PERSONA5:Masses In The Wonderland. (キナコもち)
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色欲の王様
Profile:Spring


 

 

 

天城雪雫(あまぎせつな)

 

 

 

「芯がある人は好ましい」

 

 

 

プロフィール

 

 

 生年月日:2001年2月28日 15歳(2016年4月1日時点)

 

 身長:136cm

 

 体重:???

 

 血液型:O型

 

 アルカナ:???

 

 ペルソナ:???

 

 コードネーム:???

 

 家族構成:父、母、姉

 

 特技:ゲーム全般、作詞作曲、絵を描く事

 

 クセ:小首を傾げる、一度熱が入ると周りの事が疎かになる

 

 趣味:映画鑑賞

 

 食の好み:ファストフード、甘い物、手料理(一部の人が作ったものを除く)

 

 理想の恋人像:本人にもよく分かっていない

 

 

概要

 

 

 私立秀尽学園高校に通う高校一年生。

 竜司曰く、殆ど動かない表情、口数の少なさから、周囲から浮いてしまっているようだ。

 

 出身は東京から僅かに離れた田舎町、八十稲羽市。

 実家の天城旅館は全国的にも有名な老舗旅館であり、生粋のお嬢様育ち。

 姉である「天城雪子」が旅館を継ぐ意志を固めた事、雪雫本人がクリエイター気質な事から、旅館業務には現在関わっていない。

 (雪雫の家事スキルが無いのも関わってない要因と言える)

 

 幼馴染であり、親しい間柄である「久慈川りせ」を追う様に進学に合わせて上京。

 現在はりせ名義で借りた都内の高級マンションで一人暮らし。

 家事が出来ず、世間知らずな所も多い彼女を心配して、りせが良く面倒を見に来ている様だ。

 

 学生生活を送りながらも、合間でアーティスト活動をしている様で、その人気は若い世代を中心に絶大。

 一見、順風満帆な生活を送っている様にも見えるが……?

 

 

容姿

 

 

 シルクの様な白髪のショートボブに白い肌、赤い瞳。

 

 学校では指定された制服を着崩す事無く着用し、ピアスやネックレスなどのアクセサリーは一切身に着けない。

 私服もシンプルなものが多く、歳の割にはお洒落に無頓着の様だ。

 

 …その服装のシンプルさが、かえって容姿を引き立てているのだが、本人は一切気付いていない。

 

 余談だが、家にある私服も殆どはりせが買い揃えたもの。

 特別彼女からの要望が無い限りは、その中から適当に手に取ったものを着ているらしい。

 

 

性格

 

 

 一言で言えば純粋無垢で素直。

 苦し紛れの言い訳を本気で信じたり、思ったことはそのまま口にするなど、裏表が無い。

 りせ曰く、人を選んでいるらしいが…?

 

 本人に自覚は無いが、性格や口下手なのが災いして人付き合いは下手。

 姉である雪子にコミュ障と真顔で言われるほど。

 

 雪子に似て天然な所があるらしく、時には姉をも振り回すほどだとか……。

 

 

戦闘スタイル
 

 

 

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ペルソナ
 

 

 

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コープ
 

 

 

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活躍

 

 

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1:You are laziness.

 

 人類は皆一様に、怠惰である。

 

 

 人はその怠惰さ故に、死を望んだ。

 

 

 人はその怠惰さ故に、一つとなる事を望んだ。

 

 

 ()()、人類は、その怠惰さ故に、滅亡を招いた。

 二度である。短期間に、二度。

 

 

 怠惰、実に怠惰。

 

 

 是を私は判断せざるを得ない。

 

 

 今日この日を持って、その怠惰、人々の総意として受理しよう。

 

 

 お前達の望み通り、私は神と為ろう。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 姉と人形遊びをしていた時、ふと思ったことがある。

 

 

 私達の住む世界は、誰かにとってのおもちゃ箱に過ぎなくて、空の向こう側から私達を見て、時折操り、同じ様に遊んでいるのではないか、と。

 

 

 そう思った日から、空を見上げるのが癖になった。

 空の向こう側に居る『何か』が見えるのでは無いかと思ったから。 

 

 毎日毎日、空を見上げた。

 晴れの日も、曇りの日も、雨の日も。

 怪しげな満月が浮かんでいたあの日も。

 霧に包まれたあの日も。

 

 そして今になっても――――。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

2016年4月4日 月曜日 晴れ 

 

 

 一人の少女が、校門の前で空を見上げていた。

 

 

「…………」

 

 

 白い髪、白い肌、赤い目。日本人離れした風貌の、まだ幼さが残る身長の低い少女。

 黒いブレザー、中に白いタートルネック、チェック柄のスカート。

 学校指定の制服だ。

 幾分、服装の自由が認められている高校ではあるが、少女の服装にそういった遊びは見られない。

 

 特に個性が無い服装がかえって少女の風貌を引き立てるのであろう。

 少女の横を通り過ぎる際、生徒達は皆一様に少女に視線を向けていた。

 しかし、興味の視線に晒されようと、気にした様子は見せない。

 

 

「ああ、おはよう! ……おはよう!」

 

 

 恰幅の良い体育教師の様な見た目の男の元気な挨拶が、絶え間なく辺りに響いているが、やはり少女は気にした様子は見せない。 

 変わらない表情、何にも興味を示さない様子、人形の様な整った顔立ち。

 誰もが奇異に思い、遠巻きに見ている中、少女の様子に変化をもたらした人物が一人。

 

 

「っ。鴨志田の野郎…。相変わらずここを自分のモノだと思ってやがる…。―――ん?」

 

 

 悪態を吐きながら歩いていた金髪の少年は、白髪の少女の横で足を止めた。

 

 

「おーい。こんなとこでどうしたんだ? 何か見えるのか?」

 

「…………」

 

「……おーい………」

 

 

 校門を前にして一切動く様子の無い少女を不思議に思い、金髪の少年は声を掛けるも、少女からの反応は無い。

 自身の存在に気付いていないのか、と少年は少女の横から正面に移動して、その顔をまじまじと見つめる。

 

 

「……あ? その顔…、どこかで……」

 

「……何も、見えない」

 

 

 少年が疑問を浮かべたその時、一切変化の無かった少女の口から初めて言葉が紡がれた。

 小さいながらも良く通る綺麗な声。

 その声はしっかりと少年の耳まで届いた。

 

 

「うぉっ! なんだよ、ちゃんと喋れんじゃねぇか」

 

「朝からナンパ? 新学期早々、問題起こさないでよね」

 

 

 急に発せられた少女の声に驚きの声を上げた少年の元に、新たな声がもう一つ。

 2人の様子に見かねた女子生徒が、どうやら校内から出てきたらしい。

 

 

「貴方、只さえ目立つんだから、大人しくしていなさい」 

 

 

 茶色寄りの黒髪のショートヘア、品行方正を体現した様な少女が、呆れながら金髪の少年に声を掛ける。

 

 

「次何かあれば、退学だって―――」

 

「ハイハイ、分かりましたよ。生徒会長サマ」

 

 

 生徒会長と言われた少女の言い分に嫌気が差したのか、少年は不機嫌な様子を隠す事無く校門へと向かう。

 

 

「全く―――。ほら、貴女も。いつまでもそうしてないで教室に向かいなさい? 初登校で遅刻とか、冗談でも笑えないわよ」

 

「………ん」

 

 

 生徒会長の少女に短く返事をして、白髪の少女も校門へと足を運ぶ。

 段々と小さくなっていく少女の背中を見送るうちに、生徒会長は違和感を口にする。

 

 

「ちょっと待って、天城さん、日傘は!? 」

 

 

 慌てた様な少女の声に、天城と言われた白髪の少女は足を止めて振り向く。

 

 

「貴女、入学前に学校に提出してたでしょう。その、アルビノ…って。こんな晴れた日に日傘無しなんて――」

 

「………、忘れた」

 

「忘れたって、自分の身体の事なのに……。ここまでどうやって来たのよ」

 

「すぐそこまで、車で…」

 

 

 ああ、と納得がいった様子で溜息を吐く生徒会長。

 

 

「…もう。鞄を貸しなさい」

 

「……?」

 

「校内まで私が鞄で影を作ってあげるから、ほら」

 

「…ありがと」

 

 

 先程までとはまた違った視線に晒されながら、2人は校内へと足を踏み入れる。

 天城と言われた少女が今日から三年間、通う事になる学校へと。

 

 名を秀尽学園高校。

 

 心から信頼できる仲間を、そして自らの在り方を得られる場所。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 日も傾き始め、夕日が差し始めた頃。

 天城は1人、校門に寄り掛かり、自身のスマホに忙しなく指を滑らせていた。

 

 

「新入生は午前で終わりじゃ無かった?」

 

 

 そんな天城に声を掛けたのはボサボサの髪の女教師

 

 

「………先生?」

 

「そう、ここの教師。川上貞代よ。担当は2—Dだから、一年の貴女とはあまり関り無いかもだけどね」

 

「……ふぅん」

 

 

 興味が有るのか無いのか、川上から再び自身のスマホへと視線を戻す。

 

 

「……ずっとそうしている様だけど、帰らないの?」

 

「迎え、待ってる」

 

 

 そっか、と言いながら川上は天城の横に座り込む。

 

 

「……? 川上は、帰らない?」

 

「先生に呼び捨て……、まぁ良いわ。帰りたいけど帰れないのよ。先生って案外忙しいの」

 

「その割には、暇そう」

 

「何時までも帰らない新入生が気になってね」

 

 

 興味を持ったのか、天城はスマホを鞄に仕舞い、川上の横にちょこんと座る。

 

 

「どうして、一人で都会の高校に来たの? 実家の旅館のある八十稲羽に居ても良かったんじゃない?」

 

「……私の事、知ってるの?」

 

「これでも教師だからね、新入生の事は粗方……」

 

 

 ボサボサの髪、眠そうな目。全体的にやる気を感じられない川上ではあるが、教師としての芯は持っている様だ。

 それを感じた天城は、目尻を柔らかくして、微笑を浮かべる。

 

 

「川上は良い人」

 

「え?」

 

「芯がある人は好ましい」

 

 

 上から目線な物言いではあるが、不思議と嫌な印象は受けない。

 天城の言葉に若干絆されかけたその時、学校の前に一台の車が停まった。

 

 

「……迎え、来た」

 

「そう、それは良かった。今度は自分で学校来るのよ。悪目立ちしたくないでしょ?」

 

「……善処する」

 

 

 そう言うと、天城は嬉しそうな表情を浮かべて、立ち上がり車に駆け寄る。

 

 

「全く、不思議な子だわ」

 

 

 運転手は見えないが、彼女の様子を見る限りかなり親しい間柄の様だ。

 車に乗り込む少女を見送りながら、川上は笑みを浮かべる。

 

 

「天城雪雫(せつな)、か」 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、(せつ)ちゃん…。迎えが遅くなっちゃって」

 

 

 ラジオから近頃世間を賑わす廃人化事件についての報道が流れる車内で、茶色のロングヘアーをツインテールした少女は申し訳無さそうに口を開く。

 

 

「ん、大丈夫」

 

「でも待ったでしょ?」

 

「私がりせと一緒に帰りたい、って言ったから。何時までも待てる」

 

 

 淡々と、しかし僅かに嬉しそうに。白髪の少女、天城雪雫は口を開く。

 

 

「んんんんん、私の推しが可愛すぎる…」

 

 

 にやける口を手で隠しながら、茶髪の少女、久慈川りせは小さく呟く。

 

 

『続いてのニュースです。

本日14時30分頃。都営バスが乗客を乗せたまま車道を逆走―――』

 

「またこの手の事故かぁ。最近多いね」

 

 

 先程まで悶えていたりせがいつの間にか調子を取り戻したらしく、ハンドルから手を離し、うんと伸びをしながら呟く。

 

 

「渋滞の原因…」

 

「みたいだね」

 

 

 2人の乗る車は、渋滞に巻き込まれ一向に進まない。

 どうやら、ラジオで報道されていた事故の影響らしい。

 

 

「ああ、もう。早く帰って雪ちゃんの制服姿を写真に収めたいのにぃ」

 

「……本物じゃ、ダメ?」

 

 

 頬を膨らまして文句を垂れるりせに、首を傾げる雪雫。

 

 

「そりゃ本物に勝るモノは無いけど…。その、私個人の癒しの為と言うか、何時でも見れるようにというか……。寝る前のお供、というか…」

 

「……? りせの頼みなら何時でも着る」

 

「あ、うーん。そうじゃないというか、何というか……。えーっと、そう。みんな雪ちゃんの制服姿を見たいって言っているの!」 

 

 

 何故か少し慌てた様子で、りせはあたふたとしながら少し早口で言葉を紡ぐ。

 

 

「ほら、雪子センパイとか、千枝センパイとか!」

 

「雪子と千枝?」

 

「そうそう! 雪ちゃんあまり連絡しないでしょ? だから私に―――」

 

「雪子とはこの前電話で話した。けど、写真欲しいとは言っていなかった」

 

「あー……」

 

 

 車内にはラジオの音だけが響く。

 

 

「ほ、ほら…、言うの忘れてただけかも……。雪子センパイ、天然だし…」

 

「……む、確かに、そうかも」

 

「で、でしょ? 皆に雪ちゃんの成長した姿、見せてあげようよ!」

 

「ん、分かった」

 

 

 はぁ、とりせは小さく溜息を吐く。

 得意でも無い言い訳を並べるなら素直に写真撮らせて、と伝えれば良かったとりせは思った。

 

 

(…用途が用途だから、素直に伝えにくかったんだよね……)

 

 

 天城雪雫という少女は、りせからすれば純真無垢を体現した様な少女だ。

 活動している業界が業界にも関わらず、その黒さも裏も知らず。人の言葉は素直に聞き、自身の思った事は隠さず口にする。

 下の話なんてもってのほか、殆ど伝わらない。

 そんな身も心も純白な少女を汚す……、という事に一切の快感を覚えないことも無いが、いざという時に彼女に対してはヘタレを発動してしまうのが久慈川りせという少女だ。

 

 

「りせ…、前」

 

「……あ、やばいやばい」

 

 

 思考に更けている内に前の車が進んでいたらしい。痺れを切らした後ろの車にクラクションを鳴らされない内に、りせは車を進ませる。

 

 

「そういえば、学校どうだった?」

 

「……まだよく分からない」

 

「まぁまだ初日だしね。担任の先生はどんな人だったの?」

 

「鴨志田、っていう体育教師」

 

 

 鴨志田…、と小さく呟いて、りせは記憶を巡らせる。

 確か学校のパンフレットで紹介があった様な……。

 

 

「元バレー選手の人、だっけ。金メダリストの」

 

「多分、そう」

 

「学校の評判とか見る感じ、良い人そうだったけど…。その顔を見ると気に入らなかったみたいだね」

 

 

 りせの視線の先には、僅かに眉間に眉を寄せて外を眺める雪雫の姿。

 

 

「ん、私は好きじゃない」

 

 

 雪雫は雪雫なりに思う所があったのだろう。

 

 

「でも、生徒達は鴨志田をもてはやしてる。疎外感」

 

「ふふ、雪ちゃんもそう感じること、あるんだね」

 

「……私だって、人間」

 

「それはそうだけど、何となく、ね。雪ちゃんって強い子って気がするから」

 

 

 信号に引っ掛かり再び車は止まる。

 車が停まったと同時に、りせは視線を雪雫へと向けた。

 そこには普段の様子は崩して、年相応の寂しそうな表情を浮かべた彼女の姿。

 

 

「……強くない。私は――――」

 

「……雪雫?」

 

 

 途端に言葉を止めた雪雫を不思議に思い、りせは彼女の名を呼ぶ。

 呆然と外を見つめる雪雫の視線の先には、渋谷の駅前広場。

 犬の銅像の前で待ち合わせをする人達、セントラル街へ向かうであろう学生達、広場の中央で演説する政治家、エトセトラエトセトラ…。

 何時もの渋谷駅と変わりない。

 

 

「――――――」

 

「一体何が気になって…、ああ、分かった!」

 

 

 合点がいったと、りせは両手を合わせて嬉しそうに口を開く。

 

 

「今週の邦楽ランキングでしょ!」

 

「…え?」

 

「この前の雪ちゃんの新曲、大好評だったもんねぇ。並み居る強敵を跳ね除けて、堂々の一位!」

 

 

 自分の事の様に喜ぶりせの視線の先には、中央広場を見下ろすビルに取り付けられた巨大なモニター。

 そこには日本で人気の音楽を知らせるランキングが映し出されていた。

 一位の欄には自身の名前と、先日公開した曲のタイトル。

 

 

「あ…」

 

「雪ちゃん一生懸命考えてたもんねぇ。私も嬉しいよ~!」

 

「………うん」

 

 

 何か思う所があって外を見つめていた雪雫であったが、自身の功績を喜んでくれているりせを見て、そんな考えも吹き飛んだようで。

 

 

「りせのお陰」

 

 

 朗らかに笑みを作り、りせを見つめて口を開く。

 

 

「~~~! 可愛すぎ!!!!」

 

 

 我慢ならない、と言った様子で助手席に座る雪雫に抱き着くりせ。

 彼女の顔に頬ずりをし、呼吸を荒くするりせのスキンシップは、クラクションが鳴らされるまで続いた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

『対象、全人類。

 罪状、怠惰。

 

 

 ――――承認。

 

 

 これより、ナビゲーションを開始します。

 

 

 我が権能を用いて、必ずや、主神の元へと――――』

 




Q:P5が舞台なのにりせ?
A:作者の趣味です。

Q:百合のする必要は?
A:作者の趣味です。


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2:We can't live without support.

4月5日 火曜日 晴れ

 

 

 まだ冬の寒さが残る早春の朝。

 カーテンから漏れ出る日差しに照らされ、部屋の主は静かに目を開けた。

 

 

「………………りせ?」

 

 

 部屋の主、天城雪雫の口から最初に漏れたのは、彼女と親しい間柄である少女の名前。

 雪雫の呼び掛けに応える声は無く、隣に寝ていた筈の姿も無い。

 

 

「…そっか、仕事………」

 

 

 りせと交わした就寝前の会話を思い出す。

 ティーンズ向けの雑誌のインタビューと撮影で、早朝から家を出なければいけない、と申し訳無さそうに言っていたな、と。

 

 

「…うぅん」

 

 

 りせの代わりに、とでも言う様に。

 雪雫の小さな手に握られていたのは、彼女が寝間着として愛用しているシャツ。

 確か、昨晩も着ていた物の筈だ。

 

 雪雫は掴んでいるシャツを自身の胸元へと寄せ、うずくまる。

 じんわりと、心の奥から温かさが込み上げてくる。

 鼻腔をくすぐる彼女の匂い。何となく感じる温もり。

 

 

「…りせ………、りせ…」

 

 

 居心地の良さからか。覚醒した意識が再び微睡みの中に堕ちていく。

 僅かに開かれた目が再び閉ざされようとした時。

 

 

「っ!」

 

 

 トップアイドルである久慈川りせの歌声がベッドの横のサイドテーブルから響いた。

 雪雫のスマホの着信音だ。

 

 

「………」

 

 

 眠い目を何とか開き、ゆっくりと布団の中から白い細腕をテーブルへと伸ばす。

 ひんやりと冷えた自身のスマホを手に取り、その画面に映し出された名前を見て、その人物の名前を口にする。 

 

 

「……雪子?」

 

 

 天城雪子。

 東京から離れた田舎町、八十稲羽市にある天城屋旅館の次期女将にして実姉。

 

 

『おはよう、雪雫』

 

 

 起きたばかりの火照った身体に、外気に晒されたスマホの冷たさは予想以上だったらしく、その冷たさに身体を震わし、音声をスピーカーへと切り替える。

 

 

「………おはよう」

 

『その眠そうな声…。今起きた所でしょ?』

 

「………ん」

 

『やっぱり! りせちゃんの言う通り』

 

「りせ?」

 

『昨日ね、頼まれたの。雪雫、起きれないだろうから電話して起こしてあげてって』

 

 

 何故か得意げに雄弁と語る実姉に、僅かに眉間に皺を寄せる。

 

 

「……一人で、起きれる………」

 

『ふーん、そうなんだ? 二度寝とかしようとしなかった?』

 

「…………」

 

『私達には分かるんだから。ほら準備準備』

 

「……はぁ、分かった」

 

 

 おずおずと布団から抜け出し、その小さい身体を外気に晒す。

 身体を起こすや否や、着ていた寝間着にしているオーバーサイズのTシャツをベッドの上へ放り投げる。

 

 

『まさか、今も脱いだ服をそのまま、って事無いよね?』

 

「…………後で片付ける」

 

 

 カメラでも付いているのでは無いか。と思わず内心で雪雫は考える。

 

 

『それで、どう? 東京の高校は?』

 

「人いっぱい。疲れる」

 

 

 寝間着のTシャツ以外、雪雫が着ていた物は無い。

 冬の寒さが抜け切れていない気温にその柔肌を晒しながら、足早にクローゼットへ向かい、下着とインナーを手に取り素早く身に着ける。

 

 

『渋谷だもんねぇ。稲羽とは大違いでしょ』

 

「稲羽も稲羽で疲れる」

 

『うーん、まぁ雪雫ならそうか……』

 

 

 次に手を伸ばしたのは、まだ一回しか身に着けていない卸したての制服。

 りせには好評だったが、雪子はどうだったんだろう。と、ふと雪雫は思った。

 

 

「そういえば、制服…。どうだった?」

 

『ん? 雪雫の学校のやつ?』

 

「ん」

 

『凄く可愛かったよ。まだ着られてる感もしたけど、都会ならではの華やかさ、かな? そういうのを感じた。ただ……』

 

「ただ?」

 

『りせちゃんから何枚か写真が送られてきたんだけど…。何で制服を少しはだけさせてベッドに寝ころぶ写真が?』

 

「………りせの、要望?」

 

『……………』

 

 

 雪雫は気付かない。電話越しの実姉の威圧感に。というよりも、雪子が何に引っ掛かっているかも気付かない。

 

 

『あの万年発情アイドル……』

 

「まんねん、?」

 

『あ、ううん。何でも無いの! 雪雫は気にしないで! ――――これは大人の話だから』

 

「……そう」

 

 

 その時、一人楽屋に居るりせの背中に悪寒が走った。

 彼女は後に後悔する事となる。誤送信とは言え、雪子に妹の際どい写真を送ってしまった事を。 

 

 

「……雪子…」

 

『うん。顔洗ったり歯を磨いたりするのに、通話したままじゃやりにくいよね』

 

「………まだ何も言っていない」

 

『何年、貴女の姉やってると思ってるの。私もそろそろ手伝いしなきゃならないし』

 

 

 手伝い、というのは言うまでも無く旅館での、だろう。

 

 

「頑張って」

 

『雪雫もね。たまには顔、出してね』

 

「…なるべく」

 

『うん、楽しみにしてる。それじゃあ、またね』

 

 

 再び部屋に静寂が訪れる。

 女子高生が一人で住むには広すぎるマンションの一室。雪雫は着々と準備を進める。

 そして―――。

 

 

「……行ってきます」

 

 

 雪雫は小さく、しかし何時もより嬉しそうに一人呟いて、家を出る。

 駅へと向かう足取りも軽く、その仏頂面も少し柔らかい。

 十中八九、実姉の声を聞いたから、なのだが彼女はそれを口にしないし、多分自分でも気付かない。

 

 天城雪雫という少女は、そういう少女だ。

 

 

 

 

秀尽学園高校

 

 

 

「……はぁ」

 

 

 秀尽学園における最高学年であり生徒会長。成績は常に学年トップ。頭脳明晰、品行方正。真面目を体現した様な少女「新島真」は、溜息を吐きながら生徒会室へと続く廊下を早足で歩いていた。

 

 いつも歩いている廊下も、今日ばかりは延々と続く迷宮の様に真は感じていた。

 半ば、押し付けられる形で引き受けてしまった生徒会長という役職。

 まぁ、入学当初から生徒会で活動しており、教師からの信頼も厚く、成績も優秀。そんな生徒が居たら、自然と周りからの期待(圧とも言う)がのしかかるのは無理も無い事なのだろう。

 真とて、それは理解している。

 だから、生徒会長に就いた事について、とやかく言うつもりは無い。

 

 しかし、問題は。

 

 

(今年は何人が集まる事やら)

 

 

 果たして自分に付いてきてくれる人物が何人いるか。

 

 一年生の時は良かった。

 導いてくれる先輩と共に学校をより良くしようと活動していく日々。

 自分が行き過ぎてしまった時は止めてくれたし、やりたいことは密かに後ろから見守っていてくれた。

 

 問題は二年生の時。

 先輩方が卒業や受験で生徒会と関わらなくなり、自分を中心に生徒会を運営するようになった頃。

 退いた先輩達の恥にならぬ様、そして新しく出来た後輩達の見本となれる様、前年よりも高い熱量で取り組んだ。

 

 結果だけを言うと、自分の目標は達成されたのだろう。今、こうして三年生であるにも関わらず、二年連続で生徒会長を務めているのだから。

 しかし、人は付いてこなかった。

 価値観の違いからか、熱量の違いか。

 いずれにせよ、振るいから落とされるように、一人また一人と生徒会室に訪れる回数は少なくなっていった。

 最終的に残ったのは生徒会長である自身のみ。

 しかしそれを良しとした私は、その後も一人で運営していった。

 孤軍奮闘。言い得て妙だ。

 

 昨年度末、校長から言われた言葉が頭から離れない。

 

 

 君は1人でも十分優秀だね。

 

 

 その言葉がすべてを物語っている。

 彼がそう思う、という事は、この学年に居る誰もがそう感じているという事に他ならない。

 

 

(一年生と二年生から何人かは確定で入ると思うけど、それも何時まで居るか……)

 

 

 今年も一人かな。っと内心呟き、淡い期待を振り払って生徒会室の扉を開ける。

 

 学校に関する様々な資料が保管されている棚。その隣にあるホワイトボード。中央に設置された白いテーブル。

 何時もと何ら変わりのない生徒会室の風景。

 しかし、その中に何時もと違う光景が。

 

 

「………ん」

 

 

 真が部屋に踏み入れたその時、部屋の中央から小さい声が聞こえた。

 中央のテーブルを囲う様に置かれた椅子に座り、スマホ弄る少女。

 

 白い髪、白い肌、赤い目。

 入学前から、何かと教師陣から注目を集めていた少女。

 

 

「天城、さん……?」

 

 

 入口に立ち尽くし、ポカンと口を開いたまま、椅子に座る少女を真はただただ見つめる。

 そんな真を余所に、雪雫は横向きにしているスマホからは目を離す事無く、忙しなく指を動かしている。ゲームでもしているのだろうか。

 

 

「…どうして、ここに?」

 

「……? 生徒会」

 

 

 当然、といった様子で、雪雫はやはりスマホを弄りながら短く答える。

 

 

「生徒会…、って入ったの?」

 

「ん。皆が、望んでいたから」

 

 

 真は意外そうな表情をしたまま、鞄を置き、雪雫の正面に座る。

 

 

「望んでた?」

 

「そう」

 

 

 新年度が始まったばかりのクラスで必ず話し合われる事。それは誰がどの委員会に所属するか。

 普段だったら生徒会への参加は各クラスからでは無く、学年全体から選出されるのだが。

 聞けば彼女のクラス。即ち鴨志田先生のクラスから一人確定で参加するという話が事前に、先生達の間で合ったらしい。

 鴨志田先生の性格を考えたら、妙に納得してしまう密約だ。

 

 そこで、彼女のクラスで誰が生徒会に参加するかを大いに盛り上がった様だ。

 まだ互いの名前も憶えていないであろう二日目で、ああでもない、こうでもないと貧乏クジの押し付け合い。

 最初は様子を見守っていた雪雫も、纏まらない話に嫌気が差し、立候補したらしい。

 

 

「じゃあ、クラスメイトが押し付け合っていたモノを、貴女は自ら進んで貰ったってこと?」

 

「ん。」

 

 

 何それ。と思わず真は笑みを浮かべる。

 何に対しても興味を示さず、仏頂面を崩さない彼女に、そんな生真面目な一面があったなんて思いもしなかった。

 それに、何となく、親近感も湧いた。

 

 

「何か、奇妙な縁があるわね。私達」

 

「……そう、かな」

 

 

 コテンと首を傾げ疑問を口にする雪雫。

 その艶やかな白髪が重力に従って僅かに彼女の顔に掛かっている。

 何をしたらそんなに綺麗な髪になるのか、是非とも同じ女性として聞きたいところだ。

 

 

「そうよ。ほら、入学前の時だって――――」

 

 

 思ってもいなかった人物の来訪に、思わず真は顔を和らげ、彼女との会話に花を咲かせる。

 対する雪雫も、弄っていたスマホを仕舞い、小さいながらも反応を返していた。

 今後の秀尽学園でも、何度か見られるようになるありふれた光景の一つ。

 

 周囲から孤立していた生徒会長は、一筋の光を手に入れた。

 

 

 

 

『そういう訳で、生徒会に入った』

 

 

 最近買ったばかりのイヤホンから、心地良い透明感のあるソプラノボイスが流れる。

 モデル業を通して貯めに貯めた貯金の一部を切り崩した甲斐があったというもの。

 

 

相変わらず唐突で草

 

雪雫ちゃんが良い子だって言うのは良く分かった

 

俺も一緒に学園生活送りたい

 

 

 スマホに映し出されているのは、目まぐるしく変わる戦場。

 私はゲームにそこまで詳しくは無いが、最近流行りのバトルロワイヤル形式の戦争ゲーム、らしい。

 

 

『クラスと違って、生徒会は楽しそう。―――――ん、勝った』

 

 

クラスはつまらないんか?

 

もしかして、コミュしょ……

 

↑それ以上言うと後が怖いぞ

 

呼吸する様に上位帯で一位を取る現役女子高生……

 

 

 彼女のプレイと声に対するリアクションが、コメントとして矢継に流れていく。

 何時もの配信の光景だ。

 

 

『クラス…、というか担任が嫌い』

 

 

ああ…

 

上との反りが合わないと大変だよな。分かる…、分かるわぁ……

 

ヤバイ。何時もより低めの声での嫌いにゾクっとした

 

私も!!

 

 

 彼女も彼女で苦労をしている様だった。

 その何時もより低い声に、心労が見える。

 

 

「ああ、分かるなぁ。それ」

 

 

 ベッドに仰向けで寝っ転がり、瞬きも忘れて画面を見つめる少女、高巻杏は思わず自身の胸中を漏らした。

 自身の憧れである彼女との共通点に、若干の喜びを覚えつつも、その顔は学園生活に思いを馳せ、曇っていた。

 

 

『そろそろ、終わり』

 

 

 ボーっと、画面を眺めていると、配信の主が至福の時間の終わりを告げる。

 

 

おつ~

 

今日は早いな

 

りせちーが来るんじゃね?

 

それなら仕方無い

 

 

 彼女、天城雪雫と久慈川りせの仲の良さは、ファンの間でも有名な話だ。

 何でも、同郷の幼馴染であり、昔から姉妹の様に過ごしてきたらしい。

 それを差し引いても、2人のスキンシップは度を越している気もするが、まぁそれはまた別の機会に話すとしよう。

 

 

『……今日は、りせ来ない。アプリのイベント、やりたいから。』

 

 

そっか、今日開始か

 

俺もやらなきゃなぁ

 

高校生になっても変わらないゲーマーっぷり、わたくし、感服いたしましたわ。

 

 

『それじゃあ。』

 

 

おつ!

 

またね~

 

次の配信は告知してくれ~

 

 

 善処する。その言葉を最後に、彼女の声は聞こえなくなった。

 何時もより短い配信に物足りなさを覚え、私はスマホに入っている音楽を再生させる。

 

 

 夢想/天城雪雫

 

 

 最近リリースされたばかりの彼女の曲が画面に表示されたのを確認して、スマホから視線を外す。

 

 

「……綺麗な声。」

 

 

 天城雪雫。

 今から四年ほど前、彗星の如く現れ、瞬く間に若い世代を中心にその心を掴んだ現役学生歌手。

 

 彼女の透き通るようなソプラノボイスからは想像出来ないほどの力強い歌声。

 心に直接訴えかける様なメッセージ性のある歌詞と、耳に残るリズム。

 そして、MVの時にだけ見せる豊かな表情。

 

 勿論、先程の配信の様に、天城雪雫の魅力はそれだけでは無いのだが。少なくとも当時の私にとってすれば、彼女にハマった切っ掛けはそれだ。

 

 

「頑張らないと。」

 

 

 イヤホン越しの彼女の声が、私の背中を押してくれる。

 また明日から、頑張ってみよう。

 少し、前向きになれた気がした。




本編だと表記が20XX年となっていますが、っここでは2016年とします。

というのも、ゲーム内カレンダーが2016年のものと全く一緒。
P5りせの年齢設定がP4(2012年)終了時から4年後。
という背景があるからです。

一応、P4との別世界説もあるみたいですが、この作品では同じ世界という事で。


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3:That day I meet my fate.

4月9日 土曜日 曇り

 

 

 4月に入り、新年度の始まりを祝福するかの様に続いていた青空も、今日は分厚い雲に覆われている。

 ボードに張られっぱなしのレントゲン写真を眺めながら、狭い診察室内で雪雫はここの主を待っていた。

 

 

「はい、お待たせ」

 

 

 カーテンに遮られた奥の部屋から、ショートカットの白衣を着た女性が気怠そうに出てくる。

 その女性の手に持つのは小さい容器に入った塗り薬と、瓶に入ったカプセル状の飲み薬。

 

 

「ん」

 

 

 短い返事をする雪雫の前の丸椅子に、溜息を吐きながら腰掛け、薬を机の上に置く。

 

 

「服用方法はいつもと同じ。普段は飲み薬の方を。紫外線が強いときは塗り薬も。用法容量は正しく、ね」

 

 

 白衣の女性、武見妙はカルテにペンを走らせながら、やはり気怠そうに呟く。

 

 

「いつも、ありがとう」

 

 

 机に置かれた薬を仕舞いながら、雪雫は武見の目を真っ直ぐに見つめて感謝の意を伝える。

 そんな彼女の言葉に、若干のむず痒さを覚えながら、武見はニヒルな笑みを浮かべる。

 

 

「全く、もっと大きな病院に行けば良いのに。何でこんな藪医者の所に来るんだか」

 

「……今更、新しい病院行くのも面倒くさい。それに」

 

「?」

 

「妙が、好きだから」

 

「………あっそ」

 

 

 武見妙。

 四軒茶屋の入り組んだ路地にひっそりと在る武見診療内科の主。

 患者の事などは二の次で、より効果のある薬品開発に専念する闇医者。と、周りからは噂されている、所謂はみ出し者。

 縁あって、雪雫と昔から交流がある女医で、その関係は今も続いている。

 

 

「最近は、どう?」

 

「どうも何も、あんた以外の患者なんて来ないわよ。―――誰かさんの支援のお陰で生活は出来ているけどね」

 

「そう」

 

 

 興味が有るのか無いのか。

 抑揚の無い返事をしながら、雪雫は鞄から財布を取り出そうとするが、武見の手が鞄を漁る雪雫の手首を掴み、その動きを制止した。

 

 

「お代は結構。私からの入学祝い」

 

「……でも」

 

「良いの。たまには担当医の話くらい聞きなさい。貴女がこうして元気に育っただけで十分なんだから」

 

「…………はぁ、分かった」

 

 

 武見の「絶対に払わせない」という強い意志をその目から読み取った雪雫は、渋々といった様子で引き下がる。

 膝の上の鞄を肩に掛け、身を翻し、狭い診察室を後にしようと、ドアノブに手を掛ける。

 

 

「お大事に」

 

 

 あの時から、立場も環境も変わってしまった武見だが、その患者を労わる様な一言だけは変わらない。

 そんな事実に雪雫は僅かに口角を上げ―――。

 

 

「ん」

 

 

 何時も通り短く返事を残した。

 

 

 

 

「………」

 

 

 渋谷駅の一つと隣の四軒茶屋駅。

 そこから少し離れた場所にある昔ながらの下町と言った様子の入り組んだ商店街。

 スマホに映し出された地図を見ながら、黒髪の眼鏡の少年、雨宮蓮は目的地に向かって足を進めていた。

 

 東京から少し離れた郊外の小さな町で、冤罪により保護観察処分を受けた彼は、地元での居場所が無くなり、追いやられる形でこの地に訪れた。

 この地での彼の保護者に当たる人物は「佐倉惣治郎」という男性。

 

 土地勘が無い彼にとって、この入り組んだ道は迷路の様。

 住民達の道案内の甲斐もあって、迷いながらも辿り着いた場所は、何処か雰囲気のある寂れた「ルブラン」という喫茶店であった。

 

 店の外から店内の様子を覗いてみると、中には店主らしき男と、高齢の夫婦のみ。

 客を出迎える扉には「OPEN」と書かれた板が掛かっている。

 

 

「………」

 

 

 若干の入りにくさを感じつつも、こうしていても始まらない。

 意を決して、蓮は店の扉に手を掛け、店内に足を踏み入れる。

 カランカランと風情のある音が店内に鳴り渡るが、彼を迎える言葉は無い。

 

 

『今、若い世代を中心に圧倒的に支持を――――』

 

「凄いねぇ、最近の子は。15歳で歌手活動なんて。」

 

 

 店内に響くのは、最近話題のアーティストを紹介する女性キャスターの声と、それを眺める老夫婦の声。

 カウンター内の店主は、ブツブツと言葉を紡ぎながら、クロスワードパズルに熱中している様だ。

 

 

「……あの…」

 

 

 目的の人物であろう店主に、恐る恐る声を掛けると、蓮の存在に気付いた様子の店主は、その目線をパズルから彼へと移す。

 

 

「ああ、そうか。今日って言っていたな」

 

 

 店主は頭をポリポリと掻きながら、思い出した様に呟く。

 

 

「女の顔以外はすぐに忘れちまう」

 

 

 どうやら、この店主あまりガラは良く無いらしい。

 

 

「……あの…」

 

「あんな可愛い子がここに来てくれれば、少しは繁盛するのにね」

 

 

 一向に動く気配の無い店主に痺れを切らし、声を掛けようとすると、さっきまでテレビを見ていた老夫婦が呟きながら、カウンターの上に小銭を置く。

 

 

「可愛い子だぁ?」

 

「天城雪雫だよ。最近良く取り上げられているだろう?」

 

「――――興味無いね」

 

 

 店主のぶっきらぼうな物言いに慣れているのか、老夫婦は笑顔を零しながら「また来るよ」と言い残して店を後にする。

 

 

「コーヒー一杯で4時間かよ」

 

 

 置かれた小銭をレジに仕舞いながら、店主は割に合わないという様な表情を浮かべる。

 背中を丸め、だらんと腕を伸ばしながら、彼はカウンターから蓮の正面へと足を運ぶ。

 

 

「お前が例のあれか?」

 

 

 例のあれ、といのは保護観察の事であろう。

 

 

「雨宮蓮です。お世話になります」

 

 

 何処に行こうとも受け入れられないのは、当事者である蓮が一番良く分かっている。

 しかし、だからと言って、礼節を欠くほど、礼儀を知らない訳でも無い。

 しっかりと腰を折り、これから一年お世話になるであろう男に頭を下げる。

 

 

「はん。どんな悪ガキが来るかと思ったら。お前がねぇ。――――佐倉惣治郎だ」

 

 

 店主、佐倉惣治郎は感心した様子で笑みを浮かべる。

 

 

「お前の親とここの客が知り合いで――――」

 

 

 惣治郎は自身の顎髭を弄りながらそう言葉を紡いだその時、店内に来客を知らせる鐘の音が響き渡った。

 

 

「何だ、やけに来客が多いな――――、おや」

 

 

 彼は来客を見るや否や、僅かに嬉しそうな笑みを浮かべてカウンターへと歩を進める。

 手持無沙汰になった蓮は、そんな惣治郎の目線の先、このルブランに訪れた少女に視線を向ける。

 

 

「こんにちは、マスター」

 

 

 そう呟くのは日本人離れした白髪赤目の少女。

 背は低く、顔も幼いが、歳はそう変わらないのだろう。

 彼女の着ている制服は、明後日から自身が通う高校の制服なのだから。

 

 

(……………? 何処かで…?)

 

 

 この少女、何故か見覚えがある。

 実際に会ったことは無い。あれは確か、そう。雑誌かネットニュース、SNS……。

 

 蓮はふと、背後に置かれたテレビに視線を移す。

 テレビは先程と変わらず、例の学生歌手の特集が。画面に映し出されているのは、その歌手の宣伝用の写真。所謂、アーティスト写真だ。

 白髪で赤目。幼さ残す少女の横顔。

 

 

「…………うっ」

 

 

 途端、頭痛が走り、蓮は思わず頭を抑える。

 思考が纏まらないまま、再び視線を移すと、惣治郎は少女に紙袋を渡している所だった。

 

 

「何時もありがとうな」

 

「りせが、マスターの選ぶ豆、気に入ってる」

 

「嬉しい事言ってくれるね。嬢ちゃんは飲めるようになったかい?」

 

「……………ミルクと混ぜれば」

 

「ふっ。ま、そのうち良さが分かるよ」

 

 

 2人の会話を聞いている限り、そこそこの常連の様だ。

 

 

「また来る」

 

「あいよ。今度はりせちゃんも連れてきな」

 

「伝えとく」

 

 

 時間にすれば5分も居なかっただろう。

 少女は会計を済ますと、蓮を一瞥する事無く、ルブランを去る。

 

 

「ああ、悪いな」

 

 

 一部始終を見ていた蓮に、そう言いながら惣治郎は再びカウンターを出る。

 

 

「今の子は……」

 

「ん、ああ。常連さんだよ。たまに来るんだ。何でも、嬢ちゃんの友達がここのコーヒー気に入っているみたいでな。確か、今年から秀尽―――、お前と同じ学校の筈だ」

 

 

 今年から、という事は蓮の一つ下の学年だろう。

 

 

「客の事はいいだろ。付いてこい」

 

 

 考え込む蓮を余所に、惣治郎はそう言って店の奥へと向かう。

 あ、はい。と小さく呟き、彼に案内されるまま、二階へと続く階段を上る。

 

 喫茶店の二階……、というよりは屋根裏部屋。

 物置として使っているのだろう。ボロボロの家具や、錆び付いた自転車等が埃を被ったまま、乱雑に置かれていた。

 

 今日から一年間、蓮の部屋として宛がわれる場所。

 

 お前の部屋だ。と言われた時、思わず顔を顰めてしまったのは、蓮だけの秘密だ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

4月10日 日曜日 曇り

 

 

「マスターが、たまには遊びに来て、だって」

 

「行きたいのは山々なんだけどねぇ。忙しくて忙しくて……」

 

 

 黒のスウェットの上にエプロンを掛け、コーヒーをカップに注ぐ雪雫は、食卓に突っ伏せるりせに昨日の出来事を話していた。

 コーヒーを淹れた雪雫は、その白髪を揺らしながら突っ伏せるりせの元へと運ぶ。

 

 

「お疲れ様。りせは良く、頑張っている」

 

 

 疲れたーっと呟くりせの頭を、ねぎらいの言葉を掛けながら撫でる雪雫。

 

 

「うう…、雪雫ママぁ……」

 

「………ママじゃない」

 

 

 不服そうに眉間に眉を寄せながら、腰に回している紐を解き、エプロンを椅子の背もたれに掛ける。

 りせの向かい側に座り、自身の用意したコーヒーミルクにガムシロップを溶かしながら、スマホに映し出されたトップニュースの記事を視線で追う。

 

 

「……地下鉄の事故。まだ復旧しなさそう」

 

「そっかぁ。明日には復旧すると良いけど……」

 

 

 多くの人が利用する都心部の地下鉄で起きた凄惨な事故。

 乗客を安全に運ぶ筈の地下鉄が、その乗客を乗せたまま暴走し、ホームに乗り上げてしまったらしい。

 主要路線という事もあり、都心部を中心に交通のダイヤは乱れ、ほぼ麻痺状態で復旧に目途も未だに立っていない。

 

 

「明日も仕事?」

 

「午後からねぇ…」

 

 

 溜息を吐きながら、りせは用意されたコーヒーを口へと運ぶ。

 

 八十稲羽を離れ、再び東京へと戻ってきたからというもの、りせに待っていたのは、仕事の日々。

 故郷での高校生活を終え、より魅力に磨きが掛かった彼女の人気はさらに爆発。以前にも増して忙しい毎日を送っていた。

 

 

「……泊まる?」

 

「泊まるぅ。」

 

 

 雪雫とりせは同棲している訳では無い。

 いや、実際、りせが雪雫の元へ遊びに来る頻度が高すぎて半同棲状態なのだが、一応彼女は事務所所属のアイドル。中々自由に行動できないらしい。

 

 

「明日学校だから、戸締りだけ宜しく。」

 

「送ろうか?」

 

「ううん。明日は普通に。」

 

 

 数日前、川上に言われた言葉を雪雫は思い出す。

 りせの好意を無下にする訳では無いが、やたらむやみに注目を集める趣味は無い。

 

 

「りせに送って貰ってるなんて知られたら、大騒ぎ。」

 

「それもそうかぁ。残念。」

 

 

 ん、美味しかった。と呟きながら、りせは穏やかな笑みを浮かべる。ファンが見れば卒倒してしまう様な、安心した様な穏やかな笑み。

 りせが雪雫の前だけで見せる表情だ。

 

 

「大騒ぎと言えば。」

 

「?」

 

「学校ではどう? それこそ大騒ぎになってない?」

 

「…普通。」

 

「そうなの? 別に変装とかもしてないよね?」

 

「ん、めんどくさい。」

 

 

 んー、都会の子って案外そういうものなのかな、と何処か納得いかない様子のりせ。

 

 

「りせは、騒ぎになって欲しい?」

 

「いや、そういう訳じゃないんだけど……。何だろう、面倒くさいオタク心と、言いますか……。」

 

「………?」

 

 

 小首を傾げる雪雫の姿も可愛いなぁ、とりせは説明を放棄して目の前の少女を観察する。

 

 重力に従って肩に掛かる白髪が、スウェットの色も相まって良く映えている。

 うんうん、やっぱり良く似合っている。選んだ甲斐があった。

 

 

「よぉし、今日は雪雫成分を一杯吸収するぞぉ!」

 

「……どうやって?」

 

「いっぱいくっつく。」

 

「何時もと変わらない。」

 

 

 仕事の疲れが抜けないが、雪雫の姿を見ていたら、ふつふつと元気が湧いてきた。

 

 

「まぁまぁそう言わず、お姉さんの所へ!」

 

 

 膝をポンポンと軽く叩くと、無関心な物言いとは裏腹に、言われるがまま、彼女の膝上にチョコンと座る雪雫。

 猫みたいな彼女が愛しくて、首筋に顔を寄せる。

 

 

「……ん、くすぐったい。」

 

 

 逃げようと僅かに身じろぐ雪雫を、逃がさない様。お腹へと回す腕の拘束を強くして。

 私の動きに合わせて素直に反応を示す彼女が可愛くて。時折漏れる声が艶やかで。

 

 

「うへへへ。」

 

「りせ、変態っぽい……。」

 

 

 あまり意地悪すると夜一緒に寝てくれなさそうだから、行き過ぎない様に、慎重に。

 彼女の絹の様な艶やかな白髪が顔に当たってくすぐったい。

 

 

「良いでは無いか~!」

 

 

 りせのスキンシップは、雪雫に軽く叩かれるまで続いた。



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4:Game Start.

4月11日 月曜日 雨

 

 

 先程まで空を覆うだけで済んでいた雲もついに決壊。

 春の訪れを告げる満開の桜を散らす様に、雨が地面を打ち付けていた。

 

 

「あ………」

 

 

 転入の手続きを済ませた学校へと向かう為、地下鉄から地上へと出た雨宮蓮は、空を見上げて小さく呟いた。

 新居となったルブランを出た頃は、まだ雨は降っていなかった。

 その時から淀んだ雲に覆われていたが、まだ荷解きが終わっていないし、傘一本の為に朝からするのも面倒くさい。かといって一日の為に買うのも勿体無い。

 一縷の望みを抱いて、傘を持たずに出たが、失敗だった様だ。

 

 昨日の教師陣の反応を見るに、自分はやはり歓迎されるような存在では無い。

 初日から遅刻をして、只でさえ悪い印象をさらに悪くするのは愚策だろうと思い、早めに家を出た為、まだホームルームには時間がある。

 

 キョロキョロと雨宿り出来そうな場所を探して、蓮は周りを見渡す。

 

 駅の入口のすぐ近く。

 そこにある雑居ビルの下に屋根があるのを確認し、小走りで向かう。

 

 

「…………」

 

 

 制服に付いた水滴を払う。

 少しでも雨が弱まればと、空を見上げていると、白いフードを被った女子生徒が蓮と同じ様に屋根の下に駆けてきた。

 

 

「………はぁ」

 

 

 憂いを帯びた声が、女子生徒から漏れる。

 その溜息が漏れ出ると同時に、女子生徒はフードを外し、その端正な顔を露わにした。

 

 二つ結びにしたクリーム色の髪、長い睫毛。

 ハーフか何かだろうか。

 その容姿は、日本人と言うには、あまりにも顔立ちがハッキリしていた。

 

 

「…ん、付いてる」

 

 

 蓮の視線に気づいた女子生徒は、彼を見るや否やそう呟き、蓮の前髪へと手を伸ばす。

 

 

「え……?」

 

 

 急に迫る細長い指に戸惑いつつも、されるがままの蓮。

 しばらくして離れていく彼女の指には、一片の桜の花びらがつままれていた。

 

 

「嫌な雨。折角綺麗に咲いたのに。散らさないで欲しいわね」

 

 

 そう言いながら女子生徒は雨雲に覆われた空を仰ぐ。

 彼女につられて空を見上げようと、視線を女子生徒から外したその時。

 

 

「あ―――」

 

 

 視界の端に映った地下鉄の入口付近で、同じ様に空を仰ぐ小さな女子生徒が居た。

 白い髪、白い肌。ここからは目視出来無いが、恐らく赤い目。

 先日ルブランで見た、人形の様な女の子。

 

 

「あの子、また空を見てる」

 

 

 蓮の隣の女子生徒も気づいたのか、空へと向けていた視線は、同じ人物へと注がれていた。

 

 

「有名なのか?」

 

「ちょっとね」

 

 

 惣治郎は今年になって入学したと言っていた。

 彼女の事を知っているという事は、この女子生徒は一年生なのだろうか。

 

 そんな事を考えていると、蓮の耳に車のクラクションが届く。

 

 

「遅刻するぞぉ! 高巻、乗っていくか?」

 

 

 次に聞こえたのは快活そうな男の声。

 車の窓から出てきたのは人当たりが良さそうな笑みを浮かべた恰幅の良さそうな男。

 

 

「―――はい」

 

 

 隣にいる女子生徒は高巻というらしい。

 学生の名前を知っているという事は、秀尽学園の教師――、少なくとも関係者なのだろう。

 

 高巻は、少し考える素振りを見せたものの、僅かな笑みを浮かべて男の乗る車へと乗り込む。

 

 

「天城もどうだ?」

 

「―――――」

 

 

 男の声は良く響くが、天城と言われた少女の声は小さいらしく、蓮には聞こえない。

 しかし、天城が小さく首を振っている辺り、断ったらしい。

 

 

「そうか」

 

 

 短く呟き、男は車を走らせる。

 車が行ったのを確認して、天城もそのまま同じ方向へと歩き出した。

 

 

「っ。鴨志田の野郎…!」

 

 

 ふと、誰も居なくなった筈の蓮の元に、新たな声が加わる。

 ポケットに手を突っ込み、髪を金髪に染めた、素行の悪そうな男子生徒。

 

 

「かもしだ?」

 

「今の車だよ、鴨志田だったろ? 好き勝手しやがって…。お城の王様かよ」

 

 

 どうやら高巻に声を掛けた男は鴨志田というらしい。

 この男子生徒の口振りを見るに、相当の恨みを買っているみたいだが―――。

 

 

「そう思わねぇか?」

 

「……ええと…」

 

 

 転入初日の蓮に、学校の環境や人間関係など分かる筈も無い。

 男子生徒の話に付いていけず、困惑していると、男子生徒は不思議そうな表情を浮かべる。

 

 

「んだよ、反応悪いな…。お前秀尽だよな?」

 

「秀尽学園の事?」

 

「学年は―――」

 

 

 金髪の少年は蓮の胸元に付いている学年を表すバッジを見て「タメかよ。」と一言。

 

 

「見ねぇ顔だな……。何組だ?」

 

「まだ聞いていない。」

 

「まだ?」

 

 

 しばらく考え込む素振りを見せた後、合点がいった様に少年は「ああ!」と声を上げた。

 

 

「お前、例の転校生か!」

 

「うん」

 

「んじゃあ、知らない訳だ!」

 

 

 朗らかな笑みを浮かべる少年に、蓮もつられて笑みを浮かべる。

 見た目だけは素行が悪そうに見えるが、話していると素直で良い奴みたいだ。

 

 ひとしきり会話を交えた後、蓮と金髪の少年は、足早に学校へと向かった。

 それが戦いの始まりであるということも知らないまま。

 

 ・

 ・

 ・

 

 これが蓮にとっての最初の仲間との出会い。

 この後、現実のものとは思えない光景を、そして体験を目の当たりにするのだが、それはまた別のお話。

 

 

「ふわぁ……」

 

 

 裏で起きている事件は露知らず、睡魔を誘う先生の声を聞きながら、その瞳を僅かに濡らしていた。

 

 

 ――――少女が舞台に上がるのは、まだ先の事。

 

 

 

 

同日

秀尽学園高校 生徒会室

 

 

 朝に降っていた雨は止んだものの、未だに分厚い雲に覆われている空。

 こんな天気じゃ何も見えないだろうな、と雪雫は呑気に考えながら、立場で言うと直属の上司に当たる少女の話を流し聞きしていた。

 

 

「―――実りある学園生活を送れる様、切に願っております。以上、秀尽学園高校生徒会長、新島真」

 

 

 ふぅっと何処か満足気な表情を浮かべて、どうかしらと自信あり気に雪雫に視線を送る真。

 

 

「固すぎ」

 

 

 溜息を吐きながら、真の期待をバッサリ。

 

 

「そ、そうかしら…。今まで通りにやってきたのだけれど…」

 

 

 不服そうに眉を顰める真に、再び「はぁ」と溜息を吐く雪雫。

 

 

「ただの球技大会。簡単で良い」

 

 

 先程まで真が雪雫に聞かせていたのは、明後日に控えた学園全体の行事である「球技大会」で行われる生徒会長の挨拶。

 球技大会の運営を生徒会が請け負うのは、雪雫からしてみれば甚だ疑問だが、それに意見を言える様な立場じゃないし、立場であっても言う気は無い。

 

 兎に角、生徒会を中心に球技大会を運営しなければならないのだが、その仕事内容に含まれる開催前の挨拶が何とも退屈で、お堅いものだった。

 

 

「ここはビジネスの場じゃない。聞かせる相手は同じ学生。真面目過ぎ」

 

「うぅ…、なら雪雫が文を考えてみなさいよ!」

 

 

 仕返しの様にそう言われた雪雫は、手に持つシャープペンシルをクルクルと回しながら、思考を回す。

 

 

「………みんな、頑張って」

 

「それは簡潔過ぎ」

 

 

 極端なんだから。と呟き、何処か出来の悪い妹を見るような目で見つめる真。

 

 

「うん、まぁ良いわ。まだ時間あるし、もう少し柔らかい言葉で作り直してみる」

 

「その方が良い」

 

 

 自宅で書いたであろう原稿をクリアファイルに仕舞うのを眺めながら「パソコンで打てばいいのに」と雪雫はぼんやりと考えていた。

 真に伝えても良かったが、いちいち突っ込んでいると時間がいくらあっても足りないと踏んだ彼女は、出掛かった言葉をそのまま飲み込んだ。

 

 

「さてと、今日はこんな所かしらね」

 

「お疲れ様」

 

「雪雫もね。えぇと、次は……」

 

 

 鞄から取り出したスケジュール帳(意外にも可愛らしい)を眺める真。

 彼女から出るであろう続きの言葉を待って、自身の鞄を抱えながら雪雫は足をぶらぶらと遊ばせていた。

 

 

「14日…、部活の予算決めか……」

 

「14日…」

 

 

 僅かに申し訳無さそうに、眉を顰める雪雫の様子に、真は首を傾げる。

 

 

「都合が悪い?」

 

「………ん、仕事」

 

 

 そっかぁ、と少し残念そうに呟くも、それも一瞬の事。

 真はすぐに切り替えて、申し訳無さそうにしている雪雫を安心させるように柔らかい笑みを浮かべた。

 

 

「大丈夫よ。急に決まった事だしね。それに予算決めって言っても大したことないわ。毎年一緒だから」

 

 

 実績のある部活に予算は多く割り振られ、そうでない部活には……。

 仕方無い事とは言え、随分世知辛い構造だ。

 きっと、今年も予算の大部分がバレー部へと注がれるのだろう。

 

 

「ん、ごめん。ありがとう」

 

「さ、帰りましょ」

 

 

 冬は明けたとは言え、時期はまだ早春。

 分厚い雲も相まって、重く暗くなっていく空を眺めながら、二人は学校を後にする。

 

 

「そういえば、何のバイトをやっているの?」

 

「…?」

 

「ほらさっき、仕事って」

 

 

 歩幅を揃え、駅に向かっている途中、先程の雪雫の言葉を思い出し、真は疑問を口にする。

 

 口下手の雪雫の事だから、接客業では無さそうだが、かといって他の仕事をしているイメージも浮かばない。

 単純に、純粋に、興味が湧いたのだ。

 

 

「ん……」

 

 

 真の質問は難しくないモノの筈なのに、珍しく彼女は言葉を選んでいるかの様に考え込んでいた。

 

 

「………自由業?」

 

「自由業…」

 

「うん、多分」

 

 

 釈然としない言い方に、ますます興味が引かれるが、もう時間も遅い。

 聞くのはまたの機会にしようと、己の気持ちに決着を付け、真は雪雫を連れ、地下鉄の改札へと下って行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

4月13日 水曜日 曇り

 

 

 力強いスパイクがネットの上から放たれる。

 体育館全体に響き渡る程の音と共に、ボールは勢いを一切殺す事無く、黒髪の男子生徒に向かい、その細い身体を吹き飛ばした。

 

 

「………ん」

 

 

 口に咥えた笛を短く鳴らし、右手を水平に上げて、ボールインの意を伝える。

 

 

「よぉし!!」

 

 

 審判―――、雪雫のハンドサインを見るや否や、点を取ったチーム。つまりは鴨志田のチームからどっと歓声が沸いた。

 その歓声は鴨志田の活躍に対しての女子からの黄色い声。その中心に居る彼は、満更でもない様子で、女子生徒一人一人に目配せしていた。

 

 

「………」

 

 

 鴨志田チームとは対照的に、相手のチームはしっかり意気消沈しており、皆一様に沈んだ表情を浮かべていた。

 そしてそれは。

 

 

「つまんない」

 

 

 雪雫も同様だった。

 

 秀尽学園での恒例行事であるという球技大会。

 当日は授業が無いという事もあり、少し楽しみにしていた雪雫だったが、蓋を開けてみれば授業の方がマシだっただろう。

 

 なぜならば、元バレーボール選手。日本が誇るメダリストである鴨志田。 

 そんな彼が、彼だけが活躍し、称賛される、慰めにも等しいイベントだったからだ。

 

 心が躍る接戦も、目を奪われるようなファインプレーも、そこには存在しない。

 

 このイベントの主役は他でも無く鴨志田。

 自身をちやほやする女子生徒は彼の所有物。そうでないものは彼の餌。という所だろうか。

 

 

「……早く終わらないかな」

 

 

 誰にも聞こえない様に小さくぼやきながら、笛を再び咥えて、ピっと鳴らした。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「あいつも浮いてんなぁ……」

 

 

 体育館の隅にしゃがみ込みながら、金髪の少年「坂本竜司」は審判を務める背の低い少女を眺めていた。

 

 

「あいつ?」

 

「ほら、鴨志田のとこの試合で審判やってる―――」

 

「ああ、あの子か。知っているのか?」

 

「詳しい事は何も。ただ、殆ど口を開かない上にあの仏頂面…、それが誰に対しても、だ。どんな環境を生むか、お前なら分かるだろ?」

 

「……ああ」

 

 

 彼女も自分達と同じなのだろう。

 誰からも理解されず、周囲から誤解され、その誤解故に寄り添う者は存在せず、孤立する。

 

 自分自身、竜司と出会い、同じ力に目覚めていなければ、こうして語り合う事も無かっただろう。

 

 

「つっても、俺らに出来る事は無いけどな。はみ出し者の俺らが声を掛けた所で、なぁ?」

 

 

 再び、竜司はつまらなそうにしている(様に見える)白髪の少女に目を向ける。

 試合は終わった様で、勝ったチームも負けたチームも同様に、談笑に花を咲かせているが、誰も少女に近づこうとはしない。

 

 彼女を見ながら、ふと、蓮は思った。

 そういえば、彼女の名前を知らないな、と。

 

 

「竜司、彼女の名前を知っているか?」

 

「ん? ああ。それ位なら知ってるぜ。何かと有名人だからな」

 

 

 老舗旅館を実家に持つ箱入りのお嬢様。

 主席での入学。

 日本人離れした容姿。

 

 入学前から何かと注目を集めていたらしい。

 

 しかし、何処か引っかかる。

 重大な何かを見落としている様な――――。

 

 

「名前は確か―――天城…、天城雪雫だ」

 

「天城、雪雫」

 

 

 噛みしめる様に名前を繰り返す。

 その名前が記憶に定着する様に、忘れない様に。

 

 

「ああ、そうだ。ビックリするよな! あの有名な人気歌手と同じ名前――――。……ってマジか?」

 

 

 その名前が自身の記憶に深く刻み込まれたその時、頭に掛かっていた靄が晴れた様な気がした。




この小説では明かされない4月12日の出来事

竜司はペルソナ能力に目覚めた!
戦車(竜司)のコープが生まれた!
愚者(イゴール)のコープが生まれた!


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5:Girl's work? / Girl‘s agony!

4月14日 木曜日 晴れ

 

 

 連日の分厚い雲が嘘の様に無くなり、澄み渡る青空が広がる今日。

 誰もが朗らかな太陽に照らされながら歩く中。

 白髪の少女と黒髪の女性記者は、僅かに壁越しから歌声が聞こえる薄暗い密室で向き合っていた。

 

 

「……よろしく、大宅」

 

「えぇと、なぜカラオケボックス?」

 

 

 今をトキメク現役女子高生歌手、天城雪雫。

 その透き通る様な歌声と、心に残る歌詞から、若い世代を中心に――――。っていう紹介はもう良いだろう。

 うん、初めましてっていう訳でも無いんだし。

 この書き出しはナシナシ。

 

 

「大宅の会社じゃ、落ち着かない」

 

 

 取材には殆ど取り合わず、テレビ出演もしない(特集は勝手に組まれてる)、露出も自身の活動範囲内のみ。この事から、メディア嫌いと業界内では噂されている少女、天城雪雫。

 そんな彼女から、アタシになら取材を受けても良い、と連絡が来たのは数か月前の事。

 

 

「まぁ、結構ゴチャってるもんなぁ…」

 

 

 自身が身を置く編集部の惨憺たる状況を思い返し、苦笑いを浮かべる大宅に、雪雫は小さく首を振る。

 

 

「そっちじゃなく、大宅の上司」

 

「……プッ、あっはははは! そっかそっか、雪雫は部長が嫌いか! そりゃ会社には行きたくないわな!」

 

 

 落ち着いた普段の様子からは想像出来ない、子どもらしい我儘に、思わず大宅は腹を抱える。

 

 

「……? 変な事、言った?」

 

「あー、お腹痛い…。いやぁ? 至極真っ当な意見だと思うよぉ。アタシもあいつ嫌いだし」

 

 

 そう。と小さく呟く目の前の少女の目を見つめる。

 日本人じゃまず有り得ない、透き通る様な赤い目。こちらの心の奥まで見透かしている様な、そんな目。

 もしかしたら編集部に来なかったのは、私が部長の事が嫌いというのを見抜いての事なのかもしれない。そんな事、一言も言った事は無い筈だが、この少女なら見透かしていても不思議ではない。

 

 

「でも、ララちゃんのとこでも良かったじゃない。お酒飲めるしぃ。あ、アタシがね!」

 

「補導される」

 

「それもそうか」

 

 

 夜の新宿にこんな少女が一人居れば補導は必然。

 寧ろされなかったら、警察にこの税金泥棒!と怒鳴りつけるところだ。

 やらないけど。

 

 

「さぁ、世間話はこれ位にして、取材に入りますかねぇ。今日も良い話、お姉さんに聞かせてね」

 

「ん、善処する」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 最初、連絡が来た時は戸惑った。

 天城雪雫がメディア嫌い、という噂を聞いていたからというのもあるが。

 

 

 何故、私に?

 

 

 単純にそう思った。

 以前の経歴を踏まえても、彼女との接点等まるで存在しない。

 何より、三流雑誌のゴシップ記者である私に、トップアーティストである彼女が連絡を寄越した事が不思議でしか無かった。

 

 部長はまたとないチャンスに鼻息を荒くしていたが、アタシはそうはならなかった。

 

 

 何か裏があるのではないか。

 

 

 こんな何処にでも居る様なゴシップ記者を相手にするメリットなど、普通は無い。

 相手は十代にして、成功した勝ち組だ。何か意図が、打算的な考えがある筈だ。

 彼女と会う直前まで、考えに考え込み、そして―――。

 

 

 りせに言われたから。

 

 

 実際に会った時、彼女はそう言った。

 りせ―――、つまりは久慈川りせに、アドバイスされたから、取材を受けようと思っただけ。

 アタシを選んだのは、過去に読んだゴシップ記事の言葉のチョイスが面白かったから。

 ただ、純粋にそれだけだった。

 それ以上でもそれ以下でも無かった。

 

 直前まで勘ぐっていた自分がアホらしく思えたと同時に、彼女に対して抱いていたイメージも変わった。

 

 

 天城雪雫という少女は、損得勘定で物事を決めれるほど、器用じゃない。

 

 

 彼女は有りのまま、思うがままに行動する。

 隠し事が出来ないのか、隠す必要が無いと考えているのかは分からないが、気分のまま、雲の様に。

 

 取材をして何度も驚いた。

 他の人なら戸惑う事も、平気な顔して口走るのだから。

 

 これが別の記者なら、喜々として全てを世に晒していただろうが、アタシはそこまで落ちぶれていなかったらしい。

 何時間も、何日もかけて、記事にしていい内容と、そうでない内容を選別し、彼女の言葉が意図せず変化しない様に、細心の注意を払い……。

 

 正直、面倒臭いったらありゃしない。

 事実、何も考えず、ある事ない事騒ぎ立てるゴシップ記事の方が100倍楽だ。

 

 しかし、この面倒臭さが、懐かしいと感じていたのも事実だ。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「………なぁるほどねぇ。りせちーが…、ふぅん」

 

「一緒に寝る時は、ずっとベッタリ」

 

「相変わらず仲がよろしい事で。……使えねぇな、こりゃ

 

 

 雪雫のプライベートに事について興味本位で聞いてみれば、顔を覗かせたのはトップアイドルの裏の顔。

 自身にとっては普通の事でも、人によっては劇薬となり得る事を、どうやら雪雫は知らないらしい。

 なぜ付き合っていないのか不思議になるくらい、その内容は甘ったるいものだった。

 

 こんなの記事にした暁には、今後のりせちーの活動にも影響が出てしまうだろう。(それはそれで受けそうな気もするが。)

 一応、事務所所属のアイドルである以上、ブランドは保ちたい筈だ。

 

 カットカット。

 この質問は無かった事にしよう。

 

 

「前から思ってたんだけどさ、アンタ素直に喋り過ぎじゃない? 少しはそういう所に神経使わないと、あらぬ事まで世間に晒されちゃうわよ」

 

「だから大宅だけに喋ってる」

 

「……へ?」

 

「大宅なら、信頼できる、から」

 

「へー…信頼、ね」

 

 

 面と向かって言われると、少々照れくさい。

 綺麗な赤い目が、真っ直ぐとアタシに注がれている。

 

 

「……ま、期待に応えられる様、頑張りますよ」

 

 

 記事を一本書くには、まだ内容が薄そうだ。

 どうせ、添削したら半分以上がボツになるだろうし、たまには根気良く取材を続けて見ますかね。

 

 

 小さなカラオケボックスで行われた取材は、雪雫の元にりせからの連絡が来るまで続いた。

 

 

 

 

同日

渋谷駅

 

 

 竜司に付き合い、天城雪雫を探して学園中を駆け回った帰り道。

 渋谷駅の片隅で見知った顔を見付け、蓮は足を止めた。

 

 

「集中出来ていないみたいだし、もう帰って良いよ」

 

 

 カメラを持った男にそう言われた少女、高巻杏は顔を曇らしたまま、足早にその場を去った。

 遠のいていく彼女の背中を何処か嬉しそうに見送った後、残ったもう一人の女が媚びる様な声音で、男に話抱える。

 

 

「…………」

 

 

 何かの―――いや、雑誌の撮影だろうか。

 高巻杏という少女は、モデル業に携わっている。と言う話を竜司から聞いたことある。

 

 

「……高巻さん……………」

 

 

 自然と、帰り道とは逆方向の、彼女が向かった方向へと足を進めていた。

 

 鴨志田のパレスの中で見た光景。

 学園内で蔓延る彼女に纏わる噂。

 

 放っておける筈は無く、次第に足の進みは早くなり、気づけば必死に彼女の姿を探していた。

 そして―――。

 

 

「―――先生、それ話別じゃないですか!?」

 

 

 渋谷の駅前広場で、「先生」と呼ばれる人物と電話しているのを、耳にした。

 

 

「……あ―――」

 

 

 小さな呟きと同時に、彼女は往来の人の目を気にせずその場に座り込む。

 形の良い眉が眉間により、その目に涙を貯め、僅かにスマホを持つその手が震えている。

 それでも、覚束ない指でスマホを操作しようとしたその時、彼女は蓮の存在に気付いた。

 

 

「アンタ…! ちょっと…、聞いてたの!? ……趣味悪くない?」

 

 

 先程の表情とは打って変わって、抗議するような目で蓮を睨め付ける彼女。

 聞き耳を立てていたという事実には変わりなく、あれこれと言い訳を脳内に浮かべている蓮だったが、次第に彼女からの圧が弱まっていくのを感じて、その考えを止める。

 

 

「……話、聞くよ」

 

「…………」

 

 

 出来るだけ優しく、包み込む様に言葉を紡いだ蓮に対して、答えは続かなかったものの、代わりに彼女は小さく頷いた。

 

 

 ・

 ・ 

 ・ 

 

 

 ビックバンバーガー。

 渋谷のメイン通りの中央に位置する、ハンバーガーチェーン店。

 名前の通り、宇宙をモチーフにした店内装飾が施され、メニューも銀河に由来するモノとなっている。

 中でも目玉はビックバンチャレンジという、人の身体の限界を無視した、超ド級の巨大ハンバーガ―だが、それに挑む状況では無さそうだ。

 

 平日の夕方というのもあり、店内は学生中心に賑わい、頻繁に人の入れ替わりが行われている。

 彼女の様子を見るに、あまり人に聞かせる内容では無いだろうと思い、比較的客の入れ替わりが無い奥のテーブルに彼女を案内し、高巻さんの口が開くのを待った。

 

 気まずい雰囲気を誤魔化す様に、注文したお茶を半分ほど喉に流し込んだ所で、彼女は恐る恐ると言った様子で言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「…………」

 

 

 最初は鈴井志帆との馴れ初めや、彼女が送っていた学校生活等、明るくて華やかな話だった。

 しかし、次第にその話にも影が差してくる。

 後半になるにつれて、話に出てくる回数が増えた人物、そう鴨志田だ。

 

 最初は生徒を純粋に心配する、そんな教師の仮面を被っていたらしい。

 鈴井さんのメンタル面から、バレー部でやっていけない事を危惧した鴨志田は、彼女と仲の良い高巻さんに相談を持ち掛けた。

 

 顧問としては鈴井さんをレギュラーから外すことを考えている。しかし、それを考え直す用意もある。それには鈴井さんの事をもっと知る必要がある、と。

 初めから下心あっての行動だろうが、親友のピンチに高巻さんは気付けなかった様だ。

 

 後は大方想像通りだった。

 気弱な鈴井さんを守る為に、高巻さんは身を扮し、鴨志田はそんな彼女の健気な様子で気を良くし――――。

 

 身体を差し出す様に迫った。

 

 

「…どうしよう……、ねぇ……? …………どうすればいい?」

 

 

 ひとしきり話した高巻さんの瞳から、大粒の涙が零れだした。

 彼女の水色の瞳が歪み、それを隠す様にその手で覆われる。

 

 

「…………」

 

 

 泣きじゃくる彼女を前に、蓮は掛ける言葉を持ち合わせてはいなかった。

 

 

 

 

「…………」

 

「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりですか?」

 

 

 物静かな雰囲気の白髪の少女、雪雫は朗らかな笑みを浮かべた店員の前で、メニューに視線を落とし、しばらく考え込む。

 

 

「限定アースバーガー、ビックバンバーガー。ポテト2つ……。あと、ビーナスサラダ」

 

「かしこまりました! ………1960円となります!」

 

「……ん」

 

 

 財布から代金分を取り出し、会計を済ますと、「少々お待ちください!」と言葉を残して、店員は厨房の方へと消えていく。

 人手が足りないのであろう。

 雪雫の後ろにも二組ほど待っている人々が居るのにも関わらず、レジが解放される様子は無い。

 

 

「…………」

 

 

 暫く時間が掛かりそうだ、と人の出入りの邪魔にならない店の隅へ移動して、ポケットからスマホを取り出す。

 

 

「……あ…」

 

 

 一瞬、ゲームを開こうとしたが、彼女へ返事を返していない事を思い出して、メッセージアプリをタップする。

 ジャンキーな食べ物が食べたい!!!というメッセージが最後に表示されたりせとのトークルームを開き、慣れた手つきでキーボードを叩く。

 

 『ビックバンバーガー買って帰るよ』

 

 普段の彼女と同じ様に、簡潔でシンプルな文。

 

 

「……ん、おっけ」

 

 

 りせへきちんと送れたことを確認した雪雫は、欠かさずプレイしているアプリゲームのアイコンをタップし――――。

 

 

「君は―――」

 

 

 ようとした所で、制服を着た黒髪の少年に声を掛けられた。

 

 

「…? 私を、知ってる?」

 

「え、あ……、うん。前にルブランで……。それに、同じ学校だし」

 

「………分からない」

 

「そっか……」

 

 

 深く考え込んだ様子の雪雫だったが、どうやら記憶に無いらしい。

 申し訳なさそうに眉を顰めたその表情が、全てを物語っていた。

 

 

「ごめん」

 

「気にしないで良いよ」

 

 

 ルブランで会ったはいえ、時間にすれば五分も無い。

 無理もないか、と蓮は結論付けて、彼女の瞳を覗く。

 

 

「………」

 

 

 やはり、見れば見る程、雑誌やテレビの特集で見る彼女と重なる。

 天城と言う苗字もそんなにありふれた物では無い。

 竜司の言う通りなのだろうか。 

 

 

「……何?」

 

 

 蓮の観察する様な視線に、居心地の悪さを覚えて、雪雫は訝し気な表情を浮かべる。

 

 

「……いや、似てるなって。その…彼女に」

 

 

 そう言いながら、蓮は自身のスマホを取り出し、登校中に見ていたネットニュースの記事を見せる。

 そこに書かれているのは「天城雪雫」の新曲に関する内容と、彼女のアーティスト写真。

 

 

「………はぁ」

 

 

 少し、ほんの少しだけ、雪雫は面を喰らった様子で目を見開いたが、すぐに何時もの調子に戻り、溜息を吐く。

 

 

「似てるも何も、本人」

 

「…………ホントに?」

 

 

 想像以上にあっさりとした反応が予想外だったのか、蓮は思わず聞き返す。

 

 

「疑う余地、ある?」

 

「いや、学園の皆が、気づいて無さそうだったから。その、別人なのかな、って」

 

 

 蓮の疑問も最もで、目の前の少女は世間に晒している姿そのままで学校に通っている筈なのに、誰も彼も彼女の話をしようとしない。

 まるで自分自身と他の人で、見えているものが違うのではないかと思う程に。

 

 

「……みんなが鈍感」

 

 

 そんな訳ないだろ。と突っ込みたかったが、それは叶わない。

 どうやら彼女の注文の品が出来たらしく、店員が持ち帰り用の袋を雪雫に渡す。

 

 用事を済ませた雪雫に、この場に留まり続ける理由は無い。

 身を翻し、ハンバーガーの入った袋を携えて、雪雫は店の出口へと足を運ぶ。

 

 ここで声を掛ける程の度胸も関係値も、今の彼には無い。

 小さくなっていく彼女の背中を眺めていた時、蓮の中にふとした疑問が生まれる。

 

 

「そういえば、学校……」

 

 

 日中、正確に言えば放課後も含めてだが、蓮は竜司と共に彼女を探し回ったが、結局見つける事は叶わなかった。

 加えて彼女は今、学校帰りの学生がごった返す平日の夕方にも関わらず、制服は着ておらず、白いワンピースに黒いジャケットを羽織っていた。所謂、私服だった。

 

 

「…今日は………、仕事?」

 

 

 そう言い残して、雪雫は駅の方へと消えていった。

 

 

「何で自分の事なのに、疑問形なんだろう……」

 

 

 不思議なもの言いの彼女に、釈然としないが、泣いたまま去った高巻さんが気がかりだ。

 学校に通う「天城雪雫」とアーティストの「天城雪雫」が同一人物という事が分かっただけでも十分だろう。

 

 

「……パレス、か」

 

 

 異世界で出会った猫(?)、モルガナに言われた事を思い出しながら、蓮も彼女達に遅れて帰路に着いた。



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6:Why would she…?

4月15日 金曜日 曇り

 

 

 一人の少女が、屋上に立っていた。

 

 

「…………」

 

 

 運が良ければ、苦しまずに死ねるほどの。運が悪ければ、もしかしたら苦痛を伴うかもしれない、高くも低くも無い絶妙な高さ。

 

 

「杏……」

 

 

 少女、鈴井志帆は唯一の親友である、心優しき少女の名前を小さく呟く。

 

 楽しい日々だった。

 特にこれと言った功績も残していないし、学園の中心に居た訳では無いが、それでも彼女と過ごす日々は穏やかなで、温かだった。

 

 しかし、その平穏な日々に影が差した。

 

 

「…もう、無理だよ……」

 

 

 湿気を含んだ生暖かい風が、彼女の黒髪と頬を撫でる。

 それが昨日の出来事を思い出させる。

 

 心残りが無い訳では無いが、それ以上にもう、疲れてしまった。嫌になってしまった。

 

 

「さよなら」

 

 

 少女は一歩。

 足場の無い空中へと足を踏み出し、重力に引かれて落ちていった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 校内に響くサイレンの音と、困惑する生徒の声。そして、時折聞こえるカメラのシャッター音。

 

 

「貴方達は教室に戻りなさい!」

 

 

 授業中にも関わらず、野次馬の如く取り囲む生徒達対し、真は声を荒げる。

 そんな彼女の行為も意味をなさず、担架に乗せられる鈴井志帆を一目見ようと、野次馬は減るどころか増える始末。

 

 

「……………」

 

 

 そんな中、この場に一早く駆け付けた少女、天城雪雫は不機嫌そうに眉を顰めながら、担架の傍らに佇んでいた。

 丁度、生徒達から向けられたカメラの視線を遮る様に。

 

 

「志帆!!!」

 

 

 ガヤガヤと騒ぎ立てる生徒達の群れをこじ開けて、二つ結びの髪を揺らしながら彼女達の元へ一人の少女が駆けつけた。

 息を切らしながらも、悲痛に満ちた顔で鈴井志帆を見つめる高巻杏を、雪雫は一瞥し、小さく語り掛ける。

 

 

「友達?」

 

「………うん、凄く大切な」

 

 

 彼女が他の生徒と同じく、只の野次馬であれば、雪雫はこの場を退かなかっただろう。生きているとはいえ、一人の女子生徒が重体なのだ。無神経に騒ぎ立てるにしては、あまりにも事が大き過ぎる。

 しかし、そうでない事は、息を切らした少女の顔を見れば分かった。

 

 

「そう」

 

 

 雪雫は短く返事をし、鈴井志帆から一歩離れ、杏にその場所を譲る。

 

 

「……ごめん、私…もう………」

 

 

 杏の存在に気付いたのか、先程まで閉じられていた鈴井の目は開かれ、か細いながらも言葉を紡ぐ。

 

 

「受け入れ先は、ある?」

 

「栄都大学病院の病室が受け入れを――」

 

「っ! ……そう」

 

 

 病院の名前を聞いた時、一瞬だけ、片眉をピクリと動かしたものの、少しホッとした様子を見せる雪雫。

 

 

「教職員のどなたか御一人、来ていただけるとありがたいのですが……」

 

 

 救急隊員にそう言われ、雪雫は周りに集まった教員一人一人に目を配る。

 心配そうに、不安そうに、こちらの様子を見つめているも、ただそれだけ。

 教頭と校長はお互いの責任を押し付け合い、鈴井の顧問である筈の鴨志田は不在、川上の姿も見えない。

 

 

「………私が一緒に――――」

 

 

 大人達の押し付け合いに嫌気を感じつつ、口を開いた雪雫だったが。

 

 

「行きます!」

 

 

 その声は一人の少女、高巻杏に遮られた。

 

 

「………」

 

 

 一般生徒である彼女に、任せて良いものか。と一瞬考えたものの、鈴井志帆にとっても彼女が一緒に行った方が、精神的にも楽だろうと結論付けて、救急車に乗りこむ杏を見送る。

 何も出来なかった自分の不甲斐なさに唇を噛み占めながら。

 

 

 

 

同日

秀尽学園生徒会室

 

 

「………………」

 

「雪雫、手を止めない」

 

 

 納得いかないといった表情で、不機嫌そうに顔を顰める雪雫に、真は叱責を飛ばす。

 手元にあるのは、あの騒動の後、各学年の各クラスを対象に集計したアンケート。

 学校生活に不満は無いか、悩みは無いか、――――いじめは無いか。

 

 

「……どうして、真がやらなきゃいけないの?」

 

「どうして、って頼まれたからじゃない」

 

「…………」

 

 

 そう、頼まれた。

 生徒会として、生徒会長として、学内に起こっている問題の究明、解決に努める様に、と。他でもない校長に。

 

 

「……勿論、無視したくはない。……でも」

 

「…………雪雫が言いたい事は分かるわ」

 

 

 頼まれた、だけなら文句は無い。

 しかし、あろうことか校長は、頼むだけに飽き足らず、あくまでも一生徒の集まりである筈の生徒会に、その問題を全て押し付けた。

 口振りは丁寧だったが、内容を要約すると。

 

 私達は色々忙しくて対応出来ないから、良い報告を待っているよ、だ。

 

 

「やっぱり、納得いかない」

 

 

 文句を垂れつつも、止めていた手を動かして一枚一枚、漏れが無いように慎重に目を通す。

 

 

「―――ん」

 

 

 全て一人の生徒が書いたのではないか、と思ってしまう程、似通った回答が続く中で、とある一枚のプリントが雪雫の目に留まる。

 

 

 何でこんな大きな問題に気付かなかったの? 生徒会の意味無いじゃん。

 

 

 アンケートの一番下に設けられた自由記入欄。

 そこに書かれた一文。

 

 

「どうかした?」

 

「………何でもない」

 

 

 これを見つけたのが真じゃなくて良かった。

 そう思いながら雪雫は、そのアンケートを問題無しと判断した紙束に加える。

 生徒から寄せられた()()()()()()()を、一人胸中に仕舞い、雪雫は再び手を動かす。

 

 日が完全に暮れるまで、最終下校時刻のギリギリまで、二人は黙々と、心を曇らせたまま。二人は作業を続けた。

 

 

◇◇◇

 

 

4月16日 土曜日 晴れ

 

 

「ここは内科は内科でも、心療内科では無いんだけど……」

 

「患者のメンタル面を支えるのも、医者の仕事」

 

「今回のは貴女の病気と何の関係も無いじゃない」

 

 

 日も傾き始め、目を顰めてしまうほどの眩しい夕日が差す時間帯。

 四軒茶屋にひっそりと佇む、武見内科医院の診察室で。女医と患者は軽口を飛ばし合っていた。

 

 

「はい、ハーブティー。飲めるわよね?」

 

「ん。ありがと」

 

 

 今日も今日とて、人っ子一人訪れる事の無かった武見内科医院に、フラッっと来客が。

 学校帰りの雪雫である。

 

 何時も通りに診察室へと通し、何時も通りにカルテを取り出した武見だったが、雪雫の目的が診察では無い事に気付く。

 珍しく疲れた様子を見せる彼女に、どうかしたか、と聞いた所、少女の口から紡がれたのは、昨日の学校での出来事だった。

 

 

「……人に甘えたいなら、もっと適任が居たでしょうに。ほら、あの子……、りせちーだっけ?」

 

「りせは今日、来ない」

 

「じゃあ、貴女のお姉さん」

 

「……心配、掛けたくない」

 

「それで私って……、人脈少なすぎない?」

 

 

 彼女が特に用も無く、ここに訪れる時は相場が決まっている。

 寂しい時か、疲れている時だ。

 

 天城雪雫は普段の様子からは想像出来ない程、甘えたがりだ。

 彼女との距離が近ければ近いほど、その人物に対してそれは発揮される。

 

 普段、彼女の傍には久慈川りせが居る為、その気持ちが他の者に向く事はそうそう無いだろうが、今日はその限りでは無いらしい。

 案外、面倒くさい少女なのだ。

 

 

「こう見えて、私も暇な訳じゃ―――」

 

 

 診察室の壁の向こう側。

 つまりは待合室の方から、来客を知らせる音が響く。

 

 

「ほら」

 

「……タイミング、悪い」

 

「どうする? 裏で待っていても良いけど」

 

「ううん、帰る。迷惑は掛けられない」

 

 

 ハーブティー、ごちそうさま。と呟き、自身の荷物を纏めて、脱いでいたブレザーに腕を通す。

 

 

「お大事に。あまり、思い詰めないでよね」

 

 

 そう言いながら診察室の扉を手を掛けて、見送るように待っている武見の前を通り過ぎ、待合室へ一歩足を踏み出した時。

 

 

「あ……」

 

「ん……」

 

 

 見知った顔が見えて、雪雫は思わず足を止めた。

 待合室で待ちぼうけを食らっていたのは、彼女と同じ様に学校帰りの雨宮蓮。

 

 今後に控える戦いに備える為、怪しい薬を売っているという噂の武見の元に訪れたのだが、雪雫はそんな事知る由も無い。

 

 

「ハイハイ。狭いんだからそんな所で足を止めないの」

 

 

 ドアの前で立ち止まる雪雫の背中を押して、武見も診察室から出てくる。

 

 

「ビックバンバーガーの……」

 

「天城、さん」

 

 

 なんでこんな所に。

 二人の頭の中には純粋な疑問が浮かんでいた。

 

 

「何? 知り合い?」

 

「学校の、先輩?」

 

「何で疑問形なのよ……」

 

 

 はぁ、と溜息を吐きながら、武見は観察する様に、品定めする様に、彼の足から頭まで、視線をゆっくりと動かす。

 

 

「天城さん、何処か悪いのか?」

 

「……遊びに来ただけ」

 

「遊び半分で病院に来るの止めなさい」

 

 

 持っていたバインダーで軽く雪雫の頭を叩く武見を見て、蓮は仲が良いのだろうか。とぼんやり考える。

 

 

「…先、輩……、はどうしてここに?」

 

「えっと…、薬が欲しくて……」

 

 

 釈然としない蓮の言い方に、小首を傾げる雪雫の後ろで、武見は興味深そうに彼を見つめる。

 

 

(薬、ねぇ……)

 

 

 少年の言う薬。

 果たして普通のモノか。それともオリジナルか。

 どっちにしろ、診察室に通せば分かるだろう。

 

 

「ほら雪雫。早く帰りなさい。話はまた聞いてあげるから」

 

「………ん」

 

 

 彼の様子を見るに普通の要件では無さそうだと判断した武見は、雪雫に帰るように促す。

 単純に診察の邪魔だったか、それともトラブルに巻き込みたくなかったからか。

 本心は本人にしか分からない。

 

 兎も角、雪雫は言われるがまま、少し寂しそうな表情をして、診療所を後にした。

 

 

「彼女は――――」

 

「昔、ちょっと縁があってね。……そんな事より、訳ありでしょ。診察室へどうぞ」

 

 

 武見に案内されるまま、蓮は診察室へと足を踏み入れる。

 今後、何度もお世話になるであろう、見た目だけは普通の診察室の、取引現場へ。

 

 

 

 

 一人で住むのにはだだっ広いリビング。

 四人が並んで座ってもまだスペースが残るほどの大きなソファ。

 60インチのテレビの光だけが照らす暗がりの中、ソファに座った雪雫はぼんやりと映し出された映画を観ていた。

 

 りせが居れば、一緒に映画を楽しむ事も出来たのだが、生憎今日は仕事。

 配信やゲームをする気分でも無かった為、何となく好きな映画を再生してみたものの、雪雫の気分は晴れない様子だ。

 

 

「………自殺、未遂…」

 

 

 屋上から飛び降りたであろう鈴井志帆の、担架に乗せられた時の様子がフラッシュバックする。

 ()()()幸いにも命がある。前と違って、死んでいる訳では無い。

 しかし。

 

 担架に人を乗せ、救急車に運ぶ姿が、記憶にある光景と全く一緒だった。

 今から五年程前の、故郷で起きた凄惨な事件。

 

 僅かに身体を震わし、羽織っているワイシャツをさらに身体に寄せる。

 りせが部屋着代わりに着用しているものだ。

 

 僅かに残るりせの香りに包まれて、落ち着きを取り戻した雪雫は、映画を眺めながら、その身体をソファへと倒す。

 

 

「寂しいな」

 

 

 少女の呟きは、映画の音に掻き消され、誰にも届く事は無かった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 時刻は皆が寝静まった丑三つ時。

 タクシーを降り、久慈川りせは慣れた手付きで鍵を取り出し、マンションのエントランスへと踏み入れる。

 

 渋谷駅から少し離れた、出来たばかりの賃貸マンション。

 雪雫が東京に出てくる際、彼女の家として、りせの名義で借りた、一般的には高級と言われるマンションだ。

 

 雪雫が住むのは五階の角部屋。

 あまり高い所が得意じゃない雪雫にとっては、その位の高さが丁度良いらしい。

 

 

「流石に寝てるよねぇ…」

 

 

 時間も時間なので、このまま自宅へ帰っても良かったのだが、何となく雪雫の様子が気になり、足を運んだ次第だ。

 

 

「お邪魔しまーす……」

 

 

 鍵を回し、ゆっくりとドアを開く。

 家の中は殆ど真っ暗で、照らすのは廊下を僅かに照らすフッドライトのみ。

 

 足音を立てないようにゆっくりと廊下を進み、寝室の扉を開ける、が。

 

 

「あれ? いない……」

 

 

 僅かに見えるベッドの上の布団には、人が居るような膨らみは無い。

 静かに扉を閉めて、りせは廊下を進む。

 

 雪雫の作業部屋、客室、トイレ、バスルーム。

 いくつかの扉を通り過ぎ、リビングへ続く扉に手を掛ける。

 

 そこまで近づいて、リビングから僅かに音が聞こえる事に気付いた。

 

 

「雪ちゃん、起きてる……?」

 

 

 そっと扉を開いて最初に目に入ったのは、映画が垂れ流されているテレビ。

 雪雫が好きな、中年男性のチームがお化けを退治するといった内容の、少し昔の洋画。

 

 

「雪雫?」

 

 

 しかし、ここからでは雪雫の様子は見えない。

 この時間に一人で出掛けるという危ない事はしないだろう。だとするならば――。

 

 りせは確信した様子で、ダイニングテーブルの上に鞄を置き、テレビの前のソファを覗き込む。

 

 

「嘘――――」

 

 

 そこには予想通り、雪雫が居た。

 皺が出来てしまう程、ワイシャツを握りしめて、子猫の様に丸まって、眠っていた。

 

 

「可愛すぎる……」

 

 

 年相応のあどけない寝顔。

 ソファの上に散らばった綺麗な白髪。

 そして、縋る様に握り締めている自身のワイシャツ。

 

 

「え、えー? こんな光景見たら、仕事帰りのお姉さんでも元気になっちゃうぅ……。雪雫は私をどうしたいのかな、これってOKってこと?」

 

 

 可愛らしい光景に悶えるりせは、「あ、そうだ」と思い付いたようにスマホを取り出してカメラを向ける。

 

 

「取り敢えず、良いよね…。自慢するくらい、許してくれるよね……」

 

 

 最近のスマホのカメラは便利なモノで、ほんのわずかな光源だけでも綺麗に写真が撮れる。

 テレビから漏れ出る光に照らされている姿をカメラに収め、口角を上げた。

 

 

「またコレクション、増えちゃったなぁ♪ さて―――」

 

 

 思わぬ収穫をフォルダに仕舞ったら、後を残すのはこの可愛い生き物。

 据え膳食わぬは女の恥……。

 少し違うが、割と寛容になってきた今の時代。言葉を変えても問題は無いだろう。

 

 とうとう、踏み越えるか。法律を。

 僅かに震える手を伸ばし、寝ている雪雫に触れた時に、りせは気付いた。

 その頬に、涙が乾いた跡がある事に。

 

 

「………ずるいなぁ」

 

 

 ふつふつと心の底から湧いていた気持ちはすっかり身を潜め、彼女の顔には微笑みだけが残される。

 起こさない様にそっと、膝裏と背中に回し、雪雫を横抱きにする。

 所謂、お姫様抱っこだ。

 

 

「朝まで私の抱き枕決定だからね。雪ちゃん」

 

 

 彼女の首を撫でながら、りせは静かに寝室へと向かう。

 明日は日曜日で雪雫に学校は無い。りせも珍しく、何の予定も入れてない日だ。

 二人の時間を邪魔する要素は、何一つ存在しない。

 翌朝、完全に日が昇るまで、二人の少女は抱き合ったまま、目を覚ます事はなかった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 すやすやとワイシャツを握りしめながら丸まって寝ている写真がSNSにアップされ、大きな反響を呼ぶのは、また別のお話。




15日の出来事。

杏がペルソナ能力に目覚めた!


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7:The Naked King, captured.

 月日が経つのも早いもので、4月も後半に差し掛かったところ。

 鈴井志帆の自殺未遂事件を切っ掛けに始まった校内調査も、問題の発見には繋がらず。

 一応、彼女達自身の中で怪しいと思う人物はピックアップしているが、その人物と話す事すらは叶わない。

 

 その人物こそ鴨志田卓、張本人なのだが、どうも校長の根回しが働いている様だった。

 確たる証拠が無い分、迂闊な行動は出来ない二人ではあるが、その心の中には確信があった。

 

 学校ぐるみで隠蔽しようとしている、と。

 

 歯痒さで唇を噛みしめる日々が続いている中、膠着状態のこの状況に転機が訪れた。

 それは――――。

 

 

 

4月25日 月曜日 曇り

 

 

 学校に入るや否や、只の一つの漏れも無く、生徒達は皆一様に足を止めて、壁面中に張り付けられた紙を眺めていた。

 

 

「これは―――」

 

 

 それは普段、何にも興味を示す様子を見せない白髪の少女、天城雪雫も同様だった。

 

 目の前の紙に書かれた内容を、何度も何度も読み直す。

 一字一句見逃がさない様に、これの真意を探るように。

 

 

 

 「色欲」のクソ野郎。

 

  鴨志田卓殿

 

  抵抗できない生徒に歪んだ欲望をぶつける、

 

  お前のクソさ加減はわかっている。

 

  だから俺たちは、お前の歪んだ欲望を盗って、

 

  お前に罪を告白させることにした。

 

  明日やってやるから覚悟してなさい。

 

 

 

「心の、怪盗団…?」

 

 

 記憶を辿っても、心の怪盗団という名前に心当たりは無い。

 自身が知らないだけ、という可能性もあるが、周りの生徒の様子を見る限り、知らないのは自分だけでは無いらしい。

 つまりは最近結成された団体。そして、秀尽学園関係者の手によるもの。

 都内のありふれた進学校である秀尽に、態々鴨志田を指名して名乗りを上げたのだ。そう考えるのが自然だろう。

 

 悪戯、っていうのも考えられるが――――。

 

 

「な、何だこれは!?」

 

 

 騒動に気付いたのであろう、渦中の人物、鴨志田卓が怒りの形相を浮かべたながら生徒達の元へと向かってくる。

 予告状を見るや否や、貴様か。と声を荒げながら生徒一人一人に怒号を飛ばす。

 

 触らぬ神に祟りなし、とでも言う様に、怒り狂う鴨志田を見て、集まっていた生徒達は各々の教室へと向かっていく。

 それは雪雫も例に漏れず。

 

 真に一言。

 

 

 今日一日、校内の様子に気を配ろう。

 

 

 とメッセージを送って。

 

 ・

 ・

 ・

 

「何も、起きなかったわね」

 

「悪戯、だったのかな」

 

 

 最終下校時刻を知らせるチャイムを聞きながら、生徒が居なくなった廊下を二人は進む。

 

 

「………そうかもね」

 

 

 授業の合間の時間も校内に目を光らせ、放課後にも定期的に巡回し、怪盗団と名乗る者達の尻尾を掴もうとしたが、それは叶わなかった。

 

 

「ごめん、付き合わせて」

 

「謝らないでよ。私の方こそ、雪雫にそう提案しようと思ってたんだから」

 

 

 上履きから真はブーツに。雪雫はローファーに履き替えて。学校を後にする。

 

 

「暗い」

 

「そ、そうね」

 

 

 日も完全に落ち、街頭のみが照らす通りを歩く。

 駅へと続く通り。その途中にある裏路地に差し掛かったその時、その暗がりから急に声が聞こえ、雪雫は足を止め、真は小さな悲鳴を上げて雪雫の小さい背中に隠れるように膝を折った。

 

 

「いやぁ、スカッとしたなぁ!」

 

「これで、上手くいったのかな……」

 

「分からない…。今はまだ、様子を見る事しか―――、……あ」

 

「ん」

 

「……何!? 誰!?!??」

 

 

 灯りも無い裏路地から現れたのは、同じく秀尽学園に身を置く生徒。

 何かと校内でも話題に上がっている、問題児。

 

 

「天城さん」

 

「……退学コンビ、と高巻さん」

 

「…俺達って、そういう認識の仕方されているのネ………」

 

 

 雪雫の物言いに哀しみ半分、諦め半分といった様子で肩を落とす竜司だったが、それも一瞬の事。

 すぐに得意な顔を作って、笑みを浮かべた。

 

 

「しかし! それも今や過去の事! 見てろよ、絶対にあの発言ひっくり返してやるぜ!」

 

「ば、馬鹿! ペラペラと喋るな!!」

 

「……?」

 

 

 目の前で繰り広げられる竜司と杏の会話の意味が分からず、小首を傾げる雪雫に、蓮はまぁ気にしないで、と声を掛ける。

 

 

「せ、雪雫。何とも無いよね…。お化けとかじゃないよね…」

 

「ん、ちゃんと足ついてる」

 

 

 今もなお怯える真はどうやら話を聞いていなかったらしい。

 この時間に何をしていたか、気になると言えば気になるが、真をこのままにしておくのも忍びない。

 

 

「真、帰るよ。近くまで送るから、自分で歩いて」

 

「え、えぇ……」

 

 

 じんわりと汗ばむ真の手を引いて、雪雫は三人をその場に残して駅の方面へと向かって行った。

 

 

「今の、生徒会長と――、天城さん、よね?」

 

「ああ、そうだな…」

 

 

 小さくなっていく二人の背中を見送る竜司と杏。

 彼女達の後ろ姿を見ながら、何か忘れている様な、と二人は疑問を浮かべていた。

 

 

「そういえば、天城さん。この前会った時、本人って認めていたぞ」

 

「「サイン貰えば良かった!!!!!」」

 

 

 先程までの激しい戦いによる疲れも忘れて、二人は感情のまま声を上げた。

 

 

◇◇◇

 

 

4月26日 火曜日 晴れ

 

 

 心の怪盗団と名乗る者達からの予告状による騒動から翌日、鴨志田が学校に来ることは無かった。

 体調不良による欠勤、と代理の教師は言っていたが、果たしてどうだろうか。

 

 

「……これじゃあ、真相には辿り着けない」

 

 

 生徒会室で試験勉強をしながらも、ぼんやりと雪雫は別の事に思考を割いていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

4月27日 水曜日 曇り

 

 

 やはり、今日も彼は来ない。

 

 特筆すべき点があるとすれば、新しく設置された目安箱に、生徒会への誹謗中傷が書かれた紙が入っていたことくらいか。

 

 

「くだらない」

 

 

 真が来る前に、その紙は処分した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

4月28日 木曜日 曇り

 

 

 相変わらず状況は停滞したまま、一向に前進する様子は無い。

 

 試験に向けた勉強に飽きを覚えた為、早めに学校を去り、久しぶりにゲームの配信を行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

4月29日 金曜日 晴れ

 

 

 特に進展は無いが、テレビで直斗についての話題が出ていた。

 久しぶりに会いたいな、とぼんやりと思った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

4月30日 土曜日 晴れ

 

 

 

◇◇◇

 

 

5月1日 日曜日 晴れ

 

 

 

◇◇◇

 

 

5月2日 月曜日 晴れ

 

 

 新しく始まった新生活も早いもので五月。

 僅かに残った肌寒さも完全に無くなり、緑が深まり始めた頃。

 

 月の初めに決まって行われる学校集会で、停滞していたと思われていた事態は、一気に収束に向かって動き始めた。

 

 真の挨拶を終え、校長の話へ。

 

 世間を賑わす廃人化事件から、この間の自殺未遂事件。

 秀尽学園の生徒として、世間の厳しい荒波にも何たらかんたら。

 

 特に有難くも無い話の最中、変化は起きた。

 

 唐突に開かれた体育館特有の重苦しい扉に、私も含めて、生徒達は皆一様に視線を向ける。

 

 

「………!」

 

 

 例の予告状が張り出された翌日から、休みが続いていた鴨志田が、その顔に影を落として、糸の切れた人形の様に立っていた。

 

 

「か、鴨志田先生……」

 

 

 彼が来る事を知らなかったのか、責任者である筈の校長も、困惑の色を隠せないでいる。

 

 

「私は―――」

 

 

 皆の注意が集まる中、鴨志田はやはり影を落としたまま、その口を開いた。

 いつもの快活な、そして独裁的な雰囲気はなりを潜め、重く、暗く、罪悪感を帯びて。

 

 

「私は、教師として、あるまじき行為を繰り返してまいりました」

 

 

 その口から語られたのは、彼が陰で犯してきた罪。

 生徒への暴言、部員への体罰、女子生徒への性的な嫌がらせ。

 ――――鈴井さんが飛び降りた原因は自分だと。

 

 

「私は、傲慢で、浅はかで、恥ずべき人間……、いや! 人間以下だ……!」

 

 

 己の罪を告白していくうちに、心が罪悪感に耐えられなくなったのだろう。

 鴨志田は酷く取り乱し、しまいには死んで詫びると騒ぎ始めた。

 

 突然の豹変ぶりに騒然とする中、ミルク色の髪を二つ結びにした少女、高巻さんが「逃げるな」と声をあげる。

 

 

「飛び降りちゃった志帆も、色々な事を見て見ぬ振りをしてた。私達も…皆、後悔ばっかりの現実を、これからも生きて行かなくちゃいけない……。だから、アンタだけ逃げないで!」

 

 

 本来、この場に居る誰よりも怒りや憎しみをぶつけたいであろう人物である筈の彼女が。

 

 

「………その通り…。全く、その通りだ………。私はきちんと裁かれ、罪を償うべきだ……!」

 

 

 鴨志田の自殺を思いとどまらせた。

 

 

 自首するから警察を呼んでくれ。

 

 

 そう鴨志田が訴え始めたと同時に、ようやく事態を飲み込めたであろう生徒達が、次々と騒ぎ始める。

 次第に騒ぎは収拾の付かない所まで。

 集会所で無くなってしまった状況に、校長は冷汗を流しながら生徒達に教室へ戻るようにと指示を出す。

 

 後ろ髪が引かれつつも体育館を出る生徒達と共に、私も体育館を後にする。

 未だに騒ぐ生徒達の中で、先程届いたであろうメールを流し見しながら。

 

 

 

 5/2 月 9:00

 From:キリジョウ銀行

 

 ご利用ありがとうございます。お振込みが完了致しました。

 

 

 

 見慣れてしまった簡素なメール。

 今はもう慣れたもので、削除するのも一瞬だ。

 

 

「……私だったら、どうしてたかな」

 

 

 先程の高巻さんの言葉を思い返しつつ、流される様に教室へと向かった。



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虚飾の殿様
8:Bloom proudly, like a lily.


5月3日 火曜日 曇り

 

 

 ペンを走らせる音が耳に届く。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 リズムを刻む様に、その小さな手は時折動きを止めながらも、忙しなく動き続ける。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 高校一年生という事を考えても、小柄と言わざるを得ない身体。

 染み一つ無い、陶器の様に白く、神聖さすら感じる柔肌。

 少し力を入れれば、簡単に折れてしまいそうな手足。

 頭が動くたびに踊る、神々しい白い髪。

 

 

「……天使か」

 

「……………」

 

 

 目の前のことに集中している彼女には、聞こえていないであろう小さな呟き。

 その証拠に、こちらを一切振り向く事無く、今もなおペンを走らせている。

 

 

「いやぁ、冷静になって見ると、やっぱり有り得ない位可愛い。」

 

「……………」

 

 

 と言っても、机に向かっている後ろ姿しか見えないけど。

 見ての通り、彼女は忙しくて、私は暇。

 改めて彼女の姿をじっくり観察しようと思いマジマジと見つめていたら、辿り着いたのは彼女が可愛いという事実。

 

 

「………」

 

 

 しかし、まぁとんでもない集中力だ。

 すぐ後ろのベッドでゴロゴロしている私の独り言にすら反応せず、もう何時間もこうして勉強を続けている。

 

 

「ちょーっと、悪戯しちゃおうかなぁ……」

 

 

 祝日というにも関わらず勉強を続ける彼女に少しばかり不満を覚え、ちょっかいを掛けたくなってしまった。

 

 

「ちょっとくらい、良いよね……。私、この連休の為に仕事頑張ったんだし……」

 

 

 ゆっくり、ゆっくりと彼女の元へ歩を進め……。

 

 

「せ~つなっ!!!」

 

 

 思いっきり、ぎゅっと抱き着く。

 彼女の慎ましい胸の辺りに腕を回して、モチモチの頬に自身の頬をくっつけて。

 

 

「きゃっ!!」

 

 

 普段の仏教面は、驚きを浮かべた表情へ。

 肩を大きく震わせて、ペン先は大きくブレて。

 

 

「お、珍しい声。可愛い可愛い」

 

 

 中々聞けない年相応の少女らしい声に満足していると、微かに自身の耳に聴きなれた声とリズムが耳に入る。

 

 

「……反応無いと思ったら、イヤホンしてたんだ~。しかも……」

 

 

 彼女の耳に入っているBluetoothのイヤホンを取って、口を耳元へ寄せる。

 一字一句、彼女が聞き漏らさない様に。

 

 

「私の歌。聴いてくれてたんだぁ」

 

「好きなもの聞いてないと、勉強する気起きない、から」

 

 

 さも当然と言った様子で、雪雫は数時間ぶりに口を開く。

 

 

「う………」

 

 

 ああ、もうホント、清々しい位に素直。

 悪戯しようとしたこっちがタジタジになっちゃうくらい。

 そういう所だぞ、雪雫!!

 

 彼女が可愛らしくて、愛しくて。

 手の拘束を強くして、元々無かった距離をもっと詰める。

 

 

 ん。

 

 

 と小さな声を漏らしながらも、その拘束を解こうとしない彼女が愛くるしい。

 

 

「勉強は順調?」

 

「ついさっきまでは」

 

「ごめんごめん。雪ちゃんとお話したくてさ」

 

 

 雪雫は溜息を吐きながら、その手に持っていたペンを静かに机に置く。

 

 

「それにしても真面目だよねぇ。私なんて高校の頃赤点ギリギリだったよ?」

 

「知ってる。雪子と悠が頭悩ませていたから」

 

 

 む、雪子センパイと悠センパイめ。余計な事を。

 

 

「祝日くらい勉強止めてお出かけしない? 大丈夫、ちょっとくらい勉強しなくても、雪ちゃんなら大丈夫だから!」

 

「………む」

 

「将来の事が心配ならそこは安心して! 私が養ってあげるから♪」

 

 

 私から見ても、雪雫は少し頑張り過ぎだと思う。

 学校に通いつつ、アーティスト活動を続けることの大変さは自分が一番良く分かっている。

 私が大学に通わなかったのも、こっちに集中したいからだ。

 

 まぁ、事務所に入ってないフリーの雪雫からすれば、お仕事という意識は薄いかもしれないが、一応それで生活しているのだから、大変な事には変わりないだろう。

 それに加えて学校での生徒会活動と、成績の維持。

 部活動に所属していないのが唯一の救いか。

 

 何にせよ、根詰め過ぎだと思うが、雪雫の性格を考慮するに、息抜きが得意じゃない事は目に見えている。

 ここは年長者として、幼馴染として、私が誘導しなければ。

 

 

「あ、ほら。雪雫が好きな映画の新作観に行こうよ! 学校の騒動で行けて無かったんだし!」

 

「………行く」

 

「よっしゃあ!!!」

 

 

 ありがとう神様。ありがとう三連休。

 割と頑固な雪雫がデートを了承してくれました。

 

 

「そうと決まれば早速予約を―――!」

 

「…明後日、行こう」

 

「え、今からじゃないの?」

 

「今日は、夜まで勉強する」

 

 

 むむむ、私としては三日間遊びつくしたかったが、そうもいかないらしい。

 雪雫の赤い瞳の奥には確固たる意志が宿っている。

 残念だが、これが最大限の譲歩なのだろう。

 

 

「今日の夜と明日一日は、りせとゆっくり過ごしたい」

 

「……!」

 

「学校、色々あって疲れたから。明後日は、一日一緒に出掛ける。……ダメ、かな」

 

「全然、良いよ!!!!!」

 

 

 どうも根詰めて勉強していたのは、残り二日間の時間を私に充てる為だった様で。

 それが分かれば今日一日の我慢位何のその。

 雪雫の後姿を眺めながら、私も私でやる事をやってしまおう。

 

 

「あ、今日の夜ご飯何にする? 麻婆豆腐?」

 

「嫌いじゃないけど、りせが作るの、辛くて食べれない……」

 

「そこは加減するってば!」

 

 

 時折雑談を交えながらも、再び部屋にペンを走らせる音が響き始めた。

 

 

(……? そういえば)

 

 

 健気に頑張る彼女の小さい背中を眺めながら、私はふと思った。

 

 

(雪雫のこういう頑張り気質って、昔からだっけ?)

 

 

 

 

 

 

 時刻は深夜。

 恐らく、二時とか三時くらい。

 私の肩にもたれ掛かってウトウトし始めた雪雫をベッドに連れて行ったのが一時過ぎとかだったから、大体その位だろう。

 

 思い返せば非常に充実していた。勉強を終えた雪雫と食卓を囲み、お風呂に入り、ゲームを楽しみ、映画を観て――――。

 何気無い日常ではあるが、それも彼女という要素が加わるだけで筆舌に尽くしがたい幸せへと変わる。

 

 

「えへへ」

 

 

 目の前で穏やかに眠る彼女の寝顔を見て、頬が緩くなる。

 

 何も知らない、純真無垢という言葉が当てはまる少女の顔。

 興奮冷めやらぬとはよく言ったもので、未だに寝付けない私の下心など知らないと言った様子で眠りこける愛しい彼女。

 私の欲望を知ったらどうするのか、その時の雪雫の反応も見てみたいが、でも彼女は純粋なまま居て欲しいという面倒くさい乙女心。

 

 

「綺麗な顔」

 

 

 彼女の頬へ手を伸ばし、その神聖さすら感じさせる端正な顔に触れる。

 吸いつくような彼女の肌が私の手を受け入れて、彼女の温かな体温が伝わってくる。

 僅かに手に掛かる白い髪がくすぐったい。

 

 

「ぜーんぶ、私のもの」

 

 

 それは彼女に触れている内に、ふつふつと湧いてきたのは、それはもう醜い独占欲。

 

 その白い髪も、長い睫毛も、瞼の裏の赤い瞳も、陶器の様な白い柔肌も、慎ましい胸も、スラリとした四肢も―――――。

 彼女を形作る全ての要素が、自分のモノになってしまえばいいのに。

 

 

「……んぅ…」

 

 

 僅かに身じろいだ彼女に、心臓が跳ねる。

 自身の醜い心中が聞かれたのかと思って、少し焦った。

 いや、別に聞かれても構わないと言えば構わないのだが、どうせ伝えるのだったらタイミングを図りたい。

 

 

哀れな(可愛い)子」

 

 

 雪雫は哀れだ。

 純粋な彼女に付け込み、その醜い欲望を知らないまま一身に受け止めているのだから。

 ほら、今夜も。

 

 

「……ちょっとくらい、良いよね」

 

 

 小さな寝息に合わせて僅かに上下するその細い首筋に、口を寄せる。

 雪雫の体温が、香りがより鮮明に伝わり、それは麻薬の様に私の脳を痺れさせる。

 

 

「…ぅ………」

 

 

 細い首筋を包む柔肌に、舌を這わせて蹂躙して、その後は。

 

 

「ん…」

 

 

 彼女の柔肌を口に含み、僅かに歯を立てる。

 

 

「あ…………ぁ、……、ぅっ」

 

 

 赤子の様に、物語のヴァンパイアの様に。

 

 

「――――はぁ…、また、やっちゃった」

 

 

 あまりやり過ぎて雪雫が起きてしまうのも本望では無い。

 僅かに、ほんのりと、赤い華が咲けばそれで、良い。

 

 先程まで吸い付いていた所に目をやると、僅かにその部分が濡れているのが、暗闇でも良く分かった。

 純白の身体に残された、小さな小さな穢れ。

 

 

「絶対、離してあげないから」

 

 

 再びその首筋に、今度は触れるだけのキスを落として、雪雫の小さな胸に顔を埋める。

 心地良い体温と心臓の鼓動が、ようやく私に眠気を誘う。

 

 

「お休み、雪雫。良い夢を」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

翌日

5/4 水曜日 曇り

 

 

 先に目が覚めた雪雫は、起こさない様にそっとりせの拘束を解き、洗面所へと向かった雪雫は、自身の首筋にある赤い点に気が付いた。

 

 

「………ん」

 

 

 それほど大きくは無いが、肌が白い分、よく映えた赤。

 それを雪雫は何度かその細指で撫で、次第に。

 

 

「………ふふ」

 

 

 嬉しそうに、妖艶に。

 色香を纏った笑みを浮かべた。

 

 

◇◇◇

 

 

 

5/5 木曜日 晴れ

 

 

「映画、良かったね!」

 

「仲間が復活して、勢揃いするところ、良かった」

 

 

 三時間弱という映画の中でもそこそこ長い上映を終え、映画館から出てくる人々に流されながら、互いに余韻を語る。

 雪雫も雪雫でテンションが上がっているのか、僅かに口数が多い。

 

 まぁ無理も無い。

 それほどの大作だったのだから。

 

 

「Blu-ray、買う」

 

「お、良いねぇ。買ったらまた一緒に観ようね!」

 

「ん」

 

 

 楽しめた様で何より何より。

 私も私で色々楽しめた方から、映画に来て大正解だった。

 

 繋いでいる手から伝わる雪雫の反応……。

 大きい音がしたら僅かに肩を震わし、驚かせるシーンが来れば手に力が入り―――。

 

 ええ、一杯楽しめました。

 

 

「ん~。開放感が気持ち良い~!」

 

 

 閉鎖的空間である映画館を出て、うんと日が沈みかけた空に向かって身体を伸ばす。

 

 

「昔はこんな事無かったのに…。歳かなぁ」

 

「言うてもまだ20歳」

 

「来月には21歳突入だけどねぇ」

 

 

 そんな雑談を交えながら、駅へと向かう。

 この後の予定としては、晩御飯を買って帰り、お家でまたゆっくりと。

 外食でも良かったんだけど、生憎明日からはまた学校と仕事だからね。

 

 

「いやぁ、上手かったなぁ。俺あんな美味いもの食ったの初めてだよ」

 

「皿に盛り過ぎて後悔してた癖に良く言う……」

 

 

 楽しそうに談笑する高校生くらいの三人組のグループを通り過ぎようとした時、ふと雪雫が足を止めた。

 

 

「あ…」

 

「………」

 

 

 足を止めた雪雫を見て、黒髪の眼鏡を掛けた男の子が、声を漏らす。

 

 

「退学コンビ」

 

「撤回されたっつの!!」

 

 

 一言、そう言葉にして指を差した雪雫に、金髪の男の子がオーバーリアクションで突っ込む。

 退学コンビ、と聞いて私はああ、と思い出す。

 そういえば四月の中ごろに雪雫が話していた気がする。

 鴨志田とか言う教師との間に問題が起きて、首が飛びそうな生徒が居ると。彼らのことか。

 

 

「よく会うな」

 

「ん。ストーカー?」

 

「断じて違う」

 

 

 黒髪の男の子と雪雫が会話をしている後ろ、女の子は1人でオロオロしている。

 

 

「え、ええ。どうしよう…。何て呼べば…、天城さん…。雪雫さん? いや、雪ちゃん?」

 

 

 ああ、と納得がいった。彼女、雪雫のファンだ。

 自分で言うのも何だが、雪雫と私の仲の良さはファンの中では有名な話で。

 私が雪ちゃんと呼ぶことから、一部ファンの仲ではそれが定着しているらしい。特に、女性ファン。

 

 

「それで、後ろの方は……?」

 

 

 後ろの女の子に気が取られている内に、話は進んでいた様で、話題は雪雫の後ろに控える私へ。

 どうやら、私が久慈川りせという事はバレていないらしい。

 まぁ今の私はキャップを被っている上に、眼鏡もしているから、無理も無いだろう。

 

 

「ん…」

 

 

 チラリと雪雫の目がこちらを見上げる。

 

 

「幼馴染……」

 

 

 その言い方は果たして意味あるのか。

 雪雫は気を使って名前を伏せただろうけど、雪雫の幼馴染が久慈川りせ、というのも有名な話で。

 隠したいのか、隠したく無いのか。何とも曖昧。

 

 

(嘘が苦手な雪雫も可愛いなぁ)

 

 

 そんな彼女に対する愛しさが止まらない。

 

 

「幼馴染ねぇ。随分、大人びているけど……。お、そうだ! 忘れてた!!」

 

 

 金髪の男の子は僅かに訝し気な視線を送ったが、それも一瞬の事で。

 何かを思い出し、大きく声を上げた。

 

 

「な、なぁ。サインとか貰っても良いか? お袋が好きみたいでさ」

 

「竜司の癖に出しゃばるな! わ、私も貰って良いかな…、雪ちゃん……」

 

「……ん」

 

 

 恐る恐ると言った様子で、差し出される紙とボールペンを、雪雫は短く返事をしながら手に取ろうとする。

 それを私は。

 

 

「だーめ」

 

 

 見過ごす訳にはいかず、伸びた雪雫の手を取った。

 

 

「……ダメなの?」

 

「うん、ダメ」

 

 

 私に手を取られた雪雫は、それを振り解くことはせず、私を見上げる。

 う、可愛い。

 

 

「君達には悪いけど、雪ちゃんにもプライベートがあるの。活動中ならまだしも、休みの日にそういうのを求めちゃダメ。それに、雪ちゃんは私とデートしてるんだから、取らないで。雪雫も雪雫だからね。求められたからと言って全部了承してたら、次第に収集が付かなくなっちゃうよ」

 

「………ん、分かった」

 

 

 三人に見せつける様に、後ろから雪雫をぎゅっと抱きしめながら。

 その光景を見て、三人はポカンと口を開けている。

 

 

「雪ちゃんて…、それにその声……」

 

 

 一番早く意識が戻ったのは二つ結びの女の子。

 驚きを隠せない様子で、声を震わしながら言葉を紡ぐ。

 

 

「嘘! りせちー!?」

 

「しーっ」

 

 

 悪戯が成功した子どもの様な笑みを作りながら、口元に人差し指を沿える。

 

 

「君達、雪ちゃんの学校の子達でしょ? 有名人だからって色眼鏡を掛けないで、ありのままの雪ちゃんと仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 

 そう、私がしてもらった様に。

 三人とも、中々個性が強そうではあるけど、何となく、彼らと似ている気がする。

 自分の直観が、安心して任せられると告げている。

 

 

「雪ちゃん、この通りコミュ障だから。懲りずによろしくね」

 

「……私、コミュ障?」

 

「えっと……」

 

 

 同意を求められた黒髪の少年は、僅かに目を逸らす。

 それは肯定しているようなモノだぞ、眼鏡君。

 

 

「それじゃ、帰ろうか」

 

「ん」

 

 

 さてと、言いたい事も言えたし、帰るとしますか。

 雪雫の手を引いて、この場を後にしようとした時、雪雫は三人の方へ振り返り、一言。

 

 

「問題、もう起こさないでね」

 

「起こさないっつの!!」

 

 

 金髪の少年のリアクションに、雪雫も私も笑みを僅かに口角を上げて、雑踏の中へと踏み入れた。



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9:Her behavior is unpredictable…?

5/7 土曜日 晴れ

 

 

 清廉な白い壁に囲まれ、消毒液と薬品が混ざったような独特な臭いが蔓延する病院。

 突然、この場に呼び出された雪雫は、訝し気に眉を顰めながら、渡された物を見つめていた。

 

 

「班目展……?」

 

「ああ、君も知っているだろう。日本画界の巨匠。世界にすら名を轟かせる生きる天才、班目一流斎。その展覧会のチケットだよ」

 

「………なぜ、私に。」

 

「彼と私はちょっとした交流があってね。是非に、と渡されたのだが、生憎仕事が忙しくて行けそうにない。そこで、日頃からお世話になっている君に、と思ってね」

 

 

 そう語るのは少し腹の出た中年の男性、大山田省一。

 背の低い雪雫を見下ろしながら、その油の浮かんだ顔に笑顔を浮かべる。

 

 

「なぁに、そう警戒しないでくれ。気分転換に、と思ってね。君も君で多忙だろうから」

 

 

 ニタリと粘着質な笑顔を浮かべる彼に対して、嫌悪感を隠すこと無く、眉間に眉を寄せる。

 

 

「…………そう、それだけなら、帰る」

 

 

 口早に言葉を紡いで身を翻し、雪雫は白く長い廊下を進む。

 

 

 

「……ああ、そうだ」

 

 

 ふと、思い出したかの様に大山田は声を上げた。

 わざとらしく、タイミングを見計らったかの様に。

 

 

「来月から何だが…、少しばかり額を増やして欲しい」

 

 

 距離にして20m程、離れているのにも関わらず、その声はハッキリと雪雫の耳に届いた。

 

 

「……どうして? 貴方の言う人付き合いを続けるためには、十分の筈」

 

「そっちでは無いよ。また別だ。どうも最近、規制が厳しくてね。全く、薬を横流しするのも楽じゃない」

 

「………」

 

「彼女に今まで通りの暮らしをさせたいのなら…、わかるね?」

 

「………っ」

 

 

 雪雫は言葉を紡ぐ事無く、やはり足早にこの場を去った。

 

 

 

 

 人々の往来が忙しなく行われる渋谷の中央通りを雪雫は歩く。

 すれ違う人は様々で。故郷とは違って、毎日沢山の人々がこの場に訪れていることを改めて実感させられる。

 

 

「………最近増えた」

 

 

 人の波に流される様に歩みを進めながらも、視線は進行方向では無く、一通りの少ない裏路地へ。

 

 そこに居るのは煙草を咥えながら、ハイエナの様な目付きで表通りの人々を観察するガラの悪い男達。

 半グレというらしい。

 半グレ、暴力団に所属せずに犯罪を行う組織の総称。

 一般人からしてみれば同じに映るかもしれないが、暴力団よりも半グレの方が一線を越えやすいらしい。

 

 要するに、統制の取れていない野犬の群れ、だ。(大宅談)

 

 

「ん」

 

 

 目が合った。

 どうも見つめ過ぎてしまったらしい。一人の男がマジマジとこちらを見ている。

 

 触らぬ神に祟りなし。

 視線を外し、そそくさと人の波に紛れて駅へと向かう。

 

 スクランブル交差点を抜け、演説準備をしている政治家の横を通り、ハチ公前に差し掛かった、その時。

 

 

「いやぁ~! 何だあのとんでも空間!!」

 

「渋谷の地下にあんな場所が……」

 

「刺激的だったな」

 

 

 最近よく見かける3人組と黒猫が、突如現れた。

 文字通り、何も無かった空間から、いきなり。

 

 

「……ドッキリ?」

 

 

 雪雫の呟きに、3人と1匹がぎょっとした表情で彼女の顔を見つめる。

 

 

「あ、天城さん……」

 

「え、えーと…、これはね……、その…」

 

「マジック……、そう! マジックの練習で!」

 

「マジック……?」

 

 

 「余計にややこしくするな!」と杏が竜司に突っ込みを入れているその横で、雪雫はただただ小首を傾げる。

 

 

「流行ってるの?」

 

「「「へ?」」」

 

「だからマジック……流行ってる?」

 

 

 3人と1匹はポカンとした表情のまま、雪雫を見つめる。

 

 

「私の友達もマジックの練習って言ってた。その時はテレビの前だったけど。」

 

「おー……、おう?」

 

「りせにコツ、聞いてみる。練習頑張って」

 

 

 5人の中で漂う微妙な空気感に気付く事無く、雪雫はそう言い残してこの場を後にする。

 

 

「……天然、なのか………?」

 

「何かと勘違いしてたね…。はぁ助かった…。」

 

 

 緊張の糸が切れたのか、4人は大きく溜息を吐いてその場に座り込む。

 

 

「今後はもう少し様子見が必要かもな……」

 

「って言ってもよぉ、向こうからこっちの様子見れなくね?」

 

 

 4人は雪雫が居なくなった後もその場に留まり、意見を交わす。

 しかし、答えは出る事無く、ただ日が暮れていくだけだった。

 

 

 

その夜

 

 

「前にジュネスでやってた何も無い所から出てくるマジックのコツ、教えて?」

 

「うぇええい!?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

5/8 日曜日 晴れ

 

 

 

 その日、激震が走った。

 

 

 

天城雪雫@I_LOVE_RISE

今から新曲3つ作る。

今月中に公開する。ぶい

 

 

 

 きっかけはSNSに投稿された一つの呟き。

 まだ日が昇り始めて間もない時間帯にも関わらず、その投稿は大きな反響を呼んだ。

 喜びの声を上げる者。声援を送る者。雪雫の身体を労わる者。

 その反応は人それぞれだ。

 

 そんな中、話題の人物と一番近しい存在であり、自他ともに認める最古参ファンである少女。久慈川りせは現場へ向かう新幹線の中で、狼狽えていた。

 

 

「…あー………、マジ?」

 

 

 一抹の不安を拭えない。そんな複雑な表情を浮かべながら、紙芝居の様に変わっていく景色を眺める。

 

 

「………大丈夫かな…」

 

 

 

 

 

【朗報】雪ちゃん、本気を出す。

 

 

1:名無しの雪ファン 2016/5/8 5:48:12 ID:Txz17H6bn

 

朗報:雪ちゃん、重い腰を上げる模様。

 

 

 

2:名無しの雪ファン 2016/5/8 5:49:33 ID:Y58Y78Ot7

 

新曲きちゃぁ!

 

 

 

3:名無しの雪ファン 2016/5/8 5:50:49 ID:XncPcSSpv

 

前のが12月だったから、5か月ぶりか。

 

 

 

4:名無しの雪ファン 2016/5/8 5:52:14 ID:v2AlN/s2l

 

一気に3曲とかようやるわ

 

 

 

5:名無しの雪ファン 2016/5/8 5:53:26 ID:DaJYFRurJ

 

今回はちゃんと事前告知出来ててえらい

 

 

 

6:名無しの雪ファン 2016/5/8 5:54:40 ID:Qbi2LGI1L

 

確か今年から高校生だったよな?

新生活落ち着いたのかな

 

 

 

7:名無しの雪ファン 2016/5/8 5:56:15 ID:ay97i+OzM

 

年末から音沙汰無いと思ったら、一気に三曲リリースとか戦略性も何も無くて草

 

 

 

8:最古参の雪ファン 2016/5/8 5:57:31 ID:akMS+0nVT

 

≫6 雪ちゃんなら無事に引っ越し終わって、高校生活を満喫してるよ。

制服姿が可愛すぎてヤバイ。流石私の雪ちゃん。

 

 

 

9:名無しの雪ファン 2016/5/8 5:58:47 ID:rP0wutCdc

 

≫8 おはりせちー

 

 

 

10:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:00:06 ID:WLNYm55dW

 

≫8 定期的に現れるけど、本物……、な訳ないよな?

 

 

 

11:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:01:43 ID:nkmQnlQ/j

 

≫10 大人気アイドルがこんな所に居る訳無いだろ!

……ないよな?(過去のアーカイブを観ながら。)

 

 

 

12:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:03:00 ID:83q14lx/P

 

≫11 無いとも言い切れないのが何ともね…

りせちー、雪ちゃんになるとネジ何本か飛ぶらしいからなぁ……

 

 

 

13:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:04:31 ID:6LAX/zQdz

 

雪ちゃん投稿少ないから、純粋に心配になるときある

生存確認する方法でオススメ無い?

ちな社会人なのでゲリラ配信はキツイ

 

 

14:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:05:45 ID:Hx3wHK/36

 

雪ちゃんのアカウントのIDどういう経緯であれに……?

 

 

 

15:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:06:59 ID:iLMcWodDS

 

≫13 りせちーのアカウントがオススメ。よく雪ちゃんの事呟いてるし、たまにツーショットも上がる。

 

 

≫14 アカウント作る時にりせちーが設定したらしい。

 

 

 

16:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:08:14 ID:7SZJuTJOA

 

≫15 サンクス、フォローしてみるわ

 

 

 

17:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:09:37 ID:C1THUZWLU

 

歳下の女の子にデレデレのアイドル……。

悪くないわね

 

 

 

18:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:11:11 ID:hYbZzx93x

 

りせちーの雪愛は営業なのかガチなのか……

 

 

 

19:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:12:44 ID:TykxS9UU2

 

≫18 ガチだろ

 

 

20:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:14:10 ID:Mqfj26RIc

 

≫18 流石にガチ

 

 

21:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:15:36 ID:dPNNsSZca

 

≫18 ガチ

 

 

22:最古参の雪ファン 2016/5/8 6:16:54 ID:1HHMK6ihG

 

≫18 は?営業な訳ないじゃん

 

 

23:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:18:28 ID:WjyBr0Q1X

 

ほら、本人もそう言ってる

 

 

 

24:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:19:39 ID:7co/qBu44

 

≫23 草

 

 

 

25:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:21:07 ID:MvdzVpTYB

 

りせちーの雪ちゃんを見つめる目が獣のそれの時あるからガチ

 

 

 

26:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:22:24 ID:54dB3weCF

 

ついでに一見クールに見える雪ちゃんもガチ

 

 

 

27:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:23:46 ID:vZhu8uTXC

 

≫26 ゲームの生配信中にゲームをほっぽり出して、帰ってきたりせちーのお出迎え行ったもんな……

 

 

 

28:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:25:04 ID:mMJ3e95I1

 

あれは可愛かった

 

 

 

29:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:26:30 ID:wFDvmwZhn

 

りせゆきは神

 

 

 

30:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:27:49 ID:nlWH5HD7j

 

≫29 ゆきりせだろ

 

 

 

31:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:29:16 ID:CJMr8j32b

 

その論争は不毛だからやめよう

2人が幸せならいいじゃない

 

 

 

32:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:30:38 ID:ifCGT93mI

 

それはそうと1人暮らしで高校始まったばっかりなのに、三曲作るとか大丈夫かな

 

 

 

33:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:32:02 ID:plqYC7MC/

 

割とハードスケジュールだよね

 

 

 

34:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:33:15 ID:GkYB0zgrl

 

雪ちゃん、一回エンジンかかると止まらないからね……

 

 

 

35:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:34:32 ID:wRIzwEfmN

 

話聞いた感じ、生活力はあまり無さそうだけど……

 

 

 

36:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:35:51 ID:0Awqgr2fX

 

手料理ご馳走してあげたい

 

 

 

37:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:37:17 ID:c07agHG64

 

 

38:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:38:39 ID:Fnjwx+0Bk

 

 

39:名無しの雪ファン 2016/5/8 6:40:12 ID:ViLLTVAG/

 

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

同日 17時

 

 

「ふわぁ…。朝から暇な奴らねぇ……」

 

 

 思わず口から綻びる生理現象を必死に噛み殺しながら、スマホに映る掲示板を眺める。

 

 

「流石に夜勤明けはきついな…」

 

 

 自身の体力を過信してフルタイムでシフトを入れたものの、前日の業務の疲れが残っている様で。

 もう私も若くないってことかな……悲しい。

 

 予約が入らなければ特にやる事も無い。

 この手の仕事の場合、若い子達の方が指名が入りやすいのが世の常だ。

 一応、家事代行サービスだけど。

 

 

「フルで入ったのは悪手だったかな―――」

 

「べっきぃ! 予約入ったよ!」

 

 

 おっと、どうやら物好きが居たらしい。

 さてさて、今日はどんな野郎か。金を持て余した寂しい独身か、行き遅れた芋男か……。

 言ってて悲しくなってきた。

 

 

「はぁい」

 

 

 しかしお金を貰えるなら誰でも構わない。

 私に、そんなより好みをする資格何て無いんだから―――。

 

 

 

 

「いや、マジで?」

 

 

 予約の入った住所が書かれたメモと目の前の建物の名前を何度も何度も見比べる。

 番地…合ってる。

 建物名…、合ってる。

 

 

「……マジか」

 

 

 目の前に聳えるのは天を突くほどの高層マンション。

 24時間常駐の警備員がいるタイプの都内有数の高級住宅。

 

 

「いやぁ……、お金は欲しいけど流石にこれは緊張するわ…」

 

 

 ガチガチになった身体に鞭を打ち、マンションのエントランスへ向かう。

 警備員から突き刺さる視線が痛い。

 そうですよね、不審者に見えますよね。メイド服ですもん。

 

 ここで取り繕っても仕方が無い。

 正直に自らの身分とここに来た理由、目的の部屋を伝える。

 

 対応した警備員の人は何処か不思議そうな顔をしながらも、何処かに連絡を取り、そして私の元へと戻ってきた。

 どうやら家主本人に確認を取っていたらしい。

 

 不思議そうな顔をしつつも、警備員は自動扉のロックを解除して、私を見送った。

 

 内装一つ取って見ても、一生縁が無さそうな廊下を抜け、無駄に頑丈そうなエレベーターを上がる4つ分。

 だだっ広い廊下の先の角部屋。

 

 

「さてさて、どんな嫌味ったらしいおっさんが出てくるか……」

 

 

 恐る恐るインターホンを押して数秒。

 扉の奥からペタペタと軽い足音が響いた後、重苦しい扉が開いた。

 

 

「待ってた。よろしく」

 

 

 顔を覗かせたのは小さな少女。

 白髪で、肌も同じくらい白くて。瞳は真っ赤で。絵に描いたような美少女で。

 

 

「え?」

 

 

 学校で見た事ある少女。

 

 

「ええええええええええ!!」

 

 

 ここに一つ、奇妙な関係が生まれた。




5/7日と言えば、主人公たちが初めてメメントスに入った日ですね
確かストーカー事件のやつを解決してたはず


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10:The duty of the students is…

 

 

5/10 火曜日 曇り

 

 

 中間テストを前日に控えた秀尽学園。

 最後の詰め込み、と図書室に駆けこむ生徒。

 普段の努力の賜物か、落ち着いた様子の生徒。

 開き直って友達を遊びに誘う生徒。

 

 誰もが翌日に控えたテストに思考を捉われている中、天城雪雫は。

 

 

「雪ちゃ~ん!」

 

「りせ」

 

 

 何時も通りだった。

 

 

「久しぶりっ! 寂しかったよぉ……」

 

「そうは言っても2日…」

 

 

 学校から少し離れた通りに止められた一台の真紅の車。

 その中で、りせは雪雫の小さな身体を抱きしめる。

 

 

「ん~、何と心地良い抱き心地……」

 

「りせ。私、早く帰りたい」

 

 

 あ、そっか。と離れかけた意識を現実に戻し、雪雫を解放する。

 

 

「そうだよね、明日テスト―――」

 

「曲作りたい」

 

「あ、はい」

 

 

 

 

 

 天城雪雫という少女は、飽きるまでとことん打ち込むタイプだ。

 それがどんなに大変な時期だろうと、例えテスト前だろうと。やりたい事を常に優先して行動してきた。

 

 そして、それは今も変わらない。

 

 りせは覚悟していた。

 雪雫が曲を作ると投稿したあの日から。

 家事は滞り、食生活は乱れ、部屋が惨憺たる状況になっている事を。

 

 掲示板の民達の心配は正しい。

 久慈川りせは知っている。経験則で知っている。

 こういう時の雪雫は、基本的にダメ人間であると。

 

 

(その分、私がサポートしなきゃ……!)

 

 

 まずは掃除からか、と息巻いて部屋の扉を開け―――。

 

 

「……あれ?」

 

 

 何時もの広い玄関がりせを出迎えた。

 

 

「思ったより散らかってない……、というか綺麗」

 

 

 廊下も、台所も、リビングも、寝室も、作業部屋も。

 脱いだ服は放置されて無いし、出したモノは出しっぱなしになっていないし、洗い物も溜まっていない。

 

 

「意外?」

 

「うん、すっごく」

 

 

 珍しく何処か得意気な顔をしながら、無い胸を張る雪雫。

 

 

「私だってやる時は―――」

 

 

 ピンポーン。

 雪雫を言葉を遮る様に、部屋に響く電子音。

 

 

「……あ」

 

「お客さん? 珍しいね。はーい。」

 

 

 来客に覚えがあるのか雪雫は何かを悟った様に声を上げ、りせは玄関へと向かう。

 

 このマンションに入るにはそれなりの手順が居る。

 私みたいに合鍵持ってて入り浸っている人なら素通りだが、そうでない部外者は中々苦労する筈だ。

 そんな環境下でここまで来たってことはそれなりに安全な人なのだろう。

 

 そうりせは考え、特に覗き穴で来訪者を確認する事も無く、扉を開け―――。

 

 

「ご主人様! 貴女のべっきぃがお手伝いに来た、にゃ…ん………」 

 

「…え、……メイド…? というか…」

 

 

 お互いがお互いの顔を見つめ僅か数秒。

 

 

((絶対に見覚えある!!!))

 

 

 お互いの顔に既視感を感じていた。

 

 

(あ、あれぇ…、この人ってアレだよね…。雪ちゃんの学校の…)

 

(え、嘘。久慈川りせ…? なんで? 天城さんと知り合い……?)

 

 

 一向に戻って来ないりせを不思議に思い、雪雫は首を傾げながら玄関へと向かう。

 そこで彼女は滑稽な光景を見た。

 互いに言葉を発する事無く、ただただポカンと口を開けて見つめ合っている。

 

 

「……何してるの? 2人とも」

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「えーっとつまり…家が綺麗なのは、家事代行サービスから派遣されたべっきぃのお陰であると」

 

「うん、料理も美味しい。頼んで良かった」

 

「そ、そう…」

 

 

 りせは頭を抱える。

 雪雫の事だ。家事代行サービスという言葉をそのまま信じて依頼したのだろう。

 

 

「まぁ良いわ。良くないけどいったん置いておきましょう。えーっと、それでこの顔に見覚えは…?」

 

「!!」

 

 

 当然、聞かざるを得ない。

 高校職員が、風俗で働いているなんて余程の訳ありだ。

 関わった以上、聞かない訳には――。

 

 

「うん、川上―――」

 

「!」

 

 

 だよね、流石の雪ちゃんでも気付いて

 

 

「に似てるよね」

 

 

 いや、本人でしょ。とは突っ込まなかった。突っ込みたかったけど。

 こういう所はホントに雪子センパイに似てるというか、雪子センパイ以上に天然というか……。

 

 

「…う、うん。似てる、ネ………」

 

 

 仕方無い。

 こういう深い話は大人である私達の分野だ。

 雪ちゃんはこのままで居て貰おう。

 

 

「あの…、私からも良いですか…?」

 

「うん、べっきぃ」

 

「えーっと、雪雫さん…と、りせちー…さん?は知り合いで……?」

 

 

 べっきぃこと、川上貞代はおずおずといった様子で口を開く。

 

 

「知り合いも何も、幼馴染。仕事でもプライベートでも、大切な人」

 

「~~! またこの子は…そうストレートに…」

 

(何だこれ、カップルか?)

 

 

 目の前でいちゃついている2人を眺めながら、川上は思考に耽る。

 

 

(雪雫、天城雪雫…、それに久慈川りせ、幼馴染……。なーんか引っかかる様な)

 

 

 後一歩、というところまで答えが出掛かっているのだが、その先が霧に包まれたように不鮮明だ。

 

 

「それじゃあ、私は曲作るから、二人とも仲良くね」

 

「あ、待って! もうちょっと余韻に浸ろうよ、雪ちゃん!!」

 

 

 曲、作曲、雪ちゃん。

 

 

「あ―――」

 

 

 えぇぇぇぇぇぇ!!

 

 

 川上貞代の絶叫が再び響いた。

 

 

◇◇◇

 

 

5/11 水曜日 雨

 

 

 空を覆う分厚い暗雲。

 陽光を一切遮り、地上に影を落とすその光景は、秀尽学園の生徒達の心情を表している様だった。

 

 秀尽学園第一学期中間試験初日。

 

 多くの生徒がその顔を曇らせて決戦の地へと向かう中。

 

 

「……………?」

 

 

 天城雪雫は通常運転だった。

 

 

「何かヨユーそうだなぁ…、お前……」

 

 

 肩を落とす生徒達の群れを不思議に思い、首を傾げる雪雫。

 そんな彼女に掛かった声は、生徒達の様子を代表するかの様に暗いものだった。

 

 

「テストって…、なんであるんだろうな……」

 

 

 遠い目をしながらそう語るのは、坂本竜司。

 彼の顔色から察するに、テストの学業の成績はそこまでの様だ。最も、学年の違う雪雫はそんなこと知らないが。

 

 

「嫌い?」

 

「好きな奴の方が少ないと思うぞ……」

 

 

 そうなんだ、と興味無さげに呟く雪雫に、竜司はさらに溜息を吐いた。

 

 

「蓮は余裕そうだし、杏は英語が出来るからなぁ……。鬱だ……」

 

「……頑張って」

 

「お前もな―……。曲作ってるんだろ? よくやってるよ…」

 

「…家事やって貰ってるから。その分、他の時間に充てられる」

 

 

 一言も勉学に充てていると言ってないが、竜司は感心した様に相槌をした後、「雪雫も蓮側か…」と顔の影をさらに濃くする。

 

 

「そういや家事やって貰ってるって…、りせちーって家事出来るのか?」

 

「……料理は壊滅的。他はある程度。でも悠程じゃ無い」

 

 

 聞きなれない名前に疑問符を浮かべる竜司だが、親戚か何かだろうと心の内で完結させる。

 

 

「それにりせも忙しい」

 

「え、じゃあ何? お手伝いさんでも居るの? メイドみたいな?」

 

「うん、メイド」

 

「…まじで?」

 

 

 半分冗談で言った竜司だったが、予想外の返答に目を丸くする。

 

 

「最近知った。家事代行サービス」

 

「ほぉーん、そんなものが―――」

 

 

 雪雫の持つ鞄から出されたチラシを受け取り、マジマジと見つめる竜司。

 そこに書かれた文字を一字一句読んでいく内に、段々と言葉が消えていく。

 

 

「……雪雫さん…、これをどこで……?」

 

「…? 新宿。ララの店の近くに落ちてた。……欲しいならあげる。私、べっきぃの連絡先知ってるから」

 

「べっきぃ……。お気に入りがいるのか…」

 

「変なこと言った?」

 

「…いや、俺の心が汚れてるだけかもしれないから気にしないで……」

 

 

 そう言いながらそそくさと受け取ったチラシを鞄に突っ込み、引き攣った笑みを浮かべる。

 家事代行サービス「ヴィクトリア」と書かれたチラシに思いを馳せながら。

 

 

◇◇◇

 

 

5/13 金曜日 曇り

 

 

 地上を照らす筈の月明かりは分厚い雲の覆われ、少し湿り気が混じった空気が漂う晩。

 大多数の学生は試験勉強や課題に追われているであろうこの時期。

 

 

「うぇへへへ~」

 

「……熱い」

 

 

 天城雪雫は久慈川りせに遊ばれていた。

 

 

「ほっぺぷにぷに~!」

 

「………はぁ…」

 

 

 膝の上に乗せられ、頭を撫でられたリ頬をつつかれたり。

 最初はスマホでゲームをしていた雪雫も、スキンシップが気になるのか、今はスマホを置いてされるがままの状態だ。

 …それでも、彼女はりせから降りない辺り、嫌では無いのだろう。

 

 

「最近忙しかったからね、こういう時に雪ちゃん成分を補充しとかないと」

 

 

 りせは仕事で。

 雪雫は学校と曲作りで。

 最近、家に出入りするメイドの目もあり、堂々としたスキンシップを控えていたりせの欲望がここに来て爆発した様で。

 

 

「……私、明日テスト……。」

 

「良いじゃん良いじゃん。どうせもう余裕でしょ?」

 

 

 りせの細い指がシルクの様な肌を滑る。

 太ももから、腰へ。腰からお腹へ。

 

 

「……くすぐったい」

 

「あ……」

 

 

 スキンシップを素直に受け入れてたものの、むず痒い刺激は我慢出来ず。

 猫の様にするりとりせの細腕を掻い潜り、雪雫はりせの隣へ逃げる。

 

 

「もうちょっと楽しみたかった……」

 

「……どうせ後でする」

 

「まぁね~♪」

 

 

 家に入り浸るりせ用の部屋が無い訳では無いのだが、彼女自身、その部屋を使おうとしない。

 寝る時は当然の様に雪雫のベットに入り込む。

 雪雫が言いたいのは、ここでスキンシップ取らなくても寝る時するでしょ、って事だ。

 

 

「明日で雪ちゃんのテストが終わって、今週末は私も休み……。楽しみだな~!」

 

「今週末……、あ」

 

 

 そういえば、と思い出したように声を上げる雪雫に、りせは首を傾げる。

 

 

「……美術展、興味有る?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 班目一流斎と言えば、その業界では知らぬ者など存在しないと言える程の、日本を代表する巨匠である。

 柔らかい笑みを浮かべて赤子を抱く女性が描かれた「サユリ」を代表に、その幅広い表現力と作風からファンも多い。

 そんな班目の展覧会当日。

 

 

5月15日 日曜日 曇り

 

 

 展示会場は大勢の客で賑わっていた。

 広くはない展示会場にたくさんの人がすし詰め状態。

 ゆっくりと流れる人の波に身を任せて進むしかない程、その空間に余裕は無い。

 

 

「雪ちゃん…、手を離さないでね」

 

「うん」

 

 

 歳の割には小柄…、というよりも平均身長を大きく下回る雪雫にとってこの人の群れは高い壁の様で。

 以前、沖奈駅で起きた天城雪雫迷子事件の記憶もあり、りせは決して離さない様に強く強く握り締める。

 

 

「雪ちゃんは見たい絵あるの?」

 

「全部。何が活動の刺激になるか分からないし」

 

「相変わらずのストイックさ…。そういう所も好き!」

 

 

 度々会話を挟みながら、順路に従って歩みを進める2人。一つ一つ、展示されている絵を満足するまで眺め、それが持つ意味を自分なりに噛み砕いたらまたその次へ。

 何処かで聞いた事ある様な少女の声や、インタビューを受けている班目本人の声すら気付くこと無く。黙々と作品鑑賞に浸る。

 そして、それも終わりに差し掛かった頃。

 

 

「………?」

 

 

 初めて雪雫は表情を変えた。

 

 

「どうかした?」

 

 

 形の良い眉を僅かに顰めて、訝し気な表情で目の前の作品を見つめる。

 黄昏に染まる空に、僅かな暗雲が立ち込めている様な。そんな絵。

 

 

「感情的な絵」

 

「……そうだねぇ…、なんだろう。他の奴よりも作風が荒々しいというか、雑…、というか。」

 

「他のもそうだけど、これは特にそう。サユリを描いた人の絵とは思えない」

 

「それだけ作風が広い…、とか」

 

「だとしたら役者に向いてる。こんな真っ直ぐな感情をトレース出来るなんて」

 

「……本人が描いてない、って言いたいの?」

 

 

 雪雫は視線を渦中の絵から、りせの方へ。

 その穢れを知らない真っ直ぐな目がりせの顔を映す。

 

 

「作品はその人の性格がよく表れる。ここの作品に班目の性格を表したものは無いように見える」

 

 

 雪雫は続けた。

 

 

「本当にここ全部の作品を一人で描いたなら―――」

 

 

 人の域を超えている。

 

 

 小さな呟きは、喧騒の中に消えていった。

 

 

 

 

天城雪雫@I_LOVE_RISE

班目展行った。

彼は大した役者だと思う。

 

 

 SNSに投稿された1つの呟き。

 

 この意味を深く考察する者、首を傾げる者、何かの比喩表現だろうと自己完結する者、と反応は十人十色。

 しかし、雪雫本人が口下手という事もあり、特に深い意味は無いだろうと、特別話題になる事無く、ネットの海に沈んでいった。

 

 

 後日、この投稿が話題を呼び、一気に盛り上がる事となるのだが、それはまた別の話。



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11:They are behind the incident.

 

 

 

5月16日 月曜日 晴れ

 

 

 

「監視?」

 

 

 放課後の生徒会室で、雪雫は頭に疑問符を浮かべる。

 

 

「…認めたくは無いけど、簡単に言うとそうね……」

 

 

 はぁ、と生徒会長である新島真は愁い帯びた瞳で溜息を吐く。

 

 

「なぜ真が?」

 

「相手が生徒である以上、同じ立場の方が何かと都合が良い、だって」

 

「……無責任」

 

 

 一月経った今もなお、爪音が残る鴨志田の事件。

 今になっても出入りする警察やマスコミ。事件を皮切りに学校に寄せられる保護者からの意見や要望。そして、生徒間で囁かれる怪盗団と名乗る者達。

 以前までは目立たない普通の学校だった秀尽だが、今はその姿は何処にも無い。

 

 何処までも保守的な校長はこれ以上のトラブルやスキャンダルは望まない。

 そこで白羽の矢が立ったのが生徒会長である新島真。

 

 要するに生徒の管理を全て彼女に投げたのだ。

 

 

「本当にするの?」

 

「……やりたくはないけど…、内申を引き合いに出されると、ねぇ……」

 

 

 そう呟く真の顔は何処までも憂鬱そうで、納得いってない様子だ。

 

 

「内申ってそんなに大事?」

 

「………わかんない」

 

 

 そう言いながら、彼女は窓の先に見える夕日を眺めた。

 

 

 

 

同日 夜

 

 

 都内では有数のノスタルジーな雰囲気が漂う街、神田。

 無数の書店が立ち並ぶ街の一角に神聖な教会が一つ。

 

 街頭から漏れる光が差し込む教会で、2人の少女が顔を合わせていた。

 

 一方は白髪の西洋人形の様な見た目の少女、天城雪雫。

 一方は黒髪の日本人形の様な見た目の少女、東郷一二三。

 

 学校も学年も違う2人だが、意外にも交友関係は長く、その出会いは雪雫が八十稲羽に住んでいた頃まで遡る。

 そんな彼女達は定期的に神父が見守るこの教会で時には談笑を、時には対局を。

 静かに、しかし熱く親睦を深めている。

 

 

「班目一流斎氏の展覧会、どうでした?」

 

 

 そんな彼女達の今日の話題は、先日始まった班目の展覧会。

 雪雫の呟きをチェックしていた東郷は、興味津々な表情を浮かべて、口を開いた。

 

 

「作品は面白かった。ただ―――」

 

「ただ?」

 

「全て一人でっていうのは些か疑問」

 

「ああ、この役者というのは、やはりそういう意味でしたか」

 

 

 文面だけでは、意図が正確に汲み取れない為、余計な推測を控えていた一二三だったが、どうやら想像通りだったらしい。

 得心がいった様なスッキリとした表情と同時に、納得しきれない様な表情を浮かべる。

 

 

「一二三はどう思う?」

 

 

 東郷は困った様な笑みを浮かべて、頬を掻く。

 

 

「私は直接見ていないので何とも……。ただ喜多川さんの話を聞く限りはそう言った印象を受けませんでしたよ」

 

「喜多川?」

 

「はい。私と同じ洸星に通う美術専攻の喜多川裕介さん。班目氏のお弟子さんみたいでして」

 

 

 あまりお話したことは無いですけど、と一二三は続けて微笑む。

 

 

「もし雪雫さんが危惧してる事が実際にあるとしたら、喜多川さんが黙っていないかと。彼、美術に対する情熱は並々ならぬものですので」

 

「喜多川、祐介……」

 

 

 名前を噛みしめる様に雪雫は小さく呟いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

5月17日 火曜日 晴れ

 

 

 日も完全に落ち、変わる様にギラギラとしたネオンが照らす繁華街、新宿。

 仕事帰りの会社員、大学生、煌びやかな恰好した女性等、様々な人間が往来を闊歩している。

 

 

「………」

 

 

 そんな中に場違いな程、幼い少女が1人。

 穢れの知らない白髪を携えた少女。

 ヒールに黒いパンツ。白いシャツに薄いカーディガンを羽織っている。

 

 恰好だけ見れば小綺麗な大学生位の女性、といった印象を受けるが、身長とその幼い顔がそれらを打ち消している。

 その証拠に、まるで迷子の子どもを発見したかの様な視線を、周りから向けられていた。

 

 

「……?」

 

 

 しかしその少女、天城雪雫は気付かない。

 

 

「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」

 

 

 首を傾げながらも歩みを進める雪雫は、ふと肩を叩かれその足を止めた。

 彼女の後ろには派手なスーツを着た、どこからどう見ても怪しい男。

 

 

「私?」

 

「そう! 君!!」

 

 

 その男は仰々しい反応で雪雫に向けて指を差す。

 

 

「中々可愛い顔してるじゃない~! 声も合格……」

 

「ありがとう」

 

「おじさんね、君みたいな可愛い子を探して日夜この辺りを張ってるんだけど―――。君、お金欲しくない?」

 

 

 まるで教材にでもされそうな程の、お手本の様なスカウト行為。

 普通なら碌に取り合わずこの場を去るだろう。

 誰もがそう思った。

 すれ違う人達も、それを遠くから見ている街角の占い師も。

 

 しかし。

 

 

「お金、別に要らない。」

 

「えぇ!? そんな強がっちゃって!お金が在れば、なんでも欲しいモノ買えるんだよ!」

 

「欲しいモノ、全部買ってる」

 

 

 そんな周りの期待を裏切り、雪雫は会話を続けた。

 

 

「あらら、もしかしてご実家お金持ち? でもね、お嬢ちゃん。何時かは実家を離れて独り立ちしないといけない時が来るの。いや、それだけじゃない。就職や結婚…、様々な場面でお金っは必要…。その時に自由に使えるお金が必要だと思わない?」

 

 

 好感触、とまではいかないが、打てば何かしら反応を返す雪雫に気を良くし、男はどんどんとまくし立てる。

 

 

「……む、それは一理ある。でも私は―――」

 

「そうでしょう、そうでしょう!私は君の為に思って言ってるんだよ~!」

 

 

 そしてついに男は、雪雫の続く言葉を遮り、その細腕を掴む。

 

 

「話だけでもいいから、ね?君なら一晩で想像も出来ない程の額を――――!」

 

「ストップストップ、スト――――ップ!!!!」

 

 

 男が雪雫に腕を引っ張り、裏路地に連れて行こうとしたその時、1人の女性が間に割って入った。

 

 

「わ」

 

「ちょっと!」

 

 

 女性は素早く雪雫を守る様に男から奪い取り、自身の身体の後ろに隠す。

 

 

「ちょっと、じゃないですよ!!

