ソードアート・オンライン パラダイス・シフト (hirotani)
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序文

 本作の執筆にあたり、私の辛い時に支えてくれた家族と友人、そして本作を選び取ってくれた読者の皆様に感謝を捧げます。



   1

 

 彼は天界よりこの地へ降り立った。

 この世界に蔓延(はびこ)る全ての罪を一身に背負うために。

 世界の穢れを自分だけとし、果てるために。

 

 わたしがこの手記を綴ろうと決めたのは、わたしの世界でこんな英雄譚が語られ始めた頃だった。

 

 

 死神(しにがみ)

 

 

 暗黒界(ダークテリトリー)と呼ばれる地で生まれたその神格は、死の神なんて不吉な呼び名でありながら人々からは畏敬と感謝の念を込めて語られている。破滅をもたらす災厄ではなく、救世をもたらす希望として。

 

 圧政を敷く貴族を倒し私領民を解放した。

 新体制に異を唱えた反乱分子を粛清した。

 数百もの軍勢をたったひとりで壊滅させた。

 

 このように、彼の所業には必ずと言っていいほど「死」が付き纏っている。事実だけを俯瞰して見れば、死神と呼ばれた存在は人界統一会議による統治を助長させた英雄に過ぎない。それが何故、神格という羽衣を纏い救世主などと崇拝されるに至ったのか。

 

 結論から述べると、それは時代の流れだ。死神が求められた時代だったから、彼は英雄になった。それより先でも後にも現れたら、単なる罪人として記憶されただろう。

 

 彼を救世主たらしめたのは、彼がもたらした死が結果的に人々に益を与えた故だ。彼によって引導を渡された者の多くは、人々から死を望まれていた権力者たちだった。

 

 人界において禁忌目録に記載された殺人を犯せる者などおらず、暗黒界においても総司令官の勅令により全種族に殺人の禁忌は行き渡っている。この文書を読んでいるあなたもこのアンダーワールドで生まれ育ったのなら、法というものがわたし達の間でどれほど大きな存在であるか知っているだろう。その法が定めた、わたし達の魂と呼ぶべき深さにまで根付いた階級による縛りも。

 

 異界戦争後、人界と暗黒界はそれまでの停滞を取り戻すかのように急進的とも言える改革が推し進められた。人界ではその改革のひとつが貴族の爵位剥奪だったのだが、長い時代爵家としての権力に縋り付いていた元貴族たちの階級意識は容易に取り除けるものではなかった。財産も領地も奪われた彼らは人界の辺境へ、ある者は暗黒界の地へと逃れ、そこでも誉れある貴族として振る舞い私領民とした人々を虐げ続けたのである。

 

 過ぎた時代の慣習に囚われていたのは貴族だけではなく、庶民も同じだった。

 

 自分は貴族の私領民。先祖代々そう刷り込まれてしまった弱い民衆には、自分たちにとって絶対的な存在だった権力者に立ち向かう力も勇気も到底なかった。死神はそんな私領民の無念と憎しみを代行するかのように、暗黒界と人界の各地で死を成し遂げていった。

 

 圧倒的な剣技と飛竜を駆るその姿は、目の当たりにした者にとっては神の遣いか、神そのものに見えたのかもしれない。安寧を脅かす命を容赦なく排除し、世を整定するための死を司る神に。

 

 他者の死を望むこと。法などなくても、両親の愛と友人との親愛に育まれた者なら拒んで当然の倫理観だ。その感情を抱けば魂が穢れる。他者を愛し、子を産み、育て幸福を享受する権利が失われる。

 

 いくら忌避したところで、現実として幸福を脅かす存在はどうしても現れてしまう。自分を、家族を、友人を苦しめる領主が憎い。貴族が憎い。皇帝が憎い。殺してやりたい。でも、殺してしまった汚れた手で愛する人を抱きしめることはできない。

 

 殺意を実行に移せば、その者は人ではなく邪悪な罪ある存在なのだから。

 

 そんな鬱屈した感情が人々の間で臨界にまで達した頃に現れたのが、嵐のごとく死を蔓延させた死神だった。図ったかのような機で現れた彼に、民衆は救世主という拠り所を求めたのだ。自分たちの憎しみと殺意を肯定し、業を引き受けてくれる新たな神を。

 

 あなた達の感情に罪はない。罪を犯そうとするのなら、このわたしが請け負おう。だからあなたは安心して家に帰るといい。愛する家族が待っている。

 

 信奉者たちの耳朶には、そんな救いの言葉に聞こえたのだろうか。ただ目の前の標的を排除し続けただけの剣戟の音が。禁忌を犯し続けた者の起こす悲鳴を旋律と捉えてしまうのは、邪な感性と思えてしまう。

 

 とはいえ、わたしは死神信奉者たちを無法者とは思わない。彼らはただ救いを求め、それを偶然もたらしてくれた者に感謝しているだけ。自らの境遇を変えられない苦痛は恵まれた者には決して理解できない領域で、それを法だの禁忌だのと断じるのは欺瞞というものだ。都合の良いだけの方や神様なんてものは要らない。彼らにとって信じられるものは、伝承にふんぞり返るばかりで何もしてくれなかった神界の神々ではなく、現世に現れた死神だっただけの話だ。

 

 人界において神話やおとぎ話とは、公理教会の司祭によって執筆された。ステイシアもソルスもテラリアも、そしてベクタにまつわる逸話は全て教会が創造したもの。

 

 だが死神は、民衆によって書き加えられた全く新しい神として畏怖を集めたのだ。

 

 しかしながら神話や伝説というものは事実ではない。いくら事実を元にしても、後の時代に物事の大半が民衆に都合よく脚色された創作物に成り代わっていく。そんな皮肉を言っていたのは、創作物として語られることになる死神自身である。

 

 なぜわたしがそれを知っているのか、と気になった諸氏のために、説明しておいたほうがいいだろう。

 

 

 わたしの名は、ナミエ。

 

 

 死神と共にこのアンダーワールドを旅した、彼の従者と名乗れば良いだろうか。

 

 恐らく彼について最も知っているのはわたしだろう、という自負がある。この手記は神話を綴る教典でも英雄譚でもない。世間に広まった事があたかも事実であるかのように語り継がれ、伝説として塗り固められていくことに、どうにも虚しさを覚えたことがこの手記を書く理由だ。

 

 だからこの手記はわたし自身の目で見て、彼の口から聞いた事を綴ることにする。どうしても確認しようのない事柄は推測を交えるが、それは彼から聞いた話から逸脱しない程度に留めているから、信憑性は高いだろう。

 

 とはいえわたしの語ることが真実であると、断言する自信は持てない。人とは、自身の見聞きしたものを勝手に書き換えてしまうものだ。たとえ本人にその気がなくても。10年足らずで死神の所業が伝説にすり替わったように、わたしの鮮明と思っている記憶も都合よく変化しているかもしれないのだ。

 

 あの日々は確かにわたしの人生を変えたけど、過ぎ去った今は長い夢を見ていたかのように遠く朧気なものになりつつある。だから、これ以上わたしの記憶が無自覚に改竄される前に、まだ真実と確信が持てる今のうちに、ここに書き残しておきたい。

 

 信奉者たちによって死神を祀る神殿を建立しようとする計画が持ち上がっているこのご時世に、この手記は死神の神格性を覆す代物だ。彼らにとっては怒り心頭だろうし、世に出たとしても焚書として葬られるかもしれない。

 

 それでもわたしは、敢えてここに事実を突き付けたい。民衆が救世主と信じる死神と呼ばれた男の、本当の姿を。彼もまた救った者たちと同様に業に苦しみ、抗い続けた人間だったということを。

 

 それに、たとえ神格が地に堕ちたとしても、わたしにとっても彼が英雄であることに変わりはない。

 

 

   2

 

 死神がこの世界に現れた日、夜空に浮かぶひとつの星が瞬き暗黒界の大地に降り立った。すると痩せていた大地に麦の芽が吹き、空からは恵みの雨が乾きを潤した。雨は一晩中降り続き、夜明けと共に止むと雲間からソルスの光が一条に、黄金に育った麦畑の中央に降り注いだ。そこに立っていた英雄の姿に、飢えに苦しむ民たちは歓喜の涙を流したという。

 

 

 ――そんな事実は一切ない。

 

 

 彼が現れた日の暗黒界はいつものように空は燃えるように赤く、大地は腐った血を被ったかのように黒かった。私領民たちは貴族の命令通りに働いていたし、わたしもその日の夜はいつもの務めを果たしていた。

 

 変わることのない日常の中、人々に知られることなくひっそりと、死神は現れたのである。

 

 空気に、匂いがある。

 

 嗅覚が、死神がこの世界に降り立って最初に感じ取ったものだった。とはいえ、本当に彼が天から降りてきたのかは分からない。目を覚ました時、彼は地面に大の字で寝ていたのだから。もしかしたら地面から生えるように現れたのかもしれないし、霞が集まって人としての形を成したのかもしれない。出現の真相は、死神自身にも分からないことだ。

 

 後に英雄として崇められることになるのだが、この時点の彼は自身のすべきことを何ひとつとして理解などしていなかった。既に死神としての使命を背負って現れたにしては、彼の装いは酷く脆弱すぎた。身に着けていたものは麻布を編んだ簡素なシャツと皮のズボンだけ。剣どころか、手荷物は何もない。まるで家でお茶でも飲みながらくつろぐような無防備な恰好で、彼は魔獣が生息する暗黒界の森の中で寝ころんでいたのだ。

 

 極めつけは、記憶。

 

 覚醒直後の眠気の残滓がようやく頭から抜けきり、何故このような状況に自身が置かれたのか考えようとしたところで、彼はそこに至るまでの記憶が欠落していることに気付いた。

 

 そこまでの過程どころではない。遡れば遡るほど、過去が何ひとつ思い出せなかった。自身の故郷の景色も、産んだはずの親の顔も。まるで器の底から水が全てこぼれ出てしまったように、彼の記憶は空っぽになっていた。

 

 でも、彼は冷静だった。流石は後の英雄と言うべきか。記憶喪失になるほどの出来事に遭ったことは確かだろうが、五体満足であるだけ幸運だった、と無理矢理だがこの状況を受け入れることにした。納得はし難いが、それでも立ち止まっていられるほど悠長でないことは確かだった。記憶がないからといって、無知というわけではなかったのだ。

 

 まず現状の確認として彼は森を注意深く見渡した。全ての樹が枯れ果てていて、焼き尽くされた炭のように白んでいた。枝には葉なんてものは1枚もない。地力がかなり痩せている暗黒界では特段珍しくもない光景なのだが、彼の目にはまるで火事の跡のような、異様に映った。過去にどんな森を見てきたのか覚えていないにも関わらず。

 

 川を探そう、と彼は考えた。川を辿ればいずれ集落に辿り着くはずだ。人とは古くから川の傍に文明を築いてきたのだから。そんな知識はすぐに思い出せることに首を揉みながら、彼は耳を澄ました。

 

 でも、せせらぎらしき音はどこからも聞こえない。そもそも、樹を枯らすほど乾いた地に川なんて流れているのか、と男は瑞々しさなど感じられない土を靴の爪先で突いた。

 

 その時、そば立てていた耳が音を捉えた。水の音ではなかったのだが、それは水よりも望んでいた人の声だった。でも安心できるものとは程遠い、悲鳴にも似た声色だった。それでも行くしか彼にとって選択肢が無いことに変わりはなく、足音を立てないよう声の方角へと歩き始めた。

 

 歩みを進める毎に声が大きくなり、近付いているという実感と共にこの先の状況が穏やかでないことが明瞭になっていった。

 

「やめて‼」

「おい、俺の番だ!」

 

 悲鳴と(あざけ)りが同時に森の中へと抜けていった。いよいよその全容が見えてきて、彼は足を止めて太めな樹の陰に身を隠した。後になってから、彼はそんなことは必要なかったかもしれない、と回想していた。声を発していた者たちは夢中で、彼の存在などまるで気付いていなかったのだから。

 

 それは暴力の現場であることに間違いはないのだが、男はひどく戸惑いを覚えた。

 

 鉄鎧を身に纏った3人の壮年らしき男たちが、下半身を露にしている。そこはまだ受け入れられる光景だった。

 

 問題は、彼らが囲っている者。足元から上へ視線をなぞっていくと、贅肉が豊かな女に見えた。だがその顔。お世辞にも美しいと思えないのは、人間とはあまりにもかけ離れているからか。最も目を引く、潰れたような大きな鼻は彼に豚を連想させた。

 

 その女は暗黒界では馴染み深いオークという亜人種なのだが、記憶を失った彼にとっては人が豚の生皮を被っているかのような不気味な生き物として映った。

 

 身ぐるみを剝がされたオークの女は顔を涙と鼻水と(よだれ)に塗れさせていた。女と男たちの外縁に、打ち捨てられたように赤ん坊が放り出されているのが見えた。容貌が女にそっくりだから、彼女の子であることは一目瞭然。泣きもせず微動だにしていないことから、もう既に事切れていたのだろう。

 

 このとき彼の脳裏にあったのはオークの女に対する哀れみでも、彼女を弄ぶ男たちに対する怒りでもなかった。意識が男たちに向いていたのは確かだが、注視していたのは彼らの所持物と、その視線がどこへ向いているかだった。

 

「もっと鳴けよブタが!」

 

 男のひとりが、持っていた剣でオークの女の尻を浅く刺した。木陰から地面を蹴ったのは同時だった。剣を持った男に背後から飛び掛かり押し倒すと、他のふたりは突然の出来事に「うおっ」と上ずった声をあげた。飛び掛かられたひとりは声を発する事ができなかった。地面に倒された時にはもう、首をあらぬ方向に捻じ曲げられて天命が尽きていたのだから。

 

 彼の行動は速く、的確だった。死体になった男の手から剣を奪い、その切っ先を近くにいた者の喉に突いた。最後のひとりは何とか反撃に転じようと自身の剣を抜いたのだが、その時にはもう剥き出しになった下腹部に剣が刺さっていた。

 

 地面で痛みに悶え喚く姿はまるで仰向けになった亀みたいだった、と彼は言っていた。あまりにも耳障りな声で喚くものだから、剣を無造作に顔面に刺して沈黙させた。

 

「おい」

 

 そう声をかけ間近で見るオークの顔は、彼から見てとても情欲を抱けるほどのものではなかった。あの3人は相当に特殊な趣味だったのだな、と思いながら彼は訊いた。

 

「ここはどこだ」

 

 オークの女は答えなかった。もしやこの女の種が話す言語は人とは違うのでは、と考えたが、先ほどこの人豚の「やめて」という言葉を聞いたではないか。たるんだ頬を軽く叩いても、女は虚ろな目で何も捉えてはいなかった。ただ荒げた呼吸を繰り返し、自分のものではない体液に塗れた肢体を投げ出していた。

 

 彼は深く溜め息をついた。これでは生かしておいた意味がない。もはや会話などできそうにない女をこんな不毛の森に置き去りにするのは薄情というものか。

 

 彼は襲撃した男の顔面に突き刺さったままの剣を抜き、すっかり血で汚れてしまった刃を女の首元目掛けて振り下ろした。

 

 目覚めた時と同じ静寂が、森の中を満たした。生きている者が自分だけになり、彼は近くに固めて置かれていた3人分の革袋を漁りながら、こいつらの誰かを生かしておけば良かった、と非情な後悔をしていた。

 

 袋の中にあった革の水筒は3人分とも中身が残り僅かだったが、彼は取っておいても仕方なしとすっかり温くなった土臭い水を飲み干した。食べかけの干し肉は1日分の食糧にもなりそうにない。試しにひと口かじってみて、これは何の肉だ、と筋張った歯ごたえに顔をしかめながら無理矢理に咀嚼した。

 

 歩くしかないか。

 

 心底面倒になって、彼は再び溜め息をついた。ここで待ちぼうけていたところで、誰かが迎えに来てくれるなんてことはあるまい。ここで倒れている連中と同類の輩にまた遭遇するかもしれない、と奪った剣の柄を握った。少し手に馴染んできたと思えたのは気のせいだろうか。

 俺はどうして、剣なんて扱えたのか。

 

 近くに脱ぎ捨てられていたズボンで刃の汚れを拭きとりながら、彼は今更過ぎる疑問を抱いた。記憶を失う前は剣士だったのか。それにしては、扱いがいささか雑過ぎたような気もするが。

 

 いずれにせよ、覚えていないのだから考えても仕方ない。最初に殺した男の剣帯から革鞘を外して剣を納めた。

 

 星の位置で方角くらいは分かるかもしれない、と彼は空を見上げた。赤い空に星はひとつも見えない。暗いから勘違いしていたのだろうが、暗黒界で赤い空はほんの僅かなソルスの恵みで、れっきとした昼なのだ。

 

 

 ここまで読んだ諸氏は、彼の一連の行動に絶句してしまったと思う。この世界に住まう人々の間では最大の禁忌である殺人を、彼は一度に4回も犯した。更に言えば、殺した相手の所有物を奪ってもいる。

 

 戦争以前も以後も、どこの国や種族の法に照らし合わせても、彼の犯行は処刑に相当するものだ。だが覚えておいてもらいたいのは、これがまだ始まったばかりだということだ。

 

 それに、彼は決して罪に対して無知だったわけじゃない。記憶を失っても、彼は殺人が最も重い罪であることを理解していた。理解した上で、躊躇なく犯したのだ。動機は自身の置かれた状況を知るためと、食糧を確保するため。

 

 彼は知っていたのだ。罪を犯したからといって、闇の眷属にも、言葉なき魔獣に変わるわけではないことを。どれだけ殺しても人は人のままだ。いくら殺しても彼が彼のままだったように。

 

 何かをきっかけとした訳ではない。この世界に現れた時から死が身近なものであった彼にとって、後に死神と呼ばれるのは必然だったとも言える。

 




そーどあーと・おふらいん えぴそーど0


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは! そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「はいというわけでこのコーナーでは、本作ソードアート・オンライン パラダイス・シフトにおける設定やキャラクター等の解説をわたしとキリト君で行っていきます。よろしくお願いします」

キ「よろしくお願いしまーす」

ア「また、読者様からの質問にもネタバレを含まない範囲で答えていきたいと思いますので、皆様気になった事がありましたら感想欄にドシドシ書いていってくださーい」

キ「因みにこのコーナーは最新話を更新する度に付属のような扱いで行われるそうなのですが、何か頻度が多すぎる気がしないか?」

ア「良いのよ。このコーナーを設けたのも本編があまりにも重すぎるから読者さんが最後まで耐えられるように、て配慮なんだから。作者だってギャグセンス無いのに書いてるんだから、わたし達も頑張らないと」

キ「ああ、そういうノリでいくのか………。じゃあ作中のキャラもこのコーナーでは崩壊レベルではっちゃけるわけだな」

ア「え、何言ってるのキリト君。このコーナーを回していくのはわたし達ふたりだけよ」

キ「え⁉ ゲストキャラとか出ないの?」

ア「そんな事したら本編の雰囲気ぶち壊しじゃない。わたし達は本編で出番が無いからこのコーナーで作品の出来具合をいじり倒していくのを任されてるのよww」

キ「ええ⁉ 俺たち出ないの⁉」

ア「出ないわよ」

キ「アスナはそれで良いのか⁉ 俺たち原作の主人公だぞ!」

ア「わたし達はアンダーワールドじゃ殆ど神様レベルに強いんだから、しゃしゃり出たらすぐストーリーが終わっちゃうじゃないww」

キ「いやごもっともではあるけど………」

ア「わたしなんかルックスも女神並て設定なんだから」

キ「自分で言いますか………」

ア「この作品はね、キリト君やわたしが出ないからこそロクな事が起きそうにない、て読者さんがハラハラドキドキするためのお話なの。わたし達が出しゃばったら興醒めしちゃうじゃない」

キ「まあ盛り上がりには欠けちゃうかもしれないな」

ア「というのは建前で、作者が言うにはオリ主をキリト君の親友や相棒として出す二次小説はたくさん見てきたからもうお腹いっぱいな設定なんだって」

キ「そっちが本音⁉ え、作者の中で俺はぼっち設定なの⁉」

ア「初期は実際ぼっちだったじゃないww。そんなぼっちのキリト君に友達なんてそう簡単にできるわけないわよww」

キ「もう泣いちゃいそうなので作品の概要説明に入ってください………」

ア「はい、それではコーナーの趣旨に入ります。本作パラダイス・シフトの舞台になるのは、原作アリシゼーション編のアンダーワールド大戦から10年後の時代になります」

キ「ムーン・クレイドル編よりも更に先の時代か。原作じゃ一気に200年後まで飛んじゃうから、空白期間を埋める話になるわけだな」

ア「内容としては戦後のアンダーワールドでオリ主がやりたい放題します」

キ「あらすじ紹介ざっくりしすぎ!」

ア「これくらいで丁度いいの。それに読者さんが気になるのは内容よりもオリ主の設定よ。それでは、これが本作の主人公です! まだ名前は出ていないので伏せます!」


【挿絵表示】


キ「黒いコートに黒髪か。格好いいんじゃないか」

ア「キリト君とモロ被りですね」

キ「アスナ、言葉選んでね。俺も思ってたけど飲み込んだから」

ア「でも大丈夫。本編にキリト君は出てこないから、このセンスない人がやりがちな黒ずくめファッションが劇中で被ることはないわ」

キ「黒が好きな皆さん、代わってお詫び申し上げます。因みに作者いわく、俺を成長させた感じにデザインしたから似てるのは意図的みたいだ」

ア「ヒョロガリなキリト君を主人公らしく逞しくした感じにしたわけですね」

キ「えー流石に突っ込むのもメンド臭くなってきたのでスルーします」

ア「でもそんなキリト君がわたしは大好きです」

キ「アスナ………」

ア「でなければヤりませんから」

キ「台無しだよ!」

ア「さあ、それではこのコーナーの本題に入りましょう!」

キ「今までは本題じゃなかったのが怖ろしいよ」

ア「本題というよりは作者から読者さんへの注意ね。最初にも言いましたがこのコーナーは本編があまりにも重すぎるから設けられています」

キ「ああ、そうだったな。まあ原作もハーレムっぽいけど結構重いけどな」

ア「本作は原作の比じゃないくらいの鬱展開を予定しています。何とかR-18ギリギリに収めてはいますが、それでも耐性のない人は多分ゲロ吐きます」

キ「読者さんに吐かすな!」

ア「それと一応二次創作にはなっているのですが、わたし達原作キャラクターは殆ど登場しません」

キ「改めて聞くとショックだな。てことは登場人物は殆どオリキャラになるわけか」

ア「その通り。原作SAOの世界観を舞台にした実質的なオリジナル作品と思ってもらっても良いわね」

キ「だったら最初からオリジナルとして書けば良いような気もするけど………」

ア「分かってないわねキリト君。SAOとして書くからこそ意味があるのよ」

キ「どんな意味だ?」

ア「それを言ったらまさに意味ないじゃない。まだ初回よwww」

キ「あーそうデスネー(棒)」

ア「てなわけで、本作は鬱展開かつ原作キャラ出番なしな作品になるので、それを受け入れられる読者さんのみ読んでください」

キ「まあでも、いち作品としては面白くなるよう作者も頑張ると思うのでよろしく。俺は正直嫌な予感しかしないけど………」

ア「それでは、これにて今回のそーどあーと・おふらいんは以上です。また次回お会いしましょう」

キ「読んでくれてありがとな」



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第1幕 ヒズ・ネイム

   1

 

 かつての人界では、平民は天職の選択権がなかったのだという。

 

 一定の年齢に達すると村や町の長から就く職を指定され従事しなければならなかった。職を辞められるのは、その天職の目的を達成するか、年老いて労働が不可能になるかの二択。

 

 畑で麦を育て村人の腹を満たし続けよ、なんて役目をひとりの人間が生涯で成し遂げられるわけもない。衛士として人々が眠れる夜を守り続けよ、なんて何をもって達成と言えるのか。

 

 多くの天職がそんなものだから、大半の平民は生涯にひとつの天職しか経験しない。もし仮に、自らの天職が全うできたのならどうなるか。されば労働義務から解放される――なんてことはなく、次に就く天職を自ら選ぶことができる。そんな人間は滅多にいなかったそうだけど。

 

 でも、皆無というわけではないのだ。かつて人界の最北にある村では300年もそびえ立っていた巨樹を切り倒すという天職を全うした者がいたらしい。その《刻み手》なる者は次の天職の選択権を与えられ、剣士を志したとか。

 

 戦後20年が経った現在では職業選択の権利は厳守されている。剣士になりたければ実力さえあれば誰だって人界守備軍の門を叩ける。神聖術師になりたければ素質さえあれば誰もが統一会議の養成所で学ぶことができる。もはや家柄なんてものは意味をなさなくなっている。

 

 戦後10年の頃だったわたしの場合はというと、天職と呼ぶべきかは微妙なところだ。それに従事していた頃には既に天職制度が改定されていて、人々は自ら職を選んでいた時代が始まっていた。わたしはその勤めを自ら選んだわけでもないし、それにどの国の帝国基本法の天職欄にも、わたしの務めは記載されていない。

 

 何故なら、その務めを命じることは《禁忌目録》に違反する行為なのだから。

 

 丁度死神がこの世界にやって来た日、わたしは普段通りにその天職か分からない務めをこなしていた。

 

 ようやくその日の分が終わり、しわだらけになったシーツの上で丸くなったわたしに、貴族様は問いを投げてきた。

 

「俺が何故こんなところに居るか、分かるか?」

 

 卑屈たっぷりな声でウンベール・ジーゼックは訊いてきた。事が済んだ後の質問はいつもの(たわむ)れのようなもので、この後どうなるか分かり切っていたわたしは「どうして?」と質問を返した。

 

 するとウンベールは口の端を歪め、わたしの脚の間にするりと手を滑らせ、その先にある場所へ強引に指を突っ込んできた。ただでさえ敏感になっていたから、思わず呻きをあげてしまった。それでもまだ腹の虫が収まらないらしいウンベールはわたしの顔へ不要なほど自身の顔を近付けてくる。荒ぶる吐息はまるで発情期の牛のよう。

 

「俺は誰だ?」

「ウンベール・ジーゼック」

「俺の家は!」

「ノーランガルス北帝国四等爵家」

「そうだ!」

 

 吐き捨てるように言い、ウンベールはわたしの中から指を抜き無造作に突き飛ばした。

 

「俺は貴族なんだ。産まれた時から何もかもが手に入るはずだったんだ。名ばかりの下級貴族や平民なんぞとは違う! それを――それを奴らはっ!」

 

 また始まった、とわたしは冷え始めた身体にシーツを巻く。初めて女として貫かれた夜からほとんど毎日、ウンベールの失われた栄光はもう聞き飽きていた。

 

 彼が家督を継いだジーゼック家は、人界ノーランガルス帝国の央都一等地に屋敷を構えられるほどの高等貴族だったそうだ。それが何故、こんな枯れ果てた暗黒界の辺境にまで追いやられてしまったのか。

 

 そのきっかけは、異界戦争である。戦後、公理教会で発足した《人界統一会議》という組織の勅令によって、貴族の爵位が撤廃された。

 

 突然もたらされた革命とも呼ぶべき政策に、人界を――名目上ではあるが――治める4人の皇帝たちは猛反発した。撤廃される身分制度には皇帝家も含まれていたから当然の反応だったとも言えるだろう。各皇帝家は各々の国で人界統一会議を永き眠りに入った最高司祭に対する、ひいては公理教会に対する反逆者として武力行使を表明した。

 

 これが、後に《四帝国の大乱》と呼ばれる戦いである。

 

 上級貴族の大半が皇帝家への忠誠を示し、逆賊から公理教会の威信を取り戻すという名目の下に集った。もっとも、貴族たちの既得権益を手放したくなかった、という本心は明け透けだったのだけど。

 

 結果はというと、四皇帝は敗北した。もはや権力の再興など不可能なほど徹底的に。

 

 公理教会が抱える整合騎士に帝国近衛騎士団はことごとく壊滅させられ、皇帝たちもあっけなく討たれた。西のウェスダラスでは、整合騎士の放った術によって城ごと壊滅させられたという。

 

 圧倒的な戦力差を見せつけられ、皇帝家に続いていた上級貴族にはふたつの選択肢しか残されていなかった。ひとつは降伏し新体制に従属すること。もうひとつは統一会議の目が届かない地へ逃れること。

 

 ジーゼック家は後者を選んだ。人界にはもはや一族の居場所がなく、持てるだけの財産を手にして馬車を出し暗黒界に新天地を見出すしかなかったのだ。

 

「あの姓も持たぬ平民どものせいで、俺の人生は滅茶苦茶だ!」

 

 もうわたしの知り得ないことまでわめき出したウンベールの顔に、後ろに流していた髪が垂れた。まだ20代半ばのはずなのに、灰色の髪は半分近くが白く脱色している。強い心労を長期間に渡って受け続けると起こる現象なのだと聞いたことがある。

 

「何が違うというのだ。俺と奴の、一体何が………」

 

 飛び出さんばかりに目を見開いたウンベールの視線がとある1点に留まった。壁に掛けられた長剣。ウンベールはおもむろに柄を握って壁掛けから外し、革鞘を外して肉厚な刃を解き放つ。

 

 素人目でも相当な業物と分かる剣の切っ先を、ウンベールはわたしの眼前に突き立てた。

 

「これが剣だ。これが力だ」

 

 お前の命は俺の手の中にある。俺の裁量でお前の天命などすぐに奪える。ウンベールはきっとそう言いたいのだろう。わたしはこの男に決して逆らうことはできない。この男が貴族への執着を捨てない限り。

 

 どれくらいの間、そうしていただろう。目の前にある刃は、いつでもわたしの肌を裂き骨を断つことができるのに。生命の危険は確かに感じられるけど、それに対する恐怖や絶望といったものがわたしには欠けていた。

 

 身に纏っているものが何も無いわたしは文字通り丸腰だ。夜の肌寒さも消えて、わたしはシーツをはだけ自らの肉体を差し出すように晒す。

 

 沈黙に耐えかねたのはウンベールの方だった。彼は剣を引っ込め、壁に戻した。

 

「つまらん奴だ。身体ばかりが生意気に」

 

 そう言われ、わたしは自分の身体を見下ろす。そんなに大きくはない胸を眺めながら、わたしはもう15歳になっていたことを思い出した。誕生日がいつなのかは分からないから、大雑把な時期をみて歳を数えているけど。

 

「今夜はもういい。さっさと失せろ」

 

 ウンベールはベッドに放られた服を着始めた。わたしもすっかり天命が減ってしまったぼろ布を掴んだ。頭から被り身体を通すことで、ようやく服としての体を成してくれる。

 

 「失礼します」と部屋を出たところで、太り気味の――こんな食べ物にも困る地でどうやったら太れるのか――中年の男と遭遇した。遭遇したというより、男が部屋の前で待っていた、といったようだが。

 

「侍従長………」

 

 わたしが呼ぶと、先祖代々ジーゼック家に仕えているという男は溜め息交じりに首を振った。

 

「ウンベール様は今日もご乱心か?」

「ええ」

「困ったものだな、本当に」

「そうですね」

 

 気付けば、わたしも溜め息をついていた。侍従長に同意したわけじゃない。この男はさり気ない風を装っているけど、まったく魂胆を隠せていない。

 

「おや、その服はもう天命が尽きそうじゃないか?」

「ええ、そろそろ新しいものを――」

 

 適当に流そうと試みたのだが、わたしが言い切る前に「なら」と侍従長はわたしの腕を掴み、

 

「良い服を見繕ってあげよう。さあ来なさい」

 

 既に鼻息が荒れ始めた侍従長に、疲れていたわたしは抗う気になれなかった。どの道抵抗したところで、この邸宅の人たちの都合の良い裁決を下す罪状(・・)にされるだけなのだから。

 

 

   2

 

 わたしの務めは、ジーゼック家の一族とその従者たちの相手をすること。

 

 それは厳密に言えば務めではなく、罰則だった。わたしがどんな罪を犯したのか。それを説明するには、まずわたしの出自について語らなければならない。

 

 わたしは恐らくだが人界のサザークロイス南帝国の生まれらしい。いきなり曖昧で申し訳ないが、幼い頃の記憶がないのと、両親がいない身の上だから確かめようがないのだ。

 

 だが暗黒界の人族は皆が浅黒い肌をしているから、白い肌を持つわたしが人界で生まれたことは確かだ。そして南の帝国と故郷を絞れたのは、まだ物心つく前にわたしを誘拐した山ゴブリンの集団に襲撃されたのが、人界の南端にある村だったから。

 

 戦後は東の大門が開かれているから人界と暗黒界の行き来は容易だ。まだ閉じられていた戦前は人界を囲むようにそびえる《果ての山脈》から侵入路を掘り出し、亜人種が度々進撃を試みていたそうだ。殆どが整合騎士によって山を越える前に討ち滅ぼされたが、稀に成功する事もあった。その数少ない成功例が、わたしの故郷の襲撃だったということになる。

 

 ただ山ゴブリンたちにとって、わたしという戦利品は想定外だったそうだ。奪った作物樽の中に詰まっていたのが貯蔵されていた麦じゃなく人族の女児だったことに、亜人たちは戸惑ったとか。何で樽の中にいたのかはわたし自身も覚えていないのだが、きっと襲撃の阿鼻叫喚に怯えて隠れたのが樽だったのだろう。

 

 もしくは襲撃者たちの手から逃れるために顔も忘れてしまった親が隠したと推測するのは、都合が良すぎるだろうか。

 

 そんなわけで、予期せぬ捕虜になってしまったわたしをどこかの人買いに売るか食糧とするか迷っているうちに異界戦争が起こった。

 

 諸氏の知っている通り、戦争は和平という形で終わった。だが長が死に、多くの同胞が戦死した山ゴブリン族は種族としての力を大幅に失い途方に暮れる羽目になった。残された者たちでどう種族を再興するか。

 

 種の中でもその日の食糧にすら困窮していた名もなき集落に止めを刺したのが、人界から私領民を引き連れ逃れてきた四等爵家ジーゼック家だったのだ。

 

 かつては帝立修剣学院の上級剣士に名を連ねていたウンベールは原住民のゴブリン達を皆殺しにして、村を自らの私領地とした。ここまでが、わたしが5歳の頃の出来事である。

 

 わたしは危うくゴブリン達によって売られるか喰われるかの瀬戸際に立たされていたわけだが、ウンベールの登場で処遇が好転したわけではなかった。

 

 征服したゴブリン村で唯一の人族で、しかも人界人。他の私領民に紛れさせてしまえば別にどうという事はないのだけど、ウンベールはそうはしなかった。

 

 人界の民であるにも関わらず暗黒界の地に踏み入り闇の生物に身を落とした所業は大罪に値する。

 

 まだ幼子だったわたしに、当時家督を継いだばかりだったウンベールは貴族裁決権の下にそう告げた。わたしは訳の分からないまま、その宣告をされた日から懲罰の日々を強いられている。

 

 最初はウンベールや家人たちの身の回りの世話といった、要は召使いというありふれたものだった。月のものが始まってからは夜の世話も言いつけられ、今となってはそちらが主な業務だが。

 

 因みに罪状が暗黒界に入った事とされているが、ならばウンベールや他の私領民はどうか、という疑問が生じる。貴族様曰く、自分達は暗黒界との交易が開始されてからの《視察》だから違法ではないそうだ。

 

 他の私領民と異なるのは、わたしに対する懲罰は際限がないということ。通常ならば禁忌目録に記載されていること以上の懲罰は適応されないのだが、大罪人とされたわたしには例外が適応される。

 

 つまり、ウンベールやその家人たちはわたしを好き勝手することが赦されているのだ。法の下に。法の下では、わたしは人間ではないから。罪人は人間として扱われないから。

 

 ウンベールとしては、貴族採決権がどこまで適応されるのか試したかったのだと思う。幼い頃から禁忌目録や帝国基本法を叩き込まれている彼も法を破ることはできない。でも裁決権という例外を用いれば、その縛りからは脱却できる。その限度がどれほどのものなのか、わたしはその実験台なのだ。

 

 彼を見ていると、数百年という貴族の歴史とは即ち、法の抜け穴を探求してきた歴史なのだろうと思える。

 

 

   3

 

 邸宅を出た頃には、元から暗かった空がより灰色を濃くしている。人界には時告げの鐘というものが一定間隔の時間で旋律を奏でていたそうだが、こんな荒れ地の辺境にそんな便利なものはない。

 

 辺りが静かだから、少なくとも天職の就業時間は過ぎたらしい。

 

 新しくなった服の裾を見下ろして溜め息をつく。侍従長が見繕ってくれたのは、貴族の従者が用意したにしては随分とお粗末な麻布だ。すぐに天命が尽きかけた頃、新しい服を与えるという建前のためだろう。

 

 振り返った屋敷を見上げると、無意識に笑みが零れた。形が崩れ、ひび割れが所々に生じた煉瓦の壁。強風であっけなく吹き飛んでしまいそうなほどに粗雑な藁を編んだ屋根。

 

 これが(ほま)れある貴族の屋敷とは。貴族が住むべき本来の屋敷というものをこの頃のわたしは知らないけど、少なくともこんな貧相な造りでないことは容易に想像できる。

 

 村中に広がっている畑を区切るように敷かれた道を、そう急がずに歩いていく。畑とここに書いてはいるけど、実際わたしが見ていた景色は土を盛り上げただけの更地でしかなかった。この地で作物を育てようと10年近く私領民たちが思考錯誤してきたけど、ろくな収穫はない。

 

 土は固く、雨も殆ど降らない土地ではウンベールが人界から持ちこんだ種をいくら植えても芽は殆ど出なかった。ソルスとテラリアの恵みが枯渇している、と農夫のひとりが呟いた。人界で崇められている太陽と大地の神は、暗黒界にまで手が回らないみたいだ。

 

 畑を抜ければ、木造に藁の屋根を被った家々が点在している。どれも似たり寄ったりな外見だけど、村人がそんなに多くないから自分の家を間違える人は殆どいない。間違えて入ったとしても、内装が殆ど変わりないのだけど。

 

 家、というよりも小屋というべき自宅に入ると、ただ樹を切り出したままのテーブルで女がお茶――コヒル茶を真似ただけの泥水みたいなもの――を飲んでいた。

 

「お帰り」

 

 わたしに気付くとそう言って歩いてくる。心配そうに顔を覗き込みながら、

 

「お腹空いてるだろう? 今日は大物が獲れて――」

 

 テーブルの隅に置かれていた皿が何となく今日の食事かと気付いたけど、食べる気にはなれずエメラの横を素通りする。

 

「いらない」

「そう………」

 

 と分かりやすくエメラは肩を落とした。でもすぐに「そうだ」と収納棚を開き中身を広げて見せる。それは服だった。真っ白な綿糸を編みこんだワンピース。

 

「新しい服、作ったんだ。ナミエのはのもう天命が尽きそうだっただろ?」

 

 何かを期待するかのような眼差しを向けるエメラに、わたしは侍従長から与えられた新品の裾をこれ見よがしに広げた。すると気付いたエメラの表情はみるみるうちに陰りを帯びていく。

 

「新しいの貰ったから」

「そうか。まあ、そっちの方が上等だろうしね」

 

 物資に乏しいこの地で、服ひとつ作るのにどれほどの手間が掛かることか。ここら一帯は綿どころか草すら生えていないのだから、もう着れなくなった服を補修したのだろう。例えば、エメラの幼くして亡くなったという娘の服を。

 

 わたしは壁に立て掛けた木製の楽器を手に取った。ひょうたんみたいな形に削られ弦を張られたそれは、バイオリンと呼ばれている。以前ウンベールから気まぐれに与えられたその楽器を抱え、わたしはドアへと歩きながらエメラへ告げる。

 

「少し出てくる」

「気を付けるんだよ。この時間だと魔獣が――」

「分かってる」

 

 彼女の言葉を遮り、空間を断絶するようにドアを閉めた。

 

 

 母親面しないでよ。

 

 

 密かにわたしはそう独りごちた。親もなくウンベールに弄ばれるわたしを不便に思ってか一緒に暮らすと名乗り出たエメラはわたしの面倒を見てくれている。それも献身的に。食事は欠かさず容易してくれて、わたしが怪我をし体調が悪そうにすると心配してくれる。

 

 でも、それだけだ。

 

 わたしはそんな髪に白髪が混じり始めたエメラに母性を感じることは、今日に至るまでない。その優しさをむしろ余計な世話焼きとさえ思っている。

 

 どうせ親のように振る舞うのなら、この他人に翻弄されてばかりな状況を何とかしてほしかった。母親になりたかった願望に都合よくわたしを照らし合わせているだけに過ぎない。

 

 他の領民たちも同じ事だ。わたしに同情はするけど、それ以上のことは何もしてくれない。

 

 他者からの厚意を受け止められないわたしは、性根の悪い女に見えるだろうか。親らしい親のいないわたしは、何か欠損しているように見えるかもしれない。

 

 そう、わたしはきっと大切なものが欠けているのだ。人間が本来持つべき大切なものが。

 

 それは元は持っていたのかもしれない。このわたしの天命を握る男に弄ばれているうちに、わたしの股から零れ落ちたのかもしれない。

 

 そうでなければ、こんな人としても女としても最悪の屈辱を受け続けて魂の均衡を保っていられるだろうか。

 

 でも、そんなわたしだからこそ、ウンベールは人でない者として扱えるのかもしれない。

 

 村を囲むように森が広がっている。山ゴブリンが住んでいた頃は、この森が外部から集落を隠し敵襲を免れていたらしい。

 

 この森が暗黒界で数少ない地力を含んでいるのかというと、生憎ながらそれも期待はできない。ここが植物に満ちていたのは遠い昔の話で、地力が枯れ果てた現在は草は1本も生えず、乱立する樹々は焼き尽くされた炭のように白い。

 

 死んだ当時のままの姿で在り続ける森を進み、樹々の頭から村の見晴らし台が僅かに見える辺りで脚を止めた。これくらいの距離なら、音で私領民たちの眠りを妨げることもないだろう。

 

 磨かれ、艶出し塗装が施された木材を右肩に乗せ、顎で固定する。ひょうたん形から突き出す細板に張られた金弦を指で押さえ、弓と呼ばれる細棒に張られた馬の尾毛を楽器の弦に擦り合わせる。

 

 甲高い、でも澱みのない音が響いた。不思議な楽器だ。子供の鳴き声は時に不快さをもたらすというのに、このバイオリンの音は妖精の歌のように澄み切っている。

 

 とはいえ、誰でも澄んだ音が出せるわけじゃない。聴ける音を出すだけでもそれなりの技術を要する。わたしだって、弾き始めた頃は耳が取れそうなほどの雑音しか出せなかった。

 

 昔、ウンベールの先祖が勲章と共に時の皇帝から受領した由緒正しい品らしいのだが、ウンベールは音楽に価値を見出さず倉庫に眠らせていたみたいだ。他の家財と共に持ち出したものの、この暗黒界で腹も満たせないガラクタに成り下がった楽器は、人以下の烙印を()されたわたしの手の中にある。

 

 音階を組み合わせていき、音を奏でていく。その時その時の気分で弾いているから、曲名なんてものはない。何か曲を弾こうにも、ジーゼック家の者も私領民たちも音楽には無頓着で曲なんて知識は持ち合わせていなかった。

 

 楽器で音を奏でている間は、何もかもを忘れることができる。ウンベールと侍従長の身体も、エメラの自分勝手な優しさも、汚れてしまったわたし自身のことも。

 

 世界にはバイオリンしかなく、この楽器が歌い上げる音が全て。そう錯覚することで、少しはわたしの魂も洗われるように思える。もっとも、この場で洗浄されたところで明日にはまた汚されるわけだが。

 

 地面を擦るような音がして、わたしは手を止めた。音の方向へ素早く振り向くと、樹の陰を縫うようにひとりの人間がこちらへと歩み寄ってくるのが見えた。

 

 何とも異様な男だった。普段着のような軽装なのに、腰には物々しい剣をぶら下げている。細身なのだが獰猛な肉食獣のような眼光で、わたしを見つめている。

 

 わたしもまた、彼を見つめていた。一体誰なのか、わたしをどうするつもりなのか。唯一の安らぎの時間を、またも男に奪われると思うと沸々とした怒りと同時に恐怖も混じっていた。

 

 でも、男はどうにもできなかった。崩れるように膝を折り、そのまま倒れてしまったからだ。

 

 

   4

 

「人じゃなく動物だったら、食べられたんだけどね」

 

 ベッドに横たわる青年を見下ろし、エメラはやるせなさそうに溜め息をついた。ゴブリンはイウムと呼ぶ人を食べることに抵抗は無いようだったけど、人同士だと食欲は沸かないらしい。もっとも、ゴブリン族にとっても共食いなんて議論するまでもない禁忌だったが。

 

 人ひとりを担いで村に戻ったせいか、遅れて空腹がやってきたわたしは昨晩にエメラが用意してくれていた魔獣のものらしき肉を口に運ぶ。筋張って決して美味とは言えないけど、飢えるよりはましだ。領民たちにとっては主食となっているけど、いくら食べても慣れそうにない。たまに僅かに収穫できる小麦からパンが食べられる日もあるが、待ち遠しいと思えるほどの味じゃないのが悲しいところだ。

 

「人界人……よね?」

 

 暗黒人というものを直に見た事がないわたしが尋ねると、エメラは「多分ね」と答えた。

 

「どこかの私領地から逃げてきたのかもしれないね」

「他にもここみたいな村があるの?」

「分かんないけど、ウンベールみたいな輩はたくさんいるだろうよ。特権階級ってのは考える事が同じだからね」

 

 凝り固まった首を回しながら、エメラは釜土の火に薪――というよりも周りの森の炭――をくべた。あんなに炭化していても、燃料として使えるのは助かる。

 

 ひと晩経っても目蓋が閉じられた顔を、じっと見つめてみる。

 

 歳は、20を越える辺りだろうか。長めな髪が黒いのはわたしと同じだから、もしかしたら同郷かもしれない。とはいえ、エメラはわたしが南方の生まれである事を疑問に思っていた。黒い髪は、東方のイスタバリエスに多い特徴らしいから。

 

 身体付きは痩せすぎという訳でもなくある程度は筋肉が付いているようだけど、肌は病人のように白い、というより土気色をしている。もう何年も陽光を浴びていないかのような。もっとも、この村じゃ殆どの人が彼と同じような肌をしているけど。

 

 青年の目蓋が、僅かに痙攣した。咄嗟に後ずさってしまって、テーブルに背中をぶつける。その音が駄目押しとなったように、青年は吐息を漏らしながらゆっくりと目蓋を開ける。

 

「どうしたんだい?」

 

 物音にエメラもベッドへ近付いてくる。髪と同じ黒い瞳をした青年は天井を見つめ、次に脇に立つわたし達へと視線を移した。

 

「やっとお目覚めかい」

 

 安堵に溜め息をつきながら、エメラは青年の《ステイシアの窓》を開き浮かび上がった数字を確認する。

 

「うん、安心しな。寝たお陰か天命が少し戻ってるよ」

 

 ぶっきらぼうに言って釜土へと戻る彼女を、青年は不思議そうに眼で追っていた。

 

「どうして、森にいたの?」

 

 わたしが訊くと、青年は再び天井を見つめながら沈黙する。そう待つことなく口を開き、

 

「………分からない」

 

 喉が渇いているのか、ひと言だけ発せられた声は酷く枯れていた。わたしはテーブルの水差しの中身をカップに注いで青年に差し出す。上体を起こした青年はカップの水に口を付けるけど、その味に半開きだった目を全開にしてむせ返ってしまった。

 

 村の井戸から汲んできた水だけど、やはり青年もその土臭さに悶絶したらしい。わたしもこの薄っすら黒く濁った水は、どうにもそのまま飲むのは気が引ける。

 

「これ、飲み水なのか?」

「一応、ね………」

 

 カップを睨みつける青年に、わたしは申し訳なく答えた。お腹は下すかもしれないが、飲めないことはない。

 

「どこから来たのかも、分からない?」

「ああ……」

「じゃあ名前は?」

 

 何気なくわたしが訊くと、青年は眉を潜めながら虚空に視線を漂わせた。

 

 後で知ったことだが、青年はこのとき内心で酷く戸惑っていたそうだ。過去の全てを忘れているはずが、何故か名前だけはしっかりと記憶に刻み込まれていたことに。

 

「名前は分かる?」

 

 追い打ちをかけるように訊くと、青年は少しだけ潤いを取り戻した唇を動かす。

 

「セツ……ナ………」

「セツナ――」

 

 わたしは初めて聞く響きの名前を反芻した。

 

 

 セツナ

 

 

 これが、後に死神と呼ばれることになる青年の真の名前。そしてこれが、わたしと死神の出会いだった。

 

 




そーどあーと・おふらいん えぴそーど1


キリト=キ
アスナ=ア


ア「はいというわけで始まりました。そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説もといツッコミのキリトです」

ア「いやー1話目から飛ばしてきましたね」

キ「飛ばし過ぎだろ! いきなりヒロインが《ピー》されるシーンて何だよこの作品!」

ア「何言ってんのよ、直接的な描写は無いんだから分からないじゃない。もうキリト君たらエッチね」

キ「じゃあ、結局してはいないのか?」

ア「まあヤる事はしっかりヤってるわね!」

キ「やってんのかい!」

ア「大体原作だってわたし達がヤってるシーンあるんだから今更じゃない」

キ「いやあれは……、上手い事ぼかされているわけで………」

ア「本作でもしっかりぼかしてるわよ」

キ「俺たちの場合は愛があるというか………」

ア「愛があろうとなかろうとヤってる事は一緒じゃない」

キ「その《ヤってる》っていうのやめて! 《や》だけカタカナなのも結構危ないから!」

ア「もう細かいわね。まあ気を取り直して、今回は本作のヒロインのビジュアルを紹介します。これがヒロイン、ナミエです!」


【挿絵表示】


キ「ふーん、黒髪ロングか。可愛いんじゃないか?」

ア「こんな可愛い()をウンベールは《アーッ》してたんですね」

キ「いやまあ、こういう事しそうなクズ野郎ではあったけどこんな登場の仕方とは………」

ア「作者は秒でウンベールを登場させる事を決めていたそうです」

キ「もはやこいつは二次創作のフリー素材みたいなもんだからな」

ア「そんなウンベールのオモチャにされているナミエについてですが、年齢は作中で言及されていた通り15歳で、身長157センチ。スリーサイズはバスト80ウエスト58ヒップ83だそうです」

キ「何かやけに細かく設定されてるな」

ア「作者曰く、体形は『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』のキャラクター桜坂(おうさか)しずくさんと全く同じとのことです」

キ「作者の推しじゃねーか!」

ア「まさに『あなたの理想のヒロイン』ですね!」

キ「上手くねーよ! てかどこが理想だよ本編で思いっきり汚れまくってんじゃん!」

ア「作者にとっての理想よ」

キ「作者どんだけ歪んでんだよ………」

ア「ラノベヒロインがあっち方面で未経験な必要ある? ていう疑問からナミエというヒロインが生まれたそうです」

キ「とにかくこの作品がヤバいってことは分かりました………」

ア「もう、それは前回で注意喚起したじゃない。因みに作者曰く本作を執筆するにあたって参考にした作品は『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』『ニーアレプリカント』『ドラッグオンドラグーン』『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』となっています」

キ「ヤバいのばっかだな!」

ア「これらのラインナップを知っている読者のあなた、ようこそこっちの世界へ!」

キ「勧誘するな! えーと、これらの作品は鬱展開ではあるけど名作揃いだから、皆誤解はしないでくれよ。お勧めできるかは微妙だけど」

ア「身構えているときには、死神は来ないものよ」

キ「いきなりどうした⁉」

ア「わたしも《閃光》なので」

キ「ああ『ハサウェイ』ネタね………」

ア「あと本作のキーワードである《死神》にもかけてみました」

キ「上手いとは言わないよ………」

ア「さあ、それはそうと今回で主人公の名前が明らかになりましたね!」

キ「話題転換が強引な気もするけど――そうですねセツナって名前だったんですね死神は」

ア「それでナミエに話を戻しますと――」

キ「進行ヘタだな! セツナについてはもう終わりか⁉」

ア「だってここで語ることもないもん。逆に語り過ぎたらネタバレしちゃうメンド臭い主人公なのよ」

キ「俺がモデルになっているだけに余計悲しい………」

ア「モデルといってもセツナの身長は175センチで細マッチョ体形だからキリト君よりはよっぽど主人公体形よ」

キ「余計なこと言わんでいい! ほら次いって!」

ア「えーナミエは上半身よりも下半身を強調したデザインになっていまして、特に作者はナマ足にこだわったそうです」

キ「てか脚出すぎじゃないか? 見えそうなんだが。何がとは言わないけど」

ア「公式ビッチですから」

キ「ビッチではない。断じて劇中の描写からビッチではないからね」

ア「劇中じゃ露出は脚どころじゃないんだから今更じゃないの。文句なら作者に言ってよね」

キ「奴にスターバースト・ストリームを叩き込んでやりたい」

ア「お尻に?」

キ「違う!」

ア「因みに今回劇中で着ているのはボロボロのみすぼらしい服で、このデザイン画とは異なります」

キ「作者が言うには、一応下着は着けているみたいだ。下だけみたいだけど」

ア「つまりはノーブラです」

キ「せっかくオブラートに包んだのに言っちゃったよこの人………」

ア「ついに出会ったノーブラビッチ系ヒロインのナミエと、キチガイサイコパス系主人公のセツナ。このふたりがアンダーワールドにもたらすものとは、一体何なのでしょうか」

キ「次回の更新をお楽しみに――て言って良いのかな?」

ア「乞うご期待!」



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第2幕 クリミナル・マインド

   1

 

 もうすぐ職務に取り掛からなければならない頃だというのに、領民たちはいつも以上に慌ただしかった。原因は言わずもがな、セツナである。

 

「だから、本当にあいつが《ベクタの迷子》なのか信じられるか、て話だ。記憶が無いのに名前だけはしっかり覚えてるなんて都合が良過ぎるだろ」

 

 村の住宅区と畑の境目にある広場で、私領民たちは荒げた声をぶつけ合っていた。

 

「俺の婆さんの話じゃ、所々記憶がある奴もいたらしいぜ」

「そりゃおとぎ話だろうが」

「それを言うなら《ベクタの迷子》だっておとぎ話だぜ」

 

 ベクタの迷子

 

 それは人界で長く語り継がれていたおとぎ話。人界では闇の神、暗黒界では全種族を統べる皇帝として崇められていたベクタが、悪戯に人を誘拐して記憶を抜き取り遠くの地へ放ってしまうというものだ。

 

「そもそも、ベクタはもうとっくに死んでるってのに何で今更《ベクタの迷子》が出てくんだよ?」

「戦争まで寝てたってのに人を攫ってたなんてのもおかしな話だろうが」

 

 そう、今思えばおかしな話だ。10年前の異界戦争でベクタは人界統一会議の代表剣士によって討たれたはずなのだから。

 

「ったく男どもは………。今はあの男をどうするかだろ」

 

 脱線した話題を修正しようと、エメラが割って入った。彼女に着いて広場に出てきたわたし達に、農夫の男たちは矢継ぎ早に質問を飛ばしてくる。

 

「おおふたりとも、あいつは何か思い出したか?」

「何にも。ずっと呆けちまってる。ありゃ相当ひどいね」

 

 エメラが答えると、男たちは一様に顔をしかめた。普通に村に迎え入れたら良いのでは、とそこのあなたは思うかもしれない。

 

 それはごもっともだ。でも、この村は多くの人が飢え死にこそすれど、外から人がやって来ることは今まで皆無だった。だから初めてのことに、私領民たちは戸惑うしかないのだ。

 

 得体の知れない《ベクタの迷子》を、この村に居させていいものなのか。

 

「あの――」

 

 ずっと沈黙していたわたしが声を発すると、皆が一斉に口を閉じた。普段通りの腫物扱いにうんざりしながらも、要件を告げる。

 

「彼、お腹を空かせてるの。パン、まだ残ってる?」

「あるにはあるが、そうよそ者にやれるもんじゃ――」

 

 口をまごつかせる農夫に、エメラは苛立ちを隠すことなく、

 

「いつまで置いといても天命が減るだけだろ。食えるときに食っとかない方が勿体ないよ」

「だがな――」

「この子が欲しいって言ってるんだ。それくらい聞いてやんな」

 

 エメラの剣幕に折れて、農夫は隣にいた若者に小さな小屋を顎で指した。若者は駆け足で倉庫へ向かっていき、小包を手にして戻ってくる。

 

「天命はたっぷり残ってるよ」

 

 そう言って包みを渡してくる彼が、わたしの全身を舐めるように視ていたことには気付かないふりをする。いつもの事だし、私領地の平民がわたしに手出しをするのはウンベールが赦さないだろう。

 

「ありがとう」

 

 媚びもせず、ただ無機質にそう応えて家に戻った。セツナはわたしが家を出る前と変わらず、ベッドに座ったまま宙をぼんやりと眺めている。そんな彼に、わたしは包みを解いて中身のパンを差し出し、

 

「食べる?」

 

 セツナは不思議そうに、目の前にあるパンを眺めた。まさかパンという食べ物まで忘れてしまったのか。《ステイシアの窓》すらも忘れているようだから、それもあり得る。

 

 無言で掴むと、セツナは恐る恐るといったようにパンを口へ運んだ。けど、その硬さに僅かながら目を見開き、視線をわたしへと移す。

 

「これ、パンなのか?」

 

 どうやらパンは覚えていたらしい。

 

「ええ、パンよ。ここの人たちにとってはご馳走」

「不味いな。ハッポウスチロールみたいだ」

「はっぽ……、何それ?」

 

 聞いたことのない言葉が飛び出し、わたしは思わず訊いた。セツナは返答せず、わたしへ怪訝そうな目を向ける。何故わたしが変なものみたいな目で見られなければならないのか。

 

「滅多に食べられるものじゃないから、味わって食べたら?」

 

 わたしが言うと、セツナは大口を開けてパンを齧った。硬さに悶絶しながらも何とか噛み千切り、口の中で咀嚼する。唾液を含めば、少しは生地も柔らかくなるかもしれない。

 

「水を貰えるか」

 

 どうにかパンを食べ終えることができたセツナに言われ、わたしは水差しを渡す。カップに注いだ少し濁りのある水。井戸から汲んだままで、決してお茶ではない。初めて飲んだ時の味を思い出してかセツナは躊躇するように中身を凝視するけど、喉の渇きには耐えられなかったのか一気にカップを煽る。

 

 不意に、家のドアが勢いよく開け放たれた。

 

「ナミエ、そいつから離れな!」

 

 エメラの怒号にも似た声から状況が変わるのは早かった。彼女の後に続いて入ってきた農夫の男たちが、ベッドにいるセツナへと迷うことなく向かっていく。彼の傍にいたわたしは「どけ!」と半ば突き飛ばされるように退けられ、3人がかりでセツナを取り押さえて外へと引き摺っていった。

 

 追いかけようとするわたしの腕をエメラは掴んで止めた。

 

「よしな!」

「何? どうしたの?」

「あの男、とんでもない奴だったよ」

 

 ようやく手を放して外へ出ていくエメラの後に、わたしも着いていく。村の広場では、連れ込まれたセツナが農夫たちに手足を拘束されながら村人たちに囲まれていた。

 

 若い農夫が、革鞘に収められた剣を重そうに手に取った。集まりに加わったわたしとエメラに、その柄を強調するように見せつけてくる。

 

「こいつが持ってた剣だ。この紋章に見覚えあんだろ?」

 

 若い農夫の言う通り、柄には見覚えがあった。赤黒い血らしきもので汚れているが、蛇の彫刻があしらわれた紋章は、それが由緒正しき逸品であることを示している。

 

「ジーゼック家のだ」

 

 農夫は勝ち誇ったように言い、

 

「ジーゼックの衛士隊が見回りから戻ってきてねえらしいんだ」

 

 戻ってこない衛士隊、彼らに支給される血塗れの剣、それを持って現れたベクタの迷子。

 

 ここまで条件が揃っていると、わたしでも自ずと彼があの森の中で何をしていたのか浮かび上がってくる。

 

「おいお前え!」

 

 若い農夫が、セツナの眼前に剣を突き出す。セツナは昨晩まで自分が持っていた剣を、ただ無表情のまま見つめている。

 

「この剣はどこで手に入れた?」

 

 セツナは沈黙を貫く。お察しの悪い農夫のひとりが「なあ」と切り出し、

 

「どういう事なんだ?」

「まだ分かんねえのか! こいつは殺しやがったんだよ衛士隊を!」

 

 その言葉で、農夫たちは一様にざわつき始めた。中には後ずさりする者もいる。殺人は禁忌目録においては最も恐ろしく、最も凶悪とされる罪。それを実行しようなんて誰も思わないし、ましてや話に聞くことすらない。

 

 少なくとも、わたし達の世界では。

 

「来い!」

 

 農夫たちに拘束されたまま、セツナは畑へと、その先の屋敷へと続く道へと歩かされる。抵抗する素振りなんて見せなかった。彼の周囲には万が一のために数人の農夫が取り囲んでいたけど、屋敷への道のりで彼らの出番は全くと言っていいほどなかったという。

 

 

   2

 

 広場で(ひざまず)かされたセツナの顔を、ウンベールは最大の蔑みを込めた目で見下ろしていた。惰眠を貪っていたのか裸身にガウンを纏っただけの装いは罪人相手には酷く無防備に見えてしまう。その姿を敢えて晒すのは、身の安全を確信しているからこそだろう。

 

 何人たりとも自分の天命を減らすことはできない。何故なら自分こそが、この私領地の長なのだから。集落という小さい世界で、ウンベール・ジーゼックは皇帝どころか公理教会よりも絶対的存在でいられる。

 

 セツナを取り押さえているのは、農夫から鎧に身を包んだ衛士へ交代していた。後ろ手を縄で縛られ、抜き身の剣を目の前に提げられている。

 

「この男が、未帰還の我が衛士隊3名を殺害した犯人と?」

 

 大仰な芝居じみた口調でウンベールが訊く。若い農夫は「はい」と証拠品としてセツナが持っていた剣を重そうに差し出した。その手から片手で軽々しく剣を受け取ったウンベールは血の付いたままの柄を見つめ、

 

「うむ、確かにこれは我がジーゼック家の紋章………。誇りある衛士隊でも腕利きの者にしか与えられぬ、我が一族に代々受け継がれてきた剣だ。平民なんぞが易々と触れて良いものではない」

 

 若い農夫の顔が青ざめた。罪人を突き出して何か褒美か特権でも貰えると思ったのか、その事を急ぐ若さが首を絞めるとは思ってもみなかっただろう。

 

「まあ、罪人を捕らえたことは大義だ。些末(さまつ)な事には目を瞑ろう」

 

 分かりやすいほど安堵の表情を浮かべた青年農夫のことなど意識の外に追いやったのか、ウンベールはセツナの前に立った。

 

「剣を下げろ」

 

 衛士は指示に従い、セツナの前にあった剣を鞘に収めた。直後、ウンベールの爪先がセツナの顔面に突き刺さる。倒れたセツナの口端から一筋の血が垂れた。咳き込む彼をウンベールは「ふむ」と眺めながら、

 

「大罪人の血も人と同じく赤いのだな」

 

 これには私領民も衛士も息を呑んだ。他者の天命を減らすことは禁忌目録違反。ウンベールは貴族裁決権の行使で免除されるわけだが、それは村の者も同じことだ。

 

 罪人が発生した場合、自衛のために罪人とした者の天命を損じることは赦される。

 

 これは数ある法の中でも下位ではあるけど、村の掟として定められている。つまりセツナが衛士隊殺害の犯人と確定した時点で、農夫たちも彼を傷めつける権限を与えられたということになる。

 

 セツナもわたしと同じ、人でない化け物とみなされるのだ。

 

 皆もそれは知っているはず。それなのに何故好きなようにしなかったのか。理由は至って単純だ。

 

 わたし達は慣れていないからだ。暴力というものに、他者を傷付ける行為に。例えそれが罪人相手だったとしても、違法行為を働いた自らの魂が闇の生物と言われた暗黒界の亜人たちのように汚れることを忌避しているのだ。

 

 法の下での裁きとして暴力を成し遂げられるのが、貴族であることの証でもある。

 

「貴様の名前を聞こう」

 

 ウンベールは訊いた。セツナは倒れたまま起きようとしない。気を失っているように思えたが、その目はしっかりと開かれウンベールを見上げている。

 

 その態度が気に入らなかったのか、ウンベールはセツナの脇腹に足を沈めた。咳き込みと共に、セツナの口から血の混じった唾液が吐き出される。まだやり足りないのか、ウンベールは証拠品の剣を抜き切っ先を罪人の青年へと定め――

 

「セツナ」

 

 振り下ろされようとした直前に、その声が貴族を静止させた。

 

「セツナって名乗っていましたよ、そいつは」

 

 そう声を張り上げたのは、わたしの隣に立つエメラだった。

 

「エメラ、確かこの男はお前が預かっていたのだな?」

「ええ、そうですが」

 

 エメラがぶっきらぼうに答えると、ウンベールは口端を歪めた。それが笑顔と分かるまで数舜を要したのは、あまりにも下卑(げび)た顔だったからだ。

 

 集まっている者全員に聞こえるほどの通る声で、ウンベールは告げた。

 

「大罪人セツナ。四等爵位当主たるこのウンベール・ジーゼックが、貴様を貴族裁決権により処刑する!」

 

 それは当然の判決だった。最大の罪には最大の罰が与えられるもの。例えウンベールが貴族という権限を持たなかったとしても、異議を唱える者はいなかったに違いない。

 

 わたしもまた、そうだろうな、と思っていたのだから。

 

「執行は明日、ここで行うとする」

 

 ウンベールは続ける。

 

「それまで、その魂がステイシア神の御許(みもと)へ召されることがなくとも、天命を以って赦しが与えられるよう祈っておくがいい」

 

 殺人は確かに罪だ。それは誰もがそう思っている。でも、罪人を法や権威の下に殺すことは、果たして罪じゃないと言えるのだろうか。禁忌目録に記載がなくても、帝国基本法になくても。

 

 大義の下での殺人に、神は裁きではなく祝福をくれるのだろうか。記憶がないまま明日までの命になってしまったセツナを見て、わたしはそんな事を考えていた。

 

「さあお前たち、仕事に戻れ! 今年こそは畑中に麦を実らせるのだ。できなければお前たちにも罰を与えなければならん!」

 

 ウンベールの命を受け、私領民たちはこぞって畑へと向かっていく。彼らの顔からは、どうせ今年も駄目だろうな、という諦感がありありと見て取れた。

 

「ナミエ」

 

 家路につこうとしていたわたしを、ウンベールが呼び止める。

 

「昼過ぎに来るように」

 

 今日のお勤めは随分と早いものだ。一晩中セツナを見ていたから、夕方までにはゆっくり寝ておきたかったのに。

 

 家に帰って、セツナに貸していたベッドに横になる。一晩だけでは彼の使っていた痕跡なんてものは残るはずもなく、いつもと同じ硬いシーツの感触だった。

 

 横になると疲労していた身体はすぐに眠りへと落ちてくれる。夢を見たような気がした。どんな夢だったのか、その情景はこれを書いている今となっては忘却の彼方へと過ぎ去ってしまった。けど、とても温かい夢だったことだけはしっかりと覚えている。目が覚めたとき、わたしの目からは涙が零れていた。思わず泣いてしまう程に、わたしが求めていたものが、その夢には満ちていたのだろう。

 

 目が覚めたのは昼前で、昨晩に手を付けなかった干し肉をスープにして食べた。水を吸わせても、筋張った食感はどうしても消えない。こんな魔獣の肉でも美味しく調理できる技術があれば、少しはこの村の生活も味気あるのかもしれないが。

 

 食事中に昼休憩の時間なのか、顔に土を付けたエメラが帰ってきた。わたしの作ったスープを出すと、そのままの干し肉を食べるつもりだったらしいエメラは破顔した。

 

「美味しいねえ」

 

 美味しいわけがない。多少ましになっただけだ。そんな文句を押し留めて、わたしは代わりに質問をした。

 

「あの人は、死ぬの?」

 

 エメラはスプーンを持つ手を止めて、表情を陰らせた。

 

「そりゃそうさ。殺されても文句の言えない事をあの男はしでかしたんだからね」

「じゃあ、ウンベールは?」

「え?」

「ウンベールも、そうじゃないの?」

 

 追い打ちをかけるわたしの問いに、エメラは少々困ったように眉間に皺を寄せた。

 

 貴族裁決権を盾にわたしを弄び、私領民に不毛な農耕をさせていながら自分は屋敷で享楽を貪っている。そんな彼もまた、本来なら裁かれるべき人間じゃないだろうか。

 

 エメラは溜め息をつき、

 

「そうだね、あんたの言う通りウンベールも相当なろくでなしだ。だけど、あれは人殺しまではしちゃいない。やってることは酷いけど、あたし達を生かすためっていう名分が通っちまうのさ」

 

 なら、わたしもそうなの、と訊こうとした。わたしへの仕打ちも、村の存続のために必要なのか、と。でもそれを見透かし遮るように、エメラは言葉を続けた。

 

「けどね、あのセツナっていうのは別だ。誰かを殺しておきながら何食わぬ顔で生きるなんて、そんな都合の良い話はないよ」

 

 エメラの言葉に、わたしは反論する意思なんてなかった。

 

 あの男は死ななければならない。法の下に。

 

 

   3

 

 ジーゼック家の屋敷前に、ぽつんと太い樹の杭が打ち込まれていた。そこに手を後ろで縄に縛られた罪人が、吹きさらしのまま放置されている。

 

 少し離れたところには階段が4段だけ設けられた木製の台が置かれている。きっとこれが処刑台。罪人はここに上げられ跪き、ウンベールによって首を撥ねられるのだろう。

 

 明日にここへ上げられる罪人のセツナは、縛られたまま広場へ入ってきたわたしを無言のまま見ていた。本当に明日死ぬのか不思議に思ってしまうほど、セツナは落ち着いていた。恐怖というものが、微塵も感じられない。

 

 わたしは彼のもとへ歩き、訊いた。

 

「あなた、本当に衛士を殺したの?」

「ああ」

「どうして?」

「見つかれば、殺されていたのは俺のほうだった。連中はそれをやりそうだったからな」

 

 衛士たちが森で何をしていたのか、それを当人から聞くのは先の事になる。だからわたしは、「やりそう」だなんて推測で殺されてしまった衛士たちへの哀れみを覚えながら、青年の顔を見上げていた。

 

 だからだろうか、処刑が決まった人間には酷と知っていても、その質問をするのに抵抗はなかった。

 

「死ぬの、怖くないの?」

「怖いな。死にたくはない」

「殺しておいて?」

「そうだな、勝手なものだ」

 

 まるで他人事のように言う。明日死ぬための心の準備とか、そういったものをこの青年はまるでしようとしない。

 

 そう、セツナはこの時、自分の死というものを全く実感していなかった。それは愚かさでも、死なないという強固な意思でもない。

 

 その根拠をまだ知らないわたしは、セツナに異端さを覚えながら屋敷へと入った。

 

 その日のウンベールは盛んだった。昼から夜までずっと腰を振り続けていた。流石に疲労を感じた頃に天命を見てみたら、少し減っていたほど。殆どされるがままだったわたしの方も天命が減っていた。

 

「今夜はここで寝ろ」

 

 ベッドで休憩していたら、ウンベールからそう言われた。

 

「食事はそこにある」

 

 指さす方を向くと、料理の皿を乗せたワゴンがドアの前に置かれていた。行為の際中に使用人が持ってきたのだろうか。全然気が付かなかった。

 

 服も着ないまま、皿に乗ったものをフォークで刺す。恐らくは今日のうちに衛士が仕留めたのだろう、近隣に生息する馬に似た魔獣のステーキ。

 

 一切れ口に入れて噛んでみる。ソースで濃い目に味付けしてあるけど、獣臭さはどうしても消せなかったらしい。それでもいつもの干し肉と比べたら格段に美味と思えるのは、味覚が貧しいからか。

 

 背後から、ウンベールの腕が伸びた。片手をわたしの腰に回し、もう片方の手でワゴンのグラスを手に取って中身を煽る。

 

「お前も飲むがいい。西帝国産の50年ものだ」

 

 口元に寄せられたグラスの中で揺れる液体をじ、と見つめる。血よりも濃い赤ワイン。グラスに口を付けて舐めるように口に含むと、慣れない渋みに思わず顔をしかめてしまう。

 

「味も分からぬ田舎娘が」

 

 嫌味ったらしく笑い、ウンベールは残ったワインを飲み干した。きっと人界から持ち込んできた秘蔵だろう。こんなものよりも持ってくるべきものは沢山あっただろうに。貴族の階級意識というものは正常な判断すらも鈍らせてしまうらしい。

 

「明日を楽しみにしていろ。人を斬るのは、あのライオスでさえ叶わなかったことだ」

 

 そのライオスとやらが誰なのかは知らないが、よほど対抗心を燃やしていた人なのだろう。ウンベールはその手に剣を握る時を待ちわびているかのように、わたしに回した手をせわしなく動かした。

 

「明日、俺はもっと強くなる。もはや四等爵位に収まらないほどにな」

 

 肉を貪るように食べて、口からソースが垂れているのも構わずに咀嚼し続ける。ボトルから注いだワインで口の中を流すと、わたしをベッドへ引きずるように誘った。

 

「楽しみだな、明日は」

 

 そう言って、彼の身体がわたしの上に圧し掛かる。

 

 バイオリン、弾きたかったのにな。

 

 彼の腕の中で、わたしはぼんやりとそんなことを思っていた。

 





   そーどあーと・おふらいん えぴそーど2

キリト=キ
アスナ=ア

ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです。今回こそはしっかりと解説の務めを果たしたいです」

ア「キリト君がこう言うので、今回は作中世界の設定について解説していくわよ。まず注意として、本作の設定は作者の独自解釈によるオリジナル設定なので、原作とは異なっていることを最初に言っておくわ。まずはウンベールの村についてね」

キ「地の文でも説明したけど、作中は異界戦争から10年が経ってるんだ。貴族制度が廃止されて人界守備軍に天下りした家もあったけど、それは殆どがロニエやティーゼみたいな下級貴族の家ばかりだったんだ」

ア「てことは、ウンベールみたいな上級貴族は殆どがダークテリトリーに逃げたってこと?」

キ「それもほんの一部だな。原作ムーン・クレイドル編《四帝国の大乱》で人界の皇帝たちが人界統一会議に反乱を起こしただろ。各国の上級貴族たちは皇帝側に付いたんだけど、コテンパンにやられた事と逆賊に味方したっていうレッテルから人界じゃ再就職先が見つからなかったって事なんだ」

ア「つまりは没落した貴族が暗黒界でホームレス寸前になるっているメシウマ話ね」

キ「言い方に気を付けてね……。まあ、貴族は爵位と一緒に財産も没収されたから、皇帝がやられたらもう抵抗する力もなくなったんだ。統一会議に降伏した貴族には、一応仕事の手配はしておいたけどな」

ア「農夫を手配したら拒否した貴族もいたそうですね」

キ「でも働かなかったら給料出ないから最終的には渋々働いてたけどな」

ア「じゃあ、ウンベールは財産も無しにどうやってダークテリトリーまで逃げたの?」

キ「あいつは鼻が利いて、皇帝が負けると踏んだら財産が取られる前にそそくさ荷物まとめて私領民たちと一緒に逃げたんだ。その頃は戦力がセントラル・カセドラル防衛や各国城の襲撃に集中してたから、東の大門は警備が手薄だったんだよ」

ア「にしてもよく私領民たちは着いていったわね」

キ「そこもウンベールの賢さだな。あいつは私領民の人たちに統一会議がジーゼック家の私領地を没収するから生きていく土地がなくなるってそそのかしたんだ。それを鵜呑みにしちゃった私領民たちはあいつに着いていっちゃったんだよな」

ア「アンダーワールド人は上から言われたことはころっと信じちゃいますからね」

キ「禁忌目録とか法とかを律儀に守っちゃうからな。貴族連中はその抜け穴をずっと探し続けているわけだけど。何はともあれ、こうしてあの貧しいウンベールの村が出来上がったってわけだ」

ア「いやー清々しいほどのゲスっぷりですね!」

キ「あ、因みに気になっている人もいるかもしれないけど、ユージオに斬られたウンベールの片腕は再生してるぞ。あの凌辱未遂のあとアズリカ先生に直してもらったことになってる。その一件であいつは修剣学院を退学して実家に戻って、戦争中に正式にジーゼック家の家督を継いだっていうのが本作での設定だ」

ア「何で戦争中に継いだの?」

キ「先代当主の父親から面倒事を押し付けられたって感じだな。名目上はそのために学院を辞めたことになってるから断れなかったみたいだ」

ア「子も子なら親も親ってことですね。因みに父親は本編には出てこないの?」

キ「作者的にいちいち設定考えて登場させるのも面倒なキャラクターだから、当主であるウンベールの機嫌を損ねたばっかりに懲罰として村を追放されたって設定になってる。ダークテリトリーだから多分生きちゃいないだろうな。因みに母親のほうはとっくの昔に死んでるって事になってる」

ア「つくづくウンベールってクズだったのね」

キ「本作に限っては作者のオリジナル設定だけどな………。こうなったのも作者の意向が『アンダーワールドの闇を書く』だから」

ア「ここまでする必要があったの? 流石にわたしナミエが可哀想になってきたわよ」

キ「いや同情するの遅すぎるよ。まあ原作で戦争後の俺たちの事が僅かだけ書かれてたけど、結構楽しくやってる印象だったからその裏で起こっていた事っていう体で本作を書いてるみたいだ」

ア「わたしとキリト君がキャッキャウフフしてた時にこんな事が、て?」

キ「いや言い方! ――原作でアスナが料理の試作して皆で美味い美味い言いながら食べてる場面があったから、その対極を書きたかったみたいだ。本作で村での主食になってる干し肉とか、滅多に採れない麦で作った固いパンとかがそれだな」

ア「作者にとってわたし達の生活は、所詮は上流階級のボンボンってことね」

キ「一生懸命戦ったんだから美味いもん食うぐらいいいじゃん! 俺メンタルボロボロだったんだから!」

ア「作者の弁を借ります。『あんなの生温い‼』」

キ「ええ⁉」

ア「本作の読者さんはもっとメンタルやられますよ!」

キ「え、これ精神兵器?」

ア「さあ、というわけで今回はここまで! ついに迫ったセツナの処刑。しかしウンベールはただ殺すだけで終わるわけもなく――次回をお楽しみに!」

キ「読んでくれてありがとう」



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第3幕 ブラッディ・バロン

 

   1

 

 やけに甘ったるい香りが鼻孔を刺激し、わたしの意識を眠りから引き上げる。

 

 重い身体を起こすと、ベッド脇の机から一筋の細い煙が昇っているのが見えた。贅沢を忘れられない貴族秘蔵の香だ。人界東域に咲く花の香りらしいのだが、不毛の暗黒界育ちのわたしは花というものを知らない。

 

 視線を流すと、机に据えられた椅子でウンベールがお茶を飲んでいた。わたしよりも随分と早い目覚めだったみたいで、正装らしき豪奢な装束を身に纏っている。土地の空気に晒されてか、少しくたびれているけど。

 

「ようやく起きたか」

 

 言うと、ウンベールはベッドの隅に畳んである布地を指さし、

 

「今日はそれを着ろ。格式ある儀式は厳粛に行わねばな」

 

 手に取った服にも、香の匂いが染みついている。ドレスというものだろうか、服の構造が分かり辛くて、見かねたウンベールに着るのを手伝ってもらった。身体をべたべたと執拗に触ってきたから、これを狙って用意したのだろう。

 

「ふむ………」

 

 ようやく服を着たわたしを、ウンベールは値踏みでもするような目で眺める。

 

「まずまずといったところか。さっさと食事を済ませてしまえ」

 

 用意されていた朝食――固いパンとしなびたふかし芋――をわたしが食べている間、ウンベールは鼻歌を歌いながら剣に油を塗っていた。

 

 あの男を殺すための剣。

 

 油で照りつく刃は、来るべき時を今かと待ちわびているようだった。

 

「ライオスの馬鹿はその場で罪人を殺そうとした。だから奴は反撃され死んだのだ。俺は奴とは違う」

 

 ウンベールの口から何度も出たそのライオスなる人物について、わたしはこの手記のために追跡することができた。ここに簡単だが、わたしが聞いた情報を記載しておく。

 

 

 

 ライオス・アンティノス

 

 

 

 人界ノーランガルス北帝国の三等爵家長子として生を受けた彼は、青年に成長すると騎士養成機関である帝立修剣学院に入学した。

 

 この経歴に、当時として特に異端さは見当たらない。人界において爵家の者は子の経歴に箔をつけるため、騎士にするつもりがなくても幼い頃から剣の稽古をつけ修剣学院に入れるものだった。それは彼の「学友」だったウンベールも例に漏れない。

 

 学院の教官として当時のライオスとウンベールを知るアズリカ女史は、彼らのことをわたしに話してくれた。

 

『ええ、ある意味で印象的な生徒でした。修剣学院で序列を決めるのは成績――即ち剣の腕です。家柄に縛られることなく、己の意志と身ひとつで名を上げることのできる、当時の人界では唯一の場でした。確かに在籍していた生徒は爵家の嫡子が大多数を占めていましたが、平民出身の者もいたことは事実です』

 

 アズリカ女史は厳かな声色で話してくれたが、ライオスの事になると落胆が言葉や声の端々から読み取ることができた。

 

『ですが、ライオスやウンベールは自らの家柄を笠に着た振る舞いを慎もうとはしませんでした。そのような生徒は珍しくはありませんでしたが、彼らは特に、下位の爵家や平民出身者に対する蔑みの言葉が出なかったところを見たことがないほどです。私も目に余る行為を見つければ指導するつもりでいましたが、彼らは決して学院則を破ることがありませんでした。規則や法の抜け穴を見つけ出す狡猾さは、上位爵家の者ならではのものだったのでしょう』

 

 窺い知れる人柄に、わたしはライオスとウンベールが何故交友関係にあったのか得心がいった。類は友を呼ぶ、という言葉の通り、上流階級の暮らしを謳歌する者同士で引かれ合うものがあったのだろう。

 

 もっとも、他者に敬意などという感情を持たない者同士だ。ウンベールがわたしの前でライオスを侮辱していたことからも、ふたりが本当の友情で結ばれていたのかは首を傾げる。

 

『何より彼らは、剣技も確かなものを持っていました。特にライオスは、上級修剣士への昇級試験を主席で合格しています。学院に爵家の者が多いのは階級の特権に見えるかもしれませんが、貴族出身者は剣の腕に秀でている者が多いのです。学院入学前、幼い頃より親から剣を与えられ私領地という稽古場もあります。親も修剣学院を出ていて剣の心得があるわけですから、指導員にも困ることはありません。まさに剣の道を志すには至れり尽くせりな環境が生まれながらに出揃っているのです』

 

 修剣学院の序列は家柄ではなく剣の腕、とアズリカ女史は言っていた。学院内ではそうでも、家柄による優位性というものは切り離せないものだったのだ。天職の義務がある平民には、衛士以外では剣に触れる機会すら殆どなかったという。一見すれば修剣学院は平等だが、その門戸は根本ではやはり階級社会の傘下にあったと言える。

 

『人格に難はあれど、彼らもまた将来有望な修剣士だったことに変わりはありません。残念でなりませんよ。まさか、同じ修剣士に殺されるなどと――』

 

 アズリカ女史から明かされたライオスの死――というよりも、死の場面がウンベールの人格に影響を及ぼしたとわたしは推測している。

 

 殺人事件など、ノーランガルス帝立修剣学院始まって以来の出来事だったのではないだろうか。少なくともアズリカ女史からは、殺人事件どころか規則違反行為があったこと自体皆無だったと聞いている。

 

 まず殺人事件の経緯だが、その発端と言えるのはウンベールだった。修剣学院では成績上位者に数えられる上級修剣士には専属の指導を教授する代わりとして、身の回りの世話係となる《傍付き錬士》と呼ばれる生徒が存在した。要は学院内における子弟関係なのだが、ウンベールは傍付きとした少女に職務から逸脱した不適切な業務や懲罰を命じていたのだという。

 

 それを見かねた傍付き錬士の学友ふたりがウンベールと彼と寮の同室だったライオスに抗議したところ、上位爵家に対する逸礼行為として学院則より上級法である貴族裁決権を行使した。

 

 そう、わたしにも行使した、罰の内容に際限がないあの貴族裁決権である。

 

 ライオスとウンベールは下位爵家の者だった生徒ふたりにわたしと同様の懲罰を課そうとした。

 

 だが幸運にも、彼女たちが身を弄ばれることはなかった。行使寸前で彼女たちが傍付きを務めていた上級修剣士たちが現場に乱入し、その場でウンベールは左腕を斬られ、ライオスは両腕を斬られた上に天命を全損し死亡した。

 

 このとき現場から逃げ出し、斬り飛ばされた腕から血を垂らしていたウンベールを保護し治療を施したのが、アズリカ女史だったのだ。

 

『あの時のウンベールは、酷く怯えていましたよ。化け物に襲われたとか、何度も泣き叫んでいました。彼を見て、怖れていたことが起こってしまったと悟りました。それも最悪な形で』

 

 ウンベールを負傷させ、ライオスを殺めた実行犯の上級修剣士ふたりは、事件の翌日に公理教会の整合騎士に連行されていった。その後のふたりがどうなったかアズリカ女史から聞くことはできなかったが、処刑されたと考えるのが妥当だろう。民衆に法を守らせるには、法を行使しなければ意味がない。

 

『有望な修剣士を、同じく未来ある修剣士に手を掛けさせてしまいました。事の一報を受けて実行犯の者たちと会ったとき、私は己の愚かさを思い知らされました。私が教官として、何故生徒たちを育てていたのか。彼らに何のために剣を取らせるのかを全く考えてもいなかったのです。そんな私の怠慢が、ライオスやウンベールにあった邪心を育んでしまったのでしょう』

 

 アズリカ女史はこの一件の責任を取って教官の職を辞そうとしたのだが、生徒たちの嘆願運動によって職を続役し、わたしと会った頃も現役で教官を務めていた。

 

 ノーランガルスの修剣学院から人界守備軍で名将と謳われるソルティーナ・セルルト、ウォロ・リーバンテイン、ゴルゴロッソ・バルトーを輩出したことからも、彼女の指導力を物語っている。

 

 

   2

 

 屋敷前の広場には、村の私領民全員が集められていたようだ。小さな村と思っていたけど、集合してみると案外多かったんだな、と今更ながらに思った。

 

 広場を囲うように置かれた松明の火が、昼間でも薄暗い空へ火の粉を飛ばしていた。まるで神への供物みたいだ。

 

 群衆の視線の先には、杭に縛られた罪人が立っている。ただ昨日見たものと同じ光景とはならず、杭に縛られたのはセツナに加えてもうふたりいた。

 

 ベルトを絞めたズボンから零れそうな腹の中年男性と、対称的に痩せ過ぎた中年の女性。

 

「これは………」

 

 わたしが困惑の目を向けると、ウンベールは愉快そうに笑いながら、

 

「ああ、侍従長はどうやらお前に狼藉を働いたそうではないか。いたいけな乙女の肌に触れる重罪行為を見逃していたなど、領主としては大変遺憾だよ」

 

「違う――」

 

「ん、もしやエメラか。エメラは大罪人を家に匿っていたのだ。これは重大な禁忌と言えるだろう」

 

 饒舌なウンベールに、わたしは開いた口が塞がらないまま縛られたエメラへと目を向けた。捕縛の際に抵抗したのだろうか、服は破られ腕の切り傷からは血が滴っていた。

 

 同じような傷が侍従長にも刻まれているのだが、彼はそれに加えて口に布を嚙まされていた。よほど耳障りに喚き散らしていたのだろう。縛られた3人の中で最も重い罪を犯したセツナがほぼ無傷なのは、何とも皮肉だろうか。

 

 昨日、セツナの処刑を言い渡した時にウンベールが何故にあそこまで愉悦の笑みを浮かべていたのか、ようやく分かった。

 

「その顔だ」

 

 その時と同じ笑みで、ウンベールはわたしの顎を摘まみ上げて接吻しそうなほどにまで顔を近付ける。

 

「お前のその顔が見たかったのだよ。いくら俺が屈辱を与えようとも、お前はいつも澄ました顔をしていたな。生意気な小娘が全てを見透かしたように」

 

 歪んでいる。

 

 ウンベールの心にある歪みは何処から生まれたのだろう。貴族という階級社会か、それとも彼自身の魂が元からそうだったのか。

 

「俺の思い通りにならないものなど無いのだ、ナミエ。お前の身体も心も全てな」

 

 顔を背けようとした。けど、ウンベールの手はそれを許さずわたしの顔を自身に向けさせ続ける。

 

「その絶望を(さかな)に今夜も楽しもうじゃないか」

 

 ようやく手を離し、「見よ!」とウンベールは私領民たちへ声を張り上げた。

 

「これが罪人の姿だ。我が誇り高き衛士隊を殺めた者。その大罪人を匿った者。無垢な少女を辱めた者。このような神をも怖れぬ所業、私の手で罪を祓わなければならぬ。この四等爵士当主、ウンベール・ジーゼックの手で」

 

 ウンベールの口上を、この時のわたしはまるで聞いてなどいない。こうしてここに綴ることができたのは、当時現場にいた青年が覚えていてくれたからだ。わたしがこの時考えていたのは、全く別のこと。

 

 その絶望を肴に――

 

 ウンベールはわたしの顔を見てそう言っていた。わたしは絶望の表情を浮かべていたのだろうか。だとしたら、一体どうして。

 

 エメラへの情なんて無いはずだ。彼女はわたしに都合よく母親面するだけの同居人。わたしの求めているものを知っているはずなのに、それを与えてくれない。そんな彼女はむしろ疎ましいはずだったのに、この胸の疼きはどうして起こっているのか。

 

「まずはオスホ、貴様だ!」

 

 侍従長の杭に巻かれていた縄を、衛士が剣で斬った。別々の縄で縛られているらしく、後ろ手で不自由なまま地面に倒れ身をよじらせている。必死な形相で叫んでいたが、猿ぐつわに言葉が阻まれている。

 

 中年男がまるで水揚げされた魚みたいに暴れ泣き叫ぶ姿に痺れを切らしてか、衛士が脇腹を剣で突いた。先端だけだから大した怪我じゃないはずだけど、侍従長は金切り声らしきものを猿ぐつわの奥であげた。

 

 暴れはしなくなったけど、今度は動けずに震え始める。膝は笑い、今にも崩れ落ちてしまいそう。溜め息をついた衛士ふたりが両脇から腕を持ち上げ、もはや荷物のように処刑台へと運んでいく。

 

 罪人が処刑台で膝を付けさせられる。処刑台には膝の高さくらいの枕木が置かれていて、そこに頭を乗せれば丁度よくなるのだ。頭を落とす側も、落とされる側にとっても。

 

 ウンベールは威風堂々とした佇まいで台の階段を上り、侍従長の傍らに立った。腰にある剣を抜くと、離れたところにある松明の火を反射した光が揺らめく。

 

「今までご苦労だった、オスホ」

 

 衛士によって頭を台に縛り付けられた侍従長の縋るような目は、傍から見ても憐れなものだった。涙と鼻水で顔を汚し、猿ぐつわのせいで最期の言葉さえも紡がれないなんて。

 

 ウンベールは狂暴な光を反射する剣を高々と掲げる。その顔に満面の笑みを浮かべながら、一直線に振り下ろした。

 

 その瞬間、淡く炎を反射していた刃がその赤を一層濃くして輝いた。あれは《秘奥義》の輝き。剣の道を修めた者が習得できるとされる、剣の鋭さと肉体の強さをより高めることのできる技。修剣学院でライオスの次席だったウンベールにとって、秘奥義の習得は容易だっただろう。

 

 赤の光が弧を描き、侍従長の首を通過した。振り下ろされた刀身が輝きを失うと同時、侍従長の頭がごろん、と軽い音を立てて処刑台に転がった。

 

 見物していた誰もが、首を失った侍従長の身体に視線を釘付けさせていた。目の前で繰り広げられた死の舞台。ひとりの断末魔と天命を奪った音というのは、魂の深淵にまで響き渡る。あの瞬間、あの場にいた者たちは皆魂の奥底から湧き出る恐怖に打ち震えていたことだろう。勿論わたしもそうだ。

 

 ただし、ひとりだけは違ったらしい。

 

 侍従長の離れ離れになった首と胴体を処刑台から蹴落としたウンベールが、剣を指揮棒のように残った罪人たちへ向ける。

 

「さて、次はどちらにしようか?」

 

 どちらも殺すつもりだというのに嗜虐的なことを。エメラが侍従長と同じ姿にされる。首を落とされ、虫けらみたいに打ち捨てられる様を想像すると、胸の疼きが増して締め付けられるように痛んだ。

 

「お願い、エメラは見逃して!」

 

 控えていた衛士たちの中から飛び出した声が自分のものだと気付くのに、しばしの時間を要した。衛士たちは怪訝な目をわたしに向けている。

 

「ナミエ、黙ってな!」

 

 大人しく最期の時を待っていたエメラが怒号を飛ばした。余計な事を言えばわたしも処刑されると思っての言葉だったのかもしれない。でも、それが焦燥に溢れていたわたしに苛立ちを加えさせた。こんな時でも母親面を貫こうとする。

 

「お願いします、どうか………」

 

 エメラへの情とか、そんな綺麗な感情なんかじゃない。意地と言っていい。この気持ち悪いものがない交ぜになった感情をあの女にぶつけないと気が済まないのだから。

 

 この時のわたしはどんな顔をしていたのだろう。ウンベールはわたしを見て、ふむと顎に手を添えた。その顔にほんの微かな思考の色を浮かべて。

 

「お前は優しい娘だ。ああ、助けてやるとも、他でもないお前の望みならば。さあ、母の縄を解いてやれ。抱擁しその温もりを確かめ合うといい」

 

 芝居がかったウンベールの弁に毒づきたい衝動を抑えながら、エメラのもとへと走った。

 

 近くで見たエメラの顔は酷くやつれていた。たったひと晩で人間の顔とはここまで変わるものだろうか。いや違う。彼女は元からこんな顔だった。変わったと感じたのは、わたしが普段から彼女の顔を見ようともしなかったから。

 

 それでも、わたしからは憎まれ口しか叩き出せない。

 

「あなたは……あなたは何をしてるの? こんなところで!」

 

 自分でも何を言っているのか、まともな理解なんてできなかった。

 

「よしな、助かるはずがない。あんたまでこっち側になるよ」

 

 「黙ってよ!」と撥ねつけながらわたしはエメラの手首にかけられた縄を解こうとするけど、結び目が固すぎた。衛士隊からナイフの1本でも要求すれば良かったけど、そんな判断が鈍っていたわたしは素手で懸命に結び目を緩めようとした。

 

「………こんな時でも、こういうのは嬉しいもんだね」

 

 呟いたエメラの声は場違いなほどに穏やかだった。

 

「やっと分かったよ。子供を気遣ってやることは誰でもできる。子供のために死ねるのが、親ってやつなんだ」

 

 一体何を言っているのか、真意を訊こうと見上げたエメラの目からは涙が頬を伝っていた。

 

 

 

 

「ごめんよナミエ。あたしじゃ、あんたの母親になれなかった――」

 

 

 

 

 空を切る音がした。

 

 瞬間、エメラの顔が何かに押されたように右へと傾き、そのままだらりと垂れた。側頭には左方向から飛んできたであろう矢が刺さっていて、突き出した右側の先端からは血が滴っている。

 

 目の前にいるのが、一瞬前までエメラだった骸と理解できたところでウンベールの高笑いが響いた。

 

「これは失敬した。飛んでいる鳥が邪魔だったので撃ち落とそうとしたのだが、いやはやまさかエメラに当たってしまうとは。衛士隊も弓の訓練を強化せねばなるまい」

 

 彼に同調するように笑っているのは、敢えて狙っていたのだろう衛士隊のみだ。私領民たちの方から笑い声はせず、かといって怒声も聞こえなかった。

 

「さあ、本命を片付けるとするか」

 

 ウンベールが指示すると、控えていた衛士のひとりが弓を降ろした。剣を抜きながら杭へと歩いてきて、セツナの縄を切る。

 

 「来い」と不躾に彼を処刑台へ歩かせようとしたのだが、ほんの僅かでも彼に自由を与えてしまったことが、この衛士の運命を決した。

 

 衛士の身体が、突然倒れたように見えた。それはセツナが彼の脚を引っかけたからなのだが、衛士自身それに気付かず転じた視界に戸惑いの表情を浮かべているように見えた。

 

 その身体が仰向けになった瞬間、セツナの脚が衛士の首元へ刺すように突き立てられた。硬いものが折れる音がして、びくんと身体を震わせた衛士は動かなくなった。転がった剣に縛られた手を近付けたところで、傍にいたもうひとりの衛士が状況を理解し剣を抜く。

 

「このおっ!」

 

 それが彼の断末魔になった。声を発した彼の口には剣が突き刺さっていて、それがさっきまで転がっていた、もうひとりの衛士が持っていた剣。それを握るのは、縄から完全に解き放たれたセツナだった。

 

「奴を殺せ!」

 

 ウンベールが叫ぶように指示を出した。

 

「しかし私領民に――」

 

 異議を申し立てた衛士を「構うものか!」とウンベールは一蹴する。そんなやり取りをしているうちに、剣を食わされた衛士の僅かに残っていた天命が完全に削がれた。白眼を剥いたその骸は口から剣を抜かれると糸が切れたように崩れ落ちた。

 

 エメラを撃ったのと同じ音が、今度は立て続けに聞こえた。わたしは咄嗟に近くにあった衛士の死体に隠れる。死体の陰から見上げたセツナはというと、彼は殺したばかりの衛士の死体を盾のように掲げている。衛士の鎧は飛んでくる矢をある程度は防いでくれたけど、鎧の天命が尽きると容赦なく肉体へ矢が突き刺さる。もっとも、それは死体なのだけど。

 

「システム・コール――」

 

 《神聖術》の詠唱が始まった。ただでさえ空間神聖力が薄い暗黒界だと、1発放つのが限度だろう。

 

 衛士を投げ捨てたセツナの持つ剣が、澄んだ水色の光を放ったように見えた。ように(・・・)と書いたのも、それが見えたのは一瞬だけで判然としないからだ。次の瞬間にセツナの身体は、まさに風を超える速さで衛士隊のもとへ駆け抜けていったのだから。

 

 急接近されて術師が動揺したのか、素因が周囲を巻き込んで暴発した。爆炎と煙の中から聞こえたのは衛士たちの雄叫びではなく、悲鳴だった。

 

 素因の炎が、ジーゼック家の屋敷に被っていた藁屋根に燃え移った。瞬く間に炎は広がり、屋敷を飲み込むように覆っていく。

 

 一際大きな悲鳴が聞こえた。咄嗟に目を向けると、こちらへと何かが飛んでくる。血に塗れたそれは腕だった。遅れてまた何かが飛んできて、今度は右腕を失った衛士だった。胸にぽっかりと穴が空けられていて、まだ息があるけどか細い呼吸だ。天命が尽きるのも時間の問題だろう。

 

 燃え盛る炎の中で、水色の光が瞬いた。光の軌跡が衛士の肩から脇腹を袈裟懸けに走り、一瞬遅れて衛士の身体が光の軌跡に沿って分断された。

 

 ふたつに分かれた衛士の死体を跨ぐその姿を何と形容したら良いのか。まだ死神と呼ばれる前の彼を表すに相応しい言葉を、わたしは未だに思いつかない。

 

 見れば、もうセツナの背後に生きている者はいなかった。誰もが首や手足を斬り飛ばされ、胸や腹に空けられた穴から血を零している。セツナの服も血で染まっているのだが、それは殆どが返り血だろうか。彼自身は手傷を負った様子はなくしっかりと背筋を伸ばして歩いている。

 

 歩みを止めたセツナが剣を掲げた。その剣先が向く先には、処刑台の上でただ惨状を見物していただけのウンベールがいる。

 

 本来なら自分が首を撥ねるはずだった罪人が、誉れあるジーゼック家の衛士隊を全滅させた。その事実にウンベールは歯が折れてしまいそうなほど食いしばり、憎悪を込めた目をセツナに向けている。

 

 対してセツナの方はというと、その目に感情らしきものが全く感じられない。無だった。無機質な眼差しがウンベールの神経を更に逆撫でたらしい。処刑台から降りたウンベールが抜いた剣から、不気味な陽炎らしきものが揺らめいていた。

 

「この大罪人が、俺の私領地を荒らしおって………。貴様ベクタ神の眷属か?」

「知るか」

 

 抑揚のない声で返したセツナも剣を構えた。そう、彼には記憶がない。自分が何者なの彼自身にも分からないのに、ベクタの迷子やら眷属やらと勝手に呼び名を出されて迷惑だったことだろう。

 

 彼の不遜な態度に、しかしウンベールは笑っていた。

 

「貴様の首を持ち帰れば、俺はまた返り咲けるな。二等、いや一等爵位の座を得ることもできる」

 

 もう貴族制度はなくなったはずなのに、ウンベールの階級社会への執着は妄信の域に達している。こんな荒野に村を開拓できるなんて思い込んでいた時点で、彼はもう手遅れだったのかもしれない。

 

下賤(げせん)の者と剣を交えるのは久々だ。あの頃と同じ失態は犯さん!」

 

 構えを取ったウンベールの剣が赤い光を放つ。秘奥義で一気に勝負を決めるつもりだ。一方でセツナの剣は輝くことなく、衛士から奪った鈍色の刃は無骨な金属の光沢を振り撒くだけ。その光沢も血を浴びて微々たるものでしかない。

 

 吼えながら、ウンベールは一気に距離を詰めた。射程圏内に入り、真っ直ぐに赤の帯を引いた剣がセツナの脳天目掛けて振り下ろされる。

 

 迫りくる刃をセツナは自らの剣で受け止めるものと思っていたが、彼はそうしなかった。自らの剣を引き、半身を翻すことでウンベールの秘奥義を避けてみせた。

 

 標的を見失ったウンベールの剣先は、空振りして地面を抉っただけだった。秘奥義を放った後は反動で動けなくなる。その理に抗うことのできないウンベールに、あの男は容赦がなかった。

 

 丸腰になったウンベールの両手首の少し先。そこへ、セツナはするりと自らの剣を滑らせた。真っ当な剣の打ち合いではなく、攻撃を躱されただけ。卒業はできなかったが、修剣学院で剣の道を進んだ者にとってこれほど屈辱的な敗北があるだろうか。

 

 両腕を失ったことで重心がずれたのか、ウンベールは後ろへとたたらを踏んだ。

 

「この……卑怯者が――」

「殺し合いに卑怯もあるか」

 

 侮辱なんて意に介さず、そう返したセツナは殺すと決めた相手の胸に剣を刺す。今度こそうつ伏せに倒れたウンベールは、口から血と一緒にうわ言を吐き出していた。

 

「認められるか、こんな………。俺は貴族だ、流れ者のベクタの迷子などに負けるなどあるはずがないのだ………」

 

 痛いはずなのに、ウンベールにはその感覚すら認識できないようだった。痛みよりも絶望が勝っているというほうが正しいか。

 

 溜め息をついたセツナが、ウンベールの髪を掴んで頭を僅かに持ち上げた。その首筋に剣を当てると、痛みが戻ったのかウンベールがまくし立てる。

 

「やめろ! 俺が誰か分かっているのか! 俺は貴族だ。四等爵士当主のウンベール・ジーゼッ――」

 

 その口上を最後まで告げるのは叶わなかった。喉元を切り裂かさたウンベールの口からは言葉の代わりに血泡が溢れ、目は飛び出さんばかりに見開かれ全身が痙攣を始めている。

 

 一発で切断できなかったセツナは、ノコギリで樹を伐採するように何度も刃を押して引いてを繰り返しウンベールの首を切り離した。斬っている途中で、痙攣していたウンベールの身体は動かなくなっていた。

 

 物言わなくなったウンベールの顔を、セツナはまじまじと見つめている。表情はどこまでも無だ。ウンベールへの怒りだとか憎しみだとか、殺し方の残酷さに対して不気味なほど淡泊な顔をしている。

 

 すぐに興味を失ったらしく、セツナはウンベールの頭を燃え盛る屋敷の炎の中へ放り込んだ。ずっとわたしを弄んできた男の死はあまりにも唐突なもので、どうにも現実味というものが沸かなかった。

 

 随分と静かになった村を見渡すと、私領民たちも結構な数が死んでいた。衛士隊が弓を放ったとき巻き添えになったのだろう。逃げた者はいたのだろうか。ぼんやり思いながら顔を伏せると、視線の先には頭を貫かれたエメラの亡骸があった。死の瞬間を固めた目は虚ろで、自分の身に何が起こったのか理解できていないように見えた。

 

 胸の奥から込み上げるものを、抑えることができなかった。込み上げたものはわたしの目から涙になって溢れ出してくる。

 

 理解してしまった。今、こんな今更になって。

 

 ああ、わたしはエメラの想いに応えたかったんだ。いつか受け入れて分かり合えることを期待していて、その機会はもう来ることがない。気付きの遅さに、わたしはただ泣くことしかできなかった。

 

 母と別れて泣くなんて、まるで幼子だ。そんなわたしを、この殺戮劇を繰り広げた男の影が覆う。

 

 振り返れば、セツナはまだ剣を握っている。恐ろしいけど、その姿がこの地獄から解放してくれる糸口のように思えた。

 

「殺して」

 

 しゃくりあげながら、わたしは言った。

 

「これが人のすることなの? こんなの、耐えられない。殺してよ………」

「駄目だ」

 

 セツナはただ無感情に告げるだけだった。

 

「その女にあんたを助けて欲しいと頼まれた。あのウンベールとかいう男を、出来る限りの屈辱を与えた上で殺してやって欲しいと」

 

 それはきっと、セツナが森で衛士隊を殺した罪人と見込んでの頼みだったのだろう。人を殺せるのなら、状況はどうあれウンベールも殺せるはずだと。でも、その願いがこの惨状を引き起こすと、彼女は分かっていたのだろうか。

 

「エメラは、わたしのことを何か言ってたの?」

「自分が勝手に娘と思っていた子だ、と言っていた。そいつはあんたの何だ?」

 

 死体という物体に変わったエメラの硬直した顔を見つめた。形容する言葉はいくらでもあるけど、相応しいものはひとつしかない。

 

 もう叶わない願いとも言える言葉を、わたしは絞り出した。

 

 

 

「お母さんになって欲しかった人………」

 

 





そーどあーと・おふらいん えぴそーど3


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「いやー今回は荒れましたね!」

キ「荒れ過ぎだろ! てかもう大量殺人じゃん!」

ア「原作だって戦争で大量殺戮してたじゃない。アリスなんて空からビームで凄い被害出してたし」

キ「いやあれ戦争だから。単純な人殺しと一括りにしていいものじゃないからね」

ア「まあ戦争時の殺人なんてテーマはこのコーナーじゃメンド臭いから一旦置くとして――」

キ「ここじゃ真面目な方が浮くのか………」

ア「劇中だとセツナが無双してたけど、セツナって俺TUEEE系なの?」

キ「作者曰く、取り敢えず読者がスカッとする展開を考えたら劇中の大量殺戮とウンベール首ノコギリになったみたいだ」

ア「確かにスカッとはしたわね。因みに侍従長の処刑は予定にはなかったみたいだけど、書いてるうちに作者がムカついたから殺すことになったそうよ」

キ「作者に嫌われたら殺されるのかよこの作品………」

ア「まあモブは即殺されると思ったほうが良いわね」

キ「えー胃もたれしそうなんでセツナの強さに話を戻すけど――今回のエピソードはウンベールや衛士が雑魚だったのもあって無双状態になったけど、作者としてはセツナが苦戦する場面も入れたいみたいだな」

ア「いくらウンベールたちが雑魚でもセツナが強すぎるんじゃない? 例えたらレベル1で装備品も『布の服』とか『銅の剣』みたいなものでしょ?」

キ「それなんだけど、セツナは目覚めた直後に森の中でオークを襲ってた衛士たちを殺しただろ。その時に結構な経験値を手に入れてステータスも一気に上がったんだ。しかも今回で衛士やウンベールを殺しまくったから、この時点でセツナは結構なレベルに達してるな。少なくとも修剣学院で剣を習ってたウンベールに圧勝できるくらいには」

ア「アンダーワールドは、確か動物を殺すと権限レベルが上がるのよね」

キ「その通り。動物の中でも特に人間や暗黒界の亜人はかなりの経験値になるんだ。これはあくまで本作の独自設定だけどな」

ア「てことはもうセツナはほぼ最強クラスになってるってことじゃない。萎えるわあ」

キ「まあ作者も戦闘描写は単純なステータスで勝敗を決めさせるつもりはないみたいだ」

ア「どういうこと?」

キ「技の打ち合いよりもテクニックや読み合いとかをやるつもりみたいだ。今回もセツナはウンベールと技を打ち合わずに躱してカウンター攻撃しただろ。アンダーワールドの、特に人界の剣技は演舞的なものが主流だから、攻撃を躱そうなんて発想がそもそもないんだ。真っ向勝負が美徳とされてるからな」

ア「まあ確かに、ソードスキル発動後は硬直時間あるのに大技繰り出そうとしたウンベールってかなり間抜けよね」

キ「言い方……。あれもウンベールはセツナが迎え撃ってくると思い込んでいたから、その不意を突かれた形だな。実戦と思えばセツナの動きはそんなトリッキーなものじゃないんだけど、アンダーワールドじゃ邪道だな」

ア「まあ人界じゃ剣の立ち合いなんて殆ど技競うだけのチャンバラごっこだものね」

キ「いや現実世界から来た俺たちも似たような戦いしてたけどね………」

ア「それはわたし達がアンダーワールドじゃチート級に強いからじゃない。わたし女神アカウントだしキリト君はシステムに介入しちゃってるし」

キ「確かにまあ、俺たちクラスだと技打てば敵は死ぬくらいだったからなあ。技術ってステータス不足を補うために編み出すものだし」

ア「ん? てことはもしかしてセツナって実は弱いの?」

キ「いや強さは本物だよ! ――とはいっても作者も技重視じゃないからオリジナルのソードスキルとかも面倒で考えるつもりないらしいし、修行編とかもするつもりはないみたいだ」

ア「そんなあ、ラノベは友情・努力・勝利を書くものじゃない!」

キ「この作品そんな健全なものじゃないから! 作者が次はどんな残虐描写するか四六時中考えてるようなもんだから!」

ア「わたしは信じるわ。きっと笑いあり涙ありな作品になる、て」

キ「今更テコ入れきくか! サイコパス主人公が熱血になったら気色悪いわ!」

ア「キリト君が陰キャから陽キャにシフトチェンジするくらい?」

キ「その例えやめて! 俺わりと豆腐メンタルだから! 劇中でしばらく要介護状態だったからね!」

ア「えー因みにセツナが殺人に平気な鋼メンタルなのはキリト君との対比として入れた描写だそうです」

キ「余計な解説入れんでいい!」

ア「さあというわけで早くも主人公が最強系サイコパスという迷走状態に入ってきました。これからどんなカオスにはまっていくのか、お楽しみください!」

キ「いやちゃんとした話書くから、次回も読んでくれよー!」



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第4幕 デーモンズ・ストライク

 

   1

 

 異界戦争の最終決戦に、奇跡としか言いようのない現象が起こった。

 

 昼の色を映していた空が漆黒に染まり、その波紋を世界中へと広げていった。その時は暗黒界の赤かった空も、人界の蒼い空も、同じ暗闇へと転じた。

 

 その頃のわたしはまだ幼かったけど、あの空のことはしっかりと記憶に残っている。不思議な空だった。底なしの深淵のような闇なのに、押し潰されそうな重圧とか、世界の終わりとかの不吉めいた予感を一切感じさせなかったのだ。

 

 冷たいけど、微かに温かい。

 

 この夜の先の、明日が続いていくかのような、その明日は今日より良い日になるような、希望を予感させてくれるかのような夜空。

 

 その夜空にぽつり、またぽつりと光が灯っていった。それは星だった。夜空に星が次々と瞬き、暗闇を朧気ながら、でも燦々とした煌きが広がっていった。

 

 そしてわたしは、その星々に宿る人の祈りを聞いた。

 

 世界の行く末に想いを馳せる騎士。

 故郷に残してきた家族を想う衛士。

 戦場にいる夫の身を案じる妻。

 遠くへ出かけた親の帰りを待ちわびる子。

 

 人界人

 暗黒界人

 人族

 亜人族

 

 そこには一切の境界が存在しなかった。まったく同種で、清らかさの優劣などない魂の輝きともいうべき星々がその煌きを一層強め、南の方向――人界代表剣士がベクタと戦っていた地――へと駆け抜けていった。祈りを届けるかのように。

 

 光の尾を引くほうき星の奔流の中に、わたしの祈りはなかった。

 

 拉致された山ゴブリンの村にいたわたしはまだ絶望とか希望といった想いを知らず、無垢でちっぽけな魂をあのほうき星の中に放り込むことができなかった。

 

 何を祈れば良いのか。

 誰に祈ればいいのか。

 

 あの頃はまだ覚えていただろう親の元へ帰りたい、と祈れば届いただろうか。わたしはもしかしたら、当たりを確約された(くじ)を引き損ねてしまったのかもしれない。

 

 それでも奇跡というものは、人に夢を見させるものだ。

 

 どんなに絶望的な状況でも、いつか変わるかもしれない。変えてくれる存在が現れて、自分を絶望の沼から引っ張り出してくれるかもしれない。

 

 そんな根拠のない希望めいたものを抱いた無垢なわたしの想いは、もっと大きな人の欲動によって覆い潰された。

 

 男の手に弄ばれる日々を強いられていくうちに、希望という言葉を忘却することで絶望という概念も埋もれさせようとしていた。

 

 でもやはり、どこかでわたしは根拠なき期待をしていたのだろう。いつか自分を救い出してくれる存在の出現というものを。奇跡が起こってくれると。

 

 あの日ウンベールの首が炎の中に消えていくときに、高揚したわたしの胸がそれを自覚させた。

 

 まさかあんな血塗れな奇跡とは、思ってもみなかったけど。

 

 

   2

 

 ジーゼック家の屋敷を支えていた柱が崩れ、たちまち火の粉が煙と共に舞い上がる様子は美しく見えてしまった。

 

 どれほどの時間が経ったのかなんて考えもせず、わたしは焼け落ちていく屋敷をぼんやりと見つめていた。自身を縛り付けていた運命の象徴ともいえる物の消滅を、見届けておきたかったのだ。

 

 セツナはというと、村中に転がっている死体――主に衛士隊――から装備品を剥ぎ取っていた。なるべく自分に近い体形の死体から鎧を外して、着け心地を確かめ拝借していた。

 

 さっきはわたしを殺すことを拒否したけど、心変わりして背後からわたしの首をかっさらうかもしれない。そんな予感がしたけど、もうどうでもよかった。この村が滅んだ時点で、もう生きていくことなんてできないのだから。

 

 わたしは杭に縛られたままのエメラを見上げる。天命を全て失っても、肉体の形を保つために新たな天命が与えられる。

 

 でもそれは死体としての天命。目の前に立つエメラは物でしかない。その天命も生きていた時よりも大幅に低いものだから、ほどなくして枯れ果てるだろう。そうなれば、肉体も完全に消滅する。

 

 エメラの全身には、衛士たちが放った流れ矢が刺さっていた。破壊された肉体は人の形を崩してもはや肉塊と呼ぶべき代物だったけど、顔だった部分をまじまじと見つめてみると微かに生前の面影が残っている。そのせいか、骸に対する忌避以上に虚しさがわたしの胸を満たしていた。

 

「どう生きていけばいいのか、分からないよ………」

 

 もの言わないエメラに告げる。勝手なものだ。その辺に転がっている衛士や私領民たちのように、物として見られないなんて。

 

 屋敷は燃料がなくなって炎が小さくなり、篝火程度になったそれも消えて一条の煙が昇るだけになった頃には、もう赤い空はより暗い夜へと変わっていた。

 

 いつの間にかセツナも、きっと小屋から拝借してきたのだろうパンを頬張りながら、ウンベールのなけなしの栄光が崩れ去る光景を眺めていた。この光景を作り出した張本人に、わたしは訊いた。

 

「あなた、これからどうするの?」

「ここを離れる」

「そう………」

 

 訊いておきながら、さほど興味なさげな相打ちに自分でも呆れてしまう。

 

「気を付けてね、外は危険だから」

「あんたも行くぞ」

 

 その言葉には拍子抜けして、セツナの顔を見上げた。相変わらず彼は無表情のままで、

 

「俺はここがどこなのか何も知らない」

「わたしだって知らないわよ。村から出た事ないし」

「それでも、何も分からないよりはましだ。何が起こっているのか知らないまま死ねない」

「他人を殺しても?」

 

 わたしの指摘にセツナは押し黙ってしまった。しばし結んでから開かれた口から返ってきた答えはとても単純だ。

 

「ああ」

「勝手ね」

「そうだな」

 

 皮肉に対して反論はしないけど、自嘲しているようにも見えなかった。表情が微動だにしない彼は、本心から自身の身勝手を認めているかのような(いさぎよ)ささえ感じられた。一種の開き直りにも感じられるけど。

 

 着いていくしかない。わたしはそれを簡単に受け入れることができた。今までウンベールの手の中にあったわたしの運命が、今度はこの殺戮者の手の中へと移っただけ。それだけの事でしかない。

 

 決心、というより諦めがついたわたしの行動は早かったと思う。井戸水を水筒に汲んで、倉庫から持てるだけのパンと干し肉を持ち出した。家に戻り、必要か不要か自問自答した末にバイオリンを手にしてセツナのもとへと戻った。

 

 戻ったとき、セツナの腰には剣が据えられていた。ウンベールの剣だった。上級爵家に代々受け継がれてきた業物らしいのだが、セツナはありがたみも無さそうに無造作にぶら下げている。

 

「なに?」

 

 じっとわたしを見つめるセツナに訊いた。セツナは意外そうな口ぶりで、でもやはり無表情に、

 

「逃げなかったのか」

「逃げてほしかったの?」

「いや………」

 

 その選択肢がなかったわけじゃない。選ばなかった理由は単純で明快だ。

 

「逃げたところで、行く場所がないわ」

 

 なるほど、とばかりにセツナは軽く嘆息した。そこで彼の興味は別のものに移り、

 

「バイオリンか」

 

 風呂敷で背に掛けた楽器を見て呟いた。

 

「知ってるの?」

「ああ」

 

 つくづく奇妙なベクタの迷子だ。何も知らないと言っている割には、どうでも良さげな事は覚えているみたい。

 

 セツナはしばしわたしの背にあるバイオリンを眺めていたけど、何も言うことなく視線を外し歩き出す。わたしはその背中に着いていき、村を囲む森へ入る前に、一度だけ村を振り向いた。

 

 さようなら、わたしの忌まわしい故郷。

 

 別れを告げたわたしはセツナと共に森に入る――寸前でセツナは足を止めた。

 

 不意にわたしの口を手で塞ぎ、傍にあった屋敷の焼け跡に身を引っ込める。抵抗する暇もなく彼に身体を抱えられて、何が何だか分からず身を悶えさせた。

 

