和風ファンタジーのなりそこない (櫛森興里)
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1話

 天上に皓々と輝く月の光が、静かな闇に覆われた古都に淡く降り注ぐ。満点の星空に浮かぶ明月の雅さは、見る者悉く感嘆の息を漏らさずにはいられない。幾たびの戦火に晒され、荒れ果てた都の過日を思えばこそ、また一層に心揺さぶられる風情があった。

 方や大太刀を腰に佩き、鮮やかな朱染めに金刺繍の伊達姿。方や長柄を担ぎ上げ、紫地に白鷺舞う長着。共に華やかなりし都を歩けばこそ相応の出で立ちは、しかし“常闇の古都”を包み込む夜の中で、あまりにも場違いな格好だった。

 天上を見上げれば風流なれど、真夜の廃都に澱む闇は怖気が立つほど気味が悪い。如何に月が明るかろうと、それで照らし出せるのは所詮廃墟の輪郭ばかり。その半端な明かりが尚の事、暗闇の向こうに鬼気を感じさせるのだ。

 だが――この男二人に限っては、まるで怯えた様子も見られない。人賑やかな昼中の往来を行くが如く、他愛のない話に花を咲かせるその姿からは、どこか場にそぐわぬ滑稽さすら感じられた。

 二人の男は、廃都の外を目指して歩いていた。既に廃都を訪れた目的は達成したとみえて、共に喜色満面の様子が見て取れる。廃都には未だ少なくない数の宝物が眠っているとされるが、その何れかでも手にすることが出来たのだろう。或いは、廃都に跋扈する魑魅魍魎の類こそが目的であったか。

 やがて、男二人は市街を流れる川に掛けられた大橋に差し掛かる。その半ばまでを渡った二人は、不意に耳に届いた雅な音色に足を止めた。

 笛の音……聞こえてくるのは前方からか? 二人の表情から笑みが消える。各々得物に手を掛けながら、前方の闇を険しい眼で睨み付けた。闇が蠢く。それはやがて人の形を取り、二人の前に現れた。

 奇妙な人物だった。真白い被衣(かつぎ)姿にも拘らず、少しでも気を逸らせば闇に紛れてしまいそうな薄い存在感。暗闇と被衣で顔は窺えず、装いから女であろうと察することはできたが、自分たちにも増して廃都にそぐわぬその姿からは、どうにも不気味な風情が感じられた。

 だが、何より二人の目を引いたのは、その左腰に差した異様な気配を放つ一振りの刀。刀身を鞘に納めながら、まるで抜き身を突き付けられているかの様な鬼気……それは、紛れもなく妖刀魔剣の類に他ならなかった。

 笛の音が止む。女は笛を懐に仕舞い、被衣をそっと持ち上げた。月明かりの儚さでは、この距離でも貌の造形までは判らなかったが、しかし、女の眼に爛々と宿る殺気の炎だけは、それでも見違えようはない。

「――ッ!」

 男二人は、すぐさま自らの得物を抜き放った。女が何者かは知らないが、それが敵と判れば為すべきはただ一つ。いずれ劣らぬ殺気を刃に載せて、二人は同時に女へと斬り掛かった。

 風が吹く。女の被衣が宙を舞い、ほんの一刹那、二人の視線が真白い衣に奪われた。それは、瞬き一つにも満たない僅かな時間だったが、その女を前に晒すには致命的な隙だった。

 大太刀と大身槍の二つの刃が、女の身を捉えることなく空を切る。白被衣を脱ぎ捨てた女の姿は、夜陰に溶け込む黒装束だった。二人が被衣に気を取られた一瞬を突いて、女は闇に紛れたのだ。

 先に動いたのは男二人だったが、先手を打ったのは寧ろ女の側だった。一手遅れた男二人は、瞬時に背中合わせになり、互いの死角を補い合う。直後、月光を浴びて妖しく光る刃が、長着の槍使いに襲い掛かった。

 槍使いは、咄嗟に掲げた槍の柄でその一撃を受け止める。小柄な外見には似合わない、重く鋭い斬撃。だが、柄に差し込まれた茎《なかご》に防がれて、女の刃は槍の柄を両断するには至らない。

 それでもなお、女は剛力に任せて槍使いを圧し切らんと力を込める。その女とは思えぬ――否や、大の男でも有り得ぬ程の異様な膂力を前に、槍使いはじわりじわりと圧されていく。

 果たして、槍使いの窮地を救ったのは、女のそっ首を目掛けて閃く一筋の銀光だった。月の光を反射しながら半月を描く大太刀筋は、女の首を落とすには至らずとも、女に槍使いとの迫り合いを仕切り直させるには十分だった。

 軽やかに身を翻し、伊達男の振るう大太刀の刃圏から逃れ出た女の前に、伊達男は大太刀の峰を右肩に預け立ち塞がる。背後でほうと一息吐く同胞の気配を感じながらも、その意識は女の一挙手一投足に向けられていた。

 ……強い。二人を相手に挑みかかってくるだけはある。数合と刃交えるまでもなく、伊達男と槍使いは悟っていた。この女は、ただ一人を以て我ら二人を相手に勝り得る強者であると。

 どうする……横に並び立ちながら、槍使いが伊達男に短く問う。二人揃ってそうそう後れを取るつもりはないが、さりとて女の業前は侮りがたい。とりわけ、人を相手取る事に掛けては類稀なる天性が窺える。

