ウマ娘 Topsy-Turvy (常盤道玄坂円盤投げ)
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1.Tear Drop
私は転生者だ。
より正確に表現するならば、私の
所謂二重人格である。
オリジナルは、このウマ娘の世界に転生し、”ティアードロップ”という名前を授かった。
生前、常日頃からウマ娘に転生したいと考えていたオリジナルは、この点では恵まれていたと言っても良いだろう。
しかし、家庭環境には恵まれなかった。
詳しい話をすることが私の苦痛となる程度のことは経験している。
よりにもよって転生直後に自我が芽生えてしまったことが運の尽き、哀れにもオリジナルは塞ぎ込むに至った。
そうして、
***
今に至るまで、私達の身には絶え間ない苦難が降りかかっていた。
実家で暮らしていた時の話は、先述したように話すこと自体が苦痛である。
痕跡が残らなかったことが唯一の救いだ。
やがて、実家からは追い出された。
そうなれば、当然貧困に喘ぐことになる。
そして私は途方に暮れた。
当時の私は小学生。
ウマ娘とはいえ、未成熟の身体では仕事をしようにもできないのである。
まあ……。
詳しい話など、しても誰かを不幸にするだけだ。
色々あったが、とにかく
***
『今のを脳内で延々と垂れ流された僕の気持ち考えたことある? ねえ』
──ごめんて。
『もしかして頭でも狂った? 良い精神科でも紹介しようか? 伝手はあるよ』
──それユーモアのつもりか? 闇深すぎて笑える人いないと思うんだけど。
『僕たちなら笑い飛ばせるでしょ』
否定はしない。
人に話すようなことではないが、脳内では笑い話にもできる。
それくらいの時間は過ごしているのだ。
『過ごしたのはお前だけだろ』
──まあずっと寝てたもんな! お前な!
『寝過ごしてしまったか……!』
この調子で、オリジナルとはずっと脳内でカスみたいな掛け合いを繰り返している。
仲は良好だ。
***
さて、現在の状況だ。
私達は今、トレセン学園の試験を受けている。
具体的には筆記試験だ。
身体に関する主導権はオリジナルが握っている。
オリジナルの精神状態が良好な状態を保っている限り、私に出る幕はない。
ただ、脳内で思考はできる。
どういうことかと言うと……。
──ここ間違ってるよ。
『マジ? あっ確かに』
こういうことだ。
便利に使われている。
***
試験の結果が悪かったが面接で受かった、というパターンも過去にはあったらしい。
まあ、私達がそれに頼ることはないだろう。何しろ二人力だ。
ともかく。
レースの試験もあるらしい。
私自身はレース経験がある。
その影響で、周りのウマ娘達よりは身体が鍛えられていると自負している。
ただ、それは
オリジナルが塞ぎ込んでいた時期なのである。
そのため、オリジナルが身体の主導権を握った状態では初めてのレースだ。
どう転ぶか分からないのが辛いところである。
……と、走る前に心配はしていたのだが。
やはり、ウマ娘の本能なのだろうか?
何事も無く走り切ることができた。
結果としては逃げての1着である。
少なくとも、レース試験の成績が悪い、というようなことはないだろう。
***
『今の僕たちに備わってる身体能力が努力の賜物じゃなかったら、僕はやる気なくしてたと思う』
──どうした急に?
『いやほら、転生ってチートとか勝手にくっつけられるパターンあるでしょ? 努力もしないで勝つの嫌いなんだよね』
逆に私は勝てば何でも良いタイプだ。
自分で言うのも何だが、私はオリジナルと比べても壮絶な経験をしている。
異なる過去からは異なる価値観が生まれる、というわけだ。
価値観の異なる人格が脳内に共存している、というのは少し不安になるのだが。
問題が生じたことはない。
不思議な話ではあるが、喜ばしいことだ。
***
ここ、トレセン学園には中等部と高等部がある。
だが、これとデビュー時期は関連付けられていない。
トレセン学園のウマ娘にとって、デビュー後最初の3年間は重要なものだ。
当然、ウマ娘は最も良いパフォーマンスを発揮できる時期にデビューしたいと考える。
その時期というのは、本格化直後だ。
人によって時期が異なる本格化。
中等部の間に来ないこともあるし、入学後すぐに来ることもある。
私達は後者だ。
試験を難なく突破し、いよいよ教官の指導を仰ごうかと思った矢先の出来事である。
正直なところ、心の準備がまだできていない。
『そんな心の準備とかするものなのか』
──割と繊細だからね私。
『嘘だろ』
──あっ今私めちゃくちゃ傷ついた! 傷ついたよ! うーん……傷ついたなぁ!
『繊細っていうかガラスじゃんそれ』
***
実際のところ、
最初から心は凪いだままである。
それは置いておくとして。
デビューするためにはトレーナーが必要だ。
制度上の抜け道もないことはないが、清廉潔白を心掛けている私達としては正規ルートを歩みたいところである。
そのために、選抜レースに出なければならない。
トレーナーに伝手があるウマ娘ならば、出なくても問題ないのかもしれない。
しかし、生憎と私達に伝手はないのである。
『なんかアピールポイントとかある?』
──いや知らない。自分のことがよく分からない。
『僕も』
いっそ、適当に走るくらいがちょうど良いのかもしれない。
***
「誰かいい感じのやつ見つけたか?」
「んー……うーん。芦毛の、なんだっけ? ああティアードロップ。あれ、多分レース経験あるな」
「一目見ただけでそこまで分かるのか」
「レース慣れしてる顔な気がしたんだよ」
「これが馴れ初めか……」
「人聞きの悪いこと言わないでくれないか? 干されるんだよそういうの」
「別にいいじゃないか、補佐にでも甘んじておけ」
「あまり俺を怒らせないでくれないか」
「はっはっは、とりあえず俺はティアードロップと話してくる」
「この流れで行ける神経すごいな、俺が最初に見つけたんだが。……まあ許してやるよ、担当いねえもんな」
こういうやつだよ
リメイク前?非公開にした
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2.泥塗れの装甲艦
あの言い争いをしていたトレーナー達しか私達のことを見ていない。
もう少し注目されるのを期待していたのだが。
『言うほど飛び抜けて強いってわけじゃないからね。それなりに分散してるしトレーナー』
そして言い争いの片割れが近付いてくる。
「俺はトレーナーだ」
『スカウトする気本当にあんのかこれ』
──会ってすぐ自己紹介するってのはまあ分からないでもないんだけど、含んでる情報が少なすぎるんだよなぁ……。
「はい、何ですか」
「……」
『スカウトする気本当にあんのかこれ』
──普通黙らんでしょスカウトの時に! ねえ!
「あの、何ですか?」
「ああすまない、スケジュールを考えていた」
『スカウトする気はあるんだなこれ』
──スカウト後のこと考えるの早すぎなんだよなぁ……。
「どのような感じで?」
「まあ、G1は獲れるだろうな」
『これは自信家だ』
──能力あるタイプの自信家なら大歓迎なんだけどね。どうなんだろう?
「俺は未だに担当のウマ娘を持ったことがないが、チームのサブトレーナーとしての経験ならある。その俺が言うんだからお前はG1を勝てる」
「どこのチームですか?」
「ああ、それはまあいいだろう。あまり言いたくない」
『これ保留かな。流石にどこのチームだったかは調べたい』
──言いたくない理由はよく分からないけど……何かあったのかな。まあとりあえず保留にしよう。
「一旦保留で」
「そうか、じゃあ気が向いたらトレーナー室の前に来てくれ」
***
かのトレーナーは今宮と名乗った。
そして肝心のチームだが、リギルらしい。
ここで少し説明をしよう。
トレーナーの名門である東条。
レースの世界の歴史に常に顔を出す名前だ。
そして、ほぼ確実にチームリギルを指導する。
稀に個人契約をしていることもあるのだが、多くの場合はリギルと東条をイコールで結ぶことができる。
リギルは東条の庭である、と言っても良いだろう。
そんなところに、
簡潔に言えば、今宮トレーナーは東条に認められていた、ということになる。
『控えめに言って優良物件だよねこれ』
そして、調べても今宮トレーナーに関する不祥事は見つからなかった。
一方で、当時はなかなか調子に乗った発言をしていたらしい。
『要するに黒歴史なんだね』
──それで言いたくなかったのか……。
***
「担当ウマ娘がぁぁぁぁ!!! できそうだぁぁぁぁ!!!」
うるさい。
トレーナー室の中で叫んでいるのが外にまで漏れている。
あのスカウトの仕方といい、過去の発言といい、色々と残念な人のようだ。
『能力があるのに、能力以外の問題が多すぎるタイプ』
──実害はないけど、敬遠されるタイプだねこれ。まあ私達は掴むけど!
***
「どうもー! 愛しのティアードロップちゃんが来ましたよー!」
「は?」
──お前……マジで?
『あんなのに敬意払って対応してられるか?』
一応私も理解できなくはないのだが、流石にもう少し礼節はわきまえた方が良いだろう。
「確かに気が向いたらトレーナー室の前に来いとは言ったが、いきなりドアを蹴破った挙句開口一番にそれはおかしいだろう」
ごもっとも。
***
「で、契約だな? 多分ドアの弁償も込みだが」
──短絡的な行動で自分の首を絞めていないか?
『金を払う価値はあるよ』
──実利が伴ってないんだが?
『娯楽に金かけないタイプ? 僕はかけるよ』
「話聞いてるか?」
「聞いてますよ。いくら払えばいいんですか?」
「居直るな」
私もそう思う。
『ひど』
残念だが当然だ。
***
「もういいよ契約で……」
契約経緯がひどすぎる。
もう少し真面目な流れを想定していたのだが、オリジナルが意味の分からないことをしたことでよく分からない状況になってしまった。
『爪痕残そうかなって』
──レースで残してくれない?
『それは前に君が残してるでしょ』
……。
一応、既にオリジナルには
簡潔に言えば闇レースである。
レース経験、と言っていたのはそれだ。
あの界隈では色々と行動を起こしていたのだが。
まあ、今更詳しく語ることでもない。
一つだけ言えることは、これが氷山の一角だということだ。
***
ともかく。
紆余曲折を経てトレーナーを選択した。
そうなると次はトレーニングである。
すると問題がある。
プールを使ったトレーニングが組まれたのだが…….
『水……』
オリジナルは顔を水の中に入れるのがトラウマになっているのだ。
当然過去の話である。これも詳しく語る気はない。
これでも改善された方だ。
今では、例えば風呂などは特に問題なく利用することができるのだが。
昔は水そのものを嫌悪していたくらいだ。
泳ぐとなれば、常に付き纏う問題である。
私はオリジナルの曇った顔を見たいわけではない。
ということで。
「泳ぐのは無理です」
「ああ……ならまあ、歩くか。別に泳ぎは必須じゃない」
説明は全くしていないが、割と要求が通りやすい。
理解のあるトレーナーで非常に助かる。
『まあ細かいこと説明したくもないしね』
***
そして、これはライブの練習をしていた時。
『ちなみに僕は歌詞を覚えるのが非常に苦手で』
──それはライブ中に私が囁くから大丈夫。
『マジか! ちゃんと覚えといて』
──は? 世界中の誰よりも私に敬意払えよ。
『最初に殺すね!』
──死が救済だったのは昔の話だろうが!
これが『すごいなここ、問題児の巣窟じゃん』ってやつだよ
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3.Oppression
『そういや、目標を決めてなかったな。別にこだわりとかないけど』
──もちろん私もない。適当にG1掻っ攫ってく?
『そだね』
***
私達には、今のところ特筆するべき課題はない。
そのため、基礎能力を高めるようなトレーニングを繰り返している。
そうしていた時の話だ。
「メイクデビューは明後日だぞ」
「僕がトレーニングしている間に勝手にレース登録するのやめません?」
「言うのを忘れていた、すまない」
『担当がいなかった理由』
──顕著すぎる。
***
ちなみに、私達の体操服はブルマだ。
具体的に説明することができないのだが、着用すると”収まる”ような感覚がある。
実はハーフパンツも用意されていた。
しかし、どういうわけか着用すると気分が悪くなる。
そして、その時は“収まる”感覚もない。
『マジで何が起きてるんだろう』
しかも、驚くべきことに似たようなことが他にもある。
私達は現在左耳にリボンをつけている。
このリボンを右耳につけると気分が悪くなるのだ。
『……マジで何が……?』
──世の中ってそういうものだから。
『それは一般化しすぎ』
***
「メイクデビュー。重要ではあるが、リカバリーは効く。まあ気楽に行ってこい」
さて。
9月某日、中京レース場、芝2000m。
メイクデビュー中京。
前世のアプリでは、メイクデビューは6月後半で固定だったのだが。
どうやらその辺りは同じではないらしい。
ともかく。
正直な話、このメイクデビューは勝てるだろうと思っている。
メイクデビューに出走するウマ娘の中で、私達の能力は頭一つ抜けているのだ。
原因はまたしても闇レースである。
『本格化で想定以上に急成長する子とかいないの?』
──いるだろうけど、メイクデビューの段階だとそれでも私達が一番強い。アプリで例えるなら、初期ステータスが高いんだよね私達。
『なるほど』
流石に、いつまでもこの有利は保てない。
今のうちに大いに活用させてもらう。
***
「中京レース場! 第3Rの芝2000m、13人の出走です」
周りを見渡す。
そわそわしている子もいれば、気合いが入っている子もいる。
「陽射しの中、ゲートインが進んでいます」
そして私達は冷静沈着。
今回、私達は逃げるつもりだ。
出遅れには気を付ける必要がある。
欲を言えば、完璧なスタートを切りたいところだ。
「各ウマ娘ゲートに収まって……スタートしました!」
──出遅れてないけどなかなかに微妙なスタートじゃないか!
『前に誰もいないからセーフ!』
***
中京2000m。
いきなり坂を上るコースである。
先行争いに加わるウマ娘は、スタートから力を入れて走る事になる。
そこに坂が加わると、必然的にスタミナが際限なく削れていく。
これを嫌うウマ娘がいる場合、先行争いはすぐに終結する。
今回はそのパターンだ。
私達は楽々ハナを切った。
『レース序盤の流れ完璧じゃない?』
──スタートを除けば、最高に近い。このメイクデビューに限っては、ぶっちゃけ勝ちパターン入った!
***
波乱が起きるほど、私達も間抜けではない。
むしろ重要なのは着差である。
3バ身差での決着であった。
これが大差であるか、あるいはハナ差のような着差であれば思考も変わる。
しかし、これは予想通りの着差。
状況を読み切ったと胸を張って言える。
今回使った有利に関しては重賞の時期ともなれば消え去るだろうが、この経験は大きい。
『まあ結局、メイクデビューで躓くくらいでは大きな問題は起きないけども。勝てたのは良いな』
──そだね。さっさと重賞獲ってG1出走を確実にしたいところ。
***
「展開として完璧だ。こういう感じで頼むぞ」
「まあ僕ですからね!」
「調子に乗るな」
私もそう思う。
『でも、僕達は強いよ』
──そう言うからには何が強いか自分で説明できるんだろうな?
『並列思考ができるじゃんこの状態。これアドバンテージだからね』
正しい。
身体を動かすことはオリジナルの仕事だが、脳は私達2人で使い倒すことができる。
当然作戦などもレース中に考えやすい。
今まで使っていた逃げの作戦に合わせて言うなら、ラップタイムを計測することもできる。
そして掛かったかどうかを自ら判別できる。
つまり便利ということだ。
『使い道が無数にある武器』
──アーミーナイフかな?
『武器の例えには相応しくないだろそれ』
***
「で! それはそれとして次の目標だ。ジュニア級G1に出るとしたらどこだ? お前はマイルから長距離なら行けるわけだが」
「ホープフルかなと」
「なるほど。あとクラシックの路線は聞いておきたいが」
「うーん……」
『マジでどうしよう』
──やるなら三冠路線かティアラ路線か。普通に悩む。贅沢な悩みだね!
『距離の幅が小さいから色々と合わせやすいのはティアラ路線……でも三冠路線なら長距離を走る、そんで有馬とか視野に入れやすい』
悩んだ末に決定した。
「三冠で!」
「OK。オススメは京都ジュニアステークスだ」
「京都の2000mですね」
京都ジュニアステークス、G3。
ここで少しやりたいことがある。
今まで、私達はよくレースで逃げていたのだが。
この京都ジュニアも逃げるつもりだ。
そして、ホープフルで意表を突こうと考えている。
別に、私達は逃げだけが得意だというわけではないのだ。
***
──ところで、聖蹄祭はどうするの?
『うちのトレーナーのコネ、忘れた? リギルだよリギル! 執事喫茶乱入しようぜ!』
──うおおおお!!!
実はサブタイトル気に入ってる
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4.有効需要の創出
「うーん、メイド服の方が似合ってるんじゃないかな?」
「フジキセキ先輩!?」
『マジで?』
──まあ私達かわいい系だし? 仕方ないよね!
『自意識過剰』
──は? この世界に存在するウマ娘の全てはかわいいんだが?
『それはそう』
真理である。
***
「ただ、執事喫茶にメイドかぁ……うーん……方向性……」
扱いに困っているらしい。
『多分1人だけはダメで、ガッツリメイド使うか排斥するかの2択だと思うんだよ』
──それは分かってる。ただ追い出された時どうする?
『それは僕に任せて! やりたいことあるから』
悪巧みしているようだ。
「申し訳ないけど、今回は見送ることにするよ」
「わかりました。すみませんほんと突然押しかけて」
『執事喫茶はダメだったか』
──まあ急だったしなぁ。
「あ、メイド服もらって良いですか?」
「いいよいいよ、好きに使って」
『じゃあ行くぞ!』
***
「どうもー! メイドのティアードロップちゃんが来ましたよー!」
「やると思ったからドアを高級にしておいた。弁償額には期待しておけ」
「は?」
──ざまぁ!
『クッッッソむかつく〜〜〜〜!!!!』
……冷静に考えると、ドアを高級にするという対策方法もどこかズレているような気はするが。
この部屋、どうやら変人しかいないようだ。
『お前もだよ』
──は? 私はこの世で唯一と言ってもいいほどの常識人だが?
『狂った奴は皆自分のことを正常だと勘違いするから』
心外である。
***
──というか、聖蹄祭だというのに何やってたんだよ私達は!
『楽しみ方のクセが強すぎる』
時は私達を容赦なく追い抜く。
もう聖蹄祭が終わってしまった。
『まあこのメイド服でこれから色々とやるか』
──まだ悪巧みしてんの?
『いくらやっても足りないからね』
なかなかの性格である。
是非ともレースに活かして欲しいところだ。
『それは君の仕事でしょ!』
──怠惰娘がよぉ……!
『大罪コンプする?』
***
ところで。
私達のうち、主導権を握っていない方──つまり私は基本的に五感が減衰している。
感じ取りたいものがあれば強めることもできるのだが、基本的にはほとんど何も感じない。
そんな私を唯一殺しにかかる存在。
寒さ。
唯一寒さだけが、常に私の感覚に100%の殺意を以て響き渡るのである。
『そういやどういう原理なの?』
──知らないし私もこんなもの望んでいない。可能ならば寒さという概念を抹消したい。
『つよ』
私はそれくらいの覚悟をして生きているのだ。
心底腹立たしいのは、今年が例年より寒いこと。
今は10月末であるが、例年であれば11月末程度の寒さなのだ。
まだ耐えられるが、苛立ちが募る。
『僕の感覚だとちょっと早いけど、防寒とかしとくね』
──今までの人生において一番助かる。
『大恩ある存在を崇め奉れよ』
──いいの? マジで崇め奉るけど。
『それはそれでキモいからやめて』
──は? このかわいいティアードロップちゃんを前にキモいとはどういう了見だ?
『自己評価高いっすね』
正当な評価である。
***
私達は路線上、この時期は短距離やマイルのレースに意識を向けるつもりはなかったのだが。
ふと新聞を読んで妙に心に残った名前がある。
カナルドレッジ。
主な勝ちレース、京王杯ジュニアステークス。
そして今見ているのは、彼女がデイリー杯ジュニアステークスを獲ったという記事。
要するに、ジュニア級のG2を2勝しているのである。
『1400と1600かぁ』
──私はこっちには来ないと思う。ティアラ路線行くのか、短距離とかマイルのG1だけ獲りに行くのかは知らないけども。
是非とも会ってみたいところだ。
***
さて11月も後半だ。
寒さがいよいよ真冬の域に達している。
『流石に頭おかしい寒さだねこれ』
そんな中、体操服でレースをするというわけだ。
勝負服は何か不思議な力が働いているので、走っている間はそこまで寒くない……と聞いたのだが。
体操服にそんな力が宿るはずもなく。
つまり寒い。
嘆いていても仕方がないのだが。
11月某日、京都レース場、芝2000m。
G3、京都ジュニアステークス。
寒さに震えながらの入場である。
『パフォーマンスに影響出る……わけではないけどかなりの寒さだよこれ、流石に雪は降ってないけど』
──まあさっさと走り切ってこたつでも入るか! 怠惰を手にするぞ!
『おー!』
***
「さて11月ですが寒さも厳しくなってきた京都。G3、ラジオNIKKEI杯京都ジュニアステークスです。15人による争い、ゲートインが始まっています」
『ラジオNIKKEI杯京都ジュニアステークスだったの?』
──実は普通に知らなかった。
まあ、レースとは関係ない。
私達は前回、逃げようとしたがスタートは普通だった。
今回も逃げるが、どうなることやら。
「ゲートインが完了。……スタート! 各ウマ娘揃ったスタートを切って、はいるが6番ティアードロップ飛び出す!」
『行けた!』
──幸先の良いスタート! 完璧だよ今回は。
京都ジュニア、スタート!
執事服は似合わなかったらしい
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5.Glacier or Grace
京都の芝2000m。
コース自体は前に位置取るウマ娘に有利な作りになっている。
直線が平坦であり、4回コーナーを通過する。
ペースも落ち着きやすい。
しかしウマ娘の実力が高い場合、淀みなくペースが流れる確率が高くなる。
その場合は、後方のウマ娘が台頭してくる。
では今回の京都ジュニアはどうか?
私達は好スタートを切った。
他に逃げのウマ娘がいなかったこともあり、そのまま先頭をもぎ取る。
そして私達はペースを自在に操れるようになった。
つまり、私達に有利な展開である。
『ペースは抑えてるけど、抜かれたらどうする?』
──ここ京都レース場だよ? 坂あるよ坂。今回はまだまだ成長途中のウマ娘が出走するG3。誰かがかっ飛ばしても十中八九坂でバテるし、バテないくらい完成してる相手ならそもそも元から勝てない可能性が高い。──まあ総括して言うと問題外だね。
『了解』
***
「よぉ今宮」
「は? 今日の京都に担当来てねえだろお前。何で来てんだこっちに」
「いや、流石にお前の担当は警戒しなきゃならんからな。自分の影響力をナメるのはやめた方がいい」
「ああ、まあ俺が警戒されてるのは嬉しいが……」
「それより! アレは指示か?」
「いや、一任してる」
「なるほどなるほど。となると将来めんどくさくなってくるなぁティアードロップ」
***
現在の状況。
坂を上り切ったが、依然として私達は先頭に立っている。
差にしておよそ2バ身ほどか。
つまり、私達の狙い通りである。
これで私達の印象は”逃げて自分でペースを作るウマ娘”になったことだろう。
『そういや聞いてなかったんだけど、ここって負けてもいいの? 狙い的にはどっちでも良さそうなんだけど』
──いや、負けたら警戒されないじゃん。逃げ対策させたいんだよね。
『ああ確かに』
***
そして第4コーナーを抜ける。
内回りの場合、直線が本当に短い。
中山よりは長いのだが、似たようなものである。
それもあって、私達がバテていれば後ろのウマ娘も間に合うのだろうが。
それを許す私達ではない。
私は準備不足による失敗が心底嫌いだ。
私達が負け筋を残すことなど、ありえない。
『着差は……1/2バ身! 結構詰められてる方か』
──それでも例によって想定の範囲内。……さてこれで布石は打ち終わった。ホープフルで爆発させよう!
『おー!』
***
「ふむ。逃げて一着か……」
「うちのティアードロップに恐れ慄け!」
「はいはい」
「んん……もう少しノリで生きたらどうだ?」
「何だお前、そんなタイプじゃなかっただろ。どうしたんだ」
「何でもない。何でもないが……察してくれ」
「まあ、その、何だ……大変だなお前」
***
「痛ってぇ! 何なんだよこの扉、全然壊れないじゃん」
「来ると思ったからドアを改造しておいた。最初からこうしておけばよかったか」
──ざまぁ!
『またかよ……』
どういう改造かは知らないが、まあ何かしたのだろう。
ともかく。
「一任してるが、作戦通りか?」
「作戦通りですね。完遂しました」
「そうか。何かやりたいことあるなら言ってくれ、それによってはトレーニングを考え直す」
「そうですね……」
「ティアードロップさんのトレーナーさんの部屋さんはここなんですかー!!!」
「うわあああなんか来た!」
「普通に扉を開ければいいのか! 次はそうしよう」
──ああ、カナルドレッジか。
『そういや新聞に出てた顔だねこの子』
***
「ティアードロップさん!」
「何ですかね」
「いや別に何もないんですけど、一回会おうかなと! それではまた!」
──えっ帰んの!?
