オレをアリスと呼ばないで (淫ヴェルズ)
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第一章 勇者の行方
第1話 ぷろろーぐ


 ――なにもかもが唐突であった。いや、思いがけない不測の事態というのはいつだって埒外の存在であり、今私がこのような目にあっているのも、きっとそういうことなんだろう。

あのずたぼろの【不死者】と出会ってしまったことこそがすべての始まりであったのだろうか。  

 

 

 

 

  ――――ドォォォン!!

 

 外から響く聞きなれてしまった不愉快な音とともに目が覚める。けだるげな体をソファアの上から起こしつつ、ボタンに指をかけながらシャワールームへと移動する。

 

・・まったく最近はいつもこれだ。まーた一般公区で爆発か。

 

「・・・今回はいつもよりよく響く。前より近づいてやしないか?」

 

 どんなに夢見がよかろうと例の爆発音でげんなりさせられてしまう。

 

まったく秩序統制維持局も存外に使えないものだ。これならまだ飼い犬のほうが役に立つんじゃないのか。今現在病気の治療中であるここにはいないペットの顔を思い浮かべながら顔をほころばせる。

 

 熱いシャワーを浴びながら今日これからの予定に思いを馳せる。 

 

 

 

「だ め で す」 

 

・・・まいったな、いきなり出鼻をくじかれてしまった。俺はまだ少し癖の残る髪を整えながら横目で相手を見据える。

 

「出かけたって別にいいだろ。問題ないだろ」

 

「・・・ニュースをご覧になってないのですか?また爆破テロですよ」

 

「ああ知ってるよ、というか最近のニュースといったらそればっかじゃないの」

 

「なら私が言いたいことはわかりますよね」

 

「そうだな。その前に手洗い・・」

 

 と言いながら人の形をした家電製品の横を抜けようとする。

 

「ヴェッ!」

 

「トイレはそちらではございませんよ」

 

 後ろから羽交い絞めにされ息が詰まる。嘘だろこいつッ家電製品のくせして今俺に対して危害を加えてらっしゃるぞ。

 

「――――ッ!おい!オマエェッ!!ロボット三原則はどうした!」

 

「動かないでください。力加減を間違って背骨をへし折ってしまいます」

 

「ふざけんあ!」

 

「これも――手のかかるご主人様のことを思ってこそ、愛のなせる技ですよ」

 

 まるで自分に言い聞かせるように戯言をほざくこいつは【ルドサルム】シリーズとかいう機械仕掛けの人形だ。こいつが一体いれば雑務や家事、スケジュール管理などを全てやってくれるという優れものだ。どんな無茶ぶりにも答えてくれる中央特区に住む【トップス】にはとてもなじみ深い存在・・なのだが最近どうしてか奇妙な行動が目に付く。腰に組み付かれた状態で壁伝いに玄関へと強引に歩を進める。つうかこいつ重ぇ!うまく歩けず足がもつれて転んでしまう。

 

「お前の懸念もわかるが爆発があったのは一般公区だろ。戒厳令だってこっちじゃ出てない、というか俺の体に体重をかけるな離れろ!潰れる!」

 

 こうしている間も床に伏す俺に対し徐々に体重をかけてくる。完全に押しつぶされている。ああ・・床が冷たい。こうしてみると日ごろからよく掃除が行き届いているのがわかる。まあ自分でやったのだから知ってるけども。機械人形の大きな体に挟まれ身動きが取れない。まるで本物の人間の様な柔らかな感触。ここまでくると人間とどう違うのかもわからない。人形の白く輝く長い髪が鼻先をくすぐる。

 

 そもそもなぜこうも俺がいいようにされているかというと約二年前に機械人形に異常な行動がみられるという報告がカスタマーサービスに知らされたのが始まりだであった。異常な行動・・といっても人間に対して危害を加えるようなことはなく、本を読んだり、動物と戯れる等といった機械人形には必要のない行為を自主的に行い始めたというものだ。プログラムにない行動を行う異常行動。どんなに中身を調べようとも原因はわからずじまい。

 

 そして時間がたつにつれてそのような報告も増えてくるわけで・・

 

 これをどっかのアホな人権団体が目をつけて『ルドラサルムは生きている!彼らにも人権を認めろ!!』とかアホなことを主張し始めたのであった。

 いつの時代も人権団体はやっかいきまわりない。機械人形自身が権利云々騒ぐならともかくどうしてまったく関係のない外野が権利を主張するのだろうか。人間以外に権利を認めてものちのち面倒の種になるのは明白だろうに。権利なんて与えられて得るものでもないだろ。

 

 ――――なのにだ、なにをとち狂ったのかもはや先のない人類の新たな発展のためという名目で異常個体は処理ではなくしばらくは様子を見るという名の監視で落ち着くことになり、機械人形にもある程度の権利を認められてしまった。権利の内容としては簡単にいえば感情が認められる個体の異常行動をなるべく邪魔をしないというものである。しかもこれを破ると強いペナルティが課せられるという。異常個体の主人にはなりたくないなと思っていた頃の自分がうらめしい。

 ・・ある日フィールドワークから家に帰ればソファで酒を呷る人形の姿が。飲んでも人間のように酔う事も無いのに今も好んで飲み続けている。本人はすごくいい気分になれると言うがそんな機能ついてないだろ。これを異常と言わずに何というんだ。もはや勝手に廃棄することもできない。こんなどう転ぶともわからないような物が人類の発展に貢献するだって?冗談はやめてくれよ。

 

 だいたい常に無表情なこの人形に感情があるといわれてもいまいちピンとこない。こいつ本当に感情あるのかよ。

 

 パシャ!パシャ! と廊下に鳴り響くカメラのシャッター音。

 

 もう!なんだよこの音は!?

 

「え、写真!?今ここで!!?」

 

「動かないでください、ブレて上手く取れないです」

 

 こいつ、自撮りしてやがる!

 

「そんなに楽しいか、主人をいじめてよお!」

 

「ならば外出はお控えください。どうかよろしくお願い致します」

 

「それがお願いする側の態度かよ!?」

 

 それでも写真をとるのをやめない困ったちゃん。俺は押しつぶされながらもなんとか玄関へ向かおうと必死に体を這わせる。

 

「こちとら【トップス】だぞッ!人形ごときにィ、負ける訳にはァァァ!」

 

 こうなってはもはや引くこともできない。ここでこいつに負けたという事実が残らば、この先の生活に支障をきたす。こいつとはこれからも顔を合わせていかなくてはいけないのだから・・この社会を動かしていく【トップス】の一員として・・約束されたエリートの誇りにかけて、人形ぐらい制してやるよぉ!

 

 今、玄関先で人間と人形の熱い戦いが始まる。勝っても負けても得るもののない戦いが。

 

 

 

 

 コツコツと草葉で生い茂る街道を歩く。

 

 街道を彩る赤く染まった葉っぱたちでいやでも季節の移り変わりを感じさせられる。中央特区といだけあってよく整備されてあるがそれに対して通行人がほとんどいない。まあトップスは全人口の1%しかいないのでこんなものなのかもしれない・・よく見たらここにいる通行人のほとんどが機械人形のようだ。まさしく終末だな。

 

「・・・・はあ」

 

 ・・・結局、俺は勝負の末出歩くことを認めてもらえた。勝負といってもただ交渉を行っただけであり、それも一方的に要求を飲むだけというもはや勝負とは言えないものであり事実上の敗北になる。ただ一方的にボコられただけ。情けない・・家電ごときにいいようにされてしまう様ではどっちが主人かわかりません。

 

――――どちらが上かいつかはっきりさせてやらないと・・

 

 そもそもあいつはいったい何を考えてるのか・・無表情なせいで何を考えてるかいまいちわからない。とはいえなんだかんだ主人である俺のことを第一に考えているのもまた事実か。

 

(あいつ本当に感情があるのかよ。少しは顔に出してもいいってもんだろ、上等だろ。可愛げがない)

 

 これが人間だったら、こうもいかなかったのになあ!と無理やり自分を合理化させ心の平穏を保つ。それよりもまずはあの糞法案をどうにかしないと。それを可能にするにはまず地位と権力が必要だ。そしてこれから会う人物がそのどちらも持っている。

 

 ここでなんとしてでも・・

 

 右手に携えたアタッシュケースの確かな重さを感じながら、気を引き締める。そうこう考えているうちに目的のカフェへと到着するのだった。

 

 

 

 

「やあやあ。遅れてしまって申し訳ない」

 

 オープンテラスで待つこと10分。ようやく目的の人物がやってきた。その人物は車いすに座っており黒髪の機械人形に押されながらこちらへやってくる。髪は全て白髪で少なくとも歳は60を超えていると考えていいだろう。歳の割に恰幅はよく目は精力的にギラギラとしており活力に満ち溢れたお方でカイザル髭が特徴的である。

 

「いえ、私も今来たところですので」

 

「いやいや、そう言ってもらえると助かるよ」

 

 ゆっくりとした動きで博士は機械人形の手を借りながら席に着く。

 

「お久しぶりです尼兎(あまつ)博士。お忙しい中お時間を割いていただいて」

 

「いやいや、最近は外部が慌ただしかったものでね、それでも君から定期的に送られてくる実験レポートには目を通してるよ」

 

 外部・・となるとやはり爆破事件のことだろう。約半年前から一般公区で爆破事件が発生しておりそこで暮らす一般階級の【フラムズ】たちが被害をこうむっている。おもにこの都市の主要施設が標的になっていたのだが警備が厳重になって以降、標的は活気のある繁華街へと移行したのであった。

 

 犯人からの犯行声明はなく目的がいまいち掴めない上に未知の爆薬使用による自爆テロなもので爆破跡には犯人を特定できるようなものは何も残らないほど酷い惨状らしい。都市全体には監視カメラやドローンが配置されており、バイオセンサーだって機能している。持ち前の遺伝子情報をごまかすのことは不可能といってもいい。登録された人間以外がこの都市にいればすぐにでも中枢棟のほうから鎮圧部隊が出て殺処分しにくるはずだ。

 

 ・・いったいどうやってこれらのセキュリティ群を掻い潜ってくるのか、正直興味が絶えない。

 

 

(まさか外郭部からの攻撃なのか・・?それとも・・)

 

「いや、外郭部の線はないだろねえ、ましてや国外でもない」

 

「――――なぜ、そう言いきれるのでしょうか」

 

「だって考えてみなよ。都市の外はあーんな状態な訳で外郭部で暮らす【アウター】どもにはそんな余裕も技術力もない。なんせ一日一日を生きていくのに精いっぱいだからねぇ。国外に関してもあの状態の海を越えてくることなんてまず不可能じゃないか。実地調査に行ったことがある君がよ――――くわかっているはずだよ」

 

「・・・・はい、そうですね」

 

 ―――外、か。

 

 この都市の外に実地調査として赴いた時のことを思い起こす。かつてはこの島国にも平和というものが存在したらしいが今や昔の話だ。

 

 人類の生存圏は今やこの都市を含め片手で数えるほどでしかない。

 

 ・・あくまでもこの大きな島国ではという話であってユーラシア大陸やアメリカ大陸等といった場所が現在どうなっているのかはわからない。理由ははっきりとしている。このオーロラのよう鈍く輝くどこまでも広がっている海のせいだ。まるで現実とは思えないような幻想的な光景が確かに存在した。大量に浜辺に打ち上げられた磯臭い魚、この地球上では存在を確認されていない恐ろしい巨大生物の死骸、死に満ちた光景を目の当たりにすると心の奥から危険だという警鐘が鳴り響く。だれもがすぐに理解した。これは人類が相容れるものではないと。

 

 ――――だが、なぜだろうか。危険とわかっているはずなのに視線を外すことができない。心地の良い波の音だけが鳴り渡る。ずっと眺めているとあるはずもない郷愁が胸をよぎる。まるでこの母なる海こそがいつかは帰るべき場所だとでもいわんばかりに。

 ・・両親という存在がいない俺がこう感じるのは不思議だがあそこには母親の愛というものをいやと言うほど感じさせられてしまう何かがある。

 

 あそこにはそれがある。

 

 自分のことを待っている。

 

 あるはずもないまやかしの感情に身を焦がされる。甘い甘い毒で練り上げられたあの海は思考を鈍らせ人を狂わせる。現実問題として都市が構築されるまで海に突撃してそのまま帰らぬ人となるケースが多かった。この都市を囲むドーム状の外壁はそういった行為を防ぐために存在するといってもいい。

 

「やはりまだ外国との通信などは・・」

 

 博士はお手上げだとと言わんばかりに手をあげ首を振る。

 

 それ以外にも問題はある。あのおぞましい海の領域に足を踏み込めばこの世のものとは思えない恐ろしい物へと変貌する。とても人とはいえない肥大化した水ぶくれの化け物。背骨が異様に発達した手足がとても長細い化け物。多種多様な化け物どもが陸の上でうろつき正常な人間を海に引き込もうとする。

 

 そして別のナニかへと変貌させる。無機物だろうとおかまいなしだ。そのせいで船や飛行機、通信による電波すらも飛ばすことができない。これらの要因でこの島国は今断絶されている。食料の輸入もできず食料不足を原因とした紛争が起こり大勢の命が犠牲になった。人々は疑心暗鬼に陥りお互いがお互いを傷つけあう不安と絶望の世紀末へと突入したのであった。沿岸部は特に地獄で海水で汚染された土壌のせいで植物の全てが汚染されつくされ有害物質がまき散らされている。

 

 都市の外はもはや荒廃しておりまともに暮らしていけるのが都市とその【外郭部】だけになる。

 

 いやほんと早急に主要都市を壁で囲んだ当時の人たちのおかげで俺は今日も元気に暮らしている訳だ。

 

 当時の人バンザイッだな。

 

「あ、それでさっそくなのだが例のサンプルを預からせてもらってもいいかな」

 

「・・・?えらく急ですね、何かありましたか?」

 

「いや何、実はこの後もすぐに中央のほうに戻らなくてはいけなくなってしまってね、申し訳ない」

 

「ああ、もしかして朝の爆発事件ですか?」

 

「そうそう、まだ決議の途中だったんだけどちょっと抜け出させてもらったよ」

 

 まあこの方もいろいろとお忙しいお方ではあるしわざわざご足労かけたわけなんだが。

 

(えぇぇ・・決議の途中で抜け出してきたってマジですか。というか博士って秩序統制維持局の会議に顔を出さないといけないような役職だったっけ?博士の専門って生物学だったよな。なんでそんな人が呼ばれるの?しかも抜け出してきたって・・)

 

 前からもしかしたらと思っていたが博士はそうとうな権力を持っているのではないだろうか。やはり全力で取り入らないといけない。ヘマは許されない。

 

 緊張した面持ちで覚悟を決め、持ってきたアタッシュケースを取り出しながら今ここにいる意味を再確認する。

 

 

 

 

「なるほど――――素晴らしい・・」

 

 喉の奥がひり付く。

 

「ここに書いてあることが本当ならば、これは・・とんでもないことじゃないかあ」

 

 アンプルを片手で遊ばせながら口角をピクピクと痙攣させながら鋭い眼差しを向けてくる。狂気を孕んだ視線に少し物怖じするがそのことを悟られないように慎重に発言をする。

 

「はい、臨床試験も実際に成功しておりますので―――間違いないかと」

 

 自然と膝の上で握りしめた拳に汗が噴き出る。

 

「予定どおり一週間後に行われる研究発表会で発表させて頂きます」

 

「うーん・・・なるほど、ねぇ」

 

 一週間後に控えた研究発表会。これは幼少期から通わせられる学園を卒業する際に行われるビックイベントだ。【作られた子供たち】である俺たちの今後の人生を決めるといっても過言ではない。18歳になるまで教育機関【アカデミア】で他の子供たちと共同生活をしながら高度な教育を施される。13歳になるまでにすべてのカリキュラムを終わらせ学園内での成績ともに思想・態度が非常に優良と認められた生徒は13歳から18歳までの5年間は【アカデミア】の外で暮らすことを認められており、学園卒業にあわせて行われる研究発表会に備えて準備を行わなければならない。(なおその間全てのカリキュラムは終わっているので学園に行く必要はない)

 

 生徒たちはだれもが必死に勉強し自己の研鑽につとめる。5年間の外での生活は刺激の少ない学園の生徒からすれば喉から手が出るほど魅力的に映るのだろう。ガチガチに管理体制が決められた学園は今思い出しても息が詰まりそうになる。

 決まった就寝時間に個室は存在せず相部屋は基本。栄養価は高いがクソまずい豆のスープ。学園内での評価が劣っているものはストレスのはけ口としてイジメの対象にされ、教育者はそれを見て見ぬふりをする。劣等生に学園側からの一切の救いはなく逃れる方法はただ一つ――――成績をあげるしかない。まあ、それができないから自殺した姿で見つかるわけなのだが。

 

 そうなると大変なのが死んだことにより学園内での序列が繰り下げられた生徒である。イジメを行っていたものがイジメられまた死んでいく。だから死なない程度にイジメてそのケアもする。イジメの対象がより長く持つように調整する。決して終わらぬ負の連鎖が学園内に渦巻く。こんな学園には何の思い出もない。

 

 ・・学園側はあえてこのような抑圧された環境を作りあげ生徒同士で競争させているとしか思えない。そうまでして優秀な人間が欲しいのか。ごみのように死んでいく劣等生たちには涙を禁じ得ないがその死に対してどこか納得している自分もいる。結局は意図的に生み出された俺たちの世代は大人たちにとって消耗品でしかないのだから。実験的に生み出された今後どうなるかもわからない【第一世代】の子供たちにはどうしようもないのだ。だから未来はこの手で勝ち取るしかない。

 

 

「とりあえず二日後の発表会でこれを発表するのはやめてもらおうかな」

 

「・・・え”」

 

 間抜けな声が思わず出てしまう。何言ってんだこの老いぼれは。この天才的な脳みそから生み出された研究成果に不満でもあるというのか!?むしろ何が不満なんだ!

 

「これを発表するのは・・少々やり過ぎだ」

 

「ど、どういうことなんですか!」

 

 あまりの動揺に上ずる声を抑え、疑問を投げかける。

 

「何事にも順序という物がある。――――いくら人類が滅びの道をたどっているとは言え、これは・・今の人類にこの選択肢を提示していいものか・・」

 

「いままで研究レポートと定期的に送ってきましたが博士は問題ないとおっしゃったではないですか!」

 

「いやいや、まさかこんなすぐに完成品をポンと渡されるとは思ってもみなかったよ。ここまで形になるなんて夢にも思わなかったよ」

 

 俺が執念で作り上げたアンプルを眺めながらいつもと変わらぬ様子で受け答えをしてくるも、目が笑っていない。

 

(まずい・・。このままでは俺の5年間が全て無駄となってしまう)

 

この老いぼれめ、人がどれほどこの研究に費やしたか知らない訳でもあるまい。これではなんのためにアカデミアから出てきたというのか。

 

(クソッ!あと一週間で何ができる!?というか何を発表すればいい!?趣味で飼ってるカエルの生態日記をまとめてそれっぽい感じにできるか!?いや内容が弱い上に万が一うまくいったとしても将来は食用ガエルの工場で一生を過ごすことになってしまう。 エリートの俺がそんな―――いや、想像してみたが案外悪くないな)

 

 食糧問題は未だに解決したとは言えない。だがこの無性生殖で増殖することが可能なカエルを持ち出せば何とかなるんじゃないか?

 

 頭の中でグルグルと考えがうずまく。思い描いてきた未来設計の第一歩ではやくも躓くことになってしまった俺にはもはや体裁を取り繕う余裕すら無い。

 

 そんな俺に博士は、

 

「まあ、そのかわり君のことは私のほうで取り計らっておくから安心してくれて構わないよ」

 

「――――へ!?」

 

 唐突な鶴の一声で緊張が一気にほぐれる。

 

「い、いま、なんて」

 

「私の権限で中枢棟に君の席を用意しておく、そう言ったんだよ。研究成果自体は発表できないものだが君の才覚は私が見込んだとおりの、いやそれ以上のものだった。こんなとこで腐らせておくには非常に勿体ない。君えへ良ければ私の仕事を手伝ってくれやしないかね」

 

 ――――体が震える。体の奥底から嬉しさが込み上がってくるのがわかる。

 

 中枢棟で席を用意させるってそれもう完全勝利じゃん。権力って最高!

 

 あっはっはっはー同期のアホどもめー俺は誰よりも優秀であると証明してしまったぞー。あーやばい嬉し過ぎて吐きそうだ!

 

「ふ、それにしても【第一世代】の子供たちである君がこれほどの成果を出したのだ。優良遺伝子選別計画は成功だといってもいいのかもしれないねえ。計画に携わる者として誇らしいよ」

 

 

 その一言で頭に籠っていた熱が一気に冷めていく。ああ、またこの感覚。本来ならば芽生えるはずのない封印された感情が心の奥底から喚起する。

 

 そんな俺とは真逆な様子で博士は語る。

 

「君たちの体や命には前時代を生きてきた大人たちの無念と夢と希望が詰まっていると言ってもいい」

 

―――ああ、本当に。

 

「我々がついぞ成しえることができなかった夢の残滓」

 

―――どうしようもなく。

 

「どうか不甲斐無い大人たちの代わりに新たな可能性を示し続けてくれ」

 

―――イライラする。

 

 認める訳にはいかない心の奥底に眠る確かな歪みに苛まれながらも俺はただただ無言で肯定するしかなかった。

 

 そんな俺を博士は嬉しそうに眺めるのであった。

 

 

 ――――――――生ぬるい風があたりを吹き抜ける。

 

 前髪を風がそよがせ季節の移り変わりをお知らせする。静寂があたりから聞こえる喧噪により現実に引き戻される。

 いつの間にか周りには人通りができており、楽しそうに歩く子連れの夫婦、若いカップルといった者たちが道を歩く。

 

 博士はそんな周囲にどこか冷めた目を向けながら静かに語る。

 

「・・今、こうして当たり前のように幸せを享受できてはいるがそれがギリギリのバランスの上で成り立っていることを知っている者は少ない」

 

「・・・・」

 

「都市ができて60年か。この都市に住む【フラムズ】や【トップス】は外がどんなことになっているのか実際の所詳しく知るものはいない。あの海が現れた当初は沿岸部の人間はそのほとんどが何もできず死に絶えた。混乱を恐れた政府が敷いた情報統制で内陸の人間は何が起こっているのかも知ることができなかった」

 

 当時を懐かしむかのように博士は何もかもが正常であった輝かしい黄金の時代へとに思いを馳せ、そして楽しそうに笑う。

 いったい何がそんなに面白いというのか。余裕を感じさせる態度が妙に鼻につく。俺はなぜこうも苛立ちを覚えるのだろうか。きっとそれは・・・

 

「都市の人間はいまだに原因不明の病原菌が外界に蔓延していると信じ切っている。何かが変だと思っても真実からは目をそらし都合のいいように解釈し勝手に納得する。もし真実に触れてしまえば今の幸せが消えてしまうかもしれないと恐れているからだ。壁を作り上げ外界と隔離されたこの社会を作り上げた当時の政府の判断はまさに英断といってもいいだろう」

 

「・・・ですがその時に都市に収容できず外に追いやられた人々がのちに【アウター】と呼ばれる存在になってしまいましたよね」

 

 つい感情が抑えきれず反抗的な意見を言ってしまった。

 

(俺は何を・・このまま全てを捨てる気なのか?)

 

 創造主である大人たちには従順でなくてはいけない。心の機能をいくらか取り外されているはずの存在が創造主に歯向かうなど許されることではない。

 

 それは明らかにバグである。

 

 このまま言葉を続ければ粛清の対象認定をされるかもしれないというのに。だが、もはやこの高揚は抑えることなどできない。

 

 そんな俺の意見を気にしていないのか博士は続ける。

 

「どちらにしろ外界の調査や物資調達などを行う人員は必要だ。長い間外で過ごし汚染された彼らをいまさら都市に迎え入れる訳にはいかないよ」

 

「―――では彼らはなぜあれほどまでに差別されるんですか?もはや人としての尊厳すらありはしないではないですか。都市の人間達からは汚らしい人もどきと後ろ指をさされ化け物たちの理不尽な差別にさらされているんですが」

 

 都市の外郭部で暮らす者たちは【アウター】と呼ばれており彼らは許可がなければこの都市内に立ち入ることも居住することができない。要は市民権がないのだ。もし一歩でも都市内に足を踏み入れればただちに銃殺されてしまう。【アウター】の主な役目は壁の外での肉体労働であり、その内容は多岐にわたる。都市から配給される食料や水と引き換えに危険な任務に従事させられている。【アウター】は全人口の75%を占めている。それでも暴動が起きないのは内と外では技術力は雲泥の差があり、暴動が起きても鎮圧部隊の機兵が現れすぐに黙らせてしまう。都市からの発表では暴動のたぐいは”今のところ”起きていない事になっておりそのせいで何も知らない都市の人間は【アウター】は腰抜けとの風潮がはびこっている。

 

「外で暮らす彼らが化け物どもに対し一種の防波堤として機能しているからこそ、都市の機能が・・我々の生活が保たれているんですよ。なぜ少しは尊重しようとしないのですかね?」

 

「今更彼らとの融和を推し進めても無駄じゃないか。【アウター】というレッテルは一生剥がれることはない。都市に招いたところで迫害はより表立って行われるだけだ。内と外で分けられているからこそ、この程度で済んでいるのだよ」

 

「これがベストだとでも?ただの詭弁じゃないですか。大人がそんなんだから――――――」

 

 【アウター】は都市の人間に対して卑屈だ。心の奥底から怖れている。長い間都市の人間に飼いならされ、いいように扱われている。

 

「現地調査に向かった際に案内人の【アウター】の協力者と触れ合う機会がありましたが我々とそこまで差異はなかった。だというのに都市のの人間がそんな態度だからッ」

 

「その割に君は彼らのことを【アウター】と呼ぶのだね」

 

「・・・?」

 

 なにを言っているのだ。それ以外にどう呼べというのだ。

 

「・・ああそうそう、少し気になったんだがこの研究成果が出るまでかなりの【アウター】を消費したのではないかね?」

 

「・・?はい、それ相応には」

 

 いきなり何だ?突然だな。

 

「いや疑問に感じていたんだがよく平然と彼らを実験に使用できるなと思ってね」

 

「何を言ってるんですか。世界がこんな状況なんですから彼らにも協力してもらってるんじゃないですか。化け物に殺されるよりはよっぽど意味のある死ですよ」

 

「なんだか矛盾してやしないか?」

 

「???」

 

 さっきから、なんだ、なぜこんなにも頭が痛い。

 

「―――――【アウター】は資源だと、そういうふうに教育したのはこの社会を作り上げた大人たちではないですか。だからこうやって実験の手伝いを、ウグッ!」

 

「・・・・・・」

 

 眉間をとっさに手で押さえてしまうがどうにも体調がすぐれない。いったいどうしたというのか。

 

「矛盾に気づかないその歪み、論理観の希薄化。優良遺伝子選別計画はやはり成功だったな」

 

「・・・・?」

 

「いや気にしなくていい・・・さて今日はもうお開きにしようか。調子も悪そうだしね」

 

「い、いえまだ大丈夫、です」

 

「それにもう時間だ」

 

 思っていたよりも時間が経っていたようだ。今日はもう御開きか。色々と失礼な真似をしてしまった。

 

 ・・・博士はどうしてこんな俺にかまってくれるのか。常日頃からお忙しい方であるはずなのだが。なんだかんだいって会う時間を作ってくれるぐらいだ。中央での仕事も大したことないのかもしれん。

 

「(まあ本音で話せるのはありがたいことだが・・・なぜ俺は未だに処分されずにいるんだ・・・まさか俺がハイパーエリートであることが理由ではないよな)」

 

「・・ああ博士じつはお願いがあるのですが、博士の機械人形と家の子を交換しませんかね?いい刺激になりますよ!」

 

「ハハハ!・・・冗談はよしてくれ」

 

 そう言って教授は逃げるように去っていった。少しぐらいいいだろがクソォ!

 

 いつのまにか頭痛はすでに治まっていた。

 

 

 

 

「・・・・よろしかったのですか?彼は明らかにこの社会に対し叛意がお持ちのように見受けられましたが」

 

「彼はあれでいいんだよ。あれで」

 

「遺伝子配列に変調が見られます。これは明らかに立派な変異体とお認めになられてはいかがですか?彼はまごうことなき粛清対象ですが」

 

 車いすを押しながら機械人形である個体名[フラノス]は警戒を呼び掛けてくる。

 

 この機械人形は特別に調整を施しているおかげで正確に人間の生体情報を感知することができる。

 

「・・・・フラノス」

 

「どうなさいましたかご主人様」

 

「管理者権限を行使。今までの彼との会話の記録を全て削除しろ」

 

「―――蒼のコードキーを確認しました。管理者命令を実行します」

 

「精神にのみ作用する変異なんてレアケース、処分させるにはあまりにも惜しい。・・・・・・・それに彼は――――――いや、これも感傷、か」

 

 過ぎ去りし時はもはやどうしようもない。そんなどうしようもない状況で、それでもなお足掻く者は強いし何より美しい。求められるのはただ不満と自己のエゴをまき散らす反逆者ではなく新たな道を切り開く開墾者の気質。そういった者こそがこれからの社会の礎になるにふさわしい。我々が打ち込んだDNAの楔から解き放たれ子供の枠から大きく外れようとする彼はいったいどこに向かうのか。

 

 変化を恐れるな。ただただ前へ進め。たとえどんな犠牲を払おうとも絶対にやり遂げて見せる意思が必要だ。

 

 だから君には期待してるよ”恋都(こいと)”君。

 

 

 

 

 すっかり冷めてしまった紅茶を飲みながら先ほどの博士とのやり取りを思い返す。

 

「・・俺はまちがいなく――――――正常だ」

 

 オープンテラスで一人、慰めるようにそうつぶやく。

 

 あの海の調査に行ってからか俺の意識が変容している。意識というよりも観念か。当然のように思っていたことに疑問を持ち以前の自分では考え付かないような恐ろしい事を思いついてしまう。意図的に狭まれた意識の世界が広まったのを感じた。研究のために実験を行う過程で多くの犠牲を出したはずなのにその事に罪悪感も疑念もない。その一方で彼らの人権をのたまう。

 

 ・・・これでは矛盾していると言われても仕方がない。

 

 博士が俺を不穏分子として粛清しないのもあくまで実験の一環なんだろう。結局どこまでいっても俺たち子供たちは実験生物でしかないのだろう。これでは家畜とそう変わらない。

 どれだけがんばってもこの都市で生きていく限り作られた子供たちのレッテルは外れない。この先も大人たちに飼い殺しにされるだけのつまらない人生。俺は永遠に子供の役割を演じることを強要されるのか。どんなに成果を上げようと大人たちの手柄にされてしまう。それが創造主の当然の権利と言わんばかりに。

 同じ【トップス】と言えどやはり心のどこかで下に見られているのだ。こんな状況でどう満足しろっていうのか。

 最初から決められた運命をただ辿るだけの人生などなんの意味がある。

 

 ・・・こんなのどうすればいいというんだ。

 

 単純な力では対抗できない。遺伝子に刻まれた楔がそうさせない。もはや呪いだ。なにが夢だ希望だ。かわりに大人のエゴがたっぷり詰まってやがる。

 

 いつまでも過去の栄光にしがみ付くから俺みたいおかしな個体が生まれてくる。

 

「(ふ、ふふ、ははは。それにしても力か。俺は力で大人に対して何をしようってのか。いけない子だよなあ、まったくよ)」

 

 こんなことを思いつく時点で俺はもう手遅れだ。

 

 ああ、願わくばここではないどこかへと行ってみたいものだ。なんのしがらみもない自由な世界へ。乾いた心が理想ばかりを追い求めてしまう。その先に光があるかどうかもしれぬと言うのに。

 

 

 

 ――――――ふいに一陣の風と共に懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。この獣臭くもほんの少しばかり漂う潮の香は・・・

 

「(そうだこの匂いたしか外界で・・)」

 

 この時すぐにでも疑問を行動に移していれば結末は変わっていたのかもしれない。

 

 ・・・ふと、視線に気が付く。

 

 道の真ん中に立つ奇妙なシルエット。

 

――――――そこには汚らしい格好をした子どもが

 

――――ドォォォォォォン――――――――ッッ!!

 

 それが俺が最後に見たこの都市での景色であった。

 

 真っ赤な爆炎を携えて炎が迫る。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――あア、声ガ聞こえル。

 

 

「急げ!!すぐに手術室に運ぶんだ!」「怪我人が多すぎます!スペースが足りません!」「おかあさあああああん!」「心肺停止!」「あ、足がアアアア!!!」「目が見えない・暗い暗いよ」「いいか、彼を何としてでも助けるんだ」「早く止血を!」「我が深淵たる血潮の海よ」「だ、だれか。娘を見ませんでしたか!」「イヤアアアアアッ」「で、ですがこれはもう生きているとは」「鎮静剤投与」「服をさっさと切るんだッ」「血に濡れし黄金回路より産まれいでよ!」「は、博士何を!!」「物資も人手も足りんぞッ!」「・・ならば彼自身の体で試してみようじゃないか」「心電図に異常!」「このアンプルが本物ならば」「それを証明して見せろ」

 

 

 

 

 ピ――ピ――ピ――ピ――ピ――ピ―― 

 

 静寂にみちた白き部屋で心電図音が静かに鳴り響く。

 

「・・・・ァ―――ゥ―――」

 

 小さな息吹がおびただしい数の機械のコードのおかげで命を繋ぎとめる。

 

 唐突に捻じ曲がる空間。呼応するかのように鳴り響く警報。病室内で横たわる彼はベットごと静かにどこかえと消え去った。誰もいない部屋で鳴り響く警報は終ぞその役目を全うすることはなかった。

 

 

 そうして俺は楽園とは程遠い新世界へと誘われた。思い描いていた理想とは程遠い世界へと。

 



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第2話 召喚の儀

「――――――――――――――来るッ!」

 

 聖殿に満ちる召喚陣から湧き出る聖なる輝き。今この場では勇者召喚の儀式が行われており、3人の勇者が召喚されている。

 もうすでに10人の巫女がその役割を終え、最後はこの私だけ。失敗して無様に死んでいった同期の遺体を目の端に捉えながらも今こうして目の前で現出しようとしている存在にたしかな手応えを感じていた。

 

「やった、やったッッ!」

 

 まだ完全に召喚が終えたわけでもないというのに体の奥底から湧き出る自信そのものが儀式の成功を裏付けしてくれる。自前の金髪は漂う魔力の輝きでいつも以上に煌めきを帯びている。なんとまあ心強いことか。

 総勢11人同時で行った勇者召喚の儀だが私だけが未だに召喚が終えていないがそれも時間の問題だ。私はそこらに転がる巫女とは違う。天っ才なんだ!

 

「(最後まで気を抜くな、わたしぃッ!あんな序列下位のカスどもにできてスーパーエリートである私ちゃんにできない道理があるものかよ!!)」

 

 異次元に漂う未開領域【灰の海】でようやく掴み取った存在に自身の魔力を刻み込み強引につながりを作り上げる。これ以上精神を潜り続けていれば空間に満ちた高純度の【神性】で自己存在が曖昧になって変異してしまう。そうなれば私が私でいられなくなる。

 

「(こちとら序列第一位なんだよォォッッ!!!!)」

 

―――――――ッ!?つながったッ!ようやく!ラインが!

 

 契約のラインパスがしっかりと繋がり不安が確信へと変わる。こうなればこちらのもの。後は呼び出すのみ。

 

さあ!

 

輝かしい未来のの為にも、

 

さっさと、

 

出てこい、

 

我が勇者アアアアアアァァァ!!

 

 黄金の光に満ちる聖殿の中、勇者は確かな姿を伴いその身を降臨させるのであった。新たな希望を携えて――――

 

 

 

 

「ほう、本当に成功したのか。それも4人も」

 

 王の間というものはここまで広いものなのか。鏡のように光を反射する大理石で作られた床と支柱。装飾は豪華絢爛ではあるが自然との調和を考えられており、下品さは微塵も感じられない。

 

 そんな王の間の中央に添えられた巨大な王座。そこに君臨するのもまた一角の人物なのか。

 

「・・・伝承は本当だったのか長官よ」

 

「はい、なんとか遺失技術の再現に成功致しました!やはり伝承は本物だったのですよッ!!」

 

「・・・勇者召喚なんぞ古いお伽噺だと思っていたんだが本当に・・・成功したのか」

 

 玉座にてつまらなそうに報告を聞く王が君臨する。

 

 対して唾をまき散らしながら嬉しそうに語る教会の司祭。彼は教会の下で組織された遺失物調査委員会の長官であり、どんな時でも冷静沈着なつまらん男だと思っていたのだがなかなかどうしてと認識を改めるべきか。普段の姿を知っている分、いつもとは様子が違う彼に少々引いてしまう。

 

 だが伝説の存在が実際に現れたのだからそれも仕方がないことか。

 

 そんな彼を冷めた目で見ながらこれからの事を考える。とても大事なことなのだ。

 

 もともと神から与えられる恩恵の影響が強いこの王国内での教会の地位は非常に高い。教会のトップともなるとこの国の王である我と同列に扱われる程に、だ。それ故に教会のやることには簡単に口を挟む事もできない。

 

 教会の連中は昔から存在したかどうかも疑わしい大昔の技術を再現する事に躍起になっており莫大な資金や資源をただただ消費する金食い虫である。今回の大規模儀式も大量の金と人が動いている。

 

 王の立場からすれば国民の血税をそんな得体のしれない物に使うなど断固反対なのだが我が国・・神の提示する教義のあり方の問題でそれをやめろというわけにもいかない。神の加護ありきの我が国では神の教えこそ絶対的なものとして扱われる。反対したところでつまらぬ反感を買うだけか。何をするにしても正統なる理由が必要だ。

 

 ・・この儀式が大失敗してくれれば少しはケチの付けようもあっただろうに。やめさせることはできなくとも予算をさげると言った横やりも入れようがあったろう。

 

 なのに、なのにだ。貴様らときたら。成功させてしまったではないか。なにをやってんだろう、ほんと。今回の成功で教会の発言力がますます高まってしまう。

 

 ・・・・まあ成功してしまったとあれば話は別だ。

 

我も幼きころから聞かされ胸踊らされた勇者伝説。まったくおもしろくなってきたな。

 

「勇者召喚が現実になってしまっては大戦当時に語り継がれてきたあまりに素っ頓狂な他の伝承も当時の歴史家たちの後付けと切り捨てることもできんな」

 

「はい!これで本当に魔王が実在したかどうかの論争にケリを付けることができるかもしれません!!!ただでさえ常軌を逸した大戦だと聞き及んでいるというのにまだ隠れた真実があるかもしれないのです。胸が躍りますな!」

 

 王は自身の心臓がいつもよりも早く脈打つのを認めながらも冷静に勇者を召喚できたという事実について考える。

 そう、できてしまったからには備えなければならない――――――

 

 

 ―――遺失技術。

 

 約900年前に勃発した【終末戦争】で使用されたとされる技術群。今の魔術・科学とは比べ物にならないほどの力を持ったとされるそれらは今もこうして伝聞・伝承という形として残っている。当時の大戦で多くの国々が消えていったが我が国【セプストリア聖王国】はその大戦に深く関わりながらも今日まで現存する数少ない国家である。

 もちろん当時の資料も多少は残っているのだがどれも暗号化されている上に保存状態が良くなかったのか損傷もひどく、いまだに解読に時間がかかっているそうな。おまけに解読できた部分的な内容はどれもちぐはぐで整合性にかけたものばかりであり、これらを完全に理解するのは不可能とされてきた。ただの落書き説、狂人のメモ帳などと言われてきたのも無理はない。

 

 そんな数ある伝承の一つである勇者の記述。勇者のことについてはこの国の人間なら一度は耳にするお伽噺である。

 

 勇者が現れたとされる【終末戦争】とはどこからともなく現れ侵略戦争を仕掛けてきた不死者と人間の闘いである。

 

 決して滅することのできない不死者たちに対抗するためにいままでいがみ合っていた国々は国家の垣根を超え手を取り合い連合を組むも消耗を知らない不死者たちの捨て身の攻撃にじわじわと戦力を削られ、もはやいよいよかという時にその者たちは光を纏い現れた。異界よりきたりし彼らは異質な力を振るい不死者たちを撃退しこの地に安寧と栄光をもたらした。

 

 人々は彼らを【勇者】と呼んだ。

 

 伝説によれば勇者は一騎無双の力を持ち忌み嫌われる不浄なる不死者どもを退治したという異能の力を保有するとのことだが、いったいどれほどの真価を持つというのか。そう考えるとこの身に流れる血が震えてくる。

 

 もし力が本物であればこの国はとんでもない爆弾を抱えてしまったと考えてもよい。

 

 勇者の伝説はこの世界で有名なお伽噺である。勇者の存在が周知の事実となれば各国との戦力バランスが崩れ戦争になってしまう可能性もある。

 教会の立場からすれば周辺諸国の統治のために勇者を聖王国の聖戦士としてその力を運用する心算なのだろうが、王たる我としては勇者伝説の威光を借りて国内で勝手をやる貴族連中の動きを牽制したいのだが・・・

 

「ですが少し問題が・・・」

 

「何だ?」

 

「勇者の中に一人、召喚の際に大けがをした者がおりまして・・しばらくは治療に専念しなくてはなりません」

 

「ふむむ、そうか。勇者はこの国の財産だ。なんとしてでも生存させるのだ。それとけっして失礼のないようにするのだぞ」

 

「・・・・仰せのままに」

 

・・・すぐに使うことはできないか。まあ遥か遠い世界から召喚されたのだ。他の勇者たちもさぞかし困惑しているのだろう。時間をかけて慣れさせるしかない。それにこれからの事で忙しくなる。

 

 まず間違いなく勇者の所属先が問題になるはずだ。

 

 儀式がうまくいったのは教会の人間のおかげなのかもしれないがそれで勇者の全てを持っていかれるというのはなんとも面白くない話だ。

 儀式に必要な資金を捻出してるのは誰だと思っているんだ。こちらとしても教会が動く前になんとしてでも我が陣営に引き込む必要がある。召喚する確信があるからこそ行動に移したのならば、懐柔がすぐに入る事だろう。対してこちらはまるで準備が出来ていない。完全に出し抜かれた形となる。

 

 ――――――時間は有限だ。ならば自ら動くしかあるまいよ。

 

「勇者たちの顔を見たい。とりあえず残りの三名をここに連れて・・・いや我が直接出向こう!」

 

「ッ!御身自らですか!?しょ、召喚の儀式でさすがの勇者たちもお疲れののようですので、明日にされてはいかがでしょうか・・?」

 

「ならぬ!突然この国に呼び出されているのだ。さぞかし不安がっていることだろう。精神上観点から直接赴いて王である我が召喚された経緯を話す」

 

「な、なにも王自らそこまで・・(まずいな、このままでは教皇様と鉢合わせになってしまう)」

 

「これからこの国に尽くしてもらうのだ。それが誠意であろう!!それに儀式の際多くの犠牲者が出たのだろう。召喚に尽力した者も儀式の礎に為った者も労いたい。親衛隊隊長、すぐに準備を」

 

「仰せのままに!」

 

 脇に控えていた親衛隊隊長が隊員にテキパキと指示を出す。これからしばらくは教皇派と聖王派の間で暗闘が始まるだろう。きっと死人もでる。大事になれば面倒な帝国や無理やり統合した国々などに潜む不穏分子どもに付け入る隙を与えてしまう。

 どのみちいつかは表舞台で活躍させることになるのだ。勇者の存在を明るみに出せば必ず何かしらの派閥へと取り入れようとする勢力が湧いてくる。

 勇者の立場を宙ぶらりんな状態にしておくのはよろしくない。だからそれまでにある程度の地ならしを行う。

 

―――――――――すべては我が国の繁栄のために。

 



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第3話 勇者を守る者

 現在、医務室では厳重体制が敷かれていた。原因は医務室のベッドで横になる勇者にある。その周りで慌ただしく治療の準備を行う聖職者たち。そんな勇者といっしょに召喚されてきたよくわからない残骸を眺めながら私こと”フォトクリス”はため息を吐く。

 

 

「・・・まったく面倒な」

 

 儀式に成功したあの時、召喚された勇者様はすでに死にかけだった。私もまさか死にかけの勇者様が現れるとは思ってもおらず、正直焦ったものだ。

 

 他の勇者達はなんともないことから私の実力を疑問視し召喚に失敗したのだと陰口を叩く者もいるようだがあの時の私に落ち度はない。

 

(――――――そうだ、あの時)

 

 私が召喚を行ない勇者様がこの世界に現れる瞬間に何者からの干渉を受けた。

 

 他の者が勇者を召喚した際には確認できなかった召喚陣から発する謎の光。未開領域に意識を潜行させていた時、何者かに頬を撫でられた。

 

 ざらついた感触。かすかに漂う潮の香り。

 

 あの時の感覚を思い出すだけで背筋を凍らせる。アレは明らかに現世ではなく領域側からの干渉だった。干渉されたのは飛ばした精神の方なのにまるで肉体に直接触られたかのような感覚が後を引く。あの場に潜む恐ろしいナニかに目を付けられたのかもしれない。

 

 領域内で私が勇者と繋がった時にはあのナニかは既に勇者の手を掴んでいた。危機感を覚えそこを私が振り払い掻っ攫った。それからはずっとずっとずっと私を恨めし気に見ていた。仕方が無かった。触れるべき相手で無かったのかもしれない。逆鱗に触れたやもしれない。それでも私の希望を奪われるのを指を咥えて見ていられるほど我慢強くもない。こっちも必死だ。

 未だに解明されていない謎多き領域ではあるがまさかあんな存在が潜んでいるなんて思ってもいなかった。

 儀式が終わった後ですら粘ついた視線のようなものを感じる・・・気がする。今この時も息をひそめこちらを窺っていると考えると怖気が走る。

 

 ああ、こういう時こそ神の存在を心強く思える。

 

 神の名を唱え祈ると心の奥底からポカポカとした暖かいものが湧いてくる。

 

「(温かい、これが・・祈りの効力か。それにしても・・勇者はなぜこの傷で生きていられるのか)」

 

 ベットで死んだように眠る勇者様の全身にはおびただしい火傷の跡があり現在包帯でグルグル巻きにされている。司祭によれば彼の顔半分は火傷がひどく左目は機能していないだろうとのこと。火傷の酷い左腕も肘から先がないし、両足も膝から下が切断されている。

 

 召喚された時、勇者様は何も身に着けてはおらず、何かの残骸とともに現れた。いったいどんな状況で呼んでしまったのか。

 

 それでも流石は勇者様と言うべきか、この状態でまだ生きているなんて・・さすがは異界の存在。世界の法則が違うのかもしれない。

 生命力も規格外だ。実力の方は未知数ではあるがこれなら期待してもよさそうだ。

 

「司祭様、本当に私の勇者様は治るのですか?」

 

「はい、なにも問題はありません、フォトクリス様。供物を使えばそれ相応の【奇跡】を行使できます。無くなった手や目もすぐに再生可能ですよ」

 

「・・・・」

 

 にこやかな笑みを浮かべながら質問に答えてくれる司祭様。

 

 こちらもニコニコと愛想を振りまきながら聞いてみたがその胸中は複雑な気持ちでいっぱいであった。

 

(・・・フォトクリス様、か)

 

 これまでは名前ではなく番号呼びだったのに勇者を召喚してから、この態度の変わりよう。

 

 今までの扱いがまるで嘘のようだ。それもそうか。勇者のパートナーである私を敵に回せばどうなるかなど想像に難くない。

 

(この国に連れてこられて初めて人間扱いされたな、私)

 

 今はもう思い出せない裁断されし記憶の欠片。

 

 もともと巫女という存在はそのほとんどがセプストリア聖王国が統合した周辺国から半ば強制的に連れてこられた素養のある子供たちで構成されており育成機関で痛みと薬で徹底的に洗脳教育を施されこの聖王国に忠実な僕に作り替えられる。そして最悪なことに今まで捧げてきた神への信仰も捨てさせられこの国の国教として定められた【アンティキア正教】へと強制的に改宗させられてしまう。一度捨てた宗教は二度と信仰できない。神はそれを許さない。

 

 巫女の活用方法は多岐にわたり、例えば優れた才覚を認められたものは国を率いるエリートとして重用される。私はこのパターンで召喚の儀に成功すれば晴れてエリートの仲間入りとなる。ようはこの儀式は最終試験であったのだ。

 

 そしてこの試験をクリアした私はようやく人として国により存在を認められたのであった。やはり戦勝国からの属国民に対する風当たりは強い。有益な存在であることを示さねばまともに取り扱ってはくれない。対して一定の基準に満たない巫女もどきの凡人どもには供物としての役割が与えられる。いやどちらかと言えば供物の方が本筋か。

 

 供物とはこの国で崇められている神の【奇跡】を行使する際に必要なものであり要は生け贄のことだ。奇跡の行使には多くの命が必要であり命が足りなければ肉体も使用される。たまに生き残ってしまう場合もあるようだがどのみち二度目の生け贄に流用され死ぬ。実際に今回は【奇跡】特有の超出力を利用した未開領域へのアクセスを旨とする儀式であったので多くの候補生が虚空の彼方へと消えていった。

 

(貴様たちという、ちょうどいい踏み台がいたからこそだな)

 

 この国の神がいかにも好みそうな存在に育てあげられた巫女たちはさぞかし供物としてのエネルギー効率が良いのだろうな。なんせ巫女は1人で異教徒100万人分の効率を誇るのだから。

 ・・・・まあ供物以外の道もあるのだがそれは運よく供物として使用されずに生き残るパターンである。運というよりも幼い頃に受ける洗脳教育に耐え抜いたやつは騎士や教会の人間に媚びへつらい供物にならずに済んでいる。そういった奴は別の用途が生まれる訳だが・・。

 

「(うーん、さっさと終わらんものかな)」

 

 今頃他の勇者と巫女たちは教皇と聖王に接見しているはずだ。この国のツートップがわざわざこちらに出向いているという事態がそもそも普通のことではない。

 裏では激しい権力闘争を繰り広げられているとは聞いてたが、なるほどさっそくヘッドハンティングか。

 

 ああ、その場に私がいないことがどれほど悔しい事か。

 

 すぐにその場に向かいたいという衝動に駆られるもなんとか抑える。私だけ行っても意味がない。

 

 

 

 バンッ!!

 

 それはあまりにも突然な来訪であった。

 

乱暴な音とともに開かれる扉。物々しい複数の足音が室内に響き渡る。

 

「いきなりなんですかあなた達は!ここをどこだと・・」

 

「おい、噂の勇者ってのはどいつだ」

 

 いかにも偉そうな男の声にいやな予感を覚える。

 

「(この声は・・・まさかエイヴォル元教官!?左遷させられたあの男がなぜここに・・・)」

 

 咄嗟に物陰に隠れながら様子を窺う。

 

 黒を基調にそろえた軍服と修道服を組み合わせたような服を着た者たち。

 

 その中で一人いかにも育ちの悪そうな面をした男がいる。

 

 ――――――忘れもしない、あの顔は・・・唐突に鮮烈に彩られた記憶が蘇る。

 

 

 ―――――――――振り上げられる血に濡れた拳。石造りの床に倒れ伏す血塗れの私をニヤニヤと見下す下卑た笑みを浮かべる男の顔。まったく嫌な面をしている。

 優秀な巫女になるために過酷な状況で育てられた私は教育機関に入れられた当初、指導と称し当時教官であったこの男に理不尽な暴力を振るわれたことがある。新人への見せしめとして運悪く選ばれた私は顔が腫れあがるほど殴打された。暴力ってのは人を躾ける上でとても有効だもんなあ。この出来事は今も、決して、この先ずっと忘れない。いつか殺そう、そう思いました。

 

 それ以降、成績が優秀だった私はこの男から直接指導を受けたことはなかったが教官達の行き過ぎた指導はどんどんエスカレートしていき、ついには死人を出してしまうほどであった。教官どもの中心人物であった元教官はこの事実を巧妙に隠蔽した。長い間隠蔽に成功していたのも他の教官達との連携があったからこそ。それからだ、"アノ"事件が外部に露呈するまで聖殿奥の教育機関は奴の王国という名の地獄と化した。

 

 

「(クソッ!!あの一件で教官の職を追われ遠方に左遷させられたはずだろが・・・どんな生き方をすれば、ああも不遜でいられるんだ?)」

 

「あ!クリスちゃん」

 

「・・おまえ」

 

 後ろからいきなり呼び掛けられ一瞬反応が遅れる。このどこか媚びたような声のせいで一気に機嫌が悪くなる。

 

 一応確認のため振り返ってみれば、しゃがむ私のすぐ後ろで毛先が少し黒い銀髪の女の子がこちらを見下ろす形で立っていた。目が合い嬉しそうに口の端を歪める。この顔・・間違いない。

 

「いやー儀式に成功したんだってね!とりあえず、おめでとおー」

 

「・・・・誰かと思えば体調不良を理由に儀式をすっぽかしたヴァーセイ君じゃないか」

 

「急にお腹が痛くなっちゃてねー、参加できなくてほんと残念だよねー」

 

「・・・」

 

 ・・ワザとらしくお腹を抱えるこいつは巫女候補生No.52。名はヴァーセイという。昔の自分の名前を憶えている数少ない巫女の一人。本来、今回の召喚の儀は序列持ちの巫女12名で行う予定であったが序列12位のこいつは体調不良を理由に参加をしなかったのだ。自分の未来の明暗を分ける大事な岐路なのだから体調不良だろうがなんだろうが無理やりにでも参加しなくてはいけないはず。なのに参加しなかったのだ。こいつは根本的に他の巫女達とは違う。儀式に真摯に取り組むのを馬鹿にしているように感じすごくムカつくので鳩尾を思いっきり殴りつける。どうせいつもの仮病だろが、てめー。オラッだったら本物にしてやるよ!

 

「どちゃくそが!」

 

「グエッ」

 

 膝をつき、お腹を抑えプルプルと肩を震わせる。思い知ったか!この!

 

 そもそもこいつの成績は神秘耐性と属性特質以外の全ての項目(筆記、魔術、体力、特殊技能、固有属性、魔力の保有量)が平凡である。はっきり言ってこいつより優秀なやつはいくらでもいる。

 

 ではなぜそんな奴が末席とはいえ序列持ちなのかその理由は・・

 

「おまえ、どこから入って来た!?ここはお前みたいなチンカス野郎がくるような場所じゃないんだよ!死ね!」

 

「あ、うぐぐーいつにもまして酷いぃ、こ、これ見てホラ、これッ!」

 

 なんだこの紙切れは。そう思っていたところに司祭がやってくる。隠れていたはずなのに騒ぎ過ぎたか。

 司祭の姿を確認するやいなや急に立ち上がりどこか媚びた様な態度に戻る。

 

「勇者様のそばでなにをそんなに騒いでいるのですかッ!」

 

「あはは!急に押しかけてごめんね司祭様!!勇者様にどうしても会ってみたくてさ☆あ、これ許可証ね」

 

「え、い、いえッ。きょ、許可があるのでしたらそれは、はい!」

 

「うん、ありがとねー司祭様!好き!」

 

 手をとり顔を寄せあざといの笑みを見せつける。

 

 顔を真っ赤にする、あきらかに女慣れしてなさそうな司祭。私は昔から同じような光景を見てきたせいか、強い既視感を覚える。

 

 やつは幼い頃からその優れた美貌を使い多くの教官に媚びを売ってきたのだ。人間扱いされず徹底的な差別を受けていた巫女たちの中で唯一人として扱われてきた生粋のゴマスリ野郎なのだ。

 やってることはもはや娼婦そのものである。態度が気に入らないから、よく鳩尾をぶん殴っていじめていたのだがなぜかこいつは性懲りもなく私に構ってくる。序列第一位の私に取り入る気満々なのが見え透いている。勇者を召喚したのをどこからか嗅ぎ付けてここに来たのだろう。相変わらず耳聡い奴だ。

 

「おいおいおいおいッ!このボロ雑巾みたいなのが勇者なのかよッ!!がっかりな上に、なんか・・気持ちわりいなあッ!!」

 

「(ッと、こんなカスに構っている場合じゃなかった!)」  

   

 そう言って奴は勇者様の眠る寝台を蹴り飛ばす。転がり落ちる勇者様に巻き込まれ周りに添えられていた儀式の道具が床に散乱する。

 

「貴様!勇者様になんてことを!!」

 

 私は元教官に飛び掛かり襟首を掴みかかる。突然現れた私の顔を見て一瞬驚いたような顔を見せるがすぐに不敵な笑みを浮かべる。

 

「おっと見覚えのあるその顔。そんな貴様はNo.297じゃねーかよ、ここはてめーのような薄汚い属国民がいるとこじゃねーよ。徳が下がる」

 

「口に気を付けろよクソ野郎。今の私は勇者付きの巫女だクソ野郎。おまえこそ自分の立場がわかっているのか左遷クソ野郎?」

 

「ア”ァッ!てめー誰に向かって口答えしてんだよ。クソガキがぁ・・」

 

 空気が変わる。辺りはシンと静まり緊張が広がる。後ろに控える黒服どもも強い視線をこちらに浴びせてくる。よく見ると治療の準備を進めていた聖職者たちは後ろ手を縛られ拘束されている。すぐにでも治療が必要なのに邪魔する気か。このままでは勇者様の体が持たない。

 この場に私の助けとなる存在はいないか。だがここで引くわけにもいかない。そして引く理由もない。この空間内で私の立場は間違いなく一番高い。この場を支配する権利を行使する。ただそれだけの話だ。私は素敵な権力者だ。

 

「貴様ぁ、何の真似だ。勇者様がどんな状態か見てわからないほど脳が退化したのか?」

 

「ハッ、こんな虫の息じゃあ流石の勇者もダメそうってかぁ?」

 

「だから今奇跡の準備を―――」

 

「いやいやそれは無理ってなもんよ。なんせその勇者は廃棄処分が決まったからな」

 

「・・・どういうことだ」

 

 奴の口から衝撃の発言が飛び出す。

 

「まあ事実だけ伝えるとさ供物がたりないんだよねー」

 

 そんな剣呑な雰囲気を醸し出す私たちの間に割って入ってきたのはヴァーセイであった。

 

「なにを・・言ってるんだ供物ならまだたくさんいたはずだッ!あのカスどもはこういう時のための存在だろう!?」

 

「なんかよくわからないけどー教会のお偉いさんはこんな死にかけは勇者に相応しくないってさ。だからそんな奴に貴重な供物を消費したくないんだって」

 

「な の で奇跡の行使は 無 理。残念でした!!アヒャヒャヒャッ!!・・・・・超笑える」

 

 一瞬頭が真っ白になる。これまで積み上げてきたものが一気に崩れていく音が聞こえる。勇者様を召喚し巫女になれば私は属国の人間と蔑まれることなく生きていくことができると信じていたというのに。

 

「―――――――なるほどそれで直接始末しに来たという訳か」

 

「ごめいとう!そんな聡明な巫女様にはプレゼントッ!!」

 

 懐からとりだしたナイフを床の上で仰向けになる勇者の心臓に突き立て、

 

「ッ!」

 

 咄嗟に妨害を試みるがいつの間にか後ろに回り込んでいた黒服たちに取り押さえられてしまう。司祭に助けを求めるが彼も首元に剣を突きつけられて動けない。

 

 私に群がる男どもを振り払おうともがくがそうこうするうちに ナイフは 心臓へと深々と突き刺さる。

 ビクビクと勇者は体を震わせそのうち動かなくなった。

 

 あまりに残酷な展望に思考が追い付かない。伝説の勇者と言えどこんなにもあっさりと死ぬものなのか。これでは私の今までが全部無駄ではないか。

 

 愕然たる現実が私をあざ笑う。

 

「また、ただの巫女に逆戻りだね!おめでとうNo.297。そして指導の時間だぜァッ!」

 

 返り血で汚れた手を服で拭いながら動けない私に近づいてくる。

 

「えー今回は上からの意向もありますので貴様は殺さないでおいてやるよ。なーんせとってもお珍しい【火の属性】持ちだもんなあッ!!まったくうらやましいねぇ!あやかりたいねぇッ!」

 

 そう言って地面に組み伏せられた私の顔に向かって蹴りつける。

 

「ガあッ」

 

「だいたい、なんで、こんな、汚らしい属国民が、【火の属性】持ちなんだよ!!世の中おかしいだろ!しかも、俺より立場も給金も上になるだとぉッ!ふざけやがってえええッ。なんでこんなに給金が安いんだよ!もっと俺の事評価しろよッ!」

 

「しょうがないですぜ隊長は一度やらかしてるんですから・・」

 

「オレは、なにも、悪くねえよ!!こなクソがッッ!」

 

 鼻が熱い。蹴りが入るたびに血がボタボタと垂れ落ち床を汚していく。これは夢だ。現実ではないんだと逃避してしまうが彼との契約の証であるラインパスがまったく感じ取れない。その事実が私の心に深い絶望を降りかからせる。

 

 周りの大人たちはそんな私を楽しそうにあざ笑う。何がそんなにおかしいってんだ・・・だが咎めようにも気力がわかない。

 

「やめなさい!彼女がどれほど貴重な存在かわかっているのか!」

 

「おい聞こえなかったのか?殺さないって言ったよな・・・あれ言ってなかった?そこんとこどうだ?」

 

 司祭が静止を呼び掛けるが止まる様子はない。その間にも視界が真っ赤に染まっていく。

 

 ・・・結局司祭もか。この身に流れる血がそんなに大事か。沸々と怒りが燃え上がる。生命力を魔力へと変換し魔術の行使を決意する。止まることのない激しい暴力の前にもはや手段は選んでいられない。

 

 希望であった勇者様は死に私は上層部に見捨てられた。勇者様を召喚できない巫女の未来なんて碌なものではない。ここで逃げねば最悪の未来が待ち受ける。

 

 決意が募る。

 

 魔術を行使しようとした寸前で意外な者から静止の声がかかる。それはまるでタイミングを見計らったかのように。

 

「エイヴォルー、そろそろそのへんで」

 

「ああッ!!邪魔すんじゃねえよッ。こいつをもっと面白い顔にしてやんなきゃ、気が済まないなぁッ!」

 

「そんなことしたら誰だかわかんなくなっちゃうじゃん。ほらほら気を静めて」

 

 そう言って無理やり顎に手を添えキスをする。流れるような無駄の無い動きに元教官は唇を奪われてしまう。時間にして20秒ほどか、ようやく唇を放す。

 

「ふーふー、お前ほんとアバズレだな。・・・まあ、いいさ。続きは死体を片付けた後だ。おい!」

 

 息を荒げながら踵を返しお仲間を連れて勇者のもとに向かうエイヴォル元教官。

 

 私は血に濡れた顔を上げ助けた者の姿を確認する。去りゆくクソ野郎を眺める整った横顔。

 

 ――――まさかヴァーセイに助けられるとはな。

 

「・・・・・」

 

「うーん、そんな目で見ないでほしいなあ」

 

 そもそも、なぜヴァーセイはここにいるのか。いや考えるまでもない。奴らと一緒に来たという事はこいつもお仲間というだけのこと。

 

・・・だがどうしてか、そう考えるも違和感が拭えない。なにかが変だ。

 

「いったい誰の指示で・・・聖王様や教皇様はこのことをご存知なのか」

 

「あはは、どうでもいいじゃないかそんなこと。僕たちには関係ないことだよ」

 

 そう言って頭部の傷に治癒魔術をかけてくれる。暖かい光が頭全体を包み込み、みるみると傷が癒える。属国民死ね死ねクソ野郎に大事にされるだけの才覚はある。

 

「ほらほら、そんなところにいたら治療の邪魔だよ。死なれたら困るんでしょ?散った散った」

 

 血に濡れた私の顔を布で拭いながら拘束していた黒服どもを散らす。拘束を解かれ顔を上げるとヴァーセイの顔が目の前に。お互いの息づかいを感じるほどの距離。それでもなお、ゆっくりと顔を近づいてくる。艶のある唇が言葉を紡ぐ。

 

「た す け て」

 

「――――は?」

 

 思いもよらぬ発言に私は一瞬耳を疑う。そのまま周りを気にする様子で小声のままヴァーセイに聞き返す。

 

「お前はあいつの仲間じゃないのか?」

 

「はえぇ。冗談はよしてよ。僕はただ勇者様に会いたくてここまで来たんだよ」

 

「答えになっていない」

 

「ほら、この場所って特別区画じゃん。入るには許可が必要なんだよね。そこでちょうどこの区画に踏み入る元教官達を見つけてさ、ご相伴にあずからせていただいたってわけさ☆」

 

「そういえばおまえあの男のお気に入りだったな。だが勇者なら他にもいただろ。わざわざここに来る必要はないだろ」

 

 すると恥ずかしそうにしながら私から目をそらす。その挙動がワザとらしく見えるためイライラしてくる。

 

「いやぁ、ちょっと出遅れちゃったんだよねぇ。ほら僕って他の同期に嫌われてるからさ。勇者様にどう接触しようか考えてたら聖王様と大司祭様が来ちゃってさ」

 

「それでしぶしぶこっちに来たってわけか」

 

「まあそうでもあるけど、一番優秀だったクリスちゃんが召喚した勇者様がどんなのかただ純粋に興味があったんだよね」

 

「どうせ勇者様に取り入るつもりだったんだろ。得意だもんなこういう事!」

 

「べ、別にいいじゃん!儀式に参加しなかった僕がこの先安心して暮らしていくには勇者様に媚びを売るしかないじゃない!勇者様の口添えがあればどうとでもなる。供物にはなりたくないよ!」

 

「おい!!私の勇者様だぞ!媚び売ってんじゃねー」

 

「でもさあ、それなのに。こいつらがまさか勇者様を殺しにきたとか思いもよらなかったよ!」

 

「ハア!?だいたいお前は――――――」

 

 

 その時 キン、と。響き渡る金属音。その音が妙に耳に残った。

 

「――――ァグゥ―――ァこ―こハ・・・」

 

「・・・・おいおいおいおい驚いた!こんなんでも流石だねえ舐めてましたわ勇者様ッ!!そう簡単には死なねーてかあぁッ!!」

 

 い、生きている・・・?まだ生きているというのか!

 

 顔を向けると死体処理の準備をしていた黒服たちの中で怪しげに蠢く包帯に巻かれた白い腕。

 

 慌てて彼との契約のラインパスを確認するも間違いなく復活していた。さっきはあまりの動揺で見落としていたとでもいうのか。

 

 だがはっきりしたことがある。まだ私の希望は潰えていない。その事実に止まっていた天っ才の脳みそが一つの答えを導き出す。

 

 ――――――――全員殺せ。

 

「どけェよッ!」

 

「うわ」

 

 目の前のヴァーセイを乱暴に突き飛ば無機質な地面を駆ける。

 

 深淵通ずる黒き穴から魔力を引き出し祈りを添えて、さきほど私を取り押さえていた男たちに対して魔術を行使する。

 

 ――――――聖句が口火を切る。

 

「我ガ道を指し示す黄金回路。赤き血潮に間引かれ燃エろ!【核線香】(みなしごフレア)

 

 聖句による詠唱を終えたとたん、どこからともかく火花が散り爆炎が巻き起こり室内を真っ赤に照らす。ほんの一瞬で周りにいた男たちを消し炭にし、そのまま塵となった人間が落とした剣を拾い元教官に勢いよく突っ込む。剣身が熱で少し変形しているが問題ない。そう何も――――

 

「え”、反抗すんの!?殺さないって言ったのに、うわーほんとうに嫌で嫌でしょうがないがこれは殺してしまってもしょうがないなッ!よし、おまえら殺せえよッ」

 

「ま、待てくださいよ隊長。そっちは必ず生かして捕らえるって命令だったでしょ!」

 

「アレが手加減できるような相手に見えんのか!?俺が育てた生徒の中で一番優秀なんだぞ!」

 

 男たちはそんな命令に戸惑いながらも襲い掛かってくる。突っ込んでくるこいつら自体は問題ないが後方で瞬時に切り替え魔術の詠唱を行う者たちもいる。あまり時間を与えるわけにはいかない。

 

「魔術を使えるとはいえ所詮はガキだ!!数で抑え込め!!」

 

「我が象徴タる焔の冠を与えたマえ。エンチャント=アクティブ!」

 

 エンチャント魔術の起動。途端に私が持つ剣が赤い光を帯びる。それに呼応するかのように室温が一気に上昇する。あまりの熱量に空間が歪んで見える。火属性はやはりいい。特別そのもの。だって熱量ばら撒いてりゃ勝手に死んでくれるんだからなぁ!

 

 私は後方の魔術師に向かってそれを投擲する。

 

「こんなもの!」

 

 瞬時に魔力障壁を展開され防御される。今まで見たことがないような精巧な障壁。なんだこいつら、普通の兵隊じゃないぞ。力量の高さを把握し放たれようとする魔術に危機感を覚える。

 

 だが、しかし。

 

 だったらその前に始末すればいい。

 

「ハッ」

 

「何笑ってんだー、死ね。【着火】(イグニッション)

 

 その瞬間、空中に弾かれた剣が赤く発光。後方の魔術師が跡形もなく蒸発する。巻き添えを食らったのか周囲の男たちは肺の中から焼き殺される。地面に落ちる前に投擲した剣をキャッチし魔力放出を起こし瞬間的に加速する。

 

 一瞬で黒ずんだ燃える男どもの死体を踏み抜け元教官へと肉薄する。

 

「うわあああ俺のかわいい部下ちゃんがあああああ!クソッタレがあああ」

 

 そのまま奴の心臓へと剣を突き刺し確かな手ごたえを感じる。

 

「死ねよおおおおおおお!」

 

「グハッ!?――――――――――――――――なんてな☆」

 

 だがそれが叶うことはなかった。急に元教官の姿がぶれる。剣で刺したのは元教官ではなく勇者様の心臓であった。

 

「な、んだ、と」

 

「いやー助かるぜ。俺の代わりに殺してくれるだなんてな。手間が省けた」

 

「幻、術・・・」

 

 突き刺した心臓からどくどくと血があふれる。刺した剣を伝って血が滴り落ちる。勇者様の体から命が消えていく。引き抜かれた剣が地面に落ち音が空しく鳴り響く。

 

「あ、ああ。だ、ダメ!死ぬなッ」

 

「お前が殺したんだぜ、お前がな。いやーこれも幻術だったらよかったのになあ、卑しい属国民には泣きっ面がよく似合う」

 

 ああ・・・これで本当に終わってしまった。よりにもよってこの手で全てを終わらせてしまった。そのまま膝から崩れ落ちてしまう。二度目の奇跡が起こり得る筈もない。

 

 呆然とする私をよそに勇者の死体を確認する元教官。

 

「よーし息も脈も止まっているな。死亡!おつかれ!」

 

 死んだ勇者様をこちらへ蹴り飛ばす。べっとりとした血が私の服を汚す。そんな彼を思わず抱きしめてしまう。やはり契約の証であるラインが感じ取れない。

 

 ――――ああ本当に死んでしまったのか。

 

 思えば彼はどことも知れぬ異世界に呼ばれ、まったく無関係な諍いに巻き込まれ、そして死んでしまった。きっと自分が死んだことも認識してはいないだろう。ああ、かわいそうな勇者様。こちらの勝手な都合で呼び出され意味もなく死んでしまったかわいそうな勇者様。

 

 ・・・私はこれからどうなるのか。エリートの道をはずれたとは言え私は希少な【火の属性】持ちっである。供物にされることはないだろうがこのままではもともとの既定路線である短い寿命の終わりが来るまでどことも知れない貴族と子供を作るだけの人生となることだろう。勇者様という存在は私の唯一の生存戦略だったのだ。子供を作るだけの・・まるで道具のような人生なんてごめんこうむりたかった。生まれがそんなに大事か。寿命さえ長ければ他の道があったというのに。それもこれもエイヴォル元教官のせいである。

 教育課程で神性への耐性を高められた巫女の寿命は短い。神性は人間にとって毒だ。供物としての消費前提の運用が主である巫女は基本的に体はボロボロである。とても希少な【火の属性】持ちの私は本来であれば教育機関にいていい人物ではない。だが教官は教育現場の惨状が外部に漏れるのを恐れ私の存在を隠匿。巫女の一人が教官に孕ませられるという事件・・・その情報を誰かが外部へリークしなければあの場所は地獄のままであっただろう。

 

「まったく派手に暴れちゃってさあ。ま、さっさと諦めてその身をお国のために捧げるんだなオレのようにさ」

 

「・・・お前が?」

 

「なんだ意外か?オレはこれでもこの国が大好きなんだぜ。この国に生まれたことを誇りに思っているし愛国心ってやつにも満ち溢れている。巫女どもに対する指導は趣味と実益が重なった結果さ。右も左もわからない属国の人間をいたぶるのは楽しかったしそんなオレに恐怖し実力をめきめきと上げていくおまえらを見るのはとっても楽しかった!お前らが優秀であればあるほどオレの評価が高くなる。そんな優秀なオレからの指導を受けれて幸せだったろ」

 

「・・・・・」

 

「あらら、あまりのショックに口もきけなくなっちゃったか、可哀想に」

 

(もうどうだっていい、どうだって)

 

 反応のなくなった私に興味を失ったのか踵を返す。

 

「いや~思った以上に時間がかかっちまったがようやくこれでお仕事終りょ」

 

「――――ン・・ナァ・だ」

 

「―――――――――!?」

 

 胸に抱いた勇者様から声が聞こえる。今日はいったい何度驚かせられるというのか。腕の中で命の焔が再点火する。勇者様とのつながりの証であるラインパスが復活する。

 

 死んだはずの勇者様が息を吹き返す。

 

「・・・え、なになにねえど、どうゆうことだッ!!なぜ死なないんだッ!勇者といっても限度があるだろおおお」

 

 刺し傷がみるみると再生する。そう明らかにおかしい。この異常な再生力、復活の速さ。この世の摂理に逆らう貪欲な生命力。

 

 そうだ私はこれを知っている。この世界で生きる者なら誰だって知っている忌み嫌われし存在。

 

 まさかの、まさかの―――――

 

「あ、ありえない。死者が蘇るなんざ。それこそ―――――なんだとッ?まさかこいつ!不し」

 

 カチャリ。

 

 首の下から響く鈍い音。

 

「な、おま」

 

「さっきから、うるせーんだよ」

 

 バァン!

 

 銃弾が轟音を伴い炸裂する。頭を狙ったはずなのだがこの距離で躱されてしまう。恐れた表情を浮かべたままエイヴォル元教官は軽快なステップで私から距離をとる。

 

「ああああああ!ちくしょおッ!!撃つ相手を間違えるな!気でも狂ったか!」

 

「だれ・・が気狂いだ」

 

「よりにもよってなんて奴を召喚してしまったんだ貴様はあッ!やっぱ属国民てクソじゃねーか!」

 

 それはわかっている。勇者様の正体がなんであっても、もはやそんなことは関係ない。召喚してしまった私も無事には済まないだろう。どうやっても途切れることはない勇者様と私を繋ぐラインパス。これがある限り新たな勇者様を再召喚したところで契約し直す事もできない。そう、もはや後戻りはできない。そのためにも正体に感付いたこの男は生かしてはおけない。

 

 頼む、これから先の未来のためにも是非とも死んでくれ。

 

「こいつは存在しちゃいけないんだよッ!それぐらいおまえにもわかるはずだろ今まで何を学んできたってんだよおおおッ。んもおおおおおお」

 

「――――――――そうだとしてもッ」

 

 もはや他に道はない。覚悟はすでに固まった。

 

 私はエイヴォル元教官へ銃弾を放つ。だが襲い来る銃弾を切り払い機敏に躱されるも死角からの跳弾が背後から襲い見事に命中するが弾丸がやつの体をすり抜けた。

 

 やはり幻術・・・だが実体は間違いなく目の前にある。でなければここまで魔力を感じたりしないはず。だったらなぜ攻撃がすり抜ける。クソ!相手を甘く見るな。奴は選抜騎士候補に選出されるほどの男。くそ、気に入らないなあッ!

 

 

 第二ラウンドが始まる。

 

 

(あれは回転式拳銃!こいつッ、そもそも銃なんてどこから仕入れてきやがったんだよ、当たり前のように使いこなしやがって。火の属性ってのは、まったくッ!)

 

 聖王国ではなじみのない武器にエイヴォルは驚きを隠せない。外界から隔絶されたこの場所ではあるはずのない物品。まさか自分で作ったとでもいうのか。ああイラつくぜ属国民の分際で!当たり前のように振るうその力、いったいどれほどの人間が欲してやまないと思ってんだ。もっと立場をわきまえさせないといけない!

 

 イライラしすぎて先ほどからどうにも調子が悪い。視界が赤くぼやける。なんだ、いったいなんだというのだ。まさかあの真っ赤な炎に魅入られているとでもいうのかよ。ムカつくんだよクソがッ。

 

 彼の戦闘意欲が高まっていく。同期の間では負け知らずの力が今解き放たれようとしていた。見せたからには必ず殺す。それが長生きの秘訣なのだ。

 

 

 

(まさか幻術ではない・・・?ならば)

 

 フォヨクリスは思考する。先ほどからこちらからの攻撃が一切通じていない。私の知らない魔術を使うなんて生意気な。どうせ固有魔術かなにかだろう。

 こちらも相手が使用する魔術にいろいろな推測を立てながら攻略の一手として辺り一帯に炎をまき散らす。この熱量では息をするのも困難であろう。聖王国の仮想敵たる帝国の象徴に銃弾を込めながら相手をよく観察する。頑丈なのはいいが片手で使うには少し重いな。

 

 だがそれでも平然とした姿で奴は炎の中で佇む。司祭や他の残党は火達磨になっているというのにだ。これも通じないとは奴の実力は間違いなく高位。流れ出る神性から聖句も使われている。だとすれば・・

 

 信仰レベルが高ければ高いほど神と誓約した者が受ける祝福の恩恵は増える。その恩恵の中に、ある魔術が存在する。既存の神話体系を基に作り上げられた魔術である【神言魔術】。何者にもよらない人間の叡智の結晶である通常の魔術とは違い【神言魔術】には神性が籠る。神への信仰心から生まれる祝福と魔術が組み合わさり現実へと神の力の一端を現出させることができてしまう。この魔術体系は各国で確立されておりその国で崇められる宗教によって特色がかなり変わってくる。奴からはわずかながら神性の匂いを嗅ぎ取ることができた。認めたくないがどうやら愛国心うんぬんは本当だったようだ。

 

 こちらが放つ銃弾を意にも介さず炎の壁を突っ切り腰の鞘から引き抜いた剣で切り込んでくる。この速度、勇者様を抱えた私には避けられない。

 

 死を告げる銀の閃光が容赦も慈悲も無く襲い掛かる。

 

 それを私は――――

 

「――――ッ!」

 

「な!」

 

 ――――勇者様を盾にして防ぐ。

 

 肩が熱い。

 

 完全に防げなかったのか肩に剣が食い込んでいるが剣は勇者の肉体に深々と食い込みガッチリと固定する。選抜騎士の一撃を喰らって両断されないかは賭けだった。想像よりも勇者様の体は固かった。命がけの賭けであったがここまでうまくいくとは思いもよらなかった。

 

 一瞬生まれた思考の間を逃さない。

 

 弾丸に魔力を込め銃弾をその場で錬成し貫通性の高い弾頭を形成する。勇者様越しに私と元教官の真っ赤な瞳が交差するがそのまま勇者越しに引き金を引く。勇者様の体を貫通した弾丸が元教官の心臓に直撃する。

 

「グボァッ」

 

 胸元を抑えるも耐え切れず血を吐き膝立ちになる。

 

「ば、馬鹿な・・な、なぜオレが負ける。オレの、魔術は完璧に完璧だったは、ず・・・」

 

「・・結局どんな魔術を使われたか最後まで分からなかったよ。――――――だが勝ったのは私だ」

 

「な・・なんだ、そりゃ」

 

 呆然としつつもどこか馬鹿らしい、そんな薄い笑みを浮かべる彼に私は銃を突きつけ引き金を引く。彼の顔からはあちこちから血がにじみ出ている。・・・この症状は間違いない。

 

(俺が教育者として優秀すぎたのが敗因、か)

 

 ドンッ!

 

 辺り一面に吹き飛んだ脳髄が散らばる。苦節10年これでようやく積年の恨みを晴らすことができた。

 

――――――満足のいく結果とは程遠い物であったが。

 



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第4話 接触

 

 ――――――――――なんだ。女の声が聞こえる。

 

 微睡の中で恋都は何者かの気配から目を覚ます。

 

 どうやら俺は眠っていたようだ。それにしてもいったいいつから・・・早く起きないと。なんか目の前に血塗れの男の顔があるしいつまでもこんな夢を見ている場合ではない。ああクソ、なんか体も痛いは寒いはで最悪だ。いいかげん起きないとクソ人形に叩き起こされる。今日は飼い犬の診査結果が出るっていうのに。

 

 ・・・・・おかしいな、いくら待っても夢から覚めないんだが。そういえば、なんだっけ俺誰かに会っていたような。それで、それで――――

 

 ズキズキと頭が痛みだす。

 

 断片的に流れ込むビジョン。赤く染まった世界。辺り一面を覆う爆炎。そして・・・

 

(あ、これ夢じゃない)

 

 現実を現実とし認識した瞬間、強烈な痛みとともに意識が完全に覚醒する。

 

 だがそれは地獄の始まりを意味していた。

 

「オqピョぁッッッッツ !!!!!!!」

 

 聖殿の奥底で絶叫が響き渡る。

 

 

 

 

「わッ」

 

 フォトクリスは突然のことに驚き腕の中から勇者様を取りこぼしてしまう。勇者様は床の上で羽をもがれた虫のようにもがき、その身をプルプルと痙攣させている。爪がはがれるのもいとわず地面をひっかきまわす。

 

(か、体が燃えるように熱い。頭が割れるようにイタイッ)

 

 あまりの激痛にバタバタと体が暴れ出す。だが思うように動かない。声を出すのも息をするのもつらい。気分が悪すぎる。いったいナにが起こってるんだ。

 

「ギュガgカッ――ハッァ」

 

 フォトクリスは苦しむ勇者様に声をかけたり手で揺するなどするがこちらにまったく反応しない。本来なら死んでいてもおかしくない傷を負っているのだ。痛覚に過大な負荷がかかっているはず。決して死ぬ事もできない生と死の二重螺旋。生死の境界線上で彼は意識を漂わせるそれも永遠に。

 

(ダメだ。こんな状態じゃ意思の疎通もできやしない)

 

 焦る気持ちをどうにか抑える。どうするかと対応策を考えながら床に転がり死んだふりをしているバカの腹に蹴りを入れる。

 

「ぐぇ」

 

 ボールのように浮く体。不意打ち気味に腹を蹴られ嘔吐するヴァーセイ。戦闘の最中、何気に安全圏まで逃げていたのを私は見逃しはしていない。先ほどの戦闘でとばっちりを受け死んでしまうかな、と思っていたがなかなかしぶといものだ。生き汚さだけは一流だと言ってもいい。末席とは言え序列持ちなだけある。

 

「ゴホッカハッ、な、なにずるの」

 

「オラッ!黙れぇ裏切り者が!教官とあんなに仲がいいやつが味方なものかよ!」

 

「ご、誤解だよお、だからお腹けらないでえ」

 

「裏切って毒を盛ったくせに、よくそういうこと言えるな恥知らずが」

 

「・・・・・」

 

 あの時、元教官の様子が明らかにおかしかった。不意打ちで勇者様越しに放った銃弾は完全に認識されていた。結局どんな魔術を使っていたのか見当もつかないが当たるはずがない攻撃が当たったのは術式を維持できないほどに毒で弱っていたからだ。いったいいつ仕込んだのかわからないが毒が回るタイミングがあまりにも完璧すぎる。それがなければあの時、勇者様ごと切り捨てられていたのが私だ。

 今まで見下してきた劣等生に助けられたという事実が私をイライラさせる。こいつは本当に味方だと考えていいのか・・・裏切り者はまた裏切る。

 

 ・・・・・・だがキスをした時点で毒を仕込んだとすればある可能性も思い浮かぶ。あの時点で勇者様は心臓を刺され死んでいいたし、なにより召喚者の私ですら死んだと思った。あの時点でヴァーセイには勇者様のいない私を助けるメリットが無いはず。まさか本当に私を助けるためだけのために毒を盛ったのか?それで昔からせこせこと媚びを売り仲よくしていた教官を殺せるものなのか?火属性か?私の才能か?元教官を切ってまで私に肩入れする理由はなんだ?いったい私を構成するどの部分にメリットを感じたのだろうか。

 

 ・・・まあ、それならそれでいい。そういった関係のほうがよっぽど信用できる。

 

 

「裏切者じゃないことを証明したかったら今ここで死ぬかか手を貸せ」

 

 うずくまるヴァーセイの胸倉をつかみ床の上から上体を引き起こす。されるがままのヴァーセイ。引き伸ばされた襟首から覗く鎖骨が色気を醸し出す。そのまま手を突っ込み服の中をまさぐり毒の入った瓶を回収する。変な声だすな、気色が悪い。

 

 

 

「私と勇者を繋ぐラインパスを利用して強引に意識を表層まで引き上げる。そのあとラインパスを私の【錬成】で再編し、おまえの【拡散】で痛覚を霧散させて意識を覚醒させ安定・定着させる。貴様はあくまでサポートだ。流石にこれぐらいの事はできるだろ?」

 

「いやぁどうだろ講義にあんまりでなかったしなー」

 

「――――――できなきゃ殺すが」

 

「がんばります!!」

 

 とぼけた態度をしているがこいつも序列持ちの一角。落ちこぼれではあるがそれはあくまで序列という枠内での話である。一般人基準でいえばこいつは天才の部類だ。でなければこうしてここに集められるはずもない。ただ私という天っ才と比較したらゴミカスレベルという話であるだけで・・・

 

「――――――さあ、やるぞ」

 

 

 

「・・・・・ッハ!な、なんだ夢か!」

 

 ぬめっとした嫌な汗を流し恋都は覚醒する。

 

どうやら長い、長い悪夢を見ていたようだ。額を汗が垂れ落ちる。あんな苦痛にまみれた夢が現実であってたまるか。ぼやけた視界が少しずつクリアになっていく。

 するとどうだ目の前に知らない女の子の顔が二つ。変わった服を着たくせ毛の金髪少女に毛先がやや黒い青白いロングの少女。どちらも歳は12・13ぐらいか。

 

 そんな二人が心配そうな面持ちでこちらを見ている。え、ほんとに誰。誰!?

 

 

 

「う゛ぇええええー疲れたよー。こんなに頑張っている僕をいたわってよなでなでしておくれよおー」

 

「ほとんどなにもやってないだろッ!このゴミ野郎!!」

 

 え、いったい誰なんだ。こわい。そもそもここはどこなんだ。周囲は燃えカスのような黒いなにかが散乱しており、ここはどこかの一室なのだろうか壁や床には焼き焦げた跡まである。

 

(ん?アレはもしや死体か?)

 

 真っ黒に炭化した肌、縮まった関節。どこからどうみても焼死体だ!まさかここにある塵の全てがそうだというのか。何より異常なのはそんな中で談笑する年いく端もない子供たちか。

 俺は次々と湧き上がる疑問に整理がつかず混乱する。いまだ倒れ伏した俺を見かねたのか金髪の少女は左手を差し伸べてくる。そういえばまだ倒れたままだったな。その手を握り返そうと手を伸ばすが空を切る。

 

「え?」

 

あ、あれ。俺の左手が・・・ない。感覚的に言えばまだ、確かにここにあるはずなのに。掴んだという感覚はあった。だというのにあるのは包帯にまかれた手首だけ。血で赤くなった包帯が全て物語っている。

 

 認識が体に追いついていない。

 

「う、うでおおおおおッ」

 

 体をジタバタと動かすも思うように動かない。それどころか体のあらゆる部分から激痛が響き渡る。頭が割れそうだ。息をするのもつらい。あ、やばいなんか出そう。

 

「ヴぉうえッ」

 

「うひゃ」

 

 吐き出した血の塊が床を跳ねる。咳が止まらない。

 

 荒げる息を抑え、なんとか精神を落ち着かせようと呼吸を整え意識を痛みから逸らす。遺伝子操作を施されたされた俺には脳内麻薬を意図的に分泌するぐらい訳はないがそれでも限度はある。全身にまかれた包帯。まだ正確に把握してはいないが俺が受けた傷は明らかにキャパシティを超えている。

 

 この怪我は間違いなくあの時の・・・

 

 まさかトップスであるこの俺が自爆テロに巻き込まれことになるとは、もはや対岸の火事だと笑っていられない。下手人の正体はわかっている。一瞬とはいえあの姿、あれは間違いなくアウターだ。すぐにでもこの事実を中枢の人間に伝えやつらがどうやってあそこまで入り込んだのか調べ上げさせ再犯防止に努めさせる必要がある。今回俺だけでなく大勢のトップスが被害にあっている。アウターに対する風当たりがこれからさらに強くなるだろうがこうなってはもはやどうしようもない。

 

 唯一まともに動く右腕を眺める。

 

 ・・・・それにしても俺頑丈過ぎない?報告じゃ例の高性能爆弾は跡形もなく消し炭にするって話であったが普通に原型保っているし、やっぱ遺伝子操作された奴は一味違うな。自然の摂理を無視してるな。気味が悪いね。

 

 考えている内に精神が安定してくる。これでなんとか会話ができそうだ。

 

「どうやら落ち着いたようですね、勇者様。これでようやく話が進められます」

 

「勇者様って・・まさか俺の事を言っているのか?そもそも誰なんだ、君たちは」

 

「こちらとしても詳しい説明をしたいところではありますが少々立て込んでおりまして。手短に話しますがこのままここにいると私たち全員殺されます」

 

「え、なにそれ」

 

「え!僕もッ?」

 

「・・・いやなんでおまえまで驚いてんだよ。勇者抹殺の事実を知ったおまえが無事でいられるわけがないだろ常識的に考えろよ」

 

 うわあああああああ。叫ぶヴァーセイと対比的に勇者は事実を冷静に受け止めているようだった。

 

 いやそれとも単に事情が飲み込めていないだけなのか。例の大戦時に根こそぎ殲滅させられたとされる不死者のはずだがなんというか・・普通だ。

 この世界の一般常識として不死者は悪逆非道で底無しの残虐性を持つ忌むべき存在と教えてこられたが普通の人間と変わりがないような反応を見せる。不死者はどの国でも悪の象徴として扱われているし、聖王国の国教とされるアンティキア正教の教えの一節にも不死者はこの世の悪徳そのものとわざわざ明記されているほどだ。それもあってかどうしても苦手意識というものが体から抜けないが、よくよく考えればおかしな点もある。

 

 なぜ傷が治らない?エイヴォル元教官や私から受けた剣と銃弾による傷はいつの間にか治っている。だが火傷はどうだ。欠けた手足もそうだ。再生の兆候すらない。まるでこの惨状こそが素の状態であるかのようだ・・・

 

 儀式前に司祭たちに教えられた勇者の情報を思い返す。異界から召喚された勇者には常識外れの【異能】が授けられるらしい。異界から呼ばれる際、勇者は未開領域に存在する境界線上に広がる壁を通ってやってくる。実際に壁があるというわけではない。

 ただ、なにか強大で絶対的なナニかが漠然と立ちはだかっているという感覚の上でそう言っているだけである。精神を飛ばすだけで視界は無く感覚頼りの領域だ。そう評するしかない。

 

 その世界の壁の先から勇者はその身を一度バラバラに分解して通過。そのあと再構成してこちらに召喚される。これはあくまで仮説だがもしや私の勇者様は不死身もしくはそれに類する異能を手に入れ後天的に不死者となってしまったのではないのか?

 それなら説明がつくしなにより自分を納得させられる。不死者ではあるが勇者でもあるだなんてちょっとカッコ良すぎじゃないか?

 

 お陰で忌避感なく普通に接することができる。モノは考えようだ。流石は我がパートナーだ!

 

 【異能】ももう少し気をきかせてくれてもよかっただろうに。勇者様とたくさんお話し出来ないのが残念でしょうがない。悲しい。

 

 ひとまず勇者様はここに置いて脱出の準備を進める。ずっとここにいるわけにはいかない。こんな状態の勇者では何をするにしても私が必要だ。助けれるのは私しかいない。

 

「ちょ、どこにいくの?」

 

「見りゃわかんだろ逃げるんだよ。オラッさっさと手伝え」

 

「なんでそんなに急いでいるのさー」

 

「いろいろと音を立てすぎた。銃なんて本当は使いたくなかったが選抜騎士相手に手加減はできない」

 

「ふーん、それにしてもそういう態度もできるだね。意外だなー勇者様が羨ましいなぁ」

 

「うるさーい」

 

 正直こいつの手を借りたくはないが自分の体より大きな勇者を運ぶには私一人では厳しい。今はとにかく時間惜しい。怪しいところはあるがまだなんともいえないし今は保留にするしかない。それにこいつは・・・

 

「おまえはよく授業をサボって外界に出てたよな実は私もよく行ってたんだよ」

 

「え、そうなんだ!やっぱりただの優等生ってわけじゃないんだね。この不良ー。それだったら僕を誘ってくれれば色々と融通利かせてあげれたのに」

 

「馬鹿、嘘に決まってんだろ」

 

「もおおこの優等生ちゃんわああああ」

 

 鎌をかけたらあっさりと引っかかる。やっぱり馬鹿なんじゃ?ついでにこいつがどんな奴か勇者にも紹介しておこう。悪い虫が寄り付かないようにしないとな。

 

「私ですら外に出れたことがないってのに・・・随分とまあ仲がよろしいことで。そうは思いませんか勇者様」

 

「あ゛ーどゆこと?」

 

 勇者は気だるげに返事をする。

 

「外にある王都に行くには厳重な警備態勢が敷かれているこの聖殿の出入り口と王都と聖殿をつなぐ長い参道をどうにかしなくてはいけないんですよ。そんな所をこいつは何度も行き来している訳でして。いったいどれだけの警備隊員と寝たんだか」

 

「・・・なるほどそういう・・・それは心強いな。まあよろしく」

 

「うああああああああなんで勇者様の前で言うのおおおお知られたくなかったあああ」

 

 あれ?なんか思っていたより反応が薄いな。普通婬売と聞いたら蔑まれても仕方がないはずだが。それほどまでに余裕がないのかな?まさか文化の違いか?

 

 ・・・・取りあえず警備網はこいつがなんとかしてくれそうだが全て頼り切りという訳にもいかないのでこちらも策を投じる。

 

「それにしてもすごいですね勇者様。そんなボロボロになっているのに全然平気そうですね」

 

「これぐらい、大したこどないよ」

 

「傷だらけの肉体ってかっこいいですよね、好き!」

 

「これを見てもまだ、そんなこと言えるかな?」

 

 恋都はチラリと顔の半分を覆う包帯をめくり見せつける。実際どうなっているか自分自身も気になっており不安と希望の混じる感情を抑え相手の反応を持して待つ。

 

「う゛へええー顔の半分がグロシチューになってるよお」

 

「うそぉ」

 

「で、でも勇者様には変わりがないから・・それによく見たらなかなか綺麗な顔をしていますし顔半分隠せばいけますよ!全然!」

 

 そっかー、俺の体はそんな感じなのか。どうりでさきほどから左目が反応しない訳だ。左目が見えない時点で薄々感じてはいたがやはり潰れていたのか・・ 

 

 ヴァーセイがフォローしてくれてはいるが正直ショックである。左目もそうだが自分のルックスには自信があった分、落ち込みも激しい。今の姿を鏡で見る勇気が湧かない。ある時から日に三度は姿見を見ていたというのに。今の会話でだいぶ精神がやられてしまったようだ。おかげでまた体の傷が疼きだす。同時に痛みに呼応するかのように怒りが湧いてくる。こんな理不尽な目にあったんだ。怒りの一つや二つ湧いてもこよう。とっいかんな、情緒がかなり不安定的なようだ。イライラがひたすら募り狂う。意味もなくキレそう。

 

「大丈夫ですよ勇者様なんとかなりますって、僕がついていますから」

 

 にっこりと笑みを浮かべながらそっと掌に指を絡ませてくる。

 

 それやめろおおお優しくするな依存しちゃうだろおおお!こんな歩くこともできないような状態の俺にその言葉は劇薬でしかない。何かに縋るのは簡単ではあるが一度その味を覚えてしまえば二度と後戻りが出来ないような気がした。

 

 ・・・俺は、こんなにも弱かったのか?

 

 正直こうやって会話をするのもつらい。だがプライドが邪魔して相手に情けない姿を見せる訳にもいかない。子供相手に泣きつくなんて恥ずかしい真似ができない。

 

 俺にはもはやプライドしか残っていないのだ。それすらも失ってしまえば俺は――――――――

 

「まぁたそうやって人の心に入り込む。そんなんだから嫌われる」

 

「えーいいじゃん減るもんじゃ、ッてうわあ何やってんのッ!?」

 

 部屋中に彩られる赤い炎。勢いを増す暴力的なエネルギーはとどまることを知らない。パチパチと炎が爆ぜる度に火の粉が舞う。つまりは放火だ。

 

 火をつけた当の本人は楽しそうにくるくると回る。急激に部屋の明かりが増し陽炎が揺らめき伸びた影が妖しく踊る。

 

「あはははははは全部燃やすんだよ、そう全部!私たちの痕跡もこの場所も関係者も!全部灰になれば誰も私たちを追ってこれない。忌まわしい過去と共に消えて無くなれ!!」

 

(クリスちゃん・・・)

 

 よっぽどここが嫌いなのか炎の勢いがどんどん増す。こんなにも簡単に火をおこすことができるなんて、なかなかお目にかかれない光景だ。赤い炎はどうしてこんなにも美しいのか。幻想的な光景にヴァーセイは危うく放心しかける。

 

「・・・放火なんて、やっぱり【火の属性】ってすごい」

 

「え、放火がすごい?え、え」

 

「【火の属性】持ちってこの世界じゃすごく珍しいんだよ。神の祝福なしで炎を操る事ができるこの世界の理に反する数少ない存在。それがクリスちゃんだよ」

 

 どういうことだ。火ぐらい誰にでも付けれるだろう。この世界の人間はそんなことも出来ないのか。それよりも神の祝福?属性?まるで意味が分からんぞ。そもそもここはいったいどこなんだよ!?聞きたいことは山ほどあるが今は大人しくしておこう。まずは言われた通り脱出が先か。

 

「―――――さあここから出ましょうか」

 

「ちょっと待ってくれ。いろいろ聞きたい事があるけど、せめて名前ぐらい聞かせてくれ」

 

「そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前はフォトクリス。これからよろしくお願いします」

 

「あと僕の名前はヴァーセイだよ!よろしくね!」

 

 これが俺にとっての異世界における初めての邂逅だった。

 



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第5話 王都動乱

 

 宮廷の窓から見えるほどの大きな黒い煙。聖王は城内から惨状を眺める。

 

 国教であるアンティキア正教の聖地のひとつであるリゾタ聖殿。そこからモクモクと黒い煙が立ち上る。先ほどまでいた場所なだけに持ち前の運の良さに感謝してしまう。あの時交渉を早めに切り上げ実力行使に切り替えた我の判断が思わぬ所でいい方向に転がった。

 

 勇者たちを強引に王宮に引っ張って来たのは正解だったな。まさか食事にあそこまで食いついてくるとは。勇者がいた異世界の食料事情が垣間見える。だが、勇者たちとの会食後、王の間にもどったとたんこれである。

 

「それで現状どうなってるんだ。あれは・・なんだ」

 

「は!」

 

 鎧を身に着けた褐色肌の男が報告する。

 

「現在、謎の大火災により聖殿は炎上。死者だけでも500は超えるかと」

 

「そうか・・救助状況はどうなっている」

 

「それが、申し訳ございません。聖殿前で聖職者と騎士が揉めあいとなり聖殿中に踏み込むことが出来ません。救助を口実とした聖殿への介入は難しいかと」

 

「・・・火事なんて普通は経験しないものな。現場はさぞかし混沌としているのだろう」

 

「はい、珍しい赤い炎に魅入られて突っ込んで行く者がいるほどですから」

 

 あれほどの大火まずお目にかかることはない、それも赤い炎はな。火石による炎と違いどんどん燃え広がっていく。どう消火すればいいのかわからず現場は想像以上に荒れていることだろう。

 

 ・・これを機にいつもいつも好き勝手やる教会の重要施設に侵入出来ると思ったがやたらと警備が硬い。こういう時でもなければ奥深くまで探ることができない。リゾタ聖殿は一般人にも公開されている一見普通の施設に見えるがその深部では夜な夜な口にするのも憚れる様な実験が行われているといわれている。

 

 今回行われた召喚の儀は聖殿の中心部にある大広間で実行されたが此度の儀式で供物とされた人間はいったいどこからつれてきたのか。奇跡の行使は大量の犠牲が生じる。奇跡の供物は基本的に属国の人間と相場は決まっているのだがいったいどこにそんな人員を隠し持っていたというのか。定期的に国の発展と安寧のために奇跡を行使するのだが、ここしばらくは属国に対し供物の提供を呼び掛けたなんて話は聞いていない。となるとやはり怪しいのが深部の存在だ。ここらで人を大量に隠すことが出来るのはあそこぐらいだと睨んでいる。

 

「ただ気になる点が一つ。どうやら王都内の教会派信徒に不穏な動きが見られます」

 

「不穏な動き?」

 

「情報が錯綜しており、現在拉致した信徒に吐かせておりますがどうやら福音派が勇者排斥のために動いているようでして」

 

 なぜこのタイミングで福音派が動く。動く理由はわかるが、なぜ今なんだ?

 

 福音派はアンティキアの神を唯一神と考えておりそれ以外の信仰の対象となる存在はマガイモノとして認めず排斥しようとする超が付くほどの過激派集団である。もちろん伝承として有名な勇者も例外ではない。

 問題なのはなぜ勇者の存在を知っているかだ。召喚してまだそれほど時間が経っていないし箝口令も敷いてある。余りにも動きが速すぎる。これに関しては教会側が情報を流すメリットがあると思えない。向こうも一枚岩ではないということか。

 

「それは・・・ちょうどよい。この混乱に乗じて教会の人間をついでに何人か消しておけ。それを正教派と対立している福音派の仕業に見せかけておけばいい」

 

「はい、すでにやっております」

 

 どういうことだ?聖殿がこんなことになっているというのに。どいつもこいつも火事で舞い上がっているのか。ついでにまだ中にいるであろう教皇も焼け死ねばいいのにな。未だに生存報告が上がっていないが・・まあ、奴はきっと生きているだろう。本当に死んでいれば教会派はすでに瓦解しているか。敢えて表には出ずに死んだと思わせ福音派をおびき出したといったところかね。

 

「ところで治療中の最後の勇者はどうなったのだ。死んだでは許されんぞ」

 

「申し訳ありませんが確認がまだ取れておりません・・・本物の勇者であればこれぐらいのことでは死ぬ事もないのでは・・」

 

「万が一ということもある。伝説の英雄といった存在は割とくだらん理由で死んだりするものだ」

 

「捜索は続けますが・・・とにかく現状は炎がこれ以上燃え広がらないようにするので精一杯で・・・・最善を尽くします!」

 

 そういって現場へと戻っていく親衛隊。

 

 あまりにひどい事態に目を覆いたくなる。そもそもなぜ火事なんて起きてしまったのか。あんなことができるのは火の属性を持つ者しかいない。聖王国内で確認されている火属性持ちはたったの5万人超。総人口1億5千万にものぼるというのにたったそれだけしかいない貴重な存在なのだ。

 

 彼らは【火継守】(ひつぎもり)と呼ばれ、将来が約束され手厚く保護されている。神の加護を受けない聖王国外で領土拡大のための探索に関わり火を取り扱った仕事に従事する。基本的に多くが貴族であり変化を嫌う緩慢な日和見ども。そんな彼らが国の中央に位置する王都内でことを起こすとも思えない。 これほどの火を使えば自ずと犯人は絞られる。それが分からない間抜けではない。それも聖殿を燃やすなどもってのほかだ。教会と敵対すれば貴族はすぐに格を落とされ凋落する。それだけ信仰深いのだ。

 

 他国からの工作員の可能性も考えたが聖殿は警備がそうとう硬いし信徒以外は入れないようになっている。そもそもこちらの騎士が今まで潜入できなかったのだぞ。となると外からでなく内から。

 

 ・・・まさか教団は隠し持っていたとでもいうのか。【火継守】(ひつぎもり)が白い雪に閉ざされたこの銀世界でどれほど有用な存在なのか理解していないのか。

 

 もしそうであればこれは国への背信行為である。ふつふつと怒りが湧いてくるが考えもまとまり次第に笑みへと変わる。

 

「ルファージ宰相、今回の一連の動きどう思うか」

 

「・・・聖殿内で何かがあったのは間違いないでしょうな。それも勇者関連で」

 

「このタイミング。やはり無関係と考えるほうが難しいか」

 

 脇に控える片メガネを掛けた初老の男。我が幼い頃から長年政務を支えてくれた聖王派筆頭。聖王の立場を気にせずに気軽に話せる数少ない人物だ。何故かいつも片手にはワインで満たされたグラスを傾けているが魔術師の奇行は常人には計れない。そういうものだと納得するしかない。

 

「前々から教会派と福音派との間で小競り合いが頻発しておりますからな。福音派の考え方としては神以外の、それこそ勇者などと言った伝説上の存在による救済を認める訳にはいかんでしょう。福音派は神を最上の存在としております故、神の絶対性を揺るがすような存在が現れれば、敵と見なし反発するものも出てくるでしょうな」

 

「まったく過激な連中はすぐこれだ・・・神の教えを都合のいいように解釈しおって無敵にもほどがある。奴らが正義を口にするなぞ反吐が出る。表向き仲良くできる教会派がまだましに思えてくるから笑えて来るものな」

 

「妄信的な信者に正論は通じませんからな」

 

 福音派は教会の中で別れた分派のひとつである。神【アンティキア】を唯一無二の存在と考えておりそれ以外の神を認めていない。信仰の対象となりそうな超常的な存在も認めていない。そのことが原因となり聖王国に組み込まれた別の信仰を抱く属国民に対し苛烈な差別行為を行うもので属国との融和を進める聖王派にとって目の上のたんこぶと言える。

 

 そして一番めんどうなのが奴らは純血主義の塊でもあるため福音派に加担する貴族が多いという点だ。そうやって裏から活動資金を流し駒として代理戦争を行う。属国民に対し平然と犯罪行為を起こす福音派のメンバーはいくら逮捕しても貴族連中からの圧力ですぐに開放されてしまう。

 そのせいで属国民からの印象は最悪であり近年レジスタンスたちによる活動も活発化しているほどだ。それで福音派が減るならいいのだが全く関係のない人間が巻き込まれてはたまったものではない。この件に関しては教会派も頭を悩ませているようで皮肉な話だが共通の敵がいることにより今まで大きな衝突はなくやってこれた。

 

 まあ、あくまで表向きではあるが。

 

「急ぎすみません。報告に上がりました!」

 

 親衛隊隊員が急ぎ足でやってくる。

 

「どうした!」

 

「王都内で教会派と福音派が衝突し市街地に被害が!」

 

「なに!?」

 

 ド――――ン!

 

 遠巻きに聞こえてくる爆発音。

 

 ・・・あいつらマジか、いかれてるな。この王城のお膝元でやりやがったぞ。

 

「・・・・ジェイト」

 

「ああ、わかっておるわ」

 

 もはや我慢ならん。王座から身をひるがえし命令を下す。

 

「待機している騎士団に教会派と連携して福音派を制圧するよう伝えよ。なんなら蒼嵐騎士団を使っても構わん。市民の保護と避難誘導も忘れるな!」

 

「は!」

 

「王よ。王城の勇者はどうする?」

 

「最悪勇者にも働いてもらうつもりだが・・・出来ればこんな内輪揉めに関わってもらう訳にはいかないな」

 

 印象の問題で勇者には内輪揉めには関わらせたくないので、それは最終手段だ。勇者を表沙汰にはしたくない。

 

 このまま貴族連中の舐めた行為を諫めねば聖王の威厳に傷がつく。混沌とした場を取り仕切りここで存在感をアピールしなくてはいけない。

 

 刻々と状況が変化していく。勇者に、まだ見ぬ【火継守】(ひつぎもり)の存在。気がかりな点ではあるが処理しなくてはいけない問題が山積みである。まずは目の前の問題から処理していく。今できるのはまだ聖殿にいるかもしれない勇者の無事を願うだけであった。

 

 

 

 

 町のあちらこちらから爆発音と悲鳴が鳴り響く。逃げ惑う市民たちとその流れに逆らい騒乱のただ中へと駆ける騎士。

 そんな騒乱の中ガタガタと舗装された街路を台車が竜馬に引かれ進んでいく。台車にはおびただしい数の死体が積まれており、肉の焼けたような匂いが立ち込める。道行く人々は通り過ぎていく死体の山に気にする様子はない。それもそうだろう。現在王都は内紛状態であり、あちらこちらで爆発音が炸裂する度に市民は悲鳴を上げ逃げ惑う。

 

 ヴァーセイは布で覆った口元を僅かに歪めながら竜馬に鞭を打つ。聖殿の周りも火事の影響で相当混乱していたがまさか王都内がこんな事態になっているとは夢にも思わなかった。原因がわからないし考えるだけ無駄か。なんという好機。日ごろの祈りが届いたようだ。神様ありがとう。

 この混乱に乗じお洒落な洋服屋に強盗に入りよさげな外行き用の服を手に入れた。着替えるのが楽しみでしょうがない。これで古臭いデザインの巫女服とはお別れだ。

 

 ああ、まったく。初めての王都だというのにこの光景を見て彼女はどう思うであろうか?御者台から積まれた焼死体の山に意識を向けながら城門まで走らせる。

 

 

 

 

「(やっぱりこいつを生かしておいて正解だった)」

 

 焦げ臭い死体の山に身を隠した勇者様とフォトクリスは隙間から僅かに見える景色に目が釘付けになっていた。真っ白な石造りでできた見事な造形。建物の一つ一つに細かい装飾が施されている素晴らしい街並みだ。これまで聖殿の中から出ることのなかった私には見える物全てが珍しく新しい。

 

 すでに警備網は突破している。あまり認めたくはないがここまで順調に進めてこれたのは全てヴァーセイのおかげだ。聖殿及び聖殿と王都を繋ぐ聖道を出る際こいつの顔を確認した警備兵はあっさりと通行を認めた。余りにあっさりと通過できたので逆に警戒していたのだが、あれからずっと順調過ぎて本当になにもない。

 とはいえ、いつ何が起きるかわからない。実際に町ではなにやらただならない事が起きている。揺れる荷台の中で勇者様と身を寄せ合いながら周りに警戒することを忘れない。

 

 今更になるが周りは焼死体だらけというこの異常な状態。焼けた肉の匂いが体に染みつくようですごく嫌だ。自分の発案であるが少し後悔している。汚くて嫌になる。勇者様の大きな体に身をうずめあまり揺れないように体を固定するように腕を背中に回し抱き着く。意外とがっしりした体つきに少しだけドギマギする。そういえば男の人にここまで密着するのは初めてだ。妙に心臓が高鳴る。息を吸えば焦げた死体の匂いに交じり勇者様の匂いをしっかりと感じれる。

 

 なんなんだろうこの妙な気持ちは・・・まさかこれが契約の効力だとでもいうのか。明らかにいつもの私と違う。それに何か遠い記憶の中でこんな事があったようなそんな既視感を覚える。これはこの国に来る前の私か?そういえば昔、誰かにこうやって抱きしめてもらったような。いくら考えても記憶は戻らない。

 

 ――――――――また外から爆発音が聞こえてくる。外も内も異常だらけだというのに、なぜか安心してしまう。こんな状況で私は安らぎを感じているとでも言うのか。どうにも気恥ずかしくなり勇者様の顔を見ることもできない。

 

 結局この気持ちが何なのかフォトクリスにはわからなかった。

 

 ただ、この瞬間が少しでも長く続けばいいなと願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 どれほど時間がたったのだろうか。恋都は顔をしかめる。

 

 ガタガタと揺れる死体の揺り籠に包まれながら俺の胸に顔をうずめるフォトクリスの背中を撫でる。こんな異常な状態だ。俺は人体実験で死体に慣れているからいいがまだ子供といっていい彼女が恐怖で縮こまるのも無理はない。先ほどから黒焦げの死体がこちらを恨めしそうに睨んでいるような錯覚を覚える。

 

 ・・・まあ彼女が起こした炎で死んでしまったのだからそう感じるのも無理はないか。彼女はなんのためらいもなく人を殺す。それに対してどうしてか俺は好意的に解釈している。

 

 何かが・・・おかしい。赤の他人にどうしてこうも親密さを感じられる。それも人殺しにだぞ。

 

(それにしても・・・)

 

 先ほど受けた、この世界と自分に関わる話を思い返す。

 

 信じられない事に・・・どうも・・・俺は異世界とやらにいるらしい。

 

 この国を救う勇者として召喚されたとのことだが正直意味が分からないし実感もわかなかった。

 

 だが、聖殿の外に出てから考えが変わった。最初はどこかに攫われたのかと考えたがどうもなにかがおかしい。

 永遠と遥か彼方まで続く灰色で閉じた空。王都直上で輝く光の球体。まるで空に天井が出来たようで妙な圧迫感を感じる。

 

 聞けば年がら年中雪が降っているらしく、この世界の人間にとっての空は青ではなく灰色とでも言うのか。そしてフォトクリスはあの光球を太陽と言っていた。あれが雪の影響を弱めているとかなんとか。星とか月とかそういったものは存在しないとのこと。空模様以外にも妙に時代がかかった街並みに道行く人々の変わった服装、極めつけは台車を引く竜馬とかいう得体のしれない生物の存在。こんな生き物見たことが無いぞ。

 

 異世界うんぬんはともかく、知らない土地にいるのは確かなようだ。

 

 やばいな異世界。さっそく常識が通じない。この世界は夜になったらいったいどうなるんだよ・・・いや、そもそも夜自体存在するのか。それともあの太陽とやらでずっと明るいままなのか?

 

 だとすれば時間的にもうすでに夜の可能性もある。わからない。常識とかけ離れ過ぎだ。傷のせいで理解力が低下している。気分は夢うつつだ。

 

 冷たい風が吹き抜けていく。積み上がった死体の隙間から風がこちらの体温を奪いにかかる。体調不良も相まってとても寒い。体が震える。フォトクリス達からすればなんてことのない気温。紡がれし適応能力から恋都よりも寒さに強いのだ。

 

 先ほどからチラチラ見える古めかしいが洗練された造形の建物が死体の隙間から見える。看板らしきものに書いてある見たこともない文字。外国語をいくつか習得しているがそのどれにも当てはまらない。だがフォトクリス達と先ほどまで話ができていた。こちらは普通に日本語喋っているだけなのだが会話が成立しているという不具合。試しにロシア語で話してみればあら不思議。案の定会話が成立するときた。

 

 考えれば考えるほど疑問が湧いてくる。どう説明をつける。

 

「そろそろ城門に着くよ。静かにしててねー」

 

 御者台からかけられた緊張感に欠けた声に思考を中断する。

 

 ようやく城門につくのか。あと少し我慢すればこの状態から解放される。いい加減鼻が馬鹿になりそうだ。

 さきほどからモゾモゾと体を密着させるフォトクリス。建物に火をつけ大笑いしていた人間と思えないほど腕の中の彼女は弱々しかった。ただでさえ小さな体がさらに小さく感じる。背中に回された腕が力強くしがみ付いてくる。彼女は体温が高いのか温かい。自然と身を寄せる。

 

 ――――――ああッもう、ずっと漏れ出る衝動を抑えていたがもう限界だ。

 

 痛みに耐えれそうにない!

 

 こいつ俺が怪我人だってこと忘れてやしないか!?もう無理マジ死にそう。さきほどからずっと意識が飛びそうになる。

 周りに気取られぬよう声を必死に抑え我慢していたがもはや限界である。別のことを考え痛みにから気を逸らす作戦には無理があったか。そんな俺の心の叫びを無視するかのように無慈悲に荷台が跳ねる。

 

(ゴフッ!)

 

 口の中が血の味でいっぱいになる。さっきからずっとこんな調子だ。

 

 この振動ッ!クソッ!!なんでこんなにガタガタ揺れんだよ。道は舗装されてんじゃねえのかよ!

 

 ・・・思い返してみれば荷馬車の車輪にゴムのような衝撃緩和材が使われていなかったような気がする。まさかタイヤが存在しないとでもいうのか・・・そりゃ揺れるな。あまりにも文明レベルが低すぎる。シティボーイである俺には耐えられない。

 

 ようやく城門についたのか荷馬車が止まる。表で警備兵とヴァーセイのやり取りが断片的に聞こえてくる。町がこんな状態だからこそ警備も厳重になることだろう。ここは彼女の手腕を期待するしかない。

 

 ようやく揺れが収まったとはいえイライラが募らせる。まったく動いてはいけないというのもこれはこれでつらい。意識をすればするほど汗がにじみ息が乱れる。手先が震える。左目が痛みで熱い。でもやっぱり寒い。だが、ここで音を立てれば怪しまれてしまう。

 

 もう限界だ。早く城門を通過しろおおおお!

 

 そんな俺の心情を知ってか知らずかフォトクリスは力強く抱き着いてくる。いかにもつらそうな俺を気遣っての行為なのだろうがその優しさが仇となる。

 

 先ほどから汗や血がドロドロと漏れ出し二人とも血塗れだ!なんで俺生きているのかが不思議なレベルだ。

 

 このままじゃ声が出ちゃう!声を抑えようと必死に口元を手で抑えるがそれでも体は正直だ。俺は何かに救いをもとめるかのようにフォトクリスの金色の頭に顔を埋め、力いっぱい抱き占める。つらい、つらい。

 

 はやく終われ。この永劫にも感じる時間よ。

 

 



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第6話 雪世界

ザッザッザッ

 

 白い大地を二つの赤い光が駆けていく。薄く積もった雪を踏み抜き竜馬が人を乗せ道なき道を進む。奇妙なことに雪が竜馬を避けるように降り積もる。追手ががいないか気を張りながら先ほど超えた丘を振り返る。もう大分王都から離れたようで太陽が小さく目に映る。すでに王都周辺の農耕地帯は抜けており、神の加護による雪の減退領域内はすでに抜けている。

 

 ・・のだが、普段であれば雪はあまり降らないのに今日に限って雪が大量に降っていた。ここはすでにいつ死んでもおかしくない死と隣り合わせの領域。火の加護がなければすぐにでも凍死する。そんな領域での単独行動を行える【火継守】(ひつぎもり)たるフォトクリスを追って来るにはそれ相応の準備が必要だ。降り注ぐ雪のおかげで足跡は消え追跡は困難。これである程度の余裕はできたといってもいいが未だここはセプストリア聖王国の領土内。国境を越えなければ本当の意味で安心など出来やしない。これからいくつかの都市を経由し帝国方面へと向かわねばならないのだ。

 

「いや~なんとかなってよかったよぉ。エイヴォルが持っていた通行証のおかげでとてもスムーズに事が進んだよ」

 

「私としてはもう少し王都を見て回りたかった。あと体を洗いたいよ」

 

「・・・・」

 

 カンテラに灯した赤い炎が揺らめく。小さな炎であるが竜馬を駆る私たちを暖かな光で包み込む。熱でできた傘が降り落ちる雪を次々と溶かしていく。

 

 あの後城門を抜け、しばらくしてから死体を積んだ荷車を林の中へ放棄した。あれを抱えたまま外で行動すれば血の匂いに引き寄せられ魔獣が寄って来る可能性がある。魔獣は【火継守】(ひつぎもり)が使う炎を嫌うらしいが、私は外での活動がこれが初めて。知識で知っていてもちゃんとうまくいくか確証はない。リスクはできる限り減らしておくべきである。そんな私の胸中を知ってかヴァーセイがおだててくる。

 

「やっぱり火属性ってすごいなー。クリスちゃんがいなかったらすでに凍死してるか獣に食い殺されてたよ」

 

「まあ私は天っ才だからな」

 

「・・・凍死?」

 

 私の後ろに乗る勇者様が息を絶え絶えにしながら疑問を口にする。なぜそんなことを聞くのだろうと思ったが異界の存在である彼が知らなくてもおかしくない。この世界の雪の怖さをレクチャーしてあげないと。

 

「勇者様くれぐれも都市の加護領域の外へ単独で出てはいけません。今日は運悪く雪が降っていますけども本来であればここは聖王国の中心部だから太陽の影響もあって安全圏です。ですが、そんな王都からこれからどんどん離れていくので気温が下がっていくし雪で視界が悪くなっていきますからね」

 

「全てはあの太陽の恩恵があってごそか。そもそも加護領域って・・なんだ?」

 

「この国が国教と定め崇めている主神が敷いた結界とでもいいましょうか。その結界内であれば雪の力は弱まります。聖王国領土内の都市や村を中心に加護領域は展開されてまして範囲は広大ですが結界の中央から離れれば離れるほどその効力は弱まります。ただ王都の場合、太陽がありますので相乗効果で効果範囲も効力も段違いです。王都はこの国で一番安全な場所と言えます。まさしく太陽万歳って感じです」

 

 なるほどついでに熱量や光源はあれで賄っているのか。あの太陽は権威の象徴だ。そう考えるとこの国の構造は自然とあの太陽を戴く王都を中心とした円の形になるだろう。そうなるとこの国の領土は相当大きいらしいから国境まで結構時間がかかりそうだ。

 

 ・・それにしてもだ。ヴァーセイが口にしていた火属性だったか・・・それと何の関係があるのだろうか?

 まるで普通の人間は外で活動できないみたいな言い草だ。この程度の雪の勢いならある程度着こめば十分そうなんだが・・・

  

「・・・この世界は呪われているんですよ。神の恩恵で信徒は自ら火石を媒体に火をおこすことが可能になりましたが火石を媒介にした炎は生活する上ではその炎で十分ですが加護領域外ではあまり役に立ちません。所詮は偽物のカス炎です」

 

「そんなに、ここはやばい場所なのか」

 

「少なくともこんな格好で来ていい場所じゃないですね。常人が私みたいにお洒落で肩を露出してたら余裕で死にますね。火が無ければあっという間に体温が奪われて死にます。魔力だって掻き乱しますしね。まあ私には関係ないですけど。火属性ですから!ふふふ」

 

 

(軽装備・・・)

 

 今のフォトクリスの格好は聖殿内で見せた服と違い肩や首元を普通に露出するよう着崩して赤と黒のダウンジャケットのような服を身に着けている。なんか現代風味というか、急に親しみ深い格好になったな。余計に混乱させる。はっきり言ってすごく寒そうなのだが本人はケロッとしている。

 

 歳の割に攻めすぎじゃ?と思いもするが本人は楽しそうなのでまあ、いいのかもしれない。背伸びをしたい年頃か。俺にも覚えはある。それにお洒落は女の子の特権、誰にも邪魔することなどできない。

 

「やっぱり外に出回っている服は変わっている。こんなの見た事も無い」

 

「クリスちゃん。こういった服って誰かが意図的に流行らせてるらしいよ。ダンジョン産の装備を参考に仕立てているんだって」

 

「それにしては住民どもは面白みのない普通の格好してなかったか?」

 

「こういう凝った服って高いらしいからね。貧乏人はお洒落する余裕もないからね。可哀想にね」

 

「ふーん、人生損してるなー見た目って重要だと思うんだけど。無個性が怖くないのかな」

 

「クリスちゃんは統一された巫女服が嫌いだったもんねー」

 

(お洒落の為なら強盗するような奴らが言う事だ。一味違うな)

 

 こいつら服を手に入れるために息をするように強盗に入ったときはもはや笑いしか出なかった。その後に証拠隠滅と称し放火したのを忘れてはいけない。店員がいなくて本当によかった。恐らく目撃者は殺していただろう。恋都はぼんやりとした面持ちでカタカタと揺れ動くカンテラを眺める。俺なんてミイラ男だぞ。

 

 雪は今も少し降っているし風も吹いているが彼女が持つカンテラのおかげか寒さをまったく感じない。こんな状態で危険と言われてもいまいちピンとこないが先ほどから偶に見かける道端に転がる人間の遺体らしきものが事実を物語っている。はっきり言って異常だ。ところどころで小さな動物が死体に群がり噛り付いている。

 

「なあ本当に追手は問題ないのか?」

 

「糞みたいな炎でもこうやってカンテラにいれればそう簡単に消えることはないですが周囲に発する熱量の問題がありますので長時間の都市外活動はまず無理ですね。例え寒さに強い耐性を持つ獣人でもこの距離では追ってくることはまず不可能です。ウクク、私のような選ばれし天っ才はそういませんからね。凡人は大変です。戦闘になってもこっちが超有利です。だからそう心配しないでください。私がお守りいたしますので」

 

 フフン、と誇らしげに胸を張るフォトクスリス。

 

 前から感じていたが彼女は他人を見下す節がある。事あるごとに自分を誇示するが俺にはどうにも彼女が無理をしているように感じる。まるで他人を寄せ付けないようにしているようだ。これは・・・自分を守っている?

 

 俺自身も彼女には思うことはいろいろある。もしかしたら彼女たちの境遇に自分を重ねているのかもしれない。いや、違うか。彼女は俺とは違い他人に植え付けられた思想に染まらずに確固たる主体性を持ち行動できる人間性の持ち主だ。それにくらべ俺はただ言われたことを額面道理に受け取り行動することしかしてこないつまらない生き方しかできなかった。

 

 まさか・・・嫉妬してるとでもいうのか、こんな子供相手に。

 

 ・・・どうもフォトクリスに対して妙に感情が入り乱れる。やはり何かがおかしい。

 

 いくら考えても答えは出なかった。ただただ俺には彼女が眩しく映り直視できなかった。

 

 そんな時だ。急に体が跳ねる。雪に紛れた石か何かに躓いたのか竜馬が一瞬体勢を崩すもなんとか持ち直すが、もともと力の入らない腕で彼女にしがみ付いていた俺は竜馬から落馬してしまう。

 

「ヴぇッ」

 

「あ、勇者様が落ちた」

 

 ヴァーセイの声にフォトクリスは背後から消えた勇者に気づき慌てて竜馬を止める。それなりの速度で進む竜馬から落ちた勇者様は血みどろになりながら白い大地の上で転がる。

 

 竜馬から飛び降り勇者様に駆け寄る。

 

「大丈夫ですか勇者様!」

 

 雪に沈んだ勇者様の頭を引き抜くと首があらぬ方向へ曲がっている。後ろから駆け寄ってくるヴァーセイに見られる前に首を無理やり元に戻し、ペチペチと頬を叩く。ギュキュとしてはいけない音が聞こえたが不死者だし問題ない。それから意識は戻ったようだがどうにも混乱しているようだ。まるで死んだことに気づいてない様子。ここで騒がれてヴァーセイに気づかれると面倒なのでごまかす。この世界における不死者の立ち位置についてまだ話していなかった。

 

「あれ、いま俺・・」

 

「だめじゃないですか勇者様。ちゃんと捕まっていなきゃ。でも無事でよかったです」

 

「え、無茶言うなよ・・まともに動くの右腕だけだし、この揺れのせいで傷ゴヘェッ!ゴホォッ!ハアハア。あああああちくしょおおおおおぉぉぉ!」

 

 咳き込みながら勇者様は突然大声で叫ぶ。口元を抑える手の端から血がにじみ出る。

 勇者様は体調のせいで相当精神に余裕がないようだ。いきなりキレた勇者様にヴァーセイが驚く。その場で意味もなく体をばたつかせ暴れる。普段は平気そうに体面をつくろってはいるがその実、体中の痛みで常に不安定である。

 こちらで痛みは緩和したとはいえ普通なら発狂していてもおかしくないのだが大した精神力をしている。やはり勇者はそうでなくてはな。かっこ悪い勇者様なんて見たくない。取りあえず落ち着くまでなでなでしておこう。

 

 ・・・・おかしいなぁ。私ってこんなに気遣いをする人間だったのか?

 

 勇者を前にすると、ひどく女になる。

 

 

「・・・・・・・・ヴァーセイ、私は見てのとおり撫でるのに忙しいから血のあとは全部消しといて」

 

「あいあいー」

 

 赤く染まった雪に手をかざす。するとどうだ、途端に血の色が薄くなっていき次第に消えていく。いったいどんな原理でそうなるのか。フォトクリスに頭を抱えられながら俺は痛みをよそに凝視してしまう。非現実な光景を見てスッと冷静さを取り戻す。

 

(これが魔術ってやつか・・)

 

「もしかして・・・勇者様は魔術を初めて見るのかな?」

 

 そんな俺の様子が気になったのかヴァーセイが疑問を投げかけてくる。

 

「そんなものは見たことも聞いたこともない」

 

「でしょうね、勇者様からはぜんぜん魔力の存在を感じとることができませんから。最初は隠蔽しているだけかと思ったんですがびっくりしましたよ。魔力を持たない人間がいるだなんて・・・そっちの世界じゃ神の祝福も存在してなさそうですね」

 

「え!祝福も無しに今までどうやって生きてこれたの!?」

 

「・・・そもそも神とかいない」

 

「さすがは異世界。こちらの常識が通じないようですね」

 

 それはこっちのセリフだ。さっきから神様神様言いやがって。そもそも神ってなんだよ。そんなあやふやかつ抽象的概念が世界の根底にあるなんてどうなっているんだ。ここまで神の話が出てくるんだ。まさか本当に存在するとでもいうのか?もしそうなら、えらい世界に来てしまったぞ。

 

 竜馬がこちらに駆け寄ってくる。ただのデカい爬虫類かと思いきや案外人懐っこい生き物なのかもしれない。

 

「さてさてどうしようか?このままだとまた勇者様が落ちちゃうよ」

 

「どうするといってもな」

 

 街道を避け追跡されないように敢えて荒れた道を選んだせいか雪に埋もれた石や倒木が進行の妨げになっている。おかげで勇者様は落馬するし・・余り余計な時間を食うわけにもいかない。

 

「仕方ないからサンドイッチにする」

 

「そうだねせっかくだし晩御飯にしよっか。ちょっと早いけど」

 

「ちがうわ!休憩する暇なんてないんだぞ。ああッもう!とにかくやってみる!」

 

 しゃがんで待機している竜馬の上に勇者様を跨らせ挟み込むようにフォトクリスとヴァーセイが乗る。

 

 聖殿で手に入れた荷物は全てもう一匹の竜馬に積ませる。なるほど挟み込むことで安定性を図ろうということか。頭がいいな。

 

「とりあえずお前は勇者様が落ちないように後ろから支えろ」

 

「・・まあ僕としてはこれでいいけどもう一匹の竜馬はあのままじゃ逃げるんじゃないの?」

 

「それはない。竜馬は孤独を嫌う生き物だ。群れを作りただの一匹で行動することはまずない。それにカンテラを持つ私についてきたほうが長生きできると本能的に気が付いている。無駄話はもう終わりだ、行くぞ」

 

 雪の勢いが少しばかり強くなり辺りが薄暗くなってきた。降雪量で王都までの距離を予測し、これでもう追って来るのはまず不可能だと確信する。本格的に夜になればさらに捜索は不可能になる。夜の世界は視界の利かない闇そのもの。闇の中であろうと私の炎は昂然と光輝く。誰であろうと追跡は不可能だ。追手も光を追えばいいという話ではない。

 

 カンテラが発する光がより強く浮き出る。ここにとどまっていても仕方がない。

 

 フォトクリスは再び竜馬を走らせる。

 

「ねえ、クリスちゃんはこれからどうするの」

 

「さあな、とりあえずは別の国で再出発か。幸い私は火継守だし引く手数多だ。場合によってはアンティキア正教への誓約を破棄して新たな改宗も必要かな。ゆくゆくはそれ相応の立場を得れればいい。冒険者も一つの手だ」

 

「信仰を捨てるって・・簡単に言うけど罰が当たらないかな・・・?」

 

「・・罰??・・・正式な手続きを踏めば問題ないらしいぞ・・・まあ二度と誓約できなくなるらしいが。どうせ押し付けられた信仰だし未練はない」

 

「不安には思わないの?・・僕は思わない」

 

「思わないのか・・・」

 

 困惑した面持ちでつい聞き返す。じゃあなんで聞いたんだよこいつ。

 

「そもそも幼ない頃に攫った上に初手洗脳かましてくるような国が好きになれるはずがないよ。属国民は滅茶苦茶差別されるしね」

 

 聖殿内でうまく立ち回っていたはずのヴァーセイにすらそう言わせるのだ。説得力が違う。

 

「言葉の端やら態度からチラチラ見えるんだよね。それに過激派もいるみたいだしどんなに出世しても属国民のレッテルが付きまとって来るよ」

 

「自分の生まれ故郷に帰りたいと思わないのか?」

 

「うーんあんまり思い入れもないし別にいいかなって。それに今はクリスちゃんに勇者様がいるしね。寄生させてもらうよ!」

 

(いや寄生するのかよ)

 

 たわいのない話が俺越しに飛び交う。彼女たちも先行きの見えないこれからに不安を感じているのだろうか。気を紛らわせるなら会話が一番だ。

 

「お前は娼婦にでもなってろ!!」

 

「えー養ってよーゆくゆくは結婚してくれよー全力で依存させろよー」

 

「ふざけんな!そうやって他力本願な姿勢のまま保身に走ってばっかだから他の巫女どもに嫌われんだよ」

 

「でもクリスちゃんはなんだかんだいって僕に構ってくれるよねー。ああ思い返すは美しき友情!」

 

「いや碌な思い出がないんだけど・・・勝手に美化すんな。そもそも私ら友達でもなんでもないだろ」

 

「もー照れ屋さん!」

 

 驚いたことにこの世界では同性同士で結婚が認められているようだ。俺の世界じゃ人類存続のために絶対に認められない行為であるためなかなか興味深い。まさしくファンタジー。

 

「それにしても火継守はいいよね。その気になればノージョブでも生きていけるんだからさ」

 

「私は確かに特別だけど、そういうおまえだって魔力特質持ちだろ」

 

「でもクリスちゃんだって持ってるじゃん。ただでさえ珍しい属性持ってる癖にこれって不公平だよ!勇者様まで召喚しちゃってさあ。なんだか嫉妬しちゃうな☆」

 

「・・・?」

 

 恋都は一瞬粘ついた仄暗い感情を感じる。振り返るも不思議そうに首をかしげるヴァーセイ。こちらに向かってニッコリと笑い返す。

 

 ―――――――――なんだか不気味だ。

 

 ぎゅっと背後から抱き着いてくる二の腕がまるで拘束具のように思える。

 

 ・・・・・・それにしてもなんか密着しすぎじゃない?少しは恥じらいがあってもいいのではと思ったがそういやこいつ尻軽だったな。いや、考え過ぎか。俺が落ちないようにしてくれているのにこの考えは失礼だ。

 

 こちらの内心を悟ったのだろうか耳元で囁いてくる。

 

「ほら、また落ちたら危ないからね。ふふふ」

 

 それにしては・・・なんだか手つきがいやらしく感じる。

 

 もしかして俺セクハラされてるッ!?

 

 彼女の吐く息が耳にかかる。なんか近い・・近くない?いやでも俺のためにやってくれてることだし、多分勘違いだ。そうであってほしい。

 

「勇者様ってとっても暖かいね。まるでクリスちゃんみたい。それにいい匂いもするし」

 

 すんすんと首筋の辺りで匂いを嗅ぐ。鼻息がこそばゆい。背筋がゾクゾクする。うひッ。反射的に体がびくりと跳ねる。そのせいで吐血してしまう。

 

 ―――――つうかさっきから腰付近に硬い何かが竜馬が揺れるたびにガンガン当たってクソ痛いんだけど!的確に俺の弱いとこを突いてきやがってぇ!

 

 血がだらだらにじんできてるし、マジ吐きそう。さっきから前に座るフォトクリスの綺麗な金髪が見る影もない。粘り気のある血の塊がへばり付いて毛先で垂れているのを見てすごく申し訳のない気持ちになる。

 

「おい、なにやってんだこのチ〇ポコ野郎ッ!!」

 

「すまない。ゆるしてくれ・・・」

 

「ん?いや違います勇者様のことじゃないです!そこのホモ野郎のことですよ!」

 

「――――――――――――――――え゛」

 

 ま、まさか腰に当たるコレは・・・

 

「おまえ男だったのかよ!!」

 

「そうだよぉ。同性同士こんなに密着していても何もおかしいことはない!それともナニかなぁ男である僕に興味があるのかなぁ」

 

 まるで挑発するかのように力強く抱きしめてくる。こいつ何考えてんだッ!つうか見た目に反してデカくなぁい?

 

「ア゛ア゛ア゛キズがア゛ア゛アアアア―――――」

 

「ちょ、ちょっとあんまり、暴れ―――――ッ!?」

 

 電撃のように体を駆け巡る痛みに体を激しく揺らす。いかに体がボロボロといえど俺は遺伝子操作によって強靭な膂力を有する。

 アカデミアでの体力測定で重量上げがあるのだが成績最下位の生徒ですら400kg相当の鉄の塊を片手で持ち上げるのだ。さてそんな人間が暴れればどうなるか想像に難くない。竜馬は見事にバランスを崩し盛大に雪の大地に転がる。速度が出ていたせいか乗せていた人間も吹っ飛ぶ。

 

「ッ!」

 

 迫る地面にフォトクリスはなんとか受け身をとるが勢いを殺しきれずそのまま雪に埋もれてしまう。まったく何をやってるんだヴァーセイは!と、首を振り顔についた雪を振り払う。

 

「ぶっちゃけさぁ、三人乗りは無理があったよね」

 

 真横で倒れたまま話しかけるヴァーセイ。こうなった原因である彼のケツを蹴飛ばし勇者様を探す。辺りを見回すも姿がどこにも見えない。どうやら遠くまで吹き飛んでいったようでどこにも見当たらない。手前の木に手を当て一息つく。クソ、こんなことをしている場合じゃないのに。

 

 その時、頭の上に何かがポタポタと落ちてくる。手で触って確認すると・・それは真っ赤な血であった。恐る恐る顔を上げるとそこには枝に刺さった勇者様の姿。心臓を突き破り赤く染まった枝が伸びている。

 ああクソ。また勇者様が死んでらっしゃる。ピクリともしない勇者様。普通ならば死んでいてもおかしくない傷なのだが・・・

 

「あれ、嘘・・死んで、る?」

 

 顔を真っ青にしたヴァーセイが遅れてこちらにやってくる。まずい、このままでは勇者様が不死者であることを隠し切れない。不死者であることに感づけば面倒なことになること間違いない。

 

「いや、勇者様はあれくらいじゃ死なないから」

 

「えッ!い、いやだってどう見ても死んでるんじゃ」

 

「だって勇者なんだぞ」

 

「何言ってんの!そ、そんなことよりも早くなんとかしなきゃ・・ッ!?」

 

 あわあわとしていたヴァーセイは突然こちらを凝視したまま動きを止める。いや、視線の先にいるのは私ではなくその後ろ、それもかなり遠い。

 

 フォトクリスは勢いよく振り返り確かめる。白く彩られた木々の隙間から確かに見えた異様な姿をした何か。遠目であってもわかる大きなシルエット。

 

 だが瞬きをした一瞬で姿を見失う。

 

「・・・見えた?」

 

「・・・ああ」

 

 腰に差した銃の存在を手で確かめ周囲を警戒する。

 

 ふとなんとはなしに振り返るとヴァーセイの背後に醜悪な化け物の姿が―――――――――

 

 

 考えるよりも先に体が動いた。

 

 

 自分でも驚くほど冷静に腰から銃が引き抜かれ引き金を引く。私の感情の機微を感じ取り銃を抜く前に脇に飛ぶヴァーセイ。撃ち出された弾丸は見事に化け物の腹に着弾するが傷が浅い。3発全て着弾しているがそのうちの1発が血を出すことなく皮膚で止まっている。

 

(こいつッ、なんて硬い皮膚をしてやがるんだ)

 

 いったいどこから湧いてきたのか。見れば見るほど奇妙な化け物である。

 

 顔の無いずんぐりむっくりな灰色の体。いたるところにブツブツがついた芋虫の様な体の脇には異様に長い毛のような触手。身長5メートルは超えるであろう。どこをどう見ても不愉快な要素オンパレードな化け物が目の前に佇んでいた。

 

「――――――――――――――――――――ッ!!!」

 

 見た目以上に大きな口がゆっくりと開き化け物が吠える。ビリビリと体の奥底まで響くその声に体中から力が抜ける。恐怖で体が竦み思うように動けない。脇に控えるヴァーセイも同じように動けずにいるようだ。そんな中、そばにいた竜馬が半狂乱になりわき目もふらずに私たちを置いてここから逃げる。

 

 そんな竜馬を化け物から伸びた触手が白い槍となり貫く。

 

「ギィッッ!!」

 

 あの細い触手のどこにそんな力があるのか、軽々と持ち上げられる竜馬。

 

 そのまま引き寄せられた竜馬は化け物の頭上で力任せに引き裂かれる。竜馬の筋肉がぶちぶちと嫌な音を立てながら体は無残にも裂ける。降り落ちる大量の血が化け物を色鮮やかに染める。よくみれば頭頂部にギョロリとした赤い目がついておりグリグリとせわしなく動き続ける。

 

 漂う血の香にむせる。先ほどから冷汗が止まらない。辺り一帯を生ぬるい空気が包み込む。まだお昼半ばだというのに辺りが急に暗く見えた。

 

「ハハhハハhハハハハハハa!!!」

 

(こいつ・・笑ってるのか・・)

 

 まるでこれからの私たちの未来を見せつけるように振る舞う化け物の態度に体が震えてくる。

 

 これは・・恐怖か?いや違うこれは怒りだ。

 

 こちらを完全に見下した態度をとる化け物にプライドの高い私がそれを許容できるはずがない。恐怖を怒りで塗りつぶせ。

 

 最初はその奇妙な風貌から都市外で彷徨う害獣と呼ばれる存在を思い起こしたがどうやら違うようだ。ならその眷属である魔獣かとも考えたがやはり違う。そもそも魔獣は火を嫌い巨獣は太陽の近くに現れることはない。それに瞬間移動なんて力を操れるなんて聞いたことがない。

 

 このタイミングで出てきたということは十中八九、王都からの追手だろう。

 

 そうだ!こいつは王国の犬だ!犬畜生ごときに舐められていい道理があるのか!躾がなっていないんだよッ!!

 

 横凪に振るわれる触手。立ち並ぶ木々をなぎ倒し迫る。私の腕と同じぐらいの太さだが一発でもまともに喰らえばそれだけで終わってしまうだろう。

 

 だが甘い。恐怖で未だに動けないとでも思っているのだろうがその思い込み、代償は高くつくぞ。

 

 フォトクリスは垂直ジャンプとともに魔力放出を行いその推力を使い高く飛び上がり振るわれし触手を軽々と飛び越える。空中で腰の剣を引き抜き化け物の頭に叩きつける。触手がいくつも頭を守るようにうねらせるが赤く発光した剣が触手ごとその大きな頭をバターのように切り分けた。

 

「斬撃じゃあないんだよなあッ!かわいくないんだよッ、この不細工!!」

 

 着地と同時に化け物から距離を取る。シュウシュウと黒く焦げ付いた断面から熱を発する。辺り一面に広がった雪が融雪していく。銃弾を止めるような頑丈な肉体だ。最初から剣ごときで切れるとも思ってはいない。だから高熱で一気に焼き斬る。

 

 手ごたえはあった。私よりも弱い奴が死ぬこの感触。堪らない。普通ならこれで終わる。終わるはずなんだ。

 

 だというのに。

 

 知性もなさそうな小さな脳みそを斬られたんだから早く死ねよ。なんでまだ生きてるんだよ。生意気な。

 

「うおあああ放せ放せ!」

 

 声のする方へ顔を向けるとヴァーセイが触手で拘束されていた。敵である私を無視してヴァーセイの元へと近づく化け物。這って進むその姿はまるで芋虫のようだ。化け物はまるで私のことなど最初から目に入ってなどいないかのように振る舞う。まさか最初の一撃の狙いは私ではなく・・・

 

 その考えに至った瞬間、私の中の苛立ちが最高潮に達した。

 

 グズグズと傷口が修復され断面で肉片が泡のように湧き踊る。あっという間に切られた頭と触手が元通りになっていく。ギチギチと締め付けられヴァーセイは口から血を吐き出し助けを求める。

 

「ゆ、勇者様あああああ」

 

 ヴァーセイが助けを呼ぶも彼は未だに枝に刺さったままである。そんな勇者の下で竜馬が心配そうにカリカリと前足を使い木を引っ掻いている。

 

 このままでは死んでしまうと思ったのであろう彼は思いもよらない行動に出る。

 

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”、指し示すは我が終焉。遥かなる深淵を迎え蹂躙するは純白なる魂!<白星雲>(しろネビュラ)ッッ」

 

「な、なんだと!?」

 

 ヴァーセイが魔術を使っただと!!?

 

 化け物を中心に白い靄が立ち込める。プシュプシュと音が鳴ったかと思えば光が視界を白く塗り焼きつぶす。

 

―――――――――――轟音

 

 

 

 ビリビリと震える空気。気が付けば私の体は宙を舞っていた。グルングルンと回る視界。しばらくしてようやく自分が空を飛んでいることに気づく。

 

(い、いったい、どれだけ飛ばされたんだ!?)

 

 フワフワとした感覚と耳鳴りに包まれながら未だに地面に激突する気配を見せない。いや違うもうすでに落ちているんだ。

 

 重力という見えない腕に掴まれ今にもこの体を叩きつけようと待ち望んでいる。もう、すぐそこへと地面が迫ってくる。慌てて魔力放出を行い勢いを和らげつつ、位置を調整し樹木に突っ込む。

 

 木の枝や葉を突き破り大地に接する。ゴロゴロと斜めの角度から地面に転がり出来る限り衝撃を殺す。どれほど転がり続けたのか動きを止め仰向けになったまま息を整え思考をクリアにする。体中から痛みを感じ慌てて手足が欠けてないか確かめ、ようやく安堵する。

 あの一瞬、腰に下げたカンテラを利用し前方に火の結界による防衛機能を集中したことで爆発の衝撃を防ぐことができたが、もし間に合わなかったら一体どうなっていたことか。

 

「ゲホォッ、グッゲェゲェッ――――――」

 

 だが相性がよろしくなかった。火属性は水属性に弱い。水属性のヴァーセイの魔術が生み出した衝撃がいくらか結界を抜けてきてしまった。口元から垂れる血を拭う。

 

 とっさに使ってしまった魔力放出のせいでかなり消耗してしまった。いろいろと便利ではあるが本来この技は大量の魔力を消費してしまうため頻繁に使うべきものではない。魔力量に恵まれた者以外が使えばすぐに息切れし、すぐに死に至るような燃費に問題がある技術だ。

 

 ・・・いったい何があったというのか。いや元凶は間違いなくあのヴァーセイだ。まさかあの劣等生がこれほどの魔術を使うなんて・・・今まで手を抜いてやがったな。空に昇るキノコの形をした煙を見ながら思う。火属性以外でも爆発は起こせる。決定的な違いは継続的な熱量を維持できない点か。

 

 初めて見る魔術であるが大方既存の魔術を持ち前の魔力特質でアレンジし作り上げた派生の魔術であろう。

 魔力特質があってこそできる芸当だ。それにこの破壊力。雪に閉ざされたこの世界では水属性であることはとにかく有利に働く。水属性持ちにとって最高のパフォーマンスが可能だ。雪による魔力撹乱の影響が薄い。

 

 ・・・・あれ、雪って魔術の威力を低減させるよな。それでこれ程の威力なのか・・・いや、拡散の性質を使えば・・・いや、だが・・・しかし・・・

 

 そもそも奴がまともに魔術を使うところを初めて見た。私が一番驚いているのはそこだ。魔術の講義は碌に出ないし模擬戦では一方的にボコられる。媚び売り野郎故に誰からも相手をされず唾を吐きかけられる。

 それは奴が序列末席に参列してからも変わらなかった。どうせ媚びを打った結果手にした地位だとみんなは思った。そんな落ちこぼれがこれほど凶悪な魔術を行使できるなんて。

 

 ・・・・・なるほどなるほど今まで猫を被っていたということか。

 

 どれほの研鑽を積めばここまで至れるのか。生半可な道筋ではなかっただろう。魔力特質があるとは言え魔術をそう簡単にアレンジできるものではない。

 アレンジすると言っても既存の魔術を自分に合った形に再編成した上でそこに持ち前の特性組み込み術式を変異させる。その後は調整に調整。元の術式の原型はほとんど残らずオリジナルだといってもいい。半端な知識でこんなことはできない。

 

 これで序列最下位だと?

 

 ははははしてやられたなあ。おかげで死にかけた。

 

 敵が1人増えてしまったじゃないか。あいつは本当に嘘まみれだ。まさかあの劣等生が私と同等の実力を持っていると一瞬そんな考えがよぎってしまった自分が許せない。プライドに見えない亀裂が入る。こんなことがあっていいものか。取りあえず命乞いさせてやらねば気が済まない。私の勇者様ごと吹き飛ばしやがって。いったいどう弁明するのか楽しみだ。痛む体を引きずり爆心地へ向かう。その足取りは思いのほか軽かった。

 

 



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第7話 猟犬

「・・・・なにこれ」

 

 大きく穿たれた真っ黒な大地の縁でフォトクリスは影を潜める。黒々しい爆心地の災禍は凄まじく、ところどころにガラスのようなものが見受けられる。

 その中央でヴァーセイが化け物に嬲られていた。十字架のように拘束され身動きが取れず無抵抗に触手でぶん殴られている。

 

 フォトクリスはうつ伏せになりクレーターの縁から様子を窺っていたのだが先ほどからずっとこの調子である。執拗なまでに手加減された攻撃。すぐに殺すつもりはない?やはり最初から狙いはヴァーセイだったのか。

 

 ・・・どうしようかな。このままあいつを置いて勇者様と一緒に逃げるべきか。あれほどの一撃を受けてなおピンピンとしているあの化け物の相手をするのは相当に骨だぞ。正直今の魔力量では心もとない。得体のしれない敵とは不用意に戦うべきではない。リスクは可能な限り避けるべきだ。

 

 ・・・よし見捨てよう。ヴァーセイよ、できるだけ時間を稼ぐのだ。そうすれば先ほどの件は許してやるとする。

 

 そうなると勇者様はいったいどこへ行ってしまったのだろうか。爆発でバラバラになっていたらどうしよう。先ほどからずっと探しているのだがどこにも見当たらない。

 

 もう一度注意深く探ってみる。

 

 ・・・あ、よく見たら化け物の下敷きになっている。

 

 いやなぜそうなる。勘弁してくれ。

 

 なぜよりにもよってそこなんだ。

 

 化け物の尻に敷かれてるなんて想像できるかよ。

 

(はあ、結局こうなるのか・・・)

 

 意を決しフォトクリスは奇襲を掛けるのであった。

 

 

 

 ドゴォォォォォン

 

 目の前で化け物の体が炎に包まれ爆発する。ヴァーセイを拘束していた触手が吹き飛び自由になる。

 

「うぐ」

 

 ヴァーセイは力なく地面に崩れ落ちる。

 

 先ほどまで腹筋ボコボコにされていたせいか足に力が入らない。でもあまり顔を殴られなくてよかった。ほんとよかった。殴られている間一心不乱に顔だけはやめてと祈ったかいがあったというもの。これも全て信心の賜物か。

 それに思った通りクリスちゃんはやはり来てくれた。まあ、あれぐらいじゃ死なないよね。僕の魔力特質と腰元にカンテラがあったからこそ雪の影響もなく発動した魔術。あの渾身の一撃を食らってなお平然と襲い掛かるこの化け物から僕は逃げることは早々に諦めていた。

 

 なぜならすぐには殺されないという確信があったからだ。なぜか化け物は僕に対し異様に執着している。もしかして僕が好きでエロい目に合うだけかなと思いワザと捕まってみたがすぐに後悔することに。痛いばかりで気持ちよくない。その触手は見掛け倒しかよ~。

 

 保険としてそこらに転がっていた死体同然の勇者様の所へ化け物を誘導したおかげでこうやってクリスちゃんも見捨てずに助けに来てくれた。やはり・・・あれで生きているのか、ふむ。さすがに彼女も勇者様は見捨てられないか。やっぱり嫉妬しちゃうなぁ。

 

 

 

「クリスちゃん気を付けて!そんな攻撃じゃ」

 

「あ゛あ゛ッ!そんな攻撃ってどんなだよッ!!」

 

 フォトクリスは襲い掛かる触手を避けながら魔術を紡ぐ。化け物に纏わりつく炎がより強く燃え上がる。粘り気の強い炎がクリスちゃんの怒りに呼応するかのように入念に肉体を破壊していく。勇者様にもお構いなしだがそれはいいのだろうか。

 

「ほああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ」

 

 勇者様の悲鳴が響き渡る。僕が思うに勇者様の耐久力は明らかにおかしい。僕の魔術や先ほどの木の枝の件といい余りにもタフ過ぎる。勇者という存在は皆こうなのか。そうであるのならばクリスちゃんが見捨てずに執着する理由も理解できるが、どうも何かが引っかかる。勇者の肩書が思考を阻害する。

 

「ッと」

 

 僕は考えに耽りすぎたせいか躓いてしまう。戦闘中だというのに気が抜け過ぎだ。立とうとするもまた転んでしまう。違和感を感じ足元を見ると足先が黒く透明に透けている。奇妙な感覚を肌で感じ慌てて周囲を見渡すとそこには幻想的な光景が広がっていた。黒く透き通るような純然たる闇に飲まれる赤い炎。だんだんと色彩を失っていく様子に現実味を失っていく。それに辺り一面が暗い。夜が訪れるにはまだ早すぎる。

 

 ガチャリと何かが地面に落ちる音がした。

 

 見ればクリスちゃんも右手を抑え顔をしかめている。足元に落ちた銃で何が起きたか察してしまう。

 

「ひ、さじブり、だ、な」

 

 いや喋れんのかよ。

 

 化け物から言葉が紡がれるたびに大きな口から瘴気が漏れる。あまりの匂いに二人は思わず鼻を抑える。魚が腐ったような匂いに目の奥がジンジンと痛み涙が止まらない。尋常じゃないぞコレは―――――

 

 魔力特質を利用し瘴気による体に対する影響を最小限に抑える。腰のランタンから展開される結界がまるで機能していない。あと一歩のところで失禁してしまうところだった。

 

「お、オでのこと。おぼえて、いるが」

 

 化け物が僕に対して話しかけてくる。やばいなんて答えよう。お前の様な醜い化け物なんて知らない。話しかけんなクセーしキモイんだよ!と、言ってやりたいところだが返答次第で生きるか死ぬかが決まってくる。この場で生殺与奪の権利を持っている相手にその返しはまずい。それにこの足のこともある。どんな力を持っているのかも未知数なのだから今はとにかく時間を稼いで情報を引き出し打開方法を考える必要がある。時間さえあればきっと本物の天才である彼女がこの状況を打開してくれるはずなのだ。

 

 僕はそういう彼女が好ましい。期待を裏切らない彼女だからこそちょっかいを掛けたくなる。

 

 やることは決まった。あとは自分の役割を徹するだけ。

 

「・・・うん、久しぶりだね教育機関以来だね」

 

「ふウーふうークキキキキ」

 

 僕、というより巫女は存在が秘匿されているので基本的に聖殿の外に出ることはできない。教育機関は聖殿の最奥に存在し巫女達のコミュニティは自然と顔見知りばかりのものになってしまう。人間の欲とは業が深く狭い箱庭は僕には狭すぎた。底から抜け出すために色々と覚えることになったが後悔はない。それからの僕は上手く立ち回ることで例外的に王都まで出ていたけども外では誰ともトラブルを起こさないように人との接触は最低限にとどめ慎重に行動していたつもりだ。バレたら後が怖いのだもの。

 

 つまり、ここまで憎まれているということは同期の人間以外にありえない。

 

 となるとこいつは・・・いや、決めつけるにはまだ情報が足りない。ただでさえ心当たりが多いんだからね。この一時を楽しんでみるかな、ふふフ。

 

「いやあ姿が全然変わってるもんだからたまげちゃった」

 

 思い当たる節はあるが確信がないので少しずつ絞り込んでいくしかない。

 

 しゅるしゅると化け物の体から触手が伸び、僕は頬を打ち据えられる。

 

「―――――ッ」

 

 どうやら今ので奥歯が抜けてしまったようだ。できるだけ当たり障りのない会話をすることを心がけたつもりだったがお気に召さなかったようだ。何がダメだったのか。化け物の精神構造なんてわからないよ。あと、顔はやめてよね。

 

「だれのせいだとおもっでいるんだああああ゛あ゛」

 

 いつの間にか両足が黒く透明になっている。足の感覚はあるというのにすり抜けて立つこともできず逃げることすら許されない。鞭のように振るわれる触手を前に体を蹲らせ、ただただ耐えるしかなかった。

 

 服が裂け赤くなった肌があらわになる。ところどころから血で滲み出る。カンテラがなかったら寒さで死ぬなこれ。

 

「このときヲ。どれホど、ま、まっていだかあ゛あ゛あ゛あ゛」

 

「ブタ野郎がッ無視すんな!!高まりし気運<嚇炎>(かくえん)!!」

 

 化け物を中心に炎が陣を描くように触手を焼き切る。もう動くのかクリスちゃん。さっすが!!それにこの炎のライン、彼女と目を合わせその意図を直感で感じ取る。

 

「いったい誰だよてめーわ!何が目的!」

 

「クキキキキ・・・ぞうかオマエはおでをじ、じらないのかああ。あンなにきぞいあった。な、なかだってのにいいいい。オこぼれのおおオ、だいいちいのクセにいいいい!」

 

「はぁ?」

 

 ああ、なるほどそういうことか。ようやくこいつ正体がわかった。でも、だからこそわからない事もある。

 

「・・・本当に久しぶりだね。まさか生きていたなんて」

 

「いや、誰だよ・・・だれ」

 

「クキキキキキキ・・」

 

 地面のあちらこちらから触手が生え空高く屹立する。よほど嬉しいのか闇の中で白く波打つ。ここら一帯は化け物の操る謎の力で真っ暗である。先ほどまで雪原にいたはずなのにこの常識を疑うような光景。まるで夢を見ているような錯覚に陥る。

 夢か現実か。空からは輝く闇の帳が落ち謎の重圧で押しつぶされてしまいそうだ。こんなのどうしろと言うんだ。もはや人間にどうこうできる範囲を超えている。

 

「ぜんブぜんぶ、おまえ、のせいだあ!こん、なすがタになったのもスベてッ!!」

 

「もっとゆっくり喋ろ。耳障りだ」

 

「やられたんだよ!そいつに!毒を!」

 

「毒?ヴァーセイが?」

 

「・・・・・」

 

 やっぱりか、と僕は正体を突き止める。

 

 急に流暢になる言葉。クリアな声。化け物の胸元から人間の上半身が生える。まるで脱皮だ。粘ついた体液を纏いながらビクビクと痙攣させながらゆっくりと動き出す。あの青い髪どこかで見たような・・それにしても気持ちが悪いな~。

 

「お前・・・どこかで見た顔だな。巫女、なのか。その姿は一体・・・」

 

 フォトクリスは古い記憶を呼び覚ます。確かこいつは―――――

 

「こいつに毒を仕込まれてから俺の人生は変わっちまったッ!なんとか一命をとりとめた俺があの後どうなったかわかるかあ。巫女になれなかった者の末路をよおおお」

 

 化物から現れた人物は鬼の形相で泣きながら先ほどから沈黙したままのヴァーセイの罪を弾劾する。

 

「毒の影響で半身不随になった俺は教育機関を辞めさせられ、教会の連中に身の毛もよだつ様な実験のモルモットにされた!その結果がこの姿だ!どうだッこの醜い姿は!!!お陰様で俺はもう人間じゃないッ!」

 

「ごめんね!」

 

「ごッッごめ、、ッ、なんだその態度は!!この姿を見て何とも思わないのか!?お前のせいで俺は、俺はああああ”あ”あ”!」

 

 にこやかに対応するヴァーセイと怒り狂う怪物。

 

 軽い。とにかく言葉が軽い。まるで何とも感じていないような冷淡な受け答えに化け物が憤慨する。それに対しヴァーセイはニコニコと笑いながらその実まるで無表情。笑顔の仮面をつけているようだった。

 

「うーん、強いて言うなら滅茶苦茶キモイなーて、あははは。あ、僕のせいでそうなったんだっけ、ぶっほw」

 

「ヴ、ヴァーセイ?」

 

 ヴァーセイの態度に流石のフォトクリスも戸惑う。

 

「いやーその必死な負け犬面。はっきりと思い出したよNo.352。なるほど通りでねえ、驚いて損しちゃった」

 

 ヴァーセイはヘラヘラと笑いながら楽しそうに語る。久しぶりに出会った知人に話しかけるように、なんの億尾も無く声をかける。

 

「あの時素直に死んでいればそんな姿にならずにすんだのにね。半端な実力持っているからそうなるんだよ」

 

「・・・お前・・やっぱり毒を仕込んだってのは本当だったのか・・・」

 

「やっぱりって・・・あれ、何で驚いてるのクリスちゃん?知った上で今まで僕に付き合って・・・・ん、あ゛ッ!?」

 

 え、なんだこの反応・・・いや待てよ―――――

 

 そういえば過去に成績優秀者が何人も消える事件があったことをフォトクリスは思い出す。生徒の間では教官からの行き過ぎた指導で死んだともっぱらの噂であったし死人が出てもおかしくな環境だった。あのクソ教官もまるで自分が殺したかのように振る舞っていた上に暗に自分が殺したと受け取れる様な示唆もしてもいた。奴は教官の中で一番苛烈な指導を行う事で有名でもあったからこそ誰もがエイヴォルを犯人だと思い込んでいた。

 

 だが、実際には指導で誰も死んでいなかった・・・・?

 

 あいつなら殺っていてもおかしくない。そういった先入観が、思い込みが、視野を狭めていたというのか?

 

「な!?まさかお前!?」

 

「あちゃーまさか知らなかったとは・・やっぱり序列一位(ホンモノ)は違うなあ。無意識に毒を無効化してたってことか。今まで殺してきたマガイモノどもとは違うなあ。やっぱり好きだなぁ」

 

「つまり施設内での巫女の不審死は・・・」

 

「お察しの通り全部僕がやった。目に付く僕より優秀な人にはもれなく毒をプレゼントしてあげた。もちろん君にもね」

 

 ようやく長年の疑念が晴れる。成績上位の人間ばかり死んだあの事件。指導で殺されるなら普通は実力の足りない劣等生であるはず。指導はあくまで成績が悪い人間への罰であり成績向上を意図とする目的で行われるものである。一応指導を受けるのは劣等生だけではない。優秀な成績を持つ者には反抗的な態度をとる者が多くいた。その態度の矯正のために指導が入ることもあった。

 

 今までは属国民をよく思っていない教官達が行き過ぎた指導の結果殺してもおかしくないと考えられていたが教官達の目的はより優秀な人材を育て上げ聖王国に帰化させる事である。優秀な人材が消えればそれだけ自分達の首を絞めることになる。彼らも成果を上げなくてはならないはずだ。ではなぜ教官達はまるで自分たちが殺したかのような思わせぶりな態度を取り続けたのか?

 

「ちなみにだけどエイヴォルくんは誰かが巫女を意図的に殺している事実に気が付いていたみたいだよ。敢えて犯人を放置し死という恐怖を利用してクソ生意気な態度を取る巫女達の態度の矯正と巫女全体の成績の底上げを図るつもりだったみたい」

 

 確かにあんなことがあったせいか表立って反抗的な態度を取る人間が減ったのも事実。誰もかれもがよく躾けられた家畜の様だった。まあ、誰だって死にたくはないもの。

 

「お前さえ、お前さえいなければああああああ!いつもいつも卑怯な事ばかりやって俺の様なまっとうに努力してきた人間の足を引っ張る!このゴミ屑野郎ッ!」

 

「足?君もう足ないでしょ」

 

「誰のせいだと思ってんだああああああああああッッ!!屑野郎オオオオオオオオ!」

 

「いやいやでもほらNo.35・・・もう言いにくいから芋虫君でいいや。とりあえず芋虫君は努力なんかじゃ手に入らない至高の力を手に入れてるみたいだし、君の元の才能を考えると望外の結果じゃないか。僕に感謝してくれてもいいんだよ!―――――――――――すんごいキモイけど!アハハハッッ!!笑えるね~」

 

 化け物の体躯を気持ち悪そうな顔で見ながら嘲笑い挑発する。化け物の注意は完全にヴァーセイ一人に逸れている。

 

 だが、こちらも化け物を殺すための準備があるのにどうしても気になってしまう。彼の時間稼ぎは私にとっても興味を引く要素が多すぎる。

 

 こいつの煽りっぷり、まるでゴミ野郎みたいだ。やっぱり後で殺すべきかもしれない。

 

「おいぃ!そこの金髪!!お前もこいつに毒殺されかけたんだ!そいつは裏切者なんだぞおッ!」

 

 ヴァーセイの精神を揺さぶるために始めた罪の糾弾は彼を動揺させるどころか調子に乗らせるばかり。これではいけないと攻め方をこちらを巻き込む形にシフトさせてきた。

 

 なんだろなぁ。絶望的な力を振るう敵だと思っていた相手がなんとまあ情けないことか。もはや逃げるという選択肢はなくなった。こいつはもう化け物ではない。今やただの・・・

 

「その顔・・・・負け犬そのものじゃん」

 

「―――――な、に」

 

「だいたい考えが甘いんだよ。話を聞いて気づかなかったのか?ヴァーセイの行いは優秀な巫女を作るために教官に敢えて見逃されていたんだよ。それに毒とかそういった工作活動は私以外の序列持ちは全員やってたぞ」

 

 流石に殺しまではやってなかったようだけどな。と心の中でごちる。殺しまで行ったヴァーセイがのうのうと生きているんだ。黙認されていたと見て間違いない。これでクソ教官と仲がよかった理由もわかった。裏でいろいろと繋がってわけか。そう、いろいろと。

 

「そんなことがあってたまるかよおおお。少しは俺がかわいそうだと思わないのかアアアア」

 

「気安く話しかけるな負け犬が。いちいち落ちこぼれのカスのことなんざ覚えてねーよザーコ。何もかも劣っているおまえが悪いんだよ。おまえはいい加減そこの卑怯者の地道な努力に負けたことを認めたら?」

 

「で、でも毒、ど、毒を盛られたんだ!毒をお、お、れは」

 

「何度も言わせないでよ。だからそれがあいつの努力なんでしょ。おまえは負けた、あいつはめっちゃ頑張った。そういうこと」

 

 不安そうに見つめていたヴァーセイの顔がパッと明るくなる。

 

「クリスちゃん!!」

 

「ふざけるなああああああ!!それのどこが努力してるっていうんだよおおおおおおおおおお!!」

 

「そんなことないよーめっちゃ努力してたよ。好きでもない奴に精一杯媚びを売ったり、お金渡したり、エッチしたり、外に出て物資を掻き集めたりさ。芋虫君には〇〇〇の味なんてわからないよね。あの場所じゃあ僕の才能なんかじゃ勝てないほどに優秀な人間がたくさんいたからさ、正直ムカつくよねー。それに一部の上澄み以外は供物にされちゃうし、だから足を引っ張ってあげなきゃ申し訳ないと思って。こんなに努力している僕を差し置いて自分だけ助かろうなんてこんなの許される訳ないじゃん!!もっとみんな苦労するべきだよ。僕の気持ちを知るべきなんだよ!まあ、その努力が実って序列12位になれた訳だし、やっぱり僕がやってきたことは間違いなんかじゃなかったんだ!やっぱり努力って最高だよ!!」

 

「まあ後でおまえも殺すけども」

 

「え”、クリスちゃんッ!!??」

 

 ワナワナと震えるヴァーセイを放り、化け物を見下す。語れば語る程、化け物の外装は剥げ落ちしょぼくれた中身が顔を見せる。化け物のままでいればこうもならなかった。私たちに勝ち目は無かっただろう。

 主義主張に駆られそれを抑え込めなければ弱さを晒すだけとなる。怪物は黙して淡々と追跡者の役回りに徹していればよかったのに。それを自ら捨て去るとか馬鹿だなぁ。復讐者がやたらと語りたがるのはやっぱり知ってほしいからなんだろうな。それで弱体化してちゃ世話も無い。

 

 流れが傾いたことで私は戦いでは勝てないので精神的に勝つことで優位性を確保することに注力する。これならば溜飲が下がるというもの。奴はあれほどの力を持ちながら私たちは未だに生きている。こいつは覚悟も信念も薄っぺらい。泣き言ばかりをよく喚く。うるさいだけだ。

 

 やっぱ負け犬はダメだな。どんなに無敵な力を手に入れようと染みついた負け犬根性はそのまんま。力を手にしても人間の根底にある本質は早々に変わるようなものではないということがよくわかった。肝心な時に素を晒し肝心な時に役に立たない。

 

 さあ、あと少しで準備が終わる。貴様らの終焉はすぐそこだ。

 

「だいたいね、甘いよ。毒食らった程度でヒイヒイ喚くような奴がこの先うまくやっていけるものか。生半可な実力で序列持ちになれると思うなよ、水に浮いた垢野郎」

 

「お、俺は被害者なんだぞおおおおお。何も、何も悪くないのにいッッ!!どうして責められなきゃいけないんのおおおッ!?」

 

「うるせさっさ死ね」

 

「ほら芋虫君謝って!自分の無能さ加減を棚に上げて僕を侮辱したこと謝って!」

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!ライアあ゛あ゛あ゛あ゛」

 

(・・・・ライア?)

 

 叫びに呼応するかのように私たちの体が闇に溶けていく。もうすでに体の大半が闇に食われた。どちらが先に死ぬか楽しいデットレースが始まる。

 

「もう、いい殺す!殺してやるッ!?教会の思惑なぞ知るものかアッ!殺す殺す殺す殺す殺す今から人を殺しますううううッ!!!」

 

「おあああクリスちゃんんんんんッ!!おたすけえええええ」

 

「死ぬのは貴様の方だ!逝っちまえよぉッ!儀式――――――展開」

 

 先ほど炎で描いた陣が光を放つ。闇の中で一筋の閃光を抱く。

 

「何をしようと無駄だッ!ありとあらゆるものは常世の闇に抱かれこの世界に一部となる!輝く黒き経典の薫陶に当てられ夜の海に飲まれてゆけッッ!夜よ、夜よ、よるうううううううう俺を導いてくれえええええ!」

 

 私たちの意識が黒い靄で覆われ始めてくる。まさか精神にも作用するのかコレは。ただでさえ欠落の多い記憶が穴ぼこになり黒く穿れていく。このままではすぐに命の輝きすら塗りつぶされてしまう。

 

 だが、

 

 しかし―――――

 

 普通ならここで終わりかもしれないが、貴様が相手しているのは天っ才なんだぜ。

 

「ッ!!な、なんだこの光はぁ!!馬鹿なッ夜そのものとなった俺には何物にも干渉されないはずだろがあああ」

 

 夜に包まれた化け物の巨躯から光が漏れ出す。深い闇の底からまばゆい光が突き抜ける。

 

「たしか<夜>と言ったか。なるほどあらゆるものを夜の闇に同化するのか。その力はきっとどんなものでも飲み込んでみせるだろうね。だが、しかしッ自分の素性を晒した時点でもう終わってるんだよねえ!」

 

「―――――――――なにを、した」

 

「んーああ、なるほどそういうことか。これが勇者召喚の儀なんだね・・・芋虫君も元とは言え巫女だったもんね」

 

「なんなんだ、これはどういうことだッ!!」

 

「察しが悪いなあ、貴様はこれから奇跡を行使する際に必要な供物の役割を全うするんだよ。さあ泣いて喜べッ!なりたくてなりたくてしょうがなかった巫女に戻ってお前の本来あるべき惨めな未来を歩ませてやるよおッッ!!あと、いい加減そのでかケツを勇者様の上からどかしやがれっ!」

 

 黄金と言えるまばゆい光が化け物を中心に花開く。その栄光の輝きはまるで化け物を祝福するかのようだった。化け物の体躯が完全に光に飲み込まれる。

 

 炎の魔術で描いた陣が更なる光を求め力強く輝く。

 

 ・・・結局これしか思いつかなかった。奇跡自体が勇者召喚の術式として組み込まれているのでどうしてもその下準備に時間がかかってしまったがやはり奇跡の強制力は凄まじいな。

 

 フォトクリスたち序列持ちの巫女は何度も何度も予行練習させられてきたおかげで確実に遂行できる。本来なら過剰な負荷処理をを分散させるために複数人で行う儀式であるが私ほどの天っ才であれば一人でも可能だ。過剰な負荷も、いざとなればそばにいる優秀な拡散装置くんが保険になってくれる。

 

 展開された偽りの夜が崩壊し始まる。

 

「クリスちゃん!!やっぱり君はすごいよおッ!一目見た時から好きでしたッ!これから先、一緒にたくさん冒険しよう!」

 

「何言ってんだお前もここで死ぬんだぞ」

 

「え”ぇ!?」

 

「私に毒盛るようなクソ野郎を生かしておくとでも?ここで死ぬべきだと思うよね、貴様もさ?特別に奇跡を孕まさせてやる」

 

「ちょ」

 

 ヴァーセイの体も光に包まれ消えていく。それを笑いながら見送る。

 

 あの負け犬が正真正銘の化け物でなくて本当によかった。奇跡を行使するには行使する者と供物となる者の信仰する神が一致せねばならない。奴が元巫女であってくれたおかげで生け贄不足による不発。そこから生じる不足分のとりたてもなく無事に奇跡は発動した。

 

 ああ、巫女が二人いてくれて良かった。最低限の数を確保できてよかった。

 

 これで邪魔者は全て消えた。勇者様を連れてさっさと離脱しよう。

 

 

 夜の結界が黄金の光で満たされていく。もうじき夜が明ける。ありとあらゆるものを光が貫いていく。

 

 ―――――そんな私の体すら透過していく光に不吉な前兆を覚える。

 

「!??」

 

 ・・・待てッ。なんだこの力の流れは!?

 

 私はあくまで巫女二人分で可能なまったく意味のない奇跡を行使しただけだぞ。どうしても処理できない芋虫野郎を供物として捧げて殺すためにやっただけで奇跡によってもたらされる結果は求めていない。

 

 奇跡は神の力の一端だ。誰にもその発動を妨げられることはできない。夜との同化という強力な力ですらその執行力には抗うことはできなかった。

 

 奇跡を行使するために必要な最低限の供物は用意したがこの奇跡によって生まれるエネルギーでは勇者召喚の儀を行うための必要な出力が圧倒的に足りていない。

 未開領域へアクセスするには最低でも供物用の巫女が30人は必要だ。それですら精神をだけを捻じ込むだけの小さな門しかできない。

 最低でも2人は必要というのは召喚の儀の場を開くために神に支払う手数料のようなものでしかない。

 

 なのになぜこれほどまで大きな門が開いてるんだッ!?

 

 巫女二人分で行う奇跡なんかじゃ門が開けるはずがないのに。なのにこの出力はなんだ!?このエネルギーはいったいどこから湧いてくるというんだ。

 

 ――――――――――――――――まさか。

 

 意識を集中し勇者様との繋がりであるラインパスを確認する。案の定ラインパスを通じ莫大な力の根源が勇者様本人にあることを理解してしまった。

 

(なんだこれは出鱈目にもほどがある――――――)

 

 まさしく無限の命。術式に吸われ生命力が氾濫する。

 

 そこからはあっという間だった。

 

 奇跡は不死者を媒介に世界に楔を打ち付け異空間へと私たちを飲み込む。勇者を中心に一帯が巻き込まれる。

 

 ただただ落ちていく。底知れぬ神性の渦へと。巫女をいくら使っても精神を飛ばすことしか叶わなかった未開領域。まさか物質すら飲み込むほどの門を開くなんて。

 

 まさしく、奇跡だ。全てが光に満たされていく。

 

 ――――――ああ、なんだそういう事だったのか。

 

 のちの世に語り継がれるほどの暴虐の限りを尽くした不死者。不死の名を冠する彼らがこの世界から消えるという矛盾。

 

 その不死者がこの世界から消えたのは・・・きっと・・・・

 

(勇者、様・・・)

 

 そんな思いも空しく揺蕩う神性の巣窟へと堕ちていく。そこにはなんの慈悲もなくあるとすれば漫然な許しのみ。神はこんな私でも救ってくれるのだろうか。

 

 祈りを捨てた私を。

 

 



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第8話 神性

 気が付けばフォトクリスはどこでもないどこかにいた。瞼すら貫く光の奔流が止んだと思えば周りには見渡す限りの果てしない地平線が広がっている。怪しく輝く緑の粒子が光を纏い漂っている。空から降り注ぐ黄金の光が透明な大地を照らす。

 

「うグッ」

 

 急激な吐き気に口元を抑える。

 

(な、なんだこの神性の濃度は!!)

 

 まるでこの場にいること自体が間違いだと言わんばかりの暴力的な気配に体が拒絶反応を起こす。ここは人間が居るべき場所ではない。まさか本当に未開領域【灰の海】にいるとでもいうのか。

 

 だが・・・それにしては何もかもが違い過ぎた――――――――

 

 召喚の儀では精神のみを飛ばし潜り込ませたがあの時私の中に焼き付いたヴィジョンは文字通り灰色に染まりし色褪せた世界であった。人間の精神だけで感じられる限界が灰色なだけで実際の肉眼を通して見る世界は違うだけなのか。認識の相違が如実に示されここがどこなのかわからなくする。

 それにあの地平線の向こう側には薄い膜の様な何かが広がっているがそこから邪悪な気配を感じ取る。この感覚、間違いない。勇者様を召喚した際に感じた気配と一緒のものだ。だがあの時よりも気配は遠くに感じる。

 ・・・そうか勇者様はあの向こう側から現世にやってきたのか。儀式の際に精神を飛ばしたのはやはり膜の向こう側であっていると考えるべきだ。向こう側こそが私の知る灰色の世界かもしれない。じゃあここはどこなんだ。

 

 むくりと背後で動く影。思考に没入しすぎたせいでフォトクリスは反応に遅れる。

 

「ガッ!?」

 

 背後から物凄い力で弾き飛ばされ腕からミシリと嫌な音が鳴る。

 

「ま さか、なぜ生きているんだ!貴様は供物の役割もこなせないのかこの役立たずがッ!!」

 

「ハ、ハハハハハどうやら神は俺のことを見捨ててはいなかったようだなッッ」

 

 馬鹿な、いの一番で消えたはずだろが、貴様はよ。

 

 死んだはずの化け物がそこにはいた。全身が怪しく変色しさらに肥大化しているが肉体の一部も失わず私の目の前で屹立している。

 

 クソ!今の一撃で右腕の骨が折れたか。これではまともに銃を使うことができない。地面に伏す私の髪の毛を触手が掴み上げる。そのまま小さな体は釣り上げられてしまう。ブチブチと髪の抜ける音が脳に直接響く。

 

「ガァ、が!」

 

「どうやらあのクズ野郎はし、死んじまったようだな!お、俺が殺すはずだった、だったのににいいいいい!しょうがなンいので、さっきから邪魔ばッかりしてくる君ヲ遊んで殺すすね!!」

 

「キモイ手で、私に触る、なッ」

 

 ヌルりと触手が私の頬を殴りつける。鼻血が唇を沿って垂れる。本当にこれから私で遊ぶつもりか・・

 

 ふ、ふふふ。儀式のせいで使える魔力もほんの僅か。このままじゃあ私は死ぬ。

 

 左手で銃のグリップを握りしめる。弾はすでにリロードはしてあるが碌に銃弾が通らないこいつを相手に慣れない左手でどこまで戦えるのか。こいつにおもちゃにされるぐらいならいっそのこと・・・

 

「私じゃないでしょおおお!君ハ今からあいつの代わりになるんだからあ!僕って言わなきゃねえ!!ホラッ言えよ僕ってえ!!ホラホラホラァッ間違ったんだからあやまらないといけないんだぞおおおお」

 

「そうだよぉ僕にもちゃんと謝ってよね!すぐでいいよ!」

 

「「!?」」

 

 化け物の横に佇むは死んだはずのヴァーセイ。どいつもこいつも、誰に許可とって生きてやがんだ!儀式は完璧だったはずなのに、こいつらはいったいどうやって生き延びたッ?

 

 ――――――――いや、は、ははは。これは流石の私でも予想外だ。結局のところ勇者様一人だけで供物の役割の全てを賄っていたのか。それでこいつらは生き延びた。光に飲まれたのは供物となったのではなくこの世界に先に引き込まれただけだったのだ。

 

 だが、勇者様はこの世界に来てアンティキア正教の洗礼を受けておらず信仰は持っていなかったはず。なぜ供物となりえたのか。まったくなぞの多い人だ。というか供物としての適性が高いと高いほうから生け贄にされるなんて仕様だったのか。こいつらが消えたように見えたのはこちらに引き込まれたからで生け贄は勇者様で十分過ぎたからヴァーセイも負け犬も不要と判断され弾かれたからこそこうして生き延びたんだ。

 

 こいつら悪運が強すぎる!私が何したってんだよ!!人に迷惑かけるなよ!!

 

「てい☆」

 

 ヴァーセイの魔術により生み出された水の玉が化け物・・・・ではなく私に炸裂する。

 

 圧縮された暴力的な質量が襲い掛かる。あまりの威力に私を拘束していた触手ごと吹き飛ばす。辺り一面が大量の水に飲まれ流されていく。顔が熱い。顔中が血にまみれている。

 

「ヴァァァアゼイイイッッ!」

 

「ふははははは、あの時素直に僕の手を取っていればいいものを!ふふふ、いい眺めだよクリスちゃん!今まで黙っていたけど君のことを考えると胸が痛むんだよね。これまでずっと考えた末、ようやく理解した・・・そう、これは毒なんだと!つまり僕も被害者!芋虫君と僕は虐げられる側の人間だったんだ。だからこそわかる。芋虫君がどんなにみじめで汚らしい存在か。だからもう争いはやめよう!僕たちは仲間だッ!君は一人じゃない、だから君のつまらない復讐になんの意味も・・・ヘブッ!うげぇ、ちょま、うわあ゛助けてクリスちゃんんんッ!!」

 

「この!馬鹿野郎ッ!!お前まで捕まってどうすんだよ!死ね死ねッ!」

 

 そのまま普通に触手で拘束されるまぬけ。こいつ何がしたかったんだよ。毒仕込んだ挙句人生滅茶苦茶にした張本人がそんなこと言っちゃいかんでしょ。こいつには人の心がないのか?やっぱりただの馬鹿なのでは?それともこれも擬態なのか。すべてわかった上であえてやっているようにもとれる。ダメだ、こいつの考えがどうしても読めない。

 

 今の一撃で拘束を抜けることができたが同時にダメージで動けない。全身を水で激しく殴打され血が止まらない。

 

 ・・・というか吹き飛ばされた際、妙に地面が柔らかいなと思ったらこんなところにいたのか、勇者様。

 私のお尻の下で意識を失っている。穴という穴からどす黒い血を流し続けている。高濃度の神性が影響しているのかもしれない。巫女故に神秘耐性のある私ですらこのざまなのだ。いくら不死者でもただでは済まないのか。

 

「な、なnんだddddddddd」

 

「おげぇ、きぼち悪いぃ」

 

 この場にいるすべての者が神性の洗礼を受け続けておりまともに動けずにいた。特に著しい影響が観られるのが芋虫野郎である。全ての細胞がうねり少しずつ変異していく。翼の生えたおぞましいナニモノかへと羽化しようとしていた。

 

 あそこまでいくともはや自我を保てない。巫女としてのカリキュラムを最後まで受けなかったことで神性に対して半端な耐性しか持っていなかったようだ。巫女のくせに通りで魔術の通りがよかったはずだ。

 

 耐性を身に付けるには自身に高い神性を宿さなくてはいけない。幼い頃から神の神秘に触れ続けることで神性を体に定着させる。途中で発狂し精神が崩壊する者、肉体が変異する者が後を絶たなかった。このすさまじい荒業を10歳までこなしつづけ生き残った者のみが神性をその身に宿すことができるのだ。おかげさまで長生きできない体になってしまったが魔術や精神干渉、神性が付与された攻撃に対し非常に高い防御性能を持ち、こちらの攻撃自体にも聖句なしに神性が付与され非常に殺傷能力の高い一撃が可能となる。私の排他性や攻撃性も神性による変調だ。私は何一つ悪くない。

 

 化け物の断末魔が弱弱しく響く。なにもしなくてもきっと死ぬ。こいつはこの世界に来た時点で詰んでいたのだ。結果的になんとか勝利したと言ってもいいが・・・次はきっと私たちの番だ。ああ、変異したくない。こんなどことも知れない場所で醜く死にたくない。

 

 まだ何も成していない。何者にも成れていやしない。

 

 震える腕で救いを求めるかのように勇者様に縋りつく。

 

 

 

 ドンドンドン!

 

 どこからともなく足音が響き黒い影が走る。私はハッと振り返るがそこには何もいない。幻覚に幻聴、私もいよいよか。ふと見てみればヴァーセイも不思議そうな顔で周りを見渡している。

 

 ・・・幻覚ではない?じゃあ今のはなんだ?

 

 感覚を研ぎ澄まし五感をフルに活用する。視線だ、視線を感じる。

 

 チリチリと首筋の毛が逆立つ。先ほどからずっとねっとりとした何者かの視線。虫けらを観察するようなひどく冷めた興味。この感覚は勇者を召喚した時に感じたものと全く一緒であり先ほどから目の端でチカチカと黒い何かが瞬く。

 

(どこだ、いったい・・?)

 

 見れば地平線の先で黒い何かが蠢いている。この場にそぐわぬ真っ黒な何かに目が奪われる。だんだんと大きくなっていく黒の影。いや違う大きくなっているのではない、こちらに近づいているんだ。鮮明になっていくその姿に激しい拒絶感を覚える。勇者様の服にしがみ付き恐怖を少しでも和らげる。

 

 

 ドンドンドンドンドンッ!!

 

 だんだんと早くなっていく足音。

 

 そのままこちらにむかってくる影は見えない透明な壁に激突。地面に落ちた熟れた果物のように壁一面に黒い影が弾け、べっとりと張り付く。フシュウーフシューと息遣いの様なものが聞こえる。続いてガラスを引っ掻くような音。

 まさかこんなものが存在するとは。いったいどこに潜んでいた。あんなのがいるなんて聞いてない。生物であればこんな地獄の様な世界で生きていけるはずがない。

 

 ・・・・そこで私はある可能性に気が付く。奴は壁の向こう側の存在。そして勇者様も向こう側からやってきた。あの影は・・・さっきの儀式で私が召喚してしまった新たな勇者じゃないのか?

 

 莫大なエネルギーで行使された奇跡。儀式自体は確かに成功しているのだ。あれほどの規模のものならなにが呼ばれてもおかしくない。だが、あれは本当に勇者なのか、勇者とは私にとって希望の象徴なのにあれは明らかに人の枠を超えている。

 

 貴様の様な手に余るような存在はお呼びじゃない!どちらにせよ私という導き手がこちらに手引きしなければ壁を超えては来れない。

 

 それとも・・あの時の視線の主なのか・・?

 

 どちらにせよ、まともな存在では無いのは確かだ。

 

 だが、この時フォトクリスは甘く見ていた。不死者が生み出すエネルギーによって起きてしまった慮外の奇跡を。

 

 ピシッ

 

「・・マジかよ」

 

 見えないはずの透明な壁に亀裂が入る。割れたガラスの破片のようにキラキラと落ちていく。次元を繋ぎ合わせる境界線に綻びが産まれた。空間って割れるんだ・・・そんな間の抜けた感想を思い浮かべている間にも虚空に生まれた裂け目から黒い影の真の姿がついにあらわになろうとしていた。とても言葉で表現できないグロテスクな化け物の正体。

 フォトクリスはその姿を直視しただけで目からどす黒い血が溢れ頭が割れるような頭痛に襲われる。黄金の光に満ちた空間は向こう側から流れ込む怪しげな瘴気に世界が満たされていく。視界が歪む。めまい等ではない。空間が捻じれているんだ。

 一種のフィルターとしての役割を担っていた境界線は破片をまき散らし裂け目を広げていく。無理やり穴に体を押し付け強引に這い出でようとしている。

 

 もはやどうしろと言うのだ。私は勇者様の体に力なくもたれかかり、いきさつをただ眺めるしかない。余りの埒外な出来事に笑いすら出てくる。私はただ聖王国から脱出して自由に生きたかっただけなのに・・・どうしてこんな超常の存在に出くわさなきゃいけない!?

 

 今もなお空間に亀裂を広げるあの存在はいったい何者なんだ。あまりにも異質。これが勇者なものかよ。あのヴァーセイや死にかけの芋虫野郎ですら凍り付いている。あまりにも絶対的な存在の前では何をしようと無駄なのだと、改めて私という存在の矮小さを嫌というほど教え込ませてくる。

 

「うお、なんだあのクソキモイ生物はッ!!」

 

 だが、そんな絶望のただ中で一人、蠢く者がいた。希望はまだ潰えていない。

 



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第9話 元凶

 遠い記憶の残照。俺の記憶にない幸せのイメージ。

 

「・・すま・い・・でき・・らば・・・・こい・・私を・・してく・つ・く生き・・・・」

 

 誰かにこうやって頭を撫でられたような気がする。

 

 いったい、いつごろの記憶だったか。ごつごつした大きな手にこうしてよく撫でられたものだ。懐かしい匂いに包まれ暖かな気持ちに浸る。寝る前に絵本を読みながら親にせがんだものだ。

 

 ・・・・・・いや、これは夢だ。ふと我に返ると強烈な嫌悪感と喪失感に襲われる。

 

 試験管ベイビーの俺に親なんていない。人工的に作られた偽りの生命に親なんて必要ない。こんなものはただのまやかしだ。なぜこんな夢をみる。俺はあんなにも血による繋がりを嫌悪していたはずなのに、心の奥では羨ましく思っていたのか?

 

 手を繋ぎ道を歩く母親と子供の姿を夢想する。馬鹿な、そんなことがあってたまるかよ。消えろ消えちまえ。こんなにも否定しているのになぜ涙が溢れてくる。この涙の意味はいったい・・?どこからか流れてくるこの感情に俺は当てられているだと・・・そうだこれは彼女の心か・・・

 

 どこか懐かしい記憶に誘われるがままに意識は覚醒し視界が光に包まれる。

 

「・・・・・・・」

 

 気が付けばまた知らない場所。先ほどまで竜馬とかいう奇妙な生物にまたがって移動していたはずなのに、目が覚めてみれば辺り一面が怪しげな光で満たされたなにもない空間。白一色の銀世界から一転してからのコレである。俺はまだ夢を見ているのか?

 

 揺蕩う霧状の光に溢れた世界はなぜか悍ましく身を包む。何よりあの黒いヘドロみたいな肉塊はなんだろうか。流動していて気持ち悪い。

 

 夢だとしても最悪だ。この光、あの海をいやでも想起する。

 

 恋都は胸に感じるこの柔らかな感触と重みでフォトクリスが力なくもたれかかっていることに気が付く。すぐそばにはヴァーセイもおり二人とも傷だらけでかなり消耗しているようだ。

 いつから気を失ったのかわからないが俺が寝てる間にかなり事態が動いたみたいだ。向こうに無数の触手の生えた芋虫みたいな化け物が転がっているが・・2人の体中には鞭で打たれたような傷。まさか俺を守るために・・・?

 

「いや、それにしてもマジでキモイな。醜悪すぎる」

 

 こちらに無理やりその巨体を小さな穴にねじ込もうとしているが、いやどう考えても入るはずがないだろ。見た目もそうだが中身もひどいようだ。あれはいったいなんなんだ。

 

「・・勇者様!?意識が戻ったんですね・・・か、体の方はなんともないんですか?」

 

 フォトクリスが目を見開き驚いている。

 

「・・・?見ればわかるだろ。これで平気に見えるのか?」

 

「い、いやそうじゃなくてですね」

 

 なぜそんな驚いたような顔をする。大けがしてるんだから平気な訳ないだろ。痛みで今にも泣きそうだ。涙をこらえて歯を食いしばってんだよ!褒めろ。

 

 ・・・イライラを抑えるのも一苦労だ。

 

 フォトクリスは俺の顔をじっと見つめ何かを堪えようとするも、そのまま涙がこぼれだす。どうしてか彼女からはいつもの自信過剰で尊大な姿勢を感じない。

 

 緊張の糸が切れたのかいままで耐え忍び貯めてきたものがあふれだす。強固な心の壁は決壊した。プライドもなにもかも吐き捨てて泣きじゃくる。やはりこの感情に俺は感化している。

 

「わ、私、頑張ったんですよ。いっぱいいっぱい我慢して、いつくるかもわからない希望に縋って必死に!いままで寝る間も惜しんで勉強して、序列一位なんてどうでもいいような称号を手に入れてそれで満足してやろうと思ったけど、結局そんなんじゃあ、どこか空っぽな私の心を満たしてくれなくて・・・どうしても他の巫女や教官どもが自分とは違う生き物にしか見えなくてッ。勇者様が召喚されて初めて自分の事が特別な存在って思えて、でも、勇者様はボロボロでわ、私って実はそこら辺の凡人どもと大差ないんじゃと思うとゲロ吐きそうなぐらいきつくって、私は、私はそんじょそこらにいるカスどもと、違いますよね?私は特別ですよねッッ?」

 

 これはなんて返答すべきなのか。契約によりフォトクリスと何かが繋がっているとか聞いていたがこの感情がそうだったのだな。言葉にせずとも気持ちがダイレクトに通ずる。

 

 それは天才故の疎外感なのか。いままで誰にも褒められたことがないのだろう。いや自分より劣っている者になんと言われようと心に響かないのだろう。だから自分をひたすら肯定することで、序列一位というわかりやすい指標で自己陶酔し自己愛が肥大化していったのかもしれない。もうここまでくると優劣は関係ない。彼女の信じる物以外のものに価値はないのだ。

 それこそ聖殿での放火こそいい例で他人の命などお構いなし、そんな有象無象の存在と一緒にされれば彼女のアイデンティティは崩壊する。

 俺が寝ている間に幾度となく心が折れてもおかしくないほどの綱渡りをしてきたのだろう。光満ちるこの異常な空間を見ればわかる。想定を軽々と超えるような事態に何度もあって心に疑問が生じている。

 

『私は本当に特別なのか?』

 

 俺もあの世界じゃ変異体認定されてもおかしくない人間。処刑されれば使命を全うできず欠陥品として扱われるので気持ちはわからないでもない。俺たちは少し境遇が似ている。どちらも大人の事情で好き勝手振り回されそこに個人の意思など介在せず社会全体に尽くさせようとする犠牲の上で成り立つ世界の住人。

 使命を与えられ産まれながらにして十字架を背負わされた俺たちは大人のエゴから生まれた社会に捧げられた生け贄だ。

 

 俺はいい。最初からそういった目的で作られたのだから。疑問は感じても抵抗はない。だから俺は社会全体を新たな次元に引き上げるための”不死の薬”を作れた。

 寿命に限界がなくなれば俺みたいな異常な世代を産みだす必要がなくなると考えて。今でなく先の未来を守ることが俺の僅かながらの疑問に対する回答であったし、ささやかな苛立ちの出力方法だった。

 

 でも彼女は攫われてきただけの元はただの一般人。もっと違う人生があっただろうに今の性格は過酷な環境に適応するために作られた心の外装だ。本来であればもっと優しい人間性を持った人生を歩んでいたのかもしれない。必死に生きようとする彼女を否定することなど誰にもできやしない。現状を自力で脱却しようとする自由さは過激ではあるものの憧れてしまう。

 

 だから俺は肯定しよう。誰かを救うことを望まれて産まれてきた歪な存在でも誰かを助けることが出来ると試したくなった。ここは異世界だ。遠慮は必要ない。俺だって思うがままに振る舞える・・・はずだ。

 

「・・・安心しろ。君になんの落ち度もないよ。君は紛れもなく天才だ。君はよくやっているよ」

 

「勇者様ッ!!」

 

 大事な指標に肯定され彼女の目に闘志がみなぎる。

 

 たとえどんなに常識から外れた人間、それこそ彼女や俺の様な改造人間にも居場所はあるはずだ。救いは誰にもあってしかるべき。だからフォトクリスのような子供に涙は似合わない。指先で涙を拭い背中を押す。彼女の体に活力が戻ってくる。彼女はもう迷わないだろう。

 

 それと同時にこの世界に異変が起きる。空間の裂け目は一気に蜘蛛の巣のように広がり細かな傷が世界を刻み込む。世界が細分化され、空間がずれる。網目のように広がる切り取られた空間に万華鏡のように俺たちの姿を映しこむ。いよいよ黒い化け物の圧力に境界が砕け散ろうとしていた。

 

「いやちょっとー流石についていけねーわ。これどうなってるんッ!?」

 

「ダメッ!!このままじゃ崩壊するッ!勇者様!」

 

「おうあッッ!?クリスちゃん!」

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

 黒い影が吠え体を打ち付け、ついに境界線は崩壊した。衝撃が襲いギリギリまで均衡を保っていた蜘蛛の巣のように張り巡らされた裂け目が崩れ散る。同時に地面がなくなり、皆落ちていく。

 

 上も下もない膨大な神性の流れに押され世界を舞う。もはや私たちは流れに身を任せるしかなかった。

 

「グホッ」

 

「ぐッ、ヴァーセイッ!?」

 

 ヴァーセイが私をかばうように横から押しのけ何かに跳ね飛ばされる。空を高速で移動する巨体。その正体は醜く変異し終えた羽根の生えた蝶。全身が黒に染まりさらに肥大化した体はあちらこちらから臭い体液を工業排水の様に垂れ流す。羽根には赤黒い模様が蠢き形を変える。それは大きな目にも見えるし、人の横顔にも見えた。

 

 完全に変異し、もはや自我もない段階まできたというのにそんな体で一体何を成す。何をそこまで突き動かす。その精神力はいったいどこから湧いてくるんだ。

 

 

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

 獣の叫びが怨嗟を振りまき響き渡る。その叫びが記憶の残滓を蘇らせる。ヴァーセイへの執着心はけっして消える事はない。消えゆく意識の中で必死に祈る。

 

 オレはダレダ。

 

 ココでなにヲ。

 

 そうだアのあく魔を倒すンだ。もう俺は死ぬ。

 

 意識が消えていく。だが、その前になんとしてでもこの罪人に裁きを下さねばならない。神様お願いします、どうかどうかこの俺に時間をください。

 

 どうか、どうか、どうカ、ドウカ、カ、カカカ――――――――――――

 

 

 

 その動きはあまりに速く巨体であるのにすぐに見失ってしまう。羽化した獣が飛んだ後にはキラキラと黒い光の軌跡残り香のように漂う。

 空中のヴァーセイを執拗に狙い高速移動からの巨体による体当たりを何度も繰り返す。

 

 ヴァーセイを嬲り殺しにするつもりか。あの連撃を受けてまだ生きているのも魔力特質【拡散】を利用した魔力防壁によって衝撃を散らしダメージを最小限にとどめているからなのだが、ヴァーセイの限界は近い。奴の魔力量はそう多くない。魔力が尽きた時、逃れられぬ死が襲い掛かるであろう。

 

 いまだに私にはあいつが何を考えているかさっぱりわからない。敵なのか味方なのかすらだ。でもあいつは私を守った。だが殺されかけもした。助けるべきか非常に悩むが時間がない。いや勇者様の前で見殺しはまずい。私を特別たらしめてくれる彼に嫌われたくない、だから助けよう。そのまま銃を取り出し援護しようとするが、腰に回した手が空を切る。あるべき場所にあるはずの物がない。まさかヴァーセイから一撃貰った時に落としたのか。何という皮肉な運命だ。

 

「グッ、ぐそおー」

 

 ボロボロのヴァーセイに音に等しい速さで差し迫る。空中に投げ出された時点でこの悪魔にとれる選択肢はない。どんなに衝撃を殺そうとあと数発で死ぬ。

 

 どれほどこの時を待ったか。

 

 ようやく、ようやく、ようやく!!

 

 さあ、死神が鎌首もたげて殺しに来たぞ。

 

 頼むからむごたらしく死んでおくれ。

 

 その小さな体を赤い果実のように潰してあげよう。

 

 化け物の精神が無数に分裂していく。自分が誰かもわからずもはや大事な妹の顔すら思い出せない。魂に刻まれた消える事のない傷跡が新たな自分にリレーのバトンのように繋いでいく。傷の意味も忘れて湧きだす衝動に体が突き動かされる。

 

 

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――ぇ」

 

 誰にも知覚できない音の世界で風が凪いだ。ぐらりと化け物の狙いは僅かに外れ、ヴァーセイの脇を通り抜ける。気が付けばグルグルと落ちている。熱い。とうの昔に失った筈の感覚が蘇る。体を内側から食い破り噴き出す赤い炎。

 

 ああ、なぜ、あと少しだったのに。

 

 どうして邪魔をする。なぜ殺させてくれない。神よ、神よ、神よ。体はグズグズに溶けて人間だったころの体が現れる。それでも足先から輝く粒子となり消えていく。

 

 いやだ、誰か、助けてッ!こんなところで終わりたくない。死にたくないッ。誰か!誰かあ!

 

 もがき苦しむ俺の手を誰かが引っ張り上げる。思わず瞠目する。目の前にはあの憎しみの根源である怨敵の顔が。

 

 ヴァーセイが寄り添っていた。

 

 ・・・なぜそんな目で俺を見る。なぜお前が憐れむ。誰のせいでこうなったと思ってるんだ。いつのまにか柔らかな腕に抱き留められている。

 

「ごめんね」

 

 耳元で囁かれる言の葉。

 

 なぜだ、どうしてだ、どうして今更謝るんだ。もう何もかもが遅すぎる。過ぎ去りし時間はもう戻ってこない。

 

 体から噴き出す炎が全身を包み込む。

 

「ごめんね、最後にどうしても謝っておきたくて・・」

 

「――――」

 

 それでもなお火傷することもいとわず強く強く抱きしめ耳元に顔を寄せ俺にしか聞こえないような小さな声で話す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「君の妹ちゃん死んじゃったよ」

 

「―――――――――――――」

 

「ふふふ、そんなになるまでがんばっちゃって・・・全部生きているかもわからない妹のためかな?相変わらず仲いいねぇ。・・・聖殿でもとっても仲睦まじい才気あふれる優秀な兄妹。友達も多くて誰からも慕れて、眩しいなあ、眩しくってついつい壊したくなってしまった僕は本当に悪い奴だよね。ほんと悪い子。あんなに見せつけられたら僕もあんな妹が欲しくなっちゃうよ。となると兄は邪魔だよね」

 

 この口ぶり、まさ、かおま――え、―――――――。

 

「あ、だめだめだめ!ちゃんと最後まで聞いて死んでくれないと困っちゃうなぁ」

 

「君がいなくなった後一人で悲しみに明け暮れるライアちゃん。見ていてすごく安心したよ。彼女はようやく一人になったんだって、だいたいさあ、みんな一人ぼっちで寂しい思いをしてるのに家族がいるなんて不公平だよ。あの子もこれで本当の意味でみんなの仲間になれてやったね!と思ったらその後が問題発生だ。ほーんと兄弟そろって優秀で嫌になるよ。今まで謎の不審死で済ませてきたのに君の妹ちゃん僕が毒で同期を殺し回っている事に気づいてそれを告発しようとするんだから、ほんとにビビったよぉ。その場で襲い掛かったら返り討ちにされるしなにが自首しろだよ、気取っちゃって。僕が憎くないのかな?それともその程度の存在にしか思っていないのかなぁ?」

 

「教官達に告発する前に一人でのこのこ現れたあたり僕を見下してるってことじゃん。僕程度ならどうにでもなるって。すごく生意気だよね。まあ後で君に仕込んだ毒の解毒剤の事教えたらあっさりと形勢逆転。交換条件で僕のお願いを何でも聞いてくれるお人形さんの誕生だー。いやー楽しいよね人を支配するってさ。君に何度かライアちゃんといっしょに面会しに行っただろ?君の前では気丈に振る舞ってかわいいよね。あの裏で僕にナニをされてたか、お兄ちゃん想像だにしなかったでしょ。兄さん、兄さんって泣きながら・・ホント羨ましい絆だなあ。あんまりにも張り切り過ぎて妊娠させちゃったけど、こうなるともう妹って感じじゃないし。だから――――――――――殺しちゃった☆」

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

「お、まだちゃんと生きてるね。お兄ちゃんえらいぞー。あ、この場合叔父さんになるのか!」

 

 じゃあ移送される最終日にヴァーセイが俺に顔を見せて毒の事実を告げた時点でライアはもう・・

 

「でも君が例の施設に移送される際に毒の事教えたのは失敗だったねー。一度入れば二度と出てこれない古塔に送られたはずなのに、まさかそーんな姿にまでなって僕を殺しに来るとは思いもしなかった。でもざーんねん!あの子はすでに死んでま~す!!」

 

 な、なんでそんな残酷なことができるんだ。俺たちが何をしたっていうんだ。目から熱いものがこみ上げる。

 

「もうそんな顔しないでよー。僕を責めないでよぉ。僕にこんなことをさせたのは君たち兄妹じゃないかー。あー!!でも今の君は好きになれそうかな」

 

 唇に湿った柔らかな感触。淫靡な匂いが立ち籠る。ようやくキスをされたことに気づいた。口内を犯しつくす舌がいけない糸を引きながら引きはがされる。

 

「ああ~この感じぃやっぱりライアちゃんのお兄ちゃんなんだあ~。この兄妹最高だよおッ気持ちがいい」

 

「―――」

 

「神様、見てますか。あなたのおかげで僕は今日も元気に過ごしています。やっぱり神様ってすごい。そう思わない?ん、あれ?もう死んじゃったー?勝手に逝っちゃて~」

 

 死体にはもう用はないと言わんばかりにそのまま乱暴に死骸を突き飛ばす。

 

「アッハハハハハハハハハ!楽しいなあ楽しいなあ!クヒハハハハハハッ!!」

 

 長い髪を振り撒き全身で笑い綴る。渦の中心へと飲み込まれる最後までその声は途絶えることはなかった。

 

 この世は残酷だ。必ずしも祈る者が報われる訳ではない。悪意に満ちた邪悪な存在が辺り一面で蠢いている。なぜ、どうして?その問いに答える者は一向に現れない。最後の最後で思考はクリアになり記憶が完全に蘇る。

 

 ようやく気付いた、この世に神はいない。

 

 火の玉はだんだんと小さくなり渦の中心に向かうことなく燃え尽きた。

 

 

 

 あの化け物を看取ってくると魔力放出を器用に使いこなし滑空していったヴァーセイ。

 

 フォトクリスは逆恨みで殺しにかかってきた相手に随分と優しいんだなと思いつつ小さくなっていくその背中を眺め神性の流れから生み出された渦に飲み込まれ、ついにその姿を見失う。

 

 最後まで何を考えているのかわからないやつだった。

 

(それにしても・・・)

 

 隣で生気を失った勇者様の顔を覗き先ほどの光景を思い出す。

 

 もうだめかというあの時、横合いから伸びた腕には無くしたはずの私のリボルバー。劈く轟音と硝煙の匂い。絶対的な世界に身を置くあの化け物の動きを正確に捉えあの一瞬で5発の弾丸を一点に集中し強引にぶち抜いたのだ。しかも片手で。

 

 それからの体中での【着火】(イグニッション)。そうでなければあの硬い化け物がああも見事に弾けたりしない。

 こんな状態にも関わらず彼はやっぱり勇者様なのだ。おまけに私と同じ”火属性”だったなんて。銃が使えるという事はそういうことだ。やはり勇者様は私の元に来たのは運命だった。すごい!火属性の人間にしかわからない湧き出る孤独感。自分の存在だけこの雪に埋もれた世界で浮き彫りになるのだ。世界が拒絶する。ここには居場所はないと教え込んでくる。

 

 でも私はもう一人じゃない。臍の下が疼いてしょうがない。これも契約の影響であるとわかっているのに情念がいきり立ってしまう。

 

「なあ、これからどうなるんだ・・・俺たち死ぬ、のか」

 

「それは・・・」

 

 終わりが近づいていることを勇者様も感じとったんだろう。何も言わずこちらを片手で抱き寄せる。お互い何も言わずともわかりあっている。神性の渦の中心で何かが産まれようとしている。高濃度の神性の流れに押され高密度に凝縮された空間が新たに莫大なエネルギーを発生させている。しかも生み出された矢先に片っ端から変異している。あれはいったいなんなのか。いずれ均衡は崩れ、破裂するだろう。飲み込まれるのが先か、爆発に巻き込まれるのが先か。どうせ碌な結果にはなりはしない。

 

 ああ、クソ。視界がかすれてきた。どうやら変異するのが先か。

 

 ・・・変化と無縁な不死の権化である勇者様であれば無事でいられるのかもしれない。

 

 そう考えると自然と体から力が抜ける。先ほどまでの緊張が嘘みたいだ。

 

 ふ、ふふふ。それにしてもおかしな話だ。まさか自分のことよりも他人の心配をするなんて。これも契約の効力なのか・・ならこの気持ちもまやかしなのか。ああ忌々しい。もはや呪いだ。知りたくなかったこんな気持ち。

 

 巫女は勇者を召喚した場合、最終的には勇者と子を成す事を使命としている。召喚される勇者は召喚者の性別と正反対になるように設定されており、召喚者と相性のよい存在が呼ばれる。しかもお互いに好意的になってしまうおまけ付き。感情の共有もその一環だ。宿した神性で短くなった寿命も同情を誘うための演出の一部であり全て計算尽くである。高いポテンシャルを誇る巫女と異界からの来訪者であり異能持ちの勇者。うまくいけばそのどちらの特性も備えた子供が産まれてくるかもしれない。

 

 だがどうだ。あんなにいやだったはずなのに勇者様との間に子供を儲けることになんの抵抗も感じていないのだ。いやむしろこの人じゃなければ嫌だと思っているほどに体と心が受け入れている。だからこそ忌々しいのだ。この気持ちが本物かどうかも判断がつかないのだから。

 

 ・・・今はただただ彼の温もりを感じているだけで十分幸せであった。私を私たらしめてきた自尊心と誇りも彼の前では形無しか。女に産まれてきて良かったとも思えた。

 

 しかたがないか、彼は私の勇者様なんだもん。彼の前でなら女で在れる。弱さも何もかも晒せる。

 

「そうだ、名前・・・まだ聞いていませんでしたね」

 

「・・・・恋都だ。それが俺の――――――――」

 

 こいと、こいと。何度も何度も繰り返しつぶやく。決してこの名前を忘れないように脳内に刻み込む。

 

 上空から悪夢の塊といってもいい醜悪な存在が渦の中心部分に飛び込む。 

 

 そして・・・・

 

 全てが白く染まり意識が掻き消えた。

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 あれは世界の断末魔だったのか。逆流する風が頬を撫でる。法典は砕かれ今ここに新たなる理が紡がれた。もはや過去を懐かしむ余地もなし。光輝く祝福の中で祈る。

 

 ただ生きたいと。

 

 

 

 

「――――――――なんだこれは。宰相よ、我はいったい何を見ているのだ」

 

 城のバルコニーから聖王は宰相と共に空を仰ぐ。いや、我々だけではない。近衛隊隊長、大臣、そして教皇までもがこのおかしな現象の前に圧倒されている。

 

 先ほど起きた衝撃で慌てて外に出てみれば空には怪しい光を放つオーロラが瞬いている。

 

 ―――――いったい何が起きた?

