が一緒の面倒見の良いただの先輩、だと思ってたんだけどな。

 

生を終えて、狭間を越えてここへやってきて。カフェと出会って、共に歩むようになって。

まさか……またコイツと出会う羽目になるなんて思ってもなかった。

勿論、こっちの世界のコイツは私のことなんて知らなかったが。

 

だから、カフェとトレーナーが恋仲になって。

二人を見守り、愛が育まれていくのを傍観しているうちに、気付いちまったんだ。

 

『ああ、生きてたときコイツを見るたびに胸がざわついてたのは、初恋だったのか』、と。

 

滑稽だよな。

娘とも親友とも言える相手のために尽くしてやってるうちに、今更ながら自分のマヌケな想いに気付くなんて。

 

でも、もう後の祭りだ。

私が好きだったアイツはどこにもいない。

目の前のコイツは同じ人間だが、私が恋した存在ではないんだ。

 

そう、何度も自分に言い聞かせた。

自分の頭をぶっ叩いてやったし、髪の毛も尻尾の毛も引き抜いてやった。

 

でもな、駄目なんだよ。

どれだけ痛みでかき消そうとしても、気付いてからはトレーナーを目にするたびに胸のざわつきが収まらなくなっちまった。

 

私は弱いヤツだったんだ。

 

そんな心中を、幼少期から共に過ごしてきた、聡いカフェが気付かないはずもなく。

すぐに問い詰められちまった。

 

私は言い繕ったよ。

煙に巻いてやったさ。

のらりくらりと話を逸らしたりもした。

 

でも私が何度仮面を被っても、カフェはすぐにその下の素顔を覗き見に来ちまう。

誰からも愛されなかったオペラ座の怪人の醜い素顔は、すぐにカフェの知るところになった。

 

ぼろぼろに泣いたよ。

いつ以来だったかな、あんなに涙を流したのは。

全部洗いざらいぶちまけて。

みっともない未練を何度も何度もカフェの胸に叫んで。

 

でもやっぱり駄目だった。

吐けば吐くほど、自分の深い想いを自覚しちまって、忘れるどころじゃなくなって。

そしたらカフェのヤツ、なんて言ったと思う?

 

『卒業までの間、昼は私、夜はアナタがトレーナーさんの隣にいよう』

とか言い出したんだ。

 

そりゃ耳を疑うさ。

確かに門限とか色々とあるから、二人は夜には会っていない。

実態だけ見れば効率的ではあるが。

 

でも愛する男を、他の女に差し出すか?

綺麗事を口にすることはできても、実際にそういうことになったら後悔するんじゃないか?

 

『アナタじゃなかったら、いくら私でもこんなこと言わないよ』

 

そう言ってカフェは、尚も泣き崩れていた私を抱き締めた。

これじゃどっちが年上か分からねえ。

 

『受け入れてもらえるかは分からないけど……相談して、私たちを嫌いになるような人じゃないから』

 

そう口にするカフェからは、トレーナーへの絶対の信頼が見て取れた。

本当にこの子には、敵わねえなあ……敵わねえ。

 

そのときの私は、もうそれ以上自分で考えられなくて。

本当に情けない話だが、そのまま泣きながらトレーナーの前へ連れて行かれたよ。

 

アイツはアイツで、相も変わらず本当にお人好しでやんの。

話を聞きながら貰い泣きしてやがる。

バ鹿じゃねえのか。

そういうヤツだって昔から知ってたけどさ。

 

その日から私は、トレーナーの時間に余裕がある夜に部屋へ会いにいくようになった。

 

そしたらカフェのヤツ、成績が目に見えて上がってさ。

聞いたら、私が悩んでるのに前から気付いてて気が気じゃなかったんだと。

本当に……本当に、カフェはさ……。

 

******************

 

そんな経緯を経て、私は今日も夜空を駆ける。

 

部屋を出るまではあんなに後ろめたかったのに、アイツのところへ向かい始めたら一転、高鳴りが抑えられなくなってやがる。

 

私はいつからこんなに単純なヤツになったんだろうな。

傍から見たらさぞ滑稽なことだろう。

 

そうこうしてるうちに、アイツの部屋の灯りが見えてきた。

それだけで頬が緩み始める。

落ち着けよ、思春期の生娘でもないんだから。

 

窓の外に辿り着き、中を覗く。

トレーナーは居間のソファーに腰を降ろし、ノートパソコンに向かっていた。

 

窓をすり抜け、居間の窓際に降り立つ。

私が目にも見えるように姿を現すと、気付いたトレーナーは顔を上げて笑った。

 

「いらっしゃい。少し待っててもらえるかな」

「何仕事持ち帰ってるんですか……忙しいならちゃんと残業して、お給料に色を付けてもらってくださいよ」

「大した量じゃないからさ。隣に居てくれたほうが捗るし」

 

誰が、とはあえて口にしない。

そんなところまで私にも、ここにいないカフェにも息をするように気を遣っていて。

 

お前、生き辛くないか?

