愛され幼女 (kouta5932)
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第一話

 シリアスの様でそうでないような幼女戦記SSです。pixiv小説においての処女作をこちらにも持ってきました。好感度がカンストしている第203航空魔道大隊+αに、デグさんがひたすら困惑する話です。
 こちらもなかなかの長文ですがお楽しみいただければ幸いです。


(1)異変

 

 

 某月某日午後 19:20 帝国参謀本部  にて 

 

 

 突然レルゲン中佐がご乱心しました。

 

 

 その日ターニャはゼートゥーア准将に呼ばれ、次に行うべき作戦について議論を交わしていた。ターニャの周りにいるのは上官のみ、しかし彼女は冷静沈着そのもので、周りを圧倒するような迫力があった。

 意見を求められるという事はつまり参謀としての実力を買われている、つまりここで叡智を披露する事が出来れば、参謀としての道が開かれ、夢の後方への転属が手に入る。ここで全力を出さねばいつ出すのだ! ターニャはゼートゥーアの問いかけに対し、ここぞとばかりにあの手この手と新たな作戦を立案をする。 

 残念ながらその全力こそがターニャの転属を遠ざける一番の理由なのを彼女は未だ知らない。ターニャの鬼気迫る様子はさながら飢えた狼のようで、周りからは『誰か』ではなく『彼女自身』が戦う場を整えているとしか見えないのだ。

 ゼートゥーアの傍らに控えるレルゲンは「またこの戦闘狂は……」と痛む胃を抑え、殺る気十分で結構とゼートゥーアが微笑む。まさにいつもの光景であった。

 だが話がある程度まとまりかけた時、その様子が一転した。

 いつもであれば悪魔の案に従わざるを得ないレルゲンが、苦虫をかみしめたような表情を浮かべ、せめてもの抵抗としてターニャに対して皮肉を言うのであるが、今回に限っては突如レルゲンが糸のキレた人形のように崩れ落ちたのだ。

「レルゲン中佐!?」

 予想外の事態に一瞬呆気にとられたターニャであったが、すぐさまレルゲンの元へ駆け寄って容態を確認する。しかし何度呼び掛けても反応はなかった。

「デグレチャフ少佐、容態は?」

「完全に気を失っているようです」

 すぐにでも医務室へ連れていきたいところであるが、こうした時の原則は倒れたものを無理に動かさない事、ターニャは部屋の外で待機している衛兵に大声で呼びかける。

「レルゲン中佐が倒れた! 今すぐ医者を呼べ!」

「はっ! 直ちに!!」

 素人が下手に手を出せば悪化するだけだ。冷静に、かつ迅速に。やるべき事を成す。ターニャにしてみれば、レルゲンは自分が後方勤務になるための希望、彼にはここで倒れられては困るのだ。ただの貧血であればいいが、妙な胸騒ぎがする。もしやこれも存在Xの仕業か、そう勘ぐり始めたとき、彼は突然目を開けた。

「レルゲン中佐、良かった。お加減はどうでありますか?」

「…………君は」 

 ターニャはひとまず最悪の事態は避けられたようだと安堵の表情を浮かべる。だが真の混沌はここからであった。

「ター、ニャ?」

「はっ、小官はデグレチャフ少佐であります。まだ意識がはっきりとなされていないようですね。 ……え?」

 ターニャはその違和感を見逃さなかった。

 

 今もしかしてこの男は自分の事をターニャと呼んだか? デグレチャフ少佐ではなく? 

 

 ターニャは恐る恐るレルゲンの顔を覗く。驚愕で目を見開いた表情、その視線はターニャを捕らえて離さない。レルゲンの放つ異様な迫力に思わず引いてしまいそうになったターニャであったが、腕を掴まれていてそれも叶わなかった。そして彼の色のない純粋な驚きが歓喜の笑みに変わった瞬間、ターニャの全身に嫌な予感が駆け巡った。

 

 ……あ、これやばいやつだ。

 

「ターニャァァァァァァァァァァ!!!」

 

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 上官からのまさかの急襲攻撃、今やターニャはレルゲンにがっちりと抱きしめられていた。思わず奇声を上げてしまったが、咄嗟にレルゲンをぶちのめさなかったのは幸いであった。上官を傷つけたとあってはせっかくのキャリアが終わってしまう。

 だがターニャは今の状況に困惑を隠しきれない。これからどうすればいいのだ? はがすわけにもいかないし、こんなの想定外すぎる!! 今の状況が意味不明すぎて、普段良く回るはずのターニャの頭はパンク寸前である。

 ターニャが救いを求めてゼートゥーアの方を見ると、彼は葉巻を加えたまま固まっていた。頭が目の前の状況を理解する事を拒否したらしい。

「ターニャァァ、ターニャァァ、うぉぉぉぉぉぉ」

 横からはなおも彼女の名前を連呼するレルゲン中佐。

 なんだうぉぉぉぉって。良心の呵責が限界でとうとう壊れてしまったのか? それともまさかそっちの趣味があったりするのか? ターニャは様々な想定をしたが、答えらしい答えは出ない。とにかくまずは抜け出さなくてはとレルゲンに呼びかける。

「レルゲン中佐、その、そろそろ離していただけると……うぎゅ!」

 逆効果だった。名前を呼ばれた事に反応したのか、レルゲンはさらにきつく抱きしめる。今は前線には立っていないといえどレルゲンは軍人、鍛えられた男の全力ホールドにターニャは息が詰まりそうになる。いくら白銀とあろうとも、身体能力はただの子供なのだ。

 レルゲンはお気に入りのおもちゃを取り上げられまいとする子供のように、がっちりとターニャを拘束している。ゼートゥーアはなお復活の兆しを見せない。そろそろ葉巻の火が指まで到達しそうでやばいが。ターニャの希望は彼一人だというのに。

 もう誰でもいいから早くこの混沌の場を治めてほしい。そんなターニャの願いもむなしく状況はさらに悪化する。

「ただいま医者をお連れしました!! ってうえぇぇぇぇ?」

「どうしたというのです? それほどまでに重体なのですかって、あらまぁ♡」

 二人の声を聞いた瞬間、ターニャの顔は真っ青になった。

 こいつらの存在忘れてたぁぁぁぁぁぁ!!

 

 本来であれば迅速な行動を褒めるべきなのだろうが、今回に限っては最悪なタイミングであった。どうすればいいか困惑する衛兵に、予期せぬラブシーンに色めき立つ女医、

「あっつ!!」

 とうとう葉巻の火が指まで到達して、キャラ崩壊甚だしい叫びをあげるゼートゥーア、カオスがカオスを呼び、どこまでも悪化していく状況にターニャは泣きたくなった。

 

 ……どうしてこうなった。

 

 いっそこのまま意識を失ってしまいたい、ターニャはそう思ったが、冷静な者(ツッコミ)がいないこの状況、自分こそが頑張らないと収拾がつけられない。衛兵はターニャ含め全員が格上、上司にあたるから何もできないし、女医は放っておけばあらぬ噂を流される可能性が高い。レルゲン中佐は小児性愛なんて広まったらどうなるか。この惨状の原因は彼にあるとはいえ、今ここで良き理解者を失うわけにはいかないのだ。とにかくまずは周囲の誤解を解かねばなるまい。

 脳死寸前の中、ターニャは知恵を絞ろうと奮戦する。しかし言い訳云々よりも、レルゲンの拘束から抜け出さないと話にならないわけで。だからといって「助けて―」って叫びでもすれば、今度はレルゲンが社会的に死ぬ。

 肯定するも否定するも地獄。奥の手の沈黙は『今の状況受け入れている』と見なされるだろうから肯定である。完全な無理ゲーであった。ターニャがどう動こうが状況は良くならない。客観的に見て、この場を正しく治められるのは、レルゲンかゼートゥーアしかいないのだ。

 ターニャの中で達観が芽生え始めた時、彼女はふと己の肩が湿っている事に気づいた。これはターニャ自身の物ではない。つまりはレルゲンからのものだ。肩は震えており、聞こえてくるのは嗚咽、この密着状態では表情こそ見れないが、ターニャにはレルゲンのそれが何か分かってしまった。

「レルゲン中佐、泣いているでありますか?」

 ターニャの問いかけに対し、レルゲンは答えない。聞く耳持たず、である。その様子を見て彼女はふと孤児院にいた頃を思い出した。魔道適性が認められる以前の彼女は、裕福な家庭の養子を狙って、己の評判が良くなるよう、下の子達の世話をしていた。

 愛情に飢えた子が構ってほしさに我儘を言う、ターニャは今それに近いものをレルゲンに感じていた。沈黙を貫くという行為も、少しでも今の状況を長引かせようとしているのだ。己の感情を制御できない今のレルゲンは、幼子そのものと言っても良い。

 だからだろうか。レルゲンが自分にすがり泣く様を見て、ターニャの最善を求める思考回路が誤作動を起こし、軍人の鏡としての凛々しい姿ではなく、孤児院での優しいお姉ちゃんを演じてしまったのである。

「まったくしょうがないでありますなぁ」

 言葉とは裏腹に慈愛に満ちた声。片手はレルゲンの頭に、もう片方はレルゲンの背中に。ターニャは子供をあやすかのように彼の頭を優しく撫で、背中をポンポンと叩いた。彼女はそれをごくごく自然にやってのけた。

「何があったか小官には分かりませんが、もういっそ出し尽くすと良いですよ」

 ターニャのその姿は一種の神々しさすら感じさせ、皆の心を打った。彼女の慈愛をダイレクトに受けたレルゲンの涙が3割増しとなり、号泣が超・号泣となった。横には自分も幼女に癒されたいとすすり泣く衛兵、「あらあらあらぁ」とさらに目を輝かせる女医は鼻血を垂れ流していた。

 

 一方でゼートゥーアは冷静さを取り戻していた。否、厳密的に言うと取り戻さなくてはいけなかった。ゼートゥーアにとってレルゲンの奇行はともかくとして、ターニャのした対応は准将として見逃してはならないものであった。

 彼は混沌の中、火傷した指を水につけながら己の中のターニャを見つめる。『決して理性を失わない猟犬』、それこそがターニャに対してのゼートゥーアのイメージであった。今もなおそれ自体に変わりはないが、それが彼女の一面でしかない事に今更ながらに気づいたのである。

 彼女の率いる第203航空魔道大隊、彼らに与えられえた作戦も無茶なものばかりであり、はっきり言って心身ともにつぶれていてもおかしくはない。にもかかわらず彼女の部隊は一人欠ける事もなく生き残っており、部下達の士気も異様なほど高いと聞く。『白銀』ターニャ・デグレチャフは畏怖の対象であるとともに、これ以上ないくらいに慕われているのだ。

 第203航空魔道大隊はいきなり現れ、過酷な作戦を何度も完遂し、常勝無敗という嘘みたいな戦績を持つ、帝国にとってまぎれもなく英雄である。ゼートゥーアはだからこそ周りから、特に古参達からいらない嫉妬を受けないか懸念もあった。せっかくの虎の子を味方につぶされたらたまったものではない。

 故にゼートゥーアは密偵に彼女らの評判を調べさせていたのだが、想定しているよりも悪くなく、むしろ遥かに良い結果で、不安が杞憂に終わった事に安堵した。

 一方でゼートゥーアはその時に部下の目線から見たターニャについても調べていた。軍学校での事件についてレルゲンから聞いており、育成のやりすぎを懸念してのものであったが、その調査結果は驚くべきものであった。

 各部隊長など彼女に近しい者達はもはや崇拝レベルで、末端であったとしても、初めこそ性格がきついだの、鬼だの愚痴をこぼすが、じゃあこの部隊を離れたいかと聞くと冗談じゃないと返され、彼女がいかに素晴らしいか力説されたと報告書にはあった。

 その強さにあこがれるのはもちろんの事、それ以上に言われたのは彼女がどれだけ部下を想ってくれているか。

 ターニャは作戦時には常に先頭に立ち、いかなる時も一番危険なポジションにいる。どれだけ厳しい任務でもこんなの簡単だろうと実践して見せ、どれだけ辛い汚れ仕事でも真っ先に泥をかぶってみせる。それこそが上官の務めと言わんばかりに。

 過酷な訓練だって今になって思えば、むしろ愛すら感じるとまで部下達は言ってのけた。訓練内容は狂気の沙汰ともいえる代物だったらしいが、当時の限界高度をはるかに超えて上から仕掛ける、高濃度のデコイを常時展開する、彼女の課した無茶な要求は、実のところどれだけ安全かつ、効率的に敵を撃破する事で味方の損傷を極限まで抑える訓練であった。そして皆が揃って帰還した際、ターニャは何時だって嬉しそうに笑うのだと言う。

 部下の危機には彼女が己の身を挺してかばった事もあったというし、ここまで大切にされてしまえば、一生ついていきたいとまで思うのも無理はないだろう。

 ゼートゥーアはため息を漏らした。ターニャのそうした一面は報告書類で見ていたはずであるが、あくまで軍人としての優秀さとして評価していた。部下をいたわるのも仕事としてやっているのだと、信じきっていた。だが実際に見てみれば印象はかなり異なる。そこでようやく当たり前の事実に行き当たった。

 軍人とは悲惨な戦争に適するよう作られた人格であって、本来人が持つ内面と一致するわけがないのだ。それまでのターニャの振る舞いが完璧すぎて、ゼートゥーアは今の今まで気づかなかった。

(いや、見ようとしなかったのが正解か。軍人としてあまりにも優秀であったゆえに、私個人の理想を彼女に当てはめてしまった……)

 ゼートゥーアは思う。今になって思えば完璧であるという事こそが答えであった。ゼートゥーアにとってターニャは使い勝手が良すぎたのだ。職務に忠実である事、軍にとってそれこそが重要である。個人の性格などは二の次だ。

 だから『本当のターニャ』なぞ関係ないはずであるが、人が軍人になるはずなのに、軍人を基本として考えてしまった己に戦慄した。軍にいた期間が長すぎた故の感覚のずれであった。

 ゼートゥーアは常々思っていた。今の状況に何か見落としはないのか。作戦は今のところうまく行っている。帝国に理想的な戦争の終結も見えてきている。だが漠然とした不安はうまく行けば行くほど募っていく。その理由が今、ここで分かりかけている。

 心臓が脈打つ。ゼートゥーアは長年の感から、己が分岐点に立たされていると理解していた。帝国の未来のためここで間違えるわけにはいかない。ゼートゥーアが長らく欲していた答えは彼女が握っている。

 ゼートゥーアは今もなおレルゲンをあやすターニャに問いかけた。

「デグレチャフ少佐、一つ尋ねたい」

「なんでありましょうか?」

「君は戦争そのものをどう思うかね?」

 その一言で場の空気が変わった。異様なまでの緊迫した状況に、それまで幼女愛に目覚めそうだった衛兵が震えた。早く二人の熱愛について、周りに知らしめたいと思っていた女医も、場の空気の飲まれて息を呑む。それまで幼子そのものであったレルゲンも、先ほどとは打って変わって険しい表情をしていた。

 しかしながらゼートゥーアは准将、ターニャは少佐、軍としての階級がある以上、『答え』は決まっている。これでは何も変わらない。だからゼートゥーアは付け加えた。『本当のターニャ』を逃がさないために。

「ただし軍人としてではなく『君』個人として意見を述べよ」

 長い沈黙があった。個人の意見を求めるなんて異例中の異例である。皆が皆固唾を呑んでターニャの方を見ていた。

 

 ターニャはポーカーフェイスを保ってはいたものの、いきなり特大級の爆弾を投下され、内心はパニックに陥っていた。冷や汗が止まらない。軍人としてではなく個人としての意見が欲しい、それにどんな意味があるのか? 

 今更ながら軍人としての適性検査を行うのは無理があるし、本当は戦争大嫌いなので言えるわけがない。でも軍人としての答えを望まないとあえて指定した事は、戦争を否定してほしいのだろうか? しかしイチかバチかそれを言うのはリスクが高すぎる。

 意外な事に答えに窮するターニャに囁いたのはレルゲンだった。

「大丈夫だデグレチャフ少佐」

 ターニャは彼の急なイケメン化にツッコミを入れたくなった。一体何が大丈夫なんだコノヤロー! さっきまでお前ポンコツだったろ! そもそもお前が今の状況引き起こしたのに、今更恰好つけたって遅いわ! ターニャは内心あらゆる罵倒をレルゲンに浴びせる。だが、

「何があっても私が守るから君の本音を言ってくれ」

 その一言はターニャの心をざわつかせた。甘い事言ってくる相手こそ気を付けろ、無償の善意などありえない。ターニャはそれを良く知っている。いくら幼女を戦場に送る事へ罪悪感を感じているレルゲンでも、『何があっても守る』は行き過ぎである。冷静の皮を装っているだけで、まだご乱心しているのだろう。

 否定理由はいくらでも出てきた。だが肩に残る彼の涙が、体全体に感じる熱が否定させてくれない。

「私を信じてほしい」

 ターニャは疑問に思った。何故レルゲンはそこまで必死なのかと。何故そこまでターニャ・デグレチャフに肩入れする? こんな質問をするゼートゥーアもまともではない。何故私自身の意見が重要なのだ? せっかく理想の軍人を演じているのにどうしてその奥を知ろうとする? 二人が求めるべきはターニャ・デグレチャフではなく『白銀』でなければならないのに一体何故?

 理解できない事は嫌いだ。でもどういう訳か今はそれを不快に感じる事はなかった。心の奥底からこみあげてくる感情は何て言えばいいのか。今この場は常識とはかけ離れたところにある。だったら場に任せて自分もいっそ狂ってしまおう。

「率直に申し上げます」

 思った以上にはっきりとした声が出てターニャは自分自身驚いていた。そうか、私は本当は言いたかったのか。心の内を叫びたかったのか。もはや後戻りできないターニャは、意志のある眼差しでゼートゥーアを見る。そして

 

 

「『私』は戦争なんて大嫌いであります」

 

 

 ターニャは初めてターニャ自身の意見を言ってのけた。

 

 

 ゼートゥーアは後に言う。この時確かに帝国の未来は変わったのだと。

 

 

 

 

 ゼートゥーアとの対談を終えたターニャは満身創痍であった。普段の凛々しい姿は見る影もないくたびれた様子で帰路に就く。何の飾りっ気のない素の自分を、一瞬たりとも見せたのはターニャにとって大きな負担であった。

 上官に対して戦争を否定してしまった事実に戦々恐々としていたのだが、ゼートゥーアからはまさかの謝罪をされてしまう始末。いわく、無理に聞き出して悪かったとか。ターニャの気のせいでなければ、ゼートゥーアはあの時何かを掴んだかのようであった。あの異例の問答には一体何の意味があったのだろう。

 ターニャにはその答えは分からないまま軍議は終了となったわけであるが、分からないと言えばレルゲンの態度も今までと違いすぎてさっぱりであった。

 いきなりのご乱心から突如のイケメン化、終わった後はそれまでずっとターニャの事を抱きしめていたことに気づき、慌てて離れたと思ったら、しどろもどろになりながら言い訳をする。ターニャがとりあえず怒ってはいないと告げると、それはもう嬉しそうな顔をするものだから調子狂う事この上ない。

 この場に居合わせた衛兵と女医の口止めにもターニャはえらい苦労した。衛兵は「では私もなでなでしてください」とのたまったので、ぶちのめそうと思ったら先にレルゲンが「ちょっと奥で話そうか」と連れて行ってしまった。

 振り下ろす先がなくなった拳をどうしようかと考えていると、隣の女医に「愛されていますねぇ」と言われて頭を抱えた。ターニャがいくら否定しようにも「分かってますから」の一点張りで、もう完全にカップルとして見られているのは間違いない。「年の差がありすぎるだろう!」と叫んだターニャの魂のツッコミは最後まで通じなかった。

「……もう限界、無理、早くシャワー浴びて寝たい」

 やっとの事で宿舎へと到着し、ターニャは早速部屋へ戻ろうとすると、副官のヴィーシャが何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回しているのを見つけた。

「なんだセレブリャコーフ少尉、落とし物か?」

 ターニャの声に反応し、ヴィーシャはゆっくりと振り返る。ギギギという擬音が聞こえてきそうなくらいに不自然な硬さ、目は何故か血走っていた。どこか異様な空気を纏ったヴィーシャにターニャは思わずたじろぐ。彼女のその姿にデジャヴを感じ、一体なんだろうと考えたも束の間、ヴィーシャはターニャに向けて全速力で突っ込んできた。

「社長ーーーーー!!!」

「は? 社長? うわらばっ!!?」

 猪のような猪突猛進を見せたヴィーシャをかわせず、ターニャはそのまま有無を言わさず押し倒された。

「貴官なんのつもりだ!? って……またか!!」

 ターニャの目の前にあるのは自身を抱きしめつつ、さめざめと泣く部下の光景、先のレルゲンと全く同じ光景であった。感じたデジャブはこれだったかと理解する。

 ターニャはげんなりした様子でヴィーシャを見やる。本来であれば厳しく律するべきなのだが、疲れた脳では軍人モードに戻る事も出来ず、結果として先ほどと同じようにヴィーシャをあやす。頭を撫でられ一瞬固まったヴィーシャであったが、己の状況を理解すると、甘やかされたのが余程嬉しかったのか、まるでじゃれつく犬のように顔をターニャの胸へと擦りつけてきた。

「……また、またお会いできました」

 『また』と言われても今朝会ったばかりなのであるが、とターニャはぼやく。

 ヴィーシャの頭を撫でつつどうしたものかと考えていると、どこからか地鳴りのような音が聞こえた。数え切れないほどの人の大移動、しかもそれは徐々に迫ってくる。ターニャは猛烈に嫌な予感がした。今日の皆は狂っている。副官のセレブリャコーフ少尉でさえこの有様である。

 

 ターニャは考える。

 

 もしも、もしもだ。

 

 この奇病、『幼女に甘えたくてたまらない病』が我が203航空魔道大隊に蔓延しているとすれば……

 

「社長、社長はどこだ!!?」

 聞こえるのは聞きなれた声、というかさっきから社長ってなんだ? ここは会社ではなく誇り高き帝国軍ぞ。ターニャの頭が警鐘を鳴らす。良く分からないけどヤバイ。今の状況は非常にヤバイ。だが副官に抱きすくめられていて、身動きが取れないターニャはどうにもできなかった。

「見つけた!!」

 ぎらつく複数の目が一斉にターニャの姿を捕らえる。それまで獰猛なハンターであった彼らの表情は一様に歓喜に染まり、感極まった様子で涙を流す。むせび泣きながら全力疾走してくる部下達。屈強な男達が半狂乱になりながら迫ってくる光景にもう恐怖しか覚えない。

「おい、まさか……やめろ。上官命令だ! それだけはやめろ!!」

 

「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ社長殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」」」」

 

「私のそばに近寄るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

 

 

 

(2)とある男

 

 

 

 男が時計を見ると午前5時を示していた。外はまだ薄暗くこれからやっと朝日が昇ろうかとしているところであり、早く起きすぎたと苦笑する。若き頃は訓練してようやく早起きの習慣をつけたというのに、今はむしろ寝ていられないのだから面白いものだ。

 男はゆっくりと起き上がると、洗面台へと向かい顔を洗う。タオルで拭った後、長年の友であった眼鏡をかけると、しわが増え、老年に差し掛かった顔が鏡に映っていた。

 年が年故食欲なんてものはあまりなく、簡単にシリアルで済ませた男は外出用に着替えると、近所にある公園へと向かった。

 世界大戦が勃発した激動の時代を生き抜き、余生を穏やかに過ごす権利を得た男であったが、初めはそこから何をすればいいか分からず、すっかり空いてしまった時間を持て余した。そこで何もしないよりはと始めて見たのが朝の公園の散歩である。

 戦争を体験した身としては、そんな些細な平凡が嬉しくもあり、そこそこに満足していたのであるが、家族連れなどを見ると一人でいる寂しさを拭えなかった。

 別に結婚の機会がなかったわけではない。チャンスは何度でもあったのだが、男は己の成すべき使命を理由に遠ざけていた。役目終えたらすぐに死んでしまえればよかったのに。老体になってから自由を与えられても困る。

 平和は好きだ。これこそ欲してやまなかったもので、この光景を見るために男は今まで生きてきた。でもそれを分かち合う同士はもはや誰も生きていない。過去の記憶をたどりながら男は池のほとりを歩く。

 そんな中、男の横を青いワンピースを着た金髪の少女が横切った。

 少女の笑顔を見た時、それまでセピア色だった男の記憶が鮮明に蘇った。彼にとって金髪の幼女と言ったらただ一人であった。ターニャ・デグレチャフ、『白銀』と呼ばれたかの帝国の英雄である。

 視線の先の少女は純真そのもので、彼女とは似ても似つかない。彼女であるのならば子供にそぐわぬ冷静さを持ち、残酷さをも持ち合わせた『化物』でなければならないのだから。それこそ彼女の存在は敵国から恐れられ、『ラインの悪魔』と呼ばれていたほどだ。

 どれ程戦況を優位に進めてきても、ラインの悪魔が現れれば、彼女自身の圧倒的強さと、個々がネームド級とまでされた部隊で、あっという間に状況がひっくりかえってしまう。しかもこの悪魔は戦略家でもあり知恵も回るのだ。彼女を相手するのならば生き残るだけでも上出来、敵からすれば悪魔と呼ぶしかない。

 過去に行われた軍議での彼女の案はどれも常識をぶちこわすものばかりで、どれ程胃を痛めたものか。男が思い返すのは彼女の悪態ばかり、その数にキリはなく、次から次へと思い出が溢れてくる。それもそのはずだった。

 

 男は彼女を愛していたのだから。

 

 もっとも男が自分の想いに気が付いた時は、すでに手遅れだったのだが。

 仕事に向かう事で考えないようにしていた。必死になってさえいれば忘れられた。ずっと記憶の底に蓋をしてきたのに、何故思い出してしまったのか。

 どれだけ求めても報われないというのに。

 

(ターニャ、私は君と一緒にこの光景を見たかった)

 

 時を経て老人となったレルゲンは静かに涙した。

 

 

 帝国の敗戦後、すべての責任を背負ったゼートゥーアからの遺志を継ぎ、レルゲンはかつての栄光を取り戻すために人生を捧げた。敗戦国というまさにどん底からのスタートであったが、同士がいるからこそ絶望の寸前で踏みとどまる事が出来た。先行きが見えない状況でがむしゃらに進んできたレルゲンであったが、結果としてそのあがきは無駄にならず、一歩一歩ゆっくりとではあるが、着実に復興への道を歩んでいた。

 レルゲンが彼女の情報を得たのは、焼け野原となったベルンが最低限ではあるが、ようやく街として機能回復を果たした後であった。合州国へ亡命していた彼女が満を持して起業したらしい。航空貨物、旅客輸送、名目とは名ばかりの傭兵稼業、要するに民間軍事会社である。その人材確保のためにかつての部下達を集めているのだとか。

 レルゲンは実に彼女らしいと思った。あの泥沼の戦争につかりきった者たちが今更ながら普通の生活に戻るのは難しい。さらに言えばかのラインの悪魔の部下達だ。二つ名こそ持ってないが、1人1人の実力がネームドクラスの化け物揃い、反逆の意志がなかったとしても、ちりぢりになった彼らを各国も野放しにもできないのだ。彼らがもし決起したら、惨劇は免れない。

 実のところ密かに彼らを暗殺してしまおうと考える国もあったらしい。部隊ではない個人なら殺せると。結果は散々たるものであったが。

 優秀な彼らは暗殺部隊を一人残らず返り討ちにし、指示した者を突き止め、手紙を送り付けたとか。内容は別に何もする気はないので心配ご無用といったもの、だが指示した者にとっては何時でも殺せると言われたような物で、ラインの悪魔の子もまた悪魔であると悟り、生きた心地がしなかったと言う。

 故に彼女が起業したという情報は悪魔の子を抱えてしまった国にとっては渡りに船であった。撃ち滅ぼす事ができない化物をまとめて引き取ってくれるのだ。彼らがまた一つにまとまるのは脅威であるが、懐にいられるよりも遥かにましだった。

 そして民間の傭兵稼業は、戦争という形をなるべく取りたくない世界のニーズにもマッチした。しかも彼らの実績はかの戦争で折り紙付きだ。かつての大隊長の元に集った彼らはまさに一騎当千。仕事に対する信頼は絶大なものがある。

 そう、彼女はその牙を抜かれる事なく、社会の中核を成す歯車として入り込んだのだ。亡命してからたったの数年の間に、彼女は居場所を作り上げてしまった。悪魔とも言われたその優秀さで、かの強大な国が彼女を裏切れない状況まで持ち込むとは、彼女の手腕には脱帽せざるを得ない。

 レルゲンはその日、彼女という劇薬を抱え込んだ合州国の苦悩が手に取るように分かり、これは痛快だと盛大に笑った。そして確信したのだ。彼女との腐れ縁はまだ続きそうだと。

 

 それが彼にとって都合の良い願望だとは露知らず。

 

 

「随分と懐かしい顔ですな、レルゲン大佐。今は少将、でしたか? 何はともあれお久しぶりです」

「ああ……」

「申し訳ありません。せっかくの再会がこのような辛気臭い場所になってしまって。体調さえよければ私も式典に出席したかったのですが」

「いや、構わない」

 レルゲンが期待に膨らませた彼女との再会は、晴れやかな舞台ではなく病院の一室であった。話したい事は沢山あったはずなのに言葉がまるで出てこなかった。

 かつて悪魔と恐れられた彼女は、今までレルゲンが見た事ない穏やかな表情でベッドに佇んでいた。その一方で顔色はどこか悪く、体もやせ細っていて、否が応でも理解させられた。彼女はもう長くないのだと。

 レルゲンと比べて彼女は遥かに年下であったため、彼は勝手に思い込んでいた。ヴァルハラに行くのは自分が先だと。人は寿命を全うできずに死ぬ事もある、そんな当たり前な事を忘れるくらい、レルゲンの彼女に対しての信頼は絶大であった。戦場でも盤の上でも鬼神のごとき活躍をする彼女が、病気で倒れるなんて思いもしなかったのである。

 ショックのあまり頭が真っ白になっていたレルゲンは、彼女の言葉に相槌を打つしかできなかった。世間話はまるで耳に入らず、ただただ彼女を見る。かつて少女だった彼女は成長し、一人の女性となっていた。もしも彼女が健康であったなら、その美しさは男達を虜にしたであろう。理知的で魅力にあふれた女性になっていたに違いない。

 レルゲンはいたたまれない気持ちになり、世の不幸を恨んだ。彼女はここまで頑張ったのにこの結末はあんまりだと。にもかかわらず彼女は悔しそうな顔を一切しない。それが余計レルゲンの心をかきむしった。

 これほど重い空気で会話が続くわけがない。レルゲンは沈痛な面持ちを浮かべたまま押し黙ってしまった。その様子を見て彼女は懐かしむように言った。

「結局『私』を理解してくれたのはあなただけでしたな」

「デグレチャフ、それは一体どういう……」

「あなただけが私を戦争から遠ざけようとしてくれた」

 彼女の漏らした本音にレルゲンは頭を殴られたような衝撃を受けた。

「私はあれだけ後方勤務を望んでいたというのに、与えられる命令はいつも最前線。今だからこそ言いますが、いつ死んでしまうか冷や冷やさせられましたよ」

 楽しそうに笑う彼女にレルゲンは「違うのだ」と叫びたかった。自分こそ戦争に追いやった張本人だと。軍学校への編入を取りやめ、戦場に立つ事になった直接の原因は彼にある。途中からは別の理由で遠ざけようとしたのは確かであるが、彼女の兵としての優秀さを世間に周知させてしまったのは、間違いなくレルゲンなのだ。もし参謀としての道が開けていたら帝国も救えていたかもしれない。それに思い至った日は眠れなかった。

 レルゲンは思う。自分が恐れていたのはなんであったのか。彼が恐れていたのは彼女の狂気ではない。彼が真に恐れていたのは彼女の才能なのだ。理解の遥か上の世界で答えを見出す彼女に居場所を奪われるのではないか、それを認めたくない故に彼女の人間性を疑う事にした。幼女の身で正しく軍人として振る舞うのは異常であると。一人の男のつまらぬ嫉妬がすべてを壊したのだ。

 レルゲンは告げてしまいたかった。己の罪をすべて。だができなかった。それは彼女の淡い幻想を壊してしまう事と同義であるから。もしもレルゲンがすべての元凶と知ったら、彼女は絶望してしまうだろう。彼女にとって『レルゲン』は唯一の理解者なのだ。レルゲンは彼女のためにも良き人を演じなければならない。

「子供を戦争に立たせるなんて普通じゃないからな。まあ結果として私の心配は杞憂だったようだが」

「まったく私が戦争を楽しんでいたとでも? 生き残るのに必死なだけでしたのに」

「軍人である以上は上官には逆らえなくてな。コーヒーとチョコレート送るくらいが精いっぱいだったよ」

「コーヒーとチョコは好きですが、それで仕事を増やされたらたまったものではありませんな」

 軽い応酬をするたびにレルゲンの心が悲鳴を上げていた。それでも必死で続けたのは彼女を楽しませたい、その一心で。

「まあお互いこうして生き残れただけでも僥倖ですかな」

「…………」

 しかし彼女のこの一言でとうとう言葉が詰まってしまった。レルゲンはこれに対する答えを持ち合わせていない。彼女も己の失言を悟ったのか、優しく微笑むとレルゲンの手を取った。

「そんな顔しないでください。私は自分にできる事はすべてやりきりました。私は最後の最後まで屈せずにあのくそったれの鼻を明かしてやる事ができた」

「くそったれ?」

「ふふ、くそったれが誰かは秘密です」

 めずらしく茶目っ気を見せた彼女にレルゲンが呆気に取られる。

「私自身は満足しているんです。ただ」

 彼女は病室の外へと視線を向けた。そこはきっと彼女のかつての副官が待機しているのだろう。

「無茶を承知で頼まれてくれませんか?」

 レルゲンは直感した。これは遺言に当たるものになるであろうと。本当は彼女の遺言など聞きたくなかった。それでも彼女の理解者としての義務は果たさなければならない。

「まずは話してみろ。聞いてから考える」

「私の部下達をお願いします。私がみっちり鍛えてあげたのに、私がいなくなるってだけで酷く動揺してるようでして。まったく情けない。仕事は私なしでもできるようにしてますので、喝を入れてやってください。誇り高き帝国軍人が何事かと。私が言っても泣くばかりでどうにもならんのです」

 最初は静かに聞いていたレルゲンであったが、聞いているうちに段々と我慢ならなくなった。彼女は一体どこまで愚かであるのか。

「いい加減にしろ!! 君は鈍感にも程がある!!」

「はぁ? どういう事でありますか?」

「いなくなるだけってそんなわけないだろ! 彼らは皆君が好きなんだ! 君を慕っているからこそついてきたんだ!! にもかかわらず君がいなくなろうとしている。そんなの悲しいに決まっているだろ!!!」

 彼女が今一ピンと来ていない様子である事に、レルゲンはさらに腹を立て、まくしたてるように言う。いつしかレルゲンの瞳にも涙が浮かんでいた。

「レルゲン少将? あなたも……泣いているのですか?」

「そんな当たり前な事を聞くな!! ああ、泣くさ!! 戦争が終わったんだ。復興だってうまく行っている。これから話す時間はいくらでもあると思っていたのに……そう、すべてはこれからだ。これからのはずなんだ……なのに……」

 最後はもう言葉にならなかった。静寂の中、レルゲンの泣く声だけが響く。その中で彼女は笑って見せた。

「デグレチャフ、なぜ笑う?」

「いえ、存外に人から想われるってのは嬉しいものだなと」

「君って奴は……」

 心底嬉しそうに笑う彼女にレルゲンは言葉に詰まる。

 