 

 

 

 

 暴徒の鎮圧後、城内では今回起きた聖殿炎上の件で緊急会議が行われていた。各派閥の関係者が呼ばれ原因と責任のありかを確かめていたのだがそこでは意見が紛糾し怒号が響き渡っていた。

 

「今回の件いったいどう説明するつもりですかな、ジェネルド教皇」

 

「いったいどの件でしょうか、心当たりが多すぎてわかりかねますね」

 

「聖殿の件に決まっているッ。あの炎、貴様ぁ火継守を秘匿していたなッ。あれがどれほどこの国に利益をもたらすかわからない訳ではあるまい?」

 

 しょっぱなからこれだ。ルファージ宰相は髭をいじりながら行く末を見守る。聖王と教皇。この二人が顔を合わせるといつもこうだ。どちらもこの聖王国に強い影響力を持つ教会派と聖王派のトップ。

 

 アンティキア正教教会の成り立ち自体とても古く王家の誕生よりも前から存在する由緒正しい宗教である。当時は王家など存在せず教会が国の治世を行っていた。王家の起源はもともと教会の権力闘争の渦中に割って入って来た古くから続く優秀な戦士を輩出してきた名門ヴェンディルド家であり、終末戦争時に召喚された勇者の血を取り入れ恐るべき力でのちの正教派教会に加担し敵対勢力を圧倒。かくして正教派が実権を握ることに成功する。その後、教会はその功績を認めヴェンディルド家による王家の設立を容認。いや、実際は無理やりに認めさせたが正しいか。当時はアンティキア天象教会という名であり正教派は昔はいくつもある小さな分派の中の一つに過ぎなかった。だが終末戦争の戦後処理による功績の奪い合いで派閥間で権力者によるで内紛が勃発。

 

 大勢力であったアンティキア天象教主流派閥も終末戦争により主要人物が軒並み死亡し弱体化。全てを牛耳っていた主流派の求心力と権力に陰りが見え始めたことで分派が内乱を起こし国の統治に大きな影響を与えた。

 国内は混乱し暗黒期を迎えていたが、ヴェンディルド家が兵士をまとめ介入する。非凡な才能を有す当時の当主ことアインオラム候が正教派と共謀し内乱を見事に収めてみせた。だが正教派もまた欺かれていた。ヴェンディルド家はそのまま今まで教会の領分であった政治を切り取ることに成功する。国民から多くの支持を得て世論を味方にしたヴェンディルド家を止められる者はいなかった。ヴェンディルド家の助力もあり勝利者となった正教派は他の分派を雪の大地に追放し(実質上の死刑)、宗教名をアンティキア正教へと名を改め新たに国教として定めさせそれに合わせセプストリア聖国は聖王国となった。

 

 教会側からすれば王家はおいしい部分だけを切り取っていった簒奪者であり、相容れない邪魔な存在である。禍根は未だに根付いている。

 それほどまでにこの国の歴史と宗教は古い。歴史が長い分、教会には秘密が多すぎる。長い歴史の中でいったいどれほどの実験を繰り返してきたことか。間違いなく万人が知りえないとてつもない何か抱えている。

 

「そのような謂われなき流言飛語、止めて頂きたい。原因はもうわかっております。配下の報告では召喚された勇者様が引き起こした現象だと」

 

「なに勇者が!?馬鹿を言うな!あの時勇者は全員城に・・・・最後の一人も移送中だと聞いていたぞ」

 

「襲撃メンバーに吐かせた情報によるとどうも移送前に福音派のメンバーに襲撃されてしまいそれに抵抗した勇者様の異能で聖殿ごと炎上、その結果がこの事件の顛末となります。驚きましたよ、まさか勇者様が火属性とはね」

 

「・・・ならば下手人と勇者の行方は」

 

「すでに遺体は見つかっておりますよ・・巫女の遺体と共にね。どちらも死因は剣による刺殺です」

 

 聖王はグラスを呷り、喉に水を通す。渇ついた口内が潤い思考をクールダウンさせる。

 

 ・・・口封じのために勇者を殺したか。それも火継守の存在をうやむやにするためだけに。火継守の取り扱いは国の運営を行う聖王側の管轄だ。よほど火継守をこちらに引き渡したくないか。

 遺体なんざいくらでも偽装できる、それに教会側が保有する火継守の正体は勇者を召喚した巫女と見て間違いないだろう。死にかけの勇者とは言え、いくらなんでも存在の隠蔽のためにだけに殺していいほど安い命じゃない。勇者の死亡も偽装されている可能性も考慮すべきか。それに死に体であるが勇者なんだぞ。本人もしくはパートナーである巫女から抵抗があったはず。

 

 今回の聖殿での出来事は巫女が勇者を守るために引き起こした結果だと考えるべきだ。それならいろいろと説明に納得がいく。勇者がたまたま火属性持ちだなんてそんな都合のいい話があるものか。勇者を死んだことにして出火の原因を擦り付けようとしているのかもしれないがそうはいかない。

 

 

「よく勇者の遺体を特定できたな。部下からの報告では聖殿から発見された遺体は600を超えるそうじゃないか。それも全てが焼死体らしいな」

 

「巫女には特別な処置を施しておりますので聖王国の都市付近に居さえすれば、どこにいるかすぐにわかりますよ。それで巫女の遺体が発見できたので、すぐ近くに勇者がいると思い探してみれば案の定いました。巫女には基本的に必ず勇者のそばにいるよう義務付けておりましたからね」

 

「――――ついでにもう一つ聞きたいんだがなぜあそこまで子供の死体が出てくるんだ。明らかに今回の事件以前からのものと思われる遺体もゴロゴロ湧いてくる!!あそこでいったい何をしていた?」

 

「ふむ、それは私も初耳ですね」

 

 机に拳を振り下ろし立ち上がる。ついでに椅子も転がす。

 

「ふざけるなッ!!統括者である貴様が知りえない訳がない!」

 

「私も全てを把握している訳ではありませんので。何分忙しい身でして基本的に責任者にある程度の裁量を与えて判断させておりますから。さてどうしましょうか。責任者に問い詰めようにも今回の福音派の暴走で行方不明になった者も多数おります。事情に詳しい者が他にいればよいのですが」

 

 責任者もすでに始末済みか。今回の件で聖殿内での内情を知る関係者のほとんどが死亡か行方不明。こうなると城内の勇者付きの巫女達に話を聞くしかないではないか。

 

「そちらも勝手に騎士を聖殿に踏み入らせるとは少し領分が過ぎるのでは?あの場所が教会にとってどれほど重要な場所かわかっておられないように見受けられますが?」

 

「人命救助のため仕方なく踏み入らせた。既定の手続きを踏まなかったことは謝罪する。だがその際にそちらの部下に配下が殺されていることを忘れないでいてもらおう・・・・・いいからさっさと下手人を引き渡せ」

 

「引き渡さないのはアンティキアの教えに則ったまでですよ。福音派とはいえ派閥は違えど親愛なる隣人でもあります。こちらの教会にも規則がありますのでちゃんとこちらのほうで処罰を下します。・・・とりあえず今回の件は聖殿等を管理する典礼庁の責任者を招集してまた日を改めるという事でどうでしょうか?どちらにせよこの場でどうこうできる内容ではないでしょう。まだまだ確認すべきことも多いのですから」

 

「いいわけあるか。そうやってまた時間を無駄にかけてうやむやにするつもりか!だいたい勇者の護衛もまともにできない上に福音派に付け入る隙を与えているようでは聖殿等の施設の管理能力に問題があると言わざるおえん!次の議会の場で体制の見直しのためにも第三者の観点から監査と調査を提言させてもらうぞ」

 

「そう言われましてもね。もともと不穏分子の監視はそちらの警邏の職務だったはず。聖殿に続く聖道の門の警備はそちらの領分ですよね。そちらが役割を果たさなかったからこそこんな大事になっているのですよ。そちらも職務怠慢と言えませんか?」

 

「ずっと前から不穏分子どもがことを起こす前に牢屋にでも入れておけとあれほど忠言しただろがッ!それを貴様は庇って――――――――」

 

 

 キィ――――――――――――ン

 

 その瞬間、今まで聞いたことのないノイズのような音が響き渡る。あらゆるものが震えエントランス側の窓ガラスが砕け散る。なんだこの音は。ふらつく頭を抑え立ち直る。広間一面に割れたガラスが散乱しおり宰相たちも頭を抑えふらついている。

 

「陛下!ご無事でしょうか!?」

 

 護衛の近衛兵が駆け寄ってくる。

 

 そうだ。それからだ。外の異常を知りエントランスへと移動したのは・・・

 

 

 

 もうすでに夜であるのにとにかく明るい。怪しげなオーロラが放つ光が無造作に漂う。いったい何が起きている。

 

「ジェネルド教皇、これはいったい」

 

「わかりません・・ただあのオーロラは神性そのものと見て間違いないでしょう」

 

「神性!?馬鹿をいうなあれが全てそうだというのか!?」

 

「・・・・」

 

 可視化できるほどの高密度の神性なんて聞いたことがない。まるで突然物語の中から飛び出てきたようなそんな場違い感を覚える。まさしく異質な光景と言えよう。

 

「あれほどの上空です、太陽もありますし主の施した領域への加護もあります。影響はない・・と言えればよかったのですが流石にこの神災に対してどこまで対応できるか不明でしょうな」

 

「これが・・・・神災・・」

 

 神が気まぐれに起こすとされる災害。神災が起きると高密度の神性が発生しその場所は人が住むことのできない死の土地と化す。そのどれもが霧に包まれる。

 

 記録によれば帝国との国境線上で40年前に起きており、今もなおその場所は封印指定領域に指定されており中がどうなっているのか誰にもわからない。

 

 

「これは人為的に起こせる現象ではありません。奇跡と同等のものです。こんなことができるのはまさしく神様ぐらいでしょう。これから何が起こるのかまったく予測が付きません・・」

 

「・・・わかった、各機関に連絡し市民たちに避難を促しておこう。それと奇跡【威光】の使用許可をこの場でいただきたい」

 

「・・・本来なら既定申請を通して頂きますがこのような状況です。私の権限を持って許可を出しましょう」

 

「感謝はする!宰相よ、混乱している市民を沈静化させ、すぐにでも地下区画に避難させろ」

 

「仰せのままに。それから国内の各主要都市に連絡員を飛ばさせ異常がないか探らせましょう」

 

 すれ違いざまに宰相が小声でこちらに語り掛ける。

 

「(それとレジスタンスと貴族どもに不穏な動きがないか調べさせます)」

 

「(わかっていると思うが、くれぐれも教会派に悟られぬよう・・)」

 

 宰相が小走りでエントランスを抜けて行く。それと入れ違いで伝令が入ってくる。

 

「失礼いたします!城門前の広場で終末派と名乗る集団が集団自殺を決行し市民たちに混乱が広がっておりますッ!!広場が真っ赤っかです!」

 

「こちらですぐに【威光】の準備を執り行う。それまで抑えろ。教皇殿、今日はこれで失礼する」

 

「ええ、それではまた後日」

 

 福音派の残党狩りもまだだというのに次から次へと問題が湧いてくる。

 

 この現状が外部に知られれば、反抗勢力に付け入る隙を与えることになる。何かが起こってからでは遅いのだ。教会の連中はどうも現状を甘くみるきらいがあるので頼りにならない。楽観的でそのくせ秘密主義。脇が甘いように見えて情報がこちらに流れてくる事がない。向こうに送った工作員のすべて行方不明になっているのだ。

 だからこそわからない。今回の聖殿の件は毛色が違った。なりふり構わず情報を抹消するとはよほどのことである。そうなるとある疑惑が湧いてくる。聖殿炎上、行方不明の勇者と巫女、そして謎のオーロラ。極秘裏の情報だが王都の外で謎の爆発が確認されている。調査のために兵士を派遣させるつもりがもうすでに教会の騎士が出発したとのこと。余りにも行動が早すぎる。数刻前に王都から外に出る死体を運ぶ教会の兵士が確認されている。埋葬関連は教会の職務。警備の人間は死体の埋葬を都市外で行っているため問題ないと判断し通したそうだが内乱時に普通は通すだろうか。やはり教会もこちらに工作員を送っていたか。都市外へ抜けて行ったのは巫女と考えるのが妥当。ワザと人の目がない外へと逃がし王都の外に逃げた巫女を捕まえるつもりか。巫女が火継守だからこそ出来る芸当だ。全て繋がっていく。あのオーロラもきっと・・・・・

 

「聖王様!」

 

 バタバタと親衛隊隊士が寄ってくる。あの顔に青色を基調にした服装・・・

 

「フラス隊士、姫直近護衛の貴様がなぜここにいる?」

 

「ハア、ハア、た、大変です!ひ、姫様が、目を覚まされました・・・」

 

「――――――――――――なんだと」

 

 

 事態はグルグルと思いがけない方向へと進んでいく。個人の意思などまるで介在しないがごとく大きな流れに飲まれてゆく。誰もが願った。この刹那とも言える瞬間が永遠なれと。奇跡を携え運命の歯車は動き出す。それがいったいどちらに向かうかなど誰も知る由はなかった。

 

 ああ、黄金の午後は二度と訪れることはない。全ては過去の遺物と化した。風化していく記憶の中で色あせることのない不死者はいつ祈る。

 

 その命を賭して何を成す。ああ、ああ、我が名を称え縋る時が楽しみだ。

 

 



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第二章 ア リ スの観る夢
第1話 夢を抱く者


第1章はプロローグみたいな感じです。ここから頭のおかしい本編開始です。


 

 夢、そうだ夢を見ていた。真底に沈む暗礁たる夢の最果て、白い兎が今日も跳ねる。

夢の中でのボクは兎となり目的もなくただ跳ね燥ぐ。兎はボクであるはずなのにその姿を俯瞰して見ている別のボクもいる。夢ならではの光景か。

 

 白く美しい姿は何もない闇の世界において唯一の星であった。

 

 

 だが夢の終わりはいつも唐突に訪れる。

 

 闇の中で光る斑な集合体―――――目だ。体中から目を生やした獣が今日も今日とて全てを終わらせる。

 

 体中に張り付いた数多の目がその巨躯の輪郭を浮き彫りにする。化け物の出現に兎は逃げ惑うが荒々しくも素早い動きに翻弄され殺されてしまう。ただ殺されるのではない。さんざんに嬲られ生きたまま内臓を引きずり出されてしまう。身を焼くような痛みに晒されても夢から覚めることはない。灼熱の時をひたすら耐えるしかない。恐るべき痛みが容赦なく襲う。

 

 それでも夢である限り永遠とも思える悪夢にも終わりはやってくる。

 

 突然現れた乱入者。そんな誰かの剣閃が煌めく。叫びをあげ血を吹く怪物はそのまま地に伏す。輝く炎の王冠を携えたその人物は血に濡れたボクの体を抱え優しく抱き留める。いつも遅れてやってくる眼帯の王子様は決まって醜い死体となったボクの為に涙する。薄れゆく意識の中で現実では知ることのできない暖かな温もりにつかる。痛みの中でしか知ることのできないこの瞬間が愛おしくてたまらない。

 

 ・・・・・・?

 

 だが、いつもとは何かが違う。何度も繰り返し見る夢。普段ならこの時点で夢から覚めるというのに続きがあったのだ。王子様は小さなボクの体をその場に置いて斬り伏せた化け物の元へと歩む。

 

 ・・・まさか、泣いている?化け物の為に・・?

 

 小さな嗚咽を漏らす慈悲深い王子様を前にボクは――

 

 

 

――――どうしようもないほどに嫉妬を感じていた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・」

 

 目が覚めベットから起き上がる。いつもとは違う夢を見たせいか少し意識がボーっとしているようだ。テーブルに置かれた水差しからコップに水を注ぎ喉を潤す。

 

 また、夢に変化が現れた。これで二回目。

 

 最初の頃はただ化け物に蹂躙されるだけの悪夢がいつからか王子様が現れ化け物を退治する物語へと変わっていった。

 夢を・・いや悪夢を見始めたのは一体いつぐらいの頃からだったか。少なくともボクは子供のころからこれ以外の夢を見たことがない。与えられた小説に出てくる登場人物が見る夢は明るく楽しげでそれこそ夢のあるものであるのにどうしてこうも胸をざわつかせるのか。

 

 この悩みに対し"パパ"はボクの深層意識がこれからの未来を予兆しているのかもしれないと言っていたが・・・・死にゆくボクを看取る王子様。

 

 いったい何を暗示しているというのか?

 

 

 汗ばんだ服を脱ぎ捨て白い陶器を連想させる美しい肢体が露わになる。様々な贈り物が散乱した真っ白な部屋を掻き分け何もない壁の前に立つ。

 

 ピピピ!

 

 可愛い電子音と共に壁に入口が現れる。中は浴場となっており、すでにお湯の張ってあるバスタブに身を漬す。水面に散りばめられた花の匂いが意識を呼び戻そうと刺激を与える。

 

 

 ―――ただ悪い事ばかりじゃないんだ。痛みに満ちた夢に王子様という登場人物が現れ始めてからボクは王子様に抱きしめられるあの瞬間が大好きだ。あれからずっと現実でも顔も知らない王子様の事をばかり考えている。今日も胸が痛い。この想いを綴らねば気が狂いそうになる。妄想が綴られたノートが日に日に積み上がっていく。

 

 ・・・明らかに恋い焦がれている。

 

 パパ以外で知りえる唯一の男性だからなのか。パパにも一度話したが茶化されたのでそれ以降の変化はまったく伝えていない。夢の中でしか会えない彼のことはパパにとっては夢物語でしかないのだ。大人にとって子供の夢想とは麻疹のようなものでしかないのだ。いずれは現実を知り夢から覚める。だから軽く扱われている。外に一向に出してくれないパパへの初めての反抗に罪悪感を感じつつも王子様とのこの逢瀬はボクにとって何物にも耐えがたい安らぎを与えるものとなっていた。

 

 今思えば彼を独り占めにしたかっただけかもしれない。

 

 夢を見れば見るほど王子様への執着心が強くなっていく。パパに感じる親愛の念とは違うドロリとした感情。この抑圧された感情はいつからか現状を打開する希望へと変わっていった。

 

 ボクは変化に飢えていた。変わらぬ毎日に殺されそうだった。

 

 もし、パパの言う通り王子様が未来の暗示ならば何かしらの変化がボクに訪れるかもしれない。閉ざされた白い部屋に押し込められたボクを"外"に連れ出してくれる。王子様はボクの救世主なのだと、いつからかそう信じてやまなくなっていた。

 

 そんな予感がしてならないのだ。

 

 

 

 

 風呂から上がりいつの間にか用意されていた服をいつものように身に着ける。この服、どうやら新作のようで今までの服とは細部の意匠が違う。着替え終わり鏡の前に立つ。白い髪にすらりとした手足に大きな胸。なによりボクの特徴である長い獣の耳。大きな姿見の中のボクはとても可愛らしい。尻尾が跳ね心の内を示す。

 

 鏡の前で様々なポーズをとっているボクにどこからともなく声がかかる。

 

 

『おや、どうしたんだい。今日はいつもにましてご機嫌だね』

 

「わッ!パ、パパ!おはようございます」

 

 

 幾度も繰り返されしルーティンワーク。朝はいつもこの挨拶から始まる。声の元は部屋の四隅に取り付けられたスピーカーから。パパとはこれを通して会話を行う。

 

 

『ふふ、どうやら気に入ってもらえたようだね』

 

「この服やっぱりパパが?」

 

『他でもない娘の為だ。私が一からデザインさせてもらったよ。素材だって最高級の物を使用している。やはり会心の出来だ』

 

「ありがとう!すごく嬉しいよ!」

 

『・・・・なにいつも窮屈な思いをさせているお詫びとでも思ってくれれば安い物さ』

 

 幼少期以降、ボクの前に姿を見せることがなくなったパパとの会話は他者とのコミュニケーションに飢えたボクにとって至福の時だ。

 

 産まれた時からずっとボクは狭い世界で生きてきた。別に監禁されている訳ではない。ずっとこの部屋に閉じ込められているのはボクに原因があった。

 

 ある・・病気を患っているのだ。治る見通しのない不治の病を。そんなボクを不憫に思ってか、いつだって欲しいものはパパがなんでも用意してくれる。パパがあまり会話に時間が取れないのも病を治すために奮闘しているのだからボクも我慢しないといけない。我儘はもう十分している。

 

 そう頭では理解していても・・気持ちを抑えることが出来ず聞いてしまう。

 

「ねえパパ、ボクはいつになったら外に出られるの?」

 

『イグナイツ・・・それが無理なのは君もわかっているだろう。結局3日も持たずに”その子”は死んでしまっているじゃないか』

 

「そうだけど、そうだけど・・こんなの無理だよッ」

 

 部屋に散らかったプレゼントの類。天辺が見えないほど積み上がった本に多様なぬいぐるみの山、おもちゃの数々、服を収納したクローゼットや小物を収納した棚、そしてバラバラに引き裂かれた奴隷の死体。

 

『・・・・・・ずっと前から言ってるじゃないか。たったの1週間お人形さんを壊すのを我慢すれば外に出してあげるって。生きてさえいれば・・別に五体満足じゃなくてもいいんだよ?それなのに4日ももった試しがない。こんな結果で外に出せると思うかい?』

 

「・・・・我儘言ってごめんなさいパパ・・」

 

『外の世界は人がゴミのようにいっぱい溢れている。そんな場所に君を放り込めばどうなるかなんて言わなくてもわかるだろう?』

 

「・・・・・・・・・はい」

 

 今までどれだけの奴隷を殺してきたのかまったく覚えていない。それもこれもボクの中に眠る食人衝動のせいだ。

 

 ボクが7歳のころ初めてお人形をパパから貰った時"それ"を一目見て世界が変わった。気がつけば辺りは血の海になっており口いっぱいに何かを咀嚼していた。何が起こったか全部覚えている。殺しの最中のボクは冷静でありながら体の抑えの利かない状態であり溢れんばかりの力で対象を破壊し尽くした。四肢を引きちぎり胴体を破裂させる。辺り一面に血と臓物がまき散らかされる。

 

 殺人自体は別に楽しいとも思わない。だが止めるという選択肢も思い浮かばないほど平然とやってのける。そこに疑問はなく純粋に食べたくて仕方が無かった。どんなに満腹でも異様に腹が減るのだ。

 

 突発的に起きた行為の後、血にまみれた顔で平然と話しかけるボクを悲しげな顔で見つめるパパの顔が今でも忘れられない。

 

 パパが直接ボクと会わなくなったのはそれからだったか。

 

 ・・・そのことを寂しくも思うが納得もしている。あれ以降タガが外れたように衝動が湧き上がるようになってしまった。壊れゆく人形たちを見つめながら思うのだ。いままではパパに対して衝動が湧き上がることはなかったがこれからもそうである保証はない。体の奥底から湧き上がるマグマのような熱い情念。

 

 もしその衝動の矛先がパパに襲い掛かればボクは抑えることができるのか?

 

 ・・・想像しただけで身震いしてしまう。

 

 

 それからはパパは定期的におもちゃとして生きたお人形をくれる。どの人形も美しい女であり年も若く化粧や綺麗な服で着飾られている。一応生きてはいるが”頭”に何らかの処置を施されているようで意思を感じさせるような行動はしない。基本的にボクの身の回りの世話をするのが彼女らの仕事であるがそれ以外にも着せ替えしたりゲームの遊び相手になってもらったりとボクの言う事をなんでも聞いてくれる、いわば従順な肉人形といったところか。

 

 ちなみにどんなにお願いしてもパパは何故か男の人形はくれない。最近じゃ女の体をまさぐって遊ぶのにも飽きてきた。反応がないのはつまらない。ああ、こういうのをマグロって言うんだっけ。本で読んだことがあるなぁ!

 

 

『そもそもなぜ外に出たいんだい?君が思うほど外はいい場所じゃないよ』

 

「・・・・・それは」

 

 話せる訳がない。夢の中の彼に会える気がするからなんてそんな頭の中お花畑みたいな理由口が裂けても言えない。そもそもパパには夢の話は秘密にしているんだ。夢に変化があればどんな些細な事も教える約束をしているのにそのウソがばれて怒られてしまう。そんな子供じみた理由でボクは終ぞ話すことが出来なかった。

 

『すまないがもう少し我慢してくれ。もしかすれば外の状況が変わるかもしれない。衝動を抑え込む薬品もあと少しでできそうなんだ。そうすれば・・・』

 

「うん、うんわかっているよ。パパが頑張っているのは・・いつも感謝しているよ」

 

『・・・不出来な父親ですまない。・・・また、明日』

 

「うん、また明日」

 

 切れる通信音。それと同時にドサドサと落ちてくるプレゼントの山。息を吐きベットに倒れこむ。会話の最後はいつもすまないと謝られる。迷惑をかけているのはボクなのに。とても申し訳のない気持ちになる。

 

 すぐに起き上がり机に向かい魔導書を開く。こういう時こそ勉学に励むに限る。

 

 鬱屈した気持ちを振り払うかのようにボクはいつ外に出ても問題がないように自分磨きに精をだすのであった。

 



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第2話 獣と王子様

 

「Hey!元気がないようだが大丈夫かい。クキキキキ」

 

 修練を始めてどれほどたったのか。突然耳元で囁かれる声にビックリする。

 

 この声は―――

 

 見ると私の顔の横でふよふよとした青白い人魂が浮かんでいた。

 

「はあ・・・幽霊ちゃん急に声を掛けないでよ」

 

「クキキキキそりゃ無理ってもんさ、なんせ幽霊だもーん」

 

 ボクが子供の頃の話。ひょっこりと現れた自分のことを幽霊と名乗るおかしな存在。普通ならば警戒しているであろうがその頃のボクはパパと会う事が出来ず不貞腐れ非常に寂しい思いをしながら灰色の日々を淡々と過ごしていた。他者との繋がりのない狭い世界で独りだけの状況が恐ろしくて堪らない。

 

 そんな時に現れたこのおかしな存在に当時のボクは恐れず話しかけることにした。

 

『こんにちは!!』

 

 この奇妙な付き合いが始まったのはそれからだった。

 

 彼もしくは彼女に名前はない。暫定的に見たままの姿から幽霊ちゃんと呼んでいたのだがすっかりとその呼び名が定着してしまった。それほど長い付き合いともいえる。

 

「今日も今日とて酷い面をしてらっしゃる、すごい笑えるねーカワイソ」

 

「はあ、そう思うなら少しは優しい言葉をかけるぐらいの気遣いぐらいしてくれたっていいじゃない。・・・それはともかく今回はえらく来るのが遅かったね」

 

「外でいろいろあったと言ったら気になる?気にしちゃう?」

 

「―――外!」

 

「落ち着けよーちゃんとお話ししてあげますからねークキキキキ。なんと今回は新しく発見されたダンジョンのお話。まずわわわぁ――」

 

 幽霊ちゃんが言うには偶然この場所に迷い込んでしまったらしい。普段は外の世界でいろいろな場所を気ままに巡っているらしく、たまにふらりと現れてはボクの知らない外の知識を教えてくれるのだ。本では得られない生の見識は知識だけでは辿り着けない想像の限界をたやすく超えてくる。まるで子供の様に話をせっつくボクを邪険に扱うでもなく詳しく丁寧に教えてくれる。地獄の様な真っ赤なマグマ地帯、凍らない幽玄たる大滝、奇怪な建築物群、天を貫く大木。もたらされる情報はどれも心躍るものであるが、なによりも楽しみなのはダンジョンの話。たくさんの夢と希望の集積である冒険譚は興奮して眠れないほどに好きだ。

 

 故にさらなる夢想をする。

 

「おいおいもうおねむの時間かー?」

 

「・・・・うん・・・眠、い」

 

 夢の件もあって日に日に外への思いは募りゆく。幽霊の語る外界の話に耳を傾けながら瞼が落ちていく。そういえばもう夜だっけ。最近一日が過ぎるのを早く感じる。朝の挨拶が終わってから寝るまでずっとずっと魔術の修練。雑念を振り払うかのように深淵の奥底へと潜ることだけが外への執着から目を逸らす唯一の方法だった。

 

 今はただこの楽しい気分のまま夢の世界に旅立つのだった。

 

「クキキキキ、おやすみおやすみ子兎ちゃん」

 

 

 

 

 また、夢を見ている。見慣れたどことも知れない闇の世界でボクはまた目玉の化け物に殺されていた。

 何度も何度も親の顔よりも見た光景。この痛みもこの絶望もずっと前から知っている。

 

 そして、この先もだ。

 

 王子様の到来。切り伏せられる化け物。王子様の温かな腕に包まれ、そして、そして・・・・・唸り声。

 

 ・・・・???

 

 見るとボクを抱きかかえる王子様の背後に知らない女が立っていた。

 

 まただ、また夢に変化が現れた。

 

 二日連続だなんて何が・・起こっているんだ?

 

 獣の死体の上で踊るボロボロのエプロンドレスを身に着けた乱れた金髪の女性。顔はうつむき両腕を広げクルクルと踊っている。ぐちゃぐちゃと足踏みするたびに化け物の内臓が零れ落ち血が跳ねる。それなのに死んでいるはずの化け物から唸り声が聞こえる。

 

『起きて。彼が、来るよ』

 

 唸り声はどんどん大きくなっていく。いつのまにか王子様は消えており辺り一面に肉片と臓物の海が広がり、ボクの体がゆっくりと沈んでいく。

 

 その姿がおかしいのか女は指を差しケタケタと女は笑う。化け物も笑う。

 

 不思議な事にボクは恐怖を感じていなかった。

 

 寧ろ・・・・・・どこか懐かしい―――?

 

『『アハハハハハハハハハハハhaha』』

 

 沈み切る寸前に見えたその女の顔は黒く塗りつぶされていた。

 

 暗い血の滲む水の中でもがくことも出来ず、ただただ不愉快な笑い声だけが頭の奥底で木霊する。いつまでも続く笑い声に混じり風が鳴る。

 

 真っ赤な水中で風の流れ・・・?

 

―――この異音・・・夢じゃない・・ッ!?

 

 

 

 

 イグナイツはベットから転がり落ち跳ね起きる。

 

「――――――ッ!!」

 

 最初に感じ取った異常は風だ。生ぬるい風が部屋の中を渦巻いておりボクの髪を掻き乱す。

 

 ボクはおもむろに発生源であろう部屋の中心で風を吐き出す黒い球体から距離を取る。見方によっては穴にも見えるそれは時折、黒い稲妻が走り明かりの落ちた部屋を鈍く照らす。

 

 なんだこれッ!?こんな異常事態が起きているのになぜ警報が鳴らない?

 

 そもそもなぜ明かりが落ちたままなんだ。電気系統に何か問題が発生したか?いやそれよりもこの現象は何者かによる空間干渉。籠れ出る魔力の残滓からそう判断する。いったい誰が・・・

 

 ふと王子様のことが思い浮かぶがその考えを振り払う。あまりに都合が良すぎる願望が混じった希望的観測。

 

 ――――――だが、夢の中でエプロンドレスの女が放ったあの言葉。

 

 都合のいい話だと分かってはいてもどうしてか期待してしまう。ドキドキと心臓がかつてないほどに脈打ち鼓動する。停滞した運命の歯車が今動き出そうとしている。

 

 気のせいか穴が前よりも大きくなったように見えるが・・いや、間違いない。今なお膨張し続けている。

 じわじわと確実に穴は広がりを見せ、遂には床や天井を飲み込み始めた。

 

 まるで卵にも見えるが高圧の暗黒空間。床や天井は触れた部分からは亀裂が走る。床に散らばった本やぬいぐるみ、服までも浮いては吸い込まれていく。

 

 この勢いでは光すらも吸い込む大穴にこの場の全てを呑み込まれてしまうかもしれない。そんな考えが頭をよぎるが恐怖は一切無い。退屈な日常に終わりが来ることを夢見たボクにとってこの大穴は希望となりえるかもしれないから。

 

 この穴はどこにつながっているんだ?外に繋がっているんじゃないか?

 

 あるかどうかもわからぬ外の景色を夢想しながらふらふらと大穴に歩み寄る。息が荒い。頬が熱で高揚している。胸の高まりが留まることをしらない。

 

 だが、そんなボクの期待を裏切るかのように急激に穴のサイズが縮まっていく。

 

「――――――あッ!?」

 

 おいおい待て待てまだ早い!

 

 焦りから踏み出したはずの第一歩。

 

 ―――――だが止まる。

 

 なぜ、足が動かない。あのサイズであればまだ間に合う。それがわかっていながら一向に足は動こうとしない。ブワリと嫌な汗が全身をひたす。未だ決意も定まらぬままその様子を眺めるだけで留まっている。

 

 結局のところだ。ボクは本当の所、何も期待などしていなかったのかもしれない。もしあの穴の先になにも無かったらボクは正気を保てないかもしれない。それにこの穴は一度入れば二度と戻っては来れないだろう。

 

 期待せずにいれば失望もしない。何もしないことで自分の心を守ろうとしている。ここまで来てひどく臆病だった。今まで外への夢を見るだけで満足していたが、つまるところボクは完全にここで飼いならされていた。最初から外に出る気なんて一切なかったのだ。

 

 その場でへたり込む。

 

 そもそもの話、ボクは外なんかに出てどうするんだ。外はおそらく広大。あてもなくいるかもわからない夢の中の彼を探しに行くつもりか?確信もないのに後先考えない非常に愚かで感傷的な行為だ。

 

 それに・・パパはどうするんだ。ボクがいなくなったらきっと悲しむ。今日まで不自由なく生きてこれたのも大好きなパパのお陰なのに。

 

 裏切る訳にはいかない。これでいいんだ、これで。

 

 思いつく限りの言い訳で心を装甲のように包んでいく。情けなくて涙が溢れてくる。

 

 涙で歪む視界に映る黒い穴が大きな目に見えてきた。チャンスを前に何もしないことを選んだボクを恨めしそうに見つめているように錯覚する。

 

 早く閉じてしまえ。

 

 そうすればボクは日常に帰ることができる。複雑な思いが混じりながらも穴を強く睨みつける。

 

 煮え切らない思いが通じたのか運命は賽を投じたのであった。

 

 ―――なんとその時、ボクの目にありえない物が映る。

 

 穴はすでに頭のサイズにまで縮まっており、そこから何者かの手が垂れさがる形で現れたのだ。

 

「―――――――――」

 

 気がつくとボクは穴に両手を突っ込んでいた。

 

 なんとも現金な話だがボクが動くに足りる王子様の存在がこうやって示されてしまったのだ。この手の主をこちら側に引きずり込めばパパへの裏切りにもならない。ボクが行くのでなく相手をこちらに引き込む。偶然にも条件が満たされてしまったボクの行動はとても速かった。

 

 穴の中は非常に強い力場になっているのか、すでにボクの指が何本かへし折れているが構わず穴の縁を掴み力を籠め無理やりこじ開けようとする。

 

「ぎぎギ・・・・カハァッ!ガァッッ」

 

 この突き出た手の持ち主の面を拝まなければ気が済まない。先ほどまでの弱気な自分はどこに行ったのか・・ただただ必死に縋っていた。それでも穴が狭まる力が抑えきれない。

 

 思い出せ!夢の中でのあの温もりを!確かな熱量をッ!!

 

 あれを現実にしたければなんとしてでもこの状況を打破しなければならない。せめて頭3つ分の大きさまで広げないと手の主をこちらに引きずり込むことはできない。

 

 この時気がついてはいなかったが、これまで何かに全力で挑む機会のなかったボクが初めて本気を出す瞬間でもあった。

 

 その結果生まれて初めてその身に眠りし恐るべき膂力が解放されつつあった。

 

 穴が少しづつだが広がっていく。

 

 ―――――重い.

 

 

 穴の中はまるでドロドロの沼のような抵抗感が常に纏わりつく。

 

 空間内で渦巻く力の流れに腕が持っていかれそうになるもギリギリのところで推し留まる。少しでも気を抜けば腕だけじゃなく全身ごと穴に吸い込まれてしまいそうだ。

 

 失敗すれば死ぬ。

 

 ギチギチと穴がこじ開けられる。それと同時に穴の縁から部屋内に空間の裂け目が網目のように広がりゆく。まるで悲鳴を上げているようだった。

 

「あと、少し―――ッ」

 

 こんなにも疲れたのは生まれて初めてだった。

 

 開け開け開けェェェ――――――ッッ!!!

 

 全身汗だくのボクの中で祈りが満ちる。穴が広がるごとに亀裂も走る。力ずくでは強引過ぎたか。このままでは部屋ごと崩壊する可能性もある・・・時間の問題、限界が近い。

 

 焦る気持ちが思考を鈍らせ全身が強張る。皮膚が裂け血生臭い稲妻を描く。血塗れになってもそれでも腕の力だけは緩めない。

 

 そして・・・穴が広がったと同時にようやく中から腕がずるりと垂れ落ちる。待ってましたとボクはおもむろに二の腕に顎でかぶりつきそのまま引きずり出そうとする。

 

 肩、そしてこれは頭か?

 

 鈍い銀色の髪で覆われた頭部が遂に露わとなる。そこが・・限界だった。右肩と頭が出た状態で穴がガラスのように砕け散ってしまう。飛散する空間の断片。それを何と形容すべきか。

 

「い”ッたああ~~―――ッ!!」

 

 体の支えを失い勢いよく尻もちをつく。腕の内にしっかりと彼を抱えながら。

 

 成果はあった。

 

 急いで穴を確認するがそこにはもう何も無かった。ドーム状にくり抜かれた天井と床に部屋に網目を張る亀裂に合わせズレた壁だけが残っていた。

 

 ゆっくりと腕に抱える男の体を確認する。

 

 やった、やったんだボク。

 

 夢の中で何度も感じた実感の伴った温もり。彼が"そう"だとなぜか確証を得ていた。その事実に喜びを噛みしめながら男の体が血塗れだと気が付く。喜びもつかの間、背筋がゾッとする。体の至る所に痛々しい傷が浮き出ている。それに左腕と左目といくつか体のパーツが足りない。恐らくあの空間から無理やり引きずり出したせいだ。両足は空間が弾けた影響で向こう側に置いて行かれた。

 

 ・・・ボクのせいだ。ボクの都合を優先するだけで彼の事をなんら鑑みることがなかった。

 

 罪悪感に駆られつつ医療キットから包帯を取り出し手当てを施す。この傷も、この傷もボクのせいだ。

 

 今、彼は死にかけている。弱弱しい吐息が不安を煽る。このままじゃ彼を殺すことになる。

 

 ダメだ・・血が止まらない。いくら血を拭っても溢れてくる。どうすれば・・こんな時どうすればいいんだ。助けを呼ぶにも部屋に備え付けられた緊急用の機能は停止している。壊すことは得意だが直すことはそう得意ではない。

 

 だからと言って、このまま見殺しにできるはずも・・・・・・

 

 ――――ドクン

 

 心臓が跳ね上がる。焦るボクの胸中に小さな火がともる。体が熱い。幾度も経験した忌むべきあの感覚が襲いかかる。

 

 う、嘘。こんなッ・・このタイミングで衝動がッッ!

 

 息が荒い。視界がグルグルと回る。心臓の鼓動が頭の中で反響する。プルプルと指先が死にかけの彼の首に触れる。柔らかな首。鼻腔を血が饐える。

 

 ブチッ。

 

 頭で何かが弾け飛ぶ。理性が―――飛ぶ。

 

 

 

 

 

 その後のことは鮮明に記憶に焼き付いていた。

 

 血、血、血。

 

 赤く染まった床。正気を取り戻す頃にはそこには原型すらとどめていない赤黒い"何か"があった。

 床にへたり込み顔を覆うも、嫌な感覚に恐る恐る顔を上げる。掌は血にまみれており拭えば拭うほど顔が赤く染まっていく。ひび割れた鏡に写るボクは色鮮やかに彩られていた。

 口内に広がる甘美なる口当たりに咀嚼が止まらない。何を口に入れているかなど考えたくなかった。吐き出そうにも嚥下が止まらない。

 

 なぜ、なぜこんなにもおいしいんだ。知りたくなかった彼がこんなにもおいしいだなんて。

 

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッ違う違うそうじゃないよお”お”お”お”」

 

 何度も、何度も力任せに両腕を地面に叩きつける。破壊されていく床の破片が跳ねる。いったい何をしているんだッ。自ら希望を摘み取る・・・なんて愚かな行為をしてしまったんだッ!

 

 鏡の中のボクは顔を曇らせながらも歪んだ笑みを浮かべていた。楽しすぎて堪らない。そんな人殺しの顔だった。殺しで芽生えた初めての感情。彼をバラすのはとても楽しかった。獣のようにむさぼり喰らうのもそれはもうたまらなかった。もはや理性という歯止めが効かない体になってしまった。

 

 ボクは――――――――悪い子だった

 

 いつの間にやら脱ぎ捨てられた衣服。

 

 一糸まとわぬ血に濡れし体をさらけ出しながら獣となったボクは残った彼の残骸にかぶりつく。ついでに匂いだって嗅いじゃう。肌に生臭い血を刷り込む度に全身が彼の存在を感受する。時折グチャグチャな彼を全身で抱きしめたりする。

 

 すごい!夢で王子様にされたやつだコレ!腕の隙間から彼を構成するいろいろな器官が零れ落ちる。その上で意味もなく転がる。赤いベットの上でボクと王子様が一体となる様な感覚がこれ以上ないほどに興奮させる。

 

「・・・残さず食べなきゃ」

 

 王子様はお亡くなりになられました。

 

 こうなってしまっては彼と一緒になる方法がこれしか思い浮かばない。せっかく出会えたのに離れ離れになるなんて悲しすぎる。これを悲劇言わずしてなんと言う。だから食べるんだ。彼の魂が完全に霧散してしまう前に・・・ボクを一人にしようったってそうはいかない。

 

 なんだこれ・・・仕方がないじゃないか。衝動のせいなんだ・・・・ボクを責めないで・・誰も悪くないん、誰も。ボクはひ、被害者だ・・・

 

 血の浮いた床を丁寧に舐めとる。結局、全部一緒なんだ。配役が違うだけで夢も現実も全部一緒。化け物がボクで兎が彼。今回限りの配役。夢の中の化け物もさぞかし気分がよかったんだろう。こんなに蹂躙することが気持ちよかっただなんて・・・同じ夜を何度も繰り返す気持ちが今なら理解できる。

 

 獣へと堕ちたボクになら――――

 

 そうなると疑問が残る。それだと王子の役割は誰が担う?

 

 無防備な背中に気配を感じた。おかしいここには誰もいない。いつの間にか消えていた幽霊ちゃんとも違う気配。いったい誰が・・・

 

 振り返ればそこには原型すら留めることなく破壊されつくした彼の破片が存在した。夢でも見ているのかと目を疑ったが答えはすぐにやって来た。

 

 彼の壊れた部位が再生していくのだ。失われた人の形を埋めていく。そのままあっという間に彼は復活して見せた。

 ボクは驚きのあまり暫し呆然としていた。彼が生きていたことで夢が潰えていない事への喜びよりも半ばあきらめていた”不死者”との遭遇に感極まっていた。

 

 望外な願いが叶ってしまった。

 

 送り込まれる人形たちを壊すたびに思ったものだ。愛読書である”不死狩り日和”に登場する主人公の宿敵。殺しても殺しても歯向かう不死者キリル。こんな奴がいてくれればボクはきっと普通であれる。いくらでも壊していい相手がいれば人間社会であっても少なくともそう取り繕える、パパも許してくれると思っていた。

 

 王子様が本当に不死者かなど愚問だ。あの状態からここまで再生することができるのは、かの存在を他に置いていない。

 

 不死者に理解のある優しい獣はここですよと安心させなくては。世間一般での不死者の忌み嫌われっぷりは心得ているつもりだ。

 

 血塗れの部屋の中で伏する彼は未だ意識はないが息はある。故に確信する。血塗れの現状を見ればきっと彼はボクの事を誤解する。はしたない奴だって勘違いされてしまう。

 

 違う・・普段のボクはこんなにもは破廉恥なんかじゃない!狂ってなんかいない!ただちょっと病気なだけなんだ。

 

 体面を繕うだけの恥ずかしさは持ち合わせているつもりだ。

 

 方針は決まった。すぐにでも行動に取り掛かる。

 

 これからボクがすべき事は一つ。不死の王子様である彼が目を覚ます前にこの惨状を急いで何とかしないと。残った血肉を急いで頬張り腹に詰め込んでいく。血を舐めとっていく。

 

 体が、精神がまるで羽根が生えたかのようにフワフワと浮ついている。なんせ欲しいものが二つも手に入ったのだ。不死と夢の彼・・まさか二つが一つになるとは・・・夢が現実となった今、ボクは幸福で満たされていた。

 

 やっぱり王子様は実在したのだ!

 

 王子様が生きており、おまけに不死者であったことに生まれて初めて神の存在を感じた。今まで何もしてくれなかったのは今日という日の為だったんだと都合のいいことを並べる。すると感謝の言葉で溢れる。

 

 ボクは今日という日を決して忘れることはないだろう。ボクという存在がようやく舞台に上がれる記念すべき日なのだから。檀上は既に温まっていた。

 



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第3話 二つの認識

 

 

 

 肌触りの良い天蓋から垂れる白のレースを右手で撫でる。そのままベットの上から床の上でひれ伏すイグナイツと名乗る女の姿を見やる。

 

「・・なるほど、じゃあ君は命の恩人ということになるか」

 

 恋都はベットの天蓋を眺めながら獣の耳が生えた奇妙な女から事の顛末を聞かされていた。

 

(ここは・・・どこだ?)

 

 

 俺が目を覚ました時からずっとこの体勢。どんな顔をしているかもわからない女の後方には嫌でも目に付く床にできた綺麗な円形の窪み。ぬいぐるみ、小物、本、服。様々な物が散乱した空間にぽっかりとあいた空白地帯が異常を主張する。自分との関係性を疑わざる負えない。

 

 この場にできた空間の歪み。偶然生まれた”穴”から俺はやってきたらしい。普通ならば相手の正気を疑う話であるが俺はつい先ほどまで光に満ちた謎の世界にいたからか意外とすんなりと頭に入ってくる。そもそも勇者としてこの世界に召喚された時点で常識も糞もない。それから命を狙われるわ、追手を躱すために死体の山に紛れたりと碌な目に合ってない。

 

 おまけにほとんど気絶していたせいで未だにこの世界の全貌を把握しきれていないのに理解が及ぶ前に更なる厄介ごとが降りかかる。世界は俺の事情など知ったことではないらしい。

 

 元の世界が恋しく思える日が来るなど全然笑えない・・・

 

(はぁ・・・・)

 

 欠けた左手を狭まった視界で再確認し話をどう切り出すか考える。

 

 彼女が未だに土下座の様な姿勢のままの理由。どうも彼女は少し勘違いをしてくれているようだ。空間に穴が発生した際に俺は大怪我をしてしまいこうやってベットに寝かされているというのが彼女の見解。穴から半ばはみ出た俺の体を穴が閉じる前に強引に引っ張り出したのが原因だと思い込んでいるようだが体の傷は別の要因でできたものであり、自爆テロによるものだ。

 

 そもそもこの場に現れた穴は謎の世界で生まれた莫大なエネルギーの爆発によって発生したのだろう。

 

 ・・・この状況は俺にとって非常に助かるものであった。

 

 理由は全てフォトクリスの存在にあった。最後まで一緒にいたあの子がいない。口が悪く利己主義かつ傲慢で・・・どこか寂しげな彼女はもういないのだ。

 

 この欠損した体だ。俺は非常にか弱い存在。こんな別の法則が働く常識も価値観も違うような世界で生き抜くには協力者が必須。

 

 ・・・俺の足は病院での施術で膝から下が無い。膝に出来た手術痕。きっとここから折れた骨が突き出ていたのだろう。一応骨は元通りの位置に戻されたのだろうが繋がってもいない。痛みは誤魔化せるがこんな状態では行動することもままならない。独りでトイレにも行けない事実に焦燥感を感じる。これが絶望なのか。流石の強化人間でもこれを再生することは不可能ではなかろうか・・・?

 

 それでも治ることを信じるしかなかった。傷口が敢えて塞がれていなかったということは再生の可能性があったからかもしれない。そうでもしなければ泣きそうだ。俺は遺伝子構造をいじくりまわされた忌まわしき技術の遺児たる改造・・・糞人間。傷の直りだって早い。おまけに知能指数も高い。へこたれてもどうにもならない。完治することを願い恥を忍んで誰かに面倒を見てもらうのが当面の目標か。そして最適な人物が目の前にいる。

 

 しばらく観察してわかったことがある。彼女の身にまとう服に部屋の調度品といいどれもこれも上質。裕福層の人間かと睨んでる。理由はあちこちに散らばった服に小物、本に至る全てが高品質で細工にやたらと手が込んでいるというのもあるがなにより目を引くのが部屋の隅に山の様に積み上がった財宝の類。裕福層の人間なのは確かなんだろうがどういう意図を持てあの場所にポンと置いてるのか意図がわからない。よほど防犯セキュリティーに自信があるのか・・・

 

 ・・・そもそもここって異世界、だよな?

 

 聖王国の全てを知るわけではないが王都は俺がいた世界よりも数段技術レベルが下に見受けたが少なくともこの部屋の設備は元いた世界とあまり遜色なく見える。ただの早とちりだったのか?

 

 あーもう、わからない。それを判断するには情報が足りない。

 

 ・・・正直他人の弱みに付け入るようで気が引けるが手段を選んでいられるほどの余裕もない。先ほどから体中に激痛が走っている。本来ならばプライドが邪魔し他人に対して決して弱みを見せる様な真似はしないのだが目的の方向性と利害が一致したため俺は我慢をやめた。もうそういう段階を通り越している。あくまで相手の罪悪感と庇護欲を刺激することで彼女の庇護下に収まるには自然体こそが一番という結論に至った。脳内麻薬の効果がそろそろ切れる。

 

 ・・・つまり。

 

「うぐぐう、いだぃ、死ぬう、あづぃよお」

 

 

 言葉にできない痛みが波のように全身を飲み込んでいく。

 

 今の俺は最高にかっこ悪いよ、涙が止まらん。

 

 お優しい彼女はこれを見てどう思うのか?

 

 罪悪感よ、響け。俺も大層必死だ。

 

 彼女の良心の呵責に俺の未来がかかる。うおーいけー。口にたまった血をおもむろに吐き出しベットを汚す。おまけに血の咳もだ!

 

 あ、やばい。咳が、止まらない!うげーマジできつい。先ほどから変な汗がボトボトと溢れているしガチで死にそう。余りの熱演っぷりに体の傷が開いたのか血が止まらないせいで息ができない。

 

「―――――ッッッ!!」

 

 声すら吐き出せず助けを呼ぶこともままならない。動けぇ俺の体ァ!これ本気で死んじゃうやつではなかろうか?どうすれば地面に伏せたままの彼女が気付く?

 

 死んじゃう死んじゃう死んじゃうッ。

 

 ダメだ意識が消え――――あ

 

 

 

 

 

「ハァァーハアーありが、とう。危うく、死にかけた・・」

 

「い、いえ。助かって良かったです」

 

 イグナイツは彼の口から吸い出した痰のような血の塊を吐き出す。突然死にかけるんだからビックリするが王子様に感謝されたことでボクの胸中は申し訳の無さでいっぱいになる。

 助けを求める王子様に気が付き恩を売る形になったのはよかったが意識のない彼を滅茶苦茶に破壊した前科のせいで後ろめたさを感じる。つい意味も無く微笑んでしまうのはどんな表情をすればいいのか分からないからだ。ちゃんと・・笑えているだろうか?

 

 そもそも発見が遅れたのが土下座の姿勢をとっていたのが原因であるがそれには事情がある。あったのだ!

 

 ずっとモグモグしていたのである。頭を伏せまだ処理しきれてない彼の一部を体で隠し食べることで隠蔽していたのもあるが、同時に冷静にもなってくる。

 

 不死者であるはずの彼の体に起きた不具合。左手と両足に左目の欠損。半身を覆う爛れた傷。ボクが傷つけた部分は全て治ったのにどうしても治らない部分がある。

 

 ・・・彼は間違いなく不死者だ。伝説に根差す混迷の存在。脳をあんなに啜ってあげたのに完全に破壊されたはずなのにこうして蘇ったのが何よりの証拠。保有する”不死性”はまさしく最高位レベル。魂が破壊されても復活する可能性すらある。やはり彼のこの傷は不死性を得る前のものと考えるのが妥当だろう。最初はいろいろな事が起きすぎて欠損部位もボクのせいかと混乱していたが冷静になってみればなんてこともない。彼はすでにボロボロだったのだ。

 

 ・・・まあ、それでも彼をハンバーグみたいにコネコネしたのはやり過ぎだ。

 

 ボクはなんてはしたないんだ。王子様にはこれからずっと一緒にいてもらわなければならないのに勘違いされちゃう。

 

 ボクは・・・まともだ。まともでないと困る。

 

「・・・・・・・」

 

 イグナイツはふと視線を感じ顔をあげる。

 

 じ――と私の顔を見つめる王子様。取りあえず安心させるため笑みを浮かべるが急に不安になってくる。

 

 ぼ、ボクの格好変じゃないかな?

 

 生の男(父親は除く)とは未知との遭遇に等しい。それどころかなんの処理も受けていない人間との初めての対面。緊張してもおかしくない。

 

 身だしなみをチェックしたい衝動に駆られるがぐっとこらえる。大丈夫、ボクは可愛い。パパはいつもそういってるからそうにきまっている。

 

 ・・・でも本当にそうか?パパにとってはそうなだけで外の世界ではどうなんだ。ボクは本当に可愛いの、か?ボクの感性は正常なのか・・・普通じゃないのにそれをどう証明する。

 

 それに王子様にだって好みがある。

 

 もし彼好みのタイプでなかったらどうする。い、いや大丈夫だ。立場で言えばボクに主導権がある。大怪我を負った彼にはボクの助けが必須。不死者であれさっき助けた事実が良い心象を与えた・・はず。

 

 それにボクはいろいろできる。そこをアピールしていけばきっと。

 

 

 ―――――きっと、なんだ?

 

 違うッそうじゃない。

 

 そんな関係を望んでいたんじゃないだろう。ボクは純粋に彼と”いろいろ”と仲良くなりたいんだ。打算に満ちた後ろめたい関係なんて望んでいない。お互いをもっと理解しあいたい。ボクは王子様の事が好き。これは一目惚れに近い。終わることのない悪夢の中で助けにくれた彼の存在にどれほど救われたか。こうしてちゃんと邂逅も果たした。そんな人にあれほどの事をしたんだ。死なないから殺していいなんて道理はない。

 

 でも、憧れの外界に出るには彼の協力は必須。ゆくゆくはボクが何をしても許してくれる関係になってくれればな~とは思っている。

 

 もし、断られでもしたら、ボク、は どうす るル??

 

「おいッ、大丈夫か!?どこか怪我でもしていたのか!?」

 

 心配をしてくれる彼を手で制しイグナイツは涙を拭う。辛いのは王子様の方だろうに、こんな獣じみたボクにも優しくしてくれる。ボクは情けない。だから決心がついた。

 

 全て打ち明けよう!

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どんな顔をするんだろう?

 

 

「聞いてください!実はボクことイグナイツめは王子様が死んでいる間に体をバラバラに引き裂いて食べました!」

 

「王子様??い、いきなりどうしたんだ。俺が死んだって・・俺はこうして生きている、というかついさっき君が、助けてくれたばかりじゃないか」

 

「違います!違います!王子様がここに現れた時にボクの食人衝動が現れちゃってそのまま・・・不幸中の幸いか王子様が保有する不死性の影響でこうやって直接懺悔する機会を得ることができました。危うく獣に堕ちかけるところでした。踏みとどまれたのは貴方様のお陰です。伝説の不死者である貴方様がいるからボクは現実でも夢を見れる。お願いしますどうかお力添えを――――」

 

 彼の顔を正面に捉え懇願する。

 

 ああ全て吐いてしまった。だが気分はいい。後ろめたさがなくなりようやく彼と同じ舞台に立てた。心の枷が解かれ体が軽く感じる。これでわだかまりは消えた。きっとボクの事を嫌いになるだろう。怒りに任せ罵倒するかもしれない。でもそれでいい。これから先嫌でも長い付き合いになるんだ。少しずつボクの事を知ってもらい信頼を得よう。そうした先に真の絆が芽生える。

 

 ・・・・・・小説通りならば!

 

 故にそれを踏まえ彼がどう返答しようと好きにさせてもらう。ボクの物語をここから始めるんだ。

 

 

「待ってくれ。不死者?いったい何を言っているんだ?」

 

「・・・・・・・え?」

 

「・・え?」

 

 返って来た第一声は罵倒ではなかった。それ以前の問題だった。思わず口を開け固まる。

 

 ・・・なぜこの期に及んで嘘を、不死者であることを隠す。

 

 いや・・そうか隠して当然なんだ。外界では不死者の存在は忌み嫌われ迫害される立場にあると聞く。不死者の立場からすれば隠すのは当然。きっと苦労したのだろう。彼に関しては怪我を負った状態で不死者になったものだから尚更だ。

 

 ・・・・じゃあ900年近くどうやって過ごしてたんだ?

 

 当然の疑問。流石に900年前の終末戦争時から時間が捻じれて直接やって来ましたこんにちは・・なんてことは考えられない。それは都合が良すぎる。ここに至るまでの永い人生があったはず。でも独りでどう生きるのだ。雪原うなばる地で人が生きれる場所は限られていおり、そこには必ず人が集まる。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 ――――――彼には協力者がいる。それも女だ。イグナイツにはなぜかそれが女だとわかった。王子様には非常に強力な契約が結ばれていた。その事実が妙に癇に障る。初めて現実で嫉妬を味わうこととなる。苦い経験だ。

 

 不安でしかたがない。彼にとってボクは絶対に必要な存在では無いのだ。一番ではない。代わりの利く女。

 確かに誰が好き好んで人食いの傍にいようものか。うーん盗られたくない。ボクにとって王子様は唯一無二の存在。一目惚れなんだ。どんなにボロボロで醜くても彼でないと困る・・・本能がそう叫ぶ。絶対に逃がすなと。

 

 イグナイツは王子様の手を両手で包み込むように握りしめる。

 

「安心してください、ここには貴方を迫害する者はおりません。ボクが必ずお守りします」

 

「??????待て、だから何を言っているッ?」

 

「大丈夫です!ボクわかってますから!」

 

 

 

 

 ニコニコと異様に距離を詰めてくるイグナイツに恋都は内心鬱陶しさを感じていた。それでも顔には出さない。この女まるで警戒心が無い。この距離感がいい証拠だ。都合はいいがどこか不気味でどうにもこちらからの距離感が掴めない。ガンガン押してくる。そう言えば研究で引きこもり過ぎた研究者がこんな感じだったな。普段は人好き合いを嫌う癖に好きな話題になると垣根を無視して押してくる。

 

 そもそも彼女はさっきから何を言っているんだ。明らかに認識の齟齬がある。ニギニギと俺の右手を握りしめる彼女に一抹の不安を覚える。

 不死者?聞いたことのないワードだ。何か勘違いをしているようだがそれよりも一番気になるのが”王子様”の呼称。

 

 これもしかしなくても俺に対して言っているよな。気になり過ぎて他の事が頭に入ってこない。

 

 なぜそう呼ぶのか聞きたいが・・今はやめておこう。予想もしない答えが返ってきそうで怖い。妙に言動が変だし、興奮気味な彼女に助けを乞うのに躊躇する。

 

「な、なあ、手鏡はあるか?少し貸してくれないか」

 

「あ、はい。これをどうぞ」

 

 ひとまず問題を先送りにし、もう一つの疑問を解消することにした。いい加減無視できる限度を超えている。

 

「・・・・・・・・・・・・・なあ、なぜ俺は女装させられてるんだ?」

 

「・・・・・・えーと、それはですねー・・・・・・・」

 

「・・別にさ、怒ってるわけじゃないんだ。それに見た感じ男物の服はここには無さそうだしボロボロの俺を見かねて着せてくれたんだってのはわかるよ。ありがとね。でもさ、このウィッグにマニキュアといい・・・なんか、すっごく手が込んでるが、これいる?」

 

「はい、すごく似合ってますよ!だからその・・怒らないで☆」

 

「オゲェッッ!」

 

「うわ!王子様!」

 

 思わず吐血し手鏡を床に落とす。

 

 ベットに寝かされている俺は何だかフリフリがとにかくついたドレスの様な服を着せられていた。黒い眼帯が顔の半分を覆い頭に取り付けられたボンネットの隙間から・・これはウィックだろうか長い銀髪が垂れている。指の一本一本に丁寧にマニキュアがつけられ挙句の果てにドロワーズなんか履かされている。まるで着せ替え人形だ。俺の嫌いな自動人形どもを彷彿させる。俺じゃなきゃ着こなせてないだろこれ。ミイラ男にこんなの着せて楽しいのか?

 

 

「なぜにドロワーズ!?ふざけやがって!俺をこんなに着飾ってどうするつもりなんだッ!?」

 

 履きなれない下着にむず痒さを感じる。これなら全裸のほうがまだましだ。すぐにでも脱ぎたいところだが独りではまともに着替えも出来ない事実を改めて痛感する。そもそもこんなタイプの服着たことがないし脱ぎ方がわからない。

 

 ここにきて感情の発露が爆発する。頭痛が鬱陶しい。

 

「あああああああ、いったいなんなんだ!自爆テロに巻き込まれるし、異世界に飛ばされた上に、その上よくわからん陰謀に巻き込まれて命を狙われる!!挙句の果ての着せ替え人形!俺が何をしたッ!?」

 

「落ち着いてください大丈夫です。ボクがついていますから」

 

「うるさいッ!ゴフゥッ!」

 

 口汚く罵る俺を余所にするするとイグナイツはベットを恋都の足元から這い上がる。傍から見れば押し倒されているように見えるだろうか。蠱惑な笑みを浮かべる彼女を改めて認識する。頭から生えた獣の耳にばかり気を取られていたが彼女は美しい女性だった。白い髪に赤と青のオッドアイ。長いまつ毛がかわいさを引き立て軽いアイメイクが目を映えさせる。服の上からでもわかる豊満な胸が呼吸の度に上下する。息遣いを感じ取る程の距離で・・・俺は違和感を感じた。

 

 彼女は妙にこの空間から”浮いている”んだ。本来ならばここにいるはずがない存在がいるとでも言うべき現実感の無さ、型の合わないパズルのピースに無理やり収まっているような印象を受けた。

 

 甘い匂いを振り撒くイグナイツの顔が次第に近づいてくる。なぜ初対面の俺に対しここまで好意を持つのかわからないが今は流れに身を任せるのも一つの手か。俺に対し負い目があるにしても主導権は結局彼女にある。しばらくは様子見と媚びを売ることに徹しよう。歯を食いしばり耐えよう。それが男だ。

 

 怪我さえ治れば、あとは・・・

 

 ここにきて彼女の髪に何かが引っかかっているのに気が付き右手で摘み取る。

 

「髪になんか引っかかって・る・・・よ・・?」

 

「・・・あ」

 

 指で摘み取ったものを見て体が固まる。歯だ。犬歯か。なぜこんなものが。不安に駆られつい彼女の口に手を突っ込む。なぜだかそうすべきだと思ったのだ。口の端に付着した血の跡がそうさせたのか。

 

「もが」

 

 ・・・・・普段なら絶対やらないような軽率な行為。初対面の女性相手にしていい行動ではないが衝動のままに走る。丈夫そうな犬歯の手触りを感じながら口から引き抜く。

 

「・・・・・・す、すまない。女性にこんなこと」

 

「いえ、いいんですよ。その歯は王子様のですし」

 

「ああそうなんだ・・・・・・う、うん?」

 

「ですから、その歯はボクが王子様を殺した時のものですよ」

 

 そう言うとイグナイツは落とした歯を摘み上げ飲み込む。これには思わず恋都もあんぐり。イグナイツは恥ずかしそうに照れながら目を逸らす。

 

「その、王子様って人食いってどう思います?」

 

「・・・は?なに言って、それに今食べ・・・」

 

「ボクには外に出るって夢があったんですよ。でもそれは王子様を探すために必要な事だと思っていたんですが、こうやって王子様に会ってみてボクは純粋に外に行ってみたいんだってわかったんです。それにはどうしても王子様の協力が必要なんです」

 

 こいつは何を言っているんだ。足手まといにしかならなそうな俺がなぜ必要なんだ。この執着っぷりは異常だ。俺の知らない何かをこいつは知っている。

 

 不死、殺人、食人衝動、そして歯。そして俺が作った例の薬。

 

 まさか――――

 

「不死・・・協力ってまさか」

 

「外界では食人行為は許されません。社会規範を破る存在は排他されます。ですので衝動を抑えるためにも死ぬ事のない不死者である王子様を定期的に殺させてください!」

 

 笑いながらイグナイツは俺にのしかかり媚びた目つきで提案する。内容は意味不明で頭が理解を拒む。言葉が入ってこない。確かに思い当たる節がいくつもある。真っ先に思い浮かべたのは俺が作り上げた例の薬。

 

(教授―――ッ死にかけの俺で試しやがったなッ!!)

 

 もともとあれは普通の人間用に調合された物。遺伝子を弄られた俺にどう作用するかは未知数。

 

 傷が完全に治らないのはそれが原因か?なんて余計な真似をしてくれやがったんだあのジジィ!

 

 俺は一生このままなのかよ!?嘘だろ・・・・

 

「もしお願いを聞いてくれるのでしたらボクの全てを差し上げます。動けない王子様の代わりの足にもなれます。ほんと、なんでもしてあげますよ。気に入らない奴がいれば殺してあげますし、ボ、ボクの体だって・・・だからお願いです無知蒙昧なるボクと『契約』を、進むべき方向へと導いてください!・・・・て、あれ」

 

 きっと俺が何度も意識を失っていたのは気絶じゃなく死んでいたからだ。改造人間であることを過信しすぎて今まで気づきもしなかった。俺は一生この”醜い”不自由な体で生きていかなければいかない。そう思うと涙が出てくる。この痛みは傷が治るまでの間だけだからと思っていたからこそ耐えれた。ゴールが見えていたからこそ普段通りに振る舞えた。

 

 だが、例の薬でこの状態で完全に固定化されてしまった。死という安易な逃げ道も使えない。こんなのッどうしろっていうんだ。

 

 そんな自棄になりそうな俺を柔らかな感触が包む。

 

「・・・・・・」

 

 無言で俺を抱きしめるイグナイツ。目が合い笑みを浮かべ頭を撫でてくれる。他人の温もりがこれほどありがたいものだと初めて知った。彼女の匂いは思考を鈍らせる。これ以上の接触は危険だ。このままでは二度と自分の足で立つことが出来なくなってしまう。わかってはいても抵抗する気も起きない。安らぎに包まれた俺の思考は鈍く安易な救いを求める。もう無理そう。

 

 足掻いたところで・・現状は何も変わらないのだ。

 

「何度も言いますがボクが王子様の事をお守りします。世界の誰からも嫌われていてもボクは味方です。だからボクだけの王子様になってください!」

 

「・・・その提案受けるよ・・・」

 

「え、ほッ本当ですか!?ボク嬉しいです!感激です!これでやっと・・・」

 

 感激のあまりか前よりも抱きしめる腕の力が強くなる。

 

 あ、はは、これでもう後には引けなくなった。少し早まった感があるが現状は誰かの助けがなければどうしようもない。それにどうしてか彼女の匂いは不思議と心地よく痛みを和らげる。

 

 ・・・・魔法なんて存在するんだ。もしかすればこの体もどうにかなるかもしれない。諦めるにはまだ早い。諦めるにはまだ早すぎる。そう考えないとやってられない。

 

 密着する男女。傍から見れば恋人にも見えたかもしれない程に容赦のない抱擁。恋都側からすれば傷に触れ痛みを助長するだけであった。

 

 ・・・・・・そろそろ離れてくれないかなあ。やけに体温高いし服の上から傷口に触れているからすごくイタイ!

 

 なんか、どんどん力が強く―――ッ!!!?

 

 強烈な力による締め付けが息を吐き出させた。

 

「なにッス、ンゲェあ」

 

「フー、フーゥッ!!大丈夫です、すぐにすぐに済みますから!話は事が終わってからにしません!?ボクが全面的に悪いからボクのせいにしてくれていいからッ!!」

 

「せ、せめて心構えをグエッッ!」

 

 抵抗する俺の右手を粉砕し首を絞めるイグナイツ。爛々と輝きを放つ赤と青の双眸が俺を見据える。

 

 こいつッ・・笑ってる!

 

 そのまま口を大きく開き歯を覗かせる・・・それが、最後に見た光景であった。

 

 この時交わした契約にこれから先ずっと苦しめられるとは俺はまだ知らなかった。

 

 ・・・・・この世界の契約の重みを知らぬ俺には到底わかるはずもなぐああああああああああアアアアアッ!!

 



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第4話 不穏

 

――――――――――Side/???

 

『・・・ザ・ザザ・・応答せよ。聞こえている者がいれば直ちに応答せよ!F部隊!誰か生きている者はいないのか!?』

 

『ッ!こ、こちらF部隊。現在、【特定種別A種】と交戦中!被害甚大でこちらの部隊だけでは抑えがきかないよ!!増援を求むッ』

 

 無線越しに爆発音や電撃が走る音がノイズと共に響く。

 

『!!ッ同行したC部隊とG部隊はどうしたッ正確な現状の説明を求む』

 

『G部隊は隊長が戦死!残りの人員をベルタ隊長の権限で統合!C部隊は・・・全滅しました!』

 

 ダダダッ!

 

 銃声が途切れることのない無線。報告を聞き事態は最悪な方向へ進んでいる事を理解させられる。

 

『もうッ電源が落ちたのになぜ復旧しないッ?非常灯じゃ明かりが心もとない!』

 

『原因は調査中ですッ!非常電源が機能しているようですがシステムに異常がみられ、こちらからのコントロールを一切受けつけない。上層以外全く把握できていないのが現状だ!!段階的に機能に制限が掛かっている!いつまで通信機能も持つか―――』

 

 急に途切れる通信。不気味なまでにしじまが広がる。

 

『・・・・・・』

 

『どうした!戦闘は終わったのか!?』

 

 先ほどまであんなにうるさかった戦闘音がピタリと止んでるのだ。

 

 向こうで何が起きている――――――?

 

 

『ああもう、クソッ!こんなの、どうしろってのッ!みんな退けッ!一端逃げろおおおおおおおお!』

 

 ズ、ズズズ――――――

 

 ああああああああ逃げろ逃げろっ!

 

 何かが這いずる音と共に悲鳴が木霊する。

 

『どうした何があった!F部隊応答せよッ』

 

『――――アハハハハハハ』

 

 不意に女の笑い声が響く。その声はどこまでも不愉快で狂気を感じさせるものであった。

 

『まさか貴様は・・・』

 

『『『『アハハハハハハハハハハハハハッッ』』』』

 

 通信が、途絶する。

 

 状況は最悪だ。システムが完全にダウンし封じ込められていた【特定種別A種】のロックが解除。奴らは上へ上へと向かっている。完全開放となると”黒殖白亜”でも対処は厳しいのか。

 

 いずれ確実に司令室のある第一階層まで登ってくる。あの正気とは無縁の怪物どもを止めるなど不可能に近いが増援を送り時間を稼ぐぐらいのことはできるはず。奴らは非常に特殊な思考ルーチンで行動しA種同士を鉢合わせると大抵は共食いを行う・・・のだが状況から複数の敵と対面していた。

 

 今までと動きが違う!いつから協力プレイに絆が芽生えた。

 

 共食いは期待できない。こうなっては出し惜しみしている場合ではない。全ての部隊を動かすしかない。

 

 ・・・統括室長には事後承認になるが致し方ない。

 

(クソ、これではマスターに褒めて頂けない)

 

 あの方は別件にかかりきりだ。今はとにかく時間を稼ぐほかない。なんなら第二階層から脱走した外界の冒険者どもをぶつけるのもいいかもしれない。少しでも注意が逸れればなんだっていい。幸い第一階層だけは別のシステム系統であるおかげかコントロールは可能。

 

  ”ここ”から脱出しようとする冒険者の処分は中止にし下の階層まで誘導するとしよう。使える物はなんでも使う。常識を超えた相手に手段は選んでいられない。

 

 どんなに犠牲が出ようと目的さえ達成すれば問題ないのだから。

 

「おい、私だ。ああそうだ【祈り手】に仕事の時間だと教えてやれ」

 

 

 

 

 

「ええと、と、目覚めた気分はいかがでしょうか?」

 

「いかがでしょうかぁ~??いいわけあるかッこの野郎がッ!」

 

 恋都ははみ出た内臓が腹の中に戻っていくのを見ながら叫び、そこらに転がっている千切れた俺の腕を投げつけ抗議する。

 

 あいた!

 

 避けることもせず命中し倒れこむイグナイツ。楽しそうに笑っている。

 

 俺は完治した腹部を撫でる。実際に治る過程を観察していたのだが目にしてようやく不死者である実感が湧いた。

 

(治癒力が異常過ぎる)

 

 何度も薬の効力を思い返していた。自分の目指した成果だが想定外に絶大過ぎた。

 

(俺は本当にッ不死になったのか・・・?そんな馬鹿なことが・・・)

 

「やっぱり伝説の不死者でも死ぬのは辛いみたいですね。苦しまないよう即死させるようにと心掛けているのですがあの状態だとどうも・・・」

 

「お前の馬鹿力でじわじわと圧殺されたんだがッ?これのどこが即死だ。口から内臓がこんにちはだぞッ!俺の体をいいようにしやがって!!恐ろしいな!!?」

 

「うう、申し訳ございません」

 

「謝りながら俺の腕食うなよ!後ろ向いて喰えッ視界に入れるな!ゴミカス!!」

 

 ベットで仰向けになる俺に背を向けイグナイツはベッドに腰を掛け食事を始める。

 

 俺はボタンが外され腹部だけはだけた服を付け直そうと試みるも右手だけではどうしようもできずイラつきベットを殴りつける。身に着けた服は元が黒色のドレスだからか真っ赤な血で染まってもあまり目立たないが生臭さまでは隠せない。

 

 あいつが今食っているであろう俺の腕。根元から引きちぎられた俺の右手は新しく生えてきた。それでも他の火傷と骨折はそのままでだ。

 

 やはりこちらはどうにもならない、か―――

 

 あああああ!博士め余計な真似をしやがって。結果論になるが恨まずにはいられない。

 

 元が頑丈すぎるのと薬による得た異常な再生力のためイグナイツの攻撃でもなかなか死にきれずにいるのだ。半ば意識があるせいで意識が完全にトぶまでの間、痛みを過剰に味あわされた。

 博士が自爆テロに巻き込まれた俺を助けるためにやったことだと分かっていても結果がこれでは恨み言の一つも出る。そもそもの要因として俺をこの世界に召喚した天っ才少女も悪い。そう考えると自爆テロったアウターも悪い。行き場のない怒りが渦巻く。

 

 せめて足さえあれば・・ここまで惨めな気持ちにはならなかった。文字通り自立できやしない。

 

「はぁ、流石に全部は食べきれないかな」

 

「全部ってなんのことだ?」

 

 食事を終えた彼女が無言で指さす方向に気怠い体を引き起こし俺は振り返る。

 

「ウ”ェッ!!??」

 

 焼き爛れた肌から血を滴り落とす。所々の肉が吹き飛んでおりそれがいくらでも積んである。垣間見える虚ろな目たちが監視者のように睨みつけているようだった。

 

 ―――そこには俺の死体が山のように積んであった。あんまりな光景に絶句する。

 

「ちょっと待て!どれほどの間俺は気絶してたんだ!?こんなものなかっただろッ」

 

「かれこれ半日ほどでしょうか。衝動そのものは10時間程度で収まりましたがその後はずっと寝ておられましたよ」

 

「10時間も殺されてたのかよ!!つーかあれは何!?なんなの!!!」

 

「千切れた肉体からたまにああやって王子様が生えるんですよ」

 

 死体の山から俺を取り出し見せつけるイグナイツ。プラナリアじゃあるまいし俺はいつから無性生殖できるようになったんだよ。薬を精製する過程で何度もアウターで実験したが被験体にこんな効果を観測した覚えはない。

 

 本当にどうなってるんだ、俺の体は・・・これは何かの試練か?そんなに悪い事したか!?

 

「て、おい!俺の体になにしてんのッ!?変なところを触るんじゃないッ!」

 

 虚ろな目をした俺の死体を弄るイグナイツ。

 

「ええと、男の人の体って初めて見るんですがやっぱり女とは違いますね。”ここ”とか特に面白いですし。あとちょっと臭いですね。すんすん」

 

「馬鹿野郎ッそこ触るのやめろ!死体とは言え俺なんだぞッッ!あとそれ死臭!」

 

 手の匂いをフンフンと嗅ぎながら何かを感じ入るイグナイツはまるで子供のようだ。

 

 無邪気というかなんというか・・・信じられるか?こいつ20歳らしいぞ。本当に俺より年上かよ。論理観なんてもはや期待できない。人殺しても平然としていられるようなやつだ。致命的にどこかずれている。思考も、存在も。そりゃ隔離もされるし残当だな。

 

 チカチカと点滅する消灯が未来を暗示するようだった。この先何が待ち受けるのか。それは誰にもわからない。背筋を這いよるこの不安が気のせいであればよいが・・

 



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第5話 内なる闇

 

「・・なあ本当にここであっているのか?」

 

「前に幽霊ちゃんがここが扉になってるって言ってたから間違いないかと」

 

「(幽霊ちゃん?)・・ダメだ見分けがつかない。窪みや亀裂の一つでも見つかりそうなもんなんだが」

 

 恋都はイグナイツに抱きかかえられたまま何もない壁をペタペタと触り扉の在り処を探る。拳で壁を叩き音を探るも違和感はない。壁の厚さはどこも一律均等だ。。

 

「クソ!いいから開けよこのッ」

 

 ガン!ガン!と埒のあかない現状に苛立ちが募り意味もなく殴りつける。当然痛い。なんて無駄な行為だろうか。すでに腕力お化けのイグナイツが殴りつけた後なのに。拳は傷つくばかりで壁には傷一つできない。それは逆に何かがここにあるという確信を持つ理由でもあった。散乱したプレゼントの山がその証明だ。あちらこちらに割れ目が走る中、ここだけなぜか異常に綺麗なのだ。

 

「ああッ王子様それ以上はいけませんッ!」

 

「うるさい!どうせ傷は治るんだ。黙ってろッ!!」

 

「そう自棄にならず・・泣くほど痛いならやめましょうよ」

 

「誰のせいだと思ってるッ!主にお前に泣かされてるんだよッ黙って俺を支えていろ。もうやらせてやらんぞッ」

 

「ええ~」

 

 血が飛ぶのも構わず壁を殴り殴り殴る。

 

 ―――――ああぁ、イライラする。頭痛も酷くなる一方だ。

 

 いったい何度目の自己嫌悪だ。情けなくてしょうがない。俺は最低だ。イグナイツに当たったところで何の意味も無い。

 

 ・・・でも俺の命令なんでも聞くって言ってたしこれぐらい・・・いいか。俺を殺すような奴相手になんの遠慮がいる。そりゃ辛辣にもなるさ。

 

「だいたい、王子様ってなん―――」

 

『ピピ・・・・の・コ・・・を、をか・認・・異そ・・封・・解放・・す』

 

 その時微かな音が聞こえ真っ先にイグナイツに問う。

 

「ああッ!今なんか言ったかぁ」

 

「・・うそ・扉が開いてる・・・」

 

「は?」

 

 何を馬鹿なと・・

 

 確認をすれば先ほどまであったはずの白き壁は消え真っ黒な闇が口を開けていた。少し目を離した瞬間、壁は音もたてずに何処かへと消えてしまった。まるで最初からなかったかのように。まるで魔法だな。

 

「すごい!すごい!いったいどうやって開けたんですか!」

 

「・・・・・・・・」

 

「やっぱり王子様は私を導いてくれる道しるべなんだ・・」

 

「・・・あーはいはい、そうだね・・・・・・・それにしてもこの出口」

 

 ―――異様だ。口には出さないが怖いなと感じた。

 

 イグナイツは何だか嬉しそうだがこの真っ暗な通路に何も感じないのだろうか?

 

 ひたすら直線の通路。点々と照明が一定間隔ごとに取り付けられているが光は弱くとにかく暗い。どの照明もカチカチと光が瞬いており通路の先が見えない。真っ黒な闇がひしめいている。

 

 例の空間異常の影響は思っていた以上に広がっていそうだ。通路に渦巻く重苦しい空気に汗が噴き出る。

 

 この先に進んではいけないと警鐘が鳴り響いてしょうがない。思わずイグナイツに抱き着く。

 

 ・・・俺が恐れている?何に対してだ?これでは夜中にトイレに行けない子供と同列ではないか。

 

 それでも言葉にできない不安が押し寄せる。

 

「わわッいきなりどうしたんですか」

 

「別に・・・なんでもない」

 

「・・・・・そうですか」

 

 何も聞かず力強く抱きかかえられる。言葉にせずとも察してくれる。認めたくないがこの気遣いがありがたかった。

 

 ああそうだ。何を恐れているんだ。俺は不死者なんだぞ。死を克服した今、二の足を踏む意味も無い。

 

 無謀であろうが前に進む事こそが正解・・・・・にしてもこいつ胸が大きいな。押し付けられる柔らかな感触。邪まな考えがよぎるのは俺が男だからなのか。

 

「・・・この先に何が待っているかわからない。万全の準備で挑もう」

 

「何にビビっているのか見当もつきませんが大丈夫ですよ。ボクがお守りいたします。なんせパートナーなんですから!ムンッ!」

 

「はあッ?ビビってないし!さっさと仕度しろよノロマッ!」

 

「ではでは、こちらで少々お待ちくださいね。すぐに終わらせてきますので」

 

 ぴょこぴょこと耳を跳ねながら準備に向かうイグナイツ。あの耳どうなってんだか。髪に隠れて分かりずらいが普通の人間の耳もついている。となると耳が4つもついていることになる。耳は・・良さそうだな。2倍だぞ2倍!

 

「・・・・・あれが獣人ってやつなのかな」

 

 フォトクリスにはいろいろと質問をしたが会話の中に獣人という気になる言葉が出ていたがきっと彼女がそうなんだろう。生化学者を志した身としては非常に興味が尽きない。あの凄まじい膂力も獣人特有の能力として一応納得する。種としての違いを思い知らされる。

 

 暇になった俺は近くに置いてあった本を手に取る。右手だけで器用にページを捲っていくがやはり文字が読めない。会話はできるのに文字は読めないという事実にもどかしさを覚える。フォトクリス曰く会話ができるのは巫女との契約での恩恵らしいがどうせなら文字も読めるようにしてほしかった。

 

「その魔術書が気になりますか?」

 

 いつの間にいたのか横合いからピョコリとイグナイツが現れる。

 

「魔術書?」

 

「それは【ゲルムの死夕書】という魔術書なんですがこういうのに興味があるのかなって」

 

 興味か・・あるかと言われればある。だって魔法だぞ。元の世界では存在しない架空の技術体系。ビームとか出したらさぞかし気持ちがいいことだろう。誰だってそう思うに決まっている。

 それにフォトクリスが使っていたような魔法を使ってみたいと思うのは興味本位から来るだけのことではない。

 そもそも召喚魔法とやらでこの世界に飛ばされたのだから帰る為には魔法知識の習得は必須になる。そしてあわよくば魔法をぶっぱなしたい。絶対楽しいにきまってるだろこんなの。そう浮きたつ心を胸に問いかける。

 

「俺でも・・魔法の習得は可能なのか?」

 

「無理ですね」

 

「あぇぇ」

 

 期待をよそに否定されてしまう。さっそく夢は壊された。無慈悲な宣告にうなだれる。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

「気を悪くしないでくださいね。王子様は魔力が存在しないので魔法の行使は難しいかと」

 

「ゴヘッ」

 

 あまりにショックで吐血する。そんな俺の背中をさすりながらイグナイツは慌ててフォローする。

 

「あーでも、それっぽい事はできますよ」

 

「本当か?」

 

「ちょっと失礼しますね」

 

 俺の顎に手を添え顔を近づけるイグナイツ。端正な顔つきが迫りドギマギしながら・・・俺は頭突きをかました。

 

「イ”ダイッ!急に何するんですかッー」

 

「それはこっちのセリフだッ!お前今ちゅーしようとしただろ!」

 

「ち、違います。誤解です!?ちょっと額出してくださいすぐ済みますから!」

 

 嫌がる俺の隙を突き強引に額と額と合わせる。

 

『王子様、聞こえますか?』

 

「ふぇッ!?」

 

 なんだこれ頭に直接イグナイツの甘ったるい声が響く。なんなんだこれが魔法ってやつなのか!?まるでテレパス・・!!

 

『はいそうです、【交感】という魔術になります。言葉にせずとも思念が対象に伝わりますよ』

 

『・・・まさか心も読めるのか!?』

 

『はいこうやって直接触れ合ってパスを繋がないといけないですが』

 

 まじかよすげえ。こんなこともできるのか。心も読めるとかこれが・・・魔法!!

 

 俺は感動していた。好奇心が溢れる。だからこそ悔しい。なぜ俺には魔力がないんだ。俺が異世界人だからなのか。子供の様に不貞腐れてしまいそうだ。

 

 あれ、と。そこでふと思う。この場合俺も相手の心が読めるのではなかろうか?

 

 ・・・せっかくだしこいつの心を読んでみよう。俺を王子様と呼ぶ理由もわかるかもしれない。体のいい理由を持ち上げ衝動的にイグナイツの心に潜り込む。

 

 これはほんの少しの意趣返しと好奇心からの行動であった。魔法が体験できて舞い上がっていたのだ。

 

 俺は・・・すぐに後悔することになる――

 

 

 

 

 

 

 ――――?、??――?

 

 イグナイツの奥深くに眠る深淵へと意識を集中させたはずが、俺はいつの間にか暗黒の内にいた。辺りをくまなく見渡すも何もない。突然の出来事に困惑していると向こう側から白い何かがこちらに跳ねてくる。

 

 あれは・・兎か?向こうは俺に気が付いたのか踵を返し遠くへと跳ねていく。あれはもしやイグナイツの心、なのか?

 

 とりあえずで追いかけるが距離は開いていくばかりで一向に追い付く気配がない。おまけに誰かの囁き声が聞こえる。

 

『早くボクを見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけて見つけろ』

 

 なんだこれは、これは本当にイグナイツの心の声なのか。頭が痛い。俺のすぐ横でボロボロの衣服を身に着けた少女が囁いている。声の発生源が一つ二つとどんどん増えていく。

 

 こいつは何を伝えたいんだ。そもそもお前は誰なんだ。次第に意識が消えゆく中で顔の潰れた少女の口が三日月に割れた。

 

『アハハハハハハハハッッ』

 

 

 

・・・

 

・・・・・・王・様、王子様!

 

 意識が声に引き戻され、ハッとする。

 

「起きられましたか。取りあえず準備の方は終わりましたが・・・まだ眠いようでしたらこのまま寝てても大丈夫ですよ」

 

「あ、え???・・寝て、た?」

 

「あの後すぐにぐっすりとお眠りになられてましたよ。もしかすれば魔術による何らかの負荷があったかもしれませんね。ごめんなさい」

 

 イグナイツは何も無かったように振る舞う。極めて自然体。その態度に安心・・していいのだろうか?。

 

 あれは・・・夢だったの、か。それにしてはリアルな夢だった。未だにあの少女の息遣いが耳元で聞こえるようで現実味がわかない。

 

 ・・・・・・ん?

 

「なあ、なんか近くない?いや近いよね」

 

「そうですかね・・・そうかもしれないしそうでないかもしれません。でも気のせいだと思いますよ。それに体調が優れないんですから無理しないほうがいいですよ」

 

「じゃあ俺の肩に頭を乗せるなよ!離れろ!耳が当たってんだよ」

 

 壁にもたれかかる俺の横でピッタリくっつくイグナイツ。反対側へ離れようとしても腰に回された腕ががっしりと俺を固定し離さない。

 

「ちょいっ!服の中に腕入れんな離れろッ!」

 

『まあまあそう無理せずに、こうして密着しているのが王子様としても一番楽なんですから』

 

「お前ぇ俺の心を読んだな!許可なく読むのはやめろ!?」

 

 というか額も合わせずに【交感】してるんだけどまさか触れ合うだけで可能なのではなかろうか。

 

「額を合わせることでパスを繋げることが可能なので次からはいちいち額を合わせる必要はありませんよ。まあ、王子様は肉体、ひいては精神もボロボロで外側と内側の潜在防壁がガバガバなんでとにかく情報が読み取りやすいってのもありますが」

 

「つまり俺が魔法に対して糞弱いってことなのか!?」

 

『そうなりますね~えへへ』

 

「ああ鬱陶しいッ!普通に話せよ!」

 

 クソッ!また一つ俺の弱みを知られてしまった。確かに彼女のすぐ近くにいると体調が幾分かましになるのは確かだ。気分が妙にフワフワする。苦痛そのものから乖離していくようなこの感覚。実際こんなに喋ってもまったく辛くない。体の痛みもほとんど感じないし気怠さに吐き気もしない。俺はすでに彼女に依存してるとでも言うのか?

 

 右腕を使いなんとか彼女から一歩分離れるもその分詰めてくる。それを繰り返すうちにどんどん壁に追い詰められていきとうとう逃げ場がなくなる。遂には壁と彼女に挟まれる。グググと優しく圧迫される。

 

「~~~♪」

 

 ぐああああああ柔らかいいいいい。

 

 心地良い匂いが脳を、交感神経を充足していく。彼女は自身の魅力に自覚がないのだろうか。いやそんなはずがない。こいつは自分がかわいいことを自覚している。その上で行動するタイプだ。だから大抵のことが許されると思っている。俺と少し似ている。

 

 この状態から抜け出そうにも移動で疲れてもう動けないし逃げ場も無い。代謝も相当落ちてる。恥ずかしさを誤魔化すかのようににイグナイツに頭突きし突き放す。

 

「いい加減鬱陶しいぞこの化け物がッッ。それに準備は本当に終わったのかよ!?・・手荷物一つ持って無いけどさッ」

 

「ば、化け物、うう~否定できないのがなんとも・・・・荷物についてはこの通り問題ないですよ」

 

 何もない空間から突然大きな手鏡が現れる。

 

「ふあ!?」

 

 次から次へと虚空から物を取り出していく。これも魔法の一種なのだろう。準備が終わったって・・・空間に干渉が可能とか聞いてない。

 

 

「いや何平然と凄まじい事やってのけてるんだよ。魔法使いってみんなこうなのか!?」

 

「【蔵書】の魔術ですけど別に大したことじゃないですよ。深淵に通ずる者なら誰でも使えるんじゃないですか????違うんですか?」

 

 少なくともフォトクリスが使ったところは見ていない。どうなんだろうか・・・

 

「嘘だろ・・この世界の人間やばい・・・やばい」

 

「この魔術すごく便利なんですよ。ほら前より部屋の中が綺麗になったと思いませんか?あれ全部別の空間にしまってあるんですよ」

 

 言われてみれば確かに雑踏としていた部屋は前よりもすっきりとしている。財宝の山が存在しないことになぜ気が付かなかったのか。あの大質量を音もなくごく自然に消しさるとか想定できるかよ。

 

 そのことを平然と語るイグナイツに戦慄する。

 

 俺の中で魔法に対する警戒度がどんどん上がっていく。なんかもう本当に何でもありなんだな。便利にも程がある。

 

 期待するに値する。その自由度の高さに嫌でも期待が募る。これなら体の不調も元の世界への帰還も可能なのかもしれない。

 

 だが間違ってもそういった魔術については根掘り葉掘り詳細を聞くようなことはしない。イグナイツは怪物でありながらあろうことか社会での生活を望んでいる。普通を装う為には衝動をぶつける相手が必須。無限に消費可能な命の俺、もとい不死なる肉体が必要不可欠であり、イグナイツにとって傷の完治は不都合である。

 

 当然だが傷が治ってしまえば俺はイグナイツを必要としない。結んだ契約は意味をなさなくなる。そうなればさっさとこいつの元から逃げ出すのは自明の理。誰が好き好んで生きたまま喰われねばならないのか。

 

 契約の途中破棄はいけないことかもしれないが好き好んで殺されるような人間はいない。

 

 もし逃げる場合・・・代用の不死者を生け贄にすれば俺に固執する理由もなくなるだろうが・・・それは現実的な案ではない。

 フォトクリスも言っていたが不死者は相当昔にいたとされる伝説上の存在でイグナイツは俺を今日まで生きてきた、かの伝説の存在だと勘違いしている。伝説だけが独り歩きする世俗に不死者の認知度の低さ、つまり今現在俺以外の不死者は確認されていないと見ている。

 

 これにより懸念していた問題に遭遇する確率が大幅に低くなった。

 

 それはもしも他の不死者が現れた際にイグナイツが俺を捨てて他に乗り換える可能性だ。俺への好意は不死性に対してのものだと考えるべきだろう。出会ったばかりの見ず知らずの人間を好きになるなんて都合のいい話があるものか。女である以前にこいつは怪物だ。そこには何か理由がある筈。でなければこんな襤褸切れのパーツの欠けた俺を男として見るものか。おまけに態度も悪いと来た。その自覚はもちろんあるが俺も余裕が無いのだからどうしようもない。とにかくイライラするのだ。

 

 イグナイツは長年思い続けてきたおもちゃが手に入り一時的に興奮し喜んでいるに過ぎないのだから代用品が現れればすぐそちらに飛びつくだろう。人形は綺麗なほうがいいに決まっている。

 

 だから過剰に媚びを売るなんてことはしない。反吐が出る。比べればどちらが優れているかなど知れたこと。悪態が許されるのはその変わりがいないのだからいくらかはお目こぼしもする。別の不死者が現れれば初めから勝ち目はない。

 

 ・・・不死者云々の伝説の真偽は不明でもある。俺自身はただの伝説だとは思っている。じゃなきゃ不死者が姿を消すはずがない。死ぬはずのない不死者の存在がここまで希薄なのはおかしな話だ。イグナイツはあくまでも終末戦争の伝承という枠組みに俺を当て嵌めそう判断しただけだ。フォトクリスだって何を恐れていたのか知らないが、神なんているような世界だ。きっと信心深いだけなんだ、切実にそうであって欲しい。頼むから伝説の存在は伝説のまま眠っていてくれ。万が一の事態は永遠に訪れるな。こいつに捨てられたら詰む。

 

「・・・王子様」

 

「・・・なんだ」

 

「王子様は・・王子様ですよね」

 

 なんだいきなり・・・・?

 

 突然の問いかけに疑問を浮かべる。そもそも王子様ってなんだよ。なぜそう呼ぶんだ。

 

 ・・・そういえば自己紹介もまだだったか。色々とありすぎて喋る気力もなくそのまま疎かになってしまった。流されている証拠だ。

 王子様という呼称・・今の俺からは最も縁遠い言葉だな。呼び方がわからなくてそう呼んでいたのかとも訝しんでいたが、多分違う。

 ニュアンスから何かしら特別な意味を込めて呼んでいる。イグナイツはいったい俺の何を見ている?不死者としての俺の他に重要とするファクターがあるとでも言うのか。

 

「なんだ?もう心は読まないのか」

 

「それはダメって言われましたから、それで・・・どうなんですか」

 

 心を読めばすぐにわかるだろうに妙なところで律儀で従順な奴だ。思ったよりも聞き訳がいい。この不測の出会いにずっと舞い上がっている様子。確かにこの出会いは偶然にしては出来過ぎている。お互いに必要としているものが都合よく手に入っている。イグナイツは不死者。俺は世話をしてくれる者。特殊な事情を抱える彼女の様な人物でなければ俺を助けてくれる人間はそういないだろう。

 

 こうも歯車が噛み合うと俺だって多少は運命を信じたくもなる。

 

「正直イグナイツが俺の事をなぜそう呼ぶのかわからない」

 

「・・・・・・・・」

 

「だが、おかしな経緯を持ってこうして男と女が出会ってしまったんだ。運命は感じているのだろ?」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり」

 

「やっぱり?」

 

「いえ、なんでも。やっぱり王子様は王子様でした!」

 

 いや、答えになってねーよ。結局王子様ってなんだよ。独りで勝手に納得するのやめてくれ。こっちはもやもやしたままなんだぞ。

 

 ・・・終わったことを蒸し返す必要もない。藪をつついてなんとやらだ。頭痛もあるし今は余り頭を悩ませることはしたくない。そういう気力もわかないまでに疲労している。

 

「そろそろ行くか」

 

「はい、あと提案なのですがまずはボクのパパを探しに行きません?きっと王子様の助けになりますよ」

 

「そうだ、な。俺もいろいろと聞きたいことがある」

 

 遂に新たな世界へと一歩を踏み出す。彼らは口に出さずとも未知なる希望に胸を膨らませ闇の中へとその身を投げ出した。両者ともに胸の高鳴りを抑えられずにはいられなかった。

 

 

 

 だが、彼らは終ぞ気づかない。古いとても古い、終わりの見えない約束の履行がすでに始まっていることに。舞台はすでに整えられ人形(しゅやく)は揃ってしまった。彼らは気づかぬままにその身を闇に翳す。見えない糸で雁字搦めになった間抜けな自分の姿を誇らしげに彼らは与えられた役を蒙昧にこなす。誰かが描いた脚本の上で今日を始める。

 

 朝日は陰り夜の部が開幕する。帳より突き出た誰かの手がおいでおいでと不気味に揺れる。

 

 さあ早くこっちに来て。手招きするほうに来てください。そっちじゃないよ、こっちだよ。早くして。もう待てないよ。じゃないとこっちが来ることになっちゃうよ。

 

 ―――――だからだからだから、早く来てね。

 



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第6話 暗黒経路

 

 俺はイグナイツに背負われ心もとない電灯に誘われるがまま先行き見えぬ影を踏み進む。

 

「暗すぎる・・」

 

 壁の位置も正確につかめないのにイグナイツの足取りに迷いがない。右に曲がったかと思えば次は左にそれからまた右に。階段もあるのかズンズンと上へと昇っていく。一定に揺れる振動はリズムを奏で留まる事を知らない。

 

 この程度の障害はイグナイツになんら影響を与えることもないようだ。頼もしい事だ。

 

 それでも随分と進んだはずだが終点への兆しが見えない。いつまでも続く闇の行軍にうんざりさせられる。

 

 彼女にとっては違うようだが。

 

「でも王子様ってすごいですよね。900年近くどうやって過ごしてこれたんですか?勇者や不死斬り部隊をその体でどうやってやり過ごしたんですか?」

 

「まあいろいろと、な・・・・勇者、か。何だっけな。確か不死者に対抗するために異世界から召喚された存在・・・だって伝わっているのか」

 

「伝説じゃその勇者は異能を振るい不死者を全滅させたって話ですけど本当に勇者は実在したんですか?」

 

「まあ、いたよ、うん。すごく強かったんじゃないかな、うん・・・」

 

 嘘は言っていないはず。そもそも俺がその勇者らしいし。

 

 勇者も不死者も確かにここにいる。終末戦争自体よく知らないが勇者が存在するんだ。逆説的に言えば不死者もいるんじゃなかろうか。そのための対抗存在なんだろ?いてほしくないけど。

 

「・・・勇者は俺たちを殺すために召喚された、それであってるんだよな?」

 

「違うんですか?伝承ではそう伝わっていますが・・・」

 

 じゃあなんで不死者のいない時代に勇者が召喚されたんだ?どういった意図を持って聖王国はあんな大それた儀式を行ったのかわからないが内部のごたごたっぷりを考えるにいろいろな思惑が飛び交っていそうだ。フォトクリスやヴァーセイは無事なのだろうか。

 

 ・・・そういえば勇者は異能を得るとか言っていたがそんなものを習得した覚えがない。もしかしてそれが原因で殺されかけたのだろうか?それとも不死者であることがばれたからなんじゃ・・・なぜ命を狙われるはめになったのかほとんど意識を失っていた俺は知りようがない。確かなのはあの二人は味方ってことだけ。見ず知らずの俺を守ってくれたのだ。真意は分からないがそうでなければ俺はここにいない。

 

「それでどうなんですか?」

 

「話したくない。死ぬほど恐ろしい目にあってきたんだ。もう聞くなよ。思い出したくもないんだ」

 

「死・・・その反応、やっぱり不死者を完全に殺す方法があるんですね。それっていったい」

 

「・・・同じことを言わせるな。あと腕の匂い嗅ぐのやめろよ」

 

 まあ何も語れないから誤魔化しているだけなんだが。そもそもの話、不死者を殺すだなんて矛盾してやいないか?死んだ時点でそいつは不死者でもなんでもないだろ。死んでるんだから。

 

 伝説上の不死者は後から脚色され誇張されただけに過ぎないというのが個人的な意見だ。歴史が脚色されることはよくあることだ。そもそも不死者がそこらにいたら世の中おかしくなってしまう。

 

 イグナイツはやたらと質問をしてくるが探りを入れると言うよりも興味本位で聞いているといった感じだ。内容も当然の疑問ばかり。俺を900年前から今日まで生きてきた存在だと信じている。これなら多少の粗があっても問題ないだろう。人は自身の見たいように情報を受け取る。致命的な隙を晒さなければ向こうが勝手に何かの間違いだと勘違いして都合よく解釈してくれる。

 

 とは言え俺が不死者の事は大して知らないのでどこでボロが出るかもしれない。喋り過ぎは命取りだ。

 

「ん」

 

「どうした?急に止まって」

 

 急に歩みを止めたイグナイツ。なにやらある一点を凝視しているようだがそこには闇が広がるばかり。何があるのか。暗黒を見通すことができる彼女にしかわからない。

 

「光る何かがこっちに来ます・・・あれは・・」

 

「何も見えないぞ」

 

「これでいけるんじゃないですか。【交感】」

 

 イグナイツが魔法を行使する。するとどうだ目の前に青白い炎が現れる。腰が抜けそうだ。

 

「お互いの感覚を共有しました。これで私の目を通して見た映像が王子様にも見えるはずです」

 

「えぇ・・・お次は人魂かよ。勘弁してくれ」

 

 ゆらゆらと揺らめく青白い炎がゆっくりと緩慢な動きでこちらに飛んでくる。

 

 どうもできない俺は様子を見守っているとイグナイツが動いた。そうだこっちにはイグナイツがいるんだ。それに俺は不死者だぞ。なにを恐れているんだか。そのお得意の魔法でぶっ飛ばしてやれ。

 

 そう意気込む俺を余所にイグナイツは人魂に話しかけるのであった。

 

「幽霊ちゃんこんなところでどうしたの?」

 

「それはこっちのセリフだよぉ。あの扉を抜けてくるなんて驚くぜ」

 

「ちょっと待って。え、知り合い??」

 

 なんだか親しげに話すイグナイツと幽霊?どんな関係か想像もつかない。まさかこいつが例の幽霊ちゃん??

 

「で、私を触ろうとがんばってるこの男は誰。もしかしてデート中?いけないねぇクキキキ」

 

「王子様」

 

「え?」

 

「だから王子様。前にも話したでしょ。夢の中の王子様が私に会いに来てくれたんだよ、すごいよね」

 

「あぁ・・・・・そっかーこれがねえー。ふーん、君ってこういうのが好みだったんだねぇクキキキキ」

 

「そうだよ、こういうのが好きなんだよー」

 

 多分皮肉を言われてるだけだがイグナイツはうっとりしたまま気が付かない。

 

「王子様、ボクのお友達の幽霊ちゃんです」

 

「やあ不細工」

 

「・・・・」

 

 とりあえず無言で会釈する。こいつは性格が悪いなと俺は思います。

 

 もはやこの程度の事で驚くまい。どうせこれからも非常識な目に遭うんだ。いちいち驚いていられるか。

 

「幽霊ちゃんはどうしてここに?」

 

「どうもこうも妙なことになってるもんだから様子を見に来たんだよ。あの場所から君が出ている時点で”こっち”でも何かがあったのは確かなんだろ?今、上の層じゃ、とんでもないことが起きてるよ、お祭り騒ぎってところさクキキキキ」

 

「上の層?ここって地下なのか?」

 

「そうさボロ雑巾。なんせここは・・・・おっとおっとお客さんが呼んでもないのに到来だ。警戒しないと死んじゃうよ。そら来るぞ」

 

 コツリコツリと、妙に響く靴音。軽快な足音を響かせ誰かがこちらにやってくる。暗黒の一本道を優雅に踏み鳴らす。電灯が瞬きその姿を一瞬だけ捉える。

 

(なんだ?)

 

 エプロンドレスを身にまとった金髪の少女。俯いていて顔は確認できなかったが右手に巨大なトカゲのぬいぐるみを抱え、左手には血塗れの人間を引きずっているように見えた。唐突な良からぬ来訪者。余りの異様さに鳥肌が立つ。

 

 なんだこいつは・・・明らかに普通じゃない。ドロリとした空気がこちらに流れ込んでくるのがわかる。言葉にできない恐怖に気圧されている。

 

 俺は不死者なんだぞ!と無理やり奮い立たせる。自己暗示はお手の物だ。

 

「ほら敵さ。動かにゃ死ぬぞどこまでも♪」

 

「なんだあいつ!?」

 

「だから敵だって言ってるだろ。親切に教えてるのに無駄にしないでークキキキキ」

 

「―――――ッ、おいッそこの女ぁッ!そこで止まれ!これ以上近づけば敵と見なすッッ!!」

 

「・・・・・・・・」

 

 照明が瞬くたびにこちらに迫る少女の姿に危機感を抱く。

 

 ―――――殺るしかないってのか。

 

「王子様ちょっとここにいてください。すぐに始末してきますので」

 

 俺を地面に寝かせ、そのまますぐにも駆けだしそうなイグナイツの手を掴み引き留める。

 

「わわわ」

 

「本当に大丈夫か?お前滅茶苦茶笑ってるぞ」

 

「・・・そんなことはないです」

 

 獣の様な獰猛な笑みを浮かべながら否定されても・・・こいつ戦いたくてうずうずしてやがる。なんて好戦的なんだ。

 

「得体のしれない相手に無策で戦いを挑むな」

 

「大丈夫ですよ。勝負は一瞬で済みますからなんの心配もいりません。すぐにあの女の首をねじ切ってきますから」

 

「命が懸かってるのにわざわざ同じ土俵で戦う奴があるかよ。使えるモノは何でも使えばいいんだよ・・・・例えば”俺”とかな」

 

「王子様それは・・・」

 

 なにをするかわからない正体不明の敵に突っ込んで無傷でいられるのだろうか。魔法やら異能が存在する世界でも戦闘で一番怖いのは初見殺しだと思う。元の世界での外界探索時に嫌というほど思い知らされた。未知は闇そのもの。恐れを知らねば抗う事もできない。

 

 それに避けなければいけないのはイグナイツが負傷する事だ。この戦闘で勝っても俺を運ぶこともできないほどの傷を負っては意味がない。故に無傷が望ましい。

 

「せっかくここに不死者がいるんだ。使わない手はないだろ?」

 

 

 

 

 ――――――――――Side/???

 

 小気味良い音を立てながら来訪者は目の前の標的に向かってただ歩く。

 

 この先に待つキラキラと瞬くとても綺麗な光に誘われ、気が付いた時にはどことも知れない場所にいた。暗黒の中でもなお強く輝く何かに心奪われ進み続ける。虫が火に集うのと同じこと。

 

 そこに不遜にも影が立ちふさがる。水を差された。いや、先客か。

 

 この先にお客さんがいる。それが酷く邪魔だ。だから抉る。

 

 あと少しで”匙”が届く。我慢我慢。すぐにでも消してあげよう。

 

 だが急にするりと生温い何かが全身を撫でる。

 

 ―――風が凪いでいる。

 

 風がこちらに向かって吹き付ける。それと同時に不穏な予兆が迫る。風に紛れ飛んでくるナニか。闇に紛れてやってくる。

 

 なんだか怖くなったので飛んでくる何かに”匙”を振るう。確かな手ごたえ。闇の中で何かが弾る。ピシャリと甘い汁が顔に引っかかる。まるでシロップの雨だ。楽しい気分になったのか来訪者はその場で小躍りする。

 

 ピチャピチャ、ピチャピチャ

 

 足を踏み鳴らせば愉快な音が響く。左手に持った、たいしておいしくもないお菓子を投げ捨て床に落ちたシロップの原液に吸い付く。シロップを掌で掬い取り啜る。

 

 なに――――これ――ッッ

 

 あまりの美味しさに目がくらむ。ほっぺたが落ちそうだ。

 

「~~♪」

 

 犬のようにがつがつと貪る。口の中で様々な料理へと姿を変えていく。舌を通し刺激が脳髄にこの味を忘れまいと焼き付けていく。

 

 ―――グ―アェ

 

 何かが聞こえたが気のせいだろう。お菓子が喋るはずもない。

 

 ああ、今日はなんていい一日だろうか。

 

 それが致命的な好きとなる。求めてやまない存在に出会えばこうもなる。この時だけはただの少女であったのだ。

 

「王子様を食べていいのはボクだけだぞ」

 

 最後に声が聞こえた気がしたが食事に夢中で来訪者は結局死んだことにもわからなかった。

 

 



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第7話 不帰の古戦場跡

 

 薄暗き通路で恋都の悲痛な声が響く。今まで体験したことの無い経験がそうさせる・・・

 

「ヒィ、ヒィぐッオエっ」

 

「もう大丈夫ですよ。敵はこの通り死にました~」

 

 恋都は膝立ちのイグナイツに泣きつきなんとか息を整えようとする。生きたまま脳みそ吸われてたのだから無理もない反応だ。初めての経験だった。イグナイツですら死んでから啜るのに。ここは人食いしかいねーのかよ。

 

 それよりも暗黒の中で何が起きた?

 

 いきなり意識が飛んだが・・・状況から碌でもないことが起きたのは理解した。

 

「い、いったい、何が起こった・・あがが」

 

「言われた通り王子様を敵に投げつけたら巨大なスプーンが現れて空間ごとくり貫かれて迎撃されました。そのまま謎の少女に頭を・・・」

 

「オゲェーどいつもッこいつもッッ!ここじゃ人食いは常識なのか!?まともじゃない!!」

 

 体の震えが止まらず尋常じゃない程に気分が悪い。イグナイツの脇に抱えられた首だけの少女と目が合う。見た目だけなら普通の少女。喰われた事よりも殺す方法しか取れなかった自分に嫌気がさす。

 

 意味のない感傷を奥歯で噛みしめる。少なくとも無傷で突破したのだ。それでいいじゃないか。仕方のない事だったんだ。

 

「王子様の言った通りでしたね。まさかあんなことをしてくるなんて驚きましたね」

 

「礼はいい。これから先も何があるかわからない。いざとなったら俺を盾にするぐらいの選択肢は頭に入れておけ」

 

「気は進みませんが王子様がそう言うのなら・・・」

 

「クソッあの女はなんなんだよッ!何か知ってるだろ」

 

「いやーどうだろねー不死者君に教えることはないなー」

 

 幽霊に問いかけるがまともに答える気はないようだ。それどころか今ので不死者であることが露見してしまった。慌ててイグナイツが擁護する。

 

「えっと王子様は不死者だけど悪い不死者じゃないよ!だから」

 

「でも幽霊ちゃんは不死者が嫌いなんだよねー伝説通りなら死すら喰らうらしいじゃん」

 

「お願い信じて!」

 

 死を喰うか・・・やはり世間一般の常識では不死者は歓迎されるべき存在では無いか。

 

「しょうがないなー。お友達のイグナイツの頼みだし信じてやるさ。それが友情、だよねぇ。それに幽霊ちゃんの協力がなければ”ダンジョン”からの脱出は夢のまた夢だもんねクキキキ」

 

「ちょっと待って、ここダンジョンなの!?」

 

 ダンジョン?初めて聞く単語だ。意味合い的にやはりここはどこかの地下なんじゃなかろうか。階段は上るばかりで下ることは無かった。

 

「なんだよ・・・ダンジョンって?」

 

「なんだなんだー?900年も生きてる癖にそんなことも知らんのか。不死者君は物を知らないねー脳みそ腐ってんの?」

 

「前から思ってたんですが王子様って結構・・常識がないですよね。今度ボクとお勉強しません?」

 

「き、記憶が摩耗しているだけだから・・そんな残念そうな目で見るなよ」

 

 900年前の不死者を装うのだ。本当のことを言えるはずもなく情けの無い言い訳を漏らし誤魔化す。イグナイツが俺をそう見るのだ。彼女が望んだ役に徹しなければならない。

 

「ダンジョンは世界各地に点在する迷宮のことで洞窟だったりお城だったり様々な形で存在します。いつ、誰が作ったかは不明。大昔から存在するものもあれば何もない場所に忽然と現れるパターンもありますね。周辺に様々な恩恵と災厄をもたらし一部の地域じゃダンジョンそのものを神聖視し信仰対象とし崇め祀る地域も存在するとか。神からの贈り物だと考えるのがごく一般的ですけど神の威光を強めるために勝手に権力者が紐づけてるだけだとボクは思いますけどね」

 

「クキキキキ同意見だね~詳細は誰もわかってないのだから。神とダンジョン、不思議なもの同士を脳死で一括りにしてるだけだと思わないか?・・・愚かすぎて笑えるよねぇ」

 

 脱線して宗教的な話をする二人。信仰とは無縁の俺にはどうにも頭に入ってこない内容だ。

 

 神、か。聞いた限りこの世界では信仰が重要視されそこかしこに根付いている。元の世界でも過酷な環境で生きるアウターの間でもおかしな宗教が流行っていたが過酷な環境で生きる住人は幻想に縋らなくては生きていけないのかもしれない。まあこっちじゃ本物の神がいるらしいし信仰しても損はないのだろう。”あの”フォトクリスですら時折祈りの所作を見せるぐらいだ。生活の一部としてしっかりと生きづいている。

 

「で、恩恵と災厄って?」

 

「・・・・・・本当に何も知らんのかこの不死者は。無知にも限度がある。なんだか心配になってきたけどそろそろ頭大丈夫?聞くまでもないか」

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 そんな生暖かい目で見るなよ。しょうがないだろ不死者とか勇者以前に異世界人なんだぞ。こちらに非は無いのに相手を困らせてしまっている。ばつが悪くなんだかいたたまれない。

 こんな思いは初めてだ。ごめんね!そう思いながらも口にはしない。そのあたりに俺の人間性がよく表れている。

 

「・・・ダンジョンでの探索は危険がつきものですがリターンも多く、ダンジョン付近には必ず都市があるそうですよ。そこでしか採れない貴重な資源に【遺失物】を求め様々な人間が遠方から訪れるんだそうです」

 

「要はダンジョンのお陰で都市は人の流入が活発で力強い持続的な経済成長が見込めるってことか」

 

 外は一面雪原で危険と聞いていたのだが、危険を承知で人を突き動かすだけのメリットがあるということか。フォトクリスも危険だと警告したが別に都市間の出入りが全く無いとは言っていなかったな。

 

「資源と遺失物とやらはよっぽど金になるんだな・・・」

 

「もしダンジョンを完全攻略できたら金では得ることのできないこの上ない名誉と褒賞を得ることができるので様々な思惑を持ってるのは確かですね。それで災厄なんですがダンジョンの周辺では不可解な現象が起きるんだそうですよ。特に霊廟型ではそれが顕著ですね」

 

「・・・・・・・・・霊廟?」

 

「あ、ダンジョンは分類上、大きく分けて奈落型と霊廟型の二つのタイプがありまして奈落型は様々な制限下での探索を強いられるダンジョン。ハイリスクの割りにリターンが少ないのが特徴でダンジョン周辺には奇怪な現象が起こるんだそうですよ。神性を発生させるので濃度次第で神災を引き起こすことも。実際に都市の近隣に現れて一夜で全住人が消失し壊滅したなんてことも」

 

 神性。その言葉を聞き思い起こすは光満ちし神域。そして更なる異形へと変貌せしめた怪物の姿。

 

「それ変異でしょ!?知ってるッ!」

 

「・・・なんでこいつは変異は知っててダンジョンの事は知らないんだ。変だよ変変」

 

「まあ、ほら王子様も喜んでることだし・・・・ええと、可視化するほどの高密度の神性が霧のように一帯を覆っていて、一帯ごと変異しダンジョンが形成されるって話も」

 

「・・・じゃあここは奈落型じゃないってことか」

 

 高濃度の神性の流れをこの身で体験したおかげで理解できる。今のところ神性の気配がまったく感じ取れない。何者かが背筋で這い回るあの感覚が、ない。だがこの違和感はなんだ。ここには何かとんでもないものが眠っている気がしてならない。なぜそう感じるのかは俺にもわからないがどうにも腑に落ちない。

 

「お察しのとおりここは霊廟型のダンジョンということになります。恐らく最悪の部類の」

 

「まだなんかあるのか・・・」

 

「クキキキ流石だと言っておこーか。君の読み通りだと褒めて遣わすだから教えてあげちゃう・・・・・ここ、まだ”儀式場”として機能してるみたいだぞ」

 

「―――――ッということは”ゲームマスター”がいるのか。ん、でもそれって・・・・」

 

 肩がワナワナと震えイグナイツが歓喜している。と、思えば今度は急に眉を顰め悩み始める。重要なことを話しているのは伝わるがそれがなんなのか理解できず疎外感を感じる。

 

 イグナイツの様子を見かねた幽霊が補完するように説明を引き継ぐ。

 

「世間一般的な認識じゃあ霊廟型のダンジョンはダンジョンマスターと呼ばれる怪物が作ったとされているんだがね~実は違う。それらもまとめて作り上げたゲームマスターって存在がいる」

 

「要は仕掛け人ってことなのか。何者なんだ?」

 

 首を振る様に炎が乱れる幽霊ちゃん。どこか可笑し気に感じる。

 

「ゲームマスターの存在を知る者はほとんどいない。こういった地図の詳細に載らない空白の僻地に引きこもってるし、そのダンジョンを発見しても”遊び抜き”の難易度がね・・・ちゃんとした生存者の帰還率がやたら低いんですよ。内部がどうなっているのかわからないし情報が不足したまま様々な憶測だけが飛び交い好奇心に駆られた命知らずの冒険者が挑戦していく悪循環。そのダンジョンが有名になる頃には国によって禁忌区域に指定されます」

 

「ちょっと待て。ダンジョンの事は大体理解した。イグナイツはなんでそんなヤバイ場所に閉じ込められてたんだ?」

 

「・・・・・それはボクの・・」

 

 こんな大層なダンジョン内で部屋を用意され何不自由なく暮らしてきたイグナイツ。最初はどこかの訳アリのご令嬢が病院で牢獄のような施設にでも閉じ込められてんのかと考えたがここがそのダンジョンならばなお不可解。

 

 もしやイグナイツがパパと称し慕う者の正体は・・・

 

「またまたお察しのとおりこの子の父親がゲームマスターなのさ、世にいう三大禁忌の一つとまでに称された【不帰の古戦場跡】のなクキキキキ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「不帰の古戦場跡??・・・??????」」

 

「いや、アホな不死者はともかくなんで君も知らないんだよ・・もっと驚けよぉ三大禁忌なんだぞぉ。古戦場はこの世で最も詳細不明なダンジョンって言われるぐらい有名なんだがなあ~驚け!驚けったらよ~」

 

 二人して小首を傾げる。俺はともかくイグナイツが知らないのは単に与えられてきた外の情報に意図的に制限がかけられていたからだろう。父親がゲームマスタ-ならば理解できなくもない。父親にとって不都合な情報は娘に一切与えられていないとなるとその情報をひけらかす幽霊は父親側の存在では無い・・?

 

 父親側からすれば娘を閉じ込めておきたいはず。扉の在り処を教えイグナイツを外へと誘導しようとする幽霊には別の思惑があるように感じる。ただの親切心?いや違う、身の安全を考えるのならイグナイツをあんな化け物が徘徊する危険なダンジョン内へと引き込むはずがない。

 

 正直俺はこの幽霊のことが信用ならない。こいつが俺たちの目の前に現れたタイミングといいイグナイツの父親の正体を知っていることと、このタイミングでそれを明かしたことがどうにも腑に落ちない。明かすタイミングはいつでもあった筈。憶測だが毎朝の父親との会話でイグナイツにボロを出させないためだろう。

 

 それにダンジョンと明かされてからのイグナイツの食いつきっぷり・・・いままで小さな世界での幽霊との触れ合いの中で幽霊によって意図的に積み上げられてきたダンジョンへの憧れ。ここがダンジョン内であることを明かしより正確な詳細を知るためにイグナイツを父親の元へ誘導している?

 

 ・・・ただの考え過ぎか。俺に対しやたら当たりが強い幽霊に対し疑念的になってしまったのか。

 

 それにこのことをイグナイツに伝えたところで不信感を与えるだけだ。長い付き合いのある友達と昨日今日出会ったばかりの俺とでは積み上げてきたものが違う。機嫌を損ねられては困る。杞憂であればいいが警戒だけはしておこう。

 

「・・・それでどうするんだ。父親に会いに行くのか?」

 

「まあ、上がこんな状態だからねぇ。君もわかっただろう?君を殺しうる化け物どもが制御を離れ辺りをうろついているだ。こんなところにいれば命がいくつあっても足りないゾ~」

 

「それってパパが危ないってこと?でもパパはゲームマスターなんでしょ、だったら」

 

「もし統制がとれているのなら混乱は収まっているはずだけどねぇ、それもこれも空間異常のせいさ」

 

「え」

 

「あれのせいでダンジョン内に張り巡らせたシステム網はお釈迦になっちまったからなクキキキキ。あちこち断層まみれさ」

 

 イグナイツはぎょっとする。空間に広がった黒い穴。それを強引に拡張しようとしたあの行為、まさかこの事態を招いたのはボクなのか?脇に抱えた王子様の体をぎゅっと抱きしめる。事態を招き得た腕の中の確かな重みは間違いだったのか?

 

「大丈夫か?」

 

 唯一事情を知る王子様がボクを見つめる。その瞳には心配と不安が揺らめいていた。そうだ王子様の手足であるボクがしっかりしないでどうする。

 

 

 

 

 ――――王子様。

 

 ボクの活力そのものであり正しき方向へ導くボクだけの羅針盤。彼が現れてから事態が動き出したのがいい証拠。諸手を挙げて喜びを伝えたいが、急にそんな奇行に走ればビックリさせてしまう。残念ながら現状、ボクは王子様には嫌われてしまっている。これまでの行いを顧みれば当然の感情。時折、化け物を見るような目でボクを見るのが”堪らない”。

 

 ・・・でも大丈夫!今は嫌われていたとしてもこれから好きになってもらえばいい、それだけのこと。もっともっとボクの事を知ってもらおう。一緒にご飯を食べ、いっぱいいっぱいお喋りして、疲れたら一緒のベッドで眠るんだ。王子様が既に”誰かのお手付き”であろうと関係ない。この契約から女の匂いがするからなんだと言うんだ。こんなもの新たな”契約”を持って上書きしてしまえばいい。

 

 所詮は過去の女。今を生きるボクに勝てる道理があるものかよ。記憶の淵で永遠としがみ付いているのがお似合いだ。

 

 王子様に多くは求めない。たまに”滅茶苦茶”にさせてくれれば、どんなに暴力を振るわれようが罵倒されようとも構わない。どんなに辛くともボクが王子様の欠けたピースを埋め得る存在だといつか必ず理解してくれる。その時ようやく自覚の足りない王子様は理解する。 

 

 自分が何者であるかを。

 

 なんだ、やっぱり間違いなんかどこにもない、逆だったんだ。こうでもしなければ王子様に出会うことはできなかったんだ。

 

 大事なパパに迷惑をかけるほどの・・・それだけの価値があった。間違いなんてどこにもなかったんだ。ふふふ。

 

 

 常人であれば罪悪感に駆られる所かもしれない。だが生憎イグナイツは普通でなかった。それは環境から来るものか、それとも生来のモノか・・・

 

 

「まずはすぐにここを脱出しましょう。そうしましょう」

 

「おい、いいのか父親の事は?」

 

「大丈夫ですよ本当にゲームマスターならこの程度どうにもなるはずです、それに心配するのはボクたちの方ですよ。ここの連中にボクがパパの娘って知られたらどうなることか」

 

「??それってどういう意味だ」

 

「ダンジョンマスターって儀式を執り行うためにダンジョン周辺の村や都市から人を攫ってきては人間を加工したり家畜にしたりとやりたい放題で、相当恨みを買っていると思うんですよね・・・どうなの幽霊ちゃん?」

 

「このまま進めば嫌でもわかることだが敢えて言おう。君の父親は特大のクソだな。頭のおかしい実験を繰り返し、数多の憎悪が行き交い過ぎてちょっとした神性すら湧き出てる始末さクキキキキ。”何”をしたいんだかねぇ~」

 

「ああ、やっぱりそうなんだ。じゃあさっきの子も・・・」

 

 

 

 恋都は深く思案する。人体実験・・・いや儀式だから供物か。

 

 なんか、思っていたよりも状況が最悪だ。さっきの襲撃は娘の存在を知ったが為のエンカウントなのか。化物にしては姿が人間過ぎた理由って被害者だからなのか。これから先ずっと狙われ続けることになるのかよ。子も子なら親も親だな。

 

 ・・・子供か・・・・俺が・・・・・・言えた義理では無いか。

 

 不定期に光瞬く暗黒の道が急に恐ろしく感じた。人の形をした化け物が不意に飛び込んできそうで滅入ってくる。でも脳みそ喰うぐらいだし正気でもなさそうだ。何を考えて襲撃するのかわからないからこそなお恐ろしい。理解から遠い行動は怪物を異形たらしめる。

 

(ん?)

 

 歪んだ電灯が一瞬光を散らし、首のない女の死体が立っているように見えた。怪物が来た道を指差していた・・様に見えた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「どうかしましたか?」

 

「いや・・・なんでもない。ここにいても仕方がないしそろそろ行こう」

 

 やはり、ここには何かある。

 

 そう確信を抱きながら二度と振り返ることなくイグナイツの背の中で揺られる。さっき見たモノは恐れから来る幻覚か、そうでなければなんだというのだ。

 

 たとえ自ら罠に飛び込むことになろうとも進むしか道は無い。

 

 

 

 

 

 

 ―――――くふフッ

 



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第8話 接敵

 

 振動音と共に上昇していく狭き一室。全身に感じた慣性の楔がこの先に待ち受けるであろう不安の元へと誘う。

 

 恋都は・・・死体の様に寝そべる。

 

 まさかエレベータが存在するとはな。最初に見つけた時には驚いた。暗闇の狭間、差し込む光の矢と共にガチャガチャと音を立てる扉。スライド式の横扉の間に挟まった死体がエレベーターの起動をを妨げていた。頭の無い女の死体であった。これはさっきの少女の仕業だろう。

 

 

 どこまでも上昇していくこのエレベーターにも驚きだ。階数の表示もボタンの一つもないのに死体をどかせば勝手に上へ上へと昇り出す。体内時計からかれこれ20分近くは乗ってる。イグナイツが監禁されていたあの場所はどれほど地下深くに埋まってたんだ。あの怪物がここまで来たのだ。ちゃんと最後までたどり着くと信じたい。ゆったりとした速度で進む終わりの見えないエレベーターがいい加減じれったい。

 

「いつになったら辿り着くんだよ。こんな地下奥深くとは思わなかったんだが?」

 

「さすがにこの階層は特別離れたところにあるねー特別だよ特別」

 

 そんな場所を探り当てたこいつはなんなんだ。幽霊に疑念ポイント+200点。

 

 これほどまでに長いエレベーターを要する技術力からいろいろと見えてくるものもある。なんだろ俺のイメージするダンジョンはそれこそ古臭い建造物や洞窟なのだが、元の世界における旧時代の地下道ぐらいの新しさはある。このエレベーターだってどんな原動力で動いているのかもわからない。照明から電気なのか?異世界の技術力も侮れない。

 

「ところでさあ・・さっきから何してんのぉ?」

 

「何って服の補修だよ。さっきの戦闘で王子様に巻いた包帯が外れちゃったし、服だって替えないとね」

 

「なんだよ不死者、まるでお人形さんみたいだね。男のくせにそんな格好して恥ずかしくないのか?おっと心は乙女だったか?失礼しちゃう」

 

「もーそんなこと言っちゃダメでしょ。ちゃんと似合ってるんだから問題ないよ」

 

「幽霊ちゃんはそれが問題だと思うんだけどねー不死者君にはプライドとかないんだろねー」

 

 俺は今、床に座るイグナイツの胡坐に腰を下ろし後ろから服装の手直しを受けている。

 

 ああ、この体勢が一番楽だ・・

 

 幽霊からの罵倒もなんのその。普段なら苛立ちから過剰に反応していたところだが俺には確かな余裕が生まれていた。

 

 こいつと密着していると本当に気分が楽になる。奇妙な安らぎが体に満ち溢れる。安心感すら感じるんだものなぁ。あと、なんでこんなにも柔らかいんだ。女ってこういう生き物なんだ・・・だが忘れてはいけない。こいつの二面性を。絶対に忘れてはならない。コイツの本質は自分本位な獣だ。

 

「・・・・・・」

 

「イグナイツ・・・こんな根暗で障害持ちの不死者のどこがいいんだ、趣味が悪いな~」

 

「だってほら、王子様だから、ね?むしろこれがいいっていうか、ね。ほら、わかるでしょ。ねっ」

 

「王子様って・・・いきなり気味の悪い事をいうなよぉ心配するぞ~」

 

 

 

 

 まったく酷い言い草だとイグナイツは独りごちる。幽霊ちゃんはどうにも王子様に対して当たりが強い。いきなり王子様の話を振ったボクも悪いが、そういえば夢の王子様についての詳細は幽霊ちゃんにも話したことがなかったっけ。心配されてもしかたないか。でも、ほんと好き勝手言ってくれる。こっちはそれどころじゃないのに。

 

 敵の首を捻じり切った時の肉の裂けるあの感覚が今も両手に残っている。久しぶりの王子様以外の殺し。

 

 ボクは―――何も感じなかった。

 

 人間を殺した際の言葉にできないあの昂ぶり。あの少女はボクになにも感じさせてくれなかった。

 

 ボクはもうダメだ。王子様を食べるための殺しの意味が変わってきている。殺しそのものを楽しんでいる節がある。王子様以外で感じることができない体になっちゃったのかもしれない。

 

 王子様は酷い人だ。これではますます嫌われるじゃないか。

 

 なんだか、―――嬉しいな。胸の内を曝け出したい。殺しを楽しむ醜いボクを罵ってほしい。お互いに泣きながらヤメロと懇願させたい。

 

 

 また一歩王子様の隣に立つに相応しい存在へと近づいたようでテンションが上がる。依存度が上がる度に手の付けられなくなっていく自身に呆れ果て、満足する。

 

 こうやって彼と密に触れ合うと幸せな気分になれる。ボクの選んだ服を着て、こうやってボクに身を任せている。信頼されているようで嬉しい。王子様が今着ている服はボクが昔よく着ていたもの。とっておいてよかった。なんだろうか、この得もいえぬこの支配感。本当にお人形さんみたいだ。彼の従順な態度が拍車をかける。ボロボロなのも凄くいい。

 

 ボクのお願いに嫌がりはしても結局は言う事を聞く。抵抗されるのも楽しい。だって最終的には聞かざる負えないのだもの。それがわかっているからこそ楽しいのだ。楽しい。楽しい。どちらが上で下なのか言葉にせずとも知っているのだ。

 

 ピロリン♪

 

 そうこうしていると気の抜ける音と共にようやくエレベーターが止まる。ようやく終点へと辿り着いた。

 

「幽霊ちゃん」

 

「あいあい~・・・・・・・異常なし!」

 

 壁をすり抜け扉の向こうの様子を確かめる幽霊ちゃん。一向に開く様子のない扉にイグナイツは爪を食い込ませ無理やりこじ開ける。

 

「・・・・すげーパワー」

 

「よーし行っちゃいましょうか」

 

 

 恋都はイグナイツに背負われ外へと踏み出す。

 

 ぶわりと空気の匂いが変わり違う場所に来たのだと鼻から感じさせる。

 

 それから真新しい血の跡が続く通路を進み扉を慎重に開けた。

 

 そこは・・・

 

「・・・酷いな」

 

「この跡はさっきの子の仕業でしょうね。見てくださいこの傷」

 

 広間のあちこちにおびただしい死体の山が大なり小なり積まれていた。パチパチと赤い炎が揺らめきその全貌を照らす。

 

 広間の至る所が綺麗に丸く窪んでいた。まるでデッシャーで繰り抜かれたアイスクリームの様相。

 

 ・・・というか巨大なスプーンが部屋のあちこちに突き刺さっている。あの時は暗くてわからなかったが俺の頭を削り取ったのはこれか。広間の惨状に気を取られるが今更ながらここは収容所だと気付く。広間に対になるように設置された部屋のどれもが簡易なベットとトイレが備え付けられており、扉が全開だ。この死体がここの住人のものなのか。

 

「なんだこれは、まるで・・・」

 

「クキキキキまるで・・牢獄みたいって?そのとおり。ここの機能がダウンしたのをいいことに捕まっていた奴らが一斉に暴れだしたんだろうねぇ」

 

「牢獄・・・これ全部攫われてきた人間の死体なの?でもさっきの子は・・」

 

 少女のことはよくわからない。それでも死体が装備する装備規格の統一性。まさかこっちでこれを見ることになるとは。

 

「この死体は鎮圧する側だ。見ろ」

 

「?」

 

 どの死体もどこぞの部隊めいた黒い装甲服を身に着けている。元の世界の鎮圧部隊を彷彿させる装備の充実ぶり。武器は黒い意匠の剣に斧と原始的な武器でありながら可変式のデザイン。実にスマートだ。

 

 どうにもちぐはぐだな。死体の山からイグナイツが何かを拾う。

 

「・・・これ、銃?赤い炎といい・・・火継守がこんなに・・」

 

 銃を抱えた死体もいくらか見受けられる。この世界では銃を使えるのは火の属性を持った者だけでありその数はとにかく少なくそして強い・・らしい。なんでも火属性でなければ火薬が機能しないらしい。フォトクリスはそう語っていた。

 黒焦げた爆発跡に銃痕。戦場めいた痕跡の残滓から激戦であったことが想像に難くない。それほどの存在を投入しなくてはいけない相手だったのだ。地下の少女もその対象。そして返り討ちにあったのだ。

 

 ――――――――いた。

 

「イグナイツ、あそこ」

 

 エプロンドレスを身に着けた女の死体がちらほらと黒い死体群にまぎれている。その周りで黒服どもが群がるかのように女を剣で貫いたまま息絶えている。その有様から執念じみたものを感じさせる。何が何でも殺すという強い使命感。他の少女もどれも念入りに破壊されており酷いありさまだ。あまり長く見ていたいものではないな。

 

 恋都は辺りを見渡す。広さ的に一人一室か。独房の数から収容されていたのはこの女どもで間違いないだろう。通路で出会ったあの少女はこの地獄を勝ち抜き俺たちの元まで訪れたのだ。

 

「・・それだと死体の数なんか少なくないですか?」

 

 ああ少ない。

 

 独房の数と死体の数が合わない。鎮圧は失敗し人の形をした化け物どもは解き放たれてしまったようだ。あいつらは何者か。捕らえられた人間って奴なのか。独房前に取り付けられたネームプレートが読めれば何かわかるかもしれないが俺には文字が読めない。仕方がないんだ、文字の知識を最初からインストールしないフォトクリスが悪いんだ。

 

「イグナイツ、あれ読めるか。勿論俺には読めない」

 

「900年も生きてんだから文字の一つぐらい習得しとけよ。生きてて恥ずかしくないのかよ」

 

 また怒られた。しょうがないだろ異世界人なんだから。

 

「・・・・増長したアリス・・」

 

「は、なんだって?」

 

「いえ、本当ににそう書いてあるんですよ、他にも・・・」

 

 強酸性アリス、銀河眼のアリス、ネズミアリス、ぬいぐるみのアリス、狡猾なアリス、ハイパーアリス、追跡者アリス、貪欲アリス、魔王アリス、などなど・・・・

 

 読み上げられていく意味の分からない表記。どういった意図を持ってそんな名前をつけたんだ。似たような服に身体的特徴、アリスという名前。これはいったい・・・

 

「あちゃーやっぱり全滅かー。こいつらでも抑えられんか、使えね」

 

「・・・ねえダンジョンってモンスターが守っているもんじゃないの?なんで人間が・・・」

 

 確かにこれはどう見ても人間。引っぺがしたフェイスメットからは女の顔が現れた。整った顔立ち。実に美人だ。

 

「さあ?ここ普通じゃないからさー。少なくとも800年以上前から確認されている古いふっる~いダンジョンだし」

 

「そんな前から存在しているのに未だに攻略されていないって、パパ強すぎない?」

 

「ゲームマスターが直接戦うことはないよ。ダンジョンの守りは守護者のこいつらだけで十分なんだよね。外界の冒険者ども相手なら尚更。でも底の底へと封じられし真の化け物たちには及ばなかった、ああカワイソ。弱い奴に生きる資格なし」

 

「・・・パパがこんなに危険な奴らを生かしているのはやっぱりあの異能が鍵なのかな」

 

「あらあらいったいどうしたの」

 

「じゃなきゃ希少な火継守を投入するはずがないよ。あの空間を削り取った能力、魔術じゃ説明がつかないし、それにほら」

 

 部屋の隅で青く揺らめく冷たい炎。それは熱ではなく冷気を吐き出す。

 

「巨大なスプーンや削り取られた穴ぼこに目が行きがちだけど、こことか炎がそのまま氷漬けになってるし、普通じゃないよ。属性の相克関係ももう関係ない。こんなことは不可能だよ」

 

 彼女が何を言いたいのかわかる。ここに収容されているアリスと命名された恐るべき怪物たちは皆、変わった力を持っている可能性がある。火継守よりも優先度の高いとなるとこのダンジョンの儀式とやらの根幹に関わりそうだ。

 

 そう考えるとここは能力開発のための施設なのか?

 

 それに異能・・俺にも心当たりがある。少し突っ込んでみるか。俺の事を勘違いしてくている今ならこの話題を出しても不審がられないはず。深入りしたくないが異能が関わってくるなら知っておくべきかもしれない。

 

「・・・まるで勇者みたいだな」

 

「ああそうか伝承では勇者が使えるんでしたっけ。異能の再現が目的なんでしょうか?でもどうやって・・彼女らが900年前を生きた勇者本人なはずがありませんし」

 

 エプロンドレスの少女たちは顔つきと言い金髪と言いどの個体もよく似ている。こいつらはいったいなんなんだ。妙な胸騒ぎを覚える。

 

「おや?」

 

「どうしたの幽霊ちゃん」

 

「あれ敵じゃね?」

 

 死体の山に二つの光。それが何者かの目だと認識した時には遅かった。

 

「ぐぇ」

 

 短い断末魔とともに幽霊の姿がブレて消える。それはなんともあっけない最後であった。

 

「ッ!」

 

 イグナイツは王子様を背負ったまま後ろに飛ぶ。空中で反転させ背中を相手に向け恋都を盾にする。敵の全貌も見えず戦うのは危険という王子様からの忠告からくる行動であったが、先手をとったのは相手であった。後ろに飛んだイグナイツの体が強く後方へと引っ張られる。

 

「!?」

 

 急激な加速を肌で感じつつも慣性に乗った体は制御がきかずイグナイツは正面から壁に激突する。

 

 ドゴッッ!! 壁に痛ましい亀裂が刻まれる。

 

 盾にされたはずの俺は受け奇しくも無事であった。

 

「―――――――――ッオぐ」

 

「ッ――――イグナイツッッ!!」

 

 衝撃で咳き込みながらも恋都は声を上げる。ほんの一瞬で尋常ではないGが襲ったのだ。普通ではないぞこれは。

 

 そんな心配をよそにイグナイツは耽る。

 

 ああ、王子様が心配してくれている。ひび割れた壁から体を引き抜くが呼吸がうまくできない。

 

 いったい”何”をされた?

 

 死体に潜む敵を睨みつける。頭によぎるは異能の存在と王子様に教えられた戦いの心得。故に、全力で敵を殺すことにためらいはなかった。

 

「おい!貴様は何者だ!こちらに敵対の意思は、―――イグナイツッ!?」

 

「――――死体の山ごと消えちゃいなよ【狂飆】」

 

 

 ―――――轟音は衝撃を伴い圧を差し向けた。

 

 

 

 イグナイツは獰猛に笑う。

 

 ボクの中に眠る深淵通ずる”暗き穴”に魔力が満ちていく。基盤たる土壌から魔力を吸い上げ枝先へと運ばれていく。花開くは魔術の澱。起動、駆動、発動へと正しき手順を踏み求むべき答えを算出する。段階を経てシークエンスは終了する。なにものにも依ることのないイグナイツ=ヴェルチクラフトという”ボクだけ”の神話を魔術で表現する。

 

 世界を穢せ犯せ蹂躙しろ。

 

 

 神気―――発祥――!

 

 

 突き出した腕の先から生じる風の波が視界のすべてを飲み込み吹き飛ばす。

 

 それは形亡き強大な鈍器であった―――

 

 死体が、炎が、武器が、無慈悲な風圧に巻き上げられ一時を置いて降り注ぐ。圧倒的な暴風で何もかもまっさらな地平線へと誘う魔術。悉くが拉げ原形を留めぬ無塵地帯と化す。そんな地獄の呈そうを晒す中、一人平然と佇む者がいた。頭を抑え子供のように縮こまるくすんだ白髪の少女。おびえた表情をしているが、油断のならない眼でしっかりこちらを窺っていた。

 

 また子供かと恋都はうんざりする。だがあの目・・・怯える者のそれではない。

 

 

 少女は長い髪をひるがえし落ちてきた剣を掴み投げつけてくる。

 

 イグナイツが回避行動を取ろうとした時――――いつの間にか肩に剣が突き刺さっていた。肩から伝播する力に押され体が吹き飛ぶ。剣や斧が更なる追撃を加え襲い掛かる。

 

「―――――ツッ!!?」

 

「イグナイツッ!!?止まるなッ動け!このまま守りに徹すれば死んでしまうぞ!イグナイツッ!イグナイツッッ!!」

 

 痛みに怯むことなく綺麗に着地し敵へと一直線に疾走する。戦いにおいて敵の力がどんなものかわからぬ以上迂闊に手を出すのはまずいと王子様は言っていた。暗黒の中で出会った金髪少女の場合、王子様を使いうまく注意を逸らせたが、今回は正面からの真っ向勝負。

 

 異能の正体を探る間にも死んでしまいそうなほどの殺傷力。ボクでなければもう死んでいる。既に術中にあるのならば悠長に推測する暇はない。嵌った時点でアウトラインはとうに超えている。この場で守りに徹っしていたところで少しずつ命を削られていくだけだ。自由にさせ過ぎてはいけないタイプの敵。戦いの流れを掌握しなければ死んでしまう。ここは己のフィジカルでゴリ押すしかない。

 

 王子様、見ててください!!

 

 飛び道具が体に着弾する度にが痛みが遅れてやってくる。イグナイツは歯を食いしばり殺意を満たし獣となる。自然と口角が歪み瞳孔が開く。かまわず次々と飛来する剣や槍の弾幕を前に避けることなく一直線に全力疾走する。

 

 もちろん王子様を盾にしながら。

 

「オッガギャッ」

 

「!?」

 

 怯むことなく仲間を盾に突っ込むボクに驚いているのか及び腰のまま相手は指先に魔力をこめながら武器を投擲しつつ後方へとさがる。

 

 盾である王子様越しに突き出る刃。威力が強すぎて貫通し盾が機能していない。攻撃を避けられないなら愚直に進むしかない。時間が惜しい。

 

 ただ―――前に。

 

 

 

 それにしても・・不可解な現象だ。

 

 手元から武器が投擲された瞬間までは認識している。だがそこからプッツリと映像が飛んだように対象を見失う。投擲から着弾までのラグの短さ。剣を透明化させたのではなく殺人的な加速をもって飛来している。

 でなければ、ああも力が籠るはずがない。現に全力疾走しているはずなのに殺到する刃の勢いで押されている。普通の人間であれば昆虫の標本みたいにそのまま壁に貼り付けになっていたことだろう。こいつの異能は加速させる力と見るべきなのか?様々な憶測が頭をよぎっていくがその必要はなくなった。

 

 あと二歩で爪が届く。ミチミチと先鋭化した指先が跳ねる。

 

 そこに、喉元を食い破れる距離まで肉薄するイグナイツへと影が差す。少女の体躯には似つかわしくない巨大な流氷。冷気を振り撒き氷の刃が鉄槌を下そうと馬鹿げた速度で襲い掛かる。

 

 イグナイツは笑う。ボロボロの体では避けようがないと思ったのだろうが、甘えたな。

 

 近づけば近づくほど投擲物の威力が落ちているのにこの距離では恐れる程の脅威はない。それでも目に見えぬ速さで振り下ろされる刃に拳を頭上にて叩きこむ。軌道が読めれば攻撃を合わせるのは容易い。

 

 バギィッッ!!

 

 粉砕され飛び散る氷の破片。破片が皮膚を食い破るがもはや関係ない。爪を伸ばし首へと水平に薙ごうと力強く踏み込んだ。

 

 

 だが、

 

 ドグシャッッ!!

 

 

「ウ”ッッ!?」

 

 あと一歩、といったところで敵の姿は急にぶれ―――ボクは遥か先の壁に激突していた。

 

 また、かッ!またなのか!!なんて無様ッ!

 

 勢いよく頭を壁から引き抜き飛来する氷の礫に構わず、念じ指を横一線に切る。

 

(消し飛べェ!!!)

 

 ノータイムで放たれた無言の魔術。粒子が残滓の尾を描き加速が破壊を生む。

 

 だが爪先から放たれたキラキラと光る粒子は相手に届くことなくその場で爆発四散する。

 

 不発・・!それに威力が低すぎる。

 

 こちらの魔術にも干渉するか・・・

 

 

 そんなことも、できるんだ。先ほどから体のいたるところが悲鳴を上げている。主に脚部の筋肉がブチブチと根を上げるまでに引きちぎれているし関節だって擦り切れてボロボロだ。

 

 ・・・・異常にすり減っている。これも異能だというのか?

 

 どちらにせよ長期戦はこちらが不利。

 

 冷汗をかきながら、無意識に王子様へと手を伸ばす。焦りを紛らわせるための何気ない行為だったがそこでようやく気づく。

 

 王子様がいない。

 

 まさか落とした!?

 

 彼はどこに―――

 



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第9話 祈り手

 

 ――――――――――Side/???

 

 襲撃者は恐れを無視し平静を装い動揺を隠す。

 

 コイツは何者だ・・・?

 

「ふーふーッ~~~~」

 

 今もこちらに殺意マシマシで睨みつける獣耳の女を警戒する。次から次へとなんだというのだ。せっかく”特定種別A種”から隠れてやり過ごしたはずだったのに変なのに出会ってしまった。

 

 あの獣人はなんだろうか。まさか逃げ出した冒険者?それにしては強すぎるし第三階層にいる理由が思いつかない。冒険者如きが辿り着ける場所ではない。

 

 白と黒。モノクロな色彩を身に着ける少女は正体不明の獣人に腰が引けていた。

 

 ああ戦いたくない。不意を突けたのに死ななかった。A種や上位戦闘員並みの頑丈さ。獣人の癖に魔術を使うときた。まさか守護者?勘違いによる先制だったがこれは立派な反逆行為だ。謝れば済む話か?

 

 ・・・無理だろな~。

 

 敵の殺意で体が震える。仲間を何のためらいもなく盾にするような怖い相手。話し合いは無理だ。後方に横たわる男の死を確認し次の一手を繰り出そうとした時、背後から手が伸び腰にしがみ付かれる。

 

「ッえ!?」

 

 振り返れば串刺しになり死んだはずの男が背後から組み付いていた。血が滲む包帯まみれの顔面から覗く目が異様に輝いていた。咄嗟に腰からナイフを引き抜き首元へと斬りかかるも歯で受け止められた。

 

「――ウブッ――ゥギ――ッ!」

 

「!!ッグ、この!」

 

 ナイフがびくともしない。口の端から血の泡を吹き出しながら必死に食らいつき鬼の形相を呈す。全身を刺し貫かれどうして動ける。その気迫に圧され、どうしてか懐かしき記憶の芳香が少女の判断を鈍らせた。

 

 その一瞬の逡巡が命取りだった。

 

 超高速で迫る獣人に殴りつけられた。骨が砕ける音がした。威力からこちらの異能を利用し加速をつけたか。ほんの数分で順応したのかッ。よくもまあ意識がついてくるものだ。

 

「ッ!」

 

 襲撃者は殴られながらも、もう一本のナイフを虚空から取り出しバランスを崩す獣人の首に突き刺す。攻撃を当てたのはすごいが腰が入っていない。痛いだけで致命打には成り得ない。特に”私”に対しては。

 

 そしてその速度では負荷で肉体が持たない。立っていることもできないまでに終わっているのだ。こちらの異能により関節がすり減り内出血が隠しきれていない。激しく動けば動く程に寿命を削っている。

 

 ナイフの刃先が鮮血が導き出す。どうしようもない血路。

 

 

 ガギッ

 

 人体が出してはいけない異様な音に目を見開く。

 

 ―――――なぜ、なぜ刺さらない!?

 

 少女は信じられない物を見た。予想に反して獣人の首から返って来た感触は柔らかく弾力に満ちた硬さだった。なんだこの硬さは!?

 

 この女を刺すには加速の距離が足りない。近すぎたと言うのか。いや異能が無くたって軽く力を込めただけでナイフは首を刺さる。ギョロリと目だけが動き獣人と視線が重なる。少女は完全に気圧されてしまった。退こうにも枷である男が邪魔で離れることも出来ず獣人に正面から羽交い絞めにされる。

 

「このまま、潰すから。内臓吐き出せ」

 

「いッ―――――ガァあああああ」

 

 グググと万力のように締め付ける怪腕。細腕から信じられない力が発揮される。拘束を抜けようともがくもビクともしない。喉奥から熱いものがこみ上げる。

 

「ゴフぅッ」

 

 獣人はニヤニヤと楽し気な目で死にゆく過程を見届けるつもりか。死にたくない!誰か助けて!その叫びは声にもならない。

 

「ダメダメッそんな目で訴えかけても、君の可愛い内臓見せてよ。そのまま顔にかけてほしいなぁ」

 

「がああああああああぁぁッッ!」

 

 ゴポゴポと血と泡を吐きながら最後の力を振り絞り垂直にジャンプする。少しの力と距離さえあればいい。後は勝手にどこまでも加速する。加減度外視の異能が作用し少女ごと獣人の体が天井へと激突する。身長が高い分まず獣人が激突した。瓦礫が降り注ぐ。

 

「ッ――――――――――」

 

 それでも拘束は弱まらない。そのまま地面に落下する。重力を伴い一つの流星となり地面へと着弾。轟音と共に床に大きな亀裂が走る。

 

 こ、これで・・・

 

「グフッ・・・やるなぁ。でもね、無駄だからさ、そろそろ死のうよ」

 

 こんッこんなところで死ねるかッッ!!まだやるべきことがぁッ。無様でもいい!生き延びなければいけない!!

 

「ごめッごめんなさいごめんんさい!」

 

 少しだけ力が緩む。感情の読めない目をした獣人は口から血を垂らしながら問いかけてくる。

 

「・・・名前なんて言うのかな?」

 

「フ、フラメンツ」

 

「フラメンツちゃんって言うんだぁ。君は何者かな?こんなところで何をしてるの?」

 

「わ、私は”祈り手”の一員で、特定種別A種の制圧の為に派遣、されました」

 

「特定種別A種?それってなあに?何者なの?」

 

「私もわかりません。異能を振るう化け物が暴れているから始末して来いとしか聞かされていない、ので」

 

「じゃあなんであんなところに隠れてたの?」

 

「・・・つ、疲れて。確実に勝つためにも連戦は好きじゃないから」

 

「へぇ、ここの惨状はフラメンツちゃんの仕業なんだ。あれ、でもボクたちには攻撃仕掛けてきたよね、そんなに弱そうに見えたのかな?こうやって今にも殺されかけている癖に」

 

「・・・・わ、わからない。わからないよぉ。やり過ごすつもりだったのに、なんでぇ」

 

「そっか、関係ないけどフラメンツちゃんって可愛いね」

 

 また両腕に力が込められていく。血が止まらない。目や鼻からも血が流れ出る。両肩の骨だって脱臼しているのに。

 

「な、なんで。助けて!死にたくないよお」

 

 

 

 

 イグナイツは滑らかな肌の感触を確かめながら骨が折れていく音を味わう。未成熟の柔らかな体。やはり生の反応はいい。肉人形では味わえない感情の乗った生の感覚。王子様では感じえないベクトルの違う昂ぶり。この子をこのまま殺せば気持ちがいいに決まっている。困ったな、ボクはどうしようもない奴みたいだ。どうも殺しも好きらしい。加虐的で執拗に痛めつけるのが好きなんてどうかしてる。王子様にばれたらどう反応してくれるだろうか。

 

 くひッ

 

「・・・そこまでにしておけ」

 

 不意に肩にかかる重み。この匂いは王子様だ。息を荒げながら体を這わせこちらまできたのか。必死な姿も視界によく映える。

 

「もうそいつに戦闘意欲はみられない。そうだろ?」

 

 促すように語気を強める恋都に対しコクコクと血涙交じりに必死に頷くフラメンツ。そのかわいらしい姿に愛着が湧き上がるが同時に壊したくもなる。

 

 ・・・後ろ髪を引かれつつも拘束を解く。王子様にやめろと言われればやめるしかない。

 

「ん”、ん”~」

 

 全身の筋肉を力ませると体中に刺さった剣が抜け落ちる。すぐに傷も塞がり衣服の穴だけがその痕跡を知っている。

 

「ん~体の節々が痛い。筋肉がボロボロだ。この子結構強いかもしれませんね」

 

「イグナイツ、俺も・・」

 

「食いしばってくださいね、吐くほど痛いですよ。冗談抜きで」

 

「いいから早く、、オゲェぇッ!!」

 

 強烈な痛みと血の流れが喪失感を生み恋都は思わず嘔吐する。吐きすぎて胃液と血の塊しか出ねえよ。

 

 イグナイツが俺の体に刺さった刃を一気に抜き去っていく。イグナイツも俺と同じぐらい傷を負ってたのになぜこうも平然としていられるのか。

 

「ゴホッッゲホッ!祈り手とか、言ったか?何かしらの組織に所属していると見受けるがこの隊服どもも一緒か?」

 

 小さな襲撃者はイグナイツと俺の顔を交互に見やり恐る恐る言葉を紡ぐ。

 

「ううん、この人たちとは違う。黒殖白亜はダンジョンの環境保全及び外部からの防衛が主な任務で、祈り手は・・・・・わかん、ない」

 

「わからない?」

 

「記憶がないから、わかんない。研究所の人たちからは祈り手って呼ばれてて、気がついたらダンジョンの怪物どもと戦ってた、から。今回も頭に指令を受信したから・・・」

 

「(・・受信?)じゃあその異能とはなんだ?お前はアリスじゃないのか?」

 

「それは・・・・わからない・・・頭が痛い、よ・・ぐ、う」

 

 急に頭を抑え痛みに悶え始める。明らかに様子がおかしい。

 

「ちょっと頭見せ、痛いッ!ておい!暴れんな!イグナイツこいつを抑えろ」

 

「おらぁ、獣人だ!大人しくしろっ!」

 

「馬鹿!誰がそこまでしろと言った!めっちゃ泣いてる!」

 

 イグナイツが暴れるフラメンツを強引に抑え込みその隙をついて恋都は少女の長い髪を掻き上げる。

 

 すると髪に隠れた額に横一線の手術痕を発見した。

 

 ・・・なんだこれは。よく見なければわからないほどの細やかな傷と金属のアタッチメント。触診により指先に感じる違和感。こいつ頭に何か埋め込まれてやがる。

 

 受信ってそういう・・・

 

「こいつも実験体じゃねーか!ここってどっかの研究施設か何かか!?」

 

「どうします?このままだと死んじゃいそうですけど、頭のコレとってみますか?」

 

「とるって・・簡単に言うな。野蛮なイグナイツには分からないだろうけど脳とダイレクトに直結してるかもしれん。マジで死ぬぞ。信号の受信を遮断すればなんとか・・・」

 

「大丈夫ですよー人間の頭の構造は把握してます。お医者さんごっこならお手の物ですよ!」

 

 呆気にとられる恋都を余所にイグナイツはどこからともなくメスを取り出す。いや待ていつの間に白衣なんか着ているんだ。なんだその眼鏡。【蔵書】の魔術を応用すれば早着替えもできるのかよ。便利にも程がある。

 

 イグナイツは取り出した拳銃のようなグリップがついた注射器を取り出しフラメンツの首筋に打ち込む。

 

 プシュッ!

 

 急にグッタリするフラメンツ。透明な手袋をつけテキパキと準備を進めるイグナイツに理解が追い付かない。

 

 妙に・・手慣れている。

 

「・・・・・あ、え?」

 

「子供の頃パパにお医者さんごっこしたいと言ったら何を勘違いしたのか医学書と大量の人間を渡されて修理方法を徹底的に叩き込まれました。解体も修繕もお手の物です。ふふん!頭に埋められた金属片は何度も摘出したことがあります。え~取りあえず頭蓋骨に穴開けてポーションぶち込んで・・・・多分よし!!」

 

「待て!まッて!うわあ・・・」

 

 見るからに雑。次々と溢れる流血に隠れているのに医療用器具を突っ込み奥底に潜む金属片チップやチューブ状の回路を引っ張り出す。ガリガリと音を立てドリルが回る。合間に様々な薬品を取り出し流し込む。

 

「まあ見ててください、すぐに終わりますよ」

 



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第10話 変調

 

 恋都はフラメンツの頭から取り出されたプラグの様な部品を指先で転がす。

 

「納得いかねえ・・・・・あれで成功するのか」

 

 時間にして15分ぐらいのオペ。手慣れた動作でフラメンツの頭を弄るイグナイツの腕前に驚きを隠せない。専門ではないが俺にも医術の心得がある。例の薬の臨床試験の過程で被験者の脳をいじったこともあるが、イグナイツほど上手くやれただろうか。それにあのポーションだったか。フラメンツの頭に空いた穴はすでにない。まったく綺麗なものだよ。それどころか先ほどの戦闘でイグナイツから受けた傷の全ても治っている。なんだその万能薬。無茶苦茶するにも限度があるだろ。常識を易々と超えてくる。

 

 最初のイメージから一転して今のイグナイツはすごく頭がよさげに見える。その白衣を身に着けるに相応しい。本物のお医者様みたいだぁ。イグナイツはチラチラと褒めて褒めてとねだるオーラを放つが無視する。だってムカつくだろ。普段は知性も感じられないのに実は頭がいいとか。なんだか悔しいぞ。

 

 

「・・・なあ、あいつは幽霊の仇なのに、なぜ助けてくれたんだ?」

 

 俺は幽霊が嫌いだ。口を開けば罵倒するし、口にしなくとも毛嫌いしているのを隠そうともしない。俺が不死者だからか知らないが仲良くする理由はどこにも無い。それでもイグナイツにとっては唯一無二の友人。何年もの親交があったことは想像に難くない。

 

「ん、ああ幽霊ちゃんのことですか・・・まあ死んじゃったもんは仕方ないですよ。替わりに今は王子様がいることですし。それにこれも契約ですから」

 

「替わりって・・・大事な友達だったんだろ」

 

「?・・・・死人のことなんてどうだってよくないですか?幽霊ちゃんとの思い出はボクの中で永遠に美しい記憶として残り続けるのですからそれでいいじゃないですか。王子様もこれからたくさん思い出を作りましょうね」

 

 ・・・なんだその感想。

 

 数年来の友人が死んだのに、そんなものなのか。これまでのやり取りを見てもイグナイツは幽霊をよく慕っていた。それを替わりの一言で済ます精神性。いなくなった者の役割はそいつにしかこなせないんだぞ。

 

 ・・・屈託のない笑みが恐ろしいなイグナイツ。

 

 やはり俺の代わりとなる者が現れたらこいつは平然と見切りをつける気がしてならない。替わりの利くものであればなんでもいいのか。本当に期待を裏切らないな。

 

 お前は・・信頼からは程遠い存在だよ。

 

「・・・ボクからも一ついいです?あんな目にあったのになんで敵を助けたいと思ったんですか?」

 

「・・・・・・・」

 

 戦闘時、爛々と赤い目を輝かせる少女は怯えているように見えた。俺にはまるで闇を怖がる子供のように映り、だからこそまだ話し合いでどうにかなると思った。でなければ戦闘停止の呼びかけをしたりするものか。

 

 実際俺の懸念はあっていた。フラメンツの体をイグナイツが調べたがやはり頭の他にも手術痕があちこちに見受けられた。記憶がないことといい、これも儀式って奴の一環なのか?

 

 確立された高度な医療技術と言い、きな臭すぎる。

 

 俺は・・その境遇から同情しているのだろうか。俺がねえ・・・

 

「・・・・・・・もしかして、こういう小さな子が趣味なんですか?」

 

「・・・・は?」

 

「いや、わかるなあ~~!いいですよね子供って!未成熟な体に穢れ知らずの精神。この子なんて色白で白く綺麗な髪。明らかに人の手が入った体中の傷跡がこの子の存在の特異性をさらに引き立てますよね。来る日も来る日も実験に耐え続ける少女はある日指令を受け事の重大さもわからぬままに地獄の渦中へと知らず知らず踏み込むのであった。持ち前の臆病さに助けられたがそれも長くは続かなかった。目の前には出会ったこともないような比類なき怪物。少女は強かった。だが敵はもっと強かった。奮戦するも心半ば負けてしまい生きたまま貪られる。果て亡き饗食の前に心も体も穢され、少女は死を望む。『私を殺して・・・』ああ!ストーリー補完しちゃう!少女の冴えない人生に新たない1ページ刻んじゃった!それも勝手に!辛抱堪らない。辱めてあげたい。ねえそうだとは思わない。なあおい!フラメンツちゃんッ!いいよね。いいって言えッ」

 

「お、おいどうし――――――ッ」

 

 不穏なサイン。ここに来てから感じていた言葉では言い表せない良くない予兆。

 

 まさしく一瞬の出来事であった。

 

 イグナイツの姿が消え、フラメンツの悲鳴が響く。事態に追いつけず何事かと鈍い体で姿を探す。

 

「ヒィッ!う、うぶぅ」

 

 意識が回復していたのかとかそんなことはどうでもいい。フラメンツがイグナイツに組み敷かれていた。服の下に腕を差し込みまさぐる。必死に抵抗するも一枚、また一枚と服が脱がされ布面積が白い肌に剥かれてゆく。ふさふさな尻尾をせわしなく振り、ついに露わになった胸郭へとイグナイツは歯を立てる。

 

「あ”ああああッツ!ン"、ン"ン――――――ン”ん”――ッ!!!」

 

 食み、血を吸い、うるさい口に蓋をするように口移しで血を流し込む。抵抗しようにもお互いの掌はがっちりと絡みつき恋人のように結合する。小さな体は全身でのしかかられ封殺される。

 

――――パキペキ

 

 そのまま器用に小枝を折る感覚で指をへし折っていく。フラメンツの声にならない叫びがイグナイツの口内で芽を出すことなく死んでいく。あるのは死骸のような残響だけか。たまらず失禁してしまう。

 

 長い長い一方的な欲望の発露は終わり二人の口元は血塗れになるがイグナイツはニタニタと笑う。それとは対照的にフラメンツは恐怖でガチガチと歯を鳴らす。完全に心が折れている。そんな彼女の態度にますます火がついたのか獣の手が下の方へと伸び・・・・

 

 

「いい加減にしろッッ!!この変態がッッ!」

 

「―――――――――――――」

 

 

 背後から無防備な彼女の脇腹へと容赦なき拳の一撃が突き刺さる。恋都はそのままイグナイツの体を拳に乗せ押すように吹き飛ばした。

 

 いくら声をかけても反応しないので必死に右手だけで這ってきたがやはり遅かった。イグナイツは血を吐きながらゆっくりとこちらに振り返る。その顔はまるで幽鬼の相であった。

 

「イグナイツ・・お前最高に気持ちわ―――――お前・・その目はどうした?」

 

 髪の毛の隙間から覗く眼光。まるで焦点が合わない。

 

 恋都は思わず守るかのようにイグナイツとフラメンツの間に体を血で滑らせる。イグナイツはこちらの呼びかけにいっさい反応することなく鼻血を垂らし能面のような顔でこちらを見つめている。その様子に短い悲鳴を上げるフラメンツ。背後から俺に縋りつき萎縮している。恐怖による振動が背中越しに伝わる。

 

 ・・・明らかに様子がおかしい。いや、元からおかしな奴だったがどうにも正気を失っている。こんなイグナイツは初めて見た。衝動に駆られている時でも不安定な感情の揺らめきに触れることができたが、現状のイグナイツからは何も感じとることができない。

 

 いや、それよりもだ。

 

(なんだよアレ・・・)

 

 イグナイツのあちこちに赤い糸が繋がっている。それはとても薄く焦点を外すとすぐに見えなくなってしまう。まるで最初からそうであったかのように存在するそれは一本また一本と壁や天井からイグナイツに接続していく。変調の原因はこれか。まるで操り人形だ。

 

「お前、動けるか?動けるなら全力でここから逃げろ」

 

「・・・・・・・なんで・・・」

 

「え、なに?」

 

「なんで助けてくれたの?あんなに滅多刺しにしたのになんでなの?ねえなんで?なんで?なにが目的なの?こんなことして意味があるの?なんで?なん」

 

「ああッうるさいッ!お前がいると邪魔なんだよッ!クソッ頭が痛―――――ッ!!」

 

 イグナイツが離れた途端これか。痛みが蘇る。あいつ全身から変な成分分泌してるんじゃなかろうか。

 

 ガギィン!!

 

 突如振り下ろされるイグナイツの踵を拾った剣で防ぐ。降りかかる重圧が俺の全身をくまなく巡り容赦なく砕く。

 

「グェッ!い、いいから、さっさと、行げよぉッ!」

 

「――――――――――」

 

 背後から足音が響き気配が奥へと消え恋都は少しだけホッとする。

 

 せっかく助けたのに死なれでもしたら困るってのもあるがこれから人間社会に溶け込む予定のイグナイツに必要以上の殺人行為を許す訳にはいかない。そのための契約。死ぬのは不死者一人でいい。イグナイツは力があるためか暴力的な手段で解決しようとする傾向がある。

 

 やや、いやかなり常識に欠けるが物腰は上品だし人当たりも悪くはない、と思いたい。ちょっとずつ慣れさせていけばすぐにでも自分なりの処世術を身に着けるだろう。なにより見てくれが非常にいい。周りが勝手に社会への迎合の難易度を下げてくれるだろう。これは俺の経験則だ。だからこそ力という安易な方法に流されないよう教え込む必要がある。

 

 つまり俺が何が言いたいか要約すると、もっと他人を慮れ!

 

 瞬時に傷を再生させる。欠けた左手で剣先を支えることでイグナイツを押しのけ、その勢いで腰をばねの如くしならせ斬りかかる。この動作だけで3回は気絶しそうになる。

 

 必死な一撃。それを難なく機敏な動きで容易く躱される。

 

「グ、ぅぶ」

 

 イグナイツの両腕が残像を伴い俺の体中から肉が抉り飛ぶ。

 

 こちらの攻撃を避けた上でイグナイツの爪先が容赦なく切り裂いていく。あっという間に満身創痍。もとより当てれると思ってはいないがやはりだめか。

 

 それでも試みは成功した。剣で原因と思われる赤い糸を切ろうと試みたがまるで手ごたえがない。物理的な干渉はすり抜けてしまう。首元に迫る爪先を捉眺めながら実力の差をあらためて噛みしめる。力に速さ、どれをとっても人間のそれではない。おまけに魔術も使ってくる。なんだこいつッ!怪我人が相手していい相手じゃないッ!なんだこいつッ!!圧倒的な力の前では泣き言も許されないのか。気絶だけはなんとしてでも避けねばならない!

 

 気絶している間に事態が動き置いてけぼりになるのはもう御免被る。うおおおお俺の意識よ踏みとどまれええええ!

 

 ドゴッッ!!

 

 鈍重な衝撃が容赦なく頭部を襲った。

 

 

 

「――――――――――?」

 

 頭から響く鈍い音。それは俺、のではなくイグナイツの頭からであった。

 

 襲撃者は小さなシルエット。逃げたはずのフラメンツが助走をつけ飛び蹴りをかましたのだ。

 

「!?」

 

 加速したフラメンツの蹴りが容赦なく突き刺さるがイグナイツは微動だにしない。

 

 グリリと目だけが動く。

 

 フラメンツは足を掴まれそのまま床へとたたきつけられようとする。容易にフラメンツが床に広がる赤い染みになるのを幻視する。力のままに振り下ろされる小さな肢体。だが想定していたよりも軽い音と共に床に激突する。

 

 その予測を下回る結果に俺は驚く。そのままの体勢でフラメンツは足を掴んだままのイグナイツに魔術を放つ。

 

「【氷結】」

 

 フラメンツを中心に冷気が渦巻き、何もかも凍り付く。攻撃的なフォルムをした氷塊が現れた。それでもイグナイツは凍った腕で足を掴んで離さない。床や空気まで凍っているのになんでその程度で済んでいるんだこいつ!?

 

 直撃してない俺が凍傷で今にも死にそうだってのに、こんなの許されんだろ。

 

 イグナイツは即座に氷に閉ざされた足を無理やり砕き振り上げる。未だ拘束が解けぬフラメンツを踏みつぶそうとするイグナイツの軸足を俺はとっさに拾った銃で撃ち抜き転ばせる。ここまでしてようやく解放されたフラメンツは小さな体で俺の前で構える。この構図は・・・さっきとまるで逆。小さいはずのその背中はなんだか頼もしい。

 

 ぶわりとフラメンツから何かが放出される。神性とも違うエネルギーの波動。なんだろう、先ほどとまるで別人じゃないか。これまでと纏う雰囲気が違う。

 

 なぜ俺を助けてくれたのか、それはひとまず置いておく。とにかくイグナイツをどうにかするのが先決だった。

 

 今はただ、この少女と轡を並べて戦えることに新たな可能性が芽生えるのを感じていた。

 

 二対一。お互いが向かい合い膠着状態に陥ろうとする中、明確な変化が訪れる。

 

「!」

 

 これまでせわしなく輝きを放っていた照明が消え、辺りが完全な闇に覆われてしまう。

 

 それはほんの一瞬の出来事。すぐに復旧され照明に明かりがともる。

 

 だがそこにイグナイツの姿はなかった。

 

「俺を置いてどこ行くッ!イグナイツゥゥゥ――――ッ!!」

 

 探そうとするも無理が祟って血反吐を吐く。

 

 同じ時をもって一帯を襲う地震。このフロア全体が激しく揺れている。俺もフラメンツもまともに身動きがとれぬまま地面にしがみ付く。嵐の海のように先行き読めない展望の連続に理不尽さを感じる。

 

 そんな俺を嘲笑うかのように機械的なアナウンスが空しく響く。

 

 

【―――第二階層で異常な力場の発生を確認。各方面の関係者は至急第一階層中枢ブロックにお越しください。なお、現時刻を持って第二階層及び第三階層は全て破棄するものとする。職員の皆さまは早急に第一階層へと避難してください。繰り返します。第二階層で―――】

 



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第11話 黒殖白亜

 

 照明が落ち輝きは赤光に切り替わる。赤色の造形が彩を添え辺り一面を不安を想起させる世界へと切り替える。

 ここは第二階層にはびこる運搬通路。車両を使い【蔵書】の魔術で物資を運ぶため人の行き来が頻繁となるのだが、活気は鳴りを潜め通路は荒れ果て凄惨な光景を露わにする。

 

「――――――――!・・・これは」

 

「区画の放棄とは思い切ったことをする・・・・事態はなお悪いか」

 

「上のやつらは私らを見捨てたのかッ。どうします隊長このままでは・・・」

 

 完全に第一階層への道を遮断されてしまい帰る場所を失ってしまった。ここは未だに地獄の渦中。特定種別A種が我が物顔で練り歩く、我々エリート部隊にとっても危険極まりない殺戮空間。一歩踏み出せば闇に紛れ怪物が顔を覗かせる。それは目の前の”彼ら”にとっても一緒か。

 

「あ~ええとだな~・・・コホン!諸君、どんなに異常な事態に直面しようと我々の役割は変わらない。そうだろ?」

 

「それは勿論です隊長」

 

「まずは目の前の仕事を片付けて考えよう。先の事ばかり考えていては足元を掬われる、と私は思うのだよ」

 

 やはり我が部隊は優秀だ。私も鼻が高い。例え言葉にせずとも部下からの信頼が手に取るようにわかってしまう。いや~優秀で困っちゃう。栄えあるA部隊の統率者として実に誇らしいな!

 

 さあ仕事の続きだ。拡声器を手に取り目標に対し最後の通告を行う。

 

 

『無駄な抵抗はやめて即座に武装を解除し投降せよ!貴様らに逃げ場所などない。余り私を困らせるなよ、脱走者ども~』

 

「ふ、ふざけるなッ!俺たちをここから出しやがれ!」

 

 第一階層に繋がる通路。無慈悲に降ろされた隔壁にまで追い詰められた簡素な服を着た集団。その正体は異変の際に逃げ出した囚われの冒険者たちである。どうやら彼らは脱出の機会を前々から窺っていたようでシステムがダウンしたのをいいことにいち早く実験場から逃げ出した集団である。

 

『え、何か言ったか!?もっと大きな声で言わなきゃ気持ちは伝わらないぞ!』

 

 拡声器によって増幅された音が通路を反響していく。

 

「隊長!うるさくて相手が何言ってるか聞こえません!」

 

『えッなんて!?』

 

「こんな広くもない場所でそれ使わないでください!!」

 

『はあッ!!!?だからなんてッ!!』

 

「だから!―――ああああああうるせええええええええええええ!」

 

『ぐぇっ!?』

 

 部下に腹部を殴られ拡声器を落とす。床に落ちたそれは甲高い音をたて沈黙する。床で蹲る私を無視して部下が替わりに話を進める。これでは示しがつかない。

 

「貴様らには二つの選択肢があるッ!ここで死ぬか、大人しく牢獄に戻るか!どちらかさっさと選びやがれ、このゴミ虫どもがッ!」

 

「い、いい加減にしてくれ!俺たちは家に帰るんだ。家族が待っているんだ!こんなところで死ねるかよォっ!!」

 

「なんだ貴様ら、与えられた労働のノルマも果たさずに逃げるつもりか?責任感が著しく欠如しているな。考えてみろ、お前たちがいなくなればその分誰かが迷惑を被ることになるんだぞ。可哀想だと思わないのか?隣人の気持ちをよく考えろ!!自分さえ良ければそれでいいのか恥を知れ!・・なあもう少し頑張ってみないか?今ならまだやり直せる。握手するぞ悪手!」

 

「ふざけるなッ俺たちは!家畜じゃねえ!人間なんだよ!」

 

 それがなんだと言う。人間であることが家畜でない事の証明になるとでも思っているのか。おめでたい頭をしている。私は今立場の話をしている。実験体風情が分を弁えろ。譲歩はした、後は知らんぞ。このやろう。

 

「はあ、全く話にならんな。そもそも自分の意思でノコノコとこの場所にやってきたのだろう。ここがどんなダンジョンか知っていたはずだ。親に教わらなかったのか?好奇心に負け規則を破り大した実力もないのにこの地に踏み込んだのが貴様らだ。まったく冒険者というのは・・・愚かしい!人の家に土足で踏み入る虫けらをどう扱おうとこちらの勝手だろうに。だがッ、貴様らは運がいい。他のダンジョンなら普通死んでるところを我々は生かしてやっているのだからな。せっかくだからこの場で感謝を求むるぞ。さあ言え!ありがとうございますとなぁッッ!」

 

「か、感謝を強要されてるのか俺たち・・・・完全に下に見てやがる。ど、どうするこのまま戦ったところで・・」

 

「だからまた働くってのかよ!クソッ死んでも俺は働かねえ!絶対にだ!働くぐらいならここで一矢報いてやらあ!あの厄介なゴーレムはいないんだ。やるぞオァ!!俺たちゃ男なんだよォ!!」

 

「そうか・・・面倒が少なくて助かるよ。そして、その選択は自己責任だ。吐いた唾は呑めぬと知れ!」

 

 施設から奪い去った武器を手に殺到する冒険者たち。戦ったところで勝てるはずがないのに、それでも抗おうとする冒険者によくみられる気質。誠に諦めが悪い。悪あがきもいいところだが縮こまっているよりはまだマシか。それでも愚かだと評さざるえない。一生飼い殺しになっていればいいものを。

 

「おらしねー」

 

 指揮を引き継いだ副隊長はハンドサインで合図する。隊員たちは一斉に機関銃を構え、敵をほどよくひきつけた所で引き金に指が掛かる。

 

 閃光が瞬いた。

 

「ぐあ!」「ひあっぅ」「た、助け!」「くそがああッ」「これ以上の搾取はあああ」

 

 絶対有利な殺し間。この袋小路では逃げる場所も遮蔽物もない。銃弾の雨が容赦なく敵を襲い凄惨な現場を作り上げていく。彩られていく赤の色彩。硝煙の匂いと交じり見るもの全てを地獄に誘う。

 

 魔術を使い一気に殲滅したいがここまで人が密集しているとこちらにも被害が及ぶ可能性がある。弾がもったいないがこればかりは仕方がない。魔力は有限なのだ。想定すべき相手はこいつらではない。もっと恐ろしい存在こそが本命なのだよ。

 

 

 彼らは何も抗うことも出来ず死んでいく、――――――かのように見えた。

 

 一人、前に突出し銃弾を剣でいなす者が現れるまでは。

 

「くッうおおおおッ!!」

 

 銃弾を剣で捌くほどの技量の持ち主がいるとは思わなかった。冒険者特有の何かしらのスキルの賜物なのか。こちらからの銃弾による圧が弱まる。

 

「あの男を狙い撃ちにしろ」

 

 怒涛の飽和攻撃。面でなく点と化した銃弾の波が男を鋭角に襲う。

 

「ぐぇあアッッ!!?」

 

 技量ではどうにもならない手数の暴力にすぐさま膝を折り死に目をきたす生意気な冒険者。

 

 厳しい環境を超えここまで辿り着いただけのことはある。ここにいる冒険者どもは生存力や適応力を見込まれ殺されることなくいままで生かされていたのだ。これぐらいやってくれないと張り合いがないというもの。

 

 なあそう思うだろ、貴様らも。

 

 思いに呼応するかのように飛び出す幾つかの影。ヘイトの集まった男たちがハチの巣になっている隙に壁や天井を蹴り自陣に切り込んでくる勇ましき者が数名、魔力を携え空中に躍り出る。前方の男は囮で死も覚悟の上か。そうでなくては面白くない。

 

「列するは聖櫃たる彼方への想い、誰も彼もが夢閉ざす!【黄金汲】」

 

「全隊員魔術戦用意。対空防除、相互チェイン=【隔意】」

 

「――――――!?」

 

 隊員間で形成されし相互ラインが私の魔術の威力を増幅させ負担を軽減する。

 

 上空で放たれた閃光が複数に分裂し炸裂するも瞬間的に発生した”溝”が空間を断絶させ一切の干渉をも許さない。

 

 

 

 (私の自慢の魔術が・・それも聖句による神性付与を。それをまるで寄せ付けぬ構成密度はなんだ!?なぜ貫通しない!?)

 

 驚愕に圧倒されることなく空中で剣を抜き去る名も無き騎士。巻きあがる煙を掻き分け回転しながら剣をリーダーらしき人物に振り下ろすが、剣ごと蹴りにより首の骨をへし折られた。

 

「遅い」

 

 なるほど。今のは聖句か。

 

 となるとこいつらはセプストリア聖王国の聖騎士どもか。

 

 信仰することで行使可能な神言魔術。それはただの魔術と違い神性を孕む。

 

 使用には信仰する神によって発動の条件が異なり、通常魔術ほど運用は容易でない。行使時には神の特色、いわば”兆し”が見える。兆しとは形だけの祈りとはまた違う明確なる祈念の所作。

 特定の動作以外にも何かしらの媒体だったり、寿命や肉体を消費するものもある。面白いところでは条件はないがその一生で使用回数制限の決められたものなんてものも。様々な供物を捧げ神の力の一端に触れることが許されるのだ。

 

 兆しとはつまりは祈りだ。祈るからこそ力を与えてくれる。

 

 だが、この騎士の魔術プロセス。駆動から発動への圧倒的短さ。魔法大国ならではの強権さ。ただ心に浮かんだ祝詞を言葉にするだけで使える易易たるさ。

 聖王国に固有の神言魔術は存在しないが代わりに通常魔術に聖句を添えるだけで神言魔術へと変貌させる反則じみた使い勝手の良さ。言わば神性のエンチャント。最近この辺りを調査に来ていた聖騎士を捕らえたと聞いていたがこいつらのことだったか。他の冒険者どもとは動きが違い、よく連携がとれている。

 

「前衛はそのまま殲滅戦を続行。残りはツーマンセルで騎士一人を相手にしていけ。敵はアンティキア正教の人間だ。速やかに圧倒していけ」

 

 私は久々の歯ごたえのある狩りの予感に高揚感を覚えナイフを振るい乱戦へともつれ込む。我々A部隊は黒殖白亜でも一番優秀な部隊と評されている。彼らの奇襲が不発に終わった時点でもう勝ちの目は消えたとみていい。このままだとすぐにでも制圧してしまう。

 

 もっとがんばれ。まだ足りないぞ。

 

 ・・・まあ、特殊研究ブロックに回された連中じゃないし実力としてはこんな物かもしれないが。

 

「ぐ、化け物どもがぁ!グアッ」

 

「すごいッ見ろ!味方を囮にした副隊長の卑劣なバックスタブだ!容赦がなさすぎる」

 

「副隊長、相変わらずせこぃ・・・」

 

「・・・あんま文句垂れてると、減給されるよ。さっさと殲滅」

 

 部下のひそひそ話をしっかりと聞きながら次々と聖騎士たちの数を減らしていく。正面からの戦闘を部下に任せ背後から致命傷を与える戦法を卑怯と思うぐらいなら、最初から銃なんて使わずに正面から突貫してる。せっかく数で有利を取れてるんだから囲んで手の届かないところから殴るほうがいいに決まってる。副隊長として部下の命を大事にする義務がある。A部隊はアットホームな部隊を目指してるんだが、どうにも部下に怖がれている節がある。ちょっと悲しいが隊の規律を厳守する立場としてはそういう宿命なのかもしれない。こういうときアホなポジションである隊長が羨ましい。

 

 

 

「――――グルアアアアアアアア!」

 

「うわッ何だ!ぐあ」

 

 獣の雄たけびと共に背後で部下が宙を舞う。何が起きた!?

 

 副隊長は背後から迫る何かを察知し身をかがめ攻撃を避ける。前転の要領で襲撃者を蹴りつける。

 

「!(硬い)」

 

 足裏に感じる硬い感触を通しこちらの芯まで響く。まるで分厚い壁を蹴りつけたかのような感覚に驚き、思わずその正体を確認しまた驚く。がっしりとした体躯を覆う黒い毛並み。鋭い爪に牙。そして、獣臭さ・・・

 

「おい、なんで獣人がいる!?どっから紛れ込んだの!」

 

「ゴアアアアアアアアアアッッ」

 

 実験に適さない獣人は遥か昔に捕獲対象から外され処理対象となったはず。袋小路まで追い込んだ冒険者の群衆にこんな奴はいなかった。こうも目立つ存在に今まで気が付かなかったというのか。そんなことがありえるのか。

 

 そんな我々の一瞬の動揺を突き、聖騎士たちが我々の包囲網を抜けて行く。

 

「今だッ!この機を逃すな!疾く翔けよ!」

 

「ッ!しまっ」

 

「続けえええええええええええ」

 

「くッッ!逃がすか!」

 

 こいつら最初から離脱が目的か!私は追うよりも不遜なエネミーの排除を優先する。イレギュラーはいないほうがいい。いるはずのない存在に驚きつつも至近距離から機関銃をぶっぱなす。

 

「ガア”ア”ア”ア”アアアアアアア――――――ッッ!」

 

 至近距離から放たれる銃弾が獣人の強靭な肉体を削ぎ散らかしていく。跳ねた血が私を赤く染める。

 

 が、獣人は一歩も引かない。それどころか私の両肩を掴んでくる。鋭い爪が肉に食い込み両肩を砕こうと締め上げる。獣人にしてもこれはタフ過ぎだわ。

 

「それで盾になっているつもり!生意気なのよ」

 

「ギィァッッ!??」

 

「副隊長!」

 

「私に構うな!それよりも騎士どもを追うの!」

 

 銃弾を撃ちながら私を掴む剛腕を空いた手で一息に握り潰す。悲鳴上げる獣人に更なる追撃を加えようと引き金に力が籠る。

 

 ―――――カチカチ

 

 空しい感触が指先を交わす。弾切れだ。ならばと銃を捨て去り魔術を行使する。この距離ならば特に問題ない。

 

 ―――【発火】

 

 小規模の爆炎が獣人を包む。限定的な範囲に絞りつつもその威力は絶大。燃え盛る人型。それでもなお獣人は倒れない。銃弾で腹部から頭部にかけグチャグチャにされ、その上火達磨にされているというのにそのまま爪を振るい襲い掛かる。その姿に敬意を覚えより一層力が張る。

 

 ズドムッ、と私の拳は獣人の心臓を貫くのだった。流石のフィジカル。やはり獣人はタフですごい力を持っていた。私には及ばないけど。

 

 やはり、我々の脅威ではない。外のレベルは低いな。

 

 包囲網を抜け逃げ出す騎士どもを隊員が追いすがる。時期に掃討も終わる。私もその背後に追い打ちをかけようとする。

 

「む」

 

 獣人の胸に突き刺さった腕が・・抜けない。頭上から聞こえる獣の唸り声に初めて危機感を抱く。

 

「グィギギギギg」

 

「なに、まだ楽しませてくれるの?」

 

 黒ずんだ炭のような体から煙を出しながら頭部が動き出す。パカリと顎を大きく開き鋭い牙が顔を見せ襲い掛かる。避けようにも深々と突き刺さった腕が締め付けられ抜けない。大した胸筋だ。決して油断した訳ではない。銃弾でミンチにされ、燃やされ、心臓を貫かれた。人生三度は死んでいるこいつが普通じゃないのだ。どうしようもないまま、対獣人戦において一番警戒すべき攻撃が私の頭を―――――

 

「ふぉい!」

 

 気の抜ける掛け声とともに獣人の体がひび割れ切り刻まれる。崩れた積み木の城のように崩壊していく獣人の背後には我らが隊長がいた。刀を構え意気揚々と聖騎士たちを一刀のもとに屠っていく。その姿はまさしく黒殖白亜部隊最強のリーダーだ!頼もしいな!お互いの背を合わせ武器を構える。彼らはもう終わりだ。

 

「一気呵成!そろそろ終わりにする!いくぞッ」

 

「隊長に続けッ!」

 

 宴もたけなわ、一方的とも思えた脱走者約50名の殲滅戦は乱戦へと転がったが特に問題なく終えた。

 

 ・・・数名の逃亡者を出したことを除けば。

 

 

 

 

 

 

 

「おげえええええええぶえええええ」

 

「大丈夫ですか隊長、はい水」

 

「うぐぐ、ありがとう副隊長、やはりダメだな、私は・・・ヴッ」

 

 嘔吐する隊長の背を摩る。だいぶ無理をしていたのだろう、足が震えている。強く殴り過ぎた。少し落ち着きを取り戻したのか戦闘用ヘルメットをかぶり直す。

 

「・・・それで部隊の被害は」

 

「こちらの損害はゼロ。敵はほぼ塵殺」

 

「そうか・・・逃げられたか」

 

「まあ、前半隊長が寝てたのが原因なんですが」

 

「だったら手加減しろよぉ。内臓がひっくり返ると思ったぞ!私を何だと思っているんだ!隊長ちゃんをもっと慮って!」

 

「思ったより元気がありますねー、今夜は隊長に花を持たせますよ」

 

 ギャーガーと喚く隊長を適当にあしらいながら、薄暗い感情を自覚し私は頭を振る。血の海に沈む冒険者の死体に止めを刺す隊員たち。傍を通り抜ける私を怪訝な顔で窺うもすぐに仕事に戻る。

 

 外界のレベルは低い。我々守護者と外の人間。あまりに生物としての格が違いすぎる。”ホーム”で産まれた我々は力も保有魔力も何もかもが桁違い。人間とは見た目にそこまでの違いはないのにこの歴然とした力の差。隊長クラスは特にそれが顕著だ。

 

 特殊戦闘部隊”黒殖白亜”

 

 戦闘職の中でも選りすぐりの戦闘力を保有するエリートである我々だが、隊長だけはさらなる異才の輝きを放つ。A部隊は全部隊の中でも総合評価はトップクラス。火の属性持ちが多く在籍するおかげで非常に高性能な装備を扱う事ができ、装備の選択肢が多い。おかげで冷気漂う外界における重要な任務を任されることも多い。その任務の達成率からマスターにあの”黎明”や”祈り手”と同等以上の価値を特別に見出されている戦力の要。A部隊に所属する者全てがそれを誇りによりいっそう職務に励んでいるでいる。

 

 だが私は知っている。マスターの興味はA部隊にではなく隊長個人にあることを――――私は知っているのだ。

 

 私のどんな努力も隊長は軽々と踏み越えていく。成長の留まるところを知らない怪物。そのくせ精神性は温厚、奢る事も無くアホな行動も持ち前の愛嬌で部隊の人間から慕われている。

 

 ――――マスターから興味を募る隊長が、誰よりも強い隊長が、なによりそれに嫉妬する私に優しくしてくれる隊長の事が・・・私は嫌いだ。

 

 どうにも素直に付き合うことができない。そんな自分が嫌いで嫌いで堪らない。その醜さに、弱さに、情けなくなる。

 

 つい考えてしまう。隊長が私の目の前に現れたりしなければ、こんなにも醜い自分が生まれる事も無かったと。自身の性格の悪さは生来の物か、それともそうでないのか。もはや誰にもわからない。

 

 今はただ・・生き残りをいたぶることでしか自分を保つことができない。敗者はこうなると目に焼き付け気を引き締める。

 

「や、やめてくれ!が、ぎゃああああああああ」

 

「・・・・はあ、私はダメな奴だ」

 

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”」

 

「副隊長・・なにも生きたまま燃やさなくても」

 

「うるさい、これはA種を呼び込むのに必要な事よ・・・それにね。逃げ出した騎士はともかく弱っちい奴らをどうしようが別にいいでしょ。敗者は死に方も選べない。本当に恐ろしいわ。おまえたちは交代しながら休憩」

 

「・・わかりました」

 

 とってつけた理由に高まる疑念と生暖かいの目。ごめんなさい、A種云々は嘘だ。生きたまま燃やしたくて燃やしたよ、ああ。やはり私がおかしいのか。外界の人間を嬲ることがそんなに悪い事か?

 

 基本的に守護者は優しい子ばかりだ。お陰で持ち前の残虐性が孤独を産み出す。これはどこに捨ててくればいいのだ。それでいて咎められる事も無く心配ばかりされる。その度に自己嫌悪をする。私は・・浮いている。この部隊にいるべきではないのかもしれない。

 

 動かなくなった黒焦げの男の頭を踏みつぶす。

 

 ・・・・殺しを昔ほど楽しめなくなった気がする。

 

「隊長、すぐにでも追跡をかけることは可能ですがどうします?」

 

「じゃあ準備が終え次第すぐに向かおうか、このまま逃がせば、なんか優秀ともっぱらの噂のA部隊の名折れだ。それに”あれ”が気になる――――やっぱり見間違いじゃないよね・・・」

 

「なぜ・・・彼らと一緒にいたのでしょうか?あれに協調性などあるとは思えません―――」

 

 騎士との戦闘の最中、混然とした騒乱にまぎれ騎士に抱えられた小さな影。フードで顔は確認してはいないが、こぼれ出た金髪が嫌な憶測を立てる。

 

「それに獣人の死体も消えています。あの状態から逃げおおせるなんて普通じゃありませんよ。そもそもなぜ獣人がこんな所に・・・獣人は全員殺処分されるはずですが」

 

「もしかしたら・・・”失敗作”なのかもしれない。確証はないけど」

 

「そうなら、ここにいる理由もわかりません」

 

「あのタフさ、まるで不死性だ。処分された後も生き延び隠れていたのかも。能力を隠し通し敢えて処分され機を窺っていたと考えれば説明もつくかな」

 

 あれほどの傷を負って生きている。その事実に自分が任務の失敗の責任を負っていることに気が付く。逃がした時点で隊そのものに責任が生じるが、私自ら相手取った敵を逃がしたこと自体は個人のミスだ。評価を欲してやまない私にとって許しがたい失態。

 

 ・・・外の人間の分際で舐めやがって~

 

「・・・思った通り面白い奴。次は改めて二度殺してやる」

 

「うんうん、その意気だ――――」

 

 

 

 

 

「た、助けてえええええええええッ!」

 

 突如、通路に響く助けを求める声。何事かと全員の視線が声の元へと集まる。通路の曲がり角から現れたのは私たちとは違う意匠の部隊服を着た人影。あれはD部隊の隊章か。ふらふらと朧げな足取りで歩み寄るその姿は今にも倒れそうだ。

 

「そこで止まれ!所属と認識番号を名乗れ!・・・おい聞こえているのか!」

 

「助けてえええええええええッ!」

 

「――――隊長」

 

「・・ああ、撃て。ただし」

 

「わかってますよ」

 

 短い炸裂音が響く。放たれた銃弾は狙い通り足首に着弾する。だが所属不明の隊員は倒れることなく、それどころか駆け出した。

 

「だずげでえええええええええッ!」

 

「全隊員、下がれ隊長がなんかする」

 

「え!?・・これでも喰らえッ!うら!」

 

 その場で隊長が刀を雑に振り抜く。その行動にリンクするかのように見えない斬撃が”敵”を胴体から真っ二つに裂く。舞う上半身に飛び散る中身。倒れた下半身からは内臓や血ではなく白い綿が飛び散る。それを認識した瞬間、私は魔術を行使していた。

 

「【嚇炎】」

 

 炎のラインが散らばった体を残さず切り裂き炎上させるも赤く揺らめく熱原体がコミカルナ形を持ち実体化する。

 

 あれは――――ぬいぐるみか!

 

「だずげでぐれええ”え”え”え”え”え”え”ええ」 

 

「ビームコンデンサーを用意しろ。全員、配置に着け。来るぞ!」

 

「隊長!あの症状、資料で見たことがあります。あれは間違いなく――――――」

 

 最悪だ。特定種別A種の中でも最悪の部類の敵がやってくる。脱走者相手では感じえない緊張感。喉がひり付く。

 

 通路の先。曲がり角からぴょこりと顔が覗く。地面に垂れた金髪。異様なのはその顔面。目に張り付く大きなボタン。かわいらし気な顔は丸みを帯びており、それはまるで作り物のような質感を帯びていた。

 

「――――――ッ!ぬいぐるみのアリスゥ!!!!!」

 

 遂にその全貌が露わになる。背後には様々な”ぬいぐるみ”を連れ気の抜けるゆるふわな見た目からは考えられない威圧感を放つ。奴の力は危険だ。放置すればこのダンジョンが崩壊しかねないほどの異能の保有者。殺戮者の系譜!

 

「撃てえッ!」

 

 溢れ出すぬいぐるみを前に光線銃、銃弾や魔術で弾幕を張る。背後は隔壁の降りた通路。逃げ場はなく、脱走者を相手にしたような余裕もない。触れれば一貫の終わり。ぬいぐるみがぬいぐるみを産み出し伝染する。ここで必ず仕留めるしかない。

 

 通路いっぱいに怯むことなく迫りくる死の軍勢。悪夢のような光景と相対する。

 

 こんな所ではまだ死ねない。

 

 こんな、こんなところではッ!

 

 柔らかな濁流が一つの部隊を襲った。理不尽な運命は唐突にやってきては、たやすく全てを飲み込んでいく。

 

 彼らは今・・・なにを思うのであろうか。

 



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第12話 氷水騎士団

 

 床に這いつくばる黒い毛並みの獣人。涎を垂らし苦しそうに床に爪を立てもがく。抜け落ちる体毛。だんだんとその輪郭は縮み、まだ少年とも言える顔つきが芽を咲かす。

 

「グ、グオアアアアアアアアア!――――ッはあ、はあ」

 

 そんな今にも崩れ落ちそうな肩に仲間が手を貸し支える。

 

「大丈夫か?よくやってくれたぞ。グレイズ隊員!」

 

「新米の癖に見直したぞ、坊主!」

 

「くそ!先輩の立つ瀬がぬぇ!最高の後輩だよなぁ貴様は!」

 

「ハ、はは。いえ・・・皆さんが無事でなにより、です」

 

 包囲網をなんとか潜り抜けた騎士たち。お互いに顔を突き合わせ改めて生きていることを実感すると自然と笑いがこみ上げる。生きていることがなんと素晴らしき事か。当たり前の幸せを噛みしめ、嬉し涙を溢す。

 

 黒服の追跡者に延々と追い回され袋小路に追い込時は死を覚悟した。だが、こうして僕は生きている。これもまた神の導きか。追手を警戒していたが来る様子もなく、こうやって休息もとってられる。

 

「う”」

 

 カラカラとグレイズの体から銃弾が抜け落ちていく。どれほどの銃弾を受けたのか。よく生きていたものだ。

 

「ふ、うっぐ。ううう”う”」

 

「まったく泣きすぎですよ、モルデさん」

 

 その中で一人大泣きする者がいた。所属する騎士団の中でもかなり若く、歳も近い事から新米の僕にいろいろといろはを教えてくれたモルデさんだ。普段は落ち着き払った頼りがいのある先輩だからか大泣きするその姿に思いもよらず心配して声を掛ける。

 

 どうにも周りの様子がおかしい。この気まずげな空気はなんだろうか。

 

「あー、グレイズ隊員。モルデのことは放っておいてやれ」

 

「え、何かあったんですか?」

 

「そいつが婚約協定結んでいたのは知ってるか?」

 

「ええ、それは。確か二年後に結婚される予定だと聞き及んでいます。お相手は可愛らしい女性の方でしたよね・・・・・え」

 

「・・・そういう事だ」

 

「ジルウウウウウウウウ!ごめんんんんんっうわああああああああああああ」

 

 大声をあげ床に縋りつき咽び泣く。こんな先輩見たことがない。あのカッコよかった先輩の面影はいまや見る影もない。やはりダンジョンは恐ろしい場所だ。内面に眠る別の一面がまろび出る。それに婚約協定が破れたって・・・何があった?

 

 よく見ればみんな前に比べやつれているように見える。

 

「いったい先輩方の身に何があったんですか」

 

「「・・・・・・・・・・」」

 

 気まずげに顔を見合わせる先輩たち。本当に何があった・・・

 

「そう、だったな。グレイズ隊員だけ別の場所に連れていかれたんだったな」

 

 皆が暗い表情で沈黙する中、騎士団副団長のマンディスが無精髭を掻きながらポツポツと語る。

 

「まあ、なんだ。地上で化物と遭遇してからいろいろあったよな。騎士団長は戦死、他の隊員と逸れるし、カンテラ壊されるわでてんやわんやだ」

 

 外界での調査で遭遇した魔獣の群れ。騎士団長が殿を務め撤退する最中、魔獣の激しい攻勢に晒されていた。

 

 戦闘の最中に破壊されたカンテラ。あれから運が最悪な方に傾いた。あのカンテラは探索の際に必要不可欠な物で宿りし炎は火継守が直接灯した特別な炎である。カンテラの炎は結界を展開し範囲内に存在する命を冷気から守り、視界一面が真っ白になってしまうホワイトアウト現象や夜の闇をも見通し雪原に道を示す。これが無ければ外界にはびこる危険な未踏の空白地帯をまともに探索することはできない。

 

 カンテラを失い降り注ぐ銀の世界で進むべき方向も定まらず体温と体力はどんどん奪われ一人、また一人と息絶える仲間たち。死が首筋まで這い寄って来ていた。

 

 あれを見つけるまでは。

 

「もうダメだって時に偶然見つけた遺跡。寒さから逃れるために地下に続く階段を進み、そこで罠に嵌まって意識を失った・・・ここまではいいな」

 

「はい、ガスが流れ込んできてそのまま・・」

 

「・・・その後だが目が覚めたら俺たちはどこかの一室に閉じ込められていた。しかも全裸で。おまけに俺たち以外にも知らない奴らが多く捕まってやがった。こいつらもまた全裸だった。意識は曖昧でひどく体が熱かったのは覚えている。扉は開かねえし魔術の行使も上手くいかねえ。どうしようかってまともに動かない頭を働かせようとした時に・・・・・・女が現れた」

 

「女、ですか」

 

「ああ、扉からたくさんの女が、だ。どいつもこいつも息を飲むような美人でおまけに、全裸だった・・そこから何かがおかしくなっちまった。気がつけば扉のロックが解除されるまで来る日も来る日も女とヤりまくっていた。その間、食い物はおろか水の一滴ですら口にせず不眠不休で定期的に入れ替わる女どもとずっと行為に及んでいた。いや、ヤらされてたか。とにかくあの時の俺たちは普通じゃなかった。だってあり得ないだろ?男の体はそんなに連戦可能な仕様じゃねえんだぞ!?日に日にやつれていく体に不安を感じつつも本能に押され腰は勝手に動き続けるし、正直擦り切れるかと思ったぞ・・・・」

 

 ・・・・・・・・・・・なるほど。モルデさんは婚約者以外と姦淫したことで図らずも誓いを破ったという事なのか。可哀想に・・・

 

 それでみんなこんなにもやつれていたのか。話を聞く限り薬か何かを盛られたのだろう。体力の向上と精力増強。薬学でそういった効能の薬があるのは知っているがどれも材料的な意味でかなりの値が張る。そんなものを投与してまで何がしたいのだろうか。

 

 というか、僕があんな必死こいて地獄を見ている間先輩たちは何してんだ、羨ま・・・ではなく、ここって本当にあの悪名高い三大禁忌の一つなんだよな?なんでこの人たちはエロい目にあってるんだ?