疲れないのか?

 

「コーヒー、淹れましょうか」

「お願いしていいかな」

「ええ、お任せを」

 

キーボードをタイプするスピードが上がった。

画面を見る目つきも、目に見えて集中力が上がったように思える。

 

私はキッチンへ向かい、サイフォンを用意する。

フラスコを温め、お湯を沸騰させている間にコーヒー粉を棚から取り出す。

 

どこに何があるか完全に把握し、よどみなく動いている自分に呆れを含んだため息が漏れる。

これじゃ完全に通い妻だな、この私が。

 

三つ並んでいるお揃いのマグカップはカフェが選んでくれたもの。

そのうちの一つはまだ使われたことがないものの、いずれ何年かしたら、同時にテーブルに並ぶ日が来るのだろうか。

どうだろうな。

 

お湯が沸騰したらロートに粉を入れ、上ってきたお湯と粉をかき混ぜる。

漂うコーヒーの香りは、これまたカフェが選んだオールドボストン。

 

『トレーナーさんのお供をするなら、淹れられるようになって』

なんて指導されたのもいつだったか。

すっかり流れるように淹れられるようになっちまった。

 

フラスコにコーヒーが落ちきったのを確認して、マグカップに注ぐ。

居間から聴こえるキーボードを叩く音色は大サビの最高潮だ。

終わりが近いらしい。

 

「はい、コーヒーですよ。もう少し早く来て淹れてあげられたら良かったんですが」

「きみが来てくれたからこんなに早く終わりそうなんだよ。ありがとう」

 

お礼を口にして、トレーナーがマグカップを受け取る。

すぐに一口飲むと、数秒間ゆっくりと味わいながら飲み込み、ほうっと息を吐いていた。

 

美味しく淹れられたようで一安心して、私もトレーナーの隣に腰掛ける。

自分も一口啜ってみると、なんだ、私も大したもんじゃねえか。

少なくとも近所のオッサンがやってる喫茶店よかいい味してると思う。

 

「美味しいな……もうカフェにも匹敵するんじゃないか」

「そんなこと言ってるとカフェが拗ねますよ」

「そりゃ困る。聞かなかったことにしてくれ」

 

トレーナーは笑いを含みながら呟くと、最後に素早くキーボードを叩き、作成資料を保存してノートパソコンを閉じた。

 

「はぁ、終わった終わった」

「本当に? 電源、落としてないじゃないですか」

「あ、バレた? まあ、あとほんの少しだし、明日か明後日にでも暇つぶしがてら終わらせるよ」

「日曜日はカフェとお出かけでしょう……」

「そうだったそうだった。なら、明日のうちに終わらせないとね」

 

そう言ってマグカップを置き、トレーナーはソファーの背もたれに身体を預けて天井を仰いだ。

そして横目でちらりと私を見て。

 

「今日は勝負服なんだな。カフェもきみもいつも制服か私服だから、オフで勝負服ってのは新鮮だ」

「オフの衣装替えは私の特権ですからね。こういうのもいいでしょう?」

 

勝負服のコートで、わざと大きく扇ぐ。

染み付いたコーヒーの香りがふわりと届くと、トレーナーは目を瞑って大きく息を吸った。

 

「……ああ、きみとカフェのコーヒーの香りだ。落ち着くなあ……」

「なら、こんなのはどうです……?」

 

私は身体をトレーナーの方へ向けると、コートでトレーナーの頭を包み込む。

 

胸元にトレーナーの顔が当たる。

そのまま背中に腕を回すと、トレーナーも静かに私を抱き締めた。

 

「あー駄目だ、いい香りだ……こんなことしてたら眠くなってくる……」

「駄目ですよ、寝ちゃ」

 

身体を離すと、少し名残惜しそうな表情が見えた。

そんなん見ちまったら、悪戯心が疼いちまうだろうが。

 

「折角、夜はこれからなんですから……なあ、そうだろ?」

 

少し意地悪く荒い声色で、最後に歪んだ笑みを浮かべてから。

ぽーっとしてるトレーナーの唇を強引に奪った。

 

我に返って目を丸くしているトレーナーを無視して、舌で強引にその唇を割って口内に滑り込ませる。

無理矢理舌を絡めると、ワンテンポ置いてトレーナーも、恐る恐る舌を動かし始めた。

 

