有翼のリヴァイアサン (ヤンヌルカナ)
しおりを挟む

御伽噺

初めてオリジナルを書きます。ゆっくり投稿です。お手柔らかに。


御伽噺

 

 

途方もなく巨大な大地があった。

 

未だかつてその大地の果てに辿り着いたものは国産みの神話や寝物語の中で勇躍する探訪者に数名を数えるのみだ。

 

人間がいつからそこに暮らしを営んできたのかを知るものはなく、爾後数千年は解明されまいとも思える。

 

雄大な大地はしかし決して限りないものではなく、また一思いに描き切れるほど小さくも無いものだ。

 

数多の探訪者が海を越え、山を越え、内海を越え…切り拓き、発見して人々は営みを絶やさずにきた。しかし、他の大陸は未だ発見されておらず今後も発見の見通しは立っていない。雄大で、孤独な大陸であった。

 

有史以来のみを数えて2000年を迎えた孤独な大陸、人呼んでオセアノス大陸。大小数十の国家といくつかの覇権勢力が身を横たえるそこに、初めて異物が紛れ込んだのもまた有史2000年を迎えた大陸に訪れた穏やかな春のことであった。

 

突如として大陸中央に出現したその国は、前人未踏の魔の領域と呼ばれる古の大森林を完全に掌握した魔なる者共により建国が宣言され、瞬く間に前代未聞の強国へと登り詰めた。バルカン帝国と呼ばれるその国家は異質に尽きた。

 

いや、そもそもの事柄にも先んじて、その大陸において国家という格を誇る全ての他と比較した時に決定的に異質であった。この大陸にあって全ての国家には国産みの神話がある。それは例え人の手によって齎されたとしても同じであり、必ず一柱の神による祝福と民との契約により建国と相なるのが慣例にして暗黙の儀礼であった。

 

しかし、ことバルカン帝国にはそれが無い。

 

建国宣言が執り行われた古の森の奥深く、古代文明の遺跡が転がるそこに深く杭打たれた黒錆の鋼鉄柱には短く"バルカン帝国ここに建つ ツェーザル家の末娘ユリアナ"と刻まれるのみだ。

 

大々的な式典も華やかな叙勲式もなく、ただ国産みの母であり建国以来100余年に渡り辣腕を振るい続けることとなる女宰相ユリアナ、そして彼女と共に神なき国を打ち立てた金城鉄壁の軍団が軍靴の音も淑やかに出来たばかり国城への道を行進して見せたのみである。

 

神なき国と自ら称して憚らないその姿勢は、一国一神一民族を信奉する宗教国家や、同一民族、同一神の名の下に連帯と血の道を辿ってきた連邦諸国家にも強い衝撃を与えた。

 

もとよりその正当性を顧みることなく戦働きと遥かなる深慮遠謀により奇しくも大陸中央の広大な大森林に国を築いてみせた女ユリアナがそんなことを憚るはずもなし。大陸に住まう何人から見ても異質な国家が生まれた。

 

そして、国産みの荒業の詳細こそ詳らかに刻むことが難しいこの国は建国100年目にして名前を変えたことでも広く知られることとなった。

 

新たな国名は"バルカン=テトラ神聖帝国"となった。以後からも周辺国より変わらずバルカン帝国や森林帝国と呼ばれていくことになるが、正式名称は件の女傑ユリアと彼女と共にその名を我が国の誇りと推す国家の重鎮たちにより断固としてバルカン=テトラ神聖帝国と定められた。

 

さて、では肝心のテトラにはなんの所以があっての熱望なのか?常人には計り知れぬ雄大な神聖が宿る祝詞であるのか?はたまた決意を新たにするという誓いの言葉であったか?

 

果たして、その答えはその名を望んだもの達にとってはどちらの意味合い以上のものを持っていたが、世間一般が知る帝国におけるテトラが持つ意味合いは唯一無二の御名である。

 

テトラ・バルカン・ドラコニウス・ノトヘルム=ノトガーミュラー・バシレウス…御年6歳の可愛らしい男の子にして、バルカン=テトラ神聖帝国の政治権の長たる宮廷府執政総監を務める国産みの女ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラの一人義息子である。

 

バルカン帝国建国100年目…波乱を呼ぶ大陸暦2100年の暮れのことであった。




時々投稿。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ツェーザル家の末娘ユリアナ 前編

ツェーザル家の末娘ユリアナ 前編

 

 

"ツェーザル家の末娘ユリアナ"その名を持つ女はこの世に2人といない。以前にも以後にも。

 

彼女が生まれたのはオセアノス大陸の北西、総称して西方領域を支配する西方諸国連合の盟主ログリージュ王国内であった。

 

両親は行商をしており父はマリウス、母はユリアといった。マリウスは元々名のある南方の商家の次男坊に生まれた放蕩息子らしく、父親にその放蕩を咎められて絶縁状を叩きつけられた。父は冷徹、母は派手好き、兄は陰気で嫌みたらしく、弟は彼より優秀で鼻についた。彼はもとより陰気な兄を支えるつもりはなかったし、気難しく合理主義を好んだ父ほど忙しなく生きられるとも思っていなかったため勘当されても然程気を落としもしなかった。

 

むしろ清々していたのだろうとも思われた。生まれた街をさっさと出ると最初の一週間で父親から与えられた餞別を博打と酒に半分ほど溶かした。

 

自分の自由な将来への乾杯は金遣いの良さから周囲の者を惹きつけ、酒の力で気の大きくなっていたマリウスも呼べや呼べやと人群を招き宴会となった。粗暴な輩も気にせずに、悪く言えば無謀に誘った結果、酒盛りが縁も酣とあいなった頃合いで懐からは鐚一文も無い有様。抜き取られたか自分で配ったか、真相は酒の席故に歴史家でもわかるまい。

 

身包み剥がされたマリウスは自分でも驚くほどすんなりと裏の世界の人となり、下遣いから馬車三台の頭にまで上り詰めた。そしてそこで強かで逞しい美女と出会い息子ができ、満更でもなく結婚した。

 

酒の席がトラウマとなっていた男はアレ以来例え祝日であっても酒は一滴も飲まない。代わりに愛妻に酔うことにしたらしく、気がつけば息子が六人、娘が三人の大所帯を築いていた。

 

そして何を思ったか浅瀬ほどの裏家業から足を洗い、お古の馬車を一台と餞別がわりの酒樽一つから行商として身を立てることにしたのである。

 

あれだけ嫌だった商人の道を気づけば自分から歩いていたのだから男の感じた不思議な繋がりは余程のものであったろう。結局、マリウスは家族十二人を育てるためにそこそこの奮闘を見せた。案外マリウスは商人に適性があったこともあり、荷馬車とは別に家族を乗せる馬車と置いた馬を一頭手に入れることもできた。肝心の荷物も酒樽一つは五つになり、野菜や薬も扱うようになっていた。

 

一つ懸念があったならば、それは末の娘のことだった。それまで十一人だった家族は夫婦仲が良いことで直ぐに十二人となった。末に生まれた娘の名前はユリアナ。母ユリアは娼婦として逞しく生きていた女性であり、十人の子を産んだ偉大な母親でもあった。彼女の揺るがなさと言ったら男で裏の家業を泳いでいた、今ではめっきり丸くなったマリウスをしても言葉に尽くし難い。ユリアはマリウスにとって女という生き物の理想そのものだったのかもしれない。

 

ともかく、そんな存命中な大人物にあやかった名前を付けられたユリアナだったが彼女は生まれてもすぐに泣くことをしなかった。マリウスは珍しく妻が取り乱したことをよく覚えていた。そしてユリアナの目が生まれたばかりの赤子にあるまじき知性をふんだんに纏っていたことも覚えていた。いや、忘れられなかった。

 

それ以降はふつうの聡明な子供としてスクスクと育った。アレ以来、末の娘に妙なものを感じることは度々あったが家族は大して気にもしなかった。しかし、それがハッキリとした日常の変化として訪れたのはユリアナ5歳の誕生日のことである。頭から小さな、しかし鉄芯を帯びたような確かな異様がつきでていたのだ。しかも二つである。それに、よく見れば子供の頃に比べて耳が少しばかり尖りを帯びている気がする。家族は大いに焦った。マリウスは一瞬母親であるはずのユリアに目を向けたが、ユリアは特に問題視してはいないようだった。

 

それからも大家族の行商は各地を売り歩き、子供達は大人へ成長して、父親と母親は楽しげに老いて行った。そしてユリアナの異様は年を経るごとに確かなものへと変わっていった。家族にとってはユリアナはユリアナだったらしいが。

 

ユリアナが十八の時、その美貌は誰もが振り返るほどになった。艶やかな銀の如き白髪は両親のどちらにも似ておらず、その白い肌と合わさって芳しい色気を放つ。青の瞳はサファイヤよりも碧く、ダイヤよりも輝くように美しい。一目目を合わせれば虜にならないはずがない。手足はすらりと長いだけでなく女性らしい豊かな柔らかさを持ち、矛盾するかのような女の細腕とは言えない力強さをも凝縮した。かと言って見苦しい太さなど微塵もないしなやかな肢体は彼女が纏えば美しく調和していた。身長は男の中にあっても高い180cmに届くかという長身であり、それは彼女のその力強さと美しさに比例するように絶妙な美を纏っていた。女としての魅力をも盛り合わせたような、豊満さも持ち合わせていたことでより一層のこと尋常のものからかけ離れていた。

 

しかし、結局マリウスが彼女の生誕の時に垣間見た迸る知性を宿した瞳はこの時の彼女の双瞳には影も見えなかった。ただの異様なる美麗人に過ぎなかった。

 

故に、ユリアナは一年とたたずに全てを失うこととなった。

 

彼女は家族に育まれ、守られてきた。そうして変わった家族を持つ行商の大家族は長年を過ごした。故にそれが偏屈で狭量な者どもにとっては許し難いことであるとつゆ程にも思い至らなかったのである。

 

それは南方から西方諸国連合の中で最も敬虔な民が住まうとされるシャングリラ聖堂教国へと向かった時のことであった。

 

シャングリラ聖堂教国は自国の国産みの神であるシャングリラを絶対の神として他国に排他的な一方で最大流通貨幣である銀に聖性をもとめる聖銀教を国教とする国家である。大陸の北西部を中心に、南方にもその信者を抱える聖銀教会は大陸では最も一般的な信仰の形と言えた。マリウスの故郷は南方であり、聖銀教は商家によく迎えられる信仰の形であった。富と成功、そして魔除けなどの聖性を持つとされる銀は貨幣の肯定でもあった。時として人の心を踏み躙る暴利に目が眩んだ悪漢などと偏見を持たれることもないわけでは無い商人からすれば教会のお墨付きはどことはなしに敬虔で、根拠もなく清潔な印象がある。そんな理由から多くが信仰していた。故にマリウスの実家もまたそんな聖銀教徒の家だった。彼は経験も何もあった者ではなかったが、ある意味で彼は聖銀教に対する何らかの一線を持っていたのかもしれない。

 

だから、マリウスは根拠もない胸騒ぎからシャングリラへの入国審査の過程でユリアナの巨軀を積荷の飼い葉の中に隠した。ユリアナは大人びていたがその真正はただびとに過ぎない。体が大きく、穏やかで、美しい、ほんの少し変わった身体的特徴を持つ女性に過ぎない。

 

入国審査が終わり、ユリアナは問題なくシャングリラへ入った。一家の今回の目的はシャングリラのさらに向こう、一家が初めて構えた家に帰ることだった。

 

ログリージュ王国に立てた一戸建てはマリウスとユリアの積み重ねた汗と涙の結晶だった。今は中規模の商家を持つに至った仲間の元行商人から中古で譲り受けたそれは十ニ人が住むには狭いので誰かしらは常に東奔西走中である。働き者の理由が家が手狭だというものなのだから苦笑したのはいい思い出だろう。

 

だが、一家がその家にたどり着くことはなかった。帰り着いたのは家の管理のために残っていた三男ニールマンだけだった。

 

ユリアナにとって運命の日、彼女は燃え尽きて黒く歪んだ家族と、服だけが燃えて爪先まで無事な己の姿にただ瞠目した。

 

その有様を見ていた者達もさぞかし瞠目したことだろう。

 

シャングリラからの出国手続き最中、南の方から大声が聞こえてきた。木が燃える音と金属同士が奏でる物騒な音も聞こえた。常には聞かない物音だ。嫌な予感がした。案の定、つい一週間ほど前にきた方向から南方の軍が攻めてきたのだった。

 

シャングリラ聖堂教国は罷り間違っても南方領域との境界に国境を接していない。にも関わらず高々と南方の覇権を握る王国の旗を掲げてここまできたということは、最前線の国境に沿って横長の領土を持つ国、つまりシャングリラから見て南にあるブリテーナ王国が貫かれたということだった。

 

マリウスとユリアは子供達を纏めるとすぐさま北へと向かった。南へ行くことはできない。当然だった。出国審査が終わるよりも早く大家族と共に年をとった老馬に謝りつつも鞭打った。だが彼らが思っていた以上にシャングリラの北のログリージュ王国の対応は早かった。北へ3日と進まぬうちに大軍の戦列と邂逅したのである。

 

マリウス達は安全のためと行商人としての商魂逞しさからその軍勢の後続に従った。商売はうまくいき、南方軍との会戦にも堅実に勝利を収めた。

 

全ては滞りなく進んだかと思われた。だが、戦後処理の最中にシャングリラにある聖堂教会の総本山から行商人の召喚を無差別で行う旨が発令され、朽ち果てた西方の信仰中心地は昼夜問わず戒厳体制が敷かれた。

 

日々、街頭に陣取る雇われ兵や巡回の騎兵隊が口々に恐ろしげな単語を投げ捨ててゆく。

 

背信者、異教徒、内通者、案内人、然るべき天罰、火炙り、教会の威信、神のご加護、行商人への嫌疑…。

 

そして、悪魔、魔物、魔人、人に非ざる者…。

 

魔人や魔物など…子供に聞かせるに丁度いい御伽噺だ。

 

火をかけても、水で枯らそうとしても、大陸の中央を何人にも譲らなかった古の大森林。魔人や魔物と呼ばれた彼らは遥か昔に人々に敗れて以来そこに隠れ住んでいるらしい。そんな伝説だ。古の大森林はこの大陸にあって唯一形の変わらないできたものに違いなかった。何人もそれを超えることはできなかった。その魔性を切り拓き燃やして新たなる活土としようと画策した者達の多いこと、そして夢破れ魔性に膝を屈したものの更に何と多いことが。開拓不能の古の大森林に蔓延る魔性の夜霧は確かに現実に存在し続けている。そう思えば彼らは一層のこと恐れてやまないのかもしれない。東方の覇権を握り、ひいては大陸の覇権にも最も近いとされる錦帝国の国土全域には届かないにせよ、大森林はログリージュ王国、シャングリラ聖堂教国、ブリテーナ王国の三つを合わせた以上に広大であり、尚且つ清水湧くところ何処にもその魔性の森林の枝を大陸に広く広げている。確かに途方もない広さをもち、そのうえ抗いようもないと感じさせる自然の豪威と神秘とに心を折られた大陸の多くの人民は森への恐れを募らせるのも当然かもしれない。

 

中小国も多く、魔を仇とする聖銀教会が広く普及している西方では特にその傾向が顕著であった。人の恐ろしさは人以外の恐ろしさを克服するために、予め人に向くのだということを誰も知らなかった。

 

出国したくてもできないままにマリウスが呼び出されたのは戒厳令から一週間後のことであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ツェーザル家の末娘ユリアナ 中編1

ツェーザル家の末娘ユリアナ 中編1

 

 

酷く昔のことを思い出していた。私が、まだ二十にもなって居なかった頃のことだ。

 

今から100年以上前のこと。分裂する前の南方マネルワ王国が家族と私が入国したばかりのシャングリラ聖堂教国へと信仰を開始した。

 

10万規模の軍勢による蹂躙劇から幸いにも逃れることができた私たちは、北へと向かう途中で派兵されたログリージュ王国の軍勢の後続へ加わった。行商らしく軍勢の中で娯楽品などを売ったのを覚えている。

 

それから10日後に、ログリージュ・シャングリラ連合軍はマネルワ軍に占拠された教国の聖都エルサルム郊外での会戦で勝利。宗教施設以外が荒廃した町へ入都した。

 

都に入って間も無く不気味な噂が流れた。魔物や異端といった言葉が街頭に立つ衛兵や派遣された異端審問官の口から頻りに聞こえるようになった。私たち家族は何度となく出国を希望したが受け入れられず、右往左往を繰り返してるうちに教国軍から戒厳指令が発され宿から出ることもできなくなった。

 

戒厳発令から一週間後に父マリウスが呼ばれた。

 

行商人に対する事情聴取が始まり、侵攻があった日に入国した行商は私たちだけだということが判明した。間も無く異端審問官からの審査が宿に入り、隠す間もなく私が見つかった。家族の不安げな顔は私が見つかるとすぐに覚悟を決めた顔になって居た。私は泣きそうだった。父も母も皆、異端審問官たちが引き連れて居た兵士に問答無用で拘束された。私は家族と引き離されて冷たい石床の独房で一夜を明かした。

 

次の日、説明も弁護の機会もないまま私たちに異端と背信と魔物の手先という烙印が押された。教会の司教や司祭たち、調書に参加して居たログリージュの軍人達、そして聖都の人々の前に一家一同引き摺り出された。人々の顔は酷く醜く歪んでいて、私は彼らの顔を見ることができなかった。睨みつけられているのが自分だということを理解したくなかった。

 

父と母は酷くやつれていた。兄達は声を殺して怒り泣いていて、姉達は無念そうに項垂れて泣いていた。父の額や頬は切れたり、腫れたりしていた。手や指の先には血が滲んだぼろ切れが巻かれていた。私は泣きたくても泣けなかった。私が泣いてはいけない気がした。

 

あたりは顔を歪めた人々が沈黙を生み出していた。私たちの目の前に置かれた壇上に上がった異端審問官が羊皮紙の巻物を広げて声を発した。

 

「異端にして悪逆の極みを体現した南方マネルワ王国の侵攻を先導し、多大な人民の生命と財産と誇りと信仰とを奪うがごときは人間の所業にあらず。剰え、神聖なる聖都エルサルムに悪鬼魔族のごとき化け物を入国させ、人心の撹乱と信仰への背徳を極めたることは何人にも許されない。異端審問官の名に於いて偉大なる聖銀教の慈悲を与える価値なき者達の汚穢極まる泥名とその罪状、神罰に倣った然るべき激罰を下す。」

 

声は異様なほど風に乗り、人々の耳に毒を流し込んだ。途端、先ほどまでの軽蔑の沈黙は破られた。言葉無き打擲はすぐさま形を持って、その音の反響によって私たちを責め立てた。

 

「背徳者に死を!!」

 

「偉大なる神と聖なる銀による浄化を!!」

 

「外道に罰を!!」

 

「人の皮を被った悪魔を清め給え!」

 

「死を!」「罰を!!」「浄化を!!!」

 

家族の方はもう見れなかった。

 

殺せ、死ね、浄化せよ…およそ命あるものにかけるべきではない言葉が雨のように私たちに降りかかった。父は嗚咽を、母はただ沈黙で耐え、兄と姉たちはただ涙を流している。私には声を上げることを許されてはいない。涙を流すこともいけない。とても、そんな人間らしい何かを期待されては居ないのだと思った。こんなものたちの前で、家族に許すような血の通った涙を流すなど自分が許せないから。涙を堪えた。唇が血の味がする。丈夫すぎたせいか体の痛みとは無縁の人生だったから、初めて味わう血の味は筆舌に尽くし難い懺悔と憎しみの味だった。私の中で沸々と激情が煮詰まる中、異端審問官は12枚の羊皮紙を読み上げ始めた。

 

「背信の首謀者!マリウス・マリウス・ツェーザル!!南方に生まれた貴様は国家と信仰と人民に対して許されざる罪を犯した!悪魔を養育し、この聖なる地に異端の軍勢と共に誘い込んだのだ!!よって貴様を極刑に処す!!刑の執行は火刑をもってする!!」

 

「次に!ユリア・コンスタンツェ・ツェーザル!!貴様は元娼婦でありながらも聖銀教に帰依することもなく!!背徳の徒として夫マリウスとの悪魔儀式をもってこの世に魔物を産み落とした!!これは前代未聞の絶対的悪行であり、未来永劫咎められるべき背信行為である!!異端にして背徳を極めし貴様も夫と同等の悪人として極刑に処す!!刑の執行は夫と同じ火刑である!!」

 

「次、悪人夫婦の間に生まれ落ちた貴様ら九人の罪深い忌子ども!長男ウィプサノス!次男コリントス!四男バッシウス!五男カッシウス!六男マリウス!長女アグリッピナ!次女ミリーシア!三女イグニア!そして、悪魔として生を受けた罪深き存在!ツェーザル家の末娘ユリアナ!」

 

一度言葉を切った異端審問官は最後の一枚を捲ると再び口を開いた。

 

「貴様らはユリアナを除いて全員に特赦を与える!!今ここで聖銀教徒として改宗して慈悲に伏し、父と母と末の娘が犯した大罪を告白せよ!!さすれば免赦を重ねて貴様らは追放刑に減刑してやろう!!さあ!これより名前呼ぶ!!信仰を捧げ、その命を拾うがいい!!」

 

ありきたりな慈悲の演出が始まり。あたりは一度静かになった。静寂で数分が経ってから異端審問官は読み上げていく。私はどうか兄と姉たちだけは命が助かるように祈るばかりだった。父と母には申しわけも立たないが、私は両親をあの世があるのならば支えなければならないと思ったから。

 

「長男ウィプサノス!!貴様は改宗を誓い、悪行を告白するか?否か?」

 

「断じて否!!もとより罪などない!!我が父母は汗水を垂らして俺をここまで育て上げてくれた!聖人にも勝る良き人である!その恩人を貶めることなど死んでも断る!!妹もまた同じである!!俺の妹は外見が俺や家族と少しばかり違うだけだ!貴様らよりよほど信心深く、日々を慎ましやかに生きてきた!!…俺がいうことは以上だ。」

 

避難が爆発した。長兄ウィプサノスは父に似ることなく優しく少し頑固な男に育っていた。自分にも他人にも厳しいが誰よりも家族を愛している。

 

「よし!貴様の言い分はよくわかった!炭屑となりたくばそうすればよい!ひったてい!!」

 

父と母は我慢ならずに駆け出そうとして兵に抑えられていた。額から血を流しながら父は涙を流している。兄は堂々とした足取りで私の前を通って連れて行かれた。私の前を通る寸前に兄はすまぬと言い遺した。この言葉が最後だ。兄は私にどうしてすまぬと言ったのか。何も貴方は悪くないだろうに。

 

「愚かな兄を持ったな…次!次男コリントス!悪を認め改宗せよ!!」

 

「否である!!兄に同じく!俺は家族とともにある!!余計なお世話だバカヤロー!!」

 

次兄のコリントスは悪戯好きで私もよく仕掛けられた。たまに手酷いのをやられることもあったけど、最後には一緒に笑えるような可愛げのある悪戯ばかりだった。客商売なのに口が悪いと母は嘆いていたが、父は兄が人に好かれる性分だとわかっていたから苦笑していた。行商の先々て好きな人ができたと話すものだから彼自身も人が好きなのだろう。兄は兵に連れて行かれた。私の前を今度は次兄が通った。兄は私の前を通る時思いっきり屁をこいて見せた。ニヤリと笑ってどうだ匂うだろう!と兵に言ってのけた。数度殴られて連れて行かれる兄の顔はしかししてやったりと清々しく見えた。でも、目には涙が浮かんでいた。私に笑って欲しくてやってくれたのかもしれない。最後まで曲げない、誰にも縛られないという自分らしさを守ったまま、兄は奥に消えた。

 

 

それからはあっという間だった。

 

「貴様もだとは言うまいな…次!四男バッシウス!今度こそ!悪を認め改宗せよ!!」

 

「断る。家族を売るようなやつまで迎えるとは聖銀教は大した寛容じゃないか。」

 

四男のバッシウス兄さんはすこぶる頭が良くて、計算も得意だった。けれど少しだけ皮肉屋で失敗を引きずってしまう。努力家だからなおさらだった。長兄のウィプサノス兄さんをとても尊敬していた。バッシウスは静かに連れて行かれた。口は一文字に締められていて、とても鋭い目つきで周囲の人々を見ていた。私の前を通り過ぎる時、チラリと私と目を合わせてくれた。どれだけ大きな失敗をしても見せたことがなかったような泣きそうな顔をしてた。私はそれが当然なんだと思った。なんで、どうして。きっと兄さんはそう言ってやりたかったに違いない。わたしにも、周りで自分達家族を痛めつける悪い人間たちにも。兄さんはそれきり何も言わず、何も見ずに静かに人ごみの中へ消えてしまった。私はもう目の前が見えなかった。潤んで、洪水を堰き止めるのに必死で荒く湿っぽい鼻息だけが漏れた。

 

「愚か者め!次だ!五男カッシウス!貴様はどうだ!!火刑が怖くないというのか!?」

 

「怖いよ!!何言ってんだ!怖いに決まってんだろ!!だけどよ…兄貴たちがあれだけ行ってやったんだから!俺も言わないのはカッコ悪いだろうがよ!!ほら!もういいだろ!さっさとつれてけばいいだろ!!」

 

五男のカッシウス兄さんは力持ちで私くらい背が高い。肩幅もあって、父さんよりも男前だ。でもまだまだニ十代後半なのに髪が薄いと嘆いていた。楽しいことや面白い話が得意なカッシウス兄さんは弟と妹にとても甘かった。私のことも自分より体が大きい妹なのに可愛がってくれた。重いものを運ぶのは兄さんの仕事だった。父さんが腰をおかしくしてからはなおさらだった。母さんはカッシウス兄さんが一番若い時の父さんに似てると言ってた。私もカッシウス兄さんが大好きだった。兄さんは異端審問官の前でその大きな体を堂々と奮い立たせて見たことがないくらい怒っていた。これでもかと大きな声ではっきりと改宗も助命も断って、のっしのっしと槍を向けられながらも知ったことかと自分のペースで連れて行かれた。私の前を通ったとき、兄さんは今日一番の大きな声でお前は悪くない!そんな顔はするんじゃない!と言ってくるりと背を向けると人ごみの中に消えた。私の前で立ち止まったとき、背を軽く槍でつかれていた。血が滲んでいるのが見えたけど、兄さんは痛くも痒くもないぞ!と口に出しながら進んだ。背を向けてすぐに兄さんの頬を涙が伝っているのがわかった。兄さんは強がりなのに痛いのがなによりも苦手なのだ。もうそんな姿も見れない、最後に見た姿は勇ましかった。けど、いつものような優しい兄さんをまた見たかった。

 

「くぅぅぅ!!度し難い!次だ!六男マリウス!!未だ若い貴様は何と答える!!」

 

「…改宗するにしたって、もとから聖銀教徒じゃん。あーやだやだ!…はぁ、兄さんたちに同じで。家族と離れ離れは嫌だから。」

 

六男のマリウス兄さんは三女のイグニアお姉ちゃんと双子で生まれた。飄々としていて何となく髭が似合う父さんとは全く似ていない、可愛らしい外見の好青年といった感じで、長女のアグリッピナ姉さんが特に可愛がっていた。可愛がっていたというより、構ってほしい姉さんがマリウス兄さんに構われてたのかも知れなかったけど、それがいつもの温かい日常の光景だった。マリウス兄さんは面倒くさがり屋で、本を読むのがなにより好きだった。行商で街に立ち寄るたびに違う本を抱えていた。文字も綺麗で、私は兄さんの字を真似て勉強していた。痩せがちで頼りなさそうにも見える兄さんは、でも異端審問官に一歩も引かずに言ってやると、スタスタと自分から兄さんたちの元へ向かった。私のことを見ると悲しそうな顔で先に待ってると告げてもうふりかえらなかった。

 

「〜〜〜〜!!!もういい…貴様らが救い難い悪徳しか持ち合わせていないのはわかった!では最後に聞こう!!長女アグリッピナ!次女ミリーシア!三女イグニア!!貴様たちの答えを聞こう!」

 

「愚問ね。こんな人たちの同じ空気を吸っていること自体が度し難いわね。なんで生まれてきたのかしらね。美しい言葉を使うべきだと教えられてこなかったのかしら?これが最後の行商先だと思うと反吐が出ちゃうわ。なんでかしらね…はっきり言ってあげる!何年一緒に暮らしてきたと思ってるの?改宗も身内を売ったりもできるわけないじゃない!!妹なのよ!家族なの!!わかったら私のことも兄さんと弟たちのところに連れてってちょうだい!!誰が触っていいって言ったの!!あぁーもう!自分で行くから結構よ!」

 

アグリッピナ姉さんは長女なのに姉妹の中で一番背が小さかった。だからよく末っ子の私の背の高いのは私の分も大きいからだと言っていた。怒ってはいなかったけど、羨ましいらしかった。けれど、アグリッピナ姉さんは誰よりも働き者だし、誰よりも可愛がられる人だったから、見かけより年上として甘えるのが下手な私は私で姉さんのことが羨ましかった。その姉さんはカンカンに怒って顔を真っ赤にしながら異端審問官のすぐ前まで進み出てキッパリと言った。彼女を連行しようとする兵士のことをその小さい体からどんな力が出るのかと思うくらいに強く蹴飛ばして、自分の足でずんずんと奥へと行ってしまった。私の前を通る時、両手が縛られているから体当たりするみたいに体を押しつけてくれた。何も言わないけど、体は震えていたし、歯を食いしばって涙を我慢していた。長女のプライドがあっても、姉さんは外見相応に可愛らしい女の子だから苦しくて悔しくて怖くてたまらないに違いなかった。ぎゅうーっと私の首に顔を押し付けるとキッと強く周囲を一度睨みつけてから大股で人ごみに消えていった。

 

「…ねぇ様に同じく。怖くて仕方ないけど…家族と離れるのだけは嫌。火で焼かれるのなんて嬉しいわけないじゃない…火も怖いけど家族とずっと一緒なら、そっちのほうがいいの。それに、妹が悪いわけない。」

 

次女のミリーシアは心底うんざりした様子で改宗を断った。困った困ったと首を振りながら、意地を通していた。震える手があまりにも痛ましかった。仕切りにさすると手振りまでつけて私の前を、散歩に行ってくるみたいな気軽さで通り過ぎた。少し行ってくるわね、なんて彼女しか言えないに違いない。ミリーシア姉さんは私より五つ年上だ。とても美しくて、誰よりも賢い人だった。長兄のウィプサノスはミリーシアの気難しいところと気が合うからと、よく一緒になってサボり魔の五男のカッシウスを追いかけていた。楽しそうねと言ったら、兄は楽しくないといってフンと鼻息を吐き出したが、ミリーシア姉さんはえぇ、とっても楽しいわとコロコロ笑っていた。少し意地悪なところも憎めない、強かな人だった。きっと母さんに一番似ているのはミリーシア姉さんだったと思う。

 

「うわーん!なんで!どーしてこーなるのよー!!パパー!!ママー!!マリウス兄さーん!!ねぇ!なんであなたたちはそんなにひどいことを言えるの!!誰かを救うのが神父様のおしごとじゃないの!?嫌!!いや!離して!!あるくから!自分で歩く!!あんたたちになんか触られたくない!!」

 

三女イグニアは六男マリウスと双子で生まれた。私とは一歳違いで生まれたから歳の差はあんまりない。そのうえ私の体が大きいからどっちが姉なのかわからなかった。けれど彼女は私のおねぇちゃんであろうと努力していたの知ってる。きっと彼女はみんなから三女だからと甘やかされるのも嬉しかったのだろうけど、誰かの姉であることは誇りのようなものだったのだと思う。泣きながら、鼻水を垂らしてさえいたけれど、涙が止まらない私の目の前を通る前に周りの兵隊を押しのけて涙と鼻水を拭うと、いつものようにかちきな笑みで凛と背を伸ばして通り過ぎて見せた。私はずっと貴方のお姉ちゃんでいる。そう言い残した彼女の背が兵の列奥深くに消えるまでずっと見ていた。流さないと決めていた熱い涙が流れた。堰き止めたくても止まらなかった。口の中は血と涙の塩辛い味でいっぱいだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ツェーザル家の末娘ユリアナ 中編2

ツェーザル家の末娘ユリアナ 中編2

 

 

イグニアお姉ちゃんが連れて行かれてから、私と父さんと母さんも引き立てられて刑場に連れて行かれた。泣いて泣いてもう全てカラカラに乾いてしまった。

 

もはや立つ気力も失われていた私の目の前で火刑の準備が進められていく。憎たらしいほど淡々と進んでいくそれは大道芸や見せ物小屋の支度をするのに似ている。

 

薪が無造作に幾重も積まれていく、深くて狭い穴が十二個地面に掘られている。その穴に一本目の棒がたったかとおもえば、先に連れて行かれたウィプサノス兄さんが縛り付けられていた。何度も何度も殴られた痕が遠目だというのにはっきりと見えてしまう。自分の目の良さを恨んでも仕方ない。目を逸らすこともできない。

 

二本目が立つ。縛り付けられていたのは次男のカッシウス兄さんだ。左目が腫れて口の端から血が滴っていた。しきりに口を動かして、自分を嘲笑う人並みを笑い飛ばして見せた。

 

三本目、四男のバッシウス兄さんだ。顔中に痣が浮かんでいて、服を剥ぎ取られて裸にされていた。下着も取られたというのに、兄さんは堂々として見せた。その高潔な姿が気に食わないと、兵士は口汚く罵り、恥を引き出そうとしていた。

 

四本目が立つ。五男のカッシウス兄さんだ。兄さんも裸に剥かれていた。右手の指はあらぬ方向に歪んでいて、遠目にも涙を流しているのがわかる。でもきつく自分を笑う奴らを睨みつけて、決して逸らさなかった。

 

五本目が立った。六男のマリウス兄さんだ。顔は痣だらけで、裸にされている。優しげで可愛らしい童顔は面影もなく、酷く腫れてしまっている。荒く胸が上下して、歯も折れてしまっているのだと思う。見たくなかったけど、目を逸らすなんて出来なかった。何かに強いられるみたいに、目を逸らしたら、傷ついた姿でさえももう見えなくなってしまうようで怖かったのだ。

 

七本目が立つ時、高い声が響いた。耳をつんざく鋭く鳴き叫ぶ声だ。血を抜き取られたみたいに、真っ青を通り越して消えてしまうように青白い長女のアグリッピナ姉さんだった。裸に剥かれていて、体の所々に引っ掻かれたみたいな痕が赤く線を残していた。青白い顔に、殴られて吹き出した真っ赤な鼻血が異様に目立った。股からは赤黒い血がとめどなく滴っていて、見たこともないように衰弱していた。泣く力も残っていないようだった。

 