 今でもレルゲンは何故彼女がそうしたか分からない。そこにどういう意図があったのか。その時彼女は初めてレルゲンの下の名を呼んだ。

「エーリッヒ」

 

 

「ありがとう」

 

 

 彼女が亡くなったのはそれから一か月後の事であった。

 

 

「おじいちゃん大丈夫?」

 レルゲンが気が付くといつの間にか例の金髪の少女が目の前にいた。

「ああ、すまんすまん。昔が懐かしくなってしまってね」

 レルゲンは涙をぬぐうと笑みを作り、少女の頭を撫でた。

「君は優しくて良い子だな」

 少女は得意げに笑う。こうした笑みは彼女もよくしたなと考えていると、ほどなくして少女の両親が現れた。突如走っていなくなってしまった子を探していたのだと言う。少女の方から話しかけてきたので偶然でしかないのだが、お礼を言われてしまい恐縮する。

 レルゲンはこのままでは勝手に両親の元から離れた少女が怒られるであろうと推測し、自分が体調悪そうなのを見かねて心配してくれた旨を少女の両親へ伝えた。そしてレルゲン自ら両親から離れてはいけないと優しく注意する。他人が注意してくれた事で両親の方は少女に対し怒らなくて済む。

 せっかくの記憶を思い出させてくれた少女が怒られるのは忍びない。幸い少女の両親は聡明であった。こちらの意図を察したようで、深々と頭を下げた後、特に少女を怒る事もなく、今度は手を繋いで去っていった。

 仲睦まじく歩く三人を見送る最中、レルゲンはふと思った。もしも彼女が生きていたら自分と彼女でこのような光景が見られたのだろうか。

 恥ずかしながらレルゲンが彼女への想いを愛であると自覚したのは、あの病室での出来事の後であった。あまりにも遅すぎる自覚であった。だからといって早くに気づいていたらそれはそれでただのロリコンでやばかったが。

 レルゲンは自分自身の彼女への態度は妬みかと思っていたのだが、当時の彼女は幼女であったから、惹かれていたのを無理矢理抑えている面もあったのかもしれないと、今更ながらに思い至りかつての己の若さに苦笑した。

 レルゲンが筆を取ったのはそれからであった。少女とその家族に出会ってから、彼女の事をよく思い返すようになったレルゲンは、想いの捌け口を絵に求めた。彼が描くのはもちろん愛しの人、ターニャ・デグレチャフである。彼はキャンパスに『もし彼女が生きていて、自分の隣に立っていたら』という夢を描いた。

 思い起こすのは戦争時の白銀としての彼女ではなく、最後に見た彼女の本当の姿、ただ穏やかに笑っている彼女こそレルゲンは望んだ。

 はじめは絵なんて素人同然で思うように描ける事なんてなかったが、幸い時間も金も余っていた。選んだ道具はプロも使う当時の最高級品、やるからには徹底してやるのが彼の信条だ。絵がどのようなものなのかを一からじっくりと勉強し、納得できる作品が描けるようになった頃には数年が過ぎていた。

 レルゲンの描いたターニャの絵はすべて自前のアトリエに飾ってある。今や彼の絵はかつての彼女の部下のサラマンダーエアーサービスの者達にも評判だ。ねだられても決してあげたりはしなかったが。生きているうちは自分だけのものだ、彼はそう決めていた。

 次にレルゲンが描こうとしているのは休日の彼女である。もはや通いなれた公園の敷地内にオープンカフェが開店したのだ。彼女がコーヒーを愛飲していたことから、味もよく景色も良いここには絶対来るであろうと思い至り、比較的空いている朝の時間帯にやってきては、コーヒーを片手に筆を走らせる日々、今度の絵は最高の物になる、と彼は確信していた。

 レルゲンはその人生を終えるまで彼女の絵を描き続けたと言う。

 

 

 

 

 

 

(3) 神の誤算

 

 

 人は名画と呼ばれる物に心惹かれる。名画は時代を象徴するものでもあり、何より描いた者のむき出しの情熱に人は心打たれるのだ。名画と呼ばれる物は世に沢山あるが、帝国国立美術館でもっとも有名なものと言えば、エーリッヒ・フォン・レルゲンが晩年に描いたとされる『愛しの君』シリーズだ。

 彼の死後、彼の描いた絵のほとんどが何故かサラマンダーエアーサービス(ZAS)と呼ばれる、航空会社が所有していたのだが、戦後50年の節目に美術館へと寄贈されたのだ。

 絵に登場するのはいつも同じ人物で、金髪の美しい女性が描かれている。その女性が誰であるかについては長年論議されてきたが、作者の日記が発見された事でその正体が判明した。

 作者、エーリッヒ・フォン・レルゲンは若いころ、帝国軍人を務めていたのは周知の事実であるが、日記によると絵の女性も軍役についていた事が分かっている。女性は非常に優秀だったらしく、最初の頃はコンプレックスを抱いていたが、それを克服してみたら彼女に対して愛情が芽生えていたとの事。

 お互いあの悲惨な戦争は乗り切ったものの、彼女が病気で早逝した事により二人が結ばれる事はなかった。この悲恋話は絵の価値をさらに高め、カップルで見たい絵では堂々の一位を博している。

 ただこのレルゲンという人物、非常に嫌らしい。何せ日誌には彼女の名前や所属を一切書いていないのだ。彼は彼女が軍で何をしていたのか一切の情報を排除していた。

 日記の最後はこう書かれている。彼女の名は私と彼女の部下のみの物だと。完全に確信犯であった。なんたる独占欲、だがその謎すらもアクセントとなり、ミステリアスな魅力が人を引き付けてやまない。

 彼女の謎を解き明かす上で、ヒントと成りうるものがある。それは帝国から離れた地の合州国にあるZAS社だ。ここでの注目点は絵を会社のある合州国ではなく、帝国に寄贈したという事だ。つまりZAS社はレルゲンとの関係に深い繋がりがあり、絵の女性についても知っていた可能性が高い。

 話によるとZAS社の最初期のメンバーには元帝国軍人もいたとの事だ。後はお分かりだろう。きっとそこに日記に書かれている部下が実際ZAS社にいたのだ。残念ながらその初期のメンバーはすでに全員亡くなっており、話を聞く事はできなかったわけであるが。

 一つ分かる事があるとすれば、絵の女性は素晴らしい人物だったのだろう。その証拠に寄贈された絵はどれもとても保存状態が良く、とても大切にされていたのが分かる。

 多くの者達から愛された麗しき女性、できる事ならぜひ現実で会ってみたかったものである。

 

著  美術評論家 ○○○○

 

 

 

「さて、何か言い分は?」

「……弁解の余地もありません」

 神、かつて転生者ターニャ・デグレチャフから、存在Xと呼ばれた存在は見事な土下座を披露していた。神の中でも転生者を生み出せる権力を持ち、かなり位の高い彼であったが、今回のターニャ・デグレチャフについては大失態であった。

 どれ程の苦境に立たせても、彼女は神を否定し続け、改心させる事はついに叶わず。早死にしてしまった事で彼女の親しい者からも信仰を失う始末。さらに悪いのはこの親しい者達は恋しさのあまり、作品として多くの彼女を残した事だ。

 レルゲンの絵もそうであったが、サラマンダーエアーサービスも実は秘蔵の作品を用意していたりする。その名も『白銀のターシャちゃん』。かつての副官であったヴィーシャが悲しみに暮れていた時、たまたまターニャがパラパラ漫画を描いていた事を思い出し、それを真似てみたのがきっかけであった。

 デフォルメされた動くターニャを見て社員の一人が「それだ!!」と叫び、急遽かつてのターニャをアニメーションとして残すプロジェクトが発動。エアーサービスの社員達は、傭兵の仕事している以外の時間をアニメ制作に没頭するようになり、やたら優秀な彼らは屈指のアニメーターとして成長していった。

 この作品は当時のターニャ・デグレチャフは最重要機密であったため、あくまで身内用に作られたものでしかなかったのだが、これもサラマンダーエアーサービスがなくなった後でフィルムが見つかる未来が確定しており、その異様なまでのクオリティで人気を博するようになるとか。

 後のアニメ大国の秋津州でも『白銀のターシャちゃん』は、あの時代にこれだけのものを作成したスタッフは神がかっているとされ、少女としての愛らしさ、戦闘時のかっこよさ、子供でも大人でも楽しめるストーリー、全てを兼ね備えていた作品は高く評価された。秋津州では魔法少女と呼ばれるジャンルがあるため、その先駆けのターシャちゃんは初代魔法少女ものとしてバイブルとされている。

 そして人気が出ると必ずターシャちゃんのモデルが誰なのか調べる奴が出てくるものだ。その中にはレルゲンの絵との関連にたどり着く者が現れる。

 ここでダメ押しとなったのが、アンドリュー記者が生涯をかけて追った11番目の女神についての著書の数々だ。11番目の女神は人なのか、物なのか、あるいは作戦なのか、アンドリュー記者は生前最後の解を見出す事は出来なかった。それでも多くの女神に関する記述を探し出し、11番目の女神が帝国の主要作戦に必ず記載されている事は突き止めていた。

 当時帝国にいた優秀な名も知れぬ女性の軍人、それとこの11番目の女神が結びつくのは必然であった。別に発案者はそれが真実だとは思っていない。よりドラマチックになるからという理由だけで、その11番目の女神にターシャちゃんをあてがったのであるが、まさかそれが正解だとは夢にも思わなかっただろう。

 ともあれターシャちゃんは一大センセーションを起こした。いなくなってしまった愛しい人を記憶に残そうと生まれた作品の数々、ここまで人に愛されたのはどれほど素晴らしい人物だったのか。そして歴史の裏に隠された英雄のミステリー、世界は壮大なドラマに熱中した。未来はターシャちゃん祭りである。

 そう、存在Xと呼ばれた神は信仰を取り戻すところか、新たな信仰対象を作り上げてしまったのである。

 無論存在Xも何もしなかったわけではない。危機感を感じていたからこそ彼女への対抗する者としてメアリー・スーに力を与えた。敬虔な信者である彼女は存在Xにとって理想そのものであった。存在Xはこのメアリーが愚かな無神論者のターニャを下し、改心させるのを心待ちにしていたのだ。

 だがその結果は散々たるものであった。存在Xはメアリーがターニャのように人から敬られる存在になると思っていた。だが彼女の元には人一人も集まらなかった。人から愛されたターニャとは違い、むしろ忌み嫌われる存在であったのは到底信じられない事であった。

 そして彼女の最後はターニャに敗北したのではなく、仲間であったはずの者からの惨殺である。あまりにも惨たらしい最後を見て、存在Xは絶句せざるを得なかった。今や神の使徒は人々に必要とされてない、その事実に恐怖すら覚えた。

 やる事なす事すべてが裏目に出てしまい、存在Xは奇しくも忌まわしい彼女の口癖を真似る羽目となったのであった。

 

「どうしてこうなった」

 

 周りからの軽蔑の眼差しに耐える日々は辛く、誰かに会う度にどう落とし前付けるのかと追及される。しかし存在Xは答えを持ち合わせない。英雄になるべく祝福した者が排除される世の中でどう戦えと言うのか。信仰を得る方法がまるで思い至らない。今までワンパターンでやってきた事に対するツケであった。

 存在Xは3D化されたターシャちゃんライブを恨めし気に眺める。時代は進化し、バーチャルリアリティーが浸透し始めていた。不滅の体を得て、美化されまくってる今の彼女の人気は歯止めが利かない。

 歌って踊るターシャちゃんにサイリウムを振ってファンが応援する光景、自分がその熱狂の対象であるならどれほど良かったか。

「しっかしターシャちゃん可愛いなぁ」

 

 その瞬間、存在Xは背筋が凍った。己は今何を口走ったのだ? 

 

 かつて存在Xはターニャに聖遺物を与えた。帝国製の魔導師用の演算宝珠、エレニウム95式、本来では開発に失敗するはずだったそれに介入し、戦場に立つ彼女に持たせるように仕向けたのだ。圧倒的力を発揮するそれは利用するたびに神を賛美したくなる代物だ。

 過酷な戦場で強力な力は喉から手が出る程欲しいもの。存在Xの意図としては、彼女を使わざるを得ない状況に追い込む事で、彼女自身に信仰を取り戻させようとしていたのだが、彼女はそれを忌み嫌って極力使わないようにしていた。彼女は基本的には神の力が及ばない量産型の97式を使っており、95式を利用する際はここぞという時だけであった。だからこそ彼女は最後まで信仰を取り戻さなかった。

 当時存在Xは、何故楽な道を示しているのに拒むのか理解に苦しんでいたのだが、この時初めて彼女の恐怖を理解した。存在Xはかつての彼女と同じように自身の心を書き換えられている。

「何たる事だ……」

 ターシャちゃんはもはや聖遺物と同一の物だ。見れば見るだけ信仰したくなる。ターシャちゃんを一度でも可愛いと思ってしまった事実が重くのしかかり、存在Xは心の余裕を奪われ、追い詰められていく。

 可愛いターシャちゃんのモデルは存在Xの怨敵なのだ。彼女に対する敵意が洗い流されていく現状に、純粋な恐怖しか感じない。己が別の何かになっていく不快感は想像を絶するものであった。

 しかし危機に慣れていない存在Xはどうしようもなく弱かった。これ以上の汚染は自我の崩壊に繋がりかねないのにもかかわらず、存在Xはライブから目が離せない。彼の視線は常にターシャちゃんを追う。ライブのコンセプトはもしもターシャちゃんが戦争を知らない無垢な少女のままだったら。

 

 楽しそうに歌う幼女はきらめいて見えた。

 

「ああ」

 

 無邪気な微笑みが存在Xに直撃する。

 

「ああああ」

 

 しかし時折見せるそれが儚い夢でしかないという空虚な瞳、そう、これはターシャちゃんの願望の世界なのだ。その空虚な瞳が本家のターニャと被って見えた時、

 

 存在Xは壊れた。

 

「ターシャちゃん!!! 私が、私が悪かったぁぁぁぁ!!!! 許しておくれぇぇぇぇ!!!」

 

 

 

 ちなみに神と呼ばれる存在は唯一神ではなく複数存在しているため、彼らが住むための神界なるものがあり、それぞれの居場所、要するに家があって割と人間に近い暮らしをしていたりする。複数いるって事は神は神なりに交友関係もあり、存在Xにも友人と当たる者達が存在するのだ。

 彼らは落ち込んでいる存在Xに対し、家に押しかけてサプライズパーティーを企画していたのあったが、彼の自宅を訪れた友人達が見たものは、人の世を映すテレビの前でサイリウムを振っている存在Xであった。

「ハイ! ハイ! ハイハイハイ!!」

 来客に気づかずにキレッキレのダンスを踊る存在X、その変わり果てた姿に皆唖然とする中、友人の一人が言った。

「そっとしておこう。彼は疲れているんだ」

 その日、存在Xに気づかれる事なく帰路に就いた友人達は、彼が遠い世界に行ってしまった事に涙したと言う。

 

 

 

 生まれ変わった存在Xは実にすがすがしい気分であった。ターシャちゃんに浄化され、己のすべての負の感情を絶った存在Xは新たな野望に燃えていた。彼の目標はただ一つ、あのターニャ・デグレチャフをターシャちゃんにするにはどうすればいいか。

 精神介入は論外だ。作られた記憶であの儚さは生まれない。神を恨んでいるターニャだからこそ、彼女が幸福に満たされた時、真のターシャちゃんになる素質があるのだ。

 無論存在Xとしても実際に行うともなればそう簡単でない事は重々承知していた。例えば彼女の転生先を裕福の家庭にし、人生を再度やり直せば良いのかと言えば、答えはNOだ。普通の人間では器用に顔を使いこなす彼女の本質に気づかない。本質に気づかないのであればそこにあるのは仮初の幸福だ。

 今まで見てきただけあって、存在Xは彼女をターニャを熟知していた。彼女は分かりにくいが実のところ自己肯定力が低い人間である。合理性を欠いた個々の感情を嫌い、本当の自分は評価されるわけがないと思い込んでいる。実際はその内面の部分で好かれていたとは思いもよらないらしい。

 彼女は部下の事をもしも危険に陥った時の肉壁として考えていると言うが、実際は危険にさらされた部下を己自らかばうなど、思っている事とやっている事が矛盾していたりする。全力になりすぎる性格故か、合理主義に内面も無理矢理合わせ過ぎているのである。

 

 ターニャと言う人間は感情に理由を求めるから、

 

 部下を信用している → 役に立つ  になり、

 役に立つ → 肉壁 と曲解していくのだ。

 

 彼女の場合、このぶっとんだ思考は他人から見た自分にも及ぶのだから困ったものである。本人は理想的な上司そのものなのに、たとえ人に褒められても、合理主義を演じている自分が褒められていると勘違いし、彼女自身が認められている感覚は持ちえない。

 普通に好意を示しても勘違いされて終わるのが常だ。だからこそ彼女に勘違いという逃げ道を塞ぐ必要がある。そして存在Xはそのための方法を知っていた。必要なのは小細工なしの圧倒的火力、つまりは

 

 彼女を良く知る人物で固めて逃げられなくし、全身全霊で愛でればいいのだ。

 

 存在Xはそのための人材に事欠かない。それは愛しの君を描いた作者であり、白銀のターシャちゃんを作り上げた者達だ。彼らに過去に戻してやる事ができると伝えたら、間違いなく乗ってくるだろう。ターニャの事を死ぬ間際まで忘れなかった者達だ。

 彼らなら戦争を早期に終結させ、あの悪魔を愛の絨毯爆撃でどろっどろに溶かしてくれるに違いない。その先にターシャちゃんはいる。

 

 

 そうして存在X、神は、

 信仰を取り戻すためではなく、彼個人の願望のため、奇跡の力を使った。

 

 

 

 

(4)愛され幼女

 

 

 レルゲン乱心事件以降、ターニャ・デグレチャフは困惑の日々を送っていた。とにかく周りが変なのだ。まず第203航空魔道大隊の皆が気持ち悪いくらい笑顔である。

 そもそもターニャとしては以前から何でこんなに信頼されているか謎であった。ターニャ自身引くくらいの厳しい訓練に、常に最前線配備での過酷なミッション、いくら上司としてのケアを怠らなかったとはいえ、彼らは脱落する事なく、意地でもターニャについてこようとする。

 プライベートでも酒の席以外は誘われたりもするし、嫌われるよりは良いかと流していたのであるが、今の状態は明らかに異常だ。

 執務室の机の上の惨状を見てターニャはひきつった笑みを浮かべる。朝食はいつも、副官のヴィーシャがコーヒーと共に持ってきてくれていたのであるが、今のターニャの目の前にあるのは、前菜、スープ、魚料理、肉料理、食後のデザートまで完備、まさにフルコースである。後ちゃんとヴィーシャが入れた特製のコーヒーも用意されている。

 誤解ないようにいうとターニャもうまい料理は好きだ。前世は日本生まれなのだ。嫌いなわけがない。ただ毎日朝昼晩このようなものを出されては感謝を通り越して、困惑するわけで。

「なあ、セレブリャコーフ少尉? いつも思うのだが、朝からこれは……」

「駄目です!! 僭越ながら申し上げます。少佐殿は小官が及ばないくらい優秀ですがまだ幼い身、作戦中は致し方ないかと思いますが、せめて待機中はしっかり栄養を取るべきかと」

「貴官の心遣いは嬉しいのだが……」

「本当ですか!!?」

 ヴィーシャに食い気味に押され、ターニャは思わず身を引いてしまう。建前を本気で喜ばれ居心地が悪いターニャであったが、場の空気に屈せずに言葉を続けた。

「心遣いは嬉しいのだが、些かやりすぎだ。この贅沢な料理、軍の支給品では到底足りないと思ってはいたが、個人の金を出してまでやっているというではないか」

 当たり前の事であるが、戦時下でフルコース料理を実現するためには少なくないお金がかかる。そのお金を第203航空魔道大隊の者達が皆で負担しているらしいのだ。その事実を知ったターニャは、このフルコース攻めを何かの謀略かと勘繰ったが、証拠は一切なし、むしろ全員があっさり自分がやったと自白するのでどうにもならなかったのである。そこに嘘の匂いはかぎ取れず、むしろ彼らの熱意にターニャの方が気圧され、たじろいでしまうほど。

 ただそこで信じてしまうほどターニャはお人好しではない。自分で無理だったら他の人に調査を任せればいいじゃない、と今度はわざわざ諜報員に頼んでまで裏を調べさせたのであるが、こちらでも結果は完全に白、本当にただの善意でしかない事にターニャは驚きを隠せなかった。

 しかしたとえ善意でしかないのだとしても、ターニャとしてはこの状況を認めるわけにはいかなかった。軍は規律の世界、もちろん息抜きする事も大事であるが、模範的軍人として必要以上の贅沢はしてはならない。

「貴官らに与えられた給金は正当な報酬だ。これまでの好意はありがたく受け取っておくが、今後は自分自身のために使いたまえ」

「はい! 了解しました!!」

 快く頷くヴィーシャにターニャは内心ほくそ笑む。部下の好意を無下にしない懐の深さを見せつつ、規律はしっかり正す、上官としてパーフェクトな仕事だ。だがやった事が裏目に出る事こそが彼女の一八番、その翌日、ターニャはフルコースはそのままで、逆にデザートが一品増えた事に頭を抱える事となる。

「……セレブリャコーフ少尉?」

「はい、皆好きなように使わせていただきました!!」

 ヴィーシャいわく、ターニャの部下思いの発言に隊の皆が感動したとの事。ヴィーシャはターニャが反論を言う間を与えずにさらに言葉を続ける。

「部隊にとって指揮を執る少佐殿はまさに生命線、少佐殿がいつも本領を発揮できる事が部隊の生存に繋がります。つまり少佐殿が心身ともに健康であられるという事は、我々にとって何よりも幸運な事なのです!」 

 ヴィーシャの言っている事は屁理屈でしかなかったが、だからといって否定する理由も思いつかず、ターニャは乾いた笑みを浮かべる事しかできなかった。

 用意されてしまったのを捨てるわけにもいかないので、相変わらず絶品な朝食をつまみつつ、ターニャがどうしたものかと頭を悩ませていると突然執務室のドアが開いた。訪れた人物はレルゲン中佐、その両手には袋を携えていた。

 それを見たターニャの視線が鋭くなる。何か重要な書類なのだろうか、ここまで膨大な資料が必要ともあれば、魔導師用の新兵器開発か、ターニャはその優れた頭をフル回転させて次起こるであろう事を推測した。

「朝からすまないデグレチャフ少佐、実は良いチョコレートとコーヒーが入ってな」

「レルゲン中佐、あなたもか!!」

 ターニャの予想は見事にはずれ、椅子からずり落ちるのであった。

 

 

 ターニャがたちが悪いと思うのは、緩みきったように見える今の状況であっても、第203航空魔道大隊の戦果はむしろ前よりもあげている点だ。皆軍人としての仕事はきっちりとこなすのである。それも期待以上の成果を出してである。

 ターニャの前では何がそんなに嬉しいのか、常に笑顔のヴィーシャもいざ戦闘になると鬼となる。特に相手魔導師との航空戦では、ひいき目抜きにしてもすでにヴィーシャの実力はエースオブエース級だ。それこそターニャが全力で飛び回っても今のヴィーシャならついてくる。バディを組んだ2人のエースが生み出す強さは圧倒的だ。死角がなき化物などどう攻略しろと言うのか。

 そもそも戦闘に関してはヴィーシャのみならず、部隊の皆が強すぎてやばい。個々の練度と連携がより洗練されている上、副官のヴィーシャ含め、ヴァイスやケーリッヒなど、部隊長はそれぞれ戦術を練られるレベルになっており、ほとんどの戦闘はぶっちゃけターニャが何もしなくても終わる。

 とある日など、名の知られたネームドと会敵したと思ったら、相手に何もする間も与えずにアウトレンジから撃ち落とし、指揮系統を失って混乱する部隊を蹂躙する部下を見て、ターニャは冷や汗が止まらなかった。

 できる事なら隊長格を先に仕留めると教えたのはターニャであったが、もしあれを自分がやられたらと思ったらどうにも笑えない。最近では『ラインの悪魔』はターニャ個人を指すものではなく、部隊そのものと言われていたりするらしい。

 ターニャにとって意外だったのは、圧倒的勝利でも己の戦果を誇るようなものは誰もいなかった事だ。勝利を喜ぶには変わりないが、彼らは討ち取った数ではなく、誰も戦線離脱者がいない事こそを喜ぶ。航空魔道大隊設立時の訓練で、いらぬヒーロー願望は徹底的に叩き潰したターニャではあったが、ここまで無欲であるのもどうなのかと首をかしげざるを得なかった。

 

 

 優秀と言えばあの日から頭のねじが一本はずれたレルゲンも相当だ。普段は思春期の中学生か! と思ってしまうくらいターニャの前ではポンコツになる彼であったが、軍議ではただでさえキレる頭が一層冴えわたる。

 特に戦後を見据えた視野の広さにはターニャも舌を巻いた。どのように戦争を終わらせるのか、その視点を持っている者はそれまでターニャを除いて誰もいなかった。かのゼートゥーアさえも考えが至らなかった部分にレルゲンは言及したのだ。

 ターニャが前世で過去の出来事である世界大戦を知っていたからこそ至った答えを、レルゲンは一度目の人生で若くしてたどり着いた事は驚嘆に値した。今ではターニャのレルゲンに対する評価は、常識的な善人ではなく、頼れる同志となっていた。実際はレルゲンもターニャ以上に長く生きた逆行者であるのだが、ターニャ本人は知る由もない。

 しかしながら誰が一番優れているか選ぶのであれば、ターニャは真の化物はゼートゥーアであろうと考える。ゼートゥーアは帝国の中でも、柔軟に発想を変えられる稀有な存在である。ターニャとレルゲンの考えは後の世でこそ、そうするべきであったとされるもので、この時代では一般的ではない。

 経験は何よりの糧となるが、その一方で縛りともなりうる。未知の物への嫌悪感は年がいくほど強くなるのだ。若き頃に優秀な人材程その時の栄光に縛られて、新しい世界に適応できないのはよくある話だ。

 だがゼートゥーアは異端でしかないターニャとレルゲンの考えを切り捨てず、その可能性は大いにあり得ると熟考し、二人にどうするか問いかけた。完成された賢人がさらに成長しようとしている。その光景を目の当たりにしてターニャはうすら寒いものを感じざるを得なかった。

(この人が敵じゃなくて本当に良かった……)

 

「今我々は共和国と戦争をしているが、真の困難はその後にあるのだな? デグレチャフ」

 ゼートゥーアが階級ではなく名前で呼ぶようになったのはレルゲンご乱心事件以降であった。あれ以来ゼートゥーアは軍人としての正しい意見の他に、ターニャ個人の本音も求めるようになった。階級なしの名前呼びはその合図だ。ターニャもそれに応えるように意識的に一人称を変える。

「『私』はそう確信しております。各国それぞれが戦う力を持つ世界情勢、本来この戦争は後から参戦した方が有利なのです。たとえ戦争を仕掛けて勝利したとしても戦争で浪費した物は簡単に戻りません。再度力を整える前に別の国から攻められるでしょう。漁夫の利を狙っている国は必ずいるはずです。ですが我々は協商連合とフランソワ共和国によって表舞台に立たされてしまいました。誰もが上がりたがらなかった生贄の舞台へ」

 ターニャの話をレルゲンが引き継ぐ。

「我々は一刻も早くこの舞台から降りなければなりません。共和国との戦争は衝撃と畏怖作戦さえ成功すれば勝利は確実でしょう。そこで一度戦争は終わるはずです」

「終わったタイミングで他国が参戦してくる可能性があるのだな?」

「ええ、故に勝利後に我々がどう行動するかがすべてを握るでしょう。我々は疲弊した様子は見せないのはもちろんの事、近隣諸国にまだやれる事を誇示しなければなりません。一方でこれ以上戦争をやるつもりもないという意思も示すべきでしょう。これが信用されるとは到底思いませんが、少なくとも今回の戦争で失った分を賄えるだけの時間は稼がねばなりません。今回の戦争は相手側から始めた事です。国土が侵されない限りこちらから侵略戦争はしないという建前は可能でしょう」

「気休めだな」

「おっしゃる通りで」

「それに我々にはもう一つ大きな敵がいる」

「王族や貴族階級、軍の上層部、ですね」

「ああ、彼らは戦争の勝利こそが国益になると信じている」

「それについては実は私の方で作っていた物がありまして」

 レルゲンの提出した書類をめくるとゼートゥーアは頷いて見せた。

「なるほどな」

 それは今回の戦争でかかった戦費や犠牲者、被害総額を詳細にまとめた資料であった。それに戦争で勝った場合の得られる利益と、領土拡大における戦力の分散、国防費の肥大化についてが添えられている。戦争で抱えた赤字を黒字に転換するまで長い道のりであり、そこには皆が思い描いている優雅な勝利などどこにもなかった。確かにこれでは予期される連戦に耐えられない。

「事前に財務担当の者へ話を通しておこう。この資料を元に計算してもらい、正しい事を理解してもらえれば彼らを仲間につけられる。しかし戦争がそもそも利益を生まないとは盲点だった。こうして見れば一目瞭然であるのに」

 ゼートゥーアの自嘲めいた言葉にターニャはかぶりを振った。

「慣習とはそのようなものです。当時は正解であっても時代ととも正しさは変わります。故にこのずれは必然なのです。肝心なのはそれに気づけるか否か、幸い我々は手遅れになる前に気づく事が出来ました」

「うむ、まだ間に合う。そう信じよう」

 ゼートゥーアは思うところがあるのか、なおも資料を見つめていたが、何かを思いついたようににやりと笑った。

「せっかくだからこの資料を外交に利用させてもらおう」

「といいますと?」

「各国にこれを包み隠さずすべて公表し、戦争は無益であると知らしめるのだ」

 前代未聞の事に驚くレルゲンに対し、ターニャは神妙に頷く。

「妙案ですな。戦争は利益を生み出さない、この公表自体は信用されないでしょうが、明確な数字が書かれている以上、各国は検証せざるを得ません。そしてこれは……」

 ここまでくるとレルゲンもゼートゥーアの意図を理解した。

「帝国が今後侵略戦争を仕掛けない理由付けにもなるわけか。帝国の内部事情を知らせるのは危険ですが……いや、真実だからこそ、か」

「ええ、真実だからこそ各国は悩むでしょう。我々の非侵略宣言は疑いこそすれど、正しく導き出された数字そのものは決して無視できない。戦争すればするほど疲弊すると分かれば皆自然と避けるように動くはずです」

「理性的な国に対しては実に効果的だな。しかし」

「ええ、感情論に走られると厄介です。恐怖の感情は正常な判断を奪います。我々が共和国との戦争に勝利すれば、真ん中に巨大な国が出来てしまう。どうしても各国に衝撃を与えてしまうでしょう」

「併合しないであえて自治権は残す方法はどうだろうか?」

「ふむ、その場合は……」

 ターニャとレルゲンが活発に論議する様子を見てゼートゥーアは笑いだしたくなった。今帝国は危機的な状況に立たされている。そしてその事実を知るのはたった三人。絶望的にも程がある。だがゼートゥーアは今この時が心底楽しくてしょうがなかった。

 切望していた対等な関係がまさか自分の年の半分にも満たないところから現れようとは。打てば響くとはまさにこの事。今はターニャとレルゲンはゼートゥーアと同等、あるいはそれ以上の知略を持ち、共に帝国の未来を模索している。戦略面では一日の長あれど、世界視野の広さでは逆に学ばされるのは不快を通り越して愉快。

 もし、もしもこの苦難を乗り越える事が出来たら。この三人でそれを成しえたら。

 一人の漢として燃えないわけがない。

 戦後に必要とされるのはバランス感覚、勝者敗者が明確に決まらない世界、言うが易し行うは難しだ。それでもこの傑物は心の中で宣言した。

 

 私は勝ちに行く、と。

 

 

 軍議を終えた後、確かな手ごたえを感じたターニャは満足気に微笑んだ。これこそが望んでいた仕事、優秀な頭脳が集う中で思う存分意見を交わし合った、状況は依然厳しいままだが、理解者がいるといないでは雲泥の差だ。

 今回の軍議で上がった案は少なからず効果はあるだろうが、それでも足りないとターニャは推測する。味方も増やさなければならないだろう。だが今までと比べたらそんなのは些細な問題だ。

 戦争をやめる発想に至った事、正しい方向に目標が定まった事、それこそが重要なのだ。やっとスタートラインに立てた。戦争さえ終われば危険な戦場に立たなくても良くなる。後はがむしゃらに突き進むのみだ。

 気分良く参謀本部から出たターニャであったが、入口前で立ち尽くしていた少女を見て固まった。ターニャはその少女に見覚えがあった、それもそのはず、少女の容姿は彼女に瓜二つであったのだから。少女はターニャにその視線を合わせると、妖しく微笑んで見せた。

「ごきげんよう」

 それはターニャと同じ声にもかかわらず、気味が悪いくらい上品な声であった。しかしながらターニャにはこのような事をする者に心当たりがあった。

「……存在X、貴様か」

「ご・め・い・さ・つ」

 想像を絶する気持ち悪さだった。神に性別などあるか分からないが、初めて会ったときは少なくともターニャと同じおっさんだったのである。客観的に今の自分の姿、幼女インおっさんを見せられてターニャのダメージは計り知れなかった。思わず銃を構えたのは間違いではない。ターニャは顔を引きつらせながら真意を問う。

「一体どういうつもりだ貴様」

「まあ、嫌がらせ?」

「よし、殺す!!」

「てのは冗談で、ちょっとしたお知らせをしておこうと思ってな。何、貴様にとって悪い話じゃない。私は貴様から一切の手を引く」

 存在Xからの予想外の一言にターニャはすぐに返事が出来なかった。まるで真意がつかめず困惑する。

「今まで散々邪魔しておいてどういった心境の変化だ?」

「答えは単純だ。私は貴様に負けたのだよ」

「負けた、だと?」 

「私は貴様が改心するよう、時に戦争を悪化させ、時に貴様と因縁がある相手を焚きつけた。だがそれでも貴様は一切神に縋ろうとせず、最後の最後まで生き延びて見せ、私にざまあみろと笑って言ってのけたのだ」

 ターニャにそんな記憶はなかったのだが、存在Xの話は大体察しがついていた。相手は神、過去に人を送れるのであれば未来だって覗き見れるのだろう。神に時間と言う縛りは存在しない。ターニャは存在Xに一泡ふかしたらしい未来の自分に喝采を送る。

 しかしながら一方でターニャは釈然としないものを感じた。何故それをいちいち過去のターニャに告げに来るのか。

 何か別の意図があると考えはじめた時、ターニャの脳裏に第203航空魔道大隊とレルゲンの姿が浮かんだ。あの日を境に皆が急に変わった。人の意識の改変、それができるとしたら存在Xしかいない。

 怒りがこみ上げてきたターニャは歯を食いしばる。一体どれだけ人をコケにすれば気が済むのか。人の心を書き換えるなど神ではなく悪魔の所業だ。

 鬼の形相で今にも飛びかかってきそうなターニャに対し、存在Xは手をひらひら振りつつ彼女の予想を否定した。

「なに、貴様の懸念しているような事はない。彼らは間違いなく彼ら自身だ」

「嘘を言うな!!」

「嘘じゃないさ。彼らは本物だ。ただちょっとした未来から来ただけさ」

「……何?」

「誇っていいぞ。貴様は自分自身だけじゃなく彼らの未来も守り抜いた。だからこそ彼らは貴様を愛し、今度こそ貴様と共に生きるために戻ってきたのだ」

 存在Xの言葉をターニャはすぐに否定できなかった。あの日、レルゲンも、ヴィーシャも第203航空魔道師大隊の皆も、一様に泣いていた。突然優秀になった皆は一方でターニャがいなくなる事を酷く恐れる。状況が物語っているのだ。存在Xの言っている事は真実であると。

「貴様は私がやり抜いたと言ったが、今の話だと私は早死にしたように聞こえる」

「戦争を生き抜いた後に病死した。長い戦争が終わって安心した反動が一気に来たのであろうな」

「よくある話だな」

「信仰したら治してやると掛け合ったが、憎たらしい笑顔で丁重にお断りされたよ」

「だろうな」

 ターニャはその光景を容易に想像でき、くつくつと笑う。そして存在Xに問うた。

「どうしてこんな事を?」

「これまでフェアではなかったからな。あれだけ劣勢に追いこんでも生き抜いた貴様だ。何の障害もなかったらどこまで行けるのか見たくなった。彼らはそうだな。この世界自体が貴様に不利にできている。が、だからといってまた世界を作り変えるわけにもいかない。それ故の帳尻合わせだよ」

「随分身勝手な事だな。私は見世物じゃない」

「それが神というものだ。貴様が何を思おうが好き勝手やらせてもらう」

「本性を隠す事もしなくなったか」

 ターニャが思うに存在Xもまた頭のねじが一つはずれてしまったらしい。ただ不思議と今の存在Xはさほど嫌いではなかった。

「覚悟しておけ。貴様が勝手に満足して先に逝ってしまったから、彼らはちょっとやばいレベルで貴様への愛を拗らせちゃっている。思う存分愛でられるがよい」

「それはそれで困るのだが!!」

「貴様の自業自得だ」

 存在Xは意趣返しのつもりなのか、「ざまあみろ」とターニャに告げると体が光に包まれ、徐々にその体が消えていく。

「ちょっと待て!」

 ターニャは慌てて止めようとしたが、伸ばした腕は存在Xの体を貫通して触れられなかった。

「ではな。良き人生を、ターシャちゃん」

 存在Xは完全に消え去り、残されたターニャは頭に疑問符を浮かべ、一人呟いた。

 

「ターシャ、ちゃん?」

 

 答えは返ってこなかった。

 

 

 

 存在Xの謎発言にしばし呆然としているターニャであったが、横から話しかけられて正気に戻る。

「少佐殿、会議は終わったのでありますか? 良かったら小官と」

「ここにいたのかデグレチャフ少佐、探したぞ。どうだろう、このまま」

 左からはヴィーシャ、右からはレルゲン、

「「夕食でも」」

 二人の発言が完全に被った。

「「え?(む?)」」

 ターニャとしては最近気づいたのだがこの二人、妙に仲が悪い。ターニャそっちのけで睨み合う二人を見てまた始まったとため息をつく。ヴィーシャにとってレルゲンは上官のため、前に注意した事があるのだが、何故だかヴィーシャだけでなく、レルゲンからもこの勝負に上も下ないと啖呵を切られ、それ以来ターニャはこの勝負はいつも傍観している。

 だが存在Xから話を聞いた直後の今回はいつもと違った。存在Xの話を信じるとすれば、二人はターニャのために過去に戻ってきたらしい。それが真実か無性に確かめたくなったターニャは二人に問いかけた。

「ちょっと聞きたいのだが」

「「なんだろうか?(なんでありましょうか?)」」

「もし、私がいなくなったとしたらどうする?」

 急な問いかけに二人は目を白黒させていたが、質問の意図を理解すると揃って顔面蒼白となる。そこからは早かった。二人は同時に駆け出すとターニャを前後からきつく抱きしめる。

「そんなの絶対ダメです!! ダメなんですから!!!」

「君は馬鹿か!! そんなの私が許すわけないだろう!!!」

 二人ともまさかのぎゃん泣きであった。ご乱心事件の再来である。

「ちょ、く、苦しい」

 サンドイッチ状態にされ、ターニャは存在Xの言った事は真実であると、身をもって理解したのであった。

 

(愛が、愛が重い……!!)