「静かに、誰か来る」

 

 耳元で囁かれ、言う通りにすると頷き身体を静止する。ようやく手を放してくれて、鼻まで塞がれていたから目いっぱい空気を吸い込んだ。さっきまで焼けていた炭の傍だから、酷く焦げ臭かった。

 

 セツナの言う通り、乾いた足音が幾重にも重なって聞こえてきた。続けて金具が軋むような甲高い鳴き声がする。

 

 これは、馬の鳴き声。最後に見たのは、ウンベールが私領民を率いてこの村を訪れた頃だ。すぐ食糧難になって、移動用の馬を食糧として屠殺(とさつ)してしまったからすっかり忘れていた。

 

「シェーン!」

 

 大声が村に響いた。絶え間なく「どごだー!」とその声は名前らしきものを呼び続ける。焦げた外壁の影から僅かに顔を出したセツナは、その姿を見たのか眉を潜めながら訊いてきた。

 

「あれは人なのか? モンスターか?」

 

 そのモンスターというのが何なのかは分からなかったけど、わたしも壁から顔を出して、その声を発する生き物の姿を見た。

 

 でっぷりと太った腹に、短い手足。短く突き出た大きな鼻は、わたしも初めて見るけど間違いない。

 

「オークね」

「オーク?」

「多分、あなたの言うモンスターってやつじゃないわ」

 

 やはり亜人族に関しても忘れてしまったらしい。神話の時代、人界から追放されたベクタが自らの眷属として創造したとされる闇の生き物の末裔を。

 

 人語を解すとは聞いていたけど、ややくぐもった声は口が人と異なる形をしているから上手く発音ができないのだろう。

 

 名前を呼び続けるオークに、馬から降りた人族の女が歩み寄って、その低い位置の肩に手を添えた。浅黒い肌をしているから、きっと暗黒界人だろう。灰色の髪を長く伸ばした姿が長身に見えるのは、オークの身長が低い故の対比だろうか。

 

 あまり長く見過ぎていたから、セツナに顔を引かれた。すぐに女のものらしき声がする。

 

「そこにいるのは分かっている。出てこい」

 

 そんな指示に従うような男じゃないことを、もうわたしは思い知らされている。セツナは息を潜め、念のためなのか再びわたしの口を手で塞ぐ。

 

「男に、女がひとりずつか」

 

 女の告げた言葉に、僅かばかりだけどセツナは目を見開いた。溜め息のように深く呼吸し、ゆっくりと立ち上がる。

 

「ここにいろ」

 

 わたしのほうへ振り向くことなく言うと、セツナは壁の影から身を晒した。わたしは顔だけ壁から出して、セツナの姿を認めた女の方を注視する。

 

 女の方はそれなりに人数を固めているようだった。村の衛士隊よりは軽装だけど、黒く磨かれた胸当てや籠手が光っている。

 

「この村、随分と酷いな。君がやったのか?」

 

 セツナは沈黙を返す。腰から剣を抜いた動作が、質問に対する返答のようにも見えた。

 

 何となくだが、わたしはセツナの狙いが読めてきた。彼らが乗ってきた馬。あれなら休憩と餌で天命をもたせれば長距離かつ長時間の移動が可能だろう。もしもの時には食糧にもなる。

 

「剣を降ろしてくれないか? まず話がした――」

 

 女の言葉を最後まで待つことなく、セツナは駆け出した。ウンベールの衛士隊を襲ったときのように、水色の光を剣に帯びさせて。

 

 その俊足は目で追うことさえ困難な速さだったのだが、女は見切ってみせた。セツナが肉迫していた時には既に剣を抜いて、迫ってきた水色に光るセツナの剣を受け止めている。

 

 周囲にいた剣士たちが、最初こそ呆気に取られていたのだがすぐ応援にそれぞれの剣を抜いた。それを見越してか、セツナは剣先を僅かにずらして拮抗を崩し、明後日の方向へと身体を跳ねさせる。女の腕力もあってか、セツナは剣士たちの包囲網から脱し村人の死体たちの群れへと飛び込んだ。

 

「システム・コール」

 

 女の口から神聖術――こちら側では暗黒術か――の式句が紡がれ始める。死体たちのひとりが、朽ちようとしている肉体を光らせ、細かい粒子へと分解を始める。

 

 かつて神聖術をかじっていたという農夫から聞いたことがある。高度な神聖術を行使するための神聖力を得るには花から取れる結晶を使わなければならない。だが空間神聖力の薄い暗黒界では、物の天命を神聖力へと還元する術があるのだという。

 

 となると、あの女は死体の天命を神聖力へと変えたのだろう。その証拠として、死体だった光の粒子は女の周囲に纏わりつくように漂っている。

 

 死体の一画が、もぞもぞと動きを見せた。そこから何かが飛び出してくるのを、女は見逃さない。

 

「ディスチャージ!」

 

 女の掲げた掌から炎の矢が飛んだ。矢と言うよりは、鳥だ。火だるまになった鳥が向かってくる人影に真っ直ぐ飛んでいき、触れた瞬間に爆発を起こす。

 

 煙の中から剣が宙を舞って、地面に深く突き刺さった。その近くで、身体から煙をくゆらせた人影が倒れている。

 

 生きてはいるみたいだ。動きが緩慢になっているから、それなりの火傷を負ったみたいだけど。

 

「まったく無茶な戦いを」

 

 溜め息をつきながら、女は服を焦げ付かせたセツナの身体を仰向けに返す。

 

「動かないでくれよ。今度こそ殺すことになる」

 

 流石に彼も観念したのか、囲まれた剣士たちの姿を一瞥して瞑目した。

 

「隠れている君も出てきてくれないか? 乱暴はしないと約束する」

 

 という女の呼びかけに、わたしも素直に応じるかしかない。もとより抵抗するつもりなんてかなったのだ。セツナが先走っただけで。

 

 出てきたわたしの姿に、女は意外そうに呟いた。

 

「背中のは………、武器じゃなさそうだな」

「ええ、ただの楽器」

「そうか。まあこっちに来てくれ」

 

 言われた通りに女のほうへ歩くと、セツナの状態がよく分かる。火傷は負ったみたいだけど、顔は思いのほか崩れてはいなかった。

 

「暗黒術も知らないとは。人界にも神聖術はあるだろうに」

「その人、ベクタの迷子なの」

「そうか、この男が………」

 

 納得したように嘆息しながら、女はセツナの顔を見つめる。

 

「村をこんなにしたのは君で、間違いはないね?」

 

 またも無言のみが返ってくる。セツナの焼けてかさかさに乾いた唇が動く気配がなく、あまり短期な性分じゃないのか女は気を悪くした様子もなく顔をわたしへと向け、

 

「間違いはないか?」

「ええ、その人がやったわ」

 

 正直に答えた。嘘をついたところで、いきなり剣で襲い掛かってきた人間が潔白だなんてこの場の誰も信じないだろう。

 

「あなたはどうしてここに?」

 

 ずっと気になっていた質問をぶつけた。外から人が来るなんて、10年の間で初めてだ。来たときには既に滅びてしまったけど。

 

「この辺りでオーク族が行方不明になってね、かねてから一帯を調査していたんだ。そしたら昨日、森を抜けて人界人がごった返してきて、村を支配していた貴族と衛士隊が殺されたとか言うんだ」

 

 そこで女はセツナの顔を見降ろし、

 

「殺したのはベクタの迷子だとね」

 

 ずっと大人しくしていたオークが、倒れたままのセツナの胸倉を掴んで無理矢理に起こした。

 

「お前、シェーンをどうした! どごにいるんだ‼」

 

 「落ち着け」と女はオークを制止させる。まだ興奮が冷めやらないオークをセツナから引き剥がしながら「すまない」と、

 

「行方不明になったのは彼の妻子らしくてね。旅行の道中で賊に襲われたそうだ」

 

 わたしは首を横に振った。生憎オークの親子なんて見ていない。そもそもオーク自体、この夫が初めて会ったのだから。

 

「死んだ」

 

 ようやくそこで、セツナが口を開いた。淡々としたその声に、オークの夫は一気に血が上り紅潮させた顔を押し付けんとばかりにセツナへと近付ける。

 

「でだらめなごとを! 本当にそれはシェーンだったのが!」

「名前は聞いてないが、一緒に赤ん坊もいた」

「お前が、お前が殺しだのか!」

「どの道死んでいた。俺はむしろ楽にしてやったくらいだ」

 

 いまいち容量は得ないけど、確かなことは彼の妻子はもう手遅れだということ。それと多分、引導を渡したのはセツナだったということだ。わたしと会う前の出来事だとしたら、森で行方不明になった衛士隊を殺した事と関係があるのか気になった。

 

「落ち着け」

「落ち着いでいられるか!」

 

 肩に置かれた女の手を、オークは乱暴に振り払い突き出した鼻から鼻水を垂らしながら喚く。

 

「もし本当なら俺はごいつを――」

「辛いだろうが落ち着け。奴にはまだ訊きたいこともあるんだ」

 

 オークの身体を引く女は、細身に見えるけどしっかりとした筋肉を付けているようだった。しなやかな腕に浮いた筋は、剣を振るい続けた鍛錬の賜物だろう。

 

「もし本当なら、説明をしてくれるか?」

「ああ。ただ、話す前に水が欲しい」

 

 その呑気とも、あるいは不遜とも取れる要求に女は呆れ顔を浮かべつつ、部下らしき剣士に「飲ませてやれ」と指示をする。剣士の男が「はっ」と腰の皮水筒をセツナの口に近付け、多少乱暴ながら飲み口を押し込んだ。

 

 口の端から水を零しつつも喉を潤したセツナは、擦れ声ながら当時の事を話し始めた。これが序文に綴った、彼がこの世界にやってきた直後に遭遇したものだ。

 

 セツナの口調は淡々としていたけど、内容のあまりの惨さに剣士たちと女はこわばった顔で閉口し、オークの夫は顔を歪めて涙を流していた。

 

「シェーン……、キュリオ………」

 

 妻子の名前を呼ぶオークに、誰も慰めの言葉なんてかける余裕もなかった。剣士たちはセツナをまるで狂暴な魔獣かのように見ている。

 

 わたしはふと、記憶を失う前のセツナは貴族なのでは、と思い始めていた。平民や私領民は、暴力という嗜虐を禁止されているために、血生臭い話はどうにも不慣れになりがちだ。

 

 でも貴族は、とりわけ皇帝家や上位爵家ならば裁決権を傘にいかなる暴力も、ひいては処刑という名の殺人をも許される。もしセツナが手に掛けてきた者たちを「人」ではなく「民」もしくは「罪人」とみなしていたのなら、殺すことへの抵抗は必要ない。

 

「こいつ、悪魔だ………」

 

 剣士のひとりが怖れを呟いた。ベクタが創造した、亜人族や魔獣よりも遥かに醜く狂暴とされる、おとぎ話の存在。

 

 後に神だなんて称される死神だけど、この時点ではただの醜悪な殺戮者だった。法をものともせず、生命の尊厳などお構いなし。

 

 そんな凶悪な生き物への対処は、殺す一択だ。畑を荒らす害獣や、集落を襲う危険性のある魔獣は駆除しなければならない。例えそれが人の形をしていようと。

 

 多くの者がそうだろう。わたしも、ここがこの男の最期なんだなと思っていた。

 

「馬車の中を整理しておけ、こいつは連れ帰る」

 

 女の何気なしな発言に、剣士たちは騒めきたった。「将軍、本気ですか⁉」と剣士の驚愕に、女は「そうだ」とだけ答える。

 

「しかし――」

「剣を交えた私にしか分からない事もある。これは命令だ、言う通りにしろ」

 

 毅然とした女の口調に、剣士は押し黙って馬車へと向かった。納得をしていないことは明白な顔をしていたけど、それでも従うべき立場に女は居るのだろう。少なくとも村ひとつ滅ぼしたセツナを一蹴できるくらいには、腕が立つことは素人のわたしにも分かる。

 

「なら俺はどうずればいい!」

 

 最も納得できないだろう者が、女に文字通り泣きついた。

 

「妻も子も殺ざれ、ごの想いさえ押し殺せどでも!」

「君の辛さは理解しているつもりだ。どうか今は堪えて欲しい」

「ぞんな………。俺は、俺は憎むごども許されないのか……………」

「憎むことは罪じゃない」

 

 唐突に放たれたセツナの言葉は、オークも女も黙らせた。

 

「憎んだだけで誰かが死ぬわけじゃない」

 

 セツナは言った。まだ喉が枯れているようだけど、それを言わなければならないような、強い意思めいたものを感じた。

 

「あんたの妻に止めを刺したのは俺だ。あんたには俺を殺す権利がある。でも、済まないが俺はまだ死ねない。この村の連中を殺したのはそのためだ」

 

 重い沈黙がその場を満たしていた。せっせと剣士たちが馬車の準備をする音だけが聞こえる。女はしばし熟考した末に、

 

「殺しが禁忌と知っていながらの言葉なら、姑息としか言いようがないな」

 

 その言葉で、この時のわたしは弱肉強食といわれた暗黒界でも殺人が禁忌であることを知った。丁度良い機会に、剣士が駆け寄ってきた。

 

「将軍、準備が整いました」

「よし、こいつは2番舎に入れろ。しっかり手足を縛るのを忘れるな」

「はっ」

 

 剣士たちは3人掛かりでセツナの手と足に縄をかけて担ぎ上げ、馬車へと荷物のように運んでいく。

 

「君は私と1番舎に乗ってくれ。色々と訊きたいことがあるんでね」

 

 と、女はセツナが運ばれていくものとは別の馬車を指さした。

 

「そういえば、どうしてわたし達が隠れてるって分かったの?」

 

 思い出してわたしが訊くと、女は「ああ」と微笑し式句を唱えた。すると伸ばした指先から空間に穴が空いたような、真っ黒な球体が現れた。それはふわふわと綿毛のように宙を漂って、ほどなくして音もなくほろほろと崩れて紫と毒々しい色をした霧へと変わる。

 

 その霧はまるで意思を持つように、わたしの周囲に漂い、やがて霧散していった。

 

闇素(あんそ)の探索術だ。身につけておくと色々と便利だよ」

 

 そう語る女の声は、セツナや剣士たちへ向けたものよりは優しく聞こえた。ぎこちなさのない、抱擁のような温かみのある響きに外見との乖離を覚えてしまう。

 

「そういば名前を言っていなかったね。私はアーウィン・イクセンティア」

 





そーどあーと・おふらいん えぴそーど4


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「はいというわけで、新キャラ登場です!」

キ「暗黒界人の女剣士だな。色々と語りたいけど、まだ登場したばっかだからあまり情報は出せないんだよなあ」

ア「因みにキャラデザは現在進行中です。完成する前に登場しちゃいました。はい作者はバカですね」

キ「言い方はキツいけど、まあ否定はできないな………。今回出てきたアーウィンのデザイン画のために、次回更新は遅れるらしい。まあ今回も結構遅くなっちゃったけどな」

ア「作者によるとプロットを何度も組み直したそうです。遅筆な作者でごめんなさい。無能に代わってお詫び申し上げます」

キ「当たり強いけど、アスナ作者に恨みでもあるの?」

ア「そりゃあるわよ! だってわたし達本編に出られないのよ!」

キ「根に持ってたのかよ! 最初あんだけ俺のこと煽っておいて!」

ア「だって出たいもんは出たいわよ! わたし原作ヒロインよ! 作中じゃ絶世の美女よ! わたし居ないと作品に華が無いじゃない‼」

キ「いやまあそうだけど――」

ア「この作品に出てくる女なんて今のとこアソコがガバガバなのと骨太ノッポよ! これから登場予定なのも《ピー》に《ピー》と《ピー》とかロクなのいない‼」

キ「やめて色々ネタバレしちゃうから! えー作者からの伝言で、アーウィンと今後登場予定のキャラビジュアルは読者様の琴線に触れるデザインにしますので、楽しみにお待ちください。だそうだ」

ア「どんな女が出てこようと、原作ヒロインのわたしに勝つことはないわ」

キ「ナンバーワン争いしてるキャバ嬢みたいだな………」

ア「あら、行ったことあるの?」

キ「行ける歳じゃないわ!」

ア「じゃあ気持ちを切り替えて、今回の趣旨を説明するわね。新キャラのアーウィン・イクセンティアについては続報をお待ちくださいとして、今回はこの作品の位置付けについての解説です」

キ「感想欄とかで早くも本作が別作品と繋がってるんじゃないか、勘付いている読者さんが多いんだよな」

ア「そう、作者が前に書いていた『ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト』って作品なんだけど」

キ「まあタイトルが似てるし主人公の名前も同じセツナだから、普通は気付くよな」

ア「作者は完全に読者さんをバカにしてますね、許せません!」

キ「いやバカにしてないからね、決して。単に『パラダイス・ロスト』が5年前の作品で誰も覚えてないだろうと思ってたら意外と覚えてくれてた読者さんもいて驚いたって事だから」

ア「そんな訳で、本来ならもっと後に出すつもりの情報なのですが、今回前倒しで解説したいと思います。理由としては、下手に沈黙することで読者さんを混乱させて購読意欲を削がせてしまうからだそうです」

キ「まあ作品がまだ序盤なのもあって詳しく話しちゃうとネタバレになっちゃうから出せる情報は少ないんだけど、そこは勘弁してくれ」

ア「まず単刀直入に訊くけど、本作と『パラダイス・ロスト』ってどういう関係なの?」

キ「まず全くの無関係ではないんだけど、ストーリーが地続きになってるわけじゃないから本作は続編ではないな。何て言うか、本作は『パラダイス・ロスト』の作風を受け継いだ後継作品という位置付けなんだ。だから『パラダイス・ロスト』を前作って呼ぶべきかは作者も微妙らしい」

ア「何だか煮え切らないわねえ」

キ「仕方ないだろ。これはっきり言っちゃったら作品の結構なネタバレになっちゃうんだよ。『パラダイス・ロスト』の続編を書こうにも、さっきも言ったように5年前の作品だから、はっきり続編なんて言って読者さんにまた作品読ませるのも負担になっちゃうんだよ」

ア「じゃあ、本作読むのに『パラダイス・ロスト』のほうは読まなくてもいいの?」

キ「全く問題はないな。むしろ作者曰く読んだら混乱するらしい」

ア「そっか、分かりました。それじゃあ読者の皆さん『パラダイス・ロスト』は読まないでください!」

キ「ええ⁉」

ア「だって内容知っちゃったらむしろ混乱しちゃんでしょ? それならもう読まないほうが良いわ」

キ「こういう解説って大体前作の宣伝でやるもんじゃないの? 俺読まなくても問題ない言っておいて誘導してるなあ、て思ってたし」

ア「良いのよ。あ、作者から伝言預かってます。えーと、ゲームとかで続編出た時『前作知らなくても楽しめます』とか宣伝しといて前作の内容をプレイヤーが知ってるの前提でストーリー進むのが、あれ大っ嫌いなんです。だって」

キ「まあ制作側からしてみれば、新規ユーザーに続編と前作両方買ってくれれば単純に売上倍増だしな。続編て前作が売れてるから出せるもんだし」

ア「本作の場合、別に前作がバスった訳じゃないもんね。完全に作者の自己満足だし」

キ「………否定できないな。まあ作者もそれを分かってるから、本作は単独でも内容が分かるようにしてるみたいだ。あ、これ誇張は無いからな」

ア「例えるなら『ニーアレプリカント』と『ニーアオートマタ』みたいなものね」

キ「マニアックな例えだなおい」

ア「じゃあ『ラブライブ!』無印と『ラブライブ! サンシャイン‼』みたいな?」

キ「いやまあ間違っちゃいないけど………」

ア「『仮面ライダークウガ』と『仮面ライダーアギト』!」

キ「それはコアなマニアにしか分からない!」

ア「まとめると、本作と『パラダイス・ロスト』に繋がりはあります。ただしストーリーは繋がってないので読まなくて大丈夫です!」

キ「これで読者さんのもやもやが晴れればいいんだけど、まだ気になることがあれば感想欄に書いていってくれ」

ア「それでは今回はお別れの時間です。次回は新キャラ、アーウィンのビジュアルを公開します。多分作者のせいで遅れますが、お楽しみに!」

キ「気長に待ってくれよー」



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第5幕 ダークサイド・テリトリー

 

   1

 

「そうか………」

 

 馬車の揺れで崩れがちな姿勢を正しながら、アーウィンはただひと言だけを呟いた。彼女のわたしへと向ける眼差しが、ただの少女へ向けるものから変わっていくのを話の途中から感じてはいた。

 

 昨夜に村で何が起こったのか、アーウィンは生き残り達から聞いている。でも村人たちがどんな暮らしをしていたのか詳しくは知らなかったらしく、興味本位から発したのだろう質問にわたしはありのままを話した。わたしが村で、ウンベールから受けていた仕打ちの数々を。

 

「無神経なことを聞いてしまった。無礼を赦してほしい」

 

 揺れでまた崩れた姿勢を正し、アーウィンは深々と頭を下げた。「気にしてないわ」と応じながら律儀な人だな、という印象と同時に、礼儀や作法というものを尊ぶ境遇に身を置いている人なんだ、という自分との境界を覚えずにはいられなかった。

 

 わたしも礼儀作法については無知ではないけど、それはあの村においては儀礼なんて尊ぶべきものではなく、単に貴族のご機嫌取りのために身に着けておくべきものだったからだ。特に領主がわたしに淑女みたいな立ち振る舞いを強要していたのは、さもわたしが服従しているように見て自身の所有欲を満たしていただけなのだから。

 

 「慰めにはならないが――」と苦い顔をしながらアーウィンは言葉を選ぶように話し始める。

 

「暗黒界では君のような境遇の子どもは珍しくない。戦前はそういう生き方しかできなかった者が大勢いた。鉄血の時代に至っては、惨すぎて記録にも残されなかった事が常日頃起こっていたそうだ」

「戦争が終わって、変わったの?」

「変わった――ように見えているだけだ」

 

 普段でさえ気難しさを描いているアーウィンの目尻が、より険しく吊り上がる。肌のきめ細やかさと灰色ながら艶やかになびく髪から歳はまだ若そうだけど、口利きや顔つきが不相応に老成した雰囲気を醸し出していた。

 

「確かに法は変わっている。目まぐるしいほどにね。だが、人の性根というものまでは、簡単に変わってはくれないのだ」

「そうね、わたしの村はまさにそうだったから」

 

 戦前の爵位を忘れられず、不毛の地で栄華の真似事をしていたウンベール。彼に付き従う生き方しか知らなかった私領民たち。そしてわたし。

 

 “表”と呼ぶべき世界がどういったものか、閉ざされた空間で育ってしまったわたしは知らない。でも、何となくアーウィンの少ない言葉尻から多少は増しなんだな、と思えた。同時に“表”があることによって生まれる“裏”に、自分が身を置いていたことの自覚が芽生える。

 

「君のような者を見る度に思い知らされるよ。世界は変わったようで、変わっていないことをね」

 

 アーウィンの滲み出す怒りに、わたしは何と応じたら良いのか分からなかった。だから素朴な疑問を飛ばした。

 

「あなたは、どうして他人のわたしのために怒れるの?」

 

 ただ純粋だから、と片付けるには、この年齢以上に大人としての思慮を持ち合わせた女剣士には不釣り合いな理由に思えた。ただ恵まれた“表”で生きてきた者の上から目線な同情だったら、わたしも不快感は抱いたかもしれない。でも、先ほど彼女がわたしに謝罪した態度から、単純な善意とか安い正義感で動いている浅薄さは感じられなかったのだ。

 

「君にだけ身の上を語らせるのは、不公平というものだな」

 

 自嘲するようにアーウィンは笑みを零した。この生真面目とも取れる彼女の気質は、年下のわたしでもどこか心配になってしまう。もっと鈍感に、強かでいられたら張った肩も少しは楽でいられるだろうに。

 

「私はかつて暗黒騎士団に所属していた」

 

 そう言うとアーウィンは革筒の水で口を湿らせた。どうやら長い話になるらしい。

 

 死神の話を知りたくてこの手記を手に取ってくれた諸氏には申し訳ないが、寄り道に付き合ってもらいたい。けど退屈はしないと思う。アーウィン・イクセンティア。彼女もまた、死神伝説を語る上では欠かせない登場人物なのだ。

 

 

   2

 

 戦前、君とそう変わらない歳で騎士団に入った私は他の騎士たちと同じように剣の腕を磨き、来る人界との戦いで武勲を立てることしか考えていなかった。暗黒騎士とは、ひいては暗黒界に生きるギルドや種族は皆そのことしか頭にないと思っていたよ。禁忌目録によって厳しく統制されていた人界とは違い、闇の国では”力で奪う”ことが絶対唯一の法だった。

 

 けど、違う考えを持つ者がいた。それは私の師、リピア・ザンケールだった。彼女は自らの財産を投げ打って、人族や亜人関係なく孤児たちを集め面倒を見ていた。

 

 その話を聞いたときは驚いたし、同時に師を軽蔑もしていたよ。いくら種を撒いても雨は降らず芽も出ないこの地では、生きるには強くなるしかない。弱者は淘汰されるのが当然だ。死ねばただ弱かっただけと片付けられる。子に素質が無いと分かれば親は容赦なく子を捨て、次の子を産もうとする。

 

 僻地やオブシディアの貧民街には弱さ故にギルドや種族から追いやられた子ども達が溢れかえっていて、師はその子たちを集め寝床と食事と、更に教育まで与えていた。ゴブリンだろうがオーガだろうが人だろうが関係なくね。

 

 馬鹿げていると、心底思っていた。それに情けなく思ったものだよ。私はこんな甘い女から剣を教わっていたのかと。まあ、最初からあまり良い印象は持っていなかったのだが。リピア・ザンケールという名は騎士団の中でも、人族の女でありながら騎士団に入った変わり者で、しかも騎士としては遅咲きと言われていたからな。

 

 10代で騎士団入りし天才ともてはやされた私にとって、当時の師は単なる踏み台程度にしか思っていなかった。

 

 だが軽蔑していたにも関わらず、私は師から1本も取れたことがなかった。当時は悔しくて地団駄を踏んだよ。子育ての真似事にかまけている女のどこにあの強さがあるのか。きっと孤児院に誘われなければ、この先も師が剣に込めていたものは絶対に分からなかったろうな。

 

 初めて師の孤児院を訪ねた時は、目にしたものが現実と受け入れられなかった。亜人族と人族が同じ屋根の下で同じものを食べ、同じものを学んでいるのだからな。当時、亜人族は人族に敵意を持っていた。特にオークからの視線は殺気すら感じられたよ。にも関わらず、その孤児院にいたオークの子どもは人族の子とパンを分け合って食べていたんだ。

 

 その光景は当然驚いたが、同時に美しくも思えたんだ。これが世界の、本来あるべき姿なんじゃないかとね。互いに殺し奪い合うのではなく、パンを分け合い互いの命を尊重し支え合うことこそが。それは暗黒界に生きる者同士だけでなく、人界ともそういった関係が築けるのではという希望すらも持てた。

 

 師はどこかで、私がそのことに気付くと期待していたのかもしれないな。同じ騎士団の者や騎士長閣下にも打ち明けたことがなかったと言うのだから。私は訊かずにはいられなかった。どうしてこんな事を、とね。すると師はこう答えた。

 

 “新しい時代に、旧き時代の悪習を持ち込んではならない”

 

 師は暗黒界の全種族、それどころか人界との和平を望んでいた。孤児院での光景が世に広がっていけば、と私も希望を抱いたのは確かだが、不可能とも思っていた。暗黒界が辛うじて停戦状態にあったのは十候会議による約定があったからこそ。その約定が結ばれたのも、鉄血の時代での疲弊が深刻になり、各種族が滅亡寸前にまで追い込まれた故のものだった。

 

 当時の暗黒界は各種族やギルドが戦の機会を探り、その均衡はいつ崩れてもおかしくはない状況にあった。ましてや人界など、肥沃な土地という暗黒界に住まう者全てが新天地として求めてきた。奪い合って生きてきた者たちに、共に生きるなんて考えはない。愚かだとは思うが、そういう世界に生まれついてしまったのが暗黒界人というものだ。

 

 それでも、師は本気だった。師は更に、シャスター騎士長閣下も同じ理想を抱いていることを私に教えてくれた。

 

 戦慄したよ。暗黒騎士の長ともあろう者が、戦いのため剣の道を邁進してきた者が、戦のない世界を創ろうとしていたなんてね。

 

 機が――東の大門が崩れる日が訪れたら、騎士長閣下は人界との和平へと持ち込むだろうと師は予測した。そして協力は惜しまないと、たとえ他の諸候たちを斬ってでも閣下と同じ夢を視ると語った。同じ志を持つ者としてもあっただろうが、恐らくは想い人と同じ道を歩みたい、というのもあったのだろうな。当人たちは隠していたようだが、私の目には分かりやすかったよ。

 

 閣下と師が、剣に込めていた力の源とやらの一端が垣間見えた気がした。敵意とか憎悪は確かに力を生み出す。だがふたりは、それらの感情を超越した大義の力というものを信じていたのだ。その根底にある、愛する者と共に同じ夢を往きたいという願いをね。私もその大義の先にある夢を視てみたいと思ったし、師には想い人と結ばれて欲しいと願った。

 

 だが、ふたりの理想は潰えた。異界戦争でね。

 

 東の大門の崩壊を待ちわびたかのようにベクタ帝が目覚め、人界への侵攻を宣言した。機会の悪さに、私は諦めという選択しかないと思っていた。ベクタ帝とは暗黒界においては絶対的存在。数百年前、ステイシア神によって人界を追い出されたベクタ帝とその眷属たる闇の住人たちにとって、人界への侵攻は世代を越えた悲願だった。我らが力を求め続けてきたのは、この時のための備えと言っても過言じゃない。師と騎士長閣下が異端だったというだけの話だ。

 

 その異端さが、悲劇だったのだろうな。

 

 目覚めて2日して、皇帝は再び十候を集めた。その場には私もいて、忘れられない光景だったよ。皇帝は自らの寝首を掻こうとした裏切り者として、返り討ちにしたその首を私たちの前に晒した。

 

 首は、師のリピア様だった。

 

 あの時の感情は、何と言えば良いのかな。当然怒りや悲しみはあったが、同時にやはりという寂しい諦観もあった。師が理想の障害となりえるベクタ帝を排除しようとするのは、何ら不思議ではないとね。

 

 だが、シャスター閣下は違った。愛する者を殺された怒りが、そうさせたのだろうな。怒りを爆発させた閣下は、今まで私たちに見せたことのない力を見せつけた。かつてから習得していたのか、それともあの時だけのものだったのかは今となっては分からないが、最初は魔獣でも召喚したのかと思った。閣下の姿をした巨人が、剣でベクタ帝を叩き斬ろうとしたのだから。

 

 一体どんな術なのかは分からないが、その余波だけで集まっていた十候の何割かが死ぬほどのものだった。私も巻き込まれまいと逃げるのに精いっぱいだったよ。

 

 でも、ベクタ帝の力はシャスター閣下をあっけなく退けてしまった。何というか、まるで閣下が食われ吞み込まれていくように見えたんだ。満腹というものを知らない獣が貪るように、皇帝は閣下の血一滴も残さず啜り尽くした。恐ろしいが、まさに暗黒界を統べる者として相応しい力だ。逆らってはいけない、と私は魂の底から恐怖したよ。

 

 シャスター閣下亡き後の騎士団は、正に腑抜けだった。皇帝に対する裏切り者という烙印を貼られ、権威は地に堕ちた。ベクタ帝と共に現れた――確かヴァサゴという名だったか――将軍の命令を聞くしかなかった私は、奴を斬り捨てられたら、と何度も願った。

 

 しかもベクタ帝の、人界への侵攻なんてものは、新天地を求めた我らを率いるための詭弁(きべん)だったのだ。奴の本当の狙いは人界にいる光の巫女とやらを手に入れること。たったひとりのために、私たちは捨て駒として扱われた。

 

 戦場にいた大半のオークが大規模暗黒術の生贄として捧げられ、人界軍が開いた地の裂け目を渡らせるために多くの拳闘士たちが玉砕確実の行軍を強いられた。

 

 違う、と何度も心の底で叫んだ。師も、騎士長閣下も――いや、戦場にいた者たちはこんな事のために戦っていたんじゃない。種やギルドなんて関係ない。皆が故郷にいる者たちのため、愛する者たちのために決死の覚悟で戦場へ赴いたのだ。

 

 そのために勇ましく果てることもできず、皇帝の大義なき欲望のため惨めに死んでいく者たちを目の当たりにしながら、私は己の無力に絶望と憤りを感じることしかできなかった。

 

 戦争の結果は知っての通り、人界の代表剣士がベクタ帝を討ち戦いは終わった。あの時、南から広がっていく夜空を見上げた私は孤児院の子ども達の顔を想った。きっとあの子たちは師の帰りを信じ待っていることだろうと。師が愛する人共々殺されたなどと知ったらどんなに悲しむことか。

 

 だから私は星に願った。あの子たちが悲しみを乗り越えられるよう、強く生きられるようにと。

 

 これからの世界に、悲しみなんて起こらないように、と。

 

 

 だが、世界は変わらなかった。

 

 

 人界で発足した統一会議と暗黒界の総司令官に就任した拳闘士ギルドのイスカーンが終戦協定を締結し、それで師の悲願は果たされたと思った。

 

 終戦後すぐに人界側は暗黒界に食糧支援を施行している。それで食糧不足は改善に向かったし、子どもが口減らしに捨てられることもなくなったのは事実だ。だが、その恩恵を受けられたのはオブシディアとその周辺のみだ。支援が始まって10年が経っているというのに、未だ僻地は慢性的な飢餓に苦しんでいる。当然、口減らしに捨てられ身をひさぐしかない子どもも大勢いるのだ。

 

 人界側にも事情はあるだろう。それまで人界の民たちのために耕していた畑を、一度に暗黒界人のためにと増やすことは容易でないことも理解できる。だが、暗黒界側も食糧の見返りとして資源物資を人界へ流しているというのに、これではつり合いが取れない。

 

 そもそも、人界には暗黒界の民全てを受け入れられるのに十分な土地があると言われているのだ。それなのに統一会議は土地の未開拓を理由に受け入れを拒み続けている。

 

 そこに、人界から逃れてきたという貴族共だ。奴らは僻地で苦しんでいる村を襲撃し、現地人たちを虐殺した。君の村のようにね。人界には禁忌目録という法で殺人を禁止しているが、奴らは我らを人とみなさない。闇の国に生きる怪物だとね。

 

 これが何を意味するか分かるか。和平など形だけだったということだ。表向きとして分かりやすい救済措置をするだけで、零れてしまった者たちの声は聞こえない振りをして放置される。

 

 イスカーン総司令も効果があると思い込み、統一会議のやり方に何も指摘をしない。暗黒界でも殺人や略奪行為の禁止が発令されたが、強者が弱者を虐げるという世界の図式は何も変わってはいない。

 

 だから、私は暗黒騎士団を去った。あそこに居ては、師の掲げていた大義が廃れてしまうような気がしてね。

 

 

   3

 

 話し終えて少し疲れたのか、深い溜め息をついてアーウィンは水を飲んだ。「飲むか?」と差し出された水筒を受け取って、わたしも半分にまで減った水を口に含む。その臭みや澱みを一切感じない清涼さに、思わず目を剥いてしまった。ただ井戸から汲んだだけの水が、これほど綺麗なものだろうか。

 

「ここまで自分の身の上を、しかもまだ会って間もない者に話すのは初めてだよ」

 

 言いながら、アーウィンはどこか可笑しそうに微笑しながらわたしを見つめていた。一見すると年下の子どもに向けるような、でもどこか探っているような眼差しに身構えるけど、この馬車の密室では無駄なあがきというものだ。

 

「君には、まるで全てを見透かされているような気がする。何と言うか、嘘が吐けない、てところかな」

 

 それは買い被りというものだ。ただわたしが身の上を話したから、不公平と律儀にアーウィンも自分のことを話しただけに過ぎない。

 

 それを指摘したところで、きっとアーウィンは認めないだろうな、とも思っていた。騎士時代に育んできた立振る舞いで彼女の人格というものが形作られたのなら、頑固とも取れる面は今更矯正がきくものじゃないだろうから。

 

「騎士を辞めて、あなたは今何をしているの?」

「師の孤児院を継いでるよ。子ども達は放っておけない。あとは――」

 

 そこで、馬車が止まった。相殺できなかった勢いに身体を傾けさせながら、アーウィンは含みのある笑みを見せる。

 

「見てもらうのが早いな」

 

 扉を開けて軽々と馬車から降りるアーウィンに続こうとしたけど、彼女のようなしなやかな所作はわたしに真似できるものではなかった。少し高めな段差から跳び下りて、着地で脚をもつれさせたわたしをアーウィンは易々と支えた。こういった気配りを容易くできてしまうのは、孤児院の子ども達と触れ合っているからだろうか。

 

 今度はしっかりと足裏に地の感触を確かめながら、目の前に広がる光景を視野に収める。それはウンベールの屋敷とは比べ物にならないほどしっかりした木組みの家屋。壁のくりぬかれた一画には、目を凝らすと透明なものがはめ込まれているのが見える。あれが話に聞いていた、ガラスというものだろうか。

 

 その家々が、人々の行き交う道を挟んだ左右にどこまでも一直線に建ち並んでいる。これが街というものだろうか。同じ赤い空と黒い大地の暗黒界なのに、空気の澱みを感じない。活気や、息づく営みと言うべきか。

 

「交易の中継点だ。街と呼ぶほど大きくはないがね」

 

 なんて言ってのけるアーウィンは、馬車の前に建っている家に入っていく。とても大きな家だ。人の背なんて優に越している。何だか巨人の口に吸い込まれそうな緊張にしばし慄きながら、わたしも彼女に続いて両開きの木製扉を潜った。

 

 建物の中には多くの鎧を身に纏った人々がいる。人だけじゃなくオークも混ざっていた。各々がテーブルで飲み物を手にして、更に盛られた食べ物をつつきながら談笑している。

 

 アーウィンの姿を認めた若い青年が、彼女に近付き右の拳を胸元で握り大声を張り上げる。

 

「ご苦労様です、将軍」

(かしこ)まることはない、て何度も言ってるだろう。楽にしていい」

「はっ。それで、如何でしたか?」

「そう急ぐな。まず休ませてやりたい者たちがいる。彼女に何か食事でも――」

 

 「ナミエ!」という声が談笑の隙間から、アーウィンの声を打ち消した。駆け寄ってくる顔には見覚えがある。確かめようとしたところで、若い男特有の固い腕とそう厚くもない胸板がわたしを包み込んだ。

 

「ああ、無事で良かった………」

 

 涙でも浮かべているのか、鼻水を絡んでいるけどその声は何となく村の青年農夫だったと記憶している。ああそうだ、セツナに食べさせるパンを倉庫から取ってきた彼だ。こうして触れるのも初めてだが、わたし以外でも彼は女に触れる機会に恵まれなかったのか酷くぎこちない手つきだった。力が強く鬱陶しさすら覚えたわたしの機敏を察してか、アーウィンが少し険の籠った声を出す。

 

「申し訳ないが、彼女は疲れているんだ」

 

 と籠手で覆われた手で成人男性をわたしから離したアーウィンに、青年は抗議の目を向ける。

 

「いや、俺はこの子と村で――」

「話は彼女から聞いてるよ。それで、君は彼女に何をしてやったんだ?」

「それは、パンを分けてやったり――」

「彼女が本当に望んでいたことが何か、知っていたのか?」

 

 立て続けに迫る質問に、青年はとうとう押し黙ってしまった。自分よりも背が高く、しかも剣を提げているとはいえ女に言い負かされるのは男としてのちっぽけな矜持が傷付いたことだろう。村では基本的に、女衆は男よりも下位と序列が付けられていた。

 

 下々の者たちの、矮小な誇りを守るための序列だ。自分は惨めじゃない、もっと下のやつがいるんだから、という自己欺瞞。この青年も、ウンベールがいなければわたしを好きにできるとでも思っていたのだろう。辛うじて上と思い込める立場に若さゆえの情欲が上乗せされて。

 

 「ひっ」と青年は更に意気地の無さを露呈させるような、上擦った声を唐突にあげた。青年だけじゃなく、建物にいる何人かが同じように息を呑むなり声にならない悲鳴をあげるといった反応をしている。

 

 彼らの視線の先、建物の入口へと目を移すと、そこには火傷で乾いた顔の青年が、冷たい眼光で屋内を見渡している。

 

「そいつは適当に空いてる部屋に入れておけ」

 

 アーウィンが指示を飛ばすと、彼の両隣に着いていた男たちが「はっ」と応じて手首を縛られたセツナを奥の階段へと連れていく。素直に階段を上がっていく彼の姿を見上げるわたしの手をアーウィンが取り、

 

「さあ、君もここだと休まらないだろう」

 

 引かれるまま、わたしとアーウィンも階段を上がった。2階建ての建物は初めての経験で床が抜けやしないか怖かったけど、造りがしっかりしているこの建物は床板をいくら踏んでも軋みはするが揺れもしなかった。

 

 通された部屋は小さい、ベッドと小さなテーブルのみが置かれたものだった。腰掛けたベッドに敷かれた布団は、馬車の揺れで痛んだお尻が吸い込まれそうなほどに柔らかな生地だった。生糸でも、こんな柔らかさを出すのにどんな編み方をしているのだろう。

 

「済まないね。村の者と話したいことでもあったかもしれないが」

「ううん。別に話すことなんてないわ」

「ん、そうか」

 

 何となく察してくれたのか、アーウィンはそれ以上の追求はしてこなかった。

 

「見ての通り――と言っても分からないか。下に居るのは私の同志たちだ。種族やギルドとか関係なく募っている。皆、さっき話した今の世界の零れ者たちだよ」

「もしかして、反乱でも起こすつもり?」

 

 わたしの予想にアーウィンは笑った。笑っているけど、困っているような顔をしていた。

 

「まあ、確かに反乱運動と言って間違いはないね。ただ、人界の皇帝家みたいな兵力はない。それに私たちがならず者とはいえ、禁忌を破ることはできない。今の体制に反旗を翻そうと考えれば、何故か右目が酷く痛む。私だけでなく、同志たちの多くがそれを経験しているんだ」

 

 つまりは、大義はあっても動くための1歩が踏み出せない。それを阻むものが、何故かアーウィンたちの右目にあるのだろう。

 

「そんな時に見つけたのが、あのセツナという男だ」

 

 今日、アーウィンはその1歩を踏み出す術を見つけたのだ。禁忌など知ったことかと、衛士隊を惨殺した神をも恐れない存在を。

 

「彼なら、この世界を変えられるかもしれない」

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど5


キリト=キ
アスナ=ア
リーファ=リ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「今回は何とゲストキャラが出るわよ、それではどうぞ!」

リ「こんにちは、リーファです」

キ「おおスグ、来ちゃったんだな………」

リ「お兄ちゃん何でそんなテンション低いの?」

キ「今に分かるさ……。てか、このコーナーは俺とアスナのふたりでやるんじゃなかったのか? 俺の負担減ってありがたいけど」

ア「当初はその予定だったけど、考えてみたらわたし達がこのコーナーやってるのは本作で出番が無いからで、だったら原作でもあまり出番が無かったリーファちゃんや他の原作キャラ出しても良いじゃん、ていう作者の判断よ」

キ「原作でも出番なかったは余計だ! うちの妹頑張ったんだぞ!」

リ「あーこういう事なんだねお兄ちゃん………」

ア「さ、という訳で今回はリーファちゃんも交えて作品の解説をしていくわよ。まずは新キャラね。アーウィン・イクセンティアのビジュアルがやっと完成しました、どうぞ!」


【挿絵表示】


キ「ポニーテールの女剣士か。何て言うか………」

リ「ん? どうしたのお兄ちゃん」

ア「ポニテでデカパイ剣士ていう属性が完全にリーファちゃんと被ってるわね」

リ「ええ⁉」

キ「いや違うぞスグ! 全体的なシルエットが似てるなと思っただけというか――やめてそんなゴミを見るような目で見ないで俺お兄ちゃんだよ!」

ア「因みに作者はデザインが終わったと同時にこのキャラ被りに気付いたのですが、描き直す気力も失せたのでこのまま通すことにしたそうです。それに本作にリーファちゃんは出ませんから」

リ「アスナさん、それ言わないでください割とショックです………」

ア「あら、リーファちゃんは出たいの? この鬱展開で原作の要素皆無な二次創作に?」

リ「………いえ」

キ「うん、懸命な判断だぞスグ」

ア「それではアーウィンのプロフィールですが、年齢は25歳で身長は170センチ、鎧のヒールを足したら175センチね。スリーサイズはバスト90ウエスト59ヒップ89です」

リ「何かやけに細かいね………」

キ「まあ、作者の趣味だな………」

ア「因みにスリーサイズは『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』に登場する朝香果林(あさかかりん)さんとエマ・ヴェルデさんの平均値となっています」

キ「またラブライブかよ!」

リ「スタイルの良いふたりを参考にしたんだね………」

ア「作者によるとグラマラスな大人の女性を出したくて生まれたキャラクターだそうです。だからおっぱいはデカくてもお子ちゃまなリーファちゃんにはない魅力を持ったキャラクターね」

リ「なっ……。いくら大きくたって年取ったら垂れるじゃないですか! ブラ取ったら絶対に形崩れますよ! 張りは10代のわたしの方が――」

キ「もうやめてスグ! お兄ちゃん妹が下品になってくの見たくない!」

ア「ほらお兄ちゃん泣いちゃったわよ。よしよしってパフパフしてあげて」

リ「アスナさんも少しは自重してください! 原作ファンの炎上買いますよ!」

ア「もう良い子ちゃんなんだから。大体この作品自体が原作ファンに喧嘩売ってるようなもんなのよ。今回だってアーウィンが散々キリト君の政策ディスってたでしょ?」

リ「ちゃっかり作品の解説に移ろうとしてる。お兄ちゃん、お義姉さんが怖い………」

キ「俺も妻が怖い………」

ア「はいはいふたりとも仕事して。えー今回アーウィンは戦後アンダーワールドの体制に反発するキャラクターとして登場したわけですが、これについてキリト君はどう思う?」

キ「責任は感じちゃうよな。俺も出来る限りのことはしようとしてたけど、現実問題として実現できない事も山積みだったから」

リ「お兄ちゃんとアスナさんの頑張りは原作のムーン・クレイドル編でも描かれてたから、それを思うとアーウィンの言い分はちょっと身勝手なのかな」

キ「でも、頑張ったからどうこう、ていう立場じゃなかったからな。一応俺は戦後の最高指導者だったから。政治ってのはちゃんと結果を出さないと支持されないんだな」

ア「原作主人公が偉業を成し遂げたからって万人が救われるとは限らないのよ。本作は救われず貧乏くじを引かされた人の物語なの」

リ「何かアスナさんが急に真面目になって不気味です………」

ア「作品がシリアスだからボケづらいの。わたしだって辛いのよ分かる?」

リ「分かりたくないです………。何て言うか、戦後10年経ってもアンダーワールドはまだ不安定だったんですね」

キ「ムーン・クレイドル編だけでもダークテリトリーの問題というか伏線が多すぎて回収しきれなかったくらいだしなあ。食糧問題に雇用問題に、四皇帝の暗躍とか暗黒術師ギルドも何か企んでるっぽかったし。人界だけでも貴族や天職制度の廃止とか教育制度の普及とか色々立て込んでたし。あと整合騎士たちにシンセサイズの事も教えるかどうか悩みどころだったんだよなあ」

リ「………ねえお兄ちゃん、気になったんだけど」

キ「ん?」

リ「色々と解決しなくちゃいけない問題たくさんあったのに何で機竜なんて造ってたの?」

キ「うっ……」

ア「リーファちゃん良いとこ突いてきたわねえ。そうよ自由研究なんてやってる暇なんてなかったのよ。それなのにキリト君はとにかくフィーリングで行動しちゃうんだから困ったものよねえ」

キ「いや、あれは終わりの壁を越えるっていうれっきとした目的があってだな。あの壁越えてアンダーワールドの居住圏が広がれば――」

リ「人界だけでもダークテリトリーの人たちが住めるだけの土地はあるって作中でも言及されてたよ」

ア「因みにその設定は原作19巻で、キリト君が人界には未開の土地が多いっていう件が元ネタになってるわ」

キ「確かに人界にはまだ土地が有り余ってたけど、アドミニストレータが無暗に人口が増えないようあれこれオブジェクトを置いてたから中々開拓が進まなかったんだよ」

リ「んなもん黒い剣でぶった斬っちゃえば良いじゃない。何のためにお兄ちゃんチート覚醒したのよ」

ア「宝の持ち腐れとはこの事よねえ。因みに裏設定だけど、この時代のキリト君はダークテリトリーとの交易のため列車の開発を進めていたことになってるわ」

リ「うっわまた自由研究。そりゃアーウィンみたいに不満持つ人が出てくるのも当然よねえ」

キ「俺頑張ったもん! 物凄い頑張ったもん(泣)」

リ「はいはい泣かないの飴ちゃんあげるから」

キ「うわああスグがアスナに毒されたああ!」

リ「あ、そういえばアンダーワールドの人たちって法律とか上の人からの命令に逆らえないんですよね、右目の封印とかで。何でアーウィンは反乱運動なんてできるんですか?」

ア「ほらキリト君、解説の出番きたわよ」

キ「ぐすん……。何て言うか、解釈の違いってやつだよ。カーディナルのマグカップはコースター無しで置けないけどスープカップと思えば置けるって説明があったけど、あれと同じように法や命令なんてのは解釈次第でいくらでも捻じ曲げられるんだ」

リ「てことは、アーウィンにとって従うべき相手はイスカーンやお兄ちゃんじゃなかったって事?」

キ「その通りだな。アーウィンにとって精神的指針になってるのは師匠のリピアで、俺は言うなればリピアの理想を歪めた独裁者で倒すべき敵っていう認識なんだ。とはいえアーウィンも右目の封印で反乱に踏み切ることはできずにいたから、一応俺が為政者とも思ってるみたいだけど」

ア「まあ要は、あれね」

キ「あれ?」

ア「キリト君が優柔不断なのが、アーウィンていう反逆者を生み出した原因よ」

キ「えええ⁉」

リ「ああ、それですね!」

キ「スグまで⁉」

リ「だって原作がハーレム系に片足突っ込んでるのって、アスナさんがいるのにお兄ちゃんが方々で思わせぶりな態度取るからじゃない」

ア「今まで被害らしい被害が無かったから見逃してたけど、とうとう大問題に発展しちゃったわね」

キ「いやいやいやちょっと待ってそれとこれとは話が別――」

リ「凄いよお兄ちゃん! お兄ちゃんの優柔不断さが遠回しに死神伝説作ったんだよ!」

キ「こじ付けにも程があるわ!」

ア「という訳で判明しました。本作でこれから起こるでしょう悲劇、その根源はキリト君です!」

キ「清々しいほどの濡れ衣!」

ア「さあ謎が解明できたところでお別れの時間です。リーファちゃんどうでしたか?」

リ「最初は大丈夫かなって思いましたけど、結構楽しかったです」

ア「じゃあ、また来てくれますか?」

リ「あはは、嫌です」

キ「だろうね」

ア「次はどんなゲストが来るんでしょう。次回をお楽しみに!」



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第6幕 カーム・ナイト

 

   1

 

 ほろほろ、と崩れてしまうほどに肉は柔らかかった。フォークに刺しても零れてしまうほどだから、乗せて口まで運んでいかなければならない。口の中で噛むと煮込んだスープの味が溢れ出してきた。

 

「スープは残しておくといい。パンを浸して食べると絶品だよ」

 

 すぐに具を平らげてしまったわたしは、アーウィンに言われた通りパンを千切って赤いスープの中に入れた。生地に染み込んだ滴を垂らしながら口に運び、麦の香りとスープの味を噛みしめた。

 

「おかわりもあるよ」

 

 すぐに完食してしまったわたしに微笑しながら、アーウィンが言った。自分のがっつきぶりに羞恥を覚えつつも、生まれて初めてとも言える美味な料理に食欲を抑えられないのは仕方ないものだ。

 

「そんなに美味かったのか?」

「うん」

 

 ほのかに酸味がある肉のスープは濃厚で、パンもアーウィン曰く固いからスープに浸して食べるらしいが村で食べていたものよりは各段に柔らかい。

 

「これ、何の魔獣の肉なの?」

「魔獣じゃなくて、人界で育てられた牛の肉だよ。赤いのはトマトという野菜らしい」

「わざわざ人界から暗黒界まで牛を連れてきて調理したの?」

「いや、冷素を溜め込んだ箱があってね、そこに食材を入れておけば天命が長持ちするらしいんだ。確か、冷蔵庫とか言ったかな」

 

 それはまた、便利な発明品があったものだ。それがあれば、人界から新鮮な食材をいくらでも暗黒界へと運ぶことができるだろう。

 

「こういった物ばかりは、統一会議に感謝もできるのだがね」

 

 嘆息と共にアーウィンは微笑を漏らした。統一会議への恨み節をわたしに語っておきながら、恨むべき相手からもたらされた恩恵を享受しなければならない。その板挟みというものは、わたしの感触した料理の皿を見る度に思い知らされるのだろう。

 

「私はこれから彼と――セツナと話をするが、どうする?」

「どうする、て?」

「気になっているみたいだったのでね。一緒にどうかな?」

 

 そんなにわたしは分かりやすい表情でもしていたのだろうか。さっき馬車の中でわたしの事を全て見透かしていそうなんて言っていたのに。矛盾を禁じ得ないのは、彼が気掛かりであることが否定できないからだろうか。

 

「会ってみる」

 

 答えると、アーウィンは無言のまま微笑した。君ならそう言うと思ったよ、とでも言いたげな顔が少しばかり意地悪に感じられた。部屋から出てすぐ、ドアの隣に守衛らしき男が佇んでいた。

 

 「あの男はどこに?」とアーウィンが訊くと、男は「こちらです」と案内をしてくれたけど、正直なところそれは必要のない気遣いだった。何故なら、そう離れていない部屋の前には剣を携えた男ふたりが見張りのためドアの両隣に構えていたのだから。それなりに鍛えているらしく筋肉で肩回りが隆起している彼らに臆すことなくアーウィンは訊いた。

 

「彼の様子は?」

「縄で拘束していますが、必要ないんじゃないかってくらい大人しいですよ。不気味なくらいです。本当に殺しなんてしでかしたんですか?」

「殺すところを見てはいないが、私に有無を言わさず斬りかかってきたのは事実だよ」

「はあ……。ですが、一見まともな奴に見えますな」

「まともじゃないからこそ、まともを装うものだよ、ああいった輩は」

 

 後になって思うが、伝説にまでなった男の印象が「まともな奴」なんて滑稽なものだ。わたし達の世界は、一見では普通の青年によって乱されたことになるのだから。世の安寧が叡智を積み重ねた人によってもたらされたのなら、それを乱すのも業を積み重ねた人という事なのだろう。

 

 ノックもせずに、アーウィンはドアを開けた。一見無防備だけど、彼女の腰にしっかりと剣が提げてあったことから一応警戒はしていたのだろう。

 

 わたしも部屋に入ると、セツナはベッドに縄で縛られていた。これでは仰向けの姿勢のまま寝返りすらうてない。さっき下で見た時は気付かなかったけど、馬車で治療を受けていたらしく火傷は殆ど消えていた。顔の皮膚は僅かに薄皮が乾いて裂けているけど、それはもう自然治癒できる範囲だろう。

 

「調子はどうだ?」

「腹が減った」

 こんな拘束された状態で食事なんてできるはずがないだろうが。その不遜さを予想していたのかは分からないが、アーウィンは呆れて深く溜め息をついた。

 

「なら大丈夫そうだな」

 

 わたしの案内されたのと同じ広さの部屋だから、同じようにベッドの他にはテーブルがひとつあるだけ。そのテーブルに備え付けられた椅子にアーウィンは座ると、じっとセツナの顔を見据えた。

 

「君はベクタの迷子のようだが――」

「そのベクタの迷子とは、一体何だ?」

「記憶喪失の者を私たちはそう呼んでいる。闇の皇帝ベクタが気まぐれに人をさらい、記憶を奪った上で遠くの地へ放ってしまうという言い伝えだ」

「まるで神隠しだな」

「かみ――何だそれは?」

「ベクタとかいうのは迷惑な奴だって話だ」

「まあ確かに、君からしたら迷惑な話だな。そんな迷惑を被ってしまった君は、失った記憶を取り戻したいとは思わないか?」

「俺の過去がまともならな」

 

 セツナの言葉に、わたしの背筋に冷たいものが走った。殺人が罪と自覚しながらもそれを実行できるこの男の過去が決して善良なものでないことは、考えなくても想像できることだ。アーウィンもそれは同じだろうか、紡ぐ言葉を慎重に選び取っているようにわたしには見えた。

 

「あまり良い過去ではなさそうだが、君は記憶がない故に自分が何者かすら分からず、これからどうすれば良いのかも分からない。違うか?」

「そうだな。今の俺が何者かというと、あんたの言うベクタの迷子だ」

 

 皮肉とも自嘲とも取れる返しにアーウィンは苦笑を零し、

 

「ここからは取引になる」

「拒否すれば?」

「君がさっき私に攻撃してきた時点で、人界禁忌目録の下私には防衛のため君を斬り捨てる権限が与えられている。今この場でも執行は可能だ」

「あんたに人を殺せるのか?」

「もしできなかったら人界の整合騎士に迎えに来てもらって、統一会議に裁いてもらうさ。犯罪など起こらんと思い込んでいるあそこでも、処刑せざるを得ないだろうね」

 

 いくら殺人が平気な罪人でも、この状況下で自らの立場を理解できないほど傲慢でもなかったらしい。

 

「これが取引だなんて言えるのか。とてもフェアに思えないな」

「ふぇあ?」

「公平、という意味だ」

 

 時折セツナの口から出てくる古代神聖語。それが彼の得体の知れなさをより際立たせる。肌の色から人界人であること、髪と瞳の色から大体の出身地は絞り込めそうだが、そんなことは些末事(さまつごと)にしか思えなくなっている。彼はどこで生まれたとか、そんな次元で知り得る存在ではない気がした。

 

「まあ、確かに公平ではない。だが我々も君に殺されやしないかと肝を冷やしているんだ。それを理解してくれ」

「どちらにしても、俺に拒否権はないんだな」

「理解が早くて助かるよ。話を戻すが、単刀直入に言えば私に協力してもらいたい。私に君の記憶を取り戻す術を授けてやることはできないが、代わりと言っては何だがすべきことは与えることができる」

「人を殺すことが、俺のすべき事だとでも?」

「嫌か?」

「好きで殺していたわけじゃない」

「仕方なかった、とでも?」

「殺さなければ俺が殺されていた」

「真っ当な理由ではあるな」

 

 仕方なかった。殺すしかなかった。俺は悪くない。こうして言葉を並べると、往生際の悪い言い訳でしかない。良心に対して蓋をし、自らの所業を正当化するしかないとも捉えられる思考を、アーウィンは否定しなかった。

 

「確かに望まぬ事だったのかもしれない。けど、犯した事実は消えない。その事に対する責任はあるはずだ」

 

 責任、と聞いてセツナの眉が僅かに動くのを、わたしは見逃さなかった。アーウィンは続ける。

 

「君は他の者にはできない事をやってのけた。それは強力な力だ。その力によって既に多くの者たちの運命を決めてしまったのは、分かるね」

 

 自らも力を持ち、それを自覚しているからこその強かな響きを帯びた言葉の連なりだった。同時に、アーウィンが自らの力の及ばない領域を羨望しているかのようにも感じられた。

 

「力を持つのなら、それを必要とする者のために振るうことだ。少なくとも現に今、君は彼女の命に対する責任を果たさなければならないはずだ」

「命への、責任………」

「救ったのなら最後まで面倒を見ろということだ」

 

 セツナはその目を虚ろに、視線を宙へと漂わせた。生気というものをあまり感じさせない土気色の肌が、沈黙して横たわる姿と相まって死体を想起させる。本当に、ここまで考えの読めない人間というものを、わたしは見た事がなかった。無表情、無機質、と片付けてしまうのにこの男の眼差しは冷たすぎる。

 

 返事を待つことなく、アーウィンは椅子から立ち上がる。

 

「言っておくが答えは聞かないよ。拒否権がないと、君は理解しているのだからね」

 

 部屋を出るとき、ちらりとセツナを一瞥するも彼は微動だにせず、縛られていることに身を任せたまま横たわっていた。

 

「彼に食事を用意してやってくれ」

 

 「はっ」と威勢よく返事をした見張りの片割れが、素早く廊下を駆けていく。階段を降りる足音が小刻みに聞こえていた。

 

「済まないね、君をダシに使うようなことを言って」

「気にしてないわ」

 

 わたしに対しての責任。あの場で咄嗟に出た言葉じゃないだろう。取引の材料として引き合いに出すため、それとなく場に誘ってみせるアーウィンの抜け目なさに、胸の裡でわたしは緊張を飲み下していた。

 

 アーウィンがセツナを使って行おうとしていることを、わたしはまだ知らない。けど、崇高な理念とか、善良さだけで動けることではないと、漠然とだが理解はできていた。

 

「私は明日にでもオブシディアに行く。彼も連れていくが、悪いが君も来てくれないかな?」

「わたしも?」

「ああ、ここで他の難民たちと一緒に居てもらうのも良いんだが、君の場合は村の者と一緒にするのは危なそうだからね」

 

 村の農夫の視線に、彼女も同じ女として感じる不快というものがあったのだろうか。ウンベールのいない場所でわたしの身体をよく触っていたあの男たちの欲望が、領主亡き後で暴発させることもあり得るかもしれない。

 

 その可能性を浮上させても、恐怖といった感情はあまり湧かなかった。わたしの人生や運命とは、常に誰かに握られていたのだから。無力な存在というものは、いつだって力ある者に平服するしかない。アーウィンのように強く、セツナのように惨くは、誰もがなれるものじゃない。

 

 それでも、アーウィンは優しかった。これまでのわたしを労わってくれているかのように。

 

「君はあんな男たちに汚されるための存在じゃないはずだよ、ナミエ」

 

 

   2

 

 ゆっくり休むといい。

 

 明日の出発まで自由にして良いとアーウィンに言われて、暇を持て余していたわたしは部屋のベッドでぼんやりと天井を眺めていた。下の階で簡単な食事を摂ることや酒を楽しむこともできるらしい。この建物は表向き交易中継地の酒場だから多くの人が出入りするらしいのだが、この日のわたしはあまり人と会う気分にはなれなかった。村の人たちと遭遇するのが面倒、という理由も大きいけど。

 

 アーウィンはそれを察していたのか、夕刻になると部下らしき人が夕飯の盆を部屋に持って来てくれた。

 

「下では落ち着いて食べられないだろうから、て」

 

 そう言っていた部下が女性だった事も、わたしへの配慮だったのかもしれない。不用意に男に近付けまいとする彼女の気遣いは有難いのだが、わたしはそこまでしなければならない腫れ物なのか、という戸惑いも否定できなかった。

 

 人として尊重されることなんて、今まで無かったから。

 

 夕飯もパンとスープといった簡単な食事だったけど、わたしにとってはご馳走とも言って良い味だった。麦の香りが際立ち湿気を含み柔らかく焼き上がったパン。鶏肉と野菜が汁気を吸ったスープ。どれも、村に居た頃には味わえなかった。

 

 入浴もまた初めての経験だった。井戸水をそのまま被るのではなく。大きな鍋みたいな風呂釜にたっぷり溜めた水を、熱素を封じたカンテラ石で沸かす。

 

 人は皆、生まれる前は母親の体内で体温と同じ温度の水に満たされた状態で育つと聞いた。人肌よりは少し熱めな湯に安らぎを覚えるのは、生まれる前の母に護られていた頃を思い出させるからだろうか。

 

 ゴブリンに攫われる前の記憶が殆どないわたしに、生まれる前のことなんて覚えているはずもない。わたし以外でも、乳飲み子以前の頃を覚えている者なんているのだろうか。親に抱きかかえられる感触。飲んだ母乳の味。初めて吸った外の空気。真っ暗で狭い産道の窮屈さ。小さな肉体を包み込んだ羊水の温度。

 

 わたしは湯に浸かるへその下あたりを撫でてみた。こんな小さな場所に赤子が宿るなんて、不思議なものだ。自分が赤子を宿すことのできる女であるとしても、実感は湧かない。ずっと赤子を宿すための行為を毎日のようにしてきたというのに、わたしの中に新しい命の芽吹きはなかった。当然だ。司祭から神の名の下の祝福を受けて夫婦と認められなければ、神からの贈り物である子は望めないのだから。

 

 部屋に戻り手触りの柔らかい肌着を纏いベッドに腰かけたところで、こうして穏やかな夜を過ごすのが初めてであることに気が付いた。今まで夜は身体を好きに弄ばれてきたから。盛んな日は朝まで相手をさせられ、寝られるのは早朝。

 

 いつもの就寝時間とは異なる時間帯だけど、予期せぬ事に振り回されたのと満腹が手伝って疲労はすぐに訪れた。ベッドに横たわりながら、わたしはふと考えてしまった。

 

 これからどうなるんだろう、と。

 

 明日も今日と同じことが繰り返される。そんな日々は唐突に終わりを告げた。明日はオブシディアという、暗黒界の都へと行く。セツナも連れていくということは、きっと血生臭いことが起きるのだろうと確信できた。

 

 不安はある。わたしはこれからどうなるのか。無惨にも殺された村の衛士隊や肉塊にされたエメラのように、わたしも血と肉に塗れていく運命が待ち構えているのか。

 

 もしそうなったら、わたしは成す術もなく死んでいくんだろうな、と思えた。アーウィンの憂う世界の現状において、わたしは最下層にいる人間。何か強大なことが起きれば、真っ先に犠牲として淘汰される存在なのだから。

 

 恐怖はある。でもどうしようもない。そう割り切ることができたのは、単に眠気のせいだろうか。思考に耽ることの疲れがそうさせているのなら、目が覚めたら自らに待ち受ける不条理に対する反発も芽生えるだろうか。

 

 考えても仕方ない。眠気で思考を遮断されたわたしの意識は、深く暗い眠りへと落ちていった。

 

 

   3

 

 よほど疲れていたのか、目が覚めた頃にはもうアーウィンは出発の支度を済ませてしまっていた。「急がなくてもいいよ」とは言われたけど、何となく後ろめたさからわたしは用意された朝食のパンを口に押し込んで服を着替えた。

 

 あの血に塗れた惨劇から着ていた脚の露出したドレスは、既にわたしの体形に馴染んでいるようだった。平時に着るような服ではなさそうだけど、生憎ただの中継地でしかないここは物資が十分ではないらしく、わたしが着られるような衣類は他にない。

 

 酒場の前には既に馬車が待機していて、アーウィンとわたし、そしてセツナが乗り込むと馬が走り出した。それほど広くはない馬車の中で、縄から解放されたセツナは足を組んで木偶人形みたいに沈黙していた。

 

 この男を自由にして大丈夫なのだろうか。隣に座るアーウィンを見上げると、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

 

「安心するといい。首輪は着けておいたよ」

 

 見れば、セツナの首には確かに首輪が巻かれている。

 

「首輪に熱素を込めたカンテラ石を付けてある。怪しい動きをして、私が術式を唱えれば首が吹き飛ぶ仕組みだ」

「あんたが死んだら意味が無いな」

 

 セツナの鋭い指摘にアーウィンは余裕な佇まいを崩すことなく、

 

「殺せるつもりかな?」

 

 酷く物々しいやり取りにわたしは溜め息をつき、気晴らしになるかと窓へと目を向けた。

 

 馬車の窓から見えるのは、砂塵吹き荒れる荒野。赤い空の下に広がる岩と、時折枯れ木ばかりが景色を流れていく。殆ど初め見ると言っていい村の外。そこは何もない不毛な大地で、自ら村を出たとしても生きていける場所でないことは明白だった。

 

「暗黒界って、本当に何も無いのね」

「ああ、雨も降らないし作物も満足に育たない。殆どがこういった草木の生えていない不毛の地だよ」

「こんなところで、暗黒界の人たちは何百年も生きていたなんて………」

「ああ、今に思えばよく生きてこられたものだよ。人の執念というものだ」

「執念?」

「ああ、このような過酷な大地に追いやったステイシア神と、人界の民への復讐心。怨念と言ってもいいな」

 

 アーウィンはふう、と深く息を吐き、続けた。

 

「神話の時代、ステイシア神に敗れたベクタ帝と共に、私たち暗黒界の民はこの地に追放されたと言い伝えられている。皇帝が眠りに就いたオブシディアを守りながら、長い年月をかけて大地を彷徨っても、こちら側に安住の地はとうとう見つからなかった。見つけたのは濁り水しか湧かない水脈と、何とか食べられる術を見つけた草の育て方。それも採れるのはほんの僅かで、人々の飢えを癒すには到底足りない。鉄血の時代とは、そんな僅かな食糧を種族間で奪い合う時代だった」

 

 アーウィンの口調は主義に満ち溢れているけど、そこに激情の介入は一切見えなかった。彼女の行動の原動力は師匠の無念だったのかもしれないけど、だからといって理性を失っていたわけではなかったのだ。

 

「そうして戦い合っていくうちに、私たちの先祖の中に芽生えたのはこんな地に追いやった人界への憎しみだった。あの果ての山脈の奥には光と緑溢れる大地がある。東の大門が崩れ、人界人を皆殺しにした時こそ我らは約束の地に至ることができる。そんな怨念が、親から子へと受け継がれ続けた」

 

 視界に広がる景色の隅に、石壁らしき残骸が見えた。すぐ砂嵐に隠れて消えてしまったが、あれも繰り返された戦乱で破壊された一部なのだろうか。幾度となく血が流れ、その血が黒くなるまで塗り固められた大地。深い根まで染み込んだ赤黒さは、散っていった者たちの怨念を閉じ込めているかのようだった。

 

「復讐でも何でもいい。私たちには縋るものが必要だった。この業苦は永遠ではなく、終わる日が来る。こんな不条理な世界でも生きる価値がある。今は無理でもいつか――子や孫、後の子孫の時代には全てが報われる。そんな根拠のない希望を信じ続けるために、私たちはベクタ帝という神を見出した」

 

 神か、とわたしは裡で反芻した。大昔に存在していたとされても、今を生きる者たちで見た者はいない。それなのに信じられるほどの敬虔さ――いや、たとえ無根拠でも信じる以外に救いはなかったのだろう。

 

「神は死んだ」

 

 語りの合間を縫うようにして、セツナは呟いた。

 

「誰かがそんな事を言っていた気がする。神からの啓示じゃなく、自分の意志で成すべき事を見出せという意味だ」

 

 何とも強い意思を感じられる言葉だった。結局のところ何かを成すのは神ではなく人。神へ依存するのをやめ、自分たちでこれからの時代を創っていこうとする、新たな神話のようでもある。でも、その神話はアーウィンには刺さらなかったようだ。

 

「恵まれた人界人らしい考えだな。それは生きることが当然になった者だからこその言葉だ。私たちの先祖は、死ぬことを前提にして生きてきたと言っていい」

 

 どんな強靭な意志でも、それを覆う現実の前ではあっけないほど脆く崩れ去る。それを目の当たりにしてきたのだろうアーウィンの言葉は重かった。

 

 セツナもそれを理解していたのか、反論しそれ以上の理想論を垂れようとはしなかった。セツナもまた、神は死んだなどと詭弁に過ぎないことを知っていたのかもしれない。

 

 外では砂塵が止む気配もなく吹き荒れている。その地で確かに生きていた者たちの魂が渦巻くような錯覚を覚えながら、わたしの耳にアーウィンの言葉が突き刺さった。

 

「世の不条理を呪いながら死ぬか、後世への祈りを抱いて死ぬか。そのふたつの選択しか残されていなかった」

 





そーどあーと・おふらいん えぴそーど6


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「さあ、今回も素敵なゲストを――と言いたいところですがわたし達ふたりだけでコーナーを回します」

キ「ん、どうしたんだ?」

ア「直球に言うとネタ切れです」

キ「もうか! まだ6回目だぞ!」

ア「作者によるとエピソード毎に設定やキャラの解説をしていく予定でしたが、思いの外ストーリーが進まずここで解説するためのネタが出ないそうです」

キ「まさかの停滞かよ………」

ア「しょうがないじゃない。書くべき事が多すぎて、なかなか先に進められないのよ。戦闘描写もたくさん入れたいけど戦闘まで行くのが長引いちゃってるのよね」

キ「まあ大変なのは想像できるけど、下手に長引かせたら作品の目指す所が分からなくて読者さんに飽きられるだろ」

ア「10年以上連載してる漫画とか終盤あたり読むのがダルいくらい展開遅いわよね」

キ「言い方に気を付けてね」

ア「というわけでネタが切れたので今回はここまでです」

キ「本編の方も何とかストーリーを進められるよう作者も頑張るから、待っていてくれよな」

ア「本当に、本当に申し訳ありませんでしたー!(エア土下座)」

キ「え、これ謝罪会見?」



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第7幕 ヒーリング・サウンド

 

   1

 

「システム・コール――」

 

 覚えた式句を口ずさむと、周囲の見えざる神聖力が視認できる光へと転換されていく様子を感じられる。光は細かい粒になって手に持った穂先へと収束し、松明に火が灯るように穂の持つ神聖力を糧として光を定着させようとする。

 

 でも、それは永くは続かない。穂先に灯った光は周囲を照らすほどの勢いはなく、ただ己がここにいる事を示すだけ。それもすぐに消えて、神聖力を使い果たした穂はぼろぼろと崩れていった。

 

 神聖術。暗黒界では暗黒術と呼ばれるこの術は、世界に存在する神聖力または暗黒力という力――呼び名が異なるだけで、全く同じものだという――を触媒とし、力に働きかける古代神聖語を唱えることで操作し発動できる。神話の時代、人に与えられた創世神ステイシアの力の一部と伝えられている。

 

 神の力を行使するということで、神聖術を上手く扱える術師はそれだけで高い地位に就くことができるという。戦前に人界を統治していた最高司祭は、まさに術師の頂点にあり神の化身と崇められていたそうだ。

 

 そんな神の力の一端をわたしも使ってみようと試みてはみたのだけど、結果はこの通り。貴重な草の1本を無駄にしただけに終わった。

 

「上手くできているよ」

 

 そんなわたしに、式句を教えてくれたアーウィンは微笑んでくれた。

 

 異界戦争では大いに重宝された神聖術だけど、平時の日常生活においても利便性は高い。現に今、野営で炊いている焚火だってアーウィンが熱素の術式で火を灯してくれたのだから。神聖術が使えなければ、火を起こすのだって火打石で火花を散らし続けなければならない。

 

 覚えておいて損はない。そんな訳でアーウィンから初歩的な術式を教えてもらっている。単純な式句と微量な神聖力でも扱えるそうだが、ただ微かな光を数秒だけ灯せただけだった。

 

「最初は式句を唱えても何も起こらないのが殆どだ。その点で君は筋が良い」

「何だか、不思議な感じ………」

 

 初めて扱った神聖術。成功とは言えないけど、その感覚はどう言葉にしたら良いものか迷いどころだ。

 

「何だか力が集まってきたような、暖かいものに包まれているみたいな感じがした」

「君はきっと、暗黒力との親和性が強いのかもしれないな。優れた術師には、そういう感覚の鋭い者が多いと聞く」

 

 これは、わたしの特技になるのだろうか。煤けた穂先をぼんやりと眺めながら、そんな事を思った。ただ腰を振るしか能がないと思っていたのに。

 

「今からでも遅いなんてことはない。腕を磨けば、きっと優れた術師として身を立てることもできるだろう」

「また、教えてくれる?」

「もちろんさ。私でよければいつでも。まあ、暗黒術師ギルドの連中ほどの術は私にも使えないけどね」

 

 焚火に照らされるアーウィンの穏やかな顔を見ると嘆息が漏れる。こんなに安心という言葉が浮かび上がる夜もまた初めてだ。昼間より一層暗さを増した夜空には星ひとつ浮かんでいないし、周囲には岩ばかりで時折魔獣らしき唸り声も聞こえてくるけど、それでも彼女がいるだけで心配がいらないように錯覚してしまう。

 

 ふと、アーウィンの目がわたしの隣にある布で包まれたものに移った。村からわたしが持ち出してきた、唯一の所持品と呼べるものに。

 

「それは楽器だったかな?」

「ええ」

「良かったら見せてくれないか?」

 

 頷いたわたしは布を解き、艶出し剤が塗られた木材を煌かせる楽器を外気に触れさせた。焚火に照らされてか、材質が少し赤みを帯びている。アーウィンはその奇妙な形をした楽器を物珍しそうに見つめ、

 

「これは、何という楽器なんだ?」

「バイオリン。大昔に人界の皇帝が持っていたものらしいわ」

「大昔………。そんなに長く天命を保ち続けているのか」

 

 アーウィンの言葉に、わたしも重要な部分を見落としていたことに気付いた。元の持ち主から細かい年代は聞いていないが、大昔なんて言い方は数十年前程度ではあるまい。恐らくは百年以上は昔の時代に、この木材は切り出され、削られ、塗装されたに違いない。そんなに長い時代もの間、この木製楽器は妖しげに艶を出し続けている。

 

 普段から使っているものだから、そんなこと考えもしなかった。手入れはしているけど、これほどの天命を備えられるのは手掛けた職人の腕か、それとも素材か、もしくは塗料か。もしくは全ての条件が揃ったことで長く保たれているのかもしれない。

 

「聴かせてくれないか?」

 

 好奇心を瞳に溢れ出させたアーウィンの頼みを拒否する理由なんてなく、わたしは一緒に包んでいた弓を手にしてバイオリンを弾いた。いつものように、その時の気分で音を奏でていく。この夜の気分を象徴するように、穏やかにしっとりとした音色を連ねていった。

 

 弾きながら、奇妙な緊張がわたしの肌を(あわ)立たせる。他人の前でバイオリンを弾くなんて初めてだった。演奏とはわたしにとっては自分のため。精神の安寧を一時でも得るための儀式のようなものだった。たったひとりだけの時間を誰かと共有するというのは、特別な秘密を一緒に抱えているように思える。

 

 不意に、ばさりという摩擦音が楽器の音をすり抜けてわたしの耳朶に入り込んできた。ちらりと視線をくべると、我知らずとばかりに眠っていたセツナが被っていた毛皮をはだけさせ、わたしの方をじっと凝視している。

 

 睡眠を妨げたことに立腹なのか。そう思いかけるも、セツナの目からは怒りの火めいたものは感じられなかった。

 

 演奏の長さはいつも、その時の気分次第だ。音として吐き出したい感情が、自分の中で空っぽになるまで弾き続ける。この日の演奏は、それまで色々な事が立て続けに起こったせいかとても長かった気がする。悲しみだったり、戸惑いだったり、不安だったり。その全てを吐き出し終えたところで、曲とも呼べない乱雑な音の連なりが終わった。

 

「素晴らしかったよ、とても」

 

 アーウィンはそう言って拍手をしてくれた。

 

「とても綺麗な音だね。まあ、私は音楽に関してはからっきしだが、それでも良いものだと思えるよ」

「そんな――」

 

 面と向かって褒められると、何だか気恥ずかしいものだ。何と言えば良いものか応えあぐねているうちに、アーウィンは悪戯っぽい笑みをセツナに向けた。

 

「君にも音楽を聴く感性があったとはね」

 

 からかいが気に障ったのか、セツナは毛皮を被ってしまう。「うるさかっただけだ」とだけ呟き、そのまま無言になってしまったから再び眠ったのかも分からなかった。

 

 さっき一瞬だけ見えた彼の目元。そこに光るものは、わたしの見間違いだろうか。もし本物だったのなら、わたしの演奏の何が彼の深淵に響いたのだろう。訊いたところで答えるほど、この奇妙な男は素直な性格をしていないだろう。

 

「さあ、ナミエも寝るといい。火の番は私に任せて」

「でも――」

「なあに、馬車の中で十分休んださ。それにこういった見張りは暗黒騎士の頃によく押し付けられたから、平気だよ」

 

 あっけらかんと言ってのけるアーウィンにそれ以上に遠慮したところで困らせるだけと思い至り、わたしは「うん」と頷くほかない。この女剣士の厚意は、甘んじることが互いに最善なのだ。

 

 暗黒界の夜は特に冷える。すっかり獣臭さの抜けた毛皮を被るとすぐに眠気は訪れた。

 

 眠りに落ちる前、わたしは闇が濃くなった空を見上げた。厚い雲に覆われた空は月光も注ぐことなく、今にも押し潰してきそうな圧迫感があった。

 

 

   2

 

 浅黒い肌に緑色の肌。中には毛に覆われた肌もあれば、毛が1本も生えていない肌もある。

 

 そんな多様な種族が一緒くたに同じ大部屋に居て、対立も牽制もせずに共存している。ボールで遊んだり、絵本を読んでいたり。このような光景を作り出せるのは、彼らのまだ邪な心を持たない子ども故の純真さだろうか。

 

「済まないね、騒がしくて」

 

 所在なさげに笑うアーウィンは、両腕にしがみ付く人族とゴブリン族の相手に文字通り手一杯になっている。

 

 暗黒界の中枢とも呼ぶべきオブシディアの郊外に、この孤児院は構えられていた。かつてアーウィンが話してくれた、彼女の師であるリピア・ザンケールが設立した施設。彼女の死後に運営をアーウィンが継ぎ、悲惨な人生を辿るしかなかった子ども達の受け皿になっている。

 

 親と引き離され、もしくは捨てられた者たちの吹き溜まり。にも関わらず、子ども達の顔に悲哀の情は感じられない。彼らにとってはここが家であり故郷。

 

 わたしと同じ境遇のはず。それなのに、この子たちとは越えられない一線を感じざるを得ない。わたしはあの子たちのように笑えない子だった。アーウィンのように優しく笑ってくれる大人は皆無で、それでも無理にでも母のように笑ってくれる人はいたけど、わたしがそれを拒んでいた。

 

「こうして保護できているのは、ほんの一部でしかない」

 

 幼児からやっと解放されたアーウィンが、少し疲れたように言った。

 

「見ての通り小さいところでね。受け入れも限りがあるのが現状だ」

 

 それはつまり、世界には悲惨に身を置いている子ども達がまだ大勢いるということだ。時代と人の業によって弄ばれ、食い潰されていく者たちが。辛うじてこういった場に保護してもらえた子たちとの差は、運だ。

 

 目の前の事で精いっぱいだ。他所を気遣うほど暇じゃない。無力であることを言い訳に目を背けるのは簡単だ。でもアーウィンは一度向けてしまった目を背けることができていない。ある意味での純粋な精神が彼女を突き動かしている。

 

 ふと、わたしは大部屋の隅で座っている少女に目が留まった。年齢はわたしより少しばかり下に見える。薄手の絨毯が敷かれた床に座り込んだその身体は枯れ木のように細くて、頭をゆらゆらと首の座っていない赤子のように揺らしている。

 

「あの子は?」

「奴隷市で保護した。酷く衰弱していてね、辱めの跡もあったよ」

 

 近寄ってみても、少女は何の反応も示さなかった。伸ばし放題で顔に垂れた前髪の間から覗き込んだ目は虚ろで、目の前にいるわたしを映してはいない。

 

「あの………、こんにちは」

 

 迷った末に、口から出たのはそんな間の抜けた挨拶だ。でも少女から嘲笑や怒声とかは返ってこなかった。彼女の半開きにした口端からは涎が垂れていくばかりで、言葉はない。

 

 アーウィンが嘆息と共に「話せないんだ」とごちる。

 

「こんなものだから名前もどこで生まれたのかも分からない。言葉らしい言葉は彼女から失われている」

 

 言葉がないからといって、少女にまつわるもの全てが白紙なわけじゃない。袖口から伸びた腕の皮膚には広範囲にわたって酷い火傷の跡がある。抉れた箇所を自然治癒に任せた結果、そこの皮膚だけ不自然な形で修復されてしまっていた。適切な治癒術を施せば、跡は残らない。

 

 足首には切り傷があった。両足に、綺麗に1本ずつ鋭利な刃物の跡が。きっと逃げられないようにされたのだろう。表面の傷は治っても、内部の組織までは自然には治癒しきれない。重い足枷を付けるよりは手軽ではある。

 

 言葉を失っても、少女の肉体自身が受けた仕打ちを物語っている。もはや思考も困難になったのか、彼女の顔には何の感情もない。傷を付けた者への怒りも、自らの運命に対する悲しみも。

 

「心に酷い傷を負った者はこうなってしまうらしい。異界戦争から帰ってきた兵たちの中にも、こういった心が壊れてしまう者が多かったそうだ」

 

 この少女はわたしと同じ――わたしよりも更に酷い環境にあった。どん底と思っていた自身の更に深いところを知ったわけなのだけど、わたしの中に安堵は沸かなかった。

 

 自分以外にも絶望を味わう者が確かに存在している。目の前にその現実を突き付けられたら、もはや恨みは通り越してしまうものだった。

 

「今度、ナミエのバイオリンを聴かせてあげてほしい。ここは娯楽が殆どないから子どもたちも喜ぶ。彼女の心にも何か響くものがあるかもしれないしね」

「わたし、そんなに上手くないわよ」

「そうかな? 私は好きだけどね」

 

 アーウィンがそう言ってくれるなら、不思議と前向きな気分になれる。自分のためだけだった楽器を誰かのために弾くのも、案外悪いものじゃない。

 

「アーウィン様!」

 

 不意に怒声にも似た大声が響くけど、子ども達の声に埋もれてしまっている。子どもでも大勢集まれば頼もしいなんて思いながら振り向くと、施設の者らしき女が胸に拳を当てた姿勢で礼をしていた。

 

「準備が整いました」

 

 報告を受けたアーウィンに着いていき、大部屋の外に出る。女の隣で控えていたように立っていたのは、黒い男だった。足元まで覆う革のコートから突き出した頭に生えている髪もまた黒い。

 

 アーウィンはそんな肌以外を黒く塗りつぶしたような青年を足元から品定めするように眺め、

 

「そんな軽装で良いのか、セツナ」

「鎧は重くて動き辛い」

 

 セツナの身に着けている鎧らしき金属の装備品は胸当てと左腕の籠手くらいしかなく、普段着と言っても差し支えない。だがアーウィンは「そうか」とだけ言ってそれ以上の言及はしなかった。

 

 

   3

 

 政権の恩恵に(あずか)れるのは都市部のみ。

 

 アーウィンから聞いた話を裏付けるかのように、首都――かつては帝都と呼ばれていた――オブシディアといえど城下町から離れてしまえば、街灯カンテラの数も減り闇が一層濃くなっていく。どこからか漂う()えた臭気も増して、鼻で呼吸するのも億劫になってくる。

 

 道脇にちらりとだけ視線をくべると、みすぼらしい服――というよりぼろきれしか着ていない人族の老人がうずくまっているのが見えた。

 

 その頭がゆったりとだが動いたのを認め、わたしは咄嗟に前を歩くアーウィンの背に視線を戻した。女子どもがひとり表を出歩けば秒で奴隷市に攫われるという彼女の言葉を思い出し、冷たい汗が背を伝う。

 

 これでは、暗黒界が弱肉強食の世界と言われるのも頷ける。弱ければ死ぬ。アーウィンの鍛えられた体躯は同姓のわたしも羨ましいほどにしなやかだが、その肉体は美貌のためではなく生きるためのもの。細腕では腰に提げた剣は飾りにしかならず、女としての魅力を削がれるほどに腕を太くしなければならない状況がここには広がっている。

 

 これでも、異界戦争後は改善に向かっているらしい。だが改善の糸口は見えても道程が長すぎて10年という月日では足りないのだ。

 

「兄ちゃあん、買わないかあい。ひと晩30ベックでいいよお」

 

 間延びした擦れ声に思わず足を止めて目を向けてしまう。さっきの老人のように道脇に居たのは、ろくに手入れなどしていなさそうな白髪を汚く伸ばした人族の老婆だった。もはや老齢の皮膚は血が通っているとは思えない色を映していて、手招きする指先から伸びる爪も腐ったような黒紫色になっている。

 

 兄ちゃん、とはセツナの事か。彼に向けているだろう下卑(げひ)た笑みから覗く歯は何本か欠けている。目も半ば白濁していて、果たして見えているのかも危うい。

 

「ふたりとも何をしている!」

 

 飛んできた怒声で我に返り、わたしとセツナは急ぎ足で先を歩いていたアーウィンのもとへ向かった。

 

「あの人は何を売っているの?」

 

 とわたしは訊いた。30ベックとか言っておきながら、老婆のもとには何も商品らしき物が置かれていなかったのだ。

 

「己自身だよ」

 

 アーウィンの口から出た回答にわたしは息を呑んだ。それはつまり、女の専売特許と言えるもの。

 

「でも、あんな歳で――」

「若い頃からそういった生き方しか知らなかったんだ。多くの者は病で若くして死ぬが、たまにああしてずるずると生き永らえてしまう者もいる」

 

 そこまでして、どうしてあの老婆は生にしがみ付いているのだろうか。きっと天命も長くはない。30ベックという値がどれほどの相場かはこの頃のわたしは知らなかったが、それでも何となく低価格であることは察しがついた。

 

 そんなに安い値で自分を売らなければ生きていけない世界が、ここには広がっている。戦後に法整備が急速に進みどん底へ落とすまいと防護網を張っていても、ふるい落とされてしまった者が存在する。孤児院にいた心を壊した少女に、路頭で自らに値札を貼る老人。

 

 アーウィンの怒りが、本当の意味で理解できたような気がした。法があるようで無いのだ、この世界には。便利な発明品や支援政策という表面上のものだけを誇示し、その実中身を伴っていない薄っぺらい統治。

 

 零れ落ちてしまった者たちの叫びには耳を貸さず忙殺し、時代が過ぎて弱者たちが死に絶える時を待ち続ける。そんな世界の実態を、アーウィンは知ってしまったのだ。

 

「急ごう。もうすぐだ」

 

 アーウィンは歩く速度を速め、わたしとセツナはそれに着いていく。「おおい………」という虫の羽音みたいな老婆の声は、すぐに聞こえなくなった。

 

 

   4

 

「いやはや、お待たせしてしまい申し訳ないイクセンティア殿」

「いえ、こちらこそご足労を感謝します。ローズール伯爵」

 

 中年の男性は整えられた口ひげを指で撫でながら、アーウィンに促されるままソファに腰掛けた。背後には護衛らしき男たちがふたり控えていて、武闘派らしく服を着ていても筋肉の盛り上がりが分かるほど。

 

 そんなローズールの対面に備えられたソファにアーウィンも座り、その背後には相手と同じように護衛――と思わしき若い男女が控える。女のほうは剣など持てそうにない細腕のわたし。男はお世辞にも屈強とは言えない細身なセツナ。

 

「調子はどうです? あなた程の方なら、さぞ上手くいっていることでしょう」

 

 鷹揚な笑みで尋ねるローズールにアーウィンは苦笑を浮かべ、

 

「いえ、私のような若輩者が活動を興しても、なかなか耳を傾けてはくれません」

「騎士団で活躍された経歴をお持ちでも、苦労なさるのですな」

「伯爵のように経験が豊富な方のお言葉こそ、価値を持てるのですが」

「買い被りですよ。ギルド全体の景気が厳しいのです。皮肉ながら、平和な時世は私どもにとっては悩みどころですよ」

 

 まるで、互いに探り合っているみたい。一見すれば他愛もない会話だけど、わたしはどこかふたりの間に漂う冷たさを感じずにはいられなかった。

 

 ローズール。事前にアーウィンから聞いたところによると、商工ギルドの幹部で戦後という武器が売れない時世において新たな商売で富を築き上げた人物と聞いている。

 

 武器ではなく、武器を扱う兵の育成。怪我や年齢を理由に前線から退いた騎士や拳闘士、または暗黒術師を師範として招き育成するという商売を確立させつつあるとか。

 

「それで今日は、何のお話でしたかな? 失礼、立て込んでおりまして。確認する暇もなく」

「難民の受け渡しです」

 

 アーウィンの返答は鋭かった。さっきまでの声音が建前であり、この場をどんな想いで迎えているのかを示すほどに。

 

 「ああ、そうでしたな」と応じるローズールは声音こそ変えなかったけど、その眼差しの変化はわたしにも分かった。相手をまるで物を見るかのような、どれほどの価値があるのかしか興味を持たない値踏みするような目。わたしが散々見てきた、人を人と思わない者の目だ。

 

「確か以前も言わせて頂いたと思うのですが、彼らは我がギルドの一員として保護しています」

「ギルドに入ることに、彼らの意思はあったのですか?」

「何と?」

「彼らはまだ子ども。本来なら幼年学校に入れるべき年齢です。自分で自分の進退を決められるとは、到底思えないのですが」

「恩を感じてのことでしょう。健気な子たちです。我々の善意というものを、感じ取ってもらえたのですな」

 

 すらすらと並び立てるローズールに、アーウィンは笑いつつも眉間を指で押さえつけた。

 

「戦で食い扶持を稼ぐあなたが善意とは、見事な矛盾だ」

 

 最大限の皮肉が込められた、ある意味で嘲笑でもある言葉に、ローズールは眉間に深くしわを寄せる。初めて見せる表情だけど、さっきまでの鷹揚な顔よりは似合っていた。

 

「何を言ったところで、あなたに誤魔化しはきかないようだ。そもそも、最初から我々を疑っていたわけですな」

「お察しが良くて助かります」

「ええ、確かに子ども達をギルドに入れたことに、彼らの意思などありません。ですが、それのどこが問題なのか私には理解しかねる」

 

 あくまで口調は穏やかで丁寧なまま、ローズールは語る。ただし笑みは先ほどとは全く異なる様相だ。

 

「死ぬかしかなかった彼らに衣食住とギルドという場を与えたのです。これはあなたがやっている難民救済と同じ活動ではないですかな?」

「そこで何が行われているのか、私は既にそちらの被害者から知っていますよ」

「ああ、そういえばひとり消えたとか聞いていますよ。間抜けな部下が奴隷市に放ったとか。ですが、それはもう口もきけないはずだ。我々が何をしていようと、証拠は出ないですよ」

 

 わたしがその時に思い出したのは、孤児院で会った彼女だった。人としての尊厳を破壊し尽くされ、立つことも喋ることもできなくなった少女。彼女が抱けなくなった怒りを代行するかのようなアーウィンの声が刺すように聞こえる。

 

「その発言自体が証拠と、私は捉えますが?」

「だが、言葉はその場で消えるもの。ここで話したことを総司令部に告発したとしても動くことはない。証拠がないのですからね」

「確かに証拠はないし、あの木偶の坊が動くこともないでしょう」

「言いますな、あなたも」

 

 ふたりの顔が、邪悪な笑みを鏡写しのように向かい合わせた。しかしアーウィンの方は更に口端を歪め、

 

「だが、私は動いてもらうつもりなど最初から無いよ」

 

 右手を掲げて、真っ直ぐに揃えた掌を振り下ろす。まるで剣のように。その動作に笑みを止めて眉目を潜めたローズールは「何を――」と口を開いたが、続きを発すことは叶わなかった。

 

 その右肩に、鈍色に光る剣が突き刺さっていたからだ。 

 

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど7


キリト=キ
アスナ=ア
ユウキ=ユ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「さあ今回はしっかりとネタを考えてきたわよ!」

キ「安心、して良いのかは分からないのがこのコーナーの怖いところだよな………」

ア「まずは素敵なゲストの紹介です、どうぞ!」

ユ「こんにちは、ユウキです!」

ア「ユウキー、よく来てくれたわね!」

ユ「えへへ、何か楽しそうだったから来ちゃった」

キ「おいアスナ、ユウキまでこのコーナーに染めるつもりか?」

ア「そんな下衆な真似するわけないじゃない。見なさいユウキのこの無垢な顔。この生まれたての雛みたいなピヨピヨ言ってそうな顔は絶対に汚したりなんてしないわ!」

ユ「生まれたてと言っても、ボクもう死んでるんだけどね。ハハハ」

ア「……………………………」

キ「自分からブラックジョーク言っちゃってるぞこの子」

ア「良いのよ! そういうのひっくるめてユウキはユウキなんだから!」

キ「親バカ――いや姉バカか………。まあともかく、今回は本作『パラダイス・シフト』の作風についての裏話を深夜のラジオ的な感じて話していくぞ」

ア「まず本作のシリアス路線ですが、作者としては最初の頃は王道の笑いあり涙ありな作風にしたかったそうです」

ユ「うわあ、何か想像できないね。ボク中身読んだけど本編に出たいと思えないもん」

キ「スグも同じようなこと言ってたな………。てかこんなの書いてる作者に王道ストーリーなんて書けるのか?」

ア「キリト君も酷いわねえ。作者だって王道なの書けるわよ。今回は書かないだけ。というのも、まずハーメルンでSAO原作だとどんな作品が多いのかリサーチしたそうよ」

キ「意外とマメなんだな」

ア「作者分析によると、評価が高い作品はアインクラッド編からストーリーが原作準拠で進んで、オリ主がキリト君の相棒かライバル的なポジションで、それでヒロインがユウキで、病気を克服する設定の傾向が多いみたいね」

ユ「え、ボク?」

キ「まあユウキって分かりやすいほど悲劇のヒロインだからな。二次創作という場で救いたくなる気持ちは分かるな」

ア「それにキリトハーレムからは除外されてるから、オリ主の相手役として動かしやすいのよね」

キ「誤解招くような言い方やめてね。俺がユウキにまで手を出しそうな感じになってるから」

ユ「ということは、ハーメルンだとボクをヒロインにするのが王道ってこと?」

キ「そうなるな。あとオリ主が俺の相棒やライバルになるってところでも」

ユ「そういう意味だと、本作はかなり邪道になるよね。ヒロインもオリキャラで、キリト達も登場予定はないんでしょ。それってどうして?」

ア「その答えは簡単よユウキ。王道でプロット組んだらとてつもなく面白くなかったから!」

キ「ザ・シンプル!」

ユ「何かスタ〇ドみたいだね………」

ア「出来たプロットはありきたり過ぎて、沢山ある作品に埋もれていくだけだから変化球を目指したみたいね。つまりはオンリーワンってことよ」

ユ「作者もそんな純粋に書こうとした時期があったんだねえ」

キ「変化球させまくった結果が本作になったわけか………」

ア「あとついでに、ユウキみたいな元気いっぱいな王道ヒロインは書き辛かったそうです」

ユ「ええ⁉」

キ「王道ヒロインって書きやすいから王道なんじゃないのか?」

ア「作者にとってはそうじゃなかったみたいね。万人に好かれるようなキャラは書き甲斐がないみたいよ。だからセツナやナミエはもう読者さんから好かれないだろうなって割り切ってるわ」

キ「もはや作者は王道を書く素質が無いだけなんじゃ………」

ア「結果として邪道に活路を見出したのよ。下手に王道で読者さんに媚びるより、そういう趣味をお持ちの人だけ読んでもらえばいいの」

ユ「何ていうか、開き直りってことなんだね」

ア「そういうことよユウキ。よく出来ました、ナデナデ」

ユ「えへへー」

キ「えー何か無理矢理よさげな雰囲気に持っていけたところで、今回は終わりだ。ゲストとして出てどうだったユウキ?」

ユ「んー、できればもう出たくないかな。それにこの小説もう読みたくないし」

キ「原作キャラにNG食らう二次創作とは………」

ア「読者の皆さんもご覧いただきありがとうございます。感想コメントも毎回読ませてもらっているので、ツッコミ所があればどしどし送ってくださいね」

キ「そーどあーと・おふらいん、お送りしたのはキリトと――」

ア「アスナと――」

ユ「ユウキでした!」

キ・ア・ユ「ばいばーい」



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第8幕 イーヴィル・エディ

   1

 

「そろそろ、目的を教えてくれ」

 

 入り組んだ街の一画に建つ煉瓦造りの建物に入ったところで、口数の少ないセツナが要求した。正直なところ、彼にはわたしも同意だった。アーウィンから着いてくるよう言われるままここに来ている。宿屋、という場所らしい。料金を払えば一時の寝床を提供してくれるというのだ。良い店なら食事も出るとか。

 

「そうだな。流石にここなら盗み聞きされることもないだろう」

 

 窓から街並みを一瞥して、アーウィンは言った。

 

「あと30分ほどしたら、ここに来客が来る。私はその来客と取引をするのだが、相手が厄介でね。こちらの要求を聞いてくれる保証がない」

 

 そんな場に何故わたしを、と疑問を脳裏に思い浮かべたところで「ナミエ」と名を呼ばれる。

 

「君は私の後ろに立っているだけで良い。向こうから何を言われても何も答えないことだ。良いね?」

 

 随分と強引な言い方だけど、有無を言わさぬ彼女の険しい眼差しに反論の余地はない。それに、この場においてわたしは樹のように突っ立っているのが最良なのだろう。

 

 ここでの立振る舞いが重要なのは「セツナ」と呼ばれた青年のほうだ。

 

「君には頃合いをみて、相手を刺してもらう。ただし、絶対に殺さないでもらいたい」

 

 果たしてそれは取引ですることなのか疑問だったのだが、セツナの方は表情を変えることなく、

 

「頃合いとは?」

「私が合図を出す。こういった感じにね」

 

 と当然の如く向けられた質問にアーウィンは手刀を斬る動作をしてみせた。

 

 後になって思うと、きっとアーウィンはセツナなら何も言わずに応じると確信していたのではないだろうか。それにセツナも、自分が関わるということは血が流れると予想していたのだろう。

 

 信頼と呼ぶべきなのか微妙な互いの打算が、結果的に多くを救うことになるとは何ていう皮肉だろうか。

 

 これから綴る死神伝説の一説とされているこの事件だが、この頃の彼はまだ死神とは呼ばれていなかった。

 

 ベクタの迷子としてこの世界に現れた彼が人々に名を知られるようになったのは、闇の皇帝の残していた息子ではないか、という噂程度のものだった。

 

 

   2

 

 剣先が深々と刺さった自身の肩口を、ローズールは呆然と眺めていた。まるで自分の身体じゃないかのように。その顔が徐々に苦痛と恐怖の混ざった表情を形作っていったのは、遅れた痛みを覚え始めたからだろう。

 

 主人と同じように木偶の坊になっていた護衛たちだったが、ローズールの悲鳴で自らの職務を思い出したように腰に提げた剣を抜いた。

 

 だが対処が遅すぎた。剣を構えたとき、既にローズールの肩から抜かれたセツナの剣は、護衛のひとりの右目を刺して、そのまま頭蓋を貫いていた。因みにローズールから抜いた際に剣先を捻ったのか肩口から腕が落ちたのだが、そんな事に気を裂いていられるほど誰も呑気ではなかった。

 

 もうひとりの護衛は剣を上段に掲げ斬りかかろうとしたのだが、セツナは剣を護衛の顎下から突き上げた。頭頂から切っ先が出てきた男の気迫に満ちた目がひっくり返り、白眼を剥いて糸の切れた人形みたいに崩れ落ちた。

 

 無造作に剣を引き抜いたセツナを、片腕を失ったローズールは怯えに満ちた表情で見上げる。金切り声をあげながら床を這おうとしたが、自分から流れた血がぬかるみ滑って顔面を床にぶつけてしまった。鼻を強く打ったみたいだけど、腕がなくなった肩口の痛みに比べれば大したことはないだろう。

 

「殺すなとは言われたが、どの程度までやればいい?」

 

 セツナが何の気なしに訊いた。ソファに座ったまま一連の殺戮劇を観賞していたアーウィンは顔色ひとつ変えることなく答えた。

 

「そうだな、逃げ足を潰しておいてほしい」

 

 するとセツナは間髪入れず、ローズールの革製ブーツに覆われた両の足首に剣を短く滑らせた。半分近くまで刃を入れられた足はもはや地を踏めそうになく、ローズールは立て続けの痛みに泣き喚いている。

 

 そこでゆっくりと、アーウィンがソファから立った。自らの血だまりを広げている憐れな中年男に顔を近付け、挑発的に告げた。

 

「天命が尽きる前に教えてもらおうか。貴様の根城を」

 

 

   3

 

 気晴らしに外の風景を眺めても、広がっているのはお馴染み殺風景な赤い空と黒い大地。岩だらけで草木は皆無。暴力と血が流され続けてきた暗黒界は、たくさんの血が流れた異界戦争を経てもその血流が留まることを知らない。

 

 何の気なしに顔を引っ込めた馬車の中から、今日も黒い大地に血を垂らし続けている。

 

「神をも怖れぬ背信者どもが………」

 

 ローズールにはそれがせめてもの抵抗なのだろう。肩の傷はアーウィンが暗黒術で塞いでくれたけど、布すら巻いていない足首の傷からは未だ血が流れ続けている。血が出ればその分天命も減り、確実に自身の命が削られていくという恐怖が刻一刻と脈打っていく。

 

「いくら祈ったところで、神が私たちを救ってくれたか? 真実を既に知っていたからこそ、商工ギルドは神より金を信じたのだろう」

「異界戦争で、我らがどれほど力添えしたと思っている………! 剣を振るしか能のない獣の分際で!」

「それ以上減らず口を叩くのなら、残ったほうの目も失うことになるが」

 

 その言葉で自らの出番とみたのか、セツナが眠ろうと閉じていた目蓋を開きローズールに向けた。すっかり恐怖を植え付けられてしまったのか、失った左目から涙のように血を流すローズールは「ひっ」と言葉にならない悲鳴を漏らした。

 

 あまりにも口が固いから、痺れを切らしたセツナが邪魔なネズミを払いのけるかのような素振りでローズールの左目に浅く剣を突き刺したのだ。

 

「何なのだこいつは……。ベクタ帝の落胤(らくいん)だとでも………」

「息子ではなく迷子だそうだ」

 

 訂正しつつ、アーウィンは興味深いとばかり顎に手を添える。

 

「だが、ベクタの落胤というのは面白いな。万が一自らが死んだ後のために、どこかの女にこっそり産ませたとか」

「おかしな設定を付けるな」

「いや、なかなか良いものだよ。ベクタの子どもでなければ、こんな仕打ちはできそうにないからね」

 

 怪我人を横になんて会話だろう。まるで労働者の休憩時間みたいな他愛のなさだ。ローズールはただひたすらに怯えている。会話に参加していないわたしに縋るような視線を送ってくるけど、わたしは無視を決め込んで再び窓の外を眺めた。

 

「それに、本当に君がベクタの息子ということもあり得る」

「俺はそのベクタに似ているのか?」

 

 異界戦争で戦っていたのなら、本物のベクタ帝を見たことがあるのだろう。アーウィンはセツナの顔をじ、と凝視する。そう長くはない逡巡で結論は出たらしく、アーウィンは険しくしていた表情を緩め、

 

「似てないな。ベクタは髪が金色で目は碧かった。似てるところがあるとすれば顔色が悪いところくらいかな」

 

 人界人らしい白い肌を指さされてもセツナは気を悪くした様子はなく、冷たい表情で沈黙を貫いていた。

 

 戦後に作成された異界戦争の記録は、この手記を書く頃には一般公開されていてわたしにも容易に閲覧が可能だった。暗黒界側の記録にベクタの容姿について事細かな記述はあったけど、黒髪黒目なセツナとの共通性は見出せなかった。

 

 でも実際、後世で議論されている死神の正体のひとつに、ベクタの落胤(らくいん)という説は一定層からは支持されている。母は剣術に秀でた暗黒騎士で、自らの後継になるよう育てられたとか。

 

 指摘できる箇所は無数に存在する。例えば、死神が生まれたとされる頃ベクタはまだオブシディア城で眠っていたはずであり、その間にどうやって子どもをこさえたというのか。

 

 何故父が没した直後に現れることなく軍備の増強に努めなかったのか。

 

 皇帝の息子――すなわち皇子ならば、何故オブシディア城を訪れなかったのか。

 

 このように肯定よりも否定できる要素が多いのだが、未だこの説を信じる者はいる。それは暗黒界人の意識に根付いたベクタ信仰が手伝っているきらいもある。

 

 ベクタは再び眠りに就いただけで、再び人界へ侵攻する機を待っている。人界代表剣士が闇の皇帝を討ち取ったことが公表された際、暗黒界ではそう主張する一部の暗黒騎士や暗黒術師たちによる反乱が起こった。人界で起こった《四帝国の大乱》に比べるとこちらは3日程度で終息した小規模なもので、単に《反乱》と呼ばれることが多い。

 

 オブシディア城に攻め入った反乱分子たちを将軍イスカーンとその妻シェータ・シンセシス・トゥエルブが全滅させたことで、戦闘はあっけなく停止。イスカーンは反乱と異界戦争での戦績から暗黒界軍の総司令官に就任した。

 

 人界に比べたら無法地帯に感じられる暗黒界でも、強者の命令は絶対という法は古代から存在している。深く根差す法の定めた強者の頂点にイスカーンが立ち、その口から発令された殺人・傷害・窃盗の禁止を破れる者は存在しない。

 

 そう、存在しないはずなのだ。神話の時代から続いてきたこの世界の、法という絶対的壁に風穴を開けてしまう者。

 

 それを可能とするのは存在そのものが法と同義の神。

 

 そして、死神だった。

 

 

   4

 

 そこは岩間に囲まれた、辛うじて道らしきものが開かれた場所にある関所のような印象を受ける木造の建物だった。望遠からでも何棟かに分かれているのが見えて、それなりに大所帯の人数を受け入れられそうでもある。

 

 城、と呼ぶにはいささか質素なものだ。オブシディアの街に建ち並ぶ建物は大半が石や煉瓦造りだったことを思えば、暗黒界では乏しい木材を組んだ家を持てるのは特権的なものなのだろう。だとすれば、商工ギルドの懐はそれなりに潤っているのではないかと思えた。

 

 その権益が全うな手段で得られたものでないことは、既に知ったことだが。

 

 建物の前には簡素ながら門が構えられていて、近付いてくるこちらの馬車に気付いてか門の傍に建てられた小屋から衛士らしき男が出てきた。「止まれー!」と不必要なほどの大声に応じて、御者は手綱を引いて馬車を止めた。

 

「来客の予定なんて聞いてないが」

 

 訝しげな視線を送りながら、衛士が窓に顔を突っ込んでくる。その目が見開かれた。理由はお察しの通り、隻腕隻眼で布を巻かれた口元からひゅーひゅー、と荒息を漏らすローズール。

 

 いくら恐怖に歪んだみっともない顔でも、雇い主と認識はできたのだろう。すぐさま剣を抜いた衛士だったけど、その身体はセツナが蹴破ったドアによって後方へ飛ばされた。

 

 「あーあ……」とアーウィンが溜め息をついた。騒ぎを起こそうとしている事じゃなく、乱暴にされたドアの天命が大分減ってしまった事に対してだろう。そもそも、大暴れしろと指示を出したのは、他でもないアーウィンである。

 

 事に気付いたのか、小屋からもう2人ほど待機していたのだろう衛士たちが続々と出てくる。

 

「おい、こいつ何なんだ?」

 

 取り敢えず出てきたものの、状況がいまひとつ分かっていない衛士のひとりが訊いた。ドアに突き飛ばされた衛士が剣を杖代わりに立ちながら、何とか震えを抑えようと語気を強める。

 

「こいつ、伯爵を拷問した!」

 

 他の衛士たちは、一様に首を傾げた。法が順守されるこの世界で、暴力を振るえる人間がいるとはどうにも信じ難い。だがそれを裏付ける事が起きた。馬車から転げ落ちたのが、彼らの雇い主ローズール伯爵である。

 

 その姿――右腕がなく左目を潰され、両の足首からは血が流れ続けている。助かると思ったのか地面を這いずり回りながら布を噛ませられた口から何かと喚く姿を、衛士たちは本当に主人なのか半信半疑の眼差しを向けている。

 

 ついでに述べておくと、左腕も使えない。布を噛ませるときにしぶとく抵抗したものだから、セツナが骨を折ったのだった。

 

 その醜態で全てを察した衛士たちが、剣を抜いてセツナを囲んだ。傷害は禁止されている。ただし、正当な理由があれば例外とされる。例えば、罪人に対しての防衛であること。

 

 躊躇なんて感じられなかった。ひとりが振り下ろした剣をセツナは受け止める。拮抗したところを好機とみたのか別の者の剣が突き出されたが、最初の剣を弾いたセツナは迫りくるもうひとりの衛士の突きをすれ違いざまに避けつつ、剣を握るその手を掴み切っ先を修正してやった。剣を弾かれたたらを踏んだお仲間の喉元に。

 

 図らず同士討ちしてしまった衛士の頭もしっかりと斬り落とし、残ったひとりへと目を向ける。取り残された者の、鎧をかちかちと鳴らすほどの震えは見ていて憐れだった。下段から振り上げられた剣なんて、素人のわたしから見てもほぼやけくそ同然だっただろう。

 

 あっけなくセツナに弾かれ、ほぼ一瞬のうちに首をはねられた肉体は制御を失って倒れた。

 

「さあて、行くとするかな」

 

 と嘆息交じりに言いながら、アーウィンは馬車から降りた。剣を鞘に収めたセツナは頼みの綱を失ったローズールを肩に担ぎ上げる。

 

「ナミエ」

 

 わたしも馬車から降りようとしたとき、アーウィンは振り向いてきた。

 

「ここから先、君にとって辛いかもしれない。ここで待っていても良いんだよ」

 

 さっきのローズールに対するものとは正反対の、温かな声音だった。アーウィンもここは初めて訪れるはずだが、彼女には既にこの先にどんな光景が広がっているか、そして自分たちが何を起こすのかが見えていたのだろう。それがわたしにとって決して愉快なものじゃないことも。

 

 でも、それは今更だ。わたしは今この地に来ている。アーウィンとセツナと共に。成り行きではあるけど、着いていくと決めたのは結局のところわたしの意思だったのだから。

 

「一緒に行く」

 

 答えると、アーウィンは優しく微笑んだ。きっと、彼女はこれも見越していたのだろう。つくづく読めない女だ。当時のわたしにとって頼れる人だったからどうしても憎めない。

 

 それなりの量の血が流れたにも関わらず、母屋からは誰も出てくる気配がない。衛士たちに応援を呼ばせるどころか、断末魔さえ赦さなかったのだから気付かれないのも致し方ないか。そうなるとこちらから出向くしかない。

 

 正直すぎるほどに、わたし達は母屋の正面入口らしき大きな両扉の前に立った。扉に手を掛けようとしたセツナの背にアーウィンは告げる。

 

「言っておくが、誰彼構わず殺さないでくれよ。保護すべき者までやられたら君の首輪を爆破しなければならん」

「どうやって見分ければいい?」

「殺すのは攻撃してきた者に限る、でどうかな」

「なるほど」

 

 納得したのか、深く嘆息したセツナは大きく勢いを付けて、肩のローズールを扉目掛けて投げ飛ばした。

 

 まるで邪魔者扱いされたネズミみたいに、ローズールの身体は扉を破って馴染み深いだろう自身の城とも呼ぶべき場へと転がっていった。

 

「何だ⁉」

「何事だ!」

「衛士たちは?」

「何やってるんだ!」

 

 驚愕に興奮が上乗せされた怒声があちこちから槍のように飛んでくる。長テーブルが置かれた広間にいるのは多くが壮年から中年の男たち。そして隅っこには、まだ男女の判別が付かないほど幼い人族の子ども達が固まっていた。中には胸の膨らみが見える少女もいる。

 

 その子たちへ視線をくべながらも、アーウィンは込み上げるものを飲み下すよう息を深く吸い込み、声を張り上げた。

 

「突然の無礼をお赦し願いたい。我々の要求はひとつ。ここに方々から拉致監禁している子ども等がいるはずだ。その者たちを解放してもらう」

 

 アーウィンの声はよく通ったが、あちら側で聞いていた者がいたのかは怪しいところだ。彼らの意識は無造作に投げられた人らしき形の肉塊にあって、傍にいる者から徐々にその正体を察し始めた。

 

「は、伯爵……!」

 

 ざわめきが波紋のように広がっていくのを感じた。不穏さが欲望に塗れた男たちの裡にあるどす黒いものを刺激し、やがてそれは敵意へと転換されわたし達へと向けられる。

 

 大勢の敵意を真正面から受け止めつつも、伸ばした背筋を崩さずにアーウィンは更に告げる。

 

「これは拒否とみて良いのかな? ならばこちらも実力を行使させてもらう」

 

 衛士らしき屈強な男が剣を抜いた。だが隣にいた口ひげを蓄えた初老の男が、手を挙げてそれを制し自ら前に歩み出る。

 

「もしそちらの要求を我々が吞んだとして、見返りはあるか?」

「貴殿らの安全の保障、では不服かな?」

「つり合いがとれているとは言えんな。自らの行いを理解しているのか? これは交渉などではなく脅迫だ」

「私もできることなら穏便に事を運びたかったが、それを無視してこのような事態にしたのはそちらの伯爵だ」

 

 男の目に明瞭な敵意が見えた。自分と親子ほど歳の離れた娘に舐めた態度を取られている。ギルド内で高職らしき身なりの彼にとって、多くの部下がいるだろうこの場でそれは屈辱だったことだろう。

 

 今にも張り詰めた糸が切れそうな沈黙を破ったのは、ギルドの者に口布を外してもらったローズールだった。

 

「言う通りにしろ! こやつらはやると言ったらやる。この黒装束の男、こやつはベクタの落胤だ。ここにいる全員殺されるぞ!」

 

 殆ど裏返った声の訴えに、再び場がざわつき出した。

 

「ベクタの落胤だろうが罪人は罪人。そやつらを殺せ!」

 

 どこからかそんな声が沸いた。指令が出たからか、控えていた衛士たちは自らの剣を抜くのに躊躇がない。

 

 だがそれは、セツナも同じだった。

 

 腰の鞘から引き抜かれたセツナの剣、その鋼の刃が赤熱したように輝いているのが見えた。それを一閃すれば赤い軌跡が円を描き、一瞬の後に周囲にいた者たちの身体から鮮血が飛沫をあげた。

 

 その一撃は、場を混沌へと変えるのに十分だった。身なりの良い男たちが行儀よく椅子に座っていた先ほどの光景は消え去り、剣を手に衛士たちが立て続けにセツナへと向かっていく。

 

 首を撥ねられた、死にたての衛士を肉の盾として次の斬撃を防ぐ。死体とはいえ味方を斬ったことに動揺した衛士の見開かれた両目に指を突っ込んで、潰れた眼球を頭蓋の中でかき回すように指に捻りを入れていく。

 

 指を抜けば、視界を奪われた衛士が痛みに悶えながらがむしゃらに剣を振り回して味方だろうがお構いなしに斬ってしまう。その混乱に乗じて、セツナの剣が戦闘員たちの間をするりと抜けていく。一瞬の後に、床には彼らの頭や手足が落ちて、少し遅れて肉体が倒れていく。

 

「ナミエ!」

 

 ぼう、とその光景を見ていたわたしの耳にアーウィンの声が入り込んだ。突き飛ばされるように押され、すぐ横にアーウィンが衛士と剣を斬り結んでいる。

 

 いくら鍛錬を積んでいるだろうアーウィンも、ひと回り以上大きな体躯の衛士相手では分が悪いらしい。剣を弾くことも押し返すこともできず、じりじりと押されそのまま斬られるかは時間の問題に思えた。

 