八本目が耳を覆いたくなるような、何かがへし折れる音を運んできた。次女のミリーシア姉さんは目をカッと見開いたかと思うと力無く俯いて二度と目が合いそうもない。白く血の気が引いた裸体に、殴打による痛ましい青痣と、ゾッとするような赤い線を下腹部に残していた。細くて綺麗だった首は、不自然に歪んでいた。

 

九本目が立つとともに、くぐもった声と共に三女のイグニアお姉ちゃんが縛り付けられた。顔を動かして嫌々とするお姉ちゃんの口を塞ぐ白い布は赤黒い滲みを広げている。隙間からぽろりと落ちた小さい白い塊は折られた歯なのだろう。私より小さい体は震えていて、赤黒い血が未成熟な裸体のそこかしこから溢れてつづけている。

 

気が狂いそうだった。いつのまにか疲れも何もかも抜け落ちて、ただ重たい足に支えられて目の前の地獄を見せつけられている。

 

私は右を見た。父が声を上げて泣いている。目は血走り、黒かった髪はほんの少しの間にすっかり色を失ってしまった。流れる涙は、まるで作り物みたいに赤い。口元は噛み締めすぎて傷だらけだった。痛くて泣いてるわけがなかった。堪えきれない目の前の現実に、それでも父さんは狂えなかったのだ。酷すぎて、地獄に過ぎるあまり、こんなことができるのは御伽噺や作り物の中に出てくる都合のいいまやかしや外道なんかじゃないと理解させられたのだ。

 

これほどに酷いことは人間にしかできまい。父さんの姿はあまりにも非常で、どうしようもなく現実だった。

 

左を見た。母さんはもう何も言わなかった。ただ、ジッと見ていた。全てを見ていた。傷ついた子供たち、狂いたくても狂いようがない夫。ただ、呆然と涙だけが流れて仕方がない私の姿、そして全てを失ってなお、奪われようとしている自分の有様。

 

母さんはただ、ただ、ジッと見ていた。人々の度し難さに。人間というものの姿を余すことなく見ておいてやろうと。これが現実なのだと、決して許すまいと、目が渇いても、決して閉じない。充血した眼で片時も見逃すまいと全てを受け止めていた。

 

十本目、十一本目、十二本目。

 

父さんと、母さんと、私だ。

 

 

父さんはただ血の涙を流し、母さんは目を閉じることなく、私は自身がただびとに過ぎないことに絶望して涙も枯れて目の前の情景を茫として見つめていた。

 

静かになった私の目の前で、空は青く、雲は白く、遠くに見える森が鮮明な緑色だった。

 

無垢だった。汚れたものから逃げたくて、もうなにも見たくない。求めて彷徨う目の先に現れた無垢な色は私を救ってくれるような気がした。あぁ、森へ行こう。死んで、魂になってしまっても、どうにかして森に行きたい。あんなに遠くて静かなところもないだろう。

 

私は自分が、ここにあって未だただびとのままで全てを失うことを受け入れたくなかった。何かを得て、そして願わくば家族を救いたかった。だが、私は無力だった。あまりにも全てがやるせない。焦げ臭い匂いが近付いていた。

 

「これより火をかける!!!異端と背徳を滅せよ!!背信者と魔の物を殺す聖なる篝火を!!!」

 

異端審問官の掛け声で一斉に投げかけられた松明はよく晴れた青空を覆い隠すように赤い火をごうごうと立ち上らせた。

 

ご丁寧に、体に塗りたくられた獣の油に火は瞬く間に燃え移った。煙で燻し殺される間も無く、身体中が火に覆われた。

 

おおおおおおおおおおおおおあおおおおおおおおああおおおあおおあおおおおおあおああおあお…!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

すぐそこで聞こえるのに、遠くで轟く雷のように、全てをビリビリと振るわせるような絶叫が響き続ける。

 

耳を凝らすと父は火の中で泣いている。ただ、赤子のように泣いていた。その声も間も無く潰えた。シュルシュル縮んでギリギリとして歪んだ、あれだけの残酷で異質な存在感を世界に示していた十一の火柱は黒くてコロコロとした小さな塊になってしまっていた。

 

生焼けの肉が炙られる音と言葉にできない耐え難い臭いが立ち込める。

 

目を閉じていた。いつのまにか目を閉じていた。安心とは別に、ただそうしてしまうことで何かを忘れられると思ったからだ。

 

火が全てを飲み込んでしまって、私を縛り付ける縄も鎖もだらりと力なく萎れている。木の方が全て燃えてしまったから鎖も落ちるべくして落ちている。私だけが燃えていなかった。死んでいなかった。辺りを見回すとコロコロとした黒くて歪んだ何かが十一個散らばっている。

 

初めから家族など居なかったのだ。兄たちの壮絶な姿も、姉たちの悍しい陵辱の痕も、父と母の絶望の叫びも。遠く聞こえた断末魔も。すべて、私が煙に包まれて見た幻想だと、そう思えればどれだけ楽だったか。

 

熱を感じこそすれ、煙たさを感じこそすれども私はそれらに苦痛を感じなかった。痛くも痒くもない。死にそうな苦しみと絶望の毒に侵されていたはずなのに、気が狂うほど私の身には何事も変化がなかった。

 

耳裏から生える黒鉄のような艶のある角、尖った耳、白くて美しい髪、シミひとつない美しい白い肌、堅固で緻密な鱗がびっしりと覆った逞しい龍の尾。

 

何もかも、一欠片の間違いもなかった。

 

私は目の前で狂騒の雄叫びを発する群衆と、槍や剣で自身を囲う兵士の群れを見ても最早理不尽すら感じなかった。ただ、何でもいいからどうにかして欲しかった。このやるせなさと絶望で満たされた胸にどうか逃げるための風穴を開けて欲しかった。

 

私は力なく、そこに蹲った。

 

私の周りを完全に包囲した兵士たちが槍を投げたり矢を射ったり、剣で切り付けたりしてきたが私は何も感じなかった。痛みもない。怒りもない。

 

途方もなく時間が経ったような気がして、顔を上げたがすぐに顔を伏せて耳を塞いだ。

 

残響が罷り間違っても聞こえてしまわないように。

 

きっと、私だけが生き残ってしまったことに家族は喜ぶだろう。私が生きていてくれてよかったと言ってくれるかもしれない。けど、同時に私を1人残したことを悲しんでくれるだろう。私は1人、何も起きなかったかのように、このまま、ただびととして死ぬこともできないのか。

 

耳を塞いで顔を伏せて、ひたすら時が経つのを待つ。

 

どんどん私の周りを囲む兵士は増え、銀色に輝く鎧を着た見たこともない騎士も集まっていた。

 

早馬とともに異端審問官が声を張り上げつつ、不敵な笑みで馬車を呼び寄せた。

 

私は何か少しでもいいから違う何かがほしくて顔を上げて口角泡を飛ばしながら指揮棒を振るう異端審問官の声に意識を向けた。

 

「貴様が我々の信仰に挑戦を投げかける魔の極みだということはよくわかった!!貴様にはこれ以上の救いなどない絶望に囚われ続けてもらおう!!!ここに聖銀による封印刑の執行を命ずる!!銀庫をもて!!!」

 

指揮棒に従って重々しい音を響かせながら巨大な鉄の箱が積まれた馬車が到着した。兵士四人に組みつかれて身体中に鎖が巻き付いた。肉が挟まって痛いはずなのに痛くない。呆然と目の前で進む何かに身をまかせた。

 

鉄の箱の中に入れられた私は鎖で巻かれた上にさらに鉄の箱に鎖で固定された。外からグラグラと何かが煮えたぎる音が響いていた。鉄の壁に四方を囲まれ、ただ体を押さえつける鎖に従って仰向けで異端審問官の声を聞き流す。空が青い。煤の匂いがする。鉄の壁に反響しながらゴンゴンと頭に響くような不快な声が意味を伝えようとする。

 

「貴様は煮えたぎる銀と錫、鉄、鉛でこの鉄の箱の中に封印されるのだ!!冷え固まるまでに灼熱も生ぬるいこの地獄を味わうがいい!!!さぁ!投入しろ!!」

 

どぼぼぼぼ…ジュワジュワと猛烈な蒸気を発しながら鉄の箱を溶けた金属が満たしていく。私は身体に初めて熱を感じていた。痛い、かもしれない。少なくとも、苦しいとは感じていた。

 

ドロドロといつまでも注がれ続ける金属の濁流が私の顔を覆った。目を何で覆っても無駄だろう。グワグワとけたたましい音で私の体を侵食するそれに、私は苦痛を感じていたが、異端審問官のいう地獄の苦しみとやらにはきっと程遠いに違いない。目に沁みる程度の、体が熱湯で蒸されるような苦しさと痛みを覚えていたが、それまでだった。目の前の地獄に耐えきれずに噛み切った唇が発する耐え難い熱に比べればなんともなかった。鼻に入り込むかと思ったが、案外私の体は都合が良く、鼻息に押し出されるようにしてドロドロの金属は肌の上を逃げ回るばかりだった。少しずつ固まり始めたそれも、私の肌に棲みつくような気概は無いようだ。剥離する様に体に生ぬるい重石を乗せたようなものだった。

 

ドロロ…と注がれる音が聞こえなくなっていた。

 

「貴様には魔のものにふさわしい封印場所がある!!灼熱の地獄は徐々に貴様から全てを奪う鉄の拘束の地獄へと変わっていくだろう!!そこでじっくりと味わうがいい!!これより封印の儀式を執り行うべく護送を開始する!!全隊進め!!!」

 

ガラガラガラガラと馬車が動き始める振動が感じられた。どこへ行くのか、興味が湧いた。だが、今は体を焼く鉄の熱い抱擁に酔いたかった。眠ることは恐ろしく、しかし期待するのに十分なほど魅力的だった。

 

 

ガラガラガラガラ…一定のリズムで止まったり、進んだりしたそれはある時ピタと止まった。

 

耳を澄ます。

 

「馬車から銀庫を下ろせ!!」

 

異端審問官の掛け声でガタンガタンと重量物がずり落ちた。

 

ずずずず…と私が閉じ込められたこの鉄の箱が少しずつ動かされているのを感じた。

 

「そこでいい!!…起きているか?穢れた魔物よ…。貴様を封印した銀庫はこれより目の前に広がる古の大森林…魔の森の底なしの沼へと沈められるのだ。」

 

それはいい、と思った。もう何も見たくも聞きたくも無い。だが、眠って起きた時に二度と苦しみたく無いと思った。夢であればそれに越したことはない。底のない沼にずっと落ちてゆくんだから、もう誰にも痛めつけられることはない。

 

「……返事はなし。死んだか?ふん!まぁいい。よし!!沼に沈めろ!!」

 

どぼぼッ!!ごボボボボ!!!

 

一際大きな水の弾ける音の後に、ゆっくりと体が落ちてゆくような浮遊感を感じた。ここが底なし沼か。今、私は底なしの沼をただただ落ちているのだな。

 

鼻からゆっくりと息を吐いた。鉄の海の中でも水の中でさえ苦しいと感じないのだから、私は本当に魔のものというものなのだろうなと、そう今さらに思った。

 

耳が冷えるような錯覚を覚えた。未だ経験したことのない静寂の中で思った。あんまりにも当たり前だった。家族がいて、彼ら彼女らが私を受け入れてくれること。

 

いつもはフードを目ぶかにかぶって人前に出ていたが、それは何か別の理由があってのことだと思っていた。いや、例え自分の異端が知れたとしても決して何か大切なものが失われるとは思ってもいなかったに違いなかった。

 

私は愚かだったのか。世間を知らなかったのか。甘かったのか。全てだろう。全て、私にとっての全ては死んだ。

 

全てが足りなかったのだ。私は結局、ただびとだったのだ。奪われるだけの、自分そのものだけが遺されて初めて知った。自分はこんなにも惰弱で、しかし、剣も槍も炎も熱された金属にも負けないほど強い。

 

愚かだったゆえに、使い方を誤ったゆえにこうなった。暴力を振るうなと思いもしなかった。そんな生き方をしたことはなかった。穏やかに、幸せに暮らしていた。流されていたのかもしれない。恐れていたのかもしれない。だから、これ以上自分が自分を、あの素晴らしい家族の中で認められなくなることが恐ろしくて、そして私は全てを失ったのだ。

 

使えたはずだ。私は。生まれ落ちたその時に、私の中に宿った何か光り輝く力を。

 

ゴボゴボゴボ…ザザザザ。

 

底なし沼とは偽りであったか。結局、私の絶望が一種の諦めと後悔と、己に対する憤怒とによって終着した時、沼底へと箱は落ち着いたらしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ツェーザル家の末娘ユリアナ 後編

ツェーザル家の末娘ユリアナ 後編

 

 

何日か、何週間か。私は沼の底、暗闇の中でもよく見える瞳で溶け固まった金属の天井その凹凸をジッと見つめながら自分の中に何か新しいものを探していた。

 

自分の中で生まれた絶望は、あっけなく飼い慣らされてしまった。自分が愚かだった。力があったはずなのに、勇気も何も無かったのだから奪われて当然だ。

 

頭の中が冴え渡った。この答えは私にとって、いや、彼らにとってとても理解しやすいものだろう。奪われてしまった懺悔は、結局奪われたことから逃れられないことへの嘆きに過ぎない。私は自分から全てが奪われるだけの存在だ。その理由は弱いから、愚かだったから、強い力がありながらも躊躇ったから、大切なものがどれなのか見誤ったから。ただびと故に。ただそれだけだったのだから。

 

私はよしと思った。ただびとである自分を私は殺すことにした。この数週間かあるいは数時間の思考は端的にそれこそが最適解であると言っていた。

 

その最初の嚆矢こそが、今自分を抑え込むこの訳のわからぬ鉄の箱なのだ。この箱を破壊して、私は森を見る。そこで私は初めて生まれることができるのだ。

 

何もない私は、自分自身を取り返さなければならない、生まれ直し、私はただびとの愚かしく脆弱な私から私自身を取り返さなければならない。

 

もう、二度と、決して、何も、爪の垢一摘みでさえも奪われてはならないのだから。死ねないのならば、私は生きる意味を決めようと思った。私は奪うつもりなど毛頭ない。決して奪われることだけはあってはならないが、奪うつもりは毛頭ない。

 

しかし、奪われるだけの存在になり下がらぬために、物体や概念が私と他者の間で、脆弱な私を殺すための手段として行き来を繰り返すのであればそれは致し方ないことであり、私は強靭無比の私を絶対に肯定する。

 

私は奪われないためならば如何なる手段も厭わない。その間に私が発する尽くの力は全てが善である。

 

私はもはやただびとではおれないのだ。何か、測り難い天秤を打ち壊すことがただびとではなくなるための絶対条件なのだから。

 

私は力を込めて叛逆を開始した。

 

腕をただ、力任せに押し上げる。ギシギシと金属が歪む。ただ、力を込める。万感を乗せて。押し上げる。

 

数分後、鉄の箱は私の力に屈した。歪に切り裂かれた錫と鉄と銅と銀と…。私は水中で一息吸い込むと昔家族で川遊びをしたのを思い出して手をかいた。

 

息苦しさなどまるでなく、一かきで数十メートルを、浮上した。

 

ごうん。ごうん。気泡が漏れ出、その気泡が浮き上がるのよりも早く私は浮上する。水を切り裂いて浮上する。

 

ざばり。光が目に飛び込んできた。沼底の泥を体から払いながら、私は初めて自分の足で森の土を踏み締めた。

 

一人で立った。緑の屋根と巨木の壁に囲まれた森だ。

 

鼻から息を吸う。当然だが苦しさなどない。行くあてもなく、前へと進むことに決めた。私は自分がきっとさぞかし笑顔であろうと思った。

 

誰もいない森を進む。

 

それは、今思えば運命に他ならなかったのかもしれない。火に焼かれる寸前、家族と最後に見つめた先はきっと森に違いなかった。許しも、何も与えることはないが、決して奪うことはない。心を寄せれば受け止めてくれるのはそこしか無かったはずだ。遥か遠くからも見えた微かな、しかし鮮烈は緑。あそこへ行きたかった。私から奪おうとする者は誰もいないあそこへ。

 

そして私は森にいる。森の中を進んだ。太陽が上がっても。月が上がっても。水も呑まず。物も食べず。

 

ただ歩き続けた。

 

 

十日間走り続けた。生まれてからこれほど走ったことはなかった。私はそれでも疲れを覚えていなかった。むしろ、初めての感覚に打ち震えていた。腐れ落ちた体と心が再構築されるような。それこそ、本当に生まれ変わってしまうような。爽やかだった。私の中身が入れ替わり…いや、蒙かったものが啓かれるような。そんな感覚だ。

 

とめどない力に任せて足をすすめた。真っ直ぐに走り、駆ける。靴も服も、全てが焼かれ、失われた私の体は驚くほど心地よい何かに包まれるようだった。それは前へ進めば進むほどにその感覚が強くなる。それと同時に、頭の中にそれまで知らないことが次々と詰め込まれるような感覚が、全能感と、そして向かう相手の分からない、しかし抗いようのない渇望と執着と情愛とが身体の全てを占めていた。

 

更に三日走った。果てのない広大な森はいよいよ深まりを見せていた。時折目に着く、知らない生き物や、魔物と呼ばれる者たちが営む村のようなものを横切りながら、私は進んだ。

 

ますます強くなる情動。感情の高鳴りは知らないものだった。胸が高鳴り、高揚していた。それに伴い頭の中にはそれまで流れ込んでいた全ての情報を整理する聡明さが宿っていた。まるで別物であった。

 

言葉は羅列でもってとめどなく流入し、そして私は悟った。今の自分はユリアナ・ツェーザルである。だが、それ以前の私がいたのだと。

 

ユリアナとして生まれる前の私は角や尻尾のことを含めて全く異なる外見をしていたように思う。不確かな自分自身の情報の代わりに、使い方の分からない未知の知識が頭に叩き込まれ、私はなぜかその使い方を理解できる。分からないのに、絶対に出来るのだ。

 

魔法なるものの活用方法。

 

電気なる力。

 

その電気で動く不思議な道具たち。

 

水をきれいにする方法。

 

小さな笛や美しい手品の仕方、香辛料を煮詰めた茶色の見たこともない料理の作り方や火で燃える水のこと、魔力で輝く鉄の作り方、巨大な攻城兵器さえ、私はどうすればどうなるのか理解できる。

 

しかし、それは元から知っていることが今頭の中で解き放たれたような感覚だった。

 

感覚が、情報が、知識が、とめどなく私を多い、私はますます自分の中の執着とも忠誠とも言える何かが大きくなるのを感じた。

 

主従を知らぬはずなのに、求めてやまない何か。

 

もう一つの命を生きていた私は知らない、元からここで生きていた私が知らない私が、自分の全てよりも大切にしてきた何か。もう一つの世界で生きて死んだ私が求めていた、求めてやまなかったが、結局手に入らなかったもの。それ故に死してなお、求めるもの。

 

不思議な感覚。私は自分一人で自問自答しているようで、今の私と、もう一つの世界の私と、そしてこの世界で私が生まれる前に生きていた私の…きっとこの体の不思議を纏っていた私との対話を重ね続けていた。

 

足は止まらない。高鳴り続ける胸は歓喜を叫んでいる。私はわからない。今の私は分からないのに。私は生まれて初めて嫉妬を覚えた。自分の知らないその愛しくてたまらない何かを知っている、私以外の二人の私に。仲間はずれは嫌だ。

 

気づかないうちに、私は巨大な原っぱに来ていた。森の中にできた、もう一つの世界で生きていた私が言うところのギャップというやつである。

 

小川が流れていて、私はそこで無性に今の自分の姿が見たくなった。水面に映るのは美しい女だ。

 

髪は前にも増して美しい白だ。銀でさえも眩むような透き通るような美しさはしかし、純白と言うべき潔白だ。瞳は青かった。奥の奥、水晶体のその先まで、脳の奥深くにはピンク色の肉ではなく、灰色に超演算を弾き出す量子の群が泳いでいる気がした。肌は白い。前世でも私の肌は白くて、でも髪は黒かったらしい。顔を構成する全てが美しく。例え瞳だけ、眉だけであってもあらゆる美を知らしめるような色気と艶やかさが放たれていた。妖しいまでの美しさが、私がそれこそ怪物になったかの様な錯覚に陥るほどに明らかだった。耳の後ろあたりから伸びる短めの角と、自由自在に動く緻密な鱗を纏う尻尾は私の姿に反逆するように漆黒だ。色を全て閉じ込めてしまうような煌めきを放つ、黒曜石が言い得て妙なそれは何人にも侵しがたい神威を放っていた。

 

見とれた。今、自分の顔を写すこの水の鏡を壊してしまっても、またこの私は現れるのだろうか。

 

そんな不安と期待が入り混じる好奇心に任せて私は乱暴に掻き回すように水を掬い取り、飲んだ。

 

自分の顔の美しさは素晴らしかったが、この喉を通る水もまた漏れ出る声を堰き止めることのないほど美味だった。

 

しばし呆然とし、ひと心地ついた。私は再び水面に映るのは神秘と対面した。

 

そして、今の自分の自由さに感動を覚えたのである。

 

それまで、復讐とも言えない複雑な何かに悶えていた私は決して自由ではなかった。何か、天秤を壊したことで私はただびとでしかなかった私との決別を果たしたが、それは真の意味でまだ見ぬ、この胸をたぎらせる大切な存在へと至る者にはふさわしくないものだったに違いない。

 

私はきっと振り回されてしまったことだろう。天秤が壊れたことで私の中で押し込められていた意識と知識が解放されたのだろうが、それは決して私が完成したからではないのだ。

 

私はもう一つ、こうして気づくことで初めて生まれ変われるのかも知れない。本当の意味で非情になることができるのは、やはりより大きな力で強すぎる力の手綱を握りしめることのできるものだけなのだ。

 

でなければ、我が子との対面を果たすことすらできないだろう。

 

これは私の言葉か、この世界の古を知る私の言葉か、はたまた命も厭わぬ渇望の末にさえ手に入れられなかった宝物を死してなお諦めることなきもう一つの世界に生きた私の言葉か。

 

何にせよ、私は目が覚めた思いだった。目的もできた。今日は眠ることにした。

 

瞼が重いと思ったのは久しぶりだった。

 

 

 

明け方の轟音は森中に、大陸中に、そして世界中に奇跡の誕生を知らしめる神代の産声であった。

 

朝起きたら目の前の原っぱが根こそぎ吹き飛び、向こうまで木々が倒れていた。

 

胸を抑えて起き上がる。知らない。私は知らない。こんな高鳴りを知らない。今まで、それは未知でありながら既知のものだった。けれど、失われたものであり、渇望しても手の届かないものだった。

 

でも、これは違う。本物だ。求めていたものだ。私の全てだ!私の光だ!!

 

いても立ってもいられなかった。勝手に流れ落ちる涙を振り落としながら、未だかつてない歓喜に心と体を震わせながらその輝きの元へと向かう。

 

龍の力は強大で、一朝一夕で扱えるものではなかった。けれど、それがどうだろうか。あの光が!あの奇跡が私に近づけば近づくほどに声高らかに私の意志に服することを宣誓するのだ!

 

人馬一体の妙技の如く、気づけば完全に理解しきった体を最大限に活用して、トップスピードでその奇跡の光へと擦り寄る。

 

巨大なクレーター。周囲には古代の遺跡らしきもの。そして、クレーターの真ん中に煌々と照る、まさに太陽ともいうべき、漆黒の石とも金属とも言える何かが落ちている。

 

私は体が動くに任せてその光を掻き抱く。一抱えもある、赤子が入るような大きさのそれは温かく、尋常ならざる波動をシンシンと発して、私の心と体を、私の全てを鷲掴みにした。

 

「あぁぁ!!この子だ!!この子なんだ!!待ってたんだ!!ずっと!ずっと!ずっと!何千年待ったろうか!!!あぁ!!君なんだな!!忘れてない!忘れるわけがないだろう!!!ぁぁ!!」

 

私の中の、古い時代を生きた私がそう叫んだ。たまらないのだ。堪えきれない歓喜は幸福をそのままに脳髄へ打ち込まれるような狂おしいほどの高貴な快楽だった。

 

「ふふふ!!まっていたんだよ!前の世界では出会えなかったね!でも大丈夫!!私がいるから!!私はここだよ!!君を最後まで腕に抱いてあげられなかったの!!!でも、君は今ここにいる!ごめんね!でも嬉しくてたまらないんだ!!あぁ、なみだがどばらないよぅ!!私の子だ!!君こそが!私の子供なんだ!!」

 

もう一つの世界で生きて死んだ私が顔を喜びの涙でしわくちゃにしながら訴えた。嬉しい、幸せ、母性、愛情、執着…ドロドロなそれは気味悪さを感じるほどに歪みがなく、真っ直ぐで貫くように鋭く、鉄よりも硬い。全てがほとばしりが、止まらなかった。

 

「…私にはもう何もない!君だけだ!!私はもう君だけがいてくれればいい!!君を幸せにする!!どんな願いも叶えてみせる!!私は知っているんだ!!君だろう?君が私を救ってくれたんだろう?なら当然だ。私は君のために生きる!!もう決めたんだ!!私は他の二人と共に全てから君を守る!!!君が望めば全てをその通りにするさ!!!だから、ね?私と一緒にいてほしい!!もう嫌だ!!失いたくない!!!奪われたくない!!!でも!あぁ…これは怒りでも、悲しみでもない。なんで素晴らしいんだろう?君への思いが私に教えてくれたんだよ?私は死んだ!今、昔の私は死んだ!!弱く、愚かだった私は死んだ!!もう死んだんだ!!君が殺してくれた!!」

 

「だから、もう迷わないよ。曇らないよ。間違えない。奪われない。君のものだからね。君が望む、そのすべてが。当然さ。」

 

そして、今の私もまた思いの丈を全て打ち明けた。こじ開けられてしまったそれはしばらく止まらなかった。結局、言葉をいくら並べても人間は難くて、私は魔のもので、家族は私のせいで死んで、家族を殺したのは人間で、弱いくへに強い私だけが生きて。

 

そんな私は今死んだ。迷うものは無くなった。私は自分を許すことができた。家族は死んでしまった。失ってしまったものは決して戻ることがない。私はそれを知っている。だから、一度私は死んだんだ。

 

この子だけが家族。父さん、母さん、兄さん、姉さん。大丈夫、この子はとってもいい子なんだ。

 

全部、知っているんだ。私の大切な家族がどれだけ酷い苦しみを味わったのか。姉さんたちは結婚どころかお付き合いだってまだだったじゃないか。

 

大切な宝物を育む大事な場所を、無遠慮に、暴力で持って引き裂かれたんだ。私は姉さんたちが残せなかった分もこの子を大切に大切に育てるよ。

 

私は魔のものだけど、同時に父さんたちの血が入ってる。私がこの子と一緒に全てを清算させるよ。だから、安らかに眠ってほしい。

 

私は腕の中の黒い奇跡を抱きしめた。この子が放つ波動はとくとくと穏やかで優しい。全てを癒してくれる。

 

私の中の私はこの子がまだ生まれる時ではないと言っている。私は考える。この子が生まれた時、きっと素敵なお家が必要だ。好きな食べ物もたくさんあると良い。温かい寝台も必要だ。この子を可愛がって、守ってくれる人も、愛してくれる人も…本来ならすぐさま会えるはずだったのに…なのに、足りないから会えない。全然足りない。私は腹の奥底が憤怒で満たされることを許した。

 

 

さぁ、始めよう。子育てに必要なものを揃えぬ限りには遥かなる存在を迎えることなど傲慢が過ぎるというものだ。

 

愛しの我が子のために用意しなければならないものは多い。そして、それらを揃えるために奮う力は全て揃っている。

 

私はこの子のために生きる。もう失うものはない。この子を失うなど断じて許容しない。汚れた大気を一息吸わせることすらも許さない。中途半端な美食や美姫など許さない。全てを受け止め、全てを遂行し、全てを捧げて初めて逢い見えることができるのだ。

 

私はもう二人の私と意志と目的を一つにした。

 

もはや恐れるものは何もない。

 

愛しい奇跡を胸に抱き、ゆっくりとすり鉢型のクレーターを出た。

 

クレーターを出た私は先ほどから増え続けている無数の瞳と気配にむけて高らかに宣言した。私の中から古の龍たる私が意識に現れた。魔力を膨らませ、覇気を波動にして世界に宣告する。

 

「今ここに!我らが大いなる主君!御宇(ユーニアスター)は座し給うた!!!」

 

「おおおお!!!」

 

名も知らぬ魔の者ども。しかし私と同じ、魔の輩故に理解できるこの奇跡の神聖を全ての頂きにして、私は堂々と続ける。

 

「ここに!我らが戴く御宇より幾星霜越しの勅命が下された!!御宇の威光の下に魔の民による唯一の国を建てるべし!!!真の主を迎えるための揺籠を拵える大任!確かにこの古龍人(エンパイオス)の末裔、ユリアナ・ツェーザルが承った!!!」

 

「主より賜りし聖なる姓はディクタトラ!!!」

 

「この日までよく耐えた!御宇の名の下に団結し、古の森に繁栄を築かん!!!」

 

オオオオオオオォォ!!!!

 

 

魔の民は血で結ばれている。その血はあらゆる過程と困難と吹き飛ばし、訴えかける信服に従うのだ。

 

古の森にのこる森の掟をも上回るその奇跡は、幾千年振りに宇宙(そら)の意志に守護された魔の輩の神主と崇め奉られる御宇(ユーニアスター)が再臨したことを証明していた。

 

ユーニアスターは最初にその奇跡に触れたものを自らの傅役と決め、最大の奇跡を与える。

 

奇跡は聖なる名前として現れ出でた。魔の者どもの歓喜は古の大森林奥深くから三日三晩響き続けた。

 

ここに、ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラ。

 

またの名を、ユリアナ・カエサル・ディクタトラが誕生した。

 

彼女はこの奇跡の再臨から一年足らずでバルカン帝国を建国する。

 

大陸総面積の約十分の一を占める古の大森林全域を完全に掌握支配する前代未聞の巨大帝国の誕生であり、それと同時に、揺籠の100年の始まりであり、全ての魔の民…森人(フォームレスト)の栄光の始まりにして、散々好き放題してきた無法者が味わうこととなる絶望への始まりの時であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話 森林帝国の誕生

第一話 森林帝国の誕生

 

 

「ここに、バルカン=テトラ神聖帝国の樹立を宣言する!!!御宇に全てを奉献せよ!!!神聖皇帝テトラ・バルカン・ドラコニウス・ノトヘルム=ノトガーミュラー・バシレウス陛下に絶対の忠誠と尊崇を捧げるのだ!!!」

 

ユリアナは巨大なマジックスクリーンを前に国都テトラリアより、帝国の全都市に向けて御宇の戴冠と即位を宣言した。御宇の戴冠と即位、それはすなわち正真正銘、ここに魔の民が崇める唯一無二の神をも凌ぐ真の主が統治する国家が誕生したということである。

 

有史以前を含めれば数万数千年越しの悲願の達成である。

 

魔物と呼ばれ、蔑まれ、忌み嫌われ、排斥され、迫害され、遂には住む場所を奪われた魔物…その実は森人(フォームレスト)と呼ばれる、この星以外の星をルーツに持つ人間とは異なる種族の、代々絶やされることなく伝えられてきた伝説が現実のものとなった瞬間であった。

 

この日ばかりは日頃の血族同士の確執など気にもならない。盛大な宴が国都テトラリアを始め東西南北に鎮座する衛星四公国の公都やその他全ての地方都市にて開催されていることだろう。

 

御宇暦三十五年の魔導電池の開発以来急速な技術革新が繰り返されてきた。それは宮廷府の政治権のトップ執政総監としてかれこれ百年は仕えているユリアナ・ツェーザル・ディクタトラに言わせれば全てこの日の為の御用意に他ならなかった。

 

魔導電池に端を発したマジックエレクトロニックテクノロジーは国都テトラリアを震源地として瞬く間にバルカン帝国全土の生活水準を百年引き上げた。人類による技術の占有と、森人同士の血族対立、民族対立により生かされるはずのものが生かされないままに数千年を過ごしていた。人間に原人以下と貶められ、嘲笑されてきたフォームレストたちにとって、人間を遥かに凌駕する豊かさを僅か三十五年で享受するに至ったのは、正に神にも勝る、御宇のみがなせる奇跡の御業であった。

 

今日この日、伝説が現実となる瞬間を全ての国民が見届けた。マジックスクリーンと呼ばれる特性の超高性能魔導電動全自動巨大砂絵描画装置によって神聖皇帝戴冠の瞬間がリアルタイムで描画された。幾千年の間待ち続けた福音が形となってそこに存在することは耐え難い感動と熱狂の渦を帝国全土に生じさせた。

 

生まれて初めて自らが戴く主の一挙手一投足までが過分なく届けられたそれは、帝国魔導電動機器公社が販売するお手頃価格なミニマジックスクリーンと、その中に保存された情景を再描画できる魔導回路埋め込み式石盤、その名もマジックバルジの売上を飛躍的に伸ばすこととなる。特に老若男女問わずダントツの人気を誇るのが「バルカン=テトラ神聖帝国誕生〜戴冠式典と即位の名場面全集〜」である。マジックバルジの定価は2000〒(〒=テトラトラスト)である。これは大体一般的な家庭の1日分の食費に相当する。

 

戴冠式典と即位式典の様子はその開催の一週間前に告知され、事前に各主要都市において縦横20m×40mの超巨大マジックスクリーンの設営が行われた。

 

一週間前からスクリーン予定地に陣取るという猛者が各地に出没し、一時は血族間の相性の悪さから係争が起こらぬように各都市の国防軍部隊が警戒を強めるという一幕もあった。

 

その後も一日経過ごとにスクリーン前の陣取り合戦。

国防軍の緊急出動、地方でのお祭り騒ぎと賑やかな日々が続いた。式典本番の前日、一転して静かになった帝国全土は当日早朝から熱狂が包んでいた。

 

式典の後は国庫放出の大祝祭が全国で華やかに開かれる予定もあり、流石に今日は全国一律で警備担当の武官は徹夜を覚悟せねばならなかった。

 

式典が始まった時、スクリーンに描かれたのはそれまでの仮の皇帝位を改めて、神聖皇帝としての装いで登場した御宇たるテトラの姿であった。

 

国民の殆どがこの日初めて皇帝の姿を目にした。感動に咽ぶ声が響き、そこかしこから万歳三勝も聞こえた。

 

皇帝の姿は正式な場にふさわしく、その神々しさを遺憾無く表現したものだった。

 

頭上に戴くのは帝国で最も希少な宝石であり、他ならぬテトラを包み込んでいた漆黒の天玉石(カルメルタザイト)をあしらった世界に二つと無い神聖皇帝の為だけの月桂樹である。樹状部分の金属を帝国の技術力の粋を結集して鍛造した最高品質の魔導重鉄鋼で用い、これを細く成形した上で精緻に編み込んだ。

 