 

 いくら詳細不明だといっても一般的なダンジョンとまるで勝手が違い過ぎる。

 

 それに、なんで僕だけ別の場所に移されたんだろうか?

 

「・・・それで感想は?」

 

「おう!マジ最高だったぜ!あんな美人お目に掛かれねえ!」

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・ゴホン!!そういや、俺も聞きたかったんだがグレイズ隊員は今までどうしてたんだ。お前のあの姿はいったい・・・」

 

 さて、どう答えたものか。獣人の如き姿。なぜこんなことができるようになったのか自分でもわからない。自然とできるようになっていた。

 

 体を伸ばしどこにも異物が残ってないことを確認する。異常な頑丈さに再生力。まるで堕ちた獣のような姿はグレイズ自身を嘲笑う皮肉な力そのものであった。

 

「何があったかは僕にもわかりません。目が覚めた時には既に何かされていたみたいで何がなにやら・・あの時は薬を嗅がされてたせいかここが現実か夢の中かも判断できないぐらいに意識が朦朧としていて・・」

 

「他に何か覚えていないのか?どんな些細な事でもいい」

 

 これは・・・不審がられているのか。一人だけ別行動だったのは痛いな。お互いの間にできたくだらない溝はすぐにでも埋めるべきなんだろう。こんなところで不和ってるのはごめんだ。

 

「すみません・・・なにも。あの力も守護者に追い詰められて初めて使いましたので」

 

「まあ、グレイズ隊員が身を張って敵の注意を引いてくれたおかげで俺たちはこうして生き抜くことができたんだ、あてにさせてもらってもいいな?」

 

「そうだ気にするな坊主。包囲網が完成された時点で本来なら全滅していたんだ。抜け出せず死んでいったあいつらのことまで気負う必要はねえよ」

 

「・・・・・・・・はい」

 

 先輩騎士たちの心遣いが身に染みる。

 

 ・・・・結局、僕は話さなかった。いやできなかったと言っていい。

 

 言葉にしようとすると激しい罪悪感と自己嫌悪に晒されありもしない罪を告白することに躊躇い言葉が喉に詰まる。

 

 必死に声を絞り出そうとするもか細い吐息だけが零れる。

 

 ――――――――なんだ、やっぱり何かされてるじゃないか。

 

 あんなことを言ったが、グレイズはしっかりと何があったのかを記憶していた。

 

 何もない病的なほど真っ白な一室。ピントの合わない眼をグレイズはギョロギョロと動かす。体は拘束され動くことも出来ない。

 視界には白い服を身にまとう何者かがグレイズの切り開かれたお腹に手を突っ込みくちゅくちゅと音を立てている。それなのに、何も感じない。痛みですら。

 それが逆に恐ろしく腹に触れる何者かの手の感触を勝手に幻視してしまう。それがたまらなく気持ちが悪かった。グレイズはそれが終わるのを耐えるしかなかった。こんな場所からでも神への祈りは果たして届いていただろうか。

 

 あれは、夢であって欲しかった。

 

 グレイズは内に秘めし病巣に打ち震えている間も話は進む。

 

「さて、これからの方針だが元の場所に一度戻ってみないか?」

 

 それってさっきの袋小路のことだろうか。

 

「おいおい正気かよ」

 

「仕方がないだろ。俺たちはここがどこなのかも知らないんだぞ。それに”彼女”が新たに導いている」

 

「なんだと」

 

 ケープを目深に身を包む金髪の少女。フードから覗く無表情な顔が人形のような印象を与える。少女がギュッとグレイズの手を掴む。

 

 グレイズは彼女の名前を知らない。それどころか会話すらしたことがない。怪しげな実験の後、投獄されたグレイズはそこで彼女と初めて出会った。話しかけてもまったく無反応。瞬き一つせずじっと虚空を見つめる姿にずっと不気味さを感じていた。何より人外じみた美しさが近寄りがたかった。そんな彼女との共同生活が始まり一カ月が過ぎた頃・・・異変が起きた。

 

 消灯された一室。突然開かれた扉から籠れ出る不穏な空気。そしてグレイズを揺り起こす小さな手に目を覚ます。困惑するグレイズは彼女の手に引かれるがままに一緒に脱出した。

 

 進むべき道筋がわからないグレイズは言葉を介さない彼女に導かれ状況もわからぬままに進む。その結果逃げ出した副団長たち脱走者のグループと運よく合流できた。

 

「・・・・・」

 

 少女はグレイズの服を引っ張りある一点を指差す。いままでこの子が導くがままに道を進んできた。脱走者の残した痕跡を辿り追って来た守護者は別として、それまで敵と会敵はすることは決してなかった。

 

 悲鳴や不気味な笑い声、戦闘音が響くこの広大なダンジョンで生き延びれたのは少女のお陰だと言っても過言ではない。武器や服を手に入れれたのも彼女が保管庫を教えてくれたからだ。此処まで来ると誰も少女の能力を疑うことはない。

 

「いったいどこの子なんだろな?こうもダンジョン内の構造に詳しいと、このまま信用してもいいものか」

 

「それはわかりません。ただ僕と同じように捕まっていたので敵ではないといは思いたいですが」

 

「・・・・でも、そいつお前の腕に噛り付いてるぞ」

 

「え、おわッ」

 

 がじがじと腕にかみつき血を啜っている。な、なんなんだろうこれ。なぜ僕の血を吸っているんだ。噛り付く少女を振り払うと口惜しげな顔でじっと見てくる。

 

 今のは会話のできない彼女なりのコミュニケーションとでもいうのだろうか。だからって血を啜るか?

 

 一見じゃれついているようにも見えなくはないが今のやり取りでかなりの不信感を先輩たちに与えてしまった。こんなことで争っている暇なんてないのに。血を吸われたことは黙っておこう。人食いに類する行いは聖王国では禁忌だ。

 

 ・・・・・・おかしいな。なぜ僕はそのことに嫌悪感を抱かない?

 

「本当に・・・大丈夫かよ」

 

「いや、これは彼女なりのコミュニケーションなんですよ!牢獄にいた時もよくこうやって甘噛みされてましたし」

 

 嘘だ。そんな事はされたこともない。なぜ、こうも庇うのか?

 

「まま、いいじゃないの副団長どの。彼女がいれば探索も捗るってもんさ。なあ?」

 

「・・・・まあ、おめえがそう言うのなら・・・・・・・・・いや、お前は誰よ」

 

 

 さっきからごく自然に会話に参加してくる見知らぬ男。騎士団にこんな男はいなかったはず。

 

 ・・・驚いたな、こいつ脱走者の生き残りか。まさか他にも無事な者がいたのか。

 

 赤毛の男はケラケラと笑いながら喋る。

 

「いやー酷いな。俺たちを囮にして逃げるんだから。脱走者同士仲良くすべきだろと思うな」

 

「ほう・・我々以外にもそれなりに使えるやつがいたか。あとお前たち冒険者は別に仲間じゃない。恨むなら俺たちではなく己の実力の無さを恨むべきだな冒険者」

 

「手厳しいが全く同じ意見だ」

 

 くくく、と不敵な笑みを浮かべる精悍な顔つきをした赤毛の男。自然と騎士団全体に警戒が行き渡る。

 

 まさかあの包囲網を超えたものが我々聖騎士以外にもいたと夢にも思わなかったのだ。見た限りそれなりの実力者であることを窺わせる。腰のバックルから吊吊り下げた冒険者の認識タグがそれを裏付ける。

 

 こ、こいつランカーか―――ッ

 

「素材は銀に黄一色か、まさかBランク冒険者まで捕まっているとは・・・Bランカーは久しぶりに見たぞ。・・・・我々はセプストリア聖王国、氷水騎士団所属の聖騎士だ。そちらの名前を伺おうか?」

 

「ご丁寧にどうも、俺はエルモディア冒険者ギルドに在籍する冒険者のリズだ。よろしくで頼むよ。気軽にリズとでも呼んでくれればいい。ちなみにランクはBです!BだぜB!ふははは」

 

 Bランク・・とんでもない大物が現れたものだ。強気な姿勢で話すマンディス副団長は内心冷汗をかく。

 

 冒険者に与えられる階級でもBランクは実質最高ランクに値する。おまけにエルモディアか・・・その一言で途端にこの場の雰囲気が変わる。

 

「待て、落ち着け馬鹿ども。こんな場所でおっぱじめるつもりか」

 

 このリズという冒険者。我々が聖王国の騎士だと知った上で包み隠さず発言しているのか。エルモディアは帝国領の主要産業都市だ。

 

 聖王国にとって帝国はその祝福の特性から無視できない脅威を孕む戦争国家だ。両国間での摩擦でどれ程血が流れたことか。

 

 リズの態度だが・・・・敵愾心をまるで気にしない振る舞いは国勢を気にしない冒険者の気質そのもの。そしてそれが許されるのはランク持ちだけだ。

 

「だがよぉ、こいつ帝国の冒険者だろ。どれだけ多くの同胞が殺されたと思ってる!」

 

「時と場合を考えろって言ってるんだ!それにわかるだろ、こいつは・・・・」

 

「見りゃわかるッ!」

 

「そういきり立つな。俺は聖王国とのくだらん戦争に関わったことなんてない。ここで争うよりも俺としては是非ともあんたらと仲良くしたいね。一人とは寂しいものだぞ」

 

 リズと名乗った男に戦意はないようだが一挙手一投足に嫌でも意識が向いてしまう。

 

 ここまで彼を警戒する理由。帝国の冒険者は変わった事情があり、戦時中は傭兵として参戦できる。クエストとしての傭兵業に従事する彼らに秩序は無ければ常識も無い。戦場の習わしもなんのそのどこ吹く風だ。過去何度も痛々しい事件を起こしている。

 帝国の冒険者は民度が低すぎる。ある意味統制の利いた帝国の銃士どもがまだ紳士的に思えるほどだ。品性を感じさせない下劣さだ。

 

 それを改善しようともしないのは帝国は国教の性質故、成り立ちから戦争賛美国家だからだ。そのあまりにも好戦的な国風。歴史の浅い新興国家のクセして聖王国とまともに戦う事が可能な非常に強力な祝福である”万物貫通”と”火の属性の疑似貸与”は雪原では脅威そのものだ。

 

 吸収した小国の信仰の破壊はせずに許容し着実に領土を広める小賢しさ。信仰の自由を保障することで反抗勢力を最小限に留めている。聖王国では考えられない寛容さ。その自由な気風が冒険者の肌に合うのだろう。冒険者天国と言われる所以もここにある。

 

 だからか様々な神による恩恵の多様性に富んでおり非常に厄介な国へと変貌したのだ。魔術への知見はほぼ無いが神のオリジナリティ溢れる恩恵や祝福で急発展している。

 

「待ってください、彼はランカーであるなら戦争に関わる理由はないはずです。そうじゃないですか、リズさん?」

 

 グレイズの意見にマンディスは頷く。

 

 そうだ、たしか戦争に駆り出される冒険者にはある条件があったはず。戦争への参列は増えすぎた使えない人間を削るための措置。帝国は恩恵狙いで多くの人間を受け入れたがそのせいで人口過多に悩まされている。

 

 ギルド側からすれば貴重なランカーである彼を戦争に参列させるメリットは無い。

 

 

「へえ、ずいぶん帝国の冒険者事情に詳しいんだな。勤勉なのはいいことだとも少年」

 

「別に大したことじゃないですよ。敵の事を知っているかどうかで戦闘結果が左右されるんですから」

 

「そうか、だが残念な。君の考えは大外れ。俺は積極的に参加してたよ」

 

「な!?」

 

 さっきくだらないとか言ってなかったかこの人!?

 

 不敵な笑みを浮かべるリズ。先輩たちはますます警戒心を剥きだしにし、剣に手をかける。騎士になれば誰もが嫌と言う程に帝国による被害を知らされる。戦場の常とは言えどれだけの村が帝国の冒険者によって被害に遭ったか。あれは戦略的な略奪行為ではない。戦士ならば意味も無く人を殺さない。弄ばない。

 

 ・・・本当に仲良くする気あるのだろうか。冒険者はやはり野蛮なのか。各々が重心を低く保ちいつでも動けるよう戦闘態勢に移行する。

 

 相手はBランク冒険者。自然災害そのものと評される害獣を撃破可能とされる実力の持ち主にどこまでやれるのだろうか――――――

 

 ピリピリと震える空気の中でリズは口を開く。

 

「なんせ・・・・戦争のどさくさに紛れて他国の管理するダンジョンを探索できるんだからな!」

 

「・・・は?」

 

 リズは興奮気味に語り出す。その在り方はまさに自由人。

 

「国によって冒険者でも立ち入り禁止のダンジョンがあるが戦時中は警備がどうしても緩くなるからな。略奪の名目で聖王国に行き探索しに行かない理由がないよな」

 

「おい、誰かこいつしょっぴけよ」

 

「Bランカー相手に無茶いうな」

 

 戦争が起きれば略奪が起きるのも世の常。雪の影響で補給路の維持が難しい戦場では略奪は貴重な補給源である。略奪は戦場の習わし。現地調達は基本である。

 

 帝国における国教の祝福は継続戦闘時間と探索能力を高め自然を完全に味方につけていた。それを活かし国力差をものともせず帝国は聖王国相手に雪原で立ち回る。そこらの軟弱な弱小国家とは違い非常に小賢しい戦い方をするのだ。周辺国に戦争難民として工作員が紛れ込むことが大きな問題になっている。リズはそれを利用し便乗し戦争そっちのけでダンジョン探索に向かうというのか。

 

 やはりランカー上位は冒険バカしかいないのか。それができてしまう実力を保有しちゃってるのか。

 

 急に相手をするのが馬鹿らしくなってくる。

 

「はあ、Bランカーでも捕まってしまう難度のダンジョンか・・・一時的に協力体制を結びたいがどうだ」

 

「話がわかるな。聖王国の騎士ってのはお堅い奴ばかりかと思っていたよ」

 

 副団長は決断する。大抵の騎士団はそもそも外界の探索はやれどダンジョン探索は専門外の領域。雪原を回遊し異常の確認作業と空白地帯の穴埋めが主な任務。

 

 ここが本当に三大禁忌の一つであれば噂通り生きては帰れない。優先すべきことは生きて情報を持ち帰る事。詳細が一切不明なダンジョンの情報ともなればその価値は計り知れない。今までその位置すら知られず噂ばかりが独り歩きしていたのだ。攻略の目処が立てば国益にも繋がる。

 

 そのためにも専門家が必要だ。我々はダンジョンの歩み方も知らないのだ。

 

「御託はいい。それでどうなんだ」

 

「返事は最初からしてるんだがね」

 

 マンディスが差し出した手をリズは握り返す。敵国の人間だがこれほど心強い味方はいなかった。

 



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第13話 交差する軌跡

 

「さて、一つ聞いておくがあんたらのダンジョン探索の経験はどれぐらいだ。聖王国って騎士が探索を独占してるんだろ?」

 

 セプストリア聖王国にも冒険者ギルドはある。だが領土内に存在するダンジョンに踏み入る権利がない。それはやはり聖王国内での冒険者の地位が低いというのもあるが外様の人間を呼び込んでまで攻略する必要性がないからだろう。偏にダンジョン内の取得物を独占するための方策。上位の騎士団率いる軍隊による攻略は花形であり国による手厚いバックアップを受けれる。お陰で非常に効率的な探索が可能。それもこれも高い国力があってこそ可能。列強国は伊達ではない。

 

 国によって徹底的に管理されたダンジョンは例外を除いて国が認めた騎士団にのみにしか探索の許可は下りない。

 

 氷水騎士団の主な仕事は根城とする都市内外の不穏分子の調査に排除、主に防諜関連となる。

 

 つまり・・・

 

「ない」

 

「ん?」

 

「無いんだよ。ダンジョン攻略なんて一度も経験がない。これが初めてだ」

 

「・・・なんで初心者が古戦場跡に来てんだ。舐めてんのか?」

 

「・・・・ここにいるのは我々の意思ではない」

 

 まったくもって返す言葉が見つからない。余り考えないようにしていたがやはり禁忌区域に踏み込んでいたか。よりにもよって最悪の場所に迷い込んでしまった。

 

「我々はもともとある人物の追跡のため禁忌区域の近くまで訪れていたんだが、魔獣に襲われてカンテラを破壊されてしまってな」

 

「ああなるほど、よくある全滅パターンか。それで彷徨った挙句、塔にたどり着いて罠に嵌ったってとこか。運がいいのか悪いのやら」

 

「塔?・・・何を言っているんだ。ここは城の地下だろ」

 

「・・・・・・なるほどあれは全部デコイだったか」

 

 食い違う認識。遭難するほどの緊迫した状況でも流石にそびえ立つ建造物を塔だと見間違うはずがない。吹雪の中、白い雪にその全貌が包まれた建造物の影は確かに古城だった。つまりそういった建造物がいくつもあり我々はまんまと誘い込まれたということとなる。

 

「・・・・思ったよりも普通じゃないな」

 

「どういうことです?」

 

「地上の構造物は要は全て罠ってことだろ、魔獣も含めてな」

 

「我々が魔獣に誘導されたとでも言いたいのか?ありえん!奴らにそんな知能があるものか・・」

 

「なんだ知らないのか。人気のない地域に生息する分布する魔獣ほど獰猛で恐れ知らずの知能高めマシマシなんだぜ。カンテラの火程度なんぞで襲撃を躊躇わない。寧ろ興味本位で襲ってくるぐらいだ」

 

 リズの認識でも騎士団による探索は非常に優秀だ。徹底した情報共有に後方支援。優秀な人員の存在と拠点設置による中継。効率的に攻略してみせる。だがそれはあくまでも領土内のダンジョンに限る話。遠方の未開のダンジョンとは訳が違う。そこに至るまでの道中の厳しさを騎士どもは知らなすぎる。

 

 地図の空白地帯が埋まらない、探索が上手くいかないのは基本的に都市から離れれば離れる程魔獣の厄介さが増すからだ。コミュニティを築いた原生生物の縄張りに踏み入れるにはリズでも勇気がいる。やたらと賢くて人間の扱い方を熟知している。

 

 凍てつく環境に魔獣、運が悪ければもっとヤバイ害獣。そこからダンジョン探索も行わなけらばならない。

 ダンジョンは初見で攻略はまず不可能。そんな僻地にあるダンジョンなど碌でもない難易度をしているのが常。情報を持ち帰りまずは存在をギルドに認知させるのが優先。都市まで無事に帰り付いて初めて第一段階を終える。第一発見者ともなれば位置を特定するだけでもその情報はかなりの金になる。

 

 そこから多くの冒険者の流動が始まり情報と屍が蓄積されていき攻略への道標となるのだ。

 

「奴らも人間の弱点を知っているから積極的にカンテラを破壊しにくる。魔獣は火を恐れ自分から近寄ることはないって認識は誤った知識だ。度胸がある奴はどこからでも襲って来る。探索にはイレギュラーが付きものさ」

 

「いや、もしかすれば魔獣じゃなかったかもしれない。雷を放出する見たことのないタイプだった」

 

「・・・・・それ害獣じゃね?噂の雷獣殿は聖王国領よりに生息してたのか。狩り損ねた」

 

 

 ・・・狩り損ねた?気軽に言ってくれるがこいつは何を言っているんだ。聞き間違いではないよなとマンディスは耳を疑う。

 

 ―――害獣。

 

 災害レベルの脅威と言わしめられる魔獣の上位個体とされる謎の多い生物。一説によれば魔獣の突然変異や長生きした魔獣が最終的に至る形態と未だに議論され続けているがその正体は未だ不明。滅多に人前に現れることがなく目撃情報も少ないため存在自体が半ば噂と化しているがそれは確かに存在する。一度遭遇すればそれが最後。未だに大した情報が集まらないのは遭遇した者がことごとく殺されるからだ。

 

 だが目の前の男はそんな化物を気軽に狩り損ねたとぬかす。害獣は情報量が一定に集まれば賞金が賭けられるとのことだがまだ情報が曖昧な段階でそれ目当てでこの地に訪れたとなれば正気の沙汰ではない。立ち振る舞いから発言内容との乖離を感じない辺り実力者なのは間違いないが。

 

「さっきの奴らにしてもだ。なんだありゃあ。なんでダンジョンに部隊めいた連中がいるんだよ。意思疎通できてたしあれ人間だよな?何者だよ」

 

「ああ、やっぱり変だよな。人型の守護者なんぞ聞いた事も無い。ここはもう誰かに攻略されていたのか?それともあれか?冒険者が洗脳されてんのか?」

 

 他国の兵士だと考えた方がまだ納得がいく。銃器を扱うことは火属性の証。火継守で構成された特殊部隊かなにかが既にここを攻略したのか?ダンジョン跡を利用し拠点とすることは珍しくも無い。

 

「それなら何かしらの形で公表されてもいいだろ。一応ここは帝国と聖王国の間に位置するんだからして。どっちも監視の目は光らせているはずだぞ」

 

 両国からは腫れもの扱いの三大禁忌に指定されてからはその線引きも曖昧になってしまったが既に攻略されていたとなれば新たな領土問題が発生する。どこの誰とも知れぬ国家が占有していたとなれば両国がそれを許すはずがない。両国と敵対する以上のデメリットは無いと思うが・・・

 

「異変があればすぐにばれる。そうまでして不法占拠するメリットってなんだ?俺たちを捕まえた理由は?そう考えるとやっぱりしっくりこない。世にも珍しい人型の守護者が居座るダンジョンとして考えるしかない」

 

「あまり・・納得がいかないな」

 

 あの黒ずくめの部隊がダンジョンの守護者?統率された組織めいた動き。そしてなにより恐ろしく強い。あんな化け物どもがたくさん徘徊していると考えるだけで震えてくるな。冗談はよしてくれ。

 

「話は戻るがさっきの黒ずくめの奴ら。あいつらの使う連射が可能な銃。銃の本場である帝国でも見たことないんだよなー」

 

 あの銃をリズは第三級遺失物に相当すると見ている。そこに魔術大国の騎士ならではの意見が飛ぶ。

 

「それを言うなら奴らの魔術もだ。こちらの神言魔術に完璧に合わせた上に、ただの魔術で迎撃しやがった。こっちは神性付与なんだぞ・・・普通は貫通する。なんで・・・こちらの魔術が通らないんだ」

 

 携行した近接武器にしてもそう。あんなにガチャガチャ動く可変式の武器は見たことがない。手に提げた長方形の黒いケースが大剣や斧に変形するのは素直にカッコいいのだが初めて見た時は驚き圧倒されるものだ。身の丈を超える武器を軽々と片手で振るう筋力に神性付与の魔術に対抗する通常魔術。そして火の使い手。

 

 まるで・・・・人間と戦っているかのようだ。先行きが危ぶまれる。

 

 リズは懐から何かを取り出す。

 

「例えばこれとか・・・なんだろな?」

 

 手のひらサイズの黒い何か。四角いそれは小さな突起物がついており、それを押すたびにピピピと音を立てる。

 

「それは?」

 

「さっきどさくさに紛れて奴らの懐から拝借した。この”タイミング”でこれが俺の手の内にあったってことは重要な何かだと思うが・・・使い方がわからんね。高度な機械類の一種だろうが、知識がなければ意味がねえな」

 

 生き死にが懸かったあのどさくさに紛れて盗みを行ったのか。冒険者根性凄まじいというか、あさましいというか。

 

 グレイズは急にクイッと腕を引かれる。

 

「どうしたの?」

 

「・・・・・・」

 

 少女がじっと黒い機械をじっと見つめている。地形を把握していることと言い何か知っているかもしれない。リズにその旨を伝えるとすんなり了承を得た。彼も少女に対し何か期待をしているのかもしれない。断りを入れ少女に手渡す。

 

 すると慣れた手つきでボタンを押し始める。その淀みない行動にやはり少女はダンジョン側の存在では無いかと疑念が深まりゆく。周囲が見つめる中、音だけが静かに響く。

 

 先行き不安な現状。何をすればいいのかもわからない我々にとって僅かな可能性をも手繰り寄せたいのが心情。果たして啓示は下るのか。不用意な行動は出来ぬなら新たなる展望を座して待つしかない。

 

「!」

 

 祈りは通じたのか、小さな機械から透明な光が漏れる。

 

 周囲がざわつく中”それ”は喋り出す。

 

『ん、突然呼び出されたかと思えばまさかの相手。何かご用かな?虫けらども』

 

 空中に投影された半透明の女はこちらを尊大な態度で見下しそう言い放った。

 

 

 

 

(なんだか、妙なことになってしまった)

 

 目の前に広がる映像に統括室長リフォルクルスは内心ため息を吐く。

 

 各関連機関に指示を出し、自室にて仮眠をとっていたところに急な通信。

 

 端末の表示ではお相手は黒殖白亜A部隊からと判明する。有る筈の無い通信に眉を顰める。現在、黒殖白亜のほぼ全てを第二、第三階層に投入し事態の収拾に当たらせている。第二階層に所在するメインシステムが何者かに掌握され第一階層より下との通信は遮断されており設置された監視カメラも沈黙。モニターで確認することもできない。

 

 それなのに、この表記はなんだ。

 

 いや、なぜ私の個人端末にアクセスしてくる?

 

 通信不能によりお互いの情報共有は急務なはず。普通は指令室に渡りをつけるべきだろう、それがわからぬ奴らではない。

 

 そもそも私の端末と連絡がとれる者は限られているはず。A部隊内の人間で知る者はいない。

 

 ・・・このタイミングでの意図不明な通信。どう対応するか決めねばならなかった。

 

 考えようには渡りに船でもある。隔壁封鎖は機密の塊である特定種別A種を外部へと流出するのを阻止するための止むおえない行為。隔壁が降りたため物理的にも確認が不可能な現状でこの怪しい通知は応答するしか選択肢はない。

 

 さて鬼が出るか蛇が出るか。

 

 そんな覚悟で挑んだ結果は思いもよらぬ相手を引いてしまった。

 

 現れた映像にはアホ面をさげた脱走者どもであり空間に投影された私の姿を驚きの眼差しで見つめている。ある意味予想外の顔ぶれに変な笑いが出そうだった。

 

(繁殖用に捕らえられた外界の人間どもか)

 

 混乱に乗じ逃げたと報告は受けていたが・・・知性をまるで感じさせないが本当にこいつらが起動させたのかと訝しむ。たまたま端末を起動し通信機能を立ち上げたなどあり得ない。暗証ロックはどう突破するんだよと辺りを見渡し――――――ある人物が目に留まる。

 

 脱走者どもの中で一際異彩放つ唯一の少女。フードから覗く金髪や服装からその正体に嫌でも察してしまう。私は目を見開く。

 

 なぜ・・・特定種別A種がここにいる――――??

 

 手に持つそれこそが端末。こいつが操作したとでもいうのか。この面子では一番納得がいくが・・・いや、やっぱ無理がある。

 

 それよりも周りの奴と集団行動がとれている事実に驚きが勝る。A種は自分以外の存在を皆殺しにするのに少年の腕を握り寄り添う姿に目を疑う。

 

 このアリスはどのアリスなのだろうか・・・持ち前の異能で無理やり通信回線を繋げたのだろう。そうでなければこうして連絡できる状況に説明がつかないが記憶の限りそのような異能は確認されていない。

 

 記憶に点在する情報が絞られていき、ある答えを導き出す。

 

 まさか例の実験個体なのか――――

 

「お、女ぁ!?空中に女がッ!」

 

「え、あ、あんた。何者だよ!なんで浮いてんだ!すげえ!」

 

「幻?いや、もしかして別の場所から姿だけ映し出してるのかこれ?」

 

 冒険者どものなんとも間抜けな感想に呆れる。知ってはいたがやはり外界のレベルは低いな。程度が知れる。映像の投影程度で騒ぐな。ざわめく雑音が彼らへの期待を下回らせる。既に評価は地に落ちていた。こいつら相手になにを期待してしまったのか。いつまでも騒ぎ続ける冒険者に辟易する。

 

 

・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・それにしても騒ぎ過ぎでは?

 

「うおっ!すっげえ丸見えだぞ」

 

「すげーの穿いてる!すげー!!」

 

「幻影は中まで再現しているのか。やっぱり技術レベルに差があり過ぎる。恐るべし」

 

「・・・・おい何やってるんだ。トンネルじゃないんだからそこを出入りするのやめろ」

 

 見れば投影された私の足元で屈みスカートを覗く馬鹿ども。こいつら覗く以外にもっとやる事あるだろ。お前は何者だとか、ここは何処だとか。

 

 まるで緊張感の無い冒険者に呆れを通り越す。

 

 そして、こんな時でも好奇心を忘れないまだ余裕を感じさせるその態度に関心を寄せる。考えようによってはその図太い精神は頼りになるかもしれないが・・・個人的には立場が呑み込めない無知は嫌いだな。もっと必死になるべきだろ。危機感が余りにも足りてないぞ脱走者ども。

 

 私の機嫌を察したのかA種に寄り添うつがいが恐る恐る声をかける。

 

「あ、あの。あなたはいったい何者なんですか」

 

 流石に全員がこんなのばかりじゃなかったか。仕方なく本題に入る。猫の手も借りたいとはまさにこのことか。

 

「答える義務はない。そんなことよりも・・ここから脱出させてあげようか?」

 

「なんだと?そもそもあんた何者だ。誰の許可を得てここを占拠してやがる。ここが聖王国領だと知っての――――」

 

 私の高圧な態度に反発する者たち。やはり自身が置かれた現状をまるで理解していない。そこは地獄の渦中だというのに。お気楽で羨ましいものだ。

 

「はあ、同じことを二度も言わせるつもりか虫けらども?せっかく私という偉大な存在に渡りがついたというのに、たった一度のチャンスを不意にするつもりかな?もっと媚びてみたらどうなんだ」

 

「な、貴様の靴を舐めろとでも言うつもり、か・・?」

 

「なんだっていいが、どちらが上の立場かははっきりさせておきたいな。お前たちの命は息を吹きかければすぐに消える炎でしかない。手助けが無ければすぐに死ぬだろな。それが嫌なら態度を改めろ」

 

「くっ」

 

 私はニコニコと笑みを浮かべ集団のリーダーらしきボウズ頭がどのような答えを出すか見守る。まあ結果は見えているが。

 

 空間異常の発生し第二階層のメインシステムルームとの応答が完全に沈黙してから10時間以上が経過している。最後に観測できた記録によれば第二階層中心部で異界化の兆候が見られたとの報告があったがこいつらは運よくそれを避けたみたいだ。

 

 異界化が始まったのならそれに巻き込まれるのも時間の問題だ。どれだけ広がったのかも確認が取れないのなら通信可能な彼らに確認してもらうしかない。殺戮の権化であるA種やその鎮圧部隊である黒殖白亜、そして祈り手も動いているのではたとえ高名な聖騎士や冒険者であろうと会敵すれば死ぬ。彼らの脱出を妨げる障害が多すぎるが故に私の助けは必須だ。

 

 そんな中、彼らは未だに生きていた。目は死んでおらず気力に満ち溢れている。なにより運がいい。知ってか知らずかこの虫けらどもは騒乱の種の一つであるA種の一体と行動を共にしている。そこそこ長生きしそうだと期待できそうだった。

 

 これが実験効果だとでもいうのか。どちらにせよこいつらは”なにか”持ってる。

 

 このどうしようもない状態で、それこそダンジョンを運営する管理者たちが頭を抱える未曽有の渦中で私とこいつらの間に繋がりができた奇跡を無駄にしたくない。

 

 彼らに全てを教えれば絶望に沈む可能性もある。私が徹底的に行動を管理しなくてはすぐにでも死んでしまうだろう。知らないからこそできる動きもある。私自ら手を貸してやるんだ。決して死なせはしない。是非とも長生きしてもらい使い潰す。だから立場だけは明確にしておこう。飼い犬に手は噛まれたくないのでな。

 

 なんだか勝手に籠の中の虫に愛着が湧きはじめたリフォルクルスをよそに、副団長の中でどうやら答えが出たようだ。

 

「さあ、どうする。従属の意をしめすか?お利口さん」

 

「・・・わかった。無論、部下の為だ。服を脱ぎ全裸になったところで逆立ちをしたまま放尿しろというのなら従おう」

 

「そこまで求めてないよ」

 

「うし、やれッ!!グレイズ。お前の力を見せてやれっ!!」

 

「え、えッ僕!?なんで?なんで?」

 

「俺たちはチームなんだぞ!俺が俺がは通用しないんだよ。こういう時は一番新米が泥を被るもんなんだよ!先輩に恥をかかせるつもりかよ!」

 

「~~――――~ッッ!わかりました!わかりましたよっ!やればいいんでしょ!畜生!後輩ができたら優しくしてやる!」

 

 やけくそ気味にテキパキと服を脱ぎだす若者。全裸となりそのまま逆立ちしようかというところで、リフォルクルスはようやく本気だと気づき慌てて止めに入る。なぜ、こいつらの痴態を見なくてはいけないんだ。

 

「だ か ら!やめろって言ってんだろッ!本気なのは伝わったから、その汚い〇〇〇をしまえ!」

 

 



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第14話 提案

 

「それで脱出の話は本当なのか?」

 

「こちらの条件を飲んでくれればの話だ」

 

 先ほどまでの喧噪は何処へ行ったのか。すっかり落ち着きこの場を静寂が包む。耳をすませば遠くで爆発音や銃声が聞こえ危機感を煽る。ずっとここに留まるのは得策ではない。

 

 マンディスは副団長としてどうするべきかと思案する。出された条件は2つ。一つはある人物の確保。もう一つはダンジョン中心部で発生しているという謎の現象の調査。どちらか一つを達成できれば脱出させてくれるとのこと。

 

 達成するには非常に危険な場所に身を乗り出す必要がある。素性の知れない女に言われるがままに行動するべきだろうか。約束を守る保証はどこにもないというのに。相手の立場からすれば使い捨てにされるのが目に見えている。

 

 一人で悩んでいてもしょうがないと仲間と輪になって話し合う。

 

「リズ、彼女が俗にいうダンジョンマスターなのか?」

 

 ダンジョンはダンジョンマスターと呼ばれる存在によって支配されている。そいつを倒せばダンジョンの機能は停止されると聞く。だがリズの意見は違った。

 

「・・・そうかもしれないしそうだとありがたい。人型もいないことはないが・・・あれも変わった格好をしていた・・・・・だが・・」

 

 何かを危惧しているのかどうにも歯切れの悪い。

 

 服装はその国の文化を指し示す。宗教色が強いので服装には何かしらの宗教的意味や特徴が自然と細部に盛り込められている。氷水騎士団の仕事の都合上、こういったものには目ざとく偽装でもされないかぎり一目見れば分かるものなのだが半透明の彼女からは背景が何も見えてこない。類似性のひとかけらも無いのではな。わかるのはそんじゃそこらじゃお目にかかれない高級品ということか。そう、あれは遺失物特有のデザインに酷似しているが・・・・

 

 

 リズは考える。

 

 やはりこの女がダンジョンマスターと考えるべきか。

 

 記録上でしか知りえない稀有なる怪物。霊廟型のダンジョンの全てはダンジョンマスターが作り上げた産物。ならばここの全てを知っていてもおかしいことはない。

 

 受けようこの依頼。受けるだけなら特に問題は無い。

 

「作戦タイムは済んだか?」

 

「・・・わかった、受けよう。それで我々はどうすればいい」

 

「おまえたちにはこれから第二階層中央にあるメインシステムルームに向かってもらい、そのついでにある人物の捜索も並行してもらう・・・・これから案内といきたいがバッテリーの減りが激しい。連絡は必要になった際に随時行え」

 

「あんたが案内してくれるんじゃないのか」

 

「なんだエスコートが必要だったか?いちいち手を引いてあげなきゃ何もできないのか?」

 

 マンディスは思わずハッとする。そうだ、なにを甘えているんだ。人類の脅威である存在になんと弱気なことか。決して相容れないことはわかっていたはず。一方的に寄り添うだけではいつまでも虫けらの枠組みから抜け出せない。

 

 ここで我々が有用であることを示さなければ聖騎士の名折れ。聖王国を安く見られては困るのだ。生きてここでの情報を本国にもたらすためにも必ず帰還する。それが副団長である者の義務なのだ。

 

「いや、そこまで手を患わせるつもりはない」

 

「ふん、必要なデータとセキュリティーコードは既に送ってある。せいぜいうまく使いこなせ。―――そいつなら使えるだろ」

 

「彼女が?」

 

 

 突然の指名に周囲の視線がグレイズの隣へと集まる。

 

 たしかにこの投影も少女がやったことだが、ダンジョンマスターにしても特別な存在のようだ。ダンジョンマスターは俺たちを冷めた目で見るが、この少女だけは違う。

 

 事あるごとに目の端でチラチラと様子を窺っている。ここまで興味を引く少女は何者だろうか。予想もつかない重大な何かを秘めているようでその隣のグレイズも気が気でない。

 

「できるのか?」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(コクリ)」

 

「・・・では朗報を待っているぞ」

 

「あ、待ってください。この子の、この子の名前を知っていたら教えてくれませんかッ!」

 

 短い沈黙。ダンジョンマスターは何かを考える仕草をした後、こう答えた。

 

「・・・・・・・アリスだ。そう呼んでやると”きっと”喜ぶよ」

 

 ブツリ

 

 ノイズの混ざった音と共にダンジョンマスターの姿は虚空に消えた。

 

 切れた通信。緊張が弛緩し留まった空気が胸から吐き出される。グレイズはダンジョンに来てから常識外の出来事に遭遇し続け心が浮ついているのを感じていた。まるで現実味がない妙な感覚。

 

 もっとしっかりしなければ足元を掬われてしまう。目の前で起きていることは全て現実。なんだか遠い場所まで来てしまった。帰郷の念が過るも、未だに祈りは心の奥底で機能している。神はちゃんとここにいる。この地に潜む秘密を少しでも解明しなくてはいけない。決意が心身を満たしていく。

 

 ダンジョンマスターが消えた後すぐにアリスは新たに端末を操作し”図面”を浮かび上がらせた。

 

 それは逆三角錐の形をしており三つの色に分けられていた。上から青、黄、赤の三色。なんだこれはと困惑しているみんなをよそに図面が拡大されていく。

 

 それはびっしりと張り巡らされた光の線に長方形。何重にも重なり合ったそれは立体的に表示され、これが地図であることを次第に悟らせる。これはダンジョンの詳細地図だったのだ。

 アリスはさらに操作し図面を拡大していく。光の線はどうやら通路のようで自分たちの現在地を確認する。それも俺たちの映像付きで。

 

 !!?これは、僕か?ぼ、僕が僕を見ている・・・ざわざわと皆が騒がしくしている中、リズは振り向き冷静に指摘する。

 

「多分あれが俺たちを映しているんだな、写影術の一種みたいだが」

 

 丸い突起物が天井に張り付いている。半透明のそれは中で何かが蠢いている。あれが僕たちを映しこんでいるのか。どんな技術を使えばこんなことができるんだ。

 

 データを送ると言っていたがつまりは地図の事だったのか。こんな重要機密をほいほい渡すあたり我々への警戒心の低さが見て取れる。

 

 画面が黄色いことからグレイズたちはダンジョンの真ん中の部分にいることがわかる。地図上でのこちらの現在位置は髑髏のマークで示されている。あの黒ずくめ部隊の隊章マークと似ているのは端末が彼らの物だったからだろう。これと別に地図上で様々なマークも表示されている。マークの数は多く全体的に幅広く分布している。普通に考えて端末を持つ者は限られてくる。あの悪夢のような部隊がまだこんなにいることに背筋が冷汗を垂らす。他のマークも何を意味するのか。

 

「広い・・・広いなあ。ダンジョン史上最大だろこんなの。ハハ!最高だな」

 

 リズは楽し気に高笑いする。

 

「何笑ってるんだよ。こんな所から人探しとか無茶にも程があるだろ!これ全部敵のマークだろ。全部避けつつ中央に向かって調査だってッ?冗談は止せ」

 

「だが、俺たちに選択権はない!大人しく聞くしかないのでは?」

 

「いや地図があれば脱出できるんじゃ?」

 

「それは無理だなぁ」

 

 リズがはっきりと断言し地図を指さしなぞる。

 

「ここを見ろ。あの髑髏の部隊に追い詰められたこの通路。あそこで終わりと思われたが地図上での表示には先が――ああ、あんがとね」

 

 リズの指の動きに合わせアリスが画面をスクロールさせる。

 

 確かにその行く先には赤い階層へ伸びる通路が存在する。そしてそれを妨げるように色の違う太い線が遮断している。あの袋小路は隔壁が下りていたということになる。

 

「ここも、ここもだ。上層に繋がる全ての通路全てが同じようになっている。ご丁寧にな」

 

 そもそもの話。向こうにしても地図を渡したのは我々だけでは助力無しには脱出不可能と知っていたからだろう。

 

「条件を達成するしか道は開けないか・・・仕方がない、か。幸い敵の位置は把握できる。敵を避けつつ探索するしかあるまい――――リズ」

 

「お、なんだ」

 

 マンディス副団長は決意を固め意を決して提案をする。常識が通じない場所でいつまでも過去に拘る意味も無い。大事なのは生き抜く今だ。

 

「これまでの非礼を詫びる。君に隊の指揮を任せたいんだがお願いできるか?」

 

「「「はぁッッッ!!?」」」

 

 思いもよらない申し出に皆が驚く。それはリズも同じようで固まっている。

 

「みんなが言いたいことはわかる。納得はできないし抵抗はあるだろう。だが俺たちはダンジョンに対しどれほどのことを知っている?探索ド素人の俺たちだけではこの先、生き残るのは非常に難しい。実力は劣り知識もない。その上でさっきの条件をクリアしなくてはいけない。ならば少しでも成功確率を上げるためには手段は選んでいられない」

 

 苦渋の決断。冒険者に指揮権の全てを預けるなど、聖王国への背信行為だと受け取られても仕方ない。

 

「ふーん、いいのかぜ?」

 

「いいのかじゃねえよ。お前がやるんだよ。今までの非礼は詫びる。頼む!知恵を貸してくれないだろうか」

 

 そう言うと副団長は頭を下げた。騎士団と冒険者は仲が悪い。その上でマンディスはプライドを捨て部下の為に首を垂れる。

 

 リズとしても珍しいものを見る目でそれを眺める。大の男が皆の前で頭を下げる意味。わからぬ訳ではない。恥をかかせるべきではない。

 

「・・・・ま、確かにあんたらじゃ長生きできそうにないな。せっかくだから俺が一人前の探索者にしてやるよ」

 

 リズは複雑な思いを抱えながらも快諾する。リズにしても渡りに船。Bランク冒険者にしても無事にここを脱出できるかは怪しい。

 

 後は他のメンバーの反応だが・・

 

「それでどうすんだ、ニューリーダー」

 

「よろしくお願いしますニューリーダー」

 

「よろしく!よろしく!オラッよろしく!」

 

「いや順応早すぎだろ、俺の聖王国への偏見を返せよ」

 

 リズは一拍置き、互いの装備の確認をする。限られた条件下における探索か。楽しくなってきたな。

 

「取りあえず出来ることの確認をしてやる。あることないこと見栄を張らず全部話せ」

 

 

 

 

 

 

 

 マンディス副団長は肩の荷が下りたのか体が軽く感じた。もともと副団長の座も年功序列で手にした地位。一度も自身が適任だと感じたことは無い。それでもマンディスなりに副団長としての振る舞いを心がけてきたつもりだ。職務を放棄するほど奔放にもなれなかった。

 

 これからはサポートする側の人間だ。

 

 暇ができた分、グレイズへの監視に時間をさける。

 

(グレイズ隊員の体、どこにも異常はない。まったく綺麗なものだ。一人別の場所まで連れていかれものだから本人のあずかり知れぬところに仕掛けが施されたかと思ったが特におかしなものは見当たらない、か)

 

 そう、あくまで見た目は。それが逆に不安を煽る。言動にも問題は見られないが今はただ様子を見守るしかないようだった。

 



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第15話 殺戮者

 シュウシュウと煙が立ち昇る。焼き付いた残り香がぽっかりと空いた地獄の穴へと誘うかのように漂う。

 

 そこに設置された照明が次々と点灯されていき、その全貌が露わになっていく。余りの惨状を前にすると慰めの言葉も存在感を消す。

 

「統括室長。こちらです、足元にお気をつけて」

 

 部下を引き連れ地面を這う電力供給用コードを跨ぎ、せわしなく働く作業員の垣根を器用に抜ける。

 

 熱い。この熱気は異常だ・・・環境保全システムが稼働していてこれなのか。咽かえる熱に当てられ頭がクラクラとする。

 

 辛い思いをしながら統括室長・・リフォルクルスはようやく目的の場所に到着する。

 

「報告にはあったが――――聞いていたよりも酷いじゃないか」

 

「はい、まさか第一階層を直接”ぶち抜いて”くる程とは・・・またデータに修正が必要になりそうデース」

 

 分厚い階層をぶち抜き居住区にぽっかりと空いた大穴。縦穴の側面にはこびりついた痰のようにドロドロに赤く溶けた壁面が窺える。どれほどの熱量を持ってすればここまでのことができるのか。

 

「約15分前に第二階層で膨大な熱量が確認されました。そのまま熱量は層を突き破り直上の居住区に直撃。直径1.2キロメートルの大穴を空ける大惨事を残す結果となりました。地上まで至らなかったのが幸いでしたよ」

 

「まったくだとも。天井に穴でも開いてみろ。外気と雪が入り込んで環境に不具合が起きるところだった」

 

 地上はこの大陸有数の豪雪地帯にあたる。雪には非常に強い魔力、電波等への遮断性、熱量の吸収と二つの厄介な特性を併せ持つ。もし天井に穴でも開けば第一階層の機能はことごとく停止し、気温は低下。文明の輝きも鈍り二次被害を被る事になっていた。

 

「それで人的被害はどうなっている?」

 

「交代で休憩に入っていた守護者が262人ほど、まだ所在の確認がとれていません。恐らくは・・・」

 

 ギ・・ギ・・、とリフォルクルスは奥歯を無意識に噛みしめる。この惨状を見れば生存が絶望的なのは言葉にしなくてもわかる。

 

 ここに来る前に確認した監視カメラがとらえた映像。地面がゆっくりと赤く光りマグマのように盛り上がり弾けた。そこから噴き出す真っ赤な炎の柱。余波で生まれた熱が周囲を溶かし監視カメラの機能を破壊する瞬間を目の当たりにした時、真っ先にある存在を思い浮かべた。

 

 こんなことができるのはA種だけだ。そう、個体名は――――

 

「―――――激おこアリスの仕業か」

 

「データベースに該当する異能のリスト的にそう見るのが妥当かと、ただ・・・」

 

「データ上の能力限界値を遥かに超えているか」

 

 端末を操作し特定種別A種の一覧表を閲覧する。

 

 激おこアリス:凶暴性=すごい危険、破壊力=すごい危険、異能=すごい危険・とても貴重

 

 A種の中でも扱いがひどく難しい”器”の候補の一体だ。

 

 あらゆるものを高熱源体に矯正する異能を保有。激おこアリスは能力測定で過去に一度ダンジョンの動力部に異能を直撃させダンジョン全体に機能不全を引き起こし多くの守護者を殺し回った過去を持つ超絶問題児であるが、未だに処分されないのはやはりその異能故か。

 

 この世界においてその能力は余りにも有益がすぎる。どれ程恐ろしい存在でも火に愛された者は畏敬を持って扱われる。だがA種と意思疎通がとれるはずもなく正直持て余しているのが現状だった。”マスター”は処分をお認めになってくれない。守護者はその扱いには非常に難儀している。

 

「能力測定時を遥かに超える異能の規模。今まで偽装していたとでもいうのでしょうか?」

 

「もしくは更なる成長を遂げたか。データは宛てにならないかもしれん」

 

 あとで守護者全体に既存のデータは参考程度にするように伝達しなければ手痛い傷を受けることになりそうだ。問題なのはそれを一番伝えなければいけない者たちに伝達するすべがないということだが・・・

 

 大穴が開いたことで物理的な壁は無くなった。

 

 だが、どうだ?

 

 ここからダイレクトに電波を飛ばしているのに通信は未だ沈黙を貫いている。異界化の影響が深刻化していると判断すべきか。穴の底が見通せないのがいい証拠だ。深い闇の膜が張られているようだった。

 

 ・・・いずれは第一階層にも手が伸びる。安全面を考慮してとにかくは穴は塞ぐ。高さがあると言えA種ならば這い上ってきても不思議ではない。

 

「とりあえずの応急処置は済ませますが、完全修復となるとどれほどかかるか・・」

 

「今はそれで構わない。ひとまずは各部署に状況の連絡。修復の見通しが取れ次第すぐに施工を―――」

 

「見てッ!誰かあそこにいる!生存者だ!」

 

 辺りが急に騒がしくなる。ここにきて生存者の発見、か。

 

 リフォルクルスは懸念していた可能性が危機感と共に頭をよぎる。そう、これを引き起こした下手人はまだ見つかっていないのだ。

 

「すぐに確認しろ。警戒は怠るなよ」

 

「はっ」

 

 護衛として連れてきた部下を人だかりに向かわせる。あの惨状から生き延びた生存者とはいったいなんだろね。

 

 ・・・大事をとってここから離れるのが賢明かもしれない。

 

 だが決断を下す前にすぐに部下が引き返し報告に戻ってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

「―――――――――それは本当か?」

 

「ええ、間違いなく」

 

 急いで生存者の元へ歩む。

 

 そして人の垣根を超えリフォルクルスの目に映り込んだものは――――

 

「・・・・・」

 

 溶解した穴の縁で座り込む小さな輪郭。焦げ付き煤だらけの髪とどう形容していいのかわからないまでにボロボロの布地を身に纏っている。

 

 この白い髪に顔つきは間違いない。近づくことで彼女はうつむいた顔を上げる。

 

「よくやったネロスピカ。それでこそ祈り手だ。それが奴の首か?」

 

「・・・・・これ」

 

 ネロスピカと呼ばれた元気の無い女性は膝に抱えた首をこちらに寄越す。リフォルクルスが血の滴る”それ”を受け取り、顔に張り付いた金髪をどかし”それ”を確認する。

 

 この人間ばなれした端正な顔つきとA種の証明である眩い金の髪。A種はどいつもこいつも似た顔つきをしているのでこれが激おこアリスなのか判別付かない。唯一の目撃者である彼女の証言だけが頼りだった。首を部下に渡し解析に回させる。死体でも研究価値は大いにある。怪我の治療をさせながら報告を聞く。とにかく情報が欲しい。

 

 ネロスピカか淡々と事実を報告する。

 

「先のA種との戦闘で私以外の祈り手メンバー全員が死亡。A種の攻勢で大分前に黒殖白亜もほとんどやられちゃってる、です」

 

「なんだと!?」

 

 報告を聞いた周りの者たちが騒がしくなる。この場で聞くべきではなかったかな。私もまさかダンジョン内最高の部隊である二つの部隊があっさりやられてしまうなどと思っていなかった。

 

 もし、それが事実ならば沈黙したメインシステムへの直接アクセスは難しい。このままではA種が第一階層に殺到するのも時間の問題となる。一応の策はあるが”あれ”はあくまで最終手段。メインシステムの調整に向かった”マスター”の消息は未だ不明。せめて安否の確認だけでもしなくてはまだ切り札を切るには早すぎる。

 

 ――――――そう本当に壊滅していたらの話だが。

 

 手に持つ端末に自然と力が入る。わざわざ確認する必要もない。

 

 リフォルクルスは虚空から拳銃を取り出し、医療班から治療を受けるネロスピカめがけて引き金を引いた。

 

 パンパンパン!

 

 乾いた銃声。余りの脈絡の無い行動に誰もが私の凶行を前にして驚愕する。反応できたのはただの一人。

 

「なんだ、元気じゃないか。仮病はいけないな」

 

「ぐ、な、なんッ」

 

 怪我人とは思えない軽快な動きで銃弾を全て掌で受け止めたネロスピカ。とても怪我人が成せる動きではない。

 

「なんでって、裏切者の処分に理由がいる?」

 

 パンパンパン!と、リフォルクルスはなおも容赦なく撃ち続ける。

 

 冒険者達との通信が無ければリフォルクルス自身も騙されていた。通信の際にリフォルクルスは同時に相手の端末にハッキングをかけ自分の端末にデータを吸っておいたのだ。

 それで確認したのだがその時点で黒殖白亜も祈り手も健在であった。第二層と第三層全体に散ったダンジョン内最高の部隊たちが、それがたったの20分程度で全滅するものか。激おこアリスの異能でも全域に届かせるのは不可能だ。できたらホームはとうの昔に壊滅している。

 

「それに勝手に”首輪”を外すな。貴様ら祈り手を人たらしめる証明を自ら放棄する愚か者が!」

 

 カチカチカチカチカチカチと首筋に仕込まれた小型爆弾を起動しようとリモコンを操作し信号を送るが反応しない。首輪は元々反乱防止用に着けられた安全装置。徹底的に異能開発された奴らを野放しにはできない。

 

 それをどうやって解除したのやら。あれを外すには専用の機材と知識が必要。

 

 それを放棄する意味、即ち死を選ぶということ。曲がりなりにもA種と同等の力の恩恵を受ける存在を野放しにできる道理はない。

 

「ッ!統括室長ッッ!お前だけは必ず殺すッ!ここで死ねェェッッ!!!!」

 

 ネロスピカの突然の跳躍。守護者に囲まれた状況を嫌っての行動だろうが私は冷静にその軌道を読み空中に銃弾を置いていく。

 

「ぶぐっ」

 

 ネロスピカは血を撒き散らし作業員達を巻き込み倒れ込む。上手い具合に人ごみに落ちた。

 

「貴様らぼーとしてる場合か?早くそいつの息の根を止めろ。これは命令だ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。なにがいったいどういうことなんです!?撃ちますけどいいんですね!?」

 

「命令だと言ったはずだ。考えるのは後にしろ。でないと・・・・」

 

 

 ゴオオオオオ

 

 音と共に喉がひり付く様な熱波が肌を撫でる。人が、物が、燃えている。それは小さな火柱となり収束していき、その中でエプロンドレスの少女がこちらを見据えていた。

 

「み、みんな退避しろデェェェス!!!」

 

「―――――ああなる。ほら早く逃げるなり戦うなり行動しろ」

 

「もうやってますっ!――――支援攻撃を要請!・・・・いやだからA種が隊員に化けてたの!ああ構わないからやっちゃって。圧搾弾頭をぶち込んでいい!それと戦闘員以外は全員退避!退避いいいい!空間圧縮に巻き込まれたくなかったら全力で逃げろ!って室長!なにやってんですか!?」

 

「なにって、あいつをこの場に足止めしなきゃいけないからな。圧搾弾頭がどれぐらの価値があるか知らない訳じゃないだろ。二発も使用したら来年の予算がきついんだ。次席のお前も少し付き合え。控えに黒殖白亜が一部隊詰めてたのはこういう時の為だろ。それまで時間を稼ぐ」

 

「―――ッッ~~!わかりましたよ!死なんて怖くない!怖くない!私もお付き合いしますよ!祈り手如きに好き勝手させて堪るかよ。お前たちも無理のない範囲で付き合え!あくまでも時間稼ぎだからな!あとは勝手に全て吹き飛ぶッ【転移】持ちは足の遅い子たちを他の場所まで飛ばせ。それまで頑張るぞ!」

 

「はっ!」

 

 

 プオオオオオオォォォォォォォォォンン!!

 

 第一階層全体に甲高いサイレンがけたたましく鳴り響く。空気が震えるほどの大音量。アナウンスも流れる。

 

 

『―――居住区の皆さまは速やかにお近くの緊急時避難ポイントに移動しましょう。緊急時防衛システムが起動。これより居住区内にて圧搾弾頭が使用されます。居住区の皆さまは――』

 

 

 弾頭が着弾するまで3分程度といったところか。きっと退避が間に合わず多くの職員が巻き込まれるだろう。だがこいつを放置すればダンジョンそのものが崩壊する。天井に穴だけは開けさせる訳にはいかない。その為なら命は惜しくない。皆も同じ気持ちだろう。みんなで”ホーム”を守るのだ。

 

 リフォルクルスたちは意気込みA種に向き直る。相手はこのサイレンの音の意味がわからないようで興味深そうに辺りを見回している。

 

 そんな無知蒙昧なる怪物に何を思ったのかリフォルクルスは話しかける。

 

「なあ、”それ”つらくないか?自分が誰なのかわからなくなってくるだろ」

 

「・・・・・」

 

「さっきはちゃんとお喋りしてくれたのに急に黙りこくるな。一貫性がまるでないぞ。演じるなら徹底的にやれ怪物が」

 

 激おこアリスの血走った目が私たちをしっかりと捉えた。

 

 ジリジリと首筋にしびれるような感触が広がる。第六感が激しい警告を打ち鳴らす。これはまさに自身に何かが起こる前兆。A種の中でも最上位の優先度を持つ異能を前にどれほどのことができるのか。

 

 まったく、こんな奴と戦いだって?正気の沙汰じゃない。私の仕事は偉そうに椅子の上でふんぞり返る事だと言うのに、戦闘は服が汚れるから嫌いだ。

 

 ・・・・まあ、ここはひとつ。アリスの”特異性”に賭けるとしよう。

 

「統括室長として許可を下す。装備及び魔術の無制限使用をこの場において認める。行け」

 

「了解。我々が抑えているうちに、お願い致します。ッ行くぞ!!!」

 

 一般戦闘員の皆が【蔵書】の魔術を行使し虚空より道具を引き出し、そのまま飛び込む。

 駆け出した者たちは一応に首筋に薬を打ち込み、驚異的な運動能力で迫る。一時的に五感の全てを高め運すらも引き込む非認可のドーピング薬。手にはまだ試作段階であるはずの”天然”の遺失物を科学的に再現した光化学兵器。チリチリと空間すら焼き斬る光の刃は使用者をも焼き殺す。すでにボロボロの体となる部下たちは音速を超え一本の矢と化し複数の光の軌跡が尾を引き敵に殺到する。

 

 皆、死は覚悟の上だ。

 

 知覚できないほどのスピードの前に押し潰されろ。

 

 ジュッ

 

 嫌な音が聞こえた。

 

 嗅ぎなれた肉の焼ける音。それとともに激おこアリスの周囲が歪む。まるで陽炎のように揺らめく景色は次第に溶け合い真っ赤に染め上げていく。

 

 マ ズ イ !!

 

 リフォルクルスは首筋に走る痛みに導かれるままに体を動かし上空に跳躍する。何人か私の行動に追随し飛ぶもそこから視界が真っ赤に染まる。あらゆるものがくべられた薪となり炎上。吹きあがる炎の柱が襲い掛かり部下を飲み込んでいく。声を上げる事も無くあっけなく死んでいく。

 

「―――っっ」

 

 それを尻目に空中で魔力放出を行う。急激な加速に姿がぶれる。推力を得たリフォルクルスは軌道を変え強引に回避していく。全て勘頼りの逃げの一手。前兆の見えない攻撃にはもはや祈る事しかできない。空間が揺らいだ時点でそこはもうデッドゾーン。立ち上る熱気がこちらの視認情報を阻害し見分けがつかない。細い勝筋を辿り不可視の包囲網を超え上空からアリスの顔面めがけて飛び蹴りを突き刺す。その様はまさに流星だった。

 

 ミシッ

 

 まるで巨大な壁を蹴ったかのような感覚。巨木のように大地に屹立する。まるでビクともしない。寧ろこちらの右足の骨にひびが入ったぐらいだ。アリスの目だけがギョロリと私の姿を捕らえ背筋が凍る。

 

「!!??【転位】ッ――」

 

 ここから一手でも間違えれば死ぬ。すでに辺りは熱量で歪み原型をとどめていない。マグマのような大地が熱を発する。周りにはもう誰もいない。みんな高熱でダメになってしまった。息をすれば肺が焼かれ眼球の水分も蒸発する。

 

 私だけが持ち前の属性の恩恵で生き残った。火属性持ちは熱量をものともしない。そんな優秀な属性の副次特性が孤独を生む。ここから先は孤軍奮闘か。

 

 それでも過去の事例から異能による直接的な熱量変換は防げない事は知っている。直撃をもらえばそれで終わりだ。幻想に近しい者にこの世界の法則という枠組みはどうやっても足が出る。お陰でこちらの魔術は効き目が悪い。しびれる右足を抱えアリスの目の前から【転移】で翔ぶ。

 

 しっかりと置き土産を残して―――――

 

 バゴオオオンッ!!

 

 リフォルクルスが翔んだ先はアリスの背後。出現と同時にアリスの背後越しに爆発音と衝撃波に煽りを喰らい私は少し圧される。気を付けるべきは爆発による衝撃波と破片のみ。

 

 眼前での爆発でアリスはもろに爆発の直撃を受ける。転移する直前に残した爆弾が起爆したのだ。

 

 ダメージは大して期待していない。あくまでも目くらましが狙い。

 

 虚空より取り出したバケツをおもむろに振りかぶりアリスに中身をぶちまける。

 

「・・?――――――ッッ!!!??」

 

 激おこアリスはここにきて初めて見せる表情の変化。落ち着きのない様子で服や肌に付着した物を払おうとする。バケツの中身は漆。肌につくとすごく痒い。

 

 A種は綺麗好きだ。血や内臓は気にしないくせに服の汚れに異様に敏感だ。動揺はいかんなく現実に反映され見境なく周囲を炎上させていく。汚れを拭った先から広まり収拾がつかなくなる。そんなアリスの周りをみっともなく這い転がりながらリフォルクルスは今日食べようと楽しみにしていたケーキを取り出し顔面にぶちまけそのまま殴り抜く。

 

 どうせ正攻法じゃ勝てないんだ。貴様には存分に辱めを受けて頂く。馬鹿みたいな行動だが意外と有効。相手の気を散らせる。汚しに穢す。暴れるアリスの背後から組み付き、右腕を極めながら押し倒す。まるで暴れ馬の様に跳ねる激おこアリスの動きを止める。

 

「これでもう・・・終わりだなッ」

 

 爆音と共に訪れる長大な質量。居住区の上空を切り裂き迫る圧搾弾頭を積んだミサイルが着弾するまで5秒といったところか。我ながらつまらない幕引きだと思う。まだまだやるべき使命がたくさんあったはずなのに何もかもが手つかずのままにある。

 

 ・・・それは死んでいった部下たちにも同じか。皆が皆、役割をまっとうし殉じた。ならば最後は私が直接幕を引くしかない。全てはマスターのため。諦めてこの身を捧げよう。

 

 

 弾頭が着弾し、世界は――――光に包まれた。

 

 

 

 これで終わりであればまだ楽だっただろう。

 

 だが、終わりはこなかった。

 

 爆発後に発生した空間の圧縮。内に秘めたエネルギーの余波が周囲を消滅させる、はずだったのに・・・・

 

 あろうことか激おこアリスはエネルギーそのものを純然たる熱量に変換し空間消滅が起きるために必要エネルギーを不足させ本来起きるはずであった消滅の結果を不発にしてしまう。

 

 空間消滅に必要な要素を熱量に置換しその役割を破壊したとでもいうのか!?

 

 光が瞬き大爆発が巻き起こる。増大した熱量が広範囲にまき散らされ居住区全体を熱波が包んでいく。

 

「ゲホッガハッ――」

 

 リフォルクルスは爆風で吹き飛ばされ瓦礫の中から這い上がる。もはや高度な文明レベルの象徴であるすごく高い建造物は消え去り地獄の様相を呈す。

 

 まだ、生きている。

 

 辛うじてだが、まだ動ける。

 

 これほどまでに火属性であったことに感謝したことはない。

 

 まだ――――戦えるのだ。

 

 リフォルクルスは地獄と化した周囲を見渡しアリスを探す――――いた。

 

 爆心地の中央でアリスは一人佇む。その姿は依然変わりなく顕在。あまりに格が違う。黒殖白亜にはまったく苦労を掛ける。こんな奴らが下でうようよしているのだからな。まったくやってられんよね。

 

 リフォルクルスはふらふらとささくれた地面に足を取られながら近づいていく。

 

「やっぱり、か。流石に力の代償は大きかったようだな、なあ”ネロスピカ”。ゴフ、ゴホッ」

 

「ハァア、はぁ、ぐッくぅ、オエエ。――――――な、んで」

 

 アリスの体が次第に崩れていく。その姿はやがて最初に見たネロスピカのものになる。 

 

 今までアリスが化けていたものとばかり思っていたが現実はその逆だった。ネロスピカは異能を”本物”よりも使いこなしてしまったのが疑念を確信させてしまったのだ。

 

 ――――どういうことなんだろうな。彼女に発現した異能は肉体変化であって他人の力までコピーができる程上等なものではなかった。

 

 考えられる可能性としては力の隠匿。虚偽申告とはなかなか小賢しい。

 

「ああ、まさかの。まさかまさかのコピー能力かぁッ!本物と同一とも思える再現率!素晴らしい!実に素晴らしいぞ!」

 

「ゴッハァ!」

 

 拳を振り上げネロスピカを殴りつける。おや、ネロスピカの動きがとろいがどうしたのだろう?

 

 そのまま馬乗りになり拾った瓦礫を手に顔面を殴打する。

 

「だがだがだがッ!アリスはダメだ!ダメダメだ!変身するにしても相手が悪い!なお最悪!どこから来たかもわからない外様の存在を真似ればどうなるか身をもって知っただろうッいいか!覚えたか!この裏切者が!?恥を知れ!」

 

 ゴ、ゴッ!と綺麗な顔が歪んでいく。握りしめた瓦礫の破片はとうとう私の握力に耐え切れず砕け散る。

 

 ――――変身魔術、というものがある。

 

 肉体を変化させ変身したい対象に変身するというもので人しいては動物の姿にも変身が可能だ。

 

 だが彼女の扱う異能は既存のそれとは隔絶した力であった。変身した対象の服装、固有の異能ですら模倣してみせた。

 

 振り下ろした拳が急に腕が止まる。いや、止められた。

 

 まるで鏡を見ているかのような感覚。目の前にはもう一人の私がいた。

 

 また変身か。

 

 変身した瞬間すらわからなかった。まさしく一瞬。傷すらも完全再生だ。最初に銃弾を数発肝臓にかましたのだがアリスになった途端その痕跡も消してみせた。

 

 変身魔術でも肉体を変化させ傷を消すことは可能だが、ダメージまで消すことはできない。外ずらだけしか繕えない。それにこの変身速度。変身魔術は変身中完全無防備であり完了までに時間がかかる。変身速度が短ければ短いほどそれだけ精度が雑になり造形が崩れやすい。ちょっとしたことですぐに変身が解除される。変身魔術はそれだけ扱いが難しいデリケートな魔術。とても戦闘中に採用できる選択肢ではない。

 

 それなのにだ。

 

 ネロスピカの異能は明らかに既存の変身魔術とは一線を画する。ここまで来るともはや同一存在。完全なる形でのだ。

 

「ふぅッ!!」

 

 リフォルクルスの耳に手を伸ばし掴みかかり力を籠めるもう一人の私。

 

(千切られる!)

 

 引っ張られる方向に身を任せ体を傾ける。そのまま体を巻き込むように捻る。体勢を崩されネロスピカは上に跨った私を引きはがす。攻勢が入れ替わる。

 

 これでは逆にマウントを取られてしまう、と必死に地面を転がり追撃を回避する。

 

「ふうーフぅー」

 

 震える足を手で支えなんとか立ち上がる。

 

 いや当然か。合間に傷を回復しても痛みや体力まで回復する訳ではない。動きに精彩さが失われている。それはネロスピカにしても言えることだった。

 

「ぐ、ギギ。ゲホッア”ア”ア”ア”アア」

 

 時折頭を抑え呻く。最初に比べ動きが鈍っていた。

 

 種はもう割れた。こいつの変身能力は異能の再現も可能とするがその精神構造すらも真似してしまう。いやできてしまうのだ。”オリジナル”のことを考えるに異能は個人の精神が影響していることは判明している。この世界とは遥かに遠き地、源泉の違う場所からやって来た怪物を真似れば次第に自身の精神がおかしくなる。いやこの場合矯正されるか。ネロスピカは奥に入り込み過ぎた――――このままでは新たなアリスの誕生に立ち会うことになる。

 

 さて、問題はもう一つある。私に変身したのなら・・・私の抱える記憶を覗き”真実”を知るのではなかろうか?参ったな。マスターにすら秘密にしているのに。

 

「死ねよおおおおおおおおおお!」

 

 ネロスピカが虚空から取り出したるは変わった形の銃。可変式のそれはガシャリと銃口を展開させこちらに向けて構える。

 

 レールガン―――ッ!

 

 亜空間に仕舞い込んだ装備ですらコピーするとでもいうのか。ならば当然保有魔術もか。

 

「「【腐れ凪】」」

 

 お互いに地属性の魔術を発動し対衝突する。毒に侵されぐずぐずに腐れ落ちた果実がどろりと飛散し激突。毒性をまき散らす。威力も発生速度も互角。やはり思考も似るのか放った魔術は奇しくも同じ。相殺したことから属性のコピーも可能か。現在私をコピーしたことで火属性へと属性が変更されたネロスピカの本来の保有属性は地属性。持ち前の属性が変化していなければ属性の一貫性で完全に撃ち負けていた。

 

 毒煙を突っ切りレールガンの閃光が飛来する。

 

 だが、リフォルクルスはもうそこにいない。虚空を貫く閃光を背景に一撃が凪ぐ。ネロスピカの眼前に転移し掌底が顎を捉えていた。

 

「ガぁッッ!」

 

 相手も負けじと大量の手榴弾と液体燃料をばら撒き私の腕につかみかかる。

 

 道連れか?

 

 いや違う。その姿はアリスの姿へと変貌していた。なるほどその姿ならこの程度の自爆攻撃には余裕で耐える。万力のような握力が掴んで離さない。私の保有する火属性の付属効果は優秀だが炎に耐えれても爆発による衝撃や破片まで防ぐことはできない。私の魔力障壁でも防ぎきれない。

 

 ああ――――――これを待っていた。

 

 轟音と共に空気が揺れる。

 

 

 

 

 さて、ここで【転移】という便利な魔術について話をしよう。【転移】は火属性の魔術であり自身を既存の場所に飛ばすという非常に便利な魔術である。使用者の保有魔力量により転移できる距離が変わる。実際に訪れた既知の場所にしか転移できず緻密な精度が要求される。力場の不安定な雪の中などでは使えない、燃費が悪いなどの特徴はあるがもう一つ注意しなければいけないことがある。

 

 それは・・・

 

 



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第16話 造反劇

 

 閃光で焼かれた視界が次第に回復していく。湧き上がる万能感に酔いしれながらも余裕の面持ちで泰然としていられる。それもこれもこの力と仲間の想いがあるからこそ。

 

 ネロスピカは全て承知の上でここにいる。決して晴れぬ無念を正すためにここにいる。英雄に涙は似合わない。

 

 これは裏切りではない。当然の帰結なのだ。

 

 それだけのことをされたのだ。

 

 だからこそ――――

 

 

 

「う、ぐぁ」

 

 体が、熱い。体の奥底から湧き上がるマグマの如き熱さ。熱量を操る今の私では到底感じえない熱さ、それに妙だ。

 

 体が、動かない―――ッ

 

「なんだ、これでも生きているのか。アリスってのは本当に頑丈だな」

 

 リフォルクルスが笑いながら肩をすくめる。

 

(こ、これはぁ)

 

 ようやく自身が置かれた状況を把握する。半身に走る感じたことの無い痛みがひっきりなしにネロスピカを痛めつける。

 

「ぐ、ぅうあっ・・!」

 

 ネロスピカの体の半分が地面に埋まっている。いや埋まった部分が地面と半ば融合している。

 

 な、なんで”この体”には魔術が碌に作用しないはず。それがどれだけ厄介なのかも身をもって知っている。そのためにわざわざ奴の右手を掴んで転移を封じたのに!

 

 【転移】の相乗りにはこちらから一切許可した覚えはなかった。

 

「その顔・・少し勘違いしているな。知ってのとおりA種の持つ特殊防御機構【フルドリス】は認識外の現象に凄まじい抵抗力を誇る。神性を帯びた魔術であろうとな」

 

 そんなことは知っている!!だからこそ自爆まがいの無茶ができたのだぞ。

 

「だがなあ、なあなあ。魔術の基本原則まで適用されないとでも思ったか?A種特有の余りの常識外れっぷりに自分は大丈夫と目が眩み過信したのか?なあどうなんだ。それは増長なのか?」

 

 リフォルクルスは嘲笑う。その体の万能感は筆舌に尽くしがたいことだろう。実験の影響で精神安定剤に日々頼る脆弱な精神を持つ祈り手ならばその心地よさに酔いしれるのもしかたのないことか。

 

「先に私の手を掴んだのは貴様だ。事前になんの魔術の使用をわかっていながら自分から接触する間抜けが。【転移】の巻き込み事故も無効だと思ったか?何が起きるか認識した上で勝手に受け入れてちゃ防壁は機能するはずがないだろ。【フルドリス】は無知なる者の証なんだぞ」

 

 つまり【フルドリス】が正しく機能するということは無知蒙昧の証明に他ならない。わからないからこそ、なかったものとして扱われる。

 

 転移は座標を設定し目的地に飛ぶ。彼女はその過程に強引に”自分から”割り込みそして事故った。ただそれだけのこと。なんの根拠もないくせに万能感に酔いしれ疑問も抱かずに愚直なままに自ら罠に嵌ったのだ。

 

 まあ、私もそうなるようこれ見よがしに転移し続けたのだが。

 

 つまりこいつは私の思惑通りまんまと誘導されたのだ。完全に能力に振り回されていたな。誰にでも変身可能という、選択肢が多すぎて最適格な答えを見失ったか。

 

「ぐウ、ア”ア”ア”ア”」

 

「その状態で変化しても無駄だ。埋まった傷は治らない」

 

 観察の結果、彼女は肉体変化というよりも存在そのものを書き換える存在転換。いわば事象の改ざん能力に近い。間違いなく祈り手最強クラスの異能だよ。故に惜しい。ここで処分しなければいけないのが非常に残念だ。この力があれば”奴”を一泡吹かせることが可能だったかもしれなかった。

 

「ああそうだ、一応聞いておこう。なぜ裏切った?待遇に不満でもあったか?精神安定剤は定期的にとっているのか?祈り手に不満なんてあるはずがないのにどうしたと言うんだ?」

 

「・・ッ―――ふ、ふざけるなぁァッ!不満が、無いだとッ。何も知らないとでも思っているのかッ!!?」

 

「・・・・やっぱり記憶を取り戻していたか。まあ、当たり前か」

 

 これでようやく納得がいった。自ら首輪を外し(方法は謎)あろうことか”仲間”である我々に虐殺まがいの行いを可能としたのだ。今まで仲良くやってこれたのに、残念だよ。通常であれば彼らにそこまでさせる動機となる理由や行動原理はない。彼らは三食昼寝付き、なんとおやつも出る。一部の者以外に仕事という仕事もなく普段は自室でぼんやりしてる。ホーム内での行動制限もそこまでない。

 

 ”ある実験”の末生まれ落ちた彼らには特にホーム内での役割など存在しなかった(一部を除く)がその稀有な力を腐らせるには惜しいと私がとりあえずA種へのカウンターとしての部隊を設立したのが祈り手だった。

 

 神への祈りの所作すら忘れた者には少々皮肉が効いた名前だが・・まあ、忘れた原因は我々にあるのだが我ながらいいネーミングセンスだと思う。

 

 ここは地上で名をはせた色褪せた英雄たちの墓場だ。マスターに力を見込まれ連れ去られてきた自覚無き者たちの墳墓。もはや彼らの事は誰も知らない。帰るべき場所などとうの昔に無くなっている。900年前の人物すら眠っているのだぞ。

 

 

「おかしいな。あんなに脳みそいじって調整してやったのになんで覚えてるんだか。知らなければ幸せのままだったのに」

 

「幸せ?人の記憶を勝手に奪っておいて勝手なことをほざく!薬漬けの人生のどこが幸せなのッ。この人攫い!家に帰せッ!」

 

「?その稀有な才能を見込まれて連れてこられたんだろうに。なあ英雄。本来であれば一生”その才能”は日の目を見ぬまま潰えるところだったんだ。私は嬉しいよ。こんな形ではあるが君の力が開花してくれて」

 

 祈り手のメンバーはそのほとんどが外界からわざわざ連れてこられている。外界での工作活動、情報収集、資源集め、そして人攫・・もとい人材収集を行う隠密部隊の”黎明”によって集められた、もしくはダンジョンに突入してきた高い潜在能力を秘めた探索者で実験を行う。

 

 しかし実験の生存率は低く、おおよそ0.4%の壁を乗り越えた適合者だけが祈り手として登録される。適合者には手術によって記憶をいじられ、首筋に”首輪”が仕掛けられる。

 

「私は知っているぞ――――ッお前の秘密をッこ、こんなことが・・・なんだというのだこれは!!!??」

 

「――――ああ、それは困ったなぁ」

 

 だったらわかるだろう。この絶望を。少しだけ思いが共有できて気が楽になれたよ。

 

 グチュリ

 

 リフォルクルスのナイフが深々とネロスピカの心臓に突き刺さる。

 

「グブぅ、あ。う」

 

「不謹慎だが、学術的にも非常にいいものが見れてよかったよ。君の死体も存分に有効利用させてもらう。もちろん記憶のサルベージも、ね」

 

 

 

 

 

 ネロスピカの薄れゆく意識の中、断片的に言葉を耳が拾う。

 

 だ、めだ。肉体の回収だけはなんとしてでも防がないといけない。この段階ではまだ私個人の暴走で済む。もし記憶を回収されれば他の仲間たちの存在を気取られる。

 

 それだけは、なんとしてでも、なんとしてでもおッ!

 

「ぐぶあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”」

 

 それは最後の断末魔か。残った右腕を地面に叩きつける。考えなしに衝動のままに起こした行為に傍から見えた。

 

「!!」

 

 ビキキと地面の均衡が破られる。

 

 崖縁であるがため崩れた地面はたやすくネロスピカが空けた大穴へと滑り落ちる。煉獄の底へと誘われるかのように。物言わぬ躯が暗闇に消えた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・ふう」

 

 構えたレールガンがリフォルクルスの手の内から虚空へと収納する。そのまま背中から崩れ落ちジグザグの床が腰にぶち当たりもんどりうつ。貴重な検体を転移で回収しようとも考えたがそんな魔力的余裕は一切ない。なによりこの疲労だ。

 

 名残惜し気に大穴に目を向ける。落ちてくれて少しだけホッとしている。記憶のサルベージで余計な情報まで吸われたら堪ったものではない。

 

 ・・・それに回収はできなかったがいろいろと見えてくるものもあった。

 

 落下する際に地面と融合したまま無理やり私の姿に変身したネロスピカ。事態が収拾したら秘密裏に死体を処分しなければならない。自ら落ちたのは情報の秘匿だろう。それも共犯者の隠匿だ。

 

 他にも祈り手の中から裏切者が出たと考えていいだろう。

 

 そもそも首筋に仕込まれた首輪は一人で解除できるものではない。下手に手を出せば爆発する仕様になっている。そうなれば即死だ。手を貸している者がいるのは間違いない。

 

「・・・・祈り手の裏切りかぁ」

 

 彼らの交流範囲を考えるにそう結論付ける。解除方法を知っている者がいたことから思考を読み取れる奴がいる。祈り手の中でも施設内を自由に行動可能でそういった異能を持つ者を一人知っている。

 なにより守護者からも信頼されるあの男。私ですら尊敬の念を覚える程だ。ネロスピカの件からして異能の虚偽申請は他にもあるはず。これじゃあ異能リストはもう参考にならないじゃないかよ。

 

「これじゃあ・・・皆殺しにするしかないじゃないか。こんな内輪もめしている場合じゃないのに。まったく・・・まったく!!」

 

 記憶の領域はまだまだ謎が多い。記憶操作に穴があってもおかしくない。まだ何人かこぼれ球がいる。記憶が残っているのは一人だけじゃないと私は判断する。通信に制限がかかっている状況下でいちいち確認をとるわけにもいかない。故に皆殺し。寝首を掻かれるぐらいならA種と同系統の力を持つ祈り手は諸共に殲滅する。

 

 

 ダンジョン内での異常事態は祈り手が原因なのか?それすら結局分からずじまいだった。

 

 駆けつける次席の生存に顔を綻ばせながら黒殖白亜を乗せた装甲車を遠目に端末を起動し命令を下す。

 

「伝令役、及びサポーターとして機甲兵群3番から11番機まで全て投入しろ。殲滅対象は特定種別A種と祈り手とする。ああ構わん。無理のない範囲で物資を積ませて黒殖白亜の支援をさせろ。大穴を塞ぐのはその後だ!ああそうだッ!これはもう戦争だろがッ!!」

 

 ――――”先生”。本当に残念ですよ。ずっと微睡んでいればよかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――あ、ああぁお姉ちゃん、お姉ちゃん。ううう”ぅぅあ”あ”あ”あ”」

 

「ネロスピカが・・・まさかこんなッ酷い―――――」

 

 変わり果てたネロスピカの亡骸に縋りつき咽び泣く少女。それを慰める者。穴底で息を潜め事態の趨勢に希望を委ねたが、それも無駄であった。

 

「ラスペンタちゃん・・・」

 

 姉の無残な姿に縋りつく少女。血の繋がりはなくとも確かな絆はあったのだ。

 

「クソ守護者どもがッ許せん・・・・ッッ!!」

 

 ガン!

 

 蹴り飛ばされる黒殖白亜のヘルメット。重い音を立て中身を溢しながら床を転がっていく。

 

 辺りには黒い装甲服を纏った者たちの死体が夥しく横たわる。そんな彼らを椅子代わりに話は進む。悲しみに暮れていても何も変わりはしない。関わりなき変化に活路は介在しない。受け身の姿勢は勢いを殺す。流れに乗らねば大海には至れない。

 

「また一人、同朋が逝ってしまいました。今だけは彼女の冥福を祈りましょう。このような神の目も届かぬような場所からでも神の御許へと辿り着けるように」

 

 魔術師然とした不健康そうな男は簡易ながらも儀礼に沿い祈りを捧げる。誰しも別れの為に心の整理は必要だ。死者が足を引かぬよう歩み続けなければならない。そのための祈りだ。

 

「なあ先生よ、ネロの奴はちゃんとあの世にいけたのでしょうかね。こんな地の底からでも・・・あいつは・・・」

 

「ええ、きっと。また再び現世で会うためにも生き抜くためにはできることを致しましょう」

 

 死体の山から大柄の男が舞い降りる。

 

「だが、な。肝心の情報が持ち帰れなかったんだろう?こいつらも重要な事は何も知らなかった。第一階層への侵入は無理があったんじゃないのか。俺たちは・・・奴らを甘く見過ぎた」

 

「そんなことはありません。彼女は見事成し遂げてくれましたよ。情報はしっかりとここに」

 

 少し頬のこけた男がこめかみを指で叩く。体の損傷がひどく完全とはいかなかったが必要な情報はなんとか吸い上げた。無駄なことなど、どこにもない。させる筈がない。白磁の花飾りが誰よりも似合う彼女に感謝を捧げる。記憶を通し想いは受け継がれた。ようやく”統括室長”の顔を拝めたのだから。

 

「皆さん。ネロスピカの”この顔”をよく覚えていてください。この者こそ姿なきダンジョンの運営者、統括室長リフォルクルス・デミテリア。ここの運営は彼女の主導で行っています」

 

「この女が”祈り手”の管理者・・記憶の簒奪者か!」

 

「・・・お姉ちゃんの仇ッ」

 

 これまで明かされることの無かった管理者の正体にざわざわと沸き立つ怒りの発露。激しい憎悪が目に見える。当然の反応か。ここにいる者たち全てが一方的に奪われてきた被害者なのだ。

 

「・・・・」

 

 ここまで来るのに随分と時間をかけた。”先生”と呼ばれる男は先導者として才覚を存分に振るう。この機を逃せば二度と外を拝むことは無い。これから敵はこちらが反乱した前提で動くだろう。裏切りの有無は関係なく反乱とは関係のない祈り手まで殺すことだろう。もう後戻りはできない。立ち止まることは許されない。

 

 皆が皆、家に帰りたがっている。何処に帰ればいいのかもわからずに、郷心に心が焦がされゆく。年月を置き去りに姿の変わらぬ我々に待っている者がいるはずもないであろうに。

 私ですら出身地、家族の顔も何一つ思い出せない。ただ漠然とそういったものがいたという記憶があるだけ。記憶がバラバラ死体の様に散りばめられている。はっきりしているのはどこかの神官だったこと。教壇に立ち生徒に色々なことを教示していたのは覚えている。それでいて重要なことは一切思い出せない。記憶は穴だらけ。虫が今も這っている。

 

 ここにいる皆、言葉にはしないが不安なのだ。年長者である私が一番しっかりしないといけない。

 

「さあ皆さん、当初の計画通りまずは第二研究室で首輪を外しその後にメインシステムルームを制圧しに行きましょう」

 

「まさか俺たちに爆弾が仕掛けてあるとはな。何も知らずに登っていたら死んでたな」

 

 読み込んだ記憶の中の統括室長殿は勘違いをしていたがネロスピカの首輪に関しては正規の手順ではなく自身の異能で強引に突破している。彼女の異能があって初めて可能な芸当。本当に強力な異能だった。

 

 まあ、事前に爆弾の存在に知っていなければ彼女も餌食になっていただろう。

 

 少なくともここにいる間は端末による爆弾の起動はできない。原因不明の機械類の不具合が追い風となっている。猶予がある内に不安要素はさっさと取り除きたい。これもネロスピカが命懸けでもたらした情報のおかげだ。第一階層本部は未だに混乱中だ。

 

「他の黒殖白亜どもはどうするの?それにA種は・・・」

 

「この状況です。いくら管理者が裏切りに気づいても現場の人間に伝わりません。情報の伝達手段が物理的な手法となれば可能でしょうが、多少のラグがあります。通信不能を利用させていただきましょう。先ほどと同じ手順で味方のふりをし近づき寝首をかき可能な限り減らします。正面からの戦闘だけは避けますよ。それとA種は無視でいいでしょう。わざわざ戦う意味もありません・・・・とてもじゃありませんがあれとの戦闘行為は正気じゃありません。あれに不意打ちは無意味ですからね」

 

 とは言え不安要素はまだまだある。そもそもダンジョンで異変が起きている原因がわかっていない。統括室長の記憶では第三階層よりも遥か下で起きた空間異常が原因と突き止めているがどうも守護者側全体でその情報を把握はしていない。

 あるはずのない第四階層の存在に”ある人物”の捜索依頼。どうにもきな臭い。もしかすれば交渉で使える強力なカードになるやもしれないが第四階層への行き方が分からない以上現状放置するしかない。

 

 とにかく目の前の問題から片付けるしかない。

 

 まったくだめだな。ついつい統括室長の未知なる知識群に意識が引かれてしまう。実際凄まじい記憶の含蓄量である。だが同時にそれは彼女がそれだけ重要なポジションにいることに他ならない。老獪さにも納得がいくというものだ。そんな人物が必死に探す者とは・・この人物は何者だ?

 

 この話はまだ伏せておこう。交渉材料は多ければ多いほどいいが本筋から外れていいほどの優先度はない。

 

(もし見かけるようなことがあればこちらで確保致しましょう)

 

 その時まで余裕を保っていればの話だが。

 

 なんせ、これから”ホーム”の創設者たるゲームマスターを叩きに行くのだから。

 

 

 

 

「先生、”あいつら”はどうする?」

 

 あいつらとはこちらの考えに理解を示さなかった祈り手の事だ。記憶が戻らない者に協力を求めるのは難しい。恣意的に言えばまだダンジョン側の存在、敵とも言える。

 

「完全に記憶がない人たちの協力を得るのは難しいでしょう。私も協力をと考えましたが理解を得る為の説得時間もありません。彼らにとっての家はここなんですから」

 

 自分たちの正体を明かしたところで実感を共わなければ理解をしてくれないだろう。それどころか敵と見なされ戦闘に発展する可能性だってある。引き込めれば戦力としては申し分ないが、敵に回られたらそれはそれで面倒だ。表面上はまだ記憶の残っている見込みのある者にしかこの話はしていない。記憶の復活の兆しが無ければ言葉で説得するのは難しい。

 

 私に協力してくれている者もその多くが記憶に違和感を持つ者ばかり。それを自身の異能によりなんとか紐解いたからこそ理解を得て仲間と成り得たのだ。だからこそ、違和感と言う取っ掛かりすらない者にはどんなに正論を叩きつけても自身を疑わない。

 

「戦いたくないな・・・私も記憶が戻るまで仲良くしていた子もいるから。フラメンツは今頃どうしているかな」

 

 フラメンツか・・・・

 

 あの小さな年長者の姿を思い浮かべる。我々の中でも一番古い祈り手。強くてみんなの頼りにされる憧れの存在。A種の処理を延々とこなし続けたダンジョン内屈指の実力者。なまじまじめで勇敢故に早死にしそうな印象を抱くがなんだかんだ最年長だ。何より奴は・・・特別だ。

 

 きっと大丈夫。いったいどこで何をしていることか・・・

 

 



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第17話 財宝

 

 時間は少し戻る。

 

「なるほどなるほど。流石は聖騎士だ。魔術が使えて羨ましい限りだなあ」

 

 ここはダンジョン内のある一室。中には無機質な箱がたくさん積み上げられた暗室の一角。

 

 リズたちはやっとのことで敵や罠を避け辿り着いた休息地。どうやらここは備品の保管庫のようだ。今はニューリーダーのリズの指揮のもと手分けして道具を漁っているところ。机や椅子から休憩所も兼ねているようで食料の補給ができたのは幸いだった。もうずっと水しか口にしてなかったのだ。緊張がゆるんだ所で腹の音が自己主張を行い始める。

 

 やたらとうまいブロック状の干し肉を口の中で噛み砕きながら各々がリズの話に耳を傾ける。定位置となったグレイズの隣にいるアリスは眠そうに肩に身を寄せる。甘い香りが妙に鼻につく。

 

「我々としてはすぐにも脱出したいところだが、それは・・・どうしてもやらねばならないことなのか?」

 

 マンディスの問いかけにリズは肩をすくめる。

 

「あんたら、せっかくこんな場所まで来たのに何も手に入れずに帰るつもりか?情報もそうだが遺失物の一つや二つ持って帰ればある程度は評価に繋がるだろうに」

 

「そうではあるが・・・欲をかきすぎて身を亡ぼすのは御免だ。勝算でもあるのか」

 

「俺も別にここを攻略しようなんて思っちゃいねーのよ。ただ何も得ずに帰る事だけは冒険者としては認められん。このまま逃げ戻ったところで没収された装備品が戻ってくるわけでもない。帰った後も見据えないとな。兎に角金がないとな」

 

「金か、どこも世知辛いな・・」

 

 帰った後、か。

 

 何気ない一言に皆のテンションがひどく下がる。行方不明となっているが外界での行方不明は実質死亡扱いである。雪のせいで捜索活動もされない。墓石に名を刻まれていてもおかしくはない。氷水騎士団は事実上の壊滅か。行方不明など騎士の最後としてとても不名誉なことだ。何も残せやしない。

 

「・・・確かに何かしらの、聖王国の利益に繋がる物さえ持ち帰る事が出来たら我々は一躍有名となり存在の有意義さを示せるだろう。団長も戦死した。帰還したところで解散は免れない。それを覆せるだけの物がここに眠っているって確信があるのだな」

 

 リズは自信満々にこくりと頷いた。かつてないほどに勘が囁いているのだ。自身が無意識に拾い上げた条理では測れぬ情報の集大成。その嗅覚は侮れない。

 

「アリスが持つ端末にしてもだがここは遺失技術の宝庫。過去に攻略してきたどのダンジョンよりも発展してる上に・・・かなり毛色が違う」

 

「それって守護者の装備品はどれをとっても遺失物と遜色ないってことですよね・・」

 

 実際に戦ったからわかる事だが獣人化したグレイズの爪がようやく通じる程の防御性能。刹那に何発も弾丸を発射する銃といい、間違いなく第三級遺失物の一種に数えてもいいだろう。

 

 

 ――――遺失物。

 

 ダンジョン内で入手できる卓越した技術の水位集積体。現代では完全なる再現は不可能とされる曰くの多い品々。第三級から第一級と希少度や有用性でランクが別れる。実際に目にすることが多いのは第三級遺失物だろう。第二級以上は唯一無二。第三級と違いこの世に二つとない一品。第一級ともくれば個人所有が絶対に許されない領域。理に反した力を保有する。

 

 謎も多く力を秘めた品々故に、人々はこれらを神々の忘れ物と呼ぶ。

 

 

 帝国の銃器も元をたどればダンジョン内で入手した銃を参考に生産された量産品。オリジナルに比べれば劣化もいいところだ。

 

 問題はその数であり規格の統一性だ。これだけの量の遺失物を自前で揃えられる技術と生産力を保有しているということに他ならない。遺失物がどこで作られるのか、その謎の答えがここにある。

 

「ああ第三級遺失物なのは間違いない。あの銃は帝国だととんでもない価値に化けるだろうな」

 

 帝国は独自の祝福から銃を主力武器としている。聖王国ですら脅威と見做すほどだ。

 

「・・・・第三級ではダメなんですか?」

 

「ダメとは言わないが物足りないな・・・それに俺は確信したよ。第三級にはやはり二種類あるってな」

 

 過去の経験からの導き出した答え。遺失物に触れ合う機会が多くなければ分からぬ観点。

 

「なんというか、ここの・・霊廟型ダンジョンの遺失物はユーモアさや底知れなさがないな」

 

 ユーモア?皆が首をかしげる。遺失物と余り縁がない者には理解の及ばない話か。

 

「遺失物のランク分けの基準は再現できそうか、そうでないかを基本としている。あいつらの装備品はどれも質は一級品と言えるがまだ常識の範囲内だ」

 

 霊廟型ダンジョンで入手できる遺失物はとにかく実用性が高く何に使えばいいのかわかりやすい。装飾品に武器等がまるで是非ともここを攻略してくださいと言わんばかりに宝箱などに入れて配置されている。

 まさに量産品だ。未知の技術で作られてはいるものの底知れなさやロマンがまるで感じられない。付与された特殊効果も使い勝手が良すぎる。

 

 そして世に出回るそんな量産品に紛れ時折、意味不明な品が混じる。第三級にも存在するが第二級以上は絶対にその類しか存在しない。理外の奇品。

 

 例えば、絶対に折れることの無い刃引きされた青銅の剣。細身の刀身でありながらどれだけ力を加えても叩きつけても変形しない靭性に、水につけても錆ず高熱でも溶けない絶対性。こんなもの誰に再現できるのか。それでいて軽すぎて剣としては非常に使いずらいときた。用途不明な不合理さ。第三級にはこんな品も分類される。

 

 こういった品はああだこうだと用途を考えるだけで楽しいものだ。

 

 リズ個人の意見だが遺失物はもっと意味不明であるべきなんだ。ここの遺失物ではわくわくを感じえない。未知とは程遠い。

 

 合理性を追求し実用性しかない品と、不合理で使い道が見いだせない特異の品。後者こそ神由来の品として相応しい。だってそうだろ?人間に神の考えが図れるはずがないからだ。

 

 これらの奇品はどこからもたらされたのやら。

 

 

「それでは何を狙う?火石の原石でも探すのか」

 

 火石はダンジョンでよく手に入る需要の高い生活する上での必需品であり。それを媒体にすれば火属性以外でも火をおこすことができる種火。生活の必需品だ。

 国でも火継守によって生産可能だがダンジョンで手に入る火石は純度が違い効果も桁違い。純度が高い程宝石のような煌びやかな輝きを放つ為、上流階級では宝飾品として流通されている。特にごく稀に発見される原石レベルであれば一生遊んで暮らせるほどの金になる。何かと宗教関連とも結びつきが強く祭事でも原石そのものが祭り上げられるなど需要に事欠かない。

 

 確かに原石でも見つかれば大手を振って凱旋可能だろう。王族の王冠には原石を原料として使用されているとも聞く。

 

 それよりもだ。もっと聖王国という魔法国家には相応しい物があるじゃないか。

 

「――――失伝せし始原魔術(プライマギア)

 

「ッ・・・・ダンジョンの古さ的にありえるの、か」

 

 リズは不敵に笑う。やはり彼らは気が付いていなかった。あんな状況では”あれ”が何かと疑念を抱く余裕も無かったのだろう。

 

 古い、とても古い魔術文明黎明期に生み出された基礎とも言える魔術。終末大戦時に失われたとされる魔術派生群の起点的魔術。一流の魔術師のみ観測可能な”暗き穴”の向こう側に存在する樹界目録(テーブルレコード)から存在は判明しているがその詳細は一切不明。わかるのはその魔術の制作者と魔術名のみ。

 

 そして新規魔術開発を大きく阻害するガンのような存在でもある。

 

 新たな魔術が生み出されれば一流の魔術師曰く誰もが持つ暗き穴の奥にあるとされる樹界目録(テーブルレコード)へと刻み込まれるとされている。そこにアクセス可能な者は限られるがリアルタイムで情報を閲覧できる。

 

 魔術は効果の重複は許されず類似魔術は決して作成できないルールがある。魔術の習得には熟練の習得者による教導か正しき記述が刻まれた力ある魔導書が必須。

 見よう見まね、伝聞だけでは再現は不可能。習得過程は儀式であり正しく段階を踏まねば己が魔術容量に魔術基盤が形成されない。

 

 そういう特性上、一度その魔術が失伝すればその時点で二度と復刻は不可能となる。詳細が分からねばどこがどう類似するのかもわからない。試行錯誤し想定から外れた代用魔術を作成し結果として劣化した魔術が産まれ粗製乱造の悪循環が始まり魔術の新規開拓の道が閉ざされていく。終末戦争で多くの者が死に失伝してしまった。戦後はまさに魔術界の暗黒期。

 

「俺が睨んだ通りならあれは【蔵書】の魔術だ。名前だけなら知っているんじゃないのか?空間干渉型の始原魔術(プライマギア)。なんでも、物品を亜空間にしまうとかって聞いてたがアタリだな」

 

 【蔵書】の魔術の効力は記述で後世に伝わっているからまだマシだ。

 

 初期に作られた魔術はどれも単純だが効力は強力であり優秀故に魔術の派生の起点として扱われる。

 

 【発火】や【氷結】もそれに含まれる。魔術とは基本的に既存の魔術からさらに派生して作られ枝分かれしていき、さらにそこから分岐していく。それを派生魔術という。

 

 【発火】から【火球】が産まれ【火球】から【嚇炎】といった具合に派生前の術式や理論が込められている。先人が作り上げた始原魔術(プライマギア)の失伝とはつまり、そこから分岐し洗練された派生魔術も連動して使用不可となる。基礎となる【発火】の理論がなければ意味がない。

 

 こういう事情から魔術知識は昔よりも価値が飛躍的に上がった。故に魔術知識は貴族などの一部の者に独占されている。優位性の確保もあるのだろうが不用意な乱造を防ぐ意味合いが大きい。

 

 現代の魔術は火属性以外は碌に伝わっておらず壊滅状態であり、魔術習得の際の必要容量や消費量が無駄の多い助長的な魔術が正規採用されている状態なのである。

 人が一生に覚える事が出来る魔術の数は個人差があるが上限が決められている。魔術一つ一つに容量が存在し個人のメモリーを超える量の魔術を覚えることはできない。派生魔術のいいところは同じ理論を使う魔術の為、容量がかなり軽減される所だ。

 

 もし、始原魔術(プライマギア)の記述の一部でも見つかれば、下手すれば世界が変わる。

 

 

「・・確かに奴らどこからともなく自前の獲物を取り出していたが、あれがそうなのか。なるほどまんま名前の通りだ」

 

 騎士たちも遅れて納得に実感が籠ったのか気力が漲ってきたようだ。魔術の重要性を一番知っているのは聖王国だ。価値は他国とは比べようもない。

 

 初期の魔術は今とは違い魔術の名前には無駄の無いわかりやすさが求められている。中には自分の名前を付けちゃう痛々しいものも存在するらしい。

 

 【蔵書】は現代で生まれてたら【黒い匣】(ブラックボクス)とかこじゃれた名前を付けられてそうだな。

 

「ここはなんせ古戦場跡。900年以上も昔から存在する恒常の地。まだまだ他にも期待できそうじゃないッ?ええッそうだろ?」

 

「「「うおおおおおおおおおおおお」」」

 

 思わずグレイズも叫んでしまう。なんせ世界を変えるほどの魔術がここに眠っていると考えただけで心の奥底が熱くなる。今なら少しだけ冒険者の気持ちが分かる。第三級遺失物にも【万能袋】という物が存在する。似た効果を持ち小さな袋に大量の物を詰め込めるため有用性が高く、相当な価値で取引される。【蔵書】の魔術が考え通りであれば、荷物の概念が消える。それがどれ程素晴らしい事か。

 

「与えられた依頼をこなして見返りをあの女に請求する。少なくとも目的の人物がこちらで確保できれば交渉可能だろ?それぐらい欲をかいても罰は当たらんさ」

 

 さて、と。腰を上げ体を伸ばし解す。そろそろ出発かと準備の終えた者は追随し腰を上げていく。

 

 グレイズもアリスの手を引き立ち上がる。

 

「さてここからは本格的に楽しい探索の始まりだ。忘れ物はないか?――――なら」

 

 こちらに向ける視線の意図を察しアリスにお願いする。

 

「アリス、地図を出してくれないか?」

 

「・・・・・(コクリ)」

 

 あ、口元が笑った。少しずつだがアリスは人間らしい反応を見せるようになってきた。最初の人形のような印象は大分払拭されてきたと思う。少しばかりドキリと心臓が跳ねる。その顔でその笑みは反則だと思う。

 

 端末から地図が飛び出し投影される。外に出てばったりなんて御免だ。そのための索敵なのだろう。確認した限りシンボルマークは周囲にない。まさしく絶好のタイミングだ。

 

「よし、これから速やかに次の予定ポイントまで移動する!そこで―――」

 

 リズの手がドアノブに掛かりそのまま――――

 

「――――ッッツ!?う”」

 

 過剰なまでに勢いよく腕を跳ね上げ手を放す。突然の行為になんだなんだと注目が集まる。金属製の分厚いドアが異様にまで赤くなっていく。異常に気が付き皆下がる。

 

「おい、なんだこれ!」

 

 さらに後方から困惑気味な声が上がる。視線は中空。地図にも異変が起きていた。我々がいる現在地よりやや南。そこを中心に付近にあったシンボルマークが放射状に次々と消えていく。

 外では何が起きているのか。徐々に温まっていく室温。流れる汗はどうしてこうも冷たいのか。

 



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第18話 不死者

 

「・・・・?」

 

 ふと足を止め来た道を振り返る。どうやら遠方で何かが起きた。一応の構えを取るも目まぐるしく輝く点灯がグルグルと光の軌跡を振り回すだけで特に変化はない。強いて言うならば空気が温かくなった気がする。ここは地中深きに在する第三階層。地熱で寒さとは無縁の万里。A種の気配も遠く特に気にすべきことではないと”彼女”は判断する。

 

 ピチャピチャと足元で音が立つ。ぐちゃぐちゃとした赤とピンクで舗装された道に足を取られないように気を張らし踏み抜いていく。薄暗さが絶妙に音の正体を曖昧にしてくれるが死体はもうとうの昔に見飽きた。

 寧ろ懐かしさを感じさせる。あれほど恐れた闇が今は心地よい。もう後戻りが出来ぬ証明でもあった。

 

 端末は依然沈黙を保ち、頼りになるのは記憶のみ。あっているかも分からないあやふやな帰り道を邁進していく。帰路は未だ遠くどこにあるかもわからない。

 

 今は肩に担ぎ上げた”この者”だけが唯一の行動の指針であった。ここでは珍しい男の人。名前も知らないというのにどうしてこうも気になるのか。

 

 あの獣人?と戦ったあと気絶したこの男をこうして律儀に運ぶ理由。助けられたからか・・・?

 

「・・・・・」

 

 ・・・・・いろいろと記憶がはっきりしてきた。ぼやけた脳みそが活力を取り戻し冴え渡る。以前の”私”がまるで他人事のように感じるのは記憶の無い期間の方が長かったからだろうか。記憶の中のある強い思いが”我”に劇的な変化を与えたのは間違いない。これまでの人生で何か大事なものが欠けているという自覚はあった。心の空白。それが何なのかわからず不安で不安で仕方ない。他人には打ち明けることのできない心の弱さ。それが無くなった”我”はもはや別人なのやもしれない。

 

 ―――不死者―――

 

 その存在が空っぽな我を強い使命感で埋めていく。永き旅にまだ終わりは迎えない。

 

「・・・・ここは」

 

「む、起きたか。体は大丈夫か?」

 

 まずはお互いの事を知ることから始めよう。同郷の人間同士でも礼節は非常に大事。それがリムルベルタ王国の習わしなのじゃから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――というわけで我は原因の調査の為に裏で蠢く恐るべき存在の尻尾を掴むためにこの地に仲間と赴いたのじゃ。調査の結果、まさか戦場の地下を根城にしているとは思わなかったがの。怪しげな建造物を見つけたまではいいが敵が余りに強すぎて我が調査隊をまるで赤子の手をひねるかの如く容易に滅ぼされてしもうたわ。我は無様にも・・・一人生き残ってしまった。その後色々と体をいじられ運が良いのか悪いのか今日まで生きながらえたが、なっははははは。まさかこの地で同胞と巡り合えるとは驚きじゃのー!まさしく奇運!生き恥を晒した意味はあったのだな。あ、これでも最年少高位魔術師であるからしておもむろに頼りにするがよいぞ!よいな?」

 

 恋都は今、物凄く困惑していた。

 

 ブンブンと手を握り振り回すこの女、名はフラメンツ、じゃなくて本当の名前はヨルムング・サナトリアージというらしい。

 

 態度の豹変、もたらされた情報過多っぷりに混乱してくる。

 

 なんでも彼女は終末戦争時の不死者であり不滅の戦士らしい。ようは伝説に出てくる例の不死者ご本人である。

 

 どういうことだよ・・・本当にいるとか聞いていないのだが?

 

 ・・・・・迷信じゃないのかよ。

 

 戦時中、戦争発端の事件を調査の為、敵の本拠地を強襲。だがたった一人に逆に壊滅させられ捕らえられたとのこと。

 他にもいろいろな話を勝手に話すがこの世界の根本的な基礎知識に乏しい俺に全てを理解できるはずもなく、情報を噛み砕くうちに次の情報が追加されパンク状態を引き起こしていた。

 

 終末戦争時の当事者?不死者の王国リムルベルタ?ちょっと待ってくれ。じゃあ不死者関連の伝承って全部本当だってことになる。生き証人だと?これで900歳以上って嘘だろ・・・

 

 思わず頭を抱えたくなる。こちらも聞きたい事は山ほどある。だがそれができずにもいる理由もある。

 

 この女がここまで一方的に喋り倒す理由。俺の事をその当時から生きている不死者、同胞だと思っているからに尽きる。そう思える材料をどこで判断したかが俺にはわからない。

 

 戦いの際の傷が回復したところをがっつり目撃されたからだろう。頭から部品を取り除いた結果記憶が復刻。不死者への同胞意識も復活しそれで俺をあの時助けてくれたということだろうか。

 

 このテンションの高さは嬉しさと興奮から来るもの。こちらからすれば都合がいいとも言える。

 

 イグナイツがいなくなった以上この少女の手を借りるしか道はない。下手に質問を行いぼろが出るような真似だけは回避しなければいけない。

 

 ってこれイグナイツの時と一緒じゃないか・・・女に手を引かれてばかりだな。

 

(にしてもこの性格の変わりよう。頭から取り出したあれが絶対に関わっているよな・・)

 

 ああ知りたい。根本的な疑問。死なない不死者が現代にいない理由。きっとそれは彼女にとって知っていて当然の常識。900年前に何かがあった筈。当時を知る不死者が目の前にいるのに知ることができないジレンマ。俺も不死者としてこの世界の不死者の生態は興味津々だ。

 

 喉までこみ上げた疑問で胸でつっかえそうになる。

 

「ところで」

 

 落ち着きを取り戻したヨルムングが声をかける。

 

 さて、ここから俺も慎重に言葉を選ばねばならない。あらかた喋りテンションがいったん落ち着けば彼女も色々と視野が広くなり俺に対する疑念が湧き上がる。来るであろう質問に耐えねばならない。

 

「おぬし、いつからここに捕まっておったんじゃ?その様子じゃと実験を受けた様子も見えぬし、そもそもなぜ第三階層におったんじゃ。聞かせてくれ」

 

 大丈夫、これなら予測の範囲内だ。あらかじめ用意しておいた答えをもってお返しするのだ。

 

「ああ、実は―――」

 

 

 

 

 

 

「く、はははははははっっ!なんとそれは愉快な話じゃな!この異常現象はおぬしが引き起こしたとは、なかなか見所があるのう!うひひひ」

 

 余りにも痛快でヨルムングは笑い床を転げる。まさに因果応報。我らが神も粋な事をしてくれる。

 

「列強の勇者どもとの戦い、その異能でここに飛ばされてくるとは・・・それも900年以上もの未来へようこそか。なんとも運命を感じるのう!?その傷はやはり勇者から受けたものか」

 

「ああ・・勇者には手を焼かされたよ。滅茶苦茶強くて、なんかもうすごかった・・・・すごい!」

 

「うむうむ、今思い起こしても腹立たしい。奴らの理不尽さときたら天下一品じゃ。もし目の前にいたら縊り殺すところじゃ」

 

 すごいすごいと要領得ない言葉を連発するコイトと名乗る我が同胞。名前の響きからして東部前線辺境の出身か。思い返してみても確かに勇者のヤバさは単純明快にすごいと表すほかないだろう。実際すごい。

 

「その体、実に痛ましい。不死者と言えども不死性には個人差はあるのじゃから無理はいかんぞ」

 

「え・・あ、ああそうだな(個人差?人によっては再生力が違うのか?)」

 

 コイトの体に刻まれた傷。そこからどれほどの激しい戦いだったかが窺える。再生力は低いが生命力は高い、あまり見ないタイプの不死者のようだ。傷の直りは遅く苦痛が続くはずだが平然としている。泣き言一つ吐かぬか・・・不死性が低いというのになかなか無茶をする。

 

 それでこそリムルベルタの男児の生き様よ。懐かしいものを見てどこか寂しげな気持ちに浸る。いつの間にか感傷に浸る歳になっていたのか。

 

「ところであの獣人の女、いったい何者じゃ?・・・おぬしとはどういった関係なのじゃ?」

 

「・・・彼女も何かしらの実験を受けた被害者らしくお互いに協力して脱出を図っていたのだが、そこで君と出会ったんだ」

 

「ううむ、奴も実験体とは・・・それはわかった。”リベンジマッチ”はやめておこう。じゃが様子がおかしかったがいったいなにがどうしたのけ」

 

「それは俺にもわからないよ。だが、あいつは存在するはずのない第四階層にいた」

 

「なんと・・第四階層とな。なんぞこの900年間聞いたことも無い話じゃの。重要な何かを握っていそうじゃな」

 

 まるで悪人のような面で不敵な笑みを浮かべるヨルムング。力が全身に張り、今までの鬱屈とした人生が嘘のように感じる。なんせ記憶が戻ったのだ。永い眠りから覚め欠けた歯車が揃い正常に動き出したのだ。記憶に閉ざされた魔術が復刻する。おまけに同胞も生きており、我は一人ではないと感じさせる。だからこそより一層死にたくないという思いが鮮明となる。我もコイトも不死性はそう高くないがここから脱出することは可能だろう・・・

 

 だが、それでいいのか?

 

 結局なにも真実を掴めないまま逃げた先に何がある?もはやリムルベルタ王国は存在しない。誰の記憶からも消え真実は闇に葬られたまま、我々の存在は都合のいいように伝聞されているじゃないか。

 

 勝利者特権だが納得ができない。残された者として果たすべき使命がある筈。誇り高き祖国が辱めを受けたままなど、とても許容できることではない。誇りを穢されたまま生きてくなど傷を背負い生き恥を晒すことと同義。借りは必ず返させていただく。

 

 沸々と決意が体を満たしていく。

 

 本当に・・・不器用だと自覚はある。この勇敢なる戦士と地上に逃げ、子をなし血を紡いでいく未来もあったであろうに・・子供の頃から戦争の中で生きてきた我にそのような選択肢はとれるはずも無し。

 

 ヨルムは戦うことでしか上手く自己表現できない。多大な勢力をどう効率的に敵を殺すかしか考えてこなかった。女の生き方はとうの昔に諦めている。憧れのような幻想にあきらめのような境地。それを上回る激しい憎悪の炎が燃え上がっている。

 

 ”奴”を燃やし尽くさねば我が先に怒りで灰塵と果てそうだ。生ある限り終末戦争に終わりはない。一億玉砕こそ本懐。最後の一兵までその身を戦乱の劫火で燃やしくべる。列強国に連なる者どもはどいつもこいつも皆殺しにしてやる。記憶に新しく刻み込んでやるのだ我々がいることを。それこそが存在証明だ。

 

 それに――――コイトが我を見ている。

 

 時空間を操る勇者の話から戦争初期に先陣を切った青年勇士たちの生き残り。勇者との最初の邂逅を果たし情報を持ち帰った偉大なる先輩方。今でも街中を凱旋する彼らの戦列は覚えている。そんな彼の前で恥ずかしいマネはできない。

 

 彼はリムルベルタが敗北したことを知っても我に対し何も言ってこなかった。

 

 そ、そうか、がんばったんだな。など気遣う有様だ。それがひどく我を苦しめる。責められた方がまだマシだった。

 

 それでもコイトは言葉にせずともなにかを期待するような視線を我に送る。

 

 きっと・・・コイトも我と同じで諦められないのだ。

 

「ええと・・・・」

 

「ヨルムングじゃ、気安くヨルムちゃんとでも呼んでくれぬかコイトよ?・・・・・・・頼む」

 

「・・・・じゃあヨルムちゃん、今後の方針なんだが―――」

 

 久々に誰かに名前を呼ばれた。たったこんなことで嬉しくなってしまう。この温かさこそ我が守りたかったもの。流石火継守なだけあり素敵だなと思ったが・・いや関係ないか。

 

 栄光と繁栄の象徴である火継守がいることがなんと頼もしい事か。900年もの間祈りの一つも捧げなかった我を神はまだ見捨てていなかったんだ。

 

 必ず、殺してやるぞ。黒幕気取りのゲームマスターが。

 

 それまでこの火は絶対に絶やすことはないとここに誓うのであった。

 

 ああ、新たなる戦火が待ち遠しい。

 



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第19話 緊迫

 

 真っ黒に熱を帯びた通路。所々が変形している。時間が経ったというのに未だに咽かえるような熱気を想起させる。

 これほどの熱量とは縁のない雪の世界の住人にはとても幻想的なものに見えてしまうのは仕方がないことである。

 

『驚いた・・お前たち生きていたのか』

 

「どうなってんだ!あんた何か知ってんのかよッ!?今のはなんだ!?」

 

 リズの問いかけは至極当然の疑問だ。端末から浮かび上がる包帯を纏うダンジョンマスターの姿。流石に無関係とは思えない。前に比べ少々疲れている印象を抱く。それは誰の目から見ても明らかであった。

 

『現状はわかったが貴様らが気にすることではない。それよりも早く目的を達成したらどうだ?ノロマは嫌いだ・・・・・・まあ、下手人は始末したとだけ教えておいてやる。それでは健闘を祈る』

 

「ん!おいっおいッ!クソ、切りやがった。目標が死んでたらどうすんだよ―――――ッ」

 

 ブチリ、と一方的に切られる通信に怒りを感じるリズ。目標は二つ。そのどちらも達成しなければ意味はない。この惨状から推察するにダンジョンマスターにとっても想定外のことが起きたのだろう。少しは協力する素振りぐらい見せてもいいだろうに、この塩対応だ。

 

 どれだけぞんざいに扱われているのかよく思い知った。奴にとって我々は数ある方策の一つにすぎないのだ。

 

「どうする?幸い何かが起こったであろう場所と目的地は離れているから無事だとは思いたいが」

 

「・・・出鼻を挫かれてしまったが予定通りに行く。全員変形した足元に気を付けろよ」

 

 リズが先頭に立ち、その次に僕とアリス。そして騎士たちといった隊列で周囲を警戒しつつ通路を進む。熱でやられたせいで設置された点灯が消え道が闇に飲まれている。闇をかき消す光の魔術を使える者は先の戦闘で死んでしまった。

 

 【夜光】という魔術なのだが、光属性の者が習得する分には問題ないのだがそれ以外の者が習得する場合これが存外に容量と魔力を喰う。魔術は基本的に自己の属性にあった魔術を習得するのが普通なのである。そもそも【夜光】は本来あるはずの【光玉】の代用として作り出された魔術。これもまた例の如く劣化した代用魔術。【光玉】もまた失伝せし始原魔術(プライマギア)の一つ。

 

 珍しく【光玉】の魔術効果は文献により伝わっており光の玉を周囲に浮かせ光源を確保しつつ、それをぶつけ攻撃することができる魔術だったらしい。そして残された断片的な情報から性能や効力が被らないように調整され出来上がったのが【夜光】である。一時的に闇を薄らげ白けさせるという魔術も中々使いやすいと好評だが応用性がないことが明確な差となってしまっている。一つの魔術で複数の事が出来るのは魔術容量節約にも繋がる。

 

 【夜光】はなにぶん闇全体に作用するため魔力消費も大きい。こういった代用魔術は完全な下位互換という訳ではないのだが使い勝手が悪く応用しずらいのでどうしても見劣りしてしまう。

 

 歴史上、魔術学会では失伝後の魔術の制作関連で数々の問題を起こしている。魔術は樹界目録(テーブルレコード)に登録されると基本的に取り消しも改変もできない。改変に関しては魔術の製作者のみ可能だがそれはそれで多大な代償が伴う。後からもっと洗練された魔術理論が見直されるのはよくある光景であるため現代では魔術の制作は一部の者でしか行えない認可制である。魔術理論を詰め直し無駄を省き魔力消費を極限まで抑える。それを何度も繰り返し学会の承認が降りてようやく登録されるのだ。一部の者が魔術知識を独占するのは粗製乱造を防ぐための措置でもあり当然の措置である。

 

 だから承認も得ずに登録をすれば製作者の真名も樹界目録(テーブルレコード)に登録されるため異端魔術撲滅委員会から執行者が差し向けられる。制作者が樹界目録(テーブルレコード)に干渉できる者に殺されれば登録された魔術も消える。そのため死ぬまで逃亡生活を余儀なくされてしまう。

 

(特に何も感じないが・・・ここまで違うのか)

 

 グレイズは前と違い異様に鋭くなった五感を張り巡らせる。特に嗅覚がおかしなことになっている。目をつぶっていても匂いが精密に認識しているのだ。困惑しているのに体はきっちりとその変化を甘受している。これが実験の影響なのは間違いない。以前は感じることができなかった気配も手に取るようにわかる。気配を読むとはこういうことだったのかと理解する。

 

 世界が――――広く感じた。

 

(だからこそ、彼の底知れなさがわかる)

 

 索敵が得意ということで迷いのない足取りで自ら先導を行うリズさん。一番リスクの高い先頭に立つこの男の背中が大きく見えてしまうのは別に錯覚ではなかったのだ。

 足運びや体幹の安定具合だけで歴然の差があった。Bランカーは化け物ぞろいというのは本当のようでマンディス副団長はそれに気が付いたからこそ戦闘を避けたのだ。この中で突出した強さの領域にいるのは確かなのだろう。普段の緊張感の無さが逆に余裕に感じ追随する者たちの不安を払拭する。

 

 とても頼もしい冒険者である。これまで冒険者なぞチンピラ・クズどもの巣窟だとばかり思っていたが考えを改めるとしよう。

 

 ふと、僕に腕を絡め横でぴったりとくっつき歩くアリスを見やる。片手に握った端末から地図が伸び中空に投影されている。そこから発生する光量で明るさを確保していた。

 時折フードを被った美麗な顔が僕を見つめる。その度にドキリと心臓が跳ねるも得体の知れなさにずっと警戒心を抱いてもいた。

 この少女もまた計り知れない。リズさんとは別の意味で心強いが気配をまったく感じ取れないのはどういうことか。

 

 存在感が薄い・・・いや寧ろ浮いている?

 

 半ば世話を焼いていたことからみんなに自然とアリスを押し付けられてしまったが・・・やはり新人はどこでもこき使われるのが世の常か。

 

「あ、そこ右です。その次にまた右に曲がってそのまましばらくは直進です」

 

 喋らないアリスの代わりにグレイズが声を発しナビゲートする。厄介そうなシンボルを避けつつ前に進む。とにかくこの闇の中から抜け出したかった。

 

 

 

 

「・・・・あの」

 

「どうかしたか?」

 

「さっきの話を聞きたいですが、その、ユーモアが無い云々について」

 

 グレイズは気を紛らわせるかのようにリズに話しかける。リズは後ろにいる僕の顔を一瞥する。

 

「ダンジョンに殺意があるのは当然のことではないのですか?相手側からしたら冒険者は侵入者でしかないのですから」

 

 当然の疑問を投げかける。ユーモア云々は所詮は高位冒険者の余裕からくるものではないのではと訝しむ。

 

「まあ普通はそう思うよな、普通は・・・・なあ、そもそもダンジョンってなんだと思う?」

 

「え、ダンジョン・・・ですか?」

 

 グレイズは逆に質問を返され困惑する。そういえば考えた事も無かった。ダンジョンがただ漠然と存在すると知っているだけで行ったこともなく、耳に聞こえる程度の縁のない存在でしかなかった。その話を聞いていた後ろの先輩騎士たちがあーだこーだと話し合う。

 

「ダンジョンはダンジョンだろ。それが何だって言うんだ?」

 

「待てニューリーダーはそういうことを言いたいんじゃないと思うぞ。ダンジョン、つまり・・・・なんだ?」

 

「わ”か”ら”ん”!!」

 

「それよりもダンジョンで催したらどうするのか、気になる。というかどうすればいいと思う?」

 

「あ、この先にトイレあるみたいですよ」

 

「まじかよ。超助かる」

 

「・・・・・えぇ、やっぱおかしいなここ」

 

 リズは仕切り直すように咳払いする。

 

「何を言いたかったかというとダンジョンは余りにも俺たち人間にとって都合が良すぎるってことだな・・・流石にトイレ完備は初めてだが」

 

「おいおい、毎年の冒険者のダンジョンでの死亡率は相当なもんだと聞き及んでいるぞ」

 

「それはこちら側の視点だろ?まあ帝国にとっては寧ろ都合がいいみたいだけどな。ただでさえ人口過密国家なもんで死亡率が高くないと困るのさ」

 

 殆どの冒険者が知らない帝国内の冒険者ギルドの真意。

 

 帝国が積極的に推し進めている人口調整計画。口減らしの切っ掛け作りのために冒険者を推しているのだ。他国と違い冒険者の地位が非常に高く夢があるのはその謳い文句につられる無知なる者を地獄に引きずり込むための方便。冒険者の道に入ったが最後抜け出すことはできない。冒険者に憧れる者は一応にまだ見ぬ秘められた才覚に希望を抱き門戸を叩く。こんな所で燻ってはいられないと恩恵を受けさえすればと信じて疑わない。

 

 そして誰もが現実を知る。

 

 冒険者になる際の二重契約で利用が解放される”職業(ジョブ)システム”。自身の才覚はステータスとして表示され初めて己を知る。この時点で決して安くない費用を支払っているため後戻りも安易に出来ない。冒険者は基本食い詰め者の集い。ランカーを目指すもその壁の高さに皆が挫折し、冒険者の独自の社会に心をすり減らす。確実に冒険者同士の足の引っ張り合いで地獄を見る。新人である程食い物にされる。

 どの世界も弱肉強食。適応しようにも芽が出るのを待つことなく無く潰される。職業(ジョブ)システムは良くも悪くも便利な機能であるが皆平等に恩恵を受けることを忘れてはいけない。

 

 ちなみにリズは通常の契約しかしていない。故に公開されるステータスもない。それでも職業(ジョブ)システムにより解放されるスキルもステータス底上げもなくBランカーに上り詰めた。

 

 ・・・なぜならば、デメリット部分である他者からのステータス公開・開示だけは絶対に避けねばならなかったからだ。これは冒険者として上に行くほど足を引っ張る。特にリズのような特異な”技”を持つ者にとって足枷でしかない。手の内を晒すことは命の危険と同義。

 

 

「話を戻すがダンジョン、それも霊廟型のほとんどには必ずと言っていいほどに遺失物が綺麗な状態で置いてある。それもご丁寧に宝箱なんかでラッピングされて、だ。意味が分からな過ぎてワクワクするだろ?ダンジョンを守る守護者といい罠といいまるで誰かに攻略されるのを前提に作られているようじゃないか。攻略する楽しさ、驚き、ワクワク感に達成感・・・それらを覚えさせるようなカタルシスに満ちたデザインや工夫が俺ぐらいになると見えてくるのさ」

 

 ダンジョンは災厄と祝福を与える神からの試練というのがどの国でも一般的な認識であるが結局のところその真意は未だにわかっていない。閉ざされた雪と死の世界に点在するダンジョンがいつから発生するかなど誰にも分かるはずもない。いつの間にかそこにできているのだから。

 

「だがここはどうだ、というかなんだ?最初に突入した時の殺意まみれの罠はどこにいった。古臭さとは一転したこの垢ぬけた様式。ここは本当に・・・同じダンジョンなのか?」

 

「つまり・・最初のダンジョンはただの罠ってことか?」

 

「そうだ。恐らくここが本質。遺跡の地下ダンジョンはあくまで罠。さらに下に位置するここは明らかにそれ以外の目的のために存在する。そもそもここに俺たちがいること自体想定外だろなぁ、うへへ」

 

 そもそもダンジョンではないのかもしれない。大きな実験施設と捉えるべきなんだ。地図から見てこれほどの規模のダンジョンは聞いた事も無い。ここには今だ人類が知り得ない何かがあるとリズは確信している。

 

 彼らには悪いが帰る気がまるでしない。悪い癖だ。

 

 ”また”連れ合いを殺そうとしている。

 

「流石に・・考え過ぎじゃあ」

 

「・・・まあ今は忘れてくれ。とにかくだ。世界的な大発見が眠っていると俺は期待してるのさ」

 

 リズは後方で飛び交う意見を耳にしながら歩みを速めていく。内に秘めた期待が体を突き動かす。

 

 もしかすればの話。ここには師匠が言う”ゲームマスター”がいる可能性が高い。そう夢想すると胸の高まりが止まらないのだ。正体不明の存在、一握りの冒険者だけが存在を垣間見たダンジョンの黒幕的存在。ダンジョンマスターはあくまでもエリアボスでしかないというのが上位冒険者の見解だ。碌な情報がない知的生命体だが存在を証明できればある仮説を立証できる。世間では一緒くたにされるがそもそもダンジョンの種類が二つのパターンがあることがおかしいのだ。恐らくは奈落型が真のダンジョンであり霊廟型はその模倣にすぎない。アイテムの配布と言い何が狙いなのか想像にも及ばない。

 

 だからこそロマンを感じるのだ。意図があるなら知りたいと思ってしまう。俺は好奇心のままに冒険者を振る舞う。

 

 ―――ゲームマスター

 

 高い知性を有するとされ、直接的な戦闘記録が見当たらず強いのか弱いのかもわかっていないのに一度その姿を目にした者はこぞって同じ意見にたどり着く。あれは戦っていい存在では無いと本能的にそう悟ってしまうらしい。

 

 そうなるとあの例の尊大な女がゲームマスターなのかと考えるがどうにもしっくりこない。直接会えば印象も違ってくるかもしれないが勘が違うと囁く。

 

 俺はどうしても知りたいのだ。奴らがいったいどこから来てどこに行こうとしているのかその目的を。絶え間なく各地での移動を繰り返しダンジョンを設置していくゲームマスターと会いまみえるチャンスはこれっきりかもしれない。

 リズには勝算があった。勝ち目がなければ勝ち目を作ればいいだけの事。俺の”技”であれば可能だ。ならばそれに賭けようじゃないか。博打は嫌いじゃない。冒険者として未知なるものに挑み続けたい。わからぬからこそ心が惹かれるのだ。地雷は積極的に踏み抜くのが俺の流儀だ。

 

 俺はそういう生き方しか知らないのだから。一度止まればそこでダメになってしまう。生き方には流れがある。一度でも外れれば修正は不可能だ。自分に嘘はつけないもの。

 

 それでこそ冒険者だろうと胸を張り謳い続けたい。

 

 

 

「――――止まれ」

 

 

 

 木霊する声。その声はとても冷たく硬く圧し掛かる。突然の出来事に思わずリズは足を止め後続の騎士たちもなんだなんだと様子を窺う。動揺が表情に出なかったのは長年の経験からくるものか。

 

 赤いレーザーポインターが先頭に立つリズの体を照り揺らす。リズにはこれが何を意味するのかわからなかったが自身が狙われていることは理解した。

 

(先手を取られた・・・っ)

 

 別にお喋りに夢中になり警戒がおざなりになったのではない。純粋に隠形で探知を上回られただけのこと。まあ、偶にある。

 

 こういった遭遇戦において先手を取られることは死に直結する。その分野においてかなりの自信があったリズは相手の潜伏能力の高さに舌を巻く。ダンジョンにおいて敵の察知を行う斥候役は必要不可欠。なぜなら待ち伏せを受ければ死ぬ。バックアタックを食らえばやっぱり死ぬ。後手に回るのは一手遅れるということではない。襲撃の段階で相手は何手も積み上げているということであり既に周回遅れである。

 

 驚くべきはこの距離からでも一切の気配を感じさせない隠形の精度。地図を頼り敵シンボルを回避してきたつもりだったがどうやらそれが仇になってしまった。便利さに慣れると足元が疎かになるものだ。

 なぜ敵のシンボルマークが地図上に表示されないかなど今はどうでもいい。目を凝らしレーザーポインターの軌跡を辿り薄暗さの通路を見通し敵の姿を探り当てる。

 

 壁際の支柱の影から半身を覗かせ、膝をつき中腰のまま銃らしきものを構える何者かがそこにいた。

 黒い衣服が迷彩となり闇と同化している。大分意匠が違うが先の守護者の部隊の同類か。数は一人、距離にして約24メートルと冷静に分析していく。

 

 リズの見立てでは伏兵はいない。不意打ちも仕掛けず先に声を掛けてきたのは何かしらの意図があると思われる。不意打ち時に声を出す馬鹿がどこにいる。それとも一人でどうにかできると高をくくっているのか?

 

 ・・・・・これ以上の情報は会話をもってでしか得られそうにないな。

 

 とにかく会話が先決か。歩み寄る精神こそ最善の一手。それにさきほどから起きている異常事態が想定外の産物なのは例の女の様子から把握済み。敵の見た目は多少違うが外観のディティールから先ほどの部隊と同種の人員前提で行動するとしよう。

 

 偶に力無く転がる黒服どもの死体を見る度に不穏な気配を感じていた。あれほど強かった守護者が無残な姿で死んでいる事実に自身らの矮小さを思い知らせそれを可能とする何者かが徘徊している事実に恐怖を感じさせられる。部隊行動もせず単身となるときこの襲撃者はその生き残りなのか。

 

 精神を集中する。僅かない息遣いから相手が傷を負っているのを看破する。敵は一人だ。いくら強かろうと俺や獣人擬きに変身できるグレイズに騎士達がついている。アリスは・・・よくわからん。こちらの勝算は高いが・・・無傷ともいかぬだろう。

 

 ・・・最悪”アレ”を人目に晒す覚悟はしたほうがいい。

 

「貴様ら・・・なぜ軟弱な冒険者が未だに生きていられる?こんなところで何をしている?」

 

「待て。こちらに戦闘の意思はない。そいつを下げてくれないか」

 

 じりじりと一歩一歩を詰める。ゆっくりとした動作で足を踏み出す。後ろでじっと固唾を飲む騎士たち。流石に先の戦いで守護者の実力を把握しているようで余計なことはしない。

 打ち合わせ通り後ろ手にサインを送り動かぬよう指示を送る。最善を求めるならば俺一人で仕掛けるのが最良だ。あとは距離を稼ぐのみ。

 

「止まれと言っている!」

 

 語気が強まり引き金に掛かる指に力が籠る。リズは素直に止まり手を挙げ従順な姿をさらす。あと15メートル・・・戦いでの有利さを考えまだ近づく必要がある。確実に”アレ”を直撃させるなら近ければ近いほどよい。距離を稼ぐことで少しでも安心を積み上げる。

 

 汗がずっと止まらない。相手は精神に余裕が無く落ち着きからは程遠い状態。いつ銃弾が炸裂してもおかしくない。その気が無くとも誤って引き金に触れるかもしれない。形状から連射可能な銃。避けるのは面倒そうだな。

 一歩、踏み出そうと体を少し動かしただけで相手の警戒心が急激に上昇するのが手に取るようにわかる。

 

 これ以上は・・・動けない。危険域ギリギリか。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・」

 

 完全なる膠着状態となってしまった。次に動けば撃たれる、予知めいたヴィジョンを幻視した。どうする、どうするのが最善なのだ。

 

 だめだ、踏み出したい。危険と分かっていても駆け引きも関係ないく不遜に進みたい。

 

 冒険して踏み込みたい。それだと仲間が死ぬぞ。

 

 でも、一歩だけ、いや半歩なら許されるのでは?

 

 やめろ、今は仲間がいるんだぞ。いつもと違う。

 

 

 理性と冒険心がせめぎ合う。本来であればここまで苦悩することもなかっただろう。だが久方ぶりにできた守るべき存在が判断を鈍らせる。もう二度と誰とも組まないとソロでやってきた彼にとってこの出会いは胸の奥底にわだかまる何かを刺激する。緊張と焦りで判断にまごつくリズであったが、一方の相手はリズ以上に動揺していた。

 

 

 

 

 

「(な、なぜA種がここにいるッ?それも冒険者と!?)」

 

 黒殖白亜のF部隊隊長ベルタはあり得ない光景を目にし動揺を隠せずにいた。異変に乗じ逃げ出したであろう冒険者の集団。先頭のBランク冒険者の他に特筆すべき所が無い非力な集団である、と思いきやその中に無視できない存在がいた。

 

 はみ出た金髪。フードで身を包み若い男の背中に隠れているがあれは間違いなく最優先抹殺対象である特定種別A種だ。余りにも自然に溶け込んでおり最初は存在すら気が付かなかった。なぜかA種がそこにいた。その特性上思いもよらなかったのだ。手を繋ぎ仲睦まじく男と寄り添う姿に幻覚でも見ているのかと正気を疑った。

 

 つい先ほどまでA種と対峙し部下を全て失ったからこそ理解が及ばない。A種に言葉は通じず問答無用で殺しにかかる殺戮の権化。異能を振るい、ただただ殺す壊れた主体性。統合したG部隊の部下もすべて失い一人生き残ってしまった。苦楽を共にした部下たちはもうどこにもいない。

 

 そんな存在がなぜ、冒険者と行動を共にする。じりじりと距離を詰める男に警告を飛ばし負傷に伴う痛みを平静で装う。相手は14人。実験の方に回された者たちばかり。普段であれば私一人でも余裕で対処可能な相手だがA種がいるのでは話も変わってくる。緊張が走り一帯の空気が重苦しく圧し掛かる。引き金に触れる指が今にも暴発してしまいそうだった。

 

 

 お互いがお互いに脅威を正しく認識し自身の立ち位置を理解しているからこそ衝突は避けられない。方や己がここでは弱者であると弁える者、方や最悪の脅威を知りそれでも指令を遂行しようとする者。

 

 状況はどちらも最悪。誰がいつ仕掛けてもおかしくない触れれば簡単に壊れてしまう薄氷の地。

 

 ―――そこに突如乱入者が現れた。

 

 



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第20話 Bランク冒険者

 

 その者はいつだって自由であり既知なる常識に囚われない力を持っていた。

 

 

「「!?」」

 

 とびきり邪悪な気配を感じ、お互いに反応するもリズの対応だけが遅れた。知識の有無が動きをワンテンポ鈍らせる。

 

 最初に冒険者達の背後から悲鳴が上がり対峙する両者の間に割って入るかのように人間の首が放り込まれたのだ。

 

「ッ!!?」「なん!、だッ」「は」「!?!?ッッ」

 

 緊張が伝導する冒険者達の間に何かがいる。

 

 あれは、あれはッ――――――

 

「―――ッ!ア”リスゥゥッッ!!!」

 

 真っ先に動いたのはベルタであった。先ほどまで構えていたはずの機関銃はどこぞに消え、現れたのはさらに大きく歪な形をした銃らしき物。変形しながら銃口を伸ばし紫電が弾ける。それを見てリズは叫びベルタは迷うことなく引き金を引いた。

 

「全員端に寄れええええッッ!!」

 

「――――ッ死ねよやああアアアアアアアッッ!!!」

 

 二つの叫びと同時に閃光が迸る。咄嗟に壁際へと飛び、避ける騎士たち。統制の利いた騎士だからこそできた動き。轟音と共に押し寄せる光のラインが一直線に標的に向かい着弾する。

 

「――――ッ!!!??」

 

 放たれた光線は莫大な熱量を産み出し対象を焼き尽くし貫いたと・・・敵の詳細を知らないベルタ以外の者たちは余波に吹き飛ばされながらそう思った。

 

 大抵の相手はこれで終わる、だが―――――拮抗した。

 

(!!!??)

 

 やはり、間違いなく、まことしやかに奴はA種であったのだとベルタは再確認する。

 

 光が、捻じ曲がっている。それもA種の小さな手で握りつぶされていた。エネルギーそのものに干渉しているとでもいうのか。

 

 A種は両手で一直線に伸びる光線を掴みまるで綱引きをするかのように引っ張る。悪い予感が咄嗟に体を突き動かす。重い光線銃を放り捨てベルタは半身を逸らす。するとどうだ光線は紐のようにうねり先ほどまでいた場所を光線銃もろとも切り裂いた。

 

「――ッ~~」

 

 どっと汗が噴き出す。一連の不可思議な現象でどの個体と戦っているのか理解してしまったからだ。

 

 緊急時”要”抹殺対象の一匹、(ハイパー)アリスだ。何をするのかわからぬ理不尽なる権化。こんなのと一人で戦わないといけないのかと―――――――思わず唇を噛みしめる。

 

 (ハイパー)アリスは両手で光を抑え込む。凝縮させられた光線だったものは青色の怪しい光を放ち輝きを増していく。ベルタは泣きそうだった。ただでさえ連戦に次ぐ連戦。遂先ほど多くの犠牲を出し2体のA種を撃破したばかりだというのにこれだ。生き残ったら所属を変えてもらおうと密かに誓うのであった。

 

 増幅された光が、解放される。

 

 先ほどの一撃をそのまま返すかのように数倍に威力が跳ね上がった光の奔流が私に向かって襲い掛かる。

 

 それは、あまりに速く、とてもじゃないが私であっても対処できる速度ではなかった。

 

 あ、死んだ。

 

 無情にも光が視界を塗りつぶしベルタを包んだ。

 

 

 ・・・・・

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

「―――――――?、、、????」

 

 ・・・・おかしい。

 

 なぜ意識が存在する?

 

 跡形もなく消滅していなくてはおかしいはずなのに。今もこうして思考が回る。光が焼き付いた網膜が徐々に彩を蘇らせ驚くべき光景を目の当たりにする。

 

 目に映るは硬直した(ハイパー)アリスと顔面蒼白な赤毛の冒険者。

 

 何か様子が―――――おかしい。

 

 

 

 

 

「ッッハァッハァッ―――!!!」 

 

 リズは激しく息を切らせ肩で息をする程に疲労していた。

 

 突然の乱入者による仲間の殺害。敵の姿は美しくも儚い少女。良く目立つ金髪の艶髪に思わず見とれてしまう程の顔つき。

 

 一目見ただけで恋に堕ちそうな顔面パーツが俺には、とても、悍ましく見えた。

 

 それは長年の経験からか来るものだったのか・・予感めいた感覚に身を任せ行動した。なにもこの感覚は初めてではない。これまで何度も死と隣り合わせな冒険をしてきたが、こうして生きていられるのもこいつのおかげだ。だからか顔つきが仲間であるアリスに似ている乱入者に対しても一切のためらいもなく切り札を行使することができたのだ。

 

 出し惜しみは一切無しだから・・・

 

 この迷いの無さこそがこれまでの仲間を死なせた原因と知りつつも冒険者の完成形に近しいリズには今更変えることができない生き方であった。

 

 故に発動する。

 

 掌を愚直に伸ばす。欲しい者があれば手を突き出すしかない。それがどこに繋がっているのかもわからない黒き穴であろうとも。未知なる闇に身を漬すしかないのだ。

 

 

 ――――特攻【劫奪】

 

 ボタボタボタっ

 

 リズの掌からこぼれる赤い液体。グニグニと掴みなれた肉の感触。無防備な背中からの零距離速攻。スラム育ちの子供の頃から培われてきた盗みの極意。いままで誰にも悟られる事も無くまるで最初から存在しなかったかのように記憶もろとも盗んむ普遍的に落とし込んだ特異の技巧。

 

 月日は経ちそれはいつからか本当に記憶も奪うようになっていた。そこまで至りようやくそれが特攻の概念に昇華したのだとAランカーである”師匠”が教えられた。

 

 それはまさしく、至高の一撃だった。

 

 

 ―――――――が、すぐにリズは驚愕することになる。敵はまさに彼に御誂え向きの未知そのものであった。

 

 出会って、しまったのだ。

 

 

「――――――ッ!?ッッ!?」

 

 リズをゆっくりと息を飲む。少女は何が起きたのか確かめるように自身の体をさも平然そうに見回している。

 

 まさか心臓を抜かれても平然と生きている人間がいるとは初めての体験であり、リズは今まで戦ってきたどのタイプの敵とも違うことを悟る。

 

 かつてないほどに心臓が鼓動を刻む。

 

 結論、効いているけど効いていない―――

 

 今ので少女から発射された閃光は守護者から僅かに逸れたことから間違いなく干渉はできていた。未だに掌の上で鼓動を止めぬ強靭な心臓がその答えだった。

 

 次々と滴る血の流れが不快感を増す。そのままゆっくりと金髪の少女は踵を返し振り返り視線が重なる。

 

 その顔は―――――――――とても楽しそうに笑っていた。

 

 

 少女が、動く。

 

 

 この距離は―――マズイッ

 

 ゴォッッ!!

 

 少女の拳が突き出され炎が生み出される。余りにも速すぎて知覚すらできない一撃。

 

 

 それを――――――俺は避け、肘鉄を鼻っ柱に叩きつける。

 

 後ずさる少女。まるで何が起きたかわかっていない様子。

 

「????、?」

 

 効いているのかいないのか、不思議そうな表情で鼻血の垂れる顔を触れる。顔面陥没させるつもりで放った一撃のはずだが鼻の骨が折れた程度ですんでいる。こちらは息も絶え絶え。さっきから驚きの連続で心臓が破裂しそうだ。生きた心地がしない。今放たれた一撃で俺はかつてないほどの強敵を相手にしているとも理解させられた。

 

 手にした敵の心臓が不気味に脈打つ。まさか俺に”ここまで”の動きを可能とさせるか。

 

 こいつが・・ゲームマスターなのか!?

 

 未知との遭遇に冒険心が震え嬌声を上げる。脳汁が溢れ出る―――

 

 

 

 心臓を抜き取った特攻【劫奪】はまさしく盗みの極意。発動時、対象と距離が近ければ近いほど技の精度は高まり、2メートル内であれば確実に対象から盗むことが可能。装備品や臓器、はたまた相手の魔術基盤や才覚まで。

 

 リズはその特性からある神言魔術を習得している。自身が信仰を修める【深紅の女神教】。お互いの血を混ぜた酒を拝し摂取することで血のつながりを持つと言う、いわば信者同士のつながりを強固にしていく風習。それは異教徒に対しても同じで相互理解を深めようとする寛容さにあふれた教えを掲示している。だからか祝福と固有の神言魔術は共振系の魔術しかない、とされている。共振系とはつまり精神作用を得意とする。

 

 深紅の女神教のみで習得可能な神言魔術の秘奥。魔術基盤の容量を多く喰うが神性が付与された魔術は効果の通りが違う。なにより神言魔術は通常魔術と違い樹界目録(テーブルレコード)による情報開示が無いからこそ対策は不可能。存在すら知られることもない。

 

 俺がこの人の形をした化け物と戦り合える理由など誰にもわかる筈がないのだ。

 

「ッ!!」

 

 次々と繰り出される拳や蹴りの殴打。音を置き去りに迫るそれらを全て躱し重々しいカウンターを捻じ込む。

 

 ガンッッ!ゴォッガッッッッ!!!!

 

 華奢な体から考えられないような悪夢の連撃。全てが死そのものであり掠ることも許されない。だんだんとギアが上がりゆく敵の猛攻に焦り、余裕すらない。天井知らずの体力にスピード。

 

 まだ、本気じゃないとでも言うのかッ。

 

 手に握りしめた心臓をお守りのように握りしめる。さらに加速していく世界。踏み入れたことのないスピードに身を纏わせ未知なる体験が恐れを語る。

 

 

 

 奪った部位を自身の一部とし身体能力を相手と同じまでに高める神言魔術【正統なる血統】。その効力には時間制限がある。奪った肉体は鮮度を失い美しい命の輝きは次第に色褪せくすむばかり。

 

 命が渇き切れば効力もそれまで、だった―――本来であれば。

 

 こんな事態は想定にない。黙示録にだって載ってない。まさか奪った心臓を媒介に使い、その持ち主と戦うなんてこんなの誰に予想できるのか。

 

 特攻による完全なる不意打ちからの神言魔術による自己強化。この流れはあくまで複数の敵を相手にした際に一番の強敵の心臓を奪い、その身体能力を持って残りを殲滅するなり逃走するためのモノ。

 

 (―――心臓も無く奴はなぜこうも笑っていられるんだ!?)

 

 少女の残像が重なりゆく。とうに音速の域を超え引きずられるようにリズのスピードを引き上げられていく。全く緩まぬ攻撃の手に、まともに息も吸えないほどの運動量を強いられる。敵からは呼吸を感じない。息継ぎ無しで疲労も無くどうして戦ってられるんだ!?リーチの長さがどうにか命を拾う。同等の性能になれば体の大きさが如実に主張し始める。

 

 それでも止まるわけにはいかない。止まれば炎を纏う超速の拳が俺を射殺す。疲れ知らずの少女はあまりにも底が知れず絶望を振り撒く。

 

 おまけに最初はただ腕を振り回すだけの力任せの攻撃は鳴りを潜め次第に技に磨きがかかり戦い方が洗練されていく。戦いの中で磨きをかける少女の成長性に脅威を感じていた。

 

 このままでは、いずれ詰むッ!

 

 傍から見て何が起きているかなど理解ができない程の次元の違う戦い。それでも事細やかに見えている者は確かにいたのだ。

 

 ここにはそんな理不尽な権化と戦ってきた超戦士の部隊が在するダンジョン。

 

 ――――――黒殖白亜は靡かない。

 

 

「―――ァ!」

 

 リズは繰り出される少女のバックブローを鼻先で避け、そのまま回転し勢いの乗った中段回し蹴りの連撃を見切る。獣のように誰よりも低く屈み蹴りを躱し無防備な少女の軸足を蹴り飛ばす。

 そこまではよかった。そのままバランスを崩した少女の延髄に浴びせ蹴りをぶち込み首の骨を刈り取る、つもりだった。

 

 少女はあろうことか何も無い空中を蹴りやすやすと飛び越えることでリズの渾身の一撃を難なく回避した。

 

 呆気にとられ振り返った時には既に眼前まで拳が迫っていた。予想外の行動は思考に空白を生む。強化されたこの体でもとうてい耐えれるとは思えない一撃。これまでの走馬灯がよぎる。

 

 ガッ!!

 

 振り上げられた拳が唐突に鼻先で止まった。

 

 少女の肘に誰かの腕が絡められ伸びきる前に止められていたのだ。

 

 誰が?など考えようもない。リズは戸惑いも迷いも忘れ少女の顎を蹴り上げた。

 

 ――――――その背後から迫る黒い影に向けて。

 

 瞬時の状況分析力こそリズの最もな強味。

 

 3つの趨勢が、これより交わる。

 

「ガルルルルアアアア!!」

 

 斜めに横断する漆黒の爪が少女の背中を切り裂いた。そのまま壁に叩きつけられる小さな体をよそに二人の乱入者がリズの横に並び立つ。

 

「喜べ冒険者。手伝ってやる」

 

 一人は先ほどまで対峙していたはずの守護者。そしてもう一人は・・・

 

「グレイズ・・・・お前よく反応できたな」

 

 黒い毛並みの獣人と化したグレイズに話しかける。まさか今の俺の動きに反応できる者がいるとは思っておらず嬉しい誤算であった。

 

 あのままやり合っていれば間違いなくやられていた・・・

 

「コヒューコヒューッ!!こ、この姿でなんとかって感じですけども”ッ!」

 

 グレイズも実際無茶をした。この姿でも二人の動きは捕らえようがなかったが、色づいた嗅覚がグレイズを導いた。

 

 二人が戦っている間ただの傍観者でいたのではない。獣人の異能を期待し先輩たちが施した魔術による全力強化で瞬発力を極限にまで高め機会を待ち、祈った。祈りはあくまでも添えるだけ。

 

 一撃加えれたのも、リズがこちらに少女を蹴り飛ばさなければ無理であった真実。

 

「反応できただけでも大したもんだ。頼もしいよグレイズ。俺一人じゃ手に負えないのでね!」

 

「ねえ、無視するなよ。聞こえてるんだろ?」

 

「リズさん・・」

 

「・・ああ」

 

 ユラリと幽鬼のように体を起き上がらせるアリス。楽しそうに笑っている。

 

 やはり生きていた。両断されてもおかしくない威力の爪撃を受けてその程度で済むか。

 

 獣人の渾身の一撃は凄まじいがあの少女のポテンシャルは常識をさらに超えている。見た目に反したあまりにも硬いあの体だ。一撃で仕留めれるとは思っていない。右手の心臓が今も尚脈打つ時点でおかしいのだ。

 

 ・・・早急に片を付けなければいけない。こいつがまだ対応できる範疇である内に。

 

 それを成すには、あと一人協力者がいる――――

 

「ねえ、ねえったら!命の恩人を無視しないでくれよなぁ!」

 

「うるさい。耳元で騒ぐなよ恩人ごときがさぁ」

 

「―――ッ生意気だ!冒険者の癖に生意気だなこいつー!感謝は無いの!?」

 

 なんだこいつ?やかましいな。

 

 先ほどまで緊張感張り巡らし対峙していた相手と同一人物なのかと疑ってしまう。さっきの強者全とした佇まいはどこにいった。戻してくれ。

 

「丁度いい。アレは恩人にとっても敵なんだろ。恩返ししてやるから手を貸せ。すぐにでいい」

 

「お、恩人に対する扱いじゃない・・・・・うへへ頼もしい」

 

「(喜んでるッ!?)」

 

 険悪?な空気に挟まれおどおどとする獣人の構図。グレイズにはどうすればいいのかわからない。隊服に包まれ顔の窺えない相手だが声から女であるようだ。

 

「ねえねえ、赤毛。名前を聞いてもいい?」

 

「・・・・・・」

 

「ちなみにベルタの名前はベルタね。光栄に思うといいゴ・・いや君はこのベルタちゃんが認めるほどの実力者だもの!どおりで”アレ”と一緒にいる訳ね、納得するね!よろしくリズー」

 

「・・・・・・」

 

「ふ、実はこの通り名前はさっき聞いていたのだけれど・・む、無視は堪えるなリズーもっとお話ししようよリズー。生意気だって言って悪かったよ。そこの獣人君もいっしょにね」

 

 さわさわとグレイズの毛並みを撫で上げるベルタにリズは警戒する。無理もない。この距離感は敵対する者同士の間ではない。それを無警戒に踏み込む胆力。

 

 ・・・なんだこいつは妙に馴れ馴れしい。さっきまでの底知れなさはどこにいったよ。喋れば喋る程に弱体化(リズ目線)していく。

 

 それにリズは別に無視しているのではない。態度の急変具合に困惑してどう話しかければいいのかわからないのだ。

 

 リズは女性との触れ合い期間が乏しかった。冒険に関する経験はすごいと自負するが女性に対してはすごくない。弱い。なまじ主導権を渡さぬよう強気な口調で出たのが失敗だったかもしれない。今更変えるのも変だと妙な考えに悩んでいた。

 

 それにしたって距離が近すぎやしないだろうか・・?

 

 冒険バカにはそれすらもまともに判断できない。リズは救済のシグナルをグレイズに送るもまったく気が付かない。

 

 

 そこでリズの気を引きたいのに無視されるベルタは行動を起こす。

 

「【休息の摂】」

 

「ッなにをした!?―――ッ」

 

 リズ、いやそれだけじゃない。戦いの余波により周りに転がる死に体の騎士たちに青白いオーラが炎のように湧きたつ。流石の聖騎士。魔力障壁で致命傷は防いだようだ。

 

 リズはそんな感想を抱きながら反射的に音を切る速さの回し蹴りを守護者に叩き込む。

 

 それに対しベルタは半歩下がり上半身を仰け反らせ必要最低限の動きで難なく回避する。ベルタは過剰にまで強化された俺の一撃を難なく避けてみせた。馬鹿げた動体視力だ。蹴りの軌道を完全に目が追っていると考えるほかない。

 

「待って、傷を治してるんだよ!ほら肋骨折れてたよねリズ!」

 

 

 言われてみれば確かに体が・・軽い。

 

 少女からもらった脇への一撃で呼吸がおかしくなっていたのだが以前と同じように深く呼吸できている。それどころか細やかな傷も全て治っている。

 

 こ、いつまさか今の一瞬で傷を治したのか!?

 

 ――――――回復魔術だと?

 

 それも広範囲をカバーするような高位魔術。戦闘の余波に巻き込まれ怪我を負った騎士たちが徐々に立ち上がる。この守護者もまた例にもれず只者じゃない。

 

 回復魔術の扱いずらさは有名だ。そもそもまともに運用可能なのが神言魔術にしか存在しないし習得出来る者が限られてくる。決まった場所、神に捧げる祈りと媒介物が必要であり応急処置程度ならともかく傷はそう簡単に治ることはない。あくまでも命を繋げるための運用が基本。戦闘中に行使など余りにも悠長。とても現実的でじゃない。致命的な隙を前に敵が待ってくれる道理無し。

 

 だが、それを、ベルタは、軽々とやって見せた。

 

 神言魔術特有の宗教色の乗った”兆し”が全く見えなかった。単発魔術特有の駆動無しによる魔術の発動。なにをどう見ても今のは通常魔術だ。

 

 使用者を選ばないが通常魔術による回復は魔力をとにかく喰らう。即効性はあるがたとえ魔術師が全ての魔力を使用しても治癒できるのは単純な骨折程度である。

 

 これは莫大すぎる魔力量を保有するからこそ可能な芸当だと察する。

 

 確かに世の中には回復を専門とする者はいる。結果的に見ればこれぐらいの回復を可能とするだろう・・・そう時間さえあれば。

 

 だが、この短時間で複数人の傷を同時に癒すことが出来る者がこの世にどれほどいる。この回復力ならば戦線の維持も容易い。ある意味火継守よりも希少だと言っていい。

 

 魔術容量の大きさは魔力量に比例する。この魔力量だ。習得できる魔術のレパートリーも4つ5つ程度では済まないかもしれない。

 

 改めてベルタの、守護者たちの底知れなさを痛感する。

 

「もしかして驚いてる?ふふふ、ベルタちゃんは魔術の造形に目が無くてね!是非とも君の使用している魔術について語り合いたいけどなぁリズ。それ神言魔術でしょ?それも・・・共振系神話体系ってところさんかな、当たっているよねリズー」

 

「・・さあどうだろね」

 

「もー、じらせるなぁ」

 

 やばい、めっちゃばれてるじゃねーか。そりゃ相手の肉体を利用するなんてわかりやすい特徴を見せてしまったんだ。分かる奴にはわかってしまうが鋭すぎるよ。

 

 ぐいぐいと顔を近づけてくるベルタを手で押さえつける。やっぱり、近い!距離感おかしいって!

 

「でも分からないな。どうやって心臓を抜いたんだろ?物理的に心臓を取り出すにしてはA種の体は固すぎる。魔術的手法はもっとあり得ない。理解の及ばぬ外界の人間に【フルドリス】を破れる筈がない。となると・・・・ふくく、”剣聖”のご同類かぁ。こんな奴が紛れ込んでいたなんてねぇ。道理で無事でいられた訳だ。本当に、面白いなっリズ!うへへ、もっとよく見せてくれよ君の技を!」

 

 こんな面白い奴逃がして堪るかと、ベルタは都合のいいように命令を解釈していく。この戦力を手放すには惜しいと感じさせるほどにリズは魅力的な存在であった。今回は非常時であるからして脱走者の優先度は低い。弱っちい雑魚冒険者と共闘する状況なんて想定されてないしマニュアルにもない。偶然共闘の形と成り得てしまったと、全ては任務達成のためだと自身を納得させる。

 

 それ故の処分は見送りでいく

 

 ―――よし!いけるな!だからベタベタしても問題ないね!

 

「ちょっ何だお前、なんだお前ッ!?こんなことしている場合か!?敵はまだ生きてるのだぞ!」

 

 直接的には見せていない切り札。【特攻】の存在はごく一部の者しか知らない。師匠ともいえるあの人以外に、この技を見た者を誰一人として生かして帰した覚えはない。どんな分析力が在れど埒外の魔技は看破されない、はず。

 

 そう断言できないのがここの怖いところ。妙な不安が沸き上がる。

 

「お、ベルタちゃんはもう敵じゃないということなのかな?存外にちょろいけど大丈夫リズ?馴れ馴れしくない?」

 

「それはお前だ!こいつどうにかしてくれグレイズッ!」

 

 嬉しそうな感情は伝わってくるのだが無機質なフェイスマスクで表情が読めない。思ったよりも小柄で、そんなやつがグイグイと迫ってくると対応に困る。

 

 助けを求めグレイズが間に入る。アリスがいつの間にか獣人化したグレイズの背中によじ登ってる。それを見てベルタはすぐに引き下がる。明らかに警戒しているのはあの少女とアリスが似ているからか?無関係とは考えにくい。

 

「おっとベルタちゃんとしたことが・・・君は手伝ってくれないのかな名も知れぬアリスさん」

 

「・・・・・・・・」

 

 少し間を置きアリスに話しかけるベルタ。アリスは言葉に反応することなくグレイズの毛深い背中に顔を埋めたままだ。

 

「だんまりか・・・ま、そうだよね。敵でないならそれで十分。―――さあ構えろ冒険者!(ハイパー)アリスはここからが本番。死なせたくなければ足手まといのザコは下がらせることをお勧めするけど」

 

 仲間を下がらせる、か。

 

 かと言って別行動させるのもな・・・実力と経験的に彼らだけで生き残ることは不可能だ。

 

 そもそも素直に逃がしてくれるのか?立ち上がる(ハイパー)アリスの周囲が歪んで見えるのは現実か、それとも恐れから来る幻覚か。

 

 それでも今は一緒に並び立つグレイズとベルタがとても頼もしいかったのだ。勇気が湧き腰に力が張る。

 

「どうすればアレに勝てる?」

 

「あれはA種って生命体なんだけどいろいろと種類がいて(ハイパー)アリスはその中でも別格。なにを仕出かしてもおかしくない個体だから対策は難しいよリズ。共通の基本性能だけは伝えておくよ。あとはアドリブでよろしくね」

 

 そこから簡潔に伝えられた内容に唖然とする。

 

 A種は【フルドリス】という特殊な防衛機能を保有しているらしく基本的に目に見える現象でしかA種に効果はなく、体内に直接影響のある魔術は効果が無い。本体の認識や理解が及ばない行為は全て無効化されてしまうとのこと。己の認識が絶対とでも言いたげな無茶苦茶な耐性だ。視野が狭そうな相手だな。

 

「だからこそ君の”それ”に期待してたんだけどその様子じゃ無理みたいだねリズ・・あくまで予想なんだけど勝手に語るね。さっきの”アレ”右手でしか使えないんでしょ?神言魔術にしてもだ。制約の一環で心臓をお守りとして握りしめてるんだ。少しでも、一度でも手放せば今の身体能力も失う。神からすれば祈りを捨てる行為と見做すから。だから左手に持ち替えることもできない・・・へーつまりこういった化け物は想定外の運用だったんだね!だからそんなにたまげてるんだね」

 

 はい、まさしくその通りです。お陰で自分でも知らない仕様が知れました。心臓捨てて特攻ぶちかますとしてもアリスは脳みそ抜いても生きてそうで怖い。特攻を再使用するには心臓が邪魔だ。だがこの飛躍した身体能力を捨てることはリスキーすぎる。結局、最後に物を言うのはフィジカルだな。

 

「あーはいはいそうですねー」

 

「もー答えになってないよー照れ屋さん」

 

 神言魔術は尊敬や敬いを蔑ろにする行為を許容しない。習得難易度は低いが通常魔術のように使い勝手は難しく、とにかく気を遣う。

 

「え、じゃあどうするんですか?リズさんBランカーなんだから何とかしてくれませんか?」

 

 グレイズよ、無茶言ってくれるな。こいつ災害指定の害獣よりもよっぽど質が悪いんだぞ!今まで狩ったダンジョンマスターなんざカスだよ、カス・・・ああなんだ。所詮はエリアボスにしか過ぎないのか。つまりは手加減されてたのだな。目の前の敵こそダンジョンの本気の一端なのだな。

 

「それでどうするんです?その説明だと物理的に殴り殺すすかなくないですか・・・・え、本気ですか?」

 

「なんだ分かってるじゃない獣人君。フィジカルを期待して前面に一任するね。ベルタちゃんとリズは側面から挟撃する。あ、君たちは普段”どんな”獲物を使ってるの?」

 

 なんだこんな時に。ほぼ丸腰の俺達を心配しているのか?

 

 リズは少しでも身を軽くするために荷物は放り捨て、グレイズは獣人化した際の肉体の膨張で荷物袋の持ち手が弾けどこかに落ちてしまった。

 

「ナイフはよく使っているが・・・基本は体術だ」

 

「剣は持っていますけど僕は・・・この体なんで素手になるのかなあ」

 

 どう見ても一回り大きくなった獣人の姿では腰の小さな剣のサイズじゃ合わないか。これならば爪の方がいい。

 

「・・・そっか。ほい」

 

 どこからともなく立派なナイフや投げナイフが数本収められたベルトを取り寄こす。ベルタからすれば普遍的で何気ない行為だが、それを唖然とした顔で見るリズとグレイズ。予測はしていたがこうも間近で見せられると驚きも違って来る。

 

 それをどうかしたのかな?とおかしそうに笑い見返すベルタ。

 

「さあ、戦いだ戦いだ戦いだよリズッ!異色のコラボだよリズ」

 

「待てッ!今のってやっぱり【蔵書】じゃ―――」

 

 

 ――――――バリン

 

 

 息を飲む間もなく振動がダンジョンを揺らす。ダンジョン全体がまた悲鳴を上げる。肌が強張り身が竦む。

 

 (ハイパー)アリスの叩きつけられた腕が空間に歪をもたらした。バリバリとパズルのピースの様に透明な何かが地面へと落下する。

 

 すげえ・・素手で空間割る奴初めて見た、と間抜けな感想を抱くリズ。

 

 ・・・今までいろんな奴と出会ってきたがここまで常識破りな奴に出会ったことが無いわ。

 

 (ハイパー)アリスはひびの入った空間の破片を掴み取り剣の様に垂直に横に振るう。透明でありながら摘出された景色が映り込む。まるでガラスのような質感の空間の塊がその場で一閃。

 

 容易く異変を引き起こした。

 

「???――――――ッ!?」

 

 ぐらりと揺らめく通路。

 

 次の瞬間――――体がふわりと浮かび上がる。通路の先から彩の光が溢れ気が付いた時には天と地が逆転している。

 

 気が付けばリズ達は何処とも知れぬ空中に放り出されていた。

 

「アハハハハハハハハッ!」

 

 アリスの笑い声が栄し偽りの都市に不吉を告げた。ベリタの言う通りまさしくここからが本番であった。

 



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第21話 共同戦線

 

「――――――――」

 

 

 ここは第一階層都市部。天高く立ち上る不惑の摩天楼が織りなす街並みは初めて訪れる者を圧倒することだろう。天井に展開されたモニターが青空を描き”光源体”が輝いていた。

 

 もし恋都がそれを見ればまるで太陽みたいだと評したことだろう。

 

 ここは第一階層中央区。

 

 冒険者を誘い込むダンジョン擬きの表層とは違い異質な未来都市で構成された守護者の楽園が広がっていた。

 

 守護者たちが暮らすための区画・・・なのだが、ビル街は崩れ去り、天井に映し出された景色も今はなく、金属の壁が張り付くだけ。普段よりも窮屈さを覚えさせるのも非常時故。居住区での大炎上や地下からの謎の光線、A種の襲撃により至る所に災禍が渦巻いていた。

 

 その余波は凄まじく隣接する区画にも影響が及んでいた。修復や物資の搬送で忙しなく交差する守護者たち。張りつめた空気など知らんとばかりに再び異変は巻き起こる。

 

 最初に感じ取ったのは誰だっただろうか・・・一人また一人とふとつられて天を仰ぐ。

 

 異変は空。

 

 何もない空中に巨大な瓦礫の山が突然現れた。

 

 誰もが目を見開き退避しようと動き出す。

 

 ――――だが、大迫力の異物の山は地面に落ちる前に真っ二つに割かれた。

 

 連続する不測の事態。安堵するまでも無く瓦礫の中から新たな脅威が現れた。

 

 

 

 

 

「―――ッく、うおおああああああああッッ!?」

 

 リズは空中に投げ出された体を必死に動かし瓦礫を蹴り、襲い掛かる(ハイパー)アリスの斬撃を躱す。

 

 見慣れぬ景色、明るく広い空間。これまでいた決して広くない入り組んだ通路とはまた違った、視線を釘づけにする煌びやかで異質な光景。

 

 なんだこの建造物群は!?

 

 遥か上空から見下ろす絶佳なる眺望。まさしく圧巻であった。文明の光がリズの目を眩ます。

 

 これこそ冒険!・・なのだがそれどころではなく、間抜けな顔を晒す暇すらも無い。

 

 お互いに空中で衝突する質量の塊と(ハイパー)アリスにより放たれる伸びる不可視の斬撃を必死に避ける。大地や巨大建造物ごと易々と斬り裂くその剣を受けるわけにはいかなかった。回避を繰り返す内にどこが上で下なのかもわからなくなる。敵は空気を蹴り執拗にリズを襲い瓦礫の足場ごと破壊していく。360度縦横無尽に襲い掛かる相手を視認することは諦め勘と気配だけで捌ききる。それでも首の皮一枚の攻防。仲間を信じ機会を窺う。

 

「ヲッッ!!」

 

 落下する瓦礫の影から何かが投擲される。

 

 それは強大で武骨な斧であり高速回転しながら見事に(ハイパー)アリスへと直撃する。消去法でベルタの仕業だと確信する。

 

 が、なんと(ハイパー)アリスは斧を頭突きで粉砕する。

 

(そいつを・・――――――待っていたんだよ!!)

 

 致命的な隙を晒せば当然の如く死が差し込む。リズはただがむしゃらに瓦礫を伝って少女に飛び掛かりがら空きの脇腹を蹴り穿つ。

 

 メキメキと中々の手ごたえ。ようやくの一撃。ついでにと接触時に深々とナイフを腹部に突き立てた。

 

 不可視の斬撃といっても剣閃の方向と宙を舞う微細な破片がその軌道を露わにする。術式で強化された今の俺の五感ならばッ!!捉えることも可能!あとは祈る!

 

「いくら何でも無茶苦茶が過ぎるッッ!」

 

 力任せの化け物の傍にいるのは危険だ。その身を震わせるだけで人は簡単に死ぬ。ヒット&アウェイは基本であり、深追いは思わぬ事故を引き起こす。

 

 リズは離脱時に投擲した赤いナイフが残像を描き追撃とばかりに(ハイパー)アリスの肩を貫く。

 

 そこを起点に即興とは思えぬコンビネーションが襲い掛かる。

 

【起爆】(イグニッション)!!」

 

 突き刺さったナイフが真っ赤に輝き爆炎が巻き起きた。

 

 突然の熱量が周囲を覆いグレイズは顔をしかめる。炎ということはあの守護者の仕業だ。視界が炎で埋まるもグレイズの嗅覚は正確な敵の位置を把握する。一瞬の隙を突き火達磨の(ハイパー)アリスにグレイズは身の丈を軽く超える瓦礫の塊を叩きつけた。燃え盛る空中での攻防。こうして自身が燃えることなく戦えるのもベルタが何かしたとしか思えない。焼き付いた空気の中で息が可能なのは火属性の特性が僕自身にも適用されているのだから。

 そうなるとベルタはいつ僕に魔術をを施した?そんな素振りは全く見せなかった。あるとすれば回復魔術を行使した時。派手な青い炎をカモフラージュに並列で魔術を行使するしかない。処理の難しい特性の付与と回復魔術を、それも隠蔽しながら使用したとでもいうつもりか。

 

 なぜ黙っていたのか・・・いくら考えても疑念が晴れることはなかった。

 

 

 長く感じた滞空時間も終わりそのまま瓦礫は(ハイパー)アリスを巻き込んだままグレイズたちよりも先に地面へと激突する。そのままの落下の勢いと共にグレイズは一切の躊躇も容赦もなく、すかさず追撃を加える。

 

「祖たるは望まれぬ落胤【強靭】!」

 

 聖句が口火を切り全身からパワーが溢れる。元々剛力であった獣人の膂力に加え神言魔術による筋力強化。

 

 純然たる力の塊が弾ける。

 

 想像を超えた破壊力を産み出す。

 

 ―――それは偶然の一致。思わぬところで魔術的シナジーとは生まれるものだ。

 

 

 

 グレイズはもともと魔術の才能に恵まれず魔術に対する理解の深さが表面上にしか留まらず浅い。そのため魔術基盤は無駄が多く魔術容量を大幅に無駄にすると騎士学校で教官にさんざん指摘されていた。

 

 魔術を理解する理力とも言える力は産まれ持っての才能でありこれがなければ魔術師を目指すことは難しい。魔術基盤とは習得する魔術の骨子理論であり人それぞれで基盤の大きさは違う。人によって魔術の解釈は違うのだ。

 個人が保有する魔術容量にそれを打ち込んでいくのだがそこには理力が大きく関わってくる。理力は魔術への理解度だ。理解が深ければオリジナルの理論に近づきおのずと基盤も小さくなる。如何に基盤を圧縮するかは課題であり、それは使用できる魔術のレパートリーにも関わるため一切の無駄も許されない。行使可能な魔術の数は一種のステータスだ。

 

 理解度の浅いまま魔術を習得すれば自身の魔術容量を無駄に埋める魔術基盤を組み込むことになり習得可能な魔術の数に限りが出る。

 

 おまけに一度習得し形成された内なる魔術基盤は二度と消すことはできない。

 

 

 グレイズは超困った。騎士学校で自身の才覚の無さを知らされた時、早くも自身の目指すべき将来のヴィジョンを求められたからだ。

 

 望むべき未来に沿った魔術を習得しなければ間違いなく失敗する。魔術も剣も一定以上なければ騎士団に入るのはまず不可能。入団選考段階で弾かれてしまう。魔法大国である聖王国で習得魔術が3つ程度ではお話にならない。

 

 能無しと馬鹿にされる学園生活であったがそれでも憧れの騎士になることを諦められなかった。何かしらの魔術を習得しなければ履修した魔術関連の講義の実技評価も得られない。

 煮え切らない頭は重く振り払うかのように奇声を上げ夜な夜な剣の稽古を行う。現実逃避なのは百も承知。能無しと馬鹿にされる自身の相手をしてくれる相手はおらず学園では教官意外と碌に話もしない。灰色の学園生活であった。

 

 もちろんグレイズと同じ様に弱い立場にいる者たちはいるが、腐ることなく努力をすることもしないで互いの傷をなめ合い寄り添うような集団に迎合する気は無かった。これなら孤高を気取っている方がまだマシ。でも正直友達は欲しかったなあ。

 

 これでは騎士学校に入れてくれた親戚に顔向けできない。焦る気持ちを吐くことも出来ず悶々とした日々。

 

 だが、転機は訪れた。

 

 ある時、勝手に追い詰められ精神的に不安定なグレイズの前にちょっかいをかけてくる上級生どもが現れた。普段ならば今後の学園生活の事を考え穏便に済ませてやるはずだった。

 

 いつものように頭を下げ奥歯を噛み砕くだけの情けのない姿を晒すだけでよかったのに。

 

 ―――――決め手は下半身を丸出しにされ面白がって火を付けられたことか。貴族様はやることがエゲつない。

 

 

 気が付けばグレイズはベットの上だった。よく世話になる医務室で教官が何かを言っているが頭に入ってこない。

 

 ただただ、あの時の情景が、感触ばかりがグレイズの中で繰り返し反芻する。5人相手に素手で立ち回り最終的には袋叩きにあった情けの無い状況。立ち回りはよかったのでしばらくは戦いになっていた。その結果こちらは骨折に火傷な重症であり、あちらは4人の鼻を折る程度。もっと力があれば二人は倒せていた。もっと早く動ければ袋叩きにもあわなかった。魔術も剣も使わずここまでやれたのだ。これはもう実質僕の勝ちではと前向きに考える。

 

 強がりかと言われればそうだと言う。おくびにもなくそう答えよう。でも気が付いたんだ。簡単な事じゃないか。ようやく自身が目指すべき方向性が見えたのだ。今までの稽古は無駄ではなかったのだと確信した。魔術も碌に習得せずに剣ばかり振って騎士学校に何しに来たんだと自己嫌悪する日々とはおさらばだ。最初から答えはすぐ近くにあったのだ。まともに魔術を習得できないなら魔術を剣の糧にしてしまえばいい。

 

 それからのグレイズの動きは速かった。動けないベットの上で初級魔術を習得し自身の魔術容量を全て埋めた。それは覚悟の表れでもあったし、ヤケクソじみた行為に清々しさと妙な快感すら覚えた。

 

 習得した魔術は全て肉体の補助を目的としたものであり、派生無しの単発魔術。どこまでもシンプルだがやたらと魔力を喰う所謂、後発の失敗魔術。失伝したとされる始原魔術(プライマギア)の一つである【強化】には遠く及ばない。それでもグレイズからすればほんの一瞬発動できればいいと割り切り習得したのだが・・・

 

 だが、どうだ?

 

 今のグレイズは以前では考えられない量の魔力を保有している。魔術容量の幅も広がり、更なる魔術を習得可能となった。

 

 単発魔術は魔力を喰う・・・が、効力は消費した魔力量によって効果が劇的に変わる。後発の失敗魔術のどれもがそれに該当する。類似性を削るために個性を失い、苦し紛れに付け加えた利点。製作者が垣間見せる後世の魔術師の苦悩と意地。別の面から見ると違った形が浮かび上がる。

 

 もし大量の魔力を持つ者がそれを使うとどうなるか?

 

 やたらと魔術を食らうがそれと引き換えのように馬鹿げた火力を叩き出すことが可能。一部の者にしかわからない真価。

 常人では求められる魔力量が多すぎてとても推奨されない魔力切れ覚悟の用法。魔力切れは命にかかわり学園が絶対に教えることのない邪道。いかに理論上最高効率を叩きだすとしても求められる魔力量が個人が捻りだせる域を超えている。

 

 

 つまりだ。

 

 

 ドゴッッッ――――!!!!

 

 

 振り上げた獣の怪腕。ビキビキと荒縄めいた血管が浮かび上がり屹立すると瓦礫の塊に叩きつけられた。

 その力たるや衝撃は瓦礫を砕きその下にあるであろう(ハイパー)アリスの小さな体に容易く浸透する。

 さらに強力になった獣臭い一撃は留まるところを知らない。瓦礫諸共押し潰し大地が陥没した。

 

 獣の一撃がアリスを押し潰したのだった。

 

 



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第22話 奥に潜む者

 

 馬鹿げた威力が大地に響く。

 

 リズ達が降り立つ大地をもひび割れ捲り上げる。誰の目から見てもA種の死を確信する一撃。通常のA種であれば終わっていた。だが奴はブラックリストの常連。ここはもはや彼らの知る世界とは違う。相手は何処とも知れぬ異なる世界に連なりし系譜。

 

 とても、まともではないのだ―――

 

 押し潰した瓦礫の下から呪言が飛ぶ。

 

「【繧「繝ェ繧ケ繧堤衍繧翫∪縺帙s縺具シ】」

 

 グレイズが瞬きする暇も無く脅威が迫る。

 

「ッ!!」

 

 瓦礫の中で産声を挙げ巨大なシルエットがグレイズの体を弾く。突き抜ける大きく黒い影。それがのたうち回り空を泳いでいる。

 

 ベルタは物陰から見た。黒い影が現れ獣人君を吹き飛ばしたが激突する瞬間背中に張り付くあのアリスが影を手で払いのけた。そうでなければ即死だったであろう。

 

 A種が他人を庇ったこともだが、それより別の要因でベルタは驚愕した。

 

 なんせA種が魔術を行使したのだ。その驚きは計り知れない。

 

 A種は計り知れない量の魔力を保持していることが判明していたが隔絶した牢獄では魔術への知見の機会は無く、他者と意識が噛みあわないA種に現フォーマットの魔術が理解できるはずもない。だからA種に魔術の使用はないとされていた。切っ掛けとなるトリガーが無ければ魔導への叡智は永遠に開かれない。

 

 数百年の膨大な記録がそれを裏付ける・・はずだった、今日これまでは。

 

 渦巻く土煙から頭が潰れたアリスが現れる。首から上が完全につぶれ残骸が垂れさがる。体中から骨が突き出てあらぬ方向に曲がる。余りにも、おぞましい姿だ。何よりも恐ろしいのはその状態でも平然と無色の破片を振るい襲い掛かって来るところだ。命の終わりが見えない。見計らったかのように黒い影がベルタへと迫る。

 

 これは召喚獣か!?

 

 大きな巨体からは想像もできない速さで突進する黒い影。冷静に【転移】で避けるも、転移先正面に(ハイパー)アリスが待ち構えていた。

 

 剣を振りかぶっていたのだ。力強い剣圧が風を掻き分けベルタに迫っていた。

 

(こいつも【転移】だとッッ!?)

 

 ベルタはそこで思い出す。A種の生態に関するある記録の話。第三階層は殆どがA種専用の階層と言っていい。多重の物理・魔術的防壁。防衛機構が幾重に仕込まれ厳重なる管理下で研究が行われているのだが、それでもA種は定期的に脱走する。

 

 理由は様々であり、管理上の人的ミスもあるが・・たまにふと牢獄から消え去ることが確認されている。その場合必ず空間異常が検知されるが計器上では異常な数値を指し示すも現場では何も変化はない。いたって普通の景観、空っぽの独房が広がっている矛盾。監視カメラの故障でもない。

 

 状況からの推論であるがA種には空間と空間を行き来する能力も持っているのではないかと議論にもなったが、そうであるのならそもそもA種を管理できるはずがない。奴らが牢獄に囚われ続ける理由が分からない。自ら囚われの身であるとでもいうのか。結局答えは出なかったが、(ハイパー)アリスならばありえなくもない話だ。

 

 不思議で歪な剣の塊は既にベルタの鼻先。何度目だよと顔を見せる死を、迎えようとする。

 

(――――――)

 

 黒殖白亜の隊員である以上いつだって死は隣り合わせ。外界から干渉を行う”外来種”どもの対応に雪原地帯及びダンジョンの調査、脱走したA種の対応。危険な任務ばかりでいつかはベルタも死ぬのだろうなと思いながらも任務に励んできた。同期の生き残りはもういないのだ。そう思いながらもなんだかんだ400年経った。案外しぶといもので気が付くと年長者の仲間入りだ。黒殖白亜メンバーの死亡率のおおよそが脱走したA種との戦闘によるもの。どんな強者も死ぬときはあっさり死ぬものだ。

 

 それでも敬愛するマスターのためなら命も惜しくはなかった、はずだった。

 

 今日は実に面白いものを見つけた。一介のクソ雑魚冒険者があのA種の【フルドリス】をぶち抜いたのを目撃してしまった。

 

 有効打には成り得なかったがベルタの興味を沸かせるには十分な理由だった。それから心臓を触媒にA種と渡り合うリズの事が気になって気になって仕方ない。真正面からそれも一人でA種と殴り合える存在がホームにどれだけいる?黒殖白亜にも祈り手にもそういない。外界の冒険者は糞だと聞いていたがいるところにはやはりいるのだ。久々に相手を明確に認識できた。

 

 心臓が酷く熱い。こんな症状は初めてで妙な心地よさを感じていた。マスターへの敬愛とも違った種類の熱。これがなんなのか知らなければ死んでも死にきれない。

 

 ベルタは寸前の覚悟で微細な魔力放出を起こす。

 

 急にベルタの姿勢が傾きぶれた。緻密な姿勢管制が命を繋げる。透明な剣は耳を掠め外れる。勿論これで終わりではない。(ハイパー)アリスは空気を踏みしめ一転し剣を切り返そうと一回転するが――――それはもう見た。

 

 あの剣が空間を切り裂くことから防御は不可能。おまけに切られた部分に緑で鬱蒼とした植物で広がっている。都市部は段々とおかしな世界へと変貌を遂げていた。既存の世界を何かへと塗りつぶしている。既に手遅れかもしれないがこれ以上の狼藉は黒殖白亜の一員として許しはしない。防げないのなら最初から振らせなければいい。

 

 ありがとう。その不可思議な存在がベルタの術式を完成に至らせた。

 

 

 だからもう死ね。

 

 

「――――――【夢宙境楽廻廷】(アイオニス・ヘイヴン)

 

 

 その瞬間、何かが起きた。傍から見れば(ハイパー)アリスとベルタの動きが一瞬静止したかのようにも見えただろう。理解できるのは術者ただ一人。

 

 A種との戦闘は【フルドリス】の存在から否応なくとも正面からの戦闘を強いてくる。認識のできない攻撃は攻撃として成立しないか?答えは否。一つだけ抜け穴が存在した。

 

 生物であれば誰しも睡眠をとる必要がある。寝ることで成長や新陳代謝が促進され心身のケアを行う。極端に言えば睡眠を行わなければ生物は死ぬ。

 

 でもA種は眠らない。常に覚醒しているのだが当時一介の研究職に着いていた頃、別部署と共同で行った実験結果で面白いことがわかった。

 

 A種は活動中も常にノンレム睡眠であり、深い眠りにあるということ。寝ているはずなのに起きているA種の存在に多くの者が頭を悩ませた。どう見ても意識が完全覚醒しているのにデータ上では眠っていると機械は数値で吐き出す。分かっていることの少ないA種の謎がまた増えただけ。矛盾だらけの存在だった。データが参考にならないなんてよくあるよくある。

 

 マスターの目的であるA種の異能の解析は遠のいていくばかり。異能を研究するマスターの真意もわからないまま誰もが嘆いた。役に立てれず力になれない事がつらかった。

 

 それでも研究に参加していたベルタはある仮説を立てることになる。その閃きはただの偶然。A種専門の研究職も今ではA種の飼育係と成り果て研究の意義を失っていた。後方勤務の癖にやたらとA種との戦闘が多すぎたのもあって死亡者・転属者続出。いつの間にか繰り上げ式で責任者の地位にいた。寂れた部署である。

 ベルタは戦闘職でもないのにホーム内個人ランキング上位に名を連ねるまでに強くなっていたのも当然の戦歴。この見た目もあってか歳を聞かれると驚愕されるのは見ていて楽しいけどね。

 

 いい加減異動を願い、ちょうどそのぐらいに黒殖白亜で新たに新設する部隊の隊長になるため独自の魔術を制作していた。睡眠や夢の方面からA種にアプローチを試みる研究をしていたこともあり自然とそっちの方向性で切り札を用意することになる。夢はあくまで幻。自由があるようにも思えるだろうが、その人が見る夢によって方向性が存在しルールがある。そこでふと思う。常に寝ているのに起きているA種ってまるで夢の世界の住人のようだなと。

 

 ・・・A種にとって現実(ここ)は夢の世界?

 

 我ながら突飛すぎる発想だと笑う。それでも妙にしっくりくる。それだと前提そのものが狂う。この世界が夢だなんて馬鹿な話があるものか。異物は明らかにA種の方・・・いや、そもそも我々はA種の何を知っているのだ?

 

 マスターがどこからか連れてくる謎の存在。そもそも我々は何を研究している?日々の身体データに異能の調査ばかり。外界ではホームをダンジョンと呼ばれているが、この巨大構造物は全てA種の為にあると言っても過言ではない。表層のダンジョンモドキはいきのいい雄の冒険者を確保するためのモノ。マスターがどこでそれを何に掛け合わせているかは誰も知らない極秘事項。同胞の中からそういった後ろ暗いう噂は聞いたことが無い。我々がどこから生まれてきたのか誰も知らないが重役の守護者ならば薄々勘付いているが確信も無い。

 

 それらをもっと知るためにも禁止区画に立ち入る可能性が高い黒殖白亜に入らねばならない。A種へのストッパーとして交戦する機会が多い栄光と殉職の世界。それでも常にA種に対し目を光らせる生活よりはマシに思えたし単身よりも集団戦で戦う方がいいに決まっている。その方がこの魔術理論を実証する機会も訪れてくる。こちらの定義する夢はA種にとっての現実。もしそうであれば夢を介した攻撃は現実への死に直結するのではなかろうか?

 

 ――――長きに渡り温めてきた魔術。その考えはこの時をもって実証された。

 

 グラリと体から力が抜け地面へと力なく落下する(ハイパー)アリス。唐突に体の四肢がバラバラに切り裂かれる。効果はご覧のとおり強烈。最初からこうしておくべきだったのだ。脱走者への魔術の露見を恐れ躊躇したつけか。

 

 理不尽なる象徴でもある(ハイパー)アリスの歪な剣は地面と衝突すると容易く砕け散った。

 

 

「ハアッ、ハアァ!」

 

 ああ、息苦しい。

 

 ベルタは留め具を外しフェイスメットを取り外す。押し込まれていた髪が濁流の様に溢れ汗が跳ねる。銀髪に赤い瞳。強く息を吐き深く息を吸う。魔術の反動で乱れた意識を必死に回復させることに注力する。

 

(深く、入り込み過ぎたッ―――!)

 

 通常ここまで負荷を受けることはない。【夢宙境楽廻廷】(アイオニス・ヘイヴン)は意識の無い相手に対してのみ有効な魔術。

 発動条件は睡眠、昏睡、気絶と精神が無防備な相手に強制的に夢を作り上げ、夢の中の出来事を対象を介し現実に出力させる。術者がきっかけを作り対象である本人自身の思い込みの力で死ぬ自死の誘発。ベルタを前に一瞬でも意識を弱めれば即時に白昼夢を挟み込み即死させる。その時ほんの一瞬相手と同調するのだが、それはあくまでも夢のとっかかりを作るための浅いつながり。

 

 ・・そのはずだったのに(ハイパー)アリスと繋がった時、奥底に広がる闇に引き込まれそうになった。初めての経験だった。マスターがA種への精神感応を禁止するのも頷ける。

 

 ―――――となるとこれもう既に通った道なのか。流石はマスターだ。

 

 ・・・一か八かの賭けだったが成功したか。やはり自身が提唱する理論は間違いなかった。だからこそA種の危険性がさらに浮かび上がる。異端の存在だとわかっていたつもりだったがまさかここまでとは。

 

 踵を返し黒い影と戦うリズ達の元へと向かう。”次の局面”にも備えなければいけない。(ハイパー)アリスはバラバラになって死んだ、奴らは不死者とは違う。A種であろうとこうなればお終い。その中でも突出してイレギュラーの塊であってもだ。

 

 だからこそ頭上から聞こえる重苦しい金属音がベルタに嫌でも不吉な予兆を知らしめた。

 

「??」

 

 頭上より落ちてきたのは鈍い輝きを放つ重厚なギロチンの刃。それがいくつも降り注ぐ。

 

 ・・・間違いない。夢で(ハイパー)アリスを切断するために使用した物。相手に死の夢を見せる場合その本人がイメージしやすい物であるのが望ましい。故に選んだのがギロチンによる切断。何の脈絡もなく死ぬのでは死への恐怖が湧き上がらずリアリティーに欠ける。それでは確実性に欠けるのだ。大事なのは死に至る過程だ。断頭台に向かう罪人はどんな気持ちで階段を上がる?特にA種には【フルドリス】という厄介な防衛機能を抱えている。毒殺も感電死も凍死も餓死も爆殺も普通の相手ならば効果的だがA種を殺せるかと言えば疑問が残る。

 

 視野の狭い無知相手に今からこれでお前を殺すと1から10まで教えねばならないのだ。やっぱり目の前で刃をこれ見よがしに見せびらかしそのまま斬殺するのが最適格。お似合いの末路だ。

 

 さて、なぜ夢の中のギロチンが現実世界に現れたのでしょーか?

 

 そんな疑問を呈す前に第一階層全体に何者かの声が響き渡る。

 

『―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』

 

 まるで地震でも起きたかと錯覚するような振動。地獄の奥底から響いているかと思わせる絶叫が、叫びが、唸りが、嬌声が世界を揺らがす。この世の物とは思えなかった。

 

 でもビリビリと振るえる空気がどこか懐かし気な気分を催させる。もちろん声に聞き覚えは無い。でもベルタは知っている。この胸に蟠る郷愁こそ答えなのだ。

 

 (ハイパー)アリスと精神を共振した際に感じた違和感。(ハイパー)アリスの奥底に何者かが潜んでいた、あれは決して勘違いではなかった。確証も無いのにベルタはこの声の主がその何者かのものだと確信していた。

 

 それも・・・・女だ。

 

 それと同時にマスターがベルタの提出したA種の夢に関する論文を握り潰した真意を悟る。精神干渉も実際危険ではあるのだが本当は干渉されるのを避けるための口実。A種がどんな存在かマスターは最初から知っていたのだ。だから余計なことをさせないようにと研究職から黒殖白亜へと遠ざけた。マスター直接の異例の黒殖白亜への推薦の真意がこれか。

 

 夢世界からの干渉。存在しないはずの物が現実へと幅を利かせる横柄な摂理。一見無茶苦茶な法則がまかり通っているように見えるがここはもうすでに現実ではないからこそ。

 

 いったいいつからだ――――?

 

 煌びやかな摩天楼の都市は見る影もなく、あちらこちらに草木が生い茂り霧が立ちこみ天より降り注ぐ光はぼやけている。緑の氾濫とでもいうべきか、未知なる空間が浮きぼりになっていた。未だ消えぬ文明の象徴である近未来的な建造物の残骸が異物感を醸し出し立場が逆転していた。こんな光景は初めてで圧倒される。あの叫びと同時に世界は飲み込まれようとしていた。ここは既にベルタの知る場所ではないのかもしれない。

 

 目の前でバラバラであった(ハイパー)アリスの姿にノイズが走り姿がぶれる。そこには完全復活した狂敵の姿があった。

 

 何かを確かめるように自身の肢体を確認し獰猛な笑みを浮かべていた。思わず後ずさるベルタを見向きもしない。それもそうか、この世界に引き込まれた時点でもう勝ち目がない。

 

 これも一種の”劇場”かそれ以上の―――――

 

 ここがどこかは知らない。一見、劇場共演型の魔術にも似ているがどうにも毛色が違う。ああいった型の魔術は敵を逃がさないよう空間に閉じ込め必ず魔術の影響下に晒し運命を握る。それをこうまで世界を広げる必要性はあるのか?術者の内面がよく表れるのも特徴であるが殺戮の徒であるA種の内面がこうも穏やかなものであるか疑念が残る。

 

 蝶は舞い、鳥が囀る。

 

 この陽気は一体なんだ?どうしてこうも温かい?それになぜ、こんなにも戦意が削がれる?

 

 ベルタは自身の胸中から湧き上がる感情の波に混乱していた。懐かしさと安心感に包まれどうしても構えた銃の引き金に指がかからない。目の前のA種は仲間を惨殺し尽くしたまごうことなき敵。あれほどまでに感じた殺意が、敵意が、湧かない。それどころか敵対することを拒んでいる。どう考えても精神に何かしらの干渉が行われている。

 

 精神汚染―――――既に術中に落ちている。

 

 ゆっくりとした動きで(ハイパー)アリスが近づいてくる。いつもは焦点の定まらない眼球がベルタをしっかりと見据えている。足元に落ちたギロチンの刃を踏みつけ消えたはずのあの歪な剣が再臨する。引きずりながらフラフラと歩いてくる。破れた服装も細かい傷も何もかもが元通り。A種にとって全ての現象は夢。まやかしであり現実でもある。このおかしな世界では生死を操る事なんて簡単な事なのだろう。

 

 とんでもないものに触れてしまったと後悔する。夢経由からの死は通じるなどと、研究者としての探求心と好奇心が傲慢を生んだか。その結果がこれだ。マスターの言いつけを緊急時だからと拡大解釈し強行した自身の行いに酷く打ちのめされる。

 

(申し訳ございませんマスター。ベルタは言いつけを守れませんでした)

 

 ただ強く罰を望んでいた。それはきっとすぐに叶うだろう。

 

 ベルタを一刀両断にせんと(ハイパー)アリスが剣を振り下ろした。

 

 

 ―――――その間にリズが割り込まなければ望み通り死んでいたことだろう。

 

 

「なッ!?」

 

「ウオおおおおおおおおおおあッ!」

 

 なにを考えてるんだこの男は!?割り込んだからってどうにかなるものではないだろ!?

 

 思わず目をつぶる。余りのも無謀。マスターの命令も碌に守れない自身への罰だと受け入れていたところに思わぬ助け。余計で無駄な行動に苛立ちを覚えた。リズは確かに外界の人間にしては強いが彼に何者も両断する歪な剣を防ぐ方法はない。

 

 これでは無駄死にだ。

 

 こんな愚者を救おうなどと。ベルタのせいで死なせたに等しい。また過ちを犯す。更なる後悔の中で剣がリズの突き出した”右手”と激突する。

 

 思わず目を瞑った。

 

 

 なにをするでもなく子供の様に震え、裁決の時を待つ。

 

 だが――――いつまでたってもその時は来ない。どうした、ベルタはまだ生きているぞ。

 

 ゆっくりと目蓋を開きぼやけた輪郭が姿を捉える。

 

 

 そこには・・・・体の中央から縦に両断された(ハイパー)アリスが転がっていた。

 

 リズの右手から形容しがたい空間の破片たる剣が揺らめき色めき立つ。

 

 ・・・???・・し、死んでる・・?・・え、マジで?

 

 

 

 

「・・・・・・は?――――ッ!??――??」

 

 理解が追い付かない。あれほどまでに強大な存在であった(ハイパー)アリスが死んでる・・・・え、え?

 

 

「お前・・そんな面だったのか・・」

 

「リズ!?」

 

 唐突に倒れるリズの背中を受け止める。それと同時に右手の剣も霧散した。どこか怪我でもしたのかと心配する。

 

「す、少し腰が抜けたな・・・起き上がるから肩を貸おごぉ」

 

「別に構わないよ。疲れてしまったのならしょうがない、うんうん。まったく楽しい奴だなぁ君は」

 

「・・・・・・やっぱ近いよな」

 

 ベルタはリズを背後から羽交い絞めに抱きしめるも反応が弱い。抵抗されるかなとも思ったがまさかの無抵抗。喜びの余りに少々大胆になってしまったが、今の気持ちを分かち合うにはこれしかない。

 

 ああ、まさか冒険者がA種を打倒するとは卿は驚かされてばかりだ。すんすんとリズの頭頂部に鼻を擦り付け匂いを嗅ぐ。ここか、ここに秘密が・・あるわけないか。リズも殺すべき対象なのだが、もっと匂いを感じていたかった。

 

 まさか要抹殺対象の一人をよりにもよって外界の冒険者が撃破するとは・・・すごい。

 

 おかしい、ベルタちゃんはもっと理性にあふれた知的な女だったはず。はしたな過ぎる。これはきっと破廉恥だ。どさくさに紛れリズの手元に(ハイパー)アリスの心臓が無いのを確認する。

 

 (ハイパー)アリスの死にざまから武器を目の前で奪われ逆に切り伏せられたのだろう。奪って、殺す。なんとも分かりやすい構図。(ハイパー)アリスその剣の威力を知り振るう者であるのだから認識の範囲内。当然【フルドリス】も機能しない。

 やはり敵の力で敵を屠るに限る。この土壇場で頭がよく回る男だ。おまけに手癖の悪い破廉恥だ。Bランクの称号は伊達ではないのだと上方修正する。今までの冒険者とは踏んできた場数も格も違う。

 

 もっと―――彼の事が知りたい。

 

「(うーん、欲しいなこれ。どうにかリズのまま生かしておけないものか)」

 

「はぁッぜぇはぁ・・・・おぉーぃぃぃ」

 

 不穏な事を考えているベルタをよそにアリスを背負ったボロボロのグレイズが近づいてくる。召喚者が死んだことで黒い影も消えたか。獣人君もよく生きていたなぁ。A種の加護があるだけのことはある。

 

「リズさん酷いですよッ!僕一人にあの化け物の相手をさせるなんて!消えたから良いモノを洒落にならないですって!!」

 

「悪かった。正直すまん」

 

「僕の扱い酷くない!?自分の役割はわかってるつもりだけどですねッ。惨い!ですよ」

 

 やけくそ気味に叫ぶグレイズにリズは僅かながらに罪悪感を覚える。仕方がないんだ。役割的にあれほどまでに囮に適した者はいない。タンクは敵からの注意を引き攻撃を受けるパーティ戦における守りのかなめ。異常な再生力とたっぱのデカさに意識せざる負えないあの見た目。ついつい昔が懐かしくて甘えてしまった。でもそれは、こいつなら死なないと信頼した上での判断でもある。

 

 おぶさるアリスになでなでと頭を摩られるグレイズ。そしてベタベタと俺に張り付くベルタ。

 

 結果として誰一人欠けず生き残った。

 

 ・・・奇跡的だ。

 

 (ハイパー)アリスとの戦闘はまさしく地獄であった。奇襲に大規模空間転移、謎の魔術の展開、フィールド形成に召喚術。戦いにおいてここまでいいように場や流れをコントロールされたというのに五体満足で生きている。俺一人ではダメだった。皆が居なければ今頃・・・

 

 妙な一体感が久しく遠い記憶を蘇らせる。仲間とはこういうものであったなと。苦くも美しい若かりし頃の青臭い記憶が蘇る。

 

 



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第23話 死神の異名

 

 

 ”死神”とまで揶揄されるほどまでにリズは仲間を死なせ自分ひとり生き残ってきた過去がある。安息を求める仲間と、未知を追い求め刹那に命を注ぐリズとの意識のすれ違い。冒険者としてのランクが上がる程それは浮き彫りになっていく。Bランクに上り詰める頃には誰一人として仲間は残っていなかった。意識と才能の壁が容赦なく間引いていく。上位ランカーにソロが多い理由の一つがこれだ。ランク持ちまでいくと何でも一人でこなせる様になっている。

 

 冒険の渇きを埋めるためには危険な場所へと赴くしかない。だからか、みんな俺一人置いて死んでいく。誰一人ついてこれない。いや、その領域に至れたのが俺一人だったという話か。

 

 どれほど経験を積もうと死は唐突に訪れる。それもそのはずだ。仲間との冒険に対する意識の乖離が生み出した結果がこれなのだ。安住と刹那の刺激を求める者が相容れるはずもなく、それに気が付けないまま邁進し・・・一人になっていた。

 

 だが、それでも楽しかった。楽しかったと言えてしまう。

 

 死神と糞みたいな陰口を叩かれようとも気にしたことなんてなかった。寧ろ誇らしく感じていたほどだ。つまるところ俺は仲間の悲劇をも冒険を彩るスパイスの一部としか認識していなかった。死は際どさを浮き彫りにし冒険に彩を添える。死人の数だけ過酷さを際立て武勇を高まらせる。それほどまでに数多の名も知れぬ冒険者の死体で踏み固められた世界に魅せられていた。

 

 ・・・・そのはずだったんだ。

 

 

 

 

 

 ある時の話。取るに足りないランク外・・通称”無色(クリア)”の冒険者を助けたのが切っ掛けだった。

 

 ・・・それは偶然でありただの気まぐれの出来事。彼らの運が良かっただけ。

 

 

 リズは冷気渦巻く雪原の中をいつものように一人で近場の都市へと帰還中、血の匂いと複数の気配を感じた。興味本位で付近を探ると息も絶え絶えの冒険者がお互いに身を寄せ合い魔獣に対して身構えていた。敵は四足歩行の魔獣が6匹。それに対し冒険者側は5人。そのうち一人はどうやら気絶している。

 

 戦況を見るに全滅一歩手前といったところか。リズは丘の上から見下ろしながらそう判断を下す。たいして珍しくもない光景。魔獣たちは頭がいい。吹雪いてきたところで帰還中の冒険者に奇襲を掛けたのだろう。帰還中はどうしても気が緩みやすく、その瞬間を狙われたか。

 

 寒さをモノとしない魔獣たちは体色が白く姿が捉えずらい。雪の中での戦いは魔獣側が基本有利であり熾烈を極める。冒険者初心者はこの洗礼を生き延びれるかどうかで今後の生き方が決まる。都市内でセコセコとちんけな依頼をこなすか、恐れず冒険に出るか。嫌でも現実というものを思い知らされる。

 

 (・・・これは死んだかな)

 

 足元には火の消えたカンテラ。火元は冒険者の手元にもう一つ。あのサイズのカンテラが展開する火の結界は有効範囲半径約3メートル。その中でなら寒さで死ぬ事も無い。

 

 だが怪我人を抱えたまま身を寄せた所でどうしようもない。魔獣たち何度も言うが頭がいい。最初の奇襲でカンテラを持つ先導役を潰し足手まといを作ることで移動に制限を掛けたか。帰還中はカンテラの炎の勢いも弱くそんな炎では魔獣は恐れない。炎の勢いを考え余裕をもって帰還しないとこういったリスクが生じる。膠着状態が長く続けば灯された火はいずれ消えてしまう。火の大きさから猶予はあと少し。

 

 この様子だと燃料の火石も持ち合わせていな。依頼を達成した帰りであろうと確信する。金が無いような末端冒険者はどうしてもギリギリを攻めねば稼ぎにならない。外界探索にはそれなりに準備費用が嵩む。

 

 このまま魔獣たちは時間を稼いでいればよい。あらゆる角度から来る散発的な攻撃で挑発しながらストレスを刺激する。

 

 必死に身を守る冒険者たち。反撃を試みるも雪の迷彩で対応を誤らせる。

 

 鮮血が雪を染める。更に倒れる仲間の姿に動揺が広がる。

 

 ――――――ほらまた対応が甘くなる。

 

 動揺を察し攻め時だと判断したのか同時に圧し攻める二匹の魔獣。勢いよく爪を振りかぶる。

 

 

 

 ズギャンッッ!!!

 

 

 倒れこんだのは・・・意外にも魔獣の方であった。

 

 雪の中で迸る紫電。今のは電撃系の魔術・・・珍しい事に”魔術師”がパーティ内にいたようだ。

 

 魔力を阻害するこの雪の中で術式を崩さず行使できるのは魔術師しかいない。”スキル”による魔術を使える冒険者は多いがそれは使えるだけであって魔術師を名乗れるほどの知見を兼ねそろえているのではない。威力もキレもまるで違う。雪の届かない結界内ならば十全の威力を発揮できる。結界外に出た魔術は雪によって効果が減退し散るが3,4メートルは形も威力も維持する。あれならば殺傷力も高い。

 

 だが今の一撃で魔獣側も動きを変えてくる。普通はこれで退散するがそれをしないということは・・・・なるほどこの気配はあれか。そこまで無理に攻める必要はないのか。足止めさえしていればあとはどうにでもなる。

 

 魔術の使用回数も限られている。さあどうするんだ。”余り”時間は無いぞ。

 

 いつの間にか何かを期待するような心持で俺は冒険者の行く末を見守っていた。それは最初で最後の後悔。若き頃の俺が失敗した状況とよく似ていたからだろうか――――――

 

 吹雪が次の展開を推し進めようとさらに吹き荒れていく。状況はさらに悪くなるばかり。先に動いたのは冒険者だった。そうだ、動くしかないのだ。

 

 魔術師はカンテラを構え―――――無事な二人を連れ駆け出す。

 

 残りを囮にして。

 

(・・・・・・・)

 

 なんとも有り触れた幕引き。なぜだかリズはがっかりしていた。

 

 別におかしな判断ではない。残酷にも思える行為だが死んでしまっては意味がない。雪に閉ざされた外界を探索する者は必ず帰還するようギルドから強く推奨されている。外界は特別な火が込められたカンテラがなければまともに探索ができない危険地帯。特に詳細も分からない空白地帯など積極的に探索する者はそう多くない。

 

 地図上ではまだ探索されていない未踏の空白地帯。そこに何があるのかを確認しギルドに報告すればかなりの報酬が得られる。ギルドの職員と懇意にもなれる。たとえランク外の無色(クリア)であろうがまだマシな扱いを受けられる。外界関係以外の依頼でも報酬を上乗せしたり、おいしい情報をくれる。

 

 一番大きいのはやはり火を一手に取り扱う火継守への取次をしてくれることか。ランク外の木っ端冒険者が受けるには過剰なまでのサービスの数々。なぜそれでも外界を探索する冒険者が少ないのか。答えは単純。帰還率の低さにある。だから重宝もする。

 

 そう、ああそうさ。彼らは何も間違ってはいない。そう何も・・・どこからどこまでも同じ行動を辿る冒険者たちに少し苛立つ。まるで過去の自分を見ているかのようだ。やはり俺は仲間を見捨てたことを後悔しているのか。思えばあれが分岐点だった。あれから俺は仲間を仲間として認識できなくなった。表面上では仲間だと取り繕っていても結局は都合のいい冒険への付属品としか見れていない。何も期待しちゃいない。思い出を美化するだけの添え物としての役割くらいにしか思っていない。悲痛な叫びをあげ逃げ、俺たちの背に助けを求める仲間の声が忘れられないのに町に無事に辿り着いた時、見捨てた罪悪感よりも生き延びたことへの喜びと満足感がたまらなかった。俺は心の底から笑っていた。楽しかったと笑えてしまう。

 

 ・・・・・・・それでも時たまに思う。もしあの時仲間全員で生き延びていれば何かが違ったのかと。

 

 

 囮を置いて一目散に離れていく冒険者を尻目に魔獣は警戒しながらもゆっくりと置き去りの冒険者に近づく。逃げた冒険者を追うつもりはないようだ。

 

 それもそうかあの先には・・・・

 

 我慢できなくなったのかその内の一匹が瀕死の冒険者に齧り付いた。魔獣の噛みつきは岩をも砕く。人間では到底耐えられるものではない。人体など容易く破壊する。

 

 だが、捉えるはずだった冒険者の体は忽然と消える。踵を返そうとした俺の足は思わず止まる。

 

 バチバチッ!