『それは予想外だわ、マジで何だったんだ』
「えぇ……今来る必要性なかっただろ、文句付けようかな」
「カナルドレッジのトレーナーに?」
「ああ、宮坂っていうトレーナーだ。この世に存在している人間の中で1番カスな奴だ」
『言い争いのもう片方の人か』
──なるほど。じゃあカスっていうのは本気で言ってるわけではなさそうだね。
『つか僕たちとやってること同じなんじゃ?』
──それ!
***
「で、話が有耶無耶になりかけたが、次はホープフルだ。さっきも言ったが、やりたい事があるなら言ってくれ」
「追込やろうと思ってます」
「ああ、なるほど。インタビューとかの時に逃げだと思わせるのはいるか?」
「出来ればそうしていただけると」
「分かった」
『インタビューとかあんの?』
──ホープフル特集! みたいなのあるんじゃね? 今まで見たことないけど。
『見たことないのは忙しかったからだろ!』
例によって詳しく語る気はない。
つまりそういうことだ。
***
さあいよいよ12月である。
真冬の域を通り越して、当然のように雪が降る。
この影響もあって、各地でレースがとんでもない荒れ方をしている。
さらに私自身も耐えきれない。
苛立ちが限界を越える。
『本当に大丈夫……?』
──別に、腹立たしいだけだからそれは良い。防寒もよくやってくれてるからね。
『マジで殺意のレベルに達してて心配になるんだわ』
──大丈夫よ別に。それは大丈夫。レースも大丈夫。
『ユーモア混ぜる余裕ある?』
──今日はもうない。こたつどこ?
『後で部屋行こうね』
──ん。
こたつでぬくぬく ティアードロップ
カナルドレッジは 雪合戦
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6.吹き抜ける寒さに大いなる苛立ち
12月の暴力的な寒さだが、私達も常に苛立っているわけではない。
私達は栗東寮に住んでいる。
色々とゴタゴタがあったようで、今のところは1人部屋だ。
それもあって、割と容赦なく寒さを破壊する暖房をつけている。
『寒さに対する殺意が手に取るようにわかる表現』
さらに言うと、こたつを置いていても誰にも文句を言われない。
楽園と言ってもいいほどに快適な場所なのだ。
「ティアードロップさんの部屋さんはここなんですかー!!!」
「カナルドレッジさん!」
『もしかして前のやつ顔合わせか?』
──仮にそうだとしてもおかしくない? アレ。
『それはそう』
***
「というわけで、同室になったこの私がカナルドレッジです!」
「そっかぁ」
「何ですかその反応は! もう少し喜んでくれても構わないですよ!」
『まず何で急に来たのかが分かんねえんだよ』
──そうなんだよね。というかそれを口に出せよ。
『ごめん』
「まず何で急に相部屋になるんですかね」
「私も知りませんけど、まあ何かあったんでしょうね」
「ああ知らないの……」
***
「……というかこの部屋こたつが占拠してますね。何なんですか寒がりなんですか?」
「色々と事情があるんですよ」
「いや別に嫌だってわけじゃないんですよ。私も寒いのは苦手で」
気に入った。
『マジかよ』
──人間もウマ娘も、共通で嫌いなものがあると団結するからね。
『そういう次元の話ではないだろ』
***
「せっかく同室になるんですから仲良くしたいと思うんですけど、でもティアードロップさんのこと何も知らないんですよ!」
「それは確かに」
「だから今夜は寝かせませんよ!」
『僕じゃなかったら勘違いしてたかもね』
──私じゃなかったら勘違いするかもしれない。断じてそういう意味ではないんだこれは。
「不束者ですがよろしくお願いします!」
「それわざとやってんの?」
「わざとですよ。素を引き出したかったんです」
「えぇ……」
「実際少し出ましたからね!」
『なかなかの……うん、なかなかの奴』
──若干気に入ってる?
『君も気に入ってたでしょ!』
──まあ、ちょっとはね。
「ね、私すごかったですよね?」
「ん……すごいねほんと色々と」
「ふふん! ではまた」
『どっか行った……』
嵐のような存在、カナルドレッジ。
……。
──あの子と相部屋なの!?
『でも、いいじゃんあの子』
***
また別の日。
今日は朝からカナルドレッジがどこかに行っている。
それは別に何でも構わないのだが。
ともかく私達は、暖かい服を買い足して日々を快適に生きようと考えた。
そうして外に出ると、寒さに対する苛立ちが募る。
『さっむいねぇ。当然のように銀世界だ』
──イラつくな……後で気晴らしに今宮トレーナーのところ行くか。いつもの頼んだ。
『了解!』
***
「……あ? なんだこれ……引いて開けるタイプかよ!」
「来るだろうと思ってまた改造した。お前は二度と成功できないだろうな」
──ざまぁ!
『もしかして僕の失敗を求めてたの?』
──いいだろ今心が荒んでんだから。
『まあいいけど』
***
「で、何の用だ? 普通に予想がつかないんだが」
「いや何もないですよ。ではまた」
「は?」
『ふっ……勝った!』
──いいから早く部屋に戻ろう。相変わらず寒い。
『そうだね。うん』
***
帰路の寒さを紛らわすために、ホープフルステークスのことを考えよう。
まず大前提として、当日はほぼ確実に雪が降る。
すると、当然だが視界は悪くなる。
実際、最近は仕掛けどころを見誤って沈んでいくウマ娘が多数発生している。
私達もこれを気にする必要があるのだ。
『逃げじゃなくて追込って決めてたよね。延期する?』
──それも考えたけど、そうするには遅いかな。曲がりなりにもパワートレーニングしてるからね。逃げに活かせられないわけではないけど、まあ後ろからブチ抜く作戦は取りたいな。
『うーむ。いっそ大外ブン回すか?』
──まあ自然な発想。前の失敗したウマ娘を避けるためにも外には出た方がいいと思う。
『ところで、今更言うことでもないんだけど。1回目の追込は直線が長いとこでやった方が良いと思ってたんだよね。ダービーとか』
──ああ、直線が長いと確かにスパートはかけやすいね。まあ自信ないとこんなことできないよ。幸いにも私達は自信に満ち溢れてるからセーフ!
『おっ、トレーナーに負けず劣らずの自信家だ!』
──そう言われるとなんか腹立つな。
『僕も』
***
思考している内に、寮にたどり着いた。
『ふぅ……やっと屋内か!』
──さっさとこたつ! さっさとこたつ!
「おかえり!」
「うわあああ部屋にいる!」
「何でそんな反応なんですか!」
2人でぬくぬく ティアードロップ
カナルドレッジは 部屋にいる
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7.Bond
※カナルドレッジの勝負服は改稿により変わりました。
「私は阪神ジュベナイルフィリーズに出ますから。応援してくださいね!」
「うん。まあほどほどに応援するね」
「もっと応援してくださいよティアちゃん!」
いつの間にか距離感が縮んでいる。
「んん? 何で急に呼び方が」
「だって同室じゃないですか! 仲良くしましょうよ!」
『んー……なんかムズムズするな』
──ははーん、なるほどね。そうかそうか。じゃ、ごゆっくりどうぞ。
「じゃあ、……まあいい感じに応援したげる」
「全身全霊で応援してくださいね」
「厚かましい」
「何ですかもう! むー」
***
「なるほど、阪神ジュベナイルフィリーズを観戦したいと。じゃあ行くか」
「行きましょう!」
「……急にどうした? 珍しいな」
「別に何でもいいじゃないですか。がっつく男は嫌われますよ」
「何だその言い草は……」
「日頃の行いの成果ですね!」
「クソが……まあいい、とにかく行くぞ」
『今日も勝利を収めてしまったな!』
──じゃれ合い乙。
『殺す』
***
さてパドックだ。
当たり前だが、私達はカナルドレッジ目当てである。
『言い方がなんかキモい』
──ぶっちゃけ自分でもそう思う。
『あっ、身体目当てって言ったら余計に酷くなるよ!』
──それお前の願望か?
『何を言っているのかさっぱりですね』
***
ともかく。
「4番、カナルドレッジ」
「今日は気合いが入っていますね。仕上がりも十分です」
「ティアちゃん! ここにいる私がカナルドレッジです!」
「ああ、相部屋のカナルドレッジか。来た理由もそれか?」
「まあそうですけど。ったく……」
『僕たちのこと気にしてる場合かね?』
──愛されてるね!
『そんなことないでしょ』
ふむ。
面白い。
この件に関して、色々と動こうと決意した。
裏側の人格にできることなど、たかが知れているが。
まあできる限りのことはやってあげよう。
***
ともかく。
これからカナルドレッジの勝負服を説明しようと思う。
といっても、私たちに服装を説明する能力はあまりないのだが。
簡潔に言えば、ビビッドで豪華な軍服だ。
胸元には現在2枚のメダルが勲章のようについている。
『勝ったら増えるんだよねぇこれ』
──今日も増えるのかな?
***
「さてやって参りましたのは阪神レース場11R阪神ジュベナイルフィリーズ! 芝の1600m、今年は15人の出走です」
「さあ始まるぞ。カナルドレッジは逃げだって聞いてるが……」
『G2を2回獲った実力。じっくりねっとり見よう』
──言い方キモない?
『そだね』
「ゲートイン完了……スタートしました! 各ウマ娘好スタート、カナルドレッジ飛び出した!」
『うわぁ……そりゃG2荒らせるね、納得した。何なんだあの加速』
──逃げって一言で言っていい走り方じゃないでしょこれ!
***
「さて先頭は6バ身ほどの差をつけています4番カナルドレッジ! 2番手には5番ライトフライト、外を行きます8番ホイールフェイト。その後ろに──」
「なるほど……新聞に載るだけの話題性はある。実力も伴っているのは分かっていたが、……うーむ。どうしたものか」
「対策考えてます? 大丈夫です、僕が勝手にやりますよ」
「……まさか俺が無能だと思っているのか!?」
「いやそうではなくて、僕も色々考えてますから。トレーナーの能力は認めてますよ」
「おう何だお前、俺のこと便利な道具としか見てないだろ」
「バレました?」
「マジかお前……」
『まあそれは何でもいいんだけど。とんでもなく速いねカナルちゃん』
──確かに尋常じゃない速さだ。スタートも上手かった。
……。
今、
なるほど。
想定以上に面白い。
***
まあそれは後に回すとして。
「最終コーナーを回って直線にはまず、カナルドレッジ! 未だ4バ身の差、前を狙う13番プロミスエンド、12番スカイノート! 後ろからは1番スニークアタック、末脚を見せてぐんぐん位置を上げる! 4番カナルドレッジいっぱいになったか、えっスニークアタック並びかけた!? 速い! ……突き放した! 突き放してゴール! 1着1番スニークアタック!!! ……2着争いは接戦、4番カナルドレッジが体勢有利に見えましたが……」
「──出ました、2着は13番プロミスエンド、3着4番カナルドレッジ」
『むむむ……3着かぁ』
──でも強かったね。未来があるって感じ。
***
「負けてしまいました! みんな強いですね! ……んー」
「大丈夫?」
「大丈夫ですよ。大丈夫です。……はぁ。勝てると思ったんだけどな」
『心配だなぁ』
──ここでハグ! GO!
『えっ何急に!? やれって言うんならやるけど』
「うわわわっ何ですか何ですか!」
「大丈夫だよ。強いよ」
「えっはい、えっ? あ、えーっと……え? どういうことですか急に。何ですか? え?」
「カナルちゃんは強いよ」
「ああ……え? えーっと……んん???」
「僕がついてるから」
『って言ったらいいの? なんで?』
──気にしないで。もし気になるんだったら自分で考えてみたら?
***
「……?? なんだったんだろう、急にどうしたのかな……」
「うーん? ……もしかして心配してくれたのかな」
「……嬉しいなぁ」
***
そうこうしているうちに1週間が過ぎ、朝日杯フューチュリティステークスである。
私達が三冠路線に踏み入れる際には、十中八九ライバルになるだろう存在。
誰が勝つかは当然知りたい。
『なるほど。1着はアムニシャンス……誰?』
──分からない。シンプルに知らない名前だ。新聞とかでも見なかったから、多分オープンで細々とやってたのかな。
『まあこれからG1にガンガン出そうだし、警戒はしておこう』
そういうことです
勝負服詳細は活動報告にて
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8.生存圏
「今日はティアちゃんの番ですね!」
「あーそうだね。うん」
「ん? どうしたんですか?」
「いや、何でもない。頑張ってくるよ」
「何でもないならいいんですけど。……あ、そうだ! ハグしてあげます!」
「え? は?」
「お返しです!」
『えっ……?』
──うーん、これは私としては高ポイント!
『待って本当にどういうこと?』
──自分の胸に聞くことだな!
『理解に至らない』
***
オリジナルは混乱しているようだが、私はこの状況を楽しんでいる。
レースには一切関係がない話ではあるのだが。
というわけで。
12月某日、中山レース場、芝2000m。
G1、ホープフルステークス。
私達が今回行うのは追込。
そして、この中山の舞台の直線は短い。
脚を溜めて直線一気という能力ではなく、コーナーを走っている時に捲っていけるような能力が要求される傾向にある。
つまり、ティアードロップは大外を勝手に走ってろカス、ということだ。
『結論おかしいだろ』
──やることは言った通りだよ。私が言ったことは間違ってないでしょ?
『そこ否定したわけじゃねえよ』
***
さて。
レースに出る前に、私達の勝負服の説明だ。
右腕の袖が引きちぎられたようなオレンジの服。
複数の鉄の鎖が巻き付いている。
灰色のベルトがあり、前面にはオレンジ色の宝石が、背面には水色の宝石が付いている。
そして、側面に太陽のような飾り、月のような飾りがある水色のスカート。
さらに左手に革手袋。
『自分で考えておいて言うのアレだけど、雑多』
──てんこ盛りだねぇ。
***
『カナルちゃんどこ?』
──あそこ。ちっこいから見えにくいけど手振ってるよ。
『あ、本当だ。手振り返したろ』
青春である。
「3番、ティアードロップ」
「仕上がりは良さそうですが、今まで良バ場しか走っていません」
『確かに』
──マジでそれな。
初めての重バ場が雪、というのは流石に珍しい。
最近は雪がよく降るので、雪の中を走る練習は十分に積んでいる。
というより、積まざるを得ないと言った方が正しいだろうか。
もはや稀少度が逆転しているくらいには雪が降っているのだ。
雪は前提である。
腹立たしいことに、だ。
『最近しょっちゅうイラついてるよねぇ』
──というか、異常気象に片足突っ込んでると思う。
***
──そうだ! 追込って言ったけど。スタートダッシュだけは本気でやってほしい。
『ああ……悪辣だねそれ。やるか』
──対戦相手を惑わす方法だけは人一倍考えてるからね!
***
「雪が降ります冬の中山、2000m15人。ホープフルステークスです!」
「実況のクセが強すぎないか?」
「お前くらい強いね」
「は? お前にだけは言われたくねえわ万年チェス男」
「チェスは知的だからお前には理解できないだろうなぁ!」
「まあそれは置いておくとして、またうちのティアードロップを見にきたのかお前は」
「切り替え早いな……そうだ、まあお前にも分かるくらい単純な理由だよ」
「まあ存分に見てってくれ。俺はもう知らん」
「あ? どういう意味だ」
「そのうち分かるぞ」
***
「各ウマ娘ゲートイン完了。スタート!」
『ゴーゴー! でもすぐ後ろに下がれー!』
──イェーイ! 先頭に躍り出たと思いきや何故か沈むウマ娘になったぞ!
そして現在は坂をゆっくり上っている。
私達をマークしようか迷った結果の中途半端な走りで、無駄にスタミナを消費した子が1人いるのを確認した。
スタミナを保っているならともかく、バテている相手に私達が負けるはずがない。
これで、あとは13人。
***
「な?」
「あれただ減速しただけ……ではなさそうか。冷静に走ってるな。アレはお前の差し金か?」
「前に言ったろ」
「となると本当に一任したわけか。責任なくて羨ましいねぇ」
「嫌な言い方だな! もう少しユーモアというか、手心というか」
「まあ俺も流石に今のはひどいなと思ったよ」
「お前にも人の心があったのか」
「は? 殺すぞ」
***
さて、今は第1コーナー。
最後に捲っていくことは確定しているが、そこまでにレースは掻き乱したいところ。
思いつくことと言えば、リズムを崩すことか。
私達は今、後ろから2番目ほどの位置にいる。
すぐ前のウマ娘を風除けにする形だ。
とはいえコーナーなのであまり風除けの効果はないのだが、今回は違う意味を持っている。
『つまり、標的だね』
──掛からせて、できれば前に波及させよう。集団を割るように、楔を打つように!
***
「レースをグチャグチャにして勝つやつだな。俺は好きだよそういうの」
「おっ、分かるか。チェス好きは皆そうなのか?」
「……もしかしてお前チェス嫌いなのか? どうにも棘が多い気がするんだが」
「いや、お前が嫌い」
「嘘はよくないぞ」
「人間関係をよーく分かっているじゃないか、おめでとう」
***
混乱の坩堝、と表現すれば良いのだろうか。
全体で見ると後方、そして私達の前に存在している集団が大変なことになっている。
『突っ込ませた子が周りを掛からせるじゃん? そんで減速すると置いてけぼりになると勘違いして、皆どうしようもなくなってるんだよね』
──動かした子と合わせて集団は4人。最初のあの子も中にいるから、これで潰れるのは3人か。
これで、あとは10人。
実際こんなことやってたら多分最後まで意識から外す気がする
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9.Hunting Plan
バックストレッチ。
混乱を前に波及させようとは思っていたのだが、その意思とは裏腹に隊列が少し縦長になってきた。
その上、周りにいるのは一度掛かった子だけ。
つまり、揺さぶったところで利益がないということだ。
捲り始めるにも早い。
かといって何かをする意味もない。
つまり、暇だ。
『まあ、息を入れる時間を得たと思っておこう』
***
「周りを潰して、自分は1人冷静にスタミナを温存。手本のような作戦だな! 教科書に載るんじゃないか?」
「褒めても何も出ないぞ」
「お前からは垢しか出ねえよ」
「殺す」
***
さて、第3コーナーだ。
そろそろ捲り始めるタイミングを考える時期である。
幸い先程のバックストレッチでスタミナは温存できた。
『準備は万全か。これで負けるならもう無理だね』
──納得いく負け方にはなるかもしれないけれど、今から負けなんか考えても仕方ねえんだよ! 行くぞ捲るぞ! 外に行くぞ!
『おー!』
***
「ここで3番ティアードロップのスパート、外から位置を上げにかかる。先頭は5番フラッグショット、外に9番パングラム。内に──」
「しっかし、今まで逃げて完封してた奴の走りとは思えないな本当に。どこにそんな才能隠してたんだよ」
「俺も知りたい」
「……マジかお前」
「京都ジュニア終わってから提案されてな。それまでは普通に知らなかった」
「担当のことを知ろうという気概はないのか?」
「機会がなかったからな」
「気軽に聞いていいことだろそれ」
「……ところでさ」
「あ?」
「レース中の実況は普通だな」
「まだそこ気になってるのか? 流行に乗り遅れてるぞ」
***
コーナーを抜けて、いよいよ直線である。
現在の位置は4番手。
前の3人は固まっているから、抜いてしまえば一気に先頭だ。
今回避けたかったことといえば、妨害にかまけて自分も沈む流れ。
だがそうはならず、しっかりと捲っている。
『よし、このまま進めば勝てる』
──そういう慢心は嫌いだから二度とするな。
『ごめん』
***
「さあ残り200! 5番フラッグショットと9番パングラムが競り合う! 外からは3番ティアードロップ、差は半バ身! 内からは──」
「追込にそもそも慣れてないから、圧倒している感じはしないな。逆に慣れた後が怖いわけだが……」
「恐れは人を成長させるからな」
「それ逆に恐れ振り撒かない方がお前にとって有利だろ」
「総意だ」
「そうか。まあうちも創意工夫を凝らして全力で潰しに行くから、期待しておけよ」
***
残り200mで、先頭との差が半バ身に縮まっている追込。
順当に行けば、追込が勝つ確率が高い。
波乱が起きるとすれば、雪の影響になるのだろうが。
日頃から降り続けていた結果、私達も含めて全員雪に慣れていたのだろう。
今回は雪による波乱は一切起きなかった。
つまり、私達の勝利だ。
『2着との差……アタマ! いやまあ上出来だよぶっちゃけ。何と言ってもホープフルステークス』
──私達は希望に満ち溢れた存在……!
『調子に乗るな暗黒面』
──私のことそういう風に見てたのか貴様!
『見てないよ!』
──うれしい!
***
「ティアちゃんおめでとう!」
「ん……ありがとうカナルちゃん」
「……」
「……」
『何なんだよこの空気』
──何でこんなことになるんすか?
『知らんわ』
「えーっと……じゃあ今度初詣行きましょうね!」
──なんだこれ、強引に解決を図ろうとしているのか?
『でも多分乗っかる方がいいでしょこれ』
「行こう! 約束ね」
「はい!」
──レース後の会話とは思えない急展開じゃん。
『正直自分でもそう思ってる』
***
──さてと。次はどうする?
『弥生賞は出ても出なくてもいい。どちらにせよ皐月賞には出られるし』
──どっちでもいいが一番困るんだよカス!
『あ? 仕方ねえな、人に頼ることしかできない貴様の為に即決してやるよ。皐月直行じゃボケが!』
──あいよー。
『よろ』
***
「来年は皐月賞にそのまま行きます」
「おう、分かった。次の作戦は?」
『どうするかね?』
──私の考えではあるんだけども、相手に合わせて作戦を変える、とかしてしまうと相手からは対策されやすいと思う。だから私達が気分で作戦を決めようかな、って思ったんだけど……どっちでもいいんだよね。
『僕がこの世で一番嫌いなものは”どっちでもいい”だボケが!』
──は? 仕方ない、意志薄弱なお前のために一発で決めてやるよ。次は逃げだカス!
『わかったー』
──よろ。
***
『これやってて楽しい?』
──楽しい!
***
「皐月賞は逃げで行きます」
「分かった。この調子で来年も頼むぞ」
「はいはい」
「お前なぁ……」
さて、これは放っておくとして。
リザルトの時間だ。
今年、ジュニア級の戦績は3戦3勝。
順風満帆なホープフル覇者である。
『明らかに将来を期待される戦績。逆に負けると失望されるからプレッシャーだね』
──そういうの感じないタイプでしょ。
『まあね』
***
そして最後に、URA賞最優秀ジュニア級ウマ娘の話だ。
URA職員の投票により選定されるのだが、前世と違い牡馬・牝馬の区別がない。
つまり、よっぽどのことがない限りはG1ウマ娘の三つ巴の戦いなのである。
これを制したのは……
スニークアタック!
『ぶっちゃけ納得した。実況も慌てるくらい一瞬で抜き去ってたんだよね』
──”えっスニークアタック並びかけた!? 速い!”だっけ? 虚を突かれた感じで好きだよアレ。
ちなみに、私達もアムニシャンスもそこそこ拮抗していた。
『豊作の年じゃん』
──自己評価高いっすね!
『正当な評価だよ』
もっとレースの話で盛り上がれるだろ!そういうとこだぞ!
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10.暁の靄
さて、年明けだ。
『年明けに特別感抱くタイプ?』
──その質問ヤバいぞ。大半の人は特別感抱いてるから、普通は抱かないタイプかどうか聞くからな。
『いやでも、僕たちに関しては例外じゃん』
──まあそうなんだけどね。
単純に、今まで祝う機会がなかったのである。
例によって語る気はないが、結局のところ常に忙しかったのだ。
行事にかまける暇を金策に充てる、それが生き延びる方法だったのである。
***
そのような話は今は関係ない。
初詣の話に戻るとしよう。
……。
──話戻そうと思ったんだけどさぁ、あの子のことカナルちゃんって呼ぼうか迷ってるんだよね。
『気に入ってんだったらそういう呼び方してもいいだろ、というか僕に相談するなそんなことを! 自分で考えろ!』
ごもっとも。
***
気を取り直して、初詣の話だ。
今日は元日だというのに、カナルちゃんが前のようにどこかに消えている。
ただし、事件などではない。
カナルちゃんは早起きで、たまに私たちが寝ている間に出かけることがあるのだ。
とはいえ、今回は普段とは違うようだが。
携帯にメッセージが残っていた。
《神社の近くで合流しましょう!》
『なぜ先に行っているのか、これが分からない』
──私も知らない。
***
まあ行かないことには何も始まらないので、神社前に来たのだが。
お互いの背丈もあって、探すのには一苦労である。
『まかり間違っても高身長とは言えんからなぁ。ちびっ子コンビって言ってもいいくらい』
──ころころしてるからね。
『それどういう擬音?』
──語感でちょっと感じ取ってみて。
『ちょっとだけ分かるけどあんま伝わんないよそれ』
……。
よく考えると、オリジナルがナチュラルに
なるほど。
セット、ということか。
***
『というかマジで見当たらんぞ』
──そういえば、一応視界の中に一度だけ入ってたんだけど、今その辺り探しても見当たらないんだよね。
『それを早く教えてくれたらよかったんだけどなぁ! どうしてそこまで考えが及ばないのかなぁ!』
──ごめんて。
「だーれだっ!」
「カナルちゃん!」
「まあ分かりますよね! おめでとうございます!」
──青春か?