だが、私は容赦しない。

蹂躙するように、トレーナーの舌に喰らうように絡ませる。

唇もトレーナーに喰い付くような動きで、その境目からは二人の唾液が混ざって僅かに溢れ出した。

 

強く抱き締めあって、数十秒。

トレーナーが息苦しそうになってからもしばらく虐めるように続けて、酸素が足りない顔色になり始めたところで解放した。

 

「っぷは! はぁっ……はぁっ……ちょっと強引すぎやしないか……?」

「クスクスクス……今更、誰に物を言ってるんですか……?」

 

口周りの唾液を手の甲で拭う。

 

会い始めて最初の頃は、こんなではなかった。

仕事をするトレーナーの横でゴロゴロしたり、夕食を作って一緒に食べたり、暇潰しに二人で古いゲームをやったり。

隣にいる幸せを噛み締めながら、二人で夜更ししていた程度だ。

 

それがいつの間にか、徐々にタガが外れていって。

勿論何があったかは、帰ってからカフェに逐一報告してるさ。

この上隠し事なんてしてたら、私のメンタルが死んじまうからな。

 

だが、カフェは嫌な顔ひとつしなかった。

 

『ちょっと嫉妬しちゃうけど、それはコドモとオトナの差だから。私だってそのうち、ね』

 

コイツ、人生二週目なんじゃないかと本気で疑ったことがある。

私がこんな存在なんだ、同じようなやつとか、もっとすげえやつがいても不思議ではない。

 

私とカフェは繋がりが深いから、ある程度の感情は互いに伝わっちまう。

だから私が悩んでいたのもバレたんだが。

 

カフェも多少の嫉妬こそあれ、悪い感情を抱いていないのはその言葉通りだった。

その分、昼間のスキンシップ度合いが著しく加速して、トレーナーが少し焦っていたのは面白かった。

 

一方、そんなトレーナーはというと……計りかねているのが現状だ。

トレーナーの心境は、カフェのようには分からない。

本人も満更でもないのか、同情心で私に付き合ってくれているのか……それだけは時々考えて頭を悩ませている。

 

だが、いざトレーナーのところへ来ると、そんな悩みは飛んでしまって。

結局いつも、思うままに突っ走っちまう。私は甘えてんのかな、コイツに。

 

今夜だってそうだ。

未だに酸欠で顔色が悪いトレーナーを前に、私は昂る心を抑えられない。

 

苦しそうにしてたり堪らえたりしてる表情を見ると、ゾクゾクしてもっと虐めてやりたくなっちまう。

我ながら歪んでんなあと時々思う。

 

「苦しいですか……?」

 

尚もクスクスと笑いながら顔を近づける私に、トレーナーは何かを察したらしい。

 

「いや、ちょ、ちょっと待って……まだ呼吸が……」

「待てねえよ」

 

再び唇を奪う。

少し手心を加えてやって、舌までは入れない。

時々は息を吸えるように、何度も何度も啄むようなキスを繰り返す。

 

トレーナーは観念したように全身脱力し、私になされるがままになっている。

それでも私が唇を重ねるたび、優しく啄んでくる。

 

乾いていた私の心が、湧き水を見つけてどんどん潤っていくのを実感する。

 

口付けをしながら、私はトレーナーをソファーに押し倒した。

トレーナーは抵抗しない。

 

いつものことだが、コイツちゃんと私に欲情してんのかな。

私だけが一方的に想いを募らせて、無理矢理相手させちゃってんじゃねえかな。

 

これまで幾度夜を過ごしても、トレーナーの方から私へ想いをぶつけてくることはなかった。

暴力的な私をただただ優しく受け入れて、朝になると、時折自己嫌悪に襲われてる私にそっと寄り添って慰めてから見送ってくれる。

映画やドラマだと逆だよなあ、やること……。

 

カフェは私のことをオトナだと言ったが、私だって充分コドモだ。自覚はしてる。

我儘で自己中心的で気性が荒いウマ娘。

まだまだ娘だよ、私は。

 

そんな考えを投げ捨てたいとばかりに、今夜も目の前のコイツに猛りをぶつけてしまう。

 

唇を奪ったまま、トレーナーのワイシャツのボタンを一つずつ外していく。

それに気付くと、トレーナーの表情に緊張が走った。

 

三分の二くらいまで外し、左肩を露出させる。

私は唇を離すと、そこに歯を立てて噛み付いた。

 

「つッ……!」

 

トレーナーが一瞬苦悶の表情を浮かべ、すぐに堪えるように目を瞑る。

噛み付いたまま肩に舌を這わせると、トレーナーの口から熱っぽい息が漏れた。

 