わ、私の…、…妹に何やってるんですか!!」

 

「妹?」

 

 

 初対面の女性に妹、と言われてことを不思議に思い、小さく呟く雪雫。

 

 

「ふーん、妹ね。全然似てないけど…?」

 

「い、良いじゃないですか、似て無くても!!あ、あれですよ、マリア様的な、花園的な……!取り敢えず、この子に手を出さないでくださーい!!!!!!!!」

 

 

 訝し気な視線を向ける男と、子犬の様にキャンキャンと声を上げる女性。

 男は強気な姿勢を崩そうとせず、詰め寄っていたが、その女性の声が周りの注目を必要以上に集めている事に気付く。

 

 

「っ。邪魔しやがって…」

 

 

 悪態を吐きながらこの場を去る男の姿が完全に消えたのを確認し、女性はヘナヘナとその場に座り込む。

 

 

「良かった……。なんか大事なモノを勢いで失った気がするけど……」

 

「……ねぇ」

 

 

 ブツブツと呟く女性の肩を軽く叩く雪雫。

 

 

「大丈夫? 怪我とか―――」

 

「私、貴女の妹じゃないよ?」

 

「アー、ソウキタカー」

 

 

 ふざけているのか、真面目なのか。

 いや、後者だろう。

 真剣な眼差しの雪雫に、女性は遠い目をして虚空を見つめる。

 

 

「……いやいや、呆れている場合じゃ無い。ここはガツンと言わないと……。貴女、名前は?」

 

「天城雪雫」

 

「雪雫ちゃんね……。よし、雪雫ちゃん!」

 

「ん」

 

 

 腰に手を当てながら、ビシっと指先を伸ばして語気を強くする。

 まるで出来の悪い妹を叱る様に。

 

 

「駄目じゃないですか! こんな夜に子ども1人で繁華街に出歩くなんて!!」

 

「だって大宅迎えに来てくれない」

 

「大宅?」

 

「これから会う人。ちゃんと大人。でも迎えに来てくれなかった」

 

「何となく漂うダメな大人臭……。でも完全に1人って訳では無いんですね。それなら、今すぐその方に連絡を―――」

 

「したけど飲み過ぎたから動けないって」

 

「やっぱりダメな大人じゃないですかー!」

 

 

 再び女性の声が繁華街に響いた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 女性の名前は御船千早という。

 様々な人間が往来する新宿の繁華街の片隅で占い屋を営むタロット占い師で、その腕はよく当たるとのお墨付き。

 

 そんな千早は今、自身の城を一時離れ、先程保護した少女と繁華街の奥地へ向かっていた。

 

 

「流石の私も夜に1人は危ないって分かってる。だからさっきの男の人にララの所まで連れてってもらおうと……」

 

「全然分かってない!!上京したての私の方がまだ警戒心ありましたよ!!」

 

 

 目指すは雪雫の知人、大宅が居るというバー。

 距離にすると対して離れていないのだが、雪雫の事が放っておけず、そこまで送る事となった。

 

 

「これから会う人はまともな人ですよね?」

 

「昼間は新聞記者。夜は常に酔ってる」

 

「不安しかない……」

 

「でもララがしっかりしてるから」

 

「ララさんというのは?」

 

「エスカルゴ・ララ。バーのママ」

 

「今の女子高生の交流ひろーい……」

 

 

 雪雫が特殊なのか、それとも今の女子高生がすごいのか。

 判断が付かないまま、2人は目的地へと辿り着く。

 

 

「ん、ありがとう。お陰で補導されなくて済んだ」

 

「補導だったらまだマシでしたけどね……」

 

 

 どっと疲れが出た様に肩を落とす千早に雪雫は微笑み掛ける。

 

 

「一緒にご飯、食べる?大宅もララも歓迎すると思う」

 

「んー嬉しい誘いですけど、仕事があるので遠慮しときますね」

 

「そっか」

 

「ここで会ったのも何かの縁ですし、今度私のところへ遊びに来てください。早い時間からやってますので」

 

 

 ん、と小さく返して、雪雫はバーの扉を開けた。

 

 

 

 

「へぇー、それで? 危うく連れて行かれそうになった挙句、知らない女性に助けられた……。アーハハハハハ!!ララちゃーん! やっぱこの子面白いわぁ!!!!」

 

「何が面白いのよ。貴女が行かない所為で危ない目に合ったのよ?」

 

「いやぁ、この子意外と顔広いから大丈夫かな~って思って。ほらぁ、オネエポリスとも仲良いし!!」

 

「そうは言っても子どもは子ども。大人らしく振る舞いなさいよ」

 

「はぁい」

 

 

 大宅が茶化してララが叱責を飛ばす。何時ものにゅぅカマーの光景だ。

 

 

「お酒臭い」

 

「おこちゃまには分からないかな~、お酒の良・さ・が」

 

「お酒の良さを知っても貴女みたいにはならないで欲しいわ…。はい、雪雫ちゃん。オレンジジュース」

 

「ん、ありがと」

 

 

 並々に注がれたお酒を飲み干す大宅を横目に、出されたジュースを一口。

 

 

「やっぱ酒っていいわぁ。あー……、それで? 今日のご用件は? 聞きたいことがあってきたんでしょう?」

 

 

 頬を赤く染めながらも、その目は鋭く真っ直ぐで。

 大宅は雪雫の瞳に視線を送る。

 が、それも長くは続かず。

 

 

「お代は今日の酒代で良いよ~ん!!」

 

「女子高生にたからないの!」

 

「イイじゃーん! どうせ私より稼いでるんだから!!雪雫、月にいくら稼いでるのよ?」

 

「今月は500――」

 

「貴女も言わないの」

 

 

 最近のJKすげー!!って叫ぶ大宅だったが、騒ぎ立てるのも飽きたのか、神妙な顔持ちで水を一口飲んだ後、酔いが醒めた様な真面目な顔を雪雫に向ける。

 

 

「で? 本題は?」

 

「……班目一流斎について知りたい」

 

 

 あー、それか。

 小さく呟き、ガシガシと自身の頭を乱暴に掻く大宅。

 

 

「彼は大した役者、か。良い線行ってると思うよ」

 

「証拠は、あるの?」

 

「無い。けどあのじじぃの周りには常に黒い噂が絶えない。弟子を虐待している。盗作している。とかね」

 

 

 暫しの沈黙が店に訪れる。

 ララは会話に口を挟む気配は無く、雪雫は続きの言葉を待っている様だった。

 

 

「実は私もあいつを張っててね。最近も班目の家を―――あ、そうだ。」

 

「?」

 

「そういえば、あいつの事を嗅ぎまわってる子達居たわ。貴女と同じ学校の制服を着た」

 

「……誰?」

 

「黒いパーマの眼鏡少年、金髪モンキー、碧眼ツインテガール。

例の鴨志田事件の当事者達…、でしょ?」

 



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12:What is art?

 

 

 

5月19日 木曜日 雨

 

 

 

 降り注ぐ雫を弾く小気味の良い音が奏でられる雨の日。

 湿気の影響で肌に纏わり着く髪の毛の鬱陶しさと、僅かに水気を含んだ靴下の不快感さえ無ければ、雨もたまには良いかもしれない。

 

 そんな事を考えながら、天城雪雫は校門の前で人を待っていた。

 

 

「………」

 

 

 校門と言っても秀尽のでは無い。

 

 洸星高校。

  

 都内有数の長い歴史を持つ伝統的な高校。

 一芸に秀でている生徒が多く在籍しており、学生の頃から将来の活躍が見込まれている生徒も少なく無い。

 所謂、名門中の名門校であり、雪雫の母も最初はここに入れようとしてたとか。

 

 

「ねぇ、あの制服って…」

 

「秀尽だよ秀尽! ほら、体育教師の!」

 

 

 校門の前で待つ事、10分ほど。

 下校する洸星の生徒からの好奇な目に晒される中、真っ直ぐと雪雫の元へ向かう一人の生徒が。

 

 

「君か。東郷さんが言っていたのは」

 

 

 180cmを超えるであろう長身、どこか浮世離れした風貌の物憂げな顔立ちの青年。

 

 

「喜多川祐介」

 

「そう言う君は、天城雪雫…だったか」

 

「ん」

 

「………」

 

「………」

 

 

 お互いの名前を確かめるだけの問答。

 短いやり取りが終わると、2人の間に沈黙が訪れる。

 

 沈黙が気まずいのか、祐介は目をキョロキョロと慌ただしく動かしているが、一方の雪雫は気にしていないのか、落ち着いた雰囲気だった。

 そして聡明な彼はこの短いやり取りで気付く。

 天城雪雫は途轍もない口下手だと。

 これが同学年だったら自身から、さっさと本題に入れと切り込む所だが、相手は歳下。ましてや女の子だ。

 

 ああでもない、こうでもないと、慎重に脳内で慎重に言葉を選んでいると、小さくも良く通る声が耳に届く。

 

 

「場所変える。あっち」

 

 

 そう言いながら雪雫は駅のある方角へと指を差す、が場所の示し方がアバウト過ぎる所為で、何処に行きたいのか祐介には分からない。

 結局、碌に会話も続かないまま、祐介は少女の小さな背中を追う様に歩みを進めた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 色鮮やかな壁紙。

 部屋の中央に取り付けられた大きなモニター。

 壁越しに聞こえる男の歌声。

 

 

「何故、カラオケなんだ……?」

 

「防音、個室で周り気にせずに話せる。あと、安さとドリンクバー。大宅のオススメ」

 

 

 コップに注がれたアイスカフェオレをストローでかき混ぜながら、雪雫は当然の様に呟く。

 

 

「歌う以外にも用途があったのか…。それは盲点だった」

 

「モノは使いよう」

 

 

 注いだガムシロップが綺麗に溶けたのか、ストローを通してカフェオレを一含み。

 祐介は慣れない環境に驚きつつも、彼女の持つコップから飲み物が減っていくのを黙って見ていた。

 

 はぁ、と小さく息を零しながらコップをテーブルに置く雪雫を見て、祐介は静かに切り出す。

 

 

「先生の件で呼んだのか?」

 

「そう。……何で分かった?」

 

「先日、君の様にその件で探りを入れてきた奴らが居た。……君と同じ秀尽生だ。そう考えるのが自然だろう」

 

 

 祐介は僅かに目を鋭くし、真っ直ぐ雪雫の瞳を据える。

 

 

「この間も言った筈だ。身勝手な正義を押し付けるなと。弟子として師匠を支えるのは当然の事。お前達の言うような被害者はあそこには―――!」

 

「私と彼らは何も関係ない」

 

「……何?」

 

「貴方の言っていた秀尽生。多分、私の考えている人達と同じだと思うけど…、私と彼らの間に交流は無い」

 

「では何故……!」

 

 

 訳が分からない、と言った様子で祐介は珍しく声に困惑の音を乗せる。

 

 

「半分は好奇心。班目展に行った。展示されている作品はどれも良かったし、刺激にもインスピレーションにもなった。あんな風に縦横無尽に作品が描けるなら、是非真似したいと思った。私もアーティストの端くれ。活動に活かせそうなモノは学びたい。だから祐介に声を掛けた。弟子の貴方なら、その一端でも知っているだろうと―――」

 

「……そうか。それで、もう半分は?」

 

 

 静かに、しかし必死に内から湧き出る何かを抑えている様な。

 声を僅かに震わして祐介は問う。

 

 

「疑惑、疑念、そして心配。作品を見ているうちにもう一つ思う事があった。―――本当に班目一人が描いたのか、って。作品にはその人の性格が色濃く反映される、と私は思ってる。音楽で言えばメロディや歌詞、絵画で言えばタッチや色使い。その人の生き写しと言ってもいい。けど、班目は違う。どの作品も性格がバラバラで、人格が何個もあるみたい。だから疑問に思った。だから心配になった」

 

「……東郷さんの言った通り、君の審美眼は確からしい」

 

 

 作品一つで見抜かれるとは思わなかったよ、と観念したように祐介は声を漏らす。

 

 

「君の言う通り、先生は現在作品を描いていない。展示場にあるのは全て俺や兄弟子達が描いたものだ。先程も言ったが、被害者など居ない。先生には恩がある。身寄りの無い俺をここまで育て、画家への道を示してくれた。その恩に俺は報いたい」

 

「……そう」

 

「傍から見たら歪だろう。だがそれが当事者にとっては正しい形という事もあるんだ。俺は誰に何て言われようと変えるつもりは無い」

 

 

 カランとコップに入った氷の音が部屋に響く。

 結露によって生まれた水滴がコップを伝って零れ落ち、机を僅かに濡らしていた。

 

 

「……分かった。貴方の意志を歪めるつもりは無い。――ただ」

 

「……?」

 

「人の目はよく曇る。目の前に突然霧が掛かった様に。それは恋慕だったり、尊敬だったり、恩だったり、情だったり。何時までも、その眼を曇らせないで欲しい」

 

 

 諭す様に、そして何処か自分に言い聞かせる様に。僅かにその顔に影を落としながらも、雪雫は呟いた。

 

 

「これで払っといて。残った時間、歌うのも良い」

 

「お、おい!」

 

「私は帰って曲作らないとだから。お釣りは要らない」

 

 

 そう言い残して雪雫は部屋を去る。

 祐介はテーブルの上に残された2つのコップと一万円を横目に、思い悩む様に俯いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

5月23日 月曜日 晴れ

 

 

 

「流石ね」

 

「何が?」

 

 

 生徒達の賑やかな声が響くお昼時。

 壁越しから響く声をBGMに、真と雪雫はランチを楽しんでいた。

 

 

「成績よ成績。一位だったでしょ」

 

「そうなの?」

 

 

 真は自身で作ったであろう弁当を。雪雫は道中に買ってきたであろう菓子パンを。

 口に運びながらも会話に華を咲かす。

 

 

「そうなの、ってテストの結果見て無いの?」

 

「結果なんて興味無い」

 

「でもその割には点数取ってるじゃない」

 

「テストの時間中、暇だったから」

 

 

 一般的には雪雫のこの物言いは嫌味の類に入るのだろう。

 しかし、彼女の性格を知っているからか、不思議と悪感情は湧かず、まぁ雪雫だからなぁ、と納得してしまう。

 

 

「………」

 

 

 ぼんやりと雪雫について考えていると、思わず彼女の行動一つ一つを目で追ってしまう。

 パンを支える小さい両手。

 小動物の様に少しずつパンを咀嚼する小さい口。

 彼女の動きに合わせて僅かに踊る白い髪。

 殆ど動かない表情と、人間味を感じない白い肌。

 そして、身体全体でほぼ唯一色を持つ赤い瞳。

 

 

「何?」

 

 

 真の視線に気づいた雪雫が、首を傾げる。

 

 

「…ん、ああいや。ご飯それだけなのかなーって」

 

 

 ストレートに貴女の事を観察してました。とは言えず、少し慌てた様子でパンを指差す。

 両手で持っているコッペパン。そして次食べるであろう、机に置かれたメロンパン。

 

 

「これしかないもん」

 

「私のあげるよ」

 

「…む……」

 

 

 ほら、あーん、と言いながら箸で掴んだ卵焼きを雪雫に差し出すが、彼女はそれを食べようとせず、躊躇していた。

 

 

「お腹いっぱい?」

 

「……そういうわけじゃない、けど」

 

 

 何処か警戒する様に目を細め、卵焼きを見つめる雪雫。

 その姿はまるで小動物の様で、真の琴線に僅かに触れる。真は可愛いモノが好きなのだ。

 

 

「真って料理出来る?」

 

「…? 人並みには……?」

 

「これ、辛くない?」

 

「辛いわけないじゃない」

 

「ブヨブヨしたりじゃりじゃりしたり、してない?」

 

「一体何をそんな警戒してるのよ……」

 

 

 最後の最後まで警戒していたものの、雪雫は意を決した様に目を瞑り、勢いよく差し出された卵を一口。

 

 

「どう?」

 

「……辛くない、味もする。………おいしい…!」

 

 

 まるで初めてケーキを食べた子どもの様に目を輝かせながら、感激の言葉を漏らす。

 ここまで雪雫の表情が動いたのを見たのは、真にとって初めての事だった。

 

 

「もっと食べる?」

 

「うん…!」

 

 

 その赤い瞳を輝かせながら、口を開けて待つ雪雫を見て、真は少し苦笑する。

 

 

(食べさせて、ってことかな。)

 

 

 妹が居たらこんな感じなのかな。

 そんな事を考えながら、真は一つ一つ雪雫に食べさせる。

 何時も通り作った筈なので、普通と言えば普通の弁当なのだが、こうも喜ばれると悪い気はしない。

 

 結局、雪雫に弁当の半分を献上した真は、お礼に彼女からカレーパンを貰った。

 

 

 

 

 

同日 夜

 

 

 

 過酷な訓練から唯一離れる事の出来る週末。

 最近忙しくてあまり観れてなかったな、とお気に入りのカンフー映画を観ていたその時、唐突にスマホが鳴った。

 

 スマホを手に取り、画面に表示された名前を見て、思わず頬が緩む。

 

 

「珍しいね、私に電話なんて。どうしたの?」

 

『千枝』

 

 

 電話越しから響くのは僅かに嬉しそうな声音を含めた少女の声。

 親友の妹であり、私にとっても妹同然の少女、天城雪雫。

 

 

「はいはい、千枝ですよ~。どったの?」

 

『今日、衝撃的な事、あった。多分、悠以来の衝撃』

 

 

 どうやら特に用という訳では無く、ただ話したいだけらしい。

 畜生、可愛いな。

 

 昔からの付き合いではあるし仲も良いが、彼女の周りにはより身近な人が居る。

 実姉である雪子と、ずっとべったりのりせちゃん。

 その2人を差し置いて、私一番に電話をするなんて、可愛い以外の感想が浮かばない。

 

 少しの優越感に気分を良くし、千枝の口角が上がる。

 

 はてさてどんな話が飛び出てくるか。

 ワクワクしながら待っていた千枝だが―――。

 

 

『手料理で悠以外に上手い人、初めて会ったの』

 

 

 続いた雪雫の言葉に、僅かに顔を曇らせた。

 

 

『辛くない。臭くない。ぶよぶよしてない。じゃりじゃりもしてない。味もする』

 

「そ、そう……。それは良かったね………」

 

 

 あはは、と頬を掻きながら、内心で謝る千枝。

 彼女は分かっている。

 雪雫がそこまで感激している理由も、手料理を警戒する原因も。

 

 里中千枝は壊滅的に料理が下手である。

 いや、千枝だけでは無い。

 雪雫の姉である天城雪子も、半同棲中の久慈川りせも。雪雫の幼少期を支えた女性陣は、皆一様に料理が壊滅的に下手なのだ。

 

 カレーを作ろうとすれば、異臭を放つ謎の物体が出来上がり、オムライスを作ろうとすれば極度に辛いものや、何故か味も何もしないものが。

 そんな料理の被害者は数多く、皆一様にそれを口にした途端に意識を手放した。

 

 その光景を見ながら育った雪雫が、手料理を警戒するのは当然の事とも言える。

 

 そして、その一端を担っている自覚が唯一ある千枝は、そうしてしまった責任感を多大に感じていた。(雪子とりせは自覚が無い)

 

 

「く……、私も頑張らないと……!」

 

『千枝はちゃんとレシピを見れば大丈夫って、陽介が言ってた。

普通に不味いだけだから、改善の余地はあるって』

 

「あの野郎……!!」

 

 

 アドバイスだけで留めておけばいいものを!

 

 一言多い、友人の男に千枝はメラメラと殺意を滾らせる。

 

 

『夏休みになったら帰るから、その時また』

 

「あ、うん! 楽しみにしてるね!!」

 

 

 それじゃあ、頑張って。と短く言葉を残して、電話は切れる。

 ツー、っと流れる電子音を耳にしながら、里中千枝は静かに呟いた。

 

 

「料理…、勉強するか」

 

 

 次週、新たな被害者が生まれる事を、今はまだ誰も知らない。




雪雫が人を誑かしているその裏で、怪盗団達は順調に世直ししてます。
5/23の時点では祐介が加入してる辺り、だと思います。


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13:The encounter was abrupt.

 

 

 

5月25日 水曜日 晴れ

 

 

 

 段々と気温も上がり、夏の気配を感じさせるこの頃。

 学校指定のブレザーもそろそろ鬱陶しくなってきた、そんなある日。

 

 演説の準備をしている中年の政治家が見守る駅前広場。

 

 

「あれ?」

 

 

 ふと、後ろから青年の声がした。

 何処までも爽やかで、誰にも好かれそうな、そんな声。

 

 

「天城雪雫さんじゃないですか。嬉しいな、こんな所で会えるなんて。僕、貴女のファンなんですよ」

 

 

 そう笑顔で語るのは少し長い茶髪を携えた好青年。

 物語の王子様の様な物腰の柔らかさがその眼から感じられる。

 

 ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべる彼に対して、雪雫は首を傾げながら―――

 

 

「誰?」

 

 

 と小さく呟く。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 笑顔のまま固まる青年と、不思議そうな瞳を向ける雪雫。

 両者の間に若干の気まずい沈黙が訪れる。

 

 

「ねぇ、あれ高校生探偵の……」

 

「明智君だよね…、本当に都内に住んでるんだ!」

 

 

 ふと、こちらを指差しながら嬉しそうに呟いている女性の声が雪雫の耳へ届く。

 

 

「…明智……、高校生探偵?」

 

「一応、そう呼ばれているね。自分で言うのは少し恥ずかしいけど」

 

 

 この後どう会話を続けようか…、と考えていた明智だったが、会話の取っ掛かりが出来た事に気を良くする。

 

 

「……直斗と同じ」

 

「直斗…、というと白鐘氏の事かな。そうか、そう言えば君は八十稲羽出身だったね」

 

「ん」

 

「彼…、いや彼女か。当時の連続殺人事件は彼女の尽力があってこそだとか。僕、彼女に憧れて探偵になったんだよ」

 

 

 殆ど会話になっていない雪雫の返事を気にする事無く、明智は言葉を続ける。

 

 

「最近はめっきり話題にも上がらなくなってるけど、天城さんは何か知ってる? 推理対決…、とか面白そうだなぁって思ってたんだけど」

 

「……知らない」

 

「そっかぁ、残念」

 

 

 歳上としての気遣いか、それともただたお喋りが好きなのか。

 いずれにせよ、明智は笑顔を保ったままだ。

 

 

「私に何か用?」

 

「いや、特に用ってわけじゃ無いんだ。ただ歩いていたら見覚えのある顔が居た者だから。僕、さっきも言った通り君のファンなんだ」

 

「……そう、ありがとう」

 

 

 お礼を言いながら、雪雫は自身の腕時計に目を落とす。

 時刻は17時を過ぎたところ。

 

 

「ああ、引き留めてすまないね。少し話してみたかっただけなんだ。楽しかったよ、ありがとう」

 

「なら、よかった」

 

「それじゃあ、またね」

 

 

 明智も明智で用事があるのか、そう言い残すと足早にこの場を去る。

 

 

「変な人」

 

 

 掴み所がある様な無い様な。

 本音と建前がごちゃごちゃに入り混じっている様な。

 

 先程の青年、明智吾郎に疑問を抱きながらも、雪雫は帰路についた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

5月26日 木曜日 晴れ

 

 

 

 薬品の臭いが入り混じる空間。

 パンクな服装の上に白衣を羽織った女性、武見妙は青筋を浮かべていた。

 

 

「んで? 曲作りがもうすぐ終わるから追い込みをかけたい、と?」

 

「うん。眠らなくても済む薬、出して」

 

「嫌」

 

「ケチ」

 

 

 武見医院に通うほんの一握りの患者、天城雪雫が来院してから数十分。

 二人はずっとこの問答を繰り返していた。

 

 

「ケチじゃない。医者として当たり前の事を言ってるだけ」

 

「私には妙しか頼れる人、居ないのに……」

 

「何処で覚えたそんな口説き文句」

 

「映画」

 

「口説き落とすならもう少し粘りなさいよ…」

 

 

 薬を処方しろと要求してくる雪雫に対して、バッサリと切り捨てる武見。

 取り付く島もない武見の態度に、この少女にしては珍しく少し頬を膨らませて、いじけた顔をしている。

 

 

「そんな顔してもダメ。前に何があったか、忘れた訳じゃ無いでしょう?」

 

「……昔の話。今は元気」

 

「それでもダメ。未だに回復した要因も分かって無いんだから……」

 

 

 俯く少女の頭を撫でながら、武見は思考に耽る。

 

 確かに雪雫の言う通り、今は至って健康体だ。それは彼女の様子を見て分かる。

 しかし、しかしだ。

 雪雫の身体の事は、まだまだ分からない事ばかりだというのも事実。

 歳の割に小さすぎる身体と、軽すぎる体重。加えて変化が無さ過ぎる見た目。

 そして、髪の事も………。

 

 

「兎に角。これ以上薬は処方しません。はい、何時もの」

 

「…仕方ない。コーヒー牛乳を……」

 

「カフェインに頼るのもやめなさい」

 

 

 カルテで少女の頭を軽く叩きながら、診療室から追い出す様にシッシッと手を振る。

 不服そうな表情を浮かべながら、雪雫は自身の荷物を纏めて、診療室の扉に手を掛ける。

 

 

「また来る」

 

「程々にね」

 

 

 ギィっと扉を軋む音が鳴り、少女の軽い足音が―――。

 

 

「……あ」

 

「あ、天城さん」

 

 

 響く代わりに発せられたのは雪雫の小さな声と、青年の声。

 

 

「君……」

 

「雨宮…、先輩…?」

 

 

 雪雫と同じ秀尽の制服を着た、黒髪癖毛の青年、雨宮蓮。

 ぎこちなく自身の名を呼ぶ、雪雫に思わず口元を緩くする。

 

 

「蓮で良いよ。言いにくいだろ?」

 

「ん、じゃあ。蓮。………蓮は何処か悪い?」

 

「ああ、ちょっと風邪気味でね、薬を貰いに来たんだ」

 

 

 よくもまぁ、表情を崩さず嘘を言えたものだ、と2人のやり取りの裏で武見は溜息を吐く。

 

 

「ほら、雪雫。曲作らないといけないんでしょ。とっとと帰りなさい。同居人も心配するでしょう」

 

「別にりせと私は同棲してな―――」

 

「あれはほぼ同棲。ほら、帰りな」

 

 

 雪雫も雪雫で色々訳ありではあるが、それは蓮も同じこと。

 彼の様子から察するに雪雫が居ては都合が悪いのだろうと、考えた武見は、雪雫に帰宅を再度促す。

 

 

「はぁ……、全く、あの子は……」

 

 

 雪雫が診療所から出て行ったのを確認した後、武見は疲れた様子で、しかし何処か嬉しそうな表情を浮かべて溜息を吐く。

 彼女の普段は鋭い眼差しも今は柔らかくて、出来の悪い妹を見守る姉の様で。

 

 しかし、蓮が放った一言が、再び彼女の瞳を鋭くする。 

 

 

「天城さん…、身体弱いのか?」

 

「……盗み聞きは趣味悪くない?」

 

「あ、いや。聞く気は無かったんだ。ただ―――」

 

 

 射抜く様な視線で蓮を睨み付けていた武見だが、聞かれたものは仕方ない、と再び溜息を吐く。

 乗り出していた状態を背もたれに預け、何時もの様に脚を組みなおすと、テーブルの上にカルテを手に取り、視線を落とした。

 

 

「………昔、ちょっとね」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

5月28日 土曜日 晴れ 

 

 

 

「……出来た」

 

 

 人工的な光が照らすとある一室。

 ヘッドフォンから流れるメロディを聞きながら、画面と睨めっこしていた少女、雪雫が満足気に呟いた。

 

 

「あとはアップするだけ―――」

 

 

 画面に映し出されているのは曲に合わせて紙芝居の様に変わっていく絵。

 所謂ミュージックビデオというやつだ。

 

 

「……想定より、時間かかった…」

 

 

 今月の上旬に宣言した3曲の新曲の公開。

 以前からある程度、作品の方向性は決まっていたものの、MV用の絵を描いている内に興が乗ってきた様で。

 彼女が想定していた公開日よりも、一週間遅くなってしまった。

 

 改めて言うが、天城雪雫は事務所に入っていないフリーのアーティストである。

 作詞から作曲、MVの作成まで。

 学生の身でありながらも、中学生の頃から続けている。

 

 合間合間に時間を作り、休みの前日は夜遅くまで作業を進め、家のことはりせとべっきぃこと、川上に任せて。

 宣言通り、5月中に公開出来る様、間に合わせた。

 

 

「………」

 

 

 早速出来上がった3曲を公開しようと、マウスに手を伸ばした時、雪雫の手が止まる。

 

 

「見せ方……か…」

 

 

 この道においても先輩であるりせに言われた事を思い出したのだ。

 

 

雪ちゃん、ただ作品を公開するにも「見せ方」があるの。

 

 

 雪雫の頭の中で、りせの声がフラッシュバックする。

 

 例えば公開する順番。

 1曲目は、ファンの気分を上げるスピード感のある曲。

 2曲目は、休憩代わりのバラード等のスローテンポな曲。

 最後のトリには、ファンを沸かせるサプライズのある、もしくはメッセージ性のある曲。

 

 

「………今回の場合は…」

 

 

 春の終わりを歌ったゆったりとした曲。

 気分のままに言葉を詰め込んだアップテンポな曲。

 そして、りせとのデュエット曲。

 

 意識したのか、はたまた無意識か。

 りせに以前、教えて貰った時の例と同じ構成だ。

 

 

「…なら、この順番で…。公開は1日毎に………」

 

 

 ブツブツと呟きながら、マウスを動かして、最後の準備に取り掛かる。

 題名を入れ、曲の概要を入れ。

 最後に公開日の設定を――――。

 

 

「…あ」

 

 

 ふと、雪雫は小さな声を上げる。

 その顔は口を開けたままポカンとしていて、何処か諦めた目付きだった。

 

 

「……まぁ、いっか」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

5月29日 日曜日 晴れ

 

 

 

「お~、好評好評」

 

 

 カーテンの隙間から僅かに差し込む朝日。

 澄んだ空気と新しい日の訪れを告げる鳥の声が特徴的な朝。

 

 2人で寝ても十分スペースが余る程、巨大なベッドの上で。

 久慈川りせはスマホを見ながら嬉しそうに呟いた。

 

 

「………んぅ…」

 

「あ、おはよ。雪ちゃん。ごめん、五月蠅かったね」

 

 

 そこまで大きい声、という訳でも無かったが、至近距離で声を上げれば流石に気付くというもの。

 眠い目を擦りながら雪雫は、どうしたの、と寝惚けた声で呟く。

 

 

「エゴサしてたの、私達の事」

 

「……?」

 

「昨日の曲、皆はどう思ったのかな~、って」

 

 

 やはり嬉しそうな態度は崩さずに、りせはスマホの画面を雪雫へと向ける。

 そこに映し出されていたのは、新曲や雪雫の事について呟く、無数の投稿。

 

 

 

#マギニス#

雪ちゃんの新曲、全部聴いた!

個人的には、花の便りが一番好き♡

 

海都

雪ちゃん

宣言通り公開してくれたのは嬉しいけど

同じ日にまとめて3曲公開とか

供給過多で死んでしまう(褒め言葉)

 

やぎたに

りせちーとのデュエット曲がエモ過ぎて……

あなたはヒロイン

これは公式が最大手といっても……

 

満月のもりみつ

他の2曲がちょっとしんみりする分、残り1つの

アブラカタブラうぃっちーずが何とも可愛いというか

アホっぽいというか……(好き)

温度差で風邪引いてしまううううう

 

 

 

「大人気だね♡」

 

「…りせのお陰……」

 

「またまた~!」

 

 

 謙遜する雪雫の頬を、つんつんと指を立てて遊ぶりせ。

 同じベッドでこうして寄り添う様に寝そべりながら、談笑する姿は恋人の様にも、姉妹の様にも見える。

 

 

「トレンドにも入ってるんだよ、ほらっ!」

 

 

 頬で遊ぶのも程々に、りせは画面に指を滑らせた後、再び画面を雪雫に見せる。

 

 

「ん……」

 

 

 画面には今現在、日本で話題になっている事がズラッと並んでいた。

 その中の真ん中辺り。

 確かに、りせの言う通り、雪雫の新曲について触れているトピックがあった。

 それ以外にもりせの事や、地元の八十稲羽の事まで。

 

 

「ホントだ……」

 

 

 何事に対しても強い反応をあまり示さない雪雫だが、流石に驚いている様子。

 眠気も忘れ、その赤い瞳で画面に映し出されているトレンドを流し見する。

 

 

「……? これ……」

 

 

 ふと、スクロールする指が止まった。

 

 

「どうしたの?」

 

「班目の事が、話題になってる」

 

 

 雪雫に目に留まった話題。

 それは先日知り合った青年の師匠であり、黒い噂が絶えないという日本美術界の巨匠、班目一流斎に関する話題。

 

 ―――そして、それだけでは無く。

 

 

「……心の怪盗団…」

 

 

 心の怪盗団。

 秀尽学園に突如現れ、宣言通り、鴨志田卓の罪を自白させた謎の集団。

 

 

「怪盗団って、前に雪ちゃんが言ってたやつ?」

 

「…うん。学校の」

 

 

 2人は先程までの会話も忘れて、食い入る様に画面を見つめる。

 

 ただの悪戯であり、言いがかりだと主張する班目の動画。

 班目展が開催されているブースを中心に、所狭しと張られた問題の赤いカードの画像とその内容。

 

 

「…鴨志田の時と同じ。―――予告状」

 

 

 

 

才能が枯渇した虚飾の大罪人、

 

班目一流斎殿。

 

権威を傘に門下生から着想を盗み、

盗作すらいとわぬ、芸術家。

我々は全ての罪を、お前の口から告白させることにした。

その歪んだ欲望を、頂戴する。

 

心の怪盗団ファントムより

 



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14:Say goodbye to your old self.

 

 

6月5日 日曜日 晴れ

 

 

 その日、日本に激震が走った。

 

 

「私は…画家としてあるまじき罪を犯しました……」

 

 

 世界に名を轟かせる巨匠、班目一流斎は涙を浮かべながらカメラの前で告白した。

 盗作、弟子への虐待、詐欺行為。

 

 己の罪の重さに耐え切れないのか、努めて冷静だった表情は文字通り崩れ、感情が吹き出すままに泣き喚く。

 まるで心が入れ替わった様に。

 

 

「予告通り……か」

 

 

 天城雪雫は、その会見を静かに見つめながら呟いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

6月7日 火曜日 曇り

 

 

 多くの生徒が帰路に付く放課後。

 学校から出てくる秀尽生を眺めながら、喜多川祐介は人を待っていった。

 

 

「……ねぇ、あれって………」

 

「号泣会見の人の弟子じゃ…」

 

 

 師匠である班目の罪が明るみになったことで、自身の環境にも多大に影響出ることは覚悟していた祐介だったが、やはり遠巻きから見世物の様に扱われるのは些か不愉快の様で。

 僅かに眉間に皺を寄せ、鬱陶しそうにしていた。

 

 

「む…」

 

 

 そんな祐介の耳の聞こえたのは、地面を叩く軽い足音。

 視線を校舎に向ければ、シルクの様な白い髪を躍らせながら、こちらに駆け足でやってくる小柄な少女の姿が。

 

 

「ごめん。川上――、先生に捕まってた」

 

 

 駆け足で来たのにも関わらず、息を切らした様子は無い。

 見た目に反して、運動は出来る様だ。

 

 

「いや、良い。俺も今来たところだ」

 

 

 昔から使い古される常套句を交わし、2人の足先は駅へと向かう。

 

 

「それじゃあ、行こうか」

 

「ん」

 

 

 

 場所は変わって、渋谷の街角にポツンと佇む喫茶店。

 ゆったりとした雰囲気が流れる店内。

 小気味の良いBGMとコーヒー豆の香りが仄かに漂っている。

 

 

「気にすることは無い。今日は俺のおごりだ」

 

「……良いの?」

 

「ああ。貰ってばかりでは居られないからな」

 

「…そういう事なら」

 

 

 何処か心配する様な視線を祐介に投げた後、彼の顔を見て雪雫は溜息を零す。

 自分が何を言っても折れないだろう。そう判断した様だ。

 

 

「…すみません」

 

「はーい!」

 

 

 雪雫の声に気付いた、大学生くらいの女性店員が、満面の笑みを浮かべて彼女達のテーブルにやってくる。

 

 

「ご注文をどうぞ!」

 

「パンケーキと、ストロベリーパフェと、カフェオレ、お願いします」

 

「俺はホットコーヒーを」

 

「かしこまりました!」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「よく食べるな…」

 

「………♪」

 

 

 その小さい身体の何処に入っているのか。

 20cmは超える高さのパフェと、3枚のパンケーキが順調に減っていく。

 どうやら彼女は甘いモノが好きらしい。

 

 

「天城さん」

 

「…………?」

 

「ありがとう」

 

 

 パフェをペロリと平らげた雪雫は、口元を拭いながら小首を傾げる。

 

 

「…私は何も―――」

 

「君の一言のお陰で、俺は班目と決別する決心が出来た」

 

「ん……。」

 

「あの時の俺は目が曇っていた。君が危惧した通りだ。醜悪の判別が付かず、認めたく無い事実から目を背けていた」

 

「………」

 

「そんな紛い物の己との決別する切っ掛けをくれた事、感謝している……!!」

 

 

 そう言いながら、彼は深々と頭を下げる。

 その姿は彼の情に厚い性格を端的に表している様にも見えた。

 

 

「顔、上げて……。そう決めたのは祐介自身……。私は何もしてない…」

 

「ふっ。君も中々謙虚だな」

 

 

 あいつらもそうだったな、と雪雫の姿を最近出来た友人たちに重ねる。

 あったばかりの他人の為に、文字通り身を扮してまで助けてくれた彼らに。

 

 

「…これからどうするの?」

 

「さぁな。保護者代わりだった班目が捕まったんだ。もうアトリエにも住めない。幸い、学校側は俺の特待を取り消すつもりは無い様だ。しばらくは寮でお世話になるつもりだ」

 

「…良かった。絵、続けるんだ」

 

「俺にはそれしか無いからな。と言っても、今は筆を取る気にはなれん。暫くは俗世の目を向け、発想の幅を広めるつもりだ。―――曇りが晴れたこの眼でな」

 

 

 以前会った時の物憂げな表情も消え、祐介はスッキリとした顔で決意を固める。

 その姿を見て、雪雫も僅かに口角を上げて、頷きを返していた。

 

 

「そうだ、発想の幅と言えば……」

 

「……?」

 

「君の曲、聞かせて貰った。友人に教えられてな。以前、曲を作ると言っていたが、まさかプロだったとは」

 

 

 そう考えると君は俺の先輩だな。と呟きながら、温くなったコーヒーを口へ運ぶ。

 

 

「私は画家じゃない」

 

「身を置く世界は違くとも、作品を創作するアーティストという点には変わりないだろう」

 

「………まぁ…」

 

 

 改めて言われるとむず痒い様で、雪雫は少し視線をずらす。

 

 

「君の作品は良いな。聴いてる側に想像の余地を与える要素が多い。メロディや歌詞、それと共に流れるMV……。全てを語らない、というのは意図した意味が伝わらない所もあるが、その分、作品に対する印象や楽しみ方が人の数だけ生まれる」

 

「…ちょっと、恥ずかしい。」

 

「ああ、済まない。こういう見方しか出来なくてな」

 

「謝らなくて良い…。私も似た様なものだから」

 

 

 アーティストとして通ずるものがあるのか、祐介も雪雫も物静かではあるが、その表情は何処か嬉しそうだった。

 その後も、お互いの作品から長い歴史の中で語られる巨匠たちの作品まで、時間の許す限り、各々の意見を交わしあった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

6月9日 木曜日 晴れ

 

 

 

 眼下に広がる柔肌。

 女性の中でも小柄と言わざるを得ない幼い体躯。

 しかしながら、その身体付きは猫の様にしなやかなで、特にそのくびれは見た目にそぐわない色香を放っている。

 無防備に曝け出された背中はまさに天使の如き輝きを―――。

 

 

「りせ、早く……」

 

「あ、ちょ……、ちょっと待って! 今自分を抑えるのに必死だから!!」

 

「………?」

 

 

 チラリとこちらの様子を伺う様に視線を投げる赤い瞳。

 

 

(………これは誘ってるって受け取っても良いのかな?)

 

 

 不味い、思考が全てそっちに持っていかれる。

 

 

(ダメ、これは仕事なの。抑えて久慈川りせ)

 

 

 ブンブンと頭を振り、自身の脳内に巣食う煩悩を吹き飛ばす。

 

 

「い、いくよ…。雪ちゃん」

 

「うん……。―――ひゃあっ…」

 

 

 手の平一杯に抱えた白い液体を、うつ伏せになっている雪雫の背中に塗りたくる。

 液体越しに感じる肌は、上等のシルクの様に触り心地が良く。

 また手の動きに合わせて反応を返す敏感な身体は、何処までも煽情的で、こちらの理性をゴリゴリと削っていく。

 

 

(日焼け止めを塗っているだけなのに……)

 

 

 どうしてこうなったんだっけ。

 雪雫の上に跨るりせは、ピンク色に染まっていく脳内を誤魔化す様に、先日の出来事を思い返していた。

 

 

 

 

「え、今度の仕事、OKなの?」

 

「うん、大丈夫」

 

 

 以前から話が合った水着のモデル撮影。

 実際に海へ出向き、撮影をするという内容だったが、6月に入って間も無い頃、相手先の会社から追加のオーダーが合った事を、りせは知る。

 

 内容は、もし可能ならば雪雫も一緒に撮影に来て欲しいというもの。

 

 どうやら、5月末に発表された彼女の新曲…、特にりせとのデュエット曲が話題になったのを知った様で。

 事務所にしても相手先にしても、この盛り上がりに乗じて話題を集めたい様だ。

 

 勉学が苦手なりせでも、その理屈は痛いほどに分かる。

 伊達にトップアイドルを何年も続けていない。

 

 だからこのオーダーに関しての問題はただ一つ。

 それは雪雫がこれを良しとするか。

 

 りせとて雪雫に無理強いはしたくない。

 というか、雪雫が嫌がるなら、この仕事を蹴る覚悟だって彼女にはある。

 だから大事なのは、雪雫本人が仕事を受けたいと本人の口から言う事。

 

 ほぼ、望み薄かと思っていたりせだったが、意外にも雪雫の口から出たのは了承の2つ返事だった。

 

 

「え、本当に良いの? ただの服じゃないよ? 水着だよ? 雪雫の玉肌が日本中に晒されるんだよ?」

 

「……別に大丈夫」

 

「雪雫が着る水着……。―――小学生用のだよ?」

 

「………………それも良いよ」

 

「へ、へぇ…。そっかそっかぁ……」

 

 

 一緒に仕事出来て嬉しいという気持ちが半分。世間に雪雫の魅力がまた伝わってしまう事に対する嫉妬心が半分。

 といった様子でりせはぎこちなく笑みを浮かべる。

 

 

「前までそういうの断ってたのに…。何か良い事あった?」

 

「私も、見聞を広めないと。そう思えた事があった」

 

 

 因みに学校はサボりである。

  

 

 

 

「…んぅ…、あっ」

 

 

 手から伝わる低めの体温と、耳を刺激する雪雫の声に意識を持っていかれそうになるが、目を閉じ、必死に己に言い聞かせる。

 

 

(今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は仕事。今日は―――)

 

 

 これがもしプライベートだったら、もう本当に我慢出来無かっただろう。

 私の内に秘めた思いが。

 故郷に居る「ビーストオブリビドー」もビックリの欲望が溢れていただろう。

 

 前も塗ってあげるね、とか建前でその慎ましい胸を手に収めたり。

 その人を惑わせる声が出る口を、自身の口で塞いだり……。

 果てには、彼女を守る布を全てはぎ取って……。

 

 もうクマの事を、そのネタで弄れないかもしれない。

 

 

「――せ、―――――りせ」

 

「うぇ! ん、あ。何?」

 

 

 どうやら思考が大分トリップしていたらしい。

 

 

「マネージャーさんが、呼んでる」

 

 

 雪雫の声に誘導されるまま耳を澄ますと、確かに外から私を呼ぶ声が。

 多分打ち合わせとかだろう。

 

 

「……前は自分でやるから、先に」

 

「あ、うん。そうだね…」

 

 

 ボーっとしていた頭が、急に冷やされていく。

 我に返る、とは良く言ったもので、冷静になっていくのが自分でも分かる。

 

 

「じゃあ雪ちゃん、また外で! ちゃんと塗るんだよ。日焼けしたら大変だから!」

 

「うん」

 

 

 そう言い残すと同時に、りせは駆け足気味でこの場を後にし、部屋には上半身裸のまま、座り込む雪雫だけが残る。

 

 

「………」

 

 

 1人残された雪雫は、自身の平坦な胸を少し眺めた後、その小さな手を胸に当てる。

 

 

「大きい方が、良いのかな」

 

 

 彼女の呟きは誰にも聞かれる事無く、虚空へ消えていった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 撮影は見事に大成功を収め、2人の着た水着は、公開されたと同時に、予約が殺到。後に過去最大の売り上げを叩きだすこととなる。

 この仕事が切っ掛けで、2人に様々な仕事のオファーが送られたのは言うまでもない。

 

 

 余談

 

 

「ぷ…、くくっ……、しょ、小学生の水着………ぷーっ!あはっあはははははは!!!!」

 

 

 2人のモデル写真が載っている雑誌を買った何処かの次期女将は腹が捩れる位に大笑いしていた。

 

 



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14.5:Next target is…?

 

 

 

 ―――怪盗団。

 それは悪い大人の心を盗むと自称する現代の義賊。

 

 元五輪選手の体育教師「鴨志田卓」

 日本美術界の巨匠「斑目一流斎」

 

 世間に見せる顔のその裏で、理不尽に弱者を虐げていた彼らを、予告通りに改心させた。

 

 怪盗団の名前が知れ渡ったのは、斑目の事件からであり、その存在を眉唾ものと吐き捨てる者が大多数を占めていた。

 しかし、鴨志田事件の当事者達…、つまりは秀尽学園の生徒に関しては世論とは真逆。つまりは怪盗団の存在を信じる者が殆どだった。

 

 

「次はどうする?」

 

 

 そう仲間達に問いかけるのは怪盗団のリーダー。

 今年の春に秀尽学園に転入してきた伊達メガネを掛けた黒髪の青年、雨宮蓮。

 

 

「未だに俺達の存在を信じない奴ら多いからなー。次はもっとガツンと行きたいよなぁ」

 

 

 自身あり気に答える金髪の青年、坂本竜司。

 蓮とたまたま居合わせたのを切っ掛けに、力に目覚め、共に世の直しをしようと誓った蓮にとっての相棒。

 

 

「と言っても、そう簡単に見つからないよね…。というか、簡単に見つかったら私達戦う必要無いし」

 

 

 少し癖毛気味のブロンドの髪の毛をクルクルと指で遊ぶ、高巻杏。

 鴨志田事件の当事者であり、虐げられていた己と決別し、世の悪に牙を向けた女豹。

 

 ―――女豹じゃないから!

 

 

「斑目が言っていた黒い仮面も気になるな。俺達の様なペルソナ使いがまだ他に居るということだろう?」

 

 

 その端正な顔を曇らせながら呟く、喜多川祐介。

 怪盗団の2人目のターゲット、斑目の一番弟子であった彼は、度々意見の食い違いから衝突していたが、己の信念を突き通す為、怪盗団への参加をした。

 

 

「ユースケの言う通りだ。しかも認知世界のマダラメと面識があるという事は、パレスの存在を知っていて放置していたということになる。ワガハイ達の敵である可能性が高い」

 

 

 何処からどう見ても猫…、もといモルガナ。

 鴨志田のパレスで出会った人語を喋る謎の存在。

 何も知らない蓮達を鴨志田の改心まで導き、その後は己の正体を知る為に行動を共にしている。

 

 

「もし向こうで会ったら、どうすればいいのかな…? やっぱり…、戦う?」

 

「正直分からないな……。ワガハイだって自分以外のペルソナ使いに会うのはお前達で初めてだったんだから」

 

 

 ペルソナ。

 それは心に秘めたもう1人の自分が具現化した存在。

 怪盗団の面々は、このペルソナ能力と、異世界を自由に行き来することが出来る、イセカイナビを用い、心を盗んでいる。

 一歩間違えれば命を落としてしまう程の危険な世界であり、使いようでは人を意のままに操る事が出来る世界でもある。

 

 話に上がっている「黒い仮面」の存在。

 敵であるにしろ、味方であるにしろ、放置するには危険過ぎる存在だ。

 

 

「あー、わっかんねぇ…。一体誰なんだろうなぁ…、そいつ」

 

「あの…、その事なんだけど……」

 

 

 仲間達の会話を静観していた蓮が、竜司の言葉に続く様に呟く。

 

 

「何か心辺りがあるのか?」

 

「……うん。…いや、確証は無いんだが……」

 

「蓮にしては歯切れ悪いわね。どうしたのよ」

 

 

 見た目に反して意志が強く、異世界においても強気な態度を崩さない蓮だが、今日は珍しく歯切れが悪い。

 

 

「黒い仮面の奴について、レンとワガハイで話し合ったんだ。…それで、お前達の周りに怪しい奴が1人居た」

 

「え、俺達に?」

 

 

 3人は顔を見合わせて、目をぱちくりとさせる。

 全く覚えが無い。全員そんな顔をしていた。

 

 

「認知世界……、パレスやメメントスがどういう世界かは話したよな」

 

「えーっと、パレスが大きな欲望を持った人が持つ歪んだ世界で―――」

 

「メメントスがそれの大衆版だろ」

 

 

 モルガナは満足げな表情を浮かべて、教師の様に首を縦に振る。

 

 

「じゃあ、現実世界の出来事は、認知世界にどう影響が出る?」

 

「認知世界はもう1つの現実だから…、その出来事に合わせて変化が起きる……、だよね?」

 

「流石だ、アン殿。―――では、最後に聞くぞ。認知世界から現実世界への影響は?」

 

「その世界に存在するオタカラ、つまりは欲望の核を奪えば、その人間の欲は消え、心が入れ替わる……。つまりは改心させることが出来る。………いや、それだけじゃないか。俺達が現実でモルガナと会話出来る様に、人間の認知そのものが変わることもある」

 

 

 その通りだユースケ。とモルガナは嬉しそうに呟く。

 

 

「つまり、それぞれの世界で起きた出来事は、それぞれの世界で影響が出るということだ」

 

「それがどうしたんだよ、モルガナ?」

 

「仮に、仮にだぞ。メメントス…、集合無意識に存在するニンゲン達の認知をまとめて変える事が出来たらどうなると思う?」

 

「んなの、簡単な話じゃねぇか。それが現実になるってことだろ?」

 

「そう、それなんだよ、リュージ」

 

 

 ドユコト?と口をポカンと開けて、杏と祐介に視線を送る竜司。

 送られた2人も憶えが無いと、首を横に振った。

 

 

「1人だけ、おかしい奴が居るだろ。顔も隠す事無く活動している有名人なのにも関わらず、学校で一切話題になる事が無い奴が」

 

「………天城、雪雫」

 

 

 予想もしていなかった名前に、3人は目を見開く。

 

 

「俺もモルガナに言われるまで気にもしていなかった。でも改めて考えると、確かに不可解なんだ。俺も竜司も杏も、天城雪雫というアーティストの存在も顔も知っていたのに、最初は本人だと気付けなかった。ペルソナ能力が目覚めて、改めて彼女が天城雪雫というアーティストであると認知して初めて、彼女を正しく認識することが出来た」

 

「認知世界の影響に左右されないのは、ワガハイ達が確立した自我を持つペルソナ使いだからだ。逆に言えば、ペルソナ使いでは無い人間達は、天城雪雫を正しく認識する事が出来ない」

 

「…………」

 

 

 納得は出来ない、でも言い分は理解出来る。

 そういった表情で杏は黙り込む。

 

 

「だが、彼女が斑目達の様な悪人だとは俺には思えん」

 

「ああ、それはワガハイも蓮も同じ意見だ。だが、無関係とは言い切れないだろ? ……方法は分からないがな」

 

「それは、そうだが…」

 

 

 調べてみる価値はあると思う。

 蓮は静かにそう呟いた。

 

 



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暴食の蝿
15:Vindication of justice.


 

 

6月10日 金曜日 晴れ

 

 

 棚に飾られた数々のトロフィー。壁に掛けられた額縁に入れられた賞状の数々。机に置かれたPrincipalと書かれたプレート。

 他の教師とは文字通り立場が違うという事が目に見えて分かる校長室。

 その校長室で、生徒会長である新島真と学校の長である校長が対峙していた。

 

 

「心の怪盗…、まだ見つからんのかね?」

 

 

 まるまると肥えたその顔に脂汗を浮かべ、何処か焦った様子で彼女に問い詰める。

 

 

「申し訳ありません」

 

「……はぁ…」

 

 

 収穫が無いと分かると、彼はあからさまに落胆の色を浮かべて溜息を吐く。

 その態度に、心の底で何か湧き上がるモノがあった真だが、努めて冷静にと堪える。

 

 

「あの…、何故そこまで怪盗団に拘るのですか? 実在するかも怪しいのに……」

 

「余計な詮索はせんで良い!! 君は言われた通りにやってくれれば良いんだ」

 

 

 釈然とした態度を崩さない真だったが、彼から紡がれた言葉を聞き、顔を曇らせる。

 

 

「期待しているんだよ、新島君」

 

 

 続いた校長の言葉が、真の頭の中でリフレインする。

 期待。聞こえは良いが、実際はそんな生易しいものでは無く。その言葉は確かに彼女の小さな背中に重く圧し掛かっていた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 場所は変わって生徒会室。

 真と雪雫を含む、4人の生徒が書類と筆記用具を広げ、なにやら話し込んでいる様子だ。

 

 

「――ちょう? 会長? 聞いてます?」

 

「え、あ、ごめんなさい! 何だったかしら?」

 

 

 珍しく上の空の真を訝し気に思い、顔を覗き込む女子生徒に対して、真は誤魔化しの笑みを浮かべる。

 

 

「最近、噂になってる渋谷の恐喝事件ですよ。生徒から相談が来てて……」

 

「学生を中心に、お金を巻き上げてるやつ……」

 

 

 女子生徒の言葉を補足する様に、雪雫が口を開く。

 

 

「あ、ああ。私も聞いた事あるわ。因縁つけてお金巻き上げたり、無知な学生に付け込んで夜の仕事を斡旋したり……」

 

「あとは、犯罪の片棒を担がせたり……。秀尽にも被害者が居るみたい」

 

 

 目元の資料に視線を落としながら、雪雫は眉を顰めながら呟く。

 

 

「どうにかしろって言ったって。僕らだって怖いし……」

 

「……私が止めてって言ってくる?」

 

「雪雫ちゃん、絶対それだけで止めないと思うよ……」

 

 

 学内での出来事ならまだしも、繁華街で起きている犯罪の解決を、同じ生徒である生徒会に頼むのはお門違いではあるが、真の正義感がそれを無視できる訳も無く。

 

 

「分かったわ。何とかしてみるから。安心して?」

 

「………」

 

 

 穏やかな笑みを浮かべながらそう呟く真を、雪雫はただただ心配する様に見つめていた。

 

 

 

 

6月13日 月曜日 曇り

 

 

「あ、天城さん…ですか……? 少し、私はあまり…。その近寄り難くて…」

 

 

「天城さん、話しかけようとしてもすぐに何処かに行っちゃうんですよね。猫みたいに」

 

 

「生徒会長と一緒に居る所はよく見ますけど……」

 

 

「この間、生徒会長と仲良さそうに話していましたよ」

 

 

「え、同学年で仲良い人…? あまり思い浮かばないですね……。というか、居ない?」

 

 

「新島会長と…、ああ、あとは川上先生と一緒に居る所はよく見ますね」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 段々と上昇していく気温と、梅雨特有の空気が交わる6月。

 秀尽の制服も冬服から夏服に代わり、夏の訪れが肌から感じ取れるこの時期。

 

 怪盗団の面々は先日の会議で出ていた問題の少女、天城雪雫について聞き込みを行っていた。

 

 

「だぁー……、収穫ねぇなぁ……」

 

 

 自動販売機の横のベンチに乱暴に腰掛けながら、竜司は溜息を零しながら天井を仰ぐ。

 

 

「そっちはどうだ?」

 

「俺も、あまり。その…、怖がられて」

 

「あー、俺も似たようなもんだったわ……」

 

「まぁ無理も無いな…。お前達、表向きは問題児だからな。特にリュージ」

 

「んだと、このネコ」

 

 

 蓮と竜司、そして杏。

 それぞれ分かれて、1年生を中心に聞き込みを行っていたが、返って来る返事の大半は知らぬ存ぜぬの一言。

 

 

「アン殿はどうだった?」

 

「私の方も特に……。生徒会長以外に仲良くしてる人は居ないって。あと、試しにアーティストの方の天城さんの事についても聞いてみたけど、やっぱり同一人物とは誰も思っていないみたい」

 

「じゃあやっぱ生徒会長サマに直接聞くしかないかぁ?」

 

「いや、それは極力避けた方がいいだろう。生徒会長…、ニージマだったか。あいつは相当頭がキレるみたいだ。お前達だって目を付けられているんだろう」

 

 

 じゃあ後は誰に聞けばいいんだよ……。と竜司は項垂れる。

 

 

「あと天城さんとの交流があるのは―――」

 

「雪雫に何か用かしら?」

 

 

 ふと、少女の声が加わる。

 その少女を見て、モルガナはその場から姿を消し、3人はバツが悪そうに顔を見合わせた。

 

 

「新島、先輩……」

 

「問題児が揃いも揃って雪雫の詮索? 確かに不思議な子ではあるけど、余計なトラブルに巻き込まないで欲しいわね」

 

「いや、そういうわけじゃねぇよ…」

 

「じゃあどういう訳よ。まさか友達になりたい、なんて言わないわよね。それだったら聞き込みなんてする必要無いもの」

 

 

 腕を組み、仁王立ちをして、問い詰める真に言葉を返す者は無く、彼女は溜息を吐きながら言葉を続ける。

 

 

「全く、ただでさえ怪盗団の件で学校中が浮足立っているんだから。こっちとしては大人しくしていて貰えると嬉しいんだけど」

 

「怪盗団…」

 

「ええ、怪盗団の正体とか次の標的とか。もう聞かない日は無いっていうくらいよ。鴨志田先生の件が蒸し返されるのも時間の問題。警察の捜査も本格化するみたいだし、貴方達ただでさえ目を付けられているんだから、気を付けた方が良いわよ」

 

 

 丁度タイミングを見計らった様に、真が言い終えると昼休みの終わりを知らせる音が校内に響く。

 

 

「授業、ちゃんと出なさいね」

 

 

 チャイムが鳴り終わると、真は一言そう言い残し、踵を返してこの場を去る。

 真が視界から完全に消えたのを確認した後、杏がおずおずと口を開いた。

 

 

「そっか、警察……。明智君も言っていたけど、私達がやっている事って、世間一般的には悪い事なんだよね…」

 

「怪盗団は法で裁かれるべき……、か。確かそう言っていたな」

 

「アホくせぇ! 俺達は何も間違ったことはやってないつーの! 人を守る事の何がいけないんだよ!」

 

 

 興奮収まらぬといった様子で竜司は続ける。

 

 

「なぁ、そうだろ? 俺達の力で救える人が大勢居るんだ。今更、警察位で怪盗止めるとかありえねぇよ!」

 

「そっか、そう、だよね。迷っている暇なんて無いよね」

 

「ああ。世間に目に物見せてやろう」

 

 

 竜司の言葉で僅かに迷いが生まれていた心に再び火が付いた杏。

 3人は決意を新たに、怪盗団を続けることをお互いに誓い合う。

 

 ――その会話を録音されているとは知らぬまま。

 

 

 

 

 同日 放課後

 

 

 渋谷にしては人々の往来がまばらな、駅へ直接繋がる連絡通路。喜多川祐介を新たに加えた怪盗団の待ち合わせ場所。

 竜司、杏、祐介の3人は、リーダーである蓮の到着を待っていた。

 

 

「……遅いな」

 

「蓮、大丈夫かな。生徒会長からの呼び出しって言っていたけど…」

 

「まぁ、あいつなら上手くやるだろ――――。お、噂をすれば」

 

 

 竜司の言葉に誘導される様に、視線を向けると、いつもの制服を着た蓮の姿。

 そして―――。

 

 

「斑目の門下生だった洸星高校の喜多川君、だよね?」

 

「え、嘘…」

 

 

 蓮の後ろに追従する様に現れた、生徒会長の新島真。

 

 

「君は?」

 

「初めまして。秀尽学園高校3年、新島真」

 

「どうしてここに居んだよ」

 

「……これを聞いて欲しくて」

 

 

 そう言って彼女から取り出されたのは何も変哲の無い一台のスマホ。

 しかし、そのスマホから再生された会話が、一同の顔を青くする。

 

 

『今更、警察位で怪盗止めるとかありえねぇよ!』

 

「なっ………」

 

「聞いていたの……?」

 

 

 それは真が去った後に交わされた会話の全容。

 

 

「警察が聞いたら、どう思うのかしらね」

 

「……目的は何だ? これから、警察に通報しますとでもわざわざに報告しに来たのか」

 

 

 祐介と真の鋭い視線が交差する。

 

 

「確かめさせて欲しいの。貴方達の正義を」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

「この事はまだ私しか知らない。正義を証明してくれれば、これを捨てる」

 

 

 手に持つスマホをヒラヒラと揺らす真の手に、3人の視線が集まる。

 

 

「……取引か」

 

「具体的に何をしろって言うの?」

 

「改心させて欲しい人が居るの」

 

「誰だ?」

 

 

 出来ない、とは言わない蓮達の態度に、真は僅かに口角を上げる。

 

 

「ある犯罪グループのボス。所謂、フィッシング詐欺や薬物売買の元締め。最悪なのは、一度目を付けられたら弱みを握られて、徹底的に脅され続ける事」

 

「おいおい…、まるでマフィアじゃん………」

 

「そのボスの名前は?」

 

「……分からない。脅されて誰も証言しないから、警察ですら把握出来ていない事が多いそうよ」

 

「何処に行けば会える?」

 

「犯罪グループの活動の中心はこの渋谷。決まって裏通りをふらついている学生に声を掛けてくるそうよ。バイトと称して、運び屋をやらせたりするらしいわ。後で脅迫のネタにする為にね」

 

 

 

 

「カラオケ…、やはり素晴らしい。個室、防音。飲み物は飲み放題。そして何より……安い!!!!」

 

「まーたなんか言ってるよ、このお稲荷………」

 

 

 両手にグラスを持ち、交互に飲み物を口に運びながら、祐介は感動した様に叫ぶ。

 どうやらカラオケに対して並々ならぬ思いある様だ。

 

 

「まぁユースケは置いといて。そっちの収穫は?」

 

「全然ダメ。会長が言っていた怪しい人も居ないし、それに関わってそうな生徒も無し」

 

「俺も似たようなもんだなぁ」

 

「右に同じく。……蓮達はどうだった? 新島真と共に行動してたようだったが」

 

 

 飲み終えたグラスをテーブルに置き、先程とは打って変わって至極真面目な様子で祐介は口を開く。

 それを、横に居た竜司が「切り替え早っ」と呆れた様子で呟いた。

 

 

「一応、それっぽい奴らには声を掛けられた…けど……」

 

「ニイジマが探りを入れた途端に、逃げちまった。…どうやら思っていたよりも慎重らしい」

 

「この様子じゃあ、天城さんの調査は後回しだな」

 

「だね、学生ばかりを狙う犯罪組織何て、放っておけないもん」

 

「正体がバレたのは痛手だが、ニイジマに協力する事自体は、こちらにとっても好都合だ。現状、学内でアマギセツナに一番近い人間はあいつだ。この機会に恩を売っておけば、自ずと彼女にも近づける」

 

 

 そうは言ってもなぁ。と竜司はソファに背中を預け、だらんと四肢を投げ出す。

 

 

「この人数で聞き回って、進展ゼロ……。なーんも進む気しねぇ……」

 

「諦めるには早すぎるぞ、リュージ。吾輩は今回の件、少し臭いと睨んでいる」

 

「というと?」

 

「渋谷全体を活動拠点に置く、犯罪組織のボスだろ? それも警察さえも尻尾を掴めていない……。ここまでの悪党、パレスでもあるんじゃないか?」

 

 

 パレス。

 人並外れた強い欲望を持つ人間が産む、認知によって歪んだ異世界。

 

 

「言われてみれば…。可能性はあるかも…!」

 

「やり口も相当歪んでやがるみたいだしな!」

 

「確かめるためにも、まずはボスの名前だな」

 

「あー……」

 

 

 歪んだ認知世界、パレスに入るのには、相手の名前が必要。

 しかし。

 

 

「けどもう、足で探すにも限界があるぜ?」

 

「ネットの情報も当てにならん。今必要なのは、特大のクラスの大ネタだ」

 

「そんな、マスコミじゃ無いんだし……!」

 

「マスコミ……」

 

 

 ふと、蓮は自身の財布から名刺を取り出す。

 斑目のあばら家を探っていた時に、偶然出くわした新聞記者の名刺。

 

 

「1人、心当たりがある」

 

 

 

 

 同日 

 

 

 時間は少し遡ってお昼過ぎ。

 秀尽学園の制服を着た1人の少女が、白い壁に囲まれた廊下を歩く。

 その小さな手に少量の花を携えた少女、天城雪雫。

 

 雪雫は、目的の病室に着くと、その乏しい表情に笑みを浮かべて、ドアをノックする。

 

 

「は~い」

 

「…入るよ」

 

 

 ドアを開けると、目の前に広がるのは広めの個室の病室と、その部屋にぽつんと設置された大きめのベッド。

 そしてそのベッドに横たわる髪の長い小学生くらいの少女。

 

 

「雪雫ちゃん!」

 

「美和」

 

 

 美和、と呼ばれた少女は、雪雫の顔を見るや否や、人懐っこい笑みを浮かべる。

 その笑顔に迎えられながら、雪雫はベッドの横のサイドテーブルに置かれた花瓶を手に取り、慣れた様子で花を取り変え始めた。

 

 

「今回のお花はなーに?」

 

「トルコキキョウとカスミソウ。花言葉は―――」

 

「わ、待って待って! 後で自分で調べるから!!」

 

「そう」

 

 

 笑顔を絶やさず、良い反応を返してくれる少女に、つられて穏やかな笑みを浮かべる雪雫。

 その姿に、思わず故郷に居る友達の妹を重ねていた。

 彼女もどんな時も笑顔を絶やさなかったな、と。

 

 

「体調はどう?」

 

「元気だよ。皆優しくしてくれるし。…ただちょっと、寂しいかな。友達とか居ないから」

 

 

 美和という少女は幼い頃からずっと入院を繰り返しており、まともに学校に通えていない。

 仕方ないと言えば仕方ないかもしれないが、この歳の彼女には辛い事だろう。

 

 

「雪雫ちゃんはどうしてたの? 入院してた時」

 

「私は本ばかり読んでた。お伽話から、伝記まで。同じ病院の患者さんのお兄さんが、沢山の本、教えてくれたの」

 

「本かぁ」

 

「苦手?」

 

「眠くなっちゃうの」

 

「慣れれば楽しい。今度、読みやすい本持ってきてあげる」

 

「わーい!」

 

 

 美和は再び満面の笑みを浮かべて声を上げる。

 少女たちの穏やかな時間は、ゆっくりと過ぎていった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 美和が居る病室を後にし、帰路に付く雪雫だったが、ふと思う事があり、その足は病院の出口とは逆の方向へと向かっていた。

 向かう先はこの病院の医局長である大山田が居るであろう部屋。

 

 

(……美和の容態が気になる)

 

 

 本人には聞いたものの、彼女は彼女で気丈に振る舞う性質が多々見られる。

 美和の両親が居れば、その2人に聞くのだが、生憎今日は平日だ。

 あまり関りたくは無いが、担当であり医局長である大山田に聞くのが手っ取り早いだろう、と考えたのだ。

 

 

「………」

 

 

 しかし、そうは言っても気持ちはあまり乗り気では無い様で、その足取りは重い。

 重りの様な脚を何とか運び、何とか部屋の前まで辿り付いた雪雫だったが、扉をノックしようとした直前で、その手を止める。

 

 

「………?」

 

 

 扉越しに聞こえる僅かな男の声。

 大山田本人の声で間違いは無い…のだが、その声は何処か怒気を含んでいる様子だった。

 

 

「モルモットが用意出来ないだと! ふざけるんじゃない…! なんの為にお前達に大枚をはたいていると思っているんだ!?」

 

 

 目を閉じ、耳を澄ませば聞こえてくる大山田の怒号。

 耳の良い雪雫には、一字一句漏らす事無く、届いていた。

 

 

「人を攫う事くらい、お前達には容易い事だろう!? 借金漬けでホームレスになった奴でも、学生でも、誰でも良い! 金城に伝えておけ!!」

 

「………金城?」

 

 

 眉を顰め、訝し気な表情を浮かべ、雪雫は小さく呟いた。

 



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16:Welcome to Under/Over ground.

 

 

 

6月14日 火曜日 雨

 

 

 

「……ここか」

 

「なんかパレスよりもやばそうだな……」

 

 

 斑目の家を張っていた新聞記者、大宅一子に連絡を送った翌日。

 意外にもあっさりと了承の2つ返事を貰った蓮達は、指定されたバー、にゅぅカマーの前で呆然としていた。

 

 場所は都内屈指の繁華街、新宿。

 共に来た竜司を犠牲にし、ここまでは来たものの……。

 

 

「入りにくさマックスだな……」

 

「…でも、行くしかない」

 

 

 目が眩むほどのピンク色のネオンの看板と、ハートに形作られた電飾に面を喰らうが、ここで立ち往生していても仕方が無い。

 意を決して、蓮はその扉に手を掛け―――。

 

 

「いらっしゃ~い………。 ――――坊や、幾つ?」

 

 

 この店の主らしき人物、恰幅の良いメイクを施した大男……、いや、女性…?

 まぁ、今のご時世、性別等どうでも良いだろう。

 兎に角、店の主人が訝し気な表情でこちらを見ている。

 

 

「いや、あの……」

 

「ララちゃーん、ごめ~ん! その子、私の連れぇ!」

 

 

 店主の圧の強さに狼狽えていると、カウンターに座っている黒髪の女性が、機嫌良さそうに助け船を出す。

 そう、この女性こそ、今回の目的の人物、大宅一子だ。

 

 

「アンタ…、()()こんな子ども引っ掛けて……」

 

「いやぁ、人気者は辛いねぇ!」

 

「未成年にお酒飲ませないでよ」

 

「分かってるってぇ~」

 

 

 ララと言われた店主と大宅の様子を見るに、彼女はこの店のかなりの常連らしい。

 

 

「良いか、吾輩達の正体に勘付かれない様、あくまでも自然に聞き出すんだぞ」

 

「……ああ」

 

 

 バッグの中で、モルガナが何時もの様にひそひそと口を開く。

 そう、今回の目的は、大宅から次のターゲット…、渋谷に蔓延る犯罪グループのボスの情報を聞き出す事。

 

 

「ララちゃん、奥の席借りるねぇ~。ほら、君も行った行った。お姉さんが水を奢ってあげよう!」

 

 

 それは奢るとは言わないのでは?

 

 

「あ、そうそう。もう1人、連れが居るけど気にしないでぇ」

 

「もう1人……?」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「んで、2人は仲良いの? 同じ学校だったよね?」

 

「よく会うけど、そういう訳じゃない」

 

「学年も違いますし……」

 

 

 内緒話には持ってこいな人目の付かない店の奥のテーブル席。 

 テーブルを囲み、大宅の一方的な質問攻めを蓮、そして雪雫は受けていた。

 

 

「ふぅん、そんなもんかぁ…。2人で合わせてきたのかと思ったけど、たまたまかぁ」

 

「どうして天城さんがここに?」

 

「……大宅に聞きたいことがあるから。そっちも?」

 

「う、うん」

 

 

 並々に注がれた酒を、大宅は一気に飲み干す。

 

 

「雪雫ぁ。それじゃあ多分、先輩に半分も伝わって無いぞぉ~。そんなんだからコミュ障って言われちゃうんだぞ~」

 

「……コミュ障じゃない、多分」

 

「さてさて、口下手な雪ちゃんに代わって、お姉さんが教えてあげよう」

 

 

 身を乗り出し、大宅はやはり機嫌良さそうに口を開く。

 

 

酒くさっ!!

 

「………? ネコ?」

 

 

 鞄の中に居るモルガナにも大宅の酒臭さは伝わったらしい。

 

 

「えーっと、雨宮君が聞きたいのは、渋谷で絶賛活動中の犯罪グループの事だよね?」

 

「あ、はい。そのボスの名前が分かれば、それも」

 

「んで、雪雫がメールで言っていた男の事だよね」

 

「うん。」

 

 

 これまた奇跡みたいな巡り合わせだわぁ、と何処か感心した様に大宅は首を縦に振る。

 

 

「2人をここに呼んだのはねぇ、お互いがお互いの知りたい事を知っているからよん」

 

「お互いが」

 

「知ってる……?」

 

 

 先程まで、茶化す様に笑みを浮かべていた大宅だが、その表情も消え、神妙な顔つきで俺達を見つめる。

 

 

「雪雫、電話で言っていた男の名前、なんだっけ」

 

「………金城」

 

「そう、それ。その男。私も、その名前を聞くまでは私もピンと来なかったんだけどね~」

 

 

 今度は水が入ったグラスを一口。

 それ、さっき天城さんが口を付けていたやつじゃ……。

 

 

「金城潤矢。少年、君が知りたいのって金城の事だと思う」

 

「金城…、それがボスの名前……」

 

「んで、雪雫。少年の言う通り、金城の正体は犯罪グループのボス。とんでもないビッグネーム引き当てたわね。」

 

「……生徒から相談来てたやつ…」

 

「私が教えて上げれるのはここまで~! 後の事は知らなーい!!」

 

 

 ララちゃーん、日本酒~!と調子を取り戻した様に再び酒を頼む彼女を余所に、天城さんは思考を巡らせているのか、俯いたまま顔を上げる事は無かった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 名前を知るや否や、そうそうに席を立ち、店を去った蓮。

 残された大宅は、新しく注がれた日本酒を飲みながら、黙りこくった雪雫を横目に眺めていた。

 

 

「雪雫さぁ」

 

「…………何?」

 

 

 一応、上の空というわけでは無いらしい。

 すこしラグは合ったものの、呼び掛けられた彼女は、しっかりと大宅の目を見つめ返す。

 

 

「金城の名前、何処で知った?」

 

「…ネットの――――」

 

「ネットは有り得ない。警察だって手を出せて無いのよ? ネットに転がってたら、あいつらも苦労はしないわ」

 

「でも、大宅は知ってた」

 

「黒い噂のあるやつは大体チェックしてるの。特に裏社会と関わってそうな奴は。私はその中から、貴方達の持ってる情報から当て嵌まる人をピックアップしただけ。私が聞きたいのは、あくまでも一般人の貴女の口から、どうしてピンポイントで金城の名前が出たかってこと」

 

 

 マジマジと見つめる大宅の瞳から逃げる様に、雪雫は視線を逸らす。

 彼女にしては珍しい行動だ、と大宅は思った。

 

 

「言えない…、いや、言いたくないって顔ね」

 

「…………」

 

「雪雫、これは大人としてのアドバイスだけどね。貴女はもう少し、自分を優先しても良いと思う」

 

「……………帰る」

 

「……タクシー呼んであるから、それで家まで帰りなさい」

 

 

 ありがとう。と言い残し、荷物をまとめて雪雫も蓮と同じ様に店を後にする。

 

 

「…強情な子ね」

 

 

 呆れた表情を浮かべ、大宅は再び酒を口に運んだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

6月17日 金曜日 曇り

 

 

 

「真、今日は―――」

 

「ごめん、雪雫! 今日は用事が……、また今度!」

 

「………あ…」

 

 

 彼女にしては珍しく、ドタバタと慌ただしく音を立てて、生徒会室を後にする真。

 ポツンと1人残された雪雫は、訝し気な表情を浮かべていた。

 

 

「………用事…」

 

 

 最近、真の様子がおかしい。

 生徒会にも碌に顔を出さず、かといって図書室で勉強している様子も無い。

 

 彼女の様子が目に見えて変わったのはここ最近の話だ。

 そう、丁度生徒会で渋谷の恐喝事件の話題が上がった辺りから。

 

 

「…………」

 

 

 一抹の不安が胸中を過ぎる。

 

 

「……渋谷、か」

 

 

 机の上に広げていた荷物を鞄に仕舞い、雪雫も続く様に生徒会室を後にした。 

 

 

 

 

 

 都会の割には人の往来が少ない連絡通路。

 その一画で、5人の男女と1匹の猫がそれぞれ神妙な顔持ちで言葉を交えていた。

 

 

「メメントス……?」

 

 

 聞き覚えない言葉に、真は小首を傾げる。

 

 

「ああ、今から向かう所だ。大衆版のパレスと言っても良い」

 

 

 レクチャーはお手の物、といった様子でモルガナは得意げに口を開く。

 

 

「金城パレスの攻略は良いの?」

 

「幸い、タイムリミットまでは時間があるからな。本格的に仕事に掛かる前にマコトを慣れさせたいって、こいつが」

 

 

 モルガナが視線を送ると、それに応えるように蓮が頷きを返す。

 

 

「金城の様な大物以外のターゲットは、このメメントスで改心させている。今日は皆との連携の確認も合わせて―――」

 

「本番前の一仕事って訳ね。腕が鳴るわ」

 

 

 自身の拳を手の平に合わせて、彼女は勝気な笑みを浮かべる。

 

 

「メメントスは無数の人々の心が入り混じった世界……、つまりは―――」

 

「決まった形が無い…、憶えるよりは慣れろってことね」

 

「り、理解力半端ねぇ~……」

 

「私、こんなすんなり理解出来無かったよ……」

 

 

 真の順応能力の高さに竜司は唖然とし、杏は肩を落とす。

 

 

「それで、ターゲットは?」

 

「ああ、今回は―――」

 

 

 そう言いながら、蓮はスマホの画面を皆に見せる。

 

 怪盗お願いチャンネル。

 蓮達の同級生、三島が管理・運営を行う、匿名サイト。

 怪盗団への改心依頼、次の標的のランキング投票などの機能を持つ。

 

 今回の仕事は、そこに寄せられた依頼の解決だ。

 

 

「標的の名前は中村利一。職を失った事を皮切りに、恋人に暴力を振るう様になったらしい」

 

「DV彼氏……! 許せないね!!」

 

「異論は無いな?」

 

 

 蓮の言葉に、全員が頷きを返す。 

 

 

「良し…、行くぞ!」

 

 

 怪盗団の面々は文字通り、虚空へと消えていった。

 

 

 

 

 同日

 

 

 怪盗団がメメントスに降り立つほんの少し前。

 

 

「……来たは良いものの」

 

 

 絶え間なく流れる人の波。

 人々の往来を眺めながら、雪雫は忙しなくその視線を動かしていた。

 

 

「連絡したけど、返事は無し」

 

 

 溜息を吐きながら、手に持つスマホに視線を落とす。

 数十分前から変化の無いトークルーム。

 

 

「はぁ…」

 

 

 何度目か分からない溜息。

 普段、連絡がマメな彼女の事を考えるに、暫く返事が無いだろうと、雪雫は諦めてアプリを閉じる。

 

 

「…………? 何、このアプリ?」

 

 

 アプリを閉じて、ホーム画面の戻れば、そこには見慣れないアプリアイコン。

 禍々しい赤黒いカラーリングに、目のような模様。

 ハッキリ言って気色悪い。

 

 新しくアプリをインストールした記憶は無い。事前登録をしているゲームのリリースもまだだった筈だ。

 

 雪雫は最近の自身の行動を思い返すが、このアプリに対する回答は持ち合わせていなかった。

 

 

「イセカイ、ナビ……?」

 

 

 怪しいモノに無暗に触れないの!とりせとか雪子辺りに怒られそうだな。とぼんやりと思いつつも、好奇心には勝てず、アプリを起動させればこのアプリの名称らしきものが画面に映し出される。

 

 

「何これ?」

 

『候補が見つかりません』

 

 

 ポツリと雪雫が呟けば、それに反応する様にスマホから出力された電子混じりの女性の声。

 どうやら音声入力に対応している様だ。

 

 

「……新島真」

 

『候補が見つかりません』

 

 

 ナビ、という名称だが、どうやら探し人を見付けてくれる様な代物では無いらしい。

 それならば一体何をナビしてくれるのだろうか?

 人物がダメなら、後は場所か――――。

 

 

「――――何を真面目に考えているんだろ」

 

 

 得体の知れないアプリについて思考を巡らせていた雪雫だったが、次第に馬鹿らしく思ったのか、呆れ顔を浮かべて視線をスマホから外す。

 

 

「そんな事よりも真を―――」

 

『6月度、月間邦楽ランキング! 1位は、ANAのmementos! 累計販売本数は―――』  

 

「ん……」

 

 

 思考を現実に戻せば、不思議と今まで届いてなかった都会の喧騒がクリアに聞こえてくるもので。

 人々の声を割る様に、交差点を見下ろす街頭モニターから、ランキングの結果を知らせるアナウンサーの声が雪雫の元へ届く。

 

 そこまで気にしていない、と言っても、やはり自身が身に置く業界の出来事は気になる様で、雪雫の意識はそのモニターへ注がれている。

 

 

「メメントス……」

 

 

 確かりせがそろそろ新曲を出すらしいが、この1位の曲を超える話題を獲得することが出来るだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えていると――――。

 

 

『候補がヒットしました』

 

「……? 何!?」

 

 

 電子混じりの女性の声が響いたと思ったら、次に雪雫を襲ったのは墜ちるような感覚。

 ぐにゃりと視界が歪み、平衡感覚が奪われ――――。

 

 

「………!」

 

 

 次に目を開けば、眼前に広がるのは地下鉄の改札の様な場所。

 しかし、ただの改札では無い。

 暗闇を照らす照明は赤く、壁や地面には植物の根っこの様な触手がそこら中の這いずり回っている。

 ハッキリ言って、普通じゃない。

 

 

「何、ここ」

 

 

 現実離れした風景。

 絶え間なく雪雫を襲う不快感と疲労感。

 鳴りやまない動悸。

 

 

「この感じ…、まるで……」

 

 

 いつの間にかに流れていた冷汗を拭い、フラフラとした足つきで、改札の先の地下へと続く階段を見下ろす。

 

 

「……こっち?」

 

 

 悍ましい(恐い)惨たらしい(恐い)恐ろしい(恐い)

 胸が恐怖で押しつぶされそうになりながらも、雪雫は何かに導かれる様に、その足を地下へと向けて、歩き始めた。

 

 

 




怪盗団サイド

14日 金城の名前を知る

15日 金城パレス潜入

16日 真加入

となります


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17:We are crony.

 

 

 私が子どもの頃……、正確には8歳とか9歳くらいの頃。

 

 生まれた時から身体が弱かった私は、本格的な治療をする為、地元の稲羽市立病院から都内の病院へと移された。場所は巌戸台港区にある辰巳記念病院。

 当時の私は1年間、その病院へ身を置いていた。

 

 りせや雪子からは毎日の様に連絡が来ていたし、一緒に入院していたお兄さんや、時々会いに来てくれていた月光館学園の生徒達。

 沢山の人達に囲まれて、温かい言葉を掛けられて。

 決して1人じゃないんだ。って、子どもながら理解していた。

 

 辛かったが、寂しくは無かった。

 ――――ある一点を除いては。

 

 

「……はっ…、は、………また、これ………」

 

 

 鳴りやまない動悸と収まらない咳を必死に抑えていたのを、今でもよく憶えている。

 こっちおいでと、誘惑する様に囁く化け物の声も、身体を襲う不快感も。全てを鮮明に憶えている。

 

 この時間を知覚したのは丁度この病院に入院してすぐの事だった。

 毎晩、決まって0時以降に訪れる悍ましい時間。

 

 全ての電子機器が停止し、病院内の私以外の人間は決まって棺桶の様な姿へ変化する。

 私以外の誰も、知る事の無い秘密の時間。

 

 その時間を私は毎晩毎晩、決まって1人で過ごしていた。

 

 

「一体……、何なの、…ゴホッ……はッ………。うぅ…」

 

 

 人と変わる様に闊歩し始める怪物の目を掻い潜りながら、病室の隅っこで息を潜めて終わるのを待つ。

 見つからない様に、襲われない様に。

 信じてもいない神様に必死に祈りながら。

 

 

『…遊ぼう…? 一緒に遊ぼうよ』

 

「……やだ…、遊びたくない……!」

 

 

 頭に響く少女の声を必死に無視しながら。

 震える四肢で自身の身体を抑えて。

 

 誰かに言ってしまおうか、と考えた事もある。

 しかし結局、この事は誰にも言っていない。

 

 だってそうでしょう?

 誰も存在を知らない時間を知っている何て、頭がおかしくなったと思われちゃう。

 もしかしたら、りせも雪子達も、皆私から離れてしまうかもしれない。

 そう考えたら、言える筈無くて。

 

 結局、入院してから10回目の満月が終わるまで、私はたった1人でこの時間を乗り切った。

 

 私の事を見付けないで。

 

 そう必死に祈りながら。

 

 

 

 

 

 メメントスの攻略も順調で、早くも3つ目のエリアの終盤。

 真…、クイーンの加入により、広がった戦略の幅、彼女の観察眼によって、以前よりもシャドウとの戦闘が楽になった。

 

 メメントス内を這いずり回るシャドウを文字通り蹴散らしながら、モルガナ=モナの案内に従って奥へ奥へと足を伸ばすが、問題のターゲットは今だに見つかっていない。

 彼曰く、このエリアの最深部に居る可能性が高いらしい。

 

 

「…ん……? お前ら、待て!!」

 

 

 最深部へと続く、エスカレーターに足を掛けようとしたその時、モナからストップの声が掛かる。

 

 

「んだよ、モナ。ターゲットはこの下だろ?」

 

 

 皆の気持ちを代弁する様に、竜司=スカルが頭を掻きながら疑問を口にする。

 

 

「そうだ、そうなんだが……」

 

「何か問題でもあるのか?」

 

 

 釈然としないモナの言葉に、今度は祐介=フォックスが口を開いた。

 

 

「……モヤモヤしていて、ハッキリと感知出来た訳では無いのだが…。ターゲットとは別にもう1つ、下の階に微弱な反応がある」

 

「シャドウとか?」

 

「いや、違う。…この反応は……、お前達と同じニンゲンのモノだ」

 

「はぁ……?」

 

 

 スカルの素っ頓狂な声が辺りに反響する。

 しかし、彼の反応は間違っていない。声には上げなかったが、俺だって同じ気持ちだ。

 

 

「人間…、それって私達と同じペルソナ使い……、とか?」

 

「それも分からん。何しろ反応が弱すぎるんだ。靄が掛かったというか、掴み所が無いというか……。しかし、用心しろよお前ら。マダラメが言っていた黒い仮面の奴かもしれん。どんな奴かは知らないが、逃げる事も視野に入れておけ」

 

 

 モナの言葉に、メンバー全員が緊張した顔で頷きを返す。

 

 鬼が出るか蛇が出るか。

 俺達は意を決して地下へと続く道を歩き始めた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 メメントス第3エリアの最深部。

 従来と同じく地下鉄のホームを模した空間。

 地下へと続いていると思われるエスカレーターは、例にも漏れず、幾何学模様が浮かんだ壁に遮られていた。

 

 しかし、そんなことよりも目を引く存在が中央に居た。

 

 

『なんだぁ?』

 

 

 1人は今回のターゲットである中村と思われる黒髪の男性。

 そしてその前には。

 

 

「…はっ、はっ……、は……!!」

 

 

 地べたにペタリと座り込み、荒い呼吸を必死に抑える白髪の少女。

 

 

「雪雫!!!」

 

 

 その姿を見て、真は敵が目の前に居るのも忘れて天城雪雫に駆け寄り、その顔を覗き込む。

 

 

「どうしてここに…、いや、それよりも大丈夫なの!?」

 

「その声は……、真…?」

 

 

 顔は青く、目の焦点は合っておらず、息も絶え絶え。

 明らかに普通じゃない状態に、真は雪雫を横抱きにして、蓮達の後ろへ下がる。

 

 

「……シャドウでは無いんだな?」

 

「…ああ、間違いなくアマギセツナ本人だ。どういう経緯でここに来たかは分からないが―――。まずは目の前のナカムラをどうにかしないとな」

 

 

 雪雫の状態を見るに、この環境に適応出来ていないのは明らかで、敵意の様なモノも感じない。

 そう判断した蓮達は、雪雫と真を庇う様に、ナカムラへと銃を向ける。

 

 

「中村利一だな。その歪んだ欲望、俺達が頂戴する」

 

『何、やる気? どいつもこいつも俺を見下しやがてぇぇぇぇ!!』

 

 

 ナカムラの顔が膨れ、四肢が膨れ、胸が膨れ。

 次第に内から食い破る様に、中から影が溢れ出す。

 

 

「っ!」

 

「大丈夫、大丈夫だから…。私達に任せて」

 

 

 そんなナカムラを見て、雪雫は思わず自身を抱く真にしがみ付き、声にもならない悲鳴を上げ、真はそんな彼女を落ち着かせるように優しい声を掛けながらその頬を撫でる。

 

 

「クイーンは彼女を頼む」

 

「ええ」

 

 

 ナカムラから溢れ出した影は次第に巨大な体躯を形作り……。

 

 

『お前らも潰してやる!』

 

 

 深紅に染まる肌色に、巨大なこん棒。そして最も目を引くのは頭部から伸びる一本の角。所謂、オニ。

 そんな姿に変貌したナカムラは、殺意を剥き出しで、蓮達へと襲い掛かる。

 

 

「行くぞ!」

 

 

 蓮の言葉を合図に、真以外のメンバーはナカムラを取り囲む様に散開した。

 

 

 

 

「……!」

 

『効かねぇなっ!』

 

 

 武器による物理攻撃、銃による銃撃、ペルソナによる魔法攻撃。

 各々のメンバーが、状況に応じてそれらを繰り出すが、ナカムラを倒す決定打には繋がらない。

 

 

「危ないジョーカー! カルメン!」

 

 

 蓮に向かって振り下ろされる棍棒に向かって、杏は炎属性の魔法を繰り出す、が。

 やはり深い傷を負わせることは出来ず、その軌道を僅かに逸らすだけだった。

 ――最も、攻撃を避けるだけならそれだけで十分なのだが。

 

 

「決定打が足りないな」

 

 

 モルガナが口を噛みしめながら、歯痒そうに呟く。

 

 

「認知の影響か?」

 

「いや、攻撃自体は届いている。単純にこちらの力不足、としか言えないな」

 

 

 忙しなく繰り出される攻撃を躱しながら、モルガナからの分析結果を聞く蓮達。

 

 

「見た目通りというべきか、物理攻撃に耐性がある様だ。その証拠に、スカルの攻撃がそこまで効いていない」

 

「なら魔法、か」

 

「ああ、だが一番火力のあるパンサーでもあのダメージだ。魔法自体に、というよりは炎に耐性があるんだろうな」

 

 

 蓮は思考を巡らす。

 パンサーの次に魔法攻撃の威力が高いのは、現状クイーンだが、彼女は現在、回復などの支援に徹している。雪雫からクイーンを離す訳にはいかない以上、彼女を攻撃には参加させられない。

 

 

「他の属性ならある程度通るだろうが…、フォックス、スカルはそこまで魔法は得意では無い。吾輩も支援に回っている。後はジョーカー、お前次第だが…」

 

「……済まない。今はこの状況を打開するペルソナは持ち合わせていない」

 

「…手詰まりだな。最悪、アマギセツナを連れての撤退も視野に入れた方が良い」

 

 

 雪雫が今この場で役に立つ事は無い。

 冷静に考えるのなら、彼女を一度地上に返してから、日を改めて挑んだ方が賢いだろう。

 

 

「そうだな…、ここは一度―――」

 

『お前ら、ちょこまかちょこまかと面倒くさいわ』

 

「……不味い! 警戒しろお前ら! デカいのが来るぞ!」

 

『おらぁ!』

 

 

 ナカムラが力一杯、根棒を地面に叩きつけると、伝播する様に衝撃の波が、怪盗団を襲う。

 あまりの威力に、彼を取り囲んでいたジョーカー達は姿勢を崩し、地面に膝を付く。

 

 

「皆っ!」

 

 

 真の悲痛な叫びがメメントスに響く。 

 

 

『ああ? 手応えねぇな……。お前か』

 

「!」

 

「ま、不味い! ナカムラがクイーンに気付いた!」

 

 

 相手もバカでは無い様で、背後で支援の魔法を掛けていた真に気付き、厭らしい笑みを浮かべる。

 

 

『死ねよ』

 

 

 ナカムラの言葉と同時に、彼から繰り出されたのは呪いと言える様な禍々しいモノ。

 蓮の最初のペルソナ、アルセーヌが得意とする呪怨属性の魔法。

 

 

「クイーン!」

 

 

 真っ直ぐ真に向けられて放たれた魔法。

 彼女1人であれば、問題無く避けれたであろう、攻撃。しかし、今の彼女の傍には。

 

 

「ごめん…、雪雫!!」

 

 

 庇う様に真は雪雫をきつく抱きしめる。

 2人の少女に向かって、世界を呪う攻撃が真っ直ぐ飛んで行き―――。

 

 

「………! アリス!」

 

 

 少女のか細い声を共に、その攻撃は霧散した。

 

 

 

 

 身体を圧し潰す様な重圧を持った赤黒い靄が、こちらに向かってくる。

 

 

「…はっ……、はッ――――」

 

 

 先程から、正しくはこの世界に踏み入れてから、五月蠅く鼓動する心臓。警鐘を鳴らす様に絶え間なく頭を襲う頭痛。

 

 

「……いやっ――!」

 

 

 不快だ。全てが不快だ。

 激しい動機も、鳴り響く頭痛も、私を呼ぶ声も。

 

 恐い、恐い、恐い。

 

 あの異形の怪物をその目で見た時、心は恐怖で氷付いた。

 だって、あれはまるで。

 病院を闊歩していた化け物の様じゃないか。

 

 見つかってしまった。

 関わってしまった。

 私の祈りは、届かなかった。

 

 

『遊ぼう?』

 

 

 と再び声が聞こえる。

 

 

『私から目を逸らさないで?』

 

 

 あの時と同じ少女の声が。

 

 

『あの時から、貴女と私は友達でしょう?』

 

 

 まるで知らない私を知っているかの様な彼女の声。

 

 

『こういう時、どうすればいいか。貴女は知っている筈よ。だって私の友達だもの』

 

 

 そんな記憶、私には無い。

 だがしかし、それでも、彼女の言う通り私は知っている。

 それは知識か、経験か、本能か。

 

 分からない事だらけだけど。そんな中でも分かる事が1つ。

 

 ―――ここで何もしなければ死んでしまう。

 

 

それは、嫌。

 

 

 だって私にはまだ心残りがあるから。

 好きな人に想いを伝えていないもの――――。

 

 

「…………」

 

「せ、雪雫?」

 

 

 弱々しく伸ばされた小さな腕。

 その先の手に平の上に、蒼い炎が揺らめく。

 

 

「…ペ…ル……ソナ……!」

 

 

 蒼い炎の中には一枚の()()()()()()()

 それを握り潰す様に、雪雫は勢い良く小さな手を握り占める。

 

 

「……アリス!」

 

 

 

 

『何……?』

 

「あれは…。」

 

「おいおい…、マジかよ…。」

 

 

 ナカムラから放たれた攻撃は、確かに2人を捉えていた。

 絶体絶命。その言葉がピタリと当て嵌まる様な状況だったのは、誰の目から見ても明らかだった。

 しかし。

 

 

「ペルソナ、か? いや、しかし……」

 

 

 体制を立て直した蓮達は、目の前にナカムラが居るのも忘れて、思わず少女に目を奪われる。

 先程まで弱々しく項垂れていた雪雫とは打って変わり、今度は私が守る番とでも言う様に、真の前に立ちふさがる小さな少女。

 力の奔流による影響か、その白い髪はふわりと煽られ、身に着けている()()()()()も同じように揺れていた。

 そして背後に控えるのは、病的に肌が白い金髪の少女。

 

 

「考察は後で良い! 今は退くぞ!」

 

 

 一早く現実へと意識を戻したのはモルガナで、彼は呆然とする仲間に向かって声を上げる。

 

 

「あ、ああ。そうだな!」

 

「今は雪ちゃんを安全な所へ連れて行かないと、だもんね!」

 

「………。」

 

 

 彼の声に気付かされ、体勢を立て直したメンバーがそれぞれ、ナカムラから距離を取る。

 

 

『逃がす訳ねぇだろ!!』

 

 

 出口へと向かう怪盗団の面々を折って、棍棒を構えて追いかけるナカムラだったが、雪雫の顔を見てその動きを止めた。

 

 

『な、なんだよ。お前』

 

 

 この場において完全に上位者だった彼が、初めて狼狽えた。

 恐怖。

 そんな色が彼の顔に浮かんでいる。

 

 

『なんだその気色悪い笑みは!!』

 

 

 揺らめく白髪を携えた小さな少女は、小馬鹿にする様な無邪気な笑顔をこちらに向けていた。

 そんな表情を浮かべながら、彼女は静かに、ナカムラへ一指し指を向けていた。

 そして一言。

 

 

『「死んでくれる?」』

 

 

 白髪の少女と金髪の少女がシンクロする様に共に告げる。

 無邪気で、残酷で、何処までも楽しそうな声。

 

 ナカムラの頭上に現れた狂った様に長針と短針が回り続ける懐中時計と数多のハートのトランプカード。

 彼を取り囲む様に、踊る様にそれらは地面に落ちて行き、次第に巨大な影を形作り―――。

 その影の中から現れた無数の槍がナカムラを貫いた。

 

 

「エグっ!!」

 

「凄まじいな……。」

 

 

 声にもならないナカムラの悲鳴が響くのを、静観する蓮達。

 敵とは言え、少し同情してしまう程、何処までも無邪気で残酷な光景に、若干蓮達は引いていた。

 

 

「……終わった様だな」

 

「みたいだな」

 

 

 アリス、と呼ばれた少女の形をしたペルソナが雪雫の中へ消えると同時に、ナカムラを貫いていた槍も消えていた。

 蓮達の視線の先には、人間の姿に戻り、地面に這いつくばったナカムラ。

 

 

『職を失ってむしゃくしゃしていたんだ…。誰も俺の言い分を信じてくれなくて、それで……』

 

「それで彼女に暴力か。最低だな」

 

『ああ、そうだな……。返す言葉も無い…』

 

 

 神にでも懺悔するかの様に、ナカムラは話続ける。

 

 

『もう一度、頑張ってみるよ。……しっかりと彼女に謝って、お前達の様に声を上げ続けようと思う』

 

「ああ、しっかり向き合うんだな」

 

『そこの白髪の女の子……』

 

「………私?」

 

『大山田には気を付けるんだな…。俺を切り捨てた大山田には』

 

 

 そう言い残して、ナカムラのシャドウは、スッキリした様な表情で消えていった。

 

 

「……大山田…」

 

「知り合いか?」

 

「……一応」

 

「兎に角、今日はこの辺りにしておこうぜ。彼女の事もあるし、一旦情報を整理する必要もあるからな」

 

 

 力が抜けた様に再び座り込んでいる雪雫を連れ、怪盗団の面々はメメントスを後にした。

 



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18:Starting from scratch, life of thief.

 

 

 

6月18日 土曜日 晴れ

 

 

 

 歳頃の高校生6人と猫1匹が一同に集まっても尚、損なわれる事の無い広いリビング。

 小さな少女に案内されてこの部屋に通された面々が、あまりの広さに驚いていたのはほんの数十分前。

 いや、若干数名、まだソワソワしているが、少なくとも落ち着いて話せる雰囲気へはなった。

 

 広いリビングに対して、比較的コンパクトな机を取り囲み、7人はそれぞれ顔を見合わせる。

 

 そして、この部屋の主、天城雪雫がゆったりと蓮に指を差し、一言言い放った。

 

 

「犯罪皇子」

 

「……名前は合っている、けど…」

 

 

 そしてその次、とでも言わんばかりに隣に座る竜司へ指を向ける。

 

 

「ブラックスカル」

 

「やべー…、元ネタあるんだろうけど、分からね――……」

 

 

 そして次、杏。

 

 

「女豹」

 

「女豹言うな!!」

 

 

 祐介。

 

 

「きつねうどん。」

 

「麺のコシと出汁の組み合わせはある種の芸術作品……。良い例えだ」

 

「良いのかよ」

 

 

 真。

 

 

「拳王」

 

「教育してあげても良いのよ?」

 

 

 モルガナ。

 

 

「にゃんこ」

 

「猫じゃねーし!!」

 

 

 天然なのかわざとなのか。

 判断付かない雪雫の物言いに対して、ひとしきり突っ込みを終えた怪盗団の面々。

 

 先日のメメントスの件で雪雫に正体を知られた彼らは、落ち着いて話せる場所…、つまりは雪雫の自宅へ集まり、情報交換をしていた。

 まず手始めに自己紹介をと蓮が呟き――、そして今に至る。

 

 

「なるほど、理解した」

 

「ホントに分かってるのか……?」

 

「さぁ……」

 

 

 満足した様に頷きを返す雪雫に、一部の者は一抹の不安を覚えるが、一々突っ込んでいると話は進まない。と思ったのか、特に確認を取ることは無かった。

 

 

「これで全員?」

 

「ええ、そうね。この場に居る全員がペルソナ使い…、つまりは貴女と同じ力を持っているわ」

 

「ペルソナは言わば、もう1人の自分。そしてそれを実体化させたものだ。この間、セツナがナカムラにやった様に、超常の力を操る事が出来る。イセカイ限定だがな」

 

 

 真の言葉に補足する様に、モルガナは続けて口を開く。

 

 

「覚醒の条件は?」

 

「明確にそうとは言えないが…、強い叛逆の意志…、が必要だな。社会に対する義憤、特定の人物に対する恨みや怒り……。それが切っ掛けでこいつらは能力に目覚めた。怪盗服は…、まぁ簡単に言うとその心の表れ、だな」

 

「でも私は変化しなかった」

 

「……ああ。だから明確に言えないんだ。確かにお前はペルソナ使いだ、それは間違いない。しかし、こいつらの様な激しい怒りも感じない。見た目の変化が無いのがその証拠だろう。何か他の条件があるのか…、それともワガハイ達とお前の間に何か決定的な違いがあるのか……」

 

「…………違い…」

 

 決定的な違い。

 蓮達はそれについて暫く思考を巡らせるが、考えても考えても答えは出ない。

 

 

「…私はこの後、どうすればいい?」

 

「それは天城さん次第だ」

 

「ああ。ワガハイ達と共に戦うのも、元の生活に戻るのも自由だ。無理強いはしない」

 

「私個人としては、雪雫を巻き込みたくはないわ。昨日も見た通り怪盗団の活動は命がけ。生半可な覚悟では―――」

 

「真は?」

 

「へ?」

 

「真はどうして、怪盗団に?」

 

「私は―――」

 

 

 真は語る。

 自身の思いの丈と理不尽に対する激しい怒りを。

 

 

「そう…」

 

 

 真の思いを聞き、雪雫は僅かに口角を上げて、首を縦に振る。

 

 

「……私は…。私は貴方達の力になりたい」

 

「マジ!」

 

「やった!」

 

 

 竜司と杏が上げた喜びの声に続く様に、雪雫は「でも」と続ける。

 

 

「でも、モルガナが言う様に私には強い心は無い。肩を並べるには思いの丈が違い過ぎる。そんな中途半端な私が一緒に戦うのはきっと足手纏い。だから、暫くは見極めさせて欲しい」

 

「というと?」

 

「暫くの間、行動を共にする。その過程で私に強い気持ちが芽生えれば、そのまま一緒に戦う。でも今と変化が無いのなら」

 

「元の生活に戻る、ということか」

 

 

 祐介の言葉に、雪雫は小さく頷きを返す。

 

 

「我儘、かな」

 

 

 眉尻を下げながら呟く雪雫は、自信無さげな視線を皆に向ける。

 それを見て、怪盗団の面々は僅かに口角を上げて―――。

 

 

「良いんじゃねぇの。そんな不安そうな顔しなくても、十分立派だ」

 

「少なくとも竜司よりはね」

 

「作戦もまた見直しが必要だな。1人増えるということは、その分、戦略の幅が広がる」

 

「ふふ、腕が鳴るわね」

 

 

 竜司、杏、祐介、真は、やはり嬉しそうな表情で口を開く。

 

 

「まぁ、こんな呑気な奴らだが力になってやってくれ」

 

「宜しく、天城さん」

 

 

 怪盗団のリーダー、ジョーカーこと蓮から伸ばされた手を

 

 

「うん」

 

 

 と小さく呟き、雪雫はその手を取った。

 

 

 

 

その夜

 

 

「思わぬ所で強力な戦力が加わったな」

 

「ああ、ナカムラを一撃で沈めたあの魔法には、目を張るものがある」

 

「少し、おっかないがな」

 

 

 ルブランに屋根裏部屋で、蓮とモルガナは会話に華を咲かせる。

 内容は勿論、仮ではあるが入団を果たした後輩、天城雪雫について。

 

 

「彼女については、分からないことも多い。服装の変化が無いのもそうだが、なによりペルソナの発現の仕方がお前らとは違う」

 

「……仮面、無いもんな」

 

 

 蓮達が身に着けている仮面。

 己の内なる義憤、叛逆心を受け入れた時に出現する、言わばペルソナのもう一つの姿。

 しかし、彼女にはそれが無い。

 

 

「加えてナカムラが言っていたオオヤマダとかいう人物、セツナ個人への忠告……。彼女にも何か問題がありそうだ。………それに気付いたか? 彼女の表情」

 

「ペルソナ使いになる条件の話の時だな」

 

「ああ」

 

 

 モルガナが言った雪雫と蓮達の間にある決定的な違い。

 それについて考え込んでいる時、雪雫1人だけが、何か思い当たる事がある様な、そんな顔をしていた。

 

 

「本人でも分からないのか、それとも話したくないのか」

 

「まぁいずれにせよ、その時が来たら力になって上げればいい。俺達の力になりたいと言ってくれた。あれは嘘じゃないだろう。俺は彼女の意志を尊重する」

 

「そうだな。……色々あって疲れてるだろ。今日はもう寝ようぜ」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「ペルソナ……、イセカイ…。怪盗団」

 

 

 1人で寝るには余りにも広すぎる寝室とベッド。

 月明かりだけが照らすなか、白髪の少女が1人、物思いに耽けていた。

 

 

「あの夜の事も、稲羽を包んだ霧も、関係ある?」

 

 

 その問いに対する答えを雪雫は持ち合わせていないし、真相を知っている者が居るのかも、彼女には分からない。

 

 

「ん…」

 

 

 ボーっと天井を仰いでいた雪雫だったが、それも飽きた様で。

 身体の向きを横にして、自身を守る様に身体を丸くする。

 

 

「標的、パレス…。金城。―――大山田」

 

 

 怪盗団の事、イセカイの事、改心の事。

 彼らから粗方、その内容と方法は聞いた。

 聞いた上で、私は心から彼らの力になりたいと思った。

 しかし、それと同時に、別の目的が合ったのも事実。

 

 

「知る権利くらい、あるよね」

 

 

 知らなければ、探る真似なんてしなかった。しかし、知ってしまった。

 人間、好奇心には勝てない様に出来ているらしい。

 

 

「寂しいな、……りせ」

 

 

 少女の小さな呟きは闇夜に溶ける。

 雪雫は静かに目を閉じた。

 

 

◇◇◇

 

 

6月20日 月曜日 曇り

 

 

 

「よし、色々あったが、今日から本格的にカネシロパレスの攻略を開始する」

 

 

 怪盗団のリーダー、雨宮蓮の言葉に、一同は決意を浮かべた表情で頷きを返す。

 

 

「セツナ、昨日も言ったが…。今のお前に直接的な戦闘は任せられない。何しろ怪盗服とマスクが無いからな。その影響が現実の認知にどう影響を及ぼすか分からない」

 

「ん」

 

「幸い、お前のペルソナはアン殿の様に魔法が得意なタイプだ。魔法による支援をメインに頼む」

 

「分かった。」

 

「竜司、頼んでいたモノは?」

 

「ああ、バッチリだぜ」

 

 

 竜司は勢い良く自身の胸を叩き、「なっ」と言いながら雪雫と視線を合わせる。

 

 

「よし……、行くぞ!」

 

 

 

 

 

 

 突如、身体を襲う浮遊感と圧迫感。

 しかし、以前ほど不快な感じはしない。

 慣れか、自覚か。

 どちらにせよ、毎回あんな思いをしなくて済む様になったという事実だけで、私の気持ちは軽くなる。

 

 

「………わぁ…」

 

 

 歪んだ視界がクリアになり、眼前に広がるのは、暗雲立ち込める渋谷の街。

 一見、現実と相違無い街並みだが、空から降り注ぐ無数のお札と、往来を闊歩する四肢の生えたATMが、ここがイセカイなのだと、主張してくる。

 

 

「セツナ、一々驚いていたらキリが無いぞ」

 

「来たな」

 

 

 初めて遊園地に来た子どもの様に、キョロキョロと辺りを見合していた雪雫の元に。いや、正確には新島真…、クイーンの元に。文字通り天空から橋の様なモノが下ろされる。

 その橋の先には、でかでかと「金城信用銀行」と品無く書かれた建物が。

 あれが今回の仕事場所…、つまりはパレスなのだろう。

 

 

「……なるほど。金城からすると、真…、えっと、クイーン…はお客さん…、金づるだから、こうして向かいに来た……」

 

「お、おぉ……。こっちの理解力も半端ねぇな……」

 

「何か私、自信無くなってきちゃった……」

 

 

 再び肩を落とすスカルとパンサーを横目に、続けてフォックスが口を開く。

 

 

「例の写真の期限は、あと一週間ほどだったか。班目の時より余裕が無いな」

 

「ああ。だがこっちの戦力も前回とは違う。パパっと片付けてしまおうぜ! おい、スカル! 何時までも落ち込んでないで、セツナに例のモノ渡しとけ!」

 

「お、おお…。そうだったそうだった」

 

 

 思い出したかの様に、スカルは胸の内ポケットから一丁の拳銃を取り出す。

 

 

「ミリタリー屋のおっさんに、小学生くらいの小さな女の子でも扱えそうなやつ、で頼んだから大丈夫だとは思うけど……」

 

「……小学生………」

 

 

 少し残念そうに呟きながら、差し出された拳銃を手に取り、それを眺める。

 

 

「扱えそうか?」

 

「何となく。ゲームで見た事ある」

 

「微妙に不安が残る知識だな……」

 

「兎に角、後方支援はその銃と魔法でお願いね。危なくなったら、私達でフォローするから」

 

「分かった」

 

 

 パレス攻略の手順は聞いている。

 まずは欲望の核であるオタカラルートの確保。パレス内には主の認知の影響が薄いセーフルームなるものがあるらしく、そこを経由しながら最奥までの安全ルートを確認するらしい。

 ルートの確保が完了したら、次に行うのは現実のターゲットに予告状を出す事。主…、今回は金城に「怪盗団はお前のオタカラを狙っているぞ。」と認知させることで、オタカラが干渉できる物体として具現化する。

 そして最後に戦闘…。いや、正確には戦闘する必要は無いらしいが、決まってパレスの主は激しく抵抗するらしいので、戦闘は避けられないと思って良いそうだ。

 

 

「シャドウに見つかるとパレス全体の警戒度が上がる。つまり、攻略が難しくなる」

 

「要するに、スピード感が大事ってことだ。俺達は怪盗服があるけどよぉ……」

 

 

 竜司から不安と心配が入り混じった視線が、雪雫に注がれる。

 

 

「何?」

 

「制服……、動きにくくない?」

 

 

 竜司のみならず、怪盗団の全員分の視線が雪雫に刺さる。

 彼女の今の恰好は学校指定の、つまりは秀尽学園の制服のまま。靴もローファーのままであり、後方支援中心とはいえ、お世辞にも戦う様な恰好では無い。

 

 

「何だ、そんな事」

 

 

 皆の心配を知ってか知らずか、雪雫は僅かに得意げな表情を浮かべる。

 

 

「大丈夫、伊達にMV撮ってない」

 

「「「「「「???」」」」」」

 

 

 

 

 

 

「いや驚いたなー。まさかセツナがあそこまで動けるとは」

 

「ああ。まるで軽業師の様だった」

 

 

 新メンバー(仮)を迎えた新生怪盗団の初仕事を終えたその夜。モルガナと蓮は何時も通り、ベッドの上で会話に華を咲かせていた。

 内容は勿論、想定以上の動きを見せた雪雫について。

 

 

「踏み外しそうな細道も難なく渡っていたし、お前達の動きにも殆ど遅れる事が無かった。お前も彼女から学ぶものがあるんじゃないか?」

 

「今度、コツとか聞いてみようか」

 

 

 後から杏に聞いた話だが、雪雫はMVによってはダンスもする様で。

 バランスの取りにくいヒール付きの靴で踊ったり、場合によってはアクロバットな動きを取り入れたり……。兎に角、素人には真似出来ない動きを、さも当たり前の様にやるらしい。

 改めて、彼女の底が知れない。

 

 

「そうだな。まぁ今はカネシロに集中しようぜ。この件が片付けば多少は落ち着くだろ」

 

 

 ふわぁ、とモルガナは大きく口を開けて、その瞳に生理的な涙を溜める。

 床に就く合図だ。

 

 

「おやすみ、モルガナ」

 

「ああ。また明日な」

 

 

 状況は追い込まれているが、かといって打開の策は無い訳では無い。

 人間、慣れるものだな。と蓮は自身の順応能力の高さを内心苦笑しながら、意識を闇に落とした。

 




パレスは長いのでカットカット。
大事なところだけピックアップするスタイルで行きます。


~ゲーム的に雪雫がしている事~

ランダムで味方へバフと回復。
敵にデバフと銃撃、呪怨属性の攻撃をしてくれる。

ダメージ量はジョーカーのレベル依存。
スキルの内容は、レベル21~30の間に覚える程度のもの。

総攻撃の際、たまーに専用のカットインと共に、アリスと一緒に「死んでくれる?」をしてくれる。(ゲスト加入時限定)(期間限定って良いよね)


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19:It's important to take a rest to work hard.

 

 

6月21日 火曜日 曇り

 

 

 夏も間近に控え、冷房を入れるか我慢するか。そんな悩みが生まれる今日この頃。

 平時であれば扇風機一つ回して一晩過ごしたであろうが、今回はそうしなかった。

 だって。

 

 

「……雪ちゃーん、朝だよー………」

 

「…………すぅ…」

 

「あ、これ起きないやつだ」

 

 

 子どもの様に……いや実際、私からしたら子ども何だけど。

 兎に角、母親に甘える赤子の様に、私の胸元に顔を埋めて、ピッタリと私から離れないからだ。

 いくら夏がまだ本格化してないと言っても、流石に1人の人間の体温が一晩中腕の中にあるとなれば、扇風機1つでは物足りない。

 

 え?別々に寝れば良い?

 それは論外。

 

 

「学校、遅れちゃうよ~…」

 

「……ぅん…」

 

 

 やはり起きない。

 返ってきた反応といえば、寝言とも言えない言葉にならない小さな声と、僅かな身動ぎ。彼女の滑らかな脚が私の脚を撫でる。

 気持ち良い。

 目を閉じて感覚を集中させれば、あらゆる器官から伝わる彼女の存在。

 心地良い体温、鼻腔を擽る仄かな甘い香り、直接触れる柔らかな肌。

 えへ。

 

 ―――――話を戻そう。このままだと思考が良くない方向に持ってかれそうだ。

 えーっとそう、雪雫が起きないという話だった。

 いや、私の「雪雫を起こす。」という意志と覚悟が足りないとも言える。彼女の朝の弱さは昔から。雪子センパイからこういうときの対処法も聞いている。でも、それを実行出来無いのは私の甘さからか。それとも下心からか。

 

 だってそうでしょう。

 最近、仕事が忙しくて雪雫との時間が取れなかった私の元へ、彼女から「今日、りせの家に泊まって良い?」と少し寂し気な様子で電話が来たんだから。その時は自分でも分かる程、脳内が沸騰した。

 それを踏まえると、こう安心しきった表情を浮かべ、腕の中で眠りこける彼女が狂おしいほど愛しくて。起こさないといけないのに起こせない。

 

 

「……自然に起きるのを待つか、それとも心を鬼にするか」

 

 

 非常に悩ましい。

 今日が休みなら良いが、生憎私も彼女も本業というものがある。私は午後からだけど。

 

 

「いや、ここはやっぱり心を鬼にしないと。年長者として。ここはしっかりしないと……」

 

 

 腕の中の雪雫の顔をもう1度眺める。

 垂れかかった前髪の隙間から覗く長い睫毛。閉じられた瞼。少し開いた小さな口。触れている部分から伝わる僅かな鼓動と低めの体温で彼女が人間だということが分かるが、それが無ければ神様に造られた人形の様。

 

 

「―――やっぱりあと10分かな!」

 

 

 もう少しだけ、この時間が続いても良いだろう。登校時間までまだ時間がある。最悪、車を出そう。

 

 

「それにしても昨日は特に可愛かったなぁ…」

 

 

 口に出さないが行動には出るのが雪雫の可愛い所。

 私に対して送る視線と何時もより近いお互いの距離が、何とも分かりやすかった。

 

 

「……そう言えば」

 

 

 前もこんな事合ったな、とふと思い出す。

 あれは、そう。4年前の5月。

 何かとトラブルに巻き込まれ、あんなに忙しいGWはもう2度と無いんじゃないか。そう思える程に慌ただしかった日々。

 

 

「…何か変化あったのかな?」

 

「―――――」

 

 

 彼女の形の良い頭を撫でながら問い掛けてみるものの、本人からの返事は無い。

 まぁ良い。私もこのような形で答えを聞きたい訳じゃない。

 不安が無い訳では無いが、雪雫なら大丈夫だろう。それに私達は決めたじゃないか。彼女の成長を見守ろうと。

 

 

「あと5分……、嫌だな。ずっとこうしていたいな」

 

 

 そうは言っても時の流れは残酷で、行動しなければならない時がいずれ来る。

 定刻までに雪雫が起きなければ、彼女には悪いが実行するしかない。

 

 天城式覚醒術、鼻つまみ――――。

 

 

 

 いや、センパイ容赦無いな。

 

 

 

 

 

同日 放課後

 

 

「ヨハンナ!!」

 

 

 高らかにその名を呼ぶと、真の元に現れたのは何処からどう見てもバイク…、もといペルソナ。

 幻の女教皇の名前を冠した彼女から、膨大な熱量を持った魔法攻撃が繰り出される。

 

 

「敵ダウン! 良いぞ、クイーン!」

 

 

 鬼を思わせる艶美な姿のシャドウは弱点を突かれ、その体勢を崩す。

 これが意味するのは―――。

 

 

「総攻撃チャーンス! 畳みかけるぞ、お前ら!!」

 

 

 シャドウを取り囲む様に散らばったジョーカー達は、目にも止まらぬ速さで攻撃を繰り出す。

 文字通りのフルボッコ。蹂躙と言っても差し支えない。

 

 

「雪雫!」

 

 

 その様子を少し離れた場所で眺めていた雪雫の元に、ジョーカーの声が届く。

 

 

「分かった」

 

 

 怪盗団に参加してまだ日が浅いとは言え、こういう場合に何をすべきか、分からない雪雫では無い。

 

 

「アリス」

 

 

 彼女の呼び掛けと共に背後に現れたのは金髪の幼い少女。

 生気を感じさせない白い肌に、濃紺のワンピースを身に纏った。

 

 

『死んでくれる?』

 

 

 無邪気、そして無慈悲に。

 少女はそう告げると、敵の周りに出現する数多のトランプと槍。

 これが意味するのはただ一つ。

 すなわち、戦闘の終了。

 

That was fun. See you soon.

(楽しかったわ。また遊びましょう。)

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 新たに加わった2人の助力もあり、カネシロパレスも早いもので中盤に差し掛かった頃。

 金城の認知の影響が薄い、所謂セーフルームで休んでいると、パンサーが「あっ」と声を上げた。

 

 

「どうかしたか?」

 

 

 この場に居る皆の疑問を代弁したフォックスの声と共に、全員の視線がパンサーへと刺さる。

 

 

「雪ちゃんのコードネーム! まだ決めてない!!」

 

「――あ、そういえばそうね。」

 

「何かバタバタしてて、すっかり忘れてたわぁ……。」

 

「コードネーム?」

 

 

 ハッとした表情で顔を見合わせる面々に対して、雪雫は机の上に座って足をブラブラさせながら、不思議そうに小首を傾げる。

 

 

「そう、コードネーム。この前教えたじゃん? 蓮ならジョーカー。私ならパンサーみたいに。仕事の時はお互いにコードネームで呼び合うの」

 

「………それは分かるけど…」

 

「ん? 何か気になる事でもあるのか?」

 

「私、正式に仲間になった訳じゃないし。怪盗服、無いし」

 

 

 一同に訪れる一瞬の沈黙。

 セーフルームに設置されていた空調の音だけが響く。

 

 

「あー……、そんなに気にすることか? それ?」

 

 

 若干の気まずい雰囲気の中、真っ先に斬り込んだスカル。

 こういう時の彼の委縮しない性格はありがたい、と内心で蓮は感謝の念を送る。

 

 

「うん。大事なこと。コードネーム、つまりはもう1つの自分の姿」

 

「お、おう…、そうだな」

 

「名は体を表す…。逆もまた然り。フェザーマンだって、バイトマンだって。輝かしい功績と共に、その人を象徴するスーツ…つまりは仕事服が合ったからこそ人々に求められ、認知されてきた。つまり大衆にとってスーツとは希望の象徴であると共に、畏敬の対象。見た目と名前の不一致は認められない。例外的にそのギャップが光ることもあるけど、例外は例外。通例に乗っとるなら、やっぱり形から入るべき。私はその例に当て嵌まらない。とそう思ってる」

 

「……つまり…、どういう事?」

 

「怪盗服がハッキリ出現するまでは、コードネームを決める気は無い…、っていうことらしいわ」

 

「まぁ本人がそう言うのなら仕方無いだろう。それに個人的にではあるが、拘りは捨てて欲しく無い。創作者である以上、大事な道標になるのだから。俺も過去に―――」

 

「まーた始まったよ、この狐……」

 

 

 スイッチが入った様で、フォックスは懐かしむ様に語り始める。その話を僅かに目を輝かせながら聞くのは雪雫くらいで…。

 

 

「おーし、行くぞ~」

 

 

 他のメンバーはもう慣れたものだという様子で、部屋を出る。

 

 

「む…、せっかちな奴らめ」

 

「また今度、ゆっくり話そう」

 

 

 話し込んでいた2人も、皆を追う様に後にした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

6月22日 水曜日 曇り

 

 

 連日続いたパレス攻略も今日はお休み。

 改心までタイムリミットが無い事では無いが、息抜きするのも仕事の内だ。

 大抵こういう日は、イセカイで使う道具の調達や仲間達との交流に充てるらしい。

 

 

『本日未明、東京都渋谷区で40代男性の変死体が見つかりました。死因は特定出来ておらず、警察は自殺と他殺、両方の線で捜査を進めているという事です』

 

「変死体、か。物騒な世の中ね」

 

 

 脚を組み、テレビから流れるニュースを眺めながら、何時もの白衣…では無く、丈の短いワンピースを着た女性、武見妙は溜息と共に静かに呟く。

 

 

「死因不明…ってなるとこれから監察医行きかしらね」

 

「解剖しちゃう?」

 

「多分ね。伝染病とかだったら大変だし。まぁ、こういうのって大抵、服毒自殺か病死だけど」

 

 

 そう言いながらリモコンを手に持ち、テレビの電源を落とす武見。

 テレビの方へ向いていた身体を机を挟んで対面に座る雪雫に向け、頬杖を付く。

 

 

「それで? 貴女が家に直接来るなんて珍しいわね」

 

「……ゆっくり話したかったから」

 

 

 雪雫は砂糖をたっぷり溶かした紅茶を口へ運ぶ。

 その所作一つ取って見ても絵になることから、彼女の育ちの良さをそこはかとなく武見は感じていた。

 

 

「美和、元気そうだったよ」

 

「……そう」

 

 一瞬、ほんの一瞬。

 武見は複雑な表情を浮かべたものの、何処か安堵した様に僅かに口角を上げて、その視線を僅かに雪雫から外す。

 

 

「お花持っていったよ。妙がオススメしてくれたやつ」

 

「うん、ありがとう」

 

「本の話もした。美和は苦手って言っていたから、今度読みやすいの持っていこうと思う。妙のオススメ、ある?」

 

「………不思議の国のアリスとか?」

 

「それはあまりお勧め出来ないかも…」

 

「なんで? 定番じゃない」

 

「怖いもん」

 

 

 怖い、怖いか。

 まぁそういう捉え方もあるのかな。と武見も彼女に倣って紅茶を口に運びながら頭の隅でボーっと考える。

 

 

「まぁ安心したわ。私の分まで仲良くしてくれている様で」

 

「………妙…」

 

 

 武見の物言いに、悲しそうに眉尻を下げて呟く雪雫。

 

 

「そんな顔しても行かないわよ。これは私なりのけじめなの」

 

「……美和は喜ぶと思う」

 

「どうだか。普通、自分を重体に追いやった女医の顔なんて見たくないでしょう。それに、あの子が良くても周りが許さないわ。それが世の中ってものなの」

 

 

 自分自身を戒める様な彼女の表情に、雪雫はこれ以上何も言えなかった。

 言える筈も無かった。

 言えば彼女をさらに苦しめる様な気がしたから。

 

 

「場末に追いやられた医者には、それに相応しい立ち振る舞いっていう奴があるのよ」

 

「…………そう」

 

 

 投げやりな口振りの割には、お花を選んだり雪雫から話を聞きたがったりと、面倒見の良さが垣間見える。

 が、それを指摘しても怒るだけだろう、と雪雫はそれ以上話を続けることは無かった。

 

 

「そんなことより」

 

「?」

 

 

 ふと、武見は思い出したかの様に口を開いた。

 僅かに青筋を浮かべ、少し怒気を含んだ声で。

 

 

「見たわよ。雑誌のやつ」

 

「水着の? 似合ってた?」

 

「ええ、良く似合ってたわ。似合っていたわよ。けどね」

 

 

 武見は静かな怒りを隠す事無く言葉を紡ぎながら席を立ち、対面に座る雪雫の前へ。

 彼女の柔らかな頬に両手を添えしっかりとその視線を合わせる。

 そして――――。

 

 

「いひゃい」

 

 

 そのまま頬をつねった。

 

 

「貴女ね、自分の身体の事分かってるの? いや、分かってないよね。分かって無いからあんなことするんだよね。いくら()()()とは言え、今の貴女のその容姿。前にも説明したよね? メラニンが人より足りないの。つまりは肌のバリア機能が人より弱い。そんな中で普通、水着の撮影する? しかも、日差しが強いこの時期に……。いくら久慈川さんの事が好きでもね。貴女が優先すべきは自分の身体。分かった!?」

 

「でも、日焼け止め塗っても――――」

 

「口答えする気?」

 

「ごめんなひゃい」

 

 

 ふん、と機嫌悪そうに声を漏らして、雪雫の頬から手を離す。

 僅かに赤くなった頬を擦る雪雫。

 そんな彼女を横目に、武見は壁に掛かっている時計へと視線を移した。時刻は18時を少し過ぎたころ。

 

 

「もうこんな時間…。ほら、健全な女子高生は帰る時間よ」

 

 

 シッシッと猫を追い払う様な手振りの武見に対して、雪雫はあからさまに不服そうな表情を作る。

 

 

「ご飯食べて帰ろうと思ったのに……」

 

「夜は予定あるのよ。ほら、貴女の先輩の雨宮君。あの子が診察に来るから」

 

「蓮が?」

 

「………蓮、か。随分仲良くなったのね」

 

「最近一緒に居る事が多くなった」

 

「ふぅん…」

 

 

 興味が有るのか無いのか。どっちとも取れない口振りの武見に雪雫は小首を傾げるが、特にそれについて言及することは無かった。

 

 

「ほら駅まで送ってあげるから。大人しく帰りなさい」

 

「はぁい」

 

 

 半ば追い出される形で雪雫は武見の自宅を後にした。

 

 




フェザーマン
御馴染みの正義の戦隊ヒーロー。正式名称は不死鳥戦隊フェザーマン。
子ども達から絶大な人気を誇り、続編も続々と作られているが特撮の例に漏れず、イロモノがどんどん増えていく傾向がある。

バイトマン
ブラックバイトを許さない正義のヒーロー。
ついこの間、3作目である「ダークバイトハイジング」が映画でやっていた。




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20:Malicious connection.

 

 

 

6月23日 木曜日 雨

 

 

 

「あ」

 

「どうした、雪雫?」

 

 

 カネシロパレスもいよいよ大詰め。

 地下へと続いているであろうエレベーターのロックを解除する為のキーを探す為、行内を駆け回っていた所、たまたま見つけた頭取の執務室。

 その部屋を手分けして物色している中、PCと睨めっこしていた雪雫が声を上げた。

 

 

「解除出来たのか?」

 

「ん」

 

 

 執務室の中央にあるデスク。その上に置かれた見るからに怪しいパソコン。

 この場所にある以上、重要なデータが入っている事が想像出来るが、ロックが掛かっていて開ける事が出来ない―――。

 と思われていたが、どうやらロックの解除に成功したらしい。

 

 

「す、すげー……。どうやって分かったんだよ…」

 

「ブルートフォースアタック」

 

「………ブルー……?」

 

「ブルートフォースアタック、日本語で総当たり攻撃。理論上、考えられるパスワードのパターンを全て試すっていうやつ。パスワードが長い分、試行回数も増えるからあまりこの手のタイプには向かないものだけど……」

 

 

 クイーンの補足説明を聞き、納得する者も居れば、未だにピンときていない者も居る様で。

 スカルに至っては「ブルートゥース…?」と呟いている。

 

 

「ここが現実世界なら上手くいかなかった。でもここはパレス…、認知世界。金城の考えを読み取れば良い。まず最初に考えるのは金城が現実で何をしているか。答えは簡単、お金を巻き上げている。でも現実で直接取引はしない。真に来たメールがその証拠」

 

「ええ、確かに。指定の口座に振り込む様に催促が来てるけど」

 

「それがここの認知の表れと言っても良い。ただ座っているだけで自分の元にお金が集まる。そしてそのお金を自分が管理している。殿様気分。現実の銀行とはまた仕組みが違うけど、そんな細かい所は関係無い。大事なのは自分の事を頭取だと思っていて、自分の組織は銀行だと認知している事」

 

「ふむ」

 

「ここまで来れば簡単。銀行と関連深いパスワードと言えば、口座の暗証番号。ここまで類推出来れば後は0000から9999の10,000通りに絞られる。後はそれらしい数字の組み合わせを試すだけ。携帯電話の下4桁、語呂合わせとか」

 

「それで、全部試したのかよ?」

 

「ううん。流石に時間が無い。でも5回目くらいで開いた。ラッキー」

 

「その暗証番号は?」

 

「0101」

 

「お正月って…。呆れた。何処までもお金が好きなのね」

 

 

 子ども達が1年で最も多くの収入を得られる年の始まり。

 金城が子どもだった時の記憶が強く結びついているのか、それとも巻き上げる対象が増える事による執着か。

 どちらにせよ、お金に依存する彼らしいパスワードとも言える。

 

 

「もしアカウントロックが掛かってたらどうしてたのよ……」

 

「諦めて叩き割る」

 

「わーぉ、大胆!」

 

「大胆って言うのか、それ?」

 

 

 女って時々怖いよな。とジョーカーとフォックスに同意を求めるスカルに対して、2人はイエスともノーとも返さなかった。いや、返せなかった。

 現実に戻った時に何されるか分かったもんじゃない。

 

 

「それで、中身は何だったんだ? セツナ」

 

「ん、お目当てのモノでは無かった。でももっと凄いモノ」

 

 

 そう言いながら、雪雫はデスクのPCを反転させ、皆の方へ画面を向ける。

 

 

「金城銀行の顧客リスト。つまり、金城の取引相手」

 

 

 画面に映し出されているのは名前とその人物との取引で用いる口座の番号。そして、入出金の履歴。

 

 

「例えば、これ」

 

 

 雪雫がマウスを動かしてある名前をクリックすると、そこに映し出されたのは皆もよく知る少女の顔写真が。

 

 

「私…。ここに載ってる口座番号も覚えがある。メールで指定された口座と一緒だわ」

 

「そう、真。入出金の履歴無し。きっと現実の金城とやり取りをしたら、ここに反映される仕組み」

 

「被害者リストってことか」

 

「いや待て。ここに載ってる奴らが全員被害者なら、入金の履歴だけで事足りる筈だ。アイツのやり口はとことん金を絞りつくす事だろう」

 

「ん、モナの言う通り」

 

 

 雪雫は再びマウスを動かす。

 次に表示された人物は―――。

 

 

「え、嘘」

 

「マジか!」

 

 

 怪盗団第2の標的であり、フォックスにとって因縁深き老人。

 

 

「斑目……だと…!?」

 

「斑目一流斎。随分長い付き合い。彼とは頻繁にやり取りを行っていたみたい。取引の内容は大体同じ。斑目からの入金の後に、それから5%位引いた額を彼に出金してる。それの繰り返し。全部口座は違うけど」

 

「あー? それじゃあ斑目が損じゃねぇか。違う口座つっても、相手が斑目である事には代わり無いんだろ?」

 

「………いや、そうとも限らんぞ」

 

 

 フォックスの言葉に、パンサーはどういう事?と首を傾げる。

 

 

「斑目は言っていた。偽のサユリを闇オークションで売りさばき、多大な利益を得ていたと。つまり―――」

 

「マネーロンダリング……、ってやつね。非合法の手段で得たお金の行方を眩ます為に、架空の口座を何個か経由して送金を繰り返すっていう。5%…は手数料って所かしら」

 

「じゃあアレか? 金城と斑目はズブズブだったって事か?」

 

「……班目だけじゃない。リストの何人かが、斑目と同じ様に取引してる」

 

「おいおい…、とんでもない特ダネじゃねぇか! そいつら全員、改心の対象になり得るって訳だ!」

 

 

 興奮を隠し切れないモナの声に、怪盗団の面々はハッとした顔を浮かべる。

 

 

「確かに…。班目と金城。歪んだ欲望を持つ悪人が繋がっていたんだもん。他の相手も同じくらいの欲望持っていても不思議じゃないよね…」

 

「雪雫、他に素性が分かる者は?」

 

「―――――」

 

 

 ジョーカーの言葉が聞こえていないのか、パソコンの画面を見つめたまま唖然としている雪雫に、一同は首を傾げる。

 

 

「雪ちゃん?」

 

「――え、あ。…なに?」

 

「他に名前が分かるやつ、居るか?」

 

「………ううん。居ない。顔と名前が出てるのは被害者と斑目くらい。あとは顔写真も無ければ名前も適当」

 

「カネシロ本人も知らない、って事だろうな。何にせよカネシロとマダラメに接点が合ったというのを知れただけでも収穫だ。良くやったぞ、セツナ!」

 

「―――うん」

 

 

 何か言おうと僅かに口を開く素振りを見せたが、思い留めたのかそのまま口を閉ざし、雪雫は小さく頷きを返す。

 

 

「………?」

 

 

 そんな彼女の様子を不思議に思い、ジョーカーは首を傾げるものの、その場でそれを言及することはしなかった。

 

 

「途轍もない収穫だったが、エレベーターのキーは結局分からず仕舞いだな」

 

「まーた銀行中を駆け回んのか? もう探すとこ無くね?」

 

「……多少目立っても良いなら、一つ方法あるよ」

 

「雪雫。何か良い案あるの?」

 

 

 先程の様子とは打って変わり、何時もの通りの調子で呟いた雪雫に皆の視線が集まる。

 何時もの無表情ながら、仄かに得意げに、そして真っ直ぐな瞳で。

 彼女は言葉を静かに紡ぐ。

 

 

「――――拷問」

 

「「「「「「………………」」」」」」

 

「拷問」

 

 

 怪盗団は無事にエレベーターのキーを手に入れた。

 

 

 

 

 

同日 夜

 

 

 心地良い温度の水が、頭上から降り注ぐ。

 昔観たアニメのキャラが「風呂は命の洗濯よ」と言っていたが、言い得て妙だと今なら思う。

 だって、このまま水と共に嫌な気持ちも排水溝へ流してくれそうだから。

 

 

「はぁ……」

 

 

 降り注ぐシャワーを止め、肌に纏わり着く髪を纏めて。

 自分の身体を湯船に沈める。

 

 

「…………」

 

 

 小学生の頃から成長しないこの身体には余りにも広すぎる浴槽。

 りせという背もたれが居なければ、私はこのスペースを十分に活用することは無いだろう。

 

 

「顧客、か」

 

 

 私は今日、嘘を吐いた。

 得意でも無い嘘を。

 

 他に素性が分かる者があのリストの中に1人居た。

 それは私が幼い頃から良く知る人物で。文字通り私の命を救った医者の中の1人。

 

 

「恩は、ある。でも彼の今の行いが間違っているのを私は知っている」

 

 

 大山田省一。

 妙と共に私を担当した男。

 そして、今もなお病床に伏す美和を担当する医師でもある。

 

 大体は予想が付いていた。

 金城の名前を聞いたあの日から。

 何か良く無いモノと繋がっているって。

 今思えばあの時、斑目展のチケットをくれたのも、彼が言う人付き合いも真っ当なモノかどうかは疑問に残る。

 

 でも、それでも。

 

 

「2人の人生と私の我儘。どっちが大切か、って言われると―――」

 

 

 浴槽に背中を預け、天井を見上る。換気扇に少しずつ吸い込まれていく湯気をぼんやりと眺める。

 

 そう、彼は確かに悪人ではあるが、それ以上に医者なのだ。

 人々の命を預かる医師。

 

 

「私が我慢すれば良い。それだけ」

 

 

 頭の中で否定を続ける自分を必死に抑え込む。

 

 

「……洗濯には程遠いな…」

 

 

 私の心のモヤモヤは相当頑固な汚れらしい。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

6月24日 金曜日 雨

 

 

 

「良し、いよいよオタカラ前の最後のフロアだ」

 

 

 ジョーカーの言葉と共に一同は目の前に聳える巨大な壁…、いや金庫を眺める。

 さながら要塞の様で、はたまた巨大迷路の様で。

 

 

「第3の課題だね」

 

「マリポタか」

 

 

 パレスの様子に妙に興奮した様子の白髪の少女と、彼女にツッコミを入れる金髪の青年。

 

 

「雪雫ってあれなの? 意外とそういうの好きなの?」

 

「うん。前にインタビューでそう言ってたよ」

 

 

 そんな2人の様子を眺めながら小声で話す2人の少女。

 

 

「材質を感じさせない美しい曲線美……! 素晴らしい!!」

 

 

 そんなメンバーを余所に、自身の指で構図を切りながら、聳え立つ金庫に見とれる青年が1人。

 

 

「緊張感ねぇな、お前ら!」

 

「……まぁ、これが長所とも言える」

 

 

 そして生徒を引率する教師の様に、それを見守る猫とリーダー。

 

 

「良いか。オタカラまではあと少しなんだ。当然、敵も今までより手強い。この様子じゃ、セキュリティも相当のモノだろう」

 

「わーってるって! 要は何時も通りに行けば良いんだろ?」

 

 

 スカルの言葉に全員が頷きを返す。

 

 

「良し、行くぞ!」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

「えっと、Rに対応する数字は……1だったか?」

 

「………0…」

 

 

 

「フゲってどういう意味だ?」

 

「フゲじゃなくてヒュージよ、このモンキー! HUGE!」

 

 

 

「D=G、L=U+G……。回りくどい真似するわね」

 

「もうこんなの数学じゃん! 分からなくなってきたよ……」

 

「パンサー…せいぜい算数じゃないか、コレ……」

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「グダグダじゃねぇか!」

 

 

 オタカラへと続くエレベーターへと続く道を遮っていた金庫。

 その金庫に施された4つのロックを紆余曲折ありながらも解除した怪盗団。

 そんな彼らに待っていたのは労いの言葉では無く、先輩による叱責。

 ……主に2人に対してだが。 

 

 

「いやぁ、まさか金城の野郎があそこまで頭が回るなんてな!」

 

「ギリギリだったね……」

 

「お前ら…、少しは反省しろよ…?」

 

 

 激しい戦いを終えた兵士の様に、僅かに息を切らしながら呟く2人に、モナは呆れながら溜息を零す。

 

 

「クイーンにセツナ…、お前達が居てホントに助かったよ……」

 

「お、お役に立てた様で」

 

「何より……」

 

「それより早いとこ、下に行かないか? 敵が湧いてこないとも限らん」

 

 

 再び緩み始めた空気を引き締めたのは、何時もは率先してボケ続けるフォックスで。

 彼の言葉に一同は再び顔を引き締める。

 

 

「ああ、行こう」

 

 

 中央に佇む銀行の心臓部へと続くエレベーター。

 それに乗り込み、一同は下へ下へと進んで行く。

 そして、眼前に広がったのは。

 

 

「……何も無いじゃない」

 

 

 鉄の壁と床に囲まれた広いだけの空間。

 強いて挙げるとすれば―――。

 

 

「あれが、オタカラ?」

 

「お、セツナも感じるか?」

 

 

 雪雫が指をさしたその先。この空間の中央部に僅かなモヤがある位だ。

 

 

「ここから先は、予告状ってやつが必要でな」

 

「……予告状…? なるほど。オタカラが危険だと対象に認知させることで、オタカラが顕在化される……。随分大胆なトリックね」

 

「理解はえー……。」

 

「もう説明不要って感じだね…」

 

 

 僅かな情報から全てを理解するクイーンに、スカルとパンサーは呆れ半分で呟く。

 

 

「予告状の公表とオタカラの強奪はその日の内に行わなければならない。そうでないと意味が無いからな」

 

「日が経つと予告状の効力が薄れる…。つまりオタカラが危険だという認知が薄れる?」

 

「そうだ!」

 

「こっちも優秀……」

 

 

 一同はそれぞれの顔を互いに見つめ、その意思を確かめる。

 次に来る時は、決行日だ。

 

 

「作戦の決行は日曜日。皆、派手にかまそう」

 

 

 稀代のトリックスターは静かに、しかし力強く呟いた。

 



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21:Money, Money, Money.

 

 

6月25日 土曜日 曇り

 

 

 

 真っ直ぐ投げられた(やじり)は勢いを弱める事無く、吸い込まれる様に的の中心を射止める。

 

 

「―――ブル」

 

 

 ゲームの終わりを知らせる電子音が響き、それを見ていた少年少女は感嘆の声を漏らす。

 

 

「だー! 勝てねぇ……!」

 

「これで5戦5敗……、竜司の完敗ね」

 

「何だよ、リュージ! お前センス無いんじゃないか?」

 

「いや、これは竜司が弱いのでは無く、雪雫が強すぎるんじゃないか…」

 

 

 皆の視線は、踏み台に乗って必死に手を伸ばしながら、ボードに刺さったダートを抜いている雪雫の元へ。

 その恰好は非常にラフで、普段は下ろしている髪をゴムで纏め、ダボダボのTシャツにショートパンツを身に着けている。所謂、部屋着だ。

 

 

「もう蓮以外勝てねぇんじゃねぇの? ちょっと蓮、やってみろよ」

 

「……やる?」

 

「ふ、手加減はしないぞ」

 

 

 場所は雪雫の自宅。

 学校が終わるや否や、皆を連れて帰宅した雪雫。

 当初の目的は、明日に控えたオタカラ強奪の打ち合わせだったが、何時もの様に話が段々と脱線していき、そして今に至る。

 

 

「1001?」

 

「構わない」

 

 

 眼鏡を抑えて不敵に微笑む蓮に対して、その赤い瞳の奥で静かに闘志を燃やしている様子の雪雫。

 両者の間に、緊張の一瞬が漂った。その時。

 

 

「ハイハイ。長くなりそうだから、また今度ね」

 

「………ん」

 

「…む」

 

 

 真が両手を叩きながら、両者の間に割って入った。

 このままだと、陽が完全に落ちるまで2人は投げ続ける。そう判断したのだろう。

 

 

「もうダーツはおしまい。今日集まった目的忘れたの?」

 

「……すまない」

 

 

 やる気を漂わせて立っていた蓮が、いそいそとソファに再び腰掛ける。それを見て雪雫も空気を読んだ様で、ダーツ盤の電源を切って皆の元へ。

 ローテーブルを囲う様に設置されたソファに腰掛けた怪盗団の面々。一同の視線は机の上の赤いカードへ注がれる。

 

 

「さてと、まずは予告状の内容か」

 

「……担当とかあるの?」

 

「カモシダの時はリュージが用意したが、マダラメの時はユースケがデザインと内容を考えてくれたな。そういう意味ではユースケが担当と言っても良いかもな」

 

「ああ、だから最初の予告状の文は、えっと…。口調が安定しなかったのね……」

 

「真、素直にバカって言って良いと思うよ」

 

「んだとコラ!」

 

 

 竜司が抗議の声を上げる中、雪雫は「ふーん」と呟きながら予告状を眺める。

 

 

「カードのデザインはデータとして保存してある。何か気になる所があれば言ってくれ。腕によりをかけよう」

 

「いや、素人の私が言う事は無い」

 

「そうか、良かった。内容についても安心してくれ、すでに考えてある。今すぐにでも用意できるぞ」

 

「ありがとう、祐介。さて、後はどうやって金城の目に届かせるかだが」

 

 

 金城は警察ですら尻尾を掴めていない犯罪組織のボスである。

 話によると前回は真の強行により、コンタクトを取れたらしいが、そう何度も上手くいかないだろう。そうでなければ、警察も苦労はしない。

 

 

「直接本人に届ける…。っていうのは無理だよね……」

 

「ああ。そう何度も会ってくれるような相手じゃないだろうな」

 

「何だ、そんな事」

 

 

 頭を悩ませている一同。その中で真は1人、不敵な笑みを浮かべて呟く。

 

 

「何か良い案あるのかよ?」

 

「要は予告状が金城の目に留まれば良いんでしょう?」

 

 

 彼女は竜司とモルガナに視線を送りながら、その笑みを深くした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

6月26日 日曜日 曇り

 

 

 その日、渋谷の街が真っ赤に染まった。

 至る所に張り出された無数の赤いカード。表通りの通行人は一様に足を止め、それを眺める。裏通りに潜むガラの悪い男達は、それを見て顔を青くする。

 

 

「こ、これ……」

 

「不味くないか…!?」

 

 

 予告状。

 悪人の心を改心させると言われる現代の義賊。

 その怪盗団を信じている者はまだ少ないが、その存在は彼らにとって決して無視出来るモノでも無く――――。

 

 

 

 

金を貪る暴食の大罪人、

 

金城潤矢殿。

 

詐欺に明け暮れ、未成年だけを狙う卑劣な手口。

我々は全ての罪を、

お前の口から告白させることにした。

 

その歪んだ欲望を、頂戴する。

 

心の怪盗団ファントムより

 

 

 

 

 

 

 

「つ、疲れた……」

 

「ホントにな……」

 

 

 お決まりの何時もの連絡通路で、1人と1匹が手すりに身体を預けてぐったりとしていた。

 

 

「ちょっと2人とも! これからが本番なんだよ!?」

 

「そんな事言ってもよぉ……。夜中に変装までしてばら撒きまくったんだぜ…?」

 

「……私もやりたかった」

 

「雪雫は色々目立つからダメ」

 

 

 眼前に広がる渋谷の街並み、そして人々の反応を眺める怪盗団。

 もう長い者は3回目となるが、こうして反応を直接見るのは何気に初めてだったりする。

 

 

「まぁ兎に角…、お膳立ては揃った。いよいよだな!」

 

「今回の相手は、掛け値なしの大悪党…」

 

「望むところだぜ! 大型新人が2人も入った事だしよ!」

 

「私はまだ――」

 

「ハイハイ、雪雫。空気読みましょうね。―――クズの様な大人と、大人の言いなりだった私…。どちらも纏めて打ち砕く……!」

 

 

 雪雫の口を手で塞ぎながら、真はその決意を改めて口にする。

 

 

「良し、行こう!」

 

 

 

 

「おお~。」

 

 

 パレス全体が、慌ただしい雰囲気に包まれている。

 警報が常に鳴り響き、警備員代わりのシャドウは血眼になって賊の姿を探す。

 現実の金城の警戒心が高まっている証拠だろう。

 そして、目の前に聳え立つそれも、彼の警戒心の表れか。

 

 

「おいおい、前回はこんなの無かったぞ!」

 

「この短期間で……!」

 

 

 オタカラを守る様に聳え立つ巨大な金庫。

 部屋の端から端へ、床から天井へ伸びたその堅牢な壁は決して簡単には打ち破れば無いだろう。

 壁の中央にある巨大なダイヤルの番号さえ分かれば解決するが、生憎そんな事を相手が許す筈も無く―――。

 

 

『いらっしゃいませ。ようこそ、我が、都市銀行へ。良く生きてここまで来れたねぇ。随分、運が良い様だ』

 

 

 物腰柔らかい口調で言葉を紡ぐのは、薄紫色の肌をした小太りの男。

 背後に手下らしきチンピラを連れ、余裕綽綽と言った様子だ。

 

 

「…これが、金城?」

 

「の、シャドウだな。気を付けろよ、何をしてくるか分からん」

 

 

 身構える怪盗団を見下した様な目で見渡す。

 雪雫まで目を配ったところで、カネシロは納得した様に溜息を吐いて目を伏せる。

 

 

『なるほど。飼い犬が牙を向けてきた、か。何度も手綱を握っておけと忠告してやったのに……』

 

「………?」

 

『上が下をこきつかって、好きなだけ搾り取る。そういう順番が、この世には存在しているんだ。貴方がたも、大人しく金づるになりなさいよ!』

 

「誰がなるか、そんなもの!」

 

「順番とか頭おかしいでしょ!」

 

 

 気丈な態度を崩さない怪盗団にカネシロは徐々に苛立ちを覚え、その眉間に青筋を浮かべる。

 

 

『オレだって散々やられてきたんだ! 苦汁を舐めさせられ、クソ底辺から這い上がって、ようやくオレが刈り取る番ってワケさ!』

 

「……でも、相手間違えてる」

 

「卑怯な事しか出来ない、可哀想な人よね」

 

 

 カネシロ本人が言う通り、彼は過去に虐げられた経験を持つ弱者だったらしい。その事はカネシロの心の表れとも言えるパレスそのものにも反映されていた。

 しかし、だからと言って、怪盗団が今の彼を認める訳にはいかない。

 

 

『勝ち方に綺麗も汚いも無い! クレバーなヤツが勝つ! 賢く強い者は、弱者を食い散らかして当然。ネットの知識だけで世の中悟った様な気になる頭の湧いたクソガキは良いカモだよ』

 

「終わってる、この人」

 

『ダマされるのは常にバカだ! バカはそのバカの責任を取らされるだけ。学習しないバカは一生バカなんだよ! バーカ!!』

 

「バカバカうっせぇな!!」

 

『バカには何を言っても無駄かぁ!』

 

 

 カネシロは媚びる様に両手の手の平を合わせ、それを何回も擦り合わせる。

 

 

『有難い説教は終わりだ。一生ここで奴隷としてこき使ってやる』

 

 

 両手の動きは次第に速度を増していく。

 

 

『クククク…たかるだけ…、たからせて頂きますよぉーっ!』

 

 

 両手を擦り合わせたまま、カネシロはだらりとこう垂れる。

 明らかに様子のおかしいカネシロを見て、手下達は訝し気な視線を送っていたが、次第にその顔は恐怖の色へと変わっていく。

 

 背中や目玉が膨張し始め、中から食い破る様にそれが現れる。

 耳障りな音を響かせる翅、無数の鏡が寄せ集められたような複眼。

 その姿は、まさに蝿そのもの。

 

 

「……ナカムラの時と同じ」

 

「ああ、来るぞ」

 

 

 突如現れた異形の存在に、カネシロの手下達は悲鳴を上げてこの場から去る。

 どうやら彼らはカネシロが正しく認知している人物であり、シャドウでは無いらしい。

 

 

『オレ1人で十分さ。さぁ、やってみやがれYO! BABY!』

 

 

 文字通り変身したカネシロは、無駄にリズミカルに言葉を紡ぐ。

 

 

「…汚い金にたかるハエ…、気持ち悪いのよっ!」

 

『ギャハハハハ! いくぜ、クソガキ共がYO!』

 

 

 カネシロは変わらずリズミカルに口を開きながら、ラッパーの様な手振りで怪盗団にその指を向ける。

 彼の指先に集まる魔力の塊が、弾丸の様に放たれる。

 

 

「おぉっ!」

 

「厄介な……!」

 

 

 目で捉えるのが困難な程小さく、そして弾速が速い指弾は、次々と標的を変えて襲い掛かる。

 

 

「固まっていると不味い!」

 

「それじゃあ、散り散りに!」

 

 

 不可視の弾丸を避けるのに手一杯で、攻勢に出れないと判断したジョーカーが声を上げる。

 それぞれ散り散りになる事で、カネシロの的を絞らせない為にするつもりらしい。

 

 明確に言葉で告げなくとも意図を汲み取った仲間達は、それぞれの判断で散開する。

 

 

「雪雫は私に任せて! ヨハンナ!」

 

 

 クイーンの声に応じて現れたバイク型のペルソナ『ヨハンナ』。

 見た目通り、バイクとしての機能もあるらしく、彼女はヨハンナのエンジンをふかしながら、後方に控える雪雫の元へ。

 

 

「雪雫! こっちに!」

 

「わぁっ。」

 

 

 雪雫は差し出された手を取りしっかり握ると、クイーンは力一杯雪雫の手を引き、自らの後ろに座らせ、再びバイクで走り出す。

 

 

「貴女、軽すぎない? 危うく投げ飛ばしそうだったわ!」

 

「…別に普通……。」

 

「普通だったら私が片手で持ち上げられる訳無いでしょ!!」

 

 

 普段だったら「真が馬鹿力…。」と軽口を叩くところだったが、不可視の弾丸が飛び交うこの場で言う程、場を読めていない訳では無かった。

 クイーンの細い腰に腕を回しながら、風で靡く前髪の隙間から見えるカネシロを見据える。

 相変わらず身体全体でリズムを刻みながら、四方八方に凶弾をばら撒いていた。

 

 

「逃げ回ってちゃ埒が明かないわね……!」

 

「……それなら。アリス、エイガ」

 

 

 現れた金髪の少女の指先から、赤黒い魔力の塊がカネシロに向かって放たれる。

 その攻撃は真っ直ぐにカネシロを捉え、確実に彼にダメージを与えた。

 

 

『ぐっ…!』

 

「………? 思っていたよりも効いてる…?」

 

 

 そこまで威力を込めたつもりは無かったが、想像以上にカネシロの動きが鈍ったことに小首を傾げる雪雫。

 そんな彼女を余所にクイーンはヨハンナを止め、雪雫に叱責を飛ばす。

 

 

「ちょっと、魔法は温存っていう話だったじゃない! 直ぐにガス欠になるわよ!」

 

「でも負けたら意味無い」

 

「そうだけど……!!」

 

 

 パレスの主の戦いは長期戦になりやすい。

 自分が強者という認知からか、それとも単純にそういうモノなのか。どちらにせよ、他のシャドウとは一味も二味も違う。

 2回の改心を経験したジョーカー達の言葉だ。

 

 今の雪雫の役目は魔法を中心とした後方支援。

 しかし魔法を使うのもただでは無く、その術者の精神力を蝕む。長期戦が予想されるこの戦いで、最初から全力で戦っていれば、後半には動けなくなるのは目に見えている。

 だからジョーカー達は雪雫がそうならない様、彼女に温存して動く様に伝えていた筈、だったが……。

 

 

「いや、でもナイスなんじゃねーの! アイツの攻撃が止まったんだ!」

 

「このまま叩くぞ、お前ら!」

 

 

 モルガナの言葉を合図に、カネシロを取り囲んだ面々は自身のペルソナを出現させる。

 まともに喰らえば、並大抵の敵は跡形も無く吹き飛ぶであろうこの構図。

 しかし、そんな状況下においてもカネシロは薄ら笑みを崩す事無い。

 

 

『ちょこまか動いて鬱陶しい、俺の守護神活躍必至!』

 

 

 カネシロが高らかにそう叫ぶと、それに反応したか、空間の中央に聳え立っていた金庫が開く。

 そこに吸い込まれる様にカネシロは翅を羽ばたかせそのの中へ。

 

 

『若いってのは罪だよなぁ? 世間知らずで無鉄砲…、自分の馬鹿さ加減も分からねぇ……』

 

 

 スピーカーでも付いているのか、何処からか機械交じりのカネシロの声が響く。

 

 

『そんな奴ら、搾取しなきゃ勿体ねぇだろ?』

 

 

 カネシロの見下した様な物言いが終わると同時に金庫のダイヤルが回り、激しい振動と共に聳え立っていた壁が開かれる。

 そこに現れたのは――。

 

 

「ブタさん?」

 

『ブタじゃねぇ! ブタ型機動兵器【ブタトロン】だ!!』

 

 

 丸みを帯びた体躯、愛らしい耳、鼻を模した堅牢な金庫の扉、ジェットエンジンを携えた短い4本脚。そして両目に当たる部分に備え付けられた大型のマシンガン。

 何処からどう見てもブタの貯金箱そのものだが、節々に取り付けられたその装備が、普通のブタでは無いことが取って分かる。

 

 

『俺に逆らった罪は重いZE? 大人しく地獄に堕ちるんだな!!』

 

 

  




心の中のビーストオブリビドーが抑えきれなくて、雪雫とりせのR18書きたくなってきた。
誰か止めてください。


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22:Money is boring

 

 

 巨大な豚の貯金箱……いや、豚型機動兵器「ブタトロン」は、両目の銃口を怪盗団へと向ける。

 カネシロ本人の指弾ほど速くは無いが、何より脅威なのはその攻撃範囲と精密性。的を散らす為に、展開しているジョーカー達。各々の判断で隙を見付けは攻撃を仕掛けるが―――。

 

 

「とっとと…、くたばりやがれぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 スカルの持つ鉄パイプとブタトロンの装甲の衝突により、耳をつんざく金属音が辺りに鳴り響く。

 

 

「――――いってぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 そりゃそうだ。とこの場に居る誰もが思っただろう。ブタトロンの装甲は銃弾でも傷を付ける事が叶わない程硬いのだから。

 

 

「……厄介」

 

「そうね……」

 

 

 ヒリ付いているであろう手をブラブラとさせるスカルに呆れた視線を送っているとは露知らず。2人の少女が跨るバイク…もといヨハンナが彼の横を通り過ぎる。

 向かう先はスカルに銃口を向けているブタトロン。 

 

 

「アリス」

 

 

 一言その名を呼べば現れる金髪の少女。

 もう1人の自分とは良く言ったもので、それ以上の言葉を紡がずともからペルソナから放たれた魔法は、狙い通り真っすぐブタトロンの瞳へ。

 黒い靄がブタトロンのメインカメラを担う瞳を覆い、スカルに向けられていた照準を惑わす。

 

 

『っ! 目潰しとは…、随分狡い手を使うじゃねぇかYO!』

 

「お金使って人を動かしているアンタに言われたく無いわよ!」

 

 

 次第に靄が晴れ、再び露わとなるブタトロンの瞳。

 攻撃前と何ら変わりのないその姿に、何度目か分からない溜息が雪雫の口から漏れる。

 

 

「わりぃ! 助かった!」

 

「手の方は大丈夫か?」

 

 

 窮地に一生を得たスカルの元に雪雫を後ろに乗せたクイーンとジョーカーが駆け寄る。

 

 

「ああ、まだ少し痛ぇけどよ。戦闘には問題無いぜ!」

 

「でも埒が明かないわ。このまま戦闘を続けても、不利になる一方よ」

 

「向こうは機械。こっちは生身」

 

「燃料切れるまで粘る……とかはナシだよな…?」

 

「期待するだけ無駄だろう。」

 

 

 ジョーカーはそう言い切り、注意を引いてくれているパンサー達に視線を送る。

 凶弾を避けながら、魔法と武器による攻撃を繰り返しているが、依然変わらず決定的なダメージは与える事は叶わない様だ。

 

 もう何度目かも分からない攻防。

 攻撃をくくり抜け、隙を見つけたクイーンが魔法を繰り出す。

 

 

「カルメン!」

  

『っ!』

 

 

 彼女から繰り出された火球はブタトロンの装甲を捉える事は叶わず。

 カネシロはブタトロンの巨体を宙に浮かし、それを()()()

 

 

「………?」

 

『中々しぶといじゃねぇか。こうなったら―――』

 

 

 鼻の形を模した重苦しい金庫の扉がゆっくりと開き、その中からカネシロの本体が現れる。

 耳障りな羽音を響かせ、ブタトロンの頭の上に立つと同時に、ブタトロンはその四肢を格納して完全な球体へと変形した。

 

 

『こいつで押しつぶしてやるぜ!』

 

 

 玉乗りを披露するピエロの様に、その足でくるくるくるくると、ブタトロンを回転させる。

 その速度は段々と増していき、遂には目で追うのもやっとな程の高速回転へ。

 

 

「おいおい、まさか……」

 

 

 モナが苦々しそうに呟く。

 

 

「不味い、突っ込んでくるぞ!」

 

 

 フォックスがそう叫ぶと同時に、カネシロが薄気味悪く口角を上げ、その鋼鉄の球体を怪盗団に向かって放つ。

 

 

「一先ず回避だ!」

 

「えぇ!」

 

 

 ジョーカーの言葉に応えるように、クイーンはヨハンナのエンジンを吹かす。

 

 

「雪雫、しっかり掴まってなさいよ!」

 

「ん。」

 

「おいおいおい! やべぇ…、こっちに来るぞ…ぐぇっ!」

 

 

 ジョーカーは持ち前の身軽さでその場を離れたものの、驚愕のあまり出遅れてしまったスカル。

 そんな彼の首根っこをクイーンは掴み、ヨハンナを最大速度で走らせる。

 

 

「ちょっと荒っぽくなるわよ!」

 

「おぉ~」

 

「く゛、首゛…、首゛し゛ま゛っ゛て゛る゛……!!」

 

 

 同乗者を振り落とす勢いで走らせるクイーン。その後ろで僅かに目を輝かせながら感嘆の声を上げる雪雫。青い顔をして意識が飛び掛けているスカル。

 三者三葉の反応を見せたまま1分ほどが経過し、カネシロは再びブタトロンの中へと戻る。

 

 

「全員、無事か?」

 

「…な、何とか………」

 

「死ぬかと思った…。色々な意味で…。」

 

「しかし何故攻撃が止んだ? カネシロの方が有利だったと思うが…」

 

「単純に転がすのが疲れたんでしょ。現にほら、実際に今攻撃してこないし。」

 

 

 あー、ありそうとクイーンの言葉に同意を返すパンサーの横で、モナが苦々しい表情で口を開く。

 

 

「何にせよこのままでは不味い。もう一度さっきのをやられてみろ、今度は無事じゃ済まないぞ。」

 

「って言ってもよぉ…。なーんも打開策が浮かばねぇ……」

 

 

 スカルの言葉に対して皆沈黙を返す中、クイーンが何かを思いついた様に手を挙げた。 

 

 

「―――1つ、試したい事があるんだけど。」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「ホントにやるの?」

 

「当然。他に手あるの?」

 

 

 半信半疑。というよりは呆れた様子で、目を細めてクイーンに問いかける雪雫。

 

 

「安心しなさい。きちんと決めるから。」

 

「……脳筋。」

 

「パソコンを叩き割るとか言ってた貴女に言われたく無いわよ。」

 

 

 軽口を交わしながらも、雪雫は乗っていたヨハンナから降りて、エンジンを吹かし続けているクイーンの背中を見つめる。

 

 

「支援、頼むわよ」

 

「…ん。」

 

 

 何時も通りの短い返事を聞き、クイーンは僅かに口角を上げた後、力一杯叫ぶ。

 

 

「行くわよ、皆!」

 

 

 クイーンの合図を皮切りに、雪雫を除く怪盗団の面々がブタトロンに向かって駆け出す。

 そしてそれに続く様に駆け出すヨハンナ。

 

 

『何をしようと無意味! ここで決めるぜスピーディに!』

 

 

 向かってくる面々を迎え撃つように、再びカネシロはその巨体を動かそうとする、が。

 

 

「させるかよぉ! 」

 

「もう容赦しないんだからね!」

 

「足止めは任せろ!」

 

 

 スカル、パンサー、モナがそれぞれペルソナを出現させ、各々が得意とする魔法を繰り出す。しかしブタトロンの本体に対してでは無く、その周りに。

 まるでその行動を制限する様に。

 

 

「道は任せろ」

 

 

 その裏でフォックスが静かに呟くと、そこに現れたのは氷で出来た坂。スキージャンプ台の様に、対象を飛ばす為に特化した形のモノ。

 そこに向かって勢い良く、最大速度を保ったままクイーンは突っ込む。

 そして、勢いのままに大きく跳躍した。

 

 

(これで決める……!)