『青春だねぇ。こんなことあるんだ』
***
「これがやりたかったがために早くここに来たので、まだ特に何もやってないんですよ! 一緒に色々しましょう!」
「そだね。……初詣来たことないんだけど、何すればいいんだ?」
「まあ、初詣といっても結局のところ参拝ですからね」
『なるほど』
***
「……」
『今年も幸せに暮らせますように……』
切実な願いだ。
私も願っている。
「ふぅ。……どうしようかな」
「ん?」
「何でもないです。少し色々と考えただけで」
『どうしたんだろう』
──私も聞かないことには何も分からないけど、聞くことがそもそもね……。ダメだったら、ダメじゃんか。
『まあそれはそう』
***
「さて、私はいつもおみくじ引くんですよね。どうですか?」
「あ、引いてくよ」
「では行きましょう!」
そして凶を引いた。
『凶かぁ。なんだろう、ちょっと先行きが不安になるというか』
──今が底でこれから上っていくばかりだ、って解釈でいいでしょそこは。
『まあそう思っておくか。……こういうの気になるタイプだったんだなぁ僕』
「ちなみに私も凶です! お揃いですね!」
「そこ揃ってもあんま嬉しくなくない?」
「こういうのは嬉しいかどうかじゃないんですよ。見つけることが大事なんです」
***
「……もうやることなくなりましたね」
「あ、そうなんだ」
「やれることはありますけど、別に全てやりたいわけではないですから。……んー」
「どうしたの?」
「いえ、少しモヤッとしたんですよ。何なのかは分からないんですけど」
『どうしたのかな』
眺めている私からすると、非常に面白い話である。
カナルちゃんとオリジナルが、お互いを友達として見ているのは今更言うまでもなく分かり切っていることだが。
私はそこに、さらに異なる淡い感情が加わっていると推測している。
あまり干渉しすぎるとかえって大変なことになるかもしれないので、今は自重しているのだが。
進展は見たいところだ。
***
ただまあ、今すぐに進展することはないだろう。
「まあ、帰ろう」
「そうですね。帰りましょう!」
──どう? 楽しかった?
『何だろう。楽しかったんだけど、なんというか名残惜しいな』
どうやらお互いに同じことを考えているようだ。
***
『一年の計は元旦にあり、ってわけでトレーナー室に最初の突撃、行こう!』
──えっ、この流れで?
『別にいいじゃん何でも』
何から何までおかしいのだが、まあ割と面白いので問題はない。
十中八九またトレーナー室が改造されているのだろうが、私達は分かっていて突撃するのである。
「……勝手に開いた!?」
「こういうギミックも仕込めるってことだ。正直費用が嵩んだから後悔してる」
──アホだ。
『こんなことで金欠になってたら、人からの尊敬とか失うと思うんだけどなぁ』
「何でこんなことに大金を注ぎ込んでいるのかが分からないんですが」
「いやお前が言っていいことじゃねえだろ」
──確かに。
『一瞬納得しそうになったけど、別にわざわざ金かける必要なくね?』
──確かに。
『死ねイエスマン』
──分かった。
『ノーと言えない日本人かな?』
***
「で、どうせ何もないんだろうが何の用だ?」
「あけましておめでとうございまーす! ではまた」
「ああ、挨拶するタイプなのか。……その場合何のためにドアを蹴破ろうとしていたのか、これが分からない」
──確かに。
『もう旬過ぎたぞそれ』
──確かに。
『あの、普通に面倒なのでやめていただけませんか?』
──謹んでお詫び申し上げます。
一人だけエンジョイ勢がおる
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11.Show & Tell
私達は皐月賞に直行すると決めていたのだが。
そうなると2月終わりまで大したイベントがないのである。
せいぜいバレンタインにカナルちゃんとお互いに手作りチョコを渡し合ったくらいだ。
『冷静に考えると何で渡し合いだったんだ? 君の案だよね』
──布石かな。
『……?』
***
というわけで、3月である。
ようやく寒さも落ち着いて、私の心は晴れ渡っている。
『ぶっちゃけ僕も最後の方腹立ってたよ』
──アレが別に異常気象でも何でもなかったことは本当に意味が分からないんだよな。明らかにおかしいと思ってたんだけども。
『まあ……そういう時もあるんだろうね』
***
3月といえば、ステップレースの時期。
例えば、カナルちゃんはチューリップ賞に出る。
「あの時、勝てると確信しながらも負けてしまったので。今回ばかりは絶対に勝ちたいんです」
これは阪神ジュベナイルフィリーズのことだ。
最終直線に入った時、勝ちを確信していたらしい。
もちろん死力を尽くした上での負けではあるのだが、二度と負けまいとカナルちゃんは気を引き締めている。
『まあすごい速度でかっ飛ばしてきたスニークアタックがヤバかっただけで、割と勝てそうではあったよね』
***
「カナルドレッジが見たいんだろ? 分かってるぞ。行くか」
「まだ何も言ってませんけど」
「違うのか?」
「いや違わないですよ。お見事です」
『こいつすげえな』
──それくらい対外的な認知度があるんだよ。
『ああ、そういえば僕とカナルちゃんの仲がいいってのは確かに広まってるね』
──あー、うん。まあそういうことだね。
『何だその歯切れの悪さは』
***
パドックだ。
「2番、カナルドレッジ」
「気迫がすごいですね」
「気合入ってるねー」
「本気で勝つという意志を感じるな」
──うまく言葉で説明できないんだけど、強そう。
『わかる』
***
「G2、チューリップ賞です。阪神レース場、芝1600m。11人が出走します」
「ゲートの中で精神統一してるな。本気か」
「わくわく」
「ゲートイン完了。スタートしました! カナルドレッジ好スタート!」
『──!? 何アレ、カナルちゃんなんか巻き上げてない?』
──え、何の話?
『見えないの? なんだろうアレ。スターダスト! みたいな雰囲気だけど』
──いよいよ幻覚でも見えたか? 精神科行く?
『……まさか領域? いやでもレース始まってすぐに領域とか本当にあるのかな……そもそも僕に見えるものなのかな……』
──思考は別にいいんだけど、私にそれが一切見えてないことは頭に置いて欲しいかな。
***
「カナルドレッジ今日は飛ばす、10バ身ほど差をつけています。2番手は7番──」
『んー……でも領域でもないと説明つかないよなぁ……』
一応私も、領域に関する考察はしたことがある。
恐らくアプリの固有スキルが近い存在なのだろう。
私に見えていない、というのが本当に気になるのだが。
オリジナルが見ているものがカナルちゃんの領域であるという仮説は、まあ納得はできる。
ただそうなると、本当に厄介だ。
私達はまだ、領域という存在に自ら触れたことがない。
周りが使えて私達が使えない、というのは確実に不利だ。
『会得したーい』
──したーい!
***
「カナルドレッジが逃げる! さらに差を広げ、第3コーナーの一人旅! 2番手は変わりました9番──」
『え、バテないの? 大丈夫なの? アレ』
──バテたところで、ね。序盤の貯金を使い切る前にゴールしたら勝ちだから。
「さあ最終直線にはカナルドレッジただ1人! 差は縮まり始めているが、届かないか!? カナルドレッジ残り200! セーフティリード! 一杯になったが後続はまだ来ない! カナルドレッジ逃げ切った! ゴール!!! ……2着9番──」
「前に見た時より極端な逃げだな。大逃げってやつか?」
「絶対に勝ちたいって言ってましたからね。割り切って大逃げに舵を切ったんでしょう」
「今まで考えてきたこと全部使えなくなったんだが……」
「元からそこには期待してませんよ」
「おうお前、前から思ってたが俺の扱い雑だな!」
「丁重に扱う必要あります?」
***
「イェーイ! 大勝利! 褒めてくれてもいいんですよ!」
「おめでとう!」
「……」
「……」
──またやってんのかお前ら。なんかやれよ。
「えーっと……ハイタッチ!」
「あっ、はい! ……後でこういう時に何をやるか決めましょう! ちょっとこの空気耐えられないので!」
「そうだね本当にこれは切実だから決めよう」
──ちょっと面白かった。
『面白がってないでお前も考えるんだよ!』
***
気を取り直して。
チューリップ賞が終わって間もないのだが、弥生賞である。
アムニシャンスが出ているらしいので、確認はしておこうと思いレースを見た。
特に何かがあったというわけでもなく、ごく普通にアムニシャンスが好位から抜け出す勝ち方をしたのだが……。
『なーんか、変な感じがするんだよね』
──どういうこと?
『この走りを見てる限り、単純に能力でゴリ押してるような感じなんだけど。なんというか……しっくりこないんだよね』
……。
──まさかキャラ被りか?
『策略使うタイプってこと? もしそうなら災難だね皐月賞に出る他の子』
まあそこまで深い設定ではないけども、一応いろいろと設定は考えてあるよ
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12.錘付き比翼連理
「パーソナルな話で嘘はつかない」が消失しました。ガバの結果です
カナルちゃんの次走はNHKマイルカップ。
どうやらチューリップ賞の後に様子を見て、桜花賞かNHKマイルカップかを決めるという話だったらしい。
──正直桜花賞でもおかしくない気はするんだけど、何か課題でもあったんだろうか。
『まあ尖った走り方だし、すぐには解決できない問題とかあったんでしょ。想像つかないけど』
***
そういうわけで、4月だ。
皐月賞の時期がやってきたのである。
『時間って経つの早いんだねぇ』
──イベントがないと案外こんなものだよ。ただトレーニングしてるだけの日々だったから。
そして、4月にはイベントがある。
ファン感謝祭だ。
『僕たちにもファンがいるからね。実感ないけど』
──ないのか。
『ないよ。ないけど、でも面と向かってファンであることを表明されたら丁重に扱わなきゃいけないことは分かる』
──そういう精神で接されたファンのこと考えたことある?
『知らない人に対してそこまで本気で感謝できるほど聖人じゃないんよ』
──まあ分からんでもない。
『誰にも勘付かれないように気を付けてるから多少は目を瞑ってほしいかな』
***
ともかく、もうすぐファン感謝祭。
何をするか迷っていたところ、突然カナルちゃんが誘ってきた。
「ファン感謝祭、リレー出ましょう!」
「えっ、僕? 出たいの?」
「一緒に出たいですよ!」
『ふむ』
──愛されてるね!
『愛されてるとは違うベクトルじゃない? これ』
***
そして時は流れ、ファン感謝祭当日。
私達が出場するリレーの話をしよう。
1400m、1600m、1800mの3区間があり、3人がチームを組んで、チーム同士で争うという形である。
ギミックなどは特になく、リレーであることを除けばシンプルなレースが繰り広げられるのだ。
距離設定もあって、短めの距離でも走れるウマ娘が集まっている。
次に、私達のチームのメンバーの話だ。
私達とカナルちゃんは当然なのだが。
会ったことがない、しかし知っているウマ娘がいるのである。
アムニシャンスだ。
「まったく……何でこんなことになるのかねぇ……」
「アムニシャンスさん?」
「ん? ああ、ティアードロップくんか。初めまして、私はアムニシャンスだ。非常に不本意かつ数奇な運命によりチームを組むことになったようなので、よろしくお願いする」
「不本意?」
「いやそのね、三冠路線で対決するだろう私たちは。手の内を明かしたくないんだよ。どうせ私が何か隠しているのは気付いているのだろう?」
「まあ、そうですね」
「まあ気付こうが気付かまいが私のやることは変わらないのだが、手の内は明かしたくはない。君も色々と細工するタイプだから、理解はできるはずだ」
「……」
「まあ、私も少し失敗したなとは思っているんだ。カナルドレッジくんの誘いでここに来たんだが、そりゃあ君も来るよねぇ。あの時に気付けばよかったよ」
「えーっと……」
「私の弱点だ。その時その時で策略は巡らすし、それは成功するのだけれども。先読みができないんだよねぇ。いつも自分で困っているんだこれは。直したいとは思っているのだが」
「あの一回黙ってもらえます?」
「失敬、私の悪い癖だ。すまないね」
『トレセン学園って癖強い奴しかいないの?』
──癖がない子が埋没気味なだけだと思う。……あと、全部本当のことを言ってそうなのになんか胡散臭く聞こえない?
『わかる。嘘じゃない、とか自分で言ってるの怖いよね』
***
「まあ、私のことは路傍の石程度に思ってくれたまえ」
「蹴り飛ばせば良いんですか?」
「側溝に落とさないように頼むよ」
『ちょっと試してみたんだけど、予想よりいい感じの返しが来たな』
──頭の回転はなんか早そうよな。イジりてぇ……!
『まずリレーに集中しようね』
──おっと。そういやリレーの準備時間だったね今。完全に忘れてたわ。
『忘れんなカス』
──珍しく言い返せない!
***
さて、いい加減リレーの話もしなければならないだろう。
担当する区間に関しては、戦績に基づいている。
1400mがカナルちゃん、1600mがアムニシャンス、1800mが私達だ。
アムニシャンスと私達に関しては、逆にしても実際のところ問題はない。
だが、勝利したG1の印象もあって、若干私達の方が長い距離が上手いという噂が流れているらしい。
それもあって、私達が1番長い距離である。
どちらにせよ短いことに変わりはないが。
このリレーをトレーニングの一環として見た場合、日本に1800mのG1がないのは少し辛い。
まあ、バ群が縦に伸び切った状況の練習と割り切ろう。
『いやもうちょっと楽しめよ』
──楽しむけど、その上で色々と応用したいからね。
『まあその気持ちも分からんでもない。……さーて、気合い入れていくぞ!』
──おー! でも最初はカナルちゃんだからね。
『知ってるけど気合いは普通入れるだろ!』
──それはそうだが出番はまだだ。
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13.Pioneer
「今回のリレーは1400m、1600m、1800mの3区間で構成されています。コースは実際のレース場に似せて作られたもの。まずは1400mから! 各ウマ娘体勢が整いました……スタート!」
そしていつものように飛び出すカナルちゃん。
平常運転である。
『今日は特に何も見えないな』
──アレが領域だったとすると、今日に関しては単純に使えないんじゃないかな? 変なレースだから……。
『そのパターンもあるかもね』
***
というわけで、現在私達は待機場所にいる。
カナルちゃんは今700mを走ったところだ。
この機会に、カナルちゃんの領域らしきものについて聞き込みをしてみた。
『んんー……一緒に走った子に関しては見てたみたいだけど。他の誰に聞いても見えなかったって答えが返ってくるなぁ。僕にはハッキリと領域っぽいの見えてたんだけど』
──私も見えなかったからな。マジで何なんだよ。
『そこが1番意味わからないんだよねぇ』
本人に聞く、という手もある。
実際もうどうしようもないのでそうするつもりだ。
『ただ、解けなかった問題の答えを見るような感覚がね……。なんか、嫌なんだよ』
──自分で調べたい気持ちは尊重してたけど、正直な話妥協してほしいんだよねその辺り。
『うむむむむ……まあいいよ。いつ聞く?』
──寮戻ってからでいいでしょ。多分人に聞かれたくないと思うだろうから。
***
さてカナルちゃんは残り200m。今回はあまり差をつけず2バ身ほどのリードを保っている。
どう考えても普段とは違うので、何かを試しているのだろう。
『このリレー使って走り方掴もうとする子多くない?』
──ウマ娘の性だよ。
『逆に僕がおかしいのか……?』
──頭はおかしいね!
『うるせぇ居候』
──はぁ〜? この私が子供として生まれてやったというのに! なんだその言い草は!
『どっちかといえばクローンじゃね?』
──うん。
***
そうこうしている内にアムニシャンスの出番だ。
こちらは……。
『やっぱ力押しかぁ。そう簡単に手の内は明かさなそう』
──アレがどうにもしっくりこない、ってことしか感じ取れないな。
『あの走り方マジで違和感あるんだよ。逆に才能じゃね?』
──むしろアレが自然ってパターンあるかな?
『流石にないでしょ』
***
どうやらアムニシャンスは中団あたりで待つのが癖のようだ。
力を抜いて少しずつ位置を下げていっているように見える。
『あー、これ考えとかないといけないな。多分真ん中あたりになるよね僕たち。前出る? 後ろ下がる?』
──今追込やっとけば皐月賞も追込だと思わせられるんじゃない?
『まーた活用しようとしてる。リレーを楽しむこと主軸で考えてたの、もしかして僕だけなの?』
──1人ではしゃぎな!
『うーむ、余裕のない世の中になったものだねぇ』
***
ともかく、追込だ。
流石にアムニシャンスが全力を出して先頭をもぎ取ったりすれば話は別なのだが、特に何事もなく中団のまま区間が終わった。
『せっかくだからルールの範囲内で可能な、1番迷惑な位置の下げ方練習しようか』
──君だけは……っ! リレーを楽しんでくれると思っていたのに……っ!
『うわっ! 影響されてしまった! 僕がピュアじゃなくなってしまうとは!』
──自称清廉潔白だからセーフ。
『今は本当に清廉潔白だろうが!』
──しまった!
***
『じゃねえよ。1番迷惑な下がり方だよ。どうすんのかぶっちゃけよくわかんないんだよね』
──動きを工夫して、本当はヨレたりしてないのに揺れ動いてるように錯覚させるとか? やり方は知らないから自分でやってね。
『丸投げかぁ……まあやるだけやるけど』
さて。
流石に一発で成功はしないらしい。
変な動きをしているだけになってしまった。
その動きが中々に面白い。
『態度おかしいだろ丸投げしておいて!』
──面白いもんは面白いから。私を楽しませてみろ!
『倍おかしくなった』
***
コースは平坦である。
全く坂のない道に長蛇の列。
『そんなおらんわ』
時間の経過とともにますます縦長になって、いよいよ一直線になりそうなのだが。
流石に位置を上げないと厳しいと判断した。
今、前にいるのは11人。
先頭までの距離で言えば、およそ10人分か。
私達も、直線一気の末脚を見せるというよりは、長い時間スパートをかける方が得意だ。
正確に言えばどちらも別に苦手ではないのだが、一度使ったことがある後者の方が慣れている。
『今まで色々試してきたけど、僕たちってもしかして天才?』
──頭が良いってことだよ。
『傲慢にも程がある』
──自分のこと棚に上げるのやめな!
***
まあ何でも構わないのだが、私達は位置を上げ始めた。
後ろの子達も追従してきたのだが、生憎と私達はそれくらいでは動揺しない。
『ヨレたように見せる奴やるわ今』
──珍しく冴えてんな。
『何が珍しくだ、僕の方が何倍も頭が良い』
──本質的に同じ存在なんだからそこまで差つかねえんだわ。しかしながらどちらにせよ私の方が上。頭脳労働しかやってないからな!
『発育に悪いねぇ』
──じゃあ身体使わせろよ!
『僕の特権だからこれは。誰にも渡さん』
***
レース中に長々と言い合いをしたのは初めてだったのだが、驚くべきことにパフォーマンスの低下は確認されなかった。
『えぇ……』
──魂がカスに最適化されてる。
ともかく、1度や2度の試行で何もかも会得できるほど私達は天才ではないらしい。
やはり面白い動きになっている。
ただ、慣れない動きでスタミナが無駄に削れているようだ。
走り切れないほどではないが、スパート用のスタミナが若干足りない。
コーナーからロングスパートは流石に無理そうだ。
『流石に、リレーで初敗北したところで深いダメージは負わないけども。あまり良い気分ではないね』
***
そして私達は今、コーナーを抜けて最終直線に出た。
位置は7番手。
一直線に並んだ前のウマ娘。
残り400m。
ここに来て慣れていない直線一気を求められているのだ。
『まあ期待しないで見てて』
──勝手に諦めんなカス!
『実は諦めてない』
***
とりあえず、慣れていないのもあって今のところキレはそこまでないようだ。
結果としては4着である。
『もうちょい行ける思ってたんだけどね』
──パワーが要る!
『力、そしてウマ娘の本能……!』
──転生者なのに本能あるの?
『ウマソウルはあるんじゃね?』
──それもそうか。
トレセン学園にわざわざレース場まがいのものを作った理事長の明日はどっちだ!?
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14.顕著
「うーん、割と普通に負けた! でも色々と収穫はあったし、皐月賞は期待しててよ」
「全力で応援してますからね!」
「ほどほどでいいよ」
「確かにその気持ちは分からなくもないですけど。でもやっぱりティアちゃんのこと応援したいんですよ!」
「そっか。じゃあ仕方ないね」
「仕方ないです!」
「私のことを忘れていないか? 2人の世界に入っているよねぇ君たち」
──可哀想に……。
『いや……仲良くないじゃんまだ』
──いやそれは確かにそうなんだけど、でもそれなんか薄情じゃない?
『自分で言ってて思った』
***
まあそれはそれとして、私達は寮に戻った。
そして領域について聞く時間だ。
私達は布団に入りゴロゴロしながら。
カナルちゃんは隣で座って話をしている。
『パジャマパーティーだ』
──まあ、とりあえず聞こう。
「ぶっちゃけ、チューリップ賞の時に領域入ってた?」
──あまりにも直球すぎる。
『確かにそうだけど』
「まあ、確かに入っていましたよ。誰かに聞いたんですか?」
「えっ、見た」
「見た!? 見たって何!? 見えるの!? なんで!?」
『どういうことだろ』
──混乱が広がってる。
「えーっと……まず、レースに出走しているウマ娘以外にも領域が見える、っていうのはなくはないんですよ。例えば、生徒会長の領域がそれだったはずです」
「あー、確かに聞いたことあるねそれ」
「ただ、私がそんなことできると思います?」
「……それどう答えても失礼にならない?」
「大丈夫ですよ。これくらいで嫌いになったりはしないです」
「でも……」
「んー? もしかして私に嫌われたくないんですか! 光栄ですね!」
「ぅえっ!?」
──なるほどね。
『なるほどねじゃねえんだよ……』
「まあ私がティアちゃんのことを嫌いになることはないと思ってくれても大丈夫です。……まあそれは置いておくとして。私の領域はレースの外から見えるようなものではないはずなんですよ」
「うん。実際他の子は見えてないらしいから」
「やっぱりそうですよね。……もうこれは謎なので放っておきましょう」
「そうだね。掘り下げたところであんまり……」
『まあ領域だってことは分かったし』
私が得た収穫はもっと多い。
これに関しては、進展と呼んで良いのかどうかは分からないが。
今後が楽しみである。
***
「そういえばティアちゃん、領域に入ったことはあるんですか?」
「ないよ」
「なるほど。まあ、全力でぶつかり合うような経験でもすればすぐ目覚めると思いますよ! 素質は多分ありますから!」
「褒めてくれるのは嬉しいんだけどね……」
『なんか劣等感がちょっとある』
──まあ、気にしすぎても精神に悪いからね。ほどほどにね。
『でもなぁ……』
「……んー、覚悟決めようかな」
「え?」
布団に潜り込んできた。
そして私達を抱きしめる。
「えっ……えっ? 何? どういう……え?」
「大丈夫ですよ」
「何? 何が? え? 顔近い……」
「私がいますから」
「どういうこと? ……何? え?」
「安心してください」
オリジナルもカナルちゃんも、慌てると同じようになることを知った。
覚悟、という単語自体の意味は私自身にも完璧には分かっていないが、まあ大方の予想はつく。
オリジナルには是非ともこの出来事の意味を理解してほしいところだ。
***
『……何だったんだろう』
──これに関しては、オリジナルが自ら噛み砕いて意味を理解することが重要だから。私は何も言わないよ。
『そっか。……考えるか』
***
そうこうしているうちに、桜花賞の日が訪れた。
スニークアタックが制覇したらしい。
『未だに会ったことはないけど、知ってる名前だ。なんか嬉しくなるな』
ちなみに、最優秀の票を分け合った私達3人が世代の三強扱いだ。
『カナルちゃん、強いと思われてないのか? もしかして』
──G1で3着はもぎ取ってるけど、今のところ走りを見ないで戦績だけ見ちゃうと、何も分からない人には少し劣ってるように見えるからね。別にそんなことはないんだけどなぁ。
『見る目ない人を根こそぎ洗脳してやりたい』
──人心掌握ってそういう意味じゃねえから!
