皿の上のミルクをこぼしてしまった (am24)
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 プロローグ

 此処はガリア王国直轄領であるオルレアン公領。現在は王太子であるシャルルが治める領地である。オルレアン領はガリア王国の北部にあり、トリステイン王国が誇るラドグリアン湖に隣接したガリア王国有数の穀倉地帯である。

 人々が寝静まる夜半、王太子夫妻が住まう屋敷にて、王太子妃の出産が執り行われようとしている。

 

 シャルルは今日という日を心待ちにしていた。

 

 それと言うのも、彼には一人の兄がいた。名をジョゼフと言う。兄はガリア王の嫡男として生を受けた。そのため、順当に行けば兄が次期ガリア王となるだろう。ところが、兄は魔法の才能に恵まれていなかった。12歳でスクウェアに達したシャルルと比較され、周囲からは『無能王子』と蔑まれている。

 しかし、彼は知っていた。自身が魔法以外で兄に勝る所が無いということを。兄がまだ杖を持たされなかった時期、やること成すこと兄に勝てず、悔しい思いをした。

 ある時、兄とチェスの試合をして初めて勝利することが出来た。その時、兄は彼の成長を誉めてくれた。その時は彼も大いに喜んだ。しかし彼は知っていた。兄が手加減をしていたということを――。

 その日から、彼は兄に対して強い劣等感を感じるようになった。そして、兄に勝てるよう、あらゆる努力をしてきた。

 

 そして決意した。

 

 ――自分こそは次期ガリア王になってやる――。

 

 当時、一部の重臣やジョゼフの統治する領地の周辺貴族達はジョゼフを支持していた。その類まれなる統治能力を直に垣間見たためである。シャルル自身、統治能力に劣っているわけではないが、オルレアン領はラドグリアン湖の恩恵が強く、周囲にその能力が理解され難い状況だった。

 今でこそ、彼の地道な努力と情報操作によって、ジョゼフ派とシャルル派で五分五分の支持率となっている。ただ、現在はガリア王が壮健なこともあり、未だ支持を保留にしている貴族も多い。

 

 そして一昨年の事である。兄とその妾の間に娘が生まれた。シャルルは大いに焦ったものである。兄に先を越されたのである。

 彼としては、風聞を気にして第一子は正妻に生んで欲しいと考え、妾の相手はあまりしていなかった。さらに、自身の地位をより盤石にしようと行動していた最中であったため、なかなか妻と過ごす時間が取れなかった。その弊害として、この事態である。

 しかも、周囲の反応として、妾の子であったものの、王族としての責務を果たした兄に支持が集まりかけた。しかしそこは彼の陰ながらの活動により、オルレアン夫人もまだ年若く、ジェゼフを支持するのは時期尚早である。と、現在の状態に抑えることが出来た。

 

 これで後は、世継ぎが無事生まれさえすれば盤石となる。彼は天を見上げ、そう確信していた――。

 

 夜空には双月が妖しく煌めいていた。

 

 

 

閑話休題

 

「オギャー!」

 

 赤子の鳴き声が響き渡る。

 

 別室で待機していたシャルルも無事赤子が生まれた事を悟ると、急いで妻の下へと駆け付けた。

 

「生まれたのか」

 

 シャルルは部屋に入るや否や声を掛けた。

 ところが、部屋の誰からも返事が返ってこない。

 

 まず目に入ったのは産婆として雇った水メイジである。どういうわけか、彼女は困惑の表情を浮かべている。

 次に目に入ったのはベッドで静かに眠る妻エレンである。死んだように眠る妻を見て焦って産婆に問い詰めたものの、眠っているだけだと知り安堵した。

 それならば、始めに見た彼女の表情は何だったのか、と脳裏に掠めたが、最後に目に入った我が子を見て思考が停止した。

 

 其処に居たのは……、

 

 ――双子だった――。

 

 ――双子。

 それは不吉の象徴である。ガリア王家では特に忌避されるものである。

 此処ハルケギニアでは、双子の出産成功率が低く、仮に無事生まれてきたとしても産後すぐに亡くなるか、何かしらの後遺症が残ってしまう事が多い。また、母体に多大な負担が掛かる為、出産に耐えられずに妊婦が亡くなってしまう可能性も高い。

 そう言った背景があり、双子は忌避されてきた。メイジであればこそ、それらのリスクはある程度無視出来るものの、双子に対する負の印象は根強く残ったままである。

 それでも現在の貴族社会では、双子の存在を受け入れつつある。しかし、それは飽くまで貴族間での事であり、王族は別である。

 王族とは国の顔である。その姿を晒すこともまた、王族の義務である。そこで、同じ顔の者が居た場合どうだろう。親兄弟で似ている事もあるだろう。しかしそれでも、何処かしら違いが生じるものである。しかし双子の場合は違う。容姿のみならず、性格や所作、言動に至るまで同じである事が多い。すると、後継者で揉めるのは明らかだろう。

 そう言った、諸々の事情を加味して、ガリア王家では双子に王位継承権を与えられない。

 

 シャルルは絶望した。双子では意味が無い。

 彼は兄に勝つ事をのみ切望し続けていた。だからこそ、このまま双子を祝福すると言う選択肢が彼には存在しなかった。

 

 此処で彼の脳裏に掠めたのは兄の姿だった。その兄の頭上には王冠が輝いている。そして自分は兄に向って言う。

 

「おめでとう兄さん――」

 

 自身の中で何かが壊れる音がした。

 

 そして彼は思った。

 

 ――このままでは駄目だ。

 

 双子だったからと言って、このような未来となるとは限らない。増してや、この後別の子が出来ると言う未来も存在するはずである。

 しかし、この時のシャルルにはそんな事は微塵も考えつかなかった。

 

 そして現実へ振り返る。

 思考の海から脱した彼の行動は早かった。

 

 ――【スリープクラウド】

 

 彼はすぐさま、部屋全体に眠りの雲を掛けた。そして【ディテクトマジック】で周囲の警戒も行った。まずはこの事実を知るものをこれ以上増やさない事だ。現状、双子の事を知っているのは、眠っている妻も含めれば自分と産婆の3人だけである。

 妻は放置しても大丈夫である。双子の事を周囲に吹聴することは無いという、確かな信頼があるからである。しかしこの産婆は――。

 

 周囲に誰も居ないことを確認すると、まず、手近な物を【錬金】でロープに変え、産婆を縛り上げた。王子であるものの、裏で暗躍している内に、この手の作業もお手の物となっていた。

 そして眠っている赤子の一人を産婆と共にクローゼットの中に押し込んだ。その後、クローゼットの中に【スリープクラウド】と【サイレント】を掛け、扉を閉めた。仕上げに、扉に【錬金】を掛けて固定しておいた。これで、中で目が覚めて暴れだしても周囲にばれることが無くなった。そもそも、彼程の実力者が掛けた【スリープクラウド】では、熟練の水メイジであったとしても暫く目覚める事が出来ないだろう――。

 

 次に彼は、何事も無かったかのように執事長ペルスランを部屋に呼んだ。そして、赤子をそっと抱き上げた。

 

 ――コンコン

 

「入れ」

 

「失礼致します」

 

 オールバックの執事然とした老紳士が恭しく主人に礼をした。歳はシャルルより一回り程高く、白み掛かった髪が印象的である。

 

 シャルルはペルスランの入室を確認すると、彼に話し掛けた。

 

「無事、生まれたよ。女の子だ。今日は目出度い日だ」

 

 そう言いながら、彼に赤子を見せ付ける。

 

「おめでとう御座います、旦那様。旦那様に似て聡明そうなお子様でございます」

 

「この子はエレンに似て美人に育つだろうな」

 

 そう言って、二人は微笑み合う。そしてシャルルは話を切り出す。

 

「この子を部屋に連れて行ってくれ。明日はお祝いの支度をしてくれ。私は一旦部屋に戻って王宮への報告書を纏める」

 

 ペルスランは畏まりましたと言い、慎重に赤子を受け取り退室しようとした。そこでシャルルは彼を呼び止めて注意事項を述べた。

 

「そうそう、エレンは産後で体力を消耗したのか、今は眠っている。このまま休ませてあげたいと思うから、この部屋には誰も入るなと使用人に伝えておいてくれ」

 

 ペルスランが退出するのを確認すると、彼も自身の部屋へと向かった。先ほどペルスランに言ったように、王宮への報告書を作成する為であるが、当然、それだけでは無い。赤子を秘密裏に処分する手筈である。

 

 貴族間では双子は受け入れられていると言ったものの、全ての貴族に認められている訳でもない。双子を認めず、処分する貴族も存在している。しかし、我が子を殺したくないと言う貴族も多い。そう言った人々の為に、ロマリアには訳ありの人を保護する為の施設が存在する。その施設の特性上、全容は例え王族であろうとも知られていない。

 その施設を利用する為には、神官に多額の寄付をした上で仲介を頼まなければならない。その秘密主義は徹底したもので、当事者の介入が一切禁止され、引き渡しには必ず第3者を用いなければならない。それだけだと、本当に無事保護されるのか心配になるだろう。しかし場合によっては、一度隠れた人物が再び表に出る必要が生じるかもしれない。条件は厳しいが、出戻りもロマリアが認めており、過去にも出戻りの事例が実在する。そんな理由から、一応信用されている。と言っても、寄付金の段階で大抵の貴族は断念し、実際の利用者は大貴族や王族、そして余程の事情がある貴族に限られている。

 

 今回の場合、シャルルはこの施設を利用しようと考えている。

 仮に殺害した場合、その事実が公に曝されてしまえば、シャルルの王位継承が不可能となる程の醜態となるかもしれない。そのため、殺害と言う選択肢は早い段階で消去されている。この時のシャルルの精神状態では、決して娘可愛さからではないと言える。

 双子の事を王宮に報告した上で施設を利用するという手段もあるが、双子の風聞が悪く、自身の勢力が減衰するのが目に見えている。

 秘密裏に行った上で王宮にばれてしまっても、如何とでも言い訳が出来る。寄付金に関しても彼の個人私財で十分賄える額であり、迷わずその準備に取り掛かった。

 

 引き渡しの準備にはそれなりの期間を要する。そのため、赤子を一時的に養育しなければならない。彼は書類の準備と並行して【遍在】で赤子の対応を行っている。

 ついでに産婆の処理も――。

 

 件の【遍在】はと言うと、現在、赤子を抱いて近くの村に訪れていた。

 ガリア王家特有の青い髪は自身の子にも確りと受け継がれており、このままでは目立ってしまうし、そもそも、王家出身だと吹聴するものである。自身は【遍在】故に姿を偽装し、この子には【フェイスチェンジ】を掛けて偽装した。

 そもそも村に訪れたのは、この子の乳母になってくれる人を探す為である。流石のシャルルでも、【錬金】では母乳を作り出せず、生まれたばかりのこの子には乳母が必要となる。秘密にするからには屋敷の使用人達に頼ることが出来ず、屋敷に住まう妻にも頼ることが出来ない。

 そこで彼は、旅人に扮し、地道に村人達と交渉をしていった。結果は彼の社交性と土地柄からも言わずもがな。

 

 

 

 数日後、ロマリアの神官へ赤子を引き渡した。彼は追放する赤子にジョゼットと名を付けた。赤子が彼に対して笑い掛ける表情を見るたびに、兄が嘲笑っているかの様に見えた。

 ――ジョゼット。彼の憎む兄の名から、そう付けたのである。

 