身に纏っているのは紫金のトーガであり、これは皇帝のトーガにのみ許された最も尊い彩色である。トーガそのものも、帝国で最も貴重な糸…即ち、世界に一人しか存在しない古の龍人ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラの白銀の御髪を用いて数十年の歳月をかけて作らせたものである。これもまた世界に二つと無い絶品であった。如何なる刃も魔法も通さぬ強靭すぎる古龍の御髪を紫に染色する過程も困難に満ち溢れたものだ。竜種の中でも貴種に類する龍人(ノブレンシア)の中の、さらに数が少ない火龍人の吐息を用いるのだ。撚り合わせて編んだ白銀の絹布に只管、灼熱のブレスを三日三晩欠かすことなく吹きかけ続けて辛うじて柔らかく解し、これをドワーフ族の鋳鉄の極意をもって更に三日三晩打ち叩くことで少しずつ圧し伸ばすのである。形状記憶の如く元の大きさの絹布へと戻ってしまう前に、ここで紫の染料に丸一晩漬けるのだ。その間は火を消して絶やすことなく、グラグラと滾る高濃度の紫の魔道染料で煮込むのだ。そして出来たものをさらに三日三晩火龍の吐息で押し解し、ドワーフの大金鎚で更に解し、更にもう一晩染料で煮込む。それをさらに二度と繰り返して初めて高貴な紫のトーガが出来るのである。仕上げに純金を惜しみなく縁を取るように埋め込んでいく。一週間かけて緻密な装飾模様を施し、ついに紫金のトーガが完成した。このトーガを作る為だけに該当年度の国家予算の3%が投入されている。因みに、これは国民による意思決定の最高機関である血族連盟中央議会において満場一致の賛成で可決された予算案である。

 

尊きの極みは例え足元といえども隙がない。無論、前提として百の案、百の副案、百の協議の上に皇帝の装束はコーディネートされている。陣頭指揮は無論のことユリアナである。

 

皇帝の御御足を包むのもまた国宝として扱われることが決まっているなめし革のカリガである。使われている革もまた伝説に歌われるような獣人が献上した自身の革である。その獣人の名前はニーライ・ライ。獣人の貴種の中でも特に希少な白熊獣人であり、その中でも貴公子と呼ばれ敬われている魔人(マギア)であり、その純白の毛皮は一切れといえども千金に値する。

 

それを、魔導で治療が可能とはいえ自らの手で分厚い皮膚を裂いて革を献上したのである。出血も厭わないその忠誠心は帝国民の人口に膾炙している。

 

さて、献上された毛皮は表面の剛毛をほんのりと焼くことで払い、分厚く丈夫な力強い皮革に加工された。皇帝の御御足を例え万に一つでも傷つけることなきように丁寧になめされた革は国一番の靴職人としても名高い築城名人にして森林省副総監を務めるホビット族のセイント・マスター・ジェイムズが手がけた。黒の染色は最高級の黒曜石を削り、溶かし込み、それを耐熱性も高いニーライの革に直接焼き込んだのである。こうして煌めくような星降るカリガが完成した。

 

豪華絢爛。たとい人間の王侯の中にもこれほど贅を尽くした装身具を身に纏える者は存在しまい。

 

ゆっくりと毛足の長いフカフカのレッドカーペットを歩く皇帝の姿は、一歩進むごとに光が舞い散り、穏やかな癒しの奇跡を見るものに齎し、まさに現人神の降臨であった。

 

命じられずとも自ずから跪く臣民が後を絶たなかった。

 

その日に全ての祝福が帝国に降りかかったとするならば、しかし、それは人類には未知の恐怖が豪風の如く大陸中を駆け巡った日だった。

 

そして、その恐怖は帝国が建国されて間もない100年以上前から燻り続けてきた。それでも暴発することなく、ただ傍観と威力偵察と情報収集に徹していたのは単に古の大森林への積層した敗北の歴史を鑑みてのことであった。大規模侵攻がいつ起こるかわからない。しかし、それは時が定められていないだけであり、明日かもしれないし、今日の今今から始まるかもしれない。帝国の民は文武の別が明確に存在し、戦争権と軍事統帥権は皇帝の特権である。帝国内に住まう森人に人間を恐れる者はもはやいない。怯えて暮らすのは遥か昔の話である。誇りと忠誠と信仰を胸に、豊かな暮らしを享受する彼らは自分の職分を諸外国の人民と比較しても深く理解している。

 

彼らにとって職業とは最早生きるためにままならず行うことではない。皇帝への滅私奉公に自らの存在意義と誇りを見出すが故に行う忠勤であり、生きがいを得る為の趣味であり、時に最新の魔導家電を買うためや生活を豊かにするために余分に貨幣を必要とするときに片手間に行う、謂わば娯楽の一つである。

 

対して、むしろ戦争とは特権であった。戦争に従軍する義務を負う戦役義務とは別に、軍武官にのみ許される特権こそが軍務権である。これは、国家の防衛を職務とする少数精鋭の国防軍/近衛軍/親衛軍/禁衛軍に所属する軍武官にのみ許された最高の名誉である。

 

軍武官以外の文官には自衛権はあっても、防衛戦争や侵攻作戦への従軍が義務の範囲を除けば許されていない。戦争とは神聖なものではないが、しかし、けして万民が従うことを許された場所ではない。それが国防軍をはじめとした帝国の戦争という概念への最終解答であった。軍人は戦う。戦う自由のもとに戦う。戦いたくない者は戦う必要はない。然るべき命の使い道を欲せよ。その信念に従い、帝国は武と民に絶対的な線引きをおこなっている。皇帝権を用いない限り徴兵令も出すことはできない。これは如何なる例外も許されない。

 

そして、銃後は絶対的な安全のもとで軍兵を養うのである。これらの違いは、貨幣経済を導入して生ずる貧富の格差が社会的な不安定を呼ぶことなく豊かさを享受できること、また名誉と誇りこそ職務遂行の最重要課題であるとする帝国民にとって当たり前である一方、人間の国家からすれば異質に尽きるものであった。

 

それらは恐れを増幅させ危うい暴発を招きかねなかった。しかし、いつ如何なる状況に対しても帝国は超然として薙ぎ払う覚悟を持っていた。

 

時代は動いた。事態はリアルタイムで状況を開始した。日向にその舞台を移すには時間があった。最初の演目はジメジメとした日陰で繰り広げられる影たちの闘争であった。

 

突然であるが、宮廷府外務省と国防省の徹底的な監視体制は人間国家から送り込まれた間諜の動きをほぼ正確に把握していた。各省のトップであるのは総監である。外務総監のミョルニル・モロトシヴィリと国防総監のプブリウス・コーネリア・スキピオ・マイヨールはどちらもが筋金入りの皇帝主義者であり、ユリアナ女史と共に長きに渡り帝国を支え続ける重鎮である。

 

彼と彼女はそれぞれ守りの防諜と攻めの諜報を分担しており、彼らの動きは人間側が考えている以上に拙速を尊び、しかして正確かつ必要十分により近い判断を下す。総じて優秀な文官と武官を有していることは語らずともわかるであろう。

 

その監視網の下であえて泳がせ続けた中の一人、北西に国境を接する大国ログリージュ王国所属の男が西部の公都にて式典が終わったのをスクリーン越しに見届けると行動を開始したことが確認されたのだ。

 

男の所在地や情報の詳細は地中に巡らした魔道電信線を介して西の森林を統治するイスパナスの公都ザマスの国防庁諜報局に数分で恙無く伝達された。

 

男の名前はゼルプ・ディートリッヒ少佐。

 

ログリージュ王国の護国卿(軍務大臣相当)であるベラノート侯爵ヴァレンシュタイン元帥直下の対外諜報部隊に所属するエリート軍人で生まれは錠前屋。先祖代々ログリージュで生まれてログリージュに骨を埋めてきた生粋のログリージュ人だ。

 

国内に特任大使付武官として帝国へ入国したのが三年前だ。大使付武官として任命されていながら帝国の外務官僚との会見では一度として護衛任務に参加していないことが分かっていた。このことから推測するに彼は入国前から本国、またはヴァレンシュタイン卿からの密命を帯びて諜報活動を行っていたと考えられている。現在までの彼の行動の捕捉率はほぼ八割である。

 

三年間の間の移動履歴が残されており、今回突然に西部国境地帯へ向かったこともその監視網から報告を受けたのである。

 

西都ザマスでは一時いざ拘束に乗り出そうとしていたが、中央の外務省からの放流指令により断念された。

 

結論から言えば、ゼルプ・ディートリッヒ少佐は西部の国境からの脱出を成功させた。見逃されたという表現が正確だが、彼が逃げ果せたのは間違いでは無い。彼は森林帝国の新生とその膨張をこれ以上看過すべきでは無いとの判断を下し本国へと帰還し次第上司のベラノート侯ヴァレンシュタインへの報告を果たした。緊急で御前会議が開催され、ログリージュ王国国王フリードリヒ・マグヌス二世はバルカン=テトラ神聖帝国の西部領イスパナス公国への侵攻作戦を王命で発した。疾風の勢いで大陸西方各地では外交官が飛び回り、西方諸国連合は総勢六十万規模の遠征軍を派遣することを決定した。作戦決行は来たる雪解けの初春である。最終目標は公都ザマスの手前、西方前線における一大拠点、第二都市フラーテル・コリントス(戦略目標B-02)の攻略である。

 

ディートリッヒ少佐は持ち帰った情報や三年にも渡る長期諜報作戦に従事したこ実績を鑑みて二階級特進し大佐となり今作戦の先鋒を指揮する権限を獲得した。

 

雪解けの春まで三ヶ月。来たるべき時に向けて西方諸国連合は前線への物資輸送と兵員の入営を開始した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 宮廷府の一日 前編

第二話 宮廷府の一日 前編

 

宮廷府の朝は早い。

 

バルカン=テトラ神聖帝国。またの名を森林帝国は広大な古の大森林を完全に統治下に置いている。その国土は並の国家の二倍にも及び、総面積は大陸の陸上面積の約十分の一に及ぶ。しかし、これに対して居住と耕作に適性のある平野部は少なく、反比例的に山岳地の地下資源や鉱山資源、内海を含む数多くの河川による水質資源などに恵まれている。そのため、総人口約3000万人の森林帝国は、その六分の四程の国土を持つログリージュ王国が総人口約7600万人であることに比して人口密度が低いともかんがえられる。

 

人口の分散とその地理の特質から、建国後しばらくして公国分権法令(御宇暦050年)が発布、施行された。

 

これは今日の帝国において、その四方、東西南北の四方面を守護する衛星国たる四つの公国が誕生したということに他ならない。公国主は皇帝より森林守護官として外交や軍事に強い権力を発動できる。中枢での信任厚いもののみが任命される顕職である。

 

さて、四公国は東西南北の順で呼ばれることが多いが、これはそのまま対外脅威度の問題も孕んでいた。外交も重要視されるため、外交上の独立名称が中央から下賜され、東から森威(シンイ)公国、西はイスパナス公国、南はマケドナ公国、北はソヴィア公国と名乗るに至った。

 

広大な森林を五つに分割し、その最中央に四つの宮殿兼要塞を築きこれに守られる国都テトラリアを建てた。中央政府として宮廷府が置かれ、四公国領はそれぞれの執政府が各州、各軍管区、各主要都市群を統御する体系を取ることとなった。

 

地方への分権は中央の負担を和らげたが、それと同時に宮廷府には地方から遡上してくる重大な事案の比率が多くなった。公国各領と比較してその行政範囲がかなり狭い宮廷府だが、しかし中央政府は通常業務量の軽減と引き換えに朝から決済と会議の連続である。

 

 

そんな宮廷府の一日である。

 

 

午前八時。魔導蓄電池が開発されたことで民間にも普及した魔導式機械時計がここ、宮廷府にも業務開始の音を響かせた。ボーン、ボーンと響くそれに従って皇帝の住まう国城マリウス・マグナ城塞を環状に囲む形で配置された各専門省各部署では朝礼が開始される。宮廷府の専門部署は執政省/内務省/財務省/森林省/国防省/近衛省/法務省/外務省の八省が請け負っており、これとは別に地方が中央統治への監査機関として執政府外局が設けられている。各省の職位は上から総監>副総監>次監>総官>令官>大官>使士となっており、先程の執政府外局とついになる地方統治に対する監査機関たる宮廷府外局はそれぞれトップが監査令である。また、地方は八専門庁で、各庁トップは次監であるため副総監は中央にしか存在しない。

 

 

執政省の一日は極めて多忙である。

 

「諸君ご機嫌よう。朝礼はいつも通り省略とする。本日は午前九時から西方イスパナス公国の執政次監との協議。午前十一時から国防省プブリウス・コーネリア・スキピオ・マイヨール総監との冬季防衛計画及び春季配備計画の会議、午後一時から来年度予算案の建議を行う。午後五時に終業。各員過不足なく職務を全うせよ。」

 

執政総監ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラはそういうとすぐさま総監室を飛び出して午前九時までの一時間で皇帝テトラの御目覚め任務と御朝食任務を遂行する。テトラが黒石から生まれて六年。一日たりとも欠かしたことのない生きがいである。

 

総監が退出した後、総監室から各々職場へと戻り資料の準備や遅めの朝食を取り、午前九時のチャイムを待つ。

 

ボーン、ボーン。

 

各部屋と廊下には直通の魔導発電式音声交換器が取り付けられており、チャイムの少し前に先方であるイスパナス公国の西都ザマスの執政府から派遣された執政官(コンスル)の一人でイスパナス執政庁のトップである次監を務めるオクタウィナスが到着したのが報告されたからだ。

 

オクタウィナスは帝国では珍しい栗色の髪をした人間種の男である。対人間国家への諜報網を擁しており、その点でも有能な官僚だ。

 

午前九時になり会議が開始された。

 

「今回の議題は西部の異変について。西方諸国連合と我が国の国境地帯に物資の集積が開始されており、外交上の寛容策実践とは全く矛盾した状況にあります。我々が聞きますに、最前線を張る第二都市フラーテル・コリントス(B-02)の軍管区からの上申では既にログリージュ軍をはじめとして西方主要国の兵が多数入営し始めているとのことです。兵装や兵種の詳細に関して国防省庁との擦り合わせには公都ザマス衛戍軍軍政院のマルス・クラウディア・マルケッルス軍団長兼副総督を派遣しました。」

 

「なるほど、状況は理解できた。私たちの今後の方針としては迎撃体制を春までに構築する予定だ。詳しくは後ほど国防総監と話し合うことになるだろう。」

 

「かしこまりました。私共としましては出来るだけ早めに物資の備蓄と、願わくば近衛師団の派遣をお願いしたく思います。現状、最前線の城塞都市での疎開と受け入れ、国防軍各軍団入営の為の手続きに奔走しております。今のまま進めば二十日以内に予め総監がご用意された戦時体制に恙無く移行できると思われます。」

 

「それは重畳。物資の備蓄はそのままで行っていただきたい。変に放出して軍費の嵩増しには奔走しない方が懸命だからな。財務総監がうるさい。近衛軍は近衛省との折半が必要だ。恐らくは陛下からの御裁可が降り次第派兵に取り掛かる。戦時体制は西方イスパナスは勿論だが東方シンイ公国にも戦時体制への移行勧告を通達する。」

 

「…錦帝国と西方諸国連合が手を組むとは思えませんが…。」

 

「だが、決してあり得ないことではない。万が一あり得る可能性は全て潰す。徹底的に、な。僕ちゃん…じゃなくて陛下には常に最高の帝国と最高の家臣、最高の民と最高の富が捧げられなければならない。絶対条件だ。局所戦の敗北ならまだしも足を救われたなどという失態は万死に値する。」

 

「はっ!!しかと心得ました!」

 

「では会議は以上。私は僕ちゃん…っではなく!陛下の午後のお茶の時間に献ずるための焼き菓子を焼いてくる故暫し退出する。」

 

会議が終わるとユリアナは流れるように退出した。残されたオクタウィナスは残された執政省の官僚と詳細を擦り合わせることとなった。

 

午前十一時五分過ぎ。皇帝のお茶の時間が終わったのと同時に、一足遅れてユリアナともう一人が国防省にある会議場に入場した。

 

「すまない、五分ほど遅くなってしまったがこれより冬季防衛計画と春季配備計画について策定していきたいと思う。」

 

「やぁ、すまないね遅れてしまって。僕は早く行かないと遅れちゃうよと忠告したんだけどね。中々ユリアナが陛下から離れてくれなくてさ。まぁ、いつものことさ!」

 

「しっ!そこ!静粛に。では、これより会議を始める。まずは冬季の防衛計画について、西方公都ザマス衛戍軍軍政院マルス・クラウディア・マルケッルス副総督よろしく頼む。」

 

謝りつつ早急に議会を開始しようとするユリアナ。そんな彼女にニヤニヤと楽しそうに笑いかけつつ先ほどの出来事を指摘したのが国防省総監をつとめるコーネリアである。

 

背中から生える翼、籠手と鉄足のような黒の緻密な皮膚で四肢を覆った美女。盟友である鷲の飛翼人(コンキスタス)で魔人(マギア)のプブリウス・コーネリア・スキピオ・マイヨールの指摘をはたき落として会議を進行するユリアナの姿は彼女を知るものからすれば平常運転である。

 

最初の議題は冬季の間の防衛計画である。本来なら他の三公国も含めて議論するのだが、今日は予定を前倒しして前線での動きが活発な西方での防衛計画を一足先に策定する予定となっていた。

 

資料を片手に姿勢を正した外見は人間の体にハヤブサの顔と翼がついた人間…飛翼人(コンキスタス)女性のクラウディアに注目が集まった。彼女は西の公国イスパナスの公都ザマスにおける国防軍イスパナス方面軍衛戍軍軍政院…いわば現地に非常時を除き常駐している国防軍を統括する行政を司る執政府とは対となる公都の軍権を司る政府…No.2の副総督である。彼女本人も軍を率いる軍団長職に就いているが、軍政院では執政院が文官の城であるのと同じく、軍武官の城であるために軍官僚としての専用の役職が存在しているのだ。文官も武官も政務と軍務を熟せる頭と腕が必要な専門職なのはこの国の特色であるが…それはさておき、注目を意識しながら彼女は話し始めた。

 

「本日は緊急で会議を開いていただき感謝します。今冬季の防衛計画について、現時点でのものをご説明いたします。」

 

ぺこり一礼したクラウディアは人間の騎士のようにすらりと背が伸びた美麗人である。これで戦時は鬼のような上官に早変わりするのだから人とはわからないものである、とは彼女の上司コーネリアの談だ。

 

「まず前提として、資料を参照いただく通り私共の国防軍イスパナス方面軍衛戍軍軍政院が統括する軍管区は全てで十管区ございます。それぞれに公都の衛戍軍とは別に三年で人員入れ替えをする常駐軍があり、十管区合計で約五万強の兵力となっております。これに加えて衛戍軍三万と後方支援に二万で総計十万の兵員を擁しております。これらの軍容の詳細は主力を現地出身の竜人族(ドラゴニア)五千名と東方シンイ公国から次三年間の常駐軍として入替られた黒森族(ダークエルフ)一万五千名、そして南方マケドナ公国からの入替要員で今年度までとなっていた獣人族(ランドノーム)三万名からなる混成軍約五万となります。獣人族(ランドノーム)の武官達には申し訳ないが、この点に関しましては再来年度までの任期延長を国防総監にお願いしたく。」

 

「うん。心得た、それで進めてくれていいよ。バイバルトには僕から伝えておくよ。君も彼も猛将ってタイプだからお互い説明が得意には見えないからね。」

 

「すみません…毎回口論になってしまうので助かります。」

 

「うんうん…君はいざ戦ってなると人が変わるからね。知ってる知ってる。さ、次に行こう。」

 

コーネリアからのフォローに感謝しつつクラウディアは防衛計画の本題へと話を進めた。

 

「では続いて、軍の配置としましてはB-02の第二都市フラーテル・コリントスとその周辺都市に先程の主力混成軍五万を集中するつもりです。これは西方諸国連合軍の現時点で判明している陣容から敵軍の目標がフラーテル・コリントスであると予測したためです。敵軍は我が方に対して何度となく威力偵察を繰り返してはきましたが、一度として大規模侵攻を行ったことがありません。オクタウィナス執政次監からの報告では多数の資材や石弾、黒油などが集積されているとのことから大型の攻城兵器を擁していると考えらます。」

 

「でも曲がりなりにもB-02は公都ザマス(B-01)を除けば十個の主要都市の中でも最大規模じゃなかったかな?攻城戦なら敵が多勢でも籠城しながら持久戦に持ち込めるんじゃない?持久戦なら主力を分散するにしても集中するにしても城塞都市に詰め込んだ方がいいきもするけどね。」

 

「B-02は主要都市の中でも数少ない平地に建てられた都市です。また付近には内海もあり、その立地から他の諸都市と比べて商業と交易が盛んで物資集積に利点があります。これは敵軍にとっても同じで、B-02が攻略されることは即ち敵の帝国縦深侵攻への足がかりを許すことに他なりません。加えて平地ゆえの利便性とは逆に、柔らかい土壌が広がっているため地下城塞施設の開発が不十分です。地上の城塞こそ森林省からウル・ベネポネラ・ヴォーバン総監にお越しいただき補強を重ねていますが…それでも単純な城攻めに対して周辺の、より規模が小さい城塞都市よりも遥かに脆弱だと言わざるを得ません。このことから利便性を活かした上で、かつ敵軍によるB-02攻囲を許さないために主力部隊による防衛を計画しました。」

 

「後方支援部隊はわかるとして、衛戍軍三万はどうするんだい?」

 

「動かすべきか、公都ザマスと第二都市フラーテル・コリントスでハッキリと分かれています。前者は衛戍軍の動員に否定的です。彼らの懸念は敵の後詰にたいして備えるべきだと考えていることにあります。我が方としましても大規模侵攻の経験がないため、我々の想定を上回る大軍であった場合に敵の脚を殺す遊撃戦力を用意する必要があると思われます。私も同意見ですので、私が指揮するイスパナス衛戍軍第二軍団は侵攻部隊の多寡に関係なく、敵後方部隊の遊撃殲滅作戦を展開します。しかし兵が多いことに越したことはありません。この点を解決するためにも近衛師団の派兵を考えていただきたいのです。最良としましては禁衛府より禁衛軍五騎の内一騎でも派遣してくだされば不安材料は消えたも同然となりますが…。」

 

「陛下に上奏してみるけど、期待はしないでおいてね。僕はいいかなって思うけど、多分隣の人が許してくれないと思う。」

 

「私は断固反対だ!!!」

 

防衛計画の内容があらかたで終わり、最後にクラウディアがもう一押しと要請した禁衛軍。これに対してユリアナは大きな声で反対した。コーネリアは案の定といった顔で聞いている。

 

「禁衛軍はそもそも陛下の玉体を億が一にも危機に晒された時に出陣する最終防衛戦力だ!敵の侵攻に対しては近衛軍を当たらせる!!それは約束しよう!!だから口が裂けても禁衛軍の供出など求めるな!!」

 

「も、申し訳ない…。」

 

「…いや、私も言いすぎた。次、次に進もう。春季の配備計画だ。…このまま、ここで近衛軍の派兵を決めてしまおう。待っていろ、ハミルカスを呼んでくる。少し休憩を挟もう。では、一時解散!」

 

しょんぼりとしてしまったクラウディアに流石に言いすぎたと思ったのかユリアナも反省の色を示した。彼女はクラウディアに悪いことをしたと思ったのか近衛総監から近衛軍の派遣許可をもぎ取ることを約束すると、休憩を挟むと一同を解散させた。一人部屋に残ったユリアナは会議場最寄りの固定の音声交換器から受話器を取るとハミルカスに議場へ来てほしい旨説明した。

 

時間は午前十二時を回っていた。

 




今年はこれで最後です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 宮廷府の一日 後編

新年初投稿。今年もよろしくお願いします。


第三話 宮廷府の一日 後編

 

 

「陛下の御裁可が降った。陛下が近衛軍の派兵のみならず禁衛軍が最精鋭五千騎の派兵をお許しになられた。陛下の勅許であるから我輩に異論はない。」

 

赤い角と明るい焦茶の髪色と同じ色の髭面の精悍な顔、赤い鱗の尻尾、浅黒い肌と赤い鱗に覆われた引き締まった肉体を持つ肩幅の広い龍人(ノブレンシア)がうむうむと頷きながら議場の一同に向けて事の次第を言い渡した。

 

彼こそが近衛省総監のハミルカス・バアルその人である。人口が少ない竜人族(ドラゴニア)の中の更に一握りのみが到達出来るとされる貴種:龍人(ノブレンシア)であり、その中でも権威の高い火の龍人(ノブレンシア)である。

 

ユリアナに要請を受けた彼は近衛軍の派兵、そして一応禁衛軍の派兵について皇帝に上奏した。人間国家の身分制度で言えば上級貴族に相当する公種の臣民位をもつ者に許された上奏権、公種のみが生まれつき持つ皇帝との私的な謁見が許される御謁権の二つを行使して、ハミルカスは現状と近衛軍の派兵の必要性、禁衛軍派兵の要請があったことを包み隠さず説明した。

 

常ならばユリアナが決して許さないであろう話の内容だったが皇帝はあっさりとそれらに勅許を与えた。

 

般若が背後に幻視できるユリアナは怒り心頭なのに対してハミルカスの表情はしたり顔である。というのもハミルカスはユリアナと険悪な訳ではないが、皇帝権を尊崇する立場ゆえに皇帝に対して事実を知らせなかったりすることは不忠な行為であると考えている。そのため、ユリアナの外交と軍務に係る対外不安に対する徹底した情報統制に関しては批判的である。今回の件は皇帝が世情に理解を示し、自分の意思で勅許をだした珍しい一件であった。

 

ユリアナの不満とは別に、ハミルカスは主君の主君たる姿を拝謁して嬉しく思っていた。

 

「あぁ、そうだ。禁衛軍は来月に西方に向けて出立する。再来月には入営と諸々の配備を済ませるだろう。あと、今回は我輩の長女、五騎次席の竜騎大将軍が軍権を頂戴した。以上である。」

 

言うだけ言ってハミルカスは議場を後にした。

 

「………陛下が許されたのだ。私も異論はない。」

 

拗ねたようにユリアナが言うと暫くしてから今度こそ解散となった。来春に向けた配備計画会議は明日へと延期された。

 

 

 

 

午前一時となった。ユリアナと数名の執政省高級官僚は今度は財務省の会議場で、神経質な官吏の多い財務官僚たちと卓を囲んでいた。

 

状況を簡単に説明すると、苦虫を噛み潰したような顔の執政省グループが不満タラタラの財務官僚たちの話を聞いていると言う状況だ。

 

 

「うんうんうん。わかるよ。君たちの言いたいことはよーくわかっているとも。要するにあれだろう?我が愛しの陛下の富を少しでいいから西に回せと言うのだろう?うーん。わかってるよ。理解できるさ!しかしだねぇ…これは少し違うと思うんだ。物資の備蓄はまだあるのだろう?今年の残存分がまだこんなにあるじゃないか!これはつまりさ、来年度までにこれだけの量を放出品として捌く必要があるってこと、そんでもって去年の予算が明らかに過分だったと言うことだよ?だってそうだろう!今年度の初めの予算案ではイスパナス公国財務庁によると魔導電工公社の売上純利益だけで約1300億6000万トラストの収入があった。このうち公都ザマスと件のフラーテル・コリントスだけで500億5000万トラスト稼いでる。まぁ、それは良いさ、帝国は税制が金納じゃなくて魔力納税制だからね。財政はどこを見たって頗る健全さ!人間とか言う猿どもの国みたいに火の車なんてどこにもない!貧富の差で苦しむ民は我が国には存在できないよ!」

 

「…だけど、だよ。僕が疑問に思うのは、臨時で増築するフラーテル・コリントスの為に従来通り全額国庫負担にすることなんだ。国庫は何か理解しているかい?ついこの前、戴冠式での大放出なら仕方ないと思えるよ。消費を呼び起こすことは陛下の御威光を高める意味でも重要だと思ったからね。けど、実際の数値に起こしてイスパナスの十大主要都市各兵営に残ってる120億トラスト相当の余剰軍需物資を全て買い上げたとして、それを販路に流すのだって僕達なんだよ??その上、勅許があるからって450億トラストも使ってフラーテル・コリントスを補強したのだって僕たちだよ?少なくとも一週間は業務を全部要塞補強費諸々の会計監査に使ったんだからね!」

 

怒涛の勢いで捲し立てられる不満の数々。彼の身振り手振りがついた高説に周囲の財務官たちは頻りに頷いている。

 

「わかったわかった!お前たちの言い分はわかった!だが!今回だけは押して出してくれ。」

 

「むむむ。そこまで言うなら…まぁ、仕方なしか。はぁ〜…愛しの陛下…どうか弱い僕を許してください…。」

 

さっきまで噴火するみたいに捲し立てていた、今は手を擦り合わせて拝んでいる美青年こそが、墾窟族(ドワーフ)の中でも経済に滅法強い金の氏族出身の財務総監ゴルド・ドワイテラ・ロートシルトである。さらさらの金髪に青い目、不健康なほど白い肌でいかにもな美青年なんだが、その性格は兎に角神経質でねちっこい。特に金のこととなると頗るしつこい。身長は墾窟族(ドワーフ)の中でも長身で160センチほどである。

 

ユリアナがゴルドの文句を聞いてまで引き出したい予算は正確には正規の予算ではない。臨時の予算であり、簡単に言うと今回の禁衛軍指揮官に指名された竜騎大将軍のための予算である。とにかく派手な戦い方をするこの将軍はものすごく簡単に言うと登山と遠征が好きすぎる予算超過魔なのである。また、この将軍の困ったところは誰よりも金がかかるのに、かけた金以上に、というか異常に戦争に強いのだ。故に、どうせ今回も派手な戦い方をするであろう彼女のためにわざわざ追加予算を前もって申し込んでいるのだ。

 

竜騎大将軍とユリアナの関係は要約すると皇帝の義姉と義母の関係である。まだ六歳の皇帝はしかし、二人を含めて複数の妃がいる。余談だが、妃の大半は軍武官であり、護衛の役割も求められるという。

 

話を戻そう。

 

なんとかゴルドから臨時予算を引き出すことに成功したユリアナ。

 

一段落した執政省と財務省の面々は、今度こそ本題である来年度の予算の話を始めた。

 

「それじゃ、気を取り直して来年の予算を決めなきゃね。そんじゃ、モルガン君よろしく。」

 

「あ、ハイでございます。それでは、はい。皆さまお手元の資料をご参照ください。はい。」

 

ゴルドに促されて財務尚書令ゲイリー・モルガンに進行が変わった。彼はゴルドよりも背が低い。口癖で「ええ」とか「はい」を頻りに挟む喋り方をする。出身は墾窟族(ドワーフ)の銀の氏族で土色の髪を持つ。マキツル式の丸メガネが似合う中年である。

 

「一枚目の資料をご覧ください。えぇ。こちらは今年度末までの年間歳入です。はい。今年は戴冠式が御座いましたので年末にかけて大いに消費が刺激されましてございます。えぇ。お陰様で私どもの公社の売上もかなり伸びてございます。はい。具体的な金額としましては、魔力素の納税量が歴代最高記録を更新しましたです。はい。前年度の魔導発電量は1750万MG(マジックガロン)でしたが、今年は魔導発電量1850万MG(マジックガロン)に到達しましたです。はい。これは帝国の最初年度の歳入の約十倍でございます。すごいことです。はい。続きまして、概算ですはい。1MG(マジックガロン)あたり100万トラストですので。えぇ。国家予算は約18兆5000億トラストに登りました。たいして、歳出は約16兆9000億トラストに抑えることができましたです。はい。ですので、繰り越し予算は1兆6000億トラスト也です。はい。」

 

繰り越しの予算があるんじゃないか。執政省の面々はジト目で財務官僚たちをみたが、向かいの財務省の面々はどんなもんだと胸を張っていてまともに取り合っていない。

 

モルガンの話は続く。

 

「続いてニ枚目の資料をご覧ください。はい。こちらは財務省がまとめた公社の歳入と歳出です。はい。ご覧になるとお分かりかと思いますが、黒字で占められております。」

 

財政状況と題されたその資料に目を落とすと、出るわ出る。黒字と繰り越し予算がたっぷりあるではないか。国庫がどうのとゴルドは喚いていたがユリアナからすれば自国の財政状況が安泰であることに納得と嬉しさを感じるとともに、ゴルドの不満は全く当てにならないと感じていた。いや、後半に行っていた健全すぎる財政というのは言い得て妙である。使う時も派手だが、後宮は作らないし軍武官や文官は忠義や誇りのために働くから金儲けに無頓着だ。汚職は人間のスパイや人間種から登用した官僚がたまに仕出かすくらいである。そんなこんなで使わない予算が繰り越されて膨れ上がっていた。

 

結局、その後は従来通りの予算案が通された。

 

午後に皇帝の御前での総監と執政官達による協議で禁衛軍竜騎大将軍への追加予算が可決される以外は例年通りの予算案で纏められた。

 

予定通り。午後五時に終業のチャイムが鳴り、宮廷府の一日は終わった。

 

 

ー財政状況ー

 

○MG税歳入…約1850万MG=約18兆5000億トラスト

(1MG=100万トラスト)

 

○MG税歳出…約1600万MG=約16兆9000億トラスト

 

○繰り越し金…約1兆6000億トラスト

 

・国営商業資本

 

○歳入…9400億トラスト

東:シンイ公国支社…約2200億トラスト(淝泳財務庁調べ)

西:イスパナス公国支社…約2200億9000万トラスト(ザマス財務庁調べ)

南:マケドナ公国支社…約3100億1000万トラスト(アレキサンドール財務庁調べ)

北:ソヴィア公国支社…約1900億トラスト(モスカウ財務庁調べ)

 

 

○歳出…5000億トラスト

東:シンイ公国支社…1300億2000万トラスト(淝泳財務庁調べ)

西:イスパナス公国支社…900億3000万トラスト(ザマス財務庁調べ)

南:マケドナ公国支社…2100億1000万トラスト(アレキサンドール財務庁調べ)

北:ソヴィア公国支社…700億4000万トラスト(モスカウ財務庁調べ)

 

○純利益…約4400億トラスト

 

 

*本年度の備蓄予算・繰り越し総計…約2兆400億トラスト

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 皇帝の独白

第四話 皇帝の独白

 

 

はじめまして。俺は転生者だ。

 

…信じられないかもしれないが、俺は確かに転生を果たした…と思う。

 

何故思うなのかと言うと、それは俺には前世の自分に関する記憶がないからだ。常識だとかそう言ったものは多分もってるんだと思うけど、俺には特にこれといって自分が何者だったと言い切れる自信がないくらいだ。

 

さて、前世の俺のことは一旦置いてといて今の俺の状況について説明しよう。

 

俺は前いたところとは全く別の世界に生まれた。

 

こう言う転生ものにありきたりな神様なんかには会わなかったし、転生特典らしきものも貰わなかった。

 

ただ、ふと目を開けたらピカーと輝く黒い石があって、それが自分だと俺にはわかった。

 

何をいっているんだと思うよな?俺もそうだった。

 

俺はどうにも宇宙みたいなところを物凄い速さでビューンと飛んでるキラキラ輝く黒い石になったらしく、この石(俺)はどこかへ向かっているのだ。なんとなくそう思った。俺は体なんか無くて、けど何とも言えない懐かしさを感じる方向へ向かっていた。

 

暫く飛び回って、目の前に星が見えた。あの星が目的地みたいだ。体が熱される感覚は大気圏に突入したからか。このまま燃え尽きやしないかと肝を冷やしたけど全然大丈夫だった。びびって損をした気分だ。

 

キューーーーーーーって甲高い音を発しながら落ちていく。泣いているみたいだった。悲しい涙じゃない。やった!やっと会えたっ!みたいな嬉し泣きだ。

 

空に反響させるみたいな歓喜の声が止むのと同時に、俺は身体中を巨人に振り回されたみたいな衝撃に襲われた。びっくりしたけど自分の体から誇りを払うことも、手足がないから出来なかった。

 

キョロキョロと見回す。あちゃ〜、自然破壊してもうた。俺は呑気にそう思った。俺が見回すと、あたりは一面が土を抉って掻き回したような有様だった。

 

悲しいくらい自然に不親切な軟着陸だった。隕石の気持ちが分かった気がする。

 

動くこともできずに誰か来ないかと辺りを見回していると少しずつ当たりの景観がわかってきた。森だなと思った。それにしても見たこともないでっかい木ばかりの森だ。

 

結局そのあと何をするでも無くぼーっとしていた。俺は相変わらずキラキラしてる。物理的にオーラというか光を放ち続けているのだ。

 

何となく誰かこーいと叫ぶと、驚くべきことに本当に誰かが来たのだ。転がるみたいに俺が作ってしまったクレーターに転がり込んできたのはトカゲをゴッツくしたみたいな角と尻尾が生えた、俺のもつ語彙じゃ表現しきれない女だった。何というか真っ白だ。

 

いや、ボクシングを嗜んでそうに見えたわけじゃなくて、本当に真っ白なのだ。興味津々の俺が彼女を見つめていると、彼女は満面の笑顔を浮かべて俺の体(石)を抱き上げると、こう、ムギューっと抱きしめた。

 

俺はドギマギしてた。えぇー?!?!なんでなんでなんで!?!?どうどうっ!落ち着いて!何があったの!?え?え!?