『外から見たら何でも変わんないよ』
ちなみに、カナルちゃん自体は有名ではある。
大逃げのウマ娘が人気にならないことはほぼありえないのだ。
***
桜花賞が終わったとなれば、当然次のレースが来る。
4月某日、中山レース場、芝2000m。
G1、皐月賞。
今回は雨の重バ場だ。
結論から言うと、逆風だ。
私達は雨に慣れていない。
『しんどいな。何がしんどいって、雪ともまた違うんだよこれ』
***
普通であれば、ゲートに入る前に波乱は起きないのだが。
今回は波風が立つようだ。
「やあやあ遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!」
『アムニシャンスどうした!? マジで何!?』
──露骨な悪巧み。怖いってこれは。
「実は私よりティアードロップくんの方が怖いぞ!」
『うわ、あまりにも露骨すぎる。やべえ。これどうなるんだよ』
──分かんない……多分誰かにはマークされそうではある、あるんだけど……マジでこれどう対処したら良いんだ!?
***
悪いことは連鎖して起こるものだ。
単刀直入に言うと、動揺して出遅れた。
事前に逃げと決めていたものの、流石にこれでは逃げられない。
『ほんとごめん。今から追込してごまかすわ』
──アムニシャンスの狙いも見たいし、まあ賛成かな。
皐月賞、スタート!
スニークアタックとかいう名前なのにめちゃくちゃ目立ってる……
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15.Misdirection
12話でアムニシャンスが言った「パーソナルな話で嘘はつかない」のところだけ改稿したので、そこだけ注意してね!ガバの結果です
予定と異なる走りをする羽目になった。
そうなると計画も総崩れである。
『行き当たりばったりにしかならないね。まあ、アムニシャンスが一枚上手だったってことで』
──うむ。とりあえず周りは崩すか!
『手癖で小細工しまーす』
今回の出走人数は16人。
全員を崩すのは私達でも難しいだろうが、対戦相手は積極的に減らしていこう。
***
「さて出遅れた14番ティアードロップは後方に位置しています。先頭は7番──」
「皐月賞まで見に来るのか……」
「いや、むしろ行かない方がおかしいだろうが。お前が担当するってだけで警戒度高まるとは前から言ってたよな?」
「まあな。言ってみただけだ」
「ああそう。ともかく、今回は出遅れたようだな。今日は追込のようだし、出遅れたくらいで負けるとは思わないが……」
「あそこにお前の担当がいないから言ってしまうが、本来は逃げる予定だった」
「うん? ……なるほど。柔軟だな」
***
コースはホープフルと同じ。
傾向も同じ。
追込と決めたので、今回の私達は特に前に出る必要はない。
そのため、坂も気楽に上ることができる。
『スタミナ浪費、嫌だもんね』
坂を上っている最中にすぐ前にいた子のリズムを崩して、早速1人。
『見事な手際!』
──お前の脚でやってんだよ!
ともかく、私達は後ろから1人ずつ仕掛けていって前に進出しようと考えた。
アムニシャンスも何かやるだろう、と考えての発想である。
『最終的に一騎討ちになるかなと予想してる。……今のところは普通に走ってるね』
──先行気味か。お互いの縄張りが接触してないね。しばらくは静かかな。
***
「ふむ。前の時は周りを潰すだけで自分は普通に走る、って感じだったが……今日は全員潰すつもりか?」
「どうだろうな。今回の状況だと、結局のところ全部アドリブだからなアレ。俺にも分かんないんだよ」
「お前には聞いてねえんだわ」
「知っとるわボケ」
***
第1コーナーだ。
『少しずつ後ろからちょっかいをかけて……今潰れたの何人だ?』
──直接やったのは3人。1人つられて掛かってる。結果4人。
『おお、大漁じゃん。……いや流石に多くね?』
──多い。多分アムニシャンスのせいだね。
『ゲートのアレか。じゃあ、むしろ僥倖か?』
***
「──2番アムニシャンスは好位置をキープしています。その外に5番──」
「さてアムニシャンス、何か企んでるとか言ってたんだよな」
「……ふーん。そうか……ティアードロップの劣勢か」
「は? ……ああ、これは確かにダメだな。言われてみれば納得できる」
「ただまあ、道中で気付くだろう。少なくとも、それくらいの頭はあるはずだ。そこからどうなることやら」
***
さて、第2コーナーを抜けようかというところで前を見た。
『なーんか、前の方は何も起きてないように見えるな』
──確かにね。
相変わらず、アムニシャンスが何かをした痕跡が見当たらない。
企んでいることがあると聞いていたのだから、何か仕掛けようとしていると思っていたのだが……。
瞬間、脳裏をよぎった天啓。
──マズい、やられた!
『何?』
──あいつ、
***
ティアードロップの閃き、そして真実は以下の通りである。
結局のところ、アムニシャンスは走っている最中に小細工が出来ない。
アムニシャンスの器用さは、そういう方面のものではないのだ。
力任せの走り方で押し切ることが基本戦法。
そこに、人に違和感を抱かせる技術を混ぜる。
そして普段から口八丁で対戦相手を誘導し、誤認させるのである。
パワーで押し切ることしかできないことを『隠している』し、それに『気付こうが気付かまいがやる事は変わらない』。どうせ力押ししかできないのだから。
もちろん気付かせないために『色々と小細工はしている』し、『それは成功している』のだ。
嘘はほとんど混ざっていない。
聞き手が、勝手に『アムニシャンスは走りながら色々と仕掛ける』と勘違いしただけだ。
そして。
混ざっていたただ一つの嘘、それは『先読みができない』こと。
カナルドレッジの誘いに乗ればティアードロップと会うことになることも、当然想定していた。
皐月賞を獲る、ただそれだけのためにデビュー時から仕組まれた計画。
最も『はやく』仕込みを始めたアムニシャンスは、優位に立ったのである。
***
──アレ放っておくと普通に力負けする! 位置上げるぞ位置!
『うわ……アレじゃん、前言ってたアレじゃん。違和感あったのが罠か。……クソが!』
──悪態つく気持ちも分かる! とりあえず急いで行こう! いつも小細工を無視するのは強者だから!
***
「流石に気付いたか。ここから巻き返せるならぶっちゃけティアードロップ一強もあり得るが」
「そこまでは飛び抜けてないはずだ。多分な」
「自分の担当に対する発言じゃねえだろそれ」
「あいつには失礼だが、俺もあいつもそこまで完璧じゃない。まあ、俺のこの読みが外れてくれれば万々歳だな」
***
バックストレッチ、私達は少しずつ捲り始めている。
『あれ、これひょっとして詰んだ? 雨だぞ。流石にスタミナ足らんぞ』
──正直、ダメ元ではあるよ。でもやるだろ。やる前から終わるなよ。
『まあ、確かに。根性出して行くぞ!』
本当だって!
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16.全くもって、知らないことだ
変わらずバックストレッチ。
先頭には逃げウマ娘、その後ろに3人の集団。
私達は、さらに後ろにある大集団を外から追い越す形だ。
アムニシャンスは3人の集団にいる。
早く前に行きたいところなのだが、大集団が横に大きい。
コーナーが終わるまでに少し内側に入らないと、無視できないロスが生まれる。
『入れるの? これ』
──隙間はあるけど、でも多分これ入ると斜行取られる。無理だわ。さっさと前行こう。
『OK。……飛ばしてく?』
──ぶっちゃけ私達、もう既に掛かってるようなものだから。もちろん自ら決めたことではあるけど、スタミナは今ガンガン減ってる。要するに今からスパートかけると潰れる。
『ああ、まあ確かに位置上げるためにペース上げてるもんね。……スパート大丈夫かなぁ』
***
「ティアードロップ早くも位置を上げにかかります。後ろに1番──」
「作戦ミスに気付いたとなれば、アムニシャンスに接近しようとする。それはそうだ」
「なまじ後ろで好き勝手やったばかりに、走法もその方面に引っ張られているからな。後ろのままだと最後に絶対に競り負けてしまう。最初から知っていればやりようもあったが……」
「まあ、たらればだな。……というか、それでもまだ博打できるくらいには拮抗してるって普通におかしくね? 普通ミスったら負けるだろ」
「この世代なんか癖も強さもヤバい奴多いんだよ……」
「実感がこもってるな!」
「そういう癖ではないが」
***
さあ第3コーナーだ。
あれから前には出られたので、大集団の中でも前の方に位置している。
そろそろ内側に入り込めるようにはなるのだが……。
『雨降ってるし、内は割と荒れてる。だからといって外がいいかというと、そうでもないんだよね』
どこに行っても何かしらの害を受ける状況だ。
『どうしろと?』
──まあ何であろうと構わない。食らいついて、食い破れ!
『んな無茶な……でも好きだよそういうの』
***
「さて14番ティアードロップが相変わらず前を狙う中、先頭入れ替わりまして5番クライオサイズム。外に2番アムニシャンス、内に7番──」
「しっかし。あいつとお前がいなけりゃ気付けなかったが……皐月賞を獲るためだけに走ってたのか? G1でさえも」
「さてな。俺も今までのアムニシャンスを知らないから、全部憶測ではあるが……只者ではない。生半可な覚悟じゃできないな。尊敬できる」
「嫌だよお前の尊敬なんか。臭そう」
「お前は俺に尊敬されてないから知らないんだよ」
***
4コーナー。
大集団を背後に、私達は走っている。
そろそろアムニシャンスも近い。
『さて! アムニシャンスには少し言ってやりたいことがある。行こう』
──息を切らさないようにね。
「よぉ。恐怖の味は、どうだ?」
「ふむ。なるほど、強敵だね」
──どういうこと?
『揺さぶりだよ。効果があればよかったんだけど、意味はなかったね』
***
「なんか口開いたな」
「変わんねえな、あいつは」
「何だその相棒面は」
「正しく相棒だからな」
「パシリが何言ってんだ」
「死ね」
***
「さあ第4コーナーを回って直線だ! 先頭は2番アムニシャンス、 半バ身空けて14番ティアードロップ! 内には──」
ここまで来れば、もう後は力比べでしかない。
小細工の時間は終わったのだ。
差は縮まる。
縮まるが、縮まらない。
最後まで、縮まらない。
接戦ではあるが、そこには完璧に走ったウマ娘、振り回されたウマ娘の差が存在している。
私達は、振り回された。
『実際、声をかけたあそこでアムニシャンスに余裕があった時点で無理だとは悟ってた。万全じゃないと勝てないくらいには仕上がってたよ』
2着である。
1/4バ身差だ。
3着とは1/2バ身差。
──んー、これ私のせいかな?
『どっちが悪いとかじゃないよ。ただ、アムニシャンスは僕たちの心に一生残る爪跡を残したと思う』
──うん。心底感服した。私達を騙せるのは誇っていい。ただもう二度と戦いたくないね。
『逆にタネ割れてるから何回も走りたいんだけど』
──それもそっか。
『……まあ、何にせよ。負けは気持ちの良いものではないね。二度と味わいたくない』
***
「ふふふ……これか……これが皐月の重みか! 朝日とはまた違う。冠の重みだ」
「おめでとう。ただ、……そうだな。せっかくだから宣告しようか。アムニシャンス、君は二度と僕の目の前で栄光を手にすることができないだろう」
「おお、怖いね。私でなければ泣いているところだったよ」
「……うーん、あんまり反応しないんだね。もしかして燃え尽きた?」
「朝日杯フューチュリティステークスのように、シンプルに私が1番強い時は勝てるけれども。そうでもなければ、私は一発屋みたいなものだからね。元より皐月賞目当てだ。当然今後も色々とレースは走るが、まあ普通にやれば君が勝つことだろう」
「……そう簡単に諦めるのか」
「引き際を間違えたくない、それだけだよ」
『……引き際、かぁ』
──もしかして、さっさと引退する気か?
『そんな意味のないことはしないよ。……少し身の振り方を考えるだけ』
ちなみに、たまたまこの世界線では皐月賞がちょうどよかっただけで都合が悪かったらもっと引き伸ばしてる
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17.Reach For The Stars
オリジナルとは、色々と話し合った。
そのため、普段とは違い現地でカナルちゃんと話をしていない。
しばらくして寮の部屋に戻ると、そこには既に帰っていたカナルちゃんがいた。
「おかえりなさい」
「ん。ただいま」
「現地で見ていましたから。私に求められている役割は分かりますよ。来てください」
──行った方がいいよ。
『そう? じゃあそうするけど』
***
『膝枕!?』
そういうことだ。
「ふふっ」
「ん?」
「いえ何でも。さて、聞きたいことがあるんですよ私は。切実な話です」
「へぇ」
「……私の話、聞いてます? 膝枕やめますよ?」
「いや聞いてる聞いてる。ごめん」
「分かればいいんです」
ナチュラルに膝枕の継続を望んでいる姿は面白いが、真面目な話も続けている。
「で、話を戻しますけど。……ティアちゃん、もしかして三冠レースだけ走って引退する気ですか?」
「え?」
「杞憂なら別にいいんですよ。これを聞いたのも念のためです」
──クラシック級で引退はないよね?
『僕も流石にそこまで急に引退する気はないよ』
──まあそうだよね。
「参考までに、その質問をした理由が聞きたい」
「その前に、まず答えてください。私が質問しているんですから」
「クラシックで引退はしないよ」
「そうですか、それはよかったです」
「……質問の理由は?」
「もし引退する気なら教えていたかもしれません。引き止めるために」
「えー、教えてくれてもいいじゃん」
「いやその、ちょっと恥ずかしいので……」
「今更じゃない?」
「それとこれとは話が別なんですって!」
まあ、理由は予想できなくもない。
だが、無粋だろう。
「まあいいけど。……でも、早い内に引退しようかなと思ってる。具体的には、3年目でやめようかなって」
「ああ、やっぱり早めに引退はするつもりだったんですね。……ちなみに理由は?」
「……こればっかりは、勘弁して欲しい」
「そうですか。まあ、大丈夫ですよ。話してくれる時を楽しみにしています」
──まあ、あんまり言いたくはないよね。
『それこそ一生を共に過ごすような関係でもないと、秘密は共有したくない。……まあそう言いつつも、やろうとしてること自体は一言で説明できるんだけどね。隠棲だもん』
***
さて。
オリジナルと私で話し合った、と先程述べたのだが。
その内容を説明しようと思う。
オリジナルは今、
過去に私が色々してきたことが背景としてあり、そこにアムニシャンスの『引き際』という発言が加わった結果、不安が湧出したのだ。
もちろん、どう考えてもアムニシャンスはそういう意味で言っていない。ただ、少なくともオリジナルはこの不安に押し潰されかけた。
そもそもこれは、私の過去が原因で発生した問題だ。
私は少し負い目を感じているのである。
そこで、私は助け舟を出した。
私の提案は、
幸い、私達はトレセン学園のウマ娘。
レースに出ることで、賞金を稼ぐことができる。
その上憶測ではあるのだが、トレセン学園にいる間は余計なものがシャットアウトされている。
今まで一度も私達絡みの騒動が起きていないのがその証左だ。
そして、不幸なことに私達はG1ウマ娘だ。
突然失踪などしようものなら、総力を挙げて捜索される。
大手を振って引退する必要があるのだ。
こうして私達が考えたのが、3年目での引退というわけである。
***
以上が、
そして、ここからは私個人の趣味。
私は、カナルちゃんとオリジナルをくっつけたいと思っている。
ついでに言えば、将来同棲させてしまいたい。
オリジナルの言葉を借りて言うならば、
実利を完全に無視した計画。
私の面白さ第一である。
本来であれば時間制限のないミッションだったのだが、今回の目標設定により残り期間が約1年半になった。
失敗したところで私が面白くないだけだが、出来ることならば成功させたい。
***
まあ、最終目標は設定したが。
結局のところ、今までとやることは何も変わらないのである。
──で、今になって気付いたことがあるんだけど。
『何?』
──私達、トレーナー放って帰った。
『……あっ。マジだ』
──よし、トレーナー室に突撃!
『どういう繋がり? それ』
***
「うわあああ忍者屋敷のやつ!」
「これ結構金かかるんだな。初めて知った」
──ざまぁ!
『いくら何でもトリッキーすぎる』
──忍者だからね。
『そういうトリックじゃねえよ』
***
「で、何だ?」
「その、レース場に置いて行ったじゃないですか。流石に謝らなきゃいけないと思いまして」
「そういうの気にするタイプだと思ってなかったから、今すごい衝撃を受けてるんだが」
「世渡りには自信がありますからね」
──私の入れ知恵だぞ。
『そうだけど』
***
「まあいい。ダービーはもう登録しておいたぞ」
「いや確かに元々出る予定でしたけど。勝手に登録するのやめろって言いませんでした?」
「もういいかなと思った」
「えぇ……」
『ぶっちゃけ、こういうことするタイプのトレーナーだったの忘れてたわ。最近大人しいと思ったらこんなことしでかして……!』
──そういえばトレーナー、おかしい人だったな……。完全に失念してた。
『ドア改造する奴が正気なわけねえよ』
──それはお前の私怨!
『いや無駄金使ってるところだよ』
──何も反論できない完璧な発言だね。
トレーナーをしている限り全く必要性のない、資産と技術
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18.星屑総ざらい
さて4月は終わり、5月になった。
トレセン学園の近くの桜も、そろそろ息を入れる時間である。
『ダービーの月。今年は僕たちの世代が活躍するのだよ』
──そういえば、ダービーの作戦をどうするか決めてなかった。どうしようか?
『んー。なんとなく、逃げかなって思ってるけど。いっそコインフリップ?』
──まあ私達だからね。それくらい適当に決めてもいいと思うよ。さあ張った張った!
『表が出たら追込! 分かった?』
そして、コインを投げる。
***
『裏じゃん。結局逃げじゃねえか!』
──逃げだね。今回こそは本当に逃げたいところ!
『やるぞやるぞ』
***
「さて。私がNHKマイルカップに出ることは知っていますね! 今日も全力で応援してください!」
「支障が出ない程度に応援するよ」
「まあ仕方ないですね。それで手を打ちましょう!」
今回のレースで確認したいことはそこまで多くない。
精々ダービーに来るかもしれないウマ娘を見るくらいである。
***
「NHKマイルカップだろ、知ってるぞ。ちなみにだが、お前達が互いのレースの観客席に出没するってのはもう有名になっている」
「そんなに有名なんですか」
「中々に有名だ。特集記事もあるぞ」
『それは予想してなかった』
──記者……暇なのか?
「……というか、なぜ毎回俺に確認を取るんだ? どうせ行き先は分かるから、言わなくても問題はないんだが」
「それでも最低限の義理は通しますよ。当然です」
「最低限か……」
***
「1番、カナルドレッジ」
「チューリップ賞の時よりも仕上がっています。絶好調です」
「ティアちゃん! 今日も勝ちますからね!」
『いやぁ、カナルちゃんはいつも僕に声をかけるね』
──そうだけど、あんま話広がらんから面白いこと言えよ!
『常に面白いこと言えって言われるの普通にきついからちょっとやめて』
──ごめん。
ちなみに、他に知っている名前はいない。
G1に出走する時点で全員強いというのは事実としてあるが、私達の目線だと本命はカナルちゃんだ。
実際、1番人気でもある。
***
「どうも。俺が宮坂だ」
「誰?」
「えっ」
──誰? じゃねえよ。カナルちゃんのトレーナーだぞ!
『あああああ!!!』
シンプルに失礼である。
「っ……おっと、迂闊にも人前で笑うところだった。責任取れ宮坂!」
「その拘りは聞いたことねえな」
「古代から伝わるうちの伝統だ」
「お前、本当のこと言っても信用されなくなるぞ」
「生憎と同じ嘘はつかない主義でな」
私達のことを差し置いて勝手に2人で盛り上がっている。
放っておくべきか、止めるべきか。
『止めるの面倒だから置いていこう。宮坂トレーナーとは今は話すこと特にないし』
──名前忘れてたの恥ずかしいだけだろ。
『それも一応あるけどね』
ちなみに私に関しては、宮坂トレーナーと話しておきたいことがある。
何を隠そう、カナルドレッジの将来についての話だ。
ただ、私達の引退までにパイプを繋げておけば問題はない類の話でもある。
そのため、今すぐ話す必要はない。
***
そのような話をしている間にも、ゲートインは進む。
「各ウマ娘、ゲートイン完了……スタート! まずは当然のようにカナルドレッジがハナを切って、加速!」
『前と同じで、なんか巻き上げてる』
そして私には相変わらず領域らしきものは一切見えないのだ。
レース中に私達が領域に入った時に何が起きるかが本当に気になる。
『僕も。万が一変なこと起きたらマジで困るな』
***
領域に入ることができるウマ娘は、時代を創る。
今も、後続に10バ身以上の差をつけている。
『マイルG1……? こわ』
──同室の子が化け物だ! トレセン学園って怖いね。
『むしろスニークアタックが怖くなってきたな』
──確かに。
***
最終的な着差は5バ身だった。
いよいよ才能が炸裂している。
『すごい、めちゃくちゃ嬉しいぞ』
──自分のことのように喜んでない?
『カナルちゃんが勝つと僕も喜ぶよ!』
***
「いぇーい! ダンス!」
「主に社交ダンスで見られる動きー!」
──前に決めてた、勝った時にやることだけども。冷静に考えたらなかなか変だね。
『なんかもう、いっそこれくらいやったほうが良くない?』
──まあノリは好きだよ。
***
『っていうかさ』
──何?
『記事にされるの毎回レース後になんかやってるからだろ』
──確かに。
***
「さて、いよいよカナルドレッジがとんでもない怪物になってきたが……どうすりゃいいんだ」
「俺も知らんよ」
「……担当のこと、もう知らん! って言いすぎじゃね? 俺ら」
「だって知らねえもん。何であんなことできるんだよ」
「まあ俺もその気持ちは分かる。トレーニング指示してるだけであいつが勝手に勝ってるような気分になるんだよ」
「まあ、この世代に手をつけることができた俺らの運がいいって事で」
***
さて。
そろそろダービーに備えねばならない。
何となく、斬新なトレーニングでもないかなと思案していた時。
ふと思いついた。
──私達でチェスやろうぜ!
『外から見たら面白い見た目になりそうだけど、まあやろうか。思考力とかかな?』
***
私の方が圧倒的に強かった。
『なんで?』
──日頃から頭使ってるから私は。体育会系とは違うんだよ!
『は? 僕こそ知性の塊だが』
──説得力弱いなー。
いや宮坂の方が強いから
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19.Raise The Curtain
よりにもよって、1人チェスをカナルちゃんに見られた。
「あの……やります?」
「やるけど、断じて気が狂ったわけではない」
──いや狂ってるでしょ。
『正気の沙汰なんだけど。というかお前発案だからな?』
***
オリジナルが私より冴えた手を考えることもあるが、基本的に私の方が強い。
しかしながら、私は表に出ることができない。
よって私は指示を出す係である。
『寡頭制』
──なんか違うような気がする。
『……あっ、傀儡政権か!』
──それだわ。
ともかく、私達は他の誰かと対戦する時には手を組む。
その場合、私達はどうやらチェスが上手いらしい。
「完敗です! ……トレーナーの影響で始めましたけど、周りに強い対戦相手が多いですね」
「宮坂トレーナーって強いの?」
「強すぎて手加減のパターンが10段階くらいあります」
『は?』
──ゲームのAIか何か?
非常に気になる。
一度対戦してみたいところだ。
***
しかし、そんな話がどうでもよくなる重大な事件が起きた。
スニークアタックがオークスに出走せず、ダービーに出走登録している。
『桜花からダービー行くアレか。なかなか骨がある』
──魔境のダービーだね。
スニークアタックは一度も共に走ったことがない。
しかしながら、どう考えても強敵だ。
気を引き締めてかかろう。
***
ちなみにオークスの勝者はヨークルフロイプ。
『今回は知らない名前』
調べたところ、今まで未勝利戦しか勝っておらず、2着や3着を繰り返していたらしい。
フローラステークスでの2着で優先出走権をもぎ取り、オークスを獲ったという経歴だ。
『花開いたって感じ』
──氷河底湖が決壊したんでしょ。
『しまった、負けた』
今年は既にスニークアタックが予想を外してきたので、確信はできないのだが。
恐らく戦うのは三冠レースが終わってからだろう。
***
さて。
5月某日、東京レース場、芝2400m。
G1、東京優駿。
ただ、私達は常日頃からダービーと呼称しているし、正直な所そっちの方がしっくり来る。
それはともかく、今回は晴れの良バ場だ。
『運があるのは誰かな?』
──運がいいだけでは私達には勝てないよ。
『自意識過剰』
正しく戦力分析はできているはずなのだが。
***
「ダービーですよダービー! 応援してます!」
「それはいつもじゃない?」
「まあそうですけどね!」
『元気だねぇ』
──その元気は貴様に向けられている。
『銃口か?』
──むしろ既に放たれた弾丸だが?
***
出走前に、スニークアタックが挨拶しに来た。
ちなみにカメラも回っている。
ここは公の場だ。
「こんにちはー」
「どうも。今日はよろしく」
「よろしくお願いしまーす。知らないうちに負けるの、楽しみにしておいてくださいねー!」
「なるほどね。負けて泣いても知らないよ」
演出は大事である。
私達がそれにより利益を得られるかどうかは正直分からないが、楽しいので問題はない。
『ターフの演出家、ティアードロップ』
──その二つ名、私は嫌だからやめろ。
『僕もちょっとどうかと思う』
***
次に来たのはアムニシャンスだ。
『どんどん来るね』
「確かに、私は一発屋だとは言った。しかしながら、これ以上勝てないというわけではない。何が言いたいのか気になるかね?」
「そうだね……。気になるけど、せっかくだからテレビの前の皆にも教えてやったらどう?」
「名案だね。……では宣言しよう。今年の三冠ウマ娘はこの私、アムニシャンスだ」
「そして三冠の夢を壊すのがこの僕、ティアードロップだ」
──そういう役割なの?