 拮抗は予想外な形で決した。衛士の胸から細身の刃が突き出して、その切っ先から血を垂らした。まるで自分から生えてきたような鈍色の剣を、衛士は他人事のように見つめている。力の緩みを悟ったアーウィンはすぐさま剣を上段に振り上げるが、狙った敵の頭は吹き飛んでしまった。

 

 狙いを失って剣を宙で遊ばせることになったアーウィンは困惑の目を衛士の頭がなくなった首元へ釘づける。大きな身体が倒れ、巨躯に隠れていた襲撃者は無表情のまま自分の殺した命を眺めていた。安堵に深く溜め息をつきながら、アーウィンが訊く。

 

「まさか全員殺したのか?」

「半分近くは逃げた。追わなくて――」

 

 か細い「助けて」という声が、血の海から聞こえてきた。言葉を切って振り向いたセツナの視線の先で、ふらついた痩身の若い男が近付いてくる。

 

「こ、殺される……。助けて………」

 

 「おい、君は――」というアーウィンの声は耳に届いていないのか、男はがらんどうに「助けて」と繰り返しながらセツナにすがりつく。返り血なのか流血なのか分からないが、手についたものがべっとり服に付くのも意に介さずセツナは男を受け止める。

 

 男の手が背中に伸びた。

 

 さっきまでの緩慢さが信じられない速さで突き出された手から光るものが視え、わたしはそれを伝えようと口を開く。

 

 でも、彼はとうに見抜いていたらしい。男の手はセツナに掴まれ、そこに握られていた小ぶりなナイフはセツナの胸元に触れる寸前で静止している。

 

 鈍い音がした。掴まれた手首をあらぬ方向に曲げられ、男は痛みに絶叫する。セツナは掴んだままの手を男の口元へ持っていき、自分で持ったナイフを自ら咥えさせて、下顎に拳を突き上げた。

 

 自分でナイフを食った男は、床に転がったきり動かなくなった。

 





そーどあーと・おふらいん えぴそーど8


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「いやー久々に荒れた回になったわね!」

キ「いや戦闘パートの血生臭さは仕方ないとしてもだな、何か淡々と傍観してるナミエもサイコパスなんじゃないかと思えてきたよ」

ア「だってナミエはずっと性奴隷だったキャラクターよ。男という存在は基本的に汚らしい虫けらとしか思ってないんだから、今回の戦闘も害虫駆除みたいなものよ」

キ「じゃあセツナはどう思ってるんだ? 一応男だけど」

ア「人殺し」

キ「どストレートだな!」

ア「あとは極悪人とか血も涙もない悪魔とか、まあ何よりは死神ね。まだ作中じゃそう呼ばれるまでストーリー進んでないけど」

キ「ようは人とみなされてないわけか………」

ア「そういうことね!」

キ「えー主人公が人外扱いされてることが分かったところで今回は――」

ア「かったるい解説のコーナーです」

キ「言い方……。今回は作中での粛清対象になった商工ギルドについての解説だな」

ア「原作の異界戦争では物資補給とかの後方支援担当で、ベクタにごま刷ってたおっさんのギルドね」

キ「一応ギルドの頭目はレンギル・ギラ・スコボって名前があるから覚えてやってくれ」

ア「でも裏方であんまりパッとしなかったわよね」

キ「とはいえ重要な役割だぞ。あんまり原作での描写がなかったからここからは本作での独自設定になるが、商工ギルドは主にダークテリトリーでの物流や交易を生業としていたギルドだ。暗黒騎士とか暗黒術師とかの素質に恵まれなかった人族たちの、力じゃなく経済で生き残るためのギルドってわけだな」

ア「亜人族にも商売してたの?」

キ「主に取引先は人族のギルドだったみたいだな。商工ギルドとしては亜人族にもマーケットを広げたいところだけど、亜人族の多くが人族に対抗意識を持ってるから上手くいかなかったんだ。とはいえ人族でもあんまり信用はされなかったみたいだけど」

ア「どうして?」

キ「ダークテリトリーは弱肉強食の世界だから、必然的に力の強い人が尊敬を集めやすい風習があるんだ。だから力より経済力を重視する商工ギルドへの偏見が強いんだよ」

ア「あー確かに現実でもビジネスマンとかって金の亡者みたいで胡散臭いわよね。金の切れ目が縁の切れ目って感じで絶対に友達になりたくないし仕事の付き合いでもすぐに斬り捨てたいわよね」

キ「アスナさん、何か商売人に恨みでもあるんですか?」

ア「SAOの頃ショボい剣売りつけられたのよ!」

キ「個人の恨みかよ!」

ア「詐欺、駄目、絶対‼」

キ「えー正論ですが今回の趣旨からは外れるのでスルーします。異界戦争じゃ戦闘要員じゃなかったこともあって、商工ギルドは戦死者が一番少なかったんだ。それで戦後も支障なく経済活動を続けられるはずだったんだけど――」

ア「はずだったけど?」

キ「――人界統一会議主導での交易が始まったので一気に収益が落ち込みました」

ア「うわ、またキリト君のせいね!」

キ「いや俺だって悪気があったんじゃないというか何ていうか……。俺が発明した冷蔵庫とかの家電が商材の主流になっていって、それまで商工ギルドが扱ってきた武器や防具の素材とかの市場から様変わりしちゃったんだ」

ア「平和になったら武器の需要なんてないものねえ」

キ「そんな訳で商工ギルドは新しいビジネスを企画することになったんだが、そのうちギルド内での派閥争いが起こって内部分裂が起こったんだ。本作で登場したローズールはその半ば独立した派閥のひとつってわけだ」

ア「作中ではローズールは兵士育成のコンサル業みたいなもので勢力を広げていたことになってるわね」

キ「それはあくまで表向きだな。ローズールは慈善事業として孤児の保護もしていたんだけど、実際は集めた孤児たちを奴隷市に流していたんだ」

ア「因みに作者曰く、孤児院経営を装った奴隷商は鬱展開の定番だそうです」

キ「いらんわそんな定番!」

ア「戦後10年というのは激動の時代だから、まさに鬱の王道ネタの宝庫よ」

キ「それでこの時代設定だったのかよ………」

ア「本作は定番から変わり種まであらゆる展開を読者様に提供していきます!」

キ「どうせ全部鬱なんだろ。もう現時点でエログロ路線まっしぐらじゃん」

ア「世の中はね、綺麗ごとばかりじゃないの。汚いものを見続けることで、見えてくるものがあるのよ」

キ「見えてくるものって、例えばどんな?」

ア「それはね――」

キ「それは――?」

ア「次回をお楽しみに!」



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第9幕 ロンリー・ロード

 

   1

 

「しかし、ここまで酷いことになるとはね………」

 

 木目が血で塗られた床を眺めながら、アーウィンは溜め息をついた。所々に腕や脚、頭といった人体の一部が転がっている光景はわたしにとっては初めてではないけれど、それでも鉄が錆びたような血の匂いは鼻をつく。

 

 もはや状況にわたし自身が恐怖も感じないのは、単に二度目という慣れだろうか。それとも感覚が麻痺したのか、その麻痺は元からだったのか。

 

 戦場で血が流れる光景を見てきたアーウィンはともかく、常人ならばこのような光景のなか平静ではいられないだろう。隅っこで互いに寄り合って震えている子ども達のような反応が正しいのだ。

 

 生きている者と死んでいる者。両方から恐怖と憎悪の眼差しをその背に受け止め、セツナは立っていた。あれだけ血飛沫の舞う惨状を引き起こしておきながら、セツナの服には返り血らしきものが見当たらない。血で汚れているのは剣だけ。

 

 地の海と死体の山の上に立つ漆黒の人影は恐ろしいけど、わたしは彼に恐怖をも超えた感覚を得ずにはいられなかった。それは――

 

「お前………」

 

 何かを見つけようとしていたわたしの思考は、そこで一時中断される。声の主は、部屋の隅で固まっていた子ども達のひとり。痩せっぽちなその少女は手に細身の剣を重そうに引き摺りながら、セツナの足元に転がっているローズールへと歩いている。

 

「お前のせいで、お前のせいでお姉ちゃんは………」

 

 「やめろ!」とローズールは上ずった声で逃れようとしたのだが、踏ん張ろうとした足は虚しく床を滑るだけ。忘れていた。逃げられないよう足首をセツナが斬っておいたのだった。

 

 突如、少女の足が止まった。膝を折り顔を、正確には右目の辺りを手で押さえつけている。指間から、彼女の右目が赤く光っているように見えた。

 

「同じだ」

 

 右目が痛むのか、悶絶する彼女を凝視しながらアーウィンが呟いた。

 

「私もかつてオブシディア城を攻めようと企てた時、右目が酷く痛み出した」

 

 「どうやったら治まるの?」とわたしは訊いた。アーウィンは逡巡を経て、

 

「私の場合、考えることをやめたら痛みは引いた。思考しないだけで良いんだ」

 

 アーウィンが少女のもとへ駆け寄っていく。わたしも後に続き、彼女の痛みとそれを引き起こす思考を消そうと声を掛ける。

 

「落ち着け。その痛みは君がいま思っていることを止めれば消える」

「あの男が憎くても、いまは憎んじゃだめ」

 

 肩を揺さぶりながら意識に語り掛けても、少女はわたし達の声に耳を傾けている余裕など無いようだった。痛みか、それとも脳裏に駆け巡るローズールへの憎悪――それすらも超える殺意と呼ぶべき感情のせいか。

 

「大丈夫、大丈夫だ」

 

 背中をさすりながらアーウィンが囁いたことで、少女は興奮が冷め始めたのか荒げた息が徐々に穏やかになっていく。

 

 でも、とんだ横槍が入った。

 

「奴隷風情が………!」

 

 と粘着質な声を発したのは、芋虫みたいな動き方しかできないローズールだった。

 

「下等な魂に、この私を斬ることなどできるものか。知れ、お前など人の形をしただけの、虫けらと同等の魂として産まれ堕ちたのだ! 命は平等などとイスカーンの小僧はほざいていたが、そんなものはまやかしだ! 産まれたその時から生命の価値は決められている。貴様は外れの魂を引いたのだ。その日食う物よりも安い値しか付かん命をな!」

 

 この期に及んで、という呆れしか沸かなかった。貴族だとかギルドの幹部だとか、特権階級特有の自身の生命に対する絶対的自負は何なのだろう。何を根拠に何者も自身に刃を向ける事はできないと信じられるのだろうか。

 

 しかもローズールの(そし)りは、落ち着こうとしていた少女の裡を再び燃え上がらせてしまった。右目に赤い光が灯り、落とした剣を掴み無造作に振り回す。

 

 細腕には重い剣だから酷く遅い。だから傍にいながらもわたしは避けることができたけど、油断しきっていたのかアーウィンの腕を剣先が掠った。彼女の腕に入った1本の線から血が滴る。それを見た彼女の右目は元の色を取り戻し、手から剣を零した。

 

「あたし、人を斬った……!」

「違う、これは不可抗力だ。君は私を斬るつもりなんてなかっただろう」

 

 アーウィンの呼びかけは、少女には届いていないらしい。壊れたからくり人形みたいにしきりに首を左右に振り、荒げた呼吸がより激しさを増していく気がした。気がした、と曖昧になっているのは、その直後にローズールの悲鳴が聞こえたせいだ。

 

 振り向けば、彼の傍に恐怖の権化と呼ぶべき青年が立っている。ベクタの落胤と呼ばれた彼は、血の滴る剣を躊躇することなくローズールの背中に刺していた。

 

 吐き出された血泡が、ローズールの口元を縁取る髭を紅く汚していく。セツナは刺したまま剣を捻り、肉を抉られるローズールの悲鳴に眉一つ動かさない。剣が抜かれると、ローズールの身体が反動で僅かに跳ね上がった。

 

 間髪入れず、再び剣が突き刺される。今度は後頭部に。頭蓋を貫いた刃が右目から突き出してきて、押し出された眼球が剣先に筋一本でぶら下がっている。

 

 憐れなほどに痛めつけられてようやく、ローズールの天命は尽きた。でも同情なんて沸かなかった。彼の業を思えば、これは当然の末路としか言えまい。むしろ、裁きを下すのが遅すぎたくらいだ。為政者たちも天界の神々も、怠惰に在るうちに被害者が増えていったのだから。

 

 刃に付いた血を払い落とすと、セツナは剣を鞘に収めた。ゆっくりとわたし達のもとへ歩くその靴が、床を転がっていたローズールの眼球を踏み潰す。そんな事には気付かず、彼は言い放った。

 

「人を刺したところで何も変わらない。人は人のままだ」

 

 そう、確かにセツナは人の姿を保っていた。少なくともこの時点で数十人もの人間を斬り捨てていたのだが、黒い髪と瞳も白い肌も変わりない。

 

 窓から赤い光が射し込んでくる。僅かなソルスの光が降り注いだのだろう。暗黒界でも1日に何度か雲間から陽光がもたらされる時間があるのだ。その光を背に立つセツナは殺戮者として怖れるべきなのだが、無表情の彼からは恐怖を超越したものを感じられた。どこか美しくも見えたのだ。

 

 気付けば、少女が大粒の涙を流していた。本人は気付いていないのだろう。流れる涙を拭おうともせず、ただ目の前に立つ青年を見上げている。

 

「そうだ。これくらいの事で君の魂が汚れることなんてない。人を憎むことは罪でも何でもないんだ」

 

 アーウィンが付け足すように言葉を重ねる。少女に付けられた傷は薄皮1枚程度のものだったのか、既に血は止まっていた。神聖術を施すまでもなく、すぐに塞がるだろう。

 

 少女は声をあげて泣いた。まるで赤ん坊みたいに。彼女の胸中でどんな想いが昂ぶったのかは計り知れないが、少なくともセツナの言葉がきっかけだった事は確かだ。

 

 わたしは、さっき見つけようとしていたものが何かを悟った。人を殺すことが何故に悪なのか、それが赦される時とはいつなのか、その答えはセツナの中にあるように見えたのだ。人としての罪も罰も超越し、その穢れの全てを背負う器を持つ者としての姿は神聖さを伴う。

 

 つまりは、畏怖。

 

 怖れ、そして崇める者。

 

 

   2

 

 焚火を囲んだ子ども達が、夢中になってパンを貪りスープを啜っている。行儀も何もあったものじゃないけど、スープをよそう給仕係は何も言わず好きなように食べさせている。今は(しつけ)よりも、あの子たちを満腹にさせてあげることが彼の役割なのだ。

 

 食事の場のすぐ隣では、他の者たちが天幕(テント)を張っている。あらかじめアーウィンが呼んでおいた彼らの仕事は手早く隙が無い。ものの十数分ほどで、子ども達の寝食の場を完成させてしまうのだから。

 

 子ども達とは少し離れたところで焚かれた火に当たっていたわたしのもとに、遅れて食事が運ばれてきた。あの子たちと同じ献立のパンとスープ。3人分の器を乗せた大きめの盆を持って来てくれたのは、ローズールを斬ろうとしたあの少女だった。

 

「あの、食事を」

「ありがとう。あなたは、もう大丈夫なの?」

「あ、はい……」

 

 少し緊張した面持ちの少女から盆を受け取る。役目を果たした彼女は去る様子がなく、組んだ手の中で指をせわしなく動かしている。

 

「隣、どうぞ」

 

 何となく意図が読めたわたしは、隣に置かれた組立式の簡易椅子を手で指した。「ありがとう」と所在なさげに腰かけた彼女は当たりに視線を漂わせる。

 

「あの人は?」

「セツナのこと?」

「セツナっていうんですね、あの人」

「どこ行ったのか知らないわ」

「そうですか。お礼、言いたかったんですけど………」

「お礼?」

 

 わたしが訊くと、彼女は逡巡を置いてから話し始めた。

 

「あの時のこと。何だかあたし、赦された気がして………」

 

 紡がれる言葉はまるで彼女自身も探り探り選び取っているように聞こえた。彼女自身、まだ己の中に渦巻くものの整理が付いていないように。

 

「あの伯爵のこと、殺してやりたいくらい憎くて、でもそんなこと思った自分がひどく汚れたみたいで、もう生きていけないんじゃないかって思ったんです」

 

 とても敬虔な人だな、とわたしは感じていた。禁忌目録をはじめ法での禁止事項は実行することは勿論、それを起こそうと思考することさえ忌避する風潮は根強い。子どもだったら問題児として大人たちからありとあらゆる法を叩き込まれる。矯正されないまま大人になってしまうと、周囲からは罪人予備軍と白い目で見られるのが世の常だ。

 

「でもセツナさんがあたしの憎しみが罪じゃないって言ってくれて、分かった気がしたんです。あの人は自分が伯爵を殺すことで、あたしが犯そうとした罪を肩代わりしてくれたんだって」

 

 この時わたしは深く考えもせず少女の話を聞いていたのだけど、後から思い返せば興味深いものがある。

 

 憎しみは罪じゃない。この言葉はアーウィンが言ったものなのだ。セツナの「人を斬っても人は人のまま」という言葉の補足として彼女が発言したのだが、少女は自身に向けられた言葉の全てがセツナの口から出たものと認識していた。

 

 恐らく当時は気が動転していたあまり、事実をこのように曲解してしまったのだろう。ただの勘違いと言えばそれまでなのだけど、これは決して無視できるものじゃない。勘違いこそが、まだ先がある死神伝説を形作る根底になるのだから。

 

「彼、人界人なんですよね?」

「多分ね」

「多分?」

「彼はベクタの迷子なの。セツナっていう名前以外、何も覚えていないみたい」

 

 わたしの説明で、彼女はどこか腑に落ちたように明後日の方角を見た。次にふ、と笑みを零し、

 

「もしかしたら、本当にベクタの子どもなのかもしれませんね。そうでなかったら、あんな事できないもの」

 

 そう言って、少女は他の子ども達のもとへと戻っていった。わたしは運ばれてきたパンを齧りながら、彼女のまだ幼い背を見送りながら考えた。

 

 これはわたしの推測でしかないのだが、セツナによって魂の赦しを得た少女もまた、わたしと同じようにセツナへの畏怖を見出したのだと思う。あの時、死体の中で陽光を背に立つ彼を、神の遣いか神そのものに見えたのではないだろうか。

 

 そうなると彼女が流していた涙は安堵というよりも、人を超越した存在に邂逅したことへの感動と呼ぶべきものだったのではないだろうか。

 

 少女が後に死神伝説を触れ回っていたかは、名前すら知ることのなかったわたしには確認のしようがない。それに、伝説とは不特定多数の民衆が語り継ぐからこそ知れ渡る。そういう点では、いくら英雄と邂逅したとはいえ名前不詳の少女は伝説の伝播にさほど重要ではないのだ。

 

 スープを飲みながら、わたしはふと思い出した。少女から、右目が光ったことについて訊き忘れてしまったことに。

 

 

   3

 

 すっかり食事が冷めてしまっても、セツナとアーウィンは焚火のもとへ来なかった。ふたりの分も食べてしまおうか、という誘惑を振り払い、わたしは屋敷へと向かった。

 

 立派な建物があるにも関わらず外で野営用天幕を張ったのも、中に死体が放置されたままだからだ。血と肉の臭気に塗れた空間で、死者たちの視線に囲まれながら食事を摂るのは気分が良いとはいえない。

 

 屋敷の扉は蝶番が外れていた――セツナが強引に開けたせいで――から、半分ほど開かれていた。というより、これ以上は閉じられない、といった様子だ。だからわたしが中に入るのは容易だった。

 

 中には多くの人影が残っている。多くは死体。殆どが四肢をどこか欠損している。ぼんやり眺めていると、面識のない死体と目が合った。まだ他と比べたら生前の姿を保っているその人は、死んでも自分の身に何が起こったのか分からない、という顔をしていた。

 

 俺は何でこんな事になっている。俺の腕はどこに行ったんだ。俺が何をしたっていうんだ。

 

 そんな無言の訴えを聞いた気がした。その時は答えてあげる義理なんて無いから無視して奥へと進んだけど、もし答える用意ができていたら、わたしはこう言っていただろう。

 

 何をしたのか分からないのなら、それがあなたの死んだ理由だ。

 

 広いロビーの面影がある部屋の奥、そこにふたりの、生きている人影があった。窓辺のふたりが宵闇で姿が輪郭しか分からず、さながら存在そのものが影に見える。動かなければ、他の死体たちと完全に同化してしまいそう。

 

「ここもいずれ、《ステイシアの渓谷》や《テラリアの墓所》みたいに、奇跡の場なんて呼ばれるかもしれないな」

「奇跡?」

 

 アーウィンの声に、抑揚のないセツナの声が重なる。

 

「ただあんたの言った通りにやっただけだ。奇跡でも何でもない」

「いや、君がただの罪人ならこんな事は起こせないよ」

「あんたは俺に何を期待してる?」

「神として」

 

 深い溜め息が聞こえた。

 

「随分と汚れた神だな」

「浄化というものだよ。汚れきったこの世界を君は洗い流せるんだ。それが果たされたとき、君は新たな世界の創造主となる」

「生贄、じゃないのか?」

 

 ほんの数秒だが逡巡があった。アーウィンが答えあぐねている隙に付け入り、セツナは続ける。

 

「俺があんたの言う新しい世界のためにこんな事を繰り返さなきゃならないのなら、いつかは代償を払うことになる」

「確かに君は大勢を殺した。でも同時に救いもしたんだ。こいつらに弄ばれていた子たちを、それにナミエを地獄のような場所から救い出したのも事実だろう。その事実を救われた者たちは決して無視しない。殺めた分よりも多くを救えばいい話だ」

 

 「それに私も」とアーウィンは付け加える。

 

「私のように何もできない臆病者にとって、君のような存在は光なんだ。君は苦しむ者たちの代行者なんだよ。代弁者ではいけない。口では何とでも言えるからね。実際に行動できる事が重要だ」

「俺が苦しむ者たちの代わりに殺すのなら、彼らの業を背負って死ななきゃならない。それはもはや人身御供だ」

「そうはならないよ」

「何を根拠に」

「君が今こうして生きていることさ」

 

 断言するアーウィンの声には、不思議と澱みがなかった。澄み切った心のままに、彼女はセツナがこれからも殺し続けることを予言している。

 

「犯した罪に耐えられないのなら、君はとっくにその剣で自らの首を撥ねていたはずだ。でもそうはしなかった。記憶を失っても、どこかで君は理解しているんだよ。たとえ他者を殺めてでも果たすべき使命をね。だから君は今ここで死ぬことを拒んでいる」

「死ぬ覚悟がないだけ、だったらどうする? 俺がただの臆病者だったら、あんたは幻滅するか?」

「しないよ。君は死ぬことよりも生きることの方が苦しく困難だと知っている。それは臆病ではなく覚悟だ」

 

 今度はセツナが黙ってしまった。そうなるとアーウィンの番だ。

 

「セツナ、新しい世界には君が必要なんだ。あんな子ども達が惨い想いをしない世界を創り上げるには、君のように壊す者がいなければならない。壊す過程で大勢が死ぬだろうが、同時に多くの者が君によって救われる。それができるからこそ君は神なんだ」

 

 「もし俺が本当に神なら――」と零すセツナの声は、どこか悲しそうに聞こえた。ここにある死体の山を築いた人間にはとても思えない、慈愛すら感じさせるものだった。

 

「傍に居てほしい人を見つける」

「私では、それになれないのかな?」

「ああ、多分な」

「残念だよ」

 

 わたしは胸の奥が締め付けられるような不快感を覚えた。これじゃまるで、アーウィンが愛の告白を拒絶されたみたいじゃないか。

 

 忍び足で外へと急いだ。これ以上、アーウィンが女として惨めになってしまうのは見たくなかった。

 

 

   4

 

「近いうち出荷予定と思われる木箱が見つかったんだが、中身は土だった」

 

 わたしから遅れて屋敷からセツナと共に戻ってきたアーウィンは、わたしの知るアーウィンだった。凛々しく逞しく、多少の強引さを含んだ声色で部下に報告をする。

 

 「土、ですか」と部下の男はアーウィンが抱えてきた木箱の中身をすくいあげた。よく水分を含んでいるらしく、土は部下の手から零れずに転がっている。畑で野菜を育てるには、あまり向きそうにない。

 

「粘土だよ」

 

 と、アーウィンも手の中で土をこねた。

 

「この粘り気なら、暗黒術師は良いミニオンを作れるだろうね」

「ですが、ミニオン用の粘土は暗黒術師ギルドが管理しているはずでは? なぜ商工ギルドが――」

「納品先の顧客が暗黒術師、というのが自然だろうね」

「まさかギルドの裏切り者が?」

「裏切ったというよりは見限った、というのも有り得るよ。戦後烏合(うごう)の衆になったギルドを抜ける者は多いと聞く。私みたいにね」

 

 余計な発言を察した部下は苦い顔で口を真一文字に結んだ。アーウィンは溜め息をついたけど敢えてそこは追求することなく続ける。

 

「9年前のこともある。異界戦争で死んだと偽っていた術師が地下に潜って何か企んでいる可能性は十分にあるよ」

「人界の皇帝がミニオンとして蘇ったとかいうやつですか? まさか、暗黒術師がそれに絡んでいたとお考えなのですか?」

「連中の逞しさを舐めてはいけないよ。生き残り昇り詰めるためなら平気で尻を突き出すし、平気で裏切りもする。人界の皇帝や貴族と手を組んでいても、私は不思議に思わないね」

「しかし、何で今更になって――」

「それ以上のことは調べてみない事には分からないさ。中に顧客や納入先の名簿がまだ残っているかもしれない」

「了解しました。捜索にあたりますので、将軍はその間お休みください」

「済まないね」

 

 部下が敬礼して去るのを見送ると、アーウィンは簡易椅子に深く腰を降ろした。すっかり冷めてしまったスープを啜り、パンを口に運ぶ。

 

「こんなに疲れた日は久しぶりだよ。まさかここまでやるとはね」

 

 疲労を感じているのはアーウィンだけじゃないだろう。さっきの部下だって、あまりの惨状に屋敷へ入るのに時間を要していたほどだ。誰もが、あの死体の山をセツナが築いたことを信じられないでいる。一部で信じる者はアーウィンが思いついた《ベクタの落胤》なんて話を鵜呑みにしている。

 

 どちらにせよ、セツナが計り知れない人物であるというのは共通認識みたいだ。彼に用意された天幕には誰も近付こうとしない。彼に礼を言いたがっていたあの少女さえも。彼女の場合、神と話すのに畏れ多いのかもしれないが。

 

「さっき――」

 

 唐突なアーウィンの切り出しに、わたしは思わず一瞬だけ肩を跳ね上げてしまった。

 

「私とセツナの話を聞いていたね?」

「気付いていたの?」

「これでも元暗黒騎士だよ。すぐに分かったさ」

 

 当然の納得だった。歴戦の騎士に、剣すら握ったことのないわたしの忍び足なんてうるさかったことだろう。密談めいたやり取りを目撃されていたと分かっていながらも、アーウィンはわたしには優しく問う。

 

「ナミエ、私を狂信者だと思うか?」

「思わないわ」

 

 その答えは本心ながらも、内心でわたしはどう言えば良いのか迷っていた。セツナに神を説いていた彼女には、少し恐怖めいたものを覚えていたから。

 

「わたしも、セツナには人を超えたものがあると思うから」

「君がそう言うのなら、確かなのだろうね。彼の最も近くにいるのは君だ」

 

 わたしはかぶりを振った。傍に居ても、セツナのことは何も知らない。彼が何を考えていて、何を望んでいるのか、わたしは全く理解できていないのだ。

 

 アーウィンはこの質問をすることで、確信を持ちたかったのだろうか。自分の信じるものが、中身のない空っぽな男ではないと。誰だって自らの決断や選択の正否なんて分からない。無条件に正しいと信じられる絶対的存在だからこそ、神は神なのだ。

 

 そういう意味では、この時点でアーウィンを迷わせたセツナはまだ神に成りきれていなかったのかもしれない。

 

「将軍‼」

 

 怒声に似た声でアーウィンの部下が叫んだ。「何だ」と応じた彼女に、部下は「接近する影あり!」と上空を指さす。

 

 見上げると、そこに広がるのは暗闇が広がる夜空だ。厚い雲が蓋をし、星なんて見えない。

 

 でも、流星のような速度で空を何かが駆けている。影がどんどん大きくなってきて、ようやくそれが降りてきていると気付いた。

 

「退避だ! 皆戦闘に備えろっ‼」

 

 剣を抜いたアーウィンが指示を飛ばす。次々と皆も腰の剣を抜いた。空から降ってきたものが、地上との距離を詰めてくるに従ってその輪郭をはっきりさせてくる。

 

 左右に広がる巨大な翼。内部から燃えているかのような赤い鱗。鋭く尖った頭部から伸びる金色の双角。

 

 それは飛竜だった。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど9


キリト=キ
アスナ=ア
シノン=シ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「今回も素敵なゲストに来てくれました。どうぞ!」

シ「こんにちは、シノンよ。因みにアバターはGGOでもALOでも好きな方を想像して頂戴。あ、UWのソルスでも良いそうよ」

キ「おお、早速のメタ発言だなシノン………」

ア「ようこそしののん! ずっと来てくれるの待ってたのよ」

シ「ああ、うん。ありがとねアスナ………」

ア「どうしたのしののん? 緊張してるの? しののんて結構シャイなところあるもんねえ」

シ「いや、リーファからヤバいって聞いてたから………」

キ「あっ(察し)」

ア「えーリーファちゃんが? このコーナーの何がヤバいのよ?」

キ「白々しいわ十中八九アスナだよ! 見ろシノンがドン引きしてるぞ!」

シ「大丈夫よキリト。仕事はちゃんとするから………」

ア「まあ仕方ないわ。読者の皆さんは怯えた沢○さんボイスをお楽しみください」

キ「声優さんを餌に読者さんを釣ろうとするな!」

ア「それでは今回のコーナーは、作中に出てきた用語の解説よ」

シ「そういえば本編で原作になかった用語があったわね。《ステイシアの渓谷》とか《テラリアの墓所》とか」

ア「このふたつは異界戦争から作中世界の10年間で呼ばれるようになったもので、本作オリジナルの設定ね」

キ「まず《ステイシアの渓谷》だけど、あれは原作でアスナが創世神ステイシアの地形操作で開けた谷だな。拳闘士たちが進軍のために綱渡りした印象的なやつだ」

ア「戦後のUWでは人界統一会議副代表のわたしが起こした奇跡として語り継がれてるわ。わたしが!」

シ「ああうん、分かってるから2度言わなくて大丈夫よ」

キ「人界統一会議の戦力を見せつけるために、アスナが開けた谷として大々的にPRして観光名所にもしてるんだ。アスナは恥ずかしがって最後まで反対して終いには谷埋めようとまでしてたけど」

シ「まあ、原作でのアスナならそうするわよね」

ア「原作って何よ? まるでここでのわたしが別人みたいじゃない」

キ「そう言ってるんだよ………」

ア「酷いわキリト君! わたしキリト君との事しっかり覚えてるのよ! キリト君がどんなプレイが好きだったかも――」

キ「やめろおおおおおおおおおっ‼」

シ「えー、しばしお待ちください」

 ~しばし~

ア「次は《テラリアの墓所》ね。これは《ステイシアの渓谷》のすぐ近くにあるわ」

キ「あー疲れた……。えーと、戦争終盤で地母神テラリアのアカウントでスグが戦ってた場所だな」

シ「確か、アメリカ人プレイヤーたちからオークと拳闘士たちを守っていたのよね」

キ「ああ、体中剣とか槍とかで串刺しになっても戦い続けたってイスカーンから聞いて血の気引いたよ」

シ「テラリアのアカウントってHP無限回服できるのに痛みそのままなんて設定だったものね。ほんとリーファ頑張ったわね」

ア「そんなオークと剣闘士を守ったリーファちゃんはUWでは《緑の剣士》として崇拝されて、死んだ場所にお墓が建てられているわ」

シ「それで《テラリアの墓所》なわけね。でも、現実世界じゃ普通に生きてるから直葉ちゃんとしては複雑でしょうね」

キ「俺なんて何度か墓参り行ったせいで変な気分になったよ」

シ「ねえ、気になったんだけど」

キ「ん?」

シ「わたしに因んだ場所は無いの?」

キ「え、いやーあのーその――」

ア「無いわよ」

キ「おおおいっ‼」

シ「清々しいくらい直球ね………」

ア「しののんのやった事って再ダイブしたカブリエル・ミラーの足止めくらいだったからね」

キ「いや重要な役だからね! シノンのお陰でアリス掴まる前に俺間に合ってるから!」

シ「キリト、そう言ってるくれるあんたが好きよ………」

キ「アスナもシノンに何の恨みがあるんだよ」

ア「妬ましいのよ!」

キ「ええ逆切れ……?」

ア「だってわたしは地形操作する度に頭痛かったしリーファちゃんだって不死身なのに痛み普通にあるのよ。しののんは太陽神ソルスのアカウントでそういう副作用的なのあった?」

シ「まあ、なかったわね……」

ア「それなのに空自由に飛べるとか当たりじゃない! そう簡単に出番くれてやるもんですか!」

キ「一応、戦後のUWじゃシノンも英雄になってるから、何も空気だったわけじゃないぞ」

シ「どうせソルスが天界からやってきたとかで、わたしのシノンていう名前はあまり知られてないんでしょ?」

キ「え、いやそんなことは………」

シ「分かってるのよ。原作でもメインだったファントムバレット編の後はキリトの愛人Bって立ち位置(因みにAはリーファ)でしかない自覚はあるわ。アスナみたいに王道な可愛さがあるわけでもないし、リーファみたいにグラマラスなわけでもない。リアルじゃ地味眼鏡で声以外はただのモブ。わたしは所詮正妻には勝てない、都合の良いときだけ使い潰され消費されるサブヒロインでしかないのよ」

キ「闇堕ちしてる……!」

ア「(肩ポン)分かったわしののん」

シ「アスナ?」

ア「ひと晩だけキリト君をあげる」

キ「え、俺の意思は?」

シ「アスナ………」

ア「しののん………」

シ「ひと晩じゃなくてずっと頂戴」

ア「それは駄目」

シ「アスナならそう言うと思ったわ(へカートがしゃん)」

ア「やはりここは、力で決めるしかないそうね(抜刀)」

キ「いやふたりとも、これサブコーナーなんだ――」

シ「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラあッ‼」

ア「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄あッ‼」

キ「違う原作ネタぶっこまれたので今日はここまで! 声優繋がりだからって『そこに痺れる憧れるうッ』とか言わないからな。じゃあ、また次回‼」



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第10幕 レッド・ドラゴン

 

   1

 

 赤い巨体が間近に迫ったところで、突風が辺りに吹き荒れた。飛竜が減速に、地上に向かって翼で風を起こしたために。

 

 焚火はひと吹きで消え、燃え残った薪と椅子が飛ばされ狂乱のように舞う。辛うじて子ども達が避難しただろう天幕は辛うじて支柱を立たせていた。

 

 灯りが消えてしまったが、周囲の様子はよく見えた。光源は飛竜自身。巨躯の内部が燃えているかのように、鱗の隙間から赤熱したような光が漏れ出ている。太陽神ソルスの眷属と言われたら信じるかもしれない。

 

「システム・コール――」

 

 団員の中に術師がいたのだろう。どこからか式句の詠唱が聞こえた。それほど難しい術ではないのか、すぐさま宙に半透明の表面が照りついた矢が出現する。

 

 素因のひとつである《水素》の矢。術師が何故水素を選んだのかは、単純に飛竜が炎を蓄えていると判断したからだろう。

 

「ディスチャージ!」

 

 式句に従い、水矢が飛竜目掛けて真っ直ぐ飛んでいく。狙いは正確だ。矢は飛竜の頭へと、鋭い矢じりを突き立てる――はずだった。

 

 攻撃に気付いた飛竜は矢へと向き、大きく裂けた口を開いた。喉元から獰猛な唸りと共に炎が渦巻いている。吸い込まれるように冷矢は飛竜の咥内へと収まり、炎に触れると同時に蒸発してしまった。

 

 文字通り焼石に水だ。炎の塊というべき姿の赤き飛竜に、一筋の水なんてまるで意味がない。

 

「システム・コール。ジェネレート・クライオゼニック・エレメント」

 

 今度はアーウィンが詠唱を始めた。彼女の手の中で、光の粒子が崩れるように舞っている。神聖力――ここでは暗黒力か――を凝縮したものを砕いたのだろう。

 

 アーウィンを中心として寒くなっていく。空気が急速に冷えて、霧状になった風が吹き荒れている様子がよく見えた。

 

 これは、《凍素》――

 

 わたしが察したと同時、アーウィンの掲げた手に氷の粒を含んだ風が集まり球体状に凝縮されていく。

 

「フォーム・エレメント、バード・シェイプ。カウンター・サーマル・オブジェクト」

 

 さっきの術師は時間がないから式句の短い術にしたようだが、それが通用しないとなれば詠唱が多少は長くなろうと強力な術を使うのは致し方ない。

 

 アーウィンの手先に浮いている凍素が2枚の翼をはためかせる。まるで卵から孵化したように、アーウィンの身丈ほどもある鳥に姿を変えていた。

 

「ディスチャージ!」

 

 式句という命令を承った氷の鳥が、翼をはためかせて飛竜へと飛んでいく。迫りくる冷気に飛竜も先ほどの矢とは違うと察したらしく、再び口を開き喉の奥から体表と同じ光を明滅させる。

 

 氷の鳥が目前に迫ったと同時、飛竜の口から炎が放たれた。炎を全身に浴びた鳥が一瞬のうちにその形を崩壊させるが、存在そのものが凍素である鳥は周囲に自らの肉片――もとい氷の破片を撒き散らし、それらも熱で一瞬にして蒸発する。

 

 白煙にも似た濃い蒸気はものの数秒で飛竜の巨体を覆い尽くした。それでも、わたし達の方からは飛竜の体表から漏れ出た光が僅かに見える。

 

「逃げろナミエ!」

 

 アーウィンの声はしっかり聞こえていたけど、わたしは動くことができなかった。絶対的な力を前に、わたしの脚は震えて言う事をきかなかったのだ。蛇に睨まれたカエルの気持ちがよく分かる。

 

 空を斬る音がした。一瞬遅れて、線のような影が蒸気の中、飛竜へと飛んでいく。更に遅れて咆哮が聞こえた。

 

 強い風が巻き起こる。蒸気がすぐに吹き飛ばされ、視界が開けると大きく翼をはためかせた飛竜の姿が再び現れる。飛竜の首筋から伸びる一筋の鈍色の線が見えた。

 

 あれは、剣――

 

 飛竜が地面に巨大な足をついた。轟音と共に地面が震え、皆がたたらを踏む。獲物を品定めでもしようとしたのか飛竜が頭を垂れた瞬間、それを待ちわびていたかのように俊足で距離を詰めた人影がいた。

 

「セツナ⁉」

 

 アーウィンがその名を呼ばなければ気付かなかっただろう。気が付いたとき、セツナは既に飛竜の首から剣を引き抜いていた。栓を抜かれたことで飛んだ赤い飛沫で、わたしは何故か飛竜の血も赤いことを冷静に見る事ができていた。

 

 セツナの剣が水色の光を帯びる。飛竜の尖った顔面に、光の軌跡を描きながら剣を一閃した。振りかぶったところで更に一閃。十字線のような創傷を付けられた飛竜が虫でも払うかのように大きく頭を振るが、身体を反転させ紙一重で避けたセツナはすれ違いざまに上段から剣を振り下ろす。

 

 手首を返し、セツナが振り上げた剣尖が飛竜の下顎を斬った。4連の剣戟は凄まじいが、同時に動きも軽やかだった。それでも飛竜の硬い鱗に覆われた肉体を切り裂くには至らず、表皮に僅かな4本の傷を付けただけに過ぎない。

 

 ぐるる、と獰猛に喉を震わせる飛竜の声に混じって、それは聞こえた。

 

「おぬし………」

 

 よく通る声だったけど、誰のものか最初は分からなかった。男か女か判別が付きづらいが、不気味さは感じない響きが魂に直接語り掛けているかのような錯覚を覚える。

 

「なるほど、とんだイレギュラーユニットだな………」

 

 言語は間違いなく共通語なのだけど、その言葉が何を意味するかはまったく理解はできなかった。だけど確信できたことは、言葉に倣って飛竜が口を動かしていたということ。そのつまりを、アーウィンが驚愕と共に吐き出す。

 

「喋ったのか、飛竜が………?」

 

 飛竜が翼を大きく広げた。起こした風が吹き荒れてわたし達の足元がおぼつかなくなる中で、飛竜の巨体は自らの風に押し上げられて地から足を離す。

 

 見下ろした目は、未だ剣を構えるセツナに向けているように見えた。飛竜は喉を震わせ、獣の唸りを人の言葉に移し替える。

 

「近いうち、おぬしらに刃を向ける者が来る。その者を敵とするか同志とするかは、おぬしら次第だ」

 

 翼をはためかせ、強風と共に飛竜は夜空へと昇っていく。その巨体が夜の闇に溶け込んで完全に見えなくなるのに、そう時間は掛からなかった。

 

 

   2

 

 さっきは混乱のせいで気付きもしなかったが、保護した子ども達は恐怖に泣いていたらしい。いくら泣いても泣き足りず、しゃくり上げて呼吸すらできなくなった子もいたとか。

 

 女の団員たちが辛抱強くあやしてくれたお陰で子ども達も落ち着きを取り戻し、眠ってくれた後もわたし達年長者たちは呑気に寝ているわけにはいかない。もっともわたしはアーウィンから寝てもいいと言われたけど、流石に子守唄で眠れるほど幼くもなかった。

 

「何だったんだ、あの飛竜は?」

 

 簡単に修理した椅子で、焚き直した火に当たりながらアーウィンは額を手で覆った。

 

「アーウィン、暗黒騎士だったわよね?」

「ああ。相棒の飛竜もいたし、毎日世話をしていたよ。そこらの者よりも飛竜という生き物をよく知っているつもりだった」

 

 飛竜の専門家とも言える元暗黒騎士がここまで頭を抱えていることから、あの赤き竜がどれほど規格外なのかは察することができる。

 

「だが赤い飛竜など、今まで見たことも聞いたこともない。人界の飛竜は灰色で、暗黒界の飛竜は黒だ」

偶々(たまたま)そういう色の飛竜がいた、とかは?」

「それは考えにくい。野生の飛竜もいなくはないが、戦前から保護のために個体数を厳重に管理していたんだ。元々数が少ない種だったからね。人界も同じように保護していたらしい。色違いの亜種が産まれたら話はすぐに広まるはずだ」

 

 深く溜め息をついたアーウィンと焚火を挟んで座るセツナは、先ほどから無言でお茶を飲んでいる。ドクダミアンという人界産の薬膳茶葉らしいのだが、お世辞にも美味と言えないこんな飲み物をよく顔色ひとつ変えずに飲めるものだ。

 

 そんな感じで話など聞いているか分からない態度だったセツナが、ようやく重すぎる口を開いた。

 

「ドラゴンは喋るものなのか?」

「どらごん?」

 

 古代神聖語と察したわたしが「多分、飛竜のこと」と耳打ちすると「ああ」とアーウィンは納得し、

 

「喋れる飛竜も聞いたことがない。飛竜は賢く主の命令を理解できるが、意志疎通は言うなれば主からの一方通行だ」

 

 説明してすぐ、アーウィンは自身の言葉に引っ掛かりを覚えたのか眉を潜めた。虚空に視線を漂わせ、途切れ途切れながら再び話し始める。

 

「いや、大昔の人界では人語を話す魔獣がいたそうだ。公理教会の最高司祭が1匹残らず始末したと聞いたが」

「その時代の生き残りってことは?」

 

 わたしの率直な推測にアーウィンは「可能性はある」と肯定しつつも、慎重な声色を崩さなかった。

 

「だが、現状では何も分からない。あの飛竜も、飛竜が言っていた近いうちに現れるとかいう者も見当が付かないよ」

 

 刃を向ける者。敵となるか同志となるかはわたし達次第、と飛竜は言っていた。正直なところ、この先誰と出会っても飛竜の予言の人物と結び付けられる気がしない。何せこちらは、誰から刃を向けられても不思議じゃないセツナがいるのだから。下手をすればセツナの方が先に刃を向けてしまうかもしれない。

 

「今日のところは寝よう。あんな事があっては眠れないかもしれないが、今は寝ることしかできない」

 

 アーウィンの言葉に、わたしは頷いた。彼女の言う通り、今できることは眠ることだけ。再び赤き竜の襲撃が来るかもしれないと恐怖したところで、人は死すべき時には死ぬものだ。

 

 朽ちていくだけになったローズールたちも、そんな理不尽でこの日死んでいったのだから。

 

 

   3

 

 いくら恐怖しても、睡眠欲というものはそれを簡単に凌駕してしまう。過ぎてしまえば、たとえ嵐でも飛竜でも些末事になってしまうものだ。

 

 天幕から出ると、既に起床していたアーウィンの団員たちがせわしなく動き回っている。一部の天幕は撤収作業で畳まれているものもあった。

 

 わたしは衛士風の鎧を纏う団員たちの中から、昨晩から絶えず焚かれていた火の前に立つアーウィンを見つけた。

 

「おはよう、よく眠れたかい?」

 

 すぐ気付いたアーウィンに訊かれ、まだ眠気が抜けきっていないわたしは「うん」とぼんやり答えた。

 

「朝食だ。食べておくといい」

 

 そう言うと、アーウィンは傍に置かれていた盆をわたしに差し出してくれた。昨晩と同じパンとスープ。きっとわたしのために貰っておいてくれたのだろう。厚意に「ありがとう」と応えつつ、わたしは受け取ったパンを食べた。

 

 「食べながらで良いから、聞いて欲しい」とアーウィンは前置きを経て、

 

「報告があってね、昨日見つかった粘土はトルソ村に出荷予定だったらしい」

「トルソ村?」

「確かオーク族の村だったはずだ。何故そんなところにミニオン用の粘土が行くのか、これから調べに行く」

「セツナも連れていくの?」

 

 わたしの問いに、アーウィンは困ったように眉を潜めた。

 

「言いたいことは分かるよ」

 

 セツナも行く。それはつまり、また血が流れるということだ。わたしの不安にも似た予感をアーウィンは否定しない。

 

「事によっては、ナミエの考えている通りになる。私も穏便に済ませられるのなら、そうしたいが………」

「セツナは、どうしたいのかな?」

 

 何故そんな疑問が出たのか、わたし自身にも分からない。殺せと言われたら躊躇なく血の海を作り出す殺戮者の彼に、果たして自身の意思があるとは見えないのに。

 

 そんなセツナを理解しているかのようなアーウィンの口ぶりは、少しばかりわたしの中に引っ掛かるものがあった。

 

「彼にも覚悟があるはずだ。どれだけ殺めることになっても、その罪を背負うという覚悟がね」

「罪………」

 

 でも覚悟を決めたからといって、その罪を償う日はいつ訪れるのだろう。訊きたかったけど、わたしは敢えて喉元に押し留めた。多分アーウィンにも分からなかっただろうから。

 

 もし知っている者がいるとすれば、それは当の罪人であるセツナのみだ。

 

 近付いてくる人物を視界の端に捉えて目を向けたら、噂をすればというものかそれはセツナだった。寝起きかもしれないが、熟睡できたのか足取りもしっかりしている。表情はいつも通り無表情だった。

 

「やっと起きたか。間もなく出発する。身支度を整えてもらおうか」

「このままでいい。すぐに出られる」

 

 無骨に言い放つセツナの前にアーウィンは立った。殆ど背丈が同じふたりが向かい合うと、傍から見たら睨み合いに見えてしまう。ふたりともお世辞にも愛嬌があると言い難い顔立ちだから尚更に。

 

 アーウィンは不意にセツナの腰に提げた剣を引き抜いた。抵抗する素振りもなく武器を奪われたセツナには、彼女に殺意がないと分かり切っていたのだろうか。もしくは武器がなくても返り討ちにできると自負していたのか。

 

 「見ろ」とアーウィンの見せる刃には、一筋の亀裂が走っている。

 

「あの飛竜に使った秘奥義のせいだな」

「秘奥義?」

「君が使っていた技のことだ。まさか秘奥義のことも忘れたのか?」

「剣が光ったら何故か身体が勝手に動いた。別に不便でもないからやっていただけだ」

 

 これにはわたしも思わず持っていた食べかけのパンを危うく落としそうになった。師事もなく習得できないとされる秘奥義を、この男は知らず知らずのうちに行使していたと言うのだ。日々鍛錬しているだろうアーウィンの驚愕は、わたしの比ではなかったに違いない。

 

「では君は、自分が何の流派の剣を振っているのかも知らないのか?」

「そもそも記憶がない」

「あ、ああそうだったな………。君には驚かさてばかりだ」

 

 そう言ってアーウィンは額を押さえて苦笑を漏らしている。

 

「で、その秘奥義とかいうのを使ったら剣がどうなる?」

「ああ……。秘奥義はそれなりに優先度の高い武器で初めて使えるようになる。ましてや連続剣など、そこらの鍛冶師が打ったもの程度の剣で使ったら天命が一気に削ぎ落されてこうなる」

 

 とアーウィンはセツナの剣を眼前に突き出す。ウンベールを殺して奪った爵家の家宝ともいえる代物のはずだが、飛竜への攻撃が相当な無理を強いていたのか亀裂ばかりか鈍色の輝きを失い剣先は刃こぼれしている。

 

 アーウィンは柄に施されたジーゼック家の家紋に目をやり、

 

「これは、あの村の貴族の剣か。人界の貴族など単発の秘奥義しか使えないからな。剣も見てくればかりの(なまくら)か」

「なら新しい剣が欲しい」

「ああ、部下たちからなるべく優先度の高いものをあてがってもらう。ただし、連続剣はどうしてもという時以外は使わないでくれ。1発で剣が折れそうだ」

「約束はできない。自分がどんな技を使えるか俺は知らないからな」

 

 これにはアーウィンも笑うしかなかった。つまるところ、セツナはどんな秘奥義を繰り出すか1発勝負なのだ。光輝く剣が放つのは単発技か連続剣か、実際に剣を振ってみなければ分からない。

 

 「それと」とセツナの口から飛び出したものは、再びわたしとアーウィンに肩透かしをくらわせるものだった。

 

「優先度とは何だ?」

 

 

   4

 

 この日も暗黒界の大地は荒廃しきっている。こんな地で数百年もの歳月を、人や亜人種たちがよく生きられたものだと感心できるほどに。

 

 雨もなくソルスの恵みもない。家畜を育てようにも餌となる食糧も水もないから、荒廃した地で生き延びられるよう進化した魔獣を狩り、その肉を食らうことで闇の住人たちは飢えを凌いできた。次第に互いに住む土地を、そこにある僅かな食糧を巡る種族間での争いという、血生臭い歴史を暗黒界は辿っている。

 

 元より、暗黒界という地は死に満ちていたのだ。遠くで吹き荒れる砂嵐。その奥から歴史の中で地っていった者たちの瞳から睨まれているように錯覚した。

 

 そんな死臭漂う荒野を走っているのは、わたし達の乗る馬車だけしかない。商工ギルドの根城にいる他の団員は保護した子ども達を孤児院に連れていくため別れることになった。これから向かう村にはあくまで視察という名目だから、大挙して向かうほどではないという、アーウィンの判断だった。

 

 もっとも、セツナがいる時点で安心なんてものはないのだけど。

 

 馬車の進路上にある黒い地の一点で、白い塊のようなものを見つけた。馬車がその近くを通りかかると、その全容がよく見える。

 

 骨だった。昨晩の飛竜ほどではないけど、人の背丈を遥かに越える巨大魔獣の骨。1本毎はとても太いけど、骨格は既に崩れているから生前の姿は全く想像ができない。

 

 天命が尽きたのか、他の魔獣との戦いに敗れたのか、はたまたどこかの亜人族に狩られたのか。もはや過ぎて遠くなった骨は何も語らず、わたしには何も訴えてはこない。野ざらしにされた死体が語ることはひとつ。暗黒界では人も魔獣も関係なく、弱者が淘汰されるということ。まだ子どもだとかもう老齢だとか、病気だとか怪我をしていたとか、言い訳してもこの黒い大地は聞く耳をもってくれない。

 

「魔獣って、どこから来たのかな?」

 

 思わずわたしはそう呟く。単なる独り言として無視してもらえば良いけど、アーウィンは律儀に答えてくれた。

 

「ベクタが人界を追い出されたとき、民と共に動物を一部こちら側へ連れてきたと言い伝えられている。その動物たちの末裔が魔獣らしい」

 

 何の気無しな声音で答えたから、アーウィンのような暗黒界で生まれ育った者には幼い頃から親に聞かされていた昔話の一節なのだろう。

 

 セツナが不意に質問を投げかけた。

 

「動物と魔獣はどう違うんだ?」

 

 その質問に、アーウィンはしばし俯き考えていた。きっと今まで思いもしなかったのだろう。子どもの頃から動物は動物、魔獣は魔獣と教え込まれていたのなら、常識と刷り込まれた事を疑問に思ったりはしない。

 

 「まあ私個人の捉え方ではあるが――」とアーウィンは前置きし、

 

「気性が穏やかで飼い慣らせるのが動物で、狂暴で飼い慣らせないのが魔獣としている」

「それは野生動物と家畜の違いじゃないのか?」

「君の疑問はごもっともだが、魔獣をただ野に放たれただけの動物と見るのは危険だ。例えばこの馬車を引いている馬だが、あれが暴れたとしても2、3人で抑えることができる。だが魔獣は身体が大きく力も強い。10人がかりで戦っても死者が出るくらいだ」

「ただの力の差か………」

 

 そこでセツナは逡巡を挟み、

 

「オークやゴブリンは魔獣にカウントされないのか?」

 

 カウントという古代神聖語を、文脈から「分類」という意味に変換するのに数秒ほど要した。理解と共に、アーウィンは眉間に険しい皺を寄せる。

 

「同じ言葉を話す彼らも人と変わらない。姿が違うから別の生き物などと区別するのは傲慢だ。私は師からそう教えられた。まったく、そういったところは人界人の感覚だな」

「いや、暗黒界の人族が亜人族を対等と見ていたのが意外でな」

「亜人族は人族の奴隷とみなしていた時代もあった。だが彼らからの報復を受けてね。そこから鉄血の時代に突入したと言われている」

「侮れない相手と分かったから立場と対等にしたわけか」

「まあ、亜人族を下に見る人族もまだいるのは確かだがね」

 

 戦前の人界では、暗黒界の亜人族はベクタの眷属として創造された怪物とされていた。その認識が戦後の亜人族の人界への移住を阻んでいた原因である。人界人の魂にまで根深く刷り込まれた恐怖や忌避は容易に取り除けるものではないが、セツナの発言がそういった差別意識と同じものとは、わたしには思えなかった。

 

 そもそもこの殺戮者にとって、人族でも人と見ているのかが疑問だ。同族を殺すという倫理の垣根を躊躇なく飛び越える姿に、嘲りや蔑みといったものは未だに感じられない。

 

 そういう意味では、セツナはアーウィンよりも種族の捉え方が平等だったのだ。それどころか、人も亜人も魔獣も動物も、皆が同列の存在。剣で刺せば死ぬ。それだけのものでしかなかったのかもしれない。

 

 博愛ではなく無慈悲が平等性を得るとは、何とも皮肉だ。でもその見方ができるのが、神という存在なのかもしれない。

 

 深く溜め息をついたアーウィンは椅子に深く腰を預けた。

 

「もうすぐ着くだろう。間違っても、オーク達を魔獣呼ばわりしないでくれ。君だって余計に事は起こしたくはないだろう」

 

 窓から顔を出すと、遠くに家々の影が朧気に見えてきた。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど10


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「さあ今回は新キャラ登場よ! 新キャラ!」

キ「ああ。今回登場した赤い飛竜は今後も重要キャラとして出していくつもりだから、皆よろしくな。あと名前もあるんだけど、まだ登場して間もないから後ほどのお楽しみだ」

ア「ちなみに作者は赤い飛竜のデザイン画を描く予定だったそうですが、ドラゴンをどうしても上手く描けなくて断念したそうです」

キ「まあイラストに時間かけて本編の原稿が遅れたら良くないからな。ただでさえ更新が遅いのに尚更読者さんを待たせたくないって判断だから大目に見てくれ」

ア「ビジュアルは『ドラッグオンドラグーン』ていうゲームに出てくるレッドドラゴンとまんま同じなので、気になった方は検索してみてください」

キ「適当だなおい!」

ア「あら、作者は最初から元ネタと同じデザインで描く予定だったそうよ」

キ「それってもうパクリじゃん!」

ア「失礼ねオマージュよ。元々ドラゴンが出てくるのが書きたいから本作はアリシゼーション編が舞台なのよ」

キ「ドラゴンが出てくるのって、もっと王道なファンタジーじゃないか?」

ア「アンダーワールドは仮想世界だけど作中人物の視点から見たら紛れもない剣と魔法のファンタジー世界よ」

キ「王道は?」

ア「作者にとっては王道です!」

キ「どこがだ! 思いっきり邪道を突っ走ってるじゃんか!」

ア「この作品はね、アニメや漫画やラノベといったエンタメが飽和状態にある今のご時世に、王道とは何かを問いかけるのもテーマにあるのよ」

キ「少なくとも主人公が人殺しでヒロインが性被害者な作品は王道とは言えないだろう………」

ア「原作だってキリト君は殺人やっちゃってるし、わたしだって須郷にヤられかけたわよ」

キ「何だろ、本当に王道が分かんなくなってきた怖いわ」

ア「今はコンプライアンスが厳しいんだから、こういうインディーズな場で発表できる作品でこそエッジを利かせないと。主人公はヒロインはこうあるべきなんてマニュアル作っちゃったら似たような作品が量産されて、それこそエンタメ業界の衰退よ」

キ「いや一理あるけどさ、本作に関しちゃエッジ利かせすぎじゃないか?」

ア「作者曰く賛否両論あるくらいが理想的みたいね」

キ「やり口が炎上系ユーチューバーと同じだ………」

ア「炎上系と一緒くたにされるのは心外ね。あっちは称賛と非難が1:9だけど、本作が目指す比率は5:5よ」

キ「そんでも半数に喧嘩売ってるんだな………」

ア「問題提起ってやつよ」

キ「もう倫理から外れない程度に好きにやっちゃって………」

ア「さあ新キャラも登場して、また更に新キャラが登場する予定です。今後も目が離せませんね!」

キ「作者も今後は更新を早めるつもりみたいだから、読者の皆さんも楽しみにしてくれよな」

ア「それじゃ、また次回!」



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第11幕 シェイディ・ヴィレッジ

 

   1

 

「いやはや、お客人とはいつ振りでしょうな」

 

 村長のモレノと名乗った人族の中年男性は、朗らかにわたし達を自宅に招いてくれた。オブシディアでよく見かけた石造りの家だが、中は暖炉が焚かれているお陰で冷えずに済む。

 

 暖炉の中を凝らして見ると、揺らめく火も燃料の薪も見当たらない。炉の中に鎮座しているのは、赤熱した大振りの鉱石ひとつだけだった。

 

「熱素を込めたカンテラ石ですよ。珍しいですかな?」

 

 わたしの好奇心に気付いたモレノ氏が、お面白そうに笑う。「ええ、まあ」とわたしは曖昧な返事しかできなかった。男というものに関心を向けられると、どうにも身構えてしまう。

 

 促されるままソファにアーウィンと並んで腰かける。

 

「急に押し掛けてしまって申し訳ない」

 

 アーウィンの謝罪にモレノ氏は「いえいえ」と笑いながらかぶりを振り、

 

「お客人はいつでも大歓迎ですよ。何せ小さい村ですから、外の土産話ひとつでも聞かせてくれたら村の者にとっては良い娯楽です」

「外部との交流は?」

「商人が月に1度だけ。出来ることならもっと頻繁に来て欲しいものですが、あちらとしても客の羽振りが良い都市部のほうに流れてしまうようでしてな」

「どこの集落も厳しい状況のようですね」

「その通り。こんな辺鄙な地では、人界からの食糧支援も行き届いてきません。わたし達が訪れたときには、飢饉でオーク達が全滅する寸前でした」

 

 モレノ氏の妻だろうか、中年の女性がカップを乗せた盆を運んできた。わたし達それぞれの前に「どうぞ」と控え目に置かれたカップの中身が湯気をくゆらせている。モレノ氏とわたしとアーウィンの3人分。この場にいないあの黒装束の男は、今頃村を散策していることだろう。

 

「熱いうちにどうぞ。人界産のシナルモ茶です。砂糖はいりますか? 生憎ミルクは出せませんが」

 

 「いや、結構です」とアーウィンは断りを入れつつお茶を啜る。わたしもそれに倣ってお茶をひと口飲むと、熱いはずが冷気のようなひんやりとした感覚が舌を刺激し、危うくむせ返りそうになった。

 

 わたしの反応にモレノ氏はさぞ愉快そうに笑い自分のお茶を飲んでいる。

 

「面白い味でしょう? 人界の茶葉は土地によって味が違うそうですよ。しかもどれも美味いときた」

「人界産というだけで、値は張るでしょうね」

 

 若干皮肉を交えながら、アーウィンは再びお茶を啜る。あまり慣れない味だからか眉間に微かな皺を寄せていたけど。

 

「そうえいば、トルソ村は元々オーク族の集落だったと聞いていますが」

「ええ。私たちは、異界戦争後に退役した商工ギルドの私兵部隊です。五族平和条約が締結されてから、おいそれと戦も出来なくなりましてね。早々に見切りをつける形で、ギルドを抜けた者たちで新天地でも開墾しようかと土地を探していたときに見つけたのが、この村です」

「随分と思いきりましたね。終戦直後はどの村も働き手を一気に失って困窮したと聞きますが」

「まあ、戦争で大勢が犠牲になりましたから。仰る通り種族、ギルド、村問わずどこも人手不足です。我々の持ち込んだ物資で再建に協力すれば、オークの者たちも受け入れてくれるのでは、という期待を持ってのことですよ」

「それで、見事に村を再建してみせたと」

 

 モレノ氏は照れ臭そうに顎髭を撫でた。

 

「いやいや恐れ多い。オーク達は私たち人族に友好的ですから、そのお陰で滞りなく復興できたのですよ」

「リルピリン族長の勅令、ですか」

「ええ、緑の剣士が人族だったという理由だけで、彼らは私たちに歩み寄ってくれました。その誇り高さは、人族以上かもしれませんな」

 

 お茶を啜ると、モレノ氏は「ああ、いかんいかん」と思い出したように、

 

「久々の客人につい長話をしてしまいました。それで、アーウィン殿は一体ここへ何の御用で?」

「ああ失礼、私もつい忘れてしまうところでした」

 

 相手のおとぼけに合わせてアーウィンも微笑を零す。

 

「先ほど商人が月に1度来ると聞きましたが、商人は商工ギルドの者ですか?」

「ええ、そうですが」

「商品はどんな物を?」

「殆どが食料品です。人界と提携しているとかで人界産の野菜や果物も売ってくれますが何せ高値でしてね、多くの者がオーガ産のイモばかり買います」

「建物用の資材とかは? 例えば、壁に塗る土とか」

 

 尋問じみたアーウィンの声音に、モレノ氏も流石に違和感を持ったようだ。

 

「アーウィン殿、一体私に何を疑っているのですか?」

「そうですね。回りくどい訊き方をしてしまい失礼しました」

 

 アーウィンは懐から少し焦げ付いた羊皮紙を取り出して広げる。

 

「この村にミニオン用の粘土が輸送される予定だったそうです」

 

 モレノ氏は羊皮紙を食い入るように見つめる。

 

「送り主は……ローズール? あのローズール伯爵ですか?」

「同じ商工ギルドに居たのなら、面識は?」

「いや全く。私はギルドでの序列は下位でしたから。ローズール伯爵など雲の上の存在です」

「では、交流はないと」

「ええ。それにミニオン用の粘土など、何故この村に送られるのか私が驚いています」

「村民に元暗黒術師は?」

「いません。この名簿も書き間違えか、同じ名前の村なのではないですか? 戦後は村を開拓する動きも活発になっていますから、似た名前の村も増えているのかも」

「そう、かもしれませんね………」

 

 ここまで頑なに否定されれば、アーウィンにこれ以上追求する余地はない。あの男を使って拷問し吐かせるという手もあるだろうが、それはローズールのように確証のある相手じゃないとただのいわれのない暴力になってしまう。

 

「わざわざご足労いただいたのに申し訳ない」

 

 そう言ってモレノ氏は笑った。よく笑う人だな、とわたしは思った。商工ギルド出身だからか、客に対する礼儀としての笑顔を心得ているようだった。良くも悪くも他の表情を隠す儀礼的なものに見えてならないのは邪推だろうか。

 

 人は嘘を吐かないと多くの者が信じるだろう。根拠は法で嘘を吐いてはならないと定められているから。帝国基本法、村の掟、司令官の勅令。色々な法を辿った頂点に位置する禁忌目録において虚偽についての法が明記されている以上、人々はそれが順守されるものだと信じる。

 

 それはまさに、自分たちを護ってくれる神のように。

 

 わたしが法の順守をどうしてもまやかしと感じてしまうのは、ひとえにわたしが神というものを信じていないことに他ならないのだ。

 

 モレノ氏はまた笑う。

 

「せっかくいらしたんです。くつろいでください」

 

 

   2

 

 村の中央にある広場――広場といっても何かがあるわけでもない。ただ何もない、村で最も広い吹きさらしの空間――で、セツナは無感情な顔で村の様子を眺めていた。

 

 彼の目は監視しているかのような険しさだったけど、通りを行き交う村人たちの方も人界人の白い肌を持った黒装束の来訪者を不思議そうに一定の距離を保ち見返している。傍から見たらセツナの方が監視されているようで、どこか滑稽だった。

 

 こういった不要な警戒心を周囲に抱かせてしまうところが、村長の屋敷に連れて行かなかった理由だ。常に不穏な雰囲気を放つこの男がいるよりも、女ふたりの方が先方も警戒を緩めるというアーウィンの判断だった。

 

「無駄足のようだ」

 

 アーウィンの簡潔な報告に、セツナは「そうか」とだけ返す。試しにわたしは訊いてみる。

 

「あなたは何か分かった事ある?」

「いや。ここで待っていただけだからな」

 

 こっちもまた簡潔な報告。アーウィンはこれに苦笑した。

 

「まあ君に調査の才があるなんて期待はしていないがね」

「下手に探りを入れたらかえって怪しまれる」

「一応配慮はしてくれたのか。助かるよ」

 

 彼なりの配慮か単に面倒だったのかは別として、改めて村の様子を見渡して見る。

 

 普通の村だ。煉瓦を積み上げた家々に、通りを行き交う農具を抱えた人々。村人の多くは畑作をしているらしい。その行き交う人に、人族とオークの区別は感じられなかった。オークは人族に道を譲らなければならないとか、そんな隷従しみたものは伺えない。

 

「ミニオンも暗黒術師も、今のところは影も形もないな」

 

 アーウィンが溜め息交じりに呟いた。

 

 ミニオン。それが何なのかは村への道中で彼女から説明を受けている。暗黒術師が土から生み出す疑似的な生命体。意思なんて無いに等しく、主の命令に従うだけの土人形でしかない。肉弾戦では不利になりがちな暗黒術師ギルドが尖兵として編み出した術らしい。

 

 とはいえ、見た目は人を模した醜悪な姿と評したアーウィンにとって、あまり良い印象ではないそうだが。異界戦争では暗黒術師たちによる大量のミニオン部隊で人界へ攻め入る作戦があったのだが、人界整合騎士の大規模神聖術によって術の発動前に潰されてしまった。

 

 上空より飛竜に跨り味方を屠っていく整合騎士の姿をアーウィンは目撃したのだが、不死の化け物と聞いていた話には不相応に美しい、黄金の髪と鎧を纏った女騎士だったらしい。

 

“その美しさが、かえって恐ろしかったがね”

 

 当時まだ少女だったアーウィンにとって、その恐怖はどれ程のものだっただろう。後から知った事だが、その金の髪の整合騎士こそが、ベクタ帝が所望していた《光の巫女》だったらしい。ベクタがその女騎士を手に入れてどうするつもりだったかは、当人がいない今となっては分からない。

 

 ただ、闇の神または皇帝と称されたベクタが、黄金の“光”を求めていたというのは皮肉なものだ。

 

「どうする。ここを出るのか?」

 

 セツナが訊いた。アーウィンは「いや」とかぶりを振る。

 

「2、3日ほど調査してみよう。幸い村長も協力的だからね」

 

 

   3

 

 テーブルに隙間なく並べられた料理は見栄えこそ色彩鮮やかだ。主にイモが多い。ふかして潰したイモを少ない野菜と和えたサラダ。粗めに潰したイモを成形した小判焼き。具が大振りなイモと豆のスープ。

 

「さあ、遠慮なくどうぞ。イモばかりですが、飽きないよう味の変わり種は豊かですぞ」

 

 グラスを掲げたモレノ氏に、わたし達も同じように自分のもとに置かれたグラスを持つ。食事を始める際にグラスを当てて鳴らすのが、ならわしというものらしい。

 

 控え目にかちゃん、と音を立てたグラスの中身は少し黄色みがかった半透明の液体なのだけど、ひと口含んでみると喉が焼けるような感覚が突き抜けた。

 

「この酒もイモで作られたのですか?」

 

 酒に強いのか顔色ひとつ変えないアーウィンが訊くと、モレノ氏は昼間のお茶の時と同じく愉快そうに笑った。

 

「その通り。痩せた土地でもイモは逞しく育ってくれます。酒にでもしなければ勿体ない。まあ、味のほうはご愛敬といったところですが」

「いえ、美味しいです」

 

 そう言ってグラスの中身を一気にあおるアーウィンに、モレノ氏はさぞ愉快そうに瓶を取りおかわりを注ぐ。

 

 濃い味付けのイモ料理を肴にちびちびと酒を飲みながら、わたしは忌まわしい故郷での酒を思い出した。作物なんて碌に取れなかったから酒を作る余裕なんて無い。だからウンベールから気まぐれに秘蔵のワインを与えられると、領民たちは酒瓶1本でお祭り騒ぎになるほど喜んだものだった。

 

 貧しい者に1杯の酒は腹と心を満たしてくれる。その満腹がほんの一時の幻想だったとしても、幸福を与えてくれる酒という神の雫はどこの土地でも重宝されるのだろう。

 

 ただわたしのまだ幼い舌では酒の有難みを感じることはできない。隣のセツナも酒を飲む年齢だと思うのだが、相変わらず無表情のままグラスを傾けている。

 

「いやあ大したものですな。その若さで活動を興すなんて」

 

 すっかり上機嫌になり頬を上気させたモレノ氏に、アーウィンは苦笑を返す。

 

「大それたことではありません」

「いや、素晴らしいことです。騎士団に居続ければ安泰だったのに信念を取ったのですから」

 

 オブシディアを拠点としている五族支援団体。それがわたし達の身分ということになっている。人界からの食糧支援が十分に行き届いていない現状を伝えるべく、各地を視察し嘆願書を近く統一会議へ提出するという設定だ。

 

 その設定通りに思考しこの村に評価を下すとしたら、まずこの食卓から支援は必要なしだろう。濃い味付けでもイモの土臭さは完全に抜けてはいないけど、十分食べられる味になっている。むしろ酒を作れるなら裕福な方に区分されるのではないだろうか。

 

「私は、ただ見て回るだけです。飢えている者たちの腹は満たせませんから」

「それだけでも、人々にとっては救いとなります。何もしないよりは、する方が断然尊いものですから」

「私の行動が実際に実ってくれたら良いのですが。まだ何の結果も出ていないので、この先どうなることやら」

「どこも先行きは不安でしょうな。この村も今はイモの収穫で賄っていますが、いつ地力が枯れてしまうか分かりません」

「暗黒界がどこも、似たような状況なのですね」

「ええ。深刻さは実際に見てきたアーウィン殿の方が詳しいでしょう」

 

 ふとわたしは、この村長はアーウィンにすり寄って支援を要求しようとしているんじゃ、と思った。元とはいえ商工ギルドにいた身だ。利益ある所に群がろうとする習性は残っているだろう。アーウィンから金の匂いを感じ取っていたとしても何ら不思議はない。

 

「モレノ村長がいれば、ここは心配なさそうですね」

 

 アーウィンもそのがめつさに気付いたのか、やんわりとそう告げる。「買いかぶり過ぎです」とモレノ氏は笑った。お世辞と気付かないほど、まだ彼も酔ってはいないだろう。

 

「お、やっと来ましたな」

 

 夫人が運んできた大皿にモレノ氏が頬を綻ばせる。台所から運ばれてきたそれがテーブルに置かれた瞬間、湯気と共に運ばれてきた臭気にわたしは思わず鼻を手で覆ってしまった。

 

 料理は肉だった。焼いて滲み出た肉汁と脂が照りついている。こんなご馳走があるのなら尚更支援など不要だが、そんな冷静な思考をすぐ打ち消してしまうほどに臭い。甘ったるい腐敗臭とか酸っぱい発酵臭とはまた違う。獣臭というものか。魔獣の肉も臭みが強いが、この肉はそれを遥かに凌ぐ。

 

「失礼ですが、これは生焼けではないですか?」

 

 アーウィンが訊いた。鼻をおさえてこそいないが、笑みが引きつっている。本来なら腐っているのでは、と訊きたいだろう。生焼けという発言は彼女なりの気遣いだ。

 

 「どれどれ」とモレノ氏はフォークで肉をひときれ刺して躊躇することなく口へ運んだ。噛む毎に溢れ醸し出す肉汁の臭いが咥内に充満するのは容易に想像できるのだが、モレノ氏は涼しい顔で咀嚼し飲み込んでしまった。

 

「しっかり火は通っていますよ。皆さんも遠慮せず食べてください」

 

 とはいっても、臭気のせいですっかり食欲が削がれてしまった。吐き気すら催す。アーウィンとセツナも同じらしく、ふたりともフォークを取る気配すらない。アーウィンが恐る恐る訊いた。

 

「これは何の肉なのですか?」

「魔獣の肉ですよ。確かに臭いはきついですが、慣れるとやみつきになりますよ。酒のあてには最高です」

 

 とモレノ氏はまた肉を口へ運び酒のグラスをひと口。食文化は種や集落それぞれだ。虫を食べる地域だってあるし、文化は否定されるべきものじゃない。だとしても、この肉は倫理観を押し潰してしまうほどに臭いのだ。こんなもの食べるくらいなら何故イモで満足できないのか。

 

「食べませんか?」

 

 厚意なのは違いないだろうが、わたし達は誰もそれに応えられそうにはない。「さあ」とモレノ氏はセツナの方へ皿を寄せる。

 

「ええとセツナさんでしたかな。肉は力を付けてくれます。仕事は身体が資本なのですから体力を付けませんと。そのような細腕ではアーウィン殿に逆に守られますぞ」

 

 護衛という説明を信じ切っているモレノ氏の標的にされたセツナは、ただでさえ悪い人相を更に険しくした。わたしは思わず身構えてしまった。料理が臭いというだけで剣を抜いて殺してしまいそう。そんな馬鹿な真似をする者はまずいない。だがセツナはやってしまいそうなのだ。

 

 胃から込み上げてくるものを飲み込むように結んだ口を、セツナは開いた。

 

「俺はヴィーガンなんだ」

 

 その古代神聖語に、テーブルについていた者全員が表情に疑問符を浮かべた。「何だそれは?」とアーウィンが小声で訊くと、セツナも何故分からない、と言いたげな顔で答える。

 

「菜食主義だ」

 

 なるほど、その言い訳があったか。言葉自体は知っていても馴染みがないからすっかり忘れてしまっていた。そもそも慢性的な食糧難の暗黒界において、肉を食べないなんて選り好みをしている余裕はないのだ。こんな言い訳にモレノ氏が納得してくれたのも、セツナの容姿が食糧に困らない人界人だったからだろう。

 

「ほお、確か人界にはそういう方もいるそうですな。動物も人と同じステイシア神の創りたもうた命なのだから殺すべきではないとか」

「我々からしたら、とんだ皮肉ですね」

 

 アーウィンが堪えきれない笑みを漏らした。動物を殺すなと主張する男が実はつい先日も人を大量に殺していたなんて、何て趣味の悪い冗談だろうか。

 

「いやあ私も以前、整合騎士殿からその話を聞いた時は信じられませんでした」

 

 モレノ氏の何気なく発した世間話に、アーウィンは身を乗り出す勢いで質問を飛ばした。

 

「整合騎士とは、人界の整合騎士ですか?」

「ええ、そうですが」

「整合騎士がこの村に?」

「統一会議の大使として月に1度、村に来るのです」

 

 

 「そうですか」とだけ返し、アーウィンは酒を口に含んだ。この時わたしは、人界からの視察が来るのならこの臭い肉の問題を早期解決してほしい、とうんざりしていた。けど、事はそんな単純ではなかったらしい。

 

 

   4

 

 辺境の村だから宿屋なんて商売が成立するはずもなく、そうなると必然的に教会がたまに訪れる旅人の休息所になる。

 

 そういった事情もあり、モレノ氏が話を付けてくれた村唯一の教会は快く空き部屋を寝床として提供してくれた。3人同室なのかと思ったら、それぞれに個室をあてがってくれた待遇の良さにわたしは深く感謝した。

 

 教会は戦前ではベクタを祀っていたそうだが、戦後になってから安置されていたベクタの像は若草1本を植えた鉢に挿げ替えられていた。

 

「これは我ら一族を救ってくださった《緑の剣士》の没した地に生えた草花の1本です」

 

 瑞々しい緑を色付けた草を眺めていたわたしにそう語りかけてきたのは、オークの司祭だった。かつて会ったことのある妻子を殺された彼がそうだったように、オークは種として言葉の発音が拙い。だが司祭は職業柄よく口を使うからか、流暢に言葉を紡いでいた。

 

「この教会に移して10年、水もソルスの光も与えていないのにこの草は天命を保ち続けています。どうです、美しいでしょう」

 

 たったの1本。木でも花でもなく草。それでも確かにそれは美しかった。穂が揺れる度に、辺りに生命力のようなものを振り撒いてくれる力強さが感じられた。

 

「緑の剣士、リーファ様は言葉を通わせる我らオークもまた人と認めてくださいました。そして一族を外なる敵から護り、その命を散らしたのです。この草はリーファ様の天命を授かった尊きものなのです」

 

 慣れた口調で語る司祭の言葉を聞きながら、そのリーファという英雄はよほど慈愛に満ちていたのだろう、とぼんやり考えていた。

 

 同じ言葉と同じ容姿の紛れもない人族であっても、同族とみなさず虐げる者は確かに存在する。同族だから好意を抱くのではなく、同族だからこそ主従をはっきりさせたがる輩がいて、法を傘に支配体制を厳重に組み立てていくのだ。

 

 同じ人同士だと区別が付け難いから、身分という肩書きで従うか従わせるかの基準を設ける。平等なんてものはない。それは学のない大衆を騙すための方便でしかないのだ。

 

 リーファはそういった欲とは無縁だった。同じ言葉を話すオークを同族であり友とした。亜人と蔑まれてきた歴史を想像するのに容易いオーク族にとって、自分たちの尊厳を肯定した英雄の存在はどれほど崇高なものだっただろう。

 

 他人事ながら、英雄が死んでしまったことは残念だ。もしリーファが戦争を生き抜いたら、この世界は今よりもましになっていたかもしれない。

 

 もし生きていたとしても、腐敗していく世界に見切りを付けていた可能性もなくはないが。

 




そーどあーと・おふらいん えぴそーど11


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「さあ今回は人族とオークが共存するトルソ村のエピソードよ。冒頭の変な味のお茶に臭い肉とか、独特の食文化のある村ね」

キ「因みにシナルモ茶はシナモンティーに似た味なんだ」

ア「そういえばアンダーワールドの食文化って、あまり原作じゃ深堀りされなかったわよね」

キ「基本的に現実世界と変わらないからな。人界編での舞台だった北帝国は欧米と似たパン食文化だったから」

ア「地域によって違いとかはあるの?」

キ「勿論あるぞ。ここからはあくまで本作オリジナル設定だけど、人界の国は東西南北で分けられているから、それぞれの国特有の文化があるんだ。例えば西帝国は北と同じ欧米だけど地中海みたいな海鮮が豊富で、東帝国は東アジアみたいな米食。そんで南帝国は南米みたいな亜熱帯地域でイモ食文化って設定なんだ」

ア「ふーん。麦とかお米とかイモとか、それぞれの土地で採れる食材が違ってくるのね。そういえば西は地中海風って言ってたけど、アンダーワールドって海あるの?」

キ「そこは作者も気になったところで、原作に載ってたアンダーワールドの世界地図によると海はないんだ」

ア「じゃあ塩とかはどうしているの?」

キ「西帝国に塩水の湖があって、塩はそこで生産されてるんだ。湖からは現実世界でいう海水魚が獲れるから、シーフードが充実してるってこと」

ア「ダークテリトリーは?」

キ「岩塩で賄ってるって設定にしてあるな。とれる量が少ないから塩でも貴重だけど」

ア「そういえば劇中で肉だされた時にセツナが菜食主義って設定になってたけど、アンダーワールドにも菜食主義とかあるのね」

キ「あるぞ。原作でも、俺がルーリッドの教会で厄介になってた頃の食卓は殆ど野菜中心だったのが元ネタになってるんだ。まあ菜食主事っていうより、シスターや司祭が贅沢を控える修行目的ってところだな。僧侶の精進料理みたいな感じで」

ア「ダークテリトリーは、確かオブシディア煮っていう料理があったわよね?」

キ「ああ、あれは癖になる味だったな。劇中でナミエが何度か言及してたけど、食糧難のダークテリトリーじゃ食える物は何でも食うって感じだからその辺にうろついてる魔獣の調理法も普及してるな」

ア「何か変なもの食べてそうよねあっち側の人たち」

キ「えーと作者曰く、ダークテリトリーじゃ魔獣の他にも虫とか土とか、あと保存食として肉や魚を殆ど腐るまで発酵させる食文化があるらしい」

ア「うわゲテモノじゃない。趣味悪いわあ虫とかわたし無理い」

キ「よその食文化を悪く言うなって。あと作者によると人界でも一部地域じゃ犬とか猫を食うってことになってるらしいぞ。どこかは具体的に決めてないけど」

ア「ああ分かったわ、趣味が悪いのは作者の方ね!」

キ「それに関しては同意だ……。あと俺は日本食に近い東帝国の料理が好みで、卵かけご飯食ってたら整合騎士たちにドン引きされたエピソードが裏設定としてあるらしい」

ア「現実でも卵の生食文化は日本だけって言うものね。衛生大国ならではの文化ってことね。あ、それと作者の中じゃキリト君はダークテリトリーによくお忍びで昆虫料理食べに行くことになってるみたいよ」

キ「おい作者! なんつー設定足してんだ‼」

ア「何でもタランチュラの卵がお気に入りだとか」

キ「作者の中で俺はどうなってんだよ!」

ア「肉食じゃないの? 何人も女の子はべらせてるし」

キ「それ食の趣味じゃないから女の子の趣味だから! てか俺は女たらしじゃない‼」

ア「そういった風評被害はハーレム系主人公の宿命ってやつよ。受け入れましょう」

キ「読者の皆さんは本作の設定が必ずしも原作準拠な設定じゃないってことを忘れないでね。俺そんな酷い男じゃないはずだから。原作じゃ割と王道の主人公だから!」

ア「読者さんたちは原作に足りなかった毒の要素を本作で楽しんでください」

キ「何かこれ以上話を展開させたらどんどん俺のトンデモ設定が追加されそうだから今回はここまでだ。それじゃまた、次回をお楽しみに!」

ア「ばいばーい」



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第12幕 ピーチ・インフェルノ

 

   1

 

 司祭の話を聞いていたら眠気も訪れるだろうと期待していたのだけど、ベッドに潜り込んでしばらくしてもわたしは寝付くことができなかった。不必要に寝相を変えて、何も考えず深呼吸を繰り返しても、意識は沈んでいく気配がない。

 

 無駄な努力を続けているうちに、腹が重苦しく唸った。胃の中がほぼ空っぽなのは分かっていた。あの肉が放つ臭気のせいですっかり食欲が失せて、他の料理も手が付けられず酒による酩酊で何とか誤魔化していたのだ。

 

 酔いが覚めた。酒の魔力も切れたということだ。ベッドから降りて部屋を出ると、なるべく足音を立てないよう気を遣いながら歩いた。司祭も床に就いたのか礼拝堂も灯りが消されていた。

 

 光が消失したのは村全体だった。昼間は所々にランプが光っていたのだけど、今や無造作に柱に括りつけられたランプはひとつ残らず消灯している。村人は皆眠ったのか、どこの家からも談笑や生活の物音らしきものが聞こえなかった。

 

 無音。時折遠くで吹く風の音がするが、人の営みらしきものは完全に眠っていた。無というのは怖いものと捉えていたが、思いの外安心できるものだ。誰も起きていない。誰もいないという錯覚は、緊張を緩めてくれる。

 

 今夜は雲が薄いお陰で月光が透過しているから見晴らしが良い。灯りがなくても、そう遠くもない目的地までは容易に行けるだろう。

 

 無人とも思える村を歩いていると、不意に音がしてわたしは立ち止まった。風じゃない。何か重くて硬い、鉄を打ち鳴らしたような音だった。

 

 わたしは一切の音を立てないよう動かず、耳を澄ませて再びあの音が鳴るのを待った。でも、いくら待っても音は打ち止められ、沈黙が村中を流れていた。少し神経質になり過ぎているのかもしれない。そう自身に言い聞かせ、再び歩き出す。

 

 足を進めたのは村の外れにある厩舎(きゅうしゃ)。近付くと房で寝ていた馬たちが目を覚まし、一斉にわたしへとつぶらな瞳を向けてくる。動物は人よりも耳が良いとはいうが、ここまで敏感だとかえって眠れず不便じゃないだろうか。

 

 すっかり村の馬たちに溶け込んでいるアーウィンの馬の鼻面を撫でながら、この子の名前を知らなかったことに気付いた。暗黒界で馬に名前を付ける風習があるかは知らないが。

 

 馬房に入りきらないから、目的のそれは厩舎の横に置かれていた。確か馬車の中に、移動中の食糧を積んでおいたはず。

 

 馬車の戸に手が触れようとしたとき、

 

「誰かと思ったらナミエか」

 

 不意に聞こえた声に、わたしは思わず短い悲鳴をあげてしまった。すぐに戸が開き、中からアーウィンが顔を出す。驚愕と困惑のあまり、わたしは話すのもしどろもどろになっていた。

 

「アーウィン、何で………」

「多分、君と同じだよ」

 

 可笑しそうに笑いながら、アーウィンは中へと手招きする。ほんの少しの気恥ずかしさを抱えながら、わたしは馬車に入った。

 

「ほら、お目当てのものはこれかな?」

「うん、ありがとう」

 

 差し出された革袋を受け取り、詰められた干し肉を一切れ取ってかじった。確かシカの肉と聞いたが、臭みもなく塩加減も丁度いい。

 

「まさかこれを美味いと思える日が来るとはね」

 

 わたしにとっては、これでも十分ご馳走なんだけど。そんな皮肉が出そうになったけど喉元に止める。ただ、アーウィンはその沈黙で早くも察したらしく「すまない」と罰が悪そうに言った。

 

「ううん、気にしてない。あの肉、何の肉だったんだろ?」

「さあね。私たちは誰も口にしていないから味も分からんよ」

「味、分かるのかな?」

「まあ、味以前に臭いだろうね」

 

 あの臭気を思い出すとまた食欲が失せそうだ。打ち消すように干し肉を食べた。

 

 急に、アーウィンが窓に険しい目を向けた。腰の剣に手をかけて、窓から外を窺っている。でもすぐに表情を緩めた。さっきわたしが来た時も、こうして最初は警戒したのだろうか。暗黒騎士時代に培われた勘の良さかもしれないが、どことなくわたしが近付くと目を覚ました馬たちと重なったのはここでは内緒だ。

 

「皆、考えることは一緒みたいだね」

 

 やれやれと彼女が両手を挙げて間もなく、馬車の戸が開かれる。わたし達という先客に、セツナは僅かばかり目を見開くも納得したように溜め息をついた。

 

「まだあるか?」

「うん」

 

 不躾なセツナに、わたしは持っていた干し肉の袋を渡した。彼は薄く切られた肉を3枚出して一度に嚙み切ってみせる。固い肉を頬張るセツナに、アーウィンが茶化しを入れた。

 

「おや、君は菜食主義者ではなかったのかな?」

「嘘に決まってるだろう」

 

 ぼりぼり、と咀嚼音を漏らしながら返すセツナに微笑をくべると、アーウィンは真面目な表情をわたし達へ交互に向けた。

 

「まあ丁度良い。聞いて欲しいことがある。この村に整合騎士が定期的に来ることは、君たちも村長から聞いたはずだ」

 

 口に物を入れたままだから、無言のまま頷いた。

 

「私たちが来たことが整合騎士に、そこから人界側に知られたら厄介なことになる」

「あんたの組織が非合法だからか?」

 

 セツナが訊いた。アーウィンは頷き、

 

「五族支援団体なんてものは存在しない。もし村長が整合騎士にべらべら喋って、そこから統一会議に伝わったら、実態を調べられるのは時間の問題だ」

「口封じに村長を殺せと?」

「そこまでは言っていない。私だって罪のない人間を無暗に殺したくはないさ」

「ならどうする」

「早めに調査を済ませて、明日にでも村を出よう。この村には何もなさそうだ」

 

 椅子に深く腰を沈めて、アーウィンは革袋から取り出したパンをひと口齧った。

 

「私の名前で団体が割り出されるかもしれない。本部に戻って部下に代表を一時的に変わってもらわなければ。はあ……、偽名でも名乗っておくんだったな」

 

 わたしの目から見ても、このトルソという村に怪しい影は全く見えない。人族とオークが共存している村。しばらくすれば忘却してしまいそうな、思い出すとしたらあの臭い肉くらいな、ちっぽけな村でしかない。

 

 でも引っ掛かりは確かにある。それが杞憂であることを願いながら、わたしは干し肉を飲み込み口を開く。

 

「ねえ、ちょっと気になったことがあるんだけど」

 

 

   2

 

 元はオークだけの住処にモレノ氏ら人族が移り住んで形成された村だということは昨日聞いたばかりだが、人族を迎え入れても人手不足は解消されなかったらしい。

 

 大人も子ども問わず村中がせわしなかった。広場に集まり木材でテーブルを組み、食材を包丁で捌く村人たちに休んでいる者はなく、休もうとすれば怒号が飛ぶ。休むことを許されているのは、客人であるわたし達だけ。

 

「良いのですか? 昨日あれだけご馳走になったというのに」

 

 宴会場設営の指示を飛ばしていたモレノ氏に、アーウィンが尋ねた。「良いのですよ」とモレノ氏は朗らかに笑う。

 

「もてなしなんていうのは建前で、たまには村の者たちに羽目を外す機会を設けてやりたいだけなのです。畑と家を往復するだけの毎日なんて味気ない。何か理由を付けて、娯楽を与えてやらんと」

「長というのは、大変なのですね」

「ちっぽけですが私の国のようなものですから」

 

 モレノ氏の提供する娯楽の準備だからか、村民たちの顔は一様に楽しげな笑みだ。これから浴びるほど酒を飲もう、腹が破裂するくらい食べよう。その高揚に、文字通り人とオークの区別はない。

 

 作業に勤しむ村民たちの顔を見て気付いたことがある。偶々近くで椅子を運んでいたオークの少年に「ねえ」と尋ねた。

 

「この村、若い大人はいないの?」

「いない。10年ぐらい前の戦争で、若い男はみんな戦場で死んじゃっだで母ちゃんいっでた」

「そうなんだ」

「おでの友達も、みんな父ちゃんが戦争に行っで帰ってごながったんだ」

「あなたのお父さんも?」

「いや、おでの父ちゃんは――」

 

 「こらフーバ!」と鼻をふがふがいわせながら、母親らしき女のオークが少年へとずかずか歩いてきた。

 

「なーにくっちゃべっでんだい働きな!」

「ごめんなざい………」

 

 背中を強く叩かれた少年に、わたしはいたたまれなくなって「ごめんね」と小さく言ってその場から離れた。父親を失って、彼も立派な働き手なのだ。

 

 会場の設営と料理の準備が完了して、まだ陽のあるうちから――昼も夜も空の暗さは大差ないが――宴は始まった。

 

 献立は昨日と似たような、イモを使った料理。昨日は食べられなかったけど、少量の野菜と潰したイモのサラダは美味しかった。少し味が濃かったけど。

 

「酒が足りねえ!」

「樽だ! 樽ごと持ってこーい!」

 

 酒で陽気になった初老の男たちが、木のジョッキをあおり喉を鳴らしている。昨日モレノ氏が言っていたグラスを慣らす作法はどこへ行ったのやら、我先にと樽にジョッキを突っ込んで酒を並々と注いで飲んでいく。

 

 ああいった無無作法さは、村に欠けている若者の役目を代行しているようにも見えた。アーウィンを探すと、男衆に囲まれながらも涼しい顔で酒を飲んでいた。若い女が珍しいのか、男たちは酒も相まって揃って上機嫌だ。

 

 村にも若い女はそれなりにいて、空になった更に料理を追加している。にも関わらずアーウィンに群がるのは、彼女の若く美しい顔と肢体を間近に置いておきたいのだろう。こうして遠目から見ると、わたしも綺麗な人だなと見惚れてしまった。

 

「あの、ごれ………」

 

 危うく談笑に消えてしまいそうな声に視線を落とすと、小さなオークが皿をわたしへと差し出してくれた。さっき母親に叱られていた少年だった。

 

「ありがとう」

 

 そう言って皿に乗った大振りの豆のようなものをひと粒つまむ。口に入れると、それは乾燥させた果物だった。凝縮された甘味が口に嬉しい。

 

 「美味しい」と微笑むと、オークの少年は女という生き物に慣れていないのか顔を赤くしてそそくさと去ってしまった。わたしの所に来る男は子どもくらい。でも、それくらいの方が心地良い。子どもは邪念がないから。

 

 盛況な広場を見渡し、その中に黒装束の男が混ざっていないか探すけど、見つからない。まさかまだ村を散策しているのだろうか。民家の地区と畑しかないから、そんなに時間は掛からないはずなのに。

 

「おい、主菜がまだ来ていないじゃないか。何をしとるんだ」

 

 すっかり酔いが回ったらしいモレノ氏が荒げた声を飛ばした。広場に点々と置かれたテーブルの皿にあるのは、殆どがイモか野菜。時折乾物の果物があるだけ。量が少ないわけではないけど、宴にしては寂しいかもしれない。

 

「変ねえ、もう仕込みは終わっているはずなのに」

「おいおい、せっかく酒があるのに肴がないんじゃなあ」

 

 村民たちの中から戸惑いや不満の声が立て続けに出てくる。まだ見ぬ主菜とは、まさか昨日のあの肉のことか。またあの臭気に襲われると思うとまた食欲が失せてくる。

 

 ざわつき始める村民たちの様子に、わたしは違和感を覚え始めていた。声をあげるのは人族のみで、オークたちが皆黙りこくっているのだ。

 

 ばん、と何かが弾けるような音に、村民たちは声を詰まらせた。音がしたのは広場のすぐ脇にある、村長であるモレノ氏の家。その扉を蹴破ったのだろう。薄暗い屋内からより暗い黒装束の男が、脇に大振りなものを抱えて出てきた。

 

 村民たちが一様に後ずさる。セツナの脇に抱えているものから血が滴っているからだ。

 

「これがメインディッシュか?」

 

 低く言って、セツナは抱えたものをテーブルに叩きつけるように置いた。料理の皿がはずんで地面に落ちたが、誰もそんなことを気に留めていられる光景でもなかった。

 

 テーブルにあるものが、村民たちへ虚ろな眼を向けている。喜びとか悲しみとか、感情と呼ぶべき生の気迫がそれからは完全に消滅していた。

 

 一瞬それは豚の頭だと思った。実際にそれまで見た事はなかったけど、オークによく似た顔の動物とはかねてから聞いている。だがそれはオークに似た動物というよりは、オークそのものじゃないだろうか。

 

 騒然と生首を見つめている村民たちには目もくれず、セツナはモレノ氏の襟首をつかんだ。

 

「お、おい何をする」

「セツナ?」

 

 モレノ氏の抗議も、わたしの声も聞こえていないのかセツナは村長を無理矢理引っ張って家の中へ戻っていく。村民の中からアーウィンが後を着いていき、わたしも急ぎ追いかける。

 

 家の中は、昨日訪ねた時と変わりない。部屋の広さも家具の配置も同じまま。ただ、床に正方形の、人ひとりは余裕を持って入れるほどの穴が空いていた。その穴から血痕が玄関へ点々と続いている。さっきの生首から垂れていた血だろうか。

 

 わたしが家に入ったときには既にアーウィンが穴の中へ消えようとしているところだった。急ぎ足で駆け寄ると、穴の奥には階段が伸びている。その更に奥から音がした。昨夜聞いたのと全く同じ、鉄を打ち鳴らしたような音。

 

 わたしは迷わず階段を降りていく。もうこの村で悲劇は免れないことを確信しながら。階段はそう長くはなく、地下の土を固めただけの簡素な床に足を着けた。

 

 少し荒くなった呼吸を整えるため、深く鼻で息を吸い込む。その瞬間、()えた臭気が鼻孔を突き抜け、唐突な吐き気に口元を抑えた。

 

 吐き気を飲み下して足を進めるとすぐに開けた部屋へ辿り着く。

 

「見ては駄目だ!」

 

 わたしに気付いたアーウィンがそう口走りながら、肩を抱いて無理矢理に視線を逸らそうとしてくる。けど、彼女も動揺しているのかその力があまりにも弱く、拘束なんてまるで意味をなさないものだからわたしの視界には光景が鮮明に映し出されていた。

 

 まず目に入ったのは、天井から吊るされた無数の肉。皮を剥がされ、赤い繊維と白い脂肪の塊は、腹を裂かれて中に詰まっていただろう内臓を綺麗に抜かれている。首は落とされていて、逆さ吊りだから頭部の切断面から滴り落ちた血が床に置かれた底の浅い盤にぽたぽたと落ちていく。

 

 壁に掛けられている斧や糸鋸は解体用だろうか、あまり手入れされていないらしく血錆がこびり付いている。

 

 ベッドが置いてあった。いや、あれはベッドだったのだろうか。これを書いている今になって思えば、布団も敷いていなかったから台と呼ぶべきだったのでは。

 

 いや、そんなことは今更どうでもいい。とにかくそのベッドとも台とも取れるものにはずんぐりとした肉体が横たわっていて、ベルトで縛り付けられていたがもう抵抗する意思は感じられなかった。

 

 何故なら、首がなかったのだから。まだ体内に血がたっぷり残っているのか、頭を失った首からは真っ赤な血が途切れることなく流れ続けている。落とされた頭は見当たらなかった。恐らく、宴会場にセツナが持ってきたものだろう。

 

 限界だった。わたしは膝をつき、腹から逆流してきたものを盛大に吐き出した。「ナミエ……」とアーウィンが背中をさすってくれたが、何の効果もなかった。さっきわたしに乾燥果物をくれた少年のオーク。彼と同じ容姿の者たちが、首を落とされ皮を剥がされて天井から吊るされている。

 

 ただ快楽で殺していたわけじゃないことは、容易に理解できた。これではまるで――

 

「オークを食っていたのか………!」

 

 核心をついたアーウィンの言葉が震えていたのは怒りだったのだろうか。それとも恐怖だったのだろうか。ただ込み上げる吐瀉物を飲み下すのに必死だったわたしに、彼女の顔を見る余裕はなかった。

 

 もうわたしは、昨日の肉が何を捌いて出されたのか理解してしまっていた。

 

「この事を、村の者たちは知っているのか?」

 

 アーウィンがモレノに掴みかかる。胸倉を掴みあげられても口を結び睨み返す彼に痺れを切らして、アーウィンはその顔面に拳を打ち付け怒鳴った。

 

「答えろ!」

「多分知っている」

 

 その返答は、セツナによる代行だった。

 

「畑でここの入口を見つけた。それに解体するのに人手がいる」

 

 そう言って、セツナは部屋の隅を指さした。カンテラの光が十分でないのと部屋全域が血と骸まみれだったから気付かなかったが、セツナの指の先には確かに人族が壁に背をもたれている。

 

 3人いたが、既に事切れていた。喉のあたりを斬られている。誰の所業か大体の察しはつく。

 

 鉄を打ち鳴らす音が聞こえた。昨夜聞いたのと全く同じだ。昨夜は遠くからだったが、今度は鮮明に聞こえる。隣り合いに区切られた部屋へ近付いてみると、そこは牢屋のように床から天井にかけて鉄格子が嵌められている。

 

 鉄格子の奥には沢山の亜種とはいえ人がいた。豚の顔に人の身体を持つオークが。

 

 収容されたオーク達は衣類こそ身に纏っていないが、捕虜や奴隷を想像させるほど痩せ細ってもいなかった。程よく肉付きが良いくらいだ。

 

 鈍い音に振り返る。アーウィンがモレノに2発目の鉄拳を浴びせているところだった。口の端を切ったらしく血を垂らす彼の顔を見て、アーウィンは「貴様……」と呟くとモレノの服の袖を乱暴に千切り、その布切れで彼の顔を乱暴に拭った。

 

 ようやく解放されたモレノの顔は散々擦られたせいで赤く腫れていたが、暗黒界人特有の浅黒かった肌が白くなっていた。

 

「人界人か。大方落ちぶれてきた貴族だろう」

「落ちぶれた、だと?」

 

 癇に障ったのか、モレノは初めて聞く低い声を出した。

 

「一等爵家の私にこんな無礼が赦されると思うな。帝国基本法に乗っ取るならば――」

「生憎生まれも育ちも暗黒界だ。人界の法など知らん」

 

 肌に塗っていた塗料が落ちて何も隠すことがなくなったからか、モレノは別人のような人相を浮かべている。これが、化けの皮が剥がれたというものか。

 

「貴様こそ、こんなことが赦されると思っているのか? こんな、オークを食糧などと………」

「豚を家畜として何が悪い」

 

 モレノの言葉には、迷いらしきものが微塵も感じられなかった。それが当然であると、法で保証されているかのように。

 

「豚が人のように服を着て喋るなど、おぞましい化け物ではないか。私は本来あるべき姿へと戻してやっただけだ」

「人に食われることが、彼らの使命だとでも言うつもりか!」

「家畜とはそういうものだろう!」

 

 口の端を歪ませて笑う。その様はなんておぞましいものだろうか。オークを化け物と罵ったこの男こそ、人の姿をした悪鬼じゃないのか。

 

「むしろ貴様らダークテリトリーの連中が、今まで何故こうしなかったのか不思議なくらいだ」

 

 「なっ……!」とアーウィンが声を詰まらせる。力の緩みを感じ取ったのか、モレノはアーウィンの手を振り払った。元商工ギルドから人界貴族へと変わったその立振る舞いは、多くの私領地民を従わせるのも納得なほど堂々としている。

 

「ダークテリトリーの貧相さには私も絶望したよ。人界から持ち寄った種をいくら巻いても麦は育たず、少ない牛や馬はすぐに食い尽くした。オーク共など私たちが来たときには土を食っていたのだぞ」

 

 同じだ、ウンベールと。人界から流れた貴族たちは、持ち込んだなけなしの種を全て無駄にし、空腹に耐えかねて食用じゃない動物を食らった。満たされた環境で私腹を肥やしていた連中は飢えというものに耐性がないのだ。

 

「だが、食い物ならすぐそこにあるではないか。人を気取った豚がな。オークなど名乗りさも人のように振る舞うなど片腹痛い。豚は豚だ。我ら人に従順で、食糧としては申し分ない。まあ、味は確かに酷いがね」

 

 天井から吊るされている肉の中の小ぶりなものをモレノは掴んだ。他の肉よりも色がくすんでいて萎縮している。乾いた質感から干し肉だろうか。それを吊るし紐からむしり取り、わたし達に見せつけるように齧ってみせる。

 

「私はこの村の食糧危機を救ってみせたのだ。そこの豚どもを見ろ。痩せている者などひとりもおらん。十分に食わせてやっているのだ」

 

 確かにオークたちは皆丸々と太っていた。自分たちが脂と血滴る肉を食べたいがためなのは、容易に想像がつく。

 

「豚どもが腹を満たす姿に私も幸福を感じたほどだ。腹を空かした子豚も、皿に乗っているのが自分の父親と気付かず喜んで食っていたものだ。あれは良い酒の肴だったぞ」

 

 もう、これ以上知りたくない。見たくもない。目を閉じて耳を塞いだけど、目蓋の裏に張り付いた光景が嫌でも浮かぶ。耳を塞いでも饐えた臭いが容赦なく鼻に侵入してくる。

 

 再び吐き気が込み上げてきた。もはや空っぽなわたしの腹から出てくるものはなく、唾液が口から糸を引いて垂れるだけだった。

 

 手を放してしまったわたしの耳に、モレノの声がよく通ってくる。

 

「これを罪と思うか? いいや、偉業だよ!」

 

 ひゅん、と風切り音がした。一瞬遅れてモレノの胸から鮮血が溢れ出た。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど12


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです。まずは今回の話を読んで不快な思いをされた皆さん、申し訳ございません!」

ア「何で謝るのよ?」

キ「いやこれアウトだろ! 思いっきりタブーに両足突っ込んでるじゃん!」

ア「そんなの今更じゃない。この作品は他の人が躊躇するところに土足で踏み込んでいくのをコンセプトにしているんだから」

キ「だとしても今回のは流石になあ………」

ア「そもそも主人公が人殺しでヒロインがビッチな作品なのよ。読者さんだってアブノーマルなのは承知の上で読んでくれているんだから気を遣う必要なんて無いのよ」

キ「それでも原作の世界観とかあるだろう」

ア「原作はソフトな表現にするために書かなかっただけで、裏ではこんな事が起こる世界ってことよ。現実だろうとファンタジーだろうと、どこの世界も光あれば闇あるのよ」

キ「だとしてもカニバリズムなんて読者さんが喜ぶのかよ。狂気を目指すにしてもその辺りの分別はつけないといけない気がするぞ」

ア「もう分かってないわねキリト君は。作者は読者さんに気分よくなってもらうために書いてるんじゃないの。むしろゲロ吐かせるために書いてるの。因みに作者は昼食にハンバーガーを食べた後にこの原稿を書いて見事に吐き気を催しました!」

キ「作者がまともな倫理観持ってるアピールしても遅いわ!」

ア「因みに作者が今回の展開を思いついたきっかけですが、暇つぶしにカニバリズムという人肉食について調べてそこから今回のトルソ村の構想へ至るそうです」

キ「暇つぶしにエグいこと調べてるって………」

ア「流石に人が人を食べるのは作者もヤバいと判断したそうなのですが、『オークって顔は豚なんだよな。食えるんじゃね?』と代替案を採用したとのことです」

キ「他の代替案なかったのかよ?」

ア「えーと他の食糧候補はゴブリンとかオーガとかジャイアントとか………」

キ「食べるのはもう決まってたのかよ」

ア「一番食欲をそそりそうな見た目をしてたのがオークだったので、今回の被害者になったそうです。ゴブリンは骨っぽそうだし、オーガやジャイアントは筋張ってそうだものね。その点オークは見た目豚ちゃんなんだから美味しそうじゃない」

キ「劇中で散々臭いとか言われてたけどな」

ア「因みに肉が臭いのは作者曰くちゃんとした設定があるみたいよ。UWのフラクトライト達は本能的に共食いを忌避するよう設定されていて、臭いとか不味く感じるとかの生理的拒絶で現れるそうです」

キ「だからダークテリトリーが昔から食料難でも共食いが起こらなかったわけか」

ア「モレノがオークを食糧として見られたのは、亜人族を人と認めなかったからね。不味い豚程度に思っていたから」

キ「前話でスグが英雄として崇められているのを見た後だと何だかなあ」

ア「人界貴族なんて同じ人でも平民を家畜みたいに扱うんだから、当然ちゃ当然よ」

キ「うわあもう地獄だよこの作品………」

ア「次回はどんな地獄が待っているのでしょう? 乞うご期待! 原稿を書き終わった作者は景気付けにステーキを食べに行きたがっていますが、果たして美味しく食べられるでしょうか?」

キ「えー、普通に食べると思います。もう作者もぶっ壊れてるんで。それじゃあまた次回」



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第13幕 ディソレーション・ロウ

武器物語(ウェポンストーリー)

《断罪の剣》

 とある王国で罪人の処刑に使われていた剣。王国では罪人が自ら身を刺して命を絶つのが習わしで、代々使われる剣は罪人の悪しき魂を絶つ聖剣として祀られていた。

 とある罪人は貧しさ故に盗みを働いた少年だった。

 少年は残される弟と妹への懺悔を告げ、自らの心臓を突いた。剣は少年の鮮血に濡れた。

 とある罪人は不貞を働く夫を殺した淑女だった。

 淑女は夫殺しの報いを受け入れ、自らの喉を裂いた。剣は淑女の血泡に濡れた。

 とある罪人は王女を辱めた紳士だった。

 紳士は、自分は無実だ、自分は王女の婚約者だ、と喚いた後に血の涙を流して吐き捨てた。

「この国は俺を裏切った。呪ってやる。この国にいる者全てだ」

 紳士は剣を使わず息絶えた。剣は紳士の血涙に濡れていた。




 

   1

 

 生暖かい鮮血がわたしの顔に降りかかった。自分の体温とほぼ変わらないはずなのに、人肌というものはどうして気色悪く感じてしまうのだろう。

 

 汚物を被ったかのような不快感を堪えつつ、何が起こったのか周囲を見渡す。怒りに耐え切れなかったアーウィンが暗黒術を放ったかと思ったのだが、彼女も当惑のあまり棒立ちになっている。

 

 ならばセツナが剣で刺したかと思ったが、彼の剣は腰の鞘に収まったまま。表情こそ変えないが彼にとっても予想外の事態らしく周囲に目を配らせている。

 

「何故………」

 

 血泡を吐きながらモレノが声を絞り出す。胸に空いた穴から血を零しながら振り向く彼の視線を追うと、その先に神聖力の残滓がちらついている。

 

 その残滓を纏うように立っていたのは、昨日わたし達にお茶を出してくれた壮年の女性。モレノの妻だった。

 

 モレノの妻が化粧気のない、皮膚のたるみ始めた口端を歪める。

 

「もうあなたは用済みよ、モレノ・シーキュカンバー伯爵」

 

 誇り高き家名を嘲るように呼ばれたモレノは白眼を剥いて倒れた。しぶとく無駄な呼吸を繰り返す彼の胸を、モレノの妻は容赦なく踏みつける。

 

「夫婦ごっこはそれなりに楽しかったわ、あなた」

 

 死にゆく肉体の天命がようやく尽きたのが分かった。痙攣が止まり、苦痛に喘いでいた顔が緩んでいく。その顔に黒ずんだ何かの破片が落ちた。

 

 視線を上げると、モレノの妻の顔面に亀裂が入っている。まるで陶器のような、丹念に土をこね固め焼いた作り物じみたものに変貌した皮膚がひび割れている。割れた皮膚の破片が零れ落ちていく。

 

「システム・コール――」

 

 そう唱えた口元から多く破片が落ちた。かざした手にも亀裂が走っている。ぼそりと呟くような詠唱は聞き取れなかったけど、とても高度な術だったことには違いない。「ナミエ!」とアーウィンが咄嗟にわたしを抱えるくらいには。

 

 すぐ傍を何かが高速で通り過ぎていく音がした。瞬間、後方で金属のぶつかり合う音がする。振り返ればセツナが吊り下げられた肉たちを巻き込んで吹き飛ばされていた。壁への激突は肉が緩衝材になってくれたお陰で大したことはないらしく、軽い身のこなしで起き上がる。

 

 咄嗟に抜いたのだろう彼の剣に、灰色の矢じりが付いていた。剣を振り払うと矢じりは壁に投げられ、鈍い音を立てて床に落ちる。

 

「やっぱりあなたが最も厄介ね剣士さん。初めて見た時から只者じゃないとは思ってたわ」

 

 モレノの妻の顔は、既に殆どの表皮が剥がれ落ちている。露になった顔は、剥がれる前より随分と艶めかしい雰囲気を放っていた。

 

 豊かな灰色の髪に、唇に厚く引かれた紅。化粧に余念がないらしく肌に染みや吹き出物といった類は見えないが、笑った口元に生じた皺がそれなりの年齢を感じさせる。

 

 首から下の身体も一気に崩れるように剥がれた。肉付きのいい肢体を隠そうとせず、むしろ誇示するように衣類は最低限の部位しか隠していない。自分がまだ現役の「女」であることを声高に主張しているようだった。

 

「ミニオンの粘土……」

 

 足元に転がってきた破片を摘まみ上げたアーウィンが呟く。「正解よ」と身体にこびり付いた破片を手で払いながら、暗黒術師の女は言った。

 

「お久しぶり。異界戦争の頃は可愛いお嬢さんだったのに、随分と骨太になったわね」

 

 眉を潜めるアーウィンに、暗黒術師は余裕の笑みを称えながら続ける。

 

「あら、覚えていないの? 私は覚えているわよ、アーウィン・イクセンティア。化粧気のない小娘が暗黒騎士なんて物好きと思っていたわ」

「イー・ジェイ・エム………!」

 

 思い出したのか、アーウィンは驚愕を込めてその名前を呼ぶ。次に発せられた言葉には、明確な怒気がこもっていた。

 

「これは貴様の仕業か!」

「あら、聞く事は他にもあるじゃない。戦死したはずの私がどうして生きているとか」

「暗黒術師の(こす)さはよく知っているさ。大方同胞たちを盾にしてやり過ごしていたんだろう」

「あら、賢くなったのね。でも楽じゃなかったのよ。身体の半分が消し炭になって、ひとりやふたりの天命を吸ったところで何の足しにもならなかったんだから」

「生き残ったのなら何故ギルドに戻らなかった? 何が望みだ!」

「支配よ」

 

 イーの答えは明確だった。迷いや、澱みが一切感じられない。それだけが正しさと信じ戦後の10年間を生き続けてきた者としての純然な強かさがあった。

 

「オークの王にでもなるというのか?」

「そんなの戦前にやろうと思えばいつでもできたわ。忌々しい十候会議なんてものがなければね。それに辺鄙な村の長で終わるくらいなら、こんな没落貴族に腰振ったりなんかしないわ」

 

 鼻をふんと鳴らし、イーは事切れたモレノの顔面に靴底から伸びるヒールを突き立てた。体重を乗せたヒールは杭のように、モレノの額を砕き血と脳漿をぶち撒ける。

 

 まるでカボチャを潰したみたい。人としての原型を失ったモレノの頭部は、畑に打ち捨てられたようだった。

 

「私が望む支配は暗黒界、ひいては人界、そしてこのアンダーワールドの全てよ。亜人だろうと人だろうと、全ての者がこの私に跪く世界を創り上げるの」

「ディー・アイ・エルの意思でも継ぐというのか?」

「あら愚問ね。ディーのみならず実力のある者は皆皇帝の座を狙っていたものよ。暗黒騎士は隷属するしか能がないのかしら」

「ギルド自体が裏切りの温床だったということか」

「力で奪う事こそ、私たちにとって絶対唯一の法だったはずよ。強い者が生き延び弱い者が死ぬ。そうやって私たちは先祖から力や技を受け継いできた。違う?」

「世界は変わるべき時を迎えているのだ。本当に護るべきは増長し硬直化した習わしと法なのか、いま一度考えるべき時代だ」

 

 「へえ」とイーはせせら笑う。

 

「なら、あなたは私と同志じゃない。法だ何だとばかり言っている退屈な世界を壊したいんでしょう?」

「違う! 私が望むのはこんなものじゃない! こんな、亜人だからと………」

 

 強く唇を噛んだせいで、アーウィンの口端から一筋の血が垂れた。欲望の食糧にされたオークたち。更に深い欲に弄ばれていたモレノ。何て醜悪な連鎖だ。あまりにも醜く恐ろしい。

 

「そこのあなたもじゃない?」

 

 イーはセツナへと細めた目を向ける。まるで夜の床に誘うように。

 

「人界人なのに血の匂いがぷんぷんする。きっと右目の封印を破ったのね。あなたならこの世界を壊せる。どんな敵でも殺せる」

 

 その口ぶりに既視感を覚える。そうだ、アーウィンがセツナを仲間として引き入れるときも、似たようなことを言っていた。彼ならこの世界を変えられるかもしれない。変革を求める志。そのために必要とするセツナという尖兵。アーウィンとイーは根本的に同類なのかもしれない。

 

「私と一緒に来ない? そうすれば望みが叶う。いくらでも殺せるし、私を好きにして良いのよ」

 

 右手を差し伸べ、左手で自らの胸を揉みしだいた。イー・ジェイ・エムは自らの存在を最大限に利用している。暗黒術師であることも、女であることも。その豊満な肉体を前にモレノは屈したのだろう。

 

 だがセツナはどうだったか。答えは単純。何の反応も示さなかった。いつもの仏頂面を崩さず、病人のような肌は紅潮することなく土気色を保っている。

 

「興味ない」

 

 彼の口から出たのはそのひと言だけだった。「ざーんねん」と間延びした口調で返したイーは指を鳴らした。床に散っていった粘土の破片が再び彼女のもとへ集まり、その身体に付着していく。

 

 さっきのように再び夫人の姿になるのか。一瞬そう思ったが、イーの身体を覆う粘土はどこから沸いて出たのか先ほどとは明らかに量が違った。身体は倍の大きさに膨れ上がり、この地下室に収まりきらない。

 

 窮屈になった黒土の巨人は、大きな拳を天井に打ちつけ容易に突き破った。

 

「出るぞ!」

 

 まだ足元がふらつくわたしはアーウィンに担がれ地上へ向かう。牢屋から出られないオークたちの悲鳴が聞こえたが、もはや構っていられる余裕はなかった。

 

 地上に出ると、宴気分もすっかり冷めきった村民たちがわたし達へ一斉に詰め寄ってくる。

 

「おい何があった?」

「お前らもしかして見たのか!」

「何とか言えよ!」

 

 立て続けに投げられる声にわたしは悟る。ああ、共存なんてまやかしだったんだ。アーウィンの肩から降ろされたわたしは膝から力が抜けるのを感じた。

 

「いいから逃げろ! ここに居たら――」

 

 アーウィンが言い切る前に、村長の家の屋根が破られた。煉瓦の破片を散らしながら屋根から出てきたのは、黒い肌の巨人。女ならではのしなやかで妖艶な体躯だけど、頭はまるで芋虫のように異様に長い。その背中から一対の翼を広げ、イーを核とした化け物が滑空してくる。

 

 あれがミニオン――

 

「伏せろ!」

 

 強引に身体をうつ伏せにさせられて、勢いよくわたしは頭を地面に打ってしまった。痛みはあったけど、それ以上に真上に駆け抜けた気流の強さに身体が縮こまるような錯覚を覚える。

 

 振り返れば、そこにさっきまで騒いでいた村民たちは随分と減っている。まるで車輪の(わだち)みたいに穿たれた地面には、真っ赤な血と肉片がこびり付いていた。はっきりと手足らしきものも残っている。

 

「全て殺すつもりか」

「だって、もう必要ないもの」

 