「悪い子だな、きみは……」

 

私の背中と後頭部に腕が回された。

後頭部は右手で優しく撫でられ、背中は左手でコートを強く握りしめられる。

私が歯を食い込ませ、舌を動かすたびに、左手は握る力を更に強めた。

 

「っぷは……痛かったですか……?」

「大丈夫だよ……だからさ」

 

背中から離れた左手が、私の右頬に添えられた。

 

「そんな悲しそうな顔、しないでくれよ」

 

私の瞳から、涙が溢れていた。

 

「きみが悲しそうだと、俺も辛いんだ」

「……どうして……」

 

畜生、この野郎。

どうしてだよ。

 

「どうしてアナタは……こんな私にも、そんなに優しいんですか……」

 

お前から見たら、私なんてカフェの付属物だろう。

こんな痛い、カフェに後ろめたい思いまでして、私に優しくする理由なんてないだろうが。

 

お前がそんなんだからさ。

私は道から外れた想いが日を増すごとに強くなっちまって。

お前からどんどん離れられなくなっちまって。

 

そうだよ、初めて会ったときからそうだった。

 

この国に来て右も左も分からないどころか、母国の奴らすら信用できなくて。

どこに行っても目につくやつに当たり散らして呪詛を吐き捨てていた私を。

 

お前は一度たりとも見放さず、見限らず、悪態もつかず。

今と同じその光の宿った目で、ずっと見守っていてくれたんだ。

 

「どうして、私を見放してくれないんですか……どうして……だよ……」

 

私の顔が、泣き顔でくしゃりと歪む。

呼応するように後頭部の右手が、僅かに私を引き寄せた。

それに任せるように、私は身体を預け、トレーナーの胸へ沈み込む。

 

伝わってくる優しい鼓動のリズムは、目の前のコイツが生きてることを伝えてくれる。

 

「ずっとずっと、心配だったからさ。サンデーのことが」

 

その言葉を聞いた瞬間。

私はトレーナーの腕を退けて勢いよく跳ね起きた。

 

驚きに目を見開き、トレーナーを見る。

その目は、私がよく知っている……思い出の中だけに残っていて、何度も何度も夢に見た、アイツの目だった。

 

「やっと俺のこと、見てくれたね」

 

目の前のトレーナーはそう言って笑った。

 

「嘘……なんで……」

 

嘘だ……嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!

なんで、なんでお前がその名前を知ってるんだよ!

カフェにも告げたことのない、私の、本当の名前を……!

 

「お前、まさか……」

「……たまにね、夢を見ることがあったんだ。カフェにそっくりな、前髪に流星のあるウマ娘の夢」

 

夢の中でそのウマ娘は、担当バではなくトレーナーとしての後輩だった。

気性が荒く粗暴だったが、寂しがり屋で時々一人でひっそり泣いている少女。

 

そんな話を聞いて、ぽたぽたと次から次へと雫が瞳から溢れてきて。

 

「カフェときみと出会って一緒に日々を過ごしていくうちに、頭の中でもう一人の自分が少しずつ鮮明になってきて」

「ぁ……あ……!」

 

分かる、分かるよ、覚えてるに決まってる。

私に向ける表情、少し照れながら話すときの仕草、泣いてる私をあやすときの、その声色……。

 

「俺を見てくれたら、あの頃言えなくて言いたかったことがあるんだ」

 

ソファーに横になりながら、トレーナーは両手を広げて。

 

「ずっと大好きだったよ、サンデー」

 

バ鹿。

大バ鹿野郎。

 

そんなこと言われて、私はどうすればいいんだよ。

目の前には、もっと大バ鹿なウマ娘がいるんだぞ。

 

誘うような両手でそんなことを言われて。

私はもう、トレーナーの胸に飛び込むしかなかった。

 

「トレーナー……!」

「久しぶりだね、会いたかった」

 

ワイシャツを掴んで大声で泣く私を、あの頃のように優しく抱き締め、包み込んでくれた。

 

その所作はカフェのトレーナーと全く同じだが。

でも間違いなく、私が恋い焦がれ、毎晩星を見上げながら一人で浸っていた思い出の中にあったもので。

 

「私、ずっと気付かなかったんだ! お前と一緒にいるとき、いつもいつも胸が張り裂けそうで! それが恋だなんて、愛情だなんて、知らなかったんだ……!」

 

嗚咽混じりで、ずっと溜め込んでいた本当の想いの丈をぶつける。

一言、一言続けるたびに、トレーナーの腕の力が強まっていく。

 