 これで問題が無くなった。彼はそう確信し、空に輝く双月を一瞥して娘の部屋へと向かうのだった。

 

 

 

 ――彼は知る由も無かった。“皿の上のミルクをこぼしてしまった(取り返しの付かない事をしてしまった)”事を――。

 

 

 




注)魔法は用法容量を守って正しくお使い下さい(笑)

オルレアン夫人の名前はエレーヌから類推しました。
そして書いてて思った。シャルルがジョゼフに勝るとも劣らない狂人だと。シャルロットと対比したジョゼットの名前なんかは特に穿った見方をしてしまう。

あらすじでは、シャルロットが魔法少女(笑)にでも変身しそうだけど、そんなファンシーな展開はありません。勘違いさせてしまった大きなお友達の方々には謝罪申し上げます。

ミルクの中身は次回判明予定。


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 1話 こぼれ落ちるミルク

 オルレアン公邸の庭の一画にて、右手に杖を持った小柄な少女が青年と対峙している。陽光の下で煌めく青い髪を肩口まで揃えた少女は、目の前の青年を期待に満ちた眼差しで見詰めている。少女の慎ましやかな胸には夢と希望が満ち満ちている。

 

 少女の名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。此処オルレアン領領主の一人娘(・・・)である。白いシックなドレスに身を包む姿は正にお姫様然として愛らしい。さらに、赤淵の眼鏡が少女の知的な印象を演出している。

 そして、少女と対峙している青年こそ、少女の父であるシャルルその人である。もう40歳にもなるとは見えない程、若々しい容姿の美男子である。彼の肩程までもある長い(スタッフ)を持って佇む姿は、まるで物語に登場する英雄のようだ。

 

 今日は予てより予定していたシャルロットの初めての魔法を使う日である。

 シャルルは自身で娘に魔法を教えようと、忙しい仕事や社交界の予定を調節してこの日に臨んだのである。彼は確信していた。娘は類稀な才能を有していると――。

 

 彼のこの世で一番敵視している兄ジョゼフには、シャルロットより2歳年上のイザベラと言う娘がいる。イザベラもまた、兄と似た才能の片鱗を見せていたが、やはり兄と同じく魔法の才能には恵まれなかった。

 彼女が彼に魔法の助言を求めて来た時、実感した。親子とは似るものであると――。彼女に対して親身に助言をする傍ら、彼は必死に笑いを堪えるのだった。

 

 シャルルはガリア王国が誇る天才スクウェアメイジである。彼に魔法で対抗できるのは、彼の【烈風】のみであると言わしめる程である。

 その自身の才能を娘は受け継いでいる。彼の兄に対する狂気が、互いの娘の些細な優劣にさえ一喜一憂させた。

 

 

 

 遡る事1週間前、シャルロットの10歳の誕生日パーティーの翌日の事である。その日、彼女は杖を持つ事を許された。やっと魔法が使える、と彼女は大層喜んだものである。そして、その日から杖との契約を開始した。

 

 メイジが魔法を使うのというのは、此処ハルケギニアでは常識である。そして、メイジは杖を用いる事によって魔法を発動させる。しかし、ただの杖では魔法は使えない。メイジ自身が契約した杖でのみ有効なのである。杖との契約は1週間、長くて1ヶ月程で成立する。そしてその方法は至ってシンプルである。手に馴染むまで只管に杖を持ち続けるのである。そうすると、何となく契約が完了したと分かるのだ。

 

 シャルロットの場合、杖を手にして3日程で契約を完了させたのである。

 これには彼女の両親も大変驚いた。彼女は、すぐにでも魔法を教えて欲しいと強請ったものの、シャルル側の予定の変更が効かなかった。結局、実践日までの間、彼女は書物により魔法の予習を行った。と言っても、杖を持たされる以前には、これ等の内容は既に暗記している程に何度も読み耽っていた。

 幼心にとって、この期間はとても心躍るものであったが、同時に窮屈なものでもあった。

 父には、勝手に魔法を使ってはいけないと注意されていたが、彼女を見咎める者は此処には居ない。それこそ、簡単なコモン魔法ならばれることは無いだろう。

 そんな悪魔の誘惑を跳ね除けられる程の精神は、この時の彼女には持ちようが無かった。

 彼女は杖を構え、呪文を唱える。

 

「――【ライト】」

 

 一瞬の静寂。……失敗? 落胆しそうになった次の瞬間、杖の先端に光の玉が出現した。驚いた拍子に彼女は仰け反ってしまった。そして運悪く後ろの本棚に衝突して本が落下し、盛大な衝撃音(・・・)が部屋中に響き渡った。

 当然、その音に何事かと、使用人達が部屋に駆け付けて来た。

 彼女は何でもないと言い、使用人達を帰らせた。

 肝が冷えた彼女は、せっせと部屋を片付けながら、魔法は当日まで自粛しようと決意するのだった。

 

 

 

 閑話休題

 

 杖を構えたシャルルは初歩的な魔法、コモン魔法の【ライト】を詠唱する。今は、講師の立場であるため、分かり易くゆっくりと詠唱を紡ぐ。

 

「――【ライト】」

 

 彼の杖の先に白光が僅かに灯る。

 

 【ライト】は灯りを灯すだけの簡単なコモン魔法である。よく使われる魔法なだけに、殆どのメイジは微妙な光量まで調節出来る。しかし、実力が有る子供は、慣れない内は目を潰してしまい兼ねない危険な魔法となってしまう。

 そう言った危険性は、他のコモン魔法であったとしても、必ず存在し得る。そのため、きちんとした立会人の下、娘に魔法を使わせたかった。娘が勝手に魔法を練習していた事など、彼は知る由も無いのだが……

 

「今度はシャルロットの番だ。呪文は覚えているね?」

 

「はい、父様!」

 

 魔法の光を消滅させたシャルルは娘に問い掛けた。

 【ライト】処か、系統魔法まで既に暗記しているシャルロットは自信たっぷりに返事を返す。そして呪文を唱える。

 

「――【ライト】」

 

 …………しかし何も起こらない。

 

「【ライト】! 【ライト】!! 【ライト】!!!」

 

 自棄になって何度も唱えるが、やはり何も起こらない。

 シャルロットは目元に若干涙を浮かべ、申し訳なさそうに父を見上げて助けを乞う。

 

「初めから成功なんてしないさ。私だって、何度も失敗したものさ。……そうだね、杖の先が光り輝くのを明確にイメージしながら呪文を唱えてごらん」

 

 シャルルは優しく娘に諭す。あまりの娘の可愛さから、つい嘘を吐いてしまったが……。

 

 その後、何度も挑戦してみるものの、一向に成功する気配が無い。

 シャルルは、期待していただけに酷く落胆してしまったが、まだ初日だと自身を納得させておく。そんな内心をおくびに出さず、今日の練習の終了を告げる。

 しかし、やはり何処か悔しいのか、シャルロットは最後に一回だけお願いします、と懇願する。

 娘に甘い彼は次で今日は最後だ、と彼女の提案を受け入れる。

 

 最後に手に入れたチャンスを物にしようと、シャルロットは気合を入れる。そして、彼女は尊敬する父の姿を脳裏に思い浮かべる。胸がドキドキする。高揚する意識の中、魔法の確かな成功をイメージする。そして――、

 

「行きます! ――【ライト】!」

 

 杖の先に膨大な光の奔流が発生する。シャルロットが成功を確信した次の瞬間、衝撃波が彼女を襲う。そのまま地面へと体が投げ出され、彼女は気を失ってしまった。

 

 シャルルは驚愕の余り、そんな娘の事態を何処か、他人事の様に静観する。そして彼に押し寄せる衝撃波に何の受け身も取れず、只々吹き飛ばされてしまう。此処に来て、兄ジョゼフの姿が脳裏に過る。しかし、次の瞬間に訪れる背中の痛みに意識が覚醒する。そして、体を起こし周囲を見渡す。

 最初に目に入ったのは抉れた地面である。魔法の練習の為に選んだ庭である。何らかの拍子に倒れても平気なように、柔らかい芝生が広がっていたはずである。それがまるで、系統魔法を使ったかの様に、吹き飛ばされている。

 そして抉れた地面の遥か後方に娘が倒れているのを発見した。急いで娘の下へと駆け付ける。見ると、息はしている。彼はほっ、と溜息を吐く。眼鏡が割れていたが、目立った外傷は見当たらない。気絶しただけのようだ。

 

 その後の屋敷は大変な騒動だった。妻は動揺し涙を流し、使用人達も大慌てである。彼は意識の無い娘に、取り敢えず【ヒーリング】を掛け、医者の手配をした。医者の診断結果は命に別状は無いとの事で、妻諸共、安心したものである。

 

 

 

 騒動の終えた夜、シャルルは一人自室で今日の出来事について考え込む。あれは何だったのだろう。否、彼には既に答えが出ている。しかし、如何してもその答えを否定したいと考える自分が居る。悶々と答えの出ない葛藤を繰り返す内に、遂に彼の思考は収束する。そうだ……。

 

 あれはまるで……――兄と同じではないか――。

 

「……ジョゼフ!」

 

 重く、闇夜に溶け渡るような声色で兄の名を呟く。暗く昏い思考の奔流に支配される。握り込んだ拳からは血が滴り落ちる。

 

「……お前は! ……お前が!!」

 

 そして、彼は憎しみを以って闇夜の遥か彼方を見詰め、嘗ての兄の姿を思い浮かべる。

 

 

 

 

 

 兄がまだ10歳の頃、兄は品行方正で才気煥発な麒麟児として持て囃されていた。当時、彼はそんな兄に対して言いようの無い劣等感を抱いていたが、同時に心の何処かで尊敬もしていた。そんな兄に追い付き、追い越す為に必死に努力をしていた。

 しかし、そんな兄でも魔法が使えなかった。そして兄は魔法が使えないと分かるや否や、杖を手放したのである。その後は自室に引き籠るようになった。彼はあの兄がこんな事で終わるのか、と幻滅もしたが、自身の魔法の才能が分かると、自分こそは王に相応しいのだと確信した。

 そうして暫くすると、突然各地を転々とする毎日である。それは、領地を下賜された後も変わらなかった。

 貴族達は兄の奇行を最初は戸惑ったが、次第に嘲笑うようになった。此処まで来ると彼もまた、内心でほくそ笑むようになった。

 

 我ら兄弟はそれぞれ成人した折、爵位と共に、現在の領地を拝領した。彼には自然の溢れる穀倉地帯を。兄には資源の豊富な鉱山地帯を。

 拝領時期に若干の違いが生じたものの、2人の領地の差は殆ど見られなかった。が、次第に兄の領地の発展の方が目立つ様になってきた。

 彼はこの時既に、独自の手勢を持っていた。それらを使って各地の情報を手に入れていた。当然、兄の領地にも間諜が居たが、何年も有力な情報を手に入れる事が出来なかった。

 そして手に入れた情報を吟味して彼は戦慄した。

 

 ――兄は独自の魔道具を開発していたのである。

 

 兄の領地の急速な発展は、その魔道具の恩恵に依るものだった。しかも、その情報を今の今まで、秘匿し続けていたのである。

 そして、彼はこの事実を知るのは自分だけだと自負している。彼の間諜組織は既に、ガリア、否ハルケギニア随一の組織となっている。そんな組織から何年も情報を秘匿出来る程の防諜組織を兄は有している事になる。

 兄は魔法が使えない不利を、魔道具で補おうとしているのである。それも、秘密裏に行っていたのである。つまり兄は、

 

 ――まだ諦めていない。

 

 彼は兄が自分を嘲笑っている錯覚に陥った。そして、自分は兄の掌の上で踊っていただけなのだと……。

 

「クク……ハハハ! …………ジョゼフ!!」

 

 この事により、シャルルはジョゼフに対して更なる憎悪と共に、闘志を燃やし始めたのだった。

 

 

 

 

 

 一方、気を失ってしまったシャルロットはと言うと、医者からは直に目覚めると診断されたが、今もまだ自室にて眠ったままである。

 夜の帳が下り、誰もが寝静まった頃、そんな彼女の部屋に一人の男が近づいていくのだった。彼の表情は能面のように感情を押し殺し、何処か思い詰めたようである。彼はそのまま、息を殺して彼女の部屋へと侵入を果たす。そして、懐から取り出した物体は、部屋に差し込む月明かりに反射して妖しく煌めく。彼は一歩一歩着実に彼女の寝台へと近づいて行くのだった。

 

 

 




シャルロットはジョゼットでした~の回。
実際、50%で起こり得る事象ですよね。

シャルゼット(笑)の虚無については他の担い手と同格の扱いで行きます。
原作通りの予備扱いだと、詰むので……鬱々な未来しか想像できない。
その点は、ご理解ご了承の程よろしくお願い致します。

そして本作の主人公はシャル……あれ?
……まだ仕方ないですね。うん。今後に期待。

次回忍び寄る影!?