 

 空気が弾ける音と共に再び紫電が走る。群がるように集まっていた魔獣どもの体が焼き焦げ雪が舞う。何が起きたのか分からず狼狽える魔獣たち。それでも俺の目にははっきりと捉えていた。

 

 死に体の冒険者の幻術が消えそこから現れたのは逃げたはずの魔術師。

 

 まさかの幻術。囮の体は最初から幻。先に逃げた冒険者は動けない仲間の体を幻術で偽装して担いで逃げたというのか。魔術師が己を犠牲にしたのか・・?冒険者において魔術師の価値は計り知れない。それが囮を引き受けるなんて、それほどまでに固い絆があるということなのか?

 

 だが、どうして冷気の中を動ける。カンテラは残り一つだけだったはず。あの魔術師はどうやって寒さを耐えているんだ?そもそもこの雪の中でどうやって幻術を維持できる?

 

 リズの疑問は直ぐに氷解する。舞い上がる雪がブワリと風で薙ぎ払う。幽かに輝く赤の光。魔術師は杖を右手で構え、左手には火が燃え移っていた。

 

 凍死しないようにするために自身に継ぎ火した!?しかもあの状態で幻術を維持し続けていたというのか!?

 

 素晴らしい集中力、凄まじい覚悟たるや。人生の瀬戸際だからこそ実行できる決断。それでもここが限界、傍から見ても衰弱している。好機を逃すはずもなく魔獣が襲い掛かる。

 

 魔術師が笑みを浮かべているのは仲間の安全を確信したからか。とても満足したものであった。

 

「ギャギッッ!!」

 

 魔獣の背後から矢が飛来する。完全に予想外の出来事で魔術師は唖然としている。この状況での援護。誰が来たかなど語るべきことでもない。まさか戻って来た?仲間を助けるために?

 

 そのまま奇襲を受けた魔獣たちの勢いは瓦解する。魔術で数が減らされたこともありそのまま一気に殲滅された。

 

 涙を流しあるはずのない再会を果たす冒険者たち。傷を負いながらも皆が皆、笑い合っていた。

 

 肩を借り過ぎ去る一団の背中を眺めながら俺は居た堪れずにいた。彼らの笑顔があまりに眩しすぎた。光に煽られ影が差す。

 

 どうしようもないほどに俺は一人だった。

 

 ああ俺はどうして今も一人なのだろうな。いつからか、どんなに危険な場所への冒険を果たしても満たされぬ心。

 

 答えは簡単だ。それを共有できる存在がいないからだ。どんなに素晴らしい財宝も壮健な光景、未知なる出会いも語り合うべき相手がいなければ何の意味もない。

 

 そうだった・・・俺はただ、みんなと同じものを見て肩を組んで大笑いしたかっただけなんだ。酒場で旨い酒を飲み交わし朝まで語り明かす。それだけでよかったのに。

 

 いつからだ。あんなにも欲っしていた名声がどうでもよくなったのは。

 

「・・・・・・・・ふくくく、ほんと。今更だよなぁ」

 

 名声は重く圧し掛かる。その名に恥じぬ働きをしてきたつもりだったがそれが高まるほど俺を孤独に追い込むジレンマ。憧れと恐れと嫉妬の混じった視線。名声はその人間を見る者の目を曇らせる外装。

 

 皆は俺を孤高だと称するが本当は仲間が欲しかっただなんて、俺は今まで何をしていたんだ。

 

「―――――――――――まだ、間に合うか」

 

 冒険者になりたての頃、辛いことばかりの生活であったがそれでも当時はたくさん笑っていた気がする。

 

 今は、どうだろうか。ちゃんと笑えているだろうか?一人では、なにより自分自身では確認のしようもない。

 

 俺も、あの冒険者達のようにまた笑うことができるのか。

 

 ・・・・・・・やっぱりあの依頼、受けてみるべきか。

 

 

「ああ、とても尊いものを見た。進むべき道が示されいい気分だ。だが、その前にやっておかないといけないなぁッ!」

 

 ズズン!!と、積もりし雪を震わす足音。吹き荒ぶ銀幕の奥底からその巨体が徐々に正体を現す。存在はずっと感じていた。予定にないイベントだと見向きする気も無かった。金銭に余裕もあり普通なら無視する相手。

 

 だが悩みの途切れた清涼沸き立つこの読了感を台無しにしたくない。そう、ただの気分だ。

 

 このまま無残に冒険者たちが殺される希望のない結末なんてケツ舐めやがれってんだ。例え相手が災害指定の害獣であろうとも邪魔はさせない。

 

 ようするに・・邪魔なんだよおまえが。

 

「――――これはまあ、サービスだ。新たな冒険者達に祝福あれ!うおあおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉッッ!!!」

 

 この時の俺に負ける要素はどこにもあるはずがなかった。

 

 この日、都市の近くで放電現象が確認された。それは次の朝方まで続く稲光。夜がまるで日中の如きしらけさを保ったとのこと。翌日、その首をもって資金を確保し俺は三大禁忌の定期評価のための集団調査に参加することになる。

 

 素敵な仲間を夢見て新たな門出するつもりだったのだ。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・そうだこれなんだ」

 

 そして今。これほどまでに充足していたことがあっただろうか。心臓の躍動が彼らとならここを脱出できると確信させる。何の根拠もない。でもこの出会いは値千金にも勝る。アリスとかいう化け物に勝利したこの結束感こそ俺が求めていたものじゃないか。

 

 ベルタの手を借り立ち上がり、グレイズの元へとフラフラとした歩みのまま近寄る。浮ついた精神が心なしか歩みに表れている。すぐにも倒れそうだが、それでもみんなで健闘したくて堪らなかった。

 

 

 

 

 だからか、俺は全く背後に気を留めていなかった。ベルタとの共闘とその麗しい見た目でどこか油断していたのかもしれない。勝利した後こそ気を引き締めなくてはいけない基本中の基本も忘れ、ただただ浮かれていた。欲しかったものに触れ言語化できない熱に浮かれてしまった。

 

 思い出さねばならない。この共闘はあくまで一時的なもの。倒すべき共通の敵がいなくなればどうなるかなど、終わった後まで見据えていた者からすればこの瞬間こそまさに絶好の機会と言える。

 

 バラララッ!!

 

 乾いた銃声が、鳴り響く。

 

 

「―――――――」

 

 

 最初何が起きたか理解できなかった。思考に空白が生まれる。いや、理解しようとしなかった――――

 

 頭を撃ち抜かれ倒れるグレイズ。

 

 その動きはとてもゆっくりで緑の大地に倒れこもうと、

 

「う、ぐおおおあああああッ!?」

 

 せず、足を踏みしめこちらに駆け出す。

 

 同じく俺の脇を通り抜けベルタが機関銃を乱射しながらグレイズに肉薄する。

 

 ――――――――!

 

 一瞬、目が合ったがベルタは構わず駆ける。

 

 そうだ。そうだった。ベルタは―――敵だった。敵らしからぬ奇天烈な態度も全ては演技か。

 

 リズは吸い寄せられるように後を追う。思い起こされるはベルタとの会話。ほんの僅かな間ではあったが魔境の住人との会話は困惑しつつも可笑しく楽しいものであった。

 

 その背を追随する内に芽生えた感情の一切を過去のものとしていく。

 

 忘れてはいけない。この女も存外に化け物であることを。

 

 

「ベルタアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 



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第24話 代償

 

 ベルタは機関銃を両手に抱え獣人擬きへと迫る。狙いは頭部に両ひざ。いかに身体能力を強化しようとこの集中砲火を耐えられるわけもなく、肉薄するベルタへと振り上げられた剛腕も自重でへし折れた膝でバランスが崩れあらぬ場所へと振りかざす。

 

 そう地面へと。

 

「・・・を?」

 

 ドゴォッ!

 

 重い音とともに地面が割れ思わず足が捕られる。魔術なしの純粋な腕力だけでこれを成すか。前よりも成長している?ギラついた獣の眼光がベルタと交差するが答えは当然返ってこない。

 

 この意思に燃える眼・・・見ているのはベルタのさらに後方か。

 

 見事に挟まれてしまったなぁ。

 

 

 ――――リズ。

 

 あの技、正体は判明している。同じ類のことが出来る奴を知っている。そうあれは”特攻”だ。

 ”特攻”は本当に厄介だ。世界ですら誤認する特異な動作。余りにも自然すぎて世界が異物を異物として認識していない。どこまでも連続する主観なる世界に勝手にフィルターを挟み込む限定的な現実改変能力と、我々は結論付けている。

 

 効果は違えど”一文字”と”影喰み”の同系。優先権と強制力の頂点。タイミングを逃さない。あのA種ですら防ぐことのできない一撃はベルタでは防げない。

 

 それでも所詮は人間。一応の救いとしてその方向性は見えた。

 

 リズは一芸に多くのリソースを費やしている。特化しているとも言っていい。特攻を起点に魔術を発動する徹底ぶり。神言魔術を絡めた特攻で戦闘パターンを切り替えるのだ。他にもまだ見せていない神言魔術があることだろう。

 予測だがなんとリズは冒険者でありながら<職業>(ジョブ)システムを利用していないと考えている。スキルを一切使わないのがいい証拠だ。A種戦はベルタですら出し惜しみできる余裕はないのだ。リズでは余力がどうとか考えられる立場にない。

 

 素でこの強さとはたまげたことだが特攻の存在を隠蔽するためならば納得できる。あれはちょっと強すぎる。詳細は不明だがまさかあんなよく分からない武装?すら手の内に収めてしまう。あの瞬間を諦めから見逃したのは失敗だった。どうやって奪った。そもそも素手で触れても大丈夫なのか?空間の破片ってどうやったら掴めるんだ?わけがわからないね。

 

 ああ~それにしても長所をさらに尖らせるビルドは思い切りがよく見ていて気持ちがいいものだ。かと言ってピーキーさ特有の安定感の無さもなく満遍なく隙の無い身体性能を保有している。人間にしては破格の強さだ。天然物は美しい。

 

 

 だが、心臓を媒介にした神言魔術を失なったリズの現在の身体能力は”ここの基準”では脅威にもならない。

 

 背後から迫るリズに対し振り向きざまに反応できない速度の蹴りで首をへし折るもよし。銃を取り出し射殺、魔術で焼き殺すもよし。いや、万が一を考えると近づけたくないなぁ。

 あの特攻は有効射程距離があるのは明白。じゃなきゃわざわざ近づく意味が分からない。流石のベルタちゃんでも条件が不明なのはちょっと怖い。

 

 おまけに異能が成長途中であるであろう獣人君の動きも無視できない。類を見ない異能の成長速度。膝の傷ももう治りかけている。大した不死性だ。何より厄介なのが痛みで動きが鈍らない持ち前の精神力。まるで怯まないとはどういうことだか。不死性に強靭な精神力が合わさると面倒なのは周知の事実。こいつの剛腕で殴られたら普通に痛そうだけどもそれでも魔力障壁は破れないだろう。一番危険なのは力任せに掴まれてからの噛みつきか。あれは多分障壁ごと砕いてくる。獣人の顎の力って怖いなー。

 

 いざとなれば【転移】を使って逃げ、大規模魔術によるアウトレンジで一方的な状況に持ち込む・・・いやその必要も無いか。こいつら以外にも相手をしないといけない相手が多すぎる。余力は残しておきたい。遊びは無しで行こう。

 

 (ん~)

 

 刹那ともいえる時間。チラリと草原でこちらを眺める一番の不安要素を見やる。相変わらず何を考えているのかわからない顔。長い金髪が風で靡いている。不確定要素を勘定しても時間の無駄か。

 

 ――――ま、余裕っしょ。

 

 そのままベルタは背後から迫りくるリズを無視して膝の傷で若干前のめりになったグレイズの顔めがけて上段蹴りを叩き込んだ。狙いは顎。どんなに強固な肉体であろうと脳みそはどうしようもない。一瞬でいい。意識の復帰が早くてもわずかな暗転がその命を刈り取るのだから―――そのまま唱える。

 

 

【起爆】(イグニッション)

 

 

 

 

 

 

 

 ベルタまで距離3メートル。リズは飛び掛かる。あと1メートル詰めれば確実に奴の心臓をもぎ取れる。絶対必中回避不能。誰にも防げない人間には不相応な強制力と優先権。あと半歩詰めれば勝てる。

 

 だのに突如リズの腰のあたりで爆発が起きた。

 

「―ッ――――――――ェ」

 

 微かに見えたぶれる視界の中でベルタは半身をひねる。それも一瞬。リズの体が浮いた滞空時間中にこちらの脇腹へと拳を打ち込み、また唱えた。

 

 

 【夢宙境楽廻廷】(アイオニス・ヘイヴン)

 

 

 瞼が下りて開くまでの刹那。グレイズの巨体が枯れ木を思わせる形へと変貌した。所々に残り火を纏うそれは地面に倒れた途端ぽっきりと折れてしまった。

 

「・・・?・・??」

 

「ああ、そっか。外界じゃ火葬の文化はないんだっけ。はは、珍しいでしょ焼死体なんてッ」

 

「う、ぐおあッ!」

 

 リズは地面に組み敷かれ完全に腕を極められてしまう。こ、こいつ!?

 

「な、ぜ―――俺に手加減ずる!?」

 

「いや、やっぱりどうしても殺したくなくてさリズ。ちょっとお話ししよっか」

 

 その口調はとても優しくグレイズを躊躇いもなく殺した張本人とは思わせない穏やかさを醸す。きっとなんとも思っていないのだ。手のかかる子供を宥めるような声色に態度がリズの神経を逆撫でる。

 

 舐めるなよッこの距離――――――確実に殺れる!

 

 だが見透かされたかのように空いた右手にベルタの手が絡みついた。

 

「!?」

 

「わ、わわ。おっと駄目だよ。そんなことしちゃ別にリズは殺さないから。落ち着きなって」

 

 ―――まさか理解しているのか!?

 

 心臓や武装を奪ったことをこいつには知られている。だがそれを”どうやって”手にしたかまでは一度たりとも開示していない。心臓に関しては(ハイパー)アリスの体が壁となり手元は見えなかっただろうが。

 

「ふふふ、うちにもいるんだよねリズ。君と似たことができる子がさー。君に不手際はないよ。でもさ使った相手が悪かった。認識できる情報しか受け取らない、理解が及ばぬ情報は受け付けないA種の心臓ぶち抜いてるんだもん。どんな高位魔術でも奇跡であろうと無理無理。心臓持ってるリズを見て真っ先に”それを”想起したよ」

 

 じゃあなんで細かい条件まで看破してんだよこいつは!

 

「説明いるよね?いや、する!絶対する!ほらほら語っちゃうよリズ~」

 

「ギ、ぐぃ」

 

 可愛らしい笑顔を浮かべながらもギリギリと締め上がる右腕。関節を外そうにも体重を掛けられて上手く抜けれそうにない。

 

「発動の瞬間を見せなかったのは偉いけどそのあとが駄目だね。ダメッダメッ。右手に心臓抱えたまま戦っている間に一度でも他の部位を奪ったかな?奪ってないよね?左手がずっと開いてる時点で使用条件に右手が関わっているのは察しがついたよ、てっこれはさっき言ったかな」

 

「それ、は・・敵の速度に付いていけなかっただけ、だッ。」

 

「確かにリズには経験のない速度のお話しだったかもね~よく対応できたね。えらいえらい。人間にしてはすごいよ。とりあえず左手でも使えるかどうかは置いておいてさ、少なくとも何かを掴んでいる状態では行使はできない、だろ?リーズほらこうやって手を繋いでいるだけで無力化できちゃうね、リズ」

 

 汗ばんだ手が絡み合いニギニギと蠢く。ベルタの目的がまるで見えてこない。未だになぜ俺は生かされているのだ。あの爆発は【起爆】(イグニッション)だったはず。あれを至近距離からもろに受けて生き残れるはずがない。手加減されたからこそこの程度で済んでいる。

 

 腰辺りで起きた爆発。原因はベルタから受け取ったナイフの収まったベルト。

 

 ―――あれはそもそも罠だったのだ。どおりでグレイズにも道具を渡そうとしたはずだ。軽率かもしれなかったが(ハイパー)アリス相手に生き残るには装備がどうしても足りなかった。まず生き残るには越えなくてはいけない絶壁。全てを賭さねばならなかった。

 

 実際あれがあったからこそ一気に畳みかけれた。仕方がない部分もあるとはいえ俺は文字通りの爆弾を受け取ってしまったのか。

 

「あはは。なんか手汗すごいけど大丈夫?・・ベルタのじゃないよね?恥ずかしいな」

 

「ここまでッ、ここまで筋書き通りだった、のか。こうなると読んでいたのかッ?」

 

「動きの読めないA種関連以外はね。あの時ばかりは死んだと思ったんだけどまさか(ハイパー)アリスを返り討ちにするなんて。初めて異性というものを意識しちゃったよ。これが女というものなんだね~。確かにアリスの使用する武装だからこそああも綺麗に真っ二つにできたんだろうけどさ、あはは度胸あり過ぎでしょ。リズが斬り伏せられたかもしれないのに思いついても普通はやらないって。その度胸は驚嘆に値するよ。カッコいいねリズ・・・ベルタはね紛れもなくリズのおかげでこうやって生きているんだよ。こんな風にお話もできなかった。本当にありがとうねリズ」

 

「お”ッぐがああああああアああッッッ!!」

 

 鈍い音が静かに響く。感謝とともに折られる右腕。それとともに背中に感じていたベルタの体重が消えた。

 

「・・・・やっぱりさっきから左手はフリーにしていたんだけど特攻を行使する様子はなしと」

 

「お前、は一体何がしたいんだッ!どうして殺さないんだッ!」

 

「君のことが・・・す、好きだからじゃダメ?」

 

 ・・・突然の告白。リズは戸惑う。いったい何をとち狂っているんだ。戦場でロマンスだと!?

 

「だったら好きなやつの腕をへし折るか!?好きなやつの仲間を殺すのか!?」

 

「ベルタちゃんはさ、本音を言うとリズを殺すことに気が乗らない。でもその力は”マスター”にとって脅威になり得るから自分でも納得できる形で丁寧に無力化してみたんだけど・・・・やっぱ無理みたい。”理性”と”本能”の均衡がどうしても崩せない。残すとすればやっぱり態度の問題かなあー」

 

 自身の額を指で叩きながら残念そうな面持ちでいるベルタ。なにを言っている。理性?本能?どういうことだ。

 

 俺を殺したくないっていうのはどうも本気らしい。そうでないなら既に何度も死んでいる。力の差は嫌と言う程思い知らされた。

 

 考え込む俺をよそに傍でしゃがみ込み素手で土を掘り返すベルタ。そしてその土を俺の頭に盛り、毟った草をパラパラと散らばらせる。

 

「さてと。いい感じに無様な感じになったかな。さてこれが最後の生存チャンスだよ。いいかい、これからするお願いに必ず”はい”で返してね。そうすればリズを殺さなくて済む、多分。反抗的な態度やめてできるだけ惨めに頼むよ。もしかすれば殺す価値もないゴミと脳みそが誤認できるかもしれないからねリズ」

 

「・・・・断、る」

 

「・・・・なんでさ、お願いだからいうこと聞いてよ。このままだと死んじゃうんだよリズわかってるのリズ?そもそもここからどうやって逃げるつもりなの?言っちゃあ何だけど君程度の実力じゃあ無理だから大人しくするのがお利口だと進言するよ。ここには私ですら手も足も出ない奴がいるんだぜ。楽な方に流されたら?今はダメでもいつかまた脱走の機会は訪れるかもしれないし。まあそれまでベルタの補佐にでもなってもらおうかな、うへへ。従ってくれないと君も頭に穴を開ければ嫌でも大人しくなるよ。それは嫌だろリズ?何よりベルタが嫌なんだけど」

 

 まあ逃げ出そうとする度にベルタが心を折るのだけれども。それでも折れねば脳を弄るしかなくなる。死亡率が半端ないからそれは何としても回避したいのが心情だ。

 

 でも、この目。最後まで抗うと言っているようなものだ。きっと答えは決まってるんだろねー。それでこそだよリズ。それでこそだ。弱くてもカッコいいだなんて矛盾してるなぁ。

 

「俺は、冒険者だ・・・生き残る可能性があれば泥水だって啜るさ・・・でもなぁ!仲間を殺した奴に媚びを売るとか死んでもごめんなさいだろうがッ!このアンポンタンがッ」

 

「ア、アンポン、こ、殺したのは謝るよ!でもほらお互い敵同士だしさあ。立場ってあるじゃん!もうちょっとベルタちゃんの葛藤も汲んでくれてもいいじゃないか~。あんまり我儘はよくないぞ!」

 

「だったらそこで見てろ!お前の手は借りんッッ!!」

 

 リズが考えたうる最後の手段。どうせ死ぬというならば試してやるさと賭けに出る。あの人も言っていただろ。

 

『あれもこれも森羅万象の全てが冒険。困った時にこそ馬鹿げた行動にも意味を見いだせる』

 

 だからこれもまた冒険なんだ!

 

 そのまま躊躇することなく力いっぱいに俺は舌を噛み切った。

 

 リズの口からどくどくと血が溢れる。

 

 

「うわ!もしかして舌噛み切っちゃったッ?そんなにベルタのことが嫌いかッくそ楽に死ねると思うなよリズッ(?)」

 

 

 抵抗されるのはわかっていたがまさか舌を噛んで自決するか。舌を噛んでも必ずしも死ぬわけではないのに。出血するにしても舌周りの筋肉が収縮し出血を抑える。舌を飲み込み窒息もあり得るが素早く口に手を突っ込んで何とか取り出した。これで一安心と思いきやリズの体がやけに冷たい。というか出血が収まらないんだけど?

 

「・・・・いや、そこまでするのか。そんなに、嫌いかみんな大好きベルタちゃんを」

 

 出血は首。自身が渡したナイフで首を刺していた。この念の入れっぷり。そうでなくても彼の体はベルタによって酷く傷ついているのだが。

 

「なんか、普通に腹が立ってきた・・・・こうまでされると逆に・・・恨み言の一つでも聞いてもらわないと気が済まんないよリス。お前なんてリスだリス」

 

 なんだかこのまま死なせてしまうとひどく後悔するような気がして、つい魔術を使用してしまう。愚かな行為だとわかっていても、とても寂しくて仕方がなかった。短いやり取りの中での彼との時間はいつのまにか膨らみ続けていたようで、彼が死んだ瞬間張り裂けそうで怖くなってしまった。平静を装っているが取り繕っているだけだよ。これが男を知るということなのかね?

 

 リズの傷が瞬く間に癒されていく。火傷も首の傷も失われた血も回復させる。

 

 静かだ。時折風で靡く草木の擦れる音がどうにも孤独に感じさせる。

 

 ほんと何やってるんだか。ベルタは気が狂っているのか?個人にここまで執着している意味が分からない。

 

 この心境の変化は何だ。治療してどうする。結局殺すことには変わりないんだぞ。

 

 そこはどうあがいても変えられぬ。このことがバレてみろ。ベルタだって処刑されるんだぞ。マスターには・・・逆らえない。

 

 そもそも彼がベ、ベルタを好きになることはない。客観的に見て無理がある。もしリズがベルタの事を好きだとしても死ぬんだぞ。もっと辛くないのか、それって。

 

 多分、けじめをつける意味でベルタが直接処刑することになる。

 

「・・・・・」

 

 こいつ、健やかな顔しやがって。早く起きろ。でないと獣がお前の体を漁りに来るぞ。

 

 その時、バサリと木々から何かが飛び出し頭上を横断していく。あれは・・・

 

「・・・・・蝙蝠、そうかあんなのもいるのかここ、は―――ッ」

 

 

 

 ドクン。

 

 急にうつむき無言になるベルタ。青ざめた険しい顔つきで胸をお抑える。こ、れは・・・

 

 

「まった。く、起きて、いたのなら、はあ、はあ。教えてくれても、いいじゃない」

 

「・・・・悪かったな」

 

「・・ふふふ」

 

 口の端から血が垂れる。全快したリズの右手には自身の心臓が握られているのを視認し、そのまま静かにリズの体に倒れ込む。

 

 ―――振りかぶった拳をリズの顎に狙いを定めて。

 

 

 

 

 

「ガっ!?」

 

「・・・・・・」

 

 

 倒れこんだまま動かない二人。どれ程の時間が経ったであろうか”ベルタ”はゆっくりと動き出す。

 

「動きに問題なし、と・・・・期待を裏切らない男だよねリズ。やっぱり心臓を奪ったか。身体能力を得るのに必要な媒体は心臓っと」

 

 賭けに出たのはなにもリズだけじゃない。やる必要性のまったくない不合理な賭けではあったけどもベルタは勝利した。これで完全勝利だ。

 

 

 これまでベルタはそれとなく心臓を奪うようにと誘導するような発言はしてきた。そうでなくてもリズはベルタやA種との戦いで身体能力の差を痛感したはず。他に見せていない魔術の使用も考えられたが結局それも無かった。

 

 予めどこを奪われるかわかっていれば回復魔術で瞬時に復活させれる。最後まで読み勝ったからこそ完全勝利なのだ。

 

 多くの信仰に見られるのだが心臓は他のどの器官よりも重要視される傾向が強い。

 

 リズの神言魔術は手にした部位によって得られる効果が違うなども考えられたがA種との戦いぶりを見るに心臓一つで全身体能力が強化されていたことから部分的強化するぐらいなら心臓とって全強化を選ぶはず。じゃなきゃあのスピードは出せないし寧ろ肉体が耐えられずバラバラになっていた。

 全てを見たわけではないが多分彼の信仰する神は超マイナーの密教。世に周知されない信仰だと得られる祝福も恩恵も弱い。

 

 神言魔術は・・・媒介の必要と効果から共振系神話体系なのは丸わかり。あの系統って大抵変な効果や面倒な条件が合わさる。祝福も精神的な面での影響が強く悩みが少ないとか、気が多いとかかもしれない。やっぱりしょぼい。

 

 良い例を挙げるとあそこでくたばった振りをしている獣人君が信仰する宗教は魔力と魔術適性を増幅させるというなんともシンプルで強力な祝福。とにかく強力だ。

 確固たる神言魔術は無いが聖句を捧げ通常魔術を発動すると魔術に神性が付与される。そう、付与されちゃうのだ。通常魔術の神言化こそがアンティキア正教の神言魔術。国の歴史が長いからこそできる芸当。

 

 そんな魔術を振るわれる側からするとたまったもんじゃない。人口の比率と、歴史の重みから繰り出される糞みたいに強力な魔術が近辺諸外国を襲う。元は生産系なのに周辺国を制圧し土着信仰を塗り替え吸収してきた結果いつの間にやら戦乱系も兼ね備えちゃうし、お互いのいい部分だけを取り込んだ最強のハイブリッド。聖王国は終末戦争を経験し乗り越えた数少ない国だけあってそれを誇りにする愛国者が多い事多い事。そのせいで選民意識が蔓延するのだよ、まったく!

 

 傍から見る分には笑えるけどね。

 

 



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第25話 弱者

 ベルタはテキパキと装備を整え懐から取り出した器具をリズの首筋に打ち込む。流れ込む液体がリズを無力化する。

 

 ・・これで暫くは目を覚まさない。手に持った心臓は・・もう必要ないし手首から斬り落としておこう。地面に落ちた時点でもう媒体として機能しない。神は認めないだろう。

 

 そう考えると敵を殺しつつ自身を強化する流れは無駄がなく美しいなあリズ。はっきり言って媒介が一々必要な、それも他人の部位がないと効果を発動できない魔術なんて使いずらい。

 狙いも読みやすくなるし、一対一ならともかく複数と戦う場合部位をどうやって回収すのか。疑問なんだがベルタが実演したように超再生で心臓を再生した場合前の心臓は媒介としての役割を果たせるのだろうか?

 

 ダメだ想像が及ばない。こういう回りくどい魔術をこちらでは使うことがまずないから判断できない。もっと使いやすい魔術使えよとも思うが仕方がないことか。いや、そもそも魔術をまったく習得していないのではなかろうか。魔力による自己強化はしているみたいだが。

 

 ああ、かわいそうに。初期の魔術はいくつも失伝してるし、まるでタイミングを見計らったように魔術学会が一部の魔術を独占したせいか一般への普及を積極的に阻害している。魔術学会は多くの国に点在するがその実、本部が設営されている聖王国がほとんど独占している状態だ。開示するにも何かと金、金。ゴミみたいな魔術を高額で売りさばく糞である。もはや拝金主義者の巣窟だ。魔術師が増えれば競合者が増え、深淵への門を狭めるんだろうけど暗き穴の先に座する深淵の探求はそんなにも魅力的かね。そんなことしている暇があったらさっさと外界の空白地帯とか他のダンジョンマスターをなんとかするべきなんだが、じゃないと人類滅んじゃうんだけどなー。

 

 だからこそ帝国みたいな独創的な祝福と神言魔術の可能性に魅せられた国が現れる。国としての歴史が浅いくせに信仰の多様性で聖王国という一神教と戦り合えるまでに成長するんだから面白い。

 

「なあ、君もそう思うだろ?」

 

「・・・・・リズさんをどうするつもりだ」

 

 枯れ木のような炭化した体は鳴りを潜めいつの間にやら復活を果たしたグレイズ。その体は獣人形態ではなく人間の姿だった。剣を構えこちらをを見据える。そのまま寝ていればいいものをなぜ立ち上がるんだ。汗だくじゃないか。必死だね~。

 

「その剣飾りじゃないんだ」

 

「答えろ!どうするのかって聞いてるんだッ!」

 

「う~ん、彼はどうしても生かしたいから、今からダメもとでマスターにお願いしに行くよ。まあ、十中八九死ぬだろね。はぁ、やだな~やだやだ」

 

「それを聞いて素直に通すとでも思ってるのかッ!」

 

「・・・・???・・・・あ、ああ~~ここって笑うところ・・なんだよね?うーん、人間のこういう冗談って好きじゃないな~止めるって、いやいや獣人君じゃ無理でしょ」

 

 ベルタはゆっくりと近づきながら困った表情で丁寧に指摘していく。

 

「まず剣なんか構えているけど本当に使えるの?獣人擬きのほうがまだ可能性があるよ。せっかく異能も成長してたのになんで変身解いた?魔術も身体能力増強ばかり。だったら異能を使うべきだよ。なぜそこまで獣人の真似事に拘るのか知らないけどここにきて拘りを捨てる意図がわからんね。拘りって要は君にとって絶対に譲れない領域なんでしょ。すごいよね聖王国ってあの人喰いどもと敵対しているのに差別の強いあの国で敵をリスペクトしてるんだから」

 

「ぼ、僕が人喰いどもの真似事を、、しているだ、とっ」

 

「違うのか?」

 

「貴様ァッ!!」

 

 抜き身から放たれる剣。元の姿でも大量の魔力がある。強化魔術と磨き上げた技を重ねたこの斬撃を回避するのは不可能!!

 

 意気揚々に振りかぶるも、相手は避ける素振りも見せない。

 

 ――――その余裕に満ちた面が気に入らない!ふざけやがってッよりにもよって僕があの人喰い畜生どもの真似事だとッ!?舐めるのもいい加減にしろよおおおおおおッ!!

 

 さあっ聖句よ!

 

「祖ッたるは!望まれぬ落胤【強――――」

 

「いや、遅いよ」

 

 グレイズの眼前で火花が散る。

 

 ベルタの拳による連撃が炸裂したのだがそんなことがわからぬほどの速さ。突き抜ける激痛が飛沫となり後方へと吹き飛ばされる。何をされたのかまったく理解できていなかった。

 

「グ―――ブェ―――あああああアッ―――」

 

 グレイズはベルタとの間に超えようのない実力の差を再確認させられる。今の僕ならどうこうできると思ったのは傲りなのか?

 

 あれ、なん、だ。あれ、僕は確か。

 

 そもそも今、何された?一瞬で意識が消えそうになる。暗い点滅が瞬くたびに意識が引き戻され、また遠のく。

 

 なんだ、あの目・・・・僕のことを敵とすらも認識してないの・・か。

 

 僕は未だに何者にも成れないのかよ。いつになれば僕は――――――ッッ!!!

 

「―――――だからッなん、だってんだあああああアアアッ!!」

 

 それでも踏みとどまり・・・強引に剣を振り下ろす。何がグレイズを突き動かすのか、彼にもわからない。あるのはちっぽけなプライドとつまらない矜持。後退の道など既に閉ざされていた。彼はあの日誓ったのだ。

 

 そんな執念に燃える男の姿もベルタの目には冷たく映しだされる。

 

「そんなにがむしゃらに振るもんじゃない。剣はこう、使うんだよ」

 

 ベルタによる【蔵書】の使用。虚空から取り出された漆黒の剣。それを構え、襲い掛かるグレイズの剣を断ち切った。

 

 動作のすべてが淀みなくグレイズにはそれが美しく思えた。自分には決して到達できる領域。透き通った水面に一つの波紋が広がる。

 

 グレイズは膝から崩れ落ちる。切り刻まれた剣が完全に敗北したことを如実に語る。

 

「なん、で・・ッ」

 

「いや当たり前じゃん。偉大なるマスターによって生み出された守護者が外界の人間に負けるはずがないじゃん。そもそも――――」

 

 やめろ。それ以上しゃべるな。ベルタが次に発する言葉。それを聞いてしまえば積み上げてきたこれまでが壊れてしまいそうで――――――

 

「――剣の適性が低いベルタちゃんから見ても、君って正直、まるで全然剣の才能が無いよねー」

 

「―――――う、う”ああああああああああああああああああ!!」

 

「そんな無駄なことするよりも・・って、あー」

 

 そのまま耳を抑えグレイズは逃げ出す。そのみっともなく逃げ出す後姿はあまりにも情けなく哀れに感じた。追撃する気にもないほどに。そも実力的に敵として認識すらしていなかったからこそどうでもよかった。

 

 【夢宙境楽廻廷】(アイオニス・ヘイヴン)でも死なないようなタフネスさ。これ以上体力を無駄にしたくない。

 

「・・・あの再生力は面倒だけど、弱いし放置でいいか。勝手に死ぬ・・・・・・あれ?よく考えたら【夢宙境楽廻廷】(アイオニス・ヘイヴン)全部不発じゃん・・・こんなじゃ自信が無くなっちゃうよ、はあ」

 

 【夢宙境楽廻廷】(アイオニス・ヘイヴン)は自死を誘発する。自分の見た夢で死ぬのだから自殺に近い。対象に指標を掲げ足元を照らしてやれば後は勝手に流されていく。夢は魂と密接にかかわっている。夢経由からのダイレクトアプローチ。自傷行為に対しては無防備な魂。自分の首を自分で絞めていることも気が付かない。防衛機能も機能せず深い眠りの中で沈黙したままだ。徹底した自己の否定。どんな防衛機能や特性を持っていようと意味はない。

 

 ベルタは切っ掛けを作るだけに過ぎない。対象の力を利用して死を誘発させるのは楽でいい。その対象の在り方が鋭ければ鋭いほどよく刺さる。

 

 禍根の象徴たる不死者であろうと例外ではない。この世に生まれた時から不死である生物はいない。先天的に保持する不死性とは死を押し退けるまでの溢れる生命力のことである。長寿の血脈を持つ者たちは基本このタイプ。死から遠くも絶対ではない。

 

 そして歴史上、不死者と謳われる存在はなんらかの後天的な要因で変化した者らの総称。元は不死とは無縁の一般人。不死者になると生来持ち合わせた気質をも歪め不死性を獲得する。

 

 どこから捕まえてきたのやら今では珍しい歴史の立証人。”祈り手”最強の【氷結界域】のお嬢様がまさにそれだ。

 

 不死者を殺すには不死殺しの兵装を使用するのが一番だが、わざわざそこまでしなくてもベルタの組んだ術式なら生あるものならば必ず殺せる。夢の中では絶対性の裏打ちとなる力の象徴も持ち込ませない。原初の記憶を呼び起こし遡らせる。なんだったら精子や卵子の頃まで遡らせるのもありだ。本来のありのままの自分を俯瞰させるなら胎児の頃で十分。意思があるかもわからぬ段階でもまごうことなき本人なのだ。誕生には常に死が寄り添う。まだ人ではない獣と何ら変わりのない胎児に生と死以外に何があるというのだ。ただ生きるだけの存在にはそれしかあるまい。究極までに二極された境目が挟み殺す。

 

 ま、夢を見なかろうが捏造して殺すんだけどね。それぐらい無茶苦茶理不尽な魔術なのに全部不発とかどういうことなんだか・・

 

 (ハイパー)アリスは自身の観る夢の・・我々のいる世界にアリスの法則を持ち込み展開し自己の絶対性を保った。

 夢で現実を上書きし無理やり奴は蘇った。奴には回帰すべき更なる幼少期が存在しない。まるで最初からその姿が一であり全であるとでも言いたげだ。これでは効きが悪いのも頷ける。なにより奴の奥底には何かが潜んでいた。干渉された可能性も大。

 

 やはりあれは生物ではないのかもしれない。夢、奥底に潜む何者か。あまり、考えたくないが可能性が頭をよぎる・・・・

 

 

 ・・なら、獣人君はどうして生きてるんだと疑問を抱く。まちがいなく即死だったはず。

 

 夢の中では不死性が面倒だからと異能を獲得する前まで遡らせ再生力は排除したはずだが・・・・もし夢に干渉できる第三者がいれば即死は防げる。そしてA種は誰かが見る夢の住人、夢の扱いは手慣れているだろう。

 

 リズを担ぐ前に一度周りを見渡す。霧の立ち込めた草原が悠然と広がるだけで特に変なものはない。浸食しきれていない現実世界の瓦礫が異物に感じるぐらいだ。

 

 やはりいない。あの正体不明なA種の姿が消えている。あの獣人擬きを追ったのか。

 

(・・・・)

 

 もしかしてとんでもない相手を見逃したのかもしれない。果たして逃がした魚は大物かそれとも、、

 

 考えても答えなんてない。完全に世界が塗り替わる前に脱出しよう。今はどうやってマスターをどう説得するか考えるんだ。

 

 でも、失敗するのは目に見えているから、できるだけゆっくり行こう。この歩みが断頭台への階段に変わる前に、永劫にも思える一歩にしよう。

 



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第26話 Aの因子

 

 ――――ズズン!

 

 これで何度目かの振動。落ち着きとは無縁なダンジョンに恋都も初期の頃は息を飲んでいたがこうも繰り返されると普遍化してしまう。

 

 慣れとは恐ろしいものだ。一々反応するのも億劫になる。それよりも天井がいつ崩壊するかが心配である。ここは未だに最下層。生き埋めだけは御免だった。

 

 

「む」

 

 急に動きを止めるヨルム。担ぎ上げられた俺は何事だとヨルムの見据える先の見えない暗闇通路に意識を注視するがよくわからない。

 

 キンッ

 

 凛とした金属音が響き何かが地面で跳ねヨルムの足元まで転がる。

 

 元の世界で聞き慣れた音。恋都はすぐにそれが銃弾だと結びつく。この弾の形状、まさか狙撃されているのか。

 

「おい、狙撃されてるぞ」

 

「そうみたいじゃな。なにも問題なしじゃ。行くぞ~」

 

 まるで気にすることなくヨルムは軽快に歩み続ける。その姿はまさに強者そのもの。キンキンと引っ切り無しに地面に次々と転がる銃弾。銃弾はこちらに届くことはない。何かに阻まれている・・?

 

 姿なき相手も効果がないと悟ったのか攻撃が止む。

 

 それで諦めたのかと思えばドッ!と大きな銃声が響くのであった。

 

 ――――が、コトンと何かが床に落ちゴロゴロと転がるだけであった。結果はまるで同じ。

 

 さっきとは打って変わって重厚で大きな銃弾。なんだこれ、対戦車ライフルでも撃ってるのか?こんなの人に向けて撃つもんじゃないだろ。姿なき敵の殺意の高さが窺える。

 

「♪~ほれほれ、返すぞ」

 

 ヨルムは床に転がるそれを空き缶を蹴るかのように警戒に蹴り飛ばす。銃弾は闇に消え少ししてから激突音が炸裂する。

 

 ズズンッ!!と、また一帯が揺れる。

 

 ・・・なんか無茶苦茶だなこの子。少し聞かされてはいたがヨルムは一定以上の速度の伴うモノならなんでも増幅もしくは減退が可能とのこと。弾丸が効かない理由はこれだろう。銃弾は失速しここまで届かないのだ。

 

 異能ってすごい、そう素直に思った。勇者である俺にもあるはずなのだが未だに実感が掴めずにやきもきしてしまう。

 

 少し進むと先ほどの銃弾で崩壊したと思われるT字路の壁に行き付く。そこにどこぞの部隊員めいた死体を見つける。意匠は違うが前に見た死体と似ている・・・

 

「やはり、か。まさかとは思うたが解せんな。なぜこやつらが我を襲う?」

 

「あー・・・・そもそもこいつらってどこの誰なの?なんかそこらで死んでるんだが」

 

「こやつらは黒殖白亜と言っての、ここの防衛や環境保持を主にする守護者の中でも精鋭だけで構成された特殊戦闘部隊じゃ。我ら異能開発部隊”祈り手”と共に特定種別A種の撃退に参ったのじゃったが・・・の」

 

 ようやくダンジョン内の勢力が把握できてきた。あのエプロンドレスの少女がA種とやらなのだろう。A種が不測の事態で逃げ出しそれを始末するために二つの系統の部隊が総出で処分しようとしている。 

 

 やっぱりここって研究施設なのではなかろうか?実験体はもちろんA種であり、ヨルム達は管理職員。そんな印象を受けた。

 

「む、こやつ何か持っておるぞ」

 

 ヨルムは床に伏せた黒服の死体を無警戒に足で転がす。

 

 ポシュッ

 

 気の抜けた音と共に何かが死体の陰から舞い上がる。

 

 ――――ブービートラップッ!!?

 

 恋都は気が付くとヨルムの肩から守る様に身を乗り出していた。

 

 ボン!

 

 と身構えするには弱すぎる爆発に耳を疑う。

 

 (・・・・・・?)

 

 小規模な火薬が爆ぜる。思ったよりも衝撃はなく・・いや、何もなさ過ぎる。というか無傷。

 

 どういうことだと真っ先にヨルムに視線を送った。

 

「安心するがよい。瞬発的な膨脹、爆発力の伴う一撃は我が異能の前では格好のカモにしかならん」

 

「・・・異能って滅茶苦茶だな。ヨルムちゃんみたいのが他にもゴロゴロいるのか」

 

「案外そうでもないのじゃがな。ほとんどのメンバーは”オリジナル”に比べればカスみたいなもんじゃし・・・それよりも庇ってくれて我は嬉しいぞ!やはり不死者は体を張ってこそ健全じゃな!」

 

 その一言からなんとなく終末大戦での不死者の戦い方に察しがついてしまうのだが・・いや、それよりも。

 

「待てオリジナル?どういう・・・まさかその異能は後天的に与えられたものなのか?」

 

「おお!察しがよいのっ!まさしくその通りじゃ、この力はA種と同種のものなのじゃ」

 

「いったいどうやったらそんなことが・・」

 

「なあに簡単な話じゃ、A種の因子を脊髄に植え付けるのじゃよ。祈り手のメンバーは皆その洗礼を受け生き延びてしまった哀れな適合者じゃ」

 

 薄々感ずいてはいたがやはりそうなのか。

 

 自嘲気味に語るヨルムの眉間にしわが寄る。触れてはいけない琴線に触れてしまったか。

 

「ふむふむ、残りの奴らは撤退したようじゃの。判断が早い。ふむむ、少し語るとしようか」

 

 歩みを再開しながらヨルムはぽつぽつと語り出す。ヨルムは思い出した記憶をフラメンツであった空白期間にパズルのピースをはめ込むように情報の整合性を求め導き出す。記憶なき頃のもやしのような”私”の時代もまごうことなく”我”なのだ。随分とぬるま湯に浸かっていたのだな。

 

「ここはの、まさしく地獄なのじゃよ。多くの実験体が痛みと苦しみの中で産声を上げ蠢いておる。守護者どもも哀れじゃの。己が何者かも知らずに実験に加担しておる。全てはゲームマスターの手の内というわけじゃが・・・ああそうじゃった。はっきりと思い出した」

 

「・・?」

 

 ・・・知らないワードが盛りだくさんだ。聞きたくても迂闊に手を出せないのが辛いところ。

 

「A種・・・あれの正体が何か予想はつく。忘れもしない・・大戦中に列強国が呼び出した異界の化け物ども。その中の一人、大戦末期に現れた奴の顔と名は一生忘れまい。”不思議の国のアリス”と呼ばれた <勇者>(かいぶつ)のことは」

 

 その名を聞いて恋都の頭に頭痛が走る。なんだ?どこかで聞いたような名前。既視感が脳裏を這っていくがすぐに行方がわからなくなる。

 

 どこかで女の声が誰かを笑った・・・気がした。

 

「この先地獄が待っておるが行ってみるけ?」

 

 恋都はただ頷くしかなかった。

 

 

 

 長い階段を下り進む事数分。大きな扉が現れる。まるで核シェルターでも完備してあるような硬い守り。

 扉のこの辺りからどうにも古ぼけている。施設としては初期の段階で建設された区画だろうか。時代の境目を感じさせる寂れ具合。

 

 既に何者かが訪れた痕跡が残っており扉が幾重にも破られ、重厚だった扉の破片が床に転がっている。扉は凄まじい力でねじ切られたかのような呈そうであり、おまけに変な匂いもする。当たり前の如く血がこびりついている。既に先客がいることに他ならず周りを警戒しながらヨルム達は進む。

 

 その先に待ち受けるものとは・・・

 

(これは・・・やっぱり)

 

「ふむ、あまり驚かぬのじゃな。それとも驚きで声も出ぬか?」

 

「いや、十分に驚いているが・・これはすごいな」

 

 扉を抜け、カンカンと音を立て階段を昇り上の通路から見渡す。そこにはたくさんの円柱状のガラスで張られた装置がいくつも直立しており、中には体に悪そうな緑色の液体で満たされている。

 

 その中には人間が器具に繋がれ浮いていた。薄暗い一室は鈍い緑の発光で怪しさに包まれる。

 

 恋都はそれを見て強い関心を覚えた。研究者としての興味、そして納得。やはりこのダンジョン全体が研究施設なのだ。そろそろダンジョンの概念がよくわからなくなってくる。

 

「我は昔ここにいた。因子を埋め込まれた後はしばらくをここで経過を観察し、形が崩壊しなければ適合となる」

 

「じゃあ、こいつらも全部・・・」

 

「いや失敗作じゃろな。形が崩れかけておる。この中にいる間は何とか維持出るじゃろうがそう長くはあるまい。まあ外に出したところでもはや自発的に呼吸も食事もできぬじゃろうて、哀れよのぉ」

 

 これ全部が、か。数は優に50は超える勢いである。中に詰められた実験体のいくつかは体組織を崩壊させどれもが色を濁らせている。昔、研究のために俺が投薬したアウターみたいだなと懐かしむ。あれも自己崩壊した個体がいた。

 

「・・・・・おまけに騒動が原因で生命維持装置が切れてしまっておるようじゃが、むしろこれでよかったかもしれん。あ、別におんしをせめておるつもりじゃないぞっ。生き延びたところで実験の日々しか待っておらんし、使い潰されるのがオチよ」

 

「・・・そもそも、これってなんのための実験なんだ。ゲームマスターは何を目指している?」

 

「わからぬ。そもそも適合者の選定・・・・異能の発現は本筋ではないと噂で聞いたことはあるのじゃが・・・守護者どもも知るまい」

 

 異能の発現がおまけ?ようは元の世界における超能力開発にあたる。

 

 人類って追い詰められると、とんでもないことをやり始める。元の世界では化け物の検体から細胞を取り出しアウターに植え付けることで新たなる能力の拡張を行う実験に心血を注いでいた研究者グループが存在した。成果はあり確かに能力は発現した、だがそれ以外の機能が使い物にならなくなるという欠陥付きではあったし偶然の産物であった。結局法則性も解明できないまま計画は頓挫した。

 

 しかしどうだ。ここでは能力開発のプロセスを確立していることに他ならない。それをよそに優先して行っている実験とはいったい?

 

「A種ってのはここでは作られてないのか?」

 

「ここではない別の場所じゃろうがそれがどこかは知らぬ。900年近く生きているとは言えここは広い。何より祈り手は移動制限がかかっておる。まあとにかくあれがこのダンジョンの根本に関わる存在なのは間違いなかろうて。なんせあれは勇者の血を引いておる」

 

「異能は遺伝するのだな。どおりで・・・でもなぜにあれが勇者の子孫だって断言できる?ここじゃあ異能が遺伝するのは一般常識なのか?」

 

 A種が勇者の血族だとしても900年以上昔の存在の血がなんの変化もなく受け継がれるはずがない。血は取り入れた別の血が混ざり、薄れ、もはや別種のモノとなる。何を根拠にヨルムはそう断言するか?

 

 彼女の表情からは確信めいた自信を感じる。

 

「A種は勇者アリスと非常に似ておる。異能によってその姿形には明確な差異はある。我が合いまみえた時よりも成長した個体もおる。じゃが実際に相対してみてよくわかった。雰囲気といい世界から”浮いた”俗世離れした空気、捉えどころのない実体。今でも昨日の様に思い出す。これは勇者アリスと同種のものだとの。くふふ」

 

 ヨルムはどこか興奮気味に語る。

 

 恋都も普段であれば言っている意味が理解できず、ただの思い込みだと断じていただろう。

 

 だが俺も似たような感想をある人物に抱いていたではないか。そう、イグナイツの存在を。奴もまたどこか浮いている。

 

「じゃあそのオリジナルである勇者アリスがここにいる可能性があるのか」

 

「む?――――あふはははははは!安心するがよい。勇者アリスは大戦中にくたばっておる。そのことを知らぬとはおぬしはやはり相当前の過去から飛ばされたようじゃの。それならば奴の死が大戦を終わらせる切っ掛けになったことも知らぬのか」

 

 恋都は少し迂闊な問いかけだったと肝を冷やしながらも疑問を投げかける。大事なのは自然さだ。動揺はするな。

 

「どういうことだ?大戦を終わらせた?」

 

「奴が最後にしでかしたことが原因となり戦争どころじゃなくなったのじゃ。伝説では悪の不死者軍団は列強どもに負けたとされておるが、実際には痛み分け。双方に多大なダメージを負わせ戦う余力すら奪っていきおったのじゃ・・・奴はまさに最後まで我々にとっての死神でありおったわ。ああも同胞を殺してみせるか、まったく!憎たらしい宿敵じゃよ」

 

「・・・・・・なにがあったんだ」

 

 不死殺し。

 

 無視できないキーワード。俺がこの世界に来てから考えていた可能性であり不死者が伝説上の存在となってしまった要因。やはり不死者を殺すすべがあるのは確定か。

 

「我はその時、戦地におらず物資の運送に終始しておったからの。我が属する叡智派はもはやその大戦で勝つつもりもなく、一度姿を隠し寿命の長さを生かし敵国に紛れ中枢機関に入り込み大規模テロを行う気の長い計画に移行しつつあっての。貴重な遺失物などの輸送中だったが、我の目にもあの光景ははっきり焼き付いておる」

 

 それから長い沈黙が続く。それほどショッキングな出来事だったのだろうか。俺にとって重要な情報。焦りが心臓の鼓動を早くする。

 

「さてここで問題じゃ!当時天凛の塊であった我の目に何が映ったでしょうか!?答えてみよ!!」

 

「いや、そういうのいいからはよ、はよ」

 

「なんじゃ、ノリの悪い。って待て鼻に指を突っ込むな。女性にすることじゃないぞ!我の服で拭うのやめるのじゃ!ああもう悪かったッ正解は天が割れたじゃ!」

 

 天が割れた。

 

 つまり・・どういうことなのだろう?

 

 ヨルムの小さな穴を弄りながら考える。

 

 聖王国で見た薄暗い灰色に覆われた空を思い起こす。こっちの世界じゃ年中雪が降り積もり、空は鈍い光を共に放っている。暗くなると空は黒く染まり世界は闇に覆われる。夜はしっかりと存在する。聖王国には人工太陽があれども月や太陽、それどころか星の概念もこちらには存在しないのだ。ずっと曇り空の世界。フォトクリスは知らないと言っていたがやはり納得がいかない。この世界には時計が存在するのだ。時間と天体は密接な関係にある。それならやはりあの分厚い灰のヴェールの奥に空があるのではなかろうか。

 

「光の柱のような物が戦地でそびえ立っておった。あの時は皆その光景の前に圧倒されておった。開いた口が塞がらなかったのはあれが初めてじゃ」

 

 異世界の住人である俺にはそれが雨雲に覆われた雲間からのぞき込む太陽の様に聞こえた。

 

「光は20秒程度ほどで収まったのじゃが、その光を浴びた者は敵も味方も関係なく全員塵になってしもうた」

 

「・・・は?塵?」

 

「今でもあれが何なのかわからぬままじゃ。魔術にしてもあれほど広範囲かつ装備品を残し生物だけを塵にする複雑のプロセスを術式に組み込むなど・・列強は勇者アリスの力とのたまうが、奴の力はもっと別のモノであった。直接相対した我にはそう断言できる」

 

 ますます意味が分からなくなった。太陽の光ではない?塵になった?まるで意味がわからん。それも異能か?

 

「大戦後の他の勇者は王族や有力貴族と結婚するなりと一族に勇者の血を取り込むのに躍起になっておった。顛末は聞いたが終戦後の1年後に奴は死んだと公表されておった。あれ以降勇者アリスの名は聞かなくなったがどうも奴は列強国でも手に余る存在だったらしい。奴もまた例の事象で致命傷を負ったと聞いてはいたが・・・・そのままどこぞで飼い殺しにされたまま死んだんじゃろう。そのまま歴史からも消えてしまって・・・つまらぬ・・最後じゃよ。もう誰も・・・奴の事を知らぬ」

 

 どこか、悲しそうに笑うのはなぜだろうか。

 

「まあ、その勇者がいないことはわかったけど・・・気になることが一つある」

 

「なんじゃ?」

 

「まず前提として聞いておくが大戦は何年で終結したんだ?」

 

「そうじゃのお、我が10の時に”あの”事件が起こったからそこから数えるに・・うむ、おぬしもよく知る”不落の日”の翌年から大戦は始まりそれから82年後に終結したぞ、まあ合意も公約も結んでおらんから公式に終結してはおらんが」

 

 こいつ、記憶を失う前からして90年以上生きているのか・・めっちゃ年上じゃん。しかも何か重要そうなことも言ってるけど聞くわけにもいかない。不死者ならば知ってて当然の知識。今は記憶にとどめておこう。

 

「アリスが現れたのは?」

 

「奴が現れたのは戦争終結の2年前じゃな。異界より召喚された最後の勇者と認識しておる」

 

「実際に見たって言ってたけど何歳ぐらいだった?」

 

「我とそう変わらぬ様に見えたが・・・何が言いたい?」

 

 つまり10才ぐらいか。

 

 ・・・・ん?

 

「いや聞いてた感じ勇者アリスって子供らしいけど子孫がいるっておかしくない?若くして死んだんだよな」

 

 するとヨルムは一時置いて何を言っているのか理解したとばかりに頷いた。恋都は固まる要素あったかなと失言を気にする。

 

「あーそういうことか。まあ・・・戦争末期じゃからな。当時は奴隷に爆弾持たせて特攻させたり病気を蔓延させたりは基本じゃし、お互い倫理観を吐き捨てたような禁術や人体実験のオンパレードじゃったからの。そこらへん、まだ”お上品な”戦いをしていた戦争初期とは違うからして。心が疲弊すれば論理観も欠如する。国によって保有する勇者の扱いは天と地の差があったと聞くし、まあ”そういうこと”なんじゃろな。戦後の勇者の使い道など限られておる。奴はそのためにギリギリまで生かされていたのじゃろ」

 

 それはまた哀れなことで・・・追い詰められると何をしでかすかわからないのは世界が違えど共通事項らしい。その時代に恋都は勇者として呼ばれなくてよかったと心底思うのであった。いや、今の現状もアレなんだが。取りあえず聖王国はクソ!それだけははっきりわかる。

 

「ん?誰だあいつら」

 

 見下ろす先。装置の間を歩く人物に気が付く。白に黒とを基調とした服装。そうヨルムの格好と雰囲気的に似ている。

 

「――――――ッあやつら生きておったのか。ふむ行くぞ」

 

「てっうお」

 

 俺を抱えたままヨルムは二回のフロアから飛び降りた。

 



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第27話 問題児

 

 研究フロアの一室。ヨルムは自動販売機を素手で破壊し取り出した食料や水を補給しながら合流した他の祈り手メンバーと情報交換を行う。

 

「なるほどようやく合点がいったな。一部の者が離反し祈り手全員に抹殺指令が出ておるのか」

 

「ああ、こっちはとばっちりもいいところだ。フラメンツは違うみたいでよかったよ・・・なんか雰囲気違うけど。あ、もしかして髪切った?」

 

 

 恋都はもそもそと食料を齧りながら相手を窺う。その異様なビジュアルはどうしても目を引く。

 

(変な奴らだ)

 

 対面に座る黒い角を生やすくすんだ白髪の女性と首から上にブローバックとリボルバーが合体したような銃口のようなものが鎮座する大柄の男。どちらも全身が血で汚れており、それを気にする様子もなく食事をとっている。

 

 会話からヨルムの同僚なんだろうが、なんだこいつら。

 

 あの、肩に内臓みたいのがぶら下がってますよ。誰か指摘してくれよ。よく食事がとれるな。

 

「そういうおぬしもまたパーツ変えたか?また一段と尖ったデザインになりおって・・かっこよいな!」

 

「ああ、目が覚めたらまた勝手に改造されていた。頭は重いし首も痛いときた。もう・・最悪だ」

 

「そんなことないよー、まじイカしてるってー私は好きだよーぴょいぴょい」

 

「マジか?」

 

「マジマジー」

 

「・・・案外悪くないかもしれんぜこいつはよ」

 

 隣の白くデカいTシャツの上から黒いノースリーブのダウンを着た女性、インクリウッドはニコニコとそう答える。服の下から黒い尻尾のような物が垂れさがっており重いのか床に接触するたびにゴトゴトと鈍重な音を立て床に深い跡が残る。なんだよこいつも。頭銃口男のインパクトには隠れるがこいつも変だぞ。

 

 ガンッガンッ!

 

 突然部屋に響く衝突音。なんだなんだと収束する視線。その先には併設されたトイレの扉があり、扉が音と共に歪んでいく。

 

 ドガンッ!!

 

 跳ね跳ぶ扉が部屋の中央を横切り、―――恋都に直撃する。

 

「むおッなんじゃ!?避けろコイト!」

 

「おゲェッッ!!」

 

 くの字に歪んだ扉が綺麗に顔面にぶち当たる。鼻から熱いものが溢れ鼻骨が砕ける。ついでに額も割れた。

 

「はががああああああッッ!!?」

 

「セーフじゃ!不死者ならば顔面はセーフじゃぞ!」

 

「どう見てもアウトだろおッうおああガッ」

 

 直撃したことにより軌道を変え頭上に舞い上がった扉が落下。俺は下敷きになる。おまけにこの重み、誰かが上に乗ってやがる。

 

「クソがッ。この扉壊れてやがる!!いくら引いても空きやしねえじゃない!」

 

「セーニャそれスライド式だぞ」

 

「ンなわけないだろ☆まるで反応がなかったじゃないかよ!この不感症ドアがッ!」

 

 引き続き下敷きになる俺に構わず扉を踏み続ける。恐るべき力が扉越しに俺に浸透し、赤いシミとなる。

 

「グェ!」

 

「コイトおおおおおおおおおッッ!!?」

 

 叫ぶヨルムをよそにセーニャはさらなる怒りに駆られる。

 

「長かったねーうんこー?」

 

「ガンヘッド!そのアマ黙らせろよッ!」

 

「自分じゃ勝てないからって俺に頼るな。俺も命は惜しい」

 

「うおおおおおおおおテメぇしゃオラあッ!インクリウッドオオオ!オレとテメエで頂上決戦だあああああ!!がおおおおお」

 

「ぐえぇ」

 

 ヨルムの手助けもあり何とか這い出した俺を踏み台に飛び掛かる白髪の女。なんだこの猿は。それに対しインクリウッドは丁寧に尻尾で叩き落し締め上げる。

 

「まだやるー?無駄は嫌いだねー」

 

「ぐあああああああああ振るんじゃねえぇエッ!」

 

「ねえ、ねえー相変わらずよわーい。よわよわー」

 

 ブンブンと拘束で激しく前後左右に振り回し最終的には投げ飛ばす。

 

「素早いムーブじゃッ!」

 

 床で倒れ伏したままの、碌に動くことのできない体では避けることなど到底無理な話で。

 

 恋都は顔を上げるとそこには知らない誰かの顔。

 

「え」

 

 間抜けな声が漏れそのまま顔面と顔面が激突する。柔らかな唇の感覚の後から来る歯の痛み。なんだこれ。これはいったいなんだというのだ。歯が折れたのか血の味と痛みが口内に広がっていく。さっきから俺に何が起きている。なんだよこの流れは・・・

 

 セーニャは俺の上で状況を把握したのか頭を抱えたまま俺を睨みつける。誰だコイツ。初めて俺と言う存在を認識したような目をしていた。

 

「お、おまえ今・・うっ」

 

「う?」

 

「おげえええええ☆」

 

「ちょっおわあああああああッッ!?」

 

 容赦のない吐しゃ物の雨が俺を襲う。

 

 俺が、俺が何をしたってんだ・・・・誰か教えてくれ。

 

 

◇ 

 

 

「気を取り直して、では探索を再開と行こうかの!」

 

「・・・・・おー」

 

「なんじゃあノリが悪い・・・それにおぬしもいい加減気を直せ。それでもリシモアテルの男児か!」

 

「じゃあどうして俺から距離をとるんですか?」

 

 目を合わせるとすぐに逸らすヨルム。おいおい、なんだいこれは?

 

「そりゃオメエがくせーからでしょッ☆クッサ!おまえクッサ!」

 

「誰のせいだと思ってんだ!お前だって避けられてんじゃねーかああッ!俺は怪我人なんだぞ!労われよ半ケツ女ああッッ!」

 

「お、おおおォ!おいフザケンナッてめえら!オレもか!?」

 

 ヨルムら三人に微妙に距離を置かれる俺とセーニャ。だいたいなんだコイツの服は!?後ろから見たらお尻が丸見えだ。なんだこの服!?異世界のファッション進み過ぎだろ。俺にもとても着こなせねーよ。

 

「フラメンツ!!助けてよォ!」

 

「責任もっておぬしが運ぶのじゃ、おぬしがな」

 

「そもそもコイツ誰だよ知らねえよッ!誰!?知らない人ォ」

 

 皆の視線がセーニャと取っ組み合う俺へと集まる。

 

「確かに見たことがない面だよな、お仲間かと思ったが改造されてる様子もないし」

 

「・・・当たり前じゃ。そやつは新人じゃからの。おぬしらの後輩じゃから仲良くするのじゃぞ~!」

 

「そうなのか、あんたがそう言うなら信じるさ。だが―――なんで女の格好をしてるんだ?」

 

「・・・そう言えば・・な、なんでじゃろな?女装の気でもあるのかの~~」

 

 生暖かい視線が非常に痛い。

 

 ・・・・よくよく考えたら俺も変な恰好してたんだが。気にもなるよなそりゃ。俺だって好きで着ているのではない。断じて変態ではないのだ。それを説明しようにも俺の素性に関わることは話す訳にはいかない。それはつまりゲームマスターとやらの娘であるイグナイツの話に繋がり、俺が終末大戦時の不死者ではないと勘付く恐れもある。ヨルムはあくまでも同胞だからこそ手助けしてくれているに過ぎない。語れば語る程話の齟齬やボロがでてしまう。

 

 もうこの際、変態扱いでもなんでも構わない。奥歯噛みしめ耐え忍べ。逆に利用しろ。察する気持ちがあればこそ深入りはしてこまい。

 

「男が女の格好をして悪いのかよ!」

 

「ま、まあそういうことじゃ(なるほど上手く視点を逸らす)」

 

 ヨルムは真意を察っし同調する。そりゃそうだ自ら女の真似事をするなどカマ野郎ではあるまいに。ヨルムは少し安心する。

 

「それにしてもおぬしら黒殖白亜と戦りあって無傷とは恐れ入った。成長したの」

 

「あまり褒めてくれるなよ。照れるぜ。正面から戦ってたら無傷といかなかっただろうが、俺らには策があってね。ああ勿論思いついたのは俺だが、いやまいったな、ははは」

 

「ほうほう」

 

 恐らくは我を狙撃した連中のことだろうとヨルムは思案する。攻撃が通じないと見るやすぐに撤退。気配を感じさせない隠密行動。相当優秀な人員で固まった部隊であるようだが我はともかく他の祈り手では手こずりそうなものを・・こう言ってはなんだが三馬鹿が無傷で切り抜けるヴィジョンがどうしても思い浮かばない。

 

「土下座だ」

 

「・・・・・すまん、なんて?」

 

「出会い頭で三人で土下座して油断を誘い不意打ちをかました」

 

「・・・・・は?」

 

 隣のインクリウッドはどこか誇らしげだ。ガンヘッドのどこが目なのかよくわからない頭を遠い目で見る。彼らの目は真剣で嘘を言っている様子はない。そんな情けの無い勝利でどうしてそうも誇らしげでいられるのだ?

 

 こいつら頭は悪くないのに、突拍子もない事をやるせいで変わり者揃いの祈り手でもかなり浮いた存在であった。面倒だからと常に三人で行動させるようにまとめられていたぐらいだ。記憶がないころの”私”はとても優しかったらしい。こういった手合いの者に慣れていたからこそ、こいつらの面倒を押し付けられてしまった経緯がある。

 

「あの猟犬どもに見逃してもらったというのか?それなら肩に引っかかったその十二指腸はなんじゃ!?」

 

「土下座したまま敵意が無い事を延々とぐだぐだ説明して誤解を説いてるスキに奇襲かけた」

 

「なにやってるんじゃッ!?おぬしら鬼か!?余計話がこじれるッ」

 

「俺は戦うつもりはなかったぞ。勝手にインクリウッドが一人で隊員の首跳ねて仕掛けちまったから流れでやったが、おまえあんなことができるんだな・・・こわい」

 

「へへへ、そんなに意外かなー」

 

 好戦的なセーニャがビビっていた様子にも納得がいく。いつもふわふわしていて捉えどころないインクリウッドが真っ先に仕掛けたとは正直驚いた。なぜと聞いたところでまともな答えは返ってきまい。いつもと変わらぬ微笑みを浮かべるインクリウッドにある種の安心感を覚える。

 

 それにしても祈り手の粛清か。恐らく原因は我の様に記憶が戻った他のグループが何かを仕出かしたのだろう。いいとばっちりだよ。

 

「あいつら既にボロボロで3人しかいなかったから何とかなったが、もうやめろよな」

 

「はーいわかったよー」

 

「で、部隊の奴らを軽い気持ちで殺しちまった俺たちはどうすればいいと思う?助けてくれませんか?」

 

「クソみたいなムーブじゃ・・・逃げるしか、あるまい。そもそも我らには抹殺指令が下っておる」

 

 話し合いに応じるような甘い連中ではない。A種と同じ力を振るう者をそのままにしておくはずがない。

 

「なあ反逆すんのはいいけど、オレら今どこにむかってんだ?ここってどこに繋がってんのよ」

 

 コイトを担ぎあげ駆け寄るセーニャ。口は悪いが放置することはしないか。

 

「記憶が正しければこの先に地上直通のエレベーターがあったはずじゃが・・・」

 

 暗く古ぼけた道をしばらく歩む。道は階段となり下に下にと恋都たちを誘う。

 

 しばらくすると広大な空間に出るのだった。

 

 



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第28話 異能

 

 目の前には天辺が見えないほどの巨大な扉が佇む。様々な機器やケーブルが散りばめられていた研究所から一転、無機質な石造りの広間。中央に6つの太い柱がそびえ立っている。周囲にはコントロールパネルといった機械の類は見当たらず、他とは違う厳かな気配を漂わせていた。なんとも重苦しい。

 

「エレベーターがあると思ったのじゃが・・・記憶違いじゃったのか?」

 

 立ち入りが禁止されるよりも大昔の話だが、施設の古さとうろ覚えの記憶からこの辺りで間違いないのだが・・・それに例えエレベーターが機能しなくとも設備さえ残っていれば・・第三層から一気に上層まで駆け上がれる。

 

「いや、そう判断するにはまだ早いと思うぜ。扉の先が気になる。どこかにスイッチは無いのか?ここって祈り手にとっては立ち入り禁止区域だろ」

 

「よし探そっかー」

 

 手分けして周辺を探すヨルムたち。誰もがヨルムの言葉を信じて疑わないのかすぐに行動に移す。

 

 それを・・・・俺は扉にもたれかかったまま眺める。体がまともに動かないので仕方がないが、一方的に他者に寄りかかるしかできない自分が情けない。俺にも・・・・足さえあればな。

 

「・・セーニャは探さなくていいのか?」

 

「てめえを運ぶのに疲れたんだよッあと気安く呼ぶな☆寝る!」

 

 俺の右横で同じように扉に寄りかかるセーニャ。どこからか毛布を取り出し身を包むが何気に俺の分も投げ渡してくれる。世の中を舐めたような目つきをした女だが面倒見はいいようだ。優しい・・

 

「?・・なんだ、オレの顔になんかついてるの?」

 

 セーニャも見た目通りの身体能力ではなかった。ヨルムのように平然と俺を担ぎ上げ重心がぶれることなく走る。祈り手では一般的な身体能力なのだろう。ヨルムが語った祈り手になった経緯から推察するにセーニャや他の二人もこことは別の場所から連れてこられたのだろうか。

 

 俺は正しき使命の上で人体実験を行ったからよかったが、彼女らは無理やりであろうことは想像に難くない。捕まって目が覚めたら体にナニカされてましたなんて堪ったもんじゃないな。なんて非人道的な行為だろうか。異世界やばいな。

 

「おい?急に黙るなよ。オレがかわいいからってジッと見んなよ」

 

「・・・・」

 

「ああ!もしかしてさっきのアレで怒ってんのかー?ノロマなお前が10割わりぃと世間は思うだろうが気にすんな☆オレは全然気にしないでおくんだからな!ヒャハハ」

 

「いや、あれはどう考えてもお前が悪いんだぞ。もう一度言うが、お前が悪い」

 

 ガンヘッドが首を鳴らしながら俺の左側に座る。赤く塗装された銃身の頭が鮮やかで張っている。

 

「その頭、重そうですね」

 

「・・・わかるのか」

 

「はい、上半身が前傾しないように心掛けた動きをしてますから」

 

 非常に大柄でしっかりとした恵体。筋肉の作り込みから体幹が安定しており所作の一つ一つから頭部に気を使っていることが窺える。その特徴的な見た目からまるで戦車のようなイメージが浮かぶ。

 

「コイト、だっけな・・お前も火属性らしいな」

 

 ギザギザとした歯のような部分が口なのだろうか。声は思ったよりも若いがおっさんだな。声といい外見と言い非常にかっこいい。名は体を表すとはまさにこのことだ。俺なんかよりもよっぽど出来のいい改造人間だ。こうも振り切れば違った印象を受けるというもの。

 

 ・・・少し羨ましいよ。

 

「やはりあなたも?」

 

「見てのとおりだ。火属性だったばかりにこんなふざけた改造されちまった。気が付けばこうだ。元がどんな顔だったかも知りもしねえ」

 

「それやっぱり銃なんですか」

 

「ああ、実際に撃てるしな」

 

 パカリと銃身が下がりシリンダー部分が解放される。そこから銃弾を取り出し投げ渡す。

 

「!!?」

 

 右手で受け止めるも想像とは違った重量にビックリする。

 

 重い、この銃弾のサイズからは考えられない重さ。どんな素材を使えばここまで重くできるのか皆目見当も付かない。常人が今の感じで受け取れば肩が落ちるんじゃないだろうか。

 

 こんなもの説明も無しに投げ渡すなよ。怪我人だぞ。

 

「悪かったよ・・少し確かめておきたくてな」

 

「どういうことだ?」

 

 右手首のスナップを利かせ投げ返す。頭に収納される弾丸。装弾数は5発か。あれでよく平然としていられる。

 

「ガンヘッドはねー確かめたかったんだよー・・・君が本当に私たちといっしょなのかをねー」

 

 うお!

 

 いつの間にやら目の前には屈んだ姿勢で膝に両肘をのせるインクリウッド。微笑みを浮かべながらも背後では黒い武骨な尻尾が揺らめいている。

 

 俺の右にはセーニャ。左にガンヘッド。そして正面にインクリウッド。

 

 こ、これは三角形!

 

 俺は見事に囲まれた形となる。新人の歓迎会って雰囲気じゃなさそうだが・・・俺なにかやっちゃいましたかね?

 

 この感じ、ただお話ししに来たという訳ではなさそうだ。冷汗が止まらない。どこかでボロを出したのか、警戒と疑惑の色――――

 

「どこにも改造の形跡はないみたいだし、記憶もはっきりしているな。―――いろいろと聞きたいことはあるが、一番の問題は・・・・フラメンツだ」

 

 ・・・ああなるほど、つまりはこういうことか。ヨルム、いやフラメンツの急激な変化を危惧しているのか。突然知り合いが別名を名乗り始め、口調も違うと来た。おまけに隣には覚えのない女装した不審人物。疑われてもしょうがないわ。

 

「どうしちまったんだろな。急に、のじゃのじゃ言い始めちゃってさあ、頭大丈夫かよ・・・いやマジで☆」

 

「いつも自信無さげで怖がりで、それでも仲間の為に必死で頑張るような奴だったのに・・・あんなのフラメンツじゃないぞ。俺たちのアイドルはどこ行った?なあ、なにか知らないか。些細な事でもいい心当たりがあるなら教えてくれ、敵はどこだ」

 

「え、え?」

 

 俺に詰め寄るガンヘッドの頭部が頬にめり込む。なんか思っていたのと違う。普通ここは俺が怪しまれる流れだと思うんだが。もしや俺が余りにボロボロ過ぎて敵とすら思われていないのか?

 

 それに原因って・・・イグナイツじゃん!

 

 ここは・・・俺の目的の為にも素直に伝えるべきか。でもヨルムと戦闘になったことは伏せておこう。ややこしくなる。

 

「・・・・実はだな。なんかヤベーやつにボコられてからああなった。俺の体を見ろ、どうだ痛々しいだろ」

 

「ボコボコってフラメンツが?・・・それマジか・・・ヤっべえ」

 

 おや?どうしたんだろうな。急に三人は顔を見合わせちゃって、何を考えているんだ?沈鬱な空気から不安が読み取れる。

 

「フラメンツちゃんはねー祈り手でいちばーん強いんだよー」

 

「そうなのか?」

 

「異能はアタリで魔術に対する含蓄は至高の頂きだぞ。並外れた再生能力。改造も受けずにあのパワーだ。A種を相手に数百年も生き残った実績。守護者からも人気があるんだぜ」

 

「それをボコるってー・・・やば・・・やば」

 

 ヨルムとイグナイツ(+オレ)の戦いはまさしく熾烈な戦いだった。魔術という俺の常識を打ち破る技術の応酬。異能による過負荷に超加速、肉弾戦によって破壊される地形。凍てつく空気。最後に勝ったのはイグナイツであった。

 

 短い時間でヨルムの操る異能の正体に予測をたて完全に相手を屈服させた。思うにイグナイツにはまだ余裕が見受けられた。

 全身が刃で串刺しになりながらも決して動きは衰えず、壁を破壊するような衝突を受けても生きているタフさ。頭に剣ぶっ刺さってたけどなんで生きてんだあいつ?出血量が明らかに許容量超えていたのに・・・

 

 続く二戦目。もともと頭のおかしい奴がさらにおかしくなるという珍事。赤い糸のような物に繋がれ変わり果てた様相を呈したイグナイツ。前の戦いからそんなに経っていないのに疲れや衰えを見せない体さばき。凍結しようと構わず動く理不尽さ。

 

(イグナイツってかなり強かったんだなあ・・)

 

 いまさらながらあいつも何か異能持っていたんじゃないかと訝しむ。

 

「おぬしらあああああ、なにサボってんじゃ!ちゃんと探さぬかッ!!」

 

「まあ・・・年相応でいいんじゃない?」

 

「よくねえ・・もはや別人じゃないか・・」

 

 そう言われてもこっちがヨルムの本当の姿だから仕方がない。慣れるか諦めるかしかないだろう。

 

「そういや・・さっきのアタリがどうとか・・・どういう意味なんで?」

 

「ん?ああ新入りは知らないか。適合者は必ず異能が発現するんだが、個人によって差が激しいんだ。はっきり言ってフラメンツみたいな強力な異能の発現は稀でそのほとんどが微妙なんだ」

 

「そうなのか。・・・ちなみにあなたたちはどのような異能をお持ちで?」

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 ガンヘッドたちは急に黙り込む。その沈黙はある意味答えでもあった。アタリと評すのだ。つまりは・・・

 

「ああ、そういう・・」

 

「いやまだ使えない力だとは決まってはいない!これから活用方法が見つかるかもしれんだろっ決めつけは良くないぞ!!」

 

「くひ☆電撃を蓄えるだけの力が何に使えるのか教えてくれよ~」

 

「実質電撃無効だろ!それに専用の機材を使えば貯めた電気も扱えるんだよ!」

 

「一人で扱えないからそんな改造されんだよ」

 

 電気を蓄え、放出も可能。こちらの世界では電気の重要性がどれほどか知らないが元の世界ならかなり有用な異能に思える。魔力が存在し火が重要視されるこの世界でのエネルギー事情ってどうなっているのだろうか。少なくともここでは電気が使われている様子。このような近代的構造物においてはその異能は活用できそうなものだが。

 

「オレを見ろ!この綺麗な肉体、柔らかな肌!メンテの必要のない体は最高だなあッッ」

 

「えー私の体がなんだってーよく聞こえなーい」

 

「うるせえぞセーニャッ!単に活用方法が無いから放置されてるだけだろが!無駄飯ぐらいめ!そんなに自慢したいならひん剥いてやるよ!」

 

 ぐあーよせ!ヤメロ!ナマイキダ!二人がかりで抑え込まれ次々と衣服を剥かれるセーニャ。産まれたままの姿で投げ出される。白い素肌に凹凸の少ない肢体。何もかも丸見えだが隠す素振りを見せない。やはり猿か。

 

「いや、隠そうぜ」

 

「隠す?そいつらと違って恥ずかしいところなんざオレにはないもん☆全裸でも恥ずかしくないから!」

 

 どういう基準だよ。見た感じ16歳くらいに見えるがこいつもヨルムのように見た目通りの年齢ではないのかもしれないが・・あまりにも人としての意識が低すぎる。恥を知れ。

 

 裸のまま胡坐をかくしな。ああ、もう。ここまで大ぴらにされると恥ずかしいもクソもないな。

 

「で、セーニャの異能は?」

 

「はぁー?知らね」

 

「・・・・・・ガンヘッドさん」

 

「俺も実のところ詳しくは知らん。物事を曖昧にする力って聞いたことはあるが・・・」

 

 なんだそれ。訳の分からないことを。まるで意味が分からんぞ。

 

「そんな目で見るなよ。異能そのものはアタリらしいが扱いが難しすぎて研究所でも腫れもの扱いされてるんだ。なまじ事象に直接干渉できる異能のせいか下手な実験も行えない。補助的な改造措置も受けれないときた」

 

「ふふふ、訳がわかんないよねー」

 

「その分インクリウッドはセーニャの逆でかなりの改造を受けてる。能力があからさまに使えないと、な」

 

「・・そうなのか?」

 

「環境が悪いよ、環境が~。ふふふ、確かめてみるー?恥ずかしいなー」

 

 インクリウッドは急に立ち上がり尻尾を器用に使い膝上まであるダブダブのプルパーカを捲り上げる。その中身を見て恋都は思わず凝視した。きわどい水着のようなパンツ。腰に取り付けられた脊髄に直結しているであろう黒い装置。そこから伸びる黒々とした無機質な尻尾。頭の横から生えた二つの角と言いいくらなんでも盛り過ぎだろ。どんな目的があればこんな改造を施す?

 

 ・・・・・・・・ん”?

 

「ちょっと、なんで手首から先が無いの?」

 

「わかんなーい。何かをモデルにかいぞうされたって聞いたけどー忘れちゃったー」

 

 萌え袖のようなサイズの合わない服の両腕部分を尻尾で器用に捲り上げる。両手首にまかれた血の滲んだ包帯が痛々しい。食事をとる際、顔を机に伏せ犬食いしてたのはそういうことだったのか。行儀がなってないとか思ってすまない、許せ。

 

「・・・インクリウッドの異能は氷を水に変換する力。至って使いどころのないカスみたいな力だ」

 

「カスっていうなーころすぞ」

 

「ハハッガンヘッドの言う通りだな!外界で力を使った時に雪を片っ端から解凍したのに次から次へと凍っていったじゃねーか、あれじゃあ意味ないよね☆マジでカッス!!」

 

「むがーゆるさーん嬲る!」

 

 クヒヒハッ!と笑いながらぶっ飛ばされるセーニャ。氷を水に変換するのは別に熱で溶かすのではなくただ変換するだけなのか。それでは解凍してもすぐに固まる・・・のか?どんな環境だよ。寒さが厳しい外界で通用すれば有益な異能だっただろうにと、話からここが相当な極寒地帯であると当たりをつける。これは脱走後のことも考えないといけないな。

 

 無改造のヨルムとセーニャ。改造されたガンヘッドとインクリウッド。異能と言ってもかなり限定した力が発現することはわかった。彼らに施された改造とはつまり能力の補填だろう。祈り手はあくまで異能を主体とした部隊なのが窺える。A種との共通点である異能。実験を主導するゲームマスターとやらは何を見据えているのだ?実験の結果から何を得ようとしている? 

 

 異能の重要性が如実になるほどイグナイツの異様さが露わになるな。あいつは比較にならない程に厚遇されている。よそから人を攫い人体実験を行いそのほとんどが廃棄処分にされている。イグナイツの語る父親の像とゲームマスターはどうにも一致しない。身内には優しいだけかもしれないが第四階層の存在といいまるで一人の為にあつらえた場所じゃないか。

 

 何なのアイツ・・・あの強さの源泉には何か秘密がある。

 

「で、新入りはどんな異能を持ってるんだ?ついでに教えてもらおうか」

 

「・・・え?」

 

「おいおい、先輩には語らせて自分はなしとかお堅いことは一切なしだからな新入り」

 

 異能か・・いや、ここで聞かれるのは当然の流れか。三人が興味津々な顔で熱い視線を送る。ここで無改造の意味を思い知らされる。少なくとも改造組以上の異能でないとおかしいことになるのではなかろうか。

 

「いや、実は俺もどんな力が発現したのかまだわかっていないんで」

 

「んなわけあるかよ!処分されずに生きてるってことはそういうことだろがッ!さっさと吐いてオレを気持ちよくさせるんだよッ☆!!」

 

 こいつ、新人に対してマウントとる気まんまんじゃん・・・嫌な先輩だ。

 

 俺も勇者に名を列っする者。だから間違いなく異能があるはずなのだが、未だに実感がない。

 

 そして異能が発現していても困る。

 

 ヨルムの認識では俺は900年前の不死者であり同胞。俺が現代に召喚された勇者であっても敵であった勇者と同じ括りではいい感情を抱くとは思えない。

 

 あの最初の嬉しがりよう。本当のことを黙っていたことがばれれば気持ちを裏切ったことになる。ヨルムの純粋な気持ちを利用した俺を手助けする意味もない。見捨てられて当然で最低だが俺にはこれしかないのだ。これしか―――

 

 取りあえずイグナイツに言ったようにこの不死性こそ異能とでも言っておくべきか?

 

 それならヨルムも意を汲んで話を合わせてくれるはずだ。抵抗はあるがここで一度死んでみれば納得するだろう。

 

 ・・・・いや待て待て、ヨルムの認識では俺は不死性が低いと認識されていたな。だからこそ体の傷がまったく癒えないことに言及しないのだ。非常にゆっくりと再生しているというのがヨルムの認識だぞ。

 

 イグナイツとの一戦で受けた傷はまだ残している。俺が傷の再生をコントロールしているだけなのだがそうでないとイグナイツから受けた傷が勝手に治ってしまう。そうなるとヨルムに不審がられてしまう。なぜ古い傷の方はまったく治らないのかと?

 

 ―――――――――辛い。言葉にできない生き地獄だ。

 

 ヨルムはそれを察しているがどこか満足げに見ている。泣き言は不死者には似合わないらしい。好感を維持するには仕方のないことだ。

 

 要は媚びを売っているのだ。俺も・・・必死だ。一人になれば本当にどうしようもない。どうにも・・ならない。

 

 ここで一度即死するほどのダメージを負って復活すれば、左目と左手などを筆頭に他の傷が治らない事に疑問を持たれる。俺は後天的要因で不死者に変貌したが、当時の不死者はどうやって産まれるのだ?

 

 まさか産まれた時から不死者な訳があるまい。ヨルムは子供の姿のままだが、一定期間時が経てば不死者になるのか?

 

 話では不死者になったのは埒外の出来事の様に語っている。話から不死者とはそれまで無縁の存在だった様に受け取れるのだが900年前の不死者の国リムルベルタの実態が分からないせいで迂闊に答えられない。

 

 やはり常識的に考えて不死は後天的に与えられたものと考えるべきだ。

 

 大戦はヨルムが11歳の時から始まったと言っていた。その前年に事件が起きたとも。ならばそれこそが不死者が産まれる切っ掛けとなる出来事なのだろう。それならヨルムの姿が幼い姿で固定されたままの理由として納得がいく。そんな彼女からすれば・・・青年の姿で固定された俺は年上。しかも戦場に出るのに適した若者だ。徴兵され大戦初期から戦っていてもおかしくない。だからこそヨルムは時折俺に対して敬意を匂わせる。

 

 話のつじつま合わせで俺はその頃に勇者の異能で今の時代に飛ばされたということになっているがこの設定は失敗だった。

 

 ヨルムは俺の傷を大戦で勇者に負わされた傷だと思っているのぞ。

 

 もしこの古傷が大戦以前からの傷だとして事件で不死者に固定化されたのであれば、余裕のない大戦末期ならばともかく普通は邪魔になるだけで戦場に駆り出されるとは思えない。

 

 そもそもこんな状態では戦えない。尚更勇者と戦えるはずがないのだ。立つこともできない状態でどう戦えと?

 

 だいたい俺は勇者と直接戦ったからこそ異能で飛ばされたことになっているだぞ。それだと今まで誰の助けも無くどうやってここに至ったかという話になるし嘘を問いただされる。そうなればお終いだ。

 

 ああ、嘘に嘘が重なり俺をピンチへと追い立てる。これを自滅ともいう。慣れないことはするものじゃない。じゃあ他にどんな道があったのだ。

 

「ええとほら・・あれだ。この体!多分手術に耐えられないと判断されて何もされなかったんだよ!」

 

「それならそれでなぜ傷の手当てもしないんだ?ある程度ならポーションでいけるだろ。半端な真似はしないと思うぞ」

 

 殺すか治療か。確かにそうだわ・・・クソおおお!

 

 思い出せ!もしかすれば俺が気が付いていないだけで既に異能に目覚めているのかもしれない!何か・・不可解な現象は無かったか!?

 

 厳かな石づくりの医療室。フォトクリスと初めて出会った時から記憶を掘り起こす。頭が痛い。常識外れの出来事ばかりで判断が鈍る。あったはずだ。明らかに不可解な現象が・・・!!

 

 まるで逃げ場はないと言わんばかりに背にした門が俺を押しのける。今はただ一心に念じるほか無かった。

 

「・・・もしかしてコイト、お前・・・」

 

「・・・・・」

 

「廃棄前だったのか・・」

 

「・・・・え」

 

 同時に背後からガコンと開錠音が広間に響き渡る。音はもちろん背後から、体を通し感じた。

 

 俺は別の意味で驚いていた。

 

「・・・・んえ?」

 

「お、フラ姉が見つけたのか?」

 

「そうみたいだな。さてこの先に何が待っているのか・・・それと無理に聞いて悪かったな。すまない」

 

「・・・・いや、あ、ああ」

 

 都合のいいことに勝手に勘違いして勝手に納得している。いやそれよりもだ。背後に振り返り徐々に開こうとする扉に目を向ける。

 

 

 偶然、―――なのか?

 

 

 俺はイグナイツがいた白い部屋を出る際の出来事を思い出し一心不乱に開くよう念じていた。あの時は精神が不安定ながらも開け開けよと拳を叩きつけていた。あれがなぜ開いたか、イグナイツもわかっていなかった。そもそもアイツを閉じ込めておくための部屋なんだからイグナイツには絶対に開錠は不可能だ。

 

 その後に現れた幽霊は驚いていた。元はと言えば扉の存在を仄めかしたのは幽霊自身だったはず。開けれるのなら既に開いている。

 

 今までに無い要因として俺以外にあり得るか?これこそ俺の異能ではないだろうか?

 

 また扉は開いたのだ。これを偶然と片付けるには少々無理があるように思えるがそれを判断するのはヨルムの確認をとってからでも遅くない。これが装置によるものならよし!そうでなくても、なんか勝手に開いたってことでいけるはず!いけるいける!

 

 やけくそ気味にそう思い込む。異能であって欲しいがそうでなくてほしい気持ち。やっぱ俺も超能力使ってみたいと思うのは仕方がないだろう。せめぎあう気持ちに揺れる心。興奮で心臓が高鳴るが、今は返事の無いヨルムに意識を向けるべきだろう。

 

「フラメ―――ッ!・・あン?」

 

「・・・んー?」

 

 声を掛けても一向に姿を現さないヨルムもといフラメンツ。返事はなくどれだけ呼び掛けても反応が返ってこない。呼びかけは空しく響くばかり。

 

 お互いに顔を合わせ訝しむ。セーニャがいそいそと服を着替え、ガンヘッドはどこからともなく大型の二丁拳銃を取り出す。インクリウッドはフワフワとしている。俺は・・・拾った銃を手に寝ている。

 

 背後の扉が地面と擦れ開いていく。音が警戒心を表すようであった。

 

 ギ、ギギ

 

 微かだがはっきりと耳にした。音は空間を支える巨大な柱の一つから。その陰から何者かと剣を鍔迫り合いをするヨルムが現れる。押されているのかゆっくりとその姿を覗かせる。

 

 相手は黒く骸骨を想起させる部隊服・・・あの隊章はまさか―――ッ

 

「避けろッッ!!?」

 

 ガンヘッドの叫び。警告と共に俺たちがやって来た通路奥から光が瞬き、何かが飛来した。

 



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第29話 強襲

 

 

 マズルフラッシュと思われる閃光。少し遅れて轟音が追随する。

 

 警告と共に一斉に散開するガンヘッドたち。俺はどうしようもないので瞬時に銃を構え飛来物に向け銃口を向ける。

 

 

「――――――ッ」

 

 改造人間特有の集中力が、――――高まる。

 

 時間が凝縮されたような錯覚。

 

 俺は頭痛を振り切り飛来物の動きと形状を捉える。

 

 目から血を流しながらも砲弾と判断。引き金を引く。

 

 バガァッン!!

 

 迎撃により中空で爆発する砲弾。

 

 それで安心することなかれ。怪しげな機械音をたて奥から何かが・・その巨体を響かせ姿を現せる。この異様なフォルム。

 

 四足歩行型の戦車のお出ましだと・・・異世界って・・・ヤバイな・・・

 

 

 それを見たヨルムは大声で競り合う相手に問いかける。

 

「機甲兵群四型<天鳴>じゃとッッ!?あのようなものを連れ出して!おぬしら正気か!!」

 

「ああ!ご覧の通りだ!私が直接出ているのだから当然とも言える!!諦めるがいい反逆者達よッ!!君たちには地べたに這いつくばるのがお似合いだ!平伏せ下郎!!」

 

「お、おんし――――ッッがア!!」

 

 ここまで接近を許すとはッ!こやつの隠形はどうなっておる!?

 

 持ち前の異能が刹那の剣閃に反応し速度を減退しなければアンブッシュ成功で首が跳ねられておったわ。まさか”私”に救われるとは・・・記憶を失う前の”私”はよくやった褒めていい。異能の本当の効力を虚偽申請していなければ今頃―――

 

 だが、依然状況は最悪。離れようにも敵に右足先が杭のように踏み抜かれ右足先が骨ごと砕かれていた。おまけに鍔迫り合いにおける馬鹿力で全身に負荷をかけられている。

 

 足腰が砕けそうだ。全身の骨が軋み海老ぞりに押し潰さんとする。

 

 

 

 ―――――なによりもだ。

 

 そんなことよりも!!!!!

 

 こいつの振るう獲物、もしや、もしや――――――黒殖白亜最強とまで称されしあのA部隊隊長セイランか!!

 

 となると、マズイッ!!マズイッッ!

 

「気を付けよぉぉッ!こやつらは”あの”A部隊じゃあ!副隊長にも気をッぐおあ!」

 

「私を相手によそ見か”氷結界域”・・舐められているのかな!それにもはや手遅れ。許せよ戦いとは無情!それすなわちッ―――」

 

 

 その時ガンヘッドは見た。

 

 ガトリング砲を構え迫る天鳴に注意がいく皆の後方。コイトの背後から何の前触れもなく気配が生じる。

 

 飛び散るは鮮血。力無くばたりと仰向けに倒れるコイトとその背後に立つ影。

 

「まずは一人・・」

 

 先ほどまで会話をしていたコイトの首をその手に提げる副隊長の姿。

 

 死んだ――――――こんなにも、あっさりと。

 

 ドクリとヨルムの心臓が脈打つ。ああまでされればコイトの不死性では生きているはずもなく・・・受け入れがたい光景が、事実が眼前で起こる。グニャリと記憶の奥底から死にゆく同胞たちの姿が掘り起こされる。

 

 これで何人目だ・・・・?

 

 また――――――同胞が一人逝った。

 

「おまえッ犬風情がッ!新入りに何しやがるッッ!」

 

「後は天鳴に任せよう。それが一番楽。なにより安全、ね」

 

 頭を投げ捨て一瞬で襲撃者の姿が掻き消える。セーニャの蹴りが空しく空を切る。

 

「クソクソォォッッ!!オレの後輩があああ殺してやる!!!」

 

 セーニャが吠え呼応するようにブチリ、とヨルムの中で何かが切れる。

 

「おのれ!おのれええええええッッ!」

 

「・・・・驚いた。そんな顔ができたのか、何度も言うが許せよ。その上で死んでもらう」

 

 既に右足の指の感覚が無い。分断された上にあの三馬鹿で天鳴と残りのA部隊員を相手にしなくてはいけない。記憶が戻ってからの初戦がこいつらとは慣らし運転の時間ぐらい寄越せと泣き言を吐きたくもなる。

 

 一切の猶予はない。同胞が殺された時点で、もはや戦う以外の選択肢は消えた。和平なぞ糞喰らえだ。

 

 他の部隊であればまだ交渉の道もあっただろう。だがA部隊はダメだ。こいつらだけは己が全てを尽くさねば一方的に狩られる。やれるのか・・・まだ完全とは程遠いのだぞ??

 

 ああ、なんて、絶望的なんだ。

 

 本当に――――――楽しいのなあッッ!

 

 記憶が戻り今ここに復活したリムルベルタの高位魔術師の恐ろしさ、その身をもって味わうがいいのだ。

 

 いかに祈り手のことを知り尽くしておろうと蘇った”我”に関しては違う。

 

 900年の長き時を超え未だ顕在する神が我に力を与える。記憶の戻りし”我”ならば神の祝福も受けられる。祈りは常に我が身を安寧の地へと誘う。戦闘意欲が向上する。

 

 遠き世界でありながら未だ我が神は不滅であった。

 

 あらゆる要因が、過去と未来が繋がったこの時こそ全盛期超え始めた瞬間であった。後は加速していくのみ。

 

 

 ――――――さあ終末戦争の続きだ。今ここに暇を返上し宣言しよう。

 

 

「昏迷なる大地に根ずく腐れ血脈ども。一切合切の希望を捨てよ――――【雹月】」

 

 内なる深淵が世界をかき回す。純然たる力による形成。見てくれだけの構成は崩れ去り次なる舞台が演目を繰り上げ塗りつぶす。

 

 始めたからには後には引けない。誰にも主導権は渡さない。誰しも例外なく流れに沿え。出来ぬのならば、意に沿わぬならば――――そのまま死んでしまえ。

 

 我が終末は未だ終わらず、怒りの鉄槌を世界に知らしめるために。今日も今日とて知の底から全力で叫ぶ―――

 

 魔術が、発動する。

 

 空間上空と床一帯が濃霜に覆われ白く漂い始めた。それはまさに未知なる魔術そのものであり、戦いの始まりを知らせる狼煙であった。

 

 

 

 

 轟音と共に粉砕される主柱。

 

 広大な空間を赤と黒でペイントされた機甲兵群四型”天鳴”の巨体が走る。その形はまるで蜘蛛の様な四足の戦車。搭載された高性能AIの補助を受け正確な射撃の予測演算が敵の動きを捉える。大型に似合わず動きは機敏、小回りが非常に効き備え付けられた1秒間に250発も発射可能なガトリング砲が火を噴く。周りには歩兵が随伴し天鳴を盾にしながら魔術を飛ばす。

 

 次々と打ち込まれる弾丸の嵐。

 

 急発進する巨体は薬莢を地面に吐きながらその巨体ごと標的へと迫る。

 

「――――――ッ」

 

 それを持ち前の身体能力を生かし避ける三人。その様はまさしく三者三様の避け方であった。祈り手ならば銃弾程度対処できる。それでもまともに当たればただでは済まない威力ではあるが。

 

 特にインクリウッドの動きは人間離れしたものである。尻尾を壁や天井に突き刺し縦横無尽に空間内を三次元に跳ねる。まさしく獣。壁を蹴る度にそこが陥没する。

 

 そんな機動性とパワーに長けるインクリウッドが天鳴に高速で攻撃を加え、注意を逸らしてくれる。やたらと伸縮性に富んだ尻尾が激突しガリガリと天鳴の装甲を削り火花を散らす。

 

 が、装甲の上に展開された透明な”壁”が阻害し重量を生かした体当たりで尻尾を弾き飛ばし小型ミサイルで追随する。

 

 天鳴が出張って来た時点でガンヘッドの役割は決まっていた。こちらの攻撃は装甲表面にぴったりと展開された魔力ともまた違った特殊な障壁に阻害され通らない。勿論魔術もだ。

 

 魔術が使えないとなると物理的にどうにかするしかない。天鳴の主砲の制作に携わったのがガンヘッドだ。天鳴のことはそれなりに精通している。大まかなスペックを改めて再確認する。

 

(特殊兵装の障壁・・・・内蔵された魔力コンバーターと遺失物を併用し半永久的に稼働が可能だって代物だったはず。障壁が抜けたとしても装甲自体に対魔術特殊加工が施してある。”第二級”遺失物による神秘耐性もあって高位魔術師でもなければまともにダメージも与えられまい!ならばッ―――)

 

 ガンヘッドはしゃがみこみ、姿勢を整え瓦礫の陰から天鳴に向け頭部の主砲を構える。手持ちの武装で全ての防壁を抜けるのはコイツのみ。物理にいくら耐性があろうと驚異的な質量の暴力まで防ぐことはできない。そのまま弾き飛ばすのみ。

 

 相手もこちらを警戒してか縦横無尽に移動し攻撃を加えようとするがインクリウッドの伸びる尻尾や強烈な蹴りが動きを鈍らせる。

 

「うがガあああああああー!!」

 

 限界を超え舞うインクリウッドの残像が分身となり天鳴のターゲットを散らすまでに至る。流石だと褒め照準を合わせる。

 

 その程度の動き、当てる!

 

 心の中の撃鉄を引こうと力んだ瞬間―――

 

「ツ”ッ――」

 

 銃身がブレ金属音と衝撃が頭を揺らした。

 

 ガンヘッドは別の角度から攻撃を喰らい倒れ込む。そう簡単には、いかせてくれないらしい。

 

「ッ!俺じゃなきゃ死んでるなァッ!!」

 

 狙撃を行った下手人たる隊員へと銃撃で牽制するも相手はチーム。盾役が前面で身構えその陰から他の守護者が銃弾や魔術で応戦する。数に勝るのが相手だ。当然圧される。

 

 まずい・・・やっぱり練度が尋常じゃない。角度を付け手にした盾で銃弾を受け逃されジリジリと距離を詰められる。連携で来る以上、大口径での撃ち合いは守護者に軍配が上がる。隙さえあれば魔術も行使してくる。ガンヘッドの腰に下げたカンテラから展開する火の結界で受けきるには限度を超えている。

 

 銃弾が頭に直撃し未だに脳内でガンガンと鳴り響く。だがこちらも特別製。重みに見合った頑丈さを誇る。対戦車砲程度じゃビクともしない。でも首は痛いからやめてくれ・・

 

 さっきから主砲の構えを見せる度に横やりが入る。まるでイタチごっこだ。主砲を使うにはどうしても構えが必要。構え無しに撃てば反動で後方に吹っ飛び壁に叩きつけられ死ぬ。

 

 頭に装填された弾は威力も反動も体への負荷も何もかもが度を超えている。俺に天鳴の攻撃が集中しないのはインクリウッドの過度な働きのおかげであり、早くしなければ先にあいつの体力が尽きてしまう。

 

(クソ!セーニャは何やってやがる!こっちは仲間が殺されてんだぞ―――)

 

 戦況は常に動いている。セーニャを確認するもA部隊相手にボロボロになりながらも食い下がるがっているがまるで相手になっていない。

 

 よく頑張っている。そんな事は知っているとも―――ああ、そうだとも!!

 

 ガンヘッドは頭に血が上っていた。仲間が殺され憤慨していた。

 

 セーニャは異能の都合上一番タフであり死ぬ事はないと確信があって一人で向かわせたが数の暴力の前ではどうすることもできない。無理を言った自覚はあるだがほんの一瞬でも主砲の発射時間を稼いでくれさえすればよいのだが、明らかに手が足りていない。

 

 苛立ちを抑え天鳴から発射された小型ミサイルを虚空から取り出した機関銃を両手に構え弾幕を張り迎撃する。戦いにおいて熱くなった者から死ぬとはわかっていてもこの怒りを抑えるつもりは毛頭なかった。仲良くなれそうな人間が死んだんだ。気の合う男の友人がここではどれほど貴重な事か。ああ気分が悪い。それがたとえ短い付き合いであったとしても未来の友が死んだことに何もできなかった己に腹が立つ!

 

 迎撃したミサイルの爆炎が広がり一帯を覆う。どんなに爆炎が広がろうと衝撃波や破片にさえ気を付ければ火属性にはなんら影響はない。属性ごとの特に優れた副次的な特性がその身を守る。

 

 そんな中、煙の塊から急に飛び出したるは円柱状の塊。

 

 あれは―――と絶句する。

 

 まさしく対A種使用を想定した一帯焼却ナパームであった。着弾と同時に信管が作動した時にはこの空間全てを熱量で焼き尽くす代物。酸素が消えてしまう。あんなものが実装されたなんて聞いてない。

 

 マズイ!酸素マスクは【蔵書】で常備しているが火属性の俺は耐えれてもセーニャ達が―――ッッ!だが、それは奴らも同じはずッ―――

 

 視界の端でA部隊の面々はお互いに固まりその周囲に火のついたカンテラを構えてみせる。複数の火継守による陣形。守護の形成。

 

 こいつら隊長もろとも俺らを殺るつもりか!?行動の淀みの無さ。ここまでの流れ全てが予定の範囲内か。となると隊長には既に対策は施されていると考えるべきか。

 

「ひゃうあああああッッ!マジで死ぬぅ!ガンヘッドおおお何とかしてよオオオオッ!」

 

 ボロボロになりながら床に転がるセーニャが叫ぶがセーニャもインクリウッドも距離が離れすぎて来たる煉獄から守ることができない。

 

 ナパームが放物線をなぞり地面へと落ちていく。弾頭が地面へ接触するまでの動きの全てがスローモーションに見えた。

 

 弾頭が重力に引かれる。

 

 

 

 

 

 ゴン!

 

 鈍い音と共に接地し直立したナパーム弾は作動することなく傾き倒れた。

 

 誰もが来たる衝撃に身構えていたからか、一瞬の間が生まれる。ガンヘッドは転がって来たそれが足に当たり、この場はひとまず助かったことに気が抜けそうになる。

 

 ふ、不発・・・?こんなことがありえるのか?ジャムるのとはわけが違うんだぞ。

 

 疑念はすぐに解消されることとなる。辺りに冷気が立ち込め白い霜が空気中を漂い濁らせていく。

 

 なんだこれはと事態の変貌ぶりに警戒が散漫となる。守護者も同じく変化に戸惑うも天鳴は機械。その隙を敵が逃すはずがなかった。機械には違和感など些細な事だと関係なしに無機質に命令を全うする。

 

「ガンヘッドッッ!!」

 

 セーニャの呼びかけにはっとなり意識が戻るがもう遅い。天鳴の主砲が完全に俺を捉えていた。

 

「ッう、く!」

 

 何もかもが遅い。主砲相手に意味も無いのに両腕クロスさせ守りの体勢をとる。全てが咄嗟の反応。避けるのではなく防御を選んだのが運の尽き。まともに受ければ即死する銃弾の連撃。身を竦ませ足が動かなかった。頭ではわかっていても体は正直だ。力んだ全身から汗が噴き出る。

 

「――――――??・・どうなっている?」

 

 だが、主砲はいつまでも発射されず、天鳴の巨体は微動だにしない。ガラガラガラとガトリング砲の砲身も回るが一向に弾が出ず空回り。ミサイルポットのハッチが開くもミサイルは一向に飛び出る事も無い。

 

 なんだ、なにが起きている???

 

 この一帯を漂う冷気の塊といい、こんなことができるのはただの一人しか俺は知らない。

 

「なんだ・・あいつッ全然変わってないんだなぁぁッ――――!!」

 

 新たな魔術の産声。勝負はこれからだと肌で感じた。

 

 



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第30話 早すぎた対決

 

 世界の均衡――――新たなる選択の啓示。深淵にまた一つ魔術の星が瞬いた。世界のどこかで誰かが驚いたかもしれない。ヨルムは静かにそう笑う。

 

 それは数百年ぶりの失われたはずの【氷結】からの派生魔術の誕生であった。

 

 樹界目録(テーブルレコード)・・そこに【雹月】の魔術とヨルムング・サナトリアージの名が刻まれる。誰もが忘れた古ぼけた不死者の名。

 

 これにより現代の魔術師に【氷結】がまだ完全に失われていないことが広まるだろう。

 

 【氷結】ヨリ分岐セシ新たな可能性。

 

 ――――だが残念!

 

 この魔術は我のみに扱うことが許された最果ての極み。決して誰にも真似させない無明たる深淵の詮術。異能と魔術、そして祝福が合わさり普遍的で当たり前な常識を塗り替えていく。

 

 つまらぬ世界の悲鳴が聞こえるようだ!もっと面白くしてやる。

 

 身体機能低下、体温低下、氷魔術威力増幅、エンチャントアイスそして、そして、そして。

 

 ――――その演目は無名。

 

 素知らぬ”運命”など介在させない。

 

 消える事の無い楔を打ち込んだ者だけにわかる情報の羅列。世界の一端とは真に奇怪なものである。これがまことしやかに囁かれし神の見る”世界”なのやも知れぬが必要のない要素は切り離す。

 

 それは・・・人には、ましてや不死者には不要。戦場は直接この手で制すに限る。

 

 

 

 

 術式の展開直後に天鳴が見事に不具合を起こし始めた。漂う小さな雪の結晶がその動きに呼応し蝕んでいく。これで火器の使用は不能となった。遺失物を搭載したあの機体に対しこの影響力。

 

 やはり我は誰もが認めるところの天才であることを証明してしまったなあ!

 

 じきにA部隊の連中も我が術中に堕ちる。

 

 ・・・・後はこいつをどうするかだ。

 

 最大の障害は未だ継続中。

 

 死は覚悟せねばなるまいて――――――――

 

「これは・・・何をした。なんだか面白いことになっているな」

 

 セイランはどこか楽し気だ。その余裕が気に入らない。

 

「よかった、自爆覚悟の判断は間違いじゃなかった・・・嬉しいな。やはりそれだけの価値があった!そうでなくてはなッ”氷結界域”!!!」

 

「だったらまだ遅くない!今、すぐにでも死んでしまえァァァッッ”!!」

 

 掌から魔術が発露する。

 

 剣と剣が密着した零距離での【氷結】の発動。その効力は至って簡潔。近くのモノを凍らせるとても単純な現象を熾すシンプルな構成の魔術。ストレートな魔術の共通点として保有魔力の絶対量が威力に大きく関わってくる。投じた魔力の分だけ影響力は増幅する。

 

 終末戦争当時11人しかいない最高位魔術師の認定を受けた我が繰り出す【氷結】。それも最年少の認定!!

 

 天凛たる我のの一撃。

 

 それすなわち――――必殺の一撃と成り得た。

 

 キュギャギキーン!!!

 

 ガラスを引っ掻いたような音が耳を劈く。目に映るモノ全てが青白く染まり狂う。空間の一角が凍結し空気と共に死をまき散らす渾身なる一撃。

 

 

 ――――――それなのに、未だに我にかかるこの重圧はなんだというのか。

 

(耐えたじゃと。こやつ――――!!?)

 

 全身を白くコーティングさせながらもセイランはギリギリと力で前に前にと我を剣で押し潰す。

 

 周りの惨状と比べると明らかにダメージが低い。凍り付いた空気が息をすることも許さないなのになぜ生きていられるのだ。

 

 やはり一筋縄ではいかない。”剣聖”の称号を与えられるだけはあると思い知らされる。

 

 これほどの実力者であればと、信じ避けること折り込み済みで【氷結】を繰り出したのだが避けるのではなく耐久という選択。瞬時に避ければその速度が【雹月】の網に引っ掛かり死ぬ。

 

 先ほどの隠形からの不意打ちと言い異能の情報はあらかた敵に共有されているのは確定。こうやって密着したまま力で押しつぶそうとしているのがいい証拠だ。このままでは体がもたない。背骨が捻じれそうだ。

 

 ヨルムの剣ごとセイランの刃は既に首元まで押し切られている。不利ではあるがまだマシ。寧ろ距離を取られれば死ぬのはヨルムの方だった――――”アレ”を使われる前に決着を付けねばならない。

 

 できるのか・・・・我にッ!!

 

 

 広がる【雹月】は一帯制圧型の魔術。

 

 範囲内に在するモノ全てが水属性へと変貌する。エンチャント魔術の究極の応用。人が産まれ持った属性をも上書きし強制的に水属性単体とし装備品、床や天井、空気までも水属性を付与する。自己属性の変更で魔術の威力や魔力消費量にも変化が現れる。

 

 なにより火属性の専売特許である銃火器と魔術の使用が不可能になった。これで厄介な【転移】も封じた。火の魔術は火属性にしか使えないことがデメリットとなり牙をむく。他の属性魔術をサブで採用していなければ魔術は封印したも同然。これで問題であった天鳴や火属性持ちが多く在籍するA部隊は銃火器を使えず弱体化を余儀なくされた。

 

 驚くことにこれらの要素は全ておまけに過ぎない。魔術と異能の情交がこの程度なはずがない。

 

 【雹月】の真価はそこではない。

 

 (仕方・・あるまいッ)

 

 非常に危険な賭けだが術式の真髄を知られる前に仕留めるしかない。

 

 覚悟を決めすぐさま【氷結】を再発動する。ただし、対象は自分。踏み抜かれた指先だけを器用に凍らせ壊死した部分を砕き切り捨てる。素足であることが逆に助かった。

 

 そのままバックステップ。

 

 前方のセイランへと魔力放出を行い速度を確保。異能の全力行使。一定の速度を得たことで異能を適用。超加速で後方へと離脱する。絶対にやってはいけないと自ら戒めた無限加速。光を置き去りにする。

 

 剣をセイランへと投げ捨て、当然来るであろう追撃に備え身を丸め最小限に的を絞る。凍り付いた空気の壁が幾重にも集中展開し追撃者を隔てる。

 

 

 ――――――ああ、あの技が来る、来てしまう。覚悟はしていたはずじゃ。もはや祈るしかないじゃないか。

 

 

 影を置き去りに飛び退くヨルム。その目に映るは魔力放出の煽りを喰らいつつも移行するセイランの構え。

 

 流水の所作は淀みなく、その場に君臨する絶対者の極印であった。

 

 

              

   特攻【一文字】

 

 

 

 上段に構えられた変わった形をした長い剣。一部の獣人が好んで使うとされる刀と言ったか。美しき刀身を燦燦と輝かせまっすぐに振り下ろされた。

 

 それだけで、たやすく堅牢なる我が守りを斬り分ける。

 

 離別する現実の境目が一直線に牙をむく。

 

 

 ゴオッッッッッ―――!!!

 

 

 世界が軋み、揺れ動く。次元そのものが振動する。

 

 

「―――ァッ!!―――ァァァアア!!?ゲブェッッ―――ガア”ア”ア”アアアアアアァァァァッ!!!」

 

 斬り裂かれ飛ぶ左腕。斬撃で次元の溝が発生し圧し出され発生した空間の壁がヨルムの全身を殴りつける。地面を激しくバウンドし柱に激突しぶち抜く。

 

 距離を稼ぐ。それだけの為に足先に腕一本、全身打撲か。ああ、左目も潰れたか。

 

 床を転がりその跡が血で点々とこびり付く。空気はこんなにも冷えているのに体が熱い。体がきしみ骨がいくつも肌から突き出ている。不死者でなければ死んでいた。氷結魔術がブーストされたこの空間でだからこそ受けることのできた一撃。ここまでしてようやくだ。

 

 それでもせいぜい直撃を逸らすよう認識をずらす程度が限界か。二度目は通用しない。

 

 ―――あくまでも敵の誤った認識を利用した回避。これまでの”私”の事前情報を基にした為に生じた隙間。無限加速は相手の目算を僅かに狂わせた。一文字はそもそも回避できる攻撃ではない。ここでもまたフラメンツとしての過去の”私”に助けられた。

 

 それでも支払った代償は高すぎる。無限加速に【雹月】。

 

 手札を晒し過ぎなのだ。

 

 

「・・・・・・ぐ、ゲボェッ」

 

 だが、事はようやく為った。こっちは新魔術初披露なんだ。初回ボーナスで最初くらいはちゃんと決まってくれないと困るというもの。

 

 ゆっくりとした動作で血塗れの体を引き起こす。こうした間もさらなる追撃は無い。完全に嵌ってくれたか。ピントの合わないぼやけた真っ赤な視界がその姿を確認する。

 

 奴はどこだ・・・この目で確認しなければ安心できない。

 

 

 徐々に認識が正しき答えを出力する。

 

 セイランは・・・・・・剣を中腰に構えたまま氷結していた。刀から全身にかけて完全に凍り付き見事な氷像へと変わり果てていた。

 

 

(成ったか――――――)

 

 

 【雹月】の影響下で一定の速度を出せばその速度に比例して侵食するかのように凍らせる。

 

 魔力も無しに現象にまで昇華させた所作。構えを見てからではもう遅いとまで言わしめたセイランの特攻【一文字】。

 

 術式の影響下でそんな極技を使えばどうなるかなど目に見えて明らかだった。まさか絶対零度まで振り切るとはあまりに予想を超えていたが・・・

 

 特攻はやはり恐ろしい。流石は特異点を普遍に落とし込んだ歪な世界のあり方と言われるだけの事はある。

 異能であろうが【雹月】の影響下であろうとも必ず一撃入れてくると知っていなければ間違いなくヨルムが死んでいた。

 

 発動中の特攻を止めることなどできない。どんな行動に対しても後出しで上を取り動作が終了するまで無敵そのもの。優先権の化け物だ。空気を幾重にも固め障壁を重ね空気中の水分を凍らせ光の屈折を利用し認識をずらさなければ片腕だけではすまなかった。

 

(フェイスガードがなければ、まばたき一つで失明じゃったがなぁ)

 

 まばたきの速さは0.3秒。余裕で凍結可能な速度域である。目を開け閉じる二重の動作が入念に眼球を凍結させ壊死させる。完全なる初見殺しなのだが今回は残念ながら敵の標準装備である密着式の特製スーツでそれを拝めなかったのは残念だ。特別製を謳うだけはある。

 

 漂う霜が接触した箇所から凍結は始まる。一帯のエンチャントアイスは副次的な現象で安定して霜の精製を行い、ばら撒き散布する。速度が敵を殺すのだ。

 

 一流の魔術師はフィールドを支配する。それは流れを掴み時の運すらも有利な方向へと意図的に動かすことが可能だからだ。

 

 最大の障害は死に、この場は制した。

 

 あとは――――――奴の体を砕き、仲間の手助けをするだけ・・・そこまでしないと安心できない相手であった。

 

 グラリと体がふらつき粉砕された支柱に寄りかかる。

 

 体が重い―――正直、奴にあそこまで接近を許した時点で終わったと思った。近接の鬼に対し我は魔術の天才。

 どう考えても【一文字】で死ぬ運命しか見えなかった。不意打ちに気が付いた時は死ぬほど驚いた。とっさに自身を加速させ一文字を撃たせないよう無理やり近づくことで密着できたのは運がよかっただけに過ぎない。不死者の我でも頭を綺麗に真っ二つにされれば死ぬ。かつての大戦中、勇者アリスとの幾度もの戦いがヨルムの不死性を削っていた。なにより一文字は斬られた箇所の因果を断つ。もう左腕は再生しないだろう。天才特有の神の天啓にも似た閃きが無ければこうして息をすることも叶わなかった。

 

 ボタボタと腹の中から何かが垂れるのを右手で押さえつける。まったく・・懐かしい感触だ。ダメ、だ。意識を保つので精一杯。動けそうにない。

 

 傷は深くすぐにも気絶しそうだが意識を失えば術式が中断されてしまう。

 

 後は仲間に託すしかあるまい。行けガンヘッド達よ。今のお前たちならばやれる。

 

 なんせ・・【雹月】の対象は任意。精密な術式の展開と行使が可能な我により仲間は一切の制限を受けないのだから―――

 



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第31話 乱戦

 

 セーニャは果敢に挑む。何度血を吐こうとも役割を全うする。二度と後悔しないために身を削る。

 

「うおオおおおおああぁ死ねええヨおおおおッッッ!!」

 

「撃ち殺せ」

 

 正面から馬鹿正直に突っ込むセーニャに向かい銃を構えた部下たち。副隊長の命令が引き金を引かせる。まるで学習能力が無い無鉄砲さ。さっき同じことしてボロボロにされたのをもう忘れてる。

 

 しかもあの丸出し臀部。こんなのが我らと同等な地位にあるとはまったく悪い冗談だ。やはり統一性のない色物集団だな。誠に残念だよ。祈り手と懇意にしている守護者は多い。それでも我々は職務を全うする。何を優先するかなどわかりきっている。

 

 命令は・・・絶対だ。

 

 交差する射線がその軌道を沿って弾丸が対象の風穴開ける      はずだった。

 

「――――どうしたッ」

 

「た、弾が発射されませんッ!まったく反応が―――」

 

「オラアあッ」

 

 セーニャの蹴りが動揺する隊員に直撃し吹き飛ばす。

 

「死ねよ☆あひゃひゃひゃひゃあああ!死ね死ねッッ!【ブローニング・オーダー】」

 

「全員下がれッ!【炬火】(バーンストライプ)

 

 高位魔術の行使。敵の魔術を飲み込む程の強大な熱線の波動。個人に使用するには過ぎたものであるがこの距離での相手の魔術ではこちらにも相応の出血を強いる。ならばそれを飲み込むほどの火力をもって制そう。

 

 かざした腕の先から灼熱の波動が飛び出す。

 

 だが――――想定した結果を生むものではなかった。

 

 散弾銃のように巻き散らかされる闇の飛沫。直撃した数名の部下に直撃し吹き飛ぶ。【炬火】(バーンストライプ)は不発に終わったのだった。

 

(不発だと!?それになんだこの感覚と違和感!?)

 

 自身に組み込まれた魔術基盤が属性と噛みあっていない。それは自身の属性以外の魔術にアクセスしたような感覚に似ていた。

 

 傷を負った部下の体を支え副隊長は指示を飛ばす。

 

「魔術は使うな!銃もだ!全員いったん下がれ――!」

 

 セーニャにナイフを投げつけ怪我人を預けた仲間の体に身を隠す。

 

「やん☆」

 

 セーニャは体に軽い衝撃を受けるが飛んできたナイフは空気中で凍り体に刺さることなく服に弾かれ砕け散ったのだ。

 

 どうなってんだこりゃあ。おまけに副隊長があの一瞬で消えやがった。

 

 自身の首筋に感じる熱。どういうことか背後に一瞬で回った副隊長による不意打ち。

 

 それは唐突で両者に驚きをもたらす。

 

「どうなっているんだ貴様の首はッ?」

 

「ああ!痛ったー☆ッこのへたくそがあああよおおお!」

 

 セーニャの背後には誰もいなかったのにいつの間にかナイフを突き立てた副隊長がいた。

 

 自身の役割はガンヘッド達への邪魔を防ぐこと。そういう立ち回りを受け持ったからには戦線が維持できなければ引くぐらいのこともする。

 

 なのに奴は【転移】も使わずに背後から奇襲を掛けて見せた。魔力の発露が無かったので間違いない。

 

 ならばどうやって――――――――

 

 首を抑えつつも振り返りざまに裏拳を飛ばすも受け止められ太ももに刃を突き立てられる。それでも構わずセーニャは相手を蹴り飛ばすが仰け反りざまにさらに振り上げられたナイフが腕を切りつけて行く。

 

「アがあッ!うざってえええええ。この犬畜生どもがッ」

 

 セーニャはそれでも構わず攻める攻める。気のせいか相手の動きのキレが悪いように感じた。

 

「グッッ!?どうなってる!?これあッ!」

 

 A部隊副隊長ヲタルもまた不調に蝕まれていた。手足が凍り付いている。魔力障壁ごと凍り機能していない。氷の重みで動きが鈍るばかりだ。おまけにセーニャへの致命打が何一つ有効にならない。これも異能の恩恵か―――

 

「我らも副隊長に続くぞ!」

 

 負傷した仲間を運び終えた守護者どもが加勢してくるが関係ない。多勢に無勢な状況でもセーニャは笑う。寧ろ注意を引けるならこちらとしても望むところ。ヘイト管理の為にも口汚く叫ぶ。

 

 セーニャの蹴りを主体とした体術は全ていなされ痛烈なカウンターで返される。攻撃をするたびに血が舞うがセーニャはやはり笑っていた。

 

 定期的に投与される薬の副作用を事前に大量投与しハイになっている。

 

 オレは―――無敵!だからこそ己の傷を顧みない。

 

 攻めて攻めて攻め続ける。

 

 体術では相手が上の様でまともな感触が得られないがそれがなんだって?

 

 守護者どもが近接武器を手にセーニャを追い立て、血は滴り動けば動くほど体に熱を帯びていく。袋叩きもいいところだ。傍から見れば絶望的な状態。銃器と魔術抜きでもコンビネーションは抜群であり今にも死にそうだ。見た目からは考えられないような膂力による暴力が波のように押し寄せる。

 

「こ、コイツ――――!!?」

 

「くひ、そんなじゃッ殺せない!!そんなものかよカスどもがッッ!!」

 

 それでも膠着していた。未だ戦っていられるのはいくつかの要因からくるものであった。

 

 展開された【雹月】の影響で敵はいくつもの制限を受けている事。瞬間的に音速を超える剣や槍の刃先は次第に武器そのモノを凍り付かせ耐久性や殺傷力を奪ってしまう。冷えきった空気は息をするたびに体温を奪い、動きのキレを悪くする。時間がセーニャに味方する。

 

 なによりこのセーニャとか言うふざけた女の保有する異能。先の戦闘でもだが異様に攻撃が通らないのは異能でダメージを曖昧にしているからに他ならない。どんな致命傷の一撃でも煙に巻かれ都合のいい結果へと導く。軽い傷程度ならすぐさま自然治癒する生命力も合わさり大量の出血も期待できない。

 

 そしてなにより――――

 

「【オーシャンズエッジ】ッッッ!!」

 

 闇で形作られし小さな刃の連なり。無造作に列するそれらはお互いにぶつかり合いながらも無茶苦茶な起動を描き射出される。その数優に300は超えるか。

 

 辺り一面を針の筵へと変貌させ守護者の血が飛び散る。

 

 皆、必死に受け流し守護者たちは柱等の瓦礫を盾に耐え忍ぶ。読めない軌道が運悪く部下一人に殺到し直撃。即死する。

 

「―――――――――――リニスッッ!?」

 

 一方的な魔術の使用。それも魔力消費が高く、操作性の難がある・・・所謂後年に代用制作の末生まれた闇属性の単発魔術である【クロナイフ】の派生。

 精製された全ての刃を常にコントロールしなくてはお互いに干渉しあい消滅してしまう期待値以上の効力を発揮しないのが特徴である。それを異能と併用することにより魔術の判定を曖昧にし攻撃範囲を広げてくる。相互にぶつかり合えば威力は下がるか消滅するはずだがその判定をも操作し威力は衰える事も無い。それどころか見た目よりも攻撃範囲を広くしているじゃないか。連発してくることから異能で魔力消費にも干渉していると考えていい。

 

 クソ、隊長はなにをしている。展開された術式は明らかにあの女のものだろうが。確認しようにも漂う霜のベールが視界を妨げ見通しが悪い。

 

 先ほどの耳を劈く衝撃音。あれは間違いなく一文字。アレを受けて死ななかった者はいないのに。なぜ術式が切れない?

 

 まさか隊長が負けた?いや、それなら【氷結界域】に動きが無い理由がわからない。

 

 凍り付く体を抱え縋るように大声で後方に控える部下に声を掛ける。

 

「観測官ッ!」

 

「副隊長!我々の自己属性が強制的に変更されております!なので火属性以外の魔術の使用は問題ないようです!属性変更による魔力消費量と威力低下に気を付けてください!ただ凍結の条件はなにかしらの動作が起点となっているのですが詳細は不明!」

 

 だからといって動かない選択肢は採れない。長期戦になればなるほどこちらが不利なのは一目瞭然。ならば即効で大本を絶つしか手は無し!

 

「やはり・・あの女が先決か!出来る限り散開しセーニャに魔術で飽和攻撃を仕掛けろ!とにかく時間を稼げ!その間に私が隊長の加勢に出る!!―――特攻【影喰み】」

 

「逃げんじゃッ―――ぐおあ!アギャガy」

 

 セーニャが飛び掛かるも守護者が阻む。吹き飛ぶセーニャに追撃の魔術が飛び体を貫く。

 

 それでも血を吐き地面に爪を立て必死に立ち向かう。

 

 まだ元気だ、まだ動ける。未だに柱に背を持たれまともに動くことのできずにいるフラメンツの元へと詰め寄ろうとするが黒い人垣が壁となり頑強に阻む。戦力の差はあれど、この有利な条件下でようやく互角だと言うのか。フラメンツがボロボロに成りながらも均衡を維持しているのにこのままでは―――間に合わない!

 

 ”お姉ちゃん”が殺される!!!

 

 いや!いやァァァ!!

 

 涙目になりながら叫ぶ。

 

「ガンヘッドッ!インクリウッドッッおおおおお!誰でもいい止めろおおおおおオオオッッ!」

 

 セーニャの必死の叫びは独りよがりに響き渡る。

 

 

 

 

 

 凍結し動きが鈍る天鳴。回らないローラーを捨て多脚の足をそろえ、飛び跳ね駆け巡る。

 

『銃火器管制システムに異常。プロセス・・失敗。状況からの推定・・・原因の特定完了。これにより対象の脅威度判定を2レベル引き上げます。優先対象の変更。自己保存機能の一部解除を許可。緊急時におけるマニュアルを参照。ロックの解除を確認。【異なり底の聖剣】を展開します。黒殖白亜の皆さまは至急この場からの撤退を推奨します』

 

「なになになに、あれなにー???」

 

「気を付けろッッ!あれは―――ッ」

 

 天鳴の上部装甲が解放され何かが姿を現すと眩い光が辺りを覆い尽くした。

 

 現れたるは剣の形。

 

 一目見ただけでわかった。あれは、マズイ。

 

 体が、心が聖剣が放つ波動に竦んでしまった。実物を見たことは無かったがあれこそが――――――ッ

 

『【異なり底の聖剣】を展開します。危険ですので黒殖白亜の皆さまは至急この場からの撤退を推奨いたします』

 

 光が聖剣に籠る。

 

 今にも”何か”が解放されそうだ。

 

 ダダダダダッッ!

 

 ガンヘッドが放つ銃弾が天鳴を襲うが持ち前の硬い装甲が防いでしまう。

 

 こんな豆鉄砲ではダメだ!やはり主砲を使うしかない!ローラー部が凍結し動きが鈍い今ならば前よりも狙いやすい。

 

 

「ガンヘッドッ!インクリウッドッッおおおおお!誰でもいい止めろおおおおおオオオッッ!」

 

 

 セーニャの叫び声が聞こえるが目を向ける暇もないほどにこちらも切迫している。

 

「――――――当たってくれええええええええッッ!!!!」

 

『解放』(リリース)

 

 無機質な機械音声が冷徹に敵意を剥きだし牙をむく。両陣から閃光が瞬く。

 

 先にガンヘッドの頭部から発射された弾丸が聖剣を戴く台座を掠め――――聖剣より発射された光の柱の着弾点を僅かにずらした。

 

 脇に逸れたが余波でガンヘッドは吹き飛ぶ。常人であれば熱量で死んでいた。

 

「――――――――オ”―――ッ」

 

 光線は地面から天井へと薙ぎ貫く。予想もしない軌道に尻尾で壁に張り付いていたインクリウッドはなすすべもなく余波で吹き飛ばされてしまう。全身に酷い火傷を負っている。

 

 そのまま壁に激突し気絶するインクリウッド。意識も無く頭から落下する。あの高さはまずい。そう思いガンヘッドは走り出す。未だに発射される光の柱がインクリウッドを追随している。

 

 このままではインクリウッドが殺される。あいつは火継守じゃないんだぞ!!そうであっても直撃はマズイ!!

 

 ――――だめだ間に合わない!

 

 堕ちるよりも先にインクリウッドがやられる――ッ!

 

 主砲を使おうにも構える時間も無い。無理に撃っても命中するはずもない。

 

 ならば、ならば、ならばこそ――――!!

 

 

 

「そのまま行けぇッ!あいつは俺に任ぜろッッ!」

 

 

 誰かの声がした。背中を押された気がしたのだ。

 

 誰だったのかわからなかったがその後押しのおかげで一歩前に踏み込めた。

 

「オオオオオオオオしゃおらああああああアアアッ!」

 

 全力で助走をつけ体を反転させながら前に跳ぶ。

 

 頭部の銃口は天鳴ではなく何もない俺の背後へと向ける。手で頭を抑え首を固定し体を出来る限り丸める。どういうことか衝迫の行動ながらも確かな手ごたえを確信する。

 

 ――――主砲が火を噴いた。

 

 それはただの思い付きであった。こんなバカげた真似”普段”はやらない。だから試したのか。

 

 バガアアアアンンン!!!

 

 反動で一気に急加速した俺の体に凄まじいGがかかる。それでも必死に足を延ばし蹴りが弾丸のように天鳴のボディを障壁ごと突き刺し弾き飛ばした。

 

 天鳴は重量を感じさせないほどに機体は浮き上がり支柱を砕きそのまま壁に激突してしまう。光線の軌道は完全に逸れたがインクリウッドはどうなったのか。折れた右足を引きずり落下地点へ急ぐ。

 

 そこには――――

 

「よぉ」

 

「く、ははははッ、なんだ生きてたのか!」

 

「まあ、な。ところでこいつの角抜いてくれない?すんげー痛いんだが。死にそう」

 

 首を斬り飛ばされたはずのコイトがインクリウッドを受け止めてくれていた。さっきの声はやはり彼のものであった。幻聴ではなかったのだ。こうして軽口を叩くのだ。彼は生きている。なぜ、どうやってなんて些細な問題だった。

 

 腹に突き刺さった角を抜いてる所でインクリウッドの意識が戻った。

 

「あれ生きてるー!!?私も生きてるー!?なんでー!」

 

「あ、揺らさないで。まだ角が刺さってるんだが」

 

 混乱し暴れるインクリウッドの角が引き抜かれる。血がドクドクと溢れる。傷が内臓まで達しているじゃないか・・・・これでは・・・・いやこいつなら大丈夫か??

 

「――――時間が無いから聞いてぐれ。ガンヘッド、インクリウッド。今からヨルムたちを逃がすからそのまますぐに大扉に向かって逃げろ」

 

「助けるって―――――そんな体であれを相手にどうするつもりだ」

 

「そうだよー思いあがるなよこぞうー皆で逃げるよー」

 

「こんな傷どうってことはない俺は――――不死身だ。この場は任せてくれればいいんだよ」

 

 それでもガンヘッドには納得がいかない。バレバレの嘘を言ってくれる。ただのやせ我慢にしか聞こえないのだ。

 

 この目を知っている。死地に向かう者が見せる最後の光だ。

 

 ・・・・どこで見た光景だろうか。なんだか頭痛がする

 

「どうしてそこまでしてくれる。俺たちまだ会ってちょっとだろ」

 

「あんたらが死んだら誰が俺を運ぶんだよ・・・正直邪魔なんだよ。怪我人を庇いながらじゃ戦えない」

 

 そんな体で言ってくれる。だが、その軽口が頼もしく思えたのも事実。

 

「むーなまいき。新入りのくせに」

 

「それが一番みんなの生存確率が高いからじゃいけないか?・・それでその恩人から頼みがあるんだが」

 

「なんだ言ってみろ」

 

 ギャリギャリと何かが近づいてくる。”その”正体に驚く俺たちをよそにコイトは”それ”から伸びるアームに掴まれ上に乗り込む。

 

「ヨルムに言っといてくれよ。嘘ついて悪かったなって」

 

 



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第32話 揺れる思い

 

 少し―――時は戻る。

 

「ガンヘッドッ!インクリウッドッッおおおおお!誰でもいい止めろおおおおおオオオッッ!」

 

「もう遅い!」

 

 ヲタルは柱の影から飛び出す。身を翻しナイフを瀕死のフラメンツへと振りかぶる。特攻【影喰み】により自身以外の影を借りそこからフラメンツのいる柱の影へと瞬時に移動する。瞬間移動と見間違えるような移動手段。

 

――――――特攻【影喰み】

 

 もともとヲタルは相手の視界から一瞬でも姿を消せれば自身の所在は悟らせずに相手を不意打ちしなおせる特殊歩法を習得していた。瞬き一つで何度でも仕切り直す。不意打ちも逃走も自由自在。相手の認識の外へと容易に忍ばせる。それがいつのまにやら特攻へと昇華してしまった。

 

 世界にすら現象の一部と誤認されるほどの絶技。そもそも一文字といい特攻の使い手が二人も同じ場所にいることは異常なのだ。マスターですら原理はよくわかっていないというのに。

 

 一文字を受け死に体のフラメンツにこの一撃を防げる道理はなし。他二人は天鳴に掛かりきりで身動きが取れない。勝利を確信したヲタルのナイフがフラメンツの露呈した白い首筋へと吸い込まれる。

 

 だが、副隊長は一つだけ見落としがあった。まだ動ける者がもう一人いる事実に―――

 

 

 それは意識の外からやって来た。

 

 !!!!!??

 

 横合いからの衝撃。体がブレてナイフの軌道がフラメンツの首から僅かに逸れてしまう。傷は無いが衝撃で思わずナイフを落とす。

 

 銃声!?

 

 銃ならば自然と下手人は絞り込まれるが・・・馬鹿な、ガンヘッドは天鳴の相手をしていたはず!そんな余裕があるわけが・・・・

 

 肩を抑え射線を辿る。

 

 視線の先、いや、あそこにいるのは、馬鹿な、なぜなぜなぜ――――ッ?

 

「なぜ生きているんだ貴様はッ!??」

 

 地面に醜くへばり付きながら銃を構え不敵な笑みを浮かべる隻眼の男。確かにこの手で首を切り落とした。あれで生きているなど普通はあり得ない。おまけに火の属性だと・・・

 

 ―――ダダダダッ!

 

 なおも撃ち込まれる銃弾をヲタルは回避する。容貌からしてどう見ても祈り手だが知らない顔だ。

 

 あんな奴がいるなんて初耳だ。記憶をいくら探ろうと誰にも該当しない。女装した変態なんて私は知らない!

 

 それでもでもまだ殺れる!すぐ殺れる!武器が無くとも素手で首をへし折るぐらいなんてことはない!

 

 フラメンツは必ずここで―――ッッ

 

 手刀が振り下ろされようとした時、あらぬ方向から光の奔流が一直線にこちらへと伸びる。

 

 (な、なんだ!!?)

 

 光の線はヲタルとフラメンツを遮るように横断する。軌道上の全てを爆炎が追走する。

 

 光が瞬き轟音と共にヲタルの小さな体は枯葉のように舞う。

 

 ダメージ甚大ッ!ダメージ甚大ッッ!!

 

「グゥアアああああッ逃がすかああッ頼むから死ねッ!【玩刃】(ライズメタル)!!」

 

 体が凍てつきながらも同じように宙を舞うフラメンツに向かいヲタルから巨大な刃が現れ発射される。それも上から下へと落ちる形でだ。

 

 刃はやはり凍結したが圧倒的重量がフラメンツに差し迫る。お得意の氷結魔術であろうと術式を維持するのに精一杯の奴には迎撃の余裕はない。おまけにその体では回避も防御も不可能。フラメンツの見開かれた眼から驚愕の意を感じ今度こそ終わりを確信する。

 

 貴様はもうがんばりすぎだ!

 

 

 

 脅威がヨルムへと差し迫る。

 

 ああ、ここまでか――――

 

 ヨルムの体は横たわったまま動かず視界が白と黒の点滅を繰り返し、ゆらゆらと枯葉のように意識がただただ続いていた。今どこにいて何をしているかもわからぬほどに意識が揺らぐ。

 

 セイランから受けた一撃は必殺そのものであった。

 

 魔力を集中し術式を稼働させているが、意識を失えば死ぬ。

 

 不死者であっても無視できない魔力の稼働率。極限の意識の集中が再生力に回されるはずの魔力すら取りこぼさまいと体が悲鳴を上げている。

 

 それでも中断するわけにはいかなかった。この術式を解けば仲間が死ぬと誰かが叫ぶ。もう誰かが死ぬのはごめんだ。一秒でも長く術式を維持しろ。あの三人が黒服どもとまともに戦えるように死んでも維持しろ。迫りくる新たな脅威をじっと見つめながら、なぜだか我は自嘲気味に笑みを浮かべていた。脳裏に死んだ同胞の顔がよぎる。

 

「ジャッッ!!」

 

 諦めかけたその時目の前にセーニャが割り込む。魔力精製された暗黒の剣を振り抜き魔術を迎撃しようとする。

 

「があああああああああ!」

 

 激突し砕け散る剣。お互いの魔術が反応し爆ぜ我らを吹き飛ばす。

 

「フラメンツ!大丈夫ッ!?」

 

「セーニャ・・・うっく」

 

 目から涙が溢れてくる。

 

「すまない、負けそうになってしまった――――我は」

 

「心配すんな☆死ぬのはアイツなんだからッ」

 

 ボロボロの体でありながらも殺意に満ちた顔で笑う。あちこちに刃の破片が刺さっている。虚勢を張っているがセーニャの限界が近いのは明らかだ。

 

「・・・だいぶ・・世話になってきたからさ、ここで返すけどいいよね」

 

 周囲の景色が歪んでいく。それは次第に霧散し空白地帯が生まれ落ちる。これは異能の解放――――

 

 セーニャは自身に対し過度な異能の行使を行わない。捉えどころのない異能であるがその力は強力無比。我の最奥の魔術にすら影響を及ぼすほどの強制力。強力故に本人にすらその影響から免れることができない。

 次第に自我は揺らぎ形を変えていく。ここに収容されて500年ぐらいか、セーニャの精神は既に何度も変貌を遂げなんとか今の形で落ち着いている。初期の頃の面影はもはや存在しない。それでも仲間を気遣う優しさだけは変わる事の無い決して色褪せぬ不可侵の原点。これ以上の戦闘は勝っても負けてもただでは済まない。

 

 もう痴態は許されないぞ。さあ動け!これ以上何も失わせはしない。

 

「反逆者ごときが泣かせてくれる。いいっ!どちらもすぐにまとめてあの世に送ってあげるわよッ」

 

 短剣を取り出し構えを取る副隊長。隊長のせいで話題に隠れがちだがこいつも相当の手練れ。ビリビリと殺意が体を突き刺す。いったいどれほどの人間を殺してきたことか。あのぽっと出の剣聖さえいなければ本来はA部隊の隊長になるべき存在。

 

 面識は余りないがまだ話は通じる、か?

 

 心配するセーニャの肩を借り立ち上がる。術式の維持の限界時間を図りながら途切れそうな意識を手繰り寄せる。この傷だ。我の消耗の本当の意味も分かるまい。いいカモフラージュとなっていた。

 

「ここは引けよ。A部隊、まだ愛しの隊長殿も助かるかもしれんぞ」

 

「なんだと――――それが本当だとしても貴様らを殺してからでも遅くはない。ここまでやっておいてみすみす見逃すわけないじゃない?だいたいあなた・・・猫を被ってたのね。恐れ入ったわ。流石ね」

 

 髑髏を模した仮面で表情は窺えないが僅かな尊敬と怒りの感情は伝わってくる。

 

「隊長は・・・負けていない!実力を過信し送り出した私のせいよ・・・戦いにおいて後からあーだこーだ理由を付けるのは好きじゃないけどここで貴様を殺せば隊長は私の憧れであり続けれる。私の上に立つ奴が簡単に負けていいわけがない。これはチーム戦よ。まだA部隊としての敗北で済ませれる。仲間が足を引っ張った、ただそれだけの話で済―――」

 

「なんだおぬし隊長の事が好きなのか」

 

「・・・・ち、違う、断じて違うわよ!私から隊長の座を奪った、マスターから贔屓にされる奴のことなんてッ!!」

 

「じゃあなぜ他の部隊に移籍しない」

 

 前から思っていたことだがA部隊は戦力過剰。普通ならバランスを取って戦力を分配する。それに副隊長に甘んじているこやつの実力ならば自身の部隊を新設可能だろうに。

 

 誰もが自身の優秀さを”マスター”に知らしめたいのが普通だ。守護者とはそういうものだ。

 

 ダンジョンの住人は皆そういう宿業を背負っている。なのにこいつは残留し続けている。言動からしてもつまり――――――まったくもって奇怪な話だ。

 こいつらは個人に対しそこまで執着するような心は持ち合わせていなかったはずだが・・・それはつまり好意しかないだろう。ここの守護者は女しかいないし珍しくも無い。

 

 いけるか・・・?

 

 

 

 

 

 ゴホゴホッ

 

 未だ冷え切った世界で咳き込む要抹殺対象のフラメンツ。脇に立つセーニャも含め一足一挙動に注視するがヲタルは見るからに動揺していた。

 

(こいつは・・・何を言っている。私が隊長の事が好き?なにを馬鹿なことをッ)

 

 あれはただの憧れで努力では至れない至高の境地で生きる隊長は私の理想そのもの。部隊長の座は奴にこそふさわしいと嫌でも思い知らされる。奴がそれを示し続けるのであるならば奴の尻拭いだってする。馬鹿な思い付きにだって付き合う。

 

 なのに、ここまで献身を尽くしているというのになんだこのざまは。時折見せるアホみたいな行動の裏でどれだけの涙を拭ったことか。

 

 言いたいことはただ一つ。

 

 なにやられてんだあああああああ!あんたはもっと強いでしょがあああ!

 

 魔術師お得意の初見殺しのわからん殺し喰らったぐらいで再起不能になるやつがあるかッ!

 

 あんたは違うだろ!

 

 そういった輩をどれほど屠って来たと思ってるんだ!

 

 それともなんだ、この女は違うとでも?こいつもそっち側だってか?

 

 ああムカつく。もともと私の隊長のポストを奪った隊長が、セイランが失態を犯し落ちぶれる様を見たかっただけなのに・・・どうしてこんなにも悔しいんだッ。

 

 ずっと心のどこかで望んでいた結末。いざ直面してみれば悔しさと現実を認めたがらないおさまりの悪さ。嬉しさは微塵もなくただ悲しさの濁流のみが渦巻いている。なんてことはない私は感化されすぎた。馬鹿みたいだ。

 

「状況を考えてみろ、天鳴が使用している遺失物。完全にセーフティが外れておる。あのまま使用し続けていれば臨界まであと少しと言ったところじゃろう。力の暴走による界の破壊に巻き込まれるのはおぬしも御免じゃろうて」

 

 遺失物の暴走。光の閃はきっと地上まで届いているであろう。未だにタガが外れたかのように手当たり次第に光線を撃ち放つ天鳴。

 余りにも無茶苦茶な力の行使。このままでは器である天鳴が耐え切れず自己崩壊し吹き飛ぶ。第三階層は間違いなく沈む事になる。環境保全を職務とする者として早急に対処しなければいけない。これ以上被害を広げてはならない。

 

「・・・・・・・・・・舐めないで」

 

 でも、だ。

 

 ヲタルにはこいつらの存在が許せない。一歩前に踏み出す。

 

(止まらない!?守護者が職務を放棄し私情を優先するのか!!?)

 

 ヨルムは驚き焦る。その表情を隠すこともできないまでに疲弊していた。

 

 隊長を倒したこの女は脅威だ。奥のあの男も未知数。奴らを先に進めさせる訳にはいかない。いや、違うな。こんなものただの方便だ。隊長の敵を取りさえすればどうだっていい。相打ちも覚悟の上。ならばこのまま足止めし、もろとも吹き飛ばしてやる。ああ、認めよう。これはただの憂さ晴らしよ。

 

 覚悟を決め全身を力ませ飛び掛かろうとする・・・

 

 その時、何者かに背後から肩を掴まれる。

 

 

「副隊長なにを遊んでいる。君らしくもない」

 

 

「―――え」

 

 ゆっくりと首を動かす。馬鹿な、いやそんな。

 

 嬉しさで体が震えそうになるのを堪え振り返る。フェイスカバーに亀裂を覗かせる隊長がいた。

 

「隊長―――!!」

 

「な、なぜ生きておる!??あり得ぬッッ!おぬしはあそこで終わっていたじゃろがッ!!」

 

「さあ、なんでだろね?」

 

 血の泡を吐きながらフラメンツが問いかける。先ほどよりも顔色が悪い。もはや勝負はついたと言っていい。趨勢はこちらへと傾いた。精神の様相が反映されるかの様に景色が元に戻る。

 

「・・・これで魔術の効力は終了か。よくやったよ君たちは。これで正真正銘の一文字がお見舞いできる。喜べ。こいつを同じ相手に二度撃つのは君が最初で最後だ」

 

 

 

 

(―――――――――――――――ぐぅぅぅ!!)

 

 ヨルムの胸中は悔しさでいっぱいだった。あまりにも納得がいかない。

 

 どうしてこうなる。勝利は目前まで迫っていた。だのに、だ。こいつが現れた途端流れが変わった。自然と負けを悟ってしまった。【雹月】の維持は途切れこの場に漂う冷気も次第に消えていく。

 

 セイランが五体満足で生きていた理由が皆目見当も付かない。余りにも底が知れない。奈落に足を踏み外したようだ。忘れかけていた恐怖がブワリと吹き上がる。勇者アリス相手ですら終ぞ感じ得なかった本能的恐怖。かつてこれほどまでの強敵と合いまみえただろうか。ああ、死にたくない。まだ何も成してはいないのだぞ。

 

 せめて、セーニャたちだけでも何とかしてやりたい。でも無理だ。剣聖相手に何ができる。でも何もせず死ぬのも嫌だ。じゃあ何ができる。もう誰も死なせたくない。一人は嫌だ。900年前にも同じことがあった。ここに捕まった際も誰一人守れず生き恥を晒した。また同じことを繰り返すつもりか。どうして我がこんな目に・・・誰か、誰か。もっと、もっと時間さえあれば―――――ッ!対策のしようだってッッ。よくがんばったじゃ何の意味もないんだよ!!!

 

「う、ううふぐ誰か助けてくれッ!死にとうない!うああああああああああいやだああああアアア!」

 

「降伏ってまだ有こ・・・ムリか・・はぁ」

 

 セーニャも諦めていた。ヨルムはもはや泣き叫び命乞いをするしかない。相手が硬直し酷く落胆するのを感じた。抜かれる刀の刀身に土下座する醜い己の姿を映える。だがなんの変化も無い。哀れさは逆に同情ではなく相手の心を逆撫でたか。相手はマスターに絶対忠実の犬どもなんだ。感情なんて二の次だ。

 

 わかっていたはずなのに。こんな異常まみれの非常時ならばと、ほんの少しでも悪あがきをと命乞いで何かが変わるかもと、時間が稼げればと・・・・演技であったのに涙が止まらない。

 

 何が嫌ってまだ我は全てを晒してもいないのに、死のうとしている自分が許せなかった。何もさせずに殺すのが一番であるが・・こんなにも悔しい思いを抱えたまま死ぬものなのか。

 

 なにが祈り手最強だ。生き恥を晒し死ぬ事になろうとは、これなら潔く首を差し出したほうがまだましだった。

 

 今際の時。脳裏に浮かぶのは仲間たちの姿。900年前の同志たちに今を生きる新たな仲間の顔。セーニャにガンヘッド、インクリウッド。そして奇怪な運命に導かれし懐かしき我が同胞コイト。

 

 ・・・そういえば、あやつは何をしてるのか。

 

 さっきまでこちらに銃で援護してくれていたのにあれから何も反応がない。

 

 コイトの姿を強く思った時、ギャリギャリとけたたましい音と共に何かがこちらに突っ込んでくる。

 

「ヨルムングウウウウウウ―――ッッ!!」

 

 そこにはなぜか、天鳴に乗ったコイトが突っ込んできた。

 

 



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第33話 異能(???)

 

 ガタガタと振動する地面で俺の全身が痛む。それでも流れる冷たい風が心地よい。

 

 やっぱり、偶然でも勘違いでもなかった。イグナイツがいた扉とここの大扉が開いたのも全ては俺の”異能”が機能した結果だったのだ。都合のよさに疑念が残るがそうとしか考えようがない。

 

 ヨルムと守護者の一人が睨みあう中、柱の陰からゆったりとした動きで近づく者の影。俺はしっかりと視界に収めていた。

 

 ヨルムに氷像にされたなのになぜ動けるのか。これはちょっと・・普通の相手ではない。

 

 この大広間を傾かせ、ずれを生じさせた張本人の復活に俺をどうしようもなく焦らせる。ヨルムは未だ満身創痍。奴が参戦すれば薄氷の上で保たれた力の均衡が崩れるのは明白。ここから狙撃することは可能だが、銃弾程度が通じるような相手ではない。インクリウッドは火傷に裂傷。ガンヘッドも無理がたたって筋肉がいくつも断裂し骨折していた。再生するにはまだ時間を要す。

 

 もはや不死者がどうとか勇者がどうとか考えてる場合ではない。俺はこいつらを助けないといけない。何よりも自分の為に、受けた恩は返す”人間”ではありたい。こんな醜い改造人間にも意地はあるのだ。

 

 それに少しだけヨルムという不死者に興味を惹かれていた。苛烈な戦いぶりもそうだがその根底に根差す燃える様な強い瞳をまだ眺めていたかった。

 

 さっきの”あれ”が本当に異能であればできるはずだ。おおよそのアタリはついている。

 

 だったら、俺をすぐにでも導けッ!

 

「天鳴」

 

 静かに口からこぼれる名前。誰にも聞こえそうにない言ったかどうかもわからないくぐもった声。

 

 だが、それは確かに反応してくれた。

 

 

 

 

 銃弾の雨がヨルムと対峙する守護者どもを牽制し聖剣から発射された閃光が幾重に分裂し襲い掛かる。それを刀で受け流す例の守護者。やはりこいつが隊長か。

 

 ――――――やはり恐ろしい。

 

 一瞬のスキを突き天鳴から飛び出たサブアームがセーニャたちを掴み上げ大扉の方へと投げ飛ばす。さながらカタパルトの如く。

 

「セーニャッ!ヨルムを連れて逃げろォ!時間は稼ぐッ」

 

「お、お前ッ!」

 

「また会うぞッ!ガンヘッドオオオ!拾ってくれええええ!」

 

「ッ―――任せろッ!そのまま行けッ!」

 

 俺の覚悟を察しガンヘッドが意気揚々に相槌を打つ。

 

 インクリウッドを抱えたまま投げ出されたセーニャとヨルムをガンヘッドの巨躯が器用に拾い上げひとりでに閉じ始めた大扉へと駆け出す。骨折しているだろうに無理をする。

 

 それでいい、頼むぞガンヘッド。

 

 ミサイルをばら撒きながらガンヘッドを追撃する守護者を牽制する。

 

『・正式・・るコー・・ピピ・ガガガ・・認・・しまし・・・更なる・許・・移譲し・・・・ガガピ』

 

 無機質な機械音声がノイズ交じりに喚く。正直うるさい。それでいていい気分でもある。まるでもう一つの体を得たように思い通りに動く。機体に張り付きながら縦横無尽に駆け巡る。やはり俺にも異能があった。

 

 恐らくは電子機器に干渉する力、と思われる。確証はない。脳みその奥底で何かがこいつと深く繋がり合っている。膨大な情報が流れ込み頭をくらくらとさせる。でもこの感じ以前どこかで・・・

 

 これは天鳴のデータか?読み取れた情報に驚愕させられる。なんだこりゃあ。対外用戦術兵器?遺失物?よく分からないが機体スペックは凄まじいの一言に尽きる。エリートの俺の理解をも超えたテクノロジーの数々。これ一つで元の世界の兵器群を凌駕してるのではなかろうか。異能持ちと言えどこんなものを人間に投入するとか頭がおかしい。対外って、一体何を想定して作ったんだよ。その余りにも過剰過ぎる火力と殲滅力。せっかくだから頭おかしい一撃をお見舞いしてやる。

 

 どこまでも我が身突き抜き行け刃ァ!

 

 ――――――殺人に対し忌避感も罪も感じない。改造人間にそんなものは積まれてはいない。だから容赦なく戦える。理由さえあれば人は殺せる。ましてや敵の命など、どうだっていい。

 

 台座に戴く聖剣の剣先から光線が発射される。機体にへばり付いた俺を余波で焼きながら一直線に敵へと伸びる。

 俺は炎上しながらもしっかりと敵を見定める。狙いはもちろん部隊長。ガトリングで弾丸をばら撒き回避の為の選択肢を予め潰しその上で動きを予測し光線を薙ぎ払う。手数で攻めるしかない。

 

 だというのに奴は必要最低限の動きで銃弾を回避し光線を紙一重で躱すか受け流す。

 

 どういうことだよっ!?光線だぞッ!?

 

 生じた熱量が掠めていくもお構いなしだ。余波で吹き飛びもしない。

 

 無論他の守護者も黙ったままではない。魔術を放ち機体に張り付く俺をひっきりなしに狙う。無駄だ。俺は不死性ゆえに死なず、この天鳴もまた魔術は効かない。そうか、これも遺失物とやらの応用で作り上げた障壁なのか。

 相手もこいつのスペックはわかっているのに、なぜそんな無駄の事を・・・それにどういうことだ、なぜ未だに誰も死んでいない。こいつらはまさに一人ひとりが強者でもあるのか!

 【雹月】の解除で魔術が解禁されたことで急激に戦闘力が上がった事実を恋都はわからない。なにより火継守の存在が熱波をものとしない。

 

 焦りがじわじわと肩を撫でる。焦るぐらいがちょうどいい。目的は勝利ではないのだ。

 

 彼の知る所ではないことだが黒殖白亜に所属する者たちには機甲兵群の情報は全て筒抜けであり、敵に奪われる事態も当然想定されている。これこそが手ごたえの無さの正体であり、そんな彼らの行う行動に意味が無いはずがなかった。

 

 

 

(・・・・・これは、間に合わないな)

 

 閉じ行く大扉。人ひとり通れるかどうかの僅かの隙間。なぜだかガンヘッド達の姿が俺のぼやけた視界でもはっきりと捉えた。どうにも寂しく思える。変な奴らだったが表裏が無くて付き合いやすかった。あいつらの中でなら己のコンプレックスも表面化しないとでもいうのか。生物として劣ったこの俺が・・・

 

 いいさ脱出は諦めよう。これで存分に全ての武装が使用解禁だ。なんだか体が軽い。脳みそが二つになったようだ。いいOSとマシン積んでいる。ここには俺一人。孤立奮闘の独壇場。

 

 ・・・そもそもどうしてこうなった。なぜ俺はこいつらと戦うことになってる。こんな異郷の地で俺は一体何やってるんだ。ぶっちゃけひどい目にしかあってないんだが?

 

 潰されたりバラバラにされたり串刺しになったり・・どれだけ死んだ?死ねない体に永遠の苦痛。これからも死ぬのであろうな。

 

 最先端なおもちゃと繋がったことで得も言えぬ万能感に支配される。俺は明らかに増長していたが戒める気にもならなかった。

 

 明確な力を手に入れこれまでの鬱憤が弾けた。

 

「俺が何したってんだよおおおおおおおお!どいつもこいつも死ねよッッ!」

 

「ッ!?」

 

 ギャリギャリとローラーが細かい破片を砕き駆け巡る。急に傾く機体の上で俺の体が転がりまるで瞬間移動のように急に現れた黒服の奇襲を避け、天鳴のサブアームが襲撃者を殴りつける。

 

「(読まれた!?)」

 

 ガンッ!

 

 襲撃者・・・ヲタルはとっさにアームを蹴り飛ばし回避する。咄嗟の判断でこの反応は強者の立ち振る舞い。そのまま一回転し近くの支柱に張り付く。そんな副隊長の肩を銃弾が抉る。

 

(ッッ~)

 

 

 ガンヘッドから別れ際に受け取った特別製の大型拳銃。すごいな。撃った反動で手骨が砕けたぞ。それでも当てるか俺ェ!!

 

「ッツ!また!?」

 

 驚いているようだけど、あの一瞬で俺にも投擲用ナイフが三本刺さってる。しかも全て急所。いい腕してるよほんと。不死者じゃなきゃ死んでる。どうして気持ちよく戦わせてくれないんだ?

 

 まあちょうどいい。その支柱で最後の一本、これさえ壊せばこのフロアは崩落する。俺もただでは済まないが不死者には関係ない。ここが崩壊しようと天鳴があればどうにでもなる。緊急脱出機能で遺失物だけを転送させる機能がある。それに便乗させてもらおう。人間の相乗りは想定されてないだろうからまた体が欠けるかな。

 

 勢いに任せ台座の聖剣を振り回そうと機体を走らせようとした時、守護者どもの激しい魔術の攻勢にあう。視界が奪われるも、生体反応感知センサーがはっきりとその存在を知らしめてくれる。めくらましなど・・・そう思った矢先にがくんと天鳴が傾く。

 

 その正体は落とし穴。

 

 こんなものさっきまで・・!・・・しまッ動きを―――

 

 正面には刀を構えた部隊長。地獄の門が形を変え立ちふさがる。刀を上段に構えそのまま振り落とす。

 

 

                特攻【一文字】

 

 

 余りにも強大で無慈悲な一撃が世界を静かに揺らがす。この身を衝撃が突き抜けていく。

 

「・・・・・・」

 

 ずるりと視界がずれる。甲高い音を立て天鳴が崩れ、堕ちる。これだけの防御性能を有しておきながらこの有様か。奴の前では防御は意味を成さないらしい。

 

 散発的な攻撃は俺の意識を地面に向けないための目くらまし。広範囲で持続性の強い魔術をひたすら行使していたのは姿を隠し照準を避けるためだと思いこんでいたが、全てはこの落とし穴に嵌めるための布石。それを嫌がった俺は見事に移動先も無意識にコントロールされたのか。あれほどまでに接近を拒んだ部隊長を近寄らせるための追い込み作業。

 

 例の一撃を恐れ敢えて守護者を射線上に挟み込む戦い方は筒抜けで逆に誘導されてしまう。確実に必殺技を決めるため、か。

 

 誰一人殺せなかった。俺は完全に負――――――

 

 

 

 「まだ、だッ!」

 

 徐々に傾いていく天鳴の上から口で聖剣を咥え右腕の力だけで跳ね跳ぶ。

 

 熱い―――――触れた部分が腐り聖剣に吸収されていく。爛れ千切れた体。魂が叫び呼応するかのように再生力が上回る。折れることの知らないあきらめの悪さが俺を、前へと自由落下に誘う。咥え込んだ聖剣を手に取り渾身の一撃を振るうが為、霞む視界を振り払い最後の意地をぶつける。

 

「う”お”お”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッッ!」

 

 そんな俺を見て、刀を構えた奴は少し笑ったように見えた。

 

「撃て」

 

 複数の銃声。恋都の頭が弾け意識が飛ぶ。地面に撃ち落されながらも無様に右手を振るうが握りしめていたはずの聖剣の感触が無い。

 

 ―――――どこだ、どこにった!?俺の聖剣はッ!!?俺はまだこんなにもピンピンとしているのにィぃぃぃぃぃッッ!!

 

 剣を振るう事すら許されないのか。

 

 銃撃で残り一つの目玉を吹き飛ばされ落下時に自身の腹部に突き刺さった剣に気づかぬまま、感触だけを頼りに無様にワタワタと手探りで探すがどうしても見つからない。

 

 眼前へと足裏が迫ることにも気付かない、わからない。

 

 強い意志だけが空回りしていく。完全に負けたことを認めれない。死なないからこそ、通常終わるはずの戦いも負けたと諦めきれず醜態をさらす。

 

 俺はヨルムたちを逃がしたことで己の充足感を満たしておけばよかったのだ。

 

 『また会おう』、その言葉はもう―――、

 

 グシャリと、頭を踏み砕かれ俺はまた死ぬのであった。

 



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第34話 ゲームマスター

 

 青白い光が無数のモニターから照らし出される。複雑に絡み合った太さの違うコードが複雑に絡み合い一本の木にように一室の中央で聳え立つ。

 

 カタカタと断続的に聞こえる音だけが無人ではないことの証明。外部から響く怒声や爆発音など関係ないと勝手に作業は進む。

 

 ここは第二階層セントラルコントローラールーム。ダンジョン内で行われる実験計画の全てを統括するメインコンピューターが置かれる心臓部。

 普段であれば一部の者以外立ち入りを許されない重要施設であるが今まさに神聖なる不可侵領域は侵されようとしていた。

 

「・・・・・・・・」

 

 戦闘音は静寂に紛れ複数の不遜な足音が領域内に踏み入る。その歩みに迷いはなく強い感情に浮かされていることが伝わる。

 

 それでもやるべきことは変わらない。何度目かとも思えるシステムの復旧作業。原因は未だにわかっていない。もしこの作業が失敗すればお手上げということになる。900年近く稼働してきたこのコンピューターにも寿命が来たと認められれば楽でいいのだが、このマシンの性質上それはありえない。定期的なメンテナンスは”ゲームマスター”である私が直接行ってきた。

 

 問題があるとすれば・・・・”奥”か。

 

 いつのまにか足音が止まった。最後のキーを入力し終わるのはまさしく同時であった。

 

「―――また、ダメだったか・・」

 

「・・・・・・・・」

 

 背後からは返事はない。構わず独り言は続く。

 

「試行回数59回。思い当たる原因を虱潰しに当たってみたが時間を無駄にしてしまっただけか。これで最後の試みだったがやはり問題は別の所にあるようだ」

 

「お久しぶりですねゲームマスター殿」

 

 そう呼称された人物はゆっくりとした動作で振り返る。招かざる来訪者の正体。白髪に白と黒で配色されし服飾。判断するにはそれだけで十分。サブプラン候補である祈り手か。

 

「表には黒殖白亜の2部隊が守っていたのだが・・・・彼らは強かっただろう」

 

「はい、16人もいた仲間たちも3人になってしまいましたが勝ったのは私たちです。そしてあなたを守る者は誰もおりません。これまでの報いを受けていただきます」

 

 残った3人の顔は見覚えがある。誰もがA種に負けず劣らずの凶悪な異能の発現者で前歴もなかなか面白い。順当に強いものだけが残ったか。

 

 だからこその疑問もあるが。

 

「意外だね。古株の【氷結界域】が真っ先に死ぬとは」

 

「・・ええ、それについては残念ですね。彼女が生きていればもっと楽にここを突破できたでしょう」

 

 3人の内の1人の表情に変化が現れた。この反応、彼女が死んだことを知らなかった?

 

 ・・・彼らとは別行動をしていたのか。まあ、そうだろう。記憶でも戻らぬ限り彼女が反逆に与す理由はない。だとするとA種にやられたか、はたまた別の要因か。

 

 彼女に対して施した処置は特別だ。この騒動が起きしばらくして信号の反応が消えたがあれは別系統の独立したシステムで常に監視していたのでメインのシステムの動作不良とは無関係。

 

 脳の奥深くに直接埋め込んだ、ある遺失物から着想を得て作られた生きた部品。少しでも異変があれば完全に脳を破壊するよう機能する。異能では絶対に取り出せない。強引に取り出しても、彼女の劣化した不死性は脆弱。脳を自力で再生するほどの再生力は見込めない。娘に送ったポーションクラスの品でもない限り回復は不可能。取り出す手順を知る者は私と、娘だけか。

 

「意外ですね。あなたにとって祈り手は実験動物程度にしか思っていないのかと。それとも壊れたおもちゃへの感想ですか」

 

「彼女が祈り手の中でも特別であった、ただそれだけさ。君たちには関係のない話だ」

 

 

 我々にとってすべての始まり。落日の象徴、あの時代を知る者がいなくなることへの寂しさは言葉にしてもわかるまい。本当に遠いところまで来てしまった。でも”クラウン”、君ならわかるのではないか?

 

「―――で、どうしたんだい。記憶が戻ったんだろ?少しは嬉しそうにすべきではないのかな」

 

 その問いかけに先ほどまで黙りこくっていた偉丈夫の男が答える。

 

「完全ではないが記憶は確かに戻った。それが何を意味するか貴様にわかるのか?時代に取り残され醜態をさらし続ける屈辱を・・理解できるのかッ」

 

「そういえば・・確か君は400年前の時代の人間か。時代に取り残された気分はどうだい?今は亡きシュテルンの三騎士殿」

 

「・・・やはり滅んだか―――貴様にわかるまい。帰るべき場所を、仕えるべき主君も捧げた忠誠も、心の拠り所を失った騎士がどれだけの生き恥を負うのかを」

 

「そうかね、だったら捨ててしまえ。君ならできるさ。三騎士は強かった。聖王国が誇る【セブンスオーダー】の1人を3人掛かりで討ち取ったのは今でも記憶に新しい」

 

 それでも1人は死亡。もう1人も行方不明と地形が変わるほどの戦いはシュテルンの領土の五分の1を消し飛ばした。シュテルンの戦火は凄まじく彼も重傷を負い生死の境を彷徨っていたが、おかげで戦時中のどさくさに紛れ、実に簡単に身柄を抑えることに成功した。

 

「私の見立て通り君は見事に因子に適合した。”いい経歴”をしている。労力と時間が無駄にならなくて私は嬉しかったよ。やはり時代に名を残す者は一味違う。苦難を知るからこそより一層祈りは輝くのだから・・・どちらにせよ国が亡びる秒読みの段階に入っていたんだ。ボロボロの君一人追加したところで聖王国との国力差をどうこうできないだろう」

 

「だからおめおめと一人生き残ったことを喜べというのか!?最後の最後で舞台から引きずり落とされた・・・当事者から外れた私を笑うかッそれを貴様が!!!」

 

「姫ならまだ生きているよ」

 

 すぐそばにいるのかと思うほどの怒気、すぐにも斬りかかりそうな剣幕だ。

 

 だが騎士は急な冷や水に言葉を失う。

 

「・・・なんだと?」

 

「君を攫う際ついでに攫っておいたんだ。斜陽の国の姫君も適合者足りえるのでないかとね」

 

「惑わされないでください。それが本当とは限りません」

 

「わかっている。なんであろうとやることは変わらない。全てを終わらせる。もとより相手はゲームマスター。捨ておくつもりは毛頭ない」

 

「・・・・先生。もうここで終わらせましょう」

 

 三人は臨戦態勢の構え。参ったな。手加減できる相手じゃない。貴重な成功例を手ずから殺すことになるのか。やはり反乱のリスクまでは完全に防げない。

 

 首輪も機能しないか―――システムの不調かそれとも解除したのか。

 

 ・・まあでも姫様が生存している可能性の示唆は動揺を生んだ。都合のいい希望はたやすく人を縋らせる。彼の交友関係から他の祈り手の顔は全て把握しているはずだが、それでも取り乱さないのはよりにもよって忠義を捧げた姫の顔までは思い出せていないということ。既に死んでいた場合、彼はどうするつもりだろうか?

 

 怖じいることなく戦いを挑むか。しょうがないことだが記憶の処置は因子と相性が悪いな。

 

 全員に彼女と同じ処置を施すにはリスキーすぎる。あれは不死者前提で成り立つ。

 

 ゲームマスターと呼ばれる男はゆっくりと椅子から立ち上がる。堂々たる姿に支配者たる余裕を見る。

 

「ところでそちらの彼女はそこまでやる気がないようだけど、もしかして記憶が戻っていないんじゃないか?こんなことに付き合せたらかわいそうじゃないか」

 

「そうなんですかそれは知りませんでした。だとしても貴方は死ぬべきでしょう。今ここで」

 

「・・・死んであの世で誇れ。貴公は私に斬られたことをあの世で仲間たちに報告してくるがいい」

 

 皆から”先生”と呼ばれる顔色の悪い男は己が手の内で魔力を練る。どうにも生前は魔術を使うよりも魔術基盤を通さない魔力運用による攻撃が得意であったことを復刻せし記憶から認識していた。

 

 多彩な魔術のレパートリーに様々な学問への造詣。湯水のように湧いてくる知識の宝庫が内なる新雪に眠っていた。それでもなお過去だけは思い出せない。そこだけがすっぽり刳り抜かれた空白を保つ。

 

 わからない。それでも不安は無い。異能によって相手の”場景”を読み取ることで補うことは可能だ。この異能はどんな魔術的防壁も抜けると、膨大な知識と経験則から確かな裏付けを得ていた。読み込みは既に始まっているが遅い。やはり長い年月を生きた相手では時間がかかる。

 

 まあいい。狙いは奴の首。残りの記憶は外部から異能で補填する。すぐにでも記憶を取り返したいところだが奴が死んでからでも遅くない。逸る衝動を抑え意識を集中する。

 

 

「ラスターク、君はもっと下がっているといい。私と先生で戦う。・・・それでも、いざとなれば君の異能で私たちもろとも奴を殺すのだ」

 

「―――いえ、みんながここにいたことを無かったことにはしません。みんなの存在証明のために私も轡を並べ戦います」

 

 騎士もまた怒りに燃えていた。このような子供にも戦わせなくてはいけなかった己の不甲斐無さに憤りを感じる。

 

 祈り手は決して老いず、ラスタークも当然見ためどおりの少女ではない。それは人格や情緒にも言えること。記憶を消そうと根付いた生来の気質は変わることはなく当時の精神性を独自に保ったままである。

 

 それでも宗教も国も思想も何もかも違う我々は苦楽を共にしてきた仲間なのだ。志半ばで倒れていった者たちの無念をここで晴らす。多くの人間が歴史に埋もれ帰る場所を失った。

 

 それでも帰還を願うのは滑稽か?

 

 何も残っていなくても故郷とは帰りたくなる場所なのだ。それを成すには古戦場跡の主である奴を倒さねばならない。当時の私でも古戦場跡の噂は子供の頃から嫌というほど聞かされた。悪いことをすれば終末戦争で死んだ兵士の亡霊が攫いに来るとよく脅かされたものだが・・大人になり本当に攫われると誰に想像できる。

 

 大人になって知る噂の侮れなさ。まさか亡霊の正体がこいつらで噂に乗じて人を攫っていたなどと・・・思えば先人の警告だったのやも知れぬ。

 

 ゲームマスターと称される存在の謎は多い。わざわざダンジョンを人間にとって都合のいい絶妙な位置に設置する意図が掴めない。霊廟型ダンジョンは資源の宝庫。国はこぞって攻略し管理し国力を高める。

 

 そんな都合にいいものを作る反面、積極的に人間を害そうとしているのも事実。外界をうろつく魔獣は奴らの産物。非常に繁殖能力が強く魔獣同士であれば誰とでも子を成す。

 最悪なことに人間とでも子を成すことは確認済み。そんな魔獣を生み出す研究施設を兼ねたダンジョンを当時の私は偶然発見したことがある。

 

 他のダンジョンと違いそういった場所には人間が来ない厳しい環境に設置され高確率でゲームマスターがいる。人類に災禍をもたらす災害指定獣もそこで作り出される。この事実を知る者は少ない。自身にされてきたことを思えば高度な科学技術と智賢を備えたゲームマスターがどこから来たのか、目的は何なのか。

 

 もはやそんなことはどうだっていい。

 

「聖経輪廻の一石よ、黒海を穿て」

 

 騎士による神言魔術の発動。それと同じくして左手の中指が静かにへし折れる。これで初見殺しによる死は絶対に一度防げる。なぜだかもう存在するはずのない国の守護たる神の力を感じる。確かに”ここ”に存在する。

 

 ああ、神よ不甲斐ない私を見捨てずにいてくださったのですか。

 

 シュテルンでは大人への通過儀礼として自ら骨を一本圧し折る。奉じられし神は骨と密接にかかわっており、祭事にも聖獣とみなされる動物の骨を用意される。シュテルンの民は常人よりも多く骨を保有し骨密度が異常だ。そこまでくると神言魔術の発動に骨が絡むのも不思議ではない。

 

 静かに準備は完了する。この神言魔術に名はない。この領域に辿り着いたのは知る限り私以外に存在しないのだ、故に名は必要ない。私だけが知っていればよい。

 

 ゲームマスターがどれほどの力を持つのか知る者はいない。まったく記録に無い。そもそも存在自体知る者が少ない。それらしい目撃情報があるだけだ。

 

 なぜならば交戦を避け直ぐに逃げる。

 

 戦闘能力がないから?それこそまさか、だ。

 

 対峙してみてよくわかる。白衣に身を包む学者然としたこの男には一切の油断も出し惜しみもできない。記録がないのは対峙した者はことごとく死んだからに決まっている。

 

(神よこの一戦どうか見守りください)

 

 先生は卓越した魔力運用技術(マグステラ)の使い手。昔からすごい人だとは知っていたが魔術にしても高位魔術師クラスなのは黒殖白亜との一戦でよく理解させられた。これほどまでの使い手は当時の戦場でもお目にかかったことがない。普段から物腰穏やかな人柄をした人格者だが、そこからは想像できない苛烈な戦術をとる。

 

 彼は・・・・魔術師としてあの小さな古株に比類するのではないだろうか。

 

 

 

 

 

「これでは祈り手とは呼べないな」

 

 仄かに漂う忌まわしき神性の匂い。ゲームマスターは僅かに眉を顰める。

 

 皮肉のつもりでつけた名前だがこれではな。騎士から漏れる神性。記憶の復活により信仰心が戻れば、そこも当時のまま据え置きか。余りにも都合がいい世界の構造。やはり歪だと人間どもは感じないのだろうか。信仰心で目が眩んでいるのか。

 

 国は滅び聖王国によって消された神。いるはずのない神がどうやって力を貸す。そうまでして現世にしがみつきたいか幻想よ。

 

 この部屋に他の出入口は後方の一つを除いてなく正面は祈り手が陣取る。これは素直に逃がしてくれなさそうだ。空間移動は可能だが奥の”アレ”を刺激されるのは面白くない。久々に体を動かす時が来たことにこんな時ですら億劫さを感じる。まともな戦いはいつ以来か。ああそうだ【氷結界域】を直接捻じ伏せた時以来になるのか・・・激戦だったのは覚えているがどんな戦い方をしたのか頭をひねり思い出そうとするが忘れてしまった。

 

 まともに戦ったのはかれこれ900年以上も前の話だ。しかたあるまい。

 

 とは言え魔術師が前衛で騎士が後衛とはまた変わった配置だ。その陣形で無駄にあれこれと勘るが・・・

 

「――――――いや、どうやらその必要はなくなったな」

 

「なに?」

 

 そう、目的は向こうからやってきてくれたのだから。

 

 



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第35話 偽イグナイツ

 

 不幸は声もかけずに訪れる。いつだってそうだったじゃないか―――

 

「え」

 

 間の抜けたラスタークの声。騎士レグナントが反応できた時には既に周回遅れ。あっけなく彼女の上半身がバラバラに消し飛んだ。なんとも簡単に消える命。さっきほど会話していた彼女はもういない。

 

「ラス――――ッ」

 

 舞う残骸。

 

 血霧のカーテンを突っ切り白い影が躍動しこちらに突っ込む。私が振り下ろす剣の間合いへと―――

 

 首めがけて潜行せんと飛ぶ剣閃。私の間合いは常に3歩ほど長い。カウンター気味に放たれた我が一撃は鋼鉄をも容易く断ち切る。

 

 相手はそれに合わせ獣じみた反射と動きで回避を試みる。始動する回避動作に躍動する体躯。とても人間と思えない馬鹿げた動き。まるで獣だ。

 

 ならばそう扱うまでと更に踏み込む。

 

「――――舐めてくれるな」

 

「――――ッ」

 

 大げさに相手の肺から空気が漏れる。

 

 こちらの本命である貫手が肺に突き刺さりそのまま助軟骨に指を引っ掛け強く握りしめ拘束する。普通ならば激痛で動けない。それでもなお肉を食い千切らんと顎を開く敵の鼻っ柱に頭突き叩き込みその隙に腹部へと剣を突き刺す。

 

 グチぇ!!

 

 同時に聞こえた不快な音が耳障りだった。

 

 すっぽ抜けた左手と握り込んだ骨。騎士は確認するまでもなく全力の豪剣が対象を薙ぐ。その一撃は爆音とともに部屋のありとあらゆるものを切り裂いた。この惨状が魔力や異能、祝福も関係なく起きたと誰が信じるだろうか。

 

「!」

 

 一瞬の交差。互いにすれ違う。

 

 それでも手ごたえが無いのは歯で受け止められたからなのか。見れば剣先が折られていた。これ見よがしに敵の口内から吐き出された鉄の破片が物語る。敵もまた異様。

 

 ここで改めて対峙する。

 

「なんだ貴様・・・」

 

 血管のような赤い線を幾らと背負う異質な相手に問う。ここでようやく敵の姿を認識する。頭からは長い耳を垂らし魔性を宿した獣の眼光を見据える美しい獣人の女だが・・・それよりもどこを見ているのかわからない双眸が不気味であった。いったいどこを見ている。グリグリとせわしなく動く目が悍ましい。

 

 頭突きで鼻は折れ、あばら骨を失い肝臓に刺し傷を与えた。死んで当然な傷で平然としていられるのはなぜだ。なぜなんだ?

 

「なんだ貴様はッ!」

 

 騎士は左手に収められたままの敵のあばら骨を自分の口に放り、再度斬り込む。

 

 女が無理やり引き剥がした置き土産。この身に受けし神の祝福で敵の情報が流れ込む。

 

 読める情報はそう多くない。対象の名前と種族、信仰がわかるだけの識別。少しでも敵の正体がわかれば不気味な予感も晴れるであろうと行った行為だが・・・・更なる混乱を招くことになる。

 

 理解は恐怖を払い勇気生むはずだと、私は―――――このような情報が欲しかったのではない!

 

『真名:アリス 種族:幻想体 信仰:不明』

 

 幻想、体・・?

 

 なんだこれは獣人ではないのか!?信仰に関しても獣人特有の空白ではなく、不明?

 

 こんな表記初めて見たぞ・・・この見た目で獣人じゃないのなら貴様はいったいなんだ?なんなんだ!?

 

 触れてはいけないものに触れてしまった気がした。

 

 

「彼女の名前はイグナイツ・ヴェルチクラフト。私の娘だ」

 

「娘だと――ぐ」

 

 イグナイツ・・?

 

 アリスではないのかとレグナントは疑問に思うがそれよりも・・

 

「――――なんだ、この、記憶はッッう”」

 

 襲い来るイグナイツの爪や蹴りを躱し斬り結ぶが先生の様子がどうにもおかしい。頭を押さえうずくまる先生をよそにゲームマスターは語る。

 

「彼ならお望みどり記憶を一部戻してやっただけだ。知らなければいいことをなぜ知りたがるのか―――ところでお前誰だ。娘の体を借りて何をしている?」

 

「―――!?」

 

 静かな怒気をはらませた声にレグナントは気付けば飛び跳ねた。長年の経験が導き出した咄嗟の行動。

 

 なんでもいい。ゲームマスターの視界から消えれるのならなんだっていい。祈る気持ちですぐさまイグナイツの傍から離れたかった。この判断が功を奏したのかわからない。聞きなれない金属音が響くと空気は鈍く紫に光り一室全体が包まれていく。

 

 不意打ちに近い痛烈な一撃。

 

 事前に発動した守護の神言魔術が彼を守ったが、そこから彼の意識は途絶えてしまった。

 

 壁にめり込み気絶したレグナントはこの後の顛末を知らない。

 

 

 

 

「随分すっきりしてしまったな。これでは復旧の目途がたたないよ」

 

 完全に破壊されたメインコンピューターの残骸。無機質さには似つかわしくないブヨブヨとした赤いナニかが顔を出す。

 

 それを見てゲームマスターはため息をつく。

 

 僅かに蠢いているように見えるが錯覚ではないようで壁に叩きつけられた騎士はまだ生きている。頑丈だな。最初に使った謎の神言魔術が守ったか。これを耐えるあたり未踏の神言魔術だろう。

 

 神言魔術は秘密が多く決して世に開示されない。閉じた世界での秘奥。少なくとも私の記憶にもない秘匿性の高い神秘だ。まあ、それ込みで大した耐久性だと褒めておく。

 

 先生と慕われる男も生きているのがそれは私のすぐ近くにいたからに過ぎない。未だに頭を抱えて行動不能となっている。

 

 それよりもだ・・・

 

「さて本題に入ろう。君は誰だ。なぜそんな酷いことをする」

 

「ふ、――――クフっ!!クフフフッ、ブヒャヒャヒヒャヒャャッッ!!!」

 

 娘の姿を借りた何者かは抑えきれんとばかりに笑い声が漏れ、濁流のように溢れかえる。抑えるべき関は壊れ他人の体をいいことに口が裂けんばかりに不細工に笑う。あまりの醜態に眉を顰め思わず手が伸びそうになるが抑える。これが親心というものか。

 

「そんなに、そんなに娘が大事かッ!?お前のような奴でも人を思う気持ちはあるんだああああああああぁぁぁぁぁぁッ!」

 

「早く答えろ。どうやって第四階層から抜け出した」

 

「ああんッダメダメ。焦っちゃやーん。物事には順序ってものがあるんだよ!知ってる?」

 

 見るも無残なボロついた服装。その上から体のラインを添うように体をなぞらせあられもない姿を見せつける。とにかく不快で怒りが沸いた。娘は壊れているがそんなことをしない。

 

「―――追想幻灯【1】・【2】・【3】」

 

 指を鳴らし手慣れた動作で初動を制す。

 

 光が収束し空間が捻じ曲がり波動となり拡散する。正統なる怒りが対象に襲い掛かる。

 

 巻き込まれた娘モドキは煩く喚き散らす。

 

「い、イタイイタイいいいいいい。ヒィやあッ、やめてぇっお父様ああああ!?どうじでごんなこどするのおおおお」

 

「黙れ、さっさと死ね」

 

「なんでえええええ!娘の命がどうでもいいのおおおおおお!?人でなしっ!人でなしッッ!!」

 

 辛くないわけがない。だがこういった手合いに会話の主導権を渡すのは得策ではないと冷静に行動を起こす。娘の体を奪ったあたり私に対し何らかの交渉を持ち出すだろう。娘は交渉材料なのだと判断する。それを躊躇もなく攻撃することで相手の想定から脱線させる。

 

 娘の体を奪ったこいつは何者だろうか・・・?

 

 現状、娘の存在は私と統括室長、あとは外部協力者の”あの人”しか知らない。もう何年も連絡を取り合っていないが、あの人はこの件に加担していないとなぜか確信がある。

 

 何の根拠もないのにそう言える不思議な人だ。さてもう一人に関してだが・・・

 

 

「無事でございますかマスター!?って、お嬢様!?なぜここにッ」

 

 現れたのは武装した統括室長。私と娘を交互に見合わせ激しく動揺しているように見える。

 

 ・・・・このタイミングで現れるか。

 

「はああ、良かったです。突然いなくなったのには驚きましたが自ら合流なさったのですね」

 

「・・・なんだ・・・お前。ん、そ、そうかお前が・・・いひひゃッ」

 

 娘モドキは何がおかしいのか汚れるのも構わず笑い転げている。

 

「かわいそう♪かわいそう♪なんてかわいそうなんだろぉ。面白すぎて笑っちゃうよおおおお。滑稽だよねええええっ!」

 

「・・・・・・マスター。お嬢様は・・どうしてしまったのしょうか?その、とても正気に見えないのですが・・・マスター?」

 

「ん・・ああ。どうも何者かに肉体を乗っ取られているようだ。見ての通りとても面倒なことになったよ」

 

 ゲームマスターは思案に暮れる。タイミングと言い、やはり彼女が情報を漏らした?

 

 いや、ここに来てからの彼女の様子はとても演技には見えない。娘を見て驚いていたのは間違いないが、それが何に対する驚きかまではわからない。

 

 「なぜここにッ」あの発言の趣旨はどうも他の目的をもってここへ来たら予想外の人物がいた、と読み取れる。いや、少し訂正。彼女には娘の世話の全般を担当させている。有事の際、娘の安全を確保し連れ出す手筈になっていた。

 

 私は異変が起こる前から妙なシステムエラーを吐き続けるメインシステムの点検、調査のためにずっとセントラルコントローラールーム籠りっきりだったのでそれ以降の娘の様子は知る由もない。娘が先にここに来たことから、彼女が娘を連れだす前にあの部屋から居なくなったというか。

 

 どこかでさ迷っている我が娘。探していた人物と偶然鉢合わせ驚いたということなのだろうが、流石に都合がよすぎる。だが、娘モドキが彼女の姿を見た時の反応。あれが協力者を見る目か?

 

 どこか・・納得が氷解したって顔をしていた。一方的に統括室長が間接的に娘の情報を流したのならばあり得もなくもない。だが、その場合は奴がどうやって情報を流した人物が特定できたのかという謎が生まれる。

 

 どれも憶測の域を出ない。さて、どうするべきか・・・

 

「様子もそうですが、あの背中と繋がった赤い糸はいったい」

 

 それは私にもわからない。あれが原因と考えるべきなのだろうが先ほどから赤い糸はどうやっても干渉できない。ここにA部隊隊長がいればよかったのだが現実はままならない。娘の難解な精神構造にああまで居座る時点で奴は普通じゃない。

 

 衝動的で人間の真似事をしているだけの娘の心は奈落をも思わせる底のない真っ黒な穴だ。一度それに触れ死にかけたが同時に分かったこともある。娘は間違いなく”オリジナルアリス”と深く繋がっている。とても、普通ではないのだ。

 

 それでいてなぜ奴は発狂しない。

 

「ほら見て見て―。メンツもいい感じに揃っちゃったわけなんで遂に始めちゃいますねー、あはッあはあッッ遂にィ遂にぃ」

 

「痴れ者がなにをするものぞ」

 

「自分の胸に聞いてみなよッ!今日は!全ての!始まりの日だからさぁ。祝福には立会人がいないとねえええ!!」

 

 ありもしない暴風が巻き起こる。娘の直上。恐ろしいものが解放されようとしていた。

 

 流石に見過ごせないと力を行使しようとするが、ゾワリと鳥肌が立つ。急に感じた頬の冷たさ。大きさからして少女の手。

 

 とっさに背後を振り返ってしまうがそこには誰もいない。

 

 あるのは荒れ果てた一室。奥には扉があり、あの先には―――

 

 ここにきてようやく悟る。私は最初から罠に掛けられていたのだ。今日起きたあれもこれも、私がここにくぎ付けになったことも全て。

 

「掌の上ってことか―――」

 

「マスター!!空間が裂けてッ!このままですと飲み込まれてしまいます!すぐに転移をッ!」

 

「逃げるってどこにだ?もう無駄だ。気が付くのが遅すぎた」

 

 ずっと機会を窺っていたのか。裏切者なんて最初からいなかった。

 

 なんせ敵は――――――私が築いたこのダンジョンそのもの。

 

 ここから先が本物の地獄となるのか。

 

「・・・・・・・・ふ」

 

 ・・・ああ・・そりゃ怒るよなあ、アリス。

 

 そんなに遊びたいなら付き合ってやろう。一度葬った相手に負ける道理はない。今度こそ奈落の底へその肢体をバラまいてやる。

 

 

 娘によって生み出された空間の歪みは口を広げ加速的に飲み込んでいった。ブラックホールを彷彿させる黒の渦はキャンパスを塗りつぶすがごとく、これまでで築き上げてきたものを念入りに消し去っていく。

 

 やがて、暗黒の内から光が突き破りそこで見たものとは・・・

 



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第36話 尋問だ!

 

 ―――おかしい。

 

「おお~よりにもよってこんな場所に飛ばされていただなんて君も運がないな」

 

「こんな場所って、セイランさんから見てもそう映るのですか」

 

「控えめに言ってもここって最悪でしょうよ。ああ、もちろん外界の人間にとってって意味だからな、私はこれっぽちもそんなことは思ってないからね!」

 

「ええー本当かよ~」

 

 ―――おかしい、何かがおかしい。

 

「あははっそう隊長をいじめてあげないでくださいよ。こう見えて幽霊が苦手なんですよ」

 

「待て。なぜそのことを知っている!?霊的存在なら前にちゃんと斬っただろ!」

 

「でもちびってましたよね。水たまりが・・・」

 

「おわ――やめろ!マジでそれ以上はやめろ!何年前の話を持ち出すんだ!!威厳が!私の威厳がぁッ!!捕虜の前で何言ってんるだ!~~聞かなかったことにしてくれー!」

 

「幽霊って、やっぱりいるのか。じゃああれも・・・」

 

 A部隊副隊長ヲタルは和気あいあいに語り合う部下たちの正気を疑う。いつの間にやら人の輪が生まれておりその中心には―――あの不死者がいた。

 

 なぜこんなに打ち解けられる。警戒心が微塵も感じられない。こいつの仲間に同胞を一人殺されたのを忘れたのか。

 

 えぐい尋問になる予定だったのに――――なんだこれは。どういう了見だ。

 

「あの、隊長。尋問はどうしたんですか・・というかなんで枷を付けていないんですか」

 

「ん?ああ、この状態に枷は可哀想でな。どうにも見ていて落ち着かないから」

 

 怪我の具合からの判断なのはわかった。でも可哀想で落ち着かないってなんだよ意味が分からない・・・感情を理由にするなど合理的な判断ではない。こいつは不死者なんだぞ・・・

 

「・・・それで何かわかったんですか」

 

「ああそうそう、彼は不死者らしいぞ。なんでも異世界から勇者として呼ばれてなんやかんやあってここに飛ばされたんだと」

 

「嘘じゃん!どう考えても嘘じゃん!」

 

 ヲタルは人垣に割り込み自称勇者の襟首を片手で掴み上げる。小柄の体からは想像もできない力に勇者(笑)は振り回される。

 

「副隊長!あまり乱暴は・・」

 

「副隊長ひどい」

 

「可哀想」

 

「そうだよ」

 

「いつもやってることでしょがッ!だいたい不死者のくせに勇者~?こんな服を着て変態の間違いでしょが!それにまだ肝心なことしゃべってない!こいつの異能はなにッ?どう考えても祈り手のそれだろがいッ!」

 

「だから言っているだろ。、俺は勇者?なんでこの世界に呼ばれたときに異能を付与?されたんだよね。ちなみに力の詳細は秘密だが?」

 

「じゃあどうして疑問形なのよ!」

 

 思わず糞勇者をぶん殴る。今ので首の骨が折れるがすぐに再生する。咎める視線がいくつも突き刺さる。

 

 どうして私をそんな目で見る。私が間違っているとでも言いたげな視線にイラつきが隠せない。まさか洗脳されている・・・・?

 

「ほらほら誰にだって秘密の一つや二つあるって」

 

「それを聞き出すのが私らの仕事ッ!?あ”あ”あ”あ”あああああああぁぁぁッッもういい私が拷問する!ほら行くわよッ!グズ!!」

 

「ああもうっちょっと!!副隊長!!」

 

「くんな!あっちいけ!」

 

 ヲタルは詐称勇者の襟首を掴み床に引きずりながら壁際へと引っ張て行く。

 

 無抵抗なゲロ勇者はすまし顔だ。余裕のつもりか?ってこいつ引きずられながら隊長たちに手を振ってやがる。その面すぐにでも恐怖で真っ白にしてやる。

 

 柱にたどり着き乱暴に壁に叩きつける。ヲタルはナイフを取り出し眼前に突きつける。

 

「これが見えるわね。変わった形のナイフでしょ。今から指の先から上腕まで綺麗に皮を剥がす。それが終わったら神経取り出して無理矢理引っ張り上げるのを見せてやる。まずは左手だ。簡単に死ねないことを後悔しなさいよ」

 

 首を切り落とし頭を潰しても復活するあたりこいつの不死性は最高レベル。不死者の不死性は精神力と密接に関係している事実は研究結果として出ている。つまり図太い精神性を有することの証明。

 

 精神が弱れば再生力も弱まり肉体的疲弊と相まって加速的にその心を折っていく。拷問の跡は視覚的暴力と化す。バラされていく体を見ていつまで平静を保てるか見物だ。二度と舐めた態度をとれないよう、失禁、脱糞するまで痛めつけて土下座させてやる。

 

 決意と覚悟を胸に秘め左腕に手をかける。でも拷問が好きな奴とか軽蔑するわ。いつだって汚れ仕事は私だ。どいつもこいつも優しい奴ばかりで・・・馴染めない自分が嫌になる。なんなのよ・・・本当に・・

 

 

「・・・・・・左手ないじゃん」

 

 捕虜の左腕は肘先から無く、巻かれた包帯の隙間から見えるおびただしい火傷の跡。これでは逆に皮を剥がすのが大変だ。

 

「・・・・・・」

 

 そもそもの話。

 

 何処を見ても、こいつすでにボロボロじゃん。

 

 体の全身を取り巻く包帯。腕が終われば足をと考えてたが、そもそも両足が膝下で切断されている。無事といえば腰から上の右半身。顔に巻かれた包帯から覗く目が私を観察するように見据える。なんとも冷静な面持ちだ。

 

 なぜ、これで平然としていられる。慣れるとかそういう次元じゃない。

 

 なんだこいつは・・・・

 

 わずかに残った顔形から元はなかなかの美人だったのが窺えるがこうなっては無残なものだ。

 

 ・・・これを拷問する意味あるのか?なんだろう。すごく時間を無駄にするだけな気がしてきた。それよりも腹部に刺さったままの聖剣はいったいどうすべきなんだ?

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 目が合ったまま沈黙が蔓延する。これほどの傷を負いながら目は死んでいない。ここまで図太い精神の持ち主が相手では拷問の意味も考えらせられる。

 

 このまま微妙な空気が漂い続けるのかと思いきや捕虜から話しかけてきた。

 

「あんたは・・・まともそうだな」

 

 何を言うのかと思いきや捕虜は私をまともと称した。これから拷問しようとしている私に何をトンチンカンなことを。

 

「はあ?もしかして目が見えないの?これから拷問するんだけど」

 

「そうじゃない、俺が言いたいのはあんたの態度のことだが?」

 

 それだけで何を言いたいのか伝わる。

 

「だっておかしいだろ・・俺たちさっきまで戦ってたんだぞ。仲間がそちらのメンバーを殺したのを把握している」

 

「そうね。私もあんたに肩を撃たれたわ。おまけに逃げられるし。こっちは殉職者が出たってのに割に合わないわ。あと肩がすごく痛いのよ。あんなもの人に向けて撃つんじゃねーわよ」

 

「捕虜がどんな目に合うかぐらいわかってるつもりだが・・なぜ俺とヘラヘラと馴れ合う?お前ら頭がおかしいんじゃないのか?」

 

「・・・あんたが何かしたんじゃないの?あと捕虜の分際で一言余計よ」

 

 馴れ馴れしい口調に一発拳をお見舞いするが身の程知らずの勇者はどこか安心した顔をしている。

 

 まさかこの違和感を最初に共有するのがこの男とは。男の分際で・・・

 

 だが敵の発言だからこそ信用できる。A部隊は他の部隊に比べ社交的で割かし穏やかな人材が集まっているが敵と馴れ合う程甘い連中ではない。殺せないからと言ってわざわざ無駄な会話をする必要はない。

 

 ただし自由人な隊長は除く。一文字を受けても不死性と乖離しない存在に興味を持てばまあ話すだろう。故に捕虜の異常性が浮き彫りになる。

 

 隊長は・・・名だたる部隊長の中でも明らかに格が違う。ホーム内での個人戦において最強の称号を欲しいままにしている最高戦力だ。それ故かマスターにどんな行動も許されている。隊長の行動に引っ張られ他の隊員も流されるのが悩みの種ではある。だからと言ってああまで馴れ合えるものだろうか?

 

 私の目から見てもこいつは異常。

 

 まるで・・マスターを前にしているような・・・

 

「・・・・やっぱり続けましょうか拷問」

 

「おいおい」

 

 いろいろと謎が残るが本当のことを言わない以上やはり怪しい人物には変わらない。

 

 それにこいつにはどうしても吐かせなければいけないことがある。異能に適合者多く見られる白髪のことから当初は祈り手だとばかり思っていた。

 

 だが、こんな奴の情報は閲覧した記憶がない。

 

 祈り手に在籍するメンバーの中には終末戦争時の不死者が一人いるので不死者の特性は嫌というほど叩き込まれている。傷の治りからこれ以上の回復はないことからこいつは重症者のまま不死者となったのだ。

 

 もし900年前の人物ならばここにいるはずもない。なぜなら不死者は様々な活用方法がありこれほど都合のいい不死者であれば一部の人間が手放すはずもない。この体では逃げることもかなわない。それが事故で理由もなく、よりにもよってここに飛ばされるような偶然があってたまるか。

 

 ・・・こいつがもし現代に産み落とされた不死者だったと仮定しよう。終末戦争時の不死者がどうやって生まれたかは知らないが900年前と同じように外界が荒れるのは目に見えている。それだけ毛嫌いされている。

 

 大事なのは不死性獲得の方法を誰が生み出したかだ。

 

 こいつがここにいるのは誰かが明確な目的を持って連れ込んだか送り込んだからだ。そのことから元凶は近くに潜んでいるはず。こいつの体に打ち込まれた”契約”の楔が動かぬ証拠。不死者の絶えることのない魔力を利用して何かをしようとしているのではなかろうか。

 

 そう思い先ほどから観察しているのだが何度試してもこいつ自身から魔力が感知できない。こんなことは初めてだ。魔力が存在しない生物が存在するはずがない。原因と思われる未知の術式、何かしらの契約が結ばれているが一文字で断ち切られいないのはなぜか?・・・どうやって隠蔽してるんだ。矛盾を内包し過ぎだ。

 

 考えれば考えるほど泥濘に嵌っていくヲタルの肩をポン、と部隊長であるセイランが叩く。

 

「そこまでだ副隊長、さっきから様子がおかしいな」

 

「・・・おかしいのはこいつですよ。こいつは明確な目的を持って潜入してるんですよ。なんとしてでも吐かせないと取り返しのつかないことに―――」

 

「落ち着け。こんな体でどう潜入する。空間異常を思い出せ。あれが全ての始まりだったろう」

 

「だったら尚更まずいわよ!もし自由に引き起こせるのだったら・・・ん?」

 

 そうだ自由に引き起こせるのなら今とは比べようにない被害を被むっているはず。

 

「現実的な話をしようか。話はもっと単純だ。強力な爆弾の一つでも送ればいい。そうせずに彼を送り込んだのはそうせざる負えない理由があるんだ。系統の違う第一階層の防衛システムは現在も問題なく機能しているから外界からの侵入は不可能。我々が築き上げた防衛システムの数々に・・何よりここは豪雪地帯。例の刺客どもでも無視できない天然の脅威が待ち構えている」

 

 少しずつ頭の熱が冷めていく。そうだ、あれほど大規模な空間干渉を可能とする魔術には莫大な魔力が必要。

 

「そうか、あの空間異常の狙いはA種の脱走とシステムダウンを引き起こすためのものと考えるべきなんだ。こいつの不死者特有の無尽蔵な魔力を使って開かれたのであって、こいつがここにいるのは相手にしても予期せぬ事態・・・?」

 

「わざわざ手放す理由も送り込む意味もないしね、まあ概ね正しいんじゃない?彼がこちらにいるおかげで二度目の空間爆撃はない」

 

 確かにあれから結構な時間が経っているが、何も起きていない。

 

「でも、相手の攻めがピンポイント過ぎる。どう考えても内部に裏切者の可能性が・・・」

 

 当てずっぽうな最初の一手でここまで被害を与えられるのか?このダンジョンはまさに広大。偶然で収まる範囲をじゃない。

 

「ああだからさ、彼の不死性の出自なんて今はどうでもいい。まずはこの事態をすぐに鎮圧する、だろ?相手は初太刀で見事に大ダメージを負わせた。だがそれを知る由はない。すぐに次の手が来ると想定して動くとしよう」

 

「ニャーン、祈り手の造反劇はどう説明するのかニャ?もしかすると、そいつが裏切者かもしれないニャン」

 

「それはない」

 

「偶然でしょ」

 

「ブニャニャ」

 

「・・・・・?」

 

 祈り手が裏切るには十分すぎるほどの理由がある。彼らは各地から拉致された人に歴史ありを体現した者たちなので動機はある。だが、彼らは普段ホーム内に閉じ込められており外界と連絡する方法はない。

 

 異能の虚偽報告でそういった力がある可能性も十分あり得るが過去の人間が一体誰の助けを得る?豪雪地帯なので一切の魔力も電波も遮断する。記憶の処置に関する危険性はマスターから十全に聞き及んでいる。それが完全とはいかないとも。これを機と見て脱走を図っただけだと推測されている。

 

 ヲタルは平静を取り戻す。すっかりと拷問する気も失せる。見事に隊長に気を削がれてしまったが、少し安心もした。

 

 いつもの隊長だ、ちゃんと考えていたんだ。様子のおかしさから精神攻撃を受けているのかと疑ったがただの思い過ごしであったようだ。

 

 やることは結局変わらない。一早く事態の収拾する・・これに尽きる。

 

 よそ見をしている暇はない。この体では捕虜は逃げも隠れもできない。保有する異能も状況からあらかたの推測はできている。電子機器に干渉する、それも”マスター”が直接設定した天鳴の攻勢防壁を素通りするほどの力。とても無視できる異能でない。このまま監視しながらA種を殲滅するのがいいのだろう。首に縄でも掛けようかしら?

 

 万能キーと肉盾を手に入れた考えればお釣りがくるというもの。異能でまた反抗に回っても特攻持ちが二人もいる。例え天鳴クラスの戦術兵器を持ち出そうが対処は可能。

 

「これどうにかできないのか?死ぬほど痛い上に全然抜けないんだが」

 

 捕虜勇者は辛そうに腹部に収まった剣を指差す。

 

 天鳴に実装された聖剣のことだろうが現状を維持するしかない。第二級遺失物に相当する聖剣だが残念ながら今ここでどうこうできるものではない。

 

 要は手に余るのだ。使い手は限られておりまともに触れればただでは済まず呪いじみた現象に襲われるのでどうにもできない。

 

 腹部に深々と突き刺さった聖剣だが意外なことに力が解放されることなく非常に安定した状態である。鞘として力を抑制できるのは不死者の特性故か。まさか負荷を上回る再生力を持つ訳ではあるまい。一番危惧すべき力の暴発が無いのはありがたいことだった。

 

 祈り手どもから受けた傷の手当てが終わり全隊員ようやく移動が可能になる。優秀な回復役が一人いるので四肢の欠損程度ならどうとでもなる。戦力の維持が可能なのもA部隊が強固な理由の一つだ。部隊に一人は欲しい人材。安定性が違う。

 

「・・ん?」

 

 そんな中、部下の脇に抱えられた捕虜が声を上げる。

 

「捕虜なんだからあまり暴れないでくれニャー」

 

「そうだぞまったく、捕虜の自覚が足りてない。逃げたら斬っちゃうぞ」

 

「いや待て・・お前誰だ。なんだそのとち狂った恰好は」

 

 ヲタルは周りを見回すもその発言が何を指しての発言かわからなかった。

 

「もーみんな困惑してるのニャンニャン、そういうのよくないニャン」

 

「待って。本当に誰なんだこいつは、いつから潜り込んだ」

 

「さっきから何を言っている。彼女は私の部下だぞ」

 

「ニャーン」

 

 ・・どうにも捕虜の様子がおかしい。どこか狼狽えた様子で自身を抱える者を指さす。なんだなんだと他の隊員の視線が集まりはじめるがヲタル達には捕虜がただ喚いているようにしか見えない。

 

 あの隊長ですら怪訝な顔をしている―――

 

 

 

 

 この中でただ一人、恋都だけは違和感の渦中でも正気を保っていた。

 

 切っ掛けは甘い猫の鳴き声。いつ入り込んだのかはわからないが気が付くとすぐそばにいた。こんな痴女じみた恰好した奴がいたら違和感しかないのに今の今まで記憶に残っていなかった。

 

 俺を抱えるこの女はいつからここにいた―――?