 

俺の困惑をよそに、その美しい顔を歓喜に歪めている。涙と鼻水と色々出したまま。俺は言葉が通じてないのを分かってるけど落ち着けと言い聞かせるように光を放つことにした。いや、何というか出来る気がしたのだ。

 

ピカーと光る俺。さらに抱きしめられた。今度はもう、なんか人前で言っちゃいけないような恥ずかしいことを凄い勢いで絶叫していた。叫ぶ声も綺麗なんだなと思った。尻尾がぶんぶん揺れてる。

 

彼女の独白とも、絶叫とも言えるそれはかなり長く、そした絞り出すような重みがあった。俺が言った人前だと恥ずかしいという評価は正確にはちょっと、抱きしめられながら面と向かって言われると照れちゃうという意味だ。

 

今更だけど彼女が何を言っているのかとか、そういうのは全然理解できた。転生ってハードモードだったり、中途半端だったりであんまり両手を上げて喜べないなと不安だったけど、何とかなりそうでよかった。

いや、何ともなってない。俺は石のままだった。

 

彼女は俺が一人で黙々と回想しているうちもずっと俺(石)を抱きしめていた。その抱きしめてくれるのがすごく心地良くて、俺はなんというかママーーーー!!!という心地になった。

 

人を殺してしまったわけじゃないけど、そんな魂の叫びが溢れる感じだった。ポカポカぬくぬくで、なんというか全部柔らかいのだ。向こうから特大の愛情を液体で流し込まれる感じ。流し込まれたことないけど。俺はこう、なんというか、おぉう!ってなってた。

 

初対面なのに懐かしい感じがしたし、俺は石なのにこの人が柔らかくて温かいのがわかる。俺は不安とは別にモヤモヤが出てきそうな違和感を覚えた。

 

羽が瞬くみたいな違和感が頭の近くに響くみたいで、でも何か直ぐに聞き取れるものでもなかった。どうしてかというと俺を抱いてるこの女の人がまた愛を叫びはじめたからだ。やばいやばい!なんかわからないけど緊急事態!パニックに陥る俺は一旦落ち着いて違和感の正体を探るべく耳を澄ませることにした。

 

耳はなかったけど、その違和感が段々とはっきりとした声に聞こえてきた。俺は自分が何か神の声みたいのから名づけよ〜名づけよ〜と語りかけられてることに気づいた。名付けるのは誰なのか、俺は本能みたいなもので気づいた。

 

これが初めてじゃないのかな?俺が生きてた前世の世界はこんなファンタジーな外見の超絶美女に抱きしめられる機会がそこらへんに転がってる不思議ワールドじゃなかった。けど、俺はどうにもこの石の体になってから不思議な力というか何かが存在してる気がしてならなかった。胸の奥から知らない言葉が溢れそうな、そんな不思議が起こっていた。

 

知らないけど、このママこの人に抱きしめられてるママ…じゃなくてこのままじゃ何も変わらないと思った俺はこの不思議な勢いに任せることにした。

 

ディクタトラ

 

俺は口がないので念じるみたいにその言葉を唱える。するとガバッと女の人は立ち上がってクレーターの外へと出た。俺を抱えたまま。

 

それからはちんぷんかんぷんが続いたから説明に困る。

 

俺(石)が御宇とかユーニアスターなるもので、観客みたいに俺と女の人…ユリアナっていうらしい、名字はツェーザル?俺にはカエサルと聞こえた…を囲んでる明らかに俺が元いた世界だと職務質問受けるような不思議な外見の人々の王様兼神様らしい。

 

俺の疑問が晴れる前にユリアナさんは国建てちゃる!!と宣言して、周りの人たちも大盛り上がりだった。うぉぉぉぉ!!!みたいな感じ。楽しそうというか嬉しそうというか。よくわかんないけど俺もニッコリ。

 

赤ん坊を寝かせるみたいにユリアナさんが俺の体(石)をトントンしてくれてるので眠気が凄い。

 

あぁ…そういや、さっき堂々と名乗りを上げるみたいなのカッコよかったな。俺もいつかしてみたい。ディクタトラって俺が口に出した名前も聞いててくれたんだね。今はわかんないけどカッコいい。俺もそういう名前が欲しい。意味は知らんけど。名前も無いけど。俺がそんなことを思っていると、頭の上から慈しみのこもった優しい声が降ってきた。

 

「あなたの名前はテトラ。私のすべてよ。あなたを迎えるまで少しだけ待っていて下さい…いまはただ、安心して安んでいいの。必ず、ずっと幸せにするから。」

 

おぉ…重いけど、なんか良いなぁ。呑気な俺の意識はうとうとと傾いていって、無いはずの瞼が降りるみたいに意識が失われていった。

 

暗転。フワフワと浮いてるみたいだ。

 

次に目が覚めた時。俺は生まれ変わってる気がした。確信みたいなそれを不思議に感じてなかった俺が一番不思議なのかも。

 

 

 

うーわ。そう俺は思った。

 

目の前で色々薙ぎ倒すユリアナさんは凄い。最後に見た時は見渡す限りの森だったけど、目を開けたら俺はよくわからないけど平野に来ていた。何というか俺は立派な装飾が彫られた頑丈な金属の箱の中でクッションの上に載せられていた。たいそう大事に大事にしまわれてるらしく、クッションはふかふかで、その上さぞかし高価な絹か何かが使われているように見える。このきんきらは金糸かな?

 

箱の中に入ったままなのに外が見えるのは何と説明すれば良いか。例えるなら空中に目ん玉だけが浮いてるのをイメージするとわかりやすい。

 

そんな不思議な俯瞰視点から目の前の光景を解説してみると、すごく短くいうと戦闘状態だ。

 

後ろにあるのが多分もと来た森で、目の前は森を抜けた所にある平野だと思う。そこで、さっきの所謂人ではないモンスターとかファンタジーの住人みたいな人たちと人間達が戦っていた。

 

何方も剣とか槍とかを使って戦っているけど、ユリアナさんと何人かはもう言葉で表現できないくらい目立ってる。多分活躍してるって言葉が正しい。

 

大体両軍併せて千人くらいの集団で、人間の方がずっと数が多い。人間の戦列にユリアナさんは手に何も持たずに吶喊すると、太くて丈夫そうな尻尾で足を払うと同時に右手を振り抜いて、左手で剣を人間の兵士から奪った。今度は華麗に回し蹴りで周囲の兵士が構える盾ごと薙ぎ倒してる。盾が砕けるって凄いな。カッコいい!!がんばーれ!ユリアナさーん!ガンバーれ!と俺は気づいたら応援していた。

 

聞こえないと思ったけど、そういえばディクタトラの名前は聴こえてたんだから実は伝わったのでは?と頭があったら半目になってユリアナさんを見ていることだろう。

 

果たして俺の声は届いていた。返事があったわけじゃないし、聞こえるよーとテレパシーが帰ってきたわけじゃないけど。俺が応援するたびに向こうの人間側の戦列がぐちゃぐちゃに、なんというか物理的にも人が吹き飛んでたりしたので伝わったんだと思う。

 

ユリアナさんは多分大丈夫そう。危ないに違いないけど。ほら!今も相手から奪った剣で三人は斬り飛ばしたよ!…俺もこんなグロテスクなのに大丈夫なのな…。ちょっと自分にビックリ。さらに驚いたのは三人の首をボン!と擬音が聞こえてきそうな勢いで斬り飛ばしたら今度は槍を拾って人体に風穴を開け始めたユリアナさんだ。なんか、殺る気がヤバい。語彙が足りないね!

 

ともかく、一人で百人くらいの隊列へつっこんで、手当たり次第に嵐みたいに暴れてるユリアナさんは置いとくことにした。凄いよ。代わりに目を向けたのは赤いというか紅い髪がキラキラしてる女の人だ。

 

ユリアナさんが真っ白いなら、あの子は真っ赤だ。髪の毛は赤いし、物凄い美女なのはわかった。ユリアナさんとは色違いみたいな赤黒い鱗の尻尾と、頭の耳の後ろら辺からニョキっと黒い短くツノが出てた。肌は浅黒い感じ。髪とか角とか見なければ日焼け女子だね。

 

綺麗だなと思って見ていると、この子も凄かった。ファルカタとかって呼ばれてる肉厚な剣。あれを本当に自由自在に振り回してた。ビュオー!じゃなくてボボボ!!!みたいな感じ。あれ自体が相当重いのが戦ってる様子からわかる。盾で受けると真っ二つに折れるか、盾ごと裂かれてる。何か斬撃というよりは断ち切る感じ。圧し切るという言葉がぴったりだ。尻尾もブンブンと激しく空を切っていて、まともに受けた兵士は吹き飛んでた。近づけないよね、あれは。

 

その後も観察を続けていると、間も無く人間側の戦列が崩壊して敵前逃亡が続出した。

 

鬨の声が聞こえてくる頃になると、また眠たくなっていた。ああ、寝てしまうぅ。

 

 

そして、次に目を覚ました時。俺は皇帝になっていた。

 

何を言っているかわからない?俺もそう思う。

 

目が覚めるとそれまでなかったはずの体があるって感覚がハッキリとわかった。

 

スベスベの体と痩せっぽちの体。五歳児とかそんなもんだと思う。ゾウさんはマンモスさんくらい立派だった。やったぜ。

 

卵から生まれた。そんな言葉が浮かび、キョロキョロしたら殻だったものが散らばっていた。散らばるっていうか真っ二つになった、俺だったはずの黒い石だ。中が空洞になってて、そこに俺が入ってたみたい。心なしか最後に俯瞰してみた時より大きくなっていた。

 

成長したのかな?俺の体が最初の大きさのままで入ってたとは考えにくかった。着る物を探そうと振り返った時、いつか出会ったユリアナさんと目があった。

 

「あぁ!!やっと…やっと会えました!!」

 

がばぁぁ!!と体の中に押し込むみたいな抱擁をうけた。

 

「うわぁ!うぎゅ…。」

 

「うぅぅ…あぁ。本当に僕ちゃんだぁ!!やった!!待ったましたよ!ママね、ずっとあなたのことを待ってたんです!!!」

 

泣きながら俺を抱きしめるママ(仮)。ていうか、僕ちゃんて…。口を石で漱ぐあの人でも使った言葉は坊ちゃんである。僕ちゃんとか変人だらけの文豪でも使うのを憚るレベルだ。俺は顔を窒息するくらい柔らかい二つの脂肪に押しつけられていた。幸せだが命の危険をはらんでいた。フグと同じだね。

 

「ぐ…ぐるじい…。」

 

「……って呼んでください。」

 

「えっ?」

 

「マ・マ…って。呼んで欲しいんです。」

 

ウルウルと瞳を揺らしながら突然懇願し出したママ(仮)。い、いいけど…。俺は状況についていけなかったので流れに身を任せた。

 

「ま…」

 

「マ?」

 

「ママぁーーー!!!!」

 

oh〜ohh〜〜〜と、知らない俺がピアノの前で歌っていた。

 

「そ、そうですよ!ママですよ!私があなたのママなんです!僕ちゃんのママですから!」

 

「ママーーー!!!」

 

「〜〜〜!!!好き!!愛してますよ!!もう絶対に離しません!!」

 

「ママーーー!!!」

 

「ありがとうございます。僕ちゃん…。」

 

「うん。」

 

許されたようだ。このあと、俺は幾分か落ち着いたママ(固定)から話を聞いていた。これまでのこと、これからのこと。全てをママは話してくれた。

 

「つまり、僕はこの星とは別の星の本物の生きてる神様で、その星にご先祖様をもつ人たちが人間からこの森に追い立てられちゃって、僕はその人たちの希望の光みたいな?」

 

「うんうん!そうなの。うふふふ。僕ちゃんは天才ですね!生まれてから一時間も立ってないのにママのお話を全部理解できるなんて!ママは幸せ者ですね。うれしいわ。ママは貴方が待てというならあと百年でも千年でも待てます。」

 

「う、うん。ありがとう。ママ。」

 

俺はちょっと引き気味でママにそう返した。ママは俺からママと呼ばれるたびに体を艶っぽくくねらせてニマニマしていた。これだけ気味の悪い仕草をしているのに絶世の美女がしてると色気が勝つのだからびっくりだ。驚かされてばかりな気がする。俺は自分の一人称が気付かぬうちに僕に変わってることに気づいて。すでにママに影響を受けすぎていた。俺の心中の困惑に知ってか知らずかはさておき、ママ…じゃなくて、彼女は妖しく小悪魔みたいにニマリと笑顔を浮かべながら俺に向かってねっとりと話しかけた。頭の中までママ呼びはキツいものがある。

 

「ふふー。ママ…だって〜。そう、そうなのよ。私はあなたのママですよ〜?だからね?もうね、ぜーんぶ。ぜーんぶ用意したんですよ?百年もかかっちゃいましたけど。それでも……それでも、ママは足りないと思うんです。」

 

そういうと彼女はさっきまでの幸せそうな顔が嘘だったみたいに、悲壮な表情を浮かべた。

 

「ね、だから。今日はママから僕ちゃんに贈り物があるんです。さぁ、ママが抱っこして連れていきますね。」

 

俺が次に何か言う前に彼女は俺を軽々抱き上げると自分の体に抱き寄せて、俺の頬と自分の頬を嬉しそうにすりすりと合わせながら彼女は歩き出した。

 

彼女は背が高く、彼女に抱かれて高いところから見るとこの部屋は俺のためだけに用意されていたことがよくわかった。

 

部屋中が分厚く柔らかいクッションに覆われていて、硬い床が見えているところがない。万が一にも俺が入っていた黒い石に瑕疵が付かないようにしていてくれたんだとわかる。黒石そのものにも何層にも豪華絢爛な絹で外見が覆われていて、毛足の長い白くてふわふわの毛布で包まれていたようだ。俺が生まれる時に蹴飛ばしてしまったのかひらりとクッションの上に広がっていた。俺はこそばゆい気持ちをしながら部屋を後にした。

 

コツコツと足音を立てながら彼女と歩いている廊下はさっきの部屋とは打って変わってどこまでも武骨で、徹底的に耐久性や機能性を突き詰められていた。

 

足を前に進めながら彼女は俺に語りかけた。

 

「僕ちゃん。私はあなたに全てを捧げます。命も肉体も誇りも名誉も忠誠も愛情も、全て僕ちゃんだけに捧げるんです。今までは始まっても居ませんでした。会ってわかったんです。私はあなたのママになるために生まれたんだと、ここに生まれたんだと、私に生まれたんだと理解できたんです。全てが私を満たしてくれるんです。」

 

彼女は俺の頭を愛おしそうに割れ物を扱うみたいな力加減で撫でながら、撫でてる彼女の方が幸せそうな顔になって、気持ちよさそうに目を細めていた。一度そこで言葉を切った彼女は、俺をゆっくりと下ろすと自分と俺に言い聞かせるみたいに話した。

 

「決して忘れないでください。例えこの世の全てが貴方の敵になったとしても、私は貴方を幸せにします。貴方がなによりも最高なんですから当然です。あなたを如何なる手段を用いても幸せにします。そして、それは貴方の当然の権利です。欲しいものがあれば教えてください。食べ物、宝物、奢侈品、娯楽、愛情、女、人の命、権力、国…例え何であれ全てを必ず用意します。」

 

「だから、ずっと私と一緒にいましょうね♪」

 

気づけば俺たちは巨大なスクリーンの前に来ていた。あたりは日に照らされるみたいに明るくて、俺は話を聞くのに夢中で何も気づかなかった。

 

「さあさあ。おめかしの時間ですよ?」

 

悪戯っぽく笑いながら俺の頬をふにふにと一頻り弄ぶと傍に来ていたかっちりした軍服みたいな服装の女性たちから豪奢な服や装飾品を受け取った。彼女は受け取った紫と金色の服をあっという間に俺に着せ、最後に光を反射してキラキラと輝くダイヤみたい宝石が埋め込まれた針金で編まれた月桂樹の冠を頭に載せた。

 

「ここに!!神聖皇帝テトラ・バルカン・ドラコニウス・ノトヘルム=ノトガーミュラー・バシレウスの即位を宣言する!!!!真の主君たる御宇を戴き、バルカン帝国は遂にバルカン=テトラ神聖帝国に生まれ変わったのである!!!」

 

一瞬、音が世界から失われた。そして次の瞬間、世界から一瞬失われた音が全て放たれたみたいな歓声が爆発した。熱狂が世界を覆うみたいだった。

 

こうして。宇宙の覇者、御宇に転生した俺は全ての人ならざる徒の現魔神になった。

 

 

 

 

 

 

俺氏。受肉して三十分。気づいたら皇帝になってた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 皇帝とは

第五話 皇帝とは

 

 

 

 

バルカン=テトラ神聖帝国。森林帝国の名で知られるこの帝国にとって皇帝という存在は二人といない。

 

万世一身制。国家の最高法規に刻まれる複数の例外なき絶対法の一つとしてそれは知られる。

 

条文は以下の通りである。

 

[バルカン=テトラ神聖帝国は神聖皇帝によって統治される。神聖皇帝位は帝国建国の爾後、永久にテトラ・バルカン・ドラコニウス・ノトヘルム=ノトガーミュラー・バシレウスが有するものとする。これは万世に渡り唯一無二である。この法規を改めることは例外なく認められない。]

 

魔物と呼ばれてきた存在。彼らの祖先は遥か遠くの星から移住した異星人の末裔である。神代に故郷である宇宙に寵愛されて生まれた宇宙の意志を体現する奇跡の存在こそ御宇(ユーニアスター)であった。

 

 

その存在は唯一の奇跡である。

 

 

御宇の不老不滅に服属した古の民は繁栄を享受したが、人間種との競争に敗北した。敗者達は命辛々に現代にも遺る古の大森林へと落ち延び、そこで御宇の再来をただひたすらに耐えた。神代にこの星へ渡った祖先達の遺産。ロストテクノロジーにより構成された森林の自動迎撃機能だけを頼みとして。

 

御宇は不老不滅であって不死ではない。御宇は癒しを齎す奇跡そのものであるが故に、その玉体は癒しの奇跡と引き換えに人間の子供ほどの膂力しかなく、無限の魔力を持ちながらも相手を傷つける力を行使できないという誓約に囚われている。

 

太古に人間に敗北した理由もまた、御宇が人間の異世界人と勇者の手により殺されたからである。

 

一度失われた御宇は果てしない年月の果てに再臨する。ロストテクノロジーは御宇の存在が有れば必要のないものである。故に、その存在が一度消失したことで初めて発動した。失われた御宇の魂が受肉する事で、ロストテクノロジーは役目を終えた。

 

再臨した皇帝の一日は幸福に満ち溢れていなければならない。

 

そう発言したユリアナは即位と戴冠を済ませたばかりの皇帝に軍事統帥権、絶対命令権、国家私有権、戦争権…他複数の絶対権を付与しこれの剥奪を絶対法で例外なく禁じた。

 

過剰にも思える采配にはユリアナの溺愛の度合いがいかに莫大なのか、その甚だしさが伺える。

 

元より、この国において皇帝に忠を誓わないものは殆どいないだろう。神秘的な何か、存在するかもわからないものに対して傾倒するよりかは遥かに信仰する価値があった。例えなくとも、森人達が崇敬して止まない皇帝には彼らにのみ通じる、言外のカリスマが溢れていた。

 

それは千年や二千年で足りない歴史の蓄積の中で培われた、人間への憎悪や憤怒への裏返し、眩しいほどの希望、神威が再臨したという事実から胸を満たす筆舌に尽くし難い歓喜。

 

そして、その受肉に至るまでの道のりを守るべく立ち上がるという絶対の大義。それまで蔑まれてきた、追いやられてきた者たちが、はじめて太陽の光を全身で噛み締めたのだ。

 

皇帝として坐しているのは単なる便宜上の処置にすぎない。本来の御座はむしろ玉座ですら霞んで然るべき、人間種が狂気を上げて渇望してもこれまでも、未来にも与えられない無限の宇宙から奉戴された奇跡なのだから。実体として存在するソレは、もはや人間種にとっての神以上の何かである。

 

ただ、信服する。平伏し、全てを献じて、身命をとして守護する。そうすれば繁栄を、豊かさを齎してくれると幾千年の間、絶えることなく伝承されてきたのだ。

 

そして、現実としてテトラを奉戴して以来。ほんの数十年で森人の生きる環境は飛躍的に向上した。

 

失われていた全てがまるで最初からあったかのように、むしろそれ以上のものがもたらされた。信仰なり、忠誠なり、彼らが感じた感動を言葉で表現すれば、救世主への報恩や崇拝が全てであっただろう。

 

帝国は皇帝の私物である。そんなことが許されるのも、議会の賛成を満場一致で勝ち取るのも、全て彼が、テトラが図らずとも齎した事実に基づいたものだった。

 

彼が皇帝として、その権能に見合った責務を果たさんと、微笑ましい頑張りを見せるのはそう遠くない未来の話である。

 

そして、彼が最初に自らの権威のもとに下す勅許が結果として大陸全土の国家への宣戦布告となることもまた、未だ誰も預かり知らぬ近い将来のことである。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 皇帝と朝のルーティン

第六話 皇帝と朝のルーティン

 

 

 

皇帝の一日の予定は明確には決められていないがルーティーンが存在する。

 

今日もまた午前八時に皇帝に朝が来た。

 

「僕ちゃん。僕ちゃん。おはようございます。」

 

皇帝のモーニングルーティン其の一。午前八時。起床。

 

「む…おはよう、ママ。」

 

「はい!おはようございます。朝食の用意は終わってますけど、まずはお顔を洗ってお口を濯ぎましょうね。」

 

「うん。」

 

皇帝のモーニングルーティン其の二。義母ユリアナから顔を蒸しタオルで優しく拭いてもらい、口移しで冷水を貰い、口内を洗浄する。目脂や抜けた睫毛を水気を含んだ最高級シルクの布巾でユリアナに清めてもらう。耳の掃除までしてから朝食へ向かう。

 

「今日の朝食はママが用意させてもらいました。」

 

「うわーい!やったー!」

 

「喜んでくれたら嬉しいです。ささ、あーんしてください。」

 

「あーん!」

 

皇帝のモーニングルーティン其の三。ユリアナに朝食を食べさせてもらう。本日のメニューはサラダと牛肉の入ったポテトポタージュと柔らかく焼いた肉厚の白小麦パン三切れである。デザートには南方マケドナ領で生産されたメガカカオ豆から作られたチョコレートを使ったホットチョコレートである。前菜からデザートまで、全てをユリアナがテトラに手ずから食べさせる。ホットチョコレートは火傷の危険があるからと当然の如く口移しされる。ユリアナはたまに舌を入れてくるので要注意である。食材は皇帝専用の牧場や農場で作られており、食器そのものは勿論のこと食器の洗浄に使う水一滴まで皇帝御用達から選りすぐったものが使われている。

 

「ごちそうさまー!」

 

「はい。お粗末さまでした。それじゃあ僕ちゃん。ママと歯磨きしましょうか。」

 

「はーい!」

 

「うんうん。いいお返事です!さぁ!お口を開けてください。」

 

「あ〜。」

 

皇帝のモーニングルーティン其の四。ユリアナに歯を磨いてもらう。歯磨き粉は数百種類の薬草から抽出した薬効エキスと、粘りを持たせるために薬効のある多肉植物から取り出した水分を混ぜ合わせたものである。ちなみにこれは市販でもグレードを落としたものが売られている。歯ブラシに使われている毛足は全て最高級の馬の尻尾の毛である。歯ブラシを作るためだけに馬を育てる牧場があり、ここから選りすぐりの名馬の尻尾の毛が使われる。口腔内を傷つけないように専用のカウチの上でユリアナの膝の上に頭を乗せて仰向けになって歯を磨いてもらう。歯を磨いた後は歯磨き粉を純銀のボウルに吐き出して、口移しされた冷水で口を清めて純金のボウルに吐き出す。

 

「はい。綺麗になりましたよ〜。僕ちゃんは常に最高に綺麗ですけど、体の中身まで綺麗なんですから無敵ですね!」

 

「ママ、お仕事行かなくていいの?」

 

「ハッ!そうでした!僕ちゃん、ありがとうございます!名残惜しいけどそろそろいってきます!」

 

 

ユリアナは午前九時からの会議に出席するために出勤。ユリアナと入れ替わるように護衛と侍女を兼ねる今日の担当者が入室する。午後の三時までは今日の「姉」と過ごす時間だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 皇帝と昼間のお勉強

第七話 皇帝と昼間のお勉強

 

 

どうも皇帝です。みなさんがご覧の通り、俺は甘やかされております。いや、なんかもう介護だよね。まだ体は小さいからぎりぎり保育かもしれないけど、それにしたった今日はまだ一度も箸とかスプーンすら持たせてもらってない。水飲むためのコップすら持ってない。恥はないのかと聞かれればすごく困る。だって、ユリアナママはめちゃくちゃ完璧なのだ。そのタイミングといい、一匙、一口の量といいちょうどいいんだもん。口移しだって、俺はユリアナママ以上に口移しが上手い人を見た事ない。いや、俺も経験などユリアナママが初めてなのだが…。それはさておき、今日は少し楽しみにしていることがあるのだ。そろそろくる頃だ。

 

コンコンと言う音と共に身長2mはあろうかという巨躯の黒森族の女性が入室してきた。

 

「おはようございます陛下。五騎筆頭、幕騎のセキウ、参上いたしました。」

 

ズバ!と効果音がするようなキレキレの拝手で朝の挨拶をしてくれたのは幕騎大将軍のセキウテクナイ。正式には籍羽狄古乃と書く。何と古代文字と呼ばれている漢字名である。人間や森人(フォームレスト)の中でも黒森族(ダークエルフ)と白森族(ライトエルフ)しか読めないらしい。俺が読めることを伝えた時は「流石です!!」と頭のてっぺんが禿げるくらい撫でられたものだ。

 

実は彼女、赤さん生活で荒んだ俺の心を癒してくれる貴重な存在でもある。

 

「おはようセキウ。今日は何をするの?」

 

「はい!今日はこちらを勉強しようかと思いまして、大軍学院の書庫から持ち出してまいりました!」

 

「わぁ!帝国の法令大典だね!」

 

「はい!今日はコレで我が帝国の身分制度とその法について学んでいただきます!」

 

「よろしく!セキウお姉ちゃん!」

 

「〜〜〜!!凄くイイです!ありがとうございます!で、では!まずは民の身分制度について学びましょう。」

 

「姉」制度。五騎大将軍による皇帝近侍職の持ち回りが可決された時、一緒にユリアナママが議会に通した制度だ。皇帝近侍職は皇帝の姉として実の家族以上に絆を深めるべし。近侍職は妻にして姉であり、護衛でもある。役割が多いな、と思ってはいけない。一応志願制である。百年先まで埋まってるらしい。

 

さて、俺がセキウを気にいっているのは彼女が絵に描いたような銀髪赤眼の黒森族(ダークエルフ)の超絶美女だからというだけではない。身体もグラマラスで胸も尻も大きいかもしれないが、俺は純粋にママとしか見れなくなってしまった。コレも全部ユリアナママのせいである。それに、外見は完璧かもしれないけど彼女は、というか森族(エルフ)は腕っ節が強い。ファンタジーの定番のか弱い森族(エルフ)など見た試しがない。俺と同い年の子供エルフですら人間の成人男性二人分の背筋力があるのだ。なのに顔も身体も美しいと言う不思議。一度どうしてか聞いてみたら俺が望んだかららしい…あ、そっすね。まぁ、脳筋森族(エルフ)の中でもセキウは特に異常で巨人族より剛力だ。背筋力は怖くて聞けなかった。少なくとも大軍学院(軍人の大学校)の訓練施設にある訓練用の鉄柱は全て持ち上げられたらしい。大軍学院には巨人族(ジャイアント)の士官も通っているので彼らも使うはず…まぁそう言うことだろう。

 

話が逸れた。彼女が俺の癒しになってくれているのは、彼女がしっかり期待してくれているのかわかるからだ。勿論、ユリアナママや他の義姉達も皆俺に期待してくれている。けれど、それ以上に過保護で酷い時だと何も自分で物を持たずに終わる日がある。今までで一番酷かったのはその日一度も足を地面につけないで過ごしたこともある。まだ二ヶ月くらいしか過ごしてないのにコレである。どことなく受け止められる自分にもびっくりだ。

 

でも、やはり愛されるのは嬉しいし、過剰であれば胸焼けもする。そんな時に、セキウやハミルカスのような存在が癒しになってくれるのだ。セキウは武人の極みに居るみたいな人だけど、大軍学院の首席をとれるくらいのスーパーエリートでもある。彼女は真剣に俺と向き合ってくれるから、俺も皇帝になったからには誰かの役に立ちたいと考えていることを後押ししてくれてる。其の気持ちを素直に彼女に伝えると、「尊い皇帝を敬愛するのは当然だけど、誰かのために頑張ろうとする皇帝はなお愛おしい」と言ってくれた。ありがたい。あと重いな…ありがとう。それ以来、こうして俺が皇帝として君臨してる国のことや人間の国のことについて教えてくれるのだ。

 

「陛下。我が国にはいくつかの階級がございます。軍人と文官でも違いますし、特に軍階級や文官の序列は職位と言われます。」

 

椅子に座るセキウの膝に座らされ、絵本を読みきかせてもらう時みたいな姿勢でセキウ先生の授業が始まった。彼女が時折身じろぎすると俺の頭が二つの霊峰にバインバインとはたかれる。勉強すればするほどバカになりそう。エッチな気分にはならないけど…甘えたくなってしまう。もはや病気である。

 

「また、職位とは別に官位が存在しています。これは皇帝への忠誠や名誉の高さを評価されて昇降致します。これは文武民の3種類、それぞれ上/准/少の三段階あり、正/従の2種類存在します。官位が高いほど高い確率で名誉ある職務に就きやすく、陛下に近しい身分といえます。」

 

セキウ先生の言う官位は滅多に聞かないけど、人事を司る部署ではかなり重要らしい。専門用語かな?