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 2話 二対のグラス


先に謝ります。でも後悔はしていない。



 シャルロットが魔法の訓練中に意識を失った報せは、此処オルレアン邸の使用人達にすぐに知れ渡った。庭師の言では、庭の一部が大きく抉れ、砂の破片が方々に霧散して居た。さらに一部焼け焦げた跡も見つかったとの事。

 そして直接現場を見た者達、シャルロットの看病に携わった者達からも話が広まり、様々な憶測が飛び交う様になった。

 

 ――曰く、賊に襲撃されてしまった。

 ――曰く、エルフによる攻撃だ。

 ――曰く、魔法が爆発した。

 ――曰く、…………。

 

 そんな噂が飛び交う中、屋敷に勤める一人の青年は居ても立っても居られなくなった。彼は執事見習いを務めるトーマスと言う青年である。彼は嘗て、シャルロットの遊び相手を任されていた時期があり、彼女の事を歳の離れた妹のように可愛がって居た。

 

「執事長、庭の様子を見てきます!」

 

 本当はシャルロットの下へと駆け付けたかったが、今の彼女の周りでは、使用人達が忙しなく動き回って居り、今の彼では会う事が適わないだろう。そこでせめて、現場をこの目で確認して噂の真偽を確かめたかった。

 執事長も彼の心意気を感じ取り、彼の行動を黙認した。そして、彼の後姿を微笑ましく見守ったのだった。

 

 

 

 執事長の心遣いに感謝し、何時かお礼を――と考えていると、件の庭へと到着した。時々、数人の庭師の方々とすれ違いながらも現場を捜索してみる。

 現場に辿り着いた彼が見た物は――。

 

 ――庭師よって補修されたいつも通りの庭であった。

 

 無駄足だったと落胆してしまった。それもそうである。荒れた庭が何時までも放置されるはずも無いと、少し考えれば分かる事である。

 気を取り直して仕事に戻ろうと、踵を返そうとした所、不意に何か光る物が目に入った。気になって、その付近を捜索すると、ある物を発見した。初めはそれが何なのか分からなかった。しかし、

 

「――まさか!? でも、【固定化】を……」

 

 彼は譫言の様に何事かを呟く。そして、突然走り出した。彼が向かう先は仕事場――では無く、彼の自室である。

 その日の彼の部屋からは、何か奇怪な声が聞こえたと言う…………。

 

 

 

 

 

 次の日の朝、シャルロットはいつもの様に目が覚めた。そこで、彼女は不意に違和感を覚えた。しかし、起き抜けの頭では上手く思考が出来ない。そうこうしている内に、部屋をノックする音が聞こえた。

 

「失礼しまーす」

 

 何処か抜けた声と共に部屋に入って来たのは、いつも彼女を起こしに来る侍女の一人であった。そんな彼女と目が合うと――、

 

「お、お嬢様が、……お嬢様がお目を覚ましになりました!!」

 

 突然大きな声を出して部屋から飛び出していってしまった。いきなりの事で、軽く眩暈がしてしまったが、同時に目を覚ます事も出来た。しかし、彼女に思考させてくれる余裕を与えてもらえないようだ。すぐに、大勢の使用人達が彼女の部屋へと駆け付けた。

 皆、口々に彼女を心配する声を掛ける。突然の喧騒から目を逸らして、彼女は俯きながら情報を整理した。どうやら、自分は魔法の訓練中に意識を失ったらしい。

 未だ、腑に落ちない点はあるものの、彼女はある事に気付いた。今現在、彼女が思った事は――、

 

「着替えたいので、皆さん、出て行って下さい!」

 

 そう、彼女は寝間着姿のまま、大勢の使用人に囲まれていたのである。10歳の身空であるが、男性に寝間着を見られるのは恥ずかしかったのである。

 彼女の姿に気付いた女性達によって、すぐさま、男どもは退去させられた。その後、着替えを済ませ、朝食の席へと向かった。

 

 朝食の席でも、彼女の母が心配してくれたが、大事無いと言うことで、安心してくれたようだ。

 食事が終わる頃、彼女はある事に気付いた。ここで彼女は母に疑問を尋ねた。

 

「父様はいらっしゃらないのですか?」

 

 そう、朝食の席に、父が居ないのである。何かと忙しい父である。朝食の席に居ない事は珍しくない。しかし、今日は昨日に引き続き、魔法の訓練をする為に家に居るはずである。

 

「あの人は急用が出来たと言って、今朝早くに出立してしまったわ」

 

 仕方のない人だ、と言いたげに説明してくれた。

 父に急用が出来た事は仕方がない。しかし、そうすると――、

 

「それでは、今日の魔法の訓練は――」

 

「暫くお休みになるわね」

 

 またお預けになるのかと、彼女は落胆した。しかし、目の前の人物へと目が留まった。

 

「母様が代わりに教えて下さいませんか?」

 

 彼女は一縷の望みを託して母に懇願する。

 

「ごめんなさいね。あの人に魔法を使わせない様に言われているの」

 

 望みは潰えた。つまりこれで、父が返って来るまで、魔法は使えないと言う事である。

 そうして、朝食を終えた彼女は、今日は何をしようかと思い悩む。そして、遠い地に居るであろう父に想いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 そのシャルルはと言うと、彼は朝早くから竜籠を使い、一路王都リュティスへと向かった。何も、王都に用事がある訳ではない。彼はこれから兄ジョゼフに会う心算なのである。

 兄の所領はロマリアの国境沿いにある。オルレアン領からは程遠く、竜籠でも丸一日掛かってしまう。そんな強行を行ってしまえば、兄に何事かと感づかれてしまう。そのため、ガリアのほぼ中心に位置する王都を経由して兄の領地へと向かおうとしていた。

 

 王都では父王に挨拶をした後、数日王宮に滞在した。その間に、兄の領へと使者を出し、訪問する旨を伝えた。そして今度は数人の護衛と共に、馬車にて出立した。

 

 そしてとうとう、兄の屋敷へと到着した。火竜山脈が近いこの領では、亜人や幻獣の襲撃の被害が度々報告される。そのため、他の屋敷に比べて堅牢な造りの門構えは、何者をも寄せ付けない重圧を感じさせる。さながら、兄ジョゼフが弟シャルルの訪問を拒むかのようである。

 屋敷へと通されて、使用人に客間へと案内された。此処に来るのも何時振りだろうかと、感慨に耽っていると――、

 

「久しぶりじゃないか、シャルル」

 

 立派な顎鬚を携えた、シャルルに負けず劣らずな美男子が部屋に入って来て早々、挨拶をしてきた。

 

「お久しぶりです。兄さん」

 

 間髪入れずに返事を返す。そう、彼こそ、シャルルの兄であるジョゼフその人である。弟の突然の訪問を歓迎していると言う雰囲気を醸し出している。

 

「それにしても、お前が家に来るなんて珍しいじゃないか」

 

 兄は口角を吊り上げ、急所を突いてくる。

 

「ええ、それは――」

 

 理由を説明しようとした矢先、機先を制される。

 

「その前に、久々の兄弟の再開に乾杯するとしよう」

 

 兄はそう言い、弟にグラスを無理やり持たせる。そして、テーブルに備え付けていたワインをグラスへと注いだ。

 

「「乾杯」」

 

 シャルルは渋々とグラスを合わせて乾杯をする。そして、兄弟の取り留めのない話が始まった。

 兄に話の主導権を握られて、シャルルは苦虫を噛み潰したような思いがした。そこで、話が一区切りついた頃を見計らい、話を切り出した。

 

「ところで兄さん。魔法の調子は如何ですか?」

 

 ジョゼフの動きが止まる。そして、一瞬だけ弟を睨み付け、その後は無表情を貫く。

 

「何のつもりだ?」

 

 先程までの和やかな雰囲気は一転して、寒々しいものへと変貌した。

 

「いえ、最近、娘に魔法を教えているのですが……思う所がありまして、久しぶりに兄さんの魔法を見てみたくなりました」

 

 雰囲気の変化も気にせず、話を続けた。

 

「ふっ、今さら……今さら俺に魔法を使わせてどうしようと言うんだ」

 

 ジョゼフは自嘲じみた返事を返した。

 

「心境の変化、と言うものでしょうか? 娘を持った今では、あの頃と違って何か助言が出来るのではないか、と思いまして」

 

「変化、ねぇ。……シャルロット、だったか、お前の娘と言うのは…………」

 

 ジョゼフは少し考えた後、再び笑みを取り戻して返事を返した。

 

「――いいだろう」

 

 

 

 二人だけで屋敷の外へと赴いた。初めは使用人がお供を申し出たが、その一切を断って外出した。

 其処は、屋敷から程なく離れた草原地帯である。外出に使用した馬の手綱を近くの木に括り付け、いざ、魔法の確認である。

 夕闇が辺りを照らす中、二人の兄弟が草原にて対峙する。

 

「始めようか、兄さん」

 

 ジョゼフは杖を構え、近くに有った岩を睨む。そして――、

 

「――【レビテーション】」

 

 岩の周囲が光ったと思うと、大きな衝撃音と共に、岩が爆砕した。

 シャルルは、やはりと思った。やはりシャルロットは――。

 

「それで、何が分かった?」

 

 ジョゼフは悠然とシャルルに問い質す。

 

「あぁ、これは――」

 

「虚無か」

 

「!?」

 

 シャルルは適当に誤魔化そうとした矢先、ジョゼフが嫌らしい笑みを浮かべて切り替えしてきた。流石のシャルルもこれには息を飲んだ。

 シャルルもジョゼフが虚無である可能性を何年も前から理解していた。その魔法の特異性、威力、速効性、隠密性。その何れかでさえ脅威となる。その魔法を以って、自身が虚無であると嘯けば、多くの貴族達はそれを信じただろう。何せ、それはコモン魔法でも、系統魔法でも無い魔法が発現しているのだから。

 しかし、ジョゼフは何も行動を示さなかった。自身が『無能』と蔑まれてさえ、何も反論をしなかったのだ。シャルルには理解出来なかった。稀有な才能が有りながら、それを周囲に示さない兄が――。そして、思ったのだ。もしかしたら、気付いてないのではないかと。そう、兄は人前で魔法を使うのを止めたのである。そのまま、魔法については諦めたのでは、と言う甘言に躍らされる。