『いや、ちょっとかっこいいこと言いたかっただけ。別にヒールになる気はない』
ここまでの口調もあって、本当にヒール扱いされそうな気もするが。
対処はオリジナルに任せることにしよう。
『台本ないの?』
──アドリブで全部ごまかせ!
『丸投げしかできないクソディレクター』
──役者の個性を尊重しています。
『胡散臭いな』
***
カメラの前ではこのようにわちゃわちゃしていたのだが、その一方でパドックでは特に何も起きなかった。
そういうわけで、ゲートインの時間だ。
「さあやって参りました東京優駿、日本ダービー! 今日は17人の出走です」
私達はコインフリップで逃げると決めた。
となれば、当然だがスタートが肝要。
本気を出して、集中力を高める。
「ゲートイン完了! スタートしました、ティアードロップが好スタートを切る!」
『今日は神のようにスタートが上手いぞ!』
──あまりにも完璧。スタートで差をつけろ!
『もうついた!』
──でかした!
日本ダービー、スタート!
チェスAI Miyasaka
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20.今日の天気は、晴れ時々恐怖の大王
まずは私達が意識しているウマ娘達の枠番を整理しよう。
私達は6番。
アムニシャンスは8番。
スニークアタックは9番。
揃いも揃って中である。
『枠番での有利不利はほぼないかな。とりあえず行くか』
──よーし! 逃げだ逃げだ! ゴーゴー!
『カナルちゃんみたいな感じで行く?』
少し考えてみよう。
2400mを大逃げするとして、私は確実に成功させるという自信がない。
そもそも、カナルちゃんは序盤に領域に入っているからこその大逃げなのだと私は考えている。
『じゃ、あくまでも普通に』
***
「6番ティアードロップ逃げています、1バ身半ほどでしょうか1番ホーリーブレス、外に8番アムニシャンス。さらに外11番──」
「今日は逃げか。確かに、最近は追込ばかりしていたからな。裏をかくには最適だ」
「コインフリップで決めたらしいぞ」
「は? ……いやダービーで何やってんの?」
「半ば遊びが入っているのはまあ否定はしない。ただ、勝てば何でも構わんだろ?」
「それもそうだな、勝てば官軍。正しいな」
***
さて、手始めの第1コーナー。
幸いにも好スタートを切ったので、内ラチ沿いに走ることができている。
『細かい利益を積み上げて逃げ切ろう!』
──積み上げるほどに、盤石になるのが私達!
***
「6番ティアードロップは相変わらず逃げて、現在3バ身差。2番手1番ホーリーブレスの背後に8番アムニシャンス、外に──」
***
コーナーなので後ろは比較的簡単に見ることができる。
見た。
おかしい。
──何でこんなに後ろと差がついてるんだ!?
『うわ、何これ! もしかして僕たち掛かってる?』
──いやペースはおかしくない、速めだけど普通! 余裕! なら何? マジで何? おかしいって!
私達は予定ではここまで差をつけるつもりはなかった。
全くもって理解不能である。
何が起こったのかは、レース後にでもじっくり考えたいところだ。
それはそれとして。
『でもこれ、僕たちに有利じゃない?』
──うん。それはそう。何でこうなったのか分からないけど、とにかく得した。理由は後で考えるとして、このまま逃げてしまおう!
***
「……あっ、なるほど。これは面白い」
「何か分かったのか?」
「この展開になった原因に気付けるのは俺くらいだろうな。これは偶然の産物だ」
***
宮坂トレーナーの閃き、そして真実は以下の通りである。
結局のところ、ティアードロップは何かを仕掛けようとしていたわけではない。
単純な走り、単純な逃げ。
単純な力を押し付けるだけ。
だが、ティアードロップは直近のレースで周りを崩す走り方をしていた。
これがもたらしたもの、それは『ティアードロップは走りながら色々と仕掛ける』という共通認識。
結果だけ見れば、アムニシャンスと同じことをしたわけである。
意図せず意趣返しをした形だ。
しかしながら、皐月賞と異なる点がある。
今回、影響を受けたのは
誰もが、ティアードロップに近付くことを躊躇う。
そう。
逃げているティアードロップを、誰も追わない。
コインフリップにより決定された作戦が、予想外の結果を生み出した。
最も『運のある』ティアードロップは、優位に立ったのである。
***
第2コーナーを抜け、直線に向かう。
ますます差が広がり、今は4バ身だ。
『どうしてこんなことに?』
──後で考えるっつってんだろ! 気にしてる場合じゃねえ! まず走れ!
『了解。ついでに領域にも入りたいな!』
──まだ入ってないってことね。入ったら報告して。私が気付かない可能性が残ってる。
『分かった』
***
東京レース場には2つの坂がある。
1つはホームストレッチの高低差2mの坂。
そして、これから差し掛かるバックストレッチの坂だ。
『さて、そろそろ後ろも近付いてくる頃かな。実はスニークアタックがずっと怖いんだ僕は』
──末脚が頭おかしいからね。いつまでも気を付けよう。ダービー、強者が集まってて怖いなぁ。……まあ私達も強いが!
***
「まだまだ逃げるティアードロップ。4バ身ほど空けて2番手変わりました8番アムニシャンス、おっとここで9番スニークアタックが位置を上げ始めた!」
「優勢とはいえ、覆せないほどの差ではない。差し切ってしまえばいい」
「そうだな。ついでに言うと、別にあそこにいる誰の担当でもないお前がそれを言うのはちょっと面白い」
「言うな! アレに気付けてちょっと悦に浸ってたんだよ!」
「ふーん?」
***
さあ坂を上る。
──まだまだ気は抜けないぞ。
『僕たちは常に後ろに怯えてる。逃げ切って安寧をこの手に掴むぞ!』
カナルちゃんは喜んでるよ
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21.Foretold Ragnarok
坂を上り切って、次は下り坂。
そして第3コーナーでもある。
私達は後ろからの強襲を警戒している。
なんせ東京レース場であるから、何かが起きるなら長い最終直線だろうと踏んではいた。
ただ、コーナーで再び後ろを見ると……。
──スニークアタックがちょっと前に出始めてる。準備し始めたか?
『うえぇ……差されないように、しかし掛かってはいけない……』
そう、掛かるだけ無駄だ。
無尽蔵のスタミナなど、ここにはない。
冷静に、細かい得を取りこぼさずに。損を避け、そして勝つ。
***
「後続と4バ身の差、6番ティアードロップ。2番手アムニシャンスはペースを保ったまま、後ろに1番ホーリーブレス。外に──」
「スニークアタック、位置を上げるのを止めたな」
「差し切るのにちょうどいい位置を取ろうとしたんだろう。スタミナとトレードオフだが、走り切れるなら良い手だ」
「他のウマ娘を見てて担当に申し訳ないとか思わんのか?」
「ブーメランじゃねえか!」
「やっべ」
***
第4──
******
幻視。
3本の鉄鎖が巻き付く。
だから、
足跡に炎を載せて。
******
コーナーに差し掛かる。
『領域入ったぁ! 行くぞ!』
──私も垣間見た! 面倒なパターン回避!
『っしゃあ! 勝った! 最高じゃん!』
***
「……ん? 何だろうアレ」
「ああ、分かりました! アレ領域ですね! ……あの、誰か見えます?」
「誰も見えない? うーん……」
***
このタイミングで領域に入ったとなれば、もうスパートをかけてしまう方が良いだろう。
領域の活用は圧倒的な利益となる。
『一歩踏み出す毎に僕たちが出来ることが分かる! 後で纏めて伝えるよ!』
──全てを理解してくれ、頼んだ!
***
「ティアードロップここでスパート! 5バ身ほど開いて続くアムニシャンス呼応するようにスパート、後ろからはスニークアタックも来ます、そしてまずはティアードロップが最終直線に差し掛かる!」
「え、何? なんか急加速してない?」
「何だあれ。俺も知らんぞ」
「えぇ……お前の担当だぞ、お前の責任だ」
「前と言ってること変わってんじゃねえか」
「それはそれ、これはこれだ」
「それ言って許されたことあるやついねえんだわ」
「俺が最初の一人だよ」
「貴様をトレーナーで最初の犠牲者にしてやる……!」
***
最終直線、高低差2mの坂だ。
『さっすがに減速はちょっとはする、するが! それくらいで僕たちが負けるか? 負けん!』
この心意気が大事である。
結局最後に物を言うのは根性だ。
私は生憎とそこまで多くは持ち合わせていないが、オリジナルには相応のモノがある。
『んで、やっぱ来るよなぁアムニシャンスにスニークアタック! 待ってたよ!』
──猛烈に追ってくれるのは嬉しいね。でも残念ながらダービーの栄光は売約済だ。私達が
『銅も銀もくれてやるけど、僕たちを追い抜けると勘違いしないでもらいたいね!』
***
「最終直線、6番ティアードロップを追うのは内の8番アムニシャンス、外からは9番スニークアタック! 1番ホーリーブレスも食い下がる、っスニークアタックが驚異的な末脚を見せる、あと200! ティアードロップ脚色は衰えず、アムニシャンス来た! しかしスニークアタックがアムニシャンスを、抜いて……抜けない! アムニシャンスがティアードロップに競りかける、ティアードロップ粘る! スニークアタックも並ぶ、並んでゴール! ……1着2着写真判定になります、しかしながら3着はすんなり出ました8番アムニシャンス」
「スニークアタックが1着争いに参加か。桜花からわざわざダービーに殴り込んだ甲斐がある、とでも言えそうな成果じゃないか?」
「中々のインパクトを残した、残したが! まあうちのティアードロップの勝ちかな」
「見て分かるものなのか? 俺は分かんない」
「眼鏡かけたら?」
「そうじゃねえよ」
「──確定しました! 1着は6番ティアードロップ、2着9番スニークアタック」
***
「イェーイ! 何らかのダンス!」
「どこで見ることができるのかが全く分からない動きー!」
──マジで何の動き? これ。
『雰囲気でやってるよこれ』
まあ、オリジナルが楽しいのなら何でも構わない。
***
『というか……こんなことやってるし、ヒールのイメージとか消えて無くなるんじゃ?』
──可能性はある。
***
「初めて担当したウマ娘がダービーを獲った、とかいう栄誉を俺は手にしたわけだ。どう思う?」
「取材頑張ってくださいね!」
「最初に言うことがそれなのか……」
『というか、忘れてたけど確かにトレーナー今まで担当いなかったんだよね。リギルのサブトレーナーだったからではあるんだけども』
──明らかに金持ってるし、今までG1ウマ娘大量に排出してきたトレーナーみたいな雰囲気も醸し出してる。そして実態はこれ! 面白いね。
***
「負けたので泣きまーす! うわーん!」
「えぇ……」
『スニークアタックが思ったより愉快なんだけど?』
明らかにノリで生きている。
レース前の口上も咄嗟に出たものなのだろうか。
というか、走り方といい言動といい、何処も彼処も全然
『すごい目立つ攻撃』
***
「やあ。意趣返しの味はどうだい?」
「やった覚えないけど美味しいよ!」
「無自覚か。まあ楽しそうで何よりだ」
『何の話?』
──まあ、大方レース中の謎の引き離しに関係してるんだろうね。後で考えとくわ。
『アレか、なるほど』
***
さて。
ダービーも終わったので、寮に帰った。
「おかえりなさい!」
「うわあああなんか祝うやつ!」
「クラッカーですよ!」
領域に関して、今まで出した情報だけで全部理解できるように……なってたらいいな、なってるかな?なってないかもしれんけど、まあ考察したかったらどうぞ
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22.海上保安庁
「領域、入ってましたよね?」
──直球で聞くの流行ってるの?
『どうだろうね』
適当に流されてしまった。
「入ってたよ。何で分かったの?」
「見たんですよ! 同じです!」
「ああ理由が分からないやつね。じゃあ……放っとくか!」
「放っておきましょう! どうせ考えても何も分かりません!」
──いや考えろよ!
『適当に考えといてー』
丸投げされてしまった。
まあ、思考したところで分からないのは私も同じなのだが。
***
「とにかく。おめでとうございます!」
「ありがとね」
「何かして欲しいこととかありますか?」
──閃いた!
『うん?』
──指示通りに、GO!
「逆に何がしたい? 決めていいよ」
「えっ?」
「隙あり!」
『すごい隙が生まれてたから、飛びつくのも簡単だねぇ』
度重なるレース中の揺さぶりにより、日頃から仕掛けるのが得意になり始めたらしい。
私としては好都合である。
「うわぁっ!?」
「ふっ……勝った!」
「何がですか!?」
『しっかし……中々いい匂いだね』
──きっしょ。
『うん、知ってた。やめないけど』
「あの、あのですね! 飛びついてきて匂い嗅がれるのは……恥ずかしいので……」
「えっ、あー……うん、じゃあやめる」
「はい……」
──バレバレじゃねえか!
『うーん……。いやそりゃそうなんだけどさ。なんかアレだね、言葉にされると僕も恥ずかしくなる』
自分でやっておいて今更何を言っているのか、とでも言えばいいのだろうか。
『お前が発案の時、よく僕に責任押し付けるよね』
──実行犯が全面的に悪い!
『ふざけんなよ!』
***
まあ、そんな感じである。
それは何であっても構わないのだが。
『構うわボケ』
ともかく。
私達は夏合宿が終わるまではレースに出ないことに決めた。
宝塚記念のファン投票に関しては、出走できる程の投票はある。
私達の世代で出走できるウマ娘は中々に多い。
しかしながら、私達は菊花賞を視野に入れている。
長距離に順応したい気持ちもあるので、宝塚記念は跳ね除けることにした。
『まあ、そうは言っても出たいっちゃ出たいんだけど』
──ただ、二冠獲りたいからね。
***
カナルちゃんも夏合宿が終わるまではレースに出ないと決めたらしい。
少し理由を聞いてみたところ……。
「レースに出る選択肢もあったかもしれないですけど。少しやっておきたいことがあるので」
とだけ返された。
要するに、私達に教えたくない何かがあるらしい。
『うむ。まだ仲良くなれる余地がありそう』
オリジナルはこういう考えだが、単純に私達関連だから教えないというパターンも可能性はある。
どちらにせよ、私達の与り知るところではないのだが。
***
レースに出ないと決めると、誰が勝ったか気になるのがウマ娘の性だ。
得てして、こういう時は予想外の名前が出る。
今回の宝塚記念も、それだ。
『ヨークルフロイプ!?』
──オークスから行ったか。シニア級と渡り合えるんだ、凄いねほんと!
『行っときゃよかったかも』
──でも私達は菊花だろ菊花!
『おおっと、危なかった! 初志貫徹、初志貫徹……』
***
「もうすぐ夏合宿ですけど。同じところらしいですよ!」
「そうなんだ。良かった」
チームに所属するウマ娘だとまた別なのだが、トレーナーと1対1で契約しているウマ娘に関してはグループ分けが行われる。
宿泊場所決めのためだ。
同室であろうと、グループ分けの判断材料にはならない。
だが、今回は運が向いたようだ。
***
そういうわけで夏合宿である。
ある日のことだ。
『まあ流石に僕もね、浮き輪使ってのんびりするとかは苦もなくできるから』
あくまでも、オリジナルがダメなのは顔を水につけること。
それだけだ。
要するに、今の私達は1人海で遊んでいる。
「ティアちゃんが泳いでる海さんはここなんですかー!!!」
「泳いではいないよー!」
「確かに!」
──浮いてるだけだもんね。
***
カナルちゃんは泳いでこっちに来た。
「……周りに全然人いないなあ」
「そうですね。ふたりっきりです!」
「そう言われると、なんか……良いね」
──何がだ?
『良いもんは良いんだよ!』
良いらしい。
それならそれで良いのだが、私は少しカナルちゃんに聞きたいことがある。
流石に直球で聞くわけにはいかないことを聞かなければならないので、少し難しいのだがぼかして聞くことにした。
『聞くのは良いんだけどさ。海の上で浮き輪に乗っかってるっていう状況に合ってるのかそれは?』
──あんま合ってないよ。
『そっかぁ……まあいいや』
***
「例えば僕がどこかに消えてしまうとして。カナルちゃんはどうする?」
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23.Bond (Deeper)
「え? ……どういうことですか?」
「まあ、僕がいなくなる時だね。気楽に答えてくれればいいよ」
「……なるほど。うーん……悲しいですね。いなくなるのは」
「そっか。ま、何も言わずに消えることなんかないんだけども」
これを聞けたのは収穫である。
要するに、いなくならないでほしいわけだ。
***
「それで、どうして急にこんなことを?」
「いや、聞きたかったから」
「……また何か悩んでます?」
『これなんか勘違いされてるかもしれんな』
──そりゃまあ、私も急にアレ問われたら悩んでるのかなとは思うし……。
『それは確かに』
「まあ悩んでると言えば悩んでるのかもしれないけど、多分カナルちゃんが想像してるような──」
***
「……どうしたの?」
「何というか……掴んでないと離れるような予感がしたので」
『それ、腕を掴むって意味じゃないと思うんだけど』
物理的に掴む必要は確かにないかもしれないが、ともあれカナルちゃんの予感は正しい。
カナルちゃんがついてくるかどうかに関わらず、私達は最終的に何処かに隠れる予定だ。
「ふーん? つまり……離したくないってことか!」
「っ! え、ええ、そうですね確かに。離したくないですね」
「ぅぅ……えーっと、うん。……嬉しいけどさ」
──自分で仕掛けておいてそれか?
『自分からやる分には良いんだけどね……』
つまり、両方とも攻撃力ばかり高くて防御力が低いタイプらしい。
***
流石に、私達も遊び呆けているわけではない。
「併走しましょう!」
「急だねいつも」
「一応、今回は意味のある唐突さなので!」
「そうなんだ」
そういうわけで、併走することになった。
***
改めて観察してみると、カナルちゃんは1歩で稼ぐ加速が尋常じゃない。
出遅れもカバーできるほどである。
『いきなりトップスピードで駆け出して、序盤から領域に入る。初手で距離を稼いで、最後まで粘る。単純で、ほぼ確実に成功して、それでいて対策が出来ないんだよね!』
──ちょっと説明に熱入ってないか?
『カナルちゃんだし』
「もっと行きますよー!」
「えっ併走……」
「ついて来てください!」
「あーっ、もう仕方ないなぁ! 抜いてやる!」
「ゴーゴー!」
──元気だねー。
『活力の試練』
***
そしてたまたま1人で走っていたアムニシャンスを追い立てる。
「どうしてこんなことになるのかねぇ!」
「レールの上を走ってるからだよ!」
「脱線しているだろう君たちは!」
ともかく、アムニシャンスの走りも中々だ。
皐月賞までのあの違和感が消え去ると、途端に似合った走りに見える。
そうして改めて見た印象だと、アムニシャンスは派手な勝ち方をしないが負けるイメージも思い浮かばないタイプである。
『あの作戦で完全に詐欺師のイメージなんだけど、普通に強いタイプだから脳がバグる』
──武闘派詐欺師じゃん。
『この、幸運になれる壺を買ってください。買わないと殴ります!』
──逆に買いたくなってこない?
『ボクシングの世界で大成できそう』
***
さらにスニークアタックも巻き込む。
「なんで追いかけるんですかー! やめてくださいよー! 私そんなにスタミナないんですよー! うわーん!」
「ダービー2着が何言ってんの?」
「2400が限界でーす! よろしくー!」
『割り切ってるんだね』
──でもさ……2400までだったら結構スタミナあるでしょ。
『それもそうだね』
スニークアタックの走りは、レース中の作戦からも分かるように一瞬の爆発力に特化している。
加えて、そこまでに脚をうまく溜める技術を身につけているらしい。
結果として起こるのが”えっスニークアタック並びかけた!? 速い! ”である。
『それそんなに気に入ってるの?』
──うん。
***
『というか、冷静に考えると何やってんだこれ?』
──私にもわからん。雰囲気で巻き込んでたから。
***
さて。
夜である。
特に何かがあるというわけでもなかったのだが、私達は散歩をしていた。
今日の波は穏やか、砂の一粒も攫われない静寂である。
『こう、意味もなく外を歩くのも良いもんだね』
──そういう風情とか感じる心あったんだ。
『殺す』
──私も慈悲の心は持ち合わせてないから、気持ちは分かるよ。
『人の心が無い奴と一緒にしないでくれるかな』
──殺す。
***
ちなみに、宿ではカナルちゃん、スニークアタック、私達の3人部屋となっている。
部屋分けは割とフレキシブルだったので、私達はカナルちゃんを勝ち取った。
何故かスニークアタックもついて来たのだが。
というわけで、夜中の散歩から帰るとこうなっていた。
「枕アターック!」
「枕ガード!」
「……ほう。僕を差し置いて枕投げとは。なるほどなるほど」
──しまった! 本気だ!
(満を辞して)初投稿です
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24.鐘が鳴る
ちなみに、枕投げの勝敗は有耶無耶になった。
そもそも勝敗が何なのかもよく分からないが、それ以前の問題として消灯時間が来たのである。
皆、消灯時間は守るタイプなのだ。
枕投げをしておいてそれはどうなのか、と思わなくもないが。
以上、夏合宿である。
***
トレセン学園に戻って最初に行うと決めていたこと。
聡明な者なら、予想することは容易いだろう。
「どうもー! 忘れた頃にティアードロップちゃんが来ましたよー!」
「あーっ! ……クソ! 忘れてた!」
──やるじゃん。
『弛んだ心に釘を刺す! それがこの僕、ティアードロップ!』
──何言ってんの?
『忘れて』
***
「で、何の用だ? 聞くたびにどっか行ってる気はするが」
「トレーナーが予想した通り、何もないですよ。ではまた」
「……つかお前、俺にだけ敬語なのなんか気持ち悪いな」
「最低限の敬意です」
「また最低限か……」
***
『ここでメイド服に着替えて、もう一回突撃するんだよね』
──恥とかないの?
『誉れ高いこの僕を見て目が眩んだか?』
一握りの栄誉も見当たらないが、まあそれは何でもいいだろう。
思えばメイド服も死蔵していたので、有効活用するのは良いことである。
そう、良いことである。
『自分に言い聞かせるほどのことじゃねえよそれは』
──じゃあ、メイド服のもうちょっとマシな使い方を頼むわ。
『それは無理。僕の自由』
──仕方ないなぁ……。
***
「どうもー!」
「着替えんの早いな」
「反応が少し薄いと思うんですが」
「一回やっただろそれ。同じ流れはあんまり面白くない」
──ざまぁ!
『正論に心を痛める。傷心の僕は1人寂しく寮で眠りにつく』
──私もいるぞ!
『うわぁ、勝手についてくるのやめたら?』
──逆に離れる方法あるんなら教えてくれ。
『無理!』
──知ってる!
***
どうやら、今年は一般的な寒さだと予想されているらしい。
実に喜ばしいことだ。
『去年は意味わかんない寒さだったもんね。雪も前例がないレベルで降ってた』
──アレのせいで、皆雪には慣れてるんだよね。刻み込まれた感じがしてとても不快だけども。
『そういうのも嫌なのか』
──坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって本当なんだなって思った。
***
当たり前だが、私達は菊花賞を目標にしている。
夏合宿もあってかなりの間隔が空いているので、ステップレースに出たいと考えた。
そして、これは本当に予想していなかったことなのだが。
指し合わせてもいないのに、有力なウマ娘が選ぶレースがバラけた。
そうして出たG2、神戸新聞杯。
世間の反応は”対抗がいない”。
私達は、そういう時に負けたりするような走りはしないのである。
***
さらに、突然カナルちゃんがスプリンターズステークスに出走することを表明した。
『こっちは直行なんだね』
NHKマイルカップから夏合宿を挟んでかなりの期間が空いているので、前哨戦を挟むのはおかしくない。
だが私達とは異なり、カナルちゃんはぶっつけ本番を選択した。
***
それも、どうやら勝てる確信があってやったことらしい。
スプリンターズステークス、1着はカナルちゃんである。
「イェーイ! 分からないダンス!」
「ぶっちゃけこういう場面で咄嗟にできるダンスとかあんまりないから雰囲気で誤魔化してる動きー!」
──滑舌すごいな。
『発声できて、聞き取ることのできる範囲では最大の速さで言ったよ』
──なんか森に住んでそうだな。
***
最初、ダンスは名案だと思っていたのだが、思っていたより発展性に乏しい。
そのため、新しいことを考えてみた。
披露は菊花賞で行うことにしよう。
何はともあれ、10月が訪れた。
トレセン学園の近くの桜は、ギリギリスタミナを維持している。
去年の寒さであれば、もうそろそろ苛立ち始めてもおかしくはないが。
今回の10月はクリアな感情で過ごせそうだ。
『菊花賞を勝てばさらにスッキリするし、頑張ろうね。強そうなのは?』
──アムニシャンスとの最終決戦かなって思ってる。多分、今回初めて対等な真っ向勝負になるんじゃない?