 ミニオンの口から放たれた声はイーとは似つかない、男とも女とも取れない耳障りなものだった。人間とは異なる作りの生き物が無理矢理言葉を発しているようだ。

 

「少し早いけど、このミニオンならオブシディアを攻められるわね」

「たったひとりで反乱か?」

 

 剣を抜いたアーウィンの皮肉に、ミニオンは口を歪め笑みにしては醜いものを浮かべる。

 

「軽口を叩くのなら私を殺せる?」

 

 身を翻したミニオンの尻から生えた尾が大きくしなりアーウィンに迫る。わたしから見れば目で捉えるのもやっとなほど早いが、アーウィンにとっては取るに足らなかったらしく剣を一閃し、尾を容易に切断してみせる。

 

 切断面から黒い粘液が血のように噴き出した。ただ粘り気が強い粘液はアーウィンの身体にへばり付き、そのまま流れることなく飛沫の軌跡を保っている。

 

「これは……!」

 

 呟いたアーウィンの動きが鈍くなっていく。頭から纏わりつくように付着した粘液を払い落とそうとする腕が宙で静止する。わたしは彼女へ駆け寄り、粘液に触れた。その感触はとても硬かった。まるで焼いた陶器みたいに。

 

 ぐふふ、と咳なのか笑みなのか分からない声をミニオンは漏らす。

 

「イスカーンを殺す良い練習になったわ」

 

 ゆっくりと、ミニオンは顔をこちらへと向けた。口から涎らしき粘液が垂れている。それもまた体色と同じように黒く、地面に着く寸前で硬直した。ミニオンが手に取ると、先端の尖った涎はさながら剣だった。

 

 明確な窮地だが、アーウィンは余裕の笑みを浮かべた。虚勢ではなく、本物の余裕として。

 

「身構えていなければ、首を取られるぞ」

 

 その言葉が何を意味するかすぐにミニオンは気付いたけど、既に遅い。

 

 背後に回っていた黒い影が、水色の輝きを一閃した。目に捉えられないほどの速さで繰り出された剣尖が、ミニオンの首を胴体から斬り離す。あまりの速さに、わたし達の横に立ったセツナには切り口から流れ出た粘液が1滴も付いていなかった。

 

 でも、一瞬でも切り口に触れた剣にべっとりとへばり付いている。すぐさま粘液は硬化し、剣を切れ味も何も無い鈍へ変えてしまった。

 

 敵は倒せたかというとそうでもなく、胴体の首元から溢れ出す粘液はずるずると地面を這い、近くに落ちた頭部に付着するとそれを引き寄せて首と結合させる。

 

「確かに、これならイスカーンや整合騎士とも渡り合えるか」

 

 身動きが取れないアーウィンの言葉は諦観を感じさせる。だが、剣を封じられたセツナの方は全くその気がないらしい。

 

 繋がった首を動かしている敵の背後に、セツナは素早く回った。いつの間にか首と一緒に結合していた尾が迫る。跳躍で避けつつ、背中に蹴りを入れる。重心を崩されよろけた相手に、鈍になった剣を振った。

 

 刃が硬化した粘液で覆われた剣なんて切れるはずもなく、ミニオンのくっついたばかりの後頭部を強かに殴っただけ。

 

 けど、傷さえできなければ粘液は出ない。それを分かっていたのか、それとも偶然なのか。何はともあれセツナは好機とばかりに化け物を鈍器になった剣で叩き続ける。

 

「ごのおっ!」

 

 思わぬ反撃に声を荒げながら、ミニオンは即席の剣を振る。セツナの剣とぶつかり合い拮抗する。だが体躯に倍以上の差があっては、早くもセツナのほうが押し負けようとしていた。それを察してか後方に跳んで剣を構え直す。

 

 予想していたのかミニオンは嗤った。醜く歪めた口から粘液が勢いよく噴出する。咄嗟に避けたセツナは肉迫しようとしたが、間髪入れず追撃の粘液が飛んできて行きあぐねている。

 

 粘液と回避の応酬が繰り返されている光景を見ているなかで、わたしはふと違和感を覚えた。粘液を唾のように吐く巨体が、心なしか先ほどより小さくなっている気がしたのだ。

 

「縮んでる?」

 

 わたしがそう呟くと、何とか粘液を落とそうと身じろぎしていたアーウィンが目を剥いて「ナミエ」と呼んでくる。

 

「私の腰鞄に暗黒力の結晶が入っている」

「え?」

「君が暗黒術で奴の気を逸らすんだ。一瞬だけでいい」

「そんなの――」

「君にしかできないんだ、頼む」

 

 振り返ると、セツナはまだ飛んでくる粘液を避け続けている。彼も体力が無限にあるわけじゃない。いずれ粘液に絡めとられ身動きができないままなぶり殺されて、わたしとアーウィンも同じ苦痛の後に死ぬだろう。

 

 やらなければ死ぬし、迷っているうちにも死ぬのだ。アーウィンの腰ベルトに括りつけられていた鞄を開けると、確かに白濁した丸い結晶が詰まっている。そのひと粒を摘まみ上げるとアーウィンが早口でささやく。

 

「いいか、私がこれから教えるのを詠唱するんだ。大丈夫、そんなに長いものじゃない」

 

 頷くとアーウィンは「それと」と付け足すように、

 

「術を使うのに必要なのはできるという確信だ。頭の中で自分が上手く術を使っている姿を想像するんだ。いいね」

「想像………」

「では言うぞ。システム・コール――」

 

 使い慣れていない古代神聖語は聴き取り辛い語句もある。言葉の意味など意識せずただアーウィンの口から出てくる式句をそのまま覚えるのは難儀だった。

 

 確認のためすぐに復唱し「よし」とアーウィンからの承認が貰えると、記憶が新鮮なうちに手の中にある結晶を握り絞めた。砕けた神聖力が宙に舞う中、わたしはミニオンへ手を掲げ「システム・コール」と式句を唱える。

 

 暗黒術師ということもあり、ミニオンの中にいるイーは神聖力の動きを感知したらしい。既に普通の人間と変わらない大きさにまで縮んだ身を翻した時には、もうわたしの手の中では鋼素で生成した矢が出来上がっている。早口だったけど、式句が正確だったことに安堵しながら、わたしは最後の句を唱えた。

 

「ディスチャージ!」

 

 手から射出された矢がミニオンの胸に命中した。ただ刺さりが浅い。でも、それで十分。

 

 隙さえ生じれば、彼はそれを見逃さない。

 

 地面を蹴ったセツナの左拳が、黄金の光を帯びながらミニオンの腹に突き刺さった。勢いのままほぼ同程度にまで小さくなった敵の身体を押し倒し、馬乗りになったところで拳を引く。

 

 防御用に気持ち程度の手甲を嵌めただけの左手から、鋭い刃が伸びていた。仕込み刀だろうか。敵の身体に傷を付けた刀からは、当然黒い粘液が滴っている。早くも硬化が始まるのだが、セツナは構わず拳をミニオンの頭に打ち続ける。

 

 数発ほど殴ったところで、セツナの動きが鈍くなった。返り血のように体中に浴びた粘液が完全に硬化してしまえば万事休すなのだが、だらりと両腕を投げ出したミニオンにも反撃の力が残っていないようだった。何せ、頭の部分を構成していた粘土が剥げてイーの顔面が露になっていたのだから。

 

 ミニオンの身体が溶けるように粘液となって流れ出す。それに伴ってか、アーウィンの身体で硬化したのも粘液に戻り滴り落ちていく。セツナに付いたのも同様。傍で無造作に投げられていた剣は本来の鈍色を取り戻している。

 

 粘度が薄れ黒い液体になったミニオンの体液が、酸化した血のように地面に溜まる。そこに沈もうとしているかのように横たわるイーの顔は酷いものだった。念入りに化粧が施された美貌は、度重なる殴打によって見事に崩されている。

 

 大きかった目は腫れ上がった目蓋で殆ど開けず、辛うじて薄目の瞳からセツナを虚ろに見上げていた。

 

 興味を失ったようにセツナが退くと、今度は入れ替わるようにアーウィンがイーの胸倉を掴み持ち上げる。

 

「ギルドに戻らなかった暗黒術師は貴様だけか? 他に仲間がいるのか? 答えろ!」

 

 至近距離で飛んでくるアーウィンの怒号に、イーはか細い笑みを返した。顎が砕かれたのか、少し言葉がぎこちない。

 

「ええ、他にもいるわ」

「そいつらはどこだ!」

「知らないわ。人界の皇帝と手を組むのが嫌だから私は襟を分かったのよ」

「人界の皇帝? 一体何を企んで………」

「だから知らないわよ」

 

 これ以上の回答は得られないと判断したのか、アーウィンは無造作にイーを離した。

 

「よお、アーウィン」

 

 そこへ、不快な笑みと共に大柄な男が近付いてくる。どこから引っ張り出してきたのか重そうに大剣を引き摺っていた。

 

「覚えてるか? 昔お前に決闘でぶちのめされたアルゴスだよ。ガキだった癖に恥かかせてくれたよな。こんなところで会えて嬉しいぜ」

 

 アルゴスと名乗った男は「死ねえっ!」と剣を掲げた。でも、剣はすぐ地面に鈍い音を立てて落とされた。男の太い両腕ごと。

 

 男の耳障りな悲鳴に気分を害したのか、剣を鞘に収めるアーウィンの眉間にしわが寄った。

 

「そんな名前など知るか。いま貴様の相手をしてやる暇はないんだ」

 

 聞こえていないのか、男は「天命が」と喚き続けている。以前アーウィンと剣を交えたということは、彼も暗黒騎士だったのだろうか。その疑問は解消される前に、セツナが男の肩から脇腹にかけて斬り捨ててしまったものだから真相は分からず終いだ。

 

 「うらあっ!」と今度は武器も持たず拳を掲げた青年が跳びかかってきたのだが、セツナは見向きもせず背後へ剣を差し出す。吸い込まれるように剣先は青年の首へ突き刺さり、「ごばあ」と奇声を発してすぐにセツナは剣を大きく振る。勢いで剣を抜かれ、青年の身体は宙を舞ってその辺りにあった煉瓦の家に突っ込んでいった。

 

「ここの人族は暗黒騎士に拳闘士か。戦場から逃げ出した者たちの吹き溜まりだな」

 

 怒りや嫌悪を包み隠さずアーウィンは独りごちた。もう何もかもどうにもなれ、と投げやりなものを感じられた。こんな村滅びても構わないと。

 

「こいつはどうする?」

 

 セツナが訊いた。アーウィンは無感情に「殺すも犯すも君の好きにすればいい」とだけ言った。セツナは前者を選んだらしく、もう起き上がれそうにないイーに剣を向けた。

 

「この剣士さんに殺させるの? あなたも狡い女ね」

 

 イーの皮肉に「貴様よりはましさ」と返し、アーウィンは死にゆく者に背を向けた。死人に口なし。これ以上何を言ったり言われたりしても無駄とばかりに。

 

 セツナは躊躇なく、剣の切っ先をイーの額に突き立てた。どれほど天命を保っていようが、頭をやられたら全損する。不思議なこの世界の理に違わず、イーの息の根は止まった。

 

 振り返れば、すっかり荒れた村にはオークの姿しか見えなかった。大将格のイーが討たれて、人族たちは負けを悟って逃げたのか。逃げた先でまた亜人を食うのか気にかかったけど、今は何も考えられなかった。

 

 アーウィンが傍にうずくまっていたオークの子どものもとへ歩み寄る。わたしに乾燥果物をくれた少年だった。

 

「君たちは知っていたのか? いつか食われると知った上でこの村にいたのか?」

 

 「どうなんだ!」と乱暴に少年の肩を掴む彼女を止めようとしたけど、それができたのはわたしではなく近付いてきた大人のオークだった。

 

「その子は知らながった」

 

 そのオークは男のようだったが、随分と年老いていた。この村へ初めて見る老齢のオーク。そのしわがれた声は永く生きた者としての智と、そして悲観を感じずにはいられない。

 

「子はある程度の歳になるまでは何も知らない。子どものうちは無垢に過ごさせでやるのが、我ら大人がしでやれるごと」

「子を想うなら、何故こんな仕打ちを受け入れた? 隠したところでこの子たちの先に待つものは何も変わらないじゃないか!」

「イーは言っだ。我らの命を食糧としで差し出せば末代まで一族を守るど。子を成し育て上げだ者から肉にされだ。だが子どもは次の子を成すまでは肉にされない。わしには子がいない。だがら肉にされながっだ」

「抵抗しようとは、思わなかったのか?」

 

 アーウィンの声から怒りが薄れていくが、代わりに震えだした。老オークは頷き、

 

「暗黒術師にオークは敵わない。他の人族も暗黒騎士に拳闘士。我らを滅ぼすのは容易い。ぞれに、(おさ)の命令もある」

「リルピリンの?」

「我ら一族は人族の、緑の剣士に救われだ。だがら人族が困っていだら助ける。要求があれば断らない。それが長が決めだ、我らの新しい掟」

 

 老オークはゆったりと、淡々と語った。興奮のあまり肩を上下させるほど息の荒かったアーウィンも冷静になりつつあるのだが、その頬に一筋の雫が伝っている。

 

 それは涙だった。強い人と思っていた彼女の涙を、わたしは呆然と眺めることしかできない。

 

「そんなの……、緑の剣士はこんな事のために君たちを救ったんじゃないだろう! 命令だから、掟だからと何で皆そうやって不条理を受け入れられるんだ!」

 

 溢れる感情の奔流を止められる者は、この場には誰もいなかった。一族を救った英雄の存在が逆に苦しめてしまうなんて、皮肉で片付けるのはあんまりだ。

 

 わたしにだって、会ったことのない緑の剣士が少なくともこの惨状を望まないことは理解できる。彼女はきっと、同じ言葉を話す人とオークが互いに分かり合える道を夢見たはず。種族は違えど同じものを食べ同じ事を学び、互いを友や家族と呼べるような。

 

 まさにアーウィンが師から受け継いだ孤児院のような光景が、世界中に広がっていくことを。

 

 このトルソ村は、アーウィンが正しさと信じ続けたことを否定し嘲笑ったのだ。お前の理想など無意味だ、と。心を打ち砕かれた彼女に、わたしがどうして慰めの言葉をかけられる。

 

 きぃん、と金属同士を擦り合わせたかのような甲高い音が聞こえた。音が大きくなっていくにつれて、空に何かの影が見える。

 

 その影は、この村へ近付いているようだった。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど13


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「さあ、今回から前書きにある武器物語が始まるわよ」

キ「武器物語ってのはセツナが使う剣にまつわるエピソードの事だな。本作ではセツナの剣が頻繁に変わっていく予定だから、その都度武器物語が解禁されるぞ」

ア「今回物語が解禁された断罪の剣は、赤い飛竜との戦いで折れたウンベールの剣に代わってアーウィンが適当に引っ張り出してきたものね」

キ「適当なものにしては曰く付きなんだな。でもストーリー全般から見ると、断罪の剣はセツナが使ってきた剣の4本目なんだよな」

ア「そう、最初の剣は目覚めた直後に殺した衛士から奪った剣。2本目はウンベールの村の衛士を殺して奪った剣。3本目はウンベールを殺して奪った剣ね」

キ「断罪の剣以外は元の持ち主殺してるんだな………」

ア「キリト君だってSAO時代はボス倒して武器ゲットしてたんだから似たようなもんじゃない」

キ「何だろう、妙に説得力ある。てか、断罪の剣の前に使ってたやつの武器物語はないのか?」

ア「無いわよ。だって最初2本の衛士から奪った剣なんてドラ○エで例えたら兵士の剣とか銅の剣クラスよ。ウンベールの剣でやっと鋼の剣クラスなんだから」

キ「ウンベールの家は一応人界の上位貴族だったのにな………」

ア「貴族の剣なんて基本的に儀礼用で見た目だけ凝った作りなんだから実用的じゃないのよ。ま、強いて武器物語を設定したとしても、内容はウンベールとナミエの×××ね」

キ「うん、やめておこう」

ア「まあこの武器物語っていう演出も、本作に組み込んだ『ドラッグオンドラグーン』や『ニーア』オマージュのひとつね」

キ「そこまでオマージュするならもうその2作の二次創作書けばいいんじゃないか?」

ア「もう、まだ分からないの? この作品はSAOの世界観を鬱で汚染するためのものなんだから」

キ「もう作者叩かれてください………」

ア「大丈夫! アンチが湧くほど知名度ないから!」

キ「平和なんだか悲しいんだか」

ア「それでは予告です。次回の更新ですが新キャラが登場予定なのでキャラデザで遅れます」

キ「どんなキャラクターが出てくるのか、正直嫌な予感しかしないんだが楽しみにしていてくれよな」

ア「それじゃあ、また次回!」



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第14幕 メタル・ドラグーン

武器物語(ウェポンストーリー)

《ジーゼックの剣》

いやあ結構激しい戦いだったな。よくお互い死ななかったもんだ。
なんだ落ち込んでるのか? 卑屈になることないじゃないか。
確かに奴を仕留めたのは俺だけど、お前の援護があったから倒せたんだ。
ちゃんと皇帝陛下にも報告するさ。お前にも功績があるって。
にしても褒美を弾んでくれないとな。ダークテリトリーの魔物を倒しんだからさ。
爵位なんて貰えたりしてな。俺たち貴族の仲間入りだぜ。
俺もなれるかって? 当たり前じゃんかお前だって戦ったんだから。
きっと三等か四等くらいにはなれるぜ。央都に屋敷が建てられる。
家名が貰えるとしたらお前どんな姓にする?
え、自分の名前をそのまま家名に? いいねえそれ。俺もそうしよ。
子どもや孫が俺たちの名前を名乗るって浪漫だよな。
なあ、俺たちの子孫同士も仲良くできるよな?
どんなに時間が経っても、俺たちが友達なのは変わらないよな。
俺は絶対にお前を裏切らないさ。俺の子孫もだ。
約束するよ、ジーゼック。




 

   1

 

 急降下してくるその影は、あの赤い飛竜と思った。でもすぐに違うと分かる。色があの燃えるような赤ではなく、くすんだ鈍色だった。

 

 真っ直ぐ頭をこちらへと向けて降下――というより落下してくるそれは、全容がはっきりと分かるほど地上に近付くと腹ばいのような恰好に身を翻した。

 

 その姿を何と形容するべきか、初めて見るものにわたしは最適な言葉を当てはめられない。

 

 減速したようだが、まだ勢いを抑えられていないのは傍目から見ても分かった。斜めに身を降ろしたそれは、地面に触れた瞬間に轟音と共に身を跳ねさせる。また地面に腹を触れさせ、今度は弾かれこそしなかったものの土を穿ちながら地面を滑る。

 

 どれほどの距離を滑ったのか、正確に測ることはできなかったけど村の通りに長い轍が作られたのは確かだ。村の入口に差し掛かる前に着地して、中央広場にまで食い込むほど。

 

 頭が、まるで頭蓋骨を綺麗に割ったかのように開いた。中から出てきたのは脳味噌ではなく、人だ。

 

「だから機竜は嫌なんだ」

 

 女の声だ。ぶつくさ言いながら軽い身のこなしで頭から出てきた女が地面に降りると、身に着けている鎧が重苦しい音を立てる。

 

 まだ少女の面影がある若い女だった。容姿に似合わない鎧を打ち鳴らしながら歩く彼女は、所々に死体が転がる村を見渡して眉を潜める。

 

「これはどういう状況だ?」

 

 誰にともなく向けられた質問に答えられる者はいなかった。オーク達もわたし達も憔悴していたから。

 

 女の目が留まったのは、頭蓋から未だ血を流し続けているイーの死体だった。次に視線が向けられるのは、死体の傍に立っているセツナだ。

 

「見ない顔だな。これは貴様がやったのか?」

 

 険のこもった質問に、セツナは逡巡したように辺りの死体を見渡した。イーも、すぐ傍にある元暗黒騎士もセツナが殺したわけだが、他の死体についてどう説明したらいいのか迷っているようにも見えた。

 

 痺れを切らした女が、背中に背負っていた身の丈ほどある槍を掴み、切っ先をセツナへと向けた。何というか、騎士然とした恰好の割に原始的な印象を受ける槍だった。まるで動物の骨を削って尖らせたかのよう。

 

「人界統一会議整合騎士ユーリィ・シンセシス・トゥエニワンの名の下に回答を命じる。罪人ならば、私には貴様の天命を7割まで奪う権限を与えられている」

 

 「ははは」とアーウィンが乾いた笑いを漏らした。

 

「7割か。それはかなり大きな権限だな」

「何がおかしい?」

「その男の権限は整合騎士様以上だと思ってね。何しろ天命を全て奪うことができる」

「全て?」

 

 信じられない、というような怪訝な目を整合騎士は向ける。

 

 整合騎士。直に見るのは初めてだった。人界最強の騎士団で、異界戦争の際には文字通り一騎当千に暗黒界の兵士たちを屠ったという。暗黒界側が名将と謳われたギルドの頭目や幹部を多く失ったのに対し、人界の整合騎士はたった3人の戦死者しか出さなかったという。

 

 勿論、貴族や衛士で構成された兵士たちは多くの戦死者が出たそうだが、戦力の多くを整合騎士に依存していたことを考えたらその強さもある程度は想像できる。

 

 そんな怪物じみた強さを持つとされる整合騎士が目の前に立っていたわけだが、彼女の容姿はお世辞にも歴戦の猛者には見えなかった。美しいとは思うけど素朴な町娘といった顔をしている。槍を構えているその姿は、どうにも子どもが騎士の真似事をしているようにしか見えず滑稽でもあった。

 

 異界戦争の頃にはまだ少女だっただろう騎士は、大きな声で訊いた。

 

「そこにある亡骸は、貴様の手によるものか?」

「ああ」

「そうか、言質は取った。ならばこれより貴様を殺人罪で拘束し央都へ連行する」

 

 瞬間、騎士が地面を蹴った。あんな重そうな鎧と長い武器だから、わたしの目で追えるほどの速さでしかない。

 

 当然、セツナは突き出された槍の切っ先を剣で受け止める。だが、槍の勢いを抑えきれず、セツナの足が地面を擦りながら後退した。受け止める剣が震えている。無表情だった目が僅かに見開かれた。

 

 騎士は自らの獲物を構え直し、上段へと振り上げる。槍が弧を描くと同時に、セツナの身体も追従するように持ち上げられる。細身とはいえ、成人した男を軽々と持ち上げる力があの騎士のどこから出てきたのか。

 

「まさか防ぐとは」

 

 着地してみせたセツナに騎士は感心したように嘆息する。

 

「天命の半分くらいは減らすつもりだったが、侮っていたようだな。全て奪うつもりでいくぞ」

 

 再び騎士が地面を蹴る。今度は速かった。手加減していたというのは嘘ではなかったらしい。

 

 突き出された槍の切っ先をセツナは受け止めず、今度は紙一重で避ける。すれ違いざま、自身のすぐ横を貫く槍の中腹に橙色に輝く剣を振り下ろした。

 

 凄まじい轟音が響く。金属を打ち鳴らしたものじゃなく、巨大な岩をぶつけ合ったような音だった。わたしが咄嗟に耳を押さえているなか、音源の渦中にいたふたりは音など意に介さないとばかりに武器の競り合いを拮抗させていた。

 

 セツナの剣から輝きが失せていく。刃が直撃したにも関わらず、騎士の槍は亀裂など入らず磨かれたばかりのような輝きを保っていた。

 

 騎士は勝ち誇ったように微笑し、

 

「そんな細剣でこの白麒槍(びゃっきそう)を折れると思ったか? 愚かな。神器を甘く見るなよ」

 

 両者はすぐに武器を引いた。セツナの剣が、今度は水色の光を放つ。まるで槍のように真っ直ぐな突きだった。咄嗟に掲げられた槍に防がれたが、一撃に終わらず更に2連続の突きが一瞬のうちに放たれる。

 

 最後の一撃を防ぎきった騎士は、1歩を踏み込んで肉迫し鍔迫り合いへと持ち込んでくる。決して不利ではないはずなのだが、騎士の顔には焦りが浮かんでいた。

 

「貴様その剣はアインクラッド流か!」

「知るか」

 

 気のせいか、セツナの声に苛立ちが乗っていたように感じられる。彼はつい先日まで秘奥義を知らないまま行使していた。どんな技が使えるのか忘れているのに肉体のほうは覚えている。

 

 何故秘奥義が使えるのか、何故法に縛られず殺せるのか。それに最も戸惑っていたのは彼自身だったのだろうか。

 

 耳に触る甲高い音が響いた。セツナの剣が中腹から真っ二つに折れている。秘奥義を連発したせいで天命も限界だったのだろう。騎士は好機とばかりに「恨むなよ」と呟き、

 

「システム・コール!」

 

 至近距離で神聖術の詠唱を始めた敵を警戒してか、セツナは咄嗟に右足を突き出した。不意打ちの蹴りを胸当てに受けながらも、大した攻撃にはならなかったらしく騎士は後退したのみで詠唱は止まっていない。

 

 長い式句だったが、早口でまくし立てるから殆ど聞き取れない。辛うじて聞こえたのは、最後の一句だけだった。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 槍の切っ先で、つむじ風のように空気が渦を巻いているのが肉眼でも見ることができた。空気と共に稲光が生じ、灯のように槍の穂先で球を形作る。

 

 騎士が切っ先をセツナへと突き出した。距離があるせいでまったく届いてはいないのだが、ただ突くための動作じゃないことは、わたしの目から見ても容易に判断できた。

 

 切っ先にあった光の球が、文字通り光の速さで打ち出される。ほぼ一瞬と言うべき速さで球は咄嗟に折れた剣を構えたセツナに直撃し、彼の身体に稲妻が纏わりつくように走りながらその細身な身体を吹っ飛ばした。

 

「セツナ!」

 

 彼のもとへ走ろうとしたわたしを、騎士が槍を向けて「動くな!」と制す。

 

「貴様も奴と共に尋問させてもらう。怪しい動きをしたら天命を半分にまで減らすぞ」

 

 「そこの女もだ」とアーウィンにも槍を向けてから、騎士は倒れたセツナへと歩いて行く。

 

「大丈夫だ」

 

 とか細い声をアーウィンが漏らした。根拠はないが、妙な説得力があった。いや、アーウィンじゃなくわたしが大丈夫と言っても信じられただろう。セツナはあんな程度では殺せない。その点に関してだけ彼は信用できる。

 

 騎士が見下ろすセツナの身体からは白煙が立ち昇っている。アーウィンと初めて会ったときもあんな風にされたっけ、と不謹慎にも思ってしまった。

 

 動く気配はない。骸のように沈黙する彼の左胸に騎士は槍を向ける。ほんの少し力を込めただけで貫いてしまいそうな距離だ。

 

 瞬間、槍が弾かれた。

 

 次にわたしの目に映ったのは、振り上げられたセツナの右足と、そこから突き出した細い刃だった。即座にうつ伏せになり、セツナは腕を軸にして身体を回転させる。騎士の頬に一筋の線が入り、そこから血が滴る。

 

 傷を付けられたことに驚愕してか、騎士の動きがほんの一瞬だけ緩慢になった。地面を蹴って跳びかからんとばかりに肉迫したセツナは騎士の顔面を掌で覆い視界を奪う。その勢いのまま、騎士の身体を頭から地面に叩きつけた。

 

 聞くだけで痛々しい鈍い音だった。常人なら意識が飛んでもおかしくはないが、そこは流石整合騎士。まだ手足をばたつかせるほどの余力が残っているらしい。だがセツナが金属の手甲に覆われた左手でこめかみを殴ると沈黙した。防具に仕込んだナイフを使わなかったのは彼なりの優しさだろうか。

 

「気絶に留めたのは懸命な判断だよ。この整合騎士には訊きたいことがあったからね」

 

 白眼を剥く騎士の顔を覗き込みながら、アーウィンが嘆息交じりに言った。「俺もだ」とセツナも眉間にしわを寄せながら騎士を見下ろす。

 

「気になることを言っていた」

 

 わたしもまじまじと見つめてみるが、見るほど鎧や槍が似合わない娘だ。「気を付けたほうが良い」とアーウィンが言った。

 

「この者は秘術で天命を永遠に保つ不死者だ。見た目こそ小娘だが恐らく何十年以上も生きている」

「それって、死なないってこと?」

「いや、老いがないだけで殺せば死ぬと聞いたな。異界戦争で整合騎士長がベクタに殺されたそうだから」

「それでも歳を取らないなんて………」

「ああ、それだけでも十分気味が悪いな。まあ、これと同じくらい不死身な者もいるが」

 

 そう言ってセツナに向けるアーウィンの眼差しには心なしか呆れが混じっているように見えた。服は少し焦げ付いてこそいるけど、顔は殆ど傷や火傷らしきものがない。

 

「整合騎士の完全武装支配術を受けて無事とは、君は本当に化け物じみてるな。戦争で何百何千という軍勢が一網打尽にされたのに」

 

 「完全武……、何だそれは?」というセツナの問いも予想通りとばかりにアーウィンは即答する。

 

「秘奥義の上位技みたいなものだ。それで、一体どんなからくりを使った?」

 

 セツナは周囲に視線をくべる。少し離れたところに落ちていた、折れてしまった剣を掴んだ。

 

「これに身代わりになってもらった。巻き添えは食ったが」

 

 僅かに残っていた天命も尽きたらしく、半分あった刀身も柄も粉々に砕けてセツナの手から零れた。

 

 

   2

 

 悲劇があったことなんて関係ないとばかりに、鉢植えの若草は瑞々しく揺れている。それを風呂敷に大切に包むオークの司祭は、悲しそうに眼を伏せていた。

 

 祀られる神体というものは不変であり不動だ。たとえ悲劇があってどれだけの死人が出ようとそこに在り続ける。神が宿ると言い伝えられているのに、救いを求められているのに在るだけで何もしてはくれない。

 

 救いが必要なときに神の奇跡なんて起こらなくて、初めて人は気付くのだ。神などいないと。

 

 それでも今度こそは、と神を信じ続ける心を愚かと断じるべきか信心深さに感銘を受けるかは、これを読む諸氏に委ねよう。

 

「これからどうするの?」

 

 意地悪な質問とは分かっていたけど、訊かずにはいられなかった。僅か数人しかいなくなってしまった子ども達を伴った老オークがしゃがれ声で答えてくれる。

 

「一族の里を目指し、長に受け入れを頼むづもりだ」

「この村のことは言うの?」

 

 「いえ、そのつもりはありません」と司祭がかぶりを振る。

 

「言えば、我らが一族はかつて人族に虐げられていた怒りを再び燃やしてしまうかもしれません。それは長も、リーファ様も望まぬことでしょう」

「あなた達を救ってくれなかったのに、まだ緑の剣士を信じられる?」

「私が信じなければ誰が信じるというのです。それに、アーウィンさんといいましたか。あなたのお仲間は私たちのために涙を流してくださいました。それだけで、まだ人族にも清い心を持った方がいると希望が持てるのですよ」

「希望――」

「ええ、まだ世の中捨てたものじゃない、とね」

 

 司祭はにっこりと笑った。ほんの一時の奇跡のために長い苦しみに耐えるのは、果たして割に合っているのだろうか。奇跡とは、それまでの苦しみを帳消しにしてくれるものだろうか。神なんてものを根本から信じられないわたしには分からない。

 

「そう、元気でね」

 

 わたしは彼らの旅路が無事であることを祈るだけだ。それしかできない。少年オークの頭を撫でると、彼は恥ずかしそうに老オークの背中に隠れてしまった。

 

「あなた方も幸運を」

 

 厩舎にいた馬たちと共に村を去る彼らを、わたしは見えなくなるまで見送った。虐げられてきた者が抵抗する勇気を持てない気持ちは、近しい立場にいたわたしにも理解できる。抵抗して殺されるか、いつか戯れで殺されるか。過程が異なるだけで、結局のところ末路が死というのは変わらない。ならば考える事をやめ、穏やかに最期を迎えたいというのが唯一の救いだったのか。

 

 ならば、セツナは彼らがいずれ辿る運命から解放してやったことになるだろうか。この村だけじゃない。商工ギルドに奴隷として捕らえられていた子どもたち。そしてわたし。

 

 分からない。だってわたしは、まだ救済を実感できるほど生きていないのだから。

 

 「ん……」という吐息が聞こえて、わたしは傍に横たわる鎧姿の女を見下ろす。薄く目蓋が開かれると、わたしの姿を認めてか一気に目を剥いた。

 

「っ!」

 

 起き上がろうとしたのだろうが、それは叶わないことだ。何故なら彼女が気を失っている間、セツナとアーウィンが縄で手足を縛っておいたのだから。

 

「これは何の真似だ!」

「暴れられたら困るからって」

「蛮族が! このような仕打ちが許されるとでも――」

「説明しようとしたら、あなたいきなり攻撃してきたじゃない」

「それは、あの男が殺人を犯したなどと――」

 

 「お目覚めか」とアーウィンとセツナがやって来る。結構大きな声だったから分かりやすかっただろう。

 

「殺したければ殺せ」

「随分と潔いな」

「大方、異界戦争で散った者たちの仇討ちだろう。私ひとりの天命で貴様らの気が済むのなら安いものだ」

「あー、何だか話が飛躍している気もするが」

 

 この崇高な騎士様に何と言ったらいいのかアーウィンは困ったように頬を掻いた。

 

「別に君を殺すつもりはない。ただ訊きたいことがあるだけだ」

「拷問にでもかけ統一会議の情報を引き出すつもりか?」

「いや、それも気にはなるが――」

 

 とうとうアーウィンは盛大な溜め息を零した。騎士はそれを見逃すことなく噛みついてくる。

 

「何だ!」

「あまりにも的外れでね。これじゃ話が進まない」

 

 会話の噛み合わなさに呆れかえっていたわたしも溜め息交じりに言う。

 

「まずは落ち着いて、人の話を聞いたら?」

 

 明らか年下であるわたしに諭されたのが屈辱だったのか、騎士はそこでようやく口を引き結んだ。整合騎士も案外間抜けなところがあるんだ、とはここでは口に出さないほうが良いだろう。

 

 やっとか、とばかりにまた大きな溜め息をつきアーウィンは質問をする。

 

「この村には月に1度整合騎士が来ると聞いたが、それは君のことか?」

「そうだ。私は統一会議より視察大使としてこの村の管轄を任ぜられた」

「視察か……、その任務を君はこなしていたのか?」

「当然だ。貴様は私を愚弄するのか!」

「だから落ち着け。別に喧嘩を売ってるわけじゃない」

 

 どうやら熱くなりやすい性分らしい。騎士らしく誇り高いといえば聞こえは良いけど、この場だとただ血気盛んなだけ、という印象に見えてしまう。

 

「私のほうからも訊きたい」

 

 騎士が言った。「何だ?」とアーウィンが促すと騎士はセツナを睨み、

 

「その男、さっき人を殺めたと認めたな。一体何者だ。見たところ人界人のようだが、禁忌目録を知らないはずがない」

 

 「知らないわ」とわたしが答える。

 

「ベクタの迷子だから」

 

 そのベクタの迷子が珍しく、自らの口で質問をした。

 

「あんた俺の剣をアインクラッド流と言ったが、それは何だ?」

「我らが代表剣士と副代表剣士が使う剣技だ。貴様の剣はよく似ていた」

「アインクラッド………」

 

 初めて聞くはずの言葉を反芻し、セツナは虚空を見つめる。「覚えがあるのか?」とアーウィンが尋ねてみるけど、彼は無言のままかぶりを振った。こんどはアーウィンが質問を飛ばす。

 

「代表剣士とは、ベクタを討った英雄だな」

「ああ、そうだ」

「その者と副代表剣士だったか、ふたりの出自は知っているか? 故郷や家柄は?」

「リアルワールドと聞いている。それ以上のことは知らん」

 

 「使えない騎士様だ」というアーウィンの皮肉に騎士は「何だと!」と斬りかかる勢いだったが、ろくに動けないから身じろぎするだけで終わった。そんな彼女を尻目にアーウィンはセツナへと向き、

 

「どうする? 人界に行って代表剣士と会えば、君の過去が分かるかもしれない」

 

 しばし逡巡するように、セツナは僅かに目を伏せた。気乗りしないことはわたしにも察しがつく。禁忌目録に縛られず、躊躇なく殺人を犯せるこの男の過去が真っ当なはずがないのだ。

 

「まあ、今すぐ決めることじゃない。手掛かりは見つかったんだ」

 

 心中を察してアーウィンはセツナの肩を叩いた。そこに騎士が横槍を入れてくる。

 

「この縄を解けば私が会わせてやる。罪人としてな」

「あーそれなんだが」

 

 アーウィンは気まずそうに騎士が乗っていた鋼の竜を指さし、

 

「君の機竜とかいうのはもう使えないみたいだ」

「は⁉」

 

 遠くで昇っている黒煙は、一見すれば村のどこかの家が燃えているかのように錯覚してしまうかもしれない。でも煙は機竜と呼ばれる乗り物の尻から立っていた。

 

 もっとも、セツナが適当に計器をいじっているうちに後部が爆発したのだが。

 

 機竜を間近で観察していたセツナは、あの代物を知っているようだった。戦闘機とか、騎士が乗っていた部分をコクピットとか初めて聞く用語を並べ立てていた。

 

 騎士の言っていたアインクラッド流剣技といい、セツナは人界統一会議と関係しているのかもしれない。そんな可能性がわたしの中で大きくなっていた。

 

「それに罰ならば、君も受けるべきと私は思うけどね」

 

 アーウィンの険のこもった言葉に、騎士は「何のことだ?」と苛立ちを隠さない。その態度にアーウィンのほうも苛立って、

 

「君はこの村で起こっていたことを知らなかったのか?」

「何をとぼけている。村人たちを殺したのは貴様らだろう?」

「確かに何人かの死体は私たちがやったが、殆どは同じ村の者が手に掛けた」

「馬鹿なことを。村人同士で殺し合いをしたとでも? ダークテリトリーでも法整備はされている。私は何度も視察に来て確認していたのだ」

「だとしたら職務怠慢だな。君の確認漏れのせいでとんでもないことが起きた」

「だから何の話だ!」

「百聞は一見に如かず、か………」

 

 アーウィンは呟くと、騎士の足を縛っていた縄を剣で斬った。斬る時も騎士が「何の真似だ!」と騒いでいたが、もはやアーウィンも説明するのが面倒になったのか「少しは大人しくしてくれ」となだめるに留まった。それでも騎士は喚くのを止めなかったのだが、セツナが剣を首元に当てたことで自らの立場を理解したらしく口を閉じた。

 

 ふたりを両脇にして向かっていくのは、ついさっきわたしが目の当たりにしたこの村の現実。未だに悪夢と信じたい事実をアーウィンとセツナは再び見に行くことになる。

 

 それを思うと、わたしは自分ひとりここで待っているのが卑怯と感じられた。知っていながら目を背けるのは赦されない。そう自身に言い聞かせ、わたしは3人を追う足を急がせた。

 

 




そーどあーと・おふらいん えぴそーど14


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです。まずは新キャラのキャラデザのために更新が大幅に遅れたことを、遅筆な作者に代わってお詫び申し上げます」

ア「今回はその新キャラの紹介をするわよ。それでは皆さんお待ちかね――待ってねーよという声は無視します!――ユーリィ・シンセシス・トゥエニワンのキャラクタービジュアルです!」


【挿絵表示】


キ「まあ整合騎士だからやっぱり鎧着てるよな」

ア「作者曰くフルアーマーな衣装は描いていてもの凄く面倒くさかったそうです。因みに色が赤とシルバーなのは、作者が『シン・ウルトラマン』を観に行って頭パーンてなったからだとか」

キ「ノリで色決めてたのかよ………」

ア「まあそもそもの話として作者は赤が好きなのと、本作のイメージカラーがモノクロに血を垂らした赤だからとか」

キ「分かり辛い例えだな。要は作者の好みってことだろ。あーあと今入った裏設定だけどデュソルバートの弟子らしい。多分色が同系統だからって理由だろうけど」

ア「因みにプロフィールですが――」

キ「どうせ体型はラブライブのキャラなんだろ」

ア「もう何でネタバレしちゃうのよ盛り下がるじゃない」

キ「こちとら作者がラブライブで頭パーンなの知ってるんだよ」

ア「はあ……、それじゃプロフィールね。ユーリィは身長158センチ、スリーサイズはバスト85ウエスト60ヒップ86。『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』に登場する近江彼方(このえかなた)さんと同じ体型になってるわ。鎧だとプロポーションが分かり辛いからラフ画だけどこんな絵も用意しました」


【挿絵表示】


キ「お、おお………。結構スタイル良いんだな」

ア「彼方ちゃんのボリュームあるボディを何とか世に広めたいという作者の方針です」

キ「いや体型同じだけどキャラはあくまで近江さんじゃなくてユーリィだからねこれ」

ア「あと年齢だけど外見は童顔でも27歳くらいらしいわ」

キ「メインキャラの中じゃ最年長なんだな。とはいえ整合騎士で天命凍結されてるわけだからもっと長生きしてるよな」

ア「そう、ファナティオさんほどじゃないけど実はBBAです!」

キ「おい言い方! てか本作の設定上俺たちだって三十路くらいだしあと190年くらいは生きるんだぞ」

ア「でも多分見た目変わってないわよわたし達イレギュラーユニットだし」

キ「星王と王妃になった俺たちのビジュアルが公式から出てない以上はその辺りもはっきりとは言えないしなあ」

ア「話が脱線しましたがユーリィとの初バトルについての解説よ!」

キ「やっと解説コーナーらしい話ができるよ。ユーリィの神器は白麒槍(びゃっきそう)っていう槍で、大昔のアンダーワールドにいたユニコーンがベースになっているんだ。だから見た目もまんまユニコーンの角って感じだな」

ア「作中でもまんま骨って言われてたけど頑丈よね。セツナの技食らっても何ともなかったわけだし」

キ「そこは神器だからな。あと槍を折ろうとしたときセツナが放ったソードスキルは《ソニックリープ》だ。原作アインクラッド編で俺がクラディールの剣をへし折った技だな」

ア「作者的にはオマージュとして入れた場面みたいだけど、原作通りには折れなかったわねえ」

キ「武器破壊ってかなり難しいんだよ。原作でも武器を当てる位置とか耐久値とかのパラメータ関係で滅多に起こらない現象らしいからな。俺が原作でやれたのはクラディールの剣が見た目重視で脆かったのもあるけど、セツナが不発になったのは俺ほどソードスキルの扱いに精通していないっていう演出らしい」

ア「その後もソードスキルやってたわね。確か3連続の突き技」

キ「あれは細剣スキルの《トライアンギュラー》で、アスナがよく使ってた技だな。ユーリィが知っていたのは副代表剣士のアスナから見せてもらったことがあるからなんだ」

ア「だからユーリィはセツナの剣がアインクラッド流だって見抜けたのね」

キ「このバトルの演出から、作者は読者さんがセツナの過去について何となく想像がつくようにしたみたいだな」

ア「え、どゆこと?」

キ「えーおバカさんはスルーします。あとユーリィの完全武装支配術を食らっても平気だったトリックについて、作中のナミエ視点じゃ説明不足だったからここで解説するぞ」

ア「作者曰く地の文で説明し過ぎると興醒めしちゃうっていうのと、ナミエの手記という文章の設定上知り過ぎていると不自然だから必然的に説明不足な場面が出ちゃうので、ご容赦ください」

キ「ユーリィの完全武装支配術は所謂サンダーボルトなんだが、それを察したセツナが咄嗟に剣を放り投げて、それが避雷針になって電撃を受けてくれたおかげでセツナへの直撃は免れたんだ。それでも近くにいたから感電はしたんだけどな」

ア「ふーん。あ、作者から新情報よ。ユーリィは同じ槍使いということでネルギウスの弟子って設定にする予定だったんだけど、さっき話したカラーリングの関係とムーン・クレイドル編を知らない読者さんだとネルギウスを知らないだろうということで急遽デュソルバートさんの弟子に変わったそうです」

キ「ネギオ、ドンマイ………」

ア「いやー、久々に解説らしいことしたから疲れたわね!」

キ「ようやく本来の仕事ができたはずなんだけどな俺たち」

ア「新キャラも登場したことだし、これからどんなカオスへと突入していくのか、こうご期待です!」

キ「それじゃあ、また次回!」

ア「あ、最後にひとつ。本作はジャンルとしてはハーレムものらしいわよ」

キ「え⁉」


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第15幕 トータル・ディプラビティ

 

   1

 

 そこへ近付くにつれてまだ正体を知らない騎士は臭いに顔をしかめるに留めていたけど、既に何があるか知っているわたしは再び込み上げる吐き気を堪えるのに必死だった。

 

 戦いで破壊されてはいたけど、肝心な箇所はまだ残っていた。ぽっかりと穴の空いた地下室は換気が行き届いているけど、それでも強烈な臭気は鼻をつく。

 

 両手を縛られた騎士は鼻を押さえるのも叶わず、あまりの臭さに咳き込んだ。

 

「ここは食糧庫か。酷い臭いだな。腐ってるんじゃないのか?」

 

 なんて呑気なことを言いながら、騎士は地面に散らばった家畜らしきものたちの肉を眺めている。その間、わたしは解体前の人たちが押し込まれていた牢屋を見ていた。

 

 鉄格子はアーウィンが破壊したから、奥にはもう誰もいない。自由になれた者たちの反応は一様とは言い難かった。歓喜する者もいれば、戸惑う者もいた。外で二度と会えないはずだった我が子を抱きしめ涙する者や、これまでの恐怖がぶり返して赤子のように泣き出す者もいた。

 

「まさか……!」

 

 肉の容貌で何となく騎士も察しがついたらしい。皮を剥がれ内臓を抜かれてはいるけど、でっぷりとした体躯は獣のものとは明らかに違う。

 

「有り得ない! こんなことが――」

 

 「現実だよ」とアーウィンは冷たく言い放つ。

 

「この村はオークを家畜として食っていた」

「そんな……、私は何度もここへ視察に………。モレノ村長から村のことを詳しく………」

「その村長が人界から落ちぶれてきた貴族だったことを、君は知っていたか?」

「人界の貴族?」

「一等爵家のモレノ・シーキュカンバー。その妻は暗黒術師のイー・ジェイ・エム。何度も村に来ておきながら知らなかったのか?」

 

 騎士はもう涙目になっていた。それでもアーウィンは容赦がない。

 

「信じられないか? これが現実だよ」

「知らなかったんだ……。私は何も――」

「知らなかっただと? 知ったつもりでいただけだろう!」

 

 我慢の限界だったのだろう。怒鳴ったアーウィンは無造作に騎士を突き飛ばす。

 

「これは君の怠慢が起こしたことだ。自分が、自分の属するものが正しいと信じ込み疑わなかったツケが巡り巡ってこうなったんだ」

 

 熱くなったことを自覚してか、アーウィンは深呼吸した。少しばかり落ち着いた口調だけど、やはり収まり切らないものがあるのだろう。

 

「視察も支援のためという名目だったのだろうが、人界統一会議の支援などいつも上辺だけだ。肝心なところは目を背け、救うべき者たちを救わない。同胞のはずの人界人でもな」

 

 「それは、どういう……」とがらんどうに訊く騎士に、アーウィンは返答代わりにわたしへと視線をくべる。

 

「そこにいる彼女も、貴族の慰み者にされていたんだ」

 

 騎士が見開いた目でわたしを見上げた。まるでおぞましい魔獣でも見るかのような目で、わたしは耐え切れず目を背けた。すぐにアーウィンが「済まない」と抱きしめてくる。

 

「君を引き合いに出すつもりはなかった。それなのに………」

 

 微かに涙声になっていたアーウィンに、わたしは何て言葉を返せばいいか分からず無言のままだった。自分が汚れてしまった存在であることはとうに分かっていたことだ。

 

 わたしがこの惨状にアーウィンのように怒れないのは、食べられていたオーク達と同類だったからだ。権力者に弄ばれ天命を握られていた者の虚無は、理解できてしまう。

 

 

   2

 

「システム・コール――」

 

 式句を唱えると、かざした手の先に小さく光が灯った。優しげな小さい光が目の前にあるカンテラ石に触れると、一気に暴力的な赤へと燃え上がる。

 

 初めて神聖術で火を起こすことができた記念的瞬間なのだけど、それ以上にほんの微かな熱素で炎を燃やす鉱石の便利さに意識が向いてしまう。

 

 それに興味をあまり持てないのも、今日の二度もあった戦いに疲弊していたせいだろう。誰もが疲れていた。アーウィンもわたしも、襲撃してきた騎士も、あまり疲労を顔に出さないセツナでさえ。いや、戦いを請け負っていたのはセツナだから、彼が疲れるのは当然だ。

 

 最も憔悴した表情を浮かべていたのは、整合騎士ユーリィ・シンセシス・トゥエニワンだった。もはや抵抗の意思なしと判断され縄を解かれた彼女は背負った槍を再びわたし達へ向けることなく、呆然と目の前の炎を見つめ続けている。

 

 村の倉庫から引っ張り出してきたイモを差し出しても、ユーリィは力なく首を横に振って拒否する。その様をアーウィンは皮肉るように、

 

「不老の整合騎士は食べる必要もないか」

「整合騎士だって飲まず食わずでは天命が減るし、眠りもする。天命が自然減少しない以外は、お前たちと変わらない」

 

 反論する声にも力がなく、もはや投げやりに聞こえてしまう。死にもするんだ、だから殺してくれ、とでも言うように。

 

「なら何故食べない? 天命が減るぞ」

「食事が喉を通るのか? こんなところで」

 

 周りには死体。半壊した地下室には食肉として解体されたオーク。確かに食欲を誘うような場ではないだろう。わたしだって少し時間が経って落ち着けてから空腹を覚えた。

 

「生憎、死体はもう見慣れている」

 

 そう言ってアーウィンは火で炙っただけのイモを食べた。村の倉庫から引っ張り出してきたものだ。干し肉もあったけど、何の肉なのかは分かり切っているから手を出す気にはなれなかった。

 

「君だって異界戦争で死体は散々見てきたはずだろう?」

「戦争では山脈の警護にあたっていた。前線には出ていない」

「そうか……、戦時中の公理教会も一枚岩ではなかったようだな。最高司祭が死んで混乱していたんだろう」

「何故それを――」

 

 そこでようやく、ユーリィの声に力が戻った。

 

「私の師が術で偵察していたんだ。術師ほどではなないが、暗黒騎士だって術の心得はある」

「戦前から、我らは盤石ではなかったのだな」

 

 自虐気味に笑うユーリィだけど、同調の笑みを誰も零さないだけに尚更虚しさが漂う。

 

「私は裁かれるのだろうか?」

 

 がらんどうにユーリィは呟いた。縋るような彼女の瞳に、アーウィンは口にイモを詰めながら冷たく答える。

 

「私たちが知るはずないだろう。はぐれ者なんだからな」

「なら私はどうしたらいい? どうすれば村人たちに償えるのだ?」

「人界の央都に帰って懺悔するがいいさ。そうすればお望み通り、代表剣士殿が君に罰を与えてくれる」

「それで、私は赦されるだろうか?」

「だから知らんよ」

 

 ユーリィの視線がわたしへと移った。わたしに一体どんな答えを期待しているというのか。食われていたオーク達と似た立場として、被害者としてどう償ってほしいか答えを持ち合わせているとでも。

 

「罰も償いも意味なんて無い」

 

 唐突に横から入ってきたのはセツナの声。完全に不意打ちだったから、わたしもユーリィも何も返せなかった。セツナは更に続ける。

 

「罪を埋め合わせるために何をしたところで、犯したことが消えるわけじゃない。償いと何かして赦されたと感じたとしても、それはただの勘違いだ」

 

 ユーリィは息を呑む。

 

「それにあんたのしようとしてることは償いじゃない。自分のすべきことを他人に決めさせて責任を丸投げしているだけだ」

「知ったふうなことを!」

 

 沸々とした怒りに身を任せて、ユーリィは槍の切っ先をセツナに向けた。咄嗟にアーウィンも剣を抜きセツナの前に立つ。まるで守護者だ。王または神に忠誠を誓った騎士。当のセツナが丸腰な姿勢を崩さないから尚更そう見えてしまう。

 

「貴様が償いを語るのか。この神をも恐れぬ殺人者が!」

 

 「神は死んだそうだ」とアーウィンが代わりに答える。

 

「成すべき事は神に求めず己で考えよという意味らしい」

「ならそいつは何をもって償いとするのだ! そいつの言っていることはただの開き直りだ。裁きが免れないのなら何をしようと構わないと言っているようなものだ!」

「そりゃ、セツナは裁く側だからね。たとえ殺したとしても彼はそれ以上の者たちを救うのだから」

「何なんだこの男は! 一体何者だというのだ!」

 

 「ベクタの迷子だ」と言い飽きたとばかりにセツナは答えた。「違うよ」とアーウィンが訂正する。

 

「神だよ。旧い神が死んだこの世界を正すために遣わされたのさ」

 

 逡巡がふたりの間を駆け抜けていくようだった。ユーリィの眼差しがアーウィンとセツナへ交互に向けられていく。訳が分からない。表情からその言葉がすぐ理解できた。

 

「その男が神?」

「ああそうだ。ある意味で、彼を神として擁立することが私の償いなんだよ」

 

 アーウィンの口から語られる罪と償いの弁を遮る者はこの場にはいなかった。

 

「私は師から意志を受け継いだ。だがそれを果たすどころか踏みにじられる不条理がこの世界には多すぎて、私ではどうすることもできなかった。知りながら何もできなかったのは私の罪だ。でもセツナなら私に成せないことを成せる。彼ならこの世界に1撃を与えられるんだ。民衆の目を覚ます1撃をね」

 

 傍から見れば随分な心酔ぶりだが、アーウィンの目に狂気じみたものはない。彼女は正気だ。正常に働く頭でじっくり思考した後に、この結論へと達したに違いない。

 

「だから私たちの邪魔をしないでもらう。救済への道はまだ遠いんだ」

「救済……、それが奴の償いなのか?」

 

 「償いに意味はない」とセツナは再度言う。

 

「俺は何故俺がここにいるのか、知るまでには死ねない。そこら辺の死体はその邪魔をしたから殺した」

「何て身勝手な……!」

「そいつらも身勝手に他人を殺し食った。同情なんてない」

 

 深いため息をついて、ユーリィは黙った。言いたいことは喉元まで出掛かっていたのかもしれないが、もはや何を言っても無駄と諦めたのかもしれない。

 

「君は?」

 

 ユーリィが問いを向けたのがわたしと気付くのに数瞬遅れた。完全にわたしは話題の外にいたから。

 

「君は何でこの者たちと一緒にいるのだ?」

 わたしはアーウィンとセツナへ視線を向ける。ふたりは何も言わなかった。セツナはほぼ無関心といった顔で、アーウィンは好きに言えばいい、と何も強制してこない。

 

 だからわたしはありのままに言った。成り行きではあるけど、どうしてこのふたりと共に居るのかを。

 

「正しい場所に行くため」

「正しい場所? それはどこに?」

 

 ユーリィが訊く。「さあな」と無骨に答えたのはセツナだった。

 

「行ったら分かるかもしれない」

 

 

   3

 

 扉を開けると、溢れてくるのはたくさんの笑い声だった。人だろうと亜人だろうと関係なく、澱みや皮肉のない笑顔がそこにある。オブシディアへの長い帰路を経たわたし達に気付くと、子どもたちは乳歯の抜けた歯並びを恥ずかしげもなく見せながら寄ってくる。

 

 アーウィンは大人気だ。次々と子ども達を軽々と抱き上げたり、肩車をしたり。降ろされたらもっと、とぐずりだす子もいる。中にはアーウィンの豊かな胸に小さな手を沈める子も。

 

 わたしは大部屋の隅に目をやる。以前来た時と同じように、彼女はそこに座ったまま。わたし達という来客に他の子たちが騒いでいる様子に気付かず虚空を見つめている。

 

 細い枯れ木のような手足も伸ばし放題の髪もそのままだ。まるで使い古された人形みたい。散々遊ばれた挙句、飽きられたら無慈悲に捨てられ後は朽ちていくまま。

 

「あの――」

 

 近くで子どもの服を着替えさせていた職員に聞いた倉庫へ目的の物を取りに行き、大部屋に戻ってくると子ども達の興味はわたしの手にある物に集中する。

 

 「何それ?」と舌足らずに言いながら寄ってくる子たちが足元にしがみ付いてくる。曖昧に下手な笑顔を返すと、わたしは喧騒を意識から追いやりバイオリンを奏でた。

 

 わたしの手にある木から出た音色に驚いてか、あれほど騒がしかった子ども達の声が一斉に止んだ。本当にこの楽器は不思議だ。音を出すと皆を立ち止まらせ振り向かせる。絶世の美女みたいだ。ありとあらゆる人々を魅了し虜にさせ、時に不幸へと突き落とす。

 

 でも不幸に陥るのは、邪な心と肉欲に溺れた者だけだ。美しさがそこにあることだけを望み、それ以上を望まない純粋な者が幸福を得られる。

 

 そんな存在が、果たしてあるだろうか。無い、とわたしは知っている。そんなものはまやかしでしかない、と。だからバイオリンを弾くのだろう。せめて音楽だけは美しく在れ、と。邪な者には分からない、純粋な者のみが美しいと理解できる産物であってほしい、と。

 

 ちらりと目をやると、部屋の隅であの少女が頭を揺らしていた。ずっと半開きだった口元から歯が覗いている。笑っていた。そう、彼女が笑ったのだ。

 

 この事実を知っているのはわたしだけだった。施設の職員も、他の子たちも、アーウィンも気付いていない。わたしと彼女自身と、そしてバイオリンだけが知っていたこと。

 

 演奏を終えると、子ども達は不思議な音を出す楽器に触れようと群がってくる。それを制止するのに職員もアーウィンも大忙しだった。すぐわたしが布に包んでその姿を隠すと、子ども達はすぐに別のものへ興味を移す。子どもの好奇心もまた忙しい。

 

 隅の彼女は、元通り虚ろに座っているままだった。また弾けば笑ってくれるかな。そんな淡い期待を胸の奥に秘めながら、わたしの視界に入り込んできたのは子ども達と遊んでいる、というより遊ばれているユーリィの姿だった。

 

「君にあんな特技があったとは驚いた」

 

 褒めてもらえるのは素直に嬉しいのだけど、マントにぶら下がられたり肩によじ登られ髪を引かれたりしているその出で立ちに思わず訊いてしまう。

 

「大丈夫?」

「何がだ?」

「いや、その――」

 

 どう言ったら良いのか迷っていると、横からアーウィンが皮肉を飛ばす。

 

「整合騎士様も子どもの扱いは慣れないかな?」

「馬鹿なことを。子どもを抱いたことくらいはある」

「なら抱いてやったらいい? その子たちも騎士様に抱っこしてもらいたいみたいだよ」

 

 気に障ったらしく、唇を引き結んだユーリィは髪をいじっている少年の首根っこを掴んで目の前に掲げてみせる。

 

「日頃から鍛錬を積んでいるのだ。子どものひとりやふたりくらい軽い」

「それは抱いているとは言わないよ」

 

 呆れ顔をしながら、アーウィンはユーリィの手から子どもを引き取って抱きかかえる。

 

「こうして優しく、持ち上げるんじゃなくて腕に乗せるように抱くんだ」

 

 「ほら――」とアーウィンが腕の中の少年を返そうとしたのだが、

 

「よせ!」

 

 まるで汚いものでも寄せられたように、ユーリィは鋼で包まれた手で振り払った。突然の大声に驚いてか、少年が泣き出してしまった。慌ててアーウィンが身体を揺すり、背中を撫でてあやす。

 

 目を背けたユーリィはマントを翻し、しがみ付いていた子が振り落とされるのも構わず足早に部屋を出ていった。

 

「まあ、あんな固い鎧に抱かれたとしてもこの子は泣いていたかもね」

 

 皮肉を零すアーウィンの胸に抱かれて、少年は幾分か落ち着いたらしい。それでも泣き過ぎてしゃっくりを起こしているのだが。

 

 わたしには気にかかるものがあった。手を振り払ったときのユーリィの顔。あれがどうしても、汚物を見るものには思えなかった。何か別の、彼女の心の奥深くにまで踏み込んだような――。

 

 気付けばわたしはユーリィを追っていた。この好奇心の先に何があるのかなど、考えもせず。ここにいる子ども達のように、思い立ったらという衝動に身を任せ彼女を追いかけた。

 

 でも探す必要はなかった。大部屋を出てすぐの、中庭にある長椅子のもとに彼女はいた。長椅子には既に先客のセツナが腰掛けていて、トルソ村から持ち帰ってきた大振りな剣を布で磨いている。身の丈ほどもあって、艶のない刀身はまるで鉄の塊みたいだった。

 

「済まなかった」

 

 そうユーリィがか細い声で言ってようやく存在に気付いたのか、セツナは彼女を見上げる。

 

「何のことだ?」

「それは………、お前があの子らのために手を汚していたと――」

「それは違う。俺はただアーウィンに言われるまま殺していただけだ」

 

 セツナは首元を見せる。飾り気のない首輪だけど、それは常に彼の天命を文字通り縛っている。

 

「それは?」

「術を唱えればこれが爆発する仕組みらしい。俺だっていつ死んでもおかしくない」

 

 驚いたような、でもどこか納得したような表情をユーリィは浮かべていた。この男は首輪をして手綱を握っておかなければ、いつ牙を剥くか分かったものじゃない。その危険意識は共通しているらしい。

 

「確かにお前には必要かもしれないが、使えるのかそれは?」

「どういうことだ?」

「ダークテリトリーでも殺人は禁忌なはずだ。彼女はお前のように殺すことはできないんだろう?」

「じゃあ、これはダミーなのか?」

「ダミー?」

「偽物かもしれないってことだ」

 

 ユーリィはセツナにじっと視線を注ぐ。彼女も気付いたようだ。あの男の話し方が、わたし達とは微妙に異なることを。

 

「ますますお前のことが分からない。代表剣士殿と副代表剣士殿も、お前のように古代神聖語をよく使っていた」

「そのリアルワールドというはどこにある?」

「分からん。騎士や司祭たちは天界のことではないかと噂している。副代表剣士殿はあまりの美しさにステイシア神の生まれ変わりと信じる者もいるんだ」

「天界とは、神の国とかそういう類の場所か」

「ああ、この世界を創造した神々の住まう世界だ」

「なら俺もその天界から降りてきた神か?」

「ふざけるな。貴様のような神がいてたまるか」

 

 死神が何故法や禁忌に縛られることなく殺人を犯せたのか。伝説化された後世で、その問いに大半の者はこう答えている。

 

 天界からやってきたから。

 

 高位の存在たる天界から降りてきた神なのだから、この世界の法に縛られるわけがない。死神が従うべきは天界の秩序であり、殺めた者たちの末路は天界で決められた事なのだ、と。

 

 神だから。その理由は実に便利だ。どんな奇跡の所業も、法から逸脱した行為でもそのひと言で片付いてしまうのだから。

 

 「ふう」という溜め息にわたしが振り向くと、アーウィンが部屋から出てきたところだった。子ども達の相手で少し疲れたのか首を揉んでいる。

 

「済まなかった」

 

 罰が悪そうにユーリィが言った。アーウィンはかぶりを振り、

 

「あの子のことならいい。無理強いした私にも非はある」

「そうじゃない。その……、君たちのことを誤解していた」

「誤解?」

「賊だと思っていたが、君たちにも事情があったのだな」

「そうか。その気付きを統一会議に持ち帰ってくれたら嬉しいね」

「でも」

 

 ユーリィの口調が険しくなった。いかにも騎士然とした声で彼女は言う。

 

「君たちのことを認めるわけにはいかない。いかなる理由があろうと殺人は赦されざる行為だ」

「ならどうする?」

「私も君たちと同行する」

 

 その言葉にアーウィンは「ほう」とだけ返し、セツナの方は無関心とばかりに剣の手入れを続けている。この男の場合、鬱陶しければ殺せばいいとか考えていそうだが。

 

「君たちが罪を犯そうならば私が阻止する。たとえ騎士の資格がなくても、それが私の使命だ」

 

 宣言する整合騎士をアーウィンは見据える。かつては自身も同じ騎士だったという親近感からだろうか。向けられた想いを否定することなく、彼女の答えは「分かった」だった。

 

「どうしてもセツナを赦せないのなら止めればいい。私が君を止める。君にとって自分の行いが絶対的に正しいと思うのなら迷うことなく――」

 

 そう、アーウィンも同じ騎士だったのだ。かつて抱いていた志や覚悟というものは、騎士団を去った後も彼女の裡に脈打っている。

 

「その時は私を殺せ」

 

 言葉の重みに、わたしは背筋に寒気が走るのを覚えた。いくら整合騎士でも天命の全損はできないとか、そんな不遜なことをアーウィンは考えないだろう。

 

 彼女には覚悟がある。ユーリィも同じく。わたしには何の覚悟もない。貫く想いというものがないのだから、当然ではあったのだけど。

 

「早速だが、次の目的地について私から提案させてもらう」

 

 新参者に場を仕切られたことに特に不満もないらしく、アーウィンは「ああ」と頷く。

 

「私としては、ナミエを人界の故郷に返すべきと考える」

「わたし、自分がどこで生まれたのか知らない」

「人界の教会はどこだろうと身寄りのない子どもの面倒を見てくれる。そこで厄介になりながら探していけばいい」

 

 ちらりとユーリィはアーウィンへと視線をくべながら、

 

「少なくとも君はここにいるべき人間じゃない。人界で生まれたのなら、そこが君の居るべき正しい場所だ」

 

 「それに」と今度はセツナへと向く。

 

「その男が何者か、代表剣士殿に会わせてはっきりさせたい」

 

 「だそうだが、どうする?」とアーウィンが当人に訊いた。セツナは剣を磨く手を止める。その目はいつも通り無表情なのだけど、やはりどこかで自身の過去を知りたいという想いがあったのか、少しばかり揺れ動いた気がした。

 

 「ああ」とセツナは言った。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど15


キリト=キ
アスナ=ア
クライン=ク


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「今回はゲストが来てくれたわよ。どうぞ!」

ク「よう! 原作じゃキリトの兄貴分、愛の武士クラインでーす!」

キ「ようクライン、来ちゃったんだな………」

ア「クラインさん大丈夫ですか? 何か顔色悪いですけど」

ク「おうアスナ、心配ご無用だぜ。ちょっと本編とこのコーナーがやべえと聞いてただけだからよ。こんなもん武者震いだ」

キ「クライン、あんまり無理はするなよ」

ク「キリの字……、出番は欲しいがこんな登場はしたくなかった………!」

キ「耐えてくれ………!」

ア「もうふたりともしっかりしてよ。今回晴れてパーティメンバーが増えたんだから」

キ「ああ、そうだな。仲間って言えるかはともかくとして」

ク「にしてもこれの主人公、セツナだっけか。こいつの周りも女の子だらけだな。ナミエにアーウィンに今度はユーリィなんてよ」

キ「前回最後にアスナが本作はハーレムものなんて言ってただけに、このパーティは最初から決まっていたみたいだ」

ク「羨ましい、ていつもは言う所なんだが、セツナに関しちゃあんまり羨ましくねーな」

キ「うん、俺も………」

ア「えー何よふたりとも。美女たちを揃えているのに贅沢ねえ」

ク「いやでもよお、こいつら一触即発じゃねえか」

キ「確かに。関係性が複雑すぎるよな」

ア「セツナを神呼ばわりし始めたアーウィンに、セツナを悪人と断じるユーリィ。セツナを巡っていつおっぱじめるがわかったもんじゃないわね!」

ク「ないわね! じゃねーよこんなラブコメどこに需要あんだ!」

ア「乙女にとって恋とは戦いなのよ。わたしだって愛人たちと水面下で常にバトってるんだから。本作はそこを突き詰めた構成なのよ」

キ「どこ突き詰めてんだ!」

ア「作者曰く最初はお固く主人公の英雄譚として構想していたのよ。ただそれでプロット組んでいくうちに何か味気ないことに気付いたから、エンタメ性を重視してハーレム要素を入れる事にしたのよ」

ク「英雄色を好むっていうもんな………」

ア「流石クラインさん、分かってるわね!」

ク「いや分かりたくねえけどよ。何かラブコメなのに嫌な予感するのどっかで見た事あるような………」

キ「奇遇だな。俺も同じ事思ってたんだ。何かヒロイン同士殺し合いでもしそうな………」

ク「そのヒロイン同士が取りあう主人公がものすげークズなような………」

キ「それって………」

ア「スクールデイズね」

ク「それだー‼」

キ「ヤバい! とんでもない結末になる!」

ア「大丈夫よ作者はハッピーエンド保証してるから」

キ「こんな信用できないハッピーエンドがあるか!」

ア「長く付き合ってくれた読者さんに嫌な想いはさせない、て作者は始める前から決めていたんだから」

ク「収集つかねーだろこれ! どこをどう転んだらハッピーエンドになんだ!」

ア「さあ次回からはいよいよ人界編。セツナハーレムの行く末やいかに!」

ク「おい俺の出番ツッコミだけか!」


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第16幕 ファーゼスト・マウンテン

武器物語(ウェポンストーリー)

鉄塊剣(てっかいけん)

世界で最も巨大と称されたこの大剣は歴戦の猛者たちによって振るわれてきた。
巨大な鋼は時代を越え、世界を越えて血錆の赤を増していった。

一人目の猛者は竜と契約した王子だった。
二人目の猛者は「死」を失った騎士だった。
三人目の猛者は花を咲かせたウタヒメだった。
四人目の猛者は白の書を携えた人モドキだった。
五人目の猛者は己の心を殺し続けた機械人形だった。




 

   1

 

 オブシディアから人界には1本の道で繋がっている。街道なんて整備されてなくただ荒野が広がっているばかりだが、人界への旅路を往く馬車や旅団が自然と一列に並ぶ。人々が荒野に転がる石や岩を退けていくうちに、一筋の道が形作られたのだ。

 

 《東の大門》が開かれて10年――更に述べればこの手記を書いている頃の20年、この人の列が途絶えたことはないらしい。大半が人界を目指す観光客や物資の輸出に勤しむ交易商だ。

 

 反対に人界から暗黒界に出る者は著しく少ないという。人界から来るのは食糧を積んだ公理教会のお役人たちくらいだ。わざわざ豊かな地から痩せた地に出る理由はない。人界で居場所を失わない限りは。

 

 どれほど時間が経とうが、暗黒界の民にとって人界が新天地という認識は薄れることがない。歴史の開闢から長くそこへ至ることが悲願とされていたのだ。たとえ用がなくても、暗黒界人ならば無条件に人界へ行きたいという願望を抱く。

 

「全ての道はローマに通ず、というものか」

 

 馬車の中でアーウィンから交流事情を聞いたセツナが放ったのは、そのひと言だった。どういう意味なのかわたしは分からなかった。きっとアーウィンとユーリィもだろう。それを察したらしく、セツナはそれ以上何も言わなかった。

 

 人界に行くにも手順が必要だ。オブシディア城の五族会議に往来の届出をしなくてはならない。名前、人数、入界目的、滞在予定日数を事細かく。その上でイスカーン総司令の署名を受け取ることで、晴れて東の大門を渡ることができる。その手続きだけでも1カ月は掛かるらしい。あまりにも申請が多すぎて処理が追いつかないのだとか。

 

 五族会議の承認を得ていない非合法支援団体のアーウィンを筆頭に、およそ善良な民間人とは言えないわたし達。申請を出しても許可が下りなさそうなこの集団がこうして馬車に乗り人界へ続く列に並ぶことができた理由はいたって単純。人界行きの旅団にいくらか払って馬車に乗せてもらっただけ。

 

 理由は訊かず自分たちを乗せてほしい。

 

 アーウィンがそう言って更に金額を上乗せすると、旅団の長らしき男は「乗りな」とだけ無愛想に言った。

 

 とはいえわたし達にあてがわれたのは貨物馬車だ。綿の詰まった革張りの椅子なんてなく、板張りの床に座り尻の痛みをどうやり過ごすかを考えなくてはならない。

 

 まっとうな道程でも旅は長い。何度か人界へ行ったことがあるという旅団のひとりに訊いたら、オブシディアから東の大門へ辿り着くまで早くても一週間は掛かるらしい。馬車を全速力で走らせたら短縮できるが、生憎道は行列で埋まっている。亀のようにのっそりと進むしかないのだ。

 

「これでも交易が解禁された当初よりはましだよ。その頃は皆こぞって人界へ行きたがってたから、道が渋滞して3日間立ち往生なんてこともあったらしいからね」

 

 とアーウィンは笑いながら言っていた。「そんなにか?」と訝しむユーリィに「整合騎士様には飛竜という特権があるものな」と皮肉を飛ばしていたが。

 

「そもそも、君は何故機竜なんてものに乗っていたんだ?」

「私の相棒だった飛竜の天命が尽きてな。代表剣士殿が性能検査も兼ねてほしいとあれを寄越したのだが………」

「とんだ(なまくら)だったわけだ」

「壊したのは貴様らだろう」

 

 ユーリィの半ば怒気を含んだ声に、流石のアーウィンも言い訳のしようがないらしく曖昧に笑いながら頬を掻いた。

 

 水と油のようなこのふたりが一緒に過ごしてもう5日経とうとしている。今にもユーリィが背負った槍に手をかけそうな殺伐さは薄れる気配がなかった。不安と尻の痛みの誤魔化しになるかは疑問ながら窓の外へ目をやる。

 

 目を細めなければ見えないほど遠くで梯子のようなものが横たわっている。とても長い。先が見えないほどだった。

 

「線路か。もう東の大門は近いな」

 

 わたしの背後から窓を見たユーリィが何の気なしに言った。「線路?」とわたしは訊いた。

 

「あの上に機関車というものを走らせるらしい。完成すれば、飛竜ほど速くはないが多くの物資や人を運ぶことができるみたいだ」

「その機関車って、どんなものなの?」

「巨大な荷台らしいが、どんな仕組みで走るのか私も代表剣士殿から話を聞いても全く理解できなかった。あの方のしようとしている事は我々の想像を遥かに越える」

 

 例えば、もし多くの食糧を一度に運ぶことができれば、支援の行き届いていない集落の人々の飢えを満たせるのかもしれない。満たされれば、この荒涼とした地の各地で起こっった――もしくは今も起きている――悲劇を防げたのかもしれない。

 

 少なくとも、村民を食らうなんて狂気は起こらなかったはず。

 

「人界にこちらの民を何割か受け入れてくれれば、あんなもの造る必要もないだろうに。人界はまだ土地に余裕はあるんだろう」

 

 アーウィンが棘のある声音で呟いた。そう、食糧支援は有難いことだが、移住者を受け入れてしまえば解決する事もある。人界側にとっても線路のような新規事業を始めるのなら、移住者を労働力として雇用できるのだから。

 

 「仕方がない」とユーリィがかぶりを振った。

 

「人界もまだ未開の地が多い。おいそれとそちらから移住者を受け入れたところで、住まわせる土地がないのだ」

「機竜やら機関車とやらを作っている暇があるなら、土地を開いて畑を耕すべきだろう」

「移住者を受け入れれば、移住できなかった者たちとの格差が生まれてしまう。そうなればまた戦争の火種になると代表剣士殿はお考えだ」

「暗黒界の民は永遠にこの地に留まれという事か」

「そうじゃない。代表剣士殿が機竜の開発を急ぐのは《終わりの壁》を越えるためだ」

 

 アーウィンもわたしも「は?」と思わず同時に声をあげた。終わりの壁。人界を囲む暗黒を、更に囲んでいるようにそびえ立つ絶壁のことだ。孤児院にあった絵本におとぎ話として書いてあった。その壁は頂が見えないほど高く、またとても硬く傷ひとつ付けられないから穴や階段を掘ることもできない。だから数百年もの間、誰ひとりとして壁を越えた者はいない。闇神として君臨していたベクタでさえも。

 

 だからそこは世界の果てとされている。壁が世界の終わり。だから《終わりの壁》と呼ばれている。

 

 文字通り前人未踏の地への挑戦だ。成功すれば未来永劫、歴史に名を刻む。まだ顔も見たことのない代表剣士の志に、アーウィンは乾いた笑い声をあげた。

 

「よほど探求心が強いとみえるな。両世界の問題解決よりも冒険が優先とは」

「違う。終わりの壁の先にあるとされる地を亜人たちに国として与えようと――」

「建前などいくらでも後付けできるさ。ベクタを討った代表剣士は事実上暗黒界も支配したようなもの。ならば次の侵攻先は終わりの壁の先ということだ」

「我らがまた戦争を起こすと言いたいのか?」

「整合騎士なんてものを未だに残しているのが証左だよ。戦後に整合騎士団の規模は縮小するどころか数を増やしているようだしね。次の戦いに備えていると勘繰るのは自然なことさ」

「貴様!」

 

 顔を真っ赤にしたユーリィが槍を掴んだ。ただでさえ狭い馬車の中なのに、長物なんて振り回されたらたまったものじゃない。それなのにアーウィンも頭に血が上ったのか止めるどころか抜刀して構えだした。

 

「ちょっと、止めてよ」

 

 わたしは隅でふんぞり返るセツナに言ったのだけど、返ってきたのは「俺を巻き込むな」というものだった。普段無表情な彼も、この時ばかりは面倒臭いという顔を隠さなかった。

 

「あのー!」

 

 そんな声が馬車の中に飛び込んできたのは、アーウィンとユーリィが武器を振り上げる寸前での時だった。窓から顔を出した肌が白く恰幅のいい中年女性は強気な声で早口に言う。

 

「随分と難しい話してたみたいだけど、外まで丸聞こえだよ。長旅で苛ついてるからってそんな物騒なもん振り回してんじゃないの。御者さんが怖がってるじゃないか」

 

 肝が大きそうなおばさんに言われたふたりは大きく肩を落とし、それぞれの武器を仕舞った。

 

「まあいい。貴様も代表剣士殿に会わせてやる。彼の考えを直接聞けばいい」

「話の分かる者だと良いけどね」

 

 それぞれ皮肉を飛ばし合いながらも一旦休戦に落ち着いたところで、おばさんは顔のしわが深まるのも構わず笑顔を浮かべた。

 

「さ、そろそろお腹も空いてきた頃だろ。央都名物のハンバーガー。イモの素揚げと飲み物付きで50シアだ。あ、ベックでもいいよ」

 

 と籠の蓋を開けて中身を見せてくる。サンドイッチとは違う、丸いパンに肉や葉物野菜を挟んだ食べ物だった。とても香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。道中での食糧は固パンに干しイモと乾きものばかりだったから、水気を含んだものを舌が欲していた。

 

 「美味しそうだね」と籠を覗き込むアーウィンも、食欲を刺激されたらしい。

 

「わざわざ売りに出ているのか?」

「ああ。ダークテリトリーの人たちは人界の食べ物とあれば喜んで買ってくれるからね」

「どれも味は絶品だからね。4つ貰おうか」

「まいど」

「ひとつ20ベックにまけてくれないかな?」

「それはできないよ」

「だろうね」

 

 硬貨を受け取ると、売り子のおばさんは4人分の包紙をアーウィンに渡して後ろの馬車へと足早に歩いていった。なるほど、店でお客を待つんじゃなくて自らお客のもとへ足を運ぶ。上手くできた商売だ。さっき言っていたように暗黒界人なら誰もが肥沃な地で育てられた人界のものを食べたがる。

 

 手に取ってみると収まりきらないほど大きかった。イモの素揚げも結構な量がある。食べきれるか不安になりながらもひと口かじると、挟まれた肉から溢れる汁が甘辛いソースと混ざり合い喉を伝った。

 

「美味しい………」

 

 思わず出たひと言に「うん、美味いな」とアーウィンが応じる。

 

肉はしばらく食べる気がしなかったけど、空腹となるとどうしても美味に感じられるものだ。嫌なことを思い出しても味が変わることはなく、わたしはすぐにハンバーガーなるものを平らげてしまった。

 

 イモの素揚げも、少しふやけているが振られた塩が丁度良い塩梅になっている。口の中の油を流そうと、皮水筒に注がれた飲み物をひと口含む。咥内に流れた瞬間、無数の針で舌を小突かれたような刺激と匂いに思わずむせ返ってしまった。

 

「何これ?」

 

 わたしの反応を不思議そうに見ていたアーウィンも飲み物を口に含むと、むせ返りはしなくても顔をしかめた。

 

「何だこの味は? それに何か、舌が痺れる。おいユーリィ知っているか?」

 

 問いを投げられたユーリィも咳き込みながら何とか答えようとしている。

 

「これは確か……、代表剣士殿の故郷の味だとかいう………」

 

 身体が異物とみなしたのか、ユーリィはごほごほと激しく咳き込んだ。唯一涼しい顔で飲んでいるセツナが、ひと言だけ発した。

 

「コーラだな」

 

 「そう、そんな名前だった」とユーリィがまだ喉を唸らせながら言った。

 

「飲んだことがあるのか?」

 

 アーウィンが訊いた。味を知っているということは、益々セツナが人界代表剣士と同郷という仮説も現実味を帯びてくる。

 

「分からない。ただこの味は知っている」

 

 確かめるようにセツナはコーラを顔色ひとつ変えずに飲んだ。ハンバーガーの食べ方も、彼はまるで馴染み深いもののように食べている。

 

 リアルワールド。人界代表剣士と副代表剣士の国とされている場所。セツナもそこから来たのだろうか。

 

 一体何のために。

 

 記憶を抜かれて。

 

 

   2

 

 人界と暗黒界の交易が始まってから、玄関口である東の大門には関所が建設された。要は入界許可証を持っているかを確認し不法入界を防ぐための施設なのだけど、人界人と暗黒界人が行き交うのに目を付けて様々な商人が店を出す複合施設になっている。

 

 料理に服に工芸品。現地に行かなくても土産物はここで全て買えてしまう。1日で全ての店を回ることは到底できず、それも見越してか宿屋まで充実している。その喧騒はひとつの建物なんてものでは収まらず、さながら街というべきだ。

 

 今は客引きや談笑の声が行き交うこの地で、かつて咆哮や断末魔に満ちていたことを人々は忘れてしまったように見えた。10年前にここは戦場だった。門の崩壊と同時に暗黒界側が侵攻し、人界側はそれを死守した。両陣営ともに多大な犠牲を出した悲劇は、今や巨大な箱型の建物で隠されている。

 

 まるで大地から漂う死臭に蓋をしているみたいだ。

 

 はあ、とわたしは深く溜め息をつく。平和になった証拠なのに、素直にそれを享受できない自分がひどく歪な人間に思えてしまう。まっとうな人生を送っていないことは、自覚できているけど。

 

「どういうことだ?」

 

 人が多い中、受付で荒ぶるユーリィの声はよく通った。対応している職員の男は呆れた口調を隠さない。

 

「許可証が無いんじゃ入界させるわけにはいかない。たまにいるんだよ。手続きを知らずに気まぐれで門を越えようとする輩が」

「私は整合騎士だぞ。公理教会人界統一会議整合騎士団所属ユーリィ・シンセシス・トゥエニワン」

 

 長い所属を噛まずに述べるとユーリィは肩にあるマントの留め具を突き出し、

 

「これを見ろ、貴様は統一会議の紋章を知らないのか?」

 

 職員は眉を潜めながら留め具にあしらわれた紋章を一瞥し「よくできた偽物だな」と言い放つ。

 

「本物の騎士様なら飛竜でひとっ飛びできるだろ」

「任務先で機竜が故障したのだ。だからこうして陸路で帰還すべく――」

「はいはい分かった分かった。とにかく人界に行きたいならオブシディアで入界申請書を提出して、申請通ったらまた来て」

 

 人界最強の騎士団に所属している立場上、こんなぞんざいな扱いを受けたことがなかっただろう。ひどく立腹した様子のユーリィは槍を抜いた。

 

「そうか信じられんか。なら完全武装支配術を見せたら騎士の証明になるか?」

 

 「システム・コール――」と詠唱を始めるが、それは背後から頭に手刀を見舞われたことで阻止された。金属鎧の手刀を繰り出したアーウィンは頭を抱えたユーリィの首根っこを掴む。

 

「済まない。迷惑をかけた」

 

 それだけ言って受付卓から引き離すと、長椅子で待つわたしとセツナのもとへと引き摺ってくる。ようやく解放されたユーリィの第一声は「何をする!」だった。アーウィンは「落ち着け」となだめつつ、

 

「あそこで暴れて怪我人でも出してみろ。君が罪人として連行されるぞ。ああ、でもそれなら手続きなしで簡単に央都へ行けるか」

「貴様どこまで私を愚弄すれば気が済むのだ!」

 

 整合騎士は老化を止められているらしいけど、そうなると精神の成長も止まるのだろうか。口に出したら間違いなく怒らせそうなことを思いつつ、わたしはユーリィの怒りを遮るように口を挟んだ。

 

「でもどうするの? 戻って申請が通るまで待つ?」

「いや大丈夫だ」

 

 短く言って出口へ向かう彼女をわたし達は追いかけた。広い玄関口には入界審査を待ちわびる行列が地平線まで伸びている。わたし達もあの列を辿ってきたのだと思うと不思議と感慨深い。

 

 関所のすぐ隣には酒場が併設されている。順番を待つ間、ここで酒を飲んで暇を潰すのだとか。両世界の連絡口というだけあって様々な客が来て繁盛しているらしく、外からでも賑わいが聞こえてくる。

 

 その酒場の入口に立っていた全身毛で覆われた亜人が、アーウィンに気付くと大股な足取りで近付いてきた。

 

「お待ちしておりました、将軍」

「将軍はよしてくれ」

 

 人間の身体に狼の頭を乗せた容貌は、確かオーガ族だったか。オーガの、多分青年はわたし達ひとりひとりに視線をゆっくりと這わせていく。セツナを見たとき、突き出した鼻に深くしわが寄った気がした。獣の嗅覚じみたものが、彼の異端さを嗅ぎ取ったのだろうか。

 

 でも深く追求はせず、オーガはアーウィンに向き直る。

 

「数はこれでよろしいですか?」

「ああ、頼む」

 

 「おいどういうことだ!」と歩き出すふたりの背にユーリィが声を飛ばした。足を止めないままアーウィンは振り返り、

 

「こうなるだろうと思って、前もって頼んでおいた」

 

 皮肉たっぷりな言い方にユーリィの鼻息が荒くなるのを感じるも、早足で追いかけながらわたしは訊いた。

 

「どこに行くの?」

「詳しくは馬車で話す」

 

 しばらく歩いて馬車置き場に着くと、オーガは迷うことなく自身の馬車を見つけわたし達を荷台に促してくれた。旅団の貨物荷台よりは各段にましな布張りの椅子に深く腰を沈めると、ユーリィが訊いた。

 

「どこに向かっている?」

「果ての山脈。門が通れないなら山を越えるしかない」

「不可能だ。10年前にダークテリトリーと繋がる山道は全て塞いだ。山脈の警護にあたっていた私も漏れがないかくまなく調べたのだ」

「なら戦後も警護を続けておくべきだったな。東の大門が開かれたからといって、馬鹿正直に皆があそこを通るとは限らない」

「これじゃ密入界だろう!」

「人界に行くと言い出したのは君だ。こちらは手伝ってやったのだからもっと感謝してほしいね」

 

 背もたれに寄りかかり、ユーリィは天井を仰いだ。板の先、更に空の先で見下ろしている天界の神に懺悔しているように見えた。そんな整合騎士にアーウィンの皮肉は止まらない。

 

「整合騎士なら禁忌目録はいくらか免除されているんだろう?」

「整合騎士だからといって好き勝手やっていいわけではない。それに私は違反にならなくても貴様らは明らかな違反行為だ」

「お堅いことで」

 

 窓から顔を出すと、視界に収まり切らないほどの岩山がそびえ立っている。戦前は亜人たちがこの岩を掘って坑道を拓き人界へ攻め入ろうとしていたらしい。大抵は整合騎士によって阻止されていたそうだが、

 

 《終わりの壁》はこれよりも高いと言われている。想像なんてつかないけど、山脈を越えられる飛竜でも不可侵のものとなると、もはや雲や太陽よりも高いのではないだろうか。そうなると天界にまで伸びていそう。

 

 神のみぞ知る壁の先にあるもの。代表剣士が壁を越えようとするのは、ある意味で神への挑戦なのかもしれない。

 

 

   3

 

 馬車で壁を伝って2日で、ようやく坑道の入口らしきものに到着した。

 

「こちらです」

 

 オーガがそう手で指し示すのは、岩の切れ目にしか見えない隙間だった。人ひとりが何とか潜れそうなほどの大きさしかなくて、鎧を着ているユーリィは難しいかもしれない。

 

 「ありがとう」とアーウィンはオーガと握手をした。

 

「それでは、後は頼むよ」

「はっ」

 

 オーガの馬車を見送り、わたし達は岩の切れ目を潜っていく。案の定、ユーリィは鎧と槍が引っ掛かって四苦八苦していた。

 

「だから密入界はやめろと言ったのだ!」

「なら戻るか? 馬車は行ってしまったから徒歩で」

 

 アーウィンの嫌味が効いたのか、甲高い鎧の打ち鳴らす音を立てながら無理矢理ユーリィは身体を埋め込み、ようやく潜ることができた。

 

 足を踏み入れてみると、洞窟の中は外の乾いた空気と打って変わってとても湿っぽくひんやりしていた。背筋にも寒気がするのは、真っ暗闇でろくに視界が機能していないせいだろうか。

 

「システム・コール。リット・スモール・ロッド」

 

 アーウィンが式句を唱えると光が灯った。焚き火用の枝を触媒としたらしい。周囲を薄く照らす程度だけど、進むことはできる。

 

「さあ行こうか」

 

 灯りを持っているアーウィンを戦闘に岩の中を進んでいく。どこから沸いているのか、時折天井から背中に落ちてきた滴の冷たさが心臓に悪い。地面も湿っているものだから、気を抜いたら転んでしまいそうだ。

 

「こんな洞窟をいつの間に掘っていたんだ………」

 

 呆れ半分、といったようにユーリィが呟いた。入口こそ小さかったけど、道は結構余裕がある。もし敵と遭遇したとしても、何の支障もなく剣が振れるくらいに。

 

「こちらは数百年もの間、どうやって人界を攻めるか策を巡らせてきたんだ。これくらいのことはするし、崩されたくらいでは諦めんよ」

 

 アーウィンの言葉に、ユーリィも言い返す気はなかったらしい。豊かな実りと平和を謳歌している間、すぐ傍まで来ていた脅威を想像するとわたしも思わず鳥肌が立った。

 

「止まれ」

 

 不意にアーウィンが足を止めた。「何だ」と零すユーリィを「静かに」と小声で制す。異常事態と察してか素直に黙ったユーリィに倣って、わたしも口を固く結んだ。

 

 洞窟は静寂に包まれている。わたし達という侵入者なんて無視するばかりに。天井から落ちてくる滴と、岩の隙間から吹いてくる風の音だけが響く。

 

 風の音。いや、これは風の音だろうか。ユーリィも気付いたらしく目を剥く。そう、騎士だった彼女とアーウィンにとって、これは馴染み深い音だったのだ。

 

 腰の剣に手をかけたアーウィンは静かに告げた。

 

「飛竜の声だ」

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど16


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「今回はただ移動しているだけの回になったけど、本作オリジナルの設定がたくさん出てきたわね」

キ「ああ、人界とダークテリトリーの交易事情とかな」

ア「人界からダークテリトリーへの観光客がいないっていうのが、何だか生々しいわね」

キ「ダークテリトリー人にとって人界はずっと理想郷って言われてたけど、人界人からしたらダークテリトリーは地獄って言われてたからな。すき好んで観光に行く人は少数派なんだ」

ア「まあ行ったとしても荒れ地ばっかりで料理もゲテモノだものね」

キ「現地にとっちゃ貴重な食糧だよ………。まあ人界の食糧支援でダークテリトリーの食文化も進歩したんだ。冷蔵庫を発明してからは人界の料理店が海外出店みたいな感じでオブシディアでも店を出すようになったからな」

ア「本編でもハンバーガー売ってたのもそれなのね」

キ「そうそう。サンドイッチは元々アンダーワールドにあったんだけど、バンズとか肉をサンドするのは無かったみたいだ。裏設定だけど、アスナが試作してセントリアの店で出したら人気になったんだ」

ア「元からある料理に似ているのもあって流行りもあっという間だったってことね」

キ「原作のムーン・クレイドル編で魚の紙包み焼きっていう蒸し料理を作ってたけど、あれからもアンダーワールドの料理システムを研究して色んなものを世間に広めたんだ。カレーとかラーメンとかは特に流行ったな」

ア「タピオカも出したのよね」

キ「秒で消えたけどな」

ア「まあカエルの卵食べてるみたいで気持ち悪いって評判悪かったものね」

キ「それは子どもの頃見たカエルの産卵がトラウマになった作者の話だろ」

ア「キャラ達のリアクションから見るにコーラも流行りそうにないわね」

キ「おいおいそりゃないだろ。俺ずっと味見してたんだぞ。俺がこだわり抜いた味なのに」

ア「わたし達からすればお馴染みの味だけど、考えてみればコーラって変な味じゃない。甘くして誤魔化してるだけで」

キ「あの味の良さが分からないなんて人生損してるぞ!」

ア「そうは言っても本作のキリト君はタランチュラの卵が好きなゲテモノ好きって設定になってるんだから」

キ「結構前のおふらいんネタ持ってくるな!」

ア「そんなゲテモノ好きが作った飲み物が大衆ウケするわけないじゃない。劇中で何食わぬ顔で飲んでたのセツナだけよ」

キ「はあ、俺の味が分かったのはセツナだけか………」

ア「単に現実世界で飲んでただけに決まってるじゃない」

キ「え?」

ア「え?」

キ「いまとんでもないネタバレ言っちゃったよこの人⁉」

ア「何のこと?」

キ「セツナが現実世界から来たってサラっと言っちゃったじゃん!」

ア「そんなの序盤からもう読者さんは気付いてたわよ。禁忌目録破り放題で英語話しまくりそんでコーラ知ってるなんてもう俺現実から来ましたって自分から言ってるようなもんじゃない」

キ「そんでも謎にしておくもんだろ記憶喪失系主人公の醍醐味がなくなっちゃったよ」

ア「何か作者曰く、そろっと正体明かしたいんだけどあんまりストーリー進まないからこのコーナーで晒すのもありかなって思い始めてるみたいよ」

キ「やめろ! 書け続きを!」

ア「さあ、人界編始まると思いきやまさか今回は入れませんでした。次回こそ入れるでしょうか、それともまだ入れないでしょうか、こうご期待!」

キ「ちゃんと人界行くから待っててください!」



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第17幕 ジ・アジュディケイター

 

   1

 

 天井から落ちた滴が、わたしの頬に当たった。不意打ちの冷たさに思わず悲鳴をあげそうになったけど、何とかそれは堪えることができた。

 

 アーウィンが枝穂を折る。天命を、即ち神聖力を失った触媒から光が消えて暗闇へと転じる。視界を潰されると、凝らした耳に地鳴りにも似た唸り声がよく聞こえた。体勢でも変えたのか、何かが擦れるような音も。

 

 かつて相棒としていたアーウィンとユーリィにとって飛竜の気配とは親しみを覚えそうなものだけど、同時にふたりはその力の凄まじさを知っている。わたしも、一度だけだが遭遇したことで恐ろしさの一端を記憶に刻み込んでいるつもりだ。

 

 出来ることなら先に進みたくはないのだけど、後ろからユーリィの鎧の音が前へ前へと急かすように鳴っている。戦う術を持つ者と一緒にいるのは頼もしい半分、いささか肝が冷えてしまうものだ。

 

 もはや後退の選択はない。こんな暗闇にわたしひとりにされたら、野垂れ死ぬか魔獣の餌食の、どちらにしろ破滅しかないのだから。

 

 慎重に、足音を立てないよう――それでもやはりユーリィの鎧の音は隠しきれないが――進んでいく。視覚がない分他の感覚が研ぎ澄まされているせいか、開けた場所に出たというのが肌の感覚で分かった。上手く言葉にはできないが、空気が辺りに広がっていくような気がした。

 

「待っていた」

 

 その声にわたしは息を呑んだ。ぼう、と仄かな光が天井から降り注ぎ、地面にわたし達の影を映し出す。咄嗟に見上げると、疑似的な太陽が岩に張り付いていた。まるで熱した炭を練り固めたような赤い飛竜。

 

 飛竜が天井から降りてくる。相当な重量のある巨躯は着地と同時に洞窟内を揺らすものだから、ぱらぱらと天井から小石が振ってくる。後になって思えば、よく崩落しなかったものだ。

 

「そう身構えなくともよい。お主らと戦うつもりはない」

 

 前に遭遇した時と同じ声だった。男とも女ともとれる。穏やかな声音ではあったけど、巨躯から抑えきれない圧というべきものに皆は武器を収めようとはしない。

 

「飛竜が……喋った?」

 

 驚愕のあまりに上擦った声をあげるユーリィに、飛竜の黄色い眼が向いた。

 

「ほう、同志としたか」

 

 その言葉にアーウィンは構えを解く。「なるほど」と呟く彼女にユーリィは「何のことだ?」と訊いた。

 

「前にこの飛竜から予言めいたことを言われた。私たちに刃を向ける者が現れる。そいつを敵とするか同志とするかは私たち次第とね」

「それが私だというのか?」

「同志ではないと言いたいんだろう? それは私も同感だよ」

 

 アーウィンは剣を鞘に収め、飛竜のもとへ1歩踏み出す。飛竜の肉体から放たれる熱が洞窟内にこもり、少しばかりわたしは汗ばんでいた。

 

「赤き飛竜よ。あなたは古の時代に存在したという神獣たちの生き残りか?」

「そのような大層なものではない。我が生きた時は精々100年程度だ。整合騎士の中には、我よりも永い時を生きる者もいよう」

「なら一体――」

「我は、このアンダーワールドの裁定者として生み出された使い魔だ」

 

 使い魔。即ち何者かによって、何らかの目的をもって造られた存在ということ。優れた神聖術師や暗黒術師でも、使い魔として生み出すことのできるのは鳥とか虫とか、微小な生き物が限界とされている。ましてや言葉を話すなんて、それはもはや使い魔の定義に収まらないんじゃないだろうか。

 

 それでもアーウィンは冷静に次の質問をした。

 

「あなたを生み出した者とは?」

「カーディナル。かつて人界を支配していたアドミニストレータ、お主らが最高司祭と畏怖した者の妹と呼ぶべき存在」

 

 その回答に異論を挟んだのは、かつてその最高司祭に仕えていたユーリィだ。

 

「馬鹿な。最高司祭に妹がいたなどと聞いたことがない」

「ものの例えよ。正確にはアドミニストレータが新たな肉体として用意した、奴の現身(うつしみ)だ。現身には奴が取り込んだカーディナルシステムが表層化し、分身と呼ぶべき奴と襟を分かった」

 

 正直なところ、この時わたしは赤い飛竜の言葉の半分も理解していなかった。そんなわたしにも分かりやすいよう、ユーリィがとどのつまりを述べてくれた。

 

「最高司祭と同等の力を持つ者が、もうひとりいたというのか」

 

 人界の支配者と渡り合える者がもうひとりいた。その事実にユーリィの持つ槍先が震えている。そんな彼女を尻目に、次に質問をしたのはセツナだった。

 

「何故分身なんてものを作った?」

 

 飛竜の口から洩れた熱い吐息が、わたしの頬を撫でた。これは溜め息だったのだろう。

 

「永遠の栄華を望み、自らの生命をも操れると過信した愚か者の夢想よ」

 

 思っていたよりも素朴な動機に、わたしは拍子抜けした。全てを得た者が次に欲するのは永遠の絶頂。必要不可欠なのはそれを享受するための永遠の天命。誰もが想像するが、そんなものは得られまいと限りある天命を謳歌しようとする。だがあらゆるものを手に入れた者の欲望は常人には理解しがたいほど底知れないということだ。

 

「主はこのアンダーワールドの調整という使命に従い、一介のヒューマンユニットでありながら管理者権限を持ってしまったアドミニストレータを排除しようとした。だが失敗し、身を隠しながら200年の時をかけて奴を消す手段を模索していた。我はその過程で、万が一敗れてしまった時の代行者として、主と同じ権限と飛竜の肉体を与えられた」

「つまりあんたは、カーディナルシステムのバックアップか?」

 

 時折飛竜の口から出てくる古代神聖語はセツナにしっくりきたらしく、成立する会話に飛竜は「然り」と頷くように頭を揺らした。

 

「お主らも知るように、アドミニストレータは主が集った協力者によって打ち倒された」

 

 「代表剣士殿のことか」とユーリィが呟いた。暗黒界との戦いに人界の民を剣の魔人に変えるという「非人道的な」手段で備えようとしていた最高司祭に反旗を翻し、見事討ち取ってみせたのが現在の代表剣士とされている。

 

 現在ではあたかも代表剣士が単独で倒したかのように語られているが、実際はそう簡単な話ではなかったらしい。いうなれば代表剣士は、飛竜の主が差し向けた代行者だったということだ。

 

「しかし戦いで主も天命を散らせた」

「主と使命を見失い、世界をさまよっていると?」

 

 アーウィンの推測に飛竜はかぶりを振り、

 

「我の使命はまだ残っている。主はアドミニストレータを排除した先のことも見越していた。最終負荷実験、お主らの言葉なら異界戦争だ。ダークテリトリーの侵攻で無辜(むこ)の民が蹂躙される悲劇を憂い、戦争が起きる前に主はこのアンダーワールドを初期化するつもりでいた」

「初期化とは?」

「全てを無に帰す、という意味だ」

 

 わたしの背中に戦慄が走った。きっとアーウィンとユーリィもだろう。セツナは、どうかは分からなかった。多くの血が流れ、その血が焼かれ、脂なのか天命なのか分からない霧状のものが空へ昇っていく地獄絵図をもたらさないための救済は、民に消えたという実感すら伴わせない終末だった。

 

 どちらにしろ滅びは免れない。ならばせめて苦しまずに逝かせてやることが慈悲だ。終末の回避という選択を、全能者というべき飛竜の主はとうに諦めていたのだ。

 

「この世界を滅ぼす使命を、あなたは負っているのか?」

 

 恐怖か、それとも怒りか。声を震わせたアーウィンの質問に被せてくるように、ユーリィがまくし立てる。

 

「その必要はない。戦争はどちらも滅びず和平で終わったのだ。あなたの主の怖れていたことは起きない。私たちの代表剣士と、整合騎士団がそうはさせない」

 

 そう、終末は来なかった。ベクタは討たれ、人界の民が蹂躙されるという悲劇は回避された。戦争から10年が経ち、形だけではあるものの世界は平和そのものなのだ。

 

 役目が果たされる時は訪れなかった。その事を喜ぶべきか憂うべきか、飛竜自身も迷っているようにわたしには見えた。

 

「主も、絶望の中に一筋の光を見た。滅ぼさずとも、まだこの世界には護る余地があるのではないかと。その希望をお主らの代表剣士に託し散っていった。そして残された我も、最終負荷実験を乗り越えてみせた世界を見守ってきた」

 

 100年の時を生きた飛竜にとって、10年という月日はそれほど長くは感じなかったのかもしれない。こうしてわたし達という人間に接触したということは、早くも不穏な動きを嗅ぎ取ったということか。

 

 アーウィンは更に問う。

 

「あなたは私たちをずっと見てきたのか?」

「そうだ」

「何故私たちを導く?」

 

 飛竜は沈黙する。そこでわたしは気付いた。飛竜の話し方や態度。そこにわたし達人間に対する蔑みが全く感じられないことに。いつでも滅ぼす力を持ちながら慢心することなく、淡々と事を述べているのだ。

 

 この竜は自身があくまで使い魔であり、神ではないことを自覚している。逡巡を経て、裁定者の飛竜は答えた。

 

 

 

「世の趨勢(すうせい)を、自分たちで決めさせるためだ」

 

 

 

 言葉はいたって簡潔だったが、その意味を理解するのにしばしの時間を要した。

 

 わたし達は日々の生活の多くを神とやらにすがっている。安息日には教会へ行き、次の安息日まで穏やかな日が続きますようにと祈りを捧げる。式句を唱え、神の御業の一端である神聖術で火を起こし明かりを灯す。剣術の秘奥義も、道を究めた者に与えられる神からの褒美する流派が存在する。

 

 わたし達は今まで姿を見たことも声を聞いたこともない神に依存しきっていたのだ。天界からの命を承った最高司祭や整合騎士を、不可視の者が存在するという根拠として。

 

 誰もそのことに疑問を持とうとしない。何故なら公理教会への反逆禁止は禁忌目録に記載されているから。自分たちを守る絶対的力である法を自ら破る者などいない。

 

 いうなれば東の大門の崩壊に伴う異界戦争も、神の意思で片付けられてしまうのだ。世界やわたし達の行く末は全て神により決定される。

 

 飛竜の語ったことは、いうなれば神として――裁定者としての責務の放棄だった。

 

「この世界は、依然として危うい均衡の上に立っている。貧しさに喘ぐ者、食い物にされる者、救われない者たちの憎悪が爆ぜるのは時間の問題。そう遠くないうちに、再び戦火が燃え上がるだろう」

 

 飛竜はわたし達ひとりひとりに黄色い眼を向けた。

 

「我は審判を下すのではなく、この世界に住む者たち自身に行く末を委ねることにした。世の歪みを視る者、世の偽りを感じる者、世の儚さを知る者。数多のヒューマンユニットの中でこれらのイレギュラーとして見つけたのが、お主らだ。更に――」

 

 飛竜の目がセツナに留まった。セツナは目の前の竜に臆することなく、鋭い眼差しを返している。

 

「かつて主が希望を託した者と同じ、外部からのイレギュラーユニットもいる」

 

 イレギュラーユニットとやらが何を意味するかは分からなかったが、全てを見通す飛竜の言葉でわたしの疑念は確信になった。セツナはやはり、代表剣士と同じ天界からやってきた存在だったのだ。

 

「俺がイレギュラー?」

 

 反芻するセツナに飛竜は「そうだ」と頷き、

 

「お主はこの世界の住人ではない。この世界を創造した者たちの世界からやって来たのだ」

 

 飛竜の語る事実に、当人の反応は薄い。記憶がないから実感が伴わないからか。アーウィンとユーリィが当人以上に驚いているかというと、そうでもなかった。ふたりもわたしと同じように確信へと変わっただけだったのだ。

 

「お主たちがこの先で成し遂げること、それによって世にもたらされるものを、見届けさせてもらう」

 

 これを福音と取るべきか、わたしには判断がつかない。わたし達の行動次第で、この裁定者である竜は亡き主に代わって世界を滅ぼしにかかる可能性があるのだ。

 

 監視役。そう捉えるのが妥当だろうか。分からない。世界を永く視てきた者の物語の一端を聞いたところで、何かがわたしの中で芽生えることはなかった。

 

 「赤き飛竜よ」とアーウィンは堂々とした姿勢を崩さない。

 

「私たちと同行するつもりというのなら、あなたのことは何と呼べばいい? 名前はあるのか?」

 

 飛竜はしばし、明後日のほうを向く。どこか懐かしむような、穏やかな声音で答えた。

 

顎門(あぎと)。主から授かったこの名を名乗るのは、お主らが初めてだ」

 

 顎門という名を誰にも明かさなかったこの飛竜にとって、わたし達が初めて接触した人間になるのだろうか。恐らくはそうなのだろう。赤き飛竜の記録が100年もの間どこにもなかったということは、人界からも暗黒界からも身を隠してきたということだ。

 

 この世界が在るに値するか、それとも滅ぼすかを見定めるために。

 

「最後に訊かせて」

 

 ひとまずの皆の疑問が一通り晴れただろう頃を見計らって、わたしはずっと抱いてきたことを問う。

 

「セツナは、何のためにこの世界に来たの?」

 

 我ながら何て奇妙な質問だ。記憶喪失の本人じゃなくてわたしが気になっているなんて。

 

 でも顎門はそこまで叡智を授かってはいなかったらしくかぶりを振った。

 

「それは分からぬ。我の意思ではないからな。あちら側の者たちが何の目的でそやつを寄越したかは、記憶が蘇るのを待つしかなかろう」

 

 それが、現時点で最も神に近いだろう飛竜の回答だった。長話を終えて疲れたかのように、顎門は高温の溜め息をつく。その赤い巨体がひと回り小さくなったような気がした。

 

 いや、気のせいじゃない。そう悟った頃に顎門の身体はわたし達と同じくらいにまで縮んでいて、掌に収まってしまいそうなほどになったところで収縮が止まった。

 

 感心したようにアーウィンが溜め息交じりに言う。

 

「通りで、あなたの目撃情報がなかったわけだ」

「これくらい造作もない。我が姉分のシャーロットは、髪の毛に紛れるくらいにまで小さくなれたのだ」

「そのシャーロットとやらも飛竜なのか?」

「いや、蜘蛛の姿を与えられておった」

 

 それは元々小さかったんじゃないだろうか。そんな指摘を、世界をいつ滅ぼせるかもしれない飛竜にする勇気はなく、喉元に押し留めた。顎門は翼をはためかせ、わたし達の周りを飛んでいる。傍を通り過ぎると、仄かに温かい。

 

「お主の恰好が、隠れるに丁度よいか」

 

 そう言うと、顎門はセツナの上着のフードにすっぽりと収まった。燃えやしないだろうかと、そんな不謹慎なことを思ってしまった。

 

「さあ行こうぞ。出口はそう遠くはない」

 

 

   2

 

 洞窟内は手作業で掘られた故に所々曲がっていたり天井が異様に低かったりしたが、1本道に通っていた。道中で先客や、ねぐらを見出した魔獣の類に遭遇することはなく、わたしたちは大した苦労もなく進むことができた。もしかしたら、顎門という天敵の気配に慄いて退散したのかもしれないが。

 

 洞窟を進みながら、わたしは気にもしていなかった自身の出自を想った。幼い頃に山ゴブリンに攫われたわたしは、果ての山脈内に掘られた洞窟を通って暗黒界へ連れてこられた。当時の記憶はないし、あったとしても樽に隠れていたらしいから自分が険しい山を越えていたなんて実感は湧きようがない。

 

「ねえアーウィン」

「ん?」

「この洞窟って、人界のどの方角なの?」

「南だ。かつて山ゴブリンが堀ったもので、異界戦争で一度埋められたが再び掘り返したんだ」

 

 当たりだった。鼓動が少しばかり速くなる。間違いない。この洞窟をかつてわたしは潜ったのだ。となれば、洞窟を抜けた先に村があるとしたら、そこはわたしの故郷になるはず。

 

「そういえば、異界戦争の直前はあちこちで亜人たちの侵入があったな。しつこいものだったよ、あれは」

 

 昔の苦労程度のようにユーリィが言った。暗黒界でベクタが目覚めてからは戦争の機運が一気に高まり、東の大門崩落を待てない者たちが果ての山脈から侵略を図ったという記録は多い。全てが整合騎士によって返り討ちにされたらしいが。

 

 「そうだったんだ」とわたしは興奮と緊張を悟られないよう、当たり障りのない相槌を打った。変に勘繰られて腫物扱いされるのが嫌だったからだ。

 

 故郷を目の当たりにしたわたしが何を想うのか、わたし自身も見当がつかない。懐かしいと感じるのか、そもそもわたしに感じられるだろうか。

 

「出口だ」

 

 アーウィンの声にわたしは視線を上げた。前方に、楕円に切り取られた穴から白んだ光が中に注がれている。自然と歩くのが速くなって、そう時間もかからずわたし達は光の溢れる中へと飛び込んでいく。

 

 まず視界いっぱいに光が広がる。

 

 その眩しさに、思わずわたしは目を閉じる。ゆっくりと開けば、目の前にはどこまでも澄み切った蒼い空が広がっていた。蒼の中の一点で、光に慣れても直視できないほど眩い輝きが放たれている。どこか攻撃的で、同時に温かくもある。

 

 あれがソルス。

 

「これが人界だ、ナミエ」

 

 ユーリィに促されるまま視線を降ろすと、眼下には緑が広がっている。枝には隙間なく葉が広がっていて、瑞々しい地力を辺りに振り撒いているようだ。

 

 ソルスの恵みを余すところなく受けた、テラリアの賜物。

 

「何と、美しいんだ………」

 

 暗黒界で生まれ育ったアーウィンも感嘆の声を漏らす。闇の国で過ごしてきた者にとって、光溢れる人界の景色は眩しすぎた。

 

 気付けばわたしの頬には涙が伝っている。人界で暮らしていた頃の記憶はない。最も古い記憶が、わたしを見下ろすゴブリンたちの黄色い目玉であることに変わりはない。

 

 なのに、胸の奥が締めつけられるほどに苦しい。胸の奥の更に深淵。人界で産み落とされた魂と呼ぶべき領域が、この光ある世界への思慕を呼び覚ましていた。

 

「君はこの美しい世界で生まれたんだね」

 

 アーウィンがそう言ってわたしの肩を抱いた。わたしは何も言えず、泣きながら彼女に身を預ける。

 

 

   3

 

 いくら人界とはいえ、時間が経てばソルスは沈み夜が訪れる。とはいえ月の輝きが照らす人界の夜は、暗黒界の昼よりも明るかった。

 

 眠れるかな。そんなことを思いながら固パンを齧る。北の方角に村らしき家々が見えたからひとまずそこへ向かうことにしたのだが、暗黒界より狭いとはいえ人界も広大であることに変わりはなく、徒歩での移動だと時間がかかってしまうものだった。

 

 ましてやわたし達が来たのは人界人にとっては禁断の地である果ての山脈。道らしい道なんてあるはずもなく、背の高い草や地面から隆起した木の根に足を取られる。野営できる平坦な場所を見つけるのもひと苦労だ。歩きやすさは、暗黒界の荒野が勝っている。

 

 焚火を囲んで、アーウィンは喉を鳴らす勢いで水を飲んでいる。近くに流れていた小川で汲んだ水なのだけど、アーウィンは特に気に入ったらしく何杯もおかわりを汲みに行っていた。

 

 わたしも飲んだけど、確かにやみつきになりそうなほど美味しかった。澄んでいて澱みがなく、それでいて口当たりが柔らかでのど越しが良い。暗黒界では苦労して水脈を見つけ井戸を掘っても濁り水しか沸いてこない。人界では綺麗な水が少し歩いただけで手に入ってしまうのだ。

 

「水だけで満腹になりそうだよ」

 

 お腹をさするアーウィンに微笑を返しつつ、わたしは「ユーリィは?」とこの場にいない整合騎士について尋ねた。

 

「水を汲みに行くと言っていた。あれも久々の人界の水を味わっているのかもね」

 

 まるで酒でも飲んだみたいに上機嫌なアーウィンに「わたしも水汲んでくる」と言って焚火から離れた。

 

 穏やかなせせらぎの音へ向かう。月光を浴びてきらきらと輝く川面の美しさに見惚れそうになりながらも、周囲に目を配る。目立つ鎧姿で川辺に座る騎士はすぐに見つかった。わたしが近付くと、足音を聞き取ってか咄嗟にユーリィは傍に置いていた槍を掴んで立ち上がる。

 

「待って」

 

 両手を挙げて非武装を証明する。「済まない」と謝罪するユーリィの声は消え入りそうなほど弱かった。

 

「水を汲みに来たのか?」

「あ、うん……」

「好きなだけ汲むといい。わたし達がいくら飲んでも川は枯れないだろうさ」

 

 冗談にしては詰まらない軽口を叩くユーリィの横に、わたしは並ぶように座った。

 

「どうした?」

「何か、ユーリィの様子が変だったから」

「そうか。そんなに分かりやすいか、私は」

「ううん。アーウィンとセツナは多分気付いてないわ」

「そうか………」

 

 そんなに饒舌でないふたりが並んだところで、会話が弾むなんてことはない。当たり障りのないやり取りを終えると、特に話題を用意していなければ沈黙が訪れるのは当然だった。小川がせせらぎを奏でてくれていたのがせめてもの救いだ。無音だと感覚に狂いが生じてしまうかもしれない。

 

 何か話したほうが良いのかな。迷っているうちに話題を切り出してくれたのは、幸いにもユーリィのほうだった。

 

「ナミエ、顎門様の話を聞いてどう思った?」

「どうって、わたしには難しすぎて………」

 

 ユーリィは「そうだな」と微笑し、

 

「顎門様は私たちのことをイレギュラーと言っていた。前に代表剣士殿が同じ事を言っていて、意味を訊いたら異端という事だと教わった」

「異端……、わたし達が?」

「ああ。いうなれば、私は反逆者予備軍として見出されたということになる。皮肉なものだ。世界を護るために人界統一会議に忠義を誓ったというのに」

 

 ここで、何故この時ユーリィがよく微笑むのかが分かった。これは自嘲だ。整合騎士としてあるべき姿と思い描いていた自分が、実は反逆をもたらす者だったという事実に。

 

 乾いた笑いを漏らしながら、ユーリィは夜空に浮かぶ月を見上げた。月はソルスよりは光が弱いから直視ができる。

 

「反逆なんてしてないんだし、気にすることじゃ――」

「良いんだ。どこかで私自身も思っていたことだ。自分の忠誠心は本物だろうかと。アーウィンの言っていることに共感できる部分があって、それに気付くと主君への疑いがどんどん大きくなっていった」

 

 「なあナミエ」とユーリィは頭を垂れる。そこに強かな騎士の姿はない。進むべき道を見失いつつある迷い人に他ならなかった。

 

「整合騎士が一体何者なのか、知っているか?」

「人界で1番強くて、天命が減らない最強の騎士だって聞いたわ」

「そうか、傍から見れば私たちはそう映っているのか」

 

 乾いた笑いを織り交ぜて、ユーリィ・シンセシス・トゥエニワンの名を与えられた整合騎士は自らの話を語り始めた。

 

「私たちは、元はただの人間だった」

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど17


キリト=キ
アスナ=ア
カーディナル=カ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「今回はもうひとりの解説としてこの方がゲストです、どうぞ!」

カ「うむ、カーディナルじゃ。よろしく頼む」

キ「おお、こりゃまた予想してなかったゲストだな」

ア「作者曰く、結構重要キャラだったにも関わらずあっさりと退場してしまったせいであまり印象に残らなかったからここで出番を用意しよう、という配慮だそうです」

カ「おおう、こやつなかなか言いよるの………」

キ「ごめん、カーディナル………!」

ア「今回再び登場した赤い飛竜の顎門(あぎと)はカーディナルの使い魔という正体が明かされたわけですが、これに関してどう思いますかカーディナルさん?」

カ「わしがまるで用意周到で狡猾な者のように描写されているのがいささか気に食わんが、それも致し方ないじゃろう。アドミニストレータを倒すためなら殆ど手段を選べん状況じゃったからな。代行者を用意するというのも、やって不思議ではない」

キ「そういや、顎門はカーディナルのバックアップなんだよな?」

ア「そうだけど、それがどうしたの?」

キ「カーディナルがいうなればアドミニストレータのコピーなわけだから、顎門は二次コピーになるだろ。アドミニストレータを削除対象にしてたカーディナルにとっちゃ同じ力を持った顎門も消そうとするんじゃないかなって」

カ「うむ、よく気付いたのキリト。確かに、丸々わしの魂をコピーすればそこに生まれるのは第3のアドミニストレータとなる。だがわしが顎門に与えたのはあくまで同じ権限レベル。コピーしたのはわしが扱える神聖術の知識のみなのじゃ」