 そうして今、兄によって真実を告げられたのだ。それはもう、

 

 ――お前の行動はお見通しだ。

 

 と言われている様である。シャルルは目の前で笑う兄に、心底恐怖した。しかし、この程度の事、考えていなかった訳ではない。覚悟を持って兄と相対しに来たのである。

 シャルルは気を持ち直して答える。

 

「知って、らしたのですか?」

 

「分からいでか」

 

 ジョゼフは間髪入れずに切り返す。

 

「なぜ?」

 

「なぜ黙っていたか、か?」

 

 シャルルは兄に疑問を訪ねる。ここまで来たら、兄にその真意を訪ねずには終われない。改めて、腹を割って話し合おうと決意を新たにした。

 

「はい。それを公表すれば、兄さんは王にだって簡単に――」

 

「ふっ、フフ、ハハ、ハッハッハ!」

 

 なれるはずと続けようとすると、突然、兄は大声で笑い出した。シャルルは兄の奇行に面食らってしまった。

 ジョゼフは一頻り笑い終わると、またいつもの様に話し出した。

 

「ふぅ、……俺がいつ王になりたいと言った」

 

 その一言はシャルルにとって衝撃的だった。なぜなら、今まで、兄は王になりたいとばかりに――。

 そこまで考えて、急速に思考が加速する。そうだ。兄は何も言ってはいない。自分が兄に対抗心を燃やしていただけだ。そう、本当に王になりたかったのは――、

 

 ――自分だ。

 

 いつの間にか、自分の希望を兄の希望だと取り違えていたのだと気付く。瞬間、今まで心を支配していた闇が取り払われた心地がした。目に映る夕闇に染まる草原は、闇を振り払った暖かな彼の心境を映すかのようである。

 

「兄さん」

 

「……」

 

 ジョゼフは無言でシャルルの言を待つ。

 

「ありがとう」

 

 シャルルは今まで見せた事の無いような、心からの笑みを浮かべて礼を言った。

 

「ふ、当然だ」

 

 ここで、長年すれ違っていた二人の兄弟の心が繋がった。

 この邂逅は、些細な切っ掛けから齎された。しかし、それが齎す無限の可能性は未だ、誰も知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 時間が遡り、オルレアン領の屋敷で朝食を終えたシャルロットは、奇妙な噂を耳にした。その噂の人物とは、自身にとても馴染み深い人物であった。彼女は、噂の真相がとても気になり、件の人物に会いに行こうと決意した。

 使用人達に聞き込みをしながら捜すと、件の人物は簡単に見つかった。シャルロットはその人物へと話し掛けた。

 

「ねぇ、トーマス。あなたの事が噂になっているのだけど、何か知らない?」

 

 そう、件の人物とはトーマスであった。昨夜の奇声が噂になったようだ。

 

「おはようございます、お嬢様。今日もご機嫌麗し――」

 

「挨拶はいいから真相を語りなさい」

 

 どこか、飄々とした態度に若干、苛つきながらも尋ねた。

 

「噂……あぁ、噂ですね。あれは、部屋で我が魂の芸術を作り出していただけですよ」

 

 トーマスは自信たっぷりに答える。トーマスは手先が器用で時々、何物かを作っていた事はシャルロットも知っていた。そんな彼が奇声を上げながら作り上げた芸術とやらが、彼女はとても気になった。

 

「……迷惑。…………何を作ったの?」

 

 彼女はトーマスを窘めつつも、気になった事を問い質した。

 

「それなら、そこにあるじゃないですか」

 

 トーマスはシャルロットの顔を差して言う。本来は不敬な行為だが、彼らの仲ではある程度の行いも許されるので、シャルロットは気にしない。そして、間髪入れずに質問を返す。

 

「? 何を言ってるの?」

 

「だから、その眼鏡ですよ」

 

「?」

 

 ますます彼の言っている事が分からない。

 

「あれ? そう言えばお嬢様は知らないんでしたっけ」

 

「だから、何が――」

 

「お嬢様の眼鏡って昨日壊れてしまったんですよ」

 

 シャルロットは薄ら寒い心地がした。

 

「え? でも朝起きたら部屋に――」

 

「ご安心下さい。昨夜の内に交換しておきました」

 

 トーマスは一仕事した、と言いたげな表情できっぱりと宣言した。

 

「……」

 

 シャルロットは無言でトーマスに蹴りをお見舞いして、その場を後にした。

 その後、トーマスは奥方に呼び出しをされてしまったのだった。彼がどうなったのか、誰も知る由も無かった。

 

 

 




グラス×2=眼鏡 でした~
ゼロ魔ならこう言うノリもありだと思います。

そして、主人公の当たり知らぬ所で和解イベント。
実際、子供は何も出来ないと思うので、ただの切っ掛けになってもらいました。

次回、シャルロットの扱いが決定したりしなかったり


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 3話 趣味と実益と


日常パートです。変態注意。



 オルレアン邸にて、今日もシャルロットは父の帰りを待っていた。あれから、もう1週間は経とうとしている。最近は魔法を使えない鬱憤をトーマスに晴らすか、厨房で食事を貰って晴らすかしている。

 トーマスは呼び出しをされた後も、何事も無かったかのように仕事をしている。彼女はそれが不思議でならなかったが、何があったのかを聞いても、いつもニヤニヤしてはぐらかされてしまう。母に尋ねても、似たような反応で頭を撫でられて終わりである。

 そしてどうにも、以前にも何度か似たような事があったが、よく分からず仕舞いである。

 

「お嬢様、今日はどちらに?」

 

 その件のトーマスが彼女に問い掛ける。彼はこれでもシャルロット様付の執事と言う事になっている。と言っても、未だ見習いを脱していない為、大抵は執事長の指導の下、執事の勉強をしている。ただ最近は、彼女に付いている事が多くなってきている。

 そして、今日の予定について一考する。ちらと、彼の方を見る。あの日以降、彼と出合い頭に蹴り上げるのは、もう習慣となりつつある。もう一度――と考えていると、目が合ってしまった。彼は笑顔のまま、彼女の目を凝視している。と言うより、始めから見詰めていた感じがする。そんな視線に耐えられず、彼女はすぐに視線を逸らした。

 

「……厨房に」

 

 書庫で読書をするか厨房で食事をするかで迷ったものの、結局今日も厨房の世話になる決断をするのであった。

 

 

 

 厨房に着くと、コック達が忙しなく料理の仕込みをしていた。今日は何の仕込みをしているのか、ハーブの爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。彼女は毎回違った香りを漂わす厨房に行くのを楽しみにしていたのである。

 彼女達が厨房に入って暫くすると、やたら恰幅の良い男性が話し掛けてきた。

 

「おはようございます、お嬢様。今日もいつもので?」

 

 彼女はコクと頷き、備えのテーブルで待つ。暫くすると、先程の男性が大皿を彼女の前へと差し出してきた。皿の上には山盛りのサラダが乗っている。

 

「それでは、倅を暫しお借りしますね」

 

 そう言うと、嫌な顔をするトーマスを連れて厨房の奥へと消えて行くのだった。彼はトーマスの父親なのである。そして料理長でもある彼に、シャルロットがトーマスを手伝わせる様に頼んだのである。いつも自分が食事をしている最中に、じろじろと眺めているのが鬱陶しかったからでは決して無い。近頃の彼の扱いはこれ位が丁度良いのだと判断したからである。と内心愚痴りながらもサラダを咀嚼していく。

 青野菜特有の苦味が口いっぱいに広がる。そして噛めば噛む程、その苦味の奥に甘味が現出していく。それが、青々とした香りと併さって独特のハーモニーを醸し出すのである。彼女はこの何とも言えない風味が大好きなのであった。

 

 この野菜の正体はハシバミ草と呼ばれる香草の一種なのである。それこそ、香り付け為や飾りとして使われる事が多く、その独特の苦味から、直接料理として出されることは珍しい。それこそ、此処オルレアン邸での食事にも、香り付け以外の用法で出される事は無かった。

 しかしそれは飽くまで、貴族向けの料理の場合であった。平民の間では、ハシバミ草自体を食べる風習が存在した。それは、このハシバミ草は塩や香辛料よりも安価に、それも大量に手に入れる事が出来るからである。それでも、大抵は香り付けとして使われるが、食糧事情に厳しい家庭では草の根一つ無駄に出来ず、草自体も食べるのである。それでも、この苦味を忌避する人は多く存在するのであった。

 

 シャルロットがハシバミ草と出会ったのは5歳の頃であった。それは丁度、トーマスと初めて出会った頃と同じであった。

 最初、彼女は10歳程歳の離れたトーマスに戸惑ったものの、彼の気さくな態度のおかげですぐに打ち解けることが出来た。簡単な自己紹介をする中、彼の父親の話題が飛び出した。彼女もまた、自身の父の事が大好きであり、父の事を楽しそうに語る彼に共感を覚えたのだった。そうして、彼の父に会ってみたいと思うのは、自然な流れでもあった。

 

 初めて訪れる厨房の喧騒に、彼女は目を回してしまったのだった。そんな彼女の目を覚まさせる為に、トーマスは近くにあった葉っぱを彼女の口へと押し込んだのだった。突然の事で、彼女はそれを吐き出してしまったのだった。

 

「うぇ、……な、にを、たべしゃせた、の?」

 

 彼女は苦しそうに舌足らずになりながらも、懸命に質問をした。

 

「これ――」

 

 ですよ、とトーマスが説明しようとした刹那、コック達に引き摺られ厨房の奥へと消えて行った。

 彼女はその時彼に差し出された葉を手にし、不思議そうにそれを眺めた。

 

「申し訳ありません! うちの倅がとんだ粗相を!」

 

 いきなり、彼女の目の前でコック服に身を包んだ男が、地に頭を擦り付ける勢いで土下座をしだした。しかし彼女は、そんな男には目もくれず、葉っぱを眺め続けた。

 

「いいにおい」

 

 彼女の予想外の発言に男は顔を上げた。彼女の表情には怒った様な雰囲気は無く、嬉しそうな気配が漂っていた。そして、彼女と目が合った。

 

「へぇ、それはハシバミ草って食材でして……って、お嬢様!?」

 

 男が彼女の物聞きたそうな雰囲気を察し、葉っぱの説明をしようとした矢先、彼女はそれを口に含んだのだった。咄嗟に止めようとしたが時すでに遅く、彼女はそれを飲み込んでしまった。

 男は大変な事になったと狼狽えたが、彼女の次の発言に耳を疑った。

 

「おいし……でしゅ」

 

 彼女はおいしいと言ったのである。流石に、男も彼女のこの反応は想定外であった。何故なら、大の大人でもハシバミ草を好き好んで食べる人は珍しいからである。それを、まだ5歳の少女がおいしいと言うのを察しろと言う方が無理なのである。男が混乱の渦中の中、彼女は質問を投げ掛けた。

 

「!? トマは?」

 

 そう、彼女は此処に来て一緒に居たはずのトーマスの不在に気付いたのであった。因みにトマと言うは、トーマスの愛称である。

 

「あ、えぇ、…………ト、トーマス!!」

 

 泣き出しそうな彼女に慌てて、男は厨房の奥に向かってトーマスを呼んだ。そして、奥からトーマスらしき人影がやって来た。そして――、

 

「――お、お呼びしょうか?」

 

 ――それは鼻を摘まんだかの様な声のする、顔の原型を留めない程に腫らした青年であった。

 