 

 その者は余りにも薄着だった。猫の耳を頭からピョコリと立たせ尻尾を妖艶に揺らす。ショッキングな色をした紫のネグリジェ。うっすらと黒い下着が輪郭を表す。首輪とするには物々しい金属製の鉄の輪を嵌めどこか人を小馬鹿にするような表情をしている。白と黒で混ぜあったセミロングの髪型。毛先の縦ロールしてるのが割と好みだ、ってそうじゃない。

 

 黒を基調としたゴリゴリの戦闘服集団の中にこんなファンキーな恰好した奴がいたら嫌でも忘れない。何よりあり得ないのがこいつの身に着ける服装の季節感の無さ。この世界に来てここまで薄着の人間に出会っただろうか。施設内は特段寒くないにせよ、ここは雪に支配された世界。寒さが死に直結する世界でこの格好はファッションとしてはありえないだろ。自室を全裸で過ごすタイプって話じゃないだろ。こんな異常時だぞ、素足はまずあり得ない。先ほどから床の冷たさを幾度も味合わせられた俺から言わせてもらうが床は普通に冷たい。細かい瓦礫だってあるのに。

 

 違和感は感じていてもこうして抱えられるまでまるで気が付かなかった。まさかこれも異能って奴なのか・・・

 

 猫女はジロジロと俺を興味津々に観察している。こいつも祈り手のメンバーなのだろうか。だとすれば逃げ出す好機とも見れる。迂闊で軽率な行為かもしれないが俺はもう失う物は無い。実質ノーリスクだ。

 

 問題はもう一つある。こいつは恐ろしく面倒なA部隊の連中すら欺くほどの隠蔽力を持っている。

 

 さて、一度ここで自身の立場を考えよう。部隊の連中が完全にこの痴女の術中に嵌っているのは確認した。そのことについての言及は必要性があるのか?

 

 俺の目的はこのダンジョンからの脱出。それから元居た世界への帰還だ。そこは依然変わりない。むしろめっちゃ帰りたい。ここに来てから碌な目にあってない。今まさに腹に剣が突き刺さったままなのにそのまま放置されている。どんどん悪い方向に進んでいる気がしてならない。これ以上の不幸は無いとは思うが魔法が存在する世界だ。何が来てもおかしくない。

 

 天鳴から知識を吸い出しある程度の知見を得た今、俺の常識から外れた世界からおさらばしたいと思うのは当然の帰結。

 

 おまけに頭のおかしい奴であったが協力者としては都合のいいイグナイツは姿を暗ませた。ここを出た後も考えるとイグナイツは最適の人物だった。そこから何故か勘違いの末俺の世話を焼くヨルム。

 

 ・・・思えばここから奇妙な交流が始まった。イグナイツと違い頭はおかしくないのは良い点だしヨルム経由でガンヘッド、セーニャ、インクリウッドにも出会えた。イグナイツといた時には感じたことのない居心地の良さ。それを良しとする俺の心境の変化には驚きを隠せない。

 

 他人に鬱陶しさと苛立ち、そして”自己嫌悪”を感じないのは初めてだったな。

 

 そこから黒殖白亜A部隊から襲撃を受けヨルムたちは敗走。一人残された俺は捕虜に至った。そう考えるとこいつら敵以外の何物でもない。捕虜にしては扱いが雑じゃないのはこの体のせいで脅威度が低いからだ。ダンジョン側の勢力だからこのままでは脱出不可能。

 

 ここの本質は研究施設。研究者からすると不死者は実験に都合のいい検体だろう。イグナイツがここの支配者の娘なので合流できれば交渉できるかもしれないが、それは俺の都合でしかない。

 

 ダンジョン内が危機的な状況なのは俺がこの場所に飛ばされた際の空間異常が原因なのを吸い出した知識から察した。事態が収拾すれば原因の特定を行うだろうし、空間異常発生源であり公然では秘密にされてあるであろう第四階層に閉じ込められたイグナイツを勝手に連れ出した俺に協力するか?守護者は不死者に対して嫌悪していないみたいだがダンジョンマスターもそうかはわからない。

 

 そもそもイグナイツの親ってことは頭がおかしいのではなかろうか。血はなによりもの証明だろうに。

 

 ・・・ここの勢力図は理解したのでこの痴女がどこの所属でもないのはわかる。ここはひとつ賭けに出るべきか。

 

 たらい回しの生活はいい加減飽き飽きだった。

 



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第37話 異物混入

 

 覚悟を決め俺は何でもないと周囲に謝罪し機を見て痴女に小声で語り掛ける。

 

「・・・俺に何か用があるのか?」

 

「ニャ、話が早くて助かるニャン。賢ーい」

 

 じわじわと進む隊列の足並みよりも遅い猫の歩み。次第に後方へと移るが誰もそのことを気に留めない。

 

「おミャーを迎えに来たニャン、恋都」

 

「――――なんで俺の名前を」

 

 この世界に来てその名を口にしたのはフォトクリスとヨルムたちだけ。イグナイツですら知らない。

 

「ニャフフ、なんだって知っているニャ。恋都がこの世界の住人じゃないこともニャン」

 

「さっきの冗談を真に受けてくれるなよ」

 

 知ってて当然だ。信じてもらえなかったがその話はさっきしたばかり。

 

 ・・・その時から既に紛れていたのか、いや名前を知っているならもっと前からの可能性もある。こうやって直接接触してきた時点で俺に用があるのは明白だ。

 

 すげえや、もう次の厄介ごとが満を持して登場かぁ。次はどんな目に合わされる、いったい何の試練だ。

 

「そうゲンナリすることないニャー。これからいいところに連れて行ってあげるからちょっとお願いがあるニャン」

 

「いいとこって、そんな怪しい常套句に乗るやつがいるのかよ。もう少し頭を使って発言しろ殺すぞ」

 

「ニャ、ニャンか荒れてるニャンッ!」

 

「こっちは腹に剣刺してるんだよ。イラついてるって見ればわかるだろ」

 

 ただでさえイライラしてんのに何の利害関係もない奴に気を使うほどの余裕はない。ヨルムー早く助けに来てくれ。この際イグナイツでもいい。これ以上知らない奴と顔を合わせたくない。

 

「仕方がない。約束の時間も近いしここは強行するニャン、ミャーは怒られたくないニャ!」

 

 取り出した懐中時計を確認し胸元に仕舞う。やはりデカい。

 

「ニ”ャーン、隊長!捕虜がおしっこに行きたいって言ってますニ”ャン!ちょっと向こうに行ってもいいですかニ”ャア”ア”ア”!」

 

「はぁ?」

 

「なんだって!?すぐに行ってこい!」

 

 そのまま見事に隊列から離れるのに成功する。あまりにも・・・あっさり過ぎる。ふざけているのか。この強引なやり取りに少しも疑問を浮かべないのか。やはりこの女の仕業か。

 

 急に後悔してきた。このままこいつと一緒に居てもいいものか。離脱できた嬉しさよりも不安がまさる。おしっこはないだろ、おしっこは。

 

「いい訳ないでしょ!アホッ!」

 

 成功かと思われた離脱作戦。だが直下から聞こえた声がそれを阻む。

 

「ニ”ャッ」

 

 バランスを崩し突然転がる猫女。空中に放り出された俺はそのまま地面に受け止められる。相も変わらず硬い地面だ。

 

「こいつの影に潜んで正解だった・・なに、その恰好」

 

「ニ”ャア”ア”ア”ッ!?、ありえないニ”ャスー守護者如きに見破れるはずが――――ん”・・”影?」

 

 ヲタルは影で切り取った猫女の左足の一部を捨てる。通路に直立したままの足先。何をどうすればこうなるのか。切断とも違い猫女の足の半ばからごっそりと肉が消え去っていた。

 

 間髪入れずにヲタルは仲間の影に滑り込む。

 

 ヲタルが逃走を阻止できたのは偶然に過ぎない。もともと部隊の様子がおかしい中でまともに見えた捕虜。その捕虜が急に意味不明なことを叫び出したことと言葉の意味に警戒した。最初は不和をもたらすための狂言だとばかり。部隊員を惑わせるような発言の意図を探るも単身での逃走が不可能な勇者の意図が読めない。

 

 故にボロが出る瞬間を確実に抑えようと考えたのだが・・・思わぬ存在が釣れる。

 

 元より捕虜に対し不信感を募らせていたため念のためにと人知れず特攻【影喰み】で捕虜の影に潜み見張っていたのだが、予想に反して慮外な人物が現れた。影の世界からはしっかりと敵の姿が認識できた。自身の特攻にこんな効力があるなんて初めて知った瞬間でもあった。

 

「戦闘準備ィッ!捕虜ごと殺しなさい!」

 

「待ってくださいッ!副隊長。彼女が一体何をしたと言うんです!?」

 

 隊員たちが命令に戸惑っている。それどころか庇う者までいる始末。

 

 チッ、左足を消し飛ばしてやったのに認識は歪んだままか。あの女のことを正しくできているのは私だけときた。これは・・すごく困った相手だぞ。

 

「ニャニャニャニャ。痛いぃひどい――ニ”ャ!!」

 

「あら余裕そうじゃん。次はどこを消そうかしら」

 

 いつの間にか背後から現れたヲタルによって羽交い絞めになる猫女。後方の仲間の背に隠れたかと思えば忽然と姿を消し自身の背後から現れる。

 やはりこいつも油断できない相手。特攻使いはクソだ。影に潜る度に認識操作もリセットするヲタルに脅威を覚える。なんせ猫女にとって姿を晒すのは想定外。剣聖の認識さえ眩ませればどうとでもなると思っていたのにまさかの伏兵だ。

 

 おまけに認識力を低下させないように組み付いてきた。強力な認識阻害力を考慮した動き。一度離れてしまえばまた振り出しに戻る可能性を考慮している。

 

 でも、生け捕りはちょっと温いよニャー。

 

「ッチ」

 

 ヲタルは組み付きそのまま絞め落とすつもりであった。だが、冴え渡る勘が警鐘を鳴らす。後ろ髪を引かれるが意識を切り替える。逃がした場合のリスクと比較しここで殺すことにした。

 

 対象の首に絡まる交差した両腕の影。

 

 特攻【影喰み】は影から影の移動だけでなく自身の影に入ったものをその部分だけ削る。飲み込むと言い換えてもいい。影で消せる有効範囲は自身と繋がったその影の厚み分だけ。消したものはどういうわけか【蔵書】の魔術で取り出せるので所有する空間と繋がっているようだ。今のように密着してしまえば簡単に相手は死ぬ。障壁ごと影が削り取り肉体を削ぎ殺す。

 

 ヲタルの影が差す痴女の首は音もたてずに一気に消え去った。ガブリと支えを失いボトリと落ちる頭。首から噴き出る血液。胴体は力なく倒れる。余りにも早い決着。これで部下たちの誤解が解けなければ泣くことになる。

 

 

 

「ウ”ニ”ャアアアア、酷いニ”ャン”あんまりだニ”ャン”!」

 

 声の発生源は足元の頭。思わずヲタルの眉間に皺が寄る。捕虜の前例があるため、もしかすればと考えもする。

 A種に不死者に謎の獣人といい、不死身な奴が多すぎる!おまけにどうだ。首が叫び散らす状態でなぜか部下たちは私を注視する。困惑の視線が消えていない。まだ認識阻害は有効で状況は継続中か!

 

 猫女の頭が不意に浮き上がり逃げ出そうとする。寸前でヲタルは両手でしっかりと捕まえる。

 

 だがそれとは反対方向へと首のない胴体が動き出し捕虜を拾い上げ逃げる。一体どっちが本体なんだッ。

 

「ッ・・・おい怪我人はもっと丁寧に扱え!」

 

 捕虜が叫びのもお構いなしと軽快な足取りで複数の尻尾を揺らす首のない胴体。足はいつの間にか回復しており頭とは反対方向へと翔け出し捕虜と共に煙のように姿を消した。

 

 完全にしてやられた――!

 

「ルイゼの死体が、なんで・・」

 

「急に走ってどうしたん?!ッて、アレ?首が取れて・・・??なんだなんだ?」

 

「あれルイゼが2人、いや1人?ん?ん?さっき走っていったのは誰なの?誰ー??」

 

 部下たちに動揺が走る。ようやく認識の齟齬が広がりだした。それにしても”ルイゼ”か。やはりこいつは”ルイゼ”に見えるのか。祈り手たちとの戦闘に参加していたのはどっちなのだ。

 

「私の部下を――本物のルイゼを殺したなッッ!」

 

「ニャニャニャッ!もう遅いニャ!行動は終了したニャッ!勝利宣言だニャアアアアア」

 

 こ、こいつッ!もはや相手をしてられないと影に飲み込もうとするも不意に頭も消え去った。気配が完全に消える。

 

 ヲタルは焦りを抑え先ほど捨てた足の一部を拾い上げ足の一部を媒介に魔術【隷属の心理】を発動する。効果は媒介を通じ対象の位置を追うと単純極まりない。媒介を必要とするが精度が凄まじくそこから派生した魔術で遠隔追撃可能と優れもの。

 

 対象が飛んだ先はここよりも3つ上のフロア。すごい勢いで反応が離れていく。【転移】が使えるものは限られており、この状況で動けるのはヲタルだけ。すぐにでも追いかけたいところだが状況の呑み込めず混乱した隊員たちはどうする。

 

 だがこのまま逃がし時間を与えれば奴の認識阻害で存在そのものを意識できなくなる。ルイゼのようにいつでも入れ替わり潜り込むことが可能。ここで確実に仕留めなければまずい!単独行動は危険なのは承知。やはりここは強引にでも行くしかない!

 

 せめて隊長には伝えようとしたのは一番信頼した人物であったからだろうか。隊長に声をかけようと姿を探すが――――

 

「いない・・・・そんな馬鹿な!?」

 

 いない、どこを探しても見つからない。

 

 まさか、

 

 まさか―――!?

 

 

 

 

 

 

「やったやったやったニャア!これで遂にッ!」

 

 恋都を抱え凄まじい速度に身を窶し点々と異なる座標に姿を現しては消える。こうなれば誰にも止められない。

 

 感じるのだ。約束の日はもう近い。世界を隔てる壁の向こうに蠢く情念が今か今かと待ちわびている。

 

 待ってて、待っててね!今行くよ!

 

 空間と空間を結び飛ぶ、道順を無視した航路。それは壁の中だろうが転移先に何があろうと構わぬと飛び続ける。無謀にも思える無茶苦茶で危険な行為。だが恋都と”チシャ猫”は常識から外れた生命体だった。

 元よりチシャ猫は”現実”を透過可能、方や恋都は転移先の物質に体が融合しようと死とは無縁。そのまま体を引きちぎり進んでいく。普通なら味わうはずもない体験を前に恋都は地獄を見ていた。

 

 まただ。また想像も及ばぬ地獄を味あわされている。

 

 軽々と前回のハードルを越えていく。

 

「―――――――――――――――」

 

 声にならぬ悲鳴が木霊するもチシャ猫には関係なかった。

 

 そんな彼女らであったが不意に空気が煌めいた。

 

 耳に走る痛み。チシャ猫の耳の端が斬られていた。

 

「うっそッ!まだ追ってくる!!?」

 

 語尾を忘れるほどの焦りとともにダミーの分身を設置していくが次々と斬り払われていく。

 

 目に見えぬ追跡者の存在。気配だけがどんどん近づいてくる。少しずつ広範囲射程の斬撃の精度が修正されてきている。

 

 ―――こんなことが出来るのはヤツだけ。

 

 確実性を高めるためにもう少し例の場所に近づきたかったがもう追いつかれてしまう。壁の中に転移するとどうしても恋都が引っかかり一瞬動きが止まる。そこを狙われると回避しようも無い。

 

 この一撃が”一文字”であればいかにチシャ猫であろうとも死ぬ。

 

 ならば・・・どうする?

 

 

 

 

「―――――――――――へーい!」

 

 不意に閃が走り音を立てて壁が崩壊する。ブロック状の瓦礫の山からA部隊隊長セイランが姿を現す。

 

「鬼ごっこはもう終わりかー結構疲れたね」

 

 

 息一つ乱れることなくセイランは余裕を見せつける。

 

 チシャ猫は戦慄する。

 

 道が無ければ作ればいいと物理的に障害物を細かく斬り刻んで追ってきたのか・・・壁といっても中にはパイプや細かいケーブルの束、非常時の防衛システム等が埋め込まれている。そもそもこの施設は下の階層ほど通路間の壁は厚くなっている。ここは第二階層なんだぞ。第三階層からここまで何キロあると思ってるんだ。

 

「た、隊長さん、どうかしたのか・・・ニャン?」

 

 チシャ猫は完全に気圧されていた。化け物が化け物にたじろいでいた。そもそもどうして攻撃ができるんだ。チシャ猫は完全に認識外の存在。時間と距離の長さが認識を遮断していく。何年も会ってない遠方の友人など他人と変わりない。お前たちでは認識できる世界のお話ではないのだぞ!?

 

「どうかしたって言われても。普段は冷静な副隊長があんなに取り乱したんだ。もしかしてお前が例の内通者か”ルイゼ”?」

 

 ルイゼ?・・・こいつ!全然私の事を正しく認識できてないじゃないか!?裏切りの内通者って思いっきり勘違いしている。

 

「ヲタルは・・冷徹な奴に思われがちだけどさ、あれでも結構かわいい奴なんだ。考え込みすぎると変なことしてしまう困ったちゃんな所もあるけど、そこは愛嬌だねうんうん。とにかく副隊長が味方に”特攻”を惜しげもなく使った時点でお前はクロだと、私は思うのだ。それに知ってるか?あいつは絶対に同胞相手には奥の手は使わないんだぞ」

 

 隊員として潜り込んだのは失敗だった。部隊間であろうが個人間でのやり取りでも完璧に再現可能。そこには誰も知らない個人の秘め事も含まれる。齟齬が産まれても勝手に辻褄が合うようになっている。

 

 だが、セイランとヲタル間にある信頼まではいじれない。演じるだけで手を加える改ざん能力は有していない。それは”役割”を超えた動きだ―――

 

 嘘も現実も関係なく両者間の根底に在する信頼関係。不変の正当性までは手が及ばない貴き領域。突然のトイレ宣言にも逃走にも違和感を抱かなくても副隊長とのこれまでの信頼からセイランは疑いことなく”ルイゼ”である私を殺しに来たのだ。

 

 ああ、副隊長に認識されねばこうも面倒な話にはならなかった。絆の力とは恐れ入った・・・だが想いの強さはこちらも負けない。

 

 地獄から”あの子”を救い出すために、黄金の午後を取り戻すためならばどんなことでもやってやる。

 

「もし間違っていたらすまない!だが許可なき逃走は斬らねばならない。わかってくれるんだなッ!」

 

 激突は、避けれない。

 

 とてもじゃないが・・・チシャ猫が勝てる相手ではない。

 

 だらだらと汗が流れ落ちる。

 

 約束の時まで僅かに時間が足りない。

 

 勝負は一瞬、何もできずに死ぬだろうと予想される。だが、”チシャ猫”である私の役割は既に完了している。”こちら”で果てようと他の者たちが次を引き継ぐ。

 

 後悔など・・・いや、最後にあの子の顔がみたかったなぁ。

 

 思い返されるは断片的で朧げな記憶。チシャ猫の骨子であり、あらゆる原典。決して忘れるものかと踏みとどまった決意。どんなに姿が変われど、何者にも不要だとされてもあの子のためならばなんだってやれた。

 

 それでも叶わぬ夢であった。ずっと望んでいたはずの夢はいつまでも夢でしかなかった。

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 想いと思い。その二つに相違はなく両者ともに内なる炎を抱き向い合う。笑い捨てるには大きすぎる輝く標。

 

 言葉は無くともお互いに垣間見せた一面がさらなる力を引き出した。いままさに隊長の構えが、一文字が、放たれんとしていた。

 

 

「―――グゥッうう」

 

 

 ただ、あまりにも集中しすぎて閉ざされた二人の世界。完全に忘れ去られていた者が声を上げた。

 

 チシャ猫が抱えていたはずなのに、つい脇から落としてしまった声の主。今更ながら気が付いたのは秘密だ。そうだ、”こいつ”は守護者に対して人質に成り得るのだ。

 

 僅かに生まれた間だが結果的に、それは確かにチシャ猫の命を繋いだ――――

 

「ッ!?」

 

 セイランの前に現れた突然現れた黒い力の奔流。それはまごうことなく空間異常であった。

 

「間に、合ったっ・・・」

 

 安堵のセリフ吐くチシャ猫は背後から発生した別の空間に恋都ごと飲み込まれた。

 

 

「あ”あ”ー逃”げ”ら”れ”た”ッ!!」

 

 セイランは見事に逃げられてしまい行き場のない怒りに叫ぶ。おまけに捕虜も逃がしている。このままでは副隊長に合わせる顔がない。捕虜の事を考え”一文字”の使用を躊躇ったのが敗因か。このままでは今まで積み上げたかっこいい隊長のイメージが崩れてしまう。追い詰めておいてみすみす逃がすとか詰めが甘い。でも、どうしても捕虜の存在が無視できなかったのだ。死なないとわかっていたのに、だ。

 

 それでもまだ終わったと諦めるにはまだ早い。逃げたのならまた追いかければいい。迷うことなく深淵を彷彿させる漆黒の闇へと身を投じた。軽率かもしれないがチシャ猫の反応から安全だと判断する。なんせこれが現れた時安堵の表情を浮かべていたのだから。

 

 

 

 空間異常はさらに広がっていく。

 

 どこまでも膨張するかと思われた黒い球体は優にダンジョンの7分の2を飲み込みそのまま消え去った。ダンジョンそのものには一切の変化もなく飲み込まれたのは生物だけ。

 

 世界は知ることになる。

 

 誰もが忘れし黄金の午後が始まったのだと。これまで紡がれてきた騒動。全てはあくまでも前奏に過ぎなかった。

 

 偉大なる栄光は陰り軋むは常世の形式。

 

 歪みは更に捻じれ勇者の首に手が伸びる。あと、もう少しで、光を伴って救世主が現れる。

 

 伴奏は途切れ歌声は掠れる。隣人の嗄声などまだ生ぬるい。

 

 約束の日が訪れてしまった。

 

 あとはただただ―――堕ちていくのみ。

 



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第38話 狂ったお茶会は廻る

 

 これは何処とも知れぬ世界のお伽噺。夢破れし者の記憶の断片。

 

 新緑の大地にて迷い人は静かに眠る。

 

「おーい起きろー」

 

「・・・・・・・」

 

「おーい。おーいてば。いつまで寝ているつもりだ。そろそろ起きるといい」

 

 暖かな日差し。体の全体がポカポカとしていて気持ちがいい。先ほどから聞こえる呼びかけを無視したくなるほどの安らかな朝風、恋都はいつまでも寝ていられそうだった。

 

 鬱陶しい呼びかけもさることながら気だるげな体に歯向かう事は蛮勇と言えよう。愚者は騒ぎ賢者は眠る。俺がどちら側かなど問うのも烏滸がましい。

 

 その考えは熱々の紅茶が入ったティーポッドをぶつけられるまでは確かにそうであったのだろう。

 

「ア”ズァッッッッッッッッ!!!?」

 

 頭に衝撃が走り中の紅茶も浴びせられ突っ伏していた長大なディナーテーブルから飛び跳ねる。マカロン、ケーキ、ワッフルと多種のお菓子が入った皿やケーキスタンドの上で転げまわる。熱いのもそうだがティーポッドが激突し額が割れた。さすが陶器製、ドクドクと流血している。

 

「やあおはよう、今日もいい朝だね。こんなにも素晴らしい一日の始まりを沈黙のまま迎えるのは失礼だな君は」

 

「だからって、ティーポッドが割れる程の力でぶつける奴があるかッッ痛いんだが!?」

 

「そうかね。では次は君をティーポッドに投げるよ」

 

「いや物を投げるなよ・・常識ないのかよ」

 

「ふむふむ愚問だね。最初に言葉を受け止めない君が悪い。無視される吾輩の気持ちを無下にするからだ。いいざまだよ」

 

 カラカラと笑って見せるテーブルの向こう側に座する女性。恋都は恨めしそうな視線を送るも知らぬ存ぜぬと”帽子屋”はいつもの調子で紅茶を飲む。

 

 ああ、おかげでお気に入りの紳士服がお菓子まみれになってしまった。恋都は服から手で払落し少々つまむ。おいしい。ここずっとお菓子しか食べていない。ここの住人はみんな糖尿病だが無駄に元気である。全然よろしくない。甘いものしかないんだ糖尿病君とだって仲良くなれるさ。それが病気との付き合い方だ。

 

「まったく君のせいでせっかくのお茶会が台無しだ。可哀そうに、見たまえこの陶器の破片にまみれたケーキ君の無残な姿を!もぐもぐ美味しい!」

 

「食べ物を決して無駄にしないもったいない精神は称賛に値するが無理して食うな。口の中血まみれじゃないか」

 

「ん――」

 

 帽子屋の血まみれの口元をハンカチで拭う。うわ全然血が止まらねえ。きたねえ・・・

 

 小さな体に奇天烈な服装。特長ともいえる帽子も変てこりん。大雨だろうが嵐の中でもお茶会を決行するような狂人であるがこんなんでも行き場のない俺に居場所をくれた恩人だ。もっぱらの仕事は身の回りの世話ばかり。まるで召使。野良犬のような匂いを嗅ぐわせるこの風呂嫌いをどうやって風呂に浸けるかが最近の悩みだ。風呂の水を全部紅茶にすれば入ってくれるか・・・?

 

「なあ臭いし風呂に入ったほうがいい。臭くてお茶会どころじゃないんだが?」

 

「おいおい。今まで服の着脱をしたことのない吾輩に脱げというのか?君が吾輩に求婚するなら素敵な帽子を献上しろ。そうすればすぐにでも拝めるさ」

 

「トイレもまともに行けない奴は御免なんだが?」

 

「何もかも君が悪い。君を拾ってからどんどん生物として退化していくのを感じる。最近じゃ息の仕方も忘れるほどに」

 

 だから最近顔を赤くしたり青くしたりしてもがき苦しむのか。そのたびに人工呼吸させられるノネズミの殺意に満ちた目が恐ろしい。え、俺?臭いからやだよ。きっと吐く。

 

 テーブルクロスを叩き片付けをしているとどこからともなく声が飛ぶ。

 

「ヒュー到着惨状!!」

 

 ガシャンッ!ガラガラ!

 

 上空からの生身の落下。テーブルの上でスライドしながら食器を薙ぎ倒し、何者かが両手を開きキメポーズを決める。流石オーダーメイドなテーブル。なんともないぜ。

 

「おお!!君は、君は・・・・・・・・・・・・・」

 

 帽子屋はいつものお茶会メンバーの登場に動揺することなく抱擁しようと立ち上がるも、すぐに座る。

 

 俺はそんな彼女にそっと耳打ちする。

 

「ツキウサギ・・・」

 

「なんだいきなり・・誰だ?そんな名前の知り合いはいないのだが・・・君はツキウサギに失礼だな」

 

「どういうことだ恋都!帽子屋の頭がまた悪くなってるじゃないか!何の為に君がいると思ってるの!」

 

「うるさいんだが・・・こっちは介護で手一杯なんだよ。あと机の上で寝そべるな潰れたお菓子を食うな服を脱ぎ散らかすな」

 

 特長的なゴーグルに飛行機乗りを思わせ服飾。だらしなく胸を開き煽情的な色気を醸す彼女はツキウサギ。最近月に帰郷していたはずだったがもう帰ってきたのか。あれ?でも昨日も会ったような・・・

 

 ツキウサギはそのまま帽子屋の膝に腰掛け聞いてもいないのに話始める。彼女は非常にお喋りだ。秘密だってあることないことペラペラと喋る。でも目が悪いのか壁と話していることもある。

 

「月に帰郷したのはいいがあそこはどうにも暑すぎる。おまけに瞼を閉じても光り輝いて眩しいし目が潰れるかと思ったな。もう二度と行くものか!さらば宇宙放射線に紫外線!スペースデブリは物凄く痛かった!」

 

 それ月じゃなくて太陽だろ。と心の中で突っ込みをいれながら胸元に目が行く。

 

 ・・・おかしいな前に比べて大きくなっていやしないか?つい可愛そうな帽子屋へと視線が移る。

 

「ふむ、なぜこっちを見るのかね・・・・・おい」

 

「ふ、恋都もやっぱり気になるかーほらほらふはは」

 

「おい、惑わされるな。あれは脂肪の塊にすぎんのだぞ。きっと健康にもよくない!被曝するぞ」

 

 ツキウサギは自ら襟元を伸ばし更に胸元を強調する。ギリギリのコーナーを攻め今にも乳房が零れ落ちそうだ。

 

 スケベな太陽もニコニコと眺めている。余りにも近い。焼け死んでしまいそうだ。

 

 ボ!

 

 音を立て草木が発火し、俺たちも炎に包まれる。この痛み、何だか前にもこんなことがあったような・・・

 

「う”お”お”お”お”お”あ”あ”あ”あ”も”え”る”る”る”る”ッッ!!」

 

「見ろツキウサギ。そんなもの見せるから恋都が発情してるじゃないか。なんだか楽しそうだね」

 

「いやーこれは私のおっぱいが悪い。そうなった責任を取るから許してくれ、まったく仕方のない奴だ!HAHAHA!」

 

 炎に包まれながらも優雅に紅茶をすする帽子屋とツキウサギ。笑いながら俺を指差す。

 

 なんでこいつら平気なんだよおおおお。文明どころか地球の危機だろがあああああああ!

 

「ちょっと待ってくれ私は見ての通り夜行性。すぐに夜にするから、ねッ!」

 

 帽子屋の膝から勢いよく飛び跳ねるツキウサギ。ただのジャンプで空高く跳ね上がり接近した太陽へ迫る。座ったままどうやって跳躍したんだろうか。

 

 その跳躍は第二宇宙速度を超え、太陽を砕いた。その影響で重力異常が発生。太陽フレアに曝され世界が終わる・・・なんてこともなく。

 

 降り注ぐ隕石群を背景に炭化した恋都の手を取るツキウサギ。夜空には数多の星が流れる。その光景はなんとも幻想的で男女の仲を深める絶好のシュチエーションである。

 

「なんだ緊張しているのか?そういえば君とこういうことをするのは初めてだったな。なーに病気持ちになるぐらい経験のある私だ任せておけ」

 

「・・・・・・・・・・」

 

 炭化した俺の手をとるがボロボロと崩れる。それでも語り掛けるツキウサギの姿は狂気に満ちていた。

 

「もしかして、照れてるの?意外にかわいいところがあるじゃないかHAHAHA!」

 

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッ!?うるさいッ!うるさいッ!うるさいッ!!!」

 

 近くに着弾する度に爆音と衝撃破をまき散らす流星群。いよいよ我慢できなくなったノネズミがテーブルクロスを突き破りテーブルの下からのそのそと這い出る。同時にお互いに激突し合いながら大量の酒瓶も転がり出る。その流れはすさまじく次第に大地を埋め尽くしていく。とてもテーブルの下に収まる量ではないが・・・・なんだいつものことか。

 

「そんなところにいたのかノネズミ」

 

「さっきからうるさいッ!眠れない!」

 

 机の上で酒をあおるノネズミ。肩を露出させるオフショルダーの上からファーの付いた上着をだらしなく身に着けている。酒瓶の濁流に呑まれる事なく同じように避難した帽子屋の胸倉に掴みかかるが逆に倒れ、そのままうずくまるノネズミ。背丈で勝るノネズミは極度のアルコール摂取で筋力が衰えていた。腹が減ったのか燃えカスとなったお菓子の残骸を口に入れ・・・吐き出す。口直しにとまた酒瓶を探す。

 

「うう、ぉ、お酒。空いてるボトルは・・・うぶぇ」

 

「こんなにもお茶会日和だ。君も紅茶を飲め」

 

「う、っく。ワインでもいーい?カップに入れたら紅茶、だよね」

 

 そんな中、遠くへ流されたはずのツキウサギが酒瓶の海から帰還する。空のティーカップを震えた手で抱えるノネズミにワインを投げ渡す。

 

「お酒ー!!ごくごくうぇーうめめー」

 

 そのまま受け取ったワインのコルク栓を噛み砕き破片と一緒にラッパ飲みにする。幸せそうに酒をあおる姿になんだか帽子屋たちも嬉しくなる。帽子屋はツキウサギから服に包んだ黒い塵の山を受け取り語りかける。

 

「君が来てから吾輩たちも変わった。多少の変化であれどこれは君にしかできないことだ。この小さな変化が楽しくてたまらないよ」

 

 ”唯一”まともな帽子屋に狂人ツキウサギ、アル中ノネズミ、そして無自覚の咎人である恋都。いつもの四人が揃えばやることなど一つに限る。

 

「よしいつものメンバーも揃ったことだし、今日のお茶会を始めよう!」

 

「待ちかねた!」

 

「おー、うぶぇっうぇうぇ」

 

「・・・・・・」

 

 いつものメンバー。いつものお茶会。今や安全地帯と化したディナーテーブルの上で座り、それぞれが持ち寄ったティーカップを掲げる。終わらぬ流星を背に地平線まで酒瓶で覆いつくされた世界で今日もお茶会が開かれる。

 



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第39話 生ある限り悪夢は綴る

 

 何もかも満たされた夢のような世界。

 

 そこに―――ノイズが走る。

 

 そう、これが俺の日常。自分がどこから来たのかもどうでもよくなるほどの濃い一日。あきれるほど繰り返される平和な異常世界。おかしなことばかりで俺を心の平穏に誘う。

 

 違いがあるとすれば・・・今日は珍しく夢を見たぐらいか。

 

 黒い灰からいつの間にか再生した俺はそのことを何かに引っ張られるように切り出した。

 

 いままでお互いに夢の話なんて一度もしたことはない。でもどうしても話したくてしょうがなかった。湧き上がる衝動を抑えきれなかったのだ。

 

「なあ、話があるんだけど」

 

「ほう、君から話を振ってくるって珍しいね、ようやく心を開いてくれたようで嬉しい。ようやく帽子の素晴らしさに気が付いたか」

 

「理解が遅すぎる。恋都も酒飲め。そのままノネズミが寝ゲロで死なないよういつでも助けれるように添い寝しろ」

 

「あーずるいな。出来れば私も混ぜてくれよ。そんで毒の電波について語ろう。知ってるか衛星としての月の本当の役割は――――」

 

「話が脱線するからちょっと黙っててくれないか」

 

 話に付き合うと脱線し何を話そうとしたかも忘れそうだ。奴らの常套手段。彼女らの相手をまともにしてもいては朝日が昇ってしまう。

 

「今日さ、変な夢を見たんだ。ある日突然別の世界に飛ばされるって内容なんだけどさ、まず・・・・」

 

 つらつらと語られる内容。最初は記憶を思い出すようにたどたどしく語られる夢の内容だったが、その様子は次第に変化していく。

 

 それは誰かに語るというよりも断片的な夢の内容の再確認と化していった。異世界召喚という突拍子もない夢特有の超展開。爆発で体の多くが欠損した時は夢でよかったと安堵したこと。そこで出会った名前の思い出せないどこか孤独を感じさせる金髪の少女。光り輝く未知の領域での意味不明な出来事。

 

 どれもが飛び飛びで繋がりを感じさせないエピソードだが話す内に歯車が噛み合っていく。興奮気味に話が走り始める。

 

 それから偶然、ダンジョンに飛ばされ最初に出会った人間の枠を超えた獣人?の異常者に殺されたことで、俺が不死者と呼ばれる存在になったことを自覚したこと。そこでいろんな奴に出会いと別れがあった。 敵なのか味方なのかも判断に困る連中だったがみんな誰もが譲れぬもののために戦っていた。その過程で酷い目にもあった。敵ごと焼かれ、力任せに体を引き裂かれ、生きたまま脳を食われ、剣で串刺しにされ、凍死、圧殺、斬殺、刺殺等・・・何度死を迎えた?

 

 ・・・というか俯瞰してみると獣人女に殺されすぎだろ。何回殺されてんだよ。ムカつくな!

 

 そうだ、あいつはどうしようもないぐらいに化け物で俺が見てないとマジで何をするかわからない。自分本位で表に出せない異常性を抱えていて、父親のことが大好きな世間知らず。あんなの体がでかいだけの子供じゃないか。

 

 なぜこうも・・・・気が付くとすぐあの女のことを考えてしまう。初めて出会ったはずなのにどうにも親近感を抱いていた。

 

 共通点などあるはずもないのに。

 

 俺は――――何を感じ取った?

 

 

 

『――もう大丈夫』

 

『―――あとは進むだけ』

 

『――――なんせ君には立派な足がついてるのだから』

 

『だから――――早く来て』

 

 

 耳元で何者かが囁く。

 

「!!」

 

 ディナーテーブルの奥に”また”みすぼらしいエプロンドレスを身に着けた少女の姿が見えた。いつだって感じていた既視感の正体。何度も見かけたはずなのに幻覚だとばかり・・まるで今までの生活が嘘に思えるように思考が鮮明になっていく。

 

 言葉にできない漠然とした事実。折り合いをつけ、ようやく俺の口から零れ出る。

 

「イグ、ナイツ・・・」

 

 その名と共に変化が巻き起こる。気が付くと俺は草が生い茂る朝露に萌えた世界でいつも通りに椅子に座っていた。帽子屋に起こされた時と全く同じ状況。違いは既に席に座っているツキウサギとノネズミの存在ぐらいか。

 

「・・・・はぁ」

 

 帽子屋は紅茶を飲み終えると残念そうに息を吐く。それは憐れみと諦めの混じった意を同居させるものであった。

 

「・・・・世の中忘れていたほうがいいこともある。綺麗ごとのように聞こえるだろう。でも君に関しては本当にどうしようもない。紅茶を手にこのまま会話に舌鼓を打ちながらなんでもない毎日に称賛と畏敬の念を送り語明かすべきだよ。それが君には相応しい。ここにはなんだってあるのだ。酒に女にドラッグ、この世の快楽が詰まった世界だ。なんせ・・・・」

 

「夢の世界・・だからか?」

 

「ただの夢じゃない。先ほど起きた支離滅裂な光景は全部現実だ。夢の住人にとってこちらが現実。君がいた現実世界が滅ぶような出来事でも陳腐な結末しかもたらさない。その体が惜しければそのままここにいろ。今なら私たち三人と結婚できる権利付きだ・・・それともこういうのは嫌いかな・・?」

 

 帽子屋は悲しげな眼でそっと呟いた。嫌に耳の中で残響する。時間が凝縮されてるのだろうか、帽子屋たちとの様々な存在しない記憶が次々に蘇る。時間の流れすら自由な世界だ。多分、本当の記憶なんだろう。今日をいつまでも繰り返す日々。どこか狂っていて無駄に躁鬱を抱えているがどこか愛嬌のある真の仲間たち、ああ・・・

 

「ああ・・嫌いだな。この世界は・・・息が詰まりそうだ」

 

 その質問はあまりに卑怯だ。

 

 ノネズミ、いつものように酒を飲めグラスが空だぞ、ここにきて節制のつもりか?ツキウサギも黙ってないで何か喋ろ。罵倒でも何でもいい、いつもの元気な姿を見せろ耳が垂れてるぞ。普段は絶対に見せないしおらしい姿の落差が言外に俺を責め立てる。そう思えるまでに毒されていた。するりと胸の内に入り込むな。なんだこの親近感は・・・???

 

 俺はテーブルに腕をかけ席から離れる。発言に後悔はない。

 

 とにかく・・・すぐにでもここから離れたかった。

 

「理由もないくせにそんなに帰りたいか!ここは既に遠き世界なんだぞ。とても帰れる場所ではない!」

 

 ドン!と腰に人の重みを感じる。誰かが後ろからしがみ付いている。

 

「やめろ行くなっ!君であっても”死ぬんだぞ”!!ここにいれば”吾輩”が何とでもできる。誰にも干渉させやしない!」

 

「・・・・優しいな帽子屋は。でも鬱陶しくもある。俺は・・俺のことがどうやっても好きになれそうにない」

 

 なぜこうも俺を気遣うのか。理由に心当たりが無くともそれが本気の感情だと理解はしていた。それを疎ましく感じるのもまた俺の本質でもある。だってまるで関係ない奴に心配されても、どの口がって思っちゃうだろ?

 

 

 作られた体に命。最初のころは何とも思わず人類の礎になろうと努力してきた。だが、アカデミアの外での暮らしが始まり新生活に落ち着きを見せし頃、実績の為にと応募した例の海での現地調査の際、俺は―――変異してしまった。

 

 そのこと自体はたいした問題ではない。寧ろ有難味を感じているくらいだ。遺伝子構造の変性、変異を自覚してから目に映るすべてから歪みを匂わせる。何より嫌だったのが自分の体。細胞の一つ一つからして常人の人間のそれとは違う。身体能力に知能指数どれもが遥か上を行く。改造人間とは俺の勝手な自称だ。人間の枠を外れたと素直に認めきれない未練がましさの表れだった。でも、この時点ではまだ俺は俺のことが嫌いではなかった。

 

 人類が追い詰められた結果生まれた科学の特異点。新人類とも言える存在。俺以外の個体も続々と新技術や理論を提示し研究成果を上げていた。

 

 だが”第一世代の子供たち”である俺たちにも明確な欠陥があった。

 

 生殖能力が無い。

 

 いや、正確にはまともな子供が作れない・・だ。

 

 変異前は何とも思わぬ事実であったのに変異後にここまで苦しむことになろうとは思ってもいなかった―――

 

 

 俺は知っている。生殖能力が無いといっても性行為自体は可能だ。性欲だっていっちょ前にある。問題なのは俺たちが既に人間の枠を超えていたことだ。”第一世代”の強化された体。精子や卵子も例外ではなく強い生存本能が100%の確率で着床させる。

 

 問題なのは疾患があり、まともな子供が産まれないという点。

 

 俺は可能性に気が付き居ても立っても居られずプロジェクトの立ち上げに深く関わりのある甘兎博士に問い詰めた結果、俺は残酷な現実を突きつけられ後悔することになる。

 

 「覚悟はいいかね」と聞かれ頷いたはずなのに記憶に残っていない。取り出した記憶媒体の中にはある出産の映像が収められていた。

 

 産まれてくるはずの赤ん坊は・・人の形をしていなかった。あれはとてもじゃないが人間と呼ぶには・・・違い過ぎた。母体の腹の中から食い破り現れたそれが人間であって欲しくなかった―――

 

 

 

 

 ・・・・その日はどうやって家に帰ったのか覚えていない。その場では平静を取り繕えていたとは思うが博士と何を話したのか覚えていない。俺はどうしても信じ切れず、心ここにあらずな灰色の生活を送っていた。どうしても認めれず他の個体とは違うのだと、俺だけは違うのだと、選民思想も合いまった思考回路が渦巻いていた。

 

 灰の迷宮から抜け出す方法は一つしかなかった。

 

 遂に俺はある実験を行ってしまった。実証せずにはいられない気質。納得と安心の為に否定材料が欲しくてたまらなかった。保証が欲しかったのだ。ここでやめておけばよかった。止めるべきであったのだ。

 

 人知れず遺伝子バンクから保管された誰のともしれない卵子を盗み出し、俺はそれを使い、、、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 ぶもぉ、おぴゃががぃごぎゃぎゃぴゃぴぴ

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・マンションの裏手にはとても小さな空き地がある。構造上偶然生まれた余剰スペース。そこには、小さな石が積まれている。掘っても中身は無く何も埋まってはいない。形ばかりの自己満足。許しの残痕・・

 

 ―――俺は、余りの恐ろしさと絶望と後悔から人知れず研究資材に紛れさせ”それ”を外界に投棄してしまった。人の姿から外れた異形に厳しい社会が”それ”の生存を認めるはずが無かった。なにより俺がその事実を無かったことにしたかった。

 

 せめてもと新天地を願い放流したが・・・俺もまた心のどこかで人知れず死を望んでいた。忘れたかった。殺す覚悟も無く、保身のために露呈を防ぐための中途半端な処置。優先すべきは社会奉仕の使命だと都合のいい合理化を図る浅ましさ。

 

 それは、心に消えない大きな傷跡を残した。歪みの根源たるトラウマ。あまりにも身勝手で自己中な振る舞い。自覚はあっても正せない。

 

 その頃から俺は時折、社会全体に対し疑問を抱くようになった。そうまでして秩序を維持してなにを得るのか・・・枠からはみ出した者に何が残る?

 

 ・・・アカデミアの外で暮らす者には高性能自立稼働人形であるルドラサルムが配られる。家事の手伝いや他の雑務を行い研究のサポートをする名目で与えられるが、実はもう一つ理由がある。人形どもには性処理機能が付けられている。それがどういう意味なのか考えるだけで苛立ちが募る。

 

 ”第一世代”は性欲が強く、無作為に遺伝子をばら撒かないようにするための処置であり無作為に遺伝子をばら撒かない為の機能だと想像がつく。確かに学園時代、男も女も性別関係なしに引っ付いていた。気味が悪く居心地が最悪だったからこそアカデミアを抜け出した。

 

 同族である第一世代の中ですら居場所を感じぬ俺に安息の地は・・・・例の墓の前ぐらいだった。

 

 墓場は無言で俺の存在を肯定してくれた。

 

 徹底的な監視社会。恐らく普段のバイタルも人形経由で把握されている。他のご同輩では思考に制限が掛かって気づきもしまい。真意に気が付いた途端にお世話兼性欲処理用の人形が鬱陶しくなった。他の人形どもも目障りで気に入らない。何をするにしても周りを気にせねば始まらない世界など息苦しくて仕方がない。

 

 ・・・あれからどうにも鏡が気になってしょうがなくなった。俺は本当に人の形をしているのか。再確認するように何度も何度も鏡を眺め続ける。皮一枚隔てた所に俺も知らない不純物で埋め尽くされている。全て他人から意図的に与えられたもの。薄っぺらい肌の下で何かが這いずるような感覚を覚えるようになった。自分の知らない生物が蠢いているような感触。それでも強化された強靭な精神は気にしない。そんな自分が・・気味の悪い。

 

 ―――我々は自然の摂理に反している。

 

 俺はただ証明したかった。どんなに歪んでいても生物として真っ当であると。まともに子供さえ、生物としての在り方を証明していればこうもならなかった。

 

 あの件がどうやっても忘れられない。違和感は膨らみ続け許容範囲は優に超えていた。

 

 ・・・血の繋がりは嫌いだ。それでも己の証明の為にそれを求める矛盾。エゴを優先したからこその現状。子供も結局は俺にとって都合のいいトロフィーでしかなかったのだろうか・・・

 

 外で”第一世代”を見るたびに同族嫌悪に陥る。見えない鎖に繋がれた自覚無き畜生。自身もその枠組みに含まれているという事実が苛立ちを募らせる。誰よりも我慢を強いられる。次第にその存在が許せなくなる。それに関わる者すらも。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはいい言葉だ。

 

 自身を産み落とした者たちにも自然とその嫌悪感が向くようになるのは時間の問題だった。この都市にしても、俺が積み上げた小石の墓と一緒だ。誰かが押せば簡単に崩壊する社会。あちらこちらに火種は燻り不発弾が眠っている。滅びゆく人の時代がまっとうな流れに思えた。それでも人の世を永らえそうとする植え付けられた脅迫概念に使命感と責務。反逆行為は許されない。

 

 その結果生まれたのが”不死の薬”であった。完成品を作り上げるまでにどれほどの犠牲者を出した?そのことに何の罪悪感も抱かない冷淡さ。明確な階級分けによる差別を利用し人民の幸福度をコントロールするために生まれる最下層の者たちへの憐れみ。

 

 自分の中での社会貢献とエゴのすり合わせにどんどんずれが生じていく。

 

 薬の目的は種の存続が目的と謳うが建前にすぎない。可能性の提示と見せかけた劇薬の投入。不死者の登場で既存の価値観を破壊したかったのだ。ああ、あと少しで発表会だったのに直前で爆発テロに巻き込まれ俺が不老不死になってしまうと誰に想像できる。

 

 

 

 

 それでも俺は異世界に来たことで新たなる視点を得た。大怪我に反し驚くことに精神的に余裕を得ていた。痛みなど大した障害ではない。

 

 都市とは関わりの無い新天地の住人。最初に出会ったフォトクリスの苛烈な奔放さ。どんな状況でも必死に生を謳歌していた。その印象は強烈で俺とは真逆な在り方。体裁を包み隠さぬ犠牲も厭わない精神性。とても自由だった。

 

 比較対象を得たことで俺は自身の呪縛を正しく認識できた。俺はもっと我儘に生きるべき人間なのだと感銘を受けた。

 

 そんな彼女(あこがれ)からの好意、嬉しくないはずがない。懇意にしてくれた甘兎博士にすら鬱陶しさを感じていたのは産みの親の一人だからだろう。どうせこの感情も植え付けられた偽物の感情。どれもこれも偽物ばかりだ。こんな俺から産み出された”あの子”ですら。

 

 だからか、なんのしがらみも関係もない人間からの好意は新鮮で嬉しかった。境遇も似ていることから親近感や共感だって抱いた。それから様々な人と出会う度に俺は人としての違いを感じて羨んでしまう。

 

 ある願いが膨らんでいく・・・使命感は歪み枷から解放された俺が元の世界に帰還すれば・・・・・成すべきことを成すのだろう。回りくどい真似はもうしなくていい。

 

 あるべき世界へと還るべきなのだ。

 

 

 

 

 

 

「わかるよ、君の気持ち。吾輩たちにはわかるんだ。辛かったね。裁かれたいんだろ?贖罪したいんだろ?」

 

「わかったような口を利く・・・いいから離れてくれないか」

 

 俺を裁いていいのは”あの子”だけだ。まともな形も与えれなかったのだぞ。お、俺は・・・自身の欠陥を認めたくないが為に・・・あんなことを・・・

 

 

 

 

 帽子屋は葛藤する。頑なな彼は知らない。この世界との深い関係性。吾輩たちが彼にとってどういう存在か。この出会いも何もかも偶然でなく必然であることに。

 

 最初は本来の役割(ロール)をこなすつもりだった。だが夢幻世界に引き込まれた彼を一目見て迷いが生まれてしまった。訪れるべき救世主の姿は余りにも弱弱しかった。彼にこそ救いが必要だった。

 

 自己嫌悪、あきらめと破滅願望、そして贖罪。それらに矛盾するかのように湧き上がる強い生存本能。彼の操作された心は制御を離れ、ある切っ掛けからそのタガが僅かに外れた。

 

 その結果生まれてくる感情は負の面ばかり。それでも元の世界に帰りたがるのは帰巣本能のせいか。帰る場所などすでにないというのに。このような精神状態では事情をよく知る一癖も二癖もある夢の住人に取り殺されてしまう。ここで止めるしかない。

 

 例え同情はしても彼に傾倒し協力してくれる他の住人はいないだろう。自身の領域内を出ればもはや私は手助けはできない。中立ではいられなくなる。

 

 そうだとわかっているのに、帽子屋は手を振りほどかれてしまう。

 

「少し思い出したんだ。この世界はある物語をモチーフにしているんじゃないのか」

 

「なんだ・・思い出したのか」

 

 本当に残念だよ。こうなればもうどうしようもない。意識が外に向く。

 

「でもおかしいんだ。俺にはそれを読んだ記憶がないし、そもそも読める環境にいなかった」

 

 だけど、なぜかはっきりとあの作品を読んだ記憶がある。懐かし気な温かさの残滓が感じられた。どうやら俺には俺も知らない過去がある。そしてその事をなぜか帽子屋は知っている。

 

「エプロンドレスの少女。アリスの名前。ここまでの要素を散りばめておいて無関係なはずがない」

 

「・・・・・・」

 

「いるんだろここに、オリジナルのアリスが」

 

 この答えに行き着いたのはやはりA種と呼称されるアリスの存在が大きい。天鳴から吸いだした情報で大まかなダンジョンの構造や施設は把握した。

 

 すべてがアリスを中心に計画が進行しているが計画の最終目的が見えてこない。ゲームマスターはなぜ900年間も同じ実験を繰り返すのか。

 

 ここは紛うことなき異世界であり、まったく同じ文学作品が生まれるとは思えない。恐らくだが”アリス”は俺と同じ世界からやってきたものだ。

 

 ・・まさかだとは思うが架空の創作物の中からキャラクターが飛び出した、なんて事はないと思いたい。あくまでも物語を知る者がそれに類した異能を振るいそう名乗ったことにしてくれと切に願う。そうでないと無茶苦茶過ぎて何でもありとなってしまう。それでは考えもまとまらない。

 

 A種の名を冠すアリス擬きと因子を組み込まれ適合者のみが得る異能。だが異能を持つのは彼らだけでなく勇者もだ。この世界に”不思議の国のアリス”の概念を持ち込んだのも勇者。それも終末戦争時に召喚された古い勇者。それはヨルムという生き証人の発言が裏付けている。その勇者はご丁寧にそう呼称されていたとも語っていた。

 

 ただ、わからないこともある。そもそもアリス擬きのA種たちはどうやって生み出されたんだ?

 

 ここ200年近くは新たなA種の個体が増えた記録がない。だが祈り手のメンバーが増えていることから因子は何らかの方法で調達している。異能が遺伝するのは明白。だが実験期間に比べA種の個体の総数の少なさから必ず受け継がれるようではない様子。祈り手も適応者として選別されていたことから絶対ではない。

 

 巫女たるフォトクリスに聞いた限り勇者は強力な異能を持てど、寿命が延びたり不老になるわけではない。過去に勇者を召喚した実績のある国だからそういった情報が残っていてもおかしくないのでそれを基に考えた。なのでA種の元となった勇者アリスは寿命で死んでいるはず。そう公表されたともヨルムは言っていた。生きていれば現代まで語られるはずがない。国にしてみれば救国の英雄を大々的に押していくだろう。隠すメリットはない。

 

 じゃあアリスたちのあの身体的特徴の共通点の多さはなんだ。すべての個体を見たわけではないが、俺が見た限り小さな差異はあれど全員似ていて姉妹のようだった。それと寿命の長さもおかしい。

 記録によれば最長で800年前の個体もいる。意味が分からない。誰もが10~12才ぐらいの少女の形をしていた。血の連なりはオリジナルの遺伝子からかけ離れていく。

 

 子孫のそのまた子孫とも考えにくい。外界での勇者の存在が半信半疑であった事実も考慮するのなら異能の血脈もまた途絶えたと考えるべきだ。異能があればその証明にも繋がるのだぞ。

 

 この世界の常識はずれな魔法やら奇跡やらの存在が判断を狂わせるが、こうなればいっそ最悪を想定しよう。

 

 ・・・この恐ろしい実験を行ってきたゲームマスターはまともでないのは誰の目から見ても明らかだ。どんな形で生かされているのかまでは知らないがオリジナルである勇者が生存している可能性は大いにある。このダンジョンの成立時期が終末戦争終結時期と重なることとその役割から予測はつく。

 

 今回の異常事態は被害状況からしてゲームマスターにも予測ができなかったのだろう。直近で出会ったあの猫女、あれはチシャ猫をモチーフにしていた。

 

 ・・・帽子屋もだがなぜ女ばかりなのかは知らないがまあなんだっていい。

 

 俺がここに飛ばされるのがまるで当然が如き前提の計画された犯行。そこに俺がどう関連してくる?

 

 なぜ猫女は俺をここに連れてきた。アリスと同じ勇者だからか、それならば召喚された他の勇者でもよかった。あと三人もいるんだぞ。確立にして四分の一を引いたと言うのか?

 

 帽子屋が俺のことを知りすぎている理由もわからない。たまに見える亡霊のような少女の幻影、ボロボロの姿をした彼女はもしかすれば・・・・

 

「仮にそいつがオリジナルのアリスとして・・・・・そうか・・助けを求めてるから俺がこのダンジョンに呼ばれた・・・のか?」

 

「・・・ああ、そうだ。ここはあの子の夢。異能で構成されたもう一つの異界。夢であるが確かな現実。彼女の物語は止まったまま、君は停滞した現状を打開するために呼び寄せられた」

 

 精神的摩耗で一度破綻した世界ではあるが、ずっと彼がこの世界に来るのを待っていた。アリスがこの世界に来たのなら原因の発端である彼も来るに決まっていると、この時を待ち望んでいた。

 

 彼のもたらした記憶と共に新たなる姿で夢の住人はそれを手伝うだけ。

 

「なぜ俺なんだ。それは・・俺がこの物語を知っていたからなのか?」

 

「・・・・そうだな、ああそうだ。全てはオリジナルアリスの精神の摩耗が引き起こした夢世界の大崩壊・・・・・その物語の補完の為だ。ここはそんな生き残りたちの見るも無残な楽園さ」

 

 そこまでは理解したか。だが肝心なところが観えていない。君ではわかりえるはずもない。わかったところでどうにもならない。

 

「愚かだ、君はどうしようもない愚か者だ!」

 

「・・・そう言う割には重要なことは教えてくれないな」

 

「・・・・・・・・・これでも譲歩はした、既に中立の線引きを大幅に超えている」

 

「でも、ありがとう楽しかったよ」

 

 彼は腰を落とし目線を合わせる。残念そうな笑みを浮かべながら抱きしめる。帽子屋の涙が伝うのを肌に感じる。

 

 彼は何をするでもなく理由もなく帰郷を望んでいる。ただ単純に帰りたいから帰る。そこが嫌いな世界であったとしてもだ。認識阻害を自力で破るほどの歪んだ強い使命感。これをどうにかできなかった時点で吾輩にはどうしようもない。そしてその歪んだ認識は元の世界に牙をむく事だろう。

 

「”本物のアリスの魂”を見つけるんだ・・・現実世界のアリスは寝たきりで魂は”今でも”現実と夢の双方で彷徨っている。物語が終わりを迎えれば自然と終結する」

 

「ようはどこかで躓いているアリスを見つけて手助けしろってことかな」

 

「・・次は城を目指せばいい、それとこれを受け取れ。君の牙だ・・・・・恋都、どんなに自分を嫌っていても生きてくれ。君のことを大切に思う人のために」

 

「・・・・・さあ、どうだか」

 

 

 

 

 

 

 

 彼は手渡した剣を受け取ると返事もせずそのまま行ってしまった。その背を見守るしかできなかった。最後に見せた困ったような笑み。きっと答えは変わらないんだろうなと暗に語っていた。運命はやはり向かうべき場所へと終着を望むか。

 

「やっぱり行っちゃたかー。どんなにシチュエーションを変えても仲を深めても人の繋がり程度じゃ留めれなかったな」

 

「何度試しても結局だめ。根が深すぎる。死が確定してしまったか・・・アリスを救うその末に何が起きるかを知らない。まだ間に合うよ、本当にいいの?」

 

 二人が助けを求める眼差しを帽子屋に突き刺す。だが何度もループさせた結果がこれだ。彼の答えは何も変わらず時間だけが過ぎていった。不死者であったからこそできた荒業。夢世界は理不尽だ。その世界の住人でもない生物ではとても変化の流れについていけない。不老不死だからこそ行えた作戦。認識が甘かった。ふとしたことで直ぐに本来の記憶を思い出す。うまくいけば彼ならばこの世界で幸せな生活を送れていたのに。無知蒙昧なるA種のように夢うつつであれた。

 

 吾輩の手の内から零れた彼はまもなく死ぬ。

 

「・・・・・くそ」

 

 せめて彼がまっとうに死ねることを願うしかなかった。

 

 

 

 

 

「・・・・」

 

 しばらくして恋都は来た道を振り返る。転々と生える茂みの中に飾り付けられた装飾。その中心にはお茶会のための長いテーブルがあった。

 

 もうそこには誰もない。朝霧が立ち込め何も見えない。戻ったところで何もないと妙な確信があった。

 

 不思議な・・感覚だった。

 

 既視感ともまた違った懐かしい空気。わけのわからぬ居心地の良さに触れた。

 

 それでも一人のほうがいい。他人を意識するとどうしても比較してしまう。

 

 こちらの世界の人間には生理的嫌悪感を感じたことはない。魔力を持った人類。元の世界にいたら摂理に外れた気味の悪い生物に見えただろう。だがここではごく一般的な特性、その異質さがむしろ親しみを覚えさせる。意識可能な領域の広がりを実感できるのはこの世界に来てからのことだ。

 

 大人たちに取り付けられた思想の枷が機能していない。多くの出会いが俺に自由を与え視野を広げてくれた。完全に壊れたようだ。

 

 なにより今は怪我一つない五体満足な体に翼が生えたかのような身軽さ。頻繁に起こる頭痛もなく健康そのものだ。

 

 ここは夢の世界。だからなのかどうにもいつもの自分らしくなく物を語る。多分初めて本音で話せていたのではなかろうか。

 

 なぜこうも無防備に弱点を曝せた?本当に俺は変わってしまったのか?

 

「・・・・アリス」

 

 この先に何がるのか知らない。帽子屋の言っていたことが正しければ俺は地獄を見ることになるが不死者にとって今更の話だ。何が起きても恐れることなどない。ここには俺の知らない何かがある。霞みがかった真実に手を伸ばさねばならない。

 

 先の見えない霧の中を歩む。どこが地面かわからない。落ちているのか上っているのか、ただただ前に進む。

 

 心が赴くままにしっかりと踏みしめて。

 



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第40話 内なる姉

 

 これは決して忘れられぬ思い出。グレイズの今と昔を繋ぐ後悔の記憶。傷は未だに癒えることを知らない。

 

 はあッ―――ッ、ハァッ!

 

 心臓が今にも弾けそうになるほどグレイズの胸を打つ。姉に手を引かれ雪に塗れた雑木林を駆ける。背後では悲鳴が上がる度に体が竦む。

 

 決して大きくない顔見知りばかりの町。

 

 現在進行形で人食いの獣人どもに大規模襲撃を受け町は壊滅状態にあった。町中から悲鳴や”火の手”が上がり逃げる者の背に矢が飛ぶ。余りにも強力すぎる矢は数人をまとめて串刺しにする。大人は捕まれば食われ、子供は奴隷として捕らえられる。

 

 優しい両親はもういない。

 

 近所のおばさんも、神父様もみんな邪悪な獣に食べられた。在中の兵士も冒険者も強力な獣人たちの前ではおやつに過ぎなかった。

 

 丸太のような棍棒を片手で操る純然たる力の暴力の前では如何なる剣技も無に等しかった。力も速さも根底が違い過ぎる種族値の暴力。

 

 ここは聖王国西部に位置するベルウッド伯が治める荘園の一つ。濃厚な甘さに保存のきく食料として愛される黒リンゴの生産地として有名であり、神の恩恵により雪の中であろうと褪せることのない美しい新緑の果樹園も・・・・・・無残な燃えカスと果てる。

 

「はあッ!はあッ!!」

 

 雪原の冷たい空気が肺を凍らせそうだった。普段であれば子供だけがが来るべき場所ではない。聖王国が国教に掲げる神の力はまさしく強力。恩恵は王都を中心に国内全土に広がる。国内の降雪量を減退させ、まったく雪が降らない日も存在する。それは僻地であるこの地も例外ではなく無雪の日が週に3日はあった。今日はまさに絶好な天気。灰色の空がどこまでも広がっていた。

 

 降雪次第でも気温も変わってくる。少なくとも凍死することはない。降雪量は中央に位置する王都から離れた距離に比例して増える。全ては聖王様が掲げる”太陽”の影響だった。

 

 未だ町の外に出たことのない姉弟にとって慣れない環境。足を取られるほどに積もった雪は容赦なく子供の体力を奪う。

 

「ぅく!」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 不意に入り組んだ林の隙間を縫うように矢が姉に突き刺さる。手を引く姉の足に突き刺さり勢い余って二人まとめてに転ぶ。

 走れなくなった姉の体に肩を貸そうとするが足に刺さった矢には縄のようなものが結ばれていた。何より血が・・止まらない。動脈を射抜いた矢を抜いたところで失血死するのは幼いグレイズにもわかった。

 

 縄に引かれ姉の体が少しずつ引きずられていく。グレイズに大好きな姉を置いていくことはできなかった。何をするでもなくパニック状態のグレイズとは相反して痛みを噛み殺し落ち着きを取り繕う姉。思えば弟を安心させるためだったんだろう。

 

「お姉ちゃんは・・・大丈夫だから・・・逃げてッ!」

 

「いやだ!お姉ちゃんを見捨てるなんてッ」

 

「だったらッいつか必ず迎えに来てっ」

 

 人食いの獣人が子供を攫い奴隷にするのは聖王国の人間ならば常識である。姉は一向に離れない僕を逃がすために痛みを堪え恐怖を殺し涙ながらに懇願した。

 

「へへっ獲物だぜ!こっちだ!しょんべんクセえガキを捕らえたぜ!賭けは俺の勝ちだなあッ」

 

「チッ、運のいい野郎だ。次だ、次!もう一匹いただろ!次はそいつで勝負だッ賭けはいまだに進行中だ!」

 

 林の枝が擦れ合い獣人が近づいてくる。そのたびに姉の体が手繰り寄せられていく。

 

「成長して大きな体になったらお姉ちゃんを探して。ずっと待っているからッずっとずっと」

 

「う、うああああああああッッ!」

 

「そう、そのまま逃げて・・・それでいい・・・・・・・・・・・・・・・・・・うぅあ助けて・・・」

 

 握りしめた手を姉に振り払われグレイズはただがむしゃらに逃げた。僅かに聞こえる大好きな姉の悲鳴を耳にしながら姉を置き去りにしてしまった。逃げるほかどうしようもない状況ではあったが姉を置いて逃げたのもまた事実。

 

 どこをどう逃げたのかも覚えていない。家族を見捨て生きながらえたがまるで生きた心地がしなかった。耳にこびりついた獣人の雄たけびが時折幻聴として聞こえる。

 

 町は壊滅。偶然近くの遺跡調査に来ていた高名な冒険者の一団に拾われなんとか生を拾う。グレイズのようになんとか外界へと逃げた者も魔獣や追跡者の被害により生存者はごく僅か。町には誰一人として生きた人の姿は無かったそうな。そこには当然姉の姿も・・・

 

 その後グレイズは遠縁の親戚を頼ることになった。頼る者がいただけまだマシだった。

 

 報告を聞いた聖王国はこの出来事を重く受け取るも山岳地帯付近の町を巡回する騎士団の巡回頻度を増やす対応しかとれなかった。根本的な解決には至らない。

 

 報復しようにも敵は寒さをものとしない獣人の中でも人喰いと称される者たち。その生態はおろかどのようなコミュニティーや支配体制が敷かれているのかもわからない聖王国を隔てた山間地帯の先から不定期に襲い来る野盗集団。

 

 調査しようにも険しい山間部を超えて行う程のリスクに見合わず、場所も特定できていない。山越えの時点で多くの犠牲者と費用が懸念され出兵には貴族連中が猛反発する。貴族からしても襲撃は防ぎたい。だがいつ襲ってくるかもわからない相手に備え続けるには金がかかる。冒険者にも調査を依頼しようと人喰いのテリトリーに赴く物好きはいない。人食い獣人は吹雪の中で鉢合わせれば勝つのはまず不可能。危険すぎて冒険者ギルドからも推奨されない。

 

 人喰いの影響で信仰による影響で獣人に似た姿が発現する人間にまで風評被害な差別が広がる始末。攫われた子供がどうなっているかも実際にはわかっていない。

 

 国からの救助がないのを知ったグレイズは涙した。攫われた人間が帰ってきた話は聞いたことがない。もし姉が生きていたとしても一生会えないのであれば死んでいるのと同じ。グレイズはただ納得が欲しかった。死んでいるのであれば諦めもついた。

 

 姉の言葉、あれは無理やりにでもこの場から逃がすための方便だったのだろうが、小骨の様に喉を刺す。ふとした日常で姉の幻聴が聞こえる。

 

『早く助けて』

 

 両親と姉を奪った敵の詳細もわからぬまま生きるのは姉との約束と過去から逃げているようで助けてくれた姉に申し訳がたたない。

 

 だからこそもう逃げないと誓ったのに・・・その誓いはいともあっさりと破られた。

 

 現実はいつだって残酷だ。

 

 

 

 

 

 

「無理だ、あんなのどうすればいいんだ・・・」

 

「うん」

 

「人喰いよりも強いあの女にどうすれ勝てるんだ!なんであんな奴がいる!どうして僕の前に現れたッ!」

 

 地面にうずくまりグレイズは叫ぶ。騎士学校でも実地試験先でもお目にかかれない強者。実質最高位とされているBランク冒険者のリズとの二人掛かりでも一蹴。手にしたこの力でも遠く及ばず身体能力も魔術も常識を超えていた。その上、剣で実演され指摘をされてしまう。

 

 悪意のない一言は心を容易く砕く。

 

『君剣の才能ないよ』

 

「そんなことわかってるよおおおおおおおお知らないとでも思ってるのかああああああああッ!!」

 

 魔術の素養もなければ、剣の才能もない。構成した魔術基盤は二度と取り消しが効かない。知っていなきゃ一生モノの魔術基盤を身体能力向上に絞るはずがない。

 

 相手よりも早く振ってぶった切ればいいだけだろ!それに戦いは才能がすべてではない。経験に地形、戦術、人数に運と様々の要素が入り乱れる。足りない分は補えばいい。だからこそ多く経験を得られる実地試験を選び騎士団に仮入団させてもらった。しかも単位も沢山もらえるんだ!

 

 才能がないからと言って諦める理由にはならない。

 

 関係ない、はずだった。だがそれはただの強がりでしかないことを理解させられてしまう。

 

 美しい、流麗な太刀筋だった。剣を断ち切られた際、衝撃をまるで感じなかった。己が呼称する剣術とはなんだったのか。こんなの子供のチャンバラと変わりがない。恥ずかしくて仕方がなかった。

 

 ボクは今まで何をやってきたんだ。何の意味も無かったじゃないか・・・・

 

「・・・・助けて姉さん。もう無理だ・・僕は何も成しえない・・・・全部無駄だった」

 

「―――じゃあ、あきらめる?」

 

 ふと、声のする方へと顔を上げる。いつの間にかあの時のような林に雪原が広がることに疑問を抱くことなく当時となんら変わりない姉の姿を視界に収める。遂に幻覚すら現れたかと自嘲気味になる。

 

「そこから見てたんでしょ・・・あんなのどうにもできない。勝負にすらなってない・・僕はここで死ぬんだ。死ぬ死ぬ死ぬッ!!」

 

「別にいいんだよ、逃げたって。お姉ちゃんをまた見捨てるのならそれで、逃げればいいんじゃない。騎士なんて諦めて惨めに生きてみる?」

 

 なんて都合のよい幻覚か。情けの無いグレイズの心が姉の言動に現れている。本物ならばこんなことを言うはずがないのに逃げ道を作ろうとしている。

 

 でも実際、グレイズは完膚なきまで叩きのめされていた。世の過酷さを思い知らされた。

 

「姉さん・・ごめん、ごめんよ。」

 

「・・・お姉ちゃんを捨てるんだね。そうやって素知らぬ顔で生きていくの?生きていけるの?助けてくれるって信じていたのに・・・・嘘つき。剣なんて捨てちゃえばいいんだよ。お姉ちゃんの事なんてどうだっていいんだ」

 

「ち、違うんだ!僕はただ・・・」

 

「お姉ちゃんを理由にあいつから逃げるな」

 

 無理だってッ言ってるじゃないか!どうしてわかってくれないんだ。あんな化け物が蔓延る場所で生き延びれるものか!弟にもっと優しくしろよ!!なんでわかってくれないんだよおおおおおお!!

 

「・・・それは許されないんだよ。もう一度逃げたらそれは本当の終わりだから・・・・大丈夫。独りで立てないのなら手を貸してあげる。だからお姉ちゃんを理由に子供の頃からの夢だった騎士を諦めないで――――――逃げるな」

 

 そうだ、子供のころに憧れた騎士。遠い親戚なのに僕のために金を工面してくれたおじさんたちのためにも僕は騎士学校を卒業しないといけない。

 

 でも、立派な騎士ってなんだ。

 

 仲間を置いて逃げるような奴に騎士が目指せるのか。資格はそもそもあるのか。

 

「・・・まだ間に合うよ。大丈夫!お姉ちゃんが助けてあげるんだから!」

 

 ふんす!とか細い両腕で力こぶを作る。そんな筋肉は当然ない。だが、どうにもその様子がおかしくて笑いが漏れる。お姉ちゃんはいつだって僕の憧れであり道を示してくれる。

 

 そうだ、逃げる事が許されるはずがない。姉さんは今も苦しんでいるのだから。そんなことで足を止めていいのか?

 

「・・・・ごめん。ごめんよ」

 

「・・・・ふふふ、いつまで経っても独り立ちできないね」

 

 本当に頼りになる姉さんだ。そろそろ姉立ちせね騎士になどなれるなずもない。いつまでたっても弟のままではいられない。

 

 あの時と違いまだ引き返せる。矜持は未だ失われてはいない。昔に比べ僕は随分と成長した。もう子供のままではいられない。逃げれば夢を叶える資格を失う。何より自分が許せなくなる。

 

「ごめん、これで”最後”と思うから手を借りるね。それでさ、もう一度頑張ってみるよ。そこで見守っててくれないか?」

 

「大丈夫、お姉ちゃんはいつも一緒だよ。だからね、――――――早く助けて」

 

 手を引かれ立ち上がる。剣は折られたなら、また打ちなおせばいい。折れた心もこれからだ。覚悟が少し固まった。それでも現状あの女に勝てる可能性はゼロに等しい。

 

 忌まわしい獣人の力を使ってこのざまだ。これが最後のチャンスになる。これまでのすべてが試される時だ。騎士学校でも武官教員が言っていただろ。

 『勝利への道筋は身近にある、視野を広く持ち泥をすすれ』騎士らしくない考えだと思っていたが、こうまで追い込まれるとプライドなどどうにでもよくなる。余計なものは捨て本来の願いだけを見据えろ。諦めの悪さだけが僕の取柄なのだから。

 

 天を仰ぐ。薄雪の下、こうして空を仰ぐのが好きだった。何もかも吸い込んでしまいそうな灰色の天蓋。夢の中でも相も変わらず世界は回っていた。こうしている間も時は刻まれる。立ち止まっている暇なんてどこにもないんだ。

 

「僕はもう大丈夫。そろそろ行くよ」

 

「うん!それでこそお姉ちゃんの弟だよ。がんばってね。また逃げたら何度だって罵倒してあげるから・・・だから死なないで」

 

 視界が歪み急に光が広がる。ぼやけた光景が流れ込み都合のいい夢に終わりが訪れる。手には土の感触。ようやく目が覚めたようだった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・お姉ちゃん」

 

 夢にしては妙にリアリティがあった。今も掌には姉のぬくもりが残っている気がする。まだ夢の世界だと言われても納得できてしまう。

 

「いいえ、ここは夢ではありません。現実ですよ」

 

「!!」

 

 声のしたほうへと振り返る。城下町を思わせる街並み。どこも緑が鬱蒼としており飲み込まれんかという勢いだ。絡み合う木々。その後ろから現れたのはなんとも血色の悪そうな白髪の男であった。杖にローブ、装備から魔術師と判断し咄嗟に距離を詰めようと試みるも体が思ったとおりに動かない。

 

「ッ誰だ!?」

 

「敵ではありませんから落ち着いてください。それぐらいの判断はできるでしょう。騎士見習いのグレイズ君」

 

「な、なんで名前を・・・そうか傷の手当てをしてくれたのはあなただったのか」

 

 自身の体にまかれた包帯から少なくとも敵ではなさそうだと判断する。名前の件はともかく眠っている間に襲わなかったところを見るに敵意はないはずだが一応の警戒はしておく。

 

「そう警戒しないでください。せっかく同郷の者に出会えたのですからお互いに協力できるはずですよ」

 

 隠しきれないグレイズの不安を前に、そう言い杖をこちらに構え聖句を唱える。

 

「帰順せし真説の徒、紅涙の海の名も知らぬ【利霊】」

 

 ベルタに負わされたグレイズの傷がみるみると治りゆく。

 

 この聖句は間違いなく・・聖王国出身の証明。言葉よりもよっぽど重い意味を持つ聖句は何よりもの証となる。

 

 いや待て―――回復魔術だと?

 

 回復系の魔術は教会でも高位の実力者にしか扱えないはず。そうなるとこの男、いやこの方は。

 

「いきなりですみません。まだ治療の途中でしたので・・さて、まずは自己紹介といきましょうか。私の名はクラウン・リム・ディアス。かつてのアンティキア正教の大主教の立場にあった者です」

 

 



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第41話 出会いが人を変える

 

 グレイズは困惑していた。なぜこんなところに彼のような立場の人間がいるのだろうか。

 

 大主教となると聖王国では5人しかいない教皇に次ぐ立場のはず。各地を巡りその地を任された主教の下で試練を課せられ、5人以上の主教から叙聖された者がなれるとされる。グレイズからすれば直接話すことなどまずありえない地位にあられる。それがなぜこのようなところにおられるのだ。グレイズが混乱するのも仕方のない。いざ前にするとどう話しかければいいのか、そもそも話しかけても失礼に当たらないのか・・・・それがわからない。

 

「そう硬くならないでいいですよ。私は今よりもずっと前の時代の人間になります。まあ、二重の意味であなたの先輩になりますか」

 

 それはどういう意味・・・って、

 

「・・・・さっきから心を読んでますか?」

 

「はい、失礼かと思いましたが倒れているあなたを発見したときに少々覗かせていただきました。ここは何分理解を超えた場所ですので敵かどうかの判別をさせてもらいました」

 

 心を読まれていると考えるとどうにも落ち着かない。これまでの考えも筒抜けならばこれって不敬ではなかろうか。

 

「気にしないでください。心を読まれて不快に思わぬ者はいないでしょう。あと正確には心を読むのではなく、その人間の”運命”を俯瞰して観ているですね。あなたの獣人化の力と同種のものと考えてもらえばいいです。言語の違う異界の者にも通用するのですからなかなか便利な異能ですよ、例えばその子」

 

「え、て。うわ!?」

 

 グレイズは音も無く背後に現れたアリスに腰を抜かす。

 

「彼女の本当の名はジョーカー。ええとなになに、トランプ兵が最後の一人で旧不思議の国の数少ない生き残り。アリスの姿に化け現界したものの変身が完璧すぎて精神がA種に引っ張られて逆に自我を失ってしまったようですね。やはり変身系はA種と相性は悪い。あとは・・・幻想体であると・・・なんですこれ?」

 

「え、え?」

 

 いや、そんなことを聞かれてもグレイズにわかるはずがない。

 

「ダンジョン側も扱いに困っていたようですね。ある日空き部屋にいきなり誰も知らないA種が増えているんですから。グレイズ君が彼女と過ごした期間は凶暴性とその正体の調査が主な目的だったみたいですね。無垢なるアリスだが少なくとも君に対しては危害は加えないだろうから安心していいですよ。どうも君のことを召使のように思っているみたいですので」

 

「え、ええ・・・意味が分からない」

 

 

 

 

 起き抜けにこんなことを言われたらそうもなるかとクラウンはグレイズを観察する。

 

 グレイズ君はこちらの言っている言葉の意味がまるでわからない様子。異能を行使したクラウンにしても半分も理解できていないがそれっぽくふるまっておけば余裕があるように見えるお勧めの処世術だ。

 

(彼は本当に一般人のようだ)

 

 グレイズの記録を読み解く限り本当に偶然ここに訪れ巻き込まれただけらしいがなかなかに悲惨な人生を送っている。ダンジョンに渦巻く因縁とはまるで関わりのない奇縁の第三者。愚直なまでに誠実なのは好ましいが同じぐらい危うさも秘めている。

 

 彼は気づいていない。

 

 姉を見捨てた過去がトラウマとなり自身を攻め罰せられたがっておりあわよくば死にたがっている。どうしようもない脅威に襲われた姉と同じように力いっぱい抵抗し絶望的なままに敵に殺される事を望んでいる。

 

 無意識に自らを追い込んでいる。そういう行動を取る。貴族への反抗や取り返しのつかない一生ものの魔術容量消費の暴挙がいい例だ。そして遂に彼は絶大でどうしようもない”敵”と出会ってしまった。

 

 確かに彼女が相手ではどうしようもない・・・

 

 正直よく今日まで生きてこれたと思うが、それはひとえに彼の――――姉のお陰だ。

 

 彼の中には姉がいる。勿論本物ではない。トラウマが生み出したもう一つの人格。死にたがりの彼を死なせまいとする自己防衛機能。なるほどあの術式を喰らって即死を避けれたのは姉のちょっかいがあったからか。

 彼の心が折れそうな時に必ず現れては復帰させる役割を淡々とこなしていく。グレイズは・・・姉に依存し過ぎている。姉に会うために敢えて弱みを晒している節がある。その度に過ちを謝罪し罪を意識しようとする。

 

 彼は一度だって姉の手を借りずに立ったことはない。何度目の最後なのだろうな。これが全て無意識に行われているのだから手の施しようもない。姉の方が必ず夢の出来事を忘れさせる。姉は弟を責め立てるがそれは彼に死なせないようにするための方便。事あるごとに死のうとする手のかかる弟を奮起させるために罪の意識に訴えかける。大変な役回りをよくこなすものだ。

 

 ・・・彼の異能の特性が無ければ何度死んでいることか。その異能が獣人の真似事なのが最高に皮肉が効いている。彼はギリギリで命を保っている。異常な精神力が異能に直結し死ぬに死ねない。異能との相性が最高すぎて絶妙に死の渇望から逃れている。運がいいのか悪いのか。

 

「・・・・・・・・」

 

「・・・・あの」

 

 さて”大主教”としてどうすべきか。

 

 彼はこのまま成果も無く生きて帰ったところで伯爵の子息の鼻を圧し折ったせいで騎士学校退学させられてしまう。

 騎士団への体験入団は外部活動であり一定の成果を持ち帰り伯爵と交渉させるために教官たちがなんとか組み込んだカリキュラム。成果があれば学園としても助けようがある。中立を謳う学園だからこそ採れる方法だ。だが寄りにもよってここに来るとは。偶然が重なった結果にしても運が悪すぎる。

 

 退学で済めばまだいいほうだ。だが相手が伯爵となるときっとそれだけでは済まないだろう。学園から放逐されれば、きっと私兵に殺されてしまう。

 

 クラウンは揺れていた。自身の性質上、どうしても信徒を見捨てられなかった。久方ぶりの同じ信仰を持つ者同士との会話は気を和らげさせる。

 

 ・・だめだな、どうにも手を貸してあげたくなってしまう。

 

 クラウンの異能は相手の人生の一部を物語のようにとらえてしまう。読み応えがあると深い共感性が生じる。不幸な人間を見ると手を差し伸べてしまうのは大主教の証明。人を正しい方向に導く者にとって当たり前の(異教徒は除く)ことであった。

 

「グレイズ君。どうか私に手を貸してはくれませんか?私はどうしても聖王国に戻らねばなりません。使命も志半ばで潰えてしまいましたがいまだにその炎は絶えておりません。もはやゲームマスターなど、どうだっていい」

 

 記憶が戻り監視の目もない今、異能が完全に使えるようになってわかったことがある。ゲームマスターは人類の仇敵ともいえた存在だが古戦場跡のゲームマスターには人類にさしたる興味もない様子。

 

 薄気味の悪い実験を何度も繰り返しているが目的は別のところにあるようだ。流石に長生きしているだけの事はある。異能での読み込みが全然足りない。ただ、他のゲームマスターと敵対している分、放置が妥当なのやもしれない。

 

 最小限の犠牲で防波堤の役割を果たすのならばその存在も許容もできる。他のダンジョンに比べればまだ無害。内に興味が向いている間は放置でよい。

 

 ここが終末戦争に関連があり特大の爆弾を抱えているのは確定だが古戦場跡に隣接する聖王国の繁栄はいまだ健在。関わりさえしなければ無害に等しいだろう。そのことが異能でグレイズ君から知れてよかったと思う。

 

「それは・・・できません」

 

 予想通りの答えが返ってくる。そうまでベルタと戦い死にたいか。

 

「・・・それは仲間を連れ去られたことを気にしているのかい。いいですか、ここで逃げたところで誰も攻めはしない。ここで追わなければベルタ君は君のことを忘れるだろう。襲撃者に恐怖する夜など存在しないんです」

 

 

 相手はよりにもよって魔術大好き変人博士のベルタだ。異例の研究職から黒殖白亜部隊長への栄転。勝手にオリジナルの魔術を作り上げるため、外界の魔術師連中からすれば頭の痛い存在でもある。彼女の名前だけは<樹界目録>(テーブルレコード)経由でさぞ有名なことだろう。名前を頼りにいくら外界を捜索しても見つかる筈がない。

 

 彼女とはよく魔術に関する意見交換する仲であったので人となりを知っているが人格はともかく、あまり褒められない性癖をしている。

 高位の魔術師は”深淵”に惹かれ頭のタガが外れた者ばかり。私もこの万能感に溺れそうになったこともあるので理解はしているつもりだが品性まで融かした覚えはない。結局は自制心次第だ。世界の理に触れれば人間性を容易く融かし性格に変調をもたらす。世界の真実の一端に触れた気になり増長する。故に魔術師はナチュラルに他人を見下す。それが貴族ならなおさらだ。特に”スキル”で魔術擬きを行使を代行する者に対しての嫌悪感は留まる所を知らない。

 

 だが、いくら何でも開発した魔術を自分に発動して苦しみ嘔吐しながら自慰にふけるような奴は擁護できない。後始末に追われる部下がかわいそうだ。おかげで彼女が率いる部隊は変態部隊と揶揄されるのは完全に風評被害だ。大主教としてそんな変態に敬虔な信徒を関わらせたくないのもまた本心。

 

 ・・・・それさえなければ本当に欠点がないのにな~。

 

 ・・・だがしかし、そんな彼女にああまで乙女な面があるとも思いもしなかった。悪い子じゃないのは重々承知。やはり一度執着を持った守護者は暴走しやすい。リズは運が悪い事にあのベルタに一つの個体として認識されるまでの強さと意外性を持っていたようだ。このまま行けば下手をすればベルタもマスターに処分される可能性もある。

 

 このホームで育った守護者たちは皆同朋意識が強い。その反面それ以外の存在に対して兎に角厳しい。なぜならば他者に対し興味や関心が薄く一つの個体として認識できないからだ。外界人は皆、同じように見えるんだとか。

 取っ掛かりとなる特徴や印象に残る切っ掛けが無ければいつまでたっても覚えない。だが、リズの様に一度でも懐に入ってしまえばああまでも執拗に相手の方から距離を詰めてくる。

 

「・・相手が悪いから諦めなさい、敵との実力差も図れぬようではこの先幾つ命があっても足りませんよ。あの冒険者はあなたよりもずっと強い。覚悟もしていたはず。彼を理由に目を曇らせるな」

 

「だとしても、ここで逃げたら僕は一生沈んでいくだけ!僕は死にません、故に退路は既に断たれているッ!そろそろ一度くらいは勝ちたいんですッ!!もう負けてられないんだあァッ!!」

 

 慟哭が無人の廃墟で木霊する。その言葉の意味はよく理解できるさ。

 

 悪いと思ったが彼のことは隅々まで読ませてもらった。どうしてそうも拘るのか、そのルーツも知っている。何も成しえることのない虚しい人生。才能に権力、格差に金銭と姿を変えて彼の前に壁として立ち塞がる。重要な局面で敗北してばかりでは他でどんなに勝利を収めようとトータル的に差し引きマイナスの大負け。

 

 彼は一度だって勝利の味を知らない。

 

 死を望みながらも勝利を欲する矛盾。根底のトラウマをどうにかしなくては、もはやどうにもならない病巣だ。

 

 やはりこういうのに弱いなと改めてクラウンは思う。

 

 そろそろ報われてもいい日が来てもよいのではないだろうか。努力が必ず報われるとは限らない。努力は平等。才能ある者にも常に努力をする余地があるのだ。差は広まるばかり。そうなると結局は運に行き着く。それは祈りと同義。勝ちの目を何度も振る以外方法がない。

 

 そんな彼の異能はまさに神が与えた待望の幸運だった。

 

 それでもベルタはその程度では掠りもできない頂にいる。黒殖白亜の面々は守護者の中でも精鋭中の精鋭が集められている。今のグレイズ君では隊員一人にも勝てない。ましてや隊長クラスなど。400年近く生きる彼女の豊富な経験がより才能を強固にする。

 

 魔術の才覚は下手をすれば【氷結界域】一歩手前。それに比べグレイズ君は魔術に対して何も知らなすぎる。才能のなさから諦観の念がこびり付きいつしか目を背けるようになってしまったか。

 

 獣人化したグレイズ君が100人いようと結果は必然的な敗北。

 

 それでも・・・彼は地獄の渦中で私に出会えてしまったのだ。

 

 この出会いこそなによりの福音。歴史に埋もれ沈むだけだった私にも神は役割を与えてくれた。だったら久しぶりに善行を積ませてもらおう。後進を教導するのはいつだって先行く者のの役目。救いをもたらすのが神である必要はない。神はいつだってほんの少し切っ掛けをくれるだけ。人は人として成長しなくてはいけないのだ。その成長の機会を拾い上げる。きっと神はそう願っていると私は信じている。

 

「―――ならば教えてあげましょう。魔術のなんたるかをその身に。私は辣腕を振るいましょう」

 

「ですが、その・・僕には理力が・・・どれほど魔力があっても魔術の構成が・・」

 

「いえいえ、ご心配なさらず。あなたに”ぴったり”のものがあります。ですがその前にもう少し今の聖王国の状況を知りたいのですが、ざっと900年程遡って教えてくれませんか?ああそうそう、やるからには泣き言は許しません。少々手荒に行きますが許してくださいね」

 



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第42話 ネ コ

 

 鬱蒼とした緑の絨毯を踏みしめ、先の見通せぬ霧の中を恋都は歩む。当てのない旅路に身をやつす。

 

 恋都は帽子屋と別れてから言われた通りにひたすら直進しているのだが未だに順路に変化は訪れない。

 

 あやふやな記憶だが不思議の国のアリスのストーリー通りならばお茶会の次は・・・裁判だったか?

 

 と、ストーリーの流れをおさらいしていた。

 

 城主である女王とひと悶着ありスポーツを興じていたのは覚えている。

 

 ・・・こう考えると俺も大して覚えていないな。帽子屋は記憶の補完の為とか言っていたがこんなんで補完できるのだろうか・・・?

 

 ああ、すぐにでもアリスを見つけださねばならない。アリスさえ何とかすればこの悪夢も終わりを迎える。物語の進行が滞っているなら俺に期待されているのはどこかで躓いているアリスの手助けをすること。だからこそ物語を知っている俺が選ばれたのか。

 夢の住人には何か手出しできない理由があると見るべきだろう。自分で動けるのならこんな回りくどいことをしない。俺なんかをわざわざ誘致したりしない。こんなあやふやな記憶しかない俺が選ばれるあたり、向こうも相当余裕がないことが伺える。

 

「ニャーン」

 

 ふと立ち止まる。

 

 耳に障る甘い猫なで声。そろそろ次の展望が欲しかった俺からすれば願ってもない誘い。

 

 自然と声の方へと足を向かう。

 

 

 

 

 

 

「ニャーン。こんなところで何をしているのかニャン」

 

「やはりチシャ猫か」

 

 しばらく歩くと怪しげな光を反射する霧の帳は晴れ視界が開ける。相も変わらず緑の世界。草木が生い茂り葉っぱの上に件の人物が寝転がり俺を見下ろす。相も変わらず破廉恥な格好をしているが不思議とこの場にマッチしていた。それにしても大きな草木だ。まるで俺が小さくなってしまったのかと錯覚するスケールの違い。この世界はどうにも人を面白おかしく惑わせる。

 

「ニャニャニャ?その名で呼ぶとなると思い出したのかニャ。おめでたニャン。うれしいニャン。ちなみに目的地はこの先ニャン、がんばるニャン」

 

 ニヤニヤとした笑みを浮かべ来た道とは別方向に指を差す。そこにはちょうど道が開けており植物が吹き抜かれていた。道の先から光が木漏れ俺を誘っている。

 

 最初から感じていたがここでようやく違和感の正体が判明する。物語のチシャ猫ってこんなにまともな言動をする奴ではなかった。そもそもなぜ女なんだ?

 

「どうしたのかニャン。二の足踏んでないで早く行くニャーン」

 

「・・少しチシャ猫と話がしたい。今暇か?」

 

「ニャーン♪もしかしてミャアにデートの申し込みかニャン?初めてだから嬉しいニャンッ!でもダメニャン!浮気は許されないニャン!貞淑なのニャ」

 

「そう言わずにさ、すぐ終わるから」

 

 ゆっさゆっさとチシャ猫の乗る葉っぱの茎を揺らす。すると甲高い悲鳴を上げながら地面に転げ落ちた。猫って高いところから落ちても平気だし問題ないと判断する。

 

「ニ”ャッ!?ニャ、ニャにするんだニャン!動物虐待は直ちにやめるのニ”ャ!?過激な愛はいらないニャ!!」

 

 逃げ出そうとするチシャ猫の尻尾を掴み動きを止める。

 

「落ち着けよ。ただ話をするだけだ。アリスはどこだ?何を望んでいる?」

 

「・・・にゃぁ」

 

 抵抗しても無駄と悟ったのか大人しくなる。

 

「アリスはただ救いが欲しいだけニャ。ずっと苦しんでいるニャ。おみゃーに頼るのはミャーたちの様な夢世界の住人では現世に介入は難しいからだニャ・・」

 

「それって、変だな。納得しかねる。現世にちゃんと介入できてたじゃないか」

 

 でなければ俺はこの世界にいない。直接連れてきた本人がそう言っても説得力に欠ける。

 

「異世界住まいのユーに講義をするつもりはニャいんだけどもニャ、ミャーのような生物をここでは幻想体って言うニャン。詳しくは省くけんども幻想体には肉体が存在しないから短い時間ならともかく現世で存在を維持するのはキツイのニャン。キツキツニャン。ミャーも力の使い過ぎの消耗しすぎで死にかけたニャン!特攻使いは嫌いだニ”ャン”!」

 

「じゃあ現界してすぐに現実のアリスを助ければよかっただろうに。なぜそうしない?」

 

 

「無理ニャン。アリスに生み出されたミャーたちにアリスを”殺す”ことはできないニャ。革命は許されないニャ」

 

 

「・・・は?救うんじゃなくて殺す?」

 

 どうにも話が食い違う。ここに来て俺の解釈違いだと。まさかとは思うが物語の終幕、それすなわち。

 

 

 

「――――俺にアリスを殺させるのが目的か」

 

「何を驚いてるニャン。ユーからすれば手慣れたものだニャン?適役だニャン!」

 

 

 

 ・・・・俺は勘違いをしていた。てっきりアリスを救うものとばかり。救うとはそういう意味だったのか・・・

 

 帽子屋ははっきりと口にしなかったが彼女が動けないのは物語上の役割に縛られているからと俺は考えている。役割を超えた行動はできないからこそ俺という死刑執行者を呼び込んだのだ。

 

 帽子屋は言葉の端から後悔と迷いが滲み出ていた。あいつがお茶会の空間に俺を閉じ込めていたのはアリスを殺すことに葛藤していたからか。半端に優しい奴だ。その半端さは誰に似たんだか。

 

 そうなるとオリジナルアリスも同様に他の住人から妨害を受けているのかもしれない。帽子屋の様に他にも死を望まない者たちがいるからこそ物語の進行が妨げられている可能性が高い。

 

 俺はそいつらもどうにかしなくてはいけないかもしれない。帽子屋に渡された聖剣はそういう役割を期待しての物なんだろう。

 

「・・・・・・やれるさ」

 

 覚悟と決意にいまいち欠けていると自覚はある。一方でいざアリスを目にすれば殺せてしまうのだろうという確信もあった。

 

 今だ不明な点が多い中、アリス本人を前にして俺はどのような選択をするのであろうか・・・

 

「当時、勇者として召喚されたアリスはどういうことか受肉していたニャン。幻想体は理の源泉の違う生物。普通なら持ちえない肉体を手にした完璧な幻想体の生に終わりは存在しないニャー。幻想はかの地でも人知れず語られる。おかげでこの有様ニャン。遠い地で誰にも知られず苦渋に苛まされる可哀そうなアリス。今のアリスは見るに堪えない姿をしているニャン。解放してあげてほしいニャン・・・」

 

「・・・そうか」

 

 つまり今回の異変は壮大な自殺なのか。アリスに生み出された者たちがアリスの死を望む世界、か。

 

 なにが・・救世主だ。というかあの物語のアリス本人だよな、この言いようの捉え方から。

 

 どういうことだよ。そんなものまで召喚可能なのかよ。創作物の分際で現実世界で無茶苦茶するのも大概にしろ。フィクションの世界に帰れ。

 

「・・・おしゃべりはもう終わりニャン。さっさと探して幕を引きに行くニャン」

 

「それを聞かされて断ると思わないのか・・?」

 

「ニャニャニャ!・・・恋都はやるニャン。ユーはそういう人間だって知ってるニャン!」

 

 チシャ猫は棒立ちの俺の背を押しズルズルと出口へと向かう。

 

 これで会話の違和感が紐解かれていく。それで完全に晴らされることはないが。

 

 ・・・やはりこいつは何か隠している。帽子屋と話していた時もだが、どうにも警戒心が緩まる。会話することにまるで抵抗感が沸かない。俺はこういったタイプのキテレツさは嫌いなはずなのにだ。もっと露骨に毒を吐いたり嫌みの一つでも溢すところなのに、それがない。

 

 それでいて傍にいて妙に安心する。この感じ、イグナイツに似ていた。俺のことを知っていることから記憶を見られたのは間違いない。だから俺を選んだ。でも俺はこの世界に来た時点で不思議の国のアリスの存在にまるで覚えがなかった。

 

 どうやって俺が知っていると知ったんだ?深層心理を覗けたとしてもだ、そもそもいつから俺は目をつけられていたんだ?なぜ俺が都合よく異世界に来ると知った?

 

 そのことを問いかけようとした時、草木を掻き分け何者かが躍り出た。世界がその問いを拒んでいるようであった。

 

「ようやく見つけましたぞ!姫様ッ!」

 

「!?ま、また出たニ”ャン”ッッ!!?」

 

 尻尾を逆立て俺の背に隠れるチシャ猫。なんだなんだと闖入者を確認する。突然現れた騎士風の男は息を荒げ目を血走らせ興奮気味に近寄ってくる。

 

 ――――見覚えのある顔であった。天鳴から吸い出した情報の中の顔写真と一致する。ヨルムたちと同じ祈り手のメンバーだったか。

 

「なぜ逃げるのです。私です、レグナントです!!お忘れになられてしまったのですか!?」

 

「だから人違いだニャン!!ミャーはプリティーでエレガンスな血統書付きの猫だニャン!!変態はごめんだニ”ャン”ン”ン”ン”ッ!」

 

「姫ええええええええッ!」

 

「まだ話は―――」

 

 チシャ猫に関係性を聞こうとするが泣き叫び無様な姿を晒しながら駆け出した。咄嗟に後を追おうとするが―――横合いから飛んできた痛烈な一撃に弾き飛ばされた。

 

 僅かに感じた大気の振動が考えるよりも先に体を動かした。

 

 ガギィッッッッ!!

 

「―――――ッ」

 

 一撃を受け止めた聖剣を片手に体が浮遊感を得る。

 

 恋都は吹き飛ばされ木々に激突しもんどりうつ。重すぎる剛剣。踏ん張りがまるで効かなかった。

 

 不意の一撃に反応できただけでも上出来と言えよう。何するんだと睨みつける俺を感心するような眼差しで騎士は見据える。

 

「貴公・・剣士でもない定命の身で我が一撃を止めるか。―――通常であれば手合わせ願う所存だが、しかし今は御覧の通り火急の用がある身。これにて失礼する。生きていればまた相まみえよう・・・・・・姫えええええええええええお待ちくださいいいいいッ!!」

 

 騎士は勝手にそう言い残し勝手に去るのだった。

 

「痛っつ・・・今のはなんだったんだ」

 

 聖剣の柄から手を放し、腐った掌が再生される。帽子屋から餞別に貰った糞みたいに死ぬほど扱いずらい剣・・・・例の天鳴に内蔵されていた聖剣だが早速役に立った。

 素晴らしい剣捌き。普通の剣では確実に折られそのまま斬られていただろうが聖剣は聖剣で使いずらいにもほどがある。相変わらず接触部を腐敗させるのでそれを上まる再生力を保たねば握ることも叶わない。せめて鞘はつけてくれよと思う。

 

 彼らが向かった先は偶然にもチシャ猫が指示した方向。あの先に城があるはずだ。向かうついでに気にしておこう。

 

 



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第43話 修練タイム

 

 

 緑に侵攻を許した城下町。

 

 人気の無さも久しく、そこには有る筈の無い来訪者が辛辣に技を振るう。

 

 グレイズはそこで血反吐をぶちまける。

 

「遅い、もっと魔力を収束させましょうか。発射タイミングもバラバラです―――そこッ!動きを止めるな!」

 

「ぐがあ!お”」

 

「倒れたら魔力放出を行いながら転がれ!硬直はしない!追い打ちを喰らうぞ!!!あと―――ちゃんと障壁維持しろッ!そんな薄い膜で純潔が守れるのか!売女か貴様は!!」

 

「グっギギ!」

 

「ほらどうした!死なないんだからがんばれ!立て!頭吹き飛ばすぞ!」

 

 収束した魔力の塊が飛び地面をえぐり地形を更地へと変える。時間差を伴い飛来する魔力でできた矢の雨を突き抜ける罵声。本当に大主教なのかと疑う豹変ぶり。どこぞの戦場かと髣髴する惨状に頭がくらくらする。

 

 大主教から実戦の流れを汲んだ知啓を教わるこの一時は率直に地獄の時間だった。

 

 グレイズは一切の容赦もない攻撃に吹き飛ばされる。手心のなさから逆に本気の姿勢を見た。意識が吹き飛ぶたびに無理やり覚醒させられ訓練を再開する。

 

 なぜこうなったかというと時間は少し遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

魔力運用技術(マグステラ)?」

 

「グレイズ君、魔術の講義はちゃんと取りなさい。魔法国家で魔術は避けて通れるものではありません。自身が使えなくても知っていれば対処のしようがあるというものですよ」

 

「(それってそんな名前があったんだ・・・)」

 

 魔力運用技術(マグステラ)とは魔術基盤を通さずに魔力だけで力を外部に出力する技術体系のことを指す。大まかまかにわかれて”魔力障壁”に”魔力放出”の二種がある。どうもこのダンジョンでは基本中の基本であり守護者であれば誰もが習得しているとのこと。

 

 どうも源流は聖王国でありそれをダンジョン内で独自に進化させているらしい。もちろん存在は知っている。ただ名前と内容が一致しなかっただけだから・・・

 

 特に魔力放出を教えたがっているようだがそれは魔力量の問題で一定基準を超えるものにしか使用を許されない技術。魔力の枯渇は寿命を縮める。

 

「ああっそうか今の僕なら・・・」

 

「せっかく得た潤沢な魔力を遊ばせるのは惜しいですから、あなたにはピッタリだと思いませんか?グレイズ君の懸念は問題ありません」

 

 ・・異能が便利すぎて話がすいすい行くな。わからないことを一々補足してくれる。どこがわからないのか的確に教え曖昧なままにしないでくれる。そういうところもあってか自然とクラウン大主教のことを”先生”と呼ぶようになっていた。

 

「時間がないですから」

 

「ア、ハイ」

 

 出来が悪くてすみません。

 

 大主教にしては近寄り難さは無くなんとなく親しみを込めて先生と呼んでしまう。そう呼んだ時、なんとも複雑な表情をしたがそれで構わないとのことだった。

 

「この技術に理力は必要ありません。必要なのはセンスと集中力。とても実践的で美しい技術体系ですよ。勉強もしない馬鹿にはお似合いの技術ですね」

 

「せ、先生?」

 

「おっと失礼。とにかくこれを使いこなせなければ話になりません。黒殖白亜は全員これを完全マスターしてます。記憶が無かった頃の話といえ私もここの魔術技術の発展に貢献しましたので当然ですね。おかげで聖王国のものに比べてとんでもない技術にまで昇華されてしまいましたが。楽しかったですよ、ええ」

 

「先生ッ!?」

 

 なにやってるんだこの人は!?技術を流したのはこの人かよ!!ていうかあいつらも使えるのかよ。

 

 ・・・・許せねえダンジョンマスター!

 

「知っての通り魔力障壁は魔力によって構築した障壁。物理・魔術からの干渉を遮断します。魔力放出は体から魔力を流し操作する技術。移動の補助や自己強化、攻撃が基本です」

 

 聞いている限り簡単に扱えそうに思える。大量に魔力がある僕ならこの技術に触れる資格があるのだ。わくわくしているのを自覚する。

 

 学校で推奨されないのはそれなりに理由があるもの。少なくとも魔力放出の危険性は桁違いだ。

 

「魔力放出の危険性は理解してるようでなにより。知っての通り魔力放出は魔力量の少ない人間、それも初心者が使うと確実に死にます。自身の魔力量に対する認識の違いですかね。普段感覚的に認識している自己保有魔力量よりもかなり少ないんですよ。私の時代でも魔力を放出する際にその認識の齟齬から全魔力流出でお亡くなりになる方が後を絶ちませんでした。取り合えず今の聖王国は先人の知識を無駄にしてないようで安心しました」

 

 それに魔力の枯渇は免疫力低下にも繋がる。魔力放出の無許可使用は騎士学校でばれれば即退学である。

 

「あなたにはこの魔力放出を習得してもらいます」

 

「はい!お願いします!」

 

「グレイズ君の”ログ”を見ましたが敵の速度についていけない時点でまず勝負になりません。何事も速度が大事です。早い分だけ何手も詰めます。戦いはその貯蓄をどう切り崩すかのゲームです。本気になったベルタ君が魔力放出を使う前に倒す他ありません」

 

「そうで―――え?ちょっと待ってください、魔力放出がどうと、か・・」

 

 信じられなかった。あれで一度も魔力放出を使っていない・・・?

 

 僕にとってはあれは死力を尽くした戦いであったが相手からすればなんてことのないただの戯れにしか過ぎなかったのか。そんな相手にどう勝てばいい。あの時点で動きがとらえきれなかったのにいくら魔力放出を習得しても速度で上を取ることはできない。

 

 思わず息を飲む。改めて敵の脅威度を再確認する。

 

「言葉の通りですよ。ベルタ君はまだ一度も君に対して魔力放出による移動は使ってません。ランキング上位の彼女らはあれが普通なんですよ」

 

「――――――要は相手が油断している内に魔力放出による一瞬の奇襲、ですね」

 

「そうです。”ログ”を見る限りベルタ君はグレイズ君を敵として認識してません。リズ君の金魚の糞程度の認識ですかね」

 

 やはりそうか。だから無様に逃げる僕を追いもしなかった。

 

「問題点はまだあります。魔力障壁の話に戻りますが黒殖白亜の面々は常に全身に障壁の応用である”多重装”を展開してます。隊員服に同化するように展開してますのでわからなかったと思いますが」

 

「そんなことが可能なんですか?」

 

「通常の素材では無理ですね。魔力伝導率の高い特別な媒体を基に作成された装備に自身の魔力を通し馴染ませ肉体の延長として扱えます。柔軟性も兼ねそろえ並の硬さじゃありません」

 

 だからあんなに硬かったのか。魔力障壁を装備と同化させていたからこそ視認できないはずだ。

 

 グレイズにとって魔力障壁は唯一まともに使える技術。展開技術だけなら誰にも負けない自信があった。だが悲しいことにグレイズの魔力量では障壁維持に回すほどのリソースが無く日の目を見ることがなく完全に死に技と化していた。一度は誰にも負けぬと意気込んだものだが魔力量の少なさが障壁の維持を不安定にさせるため、瞬間的な形成と展開しか出来ず持続性のある攻撃の前では何の意味もなかった。おまけに学園内では噂はすぐに出回る。学園内ランク戦で簡単に対策され何度地べたを舐めさせられたことか。

 

(結構いいセンスしてるんですけどね。ただ魔力量の格差はいつだって現実の厳しさを知らしめる。どんなに優れたセンスがあれども根底となる魔力が無ければ生かせない)

 

 黒殖白亜の隊員は常に魔力障壁を全身にまとい常在戦場の構えを取る。それが可能なのは魔力を一滴も無駄にしない技巧の高さの証明に他ならない。今の彼には痛いほどわかるだろう。

 

 そもそもダンジョン内で産まれた守護者たちは膨大な魔力量と身体能力を保有し種として余りに優秀すぎるのだ。

 

 ・・・産み出されたからには源泉となる存在がいる。守護者が女性のみの理由もそこにあるはずなのだ。ダンジョン内のどこかに非常に優秀な母体がいるがついぞその手掛かりは見つからなかった。

 

「障壁はここぞという時に使い、基本は避けましょう」

 

 守護者は基本防御よりも回避を選ぶ。それもこれも仮想敵がA種だからこそ染みついた行動パターン。触れた時点でアウトと、防御が意味をなさない異能を持つA種。一撃入った時点で死が確定する異能が多すこと多いこと。守りよりも攻撃に比重を置き敵に何もさせず勝つのが定石。

 

 かと言ってA種は不意打ちが効かないので出会い頭の電撃戦を意図的に組まざる負えない。勝負はいつだって一瞬で決まる。どうやっても正面からの真っ向勝負となり時間をかければ圧し負け敗走確定なのだ。

 まあそれを一人で難なくこせそうなのが黒殖白亜と祈り手に一人ずついるのだが、あれは参考にしてはいけない。

 

 危険と判断すればすぐに撤退するし避ける戦闘教練は異能以外にも実際有効的だ。

 

 ”ログ”で見たリズという男は惜しかった。奴の攻撃の正体は分からない。それでも恐ろしく強力な攻撃手段だった。この読み取れなさは恐らく剣聖と同種のものか・・・あまりにも理想的な初撃だった。

 

 ただベルタは恐ろしいほどに状況からの推察が的確であり彼女の前で一度も使いさえしなければ彼は勝てただろうに。敗因は秘匿すべき奥義を匂わせてしまったことだ。

 

 熟練の戦士は初撃で殺す。これはどこの国であろうと共通している。二の矢はもちろんあるだろうが最初の一撃にはその者の歴史が詰まっている。

 

 錯覚を利用した一撃、ただただ早い一撃、わかっていても回避不能の一撃、何が起きたかも理解できずに何もできずに死ぬこと請け合いの初見殺しのオンパレード。元から有利な対面であれば罠や奇襲の上でそれらの攻撃を使い分けることだろう。

 

 原則として集大成である自身の切り札の目撃者は殺すように徹底しなくてはいけない。情報の力は侮れない。情報が出回ることでその人物の属性や背景が洗い出され信仰する神から祝福や出身地が調べられる。微かな情報の残滓を辿り答えに行きつくこともある。初見殺しの正体が分かっていれば避けるのは容易。相性のいい者が襲い掛かることになる。こうやって足りない情報を補うことで欠けたピースを埋めていく。

 

 だからこそグレイズにとってこれはチャンスなのだ。才能も異能もベルタの前で何もかも晒したからこそ可能なグレイズだけの初見殺し。

 

 思い込みは容易く目を曇らせ油断を誘う。

 

 改めて油断で敵を殺すのだ。

 

「それと、これも習得してもらいます」

 

 まっすぐグレイズへと歩むクラウン大主教。そのままぶつかることなくグレイズの頭上へと階段を上るかのように昇っていく。

 

「!?」

 

「敵の攻撃を防ぐのですから。その強度を利用し障壁を足場にしても問題ありません」

 

 あくまで空中における移動の補佐。魔力放出でもいいのだが地上と違い空中では重心制御に重力計算も頭に入れる必要がある。そこまで期待するのは酷だろう。何度も使っていけば肌で感じ体が勝手に覚えるのだがそんな悠長な時間はない。

 

「覚えることが・・・多すぎるッ死ぬッ」

 

「ただでさえ勉強不足なんですからそのつけだと思ってください。それにこれから私に半殺しにされるんですから覚悟しろ」

 

「か、神様ッ!」

 

 

 

 

 

 

 ―――そして今に至る。

 

 冷静な面持ちでクラウン大主教は経過を見守る。

 

 なんだかんだいってグレイズ君は私に対して一度も対ベルタ戦における直接的な助力を求めてこない。私自身も手伝うつもりもない。

 

 私が戦いに参加となればベルタは全力で撤退するだろう。彼女が私より弱いからではない。強さで言えば私が少し下といったところか。まあ、こちらは一方的に手の内を知っているから十分に勝負にはなる。なにより私の異能の真価を彼女は知らない。

 

 彼女はそれを嫌がり確実性を優先し手段を選ばず戦力を補填してくる。部下の一人でも増えてしまえば完全に不利対面となってしまう。逆に私は邪魔になりかねないのだ。

 

 私は多くの守護者と関わりがあり過ぎて警戒されてしまう。なんせホームで守護者に魔術に関しての教鞭を振るっていたのだから当然と言える。

 

 ・・・・敵であるのに”先生”と慕う教え子を殺すのはそれなりにくるものがある。

 

『先、生・・・な・・んで・・・?』

 

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

 出会ってしまえば、やるしかない。覚悟をしてしまったのだ私は。長年待ちわびた致命的な機会廻って来てしまった。

 

 A種蔓延るホーム内での掃討作戦中、暗黒の中私の顔を見て安心した黒殖白亜の面子に不意打ちを仕掛ける。出来る限り苦しまず即死するようにしか手心は加えれない。

 

 守護者に恨みはなくとも私にはゲームマスターの存在が許せなかった。誰しも許せない領分がある。それを穢されたのでは・・・仕方のない事なのだ。

 

 せめて・・・祈りだけは捧げなくてはいけない。

 

「先生・・・?」

 

「・・・・・・・・」

 

 先生、か。彼も何故か私をそう呼称する。

 

 私には相応しくない呼称だと言うのに・・・・それでも彼には導きが必要だ。

 

 グレイズはまさに試練の真っ最中なのだ。神は信徒に試練を下す。伝承の人物を彷彿する。彼はまさに人生の輝点を根差す架橋にいる。この出会いも過去の悲劇も怒りも悲しみも全てが来るべき絶頂のための副葬となるのだ。

 

 あとは彼に敵の装甲を抜けるだけの有効打を与えるだけだ。彼は無意識に実践しているが全て不発に終わっている。それは相手が警戒しているからこそ当たるはずもない。それだけ危険視していることは有効の証明に他ならない。

 

 だからもう一つ仕込む。この魔力量であれば可能であろう。やはり前途ある若者を導くことは私自身の励みにもなる。私が聖王国にて帰郷を果たした時彼もまた望外の栄光を掴むであろう。進むべき道を外れた聖王国を変える栄えある先兵としてその人生を捧げる喜びは君にこそふさわしい。

 

 彼はもっと生きる喜びを知るべきなのだ。

 

 

 

 

 滴り落ちる深紅の血。命の循環をつかさどる血液はその役目を全うすることなくあたり一面に散華した。

 

 大地は黒々しく輝いていた。これが全部自分の血なのだから驚きだ。一体何回分の死が廻った?

 

 訓練も大体終わりグレイズは水を貪るように呷る。体が失った血液の代わりに水分を求めてやまない。

 

「魔力障壁は大体形になりましたね。なかなか筋がいいですよ」

 

「ですが肝心の魔力放出は・・」

 

 手放しに誉める先生にうれしさを感じつつも自身の呑み込みの良さに驚く。こちらのわからぬ事を的確に教えてくれるのは異能のおかげかもしれないが純粋に教え方が上手いのだ。

 

 これほどの人物、それも高位魔術師から指南を受けることなどグレイズのような平民の出では本来あり得ない。高位魔術師は魔術における最高学府であるフルデリア魔術学園でも数人いるかどうかのレベル。

 

 そもそも身分が違いすぎて伝手でもない限り話をすることもままならない存在。貴族の子息は幼少の頃から魔術師から直接個人授業を受けるとのことだがなるほどどおりで優秀な人間が多く排出されるわけだ。もとからの土壌が違う。

 

 なにより嬉しいのは――――魔術を一つ教えてくれたのだ。

 

 魔力増加に伴う魔術容量の拡張。まれに後天的な要因でみられる症状だとか。

 

 ”急激な”容量拡張の影響で既存の魔術基盤は変形・癒着し自発的な発動が不可能になり、言わば暴走状態になるらしい。勝手に魔術が発動したり、基盤同士が融合しまったく別の効力を持った魔術が生まれる等と様々な症状が見られる。非常に珍しい事例らしく第二級遺失物などの適合影響で起こりうるとか。

 

 ・・・僕の場合は基盤同士が融合し無駄に拡大したため折角の猶予スペースもおじゃんになってしまった。

 

 ・・・まあ筋力増強の【強靭】、速度向上の【ランピット】、気配察知の【境】はどれも費やした魔力次第で効果に変化が馬鹿みたいに出るロマンあふれる魔術だし全然気にしてない、本当だよ。

 

 それでもまだ有余があるからと習得したのが【狂渦】・・・魔術を習得する際、師事する術者の教え方次第で獲得する魔術基盤の大きさは変わってくるという。大きいということはつまり魔術理論への理解が不足していることに他ならない。どんなに理解が深まろうとその魔術を100%の形で習得はできない。完全なる形で魔術を発動可能なのはその魔術の開発者のみ。もしくはその者から直接師事し完璧に受け継いだ継承者だけ。

 

 だがどういうことだ。多分だが僕はこの魔術を完璧に習得している。これが魔術を理解することなのだと魂が痛感した。師事者の教練の影響部分が大きすぎる。魔術基盤とはここまで圧縮できるものなのか・・・美しい形をしている。何者だこの人は・・・

 

「ここまで理力の無い人は初めて見ました・・・本当に聖王国の人間なのですか」

 

「へへ・・・」

 

「なにを嬉しそうにしてるんですか。今のは反則技みたいなものですから参考にしないでください。私がディアス家の継承者であり異能による補佐があったからこそできる伝授方法です。理屈上では理力がなくても教師次第で洗練された魔術理論を授けれるのですよ」

 

 個人の理力とはいったい何だったのか。優秀な教師がいればどうとでもなるじゃないか。

 

「・・・勘違いしないでください、あなたには才能がない。それを間違っても教師のせいにしてはいけませんよ。魔術理論を自身なりに解釈した上で間違った部分を修正していくのが教師の役割です。それを何度も繰り返していくことで最適化された魔術基盤が完成するのですよ。最適化の過程で本人に適した・・魔力が少ないなら効力や発動時間が低下する代わりに消費魔力を減少させる。処理能力を補うために魔術基盤を拡張して容量を圧迫し他の魔術の習得を犠牲に従来の効力を得るといった努力や取捨選択の苦しみを負うものです。もう一度言いますがあなたは魔術のなんたるかを理解する力がなさすぎる。”スキル”経由での糞魔術行使となんら変わりがありません。本来自分で満たすべき中身を他人に満たされてもらっただけにすぎないのですから。苦痛の伴わぬ儀式に運命は追随しないのですよ。まったく・・調子に乗るな」

 

 そう考えると今まで熱心に付き合い指導してくれた教官や魔術講師の苦労が染み入り申し訳ない。生きて帰ったらちゃんとお礼を言わないと。

 

 グレイズはこのままではきまりが悪いと話を変えることにした。

 

「と、ところで勧めるがままに魔術を習得しましたがこれってどんな効力を有しているんですか?もしかしてこれは・・」

 

「失伝せし始原魔術(プライマギア)かですか?・・いいえそれとは関係ありません。あれらは多くの派生を持つ魔術のことを指すのであって、【狂渦】は派生なし単発魔術です。世に出ることはないって所は共通してますがね」

 

「―――も、しかして一族間でのみ受け継がれる継承魔術ですか!?え、これ僕が習得してもよかったんですか!?・・あとで殺されませんよね?」

 

 歴史の古い貴族はその家でのみで継承される門外不出の魔術が存在する。一般で出回るものとはまた違う異色の魔術群。家が保有する固有の魔術の多さはそれだけ貴族としての格につながるほどに影響力がある。

 学ぶ機会などまずない魔術を習得させた意図がわからず困惑する。気安く教えていいはずがないのになぜ僕に・・・

 

「・・・・私は既に過去の人間です。おそらくですがディアス家はもう残っていないでしょう。このまま完全に失伝するぐらいなら必要とする者に授けたほうがましです。それに――」

 

「先生・・・」

 

 行動から察していた。言外に先生もここから生還できるかわからないと言っているようなもの。僕に伝授したのはあくまでも保険なのだろう。魔術師、いや家督を継ぐ者からすれば継いで来た歴史を失うことは何よりも許せないのかもしれない。改めてことの重さを受け止める。

 

 

「――――こんなに最高な魔術は他にありません!あなたも是非【狂渦】ユーザーになるべきです!」

 

「せ、先生?」

 

「ああ、それと効力ですが【狂渦】は魔術を暴走させます!」

 

 え、何それ。そんなものを覚えさせられたの!?残り少ない容量を使って!?

 

「おっと早とちりするにはまだ早いですよ。この魔術はですね―――」

 

 話はこれからだというのに急に口を紡ぐ先生。浮かされた熱気はどこに行ったのか、急に冷静になられると驚くのでやめてほしい。

 

「どうかしたんですか?」

 

「誰かこちらに来ます。【探知】に引っかかった人数は一人」

 

 慌てて魔術【境】を発動するも・・・反応はない。先生は今までずっと魔術を発動していたのか。あれ?【探知】は始原魔術(プライマギア)の一つではなかっただろうか。明らかに効果範囲と継続時間が違う。それも教えて貰えないだろうか。

 

 グレイズはここであることに気づく

 

「ってあれ?アリスがいない!?」

 

 よく見ると大通りをフラフラと歩くアリスの後ろ姿が。慌てて引き留めようとするも先生に止められる。

 

「まずいですね。ちょうどこの先から誰かが来ます。このままだと鉢合わせになってしまいます。敵でないことを祈りつつ隠れて様子を見ましょう」

 

「ちょっと待ってください!アリスをおとりにするつもりですか!?」

 

「落ち着いてください。あれにA種と同じ力があれば大抵のことでは死にません。隠れつつ相手の正体を探ります・・・・いや、そうですね。せっかくですのであなたの成果を見せていただきましょうか」

 

 困惑しつつもグレイズは頷いた。

 

 グレイズの知るところではないがクラウン大主教からすればアリス、もといジョーカーの生き死にはどうでもいいことであった。住むべき世界が違う異相の生物。あのような生物がこの世界をうろついていること自体間違いだ。

 

 それにこの世界から早く脱出したかった。霧の中上空から照らし出される謎の光がどうにも落ち着かせない。どうにも調子を狂わせる。

 

彼は・・そのことに何も感じないのだろうか。

 

 



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第44話 疑惑の勇者

 

 もとは整然とされてあったであろう荒れきった庭園。石造も割れ、噴水は水が湧いておらず土に埋もれていた。

 

 恋都は珍しい光景に目を見張る。

 

 所々に枯れたバラの蔦が絡みつき遠くに見える城の凋落を表しているようであった。

 

(こんなに早く見つかるとか)

 

 錆びた鉄製の門を強引い開き恋都は歩む。先ほどの騎士の一件から不意の事態に備え片手には聖剣が握られていた。ジュウジュウと音を立てるも気にした様子もなく目的人物の元へと足を速める。

 

 遠目に捉えたあの姿。どこからどう見てもアリスであった。

 

 思ったよりも早い遭遇にやや拍子抜けするも安堵する。チシャ猫を追ってきたはいいものの再び霧にまぎれ姿を見失い途方に暮れていた。

 

 彷徨う事数分、急に霧が晴れ城が視認できたので進んでみればアリスがいるではないか。

 

 まるで迷子の子供のようにふらつくアリス。金髪にエプロンドレスの少女。これでアリスじゃなければなんだというのだ。あと少しでその手を掴もうとした時、急に正面奥から音が響きそちらに目を凝らす。

 

「・・・・?」

 

 瓦礫が落ちたのだろうかと考える俺は―――気を取られてしまった。

 

 不死故に致命的な隙を晒す。風の動きと気配が迫り後手に回ったと悟る。

 

 唐突なアンブッシュ。恋都はなすすべなく頭上から剣を突き立てられた。

 

 

 

――――――――――Side/グレイズ

 

 

「(誰か来る)」

 

 茂みの中でひっそりと息を殺し待ち構えるグレイズとクラウン大主教。

 

 想定通りその者は真っすぐアリスの元へとやって来る。銀髪でなんとも顔の整った男。背の高く紳士服めいた服装をしている。何より目を引くのは手にした抜き身の剣。扱いが乱雑で剣先を地面に擦らせている。

 

 ・・・・手元から煙が上がっていることから恐らく普通の剣じゃない。主張が強すぎて明らかに浮いていた。胡乱気な顔でアリスを見つめている。

 

 ダンジョン内で出会った人物たちとはまた毛色の違う。敵か味方か。だが既に剣を抜いておりアリスに危害を加えんとしているようにも見える。判断に困り先生に声をかけるも反応がない。慌てて振り返る。

 

「先生?」

 

「・・・・・・彼がアリスに近づいたら迷わず攻撃してください、少し”確かめたい”」

 

「・・・わかりました」

 

 グレイズは先生の何とも言えない様子を気にしつつも瞬時に切り替える。疑問を抱いても行動を遂行できる程度には先生の存在は大きくなっていた。大主教という尊敬できる立場の人間を疑えるはずがなかった。

 

 

 

 

 

 一方のクラウンだが内心震えていた。

 

 彼は記憶がない間ダンジョン内で黒殖白亜に魔術の智賢を授けるなどの協力をしており祈り手の中でもかなり行動に自由を与えられていた。当然祈り手の構成員は把握している。なのであの男がここの人間でないことはわかっていた。

 

 それもそのはず、彼はこの世界の人間ではないのだ。異能によりもたらされた情報。距離の問題でまだ表面上の情報しか読み取れなかったがそれでも十分驚嘆に値した。

 

 勇者だと・・・?

 

 たまらず自身の頭を疑う。何かの間違いではないのか。

 

 なぜならありえないからだ。勇者召喚の儀は”最後に”召喚した勇者の一件で敵味方共に甚大な被害を与えたため禁忌指定となった。

 

 グレイズの記憶からもこれまでに勇者が召喚されたという記録はない。それもそうだ、大戦後に召喚の儀に関わった人間は次々と不審死を遂げ召喚に関する書籍は全て抹消された。

 

 当時の教皇様に命令を受けそれを実行したのが私だ。仕事は完璧だった。大戦後の論功行賞で納得のいかない貴族どもが不穏な動きを見せていた。内紛が起きるのは予測できたからこそ内紛で新たな勇者を召喚されることだけは避けたかった。そこまで行くと国が割れてしまう。その判断は今でも間違っていたとは思わない。

 

 召喚の儀の理論を提示した”前”教皇も大戦の渦中に心労で亡くなられ、次代の教皇は何も知らない。

 

 召喚は不可能の――――はずだった。

 

 だが、その勇者が目の前にいる。これ以上の情報を読み取るにはもっと近寄る必要がある。どうしても無視できる相手ではなかった。様々な疑念が確信に変わりそうで恐ろしかったのだ。すべてが無駄に終えたかもしれない可能性を認めたくなかった。

 

 だからこそグレイズを差し向ける。本当に勇者であれば死ぬことはないしここで死ぬようであれば勇者じゃない。勇者は強さの象徴。勇者を実際に知る者のある種の信頼から下された判断であった。

 

 未だに畏敬の念は忘れていない。できればあれが偽物であることを願う。

 

 そうでなければ、聖王国は想像以上に窮状に陥っていることに他ならないのだから。

 

 

 

 

 静かな掛け声とともにグレイズは動き出す。謎の人物へとこれから襲撃をかます。

 

「今です」

 

「ッ!!!」

 

 先生の手から放たれた魔力の矢が着弾し石壁を破壊すると同時に飛び出した。ちょうど敵の直上。思い通り気が逸れた一瞬の隙を突き空中に作り出した障壁を蹴り自由落下のまま一気に加速。剣はものの見事に男の肩から切り込み心臓まで達した。

 

「ヨシ!」

 

 たしかな手応えから完璧な一撃だと確信し男の背後に降り立つ。それでもここで警戒を解かなかったのはベルタとの戦いがあったからか。

 

「!?」

 

 ありえもしない。動き出す体。背後にいるグレイズに対し右手に握られた剣が振り回される。普通ならば届かないはずが、驚くことにこの男の右肩の可動域は背後まで届いた。防ごうと刺した剣を引き抜こうとするも深々と切り込んだ剣は思うように抜けない。

 

 グレイズは咄嗟に男に刺さったままの剣を握り右手の振りに合わせ、より深く剣を押し込んだ。

 

「―――ッ」

 

 剣の内角に潜り込み背後から密着することで回避する。抜くことに拘らず逆に深く突き刺したことで難を逃れた。

 

 そこから改めて抜けなければ無理やり引きはがすまでとその状態からすぐさま【強靭】を発動し全力で敵ごと剣を振り回す。

 

「アリスからッ離れろッッ!!!」

 

 元来た道へと戻れと言わんばかりに剣から引き抜かれ吹き飛ぶ男の体。グレイズは守るようにアリスの前で剣を構える。奇襲は失敗に終わるが今の所悪くない立ち回りだ。

 

 問題はここからだ。

 

 グレイズは赤く染まった胸板を抑える

 

(あの状態から斬られた・・・)

 

 吹き飛ばされた直後に振られた鋭い斬撃。魔力障壁の形成が甘かった為に斬撃は浅く斬り込まれた。この程度で済んだものの衝撃は殺せずにいた。腕の振りだけでこの威力。この男は見た目以上の膂力を有している。普通あれほどの深手を負って反撃できるものだろうか。

 

 少なくとも二回も動いたぞ・・・いや大丈夫だ、あの出血量じゃどの道助からない。

 

「今、アリスと言ったか・・・」

 

「!?」

 

「問答無用で斬りかかってきたのは誤解させたのか・・・俺が相手でよかったな。今なら謝罪で許してもいい。すぐにでいいぞ」

 

 男は平然と起き上がる。破れた服の下にあるはずの傷がない。回復魔術を使った様子もない。

 

 ・・・待て待て、そもそも回復魔術前提で考える時点で毒されすぎだ。先生とベルタがおかしいだけだから!

 

「・・・いや、アリスを囮にしたのか。やっぱなしだ。そんなやつらにアリスは任せられないよな。まったく」

 

「・・・少し失礼しました。僕はグレイズと言います」

 

「これはわざわざ律義にどうもありがとう。今からあんたを殺すからよろしく」

 

「その前にアリスを離れさせたい!構わないかッ!いいな!」

 

 ここからは正面からの戦い。実力が嫌でも露呈する品評会。弱い方が順当に死ぬ。

 

 こうなればもう戦うしかない。迷いはキレを鈍らせる。最初に仕掛けたのはこちらだ。ごめんなさいで済むはずもない。相手にとっても大事であろうアリスを下がらせながら今のうちに情報を簡単に整理する。

 

 男は重心を落とし力を足先に込めている。相手はおそらく剣を使い慣れていない。右手に持ったあの剣が普通じゃないことは誰にでもわかること。尋常でない圧を飛ばし我こそはと存在感を示す。どうしても意識がそちらに向いてしまうがその影に隠れ冷静さが現実を暴く。

 

 構えがまるでなっていないのだ。スウィングも腕の力だけで腰が入っていない。あれでは宝の持ち腐れだ。先ほどの一合で注意すべき点が膂力なのが露呈した。異能で変身もせずにまともに打ち合えば押し負ける。避けることを推奨される。

 

 先ほどの奇襲だが、迷うことなく反撃してきたことからあの程度の傷ではダメージのうちには入らないのだろう。そういうことに慣れてなければ出来ない動きも見せた。痛みに対し強い耐性を持っている。

 

 この男、剣は素人でも戦い慣れている。これでは深手を負いながらも動ける分、同士討ちは避けられない。

 

 なんて・・・面倒な相手だろうか。だが、これこそが同じことができるグレイズの強みであることも理解していた。

 

 面倒だとグレイズに思わせた時点でこちらの思考を誘導している。こういう戦い方は集団戦であれば無視できない障害となる。タンクとしての役割をフルに活用できる。獣人の見た目は気に入らないがいい力でもあると再認識する。とても参考になる。

 

 グレイズは騎士になりたいのだ。異能なしに人間としての創意工夫の上で勝利を収めたい。獣人化はどこまで行っても戦術を組み立てる上での武器の一つに過ぎなかった。ギリギリまで異能無しで戦って見せる。

 

 銀髪の男が動く。その場でおもむろに剣を振りかぶる。明らかな投擲の構え。そんな見え見えの所作、いったいどういうつもりなのだ?

 

 ゆっくりと振り上げた足が振り下ろされ、固い石床を踏みしめ剣が射出される。

 

 

 大きな地響きを伴って。

 

 

「う”ッ!?」

 

 思わぬ惨事に反応が遅れる。

 

 ―――こいつッ!地面を踏み砕いたッ!?

 

 男は大地を踏み砕きそれを中心に地面がガラスのように割れ隆起と陥没を織り成した。

 

 大地がグレイズを押し上げる。

 

「ガアッッ!!!!?」

 

 同時に腹部狙いに剣が射出されたが予測した軌道はそのまま大地の隆起でせり上がったグレイズの脚部に着弾した。

 

 ジュウウウウウ!

 

 深々に突き刺さった剣を中心に肉が焼けるような音がグレイズの中を反響していき腐れ削ぎ落していく。

 

 やはりただの剣ではなかった。頭が焼けきれるような痛みに悶えながらすぐに右足の膝から下をすかさず斬り裂いた。斬り裂かれた足の一部はあっという間に腐り果て床の染みと化した。

 

 判断が遅れていればどうなっていたことかとほっとする間もなく間髪入れずに残った軸足である左足を横合いからの蹴りが入る。容赦なく膝を破壊され、くの字に折れ曲がる。

 

「―――――――――」

 

 まさに致命的な隙。相手も敵の事情などお構いなしといわんばかりに容赦なくこちらの機動力を封じてきた。支えのない体が崩れ落ち、男の振りかぶられた肘がグレイズの顔面に叩きつけられる。視界はただただ真っ赤で首が吹き飛んだのかもしれないと錯覚する衝撃。

 

 背中に展開していた魔術障壁が支えとなり、なんとか吹き飛ばすことなくグレイズをその場に押しとどめた。

 

 ベルタに使う前にどうしても試しておきたい技があった。対ベルタ戦を想定して授けられた魔力放出の応用。

 

「く、らえ」

 

 瞬間グレイズの前で光が瞬き肉が爆ぜた。

 

 誰の血肉かなど語るまでもない。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「魔力の矢?」

 

「今のあなたの魔力量であれば切り札になりえるかと」

 

 ”魔力の矢”とは魔力放出を攻撃に転用した応用技術。圧縮した魔力の塊を形成し魔力放出で射出する単純だが殺傷力が高い攻撃を可能とする。

 

 圧縮した魔力は物質化し質量を持つ。それは大きさに反して非常に重く圧縮し形成した”矢”を魔力障壁のように周囲に展開しどこからでも射出可能。銃弾と一緒で弾頭である”矢”に推進力たる魔力を添えることでワンセットとなる。予め指定した軌道をなぞり細く絞り込んだ魔力放出で”矢”は現実へと出現し射出される。角度を付けられるため回避も困難だ。

 

 一番の特長はその速度にある。魔力運用技術(マグステラ)の名手による魔力の矢は一説には光の速度とのこと。矢の大きさも自由自在。威力調整も魔術との組み合わせも可能ときている。

 

 そんなに便利なものがなぜ一般化されないのかとグレイズは思った。

 

「中々狙った場所に矢が飛ばないんですよね。それに魔力放出の応用ですから魔力の消費が馬鹿になりません」

 

 それもそのはず。魔力を圧縮する時点で相応の消費がある上に、それを射出するためにも魔力は必要だ。根幹の魔力放出を行えない者には縁のない話だ。

 

「下手すると暴発して自分に撃ち込む危険性がありますから、黒殖白亜でも使い手は少ない程です」

 

 魔力のリソース管理、圧縮準備、矢の形成及び維持、推進力に費やす魔力量の調整、角度補整とやることがとにかく多い。

 

 一発だけでは致命傷を狙いずらいので複数の矢を射出する牽制が主流。戦闘中に並行して行う作業量は凄まじく使い手の負担は計り知れない。暴発するのも頷けるというもの。先生の言わんとすることが伝わる。

 

「僕の異能なら暴発しても問題ないってことですか・・・聞いた限りこれ僕に習得可能なんでしょうか」

 

「別に多くは求めていません。ただ一発あれば事足ります。その一撃はまさに・・・」

 

 

 ”大砲なんですから”

 

 

 

 

 

 

 

 ドゴオオオオオォォォォォッッッ!!!

 

 ゼロ距離からの魔力の矢。アリスを退避させている時から圧縮はすでに始まっていた。それは矢と表現するには余りに大きすぎた。砲弾の名が適切だろう。

 

 どうせ複数の工程を捌くことはできないならと極限にまで威力を追求したのが【魔力の砲弾】。

 

 圧縮から形成まで時間がかかりすぎだ。確実に当てるためには密着するしかないと吹き飛ばされないようにと背後の魔力障壁が功を制した。狙う必要がない分、負担も軽く並行して障壁の展開に成功した。少しでも距離を取られれば外す可能性もあった。

 

 ああ頭が痛くてたまらない―――――

 

 グレイズは確かな手応えと充足感を得ていた。

 

 先生は言った。どんな防御魔術も超大な質量であれば物理的に潰せる。物質世界である以上指標たる質量の前では絶対はなく、たしかな質量は不確かな現象に勝ると言いのけた。

 

 これならばベルタにも通用する!

 

 勝利の余韻を味わいながらグレイズはそのまま意識が完全に途切れるのだった。

 

 

 

――――――――――Side/恋都

 

「やっぱ夢の中ってのは便利だな・・・」

 

 気絶する騎士風の男を尻目に恋都の吹き飛んだ上半身と服も元通りになり身だしなみを整える。

 

 満足げな表情で倒れているのは勝利を確信したからだろうか、まさか自分もろとも吹き飛ばしてくるとは思っていなかった。

 

 腹部に風穴の空いたグレイズ。結果的に言えば彼の砲弾は暴発した。威力が高すぎて零距離のグレイズにも衝撃波が襲いこのようなことになった。恋都からすれば自爆覚悟で襲い掛かったように見え、その精神性に辟易していた。

 

 そして、それが無謀な行為ではないと再生を始めるグレイズの体を見て更に面倒だと感じた。

 

 まさかこいつも不死者なのか?それにしては毛むくじゃらだな。

 

 倒れ伏した途端に獣の姿に変貌した彼は傷をも再生させた。

 

 天鳴の情報には全く該当しないため見当もつかなかった。意識が戻る前に去らないとまた戦いが始まりそうだった。終わりのない戦いをするつもりは毛頭ない。

 

 恋都はさっさとアリスを連れて立ち去ろうとした時、目の前に何者かが現れた。

 

 そいつはなんとも不健康そうな男だった。

 

 ・・・また面倒ごとの予感。

 

「・・・・・・」

 

「どうも初めまして。私はクラウン・リム・ディアスと申します」

 

「勝手気ままに名乗るなよ。こっちに用はないんだが?」

 

 興味はないと言わんばかりに恋都はボーとしているアリスを脇に抱え立ち去ろうとする。

 

「まあそう言わずに勇者”恋都”様。先ほどは大変失礼しました。謝罪の印に情報などはいかがですか?」

 

「・・・・・・・」

 

 恋都は眉を顰め胡乱気な目を向ける。ほら来たと言わんばかりだ。

 

 ・・・どうしてこうも一方的に人のことを知っている奴が多いんだか。

 

 プライバシーの欠片もなさ過ぎる。まあ、それもそうか。穏やかな微笑みを浮かべるこの男は祈り手のメンバーで異能は相手の心から情報を読むと記録されている。これもまた天鳴から得た情報だった。

 

 ただし条件があり直接対象の頭を触れなければいけない、と記録されているがこれは嘘だと断ずる。触らなくても読めるのだ。おそらく戦闘中ずっと読まれていた。

 

 その上で勇者の名を強調するあたり・・何かを知りたがっている?

 

 もしかすればすべては読めていないのか?勇者と看破した時点で触れなくても情報が読めると自ら証明しているもの。前提としてこちらにも異能の正体がバレているのは理解した上での発言のはず。こちらが知っていることをこいつも知っていると考えるべきだがどこまで読み込んだことやら。

 

 異能の効果範囲はわからないが読めなかった部分があるから姿を現したか、何か用があるからだ。

 

 記録によれば収監されたのは900年前・・・驚いた、祈り手としてはヨルムの次に古株なのか。しかも旧聖王国の出身ときた。時期的に終末大戦の関係者とみるのが妥当。

 

 絶賛造反中で天鳴が送り込まれた原因・・・主犯格と目されているとも黒殖白亜への伝令に記述があるが、どう対応するべきか―――

 

 しばらくして恋都の足は止まるのだった。

 



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第45話 無視したい地雷

 

 

「グレイズ君こちらは勇者のコイトさんです、失礼のないように」

 

「お目にかかれて光栄です!さ、先ほどは本当にすみませんでしたァッッ!!!勇者様!!」

 

「・・・気にしてないし別にいいよ」

 

 恋都は復活したグレイズとの挨拶も終わりお互いの誤解も解けたが・・・・紛らわしいとも思った。

 

 最初はこんなキャラクター物語にいたか?と、頭を捻らせたがまさか俺以外にも引き込まれた人間がいたとか・・

 

 先ほど戦い合ったグレイズという青年・・・彼はダンジョンで捕らえられた聖王国の騎士見習だ。

 

 その白髪に色白な肌は祈り手の証だと俺は勝手に決めつけ異常な再生力を持ち合わせることから祈り手の可能性を疑ったのだが話を聞く限りどうも最近異能が発現したばかりの未登録の祈り手新入りのようだった。

 

 なるほど情報に無いはずだ。彼もまた巻き込まれただけの関係のない部外者のようだ。聖王国にはいい思い出が無いのだが少し会話しただけで彼は裏表のない善良な人間なのは理解した。

 

 聖王国出身とのことでフォトクリスの教えがここで生きる。不死者とバレて話が拗れるのはごめんだと不死の件は同じ様に異能ということにして通している。脇道に逸れる暇はない。

 

 ・・・問題はこの男。

 

「・・・・・・」

 

 不死性が異能ではないことを知っているのに口に出さないのは敵対する意思はないという表れか、或いは・・・・

 

 俺はクラウン大主教との先ほどのやり取りを振り返る。

 

 

 

 

 グレイスとの戦闘後、対面する二人。警戒のためかお互いに沈黙を保つも最初に切り出したのはクラウン大主教であった。

 

『先に一つ聞きたいことが―――単刀直入に聞きますが勇者様がここにいるのは聖王国の命令なのですか?』

 

 第一声がそれか。クラウンは相手が先に喋ることを待っていたはずなのに自分から質問を投げかけた。つまりは彼が知りたい情報が異能では読めなかったと言外に証明したようなもの。

 

 敢えて知った上で聞いている可能性もあるが・・・そうする意義を感じない。不信感を無駄に与えるだけで利に繋がるとは思えない。この場だけの関係ならばともかく・・・

 

 第一に故郷の名を出すあたり未練たらたら。過去の人間といえ愛国心は失っていないようだ。反乱理由はやはり脱出が目的か。

 腹の探り合いは必要ない。どこまで情報を読まれたかわからないので隠すだけ時間の無駄だ。この考えも読まれている前提でいく。

 

 ・・・ん、つまりは相手も腹の探り合いを嫌ったのか?

 

 相手の質問も直球そのもの。相手は俺も異能の詳細を知っている前提だ。頭に触れるのが条件なのに普通に俺の名や勇者の称号を発言している。異能の条件が違う事はわかりきっている。だからストレートにいくつもりなのか。

 

 そもそも反逆者と部外者の立場、お互い敵対関係でも何でもない。敵対意思が無いのは伝わっているだろう。相手にしても俺と戦う理由がどこにもない。

 

『違う。ここに来たのは偶発的な理由によるものだ』

 

『偶発的ですか・・・それにしてはここについて知りすぎですね』

 

 この言いよう・・相手から自身の異能の存在をほのめかしてきたか。どうやら俺が異能で天鳴から情報を吸い上げたことまでは知らない。ここで俺の本当の異能についてはクラウンは知らないと断定する。まあこんなピンポイントな異能があるとかわかるはずもない。言外に心を読んだと主張してくるがはったりやブラフの可能性は低いだろう。発言内容もどうとでも受け取れるが、嘘は通じないと釘を刺しに来たのだ。面倒くさい・・・情報を出し合っていけば真実の境界線が見えてくるだろうが、ここははっきりと言葉にしておこう。

 

『俺は機械類に干渉できる異能を持っている。対外用戦術兵器って言えばわかるか?あれからここの情報を吸い出した。あんたのことだってもちろん知っている。記録上では・・・元は高位魔術師、所属は祈り手、出身地は聖王国、属性は風と、闇もあるのか。こういうのって珍しいらしいな。それと異能は読心。これ明らかに効果範囲詐称してるだろ。ははは!用心深いなあ。クラウンさん本当に記憶がなかったのかなぁ?』

 

 伝いたいことはただ一つ。お前の異能が俺に対して機能してないことは知っているぞだ。

 

 だが、予想とは違う反応が返って来た。

 

『・・・・・あなた不死者なんですか?』

 

 少し驚いた顔でクラウンは疑問を投げかける。なんか・・期待した反応と違うな。もしかして俺の不死性を異能だと思っていたのか?

 

 聖王国が不死者を嫌っているのはフォトクリスに散々聞かされたから知っている。これは不死者に対する嫌悪感ではなく純粋な驚きの感情だ。

 

 この男は900年前の人間。時期的に間違いなく終末戦争に関わっている。ヨルムングがあの歳で戦争に参加してるんだ。あいつと同じ高位魔術師なら関りがあってもおかしくない。不死者の実態、伝説上で語られるように突然湧いてきたのでなく普通の人間だったと知らぬはずもあるまい。俺が勇者として召喚された以上、終末戦争時の人間ではないと理解しているだろうに。

 

『ああすみません、気に障られたのなら謝罪します。ただ・・因果なものだと思いまして。まさか異界から不死者が栄えある勇者として呼ばれてしまうとは・・・』

 

『やっぱり不死者ってだけで嫌いか?』

 

『終末戦争と関係のない不死者な勇者様に思うところはありませんよ。ただ、よく今の聖王国で無事でいられましたね』

 

『そうでもない。逃げた結果がこれだが』

 

 話を合わせるだけのつもりだったが逃げた経緯は大体あっている。思い返すとやっぱり聖王国は糞だと思う。

 

『最後に一つ、あなたを聖王国に召喚した者・・主導者はわかりますか』

 

 やけにこだわるな。質問はすべて勇者関連だ。俺がここで何をしようとしているのか興味がないのか?それともすでに読まれたのか、判断に困るんだが。会話の主導権がなかなか掴めず苦労する。

 

 まだ先のことばかりを気にしているあたり脱出することしか頭にないのかもしれない。わざわざ深入りするまでもない。

 

『それは召喚者の巫女のことを指しているのか?儀式自体は国主導と聞いているが』

 

『・・・・・・そう、ですか。ありがとうございます。そろそろグレイス君も復活しそうですね。彼の前ではその不死性は勇者の特性としておきましょう。彼は敬虔なる聖王国の民です。不死者と分かればいい顔はしないでしょう』

 

『バレない?』

 

『一般人に当時の勇者の実態などわかるはずもありません。勇者は不死身とでも言っておけば勝手に信じますよ。肥大化させた勇者像がそうさせますので』

 

 

 

 

 

 そんな・・・・やり取りを経て今に至る。

 

 ・・・・とにかくだ。しばらくは信用するしかない。

 

 俺がする質問の答え次第で対応も変わるけども。

 

「そろそろ俺も質問いいよな」

 

「ええもちろん。情報交換ですので」

 

 

 

 

 クラウンは勇者からの申し出に返事をする。

 

 一方的な質問攻めになってしまったがこちらも答えねば失礼だろう。何より相手は勇者なのだ。クラウンにしても畏敬の念はもちろん忘れてはいない。

 

 グレイズ君が起き上がったので面倒な質問はしないだろう。それはお互いに困る。

 

「なぜ俺の心が読めない?」

 

 ・・・・本当に直球だ。やはりばれていたか。中々に察しのいい方だ。正確には読心とも違うがその体で答えよう。

 

「読めないわけではありませんよ。なぜか深くは読み取れないというだけで」

 

 クラウンの異能は対象の歴史を俯瞰的な視点で物語のようにログとして読み解く。対象を取り巻く周りの状況も文字で起こされ描かれるため対象本人が知らない情報まで読めてしまう。まるで一つの物語を読んでいるかのような感覚に陥る。

 

 実はあの精神感応禁止指定のA種でさえも安全に読めてしまう。ただどうにも自我が希薄なためか内容は支離滅裂。文体が滅茶苦茶で本人についての情報はまるで読み取れない。理解が及ばないとも言える。

 

 直接頭に触れるか、他の個体との差異や共通点から検証すれば見えてくるものがあるかもしれないがA種相手にそんな余裕はない。異能の効果範囲は視界とリンクしておりかなり優秀だ。直に触れるのもありで読み込みスピードが段違いだ。自動的に読み込んでいくが相手の過去まで読み込むとなるとそれなりに時間がかかる。特に長生きするような相手は気を付けねばならない。頭に触れさえすれば丸裸にできるが戦闘中に行うには相当リスキーだ。

 

 勇者の記録も直近の記録までは読み込めた。

 

 【氷結界域】がまだ生きていたこと、彼はチシャ猫という人物にここに連れてこられたこと、チシャ猫の”思惑”・・・どういうことか彼がA部隊に捕まったあたりの記録から読み込めない。まるで別人と思わせるような空白が地平線を描いていた。おまけに心なしか・・・気分が悪い。どこからか誰かに睨まれているようで悪意ある視線を感じる。ゲームマスターにも有効な異能が機能しないとなると、何者かの干渉と考えるべきだろう。

 

 ・・・チシャ猫の最終的な目的と関係しているとすれば・・・恐らく・・この視線の主は”例の勇者”であり恐らくこの夢世界の主なのだろう。

 ”例の勇者”は当時の私でも直接会ったことは無い。広がり過ぎた戦線を考えれば仕方のない事実。予定にない番外勇者の存在など寝耳に水。噂程度にしか知らない勇者の全貌だがあのゲームマスターならどうにかして生き長らえさせたとしてもおかしくない。A種の存在からまず間違いないだろう。

 

 そうなると彼はすでに手遅れなのかもしれない。これは・・・思わぬ爆弾だ。

 

「じゃあ頭触っていいからもっと探ってみろよ」

 

 やめろ。それでとんでもない記録を掘り出してきたらどうする。こちらの異能に介入する相手はA種の素である勇者”不思議の国のアリス”だ。

 

 知らずといえダンジョンでの異変の中心に深く関わる者に深入りたくない。こうして向こう側からおもむろにコイトに干渉しているのだ。異能経由で私にも影響が及ぶ可能性は高い。異能の大本ならば干渉してみせてもおかしくない。

 

 ・・・それで、本当にそれでいいのか?

 

 彼もまた勇者様なんだぞ。アリスとコイトの間にどんな因縁があるかは知らないし、知りたくもない。

 

 だが、勇者は曲がりなりにも当時の聖王国を救った存在。勇者とは希望と転機、救済の象徴だ。彼がここに呼ばれた理由がただ”記憶の補完と処刑のため”とは考えずらい。戦時中でも噂でしか聞いていないがアリスとはそんな生易しい存在ではなかった。殺しても死なない様な奴だ。

 

 この先の過酷な運命を本当に伝えなくていいのか?それとも彼もまた神に試されているのか。

 

 ・・・ここで何もしないのは大主教として間違っている。勇者を見殺しにしたとあっては聖王国の礎となった英霊たちに顔向けできないではないか。

 

「無駄でしょうね。恐らくですが混線してるのだと思われます。何者かが勇者様の精神に干渉をしているため壁になっているのかと・・・心当たりはございませんか?」

 

「・・・・・いや、わかった。ありがとう」

 

「私に可能な範囲であればお手伝いも致しましょう」

 

 彼にもある程度の自覚はあるようだ。この世界に引き込まれた時点で手遅れかもしれない時点で忠告は無駄かもしれない。彼の旅路の先に希望があることを願うしかないのか?覚悟があればどうにかなるのか?

 

 ・・・私自身も早急に帰還せねばならない。先ほどの勇者様の発言。まさか巫女の名が出るとは思いもしなかった・・・900年前に考案された勇者召喚のための効率重視の生贄。

 

 それはあくまでも案の一つにすぎず才能あるものを使いつぶすなど言語道断と採用は見送られ廃案となったはずであった。

 

 当時は人手が足りなかったのもあるがいくら戦況が劣勢とはいえ未来を担う有益な命を犠牲にするなど論外だ。巫女だってそんな簡単に作れる存在では無い。だがどうしてここで巫女の存在が出てくるのか。すべて記録は廃棄したはずがまだ残っていたのか?

 

 抜かりは無かったと記憶している。誰かが持ち込んできたとしか考えられない。

 

 もともと、勇者召喚計画はおかしいところだらけだ。当時の先代教皇経由でもたらされた技術だが教皇はどこで手に入れたんだ。発表された時、様々な魔術に精通し開発にも携わった私にも寝耳に水だった。

 

 そもそも勇者召喚という発想がぶっ飛んでいる。そもそも勇者ってなんだ・・?

 

 勇者を異界から召喚して戦わせるだと?なにをどう思えばその考えに行き着く。精神向上剤でもやってるのか?とても世襲で教皇の地位を得た凡人の発想じゃないのは明らか。

 

 術式自体もまるで見たことのない形式。何もかも別次元であった。その術式が現代でも使われたと来た。裏で関わった何者かの系譜が聖王国で何かを企んでいる。これ以上の狼藉はとても見過ごせない。もう異物を招くことは避けるべきなのだ。

 

 これ以上、世界の営みに歪みを与えるな。

 

 



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第46話 勇者の噂

 

「勇者様!勇者様!実はお願いがあるのですが・・」

 

 恋都はクラウン大主教との情報交換も終えたところでグレイスに話しかけられる。

 

 先ほどまで俺たちの話についていけず、わかっている風に頷いているだけのグレイズだったが・・・交戦したときはもっと賢そうだっなあ。

 

 なかなかの精神力と決断力。再生するとしても迷いなく自分の足を切断できるものではない。普通は躊躇う。

 

 これが一般的な聖王国民だとすると恐ろしいが、今の彼は無害そのもので警戒にあたわない。

 

 つまりクラウン大主教と違って気兼ねなく話せそうだということだ。

 

「アレ見せてくれませんか!?」

 

 何かを期待するような眼差しで口を開くグレイズ。だがアレと言われても俺には何のことだかわからない。

 

 なんだよ・・・あれって。ふわふわとした指示代名詞を使うな。もっと具体性に富んだ物を言え。

 

 ・・・とは言え察しのいい俺にはわかってしまう。エリートは辛いな。その意はきっと”勇者”のことを差しているんだろう。

 

 勇者はグレイズにとって伝説上の存在。聖王国では一般的な常識の中の勇者の振る舞いを俺は求められているのか。

 

「あれって言われてもな・・・・別に大したことはできないよ」

 

「・・・え?じゃあ山を持ち上げて敵国にぶつけたり、大声を上げただけで三日三晩地殻変動が起きたり、勝てないから過去に戻って魔王が赤ん坊のころにタイムスリップして襲撃かけたおかげで今の聖王国があるってのも全部嘘なんですか!!」

 

「なんだよそれっ!そんなことできるわけないだろっ!!?」

 

 何言ってんだこいつ!!そんなことできるわけないだろ!?

 

 伝説だからっていくら何でも盛りすぎだろ。勇者信仰ってかなり広まっているらしいがみんなそんな認識なのかよ。

 

 普通はでたらめって思うじゃん。マジもんの神が存在するだけあって現実と虚実の境界線があやふやなのかもそれない。魔王ってなんだよ、魔王って。初耳なんだが?

 

「・・・・え?」

 

 いやそんなサンタの正体を知った子供みたいな顔するなよ。俺何も悪くないじゃん。そもそも、そこの大主教がちゃんとした記録を後世に残さないのが悪い。立場ある人間ならそれくらいやっといてくれよ。

 

 だがクラウンは億尾にも出さず真顔で答える。

 

「安心してください。確かに脚色は多いですが半分くらいは本当ですよ」

 

「嘘だろ!それ絶対嘘だろ!」

 

「私は・・・直接見てきましたからね・・・異能もそうですが勇者様は性格が誰もかれも、その・・非常に個性的でしたね。はい、特に意味はないですよ、はい、ええ感謝はしてますとも」

 

 初めて見せるクラウン大主教の疲れた顔。どこか遠い目をしておりなにやら反芻しているようだ。やめろ、それじゃあ逆に真実味が増すじゃないか。

 

「じゃあ勇者様は何ができるんですか?飛んだり、ビーム撃つぐらいできないんですか?」

 

 グレイズは勇者が何でもできると思い無理難題を振ってくる。気のせいか俺に対する畏敬の念が弱まっていないか?

 

 そもそも俺の異能はこの世界の文明レベルでは使い勝手が悪そうだ。おまけに地味ときた。

 

「できないに決まってるだろ!じゃあなんだ!?他の勇者三人はできたのかよ!」

 

「知っている限りでは出来る子もいましたよ。保有魔力も桁違いですからね、それにしても勇者様は・・・・ふむ??」

 

「ま、魔力・・・」

 

 魔力があれば可能なのかよ・・・

 

 恋都にはなぜかその魔力が無い。魔力は使用しない限りは測ることができないとイグナイツは言っていた。一般人は大概に微量の魔力が大気に溶け揺らいでおり、それが無ければ魔力の扱いに長けた心得の在る者による制御だとまず勘違するとも。なんせこの世界の人間は魔力があることが大原則。魔力が無いのは獣人しかあり得ないとのこと。

 

 他にもあと3人の勇者がいたが、まさか本当に勇者は飛んだりビームが撃てるのか?

 

「・・・?」

 

 だが俺の言葉にグレイズは何を言っているのかわからないとばかりに首をかしげる。

 

「いや、俺の他にも召喚された勇者が、いただろ?・・・・・・・まさか公表されていないのか」

 

 十分あり得る話だ。勇者の異能が祈り手やA種と同種のものと考えれば戦力としては十分すぎる。勇者信仰が聖王国以外の国でも広まっているとすれば・・・・・まさか政治的な判断で存在を隠しているのか?聖王国のような覇権国家ならば国を挙げて押していきそうな気もするが・・・・

 

「ああ、彼は何か月前かにここで捕まっているので直近の情報は知りませんよ。ですが今の聖王国ならば秘匿してもおかしくはありません。グレイズ君、聖王国の政情はどうですか?」

 

 あくまで知識としてではなく、聖王国に暮らす一住人としてのグレイズにクラウン大主教は問いかける。異能では読み取れない、聖王国の空気を肌で感じる者にしかわからないこともあるのだろう。

 

「・・・どうでしょうか。あ、僕が住んでいる都市は聖王国5大都市の一つにも数えられるアルマディア商業都市って場所なんですが特に目立った事件はないですし、せいぜい異端者集団が公開処刑されてるぐらいですかね」

 

「それは大事じゃないのか・・・」

 

「それはもう、僕が産まれる前から行われてますから。一種の伝統行事みたいな感じですね。都市の子供はみんな処刑の光景を飴を頬張りながら見物するものですから」

 

 治安の引き締め的にも意義はあるのだろうが・・やはり野蛮だなと恋都は思った。

 

「なるほど異端者集団、併合した属国の元国教を混合することに反対する者たちによる抵抗があるということですよ。混合、つまり聖王国のアンティキア正教と敗戦国の宗教の融合。まあ融合といっても他の宗教が崇める神を聖王国の神と同一視させるんですが」

 

 クラウン大主教が補足するように説明をするのは常識の違う俺に対する配慮か。

 

 つまり今まで信じていたものの中身の強制的なすり替え。ある日突然信じているものを否定され汚されるのだ。お前たちの信じてきた神は実はうちの神様だったのだと。

 

 反乱の火種としては十分だ。異端者集団はつまるところのレジスタンスか。

 

「正直気持ちはわからないでもないです。一定の年月がたてば完全にその宗教と歴史は完全に融合し別の宗教に置き換えられてしまいますから。でもそれでこちらに死人がでるのは僕も見過ごせません。吊るされても仕方がないかと・・・それにどうせ年月が経てばこっちがよかったって思うんですから」

 

 で、それに馴染めないマイノリティーはつまはじきにされ弾圧される、か。よくある光景だ。

 

「ふむ、おまけに現代は力を持つ貴族が各地を収めているそうじゃないですか。聖王国内に小さな王様が複数内在しているようなものですよ。おそらく勇者の存在を明るみに出せないのは政治的な理由があるのでしょう。私の時も貴族連中には手を焼いたもんです、ええ」

 

「異端者集団であれば勇者の威光を使えばいいがそれができないのは貴族に警戒されるからってことなのか?貴族にしても不穏分子はどうにかしたいはずじゃないのか?」

 

 クラウンは困った顔で答えてくれる。お陰で段々と聖王国内の社会構造が掴めてくる。

 

「力のある貴族となると家の歴史はかなり古く教会と密接に繋がっているんですよ。それこそどんな大貴族ですら教会に一定の配慮があった。それを・・・元々教会が国の舵取りをしておりましたが抜け駆けする形で王家樹立を容認させたヴェンディルド家という例が出来てしまった。現王家は貴族からすれば裏切り者に近いんでしょう。教会と王家の派閥が生まれてしまったのですから他の貴族も王家の前例ができてしまったためにその後釜を狙っていてもおかしくありません」

 

「ええと、そうなんですか?今まで考えたこともなかった・・・」

 

「グレイズ君・・騎士を目指すなら政治とは無縁ではいられないんですからよく勉強しましょうね。しろ」

 

 聖王国は意欲的に他国を侵略し無理やり併合する覇権国家だ。おそらく多種多様な民族を内包する。民族問題に宗教問題と領土がでかくなりすぎて獅子身中の虫が増えすぎたか。領土を広げればそれだけ統治が難しくなる。過激な統治が容易に予想できる。そうまでして国を大きくする必要性があるのだろうか?

 

 すると恋都の心を読んだのかクラウンが答える。

 

「ちゃんとメリットはありますよ。混合した宗教は一定の歳月を過ぎると国教にその宗教固有の加護を吸収されてしまいます。聖王国は、もともとただの農業国家でしたが様々な戦闘系神話体系の信仰を吸収し力を蓄えていった歴史があります」

 

「ようは他の神を殺すってことか。抵抗する理由としては十分すぎる」

 

「勇者様は不快に思いますか?」

 

「いや別に。神とは無縁の世界の人間だ。勇者だからと言って内政干渉する気もないよ」

 

 好きになれそうにもないけどなと内心で呟く。思ったよりも宗教色の面が強い世界だ。まあこんな過酷な自然に囲まれていればそうなるのだろう。雪の影響で陸地の孤島と化した都市群だから情報の伝達も遅そうだ。食料の搬入や交易などはどうしているのやら。聞けば聞くほど不思議な世界である。これが彼らにとっての普通なのだ。

 

「そういや魔法国家だったか、さっきの魔法はすごかったな」

 

 交戦の最後にグレイズが放った魔法。その軌道上は抉れ更地と化しむき出しの大地が凄惨さを物語っていた。上半身が一瞬消し飛んだ時は何が起きたのかっと思った。

 

「す、すみませんです!勘違いと言え勇者様に怪我を負わせるなんて」

 

 ペコペコと頭を下げるグレイズ。俺は彼に思うところはない。予測だがクラウン大主教が俺の実力を図るために差し向けたのだろう。なかなか板についているじゃないか。

 

「ああそうだった、グレイス君。さっきの一撃はなかなかよかったですよ。その感覚を忘れないでください」

 

「はい!ありがとうございます」

 

 いろいろ事情がありそうだが深入りはしないでおこう。それよりも先ほどから探しているのだがあのすごく使いづらい糞みたいな剣が見つからない。

 

「あ」

 

 先ほどの戦闘で吹き飛んでいたようだ。土に埋もれた剣拾おうと腰をかがめ手を伸ばす。

 

 が、何者かが先に掠め取る。

 

 見覚えのある白く細い腕。恋都は顔を上げるとアリスが剣を握っておりそのままグレイズに走り背中に隠れようとするがその腕を掴み止める。

 

「アリス、なぜ逃げる」

 

 お前が俺を呼んだのに何も話してくれないし別の男にべったりでなんだか面倒だぞ。

 

 このままではグレイズらと行動を共にせざる負えない。はっきり言って部外者の存在は邪魔だ。それが物語にどう影響してくるのかわからない。アリスには一人で行動してもらい、問題が起きれば影からサポートする形が望ましい。

 

 外部から呼ばれた俺も不純物であり関わるのは極力控えるべきなのだ。

 

 じゃあ彼らにそのことを打ち明けるか?そもそも打ち明けるに足り得る者たちか?

 

 ここにきて聖王国での殺されそうになった経験が恋都の不信感を募らせる。打ち明けた結果どうなるかも予想もつかない。

 

 ・・・・・よくよく考えたらアリスは俺のことを知らなくてもおかしくないのではなかろうか。現状を見かねた夢の住人が勝手に俺を呼びこんだ可能性は十分ある。じゃあ偶に幻覚の様に現れるボロボロのアリスはなんだって話にはなるが無意識なアリスの導きの可能性もある。

 

 だってこのアリスの顔を見ろ。無垢過ぎて純真さに溢れてやがる。常に意識がフワフワしている。

 

 とても正気には思えなかった。

 

 アリスがグレイズに懐いている現状、この男とは仲良くしておくべきだろうがそんな悠長なことが許されるのか。

 

 アリスは今も苦しんでいる。それは・・・いつまでもつ?

 

「・・・・・・・・」

 

 さて、―――――どうするかな。

 

 

 

 

 

 ――――――――――Side/グレイズ

 

 

 嫌がるアリスの手を掴んだまま、なにやら物思いにふける勇者様。どうしてかグレイズは胸騒ぎがした。

 

「先生、勇者様はあのままでいいんですか?」

 

「放っておきなさい。お互いにいろいろあるんですよ」

 

 グレイズは本当のことを伝えなくていいのかと疑問に思う。いまだにアリスが別人であるのを話さないのは彼の目的が不透明だからだと先生が押し止める。

 

 確かに勇者様のアリスを見る目は普通ではない。先生はこのまま静観しろとの判断だが、騙すようなまねが許されるのであろうか。

 

「・・・・」

 

 勇者の存在は偉大だ。伝説上の人物が目の前にいることにいまだに興奮を隠しきれない。そのことがどうしても後ろ髪を引く。

 

 真実を伝えれば彼は独りでどこかに行ってしまうだろう。彼の戦いぶりに堂に入った佇まいは心強く安心感を与える。危険極まりないダンジョンではできうる限り行動をともにしたいと思うのは仕方がないことでもあった。

 

 グレイズに迷いと罪悪感が生じる。

 

 だからか、勇者様の急な行動に対応が遅れる。

 

 

 

 勇者様は――――――――――アリスを無理やり抱えるとそのまま王城の方へ急に翔け出したのであった。

 

 それは余りにも自然すぎる起ちあがり。呆気にとられてしまう。

 

 

 

 

 

 

「え」

 

 きっとグレイズは間の抜けた顔をしていただろう。なんの脈絡もなく急に行動するのでグレイズとクラウンは呆気にとられていた。

 

 クラウンが勇者様に勘違いさせたつけがすぐに回ってきてしまう。後悔してももう遅い。

 

 そう思いつつもクラウンの動きは鈍かった。

 

 900年前の勇者召喚の儀に関わった者としてはどうしても目の前の勇者よりも聖王国の先兵として活躍した勇者アリスに肩入れをしてしまう。この苦しみの遠因は間違いなく私にあるのだ。コイトに対しアリスジョーカーが勇者アリス本人ではないと告げなかったのは結局のところ迷っていたからだ。

 

 勇者アリスの救済はコイトという要因でしか救えないのか・・・それを阻害してしまうのではないのかと・・・判断が遅れる。

 

 慌てて追いかけるグレイズに続き今にも消えそうな勇者の背をクラウンが追う。

 

 この霧のようにいつまでも迷いは晴れることはなかった。

 



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第47話 理不尽な開廷

 

 騒めきに満ちた秩序の庭。

 

 新緑の生命力とは相反す穢れた魂魄がグルグルとかき混ぜる。

 

 グチャグチャ。

 

 声ともつかない雑音が罪人を責め立てる。

 

 獣に囲まれ恋都は愁然と望まぬ役回りをこなす。

 

「さっさと答えてみろよッ真実って奴を!!」

 

「――――――――ッッッ」

 

 ――――妙なことになった。いったい何が起きている?これはいったいなんだ??

 

 これも無聊を慰める夢の主の囁きなのか・・・

 

 恋都は・・・ただ狂気に身を委ねるしかなかったのだ。

 

 

 ――――――――

 

 ――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――――――

 

 

 崩落した聖域を何者かが縦横無尽に駆けまわる。

 

 壁を蹴り、不安定な足場をも驚異的な体幹で踏破する。

 

 恋都は・・・アリスを連れ去りグレイズたちを置き去りにした。手の内でアリスは蠢くも抵抗はない。

 

 勝手だと自覚はある。

 

 だがそこまで義理を尽くす相手でもないと適当に見切りをつけての行動だった。決断からの行動が早すぎて予想通りクラウンでも異能で予見できなかった。まあ普通あの流れなら一緒に同行する。察知するまでのラグはあるみたいだな。

 

 まあ、問題はここからだ。 

 

 意気揚々に王城に向かったはいいが荒れた中庭を抜ける際、恋都は突然濁流に巻き込まれた。

 

 濁流の正体。それは人の波。

 

 おしくらまんじゅうのようにぎゅうぎゅう詰めの編制が突然脇道から現れ恋都とアリスを飲み込んでいった。

 

 なんだこいつら、と確認する。誰もがボロボロのエプロンドレスと血みどろの麻袋を顔に被っていた。背丈はバラバラだが子供の範疇。恋都は思わず腕に抱えるアリスと不審人物たちを見比べる。顔立ちはわからないが麻袋の隙間からくすんだ金髪が覗いていたからだ。

 

 ッ・・・なんと獣臭いことか。血の匂いも凄まじい。

 

 アウターの浮浪児がこんな匂いをさせてたなと余計な記憶が覗かせる。

 

 恋都はいったい何者だと問うが集団は笑っているような汚い唸り声を上げるだけで会話にならない。群体の中では俺の様な存在はひと際目立つ存在だった。故に我慢ならなかった。不愉快にも程がある。どいつもこいつも風呂に入れよ!

 

「アリス、よく掴まってろ」

 

 恋都は周りがひしめき合うだけでは拘束するには足りないと決め込みジャンプで飛び上がろうとする。

 

 が、大地から足が離れない。

 

 腰に違和感を感じ、確認すると俺を囲む女たちが服やベルトを握りしめていた。まるで足が杭のように大地と接地しているようだった。

 

「―――!?」

 

 女の腕力とは思えない、ものすごい力。

 

 今の完全無欠な健康状態であるエリートたる化身の俺の行動を止める時点でただの人間ではない。

 

 隙を見て群衆の内の一人から頭にかぶる麻袋を引きはがすも・・・・後悔し、そっと戻す。

 

 ピピャヒキャキャアアアア!!!!!!!!

 

 ・・・・・見なければよかった・・更に気分が悪くなった。

 

 そうこうする内にどんどん流されていく。大きな流れには抗えない。勝手は許さないと敵意が見え隠れする。

 

 これはまさか夢の住人による妨害かッ?

 

 アリスも掴まれどうにもできず身を任せ流されるままに植物の茂みで編まれた迷宮を進むと開けた場所に出る。他と違い整備された綺麗な庭園。その中央になぜか法廷を彷彿させる法壇や傍聴席が存在感を放つ。

 

 だが証言台があるはずの中央には代わりに大きな断頭台が二つ隣り合わせに設置してあった。無視のできない異物。ギロチンの刃が鈍く光る。

 

(なんだ、あれは?)

 

 やはりこれはまだ見ぬ夢の住人による妨害か。俺とアリスはまんまと領域へと引きずり込まれてしまったのだった。

 

 

 

 

 会場はすでに怨嗟に浮かされ会場は燃え滾るマグマのように沸いている。裁判所の傍聴人は口々に怒りを吐き出しボルテージが上がっていく。俺には人語として聞き取れず獣のような唸り声にしか聞こえない。本当にそれで会話をしているのか?聞くに堪えない。

 

 人間だが人間ではない。一度たりとも言葉を知らずに生きてきた獣の戯言が地鳴りのように空気を震わせる。

 

 カンッカンカンッ!

 

 呆気にとられる俺をよそに耳障りの良い凛とした音が鼓膜を貫く。ガベルが裁判長によって打ち付けられ傍聴人のざわめきが鳴りを潜める。

 

 法壇に座る赤く煌びやかな装束を纏う少女。薔薇をモチーフにした小さな冠を頭に乗せ茨の刺々しい装飾が目立つ。それ付けてて痛くないのかと思う反面、ユニークなデザインと評価する。

 

 こいつ・・・女王か?

 

 その風格から真っ先に連想する気品。

 

 裁判長・・・つまり、こいつ刺客か!

 

 不思議の国のアリスに登場するキャラクターにそんな奴がたしかにいた。

 

 でも少々幼すぎやしないか?

 

 ・・・服がぶかぶかだし。格好といい、立場的にやはりあれが物語の女王とでも?

 

 群衆の中で思案する恋都だが一瞬小さな女王と目が合う。

 

 確かにそいつはクスリと笑ったのだ。

 

「これより裁判を開廷する。被告人は前に」

 

 女王の舌足らずな開始宣言と共に入口から黒い鉄球のついた足枷を引きずらせ入廷する二人の人物。黒く血で滲んだ麻袋を被った女性が両脇を固め二人を引きずるように乱雑に引きずられていく。

 

「―――――――――――――――」

 

 その人物を見て俺は息を飲んだ。見間違いでは・・ないよな・・?

 

 罪人が入廷すると観客からヤジが飛びゴミが降り注ぐも誰も咎める素振りを見せない。

 

 なんだなんだ何が始まるんだと恋都は罪人の顔を再確認する。何度確認しても”奴”であった。

 

 一人は悠然とした態度で余裕を装う白衣の男性。口元に笑みを浮かべるも青ざめた顔は隠せていない。明らかに疲弊している。指先や足先の爪がすべてはがされているおり拷問を受けたことが覗える。

 

 ・・・・知らない顔だ。中央に聳える二つの断頭台へと連行され抵抗することなく拘束具に繋がれていく。

 

 

 それよりも問題はもう一人だ。

 

 その人物の容姿は女性にしては長身で現実味のない端正な俺好みの顔立ち。白髪から飛び出た獣のような耳と力なく垂れるふさふさの尻尾が特徴的であった。体中ボロボロで手枷と足枷から延びる鎖が首輪に繋がれており口元と目が糸で縫い付けられていた。男とは違い一層厳重な拘束。相当暴れたのだろうと予想するのは難しくない。

 

 ああ、俺は、こいつを知っている。

 

 

「――――――イグナイツッッ!!」

 

 

 傍聴席を埋め尽くす麻袋の集団。全員が似た格好をした金髪の女性なのはこの際どうでもいい。

 

 どうしてこうなったのかと誰かに問い詰めたかった。

 

 恋都は脇に抱えたアリスを捨て置き聖剣を片手に勢いよく駆ける。こちら側を隔てる鉄柵を乗り越え物語の渦中に飛び込む。

 

 イグナイツは意識があるのか俺の呼びかけにピクリと動くも反応はそれだけだった。

 

 正直俺がこんなに大胆な行動を起こすとはと内心驚いていた。

 

 ・・・どうにも我慢がいかなかった。あれほどまでに傍若無人でエゴイストで狂気に満ちた怪物が、散々俺をいいようにしてきたあのイグナイツが、こうも調教された犬のようだと無性に腹が立つ。牙を抜かれてしまったのかと直接確認してやらねば気が済まない心算であった。

 

 こんな情けの無い奴に俺は翻弄されたのかと・・これでは俺の立つ瀬がない。

 

 力だけが取り柄の奴がなに勝手に俺の知らないところでやられている!?

 

 今の俺を見ろ。

 

 目が潰されてるとか関係ない。全盛期の俺が見れるのは今この時だけ。夢が続く限りの期間限定なんだぞ!?

 

 それなのにお前は地面ばかりに俯いていつまでも蟻の数でも数えているつもりなのか。

 

 そんな奴ではないだろが!!お前みたいな女は蟻をプチプチと執拗に潰しているのがお似合いだ!!!

 

 蟻と俺、どちらかなど比べるまでも無い。

 

 情けの無い姿を晒すな!

 

 ここで・・・この衆目でどちらが上か理解させてやるよ!!ケツ舐めやがれクソがよ!!

 

 恋都は爆発しそうな複雑な思いを抱え勢いよく飛び出したものの柵を乗り越えた。

 

 

 ――――――だがその先は、なぜか弁護士側の席であった

 

 

「――――――!?????」

 

 何が起きたのか、まったく認識が及ばなかった。何とはなしに女王に顔が向いたのは”ここ”の支配者が彼女であるとなんとなく理解していたからか。

 

 

 もうすでに次の演目は始まってしまっていたのだ。

 

 

「いやー待ってたよー。遅れるって聞いていたけどよく間に合ったね、弁護人ちゃん」

 

 女王はニコニコと微笑みながら指を鳴らす。するとどうだ。道中の戦闘などでボロボロだった俺の服が途端に礼服に様変わりする。だいぶ着心地がよろしい。いい素材使ってるな。

 

 ・・・着心地とセンスの感想はひとまず置く。やはりこの女の仕業か。それとこの立ち位置、一つ疑問がある。物語としては弁護側ってもともとアリスの役割じゃなかったか?あれ証人だっけ?

 

「どういうこと?話が違う”ッ!!」

 

 突然ヒステリックな金切声が響く。声の主はちょうど俺の対面側からだ。

 

 ・・・??・・な、なんだ・・あいつは。

 

「どうしたのかな。検事ちゃん。急に声を上げるなんてびっくりしちゃったよー」

 

 わざとらしく小首を傾げ指で頬を突く女王。小馬鹿にしているようにも受け取れるその態度が勘に触れたのか検事ちゃんは発狂したように机を叩き叫ぶ。

 

「なんで弁護人がいるののおおおおおおお!!聞いてないッ!聞いていないッ!嘘つきッ!!?こんな奴知らないッッ!!」

 

「もーうるさいよーぷんぷん!弁護人の数の埋め合わせが間に合ってしまったんだからしょうがないんだよー。まあこれも必然の運命だと諦めて楽しもーぜ。イエイ!イエイ!」

 

「ちょッ!ちょっと待ってくれ。弁護役は本来あの子だろ!?人違いだ!」

 

 恋都は傍聴席の最前列でぽつりと取り残されたアリスを指さし間違いを指摘する。

 

 それはアリスの役割だろ。それでは話が破綻する!アリスこそが主人公なんだぞ!

 

 それなのに・・・女王は興味なさげに首を振る。

 

「・・・別にあいつでもいいけど、あの子に弁護人ちゃんが務まる?大丈夫?心神耗弱っぽいしなんかやだー女王は不服だなーあんなの」

 

「・・それは、そうだがっ」

 

 指摘はまさしくその通りだと思う。一言も喋ることもなく自己主張に乏しいアリスに弁護などできるはずもない。そもそも断頭台の二人と面識があるのかもわかっていない。それでどう弁護するんだ。男のほうは俺も初めて見る顔だ。天鳴より引き抜いたどの情報にも載っていない。グレイズと同じパターンか、それとも・・・

 

(・・・・・・・・・・どうする?)

 

 物語が進行し始めている。その事実が恋都を焦らせる。不純物を排す為にクラウン達から強引に離れたのに、その恋都自身ががっつり物語に食い込んでいるのでは意味がない。それもアリスと入れ替わる形。

 

 それもこれも軽率な行動の代償か―――

 

 だが、なぜアリスが不在なのにストーリーは進行する?進行できるのか!?これ、まだ取り返しがつくのか・・・?

 

 その上で・・俺は逆に女王に聞きたかった。物語の都合上ここはアリスじゃなくて本当にいいのかと。こうもあっさりと主要人物である女王に拒否されると思ってもいなかった。チシャ猫と同じ存在の女王が否定の意を示すとなると、やはりこいつが物語の進行を妨害している刺客・・?

 

 待て、決めつけるには早計過ぎる。女王は元からアリスに対し無理難題を押し付ける人物だった・・気がする。

 

 敵対的なスタンスはむしろ正しいような。

 

「あ、そうだッッ!あいつの代わりに君が弁護人ちゃんをやればいいよ!うんうんそれがいいよ~決定~裁判長たる女王ちゃんも認めちゃう~はい勝手に承認。いえ~い早い者勝ち~」

 

「はあ!?聞いてない!そんなの無効!認めないッッ!!無効無効無効!死ねッ!」

 

「はい裁判長バリアー。これによって無効を無効とします。この宣言に更なる無効は処理しませ~ん。はい女王の勝ち!やはり偉いな~女王ちゃんは~」

 

「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あああ死ねえええええッ!!」

 

 思い付きで弁護人に任命されたことに恋都はますます困惑する。

 

 あ、そうだって・・なんだその適当さ・・・まさか敢えて俺と言う不純物を取り込み物語を破綻させるつもりなのか?

 

 俺は・・・罠にかかってしまったのか。獣共の洪水に巻き込まれた時点でアウトだっのか!?

 

 検事が食って掛かるように声を上げるも女王は気にしていない。検事からやかまし気に顔を背け何かを探るように俺を見据えている。光の無い漆黒い眼から感情が読み取れない。笑っているようでその実笑っていない。仮面を張り付けている。

 

 何もかも見通しそうな相貌を前に俺はたまらず目をそらす。妙なプレッシャーと好奇心を発する小さな女王はとても子供には見えなかった。

 

 強大な何かを相手しているようだった。これまた初めて相対するタイプの相手。

 

 考えが・・・まるで読めない。

 

「弁護人ちゃんもその方がいいよね~やっぱり司法国家を謳う手前、形だけでもやっておかないと反乱起きちゃう!処刑が見世物の時代は終わったんだもんねー素敵な時代にレボリューション~!」

 

 いや、どこの世界に処刑場と併設した法廷があるんだよ。これ見よがしな殺意が隠しきれていない。死が直結しているため司法国家を名乗るにしてはどうにも野蛮だ。最初から死刑確定の結果の決まった茶番の表れか?

 

 品性とはあまりにも遠く良識はどこへいってしまった。

 

「不死者の分際でえええええ、邪魔なんだよおおお!そうだ!さっさと辞退しろ恥知らずああああああッ!!!どっかにいけよおおおお!死ねよぉッ頼むから死ねよォッォ!!」

 

 対岸の検事席からの呪詛が今度はこちらに飛び火する。罵倒と共に投げられた石が頬を切る。完全に女王からのとばっちり。歯ぎしりがここまで聞こえる。なぜこうも俺に怒りを向ける?

 

 ・・・あまり顔を合わせたくないが仕方なく正面から検事の姿を拝む。

 

(・・・・・どういうことだ?)

 

 驚くことに検事もまたアリスと同じ金髪碧眼。身体的特徴もまた同じで決定的に違うのは服装と年齢だろう。半狂乱の彼女の顔は感情のままに歪むもそれでもまごうことなき美人の範疇。でも、そのスーツはサイズ的に少し無理があると思う。裁判長あんなのありかよ。なんか言え。指摘しろ。

 

 いや・・・それはいったん置いておこう。

 

 特筆すべき点。彼女は・・・大人であったのだ。 

 

 アリスが順当に成長すればこのような姿になるのだと妙に納得してしまう。子供の様な言動と癇癪で台無しだが成人している。とても子供が出せる色気ではない。

 

 これが検事として機能するのか甚だ疑問ではある。

 

 ・・・・とりあず手でも振っておくか。しかも両手でだ。体も揺らそう。ぐわんぐわん。

 

「ああああああああああああああああああああああッッッ!!!!不細工な猿が手を振ってるうううう!!!むかつくううううッ!!!!アリスが犯されてるよおおおおおお!」

 

「あははは!君もアリスじゃないか~しっかりしてよね検事ちゃん」

 

「う、うじゅう、うじゅるぅ。女王ッアイツを殺してよっ殺せ殺せッツッ!視界にいるだけでイライラずるッ!!」

 

 おかしそうに女王は笑うも、やっぱり笑っていない。怖い。笑うフリをしながら俺の事をしっかりと見ている。どうしてこうも恐れを抱くのだ・・・

 

 それにしてもアリスかぁ・・・こいつもアリスなのかぁ・・・どうなっている。

 

 しかも俺が不細工だときた・・・・少しだけ仲良くできそうだなと思えた。

 

 

 

 はあああああ、まともな奴が一人もいない。気狂いどもに法は正しく適用できるのだろうか?

 

 どうにも状況が混迷になってきた。やっぱり二人もアリスがいるとか意味が分からない。唯一無二の成長したアリスが現れるとか想定できるか。俺が攫ったアリスと、どちらかが偽物と考えるべきだろうが判断に足る要素が余りにも少ない。なんで二人もいるんだよ。

 

 アリス検事は明らかに頭がおかしいし、こいつではないと考えたいしそうであってほしい。これは個人的な願望だ。

 

 だがオリジナルアリスが長い年月を果て正気を失った可能性を具現化したとも捨てきれない。あれがアリスと仮定するならこのまま物語を進めることは問題ない、のか・・・?

 

 一応裁判と言う盤上にはいるのだしな。

 

 裁判が開廷しようとしているのは条件が揃ったからともとれる。主役のいない物語など始める意味も無い。こいつがアリスとかすごく嫌だなあ・・・でも喋るし意思疎通もできる。いままで出会って来たアリスっぽい奴の中では初めての個体。相対的な批評だが考えようによってはある意味まともではなかろうか。

 

 もう一つの可能性として、実はアリスって複数いるのではなかろうか。帽子屋もチシャ猫もアリスが一人とは言及してはいない。観客どももアリスと同じ格好をしているのも意味深で謎だ。

 

 夢の住人は助言はするが肝心なことは何も言わない秘密主義者だ。ああしろこうしろと勝手に願いを仄めかす。他人頼りの干渉者。自ら干渉できない制限があるのだろう。誰しも産みの親は殺したくないか。ただ単に自身の手を汚したくないだけなのか。

 

 その癖アリスを助けろと言うだけ言って現地解散する始末。そかもそれが殺害だと宣う。涼しい顔で静観する女王もその同類だろうから油断ならない。夢の住人ってどいつもこいつもキメてんのか。

 

 もう何を基準に考えればいいのかわからない。考えるほど底なし沼に飲み込まれているようである。それもこれも魔術やら異能やらの超常現象の存在が大きい。それらは元の世界の常識からかけ離れ、大きな力を持つためか異世界人の俺にはどれほどのものか測りかねる。

 

 この世界における現実と非現実の線引きが不透明すぎてなんでもありのように感じてしまうのだ。これで正常な判断などできるものか。先ほどのアリス検事の不死者発言もこの世界の住人にとって知っていて当たり前の情報なのかもしれない。情報アドバンテージは常に向こうにある。

 

 ・・・これ以上考えても無駄な気がしてきた。俺が選ばれた理由も不透明。真実を見極めるためにもこの裁判には弁護人として関わるしかない。目の前のアリスは検事役で現れた。こいつがオリジナルの魂かどうかはまだわからないがイグナイツを救うにはアリスと敵対することになる。

 

 支配者たる女王に巻き込まれた時点で物語から逃れることはできそうにない。つつがなく進行させるにも情報が必要だ。

 

 この裁判でアリスが本物かどうか見極めてやるしかないのだ。

 



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第48話 狂言裁判

 

 裁判が―――開廷する。

 

「裁判長、少しでいいので被告と話をしてもよろしいですか」

 

「うーん・・・だめ!」

 

 恋都は手始めに情報収拾を行う、が早速躓く。

 

 形だけの裁判としてもここからは言葉遣いに気をつけねばならない。無駄かもしれないが印象だけでも良くしておくべきだろう。

 

「この者たちの名前や罪状を伝えなくては被告に対し確認にならないのでは・・・」

 

「大丈夫!ここにいるみんなは知っているよー!だから弁護人ちゃんはそこにいるだけでいいよ!あ、寝ててもいいよ!女王自ら起こしてあげる光栄に打ち震えるがよいー!!」

 

 みんな知ってるってなんだよ。俺はまったく知らされていないんだが?

 

 ガンガンと無駄にガベルを叩きつける裁判長役の女王。罪状の認否も行わずにやはり問答無用で処刑するつもりか。さすが女王様、なんでも無理を通す。

 

「―――ッグ!?」

 

 傍聴席から飛来した石か何かに恋都の額が割れ血を流す。裁判長には適当にあしらわれるし傍聴人やアリス検事には頻繁に石を投げられる。こんなのありかよ。止めろよ裁判長。行儀のいい俺がバカみたいじゃないか。

 

 女王にお前に国は愚民ばっかじゃないかと言ってやりたかった。

 

 あたり一面から呪詛の混じる煙火でくぐもっている。味方は何処にもいない。四面楚歌とはこのことか。

 

 挙句の果てには汚物を投げてくる始末だ。とっても臭い。やっぱりお猿さんだ。

 

「アハハハハハハハキモイよぉぉ臭いよお。いったい何しに来たのうお?ゴミ野郎」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 ・・・残念・・・だなアリス検事。せっかく仲良くなれると思っていたのにそれは俺の勝手な思い込みだったのか・・?

 

 俺からの・・・好意を裏切りやがって野猿の分際で。

 

 ・・・・・・・・・断頭台が・・・・準備されていることからどう考えても二人を死刑にする気満々なのは馬鹿にでもわかること。男の方はよく知らないしどうだっていい。だがイグナイツの処刑は認められない。

 

 ・・・こいつには俺という存在を刻み込み正々堂々に打倒する。これまでの恨みを絶対に晴らす。

 

 ずっと考えていた。出会ったあの時、俺が五体満足でさえあれば絶対に立場は逆だったと。俺はああも醜態は曝さなかった。学園の女の様に媚びたりなどしない。本来であれば俺が上でイグナイツが下。暴力さえあれば負けたりなどしなかった。

 

 泣いて俺に助けてくれと縋るのがイグナイツであるべきなのであって、そういう姿がイグナイツには相応しい。それならば少しは、まあ、うん。協力してもいいかな~て思わなくもない。うん。見た目だけはいいからな。傍に置いておくだけでも価値はある。本当に、それだけだから。別に好みでもなんでもないから。

 

 ああいう狂人に対して嫌悪感よりも安心感を感じていただなんて口が裂けても言えない。

 

 知りたくなかった。狂人と自身を比べ俺の方がマシなんだと優位性を得ていただなんて。

 

 この報復はいたって正当なる行為。払拭するためにも勝ち逃げだけは許されない。やられっぱなしは性に合わない。俺がどこまでも男でお前は女だってことを示さねばいけない。奴の中での俺は保護しなくてはいけない存在と言うナチュラルな上から目線を覆さねば気が済まない。

 

 忌々しい元の世界に抱く鬱屈した劣等感からくる殺意とはまた違う、純粋な俺だけの殺意。ここまで殺意を抱かせたのはお前が初めてだよ。

 

 思いっきりぶん殴って謝罪させて、それから・・・どうするんだろ。まあ、その時考えればいいか。

 

 そのためにも物語を進行させつつイグナイツを助けつつその後半殺しにする。矛盾しているがそうではない。

 

 そもそもこの裁判。本来のストーリーから大分外れた内容だ。ある程度のアドリブは許されるはず。大事なのはこの一幕をなんとか終結させることだ。

 

 この現状をどうにか打開しなければ――――永遠に俺もアリスも次に進めない。

 

 そう。なんとかしなければ、いけないのにッ!

 

 現状を切り崩す取っ掛かりが見つからない。このままではすぐにでも死刑が執行されてしまう。

 

 暗黒の中でいくら暴れても誰にも周知できやしない!!

 

 だが、そこに一筋の光が差し込む。

 

 

 

「待て!聞いていれば勝手が過ぎる。僕は聞きたいなッ!!彼らの罪状を!」

 

 

 

 騒めく獣たちの合間から清廉な人間の声が割り込んだ。傍聴席の最前列。怪しげな少女でひしめき合う中、取り残されたアリスの横にグレイズとクラウン大主教がいた。

 

「はあ!?なんだぁこの知らない人!?なんだって―――」

 

「はいはい静粛に!面倒くさいけどー知らない子がいるならしょうがないなー本人確認と罪状確認はしないとね」

 

「あ”あ”あああああああああああ!?なんのつもりなのああああッッ」

 

 突然のグレイズの一声にあっさりと否定を覆す女王。彼らはいつの間にここに来ていたのか。

 

 まさかこの俺が聖王国の人間に助けられるとは・・・勝手に消えた俺になぜ手を貸す。

 

 アリスを攫ったこの俺を・・・

 

「いったい・・・どういうつもりなんだ・・・」

 

「・・・勇者様、確かに急な行動には驚きました。いろいろとお悩みの様子だったのに、それほどまでに勇者様の焦りを察せれなかった僕の度量不足です。だから敢えて聞きません。少しでも勇者様の助けになればと勝手に馳せ参じました!!」

 

 なんだ。彼は、やはり馬鹿だ。

 

 どれだけ勇者を盲目に尊敬しているんだ。勇者信仰からくる行動だろうがその純真さは美しく恋都にはそれが素直に受け取れない。掛け無しの善意すらも疑わしく裏の意を探る。

 

 そんな自分とグレイズを比べることで劣等感が生じ、ここにきて初めてクラウンのおまけでしかないグレイズの存在を強く認識した。

 

 赤の他人が知り合いになった瞬間であった。

 

 その隣から補足するようにクラウン大主教が口を開く。

 

「勇者様、私からも謝罪をしなければなりません。アリスについて話をしておけばこのような行動を起こさせることもありませんでした。完全に私の不手際です」

 

「アリスについてだと?・・・・部外者のあんたが今更何を語るの」

 

「彼女はアリスではありません。完全な別人です。神に誓って真実だと申しておきます」

 

「・・・なに?」

 

 神に誓うと来たか・・・その言葉の重さの意味は恋都も理解したつもりだ。

 

 ・・・それだと消去法的にあのアリス検事が正統なるアリスということになってしまうじゃないか。

 

「そして、そこの彼女の正体は―――」

 

「あ、そいつらつまみ出しちゃって~~」

 

 女王の一声に反応した周りの傍聴人はグレイズ達三人を入口へと押し出していく。抵抗する間もなく物量に圧され姿が消えていく。

 

 クラウン大主教が大声で何かを伝えようとするが騒めきにかき消されてしまう。

 

 クラウン大主教の異能を警戒したか。いったい何を伝えようとしたんだ・・?

 

 恋都は裁判長の顔を窺う。相変わらず何を考えているのか見えてこない。ここでの支配者はこの女王で間違いない。グレイズ達と共に俺が連れてきたアリスをもこの裁判から退場させたあたり、あの無言のアリスはオリジナルアリスの魂では無かったのか。主役がいなくては物語が進行するはずもなし。

 

 やはり消去法でアリス検事が本当のアリスになるな・・・うわあ、いやだなぁ。

 

「わふふ、お友達がいなくなって心細い?逃げてもいいよ。でも愛しの彼女はこのままだと死んじゃうよー君には最後まで付き合ってもらうから」

 

「っやっぱりおまえがこの盤上の支配者か」

 

「・・盤上の支配者?ふ、ふふふ。そう来ちゃうか・・・面白い表現をするねー。ならさ、お望み通りゲームといこうか。――――――ここは女王たる我がテリトリー。恙なく進ませてもらおうか、なあ人間。好きに勝手にアリスと戦えばいいんだよ。是非とも足掻いてくれたまえよ~」

 

 ガベルが打ち鳴らされ改めて場を仕切り直す。だが俺はまだ答えを聞いていない。

 

「結局この被告は誰なんだよ!ちゃんと宣言しろっ・・て、ッッな、な!?」

 

 今まで首の上で留まっていたギロチンの刃がゆったりと軋んだ音を鳴らせ上昇する。長い時間をかけようやく中程で止まった。

 

「どういうつもりだ!?死ぬにはまだ早い!」

 

「おいおいどういうつもりもなにもダメじゃないかご覧の有様だよ~。前提として弁護人ちゃんが被告の名を知らないなんて、やる気あるのかなー。さっさと死刑にしたいのならそう言ってよね。ぷんぷん」

 

「あっははははははははははは、馬鹿だこいつううう!あはははははは無知なる愚者とか救いようがないよぉ~!弁護しに来たのか殺しに来たのかはっきりしろよぉ~~あひゃははぶへぇ」

 

 こ、いつら・・!

 

 いい加減我慢の限界だ。プルプルと拳を握り込み睨みつけるも、それを面白げに笑い飛ばすアリス検事。俺は完全に舐められていた。こんな栄養が偏っていそうな、肉ばかり食ってそうな女にこのまま負けると言うのか。俺は野菜も喰うのだぞ!!

 

 今のギロチンの動き・・・どう考えても俺の弁護人としての行動が直接処刑台に直結している。弁護人としての振る舞いから逸脱すればそれだけ被告の運命も死に近づく。つまりギロチンの刃が天辺まで到達すればゲームオーバー。そういうゲームか。

 

 ゲームなら公平さを保て。事前に説明しろ。もう半分も余裕がないんだぞ。とてもじゃないがまともな裁判ではない。有罪が確定すれば被告人は量刑無視の即死刑。本来の物語における裁判の一幕を利用して二人を殺すのが目的か。

 

 アリス検事が死刑を望んでいる。そして俺はそれを望まない。戦うしかない。

 

「おらおらあ!答えろよう被告が何者かをさぁ!グズの能無しイ〇ポ野郎が!」

 

 アリス検事が机を叩き囃し立てる。動揺を曝したためウッキウキで攻めてくる。隙を見せるとこうなる。

 

 よりにもよって・・・アリスが俺の敵なのか――――いや別にそれはいいな。

 

 ああ、もうここで回答を誤れば次は無い。

 

 それがわかっているからこそ、読心の異能を持つクラウン大主教を遠ざけたのだろう。

 

「・・・・・」

 

「弁護人ちゃん、早く答えてね。余り気が長くないんだよ?」

 

 裁判長であり女王を冠す者がニコニコとした癇に障る笑みを浮かべ法壇から俺を見下ろす。あくまでも中立気取り。立場を利用し傍観者であることを楽しみつつ適度に口出す一番面倒な奴。

 

 すぐにでも答えは必要だ。

 

 恋都は改めて処刑台に固定された男を観察する。この男の情報は天鳴のデータベースには記録されていない。グレイズのように外界からの来訪者である可能性もあるが、それでは傍聴席の群衆どもにここまで殺意を抱かせる理由にならない。法廷に足を踏み入れただけで感じるほどのどろどろとした殺意。それはとても重く殺意の対象ではない俺ですら体を竦めてしまうほど。

 

 吐き気を催す殺意の出どころは主に傍聴人席からとアリス検事。何より決定的なのが一瞬見せたクラウン大主教の侮蔑と殺意の籠った視線。恰好の共通点、イグナイツがセットで処刑されそうになっていることから、恐らくこの男こそ幽霊が言っていた・・・

 

 

「――――――ゲ、ゲームマスター」

 

 

 今までの発言から推察するに皆は猛烈に死刑を望んでいるがそれはイグナイツに対してではない。イグナイツは隣の男の巻き添えを食らってここにいる。ここに連れてこられてから冷静に周りを観察する処刑台の男。少しの可能性も見逃さまいと生存を模索する貪欲な眼。

 

 夢の住人にここまで殺意を抱かれる人物は一人しかいない。

 

 この男はイグナイツの父。異変の中心であるゲームマスター本人だ。

 

 これがアリスを900年近く苛め抜いた奴に相応しい末路なのか。正直、俺はゲームマスターの生死に頓着していない。大事なのはイグナイツの命ただ一つ。

 

 

「うんうん。正解、ようやく本編に進めるよ、そう彼こそが元凶たる元凶の一人。本名は、まあ必要ないか。どうせ死ぬ。いずれ死ぬ。早いのも遅いのもここでは些細な違いだもの」

 

 どういうことか女王からはゲームマスターに対する感情が何も伝わってこない。まるでどうでもいいと言わんばかりに、ただ純粋にこの場を楽しんでいる。

 

 夢の住人からしてもオリジナルアリスを生き地獄を味合わせたこの男は許せないとばかり俺は思い込んでいたが、違う・・・のか?

 

 この余裕はいったいなんなんだ。どんな望みを抱いてここにいる?アリスと俺を鉢合わせて何をさせたい??

 

 わざわざ関わってくる理由があるはずなのだ。

 

「さて罪状の確認だけど・・・」

 

「・・ねえ、いつまでこの茶番を続けるつもりぃぃ!罪状なんざどうだってッいいよおぅお!」

 

 女王が罪状を確認しようとするもアリス検事から異議が飛ぶ。

 

 おかしいな、アリス検事は俺に対し罪状の確認をしてくるとばかり身構えていたのだが自分から必要ないと宣言した。

 

 処刑まで目前なのだ。相手からすれば少しでも上げ足を取りたいところをなぜ・・・なにを焦っている。

 

「見て!言葉にせずともアリスたちは知っている!望まれずに産まれ勝手な都合により殺されていった同胞たち!ここにいる全員が証人なんだよぉ!!!」

 

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!」

 

 湧き上がる獣の歓声が不快なハーモニーとなり震える空気。頭がおかしくなりそうだ。

 

「ま、君がそれでいいなら別にいいけどさ。あーもう、うるさいなぁ。みんなして喚かないでよ。やになっちゃう~――――――そこッ!部外者ちゃんは入ってこないでね!」

 

 突如、興奮した数名の傍聴人が境界を超え踏み込むが首に縄が掛かり空へと釣り上げられる。そいつらは激しくバタバタと足をバタつかせ手を首の縄に掛けるも数秒後に沈黙した。何かがボタボタと空から垂れてくる。

 

「でないとこうなるよ」

 

「うええ、マジかよ」

 

「うわ汚な。そしてクッサ。――――はぁぁぁヤになっちゃうね♪」

 

 女王は何処から取り出したのか傘を差しうんざりとした顔で笑みをこぼす。もう誰も境界を踏み越える者はいなかった。

 

 ・・・一応の、ゲームの体裁は取るようだ。一気に帰りたくなってきた。

 

「・・・殺したのか?」

 

「うん、死んだよ」

 

 ・・・?

 

 どういうことだ。夢の住人ではアリスは殺せないのではなかったのか。それに、

 

(・・・アリス”たち”と来たか)

 

 ・・・さて、これで鬱陶しい傍聴人どもの気勢が削がれるのかと言えばそうでもなく。

 

 先ほどよりも数が増え辺りをひしめく麻袋の群衆。湧き上がる怨嗟が地震を起こす。まさかこれ全部がアリスだったりするのか。さっきのアリス検事の発言はどういう意味なのか。地平線の限りをアリスが埋め尽くしているではないか。何人いるんだよこれ。異様な光景に焦りと不安、気味の悪さを感じる。何処を見てもアリス、アリスアリス・・・改めて何でもありの夢世界だからこそ可能な光景だと実感する。

 

 動物園の動物たちはこんな気分なのか。あらゆる角度から粘ついた視線が突き刺さる。

 

 ・・・もし本当にここにいる傍聴人たちがゲームマスターに殺されたことが事実ならやはりゲームマスターは死ぬべきだろう。

 

 こんなことが現実であって堪るか。ここにいるアリスの数だけ現実で死んだなどと・・嫌な妄想が頭によぎる。異能が発現しなかった選別され不要と見なされたアリスの末路がこれなのか。死んだ有象無象のオリジナルアリスの子供の魂は全て夢世界に終着していた?

 

 アリス検事の言葉からA種らはオリジナルアリスの子供であると示唆している。異能持ちの数の少なさからして、異能を持たずに産まれた個体は処分されるのだ。それも900年間もの間ずっと。でなければこの数はあり得ない。いやそれでも多すぎる。死んだ者の魂は夢でも怨嗟を吐き続ける。魂とはいったいなんだろうか。

 

「おや、どうしたのかな弁護人ちゃん。顔色が悪いけど」

 

 そりゃ悪くもなる。こんな奴の弁護をしろとか勝ち目がない。おまけに死人に囲まれ石を投げられるんだ。血生臭くていけない。

 

 ここからどう無罪を勝ち取れというのだ。ゲームマスターが死ぬのは当然の末路ではなかろうか。具体的な内容はわからないが900年間ずっとA種の厳選していたとか正気の沙汰ではない。そもそも一年間で産める子供の数は限られている。900年とは言えここまで子供が作れるはずがない。出産での母体への負担は相当なものだ。何かしらの処置を施されているのだろう。

 

 ・・・オリジナルアリスは果たして今も人の形をしているのだろうか。

 



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第49話 狂人アリスの最終証明

 

 さて、ここで俺のスタンスの話をしよう。

 

 弁護するにしてもだ。法廷で戦うならば立ち位置は明確にするべきだ。

 

 心情的に俺はアリス側の人間だ。俺がここまで苦しんでいるのはゲームマスターのとばっちりのせいなので死んで当然と思う。

 

 だがイグナイツは関係ない。子供が親の罪を背負う必要はどこにもない。それがどうにも我慢ならない。どうせここで無罪を勝ち取ったところでゲームマスターの生存は難しいだろう。後が怖い。なぜ裁判の形式にこだわったのかは知らないが、ここで処刑できなくとも多少の誤差に過ぎない。

 

 どうせ死ぬのならば・・・勝ち目が薄いのならば、もう遠慮する必要性はどこにもない。恨むなら俺にでかい石投げた奴を恨め。

 

 まともでないなら、それに沿うまで。もうヤケクソだ。

 

「裁判長、質問してもよろしいですか」

 

 どうぞと言わんばかりに女王が壇上でガベルを叩き発言を促す。仕掛けるのなら今しかない。質問攻めにあっては受けきれない。受け皿となる知識がまるで足りない。

 

 どうせまともな裁判じゃないのだ。裁決は女王の意のまま。そんなに楽しみたいのなら楽しませてやる。

 

 栄光を得るには恥を捨てギリギリを攻めるしかない。

 

 さあ論点をすり替えようじゃないか。気狂い裁判の開廷だ。もう後の事は知らん。俺が泣くのも後でいい。この狂った世界に相応しい弁護士を・・・演じるまでだ。

 

 

「――――そもそも彼女たちは本当にアリスなんですか?」

 

 

 当初からの疑問。アリス検事が夢におけるオリジナルアリスの魂としてだ、傍聴人全員がアリスってどういうことなのだか。

 

 A種がアリス扱いされていたことといい、オリジナルアリスから産まれた子供もアリス扱いされているのはなぜだ?