 

 

 位置は身動きが取れていないブタトロンの真上。

 自由の利かない空中で、ヨハンナから身体を離し、自身の拳に力を込める。

 

 

「―――バースト」

 

 

 自身が得意とする核熱属性の魔法。

 今まで敵に放っていたそれを、自身の拳に纏わせる。

 

 

(武器もダメ、魔法もダメ…。単体でダメなら、合わせるまで!)

 

 

 その光景を少し離れた場所で見守っている雪雫とジョーカー。

 方や呆れた顔で、方や苦笑いを浮かべて。彼らも皆と同じ様に自身のペルソナを出現させる。

 

 

「「タルカジャ」」

 

 

 同時に紡いだ言葉は目で見えずとも、確かにクイーンへと届き―――。

 

 

(物理攻撃と落下による勢いに加えて魔法による3重の支援…、これでダメならお手上げね。)

 

 

 それでも確実に仕留める自信が私にはある。

 

 

「覚悟しなさいよ! ハエ野郎!」

 

 

 持てる力の全てをその拳に乗せて、クイーンの拳ブタトロンの装甲に接触し――。

 

 

「鉄・拳・制・裁!!!」

 

 

 金属が拉げる音と共に、激しい爆風と熱が辺りを包んだ。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

『畜生…、俺の守護神が……』

 

 

 激しく上がり続ける黒煙、融解した装甲、火花が散るコックピット。そして辺りに散らばった金塊。

 最早鉄屑と成り果てたブタトロンの中から、満身創痍といった様子で這い出るカネシロ。

 

 

「ようやく本体のお出ましね。」

 

『……ひっ…』

 

 

 そしてそれを取り囲む怪盗団。

 

 

『ま、まだだ…、俺にはまだ金がある……。金さえ積めば用心棒を…。』

 

「悪足掻きも状況を見てから言うんだな。」

 

「アンタが仲間呼ぶのと、私達が止めを刺すの。どっちが早いと思う?」

 

『あ、ああいや…。それは―――。』

 

 

 勿論、怪盗団に止めを刺す気は無い。あくまでも目的はオタカラであり、カネシロ本人の命では無い。

 しかしながら、それをカネシロが知る由も無く―――。

 

 

「大人しくオタカラを引き渡して本体の所へ帰るんだな。」

 

 

 冷汗を浮かべていたカネシロだったが、次第にその表情も落ち着いていき、諦めが付いた様に語り始める。

 

 

『全く…、お前ら要領がワルいぜ…。そんな凄え力あるのに…。パレスを利用すりゃ、金儲けなんてしたい放題だろ? 人の心、好きに出来んだぞ?』

 

「……そんな事したって、意味が無い。」

 

 

 クイーンに守られる様に、その背の後ろで眺めていた雪雫が、僅かに目を鋭くしてカネシロに向かって静かに呟く。

 そんな彼女に視線を移して、彼は自嘲するような乾いた笑みを浮かべた。

 

 

『…はっ、流石は現代を代表する成功者だ。言う事が違うねぇ。』

 

「雪雫、まともに取り合っちゃダメ。」

 

 

 雪雫から視線を逸らすと、カネシロは再び虚空を見つめ、ポツリポツリと再び言葉を紡ぎ始めた。

 

 

『その青臭い正義感、意味があるのかねぇ…。やってるヤツがもう居るのに。』

 

「……もう居る…?」

 

「斑目が言っていた奴か…!」

 

 

 クイーンと雪雫は首を傾げ、残りのメンバーは思い出したかの様にその顔をハッとさせる。

 斑目のシャドウが言っていた、黒い仮面の存在。

 

 

『教えといてやるよ。パレスを使って好き放題してるヤツが…実際に居る。そいつは現実で何が起きようとお構いなし。廃人化に精神暴走…なんでもアリだ。』

 

「言え、誰なんだ!?」

 

『…ククク……、やめとけって。ヤツの力はお前らの比じゃねぇ。出くわさない様に、精々気を付けることだ。』

 

 

 段々とカネシロの姿が透けていく。パレスの崩壊が近い証拠だろう。

 彼はそのまま透けた姿で、雪雫に向かって指を差し、何処か同情するような笑みを浮かべた。

 

 

『それに、お前。』

 

「……?」

 

『次はお前だ。』

 

「それって―――。」

 

 

 雪雫の呟きに答える事無く、カネシロのシャドウは虚空に消えた。

 

 

「………私…。」

 

 

 

 

同日 夜

 

 

 この小さい身体には大きすぎる浴槽。半分ほどお湯を溜めて足の指先から恐る恐る湯船に身体を浸らせる。

 疲れた身体を包み込む様に、程よい温度が身体を包み込む。

 

 

「はぁ」

 

 

 結局あの後、家主が消えたパレスは事前に蓮達が言っていた様に崩壊をし始めた。パレスの核であり、人の欲望そのものであるオタカラに興奮するモルガナを無理矢理落ち着かせて、慌ただしくもパレスから脱出した。

 現実に戻った際、モルガナが死に掛けたとか、大金だと思ったオタカラが子ども銀行のお金だったとか、色々トラブルがあったが、まぁ小さな事だ。

 

 

「……デイリー消化しなきゃ…。」

 

 

 朝から慌ただしくて忘れていたが、珍しく1回もゲームを開いてない事に気付く。

 防水のケースに包まれたスマホを手に取り、ゲームのアイコンをタップしたその時。

 

 

「…真。」

 

 

 今日のMVPである世紀末…、クイーンこと真から着信があった。

 

 

「…もしもし?」

 

『あ、ごめんね急に。今大丈夫?』

 

「ん。」

 

 

 大方予想通りというか、内容としては今回の件に関するお礼と、今後についての話だった。

 どうやら、真はそのまま怪盗団の正式なメンバーとして活動していく事に決めたらしい。何でも、忘れていた正義感を取り戻したとか。

 私はというと―――。

 

 

『そう言えば。』

 

 

 自分の結論を言語化する為、思考を巡らせていたその時、真が思い出したかの様に呟いた。

 

 

『カネシロの…、えーっとブタトロン? 倒せる自信はあったけど、想像以上に装甲が柔らかく感じたのよね。熱に弱いのかな、とは杏の攻撃を見て見当付いたけど…。融解する程じゃ無かったと思うのよ。雪雫何かした?』

 

「私じゃない。認知の結果、だと思う。」

 

『認知? で融点に達していなかったと思うけど…。』

  

「真は縁が無かったから知らないかもしれないけど、世の中的に金属=熱に弱いっていう認知が刷り込まれてる。特に若い世代は。」

 

『そうなの?』

 

「金属はほのおとかくとうに弱い。ある意味で常識。カネシロの認知がそっちに引っ張られたんじゃないかな。」

 

 

 彼の歳的に触れていてもおかしくないし、そういう知識があったのも不思議ではない。

 今や世界的に人気のコンテンツだし。

 

 

『つまり、何かの要因で金城本人が、金属は熱と打撃に弱いと思い込んでいた、って事ね…。』

 

「打撃というよりは拳…? まぁ気になる様だったら今度教えて上げる。きっと真は強いと思う。」

 

『そ、そうかな?』

 

 

 所々このように脱線しながらも、湯船がぬるくなるまで談笑は続く。

 実際の所、早い所切り上げてゲームをしようと思っていたが、存外楽しいひと時だった。

 

 

『次はお前だ。』

 

 

 カネシロが残した言葉を考える暇がない、良い時間となったのだから。

 



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23:There remained uneasiness there.

 

 

6月27日 月曜日 雨

 

 

 世を忍ぶ存在である怪盗団には休みが無いらしい。

 

 

「ふわぁ……。」

 

 

 悪人の改心という命がけの仕事を終えたばかりであっても、学校に行かなければならないのだから。

 モルガナ曰く、「悪目立ちをする訳にはいかないからなっ。」との事だ。

 

 しんしんと降り続ける雨音と生徒達の声をBGMに、欠伸を噛み殺しながら廊下を進む。

 行き先は彼女が居るであろう部屋。

 一般生徒にとってみれば入りにくいだろうが、他の生徒の視線に晒される事の無い、私にとっての憩いの場所。

 

 生徒会室。

 

 前時代的な引き戸に手を掛け、静かに開くとそこには予想通り、彼女と―――。

 

 

「蓮?」

 

「雪雫か。」

 

 

 怪盗団のリーダーである蓮が居た。

 

 

「真以外がここに居るなんて、珍しい」

 

「これから、ちょっと…」

 

「?」

 

 

 釈然としない言い方に小首を傾げると、それを補足する様に真が口を開く。

 

 

「私が呼び出したのよ。蓮に繁華街を案内して欲しくて。皆が普段、どうやって遊んでいるのか、何が流行っているのか知りたくて。」

 

「俺も暇してたし、この後一緒にどうかなって思って」

 

「……ふぅん」

 

 

 つまりデート。

 

 

「……何よ」

 

「別に」

 

「雪雫も一緒に行くか?」

 

「ううん、今日は大人しく帰る。」

 

 

 真の意図がどうであれ、傍から見れば完全にデートと言っても過言じゃない。

 こういうには邪魔しないように、ってりせが完二と直斗を見ながら言ってた。

 

 

「書類、片付けてくれてもいいのよ?」

 

「それはまた今度。」

 

 

 呆れた様な視線をこちらに向ける真と、苦笑いを浮かべる蓮に背を向けて、私は生徒会室を後にする。

 特に予定も無く、これといってやりたい事も無い放課後。

 真がダメなら()()()()向かうしかない。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 いつもなら外から聞こえる子ども達のはしゃぎ声も、主婦達の井戸端会議も今日は聞こえない。

 代わりに耳に届くのは窓に打ち付ける雨の音。

 朝から降り続けるこの雨は、予報によると夜中まで止むことはないらしい。所謂、梅雨と言うやつだ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 こんな日は決まって暇だ。

 ただでさえここに来る人など限られているのに、こんな悪天候にわざわざ足を運ぶモノ好きなんて居ないだろう。

 

 ……と、さっきまで思っていた。

 忘れてた。そう言えば居たわ、余程のモノ好きが。

 

 

「それで? お友達が構ってくれなかったら、いじけてここに来たわけ?」

 

「いじけてない。私は空気を読んだだけ」

 

 

 そういうモノ好きな少女、天城雪雫は何時もよりもぶっきらぼうに、僅かに視線を逸らしながら呟く。

 

 

「やっぱりいじけてるじゃない。私が夜勤じゃなかった時と同じ顔してるもの」

 

「子どもの頃の話はNG」

 

「私からしたら今も子どもよ」

 

「…むぅ」

 

 

 診療室の椅子にちょこんと座る彼女は、図星なのか再び視線を逸らす。

 痛い所突かれた時に視線を逸らす癖は、昔から変わらない。

 

 

ふふっ

 

 

 何となく微笑ましくて、思わず笑みが零れる。

 

 

「妙?」

 

「何でもないわ」

 

 

 思えば随分と長い付き合いになったな。とぼんやりあの時の事を思い返す。

 白い肌によく映えた()()。歳の割に落ち着いた雰囲気とあまり動かない表情。人形の様な印象を受けたのを良く憶えている。

 ……まぁ髪の色以外はあまり今と変わらないか。

 

 幼い割には聡明で、でも世間には疎くて。

 性格が災いしてか同年代の友達が出来ず、近くの高校の生徒とかナースとか、歳上とばかり一緒に居た。

 

 それはかく言う私も例外では無く―――。

 

 

「カルテ」

 

「ん?」

 

 

 思い出に耽っているとき、雪雫の鈴の様な声が耳に届いた。

 

 

「新しいの、増えてる」

 

 

 視線の先には、テーブルの上に乱雑に置かれたバインダー。雪雫の言う通り患者のカルテだ。それも、最近になって増えた患者の。

 

 

「あー、最近ちょっとね」

 

「私と蓮以外に来る人居たんだ」

 

 

 薄っすらと笑みを浮かべて、小馬鹿にしている様で何処か嬉しそうでもある声が雪雫から零れる。

 

 

「お陰様でね」

 

「どんな人?」

 

「ちょっと特殊な感染症を患った女の子。元々は大山田のトコの患者らしいわ。向こうでの検査結果に納得いかなくて、たまたま私の所に来たって感じ」

 

「セカンドオピニオン?」

 

「少し違うけど、まぁそんなもんね。治療してからというもの、その子のお父さんがこっちに通い出してさ。全く、こんな場末の診療所より大学病院の方が良いって言っているのに…」

 

 

 大山田に対する少しの嫌がらせのつもりだったが、まさかこっちの患者になるなんて思ってなかった。

 それどころか、特別な薬を処方出来る町医者として噂に尾ひれが付いて出回り、近所の老人達もチラホラと通い始める始末。

 あぁ、めんどくさい。

 

 

「良かったね」

 

「何が」

 

「妙、嬉しそう」

 

「…嬉しくないわよ。薬の開発が滞って迷惑してるわ」

 

「ふぅん」

 

 

 まるでこっちの事などお見通しだ。と言わんばかりの物言いと、透き通る様な瞳をこちらに向ける雪雫を恨めしく思いながら

 

 

「生意気」

 

 

 カルテで頭を軽く叩く。

 

 

「痛い。患者の扱いがなってない。」

 

「貴女はもう元気でしょ」

 

「………もしかしたら調子悪いかも?」

 

「笑えない冗談はやめなさい」

 

 

 何時もと変わらない軽口の応酬。

 これだけ口が達者なら身体の方は大丈夫だろう。

 

 一応、彼女に気付かれない様にこっそり視線を投げる。

 呼吸の乱れは無い。顔色も悪くない。ティーカップを支える手にも震えは見られない。

 問題無さそう。だけど―――。

 

 

(念のため、採血だけでもしとくか…?)

 

 

 血液というのは情報の宝庫と言っても良い。

 内臓の異常、アレルギー、ホルモンバランスetcetc…。

 様々な病気に繋がる異常値を洗い出す事が――――。

 

 

「――――薬」

 

「うん?」

 

「薬、出来そう?」

 

 

 先程とは打って変わって、至って真面目な視線をこちらに投げかける雪雫。

 彼女の心配を和らげる様に、形の良い頭にポンと軽く手を乗せて。

 

 

「もうすぐ出来るわ。優秀なモルモット君も居るからね」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

6月28日 火曜日 晴れ

 

 

 

「秘密基地…」

 

 

 四軒茶屋にひっそりと佇む喫茶店「ルブラン」の屋根裏部屋。

 光に反射して僅かにキラキラと光る埃と部屋の隅に置かれた自転車が、元々は物置だったという事をアピールしている。

 

 

「ロマン…」

 

「雪ちゃんって、意外と男の子っぽいところあるよね」

 

「前も私のペルソナ(ヨハンナ)にテンション上がってたもんね」

 

「しかし、それが彼女の良さとも言える。性別や立場に囚われず、自由な視点で物事を楽しめるというのは創作をする上でも―――」

 

「話長くなりそうだから、それはまた後でな……」

 

 

 目を輝かせながらキョロキョロと部屋を見渡している雪雫を中心に、皆がワイワイと騒ぎ始める。

 もう何度も目にした光景だ。

 

 

「まぁゆっくりしてってくれ」

 

 

 場所は言わずもがな蓮の部屋。

 集まった目的は勿論、怪盗団の事だ。金城の事と、それから今後の事。

 

 ひとしきり雪雫による部屋の観察が終わり、来客用の座布団や椅子も用意した所で、真から本題が切り込まれる。

 

 

「金城から連絡が来た」

 

「カネシロ…」

 

「メールも写真も全て削除したって。全部チャラにするみたい」

 

「よっしゃあ!」

 

「上手くいったね!」

 

 

 竜司と杏が無邪気に喜び、祐介も満足気に頷いている中、雪雫は少々驚きを隠せない様子で目を見開く。

 改心の仕組み自体は蓮達から聞いていたものの、実際に目で見るまでは信じきれなかったのだろう。

 

 

「嘘の可能性は?」

 

「……無い…とは言い切れないけど、それでももう私達に害がある事は無いと思う。―――警察が金城の身柄を確保したそうよ」

 

「なにっ!?」

 

 

 この場に居る全員の気持ちを代弁する様に、モルガナが声を挙げる。

 

 

「それはまた…、随分と早いな」

 

「消されちゃ困るからって、理由みたい」

 

「マフィアって言われてた連中だし、ありえるのかもな…」

 

「消される可能性がある。という事は金城よりも上の奴が居る可能性が高い。それを裏付けるのがパレスで見た顧客のデータだろう」

 

「奴のシャドウが言っていたパレスで好き勝手している、という奴とも関係があるかもな」

 

「…………」

 

 

 一難去ってまた一難。

 カネシロが示唆したさらなる悪党に一同頭を悩ますも、ここで答えが出る筈も無く。

 

 

「兎に角、金城は無事逮捕! 部下達も芋づる式で捕まっているそうよ。後は――」

 

「事件の立証と余罪の追及?」

 

「ええ。被害者の数が多いから時間はかかると思うけど、少なくとも新しい被害者が生まれる事は無いと思う。本人も捜査に協力的らしいし」

 

「ということは、何はともあれ」

 

「今回も成功ってことだな!」

 

 

 不安な要素はまだまだあるが、杏と竜司が言う様に金城の件に関しては現状、怪盗団側の勝利と言っても差し支えは無い様だ。

 満面の笑みを浮かべて、打ち上げの段取りを決めようとする2人に、真からストップがかかる。

 

 

「楽しい話も良いけど、テストの事も忘れない様に。目立たないつもりなら、悪い点とか取らないでよね。生徒会長としても見過ごせません」

 

「それ今言うか…?」

 

「打ち上げの話はテストが終わったら改めてしましょ。後それから、雪雫。今後の活動なんだけど…、結論は変わらない?」

 

 

 コクリと小さく首を縦に振り、それを見た真は僅かに寂しそうな表情を浮かべる。

 

 

「…今回の件、金城を目の前にしても結局、姿は変わらなかった。私は皆ほど――」

 

「んなの小さい問題じゃね? 気にしなくても良いと思うけどなー」

 

「いや待て、リュージ。セツナが言う事も最もだ。ここまで何とかやれてるが、改心というのは常に命の危険が伴う。厳しい事を言うようだが、中途半端なまま参加してもかえって皆の身を危険に晒すだけだ。セツナ自身も含めてな」

 

「うん、そういうこと」

 

 

 命の危険。改めて口にされると、自分達がいかに危険か改めて認識させられる怪盗団の面々。

 首を縦に振らない雪雫に、強要出来る筈も無く。

 

 

「そうか、分かった」

 

 

 若干重苦しい空気の中、リーダーである蓮が静かに口を開いた。

 

 

「戦いに関してはそうしよう。無理強いはしない。もし、気が変わったら何時でも言ってくれ」

 

「……ありがとう」

 

「しかし――」

 

「?」

 

 

 蓮は自身の眼鏡を指で押さえながら、雪雫を真っ直ぐ見つめる。

 

 

「カネシロが言っていた件もある。なるべく1人は避けた方が良いだろう」

 

「次はお前だ、か…。雪ちゃん、心辺りとかある?」

 

「……無い。多分、ハッタリ」

 

「だと良いんだけどね…」

 

 

 カネシロの改心時、確かに彼のシャドウは真っ直ぐ雪雫を見つめてそう言っていた。

 真意は分からないが、少なくとも無視できるものではない。

 

 

「その事は私に任せてくれる? 大体放課後一緒に居るし、生徒会もあるからね」

 

「真…」

 

「さりげなくお姉ちゃんからも情報聞き出してみるわ」

 

「……でも…」

 

「こういう時位、人に頼る事を憶えなさい。貴女だって不安でしょ?」

 

「…………分かった」

 

 

 若干ではあるが納得出来て無さそうな雪雫に、「なるべく誰かと一緒に居る事」「連絡もこまめに取る事」と真が次々に釘を刺す。

 その光景に苦笑いを浮かべながらも、蓮はパレスでの雪雫の反応を思い出していた。

 

 

「―――――。」

 

 

 カネシロの顧客リストに目を通していた時のことを。

 

 

 

 

 

 窓から差し込む街頭の灯りだけが照らす一室。

 暗がりの中、1人の男が焦りを隠す事無く叫んでいた。

 その額に浮かぶ脂汗が反射して、テラテラと光っている。

 

 

「クソっ…、クソ……! 金城のヤツ……!」

 

 

 机に広がる数多の紙を、何度も何度も握りつぶしながら、その男はつい先日捕まった悪党の名を恨めしそうに連呼する。

 

 

「ドジを踏みやがって…! この事が外に漏れでもしたら――っ!」

 

 

 その時、男のモノであろうスマホが無慈悲に着信の知らせを鳴らす。

 

 

「クソ…!」

 

 

 恐る恐る、男は震える手を必死に抑えながら、電話を取る。

 

 

「はい…、…………ええ…。…中旬までには何とか。………はい…。は…? 学会ですか? ……ええ、それは勿論。…………はい。では……。」

 

 

 電話が切れるが否や、乱雑にスマホを放りなげ、男は力無くその場に座り込む。

 

 

「……ダメだ、もう後が無い………。――――こうなったらもう、強行するしか…」

 

 

 男はそう呟くと、放り投げたスマホを拾い、電話を掛ける。

 

 

「私だ。……ああ、施工の日程が決まった。準備を進めてくれ。彼女のご両親にも連絡を―――。」

 

 

 こうして今日も、夜が更けていく。



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欺瞞の研究者
23.5:The Unstable Girl.


 

 

2009年 5月4日 晴れ

 

 

 世間は年に一度のゴールデンウィーク真っ只中。

 社会人は兎も角、学生からしてみれば勉学から解放される夢の様な期間。

 どこもかしこも休みを満喫する子ども達がそこら中に闊歩する中で、私はその子と出会った。

 

 

「………」

 

「えーっと、お名前、言える?」

 

 

 母親と姉であろう女の子に手を繋がれ、その顔に影を落とす黒髪の少女。

 私の目の前のナースが全てを包み込む様な優しい笑みを浮かべて、件の少女に語り掛けている。

 私には出来ない芸当だ。

 

 

「ほら、名前! 先生に言わないと!」

 

 

 相も変わらず黙りこくる少女の背中を押す様に、姉であろう少女が自己紹介を促す。

 こんな事しなくても、事前にカルテを貰っているから彼女の名前が何で、どういう境遇かは知っているのだが、社交辞令というやつだ。実際、精神が成熟していない子ども程、こういう最初の挨拶が肝心だったりする。

 

 

「…………」

 

 

 …まぁ、気持ちは分からなくもない。

 楽しいゴールデンウイークの筈が、地元から遠く離れた見知らぬ土地で、しかも病院なんぞに身を置かなければならないのだから。

 この歳の子どもからしてみれば拷問にも等しい仕打ちだろう。

 

 

「すみません、武見先生…。この子、長旅で疲れているみたいで…」

 

「い、いえ。この位の歳の子にはよくある事ですから…。それに、気持ちも分かりますし。」

 

「……?」

 

 

 ピクリと、僅かに私の言葉に興味を持ったのか、少女の艶やかな黒髪の隙間から綺麗な瞳が覗く。

 

 

「取り敢えず、病室に案内します。この子の荷物もあるでしょうし。詳しい話はまた。」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 天城雪雫 7歳

 

 生まれた時から身体が弱く、通院の毎日。

 実家のある八十稲羽の総合病院に通うも、症状は一向に改善する事無く周辺病院もお手上げ。片田舎の病院では限界を迎え、紹介もありこの病院へ。

 

 症状としては発熱や咳、腹痛、頭痛などが日によって変化。

 原因は一切不明。

 現在は、処方されている薬で凌いでいるが、度重なる薬の服用と症状の影響で身体が衰弱しており、満足に食事も喉を通って無い様だ。

 

 

「原因不明ねぇ…」

 

 

 何十枚にも及ぶ検査結果の紙をペラペラと目に通す。

 

 

「異常が見当たらない、というよりは異常があり過ぎて原因が特定出来ない。って感じね」

 

 

 過去に処方された薬を確認してみれば、結果に基づいて予想された病気に対する薬が適切に処方されている。

 向こうの医師の腕が悪いわけでは無い。

 初見でこの子が来れば私だって同じようにするだろう。

 だがそれをやったところで彼女が治らないから、こうしてわざわざ東京まで回された。

 

 

「目立った身体の異常は無し。そしたら中か。だけど―――」

 

 

 強いて言うならば、発育が少々遅れているのが気になるが、そもそも子どもの成長なんて人それぞれだし病気を特定する要素にはならない。

 

 

「アレルギーも無い。先天性な疾患も無い。……細菌性の髄膜炎、結核、ポリオ………最悪のケースは原発不明がん…。」

 

 

 彼女の症状に当て嵌まりそうな症例を思い浮かべてみるものの、どれもピンと来ない。

 

 

「もっと根本的なモノが原因? 」

 

 

 見た目の異常は無く、しかし中から蝕む様に至る所で明確に身体の不調が症状として表れる。

 まるで、呪われてでもいる様な――

 

 

「……馬鹿馬鹿しい。まさか死神にでも憑かれてるって言うの?」

 

 

 我ながら何を真面目に考えているのだろう。

 そんなオカルト、存在する筈無いのに。

 

 

「…映画の観過ぎね」

 

 

 最近観た映画に、登場人物がボロボロのローブを着た奴に魂を吸われて死に掛ける、という描写があった。

 そのシーンが脳裏に焼き付いてでも居たのだろう。

 

 溜息を吐きながら、最低限の灯りだけが照らす廊下を進む。

 

 時刻は23時35分。

 とっくに消灯時間も過ぎ、耳に入るのはナース達の内緒話と自身のヒールが床を叩く音。

 

 帰っても良いのだが、ここまで来たらもう泊まった方が楽では無いか。

 そんな事をボーっと考えていると、とある部屋から僅かに光が漏れているのが分かった。

 

 扉の横のプレートに目を向けると、出会ったばかりの少女の名前が。

 

 

「……はぁ」

 

 

 何度目か分からない溜息を零し、私は病室を軽く叩いた後、静かに部屋に踏み入れる。

 

 

「………」

 

 

 子どもが過ごすには有り余るほど広い個室部屋。

 窓が開いているのか、夜風でカーテンは揺れている。

 

 

「夜更かしは身体に悪いわよ?」

 

「……眠くない」

 

 

 そう言う部屋の主はこちらを向く事無く、サイドテーブルに置かれたデスクライトが照らす本に夢中だ。

 

 

「そのライトは誰から?」

 

「お姉ちゃん」

 

「あら、あの子厳しい様に見えて貴女に甘かったのね」

 

 

 相変わらず視線をこちらに向ける事は無いが、昼とは違って返答はしてくれる。

 特にする事も無いし、お昼に出来なかった分、この子と交流してみても良いだろう。

 

 ゆっくりとベッドに近づき、来客用の椅子を取り出して静かに腰を掛ける。

 

 

「………」

 

 

 僅かにこちらに視線を向けたが、特にそれ以上の反応する事無く、少女は再び視線を戻す。

 歓迎はされていないが、かといって邪険にも扱われていない。

 私はそのまま彼女が夢中の本に目を落とし、思った事をそのまま言葉として紡ぐ。

 

 

「子どもにしては珍しいの読んでいるわね」

 

「そう?」

 

「普通はもっと分かりやすい童話とか、そうでなくても簡単な小説じゃない?」

 

 

 私自身、そこまで詳しくないが、彼女が読んでいるのは紀行文学と言われるもの。

 筆者が旅行などを通して体験、見聞したものを綴った日記の様なものだ。

 

 

「小説も好き。でもこういうのも好き。私はあまり外出出来ないから。」

 

「…………そう…」

 

 

 こういう時に気の利いた事が言えない自分の口が恨めしいと素直に思う。

 私はこの子のメンタル面も支えてあげないといけないのに。

 

 

「元気になったら、って言わないんだ。今までのお医者さんは皆そう言ってた」

 

「……言って欲しかったの?」

 

「ううん、聞き飽きた」

 

 

 年不相応な綺麗な笑みを浮かべながら、彼女は本から視線を外し、こちらを両目で捉える。

 闇に溶ける艶やかな黒髪、それに良く映える白い肌、透き通る様な目、精巧に造られた様な笑顔。

 何処をどう切り取っても、それはまるで人形の様だった。

 

 

「……子どもの割には随分と達観してるじゃない」

 

 

 彼女の雰囲気にあてられてか、それとも私も疲れているのか。

 相手が床に伏せた小学生というのも忘れて、話し込んでいた。

 

 

「元気になったら、学校行けるようになったら。叶うか分からない先の為に何時まで我慢すればいい? 子どもの私でも分かる、これだけ大人の人達が検査して、それでも治らないんじゃ諦めも付く」

 

 

 静かに、ゆっくり。子どもにしては淡々と。

 口調は大人びているが、内容は我慢の効かない子どもの様で。

 

 

「にしては大人しくここに来たのね」

 

「……それは…皆が…」

 

 

 少し意地悪を返せば、彼女は俯いて歯切れ悪そうに黙り込む。

 さき程まで無感動に見えた瞳には僅かに涙が溜まっており、彼女の胸中を表しているかの様だった。

 

 

(……なんだ)

 

 

 その顔を見て何となく分かった。

 彼女自身、今の状況をどう受け止めて良いか分からないのだろう。

 自分中心で考えれば、さっき言っていた結論に。しかし家族や友人などの近しい人を思えば、またそれは別の方向に。

 他人しか居ない今の環境では達観しているが、結局は彼女もただの子どもで、人間という訳だ。

 

 

「ふふっ」

 

「…?」

 

 

 そう思うと、子ども離れしている様に見えた彼女が、途端に可愛く思えてきた。

 

 

「何となく、貴女が分かったわ。まぁ安心しなさい、生きたいって泣いて懇願したくなる程、腕を振るってあげるから」

 

「…………」

 

 

 僅かに、ほんの僅かに彼女の瞳が揺れたのを確認して、私は椅子から腰上げる。

 

 

「ほら、もう遅いから寝なさい。寝坊して朝ごはん食べれなくても知らないからね」

 

 

 そう言い残し、彼女に背を向けて廊下に続く扉へ向かおうとしたその時

 

 

「まだ何か用?」

 

「……」

 

 

 白衣が後ろに引っ張られた。

 犯人は勿論、1人しかいない。

 

 

「ここに居て」

 

「え?」

 

「何となく、何となくだけど。居て欲しい。私が眠るまで傍に居て」

 

 

 白衣に皺が出来る位、小さな手を必死に握り締めながら、その目を真っ直ぐこちらに向けている少女。

 夜は怖い。と続けて言葉を紡ぐ彼女を見て、溜息を一呼吸分。

 

 

「そこに座って、私の手を握って」

 

「はいはい、承りました。お姫様」

 

 

 本来、1人の患者にここまで入れ込むことは無いのだが、まぁ気分ってやつだ。

 何となく、彼女は放っておけない。

 

 

「天城雪雫」

 

 

 再び椅子に座り、望みの通り小さい手を握ると、彼女が小さく自身の名を口にした。

 

 

「私の名前は、天城雪雫」

 

「随分遅い自己紹介ね。……武見妙よ」

 

「うん、よろしく。妙」

 

「いきなり呼び捨て?」

 

「うん。良いでしょ?」

 

 

 今度は年相応の無邪気な笑みを僅かに浮かべて、私もその笑顔に微笑んで返すと雪雫は満足そうに瞳を閉じた。

 

 時刻は23時58分。

 私の握る小さな手は、僅かに震えていた。



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24:Out of the frying pan into the fire.

 

 

6月28日 火曜日 晴れ

 

 

「あら、いらっしゃい」

 

 

 目が眩むほど賑やかな内装のバー。

 1人の少女がそこに踏み入れると、店主であろう人物が何処か諦めたかのような表情を作りながら、歓迎の言葉を口にする。

 

 

「……こんばんは」

 

「はい、こんばんは。何時もの席よ」

 

 

 ん、と少女は小さく頷くと、慣れた足取りで奥の席へ。

 そんな彼女を眺めながら、店主は「未成年が気軽に出入りしていい場所じゃないのに…」とぼやいていた。

 

 

「あまり遅くならないから」

 

「そういう問題じゃないの」

 

 

 そんな短いやり取りをした後、少女は目的の人物と対峙する。

 

 ソファに深く腰掛け、行儀悪く足を開き、機嫌良さそうに酒を口へと運ぶ黒髪の女性。

 彼女は少女の姿を見るや否や、満面の笑みを浮かべて手をヒラヒラと小さく振る。

 

 

「あ、雪雫ぁ~、いらっしゃ~い!」

 

「大宅」 

 

 

 少女…、雪雫はやや呆れた視線を大宅に送りながら、隣へと腰掛ける。

 

 

「いやぁ~、遥々ここまでご苦労、お嬢さん! 学校後で疲れたでしょ? お姉さんが労ってあげよーう! 何か食べたいものとかある? 何でも奢ってあげるよ?」

 

「えっと……」

 

「ララちゃーん! オレンジジュースと軟骨唐揚げ~!」

 

「……はぁ…」

 

 

 大宅が酔っているのは何時もの事なのだが、今日は特別にテンションが高い。

 隣に座る雪雫の肩に腕を回し、酒瓶を高く天へと掲げ、「お酒サイコー!」と叫んでいる。

 

 

「お酒臭い」

 

「そりゃ雪雫が来る2時間前から飲んでるからね~!」

 

 

 悪そびれる様子も無く何故か得意気な大宅。そんな彼女にもう一つ、呆れた視線が加わった。オレンジジュースを運んできたこの店の主、ララのものだ。

 

 

「……何かあったの? 豪遊なんて珍しい」

 

「仕事が上手くいったそうよ」

 

「そうなんだよ~! もうまさに神様、仏様、雪雫様って感じぃ! にゃははは!」

 

 

 満面の笑みを浮かべて雪雫に頬ずりをしている大宅に、「絡み酒は程々にしなさいよ」と言い残し、ララは逃げる様にこの場を去る。

 

 

「もう、ほんとアンタが絡むと上手くいくわ~! 福の神、的な? 一家に1人欲ーしーいー!」

 

「……はぁ…。……私、何もしてない…、最近、インタビューも受けてないし」

 

 

 大宅を素面に戻すことは無理と判断したのだろう。

 雪雫は諦めの色を溜息に乗せて吐き出す

 

 

「そっちじゃないわよ。全くの別件」

 

「別件?」

 

「最近とある大物がお縄になったのよねぇ! 警察が尻尾すら掴めていなかった奴が突然!」

 

「………それと私、何の関係が?」

 

 

 変わらず楽しそうに笑みを浮かべる大宅から視線を外し、何処か誤魔化さす様に用意されたジュースへ雪雫はその手を伸ばす。

 

 

「その人物がね、なんと雪雫と雨宮君が探っていた金城なのよねぇ! 貴方達2人が全く同じタイミングで聞いてくるもんだからさ、私も気になっちゃって~。そこでアンテナ張ってたらまさかのビンゴ。他の奴ら見事に出し抜いてネタを一早く手に入れる事が出来たってわけ!」

 

「……偶然」

 

「そうねぇ、偶然だよね。誰かさんの配信がぱったり止んだのもきっと偶然」

 

「…………」

 

 

 ピタリ、と動きを止め雪雫は僅かに目を泳がせる。

 確かに大宅の言う通りだ。偶然メメントスに迷い込み、怪盗団の協力者として行動を共にしていた期間、雪雫のアーティストとしての活動はピタリと止まっていた。

 単純に忙しかったのもあるが、慣れない事の連続でとてもそういう気分には慣れなかったからだ。

 

 

「アンタって意外に分かりやすいよね。……まぁまぁ、そう怖い顔しなさんな。金城とアンタ達の間にどんな確執があろうと私はどうだっていいの。実際、こうして無事だしね。あいつを引っ掛け回してくれた事実が私にとって大事なんだから」

 

「………それで、私を呼び出して何の用?」

 

「だから言ったじゃーん、奢ってあげるって。まぁそれと、金城周りの話でちょっとね」

 

「?」

 

 

 大宅は手に持っていたグラスをコトンと静かに起き、雪雫の顔を見据える。

 その顔は今も赤らめているが、その眼だけは真っ直ぐ瞳を見つめている事から、真面目な話か、と雪雫も僅かに身構える。

 

 

「金城ね、詐欺や恐喝以外にも、清掃業務も行ってたみたい」

 

「清掃?」

 

「そ。文字通りの意味よ。中身は悍ましいけどね。……死体のお片付け、って言った方が伝わるかしらね」

 

「!」

 

 

 死体の片付け、あまりにも現実味の無い言葉に目を大きく見開く。

 

 

「ついこの間、渋谷で変死体出たの知ってる?」

 

「……確か、テレビで」

 

「うん、それ。出所不明、死因も不明な男性の変死体。それ、金城の部下が処理をミスったやつらしいよ」

 

「金城達には上が居て、そこが死体の隠蔽を頼んでたってこと?」

 

「もしくは金城のビジネスの1つ…、いやどっちもかなぁ」

 

 

 金城のシャドウが言っていた事を思い返す。彼はパレスを使って好き放題している者の存在を仄めかしていた。その人物が手に負えない程大きい存在であるとも。

 取引リストの件も踏まえると、大宅の話がただの噂で無いことは一目瞭然だ。

 

 

「金城が捕まる前日、渋谷の街の至る所に怪盗団の予告状がばら撒かれたのは知ってるわね?」

 

「…まぁ、SNSでも話題になってたし」

 

「金城の逮捕ね、彼の自首が切っ掛けなの。まだ公表されてないけどね。でもその事実を知る者は全員思ってるよ。怪盗団が予告通り改心したんだって。」

 

「……」

 

「怪盗団、さ。なにかとんでもないモノを突いたんじゃないの?」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

同日 深夜

 

 

 灯りもついていない暗がりで、1人の少女がスマホの画面を見つめている。

 服を身に纏わず、シルクの様に艶やかな白髪をシーツに広げ、スマホを持つ片手以外の四肢はだらんとベッドに投げうっている。

 傍らにあるバスタオルと、上気した頬、水気を含んだ髪から、彼女が先程まで身を清めていたのが見て分かる。

 姉や友人が居れば、風邪引くから。と注意されるところだが、生憎今は家に少女1人しかいない。

 

 長い睫毛が影を作る瞳を悲しそうにしぼませ、少女は溜息を吐く。

 

 

『候補が見つかりました』

 

 

 スマホから漏れる電子混じりの女性の様な声。

 画面に無慈悲に映し出されたとある男性の名前。

 

 大山田省一

 

 

「最悪」

 

 

 少女のか細い声は、誰にも聞かれる事無く、闇夜に溶けた。

 

 

◇◇◇

 

 

6月29日 水曜日 曇り

 

 

 

 大山田省一

 

 都内の大学病院、栄都大学病院に勤める医局長。

 その功績は輝かしく、特に辰巳記念病院在籍時に担当していた当時、死の淵に立たされた少女の治療を成功させた事から、医学界では知らぬ者は居ない。

 

 今現在、世界でも類を見ない程の難病「クロスフォード・エンデ病」の少女を担当しており、その優れた手腕と知識を振るっている。

 また7月の中頃には件の病気に対する特効薬の学会を―――――。

 

 

「だってさ。凄いよね」

 

「何言ってるかさっぱり分からん」

 

 

 ネットニュースのトピックに出ていた記事を感心しながら読み上げる杏と、頭に疑問を浮かべる竜司。

 

 

「要するに、世界で初めてその病気に対する治療薬を開発したってこと」

 

「……それはすげぇな」

 

「そんなことも分からないのか、オマエ……」

 

 

 場所は渋谷駅の連絡通路…、つまりは何時もの集合場所。

 おなじみの怪盗団の面々が何時もの様に会話に華を咲かせていた。

 

 

「それで、次のターゲットだが…。お前達のテストが終わるまで休止とは言え、ターゲットの目星は付けておきたい」

 

 

 通路から見える渋谷の街並をその細く長い指で切り抜きながら、祐介が皆に問う。

 

 

「私の方はサッパリ…。怪チャンのランキングも特にピンと来ない」

 

「投票式だから仕方無いけど、やっぱり時期に応じて偏りが出るわね。浮気報道で炎上したアイドルとか改心する程の悪党かって言われると、微妙だしね」

 

「案外、その大山田っていう医師が怪しかったりしてな~」

 

 

 ケラケラと茶化す様に笑う竜司に、杏は少しムキになって言い返す。

 

 

「それはないでしょ。だってこの人、良い人だったよ?」

 

「会った事あんのかよ。」

 

「うん。だって志帆がお世話になった病院の偉い人だし……。担当でも無いのに、わざわざ毎日様子見に来てくれたんだよ?」

 

「あー……」

 

 

 鈴井志帆の名前に言い返せなくなったのか、竜司はバツが悪そうに頭を掻く。

 杏の口振り的に恩を感じているのは流石の竜司も汲み取った様だった。

 

 

「大山田…」

 

 

 そんな中、何か引っかかる事があったのか、蓮がポツリとその名を噛みしめるように口にする。

 

 

「どうした、蓮?」

 

「いや、なんか最近聞いたような…」

 

 

 首を傾げる蓮に、今度は真が思い出したかの様に口を開いた。

 

 

「ほら、アレでしょ。雪雫の話じゃない?」

 

「何それ?」

 

「え? あの子が昔病気しがちで、その時にお世話になったのがそこに出てる辰巳記念病院って所って…。その時に確か担当してくれたのも大山田さんだって…。」

 

「初耳だけど…」

 

 

 釈然としない皆の顔を見て、真は暫し困惑するが、やがて自分の勘違いだったことに気付き

 「あ、この話、この前電話した時に言ってたやつだ……」

 とボソッと呟いた。

 

 

「………真と雪ちゃんてさ」

 

「仲、良いよな」

 

「良すぎるとも言うな」

 

「少し嫉妬しちゃうかも」

 

「べ、別にそんなんじゃないわよ!」

 

 

 ワイワイと仲間達が騒ぎ始めた所で、蓮の鞄からひょっこりと様子を見ていたモルガナがやれやれと首を左右に。

 

 

「やれやれ…今日も決まらなそうだな―――レン?」

 

「―――大山田…何処かで………」

 

 

 確かに何処かで聞いた事ある名前だが、考えても考えても記憶に靄が掛かった様にハッキリしない。

 仲間たちの声をBGMに思考に耽ていたが、答えは出る事無く、蓮は一日を終えた。

 

 

 

 

 

 ぐにゃりと視界が僅かに歪む。

 次に来るのは飛んでいる様な落ちている様な、筆舌し難い浮遊感。

 まるでウサギを追って不思議の国へ繋がる穴に落ちた気分だ。

 

 

 What if I should fall right through the center and come out the other side.

 

 

 もし、もし真ん中をずっと通り抜けて落ちて行って、逆側に通り過ぎたらどうなるんだろう…か。

 何も事情を知らなければ、彼女の様にこんなことをぼんやりと考えていたに違いない。

 

 

 そんなことを考えながら、落ちること数分。

 次第に視界は正常を取り戻し、浮いていた身体も、自然の従ってその正しい位置を取り戻す。

 

 

「分かりやすい」

 

 

 ゆったりとした広大な敷地。

 それを取り囲む都会特有のビル群。

 そんな見慣れた光景で、目の前に聳えるあからさまに異質な建物。

 

 

「まさに悪の研究所、って感じ」

 

 

 もくもくと、絶え間なく排出されているガス。

 お城の見張り台の様なとんがり帽子の屋根の建物群。

 後付けで増築したかに見える、外装の異なる継ぎ接ぎだらけの壁。

 そして、でかでかと主張する髑髏マーク。

 

 

「ある意味馴染み深いかも」

 

 

 小さく呟くと、少女は目の前の建物を目指して歩き始める。

 特有の白い髪を揺らして、その赤い瞳の中に覚悟を浮かべて。

 

 

 

 彼は変わった。変わってしまった。

 部下の手柄を奪い、罪を押し付け、その上で居場所を奪った。

 

 その心は腐敗し、魂までも地の底へ堕ち。

 今ではすっかり悪役そのものだ。 

 

 それでも感謝している。恩も感じている。

 今の私があるのは間違いなく彼のお陰なのだから。

 信じさせて欲しい。何か事情があると。

 のっぴきならない何かが合って、彼の真意は別にあると。 

 

 だから確かめに行くだけだ。

 

 熱意溢れる医者だった彼が、どのように変わって、何を思っているかを。

 

 それが、彼に名声を与えてしまった私の役目だ。

 

 

 

オオヤマダ・パレス

 

 Dr.オオヤマダの研究所



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25:Still, I want to believe.

 

 

6月30日 木曜日 雨

 

 

 季節通りの空を覆うぶ厚い雲。

 しとしとと降り続ける雨と、肌に纏わり付く湿気。

 何時もは真っ直ぐな白髪も心なしか毛先が僅かに跳ねている。

 そんな日。

 

 

「………新薬ねぇ…」

 

 

 眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに呟く武見。

 

 

「美和、治るかな」

 

 

 そんな彼女の対面にちょこんと椅子に腰を掛ける雪雫。

 何時も通り学校から直接来たらしく、服装は制服のままだ。

 

 

「………かもね」

 

 

 静かに呟き、武見はコーヒーを口へ運ぶ。

 言葉とは裏腹に、その顔は何処か納得いっていない様で、機嫌はますます悪くなっていく一方だ。

 

 

「……………」

 

 

 武見の様子を見ていた雪雫だったが、おずおずとその手を武見の顔に伸ばし、彼女の頬を指でつつく。

 

 

「…何よ」

 

「不安そう」

 

 

 武見は雪雫の指を退かす事無く、頬に感じる温かな感触をそのままに

 

 

「当然よ」

 

 

 と小さく呟いた。

 

 

 

「……彼は変わったわ。貴女を担当してた時の医者としての情熱も、責任も。今は一切持ち合わせてない。」

 

「……………」

 

「美和の時もそう、まだ未完成の薬をあの子に無理矢理投与して、返って容体を悪化させた。その上で私に責任を押し付けた。………まぁ私の事は良いの」

 

 

 武見は語る。被害者は自身だけでは無いと。

 

 

「寧ろ私はマシな方よ。場末に追いやられたとは言え、まだこうして医者を続けているし生活も出来ている。中には表の社会で生きていけなくなった者も居るとか。………平気な顔でそういうことをやる事になったのよ、彼は」

 

「…でも、彼は医者」

 

「………そうね。腐っても医者よ。前に薬の投与を強行したのも、今回の新薬の件だって、きっと根底には美和を助けたいという想いがある筈…。貴女はそう信じているんでしょう?」

 

「うん」

 

「………私だってそうしたいわよ。せめて、患者にだけは…、医者としての矜持は持っていて欲しいと思っているわ」

 

 

 武見は遠い昔を思う目で、雨が打ち付ける曇りガラスに目を向ける。

 雪雫もそれにつられて、ぼんやりと窓に付着した無数の水滴を眺めていた。

 

 2人は口を閉ざし、耳に届くのは雨音と時を刻む短針の音のみ。

 

 そんな中、来客を知らせるベルの音が鳴る。

 

 

「…はぁ、こんな雨の日に……」

 

「私は帰るね」

 

 

 雪雫と蓮は例外だとして、基本的に診療所に来る者の目的は一つだ。

 武見は溜息を吐きながら立ち上がり、雪雫も荷物置きに置いていた鞄を手に取った。

 

 ちょうどその時、案内をしてないのにも関わらず、診察室の扉が開く。

 そこに現れたのは。

 

 

「おや、これまた懐かしい組み合わせだ」

 

 

 そこに現れたのは昔と違い、少し腹の出た中年の男。

 小綺麗なスーツを身に纏い、革製の鞄を手に持った渦中の人物。

 

 

「大山田医局長…」

 

「やぁ武美君。それと、雪雫ちゃん」

 

「……何でここに…」

 

 

 大山田は薄ら笑いを浮かべて、肩を竦める。

 

 

「なに、近くで学会があったから、ついでに様子を見に来ただけだ」

 

「学会…、美和の?」

 

「それとは別件だよ。まぁ、遠からずそっちの方も開かれるが」

 

 

 美和…、少女の名前が出た瞬間、武見は我慢ならないという様子で大山田に詰め寄る。

 

 

「その学会で発表するとか言う新薬…、ちゃんと美和の病気治るんですよね?」

 

「何を当たり前な事を…。きちんと臨床実験を重ねて、その安全性が保障された上での学会だ。君が開発する様な非常識なモノとは違う」

 

「それの資料…、見せて貰う事って出来ますか?」

 

 

 そう言われると、大山田は意地悪そうに口角を上げた。

 

 

「何故そんな事をする必要がある? 私が信用出来無いか? それとも、私の功績を横取りする為か?」

 

「そんな事…! 私がする訳―――」

 

「どちらにせよ、返事はNOだ。発表前の薬の資料を他人に見せる等、私に何のメリットがある。そんな事より―――」

 

 

 大山田は武見を見下す様に視線を鋭くし、一段とその声を低くする。

 

 

「私の患者をとったそうだな? 気管支炎の女の子だ。父親と来た筈だ」

 

「……気管支炎ね…。……とったつもりはありませんよ。通院も進めてません」

 

「だが、噂が流れている。大学病院が町医者よりも劣ってるとな!」

 

 

 気管支炎の女の子というのはこの間、武見が言っていた感染症の女の子の事だろう。

 ぼんやりと、増えていたカルテを雪雫は思い浮かべる。

 

 

「でも、そっち(大学病院)では病気を見抜けなかった。治療したのは武見。文句は無い筈。」

 

「そういう話では無いんだよ! これはメンツの問題だ!」

 

「メンツ……」

 

 

 我慢ならず口を挟んだ雪雫だったが、気に障ったのか、大山田はさらに怒りをあらわにする。

 

 

「場末で腐っているだけなら、見逃してやったものを……。あまり、調子に乗るなよ?」

 

 

 そう言い残し、バタンと乱暴に扉を閉め、大山田は診療所から去った。

 

 

「……雪雫には悪いけど」

 

「………」

 

「やっぱり私は、彼を信じられそうにない」

 

 

 そう、と小さく少女の声が診察室内に木霊した。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「やぁ」

 

 

 診療所を後にし、帰路につこうと駅に向かっていた雪雫だったが、ふと声を掛けられその足を止める。

 視線の先には先程、診療所に居た中年の男、大山田。

 

 

「さっきは声を荒げてすまないね」

 

「……まだ帰ってなかったの。何の用?」

 

「少し世間話をしようかと思ってね」

 

「私はない」

 

 

 取り付く島もない物言いに、まぁまぁそう言わずに、と大山田は気にする様子無く続ける。

 

 

「彼女の診療所への薬剤の供給…、私が管理しているのは知っているね?」

 

「だから貴方にお金払ってる」

 

「そうだね。君は私にお金を払い、私はそれに見合ったものを武美君の診療所に支援する。…まぁ彼女がそれを知る由も無いが。兎に角そういう取引だった」

 

「だった?」

 

 

 大山田の物言いに、嫌な想像が雪雫の脳裏に浮かぶ。

 

 

「その取引だが…、白紙にさせてもらうと思う」

 

「……! どうして!? 貴方の言う通り毎月振り込んでいた筈…! お金が足りないのなら……!」

 

「金の問題では無い。さっきも言ったろう? メンツの問題だって。環境を受け入れ、路地裏の鼠の様にコソコソと暮らすなら見逃してやったさ。……だが、私の邪魔をするなら話は別だ」

 

「っ! 妙も言っていた様に、そんな意図は無い! 患者さんだって、たまたま妙の所に流れてきただけ――――」

 

 

 大山田は雪雫の言葉を遮り、それでも、と首を左右に振る。

 

 

「過程はどうでもいい。結果的にだ、彼女は私の患者を奪い、私の病院の評判に傷を付けた。その事実は変わらない」

 

「……勝手な事を!」

 

「彼女の事だ。例えどんな場所に追いやられようと、彼女は治療を続けるだろう。…つまり、彼女が医者である限り、その意図があろうとなかろうと、私の邪魔にしかならないということだ」

 

 

 だから、と薄汚く大山田は笑みを作る。

 

 

「私は彼女の医療行為の一切を認めない事にした。あらゆる彼女と業者との関係を絶ち、その根本から障害を除去しようと思う。つまり、医者として彼女を殺す」

 

「………薄汚い大人が…!」

 

「手を汚さなければ生きていけないんだよ、現代は。それと、君も他人事じゃないぞ。君、先日ある男を探っていただろう? 最近になってその男との取引が頓挫してね。非常に私にとって都合が悪かったんだ」

 

 

 脳裏に浮かぶのはカネシロパレスで見つけた取引のリスト。

 やはり彼と大山田は裏で繋がっていたという訳だ。

 

 

「つまり君も私にとっての邪魔者、というわけだ。幸い、私は君の業界の人間にも多少顔が効いてね。まぁ楽しみに待っているがいい。君のお友達…、久慈川りせだったかな。彼女にも飛び火するかもな、あぁ、ご実家の旅館も危ないか。折角殺人事件から立ち直ったというのに」

 

「…なんで……? りせ達は関係無い!」

 

「これは罰だよ。()()に逆らった罰だ。大人しく言う通りにしてれば良かったものを…」

 

 

 大山田は鞄からスケジュール長を取り出し、そうだな…と顎に指を添えながら小さく呟く。

 

 

「生憎私は学会の準備で忙しい。…ふむ、君達への罰の執行はそれが終わってからにしよう。まぁ、楽しみにしているといいさ」

 

 

 ポンと、雪雫の肩を叩き、その場を後にする大山田。

 そんな彼の背中をただただ茫然と見送った雪雫は、覚悟を決めた様におもむろにスマホを取り出した。

 

 

「……………腐ってる」

 

 

 そういう雪雫の瞳には、大粒の涙が溜まっていた。

 

 

 

 

 

同日 夜

 

 

 朝から降っていた雨はすっかりと止み、じめじめとした湿気だけが残る夜。

 

 

「…………」

 

 

 小さいコンテナによって造られた簡素なベッドに背中を預けながら、蓮はボーっとスマホの画面を見つめる。

 

 

「何か変化はあるかー?」

 

「……とくには」

 

 

 蓮が見ているのは『怪盗お願いチャンネル』略して怪チャン。

 匿名性の掲示板サイトで、怪盗団に対する依頼や意見を投稿出来るサイトだ。

 このサイトの運営者は三島という蓮達の同級生だったりするのだが、今は知らなくても問題無い。

 

 連日、テスト勉強の息抜きにと、仲間達と集まっては次の改心のターゲットについて話合いの場を設けているが、未だに決まっていない。

 そうした背景から、暇な時間に怪チャンを見るのが蓮の中での日課になっていた。

 

 何時も通り、寝る前にざっと怪チャンを眺める蓮。

 昼間と変わりないサイトに溜息を吐き、諦めてスマホを閉じようとしたその時、とある人物からメッセージが届いた。

 

 

「これは――」

 

「どうかしたのか?」

 

 

 目を見開き、ベッドに預けていた身体を起こすと、横に居たモルガナが興味を持った様子で蓮の持つスマホに視線を落とす。

 

 

「セツナからだな」

 

「相談したい事がある。明日、皆を連れて病院に来て欲しい、か。」

 

 

 彼女らしい簡素な文と一緒に送られたその病院の情報。

 

 

「栄都大学病院……」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

7月1日 金曜日 晴れ

 

 

 

 ビル群に囲まれた広大な敷地。

 その中央に聳える都内でも有数の総合病院。

 

 それらを眺めながら、雪雫は憂鬱そうな色を顔に浮かべていた。

 

 

「雪雫」

 

 

 後ろからそう呼び掛けられると、雪雫はゆっくりと振り向く。

 そこにはつい先日まで、行動を共にしていた者達、怪盗団のメンバーが。

 

 

「………みんな」

 

「相談したい事がある、そう言っていたけど―――」

 

 

 リーダーである蓮が一歩踏み出し雪雫に問うと、雪雫は自身の口元に指を当て、それ以上の言葉を止めた。

 

 

「話は、こっちで」

 

 

 雪雫はひらひらと手に持つスマホを振った。

 

 

 



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26:I was the one whose eyes were glazed over.

 

 

オオヤマダ・パレス

 

 

 

「うお、すっげ」

 

「なんか、コミックに出てくる敵のアジト、って感じだね…」

 

 

 歪んだ視界が正常に戻ると、病院があった場所にはもくもくとガスを排出し続ける歪な研究所。

 それを目の間にジョーカー達はキョロキョロと、周囲の様子を警戒する様に視線を配る中、1人、制服のままの雪雫は一心不乱に病院だった建物の中央の入口へ向かう。

 

 

「ちょっと、雪雫! そんなにズカズカ進んで大丈夫なの!? もっと抜け道とか…」

 

 

 無謀、とも言える雪雫の行動に、思わずクイーンが声をあげた。

 

 

「…大丈夫。姿形は変わっても、実態は病院。ここに居る限りは私達は患者ないしは見舞客。襲われる心配も追い出される心配も無い。」

 

「言われてみると確かに。ナース服のシャドウがそこら中に居るけど、襲ってくる様子無いね」

 

「前に1人で来た時に実証済み。安心して良い」

 

 

 雪雫の物言いにスカルはポカンと口を開け、間抜けな声をあげた。

 

 

「前にって、1人で来たの? マジで?」

 

「そういう事もある」

 

「……雪雫…、危ないからもうやらないで…」

 

 

 そうこうしている内に辿り着いたのは正面入り口。 

 

 ガラス張りの扉から、中の様子が伺える。

 病院ではエントランスに当たるであろう部分。

 広々とした空間に、規則的に並べられた椅子。そしてそこに腰掛ける老若男女。加えて忙しそうにあちらこちらを歩き回るナース達。

 そこからも分かる様に、人に対する認知は歪んでいない様だった。

 

 雪雫は中には入らず、入口の手前で立ち止まり、後ろに居るジョーカー達の方へ振り返る。

 

 

「頼んでいたモノ、ある?」

 

「おう!」

 

 

 スカルが調子良く答えると、彼のポケットからは栄都病院の診察券。

 

 

「騒ぎを起こさず中に入るのはこれが一番」

 

「医者である以上、病院の基本的なシステムの認知は変わりようが無い…ってことか」

 

「でもわざわざ診察なんて…、お見舞いとかじゃダメだったの?」

 

「当然試した。でも、ダメだった」

 

 

 以前に1人で来た時、雪雫はどうやらここで足止めをくらった様だった。

 今も病院に入院中の美和の名を使い、見舞客として受付に行った所、御見舞いの受付を受けていないと返されたそうだ。

 結局、1人という事もあり、強行突破出来る筈も無く、その日は諦めたらしい。

 

 

「兎に角、スカルにはその診察券で受付をして欲しい。患者であるならば、断られない筈。それと出来れば内科が良い。大山田はそっちの担当だから」

 

「任せな!」

 

 

 ドンっと勢いよく自身の胸を叩くスカルに、少し不安そうな表情を浮かべるジョーカー達。

 

 

「……それにしても、よくアンタ診察券持ってたわね」

 

「あー、自分でも忘れてたんだけどよ。そういえば前に鴨志田に脚やられた時、ここに来た事あったわ」

 

 

 そんな会話を交えながら、入口入ってすぐの受付カウンターと思わしき場所へスカルは足を運ぶ。

 顔に黒い靄が掛かったナース服を着た…、あからさまなシャドウがスカルの顔をマジマジと見つめる。

 

 

『診察、ですか?』

 

「おーそうそう。もうなんか身体が怠くてよぉ。寝ても寝ても治らねぇし、頭も痛いときたもんだ。手術でもした方がいいんじゃねーかなーって思ってよ! あ、後ろは連れな!」

 

あのバカ…

 

 

 体調が悪い、という割にはやけにハキハキとした物言い。

 その様子を見ていたパンサーが頭に手を充て、項垂れている。

 

 

『かしこまりました。こちらの問診票をお書きの上、椅子に座ってお待ちください』

 

 

 シャドウナースはそんなスカルの様子を疑う事無く、問診票とペンを渡してジョーカー共々座る様に促す。

 

 

「患者なら来る者拒まず…、というよりは病気かどうかを判断するのは医師であってナースでは無い…、ってところかしら」

 

「もしくはナースは医師からの指示を機械的にこなす傀儡の様なモノ……っていう大山田の認知かも。どの道、中に入れそうで良かった」

 

 

 パレスにおいて、その主人の認知が絶対だ。言い換えれば、その光景がその人の本心の表れとも言える。

 システム1つであったとしても、考察する価値は大いにある。

 

 

「さて、と何て書くかな~」

 

「取り敢えずなんでも大袈裟に書いたらいいんじゃないか?」

 

 

 スカルとモナがワイワイと問診票を記入している横で、クイーンは横に座る雪雫へ語り掛ける。

 

 

「そろそろ話してくれても良いんじゃない?」

 

「………うん」

 

 

 雪雫は過去に自分自身が置かれていた状況、武見と大山田の関係、美和という少女の事。そして、大山田に脅されていることを1つ1つ話した。

 ワイワイと騒いでいたスカルとモルガナも、問診票を書きつつもその耳を傾けている。

 

 

「なるほど、ではその大山田という男が武見女医を貶めた張本人であると…」

 

「それに加えて今も尚、自分の都合で苦しめようとしてる…、それも雪ちゃんにまで……!」

 

「改心するに足りる悪人だと思えるが……」

 

 

 フォックスの言葉に全員が首を縦に振るが、雪雫は複雑な表情を浮かべる。

 

 

「でも…、もし美和の治療に影響が出たら…」

 

 

 改心する以上、本人に与える影響は大きい。

 心の大部分を占めているであろう欲望を消すのだ、当然影響が出る。

 

 雪雫が引っ掛かっているのは、改心の影響で美和の治療が叶わない事。

 もしそれが原因で命を落としてしまったら、武見も雪雫も、今後彼女の命の犠牲の上で生きていくこととなる。

 

 

「でも、何もしなかったら今度は雪ちゃん達が……!」

 

「分かってる。でもだからと言って彼女の命を蔑ろには出来ない。だから、今回の目的は改心では無く調査。薬の有用性と、大山田の真意を。それを確かめたい。改心するかどうかはその後で決めたい。私はいくらでも身を削れる。だから、周りの人達を守る為に力を貸して欲しい」

 

 

 ポンと、雪雫の頭に温かな手が乗せられた。

 その手は少々ごつくて大きいが、その温もりは優しく。

 

 

「いいんじゃねぇの? 難しい事情は分からねぇけど。要は悪い部分は全部ぶっ飛ばせば良いんだろ? 美和とかいう女の子も救う。武見とかいう先生も救う。そんでもって雪雫も救う。最高のハッピーエンドを目指そうぜ」

 

「………うん」

 

 

 その時、どこからともなく診察室へ呼ばれるスカルの名前が場内に響き渡る。

 

 

『坂本竜司さん、診察室1へお入りください』

 

「バカ!! 普通、本名使う!?」

 

「俺の診察券なんだから仕方ねぇだろ!!」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 エントランスの丁度中央の壁。

 病院には不釣り合いな程、重厚な扉。

 きっとその先にはアナウンスで言っていた診察室があるのだろう。

 

 その扉の前に案内された面々は、静かに息を呑む。

 

 

「いよいよ本格的な攻略の開始だな」

 

「エントランスまでは普通の病院だった。けど中はどうかしらね」

 

「研究所っつたら、やっぱりあれか? ゾンビか?」

 

「もしくはメカ?」

 

「何にせよ、絶対普通じゃないよね」

 

 

 モナ、クイーン、スカル、雪雫、パンサーがそれぞれ順番に口を開く。

 

 眼前に広がるのは長い長い廊下。

 どうやら、案内された診察室っていうのはまだまだ先らしい。

 

 

「敵の気配は無いが…、用心は必要だな」

 

「ああ…、行こう!」

 

 

 フォックスに続いてジョーカーが声をあげるとそれを皮切りに怪盗団はまだ見ぬ区画へ脚を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 美和という少女は、私の次の妙の患者、と雪雫は言った。

 

 雪雫が奇跡的な生還を遂げ、無事退院してから約半年。武見の元へ運ばれたらしい。

 当時はまだ新人医師である武見は、上司である大山田と行動を共にしていたらしく、それは美和ちゃんも例外では無いらしい。

 

 事の経緯は雪雫も知らない様だったが、自分が完治したことで、大山田の評判はうなぎ上り。その評判を聞きつけ、美和が回されたのだろうと語っていた。

 武見も担当医だが、まだ新人であり、大山田の方へ評判が偏るのは致し方ないと言えば致し方ない事だろうし、少なくともその頃はまだ普通に医師だったらしい。

 

 気恥ずかしそうに言っていたが、長い入院生活ですっかり雪雫は武見に懐いたらしく、退院後も連絡を取り合い、長期休みには会いに行っていたとか。

 そうしたやり取りの中で、雪雫と美和ちゃんの間にも交流が出来た様だった。

 歳も比較的近く、難病に苦しむ/苦しめられた経験があるのだから、何か通ずるモノが合ったのだろう。仲良くなるまでそう時間は掛からなかったらしい。

 

 そういう背景もあり、武見が美和ちゃんに会いに行けなくなった今でも、雪雫は彼女に代わって交流を続けているとか。

 

 

 

「つまり雪雫は、武見先生と美和ちゃんの様子を身近でずっと目撃してたってことね…」

 

「……そして何も出来なかった」

 

「つってもまだ当時小学生とかだろ? 仕方無くね?」

 

「それでも」

 

「過去の事言っても仕方ないよ。今出来る事をしよ。ね?」

 

 

 例の扉から続いている長い廊下を歩きながら、一同は雪雫の話に耳を傾けていた。

 先程から続いてる窓1つ無い真っ白い廊下は診察室も無ければ、人の気配も存在せず、意気込んで踏み入れた割には肩透かしも良い所だった。

 

 

「だー! にしても変わり映えしねぇなぁ!」

 

「普段だったら堪え性ねぇな!って言うとところだが…、こればっかりはスカルに同意だな……」

 

 

 先程から変わらない風景。強いてあげるとするならば、たまに曲がり角があるくらいで…

 

 

「ずっと同じ道歩いてるんじゃねぇの? ほらゲームにもあったろ? 登っても登っても辿り付かない階段がさぁ…」

 

「ループ説は無い」

 

「どうして?」

 

「たまにある曲がり角、次の曲がり角までの歩数がバラバラ。ループしてるなら一緒になる筈」

 

「そんなの数えてたのかよ……。」

 

 

 そうした会話を時折交えながらもう数分程、一同の目の間にエントランスで見たのと同じような扉が現れた。

 その扉の上には診察室1の表札が。

 

 

「やっと着いた……」

 

「無駄に長かったな……」

 

 

 普段ほど動き回って無いのにも関わらず、僅かに疲労が見えるパンサーとモナ。

 代わり映えしない景色、というのは精神的に疲労をもたらすらしい。

 

 

「…入るぞ」

 

 

 ジョーカーが先陣切って扉に手を掛ける。

 ギィという音と共に、ゆっくり開くとそこには広場の様なだだっ広い空間。

 低い天井に設置された目が眩むほどのライトが、一斉にこちらに向き、一同は目を顰める。

 

 

『ようやくご到着か。実験動物如きが随分と待たせるじゃあないか』

 

 

 金城のシャドウと同じ様に、僅かにノイズが混じった様なダブった声。

 現実の本人と同じ声だが、僅かにこちらの方がテンションが高い様な印象を受ける。

 心の内の自分、というのは誰でもこういう感じなのだろうか。

 

 

「オオヤマダ…!」

 

『どうだったかね。ここまでの道のりは』

 

「どうも何もクソつまらなかったぜ。道も一本道だったしな!」

 

『ふむ、まぁ素面ではそんなものか。本来は薬を投与するところなのだが…』

 

 

 クスリ、という言葉に雪雫は眉間に皺を寄せる。

 

 

「……実験動物ってそういうこと」

 

「医薬品の開発でよく見るやつね。薬を投与したモルモットに歩かせて、脳が正常に動くかを見るとかいう」

 

「それを人間に当て嵌めてるってことは…」

 

「いよいよこっちも真っ黒ってことかぁ?」

 

 

 オオヤマダはやれやれと首を左右に振りながら、後ろに連れているナース達を共に、怪盗団の元へ足を運ぶ。

 照明に慣れてきた今なら、その彼の風貌がハッキリと分かる。

 

 現実よりもボサボサした髪、目元のを覆い被さったサングラス、白衣、では無くそれとは真逆の黒のロングコート。

 

 

「……本格的にヴィラン()って感じ」

 

「研究者って、みんなこういうイメージなのかな」

 

 

 歩み寄る彼に、一同は身構えるが、何かをしてくる素振りは無い。

 

 

『さて、改めて自己紹介をしよう。私はDr.オオヤマダ。命を扱うこの研究所の所長である』

 

「ご丁寧にどうも」

 

『さて、君らはもっぱら噂の怪盗団、かな。……見知った顔も居る様だが………、これは私の邪魔をすると捉えて良いのかな?』

 

「…………私はただ、調べに来ただけ」

 

 

 返答が意外だったのか、ほう?と興味深そうにその方眉を上げる。

 

 

「美和に投与する新薬の有用性、貴方の真意を…、私は―――」

 

『真意…、真意ね……』

 

 

 クククと乾いた笑いを浮かべてオオヤマダは自身の顎に指を添える。

 

 

「過去に貴方は私を救った。その時の貴方は誰もが認める医者そのものだった。……だけど今の貴方はどう? 部下の功績を奪って、責任を押し付けて、自分自身は知らん顔。」

 

『…………』

 

「それでも、今でも美和の…患者の治療は続けている。その部分だけは、昔の貴方と重なる部分がある。だから私はそこを信じたい。信じさせて欲しい。もし、何かのっぴきならない事情があって、それで妙を苦しめているんのなら―――!」

 

『逆に聞くが、君が求める真意というのはなんだ? 君の言う絵空事の事か?』

 

「それは…貴方の本心を……、だから私はパレスに」

 

 

 だとしたら、とオオヤマダは再び雪雫の声を遮った。

 

 

『答えはもう既に言っただろう。武見君が邪魔なんだよ。』

 

「っ!」

 

『昔から目障りだった。型に嵌まらず、常識に囚われず、的確に治療法を確立させる。まさに天才と言っても良い。確信したよ、彼女にとって医者とは天職そのものだ、と。そんな彼女の傍に居たらこの私が埋もれてしまうだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()功績を持つ、まさに奇跡とも謳われるこの私が』

 

「っ! 雪雫!」

 

 

 酷く動揺した様子で、その場にへたりと座り込む雪雫に、クイーンが駆け寄る。

 項垂れるその顔を覗き込むと、瞳は揺れ、額には汗が浮かび、とても普通の状態では無かった。

 

 

『武見君だけでは無い。次から次へと輝かしい医者の卵が私の元へ。いやぁ、実に邪魔だった。大人しく私の引き立て役になっていれば良かったものを…。』

 

「同業者は全て自分の舞台装置…、という訳か」

 

『ああ…、そしてそれは患者も同じだよ。』

 

「……………は?」 

 

 

 普段の雪雫からは考えられない程の低い声が漏れ出る。

 

 

『患者は全て私の功績の礎。治らない患者など私の経歴に傷を付ける害虫でしかない』

 

「……てめぇ…、黙って聞いてれば好き勝手言いやがって…!!」

 

「み、美和は……? 貴方にとって美和はどうなの…?」

 

『ああ、エンデ病の少女の事か。そうだな、礎候補、という所か?』

 

 

 何を言ってるんだ、と口が動いた。

 

 

『世界でも未だに治療法が確立されていない病だ。薬の有用性が証明されれば、私の名は医学界どころか日本…、いや世界まで知れ渡る事となる。その為の新薬だ。その為に彼女を私の手元に置いている』

 

 

 ギリっと歯が軋む音が聞こえた。

 

 

『まぁ死ねばそこまでだが…、その時はまた誰かに押し付けるだけだ』

 

 

 拳に力が入り、自身の爪でその皮膚が裂けた。

 

 

『患者の治療など過程に過ぎない。それが君の求める真意というやつだ』

 

 

 私の胸中は、理不尽に対する怒りで満たされた。



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27:I am thou, thou art I.

 

 

 疑いはあった。

 

 彼が妙を切り捨てたあの日から。

 この人の行動に善性は存在せず、あるのは獣の様な我欲のみと。

 

 だが私はそれを思う裏で、彼の根底にあるであろう善性を信じていた。

 

 命を救われた事に対する恩義からか、はたまた私が子どもだったのか。

 ――――――きっと、その両方だと思う。

 

 都合の悪い事は全て無視して、見たいものだけを見る。

 それはきっと素敵な事。

 甘く、心地良く、()()()退()()()()()()()()()

 

 理想を押し付けるのが人の性。

 理想に応えるのが人の義務。

 

 そんな当たり前の機能を失った、悪人など―――。

 

 

「悍ましい」

 

 

 私の信じるモノは本人によって否定され、その裏から出てきたのはドス黒い欲望。

 こんな奴に、美和の命を預ける価値等無い。

 

 

「それなら、私が」

 

 

 ドクンと、胸が大きく鼓動した気がした。

 

 

 

 

 先程まで座り込んでいた雪雫が、ふと何かに動かされる様に再び地を踏み占める。

 

 

『……ん?』

 

 

 それはさながらマリオネットの様にゆったりとしていて。

 しかしながらその身体に芯が入っているかの様に力強かった。

 

 

「私が信じたかったものは、全て嘘」

 

「…雪雫」

 

「私が描いた理想は、全て幻」

 

 

 ゆっくりと、雪雫は項垂れていた顔を上げる。

 髪に隠れてその目は見えないが、僅かに確認出来るその口角は、ほんの少し上がっていた。

 

 

「ふふ…、ふふふふふふふ………」

 

 

 少女の乾いた笑いが広い診察室に木霊する。

 それを見ていたオオヤマダは、何か気味が悪いモノでも見たかのように、僅かにその足を一歩後退させた。

 

 

「頭にきた」

 

 

 覚悟を決めた様に鋭い視線を投げる雪雫。

 その覚悟に呼応するかの様に、彼女の脳裏に女性の声が響く。

 いや、これは―――。

 

 

『覚悟は決まった様ですね』

 

「っ! 」

 

 

 激しい頭痛が、雪雫を襲う。

 平衡感覚を失い、地にのたうち回りたくなる様な激しい痛み。

 それでも、女性は…、もう1人の雪雫の声は穏やかに語り掛ける。

 

 

『紛い物との決別は、まさに神からの思し召し。その天啓を私は祝福しましょう』

 

「ア、……がっ」

 

『さぁ、共に旗を掲げましょう。今日、まさにこの場所が、貴女にとってのオルレアン』

 

 

 段々と頭痛が治まり、脳内がクリアになっていく。

 やる事は分かってる。その名も知って居る。後は言の葉に覚悟を乗せて謳うだけ。

 

 

「我は汝、汝は我……」

 

『凱旋の時です』

 

 

 小さくしかし力強く呟くと、いつの間にか現れていた黒いドミノマスクに手を掛け―――

 

 

「ジャンヌ・ダルク!」

 

 

 それを思いのままに引っぺがす。

 内側から溢れ出す様に、激しい光が少女の身体を包み込む。

 

 

「おいおい……」

 

「2体目って、マジか……?」

 

 

 その光景を見ていたモナとスカルが、敵の前である事も忘れて言葉を漏らす。

 最初に目を引いたのは、巨大な女性の様なシルエット。その手に剣と旗を携えた、世界で最も有名な聖女。

 

 

「貴方に…、医者を名乗る資格など無い」

 

 

 一歩、また一歩と。地を叩くヒールの音と共に、光の中から白髪の少女が聖女を率いて現れる。

 

 

『な、なにぃ…?』

 

 

 その姿は、少女の色に反して黒一色だった。

 少女の華奢な体躯に対して、明らかにオーバーサイズの袖口が大きく開いたロングコート。

 身体のラインに合わせて、ピタリと吸い付いたインナー。

 ショートパンツとそこから伸びる脚を守るタイツ。

 力強く地を叩くヒール付きのブーツ。

 

 そして、中でも目を引くのが

 

 

「なにあれ…、魔女?」

 

 

 特徴的なとんがり帽子。

 

 

「治療が必要なのは貴方自身」

 

 

 さながら、現代に現れた魔女そのもの。

 

 いつの間にかに手に持っていた、少女の身の丈よりも長い棒を、バトンの様にクルクルと回し、そしてその柄を地面に叩きつける。

 金属音と共に、仕込まれた巨大な刃物の切っ先がオオヤマダの方へ向く。

 

 雪雫が持つ武器は死の象徴そのもの。

 それに触れたものを、根こそぎ刈り取る為の大鎌。

 

 

「貴方の腫瘍、刈り取ってあげる」

 

 

 そう言うや否や、雪雫は勢いよくオオヤマダに向けて駆け出す。

 

 

「早っ!」

 

「元々身軽だとは思っていたが…」

 

 

 その速度は今までの比では無く、あっという間にオオヤマダの目の前へ。

 雪雫は迷うことなく手の中でくるりと柄を回し、彼の首を目掛けて一閃。

 

 

『…ちぃ!』

 

 

 しかし、それはオオヤマダを捉える事無く、彼の後ろに居た筈のナースのシャドウを掻き切る。

 

 

『おい、何してる!? このガキどもを始末しろ!』

 

 

 焦った様子を隠す事無く、そう声を荒げると怪盗団の周りに次々とシャドウが現れる。

 棍棒を持った鬼や、ライオンと蛇のキメラ、半蛇の男など、その種類は様々だ。

 

 

「俺達も加勢するぞ!」

 

「え、ええ!」

 

 

 予想しなかった雪雫の覚醒に、一同は呆気に取られていたが、ジョーカーの言葉で各々武器を構え、シャドウと対峙する。

 まさに乱戦状態。

 隙を見つけてはオオヤマダの元へ向かおうとする雪雫だったが、次々と現れるシャドウにその行く手を阻まれる。

 

 

「邪魔…! ジャンヌ・ダルク!」

 

 

 後ろに控えていた彼女のペルソナが、その手に持つ剣を一振りすると、刃の軌道上の敵が一掃される。

 

 

「オオヤマダ!」

 

 

 シャドウが消え、視界晴れると件の怨敵はもう手が届かない場所へ。

 彼はチラリとこちらを一瞥すると、相変わらずの卑しい笑みを浮かべて、研究所の奥へと消えた。

 

 

「逃がさない!」

 

「待って!」

 

 

 彼を追おうとする雪雫に、クイーンの制止が入る。

 

 

「1人で追うなんて無謀もいい所よ! 今はこの場を切り抜けて、一旦立て直ししましょう!」

 

「でも………!」

 

「良いから! たまには先輩の言う事聞く!」

 

 

 興奮状態の雪雫本人は気付いていないが、ペルソナ能力の発現は相当の体力を奪われる。それが二体目であったとしても、例外では無いのだろう。

 オオヤマダが消えた先を睨み続ける雪雫の額には汗が流れ、その目の焦点も若干合っていない様だった。

 

 

「この場を切り抜けるって行ってもよ…」

 

「中々、きつくない? これ…」

 

 

 次々と現れるシャドウにじりじりと追い詰められるジョーカー達。

 それを確認した雪雫は、名残惜しそうに先の扉から視線を外し、仲間達の元へ。

 

 

「アリス」

 

 

 オルレアンの乙女と入れ替わる様に、次に現れたのは重々しい呪力を放っている少女の姿。

 ひとたびその指を振るえば、視線の先のシャドウ達は次々と息絶え、逃げ道が開かれる。

 

 

「セツナもレンと同じ様にペルソナ能力の使い分けを……」

 

 

 ペルソナ能力は1人に1つ。

 それから外れたイレギュラーな存在が再び現れた事に、モナは驚きを隠せないでいたが、今はそんなことをしている場合じゃ無いと、首を左右に振る。

 

 

「お前ら、逃げるぞ!」

 

 

 手を大きく掲げお決まりのポーズを取ると、モナは普段の姿から車の姿へ。

 なだれ込む様に、モルガナカーへ乗り込んだ怪盗団は、雪雫が開いた道を辿って、パレスの出口へ向かった。

 

 

 

 

「つかれたぁ……」

 

「なんか、色々あったな……」

 

 

 四軒茶屋にひっそりと佇む喫茶店「ルブラン」の2Fの物置。つまりは蓮の自室。

 ソファにぐったりと腰掛けた杏と竜司は、溜息混じりに声を漏らす。

 

 

「あはは…。……雪雫は? 落ち着いた?」

 

 

 2人の様子に苦笑を浮かべつつも、真の視線は今日一番疲れたであろう人物へ。

 

 

「……はしゃいじゃって…面目ない……」

 

 

 バツが悪そうに視線を逸らしながら、雪雫はゴニョゴニョと恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。

 

 

「いやまぁ、気持ちは分かるぜ? 能力に目覚めた時の……、テンションってやつ? 何でも出来る気がするんだよな~」

 

「分かる! 普段我慢してたものが爆発したあの感じ!」

 

「…2人の言う通りだ。俺とて例外では無かった。そう恥じる事は無い」

 

「………ありがとう」

 

 

 竜司、杏、祐介のフォローに少し気が楽になった様で、雪雫は口角を上げた。

 

 

「それで今後の事だけど…」

 

「取り敢えずあいつは改心確定だろ! ぶっ飛ばさないと気がすまねぇ!」

 

「同感」

 

 

 竜司の言葉に全員が頷きを返す中、その視線は雪雫の元へ。

 

 

「雪雫はどうしたい?」

 

 

 視線を僅かにキョロキョロと動かした後、一文字に閉ざしていた口をゆっくり開く。

 

 

「……みんなも見た様に、私の信じるモノは全部嘘で。彼は正真正銘の悪人そのものだった」

 

「そうね。あんな人が命を預かっているだなんて、にわかに信じがたいわ」

 

「私も……」

 

 

 俯いていた雪雫が顔を上げ、真っ直ぐジョーカー達の瞳を見つめる。

 

 

「私も、ぶっ飛ばさないと気が済まない」

 

 

 その言葉に怪盗団はお互いの顔を見合わせ、満足気に頷きを返した。

 

 

「よっしゃー! また戦力増大だぜ!」

 

「歓迎するぞ」

 

 

 雪雫の言葉に、真っ先に反応を返したのは竜司と祐介。

 

 

「宜しく頼むぜ、セツナ! こいつらバカだからよ、オマエが居てくれるなら心強いぜ!」

 

「んだと、ネコ!」

 

「事実を言っただけだろうが!」

 

 

 やいやいと、モルガナと竜司が何時も通りの喧嘩を始めた所で、杏が嬉しそうに雪雫の顔を覗き込む。

 

 

「バカ達は放っておいて…、雪ちゃんのコードネーム! 決めなきゃね!」

 

「ずっと名前呼びだったからな」

 

 

 コードネーム、怪盗団が仕事をする際に用いる、もう一つの名前。

 覚悟が自分には足りないと、それの決定を先延ばしにしていた雪雫だったが、今日こうして彼女の言う条件が揃ったのだ。

 

 

「皆はどうやって決めたの?」

 

「そうね…、見たところ見た目で引っ張られる傾向が強いかしらね。祐介は狐の面だし、竜司は骸骨だし。」

 

「そうなると、雪ちゃんの怪盗服は……」

 

 

 全身真っ黒。オーバーサイズのロングコート。とんがり帽子……。

 

 

「魔女?」

 

「ならバーバヤガー」

 

「何か敵っぽくない? もしくはヒットマン」

 

「ワルプルギス」

 

「それもちょっと……」

 

 

 蓮と祐介が見守る中、女子チーム主体でコードネーム決めが開催される。

 雪雫が次々と魔女に関する名前を列挙するが、言い辛かったり、イメージに合わないと、中々決まらない。

 話初めて早10分ほどが経った頃、雪雫がふと口を開いた。

 

 

「じゃあシンプルにウィッチで良い」

 

「えー、もう少し凝らない?」

 

 

コードネーム決めを楽しみにしていた様で、杏は目に見えて不満そうに声を上げる。

 

 

「皆の名前がシンプルなのに、1人だけ豪華なんのもなんか違和感」

 

 

 ジョーカー、モナ、スカル、パンサー、フォックス、クイーン……、それぞれのコードネームを頭に浮かべた真は、確かに、と笑みを作った。

 

 

「じゃあ、決まり、かな よろしくね、雪雫」

 

「………うん」

 

 

 皆と同じ様に満足そうに笑みを浮かべる雪雫。

 こうして正式に、天城雪雫は怪盗団の一員となった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「……魔女って、怪盗って言うのか?」

 

「世間のはみ出し者、社会に対する反逆という点では同じじゃないか?」

 

 

 その裏でそんな会話が合ったのはまた別のお話。

 

 

 

 


 

 

~以下、ゲーム的なステータス~

 

 

 見なくても問題無いヨ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天城雪雫  Lv.28(加入時)

 

HP:203

MP:174

 

ペルソナ
 

 

 

アリス

 

 

相性

 

物:―

銃:―

火:―

氷:―

雷:―

風:―

念:―

核:―

祝:弱

呪:耐

 

ステータス

 

力:15

魔:28

耐:19

速:23

運:24

 

スキル

 

 

エイガ

 敵1体に呪怨属性で中ダメージを与える。

 

マハエイハ

 敵全体に呪怨属性で小ダメージを与える。

 

タルカジャ

 3ターンの間、味方1体の攻撃力が上昇する。

 

デビルスマイル

 敵全体を中確率で恐怖状態にする。

 

メディラマ

 味方全体のHPを中回復する。

 

死んでくれる?

 敵全体を中確率で即死させる。

 

 

 

 

 

ジャンヌ・ダルク

 

 

相性

 

物:―

銃:―

火:弱

氷:―

雷:―

風:―

念:―

核:―

祝:耐

呪:弱

 

ステータス

 

力:28

魔:17

耐:23

速:26

運:14

 

スキル

 

 

コウガ

 敵1体に祝福属性で中ダメージを与える。

 

レイズスラッシュ

 敵1体に物理属性で大ダメージを与える。バトンタッチ時に威力上昇。

 

金剛発破

 敵全体に物理属性で中ダメージを与える。

 

防御の心得

 戦闘開始時に自動でラクカジャが発動する。

 

マハラクカジャ

 3ターンの間、味方全体の防御力が上昇する。

 

オルレアンの祈り

 味方単体のHPを中回復。3ターンの間、クリティカル率が上昇。




死んでくれる?が若干ナーフされているのは仕様です。
あくまでゲーム的な話だけど、この時点で使えたら強すぎるので…


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28:There's so much I don't understand.

 

 

 ふと、意識が浮上する。

 

 熟睡から微睡へ。

 微睡から覚醒へ。

 

 暗い海底から浮かび上がる様に。

 

 

「……またか…」

 

 

 瞼を開けると、目に入るのは青、青、全てを覆いつくす様な青。

 目に優しいのか優しくないのか、よく分からない内装だ。

 

 身体を起こすと、連動するかの様に足枷の鎖がジャラリと音を立てる。

 最初は驚いたもんだが、今はもう慣れてしまった。

 

 四肢の不自由さを噛みしめながら、ここの住人である双子と長鼻の元へ歩を進める。

 

 

「何をもたもたしている!」

 

 

 イラつきを隠す事無く、こちらを鋭く睨み付ける看守「カロリーヌ」

 

 

「主の前です。改めなさい」

 

 

 口調こそは穏やかだが、凍てつく様な冷たい視線を送る看守「ジュスティーヌ」

 2人はこの場所…、ベルベットルームの住人であり、俺の担当……らしい。

 

 俺の担当…、ということはまた別に住人が居るのだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えていると、主人である男が何時もの低い声で話し始めた。

 

 

「更生は順調の様だな」

 

 

 ギョロっとした目玉、血走った瞳、人間離れした長い鼻と耳。

 見た目は明らかに敵そのものなのだが、どうやら彼は俺の味方…、というよりは協力者らしい。

 世の中分からないものだ。

 

 

「ワイルドの素養を持たない身でありながら、2つの力を行使する少女…、中々興味深い存在だ」

 

 

 長鼻…、イゴールは張り付いた笑みを崩す事無く言葉を紡ぐ。

 

 

「…2つの力……、雪雫の事か」

 

「かの存在はお前…、いや、お前達に多大な影響を与えるだろう」

 

「他の者と同じ様に絆を育むことを推奨します」

 

「精々足掻くがいい、囚人」

 

 

 ふと、再び意識が薄れていくのを感じた。こちらに視線を送る3人の姿がぼやけて見える。

 用は済んだ、ということらしい。

 

 俺の意識は再び海底へ沈んでいった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

7月2日 土曜日 曇り

 

 

 普段は足を運ぶことの無い1階の教室練。

 珍妙なモノでも見るかの様な視線を浴びながら、目的の場所へ。

 

 教室の前にポツンと1人、詰まらなそうにスマホを弄る白髪の少女。

 

 

「雪雫」

 

 

 その名を呼ぶと、キョトンとした表情で顔を上げ小首を傾げる。

 

 

「蓮。どうしたの? 今日はパレス攻略の為の準備に充てるって…」

 

「ああ、その筈だったんだけど、竜司と杏が代わりに用意してくれるらしくて。それで時間が出来たから雪雫の様子を見に来たんだ。」

 

「様子って言っても…、別に普通………」

 

 

 普段となんら変わりない彼女の様子に、内心ホッと溜息を吐く。

 新たなペルソナ能力を発現したとは言え、先日の出来事で精神的に追い詰められたのは事実だ。

 加えて、大山田の学会までそう期間がある訳でも無い。

 状況的には逼迫しているのは変わりないのだ。

 

 

「…………あ…」

 

 

 その時、思い出したかの様に小さく声を上げ、僅かに表情が曇り、何か悩んでいる様子を見せる雪雫。

 どうした?と声を掛けると、少しためらう素振りは見せたものの、彼女の小さい口が言葉を紡ぎ始める。

  

 隠し切れない魅力が、雪雫の興味を引いた!

 

 気がした。

 

 

「ちょっと、付き合って欲しい」

 

 

 そこだけ切り取れば勘違いされそうな誘い文句を恥ずかしがる様子も無く呟き、雪雫は俺の手を引いて学校の出口へと向かった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 場所は変わって渋谷のセントラル街。

 学校帰りの学生達で賑わう大人気ファストフード、ビックバンバーガーの店内。

 

 

「よく食べるな…」

 

「お腹空いた」

 

 

 目の前に座る雪雫は嬉しそうにポテトとハンバーガーを頬張っていた。

 その小さく、細い身体のどこに入っているんだと思わずツッコミたくなる様な量を雪雫は次々と口へ運ぶ。

 存外、たくさん食べるタイプの様だ。

 

 ひとしきり満足したのか、頃合いを見て雪雫は話始める。

 

 

「蓮も知っている様に、私の信じていたモノは全部嘘だった」

 

「……大山田の事か」

 

「彼は根っからの悪人で、仮にそこに気付いていたとしても、私はそれを修正する手段を持ち合わせていなかった。どの道、彼は救いようのない人間だと思ってる」

 

「………」

 

「でも、私がもっとしっかりしてれば。大山田の本性に気付いていたなら、周りの人間を救う位は出来たかもしれない。妙や美和…、もしくは顔も名前も知らない被害者達」

 

 

 カランと、氷が溶けた音が聞こえた。

 

 

「一番気付ける立場でありながら、私は気付けなかった。それはきっと……、私が人の心を理解するのが苦手なのが原因」

 

「そんなことは…」

 

「今回の件だけじゃない。例えば、活動だってそう。歌詞とメロディは耳障りの良いモノを羅列しているだけ、配信は同業者がやっていたから。ルールやテンプレート、他人の模倣を機械的に繰り返しているだけ。だから私は、人の内面を見抜けない」

 

 

 果たしてそのような事があるだろうか、と蓮はふと考える。

 確かに雪雫は表情の変化が乏しく、人形の様ではあるがそこまで人間味が無いとは思えない。

 

 彼女は()()()()()()()()()()様な気がする。

 

 

「そんなの嫌。表面だけしか捉える事の出来無いんじゃ、りせの気持ちは一生分からない」

 

 

 ん?

 

 

「……りせ?」

 

「私はりせが好き。りせもきっと私の事が好き」

 

 

 周知の事実では?

 

 

「でもそれは上っ面だけ。表面上の気持ちだけなんて、私は我慢出来無い。全部、表も裏も上から下まで。綺麗な感情もドロドロ醜い感情も。花園の様な綺麗な部分も、退廃的なドロドロとした部分も。全部理解しないとダメ。理解した上で、手に取るの。ええ、それはとっても素敵なこと。お互い全部を曝け出して、足の指先1つまで余すことなく受け入れて。そうなればりせは私を離さないだろうし、私もりせを離さない。こうして文字通り私と彼女は結ばれる。その為に私は知りたい。りせは何時私を好きになったの?あの人の事はもう良いの?りせの気持ちはただの好意?それとも愛情?ただただ下心を私にぶつけているだけ?どれくらい私の事が好き?今の私じゃきっと理解出来ない、きっと見えてこない」

 

「……つ、つまり、恋愛相談?」

 

 

 唐突な脳への襲撃に蓮は狼狽えるが、辛うじて言葉を絞り出す。

 

 

「ちょっと違う。私は学びたいだけ。学んで、噛み砕いて、それを糧に私はりせの気持ちを理解する。その過程を手伝って欲しい。その代わり、私も蓮に協力する」

 

「例えば?」

 

「戦闘の時に役立つ身体の使い方…、とか。その他思いつく限りの諸々」

 

 

 確かにそれは有り難いかもしれない。

 雪雫と言えば驚異的なバランス能力とすばしっこさだ。

 それをフィードバックしてもらえるなら、この先の戦いにきっと役に立つだろう。

 

 

「取引、成立?」

 

 

 小首を傾げて、雪雫はその小さな手を差し出す。

 俺はその手を優しく握り返し、ああ。と呟いた。

 

 少々、久慈川りせに対する気持ちが強い様だが、まぁそれも彼女の魅力だろう…、多分。

 

 

 

 

 

我は汝…汝は我…

汝、ここに新たな契りを得たり

 

契りは即ち、

囚われを破らんとする反逆の翼なり

 

我、「永劫」のペルソナの生誕に祝福の風を得たり

自由へと至る、更なる力とならん…

 

 

 

 

 

「でも、具体的にはどうやって学ぶ?」

 

 

 雪雫は人の気持ちを学びたい、と言っていたが何か考えがあるのだろうか。

 

 

「……歌…、を作ろうと思ってる」

 

「歌…、か」

 

「従来の作り方では無く、しっかりと自分の気持ちを乗せて、本心から歌える様な。そんな歌。歪でも良い、売れなくても良い。何にも囚われない、自由な歌」

 

 

 それが出来たら、是非とも一番に聴きたいものだ。

 

 

「また、連絡する」

 

「ああ」

 

 

 大分長い時間話し込んでいた様で、渋谷の街が段々と夜に染まっていく。

 俺達はビックバンバーガーを後にして、帰路についた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 その在り方は宝物の様に。

 

 

 

 少女の世界は穢れ無く、静謐で、聖域そのものだった。

 

 田舎町の老舗旅館の末娘。

 身体が弱く、その様はガラス細工の様に儚く、壊れやすい。

 

 蝶よ花よと育てられたのは必然とも言える。

 

 

 身内に囲まれ、愛情を注がれ。与えられるのは好意のみ。

 両親、姉、従業員。彼女を貶めようとする者など、そこには一切存在しなかった。

 

 好きと言われれば好きと返す。

 愛してると言われれば愛してると返す。

 

 そうすれば相手は喜んでくれたから。

 

 言葉の重みを考える必要は無く、相手が望む言葉を機械の様に返すだけ。

 狭い世界の住人達にはそれだけで十分だった。

 

 

 であるならば、少女の世界がその中で完結しなくなったのは何時からだろうか。

 

 

 正確な時期は憶えていない。

 

 物心がついてすぐの事だったか、小学校に入る前だったか。

 少なくとも、上京前の出来事なのは確かだ。

 

 

 自分の感情を隠さない子どもだった。

 好きなモノは好きと言い、嫌なモノはハッキリ否定する。

 

 今までに存在しなかったタイプの住人だった。

 

 馴れ初めは憶えていない。

 気付けば、幼馴染と言える存在になっていた。

 

 宝石の様に大事に大事に仕舞われ、壊れ物の様に扱われていた少女とは対照的に、彼女は普通の子どもだった。

 同じ町の豆腐屋の一人娘。

 

 その娘は少女に言った。

 

 

「つまらない」

 

 

 と。

 

 

 少女の何が気に食わなかったか知らないが、娘は臆する事無くそう言った。

 思えば少女にとって初めての経験だった。

 

 両親も姉も授業員も。  

 狭い世界の住人達は少女に何処か遠慮していた。

 在り方を否定する事無く、ただそこに居る事を良しとしていた。

 

 だから少女にとって、その娘が初めて自分の事を否定した存在だった。

 

 

 困惑した、狼狽えもした。普段することの無い言葉の意味を考えた。しかし、娘の真意は分からない。

 それもその筈。

 だって少女は今まで本で得た知識や周りの住人達の真似をしていただけなのだから。

 

 ただ在るだけで完結していた少女の脳裏は、娘の言葉を理解しようとする思考で埋め尽くされた。

 それ以後、少女は娘に会う度に、導き出した答えを提示してはそれを否定される。

 

 一度、私の何がつまらない?と質問したところ、

 

 

「そういうところ」

 

 

 と返された事もあった。

 

 

 少女は気付かなかったが、人並な表現を用いるのならば

、娘に興味を持ったのだ。

 今までの枠組みに囚われず、紡がれる言葉も、唐突な行動も。その全てが少女の頭を悩ませた。

 

 狭く完結していた少女の世界が、広がった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 彼女の事を私なりに理解しようとした。

 言動や行動1つ1つを噛み砕き、時には模倣して。

 

 しかし模倣しても、私が感じた彼女特有の温かさは感じなかった。

 

 

 彼女に憧れて、同じ目線で世界を見たくて。後を追う様に同じ業界に踏み入れたりもした。

 

 それでも、未だに彼女を理解出来ない。

 それでは、彼女の隣に立つ資格が無い。

 

 

「…………むぅ」

 

 

 目の前で人の気も知らないでスヤスヤと眠っている彼女の顔を睨み付ける。

 私はこんなに悩んでいるのに、こんなに貴女の事を考えているのに、彼女は変わらない。

 何時も通りに言葉を紡ぎ、何時も通りに私にスキンシップを行う。

 

 与えられるだけじゃ満足出来無くなってしまった。

 その意味を全て理解して、胸で受け止めて。

 余すことなく彼女を知りたくなってしまった。

 

 

「責任、重大」

 

 

 こちらを向いて、穏やかに寝息を漏らす彼女の頬に、そっと手を添える。

 起きる気配の無い彼女の顔をマジマジと見つめた後、意を決して自身の口元を近づける。

 

 起こさない様に、軽い音すらも立てないように。

 ゆっくりと彼女の艶やかな唇に自身の唇を当てて、数秒。

 

 胸の動悸と唇に感じる柔らかな温かさを噛みしめながら、そっと離す。

 

 

「…りせの言う、好きって何?」

 

 

 小さな声は彼女の寝息に掻き消された。

 

 



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29:Attack is the best form of defense!

 

 

 

7月3日 日曜日 晴れ

 

 

 都内でも有数の総合病院…とされる場所。

 最もその見た目は大きくかけ離れているが。

 

 場所はオオヤマダ・パレス。

 歪な研究所が佇む敷地内。

 

 

「状況を確認するわね」

 

 

 その一身に皆の注目を集める怪盗団の頭脳担当ことクイーン。

 本来はリーダーであるジョーカーの役目だったりするのだが…、何故か今日は俯いたままで話す気配は無い。

 

 

「今回の標的は大山田省一。栄都病院の医局長で、新薬開発の第一人者」

 

「だが実際はとんでもねぇクソ野郎…許しておけねぇな」

 

「そうね。…それで、こっちに残された猶予は彼の学会までの一週間弱…で合ってるかしら?」

 

「うん。11日まで」

 

「それまでに私達は大山田の改心、ないしは新薬のデータを手に入れる」

 

「難病の少女の件もある。改心の影響で治るものが治らないなんて事が起きれば本末転倒だ。慎重に判断しなければ」

 

 

 要するに美和への治療が支障が出ないように改心を行わなければならないのだ。

 

 

「その点はウィッチと話してあるわ」

 

「改心の前に新薬のデータを見つけたい。きっと妙…、えっと私の前の担当医なら彼の研究をそのまま引き継げると思う」

 

「もし、もしだけど…それが出来なかったときは…………?」

 

「………それなりの覚悟は出来てる」

 

 

 僅かに震える手を必死に抑えながら、雪雫…もといウィッチは言葉を絞り出す。

 怖いのだろう、不安なのだろう。

 そんな様子がひしひしと感じられる中、1人の男が彼女の肩を叩いた。

 

 

「そんな事にはならねぇよ。前にも言ったろ? 悪いのは全部ぶっ飛ばしてやるよ!」

 

「スカルの言う通りだ。派手に暴れてやろうぜ、オマエら!」

 

「…うん……!!」

 

 

 意思を確認する様に、お互いの目を見つめ頷きを返す怪盗団。

 怪盗団にとっての4回目の大仕事。

 メンバーはそれぞれ不敵な笑みを浮かべながら、標的の根城へと足を進めた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「そういえば、ジョーカーは調子悪いの?」

 

「いや、さっき飲んだ青汁が何時もより苦くて……苦味がまだ口の中に…」

 

「こいつ日曜になると必ず飲みに行くんだよな~。全く、何が美味いんだか……」

 

「ふぅん…?」

 

 

 

 

オオヤマダ・パレス 1F 実験区域

 

 

 

 パレスの攻略の際にまず最初にやる事は潜入口の確保。

 何時もの流れにのっとり適切なポイントをジョーカー達は探していたが

 

 

 普通に受付出来た

 

 

 とウィッチとスカルが診察券片手に戻ってきた。

 

 罠ではないかと警戒していた一同だが、エントランスのナース達に敵意は感じられず、寧ろシャドウにしては好意的な部類だった。

 肩透かしも良い所で、前に来た通りにパレス内に案内された一同は、再び白く、長い回廊を進む。

 

 

「割とあっさり入れたな」

 

「あくまでも私達はただの患者っていう事でしょうね」

 

「だがしかしこの先は分からないぞ。実際、オオヤマダが呼び寄せたシャドウ達はこちらに敵意を向けていた」

 

「要するに全部倒せば良いんだろ? 簡単な事じゃねぇか」

 

「アンタってホントに脳筋だよね……」

 

 

 相変わらず窓も無く扉も無い真っ白な廊下。

 そんな廊下を進みながら、クイーンはエントランスで貰った案内図に目を落とす。

 

 

「実験区域……ね。何の実験してるかは分からないけど、碌な実験ではないのは確かでしょうね…」

 

「ワガハイ達をモルモットって例えてた位だしな…」

 

「実験にかこつけて変な戦い強いられたりして―――あれ?」

 

 

 以前に訪れた時とは違う光景。

 シャドウも認知上の人間も存在しなかったこの廊下に、数人のナースが屯っていた。

 廊下は診察室までの一本道。

 目の前のナース達を避けて先に進むことはまず出来ない。

 

 

「シャドウ…だよね……」

 

「そうみたいね」

 

 

 ナース達はこちらに気付いている様子は無く、噂話に夢中の様だ。

 やれ何号室の患者がどうのとか、内科の先生がどうのとか。

 

 

「ナースってストレス溜まるとは聞いたことあるけど…」

 

「シャドウとて例外では無い様だな……」

 

「ワガハイ達には気付いていない様だが…、どうする、ジョーカー?」

 

「そうだな…、ここは―――「速攻」

 

 

 そう言うや否や、小さい影がシャドウ達に向かって駆け出した。

 白い髪と黒いコートを靡かせて、凶刃を鋭く光らせて。

 

 猛スピードで近づく存在に、噂話に夢中のシャドウ達も気づいた様で、迎撃の体制を取るが時すでに遅し。

 小さな影は、地を走っていたと思えば壁へ。壁を駆けたと思えば宙へ。まさに縦横無尽。

 狙いを絞り込ませない様な軌道で接近し、刃を一振り。

 最初のシャドウの悲鳴が途絶えない内にもう一体。

 呆気に取られている最後のシャドウは味わう様に串刺し。

 

 文字通り一瞬の出来事。

 ジョーカーが言葉を言い切る前にウィッチはシャドウを沈めた。

 

 

「一体どういう身体の使い方してんだ、あれ……」

 

「ペルソナ能力の補正があるとはいえ…」

 

「あいつも大概脳筋じゃね……?」

 

 

 仲間達も呆気に取られていた様で、刃を振り払う…所謂血振りをしているウィッチを見ながら口々と感想を口にする男性陣。

 

 

「すごいじゃん! 一瞬だったよ!」

 

「流石、っていうべきかしらね」

 

 

 そして何処かウィッチに甘い女性陣。

 

 

「にしても見た目は入口のナースと一緒だったよな? どうやって見抜いたんだ?」

 

「敵意、感じた」

 

「そんな超能力じみた事……」

 

「? 皆は感じない?」

 

「感じない」

 

「………そう」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 前回オオヤマダと対峙した診察室を超え、怪盗団は実験棟のさらに奥へ。

 道中、上へと続くエレベーターを見つけたが、そうそう都合の良い事などなく、当然の様に使えなかった。

 決して楽しようという魂胆が合った訳では無いが、やはり目の前で使えないとなると、多少の落胆は憶える様で。その落胆はここの主であるオオヤマダへの愚痴へと変わる。

 そんな感じで時折、戦闘を交えながらも、敵地をは思えない程の賑やかさでパレスの最奥を目指す。

 

 そんな中、一同は実験区域の資料室…表で言うところのカルテの保管場所あたる場所を見つけるが―――

 

 

「何これ」

 

「これは、何と言うか……」

 

「カルテ、というには…」

 

 

 新薬のデータが欲しい怪盗団からすると、この資料室に長いする必要は無いのだが、あまりに常識から離れた内容に思わず足を止めていた。

 

 

「名前、性別、血液型、症状…ここまでは普通だな。しかし―――」

 

「問題はその後ね…。何の薬を投与したら症状が変化した、施術後に何の病気が発症した…。この書き方、経過後の状態にしか興味無い様に見えるわ」

 

「職業上の役割としては正しいかも。これをしたらこういう結果が生まれた。結果さえ分かっていれば過程は省略できる。でも、医者としては―――」

 

「失格と言わざるを得ない。患者に対する思いやりも温かみも感じない」

 

「…実験棟ね……。彼にとって手術も薬の投与も実験の一環…ってことかしら」

 

 

 頭に来るぜ、とスカルが感情任せに壁を殴る。

 

 

「実験…、か。」

 

「どうした、ジョーカー?」

 

「いや、実験っていう以上、何か目的があるんじゃないかと思ってな」

 

「…確かに。思えばパレスも研究所を名乗っている。研究と言っている以上、研究になる対象がある筈だが…」

 

「命を扱うって、シャドウは言ってたけど…」

 

 

 この場で一番オオヤマダを知っているであろう人物、ウィッチに何か知っているかとジョーカーは問うが、彼女も知らない様で首を左右に振る。

 

 

「まぁ考えていても仕方ない。パレスを進めばいずれ分かる事だ」

 

 

 モナの言う通り、パレスが本人の心の内面を具現化させている以上、オオヤマダの真意も分かるだろう。

 一同は揃って頷きを返し、資料室を後にした。

 

 

 

 

 結局、その後は目ぼしいものは発見できず、その日の探索は少し進んだセーフルームで打ち切りとなった。

 

 

 

 

 

 同日 夜

 

 

 パレスから帰還し、場所は変わって雪雫の自宅。

 最早同居人と言っても良いほど入り浸っているりせが視線を送る先には、家主である雪雫ともう一人、メイド姿の女性が居た。

 

 珍しく雪雫の顔はいじけている様で、それに対してメイドの方は怒っているような呆れているような、そんな雰囲気を放っていた。

 

 どうしてこうなったか。

 それはこの事実さえ知っていれば、自ずと見えてくるだろう。

 

 そう、天城雪雫は家事が苦手である。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 普段は基本的にりせに任せ、彼女が居ない時は家事代行サービスのメイド「べっきぃ」に頼むという割と怠惰な生活を送っている。

 

 

「言い訳を聞きましょうか?」

 

「……えーっと…」

 

 

 りせはそれがもう慣れたものだと寧ろ喜んで行うし、べっきぃこと川上貞世はお金貰っている以上は仕事なので何だかんだでやる。

 そこに2人とも異論は無い。

 

 しかし、しかしだ。

 

 前者は兎も角として、後者。

 つまりは川上はあくまでもメイドは副業であって本業は教師。うら若き生徒を正しく教育し、健やかな成長を見守る所謂聖職者である。

 根っからの教育者である川上にとって、これは見過ごせない

 

 もう一度言うが、天城雪雫は家事が苦手である。

 付け加えるのならば、どこぞの次期女将と一緒で、料理スキルは皆無。(因みにではあるがマシになったとはいえ、りせも大概である)

 

 

「洗濯物が溜まるのは良いわ。物が出しっぱなしになるのも良い。片付ければ済む話だからね。だけど……」

 

 

 川上の視線の先には台所のゴミ箱の中。

 カップ麺、ファーストフード、宅配ピザ、カップ麺……。

 偏った食生活をしているというのがヒシヒシと伝わる内容だった。

 

 

「食事だけはきちんとしなさい! 貴女位の歳はまだ成長の途中! 食生活が原因で病院のお世話とか笑えないわよ!」

 

「忙しかったから……」

 

 

 そう、忙しかった。

 雪雫の言い分はこれに尽きる。

 話す訳にはいかないが、金城の一件から大山田の一件と立て続けに起こっているのだ。しかも今回の場合は当事者と言っても良い。

 放課後の時間は大体怪盗団に費やしている現状、何処か別の所を削る必要がある。

 

 と言っても、余裕があったとしても雪雫は料理など出来ないのだが。

 

 

「ああ、そうよね。忙しいわよね~。テスト前だもんね~」

 

「うん、分かってくれた?」

 

「じゃあ忙しく無くなったらちゃんとしたご飯取るのよね?」

 

 

 今更だが、今の雪雫は仁王立ちしている川上の目の前で正座させられている状況だ。

 絨毯の上とは言え、いい加減足が痺れてきた雪雫は、解放されたい一心で調子良く首を縦に振る。

 しかし。

 

 

「雪ちゃんは暇でも料理しないよ。だって出来ないもん」

 

「っ!」

 

「へぇ…?」

 

 

 そこに後ろで様子を見ていたりせの声が加わる。

 しかし何時もの雪雫全肯定モードでは無く、寧ろ逆の意地悪モードで。

 

 助け船が来たかと思いきや、そうでなかった事実に雪雫の殆ど動かない表情に僅かに陰りが出来る。

 結局、川上の勤務時間が終えるまで雪雫に対する説教は続き、足が痺れに痺れた雪雫は、文字通りりせにおんぶにだっこ状態で暫く面倒を見て貰うことに。

 

 

(役得~♪)

 

 

 りせはそう内心で呟きながら、雪雫を横抱きにして寝室に向かった。 

 

 

 


 

 

~番外編~

 

尋問室シーン

 

 

 ここに来てどれくらいの時間が経ったのだろう。

 1時間か、1日か、1週間か、1年か―――。

 

 時間の感覚すら奪われるこの場所。

 

 せめてもの救いは目の前に居る検事、新島冴はこちらに危害を加えるつもりは無く、あくまでも話し合いのテーブルについてくれている事だ。

 

 

 俺はこの場所で怪盗団の登場…、つまりは4月の鴨志田の改心事件から順番にこの新島さんに話した。

 薬の影響で意識がまだハッキリしない。

 どこまで話したんだっけっか。

 

 

「次の怪盗団の標的はこの人…」

 

 

 ああ、そうか。次は彼女の件か。

 

 

「栄都病院の医局長、大山田省一。金城の1件から随分と間もないわね。いえ、金城が片付いたからこそ、次に彼を狙ったとも言えるわね」

 

 

 新島さんはファイルを取り出し、こちらに差し出す。 

 中に入っているのは今までの改心事件の詳細を丁寧に纏められたもの。

 よく調べられている。

 

 

「輝かしい功績のその裏で、裏社会と繋がり、命を軽んじる外道そのもの…。洗いざらい吐いてもらうわよ!」

  

 

 

 

 

尋問室シーン その2 コープ編

 

 

 悪党の改心の合間に育んできた協力者との絆。

 警察は周りの交友関係もお見通しの様で、誰一人として聞き漏らす事は無かった。

 

 そして、次の人物は―――

 

 

「君達の身のこなし、普通では無かった。と現場の警官から報告を受けているわ。ついこの間まで普通の高校生だった、とはにわかに信じられない位だと。私も一部始終を見させてもらったわ。とても独学で学んだとは思えない程――、つまりリーダーである君とは他に、指導者が居たと私は考えているの……。

 

どうなの?」



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30:Don't feel bad.

 

 

 

7月4日 月曜日 雨

 

 

 

 現実では振り続けている雨も、イセカイでは関係無い。

 いや、正確に言えば、大衆のパレスであるメメントスではその限りでは無いのだが。

 

 兎も角、外が悪天候であっても、怪盗団は今日も今日とてパレス内を駆け回る。

 

 

 

オオヤマダ・パレス 1F 実験区域

 

 

「…は、は…、はぁ……」

 

「…ぜ、前回……は、こんな、の……居なかったよ………!?」

 

「たまたま出くわさなかったか。それともオオヤマダが追加したか」

 

「お前…、よくこんな走ってって息切れ、しないよな……!」

 

「伊達にMV撮ってない」

 

 

 極一部のメンバーを除いて、怪盗団は息を切らしながら走る走る。

 彼らを追うのは大勢の犬型のシャドウ。

 研究所の長い廊下を絶賛追いかけっこ中だ。

 

 

「くそぉ…! ペルソナが出せれば……あんな奴ら、ぶっ飛ばせるのによ!」

 

「オマエが言うな!」

 

 

 スカルの言う通り、ペルソナ能力が使えるのならば、こんなに逃げ回る必要は無い。

 実際に使えないのだ。

 理屈は不明だが、どうやら先の部屋でスカルがスイッチを押した事によって散布されたガスが原因だと思われるが―――。

 

 

「殲滅?」

 

 

 遊びに誘うかの様な気軽さでウィッチの口から物騒なワードが飛び出す。

 今は背負われている大鎌の刃も、見えない筈なのに光っている気がした。

 

「待て待て待て! いくらオマエでもあの数は無理だろ!」

 

「今は大人しく逃げよう!」

 

 

 地図によればこのまま進めば上の階層である保護区域に繋がっている様だ。

 今居る廊下は生憎の一本道。敵を撒こうにも撒けない状況だ。

 一先ず上の階までは逃げに徹し、上で改めて対策を取る…、そのつもりだったが。

 

 上の階に続く階段。

 その目の前にはゲートの様なモノが設置されていた。

 現実世界で言う家電量販店で良く見る様な。

 

 元陸上部のエースという事もあって、そのゲートを一早くスカルが通る。

 そして次にウィッチが。

 

 特にそのゲートの様なモノは二人に反応を見せず、続くジョーカー達にも反応を示さないが―――

 

 

「きゃっ!? 何!?」

 

「苦しい」

 

 

 怪盗団を追っていたシャドウ達がその間を通った瞬間、けたたましい音が鳴り響いた。

 あまりの突然の出来事にクイーンは思わず隣に居た雪雫を力一杯に抱きしめる。

 また他のメンバーもクイーン程では無いが、驚いた様子でその音が鳴った方向…つまりは件のゲートの方へ視線を向けるたその時。

 パンっと軽快な破裂音と共にシャドウが内部から文字通り破裂した。

 人間では無いとは言え、生き物の形を保っていたモノの崩壊に、怪盗団は一名を除いて顔を引き攣らせている。

 

 

「何か…した……?」

 

「何で私?」

 

「いや、そういう担当なのかなぁって……」

 

 

 そういうのに強いのか、はたまた鈍いだけか。意識を一早く現実に戻したスカル。

 ヘナヘナと座り込むクイーンが脚に抱き着いた状態のウィッチに恐る恐る問う。これはお前がやったのか、と。

 

 年頃の女の子に対して非情にデリカシーの無い質問だと、内心でパンサーは思ったが、しかしながらスカルに少し同意する部分もあったので口には出せなかった。

 

 アリスの魔法、今回の攻略で度々垣間見える戦闘への圧倒的センス。

 もし今のが怪盗団の誰かの仕業だとしたら、間違いなく容疑者はウィッチだ。

 

 

「何もしてない。そういうシステムだった、としか思えない。爆発する前、大きな音鳴ってた」

 

「システム?」

 

「ここは実験区域。さっきの犬のシャドウはあからさまな実験動物。上の階に行こうとしたら勝手にああなる様に仕組まれてた…、とか」

 

「なるほど…、実験動物を外に漏らす訳にはいかない……。確かに理には叶っているが…」

 

「じゃあ何で俺達は平気だったんだ?」

 

 

 スカルの最もな疑問に、よろよろと疲れた様子で立ち上がったクイーンが答える。

 

 

「……はぁ、びっくりした……。……えっと…、ゲートの方はあくまでも警告を知らせる為であって、細工自体は動物達の方にされてたのかもね。装飾品…ないしは投与された薬品、とか?」

 

「どちらにせよ、私達はオオヤマダ側から何かを渡された覚えも、投与された覚えもない。そうじゃなかったらゲート通る前に皆を止めてる」

 

「さっきのガスの可能性は?」

 

「スカルのたまたまで撒かれるガス何て、仕掛けにもならない」

 

「あれ、俺バカにされてる?」

 

「されてるな」

 

「うん、私もしてるもん」

 

 

 ヒドクね……。と項垂れるスカルはさておき、偶然とは言え敵を撒いた一同は、暫しの休息の後、上の階へと足を進める。

 

 

 

 

 

 

オオヤマダ・パレス 2F 保護区域

 

 

 

 下の階とは変わり、小さな小部屋が立ち並び、狭く細い道が入り乱れている2F。

 この階が何を指示しているかは、階層の全貌を確認しなくても一目瞭然だった。

 

 

「……患者の保護区域…、つまりは病床か」

 

「それにしては物騒だな……」

 

「厚ぼったい鉄の扉…、外からしか掛けれない仕様の鍵…。まるで監獄ね」

 

「…まぁこれもシステムとしては遠からず近からず。医者自身がそう考えるのは頂けないけど」

 

 

 何処か懐かしむ様な表情を浮かべて、ウィッチは鉄の扉をそっと一撫で。

 大分長い事使われているのか、その指には僅かにサビか付着した。

 

 彼女が触れた病室のネームプレートには「B2453」の文字。

 恐らく、中の人物を指す名前なのだろう。

 

 それを冷たく睨み付けた後、ウィッチは身を翻してジョーカー達の元へ。

 

 

「監獄…か。つまりここにおけるナース達は看守の様なものか」

 

「……看守、か………」

 

「ジョーカー? 看守に何かあるの?」

 

「い、いや、何も……」

 

 

 何故か言葉を詰まらせながら尾てい骨辺りに手を充てているジョーカー。

 この悩みは金輪際、彼にしか分からないかもしれない。

 

 

「道自体もそこまで広く無いわ。あまり派手動けないわね」

 

 

 クイーンがそう言うとみんなの視線がウィッチの元へ集まる。

 

 

「だってよ」

 

「問題無い。状況に合わせた適切な対処をするだけ」

 

「何か、戦闘ロボットみたいだな…、オマエ……」

 

……ん、ロボット…

 

 

 ウィッチが少し気にした様子で小さく呟く。

 

 

「…………」

 

 

 その呟きはジョーカーの耳には届いていたが、上手く掛ける言葉が見つからず、結局そのまま探索開始となった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「パンサーが弱点を突いたぞ!」

 

 

 喜々としたモナの声が響く。

 パンサーのペルソナ…カルメンが放った魔法は的確にシャドウの弱点を射抜き、件のシャドウはその体勢を崩す。

 これで、対峙するシャドウ達が、全員漏れなく首を差し出す様に地面に片膝をついた。

 それが意味するのは――――

 

 

「総攻撃だ!」

 

 

 ジョーカーの言葉に怪盗団はそれぞれ武器を構えてシャドウを取り囲む。

 斬って、打って、殴って、また斬って……。

 そして止めを差しに行くのはウィッチ。

 大鎌を構え、何時ものようにシャドウ達へ突っ込み、一閃。

 

 その後、自身の武器でポールダンスでもするかの様に遊んでいるウィッチの後ろで、シャドウ達は血飛沫を上げながら消滅していった。

 

Good bye. Don't feel bad.

(さようなら。悪く思わないでね)

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 探索、戦闘、探索……それの繰り返し。

 隅々までフロアを踏破したい派のジョーカーとスカル、そしてウィッチ中心に隅から隅まで駆け回る。

 所々に置かれた宝箱の様なモノの一喜一憂しながら、体感時間にして1時間ほど。

 

 

「特に新薬に関するデータも新しい情報も無かったわね」

 

 

 パレスにおける唯一の安全地帯。

 現実の大山田の認知が…つまりは影響力が弱い部分。時折ぶれて見えるナースステーションが、妙にそれを納得させる。

 やはり異性が集まる場所、というのは立場が上であっても関わりにくいのだろうか。

 

 

「上の階に繋がる階段も見つけた事だ。長居する必要も無いだろう」

 

「それもそうね。他に何か…、気になる事が無いなら―――」

 

「? どったの、雪ちゃん。浮かない顔して」

 

 

 パンサーの言葉で、皆の視線がウィッチに集まる。

 大きな帽子のつばで顔の半分は隠れているが、その僅かに見える口元は不安を表す様に震えていた。

 

 

「……美和の、病室が無かった」

 

「………それは…」

 

 

 ここは大山田の認知世界。

 彼の内面が色濃く反映された精神そのもの、と言っても過言では無い。

 

 

「美和ちゃんの名前が別のモノに代わっていた、可能性は?」

 

「その可能性は低いと思う。否定はしないけど」

 

「何か根拠があるのか?」

 

「病室の前のネームプレート。名前がそのまま書いてある人と、そうでない人、2つのパターンがあった。多分、現実の大山田がその人の名前を認識しているかどうかの違いだと思う。一個一個確認したけど、そこに美和の名前は無い」

 

 

 ウィッチは言う、担当医である大山田が彼女を認識していないのはおかしい、と。

 

 

「まぁ確かに。今のオオヤマダにとって、ミワほど影響がでかい患者なんて居ないだろうからな」

 

「ここに無い…、っていうことは、…最悪………」

 

「断定するのは早い」

 

「………ジョーカー…」

 

「別の病院に移された、この階では無く別の階…、いくらでも理由は思いつく」

 

 

 少女の震える肩にそっと手を置き、安心させる様に笑みを向けるジョーカー。

 彼の言葉には不思議なカリスマ性がある様で、それを見たウィッチは幾らか落ち着きを取り戻した様だ。

 

 

「…少し早いけど、今日はここまで、かしらね。皆にも疲労が見えるわ」

 

「………そうだな」

 

 

 チラリ、とウィッチを一瞥し、クイーンは手を叩いて幹事の様に取り仕切る。気を使ったのだろう。

 彼女の心配も最もで、ウィッチは人一倍、気を張り巡らせていた。少しでも見逃さないように、取り零しの内容に。

 何時も通りに見えてもその疲労は相当の筈だ。

 

 

「おしっ! なら皆で飯でも食いに行くか~!」

 

「お~! ナイスアイデア!」

 

 

 早めに帰還できると知ったスカルは、満面の笑みを浮かべて食事を提案。それに同意する様にパンサーも指をパチンと鳴らす。

 

 

「何処か良い場所知ってるの?」

 

「言っとくが、俺は金無いぞ」

 

 

 意外にもクイーンとフォックスも乗り気の様で、2人も同じように笑みを浮かべる。

 

 

「ご飯?」

 

「そ、ご・は・ん。まぁ、お嬢様にはちょっと縁が遠い所かもしれないがな~」

 

「?」

 

 

 ふふん、と得意気に笑うスカルに、ウィッチは首を傾げた。

 

 

 

 

 

 店内に立ち込める湯気、エアコンが効いているのにも関わらず暑い店内、やけにテンションの高い店員。そして立ち込める濃厚なスープの匂い。

 ラーメン屋である。

 

 

「………そんなに、縁無さそう?」

 

 

 ジトっとした目を送る竜司に送る雪雫。

 こうしている今も、店内には店員の元気な声が響く。

 

 

「うん」

 

「無さそう」

 

「無い、かな……」

 

「無いな」

 

「無い、わね」

 

 

 蓮、竜司、杏、祐介、真が口々に同意の言葉を漏らす。

 

 

「一応、地元では良く行ってた……」

 

「へぇ! 意外!!」

 

「老舗旅館のお嬢様も、そういうトコ行くんだな!」

 

 

 雪雫の故郷、八十稲羽市の商店街に佇むラーメン屋。

 何でも良くりせ達と一緒に行っていたらしい。

 

 

「どういう店なんだ?」

 

「普通のラーメン屋。餃子とか炒飯とか一緒に出している様な。ここみたいに何とか系って訳では無い」

 

「へぇ~、オススメは?」

 

「肉丼」

 

「なんでだよ」

 

 

 ラーメンかと思いきや、180度違う食べ物の名前に、蓮のカバンの中に居たモルガナが思わずつっこむ。

 

 そんな感じで雑談を交えながらも皆は、モルガナからの羨望の眼差しをヒシヒシと感じながら、ラーメンを楽しむのだった。

 

 

 

 これは余談だが、雪雫の食事の際の、丁寧過ぎるとも言える完成された所作に一同はしばし圧倒されていたとか。

 

 本人はいつも通りにしていたと話しているが、そういう所も含めて、蓮達はまざまざとそのお嬢様部分を見せつけられたらしい。

 




途中に出てくる英文、合ってるかどうかは置いといて。
私のイメージ的には総攻撃の時の一枚絵のやつのつもりです。
ジョーカーでいう所の「THE SHOW'S OVER」みたいな。

私の頭の中では、誰かさんと同じく、雪雫さんは二つ種類ありまして、装備しているペルソナに変わって絵と文が変わる…と考えてます

アリスだと前にあった
That was fun. See you soon.

ジャンヌ・ダルクだと今話の
Good bye. Don't feel bad.

になります。
…こういう妄想してるときが一番楽しい

一枚絵がどういう感じかは筆舌し難いので、ご想像にお任せします(他力本願)



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31:I have been reborn.

 

 

 皆が私を称賛した。

 

 天才、奇跡の医者。

 皆が手放しに私を称えた。

 

 ああ、現代に蘇ったアスクレピオスとも言われたね。

 死者さえも蘇らせたとかいうギリシャ神話の名医。

 

 何も知らない癖に。

 

 

 暫くはその話が冷める事は無かった。

 沢山のマスコミが押しかけ、取材、インタビューの毎日。

 

 それらに対し、決まって私はこう言った。

 

 

「私は何もしていません。少女の頑張りのお陰です」

 

 

 と。

 

 

 事実だ。

 そう、私は何もしていない。

 結局、彼女の病気が何なのか、突き止める事は出来なかった。

 日に日に衰弱していく彼女を、ただただ見守る事しか出来なかった。

 

 現代医療に限界を感じた瞬間だった。

 

 治せないモノは治せない。

 

 それが当時の私の限界であり、同時に世界の真理でもあった。

 

 

 しかし、それは直ぐに音を立てて崩れ去った。

 

 

 あれは何時の日だったか。

 ああ、そうだ。彼女が入院した次の年の1月。

 

 ベッドでただただ外を眺めるだけだった彼女が、平然と歩いていた。

 まるで病気そのものが初めから無かった様に。

 

 降り注ぐ日差しの元で、つい先日まで黒かった筈の髪を靡かせて、踊る様に歩いている。

 

 点滴に繋がれ、呼吸器を付けれられてた少女が。今外に。

 

 

 目を疑った、いくつもの疑問が浮かんだ。

 しかし、その時はまだ、安堵の気持ちで一杯だった。

 

 少なくともその日は。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

7月5日 火曜日 曇り

 

 

 目を覚ますと隣に聞こえるのは幼馴染の寝息。

 時刻は朝の6時半をちょっとばかり過ぎた頃。

 

 どうやら、珍しく早起きというものをしたらしい。

 

 

「………はぁ」

 

 

 一度目を瞑り、再び眠りに落ちてみようと試みたが、どうにも寝れる気がしない。

 

 身体を起こそうにも、隣の彼女の四肢がしっかりと私に回されていて抜け出せない。

 無理に解いても良かったのだが、別に嫌でも無いし、仕事で疲れている彼女を起こすのも忍びない。……暑いけど。

 

 諦めて彼女が起きるまで、こうして大人しくしていよう。

 

 

「…………」

 

 

 こうして朝早くに起きてぼんやりと天井を眺めていると、何となく昔を思い出す。

 2010年1月。

 文字通り生まれ変わった日の事を。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 何があったのかは自分でも分からない。

 ただそこにあったのは変わり果てた自分という結果だけ。

 

 まず視界に入ったのは瞳にかかる自身の髪。

 テラテラと日差しを反射させる、真っ白な髪。

 

 次に気付いたのは身体の軽さ。

 体重云々の話では無い。いや、体重の話をするならば、私は平均よりもずっと軽いらしい。妙が怒ってた。

 ……話が逸れた。

 

 昨日まで鉛の様に重かった身体が、私を病床に拘束する様に渦巻いていた不調が、身体から綺麗さっぱり無くなっていた。

 

 驚いた。困惑もした。しかしその時は高揚が勝った。

 子どもの私に、逸る気持ちを抑える事など到底出来ず、身体に纏わり付く点滴や呼吸器を全て払い除けて、ベッドを飛び出す。

 点滴を無理矢理抜かれた腕から血が流れ出た。行儀悪く裸足のまま駆け出した。

 そんな事はどうでもいい事だった。

 

 部屋に備え付けられた洗面台の鏡を夢中で覗いた。

 そこに居たのは変わり果てた自分。

 

 髪は黒から白へ。

 瞳は黒から赤へ。

 生気が失った顔はそれを取り戻し。

 それを見た私の瞳も心無しか輝いていた。

 

 久しぶりに自身の服に袖を通し、靴を履く。

 誰にも見つからない様にコッソリと、私は病院の外へ。

 

 外の風が心地良かった。

 降り注ぐ日差しが、母の抱擁の様に温かかった。

 五月蠅いほどの都会の喧騒が、優美なオーケストラの様だった。

 

 あの時、直観した。

 そう、私は生まれ変わった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 あの日の前の晩、何があったのだろうと今でも思う。

 

 毎晩0時になった時、決まって訪れた、今は無き影の時間。

 あの日も例外無く、私は一人それを迎えた。

 

 全ての電子機器が止まり、空は地底の様に重く、それを見下ろす月は死そのものの様で。

 化け物達が闊歩する、地獄の時間。

 

 何時もの様に部屋の隅で縮こまっていたのは憶えている。

 化け物に見つからない様に祈りながら。

 

 しかし、憶えているのはそれだけだ。

 気付いたら世界は朝で、私はベッドの上で。

 

 そのまま寝てしまったのだろうか。

 そんな呑気な事も考えたけど、しっくりこない。

 何があったかは分からない。

 しかし。

 

 

「…………どうでもいい」

 

 

 そう、今となってしまえばどうでもいい事だ。

 だって、私はこうして今ここに居るし、彼女の温もりを感じる事も出来る。

 

 あの晩、何が起きていたとしても、それはもう―――。

 

 

「……あれ、………早起きだね…」

 

「…おはよう」

 

 

 気付けばりせがこちらを見ていた。

 眠い目を擦って、欠伸を漏らして。

 

 

「…おはよう~……。眠れなかったの?」

 

「逆。眠り過ぎただけ」

 

 

 そう言うと、なにそれ。と笑みを浮かべるりせ。

 それを見ていて、ほんのりと温かな気持ちが湧く。

 ああ、この笑顔が好きだな、と。

 

 何となく、彼女の胸に顔を埋めて、鼓動と体温を目を閉じて感じる。

 え、え?…雪ちゃん!朝から困るよー!と騒いでいるりせを無視してさらに密着させる。

 うるさい、困ってしまえ。

 

 

「夏に、帰っておいでって。皆言ってたよ」

 

 

 そう私の頭を撫でながら、りせは優しく言う。

 

 

「雪子センパイも、千枝センパイも、花村センパイも、完二も、クマも」

 

 

 友達…、と言っていいのか分からないけど、歳離れた私にも良くしてくれた人たち。

 私の、もう一つの居場所。

 

 

「……うん」

 

 

 話す訳にはいかないけども、この数か月で色々あった。

 会いたい、素直に心からそう思う。

 

 

 今の件が片付いたら、ね。

 

 

 

 

 

 斬る。

 斬る。

 斬る。

 刃が間に合わないその時は、柄の部分で殴る。

 

 持ち運びには不便だが、こういう時の長物は便利だ、と少女は笑みを作った。

 

 

「ジャンヌ・ダルク!」

 

 

 捌き切れなければ、その時はもう一つの力を行使すれば良い。

 効率良く、適切に。

 瞬時に頭に浮かんだ行動を選択し、それを行動に移す。

 

 言葉にすれば単純だ。でもそれを実行するのは複雑極まる。

 だからそれを淡々とやってのける彼女は、末恐ろしい。

 

 

「いやー、何時に無く張り切ってるなぁ……っと!」

 

「口動かしてないで手を動かせ、手を!」

 

 

 次々に湧き出るシャドウ達。

 これが次の階層に進む為の最後の関門。

 

 倒しても倒しても出てくるシャドウを、各々の判断で迎撃。

 まさに乱戦、混戦、スクランブル。

 

 戦場はますます混沌を極めていく――――。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「敵、多過ぎ」

 

「いやぁ、倒した倒した~!」

 

 

 パレスの外、病院の敷地内の隅っこ。

 

 ジョーカーが虚空を見つめながら佇んでいた。

 度々、ジョーカーはこうして意識が何処かに行くことがある、何でも手に入れたペルソナを処刑したり懲罰したりしているらしい。

 それを聞いたウィッチは意味が分からない、と首を傾げていたらしい。

 

 兎に角、ジョーカーの意識が帰還しなければ、現実世界に帰る事も出来ない。

 彼を待っている間、暇を持て余した一同は、雑談に興じていた。

 内容は勿論、パレスの事。

 

 

「オタカラが近い、ってことかしらね」

 

「もしくは、何か見られたくないものでもあるのか……」

 

「見られたく無いもの……」

 

 

 十中八九、新薬のデータだろう。

 

 

「案内図に次の階層の事は書いていない。つまり」

 

「一般には非公開の情報……、表沙汰に出来ない区域ってことかしらね」

 

「表沙汰に、出来ない……」

 

 

 鬼が出るか蛇が出るか。

 まだ見ぬ区域に、不思議と胸が高鳴った。

 そんな気がした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

7月6日 水曜日 雨

 

 

 

「心を知りたい?」

 

 

 ふと、祐介は雪雫にそう言った。

 

 

「ああ。俺はサユリの様な純粋な美を描きたい。その為には人の心、というモノを学びたいと思っているのだが、心なんて目に見えないモノ、正直、掴みあぐねてな…。心を知る為に何を描けばいいか。それを蓮と共に模索しているんだ」

 

「そういうこと」

 

 

 祐介の後ろの蓮が、眼鏡を光らせて頷く。

 

 

「すまないな、大山田の事もあるのに」

 

「ううん、私の悩みと、皆の悩みはまた別だから。……それで、私は何をすれば?」

 

 

 ジトっとした視線が、祐介…では無く後ろの蓮へ刺さる。

 その目は「私もそれを知りたいのに、私に聞いてどうするんだ」と語っている様だった。

 

 

「君に……」

 

「?」

 

「君にモデルになって欲しいんだ!!!!」

 

 

 人々が忙しなく往来する渋谷駅で、祐介は綺麗な土下座を繰り出した。

 

 

 

 

 

 

「すまないな、大山田の事もあるのに」

 

「ううん、私の悩みと、皆の悩みはまた別だから」

 

「ありがとう、そう言って貰えると助かる」

 

 

 純粋な美、について祐介は考えた。

 

 

 世俗に塗れず、美そのものをありのままに描きたい。

 

 

 祐介はそう考えた。

 

 

 

 しかし、いざ筆を取ろうとも、それは進まない。

 

 頭に浮かぶのだ。

 斑目の指南を受けた自身に、果たしてそれを描けるのか、と。

 

 答えは出なかった。出る筈が無かった。

 結局、描かなければ、自分は何も分からないのだから。

 絵描きというのはそういう生き物だ。

 

 

 そうと決まれば描いた。兎に角描いた。

 

 蓮と共に各所へ渡り。

 人の気持ちそのものを反映したメメントスの風景。

 お互いを想い合う恋人たちの情景。

 苦悩を表した聖職者の光景。

 

 しかし、答えは未だに出ていない。

 

 

 更なる美を追い求め、祐介は疾走する。

 そして、行き着いたのが―――。

 

 

「…私……? 納得いかない…」

 

「いや、謙遜する事は無い。その陶器の様な白い肌。シルクの様な白い髪。精巧に計算しつくされたパーツの数々。素晴らしい。神に造られた人形の様だ。あぁ、まさに美そのもの! 純粋な美と言っても良い!!」

 

 

 物置部屋に充満する具材の匂いに包まれながら、祐介は興奮した様に言う。

 言われた雪雫は、流石に気恥ずかしい様で、少し顔を赤らめていた。

 

 

「……はぁ。まぁいいや。祐介のスランプが終わるなら、これくらい良いよ」

 

「ありがとう。遠慮無く言葉に甘えさせてもらおう」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「素晴らしい……。輪郭、その無垢なる表情…、全てが、全てが世界に愛されている……、即ち、人の愛そのもの! 人類の秘宝!」

 

「………うるさい」

 

「…我慢してやってくれ………」

 

「ああ、良いぞ…。筆が進む……、進むぞ! フハハハハハハハハ!!!!」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 順調に進んでいた筆が、ピタリと止まった。

 眉間に皺を寄せて、険しい表情を作り、考え込む様にキャンバスと睨めっこしている。

 

 そういう事もあるだろう、と雪雫も最初は気にしなかったが、筆が止まって15分程。流石に気になって口を開く。

 

 

「どうかした?」

 

「………ダメだ」

 

「?」

 

 

 そう言うや否や、祐介は筆を置き、頭を抱えて項垂れる。

 

 

 

「俺には…、世俗に塗れた俺に君の美は表現出来無い。何度描いても、描き直しても、しっくりいかないんだ。君のありのままが描けない。一体何だ、何が足りない?」

 

 

 気になってキャンバスを覗けば、顔の輪郭や髪は描かれていたものの、肝心の顔のパーツが描かれていなかった。

 

 

「………」

 

「これではダメだ。純粋な美とは言えない、今すぐにでも描き直そ――――」

 

「別に、描き直さなくて良いと思う」

 

「何?」

 

 

 雪雫から放たれた言葉に、意外そうな声を上げて俯いていた顔を彼女に向ける。

 

 

「……祐介、描く事に固執し過ぎてない?」

 

「……? 絵描きなのだから当然だろう」

 

「私は…、描かない芸術も、あると思う。観た人に想像の余地を与える様な、人によって捉え方が変わる様な。そんな曖昧な芸術」

 

「………それは…」

 

 

 勿論そう言う作品があるのは知っている。

 描きたいものをあえて不透明に仕上げる事で、その本質を多角化する………。

 彼女が言っているのはそう言うものだろう。

 

 

「勿論、作者である祐介が納得するのが一番。でも、今の祐介は答えを決めつけて描いている部分はあると思う。世俗に塗れたくない、斑目の様になりたくない…そう思うのは良いと思うけど、意識が強すぎて祐介自身の視野を狭めてない?」

 

「……………俺は…」

 

「兎に角、私はこれ好き。蓮は?」

 

「俺は芸術の事、よく分からないけど…。俺も好きだな。これはこれで一つの芸術なんじゃないのか? 祐介」

 

 

 2人の言葉を噛み砕いていたのか、たっぷりと時間を置いた後、祐介はゆらりと立ち上がる。

 そして。

 

 

「フフフフ、ハハハハハハハハハハ!!」

 

 

 狂った様にその場で笑い始めた。

 

 

「壊れた」

 

「元から…じゃないかな………?」

 

「面白い、面白いぞ! 真の美を追い求めるがあまり、道理が見えなくなってしまったのは俺の方か………! ありがとう、2人とも……。真なる芸術が何なのか、分かった様な気がする。さぁ…! 時間が許す限り筆を走らせる事としよう! そうだな…、題材は古びた新聞と欠けたコップが良い……!! 蓮! 早く持ってきてくれ!!」

 

 

 祐介のこの様子は日が暮れるまで続いた。



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32:have nothing to regret.

 

 

 クロスフォード・エンデ病。

 世界でも未だに医療法が確立されていない難病。

 

 長い期間に渡り、その難病を患った少女を担当しているが、未だに打開の兆しは見えない。

 どんな薬を試しても、どんな施術を施そうとも、所詮私に出来るのはその病気の進行を遅らす程度。

 

 幼い身体にそう安々と治療を繰り返す訳にもいかず、ハッキリ言って手詰まりだった。

 

 

 そんな折だった。

 私に声が掛かったのは。

 

 誰からの経由で私に声が掛かったのか、は今更の話だ。

 この立場になるまで、私は様々なしがらみを抱えた。

 武見君の一件だってそう。

 だからこれも、そのしがらみの内の1つ。

 

 

 簡単に言えば、エンデ病の研究に対する援助の取引だった。

 それ相応の金を払えば、相手は私に研究設備と手足となる駒を用意するという。

 

 きな臭い、と素直に思ったし、これは所謂「裏の取引」にあたるものだと理解もしていた。

 

 しかし、私にとってそれは悪魔の囁き等では無く、神の思し召しの様に感じた。

 藁にもすがる思いだった。

 失敗する訳にはいかなかったのだから。

 今更、手段を選んでいる場合では無い。

 

 私は、迷わずその手を取った。

 

 

 

 

 これではとても間に合わない。

 

 

 例の取引のお陰で開発は進んだ。

 しかし、従来通りのやり方では実用段階まで持っていくのに時間が掛かる。

 

 彼女が死ぬ前にエンデ病を治さなけば意味が無い。

 

 

 例の取引相手はエンデ病の新薬が産む利権そのものが目的だ。

 このままただただ手をこまねいていては、いずれ私の立場も危うくなるだろう。

 それは、それだけはダメなんだ。

 

 

 私はどんな手段を使っても今の立場を守る必要がある。

 今更、綺麗ごとだけで生きてはいけないのだ。

 

 

 

 

 1つ、命を摘んだ。

 

 居なくなっても誰も困らない、渋谷の路地裏に居たホームレスの男だ。

 

 

 死体はもう何処かに隠した。

 もう誰にも見つからないし、仮に見つかったとしても私に結び付く事は無いだろう。

 

 

 簡単な話だった。

 臨床実験をしたいと金さえ摘めば、一日も経たない内に男は用意され、その後の処理も同じようにスムーズだった。

 

 

 死因は開発中のエンデ病の薬によるもの。

 

 そうなるだろうとは思っていた。

 何せ人に投与するのは初めてだったから。

 

 

 しかし、得られた成果は大きかった。

 男は死んでしまったが、そうなった原因は明白だ。

 

 このデータを元に調整をしようと思う。

 

 

 

 

 もう何人目になるか。数えるのはとうにやめた。

 

 

 臨床実験を初めてからというもの、開発は劇的に進展した。

 初めはあった罪悪感も、今はもう存在しない。

 

 金を積み、仕事を依頼する。

 届いた人間を使って、実験と調整をする。

 

 ただ、私はそれを繰り返すだけだ。

 

 

 

 

 

 

 非常に不味い事態となった。

 

 私が開発している新薬、その前提から間違っていたのだ。

 

 

 私の理論では他の細胞を攻撃する悪性の細胞を全て死滅させる事で治る、そう説いていた。

 だが、その理論に基づいて開発した薬は、悪性のみならず、その全ての細胞を死滅させてしまうらしい。

 

 もう少し早く気付ければ、この問題も修正出来たかもしれない。

 しかし、もう遅い。

 

 私も慣れない事をして疲れていたのだろうか。

 とうに上には完成の兆しがあると報告してあるし、これまで犠牲にしてきた者達の事を考えると、今更やり直すなどと虫のいい話、まかり通るわけが無い。

 

 幸いにも先日、薬を投与した男はまだ生きている。

 一縷の望みを掛けるしかない。

 

 

 

 

 渋谷で死体が発見された。

 

 どうやら金城の部下が処理にミスったらしい。

 

 

 幸い、被害者がホームレスということもあり、大した騒ぎにもならずに他殺では無く服毒による自殺という線で収まる様だ。

 念の為、担当の解剖医にでも連絡をしておくことにしよう。

 

 

 

 

 金城が捕まった。

 

 

 巷で噂の怪盗団とやらに目を付けられたらしい。

 全く、ヘマを打ってくれる。

 

 

 奴の部下が言うに、怪盗団に目を付けられるその少し前に、都内の高校の生徒とひと悶着合ったらしい。

 そしてその高校生たちと共に、白髪を携えた小柄な少女が居た、とも。

 写真も見た。

 

 白髪の小柄な少女。

 そう何人も居る筈が無い。間違いなく、彼女だった。

 

 何処から漏れた?

 いや、バレた経緯など考えても無駄な事だ。

 

 彼女が金城を嗅ぎ回っていた、という事には代わりない。

 私の存在へ結びつくのは時間の問題だろう。

 

 相変わらず上からの催促の連絡も絶えず来る。

 そろそろ潮時か。

 

 

 薬は未だに安定しないまま。

 運が良ければ害は無いが、運が悪ければ……。

 

 さてさて、私に残された選択肢は――――

 

 

 

◇◇◇

 

 

7月7日 木曜日 曇り

 

 

 物が落ちる音が響いた。

 

 音が鳴った方へ視線を向けると、そこには綺麗に切断されたスチールラックと宙を舞う資料の数々。

 そして、紙の雨の中に佇む白髪の少女。

 小さな手に握られた大鎌が、彼女の仕業ということを端的にアピールしていた。

 

 

「………雪雫…」

 

 

 真…クイーンはその少女を悲しそうに見つめる。

 

 

「大山田……」

 

 

 そう呟く少女の顔は、怒りに満ちていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

7月8日 金曜日 雨

 

 

 本人の内面が反映された世界、とは良く言ったものだ。

 大山田がひた隠しにしていた事を、少し探索すれば知ることが出来るのだから。

 

 研究所の案内図にも記載の無い階層。

 地上から数えると3つ目の階。

 

 そこにあったのは秘匿されたであろう出来事。

 妙の一件の事から、現在に至るまでに起きたきな臭い話の数々。

 

 

 中でも目に引いたのは、持ち掛けられたという取引だろう。

 

 初めは真っ当に従事していた大山田の元に訪れた支援の話。

 詳細は省くが、話の流れからして持ち掛けたのは金城の言っていた「パレスを使って好き勝手している奴ら」の一人だろう。

 

 金さえ積めば、望むモノは与えられる。

 彼の言っていた人付き合い、というのはコレの事を指すのだろう。

 お金を要求された時期とも一致する。

 

 

 そしてその悍ましい内容は人体実験そのもの。

 

 金城達が人を攫い、その攫った人間で臨床実験を行う。まだその段階にも行っていない未完成の薬を使って。

 

 

「……………っ」

 

「珍しいわね。怒ってるの?」

 

 

 はい、紅茶。と診療所の主、武見妙は紅茶を並々注いだカップを差し出す。

 

 

「……飲みにくい」

 

「いきなり押し掛けておいて贅沢言うんじゃないわよ」

 

 

 ゆっくりと紅茶を零さないように、指から伝わる程よい熱を感じながらそっと一口。

 口内に上品な茶葉の匂いが広がるのを感じて、雪雫は少し溜息を吐く。

 

 

「んで? 今日はどうかしたの? 怒ってる様に見えるけど」

 

「ん……」

 

 

 見つめる妙の視線から逃れる様に、視線を逸らす。

 

 何を話せばいいのだろうか、と雪雫は思った。

 怪盗団での出来事を話す訳にもいかず、かと言ってイセカイで知った事などもってのほか。

 表向きにはただの学生にしか過ぎない雪雫の口から、語れるものなど。

 

 

「……まぁ、大体察しは付くけどね。大山田の事でしょう?」

 

 

 溜息混じりに武見はそう呟く。

 

 

「! どうして……!」

 

「今朝ね、電話があったの。私が薬剤を取り寄せてる業者から。それも一社だけでは無く、何社もよ?」

 

「…………」

 

「取引中止、だってさ。皆口揃えてそう言ってた。多分、大山田からの圧力ね」

 

「……妙…」

 

 

 ここで潮時かもね、と自嘲気味に笑う武見に、雪雫は顔を顰める。

 

 

「そんな泣きそうな顔しないの。寧ろここまでやってこれたのが幸運だったの。………ありがとうね」

 

「私は…何も………」

 

「誤魔化さなくても良いの。全部、知ってるから。私がこうしてやれてたのは、貴女のお陰…。何も返せて無いけどね」

 

 

 ポンっと雪雫の頭に手を乗せて、優しく撫でる武見。

 当の雪雫は大人しく受け入れているものの、やはり悔しそうだった。

 

 

「美和は…」

 

「ん?」

 

「美和はどうなるの? 私、知ってる。開発してるんでしょ? エンデ病の特効薬…」

 

「……取引が止められた以上、私にはどうすることも………。それに大山田が今度新薬を発表するでしょう…。私にすることなんて―――」

 

 

 その時、雪雫の頭は真っ白になった。

 建前とか、物事の道理とか、常識とか。ごちゃごちゃ考えていたことを全て忘れて。

 

 我慢ならなかったのだ。

 武見の態度が。

 人の犠牲の上で成り立つ薬の存在が。

 

 

「あんな………っ…!あんな薬! あてになんて―――――!」

 

 

 椅子から立ち上がり、思いのまま言葉を吐き出す。

 嫌悪感、反感、増悪、それらを乗せて。

 

 そんな雪雫の態度を見た武見は怪訝そうに眉を顰める。

 彼女が声を荒げるなんて、珍しいと。

 

 

「雪雫、貴女――――何を知っているの?」

 

 

 

 

 

 何時の様にベッドに寝転んでスマホを弄っていると、短い電子音が鳴った。

 SNSのメッセージが届いた事を知らせる音だ。

 

 慣れた手付きでそのメッセージを開く。

 見慣れたトーク画面。

 差出人は最近になって怪盗団に入った少女、雪雫からの個別メッセージだった。

 

 

『妙に話した。新薬の事』

 

 

 彼女の言う妙、というのは四軒茶屋の診療所の女医、武見の事だ。

 話に行く、とは聞いていたが、結局包み隠さず話した様だった。

 

 

『妙、驚いてた。まさかそこまで大山田が落ちぶれてるとは思わなかったらしい』

 

 

 まぁ無理も無いだろう。

 まさか、人を攫って人体実験など、フィクションの話だ。

 

 

『同時に、fじゃおえwなkあkg』

 

「うん?」

 

 

 どうしたのだろうか。

 雪雫からのメッセージが何か変だが…。

 

 

『こんにちは、怪盗団のリーダー。いや、モルモット君? 武見です』

 

「!」

 

『この子から全部聞き出したわ。新薬の事も、大山田が裏で何をやっていたかも、貴方達の事も。この子、案外隠し事苦手だから気を付けることね』

 

 

 どうやら雪雫は全てを話した様だ。

 まぁ薬の話となれば、そこの部分を避けて話すのは困難極まる。

 仕方無いと言えば仕方無いのかもしれない。

 

 

『単刀直入に言うわ。大山田を改心して』

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「そんな無理矢理携帯取らなくても……」

 

「だって貴女、回りくどいから」

 

 

 武見は当然、と言う様な態度でそう言い、スマホをポイっと雪雫に投げる。

 

 

「改心…、本当に出来るのよね?」

 

「金城の時は上手くいったみたいだから、多分大丈夫だと思う」

 

 

 そう、と武見は呟くと完全に日が落ちた空を窓越しに見上げる。

 

 

「……送るわ。もう遅いし」

 

「子どもじゃない、1人で帰れる……」

 

「こういう事くらい私にやらせなさい」

 

 

 雪雫の額に指を当て、トンと軽く叩く武見の表情は、何かを削ぎ落したかの様にスッキリしていた。

 

 

「………後の事は任せなさい。私が美和を治すわ。だから――、貴方達は大山田に集中しなさい。命掛け、なんでしょ?」

 

「――――うん」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

7月9日 土曜日 晴れ

 

 

 

「ごめん、バレた」

 

 

 集まるや否や、雪雫は皆の前で頭を下げた。

 内容は勿論、武見に怪盗団の事がバレた事だろう。

 

 

「あ~、いやぁ…」

 

「確かにバレたのは痛いけども……」

 

 

 しかし、皆は咎める訳でも問いただす訳でも無く、何処か申し訳無さそうにヘラヘラと笑っている。

 

 

「まぁ…バレたのタケミで初めてじゃないしなぁ…」

 

「……そうなの?」

 

「いや、ちょっとね…。雪ちゃんが入る前の話なんだけど、先生に、ね……」

 

 

 聞けば自分達が通う秀尽の英語教師、川上は蓮と比較的長めの付き合いがある様で、関係を深めている内にジョーカーの正体がバレてしまったらしい。

 しかし、川上も蓮=ジョーカーというのを理解しながら、今も尚彼との取引を続けているとか…。

 

 

「俺が言うのも何だが、信頼できる相手と関わる以上、こういう事もあるだろう。バレてしまった事実は覆せない。ならば俺達の存在が世の為だと、正義があるのだと示せばいい」

 

「……蓮」

 

「何、気に病むことは無い。問題は今後の身の振り方、という話だ。それに、武見はお前を売る様な人間では無いだろう?」

 

「うん……、そうだね」

 

 

 やや不安そうに表情を曇らせていた雪雫だったが、蓮の言葉に背中を押されたのか、次第に表情に笑顔が戻る。

 

 

「さて、皆も知っての通り、大山田の作る新薬は、人の命の上に成り立つ非合法の薬だ」

 

「加えて未完成。当然、許される事では無いよね」

 

「でも妙は背中を押してくれた。後の事は任せって。だから―――」

 

「問答無用で改心して良いって事だよな!」

 

 

 唯一の残っていた後顧の憂いは協力者である武見によって絶たれた。

 やらなければならないハッキリと目に見えている。

 

 

「まずはルートの確保、だな」

 

「ああ今日中に片を付けよう」

 

 

 決意を新たに、一同はイセカイへと旅立った。

 



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33:You bastard!