「あの頃は言えなかったけどさ……私だって……ずっと大好きだったんだよ、トレーナー……!」

 

もう会えないものと思ってた。

この想いは、永劫伝えられないものと思ってた。

 

そういえば聞いたことがある。

何故、ウマ娘のトレーナーはヒトが多いのか。

それは、強い絆で結ばれたヒトとウマ娘の間には奇跡が宿るからだ、と。

 

当時は都市伝説みたいなものだろうと一笑に付して信じていなかったが。

それがもし担当バに限らず、遍く世を生きるヒトとウマ娘、全てにもたらされるならば。

 

神は信じない。

クソくらえだ。

天使も羽をもいで、どいつもこいつもディーテの市から先へと堕ちてしまえと常々思っていた。

 

でも、もし再び出会えたのが神の采配なのだとしたら。

今ばかりはその言葉を取り下げる。

 

ダンテが遥か昔に記したように、ずっと見上げ続けていた星々は、確かに愛によって動かされていたみたいだ。

 

「畜生……黙っていやがって……」

 

トレーナーのワイシャツで涙を拭う。

 

「臆病者なんだよ、俺は。『今』サンデーが本当に想いを寄せているのが、『今の俺』なのか『かつての思い出の俺』なのか……不安だったんだ」

「そんなもの……そんなもの……さ……」

 

溢れる涙は拭い去って。それでも潤む瞳で見つめながら。

 

「お前に決まってんだろう、トレーナー」

 

空き教室で寄り添う二人のように。

静かに唇を重ねると、熟成したブルゴーニュみたいな味がした。

甘く繊細な、けれどどこまでも二人の時間に沈み込んでしまうような、深い陶酔感。

 

いつもの暴力的なキスでは味わえない、魂の交錯。

名残惜しさを覚えつつ、糸を引きながら唇を離す。

 

そして切ない心を宿した目でトレーナーを見ると。

突然、トレーナーは勢いよく身体を起こし、バランスを崩した私をそのまま押し倒した。

 

「わっ……!?」

 

初めての、それもあまりにもいきなりな出来事に、私が目を白黒させていると。

トレーナーはまるでいつもの私のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「サンデーもそんな顔するんだな。乙女みたいだ」

「……うるさいですね……私だって、乙女ですよ」

 

いつもみたいにカフェの真似をできる程度には余裕が出てきた。

 

トレーナーの目は、微かに理性が薄れていて。

なんだお前、できるじゃねえか。

欲望に突き動かされる男の目を、さ。

 

想い人にそんな目で見られたら……こっちだって、否応無しに身も心も熱くなっちまう。

 

「押し倒されるなんて初めてですね……いつも私が襲ってるようなものなのに」

「自分が乱暴にされるのは苦手かい?」

「クスクス……苦手も何も、そんな経験ないの知ってるくせに」

 

今日は経験のない夜を過ごせるな。

コイツが本能に任せて乱れるか……面白いものが見れそうだ。

 

「アナタの好きに……これまでずっと溜め込んできた想い、私に吐き出してください」

 

卓上のリモコンで電気を消した。

月明かりだけが私たちを照らし、黒い勝負服は空間の黒に埋もれる。

トレーナーの指が私のシャツをめくると、白い肌がうっすらと暗闇に浮かび上がった。

 

「私が何一つ一滴残らず、全部全部、受け止めてあげますから」

 

既に息が荒くなっているトレーナーの頬に手を添えて。

 

「……サンデーサイレンス……」

「ほら……来いよ、トレーナー……」

 

それが、理性が残っている間に交わした、最後の言葉。

整えられたフォーマルな勝負服はすぐに乱れて皺を刻み、服としての機能を果たさなくなっていた。

 

******************

 

陽が登り始め、外が白んできてから。

私は身なりを整え、静かにカフェの寮室へと帰ってきた。

 

いつものように窓から忍び込むと、ちょうどカフェも目を覚ましたところのようで。

隣のベッドで寝息を立てているユキノビジンを起こさないように、微笑みながら迎えてくれた。

 

「おかえりなさい」

「……ただいま、カフェ」

 

ぶっちゃけ、すげえ言いづらい。

帰ってきてその夜の報告をするのがいつもの慣例なんだが……私が一方的に食い散らかしたならまだしも……今日の感じは、なぁ……。

 

「あー……その、だな……今回は、その……」

「良かったね、サンデー」

「えっ」

「あっ」

 

カフェが、私の名前を呼んだ。

そしてカフェはすぐに、口を手で塞いだ。

 

さっきも言ったようにカフェにも誰にも、名前は教えていない。

口にしたのは今回が初めてだ。

それも、トレーナーだけ。

そこから導き出されるのは、つまり……。

 