キ「同じ技が使えるだけの予備アバターってことか」

カ「噛み砕くとそんな感じじゃな。100年という歳月で自我の芽生えはあったようじゃが、基本的には創造主であるわしの命令に従っておる」

ア「今回セツナ達に着いていくことになったけど、その理由に関してはカーディナルの命令違反にはならないの?」

カ「まあ、わしが死んでしまった後に想定外の事態が連続で起こりおったからな。命令にない状況のせいで、顎門も裁定者としての命を実行するのに戸惑っていたのじゃ。まあ、その想定外を起こしまくったのはお前たちじゃがな」

キ「いやあ、主人公としての性で破滅の未来は変えたくなっちゃうんだよなあ」

ア「それでこそ原作主人公とヒロインよね!」

カ「やかましいわバカ夫婦めが! とはいえ顎門の登場でまだアンダーワールドが消滅の危機に陥っておるぞ」

キ「何かそうなるとカーディナルが黒幕みたいだな」

ア「いけない子ね。お仕置きしちゃうわよ」

カ「言っとくがお前にツッコミはせんぞ。疲れるだけじゃなからな」

キ「うん、それが懸命………」

カ「作者の意向だと、本作はアンダーワールドの歪みじゃからな。キリトが統治したことで生まれる格差や、アドミニストレータ時代の負の遺産とかを前面に押し出していくものじゃ。後者の代表格として登場したのが顎門というわけじゃな」

ア「ここで裏情報なのですが――」

キ「ん?」

カ「お?」

ア「作者は当初顎門をアンダーワールドのレクチャー役として構想していましたが、アーウィンやユーリィがその役目になったので今後どう扱ったらいいか持て余しているそうです」

キ「おおおい‼」

カ「見切り発車で出しておるのか!」

ア「今後かわいくないマスコットとして扱う案もあるわよ」

キ「今更マスコット出したところでこの作品の鬱加減がマイルドにはならないぞ」

カ「場合によっちゃ滅ぼそうとしておるしな」

ア「取り敢えずパーティメンバー揃えたけど使いどころがない。物書きの初心者がよくやりがちなミスね。これを読んでいる小説家志望の皆さん、ご注意を!」

キ「作者、今年でハーメルンでの活動6年なんだけどな………」

カ「愚か者は学ぶことを知らんのだ………」

ア「さあ、今後顎門の扱いがどう悪くなっていくか、それとも軌道修正できるか、乞うご期待!」

キ「えーと、作品の楽しみ方が間違ってるからね。普通に今後の展開を楽しみにしてくれよな。それでカーディナル、今回はありがとう。お陰で俺の負担、ていうかツッコミが減ったよ」

カ「うむ、まあ本編もコーナーも不穏な空気だが、何とか頑張ってくれ」

キ「また出てくれないかな?」

カ「嫌じゃ!」

キ「ですよねー」

ア「それじゃ皆さん、また次回お会いしましょう!」

キ・カ「ばいばーい」


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第18幕 マイ・ベイビ―

 

   1

 

 私たち整合騎士は、人界を守護するため最高司祭によって神界より召喚されたと吹き込まれてきた。召喚の衝撃で記憶を失ったとされた私たちにとって、目覚めたとき目の前にいた最高司祭の言葉こそが真実だった。

 

 だが人界の守護が使命と言いながら、私たちは人界の民と接する機会が殆ど無かったのだ。多くの同胞たちはダークテリトリーからの防衛任務にあたっていたからな。

 

 しかし民と接する機会が無いのも、最高司祭による周到な策だった。

 

 戦後、騎士団の在り方が大きく変わり、整合騎士も街に出て民と話す機会に恵まれるようになった。セントリアで私が聞いたのは、四帝国統一大会の優勝者が、公理教会に整合騎士として迎え入れられるという話だった。

 

 その矛盾を知り、私は代表剣士殿に訊いたのだ。整合騎士の真実を。

 

 すると代表剣士殿は騎士団の全員を集め、包み隠さず教えてくれた。私たち整合騎士、特にエルドリエまでの31人の真実について。私たちは例外なくこの人界で生を受けた者たちで、武術に秀でた者、あるいは禁忌目録に背いた者がセントラル・カセドラルに連行された存在だと。

 

 そして私たちに記憶がない理由。《シンセサイズの秘儀》という秘術によって私たちは魂を弄ばれ、記憶を奪われたのだ。最高司祭が自らに歯向かう危険のある者を傍に置き、忠実な手駒とするために。

 

 私たちに与えられたシンセシスという名は、統合体という意。最高司祭によって都合よく作り替えられた銘板だったということだ。

 

 真実を知ったとき、ネルギウス殿は特に反発したものだった。そんなはずはないと。だが代表剣士殿の言葉に矛盾はなかった。人界の民との交流を絶たせていたのは、私たちが真実に気付かないようにするための隔離だったというのも辻褄が合ってしまった。

 

 それに名にシンセシスのない騎士たち、ロニエとティーゼも代表剣士殿の言葉が真実であると言った。それには私も憤った。何故新参者に私たちを差し置いて真実を伝えていたのかと。

 

 

 

 “君たちが真実に耐えられるよう、魂を鍛えておく必要があった。法が全てではないと、知ってもらわなければならなかった”

 

 

 

 それが代表剣士殿の答えだった。私たち以上に魂を弄ばれていた元老院たちの術式を解いたら、彼らは一斉に天命を尽きさせたらしい。私たちもまた真実を告げられたら魂の均衡が崩れ、術式を解こうとしたら元老院たちの二の舞を踏むかもしれない。代表剣士殿なりの配慮だった。

 

 事実、多くの騎士たちが戸惑っていた。中には察しがついていた者もいたようだが。私の師、デュソルバート様は記憶の奥底に妻の存在を視ていたという。ファナティオ騎士長は気にも留めていなかったな。記憶が無いから実感もないと言っていたが、彼女にとって重要なのは子息のいる今の方だったのだろう。

 

 私はどうしても自分の過去を知りたかった。自分がどこで産まれ、何者として生きていたのかを。そこで私は代表剣士殿に暇を貰い、飛竜で故郷を探す旅に出た。

 

 見つけるのはそう時間が掛からなかった。代表剣士殿から、私の髪や肌の色からウェスダラスの出身かもしれないと助言を受けていたからな。目星を付けた通り、西帝国には私と似た髪色の民が多くいた。

 

 西帝国にはビクトリア湖という人界最大の湖があって、沿岸には湖と同じ名前の村で人々が暮らしている。そのビクトリア村を訪ねたとき、ひとりの老婆が私をまるで幽霊でも出たように見ていた。そして彼女は初対面のはずの私にユーリィ、と名を呼んだ。

 

 見つけたと確信したが、同時に怖くもあった。私がかつて誰だったのか、過去を知ったことで変わってしまうんじゃないかと。だが過去の手掛かりがあっけなく見つかってしまうと、今更退くこともできなかった。

 

 私はその老婆に、事前に代表剣士殿から指示されていた通りユーリィは私の祖母の名だと取り繕った。私は央都の生まれで、死んだ母の故郷を探していると。

 

 私の嘘を信じた老婆は泣き崩れたよ。良かった良かったと何度も言っていた。間違いなく彼女はかつての私を知っていると踏んで、《ユーリィ》の孫娘として老婆から話を聞いた。

 

 ビクトリア村は現在でこそ塩と魚の産地として栄えているが、10年前の爵士制度廃止以前は一等爵家の私領地だった。《ユーリィ》は80年近く前に漁師の娘として産まれ、老婆とは幼馴染の親友だったらしい。

 

 その村の女は殆どが造塩の天職に就くらしく、《ユーリィ》も老婆と同じ工房で塩作りに従事していたらしい。

 

 ある日湖を所有していた爵家の跡取り息子に見初められ、《ユーリィ》は一等爵家に嫁入りすることになった。家族は玉の輿と大喜びだったらしいな。

 

 やがて子どもが産まれたのだが、女の子だったことに夫はひどく落胆したそうだ。当時爵家を継ぐのは男児のみという風習が強かったからな。《ユーリィ》は夫に男児を産めと、毎晩のように辱めも同然の行為を強要されていたらしい。

 

 だが何年も娼婦のように抱かれても《ユーリィ》が男児を産むことはなかった。男児どころか子を宿すことも。夫の怒りは日毎に増していき、行為も激化していった。

 

 そして身も心も打ちひしがれた《ユーリィ》は5歳になった娘を連れて老婆の家に逃げ込んできた。受けた仕打ちの全てを聞いて老婆は何とか助けようとしたのだが、彼女の父親が衛士隊に密告してあえなく見つかってしまった。

 

 その父親からしてみれば《ユーリィ》など余計な厄介事だったのだろう。下手に匿えば処罰対象になりかねない。

 

 捕縛された《ユーリィ》は村の掟をいくつか違反したとかで、貴族裁決権に乗っ取り処刑されることになった。だが罰を受けるのは《ユーリィ》だけでなく、同罪とされた娘もだった。さしずめ、夫は出来損ないの女と娘を殺して新しい妻でも娶るつもりだったのだろう。

 

 処刑は村の広場にて、公開で執行されることになった。執行人は夫だった。爵家当主としての務めとか何とか。

 

 目の前で夫が我が子の首を撥ねようとしたとき、《ユーリィ》は咄嗟に跳びかかり剣を奪って夫の胸を刺して殺したらしい。

 

 重大な禁忌目録違反だ。もはや私領地の爵家で対処できる範疇ではなくなってしまった。半日も経たず整合騎士がやってきて、《ユーリィ》を飛竜に縛り付けて央都に連れて行った。

 

 それきり《ユーリィ》が村に戻ってくることはなかった。実家の家族は罪人になった娘など最初からいなかったように、死ぬまで話題に出すこともしなかったらしい。

 

 両親だけじゃない。村の誰もが事件など無かったように、知らぬふりをしていたそうだ。皆がそんなものだから、老婆も親友のことを話すこともなかった。

 

 だが、事件があってから50年が過ぎても老婆には気に掛けていたことがあった。《ユーリィ》の娘だ。母親が央都に連れていかれてからしばらくして、娘も忽然と姿を消したらしい。といっても、気が付いたらいなくなっていたみたいだ。皆《ユーリィ》が起こした殺人事件のことばかりで、娘の存在などすっかり忘れていたからな。

 

 湖で溺れたか、森で獣に襲われたか。あるいは母を追って央都を目指したが力尽きたか。いずれにせよ死んだものとして誰も探そうともせず、母と同じように話題に出すことも忌避されたらしい。

 

 老婆は、無事央都に辿り着いた娘が成長し家庭に入り産んだ子が、幼馴染にそっくりな私だと思い込んでいた。私は調子を合わせ、老婆から聞いた娘のライラという名は私の母と同じだと言った。

 

 老婆は私の顔を見て泣いて喜んでいたよ。良かった。あの子は生きていたんだと。

 

 

   2

 

 これが、ユーリィが整合騎士21号の名を与えられる前の物語。

 

 わたしはどこか冷めた気持ちでそれを聞いていたように思う。というのも、語り部であるユーリィ自身が冷めていたように思えたからだ。彼女の語り口は淡々としていて、そこには生々しさというものが感じられない。記憶がないとはいえ、自分の話なのに。

 

「私は過去を知ることで自分の中で何かが変わってしまうんじゃないかと、怖かった。老婆から聞いたかつての私は予想していたよりも素朴だったよ。まさか娘がいたなんてな」

 

 確かに、わたしの隣に座る整合騎士からは想像もできない姿だった。この人界最強といわれる騎士のひとりが、かつては誰かの妻であり母親だったなんて。

 

 「でもねナミエ」と言うユーリィの声が低くなる。

 

 

「私は何も感じられなかった」

 

 

 逡巡を経て、ユーリィは更に語る。

 

「老婆から娘の話を聞いても、私は何も思い出せなかったし私の中で揺れ動くものもなかったのだ。今でもどこかで思ってしまうんだ。老婆の知るユーリィは偶々名前が同じだけの別人で、私ではないんじゃないかとね」

 

 何故ユーリィの語り口が冷めていたのか、理解できた。所詮は他人事だったからだ。どこの家の畑が荒らされた。どこの家の娘が嫁に行った。そんな誰かから暇潰しとして聞いた、自分に直接の関係がない程度の世間話のように。

 

 確かに気の毒な話だとは思う。貴族が戯れ半分に人を犯し殺すなどあってはならないことだ。わたしも似た仕打ちを受けた立場上、共感できる部分もある。

 

 だけど整合騎士ユーリィ・シンセシス・トゥエニワンにとって、村娘ユーリィの物語は何かを始めることも終わらせることもできなかった。

 

 かつて抱いていただろう夫への憎しみは、最高司祭が施した《シンセサイズの秘儀》によってごっそりと抜き取られていたからだ。

 

 記憶にない50年前の事なんて、長く騎士として生きてきた彼女にとっては今更だった。

 

「時々、ライラと娘の名前を呟いてみるんだ。顔なんて思い出せない。でも、涙が止まらなくなる」

 

 少し声が震えていることに気付いて顔を見る。月光に照らされたユーリィの頬に涙が伝っていた。「こんなふうにな」と彼女は笑った。

 

「かつての私は夫を憎んではいても、娘のことは愛していたんだろうな。でなければ禁忌を犯してまで守ろうとはしないだろう。そうだ、愛していたはずなんだ………」

 

 ユーリィの顔が歪んでいく。涙を流しているから悲しんでいるように見えるのだが、同時に強く怒っているようにも見えて、わたしは怖気づいてかけるべき言葉がなかった。

 

 こうなってしまえば、当人に好きなだけ吐き出させるしかない。

 

「娘は私が連行されるとき、泣きながら母を呼んでいたらしい。私のほうも、飛竜の姿が見えなくなるまでライラと娘の名を叫んでいたそうだ。それほど愛していたはずなのに、私は記憶を抜かれると自分を神界からの使者と思い込んだ。娘が私を探しに村からいなくなったとき、私は何食わぬ顔でカセドラルに居座っていたのだ。我が子の顔も声も匂いも、抱いた感触さえも忘れて……、50年もずっと………」

 

 孤児院でのことを思い出す。アーウィンから子どもを抱くよう促されたとき、彼女が何故拒んだのか。ずっと我が子のことを忘れていたのに、差し置いて他の子を抱くことに罪の意識があったのだろうか。

 

 少なくとも今、わたしの隣で嗚咽を漏らし続けるのは誇り高き騎士じゃない。そこにいたのは我が子を思い出せない憐れな母親だった。

 

 娘と引き離されたのはもう50年も昔。今もどこかで生きているとは到底思えない。母を求めてやまなかった娘の存在を知ったところで、埋め合わせをするには時間が経ち過ぎた。手遅れなのだ。ユーリィが母親として何かしようとしたところで、してやるべき娘がいないのだから。

 

 子よりも永く生き続けることを宿命づけられた、整合騎士であるが故の悲劇だ。

 

「私には分からないんだ。こんな歪んだ形で作られた整合騎士は間違っている。でも代表剣士殿は私たちという戦力を必要としていて、私たちも真実を知りながら騎士以外に生き方を知らない。こんな私たちが守っている平和が、果たして正しいのか、正しさとは何なのか………」

 

 「うっ……」とユーリィは右目のあたりを手で押さえた。オブシディア城へ攻め入ろうと企てたアーウィンも経験したという右目の痛み。指間から、同じ現象を起こした者と同じく赤い光が漏れていた。

 

 深呼吸を繰り返していくうちに、光は弱まっていく。手を離すと、右目は充血こそしていたけど元の色を取り戻していた。

 

「ユーリィ………」

「右目の封印だ」

 

 興奮が冷めたのか、淡々とした口調に戻っている。

 

「コード871、代表剣士殿はそう言っていた。私たち、この世界の民の魂に刻み込まれた術式らしい」

「そんなもの、何のために……?」

「反逆者を生み出さないための措置のようだ。娘を想い、統一会議の在り方に疑問を持つと起きてしまう」

 

 幼子には禁忌目録や帝国基本法、街や村で制定された掟を刷り込み、破ろうとすれば苦痛をもって服従を強要する。

 

 よくできた仕組みだ。絶対的統治者が存在すれば民が無条件に従う国が完成する。

 

 無意識下での抑圧こそが、この世界の歪みを生んだのだろう。権力を持った者が利を貪り、そのために虐げられた者たちから反逆の意を削ぐ。いくら法を変えようとも、わたし達の魂に刻まれてしまった呪いと呼ぶべき術式は変えられない。

 

 だから人は、世界は変わらないのだ。

 

 

   3

 

 しばらくひとりにして欲しい。

 

 ユーリィに言われたわたしは、革水筒を川の水で半分ほど満たして焚火のもとへ戻った。火の前でアーウィンは横になって寝息を立てている。

 

 暗黒界で野営していた時のように交代制なのだろう。剣を抜いたセツナが辺りを見張っている。相変わらず無口な男だ。わたしが戻ってきたことなんて気付いているくせにひと言もかけてこない。

 

 まじまじとわたしは僅かにこちらへ覗く横顔を眺めてみる。真一文字に結ばれた口元に、まだ髭も生えていない細い顎。細身な体躯は歴戦の戦士と呼ぶには華奢すぎる。白すぎる肌と相まって病人のようだ。

 

 特にわたしを引き付けたのが目だ。険しく吊り上がった目。常に殺気を放っているかのようだけど、時折それが物憂げに伏せるのを知っている。この殺戮者の唯一と言っていい人間味。

 

「ねえ、セツナ」

 

 呼ぶと、彼は顔だけわたしへと向けた。冷たい目だ。多くの人間を殺めてきた男と怖れることなく視線を交わせるなんて、わたしも相当にどうかしているかもしれない。

 

「記憶が戻ったら、どうするの?」

「さあな」

 

 すぐ会話を打ち切りにかかる態度に溜め息をつきながら、わたしは彼の顔を両手で挟み込み無理矢理こちらへと向かせる。

 

「ちゃんと答えて」

 

 往生際悪く目を逸らそうとするものだから、その度に向き直らせた。真正面から見ても険しい目だ。眠っている時でさえ眉間にしわを寄せているくらいだから、緩む瞬間などないんじゃないか。

 

「ここに来た理由も分からない。覚えてないんだからな。何をするべきかも知るはずがない」

「じゃあ分かったわ、質問を変える。記憶が戻らなくても、過去が分かったらどうするの?」

「どうせろくでもない過去だ。じゃなきゃ平気で人を殺しはしない」

 

 答えにはなっていないけど、その言い分はわたしにとって意外だった。

 

「殺してきたことに後悔があるの?」

「道から外れた事だという認識はある」

「本当は殺したくない?」

 

 踏み込んだ問いに、セツナは視線を泳がせた。自身の内側、無意識の領域にまで潜り込んで真意を探っているように見えた。

 

 逡巡を経てセツナが出した解答は、もはや記憶がないこの男のお約束ともいえる「分からない」だった。

 

「自分の気持ちなのに分からない?」

「殺せるから殺してきただけだ。憎しみも怒りも、俺の私情は全くなかった」

「じゃあ、これからも必要になったら誰かを殺すの?」

「今更殺したくないと言い出したところでどうなる?」

 

 セツナが返してきた問いは、ひどく弱々しい声だった。分からない中で何とか言葉を探しているような、そんな印象だった。

 

「罪に耐えられなくなったからやめて、それで赦されるほど都合の良いことなんてない」

「もう、逃げられないってこと………?」

「そうだ」

 

 断言するセツナが、どうして常に隙の無い表情をしているのか分かった気がする。見張られているのだ、この男は。見張っているのは死者だ。

 

 この男の背後には、殺めてきた多くの命が張り付いている。わたしが見てきたものだけじゃなく、きっと記憶を失う前の者たちも。死者たちはセツナの往く所にどこまでも着いてくる。その視線を彼は、ずっと感じ取っていたのだ。

 

「悲しいのね」

 

 わたしはそんな稚拙なことしか言えなかった。もし過去が分かったとしても、セツナに付き纏う死者の視線は変わらないだろう。

 

 逃げられはしないのだ。たとえ世界を渡り歩こうが、記憶を失おうが、犯した過去はしつこく付きまとってくる。業が深ければ尚更に。

 

「俺に同情しているのか?」

 

 セツナからの思いもよらない質問に「え?」と聞き返してしまう。でも言われてみれば、傍から見るとそうなってしまうのだろう。

 

「一応、あなたに助けられてるから」

「………ストックホルム症候群ってやつか」

「何それ?」

「あんたは気の休まらない状況が続いているせいで、こうして話をするだけで俺が善人のように錯覚してる」

「わたし、あなたのことまだ怖いけど」

「ならその怖さを持ち続けろ。もし俺に情が湧けば、それは一種の病気だ」

 

 何だか腹が立ってきて、わたしは彼をじっと睨んでみせる。本物の殺戮者と比べたら気迫なんてないだろうけど、それでもこの苛立ちくらいは伝えたい。

 

 セツナは眉間にしわを寄せながらわたしの顔を見ている。当惑したようにかぶりを振りながら、

 

「怒っているのか?」

「正解」

 

 訳の分からない病気を持ち出して自分に気があるなんて言う自惚れ屋ではあるけど、相手の感情を窺うことができるくらいの目はあるみたい。

 

「あんたも昔の記憶が無いんだろう?」

 

 視線を外したところで、セツナがそんなことを訊いてくる。彼に身の上を話した覚えはないけど、さしずめアーウィンから聞かされたのかもしれない。思いの外お喋りなお眠り中の元暗黒騎士を一瞥する。

 

「記憶がないって言っても、物心つく前だから」

「親に会いたいと思ったことは?」

「多分、もう死んでるから」

 

 それに、あの日々から解放されるなんて思っていなかったから。好きなだけ弄ばれて、飽きたら放逐されてわたしの人生はそこで終わり。苦痛も虚しさも暗黒界の荒野に溶けていくだろうと思っていた。

 

 人に話すには重いものを喉元に押し留め、代わりに溜め息を吐き出す。奇妙な偶然というか、わたし達の多くが記憶喪失だ。皆、自分が何者か分からずどこへ向かうべきか迷っている。

 

「わたし達、大切な人のことも分からないんだ」

 

 ユーリィの話を聞いた後だからか、その事実を強く感じ取れる。わたし達は誰を愛し愛されていたのかを覚えていない。

 

「もしこの先に村があれば、多分そこがわたしの故郷」

 

 我ながら重大な告白なのだけど、セツナは眉ひとつ動かさず「そうか」とだけ答える。本当にこの人は、話し甲斐というものがない。

 

「昔ゴブリンに襲われたから、きっと沢山の人が死んでる。わたしの親も友達も、知ってる人はいないと思うわ」

「せっかく故郷を見つけても、それだと寂しいだけだな」

 

 ある意味で、わたしもユーリィと同じだ。故郷で仮にわたしを知る人がいたとしても、当のわたし自身が覚えてなければそこにあるのは他人の物語。感動なんて、きっとない。セツナは言った。

 

「過去を覚えてないなら、思い出せないままの方が幸せなのかもしれない」

 

 それは罪を犯したあなただけじゃない。皮肉を飛ばしそうになるけど、わたしにとっても決して他人事じゃない。

 

 もしわたしが両親の顔を思い出して、愛情に囲まれた日々を送っていたとしよう。それを思い出して両親が既にいないとなればどうなるか。わたしの裡に悲しみが広がるくらいは想像できる。

 

 幸福だった日々がもう戻ってこない。それはユーリィが抱えていたものと同種の絶望をもたらす。それでも真実は知るべきなのか。何が正しいのかは思考すればするほど分からず泥沼へはまっていく。

 

 珍しく考え事をしたせいか、眠気が急激に訪れる。「もう寝るわ」と重くなった目蓋を擦り、草の上に横になる。

 

 柔らかな草はそれだけで布団の代わりになって、わたしを深い眠りへと誘ってくれた。眠りというものは便利だ。意識を真の虚無へと落としてくれる。

 

 苦悩も罪もないところへ。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど18


キリト=キ
アスナ=ア
アリス=サ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「さあさあ今回はビッグゲストが来てるわ。どうぞ!」

サ「整合騎士アリス・シンセシス・サーティです」

キ「おお、アリスか。原作アリシゼーションのヒロインなんてご意見番にはうってつけだな」

サ「あの、キリト……。まず不躾ながら訊かせて頂きたいのですが、何故私の略称が『サ』なのでしょう?」

ア「それはわたしが説明するわ! 単純にわたしと被ってるから、シンセシス・サーティの『サ』を取ったのよ」

キ「ああ、確かに頭文字が同じ『ア』だもんな」

ア「さ、疑問も解消できたところで早速いってみましょうか『サ』リスさん!」

サ「アリスです。はあ、もう帰りたいのですが………」

キ「そんなにか」

サ「原作で廃人になったあなたの世話をしていた頃と同じくらいには辛いです」

キ「うん、無理だと思ったら言ってくれアリス。原作でも十分すぎるくらい頑張ったんだから」

サ「ありがとうキリト。できる限りのことはするわ」

ア「えー、それでは今回はユーリィの過去回だったわけですが、率直にアリスさんはどう思いましたか?」

サ「気の毒とは思いますが、整合騎士たちにとっては珍しい事情ではないのです。エルドリエが母君、デュソルバート殿が奥方というように、騎士たちはそれぞれ大切な人の記憶を《シンセサイズの秘儀》によって奪われています」

キ「因みにユーリィの娘が行方不明になったって劇中にあるんだけど、原作で他の騎士にされていたように娘も公理教会に拉致されてソードゴーレムの素体にされたんだ」

サ「愛する者同士が傍にいるというのに、お互いそれを知らず触れることも叶わないとは、非道なものです」

ア「あと劇中の時代だとキリト君は騎士たちに《シンセサイズの秘儀》については説明したことになっているけど、奪われた記憶の人たちがセントラル・カセドラルの最上階で剣に変えられていることは説明しなかったみたいね」

キ「うーん、騎士たちの記憶や囚われた人たちを元に戻す神聖術の研究はしてたんだけど、まだこの頃は糸口すら掴めてなかったんだよな。《シンセサイズの秘儀》を説明できたのも、アドミニストレータを倒して10年経ってやっと騎士たちの忠誠心が薄れ始めたからなんだ。ユーリィも劇中じゃ呼び捨てにしてたみたいに」

サ「それに、原作でも自分が元人間と知っている騎士も僅かにいましたからね。デュソルバート殿が奥方の夢を視ていたように」

キ「そうそう。皆どこかで何となく真実に気付き始めてたんじゃないかな。馬鹿正直に報告すれば調整のために都合の悪い記憶を抜かれるから秘密にしてただけで」

ア「因みに作者によるとユーリィは騎士になりたての頃はよく昔の記憶を夢に視ていたみたいで、その度にアドミニストレータに報告して調整してもらっていたらしいわ」

キ「うわあ馬鹿正直な人がいたよ………」

サ「まあユーリィ殿に限らず、整合騎士は皆生真面目な者ばかりですから………」

ア「確かに、皆口調が堅苦しいわよね。作者は31人いるって設定なのに半分くらいしか出てこなかったのはキャラの差別化が難しかったんじゃないか、って推測してるわ」

サ「小父(おじ)様のように砕けた話し方をする騎士は少数派でしたからね。多くの騎士はエルドリエのような武芸に長けた貴族出身者が多いですから、元々礼儀作法を厳しく躾けられていたようです」

キ「そうなると平民出身のアリスやユーリィの喋り方ってある意味で騎士団じゃ珍しいんだな」

サ「元が平民だろうと騎士となれば無関係ですから。あとユーリィ殿の話し方が騎士口調なのは、作者殿が『整合騎士だし取り敢えず面倒臭い喋り方にしとこっと』とろくに考えもせず決めたからだそうです」

キ「リサーチ不足だなあ作者」

ア「そんな感じだからアーウィンとの差別化に苦労しているそうです」

キ「あちらも元とはいえ同じ騎士なだけあって喋り方似てるもんな。ユーリィよりは砕けた少年っぽい感じにして何とか区別つけてるみたいだけど」

ア「そんな作者泣かせなキャラのユーリィですが、整合騎士の序列としてはどんな感じなの?」

サ「神器を与えられているだけあって、実力は相当なものです。デュソルバート殿は新参騎士の指導を任されていたのですが、ユーリィ殿は彼の弟子の中で特に優秀だったようです」

ア「因みにアリスは体験談みたいに言ってるけど、本作オリジナルの設定だから読者の皆さんは勘違いしないでね」

キ「メタな説明をどうも………。アリスとの関係はどんな感じだったのかな?」

サ「実はあまりよく知らず、大浴場で会ったときに挨拶を交わした程度なのです。私の認識としてはその……、失礼ながら意外と豊満な体躯なのだなと………」

キ「ああ、うん………」

ア「まあアリスはどちらかといえばぺったんこだものねえ。現実じゃロボだし」

キ「言葉を選べ!」

サ「それ以上言うのであれば斬りますが(ジャキン)」

キ「アリスも抜刀しない! ほらアスナ謝って」

ア「まあ、確かにアリスとユーリィを比べたのは申し訳なかったわ。だってユーリィは人妻で子持ちだったんだもん。生娘とは色気が違うわ」

キ「劇中じゃ生真面目なアホの子扱いされてんだけどな……。てかフォローになってないぞ」

ア「まあ良いでしょう。今回はキリトに免じて聞かなかったことにします」

キ「ごめん、アリス……! てか、俺も代表剣士になってから気付いたけど、整合騎士ってあんまり交流とか無かったんだな」

サ「ええ、私たちの主な任務は果ての山脈の防衛で、大体は単独でしたから。実のところ騎士同士で会う機会は殆どなく、集まって会議などもしたことがありません」

キ「方針とかはアドミニストレータの指示に全部従っていたってことか。まあ騎士同士の会話から記憶の矛盾とかに気付いちゃうかもしれないから、そっちのほうが都合良かったのかもな」

サ「ええ。ですが全く交流がなかったわけではありませんよ。私はベルクーリ小父様から剣の指導を受けていましたし、エルドリエも私を師として慕ってくれていました。ファナティオ殿も四旋剣の指導に勤めていましたし、デュソルバート殿も先ほど言っていたように多くの弟子を抱えています。ムーンクレイドル編に登場したネルギウス殿とエントキア殿のように師弟でなくても友人として絆を育んでいる者は多いのです」

ア「なるほどね。ファナティオさんがアリスに嫉妬していたみたいな関係のもつれとかは無かったの?」

サ「それは殆ど聞きませんね。さっきも言ったように騎士同士の交流はあまり無かったので」

キ「どっちかというと俺が代表剣士になってからの方が会議で意見ぶつかり合ったりするのが多くなったかな」

サ「それで良いのです。私たちは騎士という立場にあぐらをかき、そのために最高司祭の蛮行を止められなかったのですから」

ア「ま、本作はそれでも蛮行は止まらないっていうオチなんだけどね!」

キ「台無しになったなおい。せっかく良い感じにまとまりそうだったのに」

ア「そうはならないのがこの作品なの。さあそれでは今回はここまでよ。暗黒界の闇と人界の闇を知って次はどんな波乱か、乞うご期待!」

サ「因みに私はもう出ません。ここは疲れます」

キ「貴重な常識人が減っていく………」


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第19幕 ベーシック・インスティンクト

 

   1

 

「じゃあ、生き残った人はいないんですか?」

 

 わたしの質問に、壮年のシスターは苦い顔で答えた。

 

「ええ、酷い有様だったそうです。整合騎士様が駆けつけた頃には既に備蓄の食糧は全て持ち去られ、村人は全員が殺されていたと」

 

 教会の裏に墓地が広がっているなかで、一際大きな墓標が建てられている。それは10年前のゴブリン襲撃で非業の死を遂げてしまった、当時の村人たちの慰霊碑だった。

 

 墓石には村人たちの冥福を祈る簡単な銘文のみで、誰がこの下に眠っているかまでは刻まれていない。取り敢えず死体を集めて燃やすなりの処理をして、混ざりに混ざった骨を雑多に埋めたのだろう。

 

 この下にわたしの両親が葬られているかもしれない。想像してみるけど、何の感慨も沸かなかった。当然だ、覚えていないのだから。村のフォーラストという名前を聞いても、特に琴線に触れるようなことはなかった。

 

 わたしが訊いてもいないことを、シスターはべらべらと喋り続ける。

 

「あの頃は酷いものでした。果ての山脈近くにある集落の多くでダークテリトリーの襲撃があったとか。しかもすぐ戦争が起きたでしょう。そのこともあって、この村はしばらく廃墟同然だったんです。統一会議による農業推進政策のため各地から移民を集めてようやく今日まで復興が進みました」

 

 時折目を潤ませるシスターの顔がどこか芝居がかったように見えて、わたしは少し苛立ってしまう。神に仕える身なのだから、たとえ他人事でも悲劇には弔いの涙を。そんな教育を受けてきたように思えてならないのだ。

 

 同時に言い訳にも。

 

 わたし達はダークテリトリーからの襲撃に遭いました。事実多くの人々が死んできました。

 

 だからもう来ないでください。

 

 わたし達の美しい人界を荒らさないで。

 

 人界はソルスの光もテラリアの恵みも十分すぎるほどあって、暗黒界人たちは神話の時代からその恩恵を狙っていた。その殺意を人界の人々は感じ取っていたのかもしれない。

 

 あの雲海を突き抜けるばかりにそびえ立つ山の向こうには、わたし達を狙う化け物たちが住んでいる。だから整合騎士は闇の国からの進撃を赦してはならない。そして人界に住む者は闇の大地に踏み入れてはならない。

 

 この頃のわたしはまだ知らなかったが、戦後になって禁忌目録もいくつか改正され、その中には暗黒界への進入禁止撤廃も含まれている。暗黒界へ人界人の視察大使や食料支援を送るために必要な措置だったのだが、民衆からすれば自分たちを縛り付ける法のひとつがなくなったという喜ぶべきことだった。

 

 でも、東の大門へ続く道で見たように、人界から暗黒界へ行く人は殆どいない。わざわざ観光へ行くほどの場所がないとか、食べ物が合わない――そもそも食べるものがない――とか、ごもっともな理由はたくさん並べられる。

 

 でも根本的な理由としては、人界人が未だに暗黒界への恐怖があるということ。暗黒界には化け物が住んでいると誰もが子どもの頃から教えられる人界人の裡には、亜人と褐色肌の人族への偏見が深く打ち込まれているのだ。

 

 だから人界統一会議がいくら暗黒界からの観光客を歓迎したとしても、人界の人々は密かに拒む。赦すのは一時の滞在だけだ。長期滞在と永住したいとなれば話は別。

 

「村にはどれ程いらっしゃるのですか?」

 

 シスターに訊かれて、「準備ができ次第、行きます」と答えを濁した。シスターはにっこりと微笑み、

 

「ゆっくりしていってください」

 

 教会を訪ねたとき、このシスターが暗黒界人であるアーウィンに向けた怯えの視線をわたしは目撃している。職業柄かすぐ慈愛の微笑を浮かべてはいたけど、張り付いたように同じ顔をずっと見ていてはかえってそっちのほうが嘘くさい。

 

 墓地を出て、わたしはあてもなく村を散歩した。建ち並ぶ家はどれも新しく、天命減少による汚れや変色は殆ど見られない。一見すれば開拓されたばかりのようだけど、家に対して路地の石畳はそれなりの年季が入っていて、所々に傷や欠けた部分がある。

 

 家は燃やされても、炎で石の天命は減らない。復興に際してこの石畳にこびり付いていた煤や血は磨き落とされたのだろか。

 

 村の辿った悲劇の歴史を覆い隠し忘れようとしている。そんな印象だ。新しい家々も、焼かれた土地を再び耕しただろう金色の麦畑も。

 

 かつての村を知る者はひとり残らず死んでしまったのだから、もう新しい村としてやっていこう。

 

 昔ここで虐殺があったって?

 

 そんなの昔のこと。俺たちの知ったことじゃない。

 

 忘却を促す村の復興に異議はない。かつて流された血も涙も、自分たちのものじゃないのだから。唯一の生き残りかもしれないこのわたしでさえ、顔も知らない父と母の死に涙も出ない。

 

 ばりばり、と何かが裂けるような音がした。続けて何かが地面を叩いたような音と微かな地響きも。

 

 見れば、まだ耕されていない更地に巨大な樹が横たわっている。周りには農夫たちがざわめいて、その中心には身の丈ほどの槍を携えた鎧装束の整合騎士が立っている。

 

「ほえー、たまげた」

 

 農夫たちの中で、そんな呆けた声がした。

 

「さっすが整合騎士様だ。これなら来年は豊作だぞ!」

 

 ちょっとしたお祭り騒ぎになっている男たちの中へ紛れ込み、わたしはユーリィを呼んだ。

 

「ああ、ナミエか」

「何してるの?」

 

 ユーリィは倒れた樹を槍で指し、

 

「ここに畑を耕すのにこの樹が邪魔らしくてな。天命が膨大で斧じゃ倒せないらしいから、手伝ったのだ」

 

 樹木というのは大きい故に土からテラリアの恵みを多く取り込んでしまうから、周囲に作物が育ちにくいのだとか。端がささくれ立った切り株は確かに太い。村民たちが煩わしく思うのも頷ける。

 

 「それより聞いてくれ」とユーリィは言った。

 

「村長が馬車を手配してくれるそうだ。これで央都まですぐ行けるぞ」

「本当に?」

「ああ。私が整合騎士と信じてくれたんだ。流石、話の分かる者は違う」

 

 思わず苦笑してしまった。長槍を背負った自称整合騎士の女を体よく村から追い出したかったんじゃないか、というのは邪推だろうか。

 

 

   2

 

 子どものようにはしゃぐ農夫たちの話し相手に忙しいアーウィンと別れて、わたしは教会へ戻った。何人かいるシスター達は学校へ子ども達に勉強を教えに行くから出払っている。さっき墓地で村の悲劇を語っていた壮年シスターの他には、わたし達という来客しかいない。

 

 村で最も大きな建物の正面扉に手を触れようとしたとき、中から扉が軋む音を立てながら開けられた。扉の陰から出てきたのはセツナだった。わたしに気付き立ち止まった彼の背中にある大剣に眉を潜める。

 

「どこ行くの?」

「散歩だ」

「そんなの持って出歩くつもり?」

「変か?」

「物騒」

 

 衛士でもそんな飛竜の首すら撥ねそうなものは持たないだろう。暗黒界なら自衛として何かひとつ武器は持つべきだけど、ここは人界だ。人は理由なく他人を傷付けず、怪しい来訪者たちを無人同然の教会に居させるのを良しとする。人は善なるものと無根拠に信じられる、信じるべきという教えがある世界なのだ。

 

 セツナは少し迷うように幅の広い剣へ振り向くけど、結局降ろさなかった。

 

「あんたはどうする?」

 

 思いもよらない質問にわたしは「え?」と訊き返す。

 

「ここはあんたの故郷なんだろ。残るのか?」

 

 逡巡して、わたしはかぶりを振った。

 

「わたしを知ってる人はいないみたいだし、何も思い出せないから。帰ってきたって感じにはなれないかも」

「ここは正しい場所じゃないのか」

「多分ね」

 

 それだけ言って、わたしは教会の中に入った。礼拝堂を歩いているとき、懐から声がした。

 

「あやつらと往く道を選ぶか」

 

 ばたばたと小さくなった翼をはためかせた飛竜が、わたしのスカートから出てくる。

 

「顎門……、いつの間に」

「100年もの間、人の目を逃れてきたのだ。これくらい造作もない。それで、お主は故郷に残らぬのか?」

 

 「うん」とわたしは頷いた。ユーリィに言えば村長に事を説明してわたしを村に置いていくだろう。そうなればこの教会が家になり、学校で教育を受けて今までの分を取り戻す人生を送るのかもしれない。

 

 想像できる限りでは穏やかな毎日だ。金色の麦畑を眺めて、大人になればどこかの家に嫁ぎ子を産み育てる。それこそが幸福なのかもしれない。

 

 でも、わたしはどこかでそれを拒否した。

 

「約束された幸福に目を背けることであると、理解はしているのだな?」

 

 見透かしたように言う顎門への対抗心で、ついわたしは言い返してしまった。

 

「分かっていたから、わたしを選んだんでしょ?」

「もし平穏を往くことになろうと、我は止めぬ。お主の選んだことだ」

「もしかしてだけど、あなたは全部知ってたんじゃないの? ユーリィの過去も、アーウィンのことも」

「ああ、知っていたとも。お主が人界の貴族から辱めを受け続けていたこともな」

 

 悪びれもせず、小さな赤き飛竜は言ってのけた。

 

「異端な思考を持つ者、異端な境遇に置かれた者としてお主らを見出したのだ。世の行く末を決す者としてな」

「助けようとは、思わなかったの?」

 

 わたしは沸々とした怒りが裡から沸き上がっているのを自覚する。この飛竜は世界を滅ぼすほどの力を持ちながら、それを救済に使おうとせず高みの見物を決め込んでいたのだ。

 

 この飛竜に悪意がないことは知っている。でも、どうしても煮え切らないものがあるのは仕方ない。わたしは感情のままに、顎門の小さな身体を掴んだ。飛竜は慄くことなく、雄弁に語る。

 

「人の世を作るのは人だ。我の介入すべきところではない」

「それでも救えたものはあったはず」

「我が救い、人がそれを奇跡と崇めたとしよう。それでも時が過ぎれば人は奇跡すらも忘れるし、隠そうとする。後者は整合騎士が良い例だ。禁忌目録を破るのは人界の者からすれば奇跡の所業だが、アドミニストレータはその奇跡を大罪と断じ自らの人形に作り替えたのだ」

 

 悪意がないが、人への慈しみもない。顎門の語りは、あくまでも裁定者という1歩を引いた物だった。

 

「代表剣士がベクタを討ったという奇跡も、民の記憶から薄れていくのはそう遠くない。辛うじて保たれている今の平穏を続けていくには、また奇跡が必要だ」

「わたし達がその奇跡を起こすっていうの?」

「奇跡とは限らん。悲劇かもしれぬ」

「どうなるかも分からないのに、あなたはちっぽけな存在に世界を投げ出すつもり?」

「奇跡だろうと悲劇だろうと、どちらでも良い。我が見届けるべきは衝撃と、それに対して人が何を選択しどこへ進むかだ。その衝撃を起こす可能性が高いとみたからこそアーウィンをお主のいた村に向かわせ、ユーリィをお主らに会わせたのだ」

 

 愕然として言葉も出なかった。ずっと世界を、わたし達を見てきた。それは比喩とかではなく言葉通りだった。こうして小さくなって、わたし達の苦しみや怒りを傍で見続けてきて、蓄積した感情が世界に一撃を与えるとして邂逅を仕組んだのだ。

 

「お主の怒りはもっともだ」

 

 無機質に顎門は言った。

 

「だがその怒りを向けるべきは我ではなく、世を作り上げた民と権力者だ」

 

 手の中が熱くなり、咄嗟にわたしは手を離した。顎門の身体が仄かに赤熱している。

 

「我はどうしろと命じない。お主が従うのはお主の心だ。何を望むのか、自らに問い答えを決めよ」

 

 顎門は流れるように宙を飛んで、扉を身体で押し開けると外へ出ていった。セツナの服へ戻るつもりなのだろうか。顎門を掴んでいた手は少し火傷したようだったけど、神聖術を施すほどのものでもない。2、3日すれば治癒するだろう。

 

 窓から日差しが射しこんでくる。もう夕刻も近いらしい。眩しさに目を背けながら、わたしは客室への階段を上った。

 

 部屋に入ると、ベッドでアーウィンが腰掛けていた。村に入ってすぐ、小さな女の子から暗黒界人だと泣かれたからずっと部屋にいたのだろうか。

 

 いや、それよりも気になるのは彼女が全裸ということだ。

 

「アーウィン?」

 

 声を掛けてようやく、彼女は「ああ、ナミエか」とわたしの姿を認めた。こんなことは初めてだ。ほんの数メル距離があったとしてもわたしの存在に気付けるはずなのに。

 

 わたしはアーウィンの横に腰かけ、「どうしたの?」と訊いた。

 

「セツナに振られてしまったよ」

 

 言葉の意味がわたしにはよく分からなかった。アーウィンは察したのか、乾いた笑みを零す。

 

「契りをと迫ったんだが、断られた。私としては一世一代の告白だったのだがね」

 

 深く溜め息をつくと彼女の豊かな胸が揺れた。見れば見るほど魅力的な体躯をしている。すらりと長い四肢に、筋肉質だけど硬さを感じない肉付きの良い褐色の肌。一糸纏わずこんな肢体で誘われれば、大概の男は食いついてしまうのではないだろうか。

 

 少なくともわたしが相手してきた男たちはそうする。そして子ども体型のわたしは捨てられる。

 

「こんな骨太な女では欲情しないか」

「そんなことは、ないと思う」

 

 この姿のまま外に飛び出してみたら、きっと村の男たちは禁忌など知るかと彼女の肉体を好き放題するかもしれない。

 

 いや、気にするところはそこじゃない。気にすべきはアーウィンが自らの身体を差し出そうとしたのがセツナだったということ。

 

「セツナのこと好きなの?」

 

 直球な質問に、アーウィンは逡巡した。しばらくの沈黙の後に彼女は無言のまま頷く。少女のような反応に、わたしは内心で驚いていた。男には困らなさそうな容姿なのに。

 

「最初は単に憧れだった。私にできないことをやってのける。私も彼のような強さが欲しいと」

 

 頭に思い浮かべてみる。手にした剣で、迫りくる敵を次々と物言わぬ肉の塊に変えていく黒装束の男。黒い髪を揺らし、黒い瞳はただ目の前の殺すべき者のみを捉えている。

 

 そして築いた屍の山に立ち、それを祝福するかのように空から微かに降りてくる陽光を浴びる。

 

 創造主たちの世界から遣わされた使者。

 

 法も罪も超越した存在。

 

「でもいつしか、私はもう力を望まなくなった。私が望んだのはセツナ自身だった。ただ彼がそこに居てくれさえすればいい。願えば、私を包み込んでくれはしないかと」

 

 顎門の言っていた、世に衝撃をもたらす存在。アーウィンはセツナにそれ以上の、神としての役割を見出した。言うなれば彼女は彼の信者だった。でも、彼女は神に対していささか行き過ぎた望みを抱いてしまった。

 

 神に等しい存在を目の前にしたとき、人はどんな欲望を抱くのだろう。自らの願いを叶えてと祈るのか。それとも神を我が物にしようと目論むのか。

 

 アーウィンは神と契りを交わすことを望んだ。受け入れられれば、それは祝福だったのかもしれない。例え汗だろうと唾液だろうと鼻水だろうと、神の肉体から出たものが汚いはずがない。それを自らの体内に与えてくれるのは、至上の悦びなのだ。

 

「まあ、良いさ」

 

 ベッドの上に投げ出された衣服たち。アーウィンはその中から下着を掴んだ。少し濡れていたが、構わず彼女は履いてしまう。

 

「もし彼が受け入れていたら、怖気づいていたかもしれない。覚悟は決まった。これで良かったんだ」

 

 その声はもう、いつもの精悍なアーウィンだった。

 

「覚悟?」

「すべきことをする決心がついたということだよ。彼に迫ったのは願掛けのようなものさ」

 

 服を着た彼女は背筋をしっかりと伸ばす。腰に携えた剣の鳴らす金属音は、彼女の剣士としての姿勢を正していた。

 

 ふと、アーウィンがわたしをじっと見つめてくる。

 

「君の髪、光を浴びると赤く輝くんだね」

 

 唐突に言われ、わたしは戸惑いながらも自分の髪を手に乗せる。「ほら」とアーウィンが窓から射す夕刻の橙色になったソルスの光の下へ、髪を乗せたわたしの掌を移動させる。陽光を浴びた黒髪は確かに、赤みを帯びた光を反射させている。

 

 気が付かなかった。当然か。ずっと暗黒界にいたのだから。

 

「やはり人界の者は、人界にいてこそ輝くんだろうね。とても綺麗だ、羨ましいよ」

 

 アーウィンの髪はソルスの光を浴びても灰色のままだった。剣士として、騎士として剣の道を進んできた彼女は、この一時だけは女であることを望んでいるように見えた。そう思った根拠は、彼女の目尻から零れた涙だ。

 

 わたしにはそれを拭うことも、慰めの言葉をかける気概もなかった。

 

 

   3

 

 一夜明けて、東の空からソルスの光が覗くとすぐに出発することになった。フォーラストの村人たちは仕事熱心だ。夜明けと共に畑に出てくる。暗黒界への支援のため、畑はどんどん耕せというのが統一会議の方針らしい。

 

 村長があてがってくれた馬車に揺られながら、わたし達はシスターから餞別として貰った朝食を摂っていた。炒り卵と葉物野菜を挟んだサンドイッチと簡単なものだったけど、パンがとても柔らかくて美味しかった。シスターから天命が長持ちしないから早めに食べるようにと言われたのも頷ける。

 

「まずは央都のセントラル・カセドラルへ行く」

 

 食後のコヒル茶を飲みながらユーリィが言った。

 

「そこでナミエと、セツナの処遇を決めてもらう」

「なら、私は代表剣士殿に暗黒界への支援をもっと充実させろと頼んでみるかな」

 

 アーウィンの茶化しを「すればいい」とあしらいつつ、ユーリィはわたしに微笑を向けた。

 

「大丈夫だ、不安がることはない」

 

 そんなにわたしは暗い顔をしていたのだろうか。ユーリィは更に言う。

 

「もし故郷が見つからなくても、私が見習い神聖術師としてセントラルに居させるよう進言してみる。君は素質があるようだからな」

 

 「そんなに?」とわたしは訊いた。確かにアーウィンとユーリィから教わっていくつかの術は使えるようにはなった。浅い切り傷程度だったら治癒できる。

 

 「確かに」とアーウィンも同意を示す。

 

「ナミエの飲み込みの速さは才能と言っていい。普通なら式句を覚えても発動できるようになるまでひと月は掛かる」

 

 そういえば初めて術を教わった夜も、アーウィンはわたしに素質を見出していたようだった。その時は単なるお世辞かと思っていたから、気にも留めていなかったけど。

 

 初めて教わった光を灯す術は1週間ほどで習得できた。神聖術でも暗黒術でも基本中の基本らしいから、誰でもすぐできるものだと思っていた。

 

 式句を唱えているとき、わたしには周囲に漂っている何かが自分に集まってくるような感覚があった。それが掌の中に集束し、光や火として顕現するような。

 

「術で何を起こしたいのか、頭に思い浮かべると上手くいくことが多いかな」

 

 そう呟くと、ユーリィは「そうだ」と首肯する。

 

「想像力が大事だと、代表剣士殿が言っていた。何の目的で術を使うのかを頭の中で思い描けなければ、式句が正しくても意味がないらしい」

「ナミエは想像力が豊かなんだろう。しっかりとした場で学ぶのも良い」

 

 この時のアーウィンとユーリィはよく喋った。ふたりの裡に渦巻く想いを知ってか、隠すための振る舞いなのではと勘繰ってしまうほどに。

 

 ユーリィの忠義への疑惑。

 

 アーウィンの女としての望み。

 

 気遣いを求めるほど器量の狭いふたりじゃないことは知っているけど、気まずさは否定できなかった。

 

「――で、この馬車で央都までどれくらいかかるんだ?」

 

 アーウィンの質問に、ユーリィはそういえば、と顎に手を添える。整合騎士であるユーリィの移動手段といえばもっぱら飛竜だったはずだ。

 

「まあ、道は間違っていないんだ。そのうち着く」

 

 と、返ってきたのは何とも頼りない答えだった。盛大な溜め息をつくアーウィンに、流石にユーリィもいつものように噛みつく気も起らなかったらしく押し黙った。

 

「途中で街か村があったら食糧の買い出しをしておこう」

 

 皮肉たっぷりにアーウィンは言った。馬車に積んだ食糧といえば、さっき食べてしまった朝食のサンドイッチだけだったのだから。

 

 幸いにもここは人界だから、道中出くわした野生動物を狩るという手もある。問題は、この馬車がひどく足取りがゆっくりということだ。

 

 村の方角から《時告げの鐘》の旋律が聞こえた。結構進んだと思っていたけど、道のりは思っていたよりもずっと長いらしい。

 

 何気なく聞いた《時告げの鐘》に違和感を覚え、わたしは耳を澄ませた。公理教会から貸し出された神器の鐘で、定刻になるとひとりでに音を奏でるという。人々は鐘の音で1日の流れを読むらしい。

 

 そんな鐘の音に雑音が混じっているような気がしたのだ。ユーリィも同じ違和感に気付いたらしい。日常の中に鐘の音があった彼女にとっては見つけやすかったことだろう。窓から顔を出した彼女は上擦った声をあげた。

 

「あれは………!」

 

 わたしも窓から村の方角へ目を向ける。まだ見える家々の屋根。その間から煙が空へ立ち昇っている。人界の澄んだ空気の中で、その灰色の柱は明瞭に視認できた。

 

「村に戻るぞ!」

 

 アーウィンが馬車から出て、のっそりと歩く馬に跨る。驚く馬の手綱を引いて踵で尻を蹴ると、馬は前肢を振り上げ身体の向きを変えて来た道を走り出した。

 




そーどあーと・おふらいん えぴそーど19


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「さあて、今回はナミエの故郷らしき村に来たわけですけど、正直はっきりしなかったわね」

キ「本来なら感動的な回になるはずなんだよな。生き別れた両親との再会とか」

ア「そうそう。もっと色々あるはずなのよね」

キ「一切ないな。親は多分死んでますで済ませてるし。ある意味斬新だよここでナレ死ぶっこんでくるとか」

ア「まあここしばらく顎門の登場とかユーリィの過去編とか情報量の多い回が続いたものね。ここでナミエの故郷とか入れたらもう読者さんそろそろ終盤に入ろうとしてるんじゃ、て勘繰っちゃうわよ」

キ「まあでも、肝心なセツナの正体もまだ分かってないからなあ」

ア「正直もうどうでも良いんじゃない? 現実から来たって分かっただけでもうお察しみたいなものだし」

キ「いやいやまだ謎が多いじゃん。何のためにアンダーワールドに来たのかとか、何で記憶がない状態で送られたのか。あとどうやって来たのか」

ア「まあ、いくら考察したところで遠くないうちに正体分かるだろうから読者さんは続けて読んでくださいね」

キ「おい投げてんじゃねえか!」

ア「だってこれ書いてる作者だってもう正体分かり切ってるのにさも知らないみたいに書くの疲れるのよ」

キ「メッタメタだなあ」

ア「作者もようやく終わりが見えてきたんだからラストスパートかけたいのよ」

キ「見えてきたって今回19話でストーリーの進捗どれくらいなわけ?」

ア「3割くらいらしいわよ」

キ「進んでねーじゃん!」

ア「更に言えば作者は作品書くとき大体終わりを決めてから始めるそうです」

キ「じゃーもう最初から終わりへの道は見えてんじゃん」

ア「つまりはそういうこと! そんなわけで今回あんまり話が進まなかったのも予定調和なわけ」

キ「ただでさえ情報量多いのに1話で詰め込もうとするからだよ」

ア「そうそう、今回アーウィンがセツナに迫ったのだって重大なことなのにほんのワンシーンで済まされちゃうのよ」

キ「それに関してはもっと生々しく書こうとしたけどそしたらR-18になるから短くライトな表現に抑えたらしい」

ア「もう、一応ハーレムものなんだからそこの所をしっかり書くべきなのに!」

キ「ジャンルがハーレムものってネタじゃなかったんだな………」

ア「作者としては大真面目にハーレムとして書いてるそうよ」

キ「ハーレムものにしては何でセツナがモテるのかしっかり描写すべきと思うんだけど」

ア「え、キリト君大丈夫?」

キ「何が?」

ア「セツナのモデルはキリト君だから、セツナがモテる理由が分からないなんて言ったら遠回しにキリト君自分をディスることになるわよ」

キ「大ダメージ食らうようなこと言わないで!」

ア「因みに作者はもし現実にキリト君みたいな人がいたとしてもモテるかは疑問だそうです」

キ「おい作者あ‼」

ア「いやディスってるんじゃないのよ。作者はキリト君を雰囲気イケメンと解釈してるんだから」

キ「ダメージ変わってないわ! じゃあ俺がモデルのセツナも雰囲気イケメンってことか!」

ア「えー作者曰くセツナは現実だと女の子に困らないくらいはイケメンだそうです」

キ「リア充ズラってことか………(血涙)」

ア「まあ説明は最後まで聞きなさない。セツナはイケメンなんだけど目つきの悪さやアンダーワールドでの価値観から劇中でイケメン扱いする予定はないそうです」

キ「じゃあ要らないんじゃないかイケメン設定は」

ア「だってビジュアル的に主人公がブサイクだとキツイわよ。ブサイク主人公のハーレムなんてその手の趣味の大人なビデオじゃない」

キ「例えに気を付けてね。一応R-18じゃないんだから」

ア「というわけで、これからの作品の見どころはセツナの正体と、セツナを巡る女たちの戦いになります!」

キ「作者は大真面目に本編書いてるから誤解しないでくれよー」

ア「村に上がった火の手は何なのか! そして次はどんな殺戮が繰り広げられるのか! こうご期待」

キ「お楽しみにー」


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第20幕 リアル・エネミー

 

   1

 

 村に戻って最初に出会ったのは、腹から臓物を零した農夫だった。

 

 斬られてすぐ絶命できなかったらしく、苦悶の表情を固めている。哀悼の意を、なんて慈悲は持てなかった。村中の至る所で人が死んでいるのだから、ひとりずつに黙祷を捧げていたらわたし達まで死者に仲間入りしてしまう。

 

 村を出て戻ってくるまで数十分程度だったのだが、襲撃者たちが村を壊滅状態に追い込むには十分だったらしい。遠くから見えた煙はわたし達が泊まっていた教会から出ていた。燃え盛る炎の中にわたし達の食事を用意してくれていたシスターがまだ残っているのか、確認する術なんてなかった。

 

 通路のあちこちで死体が転がっているが、まだ殺戮が完了したわけではなかった。村の中央へ向かっていたわたし達の進路上からはまだ生き残っている村民たちが雪崩れ込んできて、その奥へ視線を辿ると巨人たちが闊歩している。

 

 文字通り巨人だった。人間の倍以上はあろう筋骨隆々な体躯には鎧の類といった防具はなく、腰布1枚だけを纏っている。あまりにも巨体なものだから、歩くだけで通路を囲む家に接触してしまう。それでも巨人にとっては取るに足らないらしく、家々の壁と屋根を抉りながら行軍を続けている。

 

「ジャイアントか!」

 

 ユーリィが叫んだ。暗黒界の亜人種で最も巨体で力に秀でた種族。聞いていた話に違わず丸太ほどある剛腕は鉄槌を軽々と振り回している。

 

 ジャイアントが鉄槌を下から振り上げた。まるで枯草を薙ぎ払うみたいに、何人かの村民が血を撒き散らしながら宙を舞う。再び鉄槌が振るわれると、飛んでいた村民のひとりに直撃した。成す術なく打ち付けられた全身が空中で分解され、血と臓物と四肢を飛散させていく。

 

「何故………!」

 

 歯ぎしりしながらユーリィが声を絞り出す。この状況で分かる事といえば、村民たちがジャイアント族に殺されている事のみ。疑問が脳裏に渦巻きながらも、整合騎士はすべきことを知っている。

 

 背中の革留めから外した槍を手に取ると、ユーリィは神聖術の詠唱を始めた。紡がれる式句は口早ながらはっきりとしている。彼女の口から次々と溢れ出す神への祈りの言葉の連なりに呼応するように、手にした神器から何かが胎動しているかのような錯覚を覚えた。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 白麒槍(びゃっきそう)という銘を与えられた槍の切っ先から、渦を巻いた紫電が発射される。雷の弾は逃げる村民たちの頭上を一瞬で過ぎ、行軍の殿を務めるジャイアントの胸に触れると、彼とその周囲にいた数人の全身に稲妻が駆け巡り身体を仰け反らせた。更に身体の節々から一斉に鮮血が皮膚を裂いて吹き出してきた。一瞬遅れて巨体が炎に包まれる。

 

 一度に数人は葬ったけど、それは敵の半分程度に過ぎない。それどころか、敵の軍勢にわたし達という抗戦勢力が現れたことを知らせるようなものだった。

 

「余計なことを」

 

 とセツナが皮肉を飛ばす。

 

「注意を逸らしたのだ」

 

 というユーリィの反論にセツナはふん、と鼻を鳴らす。確かに敵の意識をわたし達へ向ければ、村民たちが逃げる時間を稼げる。合理的といえば合理的なのだけど、戦えないわたしとしては歓迎できるものではなかった。

 

「整合騎士だ!」

「殺せえええ‼」

 

 目論見通り、ジャイアント達の殺意たっぷりな声が背後にそびえ立つ果ての山脈にこだまする。

 

 逃げる村民たちの間を人影らしきものが凄い速さで駆け抜けてくるのが見えた。明らか人を超えた速度で近付いてくるそれが馬車の陰に消えたと同時、車体が急に傾きわたし達の身体が跳ね回る。

 

 車輪をやられた。恐らくはあの陰に。場数のせいか、わたしはそんな冷静なことを考えることができていた。「ここは危険だ」とアーウィンに抱えられて窓から出た。

 

 わたし達の事なんてどうでもいいとばかりに村民たちが通り過ぎていく。でもわたし達に興味がありそうな者が、毛で覆われた尾をしならせ鋭い視線を送ってくる。

 

 毛で覆われたのは尾だけでなく全身だった。顔は狼だが、4足じゃなく後ろ足の2足で立っている。手持ち無沙汰になっている前足の片方には剣を握っていて、新たな役目を与えていた。

 

「オーガまで……!」

 

 ユーリィが槍を構えた。そう、オーガ族。暗黒界側で果ての山脈までわたし達を案内してくれた青年と同じ種族だった。

 

 オーガは大きく裂けた口を開け、まさに獣のような咆哮をあげた。人とは違う、何かの思惑や駆け引きなんてない。純粋な、獲物を仕留めるという研ぎ澄まされた殺意が空気を震わせる。それに慄いたわたしはアーウィンの腕にしがみ付いた。

 

 だがこちらも、殺意を研ぎ澄ました者がいる。やはり殺す者として感じ取るものがあったのか、セツナに逡巡はなかった。

 

 背中の大剣を構え、その重さで少しばかり緩慢な動きではあるもののオーガに肉厚な刀身を振り下ろす。向こうも獣並の脚力は伊達ではなく、難なく剣を避けて一瞬の隙に背後へ回り込む。

 

 オーガが剣を構えて肉迫しようとしたとき、セツナの突き出した右足が毛の薄い腹に食い込む。ごぼっ、と奇声じみたものを吐き出すオーガの胴に、セツナは大剣を横薙ぎに振るい両断した。

 

 上半身と下半身に分けられた獣人が無造作に地面を転がる様に目もくれず、セツナは次の敵を見据える。真っ直ぐわたし達へ向かってくるジャイアントへと。

 

 わたしは「システム・コール」と式句を口ずさんだ。暗黒界だと空間神聖力が希薄だから簡単な術式を組むのもひと苦労だけど、ここは人界。神聖力は湯水のようにある。

 

 でも、わたしの口はアーウィンによって塞がれた。不意のことに目を見開くわたしの耳元で彼女は囁く。

 

「大丈夫、私の傍にいれば安全だ」

 

 わたしを安心させようとするには、手に込めた力が強すぎる気がした。違和感を覚えながらもわたしに抗うことなんてできず、成すがままアーウィンに身を寄せる。

 

 わたしの助けなんて必要なかったらしく、セツナは自分の倍はある太ったジャイアントに跳びかかり、その太鼓腹に大剣を一閃した。ぱんぱんに膨れた腹から内臓を溢れ出させて、ジャイアントは膝を折る。

 

 重い大剣は威力こそあってもセツナの動きをどうしても鈍くしてしまう。背後から鉄槌を振り下ろそうとしたジャイアントに気付くも、既に間合いに入ってしまっている。

 

 だがその難点はユーリィが補ってくれた。背後のジャイアントの更に背後を取った彼女が、背中に跳びかかって槍を深々と突き刺す。気を取られたところで、セツナは大剣で敵の両足を切断した。

 

 残る1体が「うがああああ!」と人型とは思えないほど獰猛な声をあげながら走ってくる。セツナが振りかぶった大剣が白銀の光を放ち始める。それを認識してか、ジャイアントのほうも手にした鉄槌を振り下ろしてきた。

 

 一瞬遅れて、セツナが下段から大剣を振り上げる。触れ合った金属同士の甲高い衝突音が鐘のように響いた。

 

 剣の放つ光の眩しさにわたしは目を瞑る。どすん、と巨大なものが倒れる音と土煙の匂いがして、ゆっくりと目を開く。予想していた通り、倒れたのは鉄槌ごと右腕を真っ二つに裂かれたジャイアントの方だった。正確には、裂かれた創傷は右手の先から肩へ、更に顔面にまで達している。

 

 まだ後方で村民たちの悲鳴や呻き声が聞こえているけど、大分静かになったように感じられてしまう。呻き声は近くでも聞こえていた。

 

 ただし、村民のものじゃない。

 

「白イウム……、殺す………!」

「殺す、食う………」

「おれは……死んでねえ………」

 

 まだ怨嗟や闘魂逞しい声がちらほらと息吹いていた。

 

 腹から零れる臓物を押し戻そうとする巨人。

 

 両脛の下を失っても立とうとする巨人。

 

 顔の半分を裂かれても起き上がろうとする巨人。

 

 しまいには、下半身を失ってもまだ剣を取ろうとする獣人までいる。

 

 その光景にわたしは吐き気を催す。トルソ村で見た、皮を剥がされ肉を裂かれ血と臓物を抜き取られたオーク達を思い出してしまった。

 

 彼らは間違いなく死んでいた。天命を絶たれた上で生命から肉という物質に変えられていた。

 

 それに対して、今わたしの前に広がっている者たちはまだ生きている。

 

 臓物を零しているのに。

 

 ぼたぼたと血抜きをされているのに。

 

 皮を裂かれて肉の繊維を露にしているのに。

 

 まだ心臓が脈打ち、呼吸していて、殺意に満ちた視線をわたし達へと光らせている。まるで生きながら肉にされる工程に晒されているかのような生々しさに、生理的な嫌悪がわたしの背筋を凍らせた。

 

「何だこいつらは………」

 

 似た嫌悪を感じたのか、ユーリィも口元を押さえている。今まさに死にゆく者の姿というのは、どうにも見るに堪えないものがある。いや、違う。わたしが抱いていたものはそんな慈愛じみたものじゃない。

 

 不気味なのだ。すぐ息絶える程の傷を負ったにも関わらず、まだ戦意を保ち続けている光景が。傷なんて些末事であるかのように。何らかの手当てをしなければ間違いなく死ぬだろう自身の肉体よりも、獲物であるわたし達へ彼らの意識は向いていた。

 

 まるで――

 

「痛みがないのか」

 

 わたしの予想を代弁するかのように、セツナが口を開く。彼の顔には嫌悪も恐怖もない。いつものように無表情だ。無表情のまま大剣を担ぎ、生き残りの天命を削ぎにかかる。

 

 ひとつ、ふたつと首を絶っていく。腹が裂かれようが足を失おうが、他の怪我の程度に関わらず首さえ斬ってしまえば問答無用に天命は全損する。ふたりともまともに動けないから抵抗のしようもなく、斬首は淡々と作業されていった。

 

 顔の半分を裂かれた巨人も。まともに喋れない口を懸命に動かしていたが脳天をカボチャのように割られてとうとう沈黙した。

 

 残った上半身だけで這いずるオーガも止めを刺そうと近付いたが、獣人の口走った言葉にセツナは突き立てた剣を静止させる。

 

「申し訳ありません、将軍………」

 

 その目は紛れもなく、わたし達へと向けられていた。わたし達の、わたしの傍に居るアーウィンへと。

 

「いや、十分だよ。よくやってくれた」

 

 アーウィンの口から出たのは反論や拒絶じゃなく、穏やかで優しい言葉だった。オーガの目から光が失せる。虚空を見つめる顔から生命の喪失を感じ取ったのか、セツナは剣を引いた。

 

 わたしは咄嗟に掴んでいたアーウィンの手を振り払う。足取りがおぼつかないわたしの手をユーリィが引いてマントの陰に隠すように後ろへと回した。

 

 アーウィンは地面を転がっていたジャイアントの首へと歩き出し、そんな彼女にユーリィは槍を向けた。

 

「一体どういうことだ。わたし達を(はか)っていたのか!」

「君と私は同志じゃないだろう。違うか?」

 

 ユーリィの問いに返したのは、そんな冷たい声音だった。続けて質問したのはわたしだったのだが、困惑のあまり声が震えてまともに喋れなかった。

 

「アーウィン、どうして………?」

「総司令官の勅令で殺しが禁じられているのは、東の大門を渡る場合だ。この者たちは果ての山脈を越えてきたんだよ。私たちの通ったのとは別の坑道をね」

 

 的外れな答えに怒号を飛ばしたのはユーリィだった。

 

「方法じゃなく、こんな事を起こした理由を訊いている!」

 

 「理由ね」とアーウィンは蒼穹を仰いだ。そこに答えが漂っているかのように。

 

「依然から、漠然とこういう事を成さなければとは思っていたよ。でも、統一会議は支援を充実させてくれるかもしれないという期待もあって踏み切ることができなかった」

「代表剣士殿は徐々にだが支援物資の量を増やすよう手配している。待っていれば、貴様の望み通りダークテリトリー全域にまで支援は届くはずだ」

「ああ、そうかもしれないな。だがそうやって足踏みしているうちに誰かが死んでいく。気付かれることなく惨めにね」

 

 アーウィンの言う死んでいく者とは誰なのか、わたしは気付いた。

 

「オークの村」

 

 食糧不足を解消するために、自らの命を捧げたトルソ村のオーク達。人族に膝をつき豚であることを――家畜であることを受け入れた憐れな亜人。

 

 その事実は村の秘密とされていた。定期的に視察に来ていたユーリィにも隠され、当然人界統一会議も知らない。人々が穏やかに畑仕事に精を出す地下で、オーク達は人知れず殺され解体されていた。

 

 「そうだよ、ナミエ」とアーウィンは悲し気な顔に無理矢理に笑顔を作る。

 

「トルソ村の惨状を知り、私は決意したんだ。こんな悲劇もう2度と起こしてはならないと」

「なら何故、貴様が悲劇を起こすのだ!」

 

 ユーリィの声が悲痛に響く。

 

「私と共に央都へ行き、代表剣士殿に村のことを知らせれば、我らも何らかの措置を――」

「言っただろう。足踏みしている間にも誰かが死んでいくと。私たちの目の届かないところで罪のない者たちが食い物にされているんだ」

「それがどうして、貴様がこんな事をする理由になるのだ!」

「馬鹿どもに分からせるためさ」

 

 はっきりと告げたアーウィンの簡潔さにユーリィも言葉を詰まらせる。

 

「貴様らの行為など何の意味もないと。私たち暗黒界の蓄積させてきた怒りや憎しみは、いつでも人界に牙を向けられると分からせてやる必要がある。重い腰を上げさせるには、人界で血を流してやらないと馬鹿は理解しない」

 

 痛みなくして、変革はない。変わらないのならば、変えざるを得ない状況を作り出すしかない。依然から考えていただけあって、アーウィンがそれを決断してから実行に移すまでは恐ろしく迅速だったに違いない。

 

 きっとオブシディアに戻った時に、かねてから進めていた準備の仕上げにかかったのだろう。いや、準備はとうに済ませていた。後は、周囲に転がっているジャイアントやオーガに指示を飛ばすだけだったのだ。

 

 「システム・コール」とアーウィンが短く式句を唱える。攻撃術かとユーリィは身構えたが、アーウィンの手中で生成された火球は上空へと打ち出され、程なくして破裂音を響かせながら空中に爆炎が花開く。

 

「これでは終わらないよ。控えている同志たちは沢山いる。この村の生き残りたちも、じき根絶やしにされるだろうね」

 

 アーウィンは悲しそうな顔をしていた。しっかりと理性を持った顔で、犠牲になった者たちへの哀悼の意思を湛えている。

 

 幾重もの咆哮が、果ての山脈から下ってくるのが分かった。狼煙を確認したアーウィンの「同志たち」が村を更に破壊し尽くそうと迫ってくる。

 

「人界の民には申し訳ないが、償いはしてもらう」

「償いだと?」

「ああ、私たちの飢えを食い物に安穏と暮らしていた責任を取ってもらう」

 

 山脈の果ての奥に広がる荒涼とした大地。そこで土を貪り泥水を啜りながら生きてきた者たちがいる。そこは闇の国と、住人たちは暗神の眷属と見放された。

 

 いくつもの戦乱で流れた血と散った亡者たちの魂を背負って、人界人たちにとって「世界の終わり」だった山から獣人たちがやってくる。

 

 四足で駆け下りてくる様は狼そのものだった。革の胸当てとか、背中に担いだ剣とかは人の真似事に見えてしまう。獣ならではの連携力か、オーガ達はわたし達を包囲し退路を塞ぐ。

 

「退くつもりはないのか?」

 

 ユーリィの問いにアーウィンは「ない」と即答し、

 

「後戻りできないのは覚悟の上だよ」

 

 「そうか」とユーリィは深く嘆息し、槍を構え直す。

 

「ユーリィ・シンセシス・トゥエニワン、参る!」

 

 宣言した瞬間、オーガ達が一斉に吼えた。同時、数人の首が撥ねられる。大剣を振りかぶったセツナを先の獲物として捕らえようと、獣人の群れが彼に向かっていく。

 

「アーウィン・イクセンティア、参る!」

 

 剣を抜いたアーウィンも宣言し、同時に駆け出したふたりはそれぞれの間合いに入ると武器を打ちつけ合う。

 

 緋色の光を放ったアーウィンの剣が、槍を持ち主ごと弾いた。間髪入れず肉迫し横薙ぎの一閃を放ち、間一髪で避けたユーリィの背後に建つ民家を両断してみせる。

 

「実を言えば、君とは手合わせをしてみたかったんだよ。師から与えられたこの剣が、整合騎士に通用するかとね」

 

 光が消えた刃を指でなぞりながらごちるアーウィンに、ユーリィは構わず槍を突き出す。視認すら難しい鋭い突きだが、アーウィンは身を屈めて避けつつ足を払うよう剣を振る。

 

 それを見越していたのか、跳躍したユーリィの爪先を剣が掠め火花を散らす。宙を跳びながら突き出された槍と地上から振るわれた剣が衝突し、反動によって互いに後ろへと追いやられる。

 

 先に体勢を立て直したのはアーウィンのほうで、肉迫し振り下ろした剣はユーリィが咄嗟にかざした槍の中腹で受け止められ拮抗する。

 

 いつ崩れるかも危うい鍔迫り合いで、ふたりは互いに闘志のこもる眼差しを交わしていた。異界戦争のような、人界と暗黒界の敵同士なんて単純なものじゃない。

 

「武器に躊躇を感じるぞ」

 

 煽るようにアーウィンが言う。

 

「私に情けをかけている余裕があるのか?」

「情けなど……!」

 

 癇に障ったらしく、ユーリィは力任せにアーウィンごと剣を弾いた。反動で痺れるのか、アーウィンは手を振りながら言う。

 

「君は――君たち整合騎士はもしや、暗黒界の民を殺すなと命令されているんじゃないか?」

 

 その問いにユーリィは逡巡した。「図星か」と彼女の心中を察し、アーウィンは更に告げる。

 

「戦前は私たちが果ての山脈を越えようとすれば問答無用に殺していただろうに。これも代表剣士の方針か?」

「代表剣士殿はようやく結ばれた和平が永遠に続くことを望まれている。あの方にとって、ダークテリトリーの者たちも護るべき民なのだ」

「慈悲深いな。だがその慈悲による命令で、君は護るべき民が殺されながらも見ていることしかできないわけだ。君に私は殺せないからね」

 

 アーウィンは両腕を広げた。戦いの中ではひどく無防備な仕草だ。でも彼女は確信している。目の前の整合騎士が決して自分の天命を一定以上減らせないことを。

 

「気になるのは、君が出合い頭にジャイアントを殺せたことだ。彼らも民なのに何故――」

 

 眉を潜めて思案の表情を浮かべるが、すぐに得心したように緩む。

 

「ああ、魔獣と同じ類と見ていたのか。残念だよ」

 

 そこでわたしには気付いたことがあった。

 

「人を殺せないのはアーウィンも同じはず」

 

 わたしの言葉に彼女は「暗黒界ではね」と答える。

 

「イスカーンの発した勅令は暗黒界の民同士で殺し、盗み、騙しを働いてはならない。ここは人界で、私が相手しているのは民ではなく整合騎士だ」

 

 「屁理屈を!」とユーリィが怒声を発した。法の抜け道を突くなんて、民を苦しめてきた貴族と同じじゃないか。同類じみた行為にアーウィンが嫌悪を覚えなかったはずはない。

 

「でもねユーリィ、私は君を殺す気はない」

 

 その言葉にユーリィは口を結んだ。ふたりの沈黙で、背後で繰り広げられている剣戟の音がよく聞こえた。肉と骨を絶つ音が。

 

 それらの血生臭い音に負けじと、アーウィンは再び声をあげる。

 

「私の目的はあくまでこの村を滅ぼすことだ。邪魔さえしないのなら剣を引く」

「騎士である私に、こんな蛮行を見過ごせというのか!」

「出来ないだろうね。私に君を殺す理由はないが、君には私を殺す理由と大義があるはずだ」

「侮るな!」

 

 ユーリィが槍を突いたが、アーウィンはいとも容易く剣で払ってしまう。

 

「さっきから急所を外して狙っているのが丸分かりだ。どうした? セツナに君のような迷いはないよ」

 

 その言葉に、ユーリィは背後を振り返った。わたしも同じ方向へ視線を転じる。

 

 斬り飛ばされた毛だらけの腕や脚が、そこら辺に散らかっている。積み上がった死体はどれも身体の一部を失っている。五体満足なものが見当たらなかった。

 

 そんな状態になっても、まだ生きている者がいる。彼らの口から出ているのは苦痛ではなく、まだ戦おうとする闘志に満ちた唸り声だった。

 

 さっきのジャイアント達と同じだ。まるで痛みを感じていないかのように、自分の手足がなくなったことに気付いていないかのように、間違いなく死への階段を踏みながらも彼らは生きている。

 

「痛覚を奪われているが故、あのような姿でも生き永らえておる。何とも憐れなものよ」

 

 いつの間にか、わたしの傍に顎門がいた。口振りの慈悲深さがどうしても紛い物に思えてしまって、わたしは何も言い返したりはしなかった。

 

 セツナはそんな痛々しいオーガ達を冷静に「殺して」回っていた。敵から奪ったのか、軽そうな細身の剣を彼らの頭に突き立て確実な止めを刺していく。ひとり、またひとりと息の根を止められて、屍になり損ねた者たちの呻き声が徐々にだけど静かになっていく。

 

 吐き気がしそうな光景をアーウィンはしっかりと見つめている。それが決して目を逸らしてはならない、神聖な儀式であるかのような眼差しで。

 

「確かに彼の所業は残酷だが、守護者としては正しい。君はどうだ? ユーリィ・シンセシス・トゥエニワン」

 

 アーウィンへ向き直ったユーリィは怒りの形相を浮かべる。だがすぐ、その表情が崩れた。右目を押さえた彼女の指間から垣間見えるのは、赤い光。

 

「ユーリィ?」

 

 わたしが呼びかけても、ユーリィは苦痛に呻くだけだった。

 

「私を止めたいのなら、その忌々しい右目を抉り出すしかないぞ。さあどうする?」 

 

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど20


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「それにしても、今年は原作『ソードアート・オンライン』のアニメ放送開始から10周年なのね」

キ「今更だけど、まあそうだな。割と最近のアニメっていう印象だったけどもう10年経ってたんだなあ」

ア「感慨深いわよね10年の間に映像もどんどん進化していって。まだゴミみたいな作画のアニメが量産しているなか、高品質で世に送り出されるのは本当に嬉しいわね」

キ「アスナさん、他のものをけなして褒めるのはやめようか………」

ア「公式のほうは10周年アニバーサリーとして色々な企画があるみたいね。『プログレッシブ』の劇場版とか」

キ「みたいだな。まだまだ原作小説も続いてるし、これからも盛り上がりそうだ」

ア「ねえキリト君――」

キ「ダメだ」

ア「まだ何も言ってないじゃない!」

キ「どうせこっちでも何かやろうとか言うんだろ? 作者キャパオーバーだよ」

ア「違うわよ。この二次創作をあたかも公式外伝小説であるかのように掲示板に書き込んだりSNSで宣伝するのよ。作者絵も描けるんだからイラスト付きで信憑性アップ!」

キ「デマじゃねーか! このコンプライアンスが厳しいご時世にそんなのできるか!」

ア「分かってないわねキリト君は。物事はタイミングよ。公式が盛り上がっている時期に大々的に宣伝すればバズりやすいのよ」

キ「宣伝じゃなくて民衆騙してるから。てかこの作品原作の10周年記念で出すような外伝じゃないからね」

ア「どこがよ? 立派なSAOの二次創作じゃない」

キ「中身実質的なオリジナルじゃねーか! 世界観と設定だけで作風別物だし。原作キャラ名前しか出ないし!」

ア「ああキリト君もやっぱり出番がないの気にしていたのね。そうよねえ原作主人公だもん」

キ「いやそこは気にしてないよ。てか俺出たくないよこんな血生臭い話に」

ア「もう、じゃあこっちはどうするの? これからも今まで通り鬱展開な話を更新していくつもり?」

キ「鬱な作品はひっそりと始まってひっそりと終わるのが1番なんだよ。作者としては『さよならを教えて』みたいなネットの伝説になるのが望みらしい」

ア「何言ってるのよメジャーを目指しなさい! 若者はネットじゃなくリアルに出るべきなのよ!」

キ「俺たち、ネトゲテーマ作品のキャラだってこと忘れてない?」

ア「わたしが言いたのは、作者は本当にこの作品を世に広めるつもりがあるのかってことよ!」

キ「作者から伝言預かってる。『ない』ってさ」

ア「ええ⁉」

キ「バズるとか関係なしに自分が書きたいように書くって方針みたいだ。清々しいまでのマイペースだな」

ア「所詮はアマチュアってことね」

キ「利益とか契約とか考えず自由に書けるのがインディーズ活動の強みなの。ああそれと、あんまり盛り上がるような話題じゃないけど近々新キャラが出るそうだ」

ア「また出るの?」

キ「ああ、2人出るみたいだ。そんでもってイラスト付ける主要キャラは次の2人で最後みたいだな」

ア「ぽんぽんキャラが増えるわね」

キ「おい楽しみにと思って情報解禁したのにリアクションそれか?」

ア「だってロクな目に合わなそう」

キ「それは同感………。まあ先月のお盆でストーリー進められたから、作者としても予定より早く出せるみたいだ」

ア「鬱展開の犠牲になるお仲間が増えるってことね」

キ「あながち間違ってない言い方なのが悲しいところだな」

ア「新キャラも気になるところだけどまず本編ね。敵になっちゃったアーウィンとの戦いはどんな行方になるのでしょうか」

キ「次回をお楽しみに!」


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第21幕 シールド・アニムス

 

   1

 

 コード871。

 

 以前にもユーリィを苦しめた右目の痛みは、その奇妙な名前の封印式を付けられている。誰が、どんな意味を込めて命名されたのかは分からないが、何のためにわたし達の魂に術式が組み込まれたのかはユーリィから聞いている。

 

 この世界に生きるわたし達を隷属させるための術式。法を犯そうとすれば苦痛によって思考を制限させられる。

 

 この時ユーリィの脳裏にあったのは、間違いなく整合騎士として村の虐殺を止めなければならないという大義だろう。

 

 大義があれば行動を起こすのは簡単なこと。だけどユーリィのありふれた大義を成すには不可侵の障壁があった。

 

 虐殺を止めるために必要なのは、惨劇を手引きしたアーウィンを無力化――即ち抹殺すること。

 

 だがユーリィは、人界代表剣士の命で暗黒界人の天命を一定以上減らせない。

 

 護らなければならないが殺すことはできない。その板挟みが右目の痛みに現れてしまっていた。

 

「どうする? 整合騎士」

 

 アーウィンは再度問う。

 

「その神器で私を突かなければ、私自らの手で残りの者たちを殺しに行くぞ。それともそこにいるベクタの落胤に代行を頼むか?」

 

 とセツナへ視線を向ける。既にあらかたオーガを殺し終えて返り血塗れになった彼は、手持ち無沙汰に突っ立ったままでいる。

 

「俺は下手に手出しできない」

 

 セツナは突き放すように言いながら、首元を捲り着けられた首輪を見せる。簡単な術式で爆発するから、ある程度距離があれば詠唱は済んでしまう。殺せるからといって、セツナも無敵というわけではなかったのだ。

 

「やれるのは君だけだぞユーリィ。前に言ったことを覚えているか?」

 

 アーウィンはユーリィの前で膝をつき、同じ目線で彼女の赤い右目を覗き込む。痛みに悶絶しているユーリィに聞こえているかは分からないが、アーウィンは構わず告げた。

 

「君の行いが絶対的に正しいと思うのなら、迷わず私を殺せと言ったはずだ。今がその時だ。違うか?」

 

 ユーリィは無事なほうの左目でアーウィンを睨む。右目の封印が彼女の裡に沸き上がる感情に反応し、更に光を強めた。

 

「君は真実を知りながら何故騎士であることを続ける?」

 

 今にも触れ合いそうなほどに、アーウィンは顔を近付けた。

 

「永劫の時に縛り付けられ愛する人の記憶を奪われておきながら、その宿命を受け入れたのは命令されたからか?」

「貴様……、聞いて………」

「済まないね。盗み聞きするつもりはなかった」

 

 涎を垂らしながらも反論しようとするが、赤い右目がそれを赦さず更に苦痛をユーリィに与える。

 

「君の意思ならば、それを証明してみせろ。自ら選んだ使命を果たせユーリィ!」

「私は……!」

「何のためにその神器を取る? ただそれを振るだけの人形か?」

 

 アーウィンは問い続ける。どこか諭しているようにも見えた。その違和感をわたしが探るより早く、ユーリィの怒号が響いた。

 

「私は騎士だあああああああああ‼」

 

 見開かれた右目が飛び出すほどに膨れ上がり、弾けた眼球から鮮血を散らした。飛沫が目の前にあったアーウィンの顔を濡らし、彼女の目を眩ませる。

 

 それを残った左目で捉えたユーリィは、絶叫しながら槍の切っ先を彼女の腹に突き立てる。アーウィンは咄嗟に剣をかざし防御態勢を取ったけど、間に合わなかった。

 

 腹を串刺しにされたアーウィンの肉体が力を失っていく。ユーリィは呆然と、自身の行動が遠い幻か夢であるかのように、まどろみの中に目の前の女剣士を見下ろしていた。

 

 

   2

 

 戦闘行為そのものが終わっても、惨状は終わらなかった。

 

 生き残った村民は半数にも満たなかった。多くの者たちがなぶり殺され、中にはオーガに食われた者もいたとか。それを裏付けるように、道端に打ち捨てられた骸には開かれた腹の中身が文字通り空っぽで骨と僅かな肉といった「食べ残し」があるだけのものもあった。

 

 目の前で妻を貪り食われたという農夫は、処理に困るほど大きなジャイアントの死体に農作業用ピッチフォークを何度も突き刺していた。

 

「ダークテリトリーの化け物が!」

「返して! あの子を返して‼」

「死ね! 死ね! 死ね‼」

 

 そういった復讐で死体蹴りをする者たちは多い。子を殺された夫人、親を殺された幼子。彼らは涙を流しながら怨嗟の言葉を吐き、物言わず反撃もしてこない肉と骨を殴打し刺し続けている。

 

 執拗にオーガの頭をこん棒で叩いていた少年は、頭蓋骨が割れて裂けた毛皮から溢れてきた血と脳漿に吐き気を催していた。勝手なものだ、とその光景を見ていたわたしは思った。自分が脳味噌をぶちまけたのに嫌悪を覚えるなんて。

 

 戦前は化け物とされていた暗黒界の亜人も戦後になっては人として扱われ、禁忌目録には亜人に対する危害を禁じる項目が加えられている。にも関わらず、何故いたぶる村民たちに右目の封印が発動しないのか。

 

「死体だからだ」

 

 失った右目に服を千切っただけの即席包帯を巻いたユーリィが、わたしの疑問に答えてくれた。まだ痛むのか眉間にしわを寄せながら、

 

「禁忌目録にある危害とは天命を減らす行為。死んでしまえば、天命も何もない」

「死体は物というわけか」

 

 セツナが皮肉なんだか分からない感想を漏らす。敵の増援がないかわざわざ果ての山脈まで行って確認してきたからか、顔は無表情ながら疲労の色が見えた。

 

「騎士様」

 

 力のない声に振り返ると、すっかり憔悴しきった様子の村長が立っていた。

 

「馬車の修理が終わりました」

「分かった。協力に感謝する」

「我々は、どうしたら……、村は………」

 

 怯えが露になったその顔に、村の長としての威厳はすっかり削ぎ落とされていた。故郷に帰る手もある。10年前のゴブリン襲撃で当時の村民たちが皆殺しにされているから、この村が生まれ故郷の村民はいないのだ。離れるのに心理的な枷もないだろうに。

 

 ユーリィは自分よりも大柄な村長の肩に手を置いた。

 

「私たちが今日中にストピリアへ着けば、明日には守備軍の者が来る。済まないがそれまで辛抱してくれ」

「………はい」

 

 何だか初めてユーリィの騎士らしい姿を見た気がした。こんなこと本人には言えないけど。

 

 村の入口に停めてあるという馬車へ向かう間、すれ違うのは僅かな村民たちとその他大勢の死体だった。

 

 不意に旋律が響く。まだ炎が収まらず燃え続ける教会から時告げの鐘が時刻を知らせていた。既に柱を焼かれ崩れてしまった建物に埋もれながらも、意思のない鐘は自らに与えられた使命を果たし続ける。その身の天命が尽きるまで。

 

 わたし達も同じなのだろうか。天職という役目を与えられ、法に背けば苦痛で屈服させられ、世界や社会といった枠組みを維持するために生涯を捧げなければならない。その生き方に、どこまでわたし達の意思という自由が介在しているのか。

 

 思考がおかしな方向に偏っている。ユーリィの右目が吹き飛ぶ瞬間を見てからずっとだ。些細なことで答えが見つからない問いが脳内を駆け回っている。

 

 馬車のもとへ着いて荷台に乗ると、馬がゆっくりと前進した。急ぎであるという事情を汲んで荷台を引く馬を2頭に増やしてもらった。これなら馬の天命消費を抑えられて、休憩の頻度を減らせる。

 

 馬車の中でも、ゆっくりくつろげるような空間ではなかった。その原因が、手足を縛られながらもうっすらと笑みを浮かべている。

 

「罪人を護らなければならないとは、皮肉なものだね」

 

 槍で貫かれたアーウィンの腹は、跡こそ残ったものの穴がすっかり塞がれていた。ステイシアの窓に表示された彼女の天命はものすごい速さで減少し真っ直ぐ死へと向かっていたのだが、それはわたしとユーリィが回復術を施し続け全損寸前で阻止した。ユーリィが持っていた神聖力の結晶を全て消費し、自らの天命を分け与えるという高等術まで行使してようやく、アーウィンは意識を取り戻した。

 

「まだ私に情けをかけるのか?」

「勘違いするな。貴様には公正な審問を受けてもらう。ここで私の独断で処刑するわけにはいかない」

「立派なものだよ、本当に」

 

 穏やかなアーウィンの声音とは対象的に、ユーリィの声はとても冷たかった。どんな感情を向けられようが全て跳ね返すように。

 

 アーウィンの治療と保護を言い出したのはユーリィだった。生き残った村民たちに亜人たちと戦った剣士と彼女の身分を偽り、治療の強力を呼びかけた。整合騎士であるユーリィの言葉を村民たちは信じ切って、治療のために無事な民家のベッドを貸してくれて神聖力の触媒になりそうなものをかき集めてきてくれたのだ。

 

 虚偽の禁止は禁忌目録にあるはずなのだが、ユーリィは躊躇なく村民たちを騙していた。ユーリィ自身も自らの行動に戸惑っているように見えたのは、果たしてわたしの気のせいだっただろうか。

 

 アーウィンが訊いてくる。

 

「この馬車はどこへ向かっているのかな?」

「ストピリア。央都ほどじゃないがそれなりに大きな街だ。そこの守備軍に村のことを伝え、央都に伝令を飛ばし整合騎士に貴様を迎えに来てもらう」

「何だ、君が連れて行ってくれるんじゃないのか」

「出来ればそうしたいが、飛竜のない私では央都にいつ着くか分からん」

「じゃあ、これが最後の旅か」

「楽しむ暇はないぞ。街に着くまで訊きたいことは山ほどある」

 

 これから始まるだろう尋問にアーウィンは肩をすくめた。その態度への苛立ちを顔に出すも、溜め息と共に吐き出したユーリィは静かに質問をする。

 

「貴様が連れてきたオーガとジャイアント達は痛みがないようだった。何をした?」

「言わないと言ったら?」

 

 瞬間、ユーリィの爪先がアーウィンの腹を蹴飛ばした。くの字に身体を曲げて胃液を吐き出しながらも、アーウィンは笑っていた。

 

「容赦ないね……、さっき腹を刺されたばかりの人間に………」

「罪人だからな」

 

 アーウィンの纏められた髪を掴み無理矢理起き上がらせる。口端から唾液を垂れ流す彼女に、ユーリィは冷たく告げる。

 

「さあ、言ってもらうぞ。あの者たちに何をした?」

 

 まだ込み上げてくる胃液を飲み下し、アーウィンは息もまだ整っていないが話し始めた。

 

「暗殺ギルドが作っていた痺れ薬だ。本来なら相手を動けなくするためのものだが、薬の配合を調整すれば痛覚をなくすことができる。思考能力も多少落ちてしまうが、そっちのほうが戦士としての力量を発揮できる」

「暗殺ギルドがこの件に関わっているのか?」

「あのギルドはベクタが目覚めてすぐに頭目が死んで、それからは烏合の衆さ。私に協力してくれたのは運よく生き残った奴だ。かなりの臆病者でね。探し出すのに苦労したよ」

 

 「その話はいい」とユーリィが無理矢理に話を打ち切った。「ねえ、わたしからも良い?」と恐る恐る挙手をする。ユーリィは黙って頷いてくれた。

 

「村を襲った人たちは、薬のこと知っていたの?」

「ああ、彼らは自分がどうなるかも、向かうのが死地であることも理解した上で薬を飲んでくれた」

「そこまで人界を憎んでいたの?」

「ああ、彼らは2年前の飢饉で故郷を失った者たちだ」

 

 「飢饉だと?」とユーリィが眉を潜め、

 

「そんな話聞いたことがない。人界の支援で暗黒界の食糧問題は改善しているはずだ」

「それは統一会議が把握している集落での話だ」

 

 アーウィンの声は鋭く、身柄を拘束させているにも関わらずユーリィを怯ませた。

 

「統一会議やこちらの五族会議に存在すら知られていない集落はごまんとある。大半が亜人の村だ。そういった村の者たちが次々と飢え死んでいった。ろくに調査もせずオブシディアや種族の里周辺にだけ物資を送り支援したつもりの貴様らのせいでな!」

 

 怒りのあまり唇を噛んだのか、アーウィンの口端から血が垂れる。

 

「風の噂で聞いた食糧支援を、石を食いながら待ち続け痩せ細っていった者たちの無念が分かるか? 分からないだろうな。そこに居たと為政者に気付かれなかった者たちだ。その死も表には知られることがない。イスカーンも代表剣士も、犠牲があったことを知らず――知ろうともせず自らの功績を吹聴してばかりだ」

 

 アーウィンの口から止めどなく、暗黒界に蔓延る非情な現実が溢れ出ていた。この手記を書いている現在は戸籍登録として、出生時と死亡時には教会に届出が義務付けられている。

 

 だけど戦後10年のこの時代では、発足して間もない人界統一会議と暗黒界五族会議の組織整備と目下の問題――旧貴族やギルド幹部によって腐敗した社会の法改正が優先されていた。

 

 だからそれぞれの国で毎年何人が産まれ何人が死んでいるなんて人口管理にまで手が回らなかったのだ。ウンベールのように暗黒界へ流れた人界貴族が放置されていたのは、その辺の事情が絡んでいる。

 

 どん底に身を置いている者がいることが知られていない。人界とか暗黒界とかは別で、豊かな世界と貧しい世界に分断されていたのだ。

 

「……事情は分かった」

 

 積年の憎悪をぶつけられても、ユーリィは今までとは別人のように冷静だった。自らが仕える代表剣士を侮辱されたにも関わらず。

 

「調査をより正確に行うよう、代表剣士殿に進言しておこう。だがそれとこれとは別の話。貴様は自らの主張のために無辜(むこ)の民を虐殺する手引きをした。それは言い逃れが赦されない罪だ」

「ああ、私も覚悟の上だ。村人たちには申し訳ないことをしたし、同志たちも死なせてしまった。私ひとり生き残るなんて、そんな都合の良いことがあってはならないよ」

 

 アーウィンの言葉に、わたしの胸の奥が痛く疼いた。セツナがウンベールに処刑されるのが決まった日、わたしの母親になろうとした彼女も似たようなことを言っていたのだ。

 

 

 ――誰かを殺しておきながら何食わぬ顔で生きるなんて、そんな都合の良い話はないよ――

 

 

 エメラ、とわたしは裡で決して母と呼ばなかった人の名前を呼んだ。あなたも何かの覚悟を決めていたの、という問いは答えてくれる相手がいない。

 

「我からも訊きたい」

 

 不意にセツナの服から出てきた顎門が、アーウィンの前で静止した。

 

「お主、右目の封印を破るようそそのかしおったな?」

 

 その質問に右目を吹き飛ばされたユーリィが、残された左目を見開く。わたしはというと、脳裏で何かが合致したような納得があった。

 

 顎門の言うように、あの時のアーウィンは諭すような語り口だった。今すぐ右目のコード871という封印を解き自分を殺せと言っているかのように。

 

「流石は第2の最高司祭の使い魔だ」

 

 アーウィンは笑った。その笑みがユーリィを苛立たせる。

 

「何故そんなことを? 私がいつそれを頼んだ!」

「自分で考えてはどうだ? もう人形じゃないんだ」

 

 

   3

 

 街の入口で警備にあたっていた守備軍の兵士は、整合騎士ユーリィ・シンセシス・トゥエニワンの姿を認めると彼女の要求通り守備軍庁舎へとわたし達の馬車を案内してくれた。

 

 ストピリア。大きな街とユーリィから聞いてはいたが、どこを見ても建物や人が必ず視界に入る光景にわたしは息を呑んだ。

 

 央都と果ての山脈麓の中継地という位置付けらしいが、路地を行き交う人々は休息に訪れた旅人だけじゃなくこの地に定住しているだろう軽装の者も多い。

 

 とはいえ、ひと目で観光客と分かる顔ぶれも多い。例えばゴブリンやオークとかの亜人。明らかこの街が故郷でない者も盛んに行き交っていた。

 

 本来なら喜ばしいことなのかもしれない。人界と暗黒界の交流は順調そのもの。なんの確執もない。

 

 でも、それが真実でないことをわたしは知っている。そのことに心を痛め虐殺なんて事態を引き起こした者がいる。

 

 嘘っぱちだ。暗黒界人たちの腹は満たされていない。人界から流れた貴族どもが彼らの地を荒らした。彼らは人界統一会議に感謝するどころか憎しみを募らせている。

 

 わたしが見てきた事実をこの街で声高に主張したところで、どれだけの人々が耳を傾け信じてくれるだろう。いないだろうな、と容易に想像できる。統一会議が「演出」する政治の恩恵を受けた彼らにとって、この豊かな街の姿こそが現実で世界という枠組みの全てなのだから。

 

 馬車が止まった。窓から顔を出すと、目の前には質素ながらも大きな箱型の建物が鎮座している。

 

「ここに居てくれ」

 

 それだけ言って庁舎へ入っていったユーリィが戻ってくるのに10分も掛からなかった気がする。慌ただしく扉から出てきた大柄でいかにも戦士という出で立ちの青年は、馬車の扉を開けてわたし達ひとりひとりに当惑の目を向けている。

 

 その視線がユーリィに留まった。

 

「あのダークテリトリー人ですか?」

「ああ、そうだ」

「このふたりは?」

「経緯が少し複雑でな、今は奴を頼む」

 

 多少の疑問は喉元に止め「はっ」と応じた兵士はアーウィンの足の縄を剣で斬った。腕を掴み立たされる強引さに、彼女は一切の抵抗を見せず応じた。

 

「急ぎフォーラストに調査団を。あと央都にも伝令を頼む。できれば整合騎士を寄越してほしいと」

「はっ、直ちに」

 

 威勢よく返し、兵士はアーウィンを伴って庁舎へと戻っていく。

 

「私たちも休もう。流石に疲れた」

 

 ユーリィは深く溜め息をつく。「そうね」とわたしは頷いた。夕刻なのにまだ賑わうこの街の喧騒から少しでも離れたい。1日のうちに地獄絵図と平和な光景の両方を見させられるのは、何故かとても精神を擦り減らされる思いだった。

 

 死体だらけの村と笑顔だらけの街。どちらがわたしの居るべき「正しい場所」なのか分からなくなる。自分が産まれた人界なのに、ここに自分がいることが酷く場違いに思えた。

 

 宿はすぐに見つかった。ストピリアは央都への中継地という土地柄もあって、行商人向けの宿屋が充実している。暗黒界との交流が始まってからは観光客向けに宿泊業が更に拡充されたらしく、通り一帯にある建物が全て宿屋なんて様相を作り出していた。

 

 ユーリィは建ち並ぶ中で最も安い宿を選んだ。整合騎士に路銀を持ち歩く習慣がないというのは本人談だ。飛竜と共にいれば人界のどこへ赴こうがその日のうちにセントラル・カセドラルに帰ってこられる。だから宿に泊まるといったことは殆どないのだとか。

 

 宿屋の主人が腕を振るったという夕食は流石人界の料理というべきか、とても美味しかった。

 

 ニンニクの香りが効いたパスタという小麦生地を練った麺料理。フリットという白身魚の揚げ物。鮮やかで瑞々しい色をした葉物野菜のサラダ。

 

「なんせ安宿だから、こんな貧相なもんしか出せねえけどな」

 

 そう言ってのける主人の顔に卑屈さはなく、清々しいほどに笑っていた。「とても美味しいです」とわたしが言ったら気を良くしたのか、

 

「嬉しいねえ。美人な嬢ちゃんにはおまけだ」

 

 奥に引っ込んだ主人はすぐ戻って来て、わたしにコヒル茶を出してくれた。何とか笑顔を返し、パスタを口に運びながらわたしは自分の貧乏舌に呆れてしまう。

 

 きっと人界では何を食べても美味しく感じるだろう。街の広場にいたハトにさえ食欲が湧いたほどだ。ゴブリンの子どもが美味そうと言って親に叱られているところを見たから、決して口には出さなかったけど。

 

 これが普通の旅だったらどれほど楽しいことだろう。ふと、そんな無意味な想像が頭をよぎる。わたしが密かに姉のような親しみを覚えていた彼女が居てくれたら。

 

「ねえユーリィ」

 

 全くと言っていいほど会話が無かったから、ユーリィはフォークを動かす手を止めて意外そうにわたしを見た。

 

「アーウィンに会わせて」

「………分かった」

 

 そんな訳で、わたし達は食事を終えると再び庁舎へやってきた。待っていると言ったユーリィを玄関口に残して、夜勤の兵士に案内してもらって地下牢へ降りていく。

 

 法に厳しい人界なだけあって、牢屋に人気は全くと言っていいほどなかった。建物の築年数はそれなりにありそうだが、人界で法を犯し自ら牢屋に入ろうとする者なんて皆無だったのだろう。

 

「ここって、最後に使われたのはいつなんですか?」

 

 試しに訊いてみると、兵士は記憶を探るように頭を掻きながら、

 

「20年前だったかな? いや50年前だったかも。まあ少なくとも俺がはっきり知ってる限りじゃ、あの女が初めてだな」

 

 兵士は指をさす。この牢屋に唯一習慣されているアーウィン・イクセンティアという暗黒界人を。

 

「多分何もないとは思うが、奴が妙な真似したら呼んでくれ」

 

 どこか間の抜けた声で言い上へ戻っていく彼の背中を見ながら、何て不用心なのかとわたしは酷く呆れた。法を破る者が殆どいないからといって、これでは兵士が常駐している意味がない。

 

「全く、不用心にも程があるな」

 

 牢屋に敷かれた粗末な茣蓙(ござ)に座ったアーウィンが、わたしと同じことを言う。ここに押し込まれた以外に酷い扱いは受けていなかったらしく、弱いカンテラ光の照らす彼女の身体にこれといった傷や痣は見当たらなかった。

 

 ああ、この人はもうすぐ死ぬんだ。ここに来てようやく、わたしはその残酷さを実感した。まだ判決が下っていなくても、処刑を免れないことはわたしでも予想できる。

 

 一緒に来たセツナも分かっていただろうし、アーウィン本人も分かっていたに違いない。彼女は亜人たちを果ての山脈に呼び入れた時点で、既に覚悟を済ませていただろう。

 

 出会ってそう経っていないけど彼女と過ごしてきた日々、彼女がわたしにしてくれた事が次々と脳裏を駆け巡り、やがて彼方へと去っていく。

 

「あなたに、勝手に思ってた。もしわたしに姉がいたら、アーウィンがそうなんじゃないかなって………」

「奇遇だね。私も君のことは妹みたいに思っていたよ」

 

 冷え切った裡を溶かしてくれた人からそう言われ、気付けばわたしは泣いていた。涙と願望を抑えることができない。それがたとえ叶わないと理解していても。

 

「お姉ちゃんになって欲しかった………」

 

 わたしは鉄格子に手をついた。格子の隙間は狭く、手を差し入れることもできない。すぐそこにいるのに触れられない隔たりは、触れたいという想いをより強くし目頭を熱くさせた。

 

「済まないね、ナミエ」

 

 とても悲しそうな声でアーウィンは言った。村ひとつ滅ぼそうとした大罪人だけど、家族の親愛めいた情を持つこともあるし、恋焦がれることもある。

 

 むしろ、情の強さが惨状を起こしてしまったことを想うと、尚更に悲壮が増していく。

 

「最後に、訊いてよいか?」

 

 セツナの服から顎門が顔だけを出した。

 

「何故、あの整合騎士に右目の封印を解かせたのだ?」

「当ててみるといい」

「我は神ではない。人の心など覗けるものか」

「それでも私たちを導いたあなたなら分かるはずですよ、顎門」

 

 悪戯っぽく笑う彼女は、心からこの時間を楽しんでいるように見えた。これから待ち受けることを想ってか、それとも密かな恐怖を隠したいからなのか。心の深淵は当人の胸に留めておくに限る。それをわざわざ表に引きずり出そうとするのは、最も残酷なことに思えた。

 

「ナミエ、それと顎門も。済まないが外して欲しい。セツナとふたりで話がしたい」

 

 涙を拭いながら、わたしはスカートを捲って顎門を招き入れる。アーウィンの顔をもっとよく目に焼き付けておきたかったけど、そうしたらせっかく治まった涙がまた溢れそうになったから断念した。

 

 最後の話し相手がわたしじゃなかったことに少しばかり嫉妬を覚える。でも、ここはセツナに譲ってやるのが情けだ。最後くらい、アーウィンに女として過ごさせてやるのが。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど21


キリト=キ
アスナ=ア
ユージオ=ユ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「今回のゲストは凄い人が来てるわ、どうぞ!」

ユ「こんにちは、ユージオです。こういう場ってあんまり慣れてないから緊張するけど、頑張ります」

キ「ユ、ユージオ……!(号泣)」

ユ「どうしたんだいキリト⁉」

ア「あー原作でのこと思い出して泣いちゃったのね。気にしないで」

ユ「アスナ⁉ 良いのそれで!」

キ「良いんだユージオ……、ネタコーナーでもお前が生きているだけで………」

ユ「ちょ、アスナどうにかして! 早くも収拾がつかないよ!」

ア「もう豆腐メンタルなんだから。ふたりで背中さすってあげましょ」


 ~~原作主人公のメンタルが回復するまでしばらくお待ちください~~


ユ「落ち着いたかいキリト?」

キ「ああ、うん………。ごめんなユージオ」

ア「はいはいBL空間はそこまでにして」

キ「何もしてないわ!」

ユ「BLって何?」

キ「知らなくていいからなユージオ。お前は純粋なままでいてくれ。作者あ! ユージオの設定改悪すんじゃないぞお!」

ユ「誰に言ってるんだい?」

ア「さあ本編のプレイバックいくわよ。いやー今回は凄いことになったわね! 凄いわよヤバいわよパナいわよ!」

キ「落ち着け興奮しすぎて語彙力死んでるぞ!」

ア「だってだって、ユーリィ右目の封印破っちゃったわよ!」

ユ「キリトの奥さんて、面白いね……(苦笑)」

キ「原作とは別人と思ってくれ………。まあでも、右目の封印を解いたのは素直に凄いことだな。人界じゃユージオやアリスに次ぐ快挙だ」

ユ「え、アリスも封印を破ったの?」

キ「あー、そういえばユージオは最後まで知らないままだったっけな」

ユ「まあ碌な説明もないままアドミニストレータと戦ってたからね、仕方ないよ」

キ「ごめん、ごめんなあユージオ……(泣)」

ユ「いちいち泣かないでやり辛いよ! あ、ほら他にも封印を破った人はいたのかい?」

ア「ナイスアシストよユージオ!」

ユ「アスナ余計なこと言わないで!」

キ「あの後の異界戦争で右目の封印を破ったのはイスカーンとリルピリンのふたりだな。アリスは現実世界に行ったから、ユーリィを入れてもアンダーワールドでA.L.I.C.E.に進化したのは3人しかいないことになる」

ア「考えてみればユージオが封印破ってから10年の間に4人もA.L.I.C.E.に進化してるのよね。それより前に封印破った人はいなかったの?」

キ「アドミニストレータが統治してた時代は自動化元老院が人界を監視していたからな。禁忌目録違反しようもんなら目ざとく見つかって整合騎士にされてたから、封印を破った人物が現れることはなかったんだ」

ユ「ダークテリトリーは?」

キ「あそこは力こそ全てなシンプルな支配体制だからな。イスカーンやリルピリンみたいに上官の命令に違反するのが封印発動のトリガーなんだけど、命令違反すれば問答無用で殺される世界だったから封印破ってもあんま意味なかったんだ」

ユ「なるほど……」

ア「正直、封印破ったからといってメチャクチャ強くなれるってわけでもないもんね。ただ自由に行動できるってだけで」

キ「うん。自由意志の獲得っていうのは法を厳守するアンダーワールド人の社会でこそアドバンテージを発揮するんだ。社会生活の中だと異端扱いされかねないから、それが強みになるかはまた別の話だけどな」

ユ「確かに、修剣学院時代のキリトは寮の門限とか破りまくってよくアズリカ先生に叱られてたもんね。同期の間でも浮いてたし」

キ「え⁉ あれってライオスやウンベールが他の奴らに圧力かけてたんじゃ――」

ユ「いや、あのふたりから目を付けられる前からもう浮いてたよ。変わり者とか関わるのが面倒くさいとか」

ア「ユージオ、そこまでにしてあげて。知らなくていい真実もあるの」

ユ「え……あれ? キリトどうしたの?」

キ「俺……、アンダーワールドでもぼっちになるとこだったんだな。うん、ありがとうユージオ。本当にお前が居てくれて良かった………」

ユ「あーうん、どういたしまして(ペカー)」

ア「純真って怖いわね。考えてみれば、ユージオとアリスはキリト君の影響で右目の封印を破ってるのよね」

ユ「確かに、僕は何年もキリトと一緒にいたせいで身勝手さがうつっていたから」

キ「せめて自由と言ってくれ………。そういやアリスも俺が整合騎士の真実を話したのをきっかけに封印破ってたな」

ア「ふたりともキリト君ていう現実世界からのイレギュラーユニットの影響だったのよね。そう考えると、今回ユーリィの場合セツナの影響ってあんまりないわね」

ユ「うん、アーウィンが煽っていた感じだよね」

キ「セツナただオーガ達を惨殺してただけだしな」

ア「そういう意味でもこの作品が異質ということよ。大した影響のない主人公に、勝手に暴走していくキャラクター達。その化学反応こそが小宇宙(コスモ)を――」

キ「もういい! 訳わかんなくなってる!」

ユ「まあ確かに挑戦的というか個性的というか………」

キ「ユージオ、気遣いなんていらないからな。作者に向けてはっきり言ってやれ」

ユ「………登場人物が色々と破綻してると思います」

キ「よーく言った! それだよ‼」

ア「もう何勝ち誇ってるのよ。作者曰くストーリーはこの先更に混迷していくわよ」

キ「え⁉」

ユ「読むの疲れそうだね………」

ア「ここ2、3話あたりでストーリーが大きく動くわよ。それじゃあ次回、ご期待!」

キ「なあユージオ、また来てくれるか?」

ユ「あはは、体調によるかな」

キ「!(吐血)」


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第22幕 リーパーズ・エッジ

武器物語(ウェポンストーリー)

人擬(ひともど)きの滅剣(めっけん)

これは白き書を携えた青年の物語。

おにいちゃんへ

きょうはデボルさんとポポルさんが あそびにきてくれました
おりょうりをおそわって いっしょにシチューをつくりました
とってもおいしかったから おにいちゃんにもたべてもらいたいな
こんど ヨナのとっておきのレシピで おにいちゃんにつくってあげるね
だからおにいちゃん はやくかえってきてね

ヨナ




 

   1

 

 アーウィンが脱獄した。

 

 その知らせを受けたのは、宿屋で朝食を摂っていたときだった。知らせを持って来た庁舎の若い兵士は処分を怖れてか酷く青ざめた顔をしていたのを覚えている。

 

「地下牢から大きな音がして、見に行ったらいなくなっていたんです」

 

 その兵士の証言通り、ユーリィと一緒に出向いた地下牢には切断された鉄格子と、分かりやすいほど脱走の痕跡があった。当然、アーウィンから武器含め所持品は全て没収してある。形状変化術で武器にしないようにと、金属鎧も念入りに。

 

 誰かが脱獄に手を貸したのは一目瞭然で、その共犯者についてもわたしとユーリィは既に目星がついていた。こんな事ができそうな彼は朝、宿屋から姿を消していたのだから。

 

 彼の客室に残っていたのは、オーガから強奪したと思われる剣のみだった。

 

 市場が開いた街の喧騒に紛れるように彼女は守備軍庁舎に訪れたのだが、道すがら多くの視線に晒されていたようで気疲れした印象を受けた。

 

「人界統一会議整合騎士団所属、ティーゼ・シュトリーネン・サーティツーです」

 

 敬礼をして名乗った彼女の恰好はユーリィとよく似ている。いや、全く同じと言っていい。紋章を紅く装飾された鎧は紛れもなく彼女と同じ整合騎士の所属を表している。

 

 正直、街中で整合騎士の鎧はとても目立つ。守備軍人が身に着けた鎧よりも遥かに上等品であることが素人目でも分かるし、鎧に整合騎士団の紋章が大きくあしらわれているのだから。

 

 極めつきはティーゼという整合騎士の、鎧の屈強さに反して線の細い顔立ち。ユーリィと同じ年の瀬だろうか。とはいえ整合騎士は天命減少を止められているそうだから、見た目の年齢なんてあてにならないが。

 

 シンセシスの銘がない、新しい世代の整合騎士。かといってユーリィとの違いを外見から判別できる要素は何ひとつない。わたし達と全く同じ人間。

 

 「久しぶりだな、ティーゼ」と微笑しながら、ユーリィは街中を見渡す。

 

「そなたの飛竜は?」

霜咲(シモサキ)は街の外で待機させています。飛竜は嫌でも目立っちゃうので」

「整合騎士なのだ。もっと堂々として良い」

 

 「はい……」と苦笑を返したティーゼはユーリィの右目の眼帯が意味することに気付いたのか、表情を苦くする。

 

「ユーリィ様、その目は――」

「詳しいことはカセドラルに戻ってからだ」

「ええ、今は罪人ですね」

 

 騎士としてという自負からか凛とした表情に整えたティーゼに、「それなんだが」とユーリィは気まずそうに頬を掻き、

 

「わざわざ来てもらって済まないが、罪人が脱獄した」

 

 「ええ⁉」とティーゼは少女らしさが残る上擦った声をあげた。

 

「一体どうやって?」

「脱獄に手を貸した者がいることまでは分かっている」

「罪人の幇助は禁忌目録違反のはずじゃ――」

「その禁忌目録を平気で破れる者がいるのだ。その者もカセドラルに連行して代表剣士殿に会わせるつもりだったのだが」

「禁忌目録を破れるって、まさか右目の封印を?」

「それもよく分からんのだ。代表剣士殿なら何か知っているんじゃないかと思ってな。代表剣士殿はカセドラルにいるか?」

「ええ、イスカーン総司令との会合から戻ってきたばかりです。寄り道ばかりして、ロニエが散々振り回されたみたいですよ」

 

 苦笑するティーゼの口から出る話に、ユーリィは大きな溜め息をつきながら額に手を当てた。

 

「相変わらずだな。ロニエも子が産まれて間もないのだから無理をするなと伝えておけ」

「私もそう言ったんですが、護衛に立候補したのはロニエのほうだったみたいで」

「何と物好きな………」

 

 他愛もない会話だ。人界最強の騎士団とか不老者とか、そんな浮世離れしたものはなかった。

 

「本当、子育てもあるのにタフな子ですよね」

 

 何気なくティーゼが言ったとき、ユーリィの眉がぴくりと動いたのをわたしは見逃さなかった。子どもというものに想うところがあるのを、わたしは知っている。

 

「そういえば、ティーゼの子はいくつになる?」

「先月、5歳の誕生日だったんです」

「そうか、元気そうで何よりだ」

「元気すぎて困るくらいですよ。やっとベルチェ坊やの手が掛からなくなったのに」

「そなたもまだ幼子がいるのだから、あまり無理をするな。我々の天命は無限じゃないのだから。母親が倒れてしまっては、子に余計な心配をさせる」

 

 ティーゼが笑った。苦笑みたいな遠慮がちではなく、本当に可笑しそうに。その顔にユーリィが眉を潜めるとティーゼは「すみません」と一応の謝罪をしながら、

 

「ユーリィ様の言っていること、妙に説得力があるなと思って」

「気のせいだ。私に子がいたかなど覚えていない。余計な世話だったのなら忘れてくれ」

「いえ、フォローありがとうございます」

「………そなたの喋り方、代表剣士殿と副代表殿に似てきたな」

 

 過去を話してくれたとき、ユーリィは娘のことを知っても何も感じられなかったと言っていた。記憶も戻らなかったが、娘の名前を呼ぶと涙が無意識に流れるとも。

 

 ユーリィは娘のことを忘れてしまっているはずなのだが、間違いなく記憶しているはずなのだ。頭の中にないのなら、人はどこで思い出を記憶するのだろう。実際に抱いた腕か、おぶった背中か。

 

 それとも、魂という深淵なのか。

 