 

 

「いなくなったらなんて二度と言わないでくださいね」

「冗談でも言って良い冗談と悪い冗談があるのを君は知るべきだ」

 号泣大しゅきホールドから解放されたと思ったら今度は延々と説教タイム、「お前らは私の両親か」、というツッコミをターニャは必死に抑えていた。

「いや、そこまで本気にされるとは思わなくて」

「少佐殿?」

「了解した。今後は言わないように気をつける」

 このままでは終わりそうもないのでターニャは戦略的撤退をする事にした。部下に怒られるなど、本来屈辱的な事が嬉しく思ってしまうのだから手に負えない、とターニャは苦笑する。

 このままへそを曲げられても困るので、ご機嫌を取らなければなるまい。そう思ったターニャはヴィーシャに声をかけた。

「ところでセレブリャコーフ少尉、夕食の件だがせっかくの外食だ。全員呼びたまえ。私のおごりだ」

「わ、分かりました! 皆喜びますよ! 10分だけください。すぐに呼んできます!!」

「許可する」

「では行ってまいります!!」

 元気よく駆けていったヴィーシャを眺めつつ、ターニャは「負けた」と勝手に燃え尽きているレルゲンにも声をかける。

「良かったらレルゲン中佐もいかがだろうか? 騒がしくはなりますが」

「願ってもない事だ。私としても貴官の部隊に興味がある。現場の実態を知るために交流を深めるのも有意義だろう」

 先ほどと打って変わってきりっとした表情を浮かべるレルゲン、あまりもの変わり身の早さにターニャは思わず吹き出す。

「急にどうしたのだ?」

 何で笑っているのか本気で分からないといった様子のレルゲンに、ターニャは今度こそ笑いをこらえきれなかった。この上官は何て不器用なのか。

 ターニャが視線を前に向けると、10分どころか、ものの数分の内に全員引き連れてやってくるヴィーシャの姿、それはいくら何でも早すぎだろう。たかが一緒にご飯を食べるだけなのにどれだけ嬉しいのだ。

 ターニャは実感せざるを得なかった。ここまでされれば認めないわけにはいかない。

「デグレチャフ少佐?」

 

「いえ、小官は幸せ者だなと思った次第です」

 

 その笑みは誰もが惚れ惚れするほど美しかった。

 

 

 

 




 皆様愛され幼女を読んでいただき誠にありがとうございます。

 ここからはちょっとした解説と各キャラの詳細などを。

 まず今作を書こうと思った動機ですが、今更ながらにアニメ版を見てはまって何か書いてみようと思ったのがきっかけです。シリアス分は原作で十分なのでギャグかほのぼのよりにしようと思ったのですが、原作だとひたすら戦ってのハードな日々なので、まずは日常系ができる土台を作ろうと思って設定を練ったら、こんなに長い話になってしまいました。
 存在Xという二次創作の最大の味方もいますし、誰か逆行させれば戦争くらい止められるんじゃね、みたいな軽い気持ちだったのですが、ちょうどWEB原作のターニャが短命だったらしいとの事で、今回のような愛され幼女としてやろうかなと思った次第です。
ただそれでもあの状況下で戦争を止めるってのは容易ではなく、うまく会議が回っているように見せているだけになってしまったのですが、筆者は戦争についてはあまり詳しくなく、いわゆるにわかですのでここいらが限界でした。ここら辺の設定の甘さはご容赦いただければと思います。



ターニャ

 皆様ご存じの幼女インおっさん事デグさん。人をコマとしてしか見ていない、他者に共感できないとか言われてるけど、身内にはすっごく良い人だと思う。亡命後もわざわざかつての部下を呼ぶくらいだし、戦時中も咄嗟に部下かばったりしてるし。それぞれ自分が楽するため、有能な部下を失うと自分が危険になるため、と言ってはいるけど、部下にとっちゃ人生まるごと面倒見てくれる素晴らしい人。本人が知らないだけで意外と前世でも評価されていたんじゃなかろうか? 人を切る仕事って大変だっていうし。ただターニャが軍人として優秀過ぎたように、人事でも優秀な人事を演じすぎたんだろうなぁと。そんな不器用な彼女を全力で愛でれば面白そうって思ったら皆変になってました。


ヴィーシャ 

 ターニャ大好きっ子筆頭。なんかやばいくらいに強くなってしまった第203航空魔道師大隊の中で、ひときわ抜けている副長殿。イメージとしてはアニメよりも漫画版に近い感じ。ずっとターニャのバディとしてついて回っていたので実はターニャ(WEB版)に次いで強い。WEB版だとそもそも彼女はいないけど。彼女がいてWEB版の道を辿ったとお考え下さい。過去のターニャとはエレニウム95式がなしだとヴィーシャの方が強いかな? と言うイメージ。本人はターニャよりは弱いと思い込んでいる。
 作中でちょっとあがったアウトレンジ狙撃に関してはヴィーシャがやった。かつて守るためとはいえターニャごと撃ち抜いたのを後悔しており、次は絶対こんな失敗はしないと技量を磨いた結果、狙撃に関しては全盛期のターニャより上となっている。
 もしこの世界でも敗戦濃厚になったらかつてのような泥沼にはまる前にターニャを連れて亡命する気でいる。その際は第203航空魔導大隊がまるごとついてくる。今の大隊は全員チートクラスなので戦争がどう転んでもターニャの未来は安泰である。


レルゲン 

 シリアスとギャグ両方担当の忙しい人。悪魔と敬遠していた時間が長かった分、ターニャが死んだ後にめっちゃ後悔した人。多分初対面の時、ターニャが幼女ではなく女性だったら一目ぼれだったかも? 個人的には強烈に惹かれていたが、幼女だったから忌避したイメージ。悪魔と呼んでるけどその根拠が、子供がこんな考えをするのはおかしい、だし。感動の再会してからは恋愛初心者が災いしてポンコツになる。ただターニャからは意外と可愛いと思われており、心象はプラスになっているのが不幸中の幸いである。軍議でターニャと対等な議論をかわせているのがすごく嬉しかったりする。色々吹っ切れたヴィーシャとは犬猿の仲。ターニャの未来はどっちだ!


ゼートゥーア

 作中だと唯一の逆行なしの人。正真正銘の怪物。多分原作もちょっとしたきっかけさえあれば結末も変わった気がする。男なら孫娘の婿にしたいと言っていたけど、ターニャの内面を知り、婿は無理でも孫娘の頼れる友になれるのではないかと本気で考え始めている。というかぶっちゃけターニャを孫に欲しい。


存在X

 ターシャちゃんサイコー!! とぶっ壊れた神様。この人がいるからこそ何でもありで2次創作とってもやりやすい。まさに影のMVP。思ったよりも出番増えちゃってかなりはっちゃけました。筆者的にも予想外でした。


サラマンダー戦闘団

 過去に戻った時期が結成前だったので作中に出てこれなかった悲しい人達。もちろん彼らも戻ってきているけれど、それぞれかつての所属におり散り散りになった状態です。訓練を受けた後の第203航空魔導大隊と違って、訓練前の体に戻ってきてしまったので、体が仕上がってなくてさあ大変。このままだと役立たずだと思い、現在鍛えなおしの真っ最中。意地でもターニャの元へ戻ろうとしているので、近い将来に合流するかも。




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第二話

 今回は主に戦後の話となります。ヴィーシャが色々とガチです。



 

 

 プロローグ

 

 

 帝国と協商連合、フランソワ共和国で起きていた戦争、その結果は明確な勝者を決めず、停戦と言う形と相成った。名目上はお互いのこれ以上の浪費を避けるためであるが、周辺国がこれを素直に受け取るわけがなく、そこにあるはずの裏を探そうと躍起になった。

 一方で帝国が己の懐事情を暴露するというある種の暴挙ともとれる発表は、その数字の正しさを疑う事は難しく、戦争による浪費で弱った帝国を攻めようと思っていた各国にとっては、まさに強力すぎる抑止力であった。

 無論フランソワ共和国との停戦交渉は難航した。圧倒的勝利であったにもかかわらず、停戦と言う不可解な条件を突きつける帝国に不信感を抱くのは至極当然の事、ただゼートゥーアには最高のカードがあった。『ラインの悪魔』と言う切り札が。

「もっと単純にお考え下さい。裏を読むよりもまず先にメリットの方を重視してもらいたい。停戦に応じるという事はあなた方が『ラインの悪魔』と呼んでいる相手と敵対しないで済むという事です」

「確かに我々は『ラインの悪魔』に幾度も煮え湯を飲まされてきた。だが所詮優秀な兵士なだけだろう」

 ゼートゥーアはほくそ笑んだ。それこそ彼が望んだ反応であったから故に。

「その認識が間違っているのですよ。あなた方は『ラインの悪魔』の恐ろしさの一端しか知らない」

「……どういう意味かね?」

「『悪魔』はただの兵士じゃない。『悪魔』が真に恐ろしいのはここ」

 ゼートゥーアは頭を指さし、とんとんと叩いた。

「『この戦争は世界大戦に発展するでしょう』、私が『悪魔』に初めて会ったとき、そう言ってのけたのです」

「……世界大戦、だと?」

 交渉相手は怪訝な表情を浮かべる。世界大戦はそれほど突拍子のない事であった。だがその認識こそが愚かであるのを今のゼートゥーアは知っている。

「考えてもみてください。この戦争はどっちが勝っても状況は最悪に転がり落ちる。あえて本音で話しますが、戦争の目的は利益の追求となりましょう。だが今回の戦争において勝者ですらも利益を享受する事は出来ない」

 そんな事はない、交渉相手はそう言い返したかったが、ではなぜ停戦交渉が申しこまれたのか疑問が残る。懐事情の暴露と言い、少なくとも帝国は本気で停戦したいと思っているのは疑いようもなかった。

 帝国には何か確信があるのだ。嫌な予感が汗となり、頬を伝る。

「周辺国が巨大な国ができるのを認めるわけがないのですよ。この戦争が終わった時が全ての引き金となり、疲弊したタイミングを狙って、他国がこぞって軍事介入してくる。強国は漁夫の利を得るために。弱国は自国の危機を絶つためにそれこそ死に物狂いで。勝者に与えられるのは安息ではなく、最後の一国になるまで争う泥沼の戦い。つまり我々は勝っても負けても今後に待ち受けているのは地獄というわけですな」

 交渉相手が息を呑むのが分かった。そこをゼートゥーアは畳みかける。

「それに危機はそれだけではない。我々が戦争すればするほど強くなる国がある。合州国だ」

 合州国の名を聞いた瞬間、今度こそ相手の表情が絶望に染まる。一度常識を塗り替えさえできたのなら相手も愚者のままではない。ゼートゥーアの言わんとしている事を正確に察する。それ故の絶望であった。

「今後周辺国がこぞって参戦してくるでしょう。その間でも彼らは我らが勝手に弱っていくのを見ているだけ。その間着々と力を蓄え続けるでしょう。一方でこちらに残るのは誰が勝者であれ、結果は一緒だ。国力を使い果たして疲弊した国々しか残らない。だから『悪魔』は言った。この戦争は愚か者が勝手に自滅していくだけの戦争だと」

 相手は恐ろしい未来に戦慄する。そしてそれを読み解き、言い切った『悪魔』の存在に恐怖しか覚えない。我々はこんな化物と戦争をしていたのか。

「『悪魔』が『悪魔』たる所以は十分に伝わったかと思います。現状がどれ程悲惨である事も。さて、ここで改めてあなたに問います。ここまで情勢を読み切った『悪魔』とあなた方は本当に敵対しますか?」

 

 『悪魔』の誘いを断る術はなかった。

 

 

 

 

 

(1)ターニャの航空魔導師錬金術 

 

 

 見事停戦を勝ち取ったターニャであったが、停戦後は戦いに駆り出される事はないにしろ、多忙な日を送っていた。彼女に命じられた新たな任務は、帝国の航空魔導師の全体のレベルを引き上げる事である。

 といってもあの地獄の訓練をやるわけにはいかない。そもそもあれは本来ふるい落として『やっぱり無理でしたー、てへぺろ』をやるためのもので、ターニャ自身すらも達成者が出るとは思っていなかった代物である。

 そもそも一カ月の超過密の訓練は、一応の平時である最中にやる事ではない。第203魔道大隊は戦時下という、極限状態であるからこそ生まれたのだ。狂気の中でないとあの過酷な訓練は達成できない。

 それに今回必要なのは作戦の要となるようなエース部隊ではない。全体の底上げはすなわち、岩のような盤石な態勢を作るための物である。これに必要なのは突出した強さではなく、穴のない安定感、一定の水準を全員が保持する事だ。

 よってターニャはまずはその合格ラインについて、どのようにするか頭を悩ませた。203魔道大隊より下なのは言うまでもないが、だからといって下過ぎても困るのである。

 そもそもの話、航空魔導師という兵種そのものが扱いが難しい。航空魔導師は何でもできる万能さを持つが、その一方で器用貧乏な兵種であった。ターニャの大隊が特別なだけで、本来は航空機よりも遅く、戦車よりも走行が劣り、歩兵よりも数が少ないといった具合で、航空魔導師はいわゆるオールラウンダーであってスペシャリストではないのだ。

 便利ではあるけども結局どこに配備するか、頭を悩ませる者は存外に多い。スペシャリストでない故に重要な任務などは今一信用置けず、言葉は悪いが使い捨てできるような気軽さもない。ただでさえ少ない魔道適性持ち、その上訓練でものになる数はさらに少ないという希少種、なればこそ有効に活用しなければならない。

 一人一人の質の向上は必須、だが203魔道大隊のようなレベルを求めればほとんどが落第してしまう。

 どうしたものかとターニャが頭を悩ませる。ターニャ率いる第203魔道大隊が戦いをする際、やらなければならない事が実に多い。真っ先に挙げられるのは限界高度の問題だ。ただ高く上がればいいだけの問題ではない。はるか上空の世界は人が住めない世界、酸素が足りないのだ。上の世界は酸素を生成しつつ高度も維持しなければならないため、下の世界と比べて単純に倍の作業となる。

 戦闘になると倍なんてものではない。ターニャの基本戦術は多数のデコイによる攪乱と、デコイを誤射した相手に誘導弾によるカウンターを与える事だ。被弾も考えて防御隔壁だって常時生成しておかなければならない。相手の魔道反応による弾速予測、そこからの回避軌道などもあるから、まさにてんやわんやだ。

 だからといって従来の限界高度6000での飛行と、デコイなしの航空魔導師では必ずと言っていいほど犠牲者が出てしまうだろう。航空魔導師は絶対数が少ないため、それで妥協していたら次もしも戦争があったとしたらあっという間に枯渇する。

 そもそもマルチタスクは魔法とか関係なしに難しいもので、これはこれで限られた人しかできない一つの才能だ。努力で伸ばすにも限界がある。高い魔道適性とマルチタスク処理、二つの才能を持つのは稀有な存在であろう。

 客観的に見ると如何に第203魔道大隊の異常であるかが分かる。たまたまうまく行っちゃっただけなので、正直これを増やせと言われても困る。

 ターニャはげんなりした様子で、ヴィーシャの入れたコーヒーをすすり、レルゲンの差し入れのチョコレートを口へと放り込んだ。苦みの後の甘味が一際際立って、疲れた脳を癒す。

 ヴィーシャがニッコリしながら見ていたのに気づき、ターニャは仕事しろと睨みつける。慌てて机に視線を戻したヴィーシャをぼんやり見つつ、ターニャは彼女の事を考えた。ヴィーシャには己のバディとしてだけでなく、事務処理能力にも随分と助けられている。

 ターニャが思うに彼女がいなかったらターニャ自身、己の仕事の多さにとっくの昔につぶれていたであろう。ヴィーシャが半分負担してくれているからこそ、なんとか回っているのだ。そこまで考えてターニャはふと閃いた。

 

(半分負担? 半分負担か……)

 

「セレブリャコーフ少尉、ちょっとレルゲン中佐のところまで行ってくる」

「駄目です!」

「おい!!」

 

 

「なるほど、航空魔導師を分業化するのか」

「はい、帝国の航空魔導師をすべて第203魔道大隊並みにするのは、たとえ時間をかけたとしても難しいと言わざるを得ません。203魔道大隊の皆が最後まで残ったのは、折れない心があったからこそですが、そもそも才能があったという面も大きいのです。努力だけで埋められるものではありません」

 レルゲンは至極納得したように頷く。というのもレルゲンは戻ってくる前の世界で、ターニャ率いる203魔道大隊の強さを十分に痛感していた。他国にもエースオブエース級の航空魔導師は多々いたが、ターニャの部隊は特別だ。なにせ脱落者がいないという事はそれだけ経験が蓄積され続けるという事、メンバー全てがエース級まで育ったというのはターニャの部隊のみである。

 人的資源という価値観を持ち、当時は出て当たり前だった戦死者を出さない運用法を作り上げたターニャも恐ろしいが、それについていったメンバーも尋常じゃないのは言うまでもない。

「どうにもならない部分をずっと考えていてもしょうがありません。だから考え方を変えました。我々は今まで航空魔導師について、航空機と同じようなイメージを持ってきました。一人一機で戦わなければならないと。では戦車として考えたらどうか? 戦車は航空機とは違い、一人で一台を動かすわけではありません。基本的には車長、操舵手、砲手、装填手の四人で一台を動かすわけです」

「それを航空魔導師でやろうと考えたわけか」

 ターニャはあえて戦車を例に挙げたが、実のところ戦闘機でも一人じゃなくて、二人で操縦する複座型というものがあったりする。かつての世界の知識によるものだが、具体的には前席はいわゆるパイロットで、後席は火器管制やレーダーなどを担当と言ったものだ。要は複雑化されてきてパイロットだけでは対処しきれない操作を、単純に人を増やす事で可能としたものである。ちなみにこの発想は後にAIに代替えされる。

「流石に戦車のように四人は多すぎますが、例えば二人でしょうか? 役割分担するには密着しなければならないでしょうから、仮にバックパックのように片方を背中に背負うとしましょう。背負われた者は索敵やデコイ生成、防御隔壁などサポートを徹底、そして背負った者は移動と攻撃に集中する。これで一人一人の負担は格段に減りますし、精度は格段に上がる。二人による旋回性の低下など、鈍重さがどれ程影響するかは、実際にやってみなければ分からないところですが」

「中途半端な強さの者が二人よりも二人で一人の精鋭を作る、か……」

「小官としては、帝国の航空魔導師として他の能力はともかく、最低限高度だけは203魔道大隊と同等まで質を高めたいと考えております」

「上を取るとはそこまでのものか?」

「ええ、航空魔導師同士の戦いで圧倒的有利になるのはもちろんの事、たとえただの固定砲台だったとしても上にいられるのは相当に厄介です。全てが丸見えなのですから。また高度さえあれば航空機とも戦えます。逃げに徹されると速さで追いつけない問題はあるでしょうが、網を張れるだけでも違ってくるはずです。戦略的価値として雲泥の差となりましょう」

 率直に面白い案だとレルゲンは思った。この着眼点の良さがデグレチャフの鋭いところだ。しかしながら二人の凡兵か、一人のエース、どちらが戦力として上になるであろうか、人一人を使ってまで強化する価値はあるのか、ターニャが言うにはその価値があるとの事だが、実際に試してみない事には分からない。

(試すとなるとやはり203魔道大隊に頼むのが適切であろうが……)

「うん?」

「何か問題でもありましたか?」

 普段見られないレルゲンの反応にターニャは首をかしげる。

「いや、もしこれをやるとなったら、デグレチャフ少佐の部隊で実験するのが妥当だろうと思ったのだが」

「それは、まあ、そうなるでしょうね」

「ここでの我々の想定は『普通』の航空魔導師二人を一人のエースにするという事だ。だがデグレチャフ少佐の部隊は皆、普通と言うよりかはエースの集まりみたいなものだろう?」 

「まあ、他より強いとは自負しておりますが」

「では普通ではなく、二人のエースが合わさった場合はどうなるのか、と」

「え゛」

 あるぇ? これってなんか良くない方向に話が進んでないか? 

 レルゲンの期待の眼差しにターニャは冷や汗をかいた。流石は発案したら基本的に自分でやる羽目になる人、平時になってもその才能は枯渇しない。

「デグレチャフ少佐、二人乗りの実験を許可する。その代わりに実験には私も呼んでくれ。是非ともこの目で見てみたい」

 誰にやってもらいたいとは具体的に言ってはいないが、レルゲンは明らかにターニャ本人が参加する事を期待している、というかターニャがやると信じ疑っていない。当初は実験は部下に任せ、報告書だけ書こうと思っていたターニャであったが、こりゃ駄目そうだと乾いた笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

(2)新たな力

 

 

 二人乗りの実験の見物にはレルゲンだけでなく、当たり前のようにゼートゥーアもいた。あとルーデルドルフも。今はかつてのように戦時ではないため、皆時間を取ろうと思えば取れるのだ。その他にも海軍、陸軍で重鎮と呼ばれるような者達が勢ぞろいである。幾度の作戦を成功に導いてきた努力の結果か、軍関係者の中でターニャの信頼は異様に厚く、そんな彼女発案の実験を見てみたいというのは当然の帰結であった。

 どうしてこうなった、ターニャはげんなりした様子で辺りを見回す。皆の期待の眼差しが刺さり、居心地が悪い事この上なかった。無論信頼を得るという事は重要だ。しかし得すぎてしまったように思えるのは気のせいか。 

 ターニャは深くため息をつくと、隣で緊張でカチカチに固まっている今回のパートナーを見やる。今回彼女の相方を務めるのはヴィーシャではなくグランツであった。悪魔の巣窟とまで言われた203魔道大隊の中で彼が選ばれたのは、至極単純な理由で彼が203魔道大隊の中で一番の新入りだったからである。といってもグランツもまた逆行組なので実際は違うのであるが、とにかく今の世界ではそういう事になっている。

 バディであるヴィーシャと組むのももちろん考えていたが、仕事に関しては本気でやるのがターニャである。慣れ親しんだ者同士の方が成功率は高いだろうが、ヴィーシャとは些か呼吸が合いすぎてしまっている。一番成功する可能性が高いであろうが、ターニャとしてはこれを今後の基準としてしまうには危惧があった。

 今回の実験は203魔道大隊のためというよりかは、今後育っていく者達のためのものである。そのため育成プランとして有効かどうかを測るためには、203魔道大隊の中でターニャから一番遠いメンバーを選ぶのが妥当、と考えたわけであるが、繰り返し言うがグランツも逆行組である。バディとしては初めてであっても、ターニャの教育がみっちり行き届いてるには変わらないので、誰を選ぼうが正直意味はなかったりする。

 一方で選ばれたグランツはというと、今まさに天国と地獄を同時に味わっていた。

 この世界では新兵であるグランツも、中に入っているのは死線を潜り抜けたベテランであり、戦闘において緊張などありえない。経緯はどうであれ、あのターニャから選ばれたのは栄誉な事で、絶対成功させると意気込んでいた。

 そんなベテランであるはずの彼が委縮してしまった理由はただ一つ、選ばれなかった他のメンバーからの嫉妬の視線であった。特に絶対選ばれると確信を持っていたであろうヴィーシャからの妬ましさ全開の視線がきつかった。

 起動実験の後は実戦形式の演習もある。相手はもちろん203魔道大隊の面子だ。グランツの気が重たくなるのも無理はない。ただでさえ鬼強いのにここに嫉妬ブーストが乗るのだ。その相乗効果の程は考えたくもない。

「そう気負うな。私がサポートする」

「大隊長殿……」

「それとも何か、私では不服か?」

「それだけは絶対ありえません!!」

 リラックスさせるためのジョークではあったが、グランツの思わぬ強い口調にターニャは面食らう。目を丸くしているターニャを見てグランツは慌てて謝罪する。

「す、すみません。大隊長殿との実験は成功すると確信しているのですよ。ですが、その……周りの皆からの視線がやばかったとでもいいますか」

「皆の視線? ……ああ、そういう事か」

 実験演習だというのに殺気を感じる異常事態、事前のミーテイングで気づいてはいたが、自分に向いていないからターニャはそれを流していた。それがどうにもグランツ一人に集中していたらしい事を察した彼女は苦笑する。

「まったく、感情の抑制もできないなんてしょうがない奴らだな。だったら」

「……だったら?」

「とことん嫉妬させてやるとしようか」

 不敵な笑みを浮かべて挑戦的に言うターニャにグランツは歓喜に震えた。グランツはターニャのそれがたまらなく好きであった。いつだって余裕があり、勝利を疑いようもない圧倒的な存在感。彼女の勇敢さにどれ程勇気づけられてきたか。

 グランツ自身、過去に戻ってきてからも何度かターニャのの激励は受けてはいたが、全く慣れるような事はなく、むしろ繰り返される度に喜びは大きくなる。さらに今回に限って言えばグランツがひとり占めである。憂鬱な気持ちなど一気に吹き飛んだ。

 グランツの表情が変わった事を確認したターニャは満足そうに頷くと、彼の背中に飛び乗った。だがその直後、グランツの熱は冷や水をかけられたかのように消沈した。

「え?」

「どうした? まさかこの程度を重いとは言うまいな?」

「いえ、むしろ……」

 グランツが感じたのはその真逆であった。ターニャを背中に乗せたのは今回が初めてであったが、想定していたよりも『軽すぎ』た。尊敬する上官がまだ幼女である事を再認識させられたグランツは、無意識にまた彼女に頼り切ってしまっていた自分の愚かさを思い知った。

 かつての擦り切れてしまった彼女の姿を思い浮かべ、口を堅く結ぶ。拳にはあらんばかりの力が入った。ターニャの勇姿を見て喜んでいる場合ではない。グランツ達203魔道大隊はそれをさせないために戻ってきたのだから。

(今度こそ、今度こそは!!)

 それまでの熱は一気に冷め、静かな闘志が音もなくゆらゆらと揺れる。後に続くのではなく横に並ぶ存在になる。それこそが我らの悲願。グランツはゆるぎない覚悟を胸に秘め、ターニャがそうしたように自分もまた余裕を演出した。

「むしろ大隊長殿は軽すぎです。これでは男の甲斐性を見せられませんよ」

「ほう、言うようになったな。だったらこの実験内で甲斐性ってものを見せてみろ」

「無論そのつもりでしたよ」

 小気味良いジョークの応酬が続く中、カウントダウンが始まる。そしてカウントがゼロになった瞬間、二人は同時に演算宝珠を起動させた。

「行くぞ!」

「はい!」

 開始と同時に二人は一気に空へと駆け上がる。が、

「「は?(え?)」」

 二人が思わず素っ頓狂の声を上げてしまったのも無理はない。ちょっと飛ぼうと思っただけなのに、高度は一人で行った際のほぼ倍の高さを示していた。

「な、なんという速さだ」

「信じられない。もうあんな高さまで……」

 見物していた者達からも驚きの声が上がり、辺りが喧騒に包まれる。その中で冷静だったのはレルゲンとゼートゥーアであった。ターニャ・デグレチャフを良く知る二人にはこれくらいはすでに想定済みだ。

「さて、デグレチャフ。ここから何を見せてくれる」

 レルゲンは期待の眼差しで空にいる二人を見上げた。

 

 

「性能が上がるとは予想していたが、単純に倍近いとは……」

「普通は速さに振り回されそうなものですが、特に通常の時との差も感じなかったですよ?」

 思いがけない利点が浮き彫りになったが、二人乗りの本当の目的は航空魔導師の分業化である。二人同時に同じ事をする相乗効果を一旦脇に置き、当初の目的である分業についてグランツに指示を飛ばす。

「よし、グランツ。ここからだ。まずはどれだけ上れるかを試すぞ。ここからは私の方は主にサポートに回る。酸素生成と防御術式はこちらで展開するから、お前はこのままひたすら上がればいい。限界が近いと思ったらすぐに伝えるように。私の方でも無理そうだと思ったら伝える。くれぐれも無茶はするなよ。あくまで限界一歩前だ」

「了解しました!」

 そうして二人はさらなる上を目指した。かつての訓練での目標であった8000はすぐに超え、かつてターニャのみが達成し、後のサラマンダー戦闘団でも限られた数名のみが到達できた10000をも突き抜け、到達した高さは12000。

 グランツは今自分がその高さにいる事を信じられなかった。航空魔導師は高度に比例して魔力消費量が増えるため、高ければ高いほど維持するだけでもきつい状況になるのだ。12000はグランツの限界である10000を優に超えている。到達しただけでも驚嘆に値するのに、今のグランツには十分に動き回れるだけの余裕すらあった。そして限界を超えたのは高度だけではない。

「的が、見える」

 8000の高度に用意されていた的、想定していた高さをはるかに超えてしまったため、普通であれば点で見えればいいくらいのものが、今のグランツにははっきりと見えていた。

 高度差だけでも4000、単純な距離を考えると射程外であるが、下に向けて撃つのであれば話は別。重力に引かれてむしろ速度は増していく。

 届くからといって当てられるかは全くの別問題ではあるが、航空魔導師には誘導術式がある。そして目視できるのであれば誘導術式の性能は段違いだ。誘導術式は魔力探知によるものと思われがちであるが、相手がはっきりイメージできているとそうでないの差は大きい。何だかんだ言っても人において最も優秀なレーダーは視覚である。

 それゆえにグランツはここからでも的に当てられると直観していた。そう、予感ではなく直観である。今のグランツには確信に近い何かがあった。

「的は全部で8つ」

「ええ、一つ残らず捉えています」

「この場所から全て撃ち抜けるか?」

「行けます!」

 断言するグランツを見てターニャは愉快と言わんばかりに破顔した。それではとターニャは悪魔の笑みでさらにハードルを上げた。

「30秒だ。その間に全部当てて見せろ」

「了解!!」

 時間制限を付け加えられてもグランツは揺るがない。彼は即座にライフルを構えると術式を込める。ターニャに半分をサポートをしてもらっている今、集中力は今までと段違いであった。使える魔力量は倍、マルチタスクから解放された事から処理の速さ、正確性はそれ以上、格段に密度の濃い術式が組み上がる。

「一撃ですべて落とす!!」

 放った術式は光を放ちまっすぐ落ちていき、一際閃光を放った後8つに割れた。拡散したそれらは正確無比で、一直線で各々の目標へと向かっていき、ほぼ同時のタイミングですべての的を射抜いた。

 まさかの誘導術式、拡散術式の合わせ技である。その記録は30秒どころか、半分以下の13秒、詠唱時間を抜かしたらものの数秒だ。かつてのターニャが爆撃機の撃墜に使った技をグランツはやってみせた。

「ほう、まさか二つの術式を合わせるとはな」

「咄嗟の思い付きでしたがうまく行きました」

「だが動く的だったらどうか。グランツ、このまま実戦形式の演習に入るぞ。せいぜい嫉妬を煽ってやれ」

「はい!!」

 

 

 

 

(3)ターニャとヴィーシャ

 

 

「セレブリャコーフ少尉、今入電がありました。これより実践演習に移るとの事」

「分かった。各員準備は良いか!? 相手は我らが大隊長殿である白銀! 我らが、我らこそがあの御方を守るに足る存在だと証明する良い機会だ! ただ守られるだけの存在であってはならない! 1人欠ける事無い未来のために死力を尽くせ!!!」

「「「おおー!!」」」

 いつもは副隊長の立場であるヴィーシャであったが、普段は必要ないからやらないのであって、ずっとターニャを見てきた彼女は指揮官としても優秀であった。普段の柔和な印象とは似ても似つかず、一種の苛烈さを伴って周りを鼓舞する様子は、有無を言わせぬ凄みがあった。