 

 

7月10日 日曜日 晴れ

 

 

 

 その日の朝、大山田に一通のメールが届いた。

 

 差出人は不明。

 肝心のメールアドレスも使い捨て。

 

 しかし、それを悪戯と笑い飛ばす事は出来なかった。

 

 

 

 

命を弄ぶ欺瞞の大罪人、

 

大山田省一殿。

 

人を人とも思わず、結果を求める虚栄の医師。

我々は全ての罪を、

お前の口から告白させることにした。

 

その歪んだ欲望を、頂戴する。

 

心の怪盗団ファントムより

 

 

 

 

「……ふん、怪盗団、か」

 

 

 いずれ来るだろうとは思っていた。

 金城が改心された時点で、次に来るのは自分だろう、と。

 

 

「良いだろう、来るがいいさ」

 

 

 お前達に正義がある様に、私も私で譲れないものがある。

 それを守る為ならば、私は――――。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 シャドウ達が騒ぎ立てるパレス内。

 侵入者である怪盗団を、文字通り草木を掛け分けて探すシャドウ達の隙を縫って、黒い影は研究所の奥地へ向けて翔ける翔ける。

 

 

「シャドウは全部無視無視! 最速でオタカラまで向かうよ!」

 

 

 昨日の潜入で確立したオタカラまでのルート。

 大山田がひた隠しにしていた資料室の前を通り過ぎ、厳重な電子ロックが掛けられた扉を開け、辿り着いたのは一面ガラス張りのだだっ広い空間。

 きっとここも何かの実験場なのだろう。ガラスの奥には白衣を着たシャドウの姿がちらほらと見て取れる。

 

 

『来たな』

 

 

 その空間の中央には、以前見た時と変わらず、サングラスで目を覆い、黒いコートを着用したオオヤマダの姿。

 

 

『よくもまぁ、この紙っぺらの為にここまで来たものだ』

 

 

 その手にはオタカラらしきものが握られていた。

 複数枚の紙をクリップでまとめた資料の様な物。それがオオヤマダにとってのオタカラ、らしい。

 

 

「オタカラなんてついで。私達の目的は、貴方の改心」

 

『同じ事だろう。これを奪わなければ私の改心も叶わない。それがこの世界の仕組みだ』

 

 

 コツコツと床を靴の裏で叩きながら、オオヤマダは後ろで手を組む。

 

 

『しかし、あの時の子どもがまさか私に楯突くとは…。つくづく人生とは分からないものだな。んん?』

 

「………貴方には今でも感謝している。でも、その話と今回の件は別。貴方は道を踏み外した、だから私達がそれを正す。ただ、それだけ」

 

 

 大鎌の刃を真っ直ぐに突きつけ、ウィッチは視線を鋭くして、オオヤマダを見据える。

 

 

『道を正す、か。それを君が言うか』

 

「……?」

 

『仮に私が改心したとして、エンデ病の少女はどうなる? 今や新薬開発の第一人者はこの私だ。私のやってきた事が表沙汰になれば、待っているのはこの身の破滅。そうなれば彼女は―――』

 

「御託は良い。お前が後の心配をする必要は無い。研究も治療も、全て妙が引き継ぐ」

 

「そういう事だ。無駄な抵抗はやめるんだな」

 

 

 ウィッチの横に並び、そのナイフの剣先を同じようにオオヤマダに向けるジョーカー。

 オオヤマダは2人の目を見て、説得は無駄だと判断したのか、溜息を吐きながらサングラスを懐にしまう。

 

 

『……なるほど、武見君、か。……全く、揃いも揃ってつくづく私の邪魔をしてくれる』

 

 

 嫌な笑みを浮かべながら、オオヤマダはその足を止め、怪盗団へ視線を向けた。

 

 

『お前達は病だ。身勝手な正義を掲げ、世界は理不尽だと嘆き、大人に楯突く病。しかもそれは他者に伝染するときた。全く、質が悪い』

 

 

 オオヤマダの背中が、中で何かが蠢いている様にボコボコと胎動し始める。

 

 

「来るぞ、オマエら!」

 

 

 モナがそう叫ぶと同時に、オオヤマダのコートを突き破り、触手の様な物が数にして4本現れた。

 全体が何かの金属で出来ており、その先端にはアームの様な物が付いている。

 

 

「タコ八博士」

 

「こんなに分かりやすいフォルムも久しぶりかも」

 

 

 その触手達はまるで意思を持った1つの生き物の様に蠢き、そして次第にオオヤマダを支える様に、地面に二本のアームを吸着させた。

 アームと接触している地面がひび割れている辺り、アームのパワーは相当の様だ。

 

 

『治療してやろう』

 

 

 その時、言葉と同時に残る二本のアームが勢い良く怪盗団に向かって放たれた。

 コンクリートすらも砕く程のパワーを持った、当たれば必死の二撃。

 

 顔を見合わせるまでも無く、怪盗団は持ち前の身軽さでそれを躱し、即座に展開する。

 

 多対一の常套手段。

 オオヤマダを囲み、隙を見つけては叩き込む。

 シンプルな戦法だが、それ故に効果的だ。

 

 しかし、それが普通の相手ならば。

 

 

「隙ありっ!」

 

 

 一早く、フォックスが距離を詰めた。

 怪盗団の中でもトップクラスの速度を誇るフォックスの居合。通常ならば一撃必死の攻撃であるが、それはオオヤマダを捉える事無く―――。

 

 

『おっと』

 

「っ!」

 

 

 オオヤマダを支えていた筈のアームにその剣筋を遮られた。ギチギチと嫌な音を立てながら交差する刃とアーム。

 しかし、遂にはそのアームを切断する事はおろか、傷つける事すら叶わず。フォックスは自身のペルソナの魔法でアームを凍らせ、その場を離脱する。

 

 

『ふむ、この程度か』

 

 

 オオヤマダは何でも無かった様に、期待外れとでも言う様な態度で言葉を紡ぐ。

 同時に、凍らされたアームも内側からそれを砕き、再び生き物の様に蠢き始める。

 

 

「……随分、丈夫なようね」

 

「それに力も強い。厄介」

 

 

 クイーンとウィッチは顔を見合わせると、お互いに頷きを返す。

 言葉を交わさずとも、考える事は同じ。

 

 

「アームがダメなら」

 

「本体を仕留めるだけ」

 

 

 クイーンはヨハンナに乗って、ウィッチは自前の機動力で。

 他のメンバーがアームの気を引いている内に本体を狙って突っ込む。

 

 片やエンジンのうねりとアームの合間を翔けて。

 方やアーム自体を道と見立てて縦横無尽に。

 

 そして瞬く間に本命へ。

 

 

「ジャンヌ・ダルク」

 

「ヨハンナ!」

 

 

 名を呼ぶと、それに応えて現れるもう1人の自分。

 ペルソナの力を乗せて、オオヤマダへ繰り出す、が。

 

 

「………っ、う、…げほっ」

 

 

 その時、ウィッチの顔に苦悶の表情が浮かび、彼女は口元を抑えた。

 突如として表れた彼女の異変に、ペルソナの姿は蜃気楼の様に歪み、その攻撃はブレる。

 

 

『おや、調子でも悪いのかな?』

 

 

 その隙をオオヤマダは見逃さない。

 すぐさまアームを自身の元に呼び寄せ、そして自身に牙を向く少女を薙ぎ払う。

 

 

「う゛っ゛」

 

 

 力いっぱい薙ぎ払われた彼女は、ボールの様にバウンドしながら、この空間の隅へ。

 

 

「雪雫……!」

 

『他人の心配とは、随分と余裕だな?』

 

「きゃっ!」

 

 

 一瞬、オオヤマダから意識を外したクイーン。

 やはり彼が見逃す筈も無く、今度は彼女の細首を手でつかむ。

 

 

「う…、あ……」

 

『なんとも容易い。金城はこんなガキ共にやられたのか』

 

 

 首を掴まれているのにも関わらず、そこまで息苦しくさは感じない。

 かといって、抵抗しようにも力が出ない。

 

 まるで掴まれている手から力を吸われている様な。

 自身のペルソナ能力が薄れていくのが分かる。

 

 

「タケミナカタ!」

 

 

 その時、クイーンとオオヤマダの間に一筋の雷撃。

 

 

『っ』 

 

「クイーン! 大丈夫!?」

 

 

 オオヤマダの手から解放されたクイーンをすかさずパンサーが抱き留め、その場を離脱する。 

 

 

『小賢しい!』

 

 

 逃がすまい、とすかさず追撃を繰り出すが。

 

 

「おっと、おめぇの相手は俺達だぜ?」

 

「通す訳にはいかん」

 

 

 すかさずスカルとフォックスが現れ、それを遮る。

 

 

「…………っ」

 

 

 それを遠くから、広い部屋の隅で朦朧とする意識の中、見つめているウィッチ。

 その頭からは血が流れ出ており、先程の攻撃の痛ましさを物語っていた。

 

 

「雪雫、雪雫大丈夫!?」

 

「おい、クイーン! オマエもあまり動くな!」

 

 

 ヨロヨロと覚束ない足取りでウィッチに駆け寄るクイーン。

 そんな彼女の瞳を真っ直ぐ見つめ、ウィッチは小さく呟く。

 

 

「なんとか」

 

 

 見た目よりもハッキリとした物言いに、クイーンはホっと一息を吐く。

 

 

「ペルソナ能力に助けられたな。ジャンヌ・ダルクじゃ無かったら、ひと溜まりも無かったぞ」

 

 

 撃たれ弱いが魔法攻撃が強いアリス。

 それとは対照的に、魔法攻撃は弱いが、物理攻撃に秀でており、打たれ強いジャンヌ・ダルク。

 まともに喰らったが、どうやらウィッチは運が良かったらしい。

 

 

「それにしても、こうも簡単にクイーンとウィッチがやられるとは…、手強いな、オオヤマダ」

 

 

 モナの言葉につられる様に、一同は今も尚、交戦中のスカル達へ視線を送る。

 魔法を交えながら、上手く戦っている様だが、どの攻撃も決定打になっていない。

 

 スカルが繰り出した雷撃に、少し切っ先がブレながらも、その身を砕こうと繰り出されるアーム。

 

 

「…………?」

 

 

 ふと、ウィッチは視線をスカル達からこの部屋の周り、ガラスの向こう側で蠢く白衣を着たシャドウ達に向ける。

 オオヤマダの動きを注視しながら、手元で何かを動かしている様な素振りを見せるシャドウ達。

 

 

「…………」

 

「オオヤマダの事で、ちょっと気になる事があるんだけど」

 

 

 ふと、クイーンが声を上げた。

 ウィッチの視線が外のシャドウ達から彼女へ向けられる。

 

 

「彼に掴まれている時、何か力を吸われている様な感覚に襲われた。そうね…、感覚的にはガスでペルソナが使えなかったとき、みたいな感覚」

 

「オオヤマダが何かこちらの能力に干渉している、ってことか?」

 

「可能性は高いと思う。現にウィッチのペルソナ、消えかかってたし」

 

 

 オオヤマダに攻撃を仕掛ける直前の事。

 確かにウィッチは不調を訴える様に顔を顰めていた。

 

 

「本当か?」

 

「……言われてみれば、確かにちょっと調子悪いかも。………なるほど」

 

 

 ウィッチはふらつく身体を何とか制御し、細足で再び立つ。

 クイーンとパンサーは休んでて!と騒いでいるが、本人に聞く気は無い様だ。

 

 額から流れる血を雑に拭い、一時的に視界を確保したウィッチは、オオヤマダを見据えながら、静かに口を開いた。 

 

 

「ちょっと、やりたい事があるんだけど」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「本当にやるの…?」

 

「ごちゃごちゃ考えるのも面倒くさくなってきた。大丈夫、多分上手くいく」

 

「脳筋」

 

 

 今、この空間の中央で、クイーンとウィッチ以外のメンバーが戦っている。

 何時も通りの武器と魔法を交えた攻撃を繰り返しているが、時折ペルソナの姿がブレて見える。

 先程クイーンたちと同じ現象だ。

 

 

「どの道、相手が用意したフィールドで素直に戦う、なんてやってられない」

 

「……まぁ、そうなんだけどね…」

 

 

 思い返せばカネシロの時だってそうだ。前日には無かった巨大金庫、ブタ型機動兵器。

 相手はこの世界の主だ。準備をしようと思えば、何時でも準備出来る筈。

 

 

「土台を崩せるなら、崩した方が早い」

 

 

 ウィッチとクイーン、そして今も仲間達に度々見られるペルソナ能力の異常。

 思い当たる節はある。

 それこそ先程話が出た、ガスの一件だ。

 

 

「症状に個人差があるのか、それとも以前のやつとは別物なのか。なんにせよ、オオヤマダが何か仕掛けている事は明白。それにあの4本のタコさんアーム」

 

「………オオヤマダの意思とは無関係に動いている、か。言われてみると確かに」

 

「ジョーカーとスカルが撃った雷の魔法…、明らかにアームの動きが変だった。まるで電波の受信を阻害された様に」

 

 

 アリスと小さく呼ぶと、ウィッチの後ろには金髪を携えた魔人の少女の姿が。

 

 

「つまり別の何かがアレを操っている可能性が高い。しかし実際のオオヤマダにそれをしている素振りは見えない」

 

「………賭け、みたいなものだけどね…」

 

「そういうの、皆好きでしょ?」

 

 

 ウィッチがゆっくりと手を前に伸ばすと、それに呼応するかの様に、彼女を中心に強烈な圧が発生する。

 それは魔力の奔流。

 迸る力が、彼女のペルソナから外に漏れ出て行く。

 

 

「皆の保護、お願い」

 

「ハイハイ…、お手柔らかにね………」

 

 

 そう言い残すと、クイーンはヨハンナに乗り、時間を稼いでいる仲間達の元へ。

 それを見届けると、ウィッチは静かに深呼吸を数回繰り返した後、意を決した様に目付きを鋭くして、呪詛を一言。

 

 

「メギド」

 

 

 魔人から放たれた一撃は、文字通り全てを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 陰湿な密閉された空間から一変。

 天上は文字通り消滅し、囲っていたガラス壁も全て霧散。周りに居たシャドウ達も爆風に巻き込まれたのか消滅していた。

 

 

『……くっ、一体何が!!』

 

 

 コツコツとヒールを鳴らしながら、大鎌を持った白髪の少女がオオヤマダに歩み寄る。

 

 

「随分、スッキリした」

 

 

 そう、彼女の言う通りスッキリした。

 厚ぼったいか壁は全て崩れ落ち、先程までは靡かなかった風は、優しく彼女の頬を撫で、淀んでいた空気を洗い流す。

 

 

『……! ガキが!』

 

 

 ゆっくりと近づくウィッチを激しく睨み付け、叫ぶ。

 

 しかし。

 

 

「……やっぱり、あのアームは外のシャドウ達が制御してたんだ。ふふ…タコ八博士には程遠いね」

 

 

 先程まで蠢いていたアームはそのなりを潜め、完全に沈黙していた。

 最早、それに何の脅威は無く。

 

 

「良くもまぁ、ここまで散々……」

 

『………ひっ!』

 

 

 瓦礫を蹴飛ばしながら近づいてくるウィッチに、オオヤマダは情けなく声を上げて後退る。

 

 

「1つ、今回の件で学んだ事がある」

 

『……く、来るなっ!』

 

 

 オオヤマダの願いは無情にも、その辺りに転がる瓦礫の様に一蹴され。

 ウィッチは地面を這いずるオオヤマダに視線を合わせて、笑みを浮かべた。

 

 

「気に入らないヤツはぶっ飛ばす」

 

 

 男の悲鳴が辺りに一面に木霊した。

 



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34:At the end of spring.

 

 

 件の彼女の検査を行った。

 勿論、秘密裏にでだ。

 

 武見君には声を掛けなかった。

 この業界に入ったばかりの彼女に、余計なしがらみを抱えさせたく無かったからだ。

 

 

 検査の結果は常識の範疇を超えていた。

 

 生命の神秘、もしくは神による奇跡………。

 医者という立場である私がこんな事を言うのは荒唐無稽な話だが、そうとしか言い表せなかった。

 

 

 つい先日まで病床に縛り付けられ、死の淵に立たされていた少女、天城雪雫。

 

 その幼い身体には、一切の異常が見られなかった。

 まるで新品の身体にそっくり入れ替えた様に、時間が巻き戻った様に。

 

 あらゆる結果が、あらゆる数値が異常無しと示していた。

 

 

 有り得ない話だ。

 たった一日で死の窮地を脱するなど。

 ましてや、彼女を蝕んでた病が無くなるなどと。

 

 

 ふと、寝台に眠る彼女の顔を見た。

 とても穏やかな、無垢で純真な寝顔だった。

 

 

 今思えば、検査する前から私の心は決まっていたのかもしれない。

 私はこの検査結果を隠蔽する事にした。

 

 公表出来る筈が無い。死から蘇った少女など。

 一度表に出回れば、彼女は桐条のヤツらに連れて行かれてしまうだろう。良くて保護観察、最悪の場合は実験動物行きだ。

 彼女が生きるこの世界とは、悲しいがこういう世界だ。

 

 いや、隠蔽するだけでは足りない。

 あらゆる検査の過程を、この一年での出来事を、全て辻褄が合う様に、彼女の生が自然の法則に則っている事を捏造しなければならない。

 

 

 そして、私も―――――。

 

 

 


 

 

 

 終わった。

 目の前の男に戦う意志は無く、私は満身創痍ではあるものの、こうしてこの男の前に立っている。

 しかし―――――。

 

 

『………私は、虚栄を張り続けるしか選択肢が無かった…。他者を犠牲にしてでも、世間に大山田省一は天才である、とアピールし続けるしか無かったんだ。私の診断は絶対であると』

 

「…そう」

 

『エンデ病の件だってそうだ。彼女を助けたかった訳では無い。ただの演出だ。私が治す事で、私の地位を確実なモノとする……。ただ―――』

 

 

 目の前の男は語る。

 自分はこうするしか無かったのだ、と。

 

 教会で懺悔する子羊の様に。許しを請う様に。

 

 

「何だ? 要するにお前も班目や金城と同じ」

 

「わが身第一の小悪党という訳だ」

 

『何とでも言うがいいさ……』

 

 

 ずっと、疑問だった。

 彼がどうしてここまで歪んでしまったのかと。

 

 

『私のやってきた事が露見すれば、いずれは過去の事も蒸し返される。それが私には我慢ならなかったんだよ』

 

 

 彼は語っている。

 ずっと知りたかった本心を。

 

 なのに。

 なのに。なのになのになのになのになのになのになのに。

 

 どうしてこうも苛立ちが募る?

 

 

『だがそれももう止めだ。……すまなかったな、天城君――』

 

 

 違う。

 私が欲しかったのは、こんな言葉じゃ―――

 

 

「五月蠅い」

 

「…雪雫………」

 

 

 苛立ちのまま、目の前の男に銃口を向ける。

 カチャリと冷たい金属音が、今の私にとっては耳障り良く聞こえた。

 

 

「何故私に謝る? 貴方が頭を下げるべき人間は、たくさん居る筈」

 

『…………』

 

「私と貴方の確執は、さっき殴った事で清算した。もう私達の間に残るのは、医者と患者という関係だけ。でも、他の人は? 妙は? 美和は? 貴方の虚栄の為に犠牲になった人達は?」

 

『………』

 

「為すべき事はまだある筈。私はその切っ掛けを与えただけ」

 

 

 ゆっくりと、向けていた銃口を下げる。

 

 そう、私は謝罪の言葉が聞きたくてここまで来たわけでは無い。

 道を踏み外した恩人の顔を、殴りに来ただけだ。

 

 

『そうか…、そうだな……』

 

 

 オオヤマダの身体が透けていく。

 現実の彼の元へと帰るのだろう。それが意味するのは、パレスの崩壊。

 

 

「パレスが崩れるぞ!」

 

「早い事脱出しないと!!」

 

 

 激しい振動に合わせて、静観していた仲間達が騒ぎ始める。

 そろそろ頃合いだろう。

 

 

『…持っていくが良い。これが必要なのだろう?』

 

 

 彼から差し出されたのはこのパレスのオタカラにあたる書類。

 

 

「……私の…、診断書?」

 

『武見君に渡してくれ。彼女なら、信頼出来る』

 

「…………」

 

 

 呆然としていると、仲間達が私の名を呼んでいるのが耳に入った。

 項垂れる彼を一瞥して、モルガナカーの元へ向かう。

 

 これで終わり。

 もう彼と言葉を交わす事は無いだろう。

 

 

『天城君』

 

「………」

 

『退院、おめでとう』

 

 

 正直、やるせない気持ちで一杯だった。

 何か他にやりようが合ったのではないか。ついついタラレバを考えてしまう。

 しかし私達は、このやるせなさを抱えながら生きていくしか無いのだ。

 

 

「……どうも」

 

 

 世界はそういう風に出来ているのだから。

 

 

 

 

欺瞞の研究所 閉鎖

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 彼女は無事に退院した。

 期間にして、一年経たない位だろう。

 

 去年と変わらない外見。

 年頃の少女にしては、主治医としては少々心配になる。

 

 いや、大きく変わったことがあった。

 彼女の髪と瞳の色だ。

 

 これの説明には骨が折れた。

 結果的に、後天的なアルビノという事で話を付けたが……。

 

 

 これから私に待っているのはこういう嘘と虚栄に塗れた毎日だろう。

 

 一度嘘を吐いたら、バレるまで嘘を吐き続けなければならない。

 良く言ったものだ。

 

 決して彼女の事は表沙汰には出来ない。

 私は自身の捏造した診断を暴かれない様に、疑われない様に。嘘を吐き続けなければならない。

 彼女を担当した大山田省一は、天才であると。

 

 

 こうして手記を描いている今も、その事実が重く心に圧し掛かっている。

 これからの事を考えると不安でいっぱいだ。

 

 しかし、心残りは無い。

 

 

 ……いや、完全に無いと言えば嘘となる。

 彼女に一言、言ってない事がある。

 

 

 退院おめでとう、と。

 

 


 

 

 

 

7月11日 月曜日 晴れ

 

 

 

「それで?」

 

「結局、昨日は疲れてそのまま寝た」

 

「で?」

 

「朝起きたら頭痛かったから学校休んでここに来た」

 

 

 診療所の主、武見妙は怒っていた。

 それはもう、怒っていた。

 まさに怒り心頭だ。

 

 

「当たり前でしょ! 普通頭から血流しといてそのままにする!?」

 

「だって、血が止まってたんだもん」

 

「だもん。じゃないわよ! 傷跡が残ったらどうするの!?」

 

 

 自分の身体に無頓着過ぎる少女、天城雪雫にそれはもう怒っていた。

 何せ怪我をした癖に、あまつせえそれを放置し、ケロッとした顔で押しかけるのだから。

 

 

「めんぼくない」

 

「口だけの謝罪は結構」

 

 

 武見は慣れた手付きで応急処置をし、雪雫の頭に包帯を巻く。

 こういう手の掛かる部分はホント昔からね、と内心で悪態を吐きながらも何処かその顔は嬉しそうだった。

 

 

「無事に改心したよ」

 

「そうみたいね。今朝、彼がここに来たわ」

 

「……大山田が?」

 

「ええ。それはもう随分とスッキリした顔でね、深々と頭を下げて、これを置いていったわ」

 

 

 武見の指の先の資料に視線を送る。

 雪雫には詳しい事は分からないが、どうやら大山田が研究していた薬の資料の様だ。

 

 

「今頃自首でもしてるんじゃないかしら。……一発殴れば良かったかしら?」

 

「妙の分も殴ったから、それで勘弁してあげて」

 

 

 少々意外そうな表情を浮かべたものの、次第に柔らかな笑みを浮かべて、武見は短く「そう」と呟く。

 

 

「これからどうするの?」

 

「取り敢えずその資料に目を通してみるわ。まぁ大元の理論からズレてるっぽいからあてにはならないけど……。でもそう言って切り捨てちゃ、犠牲になった人たちが浮かばれないもの」

 

 

 もしかしたら、別の病気に応用出来るかもしれないしね。と武見は言葉を紡ぐ。

 

 

「それに、あてが無い訳でも無い」

 

「?」

 

「大山田がね、教えてくれたのよ。ああ、ちゃんとした所よ? エンデ病を研究しているチーム。私は未だに業界内の鼻つまみ者だけど、少なくともここよりはまともな開発が出来るわ」

 

「煙たがれない?」

 

「そりゃ煙たがれるでしょ。でも良いの。私の立ち位置は私が決めるから」

 

 

 武見の晴れやかな表情を見て、雪雫も同じように笑みを浮かべる。

 2人とも憑き物が取れた様な、そんな表情を浮かべていた。

 

 

「あ、そうだ。大山田の……、えっと、内なる大山田? が妙に渡してくれって」

 

 

 思い出した様に鞄を漁り、雪雫が取り出したのはクリップで束められた資料。

 丁寧にファイルに入れられている辺り、雪雫の性格が出ている。

 

 

「内なる大山田って……」

 

 

 微妙な言葉のチョイスに苦笑を浮かべつつもそれを受け取り、パラパラと流し見。

 

 

「これって……」

 

「何が書いてあるの?」

 

「……貴女、中身見てないの?」

 

「私の診断書、っていうのは聞いてるけど、専門的過ぎて分からなかったから途中で見るのやめた」

 

 

 嘘、は言っていないか…と武見は内心で呟く。

 第一、嘘が吐くのが下手な事に定評がある彼女の事だ。吐いた時点で自分が見逃す筈が無い。

 

 

「モルモット君達にも見せてない?」

 

「うん。私の個人的な話だから、って」

 

 

 こういう時の彼の線引きは、正直有難いと思った。

 

 

「それで、中身は?」

 

「………特に変哲も無いただの診断書よ。貴女が回復した後の、ね。」

 

 

 嘘、を吐いた。

 

 

「ふぅん。それが欲望の核…」

 

「まぁ辻褄は合っているんじゃない? 貴女という難病の少女を治した事で彼は名声を得た。それが忘れられなかった、とか。いかにもありそうな感じ」

 

 

 彼女には悪いが、こう言うしか無かった。

 

 

「………そっか。結局、彼は良くも悪くも凡人だった、という訳」

 

「……そうね」

 

 

 雪雫は何処か寂しそうな表情を浮かべて、椅子から勢い良く立ち上がる。

 

 

「今から学校?」

 

「うん。真、怒るから」

 

 

 診断書はあげる、と言いながら荷物を纏め、診療所の受付へと向かう雪雫。

 昔から何一つ変わらないその小さな背中を見送りながら、武見は一言。

 

 

「お大事に」

 

「うん、包帯ありがとう」

 

 

 パタンと静かな音と共に、院内には静寂が訪れる。

 時計の時を刻む音だけが響く院内。

 

 武見は再び彼女の診断書とそれの裏に差し込まれた大山田の手記を眺めた後、大きく溜息を吐く。

 

 

「……死から蘇った少女、か」

 

 

 武見は再び溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 何時もとは違う時間。

 何時もより高い太陽の位置。

 

 白い髪を揺らしながら、少女は何時もと同じ道を歩く。

 その手には日差しを遮る傘を持って。

 まるでその様は避暑地で散歩する令嬢そのものだった。

 

 

 ふと、少女のスマホが震えた。

 一定のリズムで、小刻みに訴えてくる振動。

 着信だ。

 

 

 少女は画面に映し出された名前を見ると、先程の晴れやかな顔とは打って変わって、ジトっとした表情を浮かべてスマホを耳にあてる。

 

 

「もしもし」

 

『お、もしもーし』

 

 

 聞こえるのは電子混じりの男性とも女性とも取れる声。

 

 

『今大丈夫かー?』

 

「……これから学校」

 

 

 少女はそう言うや否や、大通りから人目の付かない脇道へ。

 

 

『ってことは今は暇ってことだな!』

 

「………」

 

『沈黙は肯定、と受け取るからなー』

 

「それで、要件は?」

 

 

 路地裏の壁に背中を預けながら、少女は溜息を零す。

 

 

『分かっているだろ。この前の仕事の件だよ』

 

「予告状…」

 

『お前の望み通り、足が付かない方法で大山田、とか言うやつの所へ予告状とやらを送ってやった。いやぁ、驚きだな。まさか天城雪雫が怪盗団と繋がっていたとは』

 

「茶化す様なら切る」

 

 

 待て待て待てー!と相手は焦った声を上げる。

 

 

『知って通り、私にはお前の事を言いふらす気は無いし、正直怪盗団と繋がっていようがいなかろうが、関係無い。私にとって重要なのは―――』

 

「………」

 

『お前が私達にコンテンツを供給し続けること、だっ!』

 

「…………はぁ」

 

『分かりやすく溜息を吐くな!!』

 

「……それで?」

 

『報酬が欲しい。この前の仕事の』

 

 

 ウヒヒヒヒと怪しく笑う相手に、雪雫は何度目か分からない溜息を吐いた。

 

 

『今お前の元に、仕事の依頼が来ているだろう? アレだ、新作ゲームアプリのタイアップの奴だ』

 

「………人のパソコンを勝手に見るのは感心しない」

 

『お前のではなーい! 企業の方をクラッキングしたんだ。えーっと、それで何だが……、その仕事受けて貰えないか?』

 

「………それだけ?」

 

『ああ! それだけだ!!』

 

 

 長い前置きの割には大したことの無い要求に、雪雫は肩透かしに近い感覚を覚える。

 

 

『いや、これは高度に人の生き死にが掛かっているんだ。良いか? オタクと言う生き物は公式からの供給が無い限り生きてはいけない。しかし今はどうだ?誰かさんはピタリと活動を止めて何かに勤しんでいる様子……。忙しいのは分かる、勝手な願いだというのも分かる。しかし、私は見たいんだ! 天城雪雫が活動している―――――』

 

「分かった、善処する」

 

 

 話が長くなる、と判断した雪雫はなし崩しに返事をし、そのまま通話を切る。

 

 

「……仕事…久しぶり………」

 

 

 押された形ではあるものの、言われた事も最もで。

 

 

「アリババ、か」

 

 

 スマホに映し出された通話の履歴を一瞥した後、彼女は再び学校へ向かって歩き始めた。

 

 



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憤怒の女王
Profile:Summer


 

 

天城雪雫(あまぎせつな)

 

 

 

「私達がそれを正す。ただ、それだけ」

 

 

 

プロフィール

 

 

 生年月日:2001年2月28日 15歳

 

 身長:136cm

 

 体重:???

 

 血液型:O型

 

 アルカナ:永劫

 

 ペルソナ:アリス/ジャンヌ・ダルク

 

 コードネーム:ウィッチ

 

 家族構成:父、母、姉

 

 特技:ゲーム全般、作詞作曲、絵を描く事

 

 クセ:小首を傾げる、一度熱が入ると周りの事が疎かになる

 

 趣味:映画鑑賞

 

 食の好み:ファストフード、甘い物、手料理(一部の人が作ったものを除く)

 

 理想の恋人像:本人にもよく分かっていない

 

 

概要

 

 

 私立秀尽学園高校に通う高校一年生。

 老舗高級旅館「天城屋旅館」の末娘にして、現代を代表するマルチアーティスト。

 学生として生活している合間に、作詞、作曲、ゲーム配信、取材(大宅限定)、モデル撮影など、マルチに活躍。

 しかし活動ペースにはムラがあり、1か月で3曲リリースしたかと思えば、2か月の間、全く音沙汰が無いなど、ファンを不安にさせている様だ。

 

 

 怪盗団では竜司に並ぶ切り込み隊長。

 

 本人の意図しない形でメメントスへと迷い込み、第一のペルソナ「アリス」を発現。カネシロパレス攻略時は一時的な助っ人として怪盗団に協力。

 カネシロ・パレス崩壊後、一時は彼らと行動を別にするが、自身の因縁と対峙し第二のペルソナ「ジャンヌ・ダルク」を発現。

 その後は怪盗団へ正式に加入し、その才能を惜しげもなく発揮している。

 

 

 上記の通り、勉学、アーティスト活動、戦闘…、その全てにおいて圧倒的な適正を持っており、まさに非の打ち所がない天才。と思いきや、家事に関してはからっきしらしく、その実態は怠惰そのもの。

 基本的には全て「久慈川りせ」に依存しきっており、彼女が不在の場合は金にモノを言わせて派遣メイドの「川上」にその全てを任せている。

 家事の中でも特に料理に関しては壊滅的らしく、例えレシピ通りに作ったとしても、何故か物体Xが生まれてしまうらしい。その才能は姉譲りか。

 

 

 まだまだ判明していない過去も多く、謎が残る人物。

 

 

 

容姿

 

 

 シルクの様な白髪のショートボブに白い肌、赤い瞳。

 

 服は半同居人の久慈川りせが選んだもののみを着用し、雪雫自身はファッションに無頓着。

 

 

 怪盗服は黒いとんがり帽子とオーバーサイズのコートが特徴的な魔女っ子スタイル…なのだが

 

・インナーがノースリーブで尚且つボディスーツの如く身体に密着したインナー

・足を惜しげも無く強調したショートパンツに黒タイツ

・ヒール付きのブーツ

 

 など、彼女の幼い見た目に対してチグハグで無駄に煽情的。

 本人は全く気にしていないが、その見た目に真は密かに頭を悩ませているらしい。さすが保護者。 

 

 

 

性格

 

 

 一言で言えば純粋無垢で素直。

 苦し紛れの言い訳を本気で信じたり、思ったことはそのまま口にするなど、裏表が無い。

 誰に対してもそうかと思いきや、人によっては言葉を濁したり、悪人に対しては話を取り合わなかったりと、人は選んでいる様だ。

 

 本人に自覚は無いが、性格や口下手なのが災いして人付き合いは下手

 しかし、その様子が母性を擽るのか、彼女の事を放っておけない女性達…所謂保護者が急増中。(秀尽学園生徒会長、闇医者、メイド兼教師など)

 そうした背景からか、交流関係は意外にも広く、蓮にも負けず劣らない。

 

 得な性格である。

 

 

 

戦闘スタイル
 

 

 

 大鎌の殲滅力と自身の機動力を活かした速攻スタイル。と思いきや、ペルソナ能力を前面に押し出した魔法による攻撃と支援も行うオールラウンダー。

 その場の戦況、環境、相性などを加味して適切に処理をすることを是とし、その為ならばシャドウの首が吹き飛ぼうが、串刺しになろうがお構いなし。

 その様から、何か物騒な事が起きれば真っ先に容疑者として名前が上がる。

 

 因みに銃は彼女の手には少し大きいらしく、そこまで多用しない。

 本人は買い替え希望と、蓮に訴えているとか。

 

 

 

ペルソナ
 

 

 

アリス

 

 第一のペルソナ。アルカナ属性は「永劫」

 

 仲間内では異色の少女の姿をしたペルソナ。

 呪怨属性に強く、祝福属性に弱い。

 

 その正体については

 

・不幸な死を遂げたイギリス人少女の霊

・何者かのイメージから生まれた悪霊

・童話の主人公の別側面、もしくは別の解釈の具現化

 

と、諸説ある。

 

 強大な魔力を持っており、魔法による攻撃、支援を得意とするペルソナ。

 呪怨属性の魔法を得意としており、並のシャドウは少女が指を振るだけでその命を落とす。

 

 

ジャンヌ・ダルク

 

 第二のペルソナ。アルカナは同じく「永劫」

 

 フランス国旗を思わる色合いの旗と、剣を携えた甲冑に身を包んだ女性。

 祈る様に閉じられた瞳と聖母の様な微笑みが印象的。

 その表情は一切変わる事が無く、温かな印象を受けると同時に、無機質で何処か冷たい印象も。

 

 名前の通り、世界で最も有名な聖女。オルレアンの乙女。

 農夫の娘でありながら、神の啓示を受け従軍。フランスの危機を救った文字通りの救世主。

 しかし、その最後は異端審問にかけられ、火刑。その短い生涯に幕を下ろした。

 

 アリスとは対照的に、物理に特化したペルソナ。

 呪怨属性と火炎属性に弱く、祝福属性に耐性がある。

 

 火炎属性に弱いのは、逸話故か。

 

 

 

コープ
 

 

 

 対応アルカナは「永劫」

 

 意中の相手「久慈川りせ」のその全てを知る為に、人の心について学びたいと蓮に相談。

 蓮と行動を共にすることで、人の繊細な心の動き、行動を観察。それらを歌に乗せることで自身に落とし込もうとしている様だ。

 

 



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35:New Normal.

 

 

 教室内に響き渡る川上の声をBGMに、窓に映る外界をぼんやりと眺める。

 

 目が眩むほどの陽の光。遠くで僅かに揺らいで見えるビル群。

 映るモノ全てが、私に夏の訪れを知らせてくる。

 

 

「…………」

 

 

 大山田を改心してからというもの、視界に映る世界は以前とは違って見えていた。

 重荷を下ろしたかの様に心は軽くなり、比較的寝覚めも良くなった…気がする。

 

 兎に角、1つの因縁に決着が付いた事で、私の取り巻く世界は少し変わった。

 

 初めの内は子どもの様に、その変化1つ1つを楽しんでいた。

 映る風景が全て新鮮で。

 それこそ退院したあの時の様な感覚だった。

 

 しかしその真新しさも、巡るめく日常に流されて廃れていく。

 どうやら、私の歩幅に世間は合わせてくれないらしい。

 

 

「テスト直前なのに余所見なんて、随分と余裕ねぇ? 天城さん?」

 

「…………はぁ」

 

 

 テスト。

 

 悪人を改心させたとしても、長き因縁に終止符を打とうとも。

 その余韻を噛みしめる暇も無く、否応なしに日常は私に足並みを揃える事を強要する。

 

 

 

 

7月12日 火曜日 晴れ

 

 

 

 天城雪雫はテストが嫌いである。

 

 例え、その過去に特殊な事情があろうとも。

 例え、現代を代表するアーティストであろうと。

 例え、トップアイドルと半同棲状態であろうと。

 例え、裏の顔が世間を賑わす怪盗団の一味であろうと。

 

 普通の女子高生とは逸脱した存在であったとしても、彼女は人並にテストが嫌いである。

 

 

 嫌いになったのは彼女が小学生の頃で、その切っ掛けは些細な事だった。

 テスト期間中は姉が構ってくれないとか、幼馴染に会えないとか、そういう子ども染みたモノ。

 

 一度嫌いになってしまえば、後に残るのはそれに対する悪感情。

 結局、今の今まで特にその意識が変わる事は無く、テストに対しては歳相応の感情を向けている。

 

 それでも彼女が勉強を怠る事無く、成績を常に維持しているのは生来の真面目さ故か。それとも姉の真似事か。

 

 

「………めんどうくさい」

 

「そんな事言わないの。パレスの件で色々時間取れなかったし、仕方無いじゃない」

 

 

 しかし、いくら成績が良くても、姉の姿を模倣しようとも、面倒くさい事には変わりない様で。

 雪雫は手に持っていたペンを置いた後、子どもの様に机に突っ伏す。

 

 場所は雪雫の自宅。

 リビングのダイニングテーブルに勉強道具を広げ、真と雪雫は向かい合う形で座っている。

 

 

「もう雪雫……。そんな事言ってると花火大会連れて行かないわよ?」

 

「…ん……花火大会…」

 

 

 ピクリと形の良い眉を動かし、僅かに反応を示す。

 

 次週の月曜日…つまり7月18日に開催される都内でも最大級の花火大会。

 金城、大山田と立て続けに悪人を改心した怪盗団は、打ち上げとしてその花火大会への参加を計画中。

 竜司曰く、テストは打ち上げの前哨戦だとか。

 

 

「りせさん、張り切ってるんでしょ?」

 

「………ん…」

 

 

 昨日の晩の事、雪雫が「友達と花火大会に行く」と伝えたところ、りせはその瞳に涙を浮かべて感激。

 

 

一緒に行く友達が居るんだね!!!!!!!

 

 

 と割と失礼な事を叫んだ後、彼女は雪雫に誓った。

 自身が持ちうる全てのモノを使って、花火大会に相応しい衣装を用意する、と。

 

 実際、その後はやけに張り切った様子でメジャーを片手に雪雫の身体の測定をし始め、今日の朝には車に乗って何処かに買い物に行っていた。

 

 

「……自分の事の様に楽しそうにしてた」

 

「なら頑張りなさい? 悲しい顔、させたくないでしょ?」

 

「…うん」

 

 

 新島真は知っている。

 天城雪雫という少女を動かすには、本人の損得勘定よりも他者を引き合いに出した方が効果的だと。

 

 実際、机に突っ伏していた筈の彼女は、つまらなそうな表情を浮かべながらも再びペンを取り、手を動かし始めている。

 

 

(……我ながら狡いとは思うけど…)

 

 

 多少の後ろめたさを感じているものの、雪雫により良い成果をとって欲しいと心から思っているのも事実。

 生徒会長として、仲間として、そして友人として。

 

 気分屋の雪雫に対して優しい表情を浮かべながら、真も再びペンを走らせた。 

 

 

  

 

 

 

 走る、走る、走る。

 ビル群の合間を縫う様に。

 

 茜差す夕陽の元で、久慈川りせは車を走らせる。

 

 

 時間にして、雪雫と真が勉学に励んでいる頃。

 ようやく目的を終えたりせは、雪雫の自宅に向かっていた。

 

 後部座席には数多の紙袋。

 それの中身の事を考えれば、自然にりせの気持ちも高鳴る。

 

 中身は服だ。

 自分のものでは無い。天城雪雫のもの。

 

 天城雪雫という少女は、何度も言うが自分自身に無頓着である。

 年頃の乙女にしては珍しく、ファッションに一切の興味が無い。

 

 久慈川りせ、及び故郷の友人達はそれを嘆いた。折角、可愛いのに勿体ない、と。

 しかし、いくら本人に言っても意識は変わる事無く、悩みに悩んだりせ達は強硬手段に出た。勝手に服を購入し、それを与える事。

 手元にあるモノを適当に着る、というルーティーンが組まれている雪雫の思考に従ったのだ。

 

 次第に雪雫もそれに慣れたのか、最終的には「自分はオシャレとか分からないから、皆に任せる」とお金を渡し始めて早数年。

 上京した今も尚、それは続いている。

 

 だから紙袋の中身はりせがチョイスした…、彼女に着て欲しいと選んだ夏服の数々。りせの好み通りに、無垢な彼女を自分色に染める為の物品だ。

 

 

「思ったより時間掛かっちゃったなぁ」

 

 

 腕時計に視線を落としながら、りせは1人呟く。

 買い物だけならば、雪雫の帰りに合わせて帰れただろうな、と彼女はぼんやり考える。

 

 

「ううん、でもこれは絶対に必要な事。手は抜けない」

 

 

 今回の外出の目的は、雪雫の夏服を買う意外にもう一つあった。

 それは、花火大会に相応しい絢爛豪華な衣装を頼むこと。

 

 高校に入って初めての夏。しかも同年代の友達と花火大会と来たものだ。普通の女の子、とは少し乖離している彼女には、青春を謳歌して欲しい。

 そういう純粋な想いで、りせは繰り出した。

 

 

「……雪ちゃんの身体…えへへへ、綺麗だったな………」

 

 

 純粋な想いである。

 

 

「予定通りに出来上がると良いけど…」

 

 

 仕事を通じて知り合ったスタイリストを経由して紹介された老舗の和装屋。

 注文書を見せた後の担当の人の驚いた顔が今でも忘れられない。

 

 

「まぁ身長みたらビックリするよね~」

 

 

 身長136cmの女子高生なんて自分でも冗談か、とは思う。

 でも実際に存在するのだから仕方ない。

 

 生まれつきの病気の影響か、もしくはそういう星の元に生まれてきたのか、雪雫は9歳の時からピタリと成長が止まった様に変わり無い。

 その身長も、その外見も。

 

 

「私でもすっぽり収まっちゃうもん、雪ちゃん小さすぎ」

 

 

 ま、そういう所も可愛いけど。 

 

 などと考えている内に、次第に目的地が見えてくる。

 逸る気持ちを抑えて、りせは機嫌良さそうに鼻歌を口ずさんだ。

  

 

 

 

 

 

「あ」

 

「こ、こんにちは」

 

 

 車を停め、合鍵でマンション内へ入り、両手一杯に荷物を携えて。

 地下2Fの駐車場から5Fまで数十秒。

 

 エレベーターを降りると、目の前には可愛らしい少女が居た。

 雪ちゃんと同じ学校の制服を着た、茶髪の女の子。

 

 あまり話したことは無いが、お互い面識はあるし、雪ちゃんからも彼女の話はよく聞いている。

 

 

「真ちゃん、だよね? 雪ちゃんと勉強してたの?」

 

「え、えぇ、はい…。えっと、明日からテストなんです」

 

 

 生真面目な性格故か、少し固い彼女を解す様に、フレンドリーに。

 雪ちゃんに良くしてくれているのだから、蔑ろにする訳にはいかない。

 

 

「雪ちゃん、真面目に勉強してた?」

 

「ええと…、まぁ比較的…? 休んでる時間も多かったですけど…」

 

「まぁ気分屋だからね……昔から」

 

 

 彼女を見ていると、何となく雪子センパイを思い出す。

 いや、センパイほど天然では無さそうだけど、話をしている感じ、雪ちゃんの扱いに慣れていそうだ。

 

 

「その荷物は?」

 

「コレ? 雪ちゃんの洋服!」

 

「運ぶの、手伝いましょうか?」

 

「ううん、大丈夫だよ。ありがとうね! 気を使わなくて良いから真ちゃんも帰って勉強しな! 最近忙しかったんでしょ?」

 

「え、ええ。じゃあお言葉に甘えて…」

 

 

 ペコリと軽く頭を下げると、彼女は私と入れ替わる様にエレベーターの中へ。

 実に真面目だ。

 

 

「今度みんなでお茶でもしよ? 学校での雪ちゃんの話、聞きたいな」

 

「――それも良いですね」

 

 

 クスリと笑い、雪雫の学友の真ちゃんはエレベーターに乗って下の階へ。

 

 

「いやぁ、雪ちゃんも隅に置けないなぁ」

 

 

 何となくノスタルジーな気分になりながら、私は再び歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 家に着いたのは18時ころ。

 

 玄関まで迎えに来てくれた雪雫に抱き着き、その成分を補給した後、荷解きする前に誘われるがままに湯船へ。

 どうやら私が帰るタイミングを見計らってお湯を沸かしてくれていたらしい。

 

 私は浴槽に背中を預け、雪雫は私の脚の間にチョコンと座り身体に寄り掛かる。

 何時もの定位置だ。

 

 変な気が起こりそうだが、私ももう20を超えている。

 彼女の何となくお腹の辺りを擦ったり、何となく脚と脚を絡ませたりと、軽いスキンシップを行いながら大人の余裕を見せつける。

 

 2人でゆっくり肩まで浸かり、その日の疲れを洗い流すともう時間はご飯時。

 べっきぃこと、川上先生が作り置きしたカレーを味わい、少しの食休みを挟んでようやく本題。

 

 

「いつも、ありがとう」

 

 

 服を畳んでいると、荷解きをしている雪雫から、ふと感謝の言葉が紡がれた。

 

 

「ううん、私が好きでしてることだから! 寧ろ役得だよ! 雪ちゃんに好きなもの着せること出来るんだから」

 

「……なら良かった」

 

 

 社交辞令などでは無く、実際に本当のことなので、そんなに眉尻を下げなくても良いのに。

 

 

「…最近」

 

「ん?」

 

「最近、真達と遊ぶことが多くなった」

 

「秀尽の子達でしょ? 仲良いよね~」

 

 

 秀尽に入ってからと今までで、雪ちゃんは変わったと思う。

 勿論、良い方向でだ。

 

 故郷である八十稲羽は良くも悪くも狭い田舎町。変化に乏しく、稲羽での彼女は病弱で天城屋旅館の末娘。

 同年代の友達と言える人はほぼおらず、何時も歳上に囲まれていた。

 その中の彼女はまるで精巧な人形そのもの。

 

 それがこっちに来てからは、同年代の友達と共に年相応に過ごしている。

 これが嬉しくない訳がない。

 正直、ホッとしている。

 

 

「遊ぶとき、服装を褒められる。可愛いねって」

 

「うん」

 

「それが嬉しい。私はファッションとかわからないけど、りせが褒められている様な気がして、とても嬉しい」

 

「可愛いのは雪ちゃんでは?」

 

 

 何だこの可愛い生き物は。

 

 

「だから…、これからもお願いしたい」

 

「………」

 

「…りせ?」

 

「言われなくてもするよ!!! いくらでも買ってあげる!!!!!」

 

「む…、お金はちゃんと払う」

 

 

 あー可愛い。今すぐにでも押し倒したいくらい可愛い。

 これで惚れるな、と言われる方が無理な話。

 

 

 服を畳むのも忘れて、脳内トリップしているりせの横で、雪雫は手を止める事無く荷解きを進める。

 数にして5つ目の袋に差し掛か、その中の小包を開けたその時、彼女は不可解な顔をして首を傾げた。

 

 

「どうしたの?」

 

「……首輪…?」

 

 

 雪雫が手に持っているのは手触りの良いレザーのわっか。

 

 

「ああ、それね! チョーカーだよ」

 

「チョーカー?」

 

「うん、首に付けるアクセ! 雪ちゃんってそういうの持ってないなぁって思って買ってきちゃった」

 

「ふぅん」

 

 

 短く相槌を打ちながら、それを事細かく観察する様に、様々な角度から眺める雪雫。

 余程、もの珍しいらしい。

 

 

「つけてみる?」

 

「うん」

 

 

 どうするの?と首を傾げる雪雫に、りせは貸して。と微笑み掛ける。

 自分で付ける事を諦めた雪雫はりせにチョーカーを渡すと、ネコの様に彼女に擦り寄り、目を瞑って己の首を差し出した。

 

 

「…ん」

 

「んんっ!」

 

 

 そして、りせの思考が止まる。

 

 

(これは…、誘われている……?)

 

 

 雪雫の服装は下着の上にりせのワイシャツを着ただけの状態。所謂彼シャツというやつだ。

 りせのものとは言え、雪雫と彼女の間には20cm程の身長差がある。当然、サイズは合っておらず、ブカブカだ。

 

 チラ見えする薄い胸元と鎖骨、服の裾から伸びる白くしなやかな脚。

 そして目を閉じ、無防備に差し出す細い首。

 

 りせには誘っている様にしか見えなかった。

 

 

(…………) 

 

 

 久慈川りせ、深呼吸を一回。

 心を落ち着かせ、絶対に手を出さないという決意を胸に、目の前に居る小動物と相対する。

  

 震える手を何とか抑え、その細首に指を回し、優しく、気付けない様に、そっとチョーカーを付ける。

 チョーカー越しに伝わる彼女の脈拍が、妙に手に残った。

 

 

「で、出来たよ~……」

 

 

 額に冷汗をかきながら、りせは手鏡を雪雫へと差し出す。

 

 

「…ん」

 

 

 受け取った雪雫は自身の首元を確認し、その細い指で何度も確かめる様にチョーカーを擦る。

 初めは何時もの無表情だったが

 

 

「……学校って、こういうのして行って良いのかな」

 

「え?」

 

 

 純粋に疑問を顔に浮かべながら口を開いた。

 そして

 

 

「…ふふっ、えへへ……。真に聞いてみる」

 

 

 分かりやすく嬉しそうな笑みを浮かべて、軽やかな足取りで自室へと翔ける。

 どうやら本当に彼女に聞きに行った様だった。

 

 

「………は? かわよ」

 

 

 久慈川りせは考えるのをやめた。

 



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36:little girl & young lady.

 

 

 アクセサリーの贈り物には隠された意味があると言う。

 

 それぞれの種類、形、身に付ける位置によってその意味合いは変わってくるが、共通してそれらは束縛や独占欲を表すとか。

 

 改めて考えると、こじつけの様にも思えてくるが、心理学の観点から考えると、そういうものらしい。

 

 

 りせ本人にその意図があるかどうかは知る由も無いが、少なくともこの事柄を知っている私に取ってみれば、ついついその意味を考えてしまう。

 

 私が今日貰ったチョーカー。

 束縛や独占欲を象徴するのは共通事項として、その首に張り付く様な見た目から「首を締める」「窒息」という意味を持っている。

 まぁ、語源を考えると、あながち間違いではないのだが、一般的な意味合いとしては、そういうことらしい。

 

 話を戻そう。

 

 兎に角、りせに付けて貰ってから今の今まで、私はチョーカーとりせの心理を勝手に関連付けて考えてしまっていった。

 

 純粋にプレゼントとして楽しめればどんなに良かったか。

 でも私はゴチャゴチャと思考に耽け、邪推することしか出来ない。

 

 だって、嬉しかったから。

 

 私は望んでいる。

 このプレゼントには意味があって、それはりせの独占欲の表れであって欲しいと。

 そう、自分に都合の良い様に考えてしまっている。

 

 

 今、私の首にはチョーカーは付いていない。

 寝る時位は外しなよ、苦しいでしょ?っとりせに取られてしまったのだ。

 

 正直、少し残念に思っている。

 

 というのも、りせの意志が宿ったモノを常に身に付けていたい。と考えているからだ。

 

 彼女が選んだ物を身に付ける。

 理由として、「りせが喜んでくれる」というのもあるが、私の中で大部分を締めるのは「彼女のことを常に思えるから」という子ども染みた束縛だ。

 

 りせが私の為に頭を悩ませて選んでくれた。

 その事を考えるだけで、私の心臓は喜びに打ち震え、そこに居ない筈の彼女を感じる事が出来る。

 

 今回のチョーカーとて同じことだ。

 

 今でも感覚として残っている。身に付けた時の彼女の優しい指使いと仄かに伝わった体温。

 加えてりせが私に、と選んでくれた首を締めるという語源を持つアクセサリー。

 

 その僅かな息苦しささえ、心地良かった。

 彼女の指が常に首に添えられている様な気がして。

 

 一度、それを知ってしまえば外せるモノも外したくなくなるというもの。

 

 

「………」

 

 

 自身の首を指でなぞる。

 やはりそこにチョーカーは無く、輪郭に応じて指が滑るだけ。

 

 何となく、寂しい。

 

 

「………ん」

 

 

 目の前で眠りこけるりせにそっと擦り寄り、その指を私の首元へ。

 彼女の温かな体温が直接伝わり、心地が良い。

 

 しかし、次第にそれも物足りなくなり、今度は自身の脚と彼女の脚を絡ませる。

 程よい圧迫感、彼女に拘束されている様な高揚感。

 

 落ち着く。

 心からの安心を覚える。

 

 故郷を離れ、こうして彼女との時間が増えてからというもの、ズブズブと沼に絡め取られる様に、私の心はりせに傾倒していった。

 

 

 もっと、乱暴に扱って欲しい。

 世間体とか、私の身体とか。

 そういうのに気を遣わずに、本能のままに。

 

 壊れ物の様に、宝物の様に。

 優しくされるだけじゃもう満足出来ない。

 

 自分でも驚いている。

 だってもう私は

 

 

「気を使わなくて良いのに」

 

 

 貴女が居ないと生きていけなくなってしまったのだから。

 

 

 

◇◇◇ 

 

 

7月16日 土曜日 晴れ

 

 

 春学期の集大成とも言うべきテストも、早いもので最終日。

 

 期間中は雪雫自身も他のメンバーも、真面目に勉学に勤しんでいた様で、特筆すべき事柄は無く、日々は過ぎていった。

 強いてあげるとするならば、雪雫が件のチョーカーを身に着けた写真をSNSに投稿し、話題になった事くらいか。

 

 

 学校中が重苦しい緊張で包まれる中、テストもいよいよ大詰め。最後の教科に差し掛かる。

 

 ある者は手を止める事なく難無く熟す。

 ある者は時折ペンを止めつつも堅実に。

 ある者は諦めの表情を浮かべながら、そっとペンを置く。

 

 人によっては一瞬とも無限とも感じられるこの時間も、次第に終わりが近づき…そして

 

 

「テストどうだった?」

 

 

 場所は生徒会室。

 この部屋の主、生徒会長の新島真は書類に視線を落としながら、目の前に居る少女に問う。

 

 

「…別に、普通」

 

 

 頬杖を付きながら、いつも通りぶっきらぼうに呟く雪雫。

 

 

「いつも通りってことね。安心した」

 

 

 正直、心配していたのだ。

 仕方ないとは言え、テスト直前に色々ありすぎたから。当事者であった雪雫自身、負担は相当だったと思う。

 

 しかし、どうやらそれは杞憂だったようで、様子を見るに難無く乗り越えた様だ。

 

 

「後は夏休み中の部活の予算案さえどうにかすれば、こっちも決着ね」

 

「……校長は生徒会に押し付けすぎ」

 

 

 机の上に広がる無数の資料を眺め、2人揃って思わずため息。

 そう、テストという大きなイベントが終わっても、生徒会の仕事が私達には残っている。

 

 

「あ、そういえば」

 

「?」

 

「電話で話してたのってそのチョーカー?」

 

「うん」

 

 

 雪雫の首元、制服の隙間から見える黒いレザー製のアクセサリー。

 りせさんから貰ったという、チョーカーだろう。

 

 珍しく嬉しそうに電話をしてきたものだから、良く覚えている。

 

 白い肌と白い髪に良く映えた黒。

 上品で、どこか退廃的なその印象は、精巧な人形のような彼女に良く似合っている。

 

 

「似合ってる」

 

「……ありがとう」

 

 

 素直に感想を伝えれば、雪雫は頬を染めながらも嬉しそうに、チョーカーを指でなぞる。

 その姿は、幼い見た目ながらも大人びていて。

 

 

(………もう)

 

 

 見ているこっちが恥ずかしくなった。

 

 

 

 

 

 この間の雪雫が頭から離れない。

 

 

 チョーカーを付けてあげた時の嬉しそうな笑み、頬を染めたあの顔。

 

 

 正直、あそこまで喜ぶとは思っていなかった。

 手に取った切っ掛けは些細な事で、こういうの持って無いな、とぼんやり思ったから。

 

 

 あの日以降、雪雫は自宅であっても学校であっても、必ずあれを身に着けている。

 初めは純粋な気持ちが勝っていた。可愛いな、と。

 

 しかし、その姿を見ている内に、別の感情が沸々と湧いてくる様になった。

 

 

(雪ちゃん…、私、の……)

 

 

 私が選んだものを肌身離さず身に着けている雪雫。

 それはまるで、雲の様に捉え所が無い彼女が、私のモノになったのかの様。

 

 胸に溢れる高揚感。

 

 一度認識すれば、この間あげたチョーカーも首輪そのものの様に思えてきた。

 所有の証、それを心から嬉しそうに受け入れた雪雫。

 幼い少女を無遠慮に染め上げる背徳感。

 

 

(別のものもあげたら、付けてくれるかな…)

 

 

 ピアスとかブレスレットとか、アンクレットとか。

 彼女は同じように受け入れてくれるだろうか。

 

 その身体一つ一つに私の証を刻み込んで―――。

 

 

(……ふひっ、えへへへへへ)

 

 

 脳裏に浮かぶのは、私に弄ばれる雪雫の姿。

 その様は愛玩動物の様で。

 

 

(ネコ……。今度コスプレでもさせて――――)

 

「りせちー……、りせちーってば!」

  

「あ…、ごめんなさい! 何でしたっけ?」

 

 

 脳内トリップし過ぎたらしい。

 目の前でマネージャーが腰に手を充ててこちらの顔を覗いていた。

 

 

「この間の水着の撮影の……。そこの雑誌が秋物の撮影も頼みたいって」

 

「あーうん、別に構わないですけど…」

 

 

 聞けば良くあるモデルの撮影。

 その程度なら、わざわざ確認取る事も無いだろうに。

 

 

「それがね…、あの…、天城雪雫さんも一緒にという事で…」

 

「あー…」

 

 

 どうやらこの間の水着の撮影が非常に好評だったらしく、それに味を占めた向こうの担当が是非に、と頼み込んできたらしい。

 

 

「分かった。聞いてみますね」

 

「お願いね!」

 

 

 私経由で雪雫へのオファーが来るのは別に珍しく無い。

 

 何処の事務所にも所属していないフリーのアーティストであり、自身の気分で活動する彼女は、業界内でも少し扱いずらい存在らしく。

 こうして仲の良い私に話が良く来る。

 

 仕事の依頼をしたいのなら、彼女のご機嫌伺う様な真似しなきゃいいのに、と思う所もあるが、私としては助かっている。

 だって変な仕事の依頼だったり、余計な虫が付かない様に管理出来るのだから。

 

 実際、有名な悪徳プロデューサーからの依頼とか、割に合わない仕事などは、過去に断っている。

 

 

(まぁここの雑誌は健全だし、雪ちゃんもそろそろ夏休みだから大丈夫かなー)

 

 

 今頃はテストも終えて、帰路についている所だろうか。

 もしかしたら、友達と過ごしているかも。

 

 

(今度予定聞いてみよっ)

 

 

 稲羽に帰る時期は避けないといけないしね。

 

 

 

 

 

 生徒会の書類仕事も終わり、帰宅した雪雫は、真っすぐ自身の仕事部屋へと向かう。

 

 六畳半程の空間に、パソコンや配信用の器材が並び、部屋の隅にはギターやベースなど楽器も立てかけられている。

 防音対策もばっちり施していて、壁中に吸音材が所狭しと張られている。

 

 本来の用途で彼女がこの部屋に踏み入れるのは実に1か月半ぶり。

 定期的に川上(雪雫はまだ気づいていない)に掃除を頼んで居たのもあって、部屋は綺麗に保たれているものの、やはり心なしか埃っぽくも感じる。

 

 雪雫は部屋の隅に鞄を置き、着替えるのも忘れて椅子に腰掛ける。

 程よい反発感と通気性抜群のファブリック生地の、所謂ゲーミングチェアに腰掛け、雪雫は慣れた手付きでパソコンを操作する。

 

 映し出されているのは、仕事用のメールボックスとカレンダー。

 

 一学期の登校日は今月の25日まで。

 26日からは世の学生達が待ち望んでいる夏休みの到来だ。

 

 学校に行かなくて良い、つまりは自身の活動に充てる時間が必然的に増えるということ。

 

 雪雫はメールを1つ1つ確認し、仕事の期日をカレンダーに入力していく。

 普段はあまりこういう事をしないのだが、怪盗団での活動や帰省など、例年よりも慌ただしい日々が予想される為、流石の気分屋の雪雫もそうせざるを得ない様だ。

 

 

「………ん」

 

 

 ふと、1つのメールに目が止まる。

 

 

「アリババの言ってたやつ……」

 

 

 そう言えばまだ返事を保留していた事を思い出し、了承の旨を先方に返信する。

 

 仕事の内容としては、来年に出る新作ゲームの主題歌の作詞作曲。

 完成し次第、こちらのタイミングで公表して良いらしく、相手もこちらに合わせて告知をするとか。

 

 

「ゲーム内容はアクションRPG…、世界観はサイバーパンク……、ふぅん」

 

 

 科学技術が発展し、身体改造が当たり前になった世界で、暗躍するダークヒーローの話らしい。

 主人公はその時代を象徴する最たる存在で、中身は全身改造人間。

 ストーリーは主人公の活動を体験しつつも、善悪の葛藤やら、人の在り方やらが問われるアプリゲームにしては重厚寄りの内容の様だ。

 

 

「………あまり気楽には造れなそう」

 

 

 仕事として曲作りを受ける以上、先方の期待にある程度答える必要がある。

 メールには何時もの通りに作ってください、と気遣いの言葉が添えられているが、かと言って世界観に合わないモノを造られても困るだろう。

 

 

「……取り敢えず何か参考になりそうもの…」

 

 

 パタパタとリビングへ向かい、テレビの横の棚を眺める。 

 そこには綺麗に並べられたDVDの数々。

 雪雫のコレクションだ。

 

 

「……ダークヒーローならバイトマンとかウルバルーン…、近未来ものならマッドリミックスか機械仕掛けのリンゴ……うーん」

 

 

 ブツブツと呟きながら、一個、また一個と手に取っていく雪雫。

 小さな手には次第に沢山の映像作品で溢れ、雪雫の視界を遮る程の高さに。

 

 よろよろとそれらを運び、テレビの前にチョコンと座り、DVDデッキに挿入すると、大画面には何度も観た冒頭のシーンが映し出された。

 

 

「……………ふむ…」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

7月17日 日曜日 晴れ

 

 

「ハロ~、貴女のりせが帰宅しましたよーっと」

 

 

 すっかり日も堕ち、時間にして夜の9時頃。

 何時になく機嫌良さそうに、鼻歌を口ずさみながら、りせは雪雫の自宅に踏み入れる。

 

 

「……あれ?」

 

 

 パタリと扉が閉じ、鍵を掛ける。

 何時もだったらこのタイミングでパタパタと雪雫が迎えに来るのだが、今日に限ってそれが無い。

 

 居ない、ってことは無いだろう。

 現に仕事部屋から廊下に光が漏れ出ているし、玄関には雪雫の靴が置いてある。

 

 

「珍しく配信中?」

 

 

 小首を傾げながら、仕事部屋へと向かう。

 灯りが付いている以上、ここに居る筈……、なのだが。

 

 

「……居ないや」

 

 

 部屋の灯りが付いているだけで、そこには目的の人物は居ない。

 しかし、パソコンがスリープモードになっているし、部屋には秀尽指定の鞄が置かれている辺り、仕事、ないしは配信をしていたのは間違いない。

 

 

「……リビングかな」

 

 

 部屋の灯りは付いていない、が暗がりにぼんやりと光が見える。

 その光は、暗くなったり明るくなったり色が変わったりと、忙しなく変化を繰り返している。

 

 前にもこんなことあったな、とりせはふと思った。

 映画を観ながらソファで丸くなっている雪雫の姿。

 

 

「……えへへへ」

 

 

 またあの可愛い光景が見れるかもしれない。

 そう考えると、自然と頬が緩む。

 

 一縷の期待を胸に、ゆっくりと扉を開け、部屋の電気を付ける。

 そこには――――。

 

 

「ⅣÅ⊿∟⊃@+※∵⌒¢-⌘▽〜!!」

 

「おかえりなさい、ませ……?」

 

 

 メイド服を着た雪雫が、スカートの裾を摘み、ペコリと頭を下げていた。



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37:Go for broke!

 

 

 事の顛末は同日の朝方に遡る。

 

 

 とある一通の仕事のメールから、活動のヒントを得る為、家にある映画を貪る様に観始めた雪雫。

 数にして6本目の映画を観終わった頃、彼女は思いついたように何処かに電話をし始めた。

 

 

「珍しいな、雪雫が電話してくるなんて。どうした?」

 

「…蓮、今時間大丈夫?」

 

 

 相手は怪盗団のリーダーであり、友人でもある雨宮蓮。

 

 

「これから竜司達とフェスに行くから…、それまでだったら……」

 

「フェス?」

 

「うん、肉フェス」

 

 

 都内のイベント会場に全国各地のご当地肉料理がひしめく夏の祭典。

 竜司が行きたい行きたいと言っていたのを思い出した雪雫は、ああ。と納得する様に相槌を返した。

 

 

「それで、どうした?」

 

「蓮の意見、聞きたくて」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「……なるほど」

 

 

 雪雫は顎に指を添えながら、灼熱の日差しの下、人の間を縫う様に歩く。

 

 場所はサブカルチャーの聖地、秋葉原。

 白いワンピースにサンダル。そしてお馴染みとなったチョーカーを身に着け、その姿はまるで何処かの令嬢そのもの。

 

 日本人にしては珍しい白髪を揺らし、物憂げな表情を浮かべる彼女を見て、周囲の人間は物珍しさ故に視線を送るが、雪雫はそれに気付く事は無い。

 

 

「物事を知るにはまずは行動から……」

 

 

 蓮は言っていた。

 考えても答えが出ないのなら、行動してみるしかないと。

 

 

「なら、ここが一番」

 

 

 雪雫は足を止め、目の前の建物を見つめる。

 駅から離れた通りにポツンと佇む雑居ビル。その中にある特殊な服…、所謂コスプレグッズを幅広く取り扱っている店。

 自身の曲のMVを取る際に何度かお世話になった事のある店だ。

 

 

「……よし」

 

 

 意を決して、雪雫はその店へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませぇ! お嬢様ぁ!」

 

「……1人」

 

 

 時刻はお昼を過ぎた頃。

 その手に紙袋を下げて、小腹を空かせた雪雫はメイド喫茶に来ていた。

 

 甘い声に誘われるまま、席へと腰掛け、適当に一番に目に入った「かきかきオムレツ」と「あっちっティー」を注文。

 

 

「承知いたしましたぁ!」

 

 

 メイドが離れ、1人の時間が訪れた雪雫は、ふと店内を忙しなく動き回るメイドたちを観察する。

 媚びる様な甘い声をあげつつも、その仕草はとても洗練されていて、動きに無駄が少ない。

 

 

「…………ふぅん」

 

 

 雪雫の頭にあるメイドのイメージとはまた違うが、これはこれで趣があるのだろうか。とふと考える。

 客に目を向ければ、鼻の下を伸ばしていたり、口角が上がりっぱなしだったりと、だらしない顔を浮かべている客が多い。

 それこそ、男女問わず、皆がそういう表情をしていた。

 

 

「お待たせいたしましたぁ! お嬢様ぁ!」

 

 

 オムレツに先駆け、運ばれてきた飲み物を、一瞥する事無く口へと運び、喉を潤す。

 

 

「っ! にが……」

 

 

 顔を顰め、飲み物に視線を向けると、そこにあったのは漆黒の海。

 どうやら間違えて運ばれてきた様だ。

 

 コーヒーが飲めるのならば、このまま飲んでも良かったのだが、雪雫は大の甘党。

 今まで生きてて、コーヒーなど飲めた試しは無く、牛乳とガムシロップを混ぜてようやく飲めるといったレベルだ。

 

 それを先程のメイドに伝えれば、作り直しはしてくれたものの、ネームプレートには「うっかりメイド・クララ」という表記が。

 

 

「……はぁ」

 

 

 どうやら現代のメイドは、思っていたよりも狡猾らしい。 

 

 

 

 

 

 買い物も済ませ、お腹も満たした雪雫が次に向かったのは新宿。

 忙しなく人々が往来する中、雪雫は真っ直ぐ目的の場所…、人物の下へと向かう。

 

 

「あ、雪雫ちゃん!」

 

「千早」

 

 

 その人物とは新宿の街角で占い屋を営む女性、御船千早。

 雪雫本人は気付いていないが、怪しい男に絡まれていた彼女を助けた恩人である。

 

 

「今日は何を占いますか~?」

 

「仕事の事で」

 

 

 初対面以後、本人の明るさもあってか、雪雫が妙に懐いた様で、学校の合間に度々顔を出しているらしい。

 雪雫自身、占いをそこまで信じている訳では無いが、ついつい足を運んでしまうあたり、千早には秘めたカリスマ性があるのだろう。

 

 

「はいはーい、ちょーっと待ってくださいねー」

 

「………」

 

 

 慣れた手付きでタロットカードを並べ、千早はその中央のカードを思い切り反転させる。

 

 

「……そうですねぇ、考えるだけでは無く、それを行動に移せば結果が出る。と出てますよ~」

 

「行動……」

 

「習うより慣れろ。というか、当たって砕けろ? 兎に角行動に移してみてください」

 

「……そう、ありがとう」

 

 

 彼女にお代を渡すや否や、忙しいのかそそくさと立ち去る雪雫。

 

 

「あの歳で仕事の占いって、苦労してるのかなぁ」

 

 

 広げたタロットカードを仕舞いながら、小さくなっていく背中をぼんやりと眺めていると、千早は「あっ」と小さく声をあげた。

 

 

「………間違えて恋愛運を占っちゃった」

 

 

 

 

 

 時は戻り、夜の9時頃。

 

 

「ⅣÅ⊿∟⊃@+※∵⌒¢-⌘▽〜!!」

 

「おかえりなさい、ませ……?」

 

 

 メイド服を着た雪雫が、丁寧にりせを迎え入れたところ。

 

 

「…ご飯にしますか、お風呂にしますか…? それとも―――」

 

「それはメイドと少し違くない? ていうか何でメイド!?」

 

 

 珍しく髪を綺麗に纏め、濃紺のワンピースに白いエプロン。

 アニメで良く見られるミニスカート…、所謂フレンチスタイルでは無く、あくまでも正統派の英国式、ヴィクトリアンスタイルを取っている辺りが雪雫らしい。

 …じゃなくて。

 

 

「映画を観てた。仕事の参考にしたくて」

 

「へぇ…、どんな?」

 

「サイバーパンクな世界観で内容はヒーローもののゲーム。それの主題歌の参考になりそうなもの、観てた」

 

「うんうん」

 

 

 まぁ分かる。

 企業案件というのもあって、ある程度の自由は縛られる。

 雪雫のスタイル的にはあまり適さないタイプの仕事。方向性を定めたかったのだろう。

 

 

「それで、日の残りを観た時に…」

 

「あーうん、待ってね。今、整理するから」

 

 

 日の残りってあれだよね。

 名門貴族に仕える生真面目な執事と、そこに新しく雇われたメイドのロマンス映画。

 

 よし。

 

 

「それで、メイドが気になった、と」

 

「蓮が言ってた。気持ちを理解するには体験するのが一番だって」

 

 

 何でサイバーでパンクなダークなヒーローものから、リアルな大人の恋愛事情を描いたロマンス映画に行ったのか。

 聞くのは野暮ってものだろう。

 

 雪雫の全てに突っ込んでいたら、時間がいくらあっても足りない。

 雪子センパイでそれは大いに学んだ。

 

 

「それで、気持ちは分かったの?」

 

「現代に蔓延るメイド達とは、見えている世界が違うってことは分かった。全メイドはこの気持ち知るべき。特にうっかりメイド」

 

 

 雪雫は恨めしそうに、苦々しそうな表情を浮かべて、呟く。

 

 妙にメイド達に棘がある言い方だ。

 何かあったのだろうか。

 

 

「でも――」

 

「ん? ……わぁ!」

 

 

 ふと、雪雫に手を引っ張られ、彼女を押し倒す形でソファに雪崩れ込む。

 眼下には頬を染め、少し瞳の潤んだ雪雫の綺麗な顔。

 

 いくら雪雫が小柄であろうと、小学生とそう変わらない身体であろうと。

 ソファと言う小さい面積ではどうしても身体と身体が触れあってしまう。

 脚から伝わる彼女の熱が伝播して、私の頭を沸かす。

 

 

「肝心な事、分からなかった」

 

「は、はい…? 肝心な…、コト?」

 

 

 雪雫はそう言うと、顔の横にある私の手にスリスリと猫の様に頬を擦りつける。

 艶やかな髪と柔らかい肌が、少し擽ったい。

 

 

「甘美な果実と仕事を天秤に掛け、後者を選んだ従者の生真面目さ…、それを後から悔いる様」

 

「雪、ちゃん……」

 

「もし、もし前者を選んでいた場合、どんな気持ちになったんだろう」

 

 

 雪雫はそう言いながら、おもむろにワンピースの首元のボタンを1つ、また1つと外していく。

 そうして晒されたのは陶器の様な白い肌と浮き出る鎖骨、チラリと見える薄い胸を守る下着、そして首元のチョーカー。

 

 あ、付けてくれてる。私があげたモノ。

 幼い少女を縛り付ける、背徳の象徴。

 

 

「ねぇ、教えてよ」

 

「……え。あ………」

 

 

 雪雫は誘う様に私の首元へ腕を回し、囁く。

 挑発する様に目を細め、足の指で私の太ももをなぞり。

 

 

「私は知りたい、全部」

 

 

 心臓が鳴りやまない。

 自身の顔に熱が集っているのが分かる。

 

 どうすればいいのだろう。

 このまま心の命じるままに、貪ってしまおうか。

 その首筋に唇を落とし、小さい背中に手を回して。

 

 ゆっくりと、墜ちる様に丁寧に丁寧に。

 

 

「雪ちゃん……」

 

「ん……」

 

「私、は―――」

 

 瞳を閉じる雪雫の唇に意識が向く。

 僅かに開いた隙間から、チラリと覗かせる小さな舌。

 

 吸い込まれる様に、導かれる様に。

 自然と私の唇も彼女の下へ。

 

 距離が少しずつゼロへと近づき、お互いの息づかい感じる距離になった。

 その時。

 

 ピンポーンと、乾いた音が室内に響いた。

 

 

「……へ?」

 

「…………む」

 

 

 私は熱が抜けた様に間の抜けた声をあげ、雪雫は雪雫で不機嫌そうに顔を顰める。

 

 

「こんな時間に誰だろう……。あっ、べっきぃかな! 私ちょっと行ってくるね!」

 

 

 急に思考が夢うつつから現実に引き戻された私は、逃げる様に玄関へと向かう。

 

 

(あっぶなー…、危うく本気で手を出すところだった……)

 

 

 雪雫の事は好きだが、こっちも大人としての矜持がある。高校を卒業しているならまだしも、まだ入ったばかり。

 彼女には真っ当な高校生活を送って欲しい。

 

 

「…………」

 

 

 玄関へ向かうりせの背中を見つめながら、雪雫は恨めしそうに未だ見ぬ来客へ怨を飛ばす。

 折角良い所だったのに、とでも言わんばかりの顔だった。

 いや、その対象は来客だけでは無い。

 もう少しの所で来客を言い訳に逃げ出したりせに対しても不満は募る。

 

 今更、何に気を使っているのかと。

 

 

「りせのヘタレ」

 

 

 呟きながらスマホを取り出し、蓮とのトークルームを開く。

 

 送る言葉は一言、「駄目だった」と。

 それに対しての返信は「またチャンスがあるさ」。

 蓮らしい。

 

 蓮のアドバイス通り、行動を移してみたものの、まさか外部の人間に邪魔されるとは。つくづく人生は思い通りに行かないものだ。

 雪雫は自室に入り、メイド服を脱ぎながら嘆く。

 

 外気にさらされる肌から熱が抜けていく。

 私も私で緊張していたらしい。

 

 今、遠くでパタリと扉が閉じる音が聞こえた。

 廊下を歩く足音は2人分。

 やはりべっきぃだ。

 

 失念していた。

 日曜日はもう少し早い時間に来るので、今日は来ないかと思っていた。

 

 

「はぁ……」

 

 

 まぁ蓮の言う通りチャンスはまだあるか、と雪雫は思考を切り替えて自身の部屋着に袖を通そうとした。

 その時。

 

 

「あ、雪ちゃん…」

 

 

 部屋の扉が開き、ヘタレアイドルこと、りせが気まずそうに入ってくる。

 

 

「川…ええと、べっきぃがカレー持ってきてくれたよ」

 

「……今行く」

 

 

 カレーか。

 最近多いな、とふと思う。

 

 持ってきている、という事は何処かで作っているという事なのだろうが。

 どうもカレーの味に憶えがあるのだが、思い出せない。

 

 

「…雪ちゃん…、いや雪雫」

 

 

 なんてことを考えていると、ゆっくりとりせが歩み寄り、私を見下ろす。

 何かに悩む様に、申し訳無さそうな表情が、何となく、切ない。

 

 

「……なに?」

 

「雪雫の知りたい事には足りないかもしれない。でも、それでも。今の私に出来る最大限の事はしてあげたい。今さっき、そう思ったの」

 

 

 りせはそう言うと雪雫の顎に恐る恐ると言った様子で指を添え、彼女の顔を上へと向かせ……。

 

 

「ん……」

 

「っ!」

 

 

 唇を落とした。

 

 

「……少し、恥ずかしいね」

 

 

 視線を逸らして、頬を掻くりせ。

 

 

「~~~~っ!」

 

 

 当の雪雫は乙女の様に頬を真っ赤に染めながら、服を着ていないのも忘れてりせに抱き着く。

 

 

「ゆ、雪ちゃん! ちょっと、風邪引いちゃうよ!?」

 

 

 とっさに彼女を温めようと背中に腕を回すりせと、彼女の胸に顔を埋めて動かない雪雫。

 

 

「………早く付き合ってしまえ」

 

 

 わーぎゃーと騒ぐ声を聞きながら、べっきぃこと川上は呆れ顔でカレーを温めていた。



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38:unseen…

 

 

7月18日 月曜日 晴れ

 

 

 上品で手触りの良い上品な布地。

 身体に程良く感じる、衣服圧。

 

 夏らしいカラっとした風に頬を撫でられ、雪雫は仲間達との待ち合わせ場所へと向かう。

 

 いや、正確に言えば自身の足では無く車で、だが。

 

 

「いいなぁ…、花火大会………」

 

 

 道行く人々を眺めている雪雫の隣で、ハンドルを握りながら唇を拗ねた様に尖らせるりせ。

 

 

「なんで私は仕事なの……。私も雪ちゃんと花火見たかったぁぁぁぁぁ…」

 

「……稲羽でもチャンスはある」

 

「ホント!? 約束だからね」

 

 

 拗ねてた表情から一変、心底嬉しそうにしているりせに微笑みを返し、雪雫は「うん」と小さく頷く。

 

 

「それにしても良かった、浴衣間に合って」

 

「本当に貰って良いの?」

 

「良いの良いの。私からの餞別~。青春を楽しみたまえ」

 

 

 雪雫の体躯に合わせて、りせが頼んだ文字通り世界で唯一の、オーダーメイドの浴衣。

 それに身を包んだ雪雫は、頬を赤く染めて嬉しそうに頬を緩ませていた。

 

 

「真ちゃん達は何処だって?」

 

「渋谷駅の、ハチ公広場近くの改札」

 

「あちゃ、車ではいけないな」

 

「少し離れた所に停めてくれれば、自分で行く」

 

「え~、雪ちゃん一人にさせたくなーい」

 

「………我儘言わない」

 

 

 りせ的には変な虫が付かない様に、なるべく1人の時間を無くしたいのだが、今日は花火大会。

 ただでさえ人の多い渋谷駅は歩く隙間が無いほど、人でごった返していて、とても車で近づけるような状況では無い。

 

 渋々と言った様子ではあるものの、駅から少し離れた場所で雪雫を降ろし、名残惜しそうにその姿を見つめる。

 普段は下ろしている髪を纏め、白い肌と髪に良く映えた水色の煌びやかな浴衣。

 

 

「雪ちゃん!」

 

 

 車を降り、駅の方へと向かっていた雪雫は立ち止まり、ゆっくりと振り向く。

 

 

「似合ってる」

 

 

 シンプルに一言そう告げると、雪雫ははにかみながら言葉を続けた。

 

 

「当たり前、りせが選んでくれた浴衣だもの」

 

 

 

 

 

 

 まさにすし詰め状態。

 目の前に立ちふさがる人壁の間を、雪雫は手を引かれながら進む。

 

 

「雪雫、手は離さないでね!」

 

「ん」

 

 

 彼女の手を引くのは友人である新島真。

 身長140cmにすら満たない雪雫にとって、この人混みはまさに大海の高波そのもの。一瞬でも手を離してしまったら、あっという間に人の波に攫われ、はぐれてしまうだろう。

 

 おんぶした方が楽かしら…、と真がふと考え始めた頃、一同は一先ずの安全地帯を見つけ、そこに逃げ込む。

 

 

「人、多すぎ……」

 

「流石都会」

 

 

 ハンカチで汗を拭いながら愚痴を零す杏に頷きを返す雪雫。

 片田舎である故郷の八十稲羽ではここまで人は集まらない為、素直に驚きを隠せないでいた。

 

 

「しかし、こうも人が多いと始まる前に会場に着けるがどうかわからんぞ」

 

「祐介、フラグ立てんな――――」

 

 

 竜司が肩を落としながら、溜息を吐いたその時、ドンと乾いた音と、仄かな火薬の匂いが一同に届く。

 空を見上げれば、ビルの隙間から僅かに見える空に咲く大輪。

 どうやら間に合わなかったらしい。

 

 

「あー……」

 

「間に合わなかったか……」

 

 

 口をポカンと開け、次々と上がる花火を眺める一同と、ただ一人視線が低すぎるあまり、目の前の人の背中しか見えない少女。

 

 

「見えない。蓮、おんぶ」

 

「勘弁してくれ……」

 

 

 シャツの裾を引き、自然と作られる上目遣いで懇願する少女の頼みを、蓮は一蹴。

 年頃の少女を背中に乗せるなど、緊急時ならともかく、平時では羞恥心が勝つ。

 

 

「―――――あっ」

 

 

 ふと、空を見上げていた杏の額に、ポタリと冷たい水滴が落ちる。

 最初は気のせいかと思っていたが、次第にそれは頻度を増し、遂には空に雷鳴が走り始める。

 所謂ゲリラ豪雨だ。

 

 

「………はぁ…」

 

「あらら…」

 

 

 次々と振る雨に打たれながら、雪雫は皆の心境を代表して大きなため息を零す。

 

 

「この様子じゃあ…」

 

「中止、だろうな」

 

 

 空に光る雷の轟音と、未だに上がっている花火の音をBGMに、蓮達は雨宿り出来る場所を求め、再びさまよい始めた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 一向に止む気配の無い雨。

 

 先程の自分達と同じ様に非難場所を探して翔ける者、諦めたのか雨に打たれながらゆっくりと歩く者。

 コンビニの屋根の下、水分を含みに含んだ髪を梳きながら、雪雫はぼんやりと眺める。

 

 

「折角の浴衣が……」

 

「クリーニング出すしか無いわね……」

 

 

 浴衣に身を包んだ怪盗団の女性メンバー。

 皆同じように、浴衣は肌に吸い付き、インナーは透けて見え、濡れた髪は何処か色香を漂わせている。

 

 

「……何よ」

 

「いや…別に……」

 

「全くもう…」

 

 

 そんな光景に釣られてチラチラと視線を送っていた男性陣に、呆れた視線を受ける真と杏。

 そしてそれすらも気付かず、ただただ浴衣が濡れてしまった事にショックを受けている雪雫。

 

 結局、雨が小降りになるまでこの光景は変わること無く、雪雫と真が加入して初めての打ち上げは、非情に残念な形で終わった。 

 

 

 

 

 

 雨で冷えた身体を湯船にゆっくりと沈める。

 身体の芯から温まる様な感覚に、思わず溜息が零れる。

 

 雨が小降りになったことで現地解散。

 とぼとぼと肩を落とす普段よりも小さく見える仲間達の背中を見送り、雪雫はタクシーを拾って早々に自宅へと帰宅。

 普段は脱ぎっぱなしにする彼女も、浴衣をどう扱えば良いか分からなかったのか、丁寧にハンガーに掛け、そのまま湯船へ。

 

 

「ごめん…、りせ」

 

 

 浴衣の事を思うと気分が沈む。

 折角りせが自分にと買ってくれたものなのに、と。

 

 

「………はぁ」

 

 

 なってしまったものは仕方ない、とマイナスな気分を切り替える為、雪雫はおもむろに湯船の目の前のモニターに手を伸ばす。

 浴室に取り付けられたテレビだ。

 

 1人の入浴している時はあまり使う事は無いのだが、別のモノで気分を紛らわせたかった雪雫は、淡々とチャンネルを回す。

 

 

「………」

 

 

 映画、バラエティー、ドキュメンタリー、アニメ……、次々と映し出される映像を流し見していたその時、ふと雪雫はとある番組に目を止めた。

 

 

「これって…」

 

 

 それは何も変哲の無いニュース番組だった。何時もこの時間にやっている、定番のニュース番組。

 普段は気にもしないのだが――――。

 

 

『メジエドのホームページに英語で掲載された、声明文の内容です』

 

 

 ニュースキャスターの聞き取りやすい声と共に、画面に映し出されたのは件のホームページと英文。

 

 

「日本を騒がせている怪盗団に告ぐ。偽りの正義を語るのは止めろ。偽りの正義が蔓延することを我々は望まぬ…。我々こそが本当の正義の執行者だ。だが、我々は寛大だ。怪盗団に改心の機会を与えることにした。心を入れ替えるのであれば、我々の傘下に入ることを認めよう。拒否する場合は、正義の裁きが下るだろう……、か」

 

 

 正しく宣戦布告。

 持ち込んだスマホでSNSを確認すると、予想通り大いに盛り上がっている。

 

 

『詳しい事は分かりませんが、怪盗団に触発されたのは確かですね』

 

 

 再度テレビに意識を向けると、変わって映っているのは物腰柔らかい茶髪の青年。

 一度、渋谷の駅前で声を掛けてきた――。

 

 

「明智吾郎、直斗の……」

 

 

 巷で有名な高校生探偵。

 探偵王子の再来と、もてはやされている今をときめく有名人。

 

 

『どちらにしても、迷惑な話ですよ』

 

『迷惑?』

 

『怪盗団もメジエドも、自分勝手な正義を振り回すだけの存在です。今後も、怪盗団の影響を受けて、このような連中が出てくる可能性があります。そう言った意味でも、怪盗団の罪は重いですね』

 

 

 世間の盛り上がりと対立する、徹底した怪盗団の否定。

 明智は怪盗団が現れてからというもの、彼のそのスタンスは一切変わらない。

 彼も彼で自身の正義を貫いている、ということだろうか。

 

 

「…………」

 

 

 雪雫は特に顔色を変える事無く、ただただニュースを眺めていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

7月19日 火曜日 晴れ

 

 

 メジエド。

 不正アクセス、データ改竄を生業とする、世界でも有名なクラッカー。

 その実態は判明しておらず、果たしてそれが個人なのか組織なのか。彼なのか彼女なのか。

 素性に繋がるモノは一切判明していない。

 正しく見えざる者。姿無き姿。

 

 唯一判明している事とすれば、怪盗団は世界規模の相手に目を付けられた、という事だ。

 

 

「………ダメ、か」

 

 

 今日は期末考査の結果が張り出され、生徒達の阿鼻叫喚が響く日。だった筈だが、そんなイベントもメジエドと怪盗団の話題に上から塗りつぶされる。

 かく言う怪盗団一同もテストの結果は二の次に、それぞれ情報を集める為、忙しなくしていた。

 

 

 そしてここにも1人。

 しれっと学年一位を取った彼女も特にそれを気にも留めず、スマホの画面を見つめて溜息を1つ。

 

 

「こういう事なら、アリババが一番だと思ったんだけど……」

 

 

 アーティスト活動の道すがら、偶然知り合ったハッカー「アリババ」

 時折、向こうから連絡は来ては、やり取りをしているのだが、こちらから連絡を取る事は今まで無かった。

 

 ダメ元で前回の通話履歴から通話を心見るが、やはり使い捨ての番号だったのか、コール音からすぐに電子音声へと切り替わる。

 

 

「…………む」

 

 

 アリババがダメなら、と雪雫は誰か居ないかと知り合いの顔を思い浮かべる。

 

 姉、りせ、千枝、陽介、完二……、論外。

 妙、べっきぃ、千早、一二三……、望み薄。

 

 頼りになりそうな直斗と悠は連絡が付かず…。

 情報通の大宅も。

 

 

『ごーめん、いま忙しい!』

 

 

 とメッセージが今来た。

 

 

「………全滅」

 

 

 それぞれ得た情報が飛び交う怪盗団のトークルームに、「駄目だった」と送り、眩しいほど晴れやかな空を見上げる。

 世の混沌とした騒ぎとは裏腹に、恨めしい位に綺麗な青が広がっていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

7月20日 水曜日 曇り

 

 

 

「心を盗むって…、バレてるよな、コレ?」

 

「みたいね…」

 

「…………」

 

 

 蓮の携帯の画面に映し出されているのは、アリババと名乗る人物とのトークルーム。

 内容はシンプルで、取引をしないか。というもの。

 

 

「どうしてバレた?」

 

「チャットのログを辿られたのかも」

 

「…………」

 

 

 皆が顔に困惑の表情を浮かべる中、1人だけ…雪雫だけが考え込む様に顎に指を添えていた。

 そして、意を決した様に顔を上げ、皆の顔を見つめる。

 

 

「……私、アリババ知ってる…………」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

「活動の手伝いをしてくれたハッカー!?」

 

「…うん」

 

「え、待って、何時からの付き合いなの?」

 

「私が中学生の時…。丁度、投稿をし始めた辺り」

 

 

 昔の雪雫は今の様に大々的な活動はしておらず、ひっそりと動画サイトに自作の曲やカバーしたものを投稿していたという。

 まだネットの環境に慣れておらず、様々な情報の荒波に揉まれている時、ふと現れその活動をサポートしてくれていたらしい。

 

 

「段々私も慣れて、ある程度軌道に乗ったあとは―――」

 

「アリババとの交流が無くなった?」

 

「ううん、今度は仕事の依頼主の情報を教えてくれた。例えばどこどこのプロデューサーは人を食い物にしている外道だ。とかあそこの雑誌はインタビュー通りに書かないから受けない方が良い、とか事細かく。嘘を言う様な人じゃないっていうのは知っていたから、私も彼女の話を参考にして―――」

 

「雪ちゃんがメディア嫌いって言われてる原因って―――」

 

「アリババがマネジメントしてた結果ってことね」

 

 

 要するに今の今まで、彼女の活動の裏にはそのアリババの存在が常に在ったという事だ。

 

 

「雪雫から連絡は?」

 

「出来ない。連絡は今回の様に常に一方的で返信も出来た試しは無い。タイミング見計らった様に、何か困ったことがあった時、向こうから連絡が来る」

 

「……まるで監視されている様だ」

 

「多分、祐介の言う通り。私が怪盗団に入ったのも、大山田と一悶着あったのも、全部知ってたから。実際、大山田に足が付かない形で予告状を送れたのもアリババとの取引があったからだし……」

 

 

 黙っててごめん。と申し訳無さそうに頭を下げる雪雫。

 普段の彼女からは想像つかない姿に、一同は僅かに狼狽える。

 

 

「いや、謝らなくても……」

 

「向こうは全部承知の上での取引だったんでしょ? 雪雫は利用できるものを最大限利用しただけ…。でも次からは相談しなさいね?」

 

「……うん、ありがとう」

 

「それよりも大事なのは、何時から知っていたか。ってことよ…。雪雫が怪盗団に合流したのは一か月前……その短い期間のチャットログだけでここまで詳細に分かるのかな」

 

「他に知る手段があった…と?」

 

「うん…わかんないけど…、何となく、そんな気が……」

 

 

 揃って口を閉ざし考え込む一同だったが、あまりもの情報の少なさに、眉を顰めるだけで答えは見えない。

 

 

「……取り敢えず、落ち着ける場所に行こうか」

 

「カラオケかっ!?」

 

「わりぃ…、今俺金欠……」

 

「ならカラオケは無しね」

 

 

 長時間の滞在が可能で、お金がかからない場所―――。

 

 

「そうだ、ルブランに行こう」

 

 

 蓮は眼鏡を光らせながら、得意気にそう言った。



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39:Who are you?

 

 

 芳ばしいコーヒーの匂いが鼻腔を擽る空間。

 店内には客は1人もおらず、店主である佐倉惣治郎は何やら真剣な顔つきで手紙のようなものを見つめていた。

 

 そんな中、店内に来客を知らせるベルが響き、惣治郎は入口に視線を向けると、そこには預かっている少年とその友人が。 

 

 

「………おう? なんだ、揃って?」

 

 

 見た目通りの渋い声が、蓮達へと向けられる。

 

 

「マスター、久しぶり」

 

「はい、久しぶり。りせちゃんは元気かい?」

 

「ん、変わらず」

 

 

 真っ先に反応を示したのは雪雫。

 元々ここの店の常連客という事もあり、彼女としても直接顔を合わせたかったのだろう。

 実際、雪雫の瞳の奥は嬉しそうに輝いていて、マスターに懐いているのが見て取れる。

 

 

「今日は夏休みの計画でも練ろうかと思って」

 

 

 続けて杏が笑顔を崩さず、それらしい理由を並べ立てる。

 

 

「夏休み、か。いいねぇ」

 

 

 それを聞いて、惣治郎は微笑ましそうな目線を蓮達に向けた。

 口調はぶっきらぼうだが、その態度と声音には優しさが見え隠れしている。

 そう言った所が、雪雫が懐く所以かもしれない。

 

 

「おや、そちらのお嬢さんは?」

 

 

 仲が良い事で、と一同を眺めていると、見覚えの無い女の子に目が止まる。

 普段の蓮の交友関係からは想像のつかない、理知的な少女の姿。

 

 

「あ、初めまして。新島真です。お邪魔します」

 

「ウチの生徒会長なんすよ」

 

 

 見た目通りの礼儀正しい挨拶に惣治郎は面を喰らっていると、竜司が補足の説明を加える。

 

 

「……新島?」

 

「どうか、しましたか?」

 

 

 一瞬、思い当たる節があるのか、考え込む様な素振りを見せた惣治郎だが、「なんでもねぇ」と再び笑みを浮かべる。

 

 

「生徒会長サンとは驚いた。…こいつを、よろしくお願いします。佐倉惣治郎…、マスターで構わんよ」

 

「マスター、マスター。私も生徒会」

 

「へぇ、そりゃ意外」

 

 

 「生徒会長」という肩書に関心したような態度を示した惣治郎を見て、自身に対しても同じ反応をして欲しかったのか、小さくアピールをする雪雫。

 そういう所は見た目相応である。

 

 

「…そうだ。それ、お前宛だぞ」

 

 

 雪雫の対応も程々に、思い出したかの様に口を開いた惣治郎。

 蓮宛てだという彼の視線の先には封がされた簡素な封筒がカウンターに置かれていた。

 

 封筒を受け取り、差出人を確認するが封筒には何も書かれておらず、欲しい情報は一切不明。

 僅かに困惑する蓮に

 

 

「んじゃ、おっさんはお暇するわ。店、よろしくな」

 

 

 と言い残し、惣治郎は店を後にした。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「皆で海とか行きたくない!?」

 

「おー! いいなぁ、それ!」

 

「……海…」

 

 

 テーブルにお菓子を広げ、雑談に華を咲かせる一同。 

 初めはアリババの事について話ていたが、結局着地点は見つからず、話は次第に夏休みの話題へ。

 

 

「? どうかしたの?」

 

 

 海に行きたいという案に、皆が好感触を示す中、1人雪雫は憂鬱そうに俯いている。

 

 

「…海……私、実は…、その―――」

 

『先日、声明を発表して注目されていたハッカー集団、メジエドの続報です』

 

 

 意を決して言葉を紡ごうとした雪雫だったが、それはテレビの音に掻き消される。

 内容は今現在、怪盗団の頭を悩ませている存在についてだ。

 

 

「……メジエド…」

 

 

 内容が内容なだけに、雑談は一時中断。

 皆、学生の顔付きから一変、真剣な顔でニュースを食い入る様に見つめる。

 

 

『先程、メジエドのホームページに、新たな声明が発表されました。メジエドは声明で、怪盗団に対する勝利宣言を発表しました。さらに、怪盗団を称賛する一部の日本国民に対し、称賛を止める様、警告を発して―――』

 

 

 それを聞いて杏と竜司はすかさず懐から携帯を取り出し、ホームぺージを確認。

 

 

「英語じゃねぇか!」

 

 

 竜司が早々に脱落し、皆は帰国子女である杏の言葉を待った。

 

 

「えっと…。我々の質問に怪盗団は沈黙した。これで我々の正義が証明された。日本の大衆よ、目を覚ましなさい。あなたたちは怪盗団を崇拝してはいけない」

 

「はぁ!? ざけんな!」

 

「怪盗団を崇拝する者には罰が下るだろう。その罰とは財産の没収です。私達はメジエドです。見えない存在です。姿がない姿で悪を倒します

……。だってさ」

 

「どういうことだよ!?」

 

 

 以前と変わらない抽象的なもの言いに、竜司は苛立ちを隠さず声を荒げる。

 

 

「怪盗団のシンパをターゲットにするって言ってる」

 

「財産の没収か…」

 

「銀行…、個人情報……、どっちにしても残忍酷薄」

 

 

 メジエドの言う財産の没収。

 何を示すか定かでは無いが、相手は世界的にも有名なハッカー集団。

 資産や個人情報がネットに蔓延るこの時代、もし宣言通り攻撃されれば只では済まないのは明白だ。

 

 

「そこで何で俺らがやり玉になるわけ?」

 

「あくまでも怪盗団が悪…、ってことにしたいんじゃない? 怪盗団さえ居なければ、こういうことは起こらなかったって」

 

「厄介な奴らに狙われたもんだ……」

 

 

 モルガナの言葉に同意する様に、雪雫達は黙り込む。

 正直、改心しようにもメジエドという存在が不透明な限りは手の出しようもない。

 手詰まり、というやつだ。

 

 

「……蓮」

 

「どうした?」

 

「その手紙、何? 送り主も分からなければ、切手も無い。書いてあることは蓮の名前だけ。明らかに普通じゃない」

 

 

 蓮は雪雫に誘導されるがまま、封筒を手に取り、その封を開ける。

 中に入っているのは赤い紙切れ一枚。

 その中央には大きく三文字の単語が書かれていた。

 

 

「…予告状……?」

 

「誰から来たの、これ?」

 

「雪雫の言う通り蓮の名前以外は書いてないし切手も無い…、誰かがここへ直接投函したのよ」

 

「一体誰が―――、アリババか?」

 

「そう言えば、必要な道具を用意したとかなんとか……。まさかこれの事か?」

 

 

 予告状と書かれた紙以外には入っておらず、封筒自体にも特別な仕掛けなどは見受けられない。

 

 

「仮にアリババからだったとして…、どうして私の家じゃなくて蓮の家に?」

 

「……確かに…。雪雫のスマホを監視しているだけなら、蓮の個人情報までは分からない筈……」

 

「どうなってんだよ……」

 

「とにかく、今の私達に出来る事はアリババからの指示を待つ事ね」

 

「取引を持ち掛けている以上、向こうから連絡がある筈……。一応、私からの連絡もしてみる」

 

 

 真と雪雫の言う事は最もで、今ここで話し合っても事態は解決しない。

 特に進展は無いままだが、明日以降、状況が進展することを信じて、今日はお開きとなった。

 

 

 


 

 

 りせと同じ視点で世界を見たい。

 彼女と同じ視点で話したい。

 

 そう、強く思ったのはりせがアイドルとして復帰してから1年程が経った頃。

 彼女の仕事が忙しくなり、稲羽で共に過ごす時間が減って、心の何処かで何とも言えない喪失感を覚えた事を良く憶えている。

 

 私の傍から離れたりせを必死で追いかける様に、当時の学校生活など全てかなぐり捨てて、打ち込んだことは今では懐かしい思い出だ。

 学校が終わり次第、真っ直ぐ帰路につき、パソコンの画面に噛り付いていた。

 そんな生活をしていたからか、友達などは一切出来無かったが、それでも私の心の支えとしてりせの存在があった。

 

 …いや、2人だけ、そんな私を友達と言ってくれた茶髪と赤髪の姉妹が居たけど………、まぁ今は関係無い話だ。

 

 

 兎に角、当時の私は何度も何度も曲を作ってみては投稿し、その技術を貪る様に邦洋問わず様々なアーティストの歌を歌わせて貰った。

 幸い、私の故郷は開発から取り残された田舎町。

 時間だけは十分にあった。

 

 そうしているうちに次第に作業も慣れ、投稿した曲も度々聴かれる様になった頃、アリババは現れた。

 

 

 初めはコメントから、次第にSNSでのやり取りも増え、ネット上における友達、と言ってもいい間柄になった。

 思えば、その頃のアカウントも使い捨てのアカウントの1つだったのだろう。

 今では削除されているのだから。

 

 それでもインターネットという広すぎる世界を歩む手助けを、彼/彼女はしてくれた。

 私が今こうして、学生の身でありながら、りせと同じ業界で生きていけているのは、アリババのお陰と言っても良い。

 

 

 だから、蓮に来た取引のメッセージは。

 自分勝手に、脅迫文を添えて送られたあのメッセージは。

 

 私にとっては――――

 

 

 


 

 

7月21日 木曜日 晴れ

 

 

「やらないと通報って、マジヤバイだろ……」

 

 

 再び連の元へ送られてきたアリババからのメッセージ。

 内容は先日と同じく、取引についてだったが、殆ど脅迫に近い内容だった。

 

 改心させなければ、蓮の名前を公表して通報する、と。

 

 

「佐倉、双葉……?」

 

 

 そんな脅迫文と共に送られてきたのは、アリババの言う改心して欲しいターゲットの名前「佐倉双葉」

 そこはかとなく、聞き覚えのある苗字に、杏は名前を困惑しながら読み上げる。

 

 

「佐倉って確か……」

 

「苗字、マスターの」

 

 

 予想だにしていなかった身近な人物の浮上に、一同はハッとする。

 

 

「マスターにご家族は?」

 

「……居たっけ?」

 

「少なくとも聞いた事は無い」

 

「おおらか過ぎんだろ! 居候なんだろ? 普通家族との挨拶とかあるだろ…」

 

「まぁ事情が事情だし、な…」

 

 

 いくら冤罪とは言え、表向きには前科持ちの蓮。

 惣治郎自身が、その事情を汲んで省いた、という可能性も無くは無いが…。

 

 

「どの道、予告状が届いたのもマスターの家だし、関係があると考える方が自然よ」

 

「日本の何処に住む佐倉双葉か、アリババは言ってない。名前だけで十分って、思ってるかも」

 

「なるほどな…」

 

「雪雫に連絡せず、蓮の所に直接来たのも引っ掛かるわ。蓮の近くに居る誰かの仕業…、と考えるのが妥当じゃないかしら」

 

 

 雪雫は違和感を覚える。

 自身が持っているアリババの印象と、実際に送られてきたメッセージから受ける印象が一致しないからだ。

 

 

「…………」

 

 

 人の話は聞かないし、何時も一方的で自分勝手なのは変わりないが、そこはかとなく余裕が無い様に感じられる。

 ましてや通報するという脅迫…、それが彼/彼女らしくない様な気がして―――。

 

 

「そう言えば、何で私との取引を伏せて脅迫する?」

 

「と言うと?」

 

「向こうからの連絡とは言え、私はアリババに予告状の送付をお願いした。物的証拠としては、そっちの方が強い筈」

 

「予告状に関するデータを全て削除しちゃった…とか?」

 

「勿論、大山田の時の取引ではそう言う約束をした。でもこうして脅迫する予定があったのなら、それを素直に守る必要は無い」

 

「行動が突発的で計画性が無いって言いたいの? そうね…確かに。――と言うか今回の改心が事前に計画されたものなら、そもそも大山田の時に言っている筈だものね。予告状を送る代わりに、佐倉双葉を改心しろ、って」

 

 

 そう考えると連絡のタイミングや脅迫の内容がチグハグだ。とても計算して動いている様な人物には思えない。

 

 

「悪戯か…、もしくはそうせざるを得ない理由が出来たか……。兎に角、佐倉双葉に関してはマスターに一度聞いてみるべきだと思う」

 

「…それが良いだろうな……。今出来ることはそれくらいだし、ゴシュジンも心当たりがあるかもしれない」

 

 

 惣治郎に探りを入れるとなると、居候である蓮にしか頼めない。

 正体が悟られない様、慎重に頼むぞ。っと祐介は蓮に言い、それを受けた彼も深く頷きを返した。

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 早速、蓮からのメッセージが皆の元へと届いた。

 

 

 探りを入れてみたが、話したくなさそうだったと。

 

 

 マスターの態度的に、佐倉双葉という人物が存在するのは確実。 

 のっぴきならない事情…、つまりは佐倉家の超個人的なプライベートに関する話題なのだろう。

 

 

「……踏み込みにくい」

 

 

 いくらメジエドを片付ける為とは言え、友人の保護者であり、個人的にもそれなりに良くして貰ってるマスターの事情に無遠慮に踏み込むほど、人の気持ちが分からないわけではない。

 

 

「………」

 

 

 アリババからの連絡はあれから来ていないらしい。

 こっちから送っても、変わらず送付先は存在しないらしく、そのまま戻って来る。

 

 

「待つしかない、って暇」

 

 

 佐倉双葉について、現状は探りを入れられない以上、充てにするのはアリババからの連絡のみ。

 

 何故、佐倉双葉を改心したいのか。

 アリババと佐倉双葉の関係は?

 

 分からないことだらけだ。

 

 

「…………」

 

 

 ゆっくりとベットに背中を預け、ぼんやりと天井を眺める。

 

 

「……稲羽に帰るのは何時になるかな」

 

 

 少なくとも、メジエドの件が片付かなければ帰る事も出来ない。

 

 

「……はぁ」

 

 

 珍しくホームシックな気分に浸りながら、雪雫は静かに目を閉じた。

 



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40:Case closed…

 

 

 

7月22日 金曜日 晴れ

 

 

 

 あれ以降、アリババから連絡は来ていない。

 

 佐倉双葉についてはこれ以上詮索することは叶わず、メジエドも不気味な程に動きが無い。

 嵐の前の静けさ…、とでも言うべきか。

 

 真は言っていた。 

 何が起きても対応出来る様、準備は怠らない様にしようと。

 

 ここは彼女の言う通り、武器や物資の調達、潜入道具作りに専念しよ―――

 

 

「………雪雫」

 

 

 授業も終わり、鞄に筆箱やら教科書やらを仕舞っていた時、他学年である筈の天城雪雫が目の前に居た。

 

 

「…………」

 

 

 整った容姿に、低すぎる身長、白い髪と何かと目立つ彼女だが、ここが2年生の教室という事もあり、いつもに増してその身に注目を集めている。

 

 しかし、そんな周りの視線は何処吹く風。

 雪雫は真っ直ぐこちらの瞳を見つめ―――

 

 

「銃」

 

 

 と一言、呟いた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「なるほど」

 

 

 渋谷の大通りから逸れた裏路地。そこに佇むミリタリーショップ。

 店主の岩井は、興味深そうに雪雫を眺め、納得したかの様に首を縦に振った。

 

 

「銃が使いにくいって言うもんだから、どんなマセガキが来るかと思ったら―――こりゃ納得だわ」

 

「どうも」

 

 

 首筋の入れ墨、大きな体躯、ハイエナの様な鋭い目つき。

 普通であれば10人中9人は怯えるであろう外見をした岩井に対して、雪雫は臆する事無く、何時もの調子で呟く。

 どうやら彼女は残りの10%の例外らしい。

 

 

「この見た目で薫より年上、か……。嬢ちゃん、ホントに高校生か?」

 

「保険証、見る?」

 

「そう簡単に個人情報晒すもんじゃねぇぞ…。ったく、お前の友達って聞いてたからどんな奴かと思ったら…、とんだ大物だぜ。なぁ、雨宮?」

 

 

 クツクツと愉快そうに笑いながら、こちらに視線を送る岩井。

 

 

「嬢ちゃん、手貸してみ」

 

「ん……」

 

 

 言われた通りに雪雫は手を差し出すと、岩井は指の関節や手の平などを真剣な目で見始め、「なるほど」と目を伏せる。

 

 

「確かにこりゃ、普通の銃は扱いにくいわな。こんなちっこい嬢ちゃんが使う事を考えて造られてねぇからな」

 

「何とかなりそうか?」

 

「要は持ち手とから引き金まで指が届けば良いんだろ? ちっとばかし特殊なパーツを使うが…なに、出来ない事は無い」

 

「やった」

 

 

 そう言うや否や、岩井は店の奥に消えた。

 恐らくその特殊なパーツを取りに行ったのだろう。

 

 

「嬢ちゃんが使うとしたらピストル一択だな。まぁ今から渡すのはモデルガンだから関係無いけどよ、こういうのはリアリティが大事だ」

 

 

 そう呟きながら戻ってきた彼の両手には、銃のパーツの数々。

 再び定位置に腰掛けると、慣れた手付きで組み立て始める。

 

 

「にしても年頃の高校生がこんなの買って何に使ってるんだ? 普通の高校生はこんなの買わねぇだろ?」

 

「…………コスプレ?」

 

 

 雪雫は首を傾げながら、何故か疑問形で一言。

 やはり嘘が下手過ぎる。

 

 

「コスプレ……コスプレね……。まぁ確かに、そういう用途はあるか………嬢ちゃん、髪白いしな」

 

「これは元も……むぐ」

 

「染めたということにしておこう」

 

「……仲良いな、おまえら」

 

 

 納得した様な訝しんでいる様な、どっちつかずの反応を示す岩井。

 しかし、流石は元ヤクザと言うべきか、話を深堀したくないこっちの事情を汲んでくれたらしく、これ以上質問が飛んでくることは無かった。

 

 

「ほらよ」

 

「わっ」

 

 

 そんなこんなで、5分程で組み上がったモデルガンを雪雫に向かって投げ、雪雫はそれを難なくキャッチ。

 

 

「握ってみろ」

 

 

 言われるがまま銃を握り、構える雪雫。

 やけに手慣れた彼女の動作に、横で見ていた岩井が少し驚きの色を浮かべている。

 

 

「おぉ~」

 

「…ったく…、満足かい?」 

 

 

 雪雫は感心した様に感嘆の声を上げる。

 

 

「ありがとう。これで大丈夫そう」

 

「そうかい」

 

「いくら?」

 

 

 鞄に手を突っ込み、財布を取り出そうとする雪雫に、岩井はストップを掛ける。

 

 

「要らねぇよ。初回サービスだ」

 

「………?」

 

「いや、こういう仕事柄よ。おっさんとか雨宮みたいな男くらいしか客に来ねぇからよ。嬢ちゃんみたいな奴が興味を持ってくれて嬉しいんだ」

 

「…ふぅん」

 

 

 雪雫は中々納得いかない様で、最後まで支払おうとしていたが、岩井がそれを受けとる事は無かった。

 ふ、案外優しい男だ。

 

 結局、雪雫が先に折れ店を外に出たその時、続いて俺も出ようとしたら岩井に肩をポンと叩かれた。

 

 

「手間賃はお前のツケにしておくからな」

 

 

 俺にも優しくしてほしい。

 

 

 

 

 明治神宮。

 

 東京都内有数の規模を誇る神社。

 長年に渡り国民に愛されており、初詣における参拝客数は全国でも指折り。

 境内や隣接している代々木公園には沢山の自然が生い茂り、都会に居る事も忘れてしまいそうな―――以下略。

 

 

「平日でも人、たくさん」

 

 

 そんな大人気のパワースポットに、雪雫と来ている。

 

 

「目的は、参拝?お散歩?」

 

「両方じゃないか?」

 

 

 岩井の店で用を済ませ、御馴染みのビックバンバーガーで腹ごなしをしていた時、雪雫は思い至った様に言った。

 

 

「人の気持ちが集まる場所に行きたい、っと」

 

 

 あまりの唐突な申し出に、僅かに面を喰らったが、この間の、丁度ここで話した事を思い出す。

 そういえば、久慈川りせの気持ちを知る為に、人の心を学びたいって言っていたな、と。

 

 雪雫の銃を調達する以外の予定は無いし、アリババの件も進展しない現状、彼女との関係を深めても良いだろう。

 そう判断した俺は、先日観光案内本で知った明治神宮へと案内し―――今に至る。

 

 

「都会にしては広々、喧騒も聞こえない。ふぅん」

 

 

 踊る様に軽やかに。その足を運びながら、緑に囲まれる境内を進む雪雫。

 田舎出身の彼女からすると、何処か懐かしい気分になるのだろうか。

 

 ウロウロと、足が向かまま気が向くまま歩き回る雪雫。

 方向音痴、というか気にしていないのか、本殿の方からどんどんと離れて行く。

 

 

「目的のものはあっちだぞ」

 

「ん」

 

 

 誘導すると、くるりと反転して今度は素直に指を指した方向へと歩き始める。

 何となく、見た目も相まって小動物感が凄い。

 

 夏の暑さも思わず忘れそうな穏やかな風に撫でられて、遂に辿り着いた本殿。

 雪雫はそうそうの人の気持ちや願いの象徴…、絵馬を見つけると足早に駆け寄ってマジマジと観察し始めた。

 

 

「絵馬…。生きた馬の代わりに絵に描いた馬を奉納した事によって生まれた文化」

 

「詳しいな。描いた事は?」

 

「知識として知ってるだけ。描いた事は無い」

 

 

 吊り下げられた絵馬を見ると、「新作のゲーム機が欲しい」「好きなアーティストのライブに行きたい」などのささやかなモノから、「恋を成就させたい」や「大学に合格したい」などの定番なモノまで。

 参拝客の数分だけ願いがある。その数全てに目を通すのは、困難を極めるほど。

 

 

「受験祈願、縁結び、健康長寿……。ねぇ」

 

「ん?」

 

「蓮は絵馬描いた事ある?」

 

 

 絵馬、絵馬か。

 神社に参拝することは合っても、描いた事は―――。

 あ、いや、受験の時は友達に連れられて書きに行ったな。

 

 

「一回だけ、高校受験の時に」

 

「ふぅん」

 

「どうかしたか?」

 

「……無神論者が大多数を占める私達が、こういう時に神様に願いを掛けるのはなんで、って思って」

 

 

 マジマジと絵馬を見ながら、雪雫は純粋に疑問を口にする。

 

 

「間欠強化の影響……、目に見えない物事に対する認知的不和の解決手段。心の拠り所、ストレスや不安の逃がし先……。精神的な支えの為?」

 

「……どうだろう…」

 

 

 ブツブツと言葉を紡ぎながら…独り言だろう、文章になっていない。

 とにかく、穴が空いてしまう程、絵馬を見つめ続ける雪雫。

 

 その様が教会に行った時の祐介と重なる。

 やはりクリエイターとして通ずるモノがあるのだろう。 

 

 

「………蓮」

 

「なんだ?」

 

「絵馬書こう」

 

 

 絵馬を注視していた雪雫だったが、打って変わりこちらの手を引いて本殿を指差す。

 ……神様に向かって指を指して良いのだろうか。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「これで、いい?」

 

「ああ」

 

 

 慣れない手つきで絵馬を括り付ける雪雫。

 

 

「何か気持ちは分かったか?」

 

「…うん。なんとなく」

 

「きっとみんながみんな、明確な答えを持っている訳じゃ無いさ。自分に及ばない事を、他者に託す…。多分きっと、それは人の当たり前な営みなんだと思う」

 

 

 アイドルに夢見る様に、怪盗団を支持する様に。

 

 

「……そう。願いの受け先。心の宿り木……。人にはそれが必要…、なるほど――」

 

 

 どこか納得したように呟く雪雫。

 そんな彼女の絵馬は、風に煽られ、乾いた音を立てながら揺れていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

7月23日 土曜日 晴れ

 

 

 

「マスターが女の人に脅されていた?」

 

「ああ、ギャクタイやサイバンやら…、どうも穏やかな状況では無かったな」

 

 

 渋谷駅の何時もの連絡通路。

 佐倉双葉について収穫があったという蓮の言葉に一同は集まり、その状況について詳しく話を受ける、が。

 その内容は予想の斜め上を行くものだった。

 

 

「…………」

 

「…どうかした?」

 

 

 何やら考え込む真に、隣に居る雪雫が心配そうに見上げるが、「なんでもないわ」と彼女は笑みを浮かべた。

 

 

「えっと、話を整理すると、双葉はマスターの子どもで…。しかも虐待されてるってことよね?」

 

「……想像、つかない」

 

「…俺も」

 

 

 話だけを聞くと、真が言ったことが事実の様に思えるが、普段の惣治郎を知る皆からすると、どうしても虐待している様には思えなかった。

 

 

「ゴシュジンも訳あり顔だったからな…、もしかしたら何かのっぴきならない事情が―――」

 

 

 モルガナの言葉を被せる様に、蓮のスマホがメッセージの受信を知らせる。

 画面を見てみれば、待ちに待ったアリババからのメッセージ。

 

 予告状も用意したし、名前も教えた。

 なのになぜ、佐倉双葉を改心しない?

 

 という内容の催促のメッセージだった。

 

 

「…………」

 

 

 いくら監視していたとは言え、実際の細かい手順は知らないのだろう。

 

 アリババ、もしくは佐倉双葉と直接コンタクトを取れないか。と聞いたところ、取引を持ち掛けた向こうから取引中止の申し出が。

 彼/彼女が言うには外に出られず、会わせられない事情がある様だが……。

 

 

「雪雫はアリババと会った事無いんだよね?」

 

「うん、生声も聞いた事無い」

 

「アリババは外には出られず、サクラフタバとは会うことも叶わない、か。訳が分からん……」

 

 

 モルガナの言う事も最もで、結局何も情報も対策も取れずに打ち切れられてしまった取引。

 正しく、振り出しに戻る。といった感じだ。

 

 

「ま、俺らには関係無いだろ。取引も打ち切られてたし。連絡も取れねぇしな」

 

「でも、メジエドはどうする? 私達にはどうすることも……」

 

「メジエドだけどよ。大々的に宣言した割には何もしてこねぇし、イタズラだったんじゃねぇの?」

 

「改心されるのが怖くて、引っ込んじまった。ってことか?」

 

「そうそう!」

 

 

 竜司の言う事は非常に都合が良くて、何処までも楽観的だったが、それを否定する材料も持ち合わせてはおらず。

 結果的には流される形で、話は収まった。

 

 自然と身体に力が入っていた様で、彼の言う通りに終わったと一度思えば、それぞれの顔に僅かに安堵の色が浮かぶ。

 

 

「あ、そうだ!」

 

 

 和やかな雰囲気が漂い始めたその時、杏が思い出した様に手を叩いて口を開いた。

 

 

「花火大会のリベンジしようよ! 雨で台無しになっちゃったし!」

 

「良いけど…、また花火でも行くの?」

 

「いや、今度はうまいもん食いてーなー……、寿司とかどうよ!」

 

 

 寿司、という単語の祐介は食い入る様に反応を示し、モルガナも歓喜の声を上げる。

 ようやく、何時も通りの雰囲気を取り戻した、という感じだ。

 

 

「それなら、私がご馳走する…。大山田の事もあるし――」

 

「そんな気を遣う事ねーって! 実はな、カネシロの時のオタカラが入ってたアタッシュケース! あれ15万で売れたんだよ!」

 

「マジでか!?」

 

「のどぐろが食べたいな」

 

「お、流石蓮! 乗り気だな!」

 

 

 普段は食べれない美味しい物が食べれると知り、一気にテンションを上げる怪盗団。

 

 

「寿司は、ガリで腹を膨らませてから食べる。それが俺の極意だ」

 

「今回はそんな事しなくていいから……、っていうか止めてよ?」

 

「雪雫も寿司で良いか?」

 

「寿司、サーモン、食べたい……!」

 

「割と庶民派だな!」

 

 

 道行くサラリーマンや学生が大盛り上がりする蓮達にすれ違いざま視線を送るが、寿司でテンション上がった一同は気付かない。

 善は急げとでも言う様に、早々に予定を明日の夜と決め、明日の高級寿司に想いを馳せて、それぞれ帰路についた。

 

 

「………寿司…」

 

 

 その後、自宅に帰り湯船に身を沈めた雪雫は1人呟く。

 

 

「ワサビ抜き…、笑われないかな………」



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41:I found it!?

 

 

 

7月24日 日曜日 曇り

 

 

 東京都中央区銀座。日本でも有数の高級商業地。

 

 

「……おいしい…」

 

「たまらねぇな、こりゃ…」

 

 

 そこに佇む高級寿司屋。

 普通の高校生には入るのすら憚れる雰囲気の、所謂回らないお寿司屋さん。

 

 

「値段が、書いてないんだが……」

 

「時価っつーんだよ。気にすんな、金ならある!」

 

 

 店の雰囲気にそぐわない学生特有の雰囲気で、若干周りの客と比べて浮いているが、あまりの美味しさにそれどころじゃない様だ。

 

 

「美味しい?」

 

「とても」

 

 

 目を輝かせながら、次々と寿司を口へ運ぶ雪雫に、横に座る真は温かい笑みを浮かべながら訪ねる。

 正に一心不乱、という言葉がピタリと当て嵌まる程の勢いだ。

 

 

「しっかし意外だなぁ…、こういうトコ、行き慣れてるかと思ってたぜ」

 

 

 目の前の食べ物に勢い良く飛びつく姿は正に飼い猫そのもので。

 メンバーの中で一番裕福な生活を送っている割には、随分と庶民的な反応だ。

 

 

「何回か来ていても、美味しい事には変わりない。私は常に、その美味しさを楽しむ」

 

「何回かは来てるのね…」

 

 

 どうやら雪雫の思考に店の雰囲気に合わせるという考えは無いらしい。

 自身の気の向くままに行動する。

 実に彼女らしい行動基準だ。

 

 寿司を粗方平らげ、一段落したその時。

 真は再びマスターの虐待疑惑の話題を切り出す。

 

 

「マスターの件だけど…本当に、虐待するような人なの?」

 

「またその話?」

 

「いや、ちょっと気になっちゃって。裁判とまで言われてたら……」

 

 

 状況的に、蓮が言っていた「マスターの事を脅していた女性」というのは、佐倉双葉の肉親…、もしくは検事や弁護士等の役職に就いている人間だと考えるのが自然だ。

 どちらにせよ、彼に何かしらの疑われるような要素があるのは間違いない。

 火のない所に煙は立たぬ、とは良く言ったものだ。

 

 

「マスターってどんな人? 虐待するように思える?」

 

「そんな人じゃない」

 

 

 真の問いに、蓮は間髪入れずに力強く答える。

 ここに居る誰もが、蓮と同意見なのだが、どうしても事実が見えてこない現状、それを鵜呑みにする事も出来ず――。

 

 

「もし虐待が事実なら、保護者だった筈がとんだ悪人だぞ?」

 

「ああ…、更生すべきは、ゴシュジン……ということになる」

 

「…それなら、アリババの取引が謎。何で双葉の方?」

 

「そうだよ! それに私、あの後気になっちゃってマスターの名前、ナビで確かめたんだよね」

 

「反応は無かったの?」

 

「うん」

 

 

 つまり、マスターには改心する程の欲望は無く、今回の件は極めて個人的で、自分達が首を突っ込む余地の無い家庭の事情…ということになるが

 

 

「…………」

 

 

 雪雫は納得がいかない様で、眉間に皺を寄せたままだ。

 しかし、それをわざわざ蒸し返すほど、判断材料が手元にある訳でも無く、疑問も一緒に飲み込む様に、お茶を飲み干した。

 

 

 

 

 

 確かな満腹感と充足感。

 それらを引っさげ、渋谷駅構内を歩く雪雫達。

 

 目的である寿司を楽しみ、段々と夜も深まってきた所で、お開きムードとなっていたその時

 

 

「新島さん! どうしたの、こんな所で?」

 

 

 1人の青年の声に一同は歩みを止めた。

 

 

「明智君…!」

 

「明智?」

 

 

 振り返るとそこに居たのは人受けが良さそうな笑みを浮かべた青年、明智吾郎。

 真は驚いた表情を浮かべて、竜司は僅かに敵意を含んだような声音で、彼の名を呼ぶ。

 

 

「君達は…TV局で……。それに天城雪雫さんも…。え、新島さんの友達?」

 

「そう」

 

 

 やや食い気味で、明智の質問に答える雪雫。

 彼女の後ろで同じように首を縦に振る蓮の姿を見て、明智はますます興味深そうに笑みを浮かべた。

 

 

「…知り合いか?」

 

「初めまして。明智って言います。よろしく、喜多川祐介くん」

 

「なぜ俺の名を?」

 

「それは僕が超能力者だから―――」

 

「冗談はいい」

 

 

 祐介の疑問に茶化して答えようとした明智だったが、バッサリと雪雫にそれを切り捨てられる。

 彼は「これは手厳しいな」と頬を掻き、苦々しい笑みを作る。

 

 

「まぁ、彼女の言う通りさっきのは冗談で、駆け出しの探偵なんだ。君は班目の門下生だったんだよね?」

 

 

 斑目が逮捕された際、大々的にニュースや雑誌で取り上げられていたが、未成年の祐介の名前は伏せられていた。

 勿論、斑目の元に1人だけ弟子が居た事は周知の事実だが、一般に出回っている情報だけでは祐介の元には辿り着かない。

 つまり。

 

 

「実は、これから怪盗団の捜査チームに加わる事になったんです」

 

 

 明智は今、それなりの情報を得られる立場に居る、ということ。

 その事実に、ほんの僅かに怪盗団の面々は背筋を強張らせる。

 

 

「あ、そうだ。メジエドから怪盗団への宣戦布告のメッセージは見ました?」

 

「宣戦布告?」

 

「ついさっき、ホームページが更新されていたよ」

 

 

 すかさず杏はスマホを取り出し、そこに書かれた英文の声明を黙読。

 読み進める内に、その顔には焦りと驚愕の色が浮かんでいく。

 

 

「え、これっ……」

 

「随分、動揺しているようだけど?」

 

 

 そしてそれを見過ごすほど、明智も甘くはない。 

 捜査チームに加わるだけあってか、その態度は変わらず柔らかくも、一つの獲物も見逃さない鋭さをその瞳に宿していた。

 

 

「え、いや……」

 

「か、怪盗団の大ファンなんだよ、コイツ。バカみたいにミーハーで……」

 

「あんな連中のファンなんて、止めた方が良いと思うけどな」

 

「なんなんです? さっきから」

 

 

 満面の笑みでそう言い放つ明智に、静観していた筈の真が琴線に触れたのか、彼を睨み付ける。

 まぁ無理も無いだろう。 

 正義と信じてやってきたことを、頭ごなしに否定されたのだから。

 

 

「ごめんね、お友達同士のところ。それにしても面白い交友関係だと思って」

 

 

 そんな彼女の視線もどこ吹く風。

 特に態度も言動も変える事無く、明智は口を開き続ける。

 穏やかな口調とは裏腹に、一瞬の気の緩みも許されないプレッシャー。それを蓮達はヒシヒシと感じていた。

 

 

「新島検事の妹に、大山田の元患者、斑目の門下生、加えて秀尽の生徒…さしずめ怪盗団繋がり、とでも言おうか」

 

「…何でそれを」

 

「先日、大山田が改心されたのは知ってるかな? あまり大々的に取り扱われて無いけど…まぁ調べればすぐに出てくるよ。それで彼の経歴を洗っていたら、君の名前があったからね」

 

「…そう」

 

 

 大山田の逮捕については、明智の言う通り大々的に報道されていない。

 一般に報道されている内容と言えば、彼が心が入れ替わった様に自首をし、過去の隠蔽や不正が公になったこと位だ。 

 金城と繋がっていた事、外道な臨床実験は一切公表されていない。

 

 真が言うには、裏で繋がっている誰かの口封じの可能性が高いらしいが。

 

 

 兎に角、事の顛末を知る雪雫達にとって、大山田の話題は正に爆弾そのもの。

 ここで一般人が知り得ないことを口に滑らしてしまうと、明智に詮索されるのは目に見えている。

 

 

「あまりこの件を喋り過ぎると冴さんに怒られちゃうな…。―――そうだ、君に聞きたいことがあったんだ」

 

「何だ?」

 

 

 雪雫からこれ以上、反応を得られないと判断したのか、明智の視線は真っ直ぐ蓮の元へ。

 

 

「今回のメジエドの騒動…、もし君が怪盗団の一員だったらどうする?」

 

「放置する」

 

「…へぇ、意外な答えだな。少数派の意見だ」

 

 

 目を丸くして、心底面白そうに感嘆の言葉を漏らす明智に、竜司は敵意むき出しで間に割って入る。

 

 

「期待ハズレで悪かったな。俺達はフツーの高校生だぜ? 寧ろ、探偵様のご意見を聞かせてくれよ」

 

「……怪盗団をプロファイリングした結果、未成年の学生のグループだと僕は考えている。放課後は比較的自由に行動しており、身を眩ますアジトが存在する。そして、4月頃から活動を開始。手始めが鴨志田であることを鑑みて――」

 

「怪盗団は秀尽生?」

 

「そうだね、雪雫さんの言う通りだ。―――君達の様な、ね」

 

 

 常に温和な表情を浮かべていた明智は一変、鋭く一同を睨み付ける。

 まるでお前達を疑っているぞ、と言っているかの様だ。

 いや、もしかしたら彼の中では、もうすでに確定している事項かもしれない。

 

 

「通報でもしてみるか?」

 

「誰も君達を疑っているなんて言ってないだろ?」

 

「………っ」

 

 

 言葉遊びだ、と雪雫は思った。

 彼の言動や行動の1つ1つを分析すると、怪盗団の筆頭候補は蓮達で、こちらがボロを出すのを待っている様にしか見えない。

 

 これ以上、彼と話すのは危険だろう。

 

 

「怪しいのはそっち」

 

「……雪雫?」

 

「ハハハ、言われてみると確かに! 高校生で探偵…加えて捜査チームに加入……まるでフィクションだ」

 

 

 興が冷めたのか、それとも潮時だと判断したのか。

 明智は「もうこんな時間か」と時計を見て呟き、別れの挨拶を言い残して、人混みの中に消えていく。

 

 

「なに、あれ?」

 

 

 彼の背中が完全に見えなくなった瞬間、開口一番に杏が困惑を口にした。

 正体がバレているのではないか。

 その不安が一同の胸中に渦巻く。

 

 

「バレた…とまではいってないと思うけど、念のため用心はしといたほうがいいわ。実際、アリババには正体がバレたんだし」

 

「しかしバレたと言っても、証拠を掴まれた訳じゃないだろ? 見られているのは加工も容易いチャットのログ…、雪雫との取引の内容を持ち出す気配も無い。第一、怪盗行為はイセカイで行うんだ。普通にしてればいい」

 

 

 祐介の言う通り、アリババが握っている情報は物的証拠としては弱い物ばかり。しかも怪盗行為の舞台は、一部の者しか出入りする事が出来ないイセカイ。

 仮に疑われたとしても、肝心な証拠が無い以上、安全な筈。

 

 やり場の無い不安を消し去る為、蓮達はそう自身の心に言い聞かせる。

 そうでもしないと、祐介の言う普通の生活が送れなそうな気がしたのだ。

 

 

「……あ、それよりメジエド! 大変なことになってるよ!!」

 

 

 不安気な雰囲気が、ほんの僅かに和らいだその時、杏は声を上げた。

 先程、明智に促されるままに確認した怪盗団への宣戦布告の件だろう。 

 

 

「……ん」

 

 

 雪雫は自身のスマホを取り出し、目を落とす。

 そこには依然と変わらず、英文で書かれた声明文。

 

 

「我々は日本の大衆に失望した。未だ彼らは、怪盗団の偽りの正義を信じている」

 

「英語……、読めんの…?」

 

「……多少は」

 

「わ、私の活躍の場が…」

 

「ちょっと、茶々入れないの。雪雫、続きは?」

 

 

 雪雫の新たな才能に驚きを示す竜司と、自身の出番を奪われ肩を下げる杏。

 そんな2人の反応を余所に、雪雫は淡々とメジエドの声明を読み上げる。

 

 

「我々は日本を浄化する計画を進めている。Xデーは8月14日。これにより日本経済は壊滅的打撃を受けるだろう」

 

「マジかよ…」

 

「だが、我々は寛大だ。怪盗団に最後の改心の機会を与える。我々は、怪盗団に改心の証として世間に正体を晒すことを要求する。これが通らなければ、我々は日本を攻撃する。日本の未来を、怪盗団の判断に委ねることにする………横暴…」

 

「要するに、怪盗団が正体を晒さなければ、メジエドは日本を攻撃する……と言ってるんだな?」

 

「どうするの、これ?」

 

 

 一時はメジエドの新たな動きも無く、悪戯かと思われたこの件だったが、本格的に対処しなければいけない状況に変化した。

 実際にネット上では大盛り上がりを見せ、怪盗団を応援する者、メジエドに畏怖する者、この件を他人事の様に煽る者と様々だ。

 

 

「何とかアリババにコンタクト取れると良いんだけど……」

 

「手掛かりはマスターと佐倉双葉、か」

 

「……アリババ…、佐倉双葉……」

 

「どうかした、雪雫?」

 

「ん、いや……」

 

 

 小さく反応を返したと思えば、再び考え込む様に黙りこける雪雫に、真達は首を傾げながら視線を送る。

 時間にして1分程、たっぷり時間を掛けた彼女は、たどたどしくではあるものの、口を開いた。

 

 

「アリババって、どうやって佐倉双葉の改心を確認するつもりだったんだろう、って」

 

「どうやって……、直接会ってとか?」

 

「なら、それは目に届く範囲にアリババが居るってこと」

 

「そうだな。そうでなければ確認のしようがない」

 

「蓮に直接予告状を届けられる、双葉の状況の確認が可能。でも事情があって私達には会えない」

 

「……なるほど、確かにその可能性は高そうね」

 

 

 真が得心がいった様子で頷き、竜司と杏は変わらず頭に疑問符を浮かべている。

 

 

「要するに、アリババ=佐倉双葉。その可能性が高いってことよ」

 

 



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42:His daughter is important to him.

 

 

「ごめんくださーい」

 

 

 昔ながらの日本家屋に、真の声が響く。

 

 

「…反応、ない」

 

「留守か?」

 

「でもドア開いてるし、テレビの音も……」

 

 

 ルブランのすぐ近く、表札に佐倉と書かれた一軒家。

 アリババの正体を、佐倉双葉は一体誰なのか。

 それを知る為、少しでも手掛かりを探す為、板前に取り繕って貰った寿司折りを手土産に、マスターの家へと押しかけた雪雫達。

 

 チャイムを鳴らしても反応は無く、留守かと思われたが、家の明かりが付いている事や玄関が開いたままになっている事から、確実に誰かは居ると確信。

 夏特有の突然の悪天候にも見舞われ、取り敢えず玄関まではお邪魔させて貰ったのだが、雪雫の言う通り、反応は得られなかった。

 

 

「ぶっ倒れたりしてねぇだろうな? マスター、そこそこ年いってんだろ?」

 

「ちょっと心配…。見に行った方が良くない?」

 

「妙、呼ぶ?」

 

「最悪の場合はそうね……」

 

 

 マナー違反、というか不法侵入。

 それを理解しつつも、やはり居る筈なのに反応が無いのは気掛かりで。

 

 

「お邪魔しまーす……」

 

 

 僅かにためらいを表しながらも、一同は靴を脱いで家へとあがる。

 

 

「…雰囲気あるなぁ」

 

「そこそこの築年数は経ってそうだしね」

 

 

 足を進める度に床からは軋む音が鳴り響き、外の天候もあってか灯りが付いているのにも関わらず、廊下は暗い。

 次第に雷鳴も勢いを増し、本格的にお化け屋敷のそれに雰囲気がなってきた、その時。

 

 

「ヒィ!? キャァァァァ!」

 

 

 轟音と共に家の明かりが落ちる。どうやら近くに雷が落ちたらしく、停電してしまった様だ。

 そして、タイミングを同じくして、家の奥からは甲高い悲鳴。勿論、雪雫達のものでは無い。

 

 

「悲鳴!? ねぇ、今の何!?」

 

「…知らない」

 

 

 立て続けに起きた異変に、真は怯えた様に声をあげ、雪雫の手を咄嗟に握る。

 

 

「一回、出よ? ね、帰ろ!?」

 

「何ビビってんだよ」

 

「び、ビビってないし!」

 

 

 真に煽られてたのか、それとも元から彼女も怖がりなのか。

 杏も同じように声を震わせる。

 

 

「でも、誰かいる。若めの、女の子」

 

「ひょっとして、アリババ……フタバか?」

 

 

 雪雫の言う通り、明らかに中年の男性であるマスターの声では無い甲高い声が聞こえた。

 蓮達からすると、その少女の正体を暴きたいところだが、真と杏の様子を見るにそれも限界の様で。

 諦めて退散しようと、玄関の方へ。

 

 

「ねぇ…、このまま手、繋いでてても良い?」

 

「ご自由に」

 

 

 余程怖いのか、真はやけに及び腰のまま、縋り付く様に彼女の手を握り続ける。

 普段は小さい雪雫の手が、今の真にとっては大きく、頼りがいのある様に感じられた。

 

 恐怖から歩幅が小さくなっている真に合わせて、ゆっくりゆっくりと、足を運んでいると

 

 

「………ん、気配」

 

 

 雪雫が背後に居る誰かの気配を感じ取る。

 

 

「え、何…? 雪雫、どう…したの!?」

 

「後ろに誰か居る」

 

「誰…、誰!?」

 

 

 咄嗟に後ろを振り向き、その誰かを探すが、姿は見えない。

 しかし、雪雫が冗談を言っている様にも思えない。

 

 

「……もうヤダ! 出る…!」

 

「………はぁ」

 

 

 雪雫の小さい身体にへばりつき、その拘束を強くする真。

 伝わる震えが、早く家から出ろ。っと言っている様で、取り敢えず彼女だけでも外へ連れ出そうとする。

 しかし。

 

 

「あ…、嘘……。腰、抜けた………」

 

 

 その肝心の真が力が抜けた様に座り込み、一切動かなくなってしまった。

 

 

「……これじゃあ、動けない」

 

「ご、ごめん……、ちょっと、、待って――――――」

 

 

 細い腰に手を回している真と、されるがままの雪雫。

 彼女は今、ショートパンツを履いており、真の怯える息遣いが、露出した太ももに掛かって、僅かにくすぐったさを感じていた、その時。

 

 

「……あ」

 

 

 背後には眼鏡を光らせた小柄な少女の姿――――

 

 

「きゃあああああああああああああ!!?!??」

 

「ひぃいいいいいいいいいいいいい!??!!?」

 

 

 少女と真の悲鳴が、家中に響く。

 

 

「……五月蠅い」

 

 

 それに挟まれた雪雫は、文句を言いつつも足にへばりついたままの真の頭を撫でていた。

 

 

「アリババ! フタバ!!」

 

 

 小動物の様に家の奥へと逃げて行った少女を、杏は必至に呼び止めるが、それも徒労に終わり、この場に残されたのは真の怯える息遣い。

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! 助けておねえちゃん助けて――――」

 

「擽ったい」

 

 

 雪雫の太ももに顔を摺り寄せ、助けを懇願する真。

 彼女の動きに合わせて、髪が肌の上を滑り、非情にもどかしい感覚に雪雫は襲われる。

 

 

「大丈夫か、双葉!?」

 

「やべっ!」

 

 

 そうこうしている内に、玄関先から聞こえる馴染みの渋い声。

 どうやらマスターは本当に家を空けていたらしい。

 

 ガラッと扉が開き、焦った様子のマスターの姿が現れる。

 

 

「…あん? 誰だてめぇら!?」

 

 

 靴箱の上に置いてあった懐中電灯を咄嗟に手に取り、それを雪雫達へ向ける。

 

 

「ごめんなさいごめんなさい、助けて助けて助けておねえちゃん……!」

 

「私はおねえちゃんじゃない…」

 

 

 幼いその身体に抱き着き助けを乞う真と、そんな彼女の頭を撫でる雪雫。そして、それを見守る蓮達。

 

 

「……なにやってんの?」

 

 

 

 

 

 場所は変わってルブラン。

 

 あの後、マスターの家に確実に居た第三者…、佐倉双葉について尋ねた所、始めは言い渋っていたが、蓮達の真っ直ぐな視線を見て観念したように話し始めた。

 

 因みに、家に入った事については怒られなかった。マスター、優しい。

 

 

 佐倉双葉。 

 戸籍上のマスターの娘。つまりは血の繋がりの無い養子。

 

 元々、彼女の母親とは双葉が生まれる前からの付き合いらしく、仕事熱心な努力家で女手ひとつで育てていたらしい。

 父親が居ないながらも、娘と母親は仲睦まじく、極めて普通の親子だったらしい。

 

 そう、母親が自殺するまでは。

 双葉の目の前で車道に飛び込み、そのまま他界。

 

 1人残された双葉をマスターが引き取ることになったらしいが、やはり母親の死を目の前で目撃したというトラウマと、その自殺の原因が自分自身であるという思い込みから、他者との関りを拒絶。

 

 マスターに対してだけは、少しではあるものの心を開いていたらしいが、つい数か月ほど前から、幻覚や幻聴の症状に見舞われ、自室という狭い世界に閉じこもったままらしい。

 

 頭の回転が早い…、所謂天才気質らしく物事を捉える際の視点や完結の仕方が飛躍していて、マスターにも理解出来ない事が多く、最終的には時間が解決することを願って、今の状況になったらしい。

 

 

「何にも脅かされない環境、か」

 

 

 

 自分とは正反対、と雪雫は思った。

 

 片や他者から望まれて狭い世界に閉じこもっていた者。

 片や自ら狭い世界に閉じこもった者。

 

 真逆の立場ではあるものの、しかしながら、狭い世界の居心地良さ、というのも雪雫には分かる。

 ただただ無情に時間だけが過ぎていく停滞した世界。脅威も不安も無い完結した世界。

 

 

「……………」

 

 

 今の双葉に必要な事、とマスターは言っていた。

 そう話している彼の姿は、何処か納得がいっていないようにも見えたが……。

 

 

「ズケズケと立ち入っちゃって、悪い事をした……」

 

「虐待なんてぜってぇ無いな…」

 

 

 予想だにしていなかった事情に、雪雫達の顔は曇る。

 同時に、その表情に迷いも生まれていた。

 これを知った今、自分達がこれ以上踏み込んでいいのか、と。

 

 

「心を盗んでほしい理由は、きっと母親の事と関係あるんだろうね…」

 

「辛く、苦しい心を捨て去りたいという事か。…自分じゃどうにもならないんだろう」

 

「改心で、助かるのかな……」

 

「助ければ、俺達もメジエドに対抗出来るか?」

 

 

 そこは不確定だ。

 そもそも双葉を改心して、苦しみから解放される保証は無いし、取引が頓挫した以上、彼女が協力してくれるかも分からない。

 でも、それでも。

 

 

「メジエドとは関係無しに、放っておけない」

 

 

 強い意志を瞳に宿し、迷いの渦中に居る中、真っ先にそう言い放ったのは意外にも雪雫だった。

 それは旧知の仲だからか、それとも別に思う所があるのか。

 どちらにせよ、何かに突き動かされた様に、雪雫は静かにそう言った。

 

 

「それは、そうだけど…」

 

「…待てよ、そもそもパレスあんのか? 調べてみようぜ」

 

 

 竜司に促されるまま、蓮はイセカイナビを起動。

 最早見慣れたキーワードを入力する画面を開き、「佐倉惣治郎宅に住む佐倉双葉」と入力。

 

 突如、一同に何とも言えない感覚が襲う。

 それはメメントスやパレスに入る時の感覚そのもの。つまりは―――。

 

 

「あったぞ?」

 

「悪人じゃなくても、パレスは存在するの?」

 

「一応、仕組み的には人並外れた強い欲望…だから可能性はあるかも……」

 

「どーなんだ、モルガナ―――…いねぇな」

 

「さっきから見ないぞ」

 

 

 机の下、カウンターの裏、お手洗い。何処を探してもモルガナの姿は無い。

 

 

「マスターの家に入って、そのまま?」

 

「っぽいな…。ま、平気だろ、猫だし」

 

 

 まぁ仮にマスターや双葉に見つかったとしても、一般人から見ればただの猫。

 大事にはならない筈だ。

 それよりも―――。

 

 

「そろそろ解散すっか。終電近いし」

 

 

 大分夜も更け、普通の高校生であれば出歩く事も無い時間。

 今日はここらが潮時だろうと、皆机に置いた荷物を纏め始める。

 

 

「明日、学校で集会もあるしね」

 

「……え?」

 

「雪雫…、貴女聞いてなかったの?」

 

「……多分、ホームルーム中、寝てた」

 

「全くもう…」

 

 

 出来の悪い妹を叱る姉の様な素振りを見せる真。

 先程、佐倉宅で怯えていた人物とは別人の様だ、と雪雫は思った。

 

 

「集会…? なんだそれは?」

 

「メジエド騒動で怪盗団の人気が出て、それで秀尽が注目されてね。その注意喚起だって。ネットで勝手な発言して炎上しないようにって」

 

「だってよ、雪雫~。ダメだぞ、変な事言っちゃ」

 

「大丈夫、私投稿しないから」

 

「それはそれで雪ちゃんファンの心境的には寂しいんだけどね……」

 

「兎に角、今日はここで解散。祐介以外は、また明日学校でね」

 

 

 はーい、と心底面倒そうに返事する竜司と杏。

 折角の夏休みだと言うのに、学校に行かなければならないのは何とも不憫だ。

 

 

「雪雫もちゃんと来てね?」

 

「……朝起きれたら――――」

 

「来なさい」

 

「………はい」

 

 

 不憫だ。

 

 

 

 

 

「遅くなった」

 

 

 ルブランでの話し合いも終わり、早々にタクシーを拾った雪雫は、杏と真を家まで送った後、自身も帰路についた。

 因みに男性陣…、祐介と竜司にも声掛けたが、2人とも自分から断った。タクシーに乗り切れない…というのもあったが、どうやら気を使ってくれたらしい。

 そういう所は紳士的である。

 

 時間にしてはもう日付は変わっていて、こんなに遅くなったのは上京してから初めての事だった。

 

 

「あ、やっと帰ってきた~、不良少女!」

 

「……ただいま」

 

 

 家に入り、リビングに向かうと、そこには風呂から出たばかりであろうりせの姿。

 流石はアイドルと言うべき抜群のプロポーション、加えて上気した頬と水分を含んだ髪が色っぽい。

 

 

「もう、真ちゃんと一緒って聞いてたから心配はしてなかったけど……、雪ちゃん見た目は完全に小学生なんだしダメだよ? これ以上、遅くなっちゃ」

 

「………善処する」

 

 

 荷物を置き、着ていたシャツとポロシャツを脱ぐ。

 時間は遅いが、夏の暑さでベタついた肌を洗い流さないと寝るに寝られない。

 

 

「あ、お風呂? 湧いてますよ~、私の残り湯だけどっ!」

 

「気にしない」

 

 

 下着だけの姿になった雪雫は、床に置いた荷物を片付ける事無く、真っ直ぐ浴室へ。

 そういう所が部屋を散らかす所以なのだが、それを咎める者はここには居ない。

 

 タオルを手に取り、取り付けられたラックに着替えと共に置く。

 

 

「…………入ったんじゃないの?」

 

 

 下着を脱ごうと手を掛けていた雪雫だったが、その手を止め、ジトっとした目で何故かここまで追従してきた人物を見つめる。

 バスタオルにくるまれていた身体は惜しみなく露出され、まるで今から一緒に入りますといった様子だ。

 

 

「えへへ、背中流そうと思って」

 

 

 手をワキワキとさせ、怪しい笑みを浮かべるりせに、若干の警戒心が生まれる。

 りせが決まってこう言う時は、直接手で洗うという意味だ。それは雪雫にとって、気持ち的にも落ち着かないし、もどかしいもの。

 兎に角、精神衛生上、よろしくないのだ。

 

 

「りせ、くすぐったいから、嫌……」

 

「まぁまぁ、そう言わずに! 私に雪ちゃんの柔肌を堪能させなさーい!!」

 

 

 結局、雪雫は碌に抵抗もせず、りせのされるがまま。

 ほぼ全身を彼女の手で洗われ、浴室から出る頃には謎の疲労感が身体を襲っていた。



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43:Her summer vacation is full of ups and downs.