 そんな青年、トーマスを見たシャルロットは大声で泣き出してしまったのである。コック達が慌て出したのを余所に、トーマスはマイペースにもハシバミ草を取り出したのである。それを泣いている彼女の口元に置きやると、彼女は泣きながらもそれをモグモグと咀嚼し出した。そんな不思議な光景に周囲のコック達は息を飲んだ。

 そして、そんな彼の行動は彼女が泣き止み、眠るまで続いたのだった。

 

 

 

 そんな事があり、それ以降彼女はよく厨房へと訪れる様になったのである。当然目当てはハシバミ草である。そして、余談ではあるが、トーマスのその奇怪な英断が広まり、屋敷の使用人達は彼に一目を置く様になったのである。それと同時に、彼を選出した屋敷の主人であるシャルルも、より一層の尊敬を集めたのだった。ただし、シャルル自身はそんなトーマスの事など知る由も無く、全ては、彼の妻であるエレンの策謀なのであった。

 

 

 

 

 

 トーマスとエレンは初めて出会った瞬間、お互いにシンパシーを感じ取ったのである。シャルロットと歳の近い若者が居なかったのもあるが、それが切っ掛けで、エレンは男でもある彼を娘の遊び相手にと夫に進言したのである。彼になら娘を任せられると、全幅の信頼を寄せる事が出来たのである。当然それは、男と女としてでは無く、可愛い者を愛でる者(・・・・・・・・・)としてである。

 そうして彼がシャルロットを愛でる余りに何かを仕出かしてしまう度、彼を呼び出してシャルロットの可愛さについての報告を聞くのである。当然、そんな二人の関係は周囲の誰にも悟られていない。否、執事長だけは感づいている様だが、彼もまた、彼女達と同郷の士である。ただ、彼の場合は執事としての本分の域を出ない為、仲間から外されているのであった。

 

 

 

 その第1回目の会合の事である――件の厨房での事件後の呼び出しである――。

 初めは、シャルロットとの自己紹介での出来事である。幾分か警戒されていた様だが、簡単な手品を披露する事によって、グッと距離が縮まった様である。やはり彼女も人一倍、魔法に興味がある事が見て取れた一幕であった。娘が魔法への興味をきちんと持ってくれて、エレンも母として誇らしい様だ。

 そして自己紹介での出来事はまだ続くのであった。シャルロットが、たどたどしくも自身の名前をきちんと言えた時、彼は思わず彼女を抱きしめてしまいたくなったものの、次の自身の紹介の時は悶絶死してしまいそうになった。何故なら、彼女が言うのである。

 

「――トーマシュ」

 

 その舌足らずな口調で彼の名前をきちんと発音しようと、何度も何度も名前を呼ぶのである。そして、その度に失敗してしまうのである。

 

「トーマシュ……トーマシュ……」

 

 しかも、段々と涙ぐみながらである。終いには、上目使いで何とも申し訳なさそうな視線を送って来るのである。余りの夢心地に彼は鼻血を噴出しそうになり、慌ててトマで良いと言い含めたのであった。しかし、彼女は渋々と了承していた為、きっとまだ諦めていないだろう。と言う事は、彼女は夜な夜な自室にて名前を言う練習をするのだろう――。

 

「トーマシュ、トーマシュ、トーマシュ」

 

 しかしそれが実を結ぶ事が無いと言う事は、想像に難くないだろう。奥方もその姿を想像したのか、身悶えて感動を表しているのだった。

 そして彼は息も絶え絶えになりながらも、次の報告をした。次はいよいよ厨房での一件である。それは厨房へと入った瞬間に始まった。シャルロットは厨房の熱気に当てられたのか、突然目を回し始めたのである。やはり5歳の身空では、大勢の職人達が行き交う厨房(戦場)は刺激が強すぎた様だ。

 彼は硬直する彼女が可愛らしく思い、ついつい悪戯をしてみたくなったのである。当然、いかがわしい事では無い。彼は紳士なのである。彼は近くのテーブルの上にあるハシバミ草に目が行った。これの独特の苦味は彼も知って居た。彼女にこれを食べさせると、きっと一層可愛らしい表情をする事だろうと彼は瞬時に思い至った。

 そして予想通り、否予想以上の成果を得られたのである。彼女は突如、口へ入れられた異物に吃驚して目を覚ましたのも束の間、口に広がる苦味に再び吃驚してハシバミ草を吐き出したのである。彼女の一連の表情も然る事ながら、その後の必死に疑問を問い掛ける姿はもう――。

 しかし彼はその後、コック達に連れられボコボコに殴られるのだった。刃物を使わなかったのは彼等の良心だろう。奥方も楽しそうに話を聞き、最後に彼の顔を見て得心が行ったと言いたげに頷いたのだった。彼女達はもう、魂の友(心友)なのである。そのため、お互いの多少の見た目など一向に気にならなかったのであった。

 

 そして、暴行を受けながらも脳内でシャルロットについて妄想していると、必死な声色の父に名を呼ばれたのである。彼の妄想(聖域)に土足で足を踏み入れた父に理不尽な怒りを覚えたものの、彼はすぐに平静を取り戻し、愛しのシャルロットの下へと向かったのだった。

 彼女と再会すると、彼女は彼の顔を見て突然泣き出してしまったのである。事態の把握が追い付かなかった彼は、取り敢えず再びハシバミ草を彼女へと差し出してみたのである。

 すると彼女はそれを泣きながらも、何とも美味しそうに咀嚼するのである。モグモグと頬袋を膨らませながら食べる様は、まるで森の妖精の如く神々しさ醸し出している。そして、ハシバミ草を与えれば与えるだけ食べてくれるため、彼は彼女が眠るまで与え続けたのだった。その話を聞いた奥方も、今度は自分もやってみようと決意するのだった。

 

 そして最後に彼は提案したのだった。可愛い子には可愛さを引き出す小道具(マジックアイテム)が必要であると。それは――、

 

 ――眼鏡である。

 

 そんなの、彼女の顔を隠してしまう道具だと思う人もいるだろう。だが、それは断じて否なのである。眼鏡がある事によって、より一層目元を意識が向かう事になり、今まで以上に彼女を愛でる事が可能となるのである。さらに、眼鏡によって隠される領域に心を奪われ、それはもう聖域と呼ぶに相応しい代物となるのだ。そして極め付けは、眼鏡によって遮られた彼女の上目使いもう、天上の宝物と同等の価値がある。否宝物さえも曇って見える程である。彼は眼鏡についての熱意を語って行ったのだった。

 そして、シャルロットに眼鏡を送る事が決定し、彼女達は、眼鏡についてお互い意見を出し合ったのであった。

 

 そうして彼女達の第一回目の会合は双方、有意義に終わったのだった。

 

 

 

 そしてこの会合の事を彼女達は、シャルロットを満天の夜空に輝く美しくも儚い月と称して、こう呼んだのだった。

 

 

 

 ――『シャルロットを愛でる会(la réunion qui aime la lune)

 

 

 




am24の自重が崩壊した回。

『la réunion qui aime la lune』
はフランス語で『月を愛でる会』です。(エキサイト翻訳を使用。読み方は不明。)
シャルロットはフランス語圏の名前だったので洒落てみました。

今回については敢えて何も語るまい……

次回、シャルル再び。


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 4話 水の精霊の姫巫女

 シャルルは現在、ジョゼフと共に王都リュティスに訪れている。今回の王都訪問は、ただの帰還のついでと言う訳では無い。とある案件についてガリア王に許可を貰いに来たのである。

 事の発端は、ジョゼフのある一言から始まった――。

 

 

 

 

 

「そう言えば、お前の所のラドグリアン湖には水の精霊が居たよな?」

 

 ジョゼフが朝食のハムをフォークで突き刺しながら、シャルルに問い掛ける。

 

「……ええ、それが何か?」

 

 シャルルは怪訝な表情で兄を睨みつつ、紅茶を一口口に含んで落ち着いた後に返事を返した。ジョゼフは待ってました、とばかりに次の質問をする。

 

「それなら当然、トリステインのモンモランシ家の事件も知ってるだろう?」

 

「!? それは……やはりご存知でしたか。何でも、水の精霊の怒りを買ってしまったとか。そのおかげで、今年は例年に比べ収穫が悪く、領民も戸惑っていましたね」

 

 シャルルは皮肉気にそう語り、早く解決して欲しいですねと独りごちた。ジョゼフもその返答に満足そうに頷いてハムにソースを絡めて口に入れた。

 

 

 

 そう、それは水の名門モンモランシ家での出来事である。モンモランシ家は代々、水の精霊との交渉役を務めてきた。

 トリステイン王国が水の国と呼ばれる所以は、王家と水の精霊との間に盟約を取り交わしているからである。その盟約により、王家の者は【水の精霊の息吹(オンディーヌ・スフル)】と呼ばれる加護を授けられ、水の魔法力が爆発的に高まるのである。そしてさらに、特殊な魔法技術まで使用出来る様になる。それは水の【調和】と呼ばれる技術である。

 

 ――【調和】。

 水はあらゆる物質に浸透し、調和する。それは魔法さえも例外では無い。

 本来、どんなに優秀なメイジであってもスクウェア・スペル、つまり4つの系統の足し合わせまでしか出来ない。しかし例外として【唱和】と呼ばれる技術がある。それは、複数のメイジが集まる事により初めて成立し、5つ以上の系統を足す事を可能とする。ロマリアの聖堂騎士(パラディン)隊による【賛美歌詠唱】がその例である。しかしそれは、血の滲む努力無しでは成功させる事が出来ない。それ程、5つ以上の足し合わせは難しいと言えるのである。

 しかしそんな中、【調和】は【唱和】のような努力を必要とせず、魔法の足し合わせを可能とする技術である。それは特別な詠唱さえも必要としないのである。【水の精霊の息吹】を与えられた者が他のメイジと精神を同調させる事により、自然と他の魔法と【調和】し系統を足し合わせる事が出来るのである。

 

 つまり、【水の精霊の息吹】を持つ王家の者が1人でも戦列に加われば――メイジ同士の力量にもよるが――強力なペンタゴン(五角)ヘクサゴン(六角)ヘプタゴン(七角)、そしてオクタゴン(八角)・スペルを発動させる事が可能となる。さらに【水の精霊の息吹】持ちが2人以上加われば、エニアゴン(九角)・スペル以上の魔法も出来上がるのである。

 その魔法の威力たるや想像を絶するものとなる。そもそも、魔法の威力は足し合わせる系統の数が増えるに従って上昇する。その上昇量は等倍、では無く相乗的に上昇するのである。4系統のスクウェアメイジ1人に対して1系統のドットメイジ4人または、2系統のラインメイジ2人で相手をしたとしても、単純な魔法戦では決して敵わない程の力量差が生じるのである。つまりそれだけ足し合わせる系統数が増えると言う事は、魔法戦において明確なアドバンテージとなるのである。

 

 すると、どれだけ【調和】が優れたものであるかが分かるであろう。

 事実、トリステイン王国の歴史では、ハルケギニア大陸の過半数の領土を支配していた時期も存在する。当然それは、当時の王家の力に依る処が大きかったのであった。そして近年のトリステイン王国の衰退は、王家の後継者に恵まれなかった事が最大の要因となったと言えるであろう。

 それだけ、トリステイン王国の繁栄と水の精霊との盟約は、切っても切れない程の結び付きが存在するのである。

 つまり、王家と水の精霊との盟約の橋渡しをする交渉役とは、それだけ重く重要な役割を担うのである。

 