「それにしても、罪人はどこへ逃げたのでしょうか?」

 

 話を本題へと軌道修正したティーゼがそれとなく訊いた。ユーリィは首をかしげ、

 

「見当もつかない。ひとまず捜索は守備軍に任せる。ティーゼは先に彼女をカセドラルに連れて行ってほしい」

 

 そう言ってユーリィはわたしの背を押してティーゼの前に立たせる。32番目の整合騎士はわたしを不思議そうに見た。

 

「この子は?」

「ダークテリトリーに流れた貴族の私領地民らしい。私が保護したわけではないのだが――」

「保護した方は?」

「ややこしいことに、罪人が彼女を保護した」

 

 困ったようにティーゼはかぶりを振る。事の当事者のわたしでさえも複雑すぎて整理が必要だ。

 

 央都に連れていきたいのは3人。

 

 ひとりは禁忌目録に縛られない神界からの迷い人。

 

 ひとりは南端の村で虐殺を引き起こした大罪人。

 

 ひとりはその大罪人が暗黒界で保護したわたし。

 

 うちふたりは行方不明で現在も逃亡中。

 

「何か、頭が痛くなってきました………」

 

 ティーゼが言った。「ああ、その通りだ」とユーリィも首肯する。

 

「まずは彼女を頼む。私も罪人たちを見つけたらすぐカセドラルに戻って――」

 

 とユーリィは言葉を途切った。街が何やら騒がしい。朝市の賑わいとは違う、不穏めいた騒めきだった。見れば、果物屋の主人が屋台をほったらかしてどこかへ行ってしまった。

 

 他の人々も同じ方向へ向かっているようだった。そこで何があるのかもまだ分かってないだろう者も、困惑の顔を浮かべながら取り敢えず皆と同じ場所へ向かおうとしている。

 

「そなたの飛竜が見つかったのではないか?」

「いえ、霜咲(シモサキ)を待機させているのは反対方向です」

 

 街の様子に眉を潜めるふたりのもとへ、「騎士様!」と守備軍の兵士が走ってきた。

 

「中央広場に罪人が………」

 

 息を喘がせながら告げられたその言葉に、ユーリィとティーゼはそれ以上の追求はせず駆け出していた。わたしもふたりの後を追うけど、日頃から鍛錬を積んでいるだろう騎士たちとの距離は遠ざかるばかりだった。

 

 途中でふたりを見失ってしまったけど、人々の流れに乗っていけば広場がどこにあるか知らなくても辿り着くことはできた。既に多くの人が集まっている。広場には教会があって、時告げの鐘が置かれている塔が他の建物よりもひと際高くそびえ立っている。

 

 その塔に、彼らは立っていた。

 

 両手を後ろに縛られ跪いたアーウィン・イクセンティアと、その傍らに立つ黒衣の男。フードを目深に被っているせいで顔は見えないが、わたしにはその立ち姿で誰か分かってしまう。

 

 アーウィンが眼下に群がる衆を見渡す。その目がわたしの視線と交わった。気のせいではないと分かったのは、彼女が優しく微笑したのが見えたから。

 

 済まないね、ナミエ。

 

 その眼差しがそう言ったように見えた。

 

「あやつら、このために………」

 

 服の中で顎門が呟く。わたしはこれから起きることが予想できた。そもそも、彼が居る時点で誰も血を流さないなんて、有り得ないのだ。

 

「私はアーウィン・イクセンティア」

 

 群衆に向かって発せられたアーウィンの声は決して大きくはなかったけど、凛とよく通っていたからはっきりと聞き取ることができた。

 

「まず私が何故このような姿でここに現れたのか、説明しなければならない。私は先日、南端にあるフォーラストという村にオーガとジャイアントを差し向け襲わせた。多くの村人が死んだ。信じられないのなら、調査隊の知らせを待つといい」

 

 突然現れた肌の浅黒い暗黒界人の告白に群衆は騒めいた。その声は止む気配がなかったけど、アーウィンの次の言葉が来るとぴたりと止んだ。まるでシスターや牧師の言葉を聞くよう、厳粛に。

 

「私の犯した罪は到底赦されるものではない。その咎は受ける。私の天命をもって罪を償おう。だが、私は審問を受けるつもりはない」

 

 アーウィンは一度深く息を吸った。そこから、ひと際大きな声を張る。

 

「ここに集まってくれた人界と、暗黒界の民に問う。真に人を裁けるのは誰だと思う? 貴族か? 皇帝か? 人界統一会議か? 暗黒界五族会議か? どれも違う。真に人を裁くことができるのは、神だ」

 

 傍に立つ男が剣を抜く。手にしていたのは遠目でも分かる、アーウィンがずっと使っていた剣だった。彼女が命を預ける相棒としてきた剣の切っ先が、持ち主の背中を突く。

 

 見たところほんの数セン突いただけだから致命傷ではないだろうが、人が人を刺すという光景が群衆を唖然とさせるには十分な力を持っていた。

 

 痛みに顔を歪めるアーウィンに、滴るワインに似た赤い雫。禁忌目録や法というものの庇護を受けてきた聴衆はそれを見慣れていないのだ。

 

「見ろ。この者は、禁忌目録や暗黒界総司令官の勅令など無視して、私の腹を突くことができる。これが法を超越した、真の正しき者の姿だ」

 

 息を乱すことなくアーウィンは語り続ける。薄っすらを笑っているように見えるのは、聴衆の反応が思惑通りだっただろうか。

 

「彼は浄化のため、この世界に降り立った。真に裁くべき者を裁くために。世の穢れを祓い、清浄で無垢な民が幸福を得られる楽園とするために」

 

 真の恐怖とは、彼女の発する心酔の言葉じゃない。彼女の目だ。村を襲ったジャイアントやオーガたちのような、狂った気配も空虚じみたものも感じられない。

 

 アーウィンは正気だった。師から受け継いだ意志を、この場においても臆することなく貫き通そうとしている。その姿勢に人は恐怖する。気が狂いそうな場面で決して狂わず自分というものを見失わない強さに。

 

 強さとはある意味で狂気だ。アーウィンも、その傍らにいる彼もまた。

 

「その目に焼き付けるといい。罪には罰が与えられる。法から逃れようが、権力を笠に着ようが、そんなもの関係ない。地の果てまで追い、穢れた魂を断ち斬るだろう」

 

 黒衣の男が、執行人のごとく剣を振り上げる。刀身が反射するソルスの光が眩しく、わたしは思わず目を細めた。

 

「この死神(しにがみ)によって!」

 

 剣が紅の光を帯びた。刀身が一直線に真下へ降り、その軌跡が光の尾になってアーウィンの首を通過する。

 

 アーウィンの顔が滑り落ちた。長く伸びた髪をばらけさせながら、聴衆のもとへと落ちていく。

 

 鈍い音がした瞬間、悲鳴が広場の中心から、まるで波紋のように一瞬にして広がった。塔に残された肉体が頭を追うように落ちてきたことなんて、誰も気付いていなかった。

 

 皆が人を殺してみせた執行人から逃れようとあらゆる方角へと逃げていた。集まるときは皆同じ方向を向いていたというのに、逃げるときは取り纏めがないなんて滑稽なものだ。

 

 この時のわたしはそんな冗談を叩く余裕なんてなく、我先にと逃げる聴衆たちに揉まれながらユーリィを探していた。目立つ鎧を着ているのに、これだけ人が多いと隠れてしまって見つけられない。

 

 誰かの肩がぶつかり、振った手で殴られ、倒れると踏みつけられる。意図しない暴力の波に虚しさが湧いて、もうユーリィを見つけることなんてどうでもよくなっていた。我が身のためなら人を押し退けるのも躊躇しない。法を厳守しようとしても、土壇場になればそんな覆いは簡単に取り払われてしまう。

 

 これが人間の本性だ。これが法で蓋をした世界の本当の姿だ。「どけ!」「邪魔だ‼」と行き交う怒号は己の身をもってその事実を証明してしまっている。

 

 理性を取り払われた人々の中で小さくうずくまっていると、不意に手を引かれ立たされた。じっとしていられない人々の中、わたしと一緒に直立不動でいる彼は嫌に目立つだろう。

 

 さっきまで塔の上にいた死神と称された男はわたしの腕を掴んだまま走り出す。誰かとぶつかれば躊躇なく殴り蹴飛ばして追い払っていく。

 

 混乱は街全体に伝播していたようで、広場を抜け出せても落ち着ける場所は皆無だった。立ち止まれば逃げる人々とぶつかってしまうし、中には彼の姿を見て腰を抜かし泣き喚く大人までいたのだ。

 

 大通りから外れ、更に無作為に角を曲がり住宅街の路地裏へと回る。ただ家と家の間というべき道を走り続けて、ようやく人の気配がまばらになりやがて消えていく。そうなると安堵からか疲労がやってきて、わたしは石畳の地面に座り込んだ。

 

 呼吸が整っていくにつれて、張り詰めていた気分が和らいでくる。そして、わたしを広場から連れ出したこの男が何をしたのかも、冷静に捉えることができた。

 

 黒衣の男がフードを脱ぎ、顔を露にする。いつもと同じ、何の感情もこもっていない冷たい目。それが尚更にわたしの激情を掻き立てる。わたしは彼の胸倉を掴んで胸板を叩こうとする。

 

 できなかった。振り上げた拳を開き、激しく痛み出した右目を抑える。内側から眼球が焼けるような痛みだった。

 

 他人の天命を減らす行為をしてはならない。子どもの頃に誰しもが親や教師、どこかしらの大人から必ずといっていいほど確実に教わる禁忌目録の一項だ。

 

 いくら相手が罪人だからといって、私領地民でしかないわたしに裁決する権限はない。法で禁じられているからといってわたしの怒りは収まるはずがなく、代わりの言葉を投げた。

 

「人殺し!」

 

 今更の罵倒だった。この男の殺戮なんて日常のように見てきたし、殺された者たちに対して想うことなんて何もなかった。それなのに、アーウィンの首を刎ねた彼にこの時のわたしは明確な怒りと憎しみを覚えていた。

 

 彼女はわたしの姉になってくれるかもしれない人だった。わたしを救ってくれるかもしれなかったのに。

 

 勝手なものだ。大切に想っていた人の死には絶望を覚えるなんて。

 

 セツナはそんなわたしの絶望を込めた眼差しを無表情のまま受け止めた。もし叩けたとしても、わたしの非力な拳で彼の身体は動かない。その気になればここでわたしを殺すなんて容易のはずだけど、彼はそれを実行することはなかった。

 

 右目の痛みが引いてくると、無意識に問いが口から出てきた。

 

「どうしてアーウィンを………?」

「彼女の望みだ」

 

 セツナの答えは簡潔だった。

 

「どの道処刑されるなら、人界統一会議じゃなく俺が手を下すことに意味があると言っていた」

「それに何の意味があるの?」

「俺も同じことを訊いたが、これから起きることが答えらしい」

「分かんないわよそんなの! 何でアーウィンが死ななきゃならないの!」

「けじめだからだ」

 

 微かだけどセツナの浮かべた渋面に、わたしは声を詰まらせた。

 

「罪と分かってやったのなら罰は受ける。最初からそのつもりで村を襲った。アーウィンにとって問題はどう死ぬかだったんだ」

「あなたに殺されることが、アーウィンにとって最善だったって言うの?」

「そうだ」

「そんなの、悲しすぎる。最初から死ぬつもりなんて………」

 

 わたしは泣いていた。わたしがアーウィンへの情を募らせている間にも、彼女はどんな最期を迎えるかを虎視眈々と考えていた。死ぬために生きるなんて、矛盾している。

 

「理解なんていらない。ただ赦してもらえればそれで良いんだ」

 

 セツナはそう言って、泣いているわたしの手を引いて路地を歩き出す。「どこ行くの?」と訊くと「街を出る」と返ってきた。

 

「あんたを安全な場所に連れていく。これもアーウィンから頼まれた」

 

 早足で歩きながら、セツナは続ける。

 

「あんたのような貴族に虐げられた被害者がいると知ったら、人界統一会議は貴族に圧力をかけるために利用するかもしれない。誰にも振り回されず、辺境の村で静かに暮らしてほしいと言っていた」

 

 告げられた想いやりに、わたしはまた涙を流していた。今すぐ広場に戻って彼女の亡骸を拾ってあげたい。ちゃんとした墓を作って弔ってあげたい。

 

 出会ってまだそれほど経っていないのに、アーウィンはたくさんの事をしてくれた。それなのにわたしは何も返すこともできず、彼女を残して街を出ようとしている。

 

 セツナが首元に巻かれたものを引き千切る。無造作に路地に放り出されたそれは、アーウィンが付けた首輪だった。彼女が暗黒術を唱えれば爆発するという、セツナの暴走を止めるための枷。

 

「それ――」

「もう必要ない。そもそも爆弾の仕掛けなんて嘘だった。中に入っていたのはただの石だとアーウィンが言っていた」

「どうしてそんな嘘を………」

「そうでもしないと、俺がどこかに行くと思ったらしい」

 

 何て不器用なんだろうと思った。こんな事でしか想いを伝えられず、直接伝えようとすれば拒絶されるなんて惨めだ。

 

「アーウィンはあなたのことが好きだった」

「ああ、知っている」

「だから、あなたに殺されたがっていたの?」

「彼女はそんな安い感情で動く人間じゃない。あんたも知ってるだろう」

 

 うん、と返事をしたかったけど、できなかった。彼女がどんな覚悟で日々を過ごしたのかも分からなかったのに、情愛で動く人じゃないなんてどうして理解できるのだろう。

 

「悲しいものだな、人とは」

 

 顎門はそう言っていたけど、わたしは無言のまま首を振った。否定じゃない。そんなひと言で彼女を片付けてほしくなかった。

 

 でも反論はできなかった。あの最期に至るまでアーウィンがどんな想いでいたのか、真実というものを知らないのだから。わたしでは彼女の物語を語ることはできない。

 

 アーウィン・イクセンティアはわたしの語るこの手記では、脇役にしかなれなかった。それが尚更に悲しい。彼女について、語るべきところは沢山あるはずなのに。

 

 セツナの足が止まった。不意打ちだったから、わたしは思わず彼の背中に顔をぶつけてしまう。

 

「どうしたの?」

 

 訊いてもセツナは無言のまま立っていて、じれったいわたしは背中から顔を出す。前方に誰かが立っていた。フードを目深に被っているから顔が見えず、黒生地の服が足元まで覆っている。

 

 路地裏の真ん中に立っているにも関わらず全く人らしき気配を放っていない。気を抜けば存在に気付かず傍を通り過ぎてしまいそうな、存在がその人物からは希薄だった。分かるのは、わたし達と対峙しているということ。

 

 黒衣の人物が腰に提げた剣を抜いた。セツナもアーウィンから引き継いだ剣を抜く。次の瞬間には、既に両者は間合いを詰めて剣を打ち合っていた。

 

 ソルスの光が建物で遮られる影の中では目に映るもの全てが曖昧だが、金属がぶつかり合う甲高い音と散る火花は明瞭だった。

 

 明らかに火花ではない光が放たれた。秘奥義の光。セツナかと思ったが、水色の光剣を振るうのは黒衣の人物のほうだった。凄まじい速さで突き出される剣戟にセツナは咄嗟に剣をかざし防御を試みるのだが、受け止めきれない衝撃に突き飛ばされてしまう。

 

 黒衣の人物がわたしの方へ顔を向けた。フードの影が濃くて、奥にあるのがどんな顔なのか分からない。「立つのだ、やられるぞ」と顎門が急き立てるけど、フードの奥の空白が尚更に恐怖を掻き立て、わたしは腰を抜かしたまま後ずさる。

 

 風を切る音がして、その音を追うように上を仰ぐ。そこには外套をはためかせた黒い影が、鈍色の剣を振りかざしながら降りてくる。セツナだ。そう理解できたと同時、黒衣の人物が後ろへ跳ねた。セツナの剣が地面を穿ち、石畳に深い傷を付ける。

 

 再び剣戟が起こる。互いに剣を突き出しては弾き、急所を狙っては阻まれる応酬が何度も続き終わりが見えない。まるで互いが狙っている箇所を分かっているようだった。剣舞の打ち合わせでも事前にしていたかのように。

 

 鍔迫り合いへと持ち込み、押し合う力を拮抗させる。数センでもずれ込めば、そのまま自分の身が斬られる。微かな刀身の震えを抑え込み、そのまま弾こうとする。

 

 押し合いに打ち勝ったのはセツナだった。意図したかのような相手の急な脱力に、誘われるように身体を前へともつれさせる。その瞬間を黒衣の人物は待っていたらしく、体勢が崩れたセツナの腹を膝でしたたかに打ちつけた。

 

 「がふっ」と身体をくの字に曲げたセツナの後頭部を、剣の柄が突いた。それが止めになって、彼の身体が力なく倒れる。

 

 黒衣の人物が再びわたしのほうを向く。邪魔する者はなく、恐怖で動けないわたしにその人物は焦る素振りも見せずゆっくりとした足取りで近付いてくる。

 

 その手がわたしの視界を覆うと、意識が途切れた。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど22


キリト=キ
アスナ=ア
アーウィン=イ

ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「今回のゲストはこの人です、どうぞ!」

イ「アーウィン・イクセンティアだ。よろしく」

ア「因みに略称が『イ』なのはわたしと被っているからで、姓から取ることになりました!」

キ「おお、初めてだなオリキャラがゲストに出るの」

イ「今回で死んでしまったからね。もう本編に出ることはないからここで思いきりはっちゃけさせて貰うよ」

キ「程々にしてくれよ。本編であれだけシリアスだったのにここでキャラ崩壊したら読者さんの感情が追いつかないから」

ア「もう分かってないわねキリト君。これはアーウィンに好印象を持ってくれていた読者さんの心痛を少しでも和らげるっていう作者の配慮なのよ」

キ「配慮の仕方が凄まじく間違ってるな」

イ「良いじゃないか。読者殿を置いてけぼりにしていくのがこの作品のやり方なんだろう?」

キ「おお、あんた結構ノリ良いんだな」

イ「私は平和な世ならこういう人物設定だったということだよ」

キ「意図せずシリアスになったな………」

ア「さあそれでは本編のプレイバックいくわよ! 今回は見どころたくさんあるわよ。まずはティーゼさんの登場!」

キ「今まで原作キャラは名前だけの登場だったけど、直接登場したのはティーゼが初めてだな」

イ「なかなか予想しづらい配役だな」

ア「作者曰くビッグネームなキャラを出すと全部持っていかれちゃいそうだから、なるべく目立たない脇役にするのは最初から決めていたそうよ」

キ「確か、最初はネルギウスを出す予定だったんだよな」

ア「そう。ユーリィは初期だとネルギウスの弟子っていう設定だったから師弟再会っていう描写にする予定だったんだけど、急遽デュソルバートさんの弟子に変わったからリストラされることになったの」

キ「リストラって言い方やめてあげて、流石にあいつ可哀想になってきたから」

ア「だからといってデュソルバートさんを出そうにも整合騎士団の重鎮がお迎えなんて任務を受けるのは不自然。ならばということで候補はロニエさんとティーゼさんのふたりに絞られたわけね」

イ「それで、32番目の騎士に決まった理由は?」

ア「簡単に言えば会話の内容ね。ふたりは原作から10年経ってもキリト君を『先輩』て呼んでるんだけど、作者はユーリィとの会話でキリト君を『先輩』と呼ばせたくなかったのよ。本作でキリト君は人界代表剣士でミステリアスな存在として描写したかったから」

キ「なるほど、人間味ある『先輩』ていう呼び名は雰囲気を損ねるわけか」

ア「ロニエさんだとキリト君の話になるとすぐ『先輩』ていうワードが出そうだから、一歩引いた距離に立っていたティーゼさんの方が適任ということで今回登場したわけね」

イ「会話の場面でもあったが、後輩騎士ふたりには既に子どもがいるんだね」

ア「200年後には子孫がいるから、子どもがいないと辻褄が合わないのよ。本作の時代だとティーゼさんはもうユージオへの感情に折り合いをつけてレンリさんと結婚したわ」

キ「ロニエの結婚相手も気になるとこだよなあ」

ア「あら気になるのキリト君? ハーレムの一員だから?」

キ「違うわ! 単純に後輩だからだよ」

ア「ムーン・クレイドル編によるとロニエさんには弟がいて、200年後の子孫は弟の家系でロニエさんは生涯独身の可能性もあるわ。だけど原作のあとがきで原作者様がいつか子どもを産むって言ってたから、その可能性はなさそうね」

キ「てことはやっぱ結婚したのか?」

ア「作者は、ロニエさんはキリト君の子を産んだと考えているそうよ」

キ「はああ⁉」

イ「ほう、やるな君も」

キ「いや誤解だ! てかアンダーワールドのシステム上夫婦じゃないと子どもできないはずだろ!」

ア「キリト君は神聖術を詠唱なしで使えるくらいシステムに介入してるから、それくらいは誤魔化せるんじゃないかって」

キ「アバウトだなおい! そうなったら普通に結婚したで良いよ俺手出してないから」

ア「作者はワンチャンあると諦めていません!」

キ「諦めろ! 俺を何だと思ってんだ!」

イ「淫獣?」

キ「答えんでいい!」

イ「次の振り返りは、私の処刑の場面だ」

キ「サラっとエグいこと言うなこの人」

ア「残酷シーンだけど、そんな時こそ明るく元気でいきましょう!」

キ「TPOって知ってる?」

イ「古代神聖語に馴染みはないなあ」

キ「ああうん、アーウィンはそうだったな………」

ア「作者はこの回のためにアーウィンというキャラクターを作ったと言ってもいいわ」

キ「メインキャラなのに死ぬ前提で作られるってのもハードだな………」

イ「まあ作者も私に関しては持て余していたらしいから仕方ないといえば仕方ないかな」

キ「持て余してたって、結構活躍の機会あったじゃないか。キャラとしては使い勝手良いと思うけど」

ア「事情があるの。実はアーウィンは本作が始まる直前になって急遽作られたキャラクターなのよ」

キ「え、そうなのか?」

イ「ああ、セツナとナミエがアンダーワールドについてあまり知らないから、世界観の説明役として私という登場人物ができたんだ」

ア「主にダークテリトリーのレクチャー役としてね。ユーリィや顎門といった色々の立場からレクチャーできるキャラが出てきたから邪魔になっちゃったのよね」

キ「邪魔になったから殺して退場って………」

イ「私という本来ならいないはずの登場人物が下手に動けば物語が想定外の方向に進んでしまうからね。だから今回はいわば軌道修正として書かれたんだ。セツナに死神という呼び名を付けるのも兼ねてね」

ア「そんなわけで、アーウィンはクランクアップです。お疲れ様!(クラッカーパーン)」

イ「いやー、ありがとう。嬉しいよ」

キ「祝えるか! 死んでんじゃねーか!」

ア「本編でシリアスな役を背負ってくれたんだから、このコーナーくらいは明るくいかきゃ」

イ「感慨深いな。後付けという微妙な立場だったが、本編でそれなりに重要な立ち回りができたのは光栄だよ」

キ「まあ、大役だったのは確かだよ。序盤じゃ必要不可欠だったし」

イ「作者に扱いにくいやつとか、中々死なせづらいから困るとか散々言われてきたが、ようやく解放されたよ」

キ「何か、本当にお疲れ様………」

イ「まだ先はあるし、入れ違いに新しい人物が登場する。その者の活躍で私という存在が読者殿に忘れられやしないか、それだけが心残りだ」

ア「せっかくのナイスバディなキャラなんだから、そこを活かした展開があってもよかったわよね」

イ「ああ。ユーリィも中々に豊満だが、私のほうが勝ってると自負はしている。彼女に私の代役が務まるかどうか………」

キ「おい生々しい会話やめろ。トイレで席外した人の悪口言い始める女子会みたいになってるぞ」

ア「さあ、というわけでアーウィンが死にましたが後半でまさかの襲撃者が! どうなる次回!」

キ「お楽しみに………」

イ「応援ありがとう。また会おう!」



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第23幕 ハッピー・バースデイ

 

   1

 

 アーウィン・イクセンティアという名は後の世において大罪人として記憶されている。

 

 人界南端の村へ亜人を率いて虐殺を起こしたという罪状もさることながら、世に傷跡のごとく名を残したのは最期だった。

 

 死神という名を付けた女。

 

 後世において彼女の名は罪状よりも、この事実のほうがよく知られている。死神によって大衆の前で処刑されたけど、何の罪で処されたのかは知らない、なんて人も多いのではないか。

 

 わたしが調べた限りでは、黒衣の殺人者が死神と呼ばれたのはアーウィンの処刑以後だ。それ以前となると彼の呼び名は実に多彩だ。

 

 最初の殺戮劇が繰り広げられたウンベールの村では《ベクタの迷子》、襲撃したローズール率いる商工ギルドの一派からは《ベクタの落胤》と闇の皇帝に因んだ呼び名だった。他にも《悪魔》《殺人鬼》《大罪人》と様々な呼ばれ方をしていたのが、ようやく《死神》に落ち着いた。

 

 初めてその名を呼んだアーウィンがどんな意味を込めたのかは、本人亡き後では確かめようがない。ただ単純に死をもたらす存在だから、そう名付けたのかもしれない。

 

 アーウィンは《死》よりも《神》という響きに重きを置いたとわたしは考えている。法に縛られず、貴族だろうと騎士だろうと関係なく、セツナにかかれば死体に変わる。死という平等性を証明するその姿に、アーウィンは新たな世界を創造する神としての役割を期待したのかもしれない。

 

 人が人を殺すなど有り得ない。鳥篭のような山脈と壁に庇護された人界なら尚更。その価値観は死神の登場で揺らぎ始めた。法という人々を縛り付けてきた絶対的存在に、綻びが生じ始めていたのだ。

 

 アーウィンはその綻びを確かなものとするために、大衆の前で死神に首を差し出したのだろうか。何度も述べるが、当人亡き後は確認しようがない。だけど、恩人という情からわたしはどうしても死者の意図を考察し、自身を納得させたがる。これはあくまでわたしの気持ちの整理だから、勘弁願いたい。

 

 でも、皮肉なものだ。アーウィンは人界に対する攻撃として死神を擁立したのに、後世でその死神は人界統一会議の味方として語り継がれることになるのだから。

 

 死神という名が世に知られたきっかけは、アーウィンの処刑だった。だけど執行人が神格をもって伝説化するのは、もっと時期を待たなくてはならない。

 

 伝説とは、ある日突然紡がれるものじゃない。事実が起こり、それが長い時間をかけ人々に広く浸透していくことで教典として成立する。人界北端の村ルーリッドの英雄ベルクーリがそうだったように。

 

 死神伝説はある日突然に出現したのではなくいつの間にか人々に語られていた。囁かれる噂は伝説となり、ある者にとっては心の拠り所となって新たな信仰を生んだのである。

 

 

   2

 

 あの処刑の後の話に時系列を戻そう。

 

 目が覚めたとき、じんわりとした心地良い温かさが全身を包んでいるのを感じた。

 

 目蓋を開くと広がっているのは知らない白亜の天井だ。上体を起こすと、わたしはベッドで寝ていたのが分かった。とても大きな寝具だ。両手両足を広げても余裕があって、布団も柔らかくわたしの身体を包み込んでくれる。

 

 部屋にある他の調度品も、わたしの素人目から見ても明らかに高価そうなものが揃えてある。ウンベールから人界の屋敷から持ち込んできた家具やらワインやらを自慢されてきたけど、ここにあるものは爵家のものとは比較にすらならなそうだ。

 

 机も絨毯も壁紙も、花の装飾が施され染みひとつない。姿見は曇りなくわたしを映していて、楕円に縁取られた鏡の中にいるわたしは何も着ていなかった。はだけたシーツから乳房が露になって、他に誰もいないけど咄嗟にシーツをたくし上げた。

 

 念のため確認したけど、辱められた痕跡は見当たらなかった。慣れたものだけど心底安堵した。

 

 ドアが開かれ、前触れのないことにわたしは声にならない悲鳴をあげた。入ってきたのは、それは美しい中年の女性だった。

 

 化粧で誤魔化し若作りした感じがなく、加齢による深みや妖艶さを前面に押し出している。彼女のような美貌でいられるのなら、老化も悪いものではないと思えるかもしれない。

 

「目が覚めたのね」

 

 口元に微かなしわを浮かべながら彼女は優しく微笑んだ。

 

「服はそれを着ると良いわ。あんな娼婦みたいな恰好は見たくないもの」

 

 と彼女が指さした先の机に、綺麗に畳まれた服が置いてある。でも、わたしはベッドから動けずぼう、としていた。何がどうなっているのか、全く状況が呑み込めないのだ。

 

 疑問符が頭の中に多く浮かび上がってくる。訊きたいことが山ほどあって、どれから解消すべきか処理に追われているうちに、「立てる?」と女性から背を支えられ起こされる。

 

 促されるままベッドから降りたわたしに、女性は服を着せてくれた。強制するような力の込め方がなく、優しい手つきにわたしはされるがまま着せ替え人形のように大人しくしていた。

 

 服は白のブラウスに赤く長い丈のスカート。今まで着ていた生地の毛羽立つ感じがない滑らかな肌触りは良好な着心地だけど、慣れないせいか落ち着かない。

 

「よく似合ってるわ」

 

 でも女性は満足そうで、紅を引いた唇に笑みを浮かべると部屋の外からワゴンを引いてくる。

 

「お腹は空いてない? 紅茶は好き?」

 

 ワゴンの上にはサンドイッチやクッキーといった軽食とお茶の道具一式が乗せられている。女性はカップにポットのお茶を注いで、輪切りにされた黄色い果物を入れた。確かレモンといったか。

 

「いらっしゃい」

 

 カップをテーブルに置いた女性に言われてようやく、わたしは重い足を動かすことができた。椅子に腰かけてお茶をひと口啜ると、温かく程よい苦味が口の中に広がる。美味しい、という感慨が溜め息となって宙に霧散していくようだった。

 

「探してたわ、ナミエ」

 

 まだ名乗っていない名前が彼女の口からでたことに驚愕しながら、わたしは質問を絞り出した。

 

「あの、あなたは………?」

「ヘスティカ。それがこの姿での名前よ」

 

 どういう意味なのか。そう思っていると、更に彼女は告げた。

 

「私はあなたの母親なの」

 

 「え――」と声を詰まらせた。唐突の告白に、どんな反応をすれば良いのか分からない。それを見越したように、ヘスティカと名乗る彼女は語った。

 

「ええ、驚くのも当然よね。確かにあなたを産んだ代理母はゴブリンが村を襲ったときに死んだわ」

「どういうことなんですか?」

 

 彼女が言葉を重ねれば重ねるほど訳が分からなかった。ヘスティカはしばし目を伏せ、

 

「ナミエ、これから話すことは複雑で、下手をすればあなたの心が壊れてしまうかもしれない。それでもあなたは、自分のルーツを――どうやって産まれてきたのか知りたい? 知る勇気はある?」

 

 今まで自分の生い立ちにさほど興味なんてものはなかった。知ったところでわたしがされてきたことは何も変わらない。知ったところで生きる道が見えてくるとも思えなかったから。

 

 でもこの時、わたしは確かに胸の高鳴りを覚えていた。母と名乗るこの美しい女性から真実を知れば、こんな汚れたわたしの生命にも意味があるように信じることができたのだ。

 

 たとえ自分の心が壊れようが、その時はその時。後になって思えば、その衝動は若気の至りだったのだろう。わたしは躊躇なく頷いていた。

 

 ヘスティカは「そう」と溜め息交じりに漏らし、紅茶をひと口啜って喉を潤すと告げた。

 

「あなたは、正確には私の娘のクローン――つまりは複製なの」

 

 そのクローンとか複製とかの意味もまだ分からなかったのだが、ひとつだけわたしの中で確信めいたものがある。先ほどからの彼女の口調。古代神聖語を織り交ぜた話し方が、彼と重なった。

 

「その話し方……、あなたは神界の人なんですか?」

「………もう、そこまで知っているのね。そう、私はこのアンダーワールドの人たちが神界と呼ぶ世界から来たの。私は元いた世界ではマヒロ・ナオコという名前よ。そしてあなたも、そこでマヒロ・ナミエという私の娘として産まれた」

「じゃあ、どうしてわたしはこの世界に?」

「死んだからよ」

 

 簡潔かつ、残酷とも言える回答にわたしは息が詰まった。心臓が掴まれたかのように縮み上がる。

 

「向こうでのあなたは15歳で死んでしまったの。当然、私と夫は悲しんだわ。冷たくなったあなたを抱きしめながら散々泣いて、骨になった後もずっと肌身離さず抱えていた。あなたはひとり娘で、まさに我が家の太陽のような子だったから」

 

 当時を思い出してか、ヘスティカはハンカチを取り出して目元に当てた。かと思えば急に呻き始め、左胸を抑えつけるように手を当てている。

 

「大丈夫、ですか?」

「ええ、ごめんなさいね。あなたを喪ってからろくに食事も睡眠もとれなくて、そのせいか心臓の病気になってしまったの。この世界での身体は仮初だけど本当の身体とリンクした――連動した状態だから、病気の痛みも持ち込んでしまったのね」

 

 落ち着いたのか、ヘスティカは胸から手を離して深呼吸する。

 

 正直、わたしの裡に実感と呼ぶべきものはなかった。目の前の女性の娘として産まれたことも、一度死んだということも。

 

「一時はそのままあなたの後を追うことも考えたけど、希望があったわ。もしかしたら、死者を蘇らせることができるかもしれないって」

「死者を蘇らせる?」

「ええ。私たちの世界では、人の魂を人工的に生み出すことができるの。女がお腹に宿さなくてもね。まだ一般に普及するどころか成功例もない技術だけど、幸い私はそれに介入できる地位も財産もあったから、あなたの魂を再生させるよう研究機関に働きかけることができた」

 

 ヘスティカの語るものが何となくミニオンや使い魔のような術式とは全く異なり、そして遥かに高等だということは理解できた。

 

 その死者蘇生の成功例がわたしなのだということは察しがついたし、事実ヘスティカの言葉はその通りだったからだ。

 

「まっさらで無垢な赤ちゃんの魂に生前のあなたの話し方や仕草、私と夫の遺伝子情報を組み込んでようやくあなたの魂は完成した。だけど、すぐに15歳のナミエとして目覚めさせることはできなかった」

「法で許されなかったから?」

「それもあるけど全てじゃないわ。法なんてあってないようなものよ」

 

 さらりと言ってのけたその言葉で、わたしはヘスティカが神界からの来訪者であることを確信できた。わたし達の世界において法とは、姿の見えない神の現身のような絶対的存在なのだから。

 

「実はコピ――複製された魂というのは、自分が複製という事実に耐えられないらしいの。私も実際、研究員の複製された魂が、自分が本物じゃないと分かった途端に発狂して壊れてしまう様を見せられたわ。怖かったの。再びあなたを喪ってしまうことが」

「じゃあ、今こうしてわたしに真実を話すのは?」

「私はあなたに自分が作られた存在だと隠し通すことも考えた。だけどこうも思ったの。あなたは娘の完全な複製じゃない」

「あくまであなたの娘に似せただけだから、真実を伝えても壊れないってこと?」

 

 言葉の先を越されたことに驚いたのか、ヘスティカは少しばかり目を見開いた。

 

「理屈としては、ね。でも再現は成功したみたい。向こうでのあなたも頭が良い子だったから」

 

 目を潤ませる彼女に、正直今のところ母という認識は持てない。代わりにわたしの裡にあったのは、忘れかけていた怒りというべき感情だった。

 

 「何で……」という問いがぽつりと零れると、後は止めどなく言葉の波が溢れてくる。

 

「何でわたしをこの世界に置いてったの? 苦しかった! 親がどんな人かも分からないで、その日の食べ物すらもままならない毎日で、男にずっと好き放題されて………」

 

 母と姉。家族になってくれる可能性のあった人々を喪ったことはあまりにも辛い記憶で、口からぶちまけることができなかった。アーウィンが死んだ事実はまだ日が浅く、彼女の首が落ちていく光景は鮮明にわたしの脳裏を駆けた。

 

 心というものを忘却または知らないふりを決め込んだところで、完全に無視することはできない。自分を騙せるほど完璧な嘘つきじゃないのは、法で嘘が禁じられる世界に生きていたからだろうか。

 

 不意にヘスティカが身を乗り出してわたしを抱きしめていた。耳元にすすり泣く声が聞こえる。

 

「ごめんね、本当に。辛いのに、よく生きていてくれて。私がもっと早く来てあげていれば………」

 

 わたしの身体を包むヘスティカの手はとても温かく、抵抗する意思すら芽生えなかった。

 

 母の温もり。それがどういうものか知らないのだから、ヘスティカから感じられる熱がそれという確証はない。だけど確かなのは、それがとても心地よかったということだ。人の体温が心地よいと思えたのは、この時が初めてかもしれない。

 

 だけど愛情というものはなかなかに重いもので、抱かれる力の強さに「苦しいです……」と呻くと慌ててヘスティカは「ごめんなさいね」と椅子に腰を戻した。

 

「当初は、私がこの世界で赤ちゃんからまたあなたを育てるつもりだった。でもそこまでの介入は研究機関側から拒否されたの。だからこの世界のどこかの夫婦の子として、あなたが産まれるよう操作することしかできなかった」

 

 まるでカッコウという鳥みたいだと思った。別の鳥の巣に自分の卵を潜ませ気付かない親鳥に育てさせる。

 

 代理母、とヘスティカはわたしの産みの親を形容していた。まさに言葉通りだ。自分の血を受け継いでいない他人の子を孕まされていたなんて。

 

 神の御業、いや母の愛とは奇跡的だけど残酷でもある。代理母に選ばれた女性は気付いていただろうか。多分気付かなかったことだろう。何人の男に抱かれようが、夫婦の祝福を受けた夫とでなければ子は成せない。その節理はわたし自身の身体で体験している。

 

「あなたがどこにいるか大体の居場所は掴めていたけれど、すぐに迎えに行けなかった」

「どうして?」

「セツナよ」

「彼を知ってるんですか?」

「ええ、よく知っているわ。彼は私の協力者だったから」

「協力者?」

 

 ヘスティカはこめかみに指を当てながら、深く溜め息をついた。

 

「私ひとりであなたを見つけるのは難しいから、彼にも協力してもらっていたの。でも問題が起こったわ。いざこの世界に来るとき、彼はあなたを見つけたら伴侶にすることを要求してきた。勿論私は拒否したわ。だけど彼は研究員を人質にとったの」

 

 その話をするヘスティカは少し疲れたように目を伏せる。正直、人質なんて手段をセツナが選択したことを意外に思った。あの男は問答無用で殺しそうだから。

 

「彼は、私の世界では凶悪な殺人鬼だった。何人もの人々が彼に殺されたわ。女性の被害者には乱暴された人もいた」

「あなたはそれを知っていたんですか?」

「ええ、知ってたわ」

「ならどうして彼を?」

「研究機関との取引だったの。無垢な魂に人格を書き込めるのなら、既に人格が規定された魂も書き換えができるんじゃないかって」

 

 わたしは予想できたことに悪寒めいたものを背に感じながら、恐る恐る訊いた。

 

「じゃあ、セツナはその実験の?」

「ええ、私があなたの再生を依頼した見返りとして、先方はセツナの身柄を要求してきた。悪人を善人にするための実験体として」

 

 魂の上書き。ヘスティカの語る実験で思い浮かんだのは、かつての為政者に記憶を奪われ都合の良い人形として仕立てられた、ユーリィたち整合騎士だった。

 

 神と謳われる者たちの世界だ。それくらいはできて当然なのかもしれない。

 

「私たちは何とか彼を拘束し、緊急の措置として記憶を消去してこの世界に送り込んだわ。だけど間の悪いことに転送先があなたの居た村の近くになってしまって、下手に動けば何かの拍子で彼の記憶が戻ってしまうかもしれない。だから、あなたと彼が離れる機会をずっと待っていたの」

「わたしをずっと追跡していたってこと?」

「ええ、知っていたわ。あなたが受けた仕打ちも全部。知っていたのに、何もできなかった自分を呪った」

 

 また、ヘスティカの目から涙が零れた。目元の化粧を巻き込んだせいで黒い涙になってしまっているが、そんなことに気付いていないのか、それとも気にしていないのか成すがまま流し続けている。

 

「本当に、よく生きていてくれたわね。ずっとあなたに会いたかった」

 

 椅子から立ち上がった彼女は再びわたしの身体を抱きしめた。やっぱり熱い。そして力が強く少しばかり苦しくもあった。

 

「もう苦しまなくていいわ。これからは幸せに暮らせるのよ。私が幸せにしてみせる」

 

 この時のわたしにあったものは、戸惑いという言葉が最も相応しい。

 

 母の愛。それを感じ取るのに、様々なものを学ぶ機会がなかったわたしにとって、まだ実感の伴うものではなかった。

 

 

   3

 

 ヘスティカが拠点としている場所はどこかの屋敷もしくは城のように豪奢だけど、どちらでもない。飛空艇、と彼女は言っていた。風素と熱素の神聖術で、建物を丸ごと空に飛ばしているのだという。

 

 にわかには信じられない話だけど、窓に広がる景色はわたしにその事実を誇示してくる。

 

 外の景色が一望できるガラス張りの広間に案内されたわたしは、ヘスティカが所用のために去ってもひとり目に映るもの全てに見入っていた。

 

 どこまでも広がっていく蒼穹。色彩は蒼と雲の城だけの、単純さを突き詰めた美しさだった。でも、無駄なものが一切ないというわけでもない。蒼を越えた先には赤い暗黒界の空が広がっていて、その遥か彼方に朧気ながら影があった。

 

 あれが終わりの壁。ユーリィは人界代表剣士が越えようと試みていると言ったが、雲を突き抜けるあの壁を越えられる者がいるだろうか。

 

 まあ、気にしても仕方のないことだ。わたしはもうじきこの世界を去ることになるのだから。ヘスティカが居た世界へと。

 

 わたしはさっき聞いた説明を、自分なりの解釈を交えながら頭の中で咀嚼し反芻した。

 

 ヘスティカがこの世界に来る際、セツナとは別の問題が発生して簡単に元の世界に戻ることが叶わなくなったという。問題解決にどれ程の時間が掛かるのか分からない上に、この世界と向こうでは時間の流れが大きく違う。あちらでの数分が、こちらでは数年という差らしい。しかも伝達手段もないのだとか。

 

 だからヘスティカは、向こうから迎えに来てくれる時を待つことにした。わたしと自身を特殊な神聖術で深い眠りに落とすことで老化を止める。そうすればどれ程の時間が経とうが、今のままの姿でリアルワールドに行けるらしい。

 

 リアルワールド。わたし達アンダーワールドの住人が神界と呼ぶ世界。人界代表剣士と副代表剣士、そしてセツナが生きていた世界でもある。

 

 セツナはどうなるのか、わたしはそれとなく訊いた。答えたとき、ヘスティカは逡巡した様子を見せていた。

 

「彼はあまりにも危険すぎる。この世界に死ぬまで閉じ込めるわ。元々、もし実験に失敗しても被害が出ないように彼をこちらに送ったのよ」

 

 その事にわたしが安堵していたのかは自分でも分からない。確かに彼は恐ろしい殺戮者で、故郷の世界でも同じだったことは容易に想像できる。でも、それだけでないような気もしていたのだ。ただ殺すだけの人間であることが、彼の全てだったのかと。

 

 わたしのこんな感情を、彼はかつてストックホルム症候群と言っていた。相手がいくら恐ろしい悪人でも情が移ってしまう。馬鹿げた感情だ。彼の言う通り一種の病気かもしれない。

 

 仮にわたしがそれを認めたとしよう。だからといって、ヘスティカに彼も一緒になんて言えはしない。わたしに決められることではないのだ。

 

 思えば、わたしのこれまでは全て他の誰かに決められていたように思う。アーウィンやユーリィ。今はヘスティカ。異議を挟む余地もなく、わたしは他者の決めた自分の処遇を実感も伴わないまま受け入れてきた。

 

 思わず笑みが零れる。我ながら主体性のない人生だ。でも、こればかりは受け入れても良いだろう。わたしを死んだ娘の現身とみるヘスティカに着いていく。彼女と共に往く世界は未知の領域だけど、悪いようにはならないはずだ。

 

 わたしはどん底にいた人生から抜け出せる。そう思っても、光というものを知らないからやはり実感が湧かなかった。わたしはどこまでも無知だ。

 

 部屋に戻ろうと広間から廊下に出たところで物音がした。何かがぶつかる音。間隔を開けて並ぶドアのひとつから、それは聞こえた。

 

 聞き覚えのある音だ。かつてわたしが戯れとして受けていた、人が人を殴る音。ゆっくりと音を立てないようドアを僅かに開けると隙間から音と、そして声が明瞭になる。

 

「その目は何? いつも反抗的な目ね」

 

 ヘスティカの声だった。さっきわたしに向けた慈愛なんて一切感じられない、虐げる声音を向けられているのは、床に倒れた黒い影だった。

 

 その姿にわたしは危うく声を出しかけた。それは、セツナを破りわたしをここへ連れてきたのだろう黒衣の男だった。この時もフードを被っているから口元以外は暗闇に覆われている。

 

 ヘスティカの爪先が、黒衣の男の腹に突き刺さった。胃液を絨毯にぶちまけ悶絶するその惨めな姿を前にして、ヘスティカはドレスの肩ひもに指をかけて慣れた所作で脱ぎ捨てる。

 

 痩せ過ぎずある程度に肉のある肢体をさらけ出して、未だ苦しむ男の服に手をかけた。これから起こるだろうことのおぞましさに耐え切れず、わたしは注意深くドアを閉める。閉まりきる直前に、ヘスティカの声がするりと聞こえてきた。

 

「お仕置きの時間よ」

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど23


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「いやー、ようやくナミエの正体が分かったわね!」

キ「いやまあ驚きといえば驚きだけど、何だかなあ………」

ア「何よキリト君。言いたいことがあるならはっきり言いなさい。そのためのコーナーなんだから」

キ「いやまあ……『オーディナル・スケール』と同じネタだなと………」

ア「そう、その通り!」

キ「自覚あったのかよ!」

ア「作者もネタ被りは承知の上で書いていたわよ。まあでも、死んだ身内をAIやロボットとして蘇らせるネタなんて腐るほどあるし、そういう点では『オーディナル・スケール』も斬新な設定とは言えないから開き直ることにしたのよ」

キ「おい公式様をディスるな! 原作者様並びに原作ファンの皆様申し訳ございません!」

ア「まあ、ネタ被りしても作風が全く違うんだしまんまってことはならないわ」

キ「まあ確かにそうだけど………そうなるのか? よく分かんなくなってきた」

ア「ちなみに作者は『オーディナル・スケール』をまだ観ていないそうです。設定に関してはネットで既にネタバレしてるけど」

キ「ええ⁉」

ア「観て感動したら似たようなの書いちゃいそうだから敢えてまだ観ていないそうよ。この作品が終わったら観るそうです」

キ「むしろ影響受けてくれればこの作品がいくらかマイルドになりそうなんだが………」

ア「鬱に振り切っていきます! 今回明かされたセツナの正体みたいに!」

キ「ああ正直ナミエの正体のほうが大きかったから何かオマケな感じだったなセツナのほうは」

ア「原作でキリト君やわたしの記憶を消すことができたから、なら改竄して別人格にもできるんじゃね、ということでセツナ人格矯正というネタができたみたいね」

キ「ラースならできそうだけど、菊岡さんがそんな実験するかな?」

ア「あの人なら魂いじくってもおかしくないじゃない腹の底見えないんだから」

キ「否定できない………」

ア「それでは次回についてだけど、投稿が遅れます!」

キ「今回も遅かったけどな」

ア「それは作者のモチベーションの問題よ。次が遅れるのはキャラデザのためです」

キ「ヘスティカと黒衣の男のか」

ア「そう。やっとストーリーも佳境に入ろうとしている頃なので、シーンが浮かびやすいよう新キャラふたりのビジュアルを読者様に知ってもらいたいという作者のこだわりよ」

キ「次はいつ投稿になるかな……」

ア「多分めっさ遅くなるわ!」

キ「堂々と宣言することじゃないわ!」

ア「それじゃあ次回、お楽しみに!」

キ「気長に待っていてくれよー」


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第24幕 ラバーズ・コンツェルト

武器物語(ウェポンストーリー)

寄葉(ヨルハ)機剣(きけん)・二号式B型》

これは心を禁じられた機械人形の物語。

【極秘】ヨルハ機体E型運用計画

アンドロイド運用に際し、部隊内部からの機密情報漏洩の危険性が指摘された。シミュレーション上では知能スペックを高く設定されたスキャナーモデルの機体がヨルハ計画の全容を把握する可能性が高い。

機密情報の拡散を防ぐべくエクセキューショナーモデルの開発を立案。担当任務はヨルハ計画を知った機体および部隊を離反した機体の処分。任務内容の特異性から運用する機体はメンタリティが強固なモデルを採用する必要がある。

特にアタッカー二号の後継モデルが適任とされ、本モデル運用のためパーソナリティデータの調整を進めるものとする。




 

   1

 

 あてがわれた部屋でどれ程ぼうっとしていただろうか。四角く切り取られた窓の奥に広がる空を眺めていたときにドアが叩かれ、がらんどうに「はい」と返事をすると入ってきたのはヘスティカと、あの黒衣の男だった。

 

 思わず身体が強張るけど隠せたらしく、ヘスティカは相変わらず優しく美しい笑みを湛えている。

 

「調子はどう? 何か欲しいものはある?」

「いえ、何もいりません」

「そんなかしこまらなくたっていいのよ。親子なんだから。私のこともお母さん、て呼んでほしいわ」

「えっと、それは………」

 

 言い淀んでいると、ヘスティカは少し寂しそうに眼を伏せた。

 

「そうよね。会ったばかりなのに急すぎたわ、ごめんなさい」

「いえ、そんなこと――」

「良いのよ。これから親子になっていけばいいんだから」

 

 ヘスティカが傍に控えていた男の背中に手を添えると、彼は1歩前へ出た。

 

「何か用があれば彼に言って」

「その人は……?」

「リアルワールドから一緒に来てくれた、私の従者よ。怖いかもしれないけど大丈夫。あなたに悪い事しないよう言いつけているから」

「はあ………」

 

 黒衣の男は微動だにせず、直立不動を貫いている。こんな時でもフードを脱がず顔を隠しているのは、何か理由でもあるのだろうか。さっきヘスティカに服を剥ぎ取られていた彼の顔は見ていないから、影の下でどんな表情を浮かべているのか窺い知ることができない。

 

「その人、とても強いんですね。セツナをやっつけるなんて」

 

 わたしが言うと「そうでしょう」とヘスティカは得意げに応えた。

 

「もしセツナが暴れたとき、あなたを守るためにこの子にも来てもらったの」

 

 つまり彼は、セツナに対抗するための戦士だったわけだ。強いはずだ。

 

「セツナのことは忘れなさい」

 

 ヘスティカの毅然とした声に、わたしの身体は身震いした。彼女は慈愛なんて込めず、冷たく告げる。

 

「これから彼を探し出して、この子に始末させる。連れてきた責任として、アンダーワールドに彼を野放しにしておけないわ」

「彼は、自分が過去に何をしたのか思い出せないまま殺されるんですか?」

「記憶をなくしても、過去が消えるわけじゃないの。あなたも見たでしょ? 自分が何者なのか分からなくても、彼の身体にはかつての殺しの術がしっかりと刻み込まれている」

 

 斬撃と悲鳴。それらの耳障りな騒音が消えた後の視界に広がっているのは血とばらばらにされた人体。彼にまつわる記憶にはそれらの吐き気を催すほど物々しい光景がまとわりつく。

 

 セツナ自身、自分の過去がまともなものじゃないことの自覚はあった。その予想が的中していたというだけの話。法に縛られないからといって、剣を握り躊躇なく人を殺めることができる理由にはならない。真っ当な人生を送り道徳を学んだ者ならばしないだろうことを、彼はやってのける。

 

「罪は償わないと。それは私の世界も同じ」

 

 そう言ってヘスティカは出ていった。部屋にはわたしと黒衣の男のみが残される。わたしは顔が見えない彼を見つめるけど、相変わらずその場から動く気配がない。まるで置物だ。ただそこに居るだけの人形。

 

 いや、とわたしは思い直した。人形なのはわたしも同じじゃないだろうか。死んだヘスティカの娘に似せて造られた存在。そうあるべきと魂と容姿を意匠され、このアンダーワールドに産み落とされた。

 

 この瞬間、わたしが実は造られた子どもと分かっても、その事実に動揺はなかった。その空虚じみた心も、最初からヘスティカにとって都合の良いように形作られたとしたら。そんなことを想像しても、やはり何も湧き上がるものはない。

 

 それよりも気になっていたのはこの黒衣の男。セツナを倒すほどの強さを持ちながら、ヘスティカからの暴力に反撃すらしなかったことへの疑問だった。

 

「あなた、さっきあの人に何されてたの?」

 

 わたしが訊くと、少し逡巡を挟みながらも彼はフードから辛うじて見える口元を動かし、声を発した。

 

「修正」

 

 短い返答だった。訊いておきながらまさか答えるとは思わなかったので驚いた。それに声も。思春期の変声期を迎えたばかりの、甲高さを微かに残した少年の声だった。

 

「修正?」

「俺が気に入らないことをすれば教育する。同じ間違いを繰り返さないように」

「そのためなら殴られても構わないの?」

「ああ」

 

 胸の奥にざわつきのような不快感を覚えた。まるで自分自身を見せられている気分だった。貴族の癪に障れば暴力を振るわれ、身体まで弄ばれる。隷属を身体に染み込ませ、逆らう気力を奪われ理不尽をされるがまま享受する、歪んだ迎合。

 

「痛いのは嫌って思ったことない?」

「痛みは慣れれば軽くなる」

「それでも痛いじゃない。逃げたいと思ったことは?」

「マザーに尽くすことが俺の役目だ」

 

 マザーとはヘスティカのことか。その些細な疑問は飲み下しつつ、わたしは更に尋ねる。

 

「あの人のもとが、あなたの正しい居場所?」

「そうだ」

 

 男の答えには逡巡を感じさせる間がなく、そして明確だった。

 

 ある意味で羨ましい。自分の正しい居場所が分からないわたしに対して、この男は在るべき場所を知っている。それがたとえ自分に苦痛を与える場だとしても。

 

 わたしはこれからの事に一抹の不安を覚える。ヘスティカと共にリアルワールドに行けば幸福が得られるはず。ヘスティカはそう約束した。

 

 だけど、以前と何も変わらない気もしたのだ。他人に自身の行き先を決められ、逆らうことが赦されない世界が待っている予感が、裡で大きくなっていく。

 

 ごうん、と大地が轟くような音と共に、部屋が大きく揺れた。立つこともままならず膝を折る。立ち姿勢を保っていた黒衣の男はわたしの腕を掴み「来い」と立ち上がらせる。

 

 部屋を出ても揺れと轟音は断続的にやってきた。その度にわたしは千鳥足になり、男に支えられ強引に足を進めさせられる。

 

「ナミエ!」

 

 どこかの部屋から出てきたのか、ヘスティカがわたし達に合流した。「どうしたんです?」と訊くと、ヘスティカは早口に答える。

 

「赤い飛竜よ。どうしてここが――」

 

 連れ込まれたのは、さっき空を見ていたガラス張りの部屋だった。ここなら外で何が起きているのか見やすい。

 

 雲しかないはずの蒼穹。その蒼の中に赤い影が翼を翻して旋回しているのが見えた。影が急速にこちらへ接近してきて、飛竜としての輪郭をはっきりさせる。

 

「伏せよ!」

 

 顎門の声が聞こえ、咄嗟にわたしはその場にうずくまって頭を手で覆った。直後、硬質の薄膜が砕ける甲高い音が響いた。同時にとてつもない強風が吹き荒れる。

 

 顔を上げると、部屋のガラスが綺麗さっぱりなくなっていた。体勢を崩したのか床を転がるヘスティカを黒衣の男が抱きかかえて、廊下のドアへと運んでいる。

 

「ナミエ! ナミエを早く!」

 

 ヘスティカがそう喚いても、黒衣の男は彼女の保護を優先しているようで実直に歩みを止めはしない。その姿がドアの奥に消えた。見計らったかのように、顎門がガラスのなくなった部屋の下に接近してくる。

 

 風に足を取られそうになりながらも立ち上がって眼下にいる赤い巨体を見下ろす。その背にセツナがいた。

 

「跳ぶのだ」

 

 顎門が言った。その背に跨るセツナも、わたしへと届かない手を伸ばす。

 

「俺を置いていくな!」

 

 それは初めて聞く彼の大声だった。吹き荒れる風の音を貫くように、その声はわたしの耳に届いた。彼の顔を見つめると、そこには今までに見たことのない、まるで渇望するかのような感情めいたものが確かにあった。

 

「システム・コール」

 

 背後から式句が聞こえた。次の瞬間、鉄の矢がわたしの横を飛び顎門の首元に突き刺さる。飛竜にとっては大した攻撃でもないはずだが、不意打ちに体勢が崩れたらしく顎門の身体が飛空艇から離れていく。

 

 振り返ると、ヘスティカが次の式句を唱えようと手をかざしていた。そんな彼女を「危険です」と黒衣の男が再度ドアの奥へと押し込んでいる。多少の押し問答があったが、力比べでは分が悪かったらしくヘスティカは無理矢理に通路へと追いやられてしまった。

 

 強風の中を平然と歩き、黒衣の男はわたしへ近付いてくる。

 

「他に居場所なんてない」

 

 手を差し伸べて黒衣の男が言う。

 

「あんたも俺と同じだ。マザー以外のところで生きることはできない」

「あなたと同じ?」

 

 更に問いを重ねようとしたが、黒衣の男は唐突に剣を抜いた。次に揺れが来て、わたしは対処できず床に倒れる。また顎門だ。飛空艇に体当たりしてきて、その衝撃は黒衣の男でさえ体勢を保つのにやっとなほど強いものだった。

 

 巨体の背からセツナが跳び降り、剣を抜いて真っ直ぐこちらへと疾走してくる。両者が剣を打ち合い、一瞬の拮抗の後にセツナは黒衣の男をわたしから引き離すように押しやった。

 

 剣を弾かれても、男の動きは早くすぐさま反撃に転じて剣を立て続けに突き出してくる。それら全て軌道を逸らすことで捌き、それでも迫る剣を渾身の一手で弾いた。

 

 すぐに男は横薙ぎに剣を振るのだが、セツナが跳躍したことで刃が虚しく宙を空振る。背後に着地したセツナはがら空きの背中に剣を振り下ろすが、咄嗟に男が後ろ手に剣を回したことで阻まれてしまう。

 

 男の蹴りがセツナの腹をしたたかに打ち付け、その身体を離す。身を翻し向き合って、両者は剣を構え直す。

 

 先に動いたのはセツナだった。今度はセツナのほうが絶え間なく剣を突き出していく。数度の剣の応酬の後、男はセツナの剣を受け止め鍔迫り合いに持ち込んだ。そのまま受け流しつつ、力の流れを読んでいたかのように剣を絡め、そして弾いた。

 

 相手の動きに翻弄されて剣を宙に泳がせたセツナだったが、殺気でも読み取ったのか咄嗟に後方へ跳ねた。直後、その足元に男の剣が突き刺さる。中腹の近くまで床に刺さったから容易に抜けなさそうだが、それを利用してか男は剣を軸にして身体を回し、その勢いのままセツナの顔面を蹴飛ばす。

 

 蹴られた顔から床に伏したが、セツナはただでは起きなかった。床に両手をつき、上へと伸ばした足先が男の顔面を打つ。

 

 セツナがすぐ起き上がり、膝を折った男に剣を振りかざすが、咄嗟に腹から身体を持ち上げられ一瞬にして床に組み伏せられた。その勢いに乗じて剣を引き抜いた男が、セツナに馬乗りになって剣を持ち上げる。

 

「ディスチャージ!」

 

 わたしの発した声に、男は狼狽えたように見えない顔を向けた。あらかじめ唱えていた神聖術で生成した熱素の鳥が、わたしの手から飛び立っていく。行く先は男の胸元で、服に触れた瞬間に熱素が爆ぜた。

 

 追い打ちに顎門が翼をはためかせ、ひと際強い突風を生じさせる。足場が安定しないのも手伝って、男の身体がセツナから離れて床を転がっていく。

 

 起き上がったセツナはわたしの手を掴んだ。

 

「来い」

 

 腕を引かれるまま彼と共に走った。床の縁で同時に跳んで、空に躍り出たわたしはセツナにしがみ付く。

 

 冷たい湿り気のある風が顔に突き刺さるようで痛かった。雲の中に入ったがそれは一瞬のことで、霞みかかった視界はすぐに開けて、下に翼を広げた顎門の赤い背中が見えた。

 

 背中はわたし達の身体を受けて止めてはくれたけど、鱗が硬くてお世辞にも優しくとはいかなかった。打った肩や膝の痛みを堪えながら、セツナとふたり何とか腰を落ち着ける。

 

 「良いぞ」とセツナが言うと、顎門は翼をはためかせる。

 

「飛ばすぞ。しっかり掴まっておれ」

 

 一気に加速した顎門の背中で、わたしはセツナの背にしがみ付いているのに精いっぱいだった。少しでも顔を上げたら押し寄せる突風にそのまま吹き飛ばされてしまいそう。

 

 整合騎士たちは皆こんな乗り心地で平気なのだろうか。平気じゃないから重厚な鎧や兜を身に纏うのだろう。

 

 少しでも身じろぎしたら振り落とされる。その恐怖のまま、わたしはただセツナに掴まり急速に乾く目を潤そうと目蓋を閉じた。

 

 

   2

 

 飛空艇から逃げ切れたのか、顎門が速度を落としてくれてようやくわたしは目を開くことができた。

 

 視界に霞が掛かっている。雲の中を飛んでいるようだった。なるほど、これなら地上からも空からも見つけにくい。

 

 風の音に負けじと、問いの声を張り上げる。

 

「どうしてあそこが分かったの?」

「お主があの剣士に攫われるとき、我の鱗をお主の服に忍ばせておいた。後は追跡術であらかたの居場所は分かる。空にいると知ったときは、流石の我も驚いたがな」

 

 「まるで発信機だな」とセツナの呟きが聞こえた。どういうものかは分からないが、おおかたリアルワールドにある技術なのだろう。今度は顎門のほうから質問が飛んでくる。

 

「して、あの者たちは何者だ。あの空飛ぶ風船も、我は見たことがない」

「リアルワールドの人。剣士のほうはよく分からないけど、女の人はわたしの母親って言ってた」

「リアルワールドの母だと? お主はイレギュラーユニットではないはずだ」

「そこのところは、わたしもよく分からない」

「全く、次から次へとイレギュラーが舞い込んでくるな」

 

 100年の時を生きた竜のぼやきに、わたしは「そうね、本当に」と返すしかない。真実を知れば知るほど、分からないことが増えていく。

 

 「良いのか?」とセツナが訊いてきた。

 

「せっかく母親が見つかったんだろう」

「あなたが来いって言ったんじゃない」

 

 「左様」と顎門が笑い混じりに言った。

 

「ナミエを探すと言ったのはセツナであろう」

 

 「そうだったの?」とわたしが訊いてもセツナは無言を貫いた。返答代わりか、顎門の鱗を剣で小突いた。

 

 降下して雲を抜けると、緑に満ちた人界の景色が広がっている。所々に壁で丸く囲まれた都市が点在しているのが見えた。

 

「適当な場所で降ろすぞ。我はしばらく飛び続け、奴らの目を撒こう」

 

 そう言って顎門は更に降下する。果ての山脈をなぞるように飛んでいく。

 

「ナミエ、風素術で落下速度を抑えよ。ありったけの術をな」

「分かった」

 

 セツナが腰に手を回してきて、躊躇なく顎門の背からわたしもろとも滑り落ちる。すぐ真下には森が広がっていた。一瞬でも遅れたら地面に叩きつけられる。ただ式句を正確に告げるよう唇に意識を集中させ、もう眼前にある樹々に向けて風素を放った。

 

 小さな竜巻が起こり、跳ね返るようにわたし達の身体が宙で一瞬だけ静止する。再び落下が始まるけど、それはとても緩やかなものに感じられた。いくつかの枝を折ってようやく、草地に投げ出された。

 

 いくら風の緩衝材を作り、またセツナが下になってくれたお陰で地面との衝突が避けられたといっても、それなりに節々が痛んだ。

 

 草地は柔らかいけど、セツナはわたし以上に痛かっただろう。天命も少し減っているかもしれない。わたしはセツナの首に手を回して、その胸に顔を埋めた。せめて痛みが引くまでの間だけでも、そうしていたい気分だった。

 

 

   3

 

 ようやく立ち上がれるようになって、まだ関節がぎこちないながらもわたし達は森を歩いた。跳び下りる前、森の近くに集落が見えた。方角さえ合っていれば辿り着けるはず。

 

 しばらく歩くと時告げの鐘の音が聞こえて、軋む足を速める。途中に《悪魔の樹跡地》と倒れかけの看板が建てられた大きな切り株を見つけたからそこで少し休憩を挟み、再び歩き始めてからそう時間を要すことなく森を抜けることができた。

 

 森を抜けた先は丘になっていて、そこには金色に色付く麦畑が広がっていた。かつて住んでいた村よりも遥かに広大で、そして豊作だった。暗黒界よりも芳醇な麦の香りを感じながら、ならされた道を進むと背の低い石造りの塀が見えてくる。

 

 近くの川から引いているのか、村は水路に囲まれているようだった。透き通った人界ならではの水にしばし見とれながら木製の門を潜ろうとしたとき、傍に立っていた詰所らしき小屋から大柄な男が出てきた。

 

「こんな村に客なんて珍しいな」

 

 剣を腰に提げていたら身構えてしまったけど、体躯に不釣り合いなほど穏やかな声色に拍子抜けしてしまった。齢は三十路を迎えていそうな男は頭を掻きながら笑い、

 

「ああ驚かせて悪いね。俺はジンク。この村の衛士長さ。ようこそ、ルーリッド村へ」

 

 「君たちみたいな若い客はそう来ないよ」と語るジンクは衛士長の職に就いて長いらしく逞しい体躯をしていたが、実際に剣を抜くような事態は滅多に起こらないというのは本人の談だ。

 

 衛士という職業はかつて暗黒界からの侵略から村を守るために存在していたのだが、異界戦争後に交流が始まってからその役目はすっかり廃れ、今や人員は人界守備軍に流れてしまっている。

 

 この頃だとルーリッドの衛士はジンク氏を含め4人と少なかったらしい。かくいうこの手記を書いている頃には、衛士隊は守備軍に完全併合されている。

 

 わたし達に村のことを話してくれたジンク氏は衛士というよりも、さながら観光案内人のようでもあった。

 

「見ての通り畑以外何もない村さ。天職制度が廃止になってから、ガキは学校出たら農家なんてやだとか生意気言って都市部に出るもんで、働き手はどんどん減っちまう。少し前は富農たちがギガスシダーの切り株を観光名所にしようだなんて言い出したけど、切り株なんて見てもつまんないから村おこしはお察しの通りさ」

 

 なるほど、とわたしは村に来る途中で見た巨大な切り株について納得できた。あの看板は忘れ去られた村おこしの遺構だったわけだ。

 

「まあそれでも暮らしていけるだけ良いさ。異界戦争が始まる直前でゴブリンに襲撃された日は、もう終わりだと思ったよ。整合騎士に助けてもらって何とか村は存続できたんだ」

「整合騎士が村に居たんですか?」

 

 わたしが訊くと、ジンク氏は寂しそうに笑いながら「ほんのしばらくの間だったけどな」と答え、

 

「ずっと礼を言わなきゃって思ってたんだけど会えず仕舞いでさ。多分戦争でも前線に出てたんだろうけど、ちゃんと生きて帰ってこれたのかな、あいつ」

 

 まるで古い友人を懐かしむような声音だったけど、それ以上の追求はしなかった。思うことがあるのだとしたら、初対面のわたし達に簡単に話せることじゃない。

 

 ジンク氏がわたし達に案内してくれたのは、村に唯一ある宿だった。宿といっても《ハナグマ亭》と小さい看板が掛けてあるだけの、遠目から見たら木造2階建ての民家だ。

 

 家の前で椅子に腰かけパイプを吹かしていた中年の男性がわたし達に気付く。

 

「どうしたジンク。サボりか?」

「そんな言い方あるかよ。客を連れてきてやったのに」

「客だあ?」

「ほらお客様に何て口のきき方だよ。安さしか売りがねえんだからせめて愛想よくしろっての」

 

 「お客さんだって?」と宿から恰幅のいい女性が出てくる。夫婦で経営しているのだろうか、夫の頭をひっぱたき「ほら部屋の掃除!」と中へと引っ張っていく姿に思わず笑ってしまった。

 

「ありがとう」

 

 わたしが礼を言うとジンク氏はかぶりを振った。

 

「いや大したことじゃないさ。何て言うかそこのあんた、前この村にいた奴に何となく似ててさ。少し懐かしくなったんだ」

 

 今までひと言も発さなかった「そこのあんた」がようやく口を開く。

 

「俺が?」

「ああ、奇妙な奴でな。最初会ったときはベクタの迷子で、ギガスシダーを切り倒した刻み手の奴と一緒に央都に出てったんだ。それから2年振りくらいかな、今度は整合騎士と一緒に戻ってきたらうんともすんとも言わなくなっちまってたんだ」

 

 青年の回想する若かりし頃、というより幼き頃と呼ぶべきか。その思い出はあまり良いものではなかったらしく、どこか悲しみを浮かべた目でセツナを見ていた。

 

 セツナとよく似たベクタの迷子。聞いた限りだと、その人はセツナよりも遥かに善良そうだ。ジンク氏から血生臭い話が出てこない限りは。

 

「悪いな。つまんない話聞かせて」

 

 それだけ言ってジンク氏は詰所へと戻っていった。

 

 ジンク氏の安さが売りと言う弁に違わず、宿はなけなしの路銀でも食事付きで泊まることができた。商売が成立するのか心配な値だったけど、収入の大半は畑の麦で宿は観光客向けのおまけと女将が笑いながら言っていた。7人いた子ども達が全員央都に上って部屋が余っていたから宿を始めたらしい。

 

 客室はベッドとテーブルのみの質素なものだったけど、これくらいで丁度いい。豪華な装飾に彩られた部屋だとかえって落ち着かない。

 

 窓から果ての山脈の陰に沈みかけた茜色のソルスを眺めていたセツナに、わたしは訊いた。

 

「ねえ、どうしてあんなこと言ったの?」

「何をだ?」

「置いていくなって」

 

 セツナはゆっくりとわたしへと振り向く。いつも通りの無表情だけど微かに、寂しそうなのがわたしには分かった。今にも泣いてしまいそうな。

 

 逡巡を経てセツナが出した答えは「分からない」だったが、「ただ――」と言葉を繋げる。

 

「離したらあんたが二度と戻ってこない気がして……とても怖かった」

 

 初めて、彼の口から弱音めいた言葉を聞いてわたしは内心で驚いていた。同時に、彼になんて言葉をかけたら良いのかも迷っていた。そんなとき視線を降ろしたわたしの目に入ったのは壁に立て掛けられたセツナの剣。

 

 我が物顔で彼がずっと持っていたのは、アーウィンの細剣だった。一時とはいえ忘れることができた悲しみがぶり返してくる。同時にセツナへの、今にも暴発しそうな想いも。

 

「あなたはアーウィンを殺した。それは赦せない」

「ああ」

「それなのにわたしに居て欲しいの?」

「ああ」

「あなたが憎いのに?」

「償い切れる罪じゃないならせめて、受け止めることしかできない」

 

 頭の中で色々な感情がない交ぜになっていて、今にもおかしくなってしまいそう。この男はわたしの恩人を殺したけど、この男もまたわたしの恩人なのだ。あの地獄のような、いつ死ぬかも分からない閉ざされた村からわたしを血塗れになりながら引っ張り出してくれた。そこからわたしの「正しい居場所」を見つける旅が始まったのだけど、それはすぐ傍にあったのだと思える。

 

 矛盾していて、歪んでいる。わたしも彼も、やはり何かが欠落した人間なのだろう。人が本来なら持つべきものを持たず、持つべきでないものを手にしてしまっている。わたしの場合は、この魂が造られたものだからなのかは微妙な線引きだ。

 

 差し伸べられたセツナの手に、わたしは抵抗しなかった。抱き寄せる彼の手は力強かったけど、優しくて温かくもあった。これも酷い矛盾だ。多くの人間を殺めてきた手が、ひとりの女を壊さないよう包んでいるなんて。

 

「名前を呼んでくれ」

「セツナ」

 

 アンダーワールドでは聞き慣れない響きの名前を囁く。

 

「わたしのほうも、名前で呼んでよ。あんたじゃなくて」

「ああ、ナミエ」

 

 わたし達は向き合い、互いの顔を眺める。思えば互いの名をしっかりと呼んだのも、この時が初めてだった。約1カ月と短いながらも、ずっと一緒に居たというのに。

 

 どちらからともなく更に顔を近付けて唇を重ねる。同時にソルスが山の陰に隠れて、完全に世界は夜の(とばり)を降ろした。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど24


キリト=キ
アスナ=ア
ユージオ=ユ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ユ「また呼ばれてきました、ユージオです」

キ「ユージオ、また来てくれたんだな………(泣)」

ユ「キリトいちいち泣かないで開始早々疲れるよ!」

ア「さあて、今回は胸の熱くなる展開だったわね!」

キ「ああ。攫われたヒロインを主人公が助けに来るのは王道だよな。あと今回で初めてセツナが飛竜に乗ったわけだ」

ユ「いやあこういうのって見ててわくわくするよね。子どもの頃、アリスがデュソルバートさんに連れていかれた時を思い出すよ」

キ「ああうん、俺たちがアリスを助けられなかった時ね。一気に空気重たくなっちゃったよユージオ………」

ア「作者曰く原作との対比も兼ねて救出劇になったそうです。お子様だったふたりと違ってセツナには助けるだけの力があるから」

キ「俺たちの古傷を抉るな! にしてもセツナが戦った黒衣の剣士、凄い戦い方だな。剣術だけじゃなくて蹴りとかの体術まで使うのか」

ユ「アンダーワールドじゃ純粋に剣のみで戦うのが美徳とされているから邪道だよね」

キ「ああ、それにソードスキル――秘奥義を一切使わなかったことも特徴的だな。アインクラッドでもハイレベルなプレイヤー同士のデュエルじゃ、互いにソードスキルの動きを読まれるから使うことは滅多になかったけど」

ユ「そうなんだね。修剣学院での稽古じゃ、秘奥義の動きが分かっても避けるよりも技の受け止めとかを教わるのが多かったかな」

ア「アンダーワールドの剣技は実戦的とは言えないわよね。そういう意味でも、現実世界から来たセツナや黒衣の剣士の戦い方はかなり異様ね」

キ「作者としては技の打ち合いだと絵的に単調になるから、アクロバットな戦い方を演出することにしたみたいだ」

ユ「いくら邪道な戦い方でも、ナミエが神聖術で助けてくれなかったらやられてたと思うと相当危なかったんだね」

キ「ああ、あの剣士はかなりの強敵だぞ。素性含めて今後どう出てくるかも注目だな」

ア「で、ふたりが辿り着いたのは何とルーリッドの村! 久しぶりの故郷を見た感想はどうユージオ?」

ユ「10年経ってもあまり変わりないみたいで、少し安心したかな。僕が倒したギガスシダーの切り株が観光名所になっているなんて少し照れ臭いけどね」

ア「すぐに寂れちゃってたけど!」

キ「余計なことは言わなくていい。にしても天職制度を廃止したことで村の過疎化が進んじゃってるのも複雑な気分だよな」

ユ「誰もが好きな道に進めるようになったなら仕方ないことだよ。僕だって子どもの頃は剣士や騎士に憧れてたしね」

キ「ダークテリトリーへの支援のために農業はもっと拡大していきたいところなんだけどな。安定供給って意味じゃ、天職は理に叶っていた制度だったんだな」

ユ「それを分かってても、キリトは廃止したでしょ?」

キ「まあな。よく分かってるじゃないか」

ユ「親友だもの」

ア「はいはい乳繰り合わないの」

キ「しとらんわ!」

ア「せっかく懐かしのジンク君が登場したのにいつまでも話題に出なくて可哀想じゃない」

キ「ああジンクね。あのアリスに気があってユージオに対抗心燃やしてたモブ君の」

ユ「すっかり大人になってたよね。昔馴染みが成長してるのって見てて和むよ」

ア「劇中では出なかったけどジンクは結婚して子どもがいることになってるわ。あと喋り方も、作者はユージオに少し似せるよう意識したそうよ」

ユ「え、僕に? 子どもの頃はよく僕をからかってたジンクがどうして?」

キ「憧れってやつだよ」

ユ「ジンクが? まさか」

キ「いや、ユージオをからかっていたのはアリスと仲良しだったことへの僻みだよ。年月が経つにつれて自覚して、それがいつしか憧れや尊敬になって口調を真似るようになったわけさ」

ア「村を出るユージオに剣で負けちゃってるものね。それもあって心の奥ではユージオの強さを認めてたのよ」

ユ「何か、照れるな………」

キ「伝えようにもユージオはもういないから、せめて代わりとして村を守ろうってことなんだ。他の若者たちみたいに央都に上らず村に残ったのも、それが理由なんだろうな」

ユ「本当に大人になったんだね、ジンク」

ア「さあそして今回一番の山場よ! セツナとナミエ、とうとうくっつきましたヤッタあああああ‼」

ユ「あああアスナ⁉」

キ「落ち着け! 崩壊してるキャラが更に酷くなってる!」

ア「だってやっとよ? 主人公とヒロインがやっとベッドでオホホになったのよ。これはもうお赤飯よ!」

ユ「因みにだけど、その……接吻の先はしてるのかい?」

ア「あらユージオ聞いちゃうそれ? あなたも好きねえ」

キ「今度はおばちゃんみたいになってるぞ。ユージオもそういうこと聞くもんじゃないぞ。そこを敢えて本編でぼかしてだな――」

ア「ヤってるわよ、最後までしっかり」

キ「おおい俺のフォロー!」

ア「読者さんの想像に任せるって言ったって皆もう分かりきってるわよ。逆にヤらなかったらヘタレじゃない」

キ「いやまあそうだけどさ………」

ユ「凄いよねえ。僕はそういう展開もなく死んじゃったから………」

キ「本当にごめん、ユージオ……」

ア「大丈夫よユージオ。あなたが再会したアリスは幼馴染とは別人みたいなもんなんだから。あんな暴力女アリスを抱いたところで意味なんて無いのよ」

ユ「ねえキリト、僕は慰められてるのかい?」

キ「うん、一応アスナなりのフォローなんだ。ごめん、本当はもっと気遣いのできる人なんだよ。作者の悪ふざけでこうなってるだけで」

ア「さて、それでは新キャラふたりのビジュアルができたので公開するわよ! まずはヘスティカです!」

【挿絵表示】

キ「ふーん」

ユ「本編でも容姿に触れられてたけど綺麗な人だね」

ア「今まで女性キャラはスリーサイズまで設定していたけど、ヘスティカに関しては身長168センチとしか記載がないわ」

キ「珍しいな、今までラブライブのキャラと似た体型にしてたのに」

ア「ラブライブは皆女子高生だけど、ヘスティカは熟女なのでスリーサイズなんて需要ないだろうという作者の配慮です」

キ「どうせ面倒くさいだけだろ………」

ア「まあ見た目グラマラスだけど年取ったら垂れちゃうし、別に知らなくてもいい情報よね」

キ「今までも必要不可欠ってわけじゃなかったけどな」

ア「何言ってるのよ。ギャルゲーなんてヒロイン全員のプロフィールにスリーサイズは必須じゃない」

キ「いやこれギャルゲーじゃないから。至って真面目な小説だからね」

ユ「キリト、僕あまりリアルワールドの文化とか分からないんだけど」

キ「お前は知らなくていいんだユージオ。どうかそのままでいてくれ………」

ア「真面目な解説だと、アドミニストレータとは別ベクトルの美貌という人物設定みたいね。アドミニストレータはハイティーンの若さと美貌を持つキャラなのに対して、ヘスティカは美魔女という設定になってるわ」

キ「大人の女性であることを前面に出してるわけか。でもあくまでこの姿はアンダーワールドでのアバターなわけだよな」

ア「その通り。でも作者としては、現実とメイクが違うだけであまり変わらないそうよ。わたしもスーパーアカウントでログインしたけど、容姿は現実とあまり変わらなかったわけだし」

ユ「このヘスティカもスーパーアカウントみたいに、特別な能力を持たされてるってことはあるの?」

キ「うーん、まだ詳しくは明かせない段階だけど、スーパーアカウントほどじゃないにしてもそれなりの能力はデザインされているみたいだ。ナミエを見つけたらディープフリーズするつもりだったことから、神聖術ではかなりの権限を持っていることになるな」

ア「娘をAIとして復活させるためにアリシゼーション計画に関わっているってことは、現実世界でもかなり地位がありそうね」

キ「それは間違いないな。アリシゼーション計画は極秘だったわけだし」

ユ「作中だと娘さんを亡くした可哀想なお母さんって感じだけど、所々で底知れない雰囲気があったよね」

キ「ああ、まだまだ出てきそうだな」

ア「さあて、次は黒衣の男よ!」

【挿絵表示】

キ「おお、いかにもアサシンて感じだな」

ユ「キリトこういう服好きそうだね」

キ「やっぱ黒は身が引き締まるからなあ。そこのところは作者のセンスに共感するよ」

ア「単にセンスないだけでしょ」

ユ「アスナ、やめてあげて。キリトが落ち込んじゃってる」

キ「ええと……、まあこいつもまだ謎が多いキャラだな………」

ユ「そうだね。今のところはセツナと互角に戦えるくらい強いってことくらいだよね。一度は勝ってるわけだし」

キ「もうひとつ分かってるのはヘスティカに従順なことだな。黒衣の男の正体についてはまだ明かせないみたいだ」

ユ「ナミエはまだ少年くらいって思ってたけど、実際どうなんだろうね」

ア「それもまだ明かせないわ。本当、謎だらけって面倒くさいキャラ設定よね。作者も設定分かりきってるのにこういう裏話でどこまで情報出せばいいか迷っちゃってるし。お陰でセツナもある程度正体分かってきてるのにまだ出していいか分からない情報多いのよ」

キ「メタな愚痴はやめろ! やっと色々と謎が明かされて伏線回収に入り始めてるってのに」

ユ「まあセツナとナミエが無事結ばれたってことで、これからどうなるかに注目だね」

キ「いや油断できないぞユージオ。この作者ほのぼのを許さないからな………」

ユ「やっと分かりやすい幸せな描写が出たのに……。いや、幸せなのかな? よく分からないね」

ア「さあ、今回はここまで! これからどんな鬱展開が待っているのか、こうご期待!」

キ・ユ「ばいばーい」


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第25幕 ペアレンタル・アフェクション

 

   1

 

 時告げの鐘が鳴る前に、小鳥たちの奏でる声で目が覚めた。隣にいるセツナはまだ寝息を立てている。眠っているときも険しい顔だ。昨日あれだけの事があったのだから、まだしばらく目覚めそうにない。

 

 わたしは服を着て宿を出た。空は白み始めているけどまだソルスは果ての山脈から姿を現さず、村人たちもまだ眠っているようでとても静かだ。小鳥の鳴き声と村の周囲を流れる水路のせせらぎがよく聞こえる。

 

 あてもなく適当に、ゆっくりと歩いて村を散策してみる。同じような外観の家があって、村の中央には広場がある。最も大きな建物といえば教会で、望楼に時告げの鐘がぶら下がっている。

 

 歩いている途中で「う……」という呻き声が聞こえて足を止める。恐る恐る覗き込んでみると、民家の庭らしき草地で老人がうずくまっていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 声を掛けると、口髭を蓄えた顔がわたしへと振り返る。頬がこけて目が落ちくぼんだ、まるで頭蓋骨に皮を張っただけのような瘦せこけた老人だった。

 

「鎌で切っただけだ。大したことはない」

 

 老人は見慣れない顔に怪訝な目を向けながら不躾に言った。庭の手入れでもしていたのか足元に血の付いた小ぶりな鎌が落ちていて、左の手首を抑えつける右手の指間からは血が漏れている。

 

「見せてください」

 

 とわたしは「おい……」という声に耳を貸さず老人の手を強引にどかした。傷口は確かにそう深くはなさそう。

 

「システム・コール――」

 

 人界の豊潤な神聖力がわたしの手元に集まり、老人の裂かれた手首の血を止め損傷した組織を再構成していく。術発動時に生じる光が収まると、傷口は跡も残らず消滅していた。周りにこびり付いていた血がなければどこを怪我したのかも分からない。

 

 老人は嘆息しながら傷のあった箇所に触れ、わたしの顔をまじまじと見つめてくる。

 

「随分と高度な術を使うのだな。君は治療師か?」

「いえ、ただの旅人です」

 

 かぶりを振ったわたしがそう答えると、老人は「そうか」と納得したように、

 

「昨日村の者たちが噂していたのは君のことか」

 

 老人は立ち上がる。しっかりと背筋が伸びている。腰が曲がっていないところを見ると、見た目ほど老齢じゃないのだろうか。

 

「手当てをありがとう。私は村長のガスフト・ツーベルク」

「ナミエです。ここは、そんなに他所の人が珍しいんですか?」

「見ての通り何も、寄りつくようなもののない田舎だ。若者は皆央都に上ってしまったよ。私の娘もそのひとりだ」

 

 そうだろうか、と思いながらわたしはまだ眠っている村を見渡した。ここにはソルスの光も水も、神聖力も満ちている。人が生きていくのに必要なもの全てが揃っているのに。それ以上のものを求めようとするのは、酷く贅沢で高望みな気がした。

 

 ツーベルク村長が訊く。

 

「君はまだ若そうだが、家族はいるのか?」

「いえ、その――」

「言いたくないなら良い。この村はどうにも、訳ありな者に縁があるようだな」

 

 そう言うツーベルク村長の顔がとても寂しそうに見えたのは、わたしの気のせいだっただろうか。村長という立場なら余所者を警戒しそうなものだけど、彼の口振りは寛容な性分だから、と片付けるには軽すぎた。

 

 気にはなったけど、わたしが踏み込んで良いことでもないと察しはつく。だから代わりにわたしは質問をした。

 

「どうしてこんな早くから庭の手入れを?」

「妻がいつもしていたのでな。それだけだよ」

 

 見下ろした庭の縁には、不揃いながら色とりどりの花々が並んでいた。開いた花弁には撒かれた水の雫が付いている。とりとめのない、正直言って不格好な花壇だ。綺麗とわたしの感性が捉えられるのは、純粋に花の美しさだろう。

 

「傷の礼をさせてほしい。こんな老いぼれでも茶くらいは淹れられる」

 

 誘われるがまま、わたしはツーベルク村長の家に上がり込んだ。村長というだけあって他の家よりも大きく立派な佇まいだけど、家の中は朝方とはいえひどく静かだった。外の静けさは心地いいけど、ここは無音で寂しいものだ。

 

 踏み込んでいいものじゃない。分かっていても、湯を沸かすツーベルク村長に訊かずにはいられなかった。

 

「あの……、あなたの家族は?」

「妻には何年か前に病で先立たれた。娘はふたりいて、下の娘は央都で神聖術師をしている。最近どうかは分からんがね」

 

 棚からカップを出して、ポットに茶葉を入れていく。ツーベルク村長は湯が沸くまで、釜土の前に立ったまま動かなかった。わたしもテーブルにかけたまま無言の時間が流れる。

 

 彼が上の娘の近況について何も言わなかったことが、ずっと引っ掛かっている。事情の深い家庭であることは、否応なく理解できる。

 

「せっかくだ。朝食でもどうだ?」

 

 台所からツーベルク村長が訊いてきて、わたしは咄嗟に「あ、はい」と答えた。すぐに宿に帰ったら何て説明しよう、と後悔めいたことを思う。

 

 微かに、ツーベルク村長が笑ったように見えた。湯が沸いて、彼はテーブルに茶器一式を並べると、そこにチーズとハムを挟んだパンとミルクの注がれた瓶を出してくれた。

 

「こんなものしか出せんが」

「いえ、頂きます」

 

 サンドイッチはパンが少しばかりパサついていた。ミルクのほうは、搾ってまだ間もないのか美味しく飲むことができた。ツーベルク村長も材料があまり良くないことは理解してか、「妻と娘は料理上手だったんだが」と苦笑していた。

 

 食後の紅茶も、茶葉の分量を間違えたのか味が薄めだった。お茶くらいは淹れられると言っていたけど、本当に淹れられるだけだった。ご馳走になっているから文句なんて言えた立場じゃなかったけど。

 

 味の良し悪しがもう麻痺していそうなツーベルク村長は何食わぬ顔でカップを啜り嘆息する。

 

「人界統一会議なんてものができてから、色々と世の中は変わった。人も法も、何もかもが」

 

 ツーベルク村長が溜め息交じりに言ったように、戦後は毎日のように禁忌目録をはじめ帝国基本法も改訂が繰り返されてきた。天職制度の廃止が代表的だけど、他にも禁止が解消された事項は多い。民衆がとても把握しきれないほどに。

 

「戦前ダークテリトリーに行くことが禁止されていたのを、君は知っているか」

「ええ」

 

 それはよく知っている。わたしはその罪を犯した罪人として、長年に渡って懲罰を受けさせられたのだから。

 

「上の娘は10歳の頃、ダークテリトリーに踏み入るという禁忌目録違反を犯し、整合騎士に央都へ連れていかれた」

 

 その告白にわたしは何と言葉をかけるべきか分からず、ただ目の前の老村長の垂れ流す言葉を聞き続けるしかなかった。

 

「処刑されたものと思っていたが、10年近く経って帰ってきたのだ。整合騎士としてな」

 

 ユーリィから聞いた整合騎士の真実を思い出す。武術に秀でた者や禁忌目録を犯した者。そういった者たちを央都のセントラル・カセドラルに連行し《シンセサイズの秘儀》なる術で記憶を封じられ天命を凍結された元人間。

 

 わたしは昨日ジンク氏から聞いた、村に居たという整合騎士のことも思い出した。彼女は、央都で記憶を奪われながらも戻ってきた、ツーベルク村長の長女だったのだ。

 

 彼女は奪われた記憶を取り戻したのか。それとも故郷に戻ったのは偶然だったのか。訊こうとしたが、ツーベルク村長の重すぎる告白が好奇心を阻んだ。

 

「だが、私は娘を罪人として拒絶してしまった。法と、村長という自らの立場を言い訳にして。こんな父に嫌気が指したのだろう。娘はしばらく村に居たが、結局出ていってそれきりだ。生きているのかすら分からん」

 

 ツーベルク村長は歯噛みする。落ちくぼんだ目元を光らせながら。

 

「下の娘は姉の帰りを喜んで、毎日のように会いに行っていたよ。本当は、私も娘にお帰りと、あの日助けてやれなくて済まなかったと言ってやりたかった。抱きしめてやりたかった。父親としてそうすべきだったのに………」

 

 ユーリィから娘の話を聞いたときのように、こういう我が子への後悔を吐露されたらどうすべきなのか、わたしは知らない。

 

 忘れてしまえば、なんて薄情すぎることを言えるはずもなかった。我が子のことを綺麗さっぱり忘れたまま50年も過ごしてきた彼女は、忘れたことに苦しんでいたのだから。

 

「妻の葬式で下の娘が帰ってきた日に言われた。もう会えない。姉の帰りを待つと。私はその言葉の意味が分からなかった。あの子は、アリスは生きているのかと。セルカが待つのなら、私も待てばまた会えるのかと」

 

 アリスとセルカ。自ら発した娘の名前に耐えられなくなったのか、ツーベルク村長の目から涙が零れた。ユーリィもそうだった。娘の名を口にした彼女も、自らの裡に溢れ出す我が子への想いを抑えられなかった。自らの腕で抱いてやれないことの虚しさも。

 

「もう下の娘も手紙すら寄越してはくれなくなった」

「会いに行こうとは、思わないんですか?」

「会いたいさ。だが私にはその資格がない。法とか村の者への示しとか、そんな下らないものと子どもを天秤にかけた私にはね」

 

 ツーベルク村長は手ぬぐいで目元を拭う。涙は止められたけど、まだ目は赤いままだった。

 

「私は本当に守るべきものを見誤った。だから、これは罰なんだ。娘たちがまた会えるようただ祈り続けるのが、私にできる唯一の償いだ」

 

 ふと、わたしはどうしても訊きたいことが湧いた。ユーリィが呟いていた、我が子を求めてやまない、わたしにはまだよく分からない感情のことを。

 

「娘さんたちのこと、愛しているんですか?」

 

 答えは、長い逡巡を挟んだ。

 

「大事にしていたつもりだったが、愛してはやれなかった」

 

 今更ながら、残酷なことを訊いてしまったと後悔してしまった。愛というものがどういう感情なのか、わたしは未だに実感がない。でも、それはとても重みのある感情なのだろう。当人の心をかき乱してしまうほどに。

 

「ナミエさん、老人の余計な世話かもしれんが聞いてくれ。大切な人がいるのなら気持ちをはっきりと伝えることだ。何も伝えられず別れてしまうのは、どんな罰よりも辛い」

 

 ツーベルク村長は鼻を啜りながら言った。わたしは無言で頷くしかなかった。カップに残った紅茶はすっかり冷めていて、一気に飲み干したわたしは席を立った。

 

「美味しかったです。ごちそうさまでした」

「ああ。長話に付き合わせてすまなかった」

 

 ツーベルク村長はこのまま、ひとりこの家で残りの生涯を過ごし続けるのだろう。新しい伴侶も子も作ることなく。それが彼の選んだ罰だ。法も貴族も皇帝も、人界統一会議もそれを与えてくれないのなら、自分で自分を罰するしかないのだ。

 

 宿に戻る頃になると、村民たちは起き始めていた。井戸の前にはご婦人たちが水を汲みがてら談笑している。

 

 宿に入ると帳簿を眺めていた主人が笑顔で出迎えてくれた。ほんの少しの邪さは感じるけど、どこか間が抜けていて不思議と不快さがない笑顔だった。

 

「お帰り。散歩かい?」

「ええ」

「朝飯が出来てるよ。連れも起こしてきな」

 

 部屋に入ると、セツナは既に着替えを済ませていた。彼の横で、厳かな顔をした小竜が翼をはためかせている。

 

「顎門……」

「朝の散歩とは、優雅なものだな」

「あなたも、随分と長い散歩だったわね」

「ああ。あちこち飛び回ったせいで人間たちから騒がれた。しかし、これで奴らも我らがどこにいるか分からぬだろう」

 

 得意げに言って、顎門はセツナのフードの中に納まった。

 

「して、次はどこへ向かうのだ? ここも長居はできまい」

 

 さっきのツーベルク村長との話で、わたしの裡に何かが芽生えた。それはわたしにとって初めての、意思と呼ぶべきものだったのかもしれない。

 

「オブシディアに行きたい。孤児院の子たちに、アーウィンのことを話さないと」

 

 セツナはしばしわたしの顔を無表情で眺め、「ああ」とだけ答えた。

 

 

   2

 

 人界の辺境から暗黒界の首都までの道のりは、とにかく長いのひと言に尽きた。

 

 ルーリッドから央都セントリアまで、央都から東の大門まで、東の大門からオブシディアまで。このようにいつくもの地点を経由しなければならず、その道のりを全て馬で踏破するのを強いられた。

 

 人界統一会議は発足8年から鉄道開発事業を始め、それによって人界内の物流はかなり潤滑になった。央都から果ての山脈麓までこれまで早馬で1週間という期間を要したけど、敷かれた線路を走る汽車はほんの1日という速さだった。

 

 でも人界全土に線路が敷かれたのは、この手記を書いている統一会議発足から20年が経った頃。まだ10年のこの頃では、線路は央都周辺の都市までしか展開していない上に試験運用中で一般人はまだ利用できなかった。だから民衆にとって移動は戦前と変わらず馬が最速で往くための手段だった。

 

 わたし達は目的地を決めたは良いけど足となる馬を確保するために、行商人が訪れるまでの数日間ルーリッドの村で待ちぼうけを食っていた。

 

 読み手の諸氏には、わたし達と同行している赤き飛竜のことが頭に浮かんだかもしれない。そう、この飛竜が全速力で飛んでくれればオブシディアまで長くても2日で辿り着ける。

 

 当然わたしとセツナも顎門を頼った。その答えはこうだ。

 

「我が飛べば民に見られ、そこから奴らの追跡を受けるだろう」

 

 あのリアルワールドから来たわたしの母と名乗る女の目を欺くためにも、わたし達はひどく遠回りをしなければならなくなった。不満がなかったわけじゃないが、仕方ないということは理解できた。実際、道中で人界を飛び回っていた飛竜の噂は聞いた。

 

 央都まで乗せてくれた親切な行商人のおじさんは、初めて見る飛竜を長いこと見上げていたせいで危うく馬車から落ちそうになったと笑いながら言っていた。

 

 1週間半ほどかけて到着した都心の賑やかさを堪能する間もなく央都から東の大門まで、となるとまた馬車の確保といきたいところだけど、ここでも足止めを食うことになった。

 

 わたし達がルーリッドから移動したのは央都セントリアのノーランガルス北帝国が管轄する地区。東の大門があるイスタバリエス東帝国の地区から出発しなければならないのだが、都市間でも四帝国を区切る壁を越えるには統一会議の承認が押印された許可証が必要だった。

 

 観光にと申請しても承認を得るまで数日を要すと街の役所から聞いたが、わたし達に呑気に待っている暇なんてなく、そもそも申請書に記載するわたし達の戸籍なんて身の上も無いに等しいものだった。

 

 わたしは長く暗黒界に居た私領地民で、セツナはリアルワールドから来たベクタの迷子。でも、壁の正門を潜り東帝国に入ることは結果的にできた。

 

 新婚旅行らしき若夫婦から鞄を強奪し、そのふたりの持っていた許可証とついでに路銀を拝借して、門番の守備隊に怪しまれることなくわたし達は堂々と門を潜ったのだった。

 

 命まで奪わなかったとはいえ、せっかくの新婚旅行をわたし達のせいで台無しにしてしまったあの夫婦には申し訳ないことをした。この書面を借りて深く謝罪する。

 

 かくして十分な路銀も確保できたことからしっかり料金を払って馬車を借り央都を出発し、そこから2週間かけて東の大門へ向かった。

 

 これらの旅路を若き男女が1体を伴い往ったことで、諸氏の中にはさぞ甘い雰囲気が漂っていたと想像しているかもしれない。期待に応えられず申し訳ないが、そんなものは微塵もなかったとここで断言しておく。

 

 わたし達の距離間は、初めて肌を重ねたあの夜以前と変わりなかった。近付きもしなければ、遠ざかりもしない。セツナは常に険しく目を吊り上げていて、わたしはそんな彼とどこか1歩を引いた距離間を常に保っていた。

 

 ヘスティカが語った、リアルワールドでも多くの人間を手に掛けた大罪人という過去を丸ごと信じられたわけじゃない。そんな人間が、女を抱くという快楽の中で悲しそうに涙なんて流すだろうか。

 

 それでもまだ恐怖があったことも、また姉になるかもしれなかった人を殺めたことへの憎しみが消えていなかったのも、また事実だったのだ。

 

 東の大門でもまた一難だ。前にも書いたけど、人界と暗黒界を渡るのにも許可証がいる。さすがに暗黒界へ行くつもりがなかった若夫婦に成りすますのはここで終わりにして、オブシディアに帰る予定だった旅団にそれなりの代金を握らせ馬車の荷台に忍び込ませてもらった。

 

 依然通ったときと変わらず、東の大門からオブシディアまでは長い行列が伸びていて、進行はとても緩やかだった。

 

 わたしが伝説化しつつある死神の話を始めて聞いたのは、この道中だった。旅団の主人から貰った大門の関所で買ったという号外に、その所業が記載されていた。記事を要約するとこんな感じだ。

 

【暗黒界北端の集落が何者かによる襲撃を受けた。現場では村長らしき者とその家族の死体が発見されたが、多くの村民たちは行方不明。調査の結果、村長と思われる死体は人界3等爵家アガイバス・ムルシスと判明】

 

【山ゴブリンのイスク村で元イスタバリエス近衛騎士団長ルーブス・サンドロモスが死体で発見。サンドロモスは次期イスタバリエス皇帝を自称し村のゴブリン達を奴隷としていたことを現地民が証言している】

 

【オブシディアで人界人が襲われ死亡。死亡したのは人界2等爵家ザイアス・ブロードンであることが判明。ザイアスは暗黒界で孤児を拉致し奴隷商と取引をした疑いがあり、以前から調査対象とされていた】

 

【人界統一会議は暗黒界五族会議と共同で一連の殺人事件を調査中。ストピリアに現れた《死神》なる人物との関連が濃厚とされている。なお、人界四等爵家ウンベール・ジーゼックが統治していたとされる集落が無人の状態で発見されており、併せて調査をする予定】

 

「濡れ衣だな」

 

 記事を読んだセツナは溜め息交じりにそう漏らしていた。すぐ傍に旅団の主人がいるというのに無自覚なこの死神に、わたしは無言のまま肘で脇腹を小突いた。少なくとも最後の記事にあった事件は濡れ衣でも何でもない。

 

 旅団の主人のおじさんは、太鼓腹を揺らすほど笑いながら言っていた。

 

「誰の仕業か知らんが、悪党を消してくれるならこっちは安心して商売ができるってもんだな」

「良いことをしてるって思いますか? この《死神》っていう人」

 

 わたしがそれとなく訊いてみると、主人はうーんと唸りながら口を開いた。

 

「まあ、やってることは法に背いてるから、褒められたことじゃないな。だけどこいつを義賊に祭り上げる輩はいるだろう。少なくとも、こいつが殺した連中に酷い目に遭わされた人たちはな」

 

 《死神》が民衆の前に姿を現してからまだ1カ月も経っていないが、着実に武勲を立て人界と暗黒界にその存在を知らしめている。そのほとんどが、当人の知らないところでだ。

 

 そう、お気付きかもしれないが、死神伝説の中でいくつかは当人の関与していない事柄も存在している。わたしの知る限り、《死神》が起こしたとされる殺人事件の約半数は濡れ衣なのだ。

 

 アーウィンを民衆の前で殺してみせて、そこから立て続けに暗黒界の各地で人界貴族が殺される事件が起こっている。そうなると大衆が結びつけるのは、断罪される前にアーウィンが声高に呼んだ《死神》なる人物だったわけだ。

 

 人伝いにその存在が語り継がれていくうちに尾ひれが着いて回り、この時期に起きた不可解な事件はほぼ全てが《死神》の引き起こしたものとされている。

 

 伝説の伝播は、後になって思うと世界全体の揺らぎだったのではないかと、わたしは考えている。法を盾に民を苦しめる輩が存在する。どうあっても抗えない存在には隷属しか選択肢がない。長く魂の奥底に楔のように打ち込まれてきたその在り方は、《死神》の出現によって崩れつつあったのだ。彼を英雄ないし救世主と崇める者たちによって、より積極的に。

 

 異界戦争後になって、世界は変わろうとしていた。だが変えられないものもある。それを無理矢理捻じ曲げて変革を助長させたのは、奇しくも大罪人でしかないはずの《死神》だった。

 

 オブシディアの城下町へ到着したところで、ようやく長い旅路も終わろうとしていた。ルーリッドから延べ約1カ月もの道のりで軋む足に鞭打って、わたし達は記憶を頼りに孤児院へと向かった。

 

 記憶通りに、建物はそこにあった。だけどわたしは違和感を覚えていた。外にまで漏れていた無邪気な声が、この日は全く聞こえなかったのだ。

 

 建物も引き払われたらしく、扉には鎖が掛けられてしっかりと施錠されている。当然開くはずはないのだが、セツナが扉を両断でもするつもりなのか剣を抜く。

 

「ちょっと、そこの人界人! なに物騒なもん抜いてんのさ!」

 

 そこへ、しゃがれた声が飛んでくる。振り返ると洗濯物でも干そうとしていたのか、衣類の詰まった桶を抱えた老婆が立っていた。

 

「そこはもう誰も住んじゃいないよ」

 

 「ここって、孤児院でしたよね?」とわたしが訊くと、老婆は痰の絡んだ声で「ああそうさ」と答えた。

 

「1カ月くらい前に人界人の女が来て、子ども達と働いてた連中と一緒にどっか行っちまったのさ。アーウィンも死んだとかいうし、一体どうなってんだか」

「その人界人って、誰なんですか?」

「だから、あたしは知らないんだよ。ああそうだ。あんた、名前は?」

「ナミエって、いいます……。こっちはセツナ」

「あんた達かい。ちょっと待ってな」

 

 そう言って、老婆は孤児院の向かいにある自分の家に引っ込んでいった。すぐに腰を叩きながら出てきて、わたしに羊皮紙を差し出しながら、

 

「その人界人の女が、ナミエとセツナとかいうふたりが来たら渡してほしいって頼まれてたんだ。ほれ、確かに渡したよ」

 

 不躾に言って、老婆は洗濯の続きに戻った。渡されたというより強引に押し付けられた羊皮紙はふたつ折りになっていた。わたしはそれを開き、隣で覗き込むセツナと共に綴られた文字に視線を這わせた。

 

【ブランバルの古城で待つ  ユーリィ】

 

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど25


キリト=キ
アスナ=ア
アリス=サ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

サ「大変不本意なのですが呼ばれてきました。アリス・シンセシス・サーティです」

キ「おおアリス、また来てくれてありがとう」

サ「今回は私にとっても無関係な話ではありませんから」

ア「そうそう、本作ではとても珍しい原作キャラ3人目はアリスのお父さんなんだから! いやーおめでたいわね!」

キ「いやおめでたい雰囲気じゃなかったじゃん。もうアリスのお父さん可哀想すぎるだろ」

ア「まあ自業自得よね。小さな娘が連れていかれそうになっても抵抗しなかったり、里帰りしてきたら罪人だからって拒絶したんだもん。そりゃ愛想尽かされて当然よ」

キ「おい言葉選べ! そのガスフトさんの娘がここにいるんだぞ!」

サ「良いのですキリト。私は父を恨んでなどいません。人界での社会評価はいかに法を順守しているかですから。村長という立場上、父も辛かったのは私も理解しています」

キ「アリス……。俺、何て言ってやればいいのか………」

ア「草って笑ってあげれば、良いんじゃない(女神の微笑)」

キ「黙らっしゃい!」

ア「良い哀愁が漂ってたじゃない。仕事優先して家庭が崩壊しちゃったお父さんみたいで」

キ「例えが的確だから何も言えないのがもどかしい………」

サ「法と人の在り方どちらを取るか。原作でもライオスやウンベールのような堕落貴族を引き合いに述べる部分がありましたが、それを問われるのは貴族だけではなかったということですね」

キ「アリス、怒っていいんだぞ」

サ「良いのですキリト、私も同じでした。整合騎士として人界の守護を誉れとしながら、民を苦しめる貴族や皇帝を最高司祭が野放しにしていた矛盾を知っていながら見て見ぬふりをしていたのも事実です。父も私やセルカを愛しながらも、法には逆らえなかったのでしょう」

キ「まあ、現実でも起こりうることだよな。地位や名誉のために道徳を捨てて、それで家族や友達が離れていくなんて話もよくあるし」

ア「現に私の実家がそうでした! いやー母さんとの仲も危うかったわね」

サ「アスナは良いですね。母上と歩み寄ることができて………」

キ「えーふたりのテンションの差が激しいのでひとつ解説。セルカがガスフトさんにもう会わないと言ったことについてなんだが」

サ「ええ、気になっていました」

キ「多分読者の皆もお察しかもしれないが、この頃にセルカはアリスの帰りを待つために天命凍結してディープフリーズの術式を受けることを決めたから、それでガスフトさんに別れを告げることにしたんだ」

サ「最高位の神聖術にまつわる秘密があることから、父に詳しくは説明できなかったのですね」

キ「そうだな。天命凍結とディープフリーズは極秘事項だから、公理教会の神聖術師の中でもごく一部にしか知らされてないんだ。民衆に知られて乱発なんてされたら混乱が起きちゃうからな」

サ「まあ、その辺の神聖術師がそう簡単にできる術ではありませんが」

ア「私とキリト君も200年間アンダーワールドにいたわけだけど、やっぱり私たちも天命凍結されてたの?」

キ「原作で正式なアナウンスがあるわけじゃないから分からないけど、作者は多分そうなんだろうって考えてるみたいだ。あと200年フラクトライトが崩壊せず生きられたのも自分をディープフリーズして有事の際にだけ起きてたんじゃないかって」

ア「なるほどね。まあ200年生きられる魂なんて今度こそチートのレッテル貼られかねないものね」

サ「まあ実際、異界戦争の終盤では反則じみた強さでしたが」

キ「おい俺が世間でチート主人公呼ばわりされてるのをネタにするな。てか逆に言えば俺がチートにならないと倒せない敵ばかりだったってことだよ」

ア「そういった原作との対比として、本作主人公のセツナは殺せるというアドバンテージはあっても戦闘能力そのものは最強じゃないという演出を意識しているそうです」

キ「何か当てつけに思うのは俺の被害妄想か?」

ア「ええ被害妄想よ。作者が大技ぶっ放して倒すより互いの肉や骨を抉りながら何とか倒すという演出が好きなだけです」

サ「この作品らしい残酷な戦い方ですね………」

ア「さあというわけで暗黒界に戻ってきましたセツナとナミエ! まだまだ回収していない伏線もある中どうなるでしょう!」

キ「ひとつ言えることは、嫌な予感しかしないということだな」

サ「同感です」

ア「それでは今回はここまで。次回、乞うご期待!」


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第26章 ネイキッド・キング

 

   1

 

 暗黒界の南端に残された遺跡。異界戦争の際には戦場となった地として有名なのだが、そこが遥か昔に誰が何のために築いた地なのかは後世に一切の記録が残されていない。

 

 崩れかけた神殿が何の神を祀っていたのかも、建ち並ぶ石造が誰を象ったものなのかも。

 

 少なくとも鉄血の時代には既に無人の廃墟として打ち捨てられていたことは分かっている。暗黒界五族が殺し合っていた時代、戦況は混迷を極め人族の暗黒騎士団でも内部分裂が起きていた。

 

 当時眠りに就いていたベクタ帝を打倒し自らが新たな皇帝となることを宣言した暗黒騎士ブランバル・メフィリムは自身に同調する騎士たちと共にオブシディアを離れ、南端にある遺跡を見つけ拠点にしていた。遺跡の中に奴隷とした亜人族に建てさせた城が、支配者の名にちなんだブランバルの古城とされている。

 

 その場所と歴史を役場で聞いてすぐにオブシディアを発ったわたしとセツナは、砂塵の尾を引きながら荒野を駆けていた。甲高い音を響かせる乗り物は馬車じゃなく、ふたつの車輪で馬車よりも速く走れる二輪車という乗り物だった。リアルワールドにもある代物なのか、セツナはバイクと呼んでいた。

 

 オブシディアの馬車乗り場にあったそれは人界で開発された試作品だと商人が言っていた。駆動装置に熱素を灯すと力を車輪に伝達させて自動的に走らせることができるのだという。ここぞという見せ場とばかりに商人が簡単な熱素術で駆動させると、セツナは彼を殴り気絶させて、重低音の唸りをあげる乗り物に我が物顔で跨ってオブシディアを出発した。

 

 セツナは慣れた様子で二輪車を操縦してみせた。車輪が縦にふたつだけという構造だから平衡感覚にかなり不安があったけど、走り出せば不思議なことに安定するものだ。

 

 とはいえ屋根もなく吹きさらしなわけだから、風や砂ぼこりが容赦なく顔面を叩きつけてくる。後部座席につくわたしはともかく、前に座り操縦桿を握るセツナは目元を保護するために備え付けの眼鏡を掛けなければならない。

 

「ねえ」

 

 車体があげる音に掻き消されないよう、大声でセツナに訊いた。

 

「これ、乗ったことあるの?」

「さあな、覚えてない。だが多分自転車と大して変わらない」

「自転車って?」

「エンジン――駆動器が付いてないバイクだ」

「それって速いの?」

「人の足よりはな」

 

 わたしは不安になってきた。乗る前は乗り物に対してだけど、今度は乗り手のほうに。

 

「あなたって、これ乗っちゃいけないんじゃない?」

「こうして乗れてるなら問題ない」

 

 はあ、と盛大な溜め息をついた。馬よりも速いのだから、万が一転びでもしたら天命は全損するだろう。いつ死んでもおかしくない状況は珍しくないけど、この人のせいで死ぬのは勘弁願いたい。

 

 目の前で風に揺れるセツナのフードへ「ねえ、顎門」と呼んだ。

 

「危なくなったら、あなたに乗せて」

「まあ、致し方ない」

 

 顔こそ出さなかった裁定者の飛竜も、この無鉄砲というか無計画な死神様に呆れかえっているようだった。

 

 時代に忘れ去られた遺跡の奥に、明らか趣の異なる建築物が見えた。オブシディア城と比べたら遥かに控え目ながらも荘厳な黒の城こそが、主が病没という呆気ない最期を迎え一派も壊滅し打ち捨てられたブランバルの古城だ。

 

 かつてはジャイアント族も出入りしていたのだろうか、人の背丈の倍以上はある高さの正門の前には人族の門番がいる。二輪車を停めたわたし達へと剣の柄に手をかけながら近付いてくる。

 

「何者だ!」

 

 随分と威勢のいい門番に自らも剣を取ろうとしたセツナを制しつつ、わたしは臆すことなく言った。

 

「ユーリィ・シンセシス・トゥエニワンはここにいるの?」

「貴様らまさか人界統一会議の者か?」

「違うわ。わたしはナミエで、こっちはセツナ。ユーリィに会わせて」

 

 右目に眼帯をした門番はわたし達を交互に怪訝な左目で眺めつつ「少し待っていろ」と扉の奥へと引っ込んだ。数分ほど待っただろうか、再び扉が開き中か金属鎧をかき鳴らしながら走ってきた騎士がわたしを抱きしめた。

 

「ナミエ、探したよ!」

 

 身体を離し真正面から見たその顔は紛れもなくユーリィ・シンセシス・トゥエニワンのものだった。いつも堅苦しい顔ばかりだった彼女が、わたしに満面の笑みを向けている。

 

「無事だったか?」

「うん、何とか」

 

 「良かった」とユーリィはわたしの頭を撫でた。正直籠手をはめていたから痛かったけど、悪い気はしない。ユーリィは傍で所在なく立っているセツナへと目を向け、

 

「セツナも、久しぶりだな」

「ああ」

 

 「入るといい」とわたし達を城へ招き入れるユーリィの傍に控えている何人かの付き人の中には、顔を青ざめたあの門番もいた。

 

 わたし達のことを知らなかったのだから仕方ない。対応については黙っておいてあげようと思いながら、わたしはユーリィに訊いた。

 

「どうしてここに?」

「ここしばらくの間にたちまち大所帯になってね。オブシディアのあの孤児院では、もう収まりきらなくなったんだ」

 

 広間にはたくさんの子ども達がいる。追いかけっこをしたり、積み木遊びをしたり。歌を合唱している子たちもいれば、玩具を巡って喧嘩をしている子たちもいる。それを止めている大人も。

 

「あんたは央都に戻らなかったのか?」

 

 何気ないセツナの質問にユーリィは顔を僅かに渋めた。

 

「ああ、どうしてもあの子たちのことが気掛かりでね。もう整合騎士じゃない。今の私はただのユーリィだよ」

 

 そこでわたしは気付いた。ユーリィの纏っている胸当て。そこにあしらわれていた整合騎士団の紋章が、創傷で潰されていることに。

 

「以前の私なら公理教会を離れることなんて考えられなかった。これも右目の封印を破った影響なのかな」

 

 ユーリィは眼帯で覆った右目に触れる。

 

「その目、治そうとは思わないの?」

「そうだな。これはいうなれば誓いだ。私が良いように行使される人形ではなく、人間であるということのね。記憶を消されても、子を想う心までは消すことはできない。私はこの心のままに生きると決めた」

 

 その左目と声音に迷いはない。正直なところ、整合騎士だった頃よりも誇り高い騎士らしい。

 

「アーウィンはこのために、あなたに右目の封印を解かせたと思う?」

「もしそうだとしても悪い気はしない。あの子たちの世話を放ってアーウィンが逝ったのは、赦せないがね」

「変わったね、ユーリィ」

「そうかな? そういうナミエも雰囲気が変わった」

「そう?」

「君も色々とあったのだろうな」

 

 わたしとセツナを交互に見ながらユーリィは含み笑いを零した。わたし達の間にあるものは、傍から見て分かりやすいのだろうか。

 

「君たちこそあれから何をしていたんだ。人界で顎門らしき飛竜が目撃されたと聞いてあちこち探していたというのに」

「色々あったの。落ち着いたら、詳しく話すわ」

「ゆっくり聞くとしよう。ああ、そうだ」

 

 「君、あれを」とユーリィから指示を受けた付き人が、急ぎ足で広間の奥へと行った。すぐに戻ってきたその手には布で包まれた長物が抱えられている。

 

「ストピリアの宿に忘れていっただろう」

 

 付き人から受け取ったユーリィが布を捲ると、中にあったのはバイオリンだった。わたしの唯一と言っていい所有物。

 

 受け取りながら、わたしは「ありがとう」と最大の感謝をこめて言った。

 

「ユーリィ様」

 

 広間の奥からゆったりとしたローブを纏った女性がこちらへとやってくる。彼女が「そろそろ」とだけ言うとユーリィは「分かった」と頷いた。

 

「君たちも来てほしい。見せたいものがある」

 

 そう告げるユーリィは晴れ晴れとした顔だけど、どこか妙な緊張を感じさせた。

 

 

   2

 

 城は7階建てになっていて、最上階まで階段を上るとさすがに疲労が出てくる。せっかく戻ってきたバイオリンも、そう重くないにしても風呂敷で長いこと背負うと鬱陶しくなってくる。

 

「さあここまでだ。あとは自分の足で行こう」

 

 ユーリィの背中から降ろされた男の子が「ええ」と口を尖らせる。他の大人たちがおぶっていた子たちも同じように。

 

「あと少しだ。頑張れ」

 

 とユーリィが発破をかけると、子ども達は不満げな顔のまま「はーい」と素直に応じて成長真っ盛りの足を動かし始める。

 

 辿り着いた両扉を開けると、そこは1階ほどではないが十分な広さをもった大広間だった。大広間の奥、無骨な石造りの壁を背にすっかり朽ちた玉座が鎮座している。新たな闇の皇帝になろうとした者の夢の残骸。そこから扉の前までにはまるで近衛隊のように人々が立ち並び、ユーリィの姿を認めると右の拳を左胸に当てる。

 

 そこには人族と亜人族がない交ぜになっていた。種族の区別なんてない。誰もが横並びだ。

 

 独自の敬礼を返したユーリィが歩き始めると、その前にいた人々は左右に分かれ道を空ける。「まるでベン・ハーだな」とセツナが呟いたのだけど、どういう意味かは分からなかった。

 

 道を空けた彼らの中心。丁度玉座の間の中央にある位置に、ひとりの壮年の男が跪いている。

 