各省庁の人事は皇帝に近しいほど名誉が高いため実務能力と忠誠心が重要視される。職務態度や勤続年数、従軍経験などを参考に一年に数度官位の昇降または維持が勧告される。軍人は兵位、文官は書位、民間人は民位という官位を持てるらしい。

 

「さらに、コレとは別に存在するのが国民の身分制度です。これは臣民位と言います。公種、貴種、市民、臣民、間民、兼民の六区分に分けられます。この制度は帝国の暦にあたる御宇暦005年に制定された二級法令である臣民令に基づきます。」

 

身分制度…これはアレルギーがある人が多い繊細な問題だと思う。帝国のソレはかなり独特で、二重国籍者や人間種が移住間もない時に与えられる兼民という身分にさえ衣食住と義務教育と医療保障が国の負担で保証されている。

 

驚くべきことだけど、帝国では資本主義も共産主義もバッチコイで部分的に導入されていて、貨幣経済も普及しているのに経済格差からくる社会問題が発生してない。

 

これは国民のほぼ九割九分が森人(フォームレスト)であり、彼らは豊かな生活や蓄財よりも、皇帝への忠節や名誉をかなり極端に重んじる。逆に、敵対者への名誉とか常識とかは全く無頓着で、極端なまで非情になれる。興味のあるなしが乱高下してるな…。

 

そもそも、仕事という概念は衣食住の満たされた生活に娯楽成分やメリハリを齎すため、皇帝の富を増大させて名誉と忠誠を捧げるためという側面が強いらしい。働かなければならないという考え方があったのは最初の三十年までだったらしい。魔導技術の発展や国土の開発と文武官と産民の徹底的な分立分業が進み、極端に機能的な国家に辿り着いたのだ。自由が何より尊重される元いた世界の日本と比べると窮屈な面もあると思うかもだけど、それが民族性だと言われれば何もいえない。それに俺が思うよりずっと帝国は豊かなのだ。結果的に、この身分制度もいかに皇帝に近いか、名誉と忠誠が高いかを明確にするための謂わば自慢や勲章に近い。少数派の人間種の民からの不満も少ないらしい。敢えて明確な格差を上げるとすれば、公種や貴種、市民なんかは俺が住む国都テトラリアに居住する権利があるが、それ以下の臣民、間民、兼民は国都や公都への居住の自由がないこと位だ。

 

むしろ、間民や兼民は基本権利としての衣食住の保証がついたまま、納税義務が無いのでまず生活苦に陥ることはない。そのうえ、住めないだけで国都や公都への留学は身分に関係なく無償であるし、長期宿泊も可能である。あってないようなものだと俺なんかは思ってしまうが、そう言ったらセキウからわかってないなコイツみたいな顔をされた。ダメな皇帝ですみません。彼女曰く、国都や公都みたいにより皇帝に近い所に住むことは、より近くに神様がいるみたいなものらしい。崇拝をキメ過ぎてる国民の皆さんが心配です。俺は自分がとんでもない存在に転生したことに少し遠い目をした。

 

「職位、官位、臣民位…ここまではよろしいですね?次が最も重要な制度の一つですので覚えておいてくださると私も嬉しく思います。」

 

セキウ先生はいつの間にか教科書をほっぽり出して両手で俺を抱きしめている。身動き取れなくされてしまったけど、授業は続行するみたいだ。

 

「それは家格制度といいます。家格とは専門職に着くための免許を発行してもらえる派閥に分かれた道場のようなものだとお考えください。生まれに関係なく受け入れてくれる所もあれば、血族主義や民族主義で縛りがあるところもあります。」

 

この国にも差別とかそういうのがあるんだなと思った。まぁ、それも規制されない程度なのだから根強くのこる有害な伝統というよりは単純に考え方の一つとか、同人の集まりみたいなものみたいだ。

 

「家格は上から特令官家、上監家、執官家、下監家、令官家、使士家の六区分です。」

 

「先程の順で拝命できる役職が限定されています。人間の国で言う爵位に近いかもしれません。特令官家は総監職と執政官職以上の、官位で言うところの正上兵位、正上書位、正上民位相当以上の、臨時で大権を付与されるような家格です。平時は一個下の上監家と同じで総監職か執政官職につくことがほとんどです。」

 

「二番目に高い家格は先ほど説明に登場しました上監家です。例外を除けば最高位の家格となり、この家格をもつ家は極めて少ないです。ちなみに私は自分の代から特令官家の家格を頂きました。エルフは名前が皆さんよりも複雑ですので、私の名前を例に家名を説明しますと、名前が籍、字名が羽、家名が狄古乃となります。なので、ユリアナ様のお名前のように直すとテクナイ・セキ・ウとなります。字名は特別な意味を持つ大事な人にだけが呼んでいい名前のことです。なので、私のことをセキウと及びになって宜しいのは世界でも陛下だけです。父や祖父にもセキとしか呼ぶことを許しておりません。家族以外は私のことをテクナイと呼びます。ユリアナ様を同じようにお呼びすると、ツェーザル様、もしくはカエサル様となります。ユリアナ様のお名前の中だとディクタトラは陛下から賜った唯一無二の神聖名ですから、陛下以外が呼ぶと物理的に首が飛んでしまいますね。」

 

首が飛ぶんか…神聖名の重さが俺には衝撃的であった。なんでも褒章とかの意味もあるらしく、昔の武将みたいに褒美に名前をやろう的なやつらしい。それを俺が同じようにすると名前が石板に刻まれた上で保管され、他の人間が侵してはならない一つの権利扱いになるらしい。俺は真剣に軽々しく名前をつけてはいけないことを学んだ。

 

「話が逸れてしまいましたが上監家は総監職に就ける家格で、平時における最高位の家格です。三番目は執官家といって執政官(コンスル)に就任するとこができる家格です。これは少し特殊で、後程学ばれることになる血族の中から一定する選挙で選出される役職ですので、高い家格ではありますが上監家ほどではありません。その下の下監家は次監(クンクタートル)に相当する職に就ける家格です。数は執官家より少し多いくらいです。その下の令官家は現場のトップに相当する役職を担う家格です。軍だと大兵官や総兵官、文官だと大法官や総法官が挙げられます。官家は多いですが、監査令や尚書令を輩出する令家の数はそこまで多くありません。最後の使士家は最も多い家格です。」

 

監査令とか尚書令とかは元いた世界での扱いで言うと事務次官とか次長みたいな感じかな?国でも指折りに優秀な官僚とか、法の知識があって法に厳格な人が選ばれるらしい。

 

「家格は1代限りのものですので人間のように何代も引き継ぐことはできません。臣民位は生まれた家や血族から引き継ぐことができるので、実務能力の高い人材を養成するために家格制度はあると言えます。大抵は私のように若いうちに高い家格を持つ人の、望ましいのは現職にある人の家格に弟子入りでも養子入りでもいいので入ることです。家格に入れてもらったらその人の補佐官として働きつつ家格推薦状をいただき、これを各省の人事部署に上申して認められれば晴れて家格獲得です。要約すると、才能のある人を才能のある人が育てる制度ですね。特令官家や上監家レベルになると流石に推薦状一枚では難しいので、先に官位なりをとって置いて、推薦状と一緒に出すか、もしくは陛下からの勅任や勅許をいただく必要が出てきますので難易度は高いですね。」

 

前回の授業でのセキウの話によると、大抵の職位、官位、臣民位は俺が下す勅許に任免権とか付与権があるらしい。…確かに、行政の長で首相に当たる執政総監がユリアナママだからな…。あり得ない話じゃないと思った。戴冠式とか即位のすぐ後に、聞いたことのない、それこそ子供が考えた最強の権力を山盛りに与えてきた時は少し引いちゃったからな。国の名前にも、首都の名前にも、ついでに貨幣の名前にも。テトラ、テトラ、テトラ…。全部に俺の名前を使うくらいだ。あの義母はこの国でも特に俺を甘やかしすぎだと思う。有難いけど、この国の将来が心配だ。俺がしっかりしなきゃと思う。

 

其の後も幾つか重要な制度や経済の話を教えてもらった。途中から俺の頭をいつもみたいに、無心でなでりこなでりこし始めたセキウは幸せそうだった。俺は禿げないか心配だった。

 

そんなこんなで、気がつけば三時間が経っていた。

 

もう直ぐ午後一時になる。いつもよりも有意義に時間を使えた気がする。この後の俺の予定は午後一時から遅めの昼食。午後三時からお茶会をユリアナママと、セキウとの三人で楽しむ。

 

其の後は勅許の必要がある重要事項の処理と、公種や貴種の人たちとの謁見。上奏があれば適宜受け付けて、少しずつ皇帝としての仕事を勉強していくのだという。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 皇帝と夜の決意 前編

第八話 皇帝と夜の決意 前編

 

午後五時のチャイムが響いた。チャイムが鳴り止むのと同時に扉が開いた。ユリアナママが駆け込んできた勢いをそのままに、俺の体を抱き上げると俺と頬を擦り合わせた。

 

「僕ちゃん、ただいまです!!今日もママは僕ちゃんが元気に過ごしてくれたみたいでとっても満足です!」

 

ニコニコと輝かんばかりの笑みを浮かべる義母は美しい。緊張感のない雰囲気がブンブンと振られる尻尾からも伝わってしまう。これで人前では氷のように冷徹な印象を完璧に演出して見せるのだから切り替えが極端にすぎる。

 

「おかえり、ママ。」

 

日頃の感謝を込めて抱きしめ返すと感激してくれる。其の様子が可愛らしくてこっちが微笑ましい。

 

「はい。ささ!冷めないうちに一緒にご飯を食べましょう!今日はテクナイと一緒ですね。」

 

チラと俺の背後を見た彼女はセキウの名前の部分だけ器用にいつもの威厳に満ちた声で読みあげるみたいに呼んでから俺を抱いたまま席に向かう。

 

「三時のお茶会ぶりですね。陛下は今日も勤勉であらせられましたよ。大変優秀ですから我が帝国の未来は殊更に安泰でございますな。」

 

お世辞か本気かはさておき心から俺のことを大事にしてくれていることは伝わる。俺は尻の座りが悪くなった。何もしてないのにこれだけ甘くされては甘やかされてる方が申し訳なくなる。いつもありがとうございます。

 

「ふふーふふ。そうでしょう、そうでしょう。何と言っても可愛い可愛い僕ちゃんですから、ね?私の最高の宝物です。何をしても最高に決まってます。異論は認めません。」

 

義母は俺を抱いた途端に言葉のレパートリーが減る。語彙力を蒸発させた彼女はとにかく俺を褒めたくて仕方ないらしい。目の前に並ぶ晩餐の品々から立ち上る湯気を吹き飛ばすような勢いで話している。

 

「ママ!ご飯冷めちゃうよ?」

 

せっかくの三人での食卓である。流石にずっと自分のことを如何に素晴らしいかについて議論されるのはたまらない。俺はいちおう常識人でいたかった。

 

「ふふ。すいません。ささ、僕ちゃんは私の膝の上に座りましょうね〜。私があ〜ん、しますから。」

 

はい!今日もきました!いつものやつですねわかります!いつもなら脳みそを砂糖で溶かされてるみたいな声で即答しただろう…だが、今日の昼にセキウと共に決意を固めた俺はすぐに頷かない。

 

「あ、あの!そのことなんだけどね!」

 

俺を抱える義母の膝の上に乗ったまま、見上げるように彼女と目を合わせる。

 

「どうしたんですか?僕ちゃん?そんなに真剣なお顔をして…可愛くて仕方ありませんね?膝の上はお嫌ですか?(上目遣いッ!!た、たまりません!)」

 

心の声が聞こえた気がしたが捨て置くことにした。ここは俺の分水嶺だ。

 

「いや、嫌なわけないよ!ただね、その…。」

 

うーん。なんと伝えれば良いか…成長したと伝えるべきか、反抗期なのだと伝えるべきか…彼女が母であることに違和感を抱いていない俺がいることに俺は気づいていない。

 

「…ツェーザル総監。陛下は自ら羽化を果たされ、飛翔することを望まれているのだ。」

 

セキウの口から援護射撃。ナイス!と言いたいが少し詩的過ぎやしないかな?

 

「……僕ちゃん…。ママ…鬱陶しかったですか?間違っちゃいましたか?もしそうなら…教えて欲しいです。ママは僕ちゃんに辛い思いはして欲しくありません。それは絶対なんです。…僕ちゃんはママから離れることを望まれるのですか?」

 

何かを悟ったかのような顔を引き締めた義母の顔が近づいてきた。顔を反射的に引きそうになるが、ここは我慢と目と目を合わせ続ける。

 

「違うんだ!ママのことが…いや、母さんのことが嫌なんじゃない!僕は…!」

 

俺は詰まりながら言葉を紡ぐ。セキウに打ち明けた話だ。さりげなくママよびから母さん呼びに転換しつつ、俺は母さんに想いを伝える。母さんは俺の話を聞いてくれるらしい。

 

「…僕は母さんたちから貰ってばかりだから!皇帝にしてもらったのは僕だから、僕は皇帝として立派になりたいんだ!そしたら母さんやセキウ達に恩返しできるし…それに、僕だけがこんなに、何も知らずにのほほんと幸せな生活をしてるのは何か嫌なんだ!」

 

俺の心の中を言葉にして母さんにぶつける。けど、それを母さんは静かに受け止めてくれる。今の真剣な顔はいつもセキウや他の大人達に向ける冷徹なものだ。緊張が高まった。

 

「……」

 

でも、何も言わずに聞いてくれるらしかった。俺は思いと、そしてちょっとした子離れをお願いする。

 

「それに…贅沢って言われるかもしれないけど、何だか僕だけ何もしないのは少し寂しいんだ!だからね、これから母さん達にはいろんなことを教えて欲しいんだ!」

 

俺の思いは、ひょんなことから転生して、気づけば座っていたこの皇帝とした大層な椅子に、しっかりと自信を持って座れるようになりたいということだった。もともとデカい墓が欲しいとかそういう壮大なことにはそこまで惹かれない。けど、そこにいて元気にしていることが誰かの安心や穏やさの継続に繋がるようならば皇帝というものになろうと努力することも悪くないと思った。努力の多寡はしれてるけど。それでもやらないよりはずっといい。自己満足もあるけど、素直に恩返しがしたかった。

 

「………」

 

いつの間にか母さんの表情からは冷徹さが抜けていた。…例えるなら授業参観で我が子の思わぬ成長を目にして感動した母親の表情をしている。或いは夫のステキな一面を新たに発掘した新妻の、女の顔である。前半はいいが後半はどうにかなりませんかね?俺はこれからいうことを思い少し顔を俯けた。

 

「僕は母さん達が皇帝としても誇ってくれるような、そんな存在になりたい!だから…」

 

言葉を切ってから俯けていた顔を上げる。二人の顔を交互に見る。

 

「だから!!僕が本当の皇帝になるために力を貸して欲しいんだ!」

 

義母の慈愛に満ちた顔と、そして義姉セキウの俺を誇らしげに見る満足げな微笑みを確かめてから、勇気を振り絞って明日の朝から始まる最初の試練について畳み掛ける。いい雰囲気の中でいえば大丈夫だ!

 

「そのための第一歩として、明日からは母さんに頼らず一人で起きることにすr「それは少しお話ししましょうか?」あっ、はい。」

 

冬の吹雪よりも早い拒否に俺は身を固めた。母さんはいつぞやの粘着質な、いっそ妖艶の妖を煮詰めたような笑みで語りかける。今度は母さんの番だ。

 

「明日の朝からのテトラちゃんのお務めのことについて、ママは反対です。」

 

「ど、どうして?」

 

あまりにも毅然とした物言いに俺はたじろぐ。そして気づいたことは母さんの背後にドス黒いオーラが立ち上っていること。…いや、違った。恐ろしいくらいゆらりゆらりと左右に揺れる黒龍の尻尾が赤黒い紫の波動を放っているのだ。俺の控えめな問いに彼女はその豊かな胸で俺の頭を拘束してから語りかけるように説明する。

 

「あのですね、テトラちゃん。ママはテトラちゃんがいないと死んでしまう病に罹ってしまってるんです。」

 

「エ!エー!ソ、ソレハタイヘンダー!!!」

 

絶対嘘だ。すこぶる健康でしょうに。理由は明らかに他にある。現に、俺の耳元にまで母さんのフンスフンスと荒い息がかかっている。

 

「そう!そうなんです!大変なんです!あれ?そういえばさっきテトラちゃんは言ってくれましたよね!ママ達に恩返しをしてくれるって…ママはテトラちゃんの成長が嬉し過ぎて呼吸を忘れてしまいました…そこでです!早速、テトラちゃんからの恩返しをママにしてくれませんか?もちろん無理なお願いなんてしません!ほんのすこーし、ほんの少しだけママのお願いを聞いてください!ね?お願いします!」

 

「な、なにかなぁ?」

 

あまりにも早い要求。俺でなければ見逃していただろう…いや、というよりは見逃したいけど見逃すことなど許されない。母さんは爛々として俺と目を合わせると鮮やかな赤い舌をちろりと口の中から覗かせつつ、色気を大体六歳児(実年齢一年)の男一人に全て流し込むようにして要求する。

 

「今日から毎晩。ママとおねんねしましょうね?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 皇帝と夜の決意 後編

第九話 皇帝と夜の決意 後編

 

 

「今日から毎晩。ママとおねんねしましょうね?」

 

ガガーン!!!稲妻が落ちた。そうなのだ。そうなのである。母は今日のこの時まで、散々手取り足取り全てを俺の代わりにこなしつつ、おやすみだけは必ず俺一人で寝ていたのだ。俺の唯一の自治権。それが、今日この時をもって崩壊した。その他全ての赤さん扱いの撤回と引き換えに。

 

「わ、わかったよ母さん。それじゃあ明日からね?」

 

にこぉ。母さんはとっても素敵な笑みを俺に向けるだけだ。何も言わない。しかし伝わる。こ、コレが!コレが建国者の威風か!!

 

「き、今日から一緒に寝てくれる?」

 

「はい!喜んで!!!」

 

母さん大興奮。鼻息を荒くした彼女は俺のことを抱えると満足げな表情からいつになく穏やかな顔になった。どうやら真面目モードに移行したらしい。満足してくれて何よりだ。

 

「テトラちゃん…ママね、本当に嬉しかったんです。テトラちゃんが私たちのことを心から想いやってくれてることを教えてくれて。言葉にしてくれて…本当に嬉しかったんです。」

 

母さんは、本当に母さんの表情をしていた。今まで見た中で、一番いい顔だ。脇に目を向けると椅子に座ってこっちを見守るセキウと目が合う。彼女もまた、本当の家族に向けるような、温かい瞳で俺のことを見つめてくれていた。母さんの柔らかく温かい手が頭を優しく撫でた。

 

「テトラちゃん…テトラちゃんは私たちにとって太陽なんです。太陽はいつも温かくて、どんな時も必ず待っていれば会うことができます。時には汗をかくくらいに熱い抱擁をしてくれるとママも嬉しいのですが…それはさておき、太陽は私たちが欲しかったものなんです。欲しくて欲しくて、けど手に入らなかった。この胸に抱き締めることができれば、それだけで何も要らない。それくらいに心から求めて止まない存在でした。勿論。今も変わりませんよ?テトラちゃんには代わりなど存在しません!未来にも、過去にも、そして今現在にも、私たちの愛しい愛しいテトラちゃんは貴方、ただ一人だけなんですよ?」

 

「代わりなどッ!!……三千世界を探したとしても居ません。居ませんでした…。」

 

母の顔はいつの間にか泣きそうなほど笑っていた。眦に雫がキラリと輝いている。彼女の顔は現実離れした美しさだった。懐かしそうな、噛み締めるような、腹の奥底、胸の奥の奥から引き出したような、優しくて、温かくて、何よりも焼けた鉛のように重い声だ。

 

焼け付いた喉を癒すように、彼女は一度ピューターと鉛ガラスで出来た杯に手を伸ばした。伸ばした先で杯を掴む前にセキウが水差しで手酌してくれた。短く「テクナイ、ありがとう。」と伝えると、母は一息に冷えた水を流し込んだ。陶磁器よりもなお白く澄んだ優美な首筋はほんのり朱が差している。セキウが息を呑んだ気がする。

 

「……ねぇ。だからね?テトラちゃん。ママを許して欲しいんです。テトラちゃんはきっと、私たちの幸せを願ってくれていて、だから自分も何かしてくれようと思ってるんですよね?ママだってちゃんとわかってますよ?けれど、ママは、いいえ、ママだけじゃなくて、皆んな。貴方の、やっと出逢えた貴方と言う太陽にずっと穏やかに輝いていて欲しいんです。ただ、それだけなんです。ママは他の皆んなよりもその思いが強いのかもしれません…。」

 

母の手は震えていた。下唇も強く噛んでいた。俺は居ても立ってもいられなくて彼女の手を自分の小さな手で包んだ。両手で包んだ。片手では彼女の大きくて美しい手を包みきれない気がしたのだ。

 

「…ありがとうございます。ママは優しいテトラちゃんが大好きです。あのねテトラちゃん…ママは怖くて仕方がないんです。」

 

怖い。強く、美しい存在として俺の世界の頂に立ってきた彼女の口から溢れるにはあまりにいたいけな言葉だった。意識したからじゃない。けど、俺は彼女の手をいっそう強く握った。熱が染み込んで欲しいと思った。いつも温かい手は少しずつ冷えていくようだった。

 

「ママはテトラちゃんがいないと壊れてしまいます。ママはテトラちゃんを幸せにするためだけに生きてきました。それはこれからも変わりません。けど、ママがどれだけ貴方を守ろうとしても、貴方は自分からママの守りきれないところへ行きたいと言うんですもの。ママは怖いんです。世界はとても鋭い棘を持っています。稚拙であっても関係がありません。とても鋭い棘は何処にでも生えていて。貴方を傷つけます。どんなに些細なことでも、どんなに僅かな出来心でも、どれだけ常識な言葉であっても…誰かの心を殺してしまう恐ろしい毒を持つかもしれないんです。ママはその棘を極限まで排除してきたつもりです。けど、それも所詮はつもりに過ぎないんです。理解しているんです。でも、認めることを、私は私を許せないんです。ね、ね?テトラちゃん?ママね、とても貴方のことが可愛いんですよ?愛しいんですよ?目に入れても痛くありません!例え世界が、それこそこの帝国さえも全てが貴方に牙を剥いたとしても…そんなことは私と、テクナイたちが死んでも許しませんけど…それでももしもそうなってしまったとしても。ママは瞬き一つ分の迷いもないんです。貴方と一緒に生きます。世界を滅ぼして貴方と一緒に生きていきます。死ぬなんてしませんよ?えぇ、しませんとも。私は決して死にませんよ?テトラちゃんとずーっと一緒です。」

 

ぎゅうと体が軋むほどの力で抱きしめられる。顔が見えない。けどわかる。母は今、とても美しく微笑んでいることだろう。歪んだ、妖しい微笑だ。

 

「ママはね、覚悟してるんです。でも、それでも怖いんです。ほんの些細な傷でもテトラちゃんについてしまったら、それは死んでも悔やみきれません。死ぬつもりなんかさらさらないのに、死ねないのに、それなのに死にたくて仕方なくなるんです!少しずつ、テトラちゃんの欠片が世界に散らばって行くようで悲しくて、寂しくて、怖いんです。だから、せめてもの思いでこの国を建てました。この国は全て、草木一本といえどもテトラちゃんの物です。テトラちゃんが例え何かに傷つけられても、溶けてしまっても、この国の中であればママが全て拾い集められます。統計上の増減にしかなりません。ママはテトラちゃんを守るために、貴方の笑顔と穏やかな日々を、豊かさに満ち溢れて全てに恵まれた生活を送れるように、この国を作ったんです。」

 

母さんはゆっくりと、名残惜しむように俺の肩をさすりながら俺の頭を自分の体から離した。泣きそうな顔だ。

 

「…だから、ママを許してください。ママは例えテトラちゃんにお願いされても…それでも、貴方が傷つくことを許せないんです。そんなママを許してください。ママに貴方を守らせてください。そのために、ここに今一度全てを貴方に捧げると誓います。貴方の矛となり、盾となり、母となり、妻となり、姉となり、怒りを代わり、悲しみを代わり、憂いを代わり、喜びを分かち合い、樂を分かち合い、濁りを知ることなき我が白き真の愛をただ、貴方だけに注ぎ続けることを、捧げ続けることを。ここに、誓います。」

 

俺は何もいえなかった。キラキラと白銀の髪と抜けるような白い肌の美しい人は俺の前に跪き、一身に俺の許しを乞うていた。彼女はその碧い瞳を煌々と湛えて俺の困惑をも受け止めてその生まれ変わった忠義の証を示す。

 

「陛下。私、ツェーザル家の末娘ユリアナは貴方が歩まれる道に如何なる意見も致しませぬ。私はただ、愛しい貴方が欲し、心優しき貴方が自ら選んで進まれる道を、この一身命の全てでもって守り清めるのみにございます。」

 

顔を上げた彼女の顔は母の顔だった。

 

「だからね、テトラちゃん?…ママも成長することにしたんです。ママはもうテトラちゃんが自分でしたいことを見たいことを阻んだりしません。ママはママとして、テトラちゃんを常に見守ることにしました。テトラちゃんはこれから貴方のなりたいと思った、皆んなを幸せに出来る皇帝として歩いて行ってもいいんです。ママは貴方の願いを全力で応援します!!!嫌になったらいつでもママの元に来てくださいね?ママは何があってもテトラちゃんのママなんですから!」

 

温かい表情には、先ほどまでの鉛を煮立たせるような深く重い愛情とは別物の、純粋な母親の無償の愛が満ち満ちていた。俺は柄にもなく、いや習性づけられた宿命に従って感極まって声を漏らしていた。

 

「かぁさん…。」

 

とぼ、とぼ、と危うげな足取りで進む俺。体が言うことを聞かない。こうせよとでも言うような感覚だった。だが、意外と嫌ではない。

 

「テトラちゃん!」

 

背が高い母はしゃがみ込み手を広げている。せりあがった豊かな胸は母性本能を全開にして俺の母性欲を激しく刺激した。また女王の雄叫びをあげそうである。

 

「かぁさん!」

 

てとてと、情けない足音で駆け寄った俺を決して離さないぞと力強く抱き止める母さん。俺は我慢の限界だった。ママーーーーー!!!!

 

「テトラちゃーん!!!」

 

母さんは俺を抱き締めると号泣し始める。俺も何故だか泣けてきた。自分が成長したのか後退したのかわからないけど、初めてしっかりと母さんと話し合えてよかった。ちゃんと親子になれたのかもしれない。一生独り立ちは出来ない気がするけど。

 

ザ・抱擁。ここに親子の溝は埋め立てられた。改めて、世界最強の親子が誕生した瞬間であった。

 

セキウはパチパチと拍手をしつつ、絹のハンカチでとめどなく流れ出る涙と鼻水を拭うのに必死だった。

 

 

 

翌日。朝起きると俺の隣には母性の象徴。抱き枕のようにとは身長が許さず、背が低い俺は仰向けの母の体の上にだらしない子犬のようにうつ伏せで乗っかり眠りについた。ふかふかとしていてよく寝れた。母さんは隈がひどいが気のせいだと思う。母さんは寝なくても死なないし、疲れないらしいから、相当な気苦労があったのだろうか?やはり首相に相当する執政総監とは大変な仕事なのだろう。

 

 

母さんは朝起きるとおでこが腫れるくらい熱烈なキスを俺にお見舞いしてから出勤していった。朝ご飯の時に俺を席まで抱っこして連れて行ってくれた以外は約束通りに赤さん扱いを自重してくれたらしい。

 

時折うずうずしているのに気づいて偶にはお願いしようかなと口をついていってしまいそうになる。どちらが我慢していて、どちらが子供なのかわからな…くはないな、俺がチビで子供だ。すっかり甘えん坊の病に冒されてしまった俺は毎晩母さんと寝るのが至福の時になっている。

 

母さんの隈が酷すぎるため、最近ではバルカやセキウが代わりに子守唄を歌ってくれるようになった。母さんが心配だが、母さん以外の…ここでは姉さん達にお腹をぽんぽんとされるのも心地よくて困ってしまう。

 

俺はこれから皇帝として自分で選んだ道を歩いていきたい。俺はきっと、本当に何かを決断するだけになると思う。誰かを褒めたり、それで逆に尊敬されたり、崇拝されたりする仕事らしい。母さん曰く、それは当然らしいけど俺はそこまで自分を大層なものだと思えない。

 

謙虚に行こうと思う。母さんや、姉さん達、ハミルカスやゴルド達、優しくて素敵なこの世界の大切な人たちがより幸せになれるような道を俺は選びたい。出来ないことは皆んなに任せることにした。俺には強い力があるわけでもないから。

 

転生して30分で神聖皇帝になっちゃったけど、俺は俺なりに皆んなを幸せにできる存在になろうと決意した。俺を大切にしてくれる、愛してくれる彼らに、彼女たちに支えられて、母さんのように誰かを守れる大きな龍になりたい。

 

神聖皇帝テトラの決意の夜は更けていった。

 

大いなる覇道は静かにその幕を開けようとしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 一帝国民の日常 前編

第十話 一帝国民の日常 前編

 

 

森林帝国の東方を治める森威(シンイ)公国。四公国の中で最も広大な領域を統治するシンイ公国は大陸最大の覇権国"錦"と国境線を接する極めて重要な防衛拠点が多数存在する。全方位を敵国である人間の国家に囲まれた森林帝国にあって、国家防衛予算の実に四割がこの東方領域に費やされている。人口、経済規模、軍事拠点、常備軍、その即応部隊、公都の衛戍軍、常駐扱いで派遣されている近衛軍…全てが最も強大である。ここからも森威(シンイ)公国の重要性と、帝国の錦国に対する警戒度の高さがよくわかる。

 

さて今回は、その公都淝泳に在住の一人の公国市民の日常をご紹介しよう。

 

 

 

 

 

呂文白は公都淝泳の一等地在住の市民位・従准民位の民間商会職員である。

 

父の呂文桓と兄の呂分篤は国防軍にて現役の高官である。家族のおかげで生まれた時から特に恵まれた環境で生きてきたと、彼はずっと感じてきている。

 

無論。帝国にあって食うに困るなんてことは死語と化しているのだから、そういった貧富の格差ではない。しかし、彼が生まれた白森族(ライトエルフ)という血族の特質上、彼らは横の繋がりと名誉、そして皇帝への忠誠義認を公私と言わずにとても重要視する。

 

その点において、家族が周囲よりも陛下に近く、中央にもコネがある軍部高官として知られていることは、常に大きなアドバンテージとして彼の進路や生き方に良くも悪くも大きな影響をもたらしてきた。彼個人としては父も兄も尊敬しており、若いうちから多くのコネクションを手に入れる機会に恵まれたのも彼らのおかげだったから感謝こそすれ、不満などなかった。

 

彼のこれまでの人生はとても平凡なものだったという評価に尽きる。彼もそれは自負していて、どれだけいい時代に生まれたのかを時折噛み締めていた。その時折とは、所謂彼ら建国後に生まれた世代の先人に当たる、建国を現執政総監ツェーザルと共に成し遂げた大人たちから建国以前の森人(フォームレスト)たちの不和、不忠、不信、不幸を朗読劇のように生々しく語られる時だ。その時だけだともいえたが、彼が思うに穏やかに限るのだ。

 

呂文白が生まれたのは御宇暦七十年であるので、彼はまだまだ現在三十一歳の若造だ。人間が魔物と呼ぶ彼らの社会にあっては十代前半にも等しい。彼が所属する民間商会で既に南方方面での現場責任者の一人に任じられていることは、単に時間だけで見たら、人間の世界で言うところの早熟の秀才だった。無論、この国でも早熟といえるが。

 

そんな彼の一日のことである。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます部長!この度は密着取材のお願いを聞き入れていただきありがとうございます!今日はよろしくお願いします!」

 

ー部長ーと書かれた金属プレートが鎮座する黒い古木の仕事机。古の大森林の東部、森威(シンイ)公国原産の巨木。その中でも一級品とされる高級木材が惜しみなく使われた品の良いそれは、質実剛健を良しとする森林帝国の国民性がよく現れていると共に、この机を使うことを許された者のステータスの高さを示していた。

 

「おはよう。元気がいいね〜。今日はよろしくね〜。」

 

そんな、机に座した白森族(ライトエルフ)の青年こそ今回の密着取材の相手。呂文白部長である。

 

「それじゃ、担当の方も来てくれたことだし今日の業務を開始といきましょうか?」

 

「はい!早速、密着させていただきます!」

 

「は〜い。どこから撮ってくれても大丈夫ですよ?僕、集中してると周りが気になりませんから。」

 

森威(シンイ)公国における軽魔導電機器の民間最大手と呼ばれる「猛猛電機商会」。そこの部長職に若くして就任している呂文氏。彼の父兄が揃って軍の高官であることも有名な話だが、それ以上に彼の猛猛電機入社までの遍歴は有名だ。今日の密着は丸一日とのことなので、前提知識として彼の遍歴をご紹介したい。

 

彼が生まれたのは今から三十一年前の御宇暦六十五年。森林帝国の国都テトラリアにてめでたくも生誕を果たした。彼の父である呂文桓氏はこの時中央の国防省にて中央と森威(シンイ)方面との折衝担当官として、総兵官(軍団長相当)の地位にあり、午後の会議が開始されてすぐに当時の直属の上司(今も上司)である猛珙将軍から呼び出され、何事かと思ったら次男の誕生を知らされたという。彼の長男は既に高等学校の軍学専攻科に入っていたため、十年越しの子供誕生であった。

 

吉報を受けてから早退した呂文桓氏はその足で故郷森威(シンイ)公国の公都淝泳に新居を購入すると生まれたばかりの息子を妻から受け取り、白と名付けた。

 

彼の次男白はすくすくと育った。父は一層働き、兄も大軍学院に入学して秀才として名を知られるようになっていた。彼は幼年学校へ入学し、その個性を伸ばしながら父と兄の背中を追っていた様で、十歳当時の将来の目標は父と同じ国防軍の総兵官職であった。

 

彼は二十歳までその夢を抱きつづけ、高等学校軍学専攻へと進みそこで優秀な成績を残すも教練中の事故で首の骨を骨折。全治三ヶ月の大怪我を負い、そのまま高等学校を中退してしまう。

 

中退後、彼は家に引きこもるようになり、彼の不安定に心を痛めた彼の父は一時休職し、国防軍に入営したばかりの兄呂文篤氏も胃腸の不調から休養を取ることになった。

 

それから一年、家族会議を二度三度と重ね、親子の間の溝が埋まったことで武官の名門呂家は復活し、父と兄は復職、白氏も心機一転して父の友人の森威(シンイ)出身で企業家の峙金氏に弟子入りした。

 

弟子入り後、当時の第三次魔導技術革新の波に乗り、御宇暦九十年に公都淝泳財務庁から二等魔導工学博士を、翌年は同財務庁から一等魔導工学博士、その三年後には魔導工学の最難関と称される魔導工学技師の免許を受けた。特に、魔導工学技師は宮廷府財務省からの免許発行が必須である。コネがあったとしても容易ではなかった。

 

さて、こうして魔導工学に活路を見出した白氏は弟子入り先の峙金氏からの勧めで、猛猛電機商会への入社試験に参加することとなった。

 

一発合格で新人社員となった白氏はそれからずば抜けたヒラメキで開発部のエースとなり、淝泳の財務庁からも一目置かれるにいたり、気難しいことで知られる財務庁次監の張居青からも魔導工学の才能を買われたことで一躍有名になった。

 

それから彼はあっという間に出世街道を突っ走り、地位が上がるに伴いそれまで眠っていた商業の才能も開花し、遂に国家資格として最も厳しいとされる対外通商免許の取得に至った。この資格は国外との交易権を許可する者であるため、宮廷府財務省は勿論のこと外交を司る外務省からの監査を受ける必要がある。免許後も一年おきの定期監査を受けなければならず、免許取得者は起業家などを除けば極めて少ない。

 

希少免許の保持は彼の猛猛電機社内での地位を高め、若くして今日の部長職就任を果たす結果として現れたのだ。

 

彼の遍歴はここまで。それでは改めて呂文白氏一日を見ていこう。

 

 

「部長!今日は取材の日ですか?すっげぇ!!淝泳の財務庁からてすか?中央の国営新聞ですか?」

 

仕事開始といくかと思った矢先。彼は部下二人から熱烈なリスペクトをうけていた。

 

「さすが猛猛電機の星!!俺は部長に一生ついていきます!!」

 

目をキラキラさせるウサギの獣人(ランドノーム)の青年と白森族(ライトエルフ)の青年。今年は行ってきたばかりの新人二人である。

 

「いやいや…大袈裟だな…。」

 

たらりと汗を頬に浮かべた白氏はそう言いつつ手元からは目を離さない。部下たちの熱視線から目を逸らしているのかと思えば、彼は自ら開発を主導した魔導電磁計算機を左手で操作しつつ、右手では経理から上がってきた新製品開発のための予算案を練っていた。

 

速記も得意なのか紙の上では白氏お気に入りのインク充填式のペンを持った手が止まる気配もなく踊っている。

 

「部長。こちら、今月の図面案です。」

 

差し出された図面は新作機器の開発案。素人の取材班が見るにパンをご家庭でも簡単に焼き上げられる装置のようだ。また売れ行きが伸びそうな商品である。さすが大手。

 

「はーい。そこおいといて〜。あとこれ、経理課に回しといてくれる。さっき組み終わったから。」

 

持ってきてくれた社員服を着たトカゲ…魚人(アクアノーム)の、声からして女性の社員から手渡された報告書を脇に移し、代わりに先程決済し終わった経理課からの予算書を女性社員に預けた。

 

「かしこまりました。あと先程、峙金次長から緊急の用があるとの呼出がございました。」

 

今は同じ会社の次長で元は師弟の関係の二人の関係は今も続いているらしい。

 

「はーい。ありがとー。これ終わしたらいくって言っといてー。」

 

手を振りつつも顔は上げない。少しワーカホリックかもしれない。時間は始業から三時間が経ち、午前十一時だ。

 

「かしこまりました。」

 

預けられた予算書を抱いて退出した彼女と入れ替わるように入ってきたのは先ほどのウサギ獣人(ランドノーム)の新入社員。

 

「部長!これ、第四都市南蜀(A-04)の支部からの報告です!何でも南で在庫が足りないそうです!!」

 

南蜀といえば南方のマケドナ公国との交易拠点である。

 

「うーん。それまたー?先週もきたよね?」

 

何でも繰り返しよこされている報告らしく、珍しく白氏は顔を上げた。その顔が表す感情は怪訝である。

 

「はい!何でもすごい売れ行きみたいです!」

 

鼻息荒い部下に対して白氏は不思議そうにしている。

 

「ふーん。それにしては特定のものだけが売れ過ぎな気がするけどね?ただ売れてるにしては変だよ?」

 

なんとも納得していないようである。部下のほうも少し冷静になりつつ、それでも売れ行きが伸びてるのが嬉しいのか突然の黒字に説明をつけようとしている。

 

「しかし…確かにそうですけど、そこまで気にならないとも思いますけど?」

 

「うーん…。」

 

「品目もほとんど軽魔導電機ですし、それも浄水用のフィルター、軽量の魔導着火装置、魔導軽量ブーツとかですよ?」

 

白氏の白く長い耳がピクリと動いた。目もキラリとした気がする。

 

「……魔導軽量ブーツ。あれウチでは全然売れてなかった気がするけど?」

 

白氏は自身も開発に携わったブーツが売れ始めたことに違和感を感じたらしい。

 

「そ、そうすね。確かに、全然売れてませんでしたっけ。そうなると…。」

 

本当に売れてなかったのか部下のウサギ耳もシュンと下がっている。

 

「そうなると…?」

 

ピクリとまた白氏の耳が動いた。

 

「……じ!」

 

じ…。

 

「じ?」

 

じ?