 今回演習に参加するのはヴィーシャの小隊と、ヴァイスの小隊である、ヴィーシャはターニャのバディであるため、ターニャが抜けた穴は別の人員で補填してる。

 二つの小隊はそれぞれ実験場から南と西、別の場所に待機しており、演習開始の合図と同時に目標であるターニャ達に向かう予定となっていた。二つの部隊の位置は実験場から同じ距離ではなく、ヴァイスの小隊の方が近くなっている。先にヴァイスの小隊と交戦に入った後、時間差で別方向からヴィーシャの小隊で奇襲するという算段だ。

 ちなみにこの作戦内容はターニャ達には伝えておらず、相手の規模すらも伝えていない状態である。普通であれば圧倒的有利であるが、ヴィーシャおよび、各隊員の表情は険しい。相手は白銀、一機であっても油断ならない相手なのは百も承知、しかも今回は二人乗りと言う未知の部分も含まれる。想定通り二人乗りで強化されるというのであれば『一人だから楽勝』なんて言葉は出てこなかった。

 そしてヴィーシャの考えが間違いでない事はすぐに証明された。

『セレブリャコーフ少尉!』

「ヴァイス少尉?」

『大隊長殿の射程、正確性は想定以上! 大隊長殿は拡散誘導術式と狙撃術式を組み合わせている。緩急ある攻撃で翻弄され、こちらはすでに二人やられた!』

「位置の特定は!?」

『いや、目視できないだけでない。魔力探知でも引っかからない! 遠すぎる!!』

「厄介な!」

 ヴィーシャは思わず舌打ちをする。空中は障害物がない世界のため、性能差はもろに現れる。執拗な追尾と狙撃の合わせ技ももちろん厄介であるが、何よりも危険なのは有効射程と索敵能力が段違いである事だ。見えない相手に対しては例え数の利があっても、一方的に撃たれるだけである。

 奇襲を成功させるためにはヴァイスの方で拮抗した戦いをして、ターニャ達の目を奪っていなければならない。ヴァイスの小隊がすでに劣勢となっている状況、奇襲作戦が成功する目はもはやなくなったと言っても良い。

「セレブリャコーフ少尉! どうしますか?」

「……」

 このまま無策で突っ込んでもやられるだけ、だが考える時間も多くはない。ヴィーシャの決断は早かった。

「ヴァイス少尉、もう少しだけ持たせて! 私に策がある」

『了解した!』

 ヴァイスへ通達した後、ヴィーシャは各員に指示を飛ばす。

「二人私の元へ来て支えろ! 私はこれからあらゆる魔法を解除し、狙撃のみに集中する!」

「分かりました!!」

 ヴィーシャの答え、それはターニャと同じ方法を取る事であった。この圧倒的性能差、偶然勝てるなどはあり得ない。状況を打開するには同じところまで登るしかないのだ。

 両名に両脇を抱えてもらったヴィーシャは空中浮遊さえも切って、全魔力を視力に集中させる。すると今まで不鮮明だった部分が徐々に晴れていき、遥か遠方まではっきりと見えた。

(なるほど、これが今のグランツと大隊長殿が見ている世界)

 二人の到達した世界に踏み入れたヴィーシャは告げた。

「ゆっくりと前進せよ! 私は大隊長殿が射程に入ったら即座に撃つ! 各員は私が撃った瞬間ただちに散開、全員で一気に距離を詰めるぞ! いいな!!」

「「了解であります!」」

 ヴィーシャはすでにヴァイスの位置は捉えていた。完全に回避に専念したヴァイスはまだ粘っていたが、小隊は壊滅で残り一人となっており、撃破判定になってしまうのも時間の問題であった。

 焦る気持ちを抑えてヴィーシャはヴァイスの奥にいる存在にのみ集中する。勝負の時は一瞬、徐々に距離を詰めて射程ぎりぎりのラインを待つ。そして、

「捕らえた! 狙い撃つ!!」

 術式が撃鉄となってはじける。術式は見事ターニャ達の元へ届き、二人を分断させた。狙い通りに行ったのを確認した直後、ヴィーシャは突如浮遊感に襲われる。命令通り突撃していった二人と部下達を見ながら、それまで狙撃にために全集中していた魔力を通常運転に戻し、落下から反転したヴィーシャは皆の後を猛スピードで追走した。

「二人が分断した今がチャンス、畳みかけろ!!」

 何故ヴィーシャの作戦が成功したか、その理由は二つある。

 第一に自分の体を『二人』に抱えさせた事だ。ヴィーシャはその体格差からグランツがターニャを背負っている形であると予測していた。つまりグランツは分業化によるブーストはあれど、空中浮遊や移動に魔力を使用している状態であり、100%ではない。

 だからこそヴィーシャは、自分自身が移動が出来ない状態になるデメリットを負ってでも、100%狙撃のみに魔力を使える状況を作ったのである。支える人数を二人にしたのは女性とは言え、全体重を預けるからであった。これによりヴィーシャは相手よりも僅差で索敵範囲が上回り、先に気づく事が出来た。

 第二の理由は撃った術式は誘導術式ではなく、単なる狙撃術式であったという事である。ヴィーシャはその狙撃能力の高さで、ただのまっすぐに直進するだけの術式を正確無比な射撃で、二人のど真ん中にぶち込んだ。そのシンプルさゆえに、組み込む時間も最短で、魔力感知能力で事前に察するのが難しく、砲台と化していたグランツ達相手にとっては、まさしく奇襲となったのである。

 それでも回避するのは流石であったが、長射程からのヴィーシャの射撃で、反応が遅れた二人は別々の方向へ回避してしまった。仕留めるのではなく分断こそがヴィーシャの狙い、後は数の利で押し切ればいい。

 しかしヴィーシャ達が持っていたはずの数の利は至極あっさりと失われた。先行した者達がすべてターニャ達の仕掛けたデコイに引っかかってしまったのである。

 訓練された203魔道大隊であればデコイには早々に引っかからないはずだが、作られた偽物の二人はただそこにいるのではなく、また二人乗りの体制を作ろうとしていたのである。またくっつかれると正確無比な射撃が復活し、劣勢になってしまう焦りから警戒を怠ってしまったのであった。

 気づいたときには後の祭り、先行していた者達は、いつの間にかさらなる後方に退避していたターニャ達から、あっけなく撃墜判定を受けた。難攻不落の壁を攻略して勝利は目前、勝負に出たタイミングで危機感を煽る演出、最高のチャンスだからこそ生じた油断、そこにターニャはつけ込んだのだ。

 しかし五分の状況に持ち込まれ、気持ち的には劣勢になってもいいはずの、ヴィーシャの顔は歓喜に染まっていた。これぞ我らの大隊長、白銀ターニャ・デグレチャフ。咄嗟の状況にもかかわらず最善手をぶち込んでくる化物じみた機転の良さ、その恐ろしさこそが懐かしく、ターニャと言う存在の証明となっていて、ヴィーシャは泣きたいくらいであった。

 だが戦意は衰える事はない。むしろヴィーシャはターニャと戦える喜びをかみしめる。迷いなく突撃するヴィーシャに対し、ターニャは不敵な笑みを見せた。

 

 ここに203魔道大隊の中でも屈指の実力者同士の戦いが始まった。

 

 

 ターニャとヴィーシャの実力は拮抗していたが、両者のそのスタイルは異なる。ターニャはその体の小ささを活かして、高機動による攪乱がメインなのに対し、ヴィーシャは惑わされないよう、距離を保つように立ち回る。

 死角に潜り込もうとするターニャに対して、ヴィーシャは牽制射撃でそれを阻止するという流れが何度も繰り返される。ターニャとしてはヴィーシャの狙撃能力は侮れず、距離を取っての撃ち合いになると劣勢になると感じており、ヴィーシャとしては攻め込まれれば一気に持っていかれると理解しているため、二人の戦いはまさに互いの一線を越えさせない戦いであった。

 ターニャは焦って勝負に行かないよう感情を抑え、ヴィーシャはとにかく振り切られないように集中する。二人の勝負は我慢比べの様相となった。

 勝負が動いたのは交戦開始から180秒後、状況を変えようとヴィーシャが誘導術式を放つと、ターニャは何体ものデコイを放ち、それを阻害する。

 そのうちの何体かのデコイが被弾し、人の姿を保てなくなった魔力が飛散する。203魔道大隊の基本戦法は、被弾したデコイから相手の魔力残滓を読み取っての誘導術式カウンターである。この状況をあえて作ったヴィーシャの狙いはタイムラグにあった。魔力残滓を読み取っての誘導術式は精度は格段に上がるが、工程が多い分時間がかかる。といっても数秒あるかないかであるが、ヴィーシャはその僅かな隙に撃ち込むつもりでいた。

 しかしヴィーシャの予想より一秒早く、ターニャは術式を返してきた。咄嗟に回避行動をとろうとしたが、ターニャの術式は全く見当違いな場所に飛んでいき、ヴィーシャは思わず術式の行く先を視線で追う。しかしその術式はヴィーシャの懸念を他所に、誘導も爆発もせずただ消え去って行った。

 我に返ったのはその直後、何もないという事こそが答え。ターニャの不可解な術式は『白銀は絶対無駄な行動はしないはず』、という思い込みを利用したブラフであった。

(しまった!!)

 ヴィーシャは慌てて視線をターニャの方へと戻すが、その時にはターニャはすぐ近くにまで急接近してきていた。ターニャはそこでライフルではなく、あえて素手で作った術式を『振りかけた』。

 というのもその術式は一個の個体ではなく、小石のような細かい粒子の集まりであった。しかもただの散弾ではなく、最小規模であるが爆裂術式も組み込まれているため、威力もそこそこあるのが厄介なところである。弾にして籠めるイメージであるライフルではできない芸当であった。

「くっ!」

 ヴィーシャはそれを回避する事なく、防御隔壁で受ける事を選択する。それは安易に回避して、ターニャを見失う事だけはあってはならないと考えた故の事であった。

 

 ここで一つ航空魔導師の演習について補足しておこう。

 砲弾やロケット弾には演習弾というものがあるが、実は銃には存在しない。これは銃の攻撃力は結局のところ、運動エネルギーによるため、安全性を求めると運動エネルギーを減らす事となり、本物の再現性が微塵もなくなるためである。

 では魔力を撃ち出す術式はどうなのかというと、有効な攻撃方法ともあれば種類が限られるため、ある程度形式があるものの、能力さえあればアレンジし放題となっている。つまりは訓練用に調整された安全な術式もあるのだ。

 対人の航空魔導師同士の演習の場合、まず防御隔壁が必須となっているが、安全性のために特定の部位を守るものではなく、全方位のもの限定となっている。そしてその防御隔壁の強度が、基準に満たなければ演習の方への参加は認められない。

 一方で攻撃面、術式の方は防御隔壁を抜けられない強さに調整して、抑えなければならないわけであるが、術式の基本は魔力を質量にして飛ばすもので、魔法と言ってもその威力の算出は本来の銃と同じく運動エネルギーである。

 そのため訓練用術式はそのアレンジ方法として、実戦用と比べてサイズが一回り小さく、また何かしら衝撃を受けたら術式が勝手に自爆し、貫通力を失うようになっている。

 これにより航空魔導師の実戦演習は比較的安全にできるようになっていた。なお撃墜判定については防御隔壁へのダメージを演算宝珠が観測し、一定値以上になると出るようになっており、攻撃を受けたからといって、すぐに撃墜判定となるわけではない。

 

 よって受けるという行為も一つの選択肢に上がるわけである。

 

 ターニャの奇策はヴィーシャから撃墜判定を取れる威力では到底なかったが、心理面での効果はてきめんで、じわりじわりとヴィーシャの精神を削っていく。戦いとはかいつまんで言うとデータの蓄積でもあり、予想外の行動を取られるのは存外効くものだ。

 一方でターニャの方も決して有利と思ってはおらず、やりにくさを覚えていた。ターニャは本来ヴィーシャの回避読みで、彼女が避けている隙に死角にもぐりこんで、勝負を決めるつもりだった。

 だがヴィーシャは耐えつつも、その視線は急接近から軌道を変えたターニャを捕らえ続けており、銃口はしっかりとターニャの方へと狙いを定めていた。

 それではとターニャは不規則な動きをして、狙いを散らしつつ、ヴィーシャへと術式を撃ち込む。すでにダメージをもらっているヴィーシャはもうあまり受ける事はできない。ここで回避し続けてもじり貧だと思ったヴィーシャは勝負に出た。

 空中浮遊の魔法を切ったのだ。そしてヴィーシャは飛ぶのに利用していた魔力を狙撃に回す。自由落下していくヴィーシャの体のすれすれをターニャの術式が通る。鮮明になっていく視界、強化された視線の先に移ったのはターニャの驚愕した表情であった。

 

 

 ヴィーシャの決死の一撃が放たれた。

 

 

 

「す゛み゛ません大隊長殿! 小官が不甲斐ないばかりに!!」

「おい、泣くな! これは演習なのだから勝敗がどうのこうのじゃないのだぞ」

「それでも悔じいです!!」

 男泣きするグランツに呆れた表情のターニャ、先の演習はヴィーシャとヴァイスチームの勝利であった。

 ヴィーシャに狙われた後、ターニャの取った選択はかわす事ではなく、止めを刺す事であった。あの強化狙撃はかわせない。確信に近い何かがあったターニャは、撃たせる前に撃墜するため、ヴィーシャに向けて勝負の一撃を放った。

 結果、見事命中させたターニャはヴィーシャから撃墜判定を取れたが、直後彼女自身も撃墜判定を受けた。ほんの僅差でヴィーシャの狙撃術式を止められなかったのである。ヴィーシャの強化狙撃はターニャに直撃し、相打ちとなった二人の勝負はこれだけで見ると、先に撃墜したターニャの勝利となるが、この演習に参加していたのは二人だけではない。

 勝負の行方は残されたグランツとヴァイスの両名の勝敗に委ねられた。

 ターニャとヴィーシャが一対一の戦いをする裏で、グランツとヴァイスもまた熾烈な勝負を繰り広げていた。二人の勝負も負けず劣らず名勝負と言えるもので、グランツはヴィーシャに並ぶ実力者、ヴァイス相手に善戦をしていたが、ターニャが撃墜判定を受けた事で動揺してしまい、その隙にやられてしまったのである。

 油断から負けた事と言い、ターニャに黒星を付けてしまった事と言い、グランツは凹みに凹んでいた。ターニャとしては演習の結果は上々だったので、勝っても負けても問題は特にないのであるが、男というものは意外と面倒くさいものである。ここでお前も前世は男だったろと突っ込んではいけない。

「まあ、次は頑張れ」

「はい! 次こそは頑張ります!! やってやります!!」

 とりあえず期待しているという体にしておいて、ターニャはヴァイスに後は宜しくと視線を送る。優秀すぎる人材その2、ヴァイスはすぐに意図を察し、グランツを連れて行った。何も言わずに察してくれるヴァイスに、ターニャは後でスウィーツをおごってやろうと心に決めた。

 二人を見送った後、ターニャは隣でにこにこしているヴィーシャへと向き直る。本来上官に勝っておいて笑顔なんてとんでもない事であるが、どうにも信頼の高さがカンストしているようで、ヴィーシャの中のターニャは己のプライドのために怒る小心者ではないようであった。

「しかしセレブリャコーフ少尉、よくぞここまで成長したものだ」

「小官はデグレチャフ少佐のバディである事に誇りを持っていますから。白銀の後ろを守るのは誰にだって譲れません!」

 自分の力を証明できたのがよほど嬉しかったのか、ヴィーシャはまだまだ元気と言った様子で勢い良く答えた。

「全くあのひよっ子がな。頼もしい限りだよ」

 ターニャはヴィーシャの実力そのものは前からも評価していた。だが今回の演習で見せた機転の速さには驚かされた。ターニャがいくら策を練ってもその都度対応し、逆にターニャの方で対応を迫られる事も多々あった。時間としては長くはなかったが、とても密度の濃い演習だったと今更ながらに思う。

 ヴィーシャとは一番長い付き合いなので、彼女の成長は一際思うところがあり、感慨深かった。補佐として優秀であれば、長としても優秀だった彼女に対し、ターニャは笑みを見せた。

「これからもよろしく頼む」

「はい!!」

 人の成長を見て嬉しく思うなんて感情、そんなものが己の中にあるのに驚き、また抵抗なくすんなりと受け入れられる現実は、ターニャにとって心底おかしかった。かつての自分にはなかった穏やな感情にターニャはつくづく思った。人は変わるものなのだと……

 

 

 

 

(3)一歩先へ

 

 

 203魔道大隊が演習で激戦を繰り広げる中、レルゲンは夢中になってターニャ達の戦いを見ていた。それもそのはず、彼は実際に彼女らの勇姿を見るのは初めてであったのだ。

 彼女たちの行った空中戦は地上からは遠すぎてもはや豆粒以下であったが、レルゲン達観客が勝負の詳細を知る事が出来たのは、巨大なモニターが用意されていたからであった。

 演習では実験結果を資料として残すため、実験に参加しないその他の航空魔導師達によって、演算宝珠によって映像を記憶されるわけであるが、巨大なモニターは録画と再生を同時に、つまりは生の映像をリアルタイムに写せるようになっている。ちなみにこれはドクターシューゲルの発明品の一つだったりする。相も変わらずオーバースペックのものを開発する彼であったが、自身の発明品のお披露目でもあった今回の演習は大変ご満悦であった。

 彼の発明品のおかげでターニャ達の戦いを見る事が出来たわけであるが、空中戦を記録するのは困難を要する。ただでさえ人間サイズという小さいものが高速で動くため、カメラの代わりである演算宝珠でもなかなか捉えきれないのだ。

 しかし今回はレルゲン含め、演習を見に来ていたほぼすべての者が、迫力ある映像に手に汗を握った。それもそのはず、カメラマンの役目を負った者も203魔道大隊の面子、遠くから全体像を撮影する係、それぞれの陣営の目線役を設けるなど、演習から得られる情報を取りこぼすまいと尽力した結果、客観的に戦況が把握でき、一方で実戦形式ならではの緊張感をまざまざと見せつける、素晴らしい映像が完成する事となったわけである。

 演習が終わった後、それまで勝負の行方を見守っていた各軍の関係者から、203魔道大隊へ喝采が上がった。熱狂の渦の中、一人冷静であったゼートゥーアは大成功ともいえる実験結果に唸った。

「……つくづく思いこみというものの恐ろしさを実感させられるな。二人乗り、今の今までこんな単純な答えにも行きつかないとは」

「我々の最善は古き時代のもの……か」

 隣にいたルーデルドルフも頷く。

「時代は常に移り変わる。その当たり前を忘れた時こそが『滅び』に繋がるのだろうな」

 すでに先を見ているゼートゥーアに対してルーデルドルフは複雑な思いを抱いていた。今までの経験の蓄積は人にとって財産と言えるべきものだ。間違っていたとしてもそう簡単に捨てられるものではない。

 変わらなければならないのはルーデルドルフも重々承知している。だが正直なところ納得には今だ至ってない。今回の演習を見に来たのは、過去を振り切るためでもあったが、あれだけ素晴らしい才能を目の当たりにしても、自分の中で煮え切らない何かがあった。

 今だ現役とはいえど、体力と気力が年々衰えていく自分、一方で着々と実力をつけ、台頭してくる若者、素直に認められないのは己の立場を守るため、意固地になっている証拠であり、青臭さが抜け切れてない事実は、いざ自覚してみると笑えてすら来た。

 老体になるとまた精神が幼くなるとは良く聞くが、今のルーデルドルフ自身がまさに当てはまり、彼はそんな自分を一言で締めくくった。

「全く年は取りたくないものだな」

 

 

 この演習の後、帝国の航空魔導師の訓練カリキュラムは大きな見直しが図られる事となった。まずは現役の航空魔導師の適性の再検査、および再訓練である。現役の航空魔導師たちは基本的に高度6000まで上がれて、基本的な戦闘ができるのが基準ラインであるが、これでは不十分となった。

 独り立ちするには高度8000での戦闘が最低基準となり、落第者は適性検査でパイロットか、サポートに分かれる事になる。

 急なラインの引き上げに航空魔導師達からの反発は強かったが、その声も203魔道大隊の演習映像を見せればすぐに沈黙した。100%勝てる見込みがない、それほど戦力差があった。

 幸いだったのはそこで潰れてしまう者がいなかった事だ。圧倒的実力差を見せつける一方で、演習の映像が接戦であったのがプラスに働いた。映像記録は一つだけではなく、203魔道大隊の演習は最初の実験の後にも何度かあって、レルゲンの指示でそれらをすべて映像記録として残してあった。

 ここでのポイントは映された面子は毎回異なっていた事だ。203魔道大隊の者達が皆一様に強かった事で、才能の差ではなく、訓練内容の差と考えられるようになっていたのは、実にうまい誘導の仕方であった。

 また懸念されていた二人乗りに対する拒絶感はほとんどなかった。多くの者達が独り立ちできない劣等感よりも、その合理性や、性能の高さに心惹かれたからだ。特に射程の長さは彼らには非常に魅力的に映った。

 何せ索敵漏れさえなければ先制攻撃は確実で、さらに反撃は接敵されるまでは受けない。当たり前の事だが多くの者にとってプライドよりも命の方が大事である。故に前とは比較にならないくらい安全に攻撃できるというメリットは絶対的だ。

 また一方で二人乗りというシステムは、航空魔導師として適合できなかった者達にも今一度日の目を当てた。射撃の才能はぴか一でも空中制御が今一、空中での速さはずば抜けているが攻撃を意識するとポンコツになる、すべてにおいて凡人だが魔力量だけめっちゃある、など一つの才能に特化する者達が、組み合わせ次第でエース級の活躍ができる場所を作ったのである。

 航空魔導師以外の魔導師は部隊として運用しづらく、基本的に観測手などに回されるなど、なかなか活躍の場に恵まれなかったため、降って湧いた再起のチャンスに多くの魔導師達が奮起した。

 航空魔導師とその他の魔導士の関係は、言ってしまえばエリートと落第者のようなもので、従来の航空魔導師との折り合いの悪さが懸念され、その予想は裏切られる事はなく、初めのうちは険悪そのものであった。

 しかし落第組は一芸に秀でたものが多く、それを見抜いた数名の航空魔導師達が、それぞれ自分に足りない部分を補う者をパートナーとし、名コンビとなってエースと昇格していった事から、徐々にお互いをリスペクトする流れができ、その溝は埋まっていったと言う。

 

 新人の教育についてはむしろ一番簡単であった。何しろ何も知らない真っ白な者達だ。新しい訓練をやるには彼らが一番容易かったが、逆に難しかったのは航空魔導師として育てる以前の部分で、そもそもの兵士としての心構えを教える事だ。とにかく新人は英雄になりたがる。戦争と言う人殺しを許容するような悲惨なものを、己の中で正当化するにはそれが一番良いからだ。

 そんな夢見がちな新兵諸君の幻想をぶち壊すために選ばれたのは、『ターニャのマル秘一ヶ月であなたもエースの仲間入り訓練』を、三倍の三ヶ月に延ばした優しいバージョンであった。優しいと言っても体力的な面で優しいだけであり、メンタルダメージは割とえぐいままである。というかむしろ長期であるからこそ、パワーアップしているきらいがある。こうして新兵達は心を折られて再構築し、兵士として生まれ変わるのだ。

 このぎりぎり踏みとどまれる程度の訓練は、レルゲンとターニャ、203魔道大隊の部隊長クラス、そこに精神科医を加えての議論の末に生まれた代物である。教官として選ばれるのは、かつて地獄を経験した203魔道大隊から代わる代わるであり、今日もどこかで新兵たちの悲鳴が元気よく響き渡っている。

 

 こうして二人乗りが浸透していくにつれ、戦略面も大きく変わった。二人乗りの一番のメリットは索敵範囲と射程が伸びた事であるが、一方のデメリットとしては攻められるとてんで弱い。攻撃された場合、二人の間で相手の術式の感知の仕方、見え方にどうしても差異が出るため、対応に違いが出てしまうのだ。

 特に誘導弾に対しては致命的とも言えよう。というのも誘導弾は相手の魔力に反応させるもののため、狙われた方とそうでない方の認識の差異は大きい。

 この問題はすぐに203魔道大隊から報告書があげられ、早速ドクターシューゲルが二つの演算宝珠をリンクさせ、共有の意識を持たせる方法を模索している。それさえできてしまえばこの問題は解決されるであろうが、現状ではまだまだ時間がかかりそうというのが正直なところだ。

 ターニャいるところにこの男ありと言わんばかりに、ターニャは後にこの新型演算宝珠の実験に突き合わされるはめとなり、どういう理由かなかなか縁の切れないドクターシューゲルに顔をしかめるのであった。

 しかしながら呑気にリンク対応新型宝珠の完成を待っているわけにもいかないため、今できる中での航空魔導師の運用法を模索した結果、航空魔導師は大きく分けて、突撃班と狙撃班に分かれる事となった。新スタイルの基本戦略は以下のとおりである。

 最初はどちらも一緒で、戦闘領域に入ったら二人組の形を取って高度10000まで上昇、長射程からの精密射撃で先制攻撃を与える。突撃班はそこから二人組を解除してそのまま空中戦へ移行し、狙撃班は二人乗りのまま相手から届かない高度と距離をキープしつつ、突撃班の離脱に合わせてトドメの爆裂術式を撃ち込む、といった形だ。

 この新戦術は203魔道大隊でもアレンジされて使われるようになった。遥か遠方から回避不可の爆裂拡散誘導術式が雨のように注ぎ、運良く生き延びた者がいたとしても、統制の取れた獰猛な猟犬達が止めを刺しに襲い掛かってくる。その光景はまさにトラウマもので、ただでさえ悪魔と称されていた強さが底上げされ、地獄そのものとまで呼ばれるようになったと言う。

 こうして帝国航空魔導師は他国から一歩抜きんでた力を手に入れる事に成功したのであった。見事航空魔導師達の能力の底上げという使命を果たしたターニャ達であったが、その裏で一つの大きな計画が動き始めていた。

 

 

 

 暗闇の倉庫街、その一室に明かりが灯る。そこには今日搬入されたばかりの大量の箱が置かれてあった。山ほどにもなるそれを満足気に眺める者達、

「くっくっく、やっと届いたか……」

「これでやっと我々の計画が先に進める」

 その中の一名が箱を一つ開け、うっとりした表情で中に入っていた物を撫でる。中に入っていたのは怪しげな白い粉、ではなく純白の四角いひらひらしたものであった。

「ああ、やはり秋津島皇国の紙は素晴らしい」

 別の箱には丁寧に包装された画材や塗料などが所狭しと入っていた。

「どれも一級品だな」

「うむ、やはりやるからには最高品質でなければな」

「戦時中では到底無理であったが、停戦中の今ならばこそ、金さえあれば輸入できる!」

 他国の物を取り寄せてまで高品質である事に拘りを見せる男達、彼らの目は野望でギラついていた。

「我々は思い違いをしていた」

 リーダー格(?)の男は語りだす。

「我々がかつて筆を取ったのは寂しさからであった。だからこそ寂しさが埋まればもはやその必要はないと信じていた。だが! 答えは違っていた!! 満たされれば満たされるほど湧き上がる情熱!!! 目の前に本物がいるからこそ我々はさらに燃え上がる!!!!」

「おう!!」

「そうだ!! 誰も俺達を止められない!!!」

 異様なテンションの男に周りも賛同し、とにかく暑苦しい。誰かが指示したかのように、男達は一斉に紙を取り、各々筆を滑らせる。

 そうして描かれるのは凛々しい姿で部下を叱咤するターニャ、一人チョコレートを食べて顔をほころばせるターニャ、ぬいぐるみを抱きかかえたターニャ、三つ編みで眼鏡をかけたターニャ、ゴスロリ衣装を身にまとったターニャ、

 

 ターニャ、ターニャ、ターニャ、

 

 とにかくターニャまみれである。しかもどれもめちゃくちゃうまい。途中から本人からかけ離れて個人の願望駄々洩れであるが、それはそれでギャップ萌えである。そこにターニャがいればいいのだ。

 男達は最後に己の魂の作品達を高く掲げ、宣言した。

 

「「「この世界にも白銀のターシャちゃんを!!!」」」

 

 今日も203魔道大隊は平和であった。

 

 

 

 

(4)未来が変わった日

 

 

 それは衝撃と畏怖作戦が成功に終わった後の事であった。203魔道大隊は見事直接司令部を叩き、残りは後づめをするだけとなった時、アルビオン連合国の2個大隊に急襲を受けたのだ。

 相手の大隊はよく訓練されており、隊の規模の差も大きく苦戦は必死、特に相手指揮官の強さはすさまじく、彼には203魔道大隊の面子も何人か撃墜され、ターニャ以外では手も足も出ないほどであった。

 

※ ちなみに漫画版ではアンソンではなくサー・アイザック・ダスティン・ドレイク大佐(アニメだと影が薄いおじ様、漫画版だとめっちゃ強い)がここで現れます。

 

 だが連合国も帝国の指揮官が手に負えないのは同じだったらしく、ターニャと連合国指揮官は、互いに「相手の指揮官を討つのが必須」という答えに至り、激しい一騎打ちを繰り広げた。

 エース同士の二人の勝負は互角に思えたが、しいて言うならばターニャは体格に劣っていた。近接戦においてターニャが彼の腕に捕らえられた時、純粋な筋力で負けるターニャに逃れる術はなく、203魔道大隊が初めて見る『白銀』の危機的状況であった。

 

 だがその時初めて敵の動きが止まった。それまでは捉えきれなかった格上の相手が見せた僅かな隙、運が悪かったのは相手とターニャの位置が重なってしまっていた事、横に回り込んでいる時間もなく、追い込まれてしまったヴィーシャはターニャごと連合国指揮官を撃ち抜いた。

 

 

「…………さいあく」

 

 ベッドの上でヴィーシャは一人ぼやいた。かつての世界であった出来事はヴィーシャの心にしこりとなって残っていた。当時はただ生きる事に必死で気にする余裕もなかったが、罪深さを自覚している今、度々夢に出てくるようになっていた。

 それでもこちら側に来てからはしばらく収まっていたのであるが、戦争が停戦になった辺りからまた再発しており、ヴィーシャを深く悩ませていた。

 あの時ヴィーシャは己の力不足で敬愛する上官を撃ってしまった。幸い撃ち抜いたのは腕であり、ヴィーシャの援護があってこそターニャは助かったわけであるが、それでもヴィーシャは自分が許せなかった。

 撃った事そのものに、ではない。ヴィーシャが真の意味で許せなかったのは、結果に満足してしまった事であった。己の情けなさにヴィーシャが泣きながら謝った時、ターニャは笑って許してくれた。頼もしきバディと言ってくれた。それが嬉しくて嬉しくて。だがヴィーシャは今になって思う。あの時自分は笑い返すのではなく、悔しさをかみしめるべきだったと。

 ターニャにはいつだって守ってもらってばかりで。追いつきたいと願っても離される。それでもいずれはと思い、努力を続けてきた。そしてやっとターニャを支えられると思った時にはすでに彼女は床に臥せていた。

 

 遅かった。

 

 間に合わなかった。

 

 後悔しても遅く、ターニャはみるみる弱っていく。ヴィーシャはただそれを見ている事しかできなかった。ターニャ本人は運悪く病気にかかったと言っていたが、ヴィーシャは知っていた。それは老衰に近いものであると。

 ターニャは幼き身の時から、全力で、否、全力を超えたところでその人生を駆け抜けた。人は何か成すときには莫大な力を消費する。それは食事や睡眠で補えるような、体力と言った類のものではない。いうなれば魂の力であろうか。

 誰もが生まれたその瞬間に与えられ、そこから何かする度に消費し続け、決して回復する事のないそれ、ターニャはそれを使い果たしてしまった。そもそも幼女と言う幼き身で一線で戦っていた事からしておかしいのだ。彼女はいつだってそれが当然かのように振るまっていた。だからこの人なら大丈夫、と思ってしまっていた。その裏で命を削っていたのにもかかわらず。

 仮にもしターニャが軍人にならず、孤児院にいたままだったらどうであったか? 敗戦国の未来は暗い。こうした時決まって犠牲になるのは貧しいところからだ。孤児院などその最たる例であろう。つまりターニャは軍人にならなければ、己の魂を燃やし尽くさねば、ここまで生きては来れなかった。

 当時の自分が手を抜いていたとは思ってはいない。そんな半端な覚悟で生き抜けるようなぬるい時代ではなかった。それでもヴィーシャは思うのだ。もしもターニャが早死にすると知っていたら、自分はどうしていたのかと。

 全力のその上、死力を尽くしていたのではないかと。

 結局のところ、ヴィーシャはターニャに本当の意味での安らぎを与える事は出来なかった。アルビオン連合国との一戦は、ヴィーシャにとって運命を変えられたかもしれない分岐点で、最後までターニャに追いつけなかった、彼女の悔恨の象徴なのだ。

 

 

 嫌な夢で起こされ、朝から憂鬱な気分だったヴィーシャであったが、すでに時刻はいつもの起床時間は過ぎている。ヴィーシャは苛立ちを抑えつつ、今日も仕事に向かうために朝の準備を始めた。

 歯を磨きつつヴィーシャは考える。この世界では戦争は一応の終わりを迎えた。今後はどうなるか予断は許さないが、それでもかつての世界の泥沼の戦争は避けられた。国防としての航空魔導師の強化も順調だ。

 かつての世界ではもう次の戦地にいた。こうして平穏に航空魔導師の強化に勤しんでいる今とは雲泥の差だ。それでもとヴィーシャはかぶりを振る。平和になったとはいえ、各国の均衡がいつ崩れるかは分からない現状、緊張感は常に持っている。

 ターニャは航空魔導師の訓練だけでなく、次の戦争を起こさないための会議には引っ張りだこで、相変わらず多忙だ。目先に命の危険がある戦時よりましとはいえ、やはり普通の仕事量ではない。

 もちろんこういうのは上を見ればきりがない。上手くいっている事には違いないのだ。

 それでも拭いきれない不安がヴィーシャにはあった。顔を洗い、身だしなみを整え、沈んだ表情を無理矢理笑顔にする。一人でへこんでいてもしょうがない。気を取り直してヴィーシャはターニャのいる執務室へと向かった。

 ヴィーシャは部屋の前までたどり着くと、今一度口角を引き上げる。そして今できる精いっぱいの笑顔を作って入室した。

「失礼します」

 しかしいつもならあるはずの『ご苦労』の返事がなく、ターニャがいるはずの執務室はもぬけの殻であった。ターニャがまだ来ていないという事実にヴィーシャは青ざめた。ヴィーシャの脳裏にかつての悪夢がよぎった。

 ZAS社で秘書をしていた時、ターニャが社長室へ現れなかった時の事を。おかしいと思ったヴィーシャが私室を訪ねるとターニャが倒れていたのだ。それはヴィーシャが、203魔道大隊が、サラマンダー戦闘団が、やっとの事で手に入れた幸せが終わった瞬間であった。

「あ、あああ……」

 ヴィーシャは体が震え、目の焦点が定まらなくなる。彼女の中でターニャが倒れた時の事は大きなトラウマとなっており、それを彷彿とさせる今の現状は気が狂いそうであった。ヴィーシャは我に返るとたまらず外に飛び出す。

「うぶぅっ!!?」

「きゃ!?」

 そしてまさに今執務室に入ろうとしていた幼女と正面衝突し、ヴィーシャはそのまま押し倒してしまった。何事かとヴィーシャが下に目線を動かすと、見慣れた金髪が彼女の豊満な胸の中でもがいていた。