 

 

 

7月25日 月曜日 晴れ

 

 

 

 焼き付く様な日差しが差し込む、ルブランの屋根裏部屋。

 机にお菓子やジュースなど思い思いの好物を並べ、それを囲う。

 正に円卓会議の真っ最中、の筈だったが

 

 

「ダルかったなぁ、緊急集会……」

 

「眠かった」

 

 

 どうやら話は脱線している様だった。

 

 

 夏休みに入って早々、朝早くから学校に呼び集められた秀尽生。

 校長や教頭の長話を延々と聞き、加えてその場で「SNSに対する向き合い方」という教育ビデオを観させられる始末。

 あの場に居る誰もが思っただろう、「帰りたい」と。

 

 

「眠かった、じゃなくて実際寝てたでしょ、雪雫」

 

「………なんでそれを」

 

「貴女、遠目からでも分かりやすいのよ」

 

 

 家に帰るのが遅かったのに加えて、りせとの浴室での騒動で碌に寝れなかった雪雫。

 その足りない睡眠時間を取り戻す様に、集会中は常に意識を微睡に追いやっていた為、その話は一切頭に入っていない。

 

 

「だって―――」

 

 

 何とか言い逃れをしようと言葉を並べ立てる雪雫と、逃げ道を潰す様に追い詰める真。

 蓮達にとっては最早見慣れた光景だ。

 

 

「あれ、祐介も学校?」

 

 

 一度ああなると、2人は暫く戻って来ない。

 それを知っている杏は、2人の微笑ましい言い合いをBGMに、何故か制服姿の祐介に問う。

 

 

「洗濯した結果、これしか服が無かった」

 

「もう2、3着買おうね……」

 

 

 一体どうやって生活しているのか。

 聞けば聞く程、彼の私生活の謎が深まる。

 

 

「大体、雪雫の周りの人達は甘過ぎよ…。家事の事だって……」

 

「…待って、なんで真がそれを―――」

 

「この前、りせさんが自分の配信で嬉しそうに話してたわよ」

 

「……むむ」

 

 

 生真面目な真と、割とそうでもない雪雫。

 2人の論争は、何故か私生活の事まで飛び火していき―――。

 

 

「おーい、オマエら! 世間話をしに集まった訳じゃ無いだろ!」

 

 

 収拾がつかなくなってきた頃合いで、モルガナは思わず声を上げた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「ルブランはフタバに盗聴されていた」

 

 

 話は本題に移り、双葉の件。

 

 昨日、佐倉宅へと1人残ったモルガナは、双葉の部屋に潜入。

 そこで知り得た事を重々し気に語る。

 完全に仕事モードだ。

 

 

「何でお店を盗み聞きするの?」

 

「居候の蓮が気になった、とか?」

 

「意図はわからん………。しかし、これでハッキリしたな」

 

「私以外の、情報源…」

 

 

 双葉の意図は知る由も無いが、これで1つハッキリしたことがある。

 彼女のハッキングスキルは、メジエドに対抗するのに必要不可欠という事だ。 

 

 

「ねぇ、双葉にパレスがあるのは確認したけど…、悪人じゃなくてもパレスは存在するの?」

 

「悪人かどうかは関係無い。パレスは、強い欲望によって歪んだ認知が具現化したもの…ただそれだけだ。まぁ、歪んでいる奴には悪党も多いだろうがな」

 

「つまり、誰にでもパレスが生まれる可能性がある、という事ね…」

 

「……私にも?」

 

「ペルソナ使いに生まれるかは分からないが…まぁ人間である以上、雪雫にもパレスが生まれる可能性は勿論ゼロじゃない」

 

 

 パレスがあるからと言って、悪人とは限らない。

 今まで単純な仕組みで済んでいた事柄に、新たな事実が加わった事により、メンバーの顔には困惑の色が浮かんでいた。

 

 

「ゴシュジンの話だと、フタバには幻覚や幻聴があるようだな?」

 

「ええ…、亡くなった筈の母親の姿が見えたり、声が聞こえたりしているみたい」

 

「もしかしたら、それらは大事な記憶に関係があるのかもしれない…。そいつが…、うぅん。上手く言えないが……、歪みの所為で変になった……、とか?」

 

「要はオタカラを盗めば良いんだろ?」

 

「まぁ、そうだ」

 

 

 もし双葉のパレスが、大事な記憶が曲解して出来た歪んだ認知であるならば、それを取り除けば彼女の苦しみに終止符が打たれる。

 彼女が普通の生活に戻れるのならば、前に進める切っ掛けになるのなら、それをやらないという選択肢は端から無く。

 

 

「双葉のパレス、やるで良いんだよね?」

 

「本人が望んでいるんだもの、気に病む必要は無いと思う」

 

「双葉の心が治ればマスターも助かるし、メジエド退治も手伝って貰える」

 

「それに…、狭い世界から連れ出してあげたい」

 

「俺も賛成だ」

 

 

 全員の顔に強い意志を秘めた表情が浮かぶ。

 

 本人に頼まれて心を盗むという、極めて稀なケース。

 パレスの主である双葉が、どのような心持ちで待っているか、どういう歪みが反映されているか、全てが不透明だ。

 それでも、そんな中でも、怪盗団は歩を進める。

 孤独な少女を救うために。

 

 

 

 

 

「んで? 格好良く出てきたものの…」

 

「キーワード……」

 

 

 夜とはまた違った雰囲気の佐倉宅。

 お化け屋敷の様に思えたここも、昼間は普通の日本家屋。

 

 その正門の前で、蓮達は頭を悩ませていた。

 

 

「今分かってるのは、佐倉双葉と佐倉惣治郎の自宅……、この二つね」

 

「あとはここをどう認知しているか、だが…」

 

「出られない、ってことは……牢屋とか?」

 

 

 候補が見つかりません、とイセカイナビから電子混じりの女性の声が響く。

 

 

「雪雫は何か思いつかない? この中で一番付き合い長いでしょ?」

 

「付き合い…って言っても殆ど仕事上だけ。プライベートの話とかは殆どしたことない」

 

「そっか……」

 

 

 最後のキーワードが分からなければ、パレスに入る事も叶わない。

 しかし、だからといって殆ど初対面の双葉の考えを当てずっぽうで言い当てるのも現実的ではない。

 

 

「手掛かりが少なすぎる……」

 

「直接、聞ければいいのだが…」

 

「なら、行こうぜ。双葉んとこ」

 

「どうやって入れてもらの?」

 

 

 過去のトラウマから、他者との関りを全てシャットダウンしている双葉が、そう簡単に蓮達を家に入れる訳は無い。

 つまり、竜司の考えは。

 

 

「忍び込む」

 

「本気で?」

 

「…鍵は?」

 

「鍵開けはワガハイにまかせろ。今回ばかりはやむなしだろ」

 

 

 二度目の不法侵入。

 気が引けるものの、しかしながら、双葉と会う手段はこの強攻策以外無く……。

 渋々、自分自身に言い聞かせる様に了承した真を連れて、一同は再び佐倉宅へ。

 

 一歩進む度に軋む廊下を進み、モルガナが確認した言う双葉の部屋の前へ。

 扉に掲げられた「DO NOT ENTER」と書かれたプレートがでかでかと主張する開かずの扉。

 

 

「双葉ちゃん、居るんでしょ?」

 

 

 そんな扉をノックしながら、真は扉の向こうの主に呼びかける。

 しかし、部屋からは物音が一切聞こえず、いくら待っても返事は来ない。

 

 やはり、歓迎はされていない様だ。

 

 

「双葉ちゃん、居る? 昨日、ビックリして叫んでごめんなさい。その、暗くて怖かったから……」

 

 

 返事は無い。

 

 

「骨が折れそうだな……」

 

 

 どうしたものか、と頭を悩ませる一同。

 真が再びノックしようとした時、雪雫がそれを制止し、彼女と場所を入れ替える様に扉の前へ。

 私がやる、という事らしい。

 

 

「……双葉…いや、アリババ、私達は――――」

 

 

 もう一つの双葉の名前…雪雫としては馴染み深いニックネームを口にすると、それに反応を返す様に、タイミング良く蓮のスマホが鳴った。

 

 

なぜ、来た

 

 

 シンプルに一言。

 画面にアリババとのチャットルームが映し出されている。

 

 

 

「何でアリババだと反応するんだよ…」

 

「名前が出されるのが嫌、とか?」

 

「考察は後だ。今はパレスに入る為のキーワードを」

 

 

 モルガナの言葉に雪雫は頷きを返し、再び彼女に語り掛ける。

 

 

「…私達は佐倉双葉の心を盗みに来た。でも、それをする為には双葉本人と話す必要がある」

 

 

 再び連のスマホが鳴る。

 

 

取引は中止した筈だ。

 

 

 アリババからのメッセージだ。

 

 

「取引は関係無い。メジエドなんて無視していい」

 

「おい―――」

 

「竜司! 口出さなくて良いから! 雪ちゃんに任せて!」

 

「私達は…、私は貴女を助けに来た。只、それだけ……。昔、アリババが私を助けてくれたように。開けなくて良い。顔を合わせなくて良い。チャットで良いから、質問に答えて」

 

 

 再び暫しの沈黙。

 時間にして30秒ほど経ったころ、チャットに「わかった」と送られてくる。

 

 雪雫達が知りたいのはフタバの歪んだ認知。即ち、この家を何と認識しているか。

 今度は蓮が代表して、双葉に問う。

 

 家の居心地はどうか、と。

 

 

苦しい。

 

 

 続けて「外に出ないのか」と問えば、帰って来るのは「出られない」という諦めに近い言葉。

 

 

出ないまま、ここで死ぬの。

 

 

 付け足す様に送られてきた予想だにしなかった言葉に、怪盗団は動揺を示す。

 

 

ここは、私の墓場だから。

 

 

「墓場?」

 

「まさか、それ?」

 

 

 会話を交えて、初めて見えた歪みの一端。

 「入力してみろ」と言うモルガナの言葉に導かれるまま、ナビを操作すると、もう何度目かの空間の揺らぎを感じ取った。

 

 

「来た来た!」

 

「ありがとう、双葉。もう十分よ」

 

 

 これでパレスに潜入する条件は揃った。

 後はルブランに戻り、潜入道具を――――

 

 

「早速行こうぜ! ポチッとな」

 

「バカ! ここで押すな!!」

 

 

 『ナビゲーションを開始します』

 用意してきた道具を取りに行くことも叶わぬまま、イセカイナビは無慈悲にそう告げる。

 

 空間が揺らぎ、ふと身体が浮遊感に包まれる。

 怪盗団にしては5度目。雪雫からしたら3度目の大仕事。

 

 不思議と背筋が伸びるのを感じながら、雪雫は静かに目を閉じ、視界が開けるのを待った。

 

 

 

 

 照りつける陽光。

 視界が歪むほどの灼熱。

 

 現実世界でも着々とヒートアイランドが出来上がっているが、ここに比べればまだマシだ。

 

 

「あづい……」

 

 

 クーラーの冷風をも上から塗りつぶす気温。

 モルガナカーの車内で、杏は皆の気持ちを代弁するかの様にぼやいた。

 

 竜司の軽率な行動から、双葉のパレスこと、砂漠のど真ん中に制服姿のまま放り出された一同。

 室内から入ったのもあって、当然の如く素足。

 

 砂の海から伝わる熱から逃げる様に、モルガナが変身したワゴン車に乗り込み、オタカラがあるであろう目的地へと向かっていた。

 

 

「何か飲み物持ってない……?」

 

「…無い」

 

 

 皆同じように項垂れながら、モルガナカーは自動運転で進む。

 

 道中、汗で透けた制服越しに見える下着を覗き込む男性陣との対立があったり、杏が代表してそれを粛清したり、一騒動あったが、特に邪魔が入る事無く順調に目的地の付近へ。

 

 

「あれは…」

 

「おお~……、サンナイトで観たやつ」

 

「何それ?」

 

「ヒーローもののドラマ。エジプト神話を題材にした」

 

「へぇ…」

 

 

 目の前に聳えるのは天を突く程の巨大なピラミッド。

 そしてその元に集まる様に造られた市街地。

 

 十中八九、パレスの本体だろう。

 

 

「エアコン全然効いてねぇじゃん! なんだよ、あの温風は!?」

 

「あれが限界なんだよ! 文句言うな!」

 

 

 市街地を抜け、ピラミッドの麓まで来た雪雫達。

 竜司とモルガナの何時もの言い争いをBGMに、目の前の墳墓を見上げる。

 

 

「細部まで計算されつくされた建築、美しい…」

 

「完全な人力で造られた黄金比……。流石にテンション上がる……」

 

 

 祐介は指のフレームで景色を切り抜き、雪雫は瞳の奥を輝かせて。

 そんな2人に、またか…。とやや呆れた視線を送りながら、真は「中に行きましょ」と誘導する。

 

 長い階段を上り、ピラミッドの中へ。

 外の暑さとは裏腹に、中は空調が効いている様に涼しく保たれていた。

 家に閉じこもっている双葉の認知の表れだろうか。

 

 不思議と熱が感じられない篝火と、所々、電子的な輝きを放つ壁。

 ここがイセカイだと如実にアピールをするその内部に、とある少女が待ち構える様に佇んでいた。

 

 オレンジ色の髪に、暗く沈んだ瞳の少女。

 女王の様な煌びやかなローブに身を包んだ彼女は、恐らく――――。

 

 

「サクラフタバのシャドウだな。間違いない」

 

 

 この中で唯一、双葉の顔を見ているモルガナが静かに呟く。

 

 

「……アリババ…」

 

「貴女が、佐倉双葉……」

 

『…………』

 

 

 雪雫と真が呼び掛けるが、彼女からの返事は無い。

 続けて竜司、杏がフタバに近寄り、続けて声を掛けるが、それにも反応しない。

 

 

「もう、放って行こうぜ――」

 

 

 痺れを切らした竜司がそう呟いた途端、フタバは抑揚の無い口調で口を開いた。

 

 

『我が墓を荒らす者…、何しに来た……?』

 

「……何言ってんだ? お前が盗んで欲しいって言ったんだろ」

 

 

 竜司の言う通り、怪盗団は佐倉双葉本人に迎え入れてもらう形でここに来た。

 その証拠にパレスに入った時も、怪盗服へ変化はせず、制服姿のままだった。

 

 現実の双葉の生き写しであるシャドウも同様に、敵対心は抱いていないと考えていたが――。

 

 

『盗れるものなら、盗ってみるがいい』

 

 

 どうもそう簡単にはいかない様だ。

 

 

『お前らに取れる訳が無い。我がパレスは、こんなことになっているのだからな』

 

 

 そして雪雫達の耳に届いたのは、多数の憎悪の声。

 

 人殺し、貴女が殺した、お前の所為だ。

 

 事情を知っている雪雫達はすぐに分かった筈だ。

 これはきっと、双葉本人に実際に向けられた声、もしくはマスターの言うところの幻聴だろう。

 

 

「……双葉…、こんな状態で私の事を―――」

 

 

 自然と雪雫の小さな手に力が入る。

 それは怒りか、哀れみか、同情か。

 

 

『そう、私がやった……』

 

「はぁ?」

 

『母を殺したのは私。ここには母も居る。私はここに居る。死ぬまでずっと、ここに居る』

 

 

 そう言いながら、姿が虚空へと消えていくフタバ。

 恐らく本体では無いのだろう。

 

 要領を得ない彼女の言葉に困惑を示していたその時、怪盗団の面々は光に包まれ、その姿が怪盗のものへと変わっていく。

 

 

「服が!」

 

「警戒されたのか? どうなっている!?」

 

「双葉……」

 

 

 理解が追い付かない一同を余所に、パレスの状況は刻々と変化する。

 ピラミッドは揺れ、獣のような雄叫びが上から響き、奥へと続く道は閉ざされる。

 

 

「……思ったより単純には行かなそうだな……。ここは一度引いて、準備を整えるのが良いだろう」

 

 

 

 

 

 場所はルブランの1階。

 ソファに深く背中を預け、天井を仰ぎ見る一同の様子は、まさに疲労困憊と言った様子だ。

 

 

『メジエドが定めたXデーは、8月14日。刻一刻と、その時が近づいています』

 

 

 テレビから出力されたニュースキャスターの声。

 国民に向けて送られるのは、メジエドが定めた終わりの日。

 つまりはタイムリミットだ。

 

 

「阻止する為には、14日までに双葉を助けないと……」

 

「限度は、2日前の…12日まで…?」

 

「ある程度の余裕を持つなら、そうね」

 

 

 猶予は今から2週間とちょっと。

 それまでにイレギュラーだらけのパレスからオタカラを盗み出さなければいけない。

 

 

「助けるって言ってもよぉ…、取引は無効なんだろ? 雪雫もメジエドはどうでもいいって言っちゃったしよ……」

 

「だって、放っておけない」

 

「まぁ、そうだけどよ……」

 

「その件に関しては双葉を信じるしか無いわね…。とにかく、パレスに入れただけでも一歩前進。そう考えましょ」

 

 

 あくまでも双葉を助ける事が第一優先。

 その事を分かっていつつも、やはりメジエドの件が気になるのか、納得いかなそうな竜司に雪雫は言葉を付け加える。

 

 

「メジエドの件は別に知り合いにあたってみる。だから今は双葉に集中」

 

「知り合い?」

 

「うん、探偵王子」

 

「明智吾郎?」

 

「じゃなくて、初代の方」

 

「白鐘直斗…だっけ? 貴女、本当に人脈広いわね…」

 

「まぁ、それなりに」

 

 

 多少の不安は残りつつも、結局は何時も通り。

 目の前に事に全力であたるしかない。

 

 各々それが分かっているのか、お互いに顔を見合わせて頷きを返す。

 

 

「必ず助けよう」

 

 

 雪雫にとって、人生で2番目に慌ただしい夏休みが遂に始まった。



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44:Be caught in a trap.

 

 

7月26日 火曜日 晴れ

 

 

 

「ごめん、雪雫ちゃん…連絡遅くなって。仕事が立て込んでて……」

 

 

 電話越しに申し訳無さそうな声が響く。

 その声は女性にしては僅かに低く、男性からすると高い…どっちとも取れる様な中性的な声だ。

 

 そんな相手の声を聞き、雪雫は懐かしむ様に、嬉しそうに口角を上げる。

 

 

「ん、平気。直斗、忙しいの知ってるから」

 

『そう言って貰えると助かるよ…。この前までは最近、ちょっとね…』

 

 

 白鐘直斗。

 過去に探偵王子と名付けられ、人気を博していたりせと同い年の女性。

 今は探偵業は程々に、とある企業の非常勤職員として働いているらしいが、詳しい事は雪雫も知らない。

 

 

「今、時間大丈夫?」

 

『うん。大丈夫だよ』

 

 

 そう言う直斗だが、電話の奥にはなにやら関西弁(京都弁の様にも聞こえる)の少女の声が慌ただしそうに響いている。

 「直斗、電話してへんで手伝ってやー!」と。

 

 

「本当に大丈夫…?」

 

『……ごめん。手短にお願い出来るかな?』

  

 

 やはり忙しいらしい。

 世間話は程々に、雪雫は本題を切り出す。

 それは勿論、今怪盗団を悩ましている相手「メジエド」について。

 

 

『うん、メジエドか…。勿論知ってる。世界規模のハッカー集団。今、怪盗団に宣戦布告している奴らだね』

 

「…えっと、怪盗団、学校の友達が好きで……。それで毎日その話題するから、気になって………」

 

 

 しどろもどろに、たどたどしく。雪雫は何とか建前を作る。

 

 

『……そうか。怪盗団の最初の事件は秀尽学園…。雪雫ちゃん…いや、友達が気にするのも無理もない』

 

「それで……、仮に怪盗団がそういう分野では素人だとして…、対応って出来るのかな……って」 

 

『今回の件のメジエドが集団ならば、対処は難しいと思う。でも、個人なら…どうだろうね』

 

 

 直斗の含みのある物言いに、雪雫は首を傾げる。

 

 

「組織的な行動、じゃないの?」

 

『メジエドのHPの英語の声明文……。どうも日本人特有の癖みたいなものが見られるんだ』

 

「癖?」

 

『うまく説明出来無いんだけど…、その言葉のチョイスというか、表現というか……。日本人の僕らからすると読みやすい文なんだけど…』

 

 

 雪雫はふと、思い出す。

 確かに割とすんなり頭に入り、言葉を選べたな、と。

 

 

「同じ日本人が作った、ってこと?」

 

『その可能性が高いと思う。それに、メジエドに入れるレベルのハッカー…となると国内でも限られてくる。つまり組織的に動ける程、人員が居ないってこと』

 

「………じゃあその道の人が居れば、十分対応は可能…?」

 

『そうだね。怪盗団がどう動くかはともかく、彼らが言うXデーは起きないんじゃないかな。僕の推理通りなら、美鶴氏の抱える人員だけで、対処が可能――――』

 

『直斗! サボるのも大概にしぃや!』

 

 

 直斗の言葉を遮って、遠くで声を上げていた少女の声がよりハッキリ聞こえる。

 こうして電話している彼女を呼びに来たのだろう。

 

 

『別にサボってませんよ!』

 

『また、そんなん言うて! ウチの大事な妹に問題が起きたらどないすんねん!?』

 

「……妹?」

 

 

 何処か聞き覚えがある様な…無い様な……。

 そんな少女の声に、雪雫は再び首を傾げる。

 

 

『と、とにかく! 雪雫ちゃんが危惧しているXデーは怪盗団が何もしなくても防がれ―――』

 

「直斗? ――――切れた」

 

 

 何時も冷静な彼女とは一変して焦った様な声。

 そんな声も途中で途切れ、雪雫の耳に届くのは一定の感覚で鳴る電子音。

 

 

「やっぱり忙しそう…」

 

 

 そんな彼女に「また稲羽で」とメッセージを送った雪雫は、早々に荷物を纏め、自宅を後にした。

 向かう先は勿論――――。

 

 

 

 

 

「だって」

 

 

 最早、怪盗団のアジトと化したルブランの2Fの蓮の自室。

 雪雫は、先程聞いた直斗の推理を、そのまま皆に話す。

 

 「嘘が下手だな…」と思った以外は、蓮も特に引っ掛かる事は無く、真と祐介も得心がいった様に頷いていた。

 

 

「なるほどね…。相手は日本人のハッカーで、個人である可能性が高い…」

 

「そうなると別の線も浮かび上がってくるな」

 

「というと?」

 

「そのハッカーが、メジエドを騙っている可能性があるってことね」

 

 

 ああ。と納得が行った様子で、杏と竜司も頷きを返したその時、蓮のスマホが鳴った。

 アリババ……双葉からのメッセージだ。

 

 

『その程度の相手なら、改心してくれたら対処しよう』

 

 

 そして、間髪入れずに

 

 

『しかし勘違いするなよ。これは先の取引とは関係ない。そこに居る雪雫の為だ』

 

「……ツンデレか?」

 

「私?」

 

 

 やはり盗聴しているのだろう。

 こっちの反応にリアルタイムでメッセージが送られてくる。

 

 つまり、蓮にはプライバシーが存在しない。

 

 

『カレンダー見たぞ。今回の件で実家に帰る予定をずらしたそうじゃないか』

 

「……人の予定を勝手に覗き見るのは感心しない」

 

『何を今更』

 

 

 つまり雪雫を予定通りに実家に帰す為に、双葉は協力してくれる。雪雫はその見返りとして双葉を改心する。

 怪盗団とでは無くあくまで、雪雫個人と取引をしているのだ。

 

 

「……何にせよ、双葉は今回の件に協力してくれる…。そう取って良いのよね?」

 

「その様だな……。何故、雪雫に固執するかはわからないが…」

 

「………」

 

 

 双葉の思惑は分からないが、結果的には後顧の憂いを絶つ事が出来た怪盗団。

 話題はメジエドの件からフタバ・パレスの事へ。

 

 

「しかし、今回のパレスには驚いたぜ…。見渡す限り、全部砂漠とはな…」

 

「確かに、今までのパレスって、歪んでいる中心地の外に出ちゃえば、割とフツーの街だったよね」

 

「おかげで鴨志田ん時なんか、いつパレスに入ったか、最初マジでわかんなかったしな」

 

「中心地の外だってパレスだからな…。認知から生まれた景色には違いない」

 

「それだけ、双葉の認知が歪んでる……ってこと…」

 

 

 雪雫の言葉に、モルガナは「ああ」と肯定を返す。

 

 

「言い換えれば、認知が歪んでない場所なら、パレス内にも現実と寸分違わない街がある……ってことよね?」

 

「確かに、その主が観察力があって頭のキレる奴なら、そうかもな」

 

 

 真とモルガナの言葉を聞き、祐介が興味深そうに首を縦に振る。

 

 

「現実と酷似したイセカイか…。一度、ゆっくり歩いてみたいものだ…」

 

「おめぇは何時も絵の事ばかりだな……」

 

 

 双葉のパレス内のピラミッドは佐倉宅。

 城下町がその周りの四軒茶屋の街並みだとしたら、あの砂漠は他者を遠ざけたいという気持ちの表れ、もしくは乾いた心そのものか。

 

 雪雫がふと考えていると、蓮が本題を切り出した。

 つまり、パレス潜入の時間だ。

 

 

「気を引き締めて行こう」

 

 

 リーダーの言葉に各々頷きを返し、昨日に引き続き一同はパレスへと潜り込む。

 

 

 

 

 

『ご苦労。もう来ないと思ったが』

 

 

 ピラミッドに入ると出迎える様に現れた双葉のシャドウ。

 一見、友好的な様にも見えるが、服装が怪盗服のままな辺り、歓迎されていないのは間違いない。

 

 

『奥へ進みたいんだろ? 取引しないか』

 

 

 スカルがギャーギャーと昨日の事についての文句を言っているが、フタバはそれを気にも留めずに取引を持ち掛ける。

 

 

「取引…?」

 

『近くに町がある。そこに居る盗賊に盗まれた物を取り返して欲しい』

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

フタバ・パレス 砂漠の街 

 

 

 

「ウィッチ! ここから二区画先の路地裏! そっちに行ったぞ!」

 

「ん」

 

 

 地上に居るモナが、市街地の屋根の上を翔けるウィッチに向かって声を上げる。

 

 フタバが言っていた盗賊。

 それを追い詰めていた怪盗団だったが、残りの1人がその包囲を突破し、逃げ出したのだ。

 

 そんな中、1人、建物の上に待機し、見張っていたウィッチがすかさず逃げた盗賊を追う。

 段差を飛び越え、建物から建物へ。

 まるでアクション映画のワンシーンの様に、銃を構えながら屋上を翔け、モナが言っていた盗賊の元へ。

 

 

「発見」

 

 

 盗賊を見つけてから、ウィッチがそれを処理するまでの流れは非常にスムーズだった。

 

 建物から飛び降りてから地面に着地するまでの僅かな間に、銃を構え、引き金を2回引く。

 放たれた凶弾の1つは盗賊の武器を持つ手へ。もう1発は足へ。

 

 武器を落とし、身体のバランスを崩した盗賊は、首を垂れる様に首を差し出し。

 

 

「終わり」

 

 

 そこに向かって大鎌を一振り。

 実にあっけない幕切れだ。

 

 

「相変わらずおっかねぇ~」

 

「ケガは無い?」

 

「ん」

 

 

 何時も通り調子良さそうに笑みを作るスカルと、過保護なクイーンに短く言葉を返し、盗賊が落としたモノをジョーカーに差し出す。

 

 

「これは―――」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「行ってきたぜ。盗まれたモノも取り返してきてやったぞ」

 

『ご苦労。じゃあ、それをお前達にやる』

 

「…え、ちょ…大事だから取り返すんじゃないの?」

 

『それは地図だ。この墓の地図。盗賊が墓を荒らす為に盗んでいった』

 

 

 相変わらずこっちの話を聞いているのか聞いていないのか。

 どっちとも取れる発言に、一同は戸惑う。

 

 

「随分、チグハグ」

 

 

 ウィッチが言う事も最もで、今までの悪人達であれば、パレス内のシャドウは漏れなく全員、手下と化していた。

 しかし、ここではどうだ。

 主人は守ろうともせず、果てには盗みを行い、好き勝手やらせている始末。

 

 余程、興味が無いのか…、それとも自分でも制御が出来ない程、安定していないのか―――。

 

 

『とにかくそれをやる。奥まで……あっ』

 

 

 途端、ピラミッド全体が揺れた。

 まるで、何かの装置が起動したように。

 

 

「何だ?」

 

 

 フォックスの疑問に答える事は無く、フタバは文字通り宙に消え、残ったのは何もしらない怪盗団の面々。

 

 

「え…、双葉ちゃん消え――――」

 

 

 その時、文字通り足場が無くなった。

 

 

「マジかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

 ウィッチ達の足元の床は落とし穴の様にパタリと開き、そのまま重力に従って怪盗団は落ちていく。

 

 

「きゃあああああ!」

 

「うおおおお!?」

 

 

 落とし穴にしては長すぎる浮遊時間。

 このまま地面に叩きつけられてしまうのではないか。

 その考えが過ぎり、皆は身体に襲うであろう衝撃に備えていたが、それは杞憂に終わる。

 

 

「クっ、これは……!」

 

「っ!? きゃっ……、いや、まっ……て―――」

 

 

 しかし、最悪のケースは免れたものの、ピンチには変わりなく。

 一同のクッション替わりになったのは砂の海。入ったもの全てを飲み込む流砂だ。

 

 

「引き込まれるぞ…! オマエら、全力で泳げ!!」

 

「~~っ!!!!!」

 

 

 怪盗団を丸ごと飲み込もうとする砂の渦。

 約一名以外、モナの言う通り、必死に砂の荒波に抗うべく身体を酷使する。

 

 

「ちょ…、雪雫!? 雪雫が溺れてる!!!?」

 

 

 クイーンの悲鳴に釣られて真ん中に視線を向けると、そこにあったのはトレードマークの帽子と助けを求める様に掲げられた白い細腕。

 

 

「た、たすけっ!? ~~っ」

 

「雪ちゃん!?」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 帽子ひっくり返し、コートを脱ぎ、入り込んだ砂を取り除くウィッチ。

 

 

「雪ちゃん…、大丈夫?」

 

 

 どこぞの映画のサイボーグの様に沈み行くウィッチを、総動員で助けだし、流砂から抜け出した一同。

 

 

「…………死ぬかと思った」

 

 

 ちょこんと通路の端に座り込んだ彼女は、疲れきった様子で呟いた。

 その剥き出しの肩は僅かに震えており、如実に流砂が怖かったのだと訴えてくる。

 

 

「雪雫、泳げないのね……」

 

「………泳げる必要性を感じないだけ」

 

「泳げないんだろ?」

 

「……………………うん」

 

 

 拗ねた様に視線を逸らすウィッチ。

 

 

(そういえば、海の話の時も微妙な表情していたな)

 

 

 そんな少女を見ながら、ジョーカーはぼんやりとルブランでの光景を思い浮かべていた。

 

 

 

 

 

「酷い目にあった…」

 

 

 身体にこびり付いた砂を流し、湯船に浸かった雪雫は1人呟く。

 

 完全に安心しきっていた。

 だって最初に放り出されたのが、海とは真逆の砂漠だったから。

 まさか砂の海を泳ぐことになるとは。

 

 

「…………」

 

 

 ふと、雪雫は自分の身体には大きすぎる浴槽の淵に手を付き、胸を下にして足を伸ばす。

 プールの端っこで良くやる、バタ足の練習の時の姿勢だ。

 

 雪雫は思い出す。

 実家のだだっ広い温泉を。

 

 姉である雪子はよくそこで泳いでいたな、と。

 

 

「なんで同じ環境で育ったのに私は泳げない?」

 

 

 昔、雪子に教わった様に練習しようかと思ったが、彼女が居るならともかく、1人でやっても虚しいだけだ。

 雪雫は諦めた様に溜息を吐いて、再び姿勢を戻す。

 

 

「………みんなと、海…。どうしよう。水着も無いし」

 

 

 杏や竜司の反応を見る限り、海に行くのは確定事項の様だが、正直自分では海で遊ぶことの本懐も遂げられない。

 個人的な好きな遊びとしては砂でお城を作って、それが波に崩される光景をひたすら眺めるというもあるが――――。

 

 

「……それを楽しめるの、私だけ…」

 

 

 行きたいけど、行きたくない。

 そんな矛盾を抱えながら、雪雫は湯船に口まで沈め、ぶくぶくと遊び始める。

 

 今、怪盗団が直面している問題と比べると些細なものなのだが、雪雫にとってはこれも大きな問題なのだ。

 

 

「……はぁ」

 

 

 少女の溜息が浴室内に木霊した。




直斗は基本的には敬語キャラですが
本編で菜々子には普通の喋り方してたので
歳下に対しては柔らかいだろうという妄想


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45:A break during work.

 

 

7月29日 金曜日 晴れ

 

 

 

 いくら世を騒がす怪盗団とは言え、毎日活動している訳では無い。

 

 やる事が無い。なんてことは無い。

 今まさに直面している問題で言えば、メジエドと双葉のパレスの件。それ以外にも大衆のパレスである「メメントス」の攻略、怪チャンに寄せられる小悪党の改心など、常に多忙を極めている。

 

 しかし、ここ数日。

 怪盗団は活動していなかった。

 

 世直しを諦めたとか、仲違いしたとかでは無い。

 単純にメンバーの予定が合わないのだ。

 

 彼らの基本方針は全会一致。

 怪盗団の掲げる正義が1人歩きしない様、そして改心という危険な行為の責任を1人に押し付けない様に取り決めたものだ。

 

 つまり事情が無い限り、基本的にはメンバーが1人でも揃わなかった時点でパレスやメメントスに潜入することは無い。

 

 今、世を大きく騒がしている怪盗団と言えど、その実態は青春真っ盛りの高校生。

 「絵のコンテストの為の準備」「ライバルが居る中でのモデル撮影」「仲違いした部員達との関係の修復」など、メンバーそれぞれに予定や事情が当然存在していて――――。

 

 

「うひひひっ、今日はどんな感じにします? お客様~」

 

「…お任せ」

 

 

 この少女、天城雪雫にも例外は無く、予定が存在する。

 

 

「夏らしく結っちゃう? それとも、ちょっと背伸びしてゆるふわパーマ? ああ、迷うな~!」

 

 

 右手にヘアアイロンを、左手に櫛を。

 シルクの様な白髪を目の前に、りせはニヤニヤと笑みを浮かべながら呟く。

 

 

「私的には後者かな~! あっ、取り敢えずオイル塗るね!」

 

 

 そう言うや否や、りせは手の平にヘアオイルを馴染ませて、雪雫の髪を優しい手つきで撫でる様に滑らせる。

 

 

「……んっ」

 

 

 少し擽ったいのか、僅かに吐息を漏らす雪雫。

 目の前の鏡に映る自身の頬は僅かに赤に染まっていて、それを見て雪雫は視線を逸らす。

 声が出たのが恥ずかしかったらしい。

 

 

「それにしても、普段は何もしない雪ちゃんの髪を、好き勝手に弄れるなんて……」

 

「言い方」

 

「この際どう? 色々なもの試して…お姉さんと新しい扉、開いちゃう?」

 

「…言い方」

 

 

 2人は今、雑誌のモデル撮影のスタジオに仕事として来ていた。

 

 りせに持ち掛けられた新作秋物の雑誌撮影の仕事。

 以前に雪雫と共に受けた水着の撮影と同じ雑誌だ。

 

 りせが今回の仕事の話を雪雫に打診したところ、割とあっさり快諾。

 稲羽に帰る前に一通り済ませたい。という雪雫の希望もあって、今日に至る。

 

 では現在、2人で何をしているかと言うと、雪雫のスタイリングだ。

 本来は雑誌専属のスタイリストが居て、その人が行うのだが「雪雫さんの髪に触れるなんておこがましい」「その顔に合う髪型をセットする自信が無い」と逃げ出したのだ。

 そしてそのチャンスを見逃すりせでも無く、自らスタイリストとして立候補。

 通れた楽屋で暫しの2人きりの時間が与えられた。

 

 

「雪ちゃんの髪はやっぱり柔らかいね~」

 

 

 ヘアオイルを塗り終わり、櫛を通しながらゆっくりとアイロンをあてる。

 面白い位簡単に、りせの思い通りの形になっていく髪に、りせは感心した様に呟いた。

 

 

「雨の日、鬱陶しい」

 

「毛先とか跳ねちゃうもんね」

 

 

 対照的に、姉である雪子は水に濡れようが湿気が多かろうが、そのストレートの髪に変化は起きないらしい。

 

 

「家でもこうやってやってあげようか?」

 

「…りせの好きにすればいい」

 

 

 そんな和やかな空気の中、たっぷり数十分。

 アイロンを仕舞ったりせは、鏡越しに映る普段とは違った雰囲気の雪雫を見て得意気な顔を作る。

 

 

「良し、出来た。似合ってるよ!」

 

「おお~」

 

 

 自分自身に無頓着な雪雫だが、やはり変化があると気になる様で。

 出来上がった自分の髪を感心した様に声を上げながら、様々な角度から覗く。

 

 

「少し大人っぽくしてみたから、今日の撮影にも合うと思う!」

 

 

 普段は癖の無い白髪が、毛先に行くにつれて緩やかなウェーブを描いている。

 普段の幼い雰囲気に、僅かな垢抜けた雰囲気がプラスされて、丁度良いバランスを子ども過ぎず、背伸びし過ぎていない。そんな丁度良いバランスが保たれていた。

 

 

「いやぁ、我ながら中々―――」

 

 

 そんな雪雫の後ろで満足気に頷いていたりせだったが、雪雫の首元を見て言葉を遮った。

 視線の先の、自身が贈ったチョーカーを指でなぞる。

 

 

「雪ちゃん、チョーカー外さないの?」

 

 

 純粋な疑問だった。

 今回の仕事はモデル撮影。先方が用意した服を着用して撮影に挑む以上、それがどんなデザインで何色か分からない。大体この手のタイプの仕事の際は私物のアクセサリーとかは外して挑むのが常だ。

 

 

「外さない。外さなくても大丈夫って、確認とった」

 

 

 学校であっても、仕事であっても、家で過ごしていても。基本的に雪雫はチョーカーを外すことは無く、常に身に着けていると言っても過言では無い。

 贈った側のりせからすると、その様子はとても好ましく映り、実際今も頬を緩めている。

 

 

「へぇ…そんなに外したくないの?」

 

「外したくない。だってこれは、私がりせの―――」

 

 

 りせの疑問に、やや食い気味で振り向き、自身の胸中を吐露した雪雫だったが、ハッとした様に口に手を当てて口を閉ざした。

 

 

「雪ちゃん?」

 

 

 珍しく感情的な様子に首を傾げて視線を送るりせに、雪雫は誤魔化す様に首を左右に振った。

 

 

「兎に角、外さない。今回も今後も。このチョーカー、私のトレードマークにするから」

 

「おおぅ…、そんなに気に入って貰えていると、冥利に尽きますなぁ……」

 

 

 天城雪雫という少女は、一度決めたら案外頑固である。

 過去にも実姉である雪子と「邦画と洋画、どっちを観るか」という話になった時に洋画派として折れる事は無かった。

 

 

「ま、向こうがOKしてるなら良いや! ほら、行こ?」

 

「ん」

 

 

 舞踏会に誘う様に差し伸べられたりせの手を取り、椅子に深く掛けていた腰を上げる。

 

 雪雫にとっての2度目のモデル撮影。

 この仕事を皮切りに、この手のタイプが急増することを、今の彼女は知らない。

 

 

 

 

 

 数にして数十着程か。

 1か月分のコーディネートはしたであろう雪雫は、慣れていないこともあってかその顔に少しの疲労を浮かべている。

 といっても、それは雪子やりせを始めとした、近しい人間にしか分からない程度ではあるが。

 

 りせとツーショットで撮ったと思えば、今度は単体で。次々と切られるシャッターに応じてポーズを変えて、表情も微妙に作って。前回の水着の時とは違い物量で勝負しているのか、忙しさで言えばこちらの現場の方が上だったと、後の雪雫は語る。

 

 

「今度は写真集とかでも出してみません?」

 

「はぁ…」

 

 

 撮影が全て終わり、楽屋に戻ろうとした折、今回の現場を取り仕切っていた女性から声が掛かる。

 初めはりせに言っているものだと思い、雪雫は興味を持つ素振りも見せなかったが、どうやらその認識は間違いだったらしい。

 

 話が長くなると踏んだりせは「先に戻って車出しとくね」と早々に退場。

 つまり、雪雫は今一人だ。

 

「天城雪雫、初の写真集! 若き天才アーティストの赤裸々な姿…。売れると思うな~」

 

「…ちょっと、私の活動とは逸れ過ぎ」

 

「そうですかね? 実際、アーティスト活動をメインでしてて、ついでに写真集出している人達たくさん居ますよ? ほら『HAPPENING』とか」

 

 

 HAPPENING。

 現在も活動中の関西出身の4人組ガールズバンド。現在の年齢は20代後半だが、メジャーデビュー当初は雪雫と同じく女子高生。現役女子高生という肩書と、当時はまだ珍しかったガールズロックバンドという体制が一気に話題を呼び、一躍人気ロックバンドへ。

 今も尚、人気は衰える事無く時代の変遷に合わせて、活動中。 

 

 因みに本人たちは「気の良いお姉さん」と言った親しみやすい人柄で、何度か顔を合わせている雪雫は毎回良くして貰っている。

 余談だが、彼女達のMVにしれっと参加して話題を呼んだこともある。

 

 

「…まぁ確かに」

 

「それに、写真集出したら、貴女の意図がもっと沢山の人に広がるカモ?」

 

 

 何やら怪しい笑みを浮かべながらそう言う相手に、雪雫は疑問を浮かべる。

 

 

「ほら、そのチョーカー。皆にアピールしたかったんでしょ? りせちーから貰ったものって。彼女と共にという条件で仕事を受けたのもそう」

 

「…………何でそれを」

 

「だってわざわざ直談判しに来るんですもん。現場の人、皆気づいていたよ? 気付いていなかったのはりせちー位じゃないかな」

 

 

 雪雫は思った。

 この女、大宅と同じタイプだと。

 ネタに敏感で、一度狙ったものは決して逃がさないタイプの。

 

 

「ちゃんと写真集出すときは、チョーカーがばっちり映える様にするから、ね?」

 

 

 この女、取引、上手。

 

 

 

 

 

「あ、やっときた~」

 

「お待たせ」

 

 

 スタジオの駐車場に停めた自身の赤い車に寄り掛かりっていたりせの元に、雪雫が駆け足でやってくる。

 

 

「中、涼しくしといたよ。どうぞ、お嬢様」

 

「ありがとう」

 

 

 演技の様に大袈裟に、しかし自然な動作で、助手席の扉を開けて雪雫の手を取るりせ。

 言葉通り、何処かの令嬢を向かい入れる執事の様だった。

 

 

(今のかっこいい~!)

 

 

 その見た目だけは。

 イメージ通りに上手く出来た事に、りせの脳内は歓喜の声で溢れる。

 

 そもそも、りせが車の免許を取ったのは、99%雪雫の為である。高校入学の皮切りに、上京することが決まっていた彼女を、それはもう甘やかし、もてなすため。様々な漫画や小説を読み漁り、そこに出てくる完璧な恋人…所謂、雪雫にとっての「スパダリ」を目指して。

 

 だから、このやけに格好つけて向か入れるその様子も、仕事で疲れたであろう雪雫を労う為に用意したフラペチーノも、その一貫である。

 

 

「美味しい…」

 

「でしょ~。夏の新作だってさ~」

 

 

 そう嬉しそうに呟く雪雫の表情を見て、ニンマリと口を三日月の様に釣り上げる。

 彼女が甘い物に目が無いことなど、幼馴染のりせからしたら、基本中に基本。1+1くらい簡単な問題だ。

 

 そこで普段慣れない仕事で疲れたであろう所に、好物であり疲労回復効果も見込めるモノを予め、当然の如く用意する…。

 これがりせの「対雪雫交際術」の1つである。

 

 因みに、こんな回りくどい事しなくとも、元々雪雫のりせへの好感度は上限を振り切っているし、一歩踏み出せば簡単に結ばれるのだが、雪雫の口数の少なさと、あまりにも長い時間を共にしたことが裏目に出て、りせはその事実に一切気付いていない。

 

 その様子が起因してファンからは「ゴール手前でパス回しを続ける女」「鈍感系ラノベ主人公」「逆RTA」「ヘタレ」と揶揄されている。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「そう言えば、帰る予定は決まった?」

 

 

 日が傾き始めている都会の街並みをコマ送りの様に飛ばしながら、りせは問う。

 

 

「うん。16日から1週間」

 

「じゃあ私は途中参加だな~。ちくしょ~、メジエドめぇ……」

 

 

 本来はお盆休みに合わせて帰ろうとしてたのだが、今回のメジエドの件でそういう訳にも行かなくなった雪雫。

 りせ達には「メジエドのテロが怖いから、怪盗団がそれを解決して状況的に平和になったら帰る」という何とも言えない理由を取り繕っていっる。

 

 

「仕事?」

 

「生憎ねぇ……」

 

「予定ずらして、ごめんね」

 

「いやいやいや! 雪ちゃんの所為じゃないよ! 気にしなーい、気にしない!」

 

 

 お盆明けというのもあって、外せない仕事があるのだろう。

 普段はそう感じさせないが、これでもトップアイドル。その実、多忙を極めている。

 

 

「直斗も忙しそうだった…。皆、集まれるかな?」

 

「連絡したら皆大丈夫そう、とは言ってたけど……。直斗と連絡取ったの?」

 

「ちょっと聞きたいことあって」

 

 

 雪雫はメジエドの件をかいつまんで、その時の様子をりせに話す。

 電話の向こう側で、関西弁か京都弁かどっちとも取れない女性にどやされていた、と。

 

 

「関西弁と京都弁が入り混じった女性? ………ほほう…」

 

「知り合い?」

 

「…うぇっ!? 何で!?」

 

「いや、だって…。なんか含みありそうだったから」

 

 

 基本的に天然で物事に無頓着な様に見える雪雫ではあるが、その実態は極めて聡明な少女。

 りせの態度に訝しんで、マジマジとその顔を見つめている。

 

 

「いや、ほら直斗も隅に置けないなぁって! きっと彼女とかじゃない?」

 

「………まぁそういう事もあるかな」

 

 

 ごめん、直斗!と内心で謝りながら冷汗を拭うりせ。

 雪雫の言っていた人物が誰なのかは、大体見当は付いているのだが、それを話した所で仕方が無いのだ。

 

 

「そうだ! 夜ご飯、何が良い?」

 

「……カレー」

 

「おっ、いいねぇ。このりせちーが直々に作ってさしあげよーう」

 

「辛く無いのなら、許可……」

 

 

 そんなありふれた会話をしながら、2人の乗る車は自宅へ向かって駆ける。

 足早に過ぎ去っていく景色を見送りながら、雪雫はふと思った。

 

 

(辛かったら、妙を呼んで食べて貰お)

 

 

 武見も武見で、りせレベルに辛い物を好む凶人である。




所謂日常回
番長に行っていた積極性は、雪雫には発揮されない様です

HAPPENING
・実際に存在する邦ロックバンドがモチーフ
・因みに作者の好きな曲はdollと下弦の月


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46:Non Aggression Area

 

 

 

8月2日 火曜日 晴れ

 

 

 

 架空の街で起こる、売れないコメディアンの悲しくも狂気に満ちた物語。

 

 

「…………」

 

 

 自分の信じたもの全てに裏切られ、優しい道化師は世界を嘲笑う。

 

 

「………っ」

 

 

 ビクリ、と隣に座る小さな少女の肩が跳ねた。

 多分、銃声に驚いたのだろう。

 

 今丁度、道化師がテレビカメラの前で憧れの存在だった筈の男を射殺したところだ。

 静かな語りから、段々と高ぶる様に語気が強くなり、最後には感情のまま引き金を引く。そんなシーンだ。

 

 物語も終盤。

 道化師の狂気は街の住民達を巻き込み、暴動へと発展。そんな中でも道化師は心底楽しそうに乾いた笑いを響かせていた。

 

 その後も二転三転とシーンが変わるが、結局この物語が何処に行き着いたのか、明確にシーンとしては描写されなかった。 

 受け手の考え方に任せる、という事か。

 それとも、道化師の事は俺達に理解出来ない、という事か。

 

 

 賛同出来ないながらも、深く考えさせられる内容だった。

 

 

知識が磨かれた!

 

 

 様な気がした。

 

 

 

 

 

 渋谷の駅に向かって、白髪の少女は踊る様に街を歩く。

 ウェーブがかった髪を風に靡かせ、肌が良く映える黒いワンピースの裾を揺らして。

 10人が見れば10人が振り向くであろうその容姿。

 

 時折こちらに振り返っては「はやく」と催促する彼女は、周囲の目からは恋人の様に見えるのだろうか。

 事実、その気が無いとは分かりつつも、やはり美少女に催促されるというのは悪く無いもので、こちらにそう思わせる彼女は実に魅力的だ。

 しかし実際は、彼女に限ってそんなことはあり得ない。

 なぜなら。

 

 

「りせのライブDVD、買えなくなっちゃう」

 

 

 この少女には既に思いを寄せる女性が居るのだから。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「~♪」

 

 

 目の前に少女、天城雪雫は上機嫌そうに鼻歌を口ずさみながら、30cmはあるであろう巨大なパフェを頬張る。

 毎度毎度、その小さな身体の何処に入っているのか。

 

 

「買えて良かったな」

 

「うん。DVDとBlu-ray、それぞれ初回盤と通常版1つずつ。ばっちし」

 

 

 雪雫が常々観たいと言っていた映画を観た後、彼女の買い物に付き合った俺は、駅近くのファミレスに休憩がてら立ち寄った。

 目の前に座る少女の顔には、満足気な笑みが浮かんでいる。

 

 

「予約しなかったのか?」

 

「した。でも1個ずつしか買えなかった…。それじゃあダメ。再生用と保管用、あとは使用用…揃えないと」

 

「し、使用用…? 再生用とは違うのか?」

 

「りせが居ない時に手元に置いたり、枕の下に入れたりするの」

 

「そ、そうか……」

 

 

 薄々勘付いていたが、どうも久慈川りせが絡むと、この少女は頭のネジが何処かへ吹き飛んでしまうらしい。

 普段はあまり喋らないのに、彼女が絡めば饒舌になったり、表情が豊かになったり……。

 初めて会った時は想像もしなかった。

 

 

「……そうだ、蓮」

 

「ん?」

 

「この前のお返しだけど…」

 

 

 この前、というのは一緒に明治神宮に行った時の事を言っているのだろう。

 雪雫に付き合う代わりに、彼女は身体の使い方を教える…そういう取引になっていた筈だ。

 映画と買い物が先行していたが、今日の本来の目的はこっちの方だ。

 

 

「遮蔽物が無くて一本道。そんな通路にシャドウが一体。どう奇襲する?」

 

「どうって言っても…」

 

 

 オブジェクトなどの隠れる場所があれば、そこに潜みシャドウが近づいてきたところを奇襲……何時ものパターンだ。

 しかし、それが叶わない場合、コッソリ近づいたとしても結局は足音で気付かれ、奇襲を仕掛けるという目的は失敗する。

 そうなれば始まるのはお互い馬鹿正直に向き合っての戦闘。

 

 何時も通りの流れならばそうなる、が。

 

 

「そんなの勿体ない。蓮は身軽なんだから、もっと立体的に動かないと」

 

 

 至極真面目な顔で、雪雫は言う。

 

 

「えーっと、それは要するに…」

 

「壁とか使わないと」

 

 

 つまり俺も雪雫の様に、壁や天井を足場と見立て、どこぞの立体起動何たらの様に三次元的な動きをしろ、という事か。

 なるほど、確かにそれが出来れば、奇襲も容易だろう。それが相手に気付かれていても、だ。

 無茶を言うな。

 

 

「出来ない?」

 

「寧ろ何で出来ると思った?」

 

 

 どういう理屈かは不明だが、ペルソナ使いはその能力が発現した時点で、身体機能が飛躍的に上昇する。

 それは俺達怪盗団の様子を見れば一目瞭然だろう。

 

 しかしそれを差し引いても、目の前の少女はおかしい。もう殆ど人外の域だ。

 

 

「むむ…」

 

 

 困った様に眉を顰め、暫く黙り込む雪雫。

 何時の間にかに空っぽになっていたパフェの容器に伝う水滴を眺めていると、「あっ」と思い付いた様に彼女は口を開いた。

 

 

「生身で無理なら道具、使おう」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 場所は変わって、メメントスの第一階層。

 

 古今東西、あらゆる怪盗が、ダークヒーローが、用いたというワイヤ―。

 摩天楼を飛び回る時に使う、謎に丈夫なアレだ。

 それを銃口から射出出来る様に改造された、所謂グラップルガン。

 

 そんな代物が、今俺の手の中に。

 

 

「空中での身体の使い方は教える」

 

「………ありがとう」

 

 

 雪雫は言った。

 

 

始点と終点が決まっていれば蓮なら立体的に動ける

 

 

 と。

 

 

「………」

 

 

 中には5m程の2人分位までの体重なら支えられそうな頑丈なワイヤー。引き金を引けばそれが勢いよく、真っ直ぐ射出され、巻き取りのスイッチを押せばとんでもない勢いで収納される。

 つまり、遠くのモノを引き寄せたり、距離を詰める事が出来るという事だ。

 

 

(どういう構造になっているんだろう…)

 

 

 気にはなるが、それを考えた所で時間の無駄だろう。

 雪雫が言うには、この手元の銃はバイトマンが実際に劇中に使っていた銃のレプリカだと言う。

 つまり、バイトマンの銃からは丈夫なワイヤーが射出される。という認知を利用したイセカイ限定の機能だ。実際の中身は何の変哲も無いただの模造品。

 

 

(ん、まてよ…)

 

 

 という事は、手首に機械のブレスレットを付けて、薬指と中指を折り畳んで手を付き出せば、赤と青の蜘蛛男の様に飛び回れるという事だろうか。

 イセカイ限定ではあるが……

 

 是非とも、試してみたいものである。

 

 

「使い方は分かった?」

 

 

 手元の新兵器に視線を送っていると、怪盗服の雪雫がこちらを覗き込んでいた。

 

 

「ああ。…まぁボタン押すだけだしな」

 

「そう、良かった。じゃあ…」

 

 

 雪雫がピンと指を伸ばし、眼前に広がる闇に視線をやる。

 入り乱れる線路の上に、名前の通り闇に蠢くシャドウの姿……。

 

 

「実践、あるのみ」

 

「マジか」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 8月6日 土曜日 晴れ

 

 

 

 広大な砂漠の中に荘厳に佇むピラミッド。

 その見た目とは裏腹に、やけに空調の効いたその内部のとある通路。

 

 

「斬る」

 

 

 目の前のシャドウに向かって、ウィッチは駆け出した。

 相も変わらず、怪盗団の中でも群を抜いて俊敏なその様子。姿勢を落とし、影すらも置いて行ってしまいそうなその速度で、大鎌を構えながら突き進む―――。

 

 

「……ん」

 

 

 が、彼女はふと、その足を止めた。

 自身を追い越す一つの影が見えたからだ。

 

 僅かに光る細い線をなぞる様に、その影はウィッチを超える速度でシャドウに迫り、得意のナイフで一閃。

 戦闘、と呼ぶ程のイベントは起きず、パレスに蠢く化け物は虚空に消えた。

 

 

「やる~!ジョーカーかっこいい!」

 

 

 その様子を見ていたパンサーが感激した様子で駆け寄る。

 

 

「何処で手に入れたんだよ、それ? お前ばっかずりぃぞ!」

 

 

 パンサーに続いて、スカルがジョーカーの脇腹を肘で突きながら、目を輝かせる。

 完全におもちゃを欲しがる子どものそれである。

 

 

「いや、腕の良い先生から貰ったんだ」

 

 

 それを横で聞いていたウィッチは、皆の後ろで満足そうな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 ピラミッドの入口からフタバが居るであろう最奥まで伸びる階段。

 構造的にはとても単純で、イレギュラーが起きなければ簡単に彼女の元に辿り付けるのだが、そう上手くいかないのが世の常である。

 

 他人との接触を拒む様に、突如一本道を塞ぐ様に現れた、文字通りの心の壁。

 それを壊す事も迂回する事も叶わない怪盗団は、防壁のセキュリティを解除する為にピラミッドの隅から隅まで探索する。

 

 シャドウを退け、時折立ちふさがるゲームのパズルの様なセキュリティを掻い潜り、その果てに辿り着いたのは、フタバ自身のトラウマそのものだった。

 

 

 最初は母親が亡くなった直後と思われるシーン。

 傷心の子どもを大人達が囲い、遺書を読み上げていた。

 

 「産まなければ良かった」「鬱陶しかった」

 

 彼女の存在を根底から否定する、まさに凶器そのもの。

 

 

 その次に相対したのは、双葉に目の前で母親らしき女性が車道に飛び込む光景。

 

 

 それらのシーンを最後まで見終われば、奥へと続く道は開かれる。

 しかし、パレスの最奥に近づくにつれ、怪盗団の面々の心には深く思い鉛のようなものが引っ掛かっていた。

 

 誰もが納得したし、理解も出来たのだ。

 双葉が外界を拒絶し、世界を否定し、自身の命すらも投げ捨てようとするその気持ちが。

 一部始終を聞いただけでもコレなのだから、本人の苦しみは想像を絶するだろう、と。

 

 誰もが呆然と項垂れる中、天城雪雫は1人、悔しそうに歯を噛みしめ、その小さな拳に力を込める。

 

 

(親切にしてくれるその裏で…、こんな思いを……)

 

 

 連絡は常に向こうから一方的に行われ、プライベートの話をする様な間柄でも無い。

 しかしながら、この中で一番彼女と交流の長い雪雫は、過去の自身を戒める。

 

 何故気付けなかったのか、と。

 

 しかし、いくら過去を振り返ろうと、今の現実が変わる筈は無く。

 沈んだ思考を振り落とす様に首を振り、その赤い瞳に決意を宿らせる。

 

 自分自身の事よりも、他人である雪雫の活動を支援したお人好しの少女。

 

 

「今度は、私が…私達が助ける」

 

 

 静かな、しかしながら力強い呟きに、怪盗団の面々はそれぞれ頷きを返した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

8月8日 月曜日 曇り

 

 

 

 全ての防壁を突破した怪盗団は、遂にピラミッドの中心部…現実で言う所の双葉の自室の前まで辿り着いた、が……。

 

 

「…立入禁止、か……」

 

 

 最後の扉には『DO NOT ENTER』とでかでかと記載された巨大なプレート。

 

 

「……………」

 

 

 いくら触っても反応しないその扉を、ウィッチは唐突に銃口を向けて一発、二発、三発……。

 しかし、扉には傷一つ付かず、床には潰れた弾丸の転がる音だけが響く。

 

 

「………頑丈…」

 

「時々、ウィッチってこぇーよな?」

 

「……否定出来ない、カモ………」

 

 

 彼女的には、人力で開かないのなら道具ならどうだろう。と試すつもりで取った行動だが、スカル達から見れば無表情で淡々と銃を撃つその姿はただただ怖い。

 ただでさえ双葉の事で覚悟が決まっているのだから、余計にそう思えた。

 

 

「ここまでして開かないとなると…、これは現実のフタバの『絶対に他人は迎え入れない』という認知の表れだろうな」

 

「扉のプレートが現実のものと一致する。間違いなく、この先が双葉の部屋だろう」

 

 

 マスターですら入れて貰えないと言っていた、絶対不可侵領域。

 彼女の改心を行うには、そこに踏み入れる必要があるという事になる。

 

 

「じゃあ一度、現実に戻るしかないね」

 

「…そうね……」

 

 

 ウィッチが行った様に、ここで実力行使で突破しようとしても、現実の双葉の認知が変わる筈は無い。

 現実の彼女に、怪盗団のメンバーが部屋に入った、と認知してもらうことが必須なのだ。

 

 

「なら、次にここに来るのは決行日ね」

 

「どうして? ルート確保まだ終わって無いよ?」

 

「…現実の双葉が、そう何度も部屋に入れてくれるとは思えない。一度部屋に入って、ここが開いたとしても…、日が経てばまた閉じる可能性だってある……。より確実に熟すのなら―――」

 

「速攻で片を付ける必要がある、って事だな!」

 

「……ん」

 

 

 オタカラの姿は確認出来ず、この先に何が待ち受けているかも分からない現状。

 一抹の不安が残る状況にも関わらず、それぞれの顔には勝気な様子が浮かんでいる。

 

 絶対に助ける。

 

 口に出さずとも、メンバーそれぞれの心は同じ方向へ向いていた。

  



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47:A Monster.

 

 

8月10日 水曜日 晴れ

 

 

 

「何回も侵入して……マスターごめんなさい!」

 

 

 もう何度目かも分からない佐倉宅への侵入。

 最早、不法侵入の罪悪感が薄れてきた一同だが、それも今回で最後。

 

 

「間違いない。パレスの扉と同じだ」

 

 

 双葉の自室の扉に掲げられた「DO NOT ENTER」と書かれたプレート。モルガナの言う通り、パレスの最後の扉と一致する。

 つまり、この扉が佐倉双葉にとっての心の壁そのものであり、絶対の防壁。その内側に怪盗団が踏み入れたという認知を本人に与えれば、パレスにも影響が出る筈だ。

 

 

「双葉……、返事して」

 

 

 雪雫が扉を軽くノックするが、やはり反応は無い。

 

 

「双葉……アリババ、居るんでしょ? チャットでも構わないから返事をして」

 

 

 雪雫に代わって、今度は真が扉を叩く。

 反応が無い様に思われたが、ふと蓮のスマホが振動する。彼女からのメッセージだ。

 

 

『来るなら先に言え』

 

「………むぅ」

 

「雪雫…、もしかして無視されてんじゃね?」

 

「五月蠅い」

 

 

 竜司の茶化した様な言葉に、思い当たるところがあるのか、雪雫は拗ねた様にそっぽを向く。

 これから大仕事だと言うのに関わらず、緊張感の無い2人の光景に、真は溜息を零した後、再び双葉と対峙する。

 

 

「心を盗むためには、ここを開けてもらわないといけないの。そうしないと、改心出来無いから、私達を部屋に入れて頂戴?」

 

『心の準備が出来ていない!』

 

「心の貴女が、開けて貰えと言っていたわ。貴女、本当は開けたいって思ってるんじゃないの? 私達は約束を果たそうとしているだけ。それを拒んでいるのは貴女」

 

『少し時間をくれ―――』

 

「10秒!」

 

 

 何とか逃げようとする双葉と、そうはさせまいとすかさず詰める真。

 その光景に何処か既視感を覚え、双葉に同情する雪雫。こうなった時の真は怖い事を身を持って知っているのである。

 

 

『短い! 3分くれ!』

 

「分かった…。ただし、マスターが来たら、蹴破ってでも入るからね! 雪雫が!」

 

「何で私」

 

「そういうの得意でしょ?」

 

「それは―――。いや、何でもない」

 

 

 それが適任なのは世紀末覇者先輩の方では?と雪雫は思ったが、それ以上は口に出さなかった。

 真の顔が怖い。

 

 

 

 

~3分後~

 

 

「アリババ、時間よ」

 

『……分かった、開ける』

 

 

 開かずの扉かと思われたドアが、音すらも立たない程のゆっくりとした動作で開く。

 本人の姿は変わらず見えないが、扉の隙間から足の踏みが無いほど散らかった床が僅かに見える。

 

 一同はお互いの顔を見合わせ、それぞれの意思を確認した後、双葉の領域に踏み込んだ。

 

 

「…医学、情報工学、生物学、心理学………」

 

「専門書ばかりね…」

 

 

 部屋の隅に乱雑に置かれた多数のゴミ袋。所せましに積まれた本の数々。昼間にも関わらず閉ざされたカーテン。空調は効いているが、換気していないのか、籠った空気が充満する双葉の部屋。

 

 

「双葉は何処だ?」

 

 

 祐介の言葉に雪雫達は部屋を見渡すが、肝心の主の姿は見えない。

 

 

「何処に隠れて―――」

 

「押し入れ。気配がする」

 

「気配って…、お前は忍者か何かかよ……」

 

 

 言い当てられたことに驚いたのか、雪雫が言った押し入れの中から物音が響く。

 

 

「あくまで引き籠るか…」

 

「あの扉が開いたところで、中でまた足止め食らうぞ。オタカラの目の前に、柵でも出来ているんじゃないか?」

 

 

 折角招き入れて貰えたのに、双葉本人に会えなければ意味が無い。

 パレスの例の防壁は、文字通り彼女の心の壁。双葉自身が、怪盗団である蓮達と直接合わなければ、確実とは言えない。

 

 

「意味が分からないぞ! 説明しろー!!」

 

「喋った…」

 

「貴女の認知を変える必要があったの。そうしないと盗むことが出来ないのよ」

 

「説明したところで到底、理解出来るとは思えないが―――」

 

「つまり、私の認知が障害となっていて、認知世界の核に到達出来ない…ということか?」

 

「? 知ってるの?」

 

 

 予想外の反応が返ってきた事に、何時もは表情が乏しい雪雫の顔も驚愕の色に染まる。

 一般人には、ましてや年端もいかない少女では、決して知り得ないパレスの仕組み。それを少ない情報で彼女は導き出したのだ。驚かない方が無理な話だ。

 

 

「…………」

 

 

 雪雫はその事に疑問を示したが、双葉からの返事は無い。

 

 

「ねぇ、双葉、教えて。認知世界の事、どうして知ってるの?」

 

「…知ってたから」

 

「…やっぱり、無視されてるよな?」

 

「…………黙って」

 

 

 雪雫が問えば沈黙し、真が問えば答える。

 もう黙っていようか。そういじける雪雫を余所に、会話は続く。

 

 

「あ、そういえばマスター、前に認知がどうとか話してたんだよね?」

 

「マスターが問い詰められていた件と、何か関係があるのか?」

 

「……もしかして…、亡くなったお母さんが、認知科学の研究を?」

 

「認知『訶』学な! 科学の『科』じゃないぞ! 摩訶不思議アドベンチャーの『訶』な! そこ大事」

 

「急に喰い付いてきたな……。だが、どうやら当たりだ」

 

 

 双葉がイセカイの仕組みを知っている理由は分かった。しかし、それと同時に別の疑問も浮かんでくる。

 それ即ち、母親に何があったか。

 

 

「双葉教えて、お母さんに何があったの?」

 

「………………」

 

「…真、気になるのは分かる。でも、それを聞くのは後」

 

「……そうね…」

 

 

 母親の死を切っ掛けにこうなってしまったのだ。改心する前に問いただしたとしても、そこから得られるのは歪んだ答えのみ。

 マスターから聞いた母親の人物像と、パレスで知った認知上の母親の姿が合わないのも、その歪みから来るものだろう。

 

 

「取り敢えず、双葉にここも開けて貰って、予告状を――」

 

 

 雪雫は双葉が居るであろう押入れの前で、その扉を指でなぞっていると…

 

 

「さ、さぁ、盗め!!」

 

「んむっ」

 

 

 勢い良く中からオレンジの髪を携えた小柄な少女が飛び出してきた。

 両手を勢いよく広げ、押し入れの前に居た雪雫に抱き着く形で。

 

 雪雫と双葉の身長差は10cmほど。

 頭半分ほど低い雪雫の目の前には、双葉の震える唇が。もう少しタイミングがズレれば頬に当たってしまったであろう近さだ。

 

 

「ほ、ほわぁ!? あ、天城雪雫か…! ……え、ちっさ!! というか、な、何故…私の腕の中に!?!???!」

 

「………そっちが飛び出してきた。それに、私は小さくない…小学校の時から成長しないだけ」

 

「それを一般的には小さいというのだろう!」

 

 

 意図せず雪雫に物理的に接触した双葉は、その腕の中に居る体温に気付いてすかさず距離を取る。

 

 

「えっと…何してんだ?」

 

「ぬ、盗みに来たんじゃないのか!?」

 

 

 その光景を見ていた蓮達は、何をやっているんだろう…という表情で2人のじゃれ合いを眺める。

 小さい少女達のそのじゃれ合いは、蓮達からすれば微笑ましいものにしか見えない。

 

 

「えっと…、心を盗みに来たんだけど、今ここで盗む訳じゃなくて…。そんな風にしなくても、開けてくれればよかったの。早とちりさせてごめんね……」

 

「そ、そっか…! ………すまん」

 

 

 肩を落とし、雪雫に謝罪を入れると、双葉は後退して再び押し入れの中に閉じ籠る。

 

 

「ならば、お前ら…、どうやって心を盗むんだ?」

 

「現実とはまた別の、人の認知で構成された別の世界で、その人の欲望を消滅させる」

 

「認知する別の世界が在ることは知っている……。お前ら、行けるのか? 行けるのならどうやって?」

 

「アプリで行くんだよ。名前と場所と歪み…。その情報を入れれば行けるんだよ」

 

「双葉の場合は、佐倉双葉、佐倉惣治郎宅と…あとはそこをどう思っているか、だね」

 

 

 中途半端にその存在を知って居る以上、自分達がどういう手段を取っているかは伝えた方が、不安も多少解消されるだろう。

 今更隠し事をする必要も無い為、怪盗団は彼女にありのままを伝える。

 

 マスターの言う通り、頭の回転が早いらしく、双葉は困惑しながらも冷静に情報を飲み込んでいた。

 

 

「私も連れてってくれないか?」

 

「………ダメだ」

 

 

 自分から外に行きたいと申し出てくれるのは有り難いが、その行き先はシャドウが闊歩するイセカイ。

 力を持たない、ましてやパレスの主である本人を連れて行くのはリスクが高すぎる。

 

 

「大丈夫だって。俺達に任せときゃいいんだよ」

 

「……じゃあ、任せた」

 

 

 双葉の方から部屋に招き入れて貰い、本人と直接会う事も叶った。これでパレスの最奥まで続く道は開かれ、オタカラまで一直線で行けるだろう。

 前提条件をクリアした怪盗団は、双葉に予告状を渡すと部屋の外へと向かう。

 

 

「…………」

 

 

 1人、また1人と外に出た蓮達の背中を見送り、1人残った雪雫は、押し入れの前に立ち止まり一言。

 

 

「今度は私が助ける番」

 

 

 そう、言い残した。

 

 

 

 

 

 

 双葉の防壁を解除し、ついに心の最奥へと踏み入れた怪盗団。

 場所にして、ピラミッドの頂上付近だろう。エレベーターの様なもので上に上がると、現実の双葉の部屋の様に薄暗く、狭い空間がポツンとあった。

 そしてその中央には光り輝く棺…オタカラと思わしきものが。

 

 

「オタカラ~!」

 

「これが、双葉の歪んだ認知の核…」

 

 

 オタカラを目の前にして、何時もの様に目を輝かせるモナと、同じ様に興味を示す雪雫の姿。

 今までの悪人とは違い、双葉のシャドウの姿も無ければ、敵が出てくる様子も無い。このまま呆気なくオタカラを奪って改心…、と思われていたが、そう現実は簡単に出来ていないもの。

 

 

「…今のは……?」

 

 

 獣のような雄叫びと共に、ピラミッド全体が大きく揺れる。

 

 

「この感じ…嫌な予感しかしねぇ……!」

 

 

 再び響く怒号。

 一同はその音源がある上…、閉ざされた天井を見上げる。すると次の瞬間、大きな崩壊音と共にジョーカー達に灼熱の日差しが降り注いだ。

 

 

「…………」

 

 

 天上が崩れた……、いや取り除かれたという方が正しいか。

 暗がりに差す一条の光を眺めていると、次第にそれを遮る様に巨大な何かが現れる。

 

 理知的な眼鏡とは対照的に、憎悪に染まった血走った眼球。綺麗に整えられたおかっぱの黒髪。

 人だ、それは人の…妙齢の女性の顔だった。

 

 

『フゥゥタァァバァァァ!』

 

 

 しかしそこから発せられる声は、理性は欠片も存在せず。獣の様に、感情のまま彼女の名前を叫ぶのみ。

 先程の唸り声の主だろう。

 

 

「シャドウ……? …違う、誰!?」

 

「フタバじゃない…! これは…!!」

 

 

 人の顔をした獣は怪盗団の姿を見るや否や、その巨大な拳をピラミッドに振り落とす。

 施設全体に激震が走り、まるでブロックの様に崩れ落ちていく天井。巨大な瓦礫が、人など簡単に吹き飛んでしまう様な暴風が、一同を襲う。

 

 

「っ! 乙女の加護を…!」

 

 

 それにすかさず反応したウィッチは、皆を守る様に自身のペルソナを召喚。振りかかる脅威を払う様にジャンヌ・ダルクは旗を掲げ、メンバー1人1人に防御の加護を付与する。

 

 

「サンキュー、ウィッチ!」

 

 

 次第に全ての瓦礫が取り除かれ、その全貌が明らかになった。

 顔は妙齢の人間の女性なのだが、問題はその体躯。背中には翼が生え、その四肢は獰猛な肉食獣そのもの。そして何より脅威はその大きさ。全長にして、30m程はあるだろうか。

 

 翼が羽ばたく度に暴風が吹き荒れ、その声が発せられる度に空気は激しく振動する。そして石造りのピラミッドを簡単に切り崩す強靭な四肢。

 単純な暴力、圧倒的な捕食者。そう言わざるを得ない程、巨大な獣。

 そんな怪物が今、こちらに敵意を向けている。

 

 

「っ、シャドウじゃねーなら、コイツは何なんだ!?」

 

「認知だ! フタバが作り出した、認知の化け物だ!!」

 

「認知上の…双葉の母親………!!」

 

「来るぞ!」

 

 

 全てを粉砕するその巨大な拳が、怪盗団に向かって振り下ろされた。



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48:Butch Cassidy and the Sundance Kid.

 

 

 全てを砕く一撃が、怪盗団に向かって勢いよく振り下ろされる。

 

 

「ペルソナ!!」

 

 

 迎え撃つは、防御に長けたウィッチのペルソナ「ジャンヌ・ダルク」。

 彼女は獣の拳をその旗で受け止めた。

 

 

「…んぅ…、ぐっ………」

 

 

 しかし、受け止めたと言っても余裕がある訳では無い。怪盗団の中では一番適任だったから、そうしただけ。

 今も尚、受け止めているジャンヌの主、ウィッチはその端正な顔に苦悶の色を浮かべている。

 

 ペルソナとは自分の分身そのもの。出現させるだけで、体力がある程度消費するのに加え、そのペルソナ本体に何かあれば、フィードバックされるのも自分自身。

 

 自身のスキルとクイーンからの支援魔法による防御の重ね掛け。しかし、それを持ってしても完全に受け止める事は出来ず、その両手に僅かに痺れが生じる。

 

 

「ヨハンナ!」

 

「威を示せ、ゾロ!」

 

 

 重い一撃に圧され、ジャンヌ・ダルクの両腕が僅かに下がったその時、クイーンとモナが硬直状態の獣に向かって、それぞれ魔法を放つ。

 だが、獣の勘と言うべきか、それが当たる寸前で、化け物は翼を羽ばたかせ、再び空中へと退避した。

 

 

「逃がすか…!」

 

 

 すかさずジョーカーが自前のトカレフで追撃するが、獣の体躯を捉える事は無く、弾丸は虚空へと消えていく。

 

 

 

 先程からずっとこの調子だ。

 

 空を支配する化け物は、気まぐれにこちらに攻撃をしてきては、反撃を回避する様に空へと逃げる。

 地上に留まるならまだしも、空中に居られては、怪盗団としても攻撃の手立てが銃撃に限られる。しかしそれも、巨大な化け物にとっては豆鉄砲に等しい。

 

 防戦一方。戦局としては芳しくない。

 

 

「ウィッチ!!」

 

「……まだ、大丈夫」

 

 

 いくらペルソナが守る事に長けていても、そう何度も何度も繰り返していれば、次第にその力にも限界が来るというもの。

 疲労からか、震える両腕を必死に抑えながら、ウィッチは気丈に振る舞う。

 

 一度でも攻撃を通してしまえば、無事では済まない。

 それを彼女は理解しているのだ。

 

 

「ウィッチももう限界だな…」

 

「……ああ」

 

「しかし、仮にワガハイ達が代わったとしても、アイツほど粘れるかどうか…」

 

「…………」

 

 

 正直言ってジリ貧だ。

 こちらの攻撃は届かないのに加えて、向こうの攻撃に対抗する手札もジリジリと減っていっている。

 

 見通しが甘かった、とジョーカーは歯を食いしばる。

 

 

(あと1つ、あと1つでも手札があれば―――)

 

 

 疲労困憊の仲間達を見て、過去の己を戒めていた、丁度その時。

 

 

「………え?」

 

 

 困惑した様なクイーンの声と、年端もいかない少女の息切れが耳に入った。

 

 

「双葉……? 入ってきたの…?」

 

 

 続いたウィッチの声に、仲間達が一斉に後ろの階段の方へ視線を向ける。

 そこには現実の彼女と何ら変わりのない、ここでは場違いな程、ラフな格好をした双葉が居た。

 

 

「……うん…」

 

「本人がパレスに来るだと…? そんな事したら…」

 

 

 認知世界が書き代わるか、最悪は崩壊か。

 何にせよ、自身の心の中にその本人が居るんだ。内面世界であるパレスにも影響が出るのは間違い無いだろう。

 

 

「あれは……」

 

 

 そんなモルガナの危惧を余所に、双葉は空を駆る化け物…自身の母親に目を向ける。

 

 自分の記憶上の母親と瓜二つの顔。

 仕事している時、ご飯を作ってくれている時、そして…車に轢かれたあの時。

 

 様々な記憶が、化け物を切っ掛けにフラッシュバックする。

 

 

 『お前が殺したんだ』

 

 『貴女の所為』

 

 

 そんな大人達の、恨みつらみを込めた言葉が頭に響く。

 そう、母親が死んだのは私の所為。

 私が居なければ、母は死ぬこと無かった。

 

 そんな薄暗い感情が、今も双葉の胸中に渦巻く。

 

 

「私の所為で…、私の所為で、お母さんが………」

 

 

 力無く地べたに座り込む双葉の元に、すかさずウィッチが駆けつける。

 その震える身体を落ち着かせる様に背中をさするが、そんな彼女に追撃をする様に化け物が口を開いた。

 

 

『そうだ! お前が私を殺した!!』

 

「やはりアレが母親か!?」

 

「…欲望と罪悪感が認知を歪ませたんだろう…。死んだ母に生き返って欲しいという願いと、気味悪い罵声が入り混じっている…」

 

 

 子どもながらの荒唐無稽で純粋な、母に傍に居て欲しいという願い。

 それが歪みに歪んで、こういう形で心に住み着くとは、何たる皮肉か。

 

 

『死ぬのよ! お前は、嫌われ者!!』

 

「…………」

 

『生きてる意味なんて無い! 誰にも必要とされてない!』

 

「………誰も、私の事なんて…………」

 

 

 存在の否定。

 認知上の、その身体が化け物だとしても、母親の口から放たれたその罵声は確実に双葉の心を打ち砕いた。

 

 足場が崩れ、深淵に沈んでいく自身の心。

 もう母の言う通りに死んでしまおうか。そんな事すら脳裏に過ぎったその時、双葉の頬に温かな手が添えられた。

 

 

「私が居るよ」

 

 

 透き通る様なソプラノボイス。音色を乗せて人々の間に響き渡る少女の声。自分が塞ぎ込んだ時にたまたま聞いた、あの時の優しい声。

 

 

「……え?」

 

 

 顔を上げると、そこには人工的に造られたのかと思わず考えてしまう程の綺麗で温かな笑みを浮かべた少女の顔。

 透き通る様な紅い瞳が、真っ直ぐにこちらに向けられている。

 

 

「貴女を必要としている人間なら、ここに居る」

 

「………雪雫…」

 

「双葉が居なきゃ、私の活動は行き詰っていた。とっくの昔に、悪い大人の餌食になっていたかも。…でも、そうはならなかった。それは、貴女が居たから」

 

 

 自身のコートを双葉の肩にそっと羽織らせて、帽子とマスクを取り、ウィッチとしてでは無く天城雪雫として、双葉に語り掛ける。

 

 

「私以外の人だってそう。ここに今こうして皆揃っているのは、貴女が切っ掛けを与えたから。マスターが憑き物が取れた様に私達にお母さんの事を話してくれたのも、貴女が居たから」

 

「…………」

 

「一生懸命育ててたって、マスターは言ってた。本当に、貴女が思う程、お母さんは酷い人?」

 

「わ、私は………」

 

 

 穏やかな少女の声と、脳裏に響く大人達の声が相反する。

 

 少女は自分を肯定する。

 大人は自分を否定する。

 

 

「お母さん…私は………!」

 

 

 二種類の声のせめぎ合いは、頭が破裂してしまうほど激しく高ぶる。

 少女の声は温かく穏やか、しかしそれに対して大人達の声は冷たく、それはどこまでも現実のもので……。

 

 ―――本当に?

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

『自殺したのは、お前の所為。研究の邪魔をしたから』

 

 

 気付けば目の前には天城雪雫では無く、自身と同じ顔をした存在…、認知世界の自分が居た。

 

 

『何故自殺だと思った?』

 

「……遺書」

 

 

 そうだ、遺書だ。

 顔も見た事無い黒い服を着た大人に見せられた遺書。

 私への…、一色双葉に対する恨みの言葉。

 

 

『お前は、辛くて、ショックで、目をそらした。だが、黒い服の大人は延々と読み上げた。大勢の親戚の前で』

 

 

 そう、だから私は親戚の家にも居れず、何処にも居場所は無く―――。

 

 

『よく考えろ。あの遺書は本物か? 本当に大好きだったお母さんが書いたのか? あんな酷い事、一度でも言われたか?』

 

 

 ………無い。

 怒られた事もあったし、構ってくれない事もあったけど、その裏には常に優しさが見え隠れしていた。

 忙しい身でありながらも、自分自身とちゃんと向き合ってくれていた。

 

 

『ならばあの遺書は?』

 

「…真っ赤な偽物だ!」

 

『お前は利用されたんだ! 遺書を捏造し、死を擦り付け、幼い心を傷つけ踏みにじった! 怒れ! クズみたいな大人を許すな!』

 

 

 そう考えると途端に怯えるのがバカバカしくなった。

 そう考えると、今までの時間は何だったんだと、怒りさえ湧いてきた。

 

 なんで、なんで……。

 私があんなことを言われなくちゃいけなかったんだ!?

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「う、うぅ……」

 

 

 座り込んでいた双葉が、ゆっくりと立ち上がる。

 

 

「下がってて、危険だから」

 

 

 すかさず雪雫が、その小さな身体を必死に奮い立たせて、守る様に立ち塞がる。

 

 

「私は……」

 

「…双葉?」

 

「私はもう…歪んだ上っ面なんかには騙されない…。他人の声にも、惑わされない……! 自分の目と心を信じて、真実を見抜く」

 

 

 ゆっくりと、足を前に進める。

 一歩一歩、踏みしめる様に。

 

 後ろに守られる様に控えていた双葉は、次第に雪雫の横に並び立ち、そして、化け物と相対する様に前に立った。

 

 

「お前なんて、お母さんの訳ない! 腐った大人が創った…、偽物だ! 絶対…、絶対に……許すもんかっ!」

 

 

 

 ふと双葉を包む様に、頭上から光が降り注ぐ。

 上に視線を向ければ、そこには青白く発行した円盤の飛行物体。

 所謂、UFOの姿。

 

 

「お…、おぉ? おおおお!」

 

「………なにあれ」

 

「ユーフォ―…、かな?」

 

 

 UFOから伸ばされた触手は双葉を優しく抱え、自らの中へ彼女を向かい入れる。

 先程のシリアスな雰囲気と比べて、妙に気の抜けた双葉の声に、雪雫の張り詰めていた雰囲気も僅かに和らいだ。

 

 

「双葉!?」

 

「大丈夫だ…! こりゃぁ……」

 

 

 傍から見れば連れて行かれた様にしか見えない光景だったが、一早く状況を理解したモナの言葉に、蓮達も遅れて理解した。

 

 ペルソナ能力に発現。

 自分達と同じ様に、理不尽に憤り、叛逆の意思が心に生まれたのだ、と。

 

 

『お願い…、手伝って! アイツを、やっつける!!』

 

「ああっ!」

 

 

 求めていた手札を手に入れた怪盗団は、再び化け物と対峙する。

 

 

 

 

 

 双葉のペルソナ「ネクロノミコン」は戦闘機能は備えていない。その代わりに、情報支援と戦闘支援に特化したハッカーのである双葉らしい性能となっている。。

 ましてや、ここは双葉自身の心の世界。

 己の心を確立し、ペルソナ能力を有した今の双葉にとって、世界を書き換える事は造作も無く。

 

 

『今度は私達のターンだ! フィールドに、最終兵器を召喚!!』

 

 

 そう言う双葉のペルソナ、ネクロノミコンから生み出されたのは、巨大な砲塔を持った武骨な兵器。

 

 

「大砲か!?」

 

『双葉特製、対巨大認知生物用長距離魔砲、だ!』

 

「……今考えた?」

 

『うん…じゃなくて! この中で魔法が得意なヤツは誰だ!? 出来れば殺傷能力が高いの!』

 

 

 そう聞いた皆の視線が、一斉に雪雫に集まる。

 

 

「……私?」

 

「いや、だって…ねぇ……」

 

 

 一同、全く同じ光景が浮かんでいる事だろう。ひとたび呪詛と共に指を振るえば、並大抵のシャドウは絶命する程の魔力を持った、魔人『アリス』。

 無残に命を散らしていくシャドウを、ジョーカー達は何度も見てきた。

 

 

『相手は認知上の怪物! 倒した所で現実に何の影響も出ない! 後先考えずぶっ放せ!』

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

『まるでカシマ作戦、だな!』

 

「……何処かで見たことあると思ったら………」

 

 

 絶え間なく続く天空からの攻撃を、双葉の力で退けながら、時間を稼ぐ怪盗団。

 皆が戦うその後ろで、雪雫は砲台の横に備え付けられた引き金に手を添え、モニター越しに映る怪物を眺めていた。

 

 

「弾は?」

 

『さっきも言ったがそれは魔力で動く。何時も通りにペルソナの力を行使すれば、自動的に弾へと変換される。…私の支援も無限では無い……あと数回、あいつの攻撃が来たらこの兵器の維持も難しくなるだろう。だから―――』

 

「やるなら一撃で」

 

『そういう事だ』

 

 

 そっと、冷たい銃口に指を掛ける。

 

 

「………双葉」

 

『どうした?』

 

「いいの?」

 

 

 雪雫の短い言葉に込められた意味を、双葉は一瞬で理解した。

 歪んだ認知の産物とは言え、砲台の射線上に居るのは母親の顔をした生き物。双葉にとっては2度目の、母親の死を直接見る事になる。

 

 その覚悟はあるのか。

 

 彼女はそう聞いているのだろう。

 

 

『…ああ、勿論だ。やってくれ』

 

「了解」

 

 

 言葉と同時に雪雫の背後には嗜虐的な笑みを浮かべる魔人の少女。そして、その少女から漏れだす黒い何か。十中八九、アリスの魔法だろう。

 それは一つも余す事無く、大砲へと吸収されていき、次第にその砲身が魔力で満ちていく。

 

 

「万能属性、呪怨属性、装填。彼女の魔力を、呪詛の全てを乗せる」

 

『照準はこちらで合わせる! 合図をしたら撃ってくれ!』

 

 

 シャドウとの戦闘時でも、ここまでして放つことは無かった彼女の力。その全てを1つの弾丸に凝縮して、練り込んで。

 

 

『…………OKだ! 今だ、撃て!!』

 

「―――Fire.」

 

 

 ふと、世界から音が消えた。

 

 いや、実際に消えた訳では無い。そう錯覚してしまう程の、絶大な威力を持った魔弾が化け物に向かって放たれた。

 その黒い閃光は周りの空間を歪め、暴風を巻き起こしながら、凄まじい速度を保ったまま、真っ直ぐ進む。

 

 そこ知れぬ呪力を持った魔人の力を、アリスの『死んでほしい』という願いを一点に凝縮した弾丸は、確実に化け物の心臓を撃ち抜いた。

 



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49:Battery depletion……

 

 

 触れただけで死をもたらしてしまう程の、強大な呪力を持った弾丸は、間違い無く化け物の心臓を撃ち抜いた。

 うめき声をあげるすら間もなく、空を駆っていた巨大な体躯は、重力に従って落ちていく。

 

 

「さようなら、弱かった過去の私」

 

 

 力無く落下していく己の歪みの象徴を眺めながら、少女は呟く。

 

 今日、化け物の死をもって、過去の自分とは決別だ。

 これからは、自分の足で、自分の目で世界を歩き、自分自身で未来を選びとる。

 

 そんな決心が、佐倉双葉の顔から伺えた。

 

 

「スゲェじゃねぇか、双葉! お前が居なかったら正直危なかったぜ!」 

 

 

 興奮した様子で金髪髑髏がこちらに駆け寄る。

 いや、彼だけじゃない。言葉にはしていないが、怪盗団のそれぞれの顔から安堵と感謝が入り混じった感情が感じ取れる。

 

 温かい。

 

 

「……メジエド…、だったな?」

 

 

 さて、感傷に浸るのも程々に、こいつらがここに来た本来の目的…最も天城雪雫は二の次で良いとは言っていたが、それではこちらの気も済まないというものだ。

 まぁ何にせよ、何時までもここに居てもメジエドの件は解決しない。

 一先ず、現実に帰らなければ。

 

 

「…何処へ行くの?」

 

「帰る。ナビの使い方、わかったし」

 

 

 マイペースに歩き出した双葉は、クイーンの疑問に対して「当然だろう」という様な口ぶりで言葉を紡いだ。

 そのまま彼女の行動を見守っていた蓮達だったが、そのマイペースな態度を崩す事無く、双葉はパレスから姿を消す。

 

 

「マイペースな奴だ」

 

「お前が言うな…」

 

 

 双葉がペルソナ使いとして覚醒した以上、歪んだ認知は取り除かれたも同然。

 想定とは違う形となったが、結果として改心に成功した怪盗団も、双葉と同じ様に現実に帰ろうとする。

 が、1つ大事なことを思い出し、クイーンは口を開いた。

 

 

「…あ、そういえば、雪雫は? さっきから存在感無いけど……」

 

「ああ…彼女だったらあそこでのびているぞ」

 

 

 そう言うフォックスの視線の先、何時もの白髪を床に散らして、地面にうつ伏せで倒れ伏している雪雫。

 

 

「………雪雫…?」

 

「ガス欠。動けない」

 

 

 それを聞いてクイーンは深く溜息を零す。

 どうやら本当に、彼女は後先考えず、その全てを魔弾に乗せたらしい。

 

 

「全くもう……」

 

 

 力無く倒れ伏した雪雫を、クイーンは横抱きにすると、その両手に彼女の全体重が圧し掛かる。

 全体重と言っても、小柄な雪雫のものなので、クイーンでも軽々持てるくらいのもの。

 ぐったりとした力の入ってない身体が、文字通り彼女が全てを弾に込めたのだとまざまざと思い知らされる。

 

 

「これで…このパレスに思い残すことは無いわね? 」

 

「ああ…早いとこ脱出を――――」

 

 

 その時、パレス全体が大きく揺れた。

 ピラミッドの中に居た時に襲われた揺れとは比にならないほどの規模。

 正に世界全体が揺れていると様な。

 

 

「ヤバイ…ヤバイって!!」

 

「何がどうしたんだ?」

 

 

 1人焦るモナと、今一状況が呑み込めていない一同。

 

 

「本人がパレスに乗り込んできた挙句、ペルソナを覚醒したんだ! いつ崩壊してもおかしく無いぞコレ!!」

 

「…すぅ………」

 

「ちょっと雪雫!? 今ヤバいから! 頼むから起きて!!」

 

「…………」

 

「もう~!!!」

 

 

 

 

 

 結局、真の呼び掛けも虚しく、雪雫は目を覚ます事は無く、アメフトのボールの様に仲間内でパスされながら運ばれた。

 

 何事にも動じないのは彼女の長所だけど、空気は読んで欲しい。

 後日、真はそう語る。

 

 お荷物と化した少女を運びながら、崩壊するパレスを駆け、命からがらパレスから脱出した怪盗団。

 その道中で、真の驚異的なドライビングテクニックがお披露目されたが、その最中でも雪雫は寝ていた。

 

 

 現実に戻り、蓮達は双葉との接触を試みたが、肝心の彼女に意識は無く………。

 マスター曰く、体力を使い果たすと電池が切れたみたいに数日は寝たままになるらしい。

 

 認知の怪物を倒した影響か、パレスが崩壊した影響か。

 最悪もう目覚めないのではないかと、顔を青ざめていた蓮達は、それを聞いた蓮達は、一先ず安心したものの、メジエドの件は先延ばしに。

 彼らが指定したXデーまでに双葉が覚醒する事を祈るしかない。

 

 

「んで? 佐倉さんの娘さんの事は分かったけど…、その子は?」

 

 

 双葉に身体に異常が無いか、念の為にと蓮が呼んだ武見の視線が、真の腕の中で呑気に寝ている雪雫へ注がれる。

 

 

「いや…、雪雫も体力使い切っちゃったみたいで………」

 

「つまり寝てるだけ? さっきの子と言い…最近の若い子は良く分からないわね…」

 

 

 寝ている雪雫の頭を慣れた手付きで撫でると、武見はおもむろに誰かへ電話をし始めた。

 

 

「………どちらへ…?」

 

「この子の保護者。回収してもらうわ」

 

 

 電話をしてから数十分。

 颯爽と現れた久慈川りせに雪雫を引き渡し、特に自分達にやれる事も無くなった蓮達も、雪雫に続いて帰路についた。

 

 何ともパっとしない終わり方ではある。

 

 

 

◇◇◇

 

 

8月11日 木曜日 雨

 

 

 

おはようございま~す……

 

 

 

 時刻は9時30分を過ぎた頃。

 

 何故か小声の、聞きなれた少女の声と同時に、画面いっぱいに愛嬌のある整った顔が映る。

 顔の横から僅かに見える景色から、今彼女が居る場所は自宅だと言うことが分かる。 

 

 

 

おは~

 

なぜ小声?

 

寝起きドッキリを彷彿とさせる入りだな

 

 

 

 画面の隅っこに映るコメントの流れる速度が、ゲリラにも関わらず多くの人がこの配信を見ているのだと、まざまざと主張する。

 流石は今をときめくトップアイドル…、久慈川りせだ。

 

 

 

うん、今日はね。タイトルにある通り告知……なんだけど…。肝心のもう1人がまだ寝てるから…

 

なるほど、ビックリさせようと……

 

寝起きドッキリ!ですね!

 

いや、待て…りせち―の配信だぞ?そんな普通の事をするわけ……

 

 

 

「私のベッドで無防備に眠りこける雪雫の姿を見せて皆にマウント……じゃなくてその可愛さをお届けしようと思って!」

 

 

 

ちょっと本音が漏れましたね

 

つまりイチャイチャ配信ですか

 

とうとう手を出したか

 

 

「手出す訳! だってまだ雪ちゃん未成年だよ? いや~雪ちゃんが如何に天使かを皆に伝えたいだけだってば~」

 

 

 そう言いながら、りせちゃんはカメラと共にリビングを出て廊下を進み、件の寝室へ。

 カーテンの隙間から漏れる太陽光、薄暗い部屋。その中央のベッドに掛けられたタオルケットが、少し膨らんでいるのが分かる。

 

 

お、まだ呑気に寝てますね~。ウヒヒヒヒ…

 

 

 足音を立てないように、ゆっくりとその膨らみに近づくと、カメラにはベッドの上で散らばる見慣れた白髪。

 顔はタオルケットに隠れていて見えないが、その特徴的な髪色が、間違いなく雪雫本人だという事が見て取れる。

 

 そーっと細い腕が伸び、顔に掛かったタオルケットをずらすと、そこにはりせちゃんが言う通り、呑気に眠りこけている雪雫。

 

 長い睫毛、染み一つ無い陶器の様な白い肌、計算し尽されたような配置のパーツの数々。

 可愛さと綺麗さが同居した、何時もの顔。

 

 舐め回す様なカメラワークと共に、その顔が様々な角度で映し出されて、それに合わせてコメントも加速する。

 

 

 

かわいいいいいいいいいいいい!

 

まじであり得ないくらいの美少女だよね…

 

これですっぴんってマジ?

 

これがりせちーの女か

 

 

 

何時も通りの天使っぶり…。これは間違いなく癌に効く

 

 

 

何時もだけ声でかくて笑う

 

隙あらばマウント取ろうとするな

 

 

 ますますコメントが盛り上がる中、りせちゃんは手に持つタオルケットをさらに下へとずらす。

 しかし。

 

 

「あ…」

 

 

 ピタリと何かを悟った様にその手を止めた。 

 

 画面の下の方。つまり雪雫の首元辺り。

 タオルケットが取り除かれ、そこから現れたのは素肌剥き出しの華奢な肩と綺麗な鎖骨。

 

 つまり、服を着ていないであろう雪雫の身体の一部分。

 

 

お?

 

まさか?

 

とうとうやったか?

 

あーこれでりせちーも改心の対象か

 

 

 

「……一端、カメラ切るね~」

 

 

エッチなことしたんですかね?

 

説明してください! 久慈川容疑者!!

 

逃げるなぁ! 卑怯者!!

 

 

 

 

 

 

「はい、気を取り直して…こんりせ~」

 

「……こん…りせ………」

 

 

 

 若干、笑顔が引き攣ったりせちゃんと、その膝の上で眠たそう…というか半分寝ている雪雫。

 画面の中央にはリビングを背景に、その2人が映し出されている。

 

 

こん、りせ?

 

取って付けたような挨拶をするな

 

雪ちゃん起きてる?

 

 

 

「いや、最近こういうの流行ってるでしょ? 私も流行りに乗ろうと思って」

 

「こん……にちは………」

 

「雪ちゃん? 起きてる? おーい」

 

 

 

 結局、さっきのハプニングは着ていたシャツがはだけてしまっただけで、裸では無かったらしい。

 正直、見方によってどうとでも受け取れる言い訳だったが、最終的には「りせちーはヘタレだから手を出す筈が無い」という意見で一致し、収まった。

 

 

 

「はい、それでね。今日の本題なんだけど」

 

 

 

あ、そういえば告知って言ってましたね

 

さっきの件で忘れてた

 

取れ高的には十分なのでは?

 

 

「今日の配信は企業絡みなので取れ高的にはOKでもちゃんと告知しないとダメなの~」

 

「きぎょー…の…滝行……ふふっ…………んぅ…」

 

「ちょっと雪ちゃんは黙っててくれる?」

 

 

ちゃんとするとは?

 

1人使い物にならないんですが、それは……

 

 

 企業の滝行………ふふっ。

 あ、不覚にも笑ってしまった。

 雪雫、上京してから腕を上げてるな。

 

 

「はい、そんな訳で…、前回の水着撮影でお馴染みの『runrun9月号』に私と雪雫が雑誌モデルとして載ります!」

 

「………のる~…」

 

「今回は尊厳無視の小学生用では無く…雪雫もちゃんとした服を着てるよ! りせちー完全監修のコーディネートにも注目!」

 

 

おお~

 

雪ちゃんからすると二度目のモデルか。水着はほぼネタ感あったし、確かにわざわざ配信告知するの分かるわ

 

あれはあれで可愛かったけど…

 

 

「可愛かったらしいけど、そこんとこどうなんです、雪雫さん?」

 

「……私、好きでこの体型……してない……。きっと、成長したら……ちゃんとした奴を…」

 

「うーん、それは多分もう無理じゃない?」

 

 

辛辣で草

 

このアイドル、幼馴染に容赦がない

 

 

 

「それにほら、雪ちゃんのお姉さんもスレンダーだし…、成長したとしても……ねぇ?」

 

 

 は?

 もしかして喧嘩売ってるのか、この小娘は。

 

 

 

「という訳で、総24ページに及ぶ雪雫と私の特集をよろしくね! たくさん買って!!」

 

「…沢山売れれば……、りせのとこ…にも、追加の……ギャラが――――」

 

「その発言はギリギリ過ぎる」

 

 

 

ダイレクトマーケティングすな

 

雪ちゃんの条件反射で喋ってる感半端無いな

 

夜更かしでもしてたの?

 

 

 

「そうそう、雪ちゃん昨日何してたの? 朝は弱くてもそこまで頭が働かない事なんてそうそう無いのに……」

 

「…昨日……? 昨日は……空飛ぶ、怪物にぃ……、一杯魔力を込めて………、こうドカーンって…」

 

 

 

怪物?魔力?

 

ゲームか何かかな

 

ゲーマーだからね、脳死するまでゲームするのは分かる

 

雪ちゃん、今は夏休みだしね

 

 

「……なるほど。もう…ゲームも程々にしないとダメだよ~?」

 

ゲームじゃ……ない…も………ん

 

「はいはい。じゃあそんな訳で、『runrun9月号』は8月23日発売! 是非是非手に取って、雪雫を可愛さを味わってくれたまえ~!」

 

 

 

 それじゃあね~!っと誰しもを魅了する笑顔で手を振って、今回の配信の幕は閉じた。

 終始、雪雫の方は船を漕いでいて、半覚醒状態といった感じだったが、まぁその姿を見れただけで良しとしよう。

 

 

「………ふぅ…」

 

 

 動画アプリを閉じ、溜息を1つ。

 

 ここから遠く離れた都会の地で、ちゃんとやっていけてるか。

 精神暴走事件や怪盗団の存在など、なにかと物騒な状況、常に心配していたが、2人の変わらない姿を見て、その胸のつっかえも多少なりとも取れた気がする。

 

 

「16日…か」

 

 

 早いものでもう1週間も無い。

 久しぶりの再会だというのに、物憂げな表情で迎えられば、雪雫も困惑するだろう。

 

 

「よし、頑張ろう」

 

 

 雪雫達を温かく迎え入れる為に、私も旅館仕事を頑張らなければ。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 一度は机に置いたスマホを手に取り、とある人物へ電話を掛ける。

 気持ちを切り替えると言ったが、先程の発言だけは見逃せない。

 

 

「もしもし? りせちゃん? 配信の事なんだけど――――――」

 

『うぇ……雪子センパイ!? 観てたの!?』

 

 

 八十稲羽は今日も平和である。



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50:The number of my new friends increased!

 

 

8月15日 月曜日 晴れ

 

 

 

「マスター、何時もの豆を……10袋分」

 

「あいよ」

 

 

 最早たまり場と化したルブランで、惣治郎は雪雫に優しく微笑む。

 渡されたコーヒー豆に対して対価を払い、持ち込んでいたスーツケースに手際よく詰めていく雪雫。

 

 

「そんなに買ってどうするの?」

 

「雪子……えっと、お姉ちゃん達にプレゼントしようと思って」

 

 

 そう聞いた惣治郎は、僅かに照れくさそうに頬を掻く。

 

 

「東京土産がこんな寂れた喫茶店の豆でいいのかい?」

 

「美味しいから、問題無い」

 

「……そうかよ」

 

 

 そんなやり取りをしていると、2Fの自室から連とモルガナが欠伸をしながら降りてきた。

 どうやら、つい先ほどまで眠っていたらしい。

 

 

「いつまで寝てんだ? 夏休みだからって調子に乗んなよ?」

 

 

 惣治郎はきっと夜遅くまで遊び歩いていた結果、寝坊したと思っているだろう。

 まさか、長い睡眠から覚醒した自身の娘と共に世間を賑わしているメジエドを退治していた、なんて口が裂けても言えず。

 

 

「すまない」

 

 

 蓮は短くそう返し、ルブランに備え付けられたテレビに視線を向けた。

 

 

『本日未明、ハッカー集団「メジエド」が開設するHPが、改竄を受けているのが発見されました。トップページには怪盗団のものと思われるマークが提示され―――――』

 

 

 ニュースが報道するのは昨日、双葉が行ったことに加えて、予告していた攻撃が未だに確認されていないこと。

 つまり、怪盗団側の勝利宣言。

 

 

やったね

 

うん!

 

 

 お互いの顔を見合わせて、静かにその勝利の余韻を噛みしめる一同に、惣治郎は気味が悪そうな表情で彼らを見つめる。

 気持ちわりぃぞ、と言葉が悪いが、何処か物腰の柔らかい惣治郎。

 今回の件で、蓮とも、そしてその友達である雪雫達とも、些か距離が縮まった様だ。

 

 営業妨害だからどっか行け、という惣治郎に竜司が軽口を叩いていると、来店を知らせる鈴の音が店内に響く。

 釣られてルブランの入口の方へ視線を向けると、そこには少し緊張気味の小柄な少女…双葉の姿があった。

 

 

「…おはよう」

 

……天城雪雫…!

 

 

 動きがぎこちない双葉を和ませようと、一早く声を掛けた雪雫だったが、双葉は彼女の顔を見てすかさず傍に立っていた蓮の背中に小動物の様に隠れてしまう。

 ただ挨拶をしただけなのに、まるで怯えられた様な反応を返された雪雫は、少しその顔に影を落とし、ソファに座る真の肩にちょこんと頭を乗せた。

 

 

「……警戒されている様だな…」

 

「やっぱり、無視されてんじゃ―――」

 

「されてない」

 

 

 雪雫への態度は兎も角、祐介が言う通り双葉の表情は強張っていて、警戒している様子が見て取れる。

 顔見知りでこの様子なら、客が来ればますます縮こまるだろうと判断した一同は、双葉を連れて蓮の自室へと上がった。

 

 

 

 

 

 部屋の隅に追いやられて椅子を円卓状に並べ、双葉は1人離れたベッドに腰掛けて、下では出来無い話…つまり怪盗絡みの話題へ。

 

 

「しかし、まさか『認知上の人物』が、あんな怪物に大化けして、襲ってくるとはな」

 

「シャドウだけが敵とは、限らない…」

 

「お城の奴隷とか、歩くATMとか…今までは被害者のイメージだったのにね…」

 

「認知上の人間は、見た目は生きているようでも、実際はパレスの景色の一部…建物とかと同じ。言い換えれば、主の認知次第で、どんな姿にも、強さにもなるのよ」

 

 

 つまり認知の歪みが激しいほど、双葉の母親の様にこちらにとっての脅威になるという事。

 シャドウと違って厄介なのは、歪みの主がソレに対して絶対的な感情を置いてれば置いてるほど対処が難しくなるという点。

 イセカイだけで対処が可能なら良いが、現実世界が絡むとなると途端に攻略の難易度も上がってくる。

 

 

「研究で何処まで分かってたのか…、それが聞けたら対策の取りようもあるんだけどね……」

 

「研究な……」

 

 

 双葉のパレスで明らかとなった「認知訶学」の存在。双葉の母、一色若葉が携わっていたという研究は、実際に何処まで進んでいたのだろうか。

 双葉が認知世界の存在を知っていた事から察するに、自分達では知り得ない事も研究されていそうだが…。

 

 

「これまで聞いた情報をまとめると…。悪用すると人が死ぬらしく、精神暴走事件に関わっている可能性がある。認知と付く名称からも、イセカイとの繋がりを感じるわね」

 

「しかもその研究は、何者かに奪われ利用された可能性がある」

 

「…偽の遺書を見せた大人達……。もしかしたら、カネシロが言っていた黒い仮面…。オオヤマダが言っていた取引相手と関係あるかも」

 

 

 考えれば考える程、規模の大きい相手に対して、僅かに不安を覚える一同だが、同時にその悪党達に対する憤りも沸々と湧いてくる。

 

 

「ねぇ、双葉。ほかに思い出せることは無い?」

 

「……………」

 

 

 双葉のパレスに情報として存在していた以上、彼女本人が一番詳しい事には変わりない。

 真はベッドの上でカップ焼きそばの容器を持った双葉に問いかけるが、彼女はそれに答える事無く、下へと降りて行った。

 

 

「……無視されてる」

 

「なかなか手強いわね…」

 

 

 湯切りを終えて、再び2Fへと戻ってきた双葉は定位置へ戻り、今度はカップ麺を啜り出す。

 お昼時のこのタイミングで、食欲をそそるソースの匂いが部屋中に充満し、完全に皆の意識はそちらに集中。

 

 

「……少し、休憩しましょうか…」

 

 

 真面目な話をしている場合じゃ無くなってしまったのだ。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 近くのコンビニで食料とお菓子を調達し、腹ごしらえを済ませた雪雫達。

 何時も通りテーブルの上にお菓子を広げ、後半戦の準備は万端。

 休憩も程々に、再び円卓会議が始まった。

 

 

「いくら双葉が天才でも、そんな簡単に世界的なハッカーを潰せるもんなの?」

 

「怪盗団を挑発してきたのは日本のヤツ。メジエドの中でも日本のヤツなんて大したことないのは分かってた」

 

 

 背を向けてはいるが、いくらか心を開いてくれているのか、真の疑問に淡々と答える双葉。

 それを聞いて「直斗の推理通り…!」と1人目を輝かせている少女を除いて、蓮達は同じように疑問符を浮かべる。

 

 

「何で分かんの?」

 

「メジエドの創始者は私だもん」

 

 

 双葉の口からあっけらかんと紡がれた言葉に、一同の顔は驚愕の色に染まる。

 

 

「どういう、ことかな? 言葉通りに、受け取ればいいの?」

 

「そうだ。初めは私1人。義賊って呼ばれてた頃だ。でも、匿名なのをいい事に、よく分からんヤツらが世界中に増殖した」

 

「そいつらがサイバー犯罪をしてたわけね!」

 

「…でも全員吊るし上げる訳にもいかず、放置」

 

 

 つまり、真のメジエドは協力者である双葉=アリババで、雑魚相手に怪盗団は怯えていた事に―――。

 最初から言えよ…、と何処か疲れた様に項垂れる竜司。こればっかりは同意であると言わんばかりに、蓮達も首を縦に振った。

 

 

「双葉は……これからどうする?」

 

「そうね…私達としても、仲間になってくると有難いけど……」

 

「いいよ」

 

「軽っ………」

 

 

 まさかの迷う素振りすら見せず2つ返事。

 あまり実感は湧かないが、その瞳に冗談や嘘の感情は無い。

 

 戦闘には参加できない代わりに、圧倒的なまでの情報収集能力とサポート力。

 行き当たりばったりになりがちだった怪盗団も、少しは冷静に動ける様になるだろう。

 

 

「……ねぇ双葉。私達の事はどうやって知ったの?」

 

「…ナイショ」

 

「ハッキングはどうやって覚えたの?」

 

「プライベート」

 

「ナビはいつ手に入れてたの?」

 

「黙秘」

 

 

 

 取り付く島も無い、とはこのことか。

 真の疑問に一切答える素振りの無い双葉を見て、杏は「中々、ユニークだね」と溜息を零す。

 

 

「まずは打ち解ける所からね」

 

 

 まぁ今までずっと人間不信気味で引き籠っていたのだから無理もない。

 幸い、直近で大きな予定は無く、夏休みも二週間ほど残っている。残りの時間を使って、ゆっくり仲良くなっていけば良いだろう。

 

 

「雪雫は、明日から里帰りよね?」

 

「ん。一週間ぐらい」

 

「となると、メメントスでの活動は暫くお休み、かな。明日から日替わりで双葉と過ごしましょう」

 

「私、抜き……」

 

「帰ってきたら一緒に過ごす時間を作ってあげるから」

 

 

 仕方が無いとは言え、少し疎外感を感じ、膝を抱える雪雫の頭を真は慣れた様子で撫でる。

 最早、蓮達にとっては見慣れた光景と言えばそうなのだが、今更ながら明らかに友達の距離感では無い。

 

 

「い、一緒に…!? 天城雪雫とか!?」

 

 

 そんな光景を見ていた双葉が、急に大きな声を上げて立ち上がった。

 まるで、信じられないものを聞いた様な表情を浮かべて。

 

 

「む、無理だ! チャットですら緊張していたのに……、直接過ごすなんて―――!」

 

「そうは言っても仲間なんだから仕方無いでしょ…。それに、2人は同い年なんだから……」

 

「と、とにかく無理だ! 私の心臓がもたん!!」

 

「あー…これは………」

 

 

 双葉と真の言い争いを遠くから眺めていた竜司と真が、得心がいったように声を上げた。

 

 

「雪雫の事を無視してたのって……」

 

「緊張してまともに喋れないから…なのね……」

 

 

 これは別の意味で骨が折れそうだ。と蓮は思った。

 何時の日か、少女達が対等な立場で笑い合える日が来るのを祈るばかりである。

 

 

 

憤怒のピラミッド 倒壊

 

 

 

 

 

 

「困りましたね………」

 

 

 4年前とは打って変わり、短かった髪を腰まで伸ばし、そのプロポーションを隠す事をやめた探偵王子…。いや今の風貌からすると王女とか女王の肩書の方が相応しいが……。

 兎に角、IQ2000の頭脳を持つ探偵「白鐘直斗」は目の前に広がる空間を見て溜息を零す。

 

 

「現実と人々の歪みが螺旋状に絡み合った異空間…H.E.L.I.X.(ヘリックス)とでも呼称しましょうか」

 

 

 目の前に広がる空間、と言っても視界に映る景色に異常は無い。

 田舎らしく木々が生い茂り、夏らしくセミと野鳥の泣き声が忙しなく響いている。

 

 しかしながら、直斗の周り……桐条グループの現総帥「桐条美鶴」が抱える対シャドウ組織「シャドウワーカー」の職員達が眺めている画面に表示されているその数値全てが、異常を指し示している。

 

 

「……………っ。やはりダメですか…」

 

 

 目の前にあるであろう異空間に手を伸ばす、が空間は直斗の侵入を拒む様に、その指先を弾く。

 

 

「中からの連絡は?」

 

 

 ふと、直斗の後ろから凛とした女性の声……。

 

 後ろを向くと、そこには全身をボディースーツに身を包み、その上からコートを羽織った季節感も常識も無い奇天烈な恰好をした眉目秀麗な赤髪の女性の姿。

 件のシャドウワーカーのリーダー「桐条美鶴」その人だ。

 

 

「駄目ですね。2人からの連絡は完全に途絶えています。中の様子もモニタリング出来ません」

 

「………厄介だな」

 

 

 苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる美鶴と、その横で焦りを感じている直斗。

 

 

「全く…彼らが帰って来るという頃に……。つくづく悪運が強いというか…トラブルメーカーというか…」

 

「天城雪雫の里帰りは明日だったな?」

 

「…ええ」

 

「……彼女ならば…入れるか?」

 

「…どうでしょうね……どちらにせよ、危険な賭けには変わりない。僕としては、関わって欲しくない所ですが………」

 

 

 直斗はスマホを開き、ニュースアプリを開く。

 そこのトップにはメジエドと怪盗団の件についての最新情報が表示されていた。

 

 

「もう既に手遅れかもしれませんね」

 

「……連絡は?」

 

「僕からは何も。久慈川さんか雪子先輩経由で伝えようと思ったんですが……」

 

「連絡がつかない……か」

 

 

 結局、今この場に居る2人にこの異変を解決する手立ては無い。

 先に送り込んだ先鋭部隊の2人、もしくは全く別の第3者の介入によって、事態が進むことを祈るしか無いのだ。

 

 

「全く……事件に事欠かない街ですね、ここは」

 

 

 

天城雪雫帰郷編

 

 混沌螺旋世界・マヨナカテレビ局



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混沌螺旋世界・マヨナカテレビ局
51:I feel something strange with it.


 

 

「………すぅ…」

 

 

 大きなスーツケースを携えた1人の少女が、電車内で船を漕いでいた。

 車内には少女以外の人間は存在せず、夏休みだというのに関わらず閑散としている。

 

 それもその筈、今少女が乗っているのは東京から遠く離れた田舎町を走るローカル線。

 

 

「………」

 

 

 窓の向こう側の景色がふと、真っ黒に変わる。

 トンネルだ。

 

 

「…………んっ」

 

 

 車内に差していた陽の光が遮られ、胸に感じるのは不思議な圧迫感。

 まどろんでいた意識が現実に引き戻される。

 

 

「……もう、少し…………」

 

 

 窓の先の暗闇を見つめ、少女…天城雪雫は目を擦りながら呟く。

 

 彼女の言う通りトンネルを通り抜けて数分もすれば、故郷である八十稲羽市。

 実に半年ぶりの里帰りだ。

 

 まだ脳がぼんやりとするものの、今から寝る訳にもいかず、雪雫は欠伸を繰り返しながらぼーっと変わらない景色を眺める。

 次第にトンネルの出口が近付き、雪雫の眼下の景色も暗闇から再び深緑へ。

 

 

「………雨。東京は降ってなかったのに」

 

 

 ザーザーと打ち付ける雨を見て、「傘、持って無い…」と雪雫は呟いた。

 

 

 

 

 

 電車を降り、田舎特有の無人の改札を通り過ぎれば、目の前に広がるのは懐かしい風景。

 ただでさえ少ない往来は、雨の影響か人の影は一切確認出来無い。

 

 実家である天城屋旅館はここから離れた山の上。とても雨の中、少女1人が歩いて行くような場所には無い。

 1時間に2、3本しかないバスに乗るか、費用はかかるがタクシーを呼んで手っ取り早く済ませるか。

 

 

「…………もしもし、一台、お願いしたい…です……」

 

 

 面倒くさがりの雪雫はお金に糸目を付けないのだ。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 天城屋旅館まで。と言えば、運転手は何も言わずに車を走らせてくれた。

 たまにお喋りな運転手も居るが、今回の人は雪雫の物静かな様子を見て判断したのか、特に話しかけてくることは無く、車内は静寂そのものだ。

 

 早送りの様に流れていく景色をぼんやりと眺める。

 

 住んでいた時と何も変わらない。

 ポツリポツリと家屋が立ち並び、たまに見受けられる店の看板は寂れていて何処か退廃的だ。

 

 駅と同じ様に人の姿など確認出来ず、景色を見るのも早々に飽きを覚えてきた頃。

 

 

(………外国…の人?)

 

 

 ふと、とある少女達に目が留まった。

 雨の中、傘もささずに、何処か物憂げな表情を浮かべていた2人の少女。

 

 もう確認する由も無いが見間違えでなければ、1人は金髪、もう1人は銀髪という田舎町ではあまり見慣れない髪色だった。

 スラリと伸びた四肢から、モデルか何かだと思わず思ってしまう程の。

 

 

(……あんな目立つ人、居たかな)

 

 

 人の顔を覚えるのがあまり得意では無い雪雫だが、十数年住み続け、場所は人の入れ替わりも乏しい田舎町。

 多少なりとも、住んでいる人の顔位は覚えるというもの。

 

 

(……まぁ顔、よく見えなかったし)

 

 

 きっと誰かが髪でも染めたのだろう、と。

 

 先程の2人以外に特段目に留まるものは無く、雪雫は景色からスマホへと視線を移す。

 特に誰からも連絡は来ていない。

 

 

(…雨、か……)

 

 

8月16日 火曜日 雨

 

 

 

 

 

「雪子居ないの?」

 

 

 見慣れた実家の暖簾を潜れば、温かく迎えてくれたのは女将である母親と旅館の従業員達。

 「お客さんじゃないんだから、そんなに全員で迎えなくても……」と少し照れくさそうに、しかしながら嬉しそうに頬を染めた雪雫は、早々に自室へ荷物を置き、姉の姿を探した。

 お風呂、客間、倉庫、自室……思い付く限りの場所を全て探したが、あの大和撫子の体現の様な姉の姿は無い。

 

 聞いた方が早いと判断した雪雫は、調理室で夕食の仕込みをしている自身の母に姉の所在を問う。

 雪雫が調理室に入った時、若干空気が張り詰めたのは余談である。

 

 

「雪子はまだ帰って無いわよ~。向こうでの生活が忙しいらしくてね。明々後日頃になるみたい」

 

「……向こう?」

 

 

 母親の物言いに、雪雫は訝し気に眉を顰める。

 

 

「忘れたの? あの子、大学の入学に合わせて家出たじゃない」

 

「………へっ?」

 

 

 彼女にしては珍しく、甲高い間の抜けた声が口から漏れた。

 

 おかしい、と雪雫は思った。

 姉である雪子は、確かに高校の時は旅館を継ぐのを渋っていたものの、最終的には前向きにそれを受け入れた筈だ。

 現に私が上京する時も、大学に通いながら旅館を切り盛りしていた。

 

 

「え、じゃあ…女将修行は?」

 

 

「それが嫌だから出たんじゃない。雪雫も雪雫で自分の道を見つけたし…子どものやりたい事に親が口を出す時代は終わったのね」

 

 

「…………?」

 

 

 僅かに寂しそうな表情を浮かべる母。

 その顔を見て、僅かに罪悪感を覚えると共に、胸中の違和感はますます大きくなった。

 

 おかしい。

 

 以前に姉に電話した時も家を出たなんて言ってなかったし、そもそも電話越しで姉の名を呼ぶ母の声も聞こえた。

 それに彼女と親しい千枝とりせも、そんなことは一言も言ってなかった。

 

 しかし、母の顔も嘘を言っている様には見えない。

 

 

「……そう、だったね…。うっかりしてた」

 

 

 これ以上、母に聞いても新たに知り得る事は無いだろう。

 胸中に渦巻く違和感をひしひしと感じながらも、雪雫は調理場を後にする。

 

 

「……何がどうなって…………」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 久しぶりの母の手料理を頂き、自慢の天然温泉で入浴も済ませた雪雫は、自室の隣…姉である雪子の部屋へ改めて踏み入れる。

 

 

「…………」

 

 

 大学の入学に合わせて……つまり2年前に出て行った割にはやけに生活感がある部屋。

 机の上に出しっぱなしの文具とノート。本棚に置かれた大学で使っているであろう教材。その一段上には水着モデルの時の雑誌。

 

 

「…埃も溜まってない。やっぱり、おかしい」

 

 

 母親の主張では雪子は2年前に家を出た。

 しかしこの部屋は、まるで昨日までここに居ました。と言わんばかりの状況。

 

 ふと、雪雫は部屋の隅に敷かれっぱなしの布団に寝そべり、枕に顔を埋める。

 

 

(…雪子の、匂いがする)

 

 

 姉の温もりを感じながら、雪雫は静かに目を閉じる。

 

 

 そういえば、昔はよく自室を抜け出して、雪子の布団に忍び込んでいたな、と。

 

 

 時刻は23:43分。

 そんな微笑ましい思い出に浸りながら、雪雫の意識は微睡に沈んでいった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

8月17日 水曜日 雨

 

 

 

 帰省、と言っても特別家でやる事は無い。

 

 夏休みまっさなかで繁忙期の旅館に居た所で、家事も出来無ければ料理も皆無な雪雫が手伝う訳にもいかず。

 かといってその時間を仕事に充てる気分でも無い。

 

 だから雪雫は雨の中1人、市内を歩き回っていた。

 

 

「あらっ、雪雫ちゃんじゃないの!」

 

 

 しかし歩き回っていたと言っても、目的も無くフラフラしていた訳じゃ無い。

 

 

「…お久しぶり、です」

 

 

 場所は市内の住宅街。

 ぽつりぽつりと立ち並ぶ一軒家の前で、妙齢の女性と雪雫は対峙していた。

 

 

「……千枝、居ますか?」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「…………むぅ」

 

 

 眉間に皺を寄せ、色々黒い噂が絶えない稲羽の特産品ビフテキ串を口へ運びながら、雪雫は唸る。

 

 

(結局、千枝は居なかった)

 

 

 姉である雪子の幼馴染……雪雫からしたらもう1人の姉とも言える里中千枝。

 雪子の件の真相を聞き出そうと、彼女の実家に向かった雪雫だったが、千枝の母親から言われたのは「千枝は雪子と同じ大学に入って、稲羽を出た」という、またしても雪雫の記憶とは違う現実。

 

 

(千枝は大学には行かず、警察学校に入った筈……)

 

 

 いや、問題は千枝だけじゃない。

 今も市内に住んでいる筈の巽完二、花村陽介……その2人もこの町を出て行ったという。

 

 陽介は「退屈だから」

 完二は「ボクを受け入れてくれる場所を求めて」

 

 そう言い残して。

 

 

 どちらも肉親からの証言だから、間違いは無いのだろう、が。

 

 

(違う…出て行ったという人達……全員が私の記憶と違う)

 

 

 周りがおかしいのか、はたまた自分の記憶がおかしいのか。

 強い違和感を感じているのにも関わらず、周りの人間はそれを否定する。

 しかし、確かめようにも本人達とは連絡が付かない。  

 

 初めは何かの冗談かとそう思っていた雪雫も、流石に焦りの感情が胸中に渦巻く。

 何かの事件か…それとも――――

 

 

「あー! 雪雫ちゃんだ!!」

 

 

 ふと、可愛らしい愛嬌のある少女の声が耳に届いた。

 釣られる様に顔を上げると、そこには人懐っこい笑顔を浮かべてこちらに駆け寄る少女の姿。

 

 

「―――菜々子」

 

「久しぶり~!」

 

 

 堂島菜々子。

 

 市内に父親と2人暮らしの…今は小学6年生か。

 雪雫とは小学1年生からの付き合いであり、歳上に囲まれていた彼女にとって、数少ない妹の様な存在。

 父と2人暮らしというのもあって、歳の割に大人びており、家事や料理も何処かの人任せ人間とは違って卒なく熟せる。

 

 

「おう、戻ってきていたのか」

 

 

 そしてそんな彼女の後ろで、休日なのかスーツでは無くラフな格好を着た、無精髭を生やした中年の男性「堂島遼太郎」。

 菜々子の父親だ。

 

 

「……また、身長伸びた?」

 

 

 出会った当初は雪雫の方が大きかった身長も、今やすっかり追い抜かされ、雪雫は既に見上げる側。

 見た目も相まって、どっちが歳上なのか、分かったもんじゃない。

 

 

「そういう雪雫ちゃんは変わらないね!」

 

「………まだ伸びる、筈…」

 

 

 「可愛い~!」と抱き着く菜々子のスキンシップを複雑な気持ちで受け止める。

 その光景を見ていた遼太郎は「もう無理だろ…」という様な表情を浮かべていた。

 

 

「悠はいつ帰ってくるの?」

 

 

 ひとしきり菜々子との再会を楽しんだ後、話題は堂島家にとって無くてはならない存在…今は東京の大学に通っている筈の青年「鳴上悠」の事へ。

 

 

「どうも大学の課題とかで忙しいらしくてなぁ…。まあ数日もしない内に来るってよ」

 

「そう…楽しみだね」

 

 

 悠が稲羽に初めて訪れたのが5年前。

 それからと言うもの千枝も雪子、りせも他の皆も。勿論、私も。その彼の存在は私達にとって大きいものになった。

 

 堂島家にとって悠の存在は、私達よりも身近で、親密で。

 彼が帰って来る。というのは誇張無しで一大イベントだろう。

 

 その証拠に、菜々子の顔にも満面の笑みが浮かんでいる。

 

 

「うん! お兄ちゃんにもう3日も会ってないからね! もう寂しくて死んじゃうよ!」

 

「――え? ……みっ、か………?」

 

「こいつ未だに兄離れ出来てなくてなぁ……。ったく」

 

 

 雪雫の疑問を余所に、堂島親子は話を続ける。

 

 

「お父さんだってお兄ちゃん居ないと晩酌がー…とか寂しがっていた癖に!」

 

「いや、それはまぁ……そうなんだが…」

 

「悠って、もうこっち帰ってきてるの?」

 

 

 そう問いかけると、菜々子と遼太郎はキョトンとした顔で首を傾げる。

 

 

「いやぁ、だから…今は大学に――」

 

「そうじゃなくて……東京から戻ってきてたの?」

 

「何言ってるの雪雫ちゃん? お兄ちゃんは4年前のゴールデンウィークからこっちに住んでるじゃん!」

 

 

 雪雫ちゃんだって、その時一緒に居たでしょ?

 

 

 菜々子の無邪気な声が、脳内に木霊した。

 

 

 

 

 

 フラフラと、覚束ない足取りで雪雫は商店街を歩む。

 四目内堂書店、りせの実家の丸久豆腐店、夏は祭りの会場となる神社、肉丼が名物のラーメン屋である愛家エトセトラエトセトラ……。

 

 変わらない街並、変わらない人々。

 しかし、必ずどこかで生じる違和感。

 

 故郷の筈なのに、まるで別世界の様な。もしくは自身が異物の様な。そんな感覚。

 まるで浦島太郎になったような気分だ。

 

 一度そう思うと、自分が何処に居るべきか、誰と一緒に過ごすべきか分からなくなってくる。

 

 この町に居ない身内と友人達とは相変わらず連絡が付かず、この街に居る知人たちも何処かおかしい。

 

 

「………はぁ」

 

 

 これはもう、何もせずに彼らが言っていた「帰って来る」日まで待つべきか。

 そんなことを考えながら当ても無く歩いていた、その時。

 

 

「ね、ねぇ! ちょっと良い?」

 

 

 ふと、肩を叩かれて雪雫はゆっくりと振り返る。

 

 

「あ…やっぱり! 雪雫だ!」

 

 

 後ろに居たのは快活な印象を受ける少女だった。

 

 身長は160cm前半で、雪雫からしたら見上げなければ顔も確認出来ない程。くりくりとした大きな目と、特徴的な赤い髪をリボンで結った、水色のシャツと白のショートパンツを身に着けた少女。

 

 

「―――すみれ?」



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52:Ghost from the past.

 

 

 

「――――すみれ?」

 

 

 ふと、雨気を含んだ風が頬を撫でる。

 

 

 すみれ……苗字は確か「芳澤」。

 随分と懐かしい名前だ、と少女は思った。

 

 少女の世界が今ほど広く無かった頃、通っていた小学校でほぼ唯一交流のあった姉妹の妹の方。

 姉妹揃って新体操に打ち込み、将来、活躍が期待される選手として中学卒業に合わせて八十稲羽を出た少女。

 

 お互いに忙しかったからか、特に連絡を取り合う事も無く、こうして顔を合わせるのも実に中学以来だ。

 

 

「―――――嫌だなぁ…。忘れちゃった? 私はかすみだよ?」

 

 

 「すみれ」と言われた少女は一瞬、狼狽える素振りを見せたが、すぐに取り直して再び人懐っこい笑みを浮かべる。

 

 

「…かすみ?」

 

 

 雪雫は「かすみ」と名乗る少女の顔をマジマジと眺める。

 

 「かすみ」と言うのは、姉妹の内、姉の方の名前だ。

 

 

(……でも…)

 

 

 自身の記憶を探る。

 

 姉妹と言っても、彼女達は同級生姉妹。認識的には双子の様なものだ。それほどに背丈も顔付きもそっくりだが、それでも見分ける特徴はあった筈だ。

 

 例えば、性格。

 姉の「かすみ」は明朗で快活で、妹の「すみれ」は物静かで大人しい。

 

 それに容姿も何処か違った筈だ。

 姉は茶髪で、妹は赤髪――――。

 

 

(……あれ?)

 

 

 ふと、思考が纏まらなくなる。

 頭に靄が掛かった様な、水面に揺れる月の様な、そんな感覚。

 

 

「私は芳澤かすみ。思い出した?」

 

「…かす、み………」

 

 

 そう、かすみ。と赤髪を揺らしながら微笑む少女。

 

 

「最後に会ってからもう半年以上経ったのかな? 久しぶりだもんね。それに私達は双子かっ!っていう位似てたし、仕方ないよ。うんうん」

 

 

 そう言って、ぎこちなくかすみと名乗る少女はぎこちない笑みを浮かべる。

 

 

「そう、だね……」

 

 

 心の奥で「違う」と警鐘を鳴らす自分が居る。

 しかしそれと同時に「そうだ」と頭は受け入れている。

 

 

(………………)

 

 

 考えれば考える程、彼女という人間が分からなくなってくる。何が本当で何が嘘か。虚構に彩られているのは彼女か私か。

 何も分からない。まるでワンダーランドに放り込まれた少女の様だ。

 

 

「そう言えば、雪雫も帰省中? 東京の学校に行ってるんだよね?」

 

 

 思考に更けていれば、ふと向けられる先程とは打って変わった屈託のない笑顔。

 

 

「……まぁ。どうして分かった?」

 

「どうしてって……。配信で言ってたし。私、結構雪雫のこと追っかけてるんだよ?」

 

 

 大会前とか曲聴いてリラックスしてるんだ。と何処か誇らしげに語る赤髪の少女。

 

 

「…そう。ありがと」

 

「お礼を言うのはこっちだよ。いつも助けられてるからさ。……今は特に、ね」

 

「………?」 

 

 

 

◇◇◇

 

 

同日 夜 

 

天城屋旅館 雪子の部屋

 

 

 

 しんしんと降り続ける雨音と流しっぱなしのテレビをBGMに、姉のベットに背中を預けてスマホに視線を送る雪雫。

 

 

「………」

 

 

 久しぶりの再会を果たした雪雫とかすみ(仮称)だったが、特筆すべきイベントは無く、暫く2人でお茶を楽しんだ後に連絡先だけ交換して解散。かすみの方は名残惜しそうな表情を浮かべていたが、雪雫がそれに気付く事は無い。

 そしてそれを埋めるかの様に始まったメッセージ上でのやり取り。それを見返しながら雪雫はポツリと呟く。

 

 

「……かすみ、か」

 

 

 かすみ。言葉としてはとてもよく馴染むが、それと同時に引っ掛かるモノもある。そんな名前。

 彼女の態度、口調、その口から紡がれる体験談や思い出話。容姿以外の全てがかすみ本人だと、そう訴えかけてくる。

 

 子どもの頃の記憶など曖昧で、雲の様に形が定まらないモノだ。だから、私の感じる違和感など、些細なものでしかない。

 ……そう思えたのなら、どんなに楽だっただろうか。 

 

 

「……はぁ」

 

 

 仮に、この違和感がただの記憶違いだとして、今日会った少女がかすみ本人だとして。その片割れのすみれは何処に居るのだろうか。

 少なくとも、私の記憶では仲睦まじい姉妹で、大抵は2人揃って行動していたが……。

 

 本人に聞こうにも、困った様な笑みを浮かべてはぐらかすだけ。まるで聞いて欲しく無い様な。

 

 

「療養…か……」

 

 

 かすみは言っていた。今回の帰省は療養の為だと。

 しかし、彼女の身体に怪我など見受けられず、歩いている時やカップを口へ運ぶ仕草…、そのほかの細かい動作を1つ1つ切り取っても違和感は感じない。つまり、療養が必要なのは身体的な部分では無く────。

 

 

「ん…」

 

 

 両手を投げ出し、視線をスマホから天井へ。依然と何一つ変わらない木目模様を迷路に見立ててなぞる。

 気休めにもならない無意味な行為。

 

 

「彼女の態度から察するに、すみれはこの街には居ない。……ううん、最悪の場合…」

 

 

 飛躍した考えだ。それ以外の可能性も沢山ある。だというのに、悪い方へ考えてしまうのは人間の悪い癖か。

 

 

「………はぁ」

 

 

 もう何度目か分からない溜息。

 故郷に帰ってきたというのに、親しい間柄の人間とは会えず、久しぶりに再会した友人もどこか違って見える。

 まるでパラレルワールドにでも放り込まれたような気分だ。

 

 

「……寝ようかな」

 

 

 瞼が段々と重くなっていくのを感じる。

 時刻は0時になるところ。普段はまだ起きている時間だが、やはり色々と疲れているんだろう。主に気疲れだが。

 

 

「……っしょ」

 

 

 たれ流していたテレビを切るため、身体を起こす。

 東京の家のテレビならば寝落ちしても良い様に自動で切れる設定にしているが、雪子の事だからそんな設定はしていないだろう。

 

 テレビでは丁度、明日の天気予報について流れていた。連日雨が続いていた八十稲羽周辺だが、明日は()()()らしい。

 それならば、明日はもう少し遠いところまで探索しても良いかもしれない。

 

 ベットの向かいの勉強机の上に置きっぱなしのリモコンへ手を伸ばし、一際目立つ赤いボタンに指を添えようとした。その時。

 

 

「……?」

 

 

 ひとりでにテレビの画面は暗転した。

 …いや、完全に消えたわけでは無い。薄っすらだがテレビからは今も特有の光が漏れだし、よく目を凝らせば今は大分ご無沙汰になった砂嵐が画面の奥に渦巻いている。

 

 

「故障…? 雪子に怒られ───」

 

 

 電源を切ろうとしても、うんともすんとも言わず、ただただ映し出される砂嵐。

 困った。私とて、電子機器にそこまで詳しくない。コンセントを抜き差ししても直らないのなら、完全にお手上げ……。

 

 

「─────誰?」

 

 

 叩けば直るだろうか。そんな蛮族思考(雪子の十八番)に傾きかけていたその時。荒いデジタルの波の中にぼんやりと人影が。

 

 

「………」

 

 

 線が細く華奢なシルエット。女性…だろうか。少なくとも女性的な印象を受ける。サイドの髪は短めだが襟足は長い様で、毛先が少し外側に跳ねている。

 

 

「………あ」

 

 

 途端、背筋に嫌な戦慄が走った。

 私はこのシルエットに、見覚えがある。

 

 

「……いや、嘘。……なんで?」

 

 

 私だけじゃない。この旅館の、当時居た人間であれば、誰もが見覚えがあるだろう。

 

 稲羽の地方テレビ局のアナウンサー()()()人。とあるスキャンダルが原因で、世間の好奇な目に晒され、それから逃げる様に天城屋旅館に逃げ込んできた客であり……。 

 5年前に起きた連続殺人事件の最初の被害者。

 

 

「──山野真由美」

 

 

 そして、私がその事件における実質的な第一の発見者である。

 

 

 

◇◇◇

 

 

8月18日 木曜日 濃霧

 

 

 

 霧が立ち込める山道を1人歩く。

 

 

(……眠い)

 

 

 視界を阻む霧の様に不透明な脳を何とか動かし歩く歩く。

 

 結局、昨日の不可解な現象については何も分からず、数分後には何事も無かった様にニュースキャスターが原稿を読み上げていた。

 原因を探ろうにもこの場にそういうのに詳しい者はおらず、周りの人間を疑おうにもその材料すらありはしない。

 

 だからこうして視界不良の中、歩き回っているのだ。

 人為的な出来事ならば何か手掛かりがある筈。無いなら無いで候補が1つ潰れるだけだ。それもまた前進と捉えられる。

 …とにかく、何もしないという選択肢が一番嫌なのだ。

 

 

「……そういえば、あの日もこんな天気だった」

 

 

 あの日、というのは言わずもがな、私が山野真由美の死体を見つけた日だ。

 確か、そう。霧が濃く、交通インフラが軒並みダウンして、仕方なく学校まで徒歩で行こうとした、あの日。雪子は旅館の手伝いに駆られ、母や他の従業員も同様。文字通り1人で歩いていた矢先、彼女を見つけたんだ。

 

 

「ぼんやりと見える電線をこうして目でなぞって。道標にして…そして───」

 

 

 旅館から歩いて15分程のところ。

 山特有の斜面も緩やかになり、まさに山と人里の合流地点とも言うべき場所。

 そこの電柱に惨たらしく───。

 

 

「………っ」

 

 

 過去の記憶と、今の景色が重なって見える。

 見つけた時の記憶では無い。寧ろその後。

 

 

「なんで、あそこに…!」

 

 

 警察が到着し、電線に引っ掛かった女性の死体を下ろす消防と、それを静かに見守る野次馬達。

 ()()()()()()ブルーシートを中心に出来た、人で形作られた円。

 

 5年前と寸分違わぬその場所に、人だかりが出来ていた。

 人の隙間から漏れ出る赤い光が、何があったかを如実に訴えてくる。

 

 自然と人だかりに駆け寄っていた。人の壁を掻き分けた。自身の目で何が起こったかを知ろうと必死だった。

 嫌な汗が頬を撫でる。

 

 

「…何で…、嘘! 有り得ない……!」

 

 

 思わず声が漏れ出ていた。普段の自分からは考えられない位、ハッキリと大きな声。

 喉が干上がった様な感覚に陥り、四肢から力が抜けていく感覚を覚えた。

 

 間違いない。私が見間違える筈が無い。

 

 今まさに救急車に運ばれている人間は──。ブルーシートの隙間から見える横顔は、間違いなく──。

 

 

「…堂島さん……!」

 

 

 気付けば制止を振り切って黄色いテープの向こう側に踏み入れていた。

 力の無い足を何とか運び、この場に居る人間の誰よりも信頼できる人物の名前を呼ぶ。

 

 

「…あ? ──なっ、お前………! 入って来るかぁ!? 普通よ!?」

 

 

 私の顔を見るや否や、困惑と怒りが入り混じった様な顔と声を上げる堂島さん。

 非常識な行動とは頭では理解しているが、今はそういう状況ではない。

 

 

「あのな…! 見りゃわかるだろうけどよ、今は関係者以外は──!!」

 

「……今運ばれたのって、山野真由美? 地元局のアナウンサーで、天城屋旅館(うち)に泊まっていた…!?」

 

 

 何時に無く食い気味な雪雫の姿勢に面を喰らった様で、少し戸惑いを見せる堂島。最初は大人としての矜持か、刑事としての責任か、雪雫を追い返そうとしようとしていたが、次第に納得したように溜息を零し始めた。

 

 

「……あぁ…。そういや、お前も旅館の人間だったな……。ならまぁ…一応、関係者ってことか………?」

 

「山野真由美で間違い無いの? 身分証は? 血液型は? 歯の治療痕は…!?」

 

「あー! うるせぇうるせぇ! 一度に聞くなっての! 身分証は確認済み。本人で間違いない。他はこれから調べることだ。今は分からん」

 

「別人って可能性は?」

 

「んなドラマみたいなことあるか。…まぁ無いとは言いきれないけどよ。逆に聞くけどよ、どうしてそんなに気になる? 探偵王子にでも触発されたか?」

 

 

 堂島さんの態度に違和感を覚える。

 確かに常に堂々として冷静な刑事だったが、人が1人死んだというのにあまりにも平常運転過ぎる。

 

 

「どうしてって……、だって…山野真由美…ですよ……!?」

 

「ああ、そうだな」

 

「これがもし本当に本人だとしたら、彼女は2回死んだことになる……。こんなの、有り得ない。おかしい」

 

「ああ…。そのことか」

 

 

 やれやれと言った様子で首を振り、頭を乱暴に掻き始める堂島。

 そんな彼から紡がれた言葉に、雪雫の瞳は大きく揺れ動く。

 

 

「あのな、離れていたお前は忘れたかもしれないが…。雨が止んだ翌日…、つまり霧が深い朝に死体があがるのはここでは自然な事だろ」

 

「─────は?」

 

「そして死体は決まって同じ人物。正確に言えば、3人でローテンション。次は小西早紀、その次の諸岡金四郎で一周。そしてまた山野真由美で始まる。例外は今のところ無いな。今回で山野真由美は3回目だ」

 

 

 やけにこなれた雰囲気の堂島。

 いや、長年刑事をやっていればそういう事もあるだろうが、彼の態度は現場に慣れたというよりは、今回の事件そのものに慣れてしまっている様だ。

 

 

「─────何を言って──」

 

「……ったく! 誰がこんなふざけた事…縺薙%縺ッ菴輔°縺後♀縺九@縺」

 

 

 今、何と言ったのだろう。

 先程のこなれた雰囲気とは一変、僅かに怒りと苛立ちをあらわにしたと思えば、今度は日本語どころか人間の言葉すら怪しい言語。

 訝し気な視線で彼を見つめれば、またその表情はあっけらかんとした表情に。

 

 怖い。

 この光景に。気づけばあれだけ居た人だかりもまばらになっていた。まるで、町全体がこの光景が風景だと言わんばかりに。

 

 一歩、思わず足が後退する。心臓が鳴りやまず、先程から額には嫌な汗が浮かぶ。

 まるで蛇に睨まれたカエルの気分。

 そしてそんな私の前に、コツコツと靴を鳴らしながら現れた蛇の様な男。

 

 

「─────っ」

 

 

 今度こそ息が上がった。

 心臓が止まってしまったんじゃないか。そんな錯覚にすら陥った。

 

 

「も~、堂島さんったらぁ…。現場は放ってJKと楽しく歓談ですかぁ? 菜々子ちゃんに幻滅されますよ?」

 

「足立」

 

「──なんで」

 

 

 よれよれのスーツ。だらんとした四肢。寝癖を直さないまま来たのであろうボサボサな髪。

 

 当時、小学生だった私だって知っている。

 片田舎で起きた凄惨な事件の担当刑事の1人であり──犯人。

 その名は

 

 

「足立…透……」

 

 

 彼は飄々とした態度で堂島の肩を叩く。

 その光景はまるで、過去の光景を見ている様。

 

 

「そりゃね。雪雫ちゃんは可愛いですよ? 歌だって上手いし? 今やりせちーと並ぶ人気者! いやぁ凄い凄い!! でも、だからといって、可愛い部下に事件の処理を丸投げって………。いくら何時もの事と言っても酷いですよ。……ねぇ、雪雫チャン?」

 

「…………。」

 

「お前相変わらずお喋りだよな…。死体見ても吐かなくなったと思えばこれだ……」

 

「ムードメーカーと言ってくださいよぉ」

 

 

 正直、彼のことはよく知らない。

 個人的な関りを強いてあげるとするならば、取り調べの時くらいだ。その時は慣れない私に気を使ってくれたのを良く憶えている。しかし、それだけ。事件の犯人でした、と後から聞いても「そうなんだ」くらいの感想しか浮かばなかった。

 しかし、今は彼が怖い。そう思う様な関りも無い、彼の人柄もよく知らない。だというのに、怖いのだ。

 

 

「何時までも道草食ってちゃ、またどやされるな。戻るぞ」

 

「はぁい」

 

 

 結局、堂島さんのさっきの言動も態度も。何一つ収穫は無いまま、彼はこの場を後にする。

 それを追う様に私の前を遮る、もう1人のここに居る筈の無い人物「足立透」。彼は去り際に、困惑する私の肩を叩き耳元で囁いた。

 

 

「君みたいなガキがいくら騒いでも潰されるだけ。口を開かない方が賢明。これ、処世術ね」

 

 

 やはりこの町は何かがおかしい。




A.第一発見者って小西先輩じゃないの?

Q.死体を見つけて放心状態の雪雫の代わりに通報したのがパイセン。
 当時小学生の雪雫より正確な証言取れそう&そこまで2人の間に時間差無いから第一発見者としてパイセンが抜擢されたっていう妄想。
 だから雪雫も実質的なって言及してるネ!


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53:Paradise Lost.

 

 

 足取りが酷く重い。まるで足枷を嵌められた奴隷の様だ。

 

 

「…………」

 

 

 約半年ぶりの故郷。私が生まれ育った地。

 心の何処かで、楽しみにしていた自分も居たのだろう。

 しかし、蓋を開けてみればどうだ?

 

 実姉、友人達には会えず。たまたま会った顔見知りも何かがおかしい。

 ……いや、それが今のこの町の普通ならば、きっとおかしいのは私なのだろう。

 

 そう自覚した途端、何かに捕らえられた様に足が進まなくなった。

 

 

「……これから、どうしよう」

 

 

 『君みたいなガキがいくら騒いでも潰されるだけ』

 

 

 足立透の形をした誰かの声が頭の中でリフレインする。

 

 ……そもそも、彼は誰だ?

 見た目、声、仕草。

 五感で得られる情報の全てが足立透だと指し示している。

 

 しかし、彼は何処まで行っても殺人鬼だ。

 実際に過去にそれが警察の手によって立証されている。そんな人物が何事も無かったかの様に外に。そしてそれを気に留める人すら存在しない。

 

 

「…………」

 

 

 胸に蠢く不安と焦燥。込み上げる不快感。

 おかしい。おかしい。おかしい。おかしいのはこの世界だ。それとも私がおかしい?

 

 

「……うっ………」

 

 

 とうとう自身の足で立つ事すら叶わず、その場に力無くしゃがみ込む。

 ここが東京じゃなくて良かった。あそこでこんな事をすれば、奇異な視線に晒されるだけでなく、何人かは声を掛けてくるだろう。

 

 やめて、放っておいて。

 

 人間、疎外感を感じるとストレスを抱いたり、焦燥に駆られたりするらしい。

 私には無縁と思っていたが、場所が故郷というのもあってかそうでも無い様で。

 

 

(……いや、もしくは)

 

 

 りせが居ないからかもしれない。

 帰ってきてからというもの、彼女との連絡が取れた試しがない。まるで世界から切り離された様だ。

 

 もう考えるのを止めてしまおうか。

 そう思いながら、静かに目を閉じていると、ふと耳に軽やかな足音と息を切らした少女の声が耳に届いた。

 ……どうやら、こちらに向かっているらしい。ああ、億劫だ。

 

 足音はどんどんと大きくなり、そして私の前で止まった。

 

 

「放っておい──」

 

 

 私が声を絞り出したと同時に、私の頬に温かい手が添えられる。

 線が細く、柔らかい。少女の手だ。

 

 

「───んっ」

 

 

 途端、添えられた時の優しい手付きとは真逆の、些か乱暴な勢いで顔を挙げられる。

 

 

「なんて酷い顔!」

 

 

 赤髪の少女は開口一番、私にそう言い放った。  

 

 

 

 

 

「……なるほどぉ…。自分が知っている八十稲羽と今の八十稲羽が少し違う…と。ギャップってやつだね」

 

「…まぁ、簡単に言えば」

 

 

 赤髪の少女、かすみと白髪の少女、雪雫は閑散とした商店街を進む。

 かすみの血色の良い肌とは対照的に、雪雫の肌は元の白さに加えて目元に僅かな隈が出来ていて、より弱々しい印象を受ける。

 

 

「久しぶりに会った親戚のお兄ちゃんが、今まで彼女すら居なかったのに、急に結婚してて、それが周りは全員知ってたのに私だけ知らされてなくて疎外感!みたいな?」

 

「いや、それは少し違う……。そんな事あったの?」

 

 

 雪雫に気を使ってか、努めて明るい雰囲気のかすみは、彼女を誘導する様に小さな手を引いて先頭を歩く。

 彼女曰く、紹介したい人が居るとか。

 

 

「でも少し安心した。雪雫にもそう感じる事、あるんだなーって。あんな顔、プールの授業の時と給食にプルーンが出た時くらいしか見た事なかったからさ」

 

「にもって事は…かすみにも?」

 

「今回じゃなくて前に帰って来た時に感じたかなー。愛家の肉丼がいつの間にか名物になってる!?って! 今回は寧ろ、昔に戻ったみたいだなって思ったよ」

 

「昔?」

 

 

 小首を傾げて疑問の視線を送れば、かすみは「そう、昔」と頷く。

 

 

「雨は多いは霧は出るわ。警察も忙しなく働いてるわ。それにマヨナカテレビも映るわ……」

 

「マヨナカ…、テレビ……?」

 

 

 キョトンとした顔で再び傾げれば、かすみは驚きの色を浮かべた後、得心が言った様に徐々にその表情を戻す。

 

 

「───あ、そっかぁ。雪雫は知らないくて当然か…。雪子さんの情報統制凄かったし……。うーん、流石にもう時効かな? ええっとね、マヨナカテレビっていうのは…5年前に」

 

 

 そして雪雫は初めて耳にする。

 八十稲羽の人間なら誰しもが知っているであろう怪異現象。

 

 雨の日の0時丁度にテレビに映し出される謎の映像。その時の内容はまちまちであり、ただの人影の時もあればバラエティ番組を模した何かの時も。

 少なくとも、当時の八十稲羽にとっての周知の事実であり、常識だったと。

 結局、それが何だったのか分からないまま、その現象は収まったらしいが。

 

 

「いやぁ、実は今でも身構えちゃうんだよね。夜中の0時。何か映るんじゃないかなって」

 

「……つまり、それほど()()()()()()()だった…」

 

「そういうこと」

 

 

 そうこうしている内に、目的の場所に着いたようでかすみの足が止まる。

 

 

「先生居るかな…」

 

 

 目の前に聳え立つ古びた一軒家。

 場所は商店街から少し外れた住宅街の一角。

 

 

「……ここって空き家の筈じゃ…」

 

 

 雪雫の記憶では、目の前の一軒家は近所で有名なボロ屋敷。

 リフォームしようにも取り壊すにもお金がかかるらしく、放置されていたが……。

 

 

「あー、今はね。民泊用に貸し出されてるらしいよ? いやぁ、ボロ屋敷も使いようだよねぇ」

 

「……そう」

 

 

 まさか八十稲羽にもそういうのがあったとは。

 あまり流行ると実家の旅館の商売にも影響が出そうだが……。

 

 

「…………」

 

 

 まぁ、これだけボロボロなら大丈夫か。

 

 

「あー、先生今起きたって! 身支度する時間をくれ、だってさ」

 

「……ねぇ、今から会う先生って?」

 

「んー? 私のメンタルコーチ…ってところかな」

 

 

 

 

 

「いやー、すまないね…。はは……。芳澤さん、何時も急だから…」

 

「…いえ……」

 

 

 例のボロ屋敷の一階。

 外の外見とは裏腹に、中はリフォームされていた様で存外綺麗だ。

 清潔感のある白いテーブルクロスと、鼻腔を擽るアロマの香りは目の前に人物の趣向だろうか。

 

 

「飲み物は…りんごジュースで良いかい? お菓子もたくさんある。君は沢山食べると聞いているからね、好きなだけ食べると良い」

 

 

 白衣を纏った黒縁メガネの男性。

 髪は生来の癖もあってかボサボサ、無精髭も生えっぱなし。何処か頼り無さげな印象を受けると同時に、安心感も覚える。そんな不思議な雰囲気。

 

 丸喜拓人…と言ったか。

 第一印象は眉唾物だったが、案外メンタルコーチというのも嘘では無いらしい。

 

 

「いや、ここは良い街だね。芳澤さんから話は聞いていたけど、人も温かいし食べ物も美味しい。惣菜大学?っといったかな。あそこのビフテキなんて毎日食べてるよ」

 

「……どうも」

 

「あ、天城屋旅館にもお邪魔したよ! 広くて良い温泉だった…。ちょっとお金が無くて泊まれなかったけど…。…あ、もしかして雪雫ちゃんは毎日入り放題だったり?」

 

「……実家に居る時は…、まぁ」

 

 

 なるほど。彼は正しくカウンセラーだ、と雪雫は思った。

 変な緊張感を持たせない様、当たり障りのない話から切り込み、隙あらば質問を投げ掛ける。私が口数少ない事も、今の問答で見抜いた事だろう。

 

 

「…そう、固くなることは無いさ。無理に話そうとする必要は無い…。少しでも楽しんでくれれば僕はそれで十分さ…。ね?」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 彼と出会ってから30分ほどが経過した。

 

 八十稲羽市の事、丸喜自身の事、私自身の事…。

 極一般的な世間話を交えた後、話は段々と本題へシフトしていった。内容は勿論、私が抱いている周りとのズレについて。

 

 

「……なるほどね。ズレ、かぁ……」

 

 

 黙り込む丸喜を余所に、りんごジュースを口へと運ぶ。

 疲れた身体に染み渡る糖分。悪くない。

 

 

「…君、無理に強くあろうとしていないかい?」

 

「…強く……?」

 

「周りとの齟齬、違和感。それは人である以上、誰もが少なからず感じている事だ。問題はそれと向き合うか、それとも受け入れるか、という事。話を聞く限り、君はその違和感に真正面から向き合おうとしている、それも、自身が納得するまで」

 

「それの何が悪い?」

 

「悪いとは言わないさ。そういう向き合い方もある。しかし、それ以外の道もある。大事なのは自分にとって楽な方に進むこと」

 

「…………」

 

「あまり、こう言う大人は居ないだろうね…。でも僕の持論はこうだ。逃げても良い。全てを自身で解決する必要は無いんだ。救世主(ネオ)の到着を待ってもいいと思うんだ」

 

 

 つまり、達観しろ。という事か。

 自身で出来ない事は諦め、身の丈にあった選択を取る……。

 本人は否定していたが、これも1つの大人の在り方だろう。

 

 

「…そんな、映画じゃあるまいし……」

 

「お、君ってもしかして映画好きだったりするかな? 良いよね、マトリックス! いやぁ僕も結構映画好きでね、よく例え話に持ち出したりするんだけど…これが中々伝わらなくて……。 ──ごめん、話が逸れたね」

 

「……現実は創作物じゃない。助けが欲しい時に、助けが来るなんて都合の良い事……。だから私は──」

 

「それは強者、力有る者の意見だよ。…君の育った環境に、もしかしたらそういう人が多かったのかな? でもその実、その数はほんの一握り。──事実は小説より奇なり。という言葉があるだろう? 現実が自分の認知を飛び越える事だってある」

 

「………自分の、認知…」

 

「大丈夫、君が思うよりも世界は歪に出来ていないさ」

 

 

 

 

 

 結局あの後、丸喜は持論を続けたが、それをこちらに押し付ける事は一切しなかった。

 あくまでも個人的な意見であり、主観に基づいたもの。というスタンスを崩すことは無かった。

 

 その姿勢がかえって、私の思想をそっちへ誘導するのだから、狙ってやっているとしているのなら、彼は詐欺師に向いていると思う。

 

 

「救世主の到着…か」

 

 

 確かに誰しもがネオに慣れる訳が無い。

 救世主がたまたま彼だったのでは無くて、彼だから救世主となったのだ。

 

 現実が自身の想像を…認知を飛び越える。……確かにその日を待つ方が今の私にとっての最善策──。

 

 

「………認知?」

 

 

 認知。

 人にとっての、または一個人にとっての当たり前な世界。常識。

 その内面を表した、認知世界。イセカイ。

 

 

「……八十稲羽の人達にとっての当たり前って?」

 

 

 思考を巡らす。

 かすみは言っていた。5年前に戻ったみたいだと。

 

 5年前の「当たり前」。

 まずは連続殺人事件。これが5年前の大きな出来事。

 3人の電線に吊るされた被害者。…足立透。

 

 

(違う。もっと周知の、誰もが知って居る普遍的な現象…)

 

 

 例えば天気。

 雨、濃霧。

 

 

(雨……? マヨナカテレビ?)

 

 

 怪異と聞いたが、実際にテレビ番組を模しているなら、何処で撮られている?

 いや、その実態はどうでもいい。その番組を見た人間は、どう思う?

 

 映像として、実際にテレビに映る以上、テレビという媒体を介する以上、何処かに撮影場所があると考えるだろう。

 つまり、マヨナカテレビが当たり前ならば…。

 

 個人の認知の具現化がパレス、大衆の認知の表れがメメントス。

 

 

(試す価値はある……か?)

 

 

 マヨナカテレビは八十稲羽だけの怪異だったという。

 つまり、その有り得ない事象を日常と捉えていたのはこの町の人間達。

 

 

「………」

 

 

 スマホを取り出し、帰省中は使う事が無いだろうと思っていたアプリを取り出す。

 これと付き合ってまだ数か月だが、もう見慣れてしまった画面。

 

 

「場所は…この市内全域……? なら入力は要らない、かな……。キーワードは………マヨナカテレビ?」

 

 

 我ながら突飛な発想だとは思う。

 モルガナが言っていたじゃないか。メメントスが大衆の認知…、つまり集合無意識だと。既にメメントスがある以上、この町だけが別の括りにある訳が──。

 

 

『候補が見つかりました』

 

「………!!」

 

 

 誰しもが救世主になれる訳では無い。それはそうだろう。きっと慣れる人は初めから決まっていて、それは多分私では無い。

 手が届かない高み。私には眩しすぎる存在。

 

 でも、だからこそ。

 それの真似事をしたくなるんだ。



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54:What the instrument indicates.

 

 

 何時もの浮遊感、不思議な高揚感。

 それらが終わり、目を開ければ瞳に突き刺さる眩しい程のスポットライト。

 

 

「眩しい…」

 

 

 だだっ広い空間。

 天井まで伸びる中央のポール。

 それを取り囲む様に並んだ赤いソファ。

 

 何処かの劇場だろうか?