 それが今、モンモランシ家が交渉役を解任させられたのである。それは、トリステイン王国にとって多大な損失となる出来事であるが、盟約自体が解消された訳では無い。そのため、すぐにでも解決しなければ問題が顕在化すると言った類の出来事では無い。

 せいぜい問題点を挙げるとするならば、水の精霊の怒りを買った事により、湖周辺での作物の収穫量が減少した事であろう。しかし、そもそも水の精霊が其処に存在しているだけで、周囲の自然は豊かになるのである。従って、収穫量が減少したと言っても他の地域と比べると、十分な収穫量を誇っているのである。

 

 そのため、この問題も後数年もすれば、トリステイン王家が代わりの交渉役を選定して解決する出来事だと言えるのである。

 

 

 

 閑話休題

 

 ジョゼフは口に入れたハムをゆっくりと噛み締め、徐に水を口に含んで一気に胃の中へと流し込んだ。

 

「何、少し面白い事を思いついてな」

 

 ジョゼフはシャルルの訝しむ顔を楽しそうに眺めつつ口元を歪めて、そう宣言した。

 

「――何を……ですか?」

 

 シャルルは嫌な予感を感じたが、何とか平静を装って尋ねてみた。

 

「少しトリステインに圧力を掛けてみようかと思ってな」

 

「? 何を――」

 

「ああ、それはな――」

 

 ジョゼフは嬉々として己の考えた策をシャルルに語って聞かせた。概要は兎も角、要はトリステインに早く次の交渉役を選定しろと、促すものであった。しかしその内容は――、

 

「――!? そんな事をすれば外交問題に発展しますよ! 第一、父さんが許可するとは思いませんよ」

 

 シャルルは勢い良く、ジョゼフに捲し立てた。それ程ジョゼフの案には危険を孕んでいたのである。

 

「まぁ、そうだな。しかし、デメリットばかりじゃないだろ」

 

「それは……」

 

 ジョゼフの自信たっぷりの言にシャルルは気圧されてしまった。

 

「何、上申するだけしてみよう。実際、やるかどうかは親父が決める事だ」

 

 ジョゼフはここぞとばかりに、そう諭した。シャルルも、つい頷いてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 そして、父王への上申。それは意外にも簡単に許可を出されてしまったのである。ジョゼフの弁舌が冴え渡り、側近達も大いに感心させたものであった。

 シャルルは父が許可を出した事が、信じられなかった。父は実直な性格であり、決して他国を挑発する様な真似はしないだろうと確信していたからである。

 それに彼はただでさえ、この案件に乗り気では無かった。何故なら、この案件の最大の肝は自身の娘に他ならなかったからである。失敗してしまえば、それで良い。しかし、万が一成功してしまったらと考えると――。

 

 そんな息子の葛藤をいざ知らず、ガリア王がこの案件の許可を出した最大の理由と言うのは、自身の死期を感じ取っていたが為であった。次期ガリア王国を担う息子達の枷になるまいとしての、彼の善意からの行いであった。

 しかし今のシャルルには、父がそんな事を考えていたなんて知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 シャルルがオルレアン領へと帰って来てから、それはもう大変な慌ただしさであった。

 シャルロットは、やっと魔法の訓練を再開出来ると思っていたが、ついぞその希望は叶わなかった。父は帰って来て早々、書斎に閉じ籠り仕事を行っている。そして偶にやって来る貴族の相手にと大忙しであった。母も母で、トーマスと共に何やら準備をしているようであり、その間、シャルロットは一人で暇を潰すのであった。

 そんなある日、シャルロットは母に告げられるのである。

 

「明日、皆でラドグリアン湖に行きます。シャルロットは何もしなくて大丈夫よ。ただ水の精霊様とお話をするだけで良いから」

 

 シャルロットも当然、ラドグリアン湖については知っている。何度か家族で訪れた事があるからである。しかし、水の精霊には一度も会った事は無い。それでも彼女は知識として水の精霊の事を知っている。水の精霊は人の世と交わりを持ちたがらない。唯一の例外として、トリステイン王家と盟約を交わしているのである。だからこそ、今回の訪問はただ事では無いと、シャルロットは感じ取ってしまった。しかしそれと同時に、水の精霊とお話をするのが楽しみでもあった。

 

 次の日、朝早くからシャルロット達はラドグリアン湖へと向かった。父や母を始め、多くの貴族達と一緒であった。その中には、流石にガリア王の姿は無かったものの、叔父のジョゼフや数人の神官まであった。

 その多くの同行者は皆、仰々しい装いであったが、シャルロットの姿はとりわけ特徴的であった。その装いは、淵に金色の刺繍を施した淡い水色をした巫女装束であり、肩口から腰まで垂らした蒼色リボンを背中で纏めた姿が印象的である。そして頭には服と同じデザインをしたベールを被っている。

 揺れる馬車の中、流石のシャルロットも、これから何かしらの儀式を行うのだと感づいた。しかも、それぞれの装いから自分がその中心となるのだと分かり、緊張に身を硬くした。そんな姿を心配してか、湖に到着するまで隣に座る母は優しく彼女の手を握っていたのだった。

 

 ラドグリアン湖に到着したものの、準備のためかシャルロットは母と共に暫し馬車の中で待機されていたのである。暫く経って呼び出されて外に出ると、湖から少し離れた位置に貴族達が並んでいるのが見えた。そしてその奥、水際にて父シャルル、叔父ジョゼフ、そして神官達が佇んでいる。

 そうして母に手を引かれるまま、最前列へと連れて来られた。

 

「それでは、始めさせて頂きます」

 

 神官の1人がそう宣言すると、残りの神官が水色の水晶らしき物を取り出して、それを湖の中へと投げ入れた。

 

「ラドグリアン湖に居わす水の精霊よ! 我らの前へ姿を現し給え!」

 

 神官が唱えると、湖の中心が突然光り輝いたのである。そして光が消えたと思った束の間、湖の水が蠢き渦を描き出した。

 

「水の精霊よ! 我らと話をするに相応しい姿を顕現させ給え!」

 

 再び神官が唱えると、渦を描いていた水が集まり、徐々に人の形を形成していった。そしてその姿たるや、将に正面で佇んでいたシャルロットと同じ姿を取っていた。

 シャルロットは驚きつつも、水の精霊の姿に感動を覚えた。それは、自身と同じ姿であるものの、透き通った水が光に反射し、幻想的な出で立ちであった。

 

「何用だ。単なる者よ」

 

 水の精霊が問い掛ける。するとそれに対してシャルルが返事をする。

 

「トリステイン王家の盟約における交渉役が不在の今、我らガリア王家と水の精霊との新たな繋がりを得たい。どうか我らの願いを叶えてくれ給え。その交渉役として我が娘の血の交わりを願い給う」

 

 シャルルは一気に捲し立てる。彼自身、願いが叶うはずが無いと確信していたが、この儀式は水の精霊と話をし、交渉をしたと言う事実さえあれば成功なのである。そのため、既にこれからの交渉に意味は無く、ただ淡々と終了する予定であった。そう、シャルロットと水の精霊が交わるまでは――。

 

 シャルロットは父に促され、水の精霊へと近づく。彼女自身、血の交わりを行う事など初耳であった。血の交わりとは、対象に血の情報を記憶させる契約の一種である。本来は高度な魔道具に対して行うもので、彼女にとって、精霊との契約などは話だけの中での行いであり、まさか自分が行うとは夢にも思わなかった。

 シャルルは今回の儀式は失敗すると確信していた為、娘には何も詳細を語らなかったのである。血の交わりを行って得た情報から水の精霊がその事実を知るのを防ぐ為であった。それでも儀式の成否は兎も角、詳細を語らなかったのは、聡明なシャルロットならこれが失敗を前提に行っていると気付いてしまうと考えたからである。

 この時のシャルルは気付く事が出来なかった。ジョゼフの本当の思惑と、娘の虚無の可能性について――。

 

「単なる者よ。我は古き約束の為、古き友の一族と盟約を交わした。汝らと盟約を交わす事は無い」

 

 突然の水の精霊の拒絶にシャルロットは戸惑い歩みを止めてしまった。そして振り返り父の方を窺うと、一瞬シャルロットに対して微笑み、水の精霊に言う。

 

「我らガリア王家もまた、あなたの古き友の一族の血を僅かながら受け継いでいるはず。どうかその確認を――」

 

 父の言にシャルロットはその意図を察し、再び歩みを進める。そして水の精霊の数歩手前で立ち止まった。

 

「えぇと、よろしくお願いします」

 

 シャルロットは場違いな挨拶と共に水の精霊に礼をし、予め持たされていた儀礼用のナイフで左手の親指を切り付け、そのまま左手を差し出した。

 すると、水の精霊の足元の水が彼女の左手まで伸び、そのまま覆い尽くした。そして見る見る内に傷が癒え元に戻ると、水もまた引いて行った。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 シャルロットは律儀にお礼を返した。水の精霊は暫く沈黙を保っていたが、突然語りだした。

 

「汝との血の契約を確認した。我が盟友の力を受け継ぎし者よ。古き約定を今こそ果たさん」

 

 水の精霊がそう言うと、シャルロットに近づいて行き、そのまま覆い尽くした。しかしそれは一瞬の出来事であり、水の精霊はすぐに元の位置へと戻った。

 予想外の出来事でシャルロットも周囲の人々も、事態の把握が出来なかった。当のシャルロットは驚きの余り、そのまま硬直してしまったのである。

 この事態に一番初めに動き出したのは意外にも母エレンであった。

 

「水の精霊よ。シャルロットに何を行ったか教えて下さいませんか?」

 

 逸早く、娘の心配をしたのである。その気丈な姿に、周囲の人々も次第に意識を覚醒させて行った。

 

「古き約定により、盟約を交わした」

 

 盟約。その事実にシャルルは驚愕した。そして恐る恐る尋ねた。

 

「み、水の精霊よ。先程は盟約を交わす事は無いと仰っていたはずですが」

 

 シャルルはもう自身が何を言っているのか分かっていなかった。しかし、それを指摘する者は此処には居なかったので、彼が気付く事は無かった。

 

「我は古き約定を果たしたに過ぎない。汝らと盟約を交わす事は無い」

 

 やはりシャルルにも水の精霊が何を言っているのか理解出来なかった。水の精霊が個人相手に盟約を交わしたのである。そんな例、今まで聞いた事が無かったのである。シャルルが頭の中で逡巡している間に、水の精霊は湖の奥への帰って行ったのだった。

 

 それらの一連の出来事を唯一、終始無言のまま眺めている者が居た。それは、シャルルの隣に佇んでいたジョゼフである。彼は口元の僅かな笑みを隠し、シャルロットを見詰めていたのだった。

 

 

 

 そして、この出来事によりシャルロットは『水の精霊(オンディーヌ)の姫巫女』として世にその名を轟かせるのであった。

 

 

 




サブタイまんまの回。
原作ルイズが巫女になるならシャルロットだって巫女になっても良いじゃないか。
ただ、立場が違うのでこんな形になりました。

今回、多くの独自解釈を入れました。で、タグに「独自解釈」追加。
蝶よ花よのアンリエッタがトライアングルってのが疑問だったので盟約とこじつけてみました。
チートっぽく見えますが、活用機会は……