 

「時代が追いついたんですね!!!」

 

そうではない。白氏の心の声が聞こえた気がした。

 

「んー。そーかな?そーなるのかな?なんか違う気がするけど…あれが売れなかったのって足のサイズ合わせが大変だったのと、僕たち森人(フォームレスト)にとって靴の重い軽いがあんまり関係なかったって話だよね。結局、発売してからすぐに魔導アシストトロッコとか出てきちゃったし…。」

 

さすが出来る上司。白氏は残念そうな顔をしつつも部下の話を分析する。

 

「あぁ…あれはやられた!って思いましたね。久しぶりに赤字だった気がします…。」

 

懐かしそうに表情を

 

「…ま、それはいいよ。あとで次長にも聞いてみるから。」

 

そこで二人の話は一旦終わり。その後は午後まで業務消化で淡々とした時間が過ぎた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 一帝国民の日常 後編

第十一話 一帝国民の日常 後編

 

 

「部長!今日はお昼ご一緒していいですか!」

 

昼のチャイムが鳴ると同時にウサギ耳の部下が白氏を誘った。

 

「んー。誘ってくれてありがとう。けど、昼食の前に次長んとこに行っとこうかな。」

 

顎を撫でながら白氏は部下からの誘いを断った。

 

「そうですか…わかりました!お先に失礼しまーす!」

 

シュンと耳を垂らした彼は鞄を持って職場を後にした。残された白氏は昼休みの一時間が始まってから更に十分間ほどペンを動かした。

 

十分後。

 

「よし!それじゃあこれから僕は次長の峙金さんのとこに向かうので…取材の皆さんも来ます?」

 

それまで午前の取材内容をまとめていた取材陣に声をかけた白氏。職場の隅に用意していただいた折り畳みの机で記事を書いていた面々は顔を見合わせると是非にと即答した。

 

「それでは行きますか!」

 

呂文白氏は白森族(ライトエルフ)の中でも背が低く、165cmほどである。左脇に先程書き上げた書類を抱えて、商会内の社食で買ったサンドウィッチを右手に持って食べつつ、テクテクと歩く姿は可愛らしいと評判なのだとか。

 

今日もいつもの通りに移動しつつ昼食をとる白氏。

忙しげな毎日を教訓に最近では栄養食や癒しグッズの開発も考えているらしい彼は、次長室の前に来る頃にはお気に入りの南蜀名産の大山鳥の照り焼きサンドウィッチを食べ終えていた。

 

「それじゃあ、これからは次長の指示に従ってください。僕としては何聞かれても特に問題ないと思うんですけど…うん。何かマズイ話があったら記事にしないでもらえると助かります。」

 

口元に指を立ててシー!のポーズをとる白氏。女性人気が高そうである。

 

「はい。わかりました。問題ありません。」

 

真剣な話だったので事務的に返答する取材陣。白氏は気持ちホッとした様子。

 

「うんうん。ありがとうございます。では、行きますか。」

 

ガチャ。ノックもなしにいきなり開けるそれは二人の関係性からのものなのか。

 

「おぉ、来たな。昼飯は食ってきたか?」

 

次長のプレート。椅子に深く腰掛けていたのは壮年の白森族(ライトエルフ)の男性だった。知的な印象を与える角縁のメガネをかけている。白氏の物と同じ黒古木の机の上には綺麗に食べきられた食器が机の右手脇に置かれている。森威(シンイ)で広く使われている独特の食器、箸は口にする部分が右を向いていた。筆記具や書類は左手に置かれており、インク汚れが左手に目立つ。彼は左利きなのか。

 

「はい。来ながら食べてきたので問題ありません。あと、こちらが取材陣の方々です。」

 

サラッと返しながら取材陣を迎え入れる白氏は左脇に抱えていた書類を峙金氏に渡している。

 

「はいよ。あー、特に記事にしちゃダメみたいな話は無いからいいよ。入っておいで。」

 

書類を見ながら、空いている手をひらひらとさせながら微笑している峙金氏を他所に、次長の机の前、応接用のガラステーブルを退かした白氏は黒革張りのソファーに浅く腰掛けると話を切り出した。

 

「次長。それで、話とは何ですか?」

 

白氏は今日一番に瞳が鋭い。

 

「…さっきそっちにも報告が入っただろ?」

 

返答する峙金氏の声も一段低くなっている。

 

「あぁ…やっぱり南の話ですか?」

 

空気が変わった。

 

「南方はマケドナ公国の舞台だ。あそこはもともと獣人(ランドノーム)達の宅配制度で通商路を開拓した。財務畑のやつらも多いから、帝国でも一段と数字に煩い。そんなトコとの国内交易を任されてるのが第四都市の南蜀(A-04)だ。」

 

峙金氏は机の引き出しから茶具を取り出すと、取材陣の一人を手招きしてお茶を頼んだ。流石次長。人を使うのが上手い。

 

「南方の暑さは値切り合いからくる熱気だ…みたいな格言もあるくらいですからね。南に行けば行くほど金と物が動く量も速さも段違いに早いと言えます。」

 

冷徹な知性が宿る瞳のままで白氏は語り始める。軍武官の名門出身にしては珍しい学者風の喋り方から、彼が南部に関して造詣が深いことも窺える。

 

「あぁ。南方はそもそもの話北や西と違って平地が多い。山岳地帯が天然の要塞になってる上に、そこを百年かけて岩盤掘ってまで城塞線を築いてきたんだ。生真面目に守らなきゃならない前線が広い南と比べれば必要な兵員も物資も格段に抑えられる。」

 

次長の峙金氏もまた、本題の前のジャブとばかりに南方の情勢について確かめ合う。

 

「対して南は主戦場になりうる前線が広いからこそ外交と商業に力を入れているわけですからね。金と物と人間の国…南ですから東西マネルワ王国ですか?そこの情報が行き来してる。商人と人間社会学研究者にとっては夢の国な訳です。」

 

南で何かしらが動いていることは少し前からわかっていたことだ。彼ら二人はその変化を機敏に感じ取っていた者達の一部だ。

 

「そうだな…だが物流と外交を重視するが故に、中央の策定した厳格な外交要綱より内部情報や交易品目の扱いが緩いところがあるのも事実だ。」

 

「つまり、南には何かしらの手が回っていると?そう言いたいのですか?その手が引き起こした作用の一つが、鳴かず飛ばずの商品が急に大量発注を受けた背景だと…。」

 

じっ…と次長の顔を見る白氏。視線を向けられている次長は手元の書類から目を離さない。

 

「まぁ…そうなるな。少なくとも、発注数が異常だ。ついでに言うと交易の場に選ばれた都市が少しずつ北に…西方諸国連合との国境地帯に近づいてる気がする。」

 

パサリと次長机に広げられた書類の内容は端的にいえば南方マケドナとの国内交易拠点である南蜀支部からの受注数と品目である。

 

「魔導軽量ブーツが六万足、魚人(アクアノーム)の背苔を加工した最高品質の浄水フィルターを十万セット、野外魔導着火装置を十万セット。」

 

去年累計で一万足も売れていなかったのだ。それは異常な数値である。

 

「ついでに、どうやら向こうでは食料品、特に保存食品とかの買い付けも盛んの様だな。西マネルワは日照りが続き不作のため、東マネルワも食糧不足を理由に小麦や米の買い付けをかなり手広くやってる。まぁ、こっちは中央の介入で差し止めになったけどな。あからさますぎるからって。」

 

昨年からの西方諸国連合との不安定な状況は変わっていない。故に、警戒を怠る気などさらさらないあの優秀な外務省が手を打たない訳がなかった。特に、外務省も財務省と管轄を共にしている対外通商免許の監査は例年にも増して厳格な措置がとられている。前提として国民たる森人(フォームレスト)は皇帝に絶対の忠誠を誓っている。彼らが過つとすれば、それは何らかの絡め手や勘違いが原因になることが殆どだ。罷り間違っても自分から忠義に悖る愚を犯そうとすることは無い。

 

「…結果としては巧妙になった搦手に引っ掛けられた可能性が浮上していると、だから日頃は受けない取材なんか受けたんですね?」

 

お茶の用意を律儀にしていた取材陣の一人が戻ってきたところで、二人の顔がメモ取りに勤しんでいた取材陣の面々に向いた。

 

「…南方の異変は流通の専門の目から見ると明らかな作意が潜んでいる。中央は急ぎ規制線を各地の市場にはられたし。」

 

突然水を向けられた取材陣の面々は筆を止めている。彼らの瞳は氷のように澄んでいて、鍛えた鉄のように不動だ。いつの間にか密着取材に興奮を隠せない記者の面持ちを捨てた彼らは次長からの言葉を受け止めている。淹れたてのお茶を面々に配るのに夢中な一人を除いてそこは有能な国士の集いと化していた。

 

「父呂文桓と兄呂文篤にも至急連絡いたします。恐らく、それでも国防軍の初動は後手に回るでしょう。僕の予想では、人間は僕達を共通の敵と見做して共同戦線を組もうと画策しているのかもしれません…或いは外交上のみでの取引で南は僕達への圧迫を演出しているだけかもしれませんが…どちらにせよ、僕達には陛下に万全の路を御用意する使命があります。」

 

「貴方達が財務省か外務省…はたまた内務省何れかの情報部から取材を通しての監察を担われていることは理解しております。何卒、お早めにご報告をよろしくお願いします。」

 

…。沈黙。そして、首肯を一つ。

 

 

 

 

 

午後一時から再開された仕事は部長の一声で早めに切り上げられることとなった。基本的に午後五時で終業となるが、今日は午後三時で終業となった。

 

「密着取材は終わりになります。今日は一日有り難うございました。」

 

次長にお茶汲みを任されていた取材班の一人…彼が班長だったらしい…も真面目な顔で、揃ってお礼の言葉を述べた。呂文白氏はこれから実家に帰って直ぐに父と兄に報告をとるらしい。

 

確かに、現職の軍団長二人からの上申は大手とはいえ民間商会の部長からの上申よりも重みがあるかもしれない。

 

「それではお疲れ様でした。またそのうちお会いするかもわかりませんし、これ名刺です。」

 

<猛猛電機商会 呂文白 本社開発部部長>

 

「これは丁寧にどうも。上司にも私から報告させていただきます。」

 

<内務省親衛庁親衛軍 誉洸 情報部第一班班長 軍使>

 

「こちらこそ。ご丁寧にありがとうございます。それでは、誉洸殿。良い午後を。」

 

「はい。それではまた。」

 

質の良い紙をやり取りした二人はそれぞれの使命を果たすべく動き始めた。人間は意外と骨がある奴が潜んでいる。呂文白はふとそう思った。父と兄はきっとすぐに行動し始めるだろう。父は特にだ。建国以前の戦争期、大陸北東で北のロマノフスカヤと東の錦に挟まれた草原を支配する人間の遊牧民族に苦しめられたとよく話していた。流通が騎兵の攪乱作戦でよく滞ったためにひもじい思いを重ねたそうだ。耳なタコができるほど聞かされた流通と戦略の怖さ教訓は、気づけば流通に関わっていた呂文白にとって金言に等しい。

 

息子が覚えるほど話した体験を当事者の父が忘れるとは思えない。きっと中央に働きかけてくれるだろう。

 

 

 

帰路の際にはいつも帝国の公共交通機関を利用する。一人でに動く大きな箱。大型魔導トロッコに揺られながら窓の外を見た。

 

燃えるような夕日が差し込んだ。眩しさに目をほそめつつ、ふと思う。

 

国は生きている。誰か、それこそ自分のような存在のほんの小さな気づきが大きなものを動かしていく。ほんの小さなことが大きな火を生む火種となっている。昼間に食べたサンドウィッチは呂文白を生かし、次長がお昼に食べた砂虎ステーキと南蜀原産筍定食は次長を生かした。数えきれないほどの意志が積み重なり巨大な龍を胎動させる。陛下は龍だ。陛下は民を背負うのではなく、民という翼で大空に覇を唱えるのやもしれない。

 

直感とも、感動とも。家の最寄りの停車駅に着いたに気付いて慌てて席を後にした。

 

 

国家は生きている。戦争の足音がかすかに聞こえてきた不穏な空気を一瞬だけ忘れて、白は自分が生きている国が穏やかな息吹を吐き出していることに少し満足を覚えたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 異変

第十ニ話 異変

 

 

 

 

西方イスパナス、前線基地。

 

急ぎの伝令が走り込んだのは軍団長の執務室であった。西の国境地帯に目を光らせていた部屋の主人はいつもの不機嫌そうな顔のまま犬の獣人(ランドノーム)の伝令が息を整えるのを待った。息が整った彼が齎したのは意外な情報だった。

 

「何ぃ?騎兵が極端に減ってる?向こうの前線基地の方のか?昨日も同じこと言ってたよな?」

 

軍団長は伝令からの情報を現時点までの情報と擦り合わせつつ、精査していく。

 

「は、はい!」

 

「昨日より少ないのか?見間違いじゃないのか?」

 

ぎろりとその凶悪な目つきで見つめられた伝令は萎縮しつつもハッキリと返答する。

 

「はひっ!ま、間違いありません!先日から明らかに一個中隊分の騎馬が抜けています!」

 

「あん?騎馬だけか?」

 

疑問。ふと、浮かんだのは騎馬が抜けているという何とも引っかかる言い方だった。普通ならば一軍、一中隊が移動したと言う。それが、一中隊分の馬である。軍団長の疑念を待ってましたと言うように、それまでの萎縮はどこへやらと伝令が身を乗り出して返答する。

 

「は!そうです!騎馬だけが三日おきくらいに目に見えて減っています!」

 

伝令として遣わされた彼のそもそもの所属は前線の監視を担う偵察部隊である。彼は自分の目で見たもの。冬の終わりから始まった任期の中で、特にこの一ヶ月間に見たものから違和感を感じていた。

 

「歩兵や攻城兵器とかは?」

 

騎馬だけを動かすのは下作だ。馬とはそれだけで労働力になる。向こうは一週間前までに少なくとも30万を超える大軍を集結させていた。基地に入りきらなかったからと言って、そう何度も何度も騎馬隊の入れ替えを、ましてや馬だけの入れ替えをするものだろうか?

 

「目立った動きは見られておりません!」

 

しかし、攻城兵器の類が配置換えになった気配もなく。そもそも、大型の投石機はまだ組み立てられてさえいない。

 

「資材や食糧もか?」

 

「無論です!!私は昼間の担当で、夜間は夜目が効くオオカミの獣人(ランドノーム)やフクロウの飛翼人(コンキスタス)の者が担当しておりますが、騎馬隊の移動以外にはこれといった話は報告書にも上がっておりません。」

 

「騎馬はどこへ消えた?わかるか?」

 

「はは!恐らく南方へ向かったものと思われます!夜間の偵察隊が夥しい数の騎馬隊が移動した痕跡を発見いたしました。馬糞や野営の跡にはバラツキもなく、むしろ予め決められていたような整然とした配置で展開されていたように見聞されました。騎兵隊の針路は我々の陣地から見て左手にある丘陵部の更に後ろをわざわざ迂回したものと思われます!」

 

「南へか?騎馬だけで?」

 

「はい…騎馬と、後は先日見られた聖銀騎士団に囲まれて布陣していた所属不明の一団の姿も今朝から見られておりません。当初は高位の聖職者が慰問にきたのかと思いましたが…明らかに今回の騎兵隊の配置換えと同じ方向へ向かっておりましたので、目的は同じかと。煮炊きの煙の数が変わっていないのも恐らく欺瞞工作かと…。」

 

「そうか南へ、馬だけで、わざわざ工作してまで迂回ね……なんか妙だな…」

 

 

 

「…ん?」

 

軍団長の疑念は深まった。目をふせると、目に留まったものは今年の春季防衛計画書。兵団長や大兵官以上に配布される中央の宮廷府国防省の「特秘」の魔導判から目立つ黄色の光を放っている神秘的なソレ。

 

「……おい。質問に答えろ。今一番軍が集まってるとこはどこだ?」

 

「…?は、はい!えぇ…我がイスパナス公国の西部かと。」

 

「…正解だ。南から三万、北から三万、東からは四万送られてきてる。今日までにそこかしこから追加で十万かき集めてきた。今ここには禁衛軍と近衛軍除いても二十万が集結してる。じゃあ逆に今一番手薄な、他所に兵隊を抜かれてるトコはどこかわかるか?」

 

「……それは。」

 

今春の防衛計画とその人事及び各方面軍配置の詳細が帝国の地図と共に描かれているそれは、五個師団の兵員、一軍団計五万名を皇帝から預かる獅子の獣人族(ランドノーム)の魔人(マギア)、特設混成軍軍団長アルザーヒル・バイバルトに一つの答えを示唆していた。

 

 

「正解は南だ。」

 

 

「敵は恐らく南からの奇襲を目的に機動力のある騎兵だけを南下させてる。南は砂漠と森、そしてその中間地点には平野も多い。森を丸ごと城塞化してる西よりも騎馬の利点を生かしやすい地形だ。」

 

「しかし!よりにもよって西方諸国が宗教対立を越えて南と手を結ぶとは考えられません!」

 

「あぁ。俺も同感だ。だからこれは単なる勘だ。」

 

野生的な鋭い瞳で伝令と目を合わせながら強く言い切る。それは勘というよりも、確信した言葉というべき強い言葉だった。

 

「だが少なくとも、まともな感性をしてない奴が向こうにもいるってわけだ。俺の手に余るようなら"上"に回す。ありえねぇなんてことはありえねぇんだよ。」

 

向こうの策士に感嘆しつつ、自分の気を引き締めるバイバルト。青い顔の伝令。

 

「もしも西と南での和解がなされたとしたら…。」

 

恐る恐るで俯きながら言葉を落っことした伝令。バイバルトはしかし冷静だ。

 

「二方面戦線だな。嫌な話だ。ついでに、西は森だけだが、砂漠と森が戦地になる南は敵も味方も思うように戦えまい。長引かせると危ないな。」

 

思った以上に微妙な状況だ。どっちかに転がることはまず間違いない。どっちみち良くない状況だった。伝令兵は跳ね上がる勢いで顔を上げた。

 

「閣下!我々はまずどうすれば!」

 

手振りもついて焦りを感じる。彼はそういえば南方のでであったか、と頭の片隅で思うバイバルト。

 

「落ち着けや!まずはだな、ザマスの財務庁に急電を入れとけ!緊急で過去三ヶ月間の南と西への流通量と売上の方面ごとの偏りがないか情報の開示を請求しろ。西は去年の末からずっとこんなんで煮え切らないまま交易が続いちゃいるから違和感がねぇわけだ。極端に流通量の差が開いていたらあからさまだが、今の今まで耐えてきたんだろうな。前線の俺たちが動かないとみてやっと騒ぎ始めたんだろうよ。…思ったより遅かったな。」

 

はぁ〜、と長いため息を吐いたバイバルトは話しながら書き進めておいた手元の書簡に自身の魔導印璽を押印してから伝令に手渡した。肩から荷が降りたと言った様子でどこか呑気なバイバルトの様子は書簡を受け取った伝令の方を焦らせた。

 

「閣下!遅いとか早いとかではなく!情報を掴んだら次は何の対策を講じれば!!現状としましては、陣地設営は既に完了してあります!応援の近衛軍は仁来来(ニーライライ)将軍が既に地理の確認を済ませ、現在は騎馬を伏せておくための拠点造りを進めています!さぁ!次は、次は何の対策をすれば!」

 

もはやスーパー上司の軍団長を前にしても怯まないこの男。意外と大物かもしれない。主戦場が縦にも横にも広がるかもしれないのだ。根本からの戦略の改良が必要になる。彼が焦るのは道理だった。しかし、それまでの防衛計画がすべてパーになる可能性が転がっている理解していてもバイバルトはどこか余裕である。

 

「なら…そうだなぁ。お前に与える任務はまず、姐御を呼んでくることだな。」

 

「!?」

 

姐御…バイバルトは傲岸不遜の自信家だ。そしてその態度や生き方が許される天才的な実力を持つ。だが、そんな彼でもどうしても頭が上がらない存在はいるのだ。この帝国には心酔する皇帝を除いても複数存在するくらいなのだから世の中は広く、テトラの家臣団の層は分厚い。そんな中の一人である"姐御"と呼ばれた女性。彼女の召喚を頼まれた伝令は今日で一番困っていた。

 

「嫌か?」

 

苦笑いしながらの問い。

 

「い、い、いえ!滅相もありません…しかし…。」

 

「しかし?何だ?」

 

「は、バアル将軍は今朝から山登りに向かっておりまして…すぐにお呼びすることは難しいかと…。」

 

斜め上の答えにバイバルトは可笑しくなって笑った。

 

「…またかよ…あの人もほんっと!山登り好き過ぎだろ!なんだ…山越えクラブ創設したんだっけ?たくっ!どうせ戦略立てるための下見も兼ねてんだろ?…ならしゃーない。情報洗うのと同時並行で他のやつに中央と南のアレキサンドールにも報告させろ。内容は極秘かつ緊急扱いにしろ。俺が責任を持つ。」

 

近いうちに、必ず時代は動くことになる。英傑の血を有するバイバルトはそう確信を抱いて窓の外、夕焼けが沈む地平線を見た。

 

冬季に白化粧を施された急峻なアルパス山岳地帯はキラキラと夕日に輝いている。森林帝国随一の名将が今晩襲い来るかも分からない五十万を超える敵軍を前にして、悠長に私兵を引き連れ団体登山を敢行しているのである。姐御と彼女の軍が入営してから三週間。毎日のようにあちこちの山々から新兵古兵問わずの悲鳴とも歓声とも取れない声が響き渡るのだから堪らない。

 

自分の任地が最前線で、求められる職務が数の分が悪い状況下で守勢を張ることだと忘れてしまいそうになる。やはり姐御は大物だ。きっと彼女一人で来たとしても状況は大して変わらなかっただろう。良い意味でだが。

 

獅子の獣人(ランドノーム)として帝国の南部にて生を受けた猛将アルザーヒル・バイバルトは思う。慣れない土地で経験することを強いられるであろう、建国以来初の人間による大侵攻。

 

避けられぬ高い壁はしかし。それでも越えられぬ壁には思えなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 山越えクラブの通常活動

一番気に入ってるキャラの一人です。


第十三話 山越えクラブの通常活動

 

大アルパス山岳地帯の霊峰ピレニア山脈。

 

頂上付近の断崖絶壁。

 

「すすめ!!吾輩の前に敵は無し!!!この山を越えれば直ぐそこに戦略目標(ローマ)が待っている!!!雪山がどうした!!諸君の先頭には常に吾輩がいる!!!神聖なる陛下の五騎が次席!!!帝国最高の武威たる竜騎大将軍のハンナ・バアル・バルカはここに居るぞ!!!」

 

雪山の頂を前にしてヘタレ込んだ将兵達。彼らは絶賛高山病+昼間の訓練から来る睡魔+繰り返される姐御コールによる疲労により、地上約五千メートルの地点での立ち往生を余儀なくされていた。彼らの中には人間達の軍隊にいれば千でも万でも率いることが出来る知将も、はたまた複数人を一人で相手取っても捌き切れる武の達人もいた。他にも皇帝陛下の最側近たる禁衛軍に選ばれた帝国でも選りすぐりの中から更に選りすぐられた文武に名高いエリート武官や、各地の軍営からこの一団を率いる姐御が直々に引き抜いた一癖も二癖もある武や知に精通した不世出の才人、はたまた竜人族(ドラゴニア)で固めた彼女直率の帝国に二つとない精強さで知られる竜騎軍。

 

千差万別の彼らに一つ言えるのは、その類い稀な身体能力、才気、英雄の素質…諸々を持ってしても、誰一人として無事なものがいないということである。

 

どの世界の、どの時代の軍事家が見ても、それは恐怖の大魔王でも引き気味に口元を歪める地獄絵図である。ゼーゼーと荒い息が飛び交い、空虚な発破の声が空に霧散し、震える膝に任せて全く足腰の立っていない精鋭達。

 

そこには国一番の精鋭を名誉とする誇り高い国防軍の理想とされる姿が欠けらとして存在していなかった。

 

いや、一人の怪物にプライドごと殺されたと言えよう。

 

「さぁ!!!たてぃ!!!貴様らそれでも陛下を奉戴する帝国一の兵(ツワモノ)のつもりか!!!兵隊ごっこは他所でやらんか!!!吾輩は内政家の父上とは違って優しくないぞ!!我が父ハミルカスの元で軍事財政の極意を学びに行きたければこの山を降りてからにするがいい!!まぁそのザマでは山を降りれなどしないだろうがな!!ザマだけに!!」

 

全く面白くない。だが、そんなことを反論する気力も残っていない。ちなみに、彼女の父ハミルカスはハンナと比較すれば相対的に練兵が易しいだけで一般的な見地からすれば十分ハードモードである。

 

先頭で兵達を鼓舞する火の龍人(ノブレンシア)はその人間に近い容貌から貴種たる魔人(マギア)であることがわかった。

 

浅黒い肌に真紅の短髪がよく似合う、鼻梁は高く通っていて、赤く燃える瞳が一つ。閉じた左目には稲妻の傷が走る…一見麗人の彼女がそれでも絶世の美女だとわかるのはふくよかな胸部故か。雄々しい赤い鱗に覆われた尾と耳の後ろから突き出たルビーの如き角は彼女の父譲りのもの。明朗闊達で雪に囲まれた果てしない蒼空にもよく通る声は凛々しく美しい。

 

彼女こそがバルカン=テトラ神聖帝国における最高の将帥の一角にして稀代の戦略家。皇帝の最側近たる五騎が次席、竜騎大将軍のハンナ・バアル・バルカである。

 

曰く、彼女に一度捕まった兵士は例え死んでも彼女に従う。

 

そう言われるほどに彼女のカリスマと軍才はずば抜けたものがある。死傷率の高さに比例して、勝率は脅威の100%だ。しかしそこに至るまでの道で、もはや洗脳のレベルで兵士は扱き倒されるのだから幸か不幸かは当人達次第といったところである。

 

「一度しか言わんぞ!!よく聞け!!貴様らには一つだけ、大切なもの足りていない!!貴様らはそれを見失っているだけだ!!!それを再び手に入れさえすれば、貴様らの前に道は開かれる!!!陛下の名の下に進む吾輩らは恵まれている!!しかし、貴様らの多くはそう簡単に目の前に立ちはだかる壁へと、無駄な思考を捨てて吶喊するだけの勇猛をいざ実戦となれば即断するのは難しいだろう!!ゆえに、貴様らには陛下の名の下にただ前に進めなどとは言わん!!貴様らには勿体のない名誉だ!!」

 

わざわざ南方から引き連れてきた体長二十メートル、体高十五メートルの超巨大生物…百頭規模の砂漠マンモスの群れのリーダーを飼い慣らしたハンナの愛騎。戦マンモスの「アフリカヌス」の頭の上からヘロヘロの兵士たちを睥睨しながらハンナの叱責が雷の如くビリビリとあたりに響き渡る。

 

「故に…貴様らには陛下より賜ったこの竜騎大将軍の軍権の名の下に吾輩が命ずる!!!」

 

カチャリ。右の腰に帯びた彼女の神聖名の元となった天下一の宝剣「雷光バルカ」を右手で按じつつ、静かに響く美声で下命ずる。

 

「唯。我が鋒に続け。」

 

しん、と静まる世界。山脈をも自らの武威の元にコントロールして見せる。決して意識下に行なわれていないとしても、それは実に効果的面な演出であった。自然を自発的に味方につけるような覇気に兵士たちは圧倒されていた。

 

「貴様らの進む先は全て陛下より賜ったこの宝剣が指し示す!!!貴様らは陛下の指先たる吾輩の手足となり、貴様らはその全兵力、全身命を以って陛下の一指となることを己が武人たる終生の目標とせよ!!!」

 

ギラリ!昨年の雪が未だ分厚く残り、足場を最悪の状態に貶める狭い山道。どうやってそこまで連れてきたのか理解し難い、巨体のアフリカヌスの頭の上でハンナはその宝剣を抜き放った。

 

轟々と天に轟くような歓声と共に、演出家にして軍事家のハンナは追撃とばかりに畳み掛ける。

 

「顔を上げろ!!剣帯を締め直せ!!槍を杖代わりにしてでも立て!!歯を食いしばれ!!ここは貴様らの死に場所ではない!!!貴様らの忠誠義認は吾輩が証明する!!戦友を心の支えとせよ!!右を見よ!貴様の友は貴様を見ているか?左を見よ!貴様の友は貴様を見ているか?見ているだろう?貴様らは友に見られている!!友に見られておきながら立つこともできない弱卒は陛下の御前に立つこと罷りならん!!」

 

応!応!!応!!!

 

兵の歓呼に宝剣で応えつつ、ハンナの訓示は徐々に号令へと変わる。勢いは増して鼓舞は強く兵達の心を打つ。兵達の猛る声は彼ら自身の間を嵐となってがなり立てる。

 

「戦友は貴様らの矛にして盾!!心と命を、そして忠誠と栄光を共にする伴侶である!!!」

 

気がつけば力が足先から膝に、膝から手の先へと冴え渡ったような錯覚がある。力を入れれば立てる。進めるような気がしてきた。ハンナはソレを見逃さない。

 

「さぁ!立て戦士達!!このバアルの雷に従え!!!電撃直疾る怒涛の威を世界に発せよ!!!吼えろ!!!」

 

うぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!

 

絶叫爆発。反抗心と向上心。並々ならぬ精神力と人並外れた信仰にも勝る忠誠心。全てを最大限に、限界を超えて引き出させる。

 

常時死兵。

 

恐るべき軍事家ハンナ・バアル・バルカの練兵論は片時の翳りも見せることなく冴え渡った狂気を実践していた。

 

「すゝめ!!頂上はあと少し!!死ぬことは許さん!!全員登りきれ!!骨は拾わん!!自分で拾え!!それが嫌なら登りきれ!!事ここにあって、勝者か敗者を決めるのは貴様ら自身だ!!!!!」

 

うぉぉぉぉぉぉぉ!!!