 

 

「…………」

 

 

 変な所から入ってしまった様で、いきなり訳の分からない所へ放り出されてしまったみたいだ。

 

 

「人の気配…無い。シャドウも居なそう」

 

 

 溜息を吐きつつ、先程よりも軽やかになった足取りでステージを横断する。

 コツコツとヒールが地面を叩く音が耳を擽る。

 

 

「……ん、服が…」

 

 

 頭に乗っかる帽子。私には大き過ぎる黒いコート。それと仕込み鎌。怪盗服…仕事着と言ってもいいだろう。

 着慣れ過ぎて気付くのに遅れたが…つまりそういう事だろう。

 

 

「……警戒されている。やっぱりイセカイ」

 

 

 一先ず欲しいのは情報だ。右も左も分からないこの場において、何よりも欲しい情報。

 ざっとこの空間を見渡しても、ここが劇場を模したものという情報以外は得るモノが無さそうだ。

 

 

「………鬼が出るか蛇が出るか…」

 

 

 ゆっくりと着実に、周りの警戒を怠らない様。足をこの劇場の出口へと運ぶ。

 メメントスとは違い、複数の何かに見られている様な感覚を受けながら、重い扉に手を掛けた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「特出し劇場丸九座……?」

 

 

 劇場を出て暫く、オフィスビルの様な内観の白い廊下を進んでいた所、たまたま見つけたフロアマップ。

 やはり先程の空間は劇場だったのだろう。どんな劇場かは分からないが。

 

 それにしても丸九……か。

 頭に浮かぶのはりせの実家。たまたまか、それとも…。

 

 

「……他には秘密結社改造ラボ……熱気立つ大浴場? それと…」

 

 

 劇場と同じくらい大きい複数の空間にそれぞれ割り振られた名前。

 

 

「雪子姫の城……?」

 

 

 気になる。ものすごく気になる。

 イセカイで見つける肉親の名前。気にしないというのが無理な話だ。

 直球。あまりにも直球過ぎる。

 そうしたら丸九というのは、やはりりせを指すのかもしれない。

 

 

「……八十稲羽になぞって…。いや、行方不明者?」

 

 

 正直ラボや浴場は良く分からないが、後の2つが特定の人物を示しているのなら…。

 

 

「あの時の行方不明者はイセカイに放り込まれていた……ということに…」

 

 

 りせも雪子も互いに1週間ほど連絡が付かず、捜索願いを出された経緯を持っている。それも丁度5年前だ。

 

 

「………いや、今はいい」

 

 

 過去の事件の背景を知った所で、それはあくまでも過去のものでしかない。今回の異変に関連しているのかすら不鮮明だ。

 調べる価値が無い、という事では無い。単純に優先度の話だ。

 

 

「…入口を探そう」

 

 

 順をなぞらえるのならばまずは入口。そして潜入ルートの確保。

 今回はたまたま無事だったが、潜入した途端、シャドウのど真ん中など冗談でも笑えない。

 

 イセカイナビで入れた以上、構造はパレスやメメントスと似通っていると考えれる。つまり何処かに最深部がある筈だ。

 つまり今の目的は潜入口の確保とそこの安全性の確認。当面の最終目標はこの世界の核を探す事。

 

 

「…………取り敢えず、下に降りよう…」

 

 

 どういう構造になっているかは不明だが、どうやらここは建物でいう所の3Fに位置するらしい。現実世界の常識に当て嵌めるならば、下に降りれば入口があるだろう。

 ……何処までこの考えが通用するかは分からないけど。

 

 

「……落ち着かないな…」

 

 

 相も変わらず敵意の無い視線に晒されながら、雪雫は下の階へ降りて行った。

 

 

 

 

 

 

 現実世界と異世界の境界面の揺らぎを確認。

 規定に基づき、迅速に対処するであります。

 

 

「──ったく! あんの寝坊助!!」

 

 

 先に飛び出していった彼女の言葉を思い返し、悪態を吐く銀髪の少女。

 

 

「クマ!! 入ってきた反応っちゅうんは間違いおらへんのやな!?」

 

「ま、間違い無いクマ~! 反応はとてもタイニーだけども…。今もあのコの反応をビビッと受信中クマ!」

 

 

 一つに纏めた銀髪を揺らしながら、件の反応を示す場所へ駆ける少女と、クマと呼ばれたテーマパークのマスコットキャラの様な風貌の生き物。

 

 

「アイチャン、もうすぐ目的地に着いちゃうクマっ! えぇ…、ちょっとスピーディ過ぎない??」

 

「リミッターを無理矢理外して、アホみたいに出力が上がる機能があるからなぁ……」

 

「そ、そんなの…、生身の彼女に向けられたら───」

 

「だからこうして急いでんねん! 早まるんやないで…、──アイギス」

 

 

 

 

 

 

同時刻

 

 

「マヨナカ…テレビ局……?」

 

 

 雪子姫の城に後ろ髪引かれつつも、無事に辿り着いた1階にあたるであろうだだっ広いエントランス。

 その中央のカウンターに五月蠅いくらいに主張する「マヨナカテレビ局」の文字。

 

 

「ここが撮影場所…? ならさっきの劇場とかお城はスタジオ…」

 

 

 それならばあの眩しいスポットライトも、敵意の無い視線もある程度は納得がいく。

 

 

「全体の構造は……。ここでは全部分からない、か」

 

 

 そこは何時も通りと言えば何時も通り。いや、ここは個人のパレスでは無く、恐らくではあるが大衆の意識が混じり合った世界。メメントスに当て嵌めるのであれば、毎日構造は変わる筈。

 まぁいずれにせよ、結局は自分の足で調べる必要があるという事。

 

 

(シャドウの気配は依然感じない……。探索を続けるべきか、それとも───)

 

 

 ふと、足音が耳に届いた。

 シャドウでは無い。しかし、かといって人でも無い。そんな気配。

 

 音の間隔は短い。軽快なテンポの半面、その音は重い。

 まるで映画に出てくるアンドロイドそのものだ。

 

 

「オルギアモードに移行。対象、迅速にギッタンギッタンにするであります」

 

「っ!!」

 

 

 ふと、足音が聞こえなくなったと思えば、今度は頭上から無機質な声。

 明確な敵意を感じた雪雫は、即座に後退。

 

 十分に距離を取り、先程まで自身が居た場所に視線を送れば、テレビ局のカウンターは見るも無残な瓦礫へと変貌し、床にはクレーターが出来ていた。

 

 

「……対象、未だに健在。存外に軽快…」

 

「───誰?」

 

 

 土煙が漂う爆心地に目を凝らせば、ゆらりと立ち上がる人型の何か。

 シルエットは女性を思わせる細さと丸みを帯びているが───。

 

 

「対シャドウ特別制圧兵装七式。個体名アイギス。スリープされた後、再調整され機体性能がアップデートされた、実質的な最新型であり、ハイカラな機体であります」

 

 

 白い服に身を包んだ金髪の少女。

 顔は西洋人形の様に精巧で、全体的に可憐な印象を受ける。

 ……その所々に見られる機械的な要素を除けば、だが。

 

 

「………あの時の」

 

 

 八十稲羽に帰って来たまさにその日。タクシーの窓越しにふと見かけた2人の少女。その片方。

 

 

「というか…、対シャドウ……? ハイカラ………?」

 

 

 僅かに驚きの色を浮かべている雪雫を余所に、機械の乙女は淡々と告げる。

 

 

「マニュアルに基づき、イレギュラーである貴女を掃討…もしくは捕縛する必要がありと判断。…つまり、悪く思うな、であります」

 

「っ!!」

 

 

 瞬間、驚異的な速度でアイギスと名乗る少女が迫る。ジョーカーと同等か、もしくはそれ以上の。

 雪雫の顔を目掛けて突き出された手刀。常人であれば反応出来なかったであろう。

 しかし、相手は怪盗団きっての切り込み隊長。とっさに構えた大鎌の柄でその鋼鉄の手を受け止める。

 

 

「……正直、驚きを隠せないであります」

 

「それはどうも……」

 

 

 構図的には良く見る光景。鍔迫り合いというやつだ。

 …お互いの得物が些かイロモノ過ぎるが。

 

 

(……重い。分が悪い)

 

 

 自身を機体と称した通り、その見た目とは裏腹に一撃は重く、その感触は堅い。

 いくら自身のペルソナ能力で身体能力を強化しているとは言え、そもそも生身である雪雫との違いは明らか。

 

 

(真正面からぶつかるのは当然不利。なら)

 

 

 お互いの力が真正面からぶつかるこそ出来るこの構図。

 だからこそ取れる手段。

 

 

「おや…」

 

 

 ふと、雪雫は力を抜いた。

 手刀を受け止めていた柄を片手に持ち替え、支えを失った凶器は空を切る。

 

 力が空回る形となったアイギスは呑気な声を上げながら、その身体のバランスを崩す。

 そして位置が低くなった彼女の顔に目掛けて打ち込まれる靴裏。雪雫の回し蹴りだ。

 

 

「なるほど。対象の認識を改める必要がある、であります」

 

「……痛い」

 

 

 勢い良く蹴り飛ばされながらも、何とも無い様な態度のアイギスと、足をブラブラとさせながら呟く雪雫。

 まぁ、鉄の塊を蹴った様なモノなのだから無理も無い。

 

 

「今の攻防から推測するに、対象は近距離戦闘に対して豊富にデータがある様子。ならば適切に対処します、であります」

 

 

 ガシャンと冷たい音がしたと思えば、雪雫に向けられる無数の銃口。

 指先、頭の上のカチューシャ、そして背中ら伸びるガトリング。

 

 

「……物騒」

 

「外部装備へアクセス…。クリア。動作、問題無し」

 

 

 少女の可憐な声とは裏腹に、けたたましく唸る銃身。

 

 

「フルバースト」

 

「──めんどくさい」

 

 

 白髪の少女は、心底めんどくさそうに目を細めた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 一定だったアイギスの表情が、驚愕に染まる。

 

 

「……そんな、有り得ない…であります」

 

 

 正直、やり過ぎだとは思っていた。

 いくら目の前の少女の実力が未知数であったとしても、オルギアモードに加えて、外部兵装まで持ち出したのだ。

 掃討、までは行かなくとも、戦闘不能くらいには持ち込めるだろうと。

 しかし、その少女はさらにその上を行く。

 

 

(当てる所か、翳めることすら出来ないなんて…!)

 

 

 白い髪を揺らしながら、少女は避ける。踊る様な足取りで。時折その大鎌で弾を弾きながら。

 

 アイギスの腕が悪いわけでは無い。寧ろその逆。その照準は正確無比であり、そしてそれは今の状態においてはさらに磨きがかかっている。

 しかし、雪雫はそれをモノともしない。

 

 最小限の動きで、ギリギリ掠めない程度の距離感で、凶弾を避ける。対処仕切れない弾は、得物でシャットアウト。

 ハッキリ言って、異常だ。 

 

 

(この少女は…一体!?)

 

 

 探る。探る。

 自身に保存されたデータを。しかし、目の前の少女に該当しそうなモノは見当たらない。

 

 

「──貴女は何なんですか!?」

 

「……?」

 

 

 銃弾の雨が止んだと思えば、次に雪雫に向けられたのは純粋な疑問。

 

 

「今回の首謀者は……。貴女の様な新型まで…!?」

 

「新型? …いや、確かに機械って言われたことはある…けど……。え?」

 

 

 何かの冗談か。それともこちらを油断させるためのハッタリか。

 あまりにも唐突な言葉に、雪雫の思考がそちらに絡めとられる。

 

 

「攻防の能力を削ぎ落し、驚異的なスピードと柔軟性に特化させた新型と判断。対応力では勝てない。ならば、力で押し潰す、であります」

 

「何を言って──」

 

「ペルソナ、レイズアップ。アテナ!」

 

「っ!!」

 

 

 声と共に、彼女から漏れだす力の奔流。眩い光。そして背後に現れた槍と盾を携えた女神。

 

 

「ペルソナっ!?」

 

「対象、ロック。お願いアテナ!」

 

 

 驚愕に染まる雪雫を余所に、無慈悲に迫る炎を纏った矛。

 受ければ必死。避けても大ダメージは免れない。それもその筈。相手はペルソナなのだから。

 力で押し潰す。良く言ったものだ。

 

 

「っ。ジャンヌ・ダルク!!」

 

 

 右も左も分からないイセカイで、唯一遭遇した何か知ってそうな人物。

 話し合いの余地があるかもしれない。一縷の望みに掛けて温存していたが、そうも言ってられない状況になってしまった。

 

 

「っ! ペルソナ能力……! やはり!!」

 

「受け止めて!」

 

 

 敵を殲滅する為の矛と、守る為の盾。

 互いの力が衝突しようとした、その時。

 

 

「そこまでや!!」

 

「スト―ップ! ストップクマ~! セツチャンもアイチャンも、ストッププリーズ!!」

 

 

 凛とした少女の声と、気の抜けた声が2人の耳に届く。

 

 

「───姉さん」

 

「───クマ?」

 

 

 少しでも遅ければ手遅れだっただろう。

 先程までの緊迫感と打って変わり、2人の少女の間の抜けた声が響いた。



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55:Shake hands.

 

 

Oui(ウィ)

 

 

 閉じていた目をパチリと開き、目の前の銀髪の少女を見つめながら、金髪の少女は声を漏らす。

 そんな彼女を見て、やや呆れ気味に溜息を吐く銀髪の少女。

 

 

「ほれ、これで分かったやろ? この嬢ちゃんは敵やないって」

 

Ja(ヤー). si(スィ). (シー)。 はい。データ確認しました。天城雪雫。2001年2月28日生まれ。15歳。シャドウワーカー登録済みのペルソナ使い。使用ペルソナはアリス。登録日は──……なるほどなー。…。───データの提供感謝であります。姉さん」

 

「……言語能力の方は帰ったら調整し直しやな…………」

 

「ノン、これで十分。十二分に、滞りなく、作戦の遂行には問題ありません」

 

「いや、こっちがめっさ聞き取り辛いねん」

 

 

 姉さん。と呼ばれた銀髪の少女が「データを同期する」と言ってからほんの数分。電池が切れた様に沈黙していた金髪の少女は、目覚めたと思った途端、淡々と語ったのは雪雫のパーソナルデータの一部。

 見た目だけは可憐な少女の姿をしている2人だが、本人達が言う様に、人工的に造られた存在…アンドロイドというのは間違い無いのだろう。

 

 

「いやぁ堪忍なぁ。この子、この間起きたばっかりでな。中途半端なまま来てしもたもんだから……」

 

「はぁ……」

 

「最低限の事はインストールしたんやけどな? 何分、嬢ちゃんに境遇が特殊過ぎるさかい」

 

「………特殊…? 私──「ラビちゃん! ストーップクマ!!」

 

 

 自身の常識とはかけ離れている2人の存在に、若干頭の中に宇宙が広がっていた雪雫。今一状況が呑み込めない中、意味深な少女の物言いに聞き返すが、その様子を横で見ていたクマが割って入る。

 

 

何やクマ?

 

セツちゃんはあの時の事を憶えて無いクマ! ここで教えちゃったりしたらぁ………。あ、あとが怖いクマよぉ…

 

 

 ヒソヒソと。首を傾げる雪雫に背を向けて、話し込む2人。

 流石の雪雫も明らかに不自然な様子に怪訝そうに眉を顰める。

 

 

「……あの…」

 

 何か隠しています。そんな様子がヒシヒシと伝わる中、その真相を暴こうと、縮こまる二つの背中に向かって一歩踏み出した。その時。

 

 

「……………」

 

 

 雪雫の目の前に割って入る金髪の少女。

 その青い瞳は、真っ直ぐ雪雫に注がれている。

 

 いくら少女の形を模していようと、相手は女子高校生の平均身長を大きく下回る雪雫。

 美人の真顔は怖いと良く言うが、こうして上から見下ろされるのは中々の威圧感であり、雪雫も少し居心地悪そうに身じろぐ。

 

 

「……えっと…何か?」

 

 

 永遠にも感じる一瞬の沈黙を破り、慎重に口を開いた雪雫に対して差し出されたの少女の手。前腕部の金属部分が異彩を放っている。

 

 

 

「対シャドウ特別制圧兵装七式。アイギス、とお呼びください」

 

「……?」

 

「改めての自己紹介です。先程の状況では、お互いそれどころでは無かったので」

 

「……はぁ…」

 

 

 そう言う彼女を、雪雫は改めて観察する。

 青い瞳は真っ直ぐこちらに注がれ、その佇まいは正に人間そのもの。表情は変わらず無表情ではあるが、どうやら敵意は無い様に感じられる。

 ……最も、アンドロイドに敵意というものが存在するかは微妙ではあるが。

 

 

「さぁ、貴女も手を。シェイクハンド、しましょう。仲直りの……いえ、この表現は適切では無いですね。──協力関係を築くにあたって、必要な儀式であります」

 

「…協力?」

 

「此度の事象の早期解決の為には、貴女の力が必要だ、ということです」

 

「…………お互い、知ってることを共有しましょう。話はそれから」

 

 

 

 

「対シャドウ特別制圧兵装五式……?」

 

「せや! 名前はラビリス。まぁ、名前の通りアイギスの旧世代機……人間で言う所のお姉ちゃんや」

 

 

 雪雫、アイギス。それと先程まで内緒話をしていたクマと銀髪の少女を加えた4人。

 場所はテレビ局のエントランスから変わって、ブラウン管テレビが積み上げられたオブジェが中央に位置する空間へ。

 聞けば、ここはこの世界における安全地帯とか。

 

 

「はい。人類にとっての脅威「シャドウ」に対する対抗手段……。つまりはシャドウの殲滅を目的に製造されたペルソナを宿したアンドロイド……。それが私達であります」

 

 

 雪雫の疑問に、銀髪の少女「ラビリス」と金髪の少女「アイギス」が矢継に応じる。

 

 

「さっき言っていたシャドウワーカーと言うのは?」

 

「世界各地のシャドウによって起こされる案件を対処する為の特殊部隊…という所でしょうか。米国でいう所のアベンジャーズ、MIB……と思って頂ければ」

 

「アイギス…。本部でやけに部屋に引き籠っていると思ったら………」

 

「はい。映画鑑賞…。非常に有意義な時間を過ごせました。現代のトレンドを抑える…起きたばかりの私にとってこれも重要な任務です」

 

 

 なんて素敵な任務だろう。

 ちょっと…いや、非情にうらやましい。

 

 

「話が逸れたな。まぁコイツが言った様に、そのけったいな部隊から派遣されたのが私ら姉妹という訳や」

 

「部隊…ということは、他にも来てる?」

 

「その問いに関しては半分肯定、半分否定…と言ったところでしょうか。詳細はシークレットですので、お伝え出来かねますが、他の人員も解決に尽力しております。しかし、こうして現地入りしている調査、及び戦闘員はアイギス、ラビリスの2名のみ」

 

「ふーん」

 

 

 毛先をクルクルと指で遊びながら、納得いった様ないっていない様な、曖昧な様子の雪雫は、中央のテレビの山に腰掛ける。

 

 

「……クマは?」

 

 

 クマ。

 突如として雪雫の前に現れた謎の着ぐるみ、もしくは金髪の少年。

 彼女の認識としては、雪子やりぜ達の友達。容姿端麗と言っていい姿をしていながらも、時折着ぐるみを着て市内を歩き回る変わり者……。その程度だ。

 個人的な関りとしても、特筆するほど多くはない。

 

 そんなクマが、現実世界の住民である筈の彼が、今こうしてイセカイに。しかも着ぐるみを着た状態で。

 正直、訳が分からない。

 

 

「彼はシャドウワーカーの正式なメンバーではありません。言うなれば現地の協力員。この八十稲羽市に纏わる怪異…マヨナカテレビを良く知り、ペルソナ能力も持ち合わせた──」

 

「……ちょ、ちょっと待って…。クマがペルソナ能力者?」

 

 

 大きな眼を丸くしてクマに視線を送る。

 視線の先のクマは、誇らしげに胸を張り、得意気な笑みを浮かべている。

 

 

「セツチャン…今まで黙っててソーリークマ…。そう…実は………。セツチャンが良く知っている姿は世を忍ぶ仮の姿……。本当のクマはこのプリチーな姿クマ…。そして……!」

 

 

 バーンっと後ろで効果音がなりそうな勢いで短い両腕を天に掲げるクマ。

 

 

「正義の味方クマ!!」

 

 

 ・

 ・ 

 ・

 

 

「整理すると、クマは元々人間では無い。私が良く知るクマは後付けで生やした(?)姿で、本来のクマはこの着ぐるみのクマ…」

 

「んまぁ、平たく言えばそうクマね。付け加えるとぉ……能力者としてはセツちゃんよりもセ・ン・パ・イクマよ」

 

 

 明らかに疲れた様子で目の前の3人を改めて眺める。

 アンドロイド2体、元シャドウの着ぐるみ。もう頭がこんがらがってきた。

 

 

「ペルソナって人間以外にも使えるんだ……」

 

「非常に少ない例ではありますが。まぁ何事も例外は付きものであります」

 

「ウチらが言っても説得力無いけどなー……。まぁそういうこっちゃ。シャドウワーカーには私達以外にも犬とかもおるで」

 

「犬………」

 

「はい。コロマルさんと言いまして。非常に愛らしく頼もしい仲間であります」

 

「そしてクマにとってのライバル……! まさしく現代に蘇ったムサシとコジロウ……!」

 

「…………これ以上、情報増やさないで…。頭痛くなってきた…」

 

 

 どうやら自分が思っていたよりもペルソナ能力というのは奥が深いらしい。覚醒して以降、当たり前の様に行使していた力だったが、まだまだ自分の知らない事は沢山ありそうだ。

 是非とも、目の前のセンパイ達にご教授願いたい……。まぁそれは追々でもいいだろう。

 

 

「あの~……」

 

「何、クマ?」

 

 

 顎に手を添え、1人俯いて思考を巡らしていると、雪雫の耳にクマの遠慮がちな声が届く。

 視線を送れば短い手を挙げていた。

 

 

「セツちゃんの事を聞いても良いクマ? まずは、そのぉ~…。セクシーな恰好から?」

 

「私も気になっていました。コスプレ、というやつでしょうか。非常に興味深いであります」

 

「これは──」

 

 

 雪雫は語る。3人からの好奇な視線に晒されながらも。

 怪盗服のこと。改心のこと。メメントスの事。仲間達の事は全て伏せて。

 

 

「なるほどなー。この不肖、アイギス。色々と合点がいきました」

 

「人の心に直接干渉……確かにそれなら納得やわ」

 

「加えてパレスとメメントス…。それらを案内するナビ…。セツチャン1人だけがあっちの世界に入れたのも納得クマね~」

 

「私1人だけ……? ペルソナ使いなら誰でも入れるんじゃ───」

 

「あー…。それなら楽だったんだけどなぁ…それがそうもいかないんや……」

 

 

 ラビリスは苦虫を潰した様な顔で頭を掻く。

 

 

「勿論セツチャンの言う通りマヨナカテレビはペルソナ持ってれば誰でも入れるクマよー。そう、マヨナカテレビは」

 

「先程のマヨナカテレビ局なる施設は、その名を冠していながらも全くの別物の様なんです」

 

「今クマたちが居るこの場所…。ジュネスの家電コーナーのテレビから繋がるこの場所ね。ここは間違いなくマヨナカテレビクマ。でもぉ…弱ったことにあっちの方。つまりさっきのテレビ局…」

 

 

 クマが指差す方へ雪雫は視線を移す。

 テレビ局に繋がる……。つまりは先程自分達が歩いてきた一本道。

 

 

「何故かクマ達、向こうに行けないクマねぇ」

 

「え? でも現に……」

 

「はい。私が貴女の元まで先行し、2人はその後を追った。スタートは勿論、安全地帯であるこの場所……。しかし、それが出来たのは貴女がイセカイに侵入したからです」

 

「異世界の中に生まれたイセカイ…とでも言うんかな。兎も角、2つの世界の境界線……そこに結界みたいなものが張られとって侵入出来ひん」

 

「その境界を見張っていた時、セツチャンがこっちに入ってきたクマ」

 

「貴女がこっちに入って来た時、その境界線が僅かに揺らぎました。穏やかな湖面に波紋を生んだ小石の様に。まさに、一石が投じられた…であります」

 

「そん時に私達も入ったんよ。まぁ、何処かのアホが先走りおったが…」

 

「その節に関しては申し訳ありません。しかし、通常手段では入れない現状、今回の件の首謀者…もしくはその仲間かと思いまして。早期解決を目指した次第であります」

 

「いや、それはもう大丈夫…」

 

 

 それにしても、なるほど。何かの要素が邪魔をして入れない、か。

 

 

「何か入れない理由とかは?」

 

「私達の方も自分達に何らかの原因、もしくは不具合があるのではないかと、そう考えていましたが…先程の貴女の証言でそれは間違っていると確信しました」

 

「クマ達だから入れない。では無く、そもそも入る手段が無かったクマね。セツチャン、ちょーっちイセカイナビっていうの見せてもらっても良き?」

 

「ナビ……? 良いけど、電子機器は基本的に動かない…」

 

 

 そう言いながら、雪雫はショートパンツのポケットから自身のスマホを取り出す。

 パレスやメメントス、使えた試しが無かった為、ここでも使えないものだろうと思い込んでいたが──。

 

 

「……? ナビだけ使える」

 

「そう……やっぱりねぇい…」

 

「これでハッキリしましたね。あちらの世界に入る為には、このアプリが必要……。つまり選ばれた者にしか門は叩けない」

 

「?? ペルソナ使いなら皆持ってる筈じゃ──」

 

 

 東京に居る仲間達の事を思い返す。怪盗団、つまり雪雫の良く知るペルソナ使い達。彼らは例外なく、それぞれのスマホにこのアプリがインストールされていた筈だが…。

 

 

「いえ、ペルソナ使いだからと言って、そのアプリを有している訳ではありません。現に私達、シャドウワーカーのペルソナ使い達は、渋谷の地下……えぇと…メメントスと言いましたか。その存在を確認していながらも手を出せずにいます。つまり、入れないのです。今までに無い事例です」

 

「今まで……じゃあペルソナ使いなら誰でも干渉出来たってこと?」

 

「はい。そうですね。マヨナカテレビは現実でテレビ画面に手を伸ばせば。残る1つは──。まぁ詳細は省きますが、そうですね。ある一定の時間を過ぎれば知覚出来た。と言っておきましょう」

 

「まぁ細かい話は今はええの。つまり、嬢ちゃんの持ってるナビ……うちらは持ってへんの。アイギス、解析頼めるか?」

 

「I copy」

 

 

 テレビに腰掛ける雪雫に近寄り、その小さな手に自身の手を添える。

 

 

「………………………………」

 

 

 長い沈黙。

 アイギスはスマホに視線を落としたまま微動だにせず、手を添えられた雪雫が少し気まずさを覚えた頃。

 

 

「なるほど」

 

「何か分かったクマ?」

 

「………いいえ。仕組みも、原理も全てが不明。ただ分かるのは、これが彼女の言う通りイセカイへの侵入出来る機能がある事のみ。雪雫さん、これを何処で?」

 

「…何処って言われても…。気づいたら入っていた事しか……」

 

「持ち運び可能なイセカイへのポータル? しかも出所も不明……。なんや、随分きな臭いなぁ」

 

「ミッチャンのトコでも作れ無いのに……。セツちゃん、とんでもないオーバーでテクノロジーなもの持ってるクマねぇ………」

 

 

 なるほど。ナビを持っている=ペルソナ使いというのは成り立たないのか。

 彼らの話聞くまでは知る由も無かったが、話を聞く限りは私達の方が異端の様だ。

 

 

「つまり、マヨナカテレビ局にアクセスする手段を持たない我々は、自由に行き来出来る貴女の存在が必要、という訳です。ご理解、頂けましたか?」

 

「とてもミステリアスで怪しーのは分かるクマよ。でもアイチャンもラビチャンもとてもいい子。2人とも今回の異変を解決したいと思ってくれてるクマ……。だからセツチャン、クマからもお願い!」

 

「嬢ちゃんが知り得ない事もこっちは把握しとる。……まぁ組織の強みやな。悪い話でも無い筈や」

 

 

 3人が揃って雪雫を見つめる。助けを求める目だ。

 状況的には、寧ろ彼女の方が協力を仰ぎたい立場なのだが、先程の交戦による負い目もあるのだろう。

 

 

「こっちとしても断る理由が無い」

 

 

 雪雫は腰を上げ、アイギスの目の前へ。

 約30cmほど高い彼女の顔を見上げながら、手を差し出す。

 

 

「?」

 

「シェイクハンド。仲間の証、なんでしょう?」

 



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56:Who did it?

 

 

「いらっしゃい───って雪雫」

 

「……ただいま」

 

 

 指先までぴっしりと伸ばし、お手本のような正しい所作で、規定通りに出迎える女将…つまりは雪雫の母。

 その相手が娘だった事に気付き、僅かに雰囲気を崩すものの、それでも損なわれない気品が感じられる。

 

 

「そちらは? お友達?」

 

 

 愛想の良い笑みを浮かべ、その視線は雪雫の後ろに居る2人の少女へ。

 旅館を興味深そうに眺めていた2人だったが、視線に気付くや否や、視線を彼女に移して口を開いた。

 

 

「おー、雪雫に似て随分と別嬪さんやなぁ」

 

「初めましてお母さま。私はアイギスと申します。こちらは私の姉のラビリス。東京で知り合った、友達であります」

 

 

 友達。

 その言葉を聞いた途端、雪雫の母は心底嬉しそうに破顔する。

 まるで有り得ないものを見たかのように。

 

 

「……まぁ! 雪雫にりせちゃん以外の友達なんて珍しい!」

 

「……………他にも居るし」

 

 

 白髪の雪雫、銀髪のラビリス、金髪のアイギス。旅館の雰囲気にはミスマッチな3人。傍から見ればただの外国人観光客に見えるだろう。

 他の旅館客からの視線に晒されながらも、アイギスが女将の瞳を真っ直ぐ見据えて、口を開く。

 

 

「ミセス天城。折り入ってお願いがあるのですが───」

 

「?」

 

「私達の宿泊を許可して頂きたい、であります」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 旅館の楽しみと言えば、と聞かれれば大体候補に上がって来るであろう温泉。

 普段とは違う土地で、少し贅沢な環境で浸かる大浴場は、格別と言っても差し支えないだろう。

 

 

「洋服はそこに。シャンプーは…備え付けの気に入らないなら、雪子の貸す。タオルの予備はそこ。使い終わったら籠に入れて」

 

「手慣れていますね」

 

「まぁ、実家だし」

 

 

 しかし、旅館客からしてみれば贅沢な環境も、雪雫にとっては何時もの風景。幼少期から毎日、この浴場で身体を清めていたのだから無理も無い。

 

 

「…おぉ、何と広大な面積……。泳げそうですね」

 

「………やっぱり大きいお風呂って泳ぎたくなるの?」

 

 

 雪子は良く泳いでいたな、と雪雫は思い返す。

 泳げない雪雫からするとよく分からない感覚だが、千枝もそんな感じのこと言っていたし、普遍的な感覚なのだろう。

 

 

「いえ、私自身はそう思いませんが。こういう場ではそう口にするものだと聞き及んでおります」

 

「……そう」

 

 

 特段恥ずかしいとは感じ無いものの、りせと雪子以外の人間に肌を晒すのは初めてかもしれない。

 雪雫はぼんやりと考えながら、視線はアイギスへ。

 

 

「……そういえばアイギスって水に浸かって平気なの?」

 

「はい。このアイギス、完全防水性にて。水棲型のシャドウに対してもバッチリ対処可能であります」

 

「…そんなシャドウいるの?」

 

 

 真顔でそう言うものだから、本気で言っているのか冗談なのか、今一分からない。

 

 

「フフっ。ジョークであります。アンドロイドジョーク。真面目な話をすると、私達、対シャドウ特別制圧兵装はこの通り人型。任務の内容次第では、人間社会へ溶け込む必要もあります。こういう些細な日常生活1つとっても、再現出来ねば任務は務まらない……。だからそういう意味も含めて防水機能が備わっているであります」

 

「でもラビリスは……」

 

「ああ、姉さんは旧型ゆえ……。まぁ、アンドロイドにも色々ある。という訳です」

 

「ふぅん」

 

 

 何度か言葉を交わして分かったことだが、アイギスは時折、今の様に言葉を濁すことがある。

 まぁ、語りたくない。もしくは語る必要が無い、という判断だろうが、前者だとしたらそれはもう人間と言っても差し支えないだろう。……関節部分にちらりと見える機械部分に目を瞑れば、だが。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 暫しの沈黙。

 雪雫と息遣いと、水面を揺らす水音だけが耳に届く。

 そんな静寂の中、ふと雪雫はアイギスの視線に気づき、訝し気に眉を顰めた。

 

 

「……何? 人の身体をマジマジと」

 

「……いえ…」

 

 

 足先から頭。腰、肩、胸。舐め回す様な目つきが雪雫の身体にヒシヒシと刺さる。

 

 

「その…平たいなーって」

 

「…もう一度戦う(やる)?」

 

 

 自身に無頓着。大抵の事には動じない。

 そんな雪雫であっても気にしていることはある。いや、つい最近になって気にし始めた。と言った方がこの場合は正しい。

 

 

「すみません、謝罪します。言葉が不適切でしたね。……えぇと、小さいなーっと」

 

「今度は手加減しない」

 

 

 そう、それはこのやり取りでも分かる様に身体の小ささ。子どもと言っても差し支えのない身体つき。

 

 雪雫とて最初は気にしていなかった。人には成長の限界値があり、それは人によってバラバラだと理解していたからだ。雪子は胸が小さく、直斗は大きい。逆に直斗は身長が低く、雪子はそこそこある。

 それを理解していたものだから、自分はあまり成長が見込めない。そんな人間なんだろうなーっと何処かで諦めがついていたのもあって、気にしていなかった。───あのトップアイドルとの半同棲が始まる前までは。

 

 雪雫はりせが好きだ。それは間違い無いようの無い事実であり、周りも気づいている。というか、周りは早くくっつかないかなーとまで思っている。

 

 しかし、雪雫には恋愛の定石など分からぬ。

 今の今まで、そういう経験などしてこなかったし、真面目に人に向き合うなんてりせが初めての経験だったのだから。本やゲームで知見を得ようとも、経験が無いのだから今一納得出来ず。

 結果、板に付いてしまった受け身の姿勢。自分からは決定的な手札を切らないが、あえて隙を作ってりせの理性の牙城を崩す、相手を誘う戦法。

 撮影前のワックス塗り、メイド服でのお出迎えエトセトラエトセトラ。一緒に寝るもお風呂に入るのも、全てはりせの理性を崩す為。

 

 恋愛音痴な雪雫だが、これだけは知っていた。

 

 既成事実を作れば勝ち

 

 だと。

 

 

 しかし、どんなに手札を切っても雪雫の身体は未だに傷一つの無い乙女の身体。

 何も状況が変わらないまま半年。彼女の頭には一つの考えが浮かんだ。

 

 私の身体って魅力が無いのでは?

 

 

(好きでちいさいままいるんじゃない。まだ、まだ成長期が来てないだけ…。成長すればきっとりせも私を大人だと思って………。ていうかそもそも、りせは何でここまでして手を出さないの?私は何時でもいいのに。優しい手付きも、本能のままの激情も。私は全部受け入れるのに。なんでなんでなんでなんでなんでなんで)

 

「? 湿度の僅かな上昇を確認。明日は雨でしょうか」

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「そう気を悪くしないでください。不思議、と思っただけです。データによると、貴女の身体的な数値は以前と変わりありません。成長には個人差がある…その事を差し引いたとしても───」

 

「……はぁ、そのこと。それなら、知り合いの医者にも言われた。でも検査の結果は健康そのもの。持病の後遺症も無し。……これが私にとっての普通」

 

「…………ふむ。…人体というのはかくも不思議な───」

 

「それはそれとして……。以前、か。ラビリスもそうだけど私の事、前から知ってる風だけど……。その事は教えてくれるの?」

 

「……全てを詳細に話す訳にはいきません。これでも私達、MIBなので」

 

「…それは例え話でしょう……」

 

 

 まぁ、そうですね。最低限伝えるとするならば。とアイギスは夜空に浮かぶ月を眺めて口を開いた。

 

 

「貴女は患者で私は見舞客だった。と言っておきましょう」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

8月19日 金曜日 雨

 

 

 中央にテレビが積み上げられ、スポットライトが見下ろすスタジオの様な空間。

 マヨナカテレビにおける唯一の安全地帯であり、クマにとっての生活圏。

 そんな場所で、雪雫、アイギス、ラビリスは椅子に腰を掛け、ホワイトボードを叩くクマに視線を送った。

 

 

「作戦会議の…始まりクマよ~!!!」

 

 

 ドンドンパフパフ。

 流れていない筈なのに、そんな幻聴が聞こえる。

 

 

「作戦会議…心が踊る響きです。迫り来る脅威に大して、非力な人類が活路を見出だそうとする…そんなシーンが瞼に浮かびます。デンデンデンデンデンドンドン♪ 嗚呼、響き渡るティンパニーのイントロ」

 

(アニメもいけるんだ……)

 

(妹がどんどんサブカルに染まっていく……)

 

 

 天使が侵攻してきそうなアイギスの鼻歌をBGMに、クマはその短い腕を必死に伸ばしてホワイトボードに書き起こす。

 「ブレインストーミング」と。

 

 

「さぁ、どんどん意見をプリーズ?」

 

 

 キリっと表情を決めて3人を見つめるクマに対して、今度はラビリスが感心した様に拍手を送った。

 

 

「よくブレインストーミング何て知っとんなぁ」

 

「ヨースケが言ってたクマよー。素敵なアイデアの始まりはブレインストーミングからって。大学でしっかり勉強しているみたいで、クマも鼻が高いクマ~」

 

 

 うんうん。感慨深そうに頷くクマ。

 

 

「………はい」

 

「ハイ、セツチャン! 積極的な姿勢、大変好ましいクマ~! もう少しちゃんと腕を伸ばしていれば、合格点を上げちゃってたクマ~!」

 

「………解決策を挙げる前に、現状把握が先…だと思う」

 

「……………………………それもそうクマね」

 

 

 

 

 

 

「現在の八十稲羽市は、リアルとフィクションが入り混じった状態、と言えます。前者は勿論言わずもがなですね。今ここにいる私達や住人達…。はたまたジュネスや神社などの建物まで。八十稲羽市を構成する全てのもの、とでも言っておきましょうか。後者は今現時点で存在する筈の無いもの、もしくは事象。最たるものは、電線に吊るされた死体。頻発する雨と霧。そしてマヨナカテレビ。過去の再放送…と言い換えても良い」

 

「5年前の事件と全く一緒の被害者……。しかもその死体があがるのは霧が濃い早朝…。資料で見た事件とまーんま、一緒や」

 

「私達、シャドウワーカーはこの空間の事をH.E.L.I.X.(ヘリックス)と呼称しています」

 

「この空間? 不思議な言い回し」

 

「………この現象が見られるのは非常に限られた地域…つまりはこの八十稲羽市のみ。住人達の記憶の混濁、起こる筈の無い事象、それらを全て現実世界とは別の…つまりは全く別のイセカイと捉えています。そういう意味でのこの空間。まぁ、ただの言葉遊びではありますが」

 

 

 つまりここは常識が通用しない別世界であり、現実世界の八十稲羽市と一緒に考えるな。そう言う事か。

 結局は当人の捉え方次第ではあるものの、そう考えると幾分か心の靄が晴れる。極論、今の八十稲羽は私の知る故郷では無いのだから。

 

 

「セツチャンは5年前の事件、何処まで知ってるクマ?」

 

「……被害者は3人。山野真由美、小西早紀、諸岡金四郎。3人がそれぞれ霧が濃い朝、電線にぶら下がって死体として発見された。山野真由美、小西早紀を殺したのは事件の担当刑事でもあった足立透。諸岡金四郎を殺したのは久保美津雄…こっちは前2つの事件に倣った模倣犯。……くらい。まさか、マヨナカテレビなんてオカルトが関わっているなんて思いもしなかったけど」

 

「んまぁ、大体は抑えているクマね」

 

「今起きてる事件も、マヨナカテレビ関連?」

 

「んん…。クマも最初はそう思ってー、テレビ内を駆け回ってんだけどぉ…。どーも表のニンゲンがテレビに放り込まれた形跡が無いのよね~。クマ、当時の事は良く憶えているクマ。現実世界で死体が発見される前日…怖い位にシャドウ達の気が立っていたクマ。でもでも……」

 

「今回に関してはそういう様子は見られない。そうやな?」

 

 

 ラビリスの問いにクマは僅かに眉尻を下げて静かに頷く。

 

 

「……状況証拠的での判断ではありますが、私達は此度の事件…幻や洗脳の類だと考えております。一定の周期で繰り返される殺人事件。それを当たり前の日常として捉えている住人達……。まるで何か質の悪い夢を見させられているかの様…。犯行現場である筈のマヨナカテレビに一切の痕跡が無いのも辻褄が合います」

 

「可能なの?」

 

「まぁ普通は出来ひん。しかし、理論上では不可能では無いなぁ」

 

「そもそもマヨナカテレビというのは、この八十稲羽市に住む人々の心が生み出したもう一つの世界……。集合無意識の様なものです。そこに直接干渉出来れば、あるいは……」

 

 

 要するに規模は違えど、本質的にはメメントスと同じ。

 個人が樹葉とするならば、メメントスやマヨナカテレビは樹木そのものという事か。大元が枯れれば葉も腐れ落ちる…理には叶っている。

 

 何故、八十稲羽市だけ独立しているかは分からないが。

 

 

「……集合無意識への直接的な干渉………いや、手段は重要じゃない。それよりも大事なのは──」

 

「はい。そこで私が貴女を襲った理由へと結びつきます。即ち、犯人の存在……。此度の事象、間違いなく、人為的に引き起こされたものです」



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57:An impossible desire.

 

 

『ナビゲーションを開始します』

 

 

 雪雫にとってしてみれば馴れた、しかし他3人にとっては初めてのイセカイナビでの侵入。

 揺らいでいた視界も正常に戻っていき、目の前に聳え立つ【マヨナカテレビ局】。見た目は現実の東京のお台場にあるかの有名なテレビ局を模した様な物。まぁ、テレビ局と聞いて真っ先に思い浮かぶのが球体を伴った建物なのだから、そういうことなんだろう。

 

 

(……意外に小さい。田舎町とは言え、稲羽の人達の意思の結晶体がこんなもの? 本当に?)

 

 

 同じような存在のメメントスはモルガナカーが無ければ網羅出来無いほどの広さを持っているのにも関わらず、マヨナカテレビ局は徒歩でも…何なら急げば一日で探索し終わりそうな程の控えめな大きさだ。

 

 

「ナビを介しての侵入…。貴重な体験でした。感覚的にはテレビに入る時と近しい物を感じます」

 

「アイギス」

 

 

 建物を見上げ考え込んでいると、アイギスやや興奮気味に雪雫に話しかける。

 

 

「……昨日も申していた様に、こっちに入れば自動的にその恰好になるのですね」

 

「個人の意識の中…つまりパーソナルスペースへの侵入……。その賊に対しての警戒心の表れ…。やったか?」

 

「自動的に服が切り替わるのはそう…。この服自体は私達の気持ちの表れ」

 

「ほほぅ。つまりぃ、セツチャンは反骨精神旺盛な現代の若者的な? 夜の校舎の窓ガラスを壊して回る系クマ? オヨヨヨー…。あんなに純粋だったセツチャンがアウトロー路線に変更しちゃったクマよぉ…」

 

「………大体合ってるけど、言い方に悪意感じる」

 

 

 演技がかった振る舞いをするクマにはそれ以上の反応を示さず、雪雫はカツカツとヒールで地面を叩きながらテレビ局の入口の方へ。

 

 

「……シャドウの気配する。今日は居るみたい」

 

「なんやぁ? 昨日はおらんかったちゅーのに…。休みだったんかな?」

 

「いえ、居る必要が無かったのでしょう。ここに侵入出来る存在など居なかったのですから…昨日までは。しかし雪雫さん。貴女はシャドウの気配を感知する機能も搭載されているんですね。アイギス、ビックリであります」

 

「搭載って……。ただ何となく分かるだけ。私のペルソナの能力か何かでしょう」

 

 

 アイギスと共に過ごしていると、彼女はれっきとした人間だと錯覚してしまいそうになるが、こういう1つ1つの言い回しがそうではないと改めて認識させられる。

 ラビリス曰く、固い言い回しや無機質な表現は言語バグらしく、調整すれば直るらしいが……。

 そう言った意味では、アイギスよりは洗練されていないものの、ラビリスの方がより人間味を感じる。

 

 

「んで? 取り敢えずここにカチコミ…でええんやな?」

 

「ここは人の意思の集合体。これを生み出した下手人が居るのなら…、手掛かりもここにある筈」

 

「クマ…クマは現実のアダッチーを取り押さえた方が良い気がするケド……」

 

「それが叶わなかったから私達はここに居るのです。彼の姿が確認出来るのは事件の日のみ…。それ以外の目撃情報はありません。エンカウントにランダム性がある不安要素と固定シンボルの不安要素……。どちらを先に潰すかは明白でしょう。それに──」

 

「……足立透犯人説は正直薄い、と思う」

 

 

 仮に足立透が犯人だとして、事件当日の再現を繰り返すメリットが彼にあるのだろうか?

 ましてや、わざわざ住人の認識を改変してまで。むしろ、それが可能ならば、事件を再現するのではなく、事件そのものを忘れさせた方が彼にとってリターンが大きい。

 それに事件の日にのみ姿を現すなど、真相を知っている人間からすると、まるで私が犯人ですと言っている様にしか見えない。

 要するに、釣り針が大きすぎるのだ。

 

 

「なぁるほどねぇい……。セツチャンは中々名探偵クマね!」

 

「ま、可能性が低いというだけであって、犯人の可能性も残っていますが」

 

「優先度的には後回しで良い……ちゅう訳やな」

 

 

 ここがパレスやメメントスと本質的に同じであるなら、それを形作る核がある筈。

 推理はそこに辿り着いた後でも出来るだろう。情報が少ない現状、今は少しでも進まないと。

 

 

「よぉし、皆準備は良いクマね……? よし、突撃クマ~!!!」

 

 

 

 

 

 

「そぉ……らっ!!」

 

 

 巨大な斧が地面に勢い良く叩きつけられる。

 

 

「逃がさへんで!」

 

 

 身の丈程の得物を片手で軽々と振り回し、押し寄せるシャドウの波を蹴散らしていく。

 

 

「流石は鋼鉄の生徒会長。面白い位にシャドウが吹っ飛んでいくであります」

 

「何それ?」

 

「姉さんの通り名です、ウィッチ。ちなみに私は全身凶器の心無き天使」

 

「…それ、褒められてるの?」

 

 

 やけにウキウキ顔で語るアイギス。

 潜入して間もなく、シャドウの群れと接敵した一同だったが、ラビリスの圧倒的な暴力の前にアイギスとウィッチの出番は無く、少し離れた所で1人と1体の少女は話に花を咲かせていた。

 

 

「私自身は、私自身の戦闘能力を評価されている様に感じて嬉しく思っているであります」

 

「……ふぅん。その感性は独特かも」

 

 

 せいやっ!

 ラビリスの声と、斧によって繰り出される破壊音をBGMに、なおも会話を続ける2人。

 因みに補足しておくとサボっている訳では無い。単純にラビリスの攻撃に巻き込まれる危険が伴う為、戦闘に参加出来無いのだ。

 

 

「貴女のもありますよ。ええと、確か──」

 

『ハイハイ、そこのカワイ子ちゃん2人組~! 仲良く話している場合じゃ無いクマよ~!』

 

「すまん、なんぼか逃した!」

 

 

 2人の声に促されて先方に目をやれば、こちらに向かってくるシャドウ達。

 

 

「問題ありません」

 

「こっちで対処する」

 

 

 まるで合わせたかの様なタイミングで、銃口をシャドウ達に向けるアイギスとウィッチ。

 

 

「「Fire」」

 

 

 その正確無比な狙撃は一体も撃ち漏らす事無く捉え、悉くを殲滅した。

 

 

『ふぃ~、お疲れクマ~!! 即席チームの割には連携だったクマね~』

 

「どこがや」

 

 

 満足気に呟くクマと、先程の戦闘など無かったことと言わんばかりの涼しい顔のアイギスとウィッチ。そして僅かに怒気を含んだ顔のラビリス。

 

 

「まずクマ。なにしれっとオペレーターポジションにおるん? あの流れは4人全員でカチコムところやろ!」

 

『チッチッチ…ラビちゃん、甘いクマね……まるでクリスマスの次の日の朝に食べる食べきれなかったホールケーキの様に甘いクマ……』

 

「なんやその例え」

 

『ここはシャドウウォーカーはおろか、このクマですら把握しきれてない未知の領域……。皆を裏からサポートする椅子の人…すなわちクマの存在が必要不可欠クマ! け、決してラビチャン達の攻撃に巻き込まれたく無いとか思ってないクマよ~。ヨホホホホホ』

 

 

 誤魔化す様な下手糞な口笛が聞こえる。最早それは音色を宿してなく、ただの空気を裂く音。

 冷汗掻きながら視線を逸らすクマの様子が目に浮かぶ。

 

 

「……まぁええわ。そこの2人! なに私達は関係無いですわ~。みたいな顔してつったとるんや! 近距離をウチに任すんはまぁええわ…。適材適所ちゅーやつやからな。ただ…。仲良く談笑すんのはちゃうやろ? なぁ?」

 

「──ノン。これに関しては理由があります。姉さん。この場に居る誰よりも戦闘経験が無く、幼い子どもは誰でしょう。そう、ここに居る雪雫さん…もといウィッチです。そんな彼女を先陣切って戦わせるのはとても忍びない……。私の鉄の胸が張り裂けてしまうほどに…」

 

「それと支援しないのはちゃう気が…」

 

「まぁまぁ、続きを聞いてください。ましてやここは何時襲われるか分からない危険地帯…。常に張り詰めていては逆に普段のパフォーマンスは発揮されないでしょう…。そこで私は場を和ます為にですね………」

 

「そうか。アイギスの言い分はようわかった。それで、ウィッチ。実際は?」

 

「名状しがたいヌメヌメ触手が気持ち悪かった」

 

「いてこますぞホンマ」

 

 

 

 

 

八十稲羽市 商店街

 

 

 

 程良い疲労感。

 

 何度かの戦闘を繰り返し、その度に連携を確かめて。そうして辿り着いたテレビ局の最上階。

 迷宮の核と言えば一番上でしょう。数ある作品がそれを証明しています。と謎の統計学を持ち出したアイギスに従って、道中のスタジオを全スルー。一先ずは目的地を目指し猪突猛進、した結果。

 

 

(──何も無かった。核らしいものも。犯人の手掛かりに繋がるモノも…何一つ)

 

 

 今日行った場所に何もないとすると、やはりあるのはあの不可思議なスタジオか。

 異様な商店街。雪子姫の城。熱気立つ大浴場。特出し劇場丸久座。ボイドクエスト。秘密結社改造ラボ。天上楽土。

 

 フロアマップに記されたスタジオ名。

 

 

(丸久…。雪子姫……)

 

 

 テレビに入れられ、シャドウに襲われた結果が電線吊りの死体。それが過去の殺人事件のトリック。

 同時期に発生していた連続失踪事件に関しても、マヨナカテレビが関係していたという。マヨナカテレビに映った人間が次の被害者だと勘違いした生田目が、その人間を守る為にマヨナカテレビに入れていた…。いや、彼視点では保護していた、か。

 

 

(マップに記されたスタジオの数と行方不明者の数が一致する。つまり───)

 

「こーんにち……はっ!!!」

 

「ひゃっ!?」

 

 

 途端、肩を掴まれ耳元で叫ばれた雪雫は自身の小さい肩をビクンと震わし、勢い良く後ろを振り向く。

 

 

「お、おお~。まさかそこまでビックリするとは……」

 

 

 そこには僅かに申し訳無さそうな笑みを浮かべて頭を掻く芳澤かすみ。

 

 

「いやぁ、どうせ気付かれてるだろうなぁってダメ元でやったんだけどぉ…。いやはや可愛い反応でしたねぇ。何か考え事でもしてた?」

 

「……バカ」

 

 

 ごめんごめん。と軽く手を合わせて形だけの謝罪を繰り返すかすみ。雪雫は知っている。経験則で知っている。悪戯好きの彼女の事だ。謝ってはいるが反省していないだろうと。

 

 

「あーんもう、拗ねないでぇ…。お茶ご馳走するから~!」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 ジュネス。

 八十稲羽を始めとする郊外や、都市の心臓部から僅かに離れたベッドタウンなどの比較的敷地を持て余している場所に存在する大型ショッピング施設。

 ここ、娯楽の少ない八十稲羽市の人々にとってすれば、数少ないレジャー施設として賑わい、お洒落な洋服屋さんや喫茶店などの専門店も多く立ち並ぶ。そんな場所の一角。

 

 

「ここは変わらないね~」

 

「ん、昔からある」

 

 

 彼女達が小学生の時から姿を変えないレトロな雰囲気が漂う喫茶店。その奥の席。

 頼んだココアとコーヒーをそれぞれ口へ運び、感傷に浸る。

 

 

「………それで?」

 

「へ?」

 

 

 感傷に浸っているとふと雪雫から紡がれた言葉。

 突然の事に、今度はかすみの方が素っ頓狂な声を上げた。

 

 

「何か話があるんじゃないの?」

 

「───敵わないなぁ」

 

 

 普段の振る舞いから忘れそうになるが、基本的に天城雪雫という少女は観察眼が秀でており、人の心の動きに機敏である。

 そしてそれは、数年ぶりに再会した幼馴染にも遺憾無く発揮された。

 芳澤かすみという少女が普段から活発で朗らかな性格だとしても、無理矢理テンションを上げている様な言い回しと行動。それを雪雫は見逃さなかった。

 

 

「ねぇ、雪雫。スランプって経験したことある?」

 

「…………」

 

「知っての通り私は小学校卒業と同時にこの町を出た。新体操で世界を獲りたくて。都内の私立に入って、評判のクラブチームに入って、良いコーチと環境に恵まれて。順風満帆って言っても良かった。色んな大会で賞を取った。スポーツ特待生で進学も決まった。でも……」

 

「最近になって、急に成果を残せなくなった?」

 

「……うん、そうなの」

 

 

 そういうかすみの顔にはすっかり影が差し、今にも泣きそうな表情でその華奢な肩を震わす。

 

 

「はじめは皆励ましてくれた。そりゃそうだよね。スポーツの世界に絶対はないもの。次こそは。たまたま調子が悪かっただけ。みんな優しい言葉を掛けてくれた。でも…それも長くは続かなかった」

 

「……」

 

「それもそうだよね。チームメイトからしたら私は彼女達の活躍を奪う邪魔者。学校からしてみれば特待制度を食い潰す寄生虫」

 

「む、そんなことは」

 

「無い。って言ってくれるんでしょ。うん、ありがとう。でもね、事実としてそうなの。私は成果を学校側に献上してブランドイメージと知名度を上げる。その見返りに破格の待遇で在籍させる。win-winの関係で無ければ成り立たない。ブランドの広告タレントって人気が落ちれば降ろされるでしょ? そういうものなの。実際はね」

 

「そんなの、かすみには関係無い周りの都合」

 

「そう、割り切れたら、良かったんだけど…。日に日にね、結果を聞いて落胆する周りの目と、励ましの薄っぺらい言葉が嫌になってきちゃって。だから、八十稲羽に戻ってきたんだ。夏休みの間、しっかり療養して、何か気持ちが入れ替わる切っ掛けがあれば良いなって。そういうしがらみから離れた、この故郷で」

 

 

 確かに精神的な療養を目的にするならば、八十稲羽市以上の適切な場所は無いだろう。

 生まれ育った土地であり、彼女の親戚や両親が住み、尚且つ新体操選手としての芳澤かすみをあまり知らない。

 しかし、ただこうして過ごしているだけでは、恐らく何の解決にもならないだろう。もっと踏み込んだ内容…根本的なものを解決しなければ、東京に戻っても彼女の環境は変わらないだろう。

 

 

「……何か、その。ブランクに陥った原因とか、心当たりあるの?」

 

 

 そう問われた時、かすみの肩がより大きく震えた。

 まるで、お化けに怯える子どもか、罰を待つ罪人の様に。

 

 

「──それは」

 

 

 目を伏せ、かすみは視線を外す。唇がわなわなと震え、呼吸は次第に荒くなっていく。

 ──タイミングがまずかったか。

 

 

「……まぁ、無理に話さなくていい。ただ───」

 

「すみ、れ。私の妹の……。すみれ、って居たでしょう?」

 

「…………」

 

「死んだの。私…の、目の前で、車に…轢かれて、ね」

 

「…そう、なの」

 

 

 薄々予想はしていた。

 可能性の1つとして、一番最悪なケースとして頭の片隅にこの考えがあった。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 こういう時、何て声を掛けたらいいか。

 この場に蓮や真が居たならば、きっと気の利いた言葉を掛ける事が出来ただろう。しかし、生憎彼らは居ない。

 

 

「すみれ。私と一緒に世界を獲ろうと、同じ夢を掲げて走ってきた戦友でもあり半身。……嬉しかったよ。雪雫が私を見た時、すみれって声を掛けてくれて。日が経つにつれて薄れていく彼女の面影が、まだ世界に残っているんだって」

 

「………もしかして、その髪は」

 

「うん、染めたんだ。すみれが死んで、しばらく経った後に。私だけは、彼女を忘れないようにって」

 

「支え、なんだ」

 

「そう。私が世界を目指す上で、私が私である為の支え。……でも、それが無くなっちゃったから。そこからなんだ。思う様に身体が動かせなくなったの。丸喜先生言ってたなー。精神的な支えは決して1つじゃないって。ああ、代わりを見つけるとかそういう話じゃないよ」

 

 

 そう呟くかすみは瞳を潤わせながらも、ボロボロな笑みを浮かべて雪雫の手を優しく手に取った。

 自身よりもはるかに小さく、記憶にある子どもの頃と何一つ変わらない。そんな手をかすみは自身の頬へと摺り寄せ、雪雫の瞳を見つめて確かにそう言った。

 

 

「雪雫がその支え、なってくれてもいいんだよ」

 

 

と。



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58:Smile angelically.

 

 

 かすみの体温が伝わる。

 触れ合っている手から、彼女の頬から。

 熱に浮かされている様に熱く、確かな意思をこちらに訴えてくる。そんな温度。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 何も聞こえない。店内に微かに流れるBGMも、店員がコーヒーを注ぐ音も。外で親に玩具を強請る子どもの声も。

 まるで時が止まった様。そんな錯覚すら覚える程。

 

 言葉を失った私を、かすみはただただ何も言わずに見つめている。その確かな意思を孕んだ赤い瞳で。

 

 

(───なんて、綺麗な瞳)

 

 

 ふと、そう思った。何も働かない頭でぼんやりと、ただそれだけ。

 何処までも透き通っていて、しかしながら確かな何かを秘めている。そんな強い瞳。まるでキラキラ輝く宝石の様。

 

 手を伸ばせば、一言だけ言葉を紡げれば、すぐにでも届きそう。

 

 眩く煌めく何処までも無限の宇宙を内包した紅い房室───。

 

 

「──っ! いやっ……!」

 

「あ……」

 

 

 瞬間、咽かえる様な圧迫感と背筋をなぞる寒気を感じ、かすみの手を振り払う。

 

 

「…は……っ、はぁ…」

 

 

 走った訳でも無いのに胸が苦しくて、先程まで頬に触れていた手は胸元へ。

 寝起きに冷や水でも掛けられた様に、半ばトリップ状態だった五感は、今は鬱陶しい程に現実世界を訴えてくる。

 

 

「───冗談だよ。雪雫は大袈裟だなぁ」

 

 

 そんな私を見て困った様に笑みを浮かべるかすみ。先程私に話しかけた時の様な仕掛けた悪戯が成功した子どもの様な表情。

 

 

「…冗……談?」

 

「うん。雪雫って表情変わらないから。つい悪戯したくなるんだよね~。だから、ちょっと言ってみただけ。……ああ、そんな顔しないで。今でも十分、私の支えになってるよ。言ったでしょ? 私、雪雫の事よく見てるんだって」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 カラン。と氷が解ける音が響き、付着した水滴がグラスの輪郭を沿って落ちる。

 

 

「………ダメ、だったようだね」

 

 

 眉を顰めて優しく語りかける男。

 

 

「……ええ」

 

 

 心底悲しそうに、俯き加減で口を開く少女。

 

 

「非常に残念です」

 

 

 

 

 

 

マヨナカテレビ エントランス

 

 

 

「雪雫さん、ソーリーです。デート中にお呼び立ててしまって」

 

「デートぉ? 随分と呑気なやっちゃな」

 

「クマ!? せ、セツチャン…リセチャン以外にナオンを……。いつの間にかに遊び人になってしまったクマ…!?」

 

「……ただの友達、だから………。それより、要件は?」

 

「情報提供がありました。此度の、異変について」

 

「信用出来るの?」

 

 

 情報の提供と言っても情報源は限られている。街の住人達は一種の催眠状態。外部との連絡も遮断。そして恐らくでは外部の人間が入って来ることも無く、私達が外に出る事も出来ない。もし仮に可能であればこの作戦会議の場はもっと盛り上がっている筈だ。

 

 

「はい。何せ、この街に住みながらも、今回の異変の影響を受けていない……。そんな方なので」

 

「はぁ? 冗談も休み休み言えや。そんな人間居る訳……」

 

「そうです。そんな人間は居ません。ですので聞いてきました。キツネさんに」

 

「………………帰ったら修理やな」

 

 

 ラビリスの呆れてものも言えない視線に晒されながらも「いやー情報料代わりのお賽銭が痛かったナー。経費で落ちるカナー」と1人呟き続けるアイギス。

 

 

「出会いは偶然でした。そう、まさに商店街の神社の前を通りかかったその時───」

 

「あ…辰姫神社のキツネさん……」

 

「イグザクトリーです。雪雫さん」

 

「クマー! 神社のキツネと言えば…時にクマとマスコットの座を掛けて勝負し…時に背中を預け合った正に戦友……。それは確かな情報筋クマー!」

 

「え、なに? ホンマにキツネなん? こんなトンチキ展開受け入れろ言うん?」

 

 

 盛り上がる3人と1人置いてけぼりなラビリス。彼女は困惑の色を浮かべながら3人の顔を見まわすと、次第に「しゃあない…常識捨てるしかないか…」と渋々ツッコミの姿勢を解除していく。

 

 

「さて…姉さんの理解も得られたところで──」

 

「無理矢理やけどな」

 

「……コホン。単刀直入に言います。私達に残された時間は多くありません。雪雫さん、貴女が先日見た死体……山野真由美で間違いありませんか?」

 

「………ブルーシートの隙間からしか確認して無いけど、間違いない」

 

 

 開きっぱなしの眼、驚愕に染まったまま固まってしまった表情、全てが5年前のままだった。人生初めての経験であり衝撃だったのだ。間違いようが無い。

 

 

「そう、ですか。でしたらそうですね……」

 

「アイチャン?」

 

「いえ、お気になさらず。キツネさんからの情報を今一度整理していただけです」

 

「んで、そのキツネさんからは何が聞けたんや?」

 

「その前にもう一つ確認を。雪雫さんが目撃した事件…山野真由美の死体があがったのは3回目……で間違いないですね?」

 

「うん、間違いないクマよ~! アイチャン、ラビチャン、クマであちこち聞き回ったクマ~!」

 

 

 勿体ぶらずに早よ教えんかい。とラビリスから抗議の声が上がる。

 

 

「…実はキツネさん曰く、最初の事件…この場合はH.E.L.I.X.(ヘリックス)が発生して以後の事件ですね。……その時の死体には顔が無かった、と」

 

「クマ? それってデュラのハンってことクマ?」

 

「いえ、そんなアイルランドに伝わる妖精とかでは無く。そうですね…噛み砕いて言うならば、フィクションで良く見られる認識阻害…というやつでしょうか。いつから錯覚していた……?みたいな」

 

「おい、アイギス……。そないな冗談言っとる場合じゃ───」

 

「個人と特定出来ない状態の死体……。いや、死体かも分からない何かが、山野真由美だと周りは処理してた…ってこと?」

 

「仰る通りです。スノードロップ寮に10点です。雪雫さん」

 

 

 ビシッと雪雫に指を指すアイギス。

 見事得点を獲得した雪雫は「やったー」と小さく呟き、横に居るラビリスにツッコミを入れられていた。

 バランスの良いチームである。

 

 

「しかし山野真由美と認識しながらも、始めは警察も住民も困惑をしていたそうです。それが次の死体、そしてまたその次……。回数が重なるごとに次第に馴れ始め、死体のクオリティは上がっていったそうです」

 

「……回数を重ねる事に異常は住民にとっての日常の風景に、死体は出来の悪いCGからリアルに寄っていっている……ちゅうことか?」

 

「チェーンナックル寮にも5点」

 

「要らんわ。何やチェーンナックル寮って。というかなんで雪雫より5点少ないん?」

 

 

 姉妹漫才を余所に雪雫は思考に耽る。

 

 アイギスは言っていた。この異変に対して「過去の再放送」と。

 言い得て妙だと思う。全く同じ被害者、全く同じ天候、全く同じ現場。違うのは犯人らしきもの動機も、現場も無くハリボテ状態ということだけ。

 

 しかし、改めて考えると「過去の再放送」という表現は微妙に正しくない事が分かる。

 事件に対して警察や住民が慣れてしまっているのだ。

 いくら5年前の八十稲羽市が事件に溢れていようとも、それに慣れた人間など、ゴッサムシティじゃあるまいし、ただの1人もいやしない。事件が起きる度に警察は苦悩し、住民達は未知の恐怖に怯えていた。

 

 再放送に拘るのなら、慣れさせるのではなく、寧ろ無知のままで居させる必要があるのではないか。

 

 

(……となると、過去の事件の再現は重要じゃない)

 

 

 街に起きている事件と住民達の認識。切り分けて考えるとどうだろうか。

 何かの目的があって再現性の高い事件を起こしている。しかしそれを騒がれるのは本意じゃないから住民達の認知を弄っている。

 

 ……いや、事件がハリボテ状態の事を踏まえると、後者が本来の目的? 

 

 

「犯人は未だ特定出来ず、目的も未だに不鮮明。しかし、分かる事は回数を重ねれば重ねる程、フィクションは現実世界へ色濃く染みを残していく。螺旋状だった2つの世界が、今交わろうとしています」

 

「つまり……えーっと…どういう事クマ?」

 

「これは紛れも無く、現実に対するイセカイの侵攻…そう捉えるべき案件だ、そういうことです」

 

 

 

 

 

 

8月20日 土曜日 雨  

 

 

 

 天上から朗らかな光が差す楽土。白く荘厳な回廊、生命の力強さを感じさせる大樹。まるで病院のベッドの上で夢想した天国の様。

 何処までも透き通っていて、何処までも清潔で、秩序に守られた理想郷。

 

 天上楽土。

 

 マヨナカテレビ局の最上階に位置するスタジオだ。

 

 

『まさかまた、ここに来ることになるなんて…。人生……いや、クマ生……? とにかく何が起きるか分からないものクマ……』

 

「…………………」

 

  

 温かな風が頬を撫でるのを感じながら、ウィッチ達は駆ける。

 

 

「…まさか最上階のスタジオがこんなことになっているとは。驚きであります」

 

「イセカイを現実のルールで測ろういうんはナンセンス…とは言え、これはやりすぎやろ」

 

 

 閉塞的な空間だった筈のテレビ局の廊下。ここに入る前に居たエリアには上へと繋がる階段は存在せず、正真正銘の最上階…の筈だった。

 しかし、扉を開けてみればその見た目に反して、広大過ぎる空間が広がっていた。果てしない青空が広がり、その中央には天を突く程の巨大な建造物と大樹が聳え立っていた。

 

 

『ここが最後のスタジオ…。気合入れていくクマよ~!』

 

「…流石に何もありません…は無いよな? 他のスタジオと一緒だったら泣くで」

 

「…………それは考えたくも無いですね…」

 

 

 フロアマップに記された6つのスタジオ。

 昨日の2回目の会議の後に4つ。今日の朝一に1つ。粗方探索したものの、シャドウが横行闊歩するばかりで特に収穫らしい収穫は無し。いっそここまで来ると、今回の事件には何も関係無い、正真正銘のただのスタジオなのではないか。そういう考えが浮かんでくる程に何も無かった。

 

 

(…………気持ち悪い、な)

 

 

 上のフロアへと続く階段。それを一歩一歩踏みしめる度に、胸に渦巻く不快感。別に今始まった事では無い。このスタジオに入った時から、ずっとそうだ。

 この不快感を言葉にするのは難しい。何となく、心がざわつくのだ。降り注ぐ日差しも、空に架かる虹も、頬を撫でる風も。

 

 

『ヘイヘイ! お嬢さん方、このまま進むのも良いけど、ちょっと足を止めて遊んでかないクマ? 前方にシャドウの反応多数。バトルシーンに突・入っクマよ~!』

 

「っ。こっちは時間が無いと言うんのにホンマ!」

 

 

 クマの言う前方。フワフワと、目障りな羽を羽ばたかせている天使の姿をしたシャドウ達。

 

 

(────アハ)

 

 

 その姿を見た時、不思議と口角が上がった。両親に新しい玩具を買い与えて貰った記憶が脳裏に浮かんだ。

 八つ当たりをする恰好の相手だと、そう本能が叫んだ。

 

 

「──瞬く間に終わらす。ラビリス」

 

「任せとき! ……そぉらっと!」

 

 

 手狭な廻廊の中央にフワフワと浮かんでいる天使の様な形をした無数のシャドウ達。それを視認して間も無く、ラビリスは自身の武器である大斧をブーメランの要領で投擲。そしてタイミングを同じくして雪雫が駆け出す。

 空気を切り裂きながら進む斧と同じ速度で、その真下に潜みながらシャドウへと突っ込む雪雫。

 

 

「ジャンヌ」

 

 

 敵が迎撃の体勢を整えるよりも早く、出現した聖処女が宙を裂いていた斧の柄を取り、それを振り下ろす。

 回廊全体を包む振動。巻き上がる土煙。押しつぶされ、文字通り塵として宙に消えていったシャドウだったモノ。

 何体か攻撃を逃れた個体も居たが、それを見逃す雪雫では無く。

 

 

「───はこんなに頑張っているのに」

 

 

 うわ言の様な少女の呟きが聞こえると同時に、土煙の中から天使の額に向かって銃口が伸び───

 

 

「責務を全うせず」

 

 

 パン、と乾いた音が木霊した。

 

 

「それを省みることすらしない」

 

 

 光り輝く琥珀の様な瞳が獣と対峙する狩人の様に細まる。

 

 

「……気に喰わない。気に喰わない。気に喰わない気に喰わない…………」

 

 

 撃って。蹴って。刻んで。その存在事刈り取って。一体一体確実に丁寧に漏らさず余すことな平等に、その機能が完全に停止するまで動かなくなるまで徹底的に完璧に。

 土煙が晴れた頃には、地面に突き刺さったラビリスの斧と晴れやかな顔でただただ天上を見上げる雪雫だけが残っていた。

 

 

「───なんと…」

 

 

 介入の余地を伺っていたアイギスが感嘆の声を漏らす。

 

 

「圧倒……でしたね…」

 

「せやな…。最近目覚めた割にはセンスええとは思うとったけど……。こう、まさに鬼気迫る勢い…やったな」

 

 

 地面に埋まった自身の得物を引き抜きながら、未だに空を見つめたままのウィッチを一瞥するラビリス。

 一見、平静に見えるが僅かに顔が引き攣っている。

 

 

『セツチャン? ……セツチャーン? もうシャドウは居ないクマよ~。何時までボーっとしてるクマ?』

 

「………………クマ」

 

 

 ホントにどうしたクマ?と首を傾げるクマに、雪雫は微笑んだ。

 老若男女、誰もが見惚れてしまう程の無垢な笑み。

 

 

「いえ、少し取り乱しました。もう、大丈夫です」

 

 

 光に照らされながらそう言う少女は、どこまでも綺麗だった。 



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59:Wild Card.

 

 

 塔の最上階。

 地上よりも太陽はその存在感を増し、空気は希薄なものへ。足元には草花が所せましに生い茂り、それを見守る様に周りには天使の像が立ち並ぶ。

 そんな風景の真ん中に男は居た。

 

 

「──やぁ。思っていたより遅かったね」

 

 

 像の視線が集まるその中央に、呑気に自然の絨毯に背中を預けて空を仰いでいる、そんな男。

 

 

「……足立、透」

 

「やぁ、久しぶりー。……でも無いか」

 

 

 ヒラヒラと手を振り、にへらと笑う足立に対し、臨戦態勢の一同。通信越しにクマの彼に対する憤慨の声が響く。

 まさに一触即発の状況ではあるが、彼はそれを気にすることも無くやれやれと呆れながら首を左右に振った。

 

 

「ガキは大人しくしてろって…。折角大人からの有難いアドバイスを送ってあげたのに……。それを無下にするなんて。君も君で大概だね。そんなんじゃ組織で出世、出来無いよ?」

 

『クマ―!! アダッチ―に言われたくないクマ!』

 

「はっ。それもそうか。はははは! いやぁ、これでも都内に居た頃は出世まっしぐら!だったんだけどねぇ。いつからこうなっちゃったんだか…あはははは!」

 

 

 足立の乾いた声が響く。

 

 

「……全て、お見通しという訳ですか。私達がここに来ることも」

 

「あー…はは……お腹痛い…」

 

 

 ケラケラと腹を抱えながら笑い転がる足立に、ラビリスは不快そうに眉を顰めた。

 

「はよ、質問に答えんかい!」

 

「おお、怖い怖い……。声を荒げるなよ。強く出た所で何も変わらないよ。短気は損気って言うだろ? エルゴ研では教えて貰えなかったのかい?」

 

「───エルゴ研?」

 

 

 エルゴ研。

 その言葉が足立から紡がれた時、アイギスとラビリスがピクリと眉を動かした。

 

 

「何故、その名を……。貴方は知る由も無い筈…」

 

「いや、なに。この世界に居るとね。知らなくていいものまで知ってしまうんだよ。不可抗力ってやつ。知ってるからって八つ当たりしないでね。僕は悪く無いから。文句を言うなら今回の黒幕へ、ってね」

 

「黒幕…。じゃあやっぱり貴方は───」

 

「そう、僕は今回の件に関与していない。…いや、結果的には噛む形となったが、立場的には完全に被害者だ」

 

 

 どの面下げて言ってるクマ―!とクマは叫ぶ。

 しかし彼とは対照的にアイギス、ラビリス、ウィッチの3人は特に口を挟むことは無かった。続く彼の言葉を待っているのだ。

 

 

「って言っても信じて貰えないだろうけどね。しかしこれは本当のコト…。僕だって迷惑してるんだ。折角、クソみたいな世界から解放されて静かに過ごせると思ったのに。こんな形で()()()()()()()

 

「呼び起こされた……ですか。連れて来られた、では無く」

 

「まるで自分は人間じゃあらしまへん。みたいな言い方やな」

 

「みたい。じゃなくてそう言っているんだよ。分からないかな」

 

 

 呆れた視線をラビリスに投げ、深い溜息を吐く足立。

 

 

「僕は言わばマヨナカテレビに記録された足立透の情報が人として形作ったもの……。彼ならばこう受け答えするだろう。こう行動するだろう。そういうデータを元に動くAIと言っておこうか…? あぁ、そう考えると君達と本質は同じかもね。アハハ」

 

『記録されたアダッチーの情報……? ……むむ、確かに今のアダッチーからは人間の反応も、シャドウの反応も何も出て無いけど……。それならそんなアダッチーが何で向こうの世界に出れたクマ?』

 

「いえ、クマさん。何故、外に出れたか。そこは重要ではありません」

 

「現に元々がシャドウである筈のクマは出とるしな」

 

『………確かに。そういえばそうクマね』

 

「出た方法は問題じゃない。元々今は特殊な状況。外に出て、何をしていたか。そこが大事」

 

 

 皆の視線が足立に刺さる。

 

 

「……この中で誰よりもマヨナカテレビに疎くて、ペルソナ使いとしても歴が浅いのにも関わらず、誰よりも冷静に物事を判断出来る……。嫌味だねぇ、才能ってやつは」

 

「答えて」

 

「はっ。答えてあげるからさ、そう睨まないでよ。雪雫ちゃん。……えっと、現実世界で何をしていた、か。────何もしてない。僕はただそこに居ただけ」

 

『何もしてない? そんな訳ないクマー! だってあんなに沢山事件が起こって、あんなにミンナ勘違いして……。おちょくるのも大概に───』

 

 

 パァンと乾いた音が憤るクマの言葉を遮った。

 

 

「……ははっ、ビビった?」

 

 

 そう言う足立は片腕を上げた状態で三日月の様に笑みを歪める。手の先には空に口が向けられた拳銃。

 

 

「一度やってみたかったんだよね。ほら、映画であるでしょ? 銃をパーンって上に撃って五月蠅い奴を黙らせるヤツ」

 

『……クマ…』

 

「それで、そんな訳無いって? 心外だな。僕は被害者の立場だと言っただろう? 本当にそこに居ただけさ。現実世界への取っ掛かりとしてね」

 

「取っ掛かり?」

 

「考えてもみなよ。過去の事件の再現をする上で、真犯人であり、マヨナカテレビと深い関りがあり、どちらの世界にも居場所を持っていた人間……。そう都合が良い存在なんて、僕以外居ないだろう? 本来は交わる事のない2つの世界…。その境界線を乗り越える為には、切っ掛けが必要なんだってさ」

 

「つまり、貴方が向こうに居なければ…」

 

「もう過去の再現は起きないんじゃないかな。今の段階なら」

 

 

 試してみるかい?と手に持っていった拳銃を、足立はウィッチに向けて放り投げる。

 

 

「今はまだ現実世界に定着していない。ここで切っ掛けを消せば、こっちからの干渉は出来なくなる筈だ。さぁ、撃ちなよ。雪雫ちゃん」

 

「…………」

 

 

 ずっしりと重たく冷たい感触を確かめながら、白髪の少女は視線を凶器に落とす。

 

 

「なに、躊躇う必要は無い。僕はただの足立透という人間の情報の塊。シャドウでも無ければ心そのものでもない。ここで消したところで現実の本人が廃人化することは無い。それに、仮に影響があったところで君達には関係無い…だろ?」

 

「………………」

 

 

 ゆっくりとした動作でウィッチは銃口を足立に向ける。

 

 

「雪雫さん!?」

 

『セ、セツチャン、早まる必要は無いクマよよよよ!?!???』

 

「………………」

 

 

 しっかりと、一回で仕留められるように。

 足立透の形をした何かの、頭を狙って。

 

 

「……はっ」

 

 

 薄ら笑う足立に銃口を向けたまま、その引き金に指を掛けて。

 

 カチリ。

 

 と確かに引いた。

 

 

 

 

 

 

 フワフワと翼を羽ばたかせる彼らを見た時、心に募っていた苛立ちが爆発した。

 その焦慮は明確な敵意と変わり、その敵意は暴力に形を変えた。

 

 天へと昇っていくシャドウだったモノの残滓を見て幾分かは落ち着きを取り戻したものの、未だに胸に蠢く不快感。

 思い返せば、それは常に胸中に巣食っていたものかもしれない。

 

 いつから?

 

 と問われれば私はこう答えるだろう。

 

 最初から、と。

 

 

 思えばここは嘘ばかりだ。

 そして私は嘘が嫌いだ。

 

 で、あるならば。私はここが嫌いだ。

 

 

 私は否定する。

 この世界を望んだ創造主を。それに首を垂れる天の使いを。

 

 私が求めるのは、原初の真である。

 

 

 

 

 

 

「──ビックリ、した?」

 

 

 少女の鈴のような声が響く。

 

 

「………興覚め、だな。道化の真似事とは」

 

 

 それに対し、何処か落胆したかの様に口元を歪める男。

 

 

「一度やって見たかった。だってカッコイイもん。ジョーカーって」

 

 

 そう言いながら拳銃を持ってない方の手を開くと、カランカランと音を立てながら地面を転がる弾丸。

 

 

『い、何時の間に抜いたクマ……?』

 

「なんて多才なんでしょう…。雪雫さん、手品でも食べていけそうですね」

 

 

 皆の視線が集まる中、それを気にもせずウィッチは拳銃を塔の外へと放り投げ、再び足立と向き合った。

 

 

「僕を消せば、少なくとも向こうの異変は消えるというのに……」

 

「そんなその場しのぎの解決方法なんて要らない。私が求めるのは、根本的な解決方法」

 

「根本的、ね……。…ははっ、参った参った。…これだから世間を知らないガキは………。大人らしく楽な道を勧めてあげたのに、自分から苦しい方に進むなんて…。全く、青臭い奴らだよ…」

 

 

 相も変わらず小馬鹿にする様な、しかしながら何処か羨ましそうな。そんな複雑な笑みを浮かべて足立は口を開く。

 

 

「根本的な解決、と言ったね。なら話は簡単だ。この世界の核を潰してしまえばいい」

 

「核…ですか」

 

「せやけど、どのスタジオ回ってもそれっぽいの無かったで?」

 

「そりゃそうだよ。だってこの世界においてスタジオはさほど重要では無い…。いや、それぞれ役割を持つシャドウは居たが、今は関係無い話さ………」

 

「なんや? ほな、ここまで昇って来たのは無駄足だったちゅうことかいな?」

 

「僕が居なければ、ね」

 

 

 ほら、と足立は再び何かを放り投げ、すかさずキャッチするウィッチ。

 拳銃では無い。

 

 

「勾、玉…?」

 

 

 それは色取り取りの勾玉。赤、緑、青エトセトラエトセトラ……合わせて7つ。太陽の光をテラテラと反射し、宝石の様に輝いている。

 

 

「それぞれのスタジオに散りばめられたやつだよ。それを持っていけば──」

 

「待ちや、スタジオは全部で6つの筈や。もう一つあるちゅうんか?」

 

「君、人の話を最後まで聞かないタイプのアンドロイド? ……この世界において重要なのは上では無く地下。エントランスを良く調べて───ちっ」

 

 

 足立が言いかけたその瞬間、青空が広がっていた筈の空に陰りが生じる。

 太陽は赤黒く変色し、空を裂くような轟音が響き始めた。

 

 

『緊急事態! エマージェンシーだクマー!! 地上から高速で上がって来るシャドウの反応あり! これは……死神タイプの───!』

 

 

 途端、黒い影が塔の淵から這い出て来た。

 手には二丁の銃。携えた黒いコートは血の様な染みで汚れ、ジャラジャラと鎖を鳴らす、死を形容したような怪物。

 そして──。

 

 

「少し、お喋りが過ぎませんか。足立元刑事」

 

 

 その場に不釣り合いな程の、凛とした可憐な少女の声。

 

 

「そぉら、女王様のお出ましだ」

 

「ただの舞台装置の癖に…。ペルソナを取り上げるだけじゃ足りませんでしたか」

 

「その舞台装置に知識と力を持たせたのがそもそもの間違いだよ。管理者を騙るのなら、機械は機械として扱わなきゃね。アハハハ」

 

 

 怪物の肩から足立達を見下ろしていた少女は軽やかな動作で地に足を下ろす。

 その特徴的な赤い髪と、黒いコートをはためかせながら。

 

 

「──なんで、ここに」

 

 

 その声を聞いた時、もしかして。とその考えが脳裏に過ぎった。

 その姿を見た時、どうして。という疑問と共に、心の何処かで溜飲が下がった。

 

 

「……雪雫」

 

「かすみ───」

 

 

 赤い少女と白い少女の視線が交わる。

 お互い仮面越しの対面ではあるが、ハッキリとその存在を認知出来る。

 だって、彼女達は幼馴染なのだから。

 

 

「…知り合い……」

 

「みたいやな。クマ。あっこに居る嬢ちゃんは人間か?」

 

『ん、んんん……。ま、間違いないクマ、純度100%のニンゲンだクマ~!』

 

「……なら、決まりやな」

 

 

 ラビリスが斧の柄に手を掛け、僅かに姿勢を低くする。

 その動作が、無情にも今の状況を如実に雪雫に訴える。

 

 敵。犯人。黒幕。

 探し求めていた事件の根本、真相。それが友人の形を取って。

 

 

「ラビリス、待って……! かすみ、本当にかすみなの? 良く出来た偽物とかじゃ…」

 

 

 大きく見開かれた赤い瞳が動揺で揺れる。

 紡がれた言葉はたどたどしく、震えを伴って発せられ、足は僅かに後ずさる。

 

 

「……雪雫さん…」

 

 

 ここに来て一番に動揺を示した雪雫に、アイギスは正直驚きを隠せないでいた。

 何分、雪雫と行動を共にしてまだ日が浅い彼女にとって、今までの立ち振る舞いからはとても想像出来ないモノだからだ。

 

 しかし、アイギス達は知る由も無いが、雪雫という少女は身内には甘く、すぐに割り切れる程、精神も成熟していない。

 大山田が良い例だろう。

 おかしい、理不尽と違和感を感じつつも、結局切っ掛けが出来るまでは彼を信じようとしていた。

 

 信じたくない、自分にとって都合の良い真実だけを見ていたい。

 そんな子ども染みた当たり前の感情を、雪雫も例外なく持っている。

 

 そして、その思いは、今まさに赤毛の少女に注がれて───。

 

 

「あぁ………。───良い…。良いよ雪雫」

 

 

 やけに熱が籠った瞳で、感嘆の声を漏らす赤毛の少女、否「芳澤かすみ」。

 身震いが収まらぬ自身の身体を抱きしめ、真っ直ぐに雪雫に視線を送っている。

 

 

「困惑、悲痛、そしてほんの少しの憤り……。そんな顔も出来るんだね、アハ、ハハハ」

 

「……なんや、コイツ…………」

 

「あの雪雫の視線が、興味が、感情が……。今まさに、全てが私に向いて──」

 

 

 戸惑う雪雫にジリジリと詰め寄るかすみ。

 

 

「そこまでにしとき!」

 

「雪雫さん!」

 

 

 敵意は無く、それ故に純粋。雪雫の制止の声もあり、2人の間に割って入るか否か、僅かに迷いが生まれて出遅れるアイギスとラビリス。

 

 

(間に──)

 

(合わへん──!)

 

 

 ゆっくりと、雪雫へと伸ばされるかすみの両腕。

 そのまま首を掴んで絞め殺すのではないか。そんな最悪なイメージすら浮かんでしまう状況。

 

 

「さぁ、雪雫。私と───」

 

 

 雪雫の細い首に手が掛かろうとした。

 その時。

 

 

「っ」

 

 

 乾いた音と何かを弾く音が立て続けに木霊した。

 

 

「銃、一丁だけだと思っていたんですが」

 

「手の内を全て晒す訳が無いだろう?」

 

 

 ヘラヘラと笑いながら銃口を向ける足立と、それを睨み付けるかすみ。

 両者の間には大型のシャドウが鎮座しており、彼女を凶弾から守った事が分かる。

 

 

「足立、透……」

 

 

 銃声で我に帰ったのか、呆然としていた雪雫の意識が僅かにかすみから逸れた。

 

 

「何、偉そうにふんぞり返っているそこの女王様の顔を歪ませたくてね。決して君を助けた訳じゃ無い」

 

「道化風情が……! シャドウ、あの男を刈り取って。私の逢瀬を邪魔した罰で」

 

「はっ。ガキが偉そうに……!」

 

 

 かすみの声に合わせて雄叫びを上げる怪物と、小馬鹿にした笑みを浮かべる足立。

 雪雫への執着が僅かに外れた隙に、アイギスが未だに状況を飲み込み切れていない雪雫を回収する。

 

 

「一度、撤退しましょう。今のままでは非常に分が悪い」

 

「せやな、雪雫には悪いが、仲間割れしとる間に……!」

 

『で、でもアダッチーはどうするクマ!?』

 

「んなこと言っとる場合か! こっちは生身の人間連れとるんやで!?」

 

「そう、そこのチェーンナックルの言う通り。そろそろ現実見なよ」

 

 

 誰がチェーンナックルや!とラビリスが抗議の声を上げる。

 

 

「本意では無いけど、彼女よりも君達に手を貸した方がこっちとしても気が楽だ。あぁ、なに。置いていく事に負い目を感じる必要は無い。そこのラビリス…だっけ? 彼女の言う通り僕に生死の概念は無いからねぇ」

 

 

 それに、彼女も彼女で僕を殺せない。

 ニヒルな笑みを浮かべながら足立は言った。

 

 

「……雪雫ちゃん。友情とやらを大事にするのも良いけどね。それに固執して目を曇らせちゃあ、本末転倒というやつさ。君は楽な道を選ばなかっただろう。ならそれなりの責任を取らなきゃ。あ、これ大人としてのアドバイスね」

 

「───私は…」

 

「行きましょう。状況は悪くなる一方です」

 

 

 そう言うや否や、アイギスは雪雫を抱えたまま塔を飛び降りた。

 続いてラビリスも僅かに戸惑いを示したものの、意を決して飛び降りる。

 

 

「っ! 雪雫!!!」

 

「───おっと。君の相手は僕」

 

 

 追おうとしたかすみだが、その行く手を足立に阻まれる。

 相も変わらず、人を煽る様なヘラヘラとした彼に。

 

 

「皮肉なもんだね。彼女を傷つけたくない故に、取り逃がすなんて。そのままそのシャドウを暴れさせておけば、今頃君の手の中だろうに」

 

「──分かってないですね。彼女は全て私のモノ。その声も、瞳も、傷1つでさえも。私以外の存在が傷をつけては、元も子もないでしょう」

 

「……っは。恋心もここまで肥大化すれば醜悪そのもの…。君はつくづく哀れだよ」

 

 

 かすみはピクリと眉を動かし、苛立ちを込めた瞳で足立を射抜く。

 それに応えるように、シャドウも臨戦の態勢を整えた。

 

 

「…ペルソナも使えなければ、従えているシャドウも居ない。この状況、勝てるとでも?」

 

「勝ち負けに拘るのはガキの性かね…。──それに」

 

 

 足立は自身の右手を前に出し、手の平を空へと向けた。

 手に浮かぶのは一つのカード。青白い炎を宿した、愚者の象徴。

 

 

「道化っていうのは何にでもなれるカードだって、知らないのかい?」

 

 

 激しい爆音と振動が、塔全体を包んだ。



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60:You are special to me.

 

 キーンコーンカーンコーン。

 

 聞き慣れた規則正しい音が構内に響く。

 始まりと終わりを告げる鐘の音。

 前者であれば憂鬱な気分に、後者であれば爽快な気分へ。

 

 今回の場合は後者、終わりを告げる音だ。

 

 そそくさと教科書やら文具を片付けるクラスメイトたち。

 

 放課後はどうするのだろう。興味はあるが気にはならない。

 だって大体想像出来たから。

 

 やんちゃなあの男の子は友達と外で遊ぶのだろう。

 大人しいあの子はきっと自宅で本でも読むのだろう。

 真面目な委員長は図書室で宿題をしてから帰るのだろう。

 

 なんてことはない。

 日々、みんなと関わっていれば、話していればわかることだ。

 

 特段、仲が良いとか家族ぐるみの付き合いがあるとか、そういうのではない。

 自然にそうなっていただけだ。ただ、気付いたらみんなの円の中心に居ただけ。

 

 昔から運動が得意だった。勉学だってさほど困ったことはない。

 小学校という環境は酷く単純なもので、その2つさえある程度出来ればそれだけで注目が集まる。

 やれリレーのアンカーをやってくれ、やれ勉強を教えてくれ、やれ委員会に入ってくれエトセトラエトセトラ。

 人によってはそういうのが煩わしく感じることもあるだろう。でも、私はそういう風には思わなかった。

 引っ込み思案の妹が居たからか、それとも元来そういう性格なのか。まぁどちらにせよ、私は快活で積極的な部類の人間だと思う。何も知らない子ども時代は特にそれが顕著だった。

 

 しかし、そんな私であっても決して踏み込めなかった領域が存在する。

 それが苦手だったとか、興味が無かったとか。決してそういうマイナスイメージは持っていない。

 寧ろ逆だ。

 

 ならばなぜ、踏み込めなかったか。

 答えは単純で、それをしてはいけないと思ったからだ。

 

 それは正しく、高嶺の花だ。

 それは正しく、エデンに生えた禁断の果実だ。

 それは正しく、穢れを知らない天使そのものだ。

 

 汚してはいけない。あれは踏み込んではいけない禁足地だと。子どもながらに直感したのだ。

 

 窓際の席で、いつもつまらなそうに外を眺めていた。艶やかな黒髪を持つ少女。 

 

 名を、天城雪雫。

 

 彼女の席があった教室の窓際の一番後ろの席は、まさに聖域そのものだった。

 

 

 今でも覚えている。

 あれはそう、小学2年生の時。初めて私が、彼女と同じクラスになった年だ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 今日も彼女の世界は変わらない。

 

 クラスメイトどころか、教師ですら彼女と会話をする事が殆ど無い。

 授業中であろうと、休み時間であろうと、放課後であろうと。彼女に話しかけようとする存在は1人も存在しなかった。

 

 まぁ無理も無いだろう。

 元々身体が弱く学校も休みがち。最近では学校に来る方が珍しいくらい。しかしながら、それでいて他の誰よりも勉強が出来て、加えてあの美貌だ。

 

 正直、恐ろしいとすら感じる。

 それは周りのクラスメイトも、教師陣ですら同じことを思うだろう。

 

 その瞳は私達に見えないものを見ているのでは無いか。

 その思考は私達の想像にも及ばない考えを持っているのでは無いか。

 

 圧倒的な全能感。

 そもそも立っているステージが違う。私達とは前提から、根本的に違えている。

 そう、思わせる程の存在感だったのから。

 

 もうすぐ、授業が終わる。

 今日の彼女も相変わらず、つまらなそうに窓の外を眺めるばかりだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 今日、彼女は学校に来なかった。

 きっと隣町の大きな病院に行っているのだろう。

 

 教室の隅の聖域は少女の姿が無いにも関わらず誰も近寄る事は無く、彼女の話題を口にする者は誰ひとりとして存在しない。

 

 私以外、彼女の存在を認識出来ていないのではないか。

 

 不敬ながら思わずそう思ってしまう程に、教室の風景は変わらない。

 

 その一画だけ、彼女の存在だけ、世界から切り取られたような、別世界が広がっている様な。

 そんな考えがぼんやりと脳裏に浮かんだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 今日も彼女は学校に来なかった。

 彼女が休んでからもう早いとこで2週間程か。

 

 相変わらず誰も話題に上げる事は無かったが、彼女の身体の事を考えると何となく想像が付く。

 入院、というやつだろう。

 

 彼女本人から語られた事は無いが、噂では随分と身体が弱っているらしい。

 神様から溢れんばかりの才能と、人並外れた美貌を貰っても、時間までは貰えなかったらしい。

 

 その事実が、彼女の存在の希薄さにますます拍車をかける。

 触れれば壊れてしまいそうな。容易く斃れてしまいそうな。

 

 ああ、誰も彼女に関わろうとしない訳だ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 今日も休みだった。

 学校の雰囲気も相変わらずだ。誰も彼女の話題を出さず、私達の世界は何も滞りなく回っている。

 

 ここまで来ると人知れずその存在が消えてしまったのではないか。

 そんな考えさえ脳裏に過ぎるが、誰も近寄ろうとしない聖域の存在が、そんなことは無いと私に教えてくれる。

 

 

「…かすみ、最近元気無いね……。どうしたの?」

 

 

 学校から帰り、新体操の練習に向かっている最中、妹のすみれが私にそう言った。

 

 

「──元気、無い…? そうかな?」

 

 

 正直、すみれの言葉は的外れと思った。

 食欲はあるし、頭も回る。今日だってテストの点は良かった。それに身体も動くし、新体操へのやる気も十分。

 コンディションとしては万全と言っても良い。

 

 そんな私が元気が無い?

 

 

「何だろう、何処か上の空っていうか……。兎に角、変!」

 

「変って……」

 

 

 要領の得ない妹の言葉に苦笑を返しながらも、最近の出来事を思い返す。

 テストは常に上位をキープ。委員会も特に問題は起きず、新体操に至ってはこの間入賞する事も出来た。

 

 正に順風満帆。私の世界は常に滞りなく───。

 

 

「───あっ」

 

「かすみ?」

 

 

 世界……。そうだ、彼女を暫く見ていない。

 何時もつまらなそうにしている少女。別世界の住人でありながらも、私の世界にとっての当たり前な風景となった、そんな少女を。

 

 

「おかえり~! 寂しかったよう~!!」

 

 

 その時、ふと少女の声が聞こえた。

 

 

「あれは──」

 

 

 目を向ければそこには2人の少女。

 1人は近隣の中学校の制服を纏い、赤みがかった茶色の髪の毛を揺らしている。

 もう一方の少女は、白く清潔なワンピースに対して艶やかな黒髪を携えている。

 

 

「……暑い」

 

「まぁまぁそう言わずに~!」

 

 

 制服の少女…、八十稲羽市に住んでいる者なら知って居るだろう。片田舎から突如として表れたジュニアアイドル。じわじわと人気を集め、将来的には大成間違い無しと太鼓判を押されている。そんな少女。

 その久慈川りせが、もう1人の小柄な少女に飛びつき、少女は少女で文句を言いつつもそれを受け入れている。何時も無表情だったその顔を、僅かに綻ばして。

 

 

「あれは…。久慈川りせ…さんと、天城さん? 良かったね、かすみ。退院したんだね」

 

「……………ふぅん」

 

「かすみ?」

 

 

 ジュクジュクと、心が音を立てていたのを今でも覚えている。

 私の知らない少女の一面。決して触れる事など許されない、神聖な存在。

 そんな彼女が、ごく普通の、年相応の少女の様な顔を向けていた。

 

 

「そんな顔も出来るんだ」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 あの顔が頭から離れない。

 普段の姿からは想像の出来ない朗らかな、安心しきった様なふんわりとした笑み。

 

 あんな顔、初めて見た。

 いつもはつまらなそうに、何にも興味を示している様子が無い彼女が、あんな風に。

 

 

「………はぁ」

 

 

 形容しがたいモヤモヤが、胸中に蠢く。

 意外な一面を見れて嬉しい。しかし、心の何処かで落胆している自分も居る気がする。

 

 

「どうしちゃったんだ、私」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 学年が1つ上がり、小学3年生になった。

 風に揺れ、宙に舞う桜の花びらがそれを祝福してくれている様な、そんな季節。

 

 今回もまた、妹のすみれとは同じクラスにならなかった。

 お母さん曰く、同級生姉妹はどうしても離れ離れになってしまうらしい。それぞれの成長の為とかなんとか。まぁそれはいい。どの道、練習とか家で会えるし。

 それよりも重要なのは。

 

 

(今年も一緒だ……)

 

 

 渡された名簿の上の方の名前。

 私の興味を掴んで離さない少女、天城雪雫。

 

 きっと、今年もまた彼女を眺める一年になるだろう。

 そう、思っていた。

 

 ・

 ・

 ・

 

「残念だね、かすみ。雪雫さん、学校来なくて」

 

「んー……」

 

 

 ストレッチの補助をしてくれているすみれが、眉尻を下げてそう口を開く。

 

 

「折角、また同じクラスになったのに……」

 

「…そうは言っても仕方ないでしょ。身体悪いんだから…」

 

 

 新たな学年の生活がスタートして早いもので3週間ほど。

 話題の彼女は未だに学校に姿を見せない。

 なんでも、春休みからずっと隣町の総合病院に入院しているらしい。来月の頭からは東京の病院に移るんだとか。

 

 

「良くなるといいね」

 

「……そうだねぇ…」

 

 

 この1年間、私は彼女の姿を見る事は無かった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 また1年が過ぎた。

 私達は小学4年生になり、下と上からの板挟みにあう中途半端な時期。

 

 また恒例のクラス替え…はあったが、片田舎の小学校ではそうそう新鮮味も生まれない。そもそも2クラスしかないのだ。毎年行う意味が果たしてあるのだろうか。

 そんなことを思いながら教室に入った時、一年振りの別世界が広がっていた。

 

 

「あ………」

 

 

 何時もの教室の隅、窓際の一番後ろ。

 窓から差し込む光が、その容姿を一際輝かせていた。

 

 教室全体がざわついている。誰もが皆、今の私と同じように彼女に視線を送っている。

 

 誰だ、あいつ?

 転入生?

 

 口々にそう語っていた。

 まぁ無理も無いだろう。それほどまでに彼女の容姿は変わっていたのだから。

 

 艶やかな黒髪はシルクの様な白髪に。

 深海の様な深い黒い瞳は、宝石の様な赤色へ。

 

 元々人並外れた雰囲気が、さらに増していた。

 まるで、もう同じ生き物じゃないのではないか。とそう思ってしまう程に。

 

 でも、それでも私は、私だけはわかる。

 だってずっと彼女を見てきたのだから。

 

 そうだ、今更何を驚く事がある。だって元々、彼女は特別なのだから。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 また、彼女を眺める日々が始まった。

 

 容姿が変わったからと言って、特段彼女の世界が変化することは無い。

 相変わらず授業中は外を眺めているし、表情も常に一定だ。

 

 大きな変化があるとするならば、体育の授業に出る様になったことと、学校を休むことが殆ど無くなったことだ。

 

 体育の時は驚いた。

 まさかあそこまで動けるなんて。病弱、というイメージがすっかり板に付いていたもんだから。

 元々、運動神経は良いのかもしれない。

 

 バスケ、サッカー、バレー、器械体操エトセトラエトセトラ。

 何をやらせても様になったし、全てにおいて一定以上の活躍を見せていた。

 ……水泳だけは休んでいたが。水が怖いのかな?

 流石に体力は無い様で、割とすぐに息切れを起こしていたが、あの様子を見るにすぐにそれも解消されるだろう。最近では彼女の姉…確か雪子さん……と久慈川りせさんとランニングしている姿もチラホラと目撃されているという。

 

 それは彼女が完全に快復した何よりの証拠であり、大変喜ばしいものなのだが、それが余計に彼女と私達の間の壁を強固なものにした。

 

 文字通り「何でも出来る」ことが証明されたからだ。

 今までの彼女で、唯一と言っていいほどの弱点が、人間らしさを感じられていた部分が、今の彼女には無い。

 放っておいても大丈夫だろう。彼女は強い。特別な存在だ。

 そんな考えが、より皆の心に刻み込まれた。

 

 だから、彼女の世界は変わらない。

 相も変わらず教室の隅の席は誰も近寄ろうとはしないし、そこを遠くから眺める私も変わらない。

 

 不変の存在。

 それが当時の認識だ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 翌年。

 とうとう小学校における上級生。

 最高学年に向けての心構えとかを、口酸っぱく言われる様になる時期。

 

 私が彼女を認識してから初めての出来事が、私の身体に衝撃を落とした。

 

 

「……別クラス…?」

 

 

 自身のクラス名簿に彼女の名前が無い。

 何度見返しても、何度その文字を探しても、彼女の名前を構成する漢字が一文字も見つける事が出来なかった。

 つまりは。

 

 

「あ、今年は私が一緒だ」

 

 

 決して同クラスになる事が無い妹、すみれ。自ずとすみれのクラスに彼女が居る事になる。

 

 

「……か、かすみ…。そんな険しい顔しないでよ…」

 

「……してないよっ!」

 

 

 自分でもビックリするくらい、大きな声が出たらしい。

 すみれも目を丸々と開き、周りの生徒達も訝し気な目でこちらを見ている。

 

 

「………そんなに気になるなら、話しかけちゃえばいいのに」

 

「……誰に?」

 

「そりゃあ、天城さんに」

 

 

 私が天城さんに話しかける。

 そんな烏滸がましい事、考えた事も無かった。

 だってそうだろう。彼女は私達と明らかに違う。見えている風景が、生きている世界が、全くの別物の筈なんだ。

 敬う事があるにしろ、話しかけようなんて。まるで対等の存在の様な、友達の様な真似、許される筈が──。

 

 

「何それ。変なの」

 

 

 言葉に漏れていたのか、それとも態度で察したのか。すみれが思わずと言った様子で噴出して笑みを作る。

 

 

「すみれは彼女の事知らないから───」

 

「知らないって、そんな訳無いじゃない。だってほら、私1年生の時は同じクラスだったんだよ?」

 

「じゃあ、すみれは話しかけたことあるの?」

 

「そ、それは無いけど……」

 

 

 ほら、見た事か。

 話した事も無いのに、私みたいに見ていた訳でも無いのに。知った気になって。

 

 そんな顔をしていると、すみれは不服そうに頬を膨らませて

 

 

「普通の女の子だと思うんだけどなー」

 

 

 うわ言の様に呟いていたのを、良く憶えている。



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61:Arrival of spring,Start of a romance

 

 

 よく霧が出た日の事だった。

 

 

「………んー…」

 

 

 授業が始まる時間であるのにも関わらず、先生は教室に現れる事無く、何も案内が無いまま放置されること20分ほど。

 暇を持て余し、キョロキョロと視線を動かす。黒板、廊下、時計、ロッカー、窓際の方。

 

 

「…………はぁ」

 

 

 居ない、居るわけが無い。今年は同じクラスに慣れなかったのだから。

 

 

「いいなぁ、すみれ」

 

 

 ポツリと思わずそんな言葉が漏れ出てきた。

 

 羨ましい。狡い。

 

 そんな嫉妬混じりの感情が沸々と湧いてきた時、困惑と焦りが混ざり合った表情の先生が教室の暖簾を潜った。

 普段は見せない様子に、教室中がざわめく。

 

 どうしたんだろう。

 何かの事件かな。

 

 そんな言葉が飛び交う中、先生は静かに告げた。

 臨時休校だと。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 結局、学校側からの詳しい話は無かった。

 兎に角、授業が行える状況では無い。と説明を受け、生徒達は全員、自身の親と一緒に自宅へ帰る事に。

 帰宅した後も、緊急時以外の外出はしてはいけないらしく、練習も無くなった私は、久々に家でゆっくり妹や母と過ごすことになった。外で忙しなく鳴り続けるサイレンの音を聞きながら。

 

 

「え、天城さん、休みだったの?」

 

「うん…。教室に居なかった……。心配だね…」

 

 

 私達姉妹が顔を合わせれば、決まって話題に上がる天城雪雫。何時から、と聞かれれば私が目を奪われたあの日からだろう。

 家に帰る度に、すみれから彼女の話を聞くのが日課になっていたが、今日はどうやら休みだったらしい。

 

 

「……事件、とかに巻き込まれてないよね………」

 

 

 嫌な想像が脳裏に過ぎる。

 

 大人達は情報を伏せているが、ここは狭い田舎町。町の様子を見ていれば、余程のバカじゃない限りは直ぐに察しが付く。

 何か、大きな事件が起きたんだと。

 

 

「…まさか………そんな訳。たまたま調子が悪かったんだよ」

 

「そう、だよね……」

 

 

 何とも言えない不安と焦燥を胸に抱きながらも、それを解消する手段を持たない私達は、ただただ希望的観測を言い合うしか無かった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 例の臨時休校から数日後、彼女は無事に登校してきたらしい。

 いつもの無表情に、若干の隈を作って。

 

 わざわざ隣のクラスから報告に来てくれたすみれと共に、教室の外から彼女を観察する。

 最早、教師陣の中でも暗黙の了解になっているのか、お決まりの隅の聖域。

 そこに腰掛ける彼女は、確かに眠たそうに目を擦っていた。

 

 何処か、顔色も悪い気がする。

 元々白い顔が、さらに白く、まるで病人の様だった。

 

 今期の保健委員になったらしいかすみが「連れて行ったほうが良いかな」と呟いていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 臨時休校の原因は、やはり事件だったらしい。

 それも殺人事件。

 

 初めに知ったのは母の口から、詳細はニュースで。正式な御触れとしては学校で。

 暫く登下校は集団で行うらしく、警察や学校の先生、地域のおばちゃん達が見守ってくれる様だ。

 

 すみれは「ちょっとは安心だねー」と口元を緩ませていた。

 

 そんな中、私は全く別のモノに興味を引かれていた。

 彼女も、同じ様にするのかな、と。

 

 

◇◇◇

 

 

 集団での行動もすっかり慣れ、事件が起きた事など、時折思い出す程度になってきた。

 そんな時期。

 

 再び先生が血相を変えて教室に飛び込んできた。

 今度はハッキリと「また事件が起こった」と口にして。

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 当然、保護者に迎えに来てもらう訳だが、そう都合良く迎えに来てもらえる訳も無い。

 タイミングが悪い事に私達の母は現在、隣の沖奈市に出かけており、すぐには来れないらしい。

 友人のお母さんや地域のおばちゃん達に送って貰っても良かったのだが、結局家には誰も居ない。緊急時における子どもの留守番程、不安なモノは無いと、学校側は母が来るまでの間、滞在を許可してくれた。常に、先生と一緒に居るという条件付きで。

 

 何処で時間を潰すかは、もう決まっている。

 すみれ繋がりで仲良くなった養護教諭が居る領域……、つまり保健室。

 清潔な空間で、それでいて空調完備、ベットもソファもお茶もある。こんなに良い空間、他に思いつかない。

 

 すみれはもう先に行っているらしく、やっと担任から解放された私も一足遅れて保健室へ。

 

 

「お世話になりまー……す?」

 

「…あ、かすみ………」

 

 

 横開きの扉を開け、何時もの調子で保健室に入ると、真っ先に感じ取ったのは重たい空気。

 私の名前を呟いたすみれに目を向ければ、彼女は困った様に眉を顰め、手に何かを握っていた。

 

 すみれの手の中にすっぽりと入った白く小さな手。そこから伸びるしなやかな線を視線でなぞると、その先には頭からタオルケットを被った小柄な体躯をした生徒が。

 タオルケットの裾から見える白髪が、僅かに小刻みに揺れていた。

 

 

「……人…、死ん…で…。またっ………」

 

「だいじょーぶ、だいじょーぶだから……、ね、天城さん…」

 

 

 髪を見てもしかしてと思い、すみれが名前を確信した時、この生徒が誰か確信した。

 

 

「……天城…、雪雫………」

 

 

 天城雪雫。

 万能の少女。全能の体現。常に冷静で、私達の住んでいる世界とは違うところに居る人。

 

 そんな彼女が、ただただ身体を震わして怯えていた。

 許しを請う罪人の様に。お化けを怖がる子どもの様に。

 

 そんな彼女をすみれは背中をさすってあやす。

 大丈夫。そう何度も語り掛けて。

 

 

「天城さん…、まだ人が死んだって決まった訳じゃないのよ?」

 

「でも、サイレン……。鳴って…」

 

 

 お茶を持ってきた先生が──、この匂いはハーブティーだろうか。

 兎も角、先生も努めて優しく彼女に語り掛けながら、お茶を飲む様に促す。

 

 

「ね、ねぇ…。どうしたの、天城さん…」

 

 

 努めて冷静になろうとしたが、困惑は声の震えに現れて出てしまった。

 

 

「…それが、私が来た時から……」

 

「…………」

 

 

 すみれは横に首を振り、先生は難しい顔をしたまま答えない。

 何となく分かる。私達には知らせる事は出来無い。もしくは知らせる必要が無い。そんな顔だ。 

 

 

「だ、大丈夫……?」

 

 

 取り敢えず、彼女が普通の状態じゃないというのは良く理解出来た。

 目撃してしまった手前、私も2人を見習って天城さんに優しく語り掛け、その小さな肩に。殆ど変化の無いその身体に手を添えた。

 

 

「……っ」

 

 

 ビクリと、彼女の肩が跳ねた。

 恐る恐ると言った様子で、彼女の赤い瞳がこちらに向く。

 

 開いた瞳孔、揺れる瞳。その柔肌をつたう冷汗。

 今までに見た事の無い、そんな彼女の怯えきった表情。

 

 

「────────」

 

 

 へぇ。

 

 何か、感じるものがあった。

 しかし、それを言葉にすることは出来ない。未知の感覚、だったから。

 

 変わらず先生もすみれも、彼女に優しく語り掛けている。

 私も私で、肩を擦り続けている。

 

 

(………綺麗な顔。初めてこんな近くで見た)

 

 

 今はそれどころでは無いというのは理解しているつもりだが、そう思わず考えてしまう程、近くに彼女は居た。

 何時も何時も、近い様で遠かった彼女の存在。同じ空間に居ながらも、別の世界の住民の様に思っていた彼女。それが、今は手が届く、こんなすぐ近くに。

 

 

(本当に綺麗)

 

 

 肩を擦っていた手が、その白い頬に伸びようとしていた。

 彼女は気付かない。それどころでは無いのだろう。すみれも先生も、止める様子は無さそうだ。

 

 ゆっくり、ゆっくりと。壊れ物に触れる様に。

 あと数センチ。あと数ミリ。もう少しで───。

 

 

「雪雫!!」

 

 

 その時、勢い良く部屋の扉が開いた。

 彼女の名を呼んだ女性は、焦った様子で震える少女の元へ。

 

 以前の彼女にそっくりな艶やかな黒髪。赤いヘアバンドとそれに揃えたであろう制服。映える黄色いリボンが、彼女が八十神高校の生徒だと主張している。

 私達はその女子生徒を知っている。

 この町に住んでいる者なら、名前くらいは聞いた事ある筈だ。

 

 唯一の観光名所と言っても良い高級旅館。そこの女将の長女。正真正銘の天城雪雫の実姉。

 

 

「…雪……子………?」

 

 

 そんな女性の名前を、震える声で必死に天城雪雫は紡いだ。

 

 

「…ゆ、きこ……雪子………。お姉、ちゃん……!!」

 

「うん、お姉ちゃんだよ…。迎えに来たから。もう大丈夫、だから」

 

 

 自身の姉を姿を確認した彼女は、縋り付く様に抱き着き、何度も何度もその名を呼ぶ。

 安堵と恐怖が入り混じった様な顔。

 その瞳の端から、涙がつたっているのも確認出来た。

 

 

(家族にしか、見せない表情……)

 

 

 きっと、さっきまでは気持ちが溢れ出さないようにギリギリのところで我慢していたのだろう。

 それが肉親が来たことで決壊した。

 

 彼女が心を許した相手のみに向けられる感情。

 私は初めて、彼女からのそれを羨ましいと感じた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 2回目の事件以降、すみれは少し天城雪雫と仲良くなった様だ。

 というのも、度々彼女に気遣って話しかけたり、一緒に保健室行ったりしているらしい。

 

 ついでにすみれから天城雪雫が取り乱していた理由も聞いた。というのも、本人が語ってくれた…らしいが。

 なんでも1回目の事件、山野真由美さんの死体の第一発見者らしい。つまり、直接死体を見たわけだ。

 

 道理でその日、学校に来れなかった訳だ。まともな精神状態で居られなかったのだろう。

 ましてや、山野真由美と言えば世間の目から逃れる為、実家である天城屋旅館に泊まっていたというのだ。

 

 そして、その傷が癒えぬまま起きた2回目の事件。

 私達はまだ小学生だし、いくら彼女だとしても、ああなるのも無理はないかもしれない。

 

 因みに、2回目の事件も彼女の想像通り、殺人事件だった。

 

 世間っていうのは、つくづく厳しく出来ているものらしい。

 

 

「でね、()()がね」

 

 

 すみれは今日も、私の背中を押しながら彼女の話を楽しそうにする。

 私にとっての特別な存在も、すみれの前では同年代の友達。

 私は眺めるばかりだった対岸に、すみれは足を踏み入れている。

 

 ジュクジュクと、また心が音を立てた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 町で雪雫を見かける事が多くなってきた。

 

 大体は姉の雪子さんや、最近こっちに戻って来た久慈川りせさんと。時々、緑色のジャージを着た八十神高校の生徒さんと。

 学校外で見かける時、決まって歳上の高校生たちと一緒に居た。

 

 しかし、何事にも例外がある。

 その例外と言うのが私の妹、すみれだ。

 

 学校内での関係は、遂にプライベートにまで発展したらしい。

 共に勉強したり、一緒に映画を観たり、買い物に行ったり。すみれと雪雫が共に過ごす時間は着実に増えていった。

 

 そして、それは私も例に漏れず。

 

 

「あ、かすみ。おかえり~」

 

 

 委員会の仕事で帰宅が遅くなったある日。家に帰ればリビングのソファに借りて来た猫の様にチョコンと座る雪雫さんとすみれが居た。

 目の前のテレビに視線を向ければ、映っているのは去年公開されていた映画。あの有名な童話「不思議の国のアリス」を実写化したやつだ。

  

 

「…芳澤、かすみ……さん。すみれのお姉ちゃんの」

 

「え、えぇ……」

 

 

 とても色気の無い出会いだが、これが私と雪雫の初めての会話だ。

 

 

「聞いてよ、かすみ。雪雫、アリスが怖いんだって!」

 

「……すみれ」

 

「そんなにムッとしないでよ~」

 

 

 まるで仲睦まじい友人同士のやり取り。

 そんな姿を見ながら、私の心はただただ困惑と歓喜に満ち溢れていた。

 前者は、自分の世界に唐突に天使が舞い降りた事に対して。後者は、その彼女が私を認識してくれている事に対して。

 

 彼女の口から、彼女の声で、しっかりとその赤い瞳で私を捉えて。芳澤かすみ、確かにそう言った。

 

 この時、この瞬間に。

 私は知ってしまった。彼女に興味を持たれる喜びを。真っ直ぐ注がれる視線の心地よさを。

 

 

「……私も一緒に観ても良い?」

 

「もちろん。ね、雪雫?」

 

「ん」

 

 

 映画の内容は殆ど憶えていない。

 憶えているのは映画のシーンが変わる度に僅かに動く雪雫の表情と、その息遣い。

 それと。

 

 

(全部が自分に注がれたら、どんなに心地良いのだろう)

 

 

 芽生え始めた独占欲だけだ。 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 その後も色々な事が起きた。

 それは私達姉妹の事でもあるし、雪雫自身にも。

 

 映画の件以降、雪雫と私達姉妹は3人で過ごす事が多くなった。

 同級生からは天城雪雫に対して唯一対等に渡り合える存在として、一目置かれたりもした。

 

 対等?

 とんでもない。ただたまたま巡り合わせが良かっただけだ。私はそんなこと一度も思った事が無い。今でも彼女は私にとっての特別な存在で……。

 

 話がそれた。

 

 兎に角、今までの学校生活は何だったんだろうという位、雪雫と過ごすことが多くなった。

 関係性で言えば、雪雫本人が大会の応援にわざわざ足を運んできてくれる程に。

 たどたどしい口調で入賞出来ず落ち込むすみれを励ましていたのは記憶に新しい。

 

 歳の瀬に近づくに連れて、以前と比べると雪雫本人の口数も随分増えた気がする。

 段々と自分の事を話してくれるようになり、プライベートの事も。

 

 雪子さんを通して出会った高校生たちの話。同じ学校に通う一年生の菜々子ちゃんの話。神社のキツネ、愛家でのオススメメニュー……。

 

 本当に沢山の時間を共に過ごした。

 

 

 そんな折だった。

 私は重大な事に気付いてしまった。

 

 それは学校の帰り道。

 何時も通り学校が終わり、雪雫と私達2人、それぞれの家に向かっていた。そんな何でもない日。

 

 連日、厳しい冷え込みが身体を蝕む冬の日だった。

 その日、たまたまお気に入りのマフラーを忘れたすみれが、くしゅんとくしゃみをした、何気ない日常の風景。

 

 

「…………」

 

 

 おもむろに雪雫が自身の赤いマフラーを解いて、すみれの首に巻いた。

 状況を飲み込めていないすみれが、ボーっとした表情を浮かべていたのが印象的だった。

 

 

「貸す」

 

 

 淡々と、何でもない様に雪雫はそう言った。

 何を、とは言うまい。十中八九、そのマフラーだろう。

 

 

「……え、でも…雪雫も寒いでしょ…。わ、私は大丈夫───」 

 

「ダメ。風邪、引く」

 

 

 慌てて返そうとするかすみに、雪雫は首を振った。

 

 

「私は、大丈夫。だって……。えっと、冬生まれだから。名前も、雪入ってるし」

 

「……え、え?」

 

 

 良く分からない理論を、極めて真面目な顔で、何時ものたどたどしい口調で彼女は語る。

 

 

「雪で雫。即ち、スノードロップ。冬の花」

 

「……スノー…?」

 

「スノードロップ。知らない? ヒガンバナ科、ガランサス属。学名、ガランサス・ニバリス。春を告げる花」

 

「……えっと、そういう事を聞いてるんじゃなくて……」

 

「兎に角、それ貸す。私から、少し早い春のプレゼント。それじゃあ」

 

 

 そうまくし立てるや否や、片手を上げて旅館へ続く山道の方へ。

 段々と小さくなっていく背中を、私とすみれはただただ呆然と眺めていた。

 

 

「……もう、いつも突然なんだから…」

 

「まぁ…ああなったら止められないしね…。明日返しましょうか」

 

 

 そう言って新しくマフラーが巻かれたすみれに視線を送る。

  

 

「────っ」

 

 

 彼女が、妹が浮かべていた表情を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃に襲われた。

 マフラーで口元を隠しているが私には分かる。頬を髪と同じ様に赤く染め、熱っぽく彼女が行った山道の方をボーっと眺めている。

 

 

「……えへへ…そうだね。明日、返してあげよう」

 

 

 そう嬉しそうに笑みを零しながら、すみれは言った。

 

 

(………まさか)

 

 

 私は、その表情は何処か見覚えがあるものだった。

 それは、彼女の姿を一目見ようと探していた少女の顔と同じものだ。別世界の住人と決めつけて、手を伸ばせずに居たあの少女と。

 

 ああ、そうか。

 私はもう既に、雪雫の事が───。

 

 

 

 

 それを自覚したのは、すみれよりもずっと後の事だったのだろうと、今では思う。

 そう私は何時だって、彼女の後追いだ。



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62:Distant world.

 

 

 小学6年生になった。

 とうとう小学校生活も大詰めだ。

 

 しかしながら、最高学年になったとて、私達の生活は変わらない。

 相変わらず雪雫と遊ぶときは私とすみれを合わせた3人だし、彼女への気持ちをすみれに打ち明ける事はしなかった。

 

 単純に怖いのだ。

 気持ちを伝える事で、今の関係が、私達を取り巻く世界が変わってしまうのが。

 きっと、すみれも同じ気持ちなんだと思う。

 

 今の私達は言わば冷戦状態。

 お互いがお互いの気持ちに気付いていつつも、関係を維持したくてそれを話題に出さないし、雪雫に悟られるような行動も起こさない。

 何だかんだ、居心地が良いのだ。

 

 もどかしさはあるが、それでいて心地良い。

 いつまでもこんなぬるま湯に浸かって居られたらいいな、って思う。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 雪雫から語られる話は何時も刺激的だ。

 私達にとっては未知の、高校生たちの織り成す世界の話。

 

 雪子さんは女将修行を本格的に始めたとか。

 千枝さんは警察になる為に日夜カンフーの修行に打ち込んでいるとか。

 強面の完二さんはお手製の編み物を実家で売り始めたとか。

 

 小学校では聞かない、少し大人の世界の話。

 

 中でも印象的だったのがりせさんの話で、どうやら芸能界復帰に向けて色々と準備を進めているらしい。その為に東京の方へ出向き、ここ八十稲羽を空ける事も多くなったとか。

 そんな話を、少し眉尻を下げながら話していたのをよく憶えている。

 

 

「芸能界か……」 

 

 

 そんなうわ言の様な雪雫の言葉が、耳に残った。

 

 

 ジュクジュク。 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ゴールデンウィークに突入した。

 

 世間にとっては待ちに待った大型連休。しかし私達にそれを楽しんでいる暇は無い。

 というのも、連休中に大きな大会が控えているからだ。

 

 小学生の枠で出れる最後の春の大会。

 有終の美を飾る為、当然ながら両親もコーチも、そして私達姉妹も気合が入る。

 

 手を抜くつもりは毛頭ない。

 連休中はみっちり新体操に時間を充て、最後の最後まで調整を怠らないつもりだ。

 

 ……心残りがあるとするならば、雪雫と遊ぶ暇が無いこと位だが、彼女は彼女で何時も通り、大会を見に来てくれるらしい。会えない分、その日に私達の全力のコンディションを魅せようと思う。

 まぁ、雪雫は雪雫で例の……ええと、鳴上さん…だったかな。あの堂島さんのお家のお兄さんと雪子さんやりせさんと過ごすらしいし、寧ろ丁度良かったのかもしれない。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ゴールデンウィークも早いもので後半。

 無事に大会も終わり、私達は結果を残すことが出来た。私は優勝。すみれも3位になる事が出来た。お互い最大限努力して勝ち取った結果だ。最後の最後に良い経験が出来たと思っている。

 

 しかし、心の残りというか、非情に惜しい部分もあった。

 というのも、雪雫が大会当日来れなかったのだ。

 

 後から雪子さんに体調不良と説明され、雪雫からはもうそれはそれは酷く泣きそうな顔で、というよりもう泣いていたと思う。兎に角、必死に謝られた。

 別に誰も悪くないのだから良いのに。

 まぁ直接見せる事が出来なかったのは残念だったが、両親が録画していた動画は一緒に観たし、会えなかった分の時間を埋める為にお泊りもした。

 

 考えてみれば、雪雫と共に一夜を明かしたのはこれが初めての事だった。

 一回寝たら全然起きない彼女を面白がって、すみれと一緒に悪戯したのは良い思いでだ。

 

 完璧。とまではいかなくとも、良い連休を過ごせたな。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 時折、雪雫が難しい顔をする様になった。

 それはもう眉間に皺を寄せて、何かをひたすら考え込む様な、何かを思い出そうとしている様な。そんな顔。

 

 

「──おーい、雪雫?」

 

「……………」

 

 

 その時の雪雫はいくら話しかけても反応を示さず、ずっと顎に指を添えたまま。

 物理的に悪戯……脇腹つついたり、首筋をなぞったりすれば、それはとてもとても可愛らしい反応を返すが、図書室でやる様な事ではない。

 

 黙りこくったままの彼女の視線の先。一冊の本。

 

  

「……ピラミッド? お墓の?」

 

 

 何となく彼女の声が聞きたくなった私は隣へ席を移し、彼女が睨めっこしているページで一番に目に入った単語を読み上げる。

 私に気付かなかったのか、ピクリと肩を震わした雪雫が愛らしい。

 

 

「何でまた急にエジプトの本なんか…。もしかして、雪雫は学者さんにでもなりたいの?」

 

「え、あ……。その…」

 

 

 キョロキョロと居心地悪そうに赤い目を動かす彼女。

 雪雫にしては珍しい反応だ。怪しい………。

 

 彼女の逃げ場を塞ぐ様に身を乗り出して、顔をじーっと見つめていると、次第に観念した様に溜息をした。

 

 

「え、っと……。その…、曲作りの、参考にって……。そう、おもって………」

 

 

 あーなるほどー。曲作りかー……。

 

 

「え、曲作り!?」

 

「しっ。声が大き……」

 

 

 2人して司書さんに怒られた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 ゴールデンウィークに合わせて八十稲羽に戻って来た久慈川りせさん。無事に復帰を果たし、順調にその地位を確かなものにしていっている最中の帰郷。

 

 そんな折に雪雫は聞いたらしい。

 キラキラとした舞台、ファン達の声援とその表情。

 

 彼女にしか見る事が出来ない景色。

 私達にとって遥かに遠い世界。

 

 私達とこうして関わる様になった遥かに前から、りせさんと雪雫は付き合いがあったという。

 元々昔からそういう話は聞いていて何となく興味はあったらしいが、気持ちが固まったのはこの間のゴールデンウィーク。

 楽しそうにそれを話すりせさんを見て、雪雫も目指したくなったんだって。

 

 

「そうなんだ。へー凄いねぇ、雪雫!」

 

 

 心の底から感心した様に、すみれは両手を合わせた。

 

 

「それなら私達も応援しないとね! 雪雫がりせさんと同じ景色を見れるように」

 

 

 同じ景色が見れる様に、か。

 すみれの言葉に少しの違和感を感じた。

 

 果たして本当に、雪雫はその景色に興味があるのだろうか。

 彼女は確かにそう語った。同じ景色を見たいと。眉尻を下げ、赤い瞳を潤ませながら。家主が不在の家で1人留守番するネコの様に。寂しそうに。

 誇らしげに語るのならまだ分かる。立派な夢だ。

 しかし、その時の雪雫の言葉に説得力は感じられなかった。まるで、それが薄っぺらい建前の様な。そんな感覚。

 

 本当は、彼女の本音は。

 久慈川りせの見ているモノを見たいのでは無く、久慈川りせ自身に見て欲しいのではないか。

 

 自分とは遠い世界に行ってしまった幼馴染に振り向いて欲しくて、同じ世界で一緒に過ごしたいのではないか。

 かつての私みたいに。

 

 そうだ、きっとそうだ。

 そうでなければ、あんな寂しそうな表情をしながら、頬を赤らめる筈が無い。

 

 

「今度、3人で神社にお願いしに行こうよ。それぞれの夢が叶うように!」

 

 

 そう言うすみれに対して、私は返事を返す事は無かった。

 

 

 ジュクジュク。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 中学生になった。

 

 私服は制服へ変わり、小学校から知って居る男の子たちの声は段々と低くなっていき、男女それぞれの身体的特徴も顕著になってきた。すみれと同じだった私の身長も彼女を置いておけぼりにする様に急に伸びた。

 変化、という現象が、昨年まで子どもだった私達を襲う。……まぁ、世間一般的には中学生も子どもだろうけど。

 

 あれだけあった自由時間も、中学生になればそれはタスクを行う時間へと変貌した。

 定期的にあるテスト、増える課題、勉学以外の学校内での活動。そして私達の場合は新体操も。

 

 文句は無い。充実もしている。しかし未だに環境の変化についていけていない自分も居る。

 

 そんな私だから、余計に雪雫が恋しくなった。

 正真正銘の不変のオアシス。

 小学校4年生の頃から変わらない容姿。1人だけ時間が止まってしまっているのではないか。そう思ってしまう程変化が無い。

 本人は気にしていたが、私はそれが堪らなく嬉しかった。

 変わらないものの大切さ、とでも言うのだろうか。

 

 雪雫は中学生になっても相変わらず誰とも関わらない。本人にはそんな気さらさら無いだろうが、またしても彼女の居る教室の隅は聖域と化していた。

 そしてその領域に踏み込むのは私達姉妹だけ……なのだが、やはり忙しさに追われ、前ほど彼女と過ごす時間も多くは無い。

 お互いに、それぞれの時間が増えたのだ。

 

 雪雫は最近、曲作りに熱中しているそうだ。

 写真を見せてもらったが、自室にはギターやベースを置き、防音もしっかりしている。最新のパソコンなんかも用意して、パッと見はもうその道の人の作業場そのものだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 練習の休憩中、チームメイトからとある動画を教えて貰った。

 なんでも、最近学校で流行っているらしい。

 

 世に出回っている既存の曲をカバーし、それをSNSや動画共有サイトに動画としてアップする形式らしい。

 

 あまりにも強くお勧めされたものだから、イヤホンを取り出してそれを再生する。

 

 

「…………あ…」

 

 

 耳を打つ心地良いソプラノボイス。身体の全身を包み込んでくれる、柔らかい歌声。脳に直接語りかけてくる様な深い表現力。

 今はまだ粗削りだが、それでも光るものを感じさせる魅力があった。

 それに加えて、よく耳に馴染むこの声は───。

 

 

(───雪雫)

 

 

 動画に顔は出ていない。彼女の歌声は一度も聴いた事が無い。

 しかし私が間違える筈も無い。

 

 これは、この人は天城雪雫だ。

 

 もうこの頃既に、雪雫の背中は私より遠い所に居た。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 もう当たり前のように彼女のカバー動画は30万再生を越すようになった。

 SNSでも彼女の話題を見ない日はほぼ無い位、雪雫の人気は爆発的に高まっていった。

 

 その人気急上昇の理由の1つに、彼女らしい生真面目さがあるのを知った。

 何でもカバーをする際に、その著作者にわざわざ許可を貰っているらしい。許可が出れば動画を上げ、許可が貰えなければそれはそれ。 

 

 清廉潔白で純真無垢。

 それが今の彼女を指す言葉であり、その言葉通りの安心感が推せるポイント(チームメイト談)

 

 最近はギターやベースを演奏している様子を動画として投稿し始めた。

 1度、ライブ配信の最中、流れで演奏することになり、実際にしてみた所、練習の参考にしたいから動画に上げて欲しいというリクエストが続出。自分も良い練習になるから、と2つ返事で了承した。

 

 そんな彼女の動画やライブ配信を、合間に合間に観るのがいつの間にか日課になっていた。

 あまり一緒に居れなくなった分、そこから雪雫を補給したくて。

 

 気付けば私は、また彼女を遠くから眺める生活を送り始めた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 雪雫の顔がとうとうバレた。

 

 と言っても、何か重大な事件に巻き込まれたとか、炎上したとか、そういうものでは無い。

 本当にたまたまだ。

 

 何時も通りのライブ配信中、突如起きた地震。そこまで大きくなかったと記憶している。

 しかし、回していたカメラのバランスを崩すには十分だったようで。

 ガタンと音を立てて倒れてしまったのだ。ちょうど雪雫の顔が映る角度で。

 

 

「……あ」

 

 

 と事の重大さを何も理解していなさそうな雪雫の声が印象的だった。

 そしてその後も中々に見もので

 

 

「バレちゃった」

 

 

 とわざわざカメラを拾って自身の顔をアップで映しながら、そう言い放った。

 その時のコメントの流れはあまりにも早くてもうよく分からなかった。

 

 ただ事実として、今回の一件で雪雫のファンがさらに増え、

 

 

久慈川りせ:ああああ、雪ちゃん!!!!!

 

 

 お忍びで配信に来ていた久慈川りせが思わずコメントしてしまった事が切っ掛けとなり、彼女達の関係性が明るみに出た。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 その日以降、雪雫と久慈川りせは開き直ったかの様に、その仲睦まじい姿を世間に晒すようになった。

 お互いの動画への出演、SNS(主に久慈川りせ)の投稿、雑誌の記事に至るまで。

 

 彗星の如く現れた歌姫と、今をときめくトップアイドル。

 その相乗効果が、さらに雪雫の人気に拍車をかけた。

 

 そんな彼女達を見て、私の心の中が静かにざわついた。

 何とも言えない焦燥感に駆られ、居ても立っても居られない。そんな考えが身体中を駆け巡った。

 

 

(私は、何をしているんだ──?)

 

 

 久慈川りせと楽しそうに話す雪雫の顔を見て、その顔にかつての自分達の姿を重ねて、呆然と考える。

 

 かつての私は、確かにそこに居た。

 彼女の隣に私は。

 

 しかし今は?

 ただただ彼女を眺めるばかりで、何もしていない。

 

 雪雫の見た目が変わらないから、私達の取り巻く環境も変わらないって、そう思い込んでいた?

 現状に満足して、ただただ足元だけを眺めて、前へ進もうとする雪雫に気付かなかった?

 

 ……いや、気づいていたけど、それを見なかったフリをしていたのか。こうして、画面の奥の彼女で満足することで。

 

 一度はそこにあった特別が、今はあんなに遠くに───。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 翌日、私の足は自然と雪雫の居る教室へ向かっていた。

 

 何がタスクに追われてだ、何が変わらないものの大切さだ。

 何かと理由を付けて、私はただ変化が怖くて逃げていただけではないか。

 

 早く、早く早くはやくはやくはやく。

 あの子に会いたい。

 また昔みたいに遊ぶ約束して、そしてまた、昔みたいに───。

 

 

「あ、かすみ」

 

 

 彼女のクラスの扉を開けた瞬間、自身の名を呼ぶ声が聞こえた。

 声の主は妹であるすみれ。

 

 

「────」

 

 

 すみれは聖域に居た。机を挟んで雪雫と向き合っていた。

 いや、聖域に居たのはすみれだけでは無い。今まで、雪雫に見向きもしなかった小学校からのクラスメイト達、中学校から新たに加わった学友達。

 そんな彼女達が、まるで当たり前のように雪雫に話しかけていた。

 それに対し、雪雫もぎこちない様子で返答し、時折すみれがフォローを入れる。

 

 何気ない風景だ。

 何気ない光景だ。

 何気ない日常だ。

 

 それが私にとっては堪らなく

 

 

(───嫌)

 

 

 そう思った。

 

 

 だってそうだろう。

 あそこは勝手に土足で踏み入れて良いものでは無い。

 気安く他人が、触れて良いものでは無い。

 

 彼女は、私の特別なんだから───

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 雪雫がそうなるのも時間の問題だったのだろう。

 元々、不思議と放っておけない何かはあったし、非凡な才能に溢れていた。

 

 様々な活動を通し、順調にその知識と技術を貯め込んだ雪雫が生み出した一曲は瞬く間に話題を呼び、とうとうカバーでは無く、クリエイターとしての才能を世に知らしめた。

 

 久慈川りせを始めとする沢山のアーティストと関わり、その才能とセンスを認められ、その度にSNSは湧いた。

 

 まぁ後は知っての通りだろう。

 現役学生アーティストとして各メディアに引っ張りだこ。

 各種分野でその才能を惜しみなく発揮するマルチアーティストとして、その名を轟かせた。

 

 教室の隅で、窓の外をつまらなそうに眺めていた少女が、今では───。

 

 

(……ああ…やはり雪雫は特別だ)

 

 

 だってもう、背中すら見えない遠くまで行ってしまったのだから。



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63:Stuck in traffic between admiration and complex.

 

 

 

「落ち着いたか?」

 

「……少しは。まだ、混乱してるけど」

 

 

 結果的には足立透に助けられ、スタジオ「天上楽土」から脱出した一同は、唯一シャドウの気配が無い場所…テレビ局のエントランスで腰を落ち着かせていた。

 雲よりも高い塔の頂上から地上に向けて真っ逆さま。半ば無理矢理それぞれの各々のペルソナをクッションにする形で、クレーターを作りながらも着地。アイギスは平然としていたが、ラビリス曰く「生きた心地がしいひんかった」とのこと。

 

 

「さっきの、大きいシャドウは?」

 

「………申し訳ございません。私達も全て説明出来る材料を私達は持ち合わせいないのです。分かっている事は、アレは唐突に現れ、命を刈り取るもの…」

 

『5年前にアダッチーも引き連れていたクマね…』

 

「シャドウワーカーの見解では人類が持つ残虐性、或いは死への興味がシャドウとして体現したものとされています。全体の個体数も不明。高い殲滅能力もさることながら、明らかに知性に基づいた行動。基本的に戦闘は推奨されていませんね」

 

「……今は刈り取るもの(リッパー)の話は後回しでええやろ。それよりも問題は、あのシャドウを従えとった存在がおること。なぁ…雪雫?」

 

「………………」

 

 

 皆の視線から逃げる様に、雪雫は苦々しい顔をしながら顔を横に向ける。

 

 

「彼女の事、教えてくれませんか?」

 

「………………」

 

 

 雪雫は俯いたまま、何も答えない。

 

 

『……セツチャン…。クマが代わって説明してもいいケド、パニックしてるのはクマも同じクマ……。それに、セツチャンの口から言った方が良いと思うヨヨヨ…』

 

 

 直接的な関りがあったわけでは無いが、クマは芳澤かすみを知って居る。

 当時の雪雫と良く一緒に居た姉妹の姉の方…くらいの認識ではあるが。

 

 クマの言葉に観念した様に溜息を吐き、ゆっくりと雪雫は言葉を紡ぎ始める。

 

 

「………芳澤かすみ。それが、彼女の名前。歳は私と同じ。中学まで、学校一緒だった、私の、友達」

 

「芳澤、かすみ…か」

 

 

 ラビリスは噛みしめる様にその名を復唱すると、アイギスの方に視線を投げ、彼女もその意図を汲み取ったのか頷きを返す。

 

 

「……ダメですね。シャドウワーカーの登録、確認出来ません」

 

「それはそう。だって、かすみが、こんなことする訳……!」

 

「本来の彼女にそんな力は無くて、別の誰かに操られているだけ。って言いたいんか? ……雪雫、友達を信じたい気持ちは分かるけどな。今のウチらはそれを判断する材料が無いのは忘れんといてや」

 

「姉さんの言う通りです。少なくとも、先程の状況を見るに、彼女がこの事件を仕掛けた側なのは明白。限りなく黒に近い存在……。つまり容疑者筆頭候補です」

 

 

 そんな事、改めて言われなくても雪雫にも分かっていた。分かっているけど、その事実を誰かに否定して欲しかっただけだ。

 だってそうでなければ、友人を敵として処理しなければならなくなってしまう。そんな残酷な事を行える程、雪雫はまだ大人では無い。

 

 

『……えっと状況を整理すると…アダッチーはただ利用されていただけで…、それを後ろで操っていたのがカスミチャン…?』

 

「正しくは足立透の情報体…ですが。そうですね、ペルソナ能力を取り上げたと証言がある通り、彼女が意図的にあの足立透を作り上げたのでしょう」

 

「目的は?」

 

「………いくつか候補は浮かびますが、結局はどれも推測。確たる証拠は存在しません。……雪雫さん、仮に。仮にですよ。彼女が今回の件を引き起こしたとして、何か思い当たる動機はありますでしょうか?」

 

 

 これかな。と思い当たる節はある。

 しかし、それが直接事件に結び付くかどうか、今の雪雫には判断出来ない。それをこの場所で、知る術は無い。

 

 

「…………動機…。そんなの、本人に聞かなきゃ分からない」

 

 

 素直にそう答えると、アイギスは満足気に笑みを浮かべて頷き、雪雫の両肩に手を添えた。

 

 

「そう、そうです。ここでウダウダ考えた所で、分からないものは分からないのであります」

 

「疑問があるならその答えを自分で探さなあかん。知りたいことあるなら、手ぇ伸ばさなあかん」

 

『クマ達もそうやって乗り越えてきたクマ!』

 

「……でも、その為にはかすみを…」

 

「…………もしや雪雫さん。真実を得る為には彼女を敵として取り除く必要がある、とか思ってます?」 

 

「へっ?」

 

 

 素っ頓狂な声が、雪雫の口から漏れる。

 どうやら図星の様だ。

 

 

「……呆れた。戦闘の時は柔軟やのに、どうしてこないな時だけ機械的なん? 別にウチらは、真正面から障害を取り払えなんて言うてへんよ」

 

「前に進み続ける必要はありません。時には迂回するのも必要なプロセスです。問題解決への最短ルートを算出するのは心を持たない機械の仕事…。しかし、私達は違うでしょう。私達にはペルソナを行使する力が、つまり同一の心があります」

 

「……………なら、どうすれば」

 

 

 分からない。不器用な雪雫には分からない。

 だって、今ままで全て正面から解決してきたから。

 

 パレスの主も、そこら中を闊歩するシャドウに対しても。

 程度の違いはあれど、最終的に障害に対しては常に非常に、効率的に機械的に処理してきた雪雫にとって、そこから先は未知の領域だ。

 

 

「彼女は友人でしょう。ならばすべきことはただ1つ、…………ケンカであります」

 

「────へっ?」

 

 

 またしても素っ頓狂な雪雫の声がエントランスに木霊した。

 

 

 

 

 

 全体に血糊を塗りたくった様な赤黒い空。眼下に広がる瓦礫の町。終末を指すのはこの事か。

 そう思わず考えてしまう程、何処までも廃れた世界。

 

 禍津稲羽市。

 

 足立透が言っていた第7のスタジオだ。

 

 

「……………」

 

 

 周りで蠢くシャドウの気配に警戒しながら、ウィッチは進む。

 奥へ、奥へと。

 

 瓦礫の山を乗り越え、ひび割れた地面を跨ぎ、時には倒れた家屋を薙ぎ払って。

 そうして辿り着いた懐かしい場所。

 

 自身の通っていた小学校があった場所。

 その区画に学校が建っていたと示すものはただ1つだけ。他のモノは文字通り瓦礫と化している。

 

 その最後の1つは周りの惨状とは打って変わって傷一つすら無く、新品同然だった。まるで、その部分だけ別世界の様な。

 そんな机に腰を掛けて、ブラブラと足を遊ばせる赤毛の少女は、少女を一目見た途端、口角を三日月の様に吊り上げた。

 

 

「嬉しい。1人で来てくれたんだ」

 

「…かすみ」

 

 

 マスクの奥で光るお互いの赤い瞳が交差する。

 

 

「マスク、取って。直接、顔みたいな」

 

 

 私も取るからさ、と。かすみは言った。

 ん。とウィッチは……いや、雪雫は短く返した。

 

 そう、かすみの言う通りマスクは要らない。

 だって、今ここでは正体を隠す必要は無いのだから。少女はただの雪雫として、かすみに会いに来たのだから。

 

 

「凄いよね。イセカイって。地下にこんな世界が広がっているなんて。端から端まで歩いてみたんだけど、現実の稲羽と全く同じ」

 

「それは違う。現実はこんなに荒んでない」

 

「……そうかなぁ。………ねぇ知ってる、雪雫? ここの禍津稲羽市って元々は町の人達の心を反映したものなんだって。っていうことはさぁ。実はみーんな、心の中では()()を望んでいるんじゃないの?」 

 

「ここはスタジオ。ただの再現。過去の事実であって、今じゃない」

 

 

 クマから話は聞いている。

 それぞれのスタジオは、実際に過去の事件でクマが足を踏み入れ、探索した場所を再現したものであり、ハリボテの様なもの。

 5年前はその領域にそれぞれ核の存在を担う人間が存在し、その人間の心から作り出されたものである以上、今回のスタジオに人の心は介していない、と。

 

 

「ふふっ、冗談だよ。マジで返さないでよ。もう、雪雫は昔から真面目なんだから」

 

「────どうして」

 

「んー?」

 

「どうしてこんな事を?」

 

「………どうして、か」

 

 

 かすみは肩を竦め、やや自嘲気味に笑みを浮かべた。

 

 

「貴女がきっかけって、言ったらどうする?」

 

「────私?」

 

 

 

 

 その大きな眼をさらにまん丸と大きくして、赤い瞳を揺らす愛しい人。

 

 

「そう、雪雫」

 

 

 思わず口角が上がる。

 我ながら意地悪いとは思う。しかし、それを隠すつもりはない。だって、私の一挙手一投足で表情を変える彼女が可愛らしいから。

 

 かすみは机から飛び降り、雪雫にゆっくりと近づく。

 

 

「私ね、雪雫の事が好きなの。好きで好きで好きで、どうしようもないくらい大好きなの」

 

 

 一切の聞き漏らしがないように、一言一句ちゃんと届くように。

 彼女の小さい耳に口元を寄せ、肩を撫でながら言う。

 

 ああ、何時からかは分からない。

 自覚したのは間違いなく小学生の後期。しかし今思えば一目惚れだったかもしれない。

 あの、初めてクラスが一緒になったあの日────。

 

 

「最初は一方的に眺めるばかりだった。窓際の席に座る貴女を…。でもふとしたある日、私と雪雫には接点が出来た。───すみれのお陰ね」

 

 

 あの時は嬉しかったなぁ。

 初めて彼女の瞳に私が映ったとき。

 雪雫の世界に、私の存在が許可された様な気がして。

 

 

「次第にその接点は確かな関係へと発展していった。すみれを交えた3人で遊ぶように、一緒に居るのが当たり前の日常になったよね」

 

 

 毎日が楽しかった。

 今までの生活って何だったんだろうって、思わず思ってしまうほどに。

 モノクロの世界が色付いていく様な、そんな感覚。

 

 

「その頃だよ。私が雪雫への気持ちを自覚したのは。そして、それはすみれも一緒」

 

「…………」

 

 

 雪雫は何も答えない。

 しかし僅かに端正な眉が動いた。まるで、心当たりがあるように。

 

 

「ははっ、何か覚えがあるのかな。すみれが告白でもしてきた?」

 

「それは───」

 

「そして、雪雫はそれに応えなかった」

 

 

 雪雫の瞳が揺れる揺れる。

 明らかな動揺が、見て取れる。

 

 

「──ホントに分かりやすい。でも、そっか。あの子は前に進めたんだ。凄いなぁ……」

 

 

 私とは違って。

 

 

「私は怖かった。気持ちを伝えることで、何かが変わってしまうんじゃないかって。当たり前に一緒に居ることが、無くなってしまうんではないかって。でも、その考えが間違いだった」

 

 

 変化が怖くて、子どもの様に無垢なままでありたくて。

 そうして進むことを止めた私は1人世界に取り残された。

 

 

「昔からすみれが羨ましかった。あの子は、私に出来ないことを平然とやってのけた。自覚は無かったようだけど」

 

 

 気付けば、雪雫へ歩み寄っていた。

 気付けば、雪雫と仲良くなっていた。

 気付けば、雪雫から慰めをもらっていた。

 気付けば、雪雫の興味をその一身に集めていた。

 

 

「私も努力した。すみれに負けないように、新体操に打ち込んで。勉強も頑張って。でも────」

 

 

 私の手元に残ったのは、優勝トロフィーの冷たさ。

 すみれの手元にあったのは、雪雫(人肌)の温かさ。

 

 

「気付いたら、雪雫の側に居たのはすみれの方だった」

 

 

 私はあの子になりたかった。

 内気で引っ込み思案。しかしながら、何処か人を惹き付ける魅力があるすみれ。

 

 

「私達には新体操があった。それは物心が付いた時から当たり前にあったシンプルな世界。結果を残せば上々。そうでなけれ散々。でも、そんな単純な世界はいつの間にか雪雫によって書き換えられた」

 

 

 優勝しても心の何処かは渇いたままだった。鏡に写る瞳の奥で冷めている自分が見えた。

 だって、芳澤かすみは天城雪雫の元に居ないのだから。

 

 

「私は結果を残せば残すほど、癒えることのない渇きに悩まされた。私とは逆に、成績不振である筈のすみれは、何処か楽しそうだった。そうだよね、だって雪雫の側に居れるんだもん」

 

「それは違う。すみれは悩んでた。新体操に上手く向き合えないって。すみれだって、全部が楽しかった訳では───」

 

「知ってるよ。……でもそういう事じゃないの、雪雫。大事なのは自分に素直になれるかどうか」

 

 

 そう、結局はそこなのだ。

 私は何かと理由をつけて逃げ出した。

 

 ただ、それだけ。

 

 すみれは自分の気持ちを伝えた。そして、それは残念ながら実る事は無かったが、それでも前に進めた事には変わりない。

 結局、心のままに行動するのが一番だってこと。

 

 私はそれが出来ず、すみれはそれをした。

 だから、あの聖域で笑って居れた。

 

 

「けれど、それに気付いたときには雪雫はもう追い付けない遠いところに行っちゃってたけどね」

 

 

 これを機に忘れてしまおうか。何度もそう考えた。

 どうせもう手遅れだ。

 私の傍に居た彼女は、今やみんなの人気者。もう、私が知る彼女では無い。

 

 そう、思おうとしたのに。

 

 自然と、雪雫の歌を聴いていた。

 ミュージックビデオを毎日観て、不定期で行われる配信も観に行って。昔のままの顔で、声で、瞳で。こちらに語り掛けてくる雪雫が居た。微笑んでくれる雪雫が居た。

 

 その時ほど今の現代技術が憎いと思ったことはない。

 だって、忘れたくても忘れさせようとしてくれないのだから。

 

 

「それでも結局、雪雫を忘れられなくて、いつまでも貴女は私の特別で。その叶うことのない気持ちと、すみれへの憧れとコンプレックスを抱いたまま……。今年の春。雪雫が東京に引っ越した直後に」

 

 

 すみれが死んだ。



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64:Viorence only for the two.

 

 

 あの日も、雨が降っていた。

 

 大会の帰り道。

 八十稲羽では耳にする事の無い都会の喧騒が今も耳に残っている。

 

 

「今日も疲れたね~」

 

 

 共に1つの事に挑んできた。姉妹でオリンピックに出れたら、なんて夢を語った事もあった。

 しかし何時からか、私達姉妹は同じ志を掲げなくなっていった。

 

 私は、すみれの前を歩いていた。

 かすみは、私の後を歩いていた。

 

 昔の様に肩を並べて歩く事は無くなった。

 

 

「…………」

 

 

 かすみは何も答えない。

 影を顔に落とし、その赤い前髪で視界で塞いでいた。

 

 何時もの事、と言えば何時もの事ではあった。

 

 丁度、中体連の大会に出始めた頃だったか。

 常に一緒だった私達に、それぞれの変化が表れ始めた。身体的にも、勿論精神的にも。

 

 身体的な成長は、私の方が早かった。

 身長が伸び、身体つきも大人へと近づいた。

 自分で言うのもなんだが、やはり新体操という競技をやっている以上、見栄えがある程度必要になってくる。そういった意味では、私はすみれの一歩先を行っていた。

 

 精神的な成長は、かすみの方が早かった。

 それは自分の気持ちと上手く折り合いをつけてやっていくという面でもそうだし、夢に対して現実的に考える様になったという面もあるだろう。

 

 だから、私達は分かり合えなかった。

 

 

「……なんで私、失敗ばかりなんだろう。今日も、ダメだったし…………」

 

 

 ポツリポツリとすみれから零れる愚痴。

 彼女の言う通り、今回の結果は散々だった。

 

 

「急に背が伸びて視点が変わったからだって。すぐ、慣れるよ」

 

 

 事実である。

 私に遅れてすみれも身体的な成長が見られた。しかも急に。

 平衡感覚がモノを言う競技である以上、身体に変化が起きれば当然、今まで通りにはいかなくなる。

 だから、これは仕方のない事だ。

 

 

「…同じように練習しているのに、優勝するのはいつもかすみだけ。私は何時までもかすみに追いつけない……」

 

「────それは」

 

 

 やめてくれ。と心の何処かで私が叫んだ。

 

 それは私の方だ。

 すみれは私の欲しいモノを持っているではないか。特別な居場所を。

 

 ならせめて、新体操だけは。ここだけは私の特権にさせて欲しい。

 新体操だけが私の武器で、追いつけない私の唯一のアピールポイント。

 

 それを私から奪おうとしないで。

 

 

「追いつけないのは、私の方だよ」

 

「────え?」

 

「すみれは昔からそう。私が欲しいものを持っている。トロフィーなんかとは、比べ物にならないくらい、温かいものを」

 

「……トロフィー、なんか…?」

 

 

 落ち込んでいたすみれの顔に、明らかな怒りが浮かんだ。

 

 

「私が欲しくてたまらないものを、かすみはそんな簡単な言葉で切り捨てるの!? 自分には才能があるからって、高を括って……!」

 

「こんなの持ってた所でしょうがないよ。そうでしょ? 人の気持ちまでは手に入れる事が出来ないんだから。その点、すみれは良いよね。だって自然と昔からそれを手にする事が出来たんだから」

 

 

 すみれには、私の気持ちなんて分からないよ。

 

 

「────っ。もういい」

 

「あっ……」

 

 

 そこから先の事は朧気だ。

 もっと言葉を選んで言えば、きっと結果は違ったのだろう。

 しかし、口から出た言葉は消すことは出来ない。

 

 すれ違う人達に目もくれず、すみれは逃げる様に走り始めた。

 フラフラとした足つきで、人に肩をぶつけながら。

 

 

「すみれっ! 待って……! 危ないよ!!」

 

 

 彼女を止める為、追いかけた。

 遠くに見える背中を必死に。

 

 

「待ちなさい!」

 

 

 もう少し、あとほんの数メートル。

 

 

「すみれっ!」

 

 

 身体的な能力は私の方が上だ。開いていた差も、見る見る縮まっていった。

 あと数センチ。手を伸ばせば、届きそうなそんな距離。

 

 場所で言うと丁度、横断歩道に差し掛かった辺り。

 

 

 ドン。

 

 

 と大きな衝撃と耳を劈くブレーキ音が響き。

 

 

「────え?」

 

 

 すみれの身体が宙を舞った。

 

 

 

 

 

「────そんな」

 

「思い知ったわ。世界はままならず、辛いことばかりだって」

 

 

 私は分からなくなってしまった。

 雪雫への気持ちと、すみれへの憧れ。

 それらの感情を向ける先を全て無くしてしまった私の心は、様々な感情に掻き回された。

 始めは妹を失った喪失感と罪悪感が私を蝕んだ。

 毎日毎日、夢で事故の光景を見て、脳内にあの時の音が反響して。

 しかし、次第に私の考えはある方向へ傾倒していった。

 

 

「あのとき死んだのはかすみの方。すみれはこうして生きているって」

 

「…なにを、言って………」

 

「そうでも考えないとおかしくなりそうだったの。妹を死に追いやってしまった罪悪感。日常が壊れてしまった喪失感…。そしてそれらを感じながらも何処か好機と考えてしまった自分への嫌悪感。かすみという個がそれを生むなら、殺してしまった方が楽になる」

 

 

 かすみとすみれ。どちらかが居なければ、もしかしたら雪雫の視線は全て一つに向かうのではないか。

 そう、ふと考えてしまったことがある。

 一度そう考えれば考えるほど、それは白紙に垂らした墨汁のようにジワジワと心に広がっていき、その汚れは落ちることなく、こびりついた。

 

 あまりにも醜悪で身勝手な考えに、自己嫌悪から嘔吐したこともある。

 しかし、しかしだ。

 精神的な限界を迎えた今となっては、私がすがり付く先は幼馴染みで、特別な存在である雪雫だけだった。

 彼女さえ、雪雫さえ手に入れる事が出来れば、私はまだ、かすみ(すみれ)はまだ立ち上がれる。

 

 

「すみれは私の欲しいものを持っている。それなら、必要無いのはかすみの方。身勝手で、醜悪で、いつまでも子どもな私。私を殺して、私は欲しいものを手に入れるの。その為の認知世界。その為の現実世界の上書き」

 

「………でも、貴女は私にかすみと名乗った」

 

「…どうかしてるよね。かすみを殺すと決めたのに、さ。髪も赤に染めて、カラコンも入れて、目元のほくろもメイクで隠してたのに……。思惑通り、貴女は最初にすみれと言ってくれたのに、それが堪らなく嫌で。ホーント、ままならないなぁ」

 

「それは、まだかすみが生きてるから」

 

「─────何?」

 

「かすみの言い分はわかった。でも、理解は出来ない。貴女がしているのは、生命への冒涜に他ならない。嘘で塗り固めた現実を押し付けて、その人達の人生ごと上書きするなんて、許される行為じゃない」 

 

 

 雪雫の鋭い視線が、私を射抜く。

 

 ああ、そんな顔もするんだね。

 

 

「何が言いたいの?」

 

「目を覚まして。すみれは死んだ。かすみは生きている。それは揺るぎない現実。そこから目を逸らす行為は、その2人への冒涜に他ならない」

 

「………は?」

 

 

 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 この子は、何を言ってるんだろう。

 

 私が、目を逸らしている?