巫女服のイメージの補足すると、ルイズの巫女服を薄い水色にして背中にリボンを付けた感じです。
リボンも腕に一回り巻き付いてて、腰まで垂れてます。背中に固定してるのでひらっひら~になればと……
水! と言う事と、髪の長さ的に背中が寂しいと思ったのでリボンでアクセント。
寧ろ、ロリにリボンは必須アイテムです。

そしてシャルルさん、2度の――を再びでした。あなたが確信する度に――。……もう、無いよね……

次回、ガリア動乱的な~ あ、でも番外を挿むかも……


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 5話 シャルル

 ラドグリアン湖での出来事の後、意外にも大きな騒動には発展しなかった。シャルロットが水の精霊と盟約を交わしたらしいと言う事は広まっても、大半の貴族にとって、それが何を意味するのか理解していなかったからである。

 ここ数百年、トリステイン王家の魔法――【調和】――は使われた記録が無かった。歴史の事実として残っていたとしても、次第に嘘や誇大表現であるなどと思われる様になり、真実を知る者は王族やそれに類する者達だけになってしまった。そして今となっては、その魔法は王家の者のみで発現する物と解釈される様になったのである。

 事ここに至って、問題の重大性を正確に理解出来ている者など殆ど存在しなかった。その少数派にはシャルルとジョゼフの名が挙げられるが、今回の顛末の当事者である為、積極的に情報の歪曲に努めた。

 結果として、シャルロットの件は予想外であったが、トリステイン相手での示威行為としての成果は十分であった。これにより、トリステインは早急に新たな水の精霊との交渉役を選定する必要に駆られる様になる。さらにガリアに対して抗議しようにも、現在のトリステインは王位が空席である為、強く出られない。そして血筋と言う意味でなら、他の王家にも水の精霊との繋がりを持つに値する正当性を主張出来るので、付け入れられる隙を作った側が悪いと言う事になってしまうのである。

 

 実際、トリステイン王国の反応で、この件に関して抗議をする事は無かった。僅か2ヶ月で次の交渉役を決め、事態を収束させたのである。

 しかし、そのような対応が取れたのも、(ひとえ)にマザリーニ枢機卿と一部の上位貴族の手腕によるものであった。事件当初は、ガリア王国に抗議をするべきだと多くの貴族達がいきり立ったが、リッシュモン高等法院長の一声により、それは阻止されることになった。後は枢機卿により穏便に事を終わらせる事が出来たのである。

 

 

 

 

 

 ラドグリアン湖での儀式より明けた次の日、件のシャルロットはとても困惑していた。

 儀式後、硬直より覚めると屋敷へと帰還し、あれよあれよと言う間にパーティーが開かれ、半ば会の主役の様に振る舞ったのである。そして、その日は両親とゆっくり話も出来ないまま疲れて眠ってしまったのである。

 目が覚めて一番に確認したのは、寝る前に宝石箱に入れておいたとある指輪の存在であった。この指輪は、気が付いたら指に嵌まっていたのである。

 しかし心当たりはある。水の精霊に覆われた時である。その時、指輪を持たされたと考えると辻褄が合う。そして、水の精霊と指輪、この2つからシャルロットはとある指輪を連想したのである。

 

 ――アンドバリの指輪。

 

 しかし彼女はその予想をすぐに否定した。何故なら、アンドバリの指輪は水の精霊が守る秘宝として有名だからである。そんな指輪を自分に与えるなど、到底信じられなかった。あの時は混乱していたので、無意識の内に誰かに持たされたと考えた方が、まだ信憑性が高いが……。

 結局、彼女には結論が出せず、扉を叩くノック音に、慌てて指輪を宝石箱にしまって考えを放棄したのだった。

 

 そして、父シャルルと真面に話が出来るまで、3日の時を有した。その日は予てより延期され続けていた魔法の訓練の日であった。ついでとばかりに、シャルロットは例の指輪を持って訓練に臨む事にした。

 

「よろしくお願いします。父様」

 

「あ、ああ」

 

 シャルロットは開始前の挨拶をした。しかし対するシャルルは、何処かはっきりとしない態度であった。

 それもそのはず、シャルルにしてみれば、娘が魔法を使えない事は分かり切っている事である。兄ジョゼフとの話し合い、水の精霊の不可解な行動と、虚無の可能性は既に濃厚である。

 しかし、彼は娘にその事実を伝えるつもりは無い。シャルロットが虚無であると知れ渡ると、当然、ジョゼフもまた虚無であると知られる事になってしまう。その事に関しては既に兄と相談し、2人だけの秘密とする事にしたのである。

 そうすると問題となるのが、何時まで娘に魔法を使えない事実を隠せるかである。原因を話せない以上、娘は自身が魔法を使えない事に悲観するはずである。かと言って、何時までも魔法を使わせないでいる事など不可能だとも分かっている。それも、もし勝手に魔法を使いでもしたら、爆発で怪我をしてしまうかもしれない。

 そのため、彼はシャルロットに魔法が爆発する事を早々に自覚してもらうべく、今日の訓練に臨んだのである。

 

「今回も【ライト】の魔法ですか?」

 

 シャルロットは小首を傾げて問い掛けた。

 

「いや、今日は【念力】を試そうかと思っている」

 

 シャルルはそう答えた。

 【念力】は対象を操作出来る様になる魔法である。ただし、余り複雑な操作は出来ないという欠点はあるものの、少し離れた物を動かすのに使え、多くのメイジが日常生活で利用している魔法である。

 今回、シャルルが【ライト】でなく【念力】にしたのは、この魔法が離れた対象を指定するからである。【ライト】も離れた空間を指定して発動させる事が出来るものの、初心者だとそれが難しく、最初は杖の先端を指定して発動させるのである。しかしシャルロットの場合、爆発する事が分かっている為、前回の様に至近距離で爆発に巻き込まれてしまうのである。

 その点【念力】だと、ある程度遠くで爆発する為、危険も少ないと彼は踏んだのである。

 それに、確かめたい事もあった――。

 

「では、お手本を見せよう。――【念力】」

 

 シャルルは【念力】により、小石を右へ左へと転がして見せた。

 

「やってごらん」

 

「はい、――【念力】」

 

 シャルロットも同じように小石に【念力】を発動させた。そして――。

 

「出来ました。これで良いでしょうか?」

 

 シャルロットもシャルル同様小石を右へ左へと操作して見せたのである。

 

「……? …………」

 

 シャルルは来たる爆発に備えて身構えていたが、普通に魔法を成功させた娘に一瞬呆けてしまった。

 

「父様?」

 

「!? あ、ああ、それで良い。よくやったな。流石、私の娘だ」

 

 シャルルは娘の追及に慌てて返事をし、彼女の頭を撫でる事で何とか誤魔化した。

 

「今日はこのまま【念力】の練習をしよう。細かく操作出来る様に心掛けるんだ」

 

「はい!」

 

 そしてシャルルはシャルロットの練習風景を後ろから眺めながら考えるのだった。

 

 水の精霊との盟約の影響について考える。彼が知っている内容は水の魔法力の増加と王家同士の(・・・・・)魔法の合成である。

 

 魔法力の増加に関しては言わずもがな。水の精霊に力を分け与えられているからと考えられる。

 此処ハルケギニアに存在する三大王国とロマリア皇国は、それぞれ始祖ブリミルが齎したとされる4つの系統を司っている。水を司るトリステイン王国、風を司るアルビオン王国、土を司るガリア王国、そして火を司るロマリア皇国。

 しかし、それぞれの系統を冠していても、王家の者が必ずしもその系統に秀でた者とは限らない。その最たる例がロマリアである。ロマリアは三大王国と違い、世襲制ではなく、信仰によって教皇が選ばれるのである。

 それは兎も角、トリステイン王家には代々、水に秀でた者が歴史に残されているのである。それは現在のトリステインのように他の王家から婿入りし、王家の血を残す場合を除いて必ずと言って良い程、優れた水メイジなのである。

 その理由が、水の精霊との盟約の恩恵であると言われている。それは水系統の才能が低かろうと、幼い頃に水の精霊から力を分け与えられた影響が表れているのだろうと言うのが、現在の貴族達による共通認識である。

 

 魔法の合成に関してはよく分かっていない事が多い。古くから親交のあるトリステイン王家とアルビオン王家で、その魔法が確認されているが、ガリア王家とはどうなのかは資料が残されていなかった。

 原理を調べようにも、それは対象が王族である為、今まで真面に研究されていないのである。

 

 合成魔法は兎も角、魔法力の増加に関して言えば、シャルロットも何かしら影響を受けているはずである。それが例え虚無であったとしても――。

 実際に【念力】は正しく発動出来ていた。以前の爆発が見間違いであったなどでは決して無い。そもそも、水の精霊と盟約を交わせただけで、娘は只者では無いのであるのだから。

 そして、今後の娘シャルロットの周りを取り巻く環境に変化が生じるであろう事をシャルルは1人懸念するのであった。

 

 

 

 そして彼が考えに耽っていると、不意にシャルロットが振り向いて来たのである。

 

「あの……父様、少し良いですか?」

 

 シャルロットは額に汗を流し、少し息を整えながら話し掛けて来た。

 

「ん? 何だい?」

 

「実は……」

 

 そう言って彼女はと指輪を取り出してシャルルに差し出し、事情を説明するのだった。

 

「……そうか、……この指輪は私が預かっておくよ」

 

 そしてシャルルは指輪を預かり、その日の魔法の訓練を終了させたのだった。

 

 

 

 

 

 時は経ち、シャルロットはコモン魔法をマスターし系統魔法に取り組んだが、ここに来て再び悩ませられる事態に陥ってしまった。シャルルやその報を聞いたジョゼフは一応の納得はしたが、シャルロットはその間大変落ち込んでしまったのである。

 そして、そんな娘を見かねて真実を打ち明けようかと考え出したある日、オルレアン領へと急報が届けられたのである。

 

 ――ガリア王崩御。

 

 時はシャルロットが11歳の誕生日を迎えた2月後の季節だった。

 

 

 

 シャルルは急いで王宮へと駆け付けた。そして王宮には既に兄の姿も見えていた。彼等は2人、王の眠る部屋へと赴き、そこで遺言書の確認を行った。

 兄がそれを読み上げる。最初は息子達に対する挨拶と謝罪が綴られていた。そして――、

 

「――!? ……次期ガリア王は…………――ジョゼフに任命する」

 

「……お、おめでとう兄さん……」

 

「やめろ、皮肉のつもりか?」

 

「い、いや、でも……」

 

 シャルルはしどろもどろになりつつ、混乱していた。否、理解したくなかっただけである。

 彼は父王に対して1度も王位に関する話をしなかった。これは単に実力で兄と勝負したかったからである。あの日以降も、お互いにその事は承服し合っていた。尤も、兄においては自身が選ばれるなんて思いもよらなかっただけであるが……。

 今となっては何故父が兄を選んだのか知り様も無い。――嫡男だから選んだのか……否、父に限ってそのような単純な理由で選びはしないだろう。それとも兄の実力を見抜いていたと言うのか……。彼は思考の海へと埋没する。

 

 ――後悔、焦り、嫉妬、憎悪、嘆き、苦しみ、悲しみ、焦燥、怒り、…………。

 

 様々な感情が彼の中に駆け巡る。そして最後に辿り着くのは――、

 

 ――――諦め。

 

 彼は理解してしまったのである。これは既に取り返しの付かない事である(こぼしたミルクは戻らない)と――。

 

 不意に紙が潰れる音がしてシャルルはジョゼフへと向き直る。

 ジョゼフは遺言書を握り潰していた。

 

「え? 兄さん、何を――」

 