「ああ、デグレチャフ少佐、そんな!!」

 自分で押し倒したのも忘れて、あろう事かまた倒れたと勘違いしたヴィーシャは慌ててターニャを起こし、肩を掴んで揺さぶる。

「御無事ですか!? 大丈夫ですか!!? デグレチャフ少佐ぁぁぁ!!!」

「うおぉぉぉぉぉぉ揺れる揺れる!? ヴィ、ヴィーシャ、お、落ちつけ!」

「これが落ち着いていられますか! 少佐殿が倒れられたのですよ!!」

「それはお前がやったからだろうが!!」

「いいえ、いつものデグレチャフ少佐であるのならば、たとえ私から予期せぬ攻撃を受けてもおかわしになられるはずです!!」

「いやいや、お前がいるのは気づいていたが、そこから急旋回して突っ込んでくるなんて、流石に予測などできんぞ!」

「いいえ、予測できなくとも無意識にかわすのが『白銀』です!」

 無茶苦茶だった。ヴィーシャの中でターニャはどれだけ美化されているのだろうか、ターニャは考えるだけで頭が痛くなった。

「どんだけ超人なんだそれ」

「正直に答えてください! どうして今日遅れたのですか!!」

「そ、それはだな……」

 ヴィーシャの質問に対し、ターニャは不自然に言い淀む。

「や、やっぱりどこかお加減が!」

「どうしてそんなに大事に持って行きたがる!」

「じゃあ一体どうして!?」

「うぐ、その……だな」

「なんですか!?」

 なかなかに粘るターニャであったが、ヴィーシャの剣幕に押されてやっとの事で理由を口にした。

 

「その……うん……寝坊、した」

 

「……はえっ?」

 

 予想外の答えにヴィーシャは素っ頓狂な声を上げる。

「寝坊……ですか?」

「……うむ」

「ただの……寝坊ですか?」

 ヴィーシャが冷静になってターニャの方を見ると、いつもは整えられているはずの髪は寝ぐせが残っており、見慣れた軍服もどこかおかしい。よくよく見るとボタンをかけ違えていた。余程焦っていたのだろう。

 一方で血色はすこぶる良く、体調が悪いようには見えない。十分に休息も取れているようだった。

「寝坊……本当に寝坊なんだ……」

「繰り返すな! 上官を辱めて楽しいか!!」

 これだから言いたくなかったんだ、どうして寝坊なぞしてしまったのか、これでは上官として示しがつかない、ターニャがぶつぶつと文句を言う中、ヴィーシャはこみ上げてくるものがあった。

「セレブリャコーフ少尉、なぜ泣いている?」

「え? 私……」

 ヴィーシャは指摘されて初めてその事実に気づいた。ターニャにとっては寝坊は恥ずべき事。だがヴィーシャにとってターニャの寝坊は全く意味が異なる。

 

 初めてだったのだ。かつての世界も含めて、ターニャが寝坊して遅れて来るというのは。寝坊は一言で言えば気の緩みだ。それはすなわち

 

 ヴィーシャは今度こそ顔を覆った。理解してしまったら涙が止まらない。

「おい、セレブリャコーフ少尉……ヴィーシャ!」

「やっと、やっと追いつけました」

 気を緩めても良いと判断された。体を休めていいのだと信用してくれた。寝坊はその証拠。少しでも部下のヴィーシャ達に任せて構わないと思ってくれていた事の証明。この時、初めてヴィーシャは一人前と認めてもらえた気がした。

 過去にも言葉では何度か褒められている。あの演習だって頼りにしてくれると言ってくれた。でも言葉では信用できなかった。甘い言葉に安心しきった結末がかつての世界であったのだから。

 今ターニャは初めてヴィーシャに対して弱みを見せてくれた。明確な態度として信頼を見せてくれた。ここに嘘はない。

 

 未来は変わる。

 

 きっと大丈夫。

 

「少佐殿はお疲れの様子! ならもういっそこのままさぼってしまいましょう!」

「はあ? 何を言っている!?」

「少佐殿はここのところ働きすぎです。よって小官は少佐殿が癒されるよう、今から二人でスウィーツめぐりを進言致します! 大丈夫、レルゲン中佐なら二つ返事でOKをくれます!!」

「おい、引っ張るな。そんな許可下りるわけないだろう」

「許可する」

「下りるのかい! っていうか何でいる!?」

「ありがとうございますレルゲン中佐! さあ、少佐殿、夢の国へ行きますよ!!」

「何て馬鹿力。分かった。行くから離せ! お前の頑固さも大概だな」

「少佐殿の教育のたまものですよ」

 ではでは! と騒がしく去っていく女子二人を見送り、レルゲンはいつもとは比べ物にならないくらい柔和に微笑んだ。レルゲンにはヴィーシャの気持ちが痛いほど理解できた。もっと頼ってほしいにもかかわらず、我先にと全力で取り組んでしまう。追いつきたくても離されてしまうジレンマ、レルゲンも少なからず感じていたそれは、203魔道大隊の皆すべてが感じていたのだろう。

 ターニャが寝坊した事実が203魔道大隊に伝わったら、それこそ狂喜するに違いない。今日もまた愛されすぎて途方に暮れるターニャが見れるのだろう。

「今夜は多分宴会だな。会場の手配をしておこうか」

 後に起こるであろう喜劇を予期し、レルゲンは笑いながら執務室を後にした。

 

 




 一話で頑張ったから、これからほのぼのを書こうと思ったけれども、本当にこれでいいのか? 「戦後なんとかうまくやって、日常に帰りました!」の一文で済ましてしまうのもなぁ。戦後についての描写、ちょっと頑張ってみるか、と思っちゃったのが運の尽き。じっくり考えてじっくり書いてしまった結果、それだけで一本書ききってしまいました。でもその結果ヴィーシャとターニャのガチ勝負など書けたので、個人的には満足です。常々カッコいいヴィーシャっていいなぁと思ってましたので。
 航空魔導師の強化案の二人乗りについては安直すぎて、多分賛否両論あるかと思いますが、私の頭ではこれが限界でした! でも実際航空戦闘機も複雑化していって、複座式になり、今は優秀なコンピューターがサポートしているらしいので、航空魔導師も演算宝珠の進化で、今後そういう道を辿るのかなぁと勝手に妄想したりしています。
 ミリタリー知識は本当にわかなので、まあ許してやるわい、と生ぬるく見守っていただければ幸いです。




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短編その1 ヴァイスさんの思い出の味

平和な舞台は整った。後はほのぼの日常書くだけじゃない!
というわけで短めですが日常編で一作です。
今回は前回頑張ったけど出番あまりなかったヴァイスさんメインです。
難しい部分はほぼ書き終えたかと思うので、
愛され幼女の今後はこういう短編をメインにシフトしていきたいと思います。


 

「軍人さん、こんな所に珍しい。何かお探しで?」

「その、だな。異国の調味料を探していてな」

「異国の? これはまた……何て名前ですかい?」

「ショウユ……というのだが」

 

 

 

「ここにもなかったか」

 ヴァイスは落胆の色を隠せなかった。それもそのはず、空振りに終わったのはもうこれで5件目だ。異国の調味料を仕入れているところと言えば大手であろうと、なるべく大きな食料品店を転々としているのだが、これがなかなかに見つからない。

 人と言うものは面白いもので、見つかなければますます欲しくなる。こうなれば丸一日使ってでもと意気込み、ヴァイスは次の店へと向かった。

 街中を徒歩で移動しているとどこも活気に溢れており、戦争は終わったんだとヴァイスはしみじみと思った。自分たちが頑張った結果がこの街並みだと思うと、誇り高い気分になる。かつての世界では一度焦土と化してしまっていたから、感慨深くもなろう。祖国で平和で暮らせるというのは代えがたい幸せである。

 そんな彼が今求めているのは異国の調味料、ショウユだったりするわけだが。ショウユは秋津島皇国の代表的調味料であるが、ヴァイスにとってこのショウユは強く記憶に刻まれていた。いわゆる思い出の味と言うやつである。

 そのショウユをかける相手は芋だ。戦時中の食料と言えば芋、芋と言えばタイヤネン、タイヤネンと言えば食中毒、そういえば彼は今回も脱落していたなぁ、なんだか話がずれてきたので戻そう。とにかく芋は戦時の中の食料としては代表的なものの一つで、その味を食べ飽きていたヴァイスにとっては美味しいものではなかったのだが、その評価を一転する事が起きたのである。

 

 

 それはサラマンダーエアサービスが設立して、ようやく軌道に乗ってきた時の事であった。ZAS社は表向きは航空会社、裏では傭兵稼業というその業務上、機密保持の理由から僻地にある。よって勤務中の食事は会社にある食堂で済ますのが日常となっていた。

 寝泊まりする宿舎も会社の近辺にあり、一種の孤立状態となっているため、社員の間では小腹が空いた時は外に出るなんて事はせず、食堂にあるインスタント食を自分で調理して食べる習慣が出来ていた。

 ヴァイスもその例にもれず、夜中に食堂に行ったわけであるが、その日は珍しくターニャがいた。しかも似合わないエプロン姿で。あり得ない光景に現実逃避しかけたヴァイスであったが、ターニャから声をかけられた事で我に返る。

「なんだ、ヴァイスか」

「社長殿がこの時間にここにいるなんて珍しいですね」

「ちょっと珍しい調味料を手に入れてな。どうにも我慢できなくなった。それにこうした時間でもないと皆寄ってくるだろうからな。こうしてひっそりとやらしてもらってたわけだ」

 なるほどとヴァイスは頷く。確かに社長殿の料理などと聞けばヴィーシャなど泣いて喜びそうだ。他の皆だって少なからず興味は持つはずだ。

「なんていう調味料なんです?」

「ああ、醤油と言ってな。秋津島皇国の調味料だ」

「社長殿の秋津島皇国好きは相当ですね。行った事あるんですか?」

「行ってみたい、とは思うんだがなぁ」

 そう言いつつターニャは小皿に汁を入れて味を確かめる。うんと頷いている事からして納得する味だったようだ。ターニャの家庭的な姿に違和感を禁じ得ないヴァイスであったが、よくよく見ると手際はすこぶる良く、手慣れた感すらある。

 ターニャの凄さは散々思い知ったつもりのヴァイスであったが、ここでまた新たな特技を見せられるなど思いもしなかった。

「しかし社長殿、料理が出来たんですね」

「失礼だな。一応これでも女だぞ?」

「いえ、決してそういうつもりで言ったんじゃ……」

「ジョークだジョーク。まったくお前は相変わらず固いな」

 真面目すぎると言われるヴァイスはからかわれる事は良くあったが、過去と違い今のターニャは、平均的な女性からすれば小柄ではあるものの、美女と言っても良い。上司とはいえ所々に感じる色気にはどぎまぎしてしまう。頬が熱くなるのを感じたヴァイスは慌てて話を料理の方へ移す。

「ところで一体何を作ってるんです?」

「これか? これは肉じゃがと言う」

「ニクジャガ、ですか?」

「秋津島皇国の家庭料理だな。いわゆるおふくろの味というやつか」

「おふくろの味? ですか……」

「うん? ひょっとして帝国ではおふくろの味という表現は使わないのか? 孤児院育ちだからそこらへん分からんな……失言だったか? いや、でも過去のテレビ番組では……」

 ぶつぶつ独り言を始めてしまうターニャであったが、ヴァイスには何を言っているかさっぱりだったのでそのままぼんやりと鍋を眺める。ふと旨そうな匂いがよぎったのはその時であった。ぐぅーっと情けない音が辺りに響き渡る。

「む?」

 音の主はもちろんヴァイス、の腹である。元から空腹を覚えて食堂にやってきたのだ。そんな時にこのような匂いをかがされたら腹も鳴るというものだ。ヴァイスの今度は別の意味で赤面している様子を見て、事情を察したターニャは心底おかしそうに笑う。

「ハハハ、過去のチョコレートの件と言い、本当にお前は可愛い奴だなぁ」

「しょ、しょうがないじゃないですか! それと甘いのが食べられるのは女性だけの権利ではありません!」

 腹が鳴るのは生理現象なんだからどうしようもない。チョコレートだって美味しいのがいけないのだ。

「それはその通り。だが甘党であればちょうどいいかもしれんな。ヴァイス、皿を用意しろ」

「え?」

「食べさせてやると言ってるんだ。もう出来上がるから早くしろ。米も炊いてあるからお椀も準備してくれ」

「わ、分かりました」

 なし崩しにターニャの料理を食べる事になったヴァイスは慌てて食器類の準備に入る。ヴァイスが食器棚を漁っているとコップが目に入った。食事と言えば飲み物が不可欠だ。ニクジャガがなんたるかを知らないヴァイスはターニャに問いかける。

「社長殿、そのニクジャガに合う飲み物はなんでしょうか?」

「お、流石に気が利くな。甘いものだから酒は正直合わん。それ以外だったらなんでもいいぞ」

「承知しました」

 準備を続けるヴァイスの期待は高まっていた。ターニャの料理をいただくのは初めてであるが、まず間違いなく旨い。先ほどかいだ匂いが証拠だ。あれほど食欲をそそられる匂いは早々ない。さらに味付けは甘めだという。期待するなという方が無理であった。

 そうして食卓に並んだのはご飯と肉じゃがの2品。ヴァイスチョイスの飲み物はなんと緑茶であった。秋津島皇国の料理と聞いて気を利かせたらしい。ちゃっかりターニャの中でのヴァイスの評価がまた上がった。

「本当なら焼き魚とみそ汁が欲しいところだが文句は言うまい」

 ターニャの秋津島皇国好きは筋金入りだ。分からない料理名を聞いて首をかしげるヴァイスであったが、目の前の料理から漂う匂いにいよいよ我慢が出来なくなってくる。

「社長殿!」

「ん? ああ、食べても良いぞ」

「では、いただきます!」

 ヴァイスは己の食欲にまかせて、フォークを豪快に肉じゃがに突き立て、一個まるごと頬張る。その瞬間ヴァイスの中で衝撃が走った。

「どうだ?」

「……うまい!」

 一言で言えば染みわたる味と言えばいいのだろうか? 甘さと旨味が口の中でじんわり広がり、ヴァイスは顔をほころばせる。驚くべきはこのニクジャガのメインとなる原料だ。これはどう見ても芋だ。だがヴァイスの持っている芋のイメージと似ても似つかない。

「社長殿、これは芋、なんですよね?」

「言いたい事は分かる。戦時下と全然違うだろう?」

「ええ、こんなにうまいものだったとは……」

「ふむ、料理の腕を褒められるのも悪い気はしないな。どうせ保存が効くと思って多めに作ってある。お代わりしたいのなら遠慮せず言え」

「分かりました!」

「では私も食べるとしようか」

 ヴァイスとは違い、ターニャは秋津島皇国の食器、箸を器用に使いこなし、芋を切り分けて口へと運ぶ。ターニャとしては久々に行ったかつての日常でしかなかったが、ヴァイスにとっては全く違う。ターニャの一連の動作は洗練されているように見え、美しいとすら思えた。

「……どうした?」

「いえ、何て言いますか。長年こうして一緒にいさせていただきましたが、社長殿についてまだまだ知らない事があるんだなと」

「他人を完全に理解したって思うのは完全に妄執だぞ? 人は常々変わり続けるものだからな」

「おっしゃる通りで。今の社長殿は強くてお美しいです」

「ぶーっ!!」

 ヴァイスの思わぬ攻勢にターニャはお茶を拭きだす。世にも珍しいターニャの焦った様子を見てヴァイスは笑みを漏らした。

「これで一矢報いる事が出来ましたかね?」

「き、貴様ぁぁ、上司をからかうとは」

「いえ、普通に本音ですが」

「なにぃぃぃぃぃ!?」

「ここの皆も口には出さないけれどもそう思ってますよ」

「んな……」

 嘘なんて微塵もない。口をパクパクさせているターニャをしり目にヴァイスはもくもくと肉じゃがを食べる。

「くそ、ここで癇癪起こせば貴様の思うツボだな。まったく上司を口説くとは随分と肝が据わったものだなヴァイス」

「私も変わったという事ですね」

 何せ戦争を体験したのだ。栄光の勝利もあった。耐えがたい敗戦もあった。この人の元で本当に色んな事を体験した。肝も据わるというものだ。

 それにヴァイスは知っている。この生涯にわたっての鬼上司は意外にも優しいと。何せ手料理を振る舞ってくれるくらいだ。特に軍という枠組みから外れた現在は、行動と言動が全くかみ合っていない。実際ZAS社設立時に過去の部下全員呼ぶとか狂気の沙汰だ。ターニャの尽力があったからこそ、ヴァイス達は帰るべき場所を得る事が出来た。感謝してもしきれない。

「今度私も料理始めて見ましょうかね?」

「お前が作るとなると甘口カレーとか作りそうだな。ま、前とは違って時間はたっぷりある。趣味を持っても損はないだろう。なんでもやってみるがいい」

「人様に見せられる腕になったら真っ先に社長殿に振る舞いますよ」

「はは、期待しないで待っておくとしよう」

 その後もヴァイスのターニャの肉じゃがを食べる腕は止まらず、何度かお代わりをした彼はこの穏やかな時間を満喫したのであった。

 

 

 今や懐かしき記憶、過去に戻ってきて再度戦時下を体験したヴァイスであったが、兵として大ベテランであっても我慢ならなかったのが食事である。ターニャのニクジャガの味を知っている今のヴァイスにとって、味のしない芋は拷問に近かった。

 芋を食べれば食べるほどニクジャガへの思いは募っていった。だが流石に戦時下は無茶だったので、今になってやっと行動を起こせた次第である。といっても肝心のショウユがなかなかに探せないのであるが。

「ここもないか」

 最初こそ気合十分であったが、空振りも6件ともなると気がめいってくる。まあ手に入ったとしても料理初心者がレシピもない状態で作るはめになるわけだが。ぶっちゃけ手に入ったとしても材料ごと台無しになる可能性大であった。

「諦めるしかないか……しかし食べたいものは食べたい」

 どうするか、と考える事数十秒、後ろから声がかかった。

「なんだ? ヴァイスか」

「これはこれはデグレチャフ少佐、奇遇ですね」

 まさかのターニャご本人の登場である。

「こんなところにいるのは珍しいな」

「ちょっと探し物をしていたんですよ」

「食料品店でか? 自炊でもするのか?」

 自炊はしないが食べたいものはある。そう素直に言うのは憚られるのでヴァイスは適当に理由をつける。

「料理はさっぱりですが……前まであれだけ忙しくしていたので、休暇中何をしていいか分からなくなりまして。時間を無駄にするのもなんですし、試しに始めて見ようかと」

「普通に遊べばいいだろうに……貴様は酒癖が悪いんだったな」

「恥ずかしながらここいらのお店はほとんど出禁です」

 ヴァイスは酒のみの中でも特に厄介な絡み酒の持ち主だ。特に女性に寄って行くときなんかは最悪極まりなく、ただのエロ親父でしかない。ヴァイス本人はその時の記憶は忘れてしまうタイプのため、皆から言われてもあまり信用していなかったのだが、その結果が今である。

 しかしながらこうした汚点があったからこそ、『料理を始める』というトンデモ案でも素直に信じてもらえたのだから、何がどう転ぶか分からないものである。

「まあ料理と言うのも悪くないもんだぞ」

 そう言えばなぜターニャがここに来たのだろう。思わせぶりな発言にヴァイスの期待は嫌が応にも高まる。ターニャが持っている買い物かごには生の食材がそのまま入っている。となると答えはほぼ決まったようなものだ。

「デグレチャフ少佐も自炊のためにここに?」

「ああ、ちょっと面白いものが手に入ったんでな。本当は専門家にやってもらいたいところだが、私が食べたいのは異国の料理。下手に任せるよりも自前の方が、まともになりそうなんであえて自炊する事にしたわけだ…ってどうした? 呆けた顔をして」

「その、面白いものとは?」

「ああ、醤油と言ってな。秋津島皇国の調味料だ。いわゆるソースの一種だな」

「!!?」

 こんな偶然があっていいものなのだろうかとヴァイスは驚愕する。食料品店で出会ったからもしやと思っていたが、それが当たるなんて。ただ残念な事にここは食堂ではない。意地汚い話にはなるが、前のようにご相伴に預かりたいと頼んだって無理だろう。

(しかしこのチャンスを逃すのか? 余りにも勿体ない。後からショウユだけおすそ分けしてもらうのはどうだろう? いや、せっかくなら少佐殿のニクジャガが食べたい! でも待てよ? ショウユがあると言ってもニクジャガになるとは限らないじゃないか。でもニクジャガ食べたい。あの甘くてふんわりしたニクジャガをもう一度食べたい……少佐殿ぉぉぉ)

 必死過ぎるヴァイスの心の叫びが通じたのか、ターニャはふと思いついたように言った。

「そういえばこの前グランツの面倒を見てもらった礼をしていなかったな。ヴァイス少尉、自炊すると言っても見たところまだ何も買っていないようだ。せっかくだからこのまま私に付き合え。飲みにも行けないんだ。どうせ暇だろう?」

「よ、よろしいのでしょうか?」

 と遠慮見せつつヴァイスは内心で喝采を上げていた。あの時の俺まじでナイス!! サイコー!! 情け人のためにならずとはまさにこの事だ。ちなみに意味はかつての世界でターニャから習った。

「遠慮はいらんぞ。ただし酒だけは飲むなよ」

「わ、分かりました!」

 こうしてヴァイスは期せずしてターニャにお呼ばれする事になったのである。

 

 

 ちなみに戻ったのはターニャの家、ではなく宿舎だ。平時となってもまだまだ203航空魔道大隊は忙しいため、ターニャも含めて宿舎暮らしである。お金は相当溜まっているが、贅沢な暮らしとは早々いかないのが世知辛いところである。だからといって豪邸に住みたいなど誰も思ってはいないだろうが。

 宿舎の食堂に入るとそこにはヴィーシャが待っていた。

「あれ、ヴァイス少尉ですか? 他の皆と遊びに行ったのでは?」

「こいつは店から出禁くらってるらしくてな。時間持て余していたようなので連れてきた」

 ヴィーシャは出禁と聞いて顔をしかめる。ヴァイスの酒癖の悪さは知れ渡っており、特に女性陣にとってすこぶる評判が良くない。もはや言い訳しようもないのでヴァイスは笑ってごまかすしかできなかった。

「なかなかに運が良いですね。よりにもよってこの日とは……」

「という事はセレブリャコーフ少尉も?」

「ええ、少佐殿の食事はいつも私が出していますからね。今日の夕食は自分で料理するからいらないって言われたので、手伝いする代わりにご相伴に預かる事にさせていただきました」

「なるほど」

 当たり前っちゃ当たり前の話であった。今の生活であればヴィーシャが同伴して然るべきである。一人納得しているとヴィーシャはジド目でヴァイスを見る。

「今回は抜け駆けさせませんよ」

「うぐっ」

 実のところヴィーシャはかつての世界で、ヴァイスがターニャの料理を独り占めしたのを根に持っていた。というのもZAS社の社長であるターニャはいつだって忙しく、彼女が料理する機会はあの夜食以降、一度もなかったのだ。

 完全に私怨であるがヴァイス自身、例えばケーリッヒやノイマンが先に食べていたとしたら、絶対嫉妬していたと思うので、ヴィーシャに強く出れず困ったように頬をかいた。

「ま、いいでしょう。実はちょっと仲間が欲しいなと思っていたところなんです」

「というと?」

「私はこれから少佐殿の準備を手伝います。料理は多少覚えはありますから。でもその間誰か帰ってくる事もあるかもしれません。そうなると……」

「そういう事か」

「ええ、少佐殿の料理は皆食べたいはず。もしも皆にばれたらここは……」

「地獄と化すな。分かった。調理中の見張り役は引き受けよう」

「宜しく頼みます!」

 ここに悪魔の協定が結ばれた。普段は寛容な二人もターニャの料理となれは悪魔にもなる。何せ203魔道大隊はその名の通り大隊で大人数だ。いくらターニャが料理できようともプロの調理人ではない。全員分一気には作れないのだ。彼女の料理にありつけるのは選ばれし者のみなのである。ターニャ大好きランキング上位ランカーの二人がその権利を手放すわけがなかった。

 

 

 そして調理が始まっておよそ一時間、誰かが帰ってきたなどという問題は特に起きず、ヴィーシャからお呼びの声がかかる。期待を胸に食堂へと足を踏み入れたヴァイスの目の前には夢にまで見たものがあった。そう、肉じゃがである。

「おお……ニクジャガだ……またこの目で見れるなんて……」

「これが……夢にまで見た少佐殿の……」

 二人から感嘆の声が漏れる。目の前に出されたそれは湯気が立っており、旨そうな匂いが鼻腔をくすぐる。ヴィーシャなんかはすでによだれを垂らしていた。さらに言えば今回は肉じゃがだけではない。

 前は夜食だから控えめであった。だが今回はれっきとした夕食である。ヴァイスが耳にしていた焼き魚、みそ汁なるものとも対面できたのである。ちなみにコンプリートしたはずのターニャであったが、今度は「後は漬物があれば……」などと言っていた。

「ツケモノ、ですか?」

「要はピクルスのようなものだな。まあいい。今回はこれで十分だ」

「ではいよいよ……」

「ああ、食べるとしようか」

「はい!」

「ぜひ!!」

 帝国に『いただきます』の習慣はなかったが、二人はターニャがやったのをそのまま真似る。そして言い終わった瞬間、二人は速攻で料理を口の中へとかけこんだ。

 長い時を経て再度巡り合う事が出来た肉じゃがの味は最高であった。感動の再会にヴァイスは震える。思わず出かかった涙をこらえ、あの甘くて優しい味を堪能した。一方でその横ではヴィーシャがすごい勢いで食べていた。今の彼女はまるで頬に種を詰め込んだリスだ。そう、彼女は意外と大食漢なのである。

「そう、この味だ! この味を求めていたんだ!!」

「はふっはふっ」

「二人とも凄い食欲だな」

 ターニャは呆気にとられた様子で二人の食べっぷりを見ていた。「旨いから当たり前です」、そう返そうとしてヴァイスがターニャに向き直ったが、ふと彼女が優しく微笑んだのを見てしまい言葉を失った。

 かつてターニャは肉じゃがをおふくろの味と言ったが、今になってようやく理解できた。目の前にいるターニャはかつてとは違いまだ幼女であるが、今の彼女は慈愛に満ちた母親そのものであった。そう、肉じゃがはまさしく母の味なのだ。

 ふとヴァイスの脳裏にあの時言った言葉がよぎり、己の感情に任せるままそれを口にした。

「やはり少佐殿は強くて美しいですな」

「んな!?」

「ちょっ!?」

 ヴァイスのいきなりの女性として褒める発言にターニャとヴィーシャが固まる。決して悪い言葉ではなかったがタイミングが最悪だ。二人きりならともかくとして、こういう場でも軟派な発言してしまうのがヴァイスがヴァイスたる所以である。

 

 この後ひと悶着あったのだが、きちんとターニャの料理は完食しましたとさ。

 

 後にこの事実を知った203魔道大隊の面子(+レルゲン)が、ターニャの料理を求めて血みどろの争いを繰り広げるようになるのは、もう少し後の話である。

 

 

 




肉じゃが、美味しいですよね。




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短編その2 レルゲンさんはターニャちゃんと遊びたい

これを書いた当時、長い出張開けた後で、
創作したいのにできない、割と鬱憤溜まってた中での執筆だったので、
ちょっと変なテンションはいっており、内容は割とギャグ寄りです。
レルゲンさんの奮戦をお楽しみください。



 

 

 協商連合、フランソワ共和国との停戦後、各国で緊張状態はまだあれど、どこか攻めてくるような事はなく、平和そのものの帝都の昼下がり、天気は快晴、絶好の散歩日和となった中、レルゲンは一人自室で頭を抱えていた。彼の様子を一言で言うと「やっちまったぁー」である。

 本人としては何気ないやり取りであるはずだった。ターニャと定時連絡が一段落した後の事である。戦時中であった昔はお互い次の仕事に直行していたわけであるが、割と余裕のある昨今ではすぐに去るような事はせず、他愛ない雑談をする事も少なくない。

 と言ってもお互い職人気質というか、あるいは軍服を着ているせいか、雑談といっても軍事関係が多くなるわけだが。それはそれで楽しくはあるのだが、レルゲンはその日、もう一歩踏み込もうと思っていた。

 そこで出番となったのはとりあえず話題を作るための定番、「休日何をしているの?」である。普通であれば実に無難な選択である。相手に会話の主導を渡し、そこに合わせていく。仲良くなるための重要テクニックだ。だがターニャにとってはそれこそが特大の地雷であったのだ。

 初めターニャの答えは自室での読書であった。確かにレルゲンはターニャに勤勉なイメージを持っており、読書好きも納得できたが、どこか仕事の延長線上にしか思えない。故にレルゲンは訪ねてしまったのだ。

 

「外で遊んだりはしないのか?」

 

 それこそが禁句であるとは露知らずに。

 

 

 

 

 

 レルゲンの質問にターニャは驚いた表情を浮かべたが、徐々に目が濁っていく。予想外の反応にレルゲンは面食らう。何か、何かがおかしい。普通の質問であったはずなのに空気が重くなったのはなぜか、レルゲンは冷や汗を禁じ得なかった。

「レルゲン中佐、そこを……そこを聞きますか……」

 ターニャは普段は見せないうつろな表情でレルゲンに迫る。

「小官は、私だってしたい事はあるのです」

 ターニャが「私」を使う時は本音の時である。本音を語ってくれる事をちょっと嬉しく思うレルゲンであったが、それ以上にターニャから発せられる負の気に当てられて、思わず後ずさる。

「戦時中ならともかく、今の貴官ならできない事はないだろう?」

 気圧されつつも問い返す事が出来たのは流石レルゲンと言ったところか。ただこの時点で気づけなかったのが致命的であった。

「レルゲン中佐は一つ忘れている事があります」

「……なんだろうか」

 

「レルゲン中佐、私は……何歳に見えますか?」

 

「っ!!!!!?」

 その時レルゲンはやっと己の失言を悟った。

「別におしゃれをしたいとか、そういう柄ではありませんがね。それでも人並みに服を欲しいとか、どこかで美味しいものを食べたいとか、演劇を見たいとかあるわけですよ。でも私が軍服着ないで私服で歩いていると、まず真っ先に聞かれるのが「お母さんはどこ?」です。後は「こんな可愛い子を置いて親は何をしてるんだ!!」とか……」

「デグレチャフ、もういい! すまなかった!!」

 しかしパンドラの箱は既に開けられてしまった。レルゲンが止めようとしてももう遅い。

「皆が皆、善意なんですよ。騙して誘拐とかそういう輩がいないのは帝国軍人として誇らしいのですがね。善意だからこそキツイものがあるというか……」

 目のハイライトが消えて淡々と語るターニャの様子は一種のホラーである。例えが具体的である事から、彼女の言っている事は実際あった事なのだろう。ターニャ自身、相当ため込んでいたのか、溢れだしたらもう止まらない。

 その後、レルゲンは何とかターニャをなだめようと奮戦したが、とうとうそれも叶わず時間切れと相成り、話は冒頭へと戻る。

 

 レルゲンはうっかり忘れていたのだ。彼女は外見上ただの幼女である事を。過去に人一倍、彼女の実年齢及び外見が幼女である事に固執していたはずのレルゲンが、周囲の視線について考えもしなかったのは皮肉であった。

 過去はともかくとして、今のレルゲンにとって、ターニャは幼女の姿であっても、すでに精神が成熟しているのは認めるところであり、一人の大人として対応するのが当たり前となっていた。これはレルゲンだけでなく、第203航空魔道大隊の面子も、ゼートゥーアですらそうであろう。そして軍人であれば『白銀』は誰でも知る英雄だ。そう、軍人であるのなら。

 では一般国民ならどうか? 一般国民にも『白銀』の名そのものは知れ渡っているであろう。プロバガンダで使用した映像もあり、彼女の容姿だって割れてはいる。だがそれも軍服、あるいはプロバガンダに使用した映像のドレス姿ありきだ。まさかあの白銀が私服で歩いているなんて想定もしないだろう。

 

 可愛い幼女が一人で街を歩いている。 → 保護しないと!!

 

 となるのは道理なのだ。そしてターニャが言うように悪意を持って接する輩はおらず、完全に100%純度の善意で動いてくれているため、国民として褒められこそすれ、非難されるべき要素は一つもない。だからこそ余計にいたたまれないわけだが。

 

 レルゲンとしてはターニャと休日を一緒に過ごすきっかけを掴むために、選択肢としては無難な質問をしたつもりであったのだが、それこそが特大級の地雷であったのであった。好感度マイナスは必然、今まで地道に稼いできたものが帳消しになったレルゲンは必死に頭を回転させる。

(なんとか、なんとか挽回せねば……!!)