 挑まれたからとて、必ずしも受けて立たねばならない道理はない。あえて逃げを打つ手もあるが……槍使いが言外に示したその問いに、伊達男は首を横に振って答えた。

 如何に狂犬の類が相手と云えど、一度挑まれたからには受けて立たねば剣士の名折れ。どのみち、易々と見逃してくれるほど容易な相手でもあるまい。

 何だそれは……伊達男の言葉に、槍使いは呆れたように肩を竦めて笑声を漏らした。どうせそう答えるだろうとは思っていたが、相も変わらず好戦的な奴だ。

 女に向けた槍の穂先に殺意を乗せて、槍使いは伊達男への同意と代える。初手では些か後れを取ったが、この上無様を晒すつもりはない。見事この妖女を討ち取って、武名に箔を押してやろう。

 伊達男と槍使いの気迫を受けて、女はその口元に好戦的な笑みを浮かべる。手練れ二人を相手取る不利など感じさせず、むしろなお自らの優位を誇るが如きその態度は、男ら二人の矜持を強く煽るものだった。

 轟、と風が唸りを上げる。大太刀と槍の二つの刃が、夜気を裂いて女を左右から挟み撃つ。当たれば必死、掠るだけでも重傷は免れない威力を秘めた双撃を前にして、しかし女の取った行動は常軌を逸していた。

 ――前進。浮かべた笑みをそのままに、女は迫る刃を目掛けて自らその刃圏に足を踏み入れたのだ。

 仮に、女の狙いが意表を突くことで刃を鈍らせる事にあったのなら、それは無意味に終わった事だろう。その程度の児戯が通用する程、伊達男も槍使いも未熟ではない。

 だが、女の狙いはそれではなかった。女が後退ではなく前進を選んだのは、偏に敵の振るう得物の有利不利を弁えていたからに他ならない。

 大太刀と槍の有利とは、即ち間合いの遠さにある。そして不利たるもまた、その間合いにこそあった。槍も大太刀も、あまりに至近の敵を相手取るには適さない。故にこそ、一度懐に潜り込んでしまいさえすれば、そこは女の距離となる――が、しかし。

 掛かったな……槍使いが浮かべた不敵な笑みと共に、女を狙っていた槍の穂先が軌道を変え、掬い上げる様に石突が跳ね上がる。女が間合いの利を得ようとするのは分かっていた……だから槍使いは虚の一撃で女を誘い、石突による実の一撃への布石としたのだ。

 不意を突かれた女は、たまらず刀で石突を受け止めた。その隙を目掛けて、伊達男の大太刀が翻る。足を止めさせられた女に、これを凌ぐことは不可能――そう確信した勝機は、次の瞬間女によって撃ち砕かれた。

 女は、槍の石突と迫り合う刀に込めた力を弱め、自ら体勢を崩したその勢いを利用して後方に倒れ込む。紙一重で大太刀の刃から逃れると、地面に付いた片手の力に任せて宙空に身を翻した。

 一度ならず二度までも……男二人の表情が、今度こそ驚嘆の一色に染め上がる。なんとなれば、今まで刃を交えた益荒男どもの誰よりも、この女は強者と評するに相応しい。

 単騎で挑めば敗北は必至、二人揃ってようやく互角とは、つくづく得難い至上の敵手だ。この機を逃せば、次はいつ巡り合えることだろうか……自らの胸の奥で闘争本能が頭を擡げ屹立するのを、槍使いと伊達男は今まさにまざまざと感じていた。

 女、名は……欄干に着地した女へと、伊達男が問いかける。それは、強敵に対する男なりの敬意の表れだった。有象無象はいざ知らず、これ程の強者となれば、名も聞かずに斬るのは礼儀に悖ると。

 だが、女は伊達男の問いに答えることなく虚空に視線を滑らせ、その瞬間、愉しげに浮かべていた笑みが女の顔からすうと抜け落ちた。

 残念、時間切れ……呟くが早いか、女は欄干の上で身を翻すと、背後の闇夜に身を躍らせた。

 唐突な翻意に反応が遅れた男二人を後目に、女の姿は闇に紛れて消えていく。伊達男と槍使いは、慌てて女の立っていた欄干から橋の下を覗きこんだ。

 だが、仄かな月明かりに見えたのは、波紋を掻き消す川の流れに歪む水月のみ。闇に溶け込む黒衣の女を、最早その影すら見つけることはできなかった。

 逃げられたか……槍の切っ先を穂鞘に納めながら、槍使いがほうとため息を吐く。その傍らで、伊達男は苛立たしげに女の落ちた水面を睨み付けていた。

 ようやく興が乗って来たところで……恨みがましく吐き捨てる伊達男に、槍使いは宥めるようにその肩に手を置いた。肩透かしを食って不快に思うのは分かるが、どうあれ命拾いした事には違いない。

 伊達男は、最後に川面を一瞥すると、ようやく無造作に大太刀を鞘に納めて歩き出した。しばらくは機嫌が直らないかもしれないな……と嘆息しながら、槍使いがその背を追い掛ける。

 後には、淡い光を落とす天上の月だけが、何事もなかったかのように深々と佇む廃都を見下ろしていた。




続かない(多分)


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