 少なくとも来客ではないだろう。もてなすのに手を後ろに縛られたり、口に縄を噛まされたりする必要はないのだから。

 

 それを最大の蔑みを込めた目で見つめる人々を見て、わたしは違和感に気付いた。彼ら全員の目が、左目だけなのだ。どの右目も眼帯で覆い隠されている。

 

「こやつら、まさか――」

 

 セツナのフードの中から、顎門のくぐもった声が聞こえた。全知の竜も、この状況はさすがに息を呑んだらしい。

 

 ユーリィは高らかに声をあげた。

 

「諸君。この儀式もようやく最後だ。残ったこの子らの魂を解き放ち、君たちと同じ誉れへと導く」

 

 一斉に「おお‼」という声が轟いた。ユーリィは捕えられた男へと歩き、背負っていた神器の槍を抜き後頭部に渡された縄を切る。

 

「人界爵家サンバルド・ランジール。罪状は無辜(むこ)の民を戯れに拷問した罪。少女の純潔を奪った罪」

「違う! 俺は民を躾けていただけだ! 禁忌目録も帝国基本法も犯してはいないのだ。何のいわれもな――」

 

 言葉は、ユーリィの蹴りで打ち切られた。顔面を蹴飛ばされた貴族の男は口を切ったのか血を吐きながら倒れ込む。

 

「己の身分に(おご)る者に罰を与える」

「貴様らにそんな資格が――」

「あるさ。我らに法や神などという枷はない。そしてまだ枷に囚われている者たちを解放するために、貴様には礎になってもらう」

「何を――」

 

 耳障りなのか、ユーリィは再び貴族の顔面を蹴飛ばした。

 

「子ども達をこちらへ」

 

 ユーリィの指示で、大人たちに促されるまま子ども達が強張った表情を一様に浮かべながら罪人とされた貴族のもとへ歩いてくる。その中に見知った顔があった。

 

 わたしより少しばかり年下で、暴力の末に歩くことも話すこともできなかった、名も知らない少女。でも、わたしのバイオリンで笑ってくれた子。そんな彼女がしっかり自分の足で歩いている。根気強く治癒術を施され治すことができたのだろう。

 

 連れられた子たちの中で年長の彼女に、ユーリィは懐から出した短剣を手渡す。

 

「やり方は何度も見ているね? これで奴を刺すんだ。痛みは伴うが、それは一時のこと。すぐに終わる」

 

 優しい口調で囁いたユーリィは少女の背中を押す。だけど、彼女は1歩を踏み出せずにいた。右目が赤く光っている。

 

 他の子ども達も短剣を持たされていて、罪人を囲むように立っている。もれなく全員に右目の封印が発動していた。これ以上の一線を越えることはできない。本来ならそのはずだ。

 

「ああ痛いだろう。だが君が受けた仕打ちは、それよりも遥かに痛かったはずだ。その痛みは奴が与えた。その報いを受けさせる資格が君にはある!」

 

 ユーリィの声が響く。少女の脚が震えている。それが痛みなのか、怒りなのかは分からない。

 

「君たちは奴のような者どもに大切なものを奪われたのだ。親、友、自らの人としての誇りを」

 

 握り絞めた短剣もぶるぶると震えだす。ユーリィの語りは更に続いた。

 

「復讐が間違いなどと誰かが言っていたな。そんなものは奪われる痛みを知らない者のたわごとだ。復讐を果たすことで初めて、君たちは失った誇りを取り戻すことができる。そして知るのだ。人を真に裁けるのは神ではなく、人だということを!」

 

 「さあ」とユーリィは強く促すのだが、手を出して強引にやらせることはしなかった。これは自らの手でしなければ意味がないと、彼女自身が知っている。他の右目を失った者たちも同じように、ただ子ども達を見守っている。

 

「やるのだ!」

 

 「うわあああ‼」と少女が叫び、短剣を振り上げた。その切っ先が貴族の背中に突き刺さったと同時、彼女の右目が血飛沫をあげて吹き飛んだ。

 

 叫びは伝播する。他の子たちも甲高い声をあげ、右目から鮮血を散らしながら貴族に短剣を突き刺していく。一度それが外れてしまえば、もう躊躇することはない。子ども達は何度も目の前の肉体に刃を立てて切り裂いていく。

 

 肉を抉り、骨が断たれ、血が流れる音が聞こえた。今まで何度も聞いてきた音だけど、この時ばかりは何かが崩れていくような音に感じた。あの子たちの、子どもだからこそ持つことのできる大切なものが壊れていくような。

 

 いつの間にか、貴族の悲鳴は聞こえなくなっていた。その身体がどうなっているのか、子ども達に囲まれているせいで見えなくなっている。

 

 わたしはただ、その光景から目を背けることができなかった。足が床に結合されたように張り付き、身体は凍てついたように固まっている。

 

 そんなわたしに、ユーリィは告げる。

 

「これが《隻眼の騎士団》だ」

 

 片目を、右目を失うことで初めてその資格を得る騎士たち。失うのは左目ではなく右目でなければならない。痛みを抑えつけるほどの強い意思によって。

 

 アーウィンが大衆の前で《死神》であるセツナの手によって死ぬこと。それによって起こる事とは、彼女の死の意味とは、この事なのか。

 

 これが彼女の望んでいた《死神》の在り方なのか。

 

 子ども達がひとり、またひとりと血の海に倒れた。ユーリィがすぐさま駆け寄ってひとり抱きおこし、首元に指を当て脈の確認をすると「この子らの治療を」と指示を飛ばす。我に返って激痛に気付き失神してしまったのか。

 

 ローブを着た者たちが慣れた様子で、倒れた子ども達を抱きかかえて玉座の間から出ていく。運ばれていた子たちの中にはあの少女もいた。全身が血に塗れていた。閉じられた右の目蓋からも血が流れていたのだけど、顔面に浴びた返り血と混ざり合っていてどの部分が彼女の血なのかはもう分からない。

 

 子ども達がひとり残らず運ばれていくと、血の海の中心には死体しか残らない。いや、人としての形を留めていないほどにまで破壊されたその肉塊は、果たして死体と呼べるのだろうか。子どもの非力な腕では、刃が奥まで刺さらずにすぐ絶命できなかったことだろう。

 

 人界の貴族が、何とも憐れな最期だ。人を人とも思わなかった者が、人としての形を失うなんて。

 

「これで全ての儀式は終わった」

 

 ユーリィが《隻眼の騎士団》員たちに告げる。

 

「ここに集う皆の魂が解き放たれた。我らは遂に、死神と同じ境地へと至ったのだ!」

 

 石造りの天井や壁を突き破りそうなほどの歓声が沸き立った。ここにいる全員が、あの子たちのように私腹を肥やした者たちを捉え殺すことで右目の封印を破ったのだろう。

 

 皆が罪を犯すことで、罪の意識から解放されている。何て矛盾だ。

 

 歓声の中、わたしはユーリィのもとへ駆け寄った。血のぬかるみに足を取られそうになりながらも、彼女の耳に届くよう近くでも声を張る。

 

「ユーリィ、どうして………?」

「アーウィンが死んだあの日からずっと考えていた。彼女は何のために、私に右目の封印を解かせたのか。彼女の死を伝えようと孤児院に行ってあの子たちを見た時に分かったんだ。この子たちから親や故郷を奪った者どもに報いを受けさせるためだと」

「報いって………」

「アーウィンの言った通り、暗黒界の各地で人界から流れてきた貴族や司祭に虐げられる者たちを大勢見てきた。彼らに抗う力を授けること、もう悲しみを繰り返させないことが、私がこの右目を失った意義なのだ」

 

 わたしは気付いた。オブシディアへ向かう道中で見た号外。そこに載っていた、暗黒界の各地で起こっていた殺人事件のことを。

 

「だが私たちには右目の封印という叛逆への枷がある。力を得るには、まずは枷を外さねばならない。死神のように」

 

 ユーリィが右手を上げた。すると皆が一斉に口を閉じ歓声がぴたりと止む。静けさの中に、ユーリィの声がよく響いた。

 

「これも運命か。この記念すべき日に、死神が我らのもとへやって来た。彼こそが、我らの死神だ!」

 

 とユーリィがセツナを手で指し示す。再び歓声――とはいかなかった。どよめきが騎士団の者たちに漂う。それもそうだ。いくら彼らを統べるユーリィが言ったとしても、いきなり現れた両目が揃っている青年が死神だなんて受け入れられるものじゃない。

 

 だがユーリィは彼らの反応を予想済みだったらしく、いたって平静な顔をしている。

 

「もうひとりの罪人を」

 

 彼女の指示で、団員たちの中からさっきの貴族と同じく腕を縛られ口を縄で塞がれた若い男が引っ張り出されてきた。男はユーリィの足元に転がっている肉塊を視界に収めると恐怖に目を見開き腰を抜かす。

 

「何を怖れている。最愛の父だというのに」

 

 呆れ顔で言いながら、ユーリィは男の手と口の縄を槍で切った。解放された手をだらりと下げ、開け放たれた口では歯をかちかちと鳴らして震えているだけ。

 

 そんな貴族の子息に、ユーリィは腰帯から外した長剣を差し出す。

 

「貴様に慈悲をやろう。あの黒装束の男と決闘し勝てば解放してやる」

「ほ、ほ、ほ、本当か……?」

「ああ本当だとも。人界に戻るなり新しく村を開拓するなり好きにすればいいさ」

 

 目の間にぶら下げられた機会に、男は口を固く結び歯をくいしばる。剣の柄を握り手の震えを抑え込む。目にはまだ恐怖の色が残っているが、それでも確かな闘志、そして殺意をセツナに向けていた。

 

 男は貴族なだけあって剣術の心得もあるのだろう。迷いのない所作で鞘から剣を引き抜き、「うおおおおおお‼」と雄叫びをあげながらセツナへと走っていく。

 

 間合いに入り、男が剣を振り上げた。だがそのときにはもう、男の首から上は無かった。気付けば足元に血気盛んな表情を浮かべた頭が転がっていて、制御を失った身体が力なく倒れて首から血の海を更に広げる。

 

 それを見下ろしながら、セツナはいつの間にか抜いていた剣の血をはらい腰の鞘に収めた。

 

 ほんの数秒。戦いとはおおよそ呼べないやり取りだったけど、それは団員たちに再びの歓声を今度こそもたらした。殺人を犯しても右目の封印が発動しない。そもそも右目に封印が施されていない神の存在を確信したのだ。

 

 満足げに微笑みながら、ユーリィは広間の奥に鎮座する物を指し示す。

 

「さあセツナ、玉座につくといい。ここにいる者たちは皆、死神のもとに集う騎士だ」

「俺に傀儡になれと?」

「希望だよ。新しい世界、虐げられた者たちの光になるんだ。アーウィンは君がそうなることを望んで天命を捧げた」

 

 違う。

 

 わたしは声にならないその言葉を裡で繰り返した。

 

 違うよユーリィ。

 

 アーウィンは、あの子たちにあんな惨いことをさせるためにセツナを死神にしたんじゃない。

 

 石のように固くなってしまった足を懸命に動かし、セツナのもとへ行く。彼の腕を両手で掴み、歓声のなか彼に聞こえるかも危ういか細い声ですがった。

 

「お願い、ユーリィを止めて。こんなの大義なんかじゃない」

 

 セツナは何も答えてはくれなかった。一瞥もくれることなく、わたしの手を振り払い歩き出す。彼の前にいた団員たちが道を空け、玉座への歩みを阻む者は誰ひとりとしていなかった。

 

 玉座の前で彼が歩みを止めると、歓声が止む。そこにいた全員が、自分たちの死神が王になる瞬間を目撃しようとしていた。

 

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど26


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「いやー今回凄いわね。何たって冒頭からバイク乗っちゃってるのよバイク。ファンタジーな世界観なのにもうメタル感丸出しよね」

キ「ああ、うん………」

ア「バイクは確か鉄道とか自動車の発明の合間でキリト君が趣味で作ってたって設定なのよね。馬代わりとして」

キ「まあ、そうだな………」

ア「因みに作者によると本作でセツナが乗っていたバイクのモデル車種はハーレーダビッドソンのファットボーイだそうです。あの名作映画『ターミネーター2』でシュワちゃんが乗っていた車種ね。作者の憧れがモロに出ています」

キ「うん………」

ア「やっぱアメリカンバイクって良いわよねえ後ろの人が乗り心地良さそうで。私もキリト君のバイクよく乗せてもらってるけどキリト君のってオフロード車でしょ。ああいうのってシート小さいし固いしですぐお尻痛くなっちゃうのよ」

キ「……………………」

ア「セツナも普通に馬車借りてもよかったのにわざわざ商人さんぶん殴って強奪するとかよっぽど乗りたかったのね。男の子ってみんな1度はバイク乗ってみたいものなの?」

キ「ものなの? じゃねーよ‼」

ア「どうしたのよキレちゃって。まさかDV?」

キ「違うわバイクのことなんてどーでもいーよ! そんなの霞むくらい本編がヤバかっただろ!」

ア「ヤバいってどこがよ? やっと再登場したユーリィがなんかカルト団体作って子どもに人殺しさせてセツナを教祖に仕立てようとしてただけじゃない」

キ「その全部がヤバいだろうが! ユーリィっていうなればパーティキャラクターでしかも整合騎士だろ! 何で闇堕ちしたみたいになってんだよ!」

ア「別に整合騎士が公理教会を裏切るなんて初めての事例でもないじゃない。原作でもアリスが右目の封印破ってアドミニストレータと戦ってたんだから」

キ「アリスは人界を守るために右目の封印破ったんだよユーリィと一緒にすんな!」

ア「もうかっかしないの。そもそも作者はこの展開のためにユーリィっていうキャラを創ったんだからいわば今回は予定調和なのよ」

キ「何て作者だ……!」

ア「作者からメモ預かってるわ。えーっと、ユーリィはセツナと一緒にいるうちに感化されて彼を死神として擁立するキャラとして構想していたそうです。ただプロット組んだら登場時期が遅くなることが予測されたため、場繋ぎも兼ねてユーリィのコンセプトを一部引き継いだアーウィンが構想されたとのことです」

キ「てことはもしアーウィンが出ないストーリーだったらセツナに処刑されていたのはユーリィだったってことか」

ア「そういうこと。何はともあれこれで本作の大きな伏線がひとつ回収されたわね。物語冒頭からしつこく語られてた死神が救世主として祭り上げられるきっかけは今回のエピソードなのよ」

キ「そのために子ども達に人殺させる必要ある?」

ア「大ありよ。絶対にできないタブーをしてこその作品なんだから。作者はむしろ『仮面ライダーブラックサン』を観て本作のぬるさを反省したくらいなんだから」

キ「何を参考にしてるんだよ!」

ア「さあて、次回はどうなることでしょう。セツナはユーリィの興した《隻眼の騎士団》の教祖になるのかい? ならないのかい? どっちなんだい!」

キ「某筋肉芸人さんのネタで次回予告するな! 多分だけどもう嫌な予感しかしないよ。この作品にもう希望を持つのはやめる」

ア「うん、正しい判断よ。読者の皆さんが予想するよりもヤバい展開にできるかに作者の腕が懸かってるから。さあ次回もお楽しみに!」


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第27幕 シークレット・ナンバー

 

   1

 

 静寂。

 

 隻眼の騎士たちが、両目の揃った黒衣の男を見つめている。彼が玉座につき、王としてこれから創り上げる世界を夢想している。

 

 そこは強者も弱者もない世界。誰も虐げられず、皆が平和で穏やかに暮らせる世界。その過程で、虐げてきた者たちが蹂躙される世界でもある。

 

 それをもたらすと信じられる死神は、突き出した足を玉座の肘掛けに乗せ、蹴り倒した。高い背もたれが盛大に床と衝突する音は、静寂の中によく響いた。

 

「何の真似だ?」

 

 立ち込める埃の中に佇むセツナに訊いたのはユーリィだった。振り返り、セツナは答える。

 

「俺はあんた達の都合の良い神にはならない」

 

 都合の良い神。その言葉は、この隻眼の騎士団なる組織の本質を突いたものに思えた。自分たちの憎しみを肯定するための根拠として、殺戮者セツナを死神として擁立する。

 

 それはまさに自分たちの罪を正当化するための、都合の良い存在だったのだ。

 

「セツナ様!」

 

 団員の中から甲高い声と共に飛び出してきたのはわたしと同年代くらいの少女だった。

 

「あなたは、あたしに言ってくれましたよね。人を刺しても人は人のまま、憎しみは罪じゃないって。あなたは、あたし達の罪を肩代わりしてくれるんじゃないですか?」

 

 その縋るような声音で、わたしは彼女を見るのが初めてでないことを思い出した。ローズール伯爵率いる商工ギルドの拠点を潰した日、憎しみからローズールに刃を向け右目の封印を発動した少女。あの日よりも肉付きが良くなっていて身なりも整っていたから気付かなかった。

 

 あの日、越えずに済んだ一線はとうに越えてしまったんだなと、彼女の右目を覆う眼帯から理解できる。わたしがこの目で最初に見た死神の崇拝者と呼ぶべき人物だ。彼と同じ境地に往くことに躊躇はなく、喜んで右目を捧げたことだろう。

 

「彼女の言う通りだ。ここにいる皆は、自分たちの代わりに罪を背負う君と共に在るために右目を捨てた。君への忠誠の証としてな」

 

 ユーリィが言った。セツナが望まなくても、走り出してしまったものはもう止められない。アーウィンが死んだあの日から死神伝説は始まり、ユーリィがそれを広めていった。引き返すことはできない。

 

 そこにセツナの意思はなかった。自分の居ない間に死神だなんて祭り上げられ、更なる殺戮を求められる。伝説となる事柄を起こしたのは確かにセツナだったが、それに死神なんて神秘性を纏わせ世に触れ回ったのは彼の周囲にいた女たちだったのだ。

 

「あの時の言葉は嘘だったんですか?」

 

 少女は涙声になっていた。わたしは嘘でも何でもないと叫びたかった。人を刺しても人のままとは間違いなくセツナの言葉だったと、同じ場にいたわたしも記憶している。だが憎しみは罪じゃないとはアーウィンの言葉だった。

 

 どちらの発言も死神の教えと統合してしまったのは、少女がそのように記憶を自ら捏造してしまったからに他ならない。

 

「ああ、嘘だ」

 

 でも、セツナはその間違いを指摘することはなかった。彼は自身のかつての言葉も行動の全ても、否定したのだ。

 

「救う気なんてない。あんた達が勝手に俺を神と勘違いしただけだ」

 

 冷たく吐き捨てられたその言葉に少女は泣き崩れる。信じてきた者に裏切られた絶望の深さは、わたしにも多少は理解できる。きっと、ユーリィの右目の封印を解いた彼女の真実を知ったときのわたしと似たような感情だろう。

 

 いや、裏切られたなんていうものは正しくないのかもしれない。セツナの言う通り少女の勘違いだ。セツナは自らを救世主と名乗り出たことは一度としてなかった。周囲がはやしたて、それが真実として固められただけのこと。

 

 誰かを救うために殺すだとか、そんな崇高な志をセツナは微塵も持ち合わせていなかった。ただ殺せるから殺す。そんな虚しい空白に、人々が勝手に色を詰め込んで埋めていったに過ぎないのだ。

 

「死神は死んだのだな」

 

 深い溜め息と共にユーリィが言った。

 

「使命を果たさないのなら、貴様はもう死神ではない」

「ならどうする。殺すのか?」

「ああ、残念だ。私はアーウィンから意志を受け継いだ。だから貴様からは使命を継ぐ。私が死神となる」

 

 背中から抜いた槍が、真っ直ぐセツナへと向けられる。異界戦争では一閃すれば数百もの軍勢を葬ったと言われる神器を向けられても、セツナは眉ひとつ動かさなかった。

 

「勝手なものだな」

 

 心底呆れたように、セツナは言う。

 

「立派な思想を掲げようが、あんた達のしていることは、そこに転がってる死体と同じだ。人としてみなさず、気の済むまで痛めつけて終いには殺す」

「………黙れ」

「そこに何の違いがある。被害者だったのを免罪符に、加害者と同じことをしている。俺を神だと言って、神の意思だからと自分勝手に責任を俺に擦り付けている。それは、法と身分を盾に好き勝手やっていた貴族と何も変わら――」

「黙れえっ‼」

 

 激情と共に、ユーリィは床を蹴りセツナへと肉迫した。素早く抜かれた剣が骨のような槍を受け止める。力を拮抗させながら、ユーリィは怒声を飛ばした。

 

「彼らに信じられる神はなかった。ステイシアもベクタも、彼らを救ってはくれなかった。救ったのは死神だったのだ!」

「勝手にそう勘違いしただけと言っただろう。俺にそんな力はない」

「いいや、ある!」

 

 ユーリィが槍を振り上げた。剣ごと頭上へと持ち上げられたセツナは宙を泳ぎながら、体勢を立て直しつつ間合いを取ったところへ着地を決める。

 

 周囲にいた騎士団が、各々の持つ剣や槍といった武器を手に取った。本来なら抱くことを赦されない殺気。それを阻む右目を捨てた彼らは躊躇することなく放つことができる。

 

 騎士団に襲撃された貴族たちはさぞ恐怖したことだろう。自分を護ってくれる法の効力が全く効かないのは、鎧を剥がされ裸にされるも同然だ。

 

「手を出すな!」

 

 ユーリィは騎士たちを制す。

 

「この男は私が手を下す」

 

 騎士たちはあっさりと武器を引き、観衆へと転じる。皮肉を感じられずにはいられなかった。従属のための封印から解放されたのに、騎士団長であるユーリィの命令に従っているなんて。

 

 でも、この従属は彼ら自身が選び取ったもの。死神という同じ神を崇拝し、それに身を捧げる者たちの忠誠がなせるものだった。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 唱えた式句が、槍先に稲妻をもたらし集束させ光球を成形する。それが放たれた瞬間、セツナは横へと跳んだ。すぐ脇を光球が通り過ぎ、扉に命中して爆音と共に吹き飛ばす。それに振り向くことなく、セツナはユーリィとの間合いを詰めて剣を繰り出していた。

 

 剣が黄金に光る名も知らない秘奥義を放ったのだが、ユーリィの神器はそれを受け止めてみせる。不発に終わり剣から光が消えると、ユーリィは槍を回転させ石突でセツナの脇腹を強かに打ちつける。

 

 ごふ、と咳き込みながらもセツナは冷静だった。すぐさま反撃の剣を振り下ろすも、脳天の寸前で獲物を翻したユーリィの防御に決め手にはならない。

 

 槍の長身はすぐ防御から攻撃へと転じることができた。ユーリィは回転させた勢いのまま柄で剣を叩き床に押し付ける。また回転させ構えを取り、刃の切っ先をセツナの胴へと突き出す。

 

 だがセツナも速かった。下へと流された剣を持ち上げて槍に添え、その軌道を逸らしつつ相手の懐に潜り込む。彼の右足が橙色の光を帯びた。光の尾を引いた右足はほぼ一瞬と言うべき速さでユーリィの下顎を蹴り上げる。

 

 同時に、ユーリィの投げ出した左脚がセツナの胸を蹴りその身体を突き放す。体勢を持ち直し再び間合いを取った両者は睨み合う。顎と胸の痛みなんて意に介さず。

 

 今度はユーリィの方が速かった。セツナが構えようとした剣を槍で弾く。手から零れた剣が床を滑り、観衆となった騎士たちの中へと埋もれていく。

 

 でもまだ剣はある。セツナが左手を振ると、籠手の中に隠されていた短剣がその切っ先を現した。拳で殴るかのように左手を突き出すが、それはやはり槍で防がれる。

 

 「はあっ!」という声と共に、ユーリィは刃を仕込み剣に打ちつけた。瞬間、セツナの仕込み剣が根本から枯れ木のように折られる。

 

 たたらを踏んだセツナの肩を、ユーリィは刃がない槍の中腹で殴りつけた。膝を折ったところで、更に石突で下顎を突き上げる。

 

「無様なものだな」

 

 嘲笑いながらユーリィはセツナの胸倉を掴んで立ち上がらせる。唇を切ったのか口端から血を涎のように垂らしながら、セツナは訊いた。

 

「この軍勢で、あんたは何をするつもりだ?」

「民を虐げてきた貴族ども、どこかへと逃げ延びた人界の皇帝たちを探し出し殺す。彼らのような弱者を生み出した責任を取らせる。そして最後は、人界統一会議と暗黒界五族会議を滅ぼすのだ」

「あんた達が新しい支配者になると」

「支配ではない。民を自由へと導く。全ての民に掛けられた右目の封印を取っ払ってやる」

「何があんたをそうさせる? それがアーウィンの大義か?」

 

 「そうだ!」とユーリィは槍でセツナの顔面を殴打する。

 

「彼女は自らの志を貴様に託し天命を捧げた。その責を貴様は理解しているのか! この世界は偽りと過ちまみれだ。最高司祭は支配のために民を虐げ、挙句の果てには私の記憶を消し整合騎士などという人形に仕立て上げた」

「その記憶のない虚しさを、埋めようとしているのか」

 

 その言葉に、ユーリィは殴打の手を止めた。その目に動揺を浮かべ、目の前の弱々しく顔が腫れた青年を凝視する。

 

「記憶がなくても、想いは残っている。それが何なのか思い出せず、足掻いても戻らない虚しさは俺にも分かる」

「何が言いたのだ貴様は!」

「記憶が戻ったとしても、俺たちはその頃には戻れない。それだけのことをしてきた」

「戻れないなら往くべきところまで往き、その務めを果たしてみせろ!」

 

 唾を飛ばさんとばかりに叫び、ユーリィは槍を振り上げる。瞬間、騎士たちの中から鈍色に光る影が飛び出した。それは一直線にユーリィへ向かっていき、風を斬るその音に気付いた彼女は咄嗟に背後へと槍を回した。

 

 槍に弾かれた影が、金属特有の甲高い音を立てて床を転がる。それは、先ほど失ったセツナの剣だった。

 

 困惑の色を浮かべたユーリィの顔に、好機とセツナは赤色に輝いた鉄拳を浴びせる。すぐに後方へと跳び、間合いを取ったところで右手をかざした。すると床にあった剣がぶるぶると震えだし、浮かび上がる。まるで糸で引かれたように剣はセツナのもとへ飛んでいき、その右手に柄が収まった。

 

「心意の(かいな)……!」

 

 殴られた頬を腫らしながらユーリィは驚愕の声を漏らす。ずっと一緒にいたが、セツナがいつあのような能力を得たのか、わたしは知らない。初めから行使するだけの素質はあったのかもしれない。本人が扱い方を知らなかっただけで。

 

 セツナは剣を逆手に持ち直し、ユーリィ目掛けて投げ飛ばした。歴戦の元整合騎士にとっては遅かったらしく、容易に槍で弾かれる。それを見越していたのか、セツナは既に駆け出していた。宙を舞った剣がまた糸で引かれたように持ち主の手に戻り、肉迫し再びユーリィの懐を突こうとする。

 

 それもユーリィは受け止めてみせた。槍を回し、セツナの剣を絡め取り再び弾こうとする。素早い槍の動きが、甲高い音と共に静止した。受け止めたのは第二の剣。

 

 いや、とわたしはセツナの左手にいつの間にかあった剣を凝視する。剣に似た輪郭のそれは、セツナの腰にぶら下がっていたはずの鞘だった。入れ物でしかないその長物を、セツナは第二の剣として振るいユーリィの肩を斬る、というより叩く。

 

「二刀流………」

 

 知らぬ間にわたしの服の中に移動していた顎門が呟いた。

 

「否、それを模した疑似二刀流と呼ぶべきか」

 

 鞘自体はそれなりに天命のある金属か木材で造られたものだろうけど、刃は当然付いていない。武器として使うとしても、それは剣じゃなく鈍器。それでも手数が単純に倍に増えたセツナは更に速くなった。

 

 一刀を繰り出し、間髪入れず次の一刀を繰り出す。ユーリィが防ごうが防げまいが、もう構うことなく剣と鞘を一瞬の間すら置かず振るっていく。敵を確実に殺すための剣技。

 

 もはや視覚することすら難しく、武器を打ちつけ合う音が絶えることなく響いている。ユーリィの顔に焦燥が浮かんでいたけど、わたしの目はセツナへ向いていた。

 

 いつもと同じ無表情。躊躇も慈悲もなく、ただ死をもたらす神に相応しい顔。ほんの数舜、その顔が少しばかり幼くなった気がした。わたしと同じくらいの、10代半ばほどの年齢に。

 

 セツナの剣と鞘が水色に光った。光の尾を引きながら跳び込む。宙では踏ん張りがきかず丸腰も同然になり、その隙をユーリィが見逃すはずなく槍を突き出した。

 

 槍の切っ先は、セツナの左手の鞘で下から弾かれる。鞘を振った勢いのままセツナの身体が回転し、右手の剣がユーリィの肩口から腹にかけて斬り裂いた

 

 整合騎士団の鎧なら高品質の逸品だろうけど、それは未知の二刀流秘奥義には耐えられなかったらしく傷口から鮮血を溢れさせた。手負いの敵に死神が慈悲など与えるはずもなく、着地と同時に血に染まった胸元を蹴飛ばす。

 

 受け身も取れず床を転がったユーリィのもとへ、わたしは駆け出した。まだ間に合う。傷の手当ても、彼女の過ちも。

 

「ユーリィ、もうやめよう。こんなの、あなたの娘は望んでない」

「………何故、お前なのだ?」

 

 血を零しながら出てきたユーリィの問いにわたしは「え?」と思わず訊き返す。一瞬の間を置いて、ユーリィの両手がわたしの首を掴む。

 

「力もなく穢れた身のお前が、何故奴の隣に立つ。何故、私では駄目だったのだ?」

 

 ひたすらに問い続けるユーリィの左目には明確な殺意が宿っていた。殺意の根源にあるものを、わたしは悟ることができる。同じ女としての性だからか、不思議とその確信は持つことができたのだ。

 

「ユーリィ、あなた………」

 

 絞り出した声を抑えつけるように、ユーリィは更にわたしの首を締め付ける。

 

「哀れみで私を見るな! この売女(ばいた)が!」

 

 気道を塞がれて呼吸ができない。抵抗しようにも元整合騎士に敵うはずもなく、掴んだ彼女の腕は微動だにしない。

 

 不意に、ユーリィの胸が反れた。同時に胸当てから、赤色に光る刃が突き出す。首にかけられていた手から解放されたわたしは咳き込みながらその背後に立つ死神の姿を見上げていた。

 

 その目に慈悲はない。剣を抜き、力なく倒れるユーリィの姿を、ただ無機質に見下ろしている。

 

「私の娘に何をするの?」

 

 聞き覚えのあるその艶めかしい声に、わたしは朦朧としていた意識を明瞭にさせる。

 

 ユーリィの完全武装支配術で破壊された扉から、ふたりが玉座の間に入ってくる。ひとりはヘスティカ。もうひとりはフードで顔を隠した黒衣の剣士。ふたりの姿を認めたユーリィは「ヘス…ティカ……」と口から溢れる血と共に声を絞り出す。

 

「あなたの騎士団を作るのに手を貸してあげたのはこのため。ふたりをここに来させた時点で、あなたの役目は終わったのよ。お疲れ様、ユーリィ」

 

 ヘスティカの絶望に突き落とそうとする言葉は、当人には届いていないようだった。ユーリィの消えそうな意識が向けられていたのはただひとり。自身に引導を渡し、そして密かに思慕を抱いていたセツナだったのだ。

 

 セツナを見上げるユーリィの瞳は整合騎士としてではなく、隻眼の騎士団の宗主としてでもない。そこに横たわっていたのはただひとりの女だった。

 

「私を、見て………」

 

 その声音は今までの凛々しさが消え失せたものだった。ふらつきながら彼女の手が差し伸べられる。

 

「握ってあげて」

 

 とわたしはセツナの手を掴み、強引にユーリィの手と触れさせた。自らの手を包み込む感触に、ユーリィは穏やかに微笑した。

 

 わたしはその顔が、きっとユーリィが整合騎士になる前の、村娘だった頃の顔だったのだと思った。この笑顔を友人や愛娘に向けながら日々を過ごしていたのだろう。

 

 セツナの手の中からユーリィの手が滑り落ちた。微笑を浮かべたまま左目がゆっくりと閉じられ、心地良い眠りに誘われたかのような表情のまま呼吸が止まる。

 

 貫かれた胸の穴と、顔を濡らす血が酷く不釣り合いなほどに穏やかな死に顔だった。でも余韻に浸っているのは、あの女が待っていてはくれなかった。

 

「やり方は分かっているわね?」

「はい、マザー」

 

 そんな短すぎるやり取りの一瞬後、黒衣の剣士は駆け出した。凄まじい速さでわたしとユーリィの亡骸を抜け、セツナに剣を突き立てる。セツナは防御してみせたが、押しが強く数メルほど後退してようやく足元の踏ん張りがきくほどだった。

 

 セツナは剣を弾き、身体を回転させ左手の鞘で追撃しようとする。獲物が2本だからこそ繰り出せる攻撃に、黒衣の剣士も防ぎようがない――はずだった。

 

 鞘が甲高い音を立てて防がれる。受け止めたのは、黒衣の男の第二の剣。腰の剣帯から外した彼の鞘だった。

 

 同じ疑似的な二刀流。セツナも目に驚愕が浮かぶ。黒衣の剣士は鞘を弾き、同じ二刀での猛攻を叩き込んでいき、セツナはそれを防ぐのに必死だ。顔に驚愕を貼り付けたまま。

 

「前に見た時も思っておったが、あのふたりの剣は似ておる。まるで鏡写しだ」

 

 顎門が呟いた。剣に関しては素人のわたしから見ても、確かにふたりは似ていた。黒衣であることも、細身の剣を使っていることも。

 

 繰り出された剣を弾くと同時、セツナは跳躍し敵の背後に回り込んだ。そこで二刀を叩き込むのだけど、敵は鞘を背に回し防ぐ。奇妙な鞘だった。先端に矢じりのような刃が付いている。

 

 間髪入れず黒衣の剣士は身体を反転させ勢いに乗せた剣を振り下ろす。咄嗟にセツナは鞘をかざし防御態勢を取るのだけど、刃が中腹に触れた瞬間、乾いた音を立てて鞘が真っ二つに折れた。剣に見立てていても所詮は急場しのぎの武器だ。耐久値は雲泥の差だろう。

 

 その剣捌きにヘスティカはさも満足そうに、

 

「強いでしょう、あの子。あなたの守護者になるよう最強の剣士として調整したのよ」

 

 セツナが水色に光る剣を突き出した。ほぼ一瞬と言えるほどの速さだったけど、黒衣の剣士は状態を逸らし避けつつ、金色に光る右足を蹴り上げ剣を弾く。

 

 振り上げた刃が赤く輝く。その獲物を黒衣の剣士が振り下ろすと、中腹に命中したセツナの剣が金属の破片を散らして折れた。アーウィンの形見とも言える、彼女の相棒とも呼べる剣が、ただの鈍になってセツナの手から零れる。

 

 床に落ちた剣の切っ先がひとりでに浮き上がる。《心意の腕》というものか。不意打ちに飛んできた剣に驚きもせず、黒衣の剣士は容易に自らの獲物で弾いてしまう。

 

 繰り出された剣がセツナの右肩を貫いた。貫かれた勢いのまま床に倒され、更に腹には膝を食い込まされる。黒衣の剣士は唐突に左手の鞘を投げ捨て、懐から取り出したものを掲げる。

 

 掌に収まるそれは宝石のようだった。角錐状に削り磨かれた面が紫色に光っている。黒衣の剣士はそれを、叩きつけるようにセツナの額に突き立てた。

 

 瞬間、宝石が眩い光を放つ。同時に絶叫が響き渡った。それは目を見開いたセツナの声だった。単純な痛みとは異なる叫びは、何かの侵食を受けているようにも聞こえた。

 

 絶叫する彼を愉悦の表情で眺めるヘスティカは言う。

 

「ユーリィから色々と聞かせてもらったわ。整合騎士。よくできたシステムね。ならその子も、私とあなたを護る整合騎士の定義に当てはまるわね」

 

 光が徐々に弱まっていく。セツナは苦悶に呻きながら、自身に覆いかぶさる黒衣の剣士のフードに手を掛けた。

 

「そういえば、あの子にちゃんとした名前をまだ付けていなかったわ。ああでも、今の公理教会に整合騎士が何人いるかは訊き忘れたのよね」

 

 ヘスティカは口端を歪め笑う。

 

「そうねえ、さすがにゼロ号なんて騎士はいないだろうし、この名前がぴったり」

 

 フードがはだけた。ずっと影に隠されていた黒衣の剣士の顔が露になる。初めて見るその顔――いや、初めて見る顔じゃないという事実に、わたしは呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

「セツナ・シンセシス・ゼロ」

 

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど27


キリト=キ
アスナ=ア
ユーリィ=ユ


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「今回のゲストは、死んじゃったこの方です。どうぞ!」

ユ「整合騎士、ユーリィ・シンセシス・トゥエニワンです」

キ「おおユーリィ。何て言うか、よろしく………」

ユ「代表剣士殿、何やらぎこちなくありませんか?」

キ「いや俺とアスナ劇中だとユーリィの上司になるから、それ考えたら変に緊張しちゃって」

ア「本編じゃキリト君は登場しないんだから、かしこまる必要ないのよ」

キ「そうだけど、でもユーリィ俺のこと裏切ってるよね?」

ユ「まあ今回で報いを受け死んだのです。過去の事として、ここは水に流してもらいましょう(キリッ)」

キ「ああうん、そうだな。何かもう本編とのギャップで突っ込むのも疲れてきたよ」

ア「さあて本編の解説にいくわよ! 色々と凝縮された回になったわね。まずはセツナが《心意の腕》を使ったことについて!」

ユ「あれは驚きました。《心意の腕》は整合騎士の中でも指折りの者しか使えませんから」

キ「騎士の中で使っている描写があるのはベルクーリさんと無理矢理騎士にされたユージオくらいだもんな」

ア「キリト君も使えてたのはシステムに介入してのチートだったものね。セツナはそういった描写はなかったのにどうしていきなり使えるようになったの?」

キ「セツナは短期間で動的オブジェクト、つまり人を殺しまくったことで権限レベルが爆上がりしてるような状態だったんだ。だからもう神器レベルの武器も使えるし高度な秘奥義もバンバン使える。既に《心意の腕》を使えるだけのステータスがあったんだ」

ア「つまりは、はぐれメタルやメタルキングを狩りまくっていて、いつの間にか技やら呪文をたくさん習得していたって感じ?」

キ「まさにそれだな。心意となるとイマジネーションが必要になるわけだけど、セツナが使えたのは剣なしでもユーリィと戦おうとする戦意というか、殺意というべきかな。それがイマジネーションになって《心意の腕》が開花したんだ。セツナの場合、イメージの力というより殺気が具現化したような感じかな」

ユ「奴の私に対する殺意というのはそれほどまでだったのですか………」

ア「まあ絶対殺すマンな主人公なんだから仕方ないわ。ところでセツナの強さって現段階でどれくらいなの?」

キ「まあ戦闘描写も大量殺戮が主だから分かり辛いけどかなり強いよ。今回整合騎士で神器持ってるユーリィを倒したわけだし。今回初出の《疑似二刀流》も、俺の《二刀流》の劣化版みたいなもんだけどいくつもの剣技を完全習得しないと扱えないユニークスキルみたいなものだから」

ユ「粗削りと思っていましたが、意外と奴の剣は洗練されていたのですね」

ア「まあ戦い方が完全にヒールだものね。作者曰くセツナは《強い》というより《酷い》そうなので」

キ「思いっきり顔面狙って斬ってくるし死体を肉の盾にするしで汚れまくってるもんな。作者も戦闘描写はいかに野蛮に書くかに注力してるせいで秘奥義出すの忘れることがよくあるらしいし」

ア「今回ユーリィとの戦いも、最初決め手は《心意の腕》で背後から奇襲かけて倒す予定だったらしいものね。《疑似二刀流》を出したから二刀流剣技で倒すことに変えたみたいだけど」

キ「因みにユーリィを倒した秘奥義は《ダブルサーキュラー》っていう二刀流ソードスキルだ。GGOで俺が死銃(デス・ガン)に使った技で、今回はそのオマージュなんだ」

ア「一応作者もオマージュするほどの原作リスペクトは持っています! さあ、次に話したいのはユーリィのことよ!」

ユ「わ、私ですか?」

ア「そうよ! 実はセツナのこと好きだったのね。いつから好きだったのどこが好きなのやっぱ好きな人で《ピー》したりするの?」

キ「やめろおおっ‼」

ユ「行為を妄想するのは、ほぼ毎晩………」

キ「あんたもそんなの答えんでいい! で、真面目に訊くけど何で好きになったんだ? 唐突だったからびっくりしたよ」

ユ「私が隻眼の騎士団を作ったあたりの頃に、セツナが私たちを導いてくれるのだと思うと彼の全てが麗しくなっていって………」

キ「完全に恋する乙女の顔になっちゃってるよ………」

ア「ユーリィ(肩ポン)」

ユ「副代表剣士殿?」

ア「あなたは若作りしてるけどBBAで子持ちだってことを忘れないでね?」

キ「台無しだ‼」

ユ「年齢など些末なものです。それに娘のことなど忘れました、整合騎士になったせいで!」

キ「あんたも張り合うな‼」

ア「まあ結局、暴力の世界じゃ強い人がモテるってことなのよ。原作でもキリト君がザコだったらハーレムなんてできないもんね」

キ「おおい誤解を招くようなことを言うな。次は黒衣の剣士の話題いこうとしたのにもう流れ的に無理だぞ」

ア「あのキャラに関しては顔と名前が明らかになったところで続きは次回に持ち越しよ。それでは今回はここまでね。また次回お楽しみに!」



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第28幕 パラダイス・ロスト

 

   1

 

 顔を露にした黒衣の剣士は立ち上がる。手にした宝石は紫から色を失った透明へと変わり、彼は用済みとばかりにそれを放り投げた。

 

 はだけたフードを被り直そうとせず、冷たい目で同じ目をしたセツナを見下ろしている。

 

「あれは、セツナ………」

 

 顎門も驚きを抑えられないらしく、声を途切れ途切れにさせながら呟いた。あの顔はセツナと瓜二つだった。少し癖のついた黒髪も、険しく吊り上がった目つきの何もかもが彼と同じ。

 

 違いといえば、シンセシス・ゼロという名を与えられたほうが幼い顔立ちをしている程度でしかない。

 

「セツナ、いらっしゃい」

 

 呼ばれたシンセシス・ゼロは踵を返し、ヘスティカのもとへ歩いていく。その背中を睨みつけつつ、セツナは宝石で刺された額を抑えながらヘスティカへと睨みを移した。

 

「マヒロ・ナオコ……」

 

 それは、ヘスティカがリアルワールドで名乗っていたという名前。呼ばれた当人はさも愉快そうに笑みを浮かべている。

 

「覚醒用のモジュールは上手く機能したみたいね。お久しぶり、ハヤミ・セツナ君」

「何故、こんな………」

 

 「こんな?」と反芻したヘスティカは眉根を寄せた。

 

「最愛の我が子を死なせた相手が目の前にいて、復讐せずにはいられない。同じことをしていたあなたなら理解できるはずよ」

 

 ヘスティカは傍に立つシンセシス・ゼロを抱き寄せ、一切の抵抗を見せないその頬を舌で舐める。

 

 その舌使いはわたしを弄んできた者たちとよく似ていた。されるがまま凌辱を享受するシンセシス・ゼロはまさにかつての自分を見せられているようで背に怖気が走る。

 

「この子はそのために生んだの。まっさらなフラクトライトに人格を書き込むことである程度のデザインができることは、ナミエで実証済みだったから」

 

 そのつまりを、わたしは直感で理解できた。セツナ・シンセシス・ゼロはわたしと同じく造られた生命体。ある意味でわたしの弟と呼ぶべき存在だったのだ。

 

「この《セツナ》はね、あなたのエスエーオー時代のアバターを元にしてるの。あなたの使っていたナーヴギアを手に入れるのは苦労したけど、その甲斐あってなかなかの再現度よ。どう? 昔の自分を見た気分は」

「最悪だ。思い出したくないことまで思い出す」

 

 精一杯ともとれる皮肉を飛ばすセツナは目の焦点が定まらないようだった。泳ぐ視線は自分の居る場所すら捉えられないようで、まだ立ち上がれずにいる。

 

「最初から俺をここで殺すつもりだったのか」

「理解が早くて助かるわ」

「エスティーエルでログインしている俺たちは、この世界で死んでも現実で目覚める。それはあんたも分かってるだろう」

 

 セツナが言うと、ヘスティカはさも愉快そうに高笑いした。あまりにも笑い声が大きくて玉座の間の天井に反響するほどだった。その笑いの意味が分からずセツナもわたしも、ずっと傍観していた隻眼の騎士たちも置いてけぼりを食っている。

 

「案外間抜けなのね。そんなの分かってるに決まってるじゃない。あなたのエスティーエルは特別仕様なのよ。この世界でヒットポイントがゼロになった瞬間、エスティーエルは高圧電流であなたの脳を焼くの。ナーヴギアと同じようにね」

 

 セツナは目を剥いた。顔に怒りの色が浮かんでいる。その怒りを糧とするように、ヘスティカは更に愉快そうに笑いながら言った。

 

「これはゲームでも遊びでもないわ。現実よ。あなたはこの世界で死ぬの。あの世界で生きていた自分自身に殺されるのよ」

 

 ふたりの間に交わされていた古代神聖語の混ざったやり取りはほとんど理解できていない。ただわたしに分かることは、ヘスティカはセツナを殺そうとしていること。その引導を、現身と呼ぶべきシンセシス・ゼロの手で渡そうとしていることだった。

 

 気付けば、わたしはセツナのもとへ走っていた。彼の腕を肩に回していると、既にシンセシス・ゼロは目の前に居て剣を抜いていた。

 

 わたし達を見下ろすその目はどこまでもセツナと同じだ。一切の慈悲を感じさせない冷たい眼差し。戦うための肉体と剣を与えられた、魂というべきものを削がれた人形は告げる。

 

「どけ。俺はあんたを殺せない」

 

 わたしは更に強くセツナにしがみ付いた。恐らくこの少年は、ヘスティカにわたしの保護を命じられている。ならセツナを殺すのに、わたしを巻き添えにする真似はしないという確信があった。

 

「なぜマザーに逆らう? 俺とあんたはマザーに作られた」

 

 シンセシス・ゼロは問う。以前言われた、俺とあんたは同じという言葉を思い出すと共に、その意味を理解できた。そう、確かにわたしと彼の誕生は同じところだったのだろう。

 

 でもわたしが短い生涯で、特にセツナが現れた日から培ってきたものは、シンセシス・ゼロとは別の場所にあったはずだ。

 

「わたしはあなたと違うから」

 

 腹の底から目いっぱいの力を込めて告げた。この作り物の魂に芽生えた意思というものを。

 

「わたしの居場所はわたしが決める! わたしが生きる意味も!」

 

 不意に右肩が熱くなる。それはわたしの服の中から出てきた顎門だった。小さな口の中で炎を渦巻かせ、シンセシス・ゼロへと吐き出した。小さくても威力は抜群で、シンセシス・ゼロの細い身体を吹き飛ばす。

 

 肩から顎門が飛び立つ。天井にまで差し掛かろうとしたところで、その身体が元の巨体へと一瞬で膨れ上がった。

 

 突然現れた飛竜に隻眼の騎士たちが狼狽える。それを尻目に顎門は身を翻し、太い尾で天井を叩き割った。

 

 瓦礫が雨のように降り注いでくる。大きな瓦礫に潰された騎士があちこちにいた。中には運悪く下半身だけ潰されて即死できずむせび泣いている者もいる。

 

 わたし達のもとに瓦礫は降ってこなかった。それは奇跡でも何でもなく、翼を広げた顎門が自分の身を傘のようにして守ってくれたからだった。

 

 瓦礫の雨がやむと、顎門が着地して地響きを起こす。床が抜けなかったのが幸いだ。顎門が落下速度を加減してくれたからかもしれないが。

 

「乗れ!」

 

 身を屈めた顎門の背中に、わたしは「立って」とセツナに肩を貸しながら上った。力の抜けた彼の身体は重くて、支えていないと一緒に滑り落ちそうなほどだった。

 

 何とか背中で姿勢を安定させることができると、わたしは「行って!」と叫ぶ。

 

 すぐに浮遊感がやってきた。顎門の巨体は天井に空いた穴を抜け、暗黒界の赤い空に躍り出る。

 

「何なのだこれは。どうすればいいのだ?」

 

 飛びながら顎門は喚いていた。わたしもどうすべきなのか分からない。今はただ、項垂れているセツナが落ちないよう支えているしかなかった。

 

 

   2

 

 顎門はわたし達をオブシディアまで運んでくれた。民衆とヘスティカの追跡もあるかもしれないから城下町の1キロル手前で降りて、徒歩で街に向かうくらいにはセツナの体力も戻っていた。

 

 その足取りはひどく遅いものだったけど。

 

 そんな彼を早く休ませようと、何度も通って少しは土地勘ができた街の露店には目もくれず宿を探した。幸いにも中心部に、1泊100ベックと手頃な宿泊代が看板に綴られた宿がすぐに見つかった。

 

 中年の女主人は人界人であるわたし達を胡散臭そうに眺め回していたけど、詮索することなく部屋の明け渡しは翌10時の鐘が鳴るまで、風呂の火は21時に落とすからそれ以降の時間帯に入りたければ近くの公衆浴場に行くようにと説明し部屋をあてがってくれた。

 

「人界人がうちみたいな宿に泊まるなんて物好きだね。露店でぼられて金が尽きたのかい」

 

 しゃがれ声でまくし立てられた嫌味には無視を決め込んだ。オブシディアにも少ないながら人界人の観光客はいるはずだが、大抵はもっと等級の高い宿に流れるのだろう。今後観光業に力を入れるのなら、愛想もなくお世辞にも清潔と言い難いこの宿が廃業するのも時間の問題だ。

 

 簡素なベッドにソファと小さなテーブルだけが置かれた部屋で、セツナはふらつきながら辿り着いたソファに腰かけた。

 

「お腹、空いてない?」

 

 そう訊いておきながら、空腹だったのはわたしのほうだ。ようやく落ち着いたところで忘れた空腹がやってくる。いつも事が起きた後のお決まりになった。

 

 セツナは無言のまま頭を垂れている。「何か買ってくるね」とわたしはお金を詰めた革袋を掴んで宿を出た。

 

 少し歩けば街の中央広場があって、そこには色々な屋台が並んでいる。野ざらしに置かれたテーブルは夕飯時とあってか満席で、肌の濃い人族や亜人たちが酒樽をご機嫌な顔であおっていた。

 

 路銀も心元ないから、たくさんある屋台の中で最も安いオブシディア煮というものに決めた。

 

 前髪を顔が隠れるほど長く伸ばし性別の判断が難しい人族の店主に「2杯ください」と言いながら看板にある代金をふたり分長板に置いた。店主はきつく結んだ口を開くことなく木製の器に寸胴鍋の中身を注いだ。スープらしいけど、どろどろとした茶色い液体は思わず食べられるのか疑ってしまう。

 

 沈黙したままお客であるわたしの存在など忘れたように、店主は代金を回収すると鍋を柄杓でかき混ぜる。一応「どうも」と会釈して匙が添えられたふたつの椀を持って宿に戻った。あのお店も近いうちに廃業するかもと思いながら。

 

 両手が塞がっていたから肘でノブを回して部屋に入ると、セツナはソファから動かないままだった。「ご飯、買ってきたよ」とテーブルに椀を置いてもセツナは無反応のままだった。

 

 わたしは彼の隣に座ってスープを飲む。具は溶けていて、甘いのか辛いのか、酸っぱいのか苦いのか色々な味と匂いがして、美味なのか不味いのかすら判断に迷った。少なくともまた食べたいとは思えないから、多分不味いのだろう。

 

 わたしが空腹に負けてスープを完食しても、セツナのほうはまだ自分の椀に手を付けていなかった。眠っているように見えてしまうほど垂れた頭に、わたしは前置きもなく訊いた。

 

「思い出したの?」

 

 頭が僅かに持ち上がる。そしてゆっくりと、セツナは頷いた。その時の彼の脳裏を満たす過去は、幸福と言い難かったものと理解するのは容易だった。

 

 彼は以前から、殺人に躊躇がない自身の過去が真っ当なものじゃないと予想していた。それが的中していただけのこと。

 

 だからといって他人に話すのは酷だろうという気遣いは、わたしの中に微塵もなかった。思い出したということは、この人はその過去と向き合わなければならない。その時が来てしまったのだから。

 

「話して」

 

 そう告げたわたしの声は、自分でも内心で驚くほど冷たかった。資格があるわけでもないのに、彼を罰しようとしているかのよう。

 

 セツナは口を開く。語られたのは、死神伝説の本当の始まりとも言えるものだった。

 

 

   3

 

 死神が神格化されている要因は、その出自の曖昧さにある。

 

 彼を産んだ母や生誕地については謎が多く一切の裏付けがない。彼の母や父、または兄弟と名乗る人物は後の世で多く現れているが、すぐに虚偽が明るみになり最悪の場合は信徒たちによる粛清に遭っている。出自については数々の推測が囁かれたが、それらしき結論は未だに出ていない。

 

 死神は神界から遣わされた使徒または神そのものと言い伝えられているが、信徒たちは敢えて曖昧さを助長している節がある。

 

 彼らは信じたいのだ。自分たちを救った英雄がただの人間ではないと。英雄が自分たちと同じ腹を痛めて産み落とされた存在という事実は、彼の神格が損なわれてしまう。

 

 真実など重要ではないのだ。彼が神である事と、その神格を表すための奇跡と呼ぶべき物語が必要とされている。死神が根本から我々とは違うことが、彼の神話を語る上で重要なのだ。

 

 わたしが死神と呼ばれた男をただの人間として綴ることができるのは、彼の出自を本人から聞いているからだろう。

 

 まず、セツナがわたし達が神界またはリアルワールドと呼ぶ世界で生まれた存在であることは事実だ。神界とはいえ、神々の住まう世界というわけではないらしい。

 

 そこに住まうセツナを含む者たちはわたし達と同じ人間であり、わたし達と同じように労働し男女が愛し合い子を産んでいる。ただ住む世界が違うだけで、根本的な部分は何も変わらない。

 

 セツナは自身のいた世界を《現実》と呼んでいた。その世界で、彼は父と母、姉までいる神秘とは無縁の家庭にて、ハヤミ・セツナという名を与えられて産まれた。

 

 我々の世界と同じとはいえ、神の世界といわれるほど遥かに文明が進んでいたことは彼も認めている。神界では神聖術とは異なる術式で新たな世界を創造した。

 

 《仮想世界》と彼が呼ぶ異世界の創造は、神界においても神の御業と称されるほどだった。

 

 だが異世界創造は華やかに始まったわけではない。最初に創られた世界は、そこへ移った人々の魂を閉じ込める脱出不可能の牢獄として記憶された。セツナもまた、その世界に閉じ込められたひとりだった。

 

 原初の異世界は、ソードアート・オンラインと呼ばれた。

 

 エスエーオーとも呼ばれる世界は剣を振る娯楽狩猟の場として用意された箱庭だったのだが、セツナが異世界へ飛び込んだ理由は恋という、拍子抜けするほど意外なものだった。

 

 彼は赦されない恋に落ち、相手の少女と駆け落ちとしてエスエーオーに行った。わたし達の世界で例えるなら、貴族と平民が恋に落ちるようなものだったという。

 

 共に駆け落ちした少女の名は、マヒロ・ナミエ。

 

 このわたしの原型となった人物だ。

 

 セツナはナミエとふたりでエスエーオーの世界を生きて、結婚までしていた。閉ざされた世界に絶望する人々の中では場違いながら、彼にとってナミエと過ごした日々は幸福に満ちていた。だがそれは短いうちに終わる。ナミエの死という悲劇によって。

 

 あくまで娯楽の場だったエスエーオーでは殺人の禁忌規定がかなり緩かった。エスエーオーに飛ぶのは人間の意識のみで、そこでいくら傷付き、死のうが元の世界に残した肉体には何の影響もないはずだった。でも、エスエーオーでは創造主の細工によって世界での死がリアルワールドでの死に直結していた。

 

 神界とも呼ばれる世界とはいえ、全てが赦されるわけじゃない。わたし達と同じくそこの住人にも法があり、殺人も当然のごとく禁じられていた。だがリアルワールドの住人には、わたし達のような右目の封印がない。つまり、その気になれば法などいくらでも違反できるのだ。

 

 いくら法で縛り、罰で恐怖させても抜け道を探し当てる狡猾な者は存在する。禁忌の緩いエスエーオーの世界で、ナミエはその毒牙の犠牲になった。

 

 愛する人を喪ったセツナが復讐に走るまで、そう時間はかからなかった。ナミエを手に掛けた当人を探しながら他にも殺人を犯す罪人たちを根絶やしにするため、賊狩りを始めた。

 

 復讐とは愚かなのかもしれない。その行為で故人の無念が晴れる根拠なんてどこにもない。彼はその虚しさを理解していた。でも、復讐以外の生き方を見出せなかった。彼がひとり生き続けるには、どんな理由であれナミエの存在が必要だったからだ。

 

 ひたすら罪人ばかりを殺していく彼は、いつしかエスエーオーで死神と呼ばれた。

 

 そう、別の世界でも彼の死神伝説は語り継がれていたのだ。わたし達の世界まで尾を引いた伝説の発端は、愛するナミエの死だった。

 

 だがエスエーオーでの死神伝説は突如として終わる。

 

 終末は前触れもなく訪れた。突如として終わりを告げる声――セツナはアナウンスと言っていた――が空から響き、世界はその姿を光の粒に変えて崩壊した。

 

 セツナは後から知ったことだが、とある剣士が住人の中に紛れていたエスエーオーの創造主を見つけ、戦いに勝利し囚われていた人々をリアルワールドに帰したのだという。

 

 世界を解放した英雄は、生還者たちの間で黒の剣士と呼ばれた。

 

 黒の剣士が創造主を討った瞬間にセツナは立ち会ってはいない。世界が終わるそのとき、セツナは因縁の相手との殺し合いに励んでいた。その相手とは、ナミエを殺した仇だった。

 

 囚われた人々がリアルワールドに帰還しようとしているなか、セツナは最も憎む敵を元の世界ではなく死後へ送ることができた。彼は念願の敵討ちを果たし帰還を果たした。

 

 故郷の地を踏んだセツナに、安寧は赦されなかった。エスエーオーにいた2年。その間に積み重ねてきた殺人という罪の記録はしっかりと残されていた。殺した数は253人という膨大な数だったという。

 

 リアルワールドの倫理でも大罪人であることは明らかなのだが、同時に異世界幽閉に巻き込まれた被害者でもある。そんなセツナのどっちつかずな立場は役人たちを大いに悩ませた。

 

 結局、セツナに下されたのは裁きではなく保護だった。

 

 エスエーオーで死ねば本当にリアルワールドでも死ぬのか不明瞭で善悪の判断が曖昧だったこと。

 

 閉鎖された環境下で精神状態が極めて不安定にあったこと。

 

 何より帰還当時17歳という年齢が、役人たちに処罰ではなく保護すべきという結論を見出させた。

 

 アンダーワールドでいう治療院で治療師たちの監視を受けながら暮らすという決定に、セツナは抗うことなく従った。それが、大人たちが終わりの見えない議論を先延ばしにするだけの措置だと察しながら。

 

 施設での暮らしは至れり尽くせりだった。毎日十分な食事が与えられ、昼間は学校の教育課程と運動、希望すれば娯楽として本が与えられ、夜は毎日決められた時間に就寝。時折治療師による診察が行われるが、そこに暴力はなく大人たちはセツナに人間としての尊厳をもって接していた。

 

 施設の外に出られないという不自由はあったものの、自身の罪を自覚していたセツナにとってその程度は些末事でしかなかった。というより、彼は自身の置かれた環境に対して何ひとつ思うことなどなかった。

 

 悲しみと憎しみ。かつてセツナの心を満たし突き動かしていたはずの感情は全て抜け落ち、空っぽになった彼はいつしか生きている実感すら希薄になっていった。

 

 施設で暮らして1年半が経った頃、セツナに面会人が訪れた。実の家族ですら会いにこなくなった時期に現れたその女性はマヒロ・ナオコと名乗った。セツナの恋人だったナミエの母親である。ここでは混同を避けるためヘスティカで通すことにする。

 

 いわば娘が死ぬ原因を作ったセツナを前にしても、ヘスティカは優しかった。同じ愛する人を失った者同士として彼を労わってくれたという。どんな優しさにもセツナがなびくことはなかったが、ヘスティカのたったひと言が彼の心を震わせた。

 

 “ナミエにもう1度会いたい?”

 

 その問いを始まりに、ヘスティカは計画を語った。ラースという組織が進めていた、エスエーオーと同じ異世界の創造。かつてと異なるのは、そこの住人はリアルワールドからの移民ではなく人為的に生み出した魂であるということ。その完全な異世界創造は《アリシゼーション計画》と呼ばれた。

 

 勘のいい諸氏は気付いただろうか。そう、アリシゼーション計画で創造された異世界こそが、わたし達の生まれたこのアンダーワールドだ。

 

 アンダーワールドで娘の魂を復活させる方法については、わたしが当人から聞いた話と同じだった。ヘスティカがセツナに会いに来た時点で、既にわたしという成果物はアンダーワールドで誕生したことが確認できていたという。

 

 後はわたしをリアルワールドに連れてくるだけ。ヘスティカがセツナと接触してきた理由は、アンダーワールドという広大な世界でわたしを見つけ出すという大役を彼に依頼するためだった。

 

 “もう1度あの子に会いに行って、愛してるって言ってあげて”

 

 ヘスティカのその言葉にセツナは頷いた。どれだけ深く思考しても、彼に断る理由はなかった。

 

 それから瞬く間に事は進んだ。数日後にはヘスティカの計らいで施設から初めて外出が許可され、アンダーワールドとそこの魂たちを管理する研究所へと向かった。

 

 研究所には少々危うい手で入らざるを得なかった。ヘスティカは組織と懇意にしていたが最高機密に触れるとしてアンダーワールドに入ることは拒否されていたからだ。そこでアリシゼーション計画への介入を目論んでいたピーエムシーという別組織と合流し、かねてから潜入していた協力者の手引きで研究所に侵入した。

 

 アンダーワールドに下るにはエスティーエルという装置が使われるのだが、研究所に置かれていた4台は全て埋まっていた。そこでセツナとヘスティカには、協力者が不具合のため廃棄予定と偽証し温存していた2台があてがわれた。

 

 全ての準備が整いふたりはアンダーワールドに向かおうとしていたのだが、寸前で問題が発生した。

 

 ピーエムシー側の誤操作で、アンダーワールドの時間の流れが速まった。わたし達には実感できないことだが、元々こちらでの数年がリアルワールドで数分とされている。その時間設定が引き上げられ、計算上だと向こうで1秒経つこちらでは10年の歳月が流れるというとんでもない状況になった。

 

 計画は破綻するかと思われたのだが、ヘスティカは強行することにした。研究者たちは必ず問題を解決させるだろうから、アンダーワールドで待つだろう数十年、もしかしたら100年以上という年月は高等神聖術で老化を止めれば良いと見積もって。

 

 ヘスティカが最も危惧していたのは、問題が解決している頃にわたしが寿命で死んでいることだった。片や亡き娘と、片や喪った恋人との再会を夢見て、ふたりはアンダーワールドでの合流を約束し装置に身を委ねた。

 

 異世界に行く瞬間はどんな感じか、わたしはセツナに訊いた。彼は眠りに就くように穏やかだったと言っていた。

 

 まさに夢の世界に往く心地だったのだ。自分の身体を囲う装置が棺桶として用意されていたことも、もうひとりの自分が作られていたことも知らずに。

 

 そしてセツナは目覚めた。この手記の最初に書いた暗黒界の片隅で。

 

 かつての罪も思慕も忘れて。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど28


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「やっとよ……。やっとセツナの謎が明かされたわよ!」

キ「まあ謎って言っても、読者さん達は何となくSAOプレイヤーってことは気付いてただろうけどな。始まったばかりの時点で『パラダイス・ロスト』との関係を察してた人もいたし」

ア「でも謎なのは変わりないじゃない。タイトル似てたり主人公とヒロインの名前が同じだったりで匂わせ満載だったのに作者がずっとだんまり決め込んでたんだから」

キ「まあ、それは確かにな。俺も正直やっと言えるって思ってるよ。そんな訳で、本作は作者が以前投稿してた『ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト』の派生作品なんだ」

ア「何で派生なんてまどろっこしい言い方するのよ続編で良いじゃない」

キ「続編て言ってもストーリーが繋がってるわけじゃないから元の作品は読まなくても問題なしっていう作者のこだわりなんだよ。『パラダイス・ロスト』は途中で原作とは大きく違ったストーリーになるんだけど、本作『パラダイス・シフト』は事が原作通りに、つまり俺がヒースクリフに勝ってSAOをクリアした後のセツナを描いたものなんだ。つまりはIF展開で、続編とするにも精神的続編てやつだな」

ア「何で今更になって派生作なんて書こうと思ったの?」

キ「そこは作者も悔いがあったってことだよ。『パラダイス・ロスト』はアインクラッド編で完結するんだけど、最初はフェアリィ・ダンスやファントム・バレットとかの続きも書く予定だったんだ。だけど続けたら面白くなくなるからアインクラッド編で終わらせたんだけど、作品のテーマに決着が付けられなかったから本作はそのリベンジのために始めたわけだな」

ア「じゃあ、本作は『パラダイス・ロスト』の最初に組んでいたプロットってこと?」

キ「あながち間違っちゃいないな。本作のベースになったのは『パラダイス・ロスト』がアインクラッド編以降も続いていた場合の最終章として構想していたエピソードなんだ。とはいっても舞台はアリシゼーションじゃなくて作者の完全オリジナルエピソードだったけど」

ア「時系列が原作であまり触れられてないムーン・クレイドル編の後っていうのもオリジナル展開がしやすかったっていう事情なのね」

キ「そういうこと。あくまで『パラダイス・ロスト』とは独立しているっていう体だけど、作者としては作品を読んでくれた読者さんにも楽しめるよう刷り合わせの要素も組み込んだんだ。シンセシス・ゼロなんかはその代表格だな。そのセツナ・シンセシス・ゼロのフードを取ったビジュアルがこれだ」


【挿絵表示】


ア「まあ作中でも言われていた通りセツナと同じ顔ね」

キ「このキャラはSAO時代、15歳の頃のセツナをモデルにしてるんだ。だから『パラダイス・ロスト』でのセツナの服とかのビジュアルはまんまこのシンセシス・ゼロと同じになる。このキャラはさっき言ったベースになったエピソードから引き継いだ要素で、最後の敵は主人公の分身ていう展開をやりたかったらしい」

ア「セツナの罪を象徴するのは過去の自分自身てことね。まあ正直ありふれたネタだから斬新とは言えないけど」

キ「おい作者渾身の設定をディスるな。まあ作者も『ロックマンゼロ3』のオメガや『ローガン』に出てきたウルヴァリンのクローンを元ネタにしてるんだけどな」

ア「何はともあれ作品最大の謎が明かされたわけだから、ストーリーはようやくクライマックスになるわけね。それでは、クライマックスに向けて作品の新しいビジュアルを公開します。こちらです!」


【挿絵表示】


キ「おお……、ん?」

ア「いやー恰好いいわね! セツナとシンセシス・ゼロ、シンプルながら迫力ある絵になったわ!」

キ「いや、アスナさん。俺この構図見たことあるんだけど。あの某ブラックサンに………」

ア「何よ、トレパクだっていうの? どこが光太郎さんと信彦さんなのよ!」

キ「完全に確信犯じゃねーか! シンプルな構図だから見逃しそうになったけど明らか『仮面ライダーブラックサン』とおんなじだよ! あとキャッチコピー! これ「空想と浪漫。そして、友情」じゃねーか『シン・ウルトラマン』だよ!」

ア「失礼ねこれでも配慮したのよ。最初考えてたキャッチコピーは「罪とは、何だ。罪とは、誰だ」だったんだから」

キ「どっちにしてもパクリだろうが!」

ア「キリト君、もう創作物に溢れたこのご時世に本当のオリジナリティなんてものは無いのよ。作者はそれを悟ったの」

キ「やかましいわ! 珍しくコーナーが真面目に進んでると思ったのに何だこのツッコミどころの嵐は!」

ア「さあ、本編は鬱展開を更に進めていくわよ。記憶を取り戻したセツナはどうするのか、次回をお楽しみに!」

キ「はあ、いつになく疲れた………」



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第29幕 イノセント・ハート

 

   1

 

「俺はお前に会いに来た」

 

 セツナのその言葉は、自らの経緯を総括するものだった。

 

 あの村の外れの森でわたし達が出会ったことは必然だったのだ。死で別たれたふたりの感動の再会とならなかったのは、彼が記憶を失いわたしが自分の生命の意味を知らなかったから。

 

 セツナは部屋の隅に目をやる。そこに立て掛けてあるのは、紆余曲折あってわたしの手に戻ってきたバイオリンだった。

 

「彼女もバイオリンを弾いていた」

 

 呟いたセツナの声には、何の感情もこもっていない。いつも通りの声音だ。でも、この時ばかりは裡の想いを必死に抑えつけ耐えているように思えてならなかった。

 

 この時、わたしの中で全ての得心がいった。初めてわたしのバイオリンを聴いたとき、初めてわたしと肌を重ねたとき、何故セツナは涙を零したのか。それは、心のどこかでわたしと《本物》のナミエを重ね合わせていた故だったのだ。

 

 記憶をなくしたところで、心の奥深くにまで根付いた感情までは消すことができない。ユーリィに同じことを言っていたのは彼自身だった。

 

「そんなに、わたしとナミエは似ているの?」

 

 自分の名前のはずなのに何故か違和感を覚えながら尋ねた。セツナのずっと逸らしていた顔を向けられたとき、思わず身を強張らせてしまう。

 

 とても悲しそうな顔だった。目が赤く、今にも泣きだしてしまいそう。必死に堪えているだろう彼は声も震えていた。

 

「ああ、そっくりだよ。すました顔も髪も、子どものくせに大人ぶった物言いも全部同じだ」

 

 不意にセツナはわたしの両肩を掴んだ。射貫くような鋭い目は憎しみがこもっているように思えた。いつも人を殺すときは顔色ひとつ変えなかったこの男が、たったひとりの女に感情をむき出しにすることに恐怖すら覚えた。

 

「ずっと会いたかった。こうなることを望んでいたはずなんだ。それなのに……、虚しいままだ………」

 

 彼の目から涙が溢れた。わたしの肩にあった手から力が抜けてすり落ちる。崩れるように彼は床に座り込み涙を流し続ける。

 

 これを読む諸氏に想像できるだろうか。数多の生命を無慈悲に奪ってきた死神が、オブシディアの片隅にある安宿の一室でむせび泣いていたなんて。

 

 だけど、これが死神の本来の姿だ。過去の悲しみと憎しみを思い出し、その末の虚しさにどうしようもできず幼子のように泣くしかない。

 

 彼もまた、殺し救ってきた者たちと同じ弱い人間でしかなかったのだ。

 

 失望するだろうか。それも良い。どう捉えるかは各々の自由だ。わたしに限って述べれば、このとき抱いたのは哀れみだった。弱い者が抱く虚無というものは、かつてのわたしに近しいものだったから。

 

「わたしは、良いよ」

 

 わたしは逡巡することなく、セツナを抱きしめることができた。ナミエに限りなく近付けられたわたしは、最初からセツナに惹かれるよう作られたのかもしれない。それでも、構わないとも思えた。

 

「セツナが望むなら、わたしがナミエの代わりでも――」

「お前はナミエじゃない」

 

 その声には静かな怒りがあった。わたしの腕を振り払ったセツナは顔を見つめてくる。まるでわたしの瞳の中を探っているようだった。

 

「彼女はお前みたいに、何かに立ち向かえるほど強くなかった。だから守りたかった………」

 

 セツナは立ち上がった。部屋の隅にあったバイオリンを掴んで、それを押し付けるように渡してくる。

 

「どこにでも好きなところに行け。どこか遠くの村や町で暮らそうとお前の自由だ。アーウィンもそれを望んでいた」

 

 わたしは口を開きかけた。自分でも何を言おうとしたのか、はっきりとは分からない。多分、嫌だと言いたかったんだろう。それを察してかセツナは更に言葉の針を刺す。

 

「俺のことは忘れろ」

 

 そう言って彼は背を向けた。今度はわたしが涙を流していた。彼の傍に居るという奥底での自負が砕かれて、自分が特別でないことを思い知らされた。

 

 ヘスティカの娘として魂を作られ生み出されたわたしでは、セツナの恋人だったナミエの代替にはなれなかったのだ。

 

 気付けば部屋を出ていた。バイオリンを抱えたまま宿を飛び出し、夜の静けさに包まれた街を泣きながら駆けていった。

 

 

   2

 

 中央広場の屋台はどこも閉まっていた。テーブルは酔い潰れたのか酒樽を抱えた人族の男がひとり寝ているだけだった。

 

 空いたテーブルでひと息ついても、わたしは泣いていた。そんなわたしの服の中から顎門が出てきてテーブルに翼を休める。小さくても飛竜の溜め息は熱くわたしへと吹いてきた。

 

「あやつとお主に、あのような因果があったとはな。にしても、救いのないものよ」

 

 とても話をする気にもなれず、わたしは黙って服の袖で涙を拭う。察してか、顎門は独り言のように話し続けた。

 

「慰めにはならぬが、我も長いこと人間たちを見てきた。人はいずれ死ぬ。寿命や病、事故や他者の手によって。死者の家族や友が嘆き、蘇りを神に祈ることはそう珍しくなかった。そう思えば、セツナの願いもありふれたものだ」

「分かってる。死なんてたくさん見てきた」

「そうだな。ならお主も理解はしていよう。最も人を狂わせる死とは殺人。本来なら死すべきでない生命が不条理に奪われる。残された者は、死者への愛故に殺した者を憎むのだと」

 

 「愛?」と思わず上擦った声をあげた。血塗られた恐るべき行為に結びつくとは到底思えない、美しい言葉だった。顎門は「左様」と頷き、

 

「憎しみとは愛から生まれる。セツナは多くの者を殺めるほどに恋人を愛していたのだろう」

「あなたは愛を理解していると言えるの?」

 

 知った風な口をきく飛竜に皮肉を飛ばす。裁定者として世界を滅ぼす役目を与えられたこの使い魔が、どうして人間に寄り添った物の見方をできるというのか。

 

 わたしの皮肉に、顎門はどこか寂しそうに眼を伏せた。

 

「我にお主らヒューマンユニットのような魂と呼ぶべきものは与えられていない。が、永く生きていくうちに芽生えるものはある」

 

 自分勝手な罪悪感に「ごめんなさい」とか細い声を漏らした。「よい」と顎門は裂けた口から微笑を零す。

 

「同情の余地はある。だがあやつの重ねてきた業は、もはや愛という美しい響きで取り繕うことはできなくなった」

「じゃあ、セツナはどうすれば赦されるの?」

「赦しなど得られんよ」

 

 顎門は熱気を含んだ息を深く吐いた。

 

「赦しとは犯した相手から施されることで果たされる。殺しが最も忌むべき罪なのは、殺した者から赦しの言葉が決して得られないからだ。死人に口はない。あやつもそれを理解している。だが赦しを欲する想いも捨てきれず、その矛盾に苦しみ続けているのだろう」

 

 セツナがこの世界に来た理由。それは、単に恋人との再会を望むだけじゃなかった。再会の先。死なせてしまった彼女に自らの罪を懺悔することが、セツナをこちら側に向かわせたのだ。

 

「わたしじゃ、あの人を赦せないの?」

「生命とは唯一無二。代わりを求めたところで、その者に成り代わることはできんよ。我が主の代行として作られながら、結局は役目を果たせていないことと同じように」

 

 彼の涙。その意味がようやく分かった。もし恋人を模したわたしに会えば、赦しを得られるのではないか。ずっと足掻き続けてきた彼が抱いた一抹の希望が、わたしと死者が所詮は別人という事実によって完全に消えてしまったからだ。

 

 わたしにとってもそれは絶望だった。まやかしのわたしが彼に赦しの言葉をかけたとしても、それもまたまやかしでしかない。模造品は本物になれない。

 

「セツナを赦せる者などおらぬ。例えお主でも」

 

 顎門は残酷すぎる事実を告げる。分かっている。彼のしてきたことは、ようは八つ当たりでしかない。恋人を殺された虚無を埋めるために、憎む相手の同類をも巻き込んできた。

 

 殺した者たちもまた罪人。そんなのは免罪符にならない。

 

「して、お主はどうするのだ?」

 

 唐突な顎門の問いにわたしは「え?」と返した。

 

「あの母親と共にリアルワールドへ往くか、アーウィンの望み通り辺境の地で穏やかに生きるか。その選択はお主が決めることだ」

「どうしたら良いのか分からないよ」

「我もお主に強いるつもりはない。ただ、責務ではなく己の願いで答えを出すのだ」

「願い?」

「正しさではない。お主が何を望むのか。そこから選んだことが(まこと)だ。そもそも、本当の正しさなどないに等しいからな。それがお主の答えなら、我は何も言うまい」

 

 諭すような口ぶりの竜が少しばかり優しい顔つきになったような気がして、思わずわたしは笑みを零した。おじいちゃんやおばあちゃんと話していたら、こんな感じなのかなと思いながら。

 

「何か変な感じ。顎門にそんなこと言われるなんて」

 

 顎門も「そうだな」と微笑し、

 

「世を俯瞰してきた我がヒューマンユニットに情を抱くなど、思いもしなかった。我が主が世の管理者でありながら人の世を憂いていたことに疑問を抱いておったが、今なら理解できる。これが、心なのだと」

 

 そう語る顎門は自嘲しているように、でも嬉しそうにも見えた。人間よりも高位な存在という自負が消えたことに。

 

「じゃあ、見守ってくれる? わたしがこれからすることを」

「答えは出たのだな」

 

 「うん」とわたしは首肯する。答えは既に出ていたのだ。わたしが目を背けていただけで。

 

 立ち上がろうとしたとき、遠くのほうで赤い光が炸裂した。同時に破裂音が耳をつく。あまりの轟音に頭蓋を貫かれたように錯覚した。足がふらつくのは意識が飛びかけたからな、地響きのせいかは判断がつかなかった。

 

 テーブルで酔い潰れていた人族の男が飛び跳ねるように起きて、何がおきたのか辺りにせわしなく首を回している。

 

「おい、何があった⁉」

 

 こちらに気付いた男が喚くけど、わたしに分かるはずもなくただ首を横に振った。

 

 音のした方角には赤黒い煙が立ち昇っていた。遅れたように悲鳴やどよめきがオブシディア中に伝播していく。眠っていた人々が街中に出てきて煙とは逆方向へ逃げようとする人、事態の把握のため煙へ向かおうとする人が縦横に入り組んですぐに混沌が出来上がった。

 

 空を見上げると、一点に光る星があった。いや違う、とすぐに分かる。あれは星じゃない。逃げ出した時に一瞬だけしか見たことがないけど、あの巨大な魚みたいな奇妙な形は忘れようがない。

 

 間違いなく、ヘスティカの飛空艇という空飛ぶ城そのものだった。

 

 星が分かれて、片割れが降りてくる。星が速度を増して、最初のときとは別の場所にその光を突っ込ませた。さっきよりも場所が近くだからか、音は各段に大きく爆風で尻もちをついてしまう。

 

「立つのだ、ナミエ!」

 

 耳元で飛びながらはやしたてる顎門の声に頷きつつ立ち上がった。逃げ交う人々に何度か足を踏まれて痛かった。捻挫しているかもしれないけど、そんなのを気にしていられる場合でもなく、わたしは宿屋を目指して足を引き摺った。

 

 街を包む阿鼻叫喚を貫くように、その声は響き渡った。

 

「偽りの和平に生きる民に告ぐ」

 

 その声は何かの道具か神聖術を介しているように反響していた。後ろを振り返ると、大通りを埋め尽くしていた人々の中に空白ができている。その中心には3人ばかりのローブを着込み剣を持った者たちがいた。全員が右目に眼帯をしていて、その足元には胴体を両断された死体を中心に血だまりができている。

 

「我らは隻眼の騎士団。死神と同じ誉れを受け、魂に施された封印を破りし者」

 

 言葉を発する男は初めて見る顔だったが、多分ブランバルの古城にも居たことだろう。あそこにいた人々をヘスティカとシンセシス・ゼロが牛耳ったことは容易に想像できる。だとすれば、彼は宗主もしくは幹部に使命された者だろうか。

 

 これを言えと命じられた言葉なのか、それとも彼自身の言葉かは分からないけど、その声は淀むことなく街中に告げられた。

 

「我々はかねてから、暗黒界の各地で裁きを逃れていた罪人どもを粛清してきた。

 

 信じられぬ者には、証左としてこの憐れな民の死体を見てもらおう。このように、我々は法で罪とされる物事でも実行できる力を持つ。

 

 この力で我々は新たな世界を創造する。それは人が人として、身分で虐げられることなくありのままに生きられる世界だ。

 

 人界統一会議は身分制度を撤廃し皇帝も貴族も平民もなくなった。暗黒界は五族平等を謳い差別を禁じた。

 

 だが、差別は未だに起こっている。元貴族どもは過去の栄華を忘れられず民を虐げ、奴隷商たちは幼子たちから人の尊厳を奪い値を付ける。そんな現状に政府は見て見ぬふりをし、表面上だけの支援ばかりを行い、真に助けを求める弱者たちの声に耳を塞いだ。

 

 宣言する。我ら隻眼の騎士団は人界統一会議と暗黒界五族会議を打倒する。これは開戦の狼煙である。3日後にこのオブシディアに進軍し、あの城にふんぞり返る五族会議の者たちは粛清されるだろう。

 

 我々が望むのは支配ではなく解放である。真に人を救い裁くのはステイシアでもベクタでもない。死神である」

 

 死神。その言葉を最後に声は聞こえなくなった。既に声の渦中からかなり離れていたわたしは、その後の彼らが何をしたのかは知らない。

 

 すぐに去って身を隠したか。その場で虐殺をしでかしたのか。ただこの時は、まだセツナがいるという保証もないまま宿屋を目指していた。

 

「システム・コール――」

 

 少し頭が冷えたおかげか、神聖術で脚の怪我が治療できるという考えに至ることができた。不測の事態というものは常識さえも霞ませてしまう。術で治癒した脚は軽く、すぐに駆け出そうとする。

 

 不意に腕を掴まれてよろめいたところ、耳元であの声が囁いた。

 

「奴は一緒じゃないのか」

 

 咄嗟に振り向く。混沌の中で無表情に立っていたのはシンセシス・ゼロだった。

 

「奴はどこにいる?」

「言えば、あなたは殺しに行くの?」

「ああ」

「なら言わない!」

 

 手を振りほどこうとするけど、剣を軽々と振り回す彼の力に敵うはずもない。無駄にもがくわたしにシンセシス・ゼロは冷たく告げる。

 

「一緒に来い。あんたが居れば奴は来るだろう」

「どうしてそこまでセツナを………!」

「そのために俺は作られた」

 

 はっきり言ってのけるこの少年に、わたしは恐怖以外の感情を見出していた。ヘスティカをマザーと呼び従い、彼女からの命令と仕打ちを全て享受するよう魂を調整された、もうひとりのセツナ。

 

 わたしと同じ作られた魂という親近感からだろうか。その問いは何の皮肉や侮蔑もなく出てきた。

 

「セツナを殺すことは、あなた自身の望みなの?」

「望み?」

「別に憎んでもいないのに、命令だから殺すの? あなた本当にそれで良いの?」

 

 シンセシス・ゼロの瞳が揺れた。逡巡と捉えるべきだろうか。もしそうならば確信できる。この少年にも魂がある。わたしが完全な《ナミエ》じゃないのと同じように、彼もまたセツナとは別人なのだ。

 

 シンセシス・ゼロの頬に拳が突き刺さる。不意打ちに地面を転がり、腕を掴まれていたわたしも倒れかける。

 

 わたしの身体を誰かが受け止めてくれた。見上げるとそれはセツナだった。殴られた頬を押さえながら立ち上がるシンセシス・ゼロは冷たい目でセツナを見るけど、やはり憎悪は感じられない。

 

 セツナが膝を折った。粗く息をする彼の脇腹に剣が刺さっている。シンセシス・ゼロがわたしを押し退けて、セツナに刺さった剣の柄を握り軽く捻った。痛みに呻くセツナに、現身が「ここでは殺さない」と告げる。

 

「マザーはお前の死に様を見ることを望んでいる。逃げたところで無駄だ。俺たちは必ず見つけ出す。それに、逃げれば誰かが死に続ける」

 

 腹から剣が抜かれた。栓が外れたように血が流れ、咳き込んだ拍子に口からも血が飛び散る。

 

 剣を納めたシンセシス・ゼロは人々の中に埋もれていき、すぐにその姿は見えなくなった。

 

 わたしは刺されたセツナの腹を手で押さえつけながら、肩を支えて街中を歩き出す。混乱はまだ続いている。終わりの見えないまま。

 

 

   3

 

 住民が逃げ出したのか、無断で上がり込んだ民家は無人だった。ずっと血の雫を垂らしていたセツナをベッドに寝かせて神聖術を施す。夜は空間神聖力が希薄だから傷口を塞ぐ程度しかできない。しばらく療養が必要だろう。

 

 外を見やると、星が落ちてきたところからはまだ煙が上がっていた。喧騒もさっきよりはましになったけど、まだ街は混乱の中にある。

 

 そんな状況では落ち着いて眠れないのか、セツナは軽く呻きながら起き上がった。「無理しないで」と傍に寄るわたしには目もくれず、シャツを捲り跡が残った脇腹を一瞥する。

 

 ようやくわたしに目を向けるも、すぐに逸らして撥ねつけるように言った。

 

「もういい、行け」

「行かない。決めたから」

 

 視線がわたしへ戻る。目が困惑の色を帯びていた。喪った恋人でも、それの模造品でもない。まるで初対面の、今まで出会ったことのない人間と対峙しているかのような目だった。

 

 そう、わたしは彼の想っていたナミエじゃない。だからこそ決めたことを、わたしは宣言する。

 

「あなたの想いを受け止める。怒りも、憎しみも、悲しみも、虚しさも。わたしが受け止める。全部ひとりで抱え込ませないから」

 

 これがわたしの答え。何があっても彼の隣にいる。この人からどんな弱く情けない感情を向けられても、全部受け入れる。たとえ死者と重ね合わせられたとしても。

 

 セツナの目が少しだけ穏やかになった気がした。それでも険しい顔つきはいつもと変わらない。でも、わたしに向けられた悲しみも含んだ眼差しがとてもいとおしい。

 

「やっぱり、お前はあいつとは違うな。あいつはお前ほど強情じゃなかった」

「そうよ。だってこれは、わたしの選んだことだもん。あなたの好きだったナミエじゃない」

 

 多分わたしがどれほど《ナミエ》と違ったとしても、セツナは彼女とわたしを重ねてしまうだろう。それは苦しみかもしれない。ならそれもわたしは受け止めてみせる。

 

「逃げよう。ここにいたらあの人たちが――」

 

 「もう逃げられない」とセツナはかぶりを振った。わたしの服に入っていた顎門が出てきて尋ねる。

 

「なら、どうするというのだ?」

 

 訊いてはみたけど、顎門にはもう彼の選択が分かりきっていたのだろう。わたしも同じだ。彼の答えに、わたしも顎門も大して驚きはしなかったのだから。

 

「全部、終わらせる」

 

 決断を告げた声に勇ましさはなく、ただ悲しさだけがあった。

 

「俺がこの世界を荒らした。だからあの女ともうひとりの俺を殺して、この地獄に始末をつける」

 

 分かっていた。恋人への愛を憎しみで塗り潰し、憎悪のまま重ね続けた罪から解放されようと足掻いてきた彼なら、そうするだろうと。

 

 それはつまり死に場所を定める決断なのだ。だからわたしは逃げようと言った。無責任ながら罪なんて忘れて、ふたりでどこか遠くで隠れようと。

 

 「嫌よ」とセツナに抱き着いた。そうしないと彼が遠くへ行ってしまうように思えた。

 

「こんなこと起こしたのはあの人でしょ。何でセツナがそこまでしなきゃならないの?」

「それが、俺の生きてきた意味なんだよ。死んで赦されるなら喜んで死ぬ。でも俺は自分のやったことの後始末をしないまま死ぬのも、赦されないんだ」

 

 セツナがわたしの背中に腕を回した。俺の想いを受け止めるのなら、この決断も受け止めて欲しい。縋るような彼の抱擁を拒むことはできなかった。決めたのなら、わたしもそうするだけだ。

 

 彼は、彼であるために戦うのだ。《ナミエ》を愛した故に復讐という罪を犯したのなら、その罪を背負うことだけが愛した証明になる。

 

「これが、お主らの意思か」

 

 顎門が嘆息する。窓辺に飛び移った赤い小竜はわたしたちへ首をもたげ、

 

「明朝、街の外へ来るがよい。待っておるぞ」

 

 それだけ言って顎門は窓から飛び経っていった。

 

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど29


キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「いやー、最終決戦前夜って感じね!」

キ「何かやっとセツナが主人公らしく見えたな」

ア「そこよ!」

キ「急にどうしたんだ?」

ア「作者も今回、何かセツナの台詞多いなーて違和感があったらしいのよ。今まで無口キャラだったから1話の中で台詞ほとんど無かったのに」

キ「まあキャラ同士の掛け合いは殆どアーウィンやユーリィだったからな」

ア「原作じゃ初期はコミュ障設定だったキリト君でさえ台詞たんまりあったのよ」

キ「主人公だからな! それにアインクラッドじゃ攻略組だったし、強さの基準は体格や顔じゃなくてレベルだったから多少凄まれても大丈夫ってある程度の自信もあったんだよ」

ア「ようはイキってたのね」

キ「イキってはないからな、断じて!」

ア「まあおしゃべり担当だったふたりが退場したらパーティはふたりと竜1匹なわけだから、必然的にセツナの台詞も増えるってわけね」

キ「そうだな。それに記憶が戻ってセツナの心中も明らかになったわけだから、恋人にそっくりなナミエを前にしてだんまりなのも無理があるよ」

ア「やっとクライマックスって感じね。というわけで終盤に入ったところで今回はキャラについてのあれこれについて話すわよ!」

キ「おお、何かサブコーナーっぽいな。本来こういうの話す場だよなこれって」

ア「まずはタイトルね。『パラダイス・シフト』はどんな意味か」

キ「作者はタイトルを決めるとき、元になった『パラダイス・ロスト』となるべく語呂が似てる感じにするとは決めていたみたいだ。割と早く『シフト』が出てきてそれに決めたらしい」

ア「英語で移動するとかの意味よね」

キ「そうだな。『パラダイス・ロスト』の舞台だったアインクラッドから本作のアンダーワールドに移るっていう意味合いになってるんだ」

ア「直訳すると楽園は移動するって意味だけど、楽園ていうより悲劇の舞台ね」

キ「セツナの行く先々は楽園どころか悲劇が起こるっていう皮肉込みだな」

ア「それじゃあ次はキャラの名前について掘り下げていくわよ。まず主人公のセツナはどういう由来からなの?」

キ「キャラの名前は結構適当に決めたみたいだ。セツナは作者が『ガンダム00』を観て何気なく主人公の名前をそのまま付けたらしい。因みにセツナは漢字表記だと早速刹那っていうんだ」

ア「うっわ本当に適当ね。てか漢字表記が速い単語ばかりじゃないギャグなの?」

キ「PCで漢字変換したら最初に出てきたのが早速だったみたいで大して考えもせず決めたらしい」

ア「ふーん、じゃナミエは?」

キ「作者がドはまりしてたゲームの『キングダムハーツ』に出てくるナミネっていうキャラから取って日本人ぽくアレンジしたらしい。因みに漢字だと真広波絵な」

ア「こっちも大した意味はないのね。じゃアーウィンは?」

キ「アーウィンは正直作者も何を由来にしたのか思い出せないくらい適当に決めたみたいだ。アンダーワールドって名前に何らかの意味とか法則とかがあるんだけど、多分アーウィンに関しては何も考えてないな。イクセンティアっていう姓も『ファイナルファンタジー』に出てきそうな名前って感じでふと浮かんだらしい」

ア「えー(ドン引き)」

キ「登場直前になって急遽作られたキャラだから特に適当みたいだ。父親が暗黒騎士で母親が暗黒術師っていう設定にしていわゆる魔法剣士的なキャラにするのも考えてたんだけど、特に使えそうにない設定だから没になったらしい。生い立ちとか掘り下げるエピソードもないしな」

ア「ユーリィは?」

キ「ユーリィも何となくっていう感じにしたらしい。最初はユーリって名前にするつもりだったけど同じ名前のアニメキャラがよくいるから語尾を伸ばしたみたいだ。あとユーリィは最初男の予定だったけどハーレム要素を入れようってことで急遽女性に変更されたんだ。名前は中性的な響きだからそのまんまで」

ア「顎門!」

キ「整合騎士の飛竜が雨縁(アマヨリ)とか星咬(ホシガミ)とか漢字表記だったからその法則に乗っ取ったらしい。カーディナルの使い魔っていうこともあって最初は普通の飛竜じゃないってことでリュシファーっていう名前にする予定だったみたいだ。因みにリュシファーっていうのも単に響きで思いついたらしい」

ア「じゃあ何で顎門になったの?」

キ「作者が本作の前に書いてたのが『仮面ライダーアギト』だったから、自分の作品を読んでくれてる読者さん達へのファンサービス的な感じで決めたんだと」

ア「何か、聞けば聞くほど適当ね」

キ「うん、適当だな。俺も説明しながら呆れたよ………」

ア「えーっと……。こんな感じで適当に考えられたキャラとストーリーの本作もいよいよ終盤です。読者の皆さん、どうか切らないでください!」

キ「今回ばかりは俺も同感だ。最後までよろしくお願いします!」

ア「では、また次回!」



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第30幕 ディサイシブ・バトル

 

   1

 

 オブシディアは一夜をかけてようやく静かになった。あの襲撃からしばらく何も起こらなかったことから、ようやく人々も安心できたらしい。

 

 街にはそこかしこに暗黒界総司令官直属の暗黒騎士や拳闘士が険しい目を光らせていたけど、その緊迫がいつまで保てるか。

 

 わたしとセツナは民家でひと晩の休息を摂ったあとに街を出た。街を出るのに検問があったけど、わたし達はふたりとも怪しまれることなく通過した。隻眼の騎士団と名乗る不審人物たちの特徴は右目がないこと。両目に眼球がしっかりはまったわたし達じゃない。

 

 街の外縁に沿って歩くと、影の濃い地点がある。街の中枢としてそびえ立つオブシディア城の落とす影に覆われた場所。ソルスの光が薄い暗黒界で、そこは特に視界の悪い地点だった。

 

 なぜわたし達がそこへ向かったのか。ほぼ直感のようなものだが、音がしたのだ。ただ乱雑な物音じゃなく、一定の感覚をあけて紡がれるしらべ。

 

 つまりは、歌が聞こえた。

 

 不思議な歌だった。重厚な音だったけど優しい響きで、そこへ近付くことに恐怖は感じなかった。

 

 そこに、赤い飛竜はいた。歌は飛竜の息吹がそう聞こえていただけだったのだ。

 

 巨体を丸めた姿は傍から見たら眠っているようだけど、近付くとその両目はしっかりと見開かれている。その目を見たわたしは違和感を覚える。そこには顎門が100年という年月で蓄えた叡智や哀愁というものがごっそりと抜け落ちていた。

 

 まるで生まれたばかりの何も知らない赤子のような、それか全てを忘却してしまった老人のような無知さを湛えていた。

 

 飛竜はわたし達の姿を認めると丸めていた身体を開くように伸ばす。巨体で隠れていた場所には切れた尾が地面に突き刺さっていた。見れば飛竜の尾は先端が鋭利に斬られていて、出血もなく切断面は完全に塞がっている。

 

 セツナは尾に手をかける。まるで柄のようにそれは掌に収まった。触れた瞬間、どこからか声がした。紛れもなく、それは顎門の声だった。

 

「これが我の選択。お主らの選ぶ道を切り開くべく、この身を力としよう。

 

 この剣には我の権限全てを込めた。整合騎士の神器と同等の力になるはずだ。完全武装支配術も記憶開放術も、使い方はおのずと分かる。

 

 銘は、痴竜剣(ちりゅうけん)。知性を失ったそこの竜に相応しい名だろう。

 

 ナミエ、お主の選び取ったことの行く末を見届けてやれぬことを、どうか赦してほしい。無事を祈ってはやれぬが、救いがあることを願う」

 

 セツナは尾を引き抜く。柄から先は鋼のような細身の刃だった。残された鞘も抜く。竜の皮膚のようなごつごつとした質感の先端は、それだけで武器としても使えそうなほど鋭い。

 

 わたしは目の前にいる飛竜の顔を見上げる。それはもう顎門ではなかった。顎門たらしめるものを全て喪失した抜け殻だった。

 

 わたしがどんな想いで見ていたのかなんて理解できないだろう無垢な飛竜は、主に甘えるように喉を重く鳴らした。

 

 

   2

 

 知性の全てが抜け落ちても、顎門の背中の乗り心地は以前と変わらない。わたし達を振り落とすまいと、姿勢を保ちながらの飛行を維持していた。

 

「どうして着いてきた?」

 

 しがみ付く背中越しにセツナに訊かれ、わたしは「見届けるため」と答えた。

 

「顎門から託された気がしたから。顎門だけじゃない。あなたを見てきた人たち、皆から」

 

 わたし達ふたりの出会いで始まったこの旅が、色々な人たちと出会った末にわたし達ふたりだけで終わろうとしている。そんなことに感傷的になったところで何の意味があるだろう。

 

 楽しい旅なんかじゃなかった。こうして今セツナが最後の戦いへ向かっているのも、決して幸福を得るためのものではないのだ。

 

 それでも、とわたしは神や運命といった絶対的なものへのささやかな抵抗として、セツナの背に強くしがみ付いた。どうか、少しでもこの人の感触を記憶に留めておきたい。

 

 ブランバルの古城を目指す途中にある謎の古代遺跡。そこに群衆が見えた。無数の天幕が並び、オブシディア目掛けての行軍なのは見て明らかだった。

 

「顎門、降下」

 

 セツナが指示を飛ばすと、顎門はすぐさま雲間を抜けて地上へと降りていく。野営地の全容がはっきり見えてくると、向こうもこちらに気付いたらしい。すぐに「敵襲!」という怒号に似た声が轟き、天幕から右目に眼帯をした剣士もとい騎士たちが飛び出してくる。

 

 地上から矢が飛んできた。それに混ざって神聖術による火矢も。それらを避けつつ顎門は降下し続ける。

 

「焼き払え!」

 

 とセツナが告げると、顎門は裂けた口を大きく開いた。背中からでも、口から溢れんばかりの炎が渦を巻いているのが分かる。知性を失っても飛竜としての力が残された顎門なら、上空から一方的に息吹で火の海にするのは容易い。

 

 その見立ては甘かった。わたし達よりも上の方から、何かが風を切る音がする。セツナは後方を振り返りながら、咄嗟に「回避、右!」と飛竜に指示を飛ばした。

 

 顎門が身を翻し、わたし達は振り落とされまいと必死にしがみ付く。瞬間、すぐ脇を火球が横切った。目標から外れた火球は遺跡の朽ちかけた塔に命中し、その柱をへし折る。

 

 顎門が姿勢を変えて一気に上昇する。同じ高度を飛ぶそれは、ヘスティカの飛空艇だった。

 

 飛空艇からまた火球が飛んできた。今度は一直線に進むようなものじゃない。旋回する顎門を追うように、いくつもの火球がしつこく付きまとってくる。

 

 後ろを向きながらわたしは「システム・コール――」と神聖術を詠唱し、初歩的な火矢を飛ばした。こちらへ向かってくる敵は狙いやすく、ひとつに命中し爆発させると他のも巻き込んで空に爆発の連鎖を起こしていく。

 

 顎門が立て続けに息吹を吐き出した。飛空艇もその巨体さに見合わず身軽な動きで避けていく。

 

 飛空艇がまた追尾型の火を放った。セツナが顎門の背を踵で叩く。意を汲み取ったように、顎門は翼を畳み重力に任せ急降下した。地面に接触しようとした寸前で翼を広げ、地面すれすれを滑空する。

 

 火球たちはその動きについてこられず、地面にぶつかって土をめくり上げ砂塵を巻き上げていく。

 

 舞い上がる砂塵に視界が悪くなったが、顎門は抜け出そうとはせず砂塵の中を飛び続ける。

 

 セツナは腰に挿した痴竜剣を抜いた。顎門が一気に砂塵から脱出する。それと同時、セツナは上空へと剣を向け叫んだ。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 痴竜剣の切っ先から黒煙が噴き出した。黒煙は雲へ到達するとその範囲を広げ、その領域に僅かなソルスの光を完全に遮断する。

 

 吹き続ける黒煙に赤が混じり、その赤は炎になった。今度は炎が黒を塗り潰し、まるで蕾のように膨らんで空に燃え盛る花を咲かす。

 

 剣先の炎が細くなっていく。勢いが落ちたというより、熱を凝縮しているようだった。今度は色が赤から紫へと転じ、まるで金属を引っ掻くような甲高い音を鳴らしながら1本の線になって真っ直ぐに伸びていく。

 

 熱線はまだ黒煙が漂う空を駆けた。何かが触れたのか小さな爆発が起こる。あちこち煙まみれだから見づらかったが、何かが煙の尾を引いて落ちてきた。熱線の光に照らされてそれが飛空艇と分かる。

 

 痴竜剣が熱線を止めて、セツナは鞘に収める。顎門が上昇し、もはや制御がきかなくなった飛空艇にとどめの火球を放った。命中した炎は内部機関を誘爆させ、更に爆発を大きく咲かせる。

 

 炎に包まれた中の者がどうなったか、もはや確かめる術なんてない。でもまだ終っていないだろうことは分かった。命中する寸前、箱のようなものが飛空艇の腹から落ちていくのが見えたからだ。

 

「まだ死んでない」

 

 わたしの呟きにセツナは「分かっている」と応じ、顎門を降下させる。目標へ近付くにつれて、今度は地上にいる隻眼の騎士たちの矢が飛んできた。その頻度は増していき、もはや回避も間に合いそうにない。

 

「降りるぞ」

 

 と有無を言わさず、セツナはわたしの腰に手を回して顎門の背から跳び下りた。以前と同じようにわたしは風素術を地面に放ち、降下速度を抑えていく。セツナも剣を抜き、風にまみれながら着地すると同時に切っ先を地面に突き刺して叫んだ。

 

「リリース・リコレクション!」

 

 周囲の地面が隆起する。亀裂を走らせた土くれがひとりでに積み上がり、わたし達を囲もうとした隻眼の騎士たちは恐怖のあまり足を止めた。

 

 土の柱はあちこちで無数に間隔を空けずに生じていた。人と同じ高さにまで積み上がると、その表面が滑らかに整っていく。そうして形作られたのは、人そのものだった。人だけじゃなく、ゴブリンやジャイアントにオーガ、そしてオークといった亜人まで。

 

「これは、ミニオンなのか………」

 

 騎士たちのひとりが戦慄の声を絞り出す。確かに似ているかもしれない。でもミニオンのような化け物じみたものはなく、どれも人そのものだ。肌は土と同じ茶色をしているだけ。土から作られた人の中には、わたしの知っている顔もあった。

 

 ウンベール・ジーゼック。商工ギルドのローズール伯爵。トルソ村のモレノ村長に、暗黒術師のイー・ジェイ・エム。

 

 そう、この土人(つちびと)たちは死者だ。わたし達の旅の道中で現れては死んでいった人々。記憶開放術とは武器の記憶を力として解放するものらしいが、この記憶は剣になった顎門だけじゃなく、セツナの記憶でもある。

 

 蘇った死者たちは、自身の身体と同じ土で作られた剣や槍、中には拳と各々の武器で騎士たちに襲い掛かった。反撃で手足を斬り飛ばされるが、土なわけだから出血もせず切断された部位をくっつければすぐ元通りになって戦いを再会する。

 

 剣を地面から引き抜いたセツナはわたしの手を引いて乱戦の中を駆けていく。途中出くわした騎士を斬り伏せながら。

 

「あそこ!」

 

 わたしがそう言って指さした先には遺跡の高台がある。かつて神に祈りを捧げた祭壇だろうか。そこに男女が並んで立っているのが見えた。

 

「システム・コール――」

 

 足元に風を発生させ、わたし達の身体を高く舞い上がらせる。一気に飛んできたわたし達を、ヘスティカは笑みを浮かべながら迎え入れる。

 

「お気に入りのお城だったのに、随分と派手に壊してくれちゃって。まあいいわ、ここで全部おしまいなんだし」

 

 セツナは痴竜剣を抜く。自らに向けられた刃にヘスティカは動じることなく嘲笑い、傍に控えるシンセシス・ゼロは無表情にたたずんでいる。

 

「私を殺すつもり? あなたにその資格がある? 私は娘を奪われた被害者。あなたがナミエをエスエーオーに連れて行かなければ、こんなことにはならなかった。見なさい、この戦場を」

 

 ヘスティカが手でわたし達の後方に広がる光景を指し示す。警戒してか動こうとしないセツナに代わり、わたしが振り向いた。そこには死が広がっている。隻眼となった騎士たちが土人たちと死ぬか殺されるかの戦いを繰り広げている。

 

「あのミニオンみたいなゴーレム達はその剣の記憶開放術で作った、この世界で殺したフラクトライトかしら? 随分と殺してきたのね」

 

 空から滑空しながら、顎門が火炎を放っていた。騎士団も土人たちも関係なく、全てを消し炭にしていく。炎で穿たれた轍には、赤黒い人形のようなものが残されていくのみ。

 

 天幕から小さな人影たちが出てきた。子ども達だ。右目のない幼子たちに飛竜は容赦なく火炎を浴びせ、その甲高い叫びも打ち消してしまう。

 

「ここは仮想世界だって忘れてしまいそうね。フラクトライト達と話してみて、本物の人間とまったく区別がつかないもの。既存のエヌピーシーがマネキンに思えてくるわ」

「エヌピーシーなんかじゃない」

 

 セツナが静かに、でも力強く言う。

 

「作り物だろうと彼らの魂は本物で、この世界こそが彼らの現実だ。皆生きていた。死ぬとき、もっと生きたいと願っていた。向こうで散々殺してきた俺には分かる」

 

 それは、誰よりも死を真正面から見てきたセツナだからこそ出た言葉だったのだろう。傍から見ていただけのわたしにはない重さだった。

 

 その重みをヘスティカは鼻で笑う。

 

「あなたが生命(いのち)を語るの? たくさんの生命を奪ってきたあなたが。娘を奪われた私がどんな想いでこれまで過ごしてきたのか分かる? あなたがしてきたことは生命への冒涜なのよ」

「同じ穴の(むじな)だよ、マヒロさん」

 

 リアルワールドでの名前が気に食わないのか、その名で呼ばれたヘスティカが顔を渋めた。

 

「俺は生きる価値がないと勝手に決めつけて、あんたは生命を作り直せると思い上がった。皮肉なものだな。俺たちは本物の魂を持っているとはっきり言えるのに、その価値をまったく分かっていない」

 

 セツナの表情には大義も正義もない。ただ悲しさのみがあった。その顔が若返り、背が少しばかり低くなる。《ナミエ》を喪って、復讐に生き死神と呼ばれていたかつての世界での姿。そうなるとシンセシス・ゼロとの見分けは手にしている剣以外につかない。

 

「終わらせよう。俺たちが始めてしまったことを、俺たちの手で」

 

 悲しげに言いながら、セツナは歩き出す。一瞬にして元の青年の姿に戻った。俺はもう過去の自分には戻らない。そう主張しているようだった。

 

 その歩みはヘスティカの守護者に阻まれる。シンセシス・ゼロが剣を抜き、セツナに肉迫した。セツナは向けられた剣を受け止め、腰帯から外した鞘を振り下ろす。シンセシス・ゼロも対抗し、同じように鞘で受け止めた。

 

 剣と鞘を押し合ったふたりの身体が高台から落ちていく。地上に降り立ったふたりはすぐさま戦いを始めた。

 

「ナミエ、よく見ていなさい」

 

 ヘスティカがわたしの肩を掴む。

 

「あなたの居るべき場所は彼じゃなくて母親のもとだということを」

 

 シンセシス・ゼロが跳躍し、宙で身体を回転させて一瞬で二刀を連続で繰り出してくる。後方に飛んで回避したセツナの剣が赤く輝き、相手が着地した瞬間を見計らって痴竜剣を斬り上げた。

 

 防御されたが勢いは抑えきれず、シンセシス・ゼロの身体が弾き飛ばされる。接近し剣を振り上げたセツナに、仰向けになっていたシンセシス・ゼロは金色に輝いた右足を突き上げた。

 

 腹を突かれ「ごふっ」と嘔吐に似た声をあげて、今度はセツナが地面を転がる。だがすぐに立ち上がり、目の前に迫った剣を受け止めつつ鞘を敵のみぞおちへ振るう。だけど相手も疑似二刀流。同じく鞘で受け止められ、拮抗はすぐに互いに入れ合った蹴りで崩れた。

 

「ねえナミエ。私がどれほどあなたを愛していたか分かる? あなたが望むものは全部あげて、私は最高の母親になろうとしたのよ」

 

 同じ顔と剣術同士の戦いをまるで舞台鑑賞のように眺めながら、ヘスティカはわたしに語った。まるで本当の娘に言い聞かせるように。

 

「でも向こうのあなたは全部拒絶してきた。音楽の才能があるって分かってその筋の学校に入れてあげようとしたのに、いきなり普通の学校に行きたいなんて言い出して。それもあの男のせいね」

 

 ふたりの剣が青の光を帯びる。それぞれが剣を構えた瞬間、同時にそれが光の尾を引いてぶつかり合う。まるで流れ星が衝突したような衝撃派が生じた。衝撃の中心にいたふたりの剣は切っ先同士がぶれることなく拮抗している。

 

 光が消えた瞬間、シンセシス・ゼロは更に剣を押し込んだ。剣先がずれ込み、セツナの右肩を掠める。傷が浅いからかセツナは意に介さず、足を踏み込んでシンセシス・ゼロのまだ幼さの残る鼻面に頭突きを見舞う。

 

 鼻血を出しながらたたらを踏んだシンセシス・ゼロに剣が振るわれた。咄嗟に上体を逸らして避けつつセツナの下顎を蹴り上げる。

 

「男で人生を狂わされるのは、女の辛いところね。私もそうなりかけたから。色んな男と寝てきたけど、つい気を赦したらすぐあなたができちゃうんだもの。まあ、慌てて結婚した人のお金で全部誤魔化せたけど。あなたが本当の父親じゃなくて私に似てくれたのが幸いだったわ」

 

 その独白じみたことを聞いて、わたしのヘスティカへの不信は確かなものになった。娘を喪ってしまった故と思っていた彼女の凶行は、元来のものだったのだと。

 

 本当の《ナミエ》が実の母親を拒絶していた理由が分かる気がする。どこかで母の本性を察していた彼女は、自分も同じように汚れた女になってしまうことを怖れていた。拒絶は子どもなりの必死な抵抗だったのだろう。

 

 成長し、肉体が女として出来上がっていくにつれてその恐怖は増していった。複製されたわたしはまさに彼女の忌避していた姿そのものじゃないか。

 

 確証はないけど断言はできる。《ナミエ》が清い乙女でいられたのはセツナの隣にいるときだった。同じ悦びを享受していたわたしと同じように。

 

 ふたりのセツナが構えた剣と鞘、4本の刃が紅く光った。両者が互い目掛けて駆け出し、血を被ったような両手の刀身を叩き合っていく。

 

 もはや軌跡を視認するのも不可能なほど速かった。それでいて一瞬の間を空けることなく剣戟が繰り出され、互いの肩や腕や脚を掠め血飛沫を散らしながらも止まる気配がない。

 

 力強い両者の一撃が、甲高い剣戟音を辺りに響かせる。ふたりとも光を失った剣を構えたまま完全に身体を静止させていた。アーウィンが教えてくれた、秘奥義を放った後の硬直時間。強力な技ほど、神の力が働いて長く動けなくなるらしい。

 

 いくら死神と呼ばれたセツナでも、肉体を持っている以上はその法則から外れることはできない。

 

 でも、セツナは呻き声をあげながら強張った腕を引いた。その両手に握った剣と鞘がまた青く光る。相対するシンセシス・ゼロはそれに目を剥きながら、動くこともできずただ睨み続けている。

 

 セツナが地面を蹴った。青い光で十字を描くように剣を繰り出す。直前で硬直が解けたのか、シンセシス・ゼロが防御の姿勢を取った。だけど秘奥義の勢いは防ぎきれず、弾かれるように吹っ飛ばされる。

 

 地面を転がるその左手には、零したのか鞘がなかった。セツナのほうは再び硬直で動けなくなっているように見えたが、膝を折った彼の左胸に鞘の先端が突き刺さっていた。

 

 金属製の胸当てを付けていたお陰で深くは刺さらなかったようだけど、留め具を剣で無造作に斬り外すと服の裂け目から血が垂れている。

 

 そこへ、シンセシス・ゼロが跳び込んできた。左手の鞘を蹴飛ばし、剣1本同士へと持ち込む。

 

 数度剣を打ち合い、シンセシス・ゼロが後方へ跳んで間合いを取った。再び跳躍して剣を繰り出す彼に、セツナも地上から痴竜剣を突き出す。刃を擦り合わせ、すれ違いざまに互いの胸元を薄く斬った。

 

 直後、同時に蹴りが繰り出される。ほぼ同じ拍子だったから、脛同士が鈍い音を立ててぶつかった。

 

 セツナが渾身の力を込めて剣を振り下ろす。痴竜剣の刀身が剣の根本を打ち付け、シンセシス・ゼロの手から引き離した。シンセシス・ゼロのほうも腹へ膝蹴りを見舞い、一瞬だけ生じた隙にセツナの右手から痴竜剣を蹴飛ばす。

 

 ふたりとも、取りこぼした剣を拾おうとはしなかった。そうなると素手での殴り合いになって、そこにはもう剣術も何もなくただの暴力が繰り広げられるだけになった。

 

 顔面に拳を打ち合い、胴に蹴りを入れていく。もう金属を打ち鳴らす音は聞こえない。節くれ立った拳が骨を砕こうとする純粋な残虐性に、戦いの儀礼じみた覆いはなかった。

 

「マザーは――」

 

 セツナの胸倉を掴みながら、シンセシス・ゼロは端から血の垂れた口を動かす。

 

「マザーはお前を殺させるために俺を作った。ならお前は何のために生きている?」

 

 それは初めて聞く、彼の荒んだ声音だった。まさに魂の叫びで、その魂に抗っているようだった。

 

 これまで自己を規定してきた根拠。すなわちセツナを殺すために作られた戦闘人形という自らの生命が背負ったものへの自負が崩れていくように聞こえた。

 

「殺されるだけの命になんの意味がある!」

 

 純粋な、悲痛ともとれる疑問と共にシンセシス・ゼロはセツナの頬に鉄拳を見舞った。セツナの身体が崩れ落ちる。健気に自らの役目を果たそうとするシンセシス・ゼロは、傍に落ちていた自分の剣を拾った。

 

「意味なんて……無い………」

 

 地面に伏したセツナのか細い声に、シンセシス・ゼロは咄嗟に剣を構える。もはや腫れ上がって上手く動かせないだろう口で、セツナは言葉を紡ぎ続けた。

 

「誰だってそうだ。ただ生まれて死んでいく。意味なんて……、無意味さに耐えられないから、勝手に付けられただけだ」

 

 震える脚で立ち上がる。丸腰も同然ながら、セツナは獲物を手にした自身の複製に問う。

 

「それでも、生きたいと願うのは………罪か?」

 

 短い逡巡を経て、シンセシス・ゼロは剣を振り上げた。怒りに任せたばかりにがら空きになったその顔面に、セツナは右の拳を沈めた。

 

 シンセシス・ゼロは剣を持ち上げたまま、セツナは拳を突き出したまま静止している。不気味なほど静かだった。あれほど騒がしかった戦いの喧騒はすっかり消えている。

 

 見れば、もう騎士団と土人たちの戦いも終わっていた。そこかしこに血塗れになった手足や頭部、どこの部位か分からない人体の一部が転がっている。土人たちの姿はもうなく、死者たちは文字通り土に還っていった。

 

 最後に残った、同じ顔の生者ふたりは同時に倒れた。でもまだ、どちらも死んではいない。息が粗く胸が上下しているのが高台からでも見えた。

 

「立ちなさい、セツナ! その男をここに連れてきてとどめを刺すのよ!」

 

 ヘスティカが命令を下す。がくがくと震えながら、シンセシス・ゼロは健気にマザーと呼ぶ母の命令に従って起き上がる。傍で寝ているセツナの身体を肩で担ぎ、とても重症の身とは思えない脚力で一気にわたし達のいる高台まで跳躍してきた。

 

 流石に着地は決められず、倒れたその肩からセツナが転げ落ちる。駆け寄って近くで見るとその体中に創傷が刻まれていた。拳で赤黒く腫れ上がった顔をヘスティカはさも愉快そうに見下ろしている。

 

「惨めなものね。そんなにまでなって何で抗おうとするの? 何をしたところで、あなたの罪は償えないのに」

 

 答えは、酷く掠れた声で紡がれた。

 

「抗うことしか、俺には残されていなかった………」

 

 期待したほどの答えじゃなかったのか、ヘスティカはつまらなさそうに溜め息をつく。

 

「もういいわ。セツナ、殺しなさい」

 

 命令を受けたシンセシス・ゼロが起き上がり、剣を引き摺りながら近寄ってくる。セツナと同じく満身創痍な彼に、わたしは対峙した。

 

 「よしなさいナミエ」とヘスティカは告げる。

 

「その男は死ぬことで初めて赦されるのよ」

 

 母を気取る彼女を睨んだ。ヘスティカは眉間に深くしわを刻み込む。若作りしているが、中年相応の顔にようやくなった気がした。

 

「どうしてあなたは、そうやっていつも私に逆らうの?」

「わたしはあなたの娘じゃない」

「いいから来なさい。あなたが現実に来れば、皆が私たちを見てくれるの。娘をエーアイとして蘇らせた母親として、私は欲しかったもの全部手に入れられるのよ。あなたにだって分け前をあげられる」

 

 もはや怒りとか通り越して憐れにさえ思えてきた。この人は母親になることなんて望まず、永遠に女であることを望んでいたのだろう。

 

 同情はする。でも共感はできない。

 

「どうしてなのよ。私はこんなにあなたを愛しているのに………」

「きっと、ナミエはそれを愛と思えなかった」

 

 言いながら、わたしは懐からナイフを抜いた。ここに赴く前にセツナが気休めと渡してくれた護身用。初めて握る武器は重く、人を殺せる力という重圧で手が震えた。

 

 右目の奥から強烈な痛みが走る。右半分の視界が赤みかかって、脈打つように痛みは増していく。

 