「カフェ……まさか……」

「……その、ね。時々夢の中で、二人のやり取りを……」

 

マジかよ。それはやべえだろ。

 

確かにカフェの夢は身近な怪異や霊に影響されやすいし、実際私も弄って遊んだことはある。

でもまさか……トレーナーとのやり取りを見られてるなんて……思いもしてなくて……。

 

「サンデーもあんな切なそうな女の子の顔、するんだね……」

「……待て、それはどれの話だカフェ」

 

百歩譲ってぼろぼろ泣いてたときのはまだいい。

でも、でもな、その後の……電気消してからのアレコレは、やべえって……!

 

「カフェ、何を見たんだ」

「…………暗闇での出来事、口にしたほうがいい?」

「いい、言わなくていい。察した。もう分かった」

 

最悪だ。終わった。

 

よりにもよって一番やべえ日を見られた。

なんて言えばいいんだ。

朝になって冷静に考えたが完全にイケナイやつだっただろ。

 

今回も隠すつもりはなかったが、順序とか心の準備とか、聞かせるにしても色々段階が……。

しかも目視してるじゃねえか……!

 

「……本当にすまない」

 

結論。私は真摯に頭を下げて、謝るしかなかった。

どう思われても、何を言われても仕方がない。

私はずっと……カフェの心を踏み躙っていたのだから。

 

「どうして謝るの……?」

「え……?」

 

けれどカフェの心は、僅かばかりも私に怒りを抱いていなかった。

 

思い返せばこれまでも帰ってくるたび、怒りを感じたことは一度もなかった。

今日も少しの嫉妬こそ伝わってくるが、それ以上にカフェの心は喜びに溢れていて。

 

「本当に、良かった……サンデーが、トレーナーさんとまた会えて……」

 

カフェが私の手を取る。

その甲に、ぽたりぽたりと雫が落ちた。

 

「私ばかり幸せになっても意味がないから……アナタも隣で幸せになってくれないと……」

 

カフェはいつも、私をお友だちと呼んでいた。

でもその胸中で私を思い遣る心は、お友だちなどという枠はとうに超えていて。

 

もはや彼女にとって私は半身なんだと、今更ながら思い知った。

 

「……ありがとう……ありがとう、カフェ……」

 

だから私も、素直に心を伝える。

小さく笑う私を見て、カフェも涙を拭いて笑った。

 

「それに……いつもアナタの夢は、私も勉強に……」

「ん?」

「どうすればいいかとか……トレーナーさんの弱点とか……」

「待て待て待て待て」

 

不味い。それは不味い。

 

ちゃんと教育しないと、このままではカフェのアレコレが捻じ曲がっちまう……!

そういう漫画や動画をネットで見漁って正しい知識を得た気になってる中学生じゃねえんだぞ……!?

自分で言うのもなんだが私の真似は駄目だ、反面教師にしてくれ……!

 

「カフェ、それについては今度ゆっくり話そう」

 

カフェの両肩を掴み、私が顔面蒼白で説得を試みると。

カフェは焦る私を見て、クスクスと笑った。

 

「……確かに……人をからかうのは愉しい……」

「あっ、カフェお前!」

「ユキノさんが寝てるんだから、静かにしましょうね……?」

 

カフェが悪い顔をしながら、私の口を人差し指で塞ぐ。

何も言えなくなった私はただ、してやられたと負けを認める他なかった。

 

「でも、在学中はこのままでいいとして……卒業後のことはちゃんと考えないと、ね」

 

いつもの優しい笑顔に戻ったカフェが呟く。

 

「お嫁さんが二人……トレーナーさんに気苦労をかけないように、どう生活したらいいか考えないと……」

「いや、私はカフェとトレーナーが結ばれたら、もういいから……」

 

カフェの言葉を遮るように答えると、カフェの表情から笑みが消えた。

その胸中に僅かではあるが、怒りの炎が垣間見える。

 

「たった今言ったけど……アナタも幸せにならないと、意味がない……そんなことになるくらいなら、私もトレーナーさんから離れる」

「カフェ、それは……!」

「今のサンデーと同じ気持ちだよ、私は」

 

そう言われて、私は返す言葉を失った。

何か口に出そうとしても、あ、とか、う、とか、言葉にならなかった。

 

「だから……ゆっくり考えよう、三人での幸せな暮らし方。時間はまだまだ、たくさんあるから……」

 

そう言ってカフェは再び笑った。

畜生、カフェにだけは勝てねえな……本当に二週目じゃないのかコイツ……。

 