 起きてしまった事は仕方がない。トラブル処理の基本はまず素直に謝る事である。非がないのであればともかく、完全に黒の状態での言い訳は見苦しいだけだ。潔く非を認め、誠意を持って謝り、そして怒りが冷めたところでお詫びの品を出す事で円満に解決させる。

 現代社会におけるクレーム処理みたいな事を考えるレルゲン、謝罪の仕方はいつどの時代であろうとも同じであった。一番肝心な所はお詫びの品だ。起死回生の一手はここにこそあるはず。冷静になってくると元から頭のいいレルゲンの事、高い論理力をいかんなく発揮する。

 ターニャは少なからず現状に不満を持っている。そしてそれは本人では解決しきれない部分だ。もしそれを解消できる何かをレルゲンが提示出来たら、レルゲンの好感度は急上昇間違いなしである。ピンチこそ最大のチャンスなのだ。

 

 意外と思うかもしれないが、レルゲンの選択肢は多岐にわたった。

 実のところレルゲンは多趣味である。厳密的に言えば多趣味に『なった』。レルゲンは晩年に絵をかき始めたわけであるが、絵はただの想像で補うにはどこかで限界がある。

 例えば椅子だ。モデルがなくとも何となく描く事は可能であるが、資料があればその精密さは格段に上がる。実物があればもっといい。

 レルゲンはもしターニャと一緒に描きたい物の現物を手に入れたら、絵に普段映らないであろう底面などもひっくり返して見たりなど、細部までしらみつぶしに見た。

 全ては絵の質を上げるための物であったが、なかなかどうして裏に隠れている匠の技などは面白くて、仕組みを理解しようと分解までしてしまったくらいだ。

 レルゲンの興味は物だけでなく、経験にも向けられた。物の仕組みが面白くなってくると、今度は物の歴史まで知りたくなるのは道理である。そうして自分の中で納得できたものを描いた時は一つレベルが違って見えた。

 最後に行きつくのは風景などだ。レルゲンの晩年頃は写真がすでに一般的に普及しており、簡単に絶景と呼ばれる類の物や、有名な建築物などを見れるようになっていた。だがレルゲンは老体を引きずっても実際に見に行く事に拘った。見たい景色はそれ単独ではなく、そこに行くまでの過程、つまり旅の記憶も重要で、すべてがセットになって一つの物になるからだ。自分の経験として得たものは他人の経験と密度がまるで違う。

 元から凝り性のレルゲン、そこに自由な時間を与えたらどうなるか? 若い時ではなく晩年からのスタート、初めこそ恐る恐るであったが、一つ一つ趣味を増やしているうちになんか吹っ切れて、凄い事になっていたわけである。

 かつてのレルゲンの描いた愛しの君シリーズはもちろんターニャが主賓である。だがそこに本当に彼女がいるように見える不思議な魅力は、ターニャ以外の物との調和があってのもの。レルゲンが自分の経験として色んな物事を消化していった賜物であった。

 

 経験は人生を豊かにするとは良く言ったものだ。

 

 そんなレルゲンがぱっと思いついたのは釣りや登山などのアウトドア系であった。これだと人に会う事も少ないはずだ。だが釣りは合う合わないはっきりしているし、登山はぶっちゃけ軍の行軍の訓練と変わりないのではと頭を悩ませる。ターニャの好みがはっきりと分からない以上アウトドア系は博打が過ぎる。

 後人の目を気にしなくていいと言えば、部屋でもできるカードやボードゲームといった類の物であろう。といってもカードは第203魔道大隊でもよくやっている事で、たまにターニャも参戦していたりすると聞いた事がある。新鮮味に欠けはするが、敷居が低い分こちらの方が確実であった。

 狙うのは逆転ホームラン(合州国で一度本場を観戦済み)よりも着実な一手、でもその中でも最高を狙う。この時点でレルゲンはインドアで何か目新しいものに焦点を絞る事を決めた。

「そういえば彼女は秋津島皇国の物が好きだったな」

 どのようにしてあのような極東の地の事を知ったのか謎であるが、ターニャは秋津島皇国の物を良く好んだ。料理や文化は元より、言葉まで精通している。言葉はそれこそ203航空魔道大隊の暗号に使われているくらいだ。

「秋津島皇国のものか……何かあるだろうか?」

 かつての世界では世界中と国交が開かれていたが、帝国はなんとか停戦にこぎつけたとはいえ、戦争が当たり前の今はそうではなく秋津島皇国の物は非常に手に入りにくい。ちゃっかり秋津島皇国から紙や筆を輸入している者達がいる事なぞ、レルゲンには知る由もなかった。

 ターニャは考える事が好きなのか、人と議論する事自体を楽しんでいる節がある。だとすれば仲良くやるタイプではなく、頭を使って対戦できるようなゲーム性があったものが好まれるかもしれない。

 

 ただしカードは除く。

 

 絶対カードは除く。

 

 いつもやっている遊びだからという理由もあるが、それ以上に203魔道大隊には豪運だけで全てを持って行く『カードの悪魔』、ヴィーシャがいるのだ。一度彼女が参戦すれば金を根こそぎ持って行かれ、辺りは焦土と化す。

 ポーカーで彼女の繰り出したロイヤルストレートフラッシュ5連続(しかもドローなし)は今では伝説となっている。途中でシャッフルする人を変えても逃げられなかったほどだ。皆の有り金が尽きたために5連続で終わったが、もしも余分に資金があった場合、さらなる記録が生まれていたかもしれない。

 運の絡むゲームが強い奴は他のゲームでも鬼強い。某国で教えてもらった麻雀という牌を使用する遊びがあるのだが、生まれ持っての引きの強さというのはあるらしい。豪運を持つ者を相手にする場合、どれだけ理論武装しても理屈の上を行かれてしまうのでどうにもならないのだとか。

 レルゲンとしては自分とターニャが二人で楽しめるのが第一ではあるが、せっかくなら他の人と対戦して楽しんでもらいたくもある。その候補として上がるのはやはり、ターニャにとって同性で気軽に誘えるヴィーシャなわけで、彼女の鬼神のごとき強さを発揮させないためにも運の要素は省くべきだろう。

 つまり用意するべきは運の要素が一切ない完全に実力勝負のものだ。そこまで考えてレルゲンは執務室の端にある、ただの飾りと成り果てていたチェス盤に視線を向けた。

「つまりはこういうものだな。だがこれでは些か芸がない」

 チェスと秋津島皇国、そういえば秋津島皇国にもチェスと似たようなルールのものがあったなと、レルゲンは思い至った。

「よし!」

 

 

 

 後日、ヴィーシャが入用で雑貨屋で買い物をしていた時の事であった。会計を済ませて外に出ると、見知った顔がいたような気がした。というのも顔は間違いなく知人なのだが、その恰好が知らない人そのものだったから。

 作業着姿にフェイスカバー付きのヘルメット、手に持っているのはまさかのチェーンソーである。そしてフェイスカバーの奥には見知った眼鏡が鎮座している。

 

 ちょっと意味不明すぎる。

 

 ヴィーシャが特定するのを避けたのは、それを頭が理解するのを拒否していたからであった。このまま他人のふりをして素通りしてしまいたい思いに駆られるが、これを見逃した事で問題があっても困る。大きくため息をつくと渋々ヴィーシャは声をかける事にした。

「あの、レルゲン中佐……ですか?」

「ああ、セレブリャコーフ少尉か」

 聞きなれた声からしてレルゲン確定! 

 

 ヴィーシャは思った。神は残酷だと。

 これが夢であったらどれだけ良かったか……

 

 これもきっと我らが大隊長殿関係なんだろうなぁとヴィーシャは乾いた笑みを浮かべる。ヴィーシャ自身も大概ではあると自覚しているが、レルゲンもターニャが絡むと何か頭のねじが一つ外れる。

 一体この御仁は何をするつもりなのか? いや、やりたい事は分かる。恰好がここまであからさまだと答えは一択だ。問題はそれをして何になるのかという事だ。

「レルゲン中佐は、その……何をするおつもりで?」

「ちょっと木を切ってくる」

 うん、それは分かる。ヴィーシャが知りたいのはその先だ。

「ちょっと作りたいものがあってな。しかしちょうど良い木材が売っていなかったから自分で現地調達しようかと」

 なぜそこに行きつくのか。普通ない物に対しては取り寄せ、あるいは代替品を探すとかだろう。胃もたれ起こしそうな程やる気に満ちているレルゲンに、すでにヴィーシャはげんなり気味だ。

「でも木材加工品なんて普通買える物じゃないですか?」

 そう、木材は別に珍しいものじゃない。その加工品だって至る所にある。ヴィーシャにはレルゲンがそこまでする理由が今一ピンとこなかった。

「木材加工品でも残念ながら今の帝国では知られていないものだからな。最初設計図だけ渡して、専門の者に依頼しようかとも思ったが、どういうわけかうまく行くイメージが持てなくてな」

 その時点でヴィーシャは大体察した。レルゲンの作りたい物は誰も作り方が分からない物、すなわち異国の物だ。ターニャに関連するのであればそれはきっと

「つまりは秋津島皇国の物なんですね」

「流石に察しが良いな」

 過去はただの天然ちゃんだったかもしれないが、今のヴィーシャは物腰が柔らかいだけであって、頭はかなり切れる。伊達にターニャの副官を続けていたわけじゃないのだ。

「隠しておいた方が良いです? 伝えておいた方が良いです?」

 ヴィーシャの申し出に対してレルゲンは驚きの表情を見せた。

「意外だな」

 レルゲンとヴィーシャは階級が違っており、上官と部下の間柄ではあるが、どちらもターニャ狂い筆頭でライバル関係でもある。よってレルゲンはヴィーシャがターニャに対するポイント稼ぎを嫌がると踏んでいたのだが、ヴィーシャはむしろ協力する姿勢を見せた。「意外」はそれ故の言葉であった。

「小官は大隊長殿の幸せが何より優先ですからね。本当に喜びそうなものであるのなら邪魔はしませんよ」

 何か確信があるのか、ヴィーシャはレルゲンが作ろうとしている物が喜ばれるのを疑っていないようであった。

「ふむ、副官のお墨付きか。一層頑張らねばな」

「良い物期待しています。それでさっきの件ですけどどうしますか?」

「せっかくだからサプライズにしたい。隠しておいてくれるだろうか?」

「了解しました」

 実に見事な敬礼を見せるヴィーシャにレルゲンは笑みを見せた。レルゲンにとってヴィーシャはライバルではあるが、ターニャを支える彼女には敬意を持っていたし、このようなターニャを喜ばせるために会話できるのは嬉しくもあった。

 レルゲンは感慨深いものを感じざるを得なかった。実のところかつての世界、一週目とでも言えばいいか、そこでレルゲンがヴィーシャとじっくりと話す事が出来たのは、ターニャ亡き後の事であった。

 初め二人の関係は仲が良いとはお世辞にも言えなかった。レルゲンにとってヴィーシャはターニャを支えきれなかった者で、ヴィーシャにとってレルゲンはターニャを守ってくれなかった者というスタートラインだった故、二人のお互いの心象は最悪だったのだ。

 結局二人とも己の力不足に対する八つ当たりをしていただけなので、徐々にその仲は改善されて行き、ターニャの想い出談議に華を咲かせる仲まで回復したわけであるが。

 普通であればそこから恋愛感情までとかありそうなものであるが、ターニャに対する思いが強すぎたのか、はたまた仕事が忙しすぎたのか、二人がそっち方面に発展する様子はなかった。男女の仲というよりは戦友と言ったところか。

 今では当初の刺々しさはあるものの、どこか気安さもある不思議な関係となっていた。

「平和であるという事は素晴らしいな」

「全くです」

 二人はかつての戦乱の日々を思い、今ある平穏をかみしめる。ターニャがいてかつての帝都がある、ここにいる事が出来る奇跡は、何物にも代えがたいものであるとしみじみと思った。

「では行ってくる」

「ケガなどなされないようにしてくださいね」

 レルゲンの晩年を知るヴィーシャは、彼が怪我をするなど露ほどに思っていなかったが、一応のお約束はしておくべきだろう。はてさてどんなものが完成するのやら、それなりの期待とちょっとした不安を持ちつつヴィーシャもその場を後にした。

 

 

 レルゲンが山へ旅立ってから3日がたった。その日ターニャは執務室で唸っていた。仕事は順調そのもののはずであったが、今朝来た依頼書こそが、ご機嫌だったターニャを一気に地の底まで引きずり下ろした。その依頼内容はというとドクターシューゲルの新実験の協力申請だ。

「何故この男はいつも私を名指しで指名してくるのか……」

 ターニャは過去に理不尽な実験に付き合わされまくった事がトラウマとなっており、ドクターシューゲルは大の苦手としていたのであるが、この男、ターニャが忘れかけた頃に必ずやってくるのだ。ターニャにとっては天敵であっても、ドクターシューゲルにとってターニャは何時でも結果を出してくれる最高のパートナーだ。

 たちが悪いのは彼の持ってくる案件は基本的に重要性が高く、断りずらいものばっかりなところだ。どこかに粗がないか隅々まで目を通しても、理論武装は完璧で反論できそうもなく、いつだってターニャは心の中で涙を流しながら承諾のサインをする羽目となるのである。

 今日もターニャはげんなりしつつ書類にサインをすると机に突っ伏す。風呂敷を抱えたレルゲンが現れたのはそんな時であった。

「デグレチャフ少佐、ちょっといいだろうか」

「これはレルゲン中佐、どうしたんです? 風呂敷とはまた珍妙な」

 割と失礼なターニャであったが、風呂敷が帝都ではあまり見ない唐草模様ともなればそんな反応にもなろう。怪訝な表情を浮かべるターニャであったが、レルゲンは特に気にもせず先を続ける。

「この前のお詫びとでも言えばいいか」

「お詫び……でありますか?」

 心当たりがなく首をかしげるターニャ、この前のレルゲンの失言は当の昔に忘れていた。それもそのはず、ターニャにはレルゲンに悪気がなかったのは最初から分かっていたし、身体的特徴は実際どうにもならない事であるから、当たり前の事として処理をしていたのだ。諦めているとも言う。

 つまりレルゲンの不安は徒労だったわけだが、だからといって送り物を渡さないという手はない。せっかく己自ら木まで切って作ったものなのだ。特別な理由がなくても渡したいものは渡したい。レルゲンは期待半分、緊張半分と言った面持ちでターニャに先を施す。

「まずは見てみてくれないだろうか」

「はあ」

 興味よりも困惑が勝ったターニャは気のない返事をする。しかしこのままでいても先に進まないので、ターニャはレルゲンが差し出した風呂敷の結び目を解いた。

「これは……」

 入っていたのは二つ折りとなっていた木の板と、小箱とシンプルなものであった。ターニャはこの時点で一種の予感めいたものは感じていたものの、それが合っているか確認するためにも、二つ折りの木の板を開いてみる。

 するとそこには見慣れた黒い縦線と横線が引かれていた。それぞれ10本ずつ、マス目にして81マス、ここまで来るともう疑いようなかった。小箱を手に取り中を開けてみると、独特な5角形に漢字が書かれたコマの数々、そこにあるのは小さき戦争、

「将棋……でありますか」

 まさかの古き故郷のボードゲームとのご対面にターニャは目を丸くする。喜びなど感情を表すよりも純粋な驚きの方が強く、しばし呆然としていたターニャであったが、本物かを確かめるようにコマを一つ一つ手に取って描かれた文字を確認する。己の記憶と全く相違ない事を確認するとようやく面を上げ、ターニャはレルゲンに向き直った。

「これを私に?」

「最初は休日に外で遊べる方法を探したんだが、全く案が思いつかなくてな。そっちの方は貴官の副官に任せる事にした。よって私の方からは部屋の中でも遊べるものを用意させてもらった次第だ。本当はチェスにしようかと思ったが、貴官が秋津島皇国が好きなのは知っていたのでな。せっかくだから似たルールの将棋にしようと思い至ったわけだ」

「なるほど……」

 ターニャは前世で日本人として生きていた時の頃を思い出す。将棋は特に珍しいものではなかった。ルールは知っているし遊んだ事もあるが、特別好きだったというわけではない。しかしながら異国でのまさかの再会は不思議と嬉しく、リアルな戦争を経験した今、将棋をやるとどう感じるのかと興味もムクムクと湧いてくる。

 そのターニャの心情は微笑みとなって表れた。いつもの周りを鼓舞するような勝気な笑みではなく、心温まるような朗らかな笑みだ。

 

 その時レルゲンとヴィーシャに稲妻が走った。レルゲンとヴィーシャのハートにクリティカルダメージ! 

 だがヴィーシャはプロフェッショナルである。鼻を抑えつつも演算宝珠でしっかり映像を保存するのを忘れない。永久保存確定である。

 

「ありがとうございます。しかしこのような物、良く見つけましたね」

「いや、実は探そうとしたんだが見つからなかったんだ」

「しかし現物はここにあるではないですか?」

 

「作ったんだ。私が」 

「……え?」

 

 重い沈黙があった。困惑するターニャにレルゲンは駄目押しする。

「……私が、作った」

 

「マジですか?」

「マジだ」

 己の軍人としての口調を忘れるくらい困惑するターニャに、真顔のレルゲンが即座に応える。さらにそこから追い打ちをかけるように説明が続いた。

「木を切って、加工して、線を引いて、字も書いた。ちゃんと墨と筆でな。本当は折り畳み板ではなくしっかりとした台も作りたかったんだがな。沢山の人とやるのであれば携帯性を重視した方が良いと思ってこうした。その代わりコマはしっかり拘わらせてもらったよ」

 レルゲンは一つコマを手に取ると「なかなかだろう?」とターニャに問いかける。一方で脳のキャパがオーバーしたターニャは完全に固まってしまった。

 

 奇しくもこの瞬間、レルゲンは初めてターニャの思考を超えた。  

 

 固まるターニャを見てヴィーシャは思った。そりゃそーなるだろうなぁーと。何せターニャは、絵師としてのレルゲンを知るヴィーシャと違って、彼の並々ならぬ職人気質を知らない。軍人レルゲンとしての姿しか知らないのだ。

 恐るべくはレルゲンの技術の高さだ。ヴィーシャが見るに、ターニャはレルゲンの持ってきた将棋盤を買った物として見ていたに違いない。つまりは本物と比べても遜色ない出来なのだ。今もターニャは信じられないと言ったように、今一度コマを手に取って手触りを確かめたり、将棋盤のマス目を触ったりしている。

 レルゲンは大成功と言わんばかりに満足気だ。レルゲンが見たかったのはまさにターニャのこの表情である。普段驚かされる身であったレルゲンは、いつかやり返してやろうとチャンスを伺っていたのである。

「何と言えばいいのか……」

 再度の確認を終えて、ようやく頭の中の整理が追いついたのか、ターニャは徐にレルゲンに向き直る。

「正直聞きたい事は山ほどあるのですが、それは一度置いておいて」

 事実上のツッコミ放棄宣言であった。それは正しいとヴィーシャは思った。あの休日に出くわしたレルゲンはとても突っ込みきれるものではない。突っ込む事を放棄したターニャに残っているのは純粋な喜びだ。

「その、嬉しいものですね」

 再度訪れる至高の瞬間、ターニャの柔らかい笑みに二人は癒される。良いものは何度見ても良い。

 しかしながら将棋は見るものではない。遊ぶためのものだ。

「ちなみにレルゲン中佐、まだ時間はおありですか?」

「ああ、最近は平和だからな。時間はたんまりとある」

 となるともちろんこの後する事は決まっている。

「せっかくですから一局いかがですか? 作ったからにはルールもご存じでしょう?」

 ターニャの誘いを待っていたと言わんばかりにレルゲンは彼女の提案を快諾する。

「もちろんだとも。手加減はしかねるがいいか?」

「望むところです、と言いたいところですが私はそんなに強くないですよ? ルールは知っていますがやるのは初めてです」

 今回の人生では、とターニャは心の中で付け足す。それを知ってか知らずか、レルゲンはターニャの初めて発言を全く信じていない様子であった。

「貴官の自己評価は当てにならん。それに私だって数回やったくらいの素人だ。条件はほぼ同じだろう」

 既に勝負は始まっている。情報戦をしながら二人は手際よくコマを並べていく。そしてお互いの準備が整った後、先行を譲ってもらったターニャは、いつもの不敵な笑みを浮かべて最初の一手を指した。

 

「ではお手やわらかに」

 

 初手、2六歩

 

「初めてのくせに躊躇なく来るな。さて私は、と」

 

 返しのレルゲンの手は―――

 

 




 というわけで将棋で遊ぶターニャとレルゲンさんでした。勝負の結果もいろいろ考えたのですが、ここはあえて語らない方が良いかなぁと。王道で二人が熱き勝負を繰り広げるもよし、ルールありきの勝負であればレルゲンの圧勝だったとかも面白い。したり顔のターニャが衝撃の2歩(反則負け)をするなど、妄想が膨らみます。皆様は勝負の行く末はどうなると思いますか?
 木こりレルゲンさんは完全な悪ノリですね。勢いを求めたらこうなってました。でも個人的にはプライベートではどこか抜けているレルゲン像って結構好きなんですよね。
 今回も読んでいただきありがとうございました!!


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タイヤネン THE MOVIE

 正直これを愛され幼女新作と言ってもいいのだろうか? そんな問題作です。
 主役が主役ゆえ、愛され幼女あんまり関係なく単品でも楽しめる作品に仕上がりました。タイヤネンが己の悲惨な運命を打破するために頑張ります! 

※ タイヤネンを忘れている人に補足、タイヤネンは戦闘とかじゃなく、
  ジャガイモで食中毒になって退役したキャラです。

 それではどうぞお楽しみください!


 新たに設立させる第203航空魔導大隊のテストに受かり、地獄のような訓練を耐え、見事入隊を果たした。初陣では精鋭の一員として、攻めてきたダキア大公国の60万の兵を撃退するだけでなく、そのまま相手の首都にまで攻め込み、降伏させるまでに至らせた。

 その後も203大隊は破竹の勢いで戦局を次々にひっくり返して行き、男はここは生涯の住処となると確信した。その矢先の事であった。

 

「なんだ、これは……腹、腹が猛烈に!!」

 

「大隊長どのぉぉぉぉぉ!! 無念でありますぅぅぅぅ!!!」

 

 

 その男の名はタイヤネン、運命にもて遊ばれし者……

 

 

 

 

 

 タイヤネン THE MOVIE

 

 

 

 

 

 タイヤネン、彼こそは唯一の第203航空魔導大隊の脱落者である。戦死したわけではない。負傷したわけでもない。彼が脱落してしまった理由は痛んだイモによる食中毒だ。たかが腹痛というなかれ。ジャガイモの食中毒は死者すら出た事がある危険なものだ。

 しかもタイヤネンは屈強な軍人、肉体を維持するために必要なエネルギー量は一般男性のそれよりも多い。だからこそ症状はもろに出た。一命こそとりとめたが、軍人を続ける事ができないくらいに衰弱し、軍人復帰後に第203航空魔道大隊に戻る事はかなわず、裏方として支援に回らざるを得なかった。

 仲間たちが過酷な戦場で戦っているにもかかわらず、自分はのうのうと暮らしている事実は、誇り高い彼には耐えがたく、彼女らの善戦虚しく敗戦と相成った時は涙が止まらなかった。

 戦争は結局のところ数だ。自分一人がいたからどうこうなるという話ではなかったが、それでも一緒に戦う事が出来なかった事は、タイヤネンにとって一生ものの後悔であり、生涯その悔しさを忘れる事はなかった。

 

 来世では今度こそ皆と共に。そう胸に秘め、彼は逝った。

 

 

 

「おい、タイヤネン、タイヤネン准尉」

「……ん?」

「もう起床時間だぞ。遅刻したら大隊長殿に何されるか分からんぞ」

「ケーニッヒ中尉? ………っ!!!?」

「お、おい!? 急に立ち上がってどうした?」

「お、お化け!!? 化けて出てきたのか?」

「は?」

「いや、違うか。俺は死んだんだ。つまりここが死後の世界か。そうなんだな」

 タイヤネンが信じられない光景に呟いていると、突如げんこつが落とされる。年を取ってから経験がなかった頭の衝撃に顔をしかめると、呆れた様子のケーニッヒが洗面所を指さして言った。

「アホな事言ってる場合か。さっさと顔でも洗って目ぇ覚ましてこい」

「あ、ああ」

 言われるがままベットから降りると今度は体に違和感を覚える。動きがスムーズなのだ。ひざ痛でなかなか立ち上がれなかったというのに。程なくしてタイヤネンは自分の手にしわがない事に気づいた。ある予感がして恐る恐る自分の頬に手を伸ばしてみる。

「や、柔らかい」

「乙女か!! お前今日どうしたんだ?」

「ケーニッヒ中尉、今日は何年何月何日でありますか?」

「何年? そこから? 何で?」

「お願いであります! 何年何月何日でありますか!!?」

「○○年○○月○○日だよ。これでいいか? 分かったらさっさと」

「ケーニッヒ中尉ぃぃぃぃぃぃ!!!」

「え、ちょ、何。嫌、犯されるぅぅぅぅぅ!!?」

 感極まったタイヤネンはケーニッヒに抱き着くとキスの嵐をお見舞いする。タイヤネンは確信した。自分は過去に戻ってきたのだと。

 辺りを見回せば遠い記憶が呼び起される。懐かしい地に懐かしい仲間、タイヤネンは歓喜した。やり直すチャンスが与えられた事に。その事を証明するかのように執務室へと向かう若き幼女の時のターニャを見かける。

「大隊長殿ぉ!! おはようございます!!!!」

「ん? おお、タイヤネンか。今日は元気だな」

「はい、本日の小官はパーフェクトです!!!!」

 疑問の視線を投げかけるターニャに首を振るケーニッヒ、やっと解放された彼は満身創痍だ。二人の戸惑いを他所にタイヤネンのテンションはマックスであった。

 

 そうしてケーニッヒに多大なるトラウマを植え付けた後、タイヤネンの第2の人生が始まった。ついこの間まで老人そのものであったため、訓練に耐えられるか懸念があったが、若き日の体はしっかりと鍛え上げられており、本人の心配を他所に他の皆へ迷惑かけるような事はなかった。

 2度目の第203魔導大隊の仲間は概ねタイヤネンの記憶通りで、その直近の活躍としてはダキア大公国を降伏させている。その時期も過去の記憶と一致している事から、ほぼ同じ流れで来ている事が察せられた。

 一つ違うところがあるとすれば、敬愛する大隊長殿に容姿端麗な女性の副官がいた事だ。しかも引くほど優秀である。まさにこの上官にしてこの部下ありと言った感じだ。それとなんか大隊長殿への愛が重い。

 タイヤネンはこの後帝国が敗北してしまう事を知っている。だがその中でも第203魔導大隊、後のサラマンダー戦闘団が生き残る事も知っており、何とかなるだろうと楽観視していた。直近に危機がある事なぞ考えずに……

 

 それはある日の晩の事、タイヤネンはふと夜中に目が覚めた。

「ん、何でこんな時間に?」

 自分でも不思議に思うくらい意識ははっきりとしており、戸惑うように辺りを見回す。しかし何か起こるような様子もなく、回りは静寂そのもので皆の寝息だけが聞こえる。一度逆行という未知の体験をした故、普通じゃない事を勘ぐってしまうタイヤネンであるが、これ以上考えてもらちが明かないと思い、もう一度布団をかぶろうとした、その時だった。

 

「んお!? お……おおお」

 

 突如彼の腹から異変が起こる。猛烈な違和感から始まって、一時静寂、そして一気に来る激痛。タイヤネンは確信した。これは間違いない、食中毒だと。

 

 痛みに耐える中、タイヤネンは考えていた。一体なぜと。何故ならタイヤネンは自分が食中毒になった運命の日を覚えており、今生ではその運命の日だけでなく、その前日からジャガイモの摂取は避けていた。

 まさに完璧な作戦、後は皆と共に戦場を駆け抜けるだけ、そう思っていた。だが奴らはいる。ソラニンとチャコニンは間違いなく俺の腹の中にいる!!

「くっそぉぉぉぉぉ、負けるかぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 だがソラニンとチャコニンはプロ中のプロであった。その毒性は一級品で、一度発症してしまったからには、気合だけでどうにかなるものではない。もはやなす術はなかったタイヤネンは再度退役する流れとなった。

 彼は第2の生でも第203航空魔導大隊に戻ってくる事は2度となかった。

 

 

 そして……

 

 

「3度目の人生、か……」

 逆行も2度目ともなると落ち着きが出てくる。死ぬ間際、こうなる予感があったタイヤネンは冷静であった。まずは3度目の第203航空魔導大隊の確認だ。一通り調べてみたところ、今回もあまり変化はなかった。

 一つ違うところがあるとすれば、敬愛する大隊長殿についていた副官がイメチェンしていた事だ。何か美人というよりかは可愛らしい感じになっていた。そして大飯喰らい属性が追加されていた。しかしながら戦いでの優秀さは変わらない。

 タイヤネンは考えた。食中毒を避けるにはどうすればいいか。単純に食べない事が良いのは間違いない。前回もそう思って食事を抜いたのだ。だが前回には穴があった。ずっと気を張っているつもりだった。だがタイヤネンは一番危険な状態を失念していた。

 睡眠時である。寝てる間は何も食べないから問題ないと勝手に思っていたが、これほど危険な時間はない。前回は起きている間は食べ物を一切口にしなかった。何か食べるとしたら寝ている時にしかありえないのである。

 タイヤネンは顔をしかめた。信じたくはないが、誰か犯人がいる。俺を陥れようとする何者かが。

「一体誰が……」

 その日、タイヤネンは運命の日が訪れたら一切寝ない事を決めた。穏やか、ではないが、これといった問題もなく日常が過ぎる。それは運命の日になっても同じであった。全く変わらない同じ顔に油断しそうになるが、タイヤネンは徹底して食べ物を排除した。

 ここまでは2回目の時と変わらない。問題は夜、皆が寝静まった時だ。タイヤネンは布団をかぶりながらじっとその時を待っていた。己の心臓の音だけが聞こえる。今までに味わった事がない緊張の中、タイヤネンはひたすら待った。犯人が現れるのを。

 

 どれくらいの時が流れただろうか。もう今日は来ないのかとタイヤネンが諦めかけた時、ゆっくりとドアが開く音がした。とうとう来たかと、タイヤネンは布団の中で銃を握りしめる。

 だが奇妙だったのは足音が聞こえない事だ。ドアを開けた状態のまま、犯人は近づいてくる素振りを見せない。起きているのに気づかれたと思い至ったタイヤネンは、逃がすまいと慌てて起き上がる。

 そこに人の姿はなかった。だが目を凝らすと何かがいる。ゆっくりと空中を漂い、近づいてくる何か、それは……

 

「ジャガイモだとぉぉぉぉ!!!?」

 

 驚いたのも束の間、急に速度を上げ、一直線に迫ってくるイモを咄嗟に撃ち抜く。即座に反応できたのは訓練のたまものか。

「やったか!?」

 盛大なやってないフラグがまたここに新たに生まれた。イモはその期待を裏切らない。直撃したにもかかわらずイモを健在だった。そしてイモの周囲を覆うものにタイヤネンは驚愕する。

「防御術式……だと!? イモごときが魔法使うか!!!」

 何故かタイヤネンにはそのイモが笑ったように見えた。タイヤネンは咄嗟に窓から飛び出し、距離を取ると次弾を装填し、次の術式を組む。

 しかし次の攻撃を予期してか、イモは突如不規則に動き始めた。イモは人よりも遥かに小さい。視覚を強化してはいるものの、闇に紛れたイモを捉えるのは困難で、タイヤネンは舌打ちをする。

「このイモ、戦いを熟知してやがる!!」

 見た目はただのイモでも今までにない強敵、無理を言って銃を寝床まで持っていくのを許可してもらったのは正解だった。だがそれでも全く足りない。航空魔導師は銃だけでは本気は出せないのだ。

「くそ、演算宝珠も必要だった! なんで俺はこうも甘いんだ!!」

 相手の強さを低く見積もりすぎていた。こそこそ深夜に行動する奴なら、正面突破できない程度の実力の奴と高をくくっていた。完全な失態である。だが過去を悔やんでいる暇は今のタイヤネンにはない。目の前の危機に集中しなければならないのだから。

「ただ当てるだけじゃだめだ。誘導なんてもってのほか。速度を最大まで上げた貫通術式をぶち込まなければ、あいつの防御術式はやぶれない!!」

 後退しつつ術式を組むタイヤネン、その目はずっとイモの姿を追っていた。だからこそ気づかなかった。術式が組み終わり、銃を構えたその時だった。

 引き金を絞るはずの手に受けた強い衝撃、手から脳へと鈍痛が走り、銃が手から離れていく様をタイヤネンは呆然と見つめる。奴は何故かそこにいた。タイヤネンは一瞬イモがワープしてきたのかと思った。だが現実はもっとたちが悪い。

 死角から懐にもぐりこんできたイモは別個体であったのだ。つまり相手は……タイヤネンは驚愕する。いつの間にかタイヤネンの周囲を二つのイモが旋回していた。

「2個……だと!?」

 気づいたころには遅かった。その隙を見逃すイモじゃない。2個のイモはまるでバディ同士であるかのように息の合ったコンビネーションを見せ、片方が鳩尾への突進、そこでひるんだ隙にもう片方がタイヤネンの口に飛び込んだ。

「ぐ、ががががが」

 必死にタイヤネンは取り出そうとするが、残されたもう一個が邪魔をする。その間にもぐいぐいとイモが奥へ奥へと進んでいく。その度に呼吸が苦しくなり、とうとう限界が来たタイヤネンはイモをかみ砕いてしまった。かみ砕いたからと言ってイモの動きが止まる事無く、喉を通るのに適切なサイズになったイモ達が一気になだれ込む。この時点で両者の勝負は決した。

「の、飲み込んでしまった」

 絶望の表情を浮かべるタイヤネンをあざ笑うかのように、彼の周囲を浮遊するもう一つのイモ。もはやタイヤネンが食中毒で倒れる未来は確定した。

 タイヤネンは問いかけた。

「貴様、名は?」

 

 我ガ名ハ『ソラニコフ』、ソシテ貴様ガ食ッタノハ我ガ半身ノ『チャコニコフ』、

 大イナル神達(原作者、漫画作者、アニメディレクター)ノ意思ニヨリ貴様ノ本編復帰ヲ阻ム者!!

 

「ソラニコフとチャコニコフ……覚えた。次こそは殺してやる!!」

 

 何度デモ来ルガイイ。ソノ度ニ神ノ鉄槌ヲ下ソウゾ!!

 

 そしてタイヤネンは食中毒を発症した。

 

「ぐあぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 決意を新たにしたタイヤネンであったが、真の地獄はここからであった。敵の正体は判明した。しかしその強さは異常だ。いくら再挑戦しようが繰り返される敗北。敵の数は2個、こちらにも仲間が必要だ。もちろんそれは考えた。

 戦いは数だ。余程の実力差がない限り数の利を上回る事はない。だが思い返してみてほしい。3度目の時の事を。タイヤネンは夜中に戦闘行為を行った。銃だって撃った。しかも寝所でだ。銃声が轟かせる音は非常に大きい。それでも誰も起きてこなかったのは、いくらなんでもおかしい。

 タイヤネンがそれに気づいたのは6度目の時であった。イモが現れる時間まで隣で寝ている奴を見ていたのが良かった。突然すぅっとその姿が消えたのだ。その異様な光景を見た瞬間、タイヤネンは寒気がした。消えるという事自体もそうであるが、一番恐ろしかったのは6度目になるまで己自身それを認識していなかった事だ。

 誰も人がいない状況を違和感持たない状況にさせられていた。その事実が彼に重くのしかかる。原理がまるで分らない以上、タイヤネンには仲間が消えるのを止める事が出来ない。調査するったって何を調べろと言うのか。

 イモが襲ってくる時、その時間だけはその場にタイヤネンとイモしかいない。かの最強の大隊長だっていないのだ。タイヤネンは仲間を呼べない孤独の戦いを覚悟させられた。勝利がまるで見えない戦い、

 

 闇へ、深い闇へと落ちていく。

 

 

 

 何度目の敗北だろうか……もはや数える事はやめた。

 

 タイヤネンはまたもや崩れ落ちた。それが必然と言わんばかりに。

 

 

 何故諦メナイ? オ前ハ確カニ203魔導大隊ニハ戻レナイ。ダガソレダケデ別ニソノ後ノ人生ハ不幸ダッタワケデモアルマイ?