 こんなにもすみれの死を悼み、罪悪感に苛まれ、悩み悩んで出た行動に対して、冒涜、だと?

 

 ああ、なんてなんてなんてなんて無知で憎たらしい(愛らしい)のだろう。

 今まで何も知らなかった癖に。ついさっき、真実を知った癖に。

 やはり、彼女は特別だ。

 だって人の気持ちがわかっていない。

 さながら、機械仕掛けの冷たい天使の様ではないか。

 

 

「あはっ、はははは……! なにそれ、何も知らなかった雪雫が私に説教? 遠くに行っちゃった癖に………!!」

 

 

 思わず声を荒げて、感情のまま雪雫に言葉を浴びせる。

 

 

「だから今、私はこうしてかすみの前に立っている。貴女の本音を、気持ちを受け止める為に」

 

 

 釈然とした様子で、そう一息に言い切る雪雫。

 いつだって彼女はそうだ。自分の心に従い、決してブレる事が無い。頑固でそれでいて絶対的。そう、彼女は何時だって世界の中心だ。

 

 ああ、憎たらしい(愛らしい)憎たらしい(愛らしい)憎たらしい(愛らしい)憎たらしい(愛らしい)……!

 

 メラメラと胸の中で陽炎のように獣の様な情欲が燻る。

 

 こうなってしまっては、最早言葉では分かり合えないだろう。

 傷をつけたくなかったけど、致し方ない。無理矢理屈服させるのも、楽しそうだ。

 雪雫の意思など関係無し。無遠慮に踏み込み、犯し、蹂躙する。私の思いのまま。その細い首に輪を付けて、その四肢を鎖で繋げて、私に跪かせる。

 元々はそうする予定だった。

 それが、暴力という形になっただけ。些細な違いだ。

 

 

「言葉では伝わらないのは百も承知。ぶん殴ってでも、目を覚まさせる。だって、私はかすみとケンカ、しに来たから」

 

「やれるものなら、やってみなよ!!」

 

 

 

 

 

『セツチャン、1人で大丈夫クマ……?』

 

 

 クマさんの弱々しい声が耳に届く。

 

 

「……まぁ、信じるあらへんやろ。なに、失敗したとて死ぬ事はない。かすみやらいう嬢ちゃんの態度を見るに、な」

 

「先程も言いましたが、これは彼女達にとって必要なプロセスであります」

 

 

 同郷の友であり幼馴染。

 そういう近しい関係でありながら、しばらく疎遠だったという彼女達。

 思春期真っ盛りであり、尚且つ環境の変化が激しいこの時期、しっかりと向かい合って話す時間が必要だ。

 ましてや、その擦れ違いが今回の件を引き起こした要因の1つであるなら、なおさら。

 

 

「道が違えば対話をする。道を踏み外した友に対しては時に拳を握ってでも止める。そうではありませんか? 2人とも」

 

「……まぁ、せやな。耳が痛いわ」

 

『ク、クマ……』

 

 

 どの道、芳澤かすみにとっては部外者である私達が行った所で、本音は引き出せないだろう。それが私情や私怨の類であればなおさら。

 で、あるならば明らかに執着を見せた雪雫本人に任せるのが良いだろう。

 

 

「さぁ、彼女は雪雫さんが相手してくれています。シャドウを掃討しつつ、私達はこの世界の核を探しましょう」

 

「と、言うてもなぁ。こんな瓦礫まみれじゃ探すにも……」

 

『手掛かりナシクマ?』

 

「いえ、そうとも限りません」

 

 

 天上楽土の頂上。刈り取るもの(死神)と対峙する少し前。

 足立透……の情報体は確かにこう言っていた。

 

 

 重要なのは上では無く下。

 

 

 確かに下にはこの空間があった。第7スタジオ「禍津稲羽市」。

 彼が示した、マップに存在しないスタジオ。

 

 しかし、ここがこの世界の根幹、という訳では無いだろう。

 そうであれば、あんなこと言う筈が無い。

 

 

「スタジオはさほど重要では無い。足立透の言葉を全て信じるのなら、ここよりさらに下に、スタジオ以外の別の空間があるという事になります。それも、このイセカイの根幹に関わる何かが」

 

「地下に別の空間って……。不思議の国でもあるんかいな」

 

「さぁ…。仮にそうだとしたら、まずはウサギさんを探すのが賢明でありますね」

 

 

 

 

 

 天城雪雫は知っている。

 身体の使い方を、本能的に知っている。

 

 バランス、呼吸、力の加減……自分の四肢をどのタイミングでどの様に動かせば、効率良く力を出力できるか。

 脳から身体へ、その行動を取るための命令が行き渡るそのタイムラグまで。

 

 言語化は出来ない。

 身体の構造を全て熟知している訳でも無い。

 

 しかし、本能的に彼女は知っている。

 そうでもなければ、誰よりもその小柄な身体で、誰よりも効率的に敵を殲滅出来る訳が無い。

 

 それを人は才能と呼ぶだろう。

 知識は無く、それを裏付ける経験も無い。ただ何となく分かるだけ。

 まさに神から授けられた天賦の才。

 

 

「すばっしこい……!」

 

 

 まるで漫画や映画で出てくる忍者やアサシンの類だ。

 目で追うのがやっと。それほどの速度を保持したまま、的確にこちらの隙を突いてくる。

 

 大鎌による薙ぎ払い。

 それを頭を下げて避ければ、次に飛んでくるのは、彼女の膝。勿論、避けて位置が低くなった顔面目掛けてだ。

 

 雪雫と私の身長の差は約30cm。

 こういう場合、彼女にとってその差は脅威以外の何ものでもないだろう。だって、どう足掻いた所でリーチの差は埋まらないのだから。

 

 だが、だからと言って雪雫がそれで怯む訳では無い。

 わざと大振りな攻撃を繰り出し、それを避けさせる事でリーチを詰める。そして追撃。 

 

 

「ホント、怖いよ、雪雫は!」

 

「………!」

 

 

 いざ戦闘となれば、容赦なく繰り出される攻撃の数々。

 加減、という言葉が何処かに行ってしまったのではないか。そう思わず考えてしまう様な猛攻。

 

 しかし、だからと言って喰らってやる訳では無い。

 

 

「っ!」

 

 

 顔面目掛けて飛んできた膝に、自身の肘を寸前で突き立てる。

 骨と骨のぶつかり合い。当然、身体に走る衝撃も半端無い。しかし、顔面にまともに喰らうよりは遥かにマシだ。

 

 

「アハ、素敵な顔!」

 

 

 苦痛で僅かに歪む雪雫の顔。

 現実世界では見る事の無い、本気の表情。

 素敵素敵素敵素敵。

 

 

「お返し!」

 

 

 勢いが止まった雪雫の身体を一蹴。

 丁度、お腹の部分に当たった彼女は、その衝撃のまま飛んでいって──と思ったら空中で姿勢を正し、宙返りの要領で地面に着地した。

 

 

「素敵。私が審査員だったら、今の満点あげちゃう」

 

「……ケホッ………どうも」

 

 

 軽く咳き込みながらも、まるで何事も無かった様に立ち上がる。

 なるほど、やけに手応え無いと思ったら、当たる寸前の所でガードしたらしい。大方、鎌の柄の部分を私のヒール部分に合わせたのだろう。

 

 

「厄介だなぁ」

 

「それはこっちの台詞」

 

 

 そう軽口を叩き合う2人の少女。

 その言葉とは裏腹に、それぞれの赤い瞳には容赦の色など、とうに消え失せていた。



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65:I can't lose yet.

 

 

 雪雫が積極的に距離を詰め、かすみがそれを見て対応する。

 それが基本的な構図だ。

 

 雪雫にとって、体格の差はどうしてもデメリットとして働く。故に彼女は攻め続ける。

 かすみが攻撃に回れば、じわじわと押されてしまうのは明白だから。

 加えて。

 

 

(かすみのペルソナがまだ見えていない)

 

 

 この状況においての最大の不確定要素。

 彼女がどんなペルソナを有し、どの様な能力を持っているか。

 それが判明するまで悠長に待っても居られない。かといって、それに恐れ手を緩めれば、そこが致命的な隙となる。

 

 だから、雪雫は攻め続けるしかない。

 

 

(最高…! 雪雫がこんなに積極的に……!)

 

 

 かすみにとって、今回の勝負の結果を急ぐ意味は無い。状況的には彼女が有利だからだ。

 

 かすみは知っている。雪雫がどんなペルソナを内に秘め、何が得意なのか。何故なら、この世界の行動をずっと監視していたから。

 加えて、仮に雪雫に負けたとて、この世界の仕組み自体が変わる事は無い。何なら、このまま戦いを引き延ばして()()を待つ手だってある。

 

 しかし、そうしない理由が彼女にもある。

 

 

(なら、私も答えないと……ねっ)

 

 

 それは雪雫の全ての意識がかすみに向いている事。

 かすみが思い描く世界に、この後に待っている日常に雪雫が居るのは当然の事。しかし、それは自身に屈服した雪雫であって今の敵対した彼女では無い。

 長年に渡って積もり、屈折したかすみの心は、それだけでは乾きは潤わないのだ。

 

 天城雪雫という少女を、全身全霊で、余すことなく、堪能したい。

 本能から溢れ出る欲が、今のかすみを動かしている。

 

 つまり、攻勢に出れないのではなく出ないだけ。

 

 芳澤かすみは知っている。

 身体の使い方を、経験則で知っている。

 

 自身の身体の可動域、限界、特徴、癖。

 どう動かせば、最大限パフォーマンス発揮できるか。

 その為の感情の、メンタルの制御まで。

 

 長年向き合ってきた自身の身体。蓄積された経験と知識。

 それが、彼女の身体能力の裏付けとなっている。

 

 そうでもなければ、雪雫の行動を見てから対応出来る訳がない。

 

 長年の経験と知識が、僅かに雪雫の才能の先を行っている。

 だからかすみは勝負を急がない。

 このまま続けても、自分が勝つのは明白だから。

 

 

(やっぱり───)

 

 

 しかし、それに気付かないほど、雪雫も甘くは無い。

 

 数にして、数十回目の攻防。

 丁度、振り下ろした鎌の刃がかすみのレイピアによって止められた時。

 

 彼女がチラリと上を向いてからレイピアを握る手の力を込めたのを見て、雪雫は確信した。

 ほんの数秒だけ、早く対応されている、と。

 

 

「どうしたの? ボーっとして」

 

「───っ!」

 

 

 雪雫に生まれた僅かな隙。

 拮抗していた刃の境界が、僅かに揺らいだその時、かすみは大鎌を弾き、そのまま雪雫を組み伏せる。

 

 弾かれた大鎌は綺麗に宙を回転し、2人から数メートル離れた地面に突き刺さった。

 

 

「凄いよね、ペルソナって」

 

 

 冷たい地面に顔を押し付けられた雪雫に、かすみの言葉が振りかかる。

 

 

「普通だったら大怪我するような攻撃もちょっと痛いだけ。ハハ、お陰様で今、私凄く楽しいよ。雪雫は?」

 

「……楽しくない」

 

「…そっか。私との初めて位、楽しんで欲しいんだけどな」

 

「───楽しい訳、ないよ」

 

 

 ギョロリと不気味な程に綺麗な金色の瞳が、かすみを射抜く。

 

 

「だってまだ、かすみのペルソナ()、引き出していないもの」

 

 

 雪雫が口角を上げたその時、かすみの身体に嫌な感覚が走る。

 全てを圧し潰してしまう様な重圧。いくつもの呪詛が折り重なった様な、重苦しい雰囲気。

 

 

(……まずいっ!)

 

 

 咄嗟に彼女の本能が警鐘を鳴らした。

 しかし、僅かに気付くのが遅い。

 

 確かにかすみの方が有利だろう。

 だがそれは、肉弾戦に限った話だ。

 

 経験に勝る知識なしと言う様に、2人には僅かな、しかしながら明確な差がある。それは先程の近接戦闘でも、そして───。

 

 

「──ペルソナ」

 

 

 ゆっくりと、雪雫の口がその名を告げる。

 霧の様な黒い何かが、2人の前に現れる。

 

 かすみに経験がある様に、雪雫にも経験がある。それはペルソナ使いとしての経験。

 

 

「アリス!」

 

 

 その名を告げた瞬間、2人の少女は黒い闇の中へ飲まれていった。

 

 

 

 

 

 

 かすみがペルソナ使いとしての経験が雪雫より無いのは事実だが、かといって致命的に遅れを取ってしまう程無い訳でも無い。

 初めてこの世界に訪れた時、ある程度は自身の力も試したことはあった。

 だから使い方も、弱点も彼女は理解している。

 しかし───。

 

 

「…はぁ、はっ………」

 

 

 初めてかすみの顔が明確に歪んだ。

 自身の胸を抑え、冷汗を流しながら荒い呼吸を繰り返している。

 

 

「やっと、出したね。ペルソナ(本音)

 

「…うるさい」

 

 

 何時もと変わらない涼しい声で、地面に突き刺さった得物を抜きながら淡々と語り掛ける。

 それが、かすみには堪らなく悔しかった。

 

 先程まで少女達を包んでいた闇はすっかり晴れ、空間も支配していた重苦しさもすっかり消えた。

 代わりに残っているのは僅かに濡れた地面と所々に散らばる氷塊、そして僅かに漂う冷気くらいか。

 

 

「出さざるをえない……。その状況を作ったのはそっちの方なのに。普通、自分ごと攻撃する?」

 

「そうでもしないと、出してくれなさそうだったから。──綺麗な()()だった」

 

「……っ」

 

 

 ペルソナは言わば、自分の心の写し鏡。

 その心の在り方で姿形は変化する。

 

 世界に、そして自分自身にすら嘘を吐いて「すみれ」として生きていこうと決めた「かすみ」にとって、自分のペルソナは忌むべき存在そのものだった。

 ───まるで弱い自分そのものだったから。

 

 それはかすみが捨てて来た姿だ。それはこれから創られる新しい世界には不要のモノだ。それは、天城雪雫が知らなくてもいい自分だ。

 しかし今、知られてしまった。

 

 雪雫が放った闇で見えなかった。なんて事は無いだろう。

 だって彼女は、この状況でわざわざ言葉を選んで言ったのだから「歌声」と。

 

 

「かすみに合わせて、さっきまではペルソナ出さなかったけど、もうやめた」

 

「……手加減してた、ってこと?」

 

 

 パンパンと、怪盗服に着いた土汚れを払いながら、せせら笑いを浮かべる雪雫。

 かすみの神経を逆撫でする様に。

 

 

「──だって、一方的な戦闘はケンカって言わないでしょ?」

 

 

 瞬間、雪雫に目掛けてレイピアの剣先が放たれた。頬を僅かに翳めるように、戦意を削ぐ目的で放たれたであろう、正確な突き。

 それを彼女は軽やかに受け流す。鎌の柄で凶刃を滑らせ、踊るような柔らかい動作で。

 

 

 虚空を斬ったかすみはすぐさまに次の攻撃へ移る。自分の経験と知識を活かした、通常だったら反応出来る筈の無い……。

 

 

 

「ジャンヌ」

 

「っ!」

 

 

 ペコリと雪雫が頭を下げたと思えば、かすみ目掛けて飛んでくる巨大な旗。

 彼女に応じて現れたペルソナが放った攻撃は、見事にかすみの脇腹にめり込み、その勢いのまま彼女は吹き飛ばされる。

 辛うじてその形を保っていた民家に直撃し、轟音と共に瓦礫として突っ込んだかすみに降り注ぐ。

 

 そんな光景を見ながらも、雪雫は調子を崩さずゆっくりと口を開いた。

 

 

「言ったでしょう。ケンカをしに来たって。ただ暴力を振るえばいいってもんじゃない。私は私のまま、ここに来ている。ペルソナを出さない(嘘を吐いた)まま、勝てると思わないで」

 

 

 瓦礫に腰掛け、今も尚埋まっているかすみに向かって語り続ける。

 

 

「私が用あるのは芳澤かすみ。都合の良い様に思い描いた、芳澤すみれじゃない」

 

 

 返事は無い。

 しかし死んだ訳でも意識が無くなった訳でも無いだろう。

 ペルソナ使いというのは、ある程度戦えるように頑丈に出来ている。そうでも無ければ、怪盗団なんて命がいくらあっても足りはしない。

 

 

「……さっきから、黙って聞いていればさぁ…」

 

 

 かすみの声と共に、雪雫の頬をなぞる冷たい空気。手足の先から凍えそうな、喉を突き刺す様な冷気。

 

 

「遠い世界の存在が、知った様な口聞かないでよね」

 

 

 雪雫の目の前に、一本の光の柱が現れた。

 その出現に伴って、文字通り瓦礫の山が氷解していく。

 

 

(……ペルソナか)

 

 

 何も無くなった空間からのそりと、赤い髪を揺らしながら起き上がるかすみ。

 髪の隙間から垣間見える瞳からは明確な敵意と怒りの様子が伺えた。

 

 

「あの人以外の興味なんて無い癖に。私の事なんてどうでもいい癖に……! 今更、私の世界へ踏み込んでこないでよ!!!!!!!!」

 

 

 明確な拒絶が、歌となり、波となって雪雫に襲い掛かる。

 

 

「マーメイド!!!!」

 

『──────!』

 

 

 そう歌だ。

 先程も、アリスを出した時も聴こえた歌。

 

 明確な言語は無い。しかし、何か感じる部分はある。

 世界への嘆きを、己の呪詛を、新しき世界への祝福を。

 それらをかき混ぜて煮詰めた様な、そんな歌声。

 

 

「ペルソナ」

 

 

 襲い掛かる水と氷塊の波を、アリスが放った呪いが相殺していく。

 それでも尚、こちらの体温を奪う冷気が、かすみの意思の強さをまざまざと証明している。

 

 

「……もう、私も手加減しない」

 

「…………」

 

 

 次第に歌が止んでいき、それに伴って雪雫も防御を緩めていく。

 視界が晴れ、初めて明確にペルソナを引き連れている彼女の姿が明らかになった。

 

 

「ここまで分かり合えないなんて、正直思わなかった。……もう分かってもらう必要も無い。手足を捥いででも、私達のモノにする」

 

「……私達、か。出来はしない。貴女みたいな嘘吐き何かに」

 

 

 鋭い視線の先。

 かすみの背後に漂う人魚姫。

 

 美しい容姿、あどけない少女の姿。

 一見、普通の人間に見えるがその鱗を携えた太ももから先の尾と、手先のヒレが、彼女が人外だとこちらに訴えてくる。

 

 

 マーメイド。

 古くから世界各地で伝承が残り、それぞれの解釈が存在する空想上の生き物。

 童話においては悲劇のヒロイン。神話においては誘惑の魔物。そして、凶兆の象徴。

 

 いずれにおいても共通して語られるのはその美しい歌声。

 童話では王子の興味を惹き、神話ではそれを聴いた航海者を難破させる。

 

 人々を惑わし、新しい世界に惹き込もうとする彼女にピッタリの───。

 

 

「マーメイド!!!!」

 

「っ!」

 

 

 そうかすみが声を荒げた瞬間、雪雫の頭上に現れる光の輪。

 ヘイロー。天使が頭につけているような、神々しさの、祝福の象徴。

 

 

『────』

 

 

 それが雪雫の頭上にいくつも現れ続け、段々とその輝きを増していく。

 

 

「コウガオン!」

 

「まず──」

 

 

 それぞれの輪の中から、光が降り注ぐ。それはアリスが苦手とする祝福属性の魔法。眩い光の数々が、雪雫に向かって降り注ぐ。

 

 

「…ジャンヌ!」

 

 

 避けても避けても次々と現れるヘイロー。

 一撃一撃が必死の攻撃。

 このまま喰らってはひとたまりも無いだろう。

 

 そう判断した雪雫は、攻撃が途切れる一瞬の間に、アリスからジャンヌへペルソナを切り替える。

 

 お互いの弱点を補う様な性質を持つ2体のペルソナ。

 ジャンヌは降り注ぐ光を難なく弾いて───。

 

 

『────!』

 

「なっ……!?」

 

 

 瞬間、雪雫に向かって放たれた黒い塊。

 嘆きの声に乗せられた呪力は、確実に雪雫の身体を打ち抜いた。

 

 

「………くっ!」

 

 

 思わず身体が倒れそうになるも、何とか踏み止まった雪雫。

 朦朧とする意識の中、かすみを視線から外さない様、構え直す。

 しかし、彼女の追撃は止まらない。

 

 

「そう…らっ!」

 

「っうぅ…!」

 

 

 先程のお返しと言わんばかりに、かすみの回し蹴りが雪雫の脇腹へ。

 彼女の全体重を乗せた一撃。

 小柄な雪雫にとって、それは意識を刈り取るのに値する衝撃だ。

 

 ふと、視界が暗くなる。

 平衡感覚を失い、自分の身体が地面を転がっているのすら知覚出来無い。

 

 それでも。

 

 

「あー本当にいい気分。いつも澄ましてる雪雫が、私の手でこんなに表情を浮かべて───へぇ……」

 

 

 それでも、雪雫は立ち上がった。

 その細い首を必死に動かし、荒い呼吸を繰り返して。

 

 

「まだ、立つんだ。ペルソナの弱点突かれて、まともに蹴りも入れられたのに」

 

「………だって、ぁ…認める……訳には…」

 

「………………」

 

 

 朦朧としていた視界が、正常に戻っていく。

 荒かった息が、落ち着きを取り戻していく。

 撃たれ強いジャンヌに切り替えていたのが功を為したのか、まだ身体は動く様だ。

 

 

「…さっきも……言った。貴女の、やっている事は、2人への冒涜…って!」

 

「何を偉そうに……」

 

「死んだすみれを生きてる事にして、代わりにかすみを死んだことにする、だっけ? ……ふざけるのも大概にして! 今まで歩いてきたすみれの軌跡を、これからのかすみの人生を、何だと思っているの!?」

 

 

 雪雫は叫ぶ。声を感情のまま荒げる。

 

 

「ならどうしろっていうの!? 思い通りにならない世界に嘆きながら生き続けろって? 楽な方に逃げる事の…何が悪いって言うのよ!?」

 

「その道は決して楽じゃない!!!」

 

「なっ……」

 

 

 かすみにとって、こんな雪雫は見た事無かった。

 いつも自然体で、感情の表現が下手糞で、何処か浮世離れした雪雫が、まるで等身大の人間の様な───

 

 

「いくら周りを上手に騙せても、自分自身を騙し続ける事は不可能。そんなの、人間が出来る事じゃない。嘘を吐くっていう行為は、自分の精神をすり減らす行為に等しい」

 

「…私は平気。だってその覚悟があるから──!」

 

「なら何で、あの時すみれと間違えた私に、かすみって訂正したの?」

 

「………それは…」

 

 

 雪雫が八十稲羽に帰って来た翌日。かすみと再会したあの時。

 確かに彼女は、すみれの名を口にした雪雫に、訂正した。

 自身の名を、僅かに動揺を見せながら。

 

 

「結局はそこが人の限界。嘘を吐くっていう行為の末路。貴女は、それを一生続けるつもりなの?」

 

「……………」

 

「友達として、そんな行為をさせる訳にはいかない。死んだ彼女の痕跡を、消す訳にはいかない」

 

 

 だから雪雫は、倒れる訳にはいかない。

 




実はマーメイドが雪雫のペルソナという没案があります

メガテンのマーメイド、可愛いよね


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66:Welcome back.

 

 

『────』

 

 

 名を呼べば応じてくれる私のペルソナ。遠い世界を夢見て歌い続けた悲しき乙女。

 そんな少女の歌声が、響く。

 

 

『────』

 

 

 目に見えない旋律はやがて魔力の塊となり、雪雫に向かっていく。 

 

 時には、全てを拒絶する絶対零度の氷として。

 時には、全てを惑わせる深淵の闇として。

 時には、全てを祝福する輝かしい光として。

 

 

『────』

 

 

 雪雫のペルソナの事は聞いている。そして実際にその目でも確認した。

 

 ジャンヌ・ダルクは光に強いが闇には弱い。

 その一方でアリスは闇に強いが光には弱い。

 

 それならば、雪雫のタイミングに合わせて、私はそれらを使い分ければ良い。

 そういった意味では、私のペルソナは彼女に対して相性が良いのだろう。冷たい海に潜む悪魔であり、凶兆の象徴であると同時に瑞兆の象徴。様々な側面を持つ彼女らしい特性だろう。

 一長一短の雪雫の力に対しては、私の方が確実に有利───

 

 

(──のはずなのに……!)

 

 

 足を絡めとる氷海は、彼女の姿すら捉える事が出来ず。

 光を飲み込む暗黒は、彼女を惑わせる事は叶わず。

 暗闇を照らす祝福は、彼女の耳には届かず。

 

 力の塊ごと大鎌で両断され、時にはその手で弾かれ、果てにはその四肢の先にすら触れることすら出来なくなった。

 

 

「捉えた」

 

 

 いつの間にかに眼下に迫った雪雫を前に、僅かに足が後退する。

 

 

「……何で…!?」

 

 

 おかしい。おかしいおかしいおかしいおかしい。

 さっきまでは、本当にものの数分前までは、こんな事は無かった筈だ。

 

 確かにペルソナ使いとしての経験は劣る。

 しかし、それだけだ。

 

 身体の反射は私が上。ペルソナの切り替えにどうしてもラグが発生する以上、一手余分に行動出来るのも私。

 1つ1つは対応されたとしても、組み合わせさえすれば、必ず何処かに綻びが、隙があった。

 そこを確実に突けば、その隙さえ見落とさなければ……!

 

 

 鋭利な刃物が、鈍い輝きを携えてこちらに顔を向けた。

 下から上へ向けた、逆袈裟斬り。

 

 

「っ」

 

 

 咄嗟に私はレイピアを雪雫に穿った。

 加減など考える余裕も無い。彼女の顔を狙った、正確無比な剣先。

 

 別に雪雫を殺そうとか、そういうのじゃない。

 ただ、このまま突っ込めば、無事では済まないぞ。という警告だ。

 

 彼女の反射神経なら。これを見てから後退する位は容易だろう。

 また、距離を開けてくれるだろう。

 そんな確信を持った行動だった。

 

 しかし、私の予想は大きく外れる事となる。

 

 

「甘いよ」

 

 

 瞬間、雪雫は身を翻す。

 レイピアの剣先は雪雫の顔では無く、彼女の白い後ろ髪を掠め、彼女はレイピアを一瞥する事無く、私の顔に手を伸ばす。

 

 

「マーメイド!」

 

 

 眼前に迫った小さな手、しかし大きさ以上の脅威がそれにはあった。

 だから、私は咄嗟に自身のペルソナを呼ぶ。物理攻撃が得意な部類では無いが、それでも足止めにはなるだろうと。

 

 呼ばれた彼女はすぐさま自身の尾を雪雫に向かって振り下ろす。私に伸ばされた細腕に向かって。

 

 

「だから甘いって!」

 

 

 だがそれも突如現れた聖女に阻まれる。

 十二分の余裕を持って対応出来ていた筈の私が、後手に回っている。

 

 

「アリス!」

 

 

 役目を終えた聖女が消え、再び現れたのは金髪の少女。

 それがひとたび指を振るえば、雪雫の手の平に、私の目の前に、現れる呪力の塊。

 つまり、零距離での呪怨属性の攻撃。

 

 

(……やば)

 

 

 そう思った時にはすでに遅し。

 そのまま放たれた魔法は、見事に私を捉えてそのまま吹き飛ばす。

 しかし、致命傷では無い。まだ、私は戦える。

 

 自由が効かない空中で、受け身を取れる位には身体は動く。

 

 

「……あぁ、もう!」

 

 

 着地のタイミングに生まれる僅かな隙。

 それを見逃すまいと言わんばかりの追撃が、さらにかすみを追い詰める。

 防ごうとしても、避けようとしても、そのタイミングを僅かにずらされ、テンポを掴めない。

 

 

「あは、」

 

 

 じわじわと押されていく中、かすみは悟った。

 やはり雪雫は特別だと。

 

 戦闘開始時点では、確かにかすみが有利だった。彼女の経験が、雪雫のセンスを上回っていた。

 だがこうして攻められ続けている現在、その構図は最早成り立っていない。

 

 人は学習する。

 失敗を次の機会へ活かそうと、自分自身へ経験としてフィードバックし、アップデートを重ねる生き物である。

 

 つまり単純な話だ。

 雪雫が人間である以上、当たり前にある機能。

 ただ単に、そのアップデートが早いだけ。

 かすみの長年の経験を上回る程の速度で、刃が交わる度に繰り返されている。

 

 

「アハハハハハハ!」

 

 

 それはまさしく天才と言うべきだろう。

 たった数十分の積み重ねで、10年以上の経験をひっくり返されるのなら、もう笑うしかない。

 

 

(違う、何もかも違う)

 

 

 住む世界が違う。見えている景色が違う。流れている時間が違う。

 私と彼女の間には絶対的な壁がある。

 どうしようもなく、隔絶している。

 

 そんな雪雫だから、かすみは惹かれた。

 そんな雪雫だから、分かり合えなかった。

 

 貴女が凡人だったのなら、どんなに良かった事だろう。

 

 そう、何度思った事か。

 

 

「やっぱり───」

 

 

 それはかすみにとってすれば、雪雫を象徴する言葉。

 赤い少女と白い少女、それぞれの世界の境界線として、聳え立つ壁そのもの。

 

 

「やっぱり、貴女は特別だよ! 雪雫!!!!」

 

 

 憧れにも似た執着。もしくは嫌悪。

 かすみから初めて、その言葉が雪雫に向けられた。

 長年積み重ねてきた、積もりに積もった愛憎。

 

 

「─────私は」

 

 

 雪雫の頭の中で、特別という言葉が反響する。

 それは少女にとって、到底許される言葉では無かった。

 

 少女はずっと隔絶された世界の住人だった。

 生まれ持った身体が、育った環境が、取り巻く人間関係が、そうさせた。

 

 しかし今思い返せば、隔絶世界での生活はそう長く無かった。

 最も大きい要因は、やはり様々な人との出会い。

 久慈川りせ、武見妙、鳴上悠、エトセトラエトセトラ。彼らは雪雫を特別扱いなどしない。等身大の、同じ人間として接してくれる。

 ───勿論そこにはあの姉妹も含まれている。

 

 それが雪雫にとって堪らなく居心地が良かったのだ。彼女にとって、それは手放せない矜持そのものだ。

 だから、かすみの放った言葉は、雪雫にとって決して受け入れられるものでは無い。

 

 芳澤かすみの口から、語られていい言葉では無い。

 

 

「私は特別なんかじゃない!!!!」

 

 

 その時、吹き荒れる強風がかすみの身体を煽る。両足で立つのがやっとな程の疾風。

 雪雫の感情の昂りに呼応して、今も尚、彼女を中心に吹き荒れる。

 いや、正確には、彼女の後ろに佇む少女の姿をした魔人だろう。

 

 

「特別じゃない。私も、かすみも。特別なんて言葉、簡単に言っていいものじゃない……!」

 

 

 彼女が言葉を発する度に、重々しく両肩にかかるプレッシャー。

 それは次第に目に見える形で、黒い稲妻として雪雫とアリスを取り囲む。

 

 

「遠くへ行っちゃったのはかすみの方。言葉一つで物事を簡単に片づけないで。私から2人との思い出(かすみとすみれ)を奪わないで……!」

 

「………!」

 

 

 雪雫の赤い瞳から、涙が零れ落ちる。

 瞬間、彼女達を中心に影が伸びる。光さえも飲み込んでしまう様な漆黒。特別を嫌悪する、雪雫の感情を表した様な漆黒。

 それはじわじわと広がり、やがて町の一角を飲み込んだ。

 

 

「それでもかすみが特別に縋るのなら、私はそれを否定する。そんな境界線、引く必要は無い。だって──私達は友達でしょう」

 

 

 地面が揺れる。

 押しかかる重圧によって、瓦礫が塵と化していく。

 辛うじて形を保っていた家屋が音も無く崩れていく。

 

 

「そんな当たり前の事を、私達を隔絶する世界なんて───死ね」

 

 

 積み重なった呪言が、魔人の指先から放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみれの気持ちに、私は応えられない」

 

 

 とある日の放課後。

 彼女がいつも居る教室の隅。

 雪雫は僅かに眉を下げながら、そう言った。

 

 

「────そう、だよね」

 

 

 分かっていた事だった。

 だって雪雫には雪雫の好きな人が居るから。自覚があるかは分からない。しかし久慈川りせと一緒に居る時の雪雫の表情を見れば誰だって分かる。

 

 しかし分かっていた事ではあるものの、こうして面と向かって言われるのは流石に来るものがある。

 必死に堪えようとしても、涙が思わず湧き上がってしまう。

 ダメだ、こんなの。優しい雪雫を困らせるだけだ。

 

 

「…………ん」

 

 

 雪雫は何も言わず、ハンカチを私に差し出す。

 ごめんなさい。とか言わない辺り、やはり彼女は優しいのだろう。

 

 当然の事だ。

 だって自身の本心のまま、等身大の雪雫のまま向き合ってくれた結果なのだから。

 それで謝罪でもあったりしたら、私に諦めが付かなくなってしまう。まだ一縷の望みはあるのではないかと、勘違いしてしまう。

 

 彼女の在り方は何処までも優しく、そして残酷なのだ。

 

 

「…ありがとう」

 

 

 だからこのハンカチは決して特別な意味を持たない。

 雪雫がそうしたいから、しただけの行為。

 これを私は、特別なんて思ってはいけない。

 

 

「……………」

 

 

 雪雫は多くを語らない。

 私が落ち着くまで、ただ当たり前にそこに居るだけだ。

 

 きっとこの後、何時も通りに一緒に帰る事になるだろう。

 明日以降、何事も無かった様に、些細な日常で盛り上がるのだろう。

 

 だって雪雫は雪雫のまま、私に向き合った。

 私は私のまま、彼女に想いを打ち明けた。

 その間に色眼鏡など無く、意志の相違も無い。

 

 ただただ残酷なまでに平等なだけだ。

 それだけ、雪雫が久慈川りせに向ける感情が大きく、大切なものだと。

 そういうことだろう。

 

 で、あるならば、この恋にも諦めが付く。

 全力を出して、持てるものを全て尽くして負けた後の試合の様に、清々しい気分にすらなる。

 

 そういった意味では、私と雪雫の関係は一歩進んだと言える。

 彼女への好意をひた隠しにして過ごしてきた今までよりも、これからの方がよりありのままの自分として向き合っていけるだろう。

 そこには一切の淀みは無く、邪念も無い。

 

 正しい友人として、彼女の傍に居る事が出来る。

 

 

「……帰ろっか!」

 

「ん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ましてまず目に入ったのは、真っ赤な空だった。

 鮮血を水に垂らし、薄めたような赤い空。

 

 

「起きた」

 

 

 耳に届く心地良い鈴の音。

 手前に焦点を当てれば、こちらを見下ろす赤い瞳。

 

 

「………雪、雫…」

 

「ん」

 

 

 背中や腰から伝わる冷たくて硬い感触に対して、後頭部から感じる少し低めの体温と人肌の感触。

 所謂、膝枕というやつだ。

 

 きっと、こんな状態で無ければ、私は卒倒していた事だろう。

 

 

「………私は、生きて…」

 

 

 最後に意識があった時に感じた重圧。

 まさに一撃必死の、喰らえばそのまま死んでしまいそうな程の攻撃に感じた。

 だから、生きている事が不思議だった。

 

 ありのままの感想を言えば、雪雫は不服そうに眉を顰める。

 

 

「…む、あんなの、人に向けて放つ訳ない」

 

 

 そう言われ、周りに目を向ければ、倒壊した町がより悲惨な状況になっていた。

 町として形が残っていた部分は瓦礫へ、瓦礫だったものは塵へ。

 今私達がこうしているこの場所も、最早元の形など見る影も無い。

 

 

「……ここ、私の席。懐かしい」

 

 

 雪雫がふと、地面に転がっている拉げたパイプを手に取ってそう言った。

 一瞬、彼女が何を言っているか理解するのに時間を要したが、すぐに私も合点がいった。

 

 ああ、そうか。

 あの聖域は──

 

 

「壊れ、ちゃったか」

 

 

 他でも無い、彼女自身の手で。

 

 

「………壊れないものなんて無い。変わらないもの何て、無い。あれがかすみの執着の証なら、壊れて良かった」

 

「……ひっど。それが傷心した友達に言う言葉?」

 

 

 

 雪雫の物言いに、思わず笑ってしまう。

 それは単に、私に逃げるなと、現実に向き合えと言っているに等しい。

 ちょっとは優しくしようとか、思わないものか。

 

 

「うん。だって、それを壊す為に戦ったんだもん」

 

「……………そうね」

 

 

 回復してくれたのか、それとも手加減してくれていたのか。

 僅かに痛みを感じるものの、動けない程では無い。

 そんな身体を起こし、溜息を1つ。

 

 負けた。

 完膚無きままに。

 経験でも勝てず、ペルソナを引き出しても勝てず、それでいてこちらを労わる余裕すら雪雫にはあるのだから、完敗としか言いようが無い。

 

 しかし、何処か清々しい。 

 どうしようもなく手が届かなかったのに、どうしようもなく分かり合えなかったのに。

 今ではその結果が、ストンと胸に落ちる。正に溜飲が下がるというものだ。

 

 

「………これから、どうするべき──わっ!?」

 

 

 どうするべきだろうか。そう独り言を呟こうとした途端、雪雫に抱きしめられた。

 いや体格差的には、抱きしめられたというより、飛びついてきた、が言葉として正しいか。

 

 兎に角、彼女の白い髪が頬を撫で、ふわりと柔らかい香りが鼻腔を擽り、その低めの心地良い体温が私へ伝わる。

 

 

「……良かった…本当に。私の友達ようやく会えた………!」

 

「……うん」

 

 

 雪雫は心底安心しきったような声音で囁く。

 何度も何度も、私の名前を呼んでは、その拘束を強めていく。

 

 私の願いは聞き届けられることは無かった。

 「私の友達」という言葉からも分かる様に、雪雫が私の好意に応える事も無いだろう。

 

 それだと言うのに、私の心の重荷は嘘みたいに軽くなり、渦巻いていた激情も霧散した様に感じる。

 

 

「……ははっ」

 

 

 これはもう笑うしか無いだろう。

 結局、私に足りなかったのは、私達に必要だったのは、こういう本音でぶつかる場だったのだ。

 

 

 

「──────」

 

 

 温かく小さい背中に腕を回し、ただいまと一言呟いた。



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67:Go to netherworld.

 

 

 

『お互いの本音をぶつけた後の抱擁……。かー! 青い春……ってやつクマね~!』

 

「よっ。お疲れさん」

 

 

 ふと、茶化す様な愛嬌のある声と、なまりの強い少女の声が2人の少女へ注がれた。

 

 

「無事に終わったみたいや───」

 

「はい、お二人さん。こちらを向いて───ぱしゃり。脳内フォルダへの保存コンプリート。帰還後、すぐに現像し、天田さんへ───」

 

「………話の腰を折らんでくれるか? アイギス」

 

 

 ラビリスとその妹であるアイギス。そしてこの場には居ないが、こちらの様子を見ているであろうクマ。

 今回の件における雪雫の仲間達。または雰囲気ブレイカーたち。

 唐突に始まった姉妹によるボケとツッコミの応酬を前にポカンとしながらも、かすみと雪雫は抱擁を解いていく。

 

 

「塔の上で見た時よりもスッキリとした顔してるな。よかったよかった。憑き物、取れたかいな、嬢ちゃん?」

 

「………え、えぇ…。貴女達は…確か………」

 

「成り行きで雪雫さんのパーティーに加わったアンドロイド…とだけ言っておきましょう。一から説明すると、長いので」

 

『まぁ、要するにぃ。セツチャンをリーダーとして結成された最強チーム、的なやつクマ~!』

 

「…リーダーになった憶えは無い。それで、見つかった?」

 

 

 雪雫の問いに首を振る2人。

 しかしながら、結果とは裏腹にその顔に落胆の様子は無い。

 

 察するに、核そのものは見つけられていないが、それに繋がるモノは見つけたのだろう。

 

 

「……それらしいものは何も…。ただ」

 

「不思議の国へ続く穴は見つけた、かもな」

 

「?」

 

 

 

 

 

 

 雪雫とかすみの戦いは、苛烈を極めた。

 周りへの配慮や遠慮など関係無し。自身の持ちうる力を全て振るい、文字通り全身全霊で衝突した。

 形を保っていたモノは瓦礫と化し、元より瓦礫だったものは文字通り消えた。崩壊した町という体裁を保っていたこの空間は、最早今やただの瓦礫の山。

 

 しかしながら、そんな状況下に置かれながらも、嵐など無かった様にありのままの姿で残っている場所があった。

 元の世界では商店街の中原に位置し、雪雫やかすみもよく知っている神聖な場所。

 

 

「辰姫神社……」

 

「はい。雪雫さん達の戦闘の余波を受けながらも、この町で唯一その形を維持している場所です」

 

「怪しいやろ? 何かあります~って言っている様なもんや」

 

 

 瓦礫の山の中に1つポツンと佇む神社。空とスタジオ全体の赤々しさが相まって、薄気味悪い雰囲気をただ寄せている。

 

 

「んで、実際どうなんや? 嬢ちゃん、何か知ってるやろ」

 

 

 ラビリスの赤い瞳が僅かに戸惑うかすみを捉える。

 彼女の視線につられて、アイギスと雪雫も目の前の鳥居からかすみの方へ。

  

 

「………それは──」

 

 

 僅かに戸惑いを見せたかすみだったが、それもわずか。次第にその戸惑いは決心の色へと変わっていき、言葉としてそれを紡ごうとした。

 そんな時

 

 

君から語る必要は無いよ

 

 

 と、男の声が響いた。 

 

 

「クマさん!」

 

『ハイヨー! 言われなくてもスキャンしてるクマよ!』

 

 

 周囲を見渡しても、物陰に目を凝らしても、声の主らしい存在は見当たらない。

 

 

『──エマージェンシーエマージェンシー! ミンナの後ろからニンゲンの反応! 鳥居の中クマ!!!!』

 

 

 クマの警告と同時、何かがひび割れる音が響いた。

 

 

「っ!」

 

 

 空間だ。何もない筈の空間に亀裂が走っている。鳥居の、丁度中央辺り。

 段々とその亀裂は広がり、空間は文字通り削げ落ちていく。

 

 

「その顔を見るに、治療はもう必要ないみたいだね。とてもいい傾向だ」

 

 

 聞き取りやすく優し気な声音。声の情報だけでも、その人物の人柄が大方は感じ取れる様な、それほどの声。

 

 

「………その声は…」

 

 

 そしてこの声の主を、天城雪雫は知っている。

 

 

「やぁ、数日ぶりだね。天城さん」

 

 

 雪雫達の前に現れた男の声は数日前に出会った頃と何も変わらない。

 

 

「……丸喜、拓人…」

 

 

 しかし本当に数日前の彼と目の前に立っている彼は果たして同一人物なのだろうか。

 ボサボサだった髪はきっちりと後ろに纏められ、だらしない印象を受けた無精髭も綺麗に剃られている。そして何より違うのがその目だ。その口調とは裏腹に、その瞳の奥には強い決意と積み重ねられた激情が見て取れた。

 

 

「………どうして…」

 

 

 分からない。

 天城雪雫は知らない。丸喜拓人という人間を。

 故に、分からない。

 

 何故、彼がこの場所に居るのか。

 何故、彼がこの事件に関わっているのか。

 

 

「どうして……か。うん、そうだな。有り体で言うならば、楽園を作るため…とでも言っておこうかな」

 

「何を言って───」

 

「なるほど。認知世界…いえ、世界そのものに干渉し、現実を意のままに書き換える。一介の学生に過ぎないかすみさんが此度の超常現象を何故引き起こせたか…、常々疑問に思っていましたが……」

 

「ま、アンタが関わっているなら納得やな。丸喜拓人、その名前、しっかり聞き覚えがあるで」

 

「………流石は()()()()()()、と言った所かな」

 

 

 まぁいい。と丸喜は肩を竦めた。

 

 

「君達の…、いや君の言い分は良く分かっている。さっきの戦いを見ていたからね」

 

 

 彼は自身の眼鏡を一指し指で支えながら雪雫に視線を送る。

 

 

「賛同してもらおうとは思っていない。ただ───」

 

「もう…、やめましょうよ…。先生……」

 

「…芳澤さん……」

 

「こんなの、間違っています。嘘で塗り固めた楽園なんて、虚しいだけ、です。だから───!」

 

「現実に向き合え。そう言うんだね、芳澤さん。……ダメなんだよ、それじゃあ。辛い事に向き合うのは簡単な話じゃない。誰もが当たり前に出来る事では無いんだ。君だってそうだったろう? たまたま雪雫さんが居たから、正面から諭してくれたから向き合えた。だけどね、芳澤さん。全員が全員、君の様に良い友人を持っている訳でも、強い精神を持っている訳でも無い。この世界は無慈悲な程に不平等だ。今のシステムのままでは救いは平等に与えられない。だから作り変えるんだ、そのシステムごと。僕にはそれをやり遂げる覚悟と、力がある」

 

 

 身を翻し、丸喜は虚空へと歩みを進める。

 

 

「君が立ち直れたのは大変喜ばしい。必要の無い治療は身体に毒だからね。──だけど、それが僕の歩みを止める理由になる訳では無い。救いを求める人は沢山居る、それは今も、そしてこの先の未来にも。君達は祝福されて生まれてきた。本来、苦しむ必要は無いんだ。……この先で待っているよ。この世界の最果て。人々の意思の終着駅。どうか道中、よく考えて欲しい。そして結論を僕に聞かせてくれ」

 

 

 

 

 

 

『クマ~! 一方的に喋るだけ喋って……! 結局最後は自分の元までカモンなんて…、ラスボス気取りもいい加減にしろクマ!』

 

「まぁラスボスなのは間違ってないやろ、真犯人やし」

 

『アダッチーもそうだったけど、ハンニンっていうのは何処までも身勝手クマ!!』

 

 

 過去の事件の出来事を重ねてか、憤慨するクマの声をBGMに、鳥居をペタペタと触る雪雫。 

 

 

「待ってるって言っていたけど、どうやって行けば………」

 

 

 何にかボタンでもあるのか。

 そう思い鳥居周りを調べる雪雫に、「そうじゃないよ」とかすみの声がかかる。

 

 

「勾玉、持ってるでしょ? 7個。カラフルなやつ。それが鍵」

 

「勾玉……」

 

 

 ポケットから取り出した色取り取りの句珠。

 手の平に収まる程度のサイズのそれは、キラキラと光を反射させている。

 

 

「これをどうすれば───わっ」

 

 

 かすみが答えるより前に、雪雫の疑問は解消された。

 鳥居を前にした瞬間、手の平の勾玉は一人でに鳥居に吸い込まれていき、件の空間にヒビを入れていく。まるで常世と幽世を繋ぎとめる楔の様に。

 次第にひび割れはハラハラと削ぎ落ちて行き、真っ暗な虚空が生まれた。

 

 

「ねっ?」

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

「ええんやな?」

 

「……はい…」

 

「アイツから見たら、アンタは裏切り者やで?」

 

「分かっています。それでも、止めないと。私はもう、自分を、妹を……、そして友達を無くしたく無いんです」

 

「……なら、ええわ」

 

 

 確かな決意を秘めたかすみの力強い言葉を聞いたラビリスは満足気に頷く。

 

 

「オールオッケーですか? 姉さん」

 

「うん。待たせてすまんな」

 

 

 ラビリスなりの確認だったのだろう。

 先程まで敵対していた少女だ。無理も無い。

 芳澤かすみが、本当に背中を預ける味方か否か。

 

 

「雪雫さんも良いですね?」

 

「問題無い。どの道、ここで逃げても向こうの勝ち。なら、正面からぶつかる方が良い」

 

「ウィ。その意思、確かに」

 

 

 アイギスとラビリス…、特にアイギスにとって、この手の戦いは始めてでは無い。文字通り、世界の行く末を懸けた正真正銘の戦い。

 シャドウワーカーという特殊部隊に所属する2人にとっては仕事の一貫に過ぎない。

 

 しかし、雪雫とかすみにとっては?

 

 ついこの間までは普通の学生で、それでいて未だ未成熟の子ども。

 だから確認をしなければならなかった。

 何も知らない子ども達に対して、真実を隠す様な真似はしたくなかったから。

 

 

「………行こう」

 

 

 

 

 

 ある記憶を見た。

 何の変哲も無い、何処にでも居る様な普通の男の記憶。

 

 

留美……

 

 

 とある病室。

 男の目の前にはベッドに横たわり、瞳を閉じたままの女が居た。

 

 死んでは居ないのだろう。

 微かにその女の口元から、空気の漏れる音が聞こえるのだから。

 しかし、女は男の呼び掛けに応える素振りは見せない。

 

 

僕は、どうしたら……

 

 

 そんな男の独り言だけが、病室に木霊した。

 

 

 

 

 

 

「───ここは」

 

 

 最早そこは人々の意思を反映したマヨナカテレビのそれとはかけ離れていた。

 床に敷き詰められたタイル。一定の感覚で道を覆う鳥居。果てが見えない下り坂。

 

 紅い紅い。目に入る色、全てが血のように鮮やかだ。

 

 

「…………」

 

 

 僅かに煽られる根源的な恐怖心、そして何処か懐かしさも感じる不思議な空間。

 なるほど、人々の意思の果て、というのも間違いでは無いのだろう。

 

 

「先生は、このずっと先」

 

 

 かすみが果ての見えない道を指し示す。

 相変わらず、目に入るのは紅ばかりで底は見えない。

 まるで黄泉の国へ続く廻廊だ。

 

 

「…進む前に1つ、確認したい」

 

「?」

 

「丸喜拓人、2人は彼の事を知ってるの? そういう口振りだった」

 

 

 あー…、そういえばそんな事言ったなぁ…。とぼんやりと言いながらラビリスはアイギスに視線を送る。

 代わりに説明してくれ。

 そういう彼女の意図が見て取れたアイギスは、溜息を零した後、口を開き始めた。

 

 

「直接知っている訳ではありません。ただ、データとして、シャドウワーカーに……いえ、大元の組織に記録されていたのものを──」

 

「桐条グループ?」

 

「……秘密事項だったのですが、もう隠すのも限界ですね。……そうです。常々、桐条は人々の生命を脅かすシャドウを研究し、対策を講じてきました。詳細は省きますが、その結果として私達の様な制圧兵器やシャドウワーカーなどの特殊部隊が結果として生まれ、当然シャドウの巣窟であるイセカイ…マヨナカテレビや認知世界の監視も怠りませんでした。しかし、前者は兎も角、後者に関しては先日も申した通り、私達に干渉する手段は無いのが現状。そこで打開案を講じる為、出て来たのが」

 

「先生の、名前……」

 

「正確には彼が書いた過去の論文、ですね。認知訶学についての」

 

「!」

 

 

 認知訶学。

 双葉のお母さんが研究し、命を落とすきっかけにすらなった──。

 そんな研究を、丸喜も?

 

 

「彼が学生時代に書いたものの様です。内容としては荒唐無稽で数段理論を飛ばして書いてありますが、実際のイセカイを見る限り、的を射ている部分も多い。当時の桐条は認知訶学の研究にもある程度出資していた様ですね。そこに彼も含まれていたのでしょう」

 

「それで論文が…。当時はっていうことは、今はしてない?」

 

「……ある日を境にピタリと支援を止めていますね。蜥蜴の尻尾切りか、はたまた研究所では無かったのか……。今の私達に知る由もありませんが………。ただ1つ言える事は、彼は間違いなく、この分野においてのスペシャリストであり、此度の事件は彼以外に起こせるものは居ない、というころです」

 

 

 

 

 

 

 ある記憶を見た。

 それは絶望を知った男の記憶だった。

 

 男は女を救いたかった。

 大好きな家族を殺され、精神を崩壊させてしまった哀れな女を。

 

 そして同時にこうも思った。

 女の様な被害者が二度生まれない世界にしたい、と。

 

 その為の糸口は男が研究している分野にあった。

 最もそれは当時の男からしても荒唐無稽な話であり、妄言と捉えられても致し方ないものだった。

 けれども、その妄言が真実であるならば───。

 

 日の締めくくりとして、その日あった事を女に報告することは男にとっての唯一の楽しみと言っても過言じゃなかった。

 もしかしたら自身の話が切っ掛けで、壊れた精神が正常に治るかもしれない。また彼女の声を聞く事が出来るかもしれない。

 そんな淡い期待が、男を病室へ赴かせた。

 

 その日の男は歓喜で胸がいっぱいだった。

 自分のしている研究に進展があったのだ、無理も無い。

 当然、その事を女に報告した。

 そしてそれが全ての間違いであり、始まりでもあった。

 

 

─────あ

 

 

 事件の事を思い出し、再びパニックに陥った女を見て男は思い知らされた。

 今のままでは、女の事は何一つ救済出来ない、と。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 もうかれこれ数十分程になるだろうか。

 最深部を目指す一同の道中の出来事。

 

 

「……ん」

 

 

 ふと、廻廊の隅に何か落ちている事に気付き、雪雫は足を止めた。

 

 

 

「………」

 

「何や、それ? 気味悪!」

 

「…仮面、の様ですが」

 

 

 口元以外を覆い隠す、3つの石が埋まった仮面。

 特撮ドラマや、アメコミのヴィランが付けていそうな風貌のものだ。

 

 何これ、とかすみに視線を送る雪雫だったが、かすみにとっても未知のものだったらしく

 

 

「こんなの見た事無いよ!」

 

 

 と首を振った。

 

 

「……まぁいいや」

 

「え、持ってくん?」

 

「…落ちている以上、何かしら意味あるんじゃないかな」

 

「………まぁ、確かに。罠であればこんな気付きにくい隅になんて置かないでしょうし……。ここは意思が反映された世界、雪雫さんが言うこともごもっともかと」

 

『特に危ない雰囲気も感じないクマー!』

 

「でもウチは持たへんで。こういうの苦手やねん……」

 

「なら私が持つよ」

 



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68:This is non-negotiable.

 

 

 延々と続く坂を下りに下り、辿り着いたその終着。

 何か罠でもあるのかと警戒を怠らなかった一同だったが、結果的にはそれは杞憂に終わった。

 

 数百、数千、数万……無数の鳥居をくぐり抜けた先にある開けた空間。

 その中央に男は居た。

 

 

「なんや拍子抜けやなぁ。ここまであっさり来れたで?」

 

 

 ラビリスが男に向かって挑発する様に口を開いた。

 対して男はそれに乗る事も無く穏やかに微笑む。

 

 

「言っただろう、考えて欲しいと。戦う必要なんてない。その証拠に道中、シャドウに襲われなかっただろう? 僕はただ理解して欲しかったんだ。僕が行おうとしている事を。新しき世界への行く末を」

 

「それであの記憶ですか。貴女が留美なる女性を想い、そして絶望した……。同情を引こうとでも?」

 

「…まさか。僕はそこまで狡猾じゃないし、図々しくもない。ただ、バックボーンを知って貰っている方がこれから話す内容に説得力を持たせられると思ってね。……さて、僕の目的は言うまでもない。楽園の創造だ。人々から苦痛を取り除き、それぞれが理想の生活を、想い想いの人生を謳歌出来る、そんな世界」

 

 

 恍惚とした表情で空を仰ぎ、両手を掲げる丸喜。

 

 

「留美は僕の恋人だった女性だ。明るくて家族想いのいい子でね。大分振り回されたけど……楽しかったよ、凄くね。……でも、そんな楽しい日々も永遠じゃなかった。彼女の家族が殺された。犯人は何にでも無い押し込み強盗さ。生活に困り、金目当てで襲ったらしい。理不尽だよ。あんなに明るくていい子だったのに……。その事件以来、留美は塞ぎ込んでしまった。全てから心を閉ざし、生きているのに死んでいる様な……言葉は乱暴だが、数年前にあった廃人化みたいに。まぁ、それも無理も無い、大好きな家族をいっぺんに失ったんだ。それを見て僕は誓ったんだ」

 

 

 留美の様な被害者が生まれないようにしようと。

 

 

「既に認知世界、というのが在る事は薄々分かっていた。そこに触れる事が出来れば、その世界の主の認知を変化させる事も出来ることも。……結局、科学的な証明は出来無いままだったけどね。しかし望みはあったんだ。研究を続け、それが叶えば」

 

「犯罪者の認知を改変して、その犯罪性そのものを無くすことが出来る」

 

「そう正しく、雪雫さんの言う通り。さらに突き詰めれば、留美の見ている世界も変える事が可能かもしれない。一心不乱だった。何日も研究室に籠り、論文を何回も書いては捨て……。次第にそうしているうちに幸いにも興味を示すものも現れた。それは桐条の研究チームであったり、精神科の先生であったり、色々とね。多額の援助金の話も持ちかけられ、研究の躍進も見込めた。そんな時期だ、留美の家族を殺した犯人が逮捕されたのは」

 

 

 一度どん底を味わった者にとって、転機というのは蕩ける様に甘い出来事だ。

 当然、丸喜とて例外では無い。

 

 

「喜びで打ち震えたさ。だって長年の努力が報われる寸前だったのだから。当然、病室の彼女にも報告した。研究が進みそうなこと、鼻で笑われていた認知訶学が認められた事。そして、犯人が捕まった事」

 

「……ですが、留美さんは」

 

「我ながら浅はかだったよ。事件が切っ掛けで塞ぎ込んだ彼女に、あろうことに事件の話をしてしまうなんて。……知っての通り彼女は取り乱した。恋人である筈の僕にすら恐怖を抱き、暴れに暴れて。その時、僕は理解したよ。彼女にとって、過去の人間との繋がりは只の足枷に過ぎないって」

 

 

 そんな時だった、彼の声が聞こえたのは。

 

 

「…彼?」

 

「留美を見て心が折れそうだった僕に……、ああ今思えばある種の防衛本能だったのかもしれないね。君達の言葉で言う所のペルソナ能力さ。彼には特別な力がある様でね。人の認知に介入出来る、言うならば改変出来る能力を宿しているんだ。僕はその能力を便宜上、曲解と呼んでいるよ」

 

「…認知世界への介入を強く望んだ貴方の意思の表れ……でしょうか」

 

「そうかもしれないね。まぁ最初は半信半疑だったさ。でもその認識もすぐに改める事になった。」

 

「まさか、アンタ……」

 

「ああ、使ったよ。その改変能力を。過去に蝕まれ苦しんでいた留美にね。家族は初めから存在せず、僕と言う恋人も、事件に繋がる彼女の記憶を全て捻じ曲げた。するとどうだろう、彼女は元の朗らかな素敵な女性へ元通りさ。……僕の事はもう覚えていないけどね。しかし僕はそれで良かったんだ。彼女が幸せなら、それで」

 

 

 その後の人生は割と単調だ。

 再び研究に戻ったものの、急にそれを中断する様に言われ、援助も打ち切られた。

 それでも諦めきれない僕は、こうしてカウンセラーとして働きつつ、細々と個人で出来る範囲で研究を続けている。

 

 

「そして───」

 

「そして、私は先生に会った」

 

「そう、始めはかすみさんのご両親からの紹介だった。妹を失い塞ぎ込んでしまった娘を助けて欲しい、と。彼女と関わっていく中で理解したよ。妹さんへの強いコンプレックス、雪雫さんへの執着心。それらが拗れに拗れ、苦しんでいる事を」

 

「初めは先生のカウンセラーを受けながら日々の生活を送っていた。でも、それだけじゃダメだった。学校生活は満足に送れず、大会の成績も悪くなる一方。だから先生は私に言ってくれた。実家に帰って一度ゆっくり休んでみても良いんじゃないかって」

 

 

 それが今年の春の出来事。

 

 

「そうと決まれば僕はすぐに八十稲羽市に向かった。所謂下見だね。彼女が穏やかに、何の不安にも晒されずに療養出来るか。そして気付いたんだ、とある世界の存在に」

 

「八十稲羽市の裏側、もう1つの世界。即ちこのマヨナカテレビ局、ですね」

 

「最も気付いたのは彼、だけどね。最初は疑問だったよ。渋谷の……メメントス、と言っていたかな? その世界があるのは知っていた。当然、彼が感じ取っていた。しかし介入しようにも出来なかった。何時も何かに邪魔されてしまうんだ。だから疑問に思ったんだ。何故この片田舎に独立した意思の集合体が存在するのか。そしてそれが何故()()()()()()()放置されているのか。しかし、それはこちらにとっても好都合だ。管理者が居ないのならば、曲解を有する彼が、僕がその椅子に座れる」

 

「……それで? 偉そうに玉座に踏ん反り返っている割には、随分のんびりしてたみたいやけどな」

 

「はは、耳が痛いよ。そう色々下準備が必要だったからね。最初に異世界に踏み入れた時、今のようにテレビ局が建っている訳でも無く、ただの何もない空間だった。あるのは微かに感じるこの町の住人の意思。だから僕はまずそれを紐解いた。その過程で知ったのが、君達の様な他のペルソナ使い、そしてシャドウワーカー。特にシャドウワーカーの存在は脅威だった。幾度と無く異変に立ち向かい、解決してきた特殊部隊。当然、僕の障害になると考えた。だから、まずは敵対勢力の排除に努めた。集合無意識からの影響を受けない……言わば確立した自我を持つ終えるペルソナ使い達の侵入を、そしてこの町から追い出す為に現実世界とイセカイの境界線を曖昧にした」

 

「……なるほど。現実世界を異界化させてしまえば、それは貴方の支配下に置かれるのと同義。ペルソナ使い達に貴方の世界に滞在する資格を与えなかった」

 

『ク、クマ? つまり?』

 

「イセカイナビを持っていない人は、ペルソナ使いであろうとメメントスに侵入出来ない。それと同じ」

 

『な、なるほどクマ……』

 

 

 その異界化の結果として生まれたのが連続殺人事件や霧、そしてマヨナカテレビ。

 八十稲羽の人々の記憶に鮮明にこびりついた、過去の事件。

 

 

「障害を取り除けば後は時間の問題だ。事件を繰り返せば繰り返すほど、現実と異界の結びつきは強くなっていく。つまり、世界そのものの強度が上がる。そうなれば曲解による改変は色濃く現実世界へ反映され、世界は───」

 

「貴方の思い通り………。」

 

「元々、芳澤さんがペルソナ能力を有していたのは知って居た。恐らく、妹さんが亡くなった時に芽生えたんだろう。だから僕は彼女に声を掛けた。治療を必要とする患者であり、それながら世界に嘆いた同志として」

 

「……後は知っての通り。先生にお願いして町の人々全員に私はすみれと思い込ませた。私にとって都合の良いロールプレイをする様になった」

 

 

 全ては順調だった。

 誰にも悟られる事無く邪魔者を排除し、住民達も異界に馴染み始める。そういう認知を与えた。

 

 

「だけどそんな折に、君達が現れた。アイギスさん、ラビリスさん、クマ君……だったかな? まさか君達の様なペルソナ使い達が居るなんて思わなかったよ。集合無意識に帰属しない完全なる非人間。僕の敷いたルールに縛られないワイルドカード。それを知った時は驚きでいっぱいだったさ。しかし納得もいった。当面の敵は君達3人だと、そう思っていた。だけど───」

 

「……雪雫さん、ですね」

 

「そこに天城雪雫という少女も加わった。あろうことにこの町で生まれ、この町で育った普通の人間。その筈なのに」

 

「…………」

 

「君の事は知っていた。芳澤さんから聞いていたからね。芳澤さんの歪みの原因であり、願いの先に居る少女だというのも理解していた。だからまずは彼女に接触して貰った。…まさか、自ら正体を明かすとは思っていなかったけどね。…後は知っての通りだよ。この世界に侵入し、芳澤さんと対峙して、今こうして僕と向き合っている」

 

 

 さて、と丸喜は手を叩く。

 

 

「これが僕の全てだ。僕はこの世界を利用して新しい世界を作る。今は小さな箱庭だが、それも時間の問題だ。現実での強度が増せば増すほど、このイセカイは下へ下へと拡大し、根付いていく。次第にメメントスに衝突するまでに広がりを見せるだろう。そうなれば僕の目的は達成だ。地中で絡まり合った根っこはお互いに水や栄養を流し合うという。つまり融合するんだ」

 

「つまりこのまま放置すればこの町だけに留まらず意のままに……」

 

「勘違いしないで欲しいのは決して僕は君達を害そうとしている訳では無い。寧ろ救おうとしているんだ。考えてみて欲しい。例えば幼くして両親を亡くした少女、例えば虐めにより傷つき人間不信に陥った少年。それらを救えるようになるんだ。苦痛そのものを()()()()()ことが出来る。見たくないモノは見なくていい。逃げたければ逃げれば────」

 

 

 ギリっと軋む音が聞こえた。

 

 雪雫だ。

 あの表情の変化に乏しい雪雫が、歯を砕けんばかりに噛みしめ、その小さな肩を震わせていた。

 

 

「ふざけないで!!」

 

 

 

 男の声を、少女の声が一蹴した。

 

 

「……………」

 

「貴方のしている事は善意の押し売りでしかない! それはその人の未来を奪う行為に他ならない!!」

 

 

 雪雫は知っている。

 一度犯した過ちに向き合い始めた男達を。

 母親の死を苦しみながらもそれを受け止め歩き始めた少女を。

 妹と死別し歪んだ気持ちを真っ直ぐにぶつけて来た幼馴染を。

 

 彼ら彼女らに救いが与えられる。

 なんて甘美な響きだろう。

 

 しかし実際には?

 それは、更生の機会を奪う行為だ。

 それは、歩みを止める行為だ。

 それは、相互理解の機会を奪う行為だ。

 

 それは、必死に現実に向き合っている人間達を侮辱する行為だ。

 

 

「……雪雫………」

 

「貴方の世界なんて、貴方の自己満足でしかない。貴方は、自分の都合の良い世界を見たいだけだ!!」

 

「……何を…」

 

「人を見ている様で何も見ていない。今の貴方は目の前の甘い汁に飛びついているだけだ。本当に救いを与えるなら、停滞させるのではなく共に歩むべきだ!!!」

 

 

 雪雫の金色の瞳が丸喜を射抜く。

 決して丸喜には屈せず、丸喜の世界を否定する強い意志を帯びた瞳。

 

 

「個人の裁量で世界を変えるなど、傲慢にも程があるぞ人間!!!」

 

「…………」

 

 

 雪雫が構えた。

 それに連なる様に、3人も各々の武器を構える。

 

 結局、この場に居る全員分かり切っていた事だ。

 この話はずっと平行線で、分かり合う事など無いと。

 

 そして、それはこの男も。

 

 

「やれやれ…戦いは苦手なんだけどな」

 



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69:The end of the world.

 

 

 脱兎の如飛び出した2人の少女。

 一方は悉く叩き潰す巨大な斧を、一方は全てを切り裂く大鎌を。常人であれば一撃必死。

 そんな容赦の無い2人の攻撃が、今まさに丸喜拓人に向けられようとしていた。

 

 

『最終決戦クマ! 遠慮なくやっちゃって~!』

 

 

 そんな2人を見ても尚、丸喜は焦る素振りも見せず、悠然と佇むばかりだ。

 しかし、少女達は手を止める訳にはいかない。

 ハッキリと分かっていないものの、彼の言い分を全て信じるのならば、明確なタイムリミットが存在するからだ。丸喜の言葉で言う所の、世界の強度が最大になったその時。

 芳澤かすみが離反した以上、雪雫達の障害が丸喜ただ1人。だから雪雫とラビリスは間も無く仕掛けた。一手で、瞬く間に終わらせるために。

 

 

「─────やれやれ」

 

 

 最早人の域を超えていると言っても過言では無いほどのスピード……いや、片方は確実に人外であるが。

 兎も角、ほんの数秒の間に距離を詰めた少女達の持つ凶器が、丸喜の目の前に合った。ラビリスは上から叩く様に、雪雫は下から刈り取る様に。彼が指一本動かすよりも早く、それらは迫る。

 

 

「血の気が多いな、君達は」

 

 

 だと言うのにも関わらず、丸喜は悠然とした態度を崩す事無く、寧ろ雪雫達を煽る様に口角を吊り上げた。

 

 

「っ!」

 

 

 ピタリと、丸喜の眼前で斧が停止した。それと時を同じくして、鎌が鉛のように重くなった。

 押そうとも引こうとも、微動だにしない。

 

 

「な、なんやこれ……」

 

 

 最初に気付いたのはラビリスだった。

 彼女と丸喜の間に、蠢く黒い何かがいた。見るだけで神経を逆撫で、理性を溶かしてしまいそうな。それは手のようも見えるし、蛇のようにも、蛸の足の様にも。唯一確かな事は、自分達は今、これに絡めとられているという事実。

 

 

「まさか、ペルソナ? これが?」

 

 

 コンマ数秒、僅かに遅れて雪雫も気付く。自身の鎌に、柄に、脚に絡みつく不快な存在。

 

 

「君達のそれと、同じだと思わない方がいい」

 

 

 呆気に取られる2人に、丸喜はやはり調子を崩す事無く語る、その姿を変えながら。

 金色の仮面。四肢を覆う金色の鎧。穢れを寄せ付けない純白のマント。手に携えた巨大な杖。民を導く聖人とも、神を崇める神官とも言える様な、そんな姿。

 そして────

 

 

「いこうか、アザトース」

 

 

 彼が現れた。

 

 

「───あ」

 

 

 増殖と分裂を繰り返す無数の触手。それらが支える黄金の十字架に張り付けられた脊髄。彼女達を見下ろす青白い二つの眼。

 明確な形など存在しない。知性など感じられない。ただ、そこにあるだけ。故に恐ろしい。

 目に入れるだけで視界は歪む。この場の空気を吸うだけで身体の内側が灼ける。その触手に触れるだけで四肢が腐る。

 

 なるほど、確かに同じじゃない。

 こんなものが、ペルソナな訳あるもんか。

 

 グジュグジュと四肢が熟していく音が聞こえた。

 身体の端から侵食されていく。蝕む様に、ゆっくりと。

 

 

「っ」

 

 

 切り落としてしまおうか。

 そうだ、それがいい。どうせまた作り直せるんだから、自分の機体はいくらでも替えがあるのだから────

 

 

「ジャンヌダルク!!」

 

 

 その時、そんな思考を塗りつぶす少女の一喝が響く。

 

 

「……雪雫…」

 

 

 上から降り注ぐ眩い光。腐敗を浄化する神聖なる輝き。

 それは1つ1つ正確に、拘束する触手達を打ち抜く。

 

 

「頭上、注意であります」

 

 

 間も無くして、身体が自由になったことを自覚するよりも前に、真後ろから妹の声。

 

 

「ラビリスっ!」

 

「ペルソナ、レイズアップ」

 

「───あっぶな…」

 

 

 まさに一閃。

 後ろから現れたアイギスとそのペルソナ、アテナの斬撃。先程まで自分の頭があった位置を通り、その奥の丸喜へ向けられる。

 

 

「すまん! ボーっとしてもうた……! 堪忍やで雪雫」

 

「ん、問題無い」

 

 

 雪雫が無理矢理、手で頭を押し込んでくれなければ、きっと今ごろ首が胴体から離れていただろう。

 文句の1つや2つ、妹に言ってやりたいがここはグッと堪える。

 

 

「──────」

 

 

 後方から響く歌声。漂う冷気。

 誰がの仕業かは言うまでもない。今頃こちらに無数の氷槍が向いていることだろう。

 

 絶海の歌姫。嵐からの歌声。

 それらが全て、1人の人間に向かって放たれ───。

 

 

『そ、そんなぁ……目標、未だに……、……在ク──! いや、寧ろ─ふくれ……あ──、気を………ク──』

 

「クマ?」

 

 

 先程までハッキリと聞こえていた彼の言葉が、ノイズの嵐に飲まれていく。

 辛うじて聞き取れていた彼の声も、次第にその存在感を薄めて行き、果てには全く聞こえなくなる始末。

 

 

「………全く、強かな少女達だ」

 

 

 そんなクマの声と変わる様に、次に少女達の耳に届いたのは純粋な称賛の声。彼女達の在り方を喜び、考えを尊び、人生を祝福する様な、そんな声。

 

 

「僕が、留美が、人類皆が君達の様な強さがあれば、きっとこんな思いはしなくてすんだだろうに」

 

「先生……」

 

 

 こびりついた氷片を払いながらも、まるで何事も無かった様な素振りの丸喜と背後の魔王。

 

 

「……無傷…ですね」

 

「はぁ、凹むわ…」

 

「厄介」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蠢く触手を掻き分けながら、白い少女は進む。自身の行く手を阻む様に迫る無限の手を避け、受け流し、切断し。

 

 

「死んでくれる?」

 

 

 時折魔法で消滅させながら。

 

 切断した先端から、新たな触手が生え少女を襲う。

 一本の触手が無数のそれに分裂し、少女を閉じ込める。

 

 だが、それで止まる雪雫では無い。

 

 

 その悉くを自身の持てる力で捻じ伏せて彼女は進む。

 奮闘する仲間達の間をも潜り抜け、辿り着いた彼の前。盾になる様に下から湧き出る防衛機構。

 

 

「甘いね。届かない」

 

「……そう、残念」

 

 

 1枚の壁なら何のその。2枚の壁なら辛うじて。3枚の壁には歯が立たず。

 またしても触手に阻まれ、脚を絡めとられた少女は宙へ放り投げられる。

 

 思う様に自由が効かない空中。そんな雪雫を狙って地上から伸びる触腕。

 

 

「ジャンヌ!」

 

 

 身体に衝突する寸前、聖女の祈りが雪雫を守る。軌道が逸れ、自身の真横すれすれを通り過ぎたソレを、雪雫は一瞥する事無く切断。そしてそのままの体勢で銃を取り出し、その口を向けて。

 

 一発。

 二発。

 三発。

 

 自由の効かない空中で、加えて落下している状態での正確無比な狙撃。地上からそれをたまたま見ていたアイギスが驚愕しているのも露知らず、その無慈悲な弾丸は真っ直ぐに丸喜の元へ行き──、またしても弾かれる。

 

 

「ちっ」

 

 

 手応えを得られない事に不満を覚えつつ、重力に従って落下していく雪雫。

 彼女の目線の先では、今丁度かすみとラビリスが攻撃を仕掛けていた。

 

 

「……あまりにも無茶をし過ぎじゃないですか?」

 

 

 かすみとラビリスを見て、次はどういう切り口で攻めようかと思案している最中、耳元で聞き覚えのある少女の声が響き、優しく抱き留められる。

 どうやらアイギスが気を使って雪雫の着地を補助にしに来た様だった。

 

 最も、それが無くとも雪雫は雪雫でジャンヌをクッションに無理矢理着地しようとしていたのだが、連戦が続いている以上、使わないに越したことは無い為、結果的にはこっちの方が良かったりする。

 

 

「…触手は増殖と分裂を繰り返している。一見すればキリが無い。でも、いくらペルソナが強かろうと、丸喜も人間。いつかは底が尽きる」

 

「攻撃の手を緩めず、常に消耗を強いるのは大いに賛成ですが……。それは貴女にも言えることでは? 顔色、悪いですよ」

 

「………平気」

 

 

 

 正直、どうにかなりそうだ。

 視界は朧気で、四肢の感覚はとうに無く、思考も普段より纏まらない。

 思えば天井楽土での戦闘からここまで休みなく来たのだ。我ながら良くもまぁここまで動けるものだと、称賛を通り越して呆れている。

 

 今すぐにでも眠ってしまいたい。

 全てを放り投げて、大好きな人の腕の中で微睡んでいたい。

 

 ああ、確かに逃げるという選択肢はとても甘美だ。

 誰だって戦いは避けたい。やらなくていい苦労はしたくない。当然だ。

 

 

「──────でも」

 

 

 でも、ダメだ。それを良しとしてしまえば、私は私じゃなくなってしまう。

 私がこうしてここに立っているのは、苦しい現実に立ち向かった人たちの支えがあるからだ。

 それに支えられ、向き合う事の大切さを教わった、過去の経験があるからだ。

 

 それがあるから、私は天城雪雫として生きて行けるんだ。

 

 

「君達のしぶとさは良くわかった。その思いも、願いも。分かった上で敢えて言おう」

 

 

 だから、私は認めない。

 

 

「もう、終わりにしよう。君達の負けだ」

 

 

 私が私√→たらしめる繧区Φ縺?r奪う?悴譚・縺ェ繧薙※

 隱阪a縺ェ縺??∵怏繧雁セ励↑縺??∝ョケ隱榊?譚・縺ェ縺??∝凄螳壹?∝凄螳壼凄螳壼凄螳壼凄螳壼凄螳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は知っている。

 人の子は今では無く未来を望んだ。一では無く全を望んだ。管理されるのではなく自由を望んだ。

 ああ、それは間違いなく人の総意だった。

 だから私は決めたのだ。その行く末を見守ると。

 

 故に、認めない。

 人の身に余るその行為。全を否定する一など。断じて─────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、終わりにしよう。

 そう丸喜が呟いた瞬間、彼の頭上から黒い塊が2つ、轟音と共に現れる。

 それは絶対的な強者。数多のシャドウが存在するイセカイにおいて、最悪の部類に位置する怪物。命を刈り取る死神。

 

 

「────そんな」

 

「…決めにきたな」

 

 

 赤い少女は顔を青ざめた。

 白銀の機械乙女は苦虫を潰した様に顔を歪めた。

 

 

「何、殺しはしない。ただ、大人しくしていて欲しいだけだ。そしてどうか受け止めて欲しい。───僕がこれから創造する世界を」

 

 

 瞬間、二体の死神が弾丸の如く一同へ向かう。

 一体倒すだけでも骨が折れる相手が2体、それに加えて丸喜も未だに健在だ。

 

 

「っ、応戦します」

 

 

 今にも簡単に手折れてしまいそうな雪雫に後ろ髪惹かれつつも、もう1人の機械乙女も前線に加わる。

 

 

「────」

 

 

 防戦一方。

 各々の持てる力を全て用いて、何とか持ちこたえているものの、そこに逆転の兆しは無い。

 圧倒的な暴力を前に、徐々に押されていく3人。

 

 

「う゛っ゛」

 

「かすみさん!」

 

 

 遂には守り切れず、死神の凶弾がマーメイドを貫いた。地に伏せる少女。崩れる陣形。

 それを怪物達は見逃さない。

 これ幸いにと、すかさず猛攻を仕掛けようと銃口を残るターゲットに向ける。

 

 ──終わった。

 

 

 長年の自分の夢がようやく叶う。これで世界から苦しみは無くなる。理想郷の完成も目前だ。

 男は勝ちを確信した。

 

 その慢心故に、彼は気付かなかった。今も尚、未知数の少女が戦闘に加わっていない事に。

 

 

「────1つ、確認したい」

 

 

 1人の少女の声が空間に木霊した。

 

 

「……何かな?」

 

 

 この場に居る全員の意識が、声の主の方へ向く。

 今にも手折れてしまいそうな、少女だ。足取りもおぼつかず、その腕は僅かに震えている。何の脅威にもなりはしない。

 その筈なのに、たった一言、何でもない言葉1つで、この世界の主はおろか、絶対強者の怪物の注目さえ集めた。

 

 

「貴方の、創る世界に未来はある?」

 

「……あるさ。永遠の幸福が。悩みは無く、痛みも理不尽も無い。完全なる、欠点など存在しない世界。完璧な未来がね」

 

 

 それは個人により幸福が約束された世界。万人が救われる理想郷。

 痛みも苦痛も困難も、認知をもって覆い隠す、メタバース。

 

 

「………そう」

 

 

 彼を見れば分かる。本気で、本心から丸喜はそれを願い欲している。それが人の総意だと信じて。

 少女は赤い瞳をゆっくりと閉じ、それを聞き届けた。

 

 どうしようもなく、私達とは違えている。

 最早、交渉の余地などありはしない。

 

 そう確信し、再び瞼を上げる。

 その金色の瞳を丸喜に向ける。

 

 

『……思い上がるなよ、人の子』

 

 

 瞬間、度しきれない程の重圧が空間を走った。

 大気は揺れ、頬を撫でる風は恐怖を煽る。

 

 

「……雪…、雫…?」

 

 

 声を出す事すら億劫になる程のプレッシャー。

 とても10代の…いや、人間の少女から放たれるものとは思えない。 

 

 

『私は知っている。人の子の意思を。私は信じている。人の子の可能性を』

 

「───何を」

 

『晴れた世界はお前達のモノの筈だ。私はそれを見届けると、そう誓った。だが、今まさに、世界は再び虚構に包まれようとしている。認めない。容認出来無い。私はそれを憎悪する。それは人の総意では無い。お前の世界には未来が無い』

 

 

 少女を中心に吹き荒れる突風。彼女を包む、青白い炎。

 

 

「なら……なら君は現実を良しとするのか? 君だって知っているだろう!? ちょっとの理不尽で全てが台無しになることだってある! 幸福を願う事の、何が悪い!!!」

 

『…否。幸福を願うのは生き物の性だ。しかしそれは人に与えられるものでは無く、勝ち取るものだ。だからこそ人には可能性がある。完璧を追い求めるからこそ、人は前に進める。お前の言う楽園にはどうしようもなく閉ざされている。隔絶されている。────つまり、』

 

 

 白い少女が片手を伸ばした。

 空に向けた手の平に、蒼炎が収縮していき、やがて1枚のタロットカードへ形を成していく。

 

 それは偽りの世界に終焉を告げるもの。

 幸福と理想の臨界点。楽園の衰退。

 

 逆位置の世界。

 

 

「『自分の未来くらい、自分で決める!!!!』」

 

 

 ためらう事無く、少女はカードを砕く。

 

 

伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)!」

 

 

 途端、空には暗雲が立ち込めた。それは無数の雷を携え、空を裂く。

 

 

「……何だ、それは───」

 

 

 怪物達が獣の威嚇の様な声を上げた。

 丸喜は圧される様に一歩後退した。

 

 少女から現れ出たそれは、魔人でも聖女でも無く、正しく神そのものだった。

 綿帽子を深々と被り、その隙間から長い黒髪を垂らしている為、その風貌は目視出来無い。しかし胴体の純白のローブの端から見える赤黒い細腕が、それが異形のモノであると訴えかけている。

 

 しかし、美しい。

 そう思わざるを得ない程の禍々(神々)しさだ。

 あるのは純粋なる恐怖、人とはかけ離れた異形の怪物。だと言うのに、目を離せないのだから、それは間違いなく神であろう。

 

 

「『完全なる世界に未来は無い。故に私は完全を否定する。それでもお前が再び創造すると言うのなら、私はそれを破壊しよう。お前が千の世界を産み出すとしたら、私は(よろず)の世界を殺してみせよう。完璧を嫌悪する、幾多の呪言を持って。これを、人の総意と知れ』」

 

 

 紡がれる呪いの言葉。

 新たな世界の死を望む、完全の崩壊を是とする呪詛。

 

 世界そのものに亀裂が走った。世界そのもの基盤が崩れ始めている。

 それもその筈、これは只の攻撃にあらず。

 正統なる管理者の、願いを統括する願望機から紡がれる否定の言葉。

 

 

「『幾万の呪言』」

 

 

 その日、暗黒が世界を包んだ。



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70:Rebirth

 

 

 それは世界を殺す呪い。

 崩れていく、壊れていく、潰えていく。

 男が描いた夢が、理想が。

 たった一人の少女が煉り合せた、人々の意思によって。

 

 ああ、そうか。と男は理解した。

 彼女こそが人類の代弁者なのだと。

 自分は只、身勝手で自分本位な我儘を押し付けていただけだと。

 

 世界が崩れていく音を聞きながら、男はそんな事を考えた。

 

 

「……でも…」

 

 

 有効的な戦力として使役していた死神達は巻き込まれ死に絶えた。

 アザトースを使役する力も残っていない。その証拠に、服装も元のモノに戻っている。

 

 

「それの……」

 

 

 崇高だと考えていた理想はただの傲慢でしかなく。

 思い描いていた楽園はただの幻想へと成り下がった。

 

 

「それの何が悪い……!」

 

 

 だがしかし、男は諦める事をしなかった。

 

 

「っ、丸喜先生……!」

 

 

 震える身体に鞭を打ちながら、男は立ち上がる。

 息は絶え絶え、指先一本すら動かす気力も無い。にも関わらず、男の目は死んでいなかった。

 

 

「幸福を求めて何が悪い…。傲慢の何が悪い……! 人は幸福を求める生き物だと、そう言ったね……。なら! 僕にだってその権利はある筈だ!」

 

 

 男の敗北は既に確定している。

 世界の崩壊は既定路線だ。

 

 にも関わらず、男は明確な敵意を持って少女を見つめる。

 

 

「それでも僕の理想が間違いと言うのなら、君の言い分が正しいのなら…! 否定し続けてみろ! 奇跡を起こしてでも、僕を殺してでも!」

 

 

 その瞬間、再び男のペルソナが顕現する。

 先程と同じでは無い。それは明確な進化だった。

 バラバラだった触手は1つのモノとして収縮し、やがて巨人の形を作る。

 

 アダムカドモン。

 男はそう名を告げる。

 

 

「さぁ、否定してみせろよ……! 天城雪雫!!」

 

 

 男は存外、物分かりが良い方では無い。ただで退く訳にはいかない。その段階はとうの昔に通り過ぎている。

 それは最早、意地以外の何ものでも無い。

 その意地が、男に更なる進化をもたらした。

 

 

「………なら…、何度でも…………。貴方は…間違って………」

 

 

 対する少女は限界だ。

 その瞳に世界は映っておらず、言葉を絞り出そうとしても空気が口から漏れるだけ。既に大鎌を握る力すら失い、もう一歩すら動けない。

 

 

「私は───」

 

 

 そしてついにその意識は途絶え───。

 

 

「ハハ……」

 

 

 男はそれを見て乾いた笑いを漏らした。歓喜か、はたまた失望か。

 ゆっくりと倒れていく雪雫を見て、肩を震わす。

 

 

「ハハハハハハハハ!」

 

 

 なんだ、結局はその程度か。

 そんな程度の少女に、自分は負けたのか。

 笑いが止まらない。止められる筈が無い。

 

 だから男は嗤った。己の力不足と、小さな理不尽に。

 

 だが、その嗤いもすぐに止まる事となる。

 

 

「あ──」

 

「アンタら……!」

 

 

 アイギスとラビリスが、声を漏らした。かすみはその顔に驚愕の色を浮かべた。

 

 

「ハハ、ハ……?」

 

 

 少女は世界を壊した。完膚無きまでに、破壊した。それは間違いない。

 しかし、世界はそれで終わりにはしない。

 破壊の後に、しかるべき創造を。荒れ果てた荒野の中に芽生える、若草のように。

 

 普遍的で当たり前の事。

 しかしながら、この場においては間違いなく、奇跡と言う他ない出来事。 

 

 

「───雪ちゃん」

 

 

 倒れる少女を抱き留める温かな手があった。落ちていく意識に呼び掛ける優しい声があった。

 当然、既に少女の意識は無い。届いている筈が無い。

 しかし、聞こえていないにも関わらず、少女の顔は穏やかなモノに変わっていた。

 

 

「よくもまぁ…、人の妹にここまで───」

 

 

 少女の為に怒る者が居た。

 

 

「雪雫ちゃん、お疲れ様」

 

「後の事は気にせず、ゆっくり休んで」

 

 

 少女の戦いを労わる者達が居た。

 

 

「こっからは俺達の番だな!」

 

「何時までも後輩に任せちゃおけねーもんなぁ!」

 

「クマもやる気マックスだクマ~!」

 

 

 少女の代わりに立ち上がる者達が居た。

 

 

「────よく頑張ったな、雪雫」

 

 

 少女の意志を受け継いだ者が居た。

 

 

「…まさか、そんな筈───」

 

 

 この場に居る筈の無い存在。この世界が形成されたその時、排除された男にとっての危険因子。

 かねてからこの町に存在していた、ペルソナ使い達。

 

 銀髪の青年は、その感触を懐かしむ様に右手を前に伸ばし、その名を告げた。

 

 

「伊邪那岐大神」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

8月21日 日曜日 晴れ

 

 

 

 あの時は本当にビックリした。

 

 つい5日ほど前になるか。

 雪子の妹である雪雫の帰郷に合わせて、久しぶりに八十稲羽に向かおうかと思った矢先、直斗から一本の電話。

 曰く、またあの町で事件が起きている。しかも今回はクマ以外誰も残っていない、と。

 

 こう何度もあると、遂には自分の体質なのではないかと勘繰ってしまう。

 事件あるところに俺あり…、みたいな。

 

 まぁ今回に関しては事件の中心って訳では無かったのだが───。

 

 

「事件の中心に我あり…。なるほど中々興味深い考察。いえいえ、決してバカにしている訳では。ワイルドという特別な素質を持つ貴方ならば、そういう事もあるでしょう。今回は違った、それだけです。お気になさらず」

 

 

 いや、別に気にしてはいないが……。

 

 

「いやはや、これは失礼いたしました。姉上の客人にとんだご無礼を。不肖、エリザベス。心より謝罪を申し上げます」

 

 

 本気で言っているのか、それとも茶化しているだけなのか。今一判断出来無い表情で淡々と告げる彼女。

 頭にポツンと乗せたハット。青いノースリーブのワンピース。切りそろえられたショートボブ。白い髪、黄色い瞳。

 人間離れした造形の自称エレベータガール。エリザベス。

 

 過去の事件でたまたま知り合った、よく分からない知り合い。

 今こうして対面で話しているのも不思議で仕方ない。

 しかも場所が惣菜大学なのだから尚更だ。

 

 

「そうですね。貴方様が疑問に思うのも当然でしょう。何故、貴方の担当であるマーガレットではなく、私が。しかも現実世界で……。そうお思いでしょう。まぁ簡単な話、私が今、絶賛職務放棄中であるからですね」

 

「………そう、なのか……」

 

 

 そう自信満々に言われると、どういう反応していいのか分からなくなる。

 

 

「どうやら今のベルベットルームは他の客人をもてなすのに忙しい様子…。ですので私がこうしてわざわざ旧い友人に───」

 

「他の客人…? 雪雫の事か?」

 

「まさか。現状、あの子が客人になる事は有り得ません。しかし、今回の話の中心は雪雫さんです。貴方もそれを聞きたいのでしょう?」

 

 

 他の客人というのが気になる所ではあるが、聞いても教えてくれないだろう。

 それに自分の経験を当て嵌めるのなら、ベルベットルームの客人になる以上、何かしらの意味があってなる筈だ。ここで俺が首を突っ込んでしまえば、その客人の為にならないかもしれない。

 間接的にではあるが、ここでの経験があって今の俺があるんだから────。

 

 話が少し逸れた。

 

 彼女の言う通り、俺が聞きたいのは雪雫の事。

 より正確に言うならば、彼女が召喚したとあるペルソナについて。

 

 

「今回の事件、人間のペルソナ使い達はこの町に入る事が出来なかった。そういう結界の様な物が八十稲羽を包んでいた」

 

「ええ。しかしそれは唐突に破壊された。より正確に言うならば、そのルールを制定していた世界の基盤そのものが崩壊した。他でも無い、雪雫さんが行使した力によって。───伊邪那美大神ですか。力を司る者としては非常に心躍りますね」

 

「……あれは、雪雫のペルソナなのか? 俺にはとても───」

 

 

 雪雫がペルソナ使いなのは知っていた。

 過去、とあるゴールデンウィークに起きた事件、そこで判明した事実。

 しかしながら、彼女のペルソナは全く違うものだった筈だ。加えて、昨日感じた力、あれは確実に───。

 

 

「いえ、あれはペルソナではありません。正真正銘の神。貴方達が過去に対峙し、マリーの中へと帰っていったものと同一です」

 

「なっ……」

 

 

 言葉を失う。

 あの事件の真の黒幕。初めて対峙した神そのもの。

 一時は人の歪んだ願いを真実とし、実質的な崩壊をもたらそうとしたあの神が───。

 

 

「ご安心を。過去の様な事は起きません。これにつきましては、変に人気が出てしまい、遂にはこの町に顔出す事すら困難になった社会の歯車、お天気お姉さん久須美鞠子こと、マリーより言伝を預かっています。まぁ言いたい事は自分で言えという事で、私なりの言葉に直させて頂きますが」

 

「…マリーが?」

 

「彼女は土地神として、この町の人々の意思を統括し、守る者として、その力の一端を切り分けて置いていた。今回はたまたま、丸喜拓人なる人物に主導権を握られてしまいましたが……。兎も角、彼女はこの町を常に守っていました。その力の一端を、雪雫さんが拾ったのでしょう」

 

「それで雪雫が伊邪那美を……」

 

「しかし雪雫さん由来の力ではありません。あれは後天的な力。言うならばRPGで言う所の召喚獣。あくまでも一時的なドーピングに過ぎず、もう彼女に行使することは出来ません。そもそも自分の身に神を降ろした事すら覚えていないと思います」

 

「それなら……。だけど、大丈夫なのか? その、一時的とは言え、神様を宿したんだろう? 何か、影響とか……」

 

 

 エリザベスは手元のビフテキ串を口へ運びながら、俺の問いに答える。

 

 

「悪神なら兎も角、今回のはマリーの一端。そんな厄介なモノは持ち込まないでしょう。それに───」

 

「?」

 

「天城雪雫なら特段問題も起きませんよ。アレはそんなヤワじゃないので」

 

 

 

 

▼ 

 

 

 冷房が付いているのにも関わらず、思わず暑いと愚痴を零したくなる様な猛暑。起きている自分でこれなんだから、きっと目の前で眠りこけるお姫様にとってすれば、それはより顕著だろう。

 温度を下げて思う存分冷風に当たりたいところだが、どうにも旅館は節電月間らしく、それを許してはくれなかった。畜生。

 

 言う事を聞かないと後が怖い為、渋々暑さと戦いながら彼女を見守る事、小一時間。

 

 

「……んむぅ…」

 

 

 彼女の、天城雪雫の重い瞼がゆっくりと開かれた。

 

 

「暑い…」

 

 

 真っ赤な双眸をキョロキョロと動かしながらも、げんなりとした様子で呟き、上体を起こす。

 

 

「おはよう、雪ちゃん」

 

 

 やっと再会出来た愛しい人。

 最後に会ってからまだ一週間ちょっとしか経っていないのに、私にとってはそれが永遠のように感じられた。

 

 

「───りせ」

 

 

 耳を打つ心地良い音色。湧き上がる幸福感。自然と口角が上がる。

 

 

「………ぅ…」

 

 

 私の顔を見るや否や、瞳を潤ませて言葉を詰まらす雪雫。

 寂しかったのだろう。気丈に振る舞っていたのだろう。それもその筈、久しぶりに帰って来たと思ったら故郷はあんな状態、しかも誰とも連絡が付かなかったのだ。まだ15歳の彼女には酷な話だ。

 

 だから一杯甘やかしたかった。その準備がこちらにはあった。

 故に、こちらに飛びつくような素振りを見せたものの、そして止めてしまった雪雫を少し残念に思った。

 もうそれは蕩ける様に甘い抱擁をして、何ならさりげなくその首元に唇を当てちゃったりとかして─────。

 

 

「……身体、ベタベタする」

 

 

 と、思ったがそれはまだ時期尚早。

 いくら雪雫と言えども、花を恥じらう乙女な年頃。汗を気にするのも致し方ない。りせはその辺りの理解があるアイドルだ。

 いやね、りせ的には別に良いんですよ。だって雪雫って良い匂いするし? 何なら少し汗ばんでいた方が何か大人の色香というか、アダルティな感じがしてげふんげふん。

 

 ………兎も角、りせは理解のあるアイドルだ。とりわけ雪雫に対しては。決して、自分の欲を優先して彼女を辱めるなど……決して…。

 …………………………………………………………………それも良いな。

 

 いやいや。いやいやいやいやいやいや。

 そんな事はしない。それはまだ早い。待て、堪えるんだ。

 

 兎に角、再開の抱擁は後回し。

 まずは雪雫の身体を清めなけらば。

 

 どうしようかなぁ。私は朝風呂入ったしなー。

 まぁ何度入っても気持ち良いし、私もまた一緒に入ろうか───。

 

 

「拭いて、身体」

 

 

 なぁ……ってええええええええええ?

 

 

「え、お風呂、じゃなくて良いの?」

 

「当然入る。でも後で。まず、拭いて。その後に、抱きしめて。お風呂はその後」

 

 

 なんだこの可愛い生き物は。

 もしかしてアレか。温もりが欲しいあまりに最低限の事だけ済まして、取り敢えず目の前のご褒美を受け取っちゃおう的な、我慢出来無い系乙女の我儘か?

 ………良いでしょう! りせは取り分け望みを叶えるアイドルだ。 

 

 そうと決まれば早速、タオルを────用意してきました。人肌の体温位の、ホカホカのやつ。

 それはもうもうダッシュで。罫線の間に持ってきましたとも、ええ。

 

 

「……ん」

 

 

 今目の前には雪雫の細足が私に向けられている。

 構図的には従者が主に忠誠を誓って足にキスを施す、みたいなあのエッチな構図。あれってゾクゾクするよね、え?私だけ?

 

 まぁいいや。ともあれ、雪雫は言葉通り全部私にやらせるつもりらしい。

 だって背中ならまだしも、脚なんて自分で出来るじゃん。でもやろうとしないもん。

 え、良いんですか。雪雫様のおみ足を、この私が拭いてしまって!?

 

 最終確認として恐る恐る彼女の瞳を見上げ──、あ、早くしてと、そう言っている。

 イエス、ユアマジェスティ!

 

 小さな足を手に取り、ゆっくりと丁寧に、傷つけない様に拭いていく。

 片足が終われば当然ながらもう一方も。

 抵抗なく滑っていくその様が、なんと心地良い感触か。

 

 足が終われば当然、その上も。

 いやでも流石に自分でやるだろうなぁ───。

 

 

「次」

 

 

 と思っていたら雪雫が寝間着を脱ぎ始め、最終的にはすっぽんぽん。

 いやもう一生忠誠誓いますお嬢様。

 

 腰、お尻、臀部、丁寧に丁寧に。

 時折彼女から漏れる息が、やけに脳内に響く。

 

 あ、やばい。頭がクラクラしてきた。

 いやいや、待て待て。冷静になるんだ久慈川りせ。雪雫の裸何てもう何百何千と見てきただろう。スキンシップだってしてきた。

 だから落ち着け、胸よドキドキするな。これじゃあまるで経験の無い男のソレだ。

 りせはもう大人だ。少なくとも雪雫よりは大人なのだ。大人とは余裕がある生き物。私は雪雫をリードする立場にあるのだ──。

 

 

「………はぅ、」

 

 

 終わった。終わった途端、思わず声が漏れる。

 自分に言い聞かせながら、されるがままのお姫様を脳内フォルダに焼き付けつつも、長い様で短い、拷問にも似た誘惑の時間が終わった。

 だから油断していた。

 終わった余韻に浸っていた為、気付かなかった。未だ裸のまま、ベッドに腰掛けたままの小悪魔に。

 

 

「ご褒美」

 

「え……? うわっ!」

 

 

 勢い良く腕を引かれ、ベッドに引きずり込まれる。

 彼女が下で私が上。所謂、押し倒した様な状態。

 

 薄い胸を上下させて、やや頬を赤らめた雪雫の顔が良く映える。

 

 

「りせ、来て」

 

「う、うん……」

 

 

 その細腕が私の首へゆっくりと回される。

 雪雫という引力に、身体全体が引かれていく。

 

 何でもない抱擁だ。何時もやっているものと変わり無い、ただのスキンシップだ。

 

 

「……雪雫…」

 

 

 私も彼女にならって、自分の腕を雪雫の背中へ回す。

 そう、これは頑張った彼女への労いの───

 

 

「………りせちゃん…?」

 

 

 ふと、声が聞こえた。

 出所は部屋の出入り口付近。恐る恐る視線を向ければ、そこには

 

 

「人の妹にぃ、何してるのかなぁ?」

 

 

 鬼が居た。

 

 

「ちっ」

 

「待って! 違う! 今回のは本当に違う!! 不可抗力!!!!!!!」

 

「この…万年発情アイドル!!!」

 

 

 

 何はともあれ、再び騒がしい日常が始まる



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71:The first star.

 

 

 地元住民にとってはお馴染みのイベント。

 商店街の中原にあるこぢんまりとした神社で細々と行われる祭り。

 例年通りであれば8月の第3土曜日に開催されていた筈だが───

 

 

「───それで花村君が食材の発注をミスっちゃって開催が延期になったんだって」

 

「……ガッカリ王子」

 

 

 まぁ有志のイベントだしそういうこともあるだろう。

 お調子者の友人の顔を浮かべ、雪雫は溜息を1つ。

 

 

「祭りがあるの知ってたら、浴衣持ってきたのに」

 

「この間の写真のやつ? 気に入ってるね」

 

 

 唇を僅かに尖らせて不貞腐れる雪雫に微笑みを返す雪子。

 

 

「だってりせから───」

 

「はいはい。大好きなりせちゃんから貰ったやつだもんね。全く、妬けちゃうなぁ……。よいしょっ」

 

「…んっ……ちょっと…」

 

 

 突如として雪雫を襲う圧迫感。

 少女の甲高い声が部屋に響き、それを聞いた雪子は意地悪そうにえくぼを深めた。

 

 

「……いきなり帯を締めるな」

 

「いじけてる子の文句なんて聞きませーん」

 

 

 雪子は妹からの抗議の視線を軽く流し、その小さな背中を押して鏡の前へと誘導する。

 

 

「うん、似合ってるよ」

 

「……どうも」

 

 

 可愛い。

 

 鏡から視線を逸らし頬を染めて、「必死になんとも思っていないですよ」とアピールしているかの様な態度。

 姉フィルターを取って見ても端正な顔をしているんだ。可愛いと可愛いが掛け合わさりその輝きはまるで星の一生を全て凝縮したかの様そうまさに超新星爆発(スーパーノヴァ)私は決して鳴上くんの様なシスコンとかでは無いがこの光景をありのままに伝えるとこう表現するほかあるまいというかそもそも────

 

 

「……何…?」

 

「───ううん。りせちゃん喜ぶだろうなぁって」

 

「……だと良いけど」

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は空が茜色に染まる頃。

 場所はお馴染みの商店街の中華料理屋の前。

 

 

「かわいいいいいいいいいいいいいいい~~~!!」

 

 

 とあるアイドル(少女)の声が響き渡った。

 

 

「……大袈裟。見るの初めてじゃないでしょ」

 

「可愛いものは何回見ても飽きないし可愛いの!!!!!」

 

 

 道行く人達、店内客達、様々な方向からの奇異の視線が刺さる。

 緊張と羞恥と嬉しさで冷汗が浮かぶ。

 

 

「淡い水色の浴衣とは打って変わってアダルトな黒も良いね、雪ちゃんの肌と髪に良く似合っている。メイクもしたんだね雪子センパイにやってもらったのかな?うんセンパイらしい控えめメイクも可愛い。雪ちゃんの素材をふんだんに活かされているね!それで何が欲しいの?お金?お金払えばいい?最早税金として徴収するべきだと思うの。あ、そうだ写真載せてもいい?その可愛さは是非全世界に発信するべき──いやでも待って。その可愛さを独り占めしたい私も居る困ったな。あ、いい事思い付いた。東京戻ったら2人っきりで撮影会しようよ。大丈夫任せて。この前買った一眼カメラで雪ちゃんを余す事無く360°カメラに収めるから。勿論浴衣姿のね。ああ、どんな格好してもらおうかな。外に出すものじゃ無いからちょっと過激なものでも良いよね。なら浴衣を本来の、大元に立ち返ってみるのも──ああっ!?ごめんなさい!冗談です!だから腕を捻らないで雪子センパイ!!」

 

「……はぁ…」

 

 

 仲間達にとってすれば割と何時もの光景。

 最早手遅れではあるが、あまり一緒のグループと思われたくない男性陣は少し離れた場所でその光景を眺めていた。

 

 

「浴衣の大元って……何すか?」

 

「元々は平安貴族が蒸し風呂に入る時に水蒸気でやけどしない為に用いられたのが始まりだと言われている。それが時代の移り変わりによって水分吸い取るもの…。つまりは風呂上りに着用するバスローブの様な役割になっていったという。りせの言う大元っていうのはその事だろう」

 

「詳しいっすね…。悠先輩…」

 

「な、ならリセチャンはセツチャンに……裸のまま───」

 

「それ以上言ったら、燃やすから」

 

「「「すみません」」」

 

 

 地獄耳とは正にこの事。

 焼き殺す様な雪子の視線が悠たちを射抜く。

 

 

「お~い」

 

「お、お待たせしました」

 

 

 そんな一同に加わる2人の声。

 視線を向ければそこには天城姉妹やりせの様に晴れやかな装いに身を包んだ千枝と直斗。

 

 

「すみません、少々支度に時間掛かってしまって……」

 

「いやぁ、参っちゃうよね~。久しぶりに浴衣探したら見つからないのなんの…。あれ、花村は?」

 

「ん? ああ、陽介なら───」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 人が良さそうな笑みを浮かべ頬を流れる汗を煌めかせる好青年。

 

 

「よっ、いらっしゃい! 何にする?」

 

 

 そう青年は両手に持つコテをクナイの様にクルクルと回し、一同に歓迎の意を伝えた。 

 

 それに対し───。

 

 

「何にするって言われてもねぇ……。焼きそばしか無いじゃん。肉は無いの? 肉は」

 

「つーか何やってんすか? 花村先輩?」

 

 

 辰姫神社にズラリと並んだ屋台のその一区画。

 鳴上悠の相棒であり稲羽が誇るキャプテンは1人屋台を切り盛りしていた。

 

 

「ジュネス…焼きそば………?」

 

 

 夏らしい温かな風に揺られるのぼりに目をやり、雪雫は首を傾げた。

 

 

「ああ。あの大人気屋上フードコートからの出張版だぜ!」

 

「いや…。そんな定番! みたいに言われても…ねぇ?」

 

「うん。食べた事無いよね」

 

 

 確かに食べた事無い。だがよくよく思い返せば確かにあった気がする。

 一同の認識としてはその程度のモノだ。

 

 

「それで。何故、花村先輩が屋台を?」

 

「あー…。それがよ……」

 

 

 そもそもである。

 例年通りであればこの祭りは先週開催されていた筈である。

 

 それが開催が延期になってしまった。

 まぁ主に雪雫達の目の前に居る男が原因なのだが……。

 

 数年前からジュネスは地域貢献の一環として町内イベントの運営に関わり始めたという。

 過去にジュネスの出店により地域の小型店舗が次々に閉店に追い込まれ、地元住民とジュネスの間に確執が生まれていた時期があった。

 つまりアピールの場だろう。

 ジュネスが八十稲羽を限界化させる外敵では無く、寧ろ活性化させる味方であると。 

 

 そして今回の夏祭りもそれの1つ。

 夏祭りにおけるジュネスの役割は食材の提供。非常にウェイトが掛かる役割である。

 

 

「俺、ミスって祭り延期させたじゃん? ミスった手前、直接祭りを盛り上げないと示しが付かないって親父がさ…」

 

「なるほど。つまり発注ミスの対価に労働を強いられた、と……」 

 

「贖罪……」

 

「食材だけにね。ふふっ」

 

「あー…天城姉妹は黙っててくれる? 話進まないから」

 

 

 顔を合わせて小刻みに揺れている白黒姉妹に目もくれず、千枝は「大人の事情だねぇ」と一言。

 

 

「そうか。陽介も大変だな。……それじゃあ」

 

「ちょいちょいちょいちょい! 待て! 待てってば!」

 

 

 そこには同情の余地も無く。

 一斉に身を翻した悠達に花村陽介は慌てて呼び止めた。

 

 

「え? 行っちゃうの? もっとさ。なんかこう……。同情とか無い訳?」

 

「いや、だって自分が悪いじゃん」

 

「クマ! ヨースケパパだって何度も確認とってたクマ! これは100%ヨースケが悪い!」

 

「そうだけど! そりゃそうなんだけど! せめて焼きそば食べていってくれよ!」

 

 

 辺りに香るソースの匂い。程よくテカる麺と野菜。その上を踊る鰹節。

 しかし──

 

 

「いや…、1パック800円は高くないっすか?」

 

 

 完二の言葉に一斉に頷く一同。

 

 

「しょうがねぇだろ! 人が少ない田舎町で営業ってなるとどうしてもこうなるの!」

 

「でもなぁ、今焼きそばって気分じゃないしなぁ…」

 

「私達、味濃いものより甘いもの食べたいんだよねー。ね、雪ちゃん! 綿あめ食べに行こう!」

 

「ん」

 

「無慈悲か!」

 

 

 ああ、そうだ。この感じ久しぶりだ。と陽介は内心で思った。

 基本的にこいつらは人を気遣うとか同情とかしない。自分の事を優先する自由人だった。

 

 

「ほ、ほら。腕によりをかけるからさ。食べてってくれよ。値段相応…いや、それ以上の! 舌を唸らせてやるからさ!」

 

 

 キラっ。と効果音が付きそうなウィンクを携えて、必死にアピールする。

 ここでこいつらを落とせば800円が7人分で5600円の売り上げ……大きい。逃す訳にはいかない!

 

 

「でもなぁ。焼きそばって作るの簡単じゃん? ここで食べなくても…ねぇ?」

 

 

 千枝が腕を組みながら口を開いた。

 

 

「うん。自分で作った方が美味しい自信ある」

 

 

 続いて雪子が謎に自信を携えて宣言した。

 

 

「それに何て言うか惹かれないんだよね。刺激が足りないっていうか……」

 

「良くも悪くも、普通……」

 

 

 りせと雪雫が焼きそばを見つめながら評価を下した。

 

 

「普通の料理すらまともに作れないお前らにだけは言われたくないわ」

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

「皆は?」

 

「花村先輩と一緒に後から来るって。菜々子ちゃんも連れて」

 

「そう」

 

 

 結局、人数分焼きそばを頼んだ。

 あとちょっとで売上目標を達成するところだったらしい。達成さえしてしまえば屋台から離れられるっていうんだから協力する他ない。800円は高いけど。

 

 皆はさっきも言った通り花村センパイと菜々子ちゃんを連れていずれ合流するだろう。

 私はというと雪ちゃんを連れて先に抜けて来た。

 

 いや、抜けさせて貰ったという方が正しいかもしれない。

 

 

「暑い」

 

「夏だからねぇ」

 

 

 丘に座ってぼんやりと河川を見つめる。

 昼とは違うじんわりとした暑さが体力を奪う。芝と接着しているお尻が少しこそばゆい。

 

 道中に買ったアイスは消えてしまった。残ったのは白樺の棒のみ。私は手で遊び、雪雫はずっと咥えている。

 ただの時間潰しだ。

 

 いずれ打ち上がる花火までの。

 

 

「───綺麗だね」

 

「…? …まだ上がってない」

 

 

 キョトンと首を傾げ、その輝かしい真紅の宝石が私へ向けられる。

 

 綺麗。ああ、綺麗だよ。

 じわりと流れる汗も、普段はしないメイクも、黒い浴衣も、それに映える肌も髪も。貴女を構成する全ての要素が。

 

 

「違うよ、私は──」

 

 

 頬に手を添える。自然とお互いの距離が近付いた。

 呼吸音を聞き逃すことすら困難な程の距離。真紅の宝石を覗き込むと頬を赤に染めた自分の顔が映っている。

 

 

「雪雫の事が──」

 

 

 頬に添える手が震える。

 気付けば唇同士が触れてしまいそうな程の距離まで来ていた。

 そして──

 

 

「……ん」

 

 

 雪雫は静かに瞳を閉じた。

 

 

(えぇぇ!? ここからどうするの私!? 綺麗なのは雪ちゃんの事だよ~て笑いながらやめる? いや…! そんなまるで遊んでます感出したくない! 遊び人って雪ちゃんに思われたくない! え、じゃあそのまま流れに乗っちゃう!? 待って待て待て、流れでしてしまって良いものなの!? この子の初めてを私のノリで散らすの? ていうか私も初めてだし!! そもそもこの雪ちゃんの態度はどういう意味? OK?していいって意味なの? 仮に、仮にしていいとして、下手だったらどうしよう。歳上なのに、大人のに、リードも出来無いんだとか思われたら────)

 

 

 混乱。

 頭の中の無数の久慈川りせが一斉に騒ぎ始める。

 

 そう、そこは久慈川りせ評議会。

 様々な可能性を持つ久慈川りせが集まり、その意思決定を行う場所。

 それは正にマルチバース。

 無限の可能性を秘めた───。

 

 

「お、いたいた~!」

 

「はっ」

 

 

 馴染みの声が聞こえ、意識が現実へ戻る。

 視線を向ければ神社に居た面々と堂島親子。

 

 どうやら開催に間に合ったらしい。

 

 

「雪雫ちゃん、かわいい! 九泉(きゅうせん)のMVの時見たい!」

 

「ありがとう。菜々子も可愛いよ」

 

「ほんとー!?」

 

 

 すかさず駆け寄った菜々子に続いて、センパイ達もこっちの方へ。

 不味い。非常に不味いかもしれない。

 

 どう見えていたか分からないが、あんだけ接近していたんだ。角度によっては致してしまっている様に見えたかもしれ

 

 

「りせちゃん?」

 

「ひっ……!」

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 眩い光と共に、心臓を打つ様な重い音が響いた。

 振り返ればそこにはキラキラと鮮やかなに光る華。

 ここからでは生い茂る木々の所為で半分も見えないが、きっと今頃河川敷では大輪に成っているだろう。

 

 

「良かったのか?」

 

「何を今さら」

 

 

 田舎町には不釣り合いな程豪華な黒塗りの高級車に背を預けながら、赤髪の女性は私に問うた。

 そしてそれを私は一言で片づけた。

 

 愚問であると。

 

 

「今、あの子に必要なのは日常です。少なくとも私はあの子の日常には居ない」

 

「……その線引きを壊す為に天城雪雫は身を扮したのでは無いのか? 神を降ろしてまで」

 

「分かってます。だけどあの子が良くても私が良くない。よくある話でしょう。ヴィランが味方になるにはそれ相応の償いが必要。そうじゃなければ観客は納得しない」

 

「………ま、そうだな」

 

 

 何か思う所があるのか、それともこれ以上の問答は無意味だと判断したのか。身を翻して女性…桐条美鶴は車に乗り込んだ。

 そして私もそれに続く。

 

 今も後ろで絶え間なく花火は上がっている。

 車の曇りガラス越しに見える鈍い光。きっとあの子は今まさに、同じものを見ている。仲間達と共に。そしてそこに私は居ない。

 

 

(しかし、それがなんだ)

 

 

 空は何処までも広く、そして繋がっている。世界は無数にある訳じゃない。

 今は違う場所に居たとしても、手遅れなんて事は無い。同じ世界に居る限り、いつかは追いつける筈だ。

 だって私達は、同じ尺度の世界で生きているのだから。

 

 

「またね、私の光」

 

 

 願わくば、その輝きが鈍りません様に。

 

 

 

 

混沌螺旋世界・マヨナカテレビ局

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混沌螺旋世界・蕃神黄泉閨房 寂滅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月22日 月曜日 晴れ

 

 

 

 車を走らせながら、りせは思い出したかの様に声を上げた。

 

 

「そういえば今回は静かだったねぇ」

 

「何が?」

 

「ほら、歌ってくれ~って皆に言われなかったじゃん」

 

 

 確かに。と雪雫は目を伏せた。

 

 片田舎の八十稲羽にとって、雪雫達の里帰りは一大イベントだったりする。話題に乏しい町で生まれた超新星。無理も無い。

 実際に過去には何度も何度も町内会からイベントに出てくれ。町興しのシンボルになってくれなど毎回のように持ち掛けられる。

 特に事務所に入ってないフリーの雪雫に対して。

 

 雪雫とて気持ちは分かる。しかし乗り気になれない。

 生まれ育った町で、馴染みある人達から消費物の様に思われるのが好ましくないのだ。

 

 有名なのだから仕方ない。

 確かにそういう意見もあるだろう。それについての否定はしない。しかし有名人とは言え何処までいっても1人の人間。故郷でくらい、そういうしがらみからは解放されたいのが本音だ。

 

 

「皆がきっと空気を読んでくれた」

 

 

 しかし今回に限っては誰もその話を口にせず。

 何ならアーティスト活動について触れてくる人も殆ど居なかった。

 等身大の、昔から居る少女「天城雪雫」として接してくれたのだ。

 

 これには雪雫も喜んだ。

 どれくらいかと言うと、帰りの車内で鼻歌を口ずさむ位には喜んでいる。

 

 

「ご機嫌だねぇ」

 

 

 そんな雪雫を微笑ましく思いながら、りせもそのメロディに言葉を乗せる。

 

 

 車は次第に八十稲羽を出る。

 数時間揺られれば、あっという間に見慣れた都会だ。

 

 また、それぞれの日常へ。

 

 慌ただしい里帰りは穏やかに幕を閉じる。 



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Interlude
72:Friend.


 

 

8月23日 火曜日 晴れ

 

 

 

 うだるような暑さ。

 本当に冷房効いてるの?と思わず零してしまいそうなほどの。

 

 ああ、八十稲羽って涼しかったんだな。

 

 雪雫はぼんやりとそう思った。

 

 

 正座しながら。

 

 

「んで、言い訳を聞こうかしら?」

 

「…………」

 

 

 目の前には鬼が居る。

 皆…とくにりせとか陽介は雪子の事を鬼と評するが、雪雫からすればこっちの方が十分に鬼である。

 

 まず、こんなに暑いのに冷房の温度を下げさせてくれない。28度で固定だ。

 非常によろしくない。

 キンキンに冷えた部屋で布団に包まったり、温かい恰好をするのが好きなのに、出来やしない。

 

 バーカバーカ。真のアホ。

 

 内心で雪雫はそう唱えるが、目の前の(モンスター)は倒れない。

 

 

 本題に戻そう。

 

 鬼こと新島真は今もなお、青筋を浮かべて仁王立ちをしている。

 雪雫の周りには誰も居らず、助けを求める避難場所は無い。

 

 りせ、蓮、べっきぃ……いや。べっきぃは一緒になって怒りそうだからナシ。

 

 

「携帯…使えなかった」

 

「へぇ…一週間も? 誰とも連絡取らなかったの?」

 

「電波、届かない…場所だから」

 

「貴女ねぇ…中学の時に配信してたんでしょ。電波無いから使えませんは苦しいわよ」

 

「むむっ」

 

 

 さて困った。

 ハッキリ言って雪雫は手詰まりだ。

 

 一週間、連絡が付かなかった理由。

 まさか本当の事を言う訳にもいかない。

 

 帰ったら故郷がイセカイと合体していて電波が遮断されていたので、現地で知り合ったペルソナ使い達と一緒に事件の解決に勤しんでいました。

 

 要約するとそうなのだが、真視点だと混乱するだろう。

 メメントスやパレス以外のイセカイ、自分達以外のペルソナ使いエトセトラエトセトラ……。

 

 ハッキリ言うと説明が非常に面倒くさい。

 そして雪雫は面倒くさい事はあまり好きじゃない。

 

 

「……あっ」

 

「何?」

 

「そういえば双葉はどうなった?」

 

「話の切り替え下手か」

 

 

 失敗。

 

 

「……はぁ。まぁ今回はいいわ…。これ以上聞いても何も話さなそうだし…。でもこれだけは分かって? 本気で心配したんだから…………」

 

「………ごめん」

 

「良い? 携帯はしっかり持ち歩く事。あとこまめに返事をする。分かった?」

 

 

 お母さんか。

 とそう思ったが口には出さなかった。

 雪雫の直観が告げたのだ。一度言ってしまえばより長くなるぞ、と。

 

 

「それから、私からの電話は3コール以内に出る事」

 

「え、重っ」

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

「双葉の件は問題無しよ。想定よりもずっと順調」

 

 

 場所は変わって喫茶店。

 雪雫は以前に祐介と来た事がある店だが真は初めての様だ。

 

 身体の熱を冷ます丁度良い温度の冷房が心地良い。

 エアコンの制御権を得られない自宅に居るよりはずっと過ごしやすい。

 

 

「なら良かった」

 

 

 ストローでココアの海に浮かぶアイスをクルクルと遊びながら、雪雫は微笑を浮かべる。

 

 正直この眼で直接見ない限りは、あの双葉の様子を考えると眉唾物の話ではあるが、スパルタ鬼軍曹である真が言うのだから本当に順調なのだろう。

 雪雫も雪雫で心配はしていたのだ。

 何だかんだ仲間内で一番付き合い長いのだから当然と言えば当然かもしれないが。

 

 

「ついこの間は蓮と接客もしたし、そろそろ頃合いかもね」

 

「?」

 

「対雪雫用トレーニングよ」

 

「そんな怪獣みたいに言わなくても」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

8月24日 水曜日 晴れ

 

 

 

「良い? 今日の目標は双葉を実物の雪雫に慣れさせること」

 

 

 何処から引っ張り出してきたのか、伊達メガネを携えスパルタコーチモードになった真はホワイトボードを教鞭で叩く。

 彼女の視線の先には小柄な身体をより一段と縮こませ「無理だ、出来る筈が無い」と頻りに呟く双葉本人。

 

 

「いきなり純度100%の雪雫を与えるには刺激が強すぎる」

 

「薬物かよ」  

 

「竜司は茶々入れないで! 蓮! アレの用意を!」

 

 

 静かに頷きを返した蓮は部屋の隅から真の言うアレを運んでくる。

 

 

「自立式半透明パーティション……。まずはこれを挟んで会話してもらいます。杏、雪雫を連れてきて!」

 

「ま、待て! もう来るのか!?」

 

 

 双葉の悲痛な声を余所に、一歩。また一歩と確かに聞こえる階段を踏みしめる音。

 音が下から上がってくるにつれ、双葉の心臓もまた五月蠅い位に鼓動を早めていた。

 

 

ほら、雪雫これ被って!

 

何でまた…

 

 

 僅かに聞こえる2人の声。

 ここに居る誰もが階段の方を注目した。

 

 

「……っ!」

 

 

 まず最初に目に入ったのは金髪ツインテールの少女、そしてそれに続いて見えたのは───。

 140cm届かない身長にワンピースを携え…、中華街に売っているお面を付けた雪雫本人。

 

 

「おい! ああああアレを貸したのか!?」

 

「ええ。だって他に良いの無かったから……」

 

「鬼か!? 鬼なのか!?!? お、お前らは今度から雪雫が付けたお面を付けて過ごせと言うのか!?」

 

「何故気にする? もうお面を付ける事なんてそうそう無いと思うが…」

 

「黙れ、おイナリ! お前には分かるまい!!」

 

 

 あ、これ双葉のやつなんだ。とお面の中で1人納得をする雪雫。

 真が付けろと持ち出してきた時は、真の生真面目さとお面チョイスのチグハグさにとうとう暑さでおかしくなったのではないか。と疑っていたが、双葉の持ち物であるならば不思議では無い。

 

 しかし双葉の心配も最もだ。

 いくら昔からの仲とは言え、私物を他人に預ける…ましてや大事な物であるならば、不安なのは当然の事。

 一時とはいえ、借り受ける者の責務として、ここは安心させてあげよう。

 

 

「大丈夫、双葉。壊さないから」

 

「そういう問題ではなーい!」

 

 

 言葉を間違えたらしい。

 

 

「はひっ…。というか……。生天城雪雫…。ワンピース越しでも分かる細さ。しかし細いだけでは無く程よく引き締まり、生み出された見事な曲線美…。ただの合法ロリでは無く、それはまるで究極とも言える一つの芸術………。あばばばばばばばば…」

 

「雪雫! 露出は控えてと言ったでしょ!」

 

「いや、これロングワンピ──」

 

「このままでは不味いっ! まさかこれ程までとは……。雪雫! 早くパーティションの奥へ! このままでは刺激が強すぎる!」

 

「劇物かよ」

 

 

 

 

 数分後

 

 

 

 

「落ち着いたか? フタバ?」

 

「損傷率70%…。ってところだな」

 

「ボロボロじゃねぇか」

 

 

 息を切らしながらパーティション越しの雪雫を見据える双葉。

 なるほど、確かにこれ越しなら何とか抑えられる。と、思う。

 

 

「ようやくスタートラインね…」

 

 

 真がやけに疲れた様子で溜息を零した。

 

 

「取っていい?」

 

「ええ」

 

 

 僅かに曇った輪郭がモゾモゾと動き始め、小柄な身体に不釣り合いな程大きいお面に手を掛ける。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 はらりと、髪のシルエットが宙を踊った。

 お面何個分だろう。思わずそう思ってしまう程の小さな顔の輪郭が瞳に映る。

 

 

「だ」

 

「だ?」

 

「ダメだ。か、顔が強すぎ…て……モザイクを、貫通してくる。ここここれでは、まともに喋る、事すららら」

 

「嘘だろ…おい……」

 

「お、おおオタクのそ、想像力を…舐めるんじゃない、ぞぉ……!」

 

 

 何十回、何百回、何千回…。

 一体私が何回彼女の動画、配信を見たと思っている!

 例え曇っていたとしても、ある程度の輪郭さえ分かれば、後は脳内で補完することなど容易い事だ。

 

 つまりモザイクなど私にとってすれば無意味っ!

 

 

「ならこれは不要ね」

 

 

 真がパーティションを押すと、面白い位にキャスターが転がり、そこに現れたのは──。

 

 

「……こんにちは」

 

「お前は鬼か!?」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

『その…すまん……。時間を作ってくれたのに…』

 

「別に気にして無い」

 

 

 電話越しの双葉の沈んだ声。

 

 結局あの後、日が暮れるまで続けたが、会話という会話は出来ず、そのまま解散となった。

 さてどうしたものか。とゆっくり湯船に浸かりながら思考を巡らせていた所にかかってきた双葉からの電話。

 

 曰く、今日の事について謝りたかった様だ。

 

 

「電話越しだと、普通…」

 

『……まぁ、対面じゃないしな。今まで通り、というやつだ』

 

 

 今まで通り、か。

 確かに非対面のやり取りなら何度もしてきた。単純な仕事に関する付き合いだけなら今のままでも良いのかもしれない。

 

 しかし、私達の関係は変わった。

 苦難を共に乗り越え、志を同じくした仲間……いや、友達で良いだろう。

 そうであるならば、やはり慣れて貰う必要がどうしてもある。

 

 

『頭では分かっているんだ。しかし、しかしな? やはり雪雫は私にとって違う世界の…画面の越しの存在、偶像だったんだ。それを今になって───。頭が追い付かないというか…』

 

「………2日だけ、ちょうだい」

 

「へ?」

 

『私に良い考えがある』

 

 

 ところでマイクについて詳しい?

 やけに自信に満ち溢れた様子のままそう言った。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

【朗報】雪ちゃん、俺らと親友だった

 

 

 

1:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:18:15 ID:Q1nH6JSG8

 

確かにそこに居るんだ……

 

 

 

3:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:18:52 ID:EvUJoHTyK

 

あれは良い文明

 

 

 

5:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:19:34 ID:HNf1LKnxh

 

汚い心が改心されたわ

 

 

 

7:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:20:09 ID:aaDJQjhI/

 

>>5 雪ちゃんは怪盗団だった……?

 

 

 

8:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:20:47 ID:3VxZA9iFY

 

まーた雪ファンが何か言ってるよ……

 

それで、何があったの? 

 

 

 

10:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:21:24 ID:ydhzPZKkS

 

≫8 雪ちゃんがASMR…というかボイス?を出した

 

 

 

12:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:22:04 ID:4jPsRd5sf

 

クール天然系ロリボイスでしか取れない栄養がある

 

 

 

14:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:22:40 ID:T7P3bXcK2

 

>>10 詳しく教えなさい

 

 

15:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:23:21 ID:qtSa2jGQ7

 

タイトル:貴方の友達

価格  :110円

 

内容は休日に雪ちゃんとお出かけをするというシンプルなやつ。

喫茶店行ったり、映画行ったり、水族館行ったり、美術館行ったり……。

シチュエーション別にチャプターが分けられていてそれぞれの時間は10分程度で聞きやすい。

基本的にはお出かけした場所に応じてコロコロ変わる雪ちゃんの反応とか語り掛けとか、雑談とかを聞いて楽しむもの。

 

 

まず脅威なのが価格。

チャプターの数が10個以上。時間にして2時間近くあるのに関わらず金額が110円。

近年のASMR界隈では1時間くらいの収録内容で平均として1000円~2000円くらいする為、非情にコスパが良い。

 

多分本人はこれの為に買ったバイノーラルマイクの費用を回収できればいいや。としか思っていないと思う。

 

 

次に特筆すべきは友達という存在に対する解像度の高さ。

近すぎず遠すぎず。親しき中にも礼儀あり。程よい距離感で、等身大の雪ちゃんを体験出来る。

本当にそこに居るんじゃないか。本当に友達として存在するんじゃないか。

そんなリアルさがある。

流石は現役JK。下心で買った雪ファン。反省してどうぞ

 

あとは当たり前だが声が良すぎる。

聞き取りやすくて、透き通っていて、演技っぽさを感じない……

ていうかこれ本当に現地で撮ってない?

ていうくらいリアルで自然。

 

あとこれ目的で買う人はいないと思うけど、個人的に良かった点

 

一部チャプターが無駄に教養が付く。

主に美術館とか自宅で映画鑑賞とか。

 

所々に雪ちゃんの解説……。しかも意味わからん位詳しくて専門的で、それでも分かりやすい奴が付いてくる。

絵画の黄金比とか考えた事無いよ……。

雪ちゃん、そういうの好きなのは知っていたけど、まさかそこまでとは思わなかった

 

 

総評

ファンならマストバイ。

ファンじゃ無くても声が好きなら買うべき。単純に音声作品としての完成度が高すぎる。

自称演技派ロリボイスのネットの女共は見習った方が良い

 

 

 

17:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:23:59 ID:O6QfTnhXW

 

>>15 サンガツ。 買ってくるわ

 

 

18:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:24:33 ID:TBou40PHx

 

これ聞きながらシチュエーションに対応する場所行くのいいよ

冗談抜きで友達と遊んでいる感じがするから

 

 

 

20:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:25:16 ID:IYHr2Nql4

 

夏休みの終わりにとんでもないもの出してきたな

 

 

 

 

ありがとう…ありがとう…………

 

 

 

21:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:25:48 ID:gLUdEPjhM

 

控えめにクスクス笑う声がすこ過ぎる

何か心にじんわりと来るものがあるというか、くすぐったいというか 

 

 

 

23:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:26:30 ID:IsA9y6iV+

 

雪ちゃんってこういう声も出せるんだね…

基本無表情なイメージがあるから… 

 

 

 

24:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:27:10 ID:wykNdXYx1

 

≫単に表に出すことをしないだけでは?

 実際にMVとか雑誌とかでは表情コロコロ変わってるし

 

 

 

26:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:27:43 ID:AfHwVd5rA

 

>>24 それもそうか

 

 

 

28:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:28:15 ID:AOAHIZhFD

 

まぁ表情作れなきゃあんな曲でもあんな声出せないもんな

 

 

 

29:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:28:46 ID:lhqKXg3S+

 

りせちー向けに作ってそう

所々同性に向けてそうな言葉とかあったし

 

 

31:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:29:23 ID:IEKdPa0PE

 

≫女性ファン向けでは?

 

 

 

32:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:29:58 ID:vGzbbwrrm

 

りせちー向けに作ったやつは表に出さないと思うんですよねぇ…… 

 

 

 

34:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:30:29 ID:mkVMXi0Q4

 

私氏、女性ファン

新たな扉が開く

 

妹にしたい…ですわ……

 

 

 

35:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:31:06 ID:qiwOqjUk2

 

>>34 出たわね

 

 

 

37:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:31:43 ID:69NpfVoE3

 

>>34 キマシタワー

 

 

 

 

38:最古参の雪ファン 2016/8/25 13:32:25 ID:akMS+0nVT

 

雪ちゃん…なんて罪作りな女………

 

 

 

40:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:33:02 ID:RJ8vYrMWy

 

 

41:名無しの雪ファン 2016/8/25 13:33:44 ID:HLbniCzIi

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「な、なんだこれは……」

 

 

 ひとしきり聞き終えた私はヘッドフォンを置き、掲示板に目をやる。

 

 貴方は友達。

 タイトルの通り、「友達」という関係にウェイトを置いた作品だ。

 まぁ私の持っているのは買ったやつでは無く、本人から貰った音源であるが、そこに差はきっと無いだろう。

 

 

「………むぅ、ドキドキが止まらん」

 

 

 気付けばじんわりと汗を掻いていた。

 マウスを握る手が、椅子と接着している背中やお尻がベタベタしている。

 

 しかし、不快では無い。

 

 というよりも、そんな事に思考を割く暇が無い。

 

 

「………雪雫」

 

 

 気付けば彼女の名前を口にしていた。

 

 寂しい。

 

 そんな感情が心に渦巻く。

 

 

「確かにそこに居た……か」

 

 

 掲示板の最初の投稿が、その全てを物語っていた。

 さっきまであんなに一緒に居た…様に感じていたのに、現実に戻ればそんなことは無く。

 

 こいつらにとってはそれが当たり前…なのだが、私に限って言えばそんなことも無く。

 会おうと思えば何時でも会える間柄。

 

 会いたい。会って話がしたい。作品の様に、一緒に笑いたい。

 

 そんな思考が頭の中で渦巻く。

 

 

「むぅ…これを聴かせてアイツは何を……」

 

 

 愚痴に近い言葉が漏れ出たその時、携帯が振動した。

 メールでは無い。電話だ。

 

 私に電話を掛けてくる者は少ない。

 今までだったら惣治郎。最近の事を加えるのならば、蓮や真達……。

 そして──。

 

 

「聴いた?」

 

「……聴いた」

 

「良かった。じゃあ……」

 

 

 明日、遊ぼ。

 至極当たり前のように雪雫は言い放った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

8月26日 金曜日 晴れ

 

 

 

「今日は、誰も居ないんだな……」

 

「うん、今日は2人だけ。緊張する?」

 

 

 広い。知ってはいたが広すぎる。

 一体自室の何個分なのだろうか。

 自宅に招かれた私はそんな事ばかりを考えていた。

 

 

「……してない。と言えば嘘になるが…。まぁ前よりはましだ」

 

「良かった。会ってそうそう倒れたらどうしようって思ってた」

 

「…そうならなくて良かった、な。慣れない自撮りの甲斐があって何よりだ」

 

「そうでもしないと、慣れてくれないと思って」

 

 

 前々から思っていた事だが、天城雪雫は本質的にはアホよりなのではないか、と思う。

 あの件の宣言以降、決まって昼と夜に自撮りを送ってきたり、ビデオ通話を仕掛けてきたり。

 仲良くなりたい。慣れて貰いたいという意志は感じるが、その為の取る手段がガバガバと言うか、段階を何個か飛ばしていると言うか…。

 まぁこうして実際に効果が出ているのだから、文句を言える立場では無いが。

 

 

「そ、それで。今日は何をするんだ? ゲームか。雑談か?」

 

「何も決めてない。双葉は何したい?」

 

「無計画かっ。……何したい、と言われてもなぁ」

 

 

 友達と遊んだ経験など、数えるくらいしかない。

 そんな私に判断を委ねるのか、雪雫は。

 

 辺りを見回す。

 ひとしきりは揃えてられたゲーム機とソフト。壁に立てかけられたダーツ盤。山のようにあるDVD…洋画が多めだな。他にも楽器やらパソコンやら、漫画やら。

 多分一生引き籠ってられるくらいには娯楽で溢れている。

 

 

「…選択肢が多いのも困りものだな」

 

「じゃあ…映画観よっか」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 それは少し古めの映画だった。

 確か元々はコミックだったと思う。

 

 冴えない主人公がある日、奇妙な仮面を手に入れて超人的な力を持つ怪人に変身する……という割と良くあるやつ。

 内容はコメディ寄り。

 アニメ的な表現と実写の再現が上手く調和されている。

 

 

「懐古厨、という訳では無いがこの時代の映画には惹かれるものがある。確かに今ほどCGが発達している訳でも無いし、機材も古いから映像の解像度も低いのだが──」

 

「演出や小道具1つとっても。人の手が加えられていて味がある」

 

「そう! そうなんだよな! 今は大体全てCGで完結するからな…。いや、それが悪いとは言っていない。簡単にクオリティの高いものも作れるのは正に理想だ。制作のハードルが下がれば下がる程、良作も増えるからな。インディーズゲームと同じだ」

 

「でもデータだけじゃ出せない何かが確かにある。私はマトリックスの柱のガトリングの所が好き」

 

「NG出したやつか。ああ、あれは良い。何せ本当に破壊しているのだから。日本の特撮もそうだ。昔は炎のシーンを撮影したいがためにスタジオを実際に燃やしたり、人の居ないシーンを撮りたいが為だけに正月の早朝に撮影したり……。そういう身体を張った努力というものは確かに私達に伝わるものだ」

 

 

 最近の傾向が嫌い。という訳では無い。

 ただ単に、たまに立ち返りたくなるというだけだ。

 今も昔も関係無く良さがあり、私達はそのどちらも楽しみたい。

 ただそれだけ────。

 

 

「双葉」

 

「ん?」

 

「私達、話せてる」

 

 

 そう言われ、暫し思考が停止する。

 振り返れば確かにそうだ。

 

 ここに来てからずっと、映画を観始めた辺りからさらに拍車をかけて。

 特に意識もせず、ありのままの自分とありのままの雪雫として。本当に友達の様に同じ時間を共有出来ている。

 

 

「……まぁあれだけお膳立てされれば、な…。自宅に誘ったのも映画を選んだのも、作品に沿ってのことなんだろ? 私がやりやすいように。 計算高いやつだな」

 

「でもそこだけ。私は枠組みを決めたに過ぎない。交わした言葉も、表情も。残りは全部双葉が選んだこと」

 

「………ま、それもそうだな」

 

 

 正直、今更推しがどうとか言う気も無くなってきた。

 こいつは純粋に、1人の人間として私と仲良くなりたいんだって、そう思えたから。

 

 

「全く、私1人にこんな手間を掛けるなんて…どんだけ友達になりたかったんだ?」

 

「………私、同い年の友達、全然居ないから。まだ片手に収まるよ」

 

「それは光栄だ」

 

 

 なんだ。これだけ有名でも。これだけ才能に満ち溢れていても。蓋を開けてみればこんなもの。

 何なら引き籠りの私よりも酷いんじゃないか?

 

 そう思ったら笑えてきた。

 自分が雪雫に委縮していたのが、馬鹿らしく思えて───。

 

 

「まぁ何だ。よ、よろしくなっ! 雪雫っ」

 

「うん。よろしく。双葉」

 

 

 柄にも無く握手を求めた。



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73:Let's go to the sea!

 

 

8月27日 土曜日 晴れ

 

 

 

 薬品と消毒液の入り混じった匂いが漂ういつもの診察室。

 世間一般的には苦手とする意見が大多数を占めるだろうが、雪雫はその限りでは無い。寧ろ好きな部類だ。

 だって──。

 

 

「はい。ご要望の日焼け止め。いつもより強めのやつね」

 

 

 彼女、武見妙が医者であるなによりの証拠なのだから。

 

 

「ホントに行くの?」

 

「行く」

 

「泳げない癖に?」

 

「…………ぅん」

 

 

 その医者である筈の彼女は何処か小馬鹿にした様子でふっと息を漏らした。

 

 

「……失礼な反応」

 

「ごめんごめん。貴女にも出来ない事あるんだなーって改めて考えたらさ、ね? ……ふふっ」

 

 

 武見から見て天城雪雫は才能の塊そのものだ。

 実際に、活動を始めてからまだ間もないのにも関わらず今や日本を代表とするアーティストだし、教養もあるし、運動神経も異常なくらい良い。

 まぁ一般常識とか感性とかが僅かにズレているというか抜け落ちている面はあるが、それがかえって彼女の非凡な様子に拍車を掛けている。

 

 病に蝕まれ、1人では何も出来なかった頃を知っている身からするならば、余計に今の彼女が輝いて見える。

 

 

 しかしそんな彼女でも水には勝てない様だ。

 

 

「にしても不思議。貴女くらい身体が動くなら、普通に泳げそうなのに」

 

「練習なんてした事無いもん」

 

「アイドルのダンスを1回見ただけで完コピした人が何を言ってんだか」

 

 

 彼女ならば見様見真似で泳げる筈だ。

 だってそうするだけのモノを持ち合わせているのだから。

 

 なのに出来ない。いや、しようと思わない。か。

 

 なら彼女の飄々とした態度とは裏腹に思ったよりも話は複雑なものかもしれない。

 

 

(内面的な問題、か)

 

 

 考えられるのはそもそも水が怖いパターン。

 過去に溺れたことがある、または映画かドラマで水難シーンを見てそれが脳裏に焼き付いている……がベターなケースか。

 

 

(まぁでも臨床心理は専門外だしなぁ)

 

 

 ある程度は齧った事がある。

 しかし、この子が悩み……として意識しているかは分からないが、どちらにせよ「天城雪雫」が1人で解決出来無い事柄だ。素人の私が下手に取り掛かるよりもプロに任せた方が良い。

 

 チラリと少女を一瞥する。

 

 

「…………?」

 

 

 目と目が合い、可愛らしくコテンと首を傾げている。

 

 

(………まぁ、事前に相談しに来ただけマシか)

 

 

 聞けば明日は海に行くらしい。そう、あの子達…怪盗団のメンバーで。

 見た所、行く事に関しての憂いは無い。ならば、彼女にとっての泳げないはさほど大きな悩みじゃない筈だ。

 あるとしたら友達の前で見栄を張りたいとか、可愛らしい虚栄心くらいだろう。

 

 

「ま、日焼けには気を付けることね」

 

「ん」

 

 

 変な邪推はやめよう。

 あの病状に伏せていた少女が今はこうして友達と海に行くまでに元気になった。

 それでいいじゃないか。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 あれこれ考えてすっかり忘れていた。

 

 

「はいこれ。今年の健康診断書と前の……退院時のやつね」

 

 

 それは彼女のパーソナルデータがあれこれと書かれた書類。

 身長、体重、血圧エトセトラエトセトラ。

 所謂乙女の秘密、というやつだ。

 

 

「ありがと」

 

 

 手渡された書類をいそいそと鞄に入れ、雪雫は立ち上がった。

 どうもこの後、友人達と水着を買いに行くらしい。

 

 

「…あ」

 

 

 部屋を出る直前。ドアノブに手を掛けた雪雫が思い出したかのように声を上げた。

 

 

「水の中でも呼吸出来るようになる薬出して」

 

「ある訳無いだろ、バカ」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

8月28日 日曜日 晴れ

 

 

 

 揺れる水面。

 煌めく砂浜。

 頬を撫でる潮風。

 

 そして圧倒的までの人口密度。

 

 

「いや…多すぎだろ……」

 

 

 モルガナが若干うんざりした様子で吐露した。

 

 

「まぁ…日曜日……だからな」

 

 

 そして日曜日の前には8月最後の、という言葉が付く。

 つまりはピーク。怒涛のピーク。

 皆同じ様に、夏の終わりの思い出を作りに来ているのだ。

 

 

「分かってねぇなぁ、モルガナさんよっ」

 

 

 予想以上の人の多さに戸惑いを感じていると、この場に居る中で唯一そんな様子を見せる事無く、寧ろ気分が高揚した様子の竜司は得意気に口を開く。

 

 

「この人の多さが良いんじゃねぇか。なんつーか、活気ってやつ? そういうのが楽しんだなぁこれが」

 

 

 それに。と続ける

 

 

「こんだけ人多けりゃよ、居るとこには居るもんだぜ? すげー可愛い姉ちゃんとかさ。こう一夏のアバンチュールってやつ? 始まっちゃうかもな~!」

 

「このモンキー…浮かれすぎだろ……」

 

「モデルになりそうな人材が居ると良いんだが……」

 

 

 祐介よ。

 多分竜司はそういう意味では言っていない。

 

 しかし竜司の男子高校生らしい思考も理解出来る。

 こういう場に来た以上、気になった異性との交流に淡い期待を持ってしまうものだ。

 実際、遠目からチラチラと視線を感じる時もある。……まぁ大方、花火大会の時と同様に祐介に注がれているものだとは思うが…。

 

 

「ていうかあいつら遅くね?」

 

「仕方無いだろう。女性というのは時間が掛かるものだ」

 

 

 この場に居ないあいつらこと、怪盗団女性メンバー。

 更衣室の辺りで別れてからかれこれ20分。

 

 まぁ想像は容易に出来る。

 俺らと違って着るものも多いし。それに双葉も居る。きっと彼女にとって初めてだらけの経験だろうから。

 

 

「来たみたいだぞ」

 

 

 祐介の視線の先。

 人混みを掻き分けながらこちらへと向かってくる4人の少女。

 

 

「お。おぉ……」

 

「あ、杏殿…! お美しい……!!!!」

 

 

 竜司とモルガナが感嘆の声を漏らす。

 まぁ無理も無い。それくらい彼女達が纏う雰囲気は華やかなのだから。

 

 

「………うん。いいな」

 

 

 蓮もその伊達メガネを光らせ、感慨深げに頷いた。

 

 美女。と言っても過言じゃない。寧ろ、その一言では語りつくせない程の魅力が彼女達にあった。

 

 

「ごめんごめん。更衣室めっちゃ混んでてさぁ」

 

 

 ブロンドの髪を揺らしながら手を合わせる高巻杏は流石と言うほか無かった。

 圧倒的なプロポーションに加え、花柄の鮮やかな水着。派手な部類に入るデザインだが、決して浮いている訳では無く、上手く彼女と調和されている。

 

 

「それにしても凄い人ね…。想像以上だわ」

 

 

 こういった場所に慣れていないのか、少し戸惑いを見せる新島真。

 普段のそのスレンダーな身体付きを惜しむことなくアピールしている。しかしかと言って彼女のイメージを崩す事無い純白の水着が眩しい。

 

 

「陽キャだ……。陽キャが沢山居る…」

 

 

 真の背中に隠れ、怯える子猫の様に身体を震わす双葉。

 内向的な性格とは裏腹に、黄色基調とした明るいカラーリング。快活な印象を受けると共に、彼女のオレンジ色の髪と良くマッチしている。

 

 

「あつい」

 

 

 そしていつの間に買ってきたのか、アイスを咥えた上にその手にかき氷を持つ白髪の少女。

 

 

「………あんま、変わらねぇな」

 

 

 竜司の言葉に思わず男達が頷いた。

 

 

「失礼な反応」

 

「いやぁ…だって……」

 

 

 確かに華やかだ。

 その黒を基調とした花柄のデザインは白い少女に映えているし、キュっとしまったウエスト周りは彼女のスレンダーな身体付きを強調している。

 しかし───。

 

 

「怪盗服とそんな変わらなくね?」

 

 

 雪雫の水着はワンピースタイプ。

 剥き出しの肩や腕、スカートの裾から伸びる脚など、目を奪われる箇所はあるが、露出面積の話をするならば、怪盗服(インナー)とそう変わりはない。

 

 

「む。竜司はりせチョイスに茶々を付ける気?」

 

「りせさんは何て言ってたの?」

 

「そう安々と雪雫の露肌を見せる訳にはいけませんって」

 

「……過保護過ぎんだろ…」

 

「あと見たかったらこの前出た雑誌を買えって」

 

「営業すんな」

 

 

 普段とのギャップを求めていた竜司…もとい男性陣にとってすれば確かに地味かもしれないが、それはまぁ勝手に期待した向こうが悪い。

 雪雫はこれで満足なのだ。何せりせが選んだものなのだから。

 それに──

 

 

「私はここに勝負しにきた。あんなビキニじゃ動きにくい。バレーコートは何処?」

 

「考え方がストイック」

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 天高く少女が舞った。

 丁度太陽の位置と重なり目視するのは困難となる。

 

 大きく振りかぶった腕の先には、丸い影があった。そう、ボールだ。

 そのまま彼女は腕を振りかざし、ボールをアタック。

 それはさながら弾丸の如く。

 

 狙いは正確無比そのもの。

 こっちチームのそれぞれの立ち位置、身体の角度、死角、身体の可動域。

 それらを全て計算に入れた射撃。コーナーギリギリを狙った鋭いスパイク。

 

 終わりは呆気なかった。

 抵抗らしい抵抗も出来ず、そのまま試合は終わりを迎え───

 

 

「ナイススパイク!」

 

「いぇーい」

 

 

 真の軽快な声と雪雫の呑気な声が響いた。

 

 

「強すぎんだろっ!!!」

 

 

 竜司の嘆きと抗議の目がハイタッチしている少女達に注がれる。

 

 

「こっち3人。そっち4人。人数不利。その上で兵器が2人。無理ゲーじゃん!」

 

「失礼。まるで人が化け物みたいな物言い」

 

「そうよそうよ」

 

 

 雪雫と真、抗議の声を上げるが竜司の言うことは最もで、チームメイトである杏の瞳には若干の同情が浮かんでいた。双葉に至っては「プロだ…プロが居る……」と震えて固まってしまっている。

 まぁ何分、2人にスパイクを打たせれば得点率は驚異の90%強。真に至ってはボールが出しちゃダメな音と衝撃波のオマケつき。ぶっちゃけ目で追えない。ブロックに回っても事前に相手の動きを予測してはコート中を駆け回りボールを拾う徹底ぶり。そして何故か砂浜の上であるのにも関わらず、普段の俊敏性に衰えは見えない。女性陣を目当てに勝負を仕掛けようとしていたチャラ男達も思わず委縮して退散してしまう程の大立ち回り。

 チートである。

 

 

「少なくとも雪雫と真は別けた方が良さそうね」

 

「えー」

 

「私は別に構わないわよ」

 

「よっしゃあ! ぜってぇ勝つ!」

 

 

 そして始まった怪獣大決戦。

 竜司はそれに巻き込まれ、哀れにもビーチに散っていった。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 バナナボート。

 それは海に浮かぶ1つの果実。

 

 複数人で跨り水上バイクに振り回される事でスリルを味わう海上アトラクションの定番。

 

 

「いいの?」

 

「いいの。1人で待っていても退屈でしょ」

 

 

 視線の先で湧き上がる悲鳴と波。

 今蓮達は海上でスリルを味わっている真っ最中。

 

 

「……ありがと」

 

 

 ペタリとビーチに座り込み、引いては返す波に足先を少し浸からせながら、雪雫は小さく微笑んだ。

 

 

「本当にダメなのね。海」

 

「人は陸で生きる様に生物的にデザインされている。わざわざ祖先は海から陸へと進出したのに、現代の私達が海へと適応しようとする行為は不毛だと思う」

 

「はいはい。分かった分かった」

 

 

 やれやれと真は出来の悪い妹を見るような目で首を振る。

 しかしその表情は何処か優し気だ。

 

 

「ま、良いんじゃない? 出来る出来ないは人それぞれだし」

 

 

 真は少女の肩に腕を回し、なだめる様に抱き寄せた。

 

 

「意外。泳げるようになるまで特訓させるタイプだと思ってた」

 

「お望みならそうするわよ?」

 

 

 嫌です。嘘です。真様。

 ビクンと肩を弾ませながら雪雫は激しく首を振って否定する。

 

 

「冗談よ。大体何でも出来る貴女が出来ないって珍しく根をあげている…。本当に怖いんだなって思って、さ」

 

 

 流石に怯える子相手に無理強いは出来ないわよ。

 そう微笑む真。

 

 あれ、双葉の時は割と無理強いしていた様な…。と雪雫は一瞬思ったが、口には出さなかった。

 きっと真なりの匙加減とかがあっての事だったのだろうから。それが今回の件は物差しを加味しても出来ないと判断してだけ。

 

 新島真という少女は、雪雫が思っている以上に人の事を良く見ているらしい。

 

 それが雪雫にとっては心地良い。

 りせと居る時とはまた違う種類の。故郷の友人達も、姉とも違う。

 

 

「ありがと」

 

 

 雪雫はそう言い微笑んだ。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 気付けば夕方。

 太陽が遥か遠い地平線に沈んでいっている。

 

 ビーチバレー以外にもスイカ割りをしたり、芸術コンビがとんでもない砂の城を作ったり、竜司がオネエポリスに連行されそうになったり。

 本当に色々な事をした。

 

 

「そろそろ帰らないとね」

 

 

 人もめっきり減り、昼とは違った穏やかな時間が流れる浜辺。

 

 

「双葉も人混みでしっかりしてたし、楽しかったね!」

 

 

 杏の言葉に全員が満足気に頷く。

 元々今回の海水浴はメジエド事件解決の打ち上げ兼、双葉のトレーニングの集大成でもあった。

 ずっと引き籠り、人との関りを絶っていた彼女が、年頃の少女同様に楽しめたのだから、大成功と言えるだろう。

 

 そんな双葉は今、1人座り込んで海を─その先の沈みゆく太陽を眺めている。

 

 

「私ね──」

 

 

 そしてポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「私ずっと、お母さんが死んだのは自分の所為だと思ってた」

 

「───うん」

 

 

 双葉が殺した。

 幼い少女が大人達に揃って言われた言葉。

 

 その所為で双葉の認知は歪み、罪悪感に苛まれ──。

 後は蓮達の知っての通りだ。

 だってそれはパレスで見た光景そのものなのだから。

 

 

「でも違った。お前達が身体を張って正してくれた。お前らは良い奴だ。そして──お前らと一緒に居れば、お母さんの死の真相──悪い大人達に繋がる気がする」

 

 

 母、一色若葉の死の裏。

 認知世界の研究をしていた彼女を襲った不幸な事件。そしてその成果を奪って悪用している誰か。

 

 双葉はそれを知りたい。

  

  

「怪盗団に入りたいのは、超個人的な理由だ。…ダメか? 足手纏いか?」

 

 

 そう聞く少女の瞳は言葉とは裏腹に力強いものだった。

 絶対に信念を曲げるものか──そんな意志が宿っている。

 

 

「寧ろ大歓迎だ。な、モナ?」

 

「なんでワガハイに聞く? 役立たずって言いたいのか?」

 

「実際、お前より役に立ってたじゃん」

 

「何だとこのモンキー!」

 

 

 最早、風物詩と化した竜司とモルガナの言い合い。

 誰も気に留めた様子も違和感を覚える様子も無かった。

 

 

「………モナ?」

 

 

 ──1名を除いて。

 

 

 

「こんな怪盗団だけど、改めてよろしくね」

 

「アイツらはほっといて、双葉のコードネーム決めちゃおうよっ」

 

 

 しかしそれも一瞬だけ。

 真と杏の言葉に思考は遮られる。

 

 双葉と言えば、サイバーパンク感漂うボディスーツに謎の飛行物体を形をしたペルソナ。天才的なクラッキング技術。

 

 

「ハッカーは…違うわよね」

 

 

 口に出してみたは良いものの、何処と無く犯罪者っぽいのでボツ。

 真は1人、首を傾げる。

 

 

「メカ?」

 

「パソコン?」

 

「やだ」

 

 

 続く杏と祐介の……特に祐介の提案に対して双葉は力強く否定を返す。

 

 

「なら、まんまゴーグルで良いんじゃね?」

 

「却下。猫、センス無し」

 

「ざまぁ」

 

 

 まぁ確かに特徴的と言えば特徴的だが、お気に召さなかった様だ。

 

 

「雪雫は? 何か良いのある?」

 

「………シェル?」

 

 

 たっぷり時間を置いて捻りだした言葉。

 紆余曲折。様々な思考が巡り巡っての提案。

 雪雫の考えに思考が追い付かず、皆一様に首を傾げた。

 

 

「シェルって…貝殻よね?」

 

「あー…。なるほど。私は意図が分かったぞ雪雫。確かにサイバーでパンクな名だ。ゴーストが付けばより良い。センスはあるが……うーんそうだな、無しだ。貝殻に閉じ籠る…引き籠りのイメージが強い。私はもう以前の私では無い」

 

「そう」

 

 

 全滅。

 どれもしっくりこないらしい。

 

 

「蓮は?」

 

 

 そしてバトンは雪雫から蓮へ。

 ここはしっかりとリーダーに決めてもらう必要がある。

 

 

「そうだな……。──メガネ、だ」

 

「それお前だ」

 

 

 本気で言ったのか、ツッコミ待ちだったのか。

 まぁ恐らく蓮の事だから後者であろう。

 

 

「双葉自身は、何が良いの?」

 

「ん………。……ナビ、だ。勝利に導いてやる」

 

 

 頼もしく宣言するナビに、皆同じように微笑みを返した。

 



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74:Begin in late summer.