『確かに、皐月賞もダービーも片方がミスしてたもんね』
そして手の内は皆明かし尽くしているのである。
こうなると、実力だけがモノを言う域だ。
最も『強い』ウマ娘が決まることだろう。
なお2400mが限界だと言っていたスニークアタックは、秋の天皇賞に出るらしい。
『予想はしてた』
***
そういうわけで。
10月某日、京都レース場、芝3000m。
G1、菊花賞。
初めての長距離レース。
そして、3度目となるアムニシャンスとの戦いである。
「やあ、アムニシャンス。いよいよ菊花賞だね」
「私も、最後まで戦うと予想していたよ。ま、3000mもある。ゆっくり語り合おうじゃないか」
「生憎と、談笑なんかより刺し殺すような激論の方が得意なんだ。燃えカスも残らない一瞬を共に味わおう」
──何だその会話は?
『なんか楽しくなってきちゃった』
***
「さあ今日は菊花賞! 皐月賞のアムニシャンス、ダービーのティアードロップが最後の一冠を賭けて戦います。曇りの京都レース場で3000mの長丁場です」
「15人か。最近ゲートが埋まらないな」
「何でだろうな? あまり気にしていなかったが」
「俺も知らない。……ところで、今日のティアードロップの作戦は何だ?」
「今回に関しては珍しく強い希望があってな。逃げだ」
「強い希望?」
「力と力のぶつかり合いがどうとか」
「ふーん」
「興味ないなら帰れ」
「あるから居座るわ」
***
「各ウマ娘収まりました……スタート!」
──なるほど。今回は……普通のスタート!
『幸先は、良くも悪くもない! つまり勝てる!』
──その心意気で頼むよ!
菊花賞、スタート!
カナルちゃんがちょっと不機嫌になったよ
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25.Perfect Survivors
スタートが普通だったとはいえ、私達も加速する術は身につけている。
カナルちゃんに教えてもらった。
『半ば才能、半ば技術って感じだったから完璧ではないんだけどね。出遅れさえなければ、序盤に先頭を奪われない程度には強くなったつもりだよ』
***
京都ジュニアを走ったことがあるので、京都レース場は経験がある。
しかしながら、あの時とはまた違うのだ。
1000mの差は、言うまでもないことだがあまりにも絶大である。
最たる例が、坂を上る回数だ。
今が1回目である。
『それと、内回りか外回りかの違いもあるよ』
──今回は完全版の淀の坂。気を引き締めてゆっくり上ろう!
***
「4番ティアードロップがすっと前を取りました、差がほとんどなく内には1番ホーリーブレス、外に3番アムニシャンス。半バ身ほどでしょうか12番──」
「先頭に出て、緩めて走る。どこかで見た……ああ、京都ジュニアか」
「その時の目的はペースの掌握だったが、今回はスタミナの温存だ。というか、今回に関しては別に無理して前に出なくても構わん」
「逃げ、ではあるが実質的には先行みたいなものか。理由がなければ別にどこにいてもいい、ってのは強いな」
「すごいだろ?」
「まかり間違ってもお前のおかげではないと思うが」
「それはまあそうだな。天賦の才と言ったところか」
***
坂を上り切った。
ここから下るのだが、まだ1週目。
2週目ならばともかく、このタイミングで坂を利用して加速するのは少し避けたい。
単純に速度の出し過ぎでバテるか、あるいは外に吹っ飛んでリカバリーのために余分にスタミナを消費するか。
どちらにせよ、悪いことだ。
『スタミナを削る要素は全部避けなきゃね。怠るとアムニシャンスに勝てない』
──最後の一瞬に全てを解放するために、頑張ろうね!
***
「先頭集団は少しずつ窮屈になってきました。先頭4番ティアードロップ、内1番ホーリーブレス、外3番アムニシャンスが塊となって、さらに外の12番──」
「穏やかな展開だ。何も起こらない。平和だな」
「誰も余計なことをせず、最後に備える。嵐の前の静けさだな」
「夜に嵐が来るとして、今はまだ朝だぞ」
「少し早まったか」
***
ホームストレッチ、まずは1週目。
観客の声でつい本気を出してしまうウマ娘もいるにはいる。
しかしながら、私達が犯すようなミスではない。
すなわち、ホームストレッチでは特に何も起きない。
そのまま第1コーナーだ。
ひたすら平坦な道を進む。
最初に先頭をもぎ取ったことで、内をロスなく回ることができるのだ。
『ひたすら、全ての要素を最適化する。ただそれだけでいい』
──勝つためには? 負けなければいい。負けないためには? ミスしなければいい。単純な帰結だね。
***
「見ていて思ったが、ミスをする気配がないな。精密機械か?」
「レパートリーが多すぎて俺も怖い。あいつに合うトレーニングなんかないんじゃないか?」
「育てる目線を俺に押し付けるのはやめてくれ」
「すまん。……ともかく、あいつは常識に縛られるような存在ではない。自由にやらせるだけで、毎回何かやる。走るたび、根本原理が入れ替わる」
「ただ、誘導なんかには引っかかる時もあるにはあるからなぁ。皐月賞がいい例だ。……もしティアードロップが狂人なら、手がつけられなかっただろう」
***
第2コーナー。
何一つ変わらない。
『だけど、そろそろ踏み荒らされた道が現れる頃だ。備えよう』
──私達なら、まあ問題ないとは思うけど。ミスしたら水の泡だから、注意しなきゃね。
そしてバックストレッチ。
ここはまだ平坦なままだ。
ただでさえ起伏である坂に、足跡のスパイスが加わった面倒な道がこれから控えている。
『油断はしないけど、まあ大丈夫そうだね。じゃ、これから坂を上ろう』
──最後まで一つのミスもしないように心がけて。進め進めー!
***
「この感じだと、やっぱ最終直線が本番かな。坂は、まあうまく走るだろうから」
「適当に信頼してないか?」
「俺は俺が見た物しか信じない。目には自信があるからな。だから、大いなる材料に基づいた信頼だ」
「そういう感じの奴、結構噛ませになること多くね?」
「そんなイメージあんの?」
「いや今適当に言った」
「は? 殺す」
「安易に殺すとか言ってると信用失うぞ」
「言える口持ってねえだろお前」
***
今は足跡に気を付けながら坂を上っている。
『うーん、ちょっと悩むな。2回目の坂だと、下りはスパートでも良いと思う。ただ、賭けなんだよね』
どうするべきだろうか。
大いに悩むとしよう。
何も言わずに突然活動報告を更新することもあるので、まあ気になる時に限ってチェックしたらいいんじゃない?
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26.線路の奥
では、思考タイムだ。
ダービーで会得した領域。
神戸新聞杯でも試したことで、それが何であるかはほぼ理解した。
そもそも領域は個人によって特徴が変わるのだが、全てにおいて共通しているのは”条件を満たすと、良い影響がある”ということだ。
これに照らし合わせてみると、私達の領域は”最終コーナーまで計画した通りに走ることが出来たならば、より踏み込む力が増す”と言ったところか。
実際に引き起こされる影響は多岐に渡るのだが、重要な点を挙げるならば、2つ。
1つ目、加速しやすい状態を作ることができる。
2つ目、コーナリングを力で解決することができる。
これを生かしたいと考える場合、ここでスパートをかけるのは一見するとあまり良くないように見える。
予定にないことを行うのは、領域に入ることを阻害するからだ。
だが、そもそも既にトップスピードならば領域など必要はない、と割り切ることもできる。
もちろんこれは最適なルートを走ることができる場合の話だ。
外に吹っ飛んでしまうと、流石にどうにもならない。
コーナリングを素の能力で完璧に行えるかは、定かではないのである。
長々と思考をしたが、要するに安定を取るか捨てるかということだ。
『でもまあ、スパートでも行けるんじゃない?』
──随分と投げやりだけど大丈夫?
『何だかんだみんな同じことやるでしょ』
そういう風潮はある。
──やるか!
『やってしまおう!』
***
「ティアードロップ坂で加速、アムニシャンスも行った! 1番ホーリーブレスはまだ脚を溜めています、内の12番──」
「えっ」
「目には自信があると伺いましたがー?」
「お前の過去の発言を世間の目に晒して二度と表舞台に出られないようにしてやる」
「それ普通にやめろマジでやめろ!」
***
第4コーナー、幻視は見えず。
至極当然なのだが、欲しいものは欲しかった。
『そりゃ使えるなら使うけど。使わないで勝てたなら、それは才能でしょ』
──勝って才能を確かめることにしようか。
『まあそうだね』
そして、私達を追い立てるのは想定通りアムニシャンス。
道中で差はつけていないので、死闘が繰り広げられるのだ。
『脱線してるらしいから、レールを敷いて走ってみたんだけど。やっぱりレールの上走ると追われるじゃん!』
──終点を知られる。すなわち、どの程度のパフォーマンスを発揮すれば私達に勝てるかを予測される。つまり、私達が勝つには?
『全部めちゃくちゃにしちゃうのが1番!』
──暴走特急が3つ目の冠を撥ね飛ばす!
『落下点はゴール板の前、僕たちの頭上!』
***
「速いな」
「そりゃ、最適解を選び続けたからな。いきなり暴れ始めた感じはあるが、暴れられるだけのスタミナは残してる」
「いやそっちも速いが、アムニシャンスだ。普通に渡り合っている」
「ああ、確かに。……アムニシャンスは中々に安定しているな。爆弾を仕込んで来た奴とは思えん」
「あの時のアレは本当に必要だったか? と思ってしまうレベルには強い。この世代は本当におかしい」
「豊作にも程がある」
***
「さあ最終直線にまず来たのは4番ティアードロップ、続いて3番アムニシャンス! 内からは1番ホーリーブレスも来ているが、ティアードロップ伸びる!」
『僕たちを止められるとでも思ったか!』
──既定路線だこれは!
「アムニシャンスも懸命に前を狙う、届くか!? ティアードロップまだ粘る、アムニシャンス差せるか? 差し、……差した! がティアードロップ差し返した! 競り合う、競り合ってもつれてゴール! ……どうでしょうか、私にはティアードロップ優勢のように見えましたが……」
『あっぶねぇぇぇ!!! もう少しで普通に負けるところだった! なんとか写真には持ち込んだが』
──何が既定路線だよ、危う過ぎる!
『自分で言った事覆すのやめてもらえます?』
「──写真判定が続いています」
***
「んんん、見ても分かんなかった。どっちだ」
「目に自信が……」
「うるせえ、もういいだろそれは」
「まあ許してやるよ。俺はあいつが勝つ事を願ってるよ」
***
「出ました! 一着は……ティアードロップ」
『ああ、良かった……』
これで二冠。
クラシックは終わりを告げた。
***
「イェーイ! 全力ジャンプからのハイタッチ!」
「ダンスレッスンで何度かやったことがあるので、当然の成功です!」
『そういややったことあるな』
──でもまあ、あのダンスでも本気で跳んでるわけじゃないし。実質初めてと言ってもいいよ。
『そういう見方もあるね』
***
「おめでとう。終わってみれば私の負け越しか」
「出来れば土をつけに来てほしいな。孤独より死闘!」
「まあ、今後も長い付き合いになるだろうからね。よろしく」
***
「これで二冠だ。次もまあG1だろうが、ジャパンカップか? 有馬記念か?」
「うーん……ジャパンカップですかね」
「そうか。次も頼んだぞ」
『この勢いで、4つ目のG1も取るぞ!』
──目指すは?
『隠棲!』
──そっち優先なんだね。
『目標のブレは許されないから』
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27.Discussion
脳が死んでたので距離適正の話を全くしていなかった。追加した
「おめでとう!」
「うわあああクラッカー!」
「覚えてるじゃないですか!」
『既視感の塊』
──そもそも何から何まで同じなんだが?
***
「次はどこに出るんですか?」
「ジャパンカップ。その後は流石に休むかな」
「なるほど! 私はマイルチャンピオンシップですよ! 先です!」
「先だね」
『短距離に出たりマイルに出たりしてる』
──合ってるけど、聞いた感想がそれか?
『なんか、カナルちゃんと話してるとたまに脳が死ぬ』
「というわけで、約束しましょう! 私達で2つのG1を獲って、仲良く玉座に座る!」
「急に飛躍してない?」
「ノリです!」
ノリらしい。
カナルちゃんが発案なので、少しオリジナルの心が惹かれている。
『やりたいでしょ?』
──できたら面白いけどね。出てくるウマ娘の対策とかしなきゃ!
『出てくる相手に合わせて作戦変えるとまずいかもしれないって自分で言ってなかった?』
──そういう意味の対策ではない。あくまでも作戦に合わせてのあれこれだから。……あ、作戦決めてないな。例によってコインフリップ!
『また? じゃ、表が逃げね』
裏。
『追込やるぞー!』
──イェーイ!
***
作戦を決めたので、対策を考える時間だ。
まず、アムニシャンスは有馬記念に出ると発表していた。
つまり考慮する必要はない。
次に、ヨークルフロイプはエリザベス女王杯に出るらしい。
よって、こちらも考慮する必要はない。
「とりあえず、スニークアタックさんの動向を見る必要がありますね」
「ダービーに乗り込んで来た過去があるから、どこに出るか全く分からないんだよね。そもそも天皇賞始まってすらいないけど」
ダービーで戦った時に実感したが、あの走りは厄介である。
スニークアタックは、中盤までは基本的に自己完結している。
そして、最後には必ず爆発的な走りを見せるのだ。
追込と決めた以上、近くで走る必要がある。
ジャパンカップに来るのなら、何を仕掛けるかは事前に考えておきたい。
そういうわけで、行き先が気になるのである。
『でもまず天皇賞だけどね』
──うん。
***
「そういえば、シニア級の先輩方のことは知っていますか?」
「全く知らない」
「じゃあ教えますね!」
『今更だけど、もっと調べるべきだったよね』
──菊花賞まではともかく、そっからはずっと戦うからなぁ。まあこれから知るし、セーフ!
『終わりが良ければ何でもいいってわけじゃないんすよ』
──ごめんて。
***
「まず、カビネットさん。無表情であまり人と話すタイプじゃなかったので、1回部屋に突撃したんですよ」
「エピソードトークで説明するの?」
「分かりやすく説明できる出来事がありましたからね。……で、部屋に突撃した時の話です。なぜかすごくニコニコしてたんですよね」
「というか、流してたけど突撃ってよくやるの?」
「よく突撃しますよ。……で、理由を聞いたんです。まあ特に変な理由でもなく、単純に勝って嬉しかったんだと」
「ふむ」
「じゃあ何でいつも静かなのかなと思ったら、キャラ付けでなんとなく無表情キャラやっていたと。内面は割と活発だったんです」
「へぇー」
「……というか自分で説明しておいてなんですけど、性格は別に今の話とは関係ないですね。知っておいた方がいいのは間違いないんですけど、まず走り方を説明するべきでした。申し訳ないです!」
「謝らなくていいよ、カナルちゃんの話聞いてるの楽しいから」
「そ、そうですか? なら良いんですけど……」
『演技上手いってことじゃ?』
──何事も見方よな。
***
「で、カビネットさんは差しが得意です。マイルあたりが得意なんですが、ただ……なんかこう、これといった特徴がないんですよね」
「単純に強い感じかぁ」
「ちょっと違いますね、あの人強者のオーラみたいなものがないんですよ。そのくせ強いことに間違いはないので、結果印象が”なんか勝ってる”になるタイプです」
『強者のオーラ隠してるんじゃね?』
──もしかしたら天然モノかもしれないけど、そういう見方もできるかもね。
***
「あと話しておくべきなのは……イオントーンさんですか。こちらは中距離を主戦場にしていて、よく先行で走っています」
「なるほど」
「妹のプロミスエンドさんは私と阪神ジュベナイルフィリーズで一度戦ったことがあるんですが、大体似たような感じです。作戦は違いますけど、走り方は似てるんですよあの姉妹」
「あ、その2人は姉妹なんだ」
「姉妹ですよ。性格は全然違うんですけど」
『ふーん』
──興味ないの?
『いや、ないわけではないよ。……仲の良い家族って、素晴らしいね』
***
さて。
スニークアタックの動向だ。
まず天皇賞には勝っていた。
『めでたいね。実は僕たちが関与しないところでは勝って欲しいと思ってる』
そして肝心の次走だが。
ジャパンカップだ。
私達の対戦相手になる。
──さて、となるとどうやって揺さぶるかだね。
『備えよう』
リメイク前の話はもう忘れていいけど、ビジュアルだけは同じだよ
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28.一難は去った
ごめん。予約中の時に修正してたらギリギリ00:00に間に合わんかったから、一瞬だけプロトタイプがちらっとしてた
「マイルチャンピオンシップだろ、 カナルドレッジだろ」
「当然ですね」
***
「9番、 カナルドレッジ」
「相変わらず、うまく仕上げて来ています」
「ティアちゃん! まずは私が寮の部屋を飾り立てます!」
「なんだ、お祝いでもするのか?」
「そうですね。僕とカナルちゃんでG1を2つ。盛大に2人で祝ってやりますよ」
「自信があるのは良いことだな。さて、見るか」
***
「マイルチャンピオンシップがやって参りました。ここ京都レース場で、18人が競います」
「フルゲートとか久々に見たな」
「……いや確かにG1ではしばらくの間なかったですけど、別になかったわけではないですよね?」
「それはそうなんだが、お前を担当してからはお前とカナルドレッジのレースしか見てないからな」
『リサーチとかしないんだね』
──私達が言えることではないのでは?
『まあそうなんだけど』
「ゲートイン完了、スタート! おおっとカナルドレッジ出遅れ……ましたが先頭!」
「できるのは分かってたがいざ見ると怖い」
「カナルちゃんすご」
冷静に考えると、とんでもないことをしでかしている。
出遅れたところで何も変わらない、というのは十分におかしい。
『多分カナルちゃんにしかできない』
***
「9番カナルドレッジがぐんぐん差を広げて、2番手には4番アンロック、後ろ7番クラッシュマーブル、外14番──」
『あ、後ろの方にプロミスエンドいるじゃん』
──どんな子なのかマジで知らないから、いるからといって何かがあるわけでもないというね。
『それはそうだがもう少し関心を持ったらどう?』
──関心を持つ域に達してないんよ、まだ。
「んー……俺はレース見て全部を見抜けるようなタイプじゃないから、あまり信用しないで欲しいんだが。カナルドレッジが負けるとすれば、差しか追込の誰かだな」
「どういうことですか?」
「単純に、なんとなく前の方が揃いも揃って精彩を欠いているような感じがする」
『どう?』
そう言われると、どこか本調子ではないようにも見えなくはない。
ただ、そこまで言うほどでもないような気もしないでもない。
まあ私も、そこまで目利きは得意ではないのだが。
***
「3コーナー、さあカナルドレッジ今回は6バ身程度で差が縮み始めた!」
「あ?」
「これは……いや、大丈夫ですね。いつもならもう少しガリガリ貯金を削りながら最後まで粘り切る感じですが、今日はそもそも差の縮み方が遅いです」
「また強くなってる……」
『いつかカナルちゃんと戦うんだろうけど、シンプルに困ってる。戦う相手として見れば、これほど厄介なのはそうそういないよね』
──これで一強じゃないのがこの世代のヤバさだよ。
『僕たちが言えることか?』
──自己肯定感が足りているようで何より。
***
「さあ4コーナーを抜ける! 9番カナルドレッジ先頭! 内からは4番アンロック、外からは7番クラッシュマーブルが、後ろからは13番プロミスエンドも来ている! 200を切った、先頭との差は2バ身ほどのアンロック、プロミスエンドが浮上してきたがカナルドレッジには届かないか! カナルドレッジ先頭のまま、9番カナルドレッジだ! 2着争いは混戦、4番アンロック7番クラッシュマーブル13番プロミスエンドが絡む写真判定。5着は──」
「おっと、確定したようです。2着4番アンロック3着13番プロミスエンド4着7番クラッシュマーブルの順です」
「あー……俺の目もまだまだだな」
「まあ宮坂トレーナーに任せておけば良いんじゃないですか? 確か仲が良かったはずですが」
「そう言われると腹立つが、まあ合理的だな」
「……まあそれは何でもいいです。カナルちゃんが勝ちましたよ!」
「そうだな。お前も勝たなきゃならん理由ができたな。プレッシャーにならなければいいが」
「安心してください。こういうので潰れるようなら、そもそも最初から約束はしませんよ」
「ならいい。ジャパンカップは頼んだ」
***
「イェーイ! ハイタッチ! 今回が1番高いかな?」
「ジャパンカップの方が高いと思いますよ! ついでに気分も!」
「あと賞金も?」
「その場合は俗っぽさも1番高いですね!」
***
さて、次は私達の番だ。
11月某日、東京レース場、芝2400m。
G1、ジャパンカップ。
場所はダービーと同じである。
面子が違うだけで、色々と変わることもあるのだが。
一つだけ言えるのは、今回も激闘が確約されていることだ。
***
「泣きましたー! 同じところで同じ子と戦っても勝てる気がしないんですよー!」
「走る前から諦めてるの?」
「──油断しましたねー?」
『そういうやつか!』
──言ったらダメでしょそれ。
***
「……カビネット。よろしく」
「キャラ付けって知ってますよ」
「えっ知ってるんだ、じゃあまあいいかな。カビネット先輩だぞ! 敬いたまえ!」
「豹変しすぎじゃないですか?」
「あと敬語はいらない! 正直敬語疲れるし」
「えー……」
『本当に何のために無表情キャラを?』
──知らんよそれは。というかマイルが得意なんじゃなかったのか?
『マイルが得意でもジャパンカップ来ることあるでしょ』
***
まあ何でもいいだろう。
結局、今私達の前に立ち塞がっていることは変わらない。
というわけでゲートに入った。
「各ウマ娘体勢が整って……スタート! ティアードロップが飛び出し、ましたがすぐに下がりました」
『これで誰かミスしろー!』
──特にスニークアタックとか引っかかれー!
ジャパンカップ、スタート!
マジでノリだけで無口、カビネット
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29.Jackpot Catch
ジャパンカップともなると、これくらいでは誰も混乱しないらしい。
だが、私達を観察するための僅かな時間を強要することはできた。
『混乱しないのは見事だけど、1番は僕たちを無視することだよ。気にするから損する』
──ま、あまり無視しているとダービーの二の舞になると思われてるからね。だから私達に有利な2択だ。……特に面白いのは、正解してようやく私達の土俵に上がって来れることかな!
***
「6番ティアードロップはどんどん位置を下げています。さて先頭は9番ハイファイナンス、後ろにつけます5番ホーリーブレス、外には──」
「追込つって最初だけ全力で走るだろ、ティアードロップ。アレで全員を一瞬だけ釘付けにしたな。こうなると、後々面白いことになる可能性が高まる」
「……改めて実感したが、やはりお前が解説するのが1番しっくり来るな」
「急に何だ気持ち悪い失せろ」
「は? 徹頭徹尾殺す」
***
まず第1コーナーに差し掛かる。
バ群の後方で、全体を見渡せる良い場所を取った。
今回崩すべきなのは、スニークアタックとカビネット。
周りの子を使って色々遊んでやろうと思っている。
『まずは1人を掛からせて、様子を見よう』
──手始めに1人。少しの消耗もなくできるくらいには私達も成長したね。
***
「周りに構いすぎて自滅する奴は今までよく見てきた。ただ、ティアードロップはそうはならんだろうと思っている。なんだかんだで頭は良いんだ」
「……チェスでもやったのか?」
「いや、まだやったことはない。ないが、強いって聞いた。曰く、
「本当にどういう例えなんだそれは……」
「意味は分かるだろ。……まさか分からないのか?」
「んなわけねえだろ、思考力足りてるか? 糖分切らしたんじゃないか?」
「生憎俺は何にも頼らん」
「知ってる」
***
第2コーナーだ。
掛からせた子は前に突っ込み、混乱の種は少しずつ蒔かれ始める。
まだ秩序は保たれているが、時間の問題だろう。
そして、少し前にはスニークアタックの姿も見える。
内ラチに近い位置だ。
ここで、私達は先にスニークアタックを崩すことに決めた。
標的にした理由も併せて、走り方の特徴を振り返るとしよう。
スニークアタックは、息を潜めながらタイミングを見計らい、必要があれば前に出るという戦法を取る。
そして、現在は脚を溜めて待っている段階だ。
こういう作戦は、周りのゴタゴタに巻き込まれてしまうと機能不全に陥る。
すなわち、先程蒔いた混乱の種が開花した時。
スニークアタックに会心の一撃を叩き込むことができるのだ。
『じゃ、追加でどんどん流し込むか!』
──大いなる混沌だー!