 

 

 その問いにタイヤネンは自問自答した。何故俺はこんなボロボロになるまで戦っているのか……初めの内なら明確に答えられただろう。己にとって第203航空魔導大隊は誇りであり、生きがいであるのだと。

 だが今は熱意よりも疲れが勝ってきている。もう休みたいと体が訴えている。諦めようとする心とは裏腹に、彼は死ぬと若き日に戻される。捨てきれない未練があるのか、答えはもう出てこなかった。

 

 

「しけた面をしているなタイヤネン」

「大隊長殿……」

「何か悩みでもあるのか? 戦地では些細な事が命取りになる。悩みがあるのなら今のうちに吐き出しておけ」

 このタイミングでターニャが話しかけてきたのは初めての事であった。別にないがしろにされているわけではない。タイヤネンが第203魔導大隊にいた時は戦時中である。未来では伝説級の存在になる大隊でも、この頃は駆け出しだ。

 ターニャは己の作り上げた大隊の価値を知らしめるため、実に多忙である。副官のヴァイスやバディのヴィーシャならともかく、末端まで声をかけるというのはまずない。にもかかわらず声をかけられたという事は、タイヤネンは如何に今の己が酷い顔をしているか、嫌が応にも理解させられた。

 虚栄を張る事すらできないタイヤネンは駄目もとで尋ねる。

「大隊長殿、失礼を承知で伺います。もしあなたが勝てない相手と戦わなければならない場合、どうしますか?」

 参謀ならともかくとして、一卒の兵が負けを想定するなんてあってはならない事だ。それでもタイヤネンは聞かなければならないと思った。タイヤネンが食中毒後の未来において、ターニャはどの世界であっても戦争を生き抜いた。他の国、人の結末が世界を繰り越す度にばらける中、彼女の結果だけは一貫していた。

 その強さを、理不尽に抗う力を、一滴だけでも分けて欲しい。タイヤネンは祈るような気持でターニャの返答を待つ。ターニャは顎に手を当て一考した後、徐に話し始めた。

「ふむ……普通なら被害を最小限に抑えるため、逃げて次に備えるが、おそらくお前が言いたいのはそういう事ではあるまい。逃げられない戦いという事だな?」

「ええ」

 相変わらずターニャは鋭い、タイヤネンは思った。

「はっきり言ってしまえば詰み、だな」

 しかしターニャは断言した。無理であると。タイヤネンは落胆の色を隠せない。

「……そうでありますか」

「戦いは事前にどれだけ準備したかで決まる。もちろん現場で予想外は起こりうるものだ。良くも悪くも。だがその予想外が起こる可能性なんぞ微々たるものだ。1割にも満たないだろう。そんな低い確率に命を賭けるのは愚かでしかない」

 準備、それこそタイヤネンがどうしてもできないものであった。何せこの時期のタイヤネンには自由がない。そして未来からの持ち込みは不可能である。結果タイヤネンに残されたのは若き日の体と、銃、演算宝珠の3つのみである。

 過去に戻ってくる時間はいつも同じで、ソラニコフとチャコニコフの襲来から2週間前となっており、帰ってきてから出来る事はほとんどない。それでもタイヤネンは無い知恵を絞ってあらゆる事を考えたが、奴らを倒す方法を探す事は出来なかった。

 かの大隊長でも駄目なのか、タイヤネンが目の前が真っ暗になりそうな中、ターニャは「ただ」と呟いた。

「ただどんなに完璧で絶対的な相手でも隙を晒す瞬間は一度だけ必ずある」

「そ、それは一体!?」

 藁にも縋る思いでタイヤネンはターニャに問いただす。

「勝利を確信した時だよ。死ななければ安いなんて言葉があるが、なかなかどうしてこれが意外と良くある。何故なら勝ったと認識した瞬間、人は緊張状態を解くし、終わったものとみなすからな。その横っ面に一発入れてみろ。それまでの完璧さが嘘のように吹き飛ぶぞ? 再度集中しようとしたってもう遅い。『終わった』という認識は早々変えられない」

「勝利を確信したとき……」

「タイヤネン、月並みの言葉だがピンチこそ最大のチャンスだ。それこそアイディア一つですべてがひっくり返るぞ?」

 

「そうか! そういう事か!!」

 

 タイヤネンに天啓が舞い降りた。

 

 

 その後、タイヤネンはいつものようにソラニコフとチャコニコフに敗北した。だが、

 タイヤネンは笑っていた。心底愉快そうに。

 

 気デモ狂ッタノカ? ソウナル前ニ諦メレバ良カッタモノヲ……

 

「いーや、俺は正気だよソラニコフ。俺は今、確かに見えたぞ! お前らに勝つ道が!!」

 

 戯言ヲ……

 

「次の週、その時こそがお前らの最期だ。覚悟して待っておけ!!」

 

 そしてタイヤネンは食中毒を発症した。

 

 

 

 ここに来るまでどれ程時間がかかったのだろう。世界はタイヤネンが第203航空魔道大隊にいる事を許さない。何をやっても否定される。それ以上の理不尽に覆される。世界に否定されるとはかくも残酷だ。

 しかしタイヤネンは立っていた。その強い意志を瞳に宿して。

「どうしたタイヤネン、随分と気合が入っているようだが?」

「大隊長殿! ええ、もう最高潮ですよ! 見ていてください。獅子奮迅の活躍をして見せますから!!」

「頼もしい限りだが気負い過ぎるなよ?」

「ええ、分かってます。自分自身入れ込んでいるのは。でも出撃の時までには落ち着かせてみますよ。そうだ大隊長殿」

「なんだ?」

「明日小官が元気だったら、飯おごらせてください」

「は?」

 

 

 運命の夜が来た。

 

 タイヤネンは寝所ではなく、外で月を眺めていた。

「綺麗な満月だな。思えば夜を楽しむ余裕すら失っていたわけか」

 一人静寂を楽しんでいると、ふと寒気を感じた。刻まれた宿敵の存在を体が感じ取っている。タイヤネンはゆっくりと振り返った。

「来たなソラニコフ」

 タイヤネンの姿を見たとき、ソラニコフは初めて動揺した。何故ならこれまでのタイヤネンは常に張り詰めた空気を纏い、明確に反逆の意思を持っていた。だが今はどうだ? 落ち着き払った様子でどこか余裕がある。さらにタイヤネンはあろうことか一切の武装をしていなかった。

 完全なる無防備、普通であれば仕事が楽になったと言ってもいい状況に、ソラニコフは底知れぬ恐怖を覚えた。

「どうした? 来ないのか? 今ならただ突っ込んでくるだけで終わるぞ? 俺は抵抗しない」

 予想外のタイヤネンの行動に潜伏していたチャコニコフも現れる。タイヤネンには相手の困惑が手に取るように分かった。

「イモのくせに何を悩んでいる? お前らのする事は一つだろう? 俺を食中毒にし、除隊させる。それだけだ。ここで悩んでいても何も変わらないぞ? お前らも知っているだろう? 俺が持久戦に持ち込んだ時、夜は決して明けなかった。つまりここでは時間が流れていない。そして時を元に戻すためには俺が貴様を食うしかない。さあ来い。さっさと終わらせよう」

 タイヤネンは知っている。このイモ達は確かに強いが、彼らそのものに決定権は存在していないと。故に彼らはタイヤネンの安い挑発に乗らざるを得ない。例えそれが罠であろうとも。

 

 貴様、何カ企ンデイルヨウダガ、良イダロウ! ソノ挑発ニ乗ッテヤル!!

 

 両手を広げて口を開けるタイヤネン、そこにソラニコフとチャコニコフは全速力で飛び込んだ。タイヤネンはゆっくりと味わうように彼らを咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。

「地獄へようこそ」

 

 当初の予定通りタイヤネンの胃の中に収まったソラニコフとチャコニコフであったが、彼の胃の中の有様に驚愕した。

 

 ナンダコレハ……

 

 所狭しと存在するのは古今東西ありとあらゆる善玉菌、しかも彼らの体は光輝いていた。

「聞こえるかソラニコフ、チャコニコフ。これが俺が見つけた答えだ」

 

 ナンダト!?

 

「俺は前回試しに善玉菌を含む食事を大量に摂取し、さらに健やかなる成長を遂げるよう魔法で促進した。初めての事だったし、たった一日だけではお前の毒性には勝てない。だがな? 僅かにでも効果があったんだよ。あの時の俺は食中毒を発症してしまったが、なるまでに少なからず時間差があった」

 ソラニコフは思い返す。確かにちょっと変だなと思っていた。タイヤネンに自生していた善玉菌はいつもより打たれ強かった。でも気のせいと素通りしてしまった。

「お前らにとっては些細な変化だったかもしれないが、それを見逃したのがお前らの敗因だ。お前らは反逆の芽を詰み取る事が出来なかった! 今俺の胃の中にいるのは前回の人生の中で、俺が生涯をかけて作り上げた魔導士による胃腸健康療法で育成された善玉菌達だ! 2週間丹念に鍛え上げたエリート中のエリート善玉菌、それが貴様らに引導を渡す!!」 

 ターニャのアドバイスにあった『勝利を確信した時』、それはソラニコフとチャコニコフが胃に収まった時だ。ではと、タイヤネンは一体こうなった時点で自分に何ができるかを考えた。そうして思い至ったのだ。

 相手は人じゃないと。相手は食べ物なのだと。人と人なら物理で相手を打ち負かせば勝ちであろう。だが人と食べ物は違う。人と食べ物の戦いの場とは胃の中だ。

「そう、俺は戦う場所を間違えていた!! 相手はイモ、必要なのは俺の銃の腕前ではなく、魔法の才能でもない。本当に必要なのは胃の強さ!!」

 

 グヌゥ!! 小癪ナ真似ヲッ!!! 我ガ毒性ヲナメルナ!!!

 

「勝負だソラニコフ、チャコニコフ!! 俺は運命を変える!!!」

 

 タイヤネンの演算宝珠が唸る。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ、善玉菌強化ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 負ケルカァァァァァァァ!!!!

 

 

 

 そしてタイヤネンの意識は暗転した。

 

 

 

「起きろ」

 

「起きろ、タイヤネン!!」

「……ここは? ケーニッヒ中尉?」

 意識がゆっくりと覚醒してくる。ケーニッヒに起こされるという事、それはタイヤネンにとって過去に戻ってきた合図であった。その光景が目の前にある事の意味を考えて、タイヤネンの顔が歪む。

 

 俺は、また負けたのか?

 

 だが脳裏に何故か全く知らない景色が霞めた。南のダキアから北方ノルデン、上陸作戦の先鋒であったフィヨルドの攻防、そしてアレーヌ市市民蜂起を沈めた事、ここまでは良い。それはかつての自分が間違いなく行った事だ。だが衝撃と畏怖作戦とは? 戦争締結? 知らない記憶がタイヤネンに流れ込んでくる。

 いつかと同じようにタイヤネンはケーニッヒに問い正した。

「ケーニッヒ中尉! 今は何年何月何日でありますか!?」

「……寝ぼけてるのか? 今日は○○年○○月○○日だ」

 タイヤネンは振るえた。今までの場合、その日はタイヤネンはまだ療養中であった。だが今彼はまだ第203魔導大隊にいる。かつての敗北の記憶とは別に、皆と一緒に戦い抜いた記憶もある。そう、彼は運命に打ち勝ったのだ!

「ケーニッヒ中尉ぃぃぃぃ!!! ごはぁ!!」

 感極まってケーニッヒに抱き着こうとしたタイヤネンだったが、そこにケーニッヒの綺麗なカウンターが決まった。

「一体何故……」

「何か……何か、危機を感じたんだ」

 そんなハプニングこそあったが、朝の支度を終えたタイヤネンは新らしい朝を満喫した。初めて出会う戦争を終えた第203魔導大隊の皆、彼らはタイヤネンがいる事を当たり前と見なし、各々挨拶してくる。

 タイヤネンは誰かに話しかけられる度抱き着きたい衝動にかられたが、先のケーニッヒのカウンターを思い出し、自制する。ちなみに今回のヴィーシャは美人バージョンだったらしい。そしてタイヤネンはターニャと出会った。

「お、タイヤネンか」

「おはようございます大隊長殿!」

「今になって急に思い出したんだが、前にお前、食事をおごると言っていたな? 確か、明日元気であったらだったか?」

 タイヤネンの顔が歓喜に染まる。ターニャは覚えていてくれたのだ。あの時のやり取りを。どうにも記憶がはっきりとはしていない様であったが、それもそのはず、前の世界での出来事なのだから。それでも思い出してくれるなんて何て部下思いの上司であろうか。

「ありゃなんだったんだ? 体に不安でもあったのか?」

「ちょっとトラブルがありましてね。でももう解決しましたよ」

「そうか。ま、何かあったら遠慮なく言え。不安の芽は早いうちに摘むに限る」

「分かりました!」

 相変わらずカッコいい上司に痺れるタイヤネンであったが、彼は我に返ると、姿勢を正してターニャに対し敬礼した。

「大隊長殿、今後ともよろしくお願いします!!」

「何だ急に?」

 タイヤネンが万感の思いを込めて言った言葉に、ターニャは呆気にとられたような表情を浮かべたが、すぐさま不敵な笑みを浮かべて返事を返した。

「まあいい。やる気があるようで結構。精々こき使ってやるから覚悟しておけ!」

「はっ!!」

 こうして第203航空魔道大隊に最後の一人が帰ってきた。

 

 後にヴィーシャやヴァイスたちと共にベテランとなった彼であるが、どれ程の苦境に立たされようとも折れない不屈の人として大隊の中で名を馳せた。

 どうしてそんなに強くあれるのか、部下に尋ねられた時、タイヤネンは決まってこう答えた。

 

「ソラニコフ、チャコニコフとの戦いに比べたらこの程度どうって事ない」

 

 と。

 

 

 

 




 多分だけどタイヤネンメインの幼女戦記SSって2次創作初じゃないだろうか?(pixivでタイヤネン検索したら検索結果0だし) そして戦争関係なく、ただイモと戦うSSなんてのも初じゃないだろうか? 結果として、書いている途中で『自分は何を書いているんだ?』と何度も自問したほどカオスな一作になりました。でも後悔はしていない!
 最後の戦いは絵面が酷いと思う。あれだけ暑苦しく騒いでおきながら、やってる事は腹に手を当てて善玉菌に対してのバフ魔法を送り込み続けるっていう、壮絶なシュールさ。

 一応タイヤネンが最後に到達した世界は愛され幼女時空となっており、シュタゲ風に言うと食中毒で倒れる事に収束するβ世界線を乗り越え、帝国が敗戦してしまうα世界線をも乗り越えた、理想郷って事になるでしょうか?
 ヴァイスさんの思い出の味などで退役した事になっていたタイヤネンでしたが、この出来事の後、愛され幼女の世界の人々にタイヤネンが退役した記憶が消え、タイヤネンが存在していた記憶に置換されていたりします。
 ……ていうかそういう事にしておいてください!
 この話書いていて、ふとヴァイスの短編を思い出し、ここでタイヤネンの退役について言及してる! しまったー!!! ってなったので(苦笑)
 今回もお読みいただきありがとうございましたー。


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第三話

 年内に間に合った!
 今回は時系列的に本編の続きなので、外伝ではなく第3話として扱いました。
 わりとシリアス風味です。


 

 

(1) 悩みの種

 

 

 存在Xの心変わりのせいでターニャの辿るべき道は変わった。100名にも満たない彼女の部下達と、ターニャにとっては上司であるが後の同士ともいえるレルゲン、全世界の総数から比べると極僅かな存在が、帝国の未来すらも変えたのだ。

 国の未来が変わったという影響は凄まじく、特にそれまで戦争をしていた隣国も例外ではない。むしろ帝国以上に歴史が変わったと言えよう。レガドニア協商連合、そしてフランソワ共和国。戦争と言う利を生まない病気に対抗するため、泣く泣く帝国と協力するはめになった二国であったが、敗戦国という恥を飲み込んだ価値は大きかった。

 何せ帝国は与える事を惜しまなかった。特に軍事支援に関しては格別だ。ターニャが編み出した新戦法が二国にも提供されたのである。最大のアドバンテージをさらけだす帝国に対し、二国は驚きを通り越して正気を疑ったほどだ。

 一応の制約はある。航空魔導師の演算宝珠をすべて帝国製にする事だ。過去の自国の宝珠をすべて廃棄し、新たなものに取り換える。それが二国に課せられた枷であった。この新たに配布された演算宝珠はもし二国が反旗した時、またはそのテクノロジーを盗もうと中身を解析しようとした場合、帝国の指示によっていつでも宝珠が自壊するようにプログラムされている。

 まさに命綱を握られているようなものであるが、新型である帝国軍演算宝珠エレニウム98式はそのデメリットを負ったとしても、型破りのハイスペックで、型落ちではなくその最新型を支給されるのは破格の対応である。特にシューゲルの発明で組み込まれた、二者による演算共有システムの試作機がそれまでの演算宝珠を過去のものとした。

 複雑な動作はまだ無理ではあるが、目的が一緒の場合の相乗効果は馬鹿にならない。それにこの演算共有システムはターニャが想定していた以上の効果を生んでいた。視覚の共有である。

 演算共有システムをざっくり解説すると、多少距離が離れていてもリンクできるという事なのであるが、役割の分担が離れていても出来るだけでなく、それぞれの情報の共有もできる。

 そこでターニャが目を付けたのが視覚である。演算宝珠には映像を録画する機能もあるが、それを回りの兵にリアルタイム配信できるのだ。要するにターニャが男だった最初の世界にあった、携帯端末のような事が出来るようになったのである。距離の縛りこそあるが今の時代の環境としては最強の機能だ。情報に勝る力はないのである。

 スマートフォンなど忘れかけていたターニャであったが、まさか演算宝珠が似たようなものになるとは思ってもみなかった。ともなれば一般人でも使えるような、電力で動くスマホの登場が早まるかもしれない。

 軍事利用のモノを民間に転用し、繁栄に至るという話は良く聞いてはいたが、歴史の証人になったような感覚は、ターニャにとってなんとも不思議な気分であった。

 そんな今の時代を過去にするようなぶっこわれた代物がエレニウム98式であり、相手が裏切らない限りは、最高の待遇を確約していた帝国はそれを二国へ惜しみなく提供した。

 何故帝国がここまで二国に尽くすか、それには無論理由がある。帝国としてはこれ以上の戦争を止めるために尽力しているが、絶対どこかで話を聞かない馬鹿が出てくる。もしも周辺国のどこかが開戦したら、帝国軍としてはフランソワ共和国とレガトニア協商連合にそれぞれの領土を自衛してもらわなければ困るのだ。

 帝国としては二国が攻められた場合、もちろん支援部隊を出す事は約束してはいるが、先制攻撃を止められるか否かでその後の展開が全く異なってくる。肝心なのは「これはいける!」と思わせない事だ。相手の出鼻をくじく事こそが最善手なのである。

 そのためにはフランソワ共和国も、レガトニア協商連合も強くなってもらわなければならない。というわけで今国内の軍事力が安定してきた帝国は、次の一手として協力関係にある二国の航空魔導師たちへの指導を行っていた。

 第203航空魔導大隊もその例にもれず、二国の特に有望株の部隊へ指導を行う事が決まっている。これもまたターニャの幸せのためと、意気揚々と迎えたヴィーシャだったが、事はその時に起こった。その中の一人にヴィーシャは見知った顔を発見してしまったのである。そんなヴィーシャの顔は苦虫をかみしめたようであった。

 

 つまりは望まぬ再会である。

 

 ヴィーシャはターニャと共に、前の世界で多くの難敵と対峙してきた。共和国特殊作戦軍第二魔導中隊司令の航空魔導師のセヴラン・ビアントや、連合王国の海兵魔導部隊指揮者ウィリアム・ダグラス・ドレイクなど、厄介だった相手は色々いたが、第203航空魔道大隊として一番強敵と言うか、面倒くさかったのが、合衆国のメアリー・スーである。

 親の敵と言う私怨で軍に入ったヒロインだ。その仇と言うのがこの第203航空魔導大隊だったらしく、長い間粘着される事になるわけだが。

 その彼女が眼を爛々に輝かせて、これから指導に当たるヴィーシャ達の話を聞いていた。カモが厄介ごとを背負ってやってきた状況に、ヴィーシャは己の上司の十八番を呟かざるを得なかった。

 

「どうしてこうなったの……」

 

 メアリー・スー、誰が言ったか、かつての世界の彼女を一言で表すと『無能な働き者』であった。何でも全力なのは良いのだが、見当違いの方に突っ走っていく一番厄介とされる人種だ。さらに言えば魔法の才能がありすぎたのが、彼女の無駄な行動を助長した。

 戦争のリアルを知らず、理想の綺麗な漫画の戦いの世界で生きていたメアリー。彼女の綺麗事で犠牲になった者は数知れず。しかし本人は良かれと思ってやっているので、振り返る事はしないし、どれだけ自制を施しても己の正義が揺らがないため、メンタルも無駄に屈強だ。

 あまりにもぶれないため、行きつくところまで行きついてしまい、何時しか孤立していた彼女は、最後には仲間から背中をハチの巣にされるという悲惨な最後を辿った。

 ヴィーシャの目の前にいるメアリーは純真そのもので、当時のどこかで夢を見ていた自分を思い起こさせられる。ヴィーシャの場合、そんな幻想はターニャによって叩き折られたわけであるが、目の前のメアリーはどうなのであろうか?

 同じ女性、さらには今や魔王にまで昇格させられたターニャの副官、ヴィーシャに向けられる羨望の眼差しは居心地が悪く、ヴィーシャは頭痛が酷くなる。

 もし未来であんな事になるのなら、訓練中に不慮の事故で命を落としてもらうのが手っ取り早いわけであるが、まだ犯してもいない罪で殺してしまうのはいかがなものか。いや、この危険人物が今のタイミングでやってきたのはむしろ僥倖では? 因縁さえ作らなければきっと彼女が敵対する事はない。が、人の内面はそうそう変わらないわけで。何かの拍子にあの神の使途、メアリー・スーになる恐れは完全には消し去れない。

「はぁー……」

 過去に遡って以来の難問にヴィーシャは深いため息をついた。

 

 

 

 

 

(2)アンソン・スー

 

 

 メアリーが軍人になったのは何故か? 合州国と協商連合の違いこそあるが、いずれにせよ軍とはもしも戦になった時は、前線で戦わなければならない過酷なものであり、女性のみならず男性だってそうそう目指すものではない。

 かつての世界とは違い、アンソン・スーは存命であり、戦争も終わった。普通に少女として生きればよかったのだ。それでもメアリーは軍を目指した。

 かつてのメアリーは父親が戦死したからこそ軍に入ったわけであるが、今回はどうであったかと言うと、今回のきっかけもまた父親であった。

 

 

 アンソン・スーはくすぶっていた。戦争に負けはしたものの、生きて帰る事が出来た事は素直に嬉しい。また負けたからと言って軍人としての自分の生活が脅かされる事もなかった。そんな彼が違和感を持つようになったのは、帝国からの情報提供について、軍人として意見を求められた時であった。

 相手の射程外の高度へ到達し、一方的に銃弾の雨を振らせ続ける新戦術を見た時、開いた口が塞がらなかった。航空魔導師だからこそ分かるその戦術の恐ろしさに震える。そしてそんな最強の一手ともなりうる戦術だけでなく、その肝である実現するための方法すらも赤裸々に書かれているのだから溜まったものではない。

 共和国と協商連合は、誇張でもなく世界をひっくり返すような代物をノーリスクで手に入れてしまったのである。制限付きではあるものの、それをやるのに特化した演算宝珠すらも支給されるという破格の待遇。あまりにも満たされすぎて、判断をゆだねられたアンソンは吐き気がするほどであった。

 罠かもしれないという懸念はある。しかしそれを踏まえても、この協力は是が非にも得なければならない。断ってはならない。そう思わせるだけのものがあった。

 敵国に施しを受けなければならない屈辱もあるが、アンソンが一番感じたのは恥である。遥か上の相手に戦争を仕掛けた愚かさ、何故勝てると思ってしまったのか。軍人は命令に従うだけでアンソンが戦争を決定したわけではないが、それでも無知な自分達を恥ず事を禁じ得なかった。

 それでもまだギリギリのところで踏みとどまっていた。その一言さえなければ。

 

「すべてはラインの悪魔の思惑通りか」

 

 アンソンは驚愕で眼を見開いた。何故その人物の名が今ここで出てくるのか? 思惑通りとは一体どういう事なのか?

「ラインの悪魔でありますか? あの悪魔が本件と関係しているのですか?」

「関係も何もその悪魔こそが発案者だよ。戦えるだけでなく知恵も回る。化物、と言うよりかもはや魔王だな。我々の理解を超えている。でも最後には納得させられるのだからたまらない」

「………」

 アンソンは言葉がなかった。アンソンにとってラインの悪魔はすべてを壊した存在だ。あの悪魔はすべてが狂っている。

 

 思い返すのは初めて悪魔と会ったあの日。

 

 情報収集に当たっていた兵士が一人で突っ込んで来た時、捨て駒にされた敵兵を憐れんだが、まさかその一兵士に隊を半壊させられるとは。しかも後に聞いた話であるが、それが初陣だという意味不明さ。

 新兵だというのに、子供だというのに、死への覚悟は決まっており、恐れもなく明確な殺意を持って襲い掛かってくる理知的な獣、あまりにも常識外れであった。

 

 アンソンが悪魔と再び相まみえた時、悪魔はただでさえ手に負えない強さであったのに、さらなる成長を遂げ部隊を率いるようになっていた。悪魔じみたあの強さが量産され、指揮官である悪魔はより強くなっていた。一介の兵士が国の敗北を予期するほどに第203魔導大隊は強かった。

 

 アンソンの積み上げた軍人としてのキャリア、そのすべてを持ってしても悪魔には叶わなかった。もはや戦神と言ってもいいだろう。その彼女が政治にまで介入している? この詰みともいえる一手をあの悪魔が考えたと言うのか。

 怒りは湧いてこなかった。代わりに沸いたのは恐怖。すべては悪魔の掌の上での出来事でしかない。そう思うとアンソンは震えが止まらなかった。先の事をアンソンは覚えていない。彼は気づいたら家にいた。そして最愛の妻、娘を抱きしめた。

 

 それからのアンソンはどこか情緒不安定であった。己のラインの悪魔に対する思いを消化しきれなかったのだ。逃げる事も出来ず、何故、どうしてと問い続けた。他の者達のように「凄いから」という理由だけで、アンソンは思考を放棄する事は出来なかった。

 悪魔に真っ向から立ち向かい続ける行為は地獄のような苦しみであったが、それでもアンソンは考え続けた。続けた結果は必ず返ってくる。

 

 アンソンの中でいつしか恐怖は消え、悪魔に対する純粋な興味だけが残った。

 

 アンソンは強く思った。悪魔と一度さしで話し合いたいと。悪魔は良くも悪くも強烈なインパクトをアンソンに残した。故に一度興味に転じてしまえばその思いはとどまる事を知らない。

 アンソンは悪魔と会った事はあれど、戦場で戦っただけだ。人を知るという行為で最も有用なのは会話する事だ。胸の内でくすぶる何かを解消するにはもはや悪魔と会って直接話すしかない。

 軍人が戦争以外で他国の軍人と会うのはなかなかに難しい。国によってはそういう所もあるかもしれないが、基本的に軍人は国のブレインではないのだから。会いたいと思っても会えるものではないだろう。今までであれば。

 しかし奇しくも今は協力関係にある。協商連合としては望んだ関係ではないが、アンソン個人としてはその現状が追い風となった。己が協商連合の航空魔導師の中核となれれば、いずれ協議する機会は訪れるであろう。

 少なくとも今のアンソンは意見を求められる立場にある。国から直に航空魔導師として価値を見出されている。悪魔と戦って生き延びた者として。

 

 私には運がある。

 

 アンソンは率直に思った。そしてその運を生かすも殺すも自分次第と正しく理解していた。今の地位を盤石のものとするためには、帝国の戦術を真摯に学び、協商連合の航空魔導師の第一人者となり、帝国の戦い方の理解者になる。さすれば自ずと道は開かれるはずだ。

 脂の乗った時期は過ぎ、これからは老いていく身であるアンソンであったが、心を焦がす情熱は若者に引けを取らない。高度10000、協商連合で最初にこの境地に辿り着いたのはアンソンであった。

 己の航空魔導師としての実力は最早頭打ちで、これ以上は経験で補っていくしかないと決めつけていた。だからこそ高度10000の景色を見た時、アンソンは歓喜に震えた。同じ空の青でもすべてが違って見えた。

 まだ成長できるという喜びは代えがたく、アンソンはまた悪魔に対する興味を強くした。アンソンが心の充実を自覚したのはちょうどこの時である。初めこそ悪魔と会話するという私欲のためであったが、今、アンソンは間違いなく人生と言うものを楽しんでいた。

 それからもアンソンは意欲的に己の力の向上に励み、その情熱は協商連合が軍事の面で帝国に追いつくためのキーパーソンとして、不動の地位を築かせた。その実力たるや共和国の航空魔導師、セヴラン・ビアントと肩を並べるほど。

 セヴラン・ビアントは元より戦闘経験が豊富な古強者であったが、彼もアンソンと似たような立場にあったらしい。帝国との差に圧倒されたが、それでも共和国の未来のため、航空魔導師としての意地を貫いた勇将である。

 彼もまたアンソンのようにさらなる飛躍を遂げた一人だ。不思議な縁を感じつつ、アンソンは目標に向かって走り続けた。そしてその努力は実を結ぶ。

 

 ついにその日が訪れたのだ。

 

 もはや運命共同体となった、帝国、連合、共和国の防衛についての軍議。連合の代表としてアンソンはその場に呼ばれ、とうとう悪魔との再会を果たした。

 現れた悪魔はアンソンの記憶よりも、遥かに成長しており、少女から大人の女性へなろうとしているようであった。その成長速度の速さこそが、彼女がまだ二十歳にもならない若者である事を認識させられる。

 しかし悪魔の持つ空気は子供のそれでは決してない。一見可憐で簡単に手折る事が出来そうだが、この場ではその自然さこそが異常なのだ。油断しているわけじゃない。これはむしろ余裕の表れである。

 アンソンは思った。これこそが私が打ちのめされた悪魔なのだと。自身が成長したからこそアンソンは正しく悪魔の大きさを理解できた。このターニャ・デグレチャフはまさしく傑物だ。やっと悪魔と同じ尺度で物を見れるようになったのかと思うと、何か感慨深いものがあり、ふっと微笑む。

 後はもうなるようになれ、相手はどうせ魔王なのだから。固さが取れたアンソンは堂々とした態度で軍議に参加した。

 

 

 国の未来を決める重要な話し合いは滞りなく終わった。細かい修正はあれど、大まかな部分に変更はない。懸念があるとすれば情報の透明性くらいか。潔白すぎればお互い動きにくいし、透明性がなければお互いの信頼が失われる。ここはそれぞれお互いの立場があるし、永遠のテーマであろう。

 ひとまずは3国で連携できるシステムの雛型が出来上がったのは、素直に喜ばしい事であった。後は各々の国に成果を報告し、まとめるだけとなる。

 満足気な笑みを浮かべたターニャが退出しようとした際であった。アンソンは意を決してターニャに話しかけた。

「一つ、聞いてもいいだろうか?」

「何か疑問でも? 示し合わせは重要です。我々軍人が後になって十分理解していませんでした、などあってはならない。何なりと」

「いや、軍議の件ではない。あくまで個人的な事なのだがそれでも宜しいか?」

 ターニャは一度怪訝な表情を浮かべた。それもそのはず、ここはプライベートな話をする場ではない。それでもアンソンが切り出した事、そこに何か切実なものを感じたターニャはあえて続きを施す。アンソンはターニャの度量の大きさに感謝しつつ、己の積年の疑問をターニャに告げた。

 

「何故、貴官は軍人を目指したのだろうか? 貴官ほどの賢さがあれば何も戦いの世界に身を置かなくても良かったのではないか?」

 

 それまでもターニャの卓越した手腕を知っていたアンソンであるが、話してみて改めて彼は思った。その賢さを生かせる場は軍人に限った事ではないと。女性でしかも子供という身だ。まだ違った道があったのではないか。そう感じずにはいられなかった。

 例え軍属だったとしても、もっと後方で良かったはずだ。その頭さえあれば参謀にだってなれたはずである。しかしアンソンの問いに対するターニャの答えは辛辣であった。

「つまり女子供は黙って守られていろと?」 

「いや、そういう事を言いたいわけでは……!!」

 侮辱したいわけではないとアンソンは訂正するが、ターニャは頭を振る。

「いいえ、貴官の言いたい事は結局そういう事だ」

 怒りをたたえるターニャに、何とか軌道を修正したいアンソンであったが、次の言葉で何も言えなくなってしまった。

 

「本官は孤児でした」

「……っ!!」

 

 たった一言であったが、それで察せないほどアンソンは愚かではない。

 

「女性が戦場に出るのは間違っている? 子供が戦場に出るのは間違っている?」

 アンソンは言葉にこそしなかったが、その沈黙は肯定していると同義であった。彼にとって、妻と娘が戦場に出るなんて事はあってはならない事であったから。負けても男なら死ぬだけで済むが、女性の場合はもっと惨たらしい現実が待っている。それは夫として、父として到底許容できるものではない。

 しかしターニャの次の言葉はアンソンの心を貫いた。

「戦争に負けた際、真っ先に犠牲のなるのは誰か? そんな分かりきった質問をあなたはするつもりか?」

「それは……」

「逃げればいいとは言うまいな? それは金のあるものの特権だ。貧しいものは取り残され、蹂躙されるだけ。その未来が分かっていて、戦争に参加するなとは良くも言えましたな。弱者は黙って死ねとでも?」

 ターニャのねめつける視線にアンソンはたじろぐ。何せ協商連合は初めに戦争を仕掛けた側なのだから。仮に協商連合が勝利したとして、帝国の国民全ての身の安全を保障するとは口を避けても言えなかった。

「アンソン・スー大佐。本官も軍人だから国に異を唱える事はしない。開戦になり、命令されれば躊躇わずに実行するだろう。それはきっと貴官だって同じであろう。上が開戦を決め、命令されたから従っただけ。それが正しい軍人の姿でもある。勝つ事以外を考えるのは軍人に不必要なものだ。それでもあえて言わせてもらう」

 

「正義をかざしたいのなら、そもそも戦争を起こすな」

 

 アンソンは感服せざるを得なかった。ターニャは誰よりも戦争の悲惨さを知り、戦争を嫌っていた。だが世界は違っていた。どの国だって戦争に魅了されていた。戦争は必ずどこかで起こる。

 ならば己が身を守るためには軍人こそ最適解だった。唯一世界を正しく見る事が出来ていた彼女が軍人になるのは最早運命だったのだろう。

 

「勝てる訳がなかった。戦争には理想が必要だ。人を殺す悪魔の所業を正義で、大義名分で上書きする。理想に盲目した我らがどうして勝てよう。ラインの悪魔の戦争は現実そのものだ。あの冷めた視線の奥にはどれ程の怒りがうずめいているのか」

 

 戦争に対する覚悟がまるで違う。それがアンソンの悟った事。完膚なきまでに打ちのめされたアンソンであったが、その表情は晴れやかなものであった。

 

 

 かつての世界ではありえなかった、ターニャとの会合はアンソンの人生観を変えた。それまでアンソンは自分こそが妻と娘を守るのだと決心していた。だがターニャとの話し合いの後でふと思ったのだ。

 もし自分が何か不慮の事故でなくなってしまった場合、妻と娘はやっていけるのだろうか? この戦争が蔓延した血塗られた世界で、生き残れる保証などない。

 己が絶対的存在ではない事を今のアンソンは知っている。もしもが起こってしまった場合、妻と娘は自分の力で自分の身を守らなければならない。アンソンの助力なしで、この残酷な世界と戦っていかなければならない。

 ずっと綺麗な世界を見せ続け、急に現実と言う地獄に突き落とす。それは親の責任を放棄しているようなものかもしれない。この世界を生き抜くには力が必要だ。理不尽に屈しない力が……

 

 そしてアンソンは大きな決心をした。

 

「なあメアリー、話したい事があるんだが……」

 

 

 

 

(3)メアリー・スー

 

 

 メアリーにとって世界とは優しいものであった。両親の愛に育まれ、貴族などの上流でこそないが、中流家庭として不自由ない生活を送ってきた。贅沢こそできなかったが、上流ならではのしがらみ等ない分、一番恵まれていたとも言えるかもしれない。

 天真爛漫で勉学にも励む、メアリーは親であるアンソン夫妻にとってまさに理想的な子供であった。ただメアリーは現実を知らなかった。子に不自由させたくないのは親として当たり前の感情であるが、生き抜く力とは現実を知って初めて得られるものである。

 かつてターニャが男として生きていた平和な世界なら、平和こそが現実のため何も問題ない。しかしここは戦争が当たり前の世界、本で読む物語の綺麗な世界こそが虚構。意を決したアンソンに話された現実の世界は、メアリーを打ちのめした。

 戦争とは悪の侵略者から皆を守る正義の戦い、非は敵国にあると信じ切っていたメアリーにとって、戦争がただの生存競争、否、利権争いでしかなかった事は衝撃的で、裏側の世界に初めて触れた事は吐き気がするほどであった。