 

兵士たちはそれまでの泰然自若から見かけによらない俊敏な足取りで登攀し始めた実は雌の戦マンモス「アフリカヌス」と、彼女を雄々しく駆るハンナが掲げる導きの宝剣と、左右と前後の戦友を頼りに、彼らの背を追い、互いの肩を支えて、声を上げながら登り始めた。

 

「その調子だ!!!あと少しだぞ青二才共!!!」

 

進む。登る。ひたすら登る。もう、登る。もう、凄く登る。ハンナは鬼教官など可愛いレベルの練兵の鬼神だ。兵士の苦難を握り固めて百倍に濃縮したような存在だ。そして、それらを塗りつぶす栄光を与え得る戦神だ。彼女の声に従って、兵士たちはついにたどり着いた。

 

「「「「「着いたぞおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」」」」」

 

大アルパス山岳地帯の最高峰ピレニア山脈の登頂成功。実に地上六千六百メートル。口に咥えるT字型の軍用に開発された新型の魔導式気体濃度変換カプセルで酸素濃度を地上と同程度に維持して入るものの、それ以外は軍からの支給品だけで固めた敢えての不十分装備での登頂は困難を極めた。

 

「ふっ!よくやった!!!それでこそ!それでこそ我が陛下の精強なる兵(ツワモノ)達よ!!!」

 

「「「「「姐御ぉおおぉおぉぉぉぉぉ!!!」」」」」

 

号泣。感涙。とにかく物凄く寒いはずの頂上は兵士たちの男臭い熱気に包まれていた。スポ根の権化を一人一人が体現してみせた。熱い展開が二度三度と味わえる短編物の漫画を出版できそうな、そんな熱狂を味わっていた。

 

今にもハンナに抱きつきそうな兵士たちを前にしても彼女は怯まない。むしろ、感心した面持ちである。

 

兵士たちはよくやったの一言で泣きまくっている。鼻水も涎もドロドロである。はっきり言ってキモい。しかし、彼らの感動は本物である。そしてその感動の絶頂は、正に悲劇であった。

 

「よし!!これより一時間の休息をとる!!よく休み、よく讃えよ!!それでは休め!!」

 

それからの一時間は彼らにとって至福であった。

 

やたらと大荷物を背負わされていたアフリカヌス。彼女にハンナが運ばせていたのはありったけの食材であった。疲れなど最初からなかったような電光石火の早業で支給品の特大鉄鍋と野外炊飯用調理火器を設置した兵士たち。十分の後、彼ら彼女らの鼻に届いたのは平地でも食べる機会が少ない最高級の肉や野菜をありったけの香辛料と一緒に煮込んだ刺激的な最高級の香草鍋。デザートにはハンナが自分に充てられた追加予算の一部を切り崩して買い求めた大量の甘味が用意されていた。命懸けの山登りに参加した兵士全員分を揃える気前の良さは流石は万年黒字国家。太っ腹である。

 

「おぉぉ!!姐御!この香草鍋!!茶色のにすごいです!!同じ色なのにチョコレートと違って辛いですよ!!」

 

異世界の某国発祥のそれはカレーと呼ばれる。ハンナは戦時下でも簡単かつ大量に作れて、尚且つ美味で滋養が付くレーションを求めていた。そんな時に、当時は最前線で上大将軍として矛を振るっていたユリアナから教授されたのがこの万能香草鍋だった。皇帝陛下も好まれる。その一言でハンナのカレー道が始まったことはさておき、戦働きをするもの達にとって、ニーズを悉く拾い上げてくれるこの料理は良家の出も多い彼女の軍団兵達にも好評である。

 

「こ、このチョコレートすごい!!こんなに甘いの食べた事ないよ!!」

 

女性の士官が口にして喜びの悲鳴を上げたのは、ユリアナの命名によると「糖尿病チョコレート」である。言うまでもないが民間には卸されていないこの劇物は栄養素と血糖値、カロリーを摂取する為だけのただでさえ恐るべき性能に、ユリアナ女史を初めとした可憐なる森林帝国軍のトップを張る女傑連中がその甘党欲望の赴くままに手を加えた魔改造レーションである。

 

一口で健康体の常人ならば鼻血を噴き出し、胸焼けを起こす。しかし、ハンナの元で地獄の教練を味わい、泥水を一気飲みさせられ続けた彼ら冥府からの生還者達には天国の甘露に等しい。

 

凄く簡単に言うと、死ぬほど疲れてる体にとっては最凶の美食に成り果てるのである。

 

「おぉ!この肉ほろほろと解けるぞ!!脂身まで美味すぎる!!」

 

「味の濃いスープが純白のもちもちのパンに合う!!手が止まらない!!目からは水が止まらねぇぇ!!」

 

「ヴァア!!こんな美味しい甘味を食べちゃったら!!軍を退役できなくなっちゃうゥゥぅ!!!」

 

「なんて!なんて背徳の味だ!!まさか山の頂上で生クリームにチョコレート!!ふわふわの高級シフォンケーキを口にしているとは!!!」

 

「バアル将軍万歳!!我らが姐御万歳!!!」

 

「あ・ね・ご!!!あ・ね・ご!!!!」

 

さて。このように歓声上げる兵士たちの熱烈な歓迎を受けたハンナはと言うと、一足先に食べ終わった食器類を手近な雪で洗い、自分の支給品の背嚢へとしまい終えていた。彼女の様子は登りの時にも見えなかった勇壮なものだ。兵士たちは手を止めて前に向き直った。

 

「さて…よく食い、よく楽しんだお前たちに問おう。」

 

兵士たちの視線を集め終えてからハンナは口を開く。

 

「貴様らは吾輩に続く覚悟を決めたか?」

 

誰かがごくりと喉を鳴らした。

 

「貴様らはこれから吾輩の指揮の元で凡ゆる難敵とぶつかる。陛下の御為にどのような道も進み、どのような苦難にも甘んじてその身を晒す。凡ゆる強兵をもなぎ払い、凡ゆる障害を滅する。時には身体欠けると言えども衛りに徹し、時には寝る間も無く攻め続ける。」

 

「それでも、貴様らは吾輩の指揮に絶対に伏する覚悟があるのか?陛下に、赤心から全てを捧げ給うだけの忠誠があるのか?吾輩は吾輩を裏切るものを感知しない。だが、陛下を裏切る者は例え血の繋がった家族といえども抹殺する。存在をこの世から、文字通り抹消する。故に、貴様らには山登り程度で死んでもらっては困るのだ。」

 

「吾輩は断言できる。近く。我がバルカン=テトラ神聖帝国はこの世界そのものへと宣戦を布告することとなる。世界がそれを強いるのだ。この大陸は広い。我らの国は広大だ。豊かだ。我らが陛下は大陸で最も豊かな富を有されている。これもまた間違いない。しかし、人間共の国全て、その国に生きる民全ての数を我が国一国と比べた時、その差は三十倍は下らない。東の大国たる錦、その一国だけで我が国の五倍以上の国民と二倍以上の国土を有している。情報は極めて有用だ。我が国は未知ゆえに他の国家に先んずる点が多い。だが、戦場とはその国家の技術力と情報力の展覧会であり、実験場であるという側面を持つ。」

 

「我らは常に最前線で最新の敵、最新の狂気と向き合わねばならない。貴様らはその覚悟があるか?」

 

沈黙は雄弁だった。しかし、その分厚い恐怖の夜を超えたもの達だけが山を登り切ったのだ。

 

つまりは、皆が、ハンナを見ていた。強い瞳の対が数千。ハンナは瞳を閉じると、毎度の如く拳を高く上げてその覚悟にこたえる。そして…

 

「よくわかった!!貴様らの覚悟こそわが国の誉だ!!!陛下に侍る最高の栄光に浴する準備はいいな!!!」

 

「おぉぉぉぉ!!!!!」

 

「よぉぉし!!!ならば!」

 

そして…

 

「駆け足で下山を開始する!!!三分で支度を終わして整列せよ!!!山頂から平地の軍営まで!!雷光の如く駆け抜けよ!!!」

 

「おぉぉぉぉ…ぉ、ぉ…ぉ……」

 

そして…試練を与えるのである。

 

「各隊に分かれて下山を順次開始せよ!!!戦争は準備を重ねてから然るべき時に始まるものだが戦端は違う!!!戦端はいつでも唐突に!!!最後尾の隊には特別教練として本日の夜間登山訓練への強制参加を命ずる!!!さぁ!早い者勝ちだ!!即応せよ!!!」

 

「オオオオオオオォォ!!!!!」

 

天国から地獄へのダイブは実にダイナミックかつドラマチックなものとなった。

 

ドスンドスンと雪崩を人為的に起こしながら文字通り怒涛の勢いで下山の手本を見せつけるハンナに背を追われる形でさっき迄の悲壮な古兵の覚悟はどこへやら。

 

もはやヤケクソである。兵士たちは数十名が雪だるまになりつつ、転がるようにして下山を果たした。

 

死傷者はゼロ。雪だるまが百三十名。

 

参加人数三千名。脱落者ゼロ名。

 

こうして帝国の最精鋭たる禁衛軍にあって最精強を自負する竜騎軍は、その最強の練度を誇っていたのだった。

 

彼ら彼女らの味わった血涙と時々甘味の代償は、人間諸国家を震え上がらせる森林帝国最強の暴威として顕然と現れることとなるのである。

 

彼らが自らその真価を味わう瞬間は間も無く。鉄足と戦火が西の前線に火を灯すその時だ。




描いてて楽しかった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 前線慰撫

第十四話 前線慰撫

 

 

ーー緊急。西の国境地帯に異変あり。南方前線は平穏なりしかーー

 

簡略ながらも大きな意味をもつこれらの情報が数分で通達されたことは極めて有益かつ驚くべき事実である。魔導電線通信恐るべし。

 

昨年度末の冬季より西の国境地帯には総勢二十万余りの森林帝国の軍勢が集結していた。国防軍の常備軍が東西南北と国都経済圏を併せて約三十万弱であることを考えれば、常備軍の約半分が集中していることになる。しかし、この数値も三十万のうち約半数は平時に屯田兵として各地での練兵と土木作業に勤しんでいることを考慮するとかなり危うい偏りであると見ることもできる。恐らく一部は国都圏の四方を守る四大城塞宮殿に詰めていた即応の近衛軍を動員したのだろう。どちらにしろ、今最も加熱する恐れがあるのは西のイスパナス公国にほかならなかった。

 

西方諸国連合からの最後通牒は未だ届いておらず、突然に先端が開かれたという報告は受けていない。

 

どれだけ遅くとも三十分ほどで地下に埋め込まれた魔導電信線を通じて魔導電報が届くはずである。

 

万に一つ、既に西部が敵の手に落ちていて、なおかつ占領を受けていたと想定しても、地下の魔導電信線を全て掘り起こして遮断することは物理的に不可能である。

 

東西南北の公都から国都テトラリアまで、全長数千キロ、地下十メートルに埋められた直径三十センチの魔道電信線を全て掘り起こすなど…到底遠征軍が片手間に出来ることではない。

 

 

前線で防衛を担っている南方マケドナからの助っ人軍団長アルザーヒル・バイバルトからもたらされた緊急報告の扱いは中央でも慎重にならざるを得なかった。国防総監スキピオ閣下主催で緊急会議が開かれたため私…国防省所属の総兵官職…呂文桓も協議に参加した。総監閣下からの提案で現在の二十万以上の派兵計画は凍結となった。その代替計画として国防軍の南部、北部、東部方面軍に対して各公国民の避難指示及び主要城塞と地下軍用路を活用しての戦線構築と国都周辺への各種備蓄を急足で進めさせることに決まった。

 

会議の三日後。前線からより詳細な報告が来る前に、私の次男呂文白から話が上がってきた。白曰く、現在南方では流通に作為的な偏りが見て取れるらしい。あからさまな兵糧の大規模輸入を南方マネルワが仕掛けてきた時は財務省と外務省が主導したことで大事に至らなかった。

 

流通が何らかの瑕疵を負うとき、それは戦線維持に重大な困難が生じる可能性が浮上すると言うことだ。それは、私に忘れられない記憶を想起させる。

 

あれは大陸の北東に広がる大草原でのことだった。我が軍は東部森林外縁における度重なる異民族による略奪行為への対処を命じられ騎兵を主体とした遊牧民の軍団との長期戦闘を行った。機動戦を広範囲に展開する遊牧民の攻勢は苛烈であり、巧妙であった。守勢に回らざるを得ない私たちは後手に回り、補給線は乱され…攻めきれずに退却を余儀なくされた。

 

結局、中央から応援の近衛軍三万を率いて来られた防衛戦の大家たる猛珙将軍による防衛線構築によって略奪被害を物理的に激減させることで一旦の終結となった。あの時の撤退戦での経験とその克服は私の生涯の課題となった。

 

そして、その中でも最も重要視すべきことこそが流通から敵の動きと時勢を読み取ることである。補給線の維持の為の知識を学ぶことから始まり、我々軍人が勇躍する為には流通こそが不可欠な要因であることを、他ならぬ二番目の息子から学ぶことになろうとは。

 

私は迷うことなく総監に上申書を提出し、前線への派遣を志願した。

 

果たして、私の志願は受理された。

 

国防総監スキピオ大将軍閣下からの御下命に従い、西方前線の不安要素解消の為に三千名の国防省直下軍を率いて現在進行中のイスパナス公国への補給線の維持と警備、南部へ流れる物資を抜き打ちで監査する任務に服することとなった。

 

辞令が出て間も無く、呂文桓は国都郊外西にある国防軍駐屯地へと向かい、今回任務を共にする三千名の兵卒を前に出立式を行っていた。

 

「本任務の要項は第一に補給線の警備である!兵站こそは軍隊の血管であり、物資は血液である!!第二には集積した物資の監査となる!総改めではないにしろ、我々の相手は南方へ向けて送られるはずだった追加品目のほぼ全てだ!!山のような物資となることを覚悟せよ!!」

 

手を後ろに回して低い声を張り演説をする呂文桓の姿は白森族(ライトエルフ)の中でも精悍な顔立ちである。目は鋭く、その長い耳も心なしか鋭く見える。白髪混じりの金髪は鈍く輝いている。後ろ手に固く組まれた両手には実戦でのし上がることでのみ勝ち取れる積年の古傷が目立つ。

 

「本任務の要項は以上!!熱い忠義を胸に!冷徹に対処せよ!!解散!!」

 

呂文桓の演説は事務連絡のようでいて熱意がある。短く、情熱的に。硬派だが熱い彼の性質は兵士からは好感触を得られた。

 

「一時間後に出立!!急ぎ用意を済ませっ……む?」

 

早々に出立準備へと移ろうかという時、駐屯地へ入ってくるただならぬ雰囲気の一団。そして先んじて呂文桓へと近寄ってくる驃騎が一騎。

 

「その方が指揮官であらせられるか!!」

 

ドガりと土埃を立てつつ、南赤馬の脚を最小限の手綱捌きで止めた騎兵は馬から華麗に降りるとそのまま頭を軽く下げつつ、そう桓に声をかけた。

 

「如何にもっ。私が右に見える三千卒の軍権を賜った呂文桓である。して、何用であるか?追令か?」

 

身のこなしからして精兵。乗っていた馬も精鋭騎兵が騎乗を許されるような艶茶の毛足で恵まれた体格の南赤馬だ。桓は気を引き締めて応答した。

 

「これは軍団長閣下!!失礼を緊急故許されよ!!」

 

「構わぬ。それで、その緊急の件とは今駐屯地に入営している軍団に関係することなのか?西部への増援は停止したはずだが?何か変化でも?」

 

「左様!緊急の事の仔細についてはこちらを!!」

 

ずい!と騎兵から差し出されたのは紫金の飾り布で丁寧に包まれた円柱状の命令書であった。封印されており、重要案件でなおかつ機密がこの中に封されていると分かった。桓は布を別けると出てきた蝋どめされた黒革の文書筒の封を切り中身を改めた。

 

「こ、これは!」

 

偽造を防ぐために特定の波長を編み込まれた上質の魔導紙には玉璽の印が刻まれていた。

 

これが示すもの、これ即ち神聖皇帝テトラからの勅令である。

 

常に冷静な桓をして瞠目せざるを得ない驚き。読み進めるうちに彼の感情は歓喜と、そして純粋な疑問へと変わった。

 

 

ーーーーー

 

勅令文

 

神聖皇帝テトラ・バルカン・ドラコニウス・ノトヘルム=ノトガーミュラー・バシレウス陛下は軍民慰撫のために行幸を行われる。

 

西方第一の都市たる公都ザマスと国都テトラリア往復における陛下の玉体守護の大任を授けるものは以下の二名とする。

 

1:臨時監査令・師団長総兵官・呂文桓とその麾下国防省直下三千卒

 

2:ツェーザル特令官家・直下兵隊長・オドアラクとその麾下二千卒

 

以上の者は各自の職務を満身を以て完遂せよ。

 

ーーーーー

 

桓の記憶が正しければ陛下の御真影を拝見したのは戴冠式以来一度も無かった。つまりは陛下は一度として国城マリウス・マグナから出られたことがないはずである。ましてや国都の外など…。困惑こそしないが疑問である。"あの"ツェーザル執政総監が陛下の御身に大事が起こるなど例え小指の爪先ほども許容するとは想像できない。剰え、今日明日にも大陸最大の火鍋と化すやもわからぬ西の前線へと陛下を送ろうか?桓は甚だ疑問であった。

 

「……最高機密扱いでありますれば、前線到着までの街々での情報封鎖などをお願いしたく。」

 

耳に口を寄せられて意識を取り戻した桓。騎兵の話はなるほどごもっとも。だが、疑問は拭いきれないでいた。

 

「……陛下が望まれたのか?」

 

最重要はそこである。桓の父の代に建てられ、桓が生まれ育ったこの国はその生まれた瞬間から陛下の御意志の下で繁栄を許されてきた。疑問はさておき今ここで最も大切なことは森林帝国そのものである唯一無二の陛下が望まれたのか、或いは否かそれだけである。

 

「…私はなんとも。しかし、先程封書を頂戴した際は穏やかに微笑んでおられ、初めて見るものが多いと喜びあそばされておられたご様子。イスパナス軍民の慰撫は陛下の御仕事初めとあいなられる予定でござる。」

 

騎兵の歯切れは悪かった。しかし、陛下は喜ばれていたらしいという。桓は一度追及をやめ、この大任を全うすることに全力を注ごうと思考を切り替えた。

 

「なるほど。謹んで御受け致す。」

 

恭しく。改めて奉戴の礼を紫金絹布へと捧げる。未だ陛下の御名の下に勅令が発されたことは一度もなかった。これが初めてとなる。誰も経験したことはなかったがしかし、誰もが望んでいた最高の栄誉。その際に行うべき作法は国ができた次の年には法令化され、市井にも作法や儀礼についてまとめられた百科事典によって広まった。軍民問わず誰もが一度は夢想したその名誉を自分は噛み締めている。桓は少しの目が潤んだ。いつぞや夢見たことが叶ったのだ。勅令授受により臣下は紫金の絹布をその名誉の証としてお預かりする。

 

大任完遂ののち、その絹布は臣下へと正式に下賜される。国家勲章を越える最高の栄誉の証だ。桓は一度目を瞑り深呼吸してから騎兵へと改まった。

 

「では。私はこれにて!出立の時刻は先程師団長殿が宣言された一時間後でかまいませぬ!」

 

覚悟の程を確認したからか馬に跨ると鞭を振りかぶった。

 

「了解した!!陛下には最初の街での逗留準備が終わり次第ご挨拶へ向かう故、何卒お伝え下され!!」

 

去る背中に向けていかにも将らしい豪声で言伝を頼むと桓もまた自らの用意を済ませるために背を向けた。

 

 

駐屯地の無骨な風景に溶け込む形で設営された巨大な組み立て式天幕。ユリアナが育てた黒備の精鋭二千卒の防御円陣の中心に小御所として用意されたそこにこの国の皇帝テトラはいた。

 

場違いなフカフカのカウチは落ち着いた色合いだが、出来立ての紅茶と焼き菓子が並べられている組み立て式の軍用机は艶消しの黒の塗装が剥げた鉄の四足が律儀に光を反射した。ミスマッチなそれらは軍の陣地にあって不自然でならない幕下の風景を演出していた。

 

いつにも増してかっちりした戦装束に身を包んだテクナイに給仕されながら、テトラは目の前に跪く男の宣誓に耳を傾けていた。

 

「陛下におかれましては今日のご機嫌麗しく。矮小の身でありながら大任を仰せ仕りました私オドアラク。全身全霊を持って玉体の守護に努めると誓いまする。」

 

禿頭に剣の鞘まで全身黒備えの鎧を着込んだオドアラクは兜を左脇に置き跪いていた。兜から垂れる毛飾りだけは真っ白だからよく目立つ。

 

「うん。よろしく頼むぞ。」

 

テトラはその慇懃な姿に驚きつつ、ここまでの経過に些か困惑していた。

 

「(それにしても…母さんは極端すぎる気がするな…。昨日言ったばかりなのにもう勅令文の準備までするなんて…。)」

 

自分の国を見てみたい。三日前にそう言ったのはテトラ自身だ。それを聞いたユリアナは「畏まりました」とは言ってくれたが悩んでいた様子だった。それが、今日の朝になっていきなりこのオドアラクという男がユリアナの代官として宮廷府に参上したのだ。ちょうどユリアナは先日西方から齎された南方不安の案件で珍しく朝から忙しくしていて不在で、テクナイと一緒に説明を受けたのだ。

 

「…オドアラク隊長、話は以上であるか?陛下はこれより諸所の支度をせねばならぬ故、要件が終われば退出願おう。」

 

思考に没入しかけたところ冷たい鉄のような硬い声が目の前のハゲ頭に刺さった。

 

「ははは…テクナイ大将軍閣下もなかなかに手厳しい…。陛下の御尊顔を拝謁する機会など中々にある者ではありません故に今しばらくと思っていましたが…。」

 

頭をポリポリとかいてみせるオドアラクの表情はなんとも言えない。テトラはふと背中にテクナイの柔らかい手の感触を覚え、彼女の顔を見上げた。

 

「話が終われば退出するべし。陛下はお忙しいのだ。慣れぬ政務にお疲れになる前に、少しでも陛下の心労を軽減するために貴様の職務を全うせよ。」

 

ビシリと毒を投げつける硬質な声からは分からなかったが、テクナイの表情は冷めているというより物憂げなものだった。

 

「はは!それでは私は失礼いたします!ご用件がありましたら近くの兵官にお伝えください。私共は他ならぬ陛下とツェーザル総監より賜りましたこの黒備の甲冑に誓って万事全う致しますぞ。」

 

それでは、と幕を出ていったオドアラク。テトラは物憂げなテクナイに、その悩ましげな表情の根を尋ねた。

 

「セキウはオドアラクが嫌いなの?」

 

キョトンとした表情。テトラの疑問にテクナイは珍しい八の字眉でこたえた。

 

「えぇ…嫌いと言いますか。何となく気にかかるのです。」

 

「何が?」

 

「些細なことですが、今回の前線慰撫は一朝一夕で用意できる規模ではないなと思いまして。それにしてはあまりにも早かったので少し不思議でおりました。」

 

テクナイの語ったのはテトラも感じていたことだった。

 

「うん。それは僕もだよ。」

 

首肯したテトラの頭を一撫で。テクナイは話を続けた。

 

「単に疑問だけならば問題ありませんが。先程のオドアラクという男。人間の男を、わざわざ人間嫌いのユリアナ様が御自身の直下軍の長に任用する理由がわからないのです。」

 

テトラは思い出す。いちいち仕草が芝居くさかつた先程まで目の前にいた男は確かに人間である。人間の国との戦争を前にこいつをチョイスしたユリアナに対してテトラは素直に驚いていた。確かに、イスパナスの公都ザマスでの閲兵式典の準備に取り掛かってくれている執政府の次監・オクタウィナスも人間だ。しかし、彼はここで生まれ育った人間らしいからまだしも、先程の男は南方から流れてきた腕利きの傭兵から身を立てたらしい。

 

「セキウの心配は確かだね。でも、あの母さんがオドアラクが何か企んだとして、それを許すとは思えないよ。」

 

テトラは自分の世界一頼もしい実母以上の義母を頭に浮かべた。とてもネズミ一匹取り逃すようには思えない。

 

「…はい。陛下のおっしゃる通りかと。私の記憶が正しければユリアナ様の私兵体長の名前は確かにオドアラクで間違いありません。ですが、それが人間であったとは知らずにいたために、今回は警戒を強めてしまいました…。ご心配をおかけして申し訳ありません。」

 

テクナイは安堵と無念の表情を浮かべて頭を下げた。姉のような存在にいちいち頭を下げないでほしいとも思うテトラだが、その生来の王器とも言えるものは彼女達忠臣を自認する者の気持ちを汲む度量もあったため、素直に謝罪を受け取った。

 

「ううん。こちらこそ心配してくれてありがとう。セキウもお茶目さんなのかもね。」

 

「それに今回は急だったからね。母さんにも聞いたけど反応は特に不自然じゃなかったし、どちらかというと心配だけど子離れしなくちゃって感じだったよ。」

 

オドアラクへの疑念はテクナイの中にまだ残っていることは彼女の服装からもわかる。分厚い革の鞘に納められた反りのある革巻き柄の双剣を今朝から片時も離さない彼女が懸念したことが起きなければ良いと、そう思いつつテトラはニコニコと今朝見送りにきたユリアナのことを思い出していた。

 

「ユリアナ様は恐らく子離れできないかと。今回は我慢に我慢を重ねられたのでしょう。」

 

「ふふふ!そうだね。」

 

テクナイの表情もテトラの楽しそうな様子に綻んだ。テトラはなんだかんだと疑問を抱きつつ、それを全てが生まれて初めてばかりの自分の無知に理由を求めた。それは間違いではない。彼は浮かれていたし、それを補おうと思ったが故にテクナイは頼まれずとも完全武装で彼の小さな体を片時も離れず守っている。

 

テトラは国城から初めて出た瞬間から、自身が無知であることを嫌と言うほど感じていた。

 

見たこともない賑やかな街並みは彼が見る限りでも区画整備の上で構築されたから伝わるとても合理的な美しさがあった。

 

国城の自室から国城の門、国城の門から国都の門へ、国都の門から郊外の駐屯地まで。

 

たったのそれだけの距離でもテトラには新鮮なものばかりが目に映った。出店は勿論、とても活発な経済活動が行われる街と、そこに暮らす人々の姿は彼にそれまで絵に描いた餅に過ぎなかった王としての自覚を強くもたらした。良くも悪くも敏感にそれらを肌から感じたテトラはそれまでの自分が、どこに生まれてどこで育ってきたのかも知らずにいたことを痛感させられたのだ。

 

生まれて初めて外から見上げる国城は彼がそれまで想像していた自身の住まいとは真の趣を異にしていたし、国都に住む人々が多様なことも初めて理解した。彼が想像していた以上に彼が治めなければならないバルカン=テトラ神聖帝国とは多民族多種族の国家だった。国都一つでそれが理解できたのだ。

 

テクナイの授業で学んで獣人(ランドノーム)にも貴種や魔人(マギア)、氏族という枝分かれがあり、人間に獣の耳と尻尾が生えているいかにもジャパンモノカルチャー的な獣人もいれば、獣が服を着て二足歩行もできるようになったような見た目の逆にいかにも獣の人みたいな姿の者もいる。彼らは一括りに獣人(ランドノーム)の血族に変わりなく、魔導を道具なしで行使できる魔人(マギア)が人間に似た外見をしていることを除けば差らしい差もなく、差別など常識外のことだと言うのだ。テトラにはそれが良い意味での大雑把さだと感じた。

 

地方への慰撫の旅は戦火を前にして大胆にも行われようとしている。テトラはまだ見ぬ己の国に好奇心を強め、彼に侍るテクナイは静かに眼光を鋭くしていた。

 

二人が穏やかな時間を過ごすこと一時間。あっという間に出立の時間が来た。

 

出立前にこれ見よがしにユリアナからの信任状なるものをテトラに提出しに来たオドアラクは物資監査を兼務した呂文桓と共に進路を西へ、五千卒を率いて皇帝による軍民慰撫の旅への出立を号令した。

 

 

 

 

 

 

 

 

この時、勅令文と信任状に宿る玉璽印から紫金の魔導光が放たれていないことに気づいた者は誰もいなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 絶白記 前編

**第十五話・第十六話の絶白記(前編・後編)は閲覧注意となります。
p.s 個人的に作中史上最凶のヤンデレ人物が登場します(後編より)それではどうぞ。


第十五話 絶白記 前編

 

 

ログリージュ王国の繁栄。

 

ゼルプ・ディートリッヒは一人の愛国者として、其のためだけにこれまでの人生を捧げてきた。

 

大き過ぎるこの大陸は複雑に見えて、いっそのこととても単純だ。複雑な地理や歴史は関係ない。

 

覇権を握った四つの勢力が鎬を削っている。それだけだったのだから。

 

其の覇権に西で最も近い国家が他ならぬ西方諸国連合の盟主ログリージュ王国であった。

 

約百年前の南方の覇者マネルワ王国との戦争での勝利はログリージュの武威を世界に示しただけでなく、国家としての格という意味でも抜群の権威を手にした。

 

中小国家が数十乱立していた西方国家から初めて覇道の雄へと登り詰めるに値する国となったのだ。そのままの勢いを殺さず、戦後の西方での優位を確固たるものにすべく我が国はあの胡散臭い聖銀教会へと協力を申し出た。

 

聖地エルサルムを奪還してみせた我が軍からの協力の申し出を教会は喜んで要請した。そして、悪魔の一族を火刑に処し、悪魔を聖銀の牢獄に封印することに一役を負ったのだ。

 

偉大な聖業を行ったとして教会からの支持を得ることに成功した我が国は西方を取りまとめて一つの大勢力へと昇華させるべく、西方諸国連合の盟主という地位に自らついた。

 

その後は連合の結束を固めるべく、誰よりも血を流して国境防備と富国強兵に着手した。交易における条約や民衆の権利の拡大など、周辺国の商人や国民に訴えかけたのだ。王侯の保守層と革新層は少しずつその力を拮抗させていき、複数国で同時蜂起を促す書簡が見つかるなど革新層の過激化に伴って、内紛を望まぬ保守層が折れる形で緩やかに連合していった。

 

そして今日、ログリージュ王国は当初の名ばかりとは違う、正真正銘の盟主国として、一人の足で自立することができるまでに勢力を伸ばした。人口約7600万の我が国は、あらゆる面で周囲の西方諸国を圧倒している。聖銀教国の聖都エルサルムの人口十万は例外として、フランキ王国の約4600万やブリテーナ王国の約3800万と比較しても飛び抜けて人口が多い。国土も広く、実にその広さにしてブリテーナ王国の二倍である。我が国には山岳地が存在するために平野部や丘陵部が多いブリテーナより土地が痩せている。それでも、国土も人口も二倍に到達するほどの国力を持つに至った。

 

国富は更に高い。約百年前の敗戦後に分裂した東西マネルワ国とは我が国の手動で十年ほど前から西方諸国連合名義で交易を行なっている。和解の協約を結びつつ、今回の大侵攻作戦においては物資運搬用に欠くことのできない、本来なら戦を目の前にして使うべきでないものまで外交のカードとして使った。

 

以前ロマノフスカヤ帝国原産のものを品種改良した北西の良馬と引き換えに、南方の商業大国たる西マネルワ王国が切り開いてきた販路を行軍路として使わせてもらうことを確約してもらった。東マネルワ王国も利益を西に独占させまいと協力を申し出たのは思わぬ幸運であった。これは私からベラノート侯へと上申したことだ。北部のロマノフスカヤ帝国への接触も続けているが、これはまだ確定的な情報は私がいる前線にまで届いていない。

 

…西の覇者として空へ高く飛び立つ前に突如として現れた存在こそ、何としても打ち倒すべき障害こそ、昨年末に新生したバルカン=テトラ神聖帝国である。

 

やんぬるかな、我が国はあの古の大森林についぞ歯が立たなかった。百年前の悪魔祓いの儀式から一年。ちょうど百年前の当時の世界には聖銀教賛美の声が高らかに響き、その聖なる式典での重要な役割を担った我が国もまた名声を高らかに響かせていた。

 

しかし、間もなく我々への名声は人に非ざる者共への悲鳴に代わった。

 

悪魔を滅せよとの教皇の方針により、数百年ぶりの古の大森林の開墾が始まった。当初こそ、今までにない順調な開削工事が各地で進んだが、百メートルと切り開く前にヤツらは現れたのだ。

 

それは真っ白い妖女だったという。黒い龍の鱗に覆われた尾は火も刃も立たず、耳の裏から突き出た黒曜石のような角が煌めいたと思えば、人外の身のこなしで吶喊し腕の人払いで十人の兵がズタズタにされる。

 

率いる千にも満たない黒備の甲冑…錦国のものに似た東鎧(あずまよろい)…を纏った精兵の先頭に立って、最初の三週間で千と五百の兵士を殲滅した悪夢そのものだ。両南北の大山岳部にその入り口を狭められているとはいえ、複雑な高低差や湿地が目立つものの踏破できないまでもない領域。縦長に千と数百キロ。西の国家と森林が接する境目を神出鬼没に駆け巡った黒い悪魔によって一度、開削事業は頓挫することとなった。

 

ログリージュ王国悪魔に敗北。聖銀教は悪魔に膝を屈した。過分に脚色されたこの報せは間も無く大陸全土へと広がった。恐怖は人を駆り立て、自分で勝手に影を肥大化させては怯懦する。

 

我が母国は雪辱を晴らすべく王国が誇る精鋭五百名からなる特殊部隊を結成してこれを派遣した。

 

我が曽祖父はその中の最年少の一員であった。そして、その中で唯一生還した者でもあった。

 

現在では我が国とかの帝国が国境地帯に定めている森林との境界。我が方から見て右手に大アルパス山岳地帯の霊峰ピレニア山脈、左手に同じく大アルパス山岳地帯の絶壁マルダーホルン山脈が存在する。その長く険しい円弧を忌々しい帝国を守るように描いて存在するこの壁により、大軍の派兵は極めて困難を極めた。また、局所的とはいえ北西の雄を自負していたログリージュ王国の敗北は西方諸国連合内部の不和を産む種に成りかねなかったため、わざわざ危険なヒビを拡大させるような大規模な派兵を募ることは賢明とはいえなかったのだ。

 

曽祖父の部隊は一路、現在両軍が睨み合っている山脈と山脈のちょうど境目に位置する森との境界へと進軍した。

 

約五百名の一団は当時の最精鋭。兵士も装備も西方では右に並ぶ者のいない練度と品質だった。充実した資金を用いて揃えた馬は西の諸国から買い付けた選りすぐりの強馬。恵まれた体格に頼んだ力強い足取りで進む彼らの勇壮な進軍の目的は一つ。母国の名声に傷をつけた黒い悪の兵団を正面から打ち負かすことだった。

 

曽祖父の日記によれば母国出立から三日目に最初の接敵があった。現れたのはそれまで敵として想定していた黒備の兵団ではなかった。人間のどの国でも見ることのできぬような巨大な木立が無数に乱立する中に疎に布陣していた彼らは人間の騎兵の接近に気づくとその場で盾を大地に突き立てた。

 

黒備の敵とは対象的な、全身真っ白の東甲冑に身を包んだ兵団は一糸乱れることなく防陣を展開した。すぐさま槍衾が完成し、時を同じくして数百の矢が五百名を襲った。

 

盾で身を守りつつ曽祖父とその戦友たちは前哨戦だと息巻いた。王から賜った銀製の喇叭を響かせ、巧みな馬術で散開した。敵の矢は蛇行するように右に、左に行ったり来たりを繰り返し、戦士たちはそれを察知しては軽々と避けつつ敵の指揮官が戦の常を知らぬ素人だと鼻で嘲笑して見せた。

 

二度繰り返した頃、敵の槍衾を構成する兵(ツワモノ)の顔が見えるほどに接近した。いよいよ突撃であった。

 

我が曽祖父は喇叭の奏者として槍を片手に先頭に立っていたが、先達の兵から万が一に喇叭を奪われてはならぬと最後尾に回された。そして曽祖父は全てを見届ける運命を掴んだのだ。

 

人と人非ざる者達の、その真の兵(ツワモノ)同士が繰り広げる蛮勇に満ちた汗臭い美学が光る戦。

 

曽祖父が憧れた夢は、先頭の一騎が突如消えた事で真の夢想へと帰った。

 

「何が起きたのだ!!!」

 

そう、曽祖父に先頭から下がるように言いつけた先達の兵士が叫んだと言う。意味不明は容赦なく続いた。

 

まるで吸い込まれる様に敵の槍衾の目の前でふにゃんと影がぶれた様に消えてしまう。

 

構うな進め!!と指揮官の大佐が号令をかけたことで再起した精兵達は果敢に突撃し、そして消えた。

 

うめき声。悲鳴。肉を突き刺す音。骨が折れる音。よく見れば目の前の槍衾のは騎兵の突撃に対してコの字で受け止める様に展開して真ん中の盾兵だけが固く槍衾を固め、左右の隊は騎兵突撃に目もくれずに斜め下へと只管その一際長い槍を突き立てている。気づけば矢もほとんどが盾兵の目の前の、謎の消失地点へと集中していた。

 