***
「これスニークアタック狙いだな」
「いつも思うが、結論に至るまでがあまりにも迅速すぎてビビる」
「知っての通り、情報から戦況を読むのは俺の得意技だ。お前にはできん」
「……さて、スニークアタックもまだ負けが確定したわけではないが。さっさと抜け出さないと本当に負けるぞ」
「珍しく言い返さないんだな」
「たまには素直に認めてやろうと思ったんだよ」
「おえっ」
「は? 損した」
***
人の流れを作り出す。
1人ずつ仕掛けて、1人ずつ掛からせる。
後ろから前へ。
これで最後尾から順番に3人。
これだけ掛かるウマ娘が多ければ、周りにも波及する。
私達がかつて走ったホープフルステークスのように、騒乱が巻き起こった。
もちろん、スニークアタックを含んでいる。
『カビネットは……おお、逃げ道でも確保してたのか知らないけどなんか外に出てる。確かに構ってられないもんね、合理的だ』
──巻き込めそうなら巻き込みたかったけど、そう簡単には行かないみたいだね。……でも、スニークアタックは捕まえて、あとはカビネットだけ。未来は明るいね!
***
「後ろの方は団子になっています。さて先頭から振り返りましょう、先頭は依然として9番ハイファイナンス。少し外に5番ホーリーブレス、内に入って1番──」
「暴動みたいなもんだ。流石のスニークアタックも対処せざるを得ないが、カビネットのように外に逃げようにも位置が悪い。なんせ内ラチ沿いだからな」
「これで影響があるのは分かるんだが、正直どこまで影響があるか分からない。お前はどう思う?」
「多分、最後の最後にだけ響く。スニークアタックは最後に爆発するタイプだが、爆発するにも燃料がいる。そのための燃料が今も減っていっているが、かといって走り切れないほどの消耗にはならんだろう」
「なるほど」
***
残りは半分、1200m。
次はカビネットが標的だ。
『初対面だけど、遠慮はしないよ』
──戦略目標になったこと、光栄に思え!
大荒れが約束された
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30.猟友会
↑これがバニラエッセンス
改めて状況を整理しよう。
外に飛び出しているのがカビネット、内には私達が作り上げた混乱。
そして私達は少し後ろで全てを見ている。
今はバックストレッチの坂の頂上。
これから坂を下り始める。
『間接的に妨害しようとすると、また逃げられそうだね。やっぱ僕達が行かないと無理そうか』
──とはいえ、適当に近付いてもただ逃げられるだけ。狩りは追い詰め方が重要!
***
坂を下る。
混乱も収まってきた。
カビネットは先ほどまで混乱していた集団を追い越してしまおうと思っているのか、位置を上げ始めた。
追い越した場合、カビネットは全体の半分ほどの位置につくことになる。
そしてカビネットは集団を追い抜いた後、急速に内を突いた。
私達はその外から近寄る。
『追い越したら、当然内側に入りたくなる。分かるよ』
──こうも動きが手に取るように分かると、逆に怖くなるんだよね。
***
「おー、目をつけた全員を潰すと。そこまでやらなくても勝負になりそうなものだが」
「なるだろうな。だが、こうしておけば圧勝も視野に入る」
「勝ち方に拘ってるのか?」
「神戸新聞杯に関しては普通に勝ってたとはいえ、G1では接戦続きだったからな。たまには余裕を持って勝ちたい」
「ジャパンカップでそれ言えるの傲慢だぞ」
「勝ってから言え」
「担当同士で一度も戦ったことねえだろうが!」
「俺の不戦勝だが?」
「物言いがシンプルに酷すぎる」
***
第3コーナーに差し掛かった。
後ろはもう放っておくとして、私達はカビネットと並んで走っている。
つまり、射程圏内だ。
『流石は先輩。ちょっとやそっとじゃ動じないな。……でも、この状況はもう逃げられないよ』
──袋小路へようこそ!
***
「あ、封殺した」
「逃げられない場所に押し込んで、ひたすら動揺を誘う。えげつないな! ……というかレースってそんなことまでできるんだな、知らなかった」
「本当にあいつ何でもできるな。俺ももう何を鍛えれば良いか分かんねえんだ、負けた時なら課題がはっきりしてるんだが……」
「大変そうだな。俺には縁のない話だ」
「はーっ、能力自慢か?」
「ぶっちゃけお前、誰が担当しても強い奴担当するより誰も磨いてない原石に声かける方が良かったぞ。そっちの方が向いてる」
「担当がいねえとなりふり構ってられねえんだわ」
「まあ分からんでもない」
***
第3コーナーもそろそろ終わりを迎えようとしている。
カビネットの精神力は本当に難敵だったが、時間が解決してくれた。
そう。
カビネットも掛かった。
『目標は達成。何も失敗はしてないな。つまり……』
***
領域に入る。
鎖を破壊し脚に炎を纏う幻視と共に、私達は力強く踏み出した。
つまり、第4コーナーに差し掛かった。
前はほとんど内ラチ沿い、外を通って追い抜くことは容易い。
──私達が使用権をもぎ取った勝利への道! 最高だね!
『僕達が手間暇かけて掴み取ったんだ。もちろん、誰にも覆せない!』
***
「先頭は5番ホーリーブレスに変わりました。差はほとんどありません9番ハイファイナンス、後ろからは6番ティアードロップが一気に差を詰めてくる! いよいよ最終直線です!」
「まあ、これならティアードロップが順当に勝つかな」
「お前の目にもそう見えるか」
「スニークアタック、カビネット。確かに強いし、ティアードロップがいなければ恐らくワンツーだったろうな。それが崩れたのだから、もう止めるものはいない」
***
『ま、ざっとこんなもんだね』
勝利。
着差は1と1/2バ身。
私達は、悠々と新しい冠を手にした。
***
「イェーイ! あっちょっとジャンプミスった!」
「ダメじゃないですか! 多分今日が1番低かったですよ!」
練習するようなものではないと考えていたが、普通に見栄えが悪くなったので多少は練習したほうが良いのかもしれない。
***
「やっぱりダメじゃないですかー! うわーん!」
「よく見たら全然泣いてないじゃないか……」
「油断を誘ってまーす! よろしくー!」
──だから、言ったらダメでしょそれ!
『面白い子ばっかり』
***
「アレ食らって勝てるのいないんじゃないかな? すごい武器持ってるんだね、ティアードロップ!」
「まあ僕だからね」
「おー、すごい自信じゃん! その調子でまた楽しく走ろうね!」
『楽しく、か』
──カビネットはエンジョイ勢、覚えた!
***
さて。
私達は寮に帰る途中なのだが、時間を持て余している。
今年はもうレースに出るつもりはないので、実は考える必要のあることが何もないのだ。
というわけで、リザルトと洒落込もう。
今年、クラシック級の戦績は5戦4勝。
連対率で言えば100%。
とてつもない旋風を巻き起こしている。
『これ本当に僕たちがやったの?』
──でもカナルちゃんは今年の勝率100%だからね。案外上には上がいるよ。
『違う路線比較するのか……』
なおURA賞はまだ発表されていない。
11月だからだ。
***
「おかえり!」
「やっほー、手土産にジャパンカップ持って来たよ」
「奇遇ですね! 私もマイルチャンピオンシップ用意したんですよ!」
祝勝会が始まった。
この2人複勝率100%だな
ちょっとの間休みます。多分日曜が終わるまでには予約再開するけど不確定
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31.Awesome
「せっかくなので、新しいこたつを導入しました!」
「こたつ!」
「ぶっちゃけ去年のアレのせいでタイミングを間違えたんですよね!」
『1年経っても影響あるってすごいな』
あの憎たらしい寒さがいつまで経っても私達の周りに影響を与え続けていることが心底腹立たしい。
『いつまで引き摺ってんだよ』
***
「では……やることがないのでダラダラしましょう!」
祝勝会という言葉には似つかわしくないような気もするが、それは別に何であろうと問題ないのである。
ともかく。
私達は今こたつに入っている。
カナルちゃんと対面する形だ。
「……」
「……」
「……な、何ですか?」
「何もないけど、見てちゃダメなの?」
「ぅ……良いですよ見てても」
──やるじゃん。
『かっわいー!』
テンションが振り切れ始めたらしい。
恐らく後々悶えることだろう。
***
「あの……えーっと、長くないですか……?」
「ん? かわいいからいいじゃん」
「かわっ……えっ」
──攻勢に回ると止まらないんだね。
『なんか、今なら何でもできそう。……あ、そうだ』
「えいっ」
「ぅえっ!?」
突然カナルちゃんの頬をつつき、カナルちゃんは慌てふためく。
オリジナルは後で思い出して転げ回ることだろう。
──すごいなお前……。
『やわらかかった』
──五感減衰してるから分かんなかったなー! もう一回やってくんない?
『すごいなお前……』
これが露骨な誘導である。
***
「……ね、寝ましょう!」
「急にどうしたの?」
「どの口が言ってるんですか! もー!」
──ほんとだよ。
『どの口が言ってんだよ』
冷静に考えると私も焚き付けていたので、そう言われる理屈も分からないわけではない。
だが、実行犯が全面的に悪いので何も問題はない。
『無敵の論法使い回すんじゃねえよ』
──これ、何回でも使える画期的な発明だからね。
『使い回すなって言ってんだよ!!!』
***
「じゃあ私寝ますからね! 本当に!」
「そんなに強調してるってことは、寝てる間に何かしてほしいってことか!」
「どうしてそうなるんですか!!! もー!!!」
──無双か?
『勢い任せで全部やってるから、後から振り返るのが怖い』
どうやら自分でもそう思っているようだが、今更遅いと思う。
***
とりあえず、カナルちゃんは寝た。
そして今になって気付いたのだが、オリジナルは今まで一度も”カナルちゃんが好き”とは言っていない。
行動には明確に表れているので今更疑う余地はないのだが、折角なのでからかいも兼ねて聞いてみようと思う。
──ところで結局のところカナルちゃんのこと好きなの?
『直球で聞かれると、答える側としても直接的な表現で答えなきゃならんからめちゃくちゃ恥ずかしいんだが?』
──早よ答えろや!
『恥ずかしいって言ってる時点で好きに決まってんだろクソが!』
──まあ知ってたがな!
『じゃあ聞く意味ねえだろふざけんな!!!』
──ふっ……勝った!
……。
『寝るか』
──うん。
***
「ふーっ!」
「ぅひゃあっ!?」
朝になって、 カナルちゃんの反撃が来た。
寝ている時に奇襲をかけられた形である。
耳に息を吹きかけられた時のオリジナルの反応が今の声だ。
「うぅ……」
「私にあれだけ色々やっておいて、いざ自分がやられるとそうなるんですか?」
「仕方ないじゃん!」
前から分かっていたように、互いに防御力は低いタイプだ。
何が仕方ないのかはよく分からないが、こうなること自体は必然ではある。
「まあいいです。ランニング行ってきますね!」
「ん」
『朝起きてるのランニングだったんだ』
***
『……暇だから、例によってトレーナー室かな』
──ついでに来年の計画立てに行こうぜ!
『やるぞー!』
***
「シャッター!?」
「これはそこまで金かからなかったぞ」
『困惑が勝る』
──金かけなかったら良いってもんじゃなくね?
***
「で、何もないな?」
「いや、来年の計画立てようと思って来ました」
「あー、なるほど。何も決めてないな。どうするんだ?」
「天皇賞とグランプリで計4つ。あと来年が終わったら引退します」
「引退か。別にしても構わんが、後悔はないようにな」
『止めないのは助かるね』
──めちゃくちゃ動きやすい。まああと1年あるけど、準備が楽なのはいいな。
「で、まず春の天皇賞か。まあトレーニングは勝手に考えておくが、今回もコインフリップか?」
「そうですね、やっておきましょう。表が逃げ!」
「……表か」
「逃げですね。ではまた」
***
そして12月。
トレセン学園の近くの桜は、既にバテている。
年末、つまり有馬記念である。
『アムニシャンス勝つかね』
──まあ期待して見よう。
***
『ホーリーブレス!?』
有馬の覇者はホーリーブレス。
そういえは、今までG1でよく見ていた顔である。
慌てて今までの戦績を振り返っているのだが、冷静に考えると中々面白い戦績をしている。
ダービー4着、菊花賞3着、ジャパンカップ3着。
そして今回の有馬というわけだ。
掲示板にずっといるタイプの強さである。
ちなみに、ジャパンカップの2着はカビネット、4着はスニークアタックだ。
私達が揺さぶったというのにしれっと上位なのは流石だが、まあそれは今関係ない。
ともかく、ホーリーブレスの話だ。
『そういや中々にハードなスケジュールじゃん』
──もし身体が弱ければ確かに壊れてもおかしくはないけど、終わってからの動きとか見てもピンピンしてるから大丈夫でしょ。
『まあ身体弱かったら流石に出ないもんね。……今まで見逃してたのなんか悔しくない?』
──まあね。
何度も共に走った相手ではあるが、1着争いにだけは絡んでいなかった。
そのため見つけ出すことができなかった強者なのだが、これからは大いに存在感を発揮することだろう。
備えよう。
そもそも毎日投稿は出来てたからやってただけなんだけど、まあやる気はあるから期待してて
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32.甘酒より甘い可能性
URA賞の発表があった。
全部網羅するのはシンプルに面倒なので、私達とカナルちゃんが得たものを発表することとしよう。
まず、カナルちゃんは最優秀短距離ウマ娘に選ばれた。
『そりゃそうだろ』
戦績的にも至極妥当である。
選ばれない方がおかしいくらいだ。
NHKマイルカップ、スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ。
冷静に考えると、クラシック級のウマ娘が平然とやれるようなことではない。
そして私達だが。
最優秀クラシック級ウマ娘どころか、年度代表ウマ娘に選ばれることになった。
『まあ、ダービー菊花ジャパンカップだからね』
──カナルちゃんの戦績に関してああいうこと言っておいてなんだが、私達も大概なんだよなぁ!
『この調子であと1年走って、さっさとどっか行くぞー!』
──おー! でも場所はちゃんと考えないとね。
***
年明けである。
今年も初詣はカナルちゃんと行くわけだが、去年とは違う点がある。
去年はカナルちゃんが早く外に出ていたわけだが、今回は一緒だ。
「手繋ぎましょう!」
「恋人繋ぎ?」
「じゃあそうしますね!」
「えっ!? あっ」
──カウンター食らうのか……。
『えーっと……何だろうこの状況』
──お前が蒔いた種だぞ。
***
そんな中、参拝である。
「……」
『今年も幸せに暮らせますように……』
言葉としては去年と同じ願いではある。
以前とは含有する意味に若干の違いはあるかもしれないが、ともかく私も願っていることだ。
「ところでこの神社、縁結びで有名なんですよ。知ってましたか?」
『マジで?』
──何で今言った……?
***
「じゃあおみくじですね。行きましょう!」
「ああ、去年も引いてたね」
そういうわけで、引いた。
「凶じゃん! またなの?」
「私は大吉ですよ!」
「いいね。分けてくれない?」
「いくらでもあげますよ! 口移しでもしますか?」
「ぅえっ!?」
唐突な奇襲である。
私としては喜ばしいことではあるのだが、流石に脈絡がなさすぎるのではないだろうか。
そういうものなのかもしれないが。
***
「……ふむ?」
「アムニシャンスじゃん」
「珍しいですね。確かこういうのに来るタイプじゃなかったはずなんですが」
アムニシャンスのプライベートの話はあまり聞かない。
謎に包まれた私生活であるが、どうやら今日は少し垣間見ることができるようだ。
「いやそのね、私もここに来るつもりはなかったんだが……」
「やっほー!」
「なるほどね」
「スニークアタックさんが首根っこ掴んで引っ張って来たんですね……つまりどういうこと?」
どういう組み合わせなのかが全くもって理解できない。
珍しいという域は軽く飛び越えている。
垣間見た私生活が謎だ。
「私もよく分からないから聞かないでくれたまえ」
「ノリでやってまーす! よろしくー!」
深い理由は別にないらしい。
「まあそれは何でもいいだろう。君たちの仲が良いことは知っていたが、思っていた以上に、その……うん。まあいい」
「何か文句でもあるの?」
「そうですよ何も問題ないじゃないですか!」
「分かった私が悪かったからそれ以上詰めないでくれ!」
「私は帰りまーす! さようならー!」
「ちょっと待てどういうことだ! ここに連れてきたのは君だろう!」
『アムニシャンスかわいそう』
──かわいそうだね。
このように騒がしく過ごしていたが、時間は私達が知らない内に過ぎ去っている。
元々帰る予定だった時間を大幅にオーバーした。
「帰ろっか」
「そうですね! 帰りましょう!」
「もしや、私だけ取り残されたのか? ……帰ろう」
『アムニシャンス……』
──哀愁が漂ってるね。
***
私達が参加していないだけで、1月にもイベント自体はないことはないのだが。
私達は何の変哲もない日々を過ごしている。
ただ、カナルちゃんとの距離感はどんどん縮まってきた。
例えば寝ている時、たまに布団に潜り込んでくることがある。
今日もそうだ。
「……また? いいけど」
「そんなこと言って、内心嬉しがってるのは知ってるんですよ!」
「んん……まあ嫌ではないけどさ」
──もっと素直に認めろカス!
『恥ずかしいんだよボケが!』
──私にはそこまで言えるのに……。
『それとこれとは話別でしょ』
確かに、そもそも私はオリジナルとは本質的には同じ存在である。
差異は生まれているようだが、結局は自分だ。
──でもそのうち言わないといけないってこと分かるよね?
『そうなんだけどね。ま、そのうちね』
そのうちじゃねえんだよ!!!!!
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33.Break
投稿してすぐは編集しまくる可能性があるので、気になる場合はちょっと様子見てから読んでね
「今年はどこを走るんですか?」
「天皇賞とグランプリで合計4つだね」
「なるほど、まだ確定していませんが多分戦いますね! 楽しみにしておいてください!」
『おー』
──距離的にあり得るのは宝塚記念と秋の天皇賞だね。備えよう。
***
この時期は大したイベントがないことは周知の通りである。
せいぜいバレンタインにカナルちゃんと手作りチョコを”あーん”し合ったくらいだ。
『うーん……去年のこの時期なら考えられなかったことだね』
──自覚してもらえてよかったよ。
『カナルちゃん好き!』
──それを面と向かって言えっつってんだよだから!
『ちょっとくらい心の準備させろよ! 僕だって繊細なんだぞ!』
──嘘つくんじゃねえ!
『あーっ傷ついた! 想像を絶するほどの深い悲しみに包まれて1人寂しく部屋の片隅で泣いた!』
──繊細っていうか、それもう情緒おかしくなってない?
***
実際のところ、別に泣いているわけではない。
今更言わなくても分かりきったことではあるが。
それはともかく、大阪杯がやってきた。
アムニシャンスが春シニア三冠に挑戦すると表明し、スニークアタックが追従して突撃した形である。
『気に入られてるのか……?』
──分かんないけど、初詣の時くらいからよく絡んでるね。何だろうアレ?
疑問は尽きない。
***
大阪杯の覇者はアムニシャンスだった。
そして、春の天皇賞に出ると表明。
当たり前である。
『そういえば、前も三冠を阻止する役目だったね僕たち。さて、今年もやってやろう!』
──でもその役、ぶっちゃけ今の私達のイメージとはあんまり合わないんだよね。
『それはそう』
***
大阪杯も終わり、4月。
トレセン学園の近くの桜が久しぶりに本領を発揮している。
そしてファン感謝祭。
特にこだわりがなかったので去年と同じくリレーにでも出ようかなと思っていたのだが、コースが無くなっていた。
元々何がなんでも出たいと思うようなものでもなかったので、他に登録しているものはない。
要するに、暇だ。
とりあえず適当に歩き回ることにした。
***
「ティアちゃん!」
『あ、十中八九暇を持て余してる顔だ』
「一応出るものには出たんですが、すぐ終わったんですよね。というわけで適当にぶらぶらしましょう!」
「思考回路同じだ……」
「やったー!」
──何に出たんだろうね。
『終わったことだからあんまり気にならないよ僕は』
***
スニークアタックがパルクールのような動きをしている。
「なんだアレ」
「ダイナミックな動きで、歓声もすごいですね。多分私はできません!」
正直知らなかったのだが、中々の身体能力である。
どの程度走りに応用できるのだろうか。
『全部走りに直結するその思考回路ヤバくない?』
──しまった、トレセン学園に毒された! 漂白しなきゃ……。
***
適当に言い放ったが、冷静に考えるとそんなことする必要は全くない。
まあそれは何でもいいのだが、この後も適当にカナルちゃんと歩き回り、その過程でいい感じにファンと交流した。
『つっても、結局のところ僕にはカナルちゃんがいたらもうファンとかいらないんだけども』
──それファンに絶対言ったらダメだぞ。
『言うわけねえよ! お前とは違って』
──何だ貴様、この私ほど世渡りが上手いウマ娘はいないだろうが!
『表に出られない奴が何をほざいても無駄だ!』
……。
──ちょっと待ってそれ普通に強すぎじゃない? 何の言い争いでも100%私が負けるじゃん。
『いや負けはしないでしょ。でも確かに不公平な気はする』
***
ともかく、ファン感謝祭はそのまま無難に何事もなく終わった。
波乱があれば面白いことも言えるのだが、何の変哲もない1日を形容する言葉は平凡なものにしかならない。
そういうわけで、レースの話だ。
4月某日、京都レース場、芝3200m。
G1、天皇賞。
3200mは日本のG1としては最長。
当たり前だが、スタミナが肝要である。
***
「やあ、また会ったね。土をつけに来たよ」
「ようこそ! 盛大に歓迎するよ。手加減は一切しないからね!」
「何であれ、私のやることは変わらないよ。春シニア三冠は私が頂いていこう」
『アムニシャンス、何回走っても安定してて実は結構怖い』
──普通に叩きのめされるかもね。備えよう。
『”備えよう”って言いたくなる時期でも来たの?』
***
「今まで何度も負けてきたが、今回は負けん! 正念場なんだここが! 勝つ!」
「闘志がすごいな!」
「当然だ!」
『ホーリーブレスも本気で警戒しなきゃね』
──今まで見てなくて申し訳なかった、本当に!
***
「春の天皇賞がいよいよ始まります。ゲートイン完了、スタート! ティアードロップ今回は速いぞ!」
『うおおおお完璧なスタート!』
──OK! 幸先が最高!
天皇賞(春)、スタート!
スニークアタックが学園を飛び回ってたらかっこいいかもしれない
ちょっと今後の展開にガバ見つけたから、明日だけ投稿が不確定になります。こう言っておきながら普通に出す可能性もあるなくなった
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34.極端な発想
私達は今まで手を替え品を替え走ってきた。
当然今回も違うことをする、と予想されていることだろう。
お望み通り、
『じゃ、大逃げしまーす!』
──定石なんてクソ喰らえだ! 根こそぎ叩き潰す!
***
「4番ティアードロップぐんぐん加速していきます。3バ身ほど開いて2番手には6番ホーリーブレス、後ろに位置する7番ハイファイナンス。外に──」
「いや、確かに逃げるとは決めていたが……大逃げするのか」
「何やってんだお前ら」
「俺の差し金じゃないぞ。分かってるだろ」
「もちろん。何回会ってると思ってんだ」
「1回」
「お前とだ」
「じゃあ1回だな」
「記憶どこに置いてきたんだよ」
***
まずは1回目の坂。
もちろん、私達も理由がなければ大逃げなどしない。
誰も予想していないことをする、というのは大前提として。
あと1年で引退する予定だとはいえ、学べるものがそこにあるのならば学び取りたいという気持ちがある。
流石に基本戦術にするつもりはないとはいえ、1回くらいはやっておこうという考えだ。
そしてもう1つの理由。
趣味だ。
『ま、好きな子の真似だね』
***
そうこうしているうちに、坂を登り切る。
菊花賞の時は、この段階で坂を利用して加速するのは避けていたのだが。
今ならば、走り切れるくらいのスタミナは保有している。
それに、この早いタイミングであれば流石に誰もついてこないだろうという計算もある。
『下り坂、かっ飛ばして行こう!』
──タイムトライアルの時間だ!
***
「ティアードロップどんどん差を広げる、いや6番ホーリーブレス追いかけます。続いて7番ハイファイナンスを9番アムニシャンスが睨む形。半バ身ほど開いて──」
「多分うちのカナルドレッジの真似だろ? ティアードロップ。大いに参考にさせてもらうぞ、今まで大逃げについて行った奴が誰一人としていなかったからな」
「うわ、珍しく仕事してる」
「俺ほど真面目な奴もいないんだがなぁ……」
「寝言は永眠してから言え」
「貴様の葬式は不良バ場での開催となるだろう」
***
下り坂を抜けたが、非常に面倒だ。
カナルちゃんの真似、すなわち序盤に差をつけて最後まで粘り切るという戦法を取る場合。
今のホーリーブレスのような、私達を最初から捕まえに来る存在は厄介である。
だからといって、逃げているこの私達が何かをできるというわけでもない。
『とにかく、置き去りにしたいね。いっそ近くに来るんだったら、仕掛けようもあるけど……遠いとなぁ』
──何をやるにしても接近戦。みんなインファイト。困ったね。
***
そのまま4コーナー。
坂を利用したので、スピードは出している。
ここを走った経験はあるわけだから、当然想定済みだ。
外に膨らむようなヘマはしない。
コーナーを抜けホームストレッチ。
『最短距離を力走。ホーリーブレスが来なかったら楽に走れたけど、G1ともなると一筋縄では行かないね!』
──ま、ゆったりサバイバルでもしようか。……ホーリーブレス、知ってた? 私達が言うのも何だけど、実はこのレースは3200mなんだ!