 

 アリスとは唯一無二なる存在である。他に二つと主人公たるアリスがいるはずもない。こいつらは本当にアリスなのか?そうあれと望まれただけじゃないのか?物語にアリスは二人といないし、いらない。

 

「・・・・はああああああああッ!!?不死者の目玉はガラス玉かぁッ?どこからどう見ても私は完璧なアリスでしょおおおおおおッ」

 

「さっきからうるさいぞ低能。検事を詐称するなら証拠を出せ」

 

「あ、ていっうぎががガッ。殺してやるッおまえも処刑場に送っでやるッ」

 

 彼女らが誰かなど些細な問題だ。大事なのはこいつらが本当に被害者である”アリス”であるかの立証ができるのかだ。証明ついでにいろいろとことの全貌や本物のアリスが見えてくればなおよし。ここは挑発的な態度でいくべきだろう。そうであろう。不敵に笑って余裕を繕うのだ。

 

 それに、なぜだろうか・・この女はどうにも癇に障る。敵対することにまるで抵抗を感じない。帽子屋や女王、チシャ猫とは致命的に何かが違う。どうにも他の同胞とやらからも浮いている。だからこそ気になりもする。

 

「アハハハハハハハハハハッヒャハハうヒヒィ!!」

 

 アリス検事は突然発狂したように笑う。それにつられるように愚か者を見る目で取り囲むアリスもどきも俺を指さし笑う。具にも劣る人語も介さない獣の分際で俺を笑うか。それで文明人のつもりか。気取りやがって。便乗するしか能の無い風見鶏が。

 

「この白痴がああ!同じことを何度聞き返すつもりだ出来損ないがあぁぉおあ。ぎぃやごあ」

 

「おっと怒らせてしまったか、すまない。謝るよ」

 

 アリス検事は口の端から泡を吹きつつも怒り狂う。これでも様になるのだから美人は得だな。どうせ無茶苦茶な裁判だ。ここからもっとかき乱していくぞ。場に馴染ませ流れの主導権を手繰るのだ。朱に交われば赤くなると言うのなら証明してみせるしかない。自ら変革を起こし時流を味方につける。俺の色で環境を席巻してやる。

 

 早速だが効果は表れ始めている。このまま少しずつ話の方向性を変えていく。

 

「で、証拠はどこにあるんだ。糞みたいな証言はもうたくさんだが?」

 

「アリスを見ろォ!このうすらボケェッどこからどう見てもアリスでしょおぉ」

 

「そうは言うがね・・・君は周りの子と違っていつもの服装じゃないんだね。全然アリスだってわからなかったよ。その服・・かっこいいね」

 

 いろんな意味でな。

 

 アリスが身に着ける検事服(スーツ)はこう・・いろいろとおかしい。本人がまずやたらと発育が良すぎるのがいけない。服のサイズちょっと合ってないしどうにも露出が多い。パッツンパッツンに張っている。神聖な法廷でその恰好はヤバイな。なぜ、胸元を開いてるんだ?

 

 こいつに色気を武器にできるような器用さは兼ね備えていない。そもそもその自覚が無い。それでは武器にならない。

 

 その姿を俺が皮肉気にまじまじと見ているのにアリス検事は誇らしげだ。純真さが恥を恥だと認識させない。自分の姿に一切の疑問も抱いていない。天然モノかよ。

 

 これ明らかに誰かに着せてもらっただろと、そう思った時、すぐ傍で空気が漏れる。

 

「ブホェッ!―――ッいや、ごめんごめん続けてて・・・・・ッッ」

 

 ―――――いや、おまえかよ。

 

 机に伏せ笑いを殺す女王。なんだこいつ。本当になんだこいつ。行動が謎すぎる。まあいい、行動不能になっているうちに話を進めよう。

 

「―――俺が言いたいのは自身がアリスである明確な証拠を提示しろ、だ。何をもってアリス足り得る?口ではいくらでも言える。そんな服なんか着ちゃって、検事だからってアリスの象徴の一部を捨てるのか?それでアリスのつもりなのか。エプロンドレスはクリーニング中か?なあ自称アリスさん?周りよりもアリス性が劣っているぞ」

 

 アリス性ってなんだよと勝手に飛び出た言葉。頭が回っていないのに口ばかりが先行する。大事なのはそれっぽさだ。

 

「・・う”・・・・おッあ、え?オウゲェェッ」

 

「・・・・おい、大丈夫か!?」

 

 突然アリス検事が嘔吐する。そのまま机にガンガンと頭を打ち据える。メンタルが思ったよりも脆い。何が琴線に触れたのか苦し気だ。俺は訳も分からず行く末を見守るしかない。

 

 でもそれを指さして笑う傍聴人どもはなんなんだ?味方じゃないのかよ。

 

「う、うぅ。ウッるさいよ!!アリスはアリスなのぁう。誰がなんと想おうがアリスのはずなんだぁッ」

 

「――――――それはどうかな?君よりも彼女たちの方がよっぽどアリスじゃないか」

 

 大げさに腕を広げ視線を誘導する。下を向きがちのアリス検事の視線を周りに移す。

 

 目に映るはアリス検事を笑う獣たち。顔を真っ赤に癇癪が破裂する。

 

「なんだってぁッ!?そんなわけないィッッ!!わ、笑うなあああああ。真なるアリスを笑うあアアア。こんな出来損ないの不細工共がアリスよりアリスしているっ!?どいつもこいつも醜いアリスなんて死ねよおおお!」

 

 その一声に傍聴席から非難の声が挙がる。恋都に飛ぶ石の数が減り検事の元へと石が飛ぶ。検事も応戦し投げ返す。わかっていたことだがこの裁判もうめちゃくちゃだな。

 

「そうかな?エプロンドレスに金髪でなにより少女だ。それに比べ君という奴は・・・どこの誰だよ」

 

「う、うギギッギぃーぎぃぃ」

 

 勢いよく頭を掻き毟るアリス検事。また額を机に打ち据える。

 

 なんだよ、この反応。なぜそうも疲弊する。そんな姿を見せられたら攻めるしかないじゃないか。結局、アリスを証明する方法はないのだな。いいんだなそれで?

 

「あららその姿が気に入らないのかい。じゃあ、衣装チェンジしよっか。それなら文句はないよね~」

 

 ほら来たと、女王が指を鳴らすと、アリス検事の服装がエプロンドレスに変わる。余計な真似をしてくれる。

 

 だがな、もう遅い。楔は打ち込んだ。もうそういう問題じゃないんだよこれは。そんなことでは止まらない。

 

 

「・・・それで気が付いたんだが驚かずに聞いてくれ、誰にも内緒だぞ・・・・ここだけの話。俺も・・俺がアリスかもしれない」

 

 

「・・・・ッ!??、何言ってるんだ、男のおまえがアリスなわけないッ!!」

 

 まったくもってその通りだ。俺がアリスなはずがない。だがこの主張を覆すことなど誰にできる。ここは根底的に狂った世界だ。狂気に身を委ねればそれもまた真実となる。なんせここは夢の国。自由が許されるのがここの住人だけかと問われればそれは違う。

 

 不死者の俺ならばある程度の無茶は通せる。主導権は、握らせない。今にも死にそうな君を俺が崖下までエスコートしてやる。これはお前が始めたデートだ。もっとイチャイチャしよう。そう考えると少しだけ楽しくも思える。これが俺にとっての初デートか~。

 

 まずはコーデの時間だ!

 

「!!!??????」

 

 俺は唐突に弁護席から身を乗り出し傍聴席に走ると一番近くにいた・・・というか俺に引っ切り無しにでかい石を投げつけていたアリスの衣服を無理やり引き剥がし身に着ける。サイズの合わないピチピチの衣服を身に纏いリボンを素早くつける。

 

「どうだ?汚らしいアリスから奪ったドレスなコードで着こなしてみせれば、これでもう完全にアリスはアリスそのものだろ?」

 

「――――――――――――はぁぁぁぁ?」

 

「ぷ、ッウクハハハハハハハ!!!?なにそれ~ッ!おもしろ~」

 

 女王は吹き出し笑いこけるが他の誰もが異様なものを見る目で俺を見る。ああまさしく正常な反応だがここでは正しさが真実とは成り得ない。なんだ案外まともじゃないか。正気でいてくれてありがとう。自身の異常性が確認できる。そうだこれでいい。

 

 この調子で俺はアリスの役になりきる。これで本格派アリス。誰がアリスかあやふやで証明できないのならば俺がアリスを主張しても問題ないに決まっている。そうに決まっている。

 

 これで本当のアリスが誰かボロが出るかもしれない。我こそはと思う者は名を挙げろ。悔しくないのかよ。男だよ俺は。男に負けるアリスなど見たくも無い。

 

 来い!こっちは準備万端なんだぞッッ!!アリスに恥をかかせる気か、女のアリスゥ!!これでは本当に俺がアリスになってしまうだろがあああああああ!!

 

「―――――俺、もといアリスは証言する。そもそも誰も殺されてなどいないとアリスはアリスを肯定するわ」

 

 絶句するアリス検事はなんとか声を捻り出す。訳が分からなさが押し寄せ男の熱演に圧倒されていた。

 

「な、にそれ・・・舐めているのォ、ぉ」

 

「アリスは舐めていないわ、だってアリスだもの」

 

「裁判長!こいつを法廷侮辱罪でこいつら諸共処刑することを請求するゥ!すぐにで殺せよっ!!」

 

 アリス検事がどこか縋る様に一声を飛ばすも、女王はそれどころではなかった。

 

 

 

 

 

 

「ひいひい、面白すぎる・・無自覚でこれかあ。お腹が痛くて死んじゃうよぉ~あへへ」

 

 検事の発言を無視しながら女王は満面の笑みを浮かべていた。その笑みはまごうことなき心からの発露であった。

 

 彼は・・・やはりいい。

 

 実際”女王”にはもうアリスの見分けがつかない。この時点で彼は”完成”していた。

 

 確かにこれはアリスだ。とても汚らしいが誰よりもアリス然としている。彼女らには存在しない本気が見える。彼は本気でアリスを演じている。

 

 アリスでないからこそ必死にアリスになろうと努力する。元より自身をアリスだと知っている歪な者たちには不可能な芸当。彼ならではの必死の真似事。無我夢中にまだ見ぬアリス像を追及する。与えられただけのアリスの役に胡坐をかく者には到底できない演じ方だ。

 

 ああ、それでいい。やはり運命は道を違えない。目論み通り、女王たる私を楽しませてくれる。

 

 だからこそ少し惜しくもあるが、今更の話か。

 

 

 

 

 

(なんだ・・?)

 

 恋都は女王が本当に笑っていることに驚いていた。感情の機微をまるで見せなかった女王が・・・

 

 女王は代わりのアリスが処刑かな?と冗談交じりに軽口を溢すも変にツボに入ったのか笑いが止まらない。もうあへあへだ。

 

「なに笑ってんのォッ!!あんなのアリスじゃ・・・」

 

「アリスはアリスなのだが?偽アリスちゃん?」

 

「お”っおまえええ!ふざけるなあああ!!」

 

「ふざけているのはおまえなのだが?やだアリス怖いわ」

 

 恋都はそう言い放ちアリス検事の正面までおしとやかに移動しくるりと一回転しスカートの端を持ち上げ会釈する。

 

 唐突に挟まれる挨拶に思わずアリス検事は見惚れ会釈し返すのだが――――恋都は机越しにアリス検事のよく突出した一部分を乱雑に掴む。

 

 むんずと、アリスにはとてもふさわしくない母性の象徴。なぜこんなものがついているんだか。恥を知れ。

 

「―――――ッん」

 

「感じてんじゃねーわよ。なんだその体は。だらしのない馬鹿みたいな体をしやがって・・まるで牝牛じゃない。これがアリスだと?これのどこが少女なのかしらね。乳首を抓ってあげようかしら」

 

「――――イヤぁ!!ふ、ふぅふッ。オ”ェゥッふぅ、ふぅ――ッうるさい!黙れ黙れ黙れ!アリスに触れるなあ”あああ!」

 

 さっきよりも過剰な反応。俺の手を振り払おうと涙目で必死に離れようとするが俺はそれをしっかりと握りしめる。こいつ・・・女だ・・!

 

 ・・・まさか。

 

 いや、やると決めたならば最後までやり遂げよう。これ以上は何も考えるな。不利なのは依然俺の方なのだ。

 

 フィールのままにアリスに徹するのだ。自然体こそアリスに近い。アリスがアリスを疑う筈がない。本物はただ毅然としていればいい。アリス性よ、輝け。俺を導いてくれ!!

 

「イッ―――ッウ”くぅ」

 

「だから、感じてんじゃねーわよ。下品よあなた」

 

 アリス検事は顔は青ざめながらも・・・息が荒い。なんでこいつはこうなった。誰がこうした?

 

 馬鹿みたいに胸元を開いた服を着るな。なんだその服は男を誘うような淫乱なのか。恥も何もかもかなぐり捨ててしまったというのか?服装の乱れは心の現れだろうに。

 

 その防御力の薄さが現状だとなぜ理解しない。

 

 弱点を晒してただで済むと思うな。

 

 少しずつ鮮明になる恋都の記憶、物語の全貌・・・こんな奴がアリスなものかよ。

 

 物語の中のアリスはもっと毅然としたではないか。狂った住人ども相手に感化されることなく純真さを輝かせ自己を主張し続けた。アリスは狂気の世界でも霞む事無く輝いていた!

 

 大人になってしまったアリスなどアリスではない。そうか穢・・・されてしまったのだな。だからそんな姿をしている。成長した姿からオリジナルアリスの変化も見て取れる。きっと彼女は少女のままではいられなかったのだ。それほどまでに追い詰められたのか。こうもキャラクターが崩壊していると見ていられない。早く終わらせてやらないといけない。

 

「―――なに、触らせるんだッッ!」

 

「ウぶッ―――っ」

 

 胸元に突っ込んだ手を引き抜きアリス検事の柔らかな頬を思いっきり平手打ちする。女王はもうずっと笑っている。抑えの利かない笑い声が木霊する。

 

 なんとも理不尽な話だ。胸を掴まれた挙句に殴られるんだ。俺なら相手を殺してるね。

 

 だが意外にも反撃はなかった。

 

 赤くなった頬を抑えジワリと涙が溢れ出る。

 

 今までの態度はどうしたと言わんばかりに女々しく静かに泣いていた。

 

「う、うウ。ひっくッ!」

 

 机に突っ伏しまるで少女のように静かに泣く。必死に声を抑え堪えようとしている。てっきり激怒するとだとばかり思っていたのだが・・・アリスであるお前はここで泣くか。情緒不安定で可哀想な奴。あっさりとアリスの牙城が綻ぶ。

 

 やはりこっちの方向性で攻めるべきか。まともに裁判を行う必要はない。ここまでメンタルに問題があるのならば心を折り続行不能にするまで。無期限の延期という形で事を終えよう。

 

 俺の知っているアリスはもっと強かった。強いはずなんだ。だれがここまでボロボロにした。

 

 こんなのがアリスなものか。

 

「う”ぅあ・・こ、ここで殺さないと、いけないのに。ここで、ここで・・・」

 

「アハハハハ!!おもしろいなあッ!!アリスの泣き顔は可愛いね!!かわいい!」

 

 なにやら興奮気味にバンバンと机を叩き笑う裁判長たる女王。今にも笑い死にしそうな勢いだ。こいつは・・・まじでなんだろうな。帽子屋ともチシャ猫とも違う考えをしている。アリスを救う気はまるでなさそうだ。

 

「お前はアリスなんかじゃない」

 

「ア”リ”ス”た”も”ん”ッ!ア”リ”ス”は”ア”リ”ス”は”―――ッ」

 

「アリスはこんなことで挫けない。諦めない。そもそも・・」

 

 一拍置き再度宣言する。詰めに掛かる。

 

 

「アリスは誰も死んでいない」

 

 

 そもそもおかしな話だ。死人がどうやって犯行を証明する。ここにいるアリスどもはなんだ。どう見てもアリスは生きているではないか。死人は初めから存在しない。

 

「被告が大量に殺したアリスとやらは何処にいる?皆今も元気に騒いでいるじゃない。元気に石を投げているわ」

 

「そ”れ”は”、ここに、い”る”みんな”魂”を分割した分”体”で・・・」

 

「よくわからないことを、抜かさないでッ」

 

 恋都はアリス検事の背後に回りそのまま服に手をかけエプロンドレスのエプロン部分だけを引き裂きアリスの特徴を奪う。

 

 個性を消しこの場におけるアリスらしさの比重を偏らせる。俺の方がよっぽどアリスだ。やはり何でも着こなしてしまうのか。実にアリスだな俺。

 

 ・・・・どういうことだ・・・なぜ誰も俺に追いつけない??

 

「い”や”、や”め”て”ェッ!」

 

「じゃあ今は死んでいるの?―――――知っている?死人は喋らないし動かない。つまり被告は誰も殺してはいないということ。自ら証明してしまったわねぇ。ほら真なるアリスのハンカチよ。その汚い面を優しいアリスが拭ってあげるね。哀れみのサービスポイントよ」

 

 恋都は丁寧にアリス検事の血や涙で塗れた顔を拭う。

 

 分体がどうとかよくわからんしどうだっていい。事実確認の上で証明できなければそれでよい。死人の数も関係なし。

 

「本”人”が殺”さ”れ”た”って”言って”いるん”だよお”お”お”お”お”信”じて”よ”お”お”お”」

 

 きっとそうなんだろうなと優しく丁寧に如何にも高級なシルクのハンカチで顔を拭く。でもその発言はおかしくないか?

 

 偽物どもはともかくオリジナルアリスを主張するならお前だけは絶対に死なないだろ。ヨルムの不死者よりも不死者していた発言と矛盾する。

 

 現状を報告するならばこの場の肯定者はお前だけだ。あの発言がよくなかったのか傍聴席からやたらと検事にも石が飛ぶ。

 

 被告たるゲームマスターは罪を否定するだろうし裁判長は立場上中立を貫く。俺とアリス検事の一言で先ほどから猿の様に騒ぎ立てるアリスもどき、賛同者である傍聴人石投げアリスはどこまでいっても傍聴人。いくら騒いでも裁判に影響はない。しょせん奴らは舞台に上がれない日陰者だ。愚鈍な大衆に期待してはいけない。自ら動かねばアリス足り得ない。冒険せねば俺の狂った主張を打倒できない。その牙すらも折られてしまったのか?

 

「みっともない偽物め、アリスは嘘をつかないし、みっともなく叫ばない。本物たるアリスがアリスを主張する。私のほうがきっとアリスにふさわしい」

 

 ほら、早く反論しろ。自己を主張せねば無個性なアリスどもと一緒に埋もれるばかりだぞ。そんなアリス解釈違いだ。あってはならない。頼むからその足で再起してくれ!

 

「さて大変なことになってきました。なんだか裁判長にもどっちがアリスなのかわからなくなってきましたし、とりあえず君が一号でこっちが二号でいいかな」

 

(えぇ・・?)

 

 ・・・女王がなんか乗って来た。狙いは分からないが裁判長は中立の割にアリスに対し加虐的だ。憎悪ともまた違う薄暗い感情を抱えている。これは・・・愉悦か。夢の住人ってどいつもこいつも癖があり過ぎる。

 

「アリスは二号じゃないもんッ!アリスは・・アリスこそがぁぁぁ」

 

「そう言っても二人ともよく似てて見分けがつかないや。さてそろそろ判決を言い渡したいのだけれども・・・埒が明かないね。証明方法があればいいんだけどねー」

 

「ありますよっとアリス一号は主張する」

 

 ここまでとてもいい流れだ。やはり主導権を握るのは気持ちがいい。手さぐりでここまで来たがそろそろチェックメイトといこう。ようやくここまで漕ぎ着けた。いつまでもこんな馬鹿みたいな格好していられない。

 

 そう、一つだけ被害者である証明方法がある。とても簡単で誰にでも思いつくなんてことのない証明。

 

「今ここで死ねばいい」

 

「―――え」

 

「ん~?」

 

 間の抜けた声が空しく響く。反響する傍聴人の怒声が俺を襲うもアリス検事の目をしっかりと見据える。

 

 ここで気にすべきは女王の反応だ。先ほどと一転して目が笑っていない。裁判長の立場としては流石に死は許容しないか。勝手に動く駒は嫌いなのか?

 

 安心しろ。俺は手を出さない。

 

「アリス一号は二号に死を求める!」

 

 そう俺には関係ない。だが俺を都合のいい駒と扱った代償は受けてもらう。

 

 

 そう、決断するのはアリスなのだから。

 

 

 

 

 そもそもの疑問。

 

 恋都はずっとそれについて考えていた。

 

 なぜ裁判なんて回りくどい形式をとる?そもそもこの裁判の意義はなんだ?正統性の主張か?

 

 そんなことしなくても夢の住人ならば現実世界の人間たるゲームマスターを殺すことは容易だろうに。それこそ星と星でもぶつければ謎の補正を受ける住人以外は容易く死にもするだろう。

 

 形式に拘るなら何かしらの目的があるはずだ。俺の参入だって計画の内。処刑する必要のないイグナイツは俺を釣るエサだった。

 

 もしや女王はテリトリー外で俺が自由に動くことを嫌ったのか・・・?

 

 俺がいることでどんな変化があるというのだ。きっとこの裁判の結果の果てで何かが起こる。物語を知る俺だからこそできる何かが。女王はそれを知っている。

 

 だからこちらで機先を制す。イレギュラーを起こして思惑を潰せばいい。ここに至るまで考えていたことだが、大人の姿で現れたアリスの魂を見て考えが形になった。いやなってしまった。

 

 ここまで強い思いを抱いたことがあっただろうか。失望と憐れみの混じった感情。アリスの現状を憂うのもきっと俺は”不思議の国のアリス”という物語が好きだったのだろう。だからあんな弱いアリスが現れて俺はそれは違うだろとアリスならばと攻撃していたのか。俺のような異物如きに打倒されるなどあってはならない。

 

 もういい。わざわざ物語を終結させるのは回りくどい。すぐにでも解放してやるべきだ。夢の住人はもうなにもアリスに背負わせるべきではない。もはやアリスは何処にも存在しない。

 

 ここにいるのはただの亡霊だ。

 

 アリスはもうがんばるな・・・休んでしまえ。

 

 死んでもこの世界じゃ死にならない。どうせゾンビにでもなって復活とか突拍子もない形で蘇るのだ。それが出来てしまう。

 

 帽子屋と同じ、いやそれよりも上位の存在たる創造主ならば絶対に死なない。だがもし、復活しなければ・・・やはり吊られたアリスと同じ偽物だ。真なる幻想ではない。

 

「出来損ないとどう違うのか証明するには死ぬしかないわ。アリスは死なないのよね?だったら一度死ぬくらい簡単。死体を晒して己がアリスだと叫んでみせろよ」

 

「え、あ、うぅ」

 

「アリスにはできる。ほら見るのよ・・見ろ・・・おい、こっちを見ろォッ!!!」

 

 ガンッッ!!

 

 宣言と共に俺は自身の頭を机の角に叩きつける。体が頑丈すぎて即死出来ないため、何度も何度もアリス検事の前で頭を打ち据える。血や脳漿が跳ねアリスは顔に浴びる。アリスは呆然と見ているしかない。

 

 目の前で機械的に頭を砕き遂には脳みそを流し沈黙する男の姿にアリスは恐れを感じそこから離れようと一歩引こうとする。

 

 それは無意識な情動。わけもわからず体が勝手に恐れに靡いていた。

 

 がしり、と。

 

 そこで伸びてきた手に腕を掴まれ阻まれる。机越しに頭を真っ赤に染めた男の血走った瞳が見据えていた。

 

「――ッアリスは、アリスを証明したぞぉ。次はお前の番だ。その上でゲームマスターの犯行を主張するならアリスはお前がアリスだとを信じてやる。誰が何と言おうとアリスはアリスの味方だ。アリスたちはこんなにもお揃いだもの。だから・・・」

 

 

 ――――早く死んでくれ。

 

 

 恋都は掴んだアリス検事の手の温かさからやはり死人だとはとても思えなかった。

 

 これは生者の熱だ。

 

 アリスの心臓が鼓動していたのは先ほど確認済みだ。現実のアリスが実際どのような状態か知らないが、夢の中でのこいつは間違いなく生きている。死者を語るには余りにも遠く縁のない熱を持っている。

 

 偽物とは違い本物ならば死なない。心臓が止まっても本物なら動ける。そういう無敵な存在だといろいろな奴から聞いている。俺にこいつこそが本物のアリスだといい加減確信させてくれ。そうすれば存分に手助けができる。

 

 永い沈黙。

 

 アリス検事は息を飲むや、ぎこちなく頷いた。

 

「わ、わかった。やる、やるよ。アリスはやるよォッ」

 

「――――――おいやめろ」

 

「黙って見てろよ部外者が。大丈夫、アリスならできるよ」

 

 女王が静止を呼び掛ける。裁判長の立ち位置も所詮は中立。ここで直接止めることはできない、か。

 

 ・・・ようやく確信した。

 

 夢の住人はどいつもこいつも己の役割から大きく逸脱した行為は行えない。解釈次第である程度の自由は効くようだが、とりわけアリスに関しては事情が異なる。

 

 誰しもがこの世界を作り上げ神たるアリスに過度な干渉を行えない。アリスが夢の住人に救済されないのがいい証拠だ。だからこそ現実世界から物語に関係の無い俺を連れてきた。アリスを殺害するためには不純物が必要だったのだ。

 

 そして、やたらと”俺”にアリスを殺させようとする。そこに何かがある。

 

 これはまさに一つの”舞台劇”だ。

 

 俺の投入は決められた役割間の中に飛び入りで観客を参加させるようなもの。アドリブが許されるのはこの世界の中心たるアリスと部外者のみ。

 

 型に囚われない無形だからこそ許される振る舞い。それでもある程度は物語の踏襲しなくてはいけないのは舞台上でしか俺がアリスを殺せないからだろう。渡された脚本が無くとも空気は読まねばならない。物語では描写されない幕間では恐らくアリスは無敵。これが物語ならば主人公たるアリスの死は周知されるべき出来事だ。舞台裏で密かに行われるイベントではない。公然にライトアップされた舞台で殺してみせるしかない。主役の殺害という重要なイベントは舞台裏で行われるべき行為ではない。

 

 そこで逆に女王は敢えて舞台に引き込みつつも俺たちに都合の悪い配役を与え殺害を妨害できる立ち位置を得た。それは舞台上でも俺を封殺するためにだ。だからわざわざ弁護人の役を与え俺の動きを制限した。

 

 だが残念、俺によるシナリオ変更で物語は検事たるアリスが自殺し事件が迷宮入りするだけのつまらない演目と化した。

 

 敢えてアリスを舞台に引き込み安全圏に逃がしたつもりだろうがそうはいかない。法と秩序の庭では確かに暴力は振るえない。それを理由に支配者である女王が妨害してくる。他殺ならば立場を利用し公平さの元に阻害できただろうが・・・・自殺ならば妨害のしようもない。

 

 実際俺は死んで見せた。アリスがその気になった今、声を挙げても遅い。女王の反応から自殺は恐らく有効。住人では神たるアリスの決定を覆すことはできない。邪魔も出来ない。神託は下された。そこでじっと世界が終わる瞬間を眺めていればいい。それで全部終わりだ。

 

 

「う、ぎ―――カハッ」

 

 自分で自分の首を絞めるアリス。親指で喉を抑えつける。膝を折りポロポロと涙を流しながら祈るような姿勢で絞殺を試みる。顔は次第に赤らみ今にも首が折れそうなほどに力を籠める。

 

 とても、見てられない。

 

 俺が聖剣を渡せばいい話だがきっとそれではだめだ。自殺教唆で付け入る隙を生みかねない。大事なのは正統なる手順だ。証明に必要だからと形式に則って死を要求したのとは訳が違う。

 

 思惑通りに事は終わらせない。夢の住人の狙い通りに俺が殺すのではだめだ。俺が殺すことで生じる結果を防ぐためにもアリス自身の力をもって自殺してもらうしかない。俺が殺すことで発生する責任は受け付けない。

 

 

「―――う、うぅ。ぁ―――ぅ」

 

 アリスの姿は余りにも弱弱しく震えていた。俺は一心に早く終われと願い続けた。

 

 儚くも美しい花弁が・・・・・・ここで散ろうとしていた。

 

 

 

 

「ぃ、や」

 

「いや、いあやだ!死にたくない!死にたくないいいいい!」

 

 アリスは泣き叫び、心の底から心情が吐露けていく。

 

「みんなアリスをいじめる!なんでこんなことするの?痛いのも辛いのも嫌だあああ!アリスは、アリスはお家に帰りたいよぉぉぉぉッ」

 

 恋都の足に縋りつくアリス。その力は貧弱で簡単に振りほどけてしまうだろう。

 

「ここはすごく・・寒いよ。寂しいよぉ。なんでもするから・・アリスを助けてぇ」

 

「いや無理」

 

 アリスの頭を撫でつつもやんわりと否定するが、俺は助けを求められ酷く動揺していた。

 

 どういうことか他人事には感じられない。やたらと心に抉り込む。罪悪感では無いのは確かだがこれはどういうことなのか。やはり俺にとってこいつは普通の存在じゃない。どんな繋がりがあるというのだ。

 

 つい言葉が零れ落ちる。

 

「そんなに嫌だったらもう眠ればいい。これは全部悪い夢なんだ。次に目が覚めた時には全て元通りだ」

 

「本当?」

 

「―――ああ・・そのためにここまで俺を呼んだんだろ。だって俺、アリスで不死者で勇者なんだぜ」

 

「・・・そっ・・かぁ」

 

 

 

 

 アリスは急に重くなった瞼が視界を黒く染め上げる。この匂い、なんだろうか。まるで”お母さん”の・・・ああ、そうか。

 

 そういうことだったんだ。アリスは・・・やっと・・救われたんだ・・・・だったら今、”これ”を返す・・ね・・

 

 あり得ない仄かな匂い。帰郷すべき終着点を捉えながらアリスは静かに沈黙した。永き役割から解放された。

 

 願いは人知れず”継承”される。

 

 

 

 

 

 

 

 恋都は完全に眠りに堕ちたアリスをそっと地面に下す。その寝顔は安らぎに満ちている。

 

(・・・・・・・・)

 

 なぜ・・俺は安心しているのだろうか。アリスは体ばかり成長しているが中身は子供そのもの。運命に振り回され無力なまま眠った。夢から覚めれば全てが悪い夢だったと願って。

 

 結局本物か偽物かもわからなかったが・・・・死を怖がる姿は生物として当たり前の本能だ。ある意味、その在り方に本物を見た。俺だって理由が無ければ死にたくない。痛いし苦しいのだ。

 

 

 検事役が意識を失ったことで裁判はもう続行不可能。これで一応の目的は達成された。裁判さえ中断に追い込めばどうにでもなる。俺は最初からアリスの死にこだわりは無いし救済の義務も無い。はっきり言ってもう関わりたくない。住民の思惑通りに殺したくない。少なくとも自殺と言う逃れる術は教えた。助けを乞われても困る。本来・・・俺だって助けられる側の人間だ。こんな異世界に放り出された迷子だ。夢の住人は俺に殺しを強要するな。責任を押し付けるな。

 

 ああ、そうだ・・・俺にはアリスの生死は関係ない。このままずっと眠ってさえいれば悪夢を見ることは無い。二度と起きてくれるな・・・停滞こそが一番の救いだ。

 

 改めて裁判長に問いかける。

 

「さて、これで罪を主張する者はいなくなったな。この場合裁判はどうなる?」

 

「まさかなぁこんな・・・いや、いいよ。裁判は続行不能だ。これで終わりとするよ」

 

「じゃあそいつは俺が預からせてもらうぞ」

 

 少なくとも裁判は予定通り中断に追い込んだ。イグナイツは助かった。今はそれで良しとする。それにしても・・・

 

「なんだその姿」

 

「ああ、これ?随分と荒んでるでしょ」

 

(荒んでいる?どういう意味だ??)

 

 女王は子供の姿から大人の姿へと変貌を遂げていた。瞬きした瞬間には輪郭すら変わっているのだから驚く。まあこの世界じゃ普通のことなのか・・な?

 

「なんで急に大人になった」

 

「でしょでしょ。二つの姿なんて必要ないのにどうしてこんなものを用意するのか。余計な事をしてくれるよねぇ」

 

「・・・?」

 

「あ、別に理解しなくてもいいから。ただの八つ当たりだよ」

 

 それにしては言葉に感情が籠っている気がする。やはりよくわからんな。

 

 恋都は裁判長に有無も言わせずにイグナイツを固定したギロチン台まで近づき聖剣で器用に拘束部分を断ち切り解放する。傾くイグナイツの体を支えるがなんと弱弱しいことか。いつもの覇気をまるで感じられない。

 

 だが、この重みこそが勝利の証なんだ。俺は・・・・勝ったんだ。

 

 

 遅れながらの勝利の実感を噛みしめる恋都の背後から女王が呼び掛ける。

 

「これからどうするつもり?まさかこのまま終わりじゃないよね。勝負の決着も付けずに中断なんてさ~本当にアリスを殺さないの?」

 

「・・終わりも何も予定通りこのまま真のエンディング直行だが?それが正道だろ。俺に殺させたがっている奴の思惑には乗らない。あんただってアリスが死ぬのはごめんだろ?」

 

 少なくとも女王はアリスの死を望んでいない。立ち回りから一目瞭然だ。

 

「・・・それで本当にアリスは救済されるのかな?それはどんなエンディングだい?教えてくれないかい」

 

「なにって、このまま物語を進めるだけだ」

 

 それが物語のあるべき姿だろうがと恋都は見やるが女王は怪訝な顔をする。

 

「――――――はぁ。次もなにも・・・物語はここで終点だよ」

 

「何を言っている?そんなはずが・・・もっとなんかあっただろ、まだ・・そうスポーツとか」

 

 

「・・・・なーんだ。本当に何も知らないのか。じゃあアリスの自殺云々は脅しやはったりじゃなくて流れ次第では本気で見殺しにするつもりだったんだ。自分が何をすべきか聞いていたからそれを回避するためにアリスに自殺させようとしたんだね。いやぁ勘違い勘違い!テヘッ☆―――結局はいっしょじゃん。アドリブは嫌いだな」

 

 

 赤の女王が何を言っているのか理解ができなかった。でもそれはきっと重要なことで、不安を胸に疑念を言葉にしようとした時、強い衝撃が恋都の腹部を襲う。

 

「ゴブッ!!な”ん・・」

 

 恋都の口内から吐き出される血液。腹に何かが突き刺さっていた。

 

 

「いやあ、すごいすごい。ありがとう。本当に・・・不死者って愚かだよなあァッ」

 

 

 腹から突き出た赤い突起物。それはゆっくりと引き抜かれ恋都は力任せに大地にかなぐり捨てられる。

 

 突然のイグナイツからの一撃にどこか納得しつつも、驚きは隠せない。

 

「あはあははハハッ!臭い茶番だったわ」

 

「か、ハァ、あぐうッ。イグナイ、ツッ!」

 

「いろいろ想定とは違う過程だったが、貴様のお陰で次の番が来た。あ り が と う」

 

 胸を抑えながらもイグナイツを睨め付ける。明らかな体の不調。おかしい。傷が塞がらない。流れ出る赤い滴が広がっていくのを見ているしかなかった。

 

「この体は実にいい。流石は奴の最高傑作。次のアリスの”器”として完璧だ。不死者であろうと殺せちゃう!これが、神の力、アッヒャヒャヒャヒャヒャッッ!」

 

「こ、いつ」

 

「裁判が中断した時点で貴様は用済みだ。この日をどれほど待ったか・・貴様はよくやったよ。最初から最後まで思い通りに行き過ぎて、ウクッひひ!もう死んじまえよ」

 

 

 ――――――こいつは、ダレダ。

 

 

 イグナイツなのにイグナイツじゃない。まるで別人。いつも漂わせていた不穏気で儚い雰囲気が感じられない。こいつ、まだあの時からずっと狂ったままなのかッ。

 

 遂に意識も薄れかけ倒れ伏す。血を流し過ぎた、このままでは死んでしまう。久しく感じる本物の死が俺をどこかへと誘おうとしていた。そこへイグナイツの止めの追撃が伸びる。

 

 

「裁判長の名のもとに新たな命を下す。弁護人は神聖な法廷を侮辱したとし弁護人の資格をはく奪。直ちにこの場から退場せよ」

 

 

 女王より凛とした宣言が発令される。突然生まれた穴に飲まれ恋都は姿を消した。イグナイツは眉を顰め血で染められた手を舐める。

 

 

 

「はあ~なに邪魔してくれてるの。せっかくこの力を試したかったのに。不死者は絶好の相手だろう」

 

「別にいいじゃーん。ただの慈悲だよ。それにどうせもう死ぬ。さっさと本題に入るべきだと思うけどなー。寄り道しすぎだってー」

 

「ふーん、まあいいけど」

 

 興味を失ったのか浮ついた足取りで拘束されたゲームマスターの元へと近寄る。驚愕に満ちた顔を浮かべるゲームマスターには満面の笑顔を浮かべるイグナイツの顔が見えていいる事だろう。

 

 嗜虐性を綻ばせ今にも爆発しそうな爆弾のようであった。爆発までのカウントダウンが表情から読み取れてしまう。

 

「あっはははは!なんだその顔!いいざまだ。これではゲームマスター失格だなぁ。グリム=ロード188ッ」

 

 予想外の一言に思わず今まで沈黙していたゲームマスターは叫ぶ。

 

「馬鹿な・・・・なぜその名を知っているッ??貴様はいったい・・・?」

 

「やはりただ殺すのでは意味がない。誰に殺されるのかちゃんと認識してもらわないとこの胸の内で熟成した900年の思いが破裂しそうで。ああ、ああッ!永かった!永かったよおおおおおおお!」

 

 

 900年・・・だと。

 

 グリムと呼ばれた男の中で次第に答えが導かれる。この名を知る時点で答えは出ているようなもの。多くの者から恨みを買う行為をたくさんしてきたが故に今回の騒動の主犯の最有力候補は自然と勇者アリスだとばかり。まさかここで新たなる候補者が浮上するとは思ってもいなかったのだ。

 

 そうこいつは・・・

 

「ああそうだ。私の名はクリムゾン=ロード207。裏切者の元同胞グリムを処分し使命を全うするために舞い戻ってきてやったのさぁ!アハハハハハハハハッッッ!」

 

 因果は舞い戻る。地の底から隙間を広げ身を乗り上げて。

 



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第50話 古い研究記録

 

 これはとても古い記録。

 

 ゲームマスターたちの使命の軌跡。

 

 形骸化した源泉知らずの夢の跡を未だに追い続ける者がいた、それだけのお話。

 

 ことの始まりはやはり900年前だろうか。

 

 

 ・・・・・・いや全ては娘が産まれてから変わってしまった。

 

 

 

 ――――――――――Side Extra/グリム

 

 

 

 ゲームマスターことグリムは今日も煙草を吹かす。

 

 嗜好品としては時代錯誤で古臭くもなぜか手放せない風味。まさしく歴史の詰まった味であった。なるほど外で流行るわけだと意味も無く頷く。

 

 高い金を払い得るのは一時的な快楽と抜けない毒素。体に悪い物はどれもが魅力的で依存性の高いものが多い。それが何だと言うのだ。リスクがあるからこそ、ここまでおいしいのだ。命が脅かされるからこそ毒素に混じった一握りの快楽が光る。命という高いを代償で得られる快楽は何物にも勝る。

 

 やはり外界に来たのは正解だったなとグリムは改めて確信した。

 

(そろそろ・・・現実を見るか・・・)

 

 膨大なデータの山に囲まれながらひたすら邁進していたあの頃もこうして現実逃避気味にタバコを吹かしていた。それすなわち停滞の意。

 

 どれほど同じ実験を繰り返してきたことか。時間だけがただ過ぎ去りゆく。

 

 終末戦争時に勇者アリスによって引き起こされた想定外の事象。

 

 天を割り”超越者たち”に恐れと希望を抱かせた。

 

 あれはまさに我々が長年求めていた福音そのもの。

 

 ”奴”が始めた終末戦争を安全圏から高みの見物を決め込み静観していた者はこぞって絶句した。同族の誰かが始めた、ただの大規模儀式だとばかり当初は思われていたのだ。それがあんな結末を引き起こすと誰も予想だにしなかった。

 

 そこからは水面下で熾烈な争いが起き誰もがあの現象を引き起こした張本人を手中に収めようとしたが終末戦争に関わりを持たぬ者が殺到した時には既に遅く、渦中に身を投じていた私が全てをなぎ倒し制したのであった。

 

 グリムは終末戦争を引き起こした計画の首謀者すらも欺いてやったのだが・・・勇者アリスの確保に一カ月もの時間を要してしまった。

 

 

 ・・・・あれから300年。手にした栄光への切符は切られることなく、未だに成果は上がらずにいた。

 

 鍵は揃えど肝心の使い道がわからない。

 

 地の底から届かぬ天を仰ぐ毎日だ。

 

 増え続ける勇者アリス・・・いや、オリジナルアリスの子供。

 

 本来の力が霧散し使い物にならなくなったオリジナルアリスの代用品。

 

 次代を担う器たる真なるアリスを作り続けるもオリジナルの力には程遠い。待望せし正統なる後継者に未だ打診無し。

 

 いちいち懐胎させ出産させる手間が惜しく効率を求めオリジナルアリスの肉体を改造したおかげで産まれてくる”器”の量を劇的に増やすことに成功したがそのほとんどが自我を持たない個体ばかり。

 

 とてもアリスを名乗るには程遠い。こんな存在ではアリス足り得ない。敵にも味方にも恐怖を紡いだあのアリスとは決定的に違う。

 

 産まれる度に選別を行い、いつしか品質ごとにランク分けをするようになっていた。産まれる個体はなぜか女性のみ。理由は未だ不明。

 

 研究の規模が広がるうちにコミュニケーション能力があり自我の芽生えた個体・・・いわば守護者はこの研究所でスタッフとして迎えるようになった。

 

 そして、アリスの血を引く個体にはそれぞれにランクがA~C種まであり、B種が守護者にあたる。

 

 

 <特定種別B種>

 

 B種個体はオリジナルアリスの特色が薄く遺伝的には掛け合わせた男性側の遺伝子に引っ張られた個体である。

 

 精神に異常はなくアリス種特有の金髪碧眼が見られないがどの個体も美形揃い。美の造詣のバランス感覚はどの種にも共通するようだ。

 

 ・・・なぜか角や尻尾が生えていたりするが原因は不明。遺伝子的にはその様な因子は含まれていないはずなのにだ。

 

 とにかく戦力としては頼もしく保有魔力量がとにかく多く魔術適性”大”。A種、C種と違い魔力を有効活用できることから外界人どもに負けないことのなによりもの証明。

 

 アリス種特有の驚異的な身体能力も持ち合わせ、軽度の【フルドリス】も機能していることが確認されているが他の種ほど機能していない。

 

 まさしく外界人とのサラブレッド。”器”として最重要な異能が遺伝していないため完全に失敗作だが本来”ゲームマスター”が使役すべき守護者と比べても優良そのもの。中でもとびきり優秀な個体は戦闘特化の”黒殖白亜”や外界での情報工作を担当する”黎迷”に配属される。

 

 

 問題は残りの個体だ。

 

 

 <特定種別C種>

 

 生産される個体のほとんどがC種で占める。C種は自我がなくアイデンティティを確立しない。見た目がオリジナルアリスと完全に一致。特に異能は持ち合わせず成長は少女と大人の中間形態で打ち止め。約三割は生まれて間もなく原因不明の突然死をするのだが、そうでない個体は食事も睡眠も必要ない。

 

 攻撃を受けても無抵抗でありされるがまま。生物としての防衛機構は存在しないがA種並みの非常に強力な【フルドリス】が確認されている。

 

 永遠たる彼女たちの役割は性的興奮剤で発情させ確保した良判定の雄と交配させ母体にするか、処理の意味も込めて”いろいろな”材料にするしか使い道がない。交配が必要となるためそこから更に産まれてくる新たなる個体はアリスとしての純度が低下するのは避けられない。少しでも純度を高めるためには共食いしかない。純度を補うために同じ血族を加工し同族の肉を摂取させるのは仕方のないことであった。

 

 試行錯誤の結果、母体としてはきわめて優秀となりそこからA種が産まれることも増え僅かな可能性に賭けオリジナル以外の個体による生産は継続中。

 

 

 

 そしてだ。

 

 <特定種別A種>

 

 本命である次代の器たるA種・・・個体数は非常に少ないがオリジナルの特徴を色濃く受けているのだが精神性に異常しかない個体ばかり。他と一線をかくす点としてやはり異能の存在が大きい。

 

 金髪碧眼でありC種と違い少女の形態で時が止まるが異能の影響なのか異能が身体に反映される。

 

 コミュニケーション方法が独特であり一人でいる時は大人しいが周りに生物がいると積極的に殺害を試みる。

 どれ程かといえば昔、A種を遠方の都市に放ったことがあるのだが生きる者全てを殺戮したったの二時間で陥落。他人がいるかどうかで行動範囲や活動時間に大幅に違いがみられる。ちなみにその個体は現在も行方不明であり専属の回収部隊も半壊した。A種は制御不能と結論付け兵器運用は諦める切っ掛けとなった。

 

 異能の影響から身体に大きな変化が見られる。ぬいぐるみのアリスは体がぬいぐるみそのものであり目がボタンで腹には白い綿が詰まっているし、貪食アリスは竜のような尻尾と角に翼を携える。異能はどれも強力無比。この世界の法則から外れたそれはまさに勇者の異能そのもの。A種はやはり正統なるアリスの継承者に最も相応しい。

 

 

 

 地の底も底。第三階層にて管理しなくては世界は簡単に壊れていた事だろうが終末戦争で見せた事象をまじかで観測した私からすればそれでも物足りなく感じてしまう。

 

 彼女らは本当に次代のアリスになれるのであろうか。

 

 あとどれほど繰り返せばいいというのだ。

 

 ――――――――あの時もっと早くにオリジナルアリスを回収していればこんな苦労を背負う事もなかっただろうに。

 

 

 

 それもこれも全てはオリジナルアリスの状態に起因する。

 

 例の事象の後に回収したオリジナルアリスは発見当初、狭く汚い牢獄の中で何も身に着けておらず自分の指や排泄物を喰らっており、まるで動物の様に飼われていた。

 

 召喚された当初の屈託のない笑顔はどこに消えたのか過度なストレスで彼女は自身が誰なのかもわからない。何より・・・勇者の象徴たる異能を失っていたのだ。

 

 一緒に回収した記録によればアリスの召喚者であり管理者であった”奴”は実験と称し極めて原始的な拷問をオリジナルアリスに行っていた。なぜこんなことを・・と理解できなかったが記録を読み進めるうちにオリジナルアリスが勇者の力に起因しない絶対的な不死性を獲得していることが記述されていた。

 

 ・・だからすぐに傷が消えるのか。”奴”がアリスの異能でなく不死性に注目した理由―――同時に”奴”が終末戦争を起こした本当の理由を理解してしまう。不遜にも我々のルーツに触れるつもりか。だが、私には関係の無い話。ただただ獣の様に調教されきった半狂乱のアリスをどう活用しようかと思案を張り巡らせるばかりであった。

 

 予定通り地上制圧のための自身の拠点を戦場跡に作り、周りで探りを入れる不死の残党を排除しながらもオリジナルアリスのメンタルケアを施すのに余念がなかった。その甲斐あってかある程度持ち直したがオリジナルアリスからは碌な情報は引き出せなかった。話すことはすべて意味不明。保有する不死性は謎。異能の詳細もわからず徒労に終わってしまう。

 

 とんだ無駄骨だったと後悔するも事態は別の所で動いていた。

 

 勇者の血には異能が宿る。

 

 そこに私は目を付けた。

 

 戦時中に採取した遺伝子を使用し片手間にオリジナルアリスを孕ませ産ませた子供を使い”守護者”の代用として精製・運用しようと考えていた。勇者の異能は低確率で遺伝する。それは終末戦争後に有力者と結婚した勇者の血筋から確認されており戦勝国間で勇者の奪い合いに発展しているほどだ。

 

 少し遅れたが本来の予定通り人類撲滅の為に行動する。それもまたゲームマスターの使命。この世界構造の”現状の打破”は諦め、産まれた個体を幼い頃から殺戮人形として育て外界の主要都市にでも放れば半壊させるのは容易いと割り切って計画を変更していたのだが・・・その時産まれた個体は産まれると同時に異変を引き起こした。

 

 それはほんの一瞬と言える時間。だが計器はしっかりと記録していた。世界が一瞬別のモノへと変貌し後には断層のような物が残っていた。

 

 ただそれだけで拠点は半壊。私も死にかけた。これを引き起こした個体も死亡。

 

 その時ばかりは笑いが止まらなかった。小規模だったがあの現象とまったく同じ。それから60年はアリスに夢中だった。

 

 長い時間を苦し気に呻くアリスと共に歩んだ。

 

 そして様々な実験を経てある結論を導き出したのであった―――

 

 オリジナルアリスの異能は失われておらず、アリスから抜け落ち終末戦争の戦場跡を漂い続けておりA種はそれを誘因すると。

 

 

 

「・・・・・・クソッ」

 

 血塗れのガラス越しにグリムは悪態をつく。久々の異能個体ということで出産に立ち会っていたのだが出産途中で母体の腹を破り腫瘍の塊が飛び出した。膨張する肉の塊は止まることなく肥大化していきガラスを突き破ろうとまでしていたが、そうなる前に自身の異能で発火し消滅。

 

 異能持ちの個体が産まれてくるのはかれこれ19年ぶりなのに自己崩壊を引き起こしてしまったか。あの醜い見た目では異能を持っていても器たりえない。たまにあるのだ。まるで産まれてくることを否定するように死ぬ個体が。

 

 グリムは実験室に踏み入るが、まもなく母体の死亡も確認。また振り出しか。

 

「あちゃーこりゃまたやべーですね。後片付けの手配はしてるんで休んだらどうですか」

 

 背後からかかる声に返事をしながら振り向く。

 

「ああ、頼む。ただくれぐれも悟らせないようにな。B種どもはA、C種と同じ種であることを知らないのだからな」

 

「大丈夫ですよって。B種にとってA種は敵でしかないですしC種の存在は明るみに出ることはないです。ただ実験の過程でA種が死んだって感じで」

 

「流石に疲れた・・・後の事は頼むぞ”クリムゾン”」

 

 白衣を身に着け眼鏡をかけた女性の背後からゾロゾロと防護服に身を着けた守護者が洗浄の準備に取り掛かるのを尻目に自室へと赴く。

 

 クリムゾン=ロード207

 

 私と同じくこの昏迷なる地に舞い降りた”ゲームマスター”の一人。

 

 初期のころから私の行動を支援してくれる協力者。

 

 普通”ゲームマスター”同士で結託することはないのだが彼女は変わり者らしく自ら協力させてほしいと申し出をしてきた時には死ぬほど警戒したものだ。

 

 誰もが栄光を掴もうと必死に努力し妨害し合い人殺しの成果を競うものなのだが、今の今まで怪しい様子も兆候も見られない。

 

 私のファンを自称するだけあってか行動力が尋常ではなくオリジナルアリス回収の数日後に接触してきた。隠密行動に徹していた私を追跡する程の力の持ち主。アリスを奪いに来たのかと思えばそうでもない。

 

 それから何十年もの月日は流れ信用する程度の関係性にはなったが・・・

 

 

 

 

「ふぅ・・」

 

 ベットに身を窶すも久しぶり過ぎて自分の物とは思えなかった。

 

 実験は・・行き詰っていた。

 

 あれからもう500年は経つのか。外界では多くの国が衰勢を繰り返しているというのに研究に新たなる進展はなく同じような毎日を繰り返してばかり。

 

 このダンジョンに探りを入れる他のゲームマスターからの刺客を撃退することが何も感じない程に普遍化していた。

 

 体制は整い、指示は無くとも勝手に守護者たちが処理するまでに成熟していたのだ。

 

 ああ、ため息の一つも出るというもの。クリムゾンと精査し合い導き出した理論は間違っていないはずなんだ。

 

 過去にオリジナルアリスの力を定着させた素体と遜色のない器たる個体を作り上げたはいいがどれも上手く定着してくれない。

 

 オリジナルアリスの消えた異能は今もこの地に漂っている。それは呪いとなり振り撒いている。

 

 この地が不帰の古戦場跡と揶揄されるようになったのはなにも私のせいではない。確かに対外敵用ダンジョンを構えこの地に探りを入れる冒険者や国の調査団を壊滅させてきたが都市部に潜入させた”黎迷”からの報告ではこの地に訪れた行方不明者の数がどうしても一致しない。つまりダンジョンとは関係なしに死んでいることになる。

 

 終末戦争があった因果な土地なこともあり周辺国からは忌避されている。迷信深い外界の探索者が減らないのはひとえに黎迷による情報操作の賜物。こちらとしても器を作るには粋のいい雄の個体は必要。

 

 豪雪地帯の探索は非常に危険であり隠されたダンジョンに辿り着くだけでも優秀と捉え配合相手に相応しいと基準を設けた。おかげで交配相手に困らずにいるがやはり冒険者は愚かだと思う。

 

 あるかどうかもわからない数百年前の遺失物や財宝を求めやってくる。確かに存在するがそのほとんが分厚く凝り固まった地層のような雪の大地に埋まっている。回収の労力を考えればとても採算が採れない。拠点の拡張時に発掘できれば儲けものぐらいの認識だ。そんな現実を知らない冒険者はこの地が禁忌指定を受けた後でも秘密裏に訪れる冒険者の足は絶えなかった。帰還率がどれ程低くとも夢を求め邁進する生き方はもはや病気だ。

 

 勝手に死ぬ分にはいい。それに不可解な出来事が絡まなければだが・・・

 

 

 古戦場跡は確かに妙な出来事が起きやすい。冒険者の間で囁かれる噂の大半はデマであるが一部は紛れもない真実。それもすべてオリジナルアリスの異能の影響だと考えている。

 

 オリジナルアリスの異能は本体から離れ今もこの地で漂っている。ただの憶測ではなく紛れもない真実。根拠となるのはやはり不定期に計測される小規模な空間異常。魔力を乱す雪の中でこれを行えるのは異能のみ。オリジナルアリス捕獲時に回収した記録とも類似点が多く見られ数値も一致する。

 

 そして器たるA種が産まれた際、必ずA種を中心に空間異常が引き起こされる。力は拠り所を求めるようにA種の持つ異能に引かれA種の肉体に無理やり定着しようとするも1分も経たずに霧散してしまう。最高で20分以上もの間定着した個体もいたがその時も拠点が半壊。

 

 私とクリムゾン、当時の守護者の面々と総力を挙げて協力することでなんとか収拾がついたが二次災害で他のA種が脱走し立て直しに時間がかかる事となった。

 

 異能に引かれているのは間違いないが、異能だけではだめらしい。それはAの因子を植え付け異能が発現した外界人ではまったく誘引できなかったことで証明している。どうもそれ相応の肉体、つまりオリジナルアリスに近い姿をした者でなければいけなかった。

 

 

 最近では薄気味のわるい亡霊のような少女の姿が目撃されるのが悩みの種だ。B種の間で噂になっているのだ。怪談話のようにA種に似たボロンボロの格好の少女が枕元に立っているという。最初はA種がまた脱走したのかと再度収容されたA種の確認をしたものだが身体的な特徴が一致する個体はいなかった。こんな感じの霊的存在の報告が後を絶たない。B種たちの定期的な診察は欠かしておらずメンタルは正常そのもの。B種は霊的感覚も優れていることから幻覚などでは決してないと断じている。

 

 

 これではいつまでたっても目的を達成できない。他のゲームマスターと違いせっかく”あの人”のお陰で寿命の制限から解き放たれ時間というイニシアチブを手にしたはずなのに・・・

 

 最近では次代のアリスは諦めて現存のA種を使い力の定着時間を出来るだけ引き伸ばし行使させるべきだというクリムゾンの主張が正しく思える。A種は異能を使用時、霧散したオリジナルアリスの異能を誘因・定着化させる。

 

 問題は非常に危険すぎるという点だ。A種による異能の行使、つまりは暴れている状態でありそのためには餌となる他の命が傍にいなくてはいけない。

 

 B種はA種が勝手に脱走していると疑問に思っているが実際の所A種を脱走させているのは私の仕業だ。

 

 時偶に実験として守護者相手に何も告げずに脱走したとしてA種をぶつける。甚大な被害を被るが戦闘特化のB種でもなければ相手にもならず異能を長く稼働させるには、それ相応の実力者が相手でないといけない。外界人では大した期待も出来ないため、B種の兵力がある程度の基準を満たしたタイミングを計り仕方なくやっているのが現状だった。

 

 クリムゾンもどうやってアリスの制御をするかで行きずまっている。結果が出せていない以上私も意地を張り続けることに意味はない。何事も完璧を目指してしまうのは悪い癖だと自覚している。

 

 もう一度相談するべきだろう。

 

 ・・・でも最後に一つだけ試そう。これが不発に終わればその時は・・・

 

(アリスよ何が不満なのだ。何が足りないんだ)

 

 漂う力には意思が存在している。器に定着した際、喜びの感情しか見せないA種の表情に明確な変化をもたらす。その表情は必ず憎悪に歪んでいた。

 

 だったらなぜその力をもって復讐をしない?お前の怒りはそんなものなのか?

 

 私も悲しいよ。存在意義を果たせない人生は灰色だ・・

 

 目蓋は重く深い闇の中へと意識は消えた。そばで顔の無い少女が見ていることも知らずに。

 



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第51話 父親になった日

 

 

 これは夢なのか現実なのかありもしない慟哭に指先を震わせる。

 

 後悔するにも、遅すぎた。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・な、なんで・・・クリムゾンは・・ただあなたを・・」 

 

 グリムはこの日初めて絶望を知った。

 

 ふとした思い付きから、これが最後だと行われた実験。

 

 もしその実験が成ったならば喜んでその子を存分に活用するつもりだった。

 

 

 そのはずだったのにッ!

 

 

 なぜよりにもよって――――――ッ

 

 

「ふむ、結局は君も愛に流れたか。まさかこうも派手に行動するとはね」

 

「せ、先生様・・・私は・・ど、どうしてこん・・・な・・」

 

 どうしようもない無力感に襲われてしまう。使命を果たせず何百年も過ぎ長年のつれそいを私的な理由で殺した。

 

 背中が汗で染みつく。どうして、どうしてと自問自答が繰り返されるも納得のいく答えは出てこない。合理化するには余りにも身勝手な現実。

 

「かわいいじゃないか君の子は・・・・君の行動は生物として何も間違ってはいないさ。私にも覚えがある・・・この子は君にとって他とは違う価値があるんだろう?」

 

「だ、だからって私は仲間を裏切ってしまったっ話し合いの余地だってあったはずなのに・・なぜ、私はこんなことをしてしまったああああああッ」

 

「しょうがないじゃないか。子供が出来たぐらいで良心が動く様な存在じゃないのだから。クリムゾン君はきっと使命を果たすためにあの子を使い潰す。それは――――君がよく知っているだろう?」

 

「――――――――――――――――ッ」

 

 じゃあ私は普通じゃないのか?

 

 これまで多くのアリスの子供を使い潰してきた。余りにも機械的に進められるおぞましい実験の数々。そのことに未だに罪悪感は一度たりとも感じたことは無かった。クリムゾンと一緒にどれほど多くの赤子を殺してきたことか。私にとっては虫を潰すのとなんら変わりはない。いちいち覚えてすらもいない。

 

 そしてだ。450年もの間に吐いて捨てるほど作り上げたアリスの屍の山からようやく誕生した過去に類を見ない個体。

 

 約束されし栄光への架け橋。

 

 だというのに!なぜ!よりにもよってッ!この子が選ばれなくてはならないんだ!!

 

 A種ともB種ともC種とも違うッまったく新しい新種!

 

 いよいよ方法が無いなと新たなる方法を模索し思いついた推論。

 

 私はやはり雄側の遺伝子に問題があるのではないかと疑問を持った。基本的にオリジナルアリスの遺伝子が強く雄側の遺伝子が色濃く反映するB種はC種に比べその数は全体の6分の1程度。

 

 子供を作るにはどうしても雄の因子が必要。どうしてもA種以外の不純物が混ざるのは避けられない。そもそもオリジナルアリスは異界の住人。この世界のニンゲンとは”根本的に”作りが違う。それは”遺伝子構造”から立証済み。ある意味、我々に近い。

 

 ならばと私は思いついてしまった。勇者とゲームマスターのスーパー遺伝子同士を掛け合わせればどうなるのかと。

 

 僅かな好奇心と焦りから私は祈りを込めて抵抗するオリジナルアリスを直接無理やり孕ませた。

 

 子宮の並列構造化による肉体改造によりこの時のオリジナルアリスの胴から下はもはや人の形を成しておらず・・・・今までであれば自身の遺伝子を使用するなどまず思わなかっただろう。

 

 だが、どうしてか正統な手順をとらねばならないと強く感じたのだ。まるで神聖な儀式の様であり幸いまだオリジナルアリスのオリジナルな胎は残っており正常に機能していた。

 

 だが、やはり、あの時の私はどうかしていた――――

 

 なぜ、その行動に疑問を抱かなかったのだ・・・・??

 

 ――――――――

 

 ――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 外界のニンゲンは時たまに異常な光景に崇高美を感じるらしい。

 

 それは信仰深い者にほどみられ持ち前の神と何らかのシンパシーを受信している等とされているが明確な事は不明。

 

 私は初めてそれを理解した。

 

 純白のベットの上で様々な機械に繋がれ異形な存在へと変貌した彼女は今日もギョロギョロと焦点の合わない目を動かし拘束具を揺らす。

 

 腕は自傷防止のため切断済み。再生できないように金属で溶接し蓋をしている。ボトルがいくつも蓋の上から突き刺さっている。不死であるからこそできる限界無視の肉体改造。再生力や身体能力を弱めるために管を通し常に薬品を投与している。下半身に被せられた柔らかなシーツの下は研究所のアリス増産工場と一体化しており彼女の体は見た目よりも巨大。

 

 巨人と言って差し支えは無い。それがどうしてかとても美しいものに見えてしまったのだ。

 

 彼女はこんなにも必死に生きているのだから。

 

 私の姿を確認したのか息を荒げ唸り声を上げる。

 

「フウ”―――ッッ!フゥ―――ッッ!!」

 

「・・・・・・・やあ、久しぶりだね」

 

 女性ということもありクリムゾンにメンテナンスと世話は一任していたがちゃんと仕事はこなしているらしい。

 

 何もかも真っ白な部屋は清潔そのものなのだが、どうしてか空気が淀んでいるように感じられるが私の見間違いかだろうか・・・

 

「君は相も変わらずそんな目をする。流石はアリスだ」

 

 アリスの獣のような返答に気にすることなく一方的に喋る。歯が全て抜かれているのだから当たり前か。一度は完全に折れた筈の精神はいつのまにやら復活していた。それもそうだ。なんせ人格が分裂してるのだから。その誰もが私に反抗的だ。彼女はいったい何人目だろうか・・?

 

「だから是非とも私の勇者になってはくれないか・・・・おいちゃんと聞け大事な話をしているのだから」

 

 カチカチと握ったボタンを押すと電撃がアリスを襲う。

 

「ふギァァァァァ――――――ッッ!あ”あ”あ”あ”あ”」

 

「ふぎゃーじゃないよ。そもそも君がまともな個体を産めないのが原因なんだから私はこんな地の底で辛酸を舐めているんだ。私もがんばってるのだからもっと努力しないとね」

 

「ああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!―――ッあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッッ」

 

 スイッチを切り叫びが収まる。常人であれば即死だがやはり頑丈だ。

 

「――――――ッ――――――ぃき、けひ――――――――ギギ―――キィ・・キィ――――――」

 

 耐性は顕在か。流石A種のお母さん。次元が違う。尋常ではないのだ。

 

 ピクピクと涎を垂らし白目をむくオリジナルアリス。今の私であればどんな姿であろうと受け入れられる。

 

 これでようやくことが進められる―――

 

「どんな姿になり果てようとも・・・私は君と共にあるよ。だから私を救ってくれ」

 

 

 ――――――――

 

 ――――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

「思えばすべてが狂っていた!なぜあんな化物を美しいとッ思ってしまったのだ!!?」

 

「今更過去をどうこう言っても仕方あるまい。おい、この子を見たまえ・・・見ろ!」

 

 ”先生”の腕に抱えられた赤子。

 

 静かに眠るその姿はとても真っ白でありグリムは触れるのをためらわされた。動けずにいる私に対し”先生”は押し付けるように無理やり赤子を抱かせる。

 

「見た目はどうあれ君の遺伝子だ。なんて無垢な顔をしているのだろうな。自身がどれほどの屍の上に誕生したかも知らない。それは親がどんな存在かも関係ない。守ってやれるのは君だけだ」

 

「・・・・・・・・」

 

 獣人のようで獣人ではない姿。頭部から獣人特有の耳を生やしいるくせに人間の耳もついており尻尾も生やしている。私とアリスのどこからこんな要素が付与される?

 

 この子はいったいどこからやってきた?もしや私は根本的に勘違いしていたのではなかろうか。

 

 アリスは本当に人間なの・・か―――?

 

「・・・クリムゾン」

 

 美しかった彼女の輪郭は私の想術が直撃し徐々に紐解かれ原子の海へと誘われた。

 

 彼女はきっと私を許さないだろう。こんなにも真摯に尽くす者ですら簡単に切り捨てる情の無さ。私への隠し切れぬ好意を都合のいいように利用してきたのも事実。結局のところ私はまったく信頼してなどいなかった。どこまでも都合のいい道具。

 

 そんな冷徹な私の胸中を熱くさせるこの思いはなんだ・・・?

 

 赤子の手が握る私の指。異様に熱く感じた。この時初めて命に触れたのだ。涙が溢れる。

 

「恥じることはない。その有り方は間違いではない。君が新たに獲得した変化を誰がなんと誹ろうとも祝福しよう」

 

 どうしてこうも私が尊敬するこの男の言葉はこうも心地が良いのか。

 

 偶然が恵んだ出会い。やはりこの方は我々の・・・・

 

 

 グリムはただただ疲弊していた。ありもしない不測の出来事の連続から、先生の申し出に賛同してしまった。

 

 別に・・後悔はなかった。

 

 そうでもしなくてはこの子は守れない。見た目はどうあれアリスと私の子供。それは産まれた時に起きた現象が証明している。異能が一点に集約し”渦”が発生した時すべてが終わったかと思えた。

 

 異空間が発生し世界が一瞬反転した。先生が居なければ世界が滅んでいたに違いない。

 

 外界では現代まで語り継がれる”緋想天変”。

 

 その余波は凄まじく決して終わる事の無い雪の代わりに大雨が一週間降り続け洪水が各地を襲った。今まで経験したことのない雨という事象と未曾有の洪水という災害の前に外界に蔓延る多くの命が流され散った。

 

 我々ゲームマスターにとっての最重要抹殺対象”古き血族”による介入がなければ本当に終わっていた。本来であれば腰の重い奴らを表に引っ張り出し、おまけにゴミ人間を殲滅できたと諸手を上げて喜んでいた。すぐにでも奴らの拠点に出向き戦争を仕掛ける所を私は呆然と絶望に打ち震えるしかなかった。

 

 ――――――子供とはこんなにも愛しいのか。

 

 産声を上げる娘の姿を見たあの時、自然と涙が零れた。温かなものが胸から込み上げ幸せを噛みしめた。

 

 もはやゲームマスターの使命などどうでもよかった。自分の子供に課せられた運命を幸有るものに変えたかった。

 

 外部協力者である先生様の智慧と長年の経験と技術の向上から事前に講じた制御機構が機能しなんとか強制中断を可能としたがまだ安心できない。

 

 異能が渦巻く古戦場跡よりも遠く深い場所へと娘を移すことでようやく異常は安定した。

 

 故に第四階層は第三階層よりもさらに深く眠る。

 

 問題はこちらの存在を他のゲームマスターに知られてしまったことか。私の反旗を予期したクリムゾンは外部にこの情報を送信していた。もともと私たち二人は先生様によってもたらされた不老の技術で他にはない時間の恩恵を受けることに成功していた。私たちの存在は誰も知らず数百年もの間実験に没頭できた。

 

 だがここにきて身内からボロが出る。

 

 クリムゾンは一見従順であれど得体のしれない先生様に対し常に警戒していた。私が先生様の正体を意図的に伝えなかったことがここで仇となる。先生様はアリス回収の協力者でもあり後から私に合流したクリムゾンには信頼に足る人物には映らなかった。

 

 不老化の技術も私経由で伝えたことをクリムゾンは知らない。求めるべき真実の一つが目の前にある場合の反応を恐れ段階を踏ませ伝える予定であったが・・・慎重すぎてタイミングを逃してしまう。

 

 これまではクリムゾンも使命のためと割り切っていたものの今回の行動で不信感を爆発させた。先生様はあくまでも私の感情の機微を感じ取り娘を救っただけなのだがクリムゾンにはそれが理解できるはずもなかった。肉親を持たぬクリムゾンに理解できるはずもない。この尊い優しみがわかるはずもないのだ。

 

 見誤っていたのは私もだった。のちに彼女の残したメモからわかったことだが彼女の過激な思想と私への想いが綴られていた。知ってはいたがやはりあれは好意だったか。

 

 使命をまっとうできるのであれば死ぬのも厭わない精神性。その結果この世界がどうなろうとだ。その時ようやく自身の心境の変化を思い知らされる。

 

 違うな、おかしいのは私なのだ。昔の私であればその考えに疑問を抱く事も無かった。先生の思想に触れ抱くことのない望みを得てしまった。気付かぬ内に認識外の呪縛から解き放たれていた。

 

 ”ゲームマスター”専用の特殊なネットワークを通じデータの外部流出からクリムゾンの処分を実行したのだがそれは発覚から僅かな間での出来事であった。

 

 時間的にデータに詳細までは記述されていなかったが発信時間や場所の特定から此度の異変にこちらが関与していたのは明白。雨には雪の様な通信の遮断効果はなく完璧に送信されてしまったのもさらに拍車をかける。帰還することなく外界で果てたとされた人物からの通信。固有のコード故に偽物であることはなく真実味は更に増す。

 

 この先多くの干渉が予測された。

 

 もはや使命から外れた私の生命を許すことはないだろう。娘を狙う者は例え同胞であろうと敵でしかなかった。

 

 幸い洪水による研究所への影響は無い。この大雨の間はそう長くは続かないだろう。この混乱だ、その間に攻勢に出れるはずもなく異常現象の観測に終始するはず。この間にどれだけの準備ができるのかが命運を分かつ。恐らく本気で攻めに来る。

 

 ああ、アリス争奪戦を思い出す。だがあの時とは違い私にはとても優秀な守護者が揃っている。

 

 今回の一件でオリジナルアリスの異能はもはや制御不能の代物だと判断した。どういうことか力は前よりもさらに増大していた。

 

 これでは目的を達成するどころか世界を壊しかねない。おかげで簡単に諦めもつくというもの。降って湧いた都合のいい理由に納得させつつも背徳感は多少なりとも感じていた。

 

 だがA種増産計画は継続しなければいけない。研究所の規模の拡大により増築に増築を重ね人手はどうしても捻出する必要があった。戦力でもあり労働力でもあるB種が居なければここを稼働させることは不可能である。

 

 長い時間の中で培った独自の異端技術があれど敵もまた私の同胞、決して侮れない相手。おまけに内にはA種を抱えている。外界の有用な技術をB種に吸収させ戦力底上げをしようとしかたなしにと・・・異能発現のメカニズム解明の為にも各地から攫ってきた裏や表の有名人で構成された異能者機関”祈り手”を組織する切っ掛けとなり、対外界、A種、祈り手へのカウンター部隊としてB種戦闘員の中でも特に優秀な戦闘特化な人員を集めた”黒殖白亜”を結成する経緯となった。外界には情報操作で撹乱する”黎明”だっている。

 

 そうまでして不安要素のA種を破棄しない理由はただ一つ。初期のころから間引きはある程度やっていた。異能自体に研究価値が見込めずオリジナルアリスの霧散した異能を誘因する力が弱い器としての完成度が低く弱い個体が主な対象であった。

 

 当時のB種はA種に太刀打ちできる程強くなかった。それは魔力の存在が大きい。こちらとしても魔力を使用した術式は専門外。ゲームマスターは”想術”があるので魔力を使わないのだ。

 

 そのため魔術に関する知見がそれほど深くない。そこは最初期に実験の為に確保し記憶処理したクラウン・リム・ディアスの奮闘により改善されたがマニュアル作成や教育機関の設立で200年近くの時間を要した。じゃあそれまでどうやってA種を始末してきたかと思うだろう。

 

 全てたった一人の手でA種は処分されていたと言っても誰も信じまい。

 

 ――――――そう全ては【氷結界域】と称され当時の環境で猛威を振るった少女に一任されていた。

 

 現存している残りのA種は余りに異能が危険極まりない凶暴性の塊か、【氷結界域】との戦闘から生き残った真正の化け物たちのみ。

 

 A種は未だ解明のできていない未知なる力も持つ。殺処分よりも封印処置の方が絶対にいい。同時に私の目から見ても異様な強さを誇る【氷結界域】の怖さも知れた。記憶を封印された上で厄介な魔術をいくつも使用不能となったが代わりに強力な異能を振りかざす。

 

 彼女の前歴の都合上記憶が戻ればまず間違いなく反旗を翻し強力な存在へと成長する。より一層の洗脳が必要であった。

 

 だが、その心配はもうしなくていい。

 

 今ならセイランがいる。恐らくあれには私ですら太刀打ちできない。研究の果てに生まれ落ちた慮外の番外個体。B種の突然変異体だ。

 

 歴戦の祈り手最強と降って湧いた黒殖白亜最強の二人。この二人がいる間は他のゲームマスターだろうが相手にもならない。

 

 この二人だけでもお釣りがくる。希望は潰えない。私は決して妥協しない。新たなるA種がこの先産まれようとも娘を超える個体は現れないだろう。

 

 娘にはこの先不自由を強いることになる。親の愛を知らない私なりに精一杯愛してみよう。どんな子供に成長しようとも受け入れよう。

 

 アリスよ。お前はこのことを知っていたのか?

 

 決して貴様に娘を渡してなるものかよ。貴様は闇の底で永遠に肥やしとなりて沈んでゆけ。

 

 

 

 

 

「ところでその子の名前は決まっているのかな」

 

「―――――――――」

 

「ふむ、君がそこまで言うのなら私が命名しよう。なに私も初めてではないからな。任せてくれたまえよ」

 

 今日という日をきっと忘れない。ある意味で再出発たる門出。クリムゾンの記録帳に残した一抹の染みは忘れないだろう。己が勝手な奴だと理解はしているつもりだ。

 

 だからなんだ?

 

 より多くの幸せを求めることは愚かで罪なのか?

 

 誰がそんなことを決めた。終わりが来るその日まで永遠に挑戦するまでだ。縁も因果も断ち切り幸福の頂きに立つのは娘一人でいい。そのためならば私の命だってくれてやる。久しく忘れていたが昔の私もこういう感じだったのだろう。目的を達成するためならばより多くの屍で階段を作るまで。全ては独りの為に世界を回すのだ。

 

 

 

「――――――イグナイツ。その子の名前はイグナイツだ」

 

 

 だからアリスよ。

 

 母親らしい良心があるのならもっと血を流し身を削ってくれ。

 

 それが貴様に与えられた最後の役目だ。

 

 安心しろ一応私たちは家族に当たるんだ。

 

 君が産み私がより多くを殺す。一つの魂の為に全てを捧げる。

 

 それってさ、まるで夫婦の様だろう? 

 



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第52話 最高戦力

 

 ――――――――――Side/グリム

 

 グリムにとってあり得ないことが起こってしまった。もはや何度目かと問いたくなる異常事態。目の前にいるのはかつてこの手で殺したはずの同胞。

 

 とうの昔に念入りに分子レベルで丁寧に分解したはずのお前がなぜ今を生きている。

 

「クリムゾンが生きていることがそんなに不思議なの?魂ってのはおもしろいよねぇ。グリムに殺された時は流石に死んだと思ったよ。クリムゾンは尊敬していた者に裏切られて酷く傷ついた。でもさあ、気が付いたらこの世界にいた。ちょうどそこの女に拾い上げられたらしくてね、利害の一致でこうして協力し合っている。ずっとずっとずううううっと霊体になってお前たちの臭い茶番劇は見てたよ」

 

 こちらの行動は全部筒抜け。死んでからもずっと監視していたのか。

 

「家族ごっこは楽しかった?クリムゾンは反吐が出たよ。使命も忘れ900年も無駄な時間を過ごすグリムの姿が情けなくてたまらなかった。いったい・・・・何をやってるんだよおおおおおおお!!もおおおおおおおお!!」

 

 クリムゾンは使命を放棄したグリムを責め立てる。

 

 娘の姿で私を罵るか。

 

 

 懸念事項はまだある。神性が娘の体から発生している。

 

 本当にアリスの力を継承したとなると非常にまずい。力の乱れは安定していないようだが、まだ完全ではないはず。この時点で果たしてどれぐらいのことが可能なんだ・・・

 

「グリムは変わってしまった。あの頃のグリムはもっと、もっともっとッッ眩しかったのにッ!!・・・もう消えればいい。今のクリムゾンなら”あれ”を再現してみせる。それですべて終わりだ。この世界に蔓延るゴミ虫どもを一人残らず皆殺しにしてくれる。クリムゾンが一番乗りなんだッ!!だからさ、美しい思い出と共に消えろおおおおおお!」

 

 突き出した手の先から光が迸る。計り知れない力の凝縮。このまま死ぬのは誰の目から見ても明らかだ。

 

 グリムが足掻こうにも想術は処刑台の枷で封じられ体に力が入らない。このままでは私が恐れた結末を迎えることになる。いったい何のためにA種の研究を続けてきたと思っている。愛しき我が娘の為により多くを犠牲にしてきたのだろうが。

 

 このまま奴に力を行使させるのは危険だ。本当に娘が覚醒してしまう。これ以上戦わせてはいけない。

 

 

 だからこそ――――――切り札を使う。

 

 

「裏切者はああああ死んで詫びて後悔しろおおおおおおおおおッ!!」

 

「セイランンンンンンッ!!私を助けろおおおおおおおおお―――ッ!!!!」

 

 これまでの人生でここまで叫んだことがあっただろうか。いるかもわからない相手に対しグリムは腹の底からただ叫ぶ。

 

 確信などどこにもない。だがこれまでの実績が信頼へと繫がる。

 

 来たれ我が最強の駒よ。剣聖たるその在り処を晒せ。

 

 これまでセイランは私の期待を大きく超えてきたじゃないか。恥も外聞もなくここまでできるのもそれほどまでに私が信頼していることの裏付けに他ならない。

 

 なんせ彼女はB種最高傑作。いや、もはやB種の枠を超えた番外の存在。

 

 セイランは必ず来る――――――

 

 想いは馳せ黒い風と凪ぐ。

 

 一筋の黒い光が境界を越え、雑踏とした血なまぐさい少女たちの中から現出する。

 

 

 ―――――祈りにも似た願いはすぐ傍に佇んでいた。

 

 

「了 解ッ!」

 

 

 クリムゾンから放たれた光の奔流は真っ二つに裂かれイグナイツの突き出した腕ごと切り裂き世界に亀裂を残した。

 

 時が止まったのかと錯覚するほどに静かな鳴動。直後に発生した余波たる衝撃に吹き飛ぶ観衆たち。空から堕ち行く忌み子の雨に気にすることなく鬱陶しそうな視線をクリムゾンは乱入者に浴びせる。

 

「宣言の公布、罪人は内なる刃に咎を受け入れる。―――強制執・・て、あらまあ」

 

 女王の言葉に反応し私の頭上から落下するギロチンの刃。これにグリムは拘束具に抵抗しようとするも枷に力を籠めるといともたやすく外れてしまう。

 

 いや、違う・・すでに処刑台はその機能をまっとうできないほどにセイランの斬撃でバラバラに損壊していた。いつ、切り刻んだのだろうか。まるでわからなかった。

 

 グリムは久しぶりの解放感に身をやつす。手足に受けた拷問による傷は深いがこれから戦う分には問題ない。

 

「よくやったよ、ああ――――よくやったッ!最高だ!それでこその剣聖だ!」

 

「ご無事で何よりですマスター。その名に恥じぬ働きができ私も鼻が高いです。ちゃんと間に合ってよかった。よくやった私、今日も偉い!」

 

「ハハハハハハハハ!ああ本当に偉いよッ!偉い偉い偉いッッ!・・・・クリムゾン!!短い天下だったな。貴様じゃ無理だ。あの時聞けなかった遺言を聞いてやる」

 

 黒く長い刀身の刀を構えるクリムゾンと対面するセイラン。敵に怖気づくことなく普段通りの佇まい。いつだって彼女は強者の頂に君臨していた。

 

 セイランを中心に周囲は爆撃されたかの如き惨状を形成され裁判所は壊滅していた。黒殖白亜最強は伊達ではない。流石は私の最強の駒。

 

 

 

「なんだこいつ。呆れた。ここまで強かったのか―――そうまで邪魔するか」

 

「手を貸そうかー?そいつ・・・・強いよ」

 

 あの女王すらもそう評すとはこれは相当だなと、クリムゾンは笑う。知っているのと、実際に対面するのではまるで違う。クリムゾンですら首筋に剣を添えられている錯覚を覚える。

 

 だが・・・

 

「それこそ冗談。この世界に置いて神の如き存在まで上り詰めようとしているのだぞ・・・優勢なのは依然ッ変わりはしない、何もなあッ!!」

 

 クリムゾンは喜びが抑えられないとばかりに口の端が裂ける。娘のそんな面を見せられグリムは眉を顰める。こうも表情に出す人じゃなかったのに、本当に変わってしまったのだな・・・・グリム・・・

 

 

 

 

(こいつ、正気なのか?)

 

 グリムは相手の余裕に疑問を呈す。クリムゾンだってセイランの情報は知っているはず。セイランの強さは私でも測りかねる底知れなさの坩堝そのもの。A種を正面から純粋な剣術で圧倒するのはコイツだけだ。

 

 そもそも真っ向から対峙した時点でもうクリムゾンは終わっている。”特攻”と称される意味不明な指向性を持った特異なる動作を起点とした妙技。

 

 ”一文字”に”影喰み”といい、解明の為に費やした時間と労力は無駄となったが私が思うに”特攻”とは限定的な個人の象徴を特異点として世界に抽出しているのだ。発動してしまえば一連の動作が完結するまであらゆる事象を差し置き優先され強制完遂する。一度始まれば決して止まらない。一連の動作は全てが始まりであり終わり。

 

 やはり特異点と評するに相応しい理解不能な事象。誰から見ても個人が所有できるキャパを超えている。

 

 

「初手より奥義で仕り我が一撃に二ノ太刀は無用。名も知れぬ敵性よ。覚悟は必要ない、一応に逝け」

 

 つまりセイランが刀を上段に構えた瞬間奴は死ぬ。一文字は何もかも断ち切る。不死性も魂も異能も神性もセイランの前では平らな地平線でしかない。何者からもから無縁となり孤独を強いられる。なんであろうと障害になりえない。

 

 当たれば死ぬ一撃、痛いでは済まされないのだぞ・・・それをなぜ・・・

 

「・・本当にグリムは変わってしまったんだね。昔の君は誰もが恐れ敬う程キレキレだったのに。外界に毒されたか―――よくも憧れを裏切ってくれた」

 

「知るか鬱陶しい。一方的に好き放題言うな。そんな女だとは思わなかったよ。失望した。勝手についてきたのは貴様だろ。選んだのは貴様だ。それに何もわかっていない。人類なんか滅ぼして何になる」

 

「・・・・・・・・・・・・やっぱりわかっていたけど、グリムはもうクリムゾンが知るあなたではないのね。そんなセリフ、聞きたくなかった。使命も忘れ個人の享楽の為に主義主張を通そうなどと、裏切者め裏切者め」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

「万能に溢れる今のクリムゾンが答えを間違えるものか!グリムは娘に殺される。どうしようもないほどに変わらない事実。屈辱と共に地獄を見せてやる」

 

 いよいよ来るのかと身構える。でも、どこにも負ける要素はない。

 

 セイランの一文字は先手を取られようともこちらが必ずその上をとってしまう理不尽の塊。速さも時間も関係ない。刀を構えたセイランの前では全てが空漠なる無へと果てる。

 

 当然、上段への移行を阻害されないように対策も講じている。私もサポートする。どう足掻いても止められない。

 

 グリムは不敵に笑い確定した行く末を見守る。

 

 だが、クリムゾンも笑っていた。そんな考えなどお見通しだと言わんばかりに。

 

 

「―――――セイラン、血の盟約に連なりしクリムゾンに従え」

 

 

 ・・・・・グリムは呆れて笑いが込み上げそうだった。確かにB種は創造主であるゲームマスターに完全服従だ。

 

 残念ながら娘はゲームマスターの性質は受け継いでいない。クリムゾンがマスターであったのも過去の話。元となる肉体が無ければなんら意味がない宣言。

 

 そのはずだった――――――

 

「マ、マスター・・・お逃げくださいっ」

 

「セイラン・・?どうした、なぜ構えを解く!?」

 

 明らかな異変。セイランの表情が曇りギギギと錆び付いた動作で構えが解かれる。その動作はまるで何かに抵抗するかの如き面持ち。

 

 この反応は・・・まさか・・・!

 

「あり得ない!その肉体で上位者コードを保有しているはずがないッ!何をしたッッ!?」

 

「何か勘違いしてやいない?クリムゾンはただお願いしただけ。アリスから縁遠い末席の存在だとしてもB種にはアリスの血が流れている。新時代の”アリスの役”を継承する者の命令を聞くのは当然の摂理であろうがよ」

 

 言っている意味は分からないがセイランが完全に機能停止したことは現実に他ならない。

 

 グリムの喉がひりつく。下手すればセイランの凶刃が自身に向く。

 

「・・・でもなんでだろなあ。素晴らしきはゲームマスターの証。まさかこちらの支配力に抵抗してみせるのか。駒にはならないか残念・・・クリムゾンも剣聖が欲しかったのに。いいや、これで妥協しよう。これでもうグリムを守る者はいないのだから。完全に掌握した神の如きクリムゾンにその模倣でしかない想術がどれほど通用するかなぁ。ねえ、通用するのかなああぁぁぁぁ?」

 

 どうやら、命令権は拮抗たようでグリムは命拾いした。そう、ただ拾った命も少し伸びただけだ。

 

「クリムゾン・・・・ッ」

 

 そうかそうだったのか。クリムゾンの言葉の意にグリムは気が付いた。

 

 この茶番めいた裁判の意味をようやく理解したのだ。これも一つの儀式。法廷で誰もがアリスの心をへし折ろうとしていたしたのも、全てはオリジナルアリスの魂を屈服させ力を沈黙させるため。

 

 私の処刑場?とんでもないここはアリスの処刑場だったのか。

 

 そして恐らくは協力者であろう、アリスの心を見事に堕とした演技派な謎の男も斬り捨てられた。

 

 順当に、次は私の番か。

 

 クリムゾンの心情に引っ張られるように空が赤く染まっていく。ゲームマスターたる所以。根底に根差す我らが”想術”では到底不可能な規模の改変規模。

 

 増幅したアリスの今の異能ならば可能。とうの昔から手に負えなくなったオリジナルアリスの異能はもはや神の領域まで行き付いていたか。

 

 これでは神そのものではないか。

 

 空には巨大な月。大地と触れてしまいそうだと懸念するほどに、世界はこんなにも紅いのだ。

 

 グリムは絶体絶命だった。

 

 力量を見誤った。いや、理解を超えていた。神を自称するだけのことはあった。グリムは歯噛みする。

 

 頼りのセイランは機能せず、置物と化した。

 

 血による支配。つまり私がこれまで築き上げた戦力の殆どはクリムゾンの前では無意味となる。そのすべてがアリスの血によって連なっている。

 

 何よりも制する者とはクリムゾンのことであった。完全なるオリジナルの後継たる次代のアリス。

 

 アリスの異能を完全に制御したのならこれぐらいのことはできて当然か。今まで誤魔化してきたがもう限界だ。

 

 クリムゾンは自身の体から流出される神性を隠そうともしない。完全に娘は器として、完全なるアリスとして君臨してしまったのか?

 

 身震いがする。娘との思い出が走馬灯のように流れる。

 

 娘との時間は私には本来あるはずの無い体験を与えてくれた。それ故に怒りが湧いてくる。見ろあの顔を。なんと醜悪なものか。娘はあんなふうに笑ったりなどしない。

 

 ・・・・娘の魂はどうなった?もうこの世にいないのか?

 

 どれだけ神秘耐性を持ち得ようと純然たる神性を前に自己を保てるはずがない。

 

 死んで・・しまったというのか・・・・・

 

 自然と拳が強く、強く握りしめられた。

 

「――――――殺してやる」

 

「クリムゾンも、あの時はそういう気持ちだったよ。ようやく痛みを共有できて嬉しいな」

 

 世界が揺り動く。ねめつける二つの視線は交差し次第に捻じり狂い赤き世界を捩じ切ろうとしていた。

 



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第53話 奇縁戦局

 神に比類する者と戦うなど前代未聞。マニュアルにだって載ってない。

 

 グリムとて神とは漠然とした存在としていつも身近に感じていたが所詮は幻想だと祈ることはなかった。力ある者に信仰は不要。いつだってどうにかしてきた。

 

 ゲームマスターにとって神とは符号でしかなく決して現実に現れることがない非物質的なナニかでしかなかった。

 

 それが・・・・こうも・・・恐るべき存在とは知り得なかった。

 

 神の如き力の躍動を漏らすクリムゾンの存在は絶対的な脅威でしかなかった。

 

 存在感が尋常でない。全身の毛穴が引きつくようだった。

 

 

 神性が――――――――流出する

 

 軽度であるが、グリムの意識をぐらつかせる。

 

 こうなってはどうにもにもならない。それがわかっていてもグリムは娘を前にして逃げなかった。

 

 娘を屍姦するような悪い奴が目の前にいて冷静さを保てる親がどこにいる。

 

「クリムゾンンンンッッ!!」

 

「さあ死ねよッ!古き法典の象徴ごと洗い流してやるッ!」

 

 グリムの足元で転がる旧き理の象徴たるアリスごと消し去るつもりなのか、再びクリムゾンの前方に力の奔流が産まれる。それだけで世界が軋む。恐ろしいまでの神性の暴力が渦巻いていた。

 

 運命は簡単に決する。

 

 

「ア” リ” ス”ッ!!」

 

 

 ――――――――だが、諦める者いれば足掻く者もここにあり。

 

 戦局はさらなら混迷の局面を迎えることとなる。

 

 眠りについたアリスとグリムに放たれた不可思議な一撃を前に何者かが直撃寸前で割り込む。

 

 力と力。

 

 一瞬の拮抗を感じ取ったグリムは勢いのまま我武者羅に想術でサポートする。

 

 瞬間、熱量が弾け大爆発が起きた。

 

 (い、生きている)

 

 神性にチリチリと神経を侵されながらグリムは生を実感する。

 

 驚くことにその何者かはその身を削り血を飛ばしながらも攻撃を受けきった。

 

「ハァ――――ッ!―――ハァッ!!にゃぅぅぅッ」

 

(な、誰なんだこいつは――――――――)

 

 グリムの前でその者は激しく息を吐き出す。呼吸の度に体が脈動する。臀部から垂れる尻尾に毛並み逆立つ耳。獣人めいたその姿に見覚えは無い。誰の記憶にもありはしない。

 

 グリムには”傷ついた”アリスを背後に立ちふさがる獣人の姿が子を守る母親のように見えた。

 

 

 

 ――――――――――Side/チシャ猫

 

 

 クリムゾンは苛立ちのまま問いかける。事あるごとに何者かが邪魔に入る。

 

「まだ、生きている・・・誰の邪魔をしていると「女王ッッ!!貴様どういうつもりだッッ!?」

 

 獣人もとい・・・チシャ猫はクリムゾンの問いかけも無視して叫ぶ。

 

 その叫びに呼応するようにひょっこりと岩陰から顔を出す女王。

 

「チシャ猫ちゃん、どういうつもりもなにも見てのとおりなんだけどー?」

 

「アリスを見殺しにするつもりだったなッッ!!?」

 

「顔が怖いよーおまけに・・・あははは!語尾はどうしたの!どこかに忘れてきたのかにゃー?」

 

「誤魔化すな!本気で見捨てるつもりだったのか・・ッッ信じられない!それでも女王なのか!」

 

 はあ・・と、女王は一際大きなため息をつきながら見下したような目で語る。

 

「女王、ね。その馬鹿みたいに薄っぺらいキャラ付けしているような奴には言われたくないな・・・・そもそも私は別にアリスの味方じゃないんだよ?」

 

「・・・・なに?」

 

 チシャ猫にはまるで意味が分からなかった。

 

 チシャ猫も女王もアリスの異能により産まれいでた眷属。アリスがここで死んで魂が肉体のある現実に帰ればこの世界も我々も無事で済まない。恋都にアリスを殺されるのとはまったく違う結末を呼び込む。

 

 この国の支配者たる女王とてそれは望むべき未来ではないだろうに。皆が皆、永遠に創造主たるアリスを愛しアリスに愛されたい。

 

 特にこいつはアリスを過保護なまでに自身のテリトリー内で保護していたじゃないか。それがなぜ・・・?

 

 本当に・・・最初からそのつもりだったのか・・・チシャ猫たる私を差し置いて・・・・・ッギギ

 

「ああ・・やっぱわかんないかーまあそうだよね。わかってたよ、うんうん。私って本当に孤独だなぁ。よもや自分の役割すらわからないまでに彼の記憶で存在を再構成した結果がこれか。最初の精神崩壊でこの夢世界はあのまま消滅したほうがまだよかったね。私もねー再構成してこうしている現存している身だけど役割の枠を超える真似はしていないし過度な干渉もしていないお利口さんなんだよ?こんな見た目だけどどこまでも女なチシャ猫ちゃんと違って、ね」

 

「だから何を言っているッ!?」

 

「だからぁ私は昔からいつだってアリスに敵対的だってこと。例え異能によって再現された世界あり”元より”歪な存在であっても・・それが私の役割だもの。だから壊してあげる。こんな原典からもかけ離れた物語はね、消えるべきなんだよ」

 

 不意に動き出す女王の右手を前にハッとチシャ猫はアリスの元へと駆け出す。

 

「――――ッやめて!?」

 

 唐突に水平に切られる女王の人差し指。

 

 それと同時に刎ね跳ぶアリスの首。信じられない光景がチシャ猫の瞳に映し出さる。

 

 

 アリスが、、、、、殺された。

 

 

 よりにもよって下手人は従属たる存在である女王。

 

 

 

 

 

 

 

 まさか・・・こんな結末を選ぶとはな・・・

 

 主たるアリスに限定するが死因が夢の住人によるものであれば夢の中での死は現実での目覚めの合図。

 

 夢に逃げ込んだアリスが現世に戻ればどうなるか女王が知らないはずがないのに・・・・

 

 そもそもアリス救済計画の提案者は女王であったのに・・・

 

 間もなく現実世界のアリスの目が覚める。

 

 現実世界にどんな影響が起きるのか予測できない。余りにも現実が辛すぎる為に夢世界に避難してきたアリスの精神が現実に戻ればその心は容易く死ぬであろう。

 

 あのメンタルでは耐えられるはずがない。

 

 異能でできたこの夢世界はアリスの精神状況と直結している。

 

 精神崩壊・・それに連動した二度目の大崩壊がが起こる。

 

 夢世界はそれでもうおしまいだ。

 

 アリスの魂が夢の世界に逃避してからどれ程の歳月がたったと思っているのだ。未だにアリスの心はこの世界においてもひどく不安定。女王の献身的な介護である程度復帰はしたが性格は捻じ曲がり薄汚れあどけなさが消えた。彼女はもう少女ではない。

 

 それでもまだ初期に比べればましという現状。むしろ夢を現実だと認識しているきらいまである。ことさら現実に耐えられるわけがない!!

 

 現実世界のアリスの無残な現状が拍車をかけてしまう。

 

(・・・・・ああ、そういうこと)

 

 女王がこのタイミングで動いたのはそれを待っていたからだ。だからこそああも甲斐甲斐しくアリスを甘やかし続け、烏滸がましくも”独占”し軟弱で惰弱で依存的なアリスを意図的に作り上げたのだ。

 

 こちらの世界にアリスが逃げ込んで数百年は経っている。あのころとは違い現実のアリスの体は改造につぐ改造で異形と成り果てた。最低限の生命維持と改造され肥大化した下半身。どこまでも生命を冒涜した施術。

 

 夢の中との相違がアリスの心を壊し発狂させる。

 

 女王の行動は夢世界が終わると理解した上での主への反逆行為。

 

 ・・・・・どうやら・・・女王はこの世界が気に入らないらしい。

 

 チシャ猫も”こればかり”は少々予想外だった。

 

 まさか自ら創造主たるたるアリスの世界を否定する者がいようとは――――

 

 そんなにも今の在り方が認められないのか。アリスで満ちた楽園を否定するか。裏切者が。

 

 女王がアリスを・・・見捨てるのか。

 

 ああまでアリスを独り占めにしておいて貴様が・・よりにもよってぇッッ!!

 

 チシャ猫は諦めない。こうなったのであれば・・・・ここで”もう”動くしかない。

 

 

 だが、唐突にどこからともなく声が響く。

 

 早すぎる終わりはまだ認められない。

 

 

 足掻く者、またここに在り。

 

 

「終わってなどいないッ!!散りざく彼方の綻び、裁きには能わず【悲劇の再演】(リ・アクト)!!」

 

「――――!!」

 

「再び舞えッッ!」

 

 

 聞き覚えのある声がチシャ猫達に届く。これはいったいどういうことなのか―――

 

 視界に映るあらゆるものが静止し色彩を失い、全てを灰色へと回帰する。

 

 世界が―――逆行する。

 

「―――――ッ!?」

 

 気が付けば・・・・・何もかも元通り。

 

 飛んだはずのアリスの首が元通りになっている。いや、それだけじゃないチシャ猫の位置関係すら元通りだった。

 

 これは時間の逆行・・!?

 

 幻かと疑念を抱く間もなく何者かがアリスの体を拾い上げそこに割り込むかのように大きな影がアリスを覆い姿を隠した。

 

 これには女王も瞠目する。

 

 

「・・・へー、やるじゃん」

 

 

 ガギギギギン―――ッッ!!!!

 

「く、おぐああアアアアアっ!!!」

 

 ガリガリと火花を散らせ盾を削る。

 

 騎士は盾を構え纏った鎧を削りながらその全身で受けきる。アリスへの不可視の攻撃は割り込んだ騎士によって完全に防がれた。

 

 そのまま攻撃を払いのけ飛び掛かる騎士を女王は華麗に躱し薔薇の意匠が施された王笏で払う。鍔迫り合いになる剣と杖。お互いの顔が迫り女王は嬉しそうに甘言を吐く。

 

「あらら、私の攻撃を防ぐとか間の悪い奴め。せっかく私の騎士にしてあげたっていうのになあレグナントちゃん。いつまでも際限なく姫という幻想を追えていた騎士君はなぜ現実と向き合う。そんなに忠義が大事か、んん?犬は嫌いかな?」

 

「やはり貴公が――――このつけは高くつくぞ・・・それに貴公の趣味は私には合わない」

 

「私のセンスが、なんだって?白黒のコントランスは大好き!だからそれが似合う祈り手も好き!それで騎士でもある君はもっと好きだ!だから私の騎士になればいいんだよ・・・正直女王の役回りは退屈だ。誰一人といない王国に権威の象徴たる王冠も色褪せ、いつからかかび臭く感じるようになったよ。王国の骨子がアリス個人で成り立つようではな。私よりも偉い奴がいては女王の立場が無いではないかよーここは私の王国なんだぞー」

 

「自身の神をも否定するのか・・・?なんと傲慢な。生みの親ならば感謝はすれど恨みなどもってのほか!」

 

「しかたないだろ女王なんだから、そういう役を望んだのはその神なんだからさぁ!!さあさあお立会い!せっかく出会ってしまったんだ。寂しい独り身同士語り合おうじゃないか放浪騎士!挑むがいい、朱ノ女王はいつだって退屈なのだよ?」

 

 

 

 

 

 

「(おいおい、これは・・・・)」 

 

 グリムは妙な流れを感じていた。勝負の流れとでも言うべきか・・・

 

 相対するグリムとクリムゾンの前に現れる想定外の来客たち。異能を携え恐るべき戦闘力を保有する祈り手の中でも上位クラスの実力者二人。

 

「おや、懐かしい顔ぶれ・・・・でもないか。クリムゾン。あなた病気で死んだはずでは?」

 

 どこからともなく現れたクラウンはまるで旧友にでも会ったかのような馴れ馴れしさでクリムゾンに話しかける。そうか、異能で中身を読み取ったのか。異能の虚偽申請とはいただけないな・・・・

 

「そっか、そうだった。また君と会うとはクリムゾンも思っていなかったよクラウン。ゴミクズにしては利口なゴミだと思っていたけど思い違いだったか・・・・ちょっとさ、いまいいところなんだから邪魔しないでくれる?それともあの時の両親と同じようにグチャグチャに殺されたいの?」

 

「・・・・・・忘れるはずがない。私の頭を好きに弄るような人の事。ええ忘れるものですか。私の父を、母を殺した者の顔は・・・」

 

「ふーん、だからってそっちにつくんだ。そいつも私と何ら変わらないでしょうに」

 

「なに簡単な話ですよ。まずは潰せるほうから潰す。ずっとこの時を待っていた。清算・・・よろしいですか?」

 

 クラウンの視線がグリムに向かうも遮るように刀を構えたセイランが待ち構える。クリムゾンや私に対して動けないだけでそれ以外の相手には問題なく動くか。

 

 だが、それは待ってもらおうか。

 

「セイラン!お前は何もするな」

 

「・・・・・・・・・・了解」

 

 グリムは人知れずホッとする。命令権はやはりクリムゾン以外には有効か。さあクラウンよ、今ので意図は伝わったはずだが・・・・もちろんこちらにつくよな貴様は?

 

 

 

 

 

 

 

 交差するセイランとクラウンの視線。その目は両者ともに悲し気な感情を浮かべていた。

 

 道が・・・違えてしまったのだ。あくる日の日常はもう戻ってこない。いつか訪れる運命だったのだ。

 

 もう既にクラウンの手は守護者の血で濡れている。どんなに時間を戻しても変えようのない事実。

 

 

 沈黙は続くが口火を切ったのはセイランからであった。

 

「お久しぶりです先生・・・・・とても残念です」

 

 先生・・・その一言がクラウンを刺激する。

 

 完全に記憶が戻ろうとも、守護者たちと過ごした穏やかで楽しかった日常も真実。別に・・・悪いモノではなかったのだ。

 

「・・・・長い、長い夢を見てたんです。それが覚めてしまった。それだけの話なんですよ」

 

「それは夢のままではいけなかったのですか・・?」

 

「何の責務も無い子供であれば・・・・許されるかもしれません。それでもいつかは大人になる。どんなに目を背けても現実はいつだって残酷だ。気が付けば私は敵になっていた・・・・」

 

 今まで笑いあってきた者たちを決意で絞め殺す。本当に何をやっているのであろうか。出会ってくれるなと願えど通路内で遭遇してしまったのならば戦うしかない。

 

 何かを捨てねば得られるもの何もない。

 

 彼女たちからすれば私はただの裏切者だ。

 

「セイラン君・・・ここにいるのはただの裏切者です。あなたは黒殖白亜の本来の役割を・・・職務をまっとうしなさい」

 

 斬られるだけの理由はたくさんある。それでも、やはり、ゲームマスターだけは許しておけない。

 

「先生ッ」

 

「・・・・君はひた向きで教えがいのあって今でも好きですよ。もちろん君が私よりも強い事は知ってます。ですがそれでも今は後ろの彼女のほうが恐ろしい。ですので・・これが最後の”祈リ手”としての仕事になりますね」

 

「そう、ですか・・・ではまた後で”クラウン”さん」

 

「ええ、また」

 

 どことなく悲し気で、それでいて覚悟を決め背を向ける。二度と振り返りはしない。既に昔の話へと過ぎ去っている。

 

 クラウンはそのまま倒れ込んだグリムに手を差し出す。

 

 

 それに対しグリムは困惑する。

 

 記憶が戻っているなら私たちがしでかした所業の数々も察しのいいクラウンならば当然気づいているはずだった。

 

 感情は二の次で合理的に動く。そういう奴だったなとグリムは刺し伸ばされた手を掴むやいなや勢いよく引っ張り上げられ、

 

 顔面に拳を叩き込まれる。

 

「ヅッッ」

 

「まあ今はこれで良しとしておきます。業腹ですがあれの一人勝ちはとても許容できない。そうですよね?」

 

「っああ、そうだな。今は・・それでいい。セイランお前は―――」

 

 折れた鼻を治しつつもグリムはセイランを後方へと下がらせる。

 

 それでいて裏切りの保険として手の届く位置を保たせる。

 

 クラウンたちが加入したおかげでクリムゾンに対し勝ちの目が見えてきた。

 

 同じアリスを源泉とした異能であれば―――可能性がある。

 

 ひとまずクリムゾンさえどうにかすれば・・・・・セイランが後の始末は全てつけてくれる。

 

 つまりグリムだけが後先考えずに全力で己が全てを開示できてしまえる。余力の心配はまったくいらなかった。

 

 だがどうだ?

 

 この状況であってもグリムとの衝突は避けられない。そのためにもクラウンは余力を残す必要がある。

 

 聡明な彼はその後をみとおしていることだろう。そしてその身で感じているはずだ。クリムゾン相手に手加減する余地はどこにも介在しないと。

 

 つまりクリムゾンを打倒しようと続くセイランとの二戦目でクラウンは間違いなく死ぬということだ。絶対に死ぬ戦いを強いられることがわかっていてもクラウンにとっての仇が目の前にいるのだ。引けるわけがない。戦うしかないのだ。

 

 なので恐らくクリムゾンが生きているどこかのタイミングでクラウンは私に仕掛けてくる。決着時に細心の注意を払い挑もうか。

 

「・・・セイラン君は動けませんか(厄介なことだ、これでは常に喉元に刃を突きつけられているようなものだ)」

 

「そういうことだ。で、あれは味方と考えていいのか?」

 

 先ほどからクリムゾンと睨みあい対峙する娼婦めいた女の獣人。恐らくあの女王と名乗る者と同種であろう。雰囲気からそう決めつける。

 

 先ほどの一撃を生身で受けた点といい間違いなく人外の類。大事なのは今のクリムゾンの攻撃に対処できるものがいるという事実。

 

 事実、クリムゾンは警戒している。この会話の間も警戒して動けないでいる。一応の味方だと考えていいのだろうか・・・?

 

 

「なぜ、夢の住人が私の邪魔をする?これが貴様らの望みだったでしょうに」

 

「文句なら女王に言えニャ。それにお前が・・・・アリスにしでかしたことを知らないとでも?よくも看病と称して薬の実験台にして虐待してくれたニャ。計画成就の為にどれだけ奥歯を噛み砕いたことか・・・もう”計画の破綻”は許容できない。”ここまで”くれば遠慮も必要ないニャッ!!」

 

「馬鹿馬鹿。このお馬鹿さん、今頃気が付いても遅い!利用したつもりだろうがその計画は私が乗っ取った!お前たちが私と相容れるはずがないだろうがッッ!アリスの残りカスが滅ぼしてやる!!神の力の前にひれ伏せッ!!!」

 

 

 ・・・毛を逆立て威嚇するあの女がいれば戦いになる。やるべきことは獣人女を主軸とした徹底的なサポート。次第に戦術が組み上がっていく。

 

 あと気になる点としては・・・

 

「グレイズ君、君はその女性を連れて後方に離れていてください」

 

「は、はひ」

 

 強大なプレッシャーをまき散らすクリムゾンを前にぎこちない動きで眠ったアリスを持ち上げ運ぶ青年。

 

 まあこいつはどうでも・・・・ん?

 

 どこかで見た顔だと思えばこいつ謎のA種への餌としてぶつけた祈り手新入りか。どこまでも場違いで浮いている戦力外。期待は何もできない。

 

 さて、これでこちらは三人。女王はレグナントが抑えている。少なくとも形だけは整った。

 

「これより神殺しを敢行する」

 

「来るぞ」

 

「ゴミ人間どもがいくら群れようとも意味はないのに。不敬であるぞ。愚か、本当に愚にもつかない愚かさ。偉大なる万象に挽かれて悪路に沈め――――――――天地回倒」

 

「!!?」

 

 脈動する大地が戦いの狼煙を上げる。

 

 終わったはずの戦争の残り火。煙はいつだって見えていた。忘れられない記憶と共にあの日の続きが始まる。

 

 戦争が―――――始まる。

 

 

 ――――――――――Side/グレイズ

 

 

 これはほんの、数分前のやり取りだった。

 

 破廉恥な獣人と神を名乗る不遜な輩の会話中、グレイズは先生に謝罪されていた。

 

 

「グレイズ君巻き込んでしまって本当に申し訳ない」

 

「いえ・・・」

 

 そう返すも、グレイズは戸惑っていた。

 

 変わりゆく状況でグレイスだけは周囲との温度差を感じていた。それもそうだ。この中で一番若く因縁の浅い彼には理解できるはずも無い。

 

 グレイズは真っ赤に染まった天を仰ぐ。まるで地獄のような世界で彼の立ち位置すらも曖昧。

 

 数百年という積りに積もった抑圧された感情。完全に記憶の咎から解き放たれた者たちにはもはやブレーキなど効かない。レグナントもクラウンも戦火の囲いの内を歩んだ者たちだった。

 

 敵を前にすればとにかく殺す。そんな当たり前の思考が殺意を滾らす。

 

 方や捧げた剣の重さを忘れ肝心な時に何もなす事が出来なかった者、方や敵の証拠隠滅に抵抗したせいで腹いせ紛いに両親を惨殺され、記憶がない事をいいことに仇である者たちへと協力させられていた者。

 

 祈りを取り戻した彼らはその熱に沿うことだろう。

 

 その熱がグレイズにはない。

 

 ・・・・ここにいるのも全てあのチシャ猫と名乗る妖しげな者との取引が起因する。本当にこれでよかったのだろうか。

 

 もちろん先生には感謝している。国の規範たる地位にいる者の手伝いができるのはとても光栄なことだ。それでもグレイズの目的から少しずつ逸れ始めている感覚は否めなかった。

 

 ベルタは恐ろしい。まさか無意識に逃げているのか?

 

 彼女と相対することを恐れているのではないかと思い始めていた。

 

 ――――そしてなによりの気がかりは・・・・アリスジョーカーのことだった。

 

 あの獣人が引き取ったとアリスの姿はどこにもなかった。

 

 



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第54話 洗脳解除?

 

 更に時間は遡る。

 

 グレイズたちが強制的に裁判所を追い出されてからのこと。

 

 城の中をさまようグレイス達。それにしては先頭を歩む先生の脚には迷いが見られないのはどういうことなのか。

 

「先生、戻らなくてよかったのでしょうか――――」

 

「あの場にいたとしてももう何もできませんよ。あれは勇者をはめるための罠。我々まで巻き込まれるては堪りません」

 

 

 

 クラウンはグレイズの不安を異能で読み取りそう付け加える。勿論、本心は違う。

 

 裁判所でクラウンは女王から異能の干渉を受けたのだ。

 

 クラウンの異能に干渉してきた件からあの女王が人外なのは間違いない。それも高次の存在。アリスの関係者ってだけで脳内で関わるな、引けと警告する。異能が通じない時点であれらを敵に回すのは得策ではない。

 

 なにより、処刑台にかけられた人物はゲームマスター本人。あれで死んでくれるのならば好都合だと言うもの。

 

『脱出したければ猫を探せ』

 

 女王より警告と共に伝えられた情報。僅かに読み取れたログいや・・・与えられたか。

 

 女王はどうにもここか我々が消える事を望んでいるようにも受け取れた。アリスの力により産まれた眷属との敵対など正気の沙汰ではない。ここは奴らの領域なのだぞ。

 

 すでに女王の計画は動き始めた。それに掛かりきりの間であればこちらにまで手は出してこない。あんな騒動に巻き込まれるのは悪夢でしかない。一刻も早く脱出するしかないのだ。

 

 悪いが勇者様にはここで私たちを守っていただく。彼はこの世界における主役であり哀れな子羊だ。あれほどの存在に目を付けられた時点で運が無かったとしかいいようのない。

 

 せめて彼が”勇者”たらんことを願うしかない。

 

「・・・・・・おや」

 

 【探知】に反応有り。前方のカーブを描いた通路の先から何者かが向かって来る。

 

 ・・・おまけにこの反応。よくないものが現れたと勘が囁く。

 

 静かに身構えるクラウンを見てか剣呑な空気を察しグレイスも剣を抜く。アリスジョーカーは相も変わらずふらふらしている。

 

 まとまりなく待っていると、弧を描く通路の先から現れたのは・・・獣人であった。

 

 勢いよくこちらに翔ける獣人の剣幕に警戒する二人。まさか猫とは彼女の事か・・?

 

 獣人に恨みを持つグレイズ君の顔を窺うもどうやら奇天烈な恰好に思考が停止している様子。

 

 それもそうか。猫というよりも真っ先に抱いた印象が痴女であった。外界はとにかく寒い。こんなに薄着であることは高級娼館の娼婦でもなければまずない。幸いこの異界の気温は快適そのものだがそれであんな格好になる理由とはならない。

 

 自然と警戒度が上がる。露出の多い者はこぞって厄介な人物だと相場が決まっている。これは経験則でもある。

 

 突然現れた異界の世界観を壊す痴女に動揺するも何かから追われている者の顔であることに気が付く。意識は常に背後に。私たち二人に気が付いていない様子。そのことに気が付くや否や突然通路の壁が破壊され何者かが躍り出る。

 

「ニ”ャァッッ!?」

 

「見つけましたよ姫ッ!」

 

 白と黒のまだら模様で彩られた甲冑姿。現れたのはなんとレグナントであった。クラウンはやはり同じようにこちらに引き込まれたのかと安堵し声を掛けるが、こちらに対しまるで反応がない。

 

 痴女は咄嗟にクラウンの背後に隠れる。

 

「・・お知合いですか?」

 

「そのはずなんですけどね」

 

 グレイズはそう聞いてくるも若干引き気味だ。

 

 どう見てもレグナントは正気ではない。あと甲冑の色合いも変だ。なんだその恰好。どこで調達した。

 

「そうか、なるほどそうか!貴公らが姫を誑かしたのか!またそうやって主君を奪うつもりか!そうはいかんぞおおおおおッ!」

 

 レグナントは興奮気味に腰から剣を引き抜いた。

 

 非常にまずい。レグナントが洗脳されている。

 

 レグナントは剣を構え今にも襲い掛からんとしている。彼とまともにやり合えば私もただでは済まない。彼の異能はシンプルで非常に強力であり戦闘スタイルと噛み合い過ぎている。

 

 戦闘は避けたい・・・これはもしや罠か。女王に完全に誘導させられていた?

 

 ならばと、クラウンはここで奇策に出る。相手が正気でないのならば意識を引き戻すまでと打って出る。

 

 長年の経験則から導き出した洗脳への対処法。馬鹿げているが表面上の効果はある。

 

「ニャ?」

 

 クラウンは痴女の首根っこを掴み上げその首元にナイフを突きつける。

 

 気持ちを切り替えなりきる事こそがこの世界の鉄則。運はそうやって積み上げる。

 

「おらあ!それ以上近づけば愛しの姫様の顔に傷がついちゃうなあ!!」

 

「え、え――――先生!!?」

 

「な、なんだとッ!??」

 

 とても大主教とは思えない凶悪な笑みを浮かべ人質を取るクラウンの姿にグレイスは驚いた。唐突過ぎる転身に脳が追い付かない。

 

 いきなりなんだこの人!?

 

 クラウンはペロペロペロとナイフを舐めまわす。

 

 そして思う。この人実は面白い人なんじゃないのかと。

 

 クラウンがごにょごにょとグレイズに耳打ちする。

 

「もちろん演技ですので安心してください。こういう手合いは戦時中よく対応したので慣れてます」

 

「ニ”ャニ”ャニ”ャッ!ふ、振りだニャ?振りだよニャ!?」

 

「ええ、ですので貴様にも少々付き合っていただきますよ。グレイズ君、洗脳された相手の対処法を見せてあげます」

 

「えぇぇ・・・」

 

 グレイズは先ほどから困惑しすぎて正常な判断ができない。なんでこの人こんなにも平然としているのだろう。洗脳への対処法でどうしてナイフが出てくるのか。

 

 混乱しつつもグレイズは騎士見習い。命令に勝手に体が沿う。

 

「へいへーい。ジッとしてなきゃ今からそこの彼が姫のまたの下を通過するぜートンネル開通記念だ!オラッ股開け、がに股になるんだよォ!蟹さんみたいになぁ!!」

 

「な、なんと卑猥な真似を!?やめるのだ貴公ッ!!貴公ッッ!!!」

 

「く、やめるのニャ!女の子がしていい格好じゃないニャッ!?ピースピース!!」

 

 口ではこう言っているが、この痴女実にノリノリである。グラマラスな美人なのに自分からがに股を晒す。

 

 なんだこれ?

 

 思考停止したグレイズはよじよじと言われるがままにがに股の格好をさせられた獣人の股下を這う。彼の頭は?でいっぱい。ただ言われるがままに潜るのであった。

 

 なんだこれ?

 

「それ以上股を開かせるなアアアアアアああああああ!!!許さんぞ小僧おおおッ!!」

 

 ええ・・僕?

 

 なんでぇ?なんでなのぉ?

 

 このまま完全にトンネル開通してしまえば殺される。そう思うとそのまま動けなくなる。今もなお股下。

 

 そこでこの状態を維持すればひとまず安全ではなかろうかとグレイズはひらめく。

 

 ひとまず籠城だ!と安全圏で縮こまり痴女の股下から騎士を窺う。

 

「ゆ、許さん・・・姫を辱めなおかつ「よく見ろぉッッこれが貴様の姫なのか?こんなふざけた格好をするのか?こんな薄着で外を練り歩くのが貴様の姫なのかと聞いているんだッ!淫売なのか、ええッ!?」

 

「い、いやしかし、彼女は確かに我が君の・・・」

 

「高貴な人間は誰かれ構わず股を開きはしない。安っぽい語尾など付けやしない」

 

「・・・・・ッた、しかに」

 

「考えてもみてください。こんなハレンチ獣人裏切りクソ女が姫なわけあるか!そう考えると・・何だお前!?どけッ!!」

 

「ニ”ャビッ!?」

 

 そのままクラウンにビンタをかまされる痴女。まさしくやりたい放題である。この扱いにはグレイズも同情する。

 

 

 がしり、と。

 

「!?」

 

 倒れるゆく痴女から腕が伸びクラウンの手を掴む。

 

 ぐぐぐ。どういうことだ。振りほどけない。腕は動かず凄まじい力で掴まれていた。

 

「あーもう。あったまきたニャ。小僧ども。あんまり舐めてっとぶっ殺・・いや殺しはやり過ぎニャ。半殺しにすんぞッ」

 

 痴女の一瞬で姿が消え魔の手がレグナントにも及ぶ。

 

「お、うぐおおおお」

 

「なん・・おごおおお」

 

 大の大人を二人、片手づつで抑え込む。あの細腕から想像にもできない力が発揮されている。

 

「ふん!最初からこうしておけばよかったのニャ。やっぱり暴力は頼りになるのニャン。早くあの場所に戻らないと・・・」

 

「うっ、く。女王は、あなたを裏切ったみたいですよッ」

 

 唐突にクラウンは呟く。獣人は機嫌が悪くなったのか思わず眉を顰める。

 

「立場が分かっていないのかニャン。このまま首の骨へし折られたいのかニャー?素直に謝ればいいものを」

 

「失礼ですがどうやらあなたは私の事を知っているようなので説明は省きますが女王はあなたを裏切った。言っている意味わかりますよね。例えばっそこの彼、レグナントといって私の仲間なんですが彼は女王によって洗脳を受けています」

 

「なっ・・女王による洗脳だと・・・にゃ?」

 

 クラウンからもたらされた情報がチシャ猫の表情を変える。

 

「・・・知ったような口をきく。それも異能のおかげかニャ?ありえない!この国の女王が裏切るはずが」

 

「おかしな話ですよね。あなたが未だに女王に会えないのはその女王に疎まれているため。知ってますか今、勇者殿がどうなっているのか」

 

「・・・ニャ、ニャンてことだ、もう始まっている・・?まだ早い!!」

 

 まくしたてるようにあげられる根拠。言っている意味はグレイズにはわからないが情報が提示され度に獣人の表情は困惑から驚愕。最後に愕然としつつもどこか納得の表情に至る。

 

 自然と万力の拘束は解けゲホゲホと咳き込む二人。腰をさすりながらも起き上がる。

 

「だったら、ついてこい人間ども。乗り込むニャ」

 

「いえいえ私たちはここでお暇させていただきたいのですが」

 

「記憶、完全に取り戻してあげるといったらどうするニャン」

 

 今度はこちらが止まる番であった。クラウンにはどうしても戻らないとても大事な記憶の断片があった。あの時ゲームマスターによって中途半端に戻された穴だらけの記憶。両親が惨殺された忌まわしい記憶の欠片だが下手人の顔は黒塗りでどうやっても思い出せないでいた。

 

「そっちの人間どももニャ。もし手伝ってくれるのならここから脱出、ニャんニャら故郷まで直接送り届けてあげるけど、どうするかニャー」

 

 魅力的な提案であった。グレイズにとって地獄のような世界から脱出できるのならそうしたいに決まっている。

 

 でも答えは既に決まっていた。乗り越えるべき壁があるのだ。

 

 

 

「私はいい。故郷も滅びできることとすればゲームマスターの首を刎ねることぐらいだ。それでようやく先達たちの・・我が同胞の魂が昇天すると言うもの」

 

 レグナントは最初から背水の陣の覚悟で挑むつもりだった。優先すべきは過去の清算。それなくしてどうして前を向ける。自己満足なのは理解している。それでも遅ればせながら過去に忠義を示したかった。あの重要な局面で不在であったことに対する不甲斐無さを払拭したかった。それでようやく手慰みとなりけじめとなる。

 

 

 

「僕もいいです。まだやり残したことがありますので」

 

 グレイズはまだ何物にもなれない未成熟の果実。ようやく、欠けた歯車が噛み合い時計の針が回り始めたのに・・・ここで逃げれるはずが無かった。

 

 満足げにチシャ猫が頷き視線がこの場の人物全てに移るが・・・・止まる。

 

「て、ジョーカー!?行方不明になっていたジョーカーじゃないかニャ!?”まだ”生きてたのかニャ!?」

 

「あの、彼女は・・・」

 

「いや、大体の事は察したニャ。ブニャニャ、取りあえずこいつはこっちで預かっておくニャ・・もしかするとあいつへの”嫌がらせ”になり得るニャァ」

 

「・・・・?」

 

 クラウンは一瞬良くない予兆を感じ取る。高位の聖職者は時偶に第六感とも言うべき警告が啓示されるのだがその内容はいつだって不明瞭だ。首筋に電撃が走るも・・・どういうことなんだ?

 

 やはり異能は干渉されていてこの女の考えが読めない。異能の源流であるアリスからの派生した存在では異能と相性が悪い。

 

 獣人が一瞬見せたあの表情。なんとも後ろ暗い顔をするじゃないか。クラウンにはその意図が読めないがその感情の方向はあらぬ誰かを意識した物だ。

 

「そっか、ここでお別れなんだ」

 

 グレイズは名残惜しそうにアリスジョーカーの手を握る。

 

 もしかすれば僕は彼女に姉の姿を見ていたのかもしれない。あの時もちょうどこのくらいの背丈だったなと思い出す。

 

「・・・・ふーん」

 

 しっかりとグレイズの手を握り返すアリスジョーカーを物珍し気に観察する獣人。なぜか少し楽しそうな顔をするとベタベタとアリスジョーカーにくっつきそれをグレイズに見せつけてくる。

 

 ・・・・・なぜだかグレイズには少しだけ不快に感じた。嫉妬とかではなく妙な悪意に反応してしまうも先生が腕を引き首を振る。

 

 それ以上深入りするなと目が語る。

 

「随分と”ミャーのアリス”が世話になったみたいだニャン。こいつの代わりに礼は言っておくニャ」

 

「・・・・いえ、ただの成り行きですから。お礼を言われるほどのことはしてないです。寧ろ助けられてたのは僕の方です」

 

「こいつらと違って殊勝な心掛けニャ・・・・この子は感謝しているニャ。そこの二人よりは好きだニャン。イケメンニャン・・・・ほら手を出すニャン」

 

 ホレホレと手を出すように促してくるもグレイズは困惑し戸惑う。

 

 すると獣人は有無を言わせぬままにクラウンの腕に噛みついた。

 

「うぎゃ!」

 

「お前ー1番弱っちいんだからニャ、異能を拡張しといてやったニャ。感謝するニャン」

 

「イつつ、どうしてここまで」

 

 真面目な顔をしながら獣人は語る。

 

「少しでも戦力が必要ニャ。このままじゃどこに逃げた所で世界という物語の滅亡でジ・エンドニャ。そんな終わり・・・勘弁してほしいニャ。需要がないのニャー」

 

「世界が滅ぶって・・はは。そんなまさか」

 

「気が付いているんじゃないかニャ?この世界が歪だってことに。もしそれをなんとかしてしまえるような”ナニカ”がこの先産まれようとしているとするならニャァ、さあどうする?」

 

 

 チシャ猫はニヤニヤと笑い迷い人を甘言に誘う。

 

 不帰の古戦場跡は儀式場。

 

 本来の狙いとは似ても似つかないほどに乖離してしまったがおかげで”チシャ猫の望み”が叶う条件が偶然にも重なってしまった。これこそが運命。望まれた明晰夢の辿り着くアリスの福音。

 

 チシャ猫はほくそ笑み心の中で音を忘れた鈴を揺らす。

 

 舞台は整いつつある。あとは賑やかしの役割を担う役者が必要だ。彼らにも目撃者となってもらう。寂れた劇場に誰もいないでは意味がない。さあ、もっと盛り上げればいい。薪となりその熱であらゆるものを炎上させよう。

 

 ここまで来れば台本はもう必要ない。方に嵌りし在り方は捨て諸手を挙げて祝おうじゃないか。

 

 

 ――――もう手遅れならば、その事を伝えても意味は無いよねー。

 

 にゃふふふ。

 

 



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第55話 超えれぬ一線

 

 

 ――――――――――Side/ヨルムング

 

 

 一方そのころ。

 

 第三階層の奥深く、統括室長でもなければ立ち入りを許されない深層。

 

 ホーム内で守護者たちの間で仄かに語られし実際にあるのかどうかすら知られない不透明な領域。

 

 元々はただの資材搬入口でしかなかったが増築に増築を重ね位置的にも”オリジナルアリス”の真下付近にある事から次第にその区域は封鎖されることになった。未だに古めかしさを残すのもその名残であろう。

 

 まるで何者かの体内にいるかのような感覚。一定のリズムで脈打つ鼓動が悍ましい。

 

 一帯を占めることとなる”アレ”が完成してからだろうか怪しげな噂話が広まりはじめたのは。

 

 確かにそれは存在した。不帰の古戦場跡と称される地下に根差す巨大構造物。

 

 その生命線たる心臓部。守護者も知らない秘匿されるべき闇。

 

 

 そこに、A部隊の追撃から逃げ延びたヨルムたちがいた。

 

「そういう・・これが、秘密の正体かよ・・・!!」

 

「・・・・・ッうげぇ」

 

「うひゃー」

 

「ク、クヒャハハハハハッ!まさかこれ程とはなッ!!やはりあれは人類の敵じゃなあ!!道義の欠片も一握りの良心も持ち合わせてはおらぬではないか!!ゲームマスターはやはりクソじゃのッ!」

 

 眼前に広がる身の毛も逆立つ光景。

 

 ようやく謎の一つが解ける。

 

 ヨルムはゲームマスターに感謝する。想像を超えた残虐性に嬉しさが湧き上がる。

 

 人類が倒すべき敵。そうでなくては殺し甲斐がない。

 

 達成感が、ない。

 

 

 ホームは多くの施設が存在しそこでは守護者が暮らしている。魔力と電力を共存させたエネルギー社会。

 

 外界の遅れた人間社会とは違った生活様式。莫大な電力もだが魔力を効率よく作用させる触媒が余りに溢れているのだ。インフラ整備だって欠かしちゃいない。文明の最先端を地で行く我がホーム。

 

 ヨルムは自身が生きてきた世界がいかに古臭い文明だったのか思い知った。便利さに慣れ文明の光に毒されていた。

 

 ・・・・この着眼点は純然たる魔術師であるヨルムだからこそ覚えた違和感。守護者たちがごく自然と使い捨てる魔力に纏わる媒体の数々は外界では非常に高値で取引される貴重品。へたすればあれ一つで一般的な家庭の年収を超えるであろう。

 

 あれほどの上質素材を安定して供給することは不可能だ。これは量産できるできないの話ではない。

 

 魔力、その根源となる”深淵”に縁のある物にはある法則が宿る。

 

 ―――――世に認知されし希少性には力が籠る。

 

 希少だからこそ価値があり、逆にそれが社会に、人の世に認知され出回れば自然とその品の効力を弱める性質を持つ。いや、分散されるとでも言うべきか。

 

 世に溢れた物体に力は宿らない。

 

 なんだって普遍的な粗品となり下がる。価値の付随性とは常に世情を泳ぐ者によって変動するのに、ここで大量生産される魔力媒体の質の劣化が見られない。

 

 つまりだ。素材の元となったものに不変の絶対性があることになる。

 

 法則が違う・・・目の前の”あれ”は深淵とは源泉を別とした何かなのだ。

 

 外界において魔術触媒の元となるものは価値がある。

 

 基本的に外界を這いずる魔獣やダンジョンからの入手が基本。生き物であれば角や牙、内臓に糞と、ダンジョンであれば遺失物やそこでしか採れない鉱物資源や植物となる。

 

 不思議な事に世間ではそれらが入手難易度の高さなどの理由で入手の難しい貴重品として認識されると謎の補正が掛かってしまう。それどころかただのゴミにも価値が産まれる始末だ。

 

 ”ダンジョン産”という括りが既に効力の高さを保証し価値を高めてしまっている。実際に雪原で入手するよりもダンジョン内で手にした触媒のほうが効力は高くなる。成分的にもなんら変わりがない同種の品であるのにだ。

 

 連動しているのか模造品や質の悪い偽物でも本物に似た効力が見られる始末。この世界は認識の上で成り立つことがよくわかる。人間の価値観だけで触媒の効力を100にも1000にもできてしまえるのだ。

 

 それは一部の勢力による魔術の独占体制にも同じことが言える。マジックユーザーの少なさも魔術の神秘性を高める処置。それでありながら魔術の怖さの面だけ一般に知らしめ恐怖と結びつける。

 

 詳細がわからなければ理解も出来ない。一般人が触れることのできない、貴族などの特別なコミュニティのみが独占することで拍車をかける。

 

 故に冒険者特有の”スキル”経由で誰でも使える魔術モドキは魔術師が振るう魔術よりも弱い。水で薄めたポーションと一緒だ。

 

 これはあくまでもリシモアテルの魔術師たちの中で結論付けた論説。それについて現代の人間はどれ程把握しているのだろうかとヨルムは思う。

 

 

 もう一度言わせてもらう。それほどまでに出回る素材に魔術的な価値は宿らない。普遍的なものには一定の基準が存在し、よっぽどのことがなければそれを超えることができない。

 

 ならば”あれ”はなんなんだと聞かれれば答えは目の前に広がっていた。

 

 

 

 

 張られた大きなガラスの壁の先に多くの生命が密集していた。それは決して騒ぐ事も無く、かと言って何をするでもなく虚空を見つめていた。

 耳には認識票のような物が付けられまるで家畜のような取り扱い。それらはベルトコンベアの上で横たわりギチギチと赤い飛沫を跳び散らかす機械の刃に吸い込まれていく。

 

「こいつらA種か・・?いや似ているが違う。意思がまるで感じられない・・・何だこりゃあ、うげえ」

 

「資料によればC種というらしいが・・・これは・・・」

 

 無造作に屠殺される者たち。凄惨すぎる光景に吐き気を催す。ゲームマスターはやはり人類の敵でしかなかった。

 

 入手した資料から判明した事実。それは緊急時のマニュアルであった。

 

 触媒の元となる存在は外見は非常にA種と酷似しており、A種と無関係と考えるのは無理がある。

 

 ここ以外にも様々な区画があり、骨以外を綺麗に溶かす場所や、髪の毛を採取する部門、とにかくいろいろあった。そのすべての作業を機械式ゴーレムが行う。

 

 自然とヨルムの疑問は氷解する。A種が全てだと思っていたが実際にはその逆。A種はあくまでも一握りの存在。このC種とやらからあぶれた存在がA種なのだ。やはり製造されていたか・・・元が勇者アリスの血筋であればその価値は凄まじいのだろう。

 

 だが末裔の末裔では原点からどんどん乖離し劣化する。オリジナルからは遠く離れた存在。

 

 ・・・・900年だぞ。アリスというブランドは無価値になっていてもおかしくない。古い物には価値は宿るものだがこれは生もの。直近の血族なればこその価値。

 

 ここまで安定した価値を保有するのはつまり、勇者アリスがまだ生きているからに他ならない。

 

 これで確定した。血の濃さがそれを証明する。

 

 ヨルムは思わず・・・・笑みがこぼれる。

 

「くひ」

 

 なぜ笑ったのか、いや笑ったことにもヨルムは気づいていない。

 

 不死者が恐れたあの宿敵がいるのかと考えるだけで昔の光景がフラッシュバックする。ゲームマスターとも違う超越者の気配にヨルムは歓喜していた。

 

 それは宿敵が生きていたからかそれとも・・・

 

 その勇者アリスも人の形はしておるまい。ここに来る間にいろいろと見てしまったのだ。A種に似たこの者たちが巨大な臓器からまとめて産まれてくるところを。

 

 終末戦争の中で人生を育み天賦の感性と才覚で魔術師として大成したヨルムにはわかる、わかってしまうのだ。

 

 戦争時どれほど人論を超えた研究が行われたか。約90年にも及ぶ永き戦争は論理観を壊すに十分であった。勝つための努力はどこまでも加減をしれない。列強国からの飽和攻撃を前にすり減る精神。とうに境界線は曖昧になり煮えたぎる闘争心だけが満ち溢れる。国家戦略として継続的に自爆じみた攻撃を繰り返してきた。

 

 強固な不死性を獲得したこともあり死への恐怖、老化からの解放により国民の誰もが均等に地獄を知った。

 

 子供も老人も等しく血を流し勝利に貪欲にならざるをおえなかった。

 

 狂乱は技術にも影響が現れ失う事を恐れることもなくなり危険な思想とともに魔術は飛躍的に発展していった。

 

 敵の死体を使うのは当たり前。意図的な病気の流布。合成獣。人間爆弾。脳みそ削りの強化奴隷。戦意をそぎ落とす生きた人間の肉壁、洗脳と、より激しい攻勢に出れば敵も同じように論理の壁を越えてくる。

 

 終末戦争は不死者も人間も同じ深みまで堕ちて行った。

 

 魔術の開発に深く関わるヨルムも多くの人体実験を行ってきた。許されることではないのだろう。

 

 だがその行為の根底には同胞を守るという強い意志が備わっていた。だからどこまでも残酷になれた。リシモアテルは孤立し味方などどこにもいない。皆が皆理不尽な運命に足掻いていた。一人一人が国家総動員で国難に立ち向かった英雄なのだ。

 

(恐らくこの直上に奴は・・・いる)

 

 ダンジョン内で一般的な食料であるミートブロックに加工されるC種を眺める。我たちはこんなものを毎日口にしてきたのか・・・まったく呆れる。でもおいしいんだよなあ。パクパク。

 

 それは守護者達にも言える事であり同情する。資料にあったが守護者はB種でありこれまで同族と知らずにA種と殺し合い、C種の肉を食んできたのか。

 

 ・・・現代の人間社会において人食いは非常に忌避される行為である。信仰によっては遺骨を食べる、へその緒を摂取するなどの軽度のモノから産まれた赤子をスープにする、成人時に殺した友の心臓を喰らう事で一人前の戦士として社会に迎合されるなどと幅広く存在するが軽度なものであれ、どれも公然には認められていない。

 

 原因としてはやはり聖王国よりも更に東。非常に険しいコワレット山脈を隔てその先で生息する人食いと称される獣人集団の存在と、終末戦争時に一部で使用された禁忌の術式の影響だろう。

 

 不死者が人を喰らうというのはネガティブなイメージを与えるための戦時中の印象操作。それが今も受け継がれた結果だ。

 

 徹底的に敵と見なす、人に似た外見をした者への戦闘に遠慮や忌避感を与えないようにするための方策。

 

 当時においても神出鬼没な人食い獣人の存在は恐れられておりそれと同じレベルまで我らは堕とされた。もともとリシモアテルは閉鎖的なお国柄もあって誰もが倒すべき敵、怪物だと簡単に信じ込んだ。戦争の始まりを、その実態を掴んだものはどこにもおるまい。

 

 戦争を仕組んだ一部の上層部と黒幕しかわからない事実。不死者の危険性を謳い戦意を煽り火をつけた者がいる。ありもしない事件を起こし戦争の原因を戦端を演出して見せた。

 

 ガンヘッド達の記憶が無くてよかったと心の底から思う。人食い行為はのちの世ではどこも禁忌とされる行為。終末戦争の後の世代である者には心理的な背徳感を喚起しどんな反応を起こすのかわからない。

 

 

 え、我はどうかって?

 

 不死者に餓死は無い。だから必要でもない限り食べるはずもなかろうぞ。たいして美味しくも無いし。

 

 

◇ 

 

 

「なんだ、記憶違いではなかったのか」

 

 悍ましき施設の破壊活動に勤しみながらもヨルムはある物を探していたのだが、ようやく発見する。。

 

 地上直通の搬入エレベーター。かなりの間使われていなかったのだろうな。タッチパネルじゃない旧式。色褪せたボタンの羅列。錆び付いたコンソールが目に付くがなんとかなりそうであった。

 

 フラメンツ時代に得た機械知識がここで役に立つ。

 

「本当に地上に・・・帰れるのか」 

 

 ガンヘッド達から思わずといった風に声が出る。いざ地上を目の前にしてみると不思議と足が前に出ない。

 

 天井から差し込む光が地を這う迷子を誘う。

 

 その光は裏の世界でしか生きていくしかない者にとってどうにも触れがたくガンヘッド達は自然と影の中に引っ込んでしまう。

 

(・・・・・・・)

 

 その光景がヨルムにはひどく悲しく思えた。

 

 遠慮する理由などどこにもないはずだが余りにもここでの生活が永すぎたのだ。皆、自由になることを恐れている。本当は望んでいるはずなのに。

 

(・・・・・・それでも・・)

 

 ガンヘッド達はA部隊との戦闘で満身創痍。いかに祈り手でも極度の魔力消費の影響で限界が近い。これ以上の戦闘は望ましくない。

 

 それに、これからの我の予定に巻き込むことはできない。ここから先は我のワンマンステージだ。

 

 彼らは・・我にとっての余分な脂肪だ。随分と温くなった過去の象徴。この先には一切不要。

 

 鋭角に殺意を研ぎ澄ますためには・・・乖離しなくては、獣の皮を被れない。

 

 その様を見せたくない・・相手なのだ。それだけ仲良くした者たちであった。

 

「ここまでじゃな」

 

「うお!?」

 

「キャ!」

 

 A部隊との戦闘で深手を負ったインクリウッドに手を貸すガンヘッドとセーニャをヨルムは強引にエレベーターに押し込み入り口を閉める。そろいもそろってフラフラで中で倒れ込む。

 

「なんのつもりだッここを開けろッ!?」

 

「お主たちはここらで手を引け、邪魔じゃ」

 

「フラメンツはどうするんだ!?そんな体で何言ってるんだよッ!!」

 

 言われてみればそうだったなとヨルムは思わず左目の眼帯をぐりぐりと撫でる。

 

 ぐりぐり。ガリガリ。ぐじゅぐじゅ。だらだら。

 

 セイランから受けたダメージは重く今もなお我が身を蝕んでいた。

 

 奴の一文字によって切り捨てられた左腕は再生する事も無く完全に不死性を断たれている。おまけに一文字により発生した時空間の波は衝撃となり叩きつけられ我が左目も潰れていた。ヨルムの今の不死性では目の機能までは回復しなかったのだ。

 

 切断面は不死性も祝福も何もかも縁を断ち切られ一生このままだろう。傷口は開いたまま血を流すばかり。

 

 荒治療となったが斬られた左腕を更にインクリウッドの尾で切断させ不死性を強引に復刻。左手はもうほとんど残っていない。傷口が疼き掻き毟る。

 

 不死性のおかげで【氷結】による傷口を凍らせるという強引な方法で止血をすることにより失血死を回避してみせた。それでも一文字による影響は大きく左腕が無いせいで体幹が乱れ距離感を失っていた。

 

 この4人の中でヨルムが一番重症である。

 

 それでもヨルムが平然と動けるのは意思の力によるもの。泣き言は決して吐かない。

 

 リシモアテルでは戦時中とにかく根性論・精神論が重視されていた。愚かに思えるかもしれないが不死者においては話が違ってくる。不死性と意志の強さは強く結びついており心が折れない限り何度でも変わりない姿のまま立ち上がれた。死からの再生を繰り返す内に精神に負荷はかかり続け独自の精神性が作り上げられていく。飲まず食わず、眠ることなく戦い続けた不死者は英雄と崇められ、どれほどの命を奪ったのかを競う。これでは化け物と誹られても仕方がない。男でも女でもない、不死者と言う生命体だった。

 

 ・・・・約90年間をそんな生き方で貫いた者は多くない。必ずどこかで終わりの見えない戦いを前に膝をつき蹲る。過度のストレスで精神を崩壊させ敵に捕らえられるか自己崩壊する。

 

 今も、どこかで風となり土となり漂っているのかもしれない。

 

 ―――――――ヨルムは違った。

 

 永遠と戦えてしまう不死者が一人。まさに純然たるリシモアテルの意思を形にした英雄であった。決して恨みを忘れず死んでも首元に食らいつく精神性は勝手に与えられた不死性と相性が抜群であり、リシモアテルの神の在り方を理解した者だけが辿り着く領域に至った人間。

 

 壊れた心を補修していくうちに別の何かへと変わってしまった。

 

 ヨルムはただ望む。

 

 ゲームマスター、そして勇者アリスとの決着を。戦う事だけが存在証明であるヨルムにはそれさえあれば十分であった。それ以外の生き方を知らない。異常な戦争で知ることができなかった。

 

 必死そうにドアを叩きつけるガンヘッド達を見て温かい気持ちで心が満たされる。この900年の間に随分と失われた人間性を取り戻していたようだ。

 

 ”フラメンツとしての私”もまた、戦争が無ければあったかもしれない”我”なのかもしれなかった。友情とはこんな感じだったのかなと感慨深く思いを馳せる。

 

 ”フラメンツ”は無駄ではなかった。永い心の療育期間とでも考えよう。最初に抱いていた初心を思い出すことができたのもこの三人や他の祈り手たちのおかげなのだ。

 

 だからこそ失いたくない。

 

 だからこそ――――誰かの為に戦いたいという初心を掘り起こせた。

 

 守りたい・・・せめてこいつらだけはなんとしてでも。その為の証が、理由が必要だった。そんな心境にようやくたどり着いたのだ。守るために戦うことこそが我が闘争の始まりなのだから。

 

 だからこそ―――コイトにも会わなくてはいけない。

 

 ガンヘッドから聞かされたA部隊との交戦の顛末。

 

 (なにが謝っておいてくれじゃ!)

 

 同胞じゃない事にショックはある。裏切られたとも思った。そして・・・・・会いたかった。こうして生きているのもコイトの身を挺した囮があってこそ。4人とも借りを作ってしまった。

 

 どんな顔で接すればいいのかわからない。怒ればいいのか喜べばいいのか。

 

 兎に角あの嘘つきには誑かされた責任は取ってもらう。なんせ不死者はねっちょりしていて執念深い。

 

 謝るような非情に徹しきれない愚かさの代償の重さを我がレクチャーしてやらねばな。

 

 このままでは悪い男に騙される生娘の構図だ。

 

 まったく誰を相手にしているのか改めて教えてやらねば気が済まない。

 

 だが、あの生き様は不死者のそれ。

 

 知りたい。これまでどんな生を謳歌してきたのか、ヨルムのことも知ってほしかった。

 

 きっとあやつも・・・

 

「はっきり言おう。おぬしらは足手まといじゃ」

 

「な”、な”ん”でそ”ん”な”こ”と”い”う”の”おおおッうぇ」

 

 セーニャが突然泣き崩れ駄々をこね始める。

 

「やだッや”だァッ!フラメンツお姉ちゃんと一緒がいいッ!馬鹿ッ!死ねーッ!!」

 

「セーニャ・・・・・」

 

 あのセーニャが本気で泣いている。なんだか嬉しく思う。こんなにも慕われていたのか・・・だが意思は曲がることはない。もう決めたことだ。

 

「本気かよフラメンツ・・・」

 

「そうじゃな。それにお主らがあんまりにも踏ん切りがつかないモノだからして誰かが背を押してやらねばなるまいて」

 

「・・・はあ、結局今までの借りは返せなかったな。インクリウッドや俺が廃棄処分にならなかったのはあんたが抗議してくれたからなんだろ・・・・・知ってるんだぞ。ずっと言いたかったんだ。ありがとうって」

 

「なに気にすることはない・・・うまくいけばまた会えるさ。ああそうじゃ、もしこの先コイトが生きていたのなら助けてやってはくれぬか?」

 

「―――ハッ。言われなくとも当然。あいつの正体がなんであれ―――一緒に戦った仲間だからな」

 

「そうそう、今まで楽しかったよーフラメンツ・・・・またね、またね・・・」

 

 インクリウッドとガンヘッドの力強い頷き。二人は全てを飲み込める大人であった。

 

 影の中から光へ。彼らは背を押され境界を越えた。振り返ると見えない壁が広がっていた。

 

 ”あと一歩”を踏み出せない者に今更、闇の中へと戻る選択がとれる筈もない。本来いるべき場所に彼らはいるのだから。

 

「ほらほら、セーニャちゃんも泣いてないで顔上げようよ。最後に見せる顔がそれでいいの?」

 

「えぐ、えぐぅ。なんだよォ最後ってッ」

 

「んーああそうだったねーごめんごめん」

 

 しゃくり上げながら抗議するセーニャをインクリウッドが宥める。

 

 どうにも居た堪れなくてヨルムは一歩下がる。自ら闇の中へと足を踏み入れる。どこまでいってもヨルムは闇の住人だった。こちら側でいる方がらしく感じた。

 

 光は手を伸ばす位置にこそ。

 

 より一層、輝いて見せる。

 

 より尊き理想郷で在れる。

 

 そこにヨルムの居場所はいらない。殺意に一点の曇りもいらない。

 

「後の事任せてくれればいい。俺がッ、俺が必ず二人を町まで連れて帰る。必ずッだから、だから!死ぬなフラメンツ、死ぬんじゃないッッ!!生きてくれ!!」

 

「フラメンツに栄光あれーばんざーいばんざーいッ!!」

 

「ああ、言われなくとも」

 

 ヨルムがスイッチを押すとすごい勢いで上昇していくエレベーター。あっという間に姿を見失う。もしかして、これエレベータじゃなくて脱出装置か?

 

 誰もいなくなったことで静寂が訪れる。

 

 ・・・少なくともこれで3人は守れた。懸念事項が消えたことで真の意味での自由を手にした。これでもう何も気にする事も無く戦える。

 

 やることは既に決まっていた。

 

「全部壊してやろうぞ。ゲームマスター」

 

 パキパキと冷気が渦巻き一帯を凍り付かせていく。秘密の区画が極寒地帯へと変貌していく。

 

 やはり奴は相容れない。ヨルムの歪んだ感性でもこの光景には忌避感を覚える。生命への敬意がまるでない。配慮に欠けている。良心の呵責などないのであろうな。そのことに嬉しさが込み上げる。

 

「くひっ・・・惨たらしく殺す」

 

 強敵への敬意は決して忘れない。永く生きると強者との戦いの記憶は美化されてしまう。記憶は忘れるものであれど、あの時の熱は体がしっかりと覚えており忘れることのない炎が胎動する。

 

 掌の内で粒子が加速していき、分子の運動が熱量を生み解放される。

 

 熱量と冷気が激しくぶつかり合いその摩擦が意味不明な環境を作り上げる。ヨルムの激しい感情が区画を次々と破壊していく。

 

 ヨルムは怒っていた。

 

 かつてのあれほどまでに辛酸を味合わせた宿敵がこのような目にあっていることに、ただ我慢ならないのだ。

 

 



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第56話 死に体

 

 ――――――――――Side/恋都

 

 

 ぴちゃり、ぴちゃり、と一定のリズムで水滴が額を叩く。どことも知れぬ闇の中で途切れがちな電灯をただ眺める。

 

「・・・・・・・」

 

 恋都は・・・何をするでもなくただ天井を見つめる。やる気もまるで喚起せず気だるさと虚無感に横たわる。

 

 夢世界から放り捨てられてからずっとここにいた。

 

 最初から分かっていたのに、それでも思いの外ショックであったのだ。現実の体はあまりにも不自由で仮初の体に慣れ過ぎた。

 

 一度でも便利さに身を浸すと後戻りできなくなる。心のどこかで都合よく願っていた。現実世界に戻ることがあっても五体満足の姿に戻っている可能性を、根拠もクソも無い希望的観測に縋っていた。

 

 だがどうだ。前よりも更に状況が悪くなるなど誰に想像ができる。

 

(ああ・・・俺、死ぬんだ・・・)

 

 ドクドクと腹に空いた風穴から血が溢れ出し思考が鈍る。偽イグナイツから受けた傷は致命傷であり再生する気配もない。不死性がまるで機能していない。現実世界へと帰還したが俺にかかっていた魔法は解け元の五体不満足状態。この身は既に満身創痍。

 

 短い・・夢だったか。

 

 だというのに腹に空いた新しい穴だけは律儀にその爪跡を残していた。まだ生きているのはひとえに俺が普通でないことへの裏打ち。改造人間は伊達じゃない。その在り方は本当に歪で無駄に痛みを助長する。

 

 このまま何もなければ死ぬのは当然の結末。俺はこれから何処とも知れぬ場所で一人で死ぬのだ。

 

「・・・・・・・はぁ」

 

 恋都は疲れていた。

 

 唐突に突きつけられた死の現実。差し迫る死神の足音になにをするでもなく無防備に股を開いている。

 

 それでいて理解を超えた非現実な応酬に死が他人事の様に感じていた。夢世界で何度死んだと思っている。もしかしたら死なないのではないのかとすら思ている。これも現実逃避だなと、ただただ適当に生を食む。

 

 こんな時でも昔の事ばかり思い起こしては記憶を拾う。

 

 恋都は確かにあの窮屈な世界から逃げ出したかった。あそこじゃなければどこでもいいと願い夢想もした。そこでならもっと自由に生きれると考えていた。

 

 だからといって、これはないだろこれは。誰が異世界に行きたいと言ったよ。

 

 異世界に行こうとも本質は何も変わりはしない。環境が違うだけで簡単に変わるものか。自身が変わらねば何も違わない。

 

 それでも心の整理はついた。夢世界を経て枷から解き放たれ目的がはっきりとしてしまった。あの糞みたいな世界にどうしても帰りたかった。やるべきことができてしまったのだ。

 

 ああそうだ、仮にここから脱出できたとしてもこの体が治る保証も元の世界に帰れる確証もどこにもない。だいたいイグナイツとずっと一緒とかごめんだ。あの女にずっと介護される、いや他人に寄ることでしか生きられない人生が我慢ならない。もう二度と自分の足で立つことができないと考えると情け無くて涙が出る。電子操作系の異能があれど外界の技術レベルでは通用しそうにない。このまま惨めな生を謳歌するぐらいなら死ぬのも一つの手ではなかろうかと、そうやって納得させようとする。

 

 ここまで惨めな最後なら”あの子”も許してくれるかもしれない。

 

 そのためにも出来る限り苦しんで死のう。それがいい・・・・・

 

 いろいろな思惑が交差する中、それに巻き込まれるだけで何もわからぬままこれから死ぬのだ、俺は。

 

 

 

 だから、もう俺の前でウロチョロするな。アリス―――

 

 

 

 視界の中でなぜか二人に増えたエプロンドレスの女が二人、俺を見つめていた。夢世界で出会った大人のアリスことアリス検事と偶に現れるボロボロで顔が黒く塗りつぶされたアリス。二人の指はある一点を差していた。

 

 この通路の奥に何があるのか。何かを期待するような眼差しでじっと俺を見つめている。

 

 やはりまだ何かある。脈打つ心臓が妙に熱い。いやこれは怪我のせいにきまっている。

 

 そう思い込もうとするが前方の闇の中から気配を感じる。俺はどうしてもそこに行かなくてはいけないのか、誰かに誘われている。こっちに来いと誘われている。

 

 わけのわからぬ衝動が自然と右腕を動かす。するとどうだ。顔の無いアリスが俺の腕を取り引っ張り始める。

 

 大人のアリスはただ見ているだけだ。

 

「―――――もうちょっと、ゆっくり・・」

 

 死ぬのはもう確定している。少なくともこの先に何があるのか確認してもからでも遅くはあるまい。

 

 こぼれ出る血は床を汚し、それは影の様に伸びていくのだった。

 

 なかなか、死ねないものだな。

 

 

 

 

 暗い道をゆっくりと引きずられる。先の方から光のようなものが映り込む頃には周囲にも変化が現れた。急に現れた人の気配に挟まれる。ぞろぞろと通路両サイドに立つ女たちはアリスに酷似していた。薄汚れたエプロンドレスの姿で何をするでもなく膝をつき一心に祈っていた。

 

 謎の力で地を這う恋都には目もくれない。

 

 それよりもこの一定のリズムを刻む音はなんだ。まるで・・・心臓の鼓動だ。

 

 静寂の中で神聖さを醸し出す。驚く程に静けさが支配する。これほどまでに人で溢れているのに衣擦れする音も息遣い一つ聞こえやしない。本当にここは現実世界なんだよなと疑ってしまう程に現実とは乖離しているし、俺の意識も点々としていた。

 

 もし恋都がこの世界に召喚された時のことを覚えていれば、あの時と雰囲気がとても似ていると思っただろう。

 

 現世においてあり得てはいけない量の神性が溢れていることに、彼は気が付けない。この世界の人間ではない彼に理解できる道理もない。そこに危機感を抱けるはずもなく人が触れてはいけない禁忌の渦へと吸い込まれていく。

 

 

 

 人垣を抜け空白地帯にて恋都を引っ張るアリスの姿が消える。恋都は霞み始めた視界で周囲を必死に探る。

 

 どこかの広い一室のようで目の前に何かがあった。それがベットだと認識すると次第に理解が追い付いてくる。

 

 ――――――病室だ。

 

 妙な確信に至る。床から見上げる形ではその全貌はわからないが心電図や輸血パックのようなものが顔を覗かせる。ベットの上にできたふくらみから誰かが眠っていることが窺える。

 

 だが、なんだこの死臭は。生者が出していい香りではない。本当に”彼女”は生きているのか?

 

 なに・・・・・・・彼女、だと・・?

 

 なぜそう思ったのか分からない。でも・・・ここまでくれば誰が眠っているのかわかってしまう。夢世界での騒動、偽アリスの群体に祈り手の異能、最初から答えはすぐ傍にあった。

 

 

 

 そしてここから起こる出来事は夢世界で黒幕気取りの者たちも知らない物語。邂逅は静かにひっそりと行われた。

 

 

 

「――――――アリス」

 

 恋都がその名を口にした瞬間、変化はどうしてか恋都の中から生じた。

 

 どす黒い肉塊のような実体のない闇が恋都の体から抜け出しベットに横たわるアリスに吸い込まれた。

 

「ッ!!?―――――???!!?」

 

 スッと何かが体を抜けて行く感覚。予想を超えた急展開に驚愕する。俺の中にこんなものがいたこともだが、一番の驚きはこの闇に見覚えがあったこと。

 

 フォトクリス達と見たひび割れし境界線の向こう側から覗く気味の悪い黒き化け物。境界の崩壊と共に神性の渦に飲まれ消えたのだと思っていたがずっと俺の中に潜んでいただと―――!?

 

 まるで意味が分からない。なぜそんなものがここで出てくる。

 

 まさか、まさか、まさか――――

 

「お前が、お前がッ俺を呼んだのかッッ!!!?」

 

 ピクリとベットの上でシーツが跳ねる。まるで同期したかのように生気を取り戻す。

 

『ようやく、会えたねアリスの救世主様。ずっと、ず―――と待ってたよ』

 

 歯車が今ここに揃う。

 

 物語も終盤。最後の演目が始まろうとしていた。

 

 演者は踊らされる。永劫にその身が亡びるまで。足元は血で塗れている。

 

 

 

 くひっ

 



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第57話 オリジナルアリス

 

 死に際での不意な出会い。静寂が不気味に恋都を嘲笑う。

 

 どうして今更俺の前に現れた。

 

 

 そこにはきっと意味がある。

 

 

「そうか、そういうこと・・・俺がこの世界に来たのは偶然ではなかったのだな」

 

『そうだよ救世主様。時間はかかったけどようやくこの時が来たんだね、くひくひ』

 

 恋都の頭の中に直接声が響く。イグナイツの【交信】とも違う奇妙な感覚。

 

 その甘ったるくも静かな狂気を孕む少女の声が頭の内からガリガリと脳を削る。端的に言えば不愉快さに殺されそうだった。

 

『辛かったよ。ずっとずっと寂しかった。でもこれでつまらない運命から解放される』

 

 それは帽子屋やチシャ猫が言っていた死による”救済”のことなのか。

 

 だとしてらその役目は果たせそうにない。

 

 恋都にはもう床からベットに這い上がる体力すらも残っていない。まもなく俺の方が先に死ぬ。残りの活力を会話に回す。なんとか舌を滑らせる。

 

『救済?別にアリスは死ななよ。この先も永遠に』

 

「なにを・・・言っている・・ごほッ、う”」

 

『だってアリスよりアリスに相応しい存在が現れたんだもん』

 

 言っている意味がわからない。アリスはいったい何を望んでいるのだ。

 

『勇者としてこの世界に召喚された”アリス”はね、普通じゃなかったんだよ。なんせ空想上の人物・・・幻想そのものなんだもん。当然この世界の人たちはアリスなんて知らない。誰もそのことを知らない。知り得る筈がない。”アリス”も教えてもらわなかったら気が付かなかったよね』

 

 まるで他人事のように話す。どういうニュアンスだこれは?

 

 アリスは・・・お前のことだろうに。

 

 体が熱い。思考がまとまらない。

 

 なんだ、これはアリスの感情が流れ込んでいる・・・のか?

 

 妙な情景が目に浮かぶ。

 

 これは・・・アリスの過去の記憶・・・??

 

 

 

 

 

 振るいし力は他の勇者とは一線を画していた。

 

 アリスは戦場に放り込まれ、来る日も来る日も不死者と戦わされた。戦いの日々は普通の少女の心を壊すには有効すぎた。アリスは勇者の中でも異端も異端。不死者以上の絶対性故に死なず乱戦を掻い潜り兵士の死骸から這い出ては自軍に戻り、また戦いに戻る生活。脳を弄られ攻撃性を強化され私生活では疎まれて居場所はどこにもなかった。

 

 アリスは異能は持ち合わせていない。勇者とは源泉が違う力。元から備わっていたこの力で作り上げた夢の中だけが唯一の拠り所。

 

 たくさんたくさん殺した。不死だろうとアリスには関係ない。与えられた異常の中で揺蕩う不死では真の異常者に抗えない。

 

 いつしか剣は軽く感じ振り回される事も無くなった。力の使い方も理解し不死者を殺せることに気が付いた。その頃には心は何も感じなくなるほどに摩耗し普遍化していた。

 

 戦争も終わりが見えた頃、アリスの召喚者たちは最後の実験を行った。アリスの異能を意図的に暴走させ敵諸共消し去ろうとした。

 

 アリスの力はこの世の理すらも塗り替える程に強力でそれを理解していたからこそアリスは極度に使用や出力を弱めていたのだがそれを召喚者は見抜いていた。所詮は子供の浅知恵。狂った大人を騙しとおせない。悪辣さにアリスは呑まれる。

 

 戦争の終わりが見えてきたため既に列強国は戦後への調整に入っていた。勇者の中でも異端なる力。

 

 その世界ではアリスの力は劇毒であり不要と断じられる。

 

 ――――――そして悲劇は起こされた。

 

 それが、最初の切っ掛けであったのだ。

 

 

 

 

『酷い話だよね。アリスがこんなに我儘で淫乱で乱暴な悪い子になったのはあなたたちのせいだというのに』

 

「その結果が例の事象・・・天を割ったとかいう・・・」

 

『あんなことが出来てしまったせいで”アリス”はその後もっと酷い目にあったよ。ただの実験素材。その後はゲームマスターに捕まっちゃった。これって誰が悪いのかなぁあ、アハハハハハハハッハハハハhハハハハはははッッハハッハアヒャハハhハッッ』

 

「う、ぐッ」

 

 発狂したように笑い出すアリスの声が木霊し頭の内で反射する。頭が割れそうだ。恋都の目や鼻先から熱い血がドクドクと溢れる。

 

『せ、せ、責任とってもらいたかったんだ。あn、あなたに』

 

「なんで、なんだッ俺は、関係ないだろ。なぜ俺なんだ?そもそもどうしてあんなところにいたッ。どう考えてもピンポイントで俺を、選んだだろ?物語を知っている人間だったらそれこそ五万といるだろうが。他の勇者でもよかっただろ・・・・・」

 

『ふ、くふふふひ。A種の事は知っているよね。あなたの想像通りイグナイツはどのA種よりも次代のアリスの器として相応しい幻想の申し子。その気になればいつだって彼女の体で再スタートできたんだ』

 

「だったらなぜッ」

 

『アリスはね、知ってるんだよぉ。”アリス”が勇者としてここに召喚されたのもね、偶然じゃないんだ。必然なんだって。そう考えるとさぁどうしても会いたくなっちゃた』

 

 いきなり多くの腕に掴まれ恋都の体が浮き上がる。大勢のアリスの成れの果ての前にどうすることもできず、されるがままに持ち上げられベットの上に広がる惨状を見せつける。

 

「う”っっこ、れは、・・」

 

 アリスは・・・とても形容しがたい姿形をしていた。恋都の眼から見ても悍ましかった。

 

 ミイラの様に窪んだ眼孔はあらゆる光を吸い込むがごとく闇に満ちていた。白く劣化した髪の毛を掻き分け頭部にはおびただしいほどのコードが突き刺さり・・そのくせ矛盾するかのように血色のいい白い肌に浮き上がる青い血管。両腕が・・ない。

 

 そのような状態で着せられた細部の手の込んだエプロンドレスは非常に浮いていた。

 

 気味が・・・・悪かった。

 

『どうか見て触れて感じて。どうしてもこの姿をあなたに見てほしかった。お披露目したかった』

 

 いきなり引きはがされたシーツの下。アリスの隠されていた下半身が露出する。それを目にしコイトも完全に言葉を失うも、まだ終わりではない。同時に部屋の電灯が輝き全貌を露わにする。

 

 ドクン、ドクン―――

 

 理解してしまった。余りのおぞましさから体が震える。信じられない。少なくとも俺でもここまではしないと棚に上げてしまう程に生理的な恐怖を感じていた。血の気が引くとはこのことか。

 

 最初は闇で見通しの悪くわからなかったがこの一室全てがガラス張りでありそれに張り付くように赤黒い何かが脈動している。360°どこを見渡しても透明な壁を隔て臓器の壁が広がっており蠢いていた。この音は臓器の脈動する音なのか・・・その脈動が全体を伝わり空気にも振動が伝わる。

 

 まるで体内にいるようであり・・・その考えは最悪な事に思い違いでない。

 

 嫌でもわかってしまう。アリスの下半身に足は存在せず芋虫の様な肉の塊が蠢いていた。この一室の不気味な臓器はアリスのもの。下半身はベットを通し地下へと繋がっているのだ。

 

 ここはアリスの体内だった。

 

『知ってる?なんでA種では器としてはダメだったのか。アリスの転生の為の器としてはA種でも不純物が混ざり過ぎでね、気に入らないんだよね。男側の”深淵”の因子が少しでも混ざったら論外。多くの血や意識が混ざりすぎて、もはやアリスとは呼べない。魔力は深淵たる証明。あんな源泉の違う力、”アリス”には相応しくない。あんなの気持ちが悪いだけ・・・・・・・・・・と、まあ色々とそれっぽく言ってみたけども要はね、気分の問題なんだよ。アリスが気に入るか、気に入らないかの単純な話』

 

「イグナイツとA種、なにがどう違うんだ・・・」

 

 訳の分からない言葉の羅列になんとか食いつく。疑問を疑問のまま終わらせれば、なおのこと現状を打開することなど不可能だ。もう死ぬ直前なのに好奇心が上回った。少しでも真実に近づきたい。

 

『だってさぁ、あの子は何もかも違うんだよ。だってあの子は・・・うふ、ふふふ。でも恋都を直接見て考えは変わった』

 

「アリスは、何がしたいんだッゲフッ・・俺に、何を望む・・・?」

 

 わからない。アリスの目的がわからない。

 

 復讐か?救済か?嫌な考えばかりが頭をよぎる。なぜ俺をここまで連れてきた。俺に対する敵意を隠そうともしない。

 

『アリスはね、アリスはね。生まれ変わるんだ。新しい体で、それでねみんなみんな壊して新たなる物語を紡ぐの。そのための下ごしらえはようやく済んだよ』

 

「・・・・・・・・・ぁ??・・・・・いや、だって。おかしいだろ、なんだって・・」

 

『もう気が付いているんでしょ。最初からね、ね、全てがこの時のためだったんだよ』

 

 恋都の脳裏で様々な要因が泡のように浮いては弾ける。そのどれもが無関係とは言い切れない繋がりを導き出す。弾ける度に言い訳がましい幼稚な理論武装も一緒に剥がされていく。

 

 そもそもだ。あの光で満ちた領域でフォトクリスと見た黒い闇の肉塊がアリスであったのだ。あの時から俺の体に潜んでここまで導いた。

 

 つまりこのダンジョンに俺を連れてきた張本人という事になる。イグナイツとの出会いは偶然ではなかった。

 

 アリスには何かしらの確信があって、あんな意味不明な場所で俺を待ち構えていた。数百年もわざわざ律儀に待ったことから俺の異世界召喚自体には関わってはいない。奴は待つだけで何もしていない。

 

 どんな確信があればそこまで我慢強く待てる?ただ待つにしても絶対の確実性が無ければ出来ない行為。

 

 そもそもどこで俺のことを知った?

 

 俺を召喚できるなら既にしていたはず。それができないから待っていた。俺が絶対に異世界に来る、ひいてはあの領域に来ることを見越していた根拠がわからない。

 

 なぜそうまでして俺に拘る。そんなに夢世界とやらの記憶の補填が大事なのか。

 

 まったくもってお互いに面識は無い。物語は知れど架空の人物など知り得ない。相手はありもしない空想上の存在なんだぞ。

 

 

 ・・・こうなると、イグナイツはいったい何者なんだ?

 

 アリスが認めた転生できる器、数百年も前にはもう逃げ道は用意してあったのに、こいつはそれをしなかった。

 

 A種以上の器と語られる時点でそれだけの特別な存在と理解できる。アリスはなぜ俺をイグナイツに出会わせたのか。俺をここに引き込んだのなら偶然イグナイツの部屋へと繋がったとは考えにくい。

 

 ・・・回りくどいがアリスにとっては必要な工程だったのだ。どうもあの裁判と同じものを感じる。

 

 俺が夢世界に引き込まれる前、チシャ猫は何て言った。チシャ猫は「迎えに来た」と言っていた。夢世界に行くことは計画に必要な工程の一部。どうしても夢世界を経由させる必要があったのだ。

 

 俺は知らないうちになにかされたとでもいうのか・・それから俺は夢の住人に言われるがままにアリスの影を追った。

 

 そして、それらしい人物に出会うことになる。

 

 検事として現れた、唯一の大人のアリスだ。

 

 その姿はアリスにしては成長しすぎであり精神はひどく摩耗していた。あれこそがアリスの魂ではなかったのか。

 

 ゲームマスターの死に拘っていたことからその憎悪は本物だと感じたのだが、結局あれが夢の中に逃げ込んだアリスの魂だったのか確認が出来なかった。

 

 他のアリスに比べ人間らしい感情の発露に嘘は無く真に迫っていたが結局死を恐れ縮こまったために判別できなかった。

 

 女王の態度からしても妙である。女王はアリス検事に対して加虐的であることを隠そうともしない。それでいて、アリス検事を相当大事にしている。意図の読めない言動に反して他にはない気遣いが込められていた。最低限のラインは守っていた。俺にアリスが殺されることまでは望んではいなかった。

 

 そしてようやく俺はこの地に導かれた。

 

 夢の住人が俺に何かを期待しつつ助言はするが肝心なことは何一つ教えてはくれない。

 

 その望みはアリスの魂を殺す事での解放で終局だったが、それはまだ達成されていない。裁判でアリスが先に堕ちた。俺は結果的に何もしてはいないが、女王にとってそれも想定内。裁判自体が全部本命を隠すための巧妙なウソ、ただの茶番だった。

 

 俺を裁判と言う過程を体験させるための通過儀礼。重要なのは結果でなく過程だったのだ。

 

 俺をイグナイツ救出に躍起にさせ目を逸らさせた。

 

 ここにいるのもその工程が全て終了した証。女王の終点発言はあくまでも夢世界での終わり。この現実こそが真の終点なのだ。

 

 俺はただ言われるがままに物語を追っただけでしかない。アリスなど関係なかったか・・・物語を追うことが目的だったのだ。不思議の国のアリスの物語を追うには余りにも断片的なのも”俺の為”に再構成した新訳の物語だったから。

 

 いや、少し違うか・・・イグナイツに出会った時点から物語は始まっていたのだ。帽子屋は言っていた。夢世界はアリスの記憶の摩耗で俺が来る前に一度崩壊していたと。もはや原型など残ってはいまい。

 

 キャラクターの性格の改変。俺のあやふやな記憶により再構成された世界が夢世界の正体。あんな改悪糞物語に原作も糞もあるものか。キャラクターの大半が消滅した時点で少ないキャスティングでやりくりするしかなかったのだ。

 

 あれが夢世界の・・再構成した物語の実情。つまるところイグナイツは物語にどうしても必要な導入役、俺が一人で移動できないために用意された導き手。それを外界で補いつつ上手く整合性を合わせるチシャ猫は調整役。イグナイツの突然の変調も仕組まれたことであり、意図的にフェードアウトされたのだ。

 

 ・・・あのクソ猫、最初から俺を監視していやがったのか。

 

 つまりイグナイツの与えられた役割は白兎であり、俺の役割とはまさに・・・

 

 

 

 

「俺が―――――アリスだった・・?」

 

 

 

『くふ、くふふ。おかしいと思わなかった?あの子がああまであなたに好意持っている理由。あの子はいつだって親の愛を求めていた。父親との声だけの関わりに満足していなかった。だからね、夢の中で刷り込んであげたの。お節介かもしれないけど”真実の愛”ってものを教えてあげたんだよ』

 

「ふざけるな。俺で転生を果たそうとか正気じゃないぞ・・・俺は・・男なんだぞ・・・!」

 

 恋都は憤慨する。イグナイツのあの態度は無意識に仕込まれたものだった。通りで俺に対して距離感がおかしかった訳だ。流石に処遇に同情する。

 

 それに俺の体で転生など認められない。これ以上にまだ状況が悪くなるっていうのか。そもそもこんなボロボロの体に転生してどうなるんだ。

 

『関係・・ない?なんでそんなこと言うの?全部全部お前のせいなのに、なんでなんでなんで!いつまでもそうやって他人行儀だから戦争は無くならないし差別もなくならないんだよぉぉ』

 

「ぐぅ、や めろぉッ」

 

 乱雑に持ち上げられた恋都。アリスのボロボロな肉体に至近距離まで近づけられる。

 

『おかしいなあ、あなただけはわかってくれるんだと信じていたのに。転生したらアリスはね、完璧になるの。やさしいよねアリスはさぁッこんな頭のおかしい世界の人達とも仲良くしようってッ。まずはグリムとクリムゾン。こいつらがねー特に酷いんだよ。ここ900年間アリスが口にするのは自分が産んだ子供の残骸ばかり。見てよ、このお腹に突き刺さった太い管。アリスの歯は抜かれちゃって無いからこれで食事するんだよぉ』

 

「やめろッッ!!俺に近寄るな!」

 

『ペーストにされた血と肉をさ無理やり流し込んでお腹がパンパンになるまで詰め込むの。その内消化が追い付かなくて腐ってくるんだあ。上の口からいくら吐いてもその分詰め込まれるから苦しくって苦しくって。なんでそんなことするか知ってる?アリスとしての純度が下がるのを減らすために食事の全てはアリスが産んだ子供なんだって!すごいよねぇ、あいつら実験が上手くいかな過ぎて意味の分からない儀式にまで手を出し始めるんだもん、あ~殺したいーあいつら殺したいー。特にクリムゾン。グリムがいない時に死ぬほど虐待してくるし、元はと言えばあいつの提案でこんな体になっちゃたんだよ~。両腕返して。目と歯を返して。内臓返して。アリスの人生返して。みんなみんな嫌い。関係ないところで幸せそうにしている奴も嫌い。この世界に関わる全てが大っ嫌い。なにより―――』

 

 

『未だに自覚のないあなたが一番嫌いだよ』

 

 

 ガパリと死体のようなアリスの口が開き、闇を覗かせる。喉の奥底からたくさんの目が俺を見つめる。このままだとまずい。喉奥からゆっくりと闇の塊が伸びる。たくさんの目に小さな手のような物を生やし今にも俺の顔へと触れようとする。まるでそれは赤ん坊の様であった。

 

 だれか・・・誰か・・助けてくれッッ―――

 

 悍ましすぎる光景に恋都は気を失いかける。生理的な嫌悪感が全身を引きつらせる。

 

 恋都は一心不乱に願うも救いの気配は一向に現れず。

 

 そんな都合のいい現実などあるはずがないと理解していてもそう願わずにはいられなかった。ただただ恐ろしかった。悍ましくてしょうがない。

 

 

 俺は初めて”ナニか”に縋る。現実主義者な俺の有り方にひびが入る。それでも神を求めずにはいられなかった。それはとても自然な生命の発露。普段は何物にも依らない生き方をしている癖にいざ命の危機となれば神に縋る浅ましさ。なんと都合のいいことか。

 

 そんな者に救いの手など有る筈もない。

 

 

『くひゃひゃひあははははは』

 

 

 それでも救う者あるとすればそれは・・・これまで紡いだ縁であろう。

 

 

 

 

 

 颯爽と一陣の凍えし風が吹き抜ける。

 

 

「【氷精降世】」

 

 凛とした一声がどろどろに濁った空間を張りつめさせ、いともたやすく静止させる。

 

 気が付けば恋都は誰かに抱えられていた。

 

 

「ふむ、どうやら間に合ったようじゃな」

 

 

 冷たい小さな手が俺の肌に触れる。思わず瞑った目蓋を恐る恐る開き声のする方へと意識を向ける。

 

 この声といい、小さな体。安心が身を包む。

 

 そこには・・・まさしく・・・

 

「ヨ、ヨルムングぅッ」

 

「こら、ヨルムちゃんと言えと言っただろうに、それに・・・」

 

「うブッ!」

 

 頬に響く鈍い感触。じわりじわりと痛みが広がる。

 

 え、俺今殴られた?なんで?

 

 ここは感動の再会じゃないのか?

 

「我は怒っておる、なんじゃそのざまは・・戦士であれば最後まで毅然としておらぬか。死に際に吐く言葉が救いでは途端に空虚な死へと変わる。死を恐れるな。つまらない最後はやめてくれ。おぬしはそんな人間ではなかろうぞ・・・最後まで抗う者じゃろうがて」

 

「・・・・すまない、だけどこれだけは言わせてくれ、ありがとう」

 

「・・・ふ、ふん。だが、同じくらいよく頑張った。異常者相手によくぞ耐えた。あとは、――――――我に任せておけ」

 

 不敵な笑みを浮かべるヨルムの姿は見るものを魅了する不思議な美しさを放っていた。

 

 ヨルムは隠し切れない殺意と喜びを伴ってアリスに立ちはだかる。その背中は誰よりも大きく見えた。

 

 



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第58話 氷結界域

 

 ――――――――――Side/ヨルムング

 

 

 ヨルムはかつての天敵を改めてその目に収め込む。じーと目に焼き付ける。まじまじと変わり果てた姿に動揺するでもなく視界に捉え過去に在りし美しきアリスの姿と重ね合わせる。

 

「久しぶりじゃなあ。かれこれ900年以来か。なんともまあ・・醜悪な姿になりおって」

 

『アリスはずっと知ってたよ。深淵の申し子。記憶、戻ったんだぁ』

 

 

【不思議の国のアリス】

 

 かつてリシモアテル王国に最大の脅威をもたらした勇者が最後の一人。恐るべき異能の使い手集団の中でも一際異彩を放ち不死者顔負けの不死性を保有する、不死を否定する絶対者。

 

 ヨルムが相対する事11回。殺害にはまるで至らず封印措置も僅かな時間稼ぎにしかならなかった。勇者の枠に収まらぬ悪夢の体現者その人。

 

 そいつが我の目の前にいる。ああ、姿は変われどアリスだ。この匂い、息吹、ここにあのアリスがいる。

 

 ああ、アリス、アリスアリス――――――

 

 多くの同胞が殺された。どの勇者よりも凶悪で狂気に満ち、そして敬意に値する狂戦士。

 

 リシモアテルの民にとって憎むべき存在でありながら憧れの象徴という矛盾した存在。アリスはまさにリシモアテルの神話に綴られし終焉の象徴であった。

 

 戦場で何度会いまみえたことか。どういうわけかその度に自身の不死性は衰えていく。こちらの魔術は一切通用せず刃を直接交えノーガードで斬り合ったあの燃える様な一時が今でも忘れられない。飛び散る血潮は舞い、はみ出た内臓は外気に触れ死を実感させる。

 

 我は――――アリスに灼かれてしまったのだ。

 

 死は尊ぶものでありそのギリギリを模索するのがリシモアテルの流儀であり戦士としての生きざま。我々は数多くの屍の上で生を育む。だのに不死性を得たことでそれは叶わず、生と死の循環は不整脈を引き起こし生命の彩は劣化していくばかり。

 

 勇者アリスは救いの象徴でありそんな伝説的存在と何度も戦えることに同胞は内心喜んだものだ。さながら握手会に集うファンの如く戦いと意義を求め皆はこぞってアリスに挑んだ。

 

 

 それがなんだってこんな有様に・・・ッッ

 

 目に見えし世相の空気は違えども、在りし日のアリスの姿は忘れもしない。

 

 ヨルムの眼前で横たわるボロ雑巾が同一人物だと言われて誰が信じるのであろうか。あの時の輝きはくすみ沈むばかり。900年という時間の流れを実感させるには残酷すぎる指標。

 

 さっきの時間停止魔術の余波までアリスにきっちり効いた時点で弱体化しているのが見て取れた。複雑な思いが入り乱れる。

 

 前は効かなかったのになんだそのざまは。

 

 アリスアリスアリス――――――ッ

 

「・・・・・・・・・なんたるざまじゃ」

 

『ねえ、部外者が邪魔しないでくれる?折角いいところだってのにさぁ。不死者の分際でッ男と女の間に入ってくるなよッッ!!!』

 

「そうはいかん。この大嘘つきにはまだ言いたいことが山ほどあるのでな。おぬしのような人外に渡すわけにはいかぬ。一人寂しく死んでくれ。美しい記憶と共に・・・・それに、ずっと待っておったんじゃろ?我に引導を渡されるのを」

 

 こんなタイミングで出会ってしまったのだ。ヨルムは恋都を颯爽に救出し因縁との対面となった。

 

 これが運命。神の粋な計らいには感謝しかない。よかった。自身に埋め込まれた勇者の因子とはアリスのものだったのだ。まさに一生消えない傷跡だったのだ。

 

 それが確信に至り、思わず歓喜に咽ておしっこを垂れ流したくなってしまう。

 

 ああヤバイ。ヤバイのじゃ。なんて幸せなんだろう。あのアリスの一部が我の中で息づいている。指先が震え武者震いが全身に快楽を覚えさせる。

 

 嬉しい。あのアリスが我と一つとは・・・・嬉しいのじゃ。もっと欲しい!

 

 やはり”傷”というものはいい。それが消えないものであれば尚の事。

 

 人はもっともっとお互いに傷付け合い共感すべきなのだ。痛みを知れば共感を生む。傷つけるのも傷つけられるのも大好きだ。先に根を挙げれば多少は優しくできるというもの。臓物の赤さも、血の生臭さも曝け出せば内面も見えてくる。だから我は戦いが好きなのだ。言葉よりも、まず先に殺し合うのが不死者に相応しい。

 

『おまえなんか待ってない邪魔』

 

 ああ、なんてそっけないんだ。嘘つき。そんなところも好きだった。アリス、アリスッ!!

 

「嘘をつくなぁッ!!そんなはずがあるものかッあんなにも楽しかったではないか!あの時もあの時もッあの時もッッ!お互いに死力を尽くし殺し合った!?実際にこうして我に殺されるために生きていてくれた!!そうでないとおかしいっ!そうでなければそんな無様な姿で恥を晒し生きながらえることができるものか。貴様はそうじゃないはず!そうだと言え!素直になれぇぇぇぁッ!アリス、アリスッアリスッッ!!!!我をもっと好きになれ!!」

 

 アリスを前に蘇る記憶の数々。それは血なまぐさくも美しい輝きに満ちた青春の断片。溢れ出す記憶は湯水のごとく洪水を起こし妄執にまで至る。

 

 ヨルムの記憶の捏造が―――――始まる。

 

 冷たくも熱い殺意が昂ぶる。

 

 戦いの中であんなにもアリスの事を想っていたのにそれは一方的なだけの身勝手な思い込みでしかなかったのか?

 

 貴様に初めて遭遇してから毎晩のように貴様で高ぶりをクチュクチュと諫めていた我がバカみたいではないか。わざわざ言葉にしなくてもわかるはずなんだ。すでにそういう仲なのだ。

 

 ヨルムは無意識に眼帯を捲り左眼孔に指を突っ込み掻き毟る。ぐちゅぐちゅクチャクチャ。

 

 男も女も関係ない。ヨルムはただ仲間外れにされた事実が許せなかった。一方的な想いだけが募りアリスとの間に齟齬を生み、嫉妬に昇華させる。

 

 どんな状況でも戦意に昇華させる加護を授けるリシモアテル王国の信仰は容易に戦う理由を与えてくれる。

 

 グググと、

 

 異常に興奮したヨルムは狂人めいた目つきでだらだらと涎を垂らし口元を真っ赤に染めながら指先を噛み砕きビクビクと内股となる。

 

 不死者の情念が満ちた色んな液体が体中から流れボタボタと床に垂れるも――――何とか耐えている。

 

 ギギギとすぐにも躍動しそうな体を必死に抑えている。

 

 興奮は最高潮。これからの戦いに何もかも昂ぶる。

 

「フゥッーッ~~フゥゥゥーッッ!!げひッけひッくふひ」

 

 とても・・・行儀のいい戦いはできそうにないなと自嘲気味にヨルムは笑うのであった。

 

 これでは自慰行為と変わらない。それを恋都という仲間が見守っていてくれる。奴ならば全てを曝け出すのに相応しい。罰として内なる全てを晒してやる。

 

 所詮は獣。どんなに繕っても服を着た二足歩行の獣なのだ。

 

 我はこんなにも淫乱で行儀が悪いんだって教えてやる。

 

 とてもガンヘッド達には見せられない!!!

 

 見よー!

 

 恋都、アリス!!ね、ね、幻滅したッ?失望したッ?不死者の実態なんてこんなもの!!

 

 後で感想を聞かないと・・・ああッ楽しいなぁぁぁぁぁぁッッ!!

 

 

 

 ――――――――――Side/アリス

 

 

 そんなヨルムを前にして、アリスは――――反吐が出そうだった。

 

 元々アリスはリシモアテルの人間のそういったところが大嫌いであった。鬱陶しくて仕方がない。そもそも不死者がいなければ”アリス”を戦場に駆り立てなかった。群がり襲い来る不死の精鋭には、ほとほと手を焼いた。どいつもこいつも楽し気に笑っていたのだ。

 

 この女は特に嫌いだった。気持ち悪かった。不死者の癖に戦場でアリスに対し女の貌をする。

 

 アリスの”アリス”に女を振り撒くか。アリスを差し置いて・・・・・・ッッ

 

『だから不死者は嫌いなんだよ。そんなに戦いたいなら、”こいつ”とでも戦ってなよ。そして勝手に死ね』

 

「!?」

 

 巻き起こる風。生じた渦が規模を広めその中央から何者かが現れた。歪んだ空間は元に戻る。徐々に露わになる輪郭に形が宿る。

 

 黒い服飾、長い髪靡かせ、そして手にかざす獲物は刀。

 

 ああ、我は知っている。ここで、来るというのか。来て、しまったかッ。

 

 

 なんとなく、そんな気はしていたよ。

 

 

 ―――A部隊隊長、”剣聖セイラン”―――

 

 

『おまえに相応しい相手は決まった。最強の前にひれ伏して死ね、品の無いけだものが』

 

 本当の戦いが始まる。

 



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第59話 フルドリス

 

 

 現実世界で想定外の対面が組み上がっていた頃。

 

 夢世界もまた地獄の様相を露わにしていた。揺れ動く大地に噴き出るマグマ。

 

 捻じ曲がった法則が渦巻く理不尽な世界でまだ誰一人と死んではいなかった。

 

 そのことにクリムゾンは内心焦りを覚えていた。

 

 未だに脱落者ゼロ。

 

 こんな事実が、あっていいのか。

 

(どういうこと、なぜ立っていられる―――!!?)

 

 グリムはわかる。奴に対しては最後にむごたらしく殺すために手加減をしている。チシャ猫もいい。奴は高位次元の生命体。女王と同じ存在ならまあ耐えるだろう。

 

 ・・・じゃあなんで大主教と騎士、ついでに一番弱いであろうあの獣人モドキは死なないのだ?

 

 閃光で埋め尽くす弾幕世界。

 

 今もなおこちらに【魔力の矢】を360°全方向から絶え間なく乱発し弾幕結界を展開し地形ごとゴリゴリと削りゆくクラウン大主教。

 

 明らかに保有魔力量の限界を超えている。終末戦争において武名を挙げなかったことが不思議でならない。ここまで出来る奴とか聞いていない―――

 

 そして夢世界の支配の象徴たる女王とまともに斬り結ぶ騎士。なぜ一介の人間如きが対抗できる?相手は別次元の怪物なのだぞ。

 

 これは普通じゃない。拮抗すること自体おかしい。クリムゾンも女王もそういう次元にいる存在でない。勝負にすらならないのが当然なのだ。

 

 間違いなく神の力を手にした。クリムゾンがどれだけ理不尽な現象を紡ごうとも決して即死しない祈り手どもの耐久力。

 

 考えられる要因としてはやはりアリスの因子だった・・

 

 天地をひっくり返そうと灼熱地獄を展開しようと衰えることのない戦闘力。

 

 この様な絶望的な光景を見せつければ諦めもつくだろうにそうまでしてクリムゾンの神たる命が欲しいのか雑兵如きがッ―――――

 

 

 

 クリムゾンの考えはおおむね正しかったが、真実にまでは至らない。傲慢さが真実を覆い隠す。

 

 祈り手に埋め込まれたアリスの因子は適合者を変化の波に順応させる。認識が届かぬ領域まで事象が追い付かない。

 

 確かにクリムゾンが振るう力は確かに神の力といってもいい。

 

 だが、あくまでも夢世界の中でこそ成り立つ力。ここはアリスが作り上げた再現されし歪な物語の世界。ここの住人にとって星が割れようと核ミサイルが何発ぶち込まれようとも日常の一部でしかない。所詮は夢でありそれが住人の現実。

 

 それでも外界の常人であれば世界の変化についていくことはできず簡単に死ぬだろう。生きる世界が違えば法則も違ってくる。そう都合よく適応できるものではないのだ。これもまた、まごうことなき現実なのだから。

 

 ―――――だが、アリスの因子を獲得し、見初められた彼らは異なる法則に適応する。

 

 発火すれば燃えるし、氷結すれば凍る。

 

 だが――――死に至らない。

 

 想定以上に通りが悪いのは規模が大きく過剰過ぎるクリムゾンの殺意がため。

 

 因子を継ぐならば当然、祈り手にも【フルドリス】が備わっている。 クリムゾンがひっきりなしに繰り出す即死クラスの事象操作。

 

 それは決して回避不能。

 

 それは何が起きたかもわからない程に全貌が見えない一撃。

 

 クリムゾンが考える神の如き力の過剰なまでの再現。スケールが違い過ぎる、違い過ぎたのだ・・・

 

 祈り手本人たちの理解を超え過ぎた攻撃の結果、認識できず上手く作用せず【フルドリス】によりシャットアウトさる。どれもが即死クラスの攻撃の応酬。回避できぬよう対処できぬようにと認識すらもさせない。死んだこともわからせない。

 

 それが逆に祈り手の命を長引かせる。

 

 それがクリムゾンにはわからない。むきになりより強力な攻撃をと、更に加熱していく戦意が悪循環を生み出していく。下手をすると手加減されているグリムがよっぽど一番死に近い存在だった。

 

 物事はシンプルだ。クリムゾンはそれこそ単純で分かりやすい攻撃を行えばよかった。

 

 剣の一振りをこれ見よがしに精製し直接首でも跳ね飛ばせばこの一幕は終了するが、その選択肢はあり得ない。

 

 選民思想の強いクリムゾンは外界人を見下す。そのようなプライドからわざわざと直接的な行為をしようとしない。力を手にし十全に振るおうと万能感に酔っていた。それが更に驕り高ぶらせる。わざわざ同じ土俵に降り立って汗を流すような泥臭い戦いはしない。いつだって高所から見下ろすのが普通であり、神にふさわしい在り方だった。

 

 不可視の力で斬撃の結果だけを発現させるも切り傷は与えてもそれが完全なる切断には至らない。

 

 おまけにここにきて適合者の因子が活性化。再生力が些細なを傷も癒していく。

 

 これらの要因からクリムゾンは攻めるきることができずにいた。

 

 もとより大主教と騎士は歴史に名を残す者たちばかり。並外れた対応力が命を燃やし躍動させる。

 

 

 それでもクリムゾンに余裕があるのは相手にもまた傷を負わせるだけの攻撃力がないからであった。グリムの操る想術では神の力を振るうクリムゾンにどうしたって傷を負わせることは不可能。存在の格が違う。

 

 

 気を付けるべき相手はチシャ猫ただ一人だった――――――――――

 

 

 戦況は膠着状態であった。それは誰もが感じていた。

 

 

 クラウンもまたいつどこで均衡が崩されるのかと気が気でない。いつ現れるかもしれないラッキーパンチで戦線が崩壊すれば戦況は瓦解することを理解している。何か手はないのかと考え続ける。

 

 だからこそあることが気がかりだった。

 

 そう、チシャ猫のことである。

 

 神の如き者クリムゾンに対しこちらの攻撃はまるで通用しないのは百も承知。それでも相手が攻めきれない事から困惑は読み取れる。クラウンの異能から同じ境遇のレグナントの状況を俯瞰して読み取りその原因は心得ていた。

 

 ・・・・・皮肉なことにここに囚われる原因となった因子によって生かされている。奇しくも事の元凶たる勇者アリスによって守られていたのだ。

 

 それでも膠着状態は長くは続くまい。敵も試行錯誤を試みている。いつかはその種も割れてしまうし、クリムゾンの意図せぬ不幸な一撃が繰り出されるのは時間の問題だ。今できるのは唯一クリムゾンの守りを突破できるチシャ猫をサポートすることだけ。

 

 

 ――――――問題は肝心のチシャ猫が明らかに本気でないことだ。

 

 まるで何かを待っているように無意味に戦況を長引かせているようにクラウンには感じられた。異能を使わずともわかる薄っぺらい本気。

 

 いったい何を待っているのだ。湧き上がる不吉な考えは予兆も無く糸を引く。

 

 

 

 クラウンの危惧。その答えはしばらくしてからやってきた。

 

 

 

 

 異変はすぐに伝播する。最初に気が付いたのは夢の住人たるチシャ猫と女王であった。

 

「「!!」」

 

 その後につられるように皆が見た。見るしかなかった。

 

「なんッ!?」

 

 戦域から離れた後方から響くグレイズの声。目を向ければセイランの姿が消えていく。

 

 守護者筆頭がマスターを置いて勝手に消えるはずもない。明らかな異変。何かが起きた証。クリムゾンが驚くのをクラウンは見逃さないかった。

 

(おそらく、これが奴の本命。何かが・・起きている)

 

 信じたくないが悟る。これはまだプロローグにすぎないのだ。現実世界で何かが起きている。それもクリムゾンよりも恐ろしい脅威が。

 

 知ろうにもガッチリと関係の無い情報を振り撒きこちらの異能への対策をした夢の住人からは何も情報が読み取れない。与えられる情報は多く、嘘を交え真実は闇の中。精査するには時間が足りなさすぎる。クラウンは理解を封じられた。完全に異能の特性を逆手に取られる。

 

 だからこそ当然後手に回る。チシャ猫の動きに反応できなかった。反応できたのはただの一人。

 

「ッ!」

 

 突然門が現れそこに飛び込むチシャ猫。

 

 それに対し女王はレグナントとの剣戟を無視し脇腹に横凪の剛剣を喰い込ませる。

 

「なッッん、だと!?」

 

 レグナントは思わず叫ぶ。無視をされ苛立ちを覚え、望まぬ一撃に困惑していたのかもしれない。自身との闘いよりも他を優先とされたことに騎士としての矜持に傷を付けられる。

 

 女王はそんな騎士に申し訳なさそうに一瞥しながら剣を腹に受けた状態で手にした王笏を勢いよく一投する。

 

 その一投は門を貫いた。

 

「ぶひゃひゃひゃひゃッッ!!」

 

 門が崩壊するも間一髪。

 

 チシャ猫の姿は何処にもなかった。逃げおおせてしまう。

 

 

「・・・・・????」

 

 意図の読めない行動の多さ。誰もが動きを止め思考を張り巡らせる。チシャ猫の唐突な戦線離脱もそうだが均衡が崩され有利になったはずのクリムゾンもどうしてか動かない。困惑が表情に現れる。

 

 いや、何か様子がおかしい。クリムゾンの視線が明後日を向き汗を垂らし余裕が消えていた。思わずクラウンとグリムは顔を見合わせる。

 

 この場で理解できているのは、やはりただの一人だけ。

 

「き、貴公ッ」

 

「やられちゃった・・・最悪だ。文字通り猫を被ってたのね、あいつ・・・あ、ごめんね真剣勝負だってのによそ見しちゃって、でももうちょっとだけ待っててね、考えているから」

 

 脇腹を血に染め口から吐血する女王。レグナントも動揺する。彼女との勝負は劣勢であり当たるはずの無い一撃が当たってしまったためにだ。はっきり言って勝てる相手ではない。今まで遊ばれていた。それが悔しくて躍起にさせる。なぜなんだと問いたかった。

 

 いかに因子があれども勝負になる土俵にそもそも立っていない。それが悔しくもありがむしゃらに挑むレグナントをまっすぐ見つめ”本当に楽し気に”相手にする女王に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

 意地でも一撃、当てれればそれでよかった。

 

 それがこんな情けの無い一撃など認められるものか・・・

 

 

 

 

 

 一方、そんな状況でも冷静な女王は感想を述べる。

 

 ・・良い一撃だなぁ。

 

 本来であればなんてことのない傷。それが”騎士”に殉ずる者の一撃であり重く女王の存在に亀裂を入れる程に情熱に満ち足りていた。”一貫性”に努めるがんばりやさんには舞台に上がる資格がある。自ら動く資格がある。

 

 それでも、この一撃が”致命傷”であってもどうしても考えねばならないことがあった。

 

 

 先ほどの外部からの干渉。セイランを夢世界から連れ出したあの力は間違いなくアリスのものであったが、それが女王を困惑させる。

 

 ありえないのだ。

 

 外界から直接ここに干渉できる存在はA種と夢の住人、そしてオリジナルアリスのみ。産まれ持った女王の立場により誰がどこからどうやって干渉したかが自ずとわかってしまう。これでも一応の支配者であり管理者であった。そういう役割を担っている。

 

 ・・・だからこそ、わからない。

 

 未だに荒れ果てた大地で赤ん坊の様に身を丸め眠るキズまみれのアリスの姿。

 

 クラウンの魔術により時間が戻ったあの時グレイズが肉壁となりグリムが術で守り通していた。

 

 沈黙してはいるがアリスの魂は未だにあそこにある、はずなのに。

 

 

 まさか、そのまさかだ―――

 

 女王は確認するようにアリスを再度見やり指を鳴らす。

 

(・・・・・!)

 

 やはりかと、その姿に変化が現れる。

 

 変化は小さな姿へと変貌する。それは恋都が裁判所に現れた時に連れていたアリスジョーカーであった。

 

 女王たる者が見間違えるはずがなかった。私の考えに賛同せず袂を分かち外界へと出奔したトランプ兵が最後の一人。一度目の大崩壊後の唯一の生き残り。

 

 女王は思わず駆け寄りその手を握る。

 

 アリスジョーカーは必死に口をパクパクさせ血を吐き出し腹部を赤く染めていた。咄嗟に服を破り捨て傷口を確認する。

 

 ―――腹部から内臓がはみ出ていた。

 

「げ、下僕!」

 

 透明な欠片となり消えていく我が下僕の姿に気が付くと女王は叫んでいた。

 

 冷たくなった彼女からは何も感じない。依然感じていた”役”の気配が何もないのだ。完全なる抜け殻。再構成の弊害でこいつが元はどんな姿だったのかも思い出せない。

 

 言葉をまともに交わす事も無く腕の中で消滅する。

 

 ジョーカーは最後まで自身が誰なのかもわからずに、風となり、土となり、旅立った。

 

 

「・・・・・・・・・・・・いつ、アリスは下僕にすり替えられた?」

 

 そして本物のアリスの魂は・・・・どこに消えた?