「馬鹿ね。あなたにもコードハチナナイチは組み込まれているのよ。子は親に逆らえないの」

 

 この世界の住人に漏れなく施された右目の封印は、わたしにも例外なくある。それを破ることがどれほどの苦痛を伴うかも見てきた。

 

 素直にこの女に従えば、この痛みからは解放される。これかれ先も、これまでのように誰かに隷属することを受け入れれば、一生痛みがやってくることはない。

 

 誘惑じみた考えを横切るように、故郷の村でわたしと一緒にいた人の顔が浮かんだ。ヘスティカのような華やかさも力もないけど、わたしを想い最後にそれを貫いてくれた人。

 

「お母さんに、なって欲しかった人が……言ってた。子どものために……死ねるのが親だって………」

 

 わたしと親子になってくれるはずだったエメラ。子のために罪を犯し整合騎士にされたユーリィ。多くの子たちとわたしを案じていたアーウィン。

 

 母としての役目に散っていった死者たちに背を押されるように、わたしはヘスティカに叫んだ。

 

「あなたは、お母さんなんかじゃない!」

 

 瞬間、右側の視界が真っ赤になり、そして暗転した。遅れて眼球を失った右の眼孔が痛みに満たされて、意識が朦朧とする。何とか意識を保とうと残った左目を見開くわたしを、ヘスティカは冷たい目で見下ろしていた。

 

 その目にはもう、偽りの慈しみさえこめられていない。

 

「セツナ、先にこの子を殺しなさい」

 

 シンセシス・ゼロはその命令に目を剥く。「しかし――」と抗議しようとする彼を撥ねつけるようにヘスティカは更に言う。

 

「もう娘じゃないわ。ただの壊れた人形よ。私の思い通りにならない子なんていらないもの」

 

 初めて見る同様の眼差しが、わたしとヘスティカに向けられる。

 

「俺の、役目……。マザーと、娘を……護る………」

 

 うわ言のように同じことを何度も繰り返す。主張なのか自身への言い聞かせなのか分からなかった。

 

「これだから人口フラクトライトは。命令と深層規定が矛盾したらすぐに壊れる」

「優先事項……マザーの命令………!」

「そう、あなたを生んだのは私よ。私があなたの主人で従う相手なの。命令よ、この女を殺しなさい」

「娘の保護………」

「違うわ、もう娘じゃない。それとも何? この子にほだされたの? あなたに女を教えてあげたのも私でしょ!」

 

 シンセシス・ゼロは頭を抱えた。剣で斬られ拳で殴られても表情ひとつ変えなかった顔が苦悶に歪んでいる。

 

「この役立たず!」

 

 ヘスティカの掌に火球が渦巻いた。詠唱なしでの神聖術に驚く気力も、右目の痛みに意識を削がれたわたしには残されていない。

 

「今度は良い子に作ってあげるわ、ナミエ」

 

 醜い笑みを浮かべながら、ヘスティカは掌の炎をわたしへと向け――

 

「うあああああああああああああっ‼」

 

 少年の絶叫と共に、ヘスティカの腹から剣が突き出た。遅れてじわりと血が服に滲みを広げていく。ヘスティカの背後で剣を握っていたシンセシス・ゼロの右目が赤くなっていた。作り物の魂に刻まれた封印が。

 

 俺は何をしたんだ。そう言いたげなシンセシス・ゼロの右目が血飛沫と共に吹き飛び、その勢いのまま仰向けに倒れた。

 

「いい……、痛い………。痛いわ……あああっ」

 

 痛みとは無縁に生きてきたのか、自分の腹に刺さる剣と血にヘスティカは涎を垂らしながら喚く。

 

 とうとう倒れた仮にも母親に、わたしは取りこぼしかけたナイフに力を込めて足を踏み出した。

 

 皆は信念のために剣や槍を取り戦った。なら、わたしだって――

 

 だが、わたしの信念は横から伸びた手に止められる。右側の視界が潰されたせいで、ナイフの刃を素手で掴んだセツナに気付けなかった。縋るような彼の目に、手を振り払うことは躊躇われた。

 

 ヘスティカが自らの左乳房を揉みしだく。いや、抑えている。金切り声をあげ、もはや口から出ているものに言葉はない。初めて会ったときに言っていた、心臓の病の発作だろうか。

 

 傍で倒れていたシンセシス・ゼロが、ヘスティカの胸倉を掴んで匍匐(ほふく)前進を始める。高台の縁へ到達すると、その顔がわたし達へと振り向いた。

 

 残された左目が、じっとわたしを見つめていた。殺意も敵意も感じない。セツナと同じ寂しそうな、泣いているような眼差しだった。

 

 ヘスティカの手中に燃えていた火の素因が暴発して彼女と、彼女を掴んでいるシンセシス・ゼロの身体に燃え移る。彼の顔が炎と、ヘスティカの叫びに包まれて見えなくなる。

 

 燃える手が縁にかけられ、燃えるふたりは高台に落ちていく。わたしはセツナと肩を支え合いながら高台の端に立ち、地上でまだ燃えている炎を見下ろした。

 

 地面に叩きつけられたふたりはもう事切れてしまったのか、もう動くことはなく揺らめく火にされるがままになっている。そう時間は掛からず炎は篝火になり、煙を立てて消えた。

 

 並んだふたつの焼死体は共に真っ黒で、どちらが誰なのか分からなかった。人間、誰もが同じだ。死ねばそれはただの肉の塊。焼けて黒焦げになり、骨になってしまえばもうそこに生前の姿なんてない。

 

 本物の魂だろうと、作り物の魂だろうと、例外なんてない。生命はみんな等価値だ。死はそれを確実に証明する。

 

 膝を折ったセツナの目から、一筋の涙が頬を伝った。その涙をわたしは、自分のことのように理解できた。

 

 ヘスティカ、シンセシス・ゼロ。ふたりはセツナの罪から生まれた存在だった。ふたりだけじゃない。アーウィン、ユーリィ、隻眼の騎士たち。死神であるセツナがこの世界に降り立ったことで、多くの人々が運命を狂わされてしまった。

 

 多くを殺めた殺人者でありながら自らの過ちに無感覚でいられるほど、この死神は鈍感じゃない。最初は愛と呼べた自らの想いが、巡り巡って引き起こした惨状全てに対する後悔の涙だった。

 

 そんな酷く矛盾に満ちた彼がいとおしくもあって、まだ右の眼孔が痛むわたしはセツナを優しく抱きしめて耳元でささやいた。考え得る限りの、セツナが最も求めただろう言葉を。

 

「もういい。もういいよ」

 

 彼が求めていたのは、自らの行いの全てを知る者から赦しの言葉を受け取ること。この手記で真実を知った諸氏の中には、彼を赦せない人もいるだろう。その嫌悪は否定しない。

 

 わたしが無責任に彼を赦そうと赦さなくても、本質はきっとどちらも無意味なのだろう。全ての生命に意味がないように。

 

 でも、そんなことはもうどうでもいい。この人がこれ以上、苦しまずにいてくれるのなら。

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーど30

キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「激戦……、だったわね!」

キ「激戦……、だったな。もう読者さんも余韻に浸りたいだろうときにこんなふざけたコーナーやってる場合じゃないだろ」

ア「何言ってるの。こんな回だからこそこういう息抜きコーナーが必要なんじゃない。さあ解説いくわよ」

キ「あんまり気乗りしないなあ。まあいつもだけど」

ア「まず序盤で披露されたセツナの完全武装支配術について!」

キ「いわばドラゴンブレスだな。痴竜剣が顎門を原型にしてるわけだから、その力を完全再現したわけだ」

ア「黒煙から炎に変わってそこからビームになってたわね」

キ「元ネタは『シン・ゴジラ』の放射線流みたいだ。竜が元の剣といえば必殺技はブレスで、後に伝説になるわけだからかなり強烈な技にしようってことでああなったらしい。あと完全武装支配術はもっと長い詠唱が必要なんだけど、痴竜剣に込められた顎門の意識が働きかけてくれたお陰で詠唱が短縮できていたんだ」

ア「じゃあ、セツナはどんな技になるのか知っていて使ってたってこと?」

キ「そうなるな。ようは完全武装支配術ってのは神器と使い手の信頼関係の証みたいなものだから。本来なら長い時間をかけて神器の元になったオブジェクトの記憶を探っていくものだけど、顎門は最初からセツナに力を貸すつもりで剣になったから信頼関係が元からできてたってわけだな」

ア「にしてもまあ、ファンタジー世界のアンダーワールドでドラゴン対飛空艇の空中戦なんて冒険したわね」

キ「せっかくドラゴンいるんだから空中戦ないとか嘘だろっていう作者のこだわりみたいだ。現実世界から持ち込まれたテクノロジーってことでミサイルなんて近代兵器を登場させたらしい。一応、ミサイル的な追尾機能を持った神聖術っていう設定だけどな」

ア「なるほどねえ。じゃあ次は記憶開放術について。まさかのネクロマンシー!」

キ「記憶開放術については作者もかなり悩んだみたいだな。軍勢を殲滅できるってことで土人形の兵を作るってことになったんだけど、ドラゴン関係ないからどうしようってなったらしい」

ア「じゃあ何で結局採用されたの?」

キ「痴竜剣が解放した記憶は顎門だけじゃなくて、武器と深く繋がったセツナのものでもあるんだ。つまりは顎門とセツナふたりの記憶開放術で、セツナ以外は使えない技だな」

ア「だから土人形のモデルが作中で死んだ悪役たちってことね」

キ「まあ正直ネクロマンシー能力なんて主人公が使うもんじゃないけどな」

ア「次にセツナとシンセシス・ゼロの一騎打ち! 作者も気合入れて書いたそうね」

キ「ああ。構想初期から温めてたバトルらしい。原作じゃ実現しなかった疑似だけど二刀流同士の戦いだな」

ア「ふたりが何か凄そうなソードスキル打ち合ってたけど、あれってキリト君の使ってたスタスト?」

キ「スターバースト・ストリームね、略さないで。ふたりが使ってたのは疑似二刀流スキルの明王覇斬(みょうおうはざん)だな。15連撃でスターバースト・ストリームより1手少ないんだ」

ア「えー、何かパチモンみたいね」

キ「まあ疑似二刀流自体が二刀流の下位互換みたいなものだからな。一応ユニークスキルなんだけど、茅場晶彦がセツナに与えたのも俺が万が一死んだときのための保険だったらしい」

ア「本当にパチモンじゃない」

キ「そもそもセツナ自体、もし俺がアスナを喪ったらっていうところから生まれたキャラクターだからな。いうなれば別ルートを辿った俺がセツナなんだ。それでも強さは本物だよ。今回もスキル後の硬直時間を破ってたし」

ア「そうそう。あれってどんな現象? シンセシス・ゼロと同じソードスキルってことは硬直時間も同じよね。なのにセツナのほうが早く解除されてたし」

キ「あれは単純に心意だよ。アンダーワールドで戦いの経験を積んだからこそできたもので、SAO時代のセツナを完全再現しただけのシンセシス・ゼロはできなかったってだけの話なんだ」

ア「まあそれでも決め手にはならなかったわね」

キ「シンセシス・ゼロの強さを見るにSAOの頃からセツナの戦闘センスは化け物並だったってことだな。剣を落としても拾わずに殴り合い始めちゃうんだから。因みに武器がなくなってどつき合いになるのは『逆襲のシャア』のオマージュらしい」

ア「自分同士の戦いだから互角なのは分かるけど、原作キャラと比べたらセツナってどれくらい強いの? 劇中じゃあんまり強さが分かんないシチュエーションばかりだったし」

キ「作者曰く対人戦じゃ最強らしい。単純なパワーだとアスナ以上俺以下で、スピードは俺以上アスナ以下って感じだ」

ア「何かどっちつかずね」

キ「バランスタイプってやつだよ!」

ア「次にふたりのバトル中にヘスティカが不穏なこと言ってたけど、あれってどういうこと?」

キ「作中じゃ裏設定なんだけど、ヘスティカは若い頃から男遊びが激しくて俗にいうパパ活もしてたんだ。何股もかけてた男のひとりの子としてナミエを妊娠したんだけど、パパ活相手だった男と結婚して不貞を揉み消した過去があったんだ。まあ、結婚後も不倫しまくってたんだけど」

ア「うわあ、超絶ビッチなのね」

キ「作中じゃ心臓病を患っていて本人は娘を亡くした心労って言ってたけど、本当の原因は中年になっても夜がお盛ん過ぎたせいなんだ。アンダーワールドでもシンセシス・ゼロが性処理の相手だったくらいだからな」

ア「ようはあれね、毒親ね」

キ「うん、毒親だな。ナミエを人口フラクトライトとして復活させたのも愛情じゃなくて娘をAIとして蘇らせた母親っていう名声欲しさだから。もう作者も感情移入できないくらいクズに設定したらしい」

ア「クズ設定は作者の得意分野だもんね………。ま、そのお陰で最後はスカっとしたけど!」

キ「否定できないのが悲しいとこだな………」

ア「てか、シンセシス・ゼロは何でヘスティカを裏切ったのよ? あのBBAに従うよう設定されてたんでしょ?」

キ「人口フラクトライトとはいえ本物と遜色ない魂だから意思が芽生えたんだ。ナミエを救うために主人を裏切ったのは、まあ、そういうことだよ」

ア「え、どういうこと?」

キ「ナミエを好きになったってことだよ! 気付いて!」

ア「ああ惚れたのね。てかシンセシス・ゼロの最期も何かのオマージュ?」

キ「ヘスティカを引き摺って一緒に落ちていくっていうのは『ターミネーター:ニュー・フェイト』のオマージュみたいだ。最期に何か台詞言わせようとしたんだけど、キャラに合わなかったから無言になったらしい」

ア「ふーん。にしても作品のラスボスとも言えるふたりが自滅だなんて呆気ない決着だったわね。もっと大技でバーンてやるべきとこじゃない」

キ「最初はヘスティカもシンセシス・ゼロもセツナが引導を渡すよう構想してたらしいけど、途中で作者が勝者なき戦いにしたいって心変わりしたらしんだ」

ア「勝者なき戦い?」

キ「これはセツナが勝つためじゃなくて過去を償うための戦いだから、明確な悪役を倒してそれで終わりにしたらチープになるって考えたらしい」

ア「面倒くさいテーマにしたわねー」

キ「まあセツナの行動の是非は読者さんそれぞれの考えに任せよう」

ア「そんなわけで最終決戦も終わり、この作品も残り僅かになりました!」

キ「戦いを生き残ったセツナとナミエがどうなるのか。最後までお付き合いください」

ア「それでは、また次回お会いしましょう!」



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最終幕 グッド・バイ

 

   1

 

 これは、死神の物語だ。わたしや他の誰のものでもない。

 

 後に《隻眼の騎士団事件》と周知されたあの戦いは、人知れず始まり人知れず終わった。

 

 ――と言いたいところだが、読者諸氏は断片的に知っていると思う。空へ昇る黒煙と炎。そして光の柱。火炎を吐き散らす赤き飛竜。その激しさはオブシディアでも目撃されていて、イスカーン総司令官は先遣部隊を編成し調査へと向かわせた。

 

 先遣の暗黒騎士たちが目撃したのは血を被った大地と、そこに転がるおびただしい死体たちだった。四肢を切断された者、黒焦げにされた者。まるでかつての異界戦争のような悲惨さに、新米の暗黒騎士の中には退役した者まで出たという。人界統一会議からも調査員が派遣されたそうだが、彼らが一体誰と戦っていたのか解明は叶わなかった。

 

 判明したのは、死体たちが右目に眼帯をしていたことから《隻眼の騎士団》と名乗るオブシディア襲撃の犯人集団だったということ。

 

 わたしは偶然にも、その調査に赴いていた暗黒騎士と会う機会があった。異界戦争後に暗黒騎士団に入ったその若者について本人の希望でここでは匿名とするが、調査を期に退役してからは人界に移住し農夫として従事していた彼は次のように回想していた。

 

『俺はガキの頃から剣の腕が立ったし、暗黒騎士になるのは当然だと思ってた。異界戦争の頃はガキだったから参加できなかったが、もっと早く生まれてりゃって駄々こねたもんだよ』

 

 自慢気にそう切り出した彼だったが、件の話になると顔を青ざめさせた。

 

『だけど、あれを見た時は脚の震えが止まらなかった。だってよ、少し前まで生きてた奴の身体がバラバラになって転がってたんだぜ。焼け焦げた樹が倒れてるのかと思ってよく見たら、そいつ人の形してたんだ。思い知らされたよ。俺は戦場ってやつを舐めてた。戦いなんてのは殺し合いで、俺もあの死体みたいになっちまうんじゃないかってな』

 

 あなたは死神の存在を信じるのかとわたしが訊いたら、その時の彼は言葉を選ぶように、慎重な語り口だった。

 

『信じるしかねえって感じかな。誰がやったのかは分からねえが、誰かがあれをやったのは確かだ。隻眼の騎士団なんて連中がオブシディアを襲ったときは人じゃねえと思ったが、死神はあんな連中よりもずっと恐ろしいもんだ。ガキまで死んでたんだぜ。あれは人を人とも思わねえ、ベクタがいなくなった暗黒界に現れた神だと言われても、何ら不思議じゃないね』

 

 行き過ぎた殺戮は罪を超越して奇跡のように映る。彼の言葉は、わたしにそんなことを思わせた。

 

 異界戦争後の新体制に謀反を起こそうとした者たちの突然の壊滅は憶測に憶測を呼んだが、最も信憑性が高いとされた説は《死神》による粛清というものだった。

 

 隻眼の騎士団は死神の名を騙る反逆者たちで、怒りを買った死神当人によって滅ぼされたとみられている。根拠としては戦場を飛び回っていた赤き飛竜。後に起こる出来事からこの赤き飛竜は死神の眷属とされ、そこから隻眼の騎士団壊滅にも死神が関わったという推測だ。

 

 この事件が、死神を単なる殺戮者でなく英雄とする根拠とされている。たとえ自身を崇める者であっても罪人ならば容赦なく粛清する。そのような憶測から生まれた偶像が、隻眼の騎士団という一種の教団亡き後も信奉者を集めた。

 

 発見された死体は約300。それらの軍勢をたったひとりで殲滅させたという逸話は、死神伝説の中で最も有名な一節だ。

 

 奇跡とは尊いだけではなく、恐ろしくもある。公理教会の最高司祭が一夜にして人界四帝国を壁で分断したということも、それだけの力を持った者への畏怖を感じさせる伝承だ。

 

 逆に言えば単身で死体の山を気付いた《死神》の伝承も、読み手によっては十分に奇跡となりえるのだ。

 

 

   2

 

 「システム・コール」というわたしの口が紡ぐ声に、手の中にある神聖力の結晶が砕け散る。破片は粒子となって、かざした手の先にある鎌による創傷に集まり出血を止め、裂けた皮膚組織を繋げていく。

 

「おお、治ったあ!」

 

 農夫の男性は大袈裟に歓喜し、傷跡すら残らない太い腕を振り回している。

 

「いやー、これでまた怪我しても安心だな!」

 

 「怪我をしないよう気をつけてください」とシスター・アザリアにぴしゃりと言われ、農夫は「はい……」と肩をすぼめる。

 

「ありがとな、ナミエちゃん」

 

 満面の笑みで礼を言う農夫にわたしは「いえ」と微笑を返し、また仕事に戻っていくのを見送った。

 

「あなたが来てくれて助かっています、ナミエ」

 

 といつもの仏頂面を崩さずシスター・アザリアが言う。まだ治療院を置いていない村では神聖術を使える者さえ貴重で、治療術となると扱えるのはわたし以外だと髪に白髪の混じり始めたシスター・アザリアしかいない。

 

「それだけ術が使えるのに、本当にどこの教会でも教えを受けなかったのですか?」

「ええ、独学です」

 

 探るような視線を微笑ではぐらかした。嘘は言ってないけど、事実は酷く血生臭く他人に話せるものじゃない。剣の腕を磨くのは実戦だけど、神聖術も同じ。習うより慣れろでわたしは自分でも知らないうちに上達していたようだ。

 

 時告げの鐘が鳴った。助かったと思いながら、わたしは「それじゃ、もう帰ります」と脱いだエプロンを壁のフックにかけて足早に出口へと向かった。

 

「ええ、また明日」

 

 その言葉を背に受けながら、今度同じことを訊かれたときは何て誤魔化そう、と思った。

 

 外に出ると、畑から風に乗ってきた麦の香りを感じられる。清々しい空気に深呼吸すると、身体の隅々まで浄化されたように思えた。

 

 あの戦いから1年。わたしとセツナはルーリッド村に身を落ち着けていた。顎門の背に乗って戦場から去ったわたし達は共に疲弊しきっていて、数日間は誰もいない暗黒界の荒野に身を隠しつつ死体から剥ぎ取った物資で食いつなぎ怪我の治療に専念しなければならなかった。

 

 セツナの戦傷が癒え、わたしも右目を再生させてから安息の地として思い浮かんだのが、初めて結ばれた人界の果てにある村だった。

 

 酷く汚れた出で立ちで村を訪れたわたし達を出迎えたのは、初めて訪れた日と同じ衛士長のジンクさんだった。しばらくでいいから村に居させて欲しいとわたしが頼み込むと、ジンクさんはその判断を村長に委ねあの孤独なガスフト・ツーベルクの家に案内された。

 

 事情が事情なだけあって話すわけにはいかなかったが、ガスフト村長は追求することなくわたし達を受け入れてくれた。丁度村の神聖術師が不足していたこと、麦畑の働き手も欲しいという理由で。

 

 ガスフト村長はわたし達に仕事の斡旋までしてくれた。わたしは教会でシスター・アザリアの手伝い。セツナは麦畑の農夫。最初こそ村人から訳ありのふたりとして怪しまれたものの、さっきも述べたように治療術が使える神聖術師は貴重でわたしはすぐに重宝されるようになった。

 

 セツナのほうは上手くやれるか心配していたけど、今のところ彼について悪い噂話の類は耳に入っていない。無愛想だけどよく働いてくれている。そんな評判を聞いた時は思わず笑ってしまった。《死神》だなんて呼ばれていた男が農夫に収まってしまうとは。

 

 目抜き通りを歩いていると不意に「ナミエ」という声が聞こえた。向けば、もうすぐ5歳になる男の子を連れた衛士長が手を振りながらこちらへ歩いてくる。

 

「ジンクさん」

「これ、ナミエにって女房が」

 

 そう言ってジンクさんが差し出した籠には大振りなチーズと瓶詰めされたミルクが入っている。この前も自宅の庭で採れた野菜を貰ったばかりだというのに。

 

「ありがとうございます」

 

 籠を受け取ると、足元でジンクさんの息子がきゃんきゃんと子犬のように甲高い声をあげた。

 

「父ちゃん、お使いなら自分が行くって言っていたよ」

「おい」

「父ちゃんいつも言ってるよ。ナミエさんは美人だって」

「こらハンク、余計なこと言うな」

 

 叱られてむくれた息子を後ろへと追いやり、ジンクさんは誤魔化すように乾いた笑い声をあげる。

 

「じゃあ、またな」

 

 父親の手に惹かれる息子が、わたしに「ばいばーい」と小さな手を振る。わたしも控え目に手を振った。子どもはいつ見ても愛らしい。自分の子となれば尚更にそう思えるのかもしれない。

 

 わたしもいつかは――

 

 そんな願望じみた想いを置き去りにするように歩き出す。高望みというものだ。いつ尽きるかも分からない、そもそも本来なら生まれるはずのなかった生命がわたしという存在なのだ。こうして穏やかに生きていること自体、今でも現実味が湧かない。

 

 村の出入口の門で、彼はぼんやりと立っていた。服が土で汚れている。洗濯はわたしがしているけど、自分でしろと言ったら少しは汚さずにいてくれるだろうか。

 

 わたしに気付くと、セツナは「もう、終わったのか」と無骨に訊いた。

 

「ええ」

 

 簡潔に答えると、わたし達は並んで歩き出し踏み固められた道を進んでいく。北の果てにあるルーリッド村はようやく長い冬を乗り越えたところで、森の樹々に鮮やかな新芽が色付いてきていた。

 

 村での暮らしは季節をひと巡りしたところだけど、やはり人界は移りゆく景色全てが美しい。澄んだ湖の水面も、緑の茂る森も、雪を被った果ての山脈の全てが。

 

「それは?」

 

 わたしの荷物に気付いたセツナが籠を指さした。

 

「ジンクさんからのお裾分け」

「そうか。明日礼を言わないとな」

「そうね。チーズとミルクだし、今日はシチューとかどう?」

「ああ、それでいい」

「そういう言い方、好きじゃない」

「悪かったよ」

 

 ずるい言い方、とわたしは裡で愚痴をこぼす。わたし達の間で痴話喧嘩らしきものは今のところ起きたことがない。わたしが不満を口にすると決まってセツナは「悪かった」とすぐ謝罪してしまうのだ。そんなに素直だとわたしだって何も言えなくなる。

 

 しばらく歩くと森の中に建つ小さな家が見えてくる。ガリッタという、かつてギガスシダーの刻み手を務めていた老人がわたし達にあてがってくれた家だ。

 

 前の住人が去ってから10年近くは経つらしいが、優先度の高い樹で組み上げられたもので造りはしっかりしていた。

 

 ガリッタさんによると、この家には整合騎士になって戻ってきた村長の娘アリスが若い男と一緒に住んでいたらしい。夫婦や恋人、といった間柄には見えなかったとか。男のほうは片腕を失った上に会話もできない屍のように見えたという。

 

 アリスは華奢な外見に似合わずとんでもなく力持ちだった。この家もガリッタさんから建て方を教わった彼女がひとりで樹を切り倒し皮を剥ぎ組み上げたそうだ。

 

 住民の流出が進む村にはいくつか空き家があるけど、わたし達はこの家で良いと言った。森の中は静かだし、何より家の傍には厚く積み上げられた枯草があって顎門のねぐらに丁度よかった。恐らく前はアリスの相棒だった飛竜が使っていたのだろう。

 

 わたし達の帰宅に気付くと、無垢な飛竜は首を伸ばして控え目にくるる、と喉を鳴らした。そんな小動物みたいな巨大生物にわたしは「ただいま」と微笑む。村から離れているのと、あまりうろつかないお陰で今のところ赤い飛竜の目撃情報はない。

 

「あいつ、少し太ったんじゃないか?」

 

 家の中に入ると、テーブルに備え付けの椅子に座りながらセツナがそんなことを言った。

 

「川の魚が美味しくて食べ過ぎたんじゃない?」

「食い過ぎて魚が減ると村の連中に怪しまれるぞ」

「そうね。ちゃんと言いつけておかないと」

「言うことを聞いてくれればな」

 

 「確かに」と笑いながら、わたしはエプロンを付けて夕飯の準備を始めた。

 

 ふたりだけの食事はいつも静かだ。口数が多くないセツナはただ黙々と食べているだけで料理の感想も言ってくれない。たまにわたしが「どう?」と訊くと「美味い」とだけ味気ない感想を言う。

 

「ガリッタ爺さんがバイオリンを褒めてた」

「そう、良かった」

「また聴かせてやってくれ」

「うん」

 

 こんな感じで、たまに口を開いてもすぐに会話が終わってしまう。わたしが楽器を弾けると村の人たちに知られてから、たまに村の広場でバイオリンを演奏している。正直、できることなら知られたくなかったし弾きたくもない。

 

 もし麦畑にまで音色が届いていたら、セツナは本物の《ナミエ》を思い出してしまうだろうから。理不尽なものだ。会ったこともない人物に嫉妬めいた感情を覚えるなんて。

 

 眠る前、セツナは色々な話をしてくれた。リアルワールドで語り継がれる伝承や物語の数々を。

 

「ヤマタノオロチっていう8本の首がある大蛇がいたんだ。そいつは村から若い娘を差し出せと言って、でないと村を襲うって脅した」

「何で蛇が娘を欲しがるの?」

「確か、食うためだった気がする」

「大蛇が人ひとりでお腹いっぱいになる?」

「そういうもんなんだよ。それで村に立ち寄ったスサノオノミコトっていう剣士が退治することになったんだが、スサノオは樽いっぱいの酒を用意して、オロチが酒を飲んで酔っ払ったところを狙うって作戦を立てた」

「蛇がお酒飲むの?」

「さあな。でも作戦通り飲んでスサノオは圧勝してオロチを殺したんだ」

「何か卑怯。そういう話って正々堂々と戦うものじゃない?」

「相手は化け物だ。正攻法で勝てる相手じゃない」

「何か色々と不思議すぎるんだけど、その話」

「神話や伝説なんて大抵そんなものだ。元になった事実があっても、大昔で記録がないのを良いことに後の時代でいくらでも都合よく脚色されて原型がなくなっていく。ようは創作物なんだよ」

「じゃあ、その伝説も元になった事実があるの?」

「本当にあったかは分からない。でも、スサノオがオロチの死体から掘り出した剣があって、それは俺のいた国の王族の象徴として代々受け継がれてきた」

「てことは、本当にその大蛇がいたってこと?」

「さあ。そもそも剣だって実物は王でさえ見られないからな」

「ますます怪しいじゃない」

 

 セツナの語りはわたしの想像力を掻き立て、やがて思考することに疲れてまどろみへと誘ってくれた。

 

 他にも色々な物語をセツナは聞かせてくれた。印象的だったのは神の子として生を受け、病を直し死者を蘇らせる奇跡の数々を起こし、権力を奪われることを怖れた時の王によって処刑された救世主の話。

 

 その救世主は死んだにも関わらず蘇り、人々に自らの教えを授けると役目を終えたように天へ昇っていったという。

 

 

   3

 

 ソルスの光が暖かく照らす季節になっても、まだ井戸の水は凍てつくほど冷たかった。夫や子どもの服を洗う村の婦人たちにとってはまだ厳しい日が続きそう。

 

 洗えば汚れは綺麗に消えてくれるけど、次の日には畑仕事で汚して帰ってくると代わり映えのない会話が井戸を中心に賑わっていた。

 

 わたしもセツナの服を金タライで洗っているとき、横から質問が飛んできた。

 

「ナミエってさ、もしかして貴族のお嬢様だったりする?」

「え?」

 

 唐突な疑問を飛ばしてきたのはわたしと歳の近い、農夫の若者の家に嫁いだばかりの新妻だった。まだ十代の幼さが残る、その手の話題に興味津々といった声音で続けてくる。

 

「だって、セツナさんと結婚はしてないんでしょ? 皆噂してるんだ。もしかしたら駆け落ちなんじゃないかって」

「そんなんじゃないわよ。大体、何でわたしが貴族になるの?」

「神聖術が凄いから、家庭教師とかがいる家で育ったんじゃないかって。あと話し方とかこんな田舎じゃ浮くぐらい上品だし」

「気のせいだって」

「本当かなあ? じゃあ何でセツナさんとは結婚しないの?」

「まだそういうのに興味持てないから、わたしもあの人も」

「何か淡泊だよね。一緒に居ても距離感じるし」

「かもね」

 

 彼女はわたしに顔を近付け、耳元で秘密事のように囁いた。

 

「新しく開墾された花畑さ、もうすぐ開花なんだって。次の安息日にでもセツナさんと行きなよ」

「うん、良いわね」

 

 悪戯っぽい目から逃れるように、わたしは水気を切った服を籠に入れて井戸から去った。教会に戻るとシスター・アザリアが新聞を読んでいた。数年前から羊皮紙に代わる白麻紙という安価な紙が流通し、人界や暗黒界での出来事を書いた新聞が人界統一会議から発行するようになった。

 

 「お帰りなさい」とわたしを迎えたシスター・アザリアはいつもより眉間の皺を深めていて、わたしが「どうかしたんですか?」と訊くと新聞を差し出してきた。

 

 記事に書かれていたのは、オブシディアで《死神教会》を名乗る集団が逮捕されたというものだった。特に何か事件を起こしたわけではないのだが、《隻眼の騎士団》と同じ死神信奉者であることから五族会議叛逆の嫌疑をかけられ聴取を受けたという。

 

 補足として記事には1年前に暗黒界で起きた複数の殺人事件が書かれていた。それを引き起こしたとされる《死神》についても。

 

「恐ろしいものです。殺人なんて惨いことをした者が崇められるなんて」

 

 シスター・アザリアは深く嘆息しながら紅茶を啜った。

 

「戦争が終わってようやく平和になったというのに」

「ダークテリトリーには《死神》を英雄と見てる人たちもいるみたいですけど」

「確かに《死神》によって救われた者もいるでしょう。だとしても、死を肯定する者を英雄や神などと称すのは賛同できません」

「シスターは、《死神》を悪だと思いますか?」

「ステイシアを信仰する立場としては。いえ、この世界に生きる人としても悪と主張できます」

 

 毅然とした聖職者の言葉に、わたしは何も言えなかった。その死神はわたしと暮らしているあの農夫なんです。そう告白したところで何の意味があるだろう。まず信じてはもらえない。

 

 「ですが」とシスターは切なそうに続ける。

 

「何かを信じ救いを求める気持ちに理解できる部分はあります。今後もこのような輩は現れるでしょう」

「神が存在する限り、ですか?」

「ええ。もし彼らの信仰心が失われることがあるとしたなら、《死神》が神などではなくただの人間と証明された時でしょうね」

 

 この時、わたしにはシスターの言葉がよく理解できていなかった。本当の理解が追いつくのは、時が過ぎていくのを待つしかなかった。

 

 この日もいつもと同じように仕事終わりのセツナと待ち合わせて一緒に帰路についたのだが、彼はいつも以上に無口だった。彼も新聞を見たんだな、とすぐに分かった。村中で《死神》の話題が持ち上がっていたから。

 

 家で食後の紅茶を飲んでいるときもセツナは無言だった。湯気をくゆらせる紅茶をひと啜りして、溜め息をつくその顔は物憂げに目蓋を垂らしていた。この日だけじゃない。村での暮らしに慣れたこの頃、彼がこんな顔をしているのをよく見ていた。

 

「まだ、自分が何で生きてるのかとか考えてる?」

 

 変に取り繕うこともなく、わたしは直球で訊いた。セツナかぶりを振りつつ、

 

「いや、そんなんじゃない。ただ、《死神》は何のためにあったのかと思って」

「それはセツナの決めることじゃないでしょ。前も言ってたじゃない。伝説なんていくらでも書き換えがきくって」

「そうだな」

「変に難しいことばかり考えるからこじれるのよ。一緒に畑で働いてる人たちを見てみなよ。皆、自分が何のために生きてるのかなんて考えてると思う?」

「考えてないだろうな。毎日の仕事をこなすのに精いっぱいで、そこまで頭は回らない」

「そう。それがあるべきものなのよ」

 

 強引なわたしの結論にセツナは何か言いたげだったけど、結局何も言わずにお茶を飲んだ。

 

「花畑がそろそろ開花なんだって。明日見に行こう」

 

 その日の夜。セツナはいつものように物語を聞かせてくれなかった。一緒のベッドで目を閉じている彼は、寝息を立てていなかったから眠ってはいなかったのだろう。

 

 わたしの方が先に眠ってしまったから、その夜に彼が夢の中へ往くことができたのかは分からない。ただ確かなのは、明くる朝の彼は普段通りだった。

 

 その日は安息日で仕事もなかったから、わたし達は前の晩に言ったように村の外れにある花畑へ散歩に行った。

 

 人界統一会議が治療院拡大のため神聖術師の育成に注力していたから、神聖力の結晶を実らせる花の需要は高まっていた。ルーリッド村もその流行にあやかり、開墾した土地の一部を花の栽培にあてたばかりだった。

 

 まだ村に来たばかりの頃、耕しただけだった土地の種蒔きに参加したことがある。村に来た行商から高く買い取った種が果たして芽吹くのか村の人たちは半信半疑だった。あれ以来花畑に行く機会はなかったけど、何とか目が出たことは人伝いに聞いている。

 

 花畑として開墾されたのは、かつて悪魔の樹と呼ばれたギガスシダーがそびえ立っていた場所らしい。わたし達が初めて村に来たときに見た、あの巨大な切り株のある場所だ。

 

 大木が周辺の地力を独り占めしていたせいで畑の拡大ができずにいたけど、十数年前の刻み手が切り倒してくれたお陰でルーリッド村の収穫は年を追うごとに増えているらしい。

 

 森の中に伸びる小道を進んでいくにつれて、ほのかに甘い香りが鼻孔をくすぐってくる。香のようなくどさのない、爽やかな匂いだった。

 

 やがて森が開けると、一陣の風が頬を撫でた。そこに広がるのは、色とりどりの花弁を広げ穂を揺らしている花々。どこまでも広がっていきそうな花畑から花弁が舞い上がり空へと昇っていく。

 

「きれい………」

 

 思わずわたしはそう呟いていた。ずっと生命とは惨たらしく血生臭さいと思っていたのに、ソルスに向かって穂を伸ばす花たちの姿は何て美しいのだろう。

 

 わたしは花畑へと足を踏み出していた。靴越しの葉の感触が心地いい。風も、全てが純潔のように清く、それを体いっぱいに受け止めようと両腕を広げた。

 

 花畑の中心にギガスシダーの切り株がある。その傍には打ち捨てられた大樹が巨人の骸のように横たわっていて、その太い幹からも花が芽吹いていた。

 

 朽ちた生命が新たな生命を育んでくれる。全ての生命が輪のように繋がっていく姿は儚いけど、それでも美しい。

 

 わたしは切り株に腰かけ、まだ花畑の外に立ったままの彼を呼んだ。きっと、わたしは笑っていたんだと思う。晴れやかな気持ちのまま。

 

「セツナも来て」

 

 けど、セツナは無反応だった。舞い散る花弁で顔がよく見えず、わたしは彼のもとへ駆け戻る。彼はまだ、森の草地に立っていた。まるで境界に踏み込むまいと留まるように。

 

 花畑を眺めていた目がわたしに向けられる。

 

「自分がどうしてこの日まで生きてきたのか、やっと分かった気がする」

 

 そう言うセツナの顔は、初めて見る穏やかな表情をしていた。こんな優しい顔もできたんだ、と思ってしまった。

 

「多分、このためだったんだなって」

 

 わたしには、その言葉の意味が分かった。彼は償いに行くつもりだ。自らの手で赦しを得るために。

 

 顎門の言っていた通りだ。結局、わたしでは彼を赦すことはできなかった。殺しは誰からも赦してはくれない。赦しを与えてくれる死者はもういないから。

 

 けど、それを唯一赦せる方法を彼は知っていた。それができるのも、彼しかいなかったのだ。

 

 わたしは彼の手を握った。彼も優しく握り返してくれる。わたしにはこれしかできない。全てを受け止めると、彼の罪を知ったあの日に決めたのだから。

 

 その日の夜。わたしとセツナは激しく求め合った。わたしは彼にわたしという存在を刻み込むように肩を噛み背中に爪を立てた。でも、セツナはわたしに何も刻んではくれず優しく包むようにしてくれた。

 

「死亡フラグだ」

 

 事が終わってベッドで横になっているとき、セツナが不意に言った。

 

「どういう意味?」

「何かをする前の願掛けみたいなものかな」

 

 セツナがわたしの手を握った。少し震えているようだった。

 

「怖い?」

「そんなことはない。俺は俺の往くべきところに往くんだ。上手くやってみせる」

 

 セツナはこの世界にエスティーエルという装置を使って来た。わたしの隣にいるセツナはあくまで仮初の肉体で、本物はリアルワールドにある。ヘスティカの言葉が本当ならば、セツナはこの世界で死ねばリアルワールドの肉体も死を迎える。

 

 ならば、セツナにとってこの世界で過ごした日々とは、死の直前に視た幻想なのだろうか。こうしてわたしと求め合った感触も。

 

 わたし自身も、どこか現実味というものが希薄だ。まるで本物の《ナミエ》が視た幻想がわたしという存在なのでは。そんな錯覚に陥ってしまう。

 

「何だか、夢を視ていたみたい。とても長い………」

 

 そう、夢のようだった。彼と出会ってから流れてきた、激動の日々全てが。

 

「俺もだよ。良いのか悪いのかは分からないが」

「わたしは、夢のままでも良いかな」

「そうか――」

 

 わたし達は抱き合いながら眠った。

 

 ソルスが果ての山脈から顔を出した頃、セツナはかつて着ていた黒装束の服をまとい、家の片隅に置きっぱなしだった痴竜剣を手にして顎門と共に央都へと旅立っていった。

 

 無垢な飛竜は主の意図を察していたのかは分からないけど、飛び立つ前にわたしへと寂しそうな瞳を向けた。

 

 早朝に赤い飛竜が現れたと、その日は村中が騒ぎになった。皆が仕事なんて手がつかないほどに。結局その日は何かが起こることなんてなかった。ゴブリンの襲撃も、地震や水害といった災いも。

 

 そして、セツナが帰ってくることも。

 

 《死神》の死。その速報を綴った新聞を行商が持って来たのは2日後だった。《死神》はセントラル・カセドラルに単身で突入したが、代表剣士自らによって討ち取られた。英雄になろうとした反逆者は真の英雄の前では賊に過ぎない。記事にはそう書かれていた。

 

 村人の多くが騒めきたっていた中で、わたしは何の興味も示さないふりをして家に帰り、彼を想って泣いた。

 

 この結末は彼が望んでいたことだし、わたしも受け入れは済ませたはずだった。でも、どうしてもセツナのいない虚無というものは、わたしには重すぎた。

 

 

   4

 

 この手記もようやく終わろうとしている。蛇足かもしれないが、その後のわたしのことについて追記しておきたい。

 

 セツナが死んで1週間もしないうちに、わたしはルーリッドの村を出た。あの家に居たら、きっといつまでもセツナの帰りを待ち続けてしまう。

 

 今、わたしは人界や暗黒界の各地を渡り歩きながら行く先々の宿もしくは教会でこの手記を書いている。幸いにもあの頃に培ってきた治療術で路銀を稼ぐことには困らない。

 

 戦後20年が経っても、暗黒界のスラムでは売春と奴隷売買が根強く残っている。渦中にいる恵まれない人々の間で、自分たちを解放してくれる《死神》の存在もまた語り継がれている。

 

 実を言うと、わたしも身を売ろうと考えたことがあった。かつてのように強制的な快楽を塗り重ねれば、セツナのことを忘れられるかもしれない。けどそれは血迷いと一蹴した。

 

 もう男に身体を差し出そうとは全く考えていない。この汚されたわたしの身体と生命は、セツナに捧げたのだから。

 

 思い出すのは辛いけど、その辛さが彼への想いの証明なのだろう。彼がかつての恋人のために罪を背負うと決めたように。

 

 わたしにとって彼は何だったんだろう。ふとそんなことを考える時が定期的に、思い出したように訪れる。

 

 英雄。

 恩人。

 

 色々とあるけど、1番しっくりくるのは「ひどい人」だ。

 

 わたしを絶望から救い出してくれたのに、正しい場所へ連れて行ってくれるはずだったのに――結局、わたしを放り出してひとり遠くへ逝ってしまった。

 

 本当にひどい人だ、セツナという男は。

 

 この手記は複写を作成し、セントラル・カセドラル行きの申請書類に紛れ込ませておく。無事にカセドラルの者に発見され世に出されるかは賭けるしかない。

 

 もし世に出たとしても、死神信奉者たちには禁書とされるかもしれない。わたしはこの手記で《死神》の神話を終わらせるつもりだ。英雄ではなくただの人間として死ぬこと。自身の矮小さを知らしめること。それがセツナの望みだったのだから。

 

 これを読んで、あなたが《死神》と呼ばれた青年に何を感じるかは任せよう。嫌悪するも、嘲笑うも良い。わたしの文章の拙さに関しては、そこはどうかご理解いただきたい。

 

 何も感じなかったというなら、それが最良だ。それはきっと、あなたが縋るものがないほど幸福という証なのだから。

 

 

                       人界歴400年2月20日

 






そーどあーと・おふらいん えぴそーどふぁいなる

キリト=キ
アスナ=ア


ア「こんにちは、そーどあーと・おふらいんの時間です。司会のアスナです」

キ「解説のキリトです」

ア「いやー終わったね!」

キ「終わったなあ。この鬱展開がやっと終わったと思うとほっとするよ」

ア「なーんて、言うと思った?」

キ「は?」

ア「まだしばらく続くわよ!」

キ「ええ⁉ おい今回最終幕じゃないのかよ!」

ア「ナミエの手記として書かれた本編は今回が最終回。エピローグでもう少しだけ続くわ!」

キ「何じゃそりゃ! 終わる終わる詐欺じゃねーか!」

ア「だってナミエ視点で書いたせいで省いた説明とか多いんだもん。その補足をして、後腐れなく終わろうっていう作者の配慮よ」

キ「せっかくしんみりした空気だったのに………」

ア「というわけで読者の皆さん。まだしばらく続きます。お楽しみに!」

キ「できるかあっ!」



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monologue:刹那の英雄

 まるで悪魔のようだった。戦いが終わったあと、デュソルバートはそう言っていた。

 

 春が訪れようとしていた日の昼下がり、それは前触れもなく訪れた。《雲上庭園》に並ぶ桜の樹が蕾をつけ開花も近い時期に、全てを焼き払わんとする赤と、それに乗る黒が。

 

 北の方角から飛竜が接近している。その報告を受けカセドラル内にどよめきが沸き立ったが、混乱とまではいかなかった。《四帝国の大乱》を経てカセドラル襲撃を想定した対策マニュアルを講じていたからだ。

 

 デュソルバート率いる弓隊とアユハ率いる神聖術師団の動きは適切だった。かねてから定期的に行ってきた訓練通りの配置につき、カセドラルにいた他の整合騎士たちも侵入に備え各階で防衛のため待機していた。

 

 皆、護るという意思を抱いていた。カセドラルを、平和へと進むこのアンダーワールドを。一点の曇りもなくあの飛竜に立ち向かってくれた彼らを俺は誇りに思う。

 

 各階の窓に、フロアを囲むように術師と弓隊を配備していた。どの高度、どの方角から飛んできても対処できるように。

 

 俺はすぐには迎撃を命じなかった。接近する飛竜がイスカーンの寄越した暗黒騎士のものである可能性も十分にある。北からやって来たその飛竜は視認できるか否かの距離を保ちつつ、カセドラルの周りを1周した。まるでこちらを観察しているようにも思えた。

 

 いや、その後のことを考えたら観察とみて間違いないだろう。奴は間違いなく、こちらの守りを窺っていた。

 

 飛竜が赤い色をしている。

 

 その報告を受けて、俺は迎撃を決断した。1年前にダークテリトリー南端の遺跡で発生した謎の事件。《隻眼の騎士団》と名乗る集団を一夜にして壊滅させたらしき飛竜と同一個体とみて間違いはなさそうだったからだ。

 

 術師たちの火術と弓隊の矢が放たれたとき、飛竜は既にそこにはいなかった。並の飛竜が出せるスピードじゃない。それだけで敵の力を悟った防衛部隊は、間髪入れずに火と矢をシャワーのように放った。

 

 まるで戦艦の対空砲や機銃のような戦力だ。術師たちには詠唱の長い術は使用せず、数を多く放つよう指示してある。網目のように張り巡らされた射線の嵐を、その飛竜は猛スピードで逃れ、または身を翻してかわしてみせた。

 

 95階《暁星の望楼》でその舞のような立ち回りを見ていた俺は、飛竜の背に跨る黒い影を認めた。間違いなく人のものだ。いや、あれは人と呼べるのだろうか。もしダークテリトリーで語り継がれ《隻眼の騎士団》なる組織を生み出した《死神》と呼ばれる者なら、それは本当に神というべき存在なのではと思えた。

 

 隣に立つアスナが俺の手を握る。震えていた。俺はそんな彼女の手を力強く握り返す。大丈夫、彼らならきっとこのカセドラルを護ってくれる。

 

 どこからか鳳凰のような、火炎で全身を燃やした鳥が飛竜めがけて飛んでいく。デュソルバートが熾焔弓(しえんきゅう)の完全武装支配術を使ったようだ。

 

 追尾能力を持った火の鳥は縦横無尽に駆け回る飛竜を追っていく。赤の後方にぴったりと張り付き、その嘴が尾に噛みつかんとばかりに触れよとしたときだった。

 

 飛竜の背から深紅の炎が噴き出した。瞬く間に火の鳥が呑み込まれ、それでも止まることなく飛竜は背からブレスを吐き続ける。

 

 目を凝らすと火を噴いているのは飛竜ではなかった。影の方だ。あの手に持っているのは間違いなく剣で、そこから炎が出ていたのだ。

 

 炎がやむと、カセドラルの周囲は瞬く間に黒煙が立ち込めていた。それほど濃くはないが、これでは術師たちの照準が数舜ほど遅れてしまうだろう。まだレーダー技術のないアンダーワールドで、戦闘時の状況把握は視覚に大部分を頼らざるをえない。

 

 煙幕、と俺は悟った。あの炎が術の迎撃ではなくこれのために放たれたというのなら、あの飛竜の乗り手は相当に熟練している。

 

 煙が宙に撹拌され薄くなる頃には、飛竜の姿が消えていた。フロアが丸ごと展望デッキになっている望楼のどこから見ても、飛竜の翼や尾は陰もない。防衛部隊も見失ったらしく、攻撃はやんでいた。

 

 整合騎士たちと案を出し合った対策マニュアルは我ながら完璧なはずだった。どこにいようが抜かりなく配備した弓隊と術師たちが補足し撃墜できるように――

 

 どの方角、高度――

 

 頭の中が整頓されていくような錯覚にとらわれる。雑念が排除され、論理的思考がクリアに演算処理されていくように。そこから結論はすぐに導き出された。

 

 話し合いの中で想定されていなかった、死角となる方角。

 

「上だ」

 

 呟くと同時、俺は望楼の縁から身を乗り出して空を見上げた。

 

「敵は上から来るぞ!」

 

 風素術の応用で拡散させた声を飛ばす。太陽を背にして飛竜は上空から真っ逆さまに降りてきた。その姿は飛ぶというより、もはや重力に身を任せた落下と言っていい。

 

 下階から弓と火が真上へと絶え間なく昇っていく。だがそれらは飛竜を掠りもせずそのまま虚空へと消えた。逆行で照準が上手く定まらないのだ。完全に奴の手の内で俺たちは踊らされている。

 

 あちこちへ闇雲に飛んでいく射線で部隊が完全にパニック状態なのが分かった。赤の巨体が近付くにつれてその姿がはっきりと分かるが、それに比例し俺も恐怖していた。

 

 あれは悪魔の駆る生物だ。その姿を見る者全てを焼き払ってしまうほどの。

 

 その恐怖を貫くような閃光が空へ伸びた。ファナティオの天穿剣(てんがいけん)。一瞬にして伸びた一筋の光の柱は、飛竜の右翼を貫き焼き切った。

 

 片翼を失ってバランスを崩した巨体がきりもみ回転を起こす。そこへ追い打ちをかけるように、デュソルバートの放っただろう火の鳥が突っ込み爆発した。包み込むほどの炎から、全身を黒い煤に染めた飛竜が出てくる。

 

 翼膜が焼けただれ、開いた顎からはブレスではなく煙を吐き出している。間違いなく絶命していた。望楼のすぐ脇を過ぎ、カセドラルの壁にぶつかりながら落下していく生物を俺は見下ろす。

 

 下から何かが崩れる音がした。飛竜の落下衝撃による音じゃないのは明らかだった。だが有り得ない。膨大な天命を誇るカセドラルの大理石を破壊するなんて。

 

 背中に冷たい戦慄が走る。絶命した飛竜の背には誰も乗っていなかった。吹き飛ばされた可能性も十分にあるが、もし乗り手がまだ健在だとしたら――

 

 予感を裏付けるように俺の勘が働いた。アンダーワールドのシステムに介入し、気のせいなどと見過ごせない直観が。

 

「様子を見てくる」

 

 「あっ」と呼び止めるアスナの声に「すぐに戻る」とだけ言って、俺は階段を駆け下りた。90階まで着いたら、そこからは昇降盤で一気にフロアを下っていく。

 

 降りていくほどに、背筋の悪寒が強まっていくのが分かった。何かに近付いているのだ。どす黒い、これまで対峙してきた敵たちとよく似た気配が。

 

 これは、殺気。

 

 腰に提げた2本の剣を固く握り締める。1本はこの世界で10年以上もの時を共に過ごした相棒《夜空の剣》。もう片方は亡き親友の形見である《青薔薇の剣》。

 

 ――ユージオ先輩が一緒に戦いと言った気がしたんです――

 

 騎士たちを招集したとき、ティーゼはそう言って俺にこの剣を託してくれた。もうこの剣にあいつの魂は欠片も残っていないはず。けど、不思議とまだ親友の気配を剣から感じ取れるのだ。

 

 ごめんティーゼ、必ず返すよ。ユージオ、また一緒に戦ってくれ。

 

 80階で昇降盤を止めた。扉を開けば、そこには豊かな緑と澄んだ川のせせらぎに満ちた《雲上庭園》が広がっている。

 

 破壊されただろう壁は見事に自動修復されていた。俺が初めてアリスと戦った時のように、どこが壊れたのか全く分からない。

 

 修復に阻まれ侵入できなかった、なんて日和見るにはフロア全域が不穏すぎた。いつもは食事や談笑といった憩いの場として開放しているこの庭園にそぐわない。揺れる草穂は怯えているようにも見える。

 

 その根源は丘の上に立つ金木犀の若木のもとにいた。足元までを覆う黒いロングコートに目深に被ったフードと肌の露出を極限までに抑えているが、影に隠された目で俺の姿を捉えていることは明確に分かった。

 

 静かな、それでいて激しい殺気だった。近付くにつれてそれは強まり、まるで嵐の暴風へ真正面から向かっているような感覚だった。

 

「人界統一会議代表剣士か?」

 

 先に口を開いたの向こうだった。抑揚のない冷たい男の声だった。

 

 「そうだ」と答えつつ、俺も質問する。

 

「お前は《死神》なのか?」

「ああ」

 

 簡潔に答え、《死神》は腰に提げたものを掴む。赤いそれは人工物のような意匠が全くなく、切り落とした生物の尾をそのままぶら下げたようなものだった。

 

 まるで、飛竜の尾のような。

 

 《死神》が抜くと尾から鋼の剣が現れる。下段に軽く振った直後、《死神》が地面を蹴った。

 

 俺はすぐに剣を抜かず、後ろへと引いた右手を振り下ろした。常人ならば滑稽に見えるだろうその動作に《死神》は狼狽えることなく、走りながら剣を横薙ぎに振るい俺の《心意の刃》を薙いだ。

 

 狼狽えたのは俺の方だった。視認すらできない《心意の刃》を理解しそれを弾くとは。その小手調べが命取りで、鋭い肉迫に、俺も《夜空の剣》を抜き奴の剣を受け止める。重い一撃だった。ただ剣をかざしただけでは弾かれていただろう。足を踏ん張りながら俺は問う。

 

「何が目的だ!」

 

 返ってくるのは沈黙。聞き入れる耳を持たんとばかりに、《死神》は更に剣を押し込んでくる。

 

 押し返せる。そう悟った俺は力任せに剣を弾いた。だが直後に足が俺の腹に打ち込まれる。そのすぐまた直後に剣が。

 

 何とか防いでみせたが、上乗せされた身体への衝撃に俺は間合いを取りつつ体勢を立て直す。奴のほうも、いつでも俺を殺せるとばかりに剣先をこちらへと向けている。

 

「眠っている最高司祭を殺すつもりか? それなら無駄だぜ」

 

 軽口を叩きながら俺は思考する。こいつが《死神》で現体制を打倒しようとしているのなら、狙いは公理教会の最高指導者であるアドミニストレータだろう。だが彼女は10年以上前に(たお)れた。混乱を防ぐために休眠に入ったと民衆には伝えているが、ここで真実を告げたところ奴は引き下がるか。

 

 いや、それは無いだろう。新体制の公理教会を率いるのが代表剣士である俺と知れば、標的が俺であることに違いはない。

 

 どちらにしても、俺はここで奴を倒さなければならないことに変わりはないのだ。

 

 《死神》が再び肉迫してくる。右手の《夜空の剣》で攻撃を受け止めた瞬間、左手で抜いた《青薔薇の剣》を抜きざま横薙ぎに振るった。ここで出し惜しみをしたら間違いなくやられる。

 

 だが、親友の剣は奴の眼前で止められた。受け止めたのは、奴が左手に握る竜の尾のような鞘だった。

 

 驚愕で力が緩んでしまう。その隙を《死神》は見逃さず、弾いてすかさず二刀を突き出した。俺は上段から2本とも叩き伏せるが、《死神》は跳躍し真上へと瞬時に移った。

 

 その時も剣と鞘が飛んできて、俺は身を屈めて紙一重で避けてみせた。背後に着地してすぐにまた剣と鞘が絶え間なく繰り出され、それを防いでもすぐにまた跳躍とステップで別方向から攻撃が飛んでくる。

 

 速い。防戦になりながら、俺は混乱もしていた。アンダーワールドでもシステム上二刀流は可能だ。リーナ先輩も剣と鞭を同時に使いこなしていたのだから。それでもあくまで彼女の剣は邪道扱いで、好んでふたつの武器を扱う流派なんてそうそうない。

 

 強く地面を蹴った《死神》が、跳躍と共に突っ込んできた。宙で身体を回転させ、その遠心力に上乗せした剣と鞘を間髪入れず放ってくる。

 

 鋭い連続攻撃に吹っ飛ばされた俺は、着地する《死神》を凝視した。

 

 間違いない。今の動きは《ダブルサーキュラー》だ。俺と同じ《二刀流》ソードスキル。

 

 続けて剣が突き出された。猛スピードで真っ直ぐ俺の心臓を狙う剣は、直前で《青薔薇の剣》を添えて軌道を逸らすことで直撃を逃れた。

 

 今のは《リニアー》だ。アスナの得意技とも言えるもので、その動きは俺もよく見てきた。

 

 そもそも、これまでの奴の剣筋は見覚えのあるものばかりだった。寸でのところで防御できたのは、俺が身体でそれらの動きと対処法を知っていたのが大きい。

 

 この男の繰り出す剣撃は間違いなくソードスキルだ。だけど完全じゃない。あくまでそれを模しただけの動き。

 

 いや、と俺は勘違いに気付く。この男は敢えてスキルの構えを取らずに技を繰り出している。システムに身を委ねたスキル後の硬直時間は命取りになるのだ。1対1での戦い、すなわち《デュエル》においては。

 

 それは俺にひとつの、有り得ないはずの結論を導き出した。

 

「お前は、SAO生還者(サバイバー)なのか……!」

 

 男は応えない。代わりとして、重い剣と鞘を俺に振り続ける。

 

 俺とアスナが取り残されてから10年が経っても現実世界(向こう側)からのコンタクトはない。まだ限界加速フェーズ状態にあるこの世界にはどの回線からも侵入不可能のはずなのだ。仮にできたとしたら、それはオーシャンズ・タートルにあるSTLだけのはず。

 

 それに、奴の疑似的な《二刀流》。あの世界で俺にしか使えないはずのソードスキルを繰り出したということは、単なる模倣ではなく奴もまた剣技を使っていたことに他ならない。

 

 何故。問いばかりが脳内を駆け回っていく。《死神》は答えてはくれず、ただ剣と鞘を振り続ける。

 

 Poh(プー)やガブリエルとは違う。己の欲望のままでなく、その剣には純粋な殺意しかない。俺への恨みもなく、ただ殺そうとするための。

 

 俺は恐怖した。同時に高揚もしていた。自分と互角に渡り合える相手と純粋に剣を打ち合えることに。それはどこか、強制シンセサイズによって俺と相対したユージオとの戦いの時とどこか似た感覚だった。

 

 大技を使うか、なんて誘惑が脳裏をよぎる。だがそれは自分で自分の首を絞めかねない。奴も同じ《二刀流》使いなら、俺の《スターバースト・ストリーム》も《ジ・イクリプス》も見切ってしまうだろう。自分の使える技ほど対策しやすいものはない。

 

「せあっ」

 

 渾身の力を込めた一太刀が、《死神》の剣を弾いた。宙を舞った剣はそのまま地面に落ちるはずだったのだが、鋼の刃が静止しその切っ先が真っ直ぐ俺の方を向いている。

 

 心意の(かいな)――

 

 悟った瞬間、まるで矢のように剣が飛んできた。弾いた剣は再び宙を踊るが、途中でまた静止し今度は持ち主の手中に帰っていく。

 

 これは、いよいよ出し惜しみをしていられる場合じゃない。

 

 俺は両手の剣を構えた。水色の光が灯り、システムという概念によって加速された俺の肉体が奴へと迫る。高速で放った1撃目をバックステップで避けた奴の両手にある剣と鞘が青く光った。

 

 《スターバースト・ストリーム》よく似た高速の剣尖が二刀で襲ってくる。ほぼ同じ技をほぼ同じ速さで、俺たちは火花を散らしながら打ち合った。

 

 頼みの綱は俺の心意だ。こいつを倒すというイメージをシステムに反映させ、もっと速く剣を繰り出さなければならない。コンマ1秒の差が勝負を決する。

 

 もっとだ。もっと――

 

 《死神》の動きも速かった。繰り出される青の剣はまるで流星群のように絶え間なく、1歩も引くことなく。

 

 最後の16連撃目を放った。奴の方も15連撃目を放ち、打ち合った衝撃派で周囲の草花を薙ぎ払った。

 

 奴のソードスキルは15連撃で打ち止めらしい。俺が先に1撃を繰り出したから、出し切った俺たちは鍔迫り合いをしたままシステムに乗っ取って硬直時間に囚われる。

 

 俺の心意は追加の1撃を放てなかった。覚悟が足りなかったのだ。この男を本当にここで殺していいものか。その迷いが追撃を阻んでしまった。

 

 硬直は同時に解けた。ほぼ同時に俺たちは互いの腹に蹴りを入れて、再び間合いを取る。

 

 あちらは俺を殺す気満々らしく、跳躍し二刀を振り上げた。迎え撃とうと敵を見上げたとき、俺の目がくらんだ。天窓から差し込む陽光。それを背にした《死神》の方に地の利ならぬ天の利があった。

 

 一瞬。相手に隙を生じさせるにはそれだけで事足りる。それを作ってみせた奴に、俺は敗北を悟った。敵を殺すためのあらゆる技術を持ち合わせているからこその《死神》だったのだ。

 

 剣と鞘が空を斬る音が耳孔をかすめる。次の瞬間には脳天が両断されているだろう刹那、肉を断つグロテスクな音がした。

 

 宙で《死神》の胸が反り返り、その中央から細い剣が突き出ていて串刺しにされていた。振り下ろされた剣と鞘は俺の両脇を抜け、だらりと提げられた手と共に揺らめいている。

 

「アスナ………!」

 

 俺は《死神》の背後でレイピアを突き出した彼女の姿を認めた。全力疾走してきたのか息が荒い。それに怯えているようにも見えた。

 

 アスナが剣を抜いた。《死神》は胸に穴を開けられながらも着地し、その反動でフードがはだける。

 

 現れた顔は長めの黒髪に黒い瞳の若い青年だった。その目が鋭く俺を見据え、剣と鞘を構えて地面を蹴る。

 

 執念は恐ろしいが、やはり重症なのか動きが先ほどよりも大分鈍くなった。完全に動きを見切った俺は、突き出された剣に身を翻して避け、奴の真横へと移りその両腕を一閃した。

 

 肉体から離れた腕が鈍い音を立てて、赤い剣と鞘を握ったまま床を転がる。

 

 それでも奴は止まらない。2、3歩たたらを踏んだ右足が、力強く床に着くのを俺は見逃さなかった。

 

 次の瞬間にはその右足が勢いよく振り上げられる。だが、俺はそれも見切っていた。眼前に接触する前に剣を一閃し、右足は脛の途中でぷっつりと途絶え宙を舞った。バランスを崩した《死神》は四肢の大半を失って、ようやく仰向けに倒れた。

 

 床に落ちた足の踵から細身の短剣が突き出している。こんな奥の手まで仕込んでいたとは、《死神》の呼び名に相応しいほど殺しへの執念が凄まじい。

 

 アスナが俺の横について腕に固くしがみ付いてきた。震えている。心配かけてごめん、という謝罪を込め、俺は彼女の手を握った。

 

 草地に倒れた《死神》が俺たちを見上げている。端から血を流す口から深い溜め息が漏れた。

 

 何て穏やかな顔をしているんだろう。まるで懐かしい友人と再会したかのような顔だ。さっきまでの殺意に満ちた《死神》と同じ人物とは思えない。俺とアスナはただ困惑することしかできなかった。

 

 そこに倒れていたのはもう《死神》じゃなく俺たちと同じ人間だった。その目には無念も未練も感じられない。

 

 これではまるで、この男は死にに来たようなものじゃないか。

 

 貫かれた胸と失った手足の断面からは血が流れ続けていて、床に血だまりを広げていく。天命は急速に減少していることだろう。

 

 天命が尽きる前に、俺はどうしても訊いておきたかった。問うべきことは多くある。どうやって現実世界から来たのか。あの浮遊城にいたのか。それを差し引いても、これだけは訊きたかった。

 

「なぜ、こんなことをしたんだ?」

 

 逡巡を挟み、《死神》はか細い声で答えた。

 

「英雄は、ひとりでいい………」

 

 野望を携えたかのような言葉だが、俺には別の意味に聞こえた。迫りくる自身の死に恐怖を、それをもたらした俺やアスナに怒りを向けないこの男が新たな世界の英雄を目指したようには、到底思えなかった。

 

 この男が英雄とみたのは――

 

 その確証を得るのはもはや叶いそうにない。男の顔から生気が緩やかに失われていく。

 

 その両目が眠るように閉じていくのを、俺は沈黙したまま見届けた。

 

 



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報告書:追記

  2026年7月に発生したオーシャン・タートル襲撃事件について、現状判明した事項をここに追記報告する。

 

 本項に記載するのは、予備室に保管されていたソウル・トランスレーター(以下STLと記載)7号機と8号機で発見されたふたりの遺体に関してである。

 

 STL7、8号機はフラクトライトへの接続素子に不具合が発生し修理不可能という報告を受け廃棄予定となっていたが、解析した結果問題は確認されず、アンダーワールドへのダイブは可能な状態だった。これに関しては報告元であり、襲撃者と内通していた柳井進一の偽装工作とみられる。

 

 また、8号機は稼働自体に問題はなかったが重大な欠陥が確認された。それについては後述する。

 

 2機で発見された遺体の身元は所持品から判明した。7号機で発見されたのは真広直子(まひろなおこ)。WEB企業スマート・インテリジェンス社の社長夫人であり、同社の専務取締役である。

 

 8号機で発見されたのは早速刹那(はやみせつな)。千葉県千葉市立総合精神病院に入院していた患者である。

 

 ふたりとオーシャン・タートルを襲撃した勢力との関係性だが現状捜査中。だが襲撃者たちが第1STL室で死亡したとみられる者の遺体を回収したのに対し真広直子と早速刹那が回収されなかったことから、ふたりの目的は襲撃者たちとは別にあったと推測される。

 

 まず真広直子についてだが、スマート・インテリジェンスはアリシゼーション計画のスポンサーであり、過去に何度かオーシャン・タートルにも視察歴があった。また彼女は2022年に発生したSAO事件で娘の波絵を喪っており、アリシゼーション計画の一端として娘をボトムアップ型AIとして復活させる計画を推進していた。

 

 ラースとしても資金提供継続のため協力をしていたが、看過できない要求を提示されたため事件発生の1カ月前に取引を停止していた。

 

 要求とは波絵を模したフラクトライト養育を目的としたアンダーワールドへのダイブと、娘とは別の高度な戦闘能力を持った忠実なフラクトライト作成である。

 

 アリシゼーション計画の根幹から逸脱するとして拒否したが、柳井のPCから娘のフラクトライトがライトキューブクラスターに転送された記録が検出された。

 

 この事実から捜査を進めたところ、柳井の携帯電話から真広直子との通話記録が数件確認された。このことから、真広直子と早速刹那のオーシャン・タートル侵入とSTL7、8号機の使用を手引きしたのは柳井と推測される。

 

 また真広直子は総務省が回収していたナーヴギアを受理している。聴取の結果、当事者の官僚は金銭を受領したことを証言した。この流出したナーヴギアは波絵ではなく早速刹那の使用した個体である。

 

 娘とは別に作成していたフラクトライトだが、柳井のPCに保存されていたデータから早速刹那がSAOで使用していたアバターをモデルとし、真広直子が使用したとされるヘスティカという名のスーパーアカウントに付随する形でアンダーワールドにダイブしていた。

 

 真広直子はダイブから約0.02秒――限界加速フェーズ中のためさらに短い可能性もあるが計測不能――で死亡している。アンダーワールド内部時間で約2ヶ月と推定。STLのバイタルログから死因は心臓麻痺。約2年前から心臓病での通院歴があることから、アンダーワールド内で何らかの事象が発生し発作を起こしたとされる。

 

 次に早速刹那について。彼は2022年、当時中学3年生でSAO事件に巻き込まれた。2024年のゲームクリアと同時に覚醒したが、総務省の調査にてゲーム内で253件ものプレイヤーキル、即ち殺人歴が発覚した。

 

 生還者たちの証言を集めたという書籍『SAO事件全記録』でも言及された、犯罪者狩りを行っていた死神と呼ばれたプレイヤーこそが早速刹那である。このことは本人も聴取にて証言している。

 

 事件直後に取られた聴取記録によると、動機はゲーム内で恋人を犯罪者プレイヤーに殺害されたことだった。その恋人こそが、真広直子の娘波絵である。

 

 SAOにログインした理由も、真広直子から勉学の妨げとして接触を禁止された波絵と再会するためだった。回収したナーヴギアの記録から、ゲーム内のシステムで結婚していたことも判明している。

 

 仮想世界という特殊な環境下にあったことや未成年者という事情を顧み、精神病院に移送し保護監察という措置を取っていた。

 

 病院での経過は至って良好であり、オンラインでの教育課程も真面目に取り組み週に1度のカウンセリングも欠かさず受けていた。

 

 事件の5日前に真広直子が面会に訪れており、前日には病院からの外出が許可されている。本来ならば外出は保護者の同伴が義務付けられていたが、病院の職員が真広直子から金銭を受け取り許可証を発行したと証言している。

 

 以上のことから、真広直子は娘のAI作成計画のため柳井と共謀。早速刹那を伴い襲撃者たちと接触しオーシャン・タートルに侵入しSTL7、8号機を使用したと推測される。

 

 また早速刹那が使用したSTL8号機について特記事項がある。先述した重大な欠陥だが、それは頭部ユニットから脳組織を破壊するほどの高出力電磁パルスが発生するものだった。また、電磁パルス発生はアンダーワールドでアバターが死亡した際に起こるよう設定されていた。

 

 まるでナーヴギアのように。

 

 このことから真広直子が早速刹那を計画に参加させたのは、娘をSAOで失う遠因を作った彼への復讐のため。彼を模したフラクトライトの作成も彼を殺害するために用意したと思われる。

 

 だが、早速刹那はアンダーワールドにダイブ後8秒で死亡している。死因はSTLから発生した高出力電磁パルスであり、アンダーワールド内で死亡したとみられる。

 

 当時は限界加速フェーズ中のためアンダーワールド内部時間で早速刹那は約80年生存していたと計算される。

 

 真広直子とどのようなやり取りがあったのか、娘と自身を模したフラクトライトとの接触があったのかは観測不能のため、内部での出来事は一切が不明である。

 

 以下は私の個人的見識であり閲覧は不要だが、私自身の気持ちの整理として記載しておく。

 

 私が目撃したSTL8号機に横たわっていた早速刹那の亡骸は、とても安らかな表情を浮かべていたことが印象的だった。まるで何かを成し遂げ満足したかのような顔をしていた。

 

 SAO事件での聴取で、彼は犯罪者狩りの理由について波絵を愛していると証明するためと証言していた。

 

 誰かを愛するという精神を持ち合わせていながら、殺人行為に走ってしまったことに同情の余地はある。

 

 真広直子と共にアンダーワールドに行くことを決断したのは、生還後も彼女のことを愛し、喪ったことに苦悩していた故のことだろう。

 

 もしくは、SAOで犯してきた罪の根源とも言える波絵に懺悔したいという想いがあったとも考えられる。

 

 アンダーワールドで誕生しただろう娘のフラクトライトと接触したと仮定し、それが彼にとって幸福と呼べるものだったのかは定かではない。

 

 だが彼が内部で約80年という長い月日を生きたのならば、それだけの意義があったのだと思いたい。

 

 微笑んでアンダーワールドからも現実からも去った彼は罪を償ったのか。そう思える根拠を見つけることができたのか。確かめる術がないのが残念でならない。

 

 彼がアンダーワールドで生きる道を見出せたのであれば、それが正しい道であったことを心から祈る。

 

 

 

       2026年9月10日 菊岡誠二郎

 



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epilogue:機械仕掛けの神

 

   1

 

 深夜に皆が寝静まった頃、まだ眠気の訪れない私は椅子に深く腰掛けて目を閉じる。

 

 浮かんでくるのは、10年前の少女だった頃の記憶。少女が経験するにはあまりにも過酷で、全てが激流のように過ぎていった日々。

 

 奪われた純潔。

 明日をも知れない生命。

 全てを押し潰してしまいそうな赤い空。

 

 それらを全て破壊するかのように現れた記憶のない青年と、彼がもたらした血塗れの道程――

 

 その果てに浮かぶのは、最後に見た彼の姿だった。晴れやかな春の、まだ少し肌寒い早朝。赤い飛竜の背に乗った彼は幼い私を見つめていた。何か告げようか逡巡していたような瞳をしばらく向けて、結局彼は何も言わずに去っていった。

 

 彼は何を言おうとしたのだろう。何故、何も言わなかったのだろう。去ってしまってからしばらく経ってから、そんな疑問が私の脳裏に渦巻く。

 

 疑問は更なる疑問を呼ぶ。とても無意味な疑問だ。

 

 もしあの時、私が止めていたら彼は今でも私の傍に居てくれたのだろうか――

 

 時告げの鐘の旋律が、私の意識をかつての頃から引き戻す。一筋の光が漏れるカーテンを開けると、既にソルスが昇っていた。

 

 椅子に座ったまま寝てしまったらしい。目蓋の裏に浮かんだ光景が記憶なのか夢なのかは、寝ぼけた頭で判断がつかない。

 

 部屋に置かれた姿見の前に立ち、ブラシで長く伸びた髪をとかす。座ったまま寝ていたのだからそんなに乱れてもなく、殆ど変わりはしない。

 

 鏡の中に居る自分を見つめる。楕円に縁取られた女は20代半ば。往く先々で美しいとお世辞を言われることはあるけど、伏し目がちで陰気といった印象でしかない。もう年齢が追いついてしまった、かつて姉になってくれるかもしれなかった彼女のような力強さは微塵もなかった。

 

 鏡を見ていると、不思議と何故か去っていった人々の顔が浮かぶ。いつまでも見ていたらおかしくなってしまいそうで、木桶を持って外の井戸へと向かった。

 

 東の空に浮かぶソルスの陽光は暴力的とも言っていい。サザークロイス南帝国改め人界南区は年間の約半分が夏の温暖な土地柄なのだが、今の時期は1年で最も気温が高いのだという。

 

 ソルスの陽光は恵みをもたらすと寒い北区では有難られていたけど、対極にあるこちらでは長く土地を照り付けると地力を枯らせてしまう。1ヵ月ほど滞在しているこの村でも長いこと雨が降らず干ばつが心配されていた。

 

 もっとも、食糧品は定期便で他の区から取り寄せられるから村人が飢えることはないのだけど。

 

 桶に注いだ井戸水を手で掬い口元へ持っていく。地下を流れる水脈が冷たいのは幸いだ。朝に飲む水が身体中に浸透していくよう。

 

「おはようございます」

 

 教会からシスター達が続々と出てきた。もう村全体が目覚めようとしていた。

 

 その日の仕事はいつにも増して忙しかった。村の畑を荒らすマダラハイエナを駆除しに村の男たちが向かったのだが、駆除はできたものの獣の反撃に怪我人が多数出てしまったのだ。

 

 小さな村の治療院は怪我人で溢れそうになり、治療師総出で診療しなければならなかった。

 

 私のもとに運ばれてきた患者は主に重傷の人。噛まれた肩が大きく抉られたり、腕が皮1枚で繋がっているほどの人たちだった。彼らの担当が私になったのは、村の治療師たちが十分に育っていなかったからだろう。事実、血を見ただけで失神してしまった治療師もいたくらいだから。

 

 神聖力の結晶も無限にあるわけじゃないから、軽傷の人たちは傷口に薬草を塗って包帯を巻く程度の処置で対応した。村で栽培しているハイビスカスも、干ばつで不作が続いているのだから。

 

 怪我人たちの治療を終えたのは昼を過ぎた頃だった。幸いにも死者は出ず全員を助けることができた。抉れた肩は肉を取り戻し、切断寸前だった腕は元通りにくっついた。術を施せなかった人たちは傷跡が残ってしまうだろうけど、それは後に術を施せば消えるだろう。

 

 流石に私も疲れて、遅れた昼食を摂った後はしばらく治療院の休憩室で何もする気になれなかった。

 

「ナミエさん、すみませんお疲れのところ」

 

 そう言って休憩室に入ってきたのは、血を見て失神してさっきまで休憩室で寝ていた治療師見習いの少女だった。

 

「いえ、大丈夫。どうしたの?」

「ナミエさんにお客さんが」

「私に?」

 

 予期せぬ知らせに、私は無意識に怪訝な顔をしてしまったらしい。少女は慌てたように両手を遊ばせながら、

 

「あ……まだお疲れなら、後でまた来てもらいますか?」

「大丈夫よ。お客さんはどこに?」

「応接室で待ってもらっています」

「そう、すぐ行くわ。院長には少し外すって伝えておいてくれる?」

「分かりました」

 

 平静を装ってはいたけど、この時の私は酷く緊張していた。さすらいの私を訪ねてくるなんて、一体何者なのか。嫌な予感だけが胸の奥を深いにむず痒くさせる。

 

 応接室のドアをノックすると、中から「どうぞ」と簡潔な声が聞こえた。若い男の声。「失礼します」とドアを開ける。

 

 応接室なんて仰々しい呼び名だけど、室内は簡素なもので安っぽい布張りのソファと木材を雑に削ったテーブルしかない。ようは人界統一会議の役人と話をするために設けられた部屋なのだ。

 

 ふたつあるソファのひとつに若い男女が並んで腰かけていた。齢20くらいといったところか。

 

 当然のことながら、どちらも知らない顔だ。そもそも、私に知り合いや友人と呼べる人間は皆無と言っていい。あちこちを渡り歩いても、誰とも深い仲になる前に去ってきたのだから。

 

「やあ、君がナミエだね」

 

 青年が飄々とした顔で言った。「どうぞ」と対面のソファへと手で促され、「ええ」と気のない返事をしながら私は腰掛ける。

 

「突然訪ねてきて済まないね。君の治療した患者を見せてもらったよ。とても良い腕を持ってるんだね。カセドラルお抱えの神聖術師でも、跡も残さず治せるのはほんのひと握りだ」

 

 「どうも……」と私は応じるのでやっとだった。不思議な人だ。外見は線が細い若者なのに、語り口は柔らかく壮年ほど歳を取ったかのような重みがある。

 

 それに、形容しがたい緊張もはらんでいた。

 

「あの、あなた達は?」

 

 私が訊いて「ああ、そうだった。急に済まない」と青年は思い出したように、

 

「俺はキリトで、こっちはアスナ」

 

 紹介された女性が、控え目な微笑と共に会釈した。美しい人だ。若さの瑞々しさに溢れていて、まるで絵画から飛び出してきたよう。

 

「俺は人界代表剣士で、アスナは副代表剣士を務めている」

 

 それを聞いた瞬間、背筋を怖気が槍のように貫いた。代表剣士。その偉業は人界暗黒界問わず誰もが知っている。

 

 異界戦争では暗神ベクタを討ち、戦後では眠りに就いた最高司祭に代わり人界を統治。暗黒界と和平を結び、機竜や鉄道といった画期的発明を今も推し進めている。

 

 かつてユーリィが忠誠を誓い、アーウィンが不十分な支援に憤り、そしてセツナを殺した相手でもある。

 

 会うのは初めてでも、私と彼は浅からぬ因縁があったのだ。

 

「君の手記を読ませてもらった」

 

 そう言って代表剣士が脇に置かれた革袋から、分厚い白麻紙の束を出してテーブルに置いた。その数百も積み重ねられた紙は紛れもなく、半年ほど前に私がある村の役場でセントラル・カセドラル宛ての申請書類に紛れ込ませていた《死神備忘録》と題をつけた手記だった。

 

「私を逮捕しに来たんですか?」

 

 最大限の険を声に込める。「いや」と代表剣士はかぶりを振り、

 

「そのつもりはないよ。ただ、《死神》の傍にいた君にどうしても伝えたいことがあって、ずっと探していたんだ」

 

 代表剣士は深く息を吸う。

 

「セツナは死んではいない」

 

 その言葉に、私の心臓は跳ね上がるように大きな鼓動をあげた。

 

「生きてるんですか?」

「あれを生きていると言えるかは、俺にも分からない」

 

 酷く曖昧な物言いに私は少しばかりの苛立ちを覚えるも、黙って彼の言葉に耳を傾け続ける。

 

「10年前、俺はセントラル・カセドラルにやって来たセツナと戦った。会話なんてろくに出来なかったけど、彼の剣から俺と同じリアルワールドから来たこと、ソードアート・オンラインの世界に居たことに気付いた」

 

 ユーリィもかつて言っていた。セツナの剣や話し方は代表剣士と副代表剣士によく似ていると。同郷ならば同じ言葉と剣を扱うのも納得できる。目の前のふたりがセツナと同じ世界から来たと告白しても、私にとっては些末事でしかない。

 

「俺はセツナを倒したけど、死なせるわけにはいかなかった。訊きたいことがたくさんあったからね。だから、尽きようとしていたセツナの天命を凍結し目覚めるのを待った。だけど、彼は目覚めなかった。彼の魂が強く拒んでしまったんだ。何も分からないままだったところに現れたのが、君の手記だ」

「だから、私から彼のことを聞きだそうと?」

「いや、この《死神備忘録》で彼が行動を起こした理由は大体分かったよ。こうして君に会いに来たのは、今の彼がどうなっているのかを君には知る権利があると思ったからだ」

 

 はやる想いに、私は代表剣士への口調が強まるのも構わず訊いた。

 

「彼はどこにいるんですか?」

「今はまだ教えられない。彼は罪人なんだ。多くの人々が殺され、カセドラルも陥落するところだった。まだ死んでいないと分かれば、《死神》を憎む者たちが復讐しようとするだろう。かつての彼がそうしたようにね」

 

 代表剣士は毅然と言い放った。確かに彼の言う通りだ。《死神》を崇拝した《隻眼の騎士団》がオブシディアを襲撃し多くの犠牲者が出た。悲劇をもたらした元凶が死んでいないと分かれば再びあの騎士団のような者たちが現れるかもしれない。

 

 代表剣士は打って変わり優しい口調になる。

 

「けど、君が望むのなら彼のもとへ連れていくことはできる。ただし覚悟をしておいて欲しい。今の彼は、君が知っているセツナじゃないかもしれないんだ」

 

 どういうことなのか訊きたかったけど、それも教えてはくれないのだろうなと予想できた。まだ決めあぐねている私に教えられるのは、彼の生存のみなのだ。

 

 そう、私は迷っていた。この10年間、何度も彼のことを忘れようとした。暗黒界の貧民街に構えられた娼館に足を踏み入れようとしたこともあったし、私と将来を共に歩みたいと言ってくれた男性と夫婦になることも考えた。

 

 結果としてどちらも実現はしなかった。何かの決断を迫られるとき、否応にも彼の顔が浮かぶのだ。彼が最後に私へと向けた目。何を告げようとしたのかという問いが、新たな道へ進もうとする意思を曇らせる。

 

 今更会って何を言えば良いのか。堕落しかけ、幸福になれるかもしれなかったのに邪魔されたことの恨み節でも吐けばいいのか。そもそも、会話ができる状態なのか。

 

「セツナのこと、まだ愛してる?」

 

 ずっと黙っていた副代表剣士が口を開いた。愛してる。その言葉の唐突さに、つい彼女を凝視してしまう。

 

「ごめんなさい。でも、私もこれを読んで思ったの。あなたはまだ彼のことを想っていて、忘れたくないからこの手記を書いたんじゃないかって」

 

 自分でも、そうなのかもしれないと図星と捉えるには曖昧だった。いや、きっと彼女に見透かされた通りなのだろう。新たに発足しかけた《死神》の信奉者たちに彼の真の姿を知らせるためだなんて、そんなのは建前に過ぎない。

 

 彼を忘れたくなかったのだ。時間の流れで老いと共に記憶が薄れてしまう前に、あの頃のことをまだ鮮明に思い出せるうちに、その全てを詳細に残しておきたかった。

 

 その感情が何なのか、まだはっきりと分からないままでも。

 

「私には、愛というものがよく分からないんです。彼は多くの人を殺めて、その中には私の大切な人もいました。憎くもあるけど、けど彼の全てを知ってしまったらどうしても憎みきれなくて………」

 

 正直、自分でも何を言っているのかよく分かっていなかった。

 

 憎くもあり、恐ろしくもあり、そして何より憐れだった人。私を絶望から引っ張り上げておきながら放っていったひどい人。

 

 胸の裡に、何かが灯ったような感触がした。まるで篝火のように弱いけど、確かなものが。

 

 発した声は自分でも呆れてしまうほどに掠れていた。多分、目に涙も浮かんでいただろう。

 

「会えるんですか? セツナに」

「それは君次第だ。俺たちは強要しない」

 

 代表剣士の言葉には何も強いる気配がない。本当に、私の意思を尊重してくれるだろう。

 

 今なら、セツナがどんな想いでこの世界に来たのか分かる気がする。ヘスティカから私のことを聞いたとき、セツナも今の私と同じだったのだ。

 

 決して戻ってこないと思っていたものに手が届くと希望を提示されたら、どんな代償を払おうと拒否するなんて選択はないのだ。たとえその先に絶望が待っていようと。

 

 私もまた、その希望にすがりつくの一択だ。答えは既に決まっていたのだ。彼にまた会えるという可能性が見えた、その瞬間から。

 

 

   2

 

 初めて乗る機竜の感覚は、同じ竜といえど飛竜とは別物だった。加速が圧倒的で、数分足らずで人界を飛び出してしまう。

 

 あまりにも速く、自分が今どこにいるのか完全に方向感覚を失ってしまった。身体が何とか収まる程度の広さしかない座席の窓から見下ろせる暗黒界の景色は、10年前と変わらず殺風景だ。目印になる街や建物なんてない。

 

 機竜が降下を始める。下から空気が突き上げてくるような圧に例えようのない感覚を覚えながら、降下先にあるものに目を凝らす。不毛の大地に同化してしまいそうなそれは枯れた樹のようだけど、1輪の花弁が落ち切った花のようにも見えた。

 

 機竜はその根元に着陸した。

 

「やっぱり私、機竜は慣れる気がしないわ。風素術の方が安心」

 

 座席から降りた副代表剣士が尻をさすりながらぼやき、私に同意を求める視線を送った。確かに長く同じ姿勢で座っているのは酷だが、初めて乗った私はただ苦笑を返すしかない。

 

「これでもだいぶ改良できたんだけどなあ」

 

 不服そうに代表剣士も操縦席から降りて、狭い座席から上手く出られない私に手を貸してくれた。

 

 近くで見ると、樹なのか花なのかよく分からない植物は頂が見えないほど巨大だった。長く見上げていると首が痛みそう。

 

 「これは?」と私は訊いた。代表剣士は「セツナだ」と即答する。

 

「対話を拒んだ彼はこの姿に変貌し、この地に根を張ったんだ。こんな姿になったのは、俺の《夜空の剣》のかつての記憶とリンク――連動してしまったからだろうな」

「剣の、記憶……?」

「人界のルーリッドという村にあったギガスシダーという樹だ。長い年月をかけて地力を吸い取っていた樹の孤独が、彼の抱えていたものと似ていたからかもしれない」

 

 説明はよく理解できなかったけど、はっきりと分かったのは、1年だけ彼と暮らしていた村にあった巨大な切り株が、代表剣士の腰に提げた剣に生まれ変わったということだ。

 

 樹が孤独だったのなら皮肉なものだ。最後に訪れた日の切り株は、たくさんの花々に囲まれて賑やかだったのだから。

 

「この中に、セツナがいるんですか?」

「分からない。俺は彼に拒まれているから」

 

 幹か茎か、そこへと足を踏み出す。数歩ほど歩き手が触れそうになるほど近付いたところで、太い繊維が解け私の背丈ほどの楕円の空洞を形作った。

 

「やはりそうだったんだ」

 

 振り返ると、呟いた代表剣士が笑っていた。

 

「彼は君を迎えてくれる。中に入れるのは君だけだ」

「あなた達は来られないんですか?」

 

 私の質問に、代表剣士は黙ったまま足を踏み出す。不意に彼は後ろへと跳んだ。次の瞬間、さっきまで代表剣士が立っていた地面から巨大な根が土を突き破って出てくる。先端が槍のように鋭利だった。そのまま居たら代表剣士は串刺しにされていただろう。

 

「何度も試したけど、そこまで辿り着けたのは君ひとりだよ」

 

 と代表剣士は苦笑した。私より先に近付いてこの光景を見せられたら、絶対に尻込みして引き返していただろう。

 

 隣で副代表剣士が肩をすくめていた。ごめんなさい、こういう人なのと謝罪するように。

 

 何とも無茶苦茶なものだ、リアルワールドの人々というのは。皮肉を喉元へ留めつつ、私は空洞の奥に広がる暗闇へと入っていった。

 

 



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true ending:永遠の刹那

 

   1

 

 暗闇に踏み入れた瞬間、入口が閉じた。「ナミエ!」という代表剣士の声も閉ざされ、一切の音がなくなる。

 

 恐怖を覚える暇もなく、視界が明転した。あまりに眩しくて目を閉じた。目蓋越しの光が弱くなった気がして、ゆっくりと目を開く。

 

 目の前に広がっていたのは、人界の街だった。いや、本当に人界だろうか。見たことのない街だ。行き交う人々は皆剣士のようで、男女問わず腰に剣や槍といった武器を携えている。随分と物々しい光景なのだが、人々の顔に緊張はなく笑顔ばかりが飛び交っている。

 

 そんな人々の中。広場の中央に私の知る顔があった。

 

 服の上に革の胸当てだけの軽装をした、黒い髪と瞳の少年。シンセシス・ゼロと思った。けどその顔はとても穏やかなもので、思春期のまだ純情さを残したあどけなさを備えている。

 

 少年のもとへ、少女が近付いていく。陽光を浴びて赤褐色の光を帯びた、長い黒髪の少女。

 

 私は目を剥いた。その姿はまさに、10年前の私の少女時代と瓜二つだったからだ。腰に提げた剣が何とも似合わないその姿を認め、少年は満面の笑みで彼女を抱きしめた。

 

「ここが、すべての始まり」

 

 不意にそんな声が傍に聞こえ、私は軽く悲鳴をあげながら振り向いた。少女が立っている。今少年と抱擁を交わしている彼女――昔の私とよく似た少女が。

 

「あなたは……?」

 

 消え入りそうな掠れ声で訊いた。「マヒロ・ナミエ」と少女は何の感情もない声音で答える。

 

「セツナの中にこびり付いた魂の欠片。そしてここは彼の記憶」

 

 青かった空が、急に茜色へと転じた。広場のあちこちで鮮やかな青い光の柱が立ち、そこから人が現れる。

 

 彼らは一様に空を見上げていた。私もその視線を追うと、真っ赤なローブを纏った巨人が人々を見下ろしている。いや、果たして本当に見ているかは分からない。フードの中は暗闇で、そこにあるはずの顔が見えないのだから。

 

 ――プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ――

 

 巨人から男の声がした。広場の人々が騒めき出し、それはやがて怒号や悲鳴に変わっていく。

 

 彼らと同じ場にいながら、私も彼女もその絶望を俯瞰していた。

 

「1万人もの人たちがソードアート・オンラインの世界に閉じ込められた。けどわたしとセツナにとって、一緒にいられる世界は楽園だったわ」

 

 そう言って《ナミエ》が見つめる先には、人々の合間を縫って広場から出ていく少年と少女の姿があった。

 

 私たちを取り巻く景色が変わり、そこは草原になっていた。西の空に沈もうとしているソルスを背に、セツナと《ナミエ》が抱き合っている。

 

 ――怖くないのか? ここで死んだら、現実でも死ぬんだぞ――

 

 ――セツナがいてくれるもの――

 

 再び場所が変わる。そこは森の中に建つ小さな家。そこで、少年と少女はソファでくつろぎお茶を飲んでいる。まるで夫婦みたい。《ナミエ》が手にしたバイオリンの奏でる音を、セツナは穏やかに笑いながら聴き入っている。

 

「セツナ、あんな顔して笑うんだね。幸せそう」

「ええ。彼はどこにでもいる普通の男の子よ。強気なくせにわたしがからかうとすぐ赤くなるような、初心で可愛いところもあるの」

「よく、知ってるね」

「愛し合っていたもの。溶け合って、こうして彼の中に残ってしまうほどね」

 

 《ナミエ》はいたずらっぽく笑った。でもすぐに悲しそうな顔をする。

 

「ここからは、あなたのよく知る彼よ」

 

 1本の樹を中心に花畑が広がっている。いつか私が彼と見に行った、ルーリッドの花畑とどこか似ていた。

 

 花畑の中でふたりが倒れている。昼寝なんて穏やかなものはなく、苦しそうに顔を歪めて互いの手を掴もうと腕を伸ばしていた。

 

 ――ゲームオーバー――

 

 黒いポンチョを着た男が、そう言って嘲笑いながら《ナミエ》の背中に赤い剣を突き刺した。彼女の肉体が色彩を失い、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。

 

 悲鳴が轟いた。セツナの声だ。そこはどこかの、光が届かない洞窟らしき場所。そこでセツナは、さっきのポンチョとは別の男に剣を何度も突き刺していた。男に手足はなく、耳と鼻も削がれていた。

 

 不思議なことに血が一滴も流れていない。切断された箇所には、赤い網目模様が張り付いているのみだった。

 

 ――助けて! 助けてえええ――

 

 片目も潰されて残った目から涙を流す男に、もはや少年らしき純情さを失ったセツナが冷たく告げた。

 

 ――死ねよ、お前――

 

 剣が男の顔を両断する。さっきの《ナミエ》のように、男の肉体が砕け散った。

 

「わたしが死んでから、彼は復讐に生きることになった」

 

 夜の森を、溶けてしまいそうな黒いコートを着た人物が歩いている。腰に提げた剣が月光を浴びて怪しく光り、それを認めた者たちが一斉に各々の獲物を手に彼へ襲い掛かる。

 

 誰の剣も槍も、男に傷ひとつ付けることができない。迫る剣を弾きつつ、手足を斬り飛ばし首を刎ね、その身体を砕けさせていく。

 

 すっかり静かになった森の中で男はフードを脱いだ。その顔は今にも涙を流しそう。けど、枯れてしまったのか彼の目から零れるものは何もなかった。

 

「あんな苦しそうな顔して殺していたなんて、知らなかった」

「いくら目を背けても、現実は嘘をついてはくれないから」

 

 《ナミエ》は深く嘆息する。その間も、《死神》となったセツナは移り変わる場所で誰かを殺し続けている。

 

「彼のしてきたことは、ただの現実逃避。現実でわたしと一緒になれないからエスエーオーの世界に逃げた。復讐も、わたしが死んだ現実に耐えられないから。憎しみで悲しみを誤魔化そうとしただけ。これは、現実との向き合い方を見失った子どもが逃げ続けた物語なの」

 

 助けてと懇願する女の胸に、セツナは無慈悲に剣を突き刺した。まだ幼年学校を出たばかりらしき年齢の少年が勇敢にナイフを突き出すけど、それは掴んでいた手ごと斬り飛ばされた。

 

 黒いポンチョの集団を、剣と鞘の疑似二刀流で斬り伏せていくセツナを見ながら《ナミエ》は呟いた。

 

「皮肉なものね。わたしはずっと、あの人と一緒にいたのに」

「あなたの声は届かないの?」

「わたしは残骸でしかないから」

 

 景色が花畑に戻った。セツナが対峙しているのはひとり。黒いポンチョを着て鉈を持った男。きっと《ナミエ》を殺した男だと分かった。セツナが《死神》になってずっと追い続けてきた、愛する人の仇。

 

 セツナの剣が、男の鉈を砕いた。獲物を失ったその身体に、赤い光を帯びた剣と鞘を立て続けに振るっていく。血は流れない。男の身体には創傷に似た赤い線が刻まれていく。

 

 剣戟を浴びて、男は笑っていた。この戦いを楽しんでいるように見えた。最後の1撃で、男の肉体は砕け散る。

 

 復讐を果たしたセツナは勝利の雄叫びをあげることはなく、ただ花弁が舞い散る宙を呆然と眺めているだけだった。

 

 彼がゆっくりと立ち上がる。その目が私たちに向けられていた。冷たいが、同時に憎しみという熱を帯びた視線は睨まれただけで殺されるという予感をもたらしてくる。

 

「おおおおおおおおああああああああああああああああっ」

 

 まるで獣のような咆哮だった。両手に剣と鞘を固く握り締めて、私たちへと歩みを進めてくる。

 

 その姿はまさに獣だった。決して満たされない飢えを抱えた猛獣。

 

「セツナ、《ナミエ》はここにいる! ずっとあなたと一緒にいたの。聴こえないの?」

 

 「無理よ」と《ナミエ》は私を制す。

 

「ただの魂の欠片では彼を救えない」

「ならどうやって――」

「あなたよ」

 

 彼女の言葉の意味が分からなかった。次の瞬間、セツナの胸に赤い閃光が突き刺さり、その身体を樹の幹に磔にした。

 

 胸に刺さっているのは飛竜の尾だった。痴竜剣と悟ったと同時、剣がひとりでに胸から抜け宙で炎に包まれる。炎は大きく膨らみ、そこから赤い飛竜が現れた。

 

「やれやれ、誰がこの場に来たと思ったら、まさかお主とはな」

 

 尊大な口調と共に舞い降りる飛竜に、私は「顎門!」と万感の想いと共に呼んだ。舞い上がった花弁の中に佇む顎門は、父のように力強く母のように優しい眼差しで私を見下ろす。

 

「久しいな、ナミエ。すっかり大人っぽくなりおって」

 

 何て言葉をかけるべきか、離れていた時間が長くて分からなかった。突如として戻ってきた昔日の存在との邂逅は、募らせていた想いを言葉にできなくしてしまう。

 

「悪いけど、思い出に浸っている時間はないわ」

 

 《ナミエ》が言った。辺りに散っていた花弁が1カ所に集束していく。それは樹のもとにいるセツナのもとへ。

 

 樹の幹から伸びる繊維が、彼の身体に纏わりつく。力なく項垂れたセツナをその胎に収めた樹に舞い散る花弁が張り付いて、まるで鎧のようになった。いや、鎧というべきだろうか。

 

 それは、樹が人のような形に変貌したおぞましい怪物だった。

 

「憐れな者だ」

 

 顎門が切ない呟きを漏らす。

 

「想いに呑み込まれ己を見失い人ですらなくなった。もはや我とそこの者がいくら語り掛けても聞く耳を持たぬ」

 

 《ナミエ》は赤き飛竜に臆せず声を張った。

 

「彼女を彼のもとへ行かせたいの。手伝って」

「簡単に言う。まあ、善いがな」

 

 飛竜の微笑に微笑を返すと、《ナミエ》は私の手を取った。

 

「あなたに彼を救ってほしいの。あなたならできる」

「それは、私があなただから?」

 

 代替品でしかない私の問いに、本物の彼女は物憂げに目を伏せた。でもすぐに、私を真っ直ぐに見据える。

 

「ううん、違う。彼が最期の瞬間に愛していたのは、あなただったからよ、ナミエ」

 

 そう告げた彼女の表情には、一切の迷いが見えなかった。10年前の自分と同じ顔のはずなのに、私のような諦念じみたものがない。年相応の、世界の美しさというものを無条件に信じられる純情さが眩しく、そして愛おしい。

 

 こんな顔ができる彼女だから彼に愛されたのだという確信と、そんな彼が何故私をという疑問に脳がかき回されるような錯覚を覚えた。

 

 「まったく」と顎門が溜め息交じりにまくし立てる。

 

「お主の卑屈さは見ていて腹が立つほどだ。あやつはお主が他の誰でもない、お主として生きていくことを望んでいた。過去の業に巻き込み縛らせまいと、あやつは死地へと向かったのだ。その想いを愛と呼ばずに何と言う?」

 

 脳裏にあの日の記憶がよぎる。こことよく似たルーリッド村の花畑。

 

 あの日、彼は笑っていた。とても穏やかに。その目は花畑ではなく、私に向けられていた。咲き誇る花畑で無邪気にはしゃぐ幼き日の私を。

 

 ずっと、私の存在が彼を苦しめていると思っていた。私は所詮は模造品で、代替品で、偽物でしかない。共に過ごしていくうちに《ナミエ》との違いを次々と見出して、その度に彼女が二度と戻ってこないという現実に絶望していった。苦悩から唯一解放されるのが死だったのだと。

 

 ならば何故、私を殺さなかったのかという問いが生まれる。

 

 その答えが全てで、そして私の間抜けな勘違いだった。

 

 彼は私を視ていてくれていたのだ。《ナミエ》ではなく、あそこにいた私自身を、真正面から。

 

 だとしたら、最後の戦いへ向かおうとした彼が私に告げようとしていた言葉はきっと――

 

 怪物が無数に生えた枝をこちらへ突き出す。でも、それはすぐに断ち斬られた。どこからか、剣を手にした女が飛び出してくる。褐色の肌に灰色の長い髪を後ろに纏めた剣士が。

 

「剣を取れナミエ!」

 

 また枝がやってきて、それもまた断ち斬られる。次に飛び出してきたのは槍を携えた騎士だった。銀色の鎧に赤いマントを翻した、21番目の整合騎士が。

 

「あいつを取り戻すのだろう。手なら貸してやる!」

 

 アーウィン、ユーリィ。彼女らもセツナを求め寄り添いたいと願った魂の一部なのだろう。

 

 これだけの人たちが想ってくれているのに彼ときたら。呆れて思わず笑ってしまう。

 

「さあ、我が剣となろう」

 

 顎門の巨体が縮こまって、痴竜剣の姿に変わる。手に取った剣は細身だけど、とても重かった。これには全てが詰まっている。殺めてきた生命の重みと、使い手と剣自身の積もらせた想いも。

 

 そこにあった言葉の数々を虚空に溶かしてしまうのは、酷く陳腐に思えた。物語は言葉によって紡がれる。そこに連なる言葉こそが、ここに在る私という魂を形作ったのだ。

 

 怪物が大口を開けた。全てを飲み込もうとするかのように。私はそこへ、剣を手に駆け出した。

 

 もう周囲に花畑は見えない。花弁も尽き、全てが暗闇の中へと還ろうとしている。

 

 その中で、左側にすっかり朧気な影になったアーウィンが私に告げる。

 

「ナミエ、剣は力任せに振るってはいけない。ありったけの想いを込めるんだ」

 

 右側にはユーリィの影がいる。

 

「君と彼の旅の思い出や、そこにあった想いを全部注ぎ込め」

 

 手中の剣からは顎門の声が聞こえた。

 

「派手にかましてやれ、ナミエ!」

 

 思い切り剣を一閃する。技術も何もない無様な一振りだけど、剣から飛び出した炎が怪物の枝に燃え移り瞬く間に焼き尽くす。

 

 怪物の呻き声に混じり人の声がした。雑音まみれで聞くに堪えない、でもずっと求めていた彼の声が。

 

 ――やめろ、来るな――

 

 私は構わず走り続ける。声はより明瞭に、私を拒絶してきた。傍にいたアーウィンとユーリィが消えていく。ふたりが背中を押してくれた気がした。

 

 ――もう何も視たくない。聞きたくない――

 

「うるさい!」

 

 撥ねつけるように声を張り上げた私の目から涙が零れる。

 

「私は決めた。あなたの想いを受け止める。怒りも、悲しみも、虚しさも、罪も。ずるさも、いやらしさも、弱さも、全部受け止めるって決めたんだ!

 

 ふざけないで!

 

 いきなり私の前に現れて、いきなり去っていくなんて赦さない。

 

 あなたがくれた生命なんだから、どう生きようと私の勝手。だから――」

 

 剣を構える。決して離すまいと力強く握り締め、全ての想いを吐き出しながら目の前の大樹へ剣を振り下ろす。

 

「私のもとに戻ってきなさい! セツナ‼」

 

 炎を纏った痴竜剣が太い大樹の怪物を両断した。断面から黒い霧が噴き出して、全てを覆っていく。手の中で痴竜剣はまだ燃え続けている。その熱さに私は思わず手を離してしまい、黒霧の中で炎は自らを燃やし続けていく。

 

「さらばだ、我が友よ。達者でな」

 

 剣が形を失い火が消えていく瞬間、聞こえた顎門の声が周囲に霧散していく。

 

 視界が明るくなる。というより白くなった。そこには白以外、一切の色彩がない。いつの間にか私の横に立っていた《ナミエ》が手にしていたものを私に差し出した。それはバイオリンだった。

 

 私が受け取ると、《ナミエ》の姿が白の中へ溶けていく。

 

「彼をお願い」

 

 穏やかな微笑と声を最後に、彼女の魂は微塵も残らずに消えていった。どこに逝ってしまったのかは分からない。きっと彼女自身も。

 

 今度こそひとりになってしまった。いや、ひとりじゃない。白の中で鳴き声が聞こえ、私はそこに向かって歩いた。

 

 どれほど歩いただろう。どこまでも白いから、距離も時間も朧げだ。そのような概念とは無縁の場所なのだ。私だって疲労も空腹も眠気もない。やがて、白の中でうずくまる人影を認める。

 

 その人影は少年の姿をしていた。膝を抱えてすすり泣いている彼は、傍に立つ私に気付いていない。きっと、どんな言葉をかけても気付いてはくれまい。彼女らがいくら語り掛けても、耳を塞ぎここでずっとひとり泣き続けていたのだから。

 

 これが、彼の本質だったのだ。愛した人の死を受け入れらず、前へ進むこともできずその場で泣き続けるだけの子ども。

 

 私は《ナミエ》から託された、鍵というべきバイオリンを奏でた。どんな曲かは知らない。自分の感情のままに弾いたもので、曲と呼べるかも分からない。ただ、彼が穏やかな顔で聴いていたことだけは覚えている。

 

 何もない空間に響く音色に、ようやく泣き虫な少年は顔を上げた。すっかり大人になってしまった私が誰か分かるだろうか。

 

「俺は、どこで間違えたんだろうな………?」

 

 少年が訊いた。答えなんて、最初から出ていたのに。呆れながらも少年を抱きしめる。その細い身体には確かな熱があった。

 

 どこからなんて、私と彼は最初から間違いだったのだ。間違いを犯し続けた末にこの世界に来た彼と、彼の犯した間違いから生まれた私。

 

 間違いまみれだ、私たちは。けど、間違えても正しさへと進もうと足掻くのが生きることだと、彼は教えてくれた。

 

 足掻いた先に辿り着いたこの選択もまた、間違いなのかもしれない。赦されないのかもしれない。

 

 けど、それでも良いと受け入れられる。少なくとも私は後悔しないし、後戻りもしない。

 

 ああ、と嘆息が漏れた。これこそが、という確信を胸に抱き、少年の涙を指で掬い取った。

 

「愛してる、セツナ」

 

 

   2

 

 大樹か枯れた花かも分からないオブジェクトが、突如として鳴動を始めた。地中に張った根も蠢いているらしく、地面を揺らしている。

 

 俺は咄嗟に傍にいたアスナを抱き上げ、背から心意で翼をはためかせて飛翔した。地表が捲れ上がり、機竜が奈落の底へ飲み込まれていく。

 

 高度を更に上げ、オブジェクトを見下ろせるほどにまで飛んだ。オブジェクトが伸びていき、それに合わせ俺も高度を上げていく。

 

 オブジェクトは雲を突き破るほどにまで伸び、ダークテリトリーの黒雲が晴れ太陽の光が燦々と降り注ぐ青空に至ったところでようやく成長を止めた。

 

 先端が大きく膨らんでいる。完全な球体じゃない。尖っているその姿は花のようだ。太陽に向かって健気に茎を伸ばした頂の蕾が裂けて、ゆっくりと開く。

 

「行こう」

 

 俺はアスナを抱きかかえながら、雲上に咲く純白の花へ向かった。腕の中でアスナがもどかしそうに言う。

 

「ねえキリト君。私、これが正しいことなのか、まだ分からないの。セツナにとっては、あのまま死ぬことが救いだったんじゃないかってどこかで思っちゃって………」

 

 アスナの言うことも正しい。というより、これは誰の考えも正しいし、同時に間違いでもある。

 

「そうかもしれないな。俺たちのしたことは、かえってセツナを苦しめることになるかもしれない。けど、彼は知るべきだと思う」

「何を?」

 

 不安そうなアスナに俺は微笑む。

 

「自分を想う人がいるってことさ。かつて俺が自分自身を否定して、そんな俺をアスナ達が助けてくれたように」

 

 ナミエの手記で《死神》の正体がリアルワールド人で俺と同じSAO生還者(サバイバー)、しかもあの空飛ぶ城でも《死神》と呼ばれていたプレイヤーと知ったとき、俺の裡に広がったのは深すぎるほどの虚しさだった。

 

 できることなら、違う出会い方をしたかった。もし別の道があれば、ユージオのように彼とも背中を預けられる親友になれたかもしれない。

 

「確かにセツナのしたことは赦されない。けど、その罪も受け入れた上で彼を愛してくれる存在がいる。いずれ報いを受けなきゃいけない日が来るけど、一緒に生きてくれる人がいることくらいは、赦してあげても良いんじゃないかな」

 

 こんなことを想ってしまうのは、俺も彼と同じように未だにあの城に魂を引かれているからかもしれない。もしかしたら、俺も今こうして腕の中にいる彼女を失えば彼と同じ道を進むかもしれなかった。そんな矮小な親近感が、ナミエのもとへ向かわせたのかもしれない。

 

「うん、そうだね」

 

 アスナは頷いた。俺には彼女がいる。その幸福を抱きしめながら、花の中へ飛び込んでいく。

 

 そこには花畑が広がっていた。色とりどりの小さな生命たちが咲き誇っている。その中央で、ナミエが誰かを抱きしめていた。

 

 抱きしめられている青年は眠っているのだろうか。一糸まとわず、力なく腕を垂らしている。

 

 その指先がぴくりと動いた。腕がゆっくりと重そうに上がり、ナミエの背に回る。

 

 彼を少しばかり羨ましく思う。このアンダーワールドでの役目を果たし現実世界に帰還した後も、俺はアインクラッドから始まった因縁の戦いに引き込まれ、または自分から飛び込んでいくだろう。

 

 けどいまこの瞬間だけは、因縁から僅かに解き放たれた者の結末を見届けさせてほしい。

 

 《死神》の物語はここで終わる。

 

 そして始まるのだろう。彼と彼女が紡いでいく、ふたりの物語が。

 

 

 

「俺も、愛してる………ナミエ」

 

 

 






『ソードアート・オンライン パラダイス・シフト』 ―完―


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あとがき

 こんにちは、hirotaniです。

 

 まずは本作『ソードアート・オンライン パラダイス・シフト』をご読了いただき、誠にありがとうございます。

 

 ハーメルンで作品の投稿を始めて6年と約半年、時間があれば原稿を書いて消して書き直すという毎日を送っていたので、こうして『あとがき』の文面を考えてようやく「ああ、終わったな」という実感を持っています。

 

 初めて作品を投稿してから、いつも最終回後に添え物としてこのような『あとがき』を書いています。作者として読者様に伝えたい私の考えや思想は思いがけず作中の文章に現れるものですが、それはどうしても登場人物を通じてもので、頂いた感想の返信もネタバレ防止のためにどうしても味気ない返しになってしまいます。なので、私自身の言葉を読者様に最大限お伝えできるのは、この『あとがき』の中が唯一の場となっています。

 

 あくまで添え物ですので、別に作品を楽しむにあたってこれを読むのは必須ではありません。大して面白い話ができるわけでもないので、興醒めしたらブラウザバックをどうぞ。

 

 本作の開始時点で初投稿した『ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト』の続編を匂わせたことで、作品を知る読者様は大いに戸惑ったかと思われます。もう何年も前の作品で、それほど人気だったわけでもない。続編を書く余地のない作品でした。

 

 実を言うと私自身も書く予定がなく、友人に「パラダイス・ロストの続きが読みたい」と依頼されたのがきっかけでしたが、当初は「続編はない」と突っぱねていました。前作にあたる作品が続編を書けないよう完結させていましたので。

 

 しかし改めて自分の作品を見返すという拷問に近い作業をしてみると、未完成な作品であることを痛感させられました。前作でのセツナは罪と向き合っているようで、実は逃げていただけでした。物語の結末も逃げ勝ちのようなもので、罪を償わず現実逃避をし続けた末のラストだったのです。これはメタ的に言えばセツナではなく作者である私がテーマから逃げていたのであって、このまま逃げ続けることはできない、と思いました。そういった「悔い」が執筆活動のモチベーションとなって創作の糧となるものなのですが、私にとってセツナの存在は「糧」ではなく「枷」になってしまうような気がしたのでここでテーマに決着を付けることにしました。

 

 完全新作でテーマに向き合うことも選択肢にはありましたが、セツナにやらせなければ意味がないように思い精神的続編という形を取りました。親心と言うか、セツナという極悪人を生み出してしまった者としての責任です。

 

 正直なところ、私はセツナが好きではありません。人間的に欠陥だらけだし、無機質で魅力が感じられません。物語の中で本物の魂を持った存在のはずなのに、UWの人口フラクトライト達よりも人形じみています。しかしそれでも、彼は私が初めてハーメルンというサイトで書いた作品の主人公です。この欠陥だらけだけど私の執筆活動の始まりでもあるキャラクターの供養のような形で、この作品を書くことに決めました。

 

 今までは読者様を楽しませたい、というモチベーションで作品を書いていましたが、本作は私自身のけじめという、全く異なるものでした。なのでこれは究極の自己満足作品であり、シナリオに面白さを見出せなかったのでしたらそれは間違ってはいません。私自身も二次創作として面白いかどうかは疑問ですので。

 

 結末は本編最終回を書いた後に急遽思いついたものです。セツナは構想初期から最終的に死なせることを前提にプロットを組んでいて、だからこそ作中で外道な所業をさせることができたのですが、急遽生存エンドで果たして読者様が納得できるか懸念がありました。何より私自身、作中で「人を殺しておいて生き永らえるなんて都合の良い話はない」なんて主義を展開していたので見事な自己矛盾に悩みました。

 

 それでも生存エンドに踏み切ったのはセツナのためではありません。私セツナ嫌いなので。彼の苦しみこそが本作を書く醍醐味なので。なら誰のためかというとナミエのためです。彼女がまだ少女期に好きな人と死別しこれからの長い人生セツナを想いながら悲しみに暮れて生きていくことは、流石に私も心が痛みました。セツナに惚れるなんて見る目無いなと思いながらも(それを言うならアーウィンとかユーリィもですが)いたいけな少女にそんな悲しみ背負わせるなんて酷だなと思ったので、ナミエの幸せのためにセツナには帰って来てもらいました。

 

 この結末に納得できない方もいるかと思います。ごもっともです。かといって納得できるという方も間違いではありません。そもそも「罪と罰」などという明確な答えのないテーマに挑んだ私が無謀だっただけの話です。

 

 そんなわけで不本意ながらセツナはハッピーエンドらしい結末を迎えることができたのですが、無条件で彼に幸福を与えてやるほど私の器量は大きくありません。多分この先でも彼は罪の意識に苦しみ続けることでしょう。ですが彼の隣には常にナミエがいます。彼が苦しむ度に彼女が彼の苦悩を受け止め共に歩んでいくことができます。整合騎士団に入りキリトに協力するといった未来も想像できるのですが、それは無いとここで断言させて頂きます。セツナは大衆ではなくナミエひとりを守ることを選択するでしょう。それにキリトが関与したら本当にセツナが幸福になりかねないので、それだけは阻止しなければと思いました。

 

 キリトのように200年もの年月を生きることもなく、天命凍結処置も受けずに一般人として生き数十年後には天寿を全うすることでしょう。死神としてUWの歴史に傷跡を残した後のセツナがどう生きたかは完全に白紙であり、あの世界には何も残さなかったでしょう。

 

 整合騎士としてのセツナの活躍を期待していた皆様、申し訳ありません。ただ、彼をもう休ませてあげてください。

 

 さて、ここからは私の活動についてです。私hirotaniは本作をもってハーメルンで長編作品の二次創作活動を卒業させていただきます。

 

 この場で改まって報告させていただく程のことでもないのですが、何も言わず投稿をやめて失踪というのもこれまで応援していただいた読者様に対して失礼と考えました。

 

 別に私はサイトの人気作家でもないので「へーやめるんだー」という程度に捉えてください。体力と時間的なところから長編を書かないというだけで、気が向いたら短編を書くこともあるかもしれません。実を言うと本作が『パラダイス・ロスト』の精神的続編となったのはこれで最後と決めたからなのです。今までも「これで最後にしよう」というモチベーションで書いておきながら次回作を発表してきましたが、今回は本当にこれで最後です。

 

 いったん卒業とはなりますが、執筆そのものをやめるつもりはありません。今後はオリジナル作品の執筆に専念していこうと考えています。

 

 別のサイトか、もしくはまた別の場で読者様に物語をお届けできるよう頑張ります。文体も名義も変わっているかもしれませんが、もし時間があれば探してみてください。

 

 それでは、最後にはなりますが改めて本作を読んでいただいた皆様、本作だけでなく他の作品も読んでいただいた皆様に謝辞を――

 

 いえ、私ではなく、私の書いた物語の中で生きてくれた彼ら自身から言ってもらうのが相応しいでしょう。

 

 それじゃあ皆、頼んだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セツナ「皆さん、本と――」

 

ナミエ「はいはい待って。せっかく最後なのに素っ気なさすぎない?」

 

セツナ「いいだろ。作者のハマったゲームのパクリ演出だ」

 

アーウィン「その発言は危ない気がするな………」

 

ユーリィ「全くだ。お前は作品の顔としての自覚が――」

 

顎門「お主も、そのくらいでやめておけ。埒が明かん」

 

ナミエ「ほら、あなたもおいで」

 

シンセシス・ゼロ「………ふん」

 

アーウィン「さあ、これで全員だな」

 

ユーリィ「これで本当に最後なのだろうか?」

 

顎門「なに、いずれまた会えよう。作者の気まぐれだがな」

 

シンセシス・ゼロ「勘弁してほしいな」

 

ナミエ「ふふふ。じゃあ、また会える日を楽しみに」

 

顎門「さあ、最後くらい主役らしく締めよ」

 

セツナ「ああ。読者の皆さん、本作を最後まで読んでいただき本当に――」

 

 

 

 

一同「本当に、ありがとうございました」

 

 

 



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