***
「ホーリーブレスがティアードロップに少しずつ接近、今は2バ身ほど。7番ハイファイナンスのすぐ後ろを取りました1番フラッグショット、さらに外9番アムニシャンス。1バ身ほど開いて──」
「さて、まだまだ道のりは長い。ティアードロップはバテるのか、最後まで走り切るか」
「俺はあいつのスタミナに関しては信用してるよ」
「ふむ?」
「単純な話だ。レース中にちょろちょろ動き回れる奴にスタミナが無い、なんてことはありえん」
「確かにな」
***
第1コーナーだ。
大逃げの世界、私達の他に誰もいない静寂の世界。
カナルちゃんの視界を借りるかのような体験だ。
ホーリーブレスは詰め寄る気がないのか、一定以上は近付かない。
この状況を先行と表現するか逃げと表現するかは意見が分かれるだろうが、ともかく位置をキープし続けている。
『今回の僕たちの走り方だと、ぶっちゃけそれが最適解だよね。仮に僕たちを追い抜けるとしても、こんな時間にやっちゃいけない』
──バテない、邪魔されない、前の方の位置。私達には無縁だね。
***
「正直、ホーリーブレスが加速を始めた時は闘志で暴走してるんじゃないかと思ってたんだが……別にそんなことはなかったようだな。冷静だ」
「思ってたんだったら言えよ」
「発言には責任を持たなきゃな。最近思い始めた」
「目に自信があるんだって?」
「それのことだよクソ野郎が」
***
まだまだ距離は残っている。
ホーリーブレスも厄介な位置にいるが、それ以上に不気味なのがアムニシャンスだ。
本当に何にも絡んでこない。
『大きな騒動を引き起こすようなタイプじゃないのは知ってるけど、いつ飛んでくるか全く分からないのが面倒だね』
──ホーリーブレスがいるから、有利を作り切れないのが痛い。でも、やることは変わらない。
逃げて、逃げる。
それだけだ。
まねっこかわいいね
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35.Triangle
題名ミスったあああああ!!!!!
第2コーナーを抜けた。
そろそろ何かが起き始めてもおかしくないが、まだ何も起きていない。
相変わらず私達が先頭、少し空いてホーリーブレス。
アムニシャンスは後ろで沈黙を保つ。
『いつ来る? 読めない』
──まだバックストレッチだから、来ないとは思うけどね。備えよう。
***
坂を上り始める。
後ろからはアムニシャンスの接近を確認している。
最終局面に向けて準備を整えているのだろう。
『大逃げについてきたホーリーブレスのおかげでペースが速くなって、全体的にスタミナが削れてるはず。となると結局最後に攻めてくるのはホーリーブレス、アムニシャンス』
──結局のところ、全員警戒してるけどね!
***
「先頭変わらずティアードロップ、距離を保つホーリーブレス。間隔開いて7番ハイファイナンスは外、内の1番フラッグショット、そして9番アムニシャンスも好位置をキープします」
「ふむ。俺の見解だが」
「何だ?」
「ティアードロップが奇策を打って、ホーリーブレスが止めに行っただろ。じゃあ誰が得するか? って聞かれると、当たり前だが……他だ」
***
坂の頂上、第3コーナーの始点。
序盤から脚は使っているので、流石にこの地点からのロングスパートは無謀である。
なのでスパートはかけない。
しかしながら、急ぎたくなる話も舞い込んで来る。
アムニシャンスがホーリーブレスに並びかけていた。
『いつの間にそんな所に』
──知らないけど、知る必要もない! そこにいる、それだけ!
***
「まもなく第4コーナー! ティアードロップ逃げています、9番アムニシャンスが6番ホーリーブレスを抜い……いや並んで詰め寄る!」
「別にホーリーブレスがこれだけで負けが確定するわけじゃないが、アムニシャンスは例によって何もせずに勝手に得したというわけだ」
「これが不労所得って奴か」
「泡銭じゃないか?」
***
第4コーナー、もちろん領域。
ターフを焦がす心意気だ。
私達も当然加速するが、それは皆同じ。
あとはこの貯金で食い繋ぐだけである。
『さあ、力比べだ!』
──毎回最後の最後はぶつかり合いだ。私達だってこれは慣れてるからね!
***
「最終直線だ! まず先頭はティアードロップ、差は1/2バ身! ホーリーブレスとアムニシャンスが競り合い前を狙い、ハイファイナンスが続き、そして──」
「この位置でこの差かぁ……」
「耐え切れるかどうか……んー、無理ではないだろうが、脚を潰す覚悟で行かなきゃ無理じゃないか?」
「他人の担当に対する助言としては最悪の部類だな」
「確かにそうだな、申し訳ない」
「げっ」
「ティアードロップだけに謝った方が良かったかもしれないな……」
***
あと200m。
ラストの競り合い、と一言で言ってしまえる状況ではある。
私達、ホーリーブレス、アムニシャンスの3人が上位を独占することは間違いないだろう。
では私達の誰が今回勝つのか。
認めたくはないが、私達ではないのかもしれない。
大逃げが完璧に決まるのは、誰も追って来なかった時。
それこそダービーでこれをやっておけば、圧勝すらできた可能性はある。
そして今回はホーリーブレスが私達の作戦を潰しに来た。
それは見事だが、しかしながらこれにより損害も被ってしまっている。
私達を追跡することは容易ではない。
大逃げのG1級ウマ娘を追いかけるなんて芸当をし、それでいて勝つのはそれこそ世代最強レベルの強さが必要だ。
それくらいの自負はあるし、私達の世代は拮抗しているという自信もある。
すなわちホーリーブレスも違う。
あと100m。
三つ巴の戦いが起こり、そのうちの2人が交戦した場合。
見守っている残りの1人は優位に立つことができる。
それがアムニシャンスだ。
今私達を追い抜き、飛び出した。
思えば、私達の大逃げにホーリーブレスが追従した時点でアムニシャンスが有利になっていたのだろう。
逆に、誰も追従していなければ私達が交戦を見守る側だったかもしれない。
ともあれ、悔しいが今回はアムニシャンスの勝利のようだ。
『──でも、まだホーリーブレスがいる。2着は譲ってあげないよ』
──連対率100%、今決めた目標だ!
***
「アムニシャンス抜けた! 抜けた、ゴール! 1着は9番アムニシャンス、大阪杯に続き春の盾も勝ち取った! ティアードロップとホーリーブレスは2着争い。……出ました、2着4番ティアードロップ、3着6番ホーリーブレス」
「いやあ、大いに参考になった。それと先に教えてやるが、次は宝塚記念の予定だ」
「なるほどな。じゃ、次に会う時は敵同士か」
「どうせ観戦する時は今までと同じだろうが、まあそうだな。折角だから楽しみにしておけ」
***
「やあ。正直昔の発言を後悔しているんだよ私は」
「正直僕も今まで忘れていたけど……何が”普通にやれば君が勝つことだろう”だよ! 結構勝ってんじゃねえか! 本当に今更だけど!」
──確かにあんなこと言っておいて普通に勝ってたんだよなぁ。未来って分からないもんだね。
「あの時は本当にそう思っていたよ。ただ……謙遜しすぎるのも良くないな。正直に言おう、宝塚記念は私の独壇場だ」
「いいや、違うね。舞台に上がるのは僕とカナルちゃん。後はただのガヤだ」
***
「また負けた! すぐにでもリベンジしたいところだが、どうせ勝つならG1だ! 少し待っていてほしい!」
「正直今回は一本取られたと思ってるよ。まさかついてくるとは」
「逃げようたって無駄だからな! ははは!」
『しっかしこの世代強いのばっかりだな。1人くらいズレてても面白いと思うんだけど』
***
カナルちゃんは見当たらなかったので、寮に帰ることにした。
「おかえり!」
「……えっどこ?」
「炬燵の中ですよ!」
『なんでだよ』
こたつむり
たまに休みたくなった時は予告なく休むかもしれないが、終わるまでの大まかな方向はちゃんと見えてるからそこは安心してね
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36.オルトロス(想像を絶する広義)
「……何してるの?」
「ちょっと驚かせようと思ったので!」
「驚……いや、まあ、うん……」
「……うーん?」
──驚くかと言われると、驚きはしないとは思うよ。
『まあかわいいからいいんじゃない?』
──色ボケ!
『はーっ、言い返せねぇ!』
***
折角なので、横に潜り込んだ。
側から見れば双頭である。
「うわっ!?」
「嫌なの?」
「いや嫌では、嫌ではないですけど!」
「……というか、よく僕の布団に潜り込んで来るよね? カナルちゃん」
「それとこれとは話が違うんですって!」
「それズルくない? 怒った! えいっ」
「わあああっ!!」
──やるじゃん。
『こたつの中で抱き合うって外聞悪くね?』
──今更そんな事気にするのか……。
***
「ねえ」
「な、何ですか?」
「顔赤いよ」
「っ……い、いやティアちゃんも赤くなってるじゃないですか!」
「ん、じゃあ今も僕の顔見つめてるってことか! そんなに見たいの?」
「見……あーもう! 見たいですよ! これでいいですか!?」
「むー……そう言われると照れる」
今回はお互いに顔を真っ赤にして黙り込んで終わった。
大抵、こういう場合は最終的にどちらかが離れるまでそのままである。
お互いに好きだということは今更誰も否定しないだろう。
だが、これではいくら時間をかけてもこれ以上関係は進展しないのではないだろうか。
『まあ、そのうち何とか──』
──いい加減にしろ! はよくっつけ!
『えぇ……』
***
とは言うものの、どうしたものか。
この局面であれば、告白の段階に踏み入れるべきではあると思う。
私の想定した通りならばOKは出るだろうし、そうできるのならば話が早いのだが。
単純に、私には文面が思いつかない。
つまるところ、オリジナルには頑張ってもらうしかないのである。
『あのさ』
──何?
『カナルちゃん寝た』
……。
──なんで?
『こたつの中で黙ったままずっと動かなかったからね。眠気来たんだと思う』
少し考える時間が長かっただろうか。
ともあれ、寝てしまったなら寝てしまったでやれることは一応ある。
──折角だから、寝てるカナルちゃんに愛を囁いてみようね!
『んな無茶な……』
──やれっつってんだよカス!
『横暴だね』
***
「……」
『寝てるっつっても、恥ずかしいもんは恥ずかしいが?』
その気持ち自体は理解しているのだが、いつまでも足踏みしていては何も生まれないのである。
「……好きだよ」
──よく言った! カナルちゃんは確実に聞いてないけど!
『んんん……多分、一生慣れないよこれ』
──そのうち慣れるんじゃない?
『投げやりだなあ』
***
流石に、寝ている相手にこれ以上何かできるわけでもない。
オリジナルにはもう少し添い寝の時間を堪能してもらうとして、私は少し思考することにした。
カナルちゃんは宝塚記念に出る。
私達と共に走る初めてのレースだ。
最近のレースではコインフリップで作戦を決めていたが、今回に関しては少しやりたいことがある。
大逃げでの一騎打ちだ。
カナルちゃんの得意分野に突っ込む形ではある。
だが、私達が勝機を見出したのも大逃げだ。
カナルちゃんは、これまで何度も何度も見てきたように序盤に絶大な差をつけ粘り切る走り方だ。
そして、走りの中から見えた弱点もシンプルである。
最後に伸びない。
差された時、差し返すことがほぼ不可能なのだ。
負けたとはいえ、私達は春の天皇賞で大逃げをし、曲がりなりにもスパートをかけることができている。
ならば勝てる、という寸法だ。
もちろんカナルちゃんがこれを改善してきたならばどうにもならないし、そもそもカナルちゃんが出走するウマ娘の中で一番強いという保証もない。
しかし、半ば希望的観測を含んでいるのは否めないが、大逃げが2人もいれば後ろのウマ娘達もペースがグチャグチャになるのではないかという予測をした。
総括しよう。
私達は、カナルちゃんと一騎討ちするシナリオを作る。
***
──ところで今どういう状況?
『ずっと寝てるから撫でてる』
──そういうのできるのになんで告白できないの?
『えー……まあそのうちなんとか……』
──しつこいぞお前!
『分かったよ分かったよもう! 夏合宿終わるまでに言えなかったら言うこと聞くから!』
──地味に猶予結構長く取ってんの腹立つな……。
***
言うことを聞く、というのもよく考えると意味不明ではあるが、ともかくオリジナルに動機を植え付けることには成功した。
「……あれ、寝てた……?」
「起きた?」
「ん? あれ? どういう状況ですかこれ」
「気にしないでいいよ」
「え? はい」
──今のタイミングで言ってたら尊敬してたけどね。
『それは流石にない』
あるだろ
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37.Cover
オリジナルがいつ勇気を出すかは非常に楽しみである。
それはそれとして、スキンシップはするようだが。
先ほどから絶え間なく頭を撫で続けている。
「えーっと……?」
「ああ、ごめん。ちょっと楽しくなってきたから」
「……まあ、触ってても良いですけど」
「じゃ、もうちょっとだけ」
──お前さあ……それが出来るんならさあ……。
『んー……何だろう、ベクトルが違うんだよねその辺りは』
──いくら私といえども、分からないことくらいある。その1つがお前だ。
こたつの中で抱き合って、頭を撫でて髪を触る。
初めて聞いた人ならば、これが付き合ってもいない相手にしていることであることなど想像もつかないだろう。
早く告白しろ、と改めて念を送った。
***
さて5月。
どう考えてもトレーナーは許可するだろうが、実はまだ宝塚記念の作戦についての話をしていない。
流石にこれくらいは言っておくのが義理だろう。
『行くぞー!』
──掛け声もうちょっと捻れよ!
***
「あああああうるっせえええ!!!」
「耳の良いウマ娘にも害がない程度の音量になるように調節してるから問題はないぞ。うるさいことに変わりはないだろうが」
『そういうタイプの罠仕掛けるのは普通に想定外なんだって』
──何かやるとは思っていたが、ドアにすら辿り着けないとは思ってなかった。
***
「それで、何の用だ?」
「宝塚記念の話ですよ。色々と考えた結果、もう1回大逃げすることにしました」
「なるほど。良いな、それ」
「トレーナーがどこに魅力を感じたのかは知らないですけど、とにかくこれを前提にしておいてください」
「分かった。……ところで、少しいいか? レースとは無関係なんだが」
レースに関わることならともかく、そうでない場面でトレーナーが自発的に話をするのは珍しい。
「何ですか?」
「カナルドレッジとはどういう関係なんだ」
「っ!?」
──笑っていい?
『援護してくれないの?』
──今私の頭の中にあるのは、表に出られない私がポップコーンを食べられないことに対する嘆きだけだよ。
『今日はお前を全面的に僕の下位存在として扱う』
***
「どういう関係なんだ」
「まずその質問どっから出てきたんですか」
「いや……唯一愛称で呼ぶ相手だろ」
「それはそうですけど。え、そんなこと気になるんですか?」
「カナルドレッジもそうなんだよ」
「えっ」
──愛されてるね!
『いや……カナルちゃんでしょ? 他にも仲良い子とかいそうなものだけど』
「まあその点を除けば、誰とも分け隔てなく接しているタイプだ。だからあまり気付かれていない」
要するに、私達のことを特別視しているというわけだ。
初めて愛称で呼ばれたタイミングでは流石に恋心ではなかったような気もするが、恐らくその段階では単純に仲良くしようとしていたのであろう。
どちらにせよ、私達だけを特別な存在とみなしていることに変わりはない。
「それは嬉しいですけど、でも答える気にはならないですね。ではまた」
「あっおい、急に帰るな! まだ片付けて──」
「あああああなんで何個も仕掛けてんだよこれを!!!」
「いや……罠だぞ?」
──そうだぞ。
『その共通認識何?』
***
カナルちゃんの他人に対する接し方をより知ることができたのだが。
実際のところ、私達と話している時は一切関係ないのである。
「ところで、まあ宝塚記念はまだなんですけど……実はレース前にやってる会話、ちょっと憧れてたんですよね!」
「そうなんだかわいいね」
「っ……え、えーっと、いやそうじゃなくて!」
「うん、ごめん。じゃ、やろうね今度」
「望むところです!」
──そのノリで告白とかしたらよかったのに……。
『お前しつこくない?』
──引退後に同棲とかしたくないの?
『うっ……そう言われると弱いんだけど、いやでもしつこいことに変わりはないよね』
それはそうなのだが、私は所詮催促しかできない立場である。
正直、カナルちゃんを逃すとオリジナルも後悔する気がするのだ。
『うん、それはいいんだけどさ……夏合宿終わるまでにやるって言ったよね?』
──締め切りギリギリまで先送りにするタイプじゃなかっただろお前!
『んなこと言ったって、告白だろうが! 分かるか!? この僕の気持ち分かるか!?』
──カナルちゃんが好き、とか?
『正解』
***
今回は有耶無耶になったが、粘り強く催促しなければ本当にすっぽかしそうだと思っている。
しかし私達もずっとこの話を続けるわけにはいかない。
私達はアスリートである。
真面目な話で私たちが気になっているのは、誰が宝塚記念に出るかだ。
作戦によってカナルちゃん以外の全員を置いてけぼりにしてしまうとはいえ、気になるものは気になる。
明らかに出てくるのはカナルちゃんとアムニシャンス。
後は不確定であり、最終的にどうなるかが分からないのがモヤモヤしている部分である。
『結局のところ誰が来ても同じなんだけど、何だろう……純粋な興味というか』
──無限に気になる!
***
というわけで、ヴィクトリアマイルの日だ。
宝塚に出るかどうかの判断は正直に言うと出来ないので、ほぼ趣味で見るようなものだ。
『へー、カビネット』
前情報で聞いていた通り、マイルが主戦場である。
なので、勝ったこと自体は不思議ではないのだが……。
『マジですごいなこれ。何回見ても”なんかカビネット勝ってる”としか言えない』
何度見ても、私もこうなってしまう。
前知識としてカナルちゃんから聞いてはいたので、一応納得はしているのだが。
正直オカルトの部類に片足突っ込んでいると思っている。
──勝因分かりにくいのしんどいね。
『こんな感じで勝ちたいなぁ……』
──それは分かるけど、次の宝塚記念は無理じゃない?
『まあそうだけど。大逃げだもんね。正反対だね』
***
インタビューも見た。
宝塚記念には出ないらしいのだが、その文言がこれだ。
「宝塚記念? ……わたしにも色々事情があるので、遠慮しておきます」
『うわ、言ってたアレだ』
──人前の態度だぁ……。
ここすきとかファンアート無限に欲しいって思ってるけど、言い過ぎるとなんかアレだなっていう気持ちもせめぎ合ってる
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38.犯行予告:最も夢のあるものを頂きます
「あ、ティアードロップ! やっほー」
『実際の感じだ』
──人前の態度に慣れてる人には意味分かんないだろうなぁ……。
***
いろいろと話を聞いたのだが、要約するとカビネットは脚に若干の違和感を覚えたらしい。
引退に関わるようなものではなさそうだ、とは言っていたのだが。
『流石に心配』
──なんだかんだ言って優しいねぇ君!
『今日は売り切れだよ! 失せろ!』
──好意の押し売り……!
『それちょっと不名誉だからやめてくれない?』
***
とは言っても、私達に出来ることはほとんどない。
お互いに何かを託す、という関係性でもない。
『まあ楽しんで走ればいいんじゃないかな。こう、なんだろう……そこまで気にしない方がいいタイプだと思う』
──深入りを求めてない感じはある。
心を読めるわけではないので、確証はないが。
そもそも怪我自体を深刻に考えているようにも見えなかった。
頼まれてはいないが、勝手に楽しむ。
それくらいの心意気で行こう。
***
と決意したはいいものの、まだ1ヶ月もある。
流石に時間が余ってしまった。
──敵情視察!
『あんま意味ないんじゃ、って言いかけたけど。そういえばヨークルフロイプと会ったことがないんだよね』
そういうわけである。
作戦が何であろうと構わないし、そもそも私達からもレース中に構うつもりはないが。
それはそれとして一度くらいは話してみたいのだ。
──で、どこ?
『知らんわ』
──知ってる。
『は? 自然の摂理を思い知れ』
***
こういう時に限って誰にも会わない。
しかもヨークルフロイプが見当たらないくらいは普通だが、他の誰とも会わないのである。
『普通ではなくない?』
そして暇である。
探し回る時間がそのまま私達に牙を剥く。
『そこまで言うことか?』
今のところ、考えることといえば宝塚記念前の口上くらいなものである。
正直アドリブも混ざっているので、考えたところで仕方ない部分はある。
そもそも今まで詰まったことがないので、先に考えておく必要すらないのだが。
暇潰しにはなる。
『潰すほどの暇、ある?』
──あるから言ってんだよ!
『え、マジ?』
──身体使ってる奴には分からないだろうなー!
『家賃払えよ』
──今稼いでるからまた今度ね。
***
そうこうしている内に、なんとヨークルフロイプを普通に見つけた。
『ここ見つからない流れじゃなかったんだ』
──世の中複雑だからね。
「どうも。ずっとお話してみたいと思っていました」
『丁寧な人だ!』
──今まで私くらいしかいなかったからね。
『は? 僕だが』
「……あの?」
「あ、ごめんなさい。よろしく」
──そういやずっと思ってたんだけどさあ……。
『何?』
──初対面の相手だと割と礼儀正しいんだよね。
『当たり前のこと今更確認するの!?』
***
そうやって話したのは良かったのだが、どうにも情報が手に入らない。
気付けばどの話も世間話に誘導されている。
『最初気付いた時マジで怖かった』
──多分詐欺とかの才能ありそう。
『初めて会う人に失礼すぎないか?』
実際そうではあるのだが、流石にこういうことを表に出すわけではない。
そもそも私は表に出られないので問題はないのだが。
『頭ん中でそれが1回でも出てしまうと常によぎるからやめて』
──ムラサキカガミ。
『一瞬でその発想するの正直怖いわ』
***
何といっても私のオリジナルであるのだから、私と同じくらいにはひらめくことができると私は信じている。
それはともかく、ヨークルフロイプの話術は普通に面白かった。
会ったことがない私達に対して何故そのようなことをしたのかは本当に分からないが、何もないということはないだろう。
『でも息をするように変なことしてるタイプの可能性も』
──結果的に私と失礼度同じだからな。
『しまった!』
──じゃなくて!
宝塚記念に関しては私達がそもそも尖った戦法を使うのであまり問題視はしていないが、何を考えているかがどうあがいても分からない相手は厄介だ。
備えよう。
『まだ言ってる』
***
その後も適当にイチャイチャするなりして時間が過ぎ、6月である。
すなわち、宝塚記念の月だ。
『全員が全員そう認識すると思うなよ』
──思ってないが?
『なら良し!』
──何でもいいけど私の勝ちは揺るがないから。
『急に何?』
──宝塚記念の話なんだけど……。
『いきなり個人プレーになってしまった』
そうやって頭の中でふざけながらも、時は過ぎ去る。
6月某日、阪神競馬場、芝2200m。
G1、宝塚記念。
ついに来た。
『コメント尽きた?』
***
「ティアちゃん!」
「待ったストップ、その話しかけ方だとなんかこう……和やかになる」
「あ、はい」
──ターフの演出家だ!
『それ嫌だって自分で言ってただろお前!』
──いいじゃん別に。
「……ティアードロップ!」
「その意気だ。さて、逢引と洒落込もうか!」
「そういう流れにするんだったらさっきの必要なくないですか?」
「確かに……」
──あまりにも締まらなすぎて笑いが込み上げてきた。
『ごめん』
***
「私もいるんですけどね」
「そうだね。でも残念なことに、今日は僕たちがぜーんぶ頂いて行くから」
「怖いですね。まあ頑張ってください」
『その言い方の方が怖くね?』
──今日面白いな……。
ヨークルフロイプの実力が私達に届くかどうか。
楽しみだ。
『傲慢入ったな』
***
「あと一つで春は私の物だ。その最大の障害がティアードロップくんなのだが……」
「この世には不条理なことに、誰がどうやっても超えられないものがある。その内、最も小さいのが僕だ!」
──今度はかっこいいね。
『自画自賛はカウントしません』
──えぇ……。
***
他にもいろいろと話したが、ともかくゲートインだ。
「さあ宝塚記念、幕が開きます……スタート! カナルドレッジ、ティアードロップだ! 後は揃ったスタートです」
『よし、終わった!』
──早いけど、まあ今回はそういう作戦だからね!
宝塚記念、スタート!
あまりにも開いたけどその間いろいろ書いてはいたから文体変わってるかもしれん
まあ適当に楽しんでね
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