 そしてその利権の為に多くの命が失われている現実、そのどうしようもなさにメアリーは幻滅した。争いのない綺麗な世界に突然現れた黒い異物、メアリーにとってそれは到底受け入れがたく、その怒りはそれまでずっと隠してきたのに、今になって話したアンソンに向かった。遅れてきた反抗期である。

 しばらくは訳もなく反抗し、情緒不安定に陥っていたメアリーであったが、ふとアンソンの話に出ていた帝国の恩人についての話を思い出した。メアリーと同年代か、さらに年下か、とにもかく少女と呼べる存在が軍人をしており、戦地にて獅子奮迅の活躍をしていたという。

 昔のメアリーであれば、単純にその英雄ともいえる戦神っぷりにこそ憧れたであろうが、現実を叩きつけられた今のメアリーにとってより興味を惹きつけられたのは、その少女がさらに幼い幼女の時に現実を正しく知り、地獄のような世界でも諦めず、己が力で道を切り開いていった事であった。

 力の強さではない。その心の強さこそが、道に迷うメアリーを強く惹きつけた。

 アンソンは少女に人生観を変えられたという。手塩にかけた部下達が死に、本人も死にそうな目に合った。戦争も負け、徹底的に打ちのめされた。

 どん底を味わったアンソンであったが、それでも少女と向き合い続け、少女から教わった戦い方を愚直に学んだ。そしてアンソンは対等かは分からないが、それでも少女と話ができるレベルまで昇りつめた。

 アンソンと少女との関係を客観的に見つめなおした時、メアリーの中でアンソンに対するわだかまりが氷解するのを感じた。メアリーが今味わっている苦悩はアンソンも辿った道である。

 生死にかかわる戦いをした相手に対し、過去の因縁すべてを忘れて学ぼうとする姿勢の凄さたるや。とにかく必死だったのだろう。いつしか父を理解したメアリーは、尊敬の念をアンソンに抱くようになっていた。

 自分のそれまでが間違っていたと否定するのは容易ではない。自分は嫌われても良いから間違いを正す、それが出来る人が世にどれ程いるか。これこそが愛である。メアリーは親の偉大さを知り、一つ大人になった。

 気が付くとアンソン親子の仲は元に戻っていた。むしろ腹を割って話した今の方がより結束が強くなっているほどだ。

 

 親が親であれば、子も子である。

 

 すべてを知った今、アンソンがそうであったようにメアリーが少女、ターニャ・デグレチャフに興味を持つようになったのは必然であった。

 

 アンソンからターニャの話を聞いているうち、メアリーの内にとある一つの思いが生まれていた。

 

「私も強くならなくっちゃ!」

 

 それまでなかった自立心が生まれ、この世の中で生きていくための力を欲したのだ。その決意を後押しするかのように運は彼女に味方する。

 アンソンが参加した軍議以降、協商連合と共和国の航空魔導師は、帝国軍から指導を受けられるようになっている。さらに優秀な人材であれば、かのターニャ率いる203航空魔道大隊から直々に教えを乞う事が出来る。

 幸いメアリーには父と同じく、高い魔法適性があった。戦場とはどれ程酷い世界なのかメアリーは父から聞いている。それでも憧れがあった。強くなりたかった。彼女が航空魔導師の道を目指すのは当然の帰結であった。

 

 アンソンはメアリーの決断を否定しなかった。

 

 戦いがすべてではないが、理不尽な暴力に理屈は通用しない。守るための力は今の時代には必要だ。娘が立ち向かうための力を得ようとしている姿は頼もしく、しかしそんな残酷な力が必要である時代である事を憂て、アンソンは悲しく笑った。

 

「我が娘に幸あらん事を」

 

 そうして軍に入ったメアリーであったが、アンソンはもちろん手助けなどしなかった。メアリーは生ぬるい世界を望んでいるわけじゃない。戦う力を必要としている。親として心配だったのは間違いないが、娘の成長のためアンソンは不干渉を貫いた。

 メアリーの教官に当たる人物は、メアリーが協商連合の航空魔導師第一人者のアンソン・スーの娘であると知ってはいた。しかし彼も帝国の航空魔導師と戦った経験がある故、二人の意図は察していた。

 教官はメアリーをあくまで一新兵として扱う事を約束し、メアリーに他と変わらない厳しい訓練を課した。

 メアリーの挑戦は案の定苦難の連続であった。覚悟はあってもそれに体が伴ってない。中流家庭と言っても下々の者から比べれば十分箱入り娘だ。体力がない。筋力がない。しかしそれはまだメアリーにとって想定内。全く持って予想だにしていなかったのは衛生面だ。

 訓練している時は集中しているから良い。問題は休んでいる時である。気が抜けた時ほど回りのものが気になるもので。特に匂いは気にしないようにしていても、呼吸は止められないためどうしようもない。

 戦いにおいて衛生面がまともであるという事は何気に重要で、協商連合の場合それなりにまともな方であるのだが、綺麗な世界で育ったメアリーがその落差に面食らったのは言うまでもない。休息が満足に取れない事はひたすらに辛かったが、それでも折れなかったのはメアリーの覚悟が本物である証拠であった。

 だが兵士として優秀であるかは別である。特に航空魔導師は敷居の高い兵科である。空中移動制御、酸素生成、防御隔壁、魔力探知、そして攻撃……

 高い魔法適性があろうとも、このマルチタスクの多さに脱落してしまう者が多く、選ばれし者のみがなる事が出来る兵種なのだ。

 初めての技術試験でメアリーが出来たのは高度維持から探知まで。攻撃対象であるダミーバルーンに射撃を行うまでは出来なかった。全体成績では中の上と言ったところか。半分より上なのは喜ばしい事なのか、メアリーは判断に苦しんだ。

 分かっているのはまだ全然足りないという事。とりあえず安心している者がいる中、メアリーは空を見上げていた。彼女が改めて感じたのは父の偉大さ。メアリーの父であるアンソンは今や協商連合の航空魔導師のトップにいる。空を縦横無尽に駆ける父を思い描き、メアリーは空へと手を伸ばす。

 

「選ばれし者だけが行ける高度10000の世界……私はそこに行きたい!」

 

 現実に打ちのめされても熱はまだ冷めない。

 

 最初こそ上品な振る舞いとその華奢な体から、金持ちのお遊びと見られ、回りから煙たがられていたメアリーであったが、ひたむきに頑張る姿勢に心打たれた者も多く、何時しか彼女の周りには人が集まるようになっていた。

 回りに支えられてただの少女が軍人として成長していく。その様子を教官は満足気に見つめていた。

「鷹の子は鷹か。普通であれば血筋なんて役に立たないものなのだが、なかなかどうして。戦士としての才能は父であるアンソン殿に劣るが、彼とは異なる面で人徳がある。人に好かれるのも才能の内だ。そしてあの視野の広さ、彼女もまた将となるべき器か。異なった才能なれど行きつく先は同じとは。実に面白い」

 

 

 それはメアリーが訓練を終えた後の事であった。一周遅れであった体力と筋力がついてきて、ようやく苦にならなくなってきた頃である。何の用件か見当もつかないメアリーは恐る恐る教官のいる執務室のドアをノックする。

「メアリー・スーであります!」

「入れ」

「はっ」

 大分板についてきた軍の規律にメアリーは内心苦笑する。ポーカーフェイスは得意ではないが、己の不安を隠せるくらいには成長した。

「今回は貴様に良い知らせがある」

「良い知らせでありますか?」

 てっきり叱られるなど悪い面で考えていたメアリーは、真逆の展開に思わず首をかしげる。何せメアリーはこれまでよく叱られてきた。悪い事は一切していないが、疲労でぶっ倒れたり、腹を下したりなど、体調面で相当に迷惑をかけた。

 それこそ一度メアリーは久々の風呂が気持ち良すぎて、寝落ちして溺れかけた事もある。その時の教官はもう半泣きであった。曰く、厳しくする事に異存はないが、それで死なれたら私の首が飛ぶとの事。

 一人その事を思い出して申し訳ない気持ちになったメアリーであったが、教官の次の一言で全てが吹っ飛んだ。

「喜べ。貴様の帝国への出向が決まった」

「え? 嘘!?」

 思わず軍人口調を忘れて素に戻ってしまう程の衝撃であった。

「本当だ。貴様は帝国の航空魔導師育成プログラムに推薦されたのだ」

 喜びよりも何故が勝った。何故ならメアリーは自分がまだ実力不足である事を痛感している。他の優秀な皆を差し置いて自分が行くとは考えつきもしなかった。

「メアリー・スー少尉、貴様の疑問は最もだ。だがその疑問に思う姿勢こそ私は評価する」

「?」

 今一理解しきれないメアリーは首を傾げる。

「貴様は己の力量を正しく理解している。それは何かを学ぶ上で最も必要な事だ。己を知らなければそもそも何が必要かを理解できないからな。熱意については問うまでも無かろう。倒れてしまう程貴様が訓練に力を入れていたのは知っている。要約すればだ。我々は貴様の伸びしろに期待している」

「私の……伸びしろ……」

「まあ辞退するならそれでも良い。やる気のある候補はいくらでもいるからな」

「や、やります! わ、私が行きます!!」

 降って湧いたチャンスを霞めとられそうになって、メアリーは思わず即答してしまった。教官がにんまりと笑うのを見て、メアリーは担がれた事を知り、赤面した。

「良い返事だ。出発は明日、0800だ」

「あ、明日ですか!?」

「鉄は熱いうちに打て。鉄則だ。すぐに発てる様、準備しておくように」

「りょ、了解致しました! それでは失礼致します!!」

「ああ、そうそう。お前の出向先は203魔導大隊だ」

「え?」

「我が協商連合を敗北まで導いたラインの悪魔の部隊、得られるものはすべて持ってこい。これは命令だ!」

「はっ!!」

 退室した後、メアリーは直立姿勢で、さながら機械のように無言で歩き続けた。あまりにも現実感がなさすぎて頭が真っ白になっていた。外に出て宿舎に向かう最中、メアリーはふと空を見上げる。

 空の遥か彼方で帝国の英雄、ターニャ・デグレチャフと父、アンソン・スーの姿が見えた気がした。それと同時に実感が沸いてきてメアリーの喜びが爆発する。

「やった! やったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 メアリーはターニャを強く思い続けた。縁とは思いの強さから生まれる。かつての憎しみとは真逆であるが、彼女の焦がれるような憧れは、今度は交わらないであろうと思われた両者を引きつけたのであった。

 

 

 

 

 

(4)無尽蔵の愛

 

 

 そんなこんなでメアリーを指導する事になったヴィーシャであったが、彼女の心配は他所にメアリーは優秀であった。ヴィーシャにとってすっごく困ったのが異様な程慕われてしまった事である。

 ヴィーシャはもうあのターニャの副官としてかなり名を知られている。となるとメアリーにとってヴィーシャもまた羨望の対象というわけで。

 ヴィーシャとしてはかつての世界の粘着っぷりがトラウマになりかけていたため、どうにか粗を探して追い払いたいわけであるが、あのキラキラした眼差しを向けられると後ろめたい事をしている気分になり、何とも言えなくなってしまう。

 もちろんヴィーシャも一流の軍人故、それが演技である可能性も考えたのだが、どんなに厳しい訓練を貸してもその笑みが崩れる事はないし、戦争の理不尽さを叩き込むため、叱りつけたり煽ったりして見てもメアリーはぶれなかった。というかむしろ「これが本物の203式訓練!!」とキラキラ度が増していた。

 ちなみにこれ、かつてターニャが経験した事である。滅茶苦茶厳しくして音を上げてもらうはずが、ターニャの威光が強すぎたため疑われる事がなかった。むしろこれが一流の訓練と誤解され、耐えきった者達によってやべー部隊が仕上がっていたという。

 上司に似るのか、自己評価が低いのはヴィーシャも同じである。戦略的に203魔導大隊の価値は理解していても、自分自身英雄として憧れの対象になる側面については無頓着で、なんで? どうして? と日々首を捻る毎日。

 

 溜まったフラストレーションはもはや限界近く、もう爆発するといったヴィーシャが選んだ発散先はなんと存在Xであった。 

 

「このクソ神! あいつ送り込むなんて一体何してくれるんですかぁぁ!!!」

「ち、違う。私何もしてない! まじで何もしてないって!!」

 

 もはやクソ神呼ばわりされている存在Xが、何故ヴィーシャと会話できているのか。それは存在Xがちょくちょく神の世界から遊びに来ているからであった。その姿はかつてターニャに姿現した時と一緒で、彼女に瓜二つの少女であったが、前とは違ってその髪の色を銀色であり、さながら2Pカラーのような姿をしていた。

 余程気に入ったのか、存在Xは最近よくこの姿を取るのだが、それがさらにヴィーシャの怒りを増長させる。一応神であるはずなのだが、ヴィーシャに責め立てられて、委縮している姿に威厳はまるでなかった。

「じゃあなんで彼女がここに来るんですか! きっかけになる父の死が起きてないのだから、一般人のはずでしょ!?」

「いや、それを言うならあ奴が悪い」

「我らが大隊長に何の非があるっていうんですか! ねじりますよ!?」

「ねじる!? な、なにを!?」

 全く持って意味不明なワードであったが、得体の知れなさが存在Xの恐怖をあおる。神が何と弱気なと思うかもしれないが、神においての力とはすなわち信仰である。ヴィーシャはやったら信仰があるターニャの眷属のようなものなので、普通に負ける可能性もあり、真面目に脅威なのである。

「まあ聞け。貴様らの大隊長は三国軍議でメアリーの父と会ったのだ。彼女が来たのはそこでたらし込んだ結果というわけだ。いかにターシャちゃんが凄いか力説していたからな」

「何でそこで阻止しないんですか!」

「私ターシャちゃんには不干渉貫くって決めてるし!」

「約束なんて守ってる場合ですか! そこは臨機応変に対応しなさいよ!」

「んな無茶苦茶な!!」

 あーだこーだやりあっていると二人に近づく影があった。

「セレブリャコーフ中尉(※ 階級上がりました)? こんなところで何している?」

 ターニャその人である。ヴィーシャの指導の様子を見に来たのであるが、訓練どころか幼女と喧嘩している光景に困惑気味であった。ここで幼女虐めと思わないのはヴィーシャの普段の行いのたまものである。

「大佐殿(※ 同じく階級上ってます)! これはその……」

「うん? お前は……存在X?」

「ぐ、ぐーてんたーくターシャちゃん。お願い助けて」

「誤解を招くような事言わないで!!」

「ぐえぇぇー」

 

「……えぇー」

 

 前のように存在Xがターニャの姿を取っているのもいけ好かないが、そんないけすかない神がただの人(しかもその人物は自分の優秀であるはずの副官)に虐められている図、思わず拒否反応が出てしまうのも無理はない。ターニャは目の前の光景に軍人フェイスが崩れ、ひきつった笑みを浮かべる事しかできなかった。

「それで何がどうなってこのような状況になっているのだ?」

「このくそ神が余計な事をしてくれたからです!」

「だから私何もしてない! 不干渉は守ってます!!」

 ターニャはなんか存在Xが不憫になった。あれほど憎んでいたはずなのに今やクソ神と呼ばれる始末。神と言うのもなかなか大変そうだ。そして何よりも我が副官が逞しすぎる。ふとターニャが思ったのが、自分に記憶こそないが、かつての病死したらしい世界で、ヴィーシャにすべてぶちまけていたらどうなっていたかと言う事だ。

 なんか203魔導大隊の面子が神の世界に喧嘩吹っ掛けそうなヴィジョンが浮かび、慌てて頭を振った。これは開けてはいけない扉だ。ジャンルが変わってしまう。

「とりあえず一から話せ。それから判断する」

「分かりました…………あっ!?」

 それまで顔を真っ赤にしていたヴィーシャであったが、急に青ざめる。ターニャはその理由を察してヴィーシャに告げた。

「大丈夫だ。理由は大方この存在Xに聞いている」

「それって」

 過去にさかのぼった事を知られてはならない、それはターニャ除く203魔導大隊の皆で決めた不文律の掟であった。それを、あろう事か、この存在Xが破った。一度冷静になったヴィーシャの怒りが再点火するのは分かりきった事であった。

 思いっきりヴィーシャが存在Xを睨みつけると、存在Xは慌ててターニャの後ろに隠れる。ターニャは泣きたくなった。散々苦しめられてきたはずの存在Xが、こうも情けない姿を晒しているのを見ると、自分のあの苦労は何だったのだと悲しくなる。

「ヴィーシャ」

「は、はい。申し訳ありませんでした」

「いや、貴様の想いは嬉しく思う。ただこのままでは話が進まない。一度冷静に」

 ここで一度相手を肯定し、立てるのがコツである。さらにはあえての名前呼び、効果は抜群だ。ターニャの人心把握術を目の当たりにした存在Xは感心した様子であった。大分冷静さを取り戻したヴィーシャは改めて説明モードに入る。

「それでは説明させていただきます。大佐殿が初陣で戦った人物を覚えていますでしょうか?」

「アンソン・スーか。この前の軍議で久々に会ったがそれが何か?」

「彼ともそうなのですが、どちらかというとその娘の方が問題でして。前の世界で因縁つけられていたんですよね」

「ふむ、詳しく」

「はい、それでは」

 それからヴィーシャはメアリー・スーが軍属となった経緯、そして彼女が203魔導大隊に仇名す存在になった事、恨み故に私情で動く危険人物であった事を事細かく説明した。

「つまりはだ。我が203魔導大隊はアンソン・スーを撃墜した故に、その娘であるメアリー・スーに恨まれた。しかし当時は何の実力もない小娘でしかなく、復讐するための力がなかったが、存在Xがこれ幸いと彼女に恩恵を与えたと」

 ヴィーシャの説明を聞き終えたターニャは己の中で考えをまとめると、居心地悪そうな存在Xへと向き直った。

「存在X、貴様、本当に神なのか?」

 ターニャの軽蔑を通り越して呆れたような表情に存在Xはムッとする。

「なにをー!!」

「そんな力の与え方をしたら駄目になるに決まっているだろう」

 しかしターニャの次の一言は存在Xの興味を引くのに充分であった。

「一体どういう事だ?」

「何もかにも、単純な事だ。人は過剰に与えれば腐る。人とは本来我儘な生物だ。だが一方で群れなければならない。群れで生きるためには我儘のままではいけない。よってルールというものを敷いたわけだ。我慢しながらな。そんな人に力を与えたらどうなる? 秩序を破壊し、人に仇名す存在になるのは必然だろう?」

「だが大いなる力は信仰に繋がる。少なくとも昔はそうであった」

「存在Xよ。随分盲目的だな。それは物がない時代の考え方だ。農業革命、産業革命が起き、物が揃うようになった時代、信仰が科学に破れ始めた時代でもある。最低限生きる保障を得た人は、自由になった時間を思考に使えるようになった。今に合わせて限定的に言うと、物事に根拠を求めるようになった。大いなる力は言うなれば得体のしれない力だ。答えなき力は信仰ではなく、今ではむしろ恐怖の象徴だよ」

「っ!!」

 存在Xにとってターニャの言った真実は頭を金づちで殴られたような衝撃であった。

「賢くなった弊害だな。答えを知らないと納得できないんだ。まだそのメアリーとやらにカリスマ性があったのなら、話は違ったのかもしれないが、何も知らない子供、しかも憎しみに染まった子を選んだのは失策も良い所だぞ」

 ぐうの音も出ないとはこの事だ。正論とは一番の暴力である。何せ否定しようがないのだから。存在Xの自尊心はもはや木っ端みじんに打ち砕かれた。

「子供は力の使い方を知らない。その恐ろしさを知らない。私が何故ヴィーシャ達に恐怖を先に叩き込んだと思っている」

「脱落させるためでは……」

「力に溺れないようにするため、ですよね!」

 存在X渾身の反論も、ターニャ狂信者であるヴィーシャに潰される。ターニャの場合、動機はどうであれ結果が伴ってしまっているのだからたまらない。これ以上の抵抗はどうにもならないと思った存在Xは押し黙った。

「巨大な力を扱うための正しい知識、そして心構えが必要だ。しかしそれらは修練する過程があって初めて得られるものだ。力だけ得ても遅かれ速かれ自滅するのは必然だ」

 この過剰な力は現代的に考えると宝くじに例えられるかもしれない。宝くじの高額当選者はその後、幸せな生活を送るかと思いきや、不幸になるケースが多いという。お金の使い方を知らない故に、有効に活用できずに失ってしまうのだ。

「人を潰す最も確実な方法は与え続ける事だ。何故なら人は奪われる事には敏感だが、与えられる事には酷く鈍感だ。与えられた力を己の力と過信した時、人はどこまでも慢心し、堕落していく」

 ターニャの話を聞いて、ヴィーシャは言伝に聞いたメアリー・スーの最期を思い出していた。彼女の最期、それは仲間であるはずの者から受けた背後からの銃撃。きっと彼女は味方から撃たれるなんて思いもしなかっただろう。殺したいほど恨まれていたなんて。彼女は己の死をもって現実に帰った。

 メアリーは己が救世主だと信じていた。父を殺した悪魔は世に悪をばらまく魔王で、己自身は父の敵討ちをする正義のヒーローだと。その思いが強くなるにつれ、盲目的になればなるほどメアリーはさらに力をつけた。

 神への信仰こそが彼女の力の源で、それ以外が全くなかった。だから他の軍人の強さがどのような修練の果てに生まれたなんて考えてこなかったし、軍における規律の必要性も理解していなかった。理解していなくとも力を得られたのだから。しかし理性なき力は誰も幸せにしない。

 

 いつしか彼女は孤立していた。

 

 メアリーは与え続けられたからこそ振り返れなかったのだ。その道に進むしかなかった。理解するとメアリー・スーという者は何と悲しい存在なのだろうか。ヴィーシャはこれまで厄介にしか思っていなかった彼女に思わず同情してしまった。

 一方で存在Xも流石に罪悪感を感じざるを得なかった。良かれと思ってやった事で、彼女を害する気持ちは微塵もなかったが、メアリーの信仰に応じ続けた結果が、彼女の死に繋がったとなっては流石に後味が悪すぎた。

 へこむ二人を見てターニャは肩をすくめるとヴィーシャに問いかける。

「それで今のメアリーとやらはどういった感じなのだ?」

「それこそ優等生ですよ。才能こそ並ですがやる気に溢れています。私が教えた事を一字一句聞き漏らすまいとしていますし、覚えられるものはすべて覚えるといった意気込みですね。軍歴が短い故に体力不足で、よく宿舎に戻る前に倒れたりするのが困りものですが」

「天才とは努力する凡才である。とある科学者の言葉であるが、やる気は何よりの才能だ。もしかすると化けるかもしれんな。それこそヴィーシャのようにな」

「力なければ大隊長殿の隣には立てませんから!」

 褒められて嬉しそうにヴィーシャ微笑む。ターニャの誉め言葉はヴィーシャにとって何よりの幸福なのだ。

「とにかくだ。話を聞く限りではそのメアリーとやら、問題ないと思うぞ」 

「信じても良いのでしょうか? 今はまだ素直で良い子ですが今後どうなるか……」

「簡単な話だ。こっちを信じさせろ」

「え?」

「相手から飛び込んでくれたんだ。しかも帝国式航空魔導師を学ぼうと躍起になっている。ここまでお膳立てされているんだ。染め上げるのなんて簡単だろう? 憎しみと信仰で我が203魔導大隊を苦しめるまで昇りつめた者だ。味方にしておけば心強い事この上ない。徹底的に帝国式で仕込んでやれ」

 なるほどと頷くヴィーシャに興味深そうに聞き入る存在X、人の導き方が分からなくなった存在Xにとって、ターニャの考え方は核心的であった。もはや神であるという事も構わずにターニャに尋ねた。

「正しい知識、心構えがあると何が違ってくるのだろうか? 過程があれば何が変わってくるのだ?」

 ターニャは答えた。

「人は己が行動した対価を欲する。自己の証明の為にな。これを言い換えれば『自信』だ。自分の行動が正しかったと証明できた人間は芯から強い。一方で与えられた力は『自信』ではなく『不安』を生む。己がその力を扱うのにふさわしいか、己自身納得できていないからだ。故に自滅する。それだけの話だ」

 感心した様子の存在Xにターニャは微笑みながら言った。

「存在Xよ。貴様は飴だけをあげていたようだが、人を育てるにおいて飴と鞭は基本中の基本だぞ?」

 

 

 

 

 

(5) そうして神は深みに嵌る

 

 

「貴様ら喜べ! 今日は我らが大隊長殿が視察にこられた! ターニャ・デグレチャフ大佐である!」

 ヴィーシャの威勢の良い声が飛ぶ。普段は物腰柔らかくても、副隊長としての彼女はターニャと同じく冷静な獣である。その眼差しは鋭く、ターニャに次ぐカリスマ性を持っている。

「敬礼っ!」

 ヴィーシャの号令に訓練兵たちは一糸乱れぬ動きで敬礼をする。

「ご苦労、セレブリャコーフ中尉」

 訓練が行き届いている様子を満足気に見ると、ターニャは壇上へ上がり、緊張している若き兵達へと語り掛けた。その中には無論渦中の人、メアリーもいる。彼女は緊張しながらもどこか光悦した表情でもあった。ターニャこそ彼女の憧れの人であるゆえに。

「ターニャ・デグレチャフ大佐だ。今回は諸君らの顔を拝みに来た」

 初めこそ小柄なターニャに戸惑いがあったが、その声を聞いた瞬間、兵達の顔が引き締まる。彼女から発せられる圧倒的な存在感、ただものではないオーラが、目の前の彼女こそが軍神であると嫌が応にも理解させられる。

「諸君らはここにきて地獄を味わったであろう」

 訓練生達は表情にこそ出さないものの、ターニャの言葉にヴィーシャの課した苛烈な訓練を思い出していた。そしてこの流れは褒めてくれるのではと淡い期待も抱いた。かの英雄から褒められたとなれば、皆に自慢できるくらいの栄誉だ。

 しかしターニャの次の言葉はそんな淡い期待を抱いた兵達をへし折った。

「喜べ。それはまだ入口にすぎない。貴様らにはさらなる地獄を味わってもらう」

 不満が思わず表情に出てしまった兵もおり、ターニャはそれを見て嗜虐的な笑みを浮かべた。バレたのを察した兵が慌てて繕ってももう遅い。

「不満などあるわけあるまい。貴様らは覚悟を持って、この203魔導大隊の訓練を受けているのであろう?」

 挑発的に言うターニャであったが、誰も文句は言わなかった。ここに集まった者達は国を守る力を得るためにやってきた。覚悟のない者と思われるなんてもってのほかだ。試されていると理解している訓練兵達は意地を貫き、もちろんとターニャへと強い眼差しを向ける。

 その負けん気の強さはターニャにかつてのヴィーシャ達を思い出させた。

 ターニャは思う。ここにいる奴らは狂人ばかりだと。だが狂人こそ乱世には必要なのだろう。故にターニャはさらに強い言葉で語り掛ける。

「やる気があるようで結構。そう、戦いとは、戦争とはすなわち避けられない地獄である。勝てと命じられれば必ず勝たなければならない。一度命じられれば貴様ら軍人に逃げる事は許されないのだ。戦って死ねと言われれば死ね。それでも生きたいと願うのならば……」

 

「地獄と隣人になれ」

 その言葉の重みに訓練兵の誰もが息を呑んだ。

 

「例え地獄であろうが、知ってさえいればどうって事はない。地獄を知り、恐怖を克服した時、貴様らに怖いものは何もなくなる。期待しているぞ? 我らが帝国の同盟国の諸君よ」

 訓練兵達はただただ圧倒された。ターニャは訓練兵達が思い描いた清廉潔白なヒーローとは真逆な存在だ。ヒーローよりむしろ魔王。だがターニャには空想のヒーローにはないリアリティがある。

 嗜虐的で、血生臭く、気高い。これこそが本物だと確信する。訓練兵達は心が震えるのを感じた。神に嫌われても己を磨き続け、運命を切り開いたターニャの堂々たる姿は、嫌悪感を感じる以上に訓練兵達を惹きつけてやまない。

 特にメアリーの感動は一際であった。女性、しかもメアリーより年下と言う身でありながら、誰もが威圧されるほどの鋭い眼光。見ているだけでもターニャが遥か格上なのが分かる。きっとここにいる訓練兵全員で戦っても全滅させられるであろう。そう思うくらいに。ここまでの強さを人一人が持っていいものなのか。

「期待に沿うよう精進いたします!!」 

 気づくとメアリーはそう叫んでいた。彼女はその場を去ろうとしていたターニャに何か残したくて必死だった。後になってしまったと思ったメアリーであったが、声にあげてしまった以上はもう誤魔化せない。

 回りがざわつく中、振り返ったターニャの視線にメアリーは耐える。ここで目をそらしてしまってはわざわざ聞こえるように声を上げた覚悟を疑われる。メアリーとしてはそれだけは避けたかった。ターニャは尋ねた。

「貴様、名前は?」

「メアリー・スーであります!」

「メアリーか」

 ターニャは何か考え込むような仕草を見せる。緊張で固まるメアリーにとって、それは永遠にも近いような時間であった。

「その度胸を評価して一つアドバイスしてやろう」

 意外な申し出にメアリーは固まる。メアリーとしては一体何を言われるのか気が気でなかった。そんな事はお構いなしにターニャはメアリーの肩に手を置いて言った。

「決して地獄に魅入られるな。理性なき力は己を破滅させる。強さを目指すのであれば、あるべき正しい軍人の姿も学べ」

 何故地獄を学ぶのか。それは狂わないようにするためだ。地獄に取りこまれないようにするために、あえて隣人となる。まさに毒を以て毒を制すだ。

 メアリーがすぐに返事を返せなかったのは過去の自分を思い出したからであった。単純に正義と悪で分けていた幼稚な自分、今彼女は父に教えられ、この厳しい訓練で現実を知りつつある。かつてのメアリーなら分からない。でも今なら。

 ターニャの言葉はメアリーの心にすっと入っていた。己の過ちを戒めるように胸に手を置くと、メアリーはターニャに今度こそ返事をした。

「はっ、了解致しました! 肝に銘じておきます」

「宜しい」

 ターニャは満足そうに頷くとヴィーシャに声をかける。

「セレブリャコーフ中尉、せっかくの熱意ある者だ。特別にみっちり仕込んでやれ」

「了解であります!」

「えっ……」

 満面の笑みを浮かべるヴィーシャに、思わず顔がひきつるメアリー。ただでさえ厳しいのに今後の訓練は一体どうなってしまうのか? いつもはやる気十分のメアリーでも流石に不安にならざるを得なかった。

 

 

 ターニャの視察から数時間発った後、彼女の訓練兵達に対する対応を見届けた存在Xは首をかしげていた。

「これのどこが飴と鞭なのか……ただ鞭だけにしか見えないのだが……」

「だからあなたはポンコツなんですよ」

 いつの間にかヴィーシャが背後に立っており、存在Xはぎょっとして飛び退く。彼女の言葉は相変わらず辛辣であった。

「副官である貴様には違うように聞こえているのか?」

「確かに恐怖を克服する訓練というのは紙一重です。何故なら人を追い込むという行為は快楽を生みます。己が絶対的優位であるがままに支配できる。その優越感は抗いがたいものです。しかし大佐殿は私達を鍛える時そんな素振りは一切見せなかった。大佐殿は何時だって一番危険な位置にいて、地獄のそばにいました。実際の戦いになってからはなおの事です」

「だがそれは貴様らが強くなればターシャちゃんの生存率が上がるからに過ぎないのでは? 合理的な判断を好むターシャちゃんの事だ。目先の快楽よりも将来を重視するだろう」

「もちろんそれもあるでしょう。むしろそれこそが本音なのかもしれませんね。でもですね? だからと言って実際にやれますか?」

「む?」

「人に嫌われても構わない覚悟で徹底的に鍛え上げ、それだけに終わらず戦闘になったら危険を顧みず我先にと突入し、部隊の長として回りを鼓舞する。この人についていきたいと思わせる。どんな思惑があろうとも私はそこに愛しか感じませんよ」

 存在Xはヴィーシャを通して見える、ターニャが持つカリスマ性が恐ろしく映った。目の前にいる彼女はまさしく狂人だ。しかし一方でヴィーシャの言葉は存在Xの心に強く刺さった。

「奴は己の発言が正しい事を己の身を持って証明して見せたのか」

「だから私達はあの地獄を生き残った。大佐殿がずっと道を示してくれたから」

「正直まだ私には貴様らの価値観は理解できん。だが結果がどうなったかは知っている。きっと貴様らは正しいのだろうよ」

 ターニャを認める発言にヴィーシャは満足そうに頷く。ここまでターニャを慕うヴィーシャを見て、存在Xは思った。ヴィーシャも知らない一番最初、ターニャになる以前の男は人に恨まれて殺された。

 存在Xが思うに男とターニャに差はさほど感じない。二人の人生観は徹底している。それでも嫌われる者と好かれる者へと運命が分かれた。これは一体どういう事なのか。ターニャを慕うヴィーシャがおかしいのか。男によって失業されられた者の我慢が足りなかったのか。

「生まれる場所、生まれる時期が間違っていたのか……」

「一体何の話です?」

「もしもの話だが、もしターシャちゃんが平和な世に生まれていたらどうなっていたと思う?」

「きっと死んでいたかもしれませんね」

 ヴィーシャの解答は明白であった。

「即答だな」

「私達は思い知りましたから。一度戦いを知った者はそこから離れる事はできないって。苛烈さをもって鼓舞をする大佐殿であれば尚更の事。世界にとって平和な世は良い事なのでしょう。でも私達にとってそこは緩やかな死を迎える牢獄です」

「歪んでいるな」

「あなたに言われるのは癪ですが自覚はありますよ。でも……」

「でも、なんだ?」

「そんな自分が嫌いじゃないから問題はないですよ」

 それがどうしたといった様子のヴィーシャに存在Xは呆れたように笑った。

「まったく貴様らには叶わんな」

 信仰とは程遠い悪魔達、それに魅入られた自分はどれ程愚か者なのか。しかし存在Xは思った。

 

 この生意気な娘と同じ心境なのは癪だが、私もそんな自分が嫌いじゃないと。

 

 

 

 

 

 




 創作物において俺つえ―のダメな代表とされるメアリー・スー(本家)ですが、俺つえ―は一人だけ世界から外れてしまうのが欠点なんですよね。本来であればいくら力があっても、価値観を共有できないはぐれ者は仲間を得る事が出来ず、孤立していかざるを得ない。
 力だけでは賛同を得られず、最後に仲間に裏切られてしまうメアリー・スー(幼女戦記)の最期はかなり現実的に思えます。俺つえ―系、普通はまあこうなるよなぁって。主人公補正(魅力値)がないばかりに!
 非業の最期を遂げたメアリーはWEB原作版で、そこではただの狂信者なので、アニメ、漫画とは別人なのかもしれませんが、描写されていないだけでアニメらと同じ過程をたどっていると仮定するのであれば、メアリーは心が弱った時に存在Xにそそのかされている事になります。
 弱った時の導きは天啓のように思えるだろうし、実際心のスキマを狙われるのはよくある事。こうした間の悪さも実にらしく、エンタメのラノベのはずなのに、メアリー・スーは妙に現実に生きている人だよなぁと。
 今作ではメアリーを、染まりやすい純朴な若者というイメージで書きました。きっかえさえ違えばここまで変わる、みたいな。今回は心の弱った時に『ターニャの存在を知った』にすげ替わっておりますので、こんな結果に。
 本家とはもう別人ですが、これこそが若者の可能性だ!! とか言っておきます。
 ではでは今回もお読みいただきありがとうございましたー!!


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