でも、そんなカフェに救われているのもまた事実で。

三つのマグカップがテーブルに並ぶ未来も、しっかり見えているのかもしれない。

 

「あ、そうそう。明日のトレーナーさんとのデート、初めて部屋に行ってみようかと思って……」

 

私とトレーナーの逢瀬に気を遣って来訪を控えていたカフェが、自らそれを口にした。

今回のことは結果的に、カフェの気持ちを前に進ませることにも繋がったらしい。

 

「昼間は二人きりにして欲しいけど……夜、三人でコーヒーなんてどうかな」

「トレーナーがいいと言うなら、喜んで」

 

いや……三つのマグカップが仲良く並ぶときがくるのは……。

存外、早く訪れそうだった。




お友だちかわいい大好き委員会の者です。
お友だちもカフェも、二人とも幸せになって欲しいと思います。
以上、現場からお伝えしました。


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静かなる伝承者は眠らない

年の暮れを告げる鐘が鳴る。

 

毎年思うんだが、これ近所迷惑じゃねえのか。近所のヤツらは怒らねえのかな。

この国に来てそれなりになるが、未だに謎なことの一つだった。

 

「寺の方を見てどうしたんだ、サンデー?」

「いえ……何でもないですよ」

 

私はカフェのトレーナーと大晦日の夜を歩いていた。

つい先程まで二人で屋台の焼鳥と酒を摘んできたところだ。

 

本当はカフェも一緒に大晦日と年越しを過ごしたがっていた。

が、間抜けなことに外泊届けを出し忘れた挙げ句、タキオンに捕まって年末年始の自由を奪われていた。憐れで仕方ねえ。

 

年明けはいつも以上に優しくしてやろうと思う。

三が日はコイツを独占させてやろう。

そう思いながらちらりと隣を見ると、トレーナーもこちらを見ていた。

 

「いい加減、カフェの真似しなくてもいいのに」

「……ずっとこの喋り方だったせいで、今となってはこっちの方がしっくりくるんですよ」

 

というより今更、昔の喋り方をするのが気恥ずかしい。なんだか昔の男に甘えてるみたいで。

 

そんな私の胸中を見透かしてか、トレーナーはくくくっと含み笑いをした。

くそっ、からかわれてるのは分かる。ぶん殴るぞこの野郎。

 

「俺は、昔のサンデーが好きだったなあ」

「……うるせえ」

「あ、素直なやつ」

「本当にうるせえなお前」

 

そりゃ、そんなこと言われたら口調も戻さざるを得ないだろうが。

それも分かった上でコイツは言ってんだ。

本当に本当に腹が立って仕方ねえ。

 

また鐘の音が鳴った。百八回打つんだったか。

こんなんで煩悩が消えりゃあ世話ないな。

 

私はどうかな……我ながら気性が荒いのは分かってるが、これって煩悩なのか?

全然穏やかになる気がしねえ。

というか、煩くてイライラしてくる。

 

「この音を聴いてると暮れの風物詩って気がするな。サンデーもそう思うだろう?」

「…………ああ」

 

そんな浸るような笑顔で言われたら否定できないだろうが……。

話を合わせてやって心にもない同意を返したが。

 

「……ははっ、うるせえって顔してる」

「なんだよもうお前はさっきからよぉ! 噛み付いてやろうか!?」

 

何なんだてめえ喧嘩売ってんのか!?

その首、B級サメ映画みたいに食い千切ってやろうか?!

 

ガルルル、と鼻息荒く威嚇すると、トレーナーはふはっと吹き出して、楽しそうに笑った。

 

「ごめんごめん。嬉しいんだ。サンデーとまたこうしてバ鹿みたいなやり取りができるのが」

「っ……」

 

くそっ、本当にこの野郎……。

そんな風に言われると、流石の私も何にも言えねえ。

 

そりゃあさ、私だって未だ信じられないくらい嬉しいよ。

お前とまた、こんな風に話せるとは思ってなかったから。

 

闇を越えて、昔一緒だったお前と再び会えて。

そんな奇跡の目の当たりにして、さしもの私も今夜の初詣くらいはふんぞり返ってる某に一言くらい礼を言ってやろうって気分だ。

 

「カフェがおせち作るって息巻いてたんだけどね。休んでほしいから、今回は店で注文しておいたよ」

「おう、しっかり旨いもん食わせてやれよ」

「え、サンデーは食べないのか?」

「……は?」

 

いや、そりゃお前らと食いたいけどさ。

昼間はカフェの時間だろう。

 

それに三が日はアイツの好きにさせてやろうと思ってるから、私は箱根かどこかに飛んで一人でのんびりと……。

いや、温泉はやめとこう。一人でサムズアップしながら湯の中に沈んでいくのは寂しすぎる……。

 

「カフェが一緒に食べたいって言ってたんだけど」

 

あああもう、あのお嬢ちゃんはよお!