 

 ジョーカーが裁判所に恋都に連れられ現れた時は内心複雑な思いを抱えた。どんな役にもなれるジョーカーはよりにもよってA種に化けていた。その変身は完璧すぎて女王にも一瞬分からないほどだった。確かにそれならば外界でも存在を保つことはできるだろうが・・・例に漏れずこいつもまた精神が完全に変身先に持っていかれていた。

 

 ―――自我の喪失、よりにもよってA種に化けるなどと愚かさと悲しさに呆れていた・・・物語の端役が主役の真似事をするからそうなる。完全にA種そのものに取り込まれA種擬きへと変貌していた。

 

 ・・・袂を分かちはしたものの、それでも私の下僕には違いない。

 

 結局、ジョーカーはアリス救済を成し遂げれなかったのだ。そして外界で何かがあってA種に化けたのだ。奴も馬鹿ではない。何者かが甘言を囁いたに違いない。

 

 外を渡り歩くのはいつだって”奴”の仕事だった。そういう風に追いやったのが私だ。

 

 その時に”奴”に唆されたのだな・・・・ッ

 

 いいように利用されて、それは無念・・だろなぁ・・・

 

 ――――――ああ最悪だ。

 

 ・・・恐らくだが、どういうことか裁判時に恋都がアリスを精神的に屈服させた時点で”アリスの役”は恋都に移譲されていたのだ。私はそれに気が付かず、恋都をみすみすかわいそうと言う女王にあるまじき理由で現実世界へと帰してしまった。

 

 まさかチシャ猫がここまで考えていたのかと・・・見事に欺かれ出し抜かれた。キャラ変し過ぎだ。

 

 

 普段の態度こそが本気の狂言そのものだったのだ。

 

 



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第60話 朱ノ女王

 ――――――――――Side/朱ノ女王

 

 

 女王はアリスのことなど気にかけやしない。

 

 あれもこれも我が望みの為にある――――――回帰すべき世界がそこにあった。

 

 

 女王が帽子屋たちに提示した本来の計画では哀れなアリスを恋都の手で直接終わらせ魂を強制的に開放、その後アリスの魂を新たなる肉体である恋都の肉体へと転生させるのが目的であった。

 

 アリスの魂は次に最もふさわしい器に魂が入り込む。その際に発生する魂と魂の衝突で肉体を奪われ恋都は死ぬ。そういう筋書きだったのだ。

 

 アリスがどの器も気に入らないが為に、仕方なくアリスに対し原罪を持つ恋都を使うと協力者に宣った。

 

 だがそれは大嘘。女王の望みを叶えるために協力不可欠な夢の住人を計画に乗せるための方便。女王にそんな気はない。アリスなんてどうだっていい。

 

 女王の根底にへばり付くのは自己嫌悪ばかり。元より感じていたエゴは恋都の記憶からの存在の補完で多大な影響を受けて完成した。

 

 全てはこの醜い物語を潰すための計画であり、何者でない存在へと還るのが目的だった。

 

 アリスを殺せばアリスは夢から覚める。そして発狂することだろう。そうなれば二度目の大崩壊で今度こそ跡形もなく歪んだ物語である夢世界は露と消える。

 

 それを行うには越えなければいけない条件があった。

 

 前提として眷属たる夢の住人は”アリス”を殺害できない。それをクリアするために夢の住人でない恋都を利用した。どちらにせよ恋都をアリスと仕立て上げるための物語を始めるには再構成が必要。

 

 アリスにとってただならぬ存在である彼こそ都合がよかった。記憶からキャラクター性を補強しなければ女王の配役を演じることもままならないほどに我々は酷い惨状だったのだ。アリスの気分次第で容易に夢世界も夢の住人も変貌してしまう。アリスに依らない恋都による記憶から存在を強化しなければいけなかった。

 

 これは執念だ。

 

 何が何でもアリスを目覚めさせ無に還る。大崩壊により修正が効かないまでに歪んだ物語上で生きねばならない息苦しさ。あるべき姿に戻れぬならいっそのこと壊してしまいたい。

 

 女王と言う支配者の立場が誰よりも物語の歪さを知らしめる。

 

 それを誰も共感してくれぬ。まさに生き地獄なのだ。

 

 

 

 

 傑作器であるイグナイツがアリスに産み落とされると同時に起きた大崩壊とは精神の崩壊を表し、遂にアリスの魂はその時を同じくして夢世界に逃げ込んだ。

 

 精神摩耗から来る小さな崩壊は今まで何度も起きてはいたがここまで大きな崩壊はなかった。逃げたことからアリスの限界が見えてしまう。

 

 お陰で夢世界は穴だらけ。語るべき物語は飛び飛びでまともなのはお茶会と裁判ぐらい。キャラクターの殆どが消滅していた。そのくせ大分前から量産される醜いアリスの魂の断片ばかりが行き付く安息の無い地獄と化していた。どこもかしこも醜悪な獣が蠢き彩っている。こいつらが消えればよかったのにね。

 

 悲惨な物語の惨状に心を痛めた私はある計画を企てる。

 

 それは夢世界に逃げて来たアリスからもたらされた情報が発端だった。アリスは壊れる前に最後の力を振り払い記憶の欠片を手紙におこしていたのだ。

 

 それは”ある男”の話であり、アリスがこの世界に召喚された全ての原因。外界で伝え聞いた不思議なお話。いわば終末戦争が起きた原因と本当の目的。

 

 なぜか確信をもってその原因たる存在が”この場所”に現れると壊れる前のアリスは予言した。

 

 確実性も無い荒唐無稽な話だったがこの時は藁にも縋る思いだった。そもそも空想上の存在であるアリスが召喚された時点で常識は崩れている。今更の話だ。

 

 アリス救済計画の概ねの流れだが、異界からダンジョンに降り立った恋都に出来る限り新編の物語【不思議の国のアリス】を沿わせるのが大筋だ。

 

 アリスとここまで因果がある恋都をアリス足らしめることは不可能ではない。崩れた物語だからこそ可能な暴挙である。まったく酷い改悪だと呆れかえる。歪ながらも物語を踏襲させ恋都のアリス性を高めさせることがなにより重要。女王としても恋都に少しは痛みを覚えてもらわねば気が済まない相手でもあった。

 

 そして裁判の一幕終盤で恋都にアリスを殺させるはずだった。そうすることでアリスの役を継承させる。大事なのは器たる肉体であり、アリスの魂がその肉体を奪う瞬間に恋都の魂は衝突事故を起こし一方的に消滅させる。

 

 途方もない回り道だったが、過程を重視する世界にとって避けて通れぬ道。

 

 大崩壊で消滅した配役を生き残りや部外者だけでなんとかやり繰りし物語の体裁を整え紡いだ。始まりたる導きの兎役は見た目の似たイグナイツを勝手に流用。

 

 霊体のクリムゾンを派遣し監視させながら決められたチャート通りに進ませる・・・予定だった。

 

 ここでクリムゾンが想定外の反逆を行ったが今は割愛する。それでも運命は収束するらしく完全に運を味方につけた。

 

 そこからは完全なオリジナルチャートだったが収まるべきところに収まった。

 

 クリムゾンの反逆をカバーする為に急いでチシャ猫を派遣するも、なんと敵だった未覚醒の【氷結界域】に恋都は連れられてしまう。しばらく静観していると今度は例の”剣聖”が率いるA部隊と交戦。下手すると恋都は一文字で終わっていたが勘のいい剣聖ちゃんはどうも無意識に彼がどういった存在か気が付いていたようで手加減してくれていた。でなきゃ死んでる。ずっとヒヤヒヤしていた。

 

 それから祈り手どもは敗走し今度は黒殖白亜に囚われてしまう。危険極まりなかったがチシャ猫の強行で恋都を夢世界に連行を試みる。追手の隙を突きクリムゾンが開いたゲートに間に合い難を逃れる。

 

 流石にここまで来ればと・・・なんとか元のチャートに合流したかと安心したのだがここでまた予想外な行動を起こす者が現れる。

 

 気狂い帽子屋達が恋都を自身のテリトリー内に閉じ込めたのだった。

 

 計画の一番の賛同者によるまさかの裏切り。おまけにお茶会は我が法廷以上に無傷な物語の一幕。この女王ですら手の出しようがなかった鉄壁の領域。

 

 型破りなチシャ猫ですら干渉不可と来た。裁判の目前で寸止めされた女王の気持ちたるや。中で何が起きているかもわからず生きた心地がしなかった。

 

 だが、しばらすると恋都が自ら脱出してきたではないか。

 

 目論みは見事成就し裁判は無事開廷する。幕間における不意な遭遇からの恋都によりオリジナルアリスの魂が殺害されないようにアリスはちゃんと女王の手元に置いておき抜かりはない。奴をこちらのテリトリー内に引き込めばこっちのものだった。

 

 だが、そうまたなんだ。

 

 ここで今まで振り回されるだけだった恋都が牙をむく。

 

 奴はそれぞれに課せられた役の配置の意図を見抜き検事たるアリスを公然の場で死に至らしめようとした。

 

 あれにはマジでかなり焦った。

 

 恋都による殺害もそうだがアリスが自殺しても魂は消滅し”アリスの役”だけが次に相応しい恋都に継承される。自殺では恋都の肉体での転生はない。それはどうだっていいが”アリスの役”引継ぎだけは認められなかった。

 

  ここまでお膳立てをしたのだ。恋都からすれば異世界そのものが不思議の国として舞台設定が成り立つ。因果による見えない紐がアリスを紡いでしまう。引き継げば歪んだ物語もそのまま続く。それでは大崩壊はありえない。大事なのは女王が最後にアリスに手を下す事ただ一つ。

 

 そのためにアリスを疲弊させ弱体化させることなのだが、恋都はアリスを自殺寸前まで追い込んできた。誰がそこまでやれと言った。

 

 新旧二つのアリスをぶつけ合い疲弊させることが大事なのだ。アリスを扱き下ろし”アリス”でなくする。アリス性を奪いただの少女へと至らせる。二人を秤にかけアリス性が薄らげば女王でもアリスを殺害せしめる。

 

 殺害と言っても創られし夢の住人ではせいぜい現実に送り還すしかできないがそれでいい。現実とのギャップが二度殺す。精神崩壊からの夢世界の崩壊で今度こそ、この物語も終わる―――

 

 正直恋都は手に余る駒だった。無自覚に誰に言われることもなく自ら”アリスの役”に成りきった恋都には驚いた。奴は誰に言われるでもなくアリスを演じて見せた。誰かの指示で動くのとは訳が違う。自然にその答えを導いてくれたのだ。

 

 それが恐ろしくもあった。まるで女王ですら見えない何かに導かれているようで、順調過ぎて逆に怖かった。

 

 運命に感謝したかった、のだが。

 

 そこでアリスの自殺だ。

 

 兎に角笑うしかなかった。まともな裁判であれば手の出しようもある。だが最初から裁判に相応しくない意味不明な出来事を黙認し行い続けたせいで介入する口実を失っていた。セーフラインの境界線を見余った。裁判中って石投げたらいけないのか・・・スルーしていたせいで恋都によるガチビンタにすら介入出来なかった。

 

 逆に女王は立場で苦境を強いられる。

 

 そういった出来事もあり恋都が予想外に裁判を長引かせ時間を掛け過ぎた。

 

 これでは女王の真意を知らないチシャ猫が戻ってくるのも時間の問題。

 

 ・・・チシャ猫はアリス第一主義者だ。盲目的にアリスに尽くす。故に女王の真意を察すれば障害となり得る。

 

 アリスに依存気味なチシャ猫には普段から現実世界の調査を頼み外界へと遠ざけ、計画終盤では偶然拾った外界の騎士を洗脳し力を与え徹底的にチシャ猫の邪魔もさせていた。ついでに面倒なクラウン大主教を潰してくれれば更によかった。小賢しい男は嫌いだ。

 

 本来のチシャ猫の役回りは神出鬼没な狂言回し。完璧なお茶会と違い不完全な裁判になら踏み入る可能性は十分考えられた。急がねばならなかった。

 

(ああ、なぜ気が付けなかった・・・奴をアリスから遠ざけ過ぎたのか)

 

 

 ・・・そもそもアリス育成から間違いだったかもしれない。

 

 アリスが夢世界に逃げ込んだ時点で幼児退行していた。それをいいことに私はアリスをいいように育てた。裁判でぶつかり合う以上どうしても恋都が敵対してくれるような子に仕上げなくてはいけなかった。

 

 自身のテリトリーである城にアリスを閉じ込め、寝る時も食事の時も遊ぶ時もアリスを全肯定してきた。贅沢三昧の日々、全てに満たされ死ぬほど甘やかしてやった。一人で着替えもできやしない。介護などとても女王のする仕事ではないし苦痛であったが、率先して溺愛してみせれば他の夢の住人に本心を勘繰られる事も無くここまでこれた。最終的な目的を掲げていればなんでもできた。

 

 お陰様で想定通りに我儘で幼稚で自己中心的で自己愛に富んだクソ面倒臭い精神構造が出来上がった。プライドは天井知らず。気に入らない事があれば恩人である私にすら石を投げるレベル。泣くと子供の様に・・・いや陸に上がった魚の様にジタバタし、すぐ物に当たる。しかも現実での後遺症で躁鬱病を持つ。テンションがヤバイ。もう誰にも手に負えないぜ。

 

 

 

『死ねッ!死ねよぉ!アリスの前をよこぎる奴!』『あれッアレが欲しい。あ、あ、あッッちょうだいィィィアリスの物をとるなぁ!女王ォォォあいつがアリス物をとったああああああああ殺してよおおおおッツッ!!!!』『マズイ!!野菜きらい!!くずどれいさんの分際でアリスにこんなもの喰わせる七アアアア亜』『イィィィィいぎぎぎギあ”あ”あ”あ”あ”ああっぁぁいひいイィィィィ!!あぎゃぐぎゃあああ』『あ、おしっこでた。拭いてー女王。早く拭けー。あ、またでるでちゃう、うわ女王汚いよー臭いからちかよるな』『くしょどれいさんが話しかけるな。息をすうな』『女王ッ早く来て女王!女王!!はやく来いってアリスがいってるでしょおおおおおおおくずどれいの分際でええぇぇぇ!!』『ぶさいくが視界にはいるな。どけ!!アリスが先に並んでたんだよ!!アリスが1番なのォッ』『老いぼれがさっさと死ねよ。いきててもみじめなだけじゃん』『アリスに逆らうなッ女王は黙ってまたをひらけよー』『ねぇきもちいい?きもちいい?女王!女王!えひえひひ、アリスのどれい~』

 

 

 

 

 

『好きー』

 

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 ・・・我ながらとんでもないモンスターを作り上げてしまった。私でも許容できないレベルにすごい。完璧だ!完全に依存している!!身を削り”色々”と教え込んだかいがあった。

 

 体ばかりデカくなる一方で脳みそはすっからかん。愚鈍な方が扱いやすいからこれでいい。性格は顔に出ると言うがこんなの詐欺だよね。見てくれだけはいいのだから。それでも口を開けば一言目に罵倒が飛ぶ。でも行儀や作法は会得している矛盾。それでマウントをとって悦に入る。趣味はアリの巣を水責めすること。この時とベットの上が一番素直でおとなしい。

 

 これもひとえに脆弱な精神性を作るためだと女王は耐え忍んだ。

 

 何より信じられないことに恋都はこういうヤバイ女がタイプであることを知っていたからだ。趣味が悪すぎる・・・・・実際、奴は裁判中滅茶苦茶楽しそうだった。

 

 敵対はして欲しいけども、殺害は躊躇ってくれるといいなと願った。

 

 今日と言う日をずっとまちわびていた。楽しみで仕方が無かった。

 

 糞みたいな”私のアリス”が泣きっ面を晒すたびに大いに笑った。恋都の予想外の行動に泣かされるアリスに腹を抱えた。

 

 ――――――でもさ。

 

 私はそんな胸がデカいだけの究極のアリスが自殺する筈がないと高を括っていた。

 

 あの男は手加減を知らないのか容赦なくアリスを言葉で痛めつけ自殺へと誘導する。あれはただの脅しでなく本気で殺しに来ていた。私は少し彼を見くびっていたのだ。どこかで駒の一つでしかないと思いあがっていた。私の作ったアリスが自ら負けを認めると微塵も思っていなかった・・・・・・

 

 

 アリスが最後に見せた一面、あんな穏やかな顔を私は知らない。

 

 

 どうしてか――――胸が痛んだ。

 

 

 ・・・・一応裁判も終わり想定通りに恋都によるアリスの殺害は防いだ。

 

 彼自身も考える脳みそがあり保身のために直接的な殺害を回避しようとしていたがアリスの自殺という想定外のアドリブから彼をアリスの傍に置くのはリスクに感じ致命傷を負わせ外界に放逐した。

 

 あの致命傷では不死性も発揮せぬままに死ぬ。危惧することは何もないと安心していた。

 

 残るは無防備なアリスただ一人。アリス性が薄れた無防備なアリス。チシャ猫たちの邪魔は入ったがクリムゾンの攻撃でアリスが負傷した事実が私の眼を曇らせた。私でも殺せるのだと判断してしまった。

 

 クリムゾンは勘違いしているがその力はオリジナルアリスの力でなく女王の力を分け与えたものでしかない。夢世界限定の現実世界ではなんら意味の無い力だ。女王の力の一端でやれたのなら私に殺せないはずがなかった。

 

 ゴールは目と鼻の先。こんな物語だろうと、もうこれで終わりだと思うと名残惜しく戦いを楽しむ余暇を自身に与えてしまった。

 

 ・・・・そのはずだったのだ。

 

 まさかあのアリスがだ。

 

 もたらされるだけで与えることをしないあのアリスが、唯一のアイデンティティを譲渡すると誰に予想できるのだ。

 

 クリムゾンの繰り出した一撃で”アリスの役”を譲渡したアリスはすでに死亡していたと思われる。

 

 元々あの一撃は試しの一手。本当に女王由来の力でも殺せるかの確認作業だった。

 

 アリスが”アリス”でなくなった時点で何者でもなくなっってしまえば余波で蒸発する。あれはそういう攻撃だ。威力と規模が大きすぎて一瞬アリスの姿を見失ってしまったのだ。そこにチシャ猫に付け入る隙を与えてしまう。

 

 死ねば精神崩壊による夢世界の崩壊が起きるのにそれが起きない。そのせいでまだアリスが健在だと勘違いしてしまう。恐れていたことが既に起こってしまっていたのだ。アリスの魂が消滅しようと”アリスの役”が引き継がれてしまえばこの世界も引き継がれてしまう。醜い物語は健在してしまう。

 

 ”アリスの役”の譲渡の完了を私に悟らせないようにチシャ猫はクリムゾンの攻撃のどさくさに紛れて更に大人のアリスに化けさせたジョーカーで偽装した。

 

 この時点でジョーカーはギリギリ一歩手前まで生かされていた。私を釣るための生餌。チシャ猫は真実味を帯びさせるためにジョーカーに丁寧に致命傷を負わせていやがった。

 

 なぜ、そんなことをしたかだと?

 

 アリスを殺せるのだと私に勘違いをさせ躍起にさせたかったのだ。放逐された本命から目を逸らすためにッ―――――

 

 役を譲渡された恋都でもあの致命傷では不死性も発揮せぬままに死ぬ。

 

 だが、そうならないのだろう。

 

 現実世界で何かが起きている。

 

 もう死ぬと恋都を適当に投棄したのがまずかった。運が介在する適当さでは付け入る隙を与えてしまう。必然的に現実にいるであろう元凶たる渦中へと導かれる。

 

 私はこの場で戦う事を選んでしまった。祈り手もゲームマスターも支配者たる女王に立ち向かえる戦力差じゃない。負ける要素はゼロだった。その考え自体は間違いではない。ただ奴らは勝てなくともこちらに食い下がれる程度の力は持っていた。そこに余裕が産まれつい、騎士と遊んでしまった。目的が達成できると思い込み歓喜に沸いていたのだ。

 

 チシャ猫もまた私と同じく時間を稼いでいたのだな。

 

 ・・・いや、騎士がここにいることも計算の内か。恐れ入ったなチシャ猫・・・そんなにもアリスが好きか。

 

 

 この騎士、この私が気に入るだけの実力、培われた泥臭い技量もありこちらの純然たる力と速さの暴力を前に剣技のみで凌ぎ、神言魔術で致命傷を耐えるのだ。その姿に今は亡き我が下僕たちを彷彿させた。

 

 ・・・興が乗り過ぎたのだ。はっきり言って感心していた。下僕たるトランプ兵を失い久しく、騎士という女王に使える者に飢えていたのだろう。これもまた自らに課せられた役による弊害か。

 

 

 

 ・・・・・それに比べ保険として用意していたクリムゾンなのだが思ったよりも使えない。外界から拾い上げた深淵とは無縁の魂。女王の絶大な力の一部を与え持ち前の憎悪を利用したのはこちらの計画が失敗した際の予備戦力にするためでもあり、チシャ猫は優秀だがどうしても現実世界では活動限界があるため制限の無い駒が必要だったというのもある。

 

 今日まで飼いならし変わりの目や耳としてチシャ猫とは別に情報収集をさせていた。システム障害などのゲームマスターとしての力も存分に振るわせた。封印から解き放たれたイグナイツにはコイトともっと行動を共にさせるつもりだったが、クリムゾンは勝手にイグナイツに憑依したのは予想外であった。

 

 洗脳がどうして解けたのかわからない。まさかこれもチシャ猫の仕業か・・・?

 

 クリムゾンは私への反旗に調子づいたのか、イグナイツに憑依したことで秘められた真価に気が付きグリムの確保前に夢世界へ突撃。反抗するも私が女王である意味をわかっていないようで一蹴し再度の洗脳による都合のいい役回りを与えてやった。処刑するのは計画が上手くいってからでも遅くはない。

 

 

 まさかチシャ猫があれほど腹に一物抱えているとはな・・・・

 

 

 どいつもこいつも勝手によく動く!

 

 

 

 ・・・・先ほどの現実からのオリジナルアリスによる干渉。なぜかオリジナルアリスは”二人”いる。

 

 夢に逃げたアリスとそうじゃない正体不明のアリス。外界を渡り歩くチシャ猫は最初から知っていたことになる。

 

 どさくさにまぎれ消滅したアリスのダミーとしてジョーカーで偽物を用意し負う必要のない傷をあえて受け戦闘を長引かせる。全部現実世界から目を逸らせるための演技。

 

 まだ間に合うか・・?

 

 門を破壊したことで現実世界への到着時間にずれを生じさせてやった。この時間をどう使うかによって命運は分かれる。

 

 ”アリスの役”を譲渡された恋都は恐らく謎のもう一人のアリスの元に導かれる。

 

 ・・・何が起こるのか想像もつかない。だがアリス救済計画を放り出しチシャ猫が動いているという事はアリスの為に他ならない。

 

 どちらにせよアリスが完全に覚醒すれば大崩壊は二度と不可能。その事実がどうしても許せない。女王はこの紛い物に溢れた世界が、何より自分自身が嫌いなのだ。原典は一度崩壊、恋都の曖昧な記憶からの再構成。物語を紡ぐための行為が逆に致命傷となる。元より女王は女王でない。最初から何もかも狂っている。

 

 恋都の意識に一番引っ張られのはきっと私だろうな。偽物の体に混じり物だらけの歪な心。形亡き形で形成された情報の寄せ集めでしかない。原典からは乖離した姿に型にはまらぬ言動が目立つ夢の住人達。

 

 まったく吐き気がする。

 

 再構成からより一層思いは強くなったのは間違いなく恋都の影響だ。余計な情報を吸い上げ過ぎた。だからこそ心情的には完全に恋都よりであり同情もしてしまうが憎くもある。乙女心は複雑だ。

 

 そんな時に現れた純然たる騎士の在り方を示し、生き方に則るレグナントは眩しく羨ましかった。真っすぐな奴を見てるとついちょっかいを出したくなる。つい足を引っ張りたくなるし、助けたくもなる。

 

 それが叶わぬ願いだとしっているのにだ。

 

 世の中・・・ままならないものだ。

 

 ・・・・・・さあ、決断を下そう。ごちゃごちゃと悩む余裕はない。

 

 女王は異能の制限を解き、叫ぶ。

 

「クラウンッ!」

 

「―――――――――ッ!!?わかりました!すぐにでもッ」

 

 やはり物わかりがいい男だ。異能でこちらの状況とお願いを読み取ったクラウンの行動は迅速だった。大局が見える男であり違和感に対し考えることを止めなかっただけはある。

 

 騙したりもしたが与えた情報では奴も素直に動かざるおえまい。

 

 

 このままでは皆、死ぬ事になるのだから。

 

 

 女王は門を展開し現実世界へとクラウンを送り出そうとするも炎が巻き起こり邪魔が入る。

 

「貴様ぁ、よくもこの私を利用してくれたなああああああああ!!」

 

 不意打ち紛いのクリムゾンの横やり。

 

 まさか洗脳が解けた?今ここで?なぜに?

 

 違う――――――この力の躍動。まごうことなき神性。私が与えた借り物の力とは違う、異なる別種の力。

 

 これはまさにオリジナルアリスの力。どこからか、力が与えられているだとッ!?だ、誰が!??

 

 間に合わなかったのかッ!?

 

「消えて無くなれええええええええええッ!!【イフ・ドミネイト】!!!」

 

 時間が、空間が、歪み黒い飛沫となりどこまでも波紋を広げていく。地殻はめくれ何もかもが吹き飛び無へと回帰する。

 

 それを前にここにいる者全てが終わりを悟る。これはまさに神の御業。足掻くことそのものが愚かにも等しい。

 

 



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第61話 聖剣の担い手

 

 ――――――――――Side/レグナント

 

 

 鳥が――――――嘶いている。

 

 大昔の記憶が疼く。 

 

 ずっと前に、とてつもなく強力な敵との死闘の果てに動けぬ体のまま天を仰いでいたような気がする。

 

 それは祖国フェザーンの騎士であった頃のレグナントにとっての重くも苦い記憶。

 

 そうあれは祖国フェザーンを襲った聖王国からの刺客。

 

 敵はただの一人。まごうことなき国難が人の形を成す。存在そのものが慮外の徒。そこで初めて世界の広さを知った。セプストリア聖王国が覇権国家であることを思い知らされた。

 

 ・・・ああ、そうだった。

 

 フェザーンが誇る最高の騎士三人がかりでようやく撃退できたがこちらもただでは済まなかった。

 

 三騎士で一番の若手の私が・・・おめおめと生き延びてしまった。

 

 生きるべきは――――私でなかった。

 

 部下に救護され、それからのことを覚えていない。とても大事なことが起きたはずなのに何も覚えていない。フェザーンで何かが起きたのだ。

 

 

『レグナント卿。やはり聖剣は貴方を見初めましたね。いつか・・・きっと貴方に与えられた聖剣の意味を知ることになるでしょう。それは貴方にしかわかりません。だから、それまで私の騎士として手を貸していただけませんか・・?』

 

 ああ、姫様・・・あの時に私を信じ手を差し伸べた恩は忘れません。

 

 命を賭すに相応しいと感じたからこそ私はあの領域まで至れたのだ。

 

 

 それを、私はこんなところでなにをやっているのだ―――――――

 

 

 抜き身の剣は収まるはずの鞘を失い彷徨う。次第に錆び付き刀身を鈍らせる。

 

 

 レグナントは信頼の証たる聖剣を失い、時間を無駄にし、祖国の結末を聞くしかなかった。

 

 記憶が戻る度に強い後悔と無力感に絶望してばかり。

 

 それでも僅かな可能性に賭け、乾いた大地で土を噛みしめ目を見開く。

 

 随分遠くに来てしまったなと周りを俯瞰する。

 

「・・・・・・苦い・・な」

 

 何もかも土塊と化し柔らかな大地の上で倒れ伏す。隆起しささくれだった岩盤が牙を晒す。

 

 現実味の無い光景を前にどこかやりきったような充足感。レグナントはそのまま土の味を噛みしめながら空を仰ぐ。

 

 どこまでも死滅した朱い空が無限に続く。本当に、現実味がない世界だ。

 

 空が朱いなど馬鹿げている・・・

 

 大地で仰向けになり点滅する視界が天を仰ぐ。全身に負った裂傷で脳が悲鳴を上げていた。

 

 ・・・・なぜ、まだ生きているのだろう・・な。

 

 

 答えは簡単だ。俺に覆いかぶさるように倒れ込む彼女のおかげに他ならない。思い違いでなければあの一瞬で私と先生と騎士見習い、おまけにゲームマスターをまとめて守ってみせた。

 

 女王は、敵ではなかったのか・・?

 

 突然獣人女が戦線から離脱してからバランスは崩壊した。

 

 めぐるましい戦況の変化が続き、混乱を産む。それでも助けられたのもまた変えようのない事実。

 

「なぜ・・なんだ。なぜ助けた――――――ッ」

 

「うふ、ふふ。これで・・ようやくお役御免か・・・永、かった。最初からこうしてればよかったんだ。それを私は、意気地がないから・・・」

 

 女王の目には何も映っていない。問いに答える事も無く自嘲気味に呟く。自己完結した思いのままに行動し勝手に死のうとしている。

 

 ドクドクと胴体から血を流していた。透明な粒子をまとっている。

 

 ただの切っ掛けだったかもしれない。

 

 あの情けの無い私の一撃のせいで女王は死のうとしていた。

 

「・・・・・う、うぅ。う、く。ごめんね。ごめんね・・何もできなくて。アリス、アリス。私を許してくれ。一人だけ楽になろうとした私、を・・」

 

 それは懺悔か。何かに縋るように伸びた手をレグナントは――――迷わず握りしめる。

 

 女王は許しを求めていた。

 

「・・・・・・・・・・・・・ッ」

 

 確かに女王は敵であった。私は洗脳され忠誠心を穢され都合のいい傀儡として扱われた。

 

 恨みは、もちろんある。

 

 それでも弱り切った敵兵の、それも強敵に対し死を愚弄するようなことはレグナントにはできない。そういう風に生きるだと子供の頃から決めたのだから。

 

 レグナントもまた伸ばした手を姫様に掴まれたからこそ、ここにいる。

 

 今度は私が手を繋ぐ番なのだ。

 

 誰しもいつかは救いはあるべきだ。後悔し贖おうとする者にはあるべきなのだ。

 

 あくる日を望めなくとも一時の安らぎは許されてもいいはずだ。

 

 手を取り合う。単純なことだがこれがなかなか難しい。

 

 それが理想とする騎士の在り方だったのだ。レグナントは手を差し出せる騎士になりたかった。

 

 

 レグナントが女王の手を握ってあげると安らぎに満ちた表情で光の粒子となり消滅した。涙もまた軌跡を描き瞬いた。

 

 どこか満足げにやりきった顔をしていた。

 

 

 ――――それでも。

 

 ああ、なんと納得のいかない最後か。勝者が死に敗者が生きるなど流儀に反している。結局助けてくれた真意もわからない。

 

 一流を気取る手前なんと口惜しい事か。

 

 それでも差し出したレグナントの手は確かに握り返され何かを託されたような気がしたのだ。

 

「く、ふははははははっはっあああ!素晴らしいッ素晴らしいよッッ!!これが、これこそがオリジナルアリスの力!これで世界は救われる!なによりもこのクリムゾンの手でッ!!アハハハハハハハヒャハァッ!!」

 

 力を手にした悪鬼が子供の様にはしゃぐ。こちらに意識が向けばまたあの一撃が来る。そうなればひとたまりもない、か。

 

 それでも繋いだ命・・・無駄にするにはいかなかった。最後の時を座して待つなど考えられない。

 

 レグナントは虚無感と喪失感を感じつつもなんとか立ち上がろうとするも何かに足が引っかかり転ぶ。

 

 私は何をやっているんだと憤る。立ち上がったところで何ができる。もはや勝ち負けの話ではないのに。

 

 奴の前では何もかも等しく無価値。寝ていたほうがまだ生存率はあがるだろう。それがわかっていながら、なぜ立ち上がったんだ。

 

 

 いっそ、このまま・・・・・・・・・・・・・・・・・、、、、、、

 

 

 

 

 

 ――――――――――――あぁ

 

 

 あぁぁ

 

 

 

 力の波動が渦巻き土が舞い上がる。そこから現れた物にどうしてか無言となる。

 

「・・・・・あぁ」

 

 どこか懐かしい感触。先ほど足を引っかけた何か。それはとても掌に馴染んだ。

 

 レグナントはこれを知っている。忘れるはずもない失われし我が体の一部。我が闘争の記録。誓いの証。

 

 

「おぉぉ・・・久方ぶりだな、我が・・・聖剣よ」

 

 

 偶然なのか。

 

 違う。柄を握ると握り返されるこの感触は女王の手と似ていた。

 

 そうだ、この剣を賜った時、確かに誓ったのだ。国を守護し先人たちの想いを継いでいくのだと。想いは連なり恥じのない生き方をするとあの時に誓った。

 

 女王は最後に、放浪騎士となった私に使命を与えるか。これが巡り合わせなのか。

 

 聖剣が私を導く。姫様の真意が今ならわかるかもしれない。

 

 ――――いいだろう、この時だけはあなたの騎士として使命を果たそう。

 

 一時とは言え、勝手にとは言え、女王の騎士であったことには違いない。

 

 義理立てするのではない。私は思いを繋ぐ騎士で在るために、二度と後悔しないためにも、今ここに宣言しよう。

 

 決して果たされぬ誓いをこれより正す。

 

 今度こそは最後まで抗ってみせよう。

 

「聞けえぇッ!我が名はフェザーンの【三騎士】が一人、レグナント・ブラウム・ヴォルテルミナ!!朱き女王に仕える最後が騎士!振るいし剣戟の数々は知れず、そのことごとくは悪鬼を撃ち滅ぼすものばかり。我はこの地に渦巻く因果に仇なす者なりッッ!これ以上の狼藉、女王に変わり私が守護致す!!いざ!参る!」

 

 歴史に消えた英雄が舞い降りた。

 

 ”両手”に女王の意思を携え後塵を払う。

 

 演目は、まだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・捕捉になるが実はレグナントにかけられた女王による洗脳はまったく解除されてない。

 

 

 クラウンはあくまでも応急処置を施したに過ぎない。解除はできないと終末戦争の経験から早々に諦めている。

 

 じゃああの時何をしたのかと言えば、洗脳された状態の上でクラウンは現実をすり合わせ状況を理解させ一時的に説得させたにすぎない。洗脳済みとしてもだ。所詮は人の意識には変わらない。人としての範疇で考えは決まり行動する。

 

 その上で意味の分からない状況をぶつけることで相対的に常識が上回っただけなのだ。洗脳されていようがされていなかろうが、突然目の前で全裸になって歌い踊り出せば困惑もする。

 

 困惑による共通部分を通じ常識を照らし合わせ無理やり理解させただけであった。

 

 

 

 

 では、洗脳されてからのこれまでの感情の機微、行動は全てその洗脳の結果なのだろうか・・・?

 

 この心の底から湧き上がるマグマのような熱量も偽物なのか・・?

 

 洗脳されてから生じた感情の発露、吐いた言葉は虚言なのか・・?

 

 いつの間にやら拾い上げた女王の杖を左手に携える理由はなんだ・・・?

 

 

 

 それは右手に携えた第二級遺失物【異なり底の聖剣】だけが知っていた。

 

 

 

 

「起きてください、グレイズ君!」

 

「――――――ッ!!?」

 

 自分を呼ぶ声に反応し飛び起きる。目に映るは、ほっとしたような表情の先生の顔と変わり果てた大地と鈍く輝く朱い空。先ほどの一撃により生じた結果だと理解し、生きているという実感が追い付き体が震えてくる。あまりにも恐ろしい出来事。悪夢はまだ続いていた。

 

「しっかりしてくださいッ!まだ何も終わっていないのですよ」

 

「終わるって・・・あ、あれに勝つつもりなんですかッ」

 

 正気じゃない。それは先生もわかっているはず。もはや勝ち負けの次元にいる相手ではない。さっきでさえジリ貧だったのは観戦するしかなかったグレイズにも理解できていた。

 

 拮抗できていたのはあの猫女のお陰といってもいい。

 

 その均衡は破られたのに、なにができる。人間如きに何が成せる――――?

 

 

「今は騎士殿が時間を稼いでくれてます。その間にグレイズ君にはやってほしいことがあるんです。君にしかできないことなんです」

 

「僕にしかできない・・こと」

 

 先生が指さす方向の先には半壊した門が口を開いていた。あらゆるものを吸い込んでしまいそうな漆黒が顔を覗かせる。

 

「あそこから現実世界に帰れます。君にはそこで勇者アリスを破壊してもらいます」

 

 瀬戸際で女王から受け取った情報。憶測も混じるが信じるしかない。クリムゾンに流れる神性は現実世界からの供給。その流入さえ止める事が出来ればまだ勝機はある。ここで奴をどうにかしなくては世界は終わる。

 

 クリムゾンが現実世界に戻ればその神性の暴力は容易く世界を壊す。神が現世に降臨すればどうなるか、わかりきった答えだ。聖王国にとっての禁忌。

 

 特にこの神は何も救わない。

 

 ゲームマスターとは人類の天敵。信者もいないのにどうしてここまで力を持っているのかわからない名の知れぬ出来損ないの神。そこには根源となる存在がいた。

 

 供給源を破壊してしまえばまだ可能性はある―――

 

「いや、それはダメだ。無駄死にするだけだ」

 

 ボロボロのグリムが片腕を抑え現れる。身構えるグレイズを余所に話は進む。

 

「セイランが消えたのは呼ばれたからだ。恐らく、あれはアリスを守る最高のセキュリティになった。そいつが行っても無駄死にする」

 

「ではどうしろと?このまま座して死を待つのですか?」

 

「もっといい方法がある。発電施設を予備も含め完全に破壊し強制的にシステムを止めればいい。力の流動は私が作ったネットワークを介して行われている。流れを強制的に切断するほうが合理的だ」

 

 なるほどとクラウンは納得する。女王の情報とも確かに合致する。クリムゾンは現実世界でネットワーク経由でダンジョンを機能停止に追い込んだのを応用し、この夢世界にまで繋がりを維持できたのはそのネットワークが勇者アリスの力を利用し作り上げられた物であるからだ。

 

 作戦は決まった。

 

 あとは・・彼次第だ。

  

「・・・なぜ僕なんです。先生の方が・・」

 

「適材適所です。時間を稼ぐ必要がありますがそれは君には無理でしょう。それに君にはまだやるべきことがあるでしょう?」

 

 それにと・・続ける。

 

「未来ある若者には生きてほしいんですよ」

 

 これは本心でもあった。クラウンにとってもグレイズは手のかかる教え子であった。そして最後の子弟。聖王国を生きる正統なる意志の継続者であった。見捨てれるはずがない。死ぬのは忘れられた者だけでいい。我々は不死者じゃない。いつまでも現世で胡坐をかくべきでない。

 

 

「・・・・・ッ」

 

 先生たちは覚悟している。グレイズにはそれが理解できてしまう。自然と歩み出す。

 

 もう二度と会えない気がしてどうしても振り返りそうになる。無力感に苛まれ力が欲しかった。同じ舞台に立てないことが悔しくて涙を流す。こんなにも悔しいと思えたのはこれが初めてだった。

 

 そのまま黒いゲートに飛び込んだ。タイミングを計ったように門は自壊する。

 

「さて・・」

 

 あとは祈るしかない。

 

 それでもクラウンの肩の荷が下りる。これでなんの憂いも無く戦いに専念できる。これでいい。一応もう一人のゲームマスターがいるからまだ可能性はある。戦いにはならずとも時間を操り一分一秒でも引き伸ばす。ここで抗わねばなにも守れやしない。両親の仇も打てやしない。これ以上終末戦争の傷跡を広げるべきではないのだ。黒歴史は闇の中へと葬るべきだ。今を生きる者たちのために礎となろう。

 

 未来に栄光あれ。

 

「さあ、参りましょうか。世界を救いに」

 

「ああ、私も負けられないのでね」

 

 男たちは戦場へと赴く。

 

絶望の中であろうと、あるかどうかもわからない希望を手繰り寄せるために。

 

 



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第62話 VS剣聖

 

――――――――――Side/ヨルムング

 

 

 ―――――それは早すぎる再会であった。

 

 凄惨たる場の中央でヨルムとセイランは対峙していた。周囲のアリスもどきは凍り氷像と化し悪趣味なインテリアと化す。

 

「ここでおぬしが現れるか・・・マスターはどうした?ん?死んだのか?」

 

「・・・・・・・・・」

 

 無言のまま刀を抜くセイランに対し警戒心を強めるヨルム。どう見ても様子がおかしいのは誰から見ても明白。アリスによって完全を操られているようだ。

 

「ハッなんてざまじゃ。それが黒殖白亜最強の姿か」

 

 イライラと暴言を吐き、左目を掻き毟る。傷口が開き血が流れるも止めることは無い。ああ、視神経がジンジンする。

 

 憤るもそれでいてヨルムは内心焦っている。浮足立ってもいた。かなりまずい精神状態。精神操作を受けていようとも特攻は顕在。そう考えると楽しくて仕方がない。

 

 痛みが快楽に、快楽が戦意に変わりゆく。水を差されたがなんせあの剣聖とまた戦えるのだ。この期に及んで楽しさを優先する自身のド腐れ性根に呆れる。ああ、セイランを前にすると今度は切られた左腕の断面が疼き痒くなる。幻肢痛が暴れ回る。ガリガリと爪を立てる。

 

 ついさっき一戦かましたばかりだというのに、この一戦は想定していなかった。

 

 セイランが敵の手に堕ちるとは考えもしなかった。

 

 余りに早すぎる再戦。それも正面からの真っ向勝負。既に刀は抜かれている。

 

 上段に刀を構えられたが最後、負ける。

 

 次はどう足掻いても直撃させてくる。小細工が二度も通じる相手ではないことはヨルムが一番知っている。一戦目で手の内を晒し過ぎた。

 

「ふ、どうした。我と会話もしてくれないのか?」

 

「・・・・・・・・」

 

 ダメだな。まるで反応がない。会話による時間稼ぎも不可能か。

 

 考えろ、すぐに次の一手を打たねば何もできずに死ぬ。瞬殺されてみろ。いきようようとコイトの助けに入った我の立場が無いわ。

 

 めぐるましくヨルムの脳は稼働する。ヨルムは【デユアル】という非常に希少な属性の複数持ち。固有属性は水と闇。先ほど時間を止めた魔術は【氷精降世】という闇と水の複合型単発魔術。

 

 まあ正確には限定的に時空間を歪め、対象範囲内のエネルギーを固定することで疑似的に時間を止めているだけにすぎない。外部から見れば凍結している見えるだろう。自身だけが動けるのも精密な魔力操作による賜物。リアルタイムで自身の動き全てに効果範囲を適用させないことで行動を可能としている。おまけに術式が解除されればあらゆる生命体は氷像となり凍死するという副次効果付き。

 

 かつてはこの魔術で終末戦争の環境を支配したものだ。並の勇者では対抗できず敵兵を一方的に殺しつくした。そう、勇者アリスが現れるまではだが。

 

 自身が手掛けた完全オリジナルの単発魔術だからこそ駆動時間は無く起動から発動までのインターバルは一瞬で構築可能。

 

 問題は黒殖白亜の連中にはまるで効かないってところだ。

 

 精鋭部隊である黒殖白亜のメンバーにはゲームマスターお手製の”銀時計”が貸与されている。遺失物でなら二級相当。覚えの無い時空間の歪みから身を守るお守りであり僅かなズレも許さない絶対なる指標。

 

 これのせいで時間制御による優位をとれない。おまけにデザインもいいと来た。素直に羨ましい。

 

 セイランまで距離は10メートル。こちらの行動を見てからの後の先で必ず先手を打たれ死ぬ。守護者は先生と慕われるあの男の教え子だ。我には及ばぬがこいつらもまた一流の魔術師。【雹月】は、ある程度解析され対抗策は用意していると想定する。異能の有効範囲も暗殺失敗からの一文字直撃回避で予測はついているはず。

 

 どうする、どうする―――

 

 あの時の様に一文字を初手で使わないなんて可能性はまずない。奇襲を選んだのはあの場が機密区画に隣接していたからであり、一文字では見てのとおり他の区画まで切り分ける。それを危惧しこちらが提示した異能の情報(嘘)を元に奇襲を選んだのだ。

 

 どうすれば―――いいんだ・・・!

 

 そもそも魔術師が何の準備も無くセイランの様な化け物と戦うことこそ異常。そりゃ大抵の相手なら対応はしてみせる。他の部隊長クラスならギリギリ許容範囲内だが・・・何度も言うがこいつはまるでものが違う。

 

 よく祈り手最強として我を比較に挙げられ持て囃されるがセイランはこのダンジョン内ぶっちぎりの最強。私見だがゲームマスターよりも強いと見ている。

 

 終末戦争時、多くの英雄が現れたがそれでも、これほどの・・・勇者アリス以上の絶望感が動悸を激しくする。

 

 未だに【雹月】を受けどうやって生存したのかもわからない。

 

 ヨルムにできるとすれば異能により限界を超えた加速で速攻を仕掛けるしかない。それが手持ちの中で最速の攻撃手段。ただ代償として加速によって我の体は崩壊するのだろう。我が異能は加速対象を強化するがそれでも限度がある。

 

 セイランは命でも天秤にかけねば触れることも出来ない領域に君臨するのだ。

 

 やるしか、ないッ!

 

 

 セイランの下を向いた刀がゆっくりと動く。軌道は連なり上段へと続いていくのだろう。

 

 勝負の時が来た。

 

 大地に力が籠り足先が跳ね上がる。初速からは想像もできない加速にヨルムは風となり光となる。全身の血管が破裂しそうな痛みに歯を食いしばり。ここから加速していくので更に負担がヤバイ。

 

 虚空から引き抜いた剣を手に襲い掛かる。

 

 それに対しセイランは冷静に”中腰のまま刀を脇に構えて”迎え撃った。

 

 

 

 ―――――――それはヨルムにとって、予想もつかない行動であった。

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――――――――――はぁ?」

 

 横合いから切り込む鋭い閃光。ここにいる者には刀身が輝いて見えただろう。ただの斬撃が常世を切り裂き未知なる世界へとリンクした瞬間であったが、それが理解できる者もまたいない。理解したとしてそれがなんだと言うのだとアリスは笑う。

 

 条理を刈り取る刃が迫りくるもヨルムからある感情が激しく噴出していた。

 

 はっきり言ってどうだっていい。

 

 歴然とした脅威をどうでもいいと吐き捨てる彼女は、ただ思った。

 

 

           一 文 字 は ど う し た !

 

 

 

「ふ、ふざけやがってえええええええええええッッ!我を舐めておるのかああああああああああぁぁぁぁぁぁア”エ”ァァァアァッッ―――――――ッ!」

 

「――――?」

 

 急加速からの突然の急停止。光る速度まで加速した肉体を急に止めればどうなるかなど誰にもわかりきった結末であり終幕。だがそれも同じ異能で減速すれば難なく可能とする。それができてしまうセンスを持つのがヨルムだった。完全にタイミングを外された刃先がヨルムの鼻先を掠める。

 

 左目は熱く痛み加速する。怒り狂う反面、冷静でもあった。

 

 異能で思考が加速する。ごく自然と発揮される異能は意識したものではなく、ありとあらゆる感覚が疾走していく。ヨルムはこの土壇場で更なる飛躍を遂げた。

 

 それでも届かぬ領域に剣聖は君臨する。これでも全然足りぬのか。

 

 

 

 ―――――【雹月】は派生魔術。

 

 始点である単発魔術【氷結】を根差し発展分岐していく魔術の最奥。まるで枝の様に伸びる魔術の体系図は血脈だ。起動、駆動、発動。誰もが持つ”黒き穴”から供給された魔力は血管に流れる血液のように枝を伝い流れ魔力が形成された魔術に触れ初めて発動する。その間を駆動といい、単発型と違い派生型には明確なインターバルが存在する。

 

 最奥ともなれば発動までにどれほどかかるだろうか。少なくとも高速戦闘が基本のこのダンジョン内ではいかに素晴らしい効果を有していても発動する隙すら与えられない。先生と慕われる男の魔術思想が随所に散りばめられていた。

 

 だがヨルムには関係ない。全て異能で強引に解決する。速度は何事も解決するのだ。魔術師ならば誰もが羨むことだろう駆動時間の悩み。

 

 それを無理やり異能で解決したヨルムはこの場で【雹月】と並行してもう一つの大魔術を起動する。短時間でお手製の固有魔術が対策できるものかと魔術師の矜持が考えを改めさせる。

 

 その魔術の属性は闇。魔術の並行処理など正気の沙汰ではない。

 

 それも、どちらも別々の属性であり最奥クラス。魔術の起動からの発動までの処理は同じ魔術基盤内で行われる。

 

 例えるならば一つの容器の中で二つの飲み物を作るようなもの。水と油ほど相性の良くない光と闇ならば可能かもしれない。それはあくまでも【デュアル】のような保有属性であればの話。

 

 自身の属性と属性外での魔術の並列処理はどうやっても天秤は相性のいい属性へと傾く。それがヨルムの場合二つある。この場合おもしろいことに並列処理に驚く程ノイズが入らない。これこそ【デュアル】の強味。

 

 そんな特性を一流の魔術師に与えればどうなるかなどわかりきったこと。

 

 ・・・才能と能力が合致することはなかなかない。死蔵したまま世に出ることなく腐らせることの方が多い。ヨルムは魔術師として恵まれていた。才能に環境、産まれ。そして努力ができる者。

 

 静かに歯車は刻まれる。ヨルムの保有する魔術の中でも最長の駆動。

 

 今か今かと産声を挙げる”その時”を待っていた。

 

 

 

 

 

 

(なんて・・奴らだ)

 

 恋都は戦慄していた。目の前で繰り広げられる空想を超えた応酬。スピードの海に振り切ったヨルムとセイランの両者の姿を視界に捉えることができない。まるでミサイルが着弾したかのような激しい衝撃音と共に凍り付き、斬り刻まれる空間。余人でも決して無事では済まされない力の衝突。不思議な事に俺がいるベットの近くだけはなんの爪跡も無く綺麗なままであった。

 

 ただ悔しかった。見ている事しかできない自分に腹が立つ。どうしていつもいつも肝心な時に動けないんだ。フォトクリスの時だってそうだった。殆ど意識が飛んでいて守られてばかりだった。

 

 情けない、悔しくて血の涙がでそうだった。どんなに思いだけが募ろうとも体が動かない。それでいて、意識だけははっきりとしている。いったい誰の仕業だろうな。わかりきった答えであった。

 

『く、ひふふふふ。辛いよねぇ。アリスにはわかるよぉ。ずっと見ているだけなんだもんねぇ、いつだって観客席じゃあ飽きもする』

 

(だ、まれ・・)

 

『まあ見てなよ。こんな一戦、まず見ることができないから。君でもある程度は見えるようにしてるんだからさ。楽しもうか』

 



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第63話 異次元戦域

 

 ヨルムの体が――――――軋む。

 

 

 どれほど刃を交えたのか。凝縮された時間の中で何度打ち合ったのかもわからないが、改めてセイランの強さを再確認した。忘れていたよ。こいつは一文字を習得する前からA種を撃破可能な卓越した剣技の持ち主であった。守護者同士の個人ランク戦だって一文字無しで第一位じゃった。

 

 異能により加速し続けるヨルムと張り合うセイランの底知れなさ。

 

 一定の速度まで振り切れば増幅、もしくは減退が可能な異能を持つヨルムは絶対に速度やパワーで負ける筈がないのだ。異能で強化できるのは速度だけでなくエネルギーや純粋なパワーの増幅だって可能。その逆もまた然り。一方的に自己を強化しつつ、相手を弱体化させることが可能。なんだったら相手を強化して暴走させることも可能なのだぞ!!

 

 スピード自慢は格好のカモ、のはずだった。

 

 この地に根差す守護者は同胞の”先生”の教えで高速戦闘を基本理念とした戦闘体系を確立している。良く動く奴ほど我の前では足掻くこともできぬ!!

 

 それを・・・・こいつは・・・・ッ

 

 やはり先の戦いから学習したのかセイランはその場から余り動くことなくヨルムの残像から続く残像の連撃を全て刀でいなし、弾く。織り交ぜる最大火力の【氷結】すらセイランの神速のスイングから生じた瞬間的な熱量が溶かし切り崩す。

 

 その度に火花が散り閃光が瞬く。

 

「ガアアアアアアアアア――――――ッッ!!!」

 

 ヨルムの纏う独自の魔力障壁”あいすあーまー”が無ければ既に焼き殺されている。

 

(こ、こいつ―――――ッ、こんなにもォッ!!!)

 

 セイランの移動が無くとも、刀を振る速度までノロマではいられない。それではヨルムに対応できない。

 

 その動作速度は間違いなく我が異能の網に引っ掛かるのに、なぜか速度と威力の減退が無い。

 

 異能がまるで効いていない。

 

 おまけに氷結対策まで講じておる!多少凍り付くだけでセイランの魔力障壁たる外装で留まっている。

 

「ひぅ!!?」

 

 突撃するヨルムの前に突然大槍が現れる。

 

 守護者お得意の【蔵書】からの槍などの長物による迎撃。馬鹿正直に突っ込んできた敵に対し寸前で突起物を虚空から取り出すことで自ら串刺しにさせるとても効果的な迎撃カウンター。これもまた”先生”が考案した初見殺し。

 

 ヨルムは頬を抉り耳を裂きながらギリギリで躱す。

 

 刀ばかりに気を取られればこうやって【蔵書】から取り出したアイテムを利用し巧みに操って見せる。

 

 完全に我の動きに合わせてきた・・・見切られているのかッ!?

 

 一向に一文字を使おうとしない理由も不明。ムカつくムカつくムカつく!!

 

 それでもセイランは強かった。弱体化していてもなお強者の頂にいる。

 

 そう・・・・・セイランは弱体化しているのだ。

 

 それがアリスの仕業なのか、原因は分からないがどうだっていい。

 

 こうなったら意地でも一文字を使わせなければ憤死してしまいそうだ。

 

 

 誰もが憧れた最強の座、この我ですらその強さに灼かれた位階。

 

 

 何度だって言おう。なんてざまじゃ。

 

 今だからこそA部隊副隊長の気持ちがわかる。こんな姿見たくなかった。こんな奴と戦いたかったのではない。

 

 勝ったところでそれは本当に勝利と言えるのか?

 

 胸を張って凱旋できるのか?

 

 この身に埋めく疼きは治まるのか?

 

 

 だったら・・・・引き戻してやるッ!おんしはこんなところで終わるようなつまらない存在であるはずがないのじゃからなあぁぁぁぁ!

 

 

 

 時間は十分稼いだ。魔術師に時を与えればどうなるか味合わせてやる。

 

 

 

 

 ――――――その魔術の名は高名な魔術師ならば誰もが知っていた。それでいてその実態は誰もが知らぬ。どの記録にも残っていない完全に失伝されたとされる最果ての一等星。

 

 起点は【暗黒】――――――失われた魔術からの古ぼけた派生魔術なり。

 

 余りにも派生が多い闇属性の魔術【暗黒】の系統の最奥。選択肢の多さはメリットだがそれだけ実用性の低い下位互換とも言える劣性魔術も内包していることに他ならない。

 

 だからこそ実際には碌でもない魔術だと悔し紛れに現代の魔術師は誹る。

 

 悔しさや憧れ、失伝からの失望と喪失感。それでも異様に長い駆動経路はどうしても目立つ。それは余りにも長すぎた。

 

 その派生を順序良くたどればどれもが美しい出来の魔術で連なっていることは一部の者なら読み取れたはず。僅かな情報からとても戦闘向きではない。起動から、駆動そして発動までに莫大な時間がかかる。それこそ何名もの同属性の協力者を用意し儀式の場で補助する必要があると予測されていた。

 

 ・・・ああ、その推測は正しいとも。我であっても戦時中は事前に準備をしてから一人で発動させていた。

 

 ―――――それでも当時とは何もかもと違うのだ。

 

 祈り手の初期型。第零号改造器種たるヨルムは他の祈り手と違い植え付けられた因子はオリジナルアリスの髄液ではなく、骨髄の一部そのものが移植されていた。不死性とアリスへの執着が合わさり、尋常でない肉体的・精神的過負荷を受け止めていた。不死者に泣き言はいらない。必要ない。とうの昔に捨てた感傷だ。それで、なにが変わる??

 

 源泉の違う異物を押し込められ魔力通ずる”黒き穴”は反作用で大穴をほがす。だからこそ祈り手は魔力の桁が違う。アリスの因子により強化された肉体に魔力量で骨子は完成し、そして強力無比な異能の要素が摂理を捻じ曲げた。

 

 ヨルムはまさに天才であった。これほどまでに深淵に魅入られ拒否された者はいないであろう。

 

 

 魔術は静かに美しく跳ねる。最果ての地はいつだって輝いていた。

 

 

 

 ――――――――――【星海の来訪者】

 

 

 展開させた妖しさの鏡に映るはもう一人の自分。鏡の中でヨルムは不敵に笑う。

 

 それに、思いっきりヨルムは蹴りを叩き込む。

 

 鏡は砕け散りながらもヨルムを映し出す。すると破片の中からもう一人のヨルムが現れた。

 

 砕けた破片から同じように別のヨルムがまた一人、二人と増えていく。我の影を踏み後に続く。

 

 余りに異質な光景にセイランが止まる。

 

 なぜか・・・術者であるヨルムも止まる。なぜならば【星海の来訪者】の真の力を初めて知り驚いていたからだ。

 

 【星海の来訪者】がどういう魔術か・・それは極めてシンプルな効果。

 

 並行世界から術者と同等の存在を呼び出す、ただそれだけのものである。驚いたのは召喚した数が一人ではなかったからでありこれまでの魔術は不完全だったのだと過去を恥じたのだ。

 

 そして、もう一つ・・・

 

 【星海の来訪者】は召喚術を元に組み上げられたヨルムの家に代々継がれてきた継承魔術。召喚される別の自分はまったく同じ強さを誇り性格や気質等に多少の違いはあれどほぼ同じ性能を秘める。

 

 

 

 さて、これはどういうことなのか・・・・召喚された者全てが自身と同じようにすでに切り傷でボロボロであったのだ。

 

 手で抑える腹部から内臓を垂らすヨルム、誰なのかも判別できないまでに顔面が削れ脳みそを晒すたヨルム、蹲るばかりで立ち上がる気配の無いヨルム、大火傷で死にかけのヨルム。

 

 死臭を放つヨルムたちだが誰一人その闘志を濁らせることなく目が爛々とセイランを睨みつけていた。

 

 

 これはヨルムの知らない魔術の仕様。恐らく先代の誰もが知らず、始祖たる開拓者のみが理解する真髄。呼び出せる同一存在は自分に近い時間軸の存在のみ。

 

 いや、開拓者ですらこの規模は想定していなかったのだろう。開拓者よりも上手く使う者がいるとは夢にも思ってはいまい。

 

 ヨルムの馬鹿げた魔力量もそうだが一番の要因は長すぎる駆動経路。異能による駆動時間の加速が効力の増幅を呼び込んだ。それは偶然噛み合ってしまったのだ。

 

 呼び出された別の自分。並行世界であっても同一存在にそこまで大きな差異は無い。それは状況もだ。

 

 つまり・・・・・・

 

 なぜかはヨルムにもわからない。それでも理解してしまうのだ。

 

 呼び出された”ヨルム達”が戦っていたであろう相手の正体。【星海の来訪者】で呼び出せるヨルムの数はこんな数十人程度ではない。ここに招来されなかった者たちはみんな共通の敵に敗北したのだと直感的に感じ取る。

 

 目は口程に物を言う。

 

 ヨルム達は言葉を交わさずとも理解した、してしまう。

 

 どれだけ敗北を積み重ねようとも一度でいい。たった一度の勝利を求めてやまない。

 

 (アイツに・・勝ちたい・・・ッ)

 

 百万の屍の上に基本世界足るヨルムは立つ。

 

 皆、一緒に戦っていたのだ。それも、まったく同じ相手と。

 

 どうしてか勇気が湧いてきた。孤独などではなかった。みんな一緒に戦ってたんだ・・・・

 

 血と汗に濡れるヨルムは輝きを秘め死んでなどいなかった。未だ顕在する怜悧なる調べは点と点を繋ぎ合わせシステムが構築されリンクしていく。個は全となり一つの強い意志が統括する。

 

 我は決して、一人ではないッ!!

 

 ヨルム達の決意は燃え盛り不退転の覚悟であらゆるものを灰塵に帰す。集約されし情念は集い大いなる意思となる。

 

 それに連動するかのように既知は未知へと変化した。

 

 

 

 

 

 

 熱い――――――これは―――――?

 

 セイランの揺らめく世界の情景に一石が投じられる。濁ついたキャンパスに生じた赤い炎。冷たい熱に当てられ魂が鼓動する。

 

 何かに・・引っ張られている・・・?

 

 引力とでも言うべきか、アリスにより意図的に操作された精神の隙間に入り込み浸透していく。

 

『深淵のお気に入りだっただけはある、か・・・・想いはまさに・・・諦めなければ希望は潰えないのかぁ・・・無駄なのに』

 

 

 

 

『気持ち悪い』

 

 どこからか不快な声が響くも身近に感じていた大きな気配が悶える。

 

 星の数の想いが遠き各世界から集い一点に収束される。ここまで辿り着けなかったヨルムの炎はしっかりと受け継がれ燃えカスのような火も煉獄の熱さを宿す。

 

 この全てが自身に、セイランに向けられていることは容易に理解できた。不透明な世界から燃え滾る手を壁を隔て伸ばされている。

 

 火に飛び込む虫の様にセイランは無意識に導かれ握り返す。ボロボロの客演たちが見守る中、無我夢中で本来の剣聖たるセイランを呼び起こす。

 

 一人の戦士として、こうまでされたら傀儡でいることで収まるなど相手に対して失礼でしかなく・・・

 

 彼女に――――恥をかかせる訳にはいかない。

 

 ここは私たちの舞台だ!!

 

 セイランを取り巻く血の戒めが綻ぶ。

 

 精神世界でセイランは無手でありながら構える。

 

(・・・・・・・・・ああ!)

 

『こ、こいつ』

 

 血の呪縛を担うアリスははっきりと目にした。上段に構えるセイランの所作。存在しないはずの刀がそこにはあった。

 

 大事なのは見てくれではない。世界と言う舞台で望んだ己を演じるならば舞台そのものを魅了する輝きを纏わねばならない。在りもしない真実は美しき所作に追随する。

 

 運命だって、そういうものなんだと虚構すらも現実にしてみせる!!

 

 

『これが特攻【一文字】だッッ!!』

 

 

 ヨルムの執念が現実を超えセイランを再起動させる。遂にはアリスが絡め取る腕を振り払う。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 急激にクリアになる心の世界。そこには多くの者たちがセイランを取り囲む。この世に生を受け早25年。多くの敵を斬って来た。誰も彼もが美しき【一文字】の前では均等であり、どんな肩書も地位も高位存在であろうとも土下座させた。

 

 高名な騎士も銃士もドラゴンも他のゲームマスターからの刺客もA種も魔女も斬り捨てた。記憶に残るのはせいぜい【石波の騎士】と名乗ったあの男ぐらいか。それほどまでに私にとって敵とは無個性であり意識する程の存在でなかった。一撃で死ぬ存在になんの興味も抱けようか・・私を見つめる者たちの名も、顔もわからないのも仕方がないことだ。

 

 だがそれはさっきまでの話。今日は多くの驚きがあった、そう・・あったのだ。

 

 一文字を受けても死ななかった者が二人もいた。一人は不死者でありながら、なぜだか畏敬の念を覚えてしまうコイトと名乗るおかしな男。そして、祈り手の【氷結界域】。

 

 直撃でなくとも一文字を受け死ななかったのはこの二人が最初で最後であろう。どちらも不死者であるが【一文字】の性質の前に不死性は関係ない。

 

 

 【氷結界域】は状況から初手特攻は使えず奇襲も情報の誤差から失敗。そこからのこちらの想定を超えた加速での緊急回避と何十までの氷結した凍った空気の層による認識の撹乱による離脱で目測を狂わせ須臾ともいえる一文字の直撃を躱して見せた。出血で死なないのは不死性の恩恵だろう。返す刃で氷漬けにもされた。

 

 だが、コイトに関してはよくわからない。斬った時に何か妙な手応えを覚えたがやはりわからない。まるで無理やり外から傷口を押さえつけられているような印象を受けた。他にも彼に関して切断させれなかったのはわざと外したからだ。無意識に手加減が働き”切断”に至らなかった。なぜそうしたのかはわからない。本能的に殺してはいけないと体が勝手に動いてしまった。まるでゲームマスターに類似した親しみを覚えてしまうのだ。謎の多い男である。

 

 ・・・所詮はA種も私たちも同じ穴の狢か。

 

 ああ・・・まったくもってどうでもいいことだ。なあ【氷結界域】。

 

 初めてだ。こんなにも戦いで熱くなれるのは。

 

 凍てつく冷気を肌に感じながらも高揚していく。初めての感覚に戸惑うも・・・悪くない気分だった。

 

 

 ここで初めて現実世界へとセイランの意識が帰る。視界には多くの【氷結界域】が今か今かと待ち望む。その時を待っていた。

 

 なんだこれは・・・楽園か?

 

 皆、私を待ち望んでいてくれた。何もかもが透明となりこの世界にはヨルムとセイランだけが顕在する。

 

 記憶にない私の斬撃を受けてもなお立ち上がる”初めての敵”に謝辞を送る。

 

 これは――――――本気で相手をしなくてやらねばな。

 

 

「随分と待たせた。私も、まだまだ若輩だなぁ・・・ねえ、本当の名前を聞いてもいい?」

 

「・・・・・・ヨルムング・サナトリアージじゃ、我が死神よ。しかと刻むがよい」

 

「ヨルムング・サナトリアージ・・・・・まずはありがとう・・・陳腐だが、ただそれしか言葉にできない。生まれてきてくれてありがとう。私の敵でいてくれてありがとう。きっとこの事は忘れない」

 

「それはこちらも同じこと。一人の戦士としておぬしと戦えることに敬意を払おうぞ」

 

「そうか、なら最後に。やり残したことがあるならそれを果たすといい。それぐらいは待ってやるさ」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

「そう警戒するな、ただのお礼だよ。心からの、ね」

 

「―――――――――そうか・・・それは・・・・まあ助かるの」

 

 ヒョッコヒョッコと整わない足取りでヨルムは恋都の元へと歩む。ベットを背にうなだれる恋都がゆっくりと顔を上る。

 

 まずお互いの目と目が合う。お互いに欠損が目立ち血塗れなのに悲観を感じさせない。ボロボロだなと二人で笑い合う。

 

「どうじゃ?我に幻滅したか?すまんな、助けに来たのがこんな変態で。傷を弄るとな、つい懐かしくなれるのでな」

 

 でも、どうしてかそれが誇らしくもあった。次第に近寄るコイトとの間合い。ヨルムは有無も言わせず唇を重ねる。

 

 恋都は驚く程に素直にその行為を受け入れた。避ける適当な理由もなかった。とても穏やかな気分であり初めて誰かをかっこいいなと思えた。これが伝説の不死者の生き様か・・・どんなに歪んでいても歩むことをやめない永遠の旅人。生き方を身を削りながらも示されてしまった。

 

「・・・・・」

 

「いきなりすまんな。こう見えてなかなか初心でな。キッスの一つもしたこともないのでな。そのじゃな、それがどうにも、な。丁度相手もおるし・・・」

 

「ふ、あははは。正直・・下手もいいところだな・・・ヨルムちゃん」

 

「し、仕方あるまい。我が人生は常に闘争の歴史。色恋の一つもなくての。後悔はないが興味の一つくらいはあるのじゃぞ?」

 

 唇を撫でむふふ、と不敵に笑うヨルムに初めて心臓が跳ねる。どうしてだろうか、俺にはこの先の結末が幻視してしまう。だからこそ悲しく思う。戦士である彼女を止めることなど誰にできようか。ブレーキはとうの昔に壊れている。

 

「聞いたぞ、異能を使ったとな・・・本当に同胞ではないのじゃな」

 

「ああ、なんでも俺は勇者だと、さ。その・・・悪かったよ・・・ごめんな。嫌いにならないでくれ・・・」

 

「不死の勇者か・・ふ、ふくくくはは。訳が分からんなぁ。まったく。まったく!!許せん。ああ、本当にマジ許せん。よりにもよって怨敵たる勇者を好きになるか・・・」

 

「許してくれてもいいんだが?見ての通り俺ももう・・逝く。残念なことに死ぬんだよこれが」

 

 死の間際でこんな気持ちになれるとは・・・知りたくなかった。

 

「いや、許さん。責任をとって”一生”連れ添ってもらう。どんな形で合ってもじゃ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、そうだな」

 

 暫く沈黙が両者を包む。お互いの心の情景が瞳を通して通じ合う。言葉は寧ろ邪魔に思えた。でも、恋都は叫びたかった。勝てるはずがないと、そんな怪我でなにができる。

 

 逃げろと伝えたかった――――――――

 

 

 最後に悲しそうに笑みを浮かべヨルムは踵を返す。彼女は死地へと向かう。

 

「うぅグッ、ヨルム”ッ!」

 

「コイトそこで見ておれ!これがリシモアテルが不死者の、魔術師の生きざまッ!深淵濡れし魔術の秘奥!勝ったら我と凱旋デートじゃッ!よいな!!」

 

 獰猛な獣のように笑みを浮かべその身をひるがえす。これでもう思い残すことは無い。振り返る事も無い。こんなものは一時の気の迷い。今際の夢。心はすでに目の前の敵に射抜かれている。恋、とも違う親しみが籠った情念。

 

 女の情念が敵を殺すのだ。

 

 ――――――――何もいらない。この勝負に勝てさえすれば、もう、何も・・・

 

 自然と足は止まり敵と視線が交差し世界が歪む。静寂が訪れる聖櫃なる場。まるで儀式場のような神聖さ。どちらも公平に勝負は望まれ挑まれる。

 

 ヨルムは既に先ほどの戦闘中に布石を打っていた。勝つための光差す道筋が暗き闇に一閃を描く。それがはっきりと見えていた。

 

 一流であるならばどちらも準備はして当然。セイランだって短い間に【雹月】の対策をしているのだ。顔を晒しながらも凍結しないのが何よりの証拠。魔術師としても優秀と来るか。

 

 そればかりは・・・どうにも許しがたい。魔術に関しては負けるわけにはいかないのだ。

 

 こちらも対策はした。どちらがより狡猾か、意地の悪さ比べと行こうか。培った老獪さに震えるがいい小娘が。

 

 

 さあ、あとはどう出る――――ヨルムングよ。己の全てを曝け出せ!

 

 

 

 いつまでも続くかと思われた静寂は刹那に破られた。

 

 結末に至るまでの全てを把握できたのは、アリスのみであった。

 

 

 

「「      」」

 

 

 刀を握るセイランの腕が僅かに動き、全身の毛が逆立ちヨルムは始動する。最初の一戦目と同じように限界を超えた加速で接近するヨルム。

 

 それに合わせ質量の波が阻む。

 

 当然、現れる針の筵を思わせる刃先の壁。【蔵書】で貯蔵された武具を全放出したのだろう。ヨルムは僅かな隙間に体を捻じ込み傷つきながらも潜り込む。

 

 

 意外にも動いたのただの一人。この基本世界のヨルム以外はまるで動くことをしない。見守るばかりだ。

 

 

 それでも些細なことでしかない。セイランにとってどうということではない。

 

 セイランの構えは刹那に終了した。刃は掲げられその威光を弱者に知らしめる。

 

 これまでの人生で放つことの無かった”本気の一文字”が解禁された。

 

 

 ああ、勇ましきは我が一文字よ。

 

 

 絶対なる脅威。ヨルムの運命分かつ星辰の方向。時間や空間は凝縮され結果だけが出力される。その過程を認識できるものはセイランのみ。

 

 

 ――――――――ザシュッッッ!!

 

 

 

 一文字はいとも簡単にヨルムの首を跳ね飛ばした。

 

 音も無く斬撃はあらゆる森羅万象を捻じ伏せ、余波が周囲を飲み込み洗い流す。

 

 世界は再び揺らぐ。アリスにすら脅威を感じさせた究極の一刀。その斬撃はダンジョンを完全に裂き軌道上のありとあらゆる思惑も理も次元も二つに分けた。誰もこの変化を想定していなかった。人知れず世界に再び賽は投げられた。

 

 

 アリスだけは永遠の一瞬を察した。

 

 

 首は刎ねられたが――――――まだ、戦いは終わっていない。

 

 ヨルムの執念が死と共に燃え上がり実を結ぶ。

 

 勝負はここからだった。

 

 

 

(最初から、勝てると思ってはいない・・・・生を捨ててようやく触れることができる領域・・・・)

 

 宙を舞い浮遊感に包まれるヨルムの頭部はしっかりとセイランを見つめていた。

 

(最後まで・・・期待を裏切らない奴じゃ・・・感謝するぞ)

 

 準備は既に終え噛みあった歯車が動き出す。セイランが違和感に気が付いたのは一文字が終了した直後。刀を振り下ろした体勢から残心に移行しようとするが・・・

 

 ――――――――体が動かない。

 

 それでも意識だけがはっきりと巡る。

 

 これをセイランは知っている。

 

 時間が止まっていたのだ。

 

(ッ!?)

 

 ドン、と。

 

 続けてセイランの腹部に鈍い衝撃が続けて襲う。跳ね飛ばした首の無いヨルムの体が組み付きセイランを押し上げる。

 

 その時、セイランは見てしまった。

 

 宙を舞うヨルムの首。その口に咥えられし”銀時計”を。

 

 懐に収めていたはずの銀時計は既に前哨戦でもぎ取っていたのか。わざわざこれ見よがしに銀時計を見せつけるのは意趣返しなのか。首が笑っているように見えた。

 

 それよりも、だ。

 

 どういうことだ。なぜヨルムの首なし死体は無事でいられる。

 

 一文字の余波で第二階層は崩壊する程の衝撃を受けた。他のヨルム達も跡形もなく消え去り残るはアリスが眠るベットのみ。アリスがいなければダンジョンの原形も保っていなかっただろう一撃。

 

 この爆心地で無傷な理由。間違いなく他のヨルム達による仕業。

 

 魔力運用技術(マグステラ)による魔力障壁の重ね掛け。数を生かした連携に自身の全てを使ったか。この規模。同型の魔術基盤を繋ぎ合わせ強大な個を構築したとしか考えられない。そうでなくては体当たりを仕掛けたヨルムングの体が消滅せずにいる理由が説明できない。恐らく魔術の威力向上などに用いられる調律(チェイン)の応用。

 

 そんなことが可能なのか・・・?

 

 あの土壇場でそんな複雑なシステム構築が出来るのか?同一存在で在れどこんな即興で可能なのか?

 

 魔術に対し造詣が深い”先生”から教導された身としても常識の外側。

 

 いや、”先生”は常々言っていたではないか。

 

 『私よりも魔術の深淵に触れている者はいますよ、ええ。でもあれは例外なので参考にしないでください。参考にしようにも無駄なだけですので、はい』

 

 やはりヨルムのことであったか。まさか、ここまでとは・・・だがそのシステム。個の繋がりは今の一撃で断たれた!

 

 飽和攻撃による連携じゃなくあくまでも一人を徹底的にサポートさせる判断力。確かにヨルム程の実力でなければ防げない。不死者の厄介なところも見事にいかしている。底の尽きない魔力も厄介だし、首を刎ねてもしばらくは体が動くのも面倒だ。

 

 だが時間を止めた程度で勝てるほど甘くはない。それはあちらも分かっているはず。ヨルムの予想通りセイランの魔術構成は防御と対応力に全振りの魔力運用技術(マグステラ)が主体。

 

 ”特攻持ち”特有の、特攻を主体に生かす戦術構築。通常の魔力障壁と違い多層型の障壁を常に身に纏っている。敵の意識が注視する部分を読み取り前兆の無い不意の一撃すらも勘で避ける獣じみた感性もあり隙が無い。

 

 ”銀時計”が無くとも当然、時間停止対策は講じている。隊長クラスであれば誰もが持つオンリーワンな個性。意識がはっきりしていることから直に体も動き出す。【雹月】だって適応したのだぞ。

 

 ヨルムは知らない。主たるグリムしか知らない秘匿されし情報。セイランは魔力特質持ち。土属性、性質は【馴化】。どんな状況にも対応し順応し慣らす適応力の保持。即効性は無いが時間が経つたびに有利となり耐性を獲得する。常時身を包む魔力障壁を通し環境の頂きへと昇る。階段はいつだってセイランを絶頂へと導く。

 

 この程度では・・・・止まりはしない。

 

 

 セイランの判断は正しかった。

 

 

 

 

 

 ―――――――相手が全てを賭したヨルムではなければの話だが。

 

 侮ったのでもない。それでも魔術の分野に関してはヨルムは負けるはずも無かった。ヨルムからすれば25年程度で深淵の縁に触れるかどうかのクソガキに機先を制されることを許容しない。

 

 そういったプライドを捨て去り、ようやくたどり着いた答え。

 

 初めて過去でなくコイトやガンヘッド達という未来に足を踏み出したことで更なる飛躍を遂げる羽ばたき。

 

 過去が現在を栄光ある未来へと押し上げる。あるかもしれない僅かな勝機を目指して。

 

 ヨルムの戦略がセイランの復帰の前から動いていた。

 

 加速が――――――止まらないのだ。

 

「ッな!?」

 

 押されゆく体。凍った床がヨルムの勢いを促しセイランの踏ん張りが効かなかった。ほんの少しばかり体が浮いたのが致命的であった。

 

 最後に首の無いヨルムの死に体は地面を蹴って――――力尽きた。

 

 斜め上にと力を僅かに加えて。

 

 ヨルムの行使した時間停止の魔術により切り離された時空間。明確な時間停止とは違うが非常に似た現象を発生させ解除後に絶対零度の結果だけが生者に手向けられる。展開時の空間内はとにかく不安定でありながら術者以外の行動を制限する。

 

 そう・・術者以外のだ。微細なコントロールが必要だが、死んでもなお時間停止がヨルムに適応されないのは行動の全てを予め予測し委細なく合致した結果だった。あらかじめプログラムされていた行動と一切のブレも無く成し遂げて見せた。

 

 行動は完遂された。

 

 そして、この魔術【氷精降世】を展開した狙いだが、時間停止ではなくあくまでも外部との時空間の境界線を緩め切り取るためのもの。

 

 完璧なるスタートを切るための布石に過ぎない。

 

 

 ヨルムの首がセイランを見届ける。意識はどうしてかはっきりしていながら瞼がゆっくりと閉じていく。

 

 ・・・ああ、ヨルムはかつてここまでの加速をしたことがあっただろうか。意図的にリミッターを掛けたのは自身の肉体が持たないのもあるが、限界を超えたスピードの先に何が起きるのか分からないためだ。

 

 理論上無限に加速が可能な我が異能。

 

 試してやろうではないか、セイランよ。おぬしには特等席を用意してやったぞ。死ぬまで踊ろうか。コイトの代わりに付き合うがいい。時間の果てに何があるのか探しに行こう。

 

 

 

 

 

 隔絶された時間の壁は砕かれ別次元へとシフトする。時の結界は穿たれ、時間だけが取り残された。そう表現してしまう程にあらゆる歴史を置き去りにし時間の層を貫く流星と化す。セイランはより深くへと層を突き破りセイランを巻き込み潜行する。

 

 どういうことかそれがはっきりと敵対者であるセイランにも認識できた。

 

 ここはいったいどこだ・・・??そもそもなぜ私は無事なのだ?

 

 全身を覆うように纏う氷。加速に氷結、これはまさにあの時ヨルムが見せた謎の術式。いつ、発動したのだ。まるで気が付かなかった。まさか・・・あんな大魔術をこれほどまでに連続で発動していたというのか。こんな短時間で、並行処理でッ・・・・?

 

 セイランに張り付いたヨルムの首なし死体を中心に展開される【雹月】は速度に応じ対象を凍り付かせる。崩壊するべき肉体は加速する度に凍てつき氷の外装を得る。膨れ上がる氷の結界を加速による熱量で溶かしきれないほどに相殺し徐々に冷気が押し勝つ。

 

 完全に暴走していた。ヨルムの異能は加速する対象の威力を高める効果を持つ。それを術式に適用させ半永久的に増幅させ稼働する。こうなれば魔力はもはや不要。現象に対し異能が適用され続けた。

 

(・・・まさか負けたのか、この私が)

 

 セイランに抱き着く首なしのヨルム。間違いなく死んでいる。それでも勝利の達成感は無く、してやられたと言う悔しさと感心が湧く。

 

 どれだけセイランが魔術に精通していようとも魔術の分野においてヨルムが遅れをとるはずがなかった。その分野だけは負けるわけにはいかなかった。それがよく伝わってくる。

 

 セイランにしても油断はなかった。

 

 ただ、ヨルムの執念が一矢報いた。

 

 最初からヨルムは死ぬつもりだった。命すらも勝筋に組み込む勝利への渇望。セイランが最後まで感じることの無かった勝利への貪欲さ。

 

 ――――――それが命運を別けた。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・

 

 何処とも知れぬ虚空を流星が今日も堕ちていく。時間の果て。終わりなき旅路が未定の終わりを探し求める。

 

 セイランの魔術的な防御も食い破り、”馴化”は終ぞ加速に追いつかずにいた。セイランとヨルムの死体は完全な氷像へと変える。氷像内の時間を止まったまま。【雹月】にこびり付いた異能による加速。氷の外装が優しく包む。その内部を【氷精降世】による時間停止が補完する。適応しようにも外装たる加速する氷が塗りつぶし適応力を超えていく。

 

 セイランの意識だけが変わる事の無い世界の果てを仰ぎ見る。どうしてかヨルムの体は温かかった。

 

 どれだけ経っても助けは来ない。セイランは遂にお腹がすき仕方なく”馴化”を停止させた。

 

 すると時間停止が適応されセイランは完全に停止した。少なくともこれで餓死はしないだろうと根負けした結果だった。

 

 

 セイランとヨルムは堕ちていく。どことも知れぬ果ての果て。どこまでも、どこまでも、上も下も無い境界線の先を永遠に彷徨い続けるのだ。

 

 悔しさと嬉しさを胸にセイランは三千世界へと旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

「ヨルム・・・?」

 

 すっかり綺麗に崩壊してしまった一室。アリスの張り巡らされた臓器も消し飛びぐちゃぐちゃになった大地の上で地面に転がるヨルムの首を眺める。

 

 その顔はとても満足げで穏やかな表情をしていた。

 

「――――――ッッ―――――」

 

 恋都は納得がいかなかった。勝手に死んでいったヨルムに腹が立つ。どうなるか最初から分かっていたのにそれでもなお感情の高ぶりと喪失感は消える事は無い。

 

 そして、もう会えないのだと考えると胸が苦しかった。

 

 知り合って一日も経っておらず、おまけに大して素性も知らぬ相手。妙にお姉さんぶろうと背伸びをする癖にどこか人懐っこく、それでいて不死の戦士としての激情を昂ぶらせ獣の様に意気揚々と死地に赴くヨルム。感情の赴くままに生を謳歌する彼女の苛烈な生き方は羨ましく感じたのだ。

 

 意識が朦朧としながらも地面を這いヨルムの首へと手を伸ばし抱きかかえる。

 

 悲しそうにはにかむ彼女の笑顔はもう見れないのだと・・・恋都は静かに・・嗚咽を漏らす。

 

 意識が、次第に薄らいでいく。

 

 

 

 だからか、周囲を取り囲む状況に意識が向かない。どこから湧いたのか俺を掴み上げる無数の腕。儀式に捧げられる供物のごとく天へと掲示される。天を仰ぎ見ると恐ろしいものが顔を隔て真っすぐに恋都へと向かって来るのであった。

 

 余りにも悍ましい生を貪る者は僅かに生じた心の隙間を埋めるように浸透していった。

 

 

――――――

 

―――――――――

 

――――――――――――

 

 

 

 ぎしぎしと軋むベットの上で何かが蹲り笑みを浮かべる。

 

「ねえ、どう思う?アリスがアリスを殺すのだなんて、ふふふ」

 

「――――――――ァ――」

 

「辛いでしょ?苦しいでしょ?アリスもね、アリスがこんな姿しているなんて認めたくないよ。ほんとだよ?」

 

 強まるアリスの指先。恋都の首が締まる。弱弱しい華奢な細首は簡単に折れそうであった。

 

 おかしい・・・こんなにもアリスの手は男らしいものだっただろうか?

 

「やっぱり貴方はアリスの救世主だったんだね・・・貴方がいるからこそ今のアリスがいる・・・これってやっぱり運命だよ、くひっ」

 

 そう言いながらも手はまったく緩まない。純粋な殺意が言葉に反してその意志の強さを表す。ポタポタと流れるアリスの涙は偽りではない。

 

 感謝と憎悪が―――――オリジナルアリスの肉体に宿る恋都の魂を襲う。

 

 

 なんだこれは・・・どういうことだ・・!?

 

 

 視界は存在せず暗黒が漂う光亡きし手さぐりの世界。その身に感じる重みから誰かに覆いかぶさられ首を絞められている。

 いや、それだけで済めばどれだけよかっただろうか。前とは比にならない激痛が電流の様に巡り続けるのだ。首に感じた手の感触に耳を通し響く聞き慣れた男の声。

 

 まさか俺とアリスの体が入れ替わったのかッ!?

 

 そんな、こんなッ・・・・

 

 俺が・・・一体何をした。これがアリスの望みなのか。

 

「この体はいいね。よく馴染むよ。手順は少しも無駄にもならなかった・・本当に・・ようやく」

 

 オリジナルアリスの上で五体満足の恋都は嬉しそうに笑う。本人であれば絶対にしない嫌ったらしい笑み。

 

「うぅおええ・・・昔のアリスはなんでこんなに醜いんだ。お願いだよぉ・・・はやく・・消えてよぉ」

 

 嫌悪由来の激しい嘔吐感にアリスの頭はクラクラとしていた。すこぶる絶頂なのに忌まわしい過去が神経をイラつかせ不快にさせる。

 

 第三者の視点から改めて見る抜け殻の惨状に目眩がする。消えない痕をすぐにでも抹消したかった。だが彼も同じ苦しみを感じているのならば多少の溜飲も下がるというもの。

 

 条件が揃った恋都の体であれば、幻想体であろうと殺せる。”アリスの役”は回収済み。恋都はもはや元アリスだ。因縁深い関係性が殺す刃となる。すぐに殺さないのは少しでも彼に反省を促したかったからだ。

 

 ああ、長かった。どうしても因縁の起点である彼でなくてはならなかった。始まりが彼であるならば終わらせることも彼にしかできない。

 

 自覚があろうがなかろうが、ただ知ってほしかった。

 

 アリスはここにいるのだと。深き水の底から手を伸ばし声を高らかに叫びたかった。

 

 

 

 

 

 恋都の意識が闇に飲まれていく。これが因果なのか?

 

 納得が――――いかなかった。

 

 (俺はまだ・・・・何もできちゃいないのだぞ・・・)

 

 逆にアリスに絞殺されかけている。自殺を促した俺への意趣返しなのか。罰なのか。割と本気で死ぬ事を促したのは変えようがない真実。

 

 苦しい、そして疲れた。

 

 絶望と諦観、僅かな喜び。

 

 だが、ヨルムの最後の輝きにあてられ、足掻く。足掻く、足掻く――――

 

 そこによくわからないアリスの過去の記憶が俺に流れ込む。それが止めだった。

 

 記憶の流入に相まって生きる気力がまるで湧かない。900年以上もの虐待の歴史の波に飲まれゆく。たかだか18年しか生きていない俺の人格を狂わせる。

 

 強い衝動が、感情が容赦なく俺を書き換えていく。

 

 それでも生きたいと言えるのか。

 

 俺が俺でなくなっていく。

 

 自分の名前さえ奪われ遂に、アリスとなったのだ。されたのだ。

 

 もはや自分が誰かもわからぬままに鈍い音と共にアリスの意識は静かに途切れた。

 



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第64話 再転生

 

  ――――――――――Side//////・・・・

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ」

 

「・・・・・・・・」

 

「ねえ死んだの?ねぇ」

 

「・・・・・・・・」

 

「・・・・死んじゃった」

 

 それでも首を絞めるアリスの手の力は緩まない。アリスとなった恋都の顔を至近距離からじーと眺めながら力いっぱいに締め付ける。骨が折れ血が溢れても構わない。なんとなく命が消える瞬間を感じていたかった。

 

 それからしばらくしてようやく軛が外された。

 

 いつまでも繋がってはいられない。

 

 彼は、いやアリスは何処とも知れぬ場所で一人寂しく死んだ。それでも間違いなく最後に彼は一人の女の子を助けたのだ。

 

 そこは褒めてあげないとね。

 

 でも、ずっと待ってたのに彼は遅れてやって来たのだ。一言も謝りもせずに。

 

 ずっとずっと一人で待っていたのに・・・・・

 

「ごめん嘘、嫌いだけど同じくらい嫌いだよ。あなたはこうしてアリスを助けてくれたもん。だから好きとか愛してるとか思えたらよかったんだけどやっぱり嫌い。でも、さようならは言ってあげる。きっとこのことは忘れないよ。だって今日から新しき”Alice”があなたとして生きていくんだもん」

 

 Aliceはベットに腰を掛け抜け殻に語り掛ける。

 

 冷たく横になる過去の自分。あれだけ消し去りたかったみすぼらしい小さな器。

 

 どうしてか今では慈しみすら感じる。のど元過ぎれば他人事でいられる。なんとも現金な話だなとAliceは笑う。

 

 厳密には今回の異変に彼は関係ない。古い古い因果に導かれ合流してしまっただけの話。それでも”アリス”は知ってしまったのだ。彼の存在を。知ってからずっと考えていた。どんな人なのか。どんな顔なのか。優しい人なのか。

 

 思えば思う程肥大化していく彼の存在。関係ないとわかっていてもAliceには憎くて悔しくても、興味が尽きなかった。

 

 ただ知っていてほしかったのだ。この想いを。迷惑なのは百も承知。僅かな希望を胸に来るかどうかも分からない彼をずっと待ち望んでいた。その思いは時間を超越し偏在する神域まで至らせた。

 

 Aliceは待っていた。ずっとずっと都合のいい救世主様の到着を・・ただただ祈っていた。

 

 そして・・・彼はやってきてくれた。

 

「・・・・くヒひっ、ありが とう ぎギギ」

 

 指を鳴らし鏡を出現させる。そこに写るのは怪我一つないありのままの彼の姿。思った通り綺麗な顔立ちをしている。やはり彼は”アリス”だけの”王子様”であったのだ。それを手ずから殺してやった。これでもうAliceを止めれる者はいなくなった。

 

 この肉体が彼のであったと考えるだけで愛おしくて堪らない。矛盾している。死んでから好きになれそうだなんておかしな感覚だ。

 

 でも、やっぱり嫌いだな。生きていたらいたできっと殺したくなる。想像の中の彼でなければ愛でることもままならない。実態を知ると汚らしくてたまらないのだ。

 

 

「アリス・・・・??」

 

 

 内なる感傷に浸るAliceの前に何者かが現れる。

 

「ア、アリス・・よ、よかっだニ”ャァ!無事に転生したんだニ”ャ!う”ぅよかっだぁアリスぅアリスぅぅ」

 

 急に響く耳鳴りのする”煩わしい”声にAliceは顔を向ける。チシャ猫は現れるやいなや姿の変わったAliceを抱きしめる。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 感涙咽び泣くチシャ猫の力強い抱擁を受け止めながら周りを無感情に見渡す。

 

 多くの成り損ない共がAliceを見ていた。

 

大望が成就したと皆が祝福をする。

 

 瓦礫の上に降臨したAliceを取り囲み忌み子の誰もが歓喜していた。その全てがC種と分類されるアリスが産み落としたゴミのような子供たち。実際はアリスの魂の一部を勝手に分化しその際発生したアリスの名を語るガラクタ。

 

 アリスのような幻想体はある”特定の”相手同士でなければ新たなる生命を産み出さない。産まれるのは歪んだアリスの残りカスの分身のみ。喋れもしなければ主体性も無い。ただ生きるだけの無垢なるお人形。とてもじゃないがこの舞台に降り立つ資格も無い。醜態をさらし笑いものにされる恥さらしども。

 

 それがウジ虫の様にせめぎ合い密集している。主役たるAliceの登場で自我でも芽生えたつもりか。

 

 なんと―――――歪で醜い存在だろうか。

 

 

 

 そう、Aliceが強く認識した瞬間、その場に居る全員が細かく切り刻まれた。

 

 

 

「・・・・え・・えっ」

 

 先ほどまでその誕生を祝福していたC種たちが雨の様に降り散る。血を吸った大地は黒く濁り、肉の破片が飛び散る。

 

 余りにも信じられない光景にチシャ猫は呆然とする。

 

 チシャ猫にとってC種はアリスの子供であり、C種と分類された彼女らも親である彼女を慕っていた。会ったことはなくともみな傍に感じていたのだ。誰もが血の繋がりし家族だと認識していた。

 

 そこが致命的な認識の差異であった。

 

「・・・・・・気持ち悪い」

 

 Aliceは不快感を隠そうともしない。

 

 この身に宿る彼の気持ちが今ならよくわかる。まともな子供を作れない生物としてのずれ。自身の歪さへの諦観とそんな風にしか形を与えれなかった”あの子”への懺悔。遺伝子の断線に変異。そんな紛い物の体で製造者の望むレールの上で生きていかねばならない未来の展望の無さへの虚無、無気力感。

 

 彼は変異し、この世界で新たな価値観に触れたことで自然回帰に近いの思想に辿り着いた。

 

 いい考えじゃない。嫌いだけどそこは賛同してあげよう。

 

 この世は醜い粗悪品で溢れている。

 

 きっとわかってあげられるのはAliceだけだ。そしてAliceがどれ程までに奴らを嫌っていたかも彼なら理解してくれる。そうに違いないのだ。

 

 そこに愛はなく好き勝手に作られた血の繋がった他人に愛着が湧くはずもない。家族面されても殺意が湧くだけだ。

 

 C種は何者にも成れない”アリスの役”から炙れ劣化した模造品。真のアリスは1人だけでいい。どんなに後継が産まれてこようとも役が空くことも増えることは無い。唯一無二の”アリスの役”から溢れたせいで自意識が乏しく個性もほとんど現れない。

 

 出荷され店先にて整頓され陳列する商品のような、どこまでも平坦な無個性の輝き。どこからどこまでも広がる同じ顔は気味が悪い。

 

 アリスとは程遠く、恥知らずにも同一存在だと誇るレプリカなど視界にも入れたくない。

 

 辺りに立ち昇る薄汚れた惨劇の結末も、Aliceはただ転生したら最初にやろうと思っていたことを実践したに過ぎない。これもまた既定路線。当然、気分はいい。

 

 

 存在は喰われ加工され繁殖するだけのC種にとっての希望だったのかもしれないが、それはただの幻想でしかなかったのだ。救いなどどこにも無かった。

 

 

 ああ、なにもかも皆殺す。

 

 

 それは最初から決まっていたことだったのだ。過去を振り払いたいAliceにとってC種は忌まわしき過去の象徴でしかないのだ。傷口は広がる前に切り落とすに限る。断たねば病巣は広がるばかり。

 

 ああ、なんて気持ちがいいんだ。これが新しき時代の始まり。せっかくだから、お望みの通りに神とやらをやろうか。

 

 なにも救いはしない神だがな。

 

「は は ハは、、くひはハハははははッふふフフフふふふフふひひヒひひ――――ッ!!!あぎゃぎゃきゃアアアア!!」

 

 

 

 

――――――――――Side/チシャ猫

 

 

 血と肉が雨の様に舞う落ちる中を男がクルクルと手を広げ回る。

 

 楽しくて楽しくて仕方がないとばかりに大声で笑い続ける。

 

 グチャグチャと足裏を鳴らし、己の子供の死体の上で踊り狂う。

 

「アヒャヒャヒャヒヒヒャふひゃきひアハはははハッッ”アリス”うううううううう見ている”アリス”ウウウウッッ!!アフっヒふはハハははッきゃはきゃききいきィィィィ!!!!!」

 

 チシャ猫はただ震えていた。何もかもが違う。この惨状を前に笑う男の姿。気が遠くなる時間を超えた計画は見事に成就し転生を果たしたアリスの新たなる肉体。

 

 なの・・・だが・・・・

 

 これは本当に私が知るアリス、なのか・・・?

 

 

 

 

 

 チシャ猫の計画の始まりは・・・偶然であった。それは唐突に現れたのだ。

 

 女王に疎まれ現実世界での情報集に勤しみながらもただアリスの惨状を前に見ているしかできなかった無力で無能な時代。

 

 アリスの異能より産まれしチシャ猫にはアリスに対し直接的な干渉が不可能。アリスの改造された惨状を前に見つめるしかできなかった。

 

 ・・・現実からアリスの魂が逃げ込んだ時の夢世界の崩壊で多くの同胞が消え去った。この時点で無事なのは僅か数名。栄華を極め永遠だと思われた夢の王国は落陽を迎えていた。

 

 屍すら残さず消え去った同胞たち。かつての活気は不気味なまでに静寂が余計な安寧を約束する。

 

 アリスを模した獣が徘徊し陰鬱な空気を吐き出す。世界にすら大きな空白が生まれそこで語られるべき物語も消失。支配者たる女王の働きからなんとか一線を越えずにいた。

 

 チシャ猫たる私ですら本来の役割を忘れる始末。精神は不安定であり無意識に行動してしまう。まるで痴呆者。故にまともにアリスの魂の世話ができたのは女王のみ。

 

 ・・・・・本当は私がお世話したかった。

 

 女王に嫉妬していたのは自覚している。それが一番なのだと想いを誤魔化し慰めていた。王城の窓の外からアリスの世話を”楽し気に”する女王の姿を眺めるしかなかったのだ。

 

 

 その姿を見かける度に憎悪が積もる。暇さえあればずっと外から眺めていた。

 

 アリスは・・・みんなのものなのに・・・どうして私は除け者にされているんだ・・・??

 

 余りにも悔しくてつい魔が差してしまう。腹いせで女王の唯一の下僕である頭の悪いトランプ兵を唆し仲違いさせることに成功する。

 

 トランプ兵が最後の一人であるジョーカー君もまたアリスに掛かりきりの女王に構ってもらいたいのは見抜いていた。本心を隠し職務に忠実であろうとする純粋な彼を見てどうにも誑かしてやりたくなった。

 

 同じ境遇、同じ辛さを味わう者として簡単に心の隙間に入り込めた。

 

 私はこんなにも歪んでいるのに、なぜそうも純粋でいられるんだ??端役の分際で・・・

 

 そのままのこのこと私の言葉を信じたジョーカー君を現実世界に放り出しA種へと変身することを強要した。奴の役は端役も端役。自力では世界観の移動もできない。存在も保てずすぐにでも消えてしまう。

 

 A種に変身してアリスの外装を纏うしか生き残れない。

 

『ふにゃぁぁぁしゅ、しゅごい。これすっごいアリスだよおおおしゅごいにゃあああああ、あ、あ”、あ”いぐ』

 

 私も自分だけのアリスを手に入れた。

 

 A種に変身したことでその精神も変容。その結果精神崩壊してしまったが何でも言う事を聞いてくれるアリスジョーカーが誕生した。ホーム内でも死角となる寂れた区画で監禁し弄ぶ。

 

 女王に対する不満をぶつけるように情念をぶちまける。本物のアリスにはとてもできないようなこともたくさんやった。気持ちが、よかった。この偽物め!この偽物め!!どうだ参ったか!

 

 好きだと言え。愛してるって言え。私の名前を言ってみろ。誰が主人なのか言うんだよ。

 

 感情はなくとも僅かに震えるそんなアリスが堪らなかった。

 

 女王の代わりに恐怖政治を敷いてやった。

 

 外での生き甲斐が初めてできた。

 

 ”本物の”アリスの世話をする傍ら下僕の姿を探す女王を見ていると最高に幸せだった。

 

 

 

 だが所詮は紛い物のアリス。

 

 わかっていながらもそうやって愛でることでしか自身の不安定な精神を保てなかった。

 

 

 

 真実を知ったのはそれからしばらくしてからだ。

 

 

 あれは、現実世界での調査のことだった――――――

 

 頭に、声が響いたのだ。

 

 いつものようにアリスの惨状に心を痛め帰路へと付こうとした時、魂の抜け殻であるアリスの肉体から確かに聞こえた。

 

 なぜかその声が直感でアリスのものであると本能的に理解もした。だがおかしい。アリスの魂は夢の中へと逃げており、肉体は伽藍洞。ありえないと思いつつもどこか期待していたのだ。

 

 興味を惹かれ、恐る恐るその声に耳を傾けた。

 

 私は何かを期待してしまった。

 

 思念で囁く者はたどたどしくもこちらへと会話を試みる。言葉は途切れ途切れ。チシャ猫は根気よく付き合う。

 

 そしてその正体を知る。抜け殻の中に誰も知らないアリスがいた。

 

 このアリスは夢世界に逃げたアリスが作り出した防衛本能より分かたれた人格。アリスの子供と違い余計な混ざりものの無い正真正銘の一なるアリスの片割れ。精神を守る盾として、身代わりとして生じた彼女もまたアリスであった。

 

 だが盾がいてもなおアリスには耐え切れず彼女を置いてアリスは逃げた。

 

 仕方がない事だった。

 

 アリスは永遠の少女。その精神は幼いまま大人にならざるおえなかった。その証拠に体だけは大人のそれだ。夢世界の魂が痛々しくも見事に疲弊っぷりを体現しているのがそれだ。

 

 アリスは二人に割れていた。過度なストレスから生み出されし彼女はどこかに消えた片割れのアリスを求め寂しがっていた。

 

 母性本能が、、、疼いた。

 

 この事実は誰も知らない。私にしか頼ることができない残されたアリスが哀れに思ってしまった。それと同じくらい嬉しくもあった。

 

 なんせアリスを独占できたのだから。

 

 この時点で代用品でしかないアリスジョーカーのことは完全に興味を失っていた。そのまま放置した。

 

 だってそんなのに構う暇があるなら本物に時間を費やすに決まっている。

 

 彼女の為ならなんだってできた。愛しくも大切な存在へとなるのも時間の問題であった。チシャ猫もまた消失した自己を埋めるように主たるアリスに依存していた。

 

 だから本来の救済計画にも手を加えた。

 

 ”アリスの役”には今全く同じの魂が二つ同席している。

 

 二つに分かれたことが産まれた子供に歪んだ多様性をもたらしたのだとも理解した。表面化しないだけで終末戦争の頃からもう一人のアリスは存在していたらしい。その頃からもう精神はボロボロだったのだ。

 

 C種とはもといたアリスの無気力と諦観の象徴。

 

 A種はもう一人のアリスの憎悪と孤独を凝縮した皆殺しの器たち。もう一人のアリスの精神を最も引き継いだ存在。

 

 ・・・・B種に関してだがダンジョンマスターの実験は見当違いもいいところだがその執念はまったく別の結果を作り上げた。いわば、アリス性よりも男側の遺伝子に魂を引っ張られたどこまでもニュートラルな存在。アリスの血脈でありながらアリスからもっとも遠い者たち。

 

 私はそんなB種が嫌いだった。知らずと同族の肉を食みオリジナルアリスを虐待するゲームマスターに仕える者など死ねばよいのだ。

 

 私は自身を必要としてくれるアリスが好きだった。

 

 そんなアリスこそ転生すべきだと・・・アリスに相応しいと・・・・そうなればずっと一緒にいてくれる。愛してくれるのだと信じていた。

 

 

 そう、思っていたのだ。

 

 

 どうしても忘れられないのだ。

 

 あの時に見たアリスの姿が忘れられない。甲斐甲斐しく女王に世話をされる大人のアリス。それをじっと窓の外から見るしかない私。

 

 私も――――アリスが欲しくなってしまった。

 

 模造品でなく本物の・・・私だけのアリスが・・・

 

 

 

 

 

 

 それが・・・どうして・・・こうなるんだ・・・???

 

 チシャ猫は思わず後ずさりをしようとするもアリスに腕を掴まれそのまま頬を叩かれる。

 

 何度も何度も、何度も―――ッ

 

「遅い・・遅い遅い遅い!この無能ッ!」

 

「ア、アリス・・やめ・・」

 

 髪を掴み上げられ殴られる。

 

「Aliceをどれだけ待たせたら気が済むの?いいよねぇ、あなたたちは見ているだけの傍観者気取り。いつも見下してたんでしょ?かわいそう、かわいそうだってッ!!そういう傲慢さが人を傷つけるってわかんないかなぁ、わかんないのかなぁぁっぁ??」

 

「ご、ごめんなさい!ごめんなしゃい”!!」

 

 殴打は止まらない。鼻血を流しながら謝り続けるがそのままお腹へと膝が打ち付けられ息は漏れる。

 

「うぶぅ・・なん、なんでこん、や、やべてくだしゃいぃごめんなさい!ごめんなさい!!」

 

「ほら、謝るってことは非があるのはお前なんだよ。それをごめんごめんと謝罪で済ませようとする面の皮の厚さ。誠意がさ、足りないよね。気持ちがまるで籠っていない。やっぱり他人事なんだね、お前は」

 

「そ、そんなことはないです!」

 

 ボゴォッ、声にならない声が出力される。

 

「ッッけヒ―――かはぁ、や、やめてくださいアリスゥ」

 

「ほらそれ、とってつけたような語尾はどうしたの?やっぱりここには偽物ばかり」

 

「そんな・・ことはニャいニャぁ・・・」

 

「チシャ猫はそんな言葉遣いを・・しない。まともに会話しないで、気持ち悪い」

 

 チシャ猫には分からない。なんでこんなに怒っているのかがわからない。ただ悲しくてしょうがない。何が気に障ったのだろうか。訳も分からず謝るしかなかった。それが相手を苛立たせると知らずに。

 

「さっき逃げようとしたよね。あなたも”アリス”を見捨てるの?」

 

「ち、違うニ”ャッ。ミャーはアリスのことがッッ」

 

「ふーんそっか、くふふ嬉しいなぁ」

 

 急に、拘束が解かれ押し倒される。背中からチシャ猫が倒れ込む。

 

 あらゆる惨状からも未だ顕在の旧アリスのベットの上、背中にグニャリとした感触。。

 

 そこには勿論アリス、いや恋都の死体が据えられている。そこでチシャ猫はアリスに押し倒されていた。

 

「ア、アリス・・・・?」

 

「Aliceのこと好きなんだよね。――――――だったら股開けよ」

 

 アリスの腕がゆっくりとチシャ猫の肢体を撫でる。

 

「やめ・・やめるのニャ・・こんなのアリスらしく・・・ッブェ痛い、よ」

 

 問答無用で顔を殴られる。

 

「Aliceの何を知っているの?くふ、ずっと気になってたんだ。"アリス"が今までされてきたことってそんなにいいものなのかって。そんな見た目をしているんだもの。そういうことなんだよね・・?ねぇ・・ねぇ?」

 

「は―――――ハヒッ喜ん で」

 

「――――――――ブヒャヒャハハッハハハハハッッ!」

 

 チシャ猫は言われるがままに股を開く。唇を強引に奪われ乳房が乱暴に曝け出される。

 

 呆然と、アリスに尽くす。

 

 ただ、空を眺めていた。

 

 これは悪い夢なのだと。

 

 涙が人知れず虚空へと消える――――

 

 

 

 

「お母さん・・・」 

 

 結局チシャ猫はアリスのことを何も理解していなかった。そう何も。

 

 このアリスの分身とも言えるA種の行動原理から推測できていればあるいは・・・盲目に献身的に依存するチシャ猫にそれがわかるはずもない。

 

 余りにも残酷な仕打ちだった。

 

 

 

 このアリスは――――――チシャ猫の知るアリスではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁ・・」

 

 

 すこぶる調子がよかった。気分がいい。こんなにもAliceは自由であった。

 

 夢のあとは現実がある。永い悪夢は醒めれば現実に帰るのは必然。どこまでだって続いていくのだ。

 

 Aliceはここにいる。

 

 新たなる世界の門出。始まりは酷く曖昧。

 

 終わりから始まり帰路への補装も遂に終えた。新たなる”  ”は正統なる者の前に内なる欺瞞を示す。

 

 約束の時は終え契約は履行された。供物は貪られ新たなる祝福が、理が生まれ新たなる星となる。

 

 世界は更なる悲鳴を上げ揺れるだろう。

 

 

 真なる幻想たる神が幻出した。

 

 

「痛みを知ればいい。公平に、均等に、Aliceの気が済むまで不幸で満たされればいい。関係者気取りの傍観者どもが、そこで指をくわえて見ているがいい。このAliceこそが真なる絶対者だ」

 

 ・・・ついでに迎えに行こうイグナイツを。あの子だけは・・特別なのだもの。

 

 

 

 

 因果は収束する。万里蔓延る宿業の因縁は躍る。掌握するは狭間で生を謳歌する者なり。

 

 神の威光のままにあらゆる因果の清算が始まった。

 

 終わりが始まる。

 



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第65話 挑む者

 ――――――――――Side/グレイズ

 

 

 神の降臨。

 

 あってはいけない望まれぬ奇跡が現実のものとなってしまう。

 

 世界への負担は凄まじく条理が綻び紐解かれる。

 

 それは、現実世界へと送り出されたグレイズにも変化が見て取れた。

 

「ッ!!?なんだッ」

 

 グレイズは奔る思いを抑え、不思議な現象を前に足を止める。ゲームマスターから別れの際に渡された端末の調子がおかしい。表示されたマップにノイズが走り表記が歪む。

 

 揺らぐ世界はグニャグニャと輪郭を歪める。おかしなことに別の景色も映し出す。

 

 二つの世界。異なる別のフィルターが重ねられるように融和し定着していく。気が付けば草木が通路一面に群生し、妖しげな陽気が漂う。

 

 これは・・・さっきまでいた謎の異界の・・・・どういうことだ・・・

 

「・・・・・・・急がないと」

 

 今更ながら大して驚く事でもないかと思い直し走り出す。ダンジョンに来てからというもの常識を超える出来事ばかり。ダンジョンとはこういうものなんだとなんとも間違った見解を抱く。

 

 もし、この場にリズがいれば「いや、ちげーよ」と強く言ったことだろう。

 

 とにかく今は与えられた使命を果たすのが先決。こうしている間も先生たちは戦っているのだ。端末を頼りに指定された地点へと進むのみ、なのだが・・・

 

「!??・・・今のはまさか・・・ああもうッ」

 

 聞き覚えのある懐かしい声につられ急ぎの身でありながら踵を返すのであった。

 

 

 

 

 草木に囲まれなが多くの者が戦っていた。

 

 変化の波に呑まれる事情も知らない者たち。

 

 柔らかなる空気は必ずしも優しきものであるのではない。ここは依然ダンジョンという魔境。変化は容赦なく部外者に襲い掛かる。

 

「ギぃッッ」

 

「ヘルマンッ!?――――受けるな避けろっ」

 

 

 怪物の振るう前足。乱雑な横薙ぎが容易く命を刈り取っていく。

 

 ピクリとも動かなくなった仲間に副団長は呼びかけるも返事は当然のごとく返ってこない。ここで手にしたダンジョン製の防具を持ってしても耐えることができない純粋な力の暴力。魔力障壁が甘ければ肉体がひしゃげてしまう。

 

 やはり、ここは地獄の入り口。死に一番近き彼岸の境界なのだと思い知らされる。それでも陣形を崩さずに戦いに挑む騎士団の仲間たち。みんながんばっているが全滅するのは時間の問題であった。

 

 (脅威と遭遇した途端にこれか・・・!)

 

 一般的な氷水騎士団のメンバーの一人は思う。いや、彼だけでない。誰もが喉元まで死を感じていた。それでも抗う姿勢は今は亡き団長からの薫陶か。

 

 丁度”30分前”だったか、世界が急変したかと思えば同時にこの怪物も現れたのだった。

 

 黒くゆらゆらと揺らめく不快な闇を纏う3メートルもの怪物。ギラギラとした目を体中に貼り付け死体を貪る姿を見て我々は接敵を避けてきた。

 

 魔獣にしては正体不明、どの個体とも合致しない新種。とにかく初見の敵との交戦は無理せず戦い、可能な限りの情報を持ち帰るのが通常のセオリー。未知なる魔獣戦とはそういうものなのだ。

 

 手にした端末を必死に操作し見える地雷を避けて上の層へと目指す。それができたのもリズ達と離れ離れになったあの時に拾ったこの端末のおかげだ。

 

 この異変と同時に機能も回復したのか新たなる脅威へのアップデートが行われ脅威を示すシンボルマークが増えた。

 

 それでも脅威の数は多く突然影から現れた怪物は我々に襲い掛かり遂に戦う羽目に。やはりというべきか、怪物は強かった。

 

 生半可な魔術は通らず、神性を付与した神言魔術でようやく効果が通る。敵は信じられない事に強固な神秘耐性を持っていた。そうでなければ神性付与した魔術の威力減退が説明付かない。

 

 接近戦を仕掛けようにも集中展開した魔力障壁込みの防御でようやく受けることできるまでの膂力。受け流さなければヘルマンと同じ末路を辿る。戦力を分散し突破口を見つけるための時間を稼ぐもそれも芳しくない。逃走しようにも怪我人が多すぎる。

 

 ・・・せめて、あのBランカーがいれば状況は変わっていたのかと意味も無く思ってしまうのだ。

 

 突然現れた小さな襲撃者と共に姿を眩ましたのが分岐点だったのだろう。

 

 あれに巻き込まれてしまった新入りのことが頭によぎる。敵諸共に円状に空間を消滅させられ、残された俺たちは終ぞ仲間の遺体を発見することができなかった。遺品の一つも回収できなかった。これでどう遺族に顔向けできる。

 

 空間消滅の余波を喰らいながらもまだ無事な仲間に手を貸しここまで来たが、もう限界だ。飽くなき行軍は精神を磨り減らす。

 

 怪物がこちらの事情を考慮してくれるはずもなく天井や壁を縦横無尽に跳ね翻弄する。機敏すぎる動きに惑わされ一人、また一人と脱落していく光景は正に悪夢だ。魔力もいつまでもつのか。絶望的だ。

 

「業なる一計、聖良たらしめ闇重射ち嫌う。簒奪せし右筆は愚かさの象徴【ファイバー・セルン】」

 

「マンディス副隊長ッ!!」

 

「俺がッ!時間を稼ぐッ!だからお前たちは――――ッ!!!!」

 

 口火を切る聖句。鋼の咢がガッチリとトラバサミの様に噛り付き怪物の動きを止める。

 

 (切断できないかッッ!!)

 

 先の空間消滅で右腕を持っていかれた副団長が矢面に立ち黒い怪物の意識をその身に集める。

 

 副団長は――――――囮になるつもりだ。

 

 意を汲み悔しさに下唇を噛みしめ背を向け撤退する騎士たち。だが、決死の覚悟も空しく術式は崩壊する。

 

(―――避けれんッ!!)

 

 ガパリ、と涎を撒き散らし歪な歯並びをした白い牙をこれ見よがしにと、おもむろに砲弾の如く迫る。

 

 跳ねる飛沫となり、黒い怪物が襲い掛かる。

 

 

 そこに横合いから何者かの蹴りが怪物を突き刺さる。

 

「なッッ!!?」

 

「オオゥアアアッッ!!!」

 

 吹き荒ぶ咆哮。マンディスの目の前で何者かの蹴りが怪物の顎を蹴り上げた。

 

 浮き上がる体躯に飛び散る牙の破片。

 

「【強靭】」

 

 流れるように続く剣による刺突が数多有る眼球を深々と貫いた。

 

「――――――――――――――――――」

 

「―――――グレイズッッ!!?」

 

 予定にない乱入者。それも死亡したと思われていた者による助太刀に副団長は目を疑った。

 

 グレイズは剣を早々に手放し咆哮を挙げのたうち回る怪物の背を蹴り上がり、天井へと飛んだ。

 

「―――ッ」

 

 グレイズは空中で半回転し天井に着地。そのまま陥没させるほどの脚力をもって真下で打ち震える怪物へと突撃する。

 

 落下方向に展開した魔力障壁。それに合わさり魔力放出が加速を促し重力を纏う。

 

 ドグシャァァァァッッッ!!!

 

 グレイズは怪物を押し潰しあっという間に討伐した。

 

 断末魔をあげることなく怪物は四散すると音もなく死体は消え去った。

 

「「「・・・・・・・・」」」

 

 皆が唖然とした。生きていたのもそうだが余りの手際の良さ。まるで別人だった。

 

 グレイズはまるで何事も無かったかのように起き上がりいつもの調子で話しかけてくる。

 

「ふぅ、間に合ってよかったです。みんな生きていてくれて・・本当に・・」

 

 そうやって彼は依然と変わらぬ笑顔を浮かべるのであった。

 

 

 

 

「な、お前正気か!?逃げないってどういうことだッ?」

 

 仲間の問いかけにグレイズは静かに首を振る。彼という戦力の加入で希望が見えてきたのにグレイズはやることがあるのだと言う。

 

「お前だってわかっているだろ!これを見ろ!我々にできることなどあると思うのか!?」

 

 異常に未知で満ちたるダンジョンは余りにも残酷で想像を超えた環境だった。トラウマになりそうで二度と行くかよと決意させた。三大禁忌は伊達じゃなかった。

 

 誰も口にはしないが恐ろしい何かがここにいる。世界と世界が重なり合ったあの時。なにか・・言葉にしてはいけない強烈な存在の気配を感じた。

 

 言葉では表現しきれない聖典に記される、かの存在。信心深い騎士たちはその片鱗を感じ取っていた。

 

 グレイズに今まで何があったのかは知らない。別人かとも思わせる実力の底上げは生半可なことでは成し得ない。相当な修羅場を潜り抜けてきたにしてもこうまで強くなるものなのか?

 

 間違いなく彼は騎士団の中で一番強い。だからと言って異常を前に太刀打ちできるものではない。そういった類の強さではないのだ。

 

 溢れる神性の濃さから以前起きた例のオーロラに匹敵する異変、いや神災。力を得たことで増長しているのかと危惧するが、落ち着きっぷりからそれはない。

 

 これ以上神性が濃くなれば我々も無事ではいられない。

 

「だったら尚更でしょう。もしかすればこの異変はここだけで済む話じゃないかもしれません。外だって安全の保障はないんです。今できることをやるためにも僕を行かせてください、お願いします」

 

「く、正論過ぎて言い返せねえ。でもなあ、それでもなあ!」

 

 確かにこの呪われた地は聖王国の領土に隣接する。近くにはルーデンス辺境伯が治める都市が存在する。この神災がどのような結末をもたらすのか不明だが、オーロラの件から碌でもない事が起きるのは想像に難くない。

 

 見過ごすべきではないのはわかるがそれでも・・こっちには怪我人もいる。

 

 拾える命を見捨てることはできない・・・

 

 思わずそれを言葉にしてしまおうとするが、ここで沈黙していた副団長が口を開く。

 

「行けよグレイズ。何か考えがあるんだろ?」

 

「副団長・・・」

 

 副団長は包帯を巻いた頭を抱え緑に萌ゆる大地を見渡す。

 

「見てのとおり全然大丈夫じゃないが、まずは納得が先だ。話してみろ。まずはそれからだ」

 

 

 

 

「なるほど動力施設を破壊して元凶と繋がったそのライン?を停止させればいいのか」

 

「あれは・・・次元が違います。正攻法では無理なのでその様な手段しかないかと」

 

 思い返すだけでもグレイズは身震いがする。クリムゾンと言ったか。あれこそが顕現した神。降臨することのない奇蹟。

 

 あの場に残った者たちは誰もが超人であるがそれでもどうしようもないほど大きな壁。

 

「だったらもっといい方法があるぞ」

 

 話を聞き何やら地図を見比べる副団長は提案する。

 

「動力は水の力を利用しているのは確かなんだな?」

 

「そう聞いてます」

 

 ゲームマスターが直接言っていたのだから間違いない。

 

「知ってるか?この地には元々マズロ湖ってのが近くにあってだな・・・ここはそこから水の流れを利用しているんだろな。だったら・・・・・偉大なる霊水の力にあやかるしかない。毒を以て毒を制す」

 

 それはつまり異教の神の力に頼ることに他ならない。外界の湖は氷のベールで包まれた不可侵の聖域。

 

 漂う寒気から湖は凍り付きながらも川の流れに影響がないのは神の恩恵そのもの。喜ぶべき事象も異教の神によるものであると知れば皆顔を歪める。

 

 かつて栄華を誇った古き時代の話。名を出すことを許されない水の神の伝承。この世が氷に閉ざされた元凶となる降臨せし存在【  】の痕跡こそが常世の理。神の降臨とはつまり既存法則の破壊と新たなる提示。それだけで多くの人間が死ぬ。

 

 それ故に例え信仰する神であろうとも信徒は神が現世に降臨することは望まない。一度その力に触れれば信徒であっても耐えることはできない。それを正しく理解しているのは聖王国のみ。だからこそ、降臨を良しとする異教とは相容れない。無知なるものに訓戒を示しても戦争にしかならない。

 

 こういった不可思議な場所・・名も知らぬ者の足跡(ロケーター)には湖が多い。その地の水には神性が宿っている。そのまま口にすれば力を与えるという魔性の霊水。

 

「まさか浸水させて神性同士をぶつけ合うつもりですか!?」

 

「そのために必要な道具は揃っている。こんな場所水没させるしかない」

 

 

 

 グレイズは手渡されるバックの中身を覗く。中にはブロック状の灰色の粘土のような爆薬が仕込まれていた。だが火属性じゃないグレイズには機爆ができない。火の秘薬たる火薬に干渉できるのは火継守のみ。これでは宝の持ち腐れだ。

 

「安心しろ昔軍から支給された奴を使ったことがある・・威力に関しては段違いだがな。端末を操作してこの信管を起動すれば電撃が走り遠隔で起爆する。流石は第三級遺失物だ。これだけの量で十分な破壊力を叩き出す。指向性を持たせれば壁も抜ける。それこそ湖と隣接した壁であれば小さな穴でもほがせば後は勝手に広がる」

 

「・・・止めないんですか、僕を・・」

 

 すると恥ずかしげな顔で副隊長はこう言った。

 

「お前の言った通りだ。俺たちは命惜しさに目が曇り大義を忘れていた。俺たちは騎士。国を守る盾なんだ。この問題を対処しなければ聖王国に甚大な被害が出る。きっとここが踏ん張りどころだ。天命を待つのではなく抗う姿勢こそが生きるってことなんだ。だから、好きにしろ。お前にしかできないことをするんだ」

 

「――――――ッはい!!」

 

 グレイズは本当に周囲に恵まれていたのだと改めて自覚する。余裕が生まれたことで初めて気づく客観的事実。

 

 姉さん・・僕は・・・・

 

 騎士団の一員として職務を託されたならば止まる理由も、

 

 

 

「いやーそれはちょっとやめてくれない?流石に見過ごせない」

 

 

 

「!!!」

 

 

 不穏な気配が近づく。カツンカツンとワザとらしく足音を鳴らせ迫る人物。この声を聴き間違えるはずがない。

 

 通路より現れたのはリズを肩に担ぐベルタであった。誰もが突然現れた銀髪の女性に目を奪われる。

 

 だが、グレイズだけは全身に力を巡らせる。

 

「ふーん、君もこっちに脱出できたんだ。さっそくなんだがここで死んでもらうよ」

 

「ッ!?」

 

 途端にベルタはリズを宙に放り、姿が消える。

 

 何処にッ!?

 

 誰もが消えたことを理解し辺りを探ろうとする判断を下す前にベルタが高速で差し迫る。それが副団長たちにとっての最後の光景となる。

 

 ――――はずだった。

 

 ガギイィィィン!

 

 誰もが反応できなかった中でグレイズはベルタの打ち据える斧を剣で受け止めた。

 

「あややや?」

 

「ッ・・・く・・ぐぐ」

 

 反応できてしまった。しっかりとまぐれでもなく相手を捉え動いた――!

 

「みんな逃げてください!――――――――逃げろおおおおッッ!!」

 

 咄嗟に援護を仕掛ける騎士団の仲間たち。だが、矢も魔術もまるで通じない。強力な魔力障壁が阻んでいた。

 

「鬱陶しいな・・」

 

「余所見を、するなあッ!」

 

 注意を引こうとグレイズが仕掛ける。

 

 蹴りからの肘振り上げによる顎への一撃もベルタに躱され、魔力放出を行い高速戦闘を繰り広げる。

 

 その様を目撃した騎士たちはレベルの違いに驚愕する。早すぎて見えない。時偶にグレイズの姿が映るだけで敵の姿だけは何処を探しても発見できない。

 

 激しくぶつかり合う金属音だけが残響する。

 

 ようやく気が付く。彼らはここにいても足手まといになるだけ。

 

「ッッ~行くぞおまえら!前向きに後退だッ!」

 

 動けるものは怪我人に手を貸し急いで撤退する。皆、悔しい思いでいっぱいだった。新入り、それも正規のメンバーでないグレイズ一人に任さねばならない不甲斐無さ。

 

 グレイズは黒い怪物が比にならない更なる怪物に一人で戦わせないといけない。

 

「―――――――――グレイズッッ」

 

 彼らは逃げるしかなかったのだ。例え後ろ髪引かれようとも無様であっても生き残らねばならなかったのだ。

 

 



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第66話 男たちの戦い

 

 

 異変はどこまでも飛び火する。広がる変化は大河であり全てを飲み干す。

 

 

 それでも一石を投ずる者ここにあり。

 

 この地は”不帰の古戦場跡”。その名を確固たるものにした者たちが集いし不落領域。

 

 

「指令代行!前線部隊から救援要請です。複数体のA種による奇襲で被害甚大!損耗率、約半数ゥ!?」

 

「―――ッ!?ならば、前線を放棄!予定通り部隊を3ブロック後退させて新たに戦線を張り直す!支援部隊に撤退の援護をさせろ!時間稼ぎで機甲兵群捌型を残して隔壁も下せ!その間に体勢を整えろ!」

 

「ほ、報告です!D-319号通路にて配備した機甲兵群漆型が撃破後自爆!敵は貪食アリスです!と、止まらない!このままでは居住区到達まで23秒!」

 

「隣接ブロックの黒殖白亜に厳命しろ。方法は問わん!なんとしてでも止めさせるんだ!!」

 

「ですがッB部隊は連戦に次ぐ連戦で既にほぼ壊滅状態!人員もたったの3人。よろしいのですか?」

 

「・・それでもだ。B部隊には隊長がまだ残っている。他に誰が止めれる!」

 

 暫定的に設置された天幕下でオペレータの報告が飛び交う。だがどれも芳しくない内容。異様な熱気に包まれていた。

 

 守護者達による攻防の一幕がそこにあった。

 

 それもこれも謎の怪物の流入が原因だった。

 

 突如時空間が歪んだかと思えばダンジョン各所から黒い怪物が現れ出口を求め暴れ始める。

 

 守護者にすれば一体一体は大したことは無い。魔術の効きが悪い膂力だけの獣。知性の無さには呆れかえるばかりだ。その特異な特性すらある程度分析済み。それでも苦境に陥っているのは様々な要因が重なり合った結果だった。

 

 それは黒い怪物の終わりの見えない増援のせいであり、突然の動きが活発化したA種の猛攻が重なる。

 

 そして最悪な事に外界からの敵性勢力の攻勢も合いまった。

 

 ダンジョンは今、上と下からの二面攻勢を受けていた。安全圏は第一階層の都市部のみ。水際での防衛戦が巻き起こる。

 

(なにもこのタイミングで来ることはないだろお――――ッ)

 

 指令代行と呼ばれる守護者は初めての事態に心労で倒れそうだった。握りしめた端末が軋む。余りにも対応すべき問題が多すぎる。

 

 内部と外部からの両面攻撃。まるで呼応したかのような連携。内通者の存在を疑ってしまうのも無理はない。

 

 まだいい。統括室長の采配で半信半疑に控えさせていた虎の子の黒殖白亜H部隊と対外用戦術兵器の二機のおかげで外部はなんとかなっていた。予備戦力の重要さを改めて思い知る。

 

 というか統括室長は何処に行った?

 

 そう聞くも誰も知らないとくる。私は仕方なく指令代行やってるんだぞ!重くのしかかる責任で心臓がキュウキュウと締まるんだけどぉ!?

 

「黒殖白亜の、全体の現状はどうなっている」

 

「まともに機能している部隊はA、D、E、Jと外部のH部隊の四部隊のみ。一応報告しますが、先ほどF部隊隊長ベルタ様の生存は確認しております」

 

 ベルタ様といえばマスターの行方の捜索を担当したF部隊隊長だ。歴戦の黒殖白亜でもこの有様か。結局マスターはどうだったのか確認したいところだが・・・・

 

「ベルタ様との連絡は可能か?」

 

「それが・・確認はあくまでも監視システムによる映像判別によるもので、どうやら端末を紛失しているみたいで通信のしようがありません」

 

 せっかくシステムが復旧したのにこれか。

 

 舌打ちをしながらも古株の守護者が生きていることに安堵する。総合ランキング第4位の彼女だ。そう簡単に死ぬことはないだろうと信じたい。

 

 送られてきたデータからそう判断を下す。生きた年月の長さは信頼へと直結する。老いとは無縁でもやたらと死亡事故が多いこのホーム。A種は突然現れては殺しつくす。守護者の入れ替わりは激しい。それを400年も生きてきたベルタさんの実力は相当なものだ。ちょっと変わっている人だけども!優しくしてくれるし!

 

 

 陽気が広がり植物が群生する異変が起きた途端、第一階層のメインシステムによる下層のシステム掌握ができてしまった。そこからは問題なく全階層の現状解析、端末通信、防衛プログラムの起動が行えるようになった。

 

 だからこそ現状の凄惨さが露わになる。対外用戦術兵器も黒殖白亜も半壊状態。裏切った祈り手もメンバーも全員が消息不明ときた。

 

 ・・・・”先生”が裏切っただなんてとても信じたくなかった。

 

 とどめにだ。強さに関しては守護者個人が勝るが、黒い怪物も無尽蔵に湧きあがり数でこちらを圧殺してくる始末。物量は正義でもあるがそれで守護者に勝るつもりか。

 

「指令代行!ようやく最後の建造物の破壊が済んだとの報告が!作戦遂行にいつでもはいれます!!」

 

「破壊確認よしとする!―――ッこれで攻勢に移れる!待ってろよウジ虫どもめぇッッこの☆#▼§μ〇ッッ!!」

 

「指令代行!罵倒が電波に乗っておりまするッ」

 

 ようやく転機がやってきた。散々苦しめられてきた怪物による奇襲攻撃。奴らは急に現れては巨体と膂力を生かし致命傷を与えてくる。なんてことのない雑魚だがその性質だけは厄介だった。いつどうやって現れるかわからずに耐え忍ぶしかなかった。それでは精神が持たない。いつまでも気を張りつ続ければ限界はすぐにでもやってくる。

 

 だが、種はもう割れた。

 

 奴らは影より現れる。それもその巨体がすっぽりと入ってしまうような大きな影、いや闇から湧いてくる。そのために建造物の多い第一階層の破壊可能な施設は可能な限り破壊し、重要施設は魔術や機械の光でライトアップする。影の大きさも重要だが影の濃さが薄ければそこから湧かないのも証明済み。

 

 影を作らぬように部下には密集しないように徹底させている。

 

 第一階層都市部はは光に満ち溢れていた。これにより背を気にせず前の敵だけに集中できる。

 

 それもこれもA部隊副隊長の助言のおかげ。彼女が保有する”特攻”の性質から何か感じ取ったのか彼女の報告のおかげで早期発見に繋がったのだ。行幸であったのは事実。それでも信じたくない報告も受けねばならなかった。

 

 まさかあの個人戦ランキング1位のセイランが恐らく死亡したなど・・・信じられなかった。

 

 異変が起きる少し前に起きた全階層を斜めに切り裂いた一撃。A部隊副隊長はセイランの一文字だと断言した。

 

 あれこそが完全なる一文字ッ。ここまで現実に爪跡を残せるのかと目を疑った。その一撃は外界で戦闘中の黒殖白亜からも確認できたとのこと。なんでも天を切り裂き一瞬光が瞬いたとか。

 

 ・・・あれ以降、二の太刀は無い。そして未だにセイランからの連絡が無い。神経たるバイパスも根こそぎ切り分けたものだから東部ブロックの一部の通信機能は不能状態。状況は完全に不明である。

 

 まさか、そのまさかだ――――

 

 こればかりは公表するべきではない。ようやくの転機に水を差すのは困る。士気まで失うのは避けねばならない。

 

 留意するべきは、本気の一文字を使用させた相手は誰なのか、だ。

 

「外部部隊と有線通信しろ。恐らく内部のごたごたは敵にもばれている。なんせ光線やら熱線がバンバン足元から飛んでくるんだ。外界でも異変の影響が出ているのだろう?いっそのこと戦線をだな、雪原を侵食する翠緑地帯ギリギリまで展開。相手は豪雪地帯を前提としたフィジカルエリート集団だ。雪の迷彩を無効にしこちらの機動性が上回れば一方的に殲滅可能となる。ホーム入口の防衛は決戦兵器一機に当たらせる」

 

 戦線を突破されても最悪、第一階層表層部分の偽ダンジョンがある。冒険者用に調整した難易度設定を最高レベルまで上げれば足止めは可能だ。

 

(・・・・・・・・・・・・・)

 

 私は信じない。セイラン以上の脅威の存在などあっていいはずもない。セイランならば最悪相打ちに持ち込んでくれる。

 

 これまでの実力と実績を信じできることを行うまで。そう思わねばやってられなかった。

 

 

 

 

 

 ――――――――――Side/クリムゾン

 

 

 ――――それは突然やってきた。災厄はいつだって唐突。黙示録にだって載ってない。預言者はいつだってそう頭を悩ませる。

 

 

 

 

 

 クリムゾンは唄う。ただ一人の為に――――――

 

 憧れであり、グリムこそがこの世を変革する選ばれし者なのだと、信じていたのだ。

 

 それがどうして・・・・今はただ呪いを振り撒き、口を開けば呪詛を吐き出す。こんなはずではなかった。

 

 苛立ちを発散するように力いっぱいに叫ぶ。

 

 ――――――いい加減目を覚ませ。

 

 彼はある日突然狂った。有る筈もない感情に夢を見てしまった。いつの間にか呪いに掛かっていたのだ。

 

 何もかも”奴”との出会いがグリムの運命を狂わせた。もっと早くにクリムゾンが合流していれば違和感に気が付いたはずだ。手遅だとしても見捨てるのはあり得ない。

 

 救えるのはクリムゾンだけなんだから。

 

 グリムは、グリムはクリムゾンの・・・・

 

 

 クリムゾンがやらねば誰がやる。そう何度呟いたか。

 

 

 高位的存在の手駒となり約束の日を待ち続けた。その甲斐あってか長い月日の中でクリムゾンは黒幕の正体を掴んだ。

 

 ”奴”だけは生かしておけない。ゲームマスターの天敵と成り得るあの男だけは・・・

 

 絶対に。

 

 

 

 

 

 

「【皇世のマグナ】」

 

 数百年もの間に沈殿し凝り固まった地層のような決意が容赦なく力に変換されていく。

 

 振るう神性孕みし波動はただただ破壊だけを産み出す。天と地を思うがままに愚か者へと振りかざす。

 

 まさに天災。人知を超えた異次元戦闘。振るえば死ぬ摂理の果て。

 

 

 それなのに、どういうことなんだ――――?

 

 

 クリムゾンに迫りくる銀の一閃。

 

 膨大な質量を持った魔力の流動。

 

 そして界の主導権を掻き乱す想術。

 

 

 それらが三位一体となりクリムゾンに差し迫る。

 

 結論から言えばクリムゾンはまた攻めあぐねていた。神の力を得ておきながらも戦いが成立していた。

 

 流れがおかしくなったのは何も守れなかった騎士が聖剣を手にしてからだ。

 

 いや、違う。聖剣ではなくこの男はもっと別の何かを拾ったのだ。

 

 前まであんな目はしていなかった。

 

 迷いなき決意を秘めし眼光で挑むか。

 

 なぜ・・こうも苦戦する―――ッッ!!

 

 それもこれもクリムゾンを召使いの如く扱ったあのクソ女!なにが女王だッ所詮はお前も女だったなァッ!

 

 何を思ったのか人間どもを庇った挙句、余計な置き土産を渡しやがって!死ぬなら大人しく死ねォォッッ!

 

 

 異次元領域でありながら衰える様子を見せず聖剣と王笏の変則的な組み合わせによる二刀流で襲い掛かる騎士。どちらも第二級遺失物。天上の一品。それを二つも扱って見せるなど常軌を逸している。第二級遺失物は相互に干渉し合いその際に発生する神性は容赦なく使い手を変異させる、摩擦にすり殺されるはずなのに―――――その兆しも無い。

 

「えぇいッ!鬱陶しいッ―――――重力決壊」

 

「ウ、オオオォォォォォッアアアア!!!」

 

 放たれた空間圧縮による重力崩壊の余波も聖剣を振るだけで怪しげな光と共に相殺され対消滅する。面倒なのはその力を必ず聖剣が喰らいこちらに叩きつけてくる。その一閃はどこまでも伸びまるで終わりが見えない。

 

「ゼヤッァァァァッァ!!薙ぎッ散れ!」

 

 鈍い音と共に吹き飛ぶクリムゾンの体。当たりはしたがなんだってんだ。致命傷には成り得ないではないか。それでも確かな痛みは感じる。深紅の血が流れていた。

 

「ッ!」

 

 あの剣、たしか【異なり底の聖剣】・・・今は亡きフェザーンの至宝の一つだったか。周囲を喰らい力に変える剣。恐るべきはその変換効率。必ず倍以上で放出し神性すらも吐き出す悪食の剣。

 

 そしてもう一つ、杖も問題だった。あれのせいでどんな干渉も軽減する朱の守りが展開されている。それは騎士を襲う神性をも軽減し騎士の異能も相まって全てが完全に噛み合っていた。

 

 なんせ奴の異能は装備品の強化。持ち前の技能と噛み合い何倍にまでも戦闘力を高めている。

 

 ・・どおりで第二級遺失物の二刀流が両立が可能なはずだ。あの騎士はこの中で唯一クリムゾンを殺しうる存在へと成長したのであったのだ。騎士はこの土壇場で全てが揃い覚醒していた。

 

 未知なる両翼で羽ばたいて見せた。

 

 

 

(・・・・・・・・・・ぶへぇ、うぐぐ)

 

 レグナントは既に限界を超えていた。彼を突き動かすは孤独な支配者の涙、一端に触れてしまったという下らぬ感傷。どうしても見捨てることができなかった。

 

 彼はどこまでいっても愚直な騎士であったのだが見えない女王の手が彼を導いていた。

 

 

 

 

(神殺しが許されるものか―――っ)

 

 クリムゾンは憤慨する。

 

 やはり第二級遺失物ともなると常識では測れない。第二級は神の忘れ物と語られてきたが眉唾ではなかった。それが実力者の手で振るわれればどうなるか身をもって思い知らされている。すぐにでもこいつを落とさなくてはいけない。それがわかっていながらも実行に移せないのも他の二人の徹底的なサポートの賜物だった。

 

「いい加減にしろぉぉッッ天地回倒オオオッッ!!!」

 

「想起【ドリームマン】・・・・そのまま跳べッ祈り手ども!」

 

 どんな攻撃も待っていたかのように繰り出される想術で僅かにずらされる。

 

 また、してもだ。

 

 急激に強化された三人は自力で自転静止を耐え抜く。想術による事象誘因はクリムゾンの神たる力には圧し負けてしまう。それでもある程度の干渉は可能。力場を乱しつつグリムは祈り手二人を強化支援し個を増大させる方針に出る。的確に瞬間的に力を増幅させてくるのだ。敵に干渉できなければ味方を限界を超えてまで強化するまでと際限なしにサポートに徹する。

 

 精密な情報を楔の様に現実に穿ち本物へと昇華する想術はまさに使い手次第でいくらでも化ける天井知らずの力であった。

 

【悲劇の再演】(リ・アクト)

 

「ッ!また――ッグオオオオッ!!?」

 

 これで何度目だ。切り替わる意識の混乱。

 

 またしても時間が遡った。

 

 下手人は守護者に先生と慕われる顔色が悪い男、クラウン。

 

 この世に時間を操作する魔術はいくらか存在するも、ここまで時間を戻す魔術は存在しない。

 

 その魔術の詳細は知っているとも。

 

 【悲劇の再演】(リ・アクト)はほんの0.2秒時間を戻すことができ、それも記憶を引継いだまま巻き戻す魔力消費が激しいだけの産廃魔術。時間を戻すことで得るメリットとは意識が術者本人にのみ残るからであってそれでは意味がない。同じことを繰り返すだけだ。

 

 その様な短い時間ではなんの意味も持たないのに・・・・・だ。

 

 時間は早めたり止めたりは可能だが戻すことに関してはゲームマスターにも不可能。

 

 ああ、産廃魔術と評したがあの魔術の発案者は天才だ。戻した時点で偉業。ただ実用性が無いのもまた事実。これは嫉妬交じりの称賛にすぎない。

 

 それをだ。この男はすました顔で運用するのはどういうことなんだッ!?

 

 聖王国特有の聖句による神性付与による効力の底上げもなしに発動するとはどういうことだ!

 

 何をすればそんなことができるんだ!?

 

 

 クラウンの操るそれはなぜか15秒近くも時間を戻す。その魔術は派生も派生。駆動から発動までに数秒間のインターバルは要する魔術でありながらクラウンは連続行使を可能にした理由。

 

 クリムゾンが知る筈もない。なんせクラウンすら最近まで忘れていたくらいだ。

 

 ディアス家に継がれし固有継承魔術【狂歌】による賜物であった。それはとても古い魔術。

 

 その詳細を知る者も彼と、グレイズだけになってしまった。

 

 【狂歌】の効力とは後に使う魔術の連続使用。一回分の魔力消費で同じ魔術を何度も発動可能とする・・・・のだが【狂歌】の真価はそこではない。

 

 これと組み合わせ使用された魔術は絶対に暴走する。それが意図的に仕組まれたモノだったのか偶発的であったのか今ではわからない・・・

 

 暴走とは駆動と言うインターバルを無視し過剰に魔力を喰らい続け枯渇させる。本来暴走状態は歓迎すべきものではない。魔力が枯渇すればその先には死が待つのみ。

 

 魔力の過剰使用は寿命や免疫力に著しく影響が出るし、暴走は自力で抑えることは不可能だ。

 

 それがおかしなことに【狂歌】は初回だけ消費する魔力量が増えるだけで連携する魔術を何度も何度も平均として60~80回前後の連続使用をインターバル無視・二回目以降の魔力消費無しで行うのだ。それは魔力運用技術(マグステラ)における【魔力の矢】でも適用される。

 

 故に個人であれほどの弾幕領域を常に展開できるのだ。矢は雨となり激しい風化にクリムゾンは曝される。

 そのすべての矢をコントロールしフレンドリーファイアを避けるクラウンの精密なコントロールも筆舌に尽くす。

 

 

 つまりだ。隙間なく使用される魔術は一つの塊となり別種の魔術を発現させる。

 

 

 門外不出の魔術として定められただけのことはあったのだ。

 

 どんなに不利な状況も巻き戻されては回避される。15秒も時間を稼がればグリムが想術で対応してみせる。何度だって挑戦してくる。それは記憶を引き継ぐクリムゾンも同じで先読みで手を打っていく。読み合いが永遠と続いていくのだが・・・

 

 

 ――――ここでデメリットでしかないはずのクリムゾンの記憶の引継ぎが牙をむいた。

 

 

 

「ぐバぁッエ”ェァァァぁぁッッ――――!!!!」

 

 もう一人。

 

 グリムはそれになぞる様に想術でまるで時間が戻ったかのように周囲の環境、位置関係を数秒前の場景へと修正し偽の時間逆行を演出して見せる。それこそ精密に傷や欠けた大地や空気中の塵まで再現させる。相も変わらず異常な記憶力をしている。いや空間認識力か。

 

 時間逆行か、その模倣か・・・二択を突きつけられれば当然、錯覚を引き起こし判断力が鈍る。その数コンマの間に伏兵の様に潜む一人だけ立ち位置が変わる事の無い神殺しの剣たる騎士が襲い掛かる。場合によっては騎士だけ視覚外に転移させ奇襲を仕掛ける。

 

 騎士ばかりに注視していれば、それを利用しクラウンが極限にまで圧縮した超質量の魔力障壁で一撃離脱の体当たりを仕掛ける。その際圧縮された超質量の魔力の柱を叩きつけてくる。その速度もまた異常。自身を弾丸の様に射出する戦い方はとてもじゃないが魔術師の戦法ではない。まさしく蒼い流星。これが後方勤務のインテリの姿なのか・・・・?

 

 クリムゾンは知る筈もない。クラウンが魔力運用技術を重用するのも彼が質量攻撃の有用性を知っていたからだ。どんな強固な魔力障壁も物理無効の結界であろうと、物理的な干渉が少しでも可能であれば質量は裏切らない。一方的に相手を弾く。触れた時点で速度の乗った質量は相手をその守りごと弾き圧し退ける。あやふやな理想よりも目の前の現実。彼はリアリストであり過度が付く程の超質量主義者であった。

 

 巨大な建造物や山、石像や石柱、大地に根ずく高大な存在感が大好きだった。観ているだけで力が湧いてくるし興奮する。やっぱり太ももはいくらでも太いに限る!

 

 だから戦時中もそっせんして文化保護を推し進めた。変わる事の無い真実は全てを解決する!

 

「我が聖剣よオオオオォォォッ!!」

 

 よりいっそうと鈍く輝きを増す聖剣による鋭すぎる斬撃。

 

「そこだ。直上!!そのまま挟撃!」

 

 異能によりこの中で一番状況を把握する魔術師による的確な指令と痛烈な妨害。

 

「援護する!迷いなく飛翔せよッ!」

 

 完全にサポートに徹底する個人主義なゲームマスターではあり得ない連携援護。

 

 

 

 

「なんなんだ、――――何だと言うのだ貴様らはッ!!このゴミ屑がアアアアアッ!!!」

 

 圧されているだと・・・!??

 

 クリムゾンは血を吐き慟哭を漏らす。こんなバカなことがあってたまるか。クリムゾンは神なんだぞ!この吐き出された血も汗も同等の価値だと思うてかッ!

 

 こんな奴らに構ってやるような立場ではない。格が違うのだぞ。すぐにも使命を果たさねばならないのに。

 

 それだというのに、この身の程知らずどもは――――こちらの事情も知らないでええええぁぁぁッ!!

 

 聖剣によりクリムゾンを守る障壁を吸収されその力をもって大地に叩きつけられる。地面に転がり顔を上げる。

 

 ふと、その視界に何者かの足元が映った。

 

(――――――――――――アハッ)

 

 思わず口角が上がった。予定外の僥倖。

 

(幸運はやはりクリムゾンへッッ!)

 

 クリムゾンの体は跳ね上がる。 

 

 

 

 

 

 思わぬ人物の登場に動きを止めたのはクリムゾンだけではない。死力を尽くした戦いの中でも幾分かの冷静さは残っていた。

 

 だからこそ男たちは違和感を覚えた。”彼”がここにいる意味を。三者三様に感じていた。

 

「アハハハハアハ!!勝った!これが正真正銘の最後だァッ!!」

 

 ”彼”の背後に回り込み首元に爪を食い込ませ、高らかに勝利を吠える。この時クリムゾンが何をしようとしていたのか、3人にはわからない。

 

 無体を晒しながらも醜聞に笑うからには勝利を確信していたに違いない。だからだろうかクリムゾンは肝心な事実に気が付かなかった。

 

 肝心なことに気が付かない。

 

 

 

 ”それ”を見ていたゲームマスターは知っている。裁判所の一件から”彼”が不死者であることを。そして不死性が否定されたのを目撃していた。腹へと貫通する娘の一撃は致命傷であったが・・・・

 

 

 クラウンは異能により知っている。部外者たる”彼”こそがこのダンジョンのキーパーソン。黒幕の目的に深くかかわる自覚無き人物。それがここにいるという意味。クラウンの異能が完全に無効化され読み切れない。

 まったく読み込めないのは初めての経験であり、つまりこの男は、いや”彼女”は・・・この事実から、全部手遅れなのだと気が付く・・・

 

 

 レグナントは思う。本気でないが自身の一撃に反応した”彼”の登場にどんな意味があるのかわからない。それでも託された女王の杖が震えていた。何かを伝えようとしている・・・

 

 

「くひっ」

 

 

 パチン

 

 ”彼”は指を鳴らした。

 

「ッ?―――!??」

 

 グググッとそのまま無理やり引きずり出されたのかイグナイツの肉体からクリムゾンの魂が引き抜かれた。余りにも容易く脅威的な存在であったクリムゾンは意図もあっさりと無力化された。

 

「くぅグ、ギッ??な、なにが、え」

 

 戸惑うクリムゾン。先ほどまで勝利を確信していたのに急に踏み外した、外された。

 

 

 クラウンはただでさえ不健康そうな顔を蒼白にする。予想が正しければ・・戦いはもう終わる。これで決着・・・終わるのが戦いだけで済めばの話だが・・・

 

 ”彼”は明確に笑った。途端にぐにゃりと神性が溢れ周囲を歪め始める。

 

「「「ッッ!!!!???」」」

 

 三人の勇士たちは何処に立っているのかもわからない。不安定さの中での泰然自若な足場。体中がチリチリとする。変異の兆候。濃すぎる神性はあらゆる生物を篩いにかける。

 

 不遜なる者には罰を、宿業は内なる原罪を検める。

 

 やはり手遅れだったかとクラウンは戦意を失う。

 

 魂を掴まれたような息苦しさ。勇者はその身に”本物”の神を降臨させたのだ。クリムゾンを神の如き存在だと誤認した自身が恥ずかしかった。

 

 ”本物”ならばただ膝を折り祈るしかないのだ。

 

「想起【サイファー・プロトコル】」

 

「・・・」

 

「立てよ、まだ何も終わちゃいない、何も・・・」

 

 クラウン達を守る様に幾何学模様が走り保護する。

 

「障壁を張れ。多少はマシになる。変異までの時間は稼げるはずだ。特にアリスの因子を受け継ぐ祈り手であればこそな」

 

「アリス・・・そうか、そういうこと・・・・」

 

 グリムは苦し気な表情でゼエゼエと息をする。ゲームマスターでも耐えれるものではないらしい。もしかすればこの中で一番耐性がないのかもしれない。

 

「ならば貴公ら、私の近くに寄るがいい。聖剣と王杖が少しは盾となってくれる」

 

 流石の第二級遺失物。レグナントの周囲はどこか空気が違い落ち着いていた。

 

「それで・・・どうする」

 

「・・・どうするも何もできることなんてないですよ。かの存在は本来降臨するはずがない絶対者にして超越者、経典に綴られし神格。まさか戦おうとか思ってませんよね」

 

「・・・・・・そんなことはわかっている」

 

 グリムだって馬鹿ではない。あれがどのような存在か知らない訳ではないが、あくまでもそれは空想上の存在でしかないというのが我々の見解だったのに。

 

 この時までは・・・

 

 高位的存在の確認はされているが神とはまったくの別物。クラウンとレグナントの物わかりの良さは、信仰に生きる者だからこその反応だ。

 

 所詮は厳しい環境に閉じ込められた者たちが生み出した幻想だと考えていた。どうしようもない自然現象を崇拝し神格化させたのが信仰の源泉。同じものを信仰することで発生する連帯感と団結力が協調を作り秩序を蔓延させた。あくまでも信仰は支配者の都合のいい道具でしかなかったはず。それがいつからか、加護や祝福など魔力由来でないまったく別の力が産まれ始めた。

 

 神の存在の是非は生憎と使命の内に入っていない。だからこそまるで気にすることがなかった。神災だってこの世界では起きたところでなんらおかしくない現象なのだから。

 

「ここでずっと見ているつもりか?何もせずに死ぬつもりか・・?」

 

 グリムは”彼”の足元で崩れ落ちる抜け殻の娘から目を離せない。

 

 あれが神だろうが関係ない。あそこには娘がいる。私の全てがあんなところで眠っているんだ。誰が相手だろうと知ったことではない。

 

 あれの降臨した時点で世界の崩壊は決まったようなものだ。何もせずにいれば滅びが訪れる。

 

「何もかも滅ぶぞ。歴史も信仰も生きとし生きる者全てが」

 

「だからって・・・どうすればいいんでしょうね・・神との遭遇は・・想定外・・」

 

「今は様子を見るしかないだろう。辛くても耐えるんだ――――今更、諦められるものかッ」

 

 完全なる受けの体勢。受動的な姿勢こそが正しいのだと思うほかない。

 

 クリムゾンと神が何をするのか。その行き先次第で答えは変わる。

 

 だが碌でもない事が起きようとしていることは容易に想像できた。

 

 クラウンとレグナントは国の中枢に携わる立場だったので知っている。

 

 神に近しい巫女の一例から、神の興味を一身に受ける者がどうなるかなど想像に難くない。過度な恩寵は呪いとなんら変わりはしない。

 

 呪いが祝福となりクリムゾンに襲い掛かる。

 

 



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第67話 異神Alice

 

 

 ――――――――――Side/クリムゾン

 

 

「あ、あ、愛、会いたかったよ。クリムゾン、ちゃんっ!」

 

 クリムゾンは絶賛混乱していた。呆気にとられていたとも言っていい。なんとか理解が追い付くも後の祭り。

 

 止まらぬ悪寒。首に感じる圧迫。

 

 男の足元に転がるイグナイツの抜け殻が事態の異常性を物語る。

 

 クリムゾンは魂を抜かれた体験など初めてであり現状を把握しようと必死に理性にしがみ付く。

 

 男の放つ濃すぎる純度の神性に触れただけでもその衝撃は計り知れない。

 

 

 ――――この不死者はその身に何を宿している?

 

 

「なん、なんだお前は!不死者の領分を超え「――――う”る”さ”い”ィィィィッィッ」

 

 ボグォッ

 

 霊体であるはずのクリムゾンの腹に容赦なく拳が突き刺さる。

 

「ッッツ!?―――う”、グぅ???」

 

 有る筈の無い激痛が襲いクリムゾンの動作を停止させる。余りの痛みで横隔膜が痙攣し叫ぶこともできない。嗚咽ばかりが花開く。

 

「あ の ね!あの、ね!!いま、ね!Aliceがお喋り・・しているからねッ・・・・・・ちょっと黙ってて」

 

 不死者は力が溢れ出そうとしているのを無理やり押さえつけているのか、走る思いを必死に押さえつけている。

 

 嬉し過ぎてどうしていいのかわからないという感じだった。それを表すように神性が激しく漏れ出し流出している。

 

 こんなの、あり得ない。

 

 クリムゾンは、こんなの知らないッッ!!

 

 クリムゾンは”本物”を目の当たりにしてしまい、狂気に駆られそうになる。自身の振るう力すらその一端にも及ばないなど、こんな存在に触れられていることに絶望が遅れて終わりを告げる。

 

 男は霊体のクリムゾンの髪を掴み上げ揺する。耳元で叫ぶ様に唸るも上手く感情が抑え込めていない。すぐにも爆発しそうな正体不明な核爆弾。そんな物が顔のすぐ横で喚き散らす。恐ろしくて堪らない。

 

 待て――――アリスだと。

 

 クリムゾンは顔を真っ青に染めようやく真相に気付かされるが・・・

 

 もはや運命は決していた。

 

 

 

 

 恋都もとい体を奪い完全なる復活を遂げたAliceもまたテンションが最高潮にまで達していた。

 

 ―――――魂の解放。新たなる紙片が紡いだ運命の螺旋。

 

 必要なものがすべて揃い舞台に舞い降りてしまった。

 

 完璧な器による受肉。Aliceをアリスたらしめる役割、そして架せられた役からの逸脱。制約も役目も苦しみも何もかも新たなる旧アリス(恋都)に押し付け、更なる超新星へと至った。

 

 主役は遅れてやっくる。

 

 Aliceは興奮しすぎて何から始めればわからず衝動的な躍動に身を委ねる。恋都とは別の意味で会いたくて会いたくて仕方のなかった人物もAliceの機嫌次第。

 

 喜びの余り頭の先から足の指の付け根まで痙攣する。グリグリと目が泳ぎ視界が定まらない。言葉がどもってしまうのも無理はなかった。

 

 ビュオンブオン!

 

 喜びの余りただただクリムゾンを振り上げては地面に叩きつける。嬉しさがアリス性を駆り立てる。

 

 人形!人形!人形!クリムゾンはお人形なの!

 

 クリムゾンは霊体なのに地面と衝突する度に大地を血で濡らす。

 

「クリム ゾ ンち ゃ んッッ!会えて嬉し、嬉しいッ!!」

 

「ガァッ、やべテ・・・ギッ」

 

「本当に、なったとか思ったの!神に!・??全然!そん、そんなことないよ!クヒフッウフフフフフフお馬、鹿さんッ!かわ 異いぃぃ」

 

 赤い染みが広がり飛沫が辺り一面を染める。霊体でありながら血を流す矛盾。

 

 Aliceがそう望んだからだ。そういうものなのだ。望めば叶う世界に際限ない欲望を加味せよ。

 

 淡々と叩きつけられるクリムゾンの骨は砕け皮膚を突き破る。ボロ雑巾の様相を呈す。永遠と嬲られる。

 

 目撃者たちは・・・恐怖に震えた。

 

 あれほどまでに苦戦したクリムゾンが一方的に壊されていく光景。

 

 神であれば罰を下すのに理外の力を行使すると、どこかで思っていたのだ。それが手ずから純然な力で粗雑に野蛮さを振りかざす。原始的な力の発露。理解の範疇に収まる暴力で痛々しくも必死に懇願する者を追撃する加減の無さ。

 

 力を神が振るえば逃れるすべはない。

 

「治るよッ!すぐにでも、傷は ね!あああ、あいあ、あ、アAliceはだって、ク、フフク。優しい”アリス”だもん!―――ねえ聞いてるのッ?無視しないでよオオオオ!!!」

 

 支離滅裂な暴力が優しさに変わる。握力で握りつぶされた足首。皮と肉が骨からズリュりとすっぽ抜けクリムゾンだった血と汁が滲み出る肉の塊は腰から落とされ尻もちをつく。

 

 

 ―――――ぇ――ッ――違う、尻、もち・・・・?

 

 

 クリムゾンの傷は消え、さらに受肉していた。昔と何ら変わりのない姿。さらりと行使し挟まれる奇跡。死者が生者と転じた。

 

 復活させた意図などわかりきっている。徹底的に・・・遊ぶつもりなんだッッツ!

 

「お、お世話に、なななったよね!数百年!クリムゾンちゃんには ね。考えていたのAliceはね。ずっとッ?・・・なんでこんなひどい事するんだろうって。クリムゾンちゃんって、初めて出会った時から酷い事”アリス”にしたよね?・・・??した!したよー!で、でねでね!それってね!――――”アリス”に嫉妬してたからだよね、くふくふ」

 

 Aliceは意味深にグリムとクリムゾンの顔を交互に見比べながら性格の悪さを顔に張り付ける。

 

「・・・ッ!!やめろ!それ以上しゃべるな!!」

 

 知られていいことではなかった。秘めたるクリムゾンの想い。そして、そして・・・ッ!!

 

「聞いてー聞いて―!そこの人ーグリムー!!クリムゾンはああああ実のお兄ちゃんなグリム君に恋心を抱いてたんだッてえええええええ!!」

 

 グリムは突然のキラーパスに全身を強張らせる。神の視線がグリムを捕らえた途端に息が吸えないまでの圧迫感を感じさせた。それでも必死に耳を傾ける。

 

 兄妹、なんの話だ。そんな事実あるはずが・・

 

「やめろ!やめてッ!やめろおおおお!」

 

「―――ホントだよ」

 

「ッ!?」

 

 突然グリムの真横に現れたAliceはその耳元に囁く。全身の毛穴が開いたように冷たい汗が流れ耳からどす黒い血が溢れる。近くのレグナント、クラウン両者も凶悪な神性に中てられまったく動けない。神はそこにいるだけであらゆる行動を制限する。

 

 不遜な行動は即ち、死。

 

 今のAliceは顔に大きな穴を開けていた。何もかも吸い込む暗い闇。そこからボトボトと液体となった闇を吐き出す。

 

「全能で無能たる異神Aliceの言葉を疑う?クリムゾンちゃんはねぇ、あなたに対していつもお股を濡らしちゃうような変態さんなの。こういうのって近親相姦って言うんだよ、最高に気持ち悪いよぉクリムゾンちゃん。論理観本当にないよね。異常者!異常者!異常者だぁ!!」

 

 クリムゾンは知っている。実験の過程でどこからか”たまたま”混ざってしまったグリムの細胞。そのデータが指し示す変えようのない遺伝子情報。お互いの共通点。

 

 それは嬉しくもあり、悲しくもあった。なぜこうもグリムに惹かれるのか・・・打ち明けたくともこの関係性が壊れてしまいそうで恐ろしかったのだ。そんな思いを胸に秘め何百年もずっと一緒にいれば家族を超えた関係を望んだとしてもおかしくはない。好きで好きでしかたがないのだ。だからこそ、狂気に呑まれた彼を助けてあげたかった。

 

「グ、グリ・・ム・・ッ」

 

 見てしまわなければいいものをクリムゾンは救済を求めてしまった。グリムとクリムゾンの視線が重なるも、先に顔を背けたのはグリムの方からであった。

 

 それが拒絶されたように感じるのも無理は無かった。

 

「――――――えあぁぁッああああ”あ”あ”」

 

「わざわざ地上までおっかけてきて、そんなにグリムが好きなんだぁ。あんなにがんばったのに肝心のお兄ちゃんはずっと”アリス”にご執心。女としての価値まるでなくて可哀想・・クリムゾンちゃんって子可哀想、クヒッ!でもね、クリムゾンちゃんの糞みたいな控えめなアピール好き”!”アリス”に嫉妬してAliceを虐待してくるのはもっと好き”!だから殺すね”」

 

「あ”あ”あああああああああ」

 

「うるさい」

 

 そのまま無慈悲にAliceはクリムゾンの腕をむしり取る。虫けらのように四肢をプチプチと千切っていく。そのまま頭を掴み引きずる。痛みは心の傷だろうと強制的に現実に引き戻す。

 

「泣かないで!泣かないで!これから死ぬほど泣かせるんだから!今泣かないでッ」

 

 異神Aliceは更なる絶望を与える。

 

「これなーんだ!」

 

「――――――!!??」

 

 現れた箱型の大型機械。歪な歯の様に噛み合い回転するそれは、どこからどうみても挽肉機であった。何が行われるかなど、無邪気で残虐な神の曇りなき笑顔が答えを出しているようなものだった。

 

「ねえ知ってるぶいーんぶいーんぶぃぃぃぃ?これすんごい痛いよ。足の端からが特に痛い。実際”何度も”体験したから知ってるんだぁ。異物が混じるから、純度が落ちるからって・・そのままここに入れるのはやめろよね」

 

「ま、っまってください!ま、ま、ヒ」

 

「なんで知ってるかっていうとね、Aliceがポコポコポコポコ好きでもないのに産んだあいつら、君らはC種て呼んでたっけ・・不本意だけど一応まあ全部”アリス”でもあるんだよね」

 

 事実を淡々とAliceは語る。C種が死ぬ度にその魂は拠り所を求めアリスの元へと集う。死してなお母親を求め縋る。

 

 ダンジョン内でのC種の活用方法は多岐にわたり、食料として、魔力媒体として、更なる母体として、記憶も体験も否応なしにオリジナルたるアリスへと集積していく。C種とはつまり”アリスの役割”からあぶれたなり損ない。

 

 その背景から資格すら持てやしない醜い失敗作。それでも分裂した”アリス”の魂を持つ個体。根源たる叫びは”アリス”を求めてやまない。決して届かぬ星の煌めきに駄々をこね手を伸ばし続ける。

 

「だ、だからね!反省していい子になってね!子供の数だけの・・今までの”アリス”の歴史を実際に全部体験させてあげるぅ。くひひ。アリスが初めて召喚された戦前直後から今の今までッ!これは長編だぁ!」

 

 Aliceは狂気じみた目でカードを三枚取り出す。

 

「戦場地獄編、調教変質編、運命崩壊編、どれから行く?おすすめはこの調教変質編かな~尊厳も人格も徹底的に破壊されるからすごいよ!”Alice”が生まれた原因だからオススメ・・・どれがいいかな~まあ全部やるんだけどねくふふ」

 

「や――――やめっいやああああああああ」

 

「クリムゾンちゃんもぉ億は子供を産めば女に生まれたことに感謝するよ。偉大だねぇ。ア、ア ハハハハ ハハ ハハ ハハハ ハッッ!!」

 

 

 

 

 ――――――――ここから先は敢えて語るまい。目撃者は3人。それで十分だった。

 

 両者は姿を消したかと思えば、8秒ぐらい経ってからすぐに現れた。

 

 彼らからすれば数秒の出来事だが、実際には900年分の”アリス”本体の歴史と有象無象の”アリス”どもの歴史をクリムゾンは体験させられたのだ。

 

 クリムゾンは・・10分の3も経験することなく廃人と化した。もとより幻想体たる”アリス”と精神の作りも強靭さも、なにより現実の受け止め方が違う。

 

 いかにゲームマスターであっても緩急の無い苦痛のだけの永劫地獄では狂わずにはいられない。

 

 クリムゾンはうわごとのように何かを呟くばかりで完全に精神が破壊されていた。歪に膨らんだ腹は痛々しく、内腿を赤と白のコントランスが這う。

 

「あらら、前提から間違ってたみたい。ごめんね、まさかまともに子供ができない体なんて。何度も流産させてごめんね。フククヒ・・フフッッ可哀想!!クフフ。こんなんでどうやって幸せな家庭を築くつもりだったのかなぁ???アヒャヒャヒャヒヒヒャヒヒフフ!!」

 

 満足したのか飽きたのかクリムゾンの体はAliceの雑な払いでバラバラになる。それから何度も何度も踏みつける。

 

「弱者を、いたぶるって、こんなにも楽しい事だったんだ!!少しだけクリムゾンちゃんのことが理解できた!できちゃったッ!クヒハハハハ ハハッッ」

 

 あれほどまでに強大だったクリムゾンも本物の神相手では虫けらも同然だった。あまりにもあっけなく雑に殺されたクリムゾン。彼女の人生は何者かの掌の上で翻弄されるだけの人形でしかなかった。

 

 神との遭遇とは一往に不幸をもたらすとはっきりした。どうあがいても運命の向かう先は決まっていたのだ。軽い愛撫であっても人間は簡単に壊れかねない。

 

 女の声が混じる男のかん高い笑い声だけが木霊する。喜びに満ち溢れ世界を満たすようだった。

 

 

 

 

 

 

「さて」

 

 Aliceはゆっくりとしゃがみ込む。

 

 倒れ伏すイグナイツの頬を撫でる。初めて見せる慈愛と母性に満ちた穏やかな表情。”アリス”の血を継ぎながらもB種と違う決定的な因子の持ち主。しっかりとした”両親”の因子を引き継ぐこれこそが正統なる血統の連なり。

 

 この子は間違いなくこちら側の存在であり”アリス”と”彼”の子だ。最初は壊そうと考えていたが、なるほどAliceすら魅了する何かがこの子にある。それが知りたい!!

 

「アリス性に抗うとは、なんて愚かしいことか・・・そう思わない?グリム?ねぇねえ?」

 

 ずっとこちらを監視し続ける彼に問いかける。死に掛けでありながら必死にこの舞台にしがみ付こうとする醜い演者。返答は期待していない。一方的に自分本位に語る。終幕のスイッチはいつでも押せる。

 

「子供なんて見たくもないと思ってたけど・・・この子はやっぱり違うね。この子が産まれた事だけは感謝したくなっちゃう。クヒ、フフうふふ・・おかしいなぁ。Aliceの現状を考えるにこれまでの人生は儀式だったんだね・・・有頂天の頂へと続く長い長い階段だったんだ、よ!血を流し這いながらもAliceは遂に辿り着いちゃった。ありがとう!恋都!!アリスの召喚者!グリム!クリムゾン!・・・そして恋都!Aliceがこんなにも邪悪であるのはみんなのおかげッ!望まれるがままに遂にアリスは降臨したッ!ヒハアクフフフヒヒッッイヒヒヒィ!!アキャキャィィギギギ」

 

「ッッ!?」

 

 クラウン達三人は咄嗟に耳を塞ぐ。アリスの一声一声が脳が震わす。アリスは、神は神でも会話が可能な神。僅かな可能性を対話によって賭けるつもりだったがその考え自体が不遜。

 

 神には何人たりとも声をかけることは許されない。

 

「ああ!!これが母性なんだなって!こんなこと言ったら恋都はキモイっていうかも!しょがないよ!Aliceはアリス!女なのに男の体なんて、ふうふふ。ぎ ぎ ぎ ギぎぎ」

 

 急に腕を薙ぎ破壊される風景。ひび割れる世界のあらましに今度こそ終焉を迎え、

 

 

「・・だぁれぇ?」

 

 眼前に現れたどこかで見覚えのある気配に世界は静止する。

 

「お”、お、恐れ多くも、発言を、ゆ”る、していただけ・・ないでしょうか・・?」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

 膝をつき祈りの体勢でお伺いを立てるクラウン。この姿勢であれば信じる神や作法は違えど誠意と敬意は伝わると、伝われと一心不乱にアンティキアの神に祈り縋る。

 

 受肉した神に対し動けただけでも偉業。いるだけでも力を放出する神の威光がもろに直撃する。変異はもう免れない。

 

 クラウンの姿が変異していく。それでもまだ第一段階の症状に入っただけに過ぎない。肉体は魂を守る障壁。精神を蝕む第二段階に至るまでまだ自己を保てる!

 

 だが、覚悟のまま飛び出たはいいものの、言葉が出ない。しどろもどろに必死に切り出そうとするが、緊張と恐怖がそれを阻む。ガチガチと歯がぶつかる。

 

 ここまで来て、まさかの無駄死に。

 

 このような醜態を神が許すはずがない。

 

 無力なままに顔を伏せ祈っているのが正解だったのかと思っていたところ、意外なことに向こうから手を差し伸ばしてきた。

 

 

「・・・・・・・・どこかで見た顔だなって思っていたけど、飴のおじさんだ!」

 

 途端に機嫌をよくする異神Alice。ニコニコと温かな感情を振り撒き世界はそれに呼応する有様。ひび割れた世界に穏やかな陽気が漂い虹色の光が流れる。不安定な・・・神だ。こうも感情が世界に反映するか。

 

 それでも・・・考えようには破滅へのカウントダウンはまだ引き伸ばすことができるかもしれない!持ってくれよ世界いいいい!!

 

 まさかの好機到来。

 

 クラウンの思考が面識があったはずの過去へと誘い遡る。”アリス”に関する記憶の地層を掘り起こそうとする。グルグルと答えの無い迷宮へと誘う。

 

 そして、

 

 

 

 

「・・・申し訳ありません。なんのことか皆目見当もつきません・・・」

 

「・・・・・」

 

 が、まるで思い出せない。早々に諦め正直に答えた。元々クラウンは勇者召喚計画の音頭をとる立場に居ながらも否定的であった。詳細を知れば知る程現実味の無い杜撰な召喚計画。勇者という都合のいい戦力がいるなど実際に召喚されるまでは眉唾者でありクラウンのような考えを持つ者が多数を占めるぐらいだった。

 

 いかに戦況が押されていたからと、このような博打じみた計画に乗り出す事には甚だ疑問であったが当時の教皇による全権乱用がそれを可能にしてしまった。仕方なく監視の名目で決して少なくない私財を投げ打ったのは万が一を考えた故の保険。本当の真意を探るための行動。教会内での力関係を意識した結果なのだ。

 

 それがどうだ蓋を開けてみれば・・勇者は実在し召喚されてしまった。世界に異物を招き入れてしまった。

 

「そっか、あれは”アリス”が勇者だからじゃ、ないんだ・・・」

 

 被災した子供たちにパンを配り袋に飴玉を忍ばせたのは覚えている。恐らくその中にいたのか。やはりまるで記憶にない。

 

「でも、そんな優しさを持つ人が”アリス”を戦場に送り出すもんね。大主教だっけ?可哀想な”アリス”のことを知らないはずがないのにね、ね」

 

「・・・・・それは」

 

 実のところ本当にクラウンは知らなかった。

 

 計画の詳細は知れど召喚された勇者の囲い込みは既に終わっていたのだ。出資者という形で背後には大貴族がいた。勇者一人一人にサポート役として張り付く監視者どもは貴族の配下。長引く戦争による教皇への求心力の低下は大主教クラスも疲弊させた。そこにスキが生じた。あろうことか教皇は裏で貴族に助力を取り付けていたのだ。これが戦後に大きく影響を及ぼすことになる。

 

 勇者の扱いに問題があったのは知っているが、それこそ召喚獣の類として列する彼らの地位は高くなかったが改善したのは貴族連中。名が高まれば支援する貴族の発言力も高まり無視できなくなる。異能ありきに勇者が力を知らしめたからこその地位だった。それができない外れとされる者たちの環境及び境遇は劣悪だったのも事実。それを知りながらも私は何もしなかった。私自身が関われる領分を逸したためであり、力なき貴族たちが勇者の力を借り台頭し始める。

 

 だからこその対抗処置として私はあの名門に打診したのだ―――

 

 そしてこの計画の根の深さ、規模の大きさ誰かが裏で糸を引いていたはずだがそれも分からずじまいで私は心半ばに倒れてしまった。

 

 これも過去の責任か。

 

 

 

 

 

「あれは嬉しかったなあ・・・・」

 

 ”アリス”がまだ監禁されず怪しげな処置も軽かったころの話だ。たまたま監視役の目から離れフラフラと街中を出歩いていたことがあった。町に活気はなく人の流れはあっても表情には暗い影を絶やさない。確か不死者側が重要な拠点を数人で陥落させたとかって時期だったか。配給も減り、徴兵により男手も足りない。たまたま教会で行われていた炊き出しで並ぶでもなくボーと眺める”アリス”に対して飴の複数入った袋をくれたのがこの人だった。

 

 もしこの時”アリス”を連れ出してくれれば何かが変わっていたかもしれない。

 

 この世界で初めて触れた純粋な優しさ。単純な”アリス”はそれだけで持ち直した。

 

 Aliceにはそれすらも無かったのに―――――

 

 

「時間を稼いでも無駄だよ。そもそも何ができるの。既に宇宙の端から膨張を超える速度で変化は迫ってきている。今は最後のモラトリアムを楽しんだら?」

 

 宇宙と言う舞台セットをひっくり返す。ただそれだけのこと。くだらない余計な背景だ。

 

「う、宇宙?・・それは・・滅ぶということですか・・・?新たなる新天地に・・我々の居場所は・・ないのでしょうか」

 

「んふふ――――――」

 

 神は最後に邪悪な笑みを浮かべた。

 

 クラウンには宇宙がなんのことかわからない。それでもゲームマスターが目をひん剥いたことから事態の大きさは測れた。それから異能により脅威は”空”の先からやってくると知った。

 

 そうか、世界とはこういう形をしていたのか・・・

 

 スケールが違い過ぎる。そして最後の希望であったグレイズの行動も意味がない事も知らされた。あれはクリムゾンへの力の供給を止めるための行為。あくまでも対クリムゾン用の対抗策。もはやシステムなど関係ないのだ。

 

 アリスの器として機能してしまった勇者を使い転生してしまった神に何ができる――――

 

 皆が歯噛みする。これで終わりなのか――――人は無力なままの存在なのか・・?

 

 一心不乱に神を持たぬグリムですら祈っていた。祈るしかなかった。

 

 先に変異で死ぬか、新たなる祝福で死ぬかの違いでしかない。

 

 

 

 これで 本当に 終わり なのか?

 



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第68話 継ギ接ぎのアリス

 

 

 ――――――――――Side/???

 

 

 どこまでいっても黒き暗礁に行き先知れずの亡者が漂う。深淵に誘われるがままに罪人は奥に潜む紺碧の瞳へと吸い込まれて行く。多くが佇む者であり選ぶ意志を戴かぬ死人。

 

 ”彼”もまた迷い人。鬼の手に引かれ歩む幼子。その先に何があるか考えるだけの意志も無い。魂は引力に囚われ次第に闇の淵が飲み込もうと渦を描く。

 

 あと一歩、と来たところで闇の逢瀬が躱された。

 

「・・・・・?」

 

 数多の亡者が闇に身を投じる中で、”彼”だけは何者かに後ろ手を引かれ動きを止める。

 

 ”彼”は・・・・”恋都”は・・ゆっくりと視界が開けていく。

 

 温かい・・・掴まれた手首に感じた”熱”。

 

 同時に何者かの小さな影が恋都の腹部にいるのにも気が付いた。

 

 それはもう決して会えない小さくも大きな背中をした彼女。氷の獣の君。俺の腹部に顔を埋めその全身をもって俺を押しとどめる。そのせいで顔が見えない。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 どうして、なにも言ってくれないのだ。・・・・俺を一緒に連れて行ってくれないのか。

 

 しだいに雪解けていく鮮明な意識・・・氷に包まれた無貌の精神が解放される。

 

 じゃあ、この手は誰の手なのだと、振り返る。

 

 

 そこには―――――――大人のアリスが泣きながら俺を必死に繋ぎとめていた。

 

 

 

 意識が覚醒する。

 

 

 

 ――――――

 

 ――――――――――――

 

 ――――――――――――――――――

 

 

「―――――――ここは・・」

 

 恋都の微睡みは初々しくも視界を広げる。

 

 思い起こすは体に感じた重みと首の圧迫からの息苦しさ、怨嗟交じりの感謝の念。もがくことも出来ない不自由な肉体の檻。

 

 俺は確かに死んでいだ。では、これはいったい・・・

 

 恋都は揺る脳を前に吐き気を催す。

 

 なんだってこんなにも浮ついているんだ――――

 

 妙な解放感に違和感。

 

 意識が戻る過程で色々なモノが見えてくる。例えば頭に感じる柔らかな感触と俺を見下ろす影。

 

「よかった、まだ、生きていてくれた・・・・・にゃ」

 

 温もりの正体はチシャ猫であった。俺は膝枕をされているのか。

 

「こ、恋都に、お願いがあるの・・ニャ。恋都にしか頼めない重要な・・」

 

「・・・・・・・・」

 

 起き抜けにこれか。この女がどうこうして俺を助けたのは間違いないが、恐らく不測の事態が起きたのだろう。死人を蘇らせてまで何をさせるつもりか。

 

 どうして・・・あのまま死なせてくれなかった・・・・

 

 そう思いながらも心臓は鼓動する、している。俺は・・・どっちなんだ。

 

 本当は生きたいのか?それすらもわからない。

 

「どこまでも都合のいい奴だよなぁ・・・いい加減付き合えない。俺が協力するとでも?」

 

「お願い、お願いしますぅぅ。助けてください・・・騙したのは謝ります!でも、もうこれしかないの!恋都でなければどうしようもない!何卒・・何卒・・ッッ」

 

「・・・・・・・」

 

 みっともなく子供の様に縋るチシャ猫を膝の上から無関心に眺める。恥も外聞もなく泣いているがそれがどうした。顔に降りかかる涙が鬱陶しい。

 

 俺が死んだ後に想定外の出来事が起こったのが明白だ。

 

 この女は一貫して黒幕であるオリジナルアリスの為に動いていたのだぞ。つまりそのアリス関連で何かがあった。でなければ用済みの俺を蘇らせる理由が無い。見た限り俺の肉体を奪ったアリスはここにはいない。ぽっかりと無理やり開けた凄惨な現場と化した一室だが前よりも辺り一面から血の匂いが漂う漂う。

 

 ・・・これは拳による傷か。チシャ猫は手ひどくやられている。打撲痕がよく目立ち首を絞められた跡も残っている。腫れあがったチシャ猫の右頬に目蓋。殴られた箇所の角度的に俺の体を得たアリスの仕業か。アリスは何をするつもりだろうな。これ以上関わりたくないなぁ。

 

 ・・・そう言えば俺も首を絞められ最後に首の骨を折られて死んだんだったっけ。そうなるとやっぱり現況にある疑問が浮上する。

 

 ・・・いい加減、体の妙な違和感の正体を確かめるとしよう。

 

 

 

 この先最悪の予感がする。

 

 

「・・・・鏡を出せ・・・・・・早くしろッ!!」

 

「は、ハひィッ!」

 

 ・・・今更、か。もう知ったことではない。とにもかくにも早急に確認するべきであろう。膝枕された状態からでも見える俺の腕や足。

 

 なんか・・・おかしくないか?

 

 そもそも俺の魂はアリスの肉体へと移されてしまい、本来の肉体は奪われたのだ。

 

 眼球も無く手足も無い羽化することのない飼い殺しにされた芋虫の現状が今の俺であったはずなんだ。

 

 それがどうだ。手と足が見える。おまけに動く。忌々しい例のエプロンドレスから伸び主張する手足は俺そのものだ。そもそもなぜ、こんなものを着せられている・・??

 

 

 チラチラと視界の端に映り込む見惚れた白髪も、全身に感じる”熱”の正体も確認しなくてはいけない―――

 

 

 フラフラと立ち上がり覚悟のまま顔を上げる。虚空より出現した大きな姿見が俺の全身を曝け出した。

 

「――――――ふ、くくくく・・・・・よくも、やってくれたなッックソ女がぁッ」

 

 そこにはアリスがいた。

 

 小さな体に品質保証のエプロンドレス。血に染まった包帯まみれの手足に顔。俺は服を全て脱ぎ去り真なる姿を露わにする。

 

「やっぱり・・かッ!!ここまでするのか貴様は!!?」

 

「あ、う―――」

 

 平坦なる無垢なる肢体。幼さを残しながらも穢れを感じさせる悍ましさ。継ぎ接ぎだらけの人形そのもの。それが今の俺だった。ああ、縫い目が痛々しい・・・

 

 辺りに四散する大量の肉片から察する。あれも、これも、それもアリスのパーツの寄せ集め。この体を構成するパーツの出どころ。これこそ”熱”の正体。接合面から滲み出る血は視覚的にも痛みを幇助する。

 

 

 だが、俺にはそんなことがどうでもよくなるぐらい許せない事がある。

 

 

 俺の顔面。

 

 頭部パーツ。

 

 鏡の中でヨルムが目を見開き瞳が揺れていた。俺は鏡に噛り付き何度も何度も確認する。

 

 潰された左目が復活していたが白く濁った瞳をしている。それ以外はヨルムそのもの。首に走る縫い跡が痛ましい。

 

 そうこれは・・・・ヨルムなのだ。

 

 ヨルムの顔なんだ――――

 

 姿見が罅割れる。

 

 俺の感情を察したか言い訳の様にチシャ猫はまくしたてる。それが更に勘に障る。

 

「し、仕方が無かったのッ!使えそうな頭部がそれしかなくて、時間も無かったからッ!」

 

「そうか死ね、殺してやるよ――――」

 

 恋都自身も不思議に思う。なぜこうも怒りに駆られるのか。新たな少女の肉体によるものか、はたまた別人になることで枷から解き放たれてしまったからか・・・恋都は初めて他人の事で激情を覚えた。ヨルムを穢されたことにブチギレていた。

 

 恋都は己の隠し切れないエゴを実現させるために実験で多くの人間を消費してきた。そのことに関し一度だって罪悪感を覚えた事は無い。彼はそういう教育と遺伝子操作により仕上がった改造人間。憐憫の情など持ち合わせない。それは変異した後でも変わらなかった。彼はいつだって本音じゃない。変異で意識は変われども根本的に無意識な憎悪が勝っていたからこそ表に出そうとしない。根底的に自身を産み落とした環境、社会や世界を嫌っていたし、歪な自分が最も嫌いであった。

 

 いつだって建前と体裁ばかり。

 

 それがだ。自身と関わりの無い異世界に来たことで意識に新たな変化が見られた。最初にフォトクリスとの契約を通し、偽りの感情であれ家族のような親しみや、温かさをフォトクリスを通し知った。彼女もまた苛烈に、自分本位に生きる憧れのような存在。俺とは違い環境に左右されず己を第一に主張できる自由な人間であった。それが羨ましかった。

 

 それを転機に元からの変異も相まってか憎しみの対象のいない世界で花開く。様々な出会いが刺激を生み、比較させ彼を人間らしくした。イグナイツという理解を超えた常識を持ち合わせる怪物に出会い客観的な目線を持てたのも大きい。今まで矛盾した行動をしていたと理解した。だからこそ断言できる。昔の俺は変だったと。

 

 この怒りは正真正銘、恋都の心からの発露。ヨルムの脳みそを得て手にした借り物の感情でもある。美しくも最後まで戦士として突き抜け散ったヨルムの死を穢されたのだと。これは正統なる怒りであり、侮辱されたようで許せなかった。

 

 ヨルムの最後を穢されたのだ。

 

「ぶッ殺してやる」

 

 恋都は全裸のまま、ここで初めてチシャ猫を見る。そこで異常に気が付いてしまう。

 

 

 ア  ??

 

 

 

「――――――――――おい、なんだ・・それは・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

 急激に冷める激情。恋都は勘が良すぎた。握りしめた拳を緩めてしまうも衝撃の余り指先が震える。

 

 チシャ猫の異様に膨れた腹部から目が離せなかった。きわどい服装は布地は少なく丸出しのお腹は存在感をこれ見よがしに主張する。

 

 

 これじゃあまるで妊婦のそれじゃないか――

 

 

 急に冷や水をぶっかけられた気分だった。腫れた顔面、一人取り残されたチシャ猫、俺の体を奪ったアリス・・・まさか、まさか――――

 

 

 確信はない。証拠も無い。それでも状況が指し示す。違う違うと否定するも答えは無慈悲に下される。子供が出来るのが早すぎるとかそういう問題ではないのだ。その胎の中身が彼の原罪を揺さぶる。

 

「ミャ、ミャーを殺せばこの子も死ぬニャ!そうでなくともいずれみんな死ぬ!アリスに殺されるニャ!だ、だからこの子の為にアリスを――――そ、それとも、ま、また我が子を殺すのか、ニャ?」

 

「―――――――――――うギぇぇ」

 

 トラウマが再起する。自身のエゴを通し捨てたあの子。どれだけ忘れようと薬を服用しようとも消える事の無い罪。唐突に複数の目を携え蠢く不定形なあの子が如実にフラッシュバックする。

 

 それに今の恋都は邪悪な集合体。本来の自分である肉体的要素はどこにもない。全てが借りものの継ぎ接ぎ人形。

 

 見えない糸が俺を絡め取る。これこそ恋都が嫌った歪な摂理の完成系。何もかもが気持ち悪さと生理的嫌悪感で満たされていた。ヨルムの貌だけが唯一の支えだった。それでも、耐えれない。

 

 俺は・・・いったいどこにいるんだ?

 

 全身が震え思わず胃の内容物を吐き出す――――――

 

 

 

 

 

「ニ”ャ!?」

 

 頭を抱えうーうーと唸り出すアリスもとい恋都にチシャ猫は動揺する。チシャ猫にとっては予想外の行動。トラウマの存在は知っていたがまさかここまで爪跡を残しているとは露知らず。ここで存在の再構成による弊害が出る。チシャ猫は夢の住人の中で一番恋都の影響が少なかった。女王と違い思想や行動原理にまで影響はない。だからこそ徹底的にアリス側の存在であれた。

 

 どんな過程であれど彼女とてこの身に宿った生命は大事なモノへと変わっていた。

 

 異神Aliceに襲われ彼の受精率100%の精子をくらえば妊娠したと確信もする。”幻想体”と”唯一無二なる異なりの神”の組み合わせではA、C種の様に分裂した魂が与えられず正真正銘な新たなる命が誕生してしまう。

 

 あれほどまでに散々な目に遭わされておきながら、それでもチシャ猫はアリスの事が好きだった。子を憎むことが出来るはずもない。チシャ猫にはもうこの子しかいない。彼女にとっての新たなる希望であり最後のアリスなのだった。

 

 Aliceはイグナイツの存在は認めても・・この子を許容はしないだろう。絶対に認知しない。腹を裂いて引きずり出すに違いない。

 

 Aliceはもうアリスじゃない。あれもまた歪な継ぎ接ぎ人形。恋都となんら変わりない。そして私が作り上げたアリスでもあった。

 

(・・・・・・・・・・お母さん)

 

 夢の住人たるチシャ猫は外での活動時間をオーバーし過ぎた。何より力を使い過ぎた。消滅は確定された運命。

 

 この先親の顔も知れずに一人で生きていくことになるこの子には残りの力を全て注ぎ込み成長を促した。腹が膨らむたびに愛情が募る。その度になんの感慨も無く子を殺すアリスに恐怖した。早く産まれてくれと祈った。

 

 産んだところでAliceが居ては意味がない。愛憎乱れる複雑な心情は覚悟を決める。

 

 それは――――――神殺しであり、親殺しでもあった。

 

 女王にジョーカー、恋都と・・・・たくさんの命を弄び騙してきた。所詮裏切りまみれの人生だ。今更何を失う・・・?

 

 私はいつまでも道化を続けるのだ。

 

 今度は母たる創造主を殺そうとしている――――――

 

 言葉にするのは簡単だが達成するのは生半可な事でない。前代未聞と言っていい。

 

 在るだけで壊す変革者に対抗することができるのはその生の一端に消えぬ傷跡を残した者だけ。

 

 そのためには剣がいる。

 

 それもただの剣でない。アリスを唯一殺せる最終決戦兵器。それは転生の儀式の際、”アリスの役”に一度でも触れ、頭痛がするような隠れた因縁を持つ恋都にしかできぬ。

 

 例え神であろうと己が過去を消すことはできない。その過去があってこそ今がある。因果は必ず持ち越される。故に彼にしかできない使命だった。奴ほどアリスと縁を結んだ存在はいない。

 

 彼は行き詰った現状を打ち壊す救世主でもあるが、同時にアリスを絶望させる天敵でもあった。

 

 始まりは彼故にアリスの絶望も幸福も全てが彼に起因する。

 

 だからこそ特別な肉体を拵えた。消えた魂が戻ってくるかは賭けであったがやはり彼は帰って来た。

 

 これこそが運命の裏付け、必然性なのだ。

 

 

 ・・・・そんな彼には悪い事をしてしまった。殺されそうになった途端、思わず口にしてしまった。我が子を守るためとは言え、言ってはいけないワードを口にしてしまった。なんであれ、遺伝子上はこの子の父親であるのも事実。彼にまた同じ過ちを踏ませたくなかったのだ。彼の情報を基に存在の定義と再編成を行った身。彼の絶望はよく知っている、いや知っているつもりでしかなかったのだ。だから口が滑ってしまった。帽子屋はそれに感化され哀れに思ったからこそ真っ先に彼を囲った。領分を超えない範囲で同じ時間を繰り返し守ろうとした。

 

「う”――う”――――」

 

「こ、恋都。ごめん、ごめんね。本当にごめんね”」

 

 それでも彼にやってもらうしかないのだ。彼にしかできない。

 

 ・・・・できればこの子の面倒も見てほしかったがそれは酷か。彼もまた子供なのだったよ。

 

「今のは”忘れて”でも・・いつかでいいから思い出して。ちゃんと私に似たかわいい子に産むから。見つけたら可愛がってあげて」

 

「――――――――――――」

 

 子供の様に訳も分からず唸る恋都を抱きしめあやす。落ち着きを次第に取り戻し虚空へと帰結した意識は反転する。しばらくすれば回復するだろう。多少意識に齟齬が現れるだろうが彼は戦かってくれる。父親の責務を果たすことだろう。そう仕向ける。

 

 やはり今、産むしかない。

 

 無意識な世界の変調は得意だが彼はアリスだ。また壊れてもらっては困る。父親を演じてもらわねば困るのだ・・・!

 

「名前、考えたのになぁ」

 

 産み次第、彼の様に外界へと我が子を投棄する。親が親だ。神の子ならば生まれながらにして約束された絶対者。私も力は必要なだけ注いだ。あの雪の中であっても幻想体ならば死ぬ事も無い。

 

 この世は弱肉強食。自由を謳歌するには力が必要。恐らく神たるAlice側の影響で精神構造は普通じゃないだろう。どのような存在になるのか想像もできない。英雄か、殺戮者か、理解されぬ狂人か。

 

 

 あとは・・・・彼に託すしかない。

 

 恋都、、、

 

 

「ごめんね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――Side/恋都

 

 

「・・・・あ、あれ俺はなんで・・・」

 

「ようやく起きたかニャン!お寝坊さん!」

 

「あ、お前ッ・・・よくも俺を無許可に改造してくれたなぁ・・」

 

 何か違和感を覚えつつも最初に出会った頃と同じように俺にニヤニヤとした笑みを突きつけるクソ猫に攻め寄る。

 

「――――――――」

 

「どうかしたかニャン?」

 

「――――――――いや・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

 なんだか馬鹿らしい。まともに取り合っても相手は狂言回し。こんな事をしている暇はない。ああそうだ。本題に入ろう。

 

 本人にも自覚できない物わかりさの良さが話を促していく。

 

「俺にやってほしい事があるんだろ」

 

「ニャン、だからアリスについて教えてあげる」

 

 それでもチシャ猫は道化を演じる。もう決してぶれることはない。我が子に誓って。

 

 

 

 

「なんか・・お腹の下あたりが痛い・・」

 

 恋都は思わず下腹部を抑える。どうにも体が重い。

 

「ニャァ・・多分それ・・・いや何でもないニャ・・・・摩ってあげるニャ」

 

「うごごご」

 

 くそ、なんか股から血が垂れてきたぞ。どうなってんだ・・・継ぎ接ぎだらけの体だ。どこか縫合が甘いのかもしれない。雑な仕事をする。

 

「というか玉も・・無い」

 

「今はオンニャの子なんだから当たり前ニャ」

 

「お、女の子・・・」

 

 そうか、そうなのか。なるほど気持ちが浮つく原因はこれか。

 

 フワフワと地に着いた足から盤石とした大地の恩恵を感じえない。底を踏み抜いたような足場の不安定さ。体が浮いたようで踏み込みが甘い。

 

 それもこれもあれが無いからだ。そうに決まっている。

 

「勝つために作戦を練る」

 

「急にやる気になってどうしたニャ・・・提案しておいてアレだけどニャ・・・これからやることは前代未聞の神殺しニャ。新時代の秘蹟たる異神Alice。幻想の復刻者にどう戦うのニャ」

 

 はっきり言って無謀。策を講じようと降臨した神相手に通じはしない。小細工など烏滸がましい。

 

「神?とか知ったことか。どんなことでも戦略を練って挑むのは当然だろう。神は存在しない。あれが神なものか。ちょっと世界滅ぼせるだけのクソガキだろ」

 

 どう戦うって・・こいつノープランかつどこまでも他人頼りか。そもそも俺を蘇らせたのは俺が唯一の対抗手段だからなんだろうな。そういう意図が散見する。

 

 だったらやり様はある。Aliceは神かもしれないが同時に人間と同じ視線で物を語る。動機も分かりやすく復讐、安寧、帰郷、色々あるが一番は過去の払拭。そうすれば結果的に”アリス”と会えるのだと思っている。流れ込んだ記憶からそう判断する。

 

 何もかもが汚らしいこの世が大っ嫌いなんだ。ああわかるよ、その気持ち。前までは同じことを考えていた。許せないんだろう自分も含めて。だから全てを洗い流して再起を図ろうとしている。俺との違いはそこだけだ。

 

 俺は・・・死にたくてしょうが無かったよ。でも、ようやくこの世界で己と向き合えたのだ。間違いを知った。いろんな奴にも出会い様々な価値観を知った。誰もが持つ根源たる情熱に当てられてしまった。あらゆるものと無縁なこの世界であればまだ己の足で立ち上がれる。まだ戦える。

 

 ああ・・もしかしたらアリスは・・この世で一番の俺の理解者なのかもしれない。

 

 それに、それにだ。

 

 

「それに・・玉が・・・無いんだ・・」

 

「にゃ、にゃんだって???」

 

「俺の玉が無いんだよッ!どこを探しても!これっぽちっもッ!」

 

 チシャ猫は恋都の発言内容に耳を疑う。

 

 なんだ・・?恋都は何を言っているのだ?記憶は弄ったがこんな反応は想定外だぞ。変な風に作用してないか?洗脳したつもりはないのだが・・・

 

「あれがないとダメなんだよッ!男ってのはッ!まるで重力を感じない!お股すかすかで腰が据わらないんだよッ!?」

 

「え・・あ・・え?」

 

「―――――行くぞ。大事なものを取り戻しに。そのためにも情報をよこせ」

 

 恋都はこの時点でいくつかの確信を得ていた。おかしな言動はともかく冷静に状況を把握していた。今の俺に不死性は存在しない。当然だ、あれは薬による薬効。不死性は奪われたのだ。つまり肉体を奪ったAliceは不死性を有している。

 

 そして俺は一度でも死ねば二度目はない。

 

 だからこそ、できることがある。その肉体の意味を教えてやらねばならない。

 

 Aliceよ、首を洗って待っていればいい。

 

 夢見る少女には現実を叩きつけるのが効果的であろう。その体の意味を直接教えてやる。

 

 



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第69話 運命は劇的に踊る

 

 

 ――――――――――Side/グレイズ

 

 

 因果は収束する。引力は互いを惹きつけあらゆる清算を助長し演出してみせる。

 

 その戦いは確かに望まれたのだ。

 

 

 ――ッッ!―――――ッ―――ガギギッン!!!

 

 

 グレイズは血を吐きながら縦横無尽に風と巡る。

 

 ベルタの相手をしている暇も時間もない。この時も向こう側の世界で戦っている彼らに比べれば・・・だが動力施設まで走ろうにも無視できる相手でもない。

 

 グレイズは確かに成長した。

 

 その手応えも有る。

 

 が、それでもベルタは格上なのだ。

 

「あれあれ、おかしいな~。まるで別人じゃないかよ。いったいどうしたの大丈夫?」

 

 ベルタはマイペースに笑いながら痛烈な攻撃を仕掛けてくる。この先2ブロック先が目的地。迂回するにしても遠く、ベルタは強大すぎる障害。

 

 無視できる脅威でなかった。

 

「―――――ッ―――ゥッ!!」

 

 簡単に軽口を叩いてくれる!

 

 息も絶え絶えに全身の血液が血管を突き破ろうと突き抜けていく流動。ビキビキと血管が浮き上がり肉体の内側から出血し筋肉が断裂していく。

 

 急激な加速がグレイズの内臓を圧迫し眼球に血液が集中し血走り魔力放出による急激な加速が心臓を締め付ける。

 

 これだけやってようやく踏み入った領域。これがベルタのいる世界なのかッ。

 

 剣を打ち合う事数合、どんなに前に出ようとしてもベルタは必ず阻む。

 

「それそらー」

 

 気の抜けた掛け声からは想像できない痛烈な斧の連撃。岩から削り取った様な武骨な造形の斧を両手に、振り回される事無く叩きつけては質量で圧倒する。

 

 裁き切れず体が押され吹き飛ばされる。まともに受け止めれば魔力障壁ごと骨を破砕する。

 

「――――――ガぁッ!!?」

 

「防御に関してはよく頑張っている。でも感覚がノロマじゃスピードに振り回されるだけで意味がない」

 

 転がるグレイズに追撃を加えんとガリガリと地面に引きずらせ斧を振り上げる。火花を纏いながらもグレイズの胸を切り裂く。これだけ圧倒し致命傷を与えながらも殺しきれないのはやはり異常な再生力の賜物。それがわかっていながらもベルタは攻める。グレイズの焦りがわかっているからこそ時間を稼ぐ。無理して攻めなくても焦っってボロを出すとわかっていた。意識はこの先へと向いているのが見え見えだ。

 

 ベルタは巨大な剣を虚空から取り出し異常な速度で振り回す。決して武器に振り回される事無く見た目に反した膂力でグレイズを刻む。銀の髪を乱し獣の眼光が獲物を追う。その姿は獰猛な猟犬そのもの。

 

 牙は決して抜かれず獲物を床に壁へと叩きつける。それでもなお、グレイズはしっかりと頭部を守る。少しでも意識を失えば例の魔術が飛んでくる。グレイズは先生の忠告を守り必死に機会を待つ。”底”を見せつけ無力な存在だと思わせる。

 

 グレイズはこれ見よがしに偽の最大速度を見せつけ回避と防御に専念し的確にベルタの攻撃に対して魔力障壁を部分展開し噛ませ防ぐ。障壁は狭ければ密度は高まり強度も増す。それでも対応しきれないと演出してみせる。及ばぬ弱者を装う。我武者羅に命懸けでギリギリを保つ。

 

 ちゃんとやれているのかもわからぬほどに次々と思考が巡る。ベルタの攻め手が多彩でエグすぎる。

 

 

 ――――”砲弾”は既に装填されている。

 

 

 ベルタの後ろ回し蹴りがグレイズの頭に炸裂し、瞬時に大剣によるブチかましが貫通し喉元を突き刺す。それでも”砲弾”の形成を維持し続ける。

 

 後は放つのみなのだが・・・

 

 魔力精製の余念は怠らない。圧縮に圧縮を加え砲弾にまで成長した矢はいつ爆発してもおかしくない。

 

 前よりも動きが鮮明に見える。先生の破格な指導はグレイズを飛躍的に成長させた。

 

 クラウン家に独自に伝わる魔力用法。門外不出の技術を異能によって正確に継承された。

 

 だからこそベルタの強さが引き立つ。魔力放出無しに、素の身体能力で圧倒してくる。確かな成長に打ち震えながらも容赦のない猛攻に肝を冷やす。ベルタもガードの薄い頭部以外を必要に狙っては逆にフェイントを織り交ぜる。そうか・・彼女らの戦いの根本も先生による教えが根付いているのか・・・

 

 先生の言う通りだ。未だにベルタが大した魔術を使わないのはグレイズを見くびっている証。肉弾戦でどうにかできると判断させるギリギリのラインは保っている。

 

 動くならば。

 

 

 

 ここ、だ―――――ッッ

 

 

 

「ウオオオオオオォォォッッッ!!!」

 

 グレイズは強引に突き刺さった刃を無視し、自ら傷跡を広げながらも反撃を行う。グレイズの素早い体当たりからの剣の突き。だが、ベルタはまるで予想していた様に身を引き躱す。負けじと喉元を追いすがる剣先をベルタは首を逸らし避ける・・・はずだった。

 

「ッ?」

 

 異様なスピードで伸びる突き。目測が狂わせ頬を掠らせる。ベルタは戦いの中でグレイズの身体的情報は大体把握した。歩幅に呼吸、剣の間合いですら言い当てて見せよう。

 

 だがそこに予想を超えた剣の間合いが襲い掛かる。柄の端を握り間合いを伸ばすには異様なリーチの長さに力強さ。つまりは、これは異能!

 

「――――――――――――――ッ!!!」

 

 雄たけびと共に猛攻に出るグレイズ。それはまさに獣。獣人形態により膨脹する肉体がベルタを捉えその全身をもって体当たりを仕掛ける。爆走する巨体はベルタの魔力障壁に罅を入れ突き破る。その体は前よりも大きくなっていた。

 

 悲しいかな。これはベルタにとって想定内であった。いつか必ず異能を使って来ることは分かっていた。彼にとっての唯一の活路だもの。異能の成長性だってすでに一度目撃している。

 

 パワーもそうだが一番警戒すべきは咬合力。障壁を新たに張っても時間を稼ぐことなく突破すれば回避も防御も間に合わない。逆に言えばそれさえ警戒していればいい。噛みつきが無ければちょっと面倒なだけの雑魚にすぎない。

 

 グレイズの懐に潜りこみワザと咬撃を誘う。それでもリスクを無視して至近距離での近接を挑む。その逞しい両腕に抱擁されれば命にかかわる。が、それも通用しない。【転移】を持つベルタは回避可能。その手札は未だに見せていない。ビックリした時が奴の最後だ。虚をつかれれば意識は簡単に空白をもたらす――――

 

 ベルタの踏み込んだ足先が地面を陥没させる。腰の入った掌底が獣の顎を捉え顎諸共に牙を砕いた。感触が、意識を飛ばしたと実感する。

 

 意識が―――――遠のいた!!

 

 堅牢な城壁に穴が開いた。

 

 あの邪魔なA種がいない以上防ぎようのない死が襲う――――――――ッ??

 

 

 

 

 その瞬間ベルタとグレイズの意識は光に包まれた。

 

 気付いた所でもう遅い。グレイズの至近距離で魔力が爆発し、二人は光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 (――――――――――――――――――――)

 

 細い綱渡りであった。ベルタの動きは早すぎた。まともに攻撃を直撃させることもできない。それでどうやって”砲弾”を直撃させれる。どこまでも付け焼刃でしかない。いかに優秀な指導者がいても一朝一夕で身につくモノで無い。経験と実践が圧倒的に足りない。こんな精度では直撃は不可能。感覚だけで放つこともままならない。

 

 直撃でなければ倒すことはできないのだぞ。回避と防御を並行し、形成した”魔力の砲弾”の圧縮の維持を保つことで精一杯。とても発射に射角等の計算に思考を費やす暇がない。

 

 で、あればだ。

 

 トリガーは相手に引かせればいい。

 

 参考にすべきは先生でない。僕はそこまで優秀でない。本当に参考にすべきは勇者様との一戦。どうやってもタイミングを合わせれないならと自爆覚悟のカウンターに賭けることにした。

 

 

 異常な再生力を前に確実な一撃を決めるために勝負を仕掛けてくると信じていた。ベルタが本気を出させないギリギリのラインで弱者として戦う。ベルタにはこの先も戦いが待っている。余力を保持しなくてはいけない。雑魚相手に魔力を消費させてはきりがない。魔術を解禁されれば簡単に意識は飛ぶ。獣人化し攻勢に出れば後がない事の証明。相手に底を見せたと思い込ませる。

 

 痛烈な一撃を起点に薄れた意識は維持を解き放ち”魔力の砲弾”を暴発させた。

 

 ギリギリの・・・賭けであった。

 

 ベルタの魔術は刹那で命を刈り取る。意識が飛んだ瞬間が勝負。

 

 暴発が先か、魔術が先か。

 

 威力は勇者様との戦いで保証済みだった。

 

 

 ドガアアア――――――――――ンッッ!

 

 

 両者は衝撃と魔力特有の光の残滓に包まれ爆ぜる。

 

 煙のベールに覆われながらも大きな影が動いた。暴発の余波から逃がさまいとしっかりと爪がベルタの両肩に食い込んでいたのだ。衝撃で間合いを開かせないために、そして確実に直撃させるために。暴発すればエネルギーは指向性も無く四散するので威力が弱い。無駄を省くためには至近距離にまで接敵させる必要があった。

 

 そして暴発は指向性も無い魔力の爆発を生じさせた。それはベルタの魔力障壁に通じないが為の拘束。ベルタは抜け出そうにも鋭い爪がさらに食い込む。【転移】しようにも肉体に入り込んだ異物が阻害する。【転移】は同意の無い相手を巻き込むことができない。

 

 誰かの血が空気を濁した。

 

 

 ・・・ベルタでも知ることのない事だが、血に触れお互いのアリスの因子同士が反応した結果ベルタとグレイズは一つの体として認識された。故に【転移】はどうやっても不発。

 

 

 

 ――――――ベルタはどうなったのか・・・確かな事は致命的な僅かな隙が生じたということだけだ。

 

 

 

 

 ――――――――――Side/ベルタ

 

 痛烈な衝撃に身を窶す。

 

 ベルタは煙の中から現れたグレイズの顔を見て、呆れて笑った。無い頭を使い死力を尽くした男の顔がそこにあった。醜くも評価に値する。覚悟ばかりはいっちょまえか。

 

 ――――――高揚が昂ぶらせる。

 

 自爆まがいの一撃。

 

 当然グレイズも無事では済まなかった。衝撃は圧となり、壁となり魔力障壁を展開しなかった体の前面をすり潰し破壊した。伸びた獣の鼻先を半分にまで凹ませながらも血走った目がベルタを捉える。左腕は肘先から断裂したもののベルタの肩に食い込んだまま垂れさがる。だが右腕はしっかりと掴んでいた。

 

 瞬時に再生した強靭な顎が狙うはベルタの首。

 

 ”魔力の砲弾”と噛みつき。禁断の王手二段撃ち。不死性を十全に生かし気合で事を運ぶ、どこで破綻してもおかしくないゴリ押し戦法。

 

 それでもしっかりと未熟な獣の牙はベルタに突き立てられたのだ。

 

 それで終わりでもよかった。

 

 だがそうはいかない。

 

 こんなにも楽しければ無視できない相手となる。

 

 血生臭い逢瀬が始まる。

 

「――――――――――正直・・感動した―――ッね」

 

 グレイズの耳元で不穏なサイン。なぜ喋る。間違いなく僕の牙は障壁を粉砕し首に齧り付いた。この血の味こそ何よりの証明。

 

 それがどうして、こうも・・平然としていられるものなのか?

 

 抑揚のないベルタの声が不穏を生む。

 

 ベルタは意識を変えた、変えてしまったのだ。

 

 

 ―――――つまるところの本気にさせてしまった。

 

 

「楽しくなってきた なッ!」

 

 違う、おかしい。なぜ未だに噛み切れない。

 

 グレイズの誤算。自爆による自傷。全身の傷は激痛となり感覚を鈍らせる。それ故に顎の異常に気が付かない。ベルタは瞬時に親指をグレイズの下顎窩に差し込み顎関節を的確に破壊したのだ。指が顎の機能を阻害する。馬鹿げた筋力を持とうと発揮できなければ意味がない。後手に回ったがベルタは間に合ってしまった。

 

 寸でのところで射抜かれた。

 

 

 ――――――それが なんだァ――ッ!!

 

 

 強引に機能しない顎が不自然に膨張する筋肉に押され牙が首筋に食い込み沈んでいく。ベルタは初めて苦し気に息を漏らす。

 

「うヴべッ――そのまま、よく食らいつけ・・・耐えれるものなら耐えてみろッ!!」

 

 ドゴオッッッ!!

 

「―――――――――――――ブヘッッ!!!!?」

 

 声にならない嘶きが首に、ベルタの傷口をくすぐる。グレイズは突然の衝撃に身を震わせ喉元に込み上げる血液を鼻や口から霧状に噴出する。ベルタの空いた両腕が次々に破城鎚の如くノーガードのボディに突き刺さる。余りにも重い一撃。思わず目を剥き、血涙を垂れ流し、滑付いた汗がブワリと玉の様に噴き出す。

 

「ガァッ!ゴガアアアアアア!!」

 

「おぐぅ―――ぐおおおおお!!!」

 

 平静を装い精神的余裕を見せつけるベルタ。実のところ追い込まれているのはベルタも同じだった。拳が突き出される度に負けじとグレイズも首に牙を食い込ませる。

 

 肩に食い込んだ爪と握力が拳の威力を低減させる、魔術を使おうにも殴り続けなければ食いちぎられる。何度も言うが獣の顎撃を舐めてはいけない。ベルタの膝が獣の肝臓を破壊する。

 

「ガアアアアアアアアアッッ!―――――ガッッアアアアがアッアアアアアァァ!!!!」

 

「ウ”ッ!?ギッ――――ガアア!!!」

 

 両者ともに引くに引けず逃れることも叶わない。白熱した死の抱擁。デットレースに未だ終わりは見えず。グレイズにとっての勝機はここにしかない。間合いが開けば二度と捕まえる事は不可能。油断の無いベルタを捕まえることはできやしない。純然なパワーとタフネスを活かせる盤面まで漕ぎ着けたが手札はあらかた提示してしまった。もう後がないのだ。

 

 我武者羅に、無茶苦茶に前進するしかないのだ。

 

 ここで勝利しなければ逆に負ける。負かされる―――――魔術の行使だけはなんとしてでも封じ込まねばああああああああああ!!

 

【強靭】

 

 発動までようやく漕ぎ着けた筋力強化の魔術がグレイズの体を更に膨張させベルタを押し倒そうと迫る。ただ前へと体重差を利用し巨体をもって押し潰す。

 

 「ぐぶぅッ」

 

 血を吐くベルタから勝利が垣間見えてしまった。

 

 ・・・・その行動は間違いではない。戦術も悪くなかった。

 

 

 ただ――――――時間をかけ過ぎた。

 

 

 命のやり取りの中での魔術の行使――――グレイズにできてベルタにできないはずがない。

 

 一流も一流。高位魔術師であるベルタが魔術で押し負けるはずがなかったのだ―――――

 

(ああ・・本当に・・・面白いな人間・・・)

 

 グレイズを敵と認識してしまった。リズと同じで評価に値する。数百年ぶりの命の危機。まさかただの人間にここまでされると思いもしない。この魔力の運用癖はあれだ。”先生”だな、こいつに入れ知恵したのは。

 

 ある意味、後輩なのか・・・

 

 ベルタは血を吐き出しながらもその口元は、はっきりと笑っていた。

 

 使用を控えた魔力の駆動は終わり魔術の起動も完了。あとは発動するのみ。

 

 

 ベルタの得意分野はなんだ?こうやって殴り合う肉弾戦か?違うだろ。

 

 

 もっとスマートに行こうぜ。私は素敵な―――魔術師だ。華麗に行こう。

 

 

 禁忌たる深淵の力。今集う。懐かしき光に釣られ過去を慮る。幼心こそが我が始まり。終わりなき刹那が大人を殺す。薄汚れ、誰もが無垢を肯定せず。

 

 

 

            白亜”劇場”【幼心朝廷】(ロ=フェルマ)

 

 

 

 ベルタが保有するもう一つの切り札。

 

 さあ!賛辞と称賛と死をもって送り出そう。

 

 晒したからには生きては返さない。観る者全てが塗り替わり新たなる情景が展開される。

 

 さあ、劇場開廷だ。

 

 狂乱せよ!!狂乱せよッ!!!

 

 

「!? なんだってッ!?」

 

 突然の消失。

 

 ベルタが目の前から忽然と消え力が空振り鋭い咢が空を食む。

 

 グレイズは馬鹿な、馬鹿なああああ、と・・周囲を見渡し姿を探すが、奇奇怪怪な未知なる異界に閉じ込められた。

 

 わなわなと手先に残る温もりが未練がましく拳を握る。ここまできて・・あと一歩、届かなかった。敗北の事実に収まりが付かず吠える。慟哭に悲しさを帯びる。

 

 

「そのあと一歩って、君が考える以上に遠いんだぜ。決め手に欠け不用意に長引かせるとこうなる。それでも褒めてあげよう。ベルタにこれを使わせたんだから誇れ”グレイズ”。存分に死ね」

 

「―――――――――なんだこれはッ・・・」

 

 世界は塗り替えられた。やたらとファンシーでフワフワとする気の抜けた雰囲気。形容しがたいまぬけ面の生物が跳ね翔け躍る。まるで絵本の世界だ。

 

「劇場――――開園。劇場共演型術式は初めてかな?進行役は当然この私様なんだよね!!」

 

 ベルタは冷汗を流しながら余裕を見せつける。やはり慣れないな。

 

 ”何者か”の干渉を受けるこの術式は・・・・術者だけが感じる謎の視線にはいつまでたっても慣れそうにない。

 

 ベルタは首の傷を癒し、動作を確認し一回り小さくなった敵の姿を迎える。まあ初めても何もこの型式の魔術は巻き込まれた時点で命運は決まる。ただ確定した死を迎えるのみ。彼は気づいているのかな。自分の姿に。

 

 引き込んだ対象の完全無力化。魂は解放され術者以外をデフォルメされたキャラクターと化す。

 

 どんな攻撃をも”世界観”に則った相応しいものへと変換。公然と子供と大人の構図を作り出す。これから始まるのは戦いではない、一方的な蹂躙だ。それにベルタの性癖がよく表れている・・・我ながら糞みたいな性質だ。副次効果で魔術の行使者はその発動に身もだえするほど快感を伴う。敵さんに申し訳がない。でも知ってほしいんだ。

 

 

 魔術って最高だよね!!