 

 

8月29日 月曜日 晴れ

 

 

 

 地元でのアレコレを解決してからというもの、雪雫には奇妙な縁が出来た。

 まぁ元々その気が無かったか。と言われれば微妙なところ(クマとか狐とか)だが、それを差し引いても彼らは群を抜いてイロモノだろう。

 

 例えば───

 

 

「アイギスから話は聞いている。異常とも言える程のセンスの持ち主、だと……。是非とも手合わせを願いたい所…だが、その細腕ではな──。そうだ、プロテインは好きか?」

 

 

 初対面でプロテインをプレゼントしようとする裸マントの男。

 

 

「うっそ…天城雪雫……マジで本人じゃん…。資料のデータが正しいなら……いける。───ね、ねぇ! 特撮に興味無い!?」

 

 

 やけに目をギラギラさせたピンク色のヒーロースーツを着た女性。

 

 

 

「いやはや、皆さん早速雪雫さんと打ち解けている様で何よりであります」

 

「ホンマに打ち解けてるんか、アレ? 一方的に詰め寄っとんの間違いやない?」

 

 

 そしてその様子を遠くで静観しているアンドロイド達。

 

 

「───コスプレ集団?」

 

「まぁ否定出来んわ」

 

 

 

 

 

 

「明彦達が悪かったな。後輩が出来た事に少し舞い上がっているんだ、許してやってくれ」

 

 

 ペルソナ使いは限られているからな。

 そうぼやきにも似たトーンで呟く赤髪の女性──桐条美鶴。

 

 彼女は慣れたと言わんばかりの優雅に紅茶を口に運ぶ。

 その一連の動作はまるで絵画の様に様になっており、雪雫とはまた違った育ちの良さが垣間見えた。

 

 

「さてと、お互い忙しい身だ。手早く済ませよう」

 

「ん」

 

 

 短く答えた雪雫が机に出したのは1つの透明のクリアファイル。

 チラリと見える中の書類には小さく武見妙という署名と彼女の診療所の名前が記されている。

 

 ふむ。

 

 と小さく呟きながら資料を眺める事数秒。満足したのか、薄く笑みを浮かべた。

 

 

「確かに。これは責任もって預かるとしよう」

 

「結果はいつ頃?」

 

「それはこれの解析が済んでからだ」

 

 

 そうして雪雫の目の前に差し出されたのは黒いリストバンド。

 

 

「これは?」

 

「……なに、ただの測定器さ。元々はアイギスやラビリスの起動試験に使っていたやつを小型化したモノだ。イセカイにおける君の身体の活動を、そしてそれを取り巻く周辺環境を計測する。H.E.L.I.X.(ヘリックス)…あの場に居た君を除いた5人のペルソナ使い達のデータ……正直に言うとあまりあてにならなくてね」

 

 

 非人間が3人。

 残る2人は人間であるが首謀者側。

 となると残るはあと1人。

 

 シャドウに対する特殊部隊を謳うシャドウワーカーにとって認知世界は正に対処すべき案件だ。

 しかしながら天城雪雫という少女と接触するまで、いや今でさえも。かのイセカイは未知そのもの。

 既存のペルソナ使い達……。つまりシャドウワーカーのペルソナ使い達が活動出来る場所かどうかさえ不明なのである。

 

 

「仮に我々がイセカイに踏み込めたとして、例えばそこが宇宙空間でした。となれば笑えないだろう? つまり──」

 

「現に活動出来ている私を通してイセカイを解析したい。私……いや私達が特別なのか、否か」

 

「話が早くて助かるよ。まぁしかし──」

 

「?」

 

「そうは言ったが、本命は君の身体の測定だ。今、解析を進めた所で、我々は()()()()からな。それに、これは彼きっての願いでもある。稲羽の件を経て君自身にどのような変化があるか。過去の身体データと見比べたい、だそうだ」

 

 

 それだけ聞くと非常に怪しい文面の様には聞こえるものの、その主張が分からなくもない。と雪雫は思った。

 普段何気なしに潜入しているイセカイだが、実際に分からない部分が大半を占めている。そこに対して科学的根拠を用いてアプローチを掛けてくれるのなら、それはそれで興味がある。

 

 

「衝突はあれど……君は良い大人と知り合ったな」

 

 

 表情を崩した美鶴は、やれやれと吐息を零しながら力無く背もたれにもたれかかる。

 

 

「腕に装着すれば後は機械が自動で測定を行う。向こうへ潜航する時につけてくれ。データもリアルタイムで送信される。君は何時も通りにしていればいい」

 

「分かった」

 

「他に何か気になる事は?」

 

「────これって急に爆発したりしないよね?」

 

「映画の見過ぎだ」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「よろしかったので?」

 

「彼女を勧誘しなかった事か? 勧誘してどうする? 勧誘したところで組織に絡めとられるだけだ。丸喜拓人…彼を迎え入れたのはいいものの──。はぁ、頭が痛くなることばかりだ。イセカイは確かに存在する。そこがどういう影響を人に及ぼすかもある程度は分かった。しかしながら私達は手出し出来ない。彼女の持つナビが無い、それもあるが───」

 

「警視庁からの圧力……ですか」

 

「だから彼女達…怪盗団の存在は貴重だ。組織としてマークされている訳でもない。それでいて我々よりも確実に真実に近づいている。───ああ、あの頃は自分がこちら側になるなんて思っても無かったよ」

 

 

 懐かしむ様に、そして何処か寂しそうに美鶴は笑みを浮かべた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

8月31日 水曜日 晴れ

 

 

 

 メメントス 美徳奪われし路 最深部

 

 

 

 もう何度目になるか。

 最早見慣れた光景だ。地下鉄のホームを模したものが並ぶ空間。即ち、このエリアの最奥にして終着点。

 いや、メメントス全体で測るのならば、ここも1つの中間地点にしか過ぎないのだが。

 

 そんな空間に、まるで門番の様に立ちはだかるシャドウこと上智安夫。

 

 嫌がらせ、脅迫何でもござれ。

 強引な地上げによって利益を得ようと画策している小悪党。

 

 今回の怪盗団のターゲットだ。

 

 

───許すまじ。

 

 

 と雪雫ことウィッチは沸々とその憤りを滾らせていた。

 

 

「絶対に刎ねる」

 

 

 ウィッチは映画が好きだ。最新のものから古き良き名画まで。

 家でゆっくりと観るのも良いが、やはり映画館という空間は何物にも変えられない特別感がある。と彼女は考えている。

 

 だからジョーカーの自宅……ルブランの近くに映画館があるのを知った時には歓喜に震えた。

 そこが最新のものでは無く、昔の名画を中心に放映する穴場なのだから尚更。

 

 夏休みももう終わりが近い。

 折角だからと上映スケジュールを確認し軽やかな足取りで向かった結果、彼女は知った。閉館の危機に追い込まれた映画館と、その裏で蠢く悪党の存在に。

 

 

 首を刎ねよ(Off with their heads)

 

 

 頭の中で童話の女王の声が木霊する。

 

 

「……ウィッチ、何か怖くない?」

 

「いつもあんなもんじゃね?」

 

 

 そんな仲間達の声も聞こえている様で聞こえていない。

 取り敢えず、それくらい彼女は怒っている。

 

 しかしながら、憤りを感じながらも思考を回す回す。

 的確に、素早く処理をする為に。

 

 

「…………」

 

 

 敵は人型。両手に巨大な工具を携えた一本足の物の怪。

 確かジョーカーのペルソナに似たようなモノが居た気がする。

 

 見た目通りと言えば見た目通りで、敵の攻撃は近接攻撃が主体。それならばわざわざ相手の懐に潜り込む必要は無い。

 そう考え、魔法攻撃を中心に戦っているものの……。

 

 

(意外と、タフ)

 

 

 まずアリスでは全く歯が立たない。これは強い弱いの話では無く、そもそも呪怨属性に対して耐性を持っている。そういう事だろう。

 それ以外の魔法に関しては有効であるが、こちらの消耗の方が僅かに早い。

 

 

(つまり──)

 

 

 物理で殴る。

 

 

「フォックス」

 

 

 物理と言えば専売特許を取っているクイーンが居るが、こういう手合いには刃物が良い。

 だって、斬り落とせば終わるのだから。

 

 

「ああ」

 

 

 名前を呼べば2つ返事で間合いを詰めるフォックス。

 彼の持つ日本刀が鋭く的確にシャドウ上智に襲い掛かる。

 

 が、

 

 流石と言うべきか、やはり近接戦闘はお手の物のようで。

 両手の工具で軽々と受け止める。

 

 甲高い金属音をお互いに放ちながら行われる鍔迫り合い。

 しかし徐々にそれは決壊していく。

 シャドウの力が増していき、拮抗が崩れてきているのだ。

 

 

「ぐっ……」

 

 

 僅かに半歩。足が下がった瞬間を、シャドウ上智は見逃さなかった。

  

 キンッ

 

 と甲高い音と共に刀が宙を舞う。一瞬の綻びに付け込まれ、弾かれたのだ。

 

 フォックスは距離を取ろうとした。

 反射的に取った行動だろう。まぁ当然とも言える。だって丸腰なのだから。

 

 それを見ていた仲間達はすかさずフォローへ回ろうとした。

 片や魔法で、片や距離を詰めて。

 

 

「───借りる」

 

 

 しかしそれよりも早く。

 シャドウが反撃に出るよりも、宙に舞った刀が地に落ちるよりも早く、彼女は動いていた。

 

 声の発生源はシャドウの足元だ。

 ギョっとした顔で視線を向ければ、そこには刀を構えた白髪の魔女。

 

 地面に落ちる寸前、駆け付けたと同時に刀を掴んでいた少女は、そのままシャドウの一本足に一突き。

 

 

『───っ! ─────!』

 

 

 声も無く、力無く首を垂れる怪物とそれを見下ろす少女。

 一度、体勢が崩れてしまえば、形成が逆転してしまえば造作も無い。

 全員で畳みかける必要も無い。あとは感情の向くまま、鎌を振るえばいいだけだ。

 

 

さようなら(Hasta la vista, baby)」 

 

 

 

 ▼

 

 

 

「で、満足した?」

 

「ん。やっぱり良いよね、映画。もう1回行ってこようかな」

 

「遅くなるからまた今度にしなさい」

 

 

 丁度日が暮れ始めた時間帯。

 満足気な表情を浮かべてルブランお手製のアイスココアを楽しむ雪雫と呆れ顔の真。

 

 

「映画好きなの知ってたけど……。まさかここまでなんて…」

 

 

 うんうん。と真の言葉に頷く一同。

 話題はやはり今日の雪雫について。

 

 

「ここまで感情的になるの珍しいよね」

 

 

 とか

 

 

「まさに鬼気迫る…という感じだったな」

 

 

 とか。

 

 

 まぁ要するにいつもに増して物騒で容赦なかった。

 ということを色々と言われている。

 

 

「なーんか嫌な事でもあったとか? それとも体調不良? ほら特有のアレ、とか……?」

 

「竜司。アンタ、デリカシー無さ過ぎ」

 

「私、そういうの来ないから」

 

「雪雫も。こういう時は冗談で返さなくていいの。寧ろ怒らなきゃダメよ」

 

 

 ホントなのにー。

 あらゆる方向から反感を買い、窮地に立たされている竜司とは打って変わり、呑気な間延びした呟きが雪雫から漏れる。

 

 

「まぁ……バカのアホ意見は置いといて…。でも本当にどったの? 宿題終わって無くて焦ってる! とか?」

 

「それはお前らだけだろー」

 

「……よくここまで貯め込んでたわね…」

 

 

 双葉と真の視線の先。

 竜司と杏を中心に広がるプリントと教科書の数々。

 

 

「いや…そんな事言ってもなぁ。怪盗の活動忙しかったじゃん? メジエドとかさ!」

 

「マイノリティの意見を聞いても説得力ねー」

 

 

 双葉の言う通りである。

 だってこの2人以外は終わっているのだから。

 

 

「にゃんこはいいよなぁ。宿題ねぇんだから」

 

「はいはい。モナに嫉妬しないの」

 

「そういうお前も終わって無いじゃん」

 

「五月蠅い、モンキー」

 

 

 もう何度目か分からない応酬。

 一体何時になったら終わるのか。着実に進む短針を眺め、蓮は溜息を零しながらカウンターに入っていく。

 

 

「蓮、ココアおかわり」

 

「はいはい…」

 

「ワガハイはミルクだ!」

 

「分かってる」

 

 

 早めに見切りをつけて蓮達に店を預けたマスターの判断は正しかっただろう。

 最早これは子守りに等しい。

 

 

「なぁちょっとで良いから手伝ってくれねぇ? ここの答えとかさ。得意な癖に杏が教えてくれないんだよ」

 

 

 誰が教えるか!

 そんな抗議が飛ぶ横で、渡されたプリントを一読する雪雫。

 

 

「Every cloud has a silver lining.」 

 

「何て?」

 

「どの雲にも銀の裏地が付いている、悪い状況にも良い面はあるよっていう意味ね」

 

「つまり?」

 

「頑張れ」

 

「無情だ」

 

 

 結局、21時を回っても終わることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世間は怪盗団一色だ。

 

 メジエドを倒し、日本の危機を救った英雄。悪を許さず、自らの信念に則って弱者を助ける英雄。

 大衆からのイメージはそんな所だろうか。

 

 実際、目に見えて変わったと思う。

 ネット上で活動するインフルエンサーや雑誌記事、最近ではテレビでも大体的に怪盗団を支持する声が流れるようになった。

 

 そしてそれに比例する様に、怪チャンへと書き込まれる悪党の情報、依頼。

 自らでは解決出来ない事項を他へ委ねる。それはきっと正しく、本来あるべき機構であろう。

 私は否定しない。だって役目なのだから。

 

 だから時々感じる焦燥感も、きっと普通の事だ。

 

 悪人の改心は手早く実行するべきだ。

 パレスの種は剪定するのが常だ。

 

 だってそれが皆の願いなのだから。

 だって私は■■の■み■なのだから────。

 

 

「───大丈夫? ボーっとしてたけど…」

 

 

 ならば問題無い筈だ。

 焦燥は寧ろ正常に機能している証だろう。

 

 

「──うん、大丈夫」

 

 

 だって私は───。



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強欲の帝王
75:New semester.


 

 

 

9月1日 木曜日 晴れ

 

 

 

 流れが変わった。逆風はいつの間にか追い風へと至った。

 世の中の話題の中心は怪盗団だ。

 

 

「怪盗団マジヤバくない!? もう目が離せないつーか───」

 

 

 同じ制服に身を包んだ、少し派手な風貌の女子生徒は鼻息を荒くしてそう語る。

 いや、彼女だけではない。

 学校でも、電車でも、街中でも。怪盗団の話題をシャットアウトする方が難しい位に何処もかしこもその話題で持ちきりだ。

 

 世論の大多数は怪盗団を肯定する意見が占め、その存在を否定する意見はマイノリティとして肩身を狭くしている。

 明智吾郎などがその際たる例だろう。

 

 彼は徹底的に怪盗団に対して否定的な意見を貫き通している為、今では晒し者状態。

 蓮曰く、時折ルブランに現れる彼の顔は疲弊してボロボロで、何処か寂しそう。だそうだ。

 一時は直斗の再来としてもてはやされていた彼がそうなのだから、余計に少数派閥は声を上げにくいだろう。彼と同じ轍は踏みたくないだろうから。

 

 よって、私達の目に映るのも耳に届くのも、肯定的な意見が大半だ。

 だからその分、怪盗団への期待値も高い。期待値が高い分、それに応えられなかったときの跳ね返りは目も当てられない。

 

 

「んで、これからどうするよ? また大物狙うか?」

 

「それもそうだが、例の認知世界の悪党とやらはどうする?」

 

 

 もう何度目になるだろうか。

 幾度と意見を交わした話題。所謂「次の標的」について。

 

 

「居るのは確実。寧ろ居ないと辻褄が合わない」

 

「私も雪雫に同意見。放置なんて絶対に許されないわ」

 

 

 真の言葉に各々が頷きを返す。

 廃人化事件の犯人。加えて双葉の仇である可能性すらあるのだ。

 しかし──

 

 

「つっても手掛かりねーんじゃなぁ……」

 

 

 手掛かりらしい手掛かりと言えば斑目や金城のシャドウが言っていた黒い仮面位か。

 

 

「どのみち方針は変わらない。悪党の改心。例の黒い仮面も言うならば悪党」

 

「それもそうだな。うむ、雪雫の言う通りだ」

 

「双葉は良いの?」

 

「いずれにしても現実世界(こっち)で得られる情報も限られている。ならイセカイ(むこう)しかあるまい」

 

 

 いくら特別な能力を持とうとも、いくら人が知り得ない世界を知っていようと。あくまでも彼らは学生…現実世界においてはただの子どもに過ぎないのだ。

 

 

「……決まりね。悪党の改心を続ける。その道すがら、廃人化の犯人も特定する」

 

「そしてぶっ飛ばすだな。お母さんの仇……絶対に引きずりだしてやる…!」

 

 

 メラメラと闘志を滾らせる双葉に応える様に、不敵の笑みを浮かべる蓮。

 きっとやれる。そんな確信が彼の胸にはあった。

 

 

「廃人化のハンニン…。本当に手掛かりが無いのか? 姉のニージマが、確か調べてるんじゃなかったか?」

 

「そうだけど…根堀り葉堀りは聞けないよ……。『首を突っ込むな』って怒られるだけ」

 

 

 モルガナの指摘に対し、彼女にしては珍しく真は眉を下げて及び腰の様子を見せる。

 姉妹仲がうまくいっていないのは蓮や雪雫は重々承知だったが、彼女の様子を見るに大分参っているらしい。

 

 

「──訊けないなら、データ引っこ抜く?」

 

 

 ふと、メガネを怪しく光らせた双葉が淡々と言葉を紡いだ。

 あまりにも唐突で、尚且つビジョンが浮かばない提案に揃っては首をひねる。

 

 

「その人、私物のパソコンとかある?」

 

「まさか──」

 

「私特製の仕掛けが入ったストレージ、貸すよ? ブッ挿させば内臓ハードのデータ丸コピー! OSの垢パスとか関係無し! 雪雫の金にモノを言わせたセキュリティも難なく突破した代物……をさらに改良したモノだ」

 

「ちょっと」

 

「その後ちゃんとセキュリティ組んでやっただろー? それでチャラだ」

 

 

 それは結局、双葉にセキュリティを握られているという事実は変わらないのではないか?

 蓮は思わず口にしそうになったが、ここで話を脱線させる訳にはいかない。そう固く誓い何とか飲み込んだ。

 

 

「ただし、本人のパソコンに直接突っ込む必要があるが──できそう?」

 

 

 意地悪い笑みを浮かべた双葉の手には小さなUSBメモリが握られていた。

 

 

 

 ▼

 

 

 同日 夜

 

 

 

 自宅のソファに寝そべり、ボーっとテレビを眺める雪雫。その後ろのキッチンではべっきぃが皿洗いをしている。

 なんてことない何時もの日常。

 しかし、何時もと少し違う点が1つ。普段は映画を垂れ流しにしている時間だが、今日に限ってはニュースを流れていた。

 そして──

 

 

「あ、秀尽出てる」

 

「はぁ!?」

 

 

 雪雫の呟きに両手を泡だらけにしたべっきぃが素っ頓狂な声を上げた。

 流していた水を止め、ドタドタと慌ただしい音を立てて雪雫の元へ向かうべっきぃ。

 

 

「べっきぃ、これ私の行ってる学校」

 

「───進学校の闇、学校ぐるみで隠蔽か。ですって!?」

 

 

 テレビの左上。でかでかと書かれたテロップを読み、べっきぃこと川上貞世は顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

 

「知らない知らない知らないわこんなの!? あの狸オヤジ! 被害者生徒の傷を抉らない為に~とか言ってた癖に……!」

 

「べっきぃ、校長知ってるの?」

 

「え、あ…あぁ~。校長ねぇ……そうそう。母の従妹の息子の友達の近所に住んでる男の子の弟が通っているらしくてさ~。はははは~」

 

「そうなんだ。今度挨拶しなきゃ。べっきぃにお世話になっていますって」

 

「せんでいい」

 

 

 雪雫が珍しくニュース見てると思ったらこれか。

 川上は内心で頭を抱えた。

 たださえ怪盗騒ぎで注目浴びている中、不祥事の発覚。本当に知らなかったとは言え、保護者からの電話、マスコミに警察の立ち入り。考えるだけで眩暈がしそうだ。

 よりにもよって修学旅行の直前でクソ忙しい中───。

 

 

「ああ…お腹痛い………」

 

「食べ過ぎ? クスリあるよ」

 

「要らない」

 

 

 厄払いでも行こうかな。

 項垂れた川上はぼんやりと明治神宮を幻視していた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

9月2日 金曜日 晴れ

 

 

 

「今日、ヤバくなかった?」

 

 

 お昼休み。

 いつしか溜まり場と化した生徒会室で。

 竜司はやけに得意気に、そして嬉しそうに鼻腔を大きくしながら雪雫に問うた。

 

 

「そう?」

 

「人々に注がれる熱い視線……。溢れ出る魅力つーか? カリスマっつーか? そういうのが出てんかな~!」

 

「別に何時も通りだったけど」

 

「お前は鈍感だな~」

 

 

 本当に分からない。

 そんな様子の雪雫は竜司の様子に訝しみ眉を寄せた。

 

 

「まぁ確かに視線は感じたけど……ねぇ?」

 

「それは竜司に、ではなく。秀尽の制服にじゃないか?」

 

「実際に車内でもコウチョーの話題で持ち切りだったしな!」

 

「それにアンタにそんな魅力無いから」

 

「マジレスやめね?」

 

 

 真、蓮、モルガナ、杏。言葉が紡がれるにつれ、得意気になっていた顔に影を落としていく。

 

 

萎んだヒマワリみたいだった。

 

 

 その時の表情の変化を後に雪雫はそう語る。

 

 

「だけど実際、油断ならない状況よ。世間の目がまたここに集まってる……。下手な行動は出来ないわ」

 

「わーってるって! 要は何時も通り目立つなって事だろ?」

 

「不安なんだケド……」

 

「杏殿に同意見だ…」

 

 

 能天気な彼の様子に皆は揃えて溜息を吐露した。

 

 

 

 

 

 

 制汗剤と汗の匂いが混じった独特の匂いに包まれた体育館近くの更衣室。

 教室に向かっている道中、呼び止められた真はやけに神妙な顔持ちをした川上にこの空間に連れ込まれた。

 

 

「これ…もしかして聞いているかもしれないけど……。修学旅行の話…」

 

 

 修学旅行。

 四角四面を体現した様な彼女ではあるが、それに魅力があるのは十二分に理解している。あくまでも就学を目的にされているが、実質的な海外旅行…それもハワイだ。楽しみにしている生徒も多いだろう。

 かく言う真も、去年の今頃は密かに心を躍らせていたものだ。

 ──それを共有する友達は居なかったが。

 

 

「今、事件の事で学校に警察がまた色々入っちゃってるでしょ? ……それで引率の先生が何人かが事情聴取で呼ばれることになって…」

 

 

 事件…というのは十中八九、校長の隠蔽についてだろう。

 1日経たず、瞬く間に拡散され大きな話題を呼んでいる不祥事。鴨志田に怪盗団騒ぎと何かと注目を集めているから尚更だ。

 

 

「それが丁度、修学旅行の日と重なるのよ…」

 

「聞いてます」

 

 

 それは知っていた。

 だって朝から警察していたし、世の盛り上がり的にもそういうのはあるだろう。

 

 

「でね、さっき職員会議で出た話なんだけど、3年生に代理の引率を頼むことになってね」

 

 

 だから仕方が無い事とは言えば───。

 

 

「新島さん、悪いけどお願いね?」

 

「はぁ!?」

 

 

 生徒会長の体面も忘れて声を上げてしまった事を許して欲しい。

 いや、だって先生の代わりに引率って……。

 え、居ない間の学校を頼む。とかじゃなく?

 

 

「ほら、今年の2年生…何かと、クセの強い子が多いでしょう?」

 

 

 川上先生が目を逸らし、物凄く申し訳無さそうな雰囲気を醸し出している。

 

 クセの強い2年生……。

 浮かぶは浮かぶ、怪盗団関係者達………。

 最初は何で私が。とか考えていた真も、流石に他人事じゃない気がしてならない。

 

 

「受験で大変だろうけど、新島さんの成績なら大丈夫だと思うし…お願い出来無い?」

 

「えぇと……」

 

「心配いらないって。貴女以外にも何人か行くから! 何なら天城さんも連れって行って良いから!」

 

「何で雪雫!?」

 

 

 先生の代わりに最高学年の3年生が行く。

 →突拍子無いが、まぁ分かる。

 

 私以外の生徒も参加する。

 →分かる。

 

 1年生の雪雫も連れて行っていい

 →分からない。

 

 

「いや、ほら…だって何時も一緒に居るし……。天城さんと一緒に居る時の貴方、楽しそうだし………」

 

「わ、私と雪雫は、そ、そういうのじゃ無いデスから!!!」

 

「そ、そういうの?」

 

 

 川上の言葉には

 

「雪雫と一緒に居ると楽しそうで雰囲気柔らかくなるから親しみやすいと生徒から評判。尚且つ負担を多大にかける真への精神的フォローも兼ねて」

 

 という意味も含まれているのだが、一瞬でポンコツと化した彼女にはその意図は届いていない。

 

 

「ほら、それに天城さん。生徒会で唯一の1年生でしょ? そういう場に慣れておいた方が彼女の為かなって」

 

 

 なんだ。雪雫の教育的指導も兼ねているのか。なら仕方ない。多分誰よりも人前に出ることに慣れていると思うけど、確かにそう言う場で前に立つのも必要だよね。多分、慣れているだろうけど。

 

 うんうん。

 無理矢理に自分の脳に言い聞かせ、上がった体温を冷まして、生徒会長モードの顔を作って。

 再び真は川上に向き合う。

 

 

「………そ、そういうことでしたら……まぁ…」

 

「ホント!? 助かった~!」

 

 

 正に満面の笑み。心底嬉しそうに口角を上げる川上。

 軽い態度を崩さない彼女ではあるが、やはり相当参っていたのだろう。

 その一言だけでも、話を受けた甲斐がある様に感じてしまうあたり、真面目なんだなと思わずいられない。

 

 

「それじゃ、話進めておくね!」

 

 

 来た時よりも大分軽くなった足取りでその場を後にする川上を見送り、1人思案する。

 

 

「───ちょうどいいか」

 

 

 そうと決まれば早速連絡しなければ。

 だってほら、早めに言っておかないと絶対に用意しないから。

 いやいや、決して浮かれてない。

 あくまでも引率で行くのだから。それに相応しく、きっちりとしなけばならないのだ。

 それは私もだし、勿論彼女もだ。

 

 

「ハワイだから…日焼け止めと、水着と……あー浮き輪とかあった方が良いのかな? 泳げないもんね」

 

 

 まずは自分のメモ帳に下書き。

 今回の件に至った経緯と私達の役目、そして彼女を連れて行く意義と目的。加えて今のうちに準備しておいて良さそうな持ち物。

 打ったらコピペして彼女との個別チャットへ。

 

 直接話しても良いけど、きっと後で振り返れる形にしといた方が良いだろう

 

 

「……そういえばホテルの部屋ってどうなってるんだろ」

 

 

 どうせだったら一緒の方が都合が良い。だって他の3年生や先生に迷惑は掛けられないし。

 それに彼女、何かと手がかかるし。



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76:Fan,Fun

 

 

 怪盗お願いチャンネル。

 今ではすっかりお馴染みとなった掲示板型のサイト。

 

 その中で今もっとも目が離せないモノと言えばランキング機能だろう。

 所謂、次に改心して欲しい人物がユーザーによって投票される。

 まぁ怪盗団がそのランキングで改心のターゲットを決めている。という訳では無いが、名前が挙げられるという事はそれなりに理由があるのも当然で、参考程度に目を通していたりする。

 

 昨今では世間の怪盗団ブームの煽りを受けてか、数時間後にはランキングが入れ替わっている……なんてことも少なく無い。

 現にさっきまでランキングの下の方だった秀尽の校長がTOP5まで上がってきている。

 

 しかし今回の話で重要なのはランキングの順位…などでは無く、ランキングの投票数。もっと言えば、サイトへのアクセス数。

 それが意味するのは───

 

 

「私達が話題になればなるほど、メメントスが拡がっている」

 

 

 ナビが突きつけたスマホの画面。そこに映し出されている数値とグラフ。

 彼女が言うには怪盗団についての書き込みの数、検索数、そしてサイトのアクセス数を表したものらしい。

 そしてそれは今も尚、右肩上がりで上昇している。

 

 

「もしくは……奥への侵入を許している…?」

 

「…許す……」

 

 

 怪盗団を受け入れている。と言い換えても良いかもしれない。

 

 モナは言った。

 メメントスは大衆版のパレス。一言で表すのなら集合無意識。

 つまり進めば進むほど、心の奥……つまりは核の様なモノに近づくという事。それがどの様なモノか皆目見当も付かないけど、奥底にしまい込んでいるモノだ。おいそれと触れられないだろう。

 そう、ましてや赤の他人何かに。

 

 怪盗団が悪人を改心し、人々の関心を集める。そしてその関心は現状、好意的なモノが多い。

 好意的な関心が多ければ多いほど、決して会ったことの無い人であろうとも、ある程度は心を許してしまうのは仕事上でも良く見られる光景だ。

 

 つまり───。

 

 

 

 

 

9月3日 土曜日 曇り

 

 

 

 

「──ファン多いってすげぇなぁ……」

 

 

 ボーっとスマホを眺めいていた竜司が間の抜けた声で呟いた。

 双葉のベッドに寝そべりながら漫画に耽る雪雫に向かって。

 

 

「投稿1つでニュースに取り上げられんだもんなぁ。しかも映画の感想」

 

 

 竜司の視線の先にはで太字で書かれた【天使の子 新作映画にご満悦】というタイトル。

 

 

「騒ぐほどの事か? ニュースと言ってもたかがネットニュースだろう」

 

「祐介の言う通り。実際に出版しない分、コストが掛からないからこういう小さな話題でも拾うもんだって大宅が言ってた。たまたま話題と投稿が合致しただけ」

 

 

 ニュースの内容は比較的軽い……大半の人にとってはどうでもいい部類に入るモノ。

 ただ単に雪雫が新作の映画を観て、それについての感想を投稿(約1か月ぶり)をしたら思わぬ所で反響を呼んだのだ。

 

 

「いやいや…。分かってないですな、雪雫さん。こういう小さな投稿を拾われるってだけで凄いもんよ。なぁ、杏?」

 

「えっ……ま、まぁ………。そりゃそうだけど……」

 

 

 余談だが杏は過去に同じことをやろうとして反響が無かった過去がある。

 それを知ってか知らずか、竜司からの急なパスが痛い過去を刺激する。 

 

 

「あー。俺も自分が怪盗だー!とかバラしたらコイツみたいに人気出るのかな~」

 

「まだ言ってんのか……」

 

「ちょっと……。自分から明かすなんて絶対ダメだからね!」

 

 

 モルガナと真から注がれる非難の目に対して「わーってるって! 冗談冗談」と笑みを浮かべる竜司。

 

 

「……それにしても【天使の子】…か。いつからこんな名前付いたんだ?」

 

 

 双葉と共にパソコンに噛り付いていた筈の蓮が竜司のスマホを覗き込む。見るのに飽きたのか、それとも会話に混ざりたかったのか。

 まぁこの際どちらでも変わらないだろう。

 

 

「知らない」

 

「まぁ…こういうあだ名…異名?って勝手にファンが付けたりするからね……」

 

 

 【天使の子】

 気付けばその言葉は、天城雪雫というアーティストを指す代名詞になっていた。

 先程のネット記事だけでは無い。その手のゴシップには大抵それが用いられ、ついには地上波のワイドショーにまで進出している程。

 

 真の言う通り、本人が知らぬうちに密かに呼ばれていたモノが表に出てきて定着したのだろう。

 

 因み過激派の久慈川りせに関してもこれには関わっていない。

 

 

「出自は知らんが…名前の由来は……まぁ想像出来る」

 

 

 ふと、双葉の声が加わった。

 

 

「天使の子…。まぁ雪雫の名前を1つ1つ噛み砕けば自ずと答えは見えてくる────」

 

 

 画面から一切目を離さず、キーボードを叩く指を止める気配も無い。

 まぁ当然と言えば当然かもしれない。

 なぜなら彼女は今、真の姉である新島冴が所有している機密データを解析しているのだから。

 

 しかし一段落ついたのか、先程までの沈黙とは打って変わって淡々と口を開く。

 

 

「雪の雫……まぁ直訳だな。これに対応する植物は何だ?」

 

「……えぇっと…スノードロップ?」

 

「そう、それだ。学名ガランサス・ニバリス。花言葉は希望と慰め。天使の子っていうのはこれに由来するんだろう」

 

「……………だから?」

 

「あぁ、なるほど。楽園から追放された男女を憐れんだ天使が2人に降る雪をスノードロップの花に変えたっていう言い伝えね。それで、天使の子」

 

 

 へぇ~。と双葉の考察と真の解説を聞いた一同が納得の声を同時に上げた。

 

 

「そこまで考えてんの、凄くね?」

 

「ファンというのはそう言うもんだ。暇さえあればあれやこれや考えちゃうもんなの。おわかり?」

 

「……恥ずかしい」

 

 

 皆の会話を横目に聞いていた雪雫が枕に顔を埋め、くぐもった声を零す。

 

 

「恥ずかしがる必要無いよ! 綺麗な名前じゃん!」

 

「そうよ。名は体を表す…じゃないけど良く似合っているし。それにお姉さんともピッタリだし」

 

「姉ちゃん何て言うんだ?」

 

「………雪子」

 

 

 お~。と再び一同から感心の声が漏れる。

 そういう所がむず痒いのだ。と彼女は抗議の視線を送るが誰もそれに気付いてくれない。

 

 

「…双葉、終わりそう?」

 

「……んーもうちょい。適当に旅行の話でもしててくれ」

 

 

 なんて投げやりな。

 溜息を零しながら床に散乱しているフリーペーパーを手に取る。

 黄色い枠に大きく赤字でハワイと書かれた、竜司が渋谷の駅地下で片っ端から持ってきた奴だ。

 

 

「何処の学校もシーズンだな。うちも修学旅行なんだ」

 

「……ロサンゼルス…だっけ。一二三が言ってた」

 

「そういうそっちはハワイだったな。……色々と騒がしいが…行けそうのか?」

 

 

 祐介の言う色々騒がしいは、十中八九で校長による隠蔽の件だろう。通常ならば中止になってもおかしくはないが──。

 

 

「あー、今のところ何も聞いてねぇなぁ」

 

「ていうか今から中止ってキツくない? 蓮とかこの前パスポート作っちゃったよ?」

 

「中止は困る」

 

 

 ふと、雪雫と真の目が合う。

 言うべきか言わないべきか──。僅か数秒、お互いの意志を確かめ合い、そして真が口を開く。

 

 

「中止にはならないから安心して」

 

「ホント!? 良かったぁ。川上先生が人が足りないってぼやいてたから、もしかしてーってずっと考えてたんだけど……」

 

「その足りない人は()()で埋める事になったから」

 

「───はぁ!?」

 

 

 1つ通りを挟んだルブランまで聞こえてしまうのではないか。

 竜司の開いた口から驚愕の声が漏れる。

 

 

「警察の対応で先生が行けない分、一部の生徒が代役することになったの。私ともう何人かの3年生と──あと雪雫」

 

「………雪雫」

 

「ん、よろしく」

 

 

 なぜ雪雫。

 そんな視線が彼女に注がれる。

 

 

「ハワイ……ロコモコ、ポキ、パンケーキ、ガーリックシュリンプ、マラサダ、エッグベネディクト────」

 

「食べ物…ばっかだな……」

 

「え、本当に行くの? 雪雫が? 大丈夫? ワンちゃん俺らより浮かれてね?」

 

 

 ハワイグルメを指折り数えながら羅列する雪雫に一抹の不安を覚える竜司。

 

 まぁ気持ちは分かる。

 誰がどう見たってその姿は引率などでは無く楽しむ気満々のただの少女だし、真しか知らない事だが彼女のスマホの検索履歴にはハワイに関する事ばかり並んでいるし。

 

 

「まぁでも先生の推薦だし、生徒会だし、成績良いし、英語喋れるし……。学年以外はベストマッチなのよね」

 

「だからといっても1年だぜ? 歳下の引率って………」

 

「そこは職員会議でも話題になったらしいけど…。歳上に対して物怖じするかって言われたら……ねぇ?」

 

「まぁ、まずしないだろう」

 

 

 そもそ学校側の思惑としては、雪雫は一番頼りになる真を連れ出す為の餌であり彼女はまんまとそれに釣られたのであるが、真は決してそれを口にしない。

 例え4割くらいの自覚があったとしても。

 

 

「兎に角、修学旅行には私達も行くから! 今年の2年は問題児多いし丁度良いわ」

 

「問題児って…俺達のこと?」

 

「他に誰が居るんだ………」

 

 

 ワイワイやいやいと目前に控えたビッグイベントに華を咲かせる一同を羨ましそうに見つめる青い瞳。

 

 

「しばらくはお別れ……ってわけか…」

 

「にゃんこは私と留守番、だなっ」

 

「大丈夫。モルガナにもお土産…買う。何が良い? マヒマヒ?」

 

「結局食べ物なんだな……」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「お、おぉ。データ色々出て来た」

 

 

 ふと、双葉が声を上げ、それに惹かれる様に皆の視線が画面に集まる。

 

 

「ザっと見た感じだけど……人為的で一連性…だって」

 

「偶然、廃人になる訳じゃないって意味よ。犯人が居る事件だってこと」

 

「──ていうか廃人の事だけじゃないな。前から騒がれている精神暴走事件ってのもおんなじ一連の事件って読んでるっぽい」

 

「さっすが真の姉貴!」

 

「……流石…か…」

 

 

 流石。そう言えばそうなのだろう。

 イセカイの存在を知らずに、本人の生き写しと言ってもいいシャドウとも会話をせずに。現実世界で知り得る情報だけでそこまで絞っているのだから。

 伊達にプロでは無い。

 

 

「全部、解析するのに、どのくらいかかりそう?」

 

「んー、量があるから一晩じゃ無理だなぁ。半年分の捜査資料だぞ? ……でも旅行から帰って来る頃には、なんとか。報酬はね、ハワイとロスの土産な」

 

「ん、分かった。ハワイ土産…ジョイソン・モココ*1のサインで良い?」

 

「そこは食べ物じゃないのか!?」

 

 

 

 

 

 

 

「いいなぁ~! ハワイ!!!!!!」

 

 

 9月と言えどもまだまだ8月の名残が残る夜に、隙間無くくっついては首筋に鼻の頭を擦り付けるトップアイドルこと久慈川りせ。

 彼女の腕の中にすっぽりと収まっているのが誰かは言うまでも無いだろう。

 

 

「りせ、行ったことある」

 

「仕事でね! そうじゃないっそうじゃないの雪ちゃん! 私は雪雫と行きたいの~~~!!」

 

 

 こっそり付いて行こうかな。

 何て呟いているが残念な事にその日は無情にも仕事である。

 

 

「あー仕事……仕事ぉ? 滅んでしまえ…………」

 

「折角復帰したのに」

 

「それとこれとは話が別なんですぅ」

 

 

 仕事は好きだが雪雫も好き。

 しかし重さが違う。

 天秤に掛ければどちらに傾くかなんて愚問なのです。

 

 と久慈川りせは息巻いた。

 

 

「当日は何の仕事?」

 

「新曲の打ち合わせでしょ、それからラジオの収録と───。あっ、ビックバンバーガーの営業も来る」

 

「ビックバンバーガー……」

 

「そそ、雪ちゃんが好きなジャンキーなやつ。取り敢えずお話だけでも~って。事務所的には全然OKらしくて、後は私次第だって~」

 

「CM?」

 

「分からない。ただなぁ、受けちゃおっかな~。雪ちゃん好きだもんねぇ。親しい人が好きなモノは自然と自分も好きになる説。大いにあるよね~」

 

 

 ぎゅっと雪雫を抱く腕が強くなる。

 少々息苦しさを感じるも、特に雪雫も雪雫で抵抗する素振りは見せない。

 

 

「仕事頑張るから帰ってきたらご褒美頂戴~~!」

 

「……はいはい」

*1
いかつい見た目とは裏腹に何処か可愛気があるハワイ出身の俳優。雪雫が好きな映画に出演している。(元ネタあり)



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77: Blessing

 

 

9月4日 日曜日 晴れ

 

 

 

「……………」

 

 

 雪雫を先導する赤髪の女性、桐条美鶴。

 黒いライダースーツに白のダウンコートを合わせた…雪雫も思わずツッコミたくなる様な恰好の彼女は、凛とした面持ちで進む。

 前回の裸マント、戦隊(ピンク)とかと比べると若干マシに思えてくる辺りが恐ろしい。

 

 

「格好には目を瞑って貰えると助かる。何分、ついさっきまでアイギスと手合わせをしていたものでな」

 

「………別に気にしてない」

 

 

 もしかしてそれが戦闘服なのか。

 普段着と言われても反応に困るが、果たして戦闘に適しているのか。

 頭には疑問が浮かぶ浮かぶ。

 

 

(……もしかして)

 

 

 シャドウワーカーは対シャドウに特化した秘密結社(アイギス談)であり、常人では知り得ない技術が用いられているという。

 まぁアイギスやラビリスがその良い例なのだが。

 

 

(そのスーツに仕掛けが……?)

 

 

 オーバーテクノロジーを利用しているのなら、それに携わる技術者も居る筈。

 何処かのスーパーヒーローよろしくみたいに予想にも無い機能や装備があるのかも────。

 

 

「そう言えば他の人は?」

 

 

 裸マント、ピンク、その他の職員……。

 前回来た時はそれなりに人が居たが、今日に関してはその気配が無い。前と比べると大体1/3程か。

 その証拠にここに至るまで未だに桐条美鶴以外の人間と会っていない。

 

 

「ああ、単純に休みだ。今日は日曜だろう」

 

「ふぅん」

 

「長たるもの、労基は守らなければな」

 

 

 ふっと華麗に口角を上げる美鶴。

 

 

(秘密結社に労基ってあったんだ……)

 

「ああ、安心してくれ。今日来ている者にもちゃんと振替の休みを用意してある。最近は五月蠅いからな」

 

 

 因みに雪雫は知る由も無いがシャドウワーカーは絶賛公安にマークされている為、その辺りは一般企業よりも徹底されている。

 何がきっかけで組織が崩れるか分からない以上、如何なる不安要素も取り除かなければならないのだ。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「………ぁ」

 

 

 軽い会社見学の様な気分になっていた雪雫の意識が目の前からフラフラとやって来る研究員へ向く。

 水色の髪とオーバーサイズの白衣を携え、その両手で支えるオボンに毒々しい存在感を放つ何かを乗せて。

 

 

「風花」

 

 

 そう美鶴が名前を呼んだ。

 

 

「あ──、美鶴さ────」

 

 

 風花と呼ばれた女性は声を掛けられるやいなや、顔を綻ばせたがそれも一瞬の事。

 元々足が何処か覚束ない様子だった彼女だったが、こちらに意識を向けたのを切っ掛けにバランスを崩してしまった。

 

 

「ああっ! ()()への差し入れが───」

 

 

 両手からオボンが離れ、乗っていた()()()()()()が宙を舞う。

 またそれと同時に女性の身体も重力に従って態勢を崩していく。

 

 火を見るよりも明らかだった。

 ほんの数秒後には女性は倒れ、持っていたモノは地にぶちまけられるだろうと。

 

 当然、美鶴もそう思った。

 自身が伸ばした手が届くよりも、その惨状が生まれる方が早いだろうと。

 

 しかし───。

 

 

「大丈夫?」

 

 

 その予想は見事に裏切られた。

 

 いつの間にか──その動きを誰にも悟られる事無く、女性を受け止めたのは美鶴の後ろに居た筈の雪雫本人。

 加えて彼女だけではなく、宙を舞っていたオボンも()()()()()()も回収している。

 何1つとして漏れ零す事は無く。まるで映画のワンシーンの様に。 

 

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 あまりにも一瞬の事過ぎて当の本人も状況を理解しきれていない。

 だってそれはそうだろう。

 こける──と思った次の瞬間には自分よりも小さな女の子に抱きかかえられ、尚且つ自分が丹精込めて作った()()も無事なのだから。

 

 

「───今なら腕から糸出せるかもしれない」

 

「……ブリリアント!」

 

 

 

 

 

 

「いやはや、まさかそんな事があったとは。さすが風花さん。中々のヒロイン力」

 

「キッチンで見掛けた思うたら、料理しとったんやな」

 

「………料理?」

 

 

 料理と聞いて自分の耳を疑う。

 まさか姉と引くとも劣らないダークマターを生み出す存在がこの世にまだ居たとは。

 

 

「……さっきの人もペルソナ使い?」

 

「ああ、そうだ。非常勤ではあるが」

 

 

 曰く料理……を運んでいた水色の髪の優し気な女性。

 変人の巣窟のシャドウワーカーであるシャドウワーカーのイメージにはあまりそぐわない──料理以外は。

 

 

「さて、早速だが本題に入ろうか。アイギス」

 

「はい、こちらに」

 

 

 アイギスが美鶴にファイルを差し出す。『天城雪雫』と書かれた黒いファイル。

 

 

「データ収集ご苦労だった。お陰で知りたい事も知れたよ」

 

「……結果は?」

 

「まずは前置きから話そうか。君達が活動するイセカイだが──特筆すべき点は無かった。我々が観測している…今までの怪事件と環境的には同じだ。仮に私や先程の山岸風花が入っても、君達と同じ様に活動出来るだろう。しかし───」

 

「尚の事イセカイナビの存在が不可解やけどな」

 

 

 怪盗団だけがイセカイで活動出来るとか、怪盗服が特殊なモノで出来ているとか、そういった要素は無い。

 だから余計にナビの存在が浮き彫りになる。

 何故雪雫達には有って、既存のペルソナ使い達には無いのか。

 

 

「───選ばれている、とか?」

 

「選ばれている、か。だとしたら一体何にだろうな」

 

「……………まぁ答えの出ない議論は止めましょう。どの道、ナビがあったとしても私達は動けない。これ以上は不毛では?」

 

「ま、それもそうやな」

 

 

 動けない。

 確か前回もそう言っていた。

 

 特殊部隊と言うだけあって様々な事情が絡み合っているらしい。

 

 

「本題に入ろう。君の身体について、だ」

 

 

 そう言えばこの建物の周りにも不可解な動きをしている人が居たな──なんて雪雫が思い返していると、美鶴はそんな彼女に数枚の書類を差し出す。

 

 

「これは君の主治医に。データを貰ってばかりじゃフェアじゃないからな。───さて」

 

 

 何から話そうか。

 と美鶴は溜息を吐きながら脚を組み替える。

 

 

「……まず退院時の君のデータ……君が9つの時か。それと今年の健康診断の結果、それから今回の計測したデータ。全て照らし合わせたが────」

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

「正常、か。自分で言ってて呆れるよ」

 

「嘘は言うてへんやろ。()()()()()()で正常や」

 

 

 雪雫が去った後の応接室で深くソファに腰掛けながら美鶴は黒いリストバンドを眺める。

 それは先程、雪雫が美鶴達に返却したモノ──アイギス達に備えられた計測器を小型化したモノだ。

 

 

「身長、体重、細部に至るデータまで。全て変化無し。……知ってはいたが末恐ろしいな」

 

「そんなちっこい身体で銃弾避けたり大鎌振り回したりしとんやからなぁ…」

 

「……今日実際に目の当たりにしたよ。異常と言っていいレベルの反射神経だった」

 

 

 脳裏で再生される風花を受け止めた時の彼女の行動。

 一切無駄がなく、洗練された理想的な身体使い。

 

 

「ペルソナ能力の副産物……だけとは言い切れないな」

 

「そうですね、実際───」

 

 

 アイギスは手元の資料に目を落とす。

 それはイセカイにおける雪雫のデータ。

 

 

「問題無く機能しています」

 

「……………そうか」

 

 

 美鶴の瞳に迷いが生まれる。

 それは今後の少女について。

 

 美鶴は本人以上に少女の事を知っているつもりだが、それでも確かに彼女の中にはブラックボックスが存在する。

 それがある限り、迂闊な判断を出来ないのも事実であって。

 

 

「────黄昏か」

 

 

 傾きかけた太陽を見つめながらそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 用事が済んだ帰り道、雪雫の頭を支配していたのは目前に迫った一大イベントだった。

 

 

「修学旅行…か……」

 

 

 無理も無いだろう。

 以前に祐介も言っていたが、世間のシーズン的にどこもかしこも修学旅行が控えている上、学校内も仲間内でもその話題が常に飛び交っているのだから。

 それに加えて───。

 

 

「行くの初めてだな」

 

 

 雪雫にとってすれば未知の行事なのだから。

 別に身体的な理由とかではない。というかその頃には身体も完全に治っていたし、行く機会は小学校でも中学校でも有った。

 

 単に優先順位の問題だ。

 それらの学校行事よりも、やりたい事が常に存在していた。

 ただそれだけの事。

 

 しかし今回はきちんと行くつもりだ。

 一緒に行くメンバーがメンバーであるし、過去とは違って仕事のメリハリは上手く付けれる様になったのだから。

 

 

「………そういえば」

 

 

 ふと、電車内の路線図に意識が向く。

 

 

「雪子達は巌戸台に行ったんだっけ」

 

 

 巌戸台。

 かつて雪雫が入院していた病院がある場所。

 一年弱という短い時間ではあったが、色々と思い入れはある地域だ。

 

 

「……そう言えば何があるか知らないな」

 

 

 

 

 曰く、雪子達の修学旅行は良く漫画で描かれる様な華やかなモノでは無かったという。

 

 と言うのも当時の教師を務めていた男が非常に教育熱心だったらしく、本当の意味での修学を目的にしていたとか。

 現地にある高校との合同授業で一日潰す上に、自由時間が非常に少なく、非常に不評だったらしい。

 

 まぁそれでも少ない時間の中で皆で楽しんだらしいので、後からその話を聞いた時は何かモヤモヤしたのを良く憶えている。

 

  

「ここに…みんなで……」

 

 

 月光館学園。

 それこそが件の修学旅行での受け入れ校であり、いま雪雫が目の前に聳え立っているマンモス校である。

 

 

「…………」

 

 

 初めて来たがその規模に圧倒される。

 田舎である故郷と比べればそれはそうという話だが、兎に角大きい。流石は小中高全てを統合した私立校。

 部活動だろうか、グラウンドの方から「アマダ先輩ー!」と黄色い声が聞こえる。

 日曜にも関わらず生徒が沢山居るのも頷ける。

 

 

「あのお兄さんもここで──」

 

 

 ふと入院生活中に出会った月光館学園の生徒の事を思い出す。

 青く長い前髪に少し無気力な雰囲気醸し出していたお兄さん。

 

 

「お見舞いによく本を持ってきてくれたっけ」

 

 

 何となく、ここに居るんじゃないか。

 なんて思って辺りを見回すがそんなことは無く。

 第一当時高校生であるならば、もう大人になっている筈だ。

 こんな所に居る筈が無い。

 

 

「………………」

 

 

 何気なくボーっと空を見上げるがそこには何もない。

 

 

「…………変なの」

 

 

 自嘲気味に笑みを作り、雪雫は学校を後にした。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 足の向くまま気の向くまま。

 明日は学校があるのにも関わらず巌戸台の地を散策する。

 

 太陽は傾き代わりに空には月が現れ始めた。

 

 

「……もう少し」

 

 

 だけど急いで帰る必要は無い。

 今日はりせもべっきぃも来ないし、特に仲間内で集まる用事も無い。

 

 だからせめて、ここからの景色だけはその目で見ておきたい。

 

 

「……辰巳記念病院…」

 

 

 最後に見た時よりも少し古臭い印象を受けるものの、大体は記憶通りだ。

 無論、時間も時間であるし、用が無いの中に入る訳にもいかない。

 

 あくまで外周を回るだけ。

 

 

「…………はぁ」

 

 

 思わず息が上がる。

 らしくもなく、身体全体が緊張に包まれる。

 

 この病院に対して深く結びついているイメージは夜だ。

 

 毎晩決まって例外無く訪れるあの時間。

 化け物が闊歩する無間。

 

 彼らに会えば何が待っているかは幼い私にも容易に想像出来た。

 だって院内に悲鳴が響いた翌日には、決まってナース達が忙しなくしていたから。

 

 だから見つかってはいけないと思って、毎晩毎晩、部屋の隅で縮こまっていた。

 

 それはあの日も例外では無く───いや。

 

 

「確かあっちの方……」

 

 

 1つ、最近になって思い出した事がある。

 正確に言えば夢で見た風景に過ぎないのだけども。でも言葉1つで片付けるにはとても鮮明で、それが脳裏に焼き付いて。

 

 1月末の満月の日。

 文字通りの最後の夜。

 

 窓から差し込む光に誘われて、私は重い身体を引きずりながら外を眺めた。

 角度は丁度、今向いている──方向的には月光館学園の方。

 怖い位大きい満月とそこから注がれる光。加えてそれらをテラテラと反射させる宙を舞う羽根。

 

 実際にあった出来事なのか。

 それとも幼い私の経験が肥大化した光景なのか。

 どちらかは分からない。

 

 ともあれ、脳裏に浮かんだ以上は言葉にしないと気が済まないのがアーティストの性であって。

 私自身、その光景は良いモノとして考える様にしている。

 

 だってあの日を境に身体が良くなった訳であるし、あの異常な夜はその日を持って終わりを告げた。

 文字通り私の取り巻く環境が様変わりしたのだ。

 そしてそれは今現在、プラスの方向へと働いている。

 あの光景は私にとって無くてはならないものであった。と強く思っている。

 

 だから、言葉にして表すのならば──。

 

 

「───祝福?」

 

 

 ちょっと自意識過剰かもしれない。

 実際に言葉にしたら、おかしくて思わず笑ってしまった。

 

 それは与えるモノと与えられるモノ。双方の存在があって成り立つ言葉だ。

 あれが言葉通りになるならば、私に与えた何かが居る事になってしまう。

 

 それは嫌だな。

 

 あの日が無ければ今の私は居ない。

 もしあれが与えられたものだとしたら、未だに私は狭い世界に囚われている事になる。

 そんなの()()()()()

 

 

 だってそれはおもちゃの箱の人形と何も変わらないもの。

 

 

 



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78:Every hundred feet the world changes.

 

 

9月7日 水曜日 晴れ

 

 

 

 丁度1年ぶりか。

 

 夜にも関わらずワイワイと賑わう待合ロビー。離陸までまだ少し時間がある。先生方は仕切りに時間を確認しているが、反対に生徒達は呑気なモノだった。記念にと写真を撮る者、売店でお菓子を大量に買い漁る者、観光雑誌と睨めっこしている者……などなど。

 思い思いに過ごしているが、みんな一様にその意識は8時間後に踏むであろうハワイの地へ向かっていた。

 

 因みに私は今それどころではない。

 なぜなら。

 

 

「竜司、居なくない?」

 

 

 そう、学園きっての問題児の1人、竜司が来ていないのだ。

 杏の言葉に蓮と雪雫もキョロキョロと見渡す。

 

 見落とし、なんて無いだろう。

 そもそも誰よりも騒がしくて制服を着崩している金髪の男子生徒なんてこの学校に1人しか居ない。

 

 

「……ん、来た」

 

「え、何処よ?」

 

 

 雪雫は来たと言う。

 しかし彼の特徴的な姿は見えない。

 

 

「竜司の足音する」

 

「忍びの者か?」

 

 

 まーた頓珍漢な事言っているよ。

 なんてそれぞれ顔を合わせて居ると、バタバタと慌ただしい足音と荒息が確かに耳に届いた。

 

 

「出から…ダッシュかよ………」

 

「うわっホントに来た」

 

「良く分かったな」

 

「ん、耳、良いから」

 

「耳が良いとか言うレベルじゃないと思うけど………」

 

 

 まぁ彼女の非常識は今に始まったことじゃないからこの際良いだろう。

 

 

「……というか、荷物それだけ?」

 

 

 肩で息をする竜司の背中で上下するリュックサック。多分、50ℓから60ℓくらいの大きさ。

 とても海外に行くような恰好では無い。

 

 

「たかが4泊だろ? 十分じゃね?」

 

「えぇ……」

 

「んだよ、その反応。つーかそれ言うんだったら雪雫もじゃね?」

 

 

 心外そうに口を尖らせ、私のスーツケースを椅子代わり*1にしている彼女に指を指す。

 

 

「……確かに」

 

 

 身体が小さい分、彼女の背負っているリュックが相対的に大きく見えていたが実際の所は竜司のものよりも小さい。

 小柄……というよりは子どもと変わらない体躯の為、服がかさばらない事を差し引いても容量的に足りない気がする。

 

 

「私は竜司に同意。4泊くらい、大荷物にならない。最低限の荷物で十分」

 

「用意が不十分だったら?」

 

「現地で買う」

 

「お土産とかで荷物がいっぱいになったら?」

 

「? 国際郵便とかで送る」

 

「ブルジョアだな」

 

 

 あっけらかんと、何の不安も無い瞳でそう語る。

 要は道中の手間暇をお金で買うという事か。

 

 そういえばこの子、裕福だった。

 

 

「実際、遠出は荷物少ない方が楽ってりせが言ってた。ロケスタイル」

 

「………貴女、りせさんに荷物用意してもらったでしょ」

 

 

 まぁ今の時代、忘れ物の1つや2つどうにでもなるか。

 最悪、私が貸せば良い。同室だしね。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

9月8日 木曜日 晴れ

 

 

 

 高湿な日本の空気とは打って変わり、カラっとした風が頬を撫でる。

 

 

「やっと着いた」

 

 

 その目尻に涙を浮かべ、欠伸を噛み殺しながら雪雫は言う。

 

 

「おつかれさま」

 

 

 飛行機に揺られること約8時間。

 機内という密閉空間に拘束されるのは流石の雪雫も疲れた様で、まだ1日が始まったばかりだというのに疲労が見える。

 

 道中は特に問題もイベントも無く、夜のフライトというのもあり、皆揃ってそれはそれは大人しいものだった。

 強いてあげるのなら

 

 

「Beef or fish?」

 

 

 と聞かれた時に雪雫がやけに得意気な顔で

 

 

「Both.」 

 

 と食い意地を張ってCAさんを困らせてたくらい。最終的に私のを少し分けてあげて落ち着かせた。

 後は黙々と映画を観ていたり、動画の編集(たぶん仕事関係)したり、ゲームをしたり、本を読んだりと───。

 

 あれ、この子いつ寝たんだろう?

 

 

 

 

 

 

「……男子は4階。女子は6階。部屋割りは書いてある通り。分かったなら、早く行って」

 

「……もう少し優しく言ってあげたら?」

 

 

 

 ホテルのエントランスの端っこで旅のしおり(生徒会作成)に目を落としながらテキパキと指示を出す。

 上級生に対しても物怖じしない態度は相変わらずだ。

 

 

「お、やってんな~。引率方」

 

 

 いつもの2割増しのご機嫌な声音が響く。

 ハワイに着いてからというのも少年の様に目をキラキラさせている学校きってのトラブルメーカー。

 

 

「竜司……。茶化しに来たんだったら、他に当たりなさい」

 

「ハワイまで来てそんな硬い事言うなよ~」

 

「この後の自由時間、一緒にどうかなって思って」 

 

「……もう少ししたら、いける」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 引率組を除く全生徒が部屋の鍵を受け取った事を確認し、ようやく仕事から解放された2人は竜司達に導かれるままビーチへと繰り出していた。

 

 不純物が一切見当たらない、透明感溢れる水面。足全体を優しく包み込むきめ細やかな砂浜。

 綺麗すぎて人工のモノみたい。

 杏の漏らした言葉に一同が揃って頷きを返す。

 

 

「流石に本場はレベルが違うな」

 

 

 蓮はこの間みんなと行った海を思い浮かべる。

 同じ海とは言えど、こうもレベルが違うと比べる事すら烏滸がましい。そう思わず考えてしまう程、ハワイの海は綺麗だ。

 

 

「確かにな~。杏も中々だと思ってたけど──」

 

 

 それぞれがハワイの風景に想いを馳せる中、鼻の下を伸ばしながら明後日の方向に目を向けている男児が1人。

 品定めする様に周りの現地住民達と同郷の女性陣を見比べている。

 

 

「やっぱ外国人と見比べると…アレだな!」

 

「じゃ見んな!!」

 

「お前もそう思わねぇ? やっぱ外国人はボリューム違うわって」

 

「…………」

 

 

 確かに。

 

 怪盗をやっている事以外は至って普通の健全男子高校生である雨宮蓮は脳裏で同意した。

 

 日本人は小柄だ。

 よく言われている言葉だが、国内に居る時はほぼほぼその定説を意識する機会は無かった。

 しかし、実際にこう海外に来て比べる機会が訪れた今、自分達との違いをまざまざと見せつけられた。

 

 ハーフである杏ですら華奢に見えるのだから、もう、凄い。

 

 しかし、事実だからと言って同意を求められても困る。

 女性陣からの鋭い視線が刺さる刺さる。

 

 

「……大丈夫だ、雪雫」

 

 

 言葉を慎重に選ぶ必要がある。

 皆を傷つける事無く、ありのままを肯定する言葉を。

 とりわけ、それに対して多少なりのコンプレックスを抱いている彼女に対して。

 

 

「小さいのもステータスだ」

 

「まだ何も言ってないんだけど」

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻りベッドに腰掛けると疲労と共に零れる溜息。

 

 

「…流石に疲れたな……」

 

 

 寝ていたとはいえ、8時間以上も座りっぱなしの機内。ハワイに着いたら着いたで生徒達の誘導。その後の自由時間も何だかんだ皆と歩き回っていたのだから、休息らしい休息はこれが初めてだ。

 風呂上り特有のポカポカとした心地良い体温が眠気を誘う。

 

 もう欲のままに寝てしまおうか。

 

 普段はこんなダラダラした姿など、家でも見せないのだがここはハワイ。

 怠惰な姿を咎める姉も居なければ、生徒会長としての振る舞いを期待する先生も居ない。

 

 

「お疲れ」

 

 

 睡魔に誘われるまま静かに目を閉じようとした時、ふと頬に感じた冷たい感触。

 

 

「……ひゃっ」

 

「パイナップルジュース……一緒に飲も?」

 

 

 いつの間にか目の前に居た雪雫は、お風呂上りで濡れた髪を乱雑に拭きながらジュース缶をこちらに差し出していた。

 

 

「ちょっと…いきなりビックリするじゃない」

 

「まぁまぁ」

 

 

 抗議の目を掻い潜り彼女は私の横へチョコンと腰かけた。

 

 

「こんなのいつの間に…」

 

「朝、確認が終わったタイミングで買ってきた」

 

 

 プルタブに指を掛け力を加えると、軽快な音と共にほんのりと果実の匂いが鼻腔を擽る。

 

 

「美味しいよ、これ」

 

「───そうね…。果物本来の味がちゃんとする」

 

 

 疲れた身体に染み渡る甘酸っぱい風味。

 外国特有の甘ったるさとかも無くとても飲みやすい。

 

 

「───もう一本買ってこようかな」

 

 

 自分の分を飲み切った雪雫は目をキラキラと光らせて頬を綻ばせる。

 

 

「……その前に服着なさいよ」

 

 

 裸のままで。

 

 

「まだ暑い」

 

 

 さも当然の様に、特に恥じらう様子も無く口を開く。

 辛うじて肩に掛かるバスタオルで局部は隠れているが、裸である事には変わりない。

 

 

「風邪引くわよ……髪も乾かして無いし…」

 

「あーとーでー」

 

 

 妹が居たらこんな感じなのだろうか。

 雪雫からバスタオルを奪い、丁寧に髪を拭いてあげる。

 

 

「もう…折角綺麗な髪してるんだから───」

 

「真、上手だね」

 

「これくらい当たり前です」

 

 

 全く普段のこの子はどうやって生活しているのだろうか。

 時々……いや割と高頻度で疑問に思う。

 

 

「ほら、ドライヤーしてあげるから……取り敢えず寝間着着て」

 

「はーい」

 

 

 いくらりせさんが半同棲状態とはいえ、限度があるだろう。

 

 

「着た」

 

「はいはい………それ寝間着?」

 

「ん」

 

 

 そこには明らかにオーバーサイズの白のワイシャツだけを着た雪雫が居た。

 少し屈めば中まで見えてしまいそうな襟元からは鎖骨から肩に至るまでのラインが顔を覗かせ、服の裾からは美脚と言わざるを得ない生足が。加えて可愛らしく余った袖をブラブラと揺らしている。

 所謂、彼シャツ……という奴だろう。

 

 

「……それで、何時も寝てるの?」

 

「ん」

 

「…はぁ」

 

 

 本当に同室にして良かった。

 新島真は心からそう思った。

*1
真から言い出した



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79:It is not the gift, but the thought that counts.

 

 

9月9日 金曜日 晴れ

 

 

 

 ハワイ2日目。

 

 目覚めれば視界に入るのは見知らぬ天井。

 何時もとは違う風景に「ああ、そうだ。今ハワイに居るんだった」と寝起きの頭が遅れて反応を返した。

 

 カーテンから差し込む光、ココナッツフレーバーの仄かな香り、程良い室温と()()()()()()()()()()()

 

 

(……今日は確か…)

 

 

 急ピッチで作成した「旅のしおり」の中身を思い返す。

 本日は確か1日通しての完全自由行動の筈だ。実質的なハワイ本番と言ってもいいかもしれない。

 

 

(…そろそろ起きようかな……)

 

 

 サイドテーブルに置いた持参の時計に目を向ければ、時刻は7時を過ぎた頃。下の食堂に行けば丁度、朝食のバイキングにありつける時間帯だ。

 どんなものがあるだろう。あらかじめホテルのホームページで朝食はバイキングだという事は調べたが、流石にその内容までは知らない。

 トースト、サラダ、スクランブルエッグは外せないわね。ロコモコ…はちょっと朝からは…重いかな。

 

 兎に角、普段は味わえない食べ物が沢山あるだろう。ここのホテルの食事はレビューでも評判だったから楽しみだ。

 ああそれと、しっかり雪雫も連れて行かなければ。

 あの子、人一倍ご飯を楽しみにしていたから。

 

 

(そうと決まれば……)

 

 

 タオルケットを少しずらし、ほんのりと温かな熱源へと目を向け───。

 

 

「………へっ?」

 

 

 ここで急速に意識が覚醒した。

 

 まず最初に知覚したのはフニフニとした柔らかい感触。細かく観察してみれば彼女の薄い胸が隙間無く押し付けられており、加えて手首の辺りがガッチリ太ももでホールドされている。例えるならば、木にしがみ付くコアラとかナマケモノとか……それに近しい態勢。

 しかし性質が悪い。

 そもそも恰好が問題だ。昨日の夜から分かっていたことではあるが、この少女、シャツの下に何も着ていないのだ。『暑い』『寝にくい』と口々に文句を言っていたのを良く憶えている。それでいて体躯に合わないブカブカのシャツ……それはもう乱れに乱れ、最早半裸と言ってもいい状態。

 

 この状況を第三者に見られれば、勘違いされる事は間違い無しだろう。

 だってそうでしょう。就寝時の彼女なんて家族か、それこそりせさんしか知らないだろうから。

 

 段々と体温が上がっていくのが分かる。

 あれ、おかしいな。きちんと冷房付いている筈なんだけど───。ああ、そっか。雪雫からの体温が伝わってきてるんだ。

 

 そう思考が整理されると、急に感覚が研ぎすまされ、また新たな情報が私に襲い掛かる。

 

 例えばじんわりと香る少女の甘い匂いとか。二の腕にかかる吐息に合わせてリズムを刻む心臓の音とか。肉付きは薄く発育も良い訳では無いがしっかり柔らかい辺りちゃんと女の子なんだなとか。

 同じ身体でも体温に違いあるんだなとか。────特に手の先辺り。

 

 

いけない。

 

 

 と脳が警鐘を鳴らす。

 

 

もう少し。

 

 

 と心が揺らぐ。

 

 

 ジュクジュクと蝕まれていく様な感覚。

 落ちてはいけない方向へ落ちてしまいそうな感覚。

 

 当たり前。と思っていた価値観が土台から消えていくような、そんな感覚。

 

 

今日くらい朝ご飯抜いてもいいかな。

 

 

 なんて自分に似つかわしくない思考が侵食し始めた───その時。

 

 

「っ!!!!」

 

 

 辺りにけたたましい音が響いた。

 私の脳内アラートでは無く、現実世界の…朝を告げる音。

 

 

 時刻は7時15分。

 

 

「───ん、ご飯」

 

 

 先程まで無自覚に人を蝕んでいた眠り姫が、その宝石の様な双眸をこちらに向けてそう言った。

 

 

(─────ああ)

 

 

 そう言えば寝る前にウキウキで目覚ましセットしていたっけ。

 モーニングの時間を逃さない為。とか言いながら。

 

 

「……ええ、行きましょうか」

 

 

 何で私のベットに潜り込んでいるんだ。

 一言言ってやりたかった所ではあるども、起きれば何時も通りの雪雫の姿に、そんな文句もさっきの感覚と共に霧散した。

 

 いそいそと2人で用意をしながら、正常に稼働し始めた頭で考える。

 

 

 …………りせさんの理性ってどうなってるんだろう。

 純粋にそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自由行動……多くね?」

 

 

 開口一番、竜司がうんざりした様に口を開いた。

 

 

「こう…もっとさ、学校側が用意してくれんじゃねーの? ダイビングとかサーフィンとかさ」

 

「……バタバタしててプランを練れなかったみたい…ほら、生徒に引率頼む位だし」

 

 

 鴨志田事件とか校長のスキャンダルとか……何かと世間の目を浴び続けている我が校は、本当のギリギリまで修学旅行を中止するかどうか議論を重ねていたらしい。

 実際、去年の私達の場合はある程度のグループに分かれてではあるが、あちこち皆で観光したし、ダイビングとかフラダンスとかの体験学習も行った。

 今年が特例なだけだ。

 ………まぁその要因となった事件に要所要所──いや、半数以上関わっている身からすると文句も言えないけど。

 

 

「その代わりの…自由時間………。ほら、私達お手製のしおりにも書いてある。生徒の自主性を云々」

 

「モノは言いよう……ってやつだね!」

 

 

 いや、実際そう書いてください。とお願いがあったのだから仕方ないじゃない。

 そりゃ旅行一週間前にいきなり『おねがーい、作って』とか言われたら投げやりな内容にもなる。 

 

 

「でもさ、私達の主体性に合わせて観光っつても限界ない? 学生のお小遣いで回れる範囲が狭いというか……」

 

「杏の言う通りね……。引率側としては耳が痛いわ………」

 

「見て回るか、食べるか……。俺達に出来るのは精々これ位か…」

 

「ん…」

 

 

 理想は華やかなハワイ旅行。

 しかし現実は資金というシビアな足枷。固定のバイトに入って稼いでいる訳でも無い私達の行動を制限するには十分過ぎるほどだ。

 

 

「ちょっとくらい、私が出すけど───」

 

「「「「それはダメ」」」」

 

「……むぅ」

 

 

 気持ちは嬉しいが奢られるのは違うでしょうよ。

 

 

「あー。早く日本帰りてぇ! 世界が俺達の活躍を待っているって思うと気が気じゃねぇぜ!」

 

「止めましょうよ……旅行中くらい…」

 

 

 とは言いつつも、竜司が焦る気持ちが一片たりとも理解出来ない…という訳も無く。

 

 偽メジエドの件を片付けて以来、私たち怪盗団の存在は海の向こうの人達にまで認知されるようになった。まぁとは言っても、日本ほど熱量がある訳では無く、一種の娯楽として親しまれている位ではあるが。ノリ的には覆面のライダーとか海から来る架空の怪獣とか、それに近しい創作物かオカルトだ。

 しかしながらその名が届いているのには変わりなく、実際にこの旅行中もたまに外国語に混じってカイトウダンと口にしている人が一定数居る。

 加えて今のご時世、ネットに潜れば気軽に情報収集が出来るのだから、遠く離れた地であっても話題の中心に何時も怪盗団がある様な気すらしてしまう。

 

 このような世間の盛り上がりに対して、当の私達は旅行中。実質的なお休み期間。

 仲間の中では特に目立ちたがりの竜司が「早く何かしないと」と急いてしまうのは仕方のない事だろう。

 

 

「そんなこと言ったってよぉ? ──祐介だって早く帰りてぇよな!」

 

 

 しかしながら竜司以外は旅行は旅行で楽しみたいと思っているらしく、私も含めて特に同意を返さない。

 だから、彼は他に同意を求める。

 そう、何時も通り涼しい表情を浮かべた、口を開かなければ美青年と称せる男、喜多川───

 

 

「いや、海外も新鮮な刺激があって、いい経験になる。俺はもう少しここに居たい」

 

「はぁ!?」

 

 あんぐりと口を作って眼の間に居るものが信じられない。とでも言う様に何度も目を擦る竜司。

 

 

「え、何で居るの? こわっ」

 

 

 仲間に対して何て言いようなのだろうか。

 そんな表情が隣の蓮から見て取れる。

 

 だけどこれに関しては竜司に同感だ。

 

 

「ロスじゃなかった?」

 

 

 だって彼の通う学校である洸星高校の行き先はここから遠く離れた映画のメッカ、ロサンゼルスの筈なのだから。

 

 

「アメリカ本土は嵐で大荒れ。着陸出来無いからこっち来た」

 

「何で雪雫が知ってるのよ」

 

「一二三から聞いた」

 

 

 手に持つ情報源をヒラヒラとアピールする雪雫。そこにはつい最近の日付で行われたやり取り。

 

 一二三……ああ、東郷一二三。

 雪雫や蓮の話でたまに出てくる棋士の少女か。

 

 

「祐介、この後は…暇?」

 

「特に予定は無い。急な予定の変更だったからな」

 

「……私達と同じね…」

 

 

 つまる所の生徒の自主性云々。

 学校行事として正しい姿かどうか、意見が分かれる所だ。

 自由時間が多いという事は即ち、生徒1人1人に差が生まれるという事。それは思い出であったり、学びであったり。極論、何もしなくても許されるのだから、学校側が意図した修学旅行とは主旨がズレてしまうだろう。

 

 でもそれは学校側の意見であり、生徒達には何ら関係無く、寧ろ嬉しいもの。

 そして、引率として来ては居るが、私も雪雫も生徒側であることには変わりない。

 

 

「なら私達と一緒に行かない? お土産見に行こうと思っていたの」

 

 

 他の生徒には悪いが、気の知れた友人達と行動するに越したことはない。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 悩む。

 

 

 

「…………」

 

 

 少女は悩む。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 悩みに悩んでもう15分が経った。

 それでもまだ悩む。

 

 そしてそんな彼女の様子を店員は困った様な笑みを浮かべながらも見守る。

 

 

「ん……」

 

 

 少女は見つめる。ガラス越しで煌びやかに光るオリーブグリーンの輝きを。

 

 ペリドット。

 

 別名ハワイアンダイヤモンド、もしくは夜会のエメラルド。或いはペレの涙。

 ハワイ島で採掘される希少な宝石だ。

 

 

(……ネックレスか、ピアスか……それとも…………)

 

 

 眼の前に立ち並ぶペリドットが施された装飾品の数々。

 比べること自体が烏滸がましいほど洗練されたそのデザインには思わず称賛の拍手を送りたくなる程だった。余程、腕の良い職人が作っているのだろう。

 

 有り体に言うと、少女…雪雫はある人へのお土産に悩んでいる。

 まぁ隠す事も無いだろう。想いを募りに募らせもう何年…久慈川りせへのお土産だ。

 雪雫にとって、この旅行の中で最後にして最大の買い物である。

 

 他の人達へのお土産はすんなり決まったのだ。

 それこそ、一緒に来ていた仲間達と雑談の片手間にパパっと。

 

 モルガナにはマヒマヒ。(丸ごと1匹)

 マスターにはコナコーヒー。(1ダース)

 武見にはコアウッド*1のボールペン。(替え芯2ダース付)

 雪子にはアイランドバス&ボディ*2のお風呂用品一式。(3か月分)

 実家にはレアハワイアンオーガニックホワイトハニー*3。(全従業員分)

 

 勿論、同郷の友人達や大宅やララちゃん、べっきぃ、千早といった上京してお世話になった大人達へのプレゼントもそれぞれ違ったものを見繕った。

 

 一見すると迷い込んだ子どもの様な風貌の雪雫が、それはもう大人以上の買い物をしていくものだから、これには店員も目を丸くした。

 

 『どこぞのハリウッド俳優の子どもじゃないのか』

 

 そんな雰囲気が店内に漂い始め、気づけば雪雫の横には常に店員が付いて回る状態に。

 まぁ彼女的には買いたいものを伝えただけでお会計から商品の発送準備までしてくれるのだから、ありがたいな。位の認識であったが。

 

 

 兎も角、そんな即断即決で決めていた彼女であったが、件の人の土産となった途端、その勢いはピタリと鳴りを潜めた。

 因みにまだまだ買い物に時間が掛かりそうと踏んだ真達は近くの「ビックバンバーガー:ハワイ支店」で時間を潰している。

 

 

(………アンクレットは無しかな。靴によっては合わせられない。ブレスレットも………微妙かな。寒くなったら見る機会減っちゃう。なら指輪……とってもロマンチックだけど、少し重い? いやそれ以前に指のサイズが分からない。………そもそもペリドットが選択ミス? 誕生石としては8月だから全然合ってないけど…。いやでもハワイと言えばこれだし。石言葉もポジティブ。なにより……ふふ、きっとりせに良く似合う)

 

 

 この調子である。

 そもそもの話、友達…と言っていい距離感かどうかは微妙であるが………宝石付きのアクセサリーを贈ろうとしている時点で若干重い事に雪雫は気付いていない。

 アクセサリーという特性上、身体に直接身に着ける必要がある訳で、部位にもよるが贈り物の意味として大体は『束縛』だったり『独占』だったり…。まぁこれにも諸説あり決して一般論では無いのだが、そう感じる人もいるし、そういう考えもある。

 

 ────ちょっとしたプレゼントにチョーカーをチョイスしたかのアイドルにはそういう配慮は不要だとは思うが。

 

 

(………ネックレスも…着込む時期になったら…あまり見えない…)

 

 

 そっと首のチョーカーに触れる。

 

 彼女がくれた初めてアクセサリー。

 貰った時から一日も欠かす事無く…決して出かける用事が無くても身に着けている大事なもの。

 

 りせの存在を常に感じられて好きだ。

 これを周囲に見せる事で、私が誰のモノなのかを見せつけれる事が出来るから好きだ。

 

 最初に感じていた圧迫感はもう慣れてしまってそこまで感じない。

 だからたまに後ろのベルトを調整してもう少しだけきつくしたりする。

 そうすることで、また彼女をより身近で感じる事が出来る。

 

 

(……ピアス…)

 

 

 だからりせにも私と同じように感じて欲しい。

 常に周囲に見せつける事が出来るし、何より「身体の一部を貫通する」という点が素晴らしい。

 

 

「………I'll take it.」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何やら店員が業業しく、まるでvipでも来たかのような振る舞いをしているのが気になってそちらの方に目を向ければ、そこに居たのは白髪の見慣れた少女。

 真剣に宝石が施されたアクセサリーを選ぶ彼女を見て、「ああ、あの人への贈り物なんだな」と直感した。

 

 正直に言って、ちょっかいを掛けたかった。

 真剣な眼差しをショーケースに落とし続ける彼女は平時の様な第六感とも言うべきムズムズセンスは今は発揮されないだろう。

 

 外見年齢にそぐわないくびれをつーっと指を走らせて、響く甲高い声を耳に入れたい。そしてそのまま後ろから抱き着いて首元に顔を埋めて自分の鼻腔を犯すのだ。

 

 

「………でもなぁ」

 

 

 今の私にその振る舞いが許されるのか、とも思う。

 そんな普通の友達同士の様な振る舞いを。きっと彼女は気にしないだろう。寧ろ、そういう遠慮がある時点で怒るだろう。

 

 でもまだ足りないのだ。

 自分に課した責が無くなるまでは、彼女に会いたくない。

 

 

「かすみ~、そろそろ練習の時間だよー」

 

 

 店の入り口でチームメイトが手を振って私の名前を呼んでいる。

 

 

「今行く」

 

 

 きっと彼女は気付いていないだろう。

 今は最愛の人への贈り物選びで忙しいだろうから。

 

 それでいい、それがいい。

 

 現実世界で裁かれない私には、丁度良い贖罪だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

9月11日 日曜日

 

 

 

 

 最終日。

 

 皆で写真を撮ったり、食べ歩きをしたり、男性陣だけでナンパをしにいって全敗したりエトセトラエトセトラ……。

 修学旅行としては不十分で全力でハワイを楽しんだか、と言われればそういう訳でも無いが、それでもそれなりに楽しかった旅行も後は帰るのみ。

 

 ホテルを後にして空港に着いたら後はフライトまでの時間を潰すだけ。

 イベントらしいイベントも当然用意されていないし、かといって自由行動する程の時間も無い。

 

 友人と喋ったり、スマホをボーっと眺めたり、買い込んだ土産を必死に詰め込んだりと、生徒達が思い思いに過ごす中、白髪の少女は1人キョロキョロと辺りを見渡していた。

 

 

「…………」

 

 

 小さな手に持つスマホを頻りに確認しながら、まるで誰かを探す様に。

 

 

「何してんだ?」

 

 

 そんな彼女を訝し気に眉を顰め、竜司が問いかける。

 

 

「双葉へのお土産、まだ手に入れてない」

 

「んじゃ、そこの土産屋見に行くか? そんくらいの時間あるだろ」

 

「違う、お土産屋さんじゃない。でも───この辺りに入る筈」

 

「……はぁ?」

 

 

 竜司は考える。あまり考えるのは得意では無いけども。

 それでも、彼女がふわふわしてて割と電波感ある様に見えてその実、きちんとある程度の通りに則って行動していると知っているから。

 

 ああ、そういえば。

 

 と彼の頭に過去の情景が浮かんだ。

 

 

「あー……そういえば、俳優のサインを土産にするとか…言ってたっけか…………。あれマジだったの?」

 

「もちろん」

 

 

 何時に無く眼光を鋭く光らせている雪雫に圧倒される竜司は言えなかった。

 

 「そんな世界的な大スターが居るわけ無くね?」

 

 と。

 生憎、そこまで空気読めない男でも無いのだ。

 

 だけど口には出さなくても「無理だろうな」とは考えていた。

 フライトまで後30分切っているし、空港という限られたエリアで探せるわけ───。

 

 

「あ──、Excuse me. Is this a good time?」

 

「…………嘘、だろ」

 

 

 後日、SNSにアップされた色紙を2枚持った雪雫ととある男のツーショットは日本中を席巻し、そしてちょっと海を越えた所でほんのり話題となる。

*1
かつては王族にしか使用が許されなかった木。大木に育つまで非常に時間がかかり希少性が高い

*2
ハワイで名の知れたボディーケアブランド

*3
世界最高峰ランクのハチミツ




因みにりせは何回も理性が飛びそうになっていますが、丁度その時に見計らった様にやってくる外敵要因(主に雪子)によって抑えられているだけです。


雪雫が精神的Mになっちゃった……


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79.5:Good idea.

 

 

9月12日 月曜日 晴れ

 

 

 

 目の前にぶら下がるオリーブグリーンの輝きを放つ宝石……そしてそれが施されたピアス。

 テーブルに頬杖を付きながら見惚れる様に。かれこれ1時間ほど久慈川りせはそれを眺めていた。

 

 

「えへへ」

 

 

 彼女はいま自室で眠りこけている。

 時差ボケというやつだろう。帰って来てからというもの、ずっと眠たそうに目を擦っていたのだから、流石の雪雫も生理的な現象には勝てないらしい。

 

 しかしながら、そんな彼女は睡魔に襲われながらも、りせへお土産を渡す事を優先した。

 よっぽど渡すのを楽しみにしていたのだろう。

 他の土産が全て郵送なのに対して、これだけは直接持って帰ってきたみたいなので、そんな少女のいじらしさが節々に伺える。

 

 

「うぇへへへ……」

 

 

 久慈川りせはいま非常にだらしない笑みを浮かべている。

 とてもトップアイドルとは思えない程の。

 

 しかし仕方ない事と言えば仕方ない事だった。

 今までに何度も雪雫からプレゼントを貰った事はあったが、アクセサリーは完全に初めてで。加えて渡すときの少女のいじらしい姿がスパイスとなって、その「初めての経験」をより鮮やかに飾り付けているのだから。

 

 

 ・雪雫からの初めてのアクセサリーのプレゼント

 

 ・生理的欲求よりも優先された久慈川りせ

 

 

 この2点の事実だけで何時間もピアスを眺められるし、ご飯も何杯もいける。

 加えて。

 

 

「ペリドット……運命の絆、平和と安心……夫婦愛…!」

 

 

 宝石について無知であったから、好奇心で調べて出てきました石言葉とその意味。

 

 

「これはもはや告白では?」

 

「いやいや婚約でしょ」

 

「もしかしてOKって事じゃない?」

 

 

 脳内の様々な久慈川りせが口々に推測を述べる。久慈川りせ評議会は類を見ない熱量で議論を重ねては大盛り上がり。

 ──それほどまでにいま、彼女の脳内は幸福物資で溢れに溢れていた。

 

 

「…………そうだ」

 

 

 そこで思いつく。

 自分史上TOP10に入るくらい名案だ。そう彼女は自負をした。

 

 

「折角ならお揃いにしたい」

 

 

 これの石言葉が検索した通りなのなら、それくらいはしても良いでしょう。

 ていうか、こっちの方がロマンチックな気すらする。

 

 

「……行こ」

 

 

 今はまだ日も高く、雪雫は眠りに付いたばかり。ちょっとした買い物くらい訳無いだろう。

 ラフな格好からある程度は外に出ても許される服に着替え、サングラスと帽子を身につけて。最後に合鍵を持てば準備は万端。

 

 

「………うひ、ひひひひ…」

 

 

 怪しく笑みを浮かべながら、彼女は家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「提案があります」

 

 

 すっかり日も落ち、初秋とは名ばかりの蒸し暑さが残る今日この頃。

 時差ボケから来る睡魔から解放された雪雫に対して私は神妙な顔持ちで語り掛ける。

 

 

「?」

 

 

 コテンと小首を傾げる彼女は所々跳ねている髪も相まって、まさに子どもの様。

 大変可愛らしいです。

 

 

「提案って?」

 

「いやぁ…大したことでは無いんだけどぉ………」

 

 

 勿論、私の主観では。 

 

 

「ピアス、開けてみない?」

 

「……………? 私が?」

 

 

 そんな提案されるとは思っても無かったと言うように目をぱちくりとさせる雪雫。

 

 当然と言えば当然だろう。

 彼女に自分を着飾ろうという洒落っ気など存在しないのだから。育った環境ゆえか、それとも今も昔も外に出ないからか。要因は定かではないが。しかしその癖、手に取るモノ全てセンスが良く纏まっているのだから、そういう感覚は人並以上だ。単純にそれが自分自身に向かないだけで。

 

 

「うん。きっと似合うと思うんだよなぁ」

 

 

 まぁ雪雫に似合わないモノなんてそうそう存在しないだろうが。

 顔面偏差値の暴力である。

 

 

「───でも、私ピアス持ってない」

 

 

 チラリと私の耳元に視線を流しながら、満更でもない様子でそう口を開いた。

 

 なるほど。やっぱり意識が回らなかっただけで開ける事に対して特に忌避感は無いらしい。

 天城家の方針でそういうのがダメとか、たまに垣間見えるお嬢様育ちの由来の抵抗感があるとか、一応そういう心配もあったが杞憂だった様だ。

 

 

「ふっふっふ……そんな貴女には、コレ」

 

  

 自然と上がっていく口角につられて上機嫌にソレを雪雫の前に差し出す。

 上品に光り輝くオリーブグリーンの宝石が施されたピアス。

 

 

「………それ、私のじゃない…」

 

 

 そう何を隠そう、雪雫がハワイで買ってきてくれたピアス………の片割れ。

 

 

「まぁまぁ、りせさんのナイスアイデアを聞いてくださいよ」

 

「………む」

 

 

 何も貰ったやつをそのまま雪雫に渡すのでは無い。

 私も私でコレを大事にしたいし、使いたい。でも、それだけだと少し寂しい。

 

 

「……お揃いしてみたいな…なんて」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「…ん」

 

 

 髪を耳に掛け、私の眼下には小さな左耳と細い首が晒されている。

 血が通っているのか心配になるくらいに白く、染みどころか産毛も無い素肌。

 

 

(うっはぁ……えっっっっろ)

 

 

 なんてアイドルらしくない思考が過ぎる位の完成された美。

 

 

(今から雪雫の身体に穴を開けるのか………)

 

 

 本当に15年間生きて来たのか心配になるくらい純白の身。怪我が絶えない生活をしている癖に、そんな事も感じさせない位なにも無い。

 この間の稲羽の時の傷ですら消えてしまう様な彼女の身体に、他ならぬ私が傷をつけるなんて……そんなの…………。

 

 

(興奮しちゃうじゃないか………)

 

 

 少女が大人へ変わっていく様な危うく、それでいて官能的な───。

 

 

「りせ?」

 

「──うぇっ、……あぁ、ごめん! すぐやるから!」

 

 

 ピアッサー片手に妄想に更けてた私を訝しむ雪雫の声で現実に引き戻される。

 危ない危ない。危うく暴走するところだった。

 

 

「少しチックとするからねぇ」

 

「──ん」

 

 

 そっと彼女の耳に指を添え、慎重に位置を見定める。

 上過ぎず、下過ぎず。それでいて平行に針が通る様に。

 

 

「──────」

 

 

 息遣いを見逃す事すら難しいほどの距離。雪雫が僅かに身構えて緊張しているのが手に取れる。

 流石の雪雫も身体に針が通るのは怖いらしい。

 

 

「すぐ終わるから……そんなに緊張しないの」

 

 

 実際やってみると呆気ないものだ。

 私も初めて開ける時、中々心が決まらず1時間くらい渋っていたが、実際にやってみるとこんなものかぁと思った記憶がある。

 

 

「いくよ」

 

 

 僅かに重いトリガー部分を一思いに引けば、パチンと乾いた音が鳴り響き、雪雫の肩が僅かに跳ねた。

 

 

「──────っ」

 

 

 私はすぐさま綿棒に消毒液を垂らし、丁寧に拭く。

 

 

「ちょーっとヒリヒリするかもしれないけど我慢してね。化膿しちゃうからさ」

 

 

 今まで塞がっていた所に無理矢理ハリを通しているのだから、それは何ら傷と変わらない。丁寧に消毒してあげなければ。

 

 

「……ビックリした」

 

「まぁ最初はそうだよね…っと。はい、オッケー。うん、似合う似合う」

 

 

 味気の無いごく普通のファーストピアスだが、流石と言うべきか。とても様になっている。

 

 

「これはどれくらい付けとけば良いの?」

 

「んー、一か月くらいかなぁ。その位たてばホールも安定するから、自由に付けれるようになるよ」

 

「……む、そっか…」

 

 

 あぁ、一か月後が待ち遠しい。

 

 

「それまではお風呂も寝る時も付けっぱなしにしといてね。最初は寝返りとか打ちにくいかもだけど、すぐに慣れるよ。…あぁ、あと着替えの時とかお風呂上りとかも気を付けてね」

 

「ん」

 

 

 左耳を擦りながら雪雫は短く答える。

 

開けたばっかってなんか違和感あるしヒリヒリするよね。分かる分かる。あ、でもあまり触り過ぎちゃダメだよ。ばい菌が入っちゃうからさ。

 

 とか言いながら、私の意識は一か月後へ思いを馳せている。

 いやぁ楽しみだなぁ。お揃いのピアス付けてお出かけしたりとか……あとは写真撮ってSNSにアップしてファン達を沸かしたりとか……。

 

 

(早く来月にならないかなぁ……)

 

 

 雪雫の左耳で輝く銀のピアスを眺めながら、りせは顔を綻ばせた。



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80:It takes two to tango.

 

 

9月13日 火曜日 晴れ

 

 

 

 季節の境目というのは非常に曖昧であり、その定義は人によって異なる。

 9月になった時点で秋と言う人も居れば、年度に合わせて秋は10月からだと言う人も居るだろう。

 

 まぁ特にどちらが間違いという事は無く、寧ろどちらも正解である。

 というのも人によって捉え方が違う様に、何を基準にするかによってその定義が変わってくるからだ。

 

 例えば、気象学ならば、9月、10月、11月。天文学であれば秋分から冬至まで。二十四節気に基づくのであれば立秋から立冬まで。旧暦なんかは7月から9月が秋とされている。

 

 

「…………暑い」

 

 

 因みに雪雫は天文学派。彼女に言わせれば9月22日の秋分の日までは夏である。より正確に言うのならば「太陽黄経が180度、270度になった瞬間」が秋分になる為、【9月22日14時21分】から秋が始まるのだが、別に天文学オタクでも無いので流石にそこまで細かく切り分けていない。単純に実家の旅館が秋分の日を境に秋仕様に切り替わるからである。

 

 だから何の新鮮味も無い1日の筈だ。

 何時も通りのルートで学校に向かい、変わらぬ暑さに項垂れる。修学旅行という大きなイベントも過去のモノだし、気持ち的にも取り囲む環境的にも変化が無い。

 

 と、そう思っていた。

 

 

「─────」

 

 

 そのニュースを見るまでは。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 学校側から校長の死が告げられたその時は特段驚きはしなかった。朝の時点で既にニュースになっていたし、学校の前にはパトカーが止まっていたし。それに火曜日という中途半端な曜日にも関わらず、朝から体育館に集められたのだから、余程察しが悪くない限り「校長の件だな」と誰もが思っただろう。身構えるタイミングはいくらでもあったのだから。

 詳しい事は特に語られなかった。校長が亡くなってしまったという事実と、鴨志田騒動以後、学校問題の解決に尽力していた事。告げられていたのは主にその2点だ。

 

 まぁ子どもに聞かせる改めて聞かせる内容でもないし、調べればすぐに分かる事も多いため、詳細は省いたのかもしれない。それに例の隠蔽の件で不信感が高まっている以上、話題を早く切り上げたかったか。

 

 

「───学校ではこんな感じ」

 

「……特別、新たな情報は無し、か」

 

 

 祐介が神妙な顔持ちで口を開いた。

 

 

「隠蔽騒動を苦にした自殺。場所は警察署の前。交差点に飛び込み、走行中のトラックに撥ねられ即死。公表されているのはこんなところか」

 

「怪盗団の仕業……とかには今のとこなってねぇけど……」

 

「一定数、怪盗団と結び付けている人は既に居る。殺しの罪を擦り付けられる可能性はある」

 

「っんだよ雪雫……俺達が悪いってのか!?」

 

「声荒げない。私はただ可能性を言っただけ」

 

 

 就学旅行後、初めての会合。

 当初の予定では真が引っこ抜いた捜査資料に関した報告の場であったのだが、話題は専ら校長の死に関連したモノへと置き換わっていた。

 

 知っている人物の死というのもあるが、手は下していなくとも間接的にも怪盗団が関わっていたという事実に一同顔を曇らせている。

 

 

「……もしかして…校長の自殺って私達に責任がある…?」

 

 

 眉尻を下げ、杏が弱々しく口を開いた。

 

 

「私達が鴨志田を改心させなきゃ、校長は死ななかったんじゃ……」

 

「やらなきゃやられっぱなしだっただろ!?」

 

 

 改心自体は悪い事では無かった。と当事者では無いものの、雪雫はそう思った。

 行わなければ今の私達は無いし、体罰の問題も闇の中。失うモノが多すぎる。

 それに出てきた問題を誠実に対処しなかったのは校長自身であって、乱暴な言い方をするならば自業自得……となる訳だが…。

 

 

「私達がしてること、本当に正しいのかな……?」

 

 

 

 

 真の言葉に、誰も言葉を返せなかった。

 それは答えの無い問だから。これに対して答えを持てるのならば、揃ってそもそもこの話をしていないだろう。

 

 

「─────」

 

 

 議論が行き詰った所で、静観していたモルガナが苛立ちを僅かに含みながら口を開いた。

 

 

「おいおい、本題に戻ろうぜ。ニージマのデータの話だろう?」

 

 

 議題の変え方としては乱暴で冷たく聞こえたものの、それに対して非を唱える人は居ない。

 全員分かっていたのだろう、答えの出ない議論をしている、ということに。

 

 

「───せ、」

 

 

 皆の視線が双葉に集まる。

 それもその筈、捜査資料を持っているのは彼女であり、その解析も一任していたのだから。

 

 しかし空気感としては最悪もいい所だ。ただでさえ、校長の自殺で気が立っているのに加えて、しこりを残したままなのだから。

 そんな雰囲気に双葉が耐えられる筈も無く、双葉は僅かに涙目を浮かべながら、この中で一番冷静そうな者へ縋る様に視線を送る。

 

 

「雪雫ぁ……」

 

「何で私」

 

 

 溜息を吐き、双葉の元へ。

 簡潔に纏められたデータが映し出された画面に視線を落とす。

 

 

「……新島冴は、一連の事件の内、明らかに事故や病気じゃない不審なモノに目を付けてる。それに共通点が無いか。調べていたみたい。─────ふぅん」

 

「何て書いてあるんだよ?」

 

「憶測な部分も多い、けど過半数の事件で大きな利益を得る人が居た事を特定してる。───株式会社オクムラフーズ。及びその代表取締役社長、奥村邦和」

 

「オクムラ? なんかどっかで……」

 

 

 なんか聞き覚えあるんだよなぁ、と竜司が首を捻る。

 

 

「ビッグバン・バーガー、だな」

 

「ビッグバン・バーガー!! まじかよ!?」

 

 

 ビッグバン・バーガーと言えば、今や日本各地に展開されるファストフード店。最近では海外事業への展開も進めており、ファストフードと言えばまず名前が上がるほど有名だ。

 

 

「言われてみれば、ここ何年かだよね。ビッグバン・バーガーが有名になったの。ハワイにまで支店あったし」

 

「……ふむ、競合他社に不祥事やら役員の退任やら…タナボタが不自然に多いと書いてあるな」

 

「競合に不祥事……ワイルドダック・バーガーのやつもそれ?」

 

「そういえばニュースでやっていたわね。状況証拠的に否定は出来ない、かな……」

 

「事件か事故かも分からん話なのに、特定の社長ばっかり得してるんなんて、怪しすぎんだろ? そいつが故意に起こしてる事件って考えた方が自然だ」

 

 

 自分達以外にイセカイに出入り出来る謎の人物。そしてそいつは廃人化に精神暴走にやりたい放題。加えて一色若葉の件も考慮するに、組織的な犯行である可能性すらある。

 一応、辻褄は合うが………。

 

 

「根拠ならまだある、デカいのがな。フタバ、あの話をしてやれよ」

 

 

 モルガナは双葉に得意気に視線を送った。

 

 

「もう奥村の名前、ナビにいれてみたし。……こいつにはパレスがある」

 

「……なら、次のターゲット…?」

 

「そういうことだ。オクムラはランキング上位だしな」

 

 

 そう言えば前に週刊誌でオクムラフーズの就業環境について取り上げられていたな。と雪雫は思い返した。

 一言で言えば…そうブラックそのもの、らしい。

 

 今の怪盗ブームの影響で少しでも埃が出れば改心を望む声が大きくなる現状、無視は出来ない存在ではある、が。

 

 

「待て、悪人だと決まった訳じゃない。うかつに飛び込むと……」

 

 

 そう、祐介の言う通り悪人という確証は無い。今までとは違って被害者を目の当たりにした訳でも、当事者から依頼された訳でも無いのだ。

 人の心を変えるという性質上、迂闊に意思決定をする訳にもいかない。

 

 それに────

 

 

「この世間のブーム…正直、気味が悪い」

 

 

 誰もが怪盗団の次なる一手を期待している。あれだけ眉唾物扱いしていたマスコミも大々的に取り上げる様になったし、怪盗団グッズなんてものも出回り始めている。

 加えて不祥事どころか黒い噂が出た時点で改心を望む声が上がる上に、(まつりごと)にまで手を出せという声も出て来た。

 個人の罪にとどまらず、社会の問題そのものまで怪盗に解決させようとしてくるのが現状の論調である。

 

 

「うん、なんか今の盛り上がり、普通じゃないよ。少し、落ち着いてからの方が………」

 

「杏まで何だよ! 期待の声を裏切っちまうつもりかよ!?」

 

 

 怪盗団の活躍の裏で起きた校長の死。直接的に関りが無くとも、鴨志田事件の余波で命を落とした事には変わりなく。メンバー各々の心に根付いた罪悪感。

 それが今の怪盗団の動きを鈍らせている。

 声を大きく上げている竜司は罪悪感から来る焦りから、悪人を1人でも多く改心し自分達の正当性を知らしめたいと考え、杏と祐介はその逆。それぞれの心がバラバラの方向に向いてしまっている。

 

 そして、もう1人。

 

 

「やれやれ……オマエら。纏まり無さすぎだぜ…。尻込みか? 見てらんねぇよ!」

 

 

 声を上げたのはモルガナだった。苛立たしそうに、加えて僅かな怒気を含んだその声は、普段にも増して尊大不遜で。場の空気を凍らせるには十分過ぎるモノだった。

 

 

「周りの空気に飲まれやがって……。オマエらの正義感っていうのはそんなもんかよ!?」

 

「………は?」

 

 ひとしきりモルガナが声を荒げた所で、竜司が応戦する様に口を開いた。

 怪盗団にとっての竜司の役割。他のメンバーほど考えるのが得意でない彼にとっての最大の貢献は先陣を切って道を切り開く事であり、それは竜司本人も自覚していた。だからモルガナの言葉は彼にとって致命的だった。だって竜司自身、自分の役割を全う出来ていないのを自覚しているのだから。

 

 

「……てめぇだって、何も出来てねぇじゃんかよ…」

 

「────なっ」

 

 

 竜司から絞り出されたその言葉を聞き、ますますモルガナの表情が険しいものへと変わった。彼の言葉は的確に、モルガナのウィークポイントを貫いてしまったのだ。

 

 モルガナにとって重要な事は『ギブ&テイク』な関係である。簡単に言えばモルガナが怪盗団を手引きし、蓮達は彼が人間に戻れる方法を探す───だったのだが。

 悪人を改心をするにつれ、蓮達の成長や新たな仲間達の加入により、モルガナの持っていた先輩としてのアドバンテージも最早、無も等しくなってしまっている。その現状がモルガナにとって堪らなく我慢ならず、そして疎外感を感じさせる要因となってしまっていた。

 

 だから竜司の「何も出来てない」という言葉はモルガナにとっての地雷であり、それでいて『ギブ&テイク』が成り立っていない事を遠回しに自覚させる決定打となってしまったのだ。

 決してそれが意図されたものでなくとも。

 

 

「……いいだろう…。どっちが役立たずか、思い知らせてやる…!」

 

 

 最早、以前あった関係は成り立っていない。コイツらはワガハイを必要としていない。

 そんなドロドロとした気持ちを抱えたまま、モルガナは感情に任せたままそう言った。

 

 

「オクムラなんて小物…、ワガハイ1人で十分だ!」

 

 

 正に脱兎の如く。

 そう言い残し、モルガナは慣れ親しんだ蓮の部屋を後にする。逃げる様に、仲間達が引き留める暇も無く。

 

 

「……どうせすぐ戻ってくんだろ…」

 

 

 吐き捨てる様に竜司が呟いた。

 

 きっとただ腹の虫の居所が悪かっただけだ。数時間後にはお腹を空かせてひょっこり戻って来るだろう。

 竜司だけでなく、皆が皆、そう思わず居られなかった。

 本当は今すぐにでも追いかけたい。しかし掛ける言葉が見つからないし分からない。

 

 だからそんな都合のよい未来を見ることしか出来なかった。

 

 

「────モナ」

 

 

 静まり返った室内。言葉を発するのが億劫になる程の重苦しい空気。

 白の少女はその名を口にした。 

 



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81:Signs of Spring

 

 

 足取りは最悪だ。

 勢いで飛び出してから僅か10分程が経過した。昼間とは違った夏らしさが抜けた風で頭が冷える。

 

 随分前から不安は抱えていた。少し前にその不安は仲間達への不満へと変換されていった。そして今日、それが爆発した。自分自身で振り返ってみれば、明確に今日に至る道筋を思い出せた。

 

 しかし、彼らはどうだろうか。 

 きっと自分が苛立っていた理由も、焦燥に駆られた要因も分からないだろう。

 ────だって、誰にもその事を相談していないのだから。

 

 何度後ろを振り返っただろうか。

 もしかしたら、追いかけて来てくれるかも。そんな淡い希望を抱いて。しかしながら現実は無情であり、視界に映るのは帰宅途中のくたびれたサラリーマンのみ。

 

 

「……ハハっ」

 

 

 乾いた笑いが口から零れた。

 

 来るはずが無いのだ。

 だって彼らからしてみたら、自分は急に癇癪を起した扱いにくい奴だろうから。

 

 

「いや、よそう」

 

 

 ズルズルと引きずるネガティブな思考を振り落とす様に首を振る。

 放ってしまった言葉は戻せない。既に起きた出来事を取り消す事は出来ない。タラればをいくら考えた所で、喧嘩別れした事実は消えない。ならば宣言通り、自分1人でやってやろう。起こした失態は行動で挽回するのみだ。そうすればきっと、また以前の様な関係が───。

 

 

「猫ちゃん」

 

 

 淡々とした、抑揚の少ない声だ。

 発生源は丁度目の前。自分の進路を塞ぐ様に、その小柄なシルエットは道路の丁度真ん中に佇んでいる。

 

 

「……なんか用かよ?」

 

 

 先程まで抱いていた希望が叶ったというにも関わらず、可愛げの無い言葉しか紡げない口が妬ましく思った。

 

 

「…用……。うん、用事」

 

 

 その声を、そのシルエットをモルガナは知っている。

 小首を傾げるその仕草も、つられて揺れる白髪も。闇夜で光る紅い眼も。

 

 

「私も付いて行く」

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

 

「だぁー! しつけぇ!! 何度も何度も先回りしやがって!」

 

「目的地分かってるんだから当たり前。地形と照らし合わせながら、モナの通りそうなところピックアップしてるだけ」

 

「それでも限界あんだろ!? どういう脳ミソしてんだオマエ!?」

 

 

 「私も付いていく」発言からしばらく、モルガナと雪雫の間で繰り広げられる追走劇。

 あれだけの啖呵を切った手前、はいそうですか。と彼女の同行を容認出来無いモルガナは、雪雫を何とか撒こうとやっきになるもの、悉く失敗。どんな細道を通ろうと、どんなに複雑怪奇な道順を描こうと、その先には必ず彼女が居る。

 

 

「いい加減諦めて。私とパレス行く」

 

「絶対お断りだ!」

 

 

 怪盗団随一の戦闘マシンが同行したとなれば、功績は半分どころか1/4も残らないだろう。自分の有用性を知らしめたいモルガナにとって、それだけは頂けない。

 

 

「第一、他のヤツらはどうしたんだよ?」

 

「帰るって言って私だけ抜けて来た。話、纏まらなさそうだったし」

 

「……同情で付いてきたならお門違いだぜ」

 

「同情なんて無い。私はただパレスを放っておけないだけ。モナに付いて行った方が早く攻略が進みそうだったから」

 

 

 こいつはブレねぇな……と内心で呆れ半分、感心半分で溜息を零す。

 

 思い返せばさっきの会議でそこまで口を挟んでこなかったし、常に静観する立場に身を置いていた。

 もしかしたら、オクムラにパレスがあると聞いた時点で彼女の中では答えが出ていたのかもしれない。主張をしなかったのは余計な波風を起こさない為…、もしくは主張した所で話は纏まらないと踏んでいた為か。どちらにしろ、彼女らしい立ち回りだ。

 

 

「おいおい………全会一致はどうしたんだよ?」

 

「それを言うならモナも」

 

「ワガハイはもう抜けた身だからな。関係ねぇ」

 

「ふぅん……まぁいいや。改心まではするつもり無いから問題無い。オタカラまでのルートを確保するのが目的」

 

 

 要するにターゲットのシャドウに何もしなければ、いくら暴れても影響無いのだから怪盗団の方針からはブレていないでしょう。という事か。

 何とも屁理屈染みた言い分ではあるが、実際に決議を取らず蓮と祐介だけでメメントスに入った前例もあるし、その通りではある。場所が大衆の心か、個人の心か。違いはそれくらいだ。

 

 

「なら1人で行けばいいじゃねぇか。ワガハイの様にな」

 

「モナも意地悪言う。モナも私も1人で出来る事なんてたかがしれてる。その分、1人増えれば知恵は倍、戦力も倍、効率も倍。いい事尽くめ」

 

「………ううむ…」

 

 

 蓮達と一緒に居るだけではいつパレスにいつ行けるか分からない。だから手っ取り早く、今日にでも突入しようとしている自分に付いていく。

 言い分は分かった。

 

 しかし────

 

 

「指示はモナに任せるよ。ただ潜入出来れば良いから。………ねっ、──────()()()()♡」

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、これはギブ&テイクな関係、取引だ。

 

 雪雫はモルガナの事をリーダーと称し持ち上げた。要は『攻略の手柄は全てあげるから私を連れて行け』と言外に含ませているのだ。今のモルガナにとってこれ以上無い提案とも言える。

 彼女の性格上、自分の実力をひけらかす様な事もしないだろうし、仮に全てがうまくいったとしたらモルガナへのリターンは非常に大きいだろう。

 

 

「…………腑に落ちない」

 

 

 しかし、どうにも納得出来無い部分もある。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 オクムラフーズ本社ビルの目の前。ナビのボタンを押せばもうすぐにでもパレスに入り込める様な所で、モルガナは疑問を唱えた。

 

 

「パレスを放って置けないのは同感なんだが……。オマエ、アイツらに黙って行動する様なヤツだったか?」

 

「……ああ、そのこと」

 

 

 行動自体は容赦が無いというか。迷いが無いというか。直線的な部分が多い彼女ではあるが、それでも足並み自体は揃えていた印象はあった。

 しかし今回はどうだ? 行動基準は一定だが、何時もよりも踏み込みが早い気がする。

 

 

「パレス。個人の欲望が肥大化したその末路。思うに……人が持っていていいものじゃない。人間の持つ器に対してあまりにも大きすぎる願い、器から溢れたその時、実害となって泥は振りかかる。当の本人か、はたまた別の誰かか。……伸びすぎた枝は剪定するでしょう? それと同じ」

 

「……仮に、悪人が持つものでなくてもか?」

 

「双葉の例がある。どちらにしろ、立ち往生はしていられない」

 

 

 そう言うや否や、雪雫はスマホを取り出しナビを起動した。これ以上の問答は不要、そういう事らしい。

 

 

「そろそろ行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬く無数の星々に囲まれたその空間は、まさしく映画で観るような光景だ。機能性を度外視した奇妙なデザインの機械。宙に浮かぶホログラム。そして目の前に聳え立つ縮尺の感覚がおかしくなるくらいの巨大建造物。

 

 

「宇宙……」

 

 

 人類が夢見る宙の彼方。人類の存在を許さない厳しい環境に、わざわざこうして基地を設けるのはオクムラの欲望故か。それともただの浪漫か。

 どちらにせよ、今までの例に漏れず厄介なパレスであることには違いない。

 

 

「おい、宇宙旅行に来たわけじゃ無いんだぞ。何時までも目を輝かせてんじゃねぇ」

 

「………ん、ごめん。ちょっとテンション上がっちゃった」

 

「こういうの好きそうだもんな…オマエ………」

 

「未知の世界というのは誰でも心躍るもの」

 

 

 これからたった2人で殴り込みだと言うにも関わらず、調子を崩さない彼女の存在が正直ありがたいと思った。

 広大なパレス、それを丸々飲み込んでしまう程の闇。きっと1人で来ていたら心細さに圧し潰されていたかもしれない。

 

 

「ったく。テンション上がるのは良いが、気は緩めんなよ、()()()()

 

「分かってる。それに特段驚く事も無い」

 

 

 コツコツとヒールを打ち鳴らしがら、黒い魔女は建物へ歩みを進めた。

 

 

「オクムラにとって私達はただの部外者。従業員でも無ければ会社に出入りする業者でも無い。警戒されるのも当たり前」

 

「分かっているなら良いけどよ……」

 

「問題無い。何時も通りにやるだけ」

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 キーワードを聞いた時、まともに怪盗活動が出来るか疑問だったが、それも杞憂だった。ちゃんと重力もあるし、温度も適正。まぁオクムラ本人の認知を表しているのだから少なくとも会社内とその周辺は大丈夫と見ても良いだろう。フタバパレスのピラミッドと同じだ。

 だからあくまでもどんな奇天烈な見た目をしていようと会社は会社。そのシステム自体に現実との差はそこまでない……筈なのだ。

 

 

「ねぇ、パレスって時間の…うぅん、昼夜の概念ってあるの?」

 

「なんだ? 藪から棒に」

 

「何時もは昼間にしか潜って無かったら、気になって」

 

 

 ガチャンガチャンと金属音を立てながら忙しなく動き回るロボットたちを見下ろし、ポツリと雪雫が疑問を零した。

 

 

「例えば、パレスの主が普段寝ている時間。その時間にパレスに潜入したらパレス内の時間は夜になる?」

 

「そいつがきちんと昼夜を認識していたら、な。実際、ワガハイがカモシダに囚われていた時……兵士達やカモシダ本人に一定のルーティンはあったからな」

 

「……じゃあ、ロボット達が今も働いているのは」

 

「昼夜問わず働かせていると言う認知の表れ……かもな」

 

 

 ビックバン・バーガーのロゴを背負ったロボット達とそれに罵声を浴びせながら監督する一際頭身の高いロボット。

 部下と上司と言った所だろうか。

 

 

「さっき、倒れたロボットを廃棄とか言ってどっかに運んでたよな。つまりオクムラから見た従業員はその程度ということだ………」

 

「───────」

 

「こりゃあ益々……どうしたウィッチ?」

 

 

 彼女の視線の先……自分達が入って来た入口の方。モナの視点では何も無い真っ直ぐな廊下を、不思議な顔をして眺めていた。

 

 

「……いや、何でもない」

 

「? 変なヤツだな…」

 

 

 怪訝そうな表情を浮かべつつ、視線を戻す。

 限界が来てしまったのだろう。丁度もう一体、倒れたロボットが運ばれている所だった。

 

 

「……行こう。ここで見てても何もしてやれない」

 

「そうだね────あっ」

 

『シンニュウシャ。シンニュウシャ。シンニュウシャ』

 

 

 再び奥へと進もうしたその時、目の前に居たのは真っ赤なランプを点灯させたロボット型のシャドウ。

 

 

『シンニュウシャ。シンニュウシャ。シンニュウシャ。シンニュウシャシンニュウシャシンニュウシャシンニュウシャ』

 

『ハイジョ、ハイジョ、ハイジョ、ハイジョ』

 

 

 一体、また一体と増えていく様は、巣を突かれたスズメバチさながら──。

 

 

「いや、虫は私達? オクムラからしたら害虫だもの」

 

「言ってる場合か! お得意の気配とか感じなかったのかよ!?」

 

「模してるとは言えロボットはロボット。感じる方が難しい」

 

 

 見た目通りに捉えるなら、もう既にパレス全域に私達の姿は知り渡ってしまったかもしれない。ロボット同士、それくらいのネットワークがあっても何ら不思議じゃない。ましてやここは宇宙に浮かぶ要塞。きっと際限無く湧いてくるだろう。

 

 

「目障り」

 

 

 一閃。

 大鎌を振り抜き、目の前のシャドウを両断する。

 

 

「先ずはここを切り抜けよう」

 

「簡単に言ってくれるぜ……!」

 

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

「おらぁっ」

 

 

 モナの放ったパチンコ弾は的確にシャドウの頭部にヒット。他のメンバーの銃ほど威力が高いものでは無いのだが、とどめの一撃には十分だったようで、シャドウは声もあげる事無く消滅した。

 

 

「……今ので…何体目だ…?」

 

「さぁ? 20体過ぎてから数えるのやめちゃった───っと」

 

 

 背中を合わせ、互いの死角をカバーしながら迫るシャドウを順番に対処していく。数で押し込まれるか、もしくは2人のどちらかの体力が尽きればお終いのジリ貧の戦い。

 

 

「このままじゃキリねぇぞ…。何か打開策はあるか?」

 

「んー…まぁ。ただ、それよりも……」

 

 

 チラリと先程も眺めていた入口の方へ視線を送る。

 

 

「……さっきからコソコソしてるの、誰?」

 

「は……?」

 

 

 次々と迫って来る敵を蹴ったり撃ったり魔法を浴びせたり、的確に処理しながら放った言葉は戦闘中にも関わらずモナの思考を停止させた。

 

 

「戦う気は無いんでしょ? 巻き込まれる前に出て来た方が良いと思うけど」

 

 

 敵意は感じない。私に気付かれる位だから、きっと敵意を隠しているとかそんな器用な真似は出来無いだろう。仮に敵だとしても襲う隙はいくらでもあったし、乱戦に紛れて攻撃も出来た。

 それをしないという事は────。

 

 

「……あ、えっと…気付いて、た?」

 

 

 もの影から出てきたのは可憐な少女だった。薄茶のショートボブの髪を携え、秀尽学園の制服を着た。見覚えのある少女。

 

 

「───奥村春?」

 

「オクムラ…? オクムラって、あのオクムラか!?」

 

 

 雪雫にとって先輩にあたる少女。

 しかし一口に先輩と言ってもそれほど親しい訳では無く、この間の修学旅行で互いに引率役として顔を合わせた程度の間柄だ。

 

 

「そういう貴女は……雪雫ちゃん…だよね? 横に居るのは…さっき一緒に居たネコちゃん?」

 

「ネコじゃねぇ!! ……って、さっき?」

 

「表から付いてきてたのね」

 

「ご、ごめん……。こんな遅い時間に会社の前で見かけたものだから、その心配になっちゃって……!」

 

 

 つまり認知上の存在、という訳では無いらしい。

 しかしだからと言ってシャドウ達は奥村春を攻撃する様子は無く───まぁつまりそういう事なのだろう。

 

 

「会社の前……ってことはコイツは…」

 

「オクムラフーズ代表取締役社長、奥村邦和の娘……かな。学校では隠していたみたいだけど」

 

「あ、それは…色眼鏡で見られたくなくて……ってそんな事より! ここは何処なの? 雪雫ちゃんはそんな恰好で何をしてるの? 喋るネコまで連れて…」

 

「だからネコじゃねぇって!」

 

 

 少し厄介な事になった、雪雫は思った。

 まさか自分は怪盗で貴女のお父さんを改心させる為に心の世界に居ます。なんて言える筈も無い。

 

 

「下のロボット達にビックバン・バーガーのロゴが書いてあったけど何か会社と関係あるの?」

 

「……えぇい、隠してても仕方ない! ここは心の世界、下のロボット達はオマエのオヤジさんから見た従業員達だ!」

 

モナっ

 

ここまで来て隠し通す方が無理だろ! それに上手く取り込めばここを脱出出来るかもしれない!

 

 

 まぁ確かにこの場に居る人間で唯一、奥村春だけがシャドウ達に襲われていない。つまりパレスの主のオクムラには身内だとしっかり認識されているということ。

 モナの言う通り、一先ずこの包囲網を消耗せずに突破出来るかもしれない。

 

 

「ワガハイ達は調査に来たんだ! オヤジさんが今色々言われているだろう? だから─────」

 

「つまりこの光景はお父様が本心から考えている世界ってこと? ───()()()()……」

 

「や、やっぱり?」

 

「何か思ってたのと違う展開になってきた」

 

 

 社長令嬢という事を除けば特に何も力を持たない一般人の筈だ。

 しかしというのにも関わらず、奥村春から溢れ出す力の奔流。少し弱いものの、それは確かに覚醒の兆し。

 

 

「ま、まさか……」

 

「ペルソナ…なのかな?」

 

 

 それは春の後ろに巨大な何かを形作り、彼女の姿までも変えていく。

 

 

「─────っ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「不完全とは言え…、まさかペルソナ能力に目覚めるとは……」

 

「お父さんへの不信感は元々持っていたのかも」

 

 

 当初は春を…まぁ言い方は悪いが人質にする形で包囲網を突破しようと考えていたモルガナだったが、彼女当人が力に目覚めた事により晴れて賊扱い。

 結局のところ雪雫に先陣を切ってもらい、半ば無理矢理押し切る形となった。

 

 

「パレス攻略は…流石に明日だな……。オクムラハルをこのまま放って置く訳にもいかない」

 

「そうだね」

 

 

 本当はセーフティールームを見つけるまでは進めたかった所だが、そういう事を言っていられる状況でも無くなってしまった。

 

 

「…私、これからどうすればいいのかな………?」

 

「一先ず今日は解散だ。ハル、説明がてら、ワガハイが家まで送ってやる。どうするかは自分で決めるんだな。先に言っておくが、ワガハイはありのままの()()を伝えるからな」

 

「………うん」

 

 

 春の暗がりでも良く分かる強張った表情が印象的だった。

 それもその筈、いくら不信を感じていたとは言え相手は実の父。そして私達は彼にとってすれば仇なす賊そのもの。一介の女子高生の彼女にとって重すぎる選択だ。

 

 

(まぁどちらにせよ改心はするけど)

 

 

 彼女の選択と自分のやる事は変わらない。

 そんな事をぼんやりと考えながら、雪雫はりせの自宅へ向かって行った。

 



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82:Let's training!

 

 

9月14日 水曜日 晴れ

 

 

 

「はぁ? 居ない?」

 

 

 生徒達の賑やかな声があちらこちらで響く、お昼時。

 学校の中で一番の有名人…と言っても過言でない少女は素っ頓狂な声を上げた。

 

 

「い、居ないというか……来ていない…というか…」

 

 

 そんな少女、新島真と相対する女子生徒は、気まずそうに目を逸らす。

 

 

「何よ……休みなら一言言ってくれてもいいじゃない……」

 

「すみません……」

 

「何で貴女が謝るのよ」

 

「……すみません」

 

 

 とっつきにくい性格なのは自覚しているし、生徒全員から好かれようとは思っていない。いきなり最上級生が…しかも生徒会長が一年生の教室にいきなり現れたら多少は身構えてしまうのも分かる。

 しかしとは言えだ。ここに尋ねるのは初めてでは無いし、私と彼女の関係も知っている訳だから、過剰に怖がる必要は無いと思う。 

 

 

「……はぁ…」

 

 

 思わず溜息を零せば目の前の女子生徒が肩をピクリと震わせた。まるでこっちが意地悪しているみたいだ。周りからの視線も痛い。

 

 

(…お昼一緒に食べようと思っただけなんだけどな………)

 

 

 待てど待てど、生徒会室(いつもの場所)に来ないもんだから、様子を見に来たらコレだ。

 

 

「…あの、何かまだ……?」

 

「──いえ、もう良いわ。居ないなら仕方ないわね……。雪雫と仲良くしてあげてね」

 

「は、はい……?」

 

 

 しょうがない。()()()()()1人で過ごそうか。

 「休む時くらいちゃんと連絡しなさい」と一言メッセージを飛ばす。

 

 

「でもいきなり休むなんて…仕事でも入ったのかしら?」

 

 

 

 

 

 

「ねぇ…」

 

「ハンゴン軟膏5個。マジック軟膏とフィジカル軟膏を3つずつ。タケミナイエールZを───」

 

「待ちなさい。この不良少女」

 

「うん、効果覿面だけど、ネーミングセンスはどうかと思う」

 

「話聞きなさいってば。あと名前は分かりやすい方が患者への説明が楽なの」

 

 

 頭が痛いとでも言う様に手を当てて、女医:武見妙は本来この時間に訪れる筈の無い少女に言った。

 

 

「なに?」

 

「なに? じゃないわよ。雪雫、学校は?」

 

「起きたらもうお昼近くだった」

 

「ホント貴女、朝弱いわね」

 

 

 この子の寝起きの悪さには本当に苦戦した。病院という環境の関係上、朝ご飯の時間はずらせないというにも関わらず、起きていた試し何て殆ど無いし、起こそうとしても死んでるんじゃないかと言う位無反応。根をあげて実家に電話したことすらあった。

 

 

「昨日の夜、遅くまで()()していた───」

 

「…学業に支障が出るほどのめり込むのは感心しないけど」

 

「──から帰るの面倒くさくなってそのままりせの家に泊まった。寝心地良くて」

 

「オーケー。そこまで、もう分かったわ」

 

 

 生憎、お昼ご飯を済ませたばかりでお腹は満たされている。甘ったるい話を納められるほどキャパは広くない。

 

 

「あのね、仕事をするなとは言わないけどね。せめて健全な時間帯に活動しなさい」

 

「…じゃあ妙の家にも泊まっていい?」

 

「なんでそうなるのよ」

 

 

 何度目か分からない溜息を零す。相変わらず人を困らせるのが好きな子だ。

 

 

「仕事場は状況によって様々。家からだと遠い場合もある。だから拠点がいくつかあった方が」

 

「嫌よ。人の家を勝手にセーフハウス代わりにしないで」

 

「えー。別に取って食うようなことしないよ」

 

「貴女に? 私が? はっ、別にそんな心配はしてないわよ。それに───」

 

 

 おでこに爪を添え、指を弾く。

 

 

「いて」

 

「喰われるのは貴女の方よ、仔猫ちゃん」

 

 

 

 

 

 

「武器は?」

 

「斧とグレネードランチャー」

 

「薬は?」

 

「妙の所で買ってきた」

 

 

 「よし」とモルガナが満足気に首を縦に振った。

 

 

「ハル! 後は昨日話した通りだ。細かい所はやりながら教えてやる」

 

「うん、よろしくね。2人とも!」

 

 

 覚醒したばかりのぴちぴちのペルソナ使い、奥村春。昨日は成り行きで行動を共にしたが、今日は違う。モルガナから説明はあった筈だ。ペルソナのこと、シャドウのこと、パレスのこと、怪盗団のこと。そして自身のお父さんの事。ここに居るということは覚悟が決まったという事だろう。

 

 

「まずは基本の動きから。私達はオタカラを奪う怪盗、向こうからしたら侵入者。基本は隠密行動」

 

「セツナが言うか……?」

 

「騒ぎになる前に処理すればバレてないのと一緒だよ、モナ。……兎に角、音を立てずに行動、戦闘は手早く。パレスとメメントスではまた少し勝手が違うけど、まぁウォーミングアップには丁度良い」

 

「今日で基礎を学んで明日が本番、だったよね? がんばる」

 

 

 むん、と意気込む彼女の初陣はメメントスの第2エリア。敵としては最早格下ではあるが、まぁ今日の主旨的には十分だろう。

 

 

「良いか? ペルソナ能力は強力だが万能では無い。それぞれ長所もあれば短所もあるんだ。何が言いたいか分かるか、ハル?」

 

「……えっと、弱点を突かれない様に連携する…?」

 

「そうだ! 筋が良いぞ!」

 

 

 モナが褒めれば春は嬉しそうに花を咲かせ、それを見たモナがまた笑みを深くする。遠巻きで見ていて微笑ましい師弟関係だ。2人の相性はバッチリの様だ。

 しかし

 

 

(うーん、連携か)

 

 

 彼は簡単に連携と口にしたがその実、難易度が高い様に感じる。つい先日まで一般人だった春に、数か月にわたって怪盗をしているこっちの動きについてこいと言っているのだから。いくらペルソナで身体能力が強化されているとは言え、本人の感覚的な部分でついて行けないだろう。考える事が多ければ多いほど迷いも生まれる。初心者の春にとって、連携という選択肢がもしかしたら命取りになるかもしれない。最も人数が居ればその分フォローに回れるのでその限りでは無いが、3人という少人数、常にフォローに回れる保証は無い。

 

 

(連携よりもまずは1人での戦闘に慣れさせる方向にもっていこうか)

 

 

 きっとモナはハルを先導したい筈だ。そんな彼の親心を無下にするすもりは毛頭ない。

 ならひっそりと裏でフォローに徹して上手い事立ち回ろう。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 複数体で群れになっているシャドウが狙い目だ。複数に渡ってターゲットが居るならば、モナの視線が私から外れやすい。

 極力、ハルと相対させるのは一体ずつ。

 

 

「はぁぁぁぁ!」

 

「良いぞ、ハル!」

 

 

 春が一体両断したなら、足止めしていたシャドウを彼女の元へ促す。戦っている間は、また別のシャドウの足止め。

 

 

「ん、よいしょ」

 

『■■■■!』

 

 

 何時もの武器じゃすぐ終わっちゃうから、撃ったり蹴ったりして少し弱らせて。それで彼女の手が空いたらまた送りだす。ちょっかい出しとけば怖がってターゲット変えるし、思ったよりも理に叶っていて楽だ。

 

 

「きっと痛いよね! ごめんなさい…ねっ!!」

 

 

 と言いつつ笑顔で斧を振り回す彼女に思う所もあるが、まぁ概ね順調そうで何よりだ。

 

 

(ゲームのレベリングを手伝っている感覚……)

 

 

 そう言えば私と一緒にやりたいからと言ってりせがゲームを始めた時、こんな感じのことしたな。

 まだやっているのだろうか?

 

 

「…ん、おイタはNG」

 

 

 パン。と乾いた音にコンマ数秒遅れて、春に後ろから襲い掛かろうとしたシャドウが塵になっていく。

 

 

「……銃も使い分けれると楽。でも春の場合、範囲広いから近くで使わないようにね」

 

「あ、ありがとう…雪雫ちゃん……」

 

 

 「ん」と短く返事を返して回りを眺める。どうやらもうこのフロアにはシャドウが居ないらしい。

 

 

「……あまり同じフロアでウロウロしててもな…次に向かうぞ」

 

「う、うん!」

 

 

 まだ第2エリアの中間に差し迫ったところ。取り敢えずの目標である最深部まではもう半分ある。

 

 

(徐々に同時に処理をするシャドウの数を増やしても良さそうかな)

 

 

 どうやらこのフロアまでで距離感や戦闘のスピード感などは分かってきたみたいだ。…勿論、ペルソナ能力も交わればまたそれも変わってくるが。現状、不完全である以上、そこを無理に意識させる必要も無いだろう。

 ならより踏み込んだ経験をさせて……。

 

 

(モナがフォローに入ってくれるなら3体同時……、いや私がデバフすればもう1体追加も…)

 

 

 その後、段々と熱が入っていった雪雫に知らぬ間にこってり絞られた春であった。

 

 

 

 

 

 まったりとしたこの時間が好きだ。

 溜まっている仕事が片付き、特に予定も無い夜。

 

 のんびり好きな映画を付けながら、好きな子と過ごす。加えるならば今、私は彼女に膝を貸してもらっている最中……所謂膝枕だ。

 

 

「ん」

 

「どうしたの?」

 

 

 頭上から呟きが零れたと思えば、彼女はスマホを眺めて眉を寄せていた。

 

 

「──なんでも。友達がちょっと探し物しているみたい。……今の私には手伝うことは無いかな」

 

「ふーん……。探し物って?」

 

「ネコ……っていうと本人に怒られるかな」

 

「うん?」

 

「まぁ問題無い。きっと時間が解決する」

 

 

 全く内容が見えてこないが、まぁ雪雫がここまで遠回しに言うという事は私に話せない事……つまりは怪盗団絡みだろう。

 これは経験則からの意見だが、こういう仲間内での問題は大人が外から口出すよりも本人達に任せた方が心の成長に繋がるというもの。

 なので私は遠くから見守り、いざとなったら───。

 

 

「そういえばさ」

 

「んー?」

 

「まだやってるの? テラリウム」

 

「うぇっ!?」

 

 

 テラリウム。

 超有名なオープンワールドRPGゲーム。決まったルートは無く、様々な要素が散りばめられた世界を自由に冒険するコンセプトの元、この世で存在するRPGゲームで最も自由なゲームとも言われている。消費しきれない程の膨大なダンジョンもさることながら、ゲーム内のNPCとのロマンス要素も完備しており、最早もう一つの現実とも言える程。MODと言われる有志の拡張コンテンツの開発も盛んであり、環境さえあれば無限に遊べてしまう。しかも当然の様にマルチプレイ対応。時間泥棒である。

 因みにゲームの名前の由来は容量を表す単位の「テラ」と場所を表す「リウム」を合体させた造語らしい。

 

 元々、ゲームはそこまでやらなかったが、雪雫が日々楽しそうにプレイしているのを羨ましく……えぇと、一緒の話題で盛り上がりたくて始めたのだ。

 

 

「た、たまにやってるかなぁ……雪雫は?」

 

「私は最近はそんなに……他のゲームで忙しくて」

 

 

 あまりゲームをやらなかったか、それとも単純に雪雫とプレイ出来たのが嬉しかったのか、ハマりにハマった。ほぼ毎日雪雫を誘っていたし、一緒にプレイ出来ない日でも1人で黙々とやっていた。

 でもまぁ、そんだけ毎日やっていれば多少は飽きも回って来るもので、加えて私は仕事、雪雫は引っ越しなど忙しくなっていって段々とプレイ頻度は減っていった。

 

 

「色々沢山出てるもんねぇ、新しいゲーム」

 

 

 私自身そこまでアンテナを張っている訳では無いが、やはり雪雫がゲーマーであるが故、自然と耳に入って来るというもの。

 ついこの間も今月出たばかりのゲームをクリアしたと言っていた。どこにそんな時間があるんだろう。

 

 

「テラリウムは配信でやってるの?」

 

「い、いや……1人でひっそりと…………」

 

 

 運良く話が逸れたと思ったら、また戻ってきてしまったテラリウムの話。

 

 

「いまどんな感じなの?」

 

「いやー…大した事はしてないよぉ…ただゲーム内散歩してるだけというか…ははは……」

 

 

 言えない。いや、見せれない。

 NPCの容姿変更MODで雪雫にとーーっても良く似た女の子を嫁にしているのに加えて、ちょこっといかがわしいコンテンツ追加MODでたまにイチャイチャしているなんて。

 高校生の健全な教育の為にも、そして大人のメンツ的にも。

 

 

「今度久しぶりに一緒にやろうよ」

 

「あはは…その時は雪雫のワールドでやろうね。私のだと…そのみすぼらしいから、さ」

 

「えー」

 

 

 因みにりせのテラリウムの件は、ファンの中では割と有名な話である。

 

 

 

 

 



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83:eldest daughter.

 

 

9月15日 木曜日 晴れ

 

 

 2人の女子生徒が向かい合っていた。

 白髪の少女はその小さい口にパンを頬張り、茶髪の少女は綺麗な箸捌きで白米を口に運んでいる。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 2人は特段、仲が悪いという訳では無い。いや、寧ろ良いと言えるのだが、お互いの間に飛び交う言葉は少ない。

 一方が比較的無口な部類というのもあるが、単純に食事中のマナーの問題だ。

 

 

「ねぇ」

 

 

 茶髪の少女がタイミングを見て対面に座る少女に声を掛ける。

 

 

「?」

 

 

 白髪の少女の方も一度食べるのを止め、持ってきた飲料水で胃に流し込んだ後「なに」と一言呟いた。

 

 

「モルガナの居場所、知ってるでしょ」

 

 

 茶髪の少女…真は真っ直ぐに赤い両目を見つめながら問うた。

 いや、文面だけ見れば質問と言えるが、その声音と顔には確かな確信がある。

 

 

「……………」

 

 

 たっぷり数秒。

 沈黙を貫いた後、その視線から逃れるように瞳をゆっくり斜め上の方向へ動かす。

 

 

「知らな───」

 

「……はぁ」

 

 

 嘘を吐くならせめて目を見なさいよ。言外にそう言いながら、真は箸を置いた。

 その考えに至ったプロセスを説明する必要がある。状況証拠を並べて逃げ口を無くし、情報を吐かせる。

 尋問の常套手段だ。

 

 

「あのね───」

 

 

 双葉は言っていた。

 

「雪雫のセキュリティプログラムを組み直した」

 

 と、自慢気に言っていた。

 

 

 それはどうやら完全にゼロから創造した独自のシステムで、彼女のパソコンやスマホに搭載されている。

 そのセキュリティ硬度は並大抵の物では無いらしく、一般的に手に入るセキュリティソフトを遥かに超えるものだとか。流石はメジエドというところか。

 

 まぁつまり何を言いたいのかと言うと、()()()()には崩せぬ鋼の要塞で彼女のプライベートは守られているということ。

 そう、双葉以外には。

 

 システムの管理者、加えて双葉自身が出不精というのもあり、遠隔でシステムの修繕、改善などが出来る………言い換えれば、双葉がその気になれば簡単に雪雫のパソコンやスマホにアクセス出来るのだ。

 

 そしてつい昨晩の事、雪雫はその気にさせてしまった。

 だって雪雫は昨日、ずっと音信不通だったのだから。

 

 

「イセカイナビがアプリであった事が災いしたわね。アプリの履歴、確認するの訳無いらしいわ」

 

「ちょっと。私のプライバシー」

 

 

 抗議の声が上がるが一端無視。

 だって仕方ないじゃない。私からの連絡に出ないし。3コール以内に出ろって言ったのに。

 何かあったんじゃないかって心配にもなるわよ。

 

 

「イセカイナビが起動したのは2回。モルガナが飛び出したあの後と、昨日の夕方。前者はオクムラパレス、後者はメメントス。まさか1人で行ったって訳じゃないわよね?」

 

 

 ああ、そうだ。

 もう一つある。今度はデータでは無く、目撃証言。

 

 

「それに昨日のお昼。武見さんの所でも買い物したらしいじゃない? 2~3人分くらいの薬とか」

 

 

 仮にモルガナが戻らなかった場合、彼を探してパレスに潜入する可能性もある。

 そう考えた私は放課後を利用して消耗品の買い出しに行ったのだが。

 

「あら? 昼にあの子買いに来てたけど……もう使い切ったの?」

 

 なんて武見さんが珍しくキョトンとしていたもんだから。

 

 

「誰とも連絡取らず、学校も休んで。……何してたのかな? 雪雫ちゃん?」

 

「むむむ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「取り敢えず放課後にパレスに来て」

 

 

 と、雪雫は観念した様に私にそう言った。

 

 

「ただデリケートな時期だから接し方気を付けて」

 

 

 とも。

 何それ、思春期?

 

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 宇宙基地。

 

 「人類の夢であり浪漫である」と某白髪の少女は言っていった。

 そしてそれは大きければ大きいほど良いとも。

 

 このパレスに足を踏み入れた時、目を輝かせる彼女の顔が脳裏に過ぎった。

 

 間違いなく今までのどのパレスよりも広大、そしてあまりにも非現実的。それこそ、映画のワンシーンを切り取ったかの様な風景に、皆一様に言葉を失っていた。

 

 

「こんな所に乗り込んでいったのか」

 

 

 喧嘩別れをしてしまった仲間に想いを馳せ、無事であって欲しいと祈りながら、奥へ進んで行った。

 未知の世界、欠けてしまった戦力、仲間の安否……様々な不安要素が折り重なり、私達の間には確かな緊張感が張り詰めていた。

 

 筈だった。

 

 

「美少女怪盗と申します!」

 

 

 ビシっと天を突き、高らかに宣言する少女に出会うまでは。

 

 

「……………」

 

 

 黒い羽根付き帽子を被り、近世の銃士を思わせる風貌の「自称美少女怪盗」の傍らには満足気に頷く探し人(猫?)。それからやや少し離れた所で呆れた視線を送る白髪の少女も居た。

 

 

「オタカラはワガハイ達が頂くぜ」

 

 

 その少女は一体だれか?

 何で雪雫はそっち側に居るのか?

 

 様々な疑問が浮かび、今一状況が呑み込めていないこちらを余所に、件の美少女怪盗は再び口を開く。

 やけに仰々しい、芝居がかった動作と共に彼女は指を指し向ける。

 

 

「貴方達は怪盗失格です! いいですか? 立派な怪盗とは─────」

 

「…………………」

 

「────そこの貴方! 何て考えているんです!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後の流れはまぁ酷いもので、終始謎の美少女怪盗とモルガナの独壇場だった。

 予測不可能な言葉の応酬、罵倒に見せかけたただの文句。

 

 あの雪雫ですらも半歩後ろで呆れた視線を送るばかり。

 

 曲げたヘソを正す様になんとか隙を見つけては説得を試みたものの、正に取り付く島もない状態。結局、話が平行になったまま、モルガナは美少女怪盗と雪雫を連れてパレスの奥へと消えてしまった。

 

 勿論、追いかけようとした。

 しかしそうしようにも()()()()()()()で……。結果、美少女怪盗という新たなペルソナ使いの登場以外には大した進展も無く、撤退となった。

 

 そしてその後。

 時間にして3時間ほど経った頃。

 

 

「それで? 話を聞きましょうか?」

 

 

 私こと、新島真は再び白髪の少女と対峙をしていた。夜だと言うのに静まる様子が無い大都会。渋谷セントラル街に佇む某ファミレスで。

 

 

「奢りって聞いたから来たのに。尋問とは聞いていない」

 

「尋問なんて人聞きの悪い……。ただ話を聞きたいだけよ」

 

 

 はぁ…と諦めた様に溜息を吐く雪雫の前にはビックリするほどの大きさのハンバーグ。このお店の一押しメニューだ。手触りの良い木製の皿がまたいい味を出している。

 

 

「パフェも追加で。大きいやつ。あと、いちごミルク」

 

「……はいはい」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「そもそも、モナの件について私はどうこうするつもりはない」

 

 

 腹の欲をひとしきり満たした雪雫は、2杯目のイチゴミルクを飲みながらそう言った。

 

 

「私が思うに、今回の件はモナ自身の問題。彼自身が乗り越えない限り収まる事は無いでしょう」

 

「問題?」

 

「焦燥、嫉妬、嫌悪。思い浮かぶ言葉で並べるならそんな所。何に対してか、なんて聞かないで。そんなもの本人にしか分からないし、そのモナから相談を受けた訳では無い」

 

 

 言われてみれば確かに修学旅行から帰って来た後のモルガナの様子は少しおかしかったかもしれない。

 何と言うか、やけに張り切っていたというか。前から仕切りたがりの部分はあったが、さらに増していた様に感じる。自らの手柄を強く主張し、竜司や双葉などと張り合い、まるで「自分は有能だ」とアピールするかの様な。

 

 

「解決は出来ないけど、糸口にはなれるかもしれない。だから一緒に居る」

 

「モナの気持ちの整理がつく様に、ね……。だからパレスに私達を」

 

「ん、まずは話し合いの場を…って思ってた。ただちょっと状況が変わってきた。モナもモナで男の子。心のままに暴れさせた方が良いかもしれない。()()()()もあるし」 

 

「後輩、ね……」

 

 

 頭にリフレインする黒い羽根付き帽子を被った少女の声。

 新たに現れた謎のペルソナ使い。

 

 

「まぁ…モナの件は分かったわ。でも、まだ分からない事があるんだけど」

 

「…………」

 

「聞きたい事わかるよね? あの子は誰? そう…美少女怪盗、だっけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう漠然と、女将修行をする姉を見てそう思った事がある。

 

 

 幼い頃。

 病床に伏せる私の元へ、姉は良く足を運んでくれていた。満足に外へ出れない私に、動けない私に色々な話をしてくれた。

 学校での出来事、幼馴染と遊んだ話、些細な日常の出来事に至るまで。

 そして勿論、家業の事も。

 

 いや、割合で言えば、家業……つまりは旅館に関する話の方が多かったかもしれない。

 それだけ姉にとって旅館の手伝いは日常で、生活の一部であるという事。私の頬を滑るあかぎれた姉の指が、その事実をより色濃くしていたのを憶えている。

 

 特段、私はそれに対して思う事は無かった。諦めていたと言ってもいい。

 健康体で生まれた時から次期女将として期待を寄せられていた姉と、病で弱り命すら危うい妹。

 自分自身の状況は良く分かっていたし、適材適所とすら感じていた。きっと私が親の立場なら、同じ様にしていただろうと。

 

 

 その姉に対する認識が変わったのは病気が治った後のこと。

 

 丁度、姉が高校に進学する頃か。

 以前とは違う健康な身体を手に入れ、床に縛り付けられなくなった私は今までの時間を取り戻す様に自由を謳歌していた。そんな私に対して誰もが当然の権利だと口を揃えて言い、温かい視線すら送られていた。

 

 しかし、それとは対照的に。

 姉の自由時間はみるみると消えていった。華の高校生だと言うのにも部活は入らず、友達も幼馴染の千枝くらい。放課後と休日は決まって家の手伝い。

 彼女の顔にはあからさまに不満や不平の色が浮かんでいたが、それも「長女なんだから」となだめられていた。

 

 私はそれを見て思った。思ってしまったのだ。

 

 

「嗚呼、長女じゃなくて良かった」

 

 

 と。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

9月16日 金曜日 晴れ

 

 

 

「ありがとうね、話を受けてくれて」

 

 

 キーボードを叩く音と電話のコール音が忙しなく響くオフィス内。

 やや殺伐として雰囲気が漂うこの場に、不釣り合いな少女が2人、肩を並べて歩いている。

 

 

「ん、問題無い」

 

「正直困っていたんだ。次々断られちゃってね……」

 

「広告塔と企業は一心同体。双方の信用があって成り立つ関係。片翼が捥がれれば沈むのも道理。……この前の週刊誌の件は痛かったね。お陰でりせの事務所もNG出したとか。まぁ所属タレントは運営が仕事選ぶから。なりふり構わないなら次からはフリーのタレントを選ぶべき。……もしくは有名配信者? 危ない橋だけど」

 

「あはは……覚えておくよ」

 

 

 苦笑いを浮かべたパーマの少女、名を()()春。

 

 

「でもそう言うなら雪雫ちゃんはどうして仕事を受けてくれるの?」

 

「……少し前から()()()()フーズを探る話は出てた。大企業に探りを入れるなら内部から」

 

「おお、潜入調査……怪盗っぽい…」

 

 

 春は小気味良くぱちぱちと手を叩き、目を輝かせる。

 

 

「それに曲の提供くらいだったら問題無い。……それにしてもりせの話と少し違う。CMと広告写真の撮影は無し?」

 

「ま、まぁ……色々あったみたいで……。新しいCMにはアニメーション使うみたい」

 

「ん、ならアニメに合う曲を()()()

 

「へ?」

 

「丁度、未発表の曲が10曲くらいある」

 

 

 長い廊下を進み、エレベーターで10階ほど昇って辿り着いたのはだだっ広いだけの真新しい部屋。

 

 

「ここは?」

 

「うーん、まぁ私の仕事部屋、かな」

 

 

 「道理で」と雪雫は納得を返した。

 応接室にしては華が無く、かといって重役の部屋としては使われて無さ過ぎる。

 まるで買い与えられたばかりの子どもの勉強部屋だ。

 

 

「もう仕事を?」

 

 

 部屋の端っこに佇む本棚を眺めながら雪雫は問うた。

 目に映るのは経営学やら組織論などの小難しい本と、この会社の決算報告書や歴史などが纏められたファイルばかりだ。

 

 

「簡単なものなら……。()()、約に立つだろうからって。……ああ、安心して! 雪雫ちゃんの件は私担当だから…!」

 

「将来、ね。…………会社を継ぐの?」

 

「まぁ、そうなる…かな。私が()()だし………」

 

「……………」

 

 

 春は目を逸らしながら弱々しく言った。

 

 

「奥村に生まれた時点で私の将来は決まっているから。奥村の娘はそう言うものだ……なんてお父様は良く言うわ」

 

「春はどうしたいの?」

 

「私?」

 

 

 雪雫の返しが予想外だったのか、僅かに目を丸くする。

 

 

「私は……お父様の為になる事を……したい…かな。だって唯一の家族だもの」

 

 

 絞り出されたその言葉とその眼には明らかに迷いがあった。

 

 

「……なんて! 少ししんみりしちゃったね! そろそろお仕事しなきゃ、怒られちゃうよね!」

 

「────ん」

 

 

 そんな少女を前に雪雫は─────。



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84.Late bloomer.

 

 

 

 人間、慣れない事をすれば身体に負荷が掛かるというもの。それは肉体的な疲労であったり、精神的なストレスであったり。感じ方は人それぞれだろう。

 

 ちなみに、今回の私の場合は前者であった。

 雪雫ちゃんとの打ち合わせが終わり、学校に戻った後、気の向くままに始めた土いじり。新しく花でも植えようと腐葉土を運ぼうとしたがこれが中々運べない。台車に乗せているにも関わらず、まるで鉛をそのまま押しているかの如く動かない。

 

 

(雪雫ちゃんに身体の使い方教わったんだけどな……)

 

 

 元々体力には自信がある方だ。昔から薪割りが好きで今も時々斧を振り回しているし、庭の雑草取りとかも丸一日出来ちゃうし。それに加えてコーチが2人も就いたのだから、もう一種の全能感すら覚えていたくらいだ。

 いや、そもそもそれらを差し引いても普段からこれくらい運べていたのだが。

 やはり、いきなり始まった怪盗生活と今日のお仕事が原因か。

 

 

(私も素直に帰れば良かったかなぁ)

 

 

 因みに雪雫ちゃんは「授業間に合わないから帰る」と早々に諦めて自宅へと帰っていった。

 退き際をきちんと把握している。流石プロ。

 

 まぁでもすぐに帰ったところでやる事無いし、こうやって土いじりしてた方が気が紛れるし。

 何より自分でやると決めて来ているのだから最後までやり遂げよう。

 

 

「……ふっ! ふぬぬぬぬ……! お、おもい…………!」

 

 

 しかし、押しても引いても動きません。

 やる気と身体がつり合っていない。

 

 そんな時だった。

 彼の声がしたのは。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

 同じ高校生の割には落ち着いた声。

 ボサボサの髪に大きめのメガネ。

 しかしその瞳には確かな強い意志の様なものが感じられる。

 

 そんな男子生徒。

 

 

「あ………」

 

 

 知っている。

 私はこの人の事を知っている。

 

 秀尽の悪い意味での有名人。今年の春先に転入してきた私にとって一個下の後輩にあたる男の子。

 そして────。

 

 

「あの…土いじり、興味あります?」

 

 

 別の分野では私の先輩とも言える人物だ。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 彼が…蓮くんが声を掛けてくれてからしばらくが経った。

 

 最初から信じては無かったけど、やっぱり噂はあてにならない。

 校内では盛りに盛られた彼の良くない噂で持ち切りだが、少なくとも噂通りなら初対面の別学年の生徒を手伝う様な事はしないだろう。

 

 腐葉土の運搬から入れ替え、さらに植栽まで手伝ってくれているのだから、もう至れり尽くせりって感じだ。

 

 

「何を植えているんだ?」

 

「お花だよ。冬に咲く、真っ白で小さな花。凄く綺麗なの」

 

「………マーガレットか?」

 

「うーん、不正解。……でもビックリした。お花、詳しいのね?」

 

 

 一緒にやって分かったが、彼はとても手先が器用だし、お花に対しての知識も人並み以上にはある様だった。

 社長令嬢という肩書が、生まれ故に疎外感を感じる事も多々あったが、彼の様な人が友達に居たら……とすら思ってしまう。

 

 

「───あっ、いけない。私ったら………。ごめんね、没頭しちゃって。自己紹介、まだだったよね……。私は─────」

 

「奥村春さんよね。オクムラフーズ代表取締役社長、奥村邦和の一人娘……」

 

 

 その時、聞き覚えある女子生徒の声が私の言葉に被さるように紡がれた。

 

 

「どうして、その父親のパレスに居たのか、説明してもらえるかしら?」

 

 

 彼女も学園きっての有名人だ。

 関わった事が無くとも、一方的に彼女の事を知っている生徒は多いだろう。私としても、同学年ではあるがこうして面と向かって言葉を交わすのは初めてだ。

 

 新島真。

 学園随一の秀才。2年連続で生徒会長を務める質実剛健を体現した様な少女。

 ………まぁ雪雫ちゃんから色々聞いてしまっているので最早その印象も変わってきてはいるが。

 

 

「雪雫ちゃんから聞いたのかな?」

 

「……はぁ、それが出来たら楽だったんだけどね。あの子、貴女に関しては何も喋らなかったわよ。モルガナの件とはまた別、って意味かしらね」

 

 

 これには面を喰らった。

 モナちゃんは「アイツ多分食べ物で口を割るぞ」なんて苦々しく言っていたから、てっきりこの前のレストランで喋ったかと思ったのに。

 

 

()()()3()()()()()()()()()()というだけあって中々骨が折れたわよ」

 

「でも凄い………。1日で分かっちゃうんだから」

 

 

 彼女が喋らなかったとすれば、怪盗団が持っている情報と言えば声と怪盗服込みの容姿のみ。

 それだけで特定してしまうのだから、やはり流石と言えるだろう。

 

 

「あ、えっと。それで、どうしてお父様のパレスに居たか、だよね?」

 

 

 まぁバレてしまったら話すしかない。

 元々、味方では無いが敵でも無い。喋った所で特段変わりもしない。

 

 

「お父様は経営者として評価されているけど、私……色々疑問があって…」

 

 

 一代で細々とやっていた会社を海外進出させるほどの大企業まで成長させた剛腕は身内贔屓を無しにしても凄いと言わざるを得ない。しかし、その裏で怪しい噂が飛び交っているのも事実。最初は気にしていなかった。根も葉もない噂だろうと。メディアやSNSが面白がってまくし立てているだけだろうって。

 だけどそれが最近になって無視出来無いものへと変化していった。

 

 それは会社を取り巻く環境であったり、社員の働き方であったり、社長である父自身の言動であったり。

 挙げればキリが無いのだが、それらが春の疑問を日に日に大きくしていった。

 

 実際、ネットは今日も荒れに荒れていた。

 食材の産地偽装に対する告発、社員の不当解雇、ライバル会社の重役の不審死。ドラマくらいでしか見たこと無い様な文字の羅列に思わず面を喰らってしまったほどだ。

 

 勿論、全てを鵜呑みにする訳では無いが、パレスの光景を見てしまった以上、否定しきれない自分が確かに居る。

 

 

「……だから、自己満足かもしれないけど、これは私なりの償い」

 

 

 一学生に過ぎない私は力を持たない。

 中から変える事も出来ず、外で声を上げても掻き消されるのみ。

 

 でも、だからといって。何もしないのでは目覚めが悪い。

 出来る事で良いから、何かをやっていたいのだ、私は。

 

 

「モルガナ達とは何処で?」

 

「それは本当に偶然だよ? 夜遅くに会社の前で猫と喋っている女の子が居たの。どうしたんだろう……って気になって付いて行ってみたら…」

 

「イセカイに迷い込んだ…か」

 

「お父様の会社を私が変える事は出来ない…。でも怪盗になれば、お父様を変える事が出来ると思って」

 

 

 少なくとも、昔はこうでは無かったのだ。

 春が本当にまだ小さかった頃。奥村邦和は従業員想いの良い経営者だったと言う。

 だから変わってしまったのはここ数年の話。何か心が変わるきっかけがあったなら、それを奪ってしまえばいい。

 

 

「………私達、協力出来ないかな?」

 

 

 真ちゃんが少し考え込む様な素振りを見せた後、真っ直ぐに私の目を見てそう言った。

 

 協力…なるほど確かに。

 怪盗団は悪人の欲望を奪い改心させる義賊。例外はあれど、大抵パレスを持つほどの巨大な欲望は基本的に悪人が持っており、彼らに言わせてみれば改心の対象。

 利害は一致しているという訳だ。

 

 

「……何をしたいか分からない人たちと協力なんて出来無いよ」

 

 

 だけど返事はNoだ。

 

 メジエドの一件以来、怪盗団の人気は凄まじい。

 叩いていたメディアも手の平を返して賛同し始め、世の中には怪盗団グッズなんてものが溢れ出る始末。勿論、それは周りが勝手に盛り上がっている事で彼らが自主的に行った事では無い。

 だけどそれでも、モナちゃんの話を聞く限り、何処かメンバー内でも浮足立っている雰囲気は感じる。お父様の件もそうだ。今までは自らの物差しで改心対象を決めていた怪盗団が、今回の場合はランキングや世論など周りの流れに合わせて決めている節がある。結果的に利害が一致したが、自らの目で見た私やモナちゃん達と比べればそこの差は大きいだろう。

 

 要するに何処か行き急いでいる様な感じがするのだ。

 ──そうそれこそ、自らの仲間の変化にすら気付かない位には。

 

 

「だから私は、モナちゃんと雪雫ちゃん…3人で行きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 己の力の無さに打ちひしがれたのは何時の頃だったか。

 

 病床に伏せてた時か?

 殺人事件を目の当たりにした時か?

 いや、違う。

 

 あれはそう。

 それらすべてが終わった後。

 りせの後を追う様に音楽の道に進み始めたそんな頃だった。

 

 毎日が新鮮だった。

 明星*1に手を掛ける為、その光を一身に集める為。

 思い付く限りの事を手当たり次第に取り組んでいった。ギター、ベース、ドラム、ピアノなど様々な楽器の練習。有名曲のカバー。作詞に作曲。何が得意か分からなかったから、何が出来るか分からなかったから。何でもやった。真っ白だったキャンパスを別の色に染めていく様なそんな感覚が堪らなく気持ち良くて楽しかった。

 

 また、環境がそれをさらに後押ししてくれた。

 将来すら危うかった少女が、突き動かされる様に始めたソレを止めるモノなどいやしなかった。道は違えどまさに「自身のやるべき事」を見つけた私に母も姉も笑顔で見守ってくれていた。

 

 

 「でも」と誰かが声を上げた。

 

 

 その自由は貴女が妹である事に安堵したあの日、姉が真に欲しかったものではないか。

 

 

 と。

 

 

 

*1
金星のこと



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