 

「……しゃあないな、私も行くよ」

「良かった良かった。伊達巻き好きだっただろう?」

「よく覚えてんな」

「好きな子のことだからね」

 

カッと頬が熱くなった。

伏し目がちに見ると、トレーナーはまたニヤニヤと笑っていた。

 

決めた、コイツはシバき倒してやる。

最近大人しくしてやってたから忘れてるみたいだが、私は悪霊とまで呼ばれた暴れウマ娘だぞ。

泣いて謝るまで許してやらねえ。

 

「覚えてろよ」

「覚えてるよ、ずっと。サンデーとのことは」

 

そう言うトレーナーの顔は、もう笑ってなかった。

本当に卑怯なヤツだ。

既にそれを実現したヤツだから、否定することも疑うことすらもできない。

 

多分コイツは本当に覚えていてくれるのだろう。

悔しいことに嬉しくて耳が動いてしまう。

 

「……畜生」

「本当に素直になったね、きみも」

 

トレーナーが微笑む。

確かにそうかもしれない。

 

カフェの隣で過ごす内に、私の牙も大分鈍ったらしい。

昔だったらトレーナーのことをとっくに三回は殴ってただろうし、恥ずかしい態度は死んでも見せなかった。

……そのつもりだったのは私だけで、コイツにはバレてたのかもしれないが。

 

「いいだろ。そりゃ私だって、これだけ年月が経てば丸くもなる」

「カフェに感謝しないとね」

「……そうだな」

 

昔は素直じゃなかったから、結局気持ちを伝えられなかった。

素直になるのも悪いことばかりじゃない。

そう思えるようになったのは少しは大人になった証拠だろうし、カフェのお陰かもしれなかった。

 

「……はあ、まだアルコールが残ってんのかね」

「少し顔が赤いよ、一升瓶呷ったりするから……」

「年末くらい許せよ」

 

今更ながら一気に酔いが回ってきたみたいだ。

こんな身で酔うのか。

こっちに来てから大酒は初めてだから、感覚が分からねえ。

 

「もうすぐ年越しだな」

「そろそろカウントダウンをやり始める頃だね」

 

二人で歩きながら、目的地の神社に隣接する林道に差し掛かる。

周囲には何の気配もない。

 

月夜の中で、私たちは二人きりだった。

 

横を見ると、トレーナーの向こうに樹齢何百年とも思える太い幹が見えた。

樹は種類によっては若くても太く高くなるから、詳しくない私にはどれぐらいの年月を経ているのか、確信は持てなかったが。

注連縄のようなものが巻かれているところを見ると、もしかしたら神社に縁のある由緒正しい樹なのかもしれない。

 

ふと、悪戯心が疼いた。

やっぱり私は悪童のままだ。

アルコールも手伝っているのかな。

 

ぺろりと舌なめずりをしてから、トレーナーをその樹の幹に押しつけ、両手の自由を奪った。

 

「さ、サンデー? 急にどうしたんだ……?」

「……よお、トレーナー。さっきはよくも散々、私で遊んでくれたなぁ……?」

 

目が据わっているのが自分でも分かる。

でもよお、元はと言えばコイツが悪いよな?

 

年暮の最後、そして新年の最初。

思うままに過ごすのも悪くないかもしれない。

 

「ちょっと……小腹が減ってきてな……」

「いやいやいや……こんなところでそれはちょっと……外だし、こんな樹の下で罰当たりというか……」

「私に罰当たりとか、今更言うか?」

 

悪いな、神様。前言撤回だ。

大晦日元旦くらいは感謝して大人しくしてやろうと思ったが、やっぱりてめえらと私は相容れないみたいだ。

 

私らに気付いてるなら、よおく見てろよ。

見せつけてやるから。

神話とかを聞く限り、日本の神々はこういうの、案外嫌いじゃねえだろう?

 

「今日は優しくしてやらねえ。覚悟しろよ」

「あの……ごめん、ほんと悪かったから……」

 

冷や汗をかきながら青ざめているトレーナーの唇を噛み付くように奪ってから。

一匹の獣が、トレーナーに襲いかかった。

 

それから暫くして気付いたときには、遠くの鐘の音も聴こえなくなり、古い年は過ぎ去っていた。




明けましておめでとうございます。
某所で読んだお友だち怪文書が美しくもお辛すぎたので、衝動的に納品します。
本年もよろしくお願いいたします。


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