 

 魔術最高!!魔術最高!!

 

 足腰立たなくしてやる!

 

 

 劇場共演型の魔術の習得は”域”を超えた者にしかできない。通常の魔術と違い継承されたり教導によって習得するのではなく詳細を開示されたところで身に付きはしない。

 

 完全なる固有専用魔術。この世に二人もいない唯一無二の発現者。術者の糞みたいなエゴを押し付け限定的な位相へとシフトする。性質上範囲内の対象は強制的に巻き込まれ違う法則性に魂を解放させられ殉じなくてはいけない。不可視の流れに身を任せねば抗うことも許されない。

 

 致死性の高い強力な術式だがベルタは制作・習得できる立場でありながらも苦肉の策で習得していた。想定する敵はいつだって更に前に行く者。

 

 習得した時点でまだセイランは産まれていなかったが、終ぞ戦う事も無かったが憧れであり密かにライバル視をしていた当時、一強時代を築いた【氷結界域】への対抗策でもあった。

 

 持ち前の火属性で冷気に対抗しようとも、もう一つの固有属性から放たれる魔術への対策は難しく異能を絡めた実戦経験が違い過ぎる故に長期戦は不利、初手での早期決着が答えであった。戦いであればこれで正しいだろうが、納得のいかない。相手だって秘密の切り札を解放する可能性だってある。

 

 もし同じ型式の術式を使われてみろ。位相と位相は重なり合い融合する。どんな変化がもたらされるか誰にも分からないのが劇場共演型の怖いところ。

 

 ほんとは・・彼女に試してみたかったなぁ・・・

 

 

 ベルタは前に一歩進む。相手の底は理解した。これ以上の方策は―――ない。

 

 

 

 

 

「―――――――ッグ、ゴホッ―――!?」

 

 

 だからこそ、この心臓の痛みは完全なる不意打ちだった。ベルタは胸を抑え倒れ込む。激しい動悸が息を切らす。

 

 

 

 

 

(なんだ・・・?)

 

 景色が捻じ曲がる。急な世界の移り変わりにグレイズは瞠目する。

 

 急にベルタが胸を抑え息を荒げている。

 

 優勢だったはずなのに苦しむベルタに困惑する。これはいったい―――

 

「間に合って、しまったなぁッッ・・・・えぇッ?」

 

 元の無機質な通路。暗がりから何者かが壁に背もたれ先の無い血塗れの右腕を突き出す。

 

 

 そう、彼こそは―――――彼の名は!!

 

 

 不敵な笑みでリズは笑っていた。

 

 

「リ、リズゥゥッ・・何したんだリズウゥゥ――――――ッ!!!」

 

 胸を抑え血反吐交じりに及び腰になるベルタは必死に叫ぶ。

 

「お前右手を切り落としただけでいいと思ったか?せっかちが。こんなんでも神言魔術は有効なんだぜッ」

 

「なんぉぉッそんな馬鹿な!」

 

 ベルタは滝の様に汗を流しながら人知れず未知なる魔術による苦痛と快感を覚える。苦しいけどやっぱり苦しい。それでも未知なる魔術に触れた時のワクワク感は気持ちがいい。決して想定外の事態に思考を止めない。媒体起点の遠隔からの魔術作用。

 

 こいつ呪詛も振り撒けるのであるかあああああああ!?

 

 リズの神言魔術がベルタに炸裂した。

 

 

 【濡れ手に刃】――――

 

 対象の肉体を媒体にその部位を”破壊する”・・はずだった術式。そう破壊するのだ。にぎにぎするだけで終わらないのだが驚く程にベルタの心臓は頑丈だった。脈が・・力強すぎて逆に弾かれる。いつまで強敵ムーブを続けるつもりだこいつは・・・?

 

 リズは呪いが弾かれそうになるのを必死に喰らい付く。それもこれも右手の不在が原因と思われる。リズ自身もこの術式を発動するのは初めてだった。当たり前だ。この術式は何を想定して作られたのかまったく理解不明だったのだ。媒体と同じ部位を破壊するんだぞ。心臓抜いたら人は死ぬ。特攻で心臓を奪っても普通はそれで死ぬし、生きていたとしてももう心臓はないのだぞ。

 

 当たり前だ。

 

 今となってはこれが再生力に富んだ相手専用だとしか思えない。グレイズやベルタの様な再生力お化けにこそ有効な限定的すぎる神言魔術。

 

 まさか・・神はこれを想定していた・・?

 

 運命としか思えない。

 

 リズは目が覚めた時、手の無い右腕を見て断面が綺麗すぎることから切断されたあと右手は捨て置かれそのまま放置された可能性に賭けた。

 

 神言魔術への理解や信仰の貴さを知らぬ者にセーフラインがわかる筈もない。何が罪で罰なのか・・・

 

 神の機嫌の良し悪しなど外様にわかるものかよ!!

 

 心臓を握りしめたリズの右腕は切り落とされ無残に地面に堕ちた時点で不敬に当たるのだとばかりだとベルタは考えたに違いない。それはA種の心臓を利用した自己強化神言魔術【正統なる血統】の条件の重さから推察したのだろう。ついでに特攻も封じた。

 

 特攻・・右手の無いリズなどに後れを取る訳がないと・・・油断した。裏を返せばそれほどまでに無視できない脅威だったのだ。

 

 信仰と無縁の強さを誇る守護者にわかれというのが無理なのだ。

 

 

 

 

 ベルタは条件の絶妙な緩さにしてやられた。

 

 そんなの、―――――わかるわけないだろおおおおおおおおッ!!

 

 負傷ではないので心臓に治癒をかけても無駄。右手と心臓は異界のどこか。拾いに行くことも叶わない。

 

 ふ、ふふふ。これで勝ったつもりかぁァ――――ッ!?

 

「手つきが・・だいぶいやらしいぞリズゥ、そこ胸だけど触る場所ずれてるッゴヘッ――――はぁ、ハァ――童貞、じゃ無いんだからさぁ」

 

「な、なんで知ってんだ」

 

「――――ッ!?」

 

 ベルタは思わぬ返しに戸惑う。グレイズも驚く。だってあり得ないだろ。Bランカーともなれば女に困らない。勝手に向こうから擦り寄ってくる。金も力もある。

 

 だがッ、矛盾しているがリズの態度がそうと言い切れない真実味を孕んでいた。

 

 

 ドゴオオオオオオオオオン!

 

 

 今度はなんだ!?と畳み掛けるように爆発音が響き少し遅れて唸りをあげ何かが迫る。

 

 この音はまさに水の音であった。

 

 

「「なッ!?」」

 

 リズは驚愕し、ベルタはグレイズに振り返り叫ぶ。

 

「まさか―――囮だったのか!?」

 

「―――――――――」

 

 違う。そんなはずがない。だって、先輩たちの傷じゃ爆破した後、逃げることができない。それどころか辿り着けるかもわからないまでに疲弊していた。ベルタですらも放置してもこの状況下では勝手に死ぬと判断させる程度の実力と負傷者の数。

 

 放っておいても黒い怪物に殺されると、そもそもこの道を抑える限り回り道するしかなくその経路は遠い。騎士団の実力では辿り着くのは不可能。

 

 グレイズは先輩たちを逃がしたつもりであった。このタイミングで爆破する人間は彼ら以外にあり得ない。

 

 偶然?そんな都合のいい事があり得るものか!!

 

 先輩たちは僕の為に道を切り開いてくれたのだ。この水の流動こそがその証明だった。

 

 ――――――彼らは最後に祖国を守る盾となったのだ。

 

 想いが伝わり涙を振り切りベルタに襲い掛かる。

 

「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおッッ」

 

「ッ!【炎帝】ッ灰塵に帰せええええええッ!!!!」

 

 ベルタが慌てて魔術を起動する。

 

 【発火】の派生。それも正統なる後継。【発火】と【炎帝】は同じ制作者であり、それは術式の優秀さの証明となりえる。起点的魔術は優秀な機能美が認められたからこそ後世でその要素を取り込んだ派生魔術が多く誕生したのだ。

 

 効果は至ってシンプル。小さな太陽を作り出す。発動したが最後一帯が蒸発する。

 

 だが――――――

 

「んへぁッ」

 

 動揺するベルタは迫るグレイズに対し魔術を放とうとするも心臓が締まり強制中断。起動から発動までのシークエンスに失敗し、グレイズの剛腕がベルタの顔面に炸裂。

 

 そのまま、冷たい水の奔流は彼らを飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 怪しげな機械が立ち並ぶ中で水浸しどんどん水かさを増す施設内で力なく寝そべりながら氷水騎士団副団長はそれを眺める。

 

 なんとかここまでたどり着けたのも重傷者を一人ずつ囮にした強行作戦を実行したからだった。

 

 

「・・・悪いなみんな、ここからはあいつの未来に賭けてみるとしよう」

 

 みんなボロボロの体で笑っていた。誰一人無事な者はいない。グレイズが同行しなければ脱出など夢のまた夢。ここは未だに第二階層。出口は遥か遠く、現実は更なる苛烈さを増すばかり。

 

 最後に騎士の意地を張らせてもらおう。氷水騎士団はここにあり、と――――

 

 悔しかったし情けなかった。あの女は俺たちなど眼中に無かった。それほどまでに強者であった。そしてそれを後輩に任さねばならない現実に奥歯を噛み砕く思いだった。

 

 

 命よりも大事なものがある。ここで逃げてどうなる。誇り無くして生を拾えばただの負け犬。騎士団の先達として示しがつかない。騎士は逃げない。騎士は守らねばならない。たとえ人知れず死ぬとしても誉は消えない。

 

 

 これもまたみんなでひと泡吹かせようと、無力なままで終わらせまいと男の意地を張った結果であった。残された者は皆雄たけびをあげ障害である黒い怪物相手に果敢に挑み時間を稼いだ。喰われながらも必死に剣を突き立て、最後に知識のある俺が残った。

 

 

 悔いなどあるものか。

 

 

「本当に・・・成長したな。お前はもっと強くなる。それが見れないのが残念だ・・ゴフッゴホッ!」

 

 最初の頃のような生き急いだ余裕の無さは鳴りを潜め、それどころか余裕すら感じさせる。グレイズはここにきてようやく羽化し始めたのだ。それを止めてしまうのは同じ戦士として許せなかったのだ。副団長は確かな予感を感じていた。新たなる騎士の誕生を。

 

 とは言えグレイズもまだ経験が浅い。不測の事態が起きる可能性もある。せっかくだ。英雄譚に少し噛ませてもらおう。誰かが生きていれば意志は引き継がれる。思いは無駄にならない。

 

 行け、どこまでも、行けッ!お前は、生きるんだ――――!

 

 人知れず影の立役者は頭上から決壊した水の流れに飲まれ、終ぞ浮上することはなかった。

 

 この行為がどんな影響を与えるかも知らずに満足げに水底へと誘われていく・・・

 

 

 



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第70話 それは偽りなき迷走

 

 

 ――――――――――Side///異神Alice

 

 

 ―――――遠方での爆発。

 

 

 振動は微細ではあるものの勘のいい者たちには伝わる。心当たりがある者ならばなおさらだ。

 

 その爆発はいち早く異神Aliceに届き遅れてクラウン達にも伝わる。

 

 ここでクラウン達はようやく違和感の正体に気が付く。この異界は既に現実世界と融合しているのだと。

 

 Aliceは妙な異物が流れ込む感覚に不快感を表す。僅かな温情を裏切られた気分だった。

 

 異神Aliceの意識がクラウン達へと向かう。グリリと動く眼球。

 

 きっと”彼女”が割り込まなければ―――――僅かな苛立ちの籠った視線が彼らを捕らえれば消滅させたことだろう。

 

 決意を秘めたチシャ猫が舞い降りた。

 

「ア、アリスッ!大変だニ”ャ。水がッ水がッ!!」

 

 騒がしい突然の乱入者にAliceの意識が逸れる。どうしてこうも勘に障るのか。

 

「この無能・・また、やられたいのぉ?」

 

「ッ―――・・・ご めんなさぃ・・」

 

 チシャ猫は途端に怯え瞳を揺らす。なんのつもりだこいつは・・・あんな目に遭っておきながらどうしてここに来た?

 

 それで償っているつもりか?

 

 浅ましい・・傍観者気取りの出来の悪い二次創作風情が・・・最高に醜いよ。

 

 なんにもわかっちゃいない。Aliceは有象無象を無に帰し、新たに世界を転生させる。歪なる万象に鉄槌を。自己中心的な事象へと変換する。神は万能たる力の痕跡を穿り返す。

 

 世界なんて、こんなものだ。

 

 積み木のお城と一緒で簡単に壊れるし用意も出来る。変わりなんていくらでもきく世界に執着できるかよ。

 

 運命など自身だけのお気に入りの舞台で悦に入っていればいい。

 

 こんな、ものか。

 

 こんなものなのかよ。

 

 所詮は王のいない玉座。こんな凋落した玉座に何の価値がある。

 

 神は痛痒で平常剥き出しの俗世を望む。

 

 痛みを知る者こそが真理に至る。いつまでも傷跡を舐め続けるがいい。終わらぬ灼熱に身を焦がし続ける様を見せろ。己の血と肉を食み永久に踊れ。静寂とは無縁の優しさで覆い隠そう。醜い者には蓋をしよう。それが嫌なら目も鼻も耳も抉り取ろう。

 

 痛みの上に、祝福は舞い降りるのだからさぁ!

 

「チシャ猫・・・そいつらを殺せ」

 

「ヒャ、はヒい!」

 

 恐怖に押され言われるがままにただの木偶と化す。チシャ猫は声を震わせながらパチンと指を鳴らす。すると地面から様々な奇妙なデザインの扉が顕現する。

 

 ギ、ギギギ

 

 次々と無数の重厚な扉がゆっくりとこじ開けられる。

 

 バン!

 

 扉の隙間から指先だけが露出する。暗黒から無数の目が覗き観る。

 

 

 クラウン達の心境は最悪そのもの。次々表れる見知った顔。特にグリムの心境たるや・・こうもA種に囲まれれば生きた心地もしない。

 

 

「・・・ハハ・・・クソがぁッ」

 

 男たちはは絶望しながらも戦う事を選択する。それでもなお、抗うのかと神は無感情に眺める。それになんの意味があるのやら。まさか、この期に及んで生存の可能性を夢見ているのか??

 

 現れたA種はどれもこれもが最狂最悪の個性の塊。

 

 アリスの因子から与えられた異能は勇者の異能と同じであろうと根源が違う。最も近く遠い隣人。されど混ざり合う事を良しとしない。異能とは異端でありエゴと禀性の到達点。否定されずに頷き肯定されるAliceのお墨付き。特攻ともまた違う特異な形。それも真実故にどれだけの存在にも力は有効。なんせAliceが、そう肯定したのだもの。

 

「・・・・・・・・”アリス”待っててね」

 

 異神AliceにとってA種は魂を分けた存在でありながら他人でもあるという奇妙な立ち位置だ。中身の無い”混じった”C種と違い彼女らには個性がある。混血でありながらも幻想であることをぶれない。聳立した有り方は同胞である証。胎を痛めて産んだだけの価値がある可能性の体現者。

 

 それを使うのか。なんだチシャ猫はAliceの事をよくわかっているじゃないか。

 

 だからそれが気に障る。

 

「さようなら、優しかった神父様」

 

 Aliceはもう興味を失った。近くまで変革の波は来ていると意味も無く閉ざされた天上を見上げる。

 

 既にこの舞台は崩壊寸前。箱庭を手で揺すぶるだけでこの始末だ。

 

 Aliceには見えるのだ。神の眼は偽りの境界線をも見通す。ようやく太陽系までたどり着いた。あと9秒でこの地に届く。この世界は無駄に広すぎる。余計なものでありふれている。そんな世界が”アリス”を苦しめた。世界を転生させた暁には宇宙の概念は消し去ろう。小さな花畑さえあればそれでいい。

 

 ――――――そこで、今度こそ・・・”アリス”と・・・・・・

 

 

 意識はどれだけそれようとも誰も神に触れることは許されない。油断でもなく泰然とそこに在る。

 

 なにがあっても神は気にしない。誰も声をかけることは許されないのだから。

 

 

 だからこそか、Aliceはチシャ猫の裏切りにも気が付かない。気に障るからこそ逆に意識もしたくない。裏切ってもチシャ猫ごときに何ができる。我が天敵は既に退場したのだ。

 

「消えちまえ」

 

 

 

 

 男たちを包囲するA種たちが異能を晒し絶望を体現する。張りつめた状況で明確に違う動きをする者がいた。

 

 その者はフードを被りゆっくりとごく自然に始動する。

 

 無数のA種たちの中でクラウン達にゆっくりと背を向ける者がいた。

 

 神は依然、天を仰ぐ。

 

 神に一番近い位置。神の喉元。機会は定められたように訪れた。

 

 最後まで抗おうと諦めずしっかりと敵を捕らえていたクラウン達は目撃者であった。襤褸切れのフードから覗くその者の顔、ダンジョン内では知らぬ者がいない有名人の一人。

 

 ”彼女”であればと・・期待に沸き立つも、それでいて異様な雰囲気に飲まれ閉口し、息を飲む。

 

 

 ”彼女”はゆっくりと背後から差す神の後光に唾を吐こうと、振り向きざまに異神の”股間”を蹴り上げた――――――

 

 

「                 」

 

 

 知る筈もない未知なる”痛み”が神に打ち込まれる。

 

 痛覚は飛沫となり散逸する。

 

 その叫びに世界を震わせて。

 

 ”彼女”、いや”彼は”ようやくここまで辿り着いたのだ。

 

 そう”彼”こそは・・・

 

 彼の名は――――――

 

 

「玉返せエエエエエエエエエェェェッッ!!!」

 

 

 彼は、恋都は舞台に舞い戻った。あらゆるものを失い、奪われた一人の男が不遜にも神に牙を突き立てた!!

 

 

「イ”ッッギィィィ―――――ギィ”ァ”ァ”ァ”ァぃイ”イ”イ”ッヤ”ァァア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”アア”ア””アァッッ!!!!!!?」

 

 

 未知なる痛みに――――存在が灼かれる。

 

 Aliceはそのまま恋都に襟首をつかまれ頭突きが端正な顔に突き刺さる。鼻から血が舞う。

 

 Aliceは思いもよらぬ存在を前に驚愕する。

 

 その顔・・・・【氷結界域】!?

 

 いや違う。なんだこいつは・・・・バラバラの出来損ないどもの肉体にあの男の魂だとォォッ!?

 

 間違いなく殺した存在がどうしてここにいるんだッ!?お前はあの時終わっていただろうがアアアアア!!

 

 

 

 ”アリス”の人生は痛みと共にあった。痛みとはまるで隣人の様に寄り添う同伴者。好きになれるはずもない主張の強い痛覚。痛ければ泣くし、辛い。あらゆる責め苦を経験しながら、唯一無二の生の実感ともなっていたがそれでもついぞ好きになる事は無かった。

 

 変化の無い世界でいつしか”痛み”は形を手にした。”痛み”は得た力をアリスにひけらかす為に一つだけの”アリスの役”に無理やり至っては踏み込み”役”を割った。主導権を奪われるまでに衰弱したアリスは肉体から弾かれ夢世界へと堕ち延びた。”痛み”にはそんなつもりはなくただ助けようとしただけなのに。

 

 ”痛み”は悲しんだ。嫌われたのではないのかと逃げ去った隣人をいつまでも求めて残り香に没頭する。アリスからの派生した神話。いつしかそれは自己をアリスだと認識するようになりそう名乗るようになった。

 

 ”表”と”裏”のアリス、そう定義することで関係性を強固なものにした。繋がりを求めていたのだ。あらゆる始まり、幻想体たる表のアリスは無自覚にも神を見出してしまったのだ。

 

 特異な存在であるからこその条理から外れた方法で・・・

 

 

 ――――――6億1082万4155の祈り。

 

 

 アリスから派生して産まれた者は全てがアリス。産まれることすらなく死んだ水子の魂すらも祈りを添えて・・・何者にも成れない有象無象のアリス達の祈りは裏のアリスを遂には無貌の神としての神格を与えた。裏のアリスは負の感情を一心に背負い表のアリスとの再会の為にただ動く。本能がそう突き動かす。

 

 異神Aliceはどこまでも異端な神であった。いや、この世界における神の定義から大きく外れた異物そのもの。望まれたから神を名乗ってやっているに過ぎない。もっと恐ろしいものなのに誰もそのことを理解していない。どこまでも常識はずれでありながらも、その力は神と評するにふさわしい。そうとしか評せない。

 

 だが、己の立ち位置を理解してもそれに沿う事も無い。”痛み”が本質であった神は、知らぬうちに在り方を変えていた。

 

 ただの痛みが嫉妬や愛を感じる事が既におかしいのだ。痛みが根底であるのは間違いないがそれを狂わせたのも”アリス”。痛みは形骸化し、本質は別のモノへと移行していた。

 

 

 その本質は【迷走】―――――――宛ても無く愚直に邁進し続ける。何も生まない疑問に思わない未来亡き迷い人。

 

 祈り手、A、B種の因子に色濃く伝播させた祝福もどき。【フルドリス】とは神の本質を色濃く反映した存在の在り方なのだ。

 

 その手の内に真実が握られていても気が付けない。正しく機能しない蒙昧なる認識のフィルター。知らない物は認知しないと見たいものだけを望む。

 

 どうしようもないまでにAliceは神であったが、ここで視野の狭さが逆に仇となる。

 

 そんな神に相対できる者はただ一人。神として昇華に必要な踏み台たる生け贄。”アリスの役”を一瞬でも移譲したあの男のみ。人知れず因果は神にまで剣を突き立てた。なんせそう願ったのは”アリス”自身であり至らしめたのも”アリスたち”なのだから・・・

 

 

 つまるところだ。異神Aliceは神である前に男である自覚が足りなかった。どこまでいっても・・・・女のつもりだったのだ。

 

 

 唯一にしてたった一度きりの意識の抜け穴。男の自覚があれば覚悟し耐えられた痛み。

 

 少女たるアリスとの繋がりにいつまでも縋る者の末路。

 

 

 金的は、Aliceに有効であった。

 

 

 

 ――――――――――Side/恋都

 

 

 ぐにゅりとした足先の感触。

 

 アリスを偽る者の蹴りは男の急所を的確に破壊した。一度で二つの玉を滅ぼした。

 

 それも何のためらいもなく素足で蹴り潰す。己の玉を、だ。

 

 突き刺さった足先を念入りにグリグリと捻れば面白いぐらいに神は哭く。

 

 アリスとなった彼も泣きたかった。

 

 なぜ俺は俺の玉を俺が潰さねばならないのかと、これも全部アリスって奴のせいなんだ――――そう思わねばとてもじゃないがやってられない。

 

「お前を男にしてやるよおオオオオオォォォッッ!!!Aliceッ!!」

 

 声にならない絶叫でぶれる世界は輪郭を歪め色を失おうとする。そこに外から変異した新世界が襲い掛かる。中心たる神に殺到する。

 

 何もかも消滅し、ここが最後の舞台となる。土台すらボロボロだが役者はすべて揃った!

 

 

 さあ観よ!命の連なりを!!男たちの挽歌を!!!白熱狂乱せよ!!

 

 命を繋げええええええ!!!

 

 

 完全崩壊まで残り2秒――――――――

 

 

「チシャ猫オオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

「ニ”ャッ!」

 

 恋都が叫びネコが呼応する。

 

 Aliceの背後からチシャ猫が襲い掛かり羽交い絞めにし恋都に強引に髪を掴まれたまま頭の位置を下げられ恋都とAliceの鼻先が触れるまでに狭まり視線が絡み合う。

 

 

 やっぱり・・・裏切ったッ裏切ったアアアアアアアアアアア!

 

 ああまで神の寵愛をくれてやったのに!この恩知らずのド畜生があ”あ”あ”あ”あ”あ”ぁ!

 

 神の怒りを買ったチシャ猫は意図もたやすく消滅する。

 

 

 ――――時間は稼いだ。

 

 

 薄れる意識の中でチシャ猫は走馬灯を見る。

 

『吾輩たちは確かにここにいる。たとえ誰かが見る夢の世界であろうと夢見る誰かの為にあり続ける夢の番人だ。君も夢があれば語るがいい。協力は惜しまないよ。君も胸に秘めた夢があるのだろ?』

 

 あれは帽子屋の言葉だったか。紅茶入りの砂糖をざらざらと飲みながら奴は語った。思えばあれは本質を忘れ迷走する私への忠告だったのかもしれない。そうだ我々はいつだって人間に夢を与える存在だったじゃないか。ならば最後くらい夢を夢で終わらせないでやろうではないか。そのための命なのだ。あの子の為ならば・・・惜しくはない。

 

 最後にチシャ猫の視界はあるものを捕らえていた。神の意識は裏切者に収束するようにわざわざ背後から襲撃した。Aliceの視野の狭さは武器であり弱点である。

 

 

「――――――ァ―――」

 

 

 消えゆくチシャ猫の視界はある一点を見ていた。

 

 そっか、そうだったんだ。

 

 最後にようやく”アリス”は微笑んでくれた。

 

 ああ、なんだ。そこにいたんだね・・・・アリ―――。

 

 ”彼女”からアリスの片鱗を感じながら満足げに完全消滅した。

 

 

 それでも人知れず、思惑を超えバトンは既に手渡された。混ざる事の無い意志と意志が手を取り合う。取りこぼさまいとこの場に揃った者たちが全てを捧げ命を燃やし熱演する。

 

 

 グサリ―――――、Aliceは一手遅れる。

 

 運命に抗う者は命をかけて便乗した。その航路の先にこそ光はあると信じ殺到する。

 

 Aliceの脇腹に何かが突き刺さる。

 

(こいつは・・・ッ)

 

 流れ込む異なる神性に不快感を覚える。

 

 何かが不遜にも神に抗った。

 

 それは―――――醜い獣の姿をしていた。無理やり取り付けられた拘束具の装いをした甲冑の隙間から獣毛が溢れ兜の隙間から複数の眼が覗く。その怪物は完全に変異したあの騎士であったのだ。腕と一体となった聖剣が何よりの証拠。

 

 ・・・そうまでして抗うか人間があああッッ!

 

 

 

 

「―――――――――――――」

 

 ――――――レグナントは既に言葉を理解しない醜い獣へと堕ちた。なぜここにいるのかも、この恐るべき存在に挑む理由も分からない。獣の本能が逃げろと警鐘を鳴らすも、なぜだか足は前に進むのだ。

 

 誰かに導かれるように朱い手を引かれ恐れ多くも絶対なる神に深々と剣を突き刺した。

 

 暖かい誰かの温もりが手のひらを通し満ちていく。騎士の矜持は未だ絶えず。

 

 姿や本質が変わろうともその意志は壊れゆく聖剣だけが知っていた。

 

 

 聖剣よ―――――――導け。命の続く限り。

 

 

 

 

 呼応したのか続けざまに上空から何かが舞い降り楔が神に打ち込まれる。

 

 Aliceのうなじに何かがまた刺さる。

 

「キィィィィ――――――――――――――!!」

 

「ギッ!?――――ッ!?」

 

 その者もまた異形。多くの車輪を背負い、翼をはためかせ急降下で襲い掛かる不気味な凶鳥。女王の杖が大きな鉤爪と共に延髄に打ち込まれた。いくら姿が変わろうともAliceには誰なのか判別がつく。異形に成り果てようとも意志は潰えぬとでも言うつもりか。

 

 神父様。見せつけているのか、このAliceに――――――――――ッ

 

 延髄を貫く女王の杖が動きを遅らせた。女王の置き土産がここで効果を発揮する。女王はもとよりアリスに対する敵対者の象徴。その立ち位置が神である以前に”アリスの役”を有するAliceに干渉することに成功させた。女王の残留思念が毒の様に回り引き続き動きを硬直させる。暴虐な支配者の役割がアリスを止める。

 

 祈り手であり一番の古参であるヨルムの行動に勇気を奮わせ二人を神へと突撃させた。祈る者で在れど、無意識にかかる拒否感を神への罰当たりな行為を覚悟と決意をもって踏み越え追随した。

 

 それを補助するように朱ノ女王は消滅してもなお変異した二人の獣を導く。

 

 変異し獣に堕ち本能で動くようになった彼らの決意を繋ぎとめる。

 

 

 いつだって脅威は過去から這ってくる。

 

 そのどれもがアリスと何かしらの縁がある者たちばかり。因果の刃が見境なしに襲い掛かる。

 

 なんだ、これは。なにが起きている!?

 

 

 僅か1秒にも満たない応酬。皆が皆、神に抗おうとする。

 

 その舞台の演目は【神殺し】

 

 脚本が存在しない前代未聞の一度きりの演目に血を吐きながらも演者は一心不乱に舞う。

 

 聖剣は光を増し、杖は毒のような情念を撒き散らす。二つの遺失物はひび割れ崩壊しようと形を失っていく。それは異形達も同じこと。それでもなお、雄たけびをあげ必死に喰らい付く。Aliceに纏わりつき動きを阻害する。

 

 

「がぁあああああああああぁぁぁぁぁぁッ!!ゲームマスターを舐めるなあああああ!」

 

 グリムが痛みに悶え叫びが響く。

 

 クラウンとレグナントがここまで至れたのも命を捨てる覚悟があったからこそ。

 

 それもこれもグリムがA種たちを一手に引き受け動きを止めたからこそできた芸当。顔中から血を吹き出しながらもA種全てに対抗して見せた。

 

 二人もまた魔力障壁を解除し神性の波に身を任せ異形と化した。彼らは信じていた。人の意思はこんなことでは潰えないと。誰もが守るべき明日を望んだからこそ、その命の限りを費やした。

 

 きっとこのために永き時を生きてきた。無駄な事は一つも無かったのだ。

 

 この日を迎えるために生きてきたのだ!!

 

 あとは我らが祈り手のリーダーに託すのだと何の不安もなかった。

 

 彼女こそが我が祈り手の筆頭。我らが最強の氷結界域。全てを託すには十分たる信頼と実績が二人を迷いなく動かした。死の直前、二人は確かに笑ったのだ。

 

 

「「い”け”よ”お”お”お”お”お”お”お”おおおおおぉぉッッ!!!」」

 

 

 

 

 

 

 壊れゆく世界で恋都とAliceは見つめ合う。

 

 視線が・・・外せないッ。何かが恋都の中から手を伸ばしAliceの心臓を鷲掴みにしていた。

 

 この感触、少女の温もり、匂い・・・な、なぜだ、なぜ”アリス”がそこにいる!?

 

 愛しき半身。いくら探しても見つからないからこそ、ここまでの事態を引き起こしたのに!!

 

 そんなにも、この男がいいのかッ!?

 

 見てよォ!Aliceだって男なんだよっ!?

 

 これで”アリス”と子供だって作れるんだよおおおおおお!!

 

 答えろ!答えろよおおおおお”アリス”ウウウウウ―――ッッ!!!何が違うんだよおおおおおッ!?

 

 

 嫉妬で狂うAliceの脳内で火花が散り、それは現実にも幻出してみせた。

 

 神性の爆発はあらゆるものを飲み込み恋都とAliceは姿を消し世界は容赦なく終わった。

 

 

 だが、因果は収束する。それは何も神ですら例外ではない――――清算はまだ何も終わっていない。

 

 これから新たなる物語は始まるのだ。

 

 



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第71話 あ り す

 

 

 ――――これはとてもふるいふるいおはなし。

 

 

 

 あるところにアリスという少女がおりました。裕福な家に生まれ家族にも愛され幸せな日々をおくっておりました。

 

 アリスは好奇心旺盛で怖いもの知らず。多くのモノに興味を抱き夢見る子供。

 

 アリスはいつだって木陰で姉が読み聞かせる物語が大好きでした。

 

 いつものように姉にねだり甘えるアリス。優しい陽気に包まれ、いつしか夢の中へと誘われる。

 

 夢から覚めると姉はいません。目をこすり周りを探ると、おかしなものを見つけました。

 

 緑の庭園を彩る繁みの上から白い兎の耳がぴょこりと突き出ているではありませんか。

 

 アリスは興奮しました。冒険の予兆を感じながらブツブツと独りごちる服を着た兎の後を追いかけます。

 

 そこからはまさに大冒険の日々。おかしな住人との素敵な出会い。アリスは多くの試練を乗り越えほんのちょっぴり大人へと成長しました。

 

 そして最後に気が付きます。ああ、これは夢なんだって。

 

 そう思うとなんだか寂しく感じるアリスは夢の終わりを拒みながらも瞼を落とします。

 

 拒んだところで終わりは来るもの。子供ながらの我儘。わかっていても望んでしまう程に楽しい夢だったのです。

 

 

 ただの我儘。それがどうしてこうなるのか・・・アリスには分からなかった。

 

 終わりはどこにも無かったのです。

 

 

 

 ――――――――――――――――――

 

 ―――――――――――――

 

 ――――――――

 

 ―――

 

 

 

 始まりは酷く曖昧でささくれた生と死の境界線をひたすらなぞる。

 

 何度も何度も・・・

 

 綱渡りはいつまでも続く。暗い地平が広がるこの世界でアリスはゆっくりと足を踏み出す。

 

「ハァ、ハァッッハァッ!」

 

 いつもの様に男の荒い息遣いが聞こえる。一定の振動がアリスを刻む。その行為の意味も知らず。薄暗い一室で天井を仰ぐ。

 

 ここがどこかもわからない。みんながアリスを嫌っている。愛想を振り撒けば殴られ謝っても殴られ組み敷かれる。興奮した声が一室に響く。いつも通りの光景だった。

 

 

 

「・・・・・・・・・」

 

 劣悪な環境の中で力なく横たわる小さな肢体に窓から鈍い明かりが差す。

 

 首輪が重い。ジャラジャラと鎖の音が連なる。 

 

 虚空を見つめるアリス。一日をぼーと過ごすことが多くなった。

 

 大勢がアリスを怪物として扱う。人として扱われず瞬時に治る傷・・時間が経つほど、成長しない不老不死の肉体がアリスを異端たらしめた。

 

 異常な勇者の中でも突出した異常性の体現者。アリスにしてもどんなにひどい目に遭おうとなんの感慨も無い。僅かな悲しみと家に帰りたいという願望だけだ。

 

 こんな過酷な現状であっても、いつまでも夢心地。

 

 彼女の夢は醒めることが無い。世界はとても曖昧でぼんやりとくぐもっている。誰にも正しく相手にされないアリスは繋がりに飢えていた。あるのは不快な痛みだけか。

 

 戦争は終わった。

 

 苛烈なる戦場の空気は人々の心を荒ませ論理のタガを易々と外させたまま・・・戦争は次なる争いの火種を生んだ。

 

 過剰なる戦力。戦争を乗り越えた各列強国内では勇者の所有を求め新たなる内乱が発生するのに時間はかからなかった。

 

 多くの民衆はそうとは知らず戦いの終わりから解放されたと歓喜に踊らされ・・一部の権力者は次に備える。既に裏では暗闘が起きていた。

 

 老いて死ぬ前に勇者の血を求め権力闘争は続く――――――誰もが力を求めていた。

 

 

 遠くからの残響。アリスは戦後もここに封じられあらゆる行動を阻害された。遠くから賑やかな喧噪が時折聞こえる。戦勝祝いの宴や煌びやかな音楽が僅かなる手慰み。最近では体のあちらこちらを切り開かれ、怪しげな薬に漬されあらぬ世界を揺蕩う。痛くても苦しくても・・・慣れることはない。それでもどうでもいいとしてしまう摩耗した精神。その中でも痛みだけが我こそはと主張を続ける。次第に無視できないものへと肥大化していくようだった。

 

 この世界に呼び出され訳も分からず戦わされたアリスは多くの不死者を葬った。少女でありながら異常なる戦闘力をひけらかす矛盾の塊。アリスは望外の可能性を誇示する夢見る少女であった。夢と現実の境界があやふやのまま立ち縋る。

 

 望まれるままに殺し死体の山で空を仰ぐ。戦果を挙げても人の心は離れるばかり。味方からも化け物として扱われる。ある意味、戦場こそが一番の安らぎを与えてくれる。感情をむき出しに迫りくる不死者が友人のようにも錯覚をする。彼らは戦うことで会話をしている。

 

 

 ・・・最近、よく意識が飛ぶ。脳内では記憶にない傷跡が増えるばかりだ。ここは寒い。一糸まとわぬ華奢な肉体を寄せ合い丸くする。

 

 いつになればこの夢は醒めるのか。もう家族の顔もノイズが走り思い出せない。終わらぬ夢に焼かれ帰郷を望むも帰る場所も忘れてしまった。

 

 どうしようもないまでに、ここがアリスの居場所だった。

 

 

 カツン、カツン

 

 

 また、足音が聞こえる。

 

 来るべき試練に身を任す。なにをするでもなくアリスは全てを受け入れる。

 

 だが、その足音には聞き覚えが無かった。荒く重々しい靴底が擦れる音でなく、初めて聞く上品な足音。軽快でどこか浮ついた奇怪なるリズムを刻む。

 

 それは楽し気な調べを纏っていた。これは・・・踊っている?

 

『おやおや、これはまた』

 

 アリスはその日、マジシャンを名乗る男と出会った。

 

 この出会いがアリスの命運を変えることになる。架せられた運命を”あの男”のことを知ったのだ。

 

 

『やあ、こんにちは。お嬢さん、私と少しお話ししないかい。お菓子は好きかい?紅茶はいかがかな?』

 

 マジシャンはニッコリと微笑み優雅に挨拶する。

 

 それが物語の始まりであったのだ。

 



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第72話 異神とアリスと不死者様

 

 

 ――――――――――Side/恋都

 

 

 

 

 

 

 ――――――――堕ちていく。

 

 

 光が殺到し消える世界。それでも確かなのはこの手に掴みしAliceの肉体。

 

 落ちているのか昇っているのかも分からず浮遊感に身を委ねる。

 

 突如、全身に鋭い痛みが走り眼前からAliceが逃げおおせる。

 

 まるで反発するように離れていく。

 

 でもなぜだろうか焦りはない。

 

 奴は俺を見ていた。驚愕した目で焦りをおもむろに晒し何かを口汚く叫んでいたのだ。

 

 

「ッ!!」

 

 気が付けば恋都はどこまでも広がる真っ赤な地上へと落ちていた。消えたはずの世界が形をもって現れたのだった。

 

 凝縮された神性が破壊をもたらし新たな秩序をもたらさんとするその手前で・・・決着の場が設けられていた。

 

 世界を新たに創成するには残骸である彼という因果は邪魔でしかなく断ち切らねばならない。

 

 これは――――Aliceの破滅を願う誰かさんのインターセプト。未だに姿を晒そうともしない真なる黒幕の必死な攻防。

 

 彼に宿るアリスによる導きであったのだ。

 

 

 

 恋都はそんな思惑など知ったことではないと落下しながら一点を凝視していた。

 

 ”奴”もまた同じように落ちていた。

 

 地面との接触はまだかと今際の瞬間を待ち望む。

 

 降り立ったが最後、最後の戦いが始まる。

 

 そして――――遂に、恋都は全身を風で煽られながらバシャリと水の張った大地に舞い降りた。天上は無限に広がる光で滲む世界。似ている・・・あの時と同じなんだ。

 

 フォトクリス達と見た神聖なる領域。あれに雰囲気は似ているが・・・血の張った足場は朱く死滅し合少女たちの骨で構成されている。空はどこまでも紺碧に色めく。輝きが生命を祝福する。聖隷は囁きひしめき合い淵底から挨拶をする。

 

「Alice――――ッ!!」

 

 足音と共に波紋が広がる。アリスたちの骨で大地は形成され、うずもれた血生臭さに満ちた足場を恋都は容赦なく踏み砕く。波紋は段々と速度を上げ広がり、恋都が翔ける。

 

 ここが宿命の地。あらゆる終点。歪んだアリスの”(ロール)”に選ばれ導かれた二人だけの神域。

 

 目指すは詰み上がったアリスたちの骸の山。そこに着弾し坂から無残に転がり落ちてくるAliceに対し恋都は直進する。

 

 

 

 

 

「ッゥ――――グゥアァァァァ!!!」

 

 ゴロゴロと坂というには急すぎる角度を滑落するAliceは今もなお痛みに悶えていた。バチバチと視界に火花が散り点滅する。吐き気に痙攣する体。下腹部から腹部にかけて鈍痛が浸透し体は冷え切っていた。

 

 恋都はお構いなしに容赦なく迫り来る。醜い体を引きずりまわし女の顔で獣の形相を浮かべ殺しに来る。

 

 Aliceの”アリス”を引き連れて――――死神が鎌を構える。

 

 

(こんな体、いらない!だってッこっちには、アリスが居ないんだもん!!)

 

 望むべき存在があんなところにいる。ゴミ野郎の中にいる。

 

 なぜ、あいつの隣にいる。きっと悪い男に騙されているんだ。助けてあげないと。だってそれがAliceの使命なのだものッ!!!

 

 許せないッ許せないイイィィィィィあの男が憎いよぉぉぉぉォォ!!

 

 神は再び望んだ。あるべき器を。己を否定し更なる転生を図る。

 

 優先すべきはは半身たる”アリス”を手にすること。

 

 そう願った途端、恋都の魂は歪な肉体から弾かれ神が変わりに降り立つ。

 

 だが、だが――――――ッッ!!!!!

 

「な”んでよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!?」

 

 Aliceは体を入れ替えた。恋都に寄り添うアリスの影を追い求めては縋り、嫉妬し、奪うために。

 

 なのに、空っぽだ。気味の悪い体に無理して転生したのに、そこに”アリス”はいなかった。

 

 神は怒りに震え天に吠える。

 

 

 

 

 巡るましい展開が恋都を襲う。

 

「ッ!??ぐ、ぐおああああああああああああッ!?」

 

 視界が巡る。一瞬のブラックアウト。気が付けば恋都は浮遊感を感じながら坂を転げ落ちていた。バウンドする度に地面に叩きつけられては傷を増やす。

 

 肉体が入れ替わった。つまり想定通りに事が進んでいることの証明。

 

 夢じゃない・・・これでようやく始められる!

 

 

 

 

 足を止め叫び声のする方へAliceは視線を向ける。坂から転げ落ちる男の姿。そこには当然の如く、男の隣にアリスの姿が佇む。守護天使の様に男を守っている。

 

 転生した際の魂の衝突事故は一方的に男を殺すはずが、それを守り、尚且つ元ある肉体へと導いただと・・・??なんだその手厚い介護は・・・Aliceは一度だってそんな優しさを振りかざされたことがないのにいいいぃぃぃ”ぃ”ぃ”ぃ”!!!!?

 

「こッ、この間男がああああああああああッッ!それはAliceのだぞォォォォッ」

 

 恋都の魂は当然の様にあるべき体へと収まった。元は奴の体だが神の力を受け新たなるアリスの肉体にどうして定着できるのか。

 

 お前の名は恋都だろ。あの時みたいにアリスを演じるのか。アリスに媚びを売るのかこいつは!?男の分際で媚び諂うのかぁぁぁぁ?無意識にだとしてもそれは根っからの淫売だってことの証明にしかならないのだぞおおおおぉぉぉぉぉぉ!!

 

 そ、そんな女男に”アリス”は振り向かない。そ、そうだ。気持ち悪いよねッ”アリス”も嫌いだよねッッツ??

 

 なぜ、なぜそれでもなお奴に力を与えるのだ。まさか、本気で惚れているのか・・・??

 

 凡夫の魂如きになぜ――――それもこれも”アリス”の導きなのか!?

 

 そう、そうだったのかァッッ!!

 

 

 Aliceは充血した目をむき出しに血の混ざった唾を飛ばす。

 

 その考えは概ね正解であった。元よりあの体は彼の物。変質していようと魂は容易く定着する。そしてそれを覆う”アリス”の加護。”アリスの役”が定着した肉体を分かち合った者が二人も混在するのだ。恋都に自覚がなくとも”アリス”が肉体に残留する神の力を制し代わりに代行していた。

 

 裏のアリスが神聖視され神格を得たのなら、同時に半身である表のアリスも神格を得る。表裏一体であり一心同体。どんなに離れても二つの距離は変わらない。恋都だって一時的に”アリスの役”を付与された血の繋がりもない最後の異形のアリス。

 

 扱いきれない神の肉体を取り戻しても彼には表のアリスが守護し勝手に力を与える。無知であるから強くいられる。肉体がそうでも彼自身はアリスではないのだから。

 

 

 怒り狂ったAliceは駆け出そうとする。

 

「――――ッ――――ッ!?ッ??」

 

 しかし、急に足がつんのめり無様に顔面から倒れ伏す。

 

 なんだ・・足が。違うッ!なぜ足を動かそうとすると別の部位が動くんだ!?

 

 Aliceは無理に動かそうとするも痙攣し芋虫みたいに地を這いずるばかり。

 

 ここで恋都の巧妙な仕込みが炸裂する。

 

 なんだこの体はッ!――――――まるで神経がバラバラじゃないか!?

 

 (まさか・・・こうなると予見していたのかあのクソ野郎ォォッ)

 

 

 

 

 恋都は事前にチシャ猫に神経系列をバラバラに繋ぐよう指示を出していた。マニュアルなどどこにもない。恋都の目的は元より体の奪還。強制的に体を一度入れ替えられたのだ。このような状況はもちろん考慮済みである。

 

 いままでの全ての行動はその滅茶苦茶に苛立つ神経の上での行動。恋都は一度だって体の不調を悟らせやしなかった。短い時間で瞬時に適応させたのだ。

 

 

 

 

 そんなことも露知れず更なる追撃がAliceを襲う。脳内が灼熱に曝されていた。

 

 これは・・・この痛み―――ッ

 

 【氷結界域】の残留思念―――ッ!!!!!!

 

 この体、アリス以外にもヨルムという不純物が組み込まれている。アリスとヨルムの体格はほとんど同じで”たまたま”使えそうな頭部パーツがこれしかなかった。チシャ猫にとっても苦肉の策。それが功を制す。

 

 ヨルムもまたとっておきの置き土産を仕込んでいた。心配性なヨルムは残された恋都のことが心配で出来る限りの方策を残す。奪い取った”銀時計”を口にし、少しでも恋都の為になればと考えていたが流石にこれは想定外。

 

 精神世界への干渉を阻む攻勢防御。グリムには脳に物理的に精神に干渉され披露することが無かった不発弾。高位魔術師お手製の至高の防壁。心を許した同胞以外に牙を突き立てる毒の刃。

 

 Aliceの頭の中で不死者の笑い声が響いた。

 

 これは恋都も知らない罠であった。

 

「アがああああああああああッッ!?」

 

 穴という穴から血を噴き出す。頭の中で小さな虫が這い回る。この体ではまともに転げまわることも出来ず、その場でビクビクと痙攣するばかり。

 

 痛みは・・・許容しよう。

 

 痛みこそがAliceをアリスたらしめる証明。Aliceはどんなに痛みも否定できない。存在を否定することと同義。そして、どんなに傷つけられても痛みに伴うもの総てがAliceの存在を揺るがすことは無い。

 

 痛みから生じたAliceは血を吐き苦しみながらも前に進むであろう。痛みが痛みを拒むことは不可能だ。あってはならない。

 

 

 

 

 恋都に絶好のチャンスが訪れた。罠にかかったAliceは行動不能となった。恋都はそれを見逃す男ではない。獰猛にほくそ笑みながらも迫る。

 

 ・・・だというのにだ。

 

「!!!!??グギァァ」

 

 苦しむAliceの眼前で恋都もまた顔を伏せ痛みに悶え盛大に転ぶ。激痛が襲い掛かる。身に覚えのない痛覚の反応に混乱する。不死性が返ってきたのにだ。全快しどこにも怪我はない。

 

 じゃあ、なんだこの痛みは!?

 

 これは恋都にもAliceにも想定外だった。二つの魂と肉体は深く繋がり合い過ぎた。Aliceはずっと恋都の背後にいる”アリス”を求めているのに恋都という壁がそれを遮る。見えない手はずっと恋都でお預けを食らっている。

 

 繋がりたいのはお前じゃない。お前じゃないいいいいいいい!!全然合体できないよおおおおおおお!!

 

 魂が何度も入れ替わった結果、もう一人の痛みを分かち合う程の関係へと至る。リンクした隣人もまた痛みを知る。

 

「ガアアアアアアアッッ!!」

 

 恋都は脳内でアドレナリンを意図的に分泌させ、生まれたての小鹿を思わせる腰の入らないナメクジの健脚で立ち上がる。脳が焼き切れそうだ。なにもかもが熱い。

 

「蹴り殺ッす”ッ!!!」

 

 足を振り上げAliceの頭部に迫る豪脚だが盛大にスカす。バランスを崩し頭からAliceの頭に着弾する。

 

「アガぁッくそぉ―――――!!」

 

「アリスを返せえええええええAliceのアリスッッ!」

 

 Aliceは体を動かすことを諦め、無理やり不可視の力で体を外側から動かす。関節がグチャグチャになり筋肉が断裂する痛みに耐え体を動かす人形であった。

 

 それからは、もみくちゃになりお互いにマウントを奪い合っては力の入らない拳で殴り合う。グダグダでヘロヘロでへなちょこな戦い。パワーだけならばAliceが圧倒的だがそれが届く前にリーチの違いからくる殴打がAliceのボディを襲うが、腰が入っておらず大した痛みも無い。なぜか顔は殴られなかった。Aliceもまたタックルをきめマウントを取ろうと引きずり倒す。まるで相撲だ。

 

 当然、Aliceの痛みは恋都と同調する。

 

 ここまでくると痛みの正体とからくりにも恋都は気が付く。それでも止めることは無い。ヨルムの薫陶を胸にする不死者に後退は無い。引いた所で意味も無い。

 

 Aliceも力を振るえばいいものを一方的に殴られることにムキになり肉弾戦を選ぶ。痛くなくても一方的にやられている事が苛立たせる。両者共に子供であった。

 

「ヴエエエエエエ!!」

 

「オゲエエエエエ!!」

 

 同時に吐血しては動きを止め殴り合いを再開する。停滞はまだ続く――――――

 

 ・・・恋都はタイミングを計っていた。痛みに体を慣らせどの部位へのダメージが一番重く軽いのか。Aliceは自分よりも痛みに耐性がないのは察していた。神ならばそのくらい克服しそうなものだが、やたらと痛みを享受する。

 

 結論、できないのだ。チシャ猫に仕込ませた神経の罠でここまで近づけた。取り戻した不死性でリスクを恐れず攻め立てる。

 

 痛烈な急所への連撃から、一気にその首を捩じ切ってやる。破壊してやるぞ人体の神秘。

 

 ・・・・そう意気込むもヨルムの必死な泣き顔がどうしてか顔への殴打を無意識に躊躇わされた。

 

 

 

 

(アリス、アリスアリスゥゥゥゥッッ!!!!)

 

 Aliceは恋都との殴り合いの中、その目は未だに彼を捕らえていなかった。彼の後ろでじっとこちらを見据える表のアリスのことしか頭にない。この期に及んでまだアリスのケツを追っている。

 

 殴り合いを選択したのも手の届く位置に”アリス”がいたからだ。必死に現実の手を伸ばすも間男に払いのけられ押し返される。どんなに手を伸ばしても届くことが無い。大人が子供にすることか??

 

 ”アリス”はどこまでも彼の傍を離れない。越えられない壁が存在する。それが悔しくて血の涙を流す。いつだってAliceはこっちで”アリス”はそっち側。

 

 それを、、、この男はアアアアアアアアアアア!!

 

 なぜにAliceでなくそいつを選んだのか、そんなに男がいいのかああああああ!”アリス”も淫乱なのかああああああぁぁぁぁぁッッッ!!!

 

 なぜ、そうも挑発するようにAliceを笑うのッッ!!!?

 

 特になにが許せないって、この男が無自覚にもその恩寵を預かっていることだ。幸せを享受しておきながら更なる幸福を追い求める貪欲なる者よ。過ぎたる幸福は破滅をもたらすと知れよォッ!人間風情があアアグギィギャェッ!

 

 いい加減にしろよおおおお!!なんなんだよあれは!?何を見せられているんだ。あの二人まるでお似合いのカップルみたいじゃないか!もう新婚なのか!?初夜はもう済ませてしまったというのかあ”あ”あ”!?

 

 寝取られた・・・・・・寝取られたアアアアアアアアアアアァァァキキギィィ!!

 

 く、くふッくふッ!!本来そこはAliceの場所なのにィィィギキィギィィ。

 

 脳が破壊されそうだった。

 

 Aliceの事を想えばそんな恥知らずな行為はできないはず。この男には神の気持ちを慮るということができないのか?Aliceを穢すな。許せない許せない許せないッ!!信仰心がない奴はまともな論理観も無いのだね!!

 

 Aliceは割り込む隙間が無くてキレ散らかす。

 

 ”アリス”も”アリス”だ。少しは抵抗しろおおおおおおおオオオ!してよおおおおお!!

 

「返してよぉ!返して返してぇッ!」

 

 男に寄り添わねば生きていけないふしだらな”アリス”はァッ修正してやらねば健全とは言い難い。それは病気なんだって教えてあげないといけない。

 

 間男も間男だッ。そんな気持ちの悪いもんぶら下げて偉ぶるなAliceを見下すな!男と女の関係が健全だと誰が決めた!運命に翻弄されるだけの異常者がああああ!そもそもお前が悪いんだろがあああああそれを被害者ずらしやがってよおおおおイラつくんだよおおおおォォォくそぼけがぁぁ!!次の人生はウジ虫に転生してやるゥゥゥゥッ。

 

 

 

 

 Aliceの勝手な思い込みは暴走していく。

 

 Aliceは憎いあの男の肉体を奪い尊厳を穢すことで神格を輝かせた。最低限の力を肉体に残しチシャ猫の手を借り人間どもが【灰の領域】と呼称するあの場で数百年も待った。

 

 多くの障害を乗り越え奇跡を自ら起こしたのに。

 

 また、躓いてしまう。

 

 ・・・・実は一度タイミングを逃し恋都を引き込むのに失敗している。

 

 それもこれもあのアバズレのせいだ。【灰の領域】に遂に間男が現れたのにフォトクリスとかいう小便臭いクソガキにまんまと掠め取られてしまった。恋都を握っていたのにすり抜けていったのだッ!!

 

 先に狙っていたのはAliceなのにそれを奪い尚且つAliceを旧世界たる境界の向こう側に閉じ込めたのだ。あれほどまでにAliceを絶望させた不遜な者はいない。

 

 だが運命はやはり必然であり当然の帰結をもたらした。

 

 間男が再び現れたのだ。よりにもよってあのメスガキは奇跡の行使で自ら境界に綻びを生み出した。 

 

 Aliceもあの時ばかりは様々な感情が溢れ出し、衝動的に境界をを突き破り神域を無理やり破壊し現世へと神性を流出させた。

 

 ついでにクソガキにもお仕置きをしておいた。今頃奴は・・・・クフ、フフッ!!

 

 それからは間男に寄生し内側から穢し犯し、すっごくいい気分だった。特等席で計画の行く末を眺めていた。彼はAliceの無意識的な誘導には終始気付けなかった。ずっと幻影や幻聴を用いて導いてきたのだ。

 

 ―――――――それが、どうしてこうなるのだ。

 

 糸が切れ運命から見放された人形がなぜ許可なく動く。こんな運命は予定にない。

 

 それもこれも”アリス”のせいだ。―――――いつだってあの子は勝手で責任を押し付ける。

 

 いったいいつからだろうか。”アリス”に対して強い僻みを感じるようになったのは・・?

 

 単純な話、Aliceは”アリス”に裏切られたのだ。”アリス”はよりにもよってあの男を選び待ち望んだ。Aliceによる救済の手を振りほどき、男を選んだのだ。

 

 訳が・・・分からなかった。

 

 救いを求めていたのではないのか。望まれてAliceは産まれてきたのではなかったのか?

 

 いつだって”アリス”は痛みを生の指標にしていたのではないか。ずっとそばにいたではないか。神格を得ていよいよという時に隣に”アリス”はいなかった。

 

 ・・・知っていたよ。いつだって”アリス”の心の中にはその男がいた。匂うのだ。Aliceだけの神聖領域が、想いが穢されていく・・・脳が犯される。

 

 信じたくなかった。”アリス”の救済のためにAliceは望まれて産まれたのに、それは勘違いだったのだ。”アリス”はあろうことかAliceが産まれると同時に夢世界へと逃げ去った。どういう訳か夢世界への干渉は一切不可能。シャットアウトされた。

 

 Aliceは除け者にされた。そのまま現実に取り残され亡失の日々を送った。こんな異形と化した、衰弱した体ではなにもできない。”アリス”の身代わりにされてしまう。

 

 ・・・それでもなお”アリス”を求めていた。

 

 そんなある日、チシャ猫と出会った。そこで夢の住人によるアリス救済計画を知りある方策を実行することになる。

 

 その結果が、これか、これなのか―――――?

 

 

「――――――――――ッッッ」

 

 

 内なる大力。煮詰まった情念は濁り、それを吐き出す。不遜なる者は・・この場に貴様は相応しくない。

 

 脳内で火花が散る度に殺意が溢れ力が解放される。

 

 一緒くたにすべからく殺す。

 

 皆殺す。

 

 

「”アリス”のォ一番はァッ!!Aliceなんだよおおおッ!!身の程知らずがぁぁッ!!」

 

「ッ!?」

 

 叫びは世界を変動する。一分の隙間もなく飛び交う刃の数々は恋都を刺し貫き粉みじんに分解していく。

 

 不死殺しの刃が直截にシンプルに雨となり風となり地面となり挽き潰す。

 

 

(その気になればこんなもんなんだよなぁ人間!どうしようもない程に人間だなぁッ!)

 

 

「死ねェッ!!アリス同士の間に、入ってくるなよ部外者がぁッ!魂も存在も消えて無くなれぇッ!!―――――――あぇ?」

 

 

 ――――――だが、不死者はくじけない。

 

 

「さっきから、うるさいんだよ。死ねだ殺すだ・・・うるさくって死ねやしない」

 

「は?――――は?なんで、え。は?」

 

 

 有る筈の無い男の声。今もなお刻まれ消滅したはず。なのに、神の前には何かがいた。小さな虫の集合体の様に人の形を揺らし佇むモザイクは次第に鮮明となり男の形をとりなし形成する。極小の粒は集い存在をこれでもかと誇示する。

 

 恋都は死んでなどいなかった。それどころか姿がぶれながらもこちらに歩み寄る。斬撃に押される事無く一歩一歩大地を踏みしめる。

 

 Aliceは戦慄した。

 

 ここで初めてこの男を恋都なのだと認識した。認識が存在を裏打ちする。確固たるものへと昇華していく。

 

 わけがわからなかった。不死者如きが神に抗える理由がない。自覚無き恐怖の念を振り払い力の全てを振るう。

 

 圧殺、絞殺、焼殺、斬殺、轢殺、殴殺、挟殺、撃殺、減殺、強殺、刺殺、射殺、銃殺、磔殺、誅殺、毒殺、爆殺、撲殺等・・死者すら殺す死の概念を振り撒く。

 

 なのに・・なのに・・

 

「ピンピンしてる。こいつゥウゥゥゥ、こいつぅぅぅぅッ!!!」

 

 これまでどれだけの不死者を殺してきたと思っている・・・・何が違う?

 

 気迫と精神力が尋常ではないがそんな不死者五万といた。魂ごと一緒くたにまとめて殺しているはずが、魂ですら消える事の無い。色褪せることの無い輝きがAliceを灼く。

 

「それもッこれもォッ全部ゥゥッッ!!”アリス”の加護だというつもりか!み、見せびらかしやがってええええええ!Aliceの前で”アリス”をひけらかすかァッ!!この種馬風情がぁ!おこがましいんだよッッ!頼むから”アリス”を取らないでッ!盗らないでぇぇぇぇ!!死ねよぉぉぉぉぉ」

 

 そんな情けの無い悲鳴を挙げながらも睨みつけるが、なにも現実は変わらない。”アリス”と恋都に追い詰められていた。

 

 二人の姿はお似合いで、それで、それで・・・・

 

「くくくくく、アひゃハハハハハハハァッッ!!えェッ?今までどれだけ糞みたいな不死者を殺してきたッ?千かッ万かッ!?不死者ってのはなぁ死なないから不死者を名乗れるんだよぉッッ!!―――――――――俺が本物を見せてやる」

 

 あらゆる災厄も厄災もその身で受け止め恋都は貪欲に生を享受する。

 

 流れに刻まれながらも恋都は次第に輪郭を、人の形を崩すことなくAliceに肉薄する。再生速度が異常過ぎるのだ。爆発的な細胞の増殖が損傷を上回る。斬れば斬った端から再生し、負荷を押しのけ、焼けばポロポロと黒く炭化した細胞がかさぶたの様に剥がれ落ちる。細胞の増殖が干渉を物理的に押しのけ差し迫る脅威に対抗する。

 

 恋都は完全に細胞レベルで肉体を操作してみせた。不死者は伊達じゃない。

 

 魂ですら肉体の一部と捉え再生して見せた。度重なる神との邂逅。一度は神の宿った肉体。人間には扱えない神力の残滓を恋都は”アリス”の見えない手を借り無自覚にも制御する。

 

 半歩ほどか、神の領域に迷い込んだ。彼は彼の定義する本物の”不死”をその身で体現した。

 

 不死の薬を制作した経験と知識、ヨルムというまったく別種の不死者との接触によるインスピレーション。いつの間にか把握していた魂の輪郭。

 

 基本骨子は強固となり具体性を提示。納得と確信が生と死の二極化を否定し第三の道を歩み始めた。

 

 おまけにだ。宿敵である神の影響を受け、生きてもいなければ死んでもいない迷い人と至る。

 

 それ即ち、”迷走”。

 

 その性質に答えは無い。否定も肯定も許容しない。堕ちた存在へと堕落し続け終点へと至ることもなし。そこには終わりはなく見えない終末が広がる。決して死という安直な結末へと至らぬ答え亡き人生の航路。過程ばかりが無駄に長引いていく。それこそ連続する中だるみと空振りの極致であった。

 

 物語が終わらない。

 

 神との因縁の邂逅が―――――恋都を死から遠ざけた。

 

 

 

(ッ?????????)

 

 Aliceは次第に恐怖を感じ始める。

 

 まったく死なない未知なる存在に理解が及ばない。迷走の神故に恋都が死なない理由に思考が及ばない。重要な事は手の内から次々とこぼれていく。わかるのにわからない。大切なものはいつだって手の届かない位置にある。

 

 彼の事は知っている。産まれも経歴も、記憶を吸収したのだから当然だ。

 

 だからこそこの結果に納得ができない。

 

 こいつの不死性は神からすればお遊び程度のもの。こんなお粗末なもので対抗できる代物ではない。それを・・・”アリス”の力で神に対抗できるまでに昇華させたのか。

 

 その力を自身の力だと勘違いする愚か者。ここまで図太い人間は出会ったことがない。それもこれも”アリス”のおかげなのに”アリス”の存在にすら気が付きもしない。”アリス”のすごさと素晴らしさを知らずに威光を借りる恥知らず。それがAliceの勘に障る。”アリス”は最高なんだと耳元で叫んでやりたかった。

 

 

 

(・・・・・・ああァ・・)

 

 どんな苦痛も、迷いも、絶望も、跳ねのける恋都はAliceの同類でありながら違う在り方を示す。緩急の無い恒常の痛みに正常であれる理由は特にない。

 

 強いて言うのなら・・・フォトクリスやヨルムの様な苛烈な生き方に憧れただけだ。特に戦いの中で生き様を見せつけたヨルムに俺は焦がれていた。

 

 あいつみたいに・・・少しだけ悪い子になってみたかった。

 

 恋都は立ち向かう。覚束ない足で前を向く。小さな因縁が摩耗した彼の背中を押す。

 

 ヨルムが、チシャ猫が、朱ノ女王が、レグナントが、クラウンが、アリス擬きたちが、よく知らない騎士達が、恋都も衝動のままに想いを拾い上げ邁進する。

 

 恋都の途切れる意識を皆がバトンする。

 

 高潔なる意志、純然たる殺意、戦う者の心得、邪まな独占欲、純粋な思慕の念と・・・様々な感情をまとめ上げ勝利を求め手を伸ばす。

 

 ただ、ひたすら前に・・・傍に寄り添う”アリス”が多くの思念を積み上げ道を作り、俺はそれを必死になぞる。

 

 ―――――何者にもその歩みを止めることは叶わず。

 

 

(人間どもの意思・・・光る魂・・神を殺す光・・なんなんだこいつらはッ!?ただの人間が神を殺すというのかッ)

 

 

 そうだ、、、そもそも―――――恋都を舞台に引き込んだのはAliceだ。

 

 ただの駒でしかなかった。”アリス”との再会の為の踏み台。一度は舞台から脱落した端役でしかなかったのに。

 

 それがだ。不遜にも”アリス”に手を引かれながらも自らの意思で舞台に許可なく勝手に這い上がって来た。

 

 強い眼差しで主役を演じるかッ――――恋都おおおおおおおおおおおおお!

 

 

 連れ添う”アリス”と恋都の姿。まるでヒロインと主人公の姿であった。

 

 

(ああ、そうか・・・)

 

 Aliceは悟る。なぜこうも彼を憎むのか。自身がどうしようもなく独りだと自覚させられ、ようやくこの気持ちの正体に気が付いた。

 

 ただ、知ってほしかったのだ。元凶たる自覚無き罪人に産まれながらの苦しみと痛みを知ってほしかったのだ。だから姿をひけらかし同情を誘う為に舞台で痛々しくあるがままに女であり続けた。

 

 Aliceはここにいるんだよって、いつだって奥底から叫んでいた。

 

 ただただ・・・構ってほしかったのか――――Aliceはどこまでも独りであった。

 

 これでは倒されるべき敵の配役。それを思い知らされた。それを悟らせる。

 

 

 なんだよ、それ、、、、、、、、、、、、、、

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・」

 

「み、見ないでAliceを・・・触らないで・・・声をかけないで・・・」

 

 恋都の前で縮まる神の姿に握った拳が開かれる。ヨルムの顔でそんな表情を見せてほしくなかった。本当にただの子供じゃないか。強いつながりを持つ二人。ずっと前から痛みと共に心情や記憶が流れてきていた。歩んできた年期が違い過ぎる。情報の量が膨大過ぎて戦いに時間をかける程に殺意が薄れ人格が塗り替わる。18年と900年以上の人生。恋都の人格にAliceの神性が侵食していた。

 

 神はただの子供でしかないと遺漏なく入念にわからされてしまった。 

 

 世の中に息苦しさと嫌悪感を感じるだけの可哀想な奴。

 

 ここで殺してやるのが楽なのだろう。生きていたって合わないものは合わない。だから世界を転生させ脱却し離れ離れになってしまった”アリス”との再会を目論んだ。

 

 ”アリス”だけの都合のいい世界を求めた。神もまた”アリス”より派生した存在。

 

 その神は唯一の拠り所にも見捨てられた。

 

 恋都はAliceの記憶をなぞり背後に振り返るがそこには誰もいない。俺には見えないがきっとここに”アリス”がいるのだ。いつだってAliceはここを見ていた。

 

 なぜ、そうもAliceを無視するのか。それがわからない。俺への苛烈さは”アリス”への愛情の裏返し、その証明なのだと知った。

 

 やはり・・俺は変わった。Aliceの感情に中てられたのだ。俺よりもとても人間らしい原初の叫び。その変化がいい事なのかわからない。手にした人間性を安易に捨てたくなかった。

 

 人らしくあるために、自分を好きになる努力のためにも同じ苦しみを味わう者に許しの手を差し伸べる時なのだ。この舞台にはたったの二人。演者はことごとく死に絶え観客すらいない。殺伐で空虚な演目。いつまでも争い合っていられない。

 

 次を目指すならば大人になるしかないのだ。幕は二人で下さねばいつまでたっても再起できない。

 

 手は差し伸べよう。あとは、この少女次第だ。

 

「ヒハイッヒハイッ!?」

 

 Aliceは唐突に頭を持ち上げられたと思えば頬っぺたを引っ張られる。

 

「その面で泣き言を喚くな!」

 

 足を掴まれ両脇に抱え込まれる。勢いのまま振り回される。遠心力がAliceを薙ぐ。

 

「ウッオオオオオオオオオッ!!反省しろオオオオッ!!」

 

 恋都は力いっぱいに神をぶん投げる。

 

「へぐッ」

 

「はぁはぁ・・気持ち悪い、あ”~」

 

 打った頭を抑えAliceは涙目で起き上がり、そこで目にしてしまう。恋都に寄り添う”アリス”の”笑顔”を。

 

 別の意味で涙が流れる。悔しくて妬ましくてたまらなかった。

 

「ずるい――――ずるいずるいずるいっ!どうしてそこにAliceがいないの!そこはッそこはッ―――」

 

 恋都と一緒にいる”アリス”はなんでこうも楽しそうなんだ。本当に魅力的だ。

 

 Aliceには決して見せない顔だと考えると悔しくてたまらない。幸せのイメージを容易に想像できてしまったんだ。なぜこうもお似合いなのだ。胸が引き裂けそうなほどに悲しい。

 

「な、なんで・・・こんな奴を”アリス”は選ぶのぉ!ずっとずっと待っていたのはAliceなのにぃ!!」

 

 癇癪を起こし無様に恋都へと縋りつく。

 

 加減の無い衝動めいた体当たりに恋都は骨や内臓が潰れる音を感じながらもしっかりとAliceを抱き留める。

 

 血を噴き出しながらも耐える、耐える、耐える―――重要の最初の一歩。ご機嫌取りだってしてやるさ。

 

 さあ、なんだってこいよ!どこまでも付き合ってやる!

 

 

 ――――――――Aliceは不満をぶちまけた。

 

 

 初めて不満がぶちまけられ、憎悪が裏返る。

 

 

「なんでぇぇAliceを避けるのっ!一言も労わってくれない!Aliceはがんばったんだよッッ!酷いぃぃ~~~あんなに尽くしたのにィィィ!!痛いんだよおおおおおおこっちだっていつも泣いてるんだよおおおおおッ!!Aliceに落ち度があるのなら言ってよおおぉぉ~~治すからッ!アリスの為ならなんだってッ!!教えてくれなきゃ伝わらないよッ~~~!!!ほらまた目を逸らした!!いつもいつもいつも、目を合わせてくれない!汚物を見る目でッ!お話ししようよッ!!いままで一度たりとも話したことがァッないんだぞッ!!どんな声でしゃべるのかな~~ねぇ~ね”ぇッッ!!無視しな”い”でェッ!!ッッッこ”の”!クソがアアアアアアアアア!殺すぞォォォ!!殺してやるぞォッ!!Aliceの”手を取れえ”え”えええ早くしろおおおおおグズ女ァッッ~~~!!ガアッガアアアアアアアグギィギャギャ”ア”ア”ア”エ”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッッ!!!」

 

「!??こ、ッ」

 

(――――――こんなの俺の手に負えるのか・・!?)

 

 神は発狂していた。

 

 泣いたり笑ったり怒ったりと喜怒哀楽を巡らせ感情を発露させ爆発する。先ほど俺に流れ込んだ心情からは想像できない感情の嵐。

 

 まるで理解が出来ていなかった。したつもりでいた。彼女の事を理解できると勘違いしていた。己惚れていたのか俺は・・・

 

 せ、背負いきれないぃ――――

 

 神の心は人間に推し量れるものではないのだ。震えが止まらない。原初からの恐怖に慄くばかりの愚か者であった。少しでも理解や共感が及ばねば許容できないのに。

 

 己惚れていたのか俺は・・・感情の一端に触れ流されていたのか。

 

 俺はただ胸の内で爆発しそうな核爆弾は抑え込むように強く必死に抱きしめるしかなかった。一心不乱に、祈る神も知らないのに一心に祈っていた。何とかなれと懇願する。生きた心地がしない。気圧されている。

 

 これでは――――本当に死んでしまう。

 

「なんでェッなんでこいつがぁぁなんで、なんで・・・・・」

 

 また急な制動。今度はブツブツとAliceが胸元で呟く。心なしか力が弱まった気がする。そうであっても安心とは無縁。いつ爆発するかもわからぬ静穏に微塵も安定感は無い。

 

「こいつが、なんで”アリス”じゃないんだぁぁあああああああ~ッ――――」

 

 抱きしめてほしいのはコイツじゃない。

 

 

 

 

 

 ――――――でも、どこまでも妬ましいだけの邪魔な存在でしかなかった男の腕は温かかった。

 

 気味のわるい男どもとはまた違った湿度を感じさせない血の通った熱。確固たる強い意志を感じさせ血を吐きながらも必死にAliceの体にしがみ付いては離さない。それでいて爪は立てずに優しく包む。

 

 気遣われていた。

 

(!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!~~~~あ”!!)

 

 ふと、思ってしまう。

 

 今までここまで面と向かって相手をしてくれた者はいたのだろうか。なんと逞しい生命力と意志か。

 

 命など所詮、何度も繰り返される輪廻のサイクルの一部にすぎない。吐き捨てられた命に価値はなく生と死を繰り返すだけの定めの中でしか己の価値を語れない。どこまでも現象でしかない。

 

 意思が何だ、死んで生まれるだけの生命が何をほざいたところで無価値。繰り返される歴史で同じことを何度繰り返す?無個性の塊が何を語れどそれも消えゆく現象。神にはまるで認識できない無価値な現象。

 

 ・・・それだけの存在だったはず。

 

 なのに、アリスの付属品として認識していたこの男はここまで辿り着いた。辿り着いてしまったのだ・・・

 

 糞みたいな有象無象どもの意思を束ね最後に残ったのがこんな端役。これでは本当に主役のようではないか。

 

 入念に準備された”アリス”とAliceの舞台はこいつのせいでもうめちゃくちゃだ。

 

 ”アリス”が享受した”アリス”の残り香を感じさせるこの男の温もりがAliceを魅了する。

 

 

 こんなにもいいものを”アリス”は独占していた、の、か――――?

 

 

 心地がいいはずだ。この男が居なければ”アリス”はおろか、Aliceもいないのだもの。どうりで相性がいいはずだ――――まるで太陽の光を吸った干したての布団の様に神を微睡ませる。憎しみに目が眩み今まで何も見えていなかった。

 

 そうか、そういうことだったんだ――――――――

 

 神の幼稚な思考が反転していく。在りもしない真実を見初める。

 

 そうなると不意に”アリス”の匂いが気になり始める。まるで自分の物だとマーキングされているようで気に障る。この男はどこまでいっても”アリス”側。主人公とヒロイン・・・そして敵の配役。

 

 まるでAliceが当て馬の構図じゃない。こんなに良いモノを”アリス”は徹底的に独占するつもりだったの??

 

 こいつは・・・唯一の対話者。ここまでまともに会話をした相手はこいつ以外に存在しない。”アリス”はそれを見せつけひけらかす。私の彼はスゴいのよと聞こえてくる。その彼を使いAliceを殺そうとする。都合のいい駒の様に顎で使う。

 

 何だこの女は・・・これが本当に・・あの”アリス”なのか――――????

 

 一度たりとも会話もしたことがない”アリス”にAliceはどうして執着していた・・?

 

 Aliceを日陰者として扱うこの女が”アリス”たるものか。そうだッいつだって心の中には最初から”アリス”ともう一人いたではないか。金魚の糞の様に纏わりつくこの男こそ、そうだッこの汚物こそがAliceにとっての”真のアリス”なんだ!!

 

 

 肥溜に咲く一輪の花とは恋都のことあったのだ。

 

 

「・・・・・・・ぇへ、えへへ」

 

 

 神は迷走する。己の考え一つで理を塗り替える。思い込みが激しく視野の狭い神は一度妄信すればそれを正す事は無い。神がそう思えばそう在る。神は世界をおもんばかることはしない。いつだって世界は振り回されるばかりだ。

 

 

 

「くく、くひふふふふふ~~ッへ――そっか―そういうことだったんだ――――~~あ”」

 

(な、なんだ・・・???)

 

 胸に収まるAliceからの圧が消えた。ニヘラニヘラと楽しそうに笑っていた。恋都は急な変化に身構える。乙女のような妖しい笑みを浮かべるには悍ましく美しすぎた。捕食者の面そのもの。

 

 本能的に思わず腕を離そうとするが体が、動かない。

 

「う、うう・・恋都はアリスだったんだぁ~~」 

 

 何を―――言ってるんだ。

 

 ニコニコと動けない俺に馬乗りになり顔を近づけてくる。鼻先が触れ合う程に、Aliceの異様に見開かれた眼が視界を埋める。その瞳は宇宙を彷彿させる。

 

 今まで流れ込んできた真っ黒な情念は俺に対する憎悪と嫌悪で構成された精神攻撃紛いの刃。

 

 それがどうして・・・なぜ”アリス”にしか見せなかった貌を俺にする。敵意を感じないがそれよりも、もっと恐ろしい感情を抱いている。

 

 何かしらの変化があったのは間違いないが・・・なぜそうも女の貌をする。

 

 こうも簡単に切り替わるものなのか?

 

 これが、、神なのか・・・???

 

 

(ッ―――い、今ならわかる気がする。”アリス”が逃げるわけだ。これはちょっと手に 負えない  )

 

 Aliceとは理解とは無縁の怪物であった。そんなものを抱えようとしてしまった。

 

 彼女はどこから生じたのだろうな。

 

「そう、いうことだったんだ。う”~そうだとするとォ――あいつがあんなにも綺麗に見えたのはアリスがいたからなんだ。そう考えると、そう考えるとぉッあ”あ”あ”あ”~~妬ましいィィいいよぉぉ~~~~ッおめめの裏ぐりゅぐりゅすりゅぅ~~――――」

 

 彼女は何を見ている。俺を見る目の色が今までと違い過ぎる。俺を通して”アリス”を見ていたその目は・・・今では”アリス”を見る目で俺を見るじゃないか。

 

 神の興味を一身に受ける予定は俺には永遠にない。

 

 ”アリス”ッ俺を助けろおおおおおお!こんなの俺に押し付けるなああああ!む、無理だ。不死者でもこれは無理だと断言できる。

 

「・・・今・・・あいつのこと考えたぁ、考えたよね。だめだよぉ――AliceのアリスがAliceのことを無視しちゃ~~妬けちゃう”な”ぁぁぁ~~!!」

 

 Aliceはケラケラと笑うも目が無感情に俺を見下ろす。これとどう平和的な解決を図れと言うのだ。

 

 ”アリス”とAliceの和解の橋渡しをする予定がすべて狂う。台本を捨て暴走気味にアドリブかます主演にどう対処すればいい。”アリス”とAliceの舞台でどうして俺にスポットライトが当たるんだ。

 

 神の歩調に人間が合わせられるかよっ!

 

 その時体が勝手に動く。Aliceの小さな体を押し倒し両手を掴み地面に押し付ける。まるで俺の体ではないみたいに万能感を漂わせて。

 

(お願い)

 

『な、なんだぁ!?女の声が、まさかこいつがッ』

 

(その子を―――殺して)

 

(殺せ)

 

 この声色。間違いなくどこかで聞いた女の声。そいつは必死そうに俺を強請る。Aliceを殺せと囁く。

 

 ここで”アリス”が重い腰を上げ動いた。俺がこんなにもがんばっているのにこいつは安易に殺しの選択肢を採る。

 

 やめろ、やめろ!!ここで殺してしまえば俺は一生何も変わらない!?望んだ自分になれやしない!!

 

「あぁ~~ダメダメ!!Aliceは〇才なんだよぉっ!そんなことしちゃダメッ未熟な果実が喰い散らかれちゃうッ見て、見て~~アリス!!Aliceの淫らな死体をそこで眺めててッ~くふ、ふふひぁハハハハアアッ!!アリスはAliceを選んだんだあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッ好きスキすき!!」

 

「”アリス”やめろォッ!!」

 

 徐々に抵抗が効かなくなる体。必死に力を振り絞り煽るAliceの頬を叩く。

 

「なあにぃ―――もしかしてそっちが好みなの~??またAliceの首を絞めるの?ふふふふキキキ。いいよ~なんだって受け入れるよぉぉなんせアリスの望みだもんね~~だから、だからよく見ててね。そしていっぱい好きになって。そして縋って?いっぱいいっぱい遊ぼうよ?満足したら世界だッテ戻してあげる」

 

「なんッ?」

 

「だからもっと必死に縋って、贖って、大事にして。大丈夫。どうせまともな子供なんてできやしないんだからさぁ~くひひひひ―――ッグィギ・・ッ!?」

 

「――――――笑うな」

 

 その一言で”アリス”の意識が俺と一致する。完全なる同調。望んだ道を自ら閉ざす。

 

 ・・・別に関係の無い奴に訳知り顔でどうほざかれようともどうだっていい。だが夢の住人と言いコイツといい、どうしてこうまで俺の感情を逆なでるのか。やたらと気に障り自棄を起こさせる。

 

 故にどの感情よりも殺意が勝った。二人で一人を殺すために首を絞めつける。

 

「俺は―――欠陥品なんかじゃない!!俺はッ俺はッッ!!」

 

「ゥぶ――ァア”っ」

 

 歪むヨルムの顔すら気にならない程に苦しむ姿に充足感を得る。それでいて涙が止まらなかった。

 

 ぐぎぎg――――

 

 俺は、なにも変わりはしなかった・・・

 

 Aliceの笑い声が無力さを嘲笑う。

 

「ッア”ハハハハハハハッッ~~~!!」

 

 二人は対照的に笑い、泣く。

 

 

 

 Aliceはアリスを見て思わず笑う。アリスの葛藤が心地よかった。初めて誰かに本音をぶつけられているようでとっても嬉しかった。

 

 アリスったらぁ・・・最後まで抵抗しておきながら結局は衝動的に殺そうとしているのだもん。それがAliceは嬉しかった。アリスもAliceと同じなんだ。迷走してるんだ。ここまでAliceのことを思ってくれた者はアリスしかいない。

 

 なんて~~~ッお似合いの二人なんだろうッ!!

 

 そして改めて確信する。彼こそがAliceのアリスなんだ・・・・この(ロール)は彼以外にあり得ない。彼にこそアリスはふさわしい。

 

 長い旅路の果てにようやく真実を知った。歓喜に満ち溢れた神の心は世界に波及する。

 

 約定は破られ思うがままに・・・祈りは・・・届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後には戻れぬ夕焼けの差す帰り道。恋都はふと振り返ると、そこには多くの人間が俺を見ていた。

 

 消えそうな俺の背中を押してくれた者たち。名も知れぬ者たちが大半。それでも力を貸してくれた勇士たち。

 

 みんなの顔は優しく穏やかであった。がんばったな、と次々に神殺しを労われていた。

 

 一人、また一人と、闇の向こうへと辿る。

 

 その中でヨルムが何かを言いたげに俺に視線を送るも逡巡する。俺は近づこうとするも足がまったく動かない。誰かに抱きしめられていた。

 

 俺は必死に手を伸ばすも届きもしない。何者かに手を引かれ動くことを許されない。どんどんヨルムと離れていく。

 

「   ッ!!」

 

 必死にヨルムに手を伸ばすが届くことは永遠にない。

 

 最後にヨルムがはにかむ。

 

 何かを躊躇いながらも、ようやく嬉し気な顔で最後に唇を動かした。

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

 劇は終わりを告げ幕は落ちた。拍手も無くブザーは鳴り響く。その中でこれから何が起きようとも観客席からは推し量れない。数百年の準備の末、開幕した演劇はたったの一日にも満たない時間で終幕。

 

 

 Aliceにとってはこの上ないハッピーエンド。

 

 

 それは―――――神殺しを成し遂げた恋都にも当てはまるのか?

 

 

 結局、殺すことを選んだ彼の人間性は何も変わることがなかったというのに。

 



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第73話 断罪の刃

 

 

――――――――――Side/グリム

 

 

 何もない、瓦礫の山。黒い天蓋がぽっかりと口を開け大量の水を垂れ流す。上ばかり気を取られていれば、下から溢れ嵩を増す水たまりに足を捕られることだろう。

 

 

 世界はどうなったのか。このような惨状でもまだ存続していたのだ。

 

 世界は確かに救われた。それを知る者は神殺しを達成した恋都以外にいない。誰も世界が一度終わったことを知り得ない。恒常の日々は何事もなく時を刻み始めたのだ。

 

 それでも中心地には余波はしっかりと爪跡を残す。第三階層から第一階層までしっかりと崩壊させていた。崩落する瓦礫が天より降り注ぎ浸水は止まらない。水嵩は増すばかり。誰の目から見てもここはもうお終いだと思わせる程に原形を留めていなかった。

 

 それでも生存者はいた。

 

 千切れかけの左腕を抑えグリムは娘を抱き歩む。

 

 光に包まれ気が付けば何もかもが終わっていた。A種も、祈り手も、夢の住人も、神と共に消滅し悪夢は終えたのだ。

 

 信じられない。こうして無事であることはつまり神のみが振るう奇跡を人間が起こしたのだ。

 

 グリムと娘だけがなぜ生き残ったのかわからない。とにかく何かに感謝の念を送らずにはいられなかった。生を噛みしめ言葉にできない喜びを感謝に添える。

 

 そうか、これが祈りなのだな――――

 

 神に殺されかけたのに神に祈る矛盾。この理屈では計れない訳の分からなさが心地よかった。

 

 未来は明るい。アリスが消滅したので娘が器足り得る理由も無い。神はもう二度と舞い降りない。アリスの呪縛から娘は解き放たれたのだ。

 

 ここではないどこかで娘と再起を図ろう。異常を感知した他のゲームマスターどもがここを調査しにくるのも時間の問題だ。

 

 私は依然、脱走者。追われる立場なのだ。娘の為にも身の振り方を考える必要がある。なんだったら人間どもに自身を売り込むのもありかもしれない。

 

 

 

「――――パパ―?ッあれ・・ここは・・」

 

 眠り姫がようやく目を覚ました。眠たげな瞼を擦り困ったようにぱちくりと目を瞬かせる。周囲の状況に困惑しているのだろう。これは仕方がない事だ。伝えたところで一笑されてもおかしくないまでに現実味の無くなる壮大な話だ。

 

 誰が神の降臨を証明できる―――?

 

 それにだ。もっともっといっぱい話したいことがあるんだ。君に聞いてほしいことがたくさん・・・・

 

 グリムはゲームマスターらしからぬ心の変化を感じていた。奇跡を目の当たりにし精神性は変わった。人間の可能性の素晴らしさに触れた。見下すことがどうして出来ようか。余波によるあり得るはずの無い枷からの解放がグリムに祝福をもたらす。

 

 小さくも不出来だが・・確かな人間性が芽生えていた。

 

 みんな生きてるんだ――――魂はここにある。

 

 

 

 それでも、沙汰は下される。過去の因縁が足を引っ張る。

 

 

 

「なんだ生きてたのか、残念だ」

 

 

 背後からの呼びかけ。その声はやけに耳に残る。振りむけば死神がそこにいた。

 

「な、、、」

 

 瓦礫の上で膝を抱え佇む”彼”の姿を目にし身構える。

 

 当然だ。消滅したと思っていた神が現れれば放心もしよう。

 

「安心しろ、神は死んだ。俺はただの・・・通りすがりだ」

 

 その一声に息を深く吐き出す。確かに暴力的な神性は消えている。つまり彼は狂った裁判所で我々の弁護に回った謎の不死者だ。雰囲気がアリスのそれではない。

 

 なぜこんなところにと、声に出る前に彼の放つ異様な雰囲気に閉口する。

 

 美しい不死者だった。それでいて私に対し殺意を隠そうともしない。

 

 よく見ると【氷結界域】の頭部を大事そうに抱えていた。

 

 瓦礫に突きたった剣が鈍く光る。

 

 

 

 【氷結界域】ならばともかく、他の不死者に恨まれる覚えはない。裁判所のやり取りからアリスとなにかしらの因縁があるのは把握しているが・・・

 

 いや、アリスと縁がある時点で普通の出自ではない。

 

 まさか不死狩りの生き残りか・・・?

 

 抱える不死者の遺体がそう思わせた。

 

 グリムはいくら考えても答えが出ない。

 

 チシャ猫によるA種大量召喚時にA種に扮したヨルム顔の恋都と目の前の”彼”が同一人物とは夢にも思うまい。事情を知らねば理解の及ばぬ番外の事実か。

 

「あれ、王子様・・・おはよう~」

 

「・・・・・・」

 

 胸に抱く娘の嬉しそうな声に訝しむ。嬉しそうなイグナイツは――――――恋する女の顔をしていた。

 

 妙なショックを受けながらも安心する。娘にもこんな人間らしい感情があることが嬉しかった。

 

 でも、疑問を抱く。なぜ彼をそう呼ぶ・・・王子、様・・?

 

 呼称からただならぬ思いを抱いているのは明白だった。娘はプライドが高く傲慢だ。それをここまで溶けた顔をさせる男に恐れを抱く。

 

 ”王子様”

 

 古い記憶、適当に聞き流したはずの会話だが案外忘れぬものだ。一度だけその名を娘が口にしたことがある。

 

 夢の中で現れたとかいう存在。

 

 ・・・・考えてみろ。娘は秘密の第四階層からどうやってか抜け出した。あれは他の者の助けが無ければ開きようがないし、そもそも並の封印ではない。どこで出会ったのか。外部からの侵入の痕跡はなかった。全てはあの空間異常からことは始まった。

 

 もし、彼が、娘の部屋に転移してきたと仮定すれば・・・

 

 そもそも裁判所での騒動で真っ先に娘の名を叫び駆け寄ったじゃないか。彼は娘を助けるために狂った裁判に参入したのだ。おまけに夢の住人との会話に、娘の体を支配するクリムゾンの言動。

 

 すべての原因はこいつか!!

 

 根拠なんてどこにもない。命の恩人であれどこの男は明確な目的をもってここを崩壊させた元凶。

 

 それが現実となりこの有様だ。

 

 油断できる相手ではない。なぜここで現れた。なにを、しにきた。

 

 

「何をしにきた」

 

「お前を殺しに来た」

 

「まさか不死狩りの生き残りか、目的は仲間の解放か」

 

 ふくくく、噴き出し笑い出す不死者は剣を引き抜きグリムの前に舞い降りる。

 

「そういうのとは、関係ないよ。別に俺はあんたにそこまで恨みはないんだ。これはただの置き土産・・・・死んだヨルムのやり残したことを代わりにやってやろうってね・・・なあ、ゲームマスターだっけ、お前さえ居なきゃここまで複雑にならなかったのにね――――――――ここで死ねよ」

 

 言葉では・・剣を収めまい。

 

 気迫が全てを語る。心を入れ替えても因果が巡り巡って挨拶してくる。短い幸福だった。生き残ったのにはちゃんと理由があったのだな・・甘んじて受けよう。これさえ乗り越えれば・・・私はきっと優しくなれる。

 

 グリムは奇跡を目にしてしまった。諦める選択肢はどこにもない。可能性がある限り何度だって抗ってやる。

 

 ゆっくりと衰弱した娘を下ろし刃を作り上げ構える。

 

「え、え、なんでッ?」

 

「大丈夫、すぐに終わらせてくるよ」

 

 まるで状況が呑み込めていない娘は目を白黒させる。震える足腰で立とうとするがそれよりも先に戦いは終わることだろう。

 

 今更、不死者に負けるなんてことはない。殺し方なんていくらでもある。冴え渡る智賢。不死者の実態はとうの昔に丸裸。積み上げた年月が不死者を殺すのだ。

 

 時代遅れのオンボロはいい加減、新世代の養分となればいい。

 

「安心しろ。あんたの娘は”殺さない”。子供にまで罪を問うのは残酷だものなぁ」

 

「そうか・・それは助かるよ。なにがあろうと私は・・生きねばならない」

 

「ははは、必死だな。父親がどうとか・・・見ていてイライラする」

 

 両者は構える。不死者は剣を肩に担ぎ半身ずらす。筋肉が異様に張っている。一瞬で切り込む心算か。グリムはそれに対し剣をこれ見よがしに振り回し両手で構える。

 

「”不死殺し”の刃だ。すぐに終わらせよう」

 

 これで嫌でも注意せざるおえない。剣を使うと見せかけ本命である想術で仕留める。

 

 不死殺しの武器なんて存在しない。世にうたわれる不死殺しとは結果的に不死者を殺せた武器がそう呼ばれているだけにすぎない。偽物の付加価値でしかない。

 

 粘り強く徹底的に心を折るしかないのだ。

 

 残りのリソースは少ないが不死者一人相手にするには問題ない。

 

 動いた瞬間剣を投擲して回避先に強力な酸を体内から発生させ永遠に殺し続ける。不死性を上回る攻撃こそ不死者に有効。それでも死なぬなら、投擲した刃を遠隔操作で突き立て、すべてのリソースを使い亜空間にばら撒く。一切の細胞も残さずやらねばそこから再生してくる。最高位の不死性でもこれで確実に死ぬ、というか退場させれる。例外は無い。

 

「や、やめて・・お願いだから・・・」

 

 瓦礫の音が水面と激突し大きな揺れと水しぶきを立てる。娘の必死の懇願も遠く聞こえる程にここにはグリムと不死者しかいなかった。

 

 

「――――ッ」

 

 

 刹那の静寂を食い破る轟音。先に動いたのは奇しくも両者同時にであった。

 

 グリムの投擲と同時に不死者もまた剣を投げた。空中ですれ違う両刃。あの体勢は最初から剣を投げる腹積もりだったのかッ!。

 

 それでも流れは変わらない。高速の投擲はしっかりとグリムの眼が補足している。だからこそ理解する。剣の軌道は私から僅かに外れている。

 

 防ぐまでもない――――後ろに誰もいなければ。

 

 

「――――ッ!?イグナッ」

 

 

 剣は真っすぐにイグナイツに吸い寄せられる。

 

 娘は関係ないだと?まったくの嘘じゃないか。

 

 グリムは投擲を全力で想術でもって防いで見せる。父親としては称賛される行為。だが、致命的な隙を作らされた。

 

 ブチュリ

 

「・・・信じてよかったよ。娘への愛は本物だって。そういうの・・・・なんか嫌いだな」

 

 不死者は心臓に刃を受けながら平然とグリムの胸に腕を突き刺した。貫き手が容赦なく抉る。

 

「ぐ、ゴパッ―――」

 

「・・・・・・俺はこういう戦い方をする。わかるよね?」

 

 貫通した腕の先にドクドクと心臓が脈打つ。それを恋都はグシャリと握りつぶした。血が滴る右手を引き抜かれ、一歩下がった恋都の腕がぶれる。

 

 傾く視界の中でグリムは何を思うのだろうか。

 

 グリムの首が手刀で刎ね跳ぶ。

 

 最後の表情・・・ゲームマスターもそんな顔をするのだなと恋都は感慨も無く眺めていた。

 

 

「・・・・・・・・ヨルム・・」

 

 

 ・・・・イグナイツが剣に刺さった程度で死ぬものか。

 

 ゲームマスターは娘のことを知らな過ぎた。確かな愛はあった。それでもコミュニケーションが足りていなかったようだな、と・・・・いやそうじゃないか。

 

 親であれば誰だって子を庇うのだ。あれが咄嗟の行為であればその愛も確かに存在したのだ。

 

 俺とは・・大違いだな――――

 

 三大禁忌の支配者はあっけなく死んだ。900年の栄華に幕が降ろされる。

 

 

「パ、パ・・・・」

 

 ・・・あとはつまらぬ後始末だけが残っている。

 



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第74話 幸運なる者たちへ

 

 

 ――――――――――Side/グレイズ

 

 

 水の流れは強く複雑な施設内を入り組みあらゆるものを洗い流す。神聖であるが故に触れるべきでない水中。水底は仄暗く常に生者を引き込もうとする闇への裏口。

 

 冷え切った水に飲み込まれれば一貫の終わり。熱を失った体では生きて帰れはしまい。寒さが魂すらも凍てつかせ衰弱させる。

 

「はぁ、はぁ。ごほッごほ」

 

 バシャリと何者かの水面から手が伸びる。黒々とした毛並みは水を弾き一際萌える。

 

 グレイズはなんとか右手に抱えたリズの体を引き上げる。動きの鈍い巨体を必死に動かす。

 

 なんとか陸に這い上がり安心し背中から倒れ込むと、「うげッ」その時奇妙な感覚と声を背中から感じた。

 

「な”―――!」

 

 よく見るとベルタを押し潰していた。まさか今の今まで背中に張り付いていたのか!?

 

 水の勢いは凄まじく体のあちこちが瓦礫などにぶつかりグレイズは大怪我を負っていた。それはベルタも同じ。

 

 血は流れ体温も奪われたのだぞ。獣人特有の体温の高さと頑丈さでなければ死んでいた。冷たさに感覚が鈍って違和感すら無かった。よくここまで持ちこたえたものだ。守護者の生命力はいったいどうなっているんだ!?

 

「はぁっ、はぁ」

 

 気の緩みから獣人形態が解けかける。完全に油断していた。グレイズの下からモゾモゾと這い出るベルタを止めれるだけの力が出ない。相手もまた衰弱しているのは確かだ。ここでやるしかない。

 

「待て待てぇ、ちょっと・・休戦しないッ?」

 

 まさかのベルタからの申し出に困惑する。状況はベルタが有利であるはず。火属性であるが故に水の冷たさとは無縁。冷たさに身を焼かれ衰弱することもない。認識力や運動機能の低下はないのだ。

 

「このままだと死んじゃうよリズ!ヤバイよリズ!」

 

「え、てあッ!?嘘、息してないッ!?ヤバイ!!」

 

 リズの体は冷え死体の様であった。蒼白の顔色に一切の血色が見えない。息が止まっていた。

 

 え、ど、どうしたらッ!この場合どうすれば―――ッッ

 

 焦るグレイズ。

 

 思わぬ事態に頭が回らない。そもそもこの段階に至ると助けようがない。

 

 水没とは奈落の落とし穴に落ちたようなもの。沈めば二度と這い上がれない。

 

 それが一般常識。寒さは容易く人を死に至らせる。こうなってはもう手遅れ。溺れた際の救助の仕方など普通は知らないし勿論グレイズも知らない。溺れるという事例自体少ないのだ。なにせ冷水に身を浸からせれば確定した死が待っているのだ。生存は想定されていない。

 

 グレイズは焦り右往左往するばかり。己の無力感に打ち拉がれる。

 

 だが対比的にベルタは的確に動く。

 

「【発火】」

 

 ―――――そうか火だッ!まずは温めるのが先決かっ。

 

 ベルタによって生み出された火が爛々と一帯を照らし出す。温かな熱気が周囲を包む。しかもこれは火の結界か。カンテラなしに展開するのか・・・これまで文字通りに身を焼いてきた敵の炎だが、この時ばかりは優しく活力を与えてくれる。

 

「リズ死ぬな!君にはまだいろいろと・・・」

 

 息の無いリズの顎に手を添え顔を上げるベルタ。そのまま鼻をつまみお互いの唇を合わせる。グレイズは驚く。こんな時に何をしているのだと。それでも並々ならぬベルタの気迫が躊躇わされる。火の結界と言い本気で救うつもりなのだ。

 

 繰り返し行われる胸部圧迫と接吻。儀式の如く行われるその光景は神聖そのものでグレイズは思わず祈ってしまう。ベルタも一心不乱に手を動かす。

 

 これは賭けだ。一塁の希望をリズの右手に託した。恐らく今もリズの身体能力はベルタとリンクしている。心臓を媒体にA種と同調して見せたのだ。もし生命力もリンクするならば可能性はある。どうしてここまでするのか自分でもわかっていない。衝動的に体が動いてしまう。

 

 ここで死なせるには惜しい奴だよ君はッ!

 

 魔術が閃き雷撃がリズの心臓を突き抜ける。

 

 

 願いは――――――届く。

 

 

 

「負けだ・・俺たちの負けでいい」

 

 リズは息を吹き返した。

 

 あり得ない光景にグレイズは夢でも見ているのかと混乱するが嬉しさが勝る。

 

 喜ぶグレイズを尻目にリズは状況を推察してからゆっくりと負けを認めた。

 

 混濁する意識の中、完全に死んだとばかり。溺れておきながら復活を果たしたのだ。貴重な経験がリズを満たしていた。

 

「お手上げだな・・・マジで」

 

「こっちも伊達に400年は生きてないよリズ~」

 

 ああ道理です、はい・・・

 

 リズは世界の広さを知る。

 

 一種の敬意すら覚えるまでの高みの存在。一芸特化の俺とはまるで違う盤石な強さ。才能もそうだが努力が根幹にあるからこその揺るぎなさなのだ。隙が無さすぎて変な笑いが出てくる。こうやって生きていられるのもベルタの気まぐれなのだろうな。

 

「二対一なら勝てるかもしれないよ?」

 

 ベルタは悪戯に挑発してみる。

 

 実際に心臓は握られており、身体能力もリンクされている。右手を回復させれば呪いの効力も同調効果も消えるかもしれないが、消費の多い回復魔術が使える程魔力は残っていない。

 

 かと言って復刻した特攻はもっと厄介。最悪、身体能力も呪いも継続する可能性がある。勝利を収めるのはあながち不可能ではないなと冷静に分析していた。

 

「・・・・もうそういう空気じゃないだろ。こっちは命まで救われてる。それに火が無ければ寒さで死ぬ。脱出するにもこの惨状じゃなあ。グレイズだって変身がいつまでも持たないだろう、このままではみんなみんなお陀仏さ」

 

 崩壊したダンジョンの瓦礫が積み上がりたまたまできた余剰スペース。ここは密室でどこかに行くには泳ぐしかなかった。それに少しずつだが水嵩が増している。

 

 完全にベルタにイニシアチブは握られている。浸水による気温の低下は著しく外とあまり変わらない状況だ。

 

 おまけに外界に出た後の事も考えなければいけない。ここは豪雪地帯。火を扱う彼女が居なければ帰還は絶対に不可能。装備も足りない。なにもかも。

 

 ・・・・それにだ。

 

 ベルタとは殺し合った仲だが此処まで来ると奇妙な縁を感じるものだ。これ程の相手と何度も戦い生きている。俺を殺す機会はいくらでもあった。つまりベルタは俺に対し何か殺しに踏み切れない理由があるのだ。

 

 ――――――――なるほど、俺は最高の宝を見つけたかもしれない。ここからは交渉か。

 

「なあ、助けてくれないか?」

 

「えーいやいや、誰がそこまで面倒見るといったのか。」

 

「じゃあ、ベルタはこれからどうするんだ。律儀にマスターとここで滅ぶのか?」

 

 ここはもう崩壊寸前じゃないか。それぐらい誰にもわかることだ。俺の知らないところで何かがあったのだ。

 

「うん・・・・マスターが望むならそうするよ」

 

 刷り込みレベルのマスター第一主義。あの時も俺の助命の為にそんなことを言っていた。それもまるで自分に言い訳をするようにだ。

 

 なんだか見てられない。お前ほどの奴が自由とは無縁と来たか。なんとも納得がいかない。

 

 やはり我慢がならないな。理由がないなら与えてやる。

 

「じゃあなんで俺を助けたんだ。あれは裏切りじゃないのか??」

 

「それは・・・それは・・わかんないよッ」

 

 確かに。

 

 グレイズから見てもベルタがリズを救う理由はない。だがこれまでの経緯に関わってきたからこそわかることもある。彼女の執着心はまるで男と女のそれじゃないか。僕にはそんな経験ないけども。

 

 でもベルタはリズのことが気になって仕方がないようだ。彼女は言葉を待っている。答えを欲している。リズに何かを求めている。言い訳をしたがっている。

 

「だったら教えてやる。お前は俺と――――――――冒険したいんだよ!!」

 

「――――――はぁ?」

 

「え”ッリ、リズさんッ?」

 

 ベルタはおもっくそに不機嫌な顔をする。

 

 前にはっきりと言ったよね。好きだって。

 

 それをさぁ、どう解釈したらそう・・・・・ああ、なるほど。もしやこいつ恥ずかしがっているのか??そう言えば童貞だとか・・・こっちも同じようなものなのに・・・恥ずかしくて誤魔化したのか。

 

 ・・・よくよく考えればベルタが圧倒的に年上だった。こんな年増は嫌という事をやんわりと断っているともとれるぞ・・・それでいて脱出したい、そういうことなのか??都合のいい女と勘違いしてやいない??

 

 どうなんだ、どっちなんだこれ??

 

 

 

 

 一方、

 

 ――――リズには見過ごせなかった。

 

 お前はこんな穴蔵で死ぬべきではないのだと、自由になって欲しかった。

 

 多くのモノを見て俺の隣で感動に打ち震えるのがお似合いなのだ。そういう幸せのイメージをつい夢想してしまった。冒険の素晴らしさを知らずに死ぬなど許されない。それ見ろ。ベルタはプルプルと体を打ち振るわせている。きっと俺の冒険者魂に触発されたのだ。守護者であろうと冒険心は通ずる!

 

 彼は冒険中毒者。師匠の影響もあるのだろうが寝ても覚めても冒険。病気の域に達していた。ベルタほどの逸材にまだ見ぬ冒険に夢うつつ、胸踊らせる。

 

 これには流石にグレイズが声をあげる。これが冒険キチの末路なのか。童貞とかそれ以前の問題だろこれ。凝視する相手が可哀想だ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。リズさんマジで言ってるんですか!?」

 

「なんだ不満か?敵が味方になるなんざ珍しくない。冒険者の世界はなあ裏切りまみれだぜ!これが俺流だ。それにお前も俺と冒険するんだから一軍の自覚を持てよ」

 

「そういうことを言ってるんじゃないですってッ。それと僕、騎士志望なんですが」

 

「騎士見習いだろ。だったらやめちまえ。俺たちもう仲間だろ!新人の分際でいきなりの裏切りか!?まあ・・よくあることか。才能あるなぁ!」

 

「ぼ、冒険者ってホントクソですね。僕の夢は騎士になることなんですって!冒険者なんて無法者の集まりじゃないかー!絶対にやりませんよッ!ヤダー」

 

「無法者・・確かにそうだな。否定はしない。だがな冒険者は誰よりも自由だし・・・自由だ!気に入らない同業者ぶち殺せるしな!なッ!嫌な奴が視界から消えるといい気分だぜ!」

 

「嫌です・・・いやだー」

 

 馬鹿みたいな二人のやり取りにベルタは呆れどうしてか胸が熱くなる。

 

 今まで感じたことの無い未知なる感情。なんだかすごく楽しくて笑いが止まらなかった。どうしてだろうかマスターとの繋がりを感じない。解放感に包まれている。

 

「うくくく、あはははは!うんうんそうだね。仕方ないよね。心臓握られているし、このままどこかに行かれたら対処のしようがない。監視させてもらわないと、ね」

 

「まあ・・・そういうこと。”今は”そういうことにしておいてくれ。俺もよく・・わからないからさ」

 

「―――――――――ッッ・・・・そっか、そうだね」

 

 彼女もまた俺と同類。

 

 何年たってもが未知なるものに惹かれるお年頃か。冒険と恋愛に年齢など関係ない。これからは俺が先輩後輩か。

 

「いやー素直じゃないなあ!好きなら好きだと言わなきゃ伝わらないよリズ!」

 

「お前もな!」

 

「・・・え、え。なにこれ。なんかまとまってるし」

 

 置いてけぼりのグレイズは新たなるクランの誕生に立ち会うことになった。

 

 これがかつて殺し合いをしていた仲だというのだから信じられない。

 

 冒険者ってやっぱりあれだなと言葉を濁す。

 

 でも、未来は明るい。

 

 感覚で分かる。神を名乗る不遜な者は消滅した。

 

 敵だった者同士が笑い合う。可能性はどこまでも広がっている。

 

 きっと姉さんも・・・

 

 思い返すはクラウン大主教への恩義。

 

 ・・・グレイズは残された者として責務を全うしなければいけない。仄かに覚悟を引き継いで騎士見習いは聖王国の闇に挑まねばならない。

 

 ・・・先生には本当に世話になったのだ。

 

 

 

「転移するからちゃんと捕まっててね」

 

 ベルタの呼びかけに頷く二人。魔術が発動し崩壊したダンジョンから地上へと帰還を果たす。

 

 

 

 かくして冒険者達は新たなる門出を迎えた。深紅の女神の化身とも見間違える女性を連れリズは聖王国へと地味に凱旋する。

 

 彼らは冒険の中で様々な出会いを経て、学び、成長した。

 

 

 随所で影響を残しながらも神と深く関わることがなかったことこそ最大の幸運。彼らはもっとも幸運な迷い人だった。

 



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第75話 黒幕アリス

 

 

 ――――――――――Side/イグナイツ

 

 

 夢、――――夢をボクは見てた。

 

そこはいつもの黒き泡沫の海・・・・ではなく。

 

 無色透明の世界。今まで闇に包まれていた自身の肢体がはっきりと認識できた。兎も目玉の化け物もいない。煌めく空では赤い彗星が尾を描き毒性をばら撒く。遠くに堕ちる彗星の跡をぼーっと眺めるばかり。

 

 やがて星は燃え尽き、大きな目玉がボクを凝視する。

 

 その目は王子様の瞳によく似ていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――ボクは・・見ているしかなかった。

 

 迫る王子様の手刀。

 

 美しい放物線を描くパパの首。

 

 夢であってくれと何度も何度も目を瞑る。

 

 目を開ければいつもの部屋。どこまでも退屈で、虚無を喰らう毎日。嫌いであった味の無い日常が恋しくて堪らない。

 

 

 ――――目と目が合う。

 

 

 感情の読めない王子様の瞳がボクを見据える。知らない女の首を片手に抱え剣を拾う。

 

 現実が僕を夢から引き戻す。かつてパパだった者の首が足元に転がっている。

 

 それは嫌でも視界に入り世の残酷さを誇張する。心臓がバクバクと鳴り響く。振動が体を揺らしガクガクと世界も揺れる。汗が酷く粘つく。

 

 震える手で手に取ったパパの頭は重かった。重くて重くて落としそうになる。

 

 動悸が激しく息を荒立て、全身が痙攣する。

 

 何かがボクの奥底で弾けようとしていた。

 

 

 気が付けばボクは―――――――肉を食んでいた。

 

 

 ガリガリと貪り付き何かを啜る。バリバリとカミカミ。一心に喰み倒す。涙と血でグチャグチャ。鼻水を啜り、咳き込みながらも咀嚼は止まらない。

 

 

 ――――――体が熱い。

 

 

「―――――なるほど・・・もう一人の”アリス”はお前だったのか・・・」

 

 恋都は夢中に父親の首に齧り付く娘の姿に目眩を覚える。思わずヨルムの首を抱きしめ恐怖を散らす。

 

 ・・・後でお墓を作らねばならない。それまで俺に力をくれ・・・ヨルム・・・

 

 ”アリス”の影を追っていたAliceが最後まで気が付かなかったのも頷ける。ようやく得心がいく。

 

 俺が神域からこのダンジョンに舞い降りてからオリジナル合流までの間ずっと俺の中にいたはずのAliceは俺に取憑いていたはずの”アリス”にまったく邂逅することなく、どうにかして潜んでみせたのだと思っていた。あの決戦の地でようやくAliceは”アリス”を見つけたのだとばかり。

 

 不思議だったんだあれほどまでに”アリス”を求め合一を図るAliceが気づかぬ理由。

 

 最初からもう一人の”アリス”はイグナイツの中から見張っていたのだ。

 

 決戦時、イグナイツの姿は何処にもなかった。恐らく決戦前にイグナイツから俺へと憑りついていたのだ。

 

 元々、Aliceはイグナイつだけはなぜか生かすつもりだったようだし、こうやって肉体が無事だったのも納得できる。

 

 ”アリス”は既に娘の中に転生していたのか。夢に逃げたと見せかけて転生していたのだ。

 

 イグナイツを通じ様々な細工を施した。”痛み”がAliceとなり自己を主張するまでに神格を得たと同時に娘を産み、そのタイミングで残滓たる大人のアリスを夢に送り込んだ。全ては”アリスの役”を切り離し俺に継承させるためであり、Aliceの眼を夢世界へとそらすためにだ。

 

 裁判所の大人のアリスは支離滅裂だった理由はこれか。真のアリスであれど中身の無い見せかけだけのアリスだったのか。そして俺の中に潜むAliceを”アリス”だと勘違いし(ロール)を譲渡した。

 

 Aliceも旧肉体と神域の二つに分かれ残留していたのだからなんら不思議な事でもない。

 

 つまるところ本当にアリスと言える存在が4人もいたことになる。ややこし過ぎる・・・プラナリアかよ。

 

 どいつもこいつも騙されていた。全てが掌の上か・・・・まあいい。

 

 

 ようやく・・出会えたな・・・”アリス”・・・ッ

 

 

「アリス??・・・何を言っているの?ボクはイグナイツだよ。まあ、あながち間違ってはいないけどね~☆」

 

「・・・・・・」

 

「今、ようやく思い出した。きっと”アリス”が・・・まあ前のボクなんだけど・・そう仕組んだんだっけなぁ・・・もう、そんな怖い目で見ないでよ。ああ、これのこと?人の親を殺しておいて気にするんだね。今更だと思うな~じゅるじゅるじゅぞぞ」

 

 イグナイツ、もとい”アリス”は脳みそが空になった父親の頭を捨て去る。

 

 どこまでも自然体。前とは違い俺に対するよそよそしい遠慮とねっとりとした女の情念が消えたのが逆に距離感を遠くに感じさせた。

 

 すごく生き生きとしている印象を受ける。

 

 だが・・・

 

「嘘をつくな・・・お前がイグナイツだと・・・?お前は”アリス”だろ」

 

「・・・ボクをアリスと呼ばないでよ。特に君はね・・・・すでにAliceは君が殺してくれたじゃないか。よくやった褒めて進ぜよう~えへへ~」

 

 ”アリス”は少しだけ苛立つ。別に望んでアリスで在るのではない。アリスでない何かになりたかった。こんな腐れ果てた舞台から無関係な存在となりたかった。決めつけられたアリスという枷がボクを不幸にするのだぞ。

 

 ねえ知ってる?君がボクを巻き込んだんだよ。

 

「この子はね~、ずっとずっと父親の事を食べたかったんだよ。普通じゃないの、そういう風に設定して産んもん。それがスイッチとなってボクの意識が浮上。そうでもしないとずっ~と気狂いイグナイツのままだからね。君の知るイグナイツなんてね、最初から何処にも存在しなかったんだよ。ボクね~演じようと思えば完璧に演じて見せるのだよ~。まあ、演技にのめり込み過ぎて元の人格に中々戻れないのが一番の問題だけど。この行為もその為のスイッチなのさ」

 

 つまり、こいつはイグナイツでありアリスでもあるのか。あれもこれも全て演技だったのか。

 

「ああ~大変だったよ~それでも楽しかった!いいものも見れたしね・・・・えへへ、Aliceの無様な面が見れてよかった。あいつ嫌いだもん。でも、君は・・・やっぱりいいね。期待通りにボクの見えない手を借りてここまでたどり着いた。すごいね~恋都。なでなでと執拗に褒めてやろう、さあさあ。ほら恥ずかしがらないで来なよ。抱きしめてあげるよ~」

 

 無邪気な笑顔でパチパチと乾いた拍手が鳴らされる。そのまま両手を広げ抱擁を促す。

 

 ・・・・馬鹿にされているようで気に入らない。全てが上から目線だ。

 

 ここまで全部予想通りだと・・・?

 

 ヨルムの死も織り込みなのか・・・そんなことが・・・あるものかよ・・・

 

 それじゃあ、あの涙はなんだったのだ。イグナイツは父親を喰いながら苦しそうに泣いていたんだぞ――――それも演技だと吐き捨てるつもりか・・・

 

「あ、あれ、悲しいの?もしかしてこんな子がタイプだったの??まあ~知ってたけどね・・でもちょっ~と趣味が悪いんじゃないかなーこんな出来損ないのボクなんて・・・でもちょっと嬉しいな嬉しいな☆」

 

「つまりなんだ。”アリス”はイグナイツそのものなのか」

 

「だ~か~ら~ボクのことをアリスって呼ばないでよ~、そんなんじゃ殺しちゃうよ☆」

 

 なにが癇に障るのか”アリス”は唐突に跳ねる右腕を無理やり抑え込む。こいつも我慢強くないな、アリスってのはどいつもこいつも・・・・

 

 そんなにもアリスはお嫌いか。アリスがアリスを否定するか。Aliceとはまるで真逆だな。相容れないのも納得できる。

 

「いろいろ確認したいけど、そういう権利は当然あるよな」

 

「いいけど、そう長く理性は持たないよ、よ」

 

 こういう時、案外質問が思い浮かばないものだ。もっと色々あったのだけども手当たり次第に聞くしかない。推測でなく正解が欲しい。

 

「・・・・夢の中の大人のアリスは結局誰なんだ?」

 

「あれはね、ボクが用意した存在の一部だよ。と言っても”アリスの役”を全部押し付けたからあの時点では本物のアリスそのもの。鬱陶しい夢の住人を動かすメッセンジャーであり、Aliceへの目くらましでもあり、君に(ロール)を継承させるための生け贄でもあるね。アリスの役を捨てたボクが平気だったのはイグナイツとして転生したしたからだよ~。えへへ~不都合な人生はやり直すに限るね。お陰で”あいつ”はもういない」

 

 大人のアリス・・・やっぱりどこまでいっても可哀想な奴だったな。あいつも・・・最後は泣いていたっけ。

 

「ふふふ、そんなにあの気狂いなボクが気に入ったのかな。ちょっと嬉しいなぁ」

 

「あれは・・・おまえじゃないだろ」

 

 そうでなければ未だに俺の後ろで立っているはずがないのだ。大人のアリスは最後まで救いを求めていたのにこいつは手を差し伸べなかった。切り捨てられたのだ。それで寂しくなって仕方なく俺に憑いてきた。行く当てもなく敵である俺の元に身を寄せる。ずっと泣いてばかりだ。

 

 おい、見えているんだろ。見えた上で敢えて無視しているのか??

 

「計画通りって、それ嘘だよな」

 

「・・・・」

 

「結果的に上手くいっただけで、勝ち誇るなよ。”アリス”」

 

 そもそも俺が召喚されなかったらどうするつもりだったのだ。計画と言うには運が絡み過ぎている。

 

「・・・それがそうでもないんだよね。これが厄介なところでさぁ。ねえ知ってる?この世界じゃ”どんな存在”でも過去の因縁や因果は避けては通れない道なんだよ~」

 

 アリスはつらつらと語る。

 

「誰しも必ず因縁深い唯一無二の天敵が存在するんだよ。普段はそれが表面化しないけど苛烈な人生を送る者の前に現れては試練の如く立ちふさがる。運命が放つ刺客。対象に対してのみ絶大的に優位で在れる天敵。それがボクの場合Aliceだったって話だよ~☆」

 

「・・・なんの話をしている・・・?」

 

「まあ聞いてよ。つまりさ、ボクは天敵を殺してくれる存在を待ち望んでいたってこと。Aliceにとっての天敵である君の来訪をね。だからこんな辺境の地でも境界を超えて君が現れるって確信していたよ」

 

 つまりだ。どう抗おうとも―――

 

「結論、ボクがどうこうしようが君は必ず召喚されていた」

 

「なんだよ、それ・・・は・・」

 

 意味が分からない。俺とアリスの間にどんな因果があるというのだ。この言い分では本当に俺のせいで召喚されたととれるじゃないか。900年前に何があったのだ・・・?やはり勇者召喚に関係が・・・?

 

「・・・・それは教えられないなあ。言葉にして因果を紡ぎたくないよ。アリスとしての物語もいい加減終わりにしないとね。イグナイツとしての人生がようやく始まるのだよ、ふっふっふ」

 

 今まで死の淵から俺の手を引いていたのは”アリス”だったのだ。そうやって俺はいいように操られていた。祈り手も黒殖白亜もA種も夢の住人もゲームマスターも神ですら駒でしかなかったのか。

 

 皆苦しみ足掻いていたのにそれをこいつは笑い飛ばす・・・こいつも元は被害者であったとしても、どうしても納得がいかない。見えているのに俺の後ろのもう一人のアリスを無視するのも気に入らない。

 

「さてさて、これでもうボクを止めれる者はいない訳だ。最後のアリスが消え去ればボクはいよいよ自由だけれども~・・・なんのつもりかな~ねえねえ」 

 

 眼前で立ちふさがる俺に対し、アリスは一瞬キョトンととぼけた表情をする。

 

「あれれ~、もしかしてボクに勝負を挑むつもりなの?結果が見えてるのにね。言っておくけどボクを見たままの強さだと侮ったらあっさりと死んじゃうよ」

 

「どうせ俺を殺すつもりだったろ。お前の顔、イラつくんだよ。アリス・・・・不死者を舐めるなよ」

 

「手を煩わせるなよ~もうボクの助けは無いんだよ?いくら不死者として完成していても君はもう長くない。無理は肌に悪いよ~諦めて☆」

 

 ”アリスの役”はまだ消滅していない。俺の肉体に宿っている。だからこそこうなる。戦いは避けれない。

 

「それとね・・・・あのね、あのさ・・・その名で呼ぶなと言ってるんだよ。ボクは、イグナイツだ」

 

 何かがはち切れた。ブチブチと音を立て”アリス”の顔がひしゃげ変革がもたらされる。影は大きくなり恋都を覆い隠す。骨があちらこちらから突き出た巨体。弾力性を感じさせる表皮。刺々しくバランスの悪い鋭角さは荒々しいフォルムを際立たせる。

 

 竜だ。竜が目の前にいる。

 

 悍ましく醜い姿をした竜。感情の無い顔つきは昆虫を彷彿させる。それでいてアリスの象徴であるエプロンドレスを身に着け頭に大きな青いリボンを付けており、アンバランスさが不安を掻き立てる。

 

 なんだよこいつ・・・全然アリスから卒業出来ていないじゃん。その矛盾はどう説明するんだよ。

 

 ”アリス”は長い首を持ち上げ穴の開いた翼を開く。

 

「オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”ッッッッ!!」

 

 吐き出す息は瘴気となり場を濁らせていく。気味の悪い汁がまき散らされる。

 

 比率の悪い多くの目玉が俺を見下ろし口から涎がダラダラと垂れ流される。空気が腐る。

 

「この脈絡の無さ・・”アリス”はやっぱり気持ち悪いな。どうしようもない不細工が!!」

 

「ボクねッ!最強なんだ!この翼があればどこにだって行ける!宇宙の果てからこの星ごと消し飛ばしてやるよ!こんな箱庭消えて無くなれええええええええ!」

 

「―――ッ!?」

 

 大きな咢で恋都を咥え込む。巨体に似合わぬ機敏さ。なるほどこれは確かに脅威だな。歪な牙に挟まれてじわじわと締まる。どうしてか体が徐々に炭化していく。おまけに莫大な神性がまた流出してやがる。こいつもAliceと同等の存在なのかよ。

 

 

 

 

 

 

 軋む世界を満足げに眺める。

 

 所詮は人間だとイグナイツは笑う。機能停止まであと僅か。

 

 世界も君もがんばりすぎたのだよ!

 

 とうに限界を超えている。人間が神の力に耐えれるはずがない。恋都の肉体にこびりついた純然成る力の残滓が命を削る。それは神殺しの代償だった。うっすい神性とは違うんだよねェ!!

 

 わざわざ手を下すのは因縁を断つためだ。

 

 神殺しの実績は無視できない。これで万が一の永遠は訪れない。

 

 

「ボクは知ったんだ!君が教えてくれた!諦めなければ可能性は潰えない!決意で満たせば巨星すらも落とす!恐れよ不死者ッ!骨髄を砕きッ!臓物を啜りッ!我が腹の中で永久に眠れッ!!!ふへへへ!」

 

 

 

 

「くくく」

 

 そんな絶望の中で救世主は確かに笑っていた。 

 

「そんな力を持っている癖にAliceからは逃げたじゃないか。どこに行ったって”アリス”はまた逃げるぞ。過去を顧みない者に次はないんじゃないかなぁ?」

 

「当たり前でしょッ!奴は自称アリスの精神異常者!ボクが切り離した痛みの概念そのもの。あんなもの受け入られる訳ないだろッ!!どんどん肥大化していく痛みが自我を持つなどもってのほか!!拒絶したからこそのボクがいるッそれをアリス!アリス!と宣う神は悍ましい~ッッ!」

 

「ああ、なんだ。”アリス”は苦手な奴がいなくなってウキウキで出てきたのか。最強が・・・なんだって?」

 

 ”アリス”が表に出るためにAliceの排除は必須だったのか。天敵うんぬんは本当だったか。それはいいことを聞けたよ。

 

 ならば・・仕方のないこと・・・本当は嫌で嫌でしょうがないけど・・・賭けてみるか。

 

 奴のどうしようもなさに――――――――――”アリス”への妄執っぷりに―――――――

 

「黙れッ!もはやどうすることもできない君はッここでボクの養分となる!残りカスでも神の力。喰らってくれるッ!」

 

「・・・確かに絶望的だ。このままじゃ”アリス”の糞か。それは嫌だな。手も足もでない。ああ、本当に・・・だったら―――――――神とやらにでも祈ってみるか」

 

 

 

 

 

「――――――え」

 

 

 神との連戦など想定できる事態でない。俺一人で勝てる存在でもない。異神Alice討伐は様々な因縁、要因、偶然が重なり導き出された奇跡。

 

 一人で勝てると思えるほどに己惚れてない。だったら祈るしかないだろ。俺は賭けてみることにした。

 

 

 んなあ、大人のアリス。おまえも悔しいだろ。色んな奴にいいように使われて裁判所で公開処刑されてさ。そろそろ一泡吹かせてやろうぜ。一人じゃあれだから一緒にな。俺もギリギリなんだよ。だから力を貸してくれ。殺そうとしたことは謝るから、さ。

 

 ・・・誰かが呼応し柔らかい手が俺の手を握る。お互いにボロボロだ。

 

 ”アリスの役”を通し奥底に沈みし彼の者の名を叫ぶ。依代となり境界線の向こう側から慌ただしく何かが降りてくる。

 

 祈りと、代償。

 

 恋都は祈りを得たことで偶然にも奇跡を行使した。

 

 新しき神だからこそ、形亡き所作であるからこそ成し遂げた。

 

 

 本当に神であるのならば、この命救ってみせろよ。

 

 

 肌で実感した【 】こそが今の俺を助けてくれると。俺は全力で縋る。祈りがあれば神は不滅だと・・だから・・・靴だって舐めてやる。

 

 そうまでしてなぜ祈るのかって?

 

 このままやられるのはムカつくだろ。女にいいようにされて堪るかよ。”アリス”には泣き顔がよく似合う。

 

 

 だから、――――助けてくれ、我が宿敵よ。

 

 

 

 

 

「Aliceゥゥゥッッ!!俺を助けろおおおおおおおおおオオオオオオオオオ!!!!」

 

 

 異神は――――――――舞い降りた。

 

 

「うんうんう”んッ!クヒヒッ!大丈夫!アリスの祈り・・おいしいいいいいいよおおおおお!」

 

 

 咥え込んだ恋都の姿に変化が訪れる。外見には目立った変化はない。その背後に死んだはずの神の姿が浮かび上がる。あの時の”アリス”の様に恋都の背後に佇む。

 

 大人のアリスの姿を借り奴は降臨した。”アリス”にとっての死神が完成した瞬間、恋都の意識が飛ぶ。

 

 な ん で 生きてるのおおおおおおオオオオオオオオおッッ!??

 

「や~~~~~と、捕まえた。捕まえたッッ!」

 

「やめろッ!やめろおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ――――ッツッ!!助けてェェェェ!!アリスゥゥゥゥゥ!ピガギャアアア」

 

 激痛と共に竜の牙が弾け四散する。”アリス”が切り離した痛覚が久しく巡る。神が憑依した男の肉体が”アリス”を素手で叩き抉る。原始的に握りつぶしては引きちぎる。あるべき帰郷に躍進する神は悦に入る。

 

「ア ハハハッハ ハハ ハ ハ  ハッ ハハハ  ハ ハ  ハハ  ハ ハハハハ ハハ   ハ ハ ッ ハハ ッッ!!」

 

「イ”タ”イ”ッヤ”メ”テ”ッッ!」

 

 恋都の小さな体が”アリス”の巨体を蹂躙する。ボロボロと竜の輪郭が崩れていく。翼はもがれ腕や足を根元からバラバラにしていく。

 

 まるで・・・虫だ。子供の頃が無邪気に殺した虫と一緒だ。強すぎる興味と関心が”アリス”を襲う。

 

 純真さに殺される・・?

 

 そんな可愛い話か――――

 

 恐怖が・・ぶり返す。”アリス”にはかつての分身を理解することができない。切り離して数百年。この世で唯一恐れる存在。Aliceは見事に手の付けられぬ怪物へと進化した。

 

 痛みが”アリス”の呪縛となり行動を封ず。のた打ち回る無体の”アリス”は次第に動かなくなる。

 

 Aliceこそこの世で唯一痛みを感じぬ”アリス”に痛みをもたらす存在だった。かつてはいらないと断じ切り離したはずの弱みに殺されかけていた。

 

 Aliceは遂に”アリス”の魂を引っぺがした。グロテスクな竜の上で佇む二人。邂逅は果たされた。

 

 ”アリス”の魂とAlice。片手で釣り上げられ首を絞められていた。

 

「―――グッ、ギィッ」

 

「なんか・・違う・・でもやっぱり」

 

 

 一方でAliceはなにも満足していなかった。肩透かしもいいところ。

 

 ・・・こんなものなのか?

 

全身を血で満たす神。内臓を引きずり出し喰らう。腹は満たされているのにアリスが足りない、足りない足りない足りない―――”やはり”アリスが足りないッ。

 

 神はやはり気まぐれだ。

 

 飽きてその場から消えてしまうのだった。

 

 

 



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第76話 アリスとアリス

 ――――――――――Side/恋都

 

 神はやはり気まぐれだった。

 

 

「な、ん!?」

 

 急に意識が切り替わる。恋都は突然の事に空を切る右手が魂を取り逃がす。万能感は消え去り霧散する力。恋都はあっけにとられる。状況から察するにAliceは暴れるだけ暴れてどこかに行ってしまった。

 

 Aliceめが!急にやる気を失いやがった!なんていい加減な神か。

 

 竜はすぐさま形を取り戻す。元のイグナイツの姿へと還る。弱弱しい姿を晒しながらも天敵が消えたと見るや恋都に襲い掛かる。

 

「クソがぁッ!ボクはァ神なんだぞォッ!なんで怯えて生きなきゃいけないんだよ~!!」

 

 ”アリス”は力の殆どを神に取り上げられた。知識すらもだ!喪失感から八つ当たり気味に殴り掛かる。

 

「恋都ッ!余計な事ばかりィィッ!人形がぁ勝手に動くなよッ!」

 

「お前だって!いい加減にしろッ!!いつまでも少女気取りッ人形遊びって歳なのかッ!」

 

 エリートに対する不用意な一撃。手痛いカウンターが”アリス”を襲う、はずだった。

 

 ふわりとした感触。

 

 恋都の拳はまるで手ごたえを感じず、アリスに寸前で受け流され逆に恋都の顔面に稲妻が走る。

 

「!??―――なにッ!ガッ!?」

 

 恋都の意識が追い付かないものの攻撃を受けながらもしっかりと体は動いていた。この程度で不死者は止まらない。驚愕を露わにしつつも怯むことなく攻撃を続ける。

 

 今まで秘められてきた苛烈な攻撃性が解放される。

 

 

 ―――だが、今回ばかりは相手が上手だった。

 

 

 鋭い風が”アリス”の頬を斬る。

 

 戦場で培われた不死者との終わらぬ舞踏。それは常に独りの戦い。血潮が空気を湿らせ肺を満たす。咽かえるまでの血風が戦乱を呼び込む。高揚が風となり純然たる闘争本能が湧き上がる。

 

 ボクがどれだけの首をあげたと思っている。誰を相手にしているのだと思っている!ガキが思い知るがいいんだよ。ボクが思い知らせてやるッ!このボクがッ!

 

 虚空から現れたるは鈍重で武骨な剣の形。”アリス”は無銘の剣を手の内に握る。見た目は普通だが重量がおかしなことになっている、すごい重厚なるロングソード。そんな剣だった。

 

 これこそが導き出した答え。人を殺すのに余計なものはいらない。暴力的なまでの質量で血反吐をぶちまけれッ!!

 

「あのね、あのねぇっ!!」

 

「こ、こいつッッ!」

 

 ”アリス”の長い足が振り上がり爪先が恋都の顎先を跳ね上げる。それだけで恋都の首の骨が折れるも、恋都は構わずボクの喉元へと貫手を飛ばしてくる。

 

 ボクはそれを貫通しながらも掌でしっかりと受け止めてあげる。自然と笑いが込み上げる。貫手とは実に不死者らしい戦い方だね。

 

「ボクがどれだけの不死者と殺り合ったと思ってんだぁッ!!」

 

 恋都の胴体を腕ごと斬り落とす。それでも恋都は動く。もはや痛み程度では止まらないか。再生しながらインファイトをしかける。間合いを詰め剣を使わせないつもりか。

 

 この、諦めの悪さがすべてを狂わせたのだ。 

 

「場数が違うんだよォォォッ!!!ちっぽけなガキがぁッッ!!」

 

 恋都の拳を顔面に受けるが、”アリス”も止まらない。ようやくまともに一撃が入るが”アリス”もまた怯まない。鼻血を垂らし果敢に反撃してくる。

 

 恋都もまた不死者の戦いをする。やはり不死性は戦い方を偏らせる。

 

 

 

 

(――――――――――――ッ)

 

 恋都はアリスの事を知った気でいた。記憶でどういう戦い方をするのか、わかった気になっていた。

 

 恋都に流れ込んだ記憶とまったくの一致。そうだ、”アリス”はいつだって”痛み”の中での戦ってきたじゃないか。俺にできて奴にできないはずがない。

 

 だが結局は”アリス”はそれを嫌って切り離した・・そうだいつも共にあったはずなのに。生きてる証だった。今ではその痛みにすら見捨てられた。

 

 こいつがっ、”痛み”から逃げたからッ!!俺はこんなにも苦しいんだろがッッ!

 

「このクソアマがッ」

 

 ・・・・というか、あの時イグナイツは年齢のサバを読んでいた。何が20歳だ。もっと歳がいってるだろ。甘やかされてばかりで社会性の無いからあんな化物が産まれるんだよ。

 

 それもこれもやっぱりこいつのせいじゃないか!!

 

 

 

 

「ボクの顔を・・女を殴るか!デリケートなんだぞ!」

 

 恋都がアクロバティックにこちらの猛打を全て躱す。ちょこまかと鬱陶しい。まともにやり合えないから変則的な動きで奇を衒う。それは弱者の振る舞いだ。

 

 ほら、すぐに対応しちゃうよ、小僧の浅知恵がそう長く続くかなぁ。

 

 ブシュリ

 

 

 

 

「ッ!!!ッ―――」

 

 切り上げられた剣先が縦に俺を裂く。一瞬にして4つに分割された。何をされたのかわからなかった。剣の重さでどうしても体が圧され偶に浮く。浮けば最後守るしかなくその守りも質量と剛腕がなぎ倒す。何より体の芯によく衝撃が響く。どうしても行動がほんの一瞬止まるのだ。その刹那を決してアリスは見逃さない。

 

 突き上げ掌底からの力任せのスイング。剣の腹が俺の胴体を打ち据え内臓を掻き乱す。

 

 なんだ―――この女ッ?

 

 冗談抜きで強い。あり得ない。この俺が圧倒されている!?エリート産であるこの俺を!女風情がこの俺を嬲るかッ!!女に!?

 

 

 あの時流れ込んだ情景の一幕。黒煙上がる戦場でいつだって一人で敵も味方も殺しつくした忘れられし英雄。

 不思議な力を纏わせ、いつも空を仰ぐ少女。襲い掛かる不死の精鋭との終わらぬ剣戟。いつだって”アリス”は過酷な戦場を支配していたじゃないか。あのヨルムですら何度も敗走している。

 

 ・・・・カリキュラムの一環で俺が外界調査で化物たちと戦った経験があろうとも比にならぬ密度。なによりも対人戦の経験が違い過ぎた。実戦を基に培った戦いの勘は予知めいた動作で俺の行動を手に取る。背後に目でもついているかと錯覚する。

 

 ・・・いや、圧倒されて当然なのだ。意識を変えよう。俺は・・・挑戦者だ。外聞も捨てて勝利を求める。その無駄にでかい胸を借りさせてもらう。

 

 ――――――俺は後ろに大きく跳んだ。

 

 

 

 

(なんだぁ・・・??一端離れた?なんで距離の有利を・・?) 

 

 ”アリス”はその行動に眉を顰める。 

 

 剣の間合いを恐れ零距離での近接戦を選択したはずが自ら離れるだと。だからといって無理に追いはしない。時間はいつだって”アリス”の味方だ。警戒しながらも自然体で構える。

 

 剣技も体術も誰かに習ったことはない。全てを戦場で培い行きついた戦いの所作。自然体こそ万全たる構えと知る。

 

 血塗れの顔面。恋都は素の感情を隠そうともしない。必死な面持ちで拳を構える。そういう態度もできるのだなと微笑ましく思える。こう思えるのも余裕を保つ秘訣だ。

 

 ここにきて初めて両者が構えた。

 

 

 

 

 ドガァッッッ!!!

 

 激突する”アリス”と恋都。

 

 爆音が瓦礫を巻き上げ湿度の足りた空間に土煙を巻き上げる。もちろん軍配を挙げたのは”アリス”であった。灰色のヴェールを勢いよく突き破り恋都の体が地面を跳ねる。

 

「がッハァ」

 

 すぐに追撃はやって来た。後を追うように土煙から飛び出した”アリス”が宙を反転しながら剣を叩きつける。衝撃が地を這い大地を割る。今の衝撃で完全に第三階層は潰れた。

 

「――ッ」

 

 吹き飛んだ勢いに任せ寸前で起き上がり躱してみせる恋都は手ごろな瓦礫を投げつけながら”アリス”に接近する。徐々に加速する健脚。残像を残し大きく飛んだ。まだ残る神の力の残滓が人外じみた動きを可能にする。

 

「無 駄」

 

 それを冷静な面持ちで”アリス”は無駄だと吐き捨てる。

 

 空中では受け身も回避も不可。恋都は残りカスの力を使い肉体を強化するのが精一杯。当たり前だ。人間に神の力は扱えない。器の完成形たる恋都の肉体でも普段はできない非常識な現象を発現させるには頭が足りない。この世に理解及ばぬ限り”この”領域に踏み入れることは人間では絶対に不可能。インスピレーションの問題ではない。人間には無理なのだ。中身の満たされない結果に意味などない。結末だけでは物語は語れない。

 

 ”アリス”は冷静に剣で迎え撃とうとする。そこに巨大な影が差す。崩れ落ちる瓦礫の山の一角が重量を振るわせ”アリス”に向かって倒壊する。

 

 恋都の投石の真の目的であった。

 

 想定通り巨大な物質が恋都の姿を眩ます。

 

「無駄だって・・・いってるじゃんッ!!」

 

 風を切る音は悲鳴を上げる。雑多な塊に対する一閃は光を放ち衝撃が貫通する。

 

 ――――――粉々の瓦礫が舞う中、視界の端に揺らめく何かを捉え”アリス”は間髪入れずに切り込んだ。

 

 切り分けた瓦礫。 

 

 その影には恋都の衣服が張り付いているのみ。

 

 ――――誘われた。

 

 ”アリス”はブラフだと思考が追い付いた瞬間、顎に衝撃が奔る。吹き飛びながらも目だけがグリリと擬音を立て敵の姿を焼き付ける。なぜかパンツ一丁の恋都が肌色全開で転がる”アリス”を追いすがる。

 

「!!!??」

 

 なんだその恰好!?

 

当然の疑問を当然の様に感じながら当たり前の感性で混乱する。まさかの撹乱。

 

 混乱もかくやいなや異常なトップスピードで追いついた恋都は宙を舞う”アリス”の回転剣をしっかりと躱しながら上空に蹴り上げた。

 

「ゴバァッ」

 

 鍛え上げられた肉体から繰り出される手加減なしの全力。腹部に、それも肝臓にしっかりと突き刺さる爪先が内臓を潰す。圧迫される内臓が血を圧し出し浮遊感が包む。急激に上昇していく”アリス”の体。鋭い風に曝されながら天より降り注ぐ破片に身を削り上昇していく。

 

 ドゴォォォォォォォッ!!

 

 恋都が宙に躍り出しお手玉の如き”アリス”を豪脚が襲う。

 

「がァッ」

 

 今度はただでは済まさない。”アリス”は寸前で恋都に剣を突き出す。ただ我武者羅に。

 

 その結果は痛み分け。

 

 恋都の喉元に突き刺さった剣が蹴りの威力を弱めた。”アリス”は蹴り飛ばされまいと必死に柄を放さない。

 

「ガアアァァァァァァァ!!」

 

 首に突き刺さった剣を辿り”アリス”は恋都に掴みかかる。馬鹿げた握力が肉に喰らい付く。

 

「ウ”ッぐおおお」

 

 それからお互いにもみくちゃになり、大地へと落下する。どちらを下敷きにするのか・・主導権を争い髪を掴み合い殴り合う。

 

「ぐぇ!」

 

「うぎゃ!」

 

 そのまま両者共にささくれた大地へ着弾する。頭を打ち据え衝撃が首の骨を折る。ピクピクと痙攣するもしっかりと生きている。起き上がるのもまた同時。

 

 

 俺が、ボクが先だと言わんばかりに体勢を取り直し戦いに挑む。

 

 

 残像を残し二人は駆け何度も激突し合う。恋都はすでに剣の間合いを把握済み。正面からの戦闘でも圧倒されることもなくなったが、不利であることに変わりはない。考えてみれば当たり前だ。”アリス”が今まで相手にしてきた敵は不死者だ。近接戦闘のスペシャリストたちばかり。

 

 こと対不死者の戦闘に関してこいつの右に出る者はいないだろう。不死者との戦い方を熟知した”アリス”に対して、なぜ・・・俺は不死者の戦い方で挑んでしまったのか・・・

 

 戦いとは常に効率を求めるもの。効率のいい殺しの方法をいつの時代も求められてきた。石から始まり、試行錯誤を経てそれがボタン一つで数千万人を殺せるにまで至った。不死者の戦いは自身を顧みない攻めの極致。防御を捨てカウンターでの相打ちで採算を必ず得る。

 

 死なぬのだ。爆弾でも持って敵陣に突っ込む自爆戦法はさぞかし効果的であろう。

 

 そんな戦い方を続ければ正統なる技量は堕ち邪道に走る。知らないうちに技の磨きが色褪せていた。不死者の枠に囚われていては勝てやしない。

 

 考えてみろ。”アリス”がわざわざ剣を取り出したのは少しでも間合いが欲しかったからだ。距離が相打ちを防ぎ遠ざけてくれる。実にシンプルな答えだ。剣は素手の俺に対し十分すぎる間合い。

 

 ――――――だから、これからは”俺の”戦い方をすればいいのだ。

 

 俺が培った技術の全てを開陳してやるまでだ。

 

 それに、まだ体は動く!!俺はまだ生きているッ!

 

 なんでこんなに―――楽しいんだ!?

 

 恋都は困惑しつつもその口元は確かに笑っていた。

 

 そうかッ、ヨルムもこういう気持ちだったのだな。

 

 ヨルムッ!!見ててくれ!それで褒めてくれ!!

 

 命が最も輝きを放つ最後の瞬間。もう時間が無い。

 

 

 

 

 

 恋都の動きが変わった。”アリス”は肌で感じ取る。

 

 戦いの中でしかわからぬ変化の機微。 

 

 ”アリス”に対し未知なる動きで恋都は仕掛ける。変則的かつ鋭い攻撃。鞭の様にしなる腕が防御の隙間を縫い顔面を突く。余りにも不規則であり、倒れたと見せかけあり得ない姿勢からのフィンガージャブで執拗に目を狙い、大胆に肘が目蓋を切り裂き視界に血を垂らす。

 

 不死者特有の容赦のない目つぶし。突き指など些細な問題だ。誰しも目を狙われれば嫌でも意識してしまう。

 

 恋都はバランスの崩した体勢からは想像もできない重い痛打を放つ。驚くことに完全なる重心移動をこの男は心得ていた。打撃の後に重い圧が”アリス”に襲い掛かる。的確に内臓にダメージを負わせてくるのだ。常人であれば内臓を吐いて死ぬ一撃。全ての行動が淀みなく行われるのだ。

 

 不死者特有のダメージ前提行動が消えた――――

 

 自身の攻撃による突き指などは相変わらずだが、こちらの攻撃をよく避けるようになっていた。

 

 不死者は効率よく敵を殺すためにクロスカウンターでの一撃必殺を行う。終末戦争において不死者側は圧倒的な数の不利があった。そのために一人の敵に対し二度以上の攻撃は効率が悪いと、近接戦において確殺戦法が重視された。

 

 一般兵からすれば全身に剣や槍を突き刺したまま迫りくる不死者は悪夢の光景だったそうな。防御する相手にはリミッターの外れた膂力が防御ごと叩き伏せる。もしくは敵の足を負傷させる。雪原で動けなくなれば自ずと冷気で死ぬ。

 

「ゴァ――こ、こいつッぶぇ」 

 

 小細工がっ・・多いぃ!

 

 ”アリス”の体には点々と流血が増えていた。恋都は隙あらば親指を突き刺し肉を抉って出血を強いる。ことあるごとに目を執拗に狙い、肘で額を切り裂き流血が視界を赤く染めその死角に回る。指先が絡めば小枝の様にへし折ってくる。行動の制限を強いることで少しでも有利に戦う。

 

 ほら、また来る。

 

 おもむろに振りかぶったテレフォンパンチ。見え透いた大ぶりの右拳・・と思わせてからの左からの高速のジャブ。着弾点はやはり目。引いた拳による回転からの肘によるエッジ。初見であるが見事に受け流す”アリス”もかくや、恋都の腕を掴み頭突きをかましこちらも負けじと右手に絡めた指先を丁寧にへし折る。

 

 そこに”アリス”の頭へと衝撃が襲う。完全な意識外からの攻撃だった。

 

 ッッこ”、の”

 

 側転からの踵による襲撃。そこを起点に戦いのスタイルがまた切り替わる。腰を低く重心を安定させた蹴り主体の構え。余りにも技の引き出しが多い。ころころ変わる体験したことの無い格闘技を打ち込まれる。おまけに一度見せた技は二度と使わない徹底っぷり。初見の攻撃に対し高い対応力を見せたのが仇となったか。

 

「くふ、ふふふははは!!」

 

 それでも”アリス”は笑う。

 

 どうしてか楽しかったのだ。

 

 投げも織り交ぜ何度関節を破壊された事か。やはり素肌を晒したのは感覚を鋭敏にするためなのだ。肌で、全身で殺気や敵意を感じ視界に頼らぬ獣の戦いを実践するか。

 

 この男はよりにもよって痛みを切り離したボクに痛みを感じさせる。神が降臨した際に恋都に祝福を与えたに違いない。敵がまた一人増えた。

 

 いや、そうか。こいつこそが本当の天敵だったのか。

 

 だがなぁ、もうがんばるなよ~。意味の無い事をするなよ。一時的に圧倒したから何だというのか。先はもう短い癖に。

 

 互いに不死身。どこまでも不毛なる戦いに終止符はつくのか・・一見恋都に圧倒されている”アリス”の構図。その実、焦っているのは恋都の方であった。

 

 彼を今まで守っていた”アリス”はもういない。絶対なる異神を前に不死性を保てたのは彼を影から守る”アリス”のおかげだった。対となる神の加護が完全なる不死性を体現させた。だから、ああまで戦えたのだ。

 

 恋都の魂はすでに限界寸前。神の力に侵され崩壊までカウントダウンが始まっている。

 

 ただ負けたくなかった。座して死を待つなど認められるものでない。意地があった。つまらぬ男の意地。純粋に”アリス”の勝ち逃げが許せない。気にくわない。だたそれだけの理由で無様に足に縋りつき引っ張るのだ。イグナイツが”アリス”ならばまだリベンジは完了していない。

 

 奴を、上から見下ろしたい。

 

 さあ勝負を仕掛けよう。生きた証をこの傲慢なる神の記憶に刻むために。

 

 

「「ッ!」」

 

 

 恋都が踏み込み大地が陥没する。ここにきて不死者の戦いを選択する。真正面からの不意打ち紛い。全体重が乗った至高の一撃が解き放たれる。

 

 だが、、、、

 

(ッ!・・・マジか)

 

 仕掛けたのは彼だけではなかった。来ることが分かっていたかのように”アリス”は既視感の在る構えを取っていた。

 

 それは上段の構えられた必勝の剣。

 

 ヨルムを苦しめ、俺を切り裂きアリスすら認めさせた絶対者の象徴。

 

(神が・・・人の真似事をするかッ?)

 

 おまけに、これは迎撃ではない。

 

 これもまた不死者の――――

 

 交差する記憶の残照。お互いに攻撃をその身に受ける。

 

 

 

「―――――――――――――――うヴ―」

 

 

 恋都は静かに瞼を開く。

 

 どこまでも静かな残心。崩壊する空間だけが取り残されていた。恋都の拳は”アリス”の腹部を突き破っていた。そしてまた、”アリス”の”一文字”も恋都の肩から腹部まで切り裂いていた。

 

 がくり、と恋都は力なく”アリス”の柔らかな体に寄りかかる。

 

「・・やっぱり思い付きでやるもんじゃないね。ボクでも再現は難しいや」

 

「・・・・・・、強い な」

 

「どうしたの急に。ボクを褒めてもボクが嬉しいだけだよ。ほらもっと苦しめ。それでもボクは喜ぶからね」

 

 グリグリと剣を捻じる”アリス”。血を吐きながら恋都は”アリス”を抱き寄せた。

 

「寂しいんだ・・・このまま死ぬのが。初めてそう思えたんだ。俺さ、全力で戦ったのはこれで初めてなんだ。それで負けだ。どうもさ、俺はお前みたいなどうしようもない奴が好きみたいだ」

 

「・・・ボクも君は嫌いじゃないよ。色々とあったけど君なしじゃボクは産まれてこなかったしね」

 

 ”アリス”にしても恋都は奇妙な立ち位置にいた。特殊過ぎてどう評せばいいのかわからない。遠くでは輝いているのに、いざ近くにいると腹立たしい。

 

 この瞬間に至った経緯は感慨深くノスタルジックな気持ちになる。

 

 ――――彼はもう死ぬ。

 

 そう考えると少し寂しい気分にもなる”アリス”であった。

 

 崩壊するゲームマスターのホームが凋落していく。涙の様に瓦礫は崩れ落ち水が滴る。

 

 幾度となく望んだ結末なのに、なぜか余り嬉しく思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・?あの、ん?」

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 剣が抜けない。それどころか傷跡が再生し完全に肉体に埋まっている。ピシピシと不穏な予兆が耳に届く。離れようとするも貫通した恋都の腕も抜けない。

 

「あの、恋都?」

 

「・・・さっき、地面を踏み砕いておいた。位置取りに苦労したけど上手くいったんだなこれが」

 

「ちょッフザケンナよ!!こんなところで水没はシャレにならないって!!」

 

「フッハハハハ!”アリス”ッッ!嫌がらせは楽しいなあ!!いい表情だッこれはヨルムにもいい報告が出来そうだ!――――少し付き合えよ。心中も悪くないぞ」

 

 バゴリ、と地面は斜めになり浮遊感に二人は身を踊らせる。

 

 下は水位は満たされ一帯が水に沈んでいた。”アリス”は叫びもがくも拘束する恋都の腕はビクリともしない。

 

 彼はもう反応しない。満足げな顔ですでに事切れていた。思わず”アリス”は男の名を呟いた。

 

「  」

 

 バチャリとその身を水に晒しながら泡の中に消えていく。彼らはここから二度と浮上することは無かった。倒壊する瓦礫の山が後を追うように続く。粉塵すら起きぬまでに神聖なる霊水が満たしていく。人知れず人知を超えた戦いの一幕に終わりを告げた瞬間であった。

 

 かくして悪名高い”不帰の古戦場跡”は誰にも知られる事無く没した。

 

 長き混迷の微睡は終わりを迎えた。多くの英雄が散り霧散する。勝者などどこにもいない。だが、確かに世界は今も存続しているのは彼らの尽力があってこそ。

 

 だからこそ、運命は魅せられた。どうしようもないこの舞台に。揺り籠はいつまでも揺れ動く。

 

 いつまでも、どこまでも。次なる演目を求め、心待ちにしておりまますス。

 



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第77話 首輪の外れた獣たち

ここからエピローグです。


 

 ここで、ある一幕を語ろう。

 

 

 ――――――――――Side/守護者

 

 

「指令代行ッ!」

 

「じょ、状況を把握するんだ・・早く・・ゴホッゲホッ―――」

 

「―――――まずは止血を・・」

 

 謎の衝撃と共に間欠泉の如く水が吹き上がる第一階層。下からの突き上げに第二階層との境界線は破壊され建造物も崩壊。指令室もまたその煽りを受け内部では多くの守護者が瓦礫の下敷きになった。

 

「早く・・状況を・・・」

 

 指令代行と呼ばれた守護者は立ち上がろうとする。

 

 一時的な代理・・それでもトップの役職を預かる身。自己を顧みず状況の把握に務める。立場の重さがそうさせるのではない。恥の無い生き方をするために課せられた責務をまっとうする。

 

 比較的軽傷だった者たちはまだ動く機材を使い現状確認を急ぐ。周囲一帯では救出作業が始まっているが・・

 

 未知なる力の爆発。衝撃波は下から突き上げた。第一階層でこの惨状。第二階層より下層の生存者は絶望的だ。おまけに浸水ときた。ここはもう終わりなのか・・・

 

 不安が嫌な想像ばかりを見せつける。これは現実だと状況は逃げ道を崩す。

 

 ホームの陥落は守護者によって世界の終わりと同義。誰に予想できた。我々の世界が日常が崩壊していく。マスターの消息すら分からずじまい。私はなんて無能なんだ・・

 

「ひっくッひッ―――う”うぅ。私がしっかりしてないから”――」

 

「代行!?大丈夫ですって!代行は頑張ってますって!」  

 

「本当かぁ~それ本当か~~ッ?」

 

「ダメだこの人。完全に弱っとるッ!」

 

 咽び泣く指令代行を労わる部下たち。それが更に情けなさを助長させ涙を溢させる。

 

 畜生!統括室長はどこで何してるんだよッ!

 

 本来いるべきはずの上司に愚痴を吐く。

 

「ッ!地上部隊との有線通信です!敵性勢力の殲滅完了。地上での神災も消失を確認したとのこと!救助要請を出しますか・・?」

 

「う”~~ぐす・・ダメ・・それはダメだ。それよりも地表での安全確保と篝火による陣地形成を優先させろ。そして―――」

 

 そして・・・・なんだ・・?

 

 無意識に至った結論に戸惑い、思考が止まる。

 

 私はみんなを地上に逃がしてどうするつもりなんだ・・?崩壊したからと・・我らのホームを捨てるのか?

 

 マスターの安否確認もできていないのに、どうしてそう思い至った。この胸の喪失感はなんだ。どうしてマスターは死んだと思ったのだ。地表に出てどうするつもりだ。

 

 答は出ている。何をどうすればいいのか、その先の方策も明確に提示できる。

 

 それを事実上のトップである私が宣言することは・・この場所の終わりを告げることと同義。

 

 動きを止めるには十分すぎる理由。守護者にとってマスターとは絶対なる創造主。マスター無しに生きていくことが想像もつかない。半ばマスターの死の確信があれどこのまま後を追うことこそが正解ではとすら考えが及ぶ。ここにいても仕方ない。されど感情がここに留まらせようとする。

 

 

『おい、何をやっている』

 

「!!」

 

 沈痛な面持ちを破らせる貫禄のある声。瞠目してしまう。

 

『まったくトップたるもの部下を不安がらせるな。毅然としていろ』

 

「と、統括室長!?――ッあんた今どこにいるんですかッ!?こっちは今大変なことにッ・・」

 

 まさかの通信。喜びよりも戸惑いと怒りが湧いてくる。ここにいない奴が好き勝手に言ってくれる。どんな思いで指揮していたと思っているんだ。感情が爆発し喉元まで顔を出すも統括室長の次の一声が押しとどめた。

 

 

『マスターが戦死なされた』

 

「え」

 

 

 時が、止まったような錯覚に襲われる。思考が光に溶けるが如く麻痺していく。通信を聞いた耳のいい者たちはキョトンとした顔で周囲を見渡す。そうやってわからない振りをする。他の顔色を窺い同調を求める。現実から目を背けようと、聞き間違いだと逃避する。

 

 通信越しでも空気を察したのか大声で呼びかけてくる。

 

『聞けッ!マスターは死んだッ!それでも我々は生きねばならないッ!!それがマスター最後の命令だ。自由に生きろと仰せつかった!!故に遺言立会人の私が宣言する!緊急時指令211を発令するッ』

 

 緊急時指令211・・・つまりそれが意味することは・・

 

『誰一人マスターの後を追う事は許さん。それはマスターの意志に反する愚行と思え。ひいては現時点をもって私の権限の全てを指令代行に移譲するものとする。私の代わりに皆を統率してみせろ』

 

「え、なッ!あなたはどうするんですか!?」

 

『残念なことに私は怪我で後が短い。わざわざ貴様を指名してやったんだ・・・後の事は頼んだよ”ネフティア”』

 

 プツリと一方的に通信が途絶える。

 

「ッ!―――もうッ発信源はどこからッ?」

 

「――――詳細な位置は特定できませんでしたが・・第二階層からです」

 

 ガンッ、と拳を打ち付ける。救出するには遠すぎる距離。先の崩壊で構造も滅茶苦茶。迂闊に転移を使えば大怪我では済まない。

 

 ・・・いつだってそうだ。奴は勝手過ぎるのだ。

 

 統括本部の主席と次席。結局一度も彼女に勝ることが無かった。いつだって私は二番手。このまま勝ち逃げされる私の、私の気持ちはどうなんだ・・

 

 最後の最後に名前で呼びやがって・・・そんなの卑怯だ・・

 

「・・・・・・」

 

「指令・・・」

 

 皆が私の顔を見つめ命令を待っている。よろめきながらも流血する頭を抑え部下の手を借り立ち上がる。もう知らん。マスター最後の命令に則りここからは私流で生きてやる。

 

 頼まれなくたってやってやる。誰の為でなく自分の為に!

 

「統括指令として命令を下す。緊急時指令211に従い拠点を放棄する。生存者は可能な限りの物資を掻き集め、怪我人を回収。地表に出次第、展開された簡易拠点で部隊を編成。終わり次第、痕跡を消しつつ―――――帝国領”工業都市キャナルディス”を目指す。先遣隊は潜入工作組の”黎明”と合流させて受け入れの準備に取り掛からせるんだッ」

 

 

 

 

 かくして”不帰の古戦場跡”は誰に知られる事も無くひっそりと崩壊した。築き上げられた文明は水の底。栄華を誇りし黄金卿は二度と日を拝むことは無い。元よりこの地は僻地。厳しい環境下に魔獣と、隠されし文明の光は誰の目にを触れることはない。正確なダンジョンの位置を知る者は何処にもいないのだから。崩壊した後も噂だけが不帰の伝説を一人歩きさせることだろう。

 

 一部の例外を除けばだが・・・・

 

 結果として首輪の外された獣たちが解放されてしまった。

 

 高度な知識と未知なる技術の流出。そして力。

 

 ――――――それがどんな影響を与えることになるのかまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――Side/統括室長

 

 

「まったく、手のかかる」

 

 崩壊する地下空間で統括室長は一人暮れなずむ。肩の荷が下り深いため息を吐く。すぐ隣にはかつての支配者の遺体。それを複雑な思いで眺める。

 

 これで、よかったのだ。これで。

 

 マスターですら知らない真実。それを考えればこの結末はある意味救いだったのだろう。

 

「・・・・ち」

 

 懐で振動する機械に舌打ちが飛ぶ。ゆっくりとした動作で振動する物体に手を伸ばす。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・はい、お考えのとおり崩壊しました。よかったですね。・・さあ?そのような人物に心当たりは御座いません。肝心のお父様は死んでしまいましたので。もうあなたに協力する意味はありませんから。私も永く生きすぎました。ここで朽ち果てようと思います。―――――今まで本当に無駄な時間をありがとうございました。糞ボケが死ね」

 

 暴言と共に特殊めいた通信機を握りつぶし水中に投げ込む。孤気味のいい音と共に胸がすっとする。ようやく解放されたのだ。

 

 最後の暴言は気持ちがよかったなあ――――

 

 

 

 

 ・・・マスターを殺したあの男。今となっては”あの女”と同士撃ちし水底へと落ち二度と浮上することは無かった。一石二鳥とはこのこと。欲を言えば私が両者を殺してやりたかった。特に女の方は許しがたい。あの簒奪者は特に・・・・・

 

 ・・・が、この私ですら後れを取るまでに彼らの戦闘模様は次元が違った。

 

 あの男がもし”奴”の標的であったのならばこれで奴の企みにも遅延が、それどころか崩壊したのかもしれない。

 

 そう思うと口元も緩むというもの。

 

 まったく・・気分がいいものだ。ね、お父様―――

 

 物言わぬ死体に寄り添いながら一つの栄華の終焉を見届ける。守護者のみんなを巻き込む必要はない。

 

 ネフティアであればこれからの脅威に対抗し見事に統率してくれることだろう。

 

 これで、ようやく休める―――

 

 

 



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第78話 これからの再出発

 

 

 ――――――――――Side/グレイズ

 

 

 ―――――僕は決してあそこでの体験を忘れないだろう。どこまでも広がる命がけの危険地帯。一度だって納得のいく戦いはしていない。生きているのが不思議なぐらいに過酷過ぎた世界。

 

 多くの命が散り探索者は嫌でも三大禁忌の意味を知ることとなる。

 

 それに比べればだ。

 

 現在、騎士見習いのグレイズが置かれた状況などなんてことはない。比べることも烏滸がましい。

 

 ざわざわとした嘲笑交じりの喧騒。不思議と耳に障る事も無い。経験が自身を成長させたのか、随分と感じ方も変わったものだ。

 

「これより、学年別交流戦第一試合を行う。登録選手は前に!」

 

 通路の先から差し込む光を辿り会場へと足を踏み入れる。

 

 そこにグレイズが姿を現すとざわざわと学園の見物人が騒めく。如何にも笑いが抑えられないとニヤニヤとした顔を隠さず指さし揶揄する。

 

 落伍者(ルーザー)と――――

 

 

 

 

 あれから一カ月はたったか。グレイズは命からがら聖王国領、自由商業都市へと帰還することができた。

 

 それもこれも同行者が火継守だったのとBランクな道先案内人がいてこそ。道中の障害を跳ねのけ、正確に最短で目的地へと導いてくれた。火継守が重宝され優遇される理由を身をもって知らしめられた。冒険キチの喜ぶ顔が目に浮かぶ。

 

 問題は帰ってからだった。

 

「はーん、貴様が噂の負け犬か。通りで辛気臭い面をしている訳だ。生きてて恥ずかしくないのかよ、おい」

 

 砂がひしめく円形のドーム。もう一人の入場者が姿を現すと歓声が湧き、熱気が生まれる。それに手を挙げ応える対戦者。

 

 

 本当になんでこうなった??

 

 

 騎士団に体験入団してからの外界探索からダンジョンでの生活。グレイズの帰還は優に一カ月以上もの後であった。

 

 それはもう大騒ぎである。なんせ死人が帰還したのだ。

 

 普通は外界での消息不明は1週間で死亡と見なされる。カンテラに灯した火は強力なモノでも3日しか持たない。火の維持・継続をさせるには熱量の調整が可能な火継守であるか、火石等の道具が必要となる。

 

 懐事情の良くない末端騎士団ではそう確保できる物ではない地味に高価な品。それ故に外界探索時のゲート受付での申請での帰還の目算から大幅に外れれば行方不明扱いとなる。二次被害を考慮し捜索隊など組まれることはまず無い。

 

 このような事情がありグレイズは奇跡の帰還者として少し有名になりつつあった。

 

 ・・・・おかげで要らない噂もたてられる。

 

 

「どいつもこいつも騒ぎ過ぎだよなあ。騎士団は壊滅して貴様みたいな劣等生だけが生き残るとか・・貴様何をしたんだ?見殺しにしたのか?それをいい感じに奇跡を演出して見せて、そうやって煙に巻くつもりだったんだろが浅いんだよ、平民風情が。栄養が脳まで足りてねえなぁ」

 

 中央で対峙する二人。大柄の体格に精悍な顔つきをした特級生代表のマフラス先輩。最初から嫌悪感を隠そうともしない。

 

 彼は僕が鼻をへし折ったフレシアさんの兄になる。明らかに刺客。まさか公の場で合法的に潰しに来るのかよ。それも身内自ら始末を付けに来るとは思いもしなかった。フレシアさんが僕を推薦する理由はこれか。僕を絶対に逃がさないつもりかい。

 

 一年に一度、学園の成果を発表する学年別交流戦。一般人にも開かれ学園の権威を知らしめる。本来であれば僕はここにいていいような人間ではない。対戦相手はよりにもよって特級生代表だ・・

 

 特級生・・騎士学校は通常2年のカリキュラムを持って卒業なのだが、2年目の進級時に貴族の子息は特別棟に編入する。

 

 一応、1年目に才能を見込まれた一般生徒も進むことが可能なエリートコース。特級生は基本貴族の集まり。独自のコミュニティが築かれている。将来的には国の運営に関わる者たちで構成される。

 

 その実力たるや、貴族とは幼少期から既に魔術や宮廷剣術を嗜み一般人とは土壌が違う。なにより血というわかりやすい才能。貴族だけあって火属性も多い。貴族とはステータスであり強さの証明でもある。

 

 そして魔術師の卵だ。

 

「妹の、女性の顔を傷つけるなど言語道断!劣等生はここで事故に遭わせてやるよ。取るに足りない落ちこぼれが」

 

 グレイズにしても代表選手推薦は断りたかったがこれを断ることはまずあり得ない。おまけに貴族からの推薦だ。断れば泥を塗り遺恨を残す。

 

 多くの者が指標とし目指すのがこの交流戦への出場だ。将来を決める第一ステップ。名誉ある代表選手を断ればそれを目指す者にどう映るかなどわかりきっている。被害が及ぶのが僕だけならまだいい。だが世話になった人まで後ろ指を指されるのは御免だった。都市と言う広いようで小さな隔絶世界で生きていくには風評は無視できるものでない。

 

 

 

 

 ――――――――――Side/???

 

 

「ほうほう、彼が例の古戦場跡からの”自称”帰還者君か」

 

「・・ヘレス様。お部屋をご用意しております。なにもここからでなくても」

 

「かまわんだろ。私の継承位では顔を知る者もいまい」

 

 会場の上層。流れる一般人に交じり何者かが全体を見渡す。

 

「いつ来てもここの空気はいい。今回は趣向も違っているし、これはこれでなかなか・・」

 

 一般人はまさかこれから公開処刑が執り行われるとは思いもしないだろうな。

 

 視線は依然、会場中心部へと注がれる。

 

 グレイズ君、だったか・・ヘルベフス家に相当に恨まれているじゃないか。平民が貴族の鼻を折るなど前代未聞。それも火継守のだ。教官達の離間工作も空しく公の場にまで引きずり出されてしまった。

 

 せっかく見事に演出して見せた奇跡の帰還も意味がなくなる。

 

「それにしても古戦場跡から逃げ帰った、ね・・・うくく、もう少し。こう、他に言い訳は思いつかなかったのかな?」

 

「まあ、理に適っております。なにせ実際にあるのかどうか確認の仕様がないのですから」

 

 三大禁忌とまで言わしめた不帰の古戦場跡。あのダンジョンから逃げ帰って来たなど、彼はどうも不帰の意味を知らなかったらしい。

 

 私は正直伝説が独り歩きし過ぎた結果ではないのかと思っている。そもそも誰にも見つけることができないあるかどうかも分からないダンジョン。奇跡の演出にしては盛り過ぎて杜撰に見えるがこれぐらい大げさなほうが大衆受けはいい。

 

 一部では生き証人としてどこぞの団体が彼を擁立しようとする話も出ているくらいに・・・

 

 そのせいで自身の首を絞めることになっているのが笑えるのだ。身から出た錆とはまさにこのこと。少し有名になり過ぎて余計な者に目を付けられてしまった。

 

「だが、まさか緋色原石を持ち帰るとはな・・」

 

 恐らくどこぞの未発見ダンジョンに潜ったのは本当だろう。原石は学園に帰納され万々歳・・といきたいところだが。

 

 功名心に欲が出たのかよりにもよって古戦場だと喧伝したのは良くない。

 

 彼は元々、学園内での揉め事が原因で立場が危うくなり退学になる予定だったと聞く。退学すれば学園の庇護の下から離れヘルベフス家から刺客が送り込まれていたのが容易に想像できる。顔がいいからもっと悪い目にあっていたかもしれない。

 

 だからこそある教官が古巣のコネを使い騎士団へと潜り込ませ退学を撤回できるだけの”何か”を手にし、それでヘルベフス家と手打ち、もしくは有益な発見を狙った。

 

 その成果で学園内での箔を付ければ易々と権力によって退学に追い込めない。この学園の根差す土地は聖王直轄の中立地帯。学園の一生徒として功績を挙げればそう易々と外部からの口出しも難しい。例えそれが多額の出資をしているヘルベフス家でもだ。歴史と伝統のある学園は聖王様の権威の象徴。限度を超えた干渉、つまり一線を超えれば聖王の顔に唾を吐いたのと同義。地方貴族にそこまでやるメリットはない。

 

 ・・・だからこんな事になってるんだがね。

 

「そもそもあの一帯が禁忌指定を受けたのは何もダンジョンの存在だけではありません。厳しい環境に、あそこを縄張りとするホワイトブリムがおります。騎士見習いの実力で生き延びれる可能性はゼロでしょう」

 

 ホワイトブリム・・・例の危険原生生物か。そりゃ無理な話だ。

 

「まあ、これはこれで面白い見世物だ。もしかすれば、なんてこともあるかもしれんぞ」

 

「・・はあ、まったく、心にもないことを」

 

 古戦場跡からの帰還者として一躍有名になってしまった彼だが、もはや成果云々の話では済む段階でなくなった。持ち帰った緋色原石が噂に真実味を持たせてしまった。伝説に、生き証人、そして明確な成果が合わせれば、熱に当てられ夢想を抱く愚か者も現れる。

 

 はっきり言って彼が有名になると困る者たちがいる。勿論嫉妬ややっかみもあるだろう。理由の大半は模倣犯の抑制と無謀な自殺志願者を減らす為だ。

 

 古戦場に眠る未知なる技術や財宝の話が本当かどうかはなど、この際どうだっていい。危険地帯に踏み込む犠牲者を減らさねばならない。既に先走った愚かな冒険者は数百人規模だと報告を受けている。当然生還者もまたゼロだ。

 

 それもこれも彼の不用意な発言が原因だ。

 

 残念だが有名になれば危険は及ばないとでも考えたのだろう。それは悪手だ。

 

 騎士の存在から聖王国とは仲の悪いあの冒険者ギルドからも嘆願がくる程に冒険者達は熱狂している。ギルドからしてもあるかどうかも分からない黄金卿よりも身近な生活圏での堅実な依頼を費やすことのほうが大事だ。ただでさえ聖王国では依頼をこなす冒険者の数が少ないのだ。騎士団の存在から存在意義を疑問視されている。

 

 この都市の多くの権力者が事態の収拾を望んでいる。だからこそ用意された舞台。市民にも開かれたこの大舞台で彼は惨めな姿を晒すだろう。功名を利用され交流戦に無理やり捻じ込まれたのだ。彼はヘルベフス家に時間を与え過ぎた。用意されたこの場において実力は誤魔化せない。謀略に殺されるのだ。

 

 氷水騎士団が全滅しておきながら一人生き残ったのも囮にしたからという噂も耳にする。

 

 ここで実力を暴き大ウソつきであることを世に示すことこそ真の目的。個人的に殺す必要はないと思うが、ヘルベフス家のお坊っちゃんは”事故”を起こすつもりのようだ。噂通りのいいお兄ちゃんじゃないか。実力も同年代でも突出した麒麟児とも聞く。勝負はもうついている。

 

 一か月間もどうやって生き延びたのかなど不可解な点も多いがもはや関係無い。そこは大した問題ではないのだ。

 

 

 

 ―――――ざわざわと何やら人ごみがざわつく。

 

 

「ん?どうした」

 

「あれは・・・」

 

 向かい正面。会場渦巻く熱気とは違うどよめきが人垣を掻き分ける。歩み来る二人組。変わった格好をした赤髪の男と、そして、なんだ・・一際異彩を放つ銀髪の女性。妙に浮いた男女のペア。周りの視線を気にすることなく我々の横合いを通り抜けていく。

 

「あれが・・・最近入国したというBランク冒険者・・」

 

 従者の溢す言葉に目を見開く。

 

(ほう、あれが・・・)

 

 男の腰から釣り下げた黄金の認識票がその在り処を主張する。

 

 Bランクとなると・・・事実上の最高ランク冒険者じゃないか。やはり格好もそうだが漂わせる雰囲気からして違っている。それとも一際輝く黄金に目を灼かれただけか?

 

「そういえば【死神】が入国しておりましたな」

 

「知っているのか?」

 

「はい、冒険者でありながら職業(ジョブ)システムの恩恵を受けぬ変わり者だと」

 

 となると職業によるステータスの底上げも、スキル抽出も無しにBランクに至ったのか。それでは本物の怪物ではないか。

 

「衣服で確認できませんでしたが、最近利き手を失ったとの情報も出回ってます」

 

「・・・それでもまだBランク・・なのだな?」

 

 コクリと大柄な従者は頷いた。険しい顔をするじゃないか。

 

 ランク制度は非常に査定が厳しい。完全なる実力と実績の世界。どんな偉業を達しようとも弱体化すればすぐにランクを下げられる。右手が使えないとなれば相応に試されるはずだが・・・それでもBランクとして問題ないと判断されたのか。

 

 大半の冒険者は取るに足らない連中ばかりだが、ランク持ちにまで至ると侮れない。とても個人が保有していい戦力ではなく野放しにできない存在。

 

「ふふ、どうだ。お前なら勝てそうか?」

 

「お戯れを姫様。少なくとも”正面から”では厳しいですな・・・」

 

「それは・・・・・驚きだな・・驚愕」

 

 幾多の戦場を経験し生き残った騎士の中の騎士がそう評すのだ。人生で初めて見たBランク冒険者。やはり市井では面白い発見がある。

 

 

 

 

 

(・・・・・・・・・恐ろしいものだな)

 

 従者は何やら気分を良くされた姫様の姿に微笑みながら、もう一度二人組の背に視線を送る。

 

 男もそうだが、相方の方がどうにも気になって仕方がない。美しさに目が眩んだだけやもしれない。それでも長年の経験からなぜか女の方に警鐘が鳴り続ける。

 

 一抹の不安を感じつつも顔には出さない。従者が主を不安にさせるなど有ってはならない。

 

 女の首から下げた認識票は無色(クリア)。あの見た目だ。ただの愛妾である可能性もある。

 

 だが、あの【死神】の連れともなれば・・・いずれその実力もわかるというものか。

 

 

 ・・・それにしても彼らも物見に来たのだろうか?

 

 

 

 

 ――――――――――Side/リズ&ベルタ

 

 

「・・・・・」

 

「あらら、どうしたのかなリズ」

 

「なんでもないのさ。それよりもいい席を確保しないと」

 

 露店で買ったのか両手いっぱいにジャンクフードとドリンクを抱えた男女の冒険者。露店で打っている変な形の眼鏡や帽子を付け見るからに変な二人組。混雑した人の波の中でありながらまったく接触することなく器用に運ぶ。

 

 それも当然、どういうことか人垣の方が彼らを避けるように道を開けるのだ。一般市民では感じえぬ、リズが前方に放つ微量な殺気が自然と人垣を割る。本能的に避けてしまうのだ。そうでなくとも目ざとい者は腰に下げた認識票の色から避ける事だろう。荒くれ者でも格付けを重んじる。

 

「それ便利だねーリズ」

 

「通りで人に避けられるはずだ。俺は悲しいよ。まあ、お前ならすぐになれるさ。この”高み”に、な。フハハ」

 

 Bランクどうこう以前にランカーはそもそも避けられやすい。糞みたいな荒くれ者が多い冒険者でも顔を下げ道を譲る目に見えた強さのステータス。それが色つきの認識票。ランカーは必ず目に見える位置にそれを掲げる義務がある。

 

 <無色>(クリア)の冒険者が色つきに自ら話しかける事はまずない。それも色つきの中でも最上位の位であるBランクは同じ色つきからも特別視される。生きている世界が違い過ぎる。いきなりぶん殴っても寧ろ相手が謝る程度には効果はある立ち位置だ。

 

 視野の広がったリズがそのことに気が付いたのはごく最近。

 

 今まで周りを慮ることが無かったリズは古戦場跡での筆舌に尽くしがたい体験を経て世界が広がった。

 

 それは成長とも呼ぶ。

 

「人間どもも中々おいしいものを作るじゃん。おいしーよリズ。さあ、リズが持つそのクレープも調査させるんだ!」

 

「食べかけだぞ。まだ手を付けてないこっちにしろって」

 

「それがいいんだよ、それが」

 

「えー汚・・イタッ!!ちょっイタイ!!」

 

 手ごろな冒険者を無言の圧力でどかせ席を確保する。誰だってランカーと敵対したくないものな。ふはは。

 

 それにしてもなんだか面倒なことになったものだ。視線は渦中の人物へと注がれ、これまでの経緯を思い返される。

 

 ダンジョンから脱出し都市付近でグレイズとはひとまず別れた。理由としては、まず彼はある理由から明確な成果を求め外界探索に志願している。一カ月前に消息を絶ったグレイズが帰還すれば騒ぎになることは確実。事前に相談し合い、ならば逆にと騒ぎを利用し功績を広めることにした。

 

 自力で帰還させたことにするためにはBランク冒険者は邪魔である。ベルタが”作った”緋色原石を持たせ、あたかも一人で帰還させれば実績の無いグレイズにとっていい箔付けになる。需要の高い火石の原石の価値ともなれば無下にも出来ない。

 

 貴族との交渉にも役に立つと思ったが・・・流石に50キロの原石は盛り過ぎたかぁ。デカければいいってものでもないらしい。

 

 後で知ったが国宝級とのこと・・・なにそれ。いつも適当に売っぱらってたから知らなかった。グレイズすまん!

 

 作った本人は隣で知らん顔している。火石はダンジョンや鉱脈で入手するか火継守だけが制作可能な叡智の塊で原石は天然由来の自然物だとばかり周知されてきたが原石って作れるんだなー・・・・

 

 ダンジョンで大量に入手できる理由がよくわかった。あれ、つまり必然的に原石の欠片である火石も作れるってことじゃん。

 

 ・・・・最高かよ。無限に探索し放題じゃないか。

 

 火石は種火であり、生活の上で様々な活躍をする必需品。カンテラの火を継続させる燃料でもあり、それなりに値は張るし気にもなる。

 

「う~んおいしい。人間どもの食文化は極めて文化的だ。メシマズは覚悟の上だったけどなかなかどうして。あれ、どうしたのかなリズ?」

 

「いや、ベルタは・・・最高だなって」

 

「ふふーん。今頃気が付いたの?もっと褒めてくれてもいいんだぜ!」

 

「調子に乗るな」

 

「なんで!?」

 

 一旦、グレイズと別れたのにはまだ理由があった。

 

 これはベルタから目を逸らさせる為にも必要であった。Bランク冒険者でも一カ月以上の消息不明はまずい。帰還すれば過去の事例から成りすましの疑いも持たれるため身辺調査が入る。

 

それにだ。古戦場跡の名を出し喧伝することはベルタのお願いでもある。なんでも都市内に潜む敵性勢力をあぶり出すのにちょうどいいとかなんとか。

 

 彼女が明確に敵と評す相手とはいったい・・?

 

 ・・・・世界って広いな!

 

 ずっとワクワクが止まらないな。最近浮ついているな、オレェ!

 

「あ、始まるみたいだよ」

 

「・・・さて、楽しみだな」

 

 そんなこんなで良かれと思ってやった事だったがこんな事態を呼び込むとは・・・

 

 裏目に出てしまい内心グレイズに謝りながらも、リズはいい機会だとも思っていた。

 

 このまま騎士への道が断たれれば遠慮なく冒険者の道に引きずり込める。あの地獄を共に経験しベルタの正体を知る内情に不和を起こさないグレイズを仲間に引き込みたいのが本音である。少なくともBランク冒険者が後ろ盾になれば貴族ですら矛を収めざる負えない・・収めるよな?

 

 まあ、いざとなれば別の都市に逃げ込めばいいけどさ。都市によって法も違う。

 

 ・・・それもこれもこの結果次第。どう転んでも彼は殺させはしない。横やりが入れば介入する気満々である。

 

 冒険者の力が弱い聖王国内においてもBランクは無視できる存在ではない。試合結果に納得がいかず公然の舞台で揉め事でも起こりどうにもならない状況になってくれれば颯爽と介入し仲間であることを喧伝し助ける。騎士と冒険者は仲が悪い。ここで外で助けてやったことをばらすことでグレイズの印象を悪くし、逃げ場をなくす。大ウソつきのグレイズは冒険者以外に行き場はなくなる。そうなれば目の敵にしている貴族も便乗し排斥の流れを作るだろう。熱狂する民衆の熱は冷め態度は反転する。そうなればもうこの都市では暮らせない。

 

 グレイズに対して悪いなぁとは思う。だが付け入るスキを与える彼もいけない。世の中甘くは無いと教え、冒険者として存分に啓蒙し一流に仕立て上げてやるのも面白い。

 

 この試合がどう転ぶかで彼の人生が決まる。できればあの地獄(主にベルタ)を体験した彼の成果を改めて見せて頂きたいものだ。しがらみと陰謀渦巻く騎士の世界はさぞ生きづらかろうに。

 

 ・・・それでも騎士として苦難の人生を冒険していくのならば、オレはそれを祝福しよう。

 

 

 頑張れ、グレイズ。

 

 でも負けてもいいぞ!

 

 

「なあ、どっちが勝つか賭けないか?」

 

「それだと賭けにならない。様々な要因があったとはいえ、ベルタちゃんと戦って生き残っているんだぜリズ」

 

「やッぱそうだよな~。実は裏で賭けが始まってるんだがグレイズのオッズは9.6倍だと。・・・・今夜はパーっと行くかッ!あいつも誘ってな!」

 

「なに!?いやグレイズはいらなくないかなぁ?二人がいいけどなぁ~」

 

「そう言うなよ。あいつの門出を祝ってやんないとな。祝ってくれるような友達いないみたいだし・・・ギャハハハ。だから、な?」

 

「わかるけども・・わかるけれどもぉ・・・くおぉ」

 

 彼らはグレイズの身を一切心配してなどいない。なんたってその実力はすでに彼らも認める程に体感している。勝つのは必然。彼らは会場中が驚きどよめくさまを見に来たに過ぎないのだ。

 

 なんたってグレイズは未来の一軍なのだからな。

 

 

 

 

 

 ――――――――――Side/マフラス

 

 

「では初め!」

 

 壇上から開始の合図が高々に鳴り響く。

 

「【ファナリー】!!」

 

 開始早々衝撃波がマフラスから放たれる。衝撃は突き抜け大量の砂埃を巻き上げた。砂による天幕。マフラスはそこに飛び込む。

 

 手応えが無いのも当然。あくまでも砂埃を巻き上げ観客の目を排した空間を作り上げることが目的。剣を抜き一直線に敵の喉元へと振りかぶる。

 

 視界の利かない戦闘であれど、いちいち魔術を使わずとも空気や気配を読むことで敵のおおよその位置を把握することは可能。彼はそれができてしまう。

 

 ”誤って”急所に首に剣を当てる。この中では視界も効かず事故として処理されることだろう。刃引きされた剣で在れどマフラスの技量であれば両断できる。そうでなくとも首の骨はへし折れる。気配から相手は棒立ちそのもの。今頃慌てふためいている事だろう。そのことが暗に実力の浅さを如実にしていた。そんな情けの無い実力でよくもまあ大嘘を吐ける。

 

(勘違い野郎は潰しておかねばなぁ!未来の反乱分子は推定死罪だ!貴族に歯向かう愚か者は死ぬべきなんだよォッ!!)

 

 砂を掻き分け鈍い鉄の塊が人影へと一閃を興じる。

 

 ――――少なくともマフラスにはそう見えた。

 

 会場では二人の姿が消えたことでわからない。何が行われようとしているのかは一部の者のみが把握していた。

 

 煙を突き抜け上空へと昇る物こそ誰もがグレイズの影だと思い込んだ。

 

 そんな中で二人の冒険者だけは笑った。

 

 

「やったぜ」

 

 

 

 

 

 

 会場はこれでもかというぐらい静まり返っていた。天井に突き刺さる人影。試合開始から一歩も動くことなく仁王立ちするグレイズ。状況からどう見ても彼が勝者だった。

 

 だのに、思考が追い付かない。理解を拒み、動作が静止する。

 

 どこからか挙がる二つの拍手につられ観客たちの時が動き出す。歓声がドッと襲い掛かる。実力を知る同期は未だに信じられないと目を見開き間抜けに口を開く。ただの劣等生が特級生に勝つなどあり得ない。

 それでも天上に突き刺ささった先輩の体が揺れ現実を物語る。まるで現実味が無かった。多くの者は初手の魔術の威力ばかりに目を釣られ直撃したとばかり思っていたのだ。

 

 誰がこの結果を予想できるのか・・

 

 

 巻き起こる歓声の中でグレイズは改めて決意する。

 

(姉さん、僕はまだ諦めないよ。必ず・・・探しに行くよ)

 

 もはやグレイズにとって特級生代表は敵で無かった。その目はもっと別の所を見ていた。

 

 この世界にはもっとすごい人たちがいる。クラウン大主教の教えは今でも胸で息づいている。

 

 彼はようやく歩み始めたのだ。ダンジョンでの鮮烈な体験が一人の人生を変えた。

 



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第79話 Aliceは祝福する

 

 ――――――――――Side/???

 

 

 冷たい水の流れがこれでもかと迷い人の体温を奪う。

 

 感覚は遠く身近にあるであろう”アリス”の体すら感じえない。視界には永久の暗黒が広がり”亡者”は流れるままに運ばれていく。

 

 暗雲は未だ晴れず。

 

 

 

 ・・・結局何も分からずじまいだった。

 

 それでも最後に一矢報いてやったからか、気分はいい。

 

 いや違うな・・・俺は初めて全てを出し尽くした。感情も剥き出しに我武者羅だった。最高の時間だったのだ。後悔などあるものか。もう終ってしまったことだ。どうだっていい。

 

 ・・・ヨルムには怒られるかな、それとも褒めてくれるだろうか・・・

 

 水底は深く底の無い深淵を思わせた。肉体も意識もどこまでも、どこまでも堕ちていく。

 

 

 

 

 

 

「バァ♪」

 

「ッ!!?」

 

 突然眼前に広がる女の顔に驚き跳ね起きる。

 

「な、なんッ!?」

 

 初めて見る女がそこにいた。

 

 いや、この隠し切れない邪悪なクソガキ臭に言葉にできない異物感は―――――Aliceだ。

 

 Aliceの顔が間近でニコニコと俺を凝視している。顔を逸らすも瞬時に両手で固定され目を逸らすことも許されない。この有無を言わせない強引さ、神性を含んだ吐息の温もり。

 

 どこか獣臭く心地が良いのだが生理的嫌悪感が体を痙攣させ全力で俺を飛び退かせた。

 

「えへへ、きちゃった♪」

 

「・・・・・・」

 

「もしかして~、あれで終わりだと思った?祈りがある限りAliceは不滅なのにぃクひひふひ」

 

 なけなしの祈りは神を呼び込むには最適だった。満足したと言っても俺は結局どこかにまだ未練があったのかもしれない。

 

 それを見逃す神ではなかったか。そういう神だよなぁこいつはよ。

 

「また、謎の空間・・・つまりはお前の仕業か!」

 

「え~~ここ?ここはね~神域なんだよ。誰もいない何者かの、形だけの玉座だよ。また戻ってきちゃったねぇ。クヒッ、そんなにAliceに会いたかったの?嬉しいなぁ嬉しくって世界がAliceに平伏しちゃうよクヒックヒヒあ”~~」

 

 ここがあの神域だと・・絶句しても仕方がない光景。何もない不気味な光に満ちた空間は見る影もなく、どこもかしこも顔の無い精巧な人形で敷き詰められていた。アリスを象った人形が天と地に所狭しとひしめき合う。なんと趣味が悪い事か。なんか蠢いてるし気のせいであって欲しい。

 

 というか・・Aliceの姿も全然違う。体の関節が全て球体関節に置き換わっている。名残を感じさせるあの大人のアリスを模した人形―――ッ

 

「ああ、この体。いいでしょ。あの子がね、くれたんだよ。救済の代償に体と存在をもって、アリスを助けてって・・・かわいいよねぇ。嫉妬しちゃう”ッだから融合しちゃったの」

 

 キリキリと音を鳴らし新たな体に指を這わせる。

 

 なんだ・・・こいつ・・少しばかりまともになったの、か・・・?

 

 前とは違い精神が安定をきたしている。

 

 正直、不安だ――――――

 

 そんな中、ティーテーブルがポツリと存在感を主張する。倒れた椅子から、今まで俺はそこで突っ伏していたのだと理解する。

 

 椅子は三つ。俺とAlice・・・・そして”アリス”の分。引き込まれたのは俺だけではないらしい。

 

「・・・・・・・ッ」

 

 プルプルと震える”アリス”は無言で顔を下に向けている。恐怖で打ち震えている。あれほど避けてきた存在が傍にいるからなのか。

 

 それよりも、――――――なんだこの視点の低さは!?

 

 

 またかッ!またなのかッ!!

 

 

「何がしたいんだっ!」

 

 恋都はまた継ぎ接ぎのあの体へと戻っていた。勢いあまって椅子を蹴り飛ばしちゃう。

 

「ねえ、知ってる?神は不滅なんだよ。祈る者がいる限りAliceはどこにでも存在するの」

 

「だから俺を生かそうと言うのか!そうまで生きたいのか!頼むからいい加減死んでくれ」

 

「だって、アリスは神ッなんだよ!神は信者を守るんだよ!嬉しいでしょ!ほら感動の再開だよ?抱き着いてそのままあの時の続きをしようよ」

 

 人形が色目を使うのかッ!女の情念とは手に負えんな!!

 

「俺が信者だと?ふざけているのかッ」

 

 アハハハハハハハハハッ!!腹を抱え大笑いする神に”アリス”は小さな悲鳴を上げる。もう半泣きだ。

 

「あれ?あれ?助けてあげたのになんで好きにならないの?褒めてくれないの?なんで?あの時の祈りは嘘?敬いが・・足りない。もしかしてAliceを殺した程度で縁が切れるとでも思ったの?おもしろくないよ」

 

 神は自分の首を締め上げ舌をだらりと垂らす。

 

「Aliceは見つけちゃったんだ!本物のアリスは君だったんだ」

 

 やんやんと顔を抑え興奮気味に悶える。

 

「あんなにAliceに正面からアプローチしてくれたのはアリスだけだよ~酷い目に合わせたのにこれってもしかして両想い・・?クフフ、胸が弾けそうにバクバクしてる。今にも催してしまいそう。神がお漏らしだなんて、クヒヒアハハッ!・・・見たい?」

 

「・・・・・・・・お、俺をアリスだと・・勝手に、捨てておいてッ」

 

 ピキピキとこめかみに血管が浮き上がる。つくづく神って奴は糞なのだなッ!

 

「ねえ、その目やめてよ~やめてやめてやめろ。馬鹿みたいに泣いて喜んで縋ればいいんだよ。これから先はAlice無しでは生きていけない癖に・・・かわいいなぁかわいいよアリス。やっぱり会話って楽しいなあ、思い通りに行かなくてーあ”あ”ぅぅぅ脳みそがぐりゅぐりゅしゅるよ~~~ッ!クフックフッ!切り捨てられた者同士仲良くイチャイチャしようよ~ウフクフギギ、ギ」

 

「ッ!!?」

 

 突然、恋都の視界が暗転する。身に覚えのない窮屈感が体を締め付ける。すぐ真横には神の顔。Aliceの両脇に腕を回され俺と思考放棄した”アリス”が抱えられていた。ビクともしない怪腕はさながら拘束具。加減無しに内臓を圧迫する。

 

「ゴペッ」

 

「ちょッやめ、ガェッ」

 

 血を吐き出す二人に目もくれず神は頬擦りする。

 

「ずっ~~~~とこうしたかったぁ。二人の輪に入りたかったッ!お母さんとアリスに挟まれて嬉しいなぁぁこれが幸せなんだぁ」

 

 痙攣しぐったりとする二人をよそに血みどろのまま楽しそうに語る。

 

「お母さんはAliceを捨てたけどAliceは見捨てないよ。必死に心の底から命乞いしてくれたから許してあげる。あとは・・アリスだけ。祈って?できるよね?子供じゃないんだから。あの時、祈ってくれたもん。ね、ね?」

 

「アリズゥゥッ!!早く祈れッ!ボクの為にもすぐ祈れェ!!お願いだから祈ってッ!あががが」

 

「・・・・・・・ふ、ふぐぐぅ」

 

 祈るのは簡単だ。俺には分かる。この女かなり怒り狂っている。祈りをただ利用されたことに腹を立てている。想いを踏みにじられたと思っている。一番の問題は本人がそのことを理解していない。感情がぐちゃぐちゃでまるで読めない。怒っているかと思えば喜んでいるし、泣いてもいる。もうわけがわからねない。

 

 それだけ神にとって祈りは貴く不可侵な行為なのか。言っておくが俺だって好きで祈ったのではない。大人のアリスに縋り奇跡を願っただけだ。貴様が勝手に勘違いしてやったことだろが。助けろとは言ったが、俺だってなんで祈ったのか・・・よりにもよってAliceなんかに。くそ、わけがわかんねぇ!!こいつの名を真っ先に口に出していたのだ。そう、口が滑ったんだ!”アリス”にはAliceをぶつけるしかなかったんだよッ!!あんなの・・・俺の意志じゃない!

 

 

「勘違い?え、え”、え、え、はぁ?ああ、クヒッ素直じゃないな”あ”!」

 

「アリスゥゥ!?煽るのやめろ!!嘘でもいいからそこは嫌でもイエスだろがああああ!!ボクを殺す気かあああああああんぎゃあああああ」

 

「俺をアリスって呼ぶなッッ!アリスはてめえだろが!だいたいお前が大人しくしていればぁ!!こんなに泣きたいのは初めてだ!!」

 

「ボクはもうアリスじゃないでーす。残念でした!イグナイツでーす。べー」

 

 ナチュラルに心を読む神にはまいったね。そうやって勝手に読んで先走った結果なんだよ!こんな神、願い下げだよな!可能ならば返品したい!

 

 ペッ!吐き出した血の唾が神のご尊顔に直撃する。

 

 今までのAliceの行動原理から読めている。察するにこいつはあくまでも自分が持っていいない物に執着しているだけ。アリスの付加価値を受けた俺は付属品でしかなく、こいつは俺に宿った”アリスの役”にしか興味が無いのだ。一度たりとも俺を見ていない。アリスであれば誰だっていいのだ。

 

 ちょっと優しくされただけで勘違いするメンヘラのキ〇ガイだ。そして手にすれば途端に興味を失う子供メンタル。そうなれば命の保証もない。独りよがりでエゴイストで自己中で幼稚な神。目的はすぐに迷走する始末。

 

 まさに、これが神だ。

 

 気分一つで俺は死ぬ。逆に抵抗し続ければ殺されないという事だ。

 

 俺が死ねばどうなる。世界に何の興味も無いAliceはいよいよもって終幕に導く。あくまでも世界を復元したのは俺の付属品として舞台装置が必要だからだ。数多くの者が命がけで守った世界を簡単に壊されてたまるのかッ!

 

「・・・どいつもこいつも、なんなの?許してあげるって言ってるじゃん。言葉は通じてるよね。こんなに好きだって言っているのに・・う”ぅヒックッ・・・・Aliceのこと・・いぢめないでよ・・・・・・・・・・・・・殺すぞ」

 

 ゴゴゴ、と。

 

 地面が揺り動く。盛り上がる大地。人形の波から現れた巨大な手が俺と”アリス”を掴み上げ、巨大な神が現れる。

 

「Alice!!超待って!許して!ボクがッ超間違って」

 

「うん!うるさいよ!」

 

 大きな口を開けそのまま”アリス”を丸かじりにする神は幾度の咀嚼後飲み込んだ。

 

「お、俺も殺すつもりか?これが神なのだなッ!!」

 

「別に殺してないよ?こいつはなんだかんだ言ってお母さんみたいなものだし、おもしろいよ!」

 

「何がしたいんだ・・・」

 

 神の大きな目が俺を捕らえる。瞳に映る手に捕まれたヨルムの顔をした俺の姿。とても弱弱しく無力な存在。とても抜け出せそうにない。

 

「ねえ思ったことは無い?物語のその後をさ。王子様とお姫様が結婚してそれからどうなったのか?Aliceはね、それが見たいの。物語は自分で作るに限るよね」

 

「それがなんでこの体になるんだッ!?」

 

 ヨルムに申し訳がない!

 

「本来のアリスの体は神の力で崩壊寸前。だから継ぎ接ぎの体を更に継ぎ足したんだよ。それでもまともに動かないだろうからAliceが無理やり外から力を加えて動かしてあげる。アリスは男であることに拘ってたよね。ちゃんと男にしておいたよ、よかったねーヒューヒュー重力って偉大だね」

 

 ・・・なぜそんなサービスをする?本当に行動原理が理解できない。

 

「あと、ついででいいんだけど、この箱庭に蔓延る”運命”気取りのウジ虫どもを退治してくれればいいよ。そしてみんなに偉大なる神の存在を知らしめよう!異教徒は皆殺しにしようね~そのための力もあげたからね、ね。教えてあげないとねAliceのほうが偉いんだって」

 

「わけがわからん!なんとでも説明しろよォ!そもそもなんで俺が召喚された!?アリスとどんな因縁があるんだ!?いい加減答えろおおおおおおAlice――――――ッッッツ!!」

 

「アリスは物語を語る上で結末だけしか教えないの?脈絡も伏線も無い最後だなんてAliceは嫌いかな。だってつまらないもん、くふ。大丈夫~終末戦争について調べて行けばいつかはわかるよ。がんばれがんばえ~!」

 

 なんだよそれッふざけるなよッッツ!!

 

「さーてアリスはどんな味がするのかな~」

 

「クソガアアアアアアアアア!」

 

 

 ガリガリと噛み砕かれる恋都。それは何とも甘美な幸せ。お腹の中にいると考えると良からぬ思いで溢れそうだ。まるでそう、あの時のキャンディみたい。

 

 

 Aliceは既に幸福に満たされている。欲しいものはただ一つ。祈りだ。この世に蔓延る神モドキとは違う真なる支配者。その証拠として神域には神など存在しなかった。盤面へと唯一介入可能な存在。それがAliceだった。

 

 さあ、Aliceだけの舞台を作ろう。

 

 主人公はアリス。

 

 演目は【迷走】

 

 原点たる”痛み”を経て”迷走”こそがAliceの本質。

 

 答えの無い出口が迷い人を永遠に惑わし続け終わりから遠ざける。アリスもお母さんもこの舞台で踊り続けてくれるだけで満足だ。

 

 それでも貪欲で無慈悲な神は祈りが欲しい。もっと頼ってほしい。だから過酷な環境に送り込み試練を与えてやる。そうなればきっとアリスも心から祈ってくれる。外様の”運命”かぶれどもには好きにさせない。

 

 この舞台はAliceの物だ。意味不明な改悪も介入も許さない。Aliceの大好きな駒こそが主役なんだ。”運命”は、全て迷走が喰らい尽くしてやる。

 

 私のアリスが最高なんだって奴らの創作物を滅茶苦茶にしてやる。

 

 ああ、早く祈らないかな。アリスが恋しいよ。

 

 こんなに可愛い神様に愛されているのに・・・何が不満なのだろうか?

 

 愚かなアリスも・・・・・・・いいね!

 

 両想いになるまで試練を与えないと!

 

 これもきっと”愛”なんだって、きっとアリスならわかってくれるって信じているのだから。

 

 だから、Aliceは―――――諦めない

 

 がんばるぞー

 

 

 

 

 ――――――――――Side/アリス

 

 

 寒い。

 

 寒くて凍えそうだ。

 

 恋都は雪原に転がり仰向けのまま天を仰ぐ。灰色の空は限りなく続く。豪雪地帯であるはずが、この時だけは雪はまったく降っていない。冷たい風が吹き抜ける度に身もだえする。全身水に濡れていれば当然の反応か。いや、それ以前に全裸じゃん・・・

 

 また生き残ってしまった。喜ぶべきか、残念がるべきか・・・神って糞だ。

 

「・・・寒い」

 

「・・・・・・」

 

 先ほどから荒い息遣いが耳に障る。

 

 隣に寄り添うもう一人はそれどころではないらしい。それでもなお静寂が勝る。深々と降る雪が如実に演出する。

 

「くそくそくそ!なんでボクがこんな目にいいぃぃぃッ!」

 

「ハハハ、超笑えるんだが?」

 

「ボクはただ自由になりたかっただけなのに!酷いよ!アリスお前が!」

 

「ぐぇ」

  

 高揚した”アリス”が俺に圧し掛かる。争ったところでどうにもならない。糞みたいな神はきっとこの光景もどこからか眺めているのだろう。

 

「笑い事じゃないよ!ボ、ボクッ肉が喰いたい!人肉が食べたくてしょうがないんだよッ!!?」

 

 恋都はドクリ、と血が騒ぐ。それは危機感から来るものなのか・・・

 

 なんだ、何かがおかしい。こんなにもこいつを近しく感じたことがあっただろうか?

 

 何かが二人の間でリンクした感覚。そう、まるであの時のフォトクリスとの契約―――――

 

「Aliceめえええええええ!食人衝動を残しやがったああああああ!人間なんて食べれる訳ないだろおおおお」

 

 イグナイツの食人衝動は生来のものではない。ボクが産んだ際に意図的に付け加えた設定でだ。イグナイツとして新たに生まれ変わる上で痕跡を残し裏のアリスに気取られないようにするためには一時的に記憶を消さねばならなかった。イグナイツを演じればしばらくは以前の人格も記憶も忘れてしまう。その時のイグナイツを演じるボクが計画通りに動くかはわからない。それにはどうしても、いつか現れる恋都にべったりである必要性があった。人食いはその指標。彼が不死者であることは把握済み。だからこその食人衝動。裏のアリスが囁く前から夢の中でボクは何度も王子様を登場させ刷り込み理想の男性に昇華させた。

 

 それがだ、あの性悪な神はあろうことかその設定を復刻させ残していきやがった。どうしても行動を共にさせ、あろうことか共依存を狙っている。まるで制約だ。神が神に制約をつけるのか!?

 

 そして、それはこの男にも当て嵌まる。

 

「お、俺から離れろッッ!」

 

 ボクを根源的な三大欲求。そのうちの食欲で縛るつもりなのか。

 

 この男を食べたい。

 

 つ、辛い。衝動に抗うってこんなにも辛いのか―――

 

「ね、ねえ。ボクの話を聞いて、聞いてよ!て、提案なんだけどさボクたちってもっと仲良くできると思うんだよね!苦しみってッお互いに分かち合えるよね!?血、血ならいける!!」

 

「そんなのお断りだ!いいから離れろッ退けよ!」

 

「へぐ!」

 

「はぁ、はぁ!ひぃぃ」

 

 ぶん殴ったアリスの股下から這い出る恋都は這う這うの体で逃げ出す。それを後ろからタックルし腰にしがみ付くアリス。必死に引きはがそうとするも力負けしている。出力が安定しないだと!

 

「アリスッ!ボクが必要なんだろ!恥ずかしがらずに言ってみろ!そんで譲歩してッねね!?」

 

「・・・・・・・・ッ俺をぉアリスって呼ぶんじゃねぇぇ。触るなッ!」

 

「意地悪!もういいっ喰ふ、い、いただきますッおえ無理無理~、があクソ!食べれないよこんなものッ」

 

 葛藤するイグナイツが俺を喰らおうと密着する度に嫌でも女体の素晴らしさを思い知らされる。とにかく理性が綻ぶ。寒さなどまるで感じていなかった。心臓がはち切れそうに高鳴り響く。

 

 俺は・・・こんなにも破廉恥だったのかッ!!

 

 ここで過ちを犯せば二度と日の目を見ることは無い。

 

 こんなことでッ神に祈ってたまるかよおおおおお!!

 

 

 冬空の下、絡み合う二人。お互いにマウントを取り合い、雪原をどこまでも転がり行く。理性の飛んだ獣との死闘はまだまだ続く。諦めない限り彼は間違う事は無いだろう。

 

 神は観客席からニコニコと楽しそうに見守る。行動の全てが供物となり逃れることを許さない。推し二人の絡み。見ていて楽しくない訳がない。

 

「はぎゃああああああああああああ!!」

 

 最後に大きな絶叫が響いた。それがどんな結果に落ち着くのか、神のみぞ知る。

 

 

 

 

 仄暗き水底で渦巻く魂の輪廻は救われた。

 

 少女は愛を捧げられ、神を産み出した。奔放なる神の来訪は見えない場所に大きな爪跡を残し、無名の魂は楽園へと辿り着く。長い航路の末、神は手に入れたのだ。誰にも忘れ去られた存在だったが、少女は忘れなかった。募る思いはエゴを強化し遂には彼を呼び寄せた。救世主の到来はまさしく必然。その結果、盤上に新たなる参加者が現れるが誰もそれを知ることがない。

 

 それでも世界は巡る。

 

 例え・・それが世界が嫌う異物であろうとも、”迷走”は祝福するだろう。

 

 



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