「前も言っただろ、俺は王になるつもりは無い。お前がやれば良い」

 

「でも、遺言に――」

 

「お前が選ばれたと言っても誰も疑わんよ。……即位まで時間はある。それまでに気持ちの整理をしておけ」

 

 そう言ってジョゼフは部屋を後にした。部屋に残されたシャルルは、ただそんな兄の後姿を見送るだけであった。

 

 

 

 ガリア王崩御の報は各地へと知れ渡った。そして国葬も恙無く終わり、喪に服す期間中に事は起こった。

 

 

 

 

 

――シャルル暗殺。

 

 

 

 

 

 次期ガリア王と期待されていたシャルルの突然の死である。

 事は宮中内での出来事だった。偶々、外を出歩いていたシャルルの胸元へと矢が飛来してきたのであった。或いは、これが魔法であったなら違う未来が齎されたかもしれない。しかし、現実に矢の凶刃に倒れてしまったのである。

 この時の彼は精神的に追い詰められ、何時もより警戒心が薄れていた。しかし、護衛の騎士も傍に居り、まさか自分が命を狙われるとは思いもしなかった。そんな中での事件である。

 

 犯人はすぐに見つける事が出来たが、既に自害して居り、黒幕に繋がる情報は何も手に入れる事が出来なかった。

 そんな中、最初に犯人だと思われたのはジョゼフであった事は言うまでもないだろう。

 王の崩御、そして次の王の即位直前での出来事である。彼が疑われるのは無理も無い事である。しかし、そんな証拠は一切無く、周囲の貴族達は彼に対して言い様の無い怒りと共に、敵愾心を強めるのだった。

 

 そうして、連日行われる事となった王族の葬儀に、国中の者が悲しみに暮れるのだった。

 

 

 

 そしてジョゼフがガリア王に即位した数日後、亡くなったシャルルの娘シャルロットの下に、王宮への呼び出し状が届いた。差出人は先日即位したばかりのジョゼフであった。しかも呼び出されたのはシャルロットのみであり、母については言及されていなかった。

 彼女はジョゼフの事を恨んでいた。父を殺して王になったろくでなしであると。だから自分がジョゼフを――。

 そんな彼女の心内を察したのか、母は彼女を窘める。それは駄目だと。それは自身さえも破滅させる感情であると。

 母の真剣な独白にも近い説得により、彼女は一旦その感情を抑える事が出来た。それはジョゼフと話をした後だと――。

 

 シャルロットは首都リュティスへと遣って来た。そして豪華な執務室へと通された。同伴して来た母は別室で待機する運びとなった。

 部屋にはジョゼフが既に待っていた。シャルロットは彼を見遣ると同時に、今にも射殺さんと睨み付けた。

 

「よく来たな。……まぁ、座れ」

 

 ジョゼフはシャルロットの視線に苦笑(・・)しつつも着席を薦めた。

 シャルロットも渋々ながらもそれに従い、再び彼を睨み付けた。

 

「ふっ、そんなに睨むな。シャルルの事は俺も残念に思っている」

 

「……」

 

「……ふぅ、では本題に入るか。お前を呼んだのは他でも無い。シャルルの事と、……お前の事を話す為だ」

 

「――!?」

 

 シャルロットは身構えた。これから何を話されるのかは、ある程度予想していたからである。

 

「まず、確認しないといけない事がある。――シャルルを殺したのは俺じゃない。」

 

「――ッ!?」

 

 この期に及んで犯行を否定するジョゼフに怒りを覚えたが、シャルロットは何とか怒りを抑えた。そしてジョゼフにある書状を渡された。

 

「これは?」

 

「先代の遺言状だ。読めば分かる」

 

 シャルロットは訝しみながらもその遺言状なる書状に目を通した。そしてある一文に目が留まった。

 

「元々俺が王に選ばれていたんだ。俺がシャルルを殺す意味は無い」

 

「……でも、この遺言状が本物だとは限らない」

 

「筆跡は先代の物なんだが……まぁ、お前には分からないか」

 

「なら――」

 

「それでも俺じゃない。第一、俺は王になる気は無かった。本来ならそれを隠してシャルルが即位するはずだったんだ」

 

 そしてジョゼフは事の経緯をシャルロットに語るのだった。

 

「……信じられない」

 

「まぁ、そうだな。俺でも自分が疑われている事は理解している。それでも信じろとしか言えない」

 

「……」

 

「虚無。俺とお前が虚無だったら信じられるか? シャルルもそれは承知だった。初めて魔法を使った時の事を覚えてるか? 爆発したらしいじゃないか。……俺も同じ経験があった。そしてシャルルはその事を俺の所に確かめに来たんだ」

 

 そしてジョゼフはシャルルが自領へと訪れた経緯を話した。さらにそこから、ラドグリアン湖での出来事についても話し出した。

 シャルロットもその話については一応の納得はした。しかし核心については語られていない。

 

「それでは、誰が父様を……」

 

 そう、真の犯人についてはまだ明かされていないのである。

 

「それについては、ある程度予想が付いてる」

 

「――誰が!」

 

 シャルロットは遂に声を張り上げてしまった。しかしそんな彼女には気にせずジョゼフは語りだす。

 

「おそらく、――ロマリアだろう」

 

「――!? どうしてロマリアが?」

 

「ああ、それは――」

 

 そしてジョゼフは己が推論を語るのだった。

 彼の推論はこうだ。ロマリアが虚無を手に入れようと企てたのではないかと。

 

 ロマリアには始祖ブリミルに関する資料も多く残されている。そこからジョゼフとシャルロットが虚無であると知る事も出来るだろう。しかし、いくら他国に対して影響力の強いロマリアであると言えども、王族対して表立った行動は取れない。そこで今回の企てを計画したのである。

 

 ロマリアから見れば、次のガリア王となるのはシャルルが有力であっただろう。シャルルが王に即位してしまったら、その娘であるシャルロットには益々手を出せなくなる。

 ではジョゼフはどうかと言うと、ジョゼフの命が危ぶまれると見えるだろう。それは、ジョゼフ派とシャルル派の対立が起こる様に見えるからである。

 そうなってしまうと、ロマリアにとって益が無くなってしまう。

 

 しかし、ジョゼフが王となった場合は話が違ってくる。当然、王のジョゼフには手を出せないが、シャルロットに関してはそうでは無くなって来る。

 そもそも、ジョゼフが即位するにはシャルルが邪魔となる。その為の暗殺となる。

 そしてジョゼフ派とシャルル派との対立を理由に、亡命でも進めればいいのだから。ジョゼフでは難しいが、シャルロットなら御しやすいとも思われるだろう。

 さらにその暗殺の疑いは自然とジョゼフへと集まる為、亡命の理由には事欠かないだろう。

 

「……確かに、筋は通ってる……けど……」

 

 話を聞いてもまだ、シャルロットは納得半分、疑い半分であった。

 

「だから言っただろ。虚無なら信じるかと」

 

 ジョゼフは徐に黄土色の宝石の付いた指輪と質素な香炉を机の上に置いた。

 

「【土のルビー】と【始祖の香炉】だ。俺も即位するまで半信半疑だったが、これで確信に変わった」

 

「?」

 

「指輪を付けてみろ。そうすれば分かる」

 

 シャルロットは言われるがまま、指輪を付ける。すると、今まで感じなかった匂いが鼻腔を擽り出した。匂いの元を辿ると、その【始祖の香炉】と言われた香炉からであった。

 暫く匂いを嗅いでいると、不意に脳裏にある単語と呪文が浮かび上がった。彼女はその呪文を感じるがまま紡いでいく。

 

「――――――【記録(リコード)】」

 

 呪文を唱え終わると、シャルロットの脳裏にジョゼフとシャルルの会話の記録が次々に流れ出す。その記録は先程のジョゼフの言を裏付けるものばかりであった。そして、最後に見せられた遺言状の話が終わり、ジョゼフが1人部屋を退室した後、残されたシャルルが、不意にこちらへと振り向いたのである。

 その視線はしっかりとシャルロットへと向けられている。

 

「シャルロット」

 

 記録の中の父シャルル話し掛けて来た。

 

「はい。……父様」

 

 シャルロットは構わず返事をした。

 

「お前を残して逝ってしまう事は、すまないと思っている」

 

 そう言って記録の父は深々と頭を下げた。

 

「と、父様、頭を上げて下さい」

 

 シャルロットがそう言うと、記録の父は頭を上げた。そしてシャルロットは彼へと跳び付いたが――、

 

「シャルロット。今の私はただの記録でしかない。触れ合う事の出来ない境遇を口惜しく思うよ」

 

 シャルロットは記録の父をすり抜けてしまうのだった。彼女は父の死を今一度実感し、目頭が熱くなって来るのだった。

 

「シャルロット。こうしてずっと語り合っていたいが、そうにも行かないらしい」

 

「!? 父様!」

 

 次第に光の粒子となって消えて行く記録の父。シャルロットは縋る思いで父の名を呼ぶ。

 

「シャルロット。兄さんの事は恨まないでやってくれ。兄さんの言ってた事は本当だ。私を殺したのもおそらく――」

 

「はい」

 

 シャルロットは記録の父の言葉を一語一句聞き漏らすまいと泣き叫ぶのを我慢する。

 

「妻にも悪い事をした……。『君を残して逝ってしまうのをすまないと謝罪していた』と伝えてくれ」

 

「はい」

 

「兄さんには『シャルロットを頼む。せいぜい私の分まで苦労しろ』と伝えてほしい。これが私の最後の本心であり、兄さんに負けた腹いせだと」

 

「はい」

 

 薄れゆく記録の父。シャルロットは彼にはもう時間が残されていない事を悟る。消えゆく父の姿を最後まで目に焼き付けようと、涙を拭う。

 

「シャルロット」

 

「はい」

 

「――愛しているよ。シャルロット」

 

 そして光は完全に消えて無くなった。

 

「はい。……私も愛しています。父様」

 

 虚空へと向かってシャルロットは紡ぐ。

 彼女の目には涙が止めど無く溢れ出して行くのだった。

 

 

 

 気が付くとシャルロットは元の執務室に居た。涙を拭い、今まで見たことをジョゼフに話した。

 

「そうか……【記録】か……」

 

「父様から言伝を預かっています。『シャルロットを頼む。せいぜい私の分まで苦労しろ』だそうです。これが父様の最後の本心であり、その……腹いせだそうです」

 

「ふっ、そうか、腹いせか。ならとことんあいつの分まで苦労するしかないな」

 

 ジョゼフは屈託の無い笑みを見せ、1人決意を固める。

 

「あいつにお前の事を託された。だが、今の俺にはお前を護りきる事は出来ないだろう」

 

「……」

 

「だからこそ、シャルロットお前には一旦トリステインに亡命してもらう」

 

「え?」

 

 

 

 こうして、虚無を取り巻く運命は加速して行く。新たなる虚無との邂逅も後僅か。シャルロットに訪れる運命は果たして絶望か、それとも――。

 

 

 




シャルル生存ルートなんて無かった……
こればかりは完全にam24の都合です。はい。
まぁ、ある意味主人公交代の節目となったかと思われ。

事の原因は死ぬまで引退しなかった先代ガリア王にもあると思ったり。
先代の年齢って若くて60。シャルル達と同じくらいに子を産んでたら70過ぎ。
頑張り過ぎだよお爺ちゃん。

番外挿もうかと思ったけど、話の温度差がありすぎて断念。
またの機会に……

そしてやっと原作の影が見えてきました。
次回は原作開始。か、少し前の話かと。


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