曽祖父は前列の約半分。百名が消えたところでやっと気づいた。身を乗り出して目を凝らせば巧妙に隠された堀があった。深く、騎馬が滑落して出られない程度の、騎馬から見える方を盛り土で高くして、苔や草束で不自然にならない程度に隠されていた。その盛り土から地続きに見えるように比例して小高くなった盾兵の防陣。小高い二つの丘に挟まれた、ちょうど騎馬が手前の盛り土を越えた所に、騎馬一頭半分の幅で横に数十メートル続く溝があった。

 

敵の軍略に気づいて指揮官に急ぎ報告した曽祖父は咄嗟に喇叭を吹いた。決して使うことはないと思っていた撤退の合図だった。

 

金管の悲痛な叫びが功を奏したのか、残存兵四百は精鋭の誉に違わず瞬時に切り替えをこなして馬頭を翻した。敵兵は追撃せず、残された兵馬へと抜かりなくトドメにかかっていた。

 

安堵と反撃の機会を待つために部隊を再編しようと思っていたが、百メートルと進まぬ所で先ほどまで無かったはずの木の柵が現れた。荒く掘られた土と力任せに突き立てられた木の柵は百メートルは横に広がりを持ち、杜撰に見える様で見える分よりかなり深く、しっかりと大地に差し込まれていた。

 

凡そニメートルのそれは、騎兵にとって越え難い絶壁に等しい。指揮官の迂回の命令が全兵に通るより先に、後尾を預かる小隊長の頭が吹き飛んだ。飛んだ頭の先にある木の幹には長剣の柄程もある豪矢が刺さっていた。ぎゅうんと耳鳴りの様な飛来音ががなった。

 

散開せよ!の命令が下されると同時に第二、第三の必死の矢が到来した。ぎゅうん。ごうん。近くを通り過ぎる矢はまさに槍が豪速で飛来するが如き恐怖の音を響かせながら逃げる騎馬の間を貫いた。幹に立った矢は総鉄製の矢尻と一体型のものだった。貫通力が高められた恐ろしいそれは騎馬隊に遺憾無くその暴威を注いだ。

 

時折、ボン!と音がした。運の悪い兵士の首が飛んだ音だ。

 

狂乱した戦士達は死の矢から逃れるために一心不乱に逃げた。逃げる最中に曽祖父は必死に銀の喇叭を奏でた。敵に居場所をバレることも恐ろしかったが、バラバラになって各個撃破されることのほうが被害を拡大させる者と思ったからだ。彼らは逃げるがままに逃げた。

 

それは言い換えるならば死の矢に従って森を駆け抜けたに同じだった。

 

馬も人も全身汗だくで荒く息を吐き出していた。森を抜けた先に故郷への道が用意されていると、根拠もなく信じて駆け抜けた。そしてたどり着いたのだ。

 

真の死地へと。

 

絶壁だったのだ。目の前に突如現れた断崖絶壁は大自然が声なき声でその徒労を慰めることも出来ないほどに確かで不動だ。びくともする気がしなかった事だろう。散り散りに逃げた兵士たちは曽祖父が奏でる銀の喇叭だけを頼りに森を駆け抜けた。生きて帰ると、それだけを気付けば考えていた。曽祖父の手記にはそう書かれていた。

 

ぬっ。ぬっ。ぬっ。そこらからの林から満身創痍で這い出てきた兵士の中には馬を失っていた者もいた。曽祖父の喇叭がかき集めた残兵は約三百。指揮官である大佐は現在だったが、中隊長二人と小隊長の四人は姿が見えなかった。曽祖父の記憶が正しければ、敵の矢は適当に見えて正確に枝隊指揮官だけを狙い撃ちしていたと言う。総指揮官だけが討零され、その四肢として働くべき隊長達は全滅していた。そこに組織的戦闘能力はもはや無かった。ここで囲まれたらもう叶うまい。曽祖父の脳裏に走った懸念は悪い予感を裏切る事なく実体化した。

 

曽祖父と共に行動してきた、絶壁の左右に道を求めようと必死に見回していた指揮官の顔が真っ青を通り越して真っ白になっていた。

 

あの憎たらしい柵がまたしてもそこにはあった。その上、よくよく見れば柵越しにこちらを狙っていたのは人が身につけるものより遥かに大きな白い鎧兜に全身を包んだ巨人というべき巨躯が、その身に相応しい巨大な大弓を構えていた。つがえられていた矢こそ、凡そ百名のその身を肉塊に変えた死の矢だった。兵卒より上等な白い鎧兜に漆黒の毛飾りを兜から垂らした指揮官らしき耳の長い美麗な顔立ちの亜人が手を振り上げていた。

 

あぁ、もうだめだ。曽祖父は震える筆跡でその時の心境を克明に今に伝えている。震えがひどくなっていくと、また一つ悲劇が進んだ。

 

「降服する!!!」

 

誰かが叫んだその一言は波紋が水面に広がるように、瞬く間に生き残った三百名の思考を支配した。恥を捨てて生き残らねば!!侵攻者としての立場を忘れ、指揮官以下三百名は虜囚となる道を選んだ。

 

彼らから悲鳴のような降服の声が上がり始めた。武器を手放し、腰に帯びていた野営用の小刀まで地べたに放った。手を頭の上に回せという指揮官の指示に部下達は粛々と従った。

 

自分の頭の後ろに組んだ手を回しつつ曽祖父はチラと先ほどの指揮官らしき耳長の男を見た。

 

男は手を下ろしていた。安堵は束の間、戦士達が武器を捨てたのを見計らって完全武装の四メートルほどの巨人の兵隊が三十余人。武器を捨てた三百人を壁になるように囲み、巨体の奥から現れた数百人の耳長の兵士が先ほどの指揮官らしき男の指揮の下で数名ずつに兵士たちを纏めるとそれぞれを背中合わせに立たせて親指同士、足首同士を荒縄で固く拘束して野地に横にして転がした。

 

作業をこなすこと数十分。手際の良い彼らの手は曽祖父には伸びなかった。ただ一人手足を縛られて木の樽に銀の喇叭と共に放り込まれた曽祖父は樽に封をされる直前に見た光景を一生忘れられなかったという。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 絶白記 後編

しまっちゃう系最凶ヤンデレ貴公子爆誕。閲覧注意。



第十六話 絶白記 後編

 

 

 

絶白記

 

著 アドルフ・ディートリッヒ三世

 

 

ーーーーー

 

足首と両手の跡や指を荒縄で固く拘束された我が戦友達は、その顔を恐怖に染めていた。麗しくも恐ろしい耳長の青年が戦友達の心を恐怖に震えさせたのだ。青年は当時の私と同じくらいの、二十歳かそこらに見えた。純白の髪、肌、ともすれば睫毛まで絹の如き絶対の白に祝福されたその青年は瞳だけが世界の光を全て呑み干してしまうような漆黒に覆われていた。

 

かの青年はその均整の取れた、いやいっそ背徳的な華奢さを纏いながらもどこか色気を気配させる肢体をこれまた見事な白金の甲冑で覆っていた。その様は鎧に着られているのではなく、鎧で強引にあの恐ろしい内腑を押しとどめて見せているようだった。東鎧によく見る竜の鱗のような緻密な甲と使用者の動きを抑制しない様に何節かに分かれた頭から被る形の胴巻、胴鎧の弱点となる脇からは下に精緻な鎖帷子が見えた。鎧には実用性のみを追求した美しさがあり技術力は極めて高かった。敵を見誤ったと後悔したことを覚えている。

 

傍に兜を置くための台があり、そこには紫金の毛飾りが垂れる豪奢なこれまた白金の輝きを放つ装飾少なく縦長の小札が首を守るように連なり垂れるのが特徴的な兜が鎮座していた。その隣には目の前の青年の得物であろう、その痩身には不釣り合いな、凶悪な五つの刃が円柱に沿って柄本から先へと細長く扇状に広がるような長柄のメイスが立てかけられていた。

 

私の耳には慣れない声が響いた。

 

「最も若いものを一人生きて返して差し上げます。」

 

私は息を飲んだ。最年少は私だったからだ。そして数秒の後に私は目の前の耳長の美青年が放った言葉の意味を理解し喉から迫り上がった悲鳴を、その絶白の将と目が合う事で押しとどめた。

 

奴は私に言外に伝えたのだ。発言は許していない。発言は死を意味すると。

 

青年はその美しい、しかし受け入れ難い冷気を振りまく声を再び響かせた。覚悟を決めた勇壮な戦友たちは私に向かって強く視線で訴えていた。生きて帰れと。この恨みを晴らせと。…しかし、もう既に私の耳には違う音が聞こえていた。

 

ざっくざっくと土を掘り返す音が私の脳内に絶望と筆舌に尽くし難い未来のえぐみを舌に想起させた。それは泥土の味であった。

 

「上大将軍閣下、支度が整いました。」

 

先程の指揮官らしき、黒い毛飾りを兜に垂らした耳長の男の声が辺りに響いた。彼の後ろからは土に塗れた5メートル程の軍用円匙を担いだ、先程の巨人よりもなお大きい12メートルに届きそうな巨人が十人ほど現れた。彼らも白い鎧兜で全身を包んでいた。いっそ壁の様にそこに存在感を放つ彼らは顔を保護する鉄面で表情は伺えない。忠実に直立する彼らから吐き出される呼気は熱く蒸気のようだった。

 

「ご苦労でした司馬忠。さて、貴方達には複数の大罪が御座います。」

 

握った右手を左手で包む独特の…東の錦で見られるような拝手の礼で固めた司馬忠と呼ばれた耳長の青年の横で、先程まで不動にして泰然としていた純白の非人が立ち上がった。彼の背後には恐ろしい、漆黒の炎が立ち上がるように見えた。私は恐怖ですくみ上がり搾り出そうな声すらも飲み込んだ。彼の声は朗々と紡がれた。この死地にあって彼だけが悠々と微笑んでいた。勝利の美酒に酔う者が浮かべる笑みではない。事務連絡の傍に、聖銀教徒の過激派の連中が浮かべる危ない笑みに似た、神の誉に浴する或いは忠誠を奉献する快感に打ち震える者が浮かべる薄寒い微笑だった。

 

「まず第一に貴方達全員には領域侵犯の罪あります。」

 

彼は指を三つ折り曲げた。

 

「僕たちが暮らすこの国は貴方達にとっての聖域に等しいものであると同時に、貴方達が有する個人所有の権利に服する財産としての地位も有しているのです。そして、その権利者は他ならぬ神聖皇帝陛下のみ。僕達の爪先たりとも何人にもそれを恣にして良しとするものではありません。貴方達は他人の家から他人の財産を勝手に持ち出すのですか?或いは持ち出しても許されるのですか?いえ、そんな筈はありません。ご理解いただけると思います。えぇ、私たちの命や、私たちの故郷であり陛下の御座す社である古の大森林の草木もまた同じなのです。先程射かけさせていただいた弓矢とて同じです。僕達が生きることが出来るのは、こうして侵略者に対して武をもって応ずることができるのは、全て陛下の御加護のお陰であり、陛下が万事満たされ給うためにこそ許されるのです。しかし、残念ながら貴方達は僕が今説明した凡ゆる常道に叛き、その罪を重ねてしまいました。悲しいかな、僕の陛下への忠誠は結果として大いに逆されてしまいました。僕はまた自ら毒を呷らねばなりません。病苦に自ら浴して赦しを請わねばなりません。僕はこれまでそうしてきました。致死に至る古毒を自ら精製し、それを呷り、生死の境を彷徨い、その度に陛下に運命を掬い上げていただきました。そしてその死を越えるたびに僕の愚脳は冴え渡り、より身命というものを効果的に用いることができるように成長してきました。敵のものも味方のものも。謹慎の為に執政総監からの三度の出頭命令にすら叛いた結果剣を与えられた時も、陛下はその受肉さえ成されていない稚い御身で無意識に加護を用いて僕をお救い下さりました。僕は決して、自分の力を過信しません。故に、此度の失態もまた僕の重篤な忠誠の欠如にあると判断しました。よって、僕にもまた然るべき罰則あるべしと判断し、次に陛下よりお声がけがあるまで決して陽の目を浴びること罷りならぬと決め、その通りに自裁いたします。あぁ…我が聖陽たる陛下の御加護の下に賜る期限なき謹慎こそ僕のせめてもの忠悔…。さて、僕の自罰はここに仮決定したことと致しまして、改めて問われるべきは貴方たちが陛下より賜るべき万邦に有り難き款罰です。貴方達の罪状は大きく分けて三つ。一つはバルカン=テトラ神聖帝国への領域侵犯、二つは神聖皇帝陛下の私有財産権侵害、侵害され欠損が生じた財産は貴方達が触れた大地と駄馬を以って物理的に撹乱した土壌の表面、野営を行った際に発した陛下の御加護の外にありながら発した有害な煙、貴方達の排泄物、呼吸により抹殺された一部大気、自生する動植物の陛下の私有物としての権利の侵害と破壊、帝国に流れる河川から奪取した水利、帝国の中央政府たる宮廷府外務省及び国防省への許認可を受けないままでの違法な武器の持ち込みと使用、我が国で陛下の御加護を受けていない身でありながら加護非ざるの土地の土壌と接した土足で我が国の土壌に接地した不敬、陛下が座す国都へ向けて加護に浴していない兵剣を向けた大不敬、食物を咀嚼したことによる大気の攪拌とそれに伴う植生の軽微な変化、不法な長距離移動により発生した振動、貴方達の飲酒による酒精が発した臭気、貴方達が不道徳な兵剣を所持したままで神秘宿る我が陛下が治め給う国土に滞在したことにより非平和的かつ攻撃的に景観を損ねたこと、見慣れぬその人間の外見により陛下に富を奉献する民心に不要な不安を与える可能性があったこと、結果的にそれらが陛下の富に瑕疵をつけかねなかったこと又は結果的に陛下に本来正常であるならば捧げられるべきだった一定量の富が漸減した可能性が存在したこと、それら諸々の可能性を考慮しなかったこと、浅はかにも陛下の武威に兵剣を向けたこと、挑戦的な態度または狡猾な企み又は傲慢な偏見を携えて国境を超えたこと…剰え陛下の玉体に大事有る可ざる行為に及んだこと、それらを僕に想起させたこと…などが挙げられます。」

 

「そして最後に三つは貴方達がこれまでに及んだ全ての行為に対して陛下の御裁可が降ることは罷りならず、それは恩赦も同じであるということです。即ち、貴方達は陛下の御加護に服することは勿論ですが、それらから派生する如何なる幸福をも受け取ることが許されないのです。これは即ち、貴方達が不幸にも哀れな存在であることが陛下の慈悲の光を曇らせうるという可能性をはらんでいるという加護を持たざるの身に在りながら被慈悲の立場に陥ったという罪があるのです。僕は決して強い言葉はつかいません。陛下がその黒く美しい玉石玉体の霊光のもとに存在する有様を、志を共にするもの達は皆、より美しい言葉で彩る必要があり、その為にはたとえ出来心だとしても罵倒や悪口などの醜悪な言葉を用いてはなりません。僕はその通りに従い、憤怒と激情を押し殺して貴方達に最後の罪状を宣告いたします。貴方達は今日、今この瞬間に此処に在ったが為にその身命を陛下への贖罪の功とすることを、畏れ多くも崇高なる神聖皇帝陛下の代勅として上大将軍"白羈"が許します。勇敢なるそれらの諸野蛮行為と、我が帝国の如何なる財の過失をもこれ以上許容しない為に、貴方達にはその身を用いて陛下の大地を涵養奉る権利と、それにより陛下へと畏れ多くも示した大罪の減免による名誉回復、そして我が軍が陛下より賜ったやんごとなき物資の節約を扶け、また加護厚き兵糧を加護無き矮小の身にあって虜囚として口にする許し難い行為を免除し、それをもって陛下の御心を安んじる事に心身を賭したことをこの場の者達が証人となって差し上げることで、ここに一応の終いと致します。」

 

長い長い…とても狂気に満ちた言説で在った。私たちの脳内に響く鈴の音の様な心地良い声は、決して同じ命を持つ生物に対して発せられる礼儀に則っていなかったにも関わらず、心胆を寒からしめる程に良質の思いやりを心から込めて発せられた。

 

いやダァぁぁぁぁぁぁ!!!!助けてくれ!!助けてくれ!!国に返してくれ!!かぁちゃん!!助けてー!!

 

悲鳴が上がる。だが、周囲の非人の兵はピクリとも表情を動かさない。感情が無いのではない。彼らには自らの感情よりも大事な信仰の快楽があるのだ。同情する代わりに無言で少しずつ巨人の兵士達がその身で作っていた円を狭めていく。ここは恐怖が支配していた。

 

腰が抜けた私はいつの間にか両脇を耳長の兵士に固められ、樽に入れられようとしていた。向こうから私たちが乗ってきた馬に荷車を引かせたものが近づいてきた。私は今度こそ反抗の声をあげようと思った。何か残るものが欲しかった。

 

「穴が浅いです。もう少し深くしなさい。夏場はこの辺りもかなり日が照りますから、膨張した生肥が土の上に出てきてしまいます。過不足なく有効に活用すべきです。無駄に虫や野良の獣に食わせるべきではありません。腐臭が広がれば陛下の御尊顔が僅かでも曇られる恐れもあります。なにより沃土を齎しうる大任を仰せつかった者達に失礼です。徹底しなさい。」

 

ザクザクザク。

 

私の思いとは関係なく。いや、あの青年はただ、本気で私たちを憐れんで、肥料として憐れんでいるのだ。彼は肥料としての私たちへの思いやりを強く込めて、それこそ熱意すら感じる声で部下に命じた。目を瞑ろうと思った。決して見ては、聞いてはならない。気が狂うかも知れなかった。私の心は折れていた。先程円匙を担いでいた巨兵はハクキと名乗った将軍に命じられると巨躯に違わぬ大膂力ですぐさまより深い穴を大地に掘り起こした。深いそこに目を向けることなどできない。折れた心は地に埋もれてしまいそうだった。

 

だが、私が尊敬していた我が部隊の隊長はそうではなかったらしい。

 

「先ほどから聞いていればッ!!貴様はそれでも将帥か!!!魔の民であるとはわかっていたがまさかこれほど名誉も誇りもない獣を相手に敗れたとは!!恥を偲んで武器を置いた無抵抗の戦士達に!勝者たる貴様らは払うべき礼儀というものがあるだろう!!」

 

両手の親指と両足首を背を合わせた副官と共にしている彼は尋常でない覚悟と底力で立ちあがり、そして声を上げたのだ。

 

「いいえ。貴方は勘違いをしていますよ。僕達は貴方達にこの上のない配慮をしています。陛下の御前に御覧遊ばすことこそ許されませんが、貴方達の献身はよく僕達が記憶しておきますとも。ですから安心なさってください。」

 

だが、隊長の憤怒もどこ吹く風。青年はしれとそう言い切った。隊長は怒りと呆然から顔を赤くしたり肩を上下させたりと憤悶し、我慢できずに驁呀(ごうが)した。

 

「〜〜〜!!!!話の通じぬ魔物め!!貴様らも貴様らの主たる魔王も!!!神のご加護厚き勇者の手によって死に絶えるがいい!!!ケダモノめ!!!フン!」

 

パキャ!!!

 

鼻を鳴らした隊長の顔が強がりの笑みに歪むより早く、巨大な鉄塊で横凪にされ、物理的に歪められてしまった。

 

木剣を振るかの様に軽々しくニメートルは下らない金棒を御したハクキは至って無表情でしばし沈黙し、僅かの空白を後にして至極残念そうな人のよい微笑を浮かべた。

 

「なら仕方がありません。貴方は特別と言うことで。貴方の望んだままにして差し上げます。鼻と口唇を斬り飛ばしただけですからまだ息はありますよね?ん。よろしい。それではそちらへ、元々使う気はありませんでしたが餌はやるなと指示を出したままでしたからちょうどよかったかも知れません。それでは司馬忠、彼以外を御案内して下さい。あぁ、すみません。鼻の骨ごととばしてしまいましたか…それは失礼致しました。少し力を入れすぎました。面目次第も無い。」

 

血沼に顔を埋める隊長は痙攣する体を四メートルほどの巨兵に担がれて木柵の奥へと連れて行かれた。程なくして悲鳴が聞こえ、悲鳴に入り混じって野太いブタのような鳴き声が複数猛り響いた。私は何とか樽に入れられまいと、目の前の惨劇をせめて最後まで見届けようとした。

 

 

 

 

「司馬忠。始めなさい。」

 

血を払った金棒を手にしたまま、ハクキは耳長の指揮官に下命じ、命じられた男は手を振り上げた。目の前には深く狭い溝が人二人分ほどの幅で横に長く続いていた。其々の穴を倒れ伏して覗く様に身動きの取れない兵士たちが寝転がされていた。彼らはあの後シバチュウという指揮官が指示して兵士たちの身包みを下着から何まで剥いでから全身に白い粉を塗した。石灰だった。真っ白塗れで恐怖に震える彼らをぼんやりと見る。ハクキは私のほうに目を向けることはなかったが、手で追い払う様な仕草をした。間も無く私は樽に詰められた。

 

「順次開始!」

 

どず!どず!どず!どず!どず!

 

樽の中で耳を澄ませていた。聞こえてきた音はあまりにも生々しく私に悲劇の光景を幻視させた。今でも鮮明に想起できる。

 

巨兵達が一人一組、耳長の兵士が二人で一組の、身動きの取れない兵士たちを掘った穴に投げ込んでいく。

 

敢えて乱暴に投げ込んでいる訳ではなく、単に肥料を投げるのならこの程度なのだろう。勢いよく泥土に投げ込まれた兵士の中には衝撃で気絶する者、首の骨を折って死んだ者、さまざまいただろう。とはいえそれも一部だろう。深く狭く掘られた溝は背中合わせの二人が辛うじて立って入れられるくらいの、無理矢理立たせたままに身動きを取れないようにしておける残酷な工夫が施されていた。

 

全部の組み、約百四十九組が投げ込み終わると巨兵達が軍用円匙で土を被せる前に硬い音がした。ゴロゴロとした音やじゃらりと立て続けに流れる音がしばらく続き、音が続いている間は狭い溝に縦に体を立たされる様に敷き詰められた兵士が悲鳴を上げていた。あぁ、何と言うことか。ハクキという男はきっと魔の物の中でも決してその存在を許されざるべき者に違いない。そうで在って欲しかった。あの音は、軽快に鳴らされたそれは、大きな岩とその隙間を埋める砂利が流れ込む音だったのだ。

 

合点がいった私は身震いした。現実を忘れようと樽の暗がりで目を凝らした。樽の中は銀の喇叭以外は何もなかった。天運に任せよと言うことか、私は孤独と先のわからぬ恐怖を誤魔化そうと、要領悪くも目の前に転がっていた非情な現実に自分以上の不幸を求めていた。愚かなことだ。

 

悲鳴は聞こえず、かと言って弱くうめく声が聞こえる。

 

どべどべ…どさどさ…どじゃどじゃ…と泥、土、砂の順番で、律儀に地層にまで配慮して埋め立てていたのが見えずとも私の過敏になっていた本能が察し、死を前にして嫌に冴えていた思考の結果が教えていた。

 

埋め立てに並行して周囲では既に撤収が始まっていた。単なる作業。何も見えずとも私に、ただ一人生き残った私に冷たく現実を突き刺してきたのだ。

 

一時間もかからずに撤収を終えた魔の軍勢は淡々と私が入った樽を運搬した。私はそれから三日三晩寝ることができなかった。気が気ではなかった。そのうち、今にも樽の蓋が開けられて私も奴らが飼い慣らした魔物のブタの餌にされるか、地層に同化させられるかのどちらかだと思えたのだ。そして、私の場合は今度こそ孤独に、死さえ許されぬ死を与えられるのだ。忘却の彼方に消えてしまう。私は怖かった。

 

 

 

三日三晩寝れずに過ごし、四日めの夜に微睡んだ。そして五日めの朝、陽の光の眩しさに目を覚まし自分の番がきたと悟り樽の外へと頭を出した私は悲鳴とも歓声とも取れぬ声波に迎えられた。

 

故郷ログリージュ王国のノルマンディア辺境領で東端の村に流れる川に樽ごと流された私は無事拾われ、そして生き残った。

 

私は一人生き残った。全てを一度だけ王と時の護国卿へと語り、そしてもう二度と語らなかった。

 

もしも、もし私の子孫がかの帝国に復讐を誓ったならば、私は一つの忠告を残しておこうと思う。何もできなかった先祖が、単なる愚者として死ぬのではなく、目撃し味わった者としてせめて遺せるものだ。

 

絶白を断じて相手にするべからず。

 

もうすぐ私は死ぬ。この時になって、あの時の森林での戦働きに後悔を見る。そして憎々しくも、あれほど合理的で華麗な翻弄劇を戦場に描ける者もいない。敵が騎馬であることも、その動きも、指揮系統の混乱も、全てを把握演出して敵自身に馬を駆らせて自然の絶壁へと追い詰める。袋小路に追い詰められた時に私達を完全に包囲した木柵による簡易陣地の中で、巨人の大弓部隊の足元には初めから二の矢三の矢が突き立っていた。初めからそこで斉射の用意を完了させていたのだ…初めから上手くいくことを理解した様な完璧な布陣だった。いっそ一人の軍人としては得難い経験であったのやも知れない。数十年越しに、トラウマと共にその念が残ったのはせめてもの幸いだ。敵への憎しみはひとしおだが、同時に人間にもいないその恐ろしい軍略は学ぶに値する。未来に繋ぐべき、そして報復するべき時がきたならば、絶白の恐怖の威を借り受け、敵に思い知らせるのだ。

 

アドルフ・ディートリッヒ三世

 

 

ーーーーー




プロットの時点では登場させるつもりなかったけど、やっぱり好き過ぎるので登場させました。今後もヤヴァイのは増えると思います。まだまだ真ヒロイン出してませんし。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 鍵となる者

第十七話 鍵となる者

 

 

約百年前。私の曽祖父は地獄から生還した。

 

祖父が命と共に持ち帰った銀の喇叭はそのまま我がディートリッヒ家に下賜された。

 

地獄からの生還後、曽祖父は真実をログリージュ国王と護国卿にのみ打ち明けるとそれ以来口を固く閉ざした。

 

私は曽祖父が壮絶な経験をしていたことを知らずに育ち、我が家は古くから愛国主義者の鍵屋として名前を広く知られていたものと考えていた。

 

私が四十になろうかと言う頃に父は死んだ。

 

父親の葬儀の折、私は鍵屋のディートリッヒ家の家督を継いだ。爵位こそないが名の知れた古家だった我が家に嫌気がさして出奔してはや二十年が立っていた。

 

父の遺品整理の際に見つけた手入れが行き届いた銀の喇叭。ズボラな父親が毎晩寝る前にこれだけは欠かさず磨いていたのを思い出した私は何の気なしに気になり始め、この喇叭を調べることにした。

 

家の古書や家系図を整理のために開きつつ、銀の喇叭を手で弄んだ。ふと目が止まったある古文書は祖父の自筆によるものだった。何かの写しであるそれは嫌に濃い筆圧でハッキリと残されていた。

 

そこには曽祖父がどんな人物で在ったか詳に記されており、特に興味を引いたのは赤インクで文の下に線が厚く引かれている箇所だった。祖父も好奇心をそそられたのだろう。それは曽祖父が元軍人で、しかも王国一のエリートだったと言う話だった。眉唾ものだが、微かに記憶に残る曽祖父の厳格な面持ちは成程例え酒の席での与太話だとしても興味がそそられた。

 

滅多に笑わない、白い色が滅法嫌いな変わった年寄りの曽祖父が笑い話を残してくれたのかも知れない。私は「曾祖父さん、あなたの曾孫はあなたと同じ軍のエリートになりましたよ」と茶目っ気を込めて心の内で語りかけた。

 

薄く息を吐いて、先ほどよりも気持ち意欲的に古書を開いては閉じる。左手で銀の喇叭をあそびつつ、古書と格闘すること一時間。背伸びをしてから第二回戦と行こうとした時、革張りのやけに立派な薄い本が出てきたのだ。

 

開いて驚いたことは、それの著者が曽祖父であるアドルフ・ディートリッヒ三世だったことだ。待ちに待った曽祖父の手記が出てきたのだ。

 

私は意気も漲る様に軽快に項を捲り、そして後悔と驚愕に苛まれることとなった。そして同時に合点が入ったのだった。

 

結論から言えば、曽祖父はその眉唾の通りに百年前のログリージュ王国にあって最高のエリート軍人だった。彼が所属した部隊は王国軍にあって知らないものはいないほど有名な部隊であった。

 

軍の花形である騎兵隊の中でも最も優遇され、そして最も悲惨な最後を迎えたことで知られていたその部隊の名前は名付けられて「勇者の剣」部隊。最高の軍馬、最高の前線将校、最高の武装…百年前の最先端を全て詰め込んだ最強の五百名。ログリージュ王国が世界に誇るべき、そうなるべきだった独立遊撃部隊だ。

 

彼らの存在は軍内部でも知るものが殆どいない正に幻に等しいものだった。ただ、その勇名と悲劇性のみが誇張されていたと、今なら思う。

 

曽祖父はその中にあって王よりとある任務への出陣式において下賜された銀の喇叭…物への執着がほとんどなかった曽祖父が終生手放さなかった…を演奏しつつ突撃の先頭に立ち味方を導くという名誉ある役を担っていた。

 

そして、そのとある任務に曽祖父を含む五百名は従軍し、そして幻となった。

 

曽祖父の手記、絶白記にはその幻の真実が生々しくも刻まれていた。祖父が曽祖父の死の直前に口述を記録した文書や、父が祖父から聞いた曽祖父の話などから曽祖父は類い稀なる記憶力を持っていたことがわかっている。鍵屋になったのも構造を覚えると直様解錠してみせた曽祖父の天才的な記憶力に任せてのものだったのだろう。曽祖父が喇叭を吹くことになったのも、或いはその記憶力ゆえに瞬時に正確に喇叭を吹き分けられる記憶力とそれを実践するだけの才能を見込まれての物だったのかも知れない。曽祖父の手記にはその凡伯らしからぬの片鱗が、特に情景描写の正確さなどから随所に見て取れた。

 

丸一日、父の遺品整理を放り出して読み耽った私は曽祖父を含めたログリージュの殉勇士五百名の無念を晴らすこと、即ち突如勃興した魔物の帝国を大陸の地図から排斥し、我がログリージュ王国が大陸統一王国という悲願に辿り着くまでの道筋の一端に寄与することだと心に誓った。

 

それ以来の約八年間私は計画を進めてきた。私の知る全てと、私が考えうる全て私が差し出し得る全てを出し切った計画が今今大陸を揺さぶろうとしていた。鍵屋の息子から秘密作戦の現場責任者へと大出世だった。

 

愛国者として魔王が君臨する帝国を打ち崩すために、私は最高の協力者を得ることに成功していた。幸運なことに、当代一の軍政家と名高い我が国の護国卿であらせられるベラノート侯爵ヴァレンシュタイン閣下と志を共にする機会に恵まれたのだ。

 

私とヴァレンシュタイン卿は共にログリージュの大陸制覇のため、東の巨漢たる大錦との間に起こるであろう大陸覇権戦争の前哨戦として今回の森林帝国こと新生バルカン=テトラ神聖帝国への大侵攻作戦を計画し、そして実行することを決断した。

 

 

 

 

南方の覇権を握る二つの国家。西マネルワ王国と東マネルワ王国は百年前まで同じ一つの王国だった。大錦と大マネルワこそが大陸に覇を唱える双璧であった。ログリージュ王国を筆頭とする西方が初めて団結した百年前の聖銀戦争に敗れた結果、西は王国を名乗りつつも中小国家の共同体による合議制をとる商業国家に、東は旧来の大マネルワ王国の系譜を色濃く受け継いだ宗教指導者と政治・軍事指導者をマネルワ直系の国王が専制する王権国家に分裂した。

 

西と大陸中央の大森林が接する国境地帯。先鋒軍の軍権を握ったゼルプ・ディートリッヒ大佐はその直下軍を前線から最も遠い陣地最後尾に集中させ昨年の末ごろから漸次南方へと送り出していた。

 

彼が率いる先鋒軍五万の中から更に選りすぐられた一万の混成騎兵軍は最後に送り出した部隊が所定の配置についた旨報告を受けると、自身を先頭にした三万を国境線ギリギリまで進ませ、自身は直率する一万を率いて北へと舵を切った。

 

 

 

「大佐!!我々の進路は南であろうと思っておりましたが!!情報秘匿のためとは言え私にも何も言わんとはお人が悪いですぞ!!」

 

疾駆する騎馬軍団の先頭を行く男ゼルプに走らせたままに騎馬を寄せる芸当を軽くこなしてみせる副官。

 

「すまなかった!だがこの作戦は全てにおいて事前準備と情報統制の徹底が不可欠だったのだ!!」

 

騎馬の蹄が未整備の山谷を風の勢いで駆け抜ける。

 

砂利をかき鳴らし、泥濘を抉る強行軍はゼルプの指示だ。

 

先頭と後尾にそれぞれゼルプが手塩にかけた精鋭軽騎兵二千卒と重装騎兵二千卒が従い、中列に輜重隊として疾風の如き行軍を実現するために荷馬車がわりの駄馬に兵士全ての背嚢を積んで走らせる。駄馬と並走する形で今日のために用意したログリージュ王国軍の最新兵器である鉄火筒を馬上から水平射撃する騎銃兵部隊三千が組み込まれている。従者や傭兵の中でもこの強行軍に耐えうるものを選抜して本軍から三千名を引き抜かせてもらった。ダメ押しとばかりに後尾の重装騎兵に囲まれる形で聖銀騎士団と教国の秘策も帯同することを許した。

 

他に、三万の精兵がゼルプの指示に従って南方での謀略のための支度を終えて今まさに開戦を待つのみのなっている。後はゼルプが歴史的開戦の嚆矢を射るのみの状況だ。

 

今、大陸の歴史を動かしていたのはまさに自分であるとゼルプは自負の絶頂に立っていた。ゼルプの手札は彼の出せる手札の中でも最高のものとなり、数日と経たずにゼルプは自らに課したログリージュ勇躍への最初の大仕事を終えて母国の土を踏むことだろう。

 

彼は初めから生きて帰るために、曽祖父が成し得なかったことを、彼らの無念を果たし、彼らの任務を果たした上で生きて凱旋することを誓っていた。

 

そのために出来ることは全てした。情報収集のために危険も顧みずに敵国の内部で数年間陰に日向に情報を集め続けたのだ。

 

唯一の懸念とも言える曽祖父が白色を酷く恐れる様になったきっかけであり、黒備の精鋭を遥かに越えるログリージュ王国最大の仇敵で間違いない絶白と称された将軍ハクキ。

 

森林帝国でも秘中の秘である上大将軍という規格外の大権を与えられた者の中で唯一のゼルプが手に入れられた者の情報こそ、その大権に見合う実績とその名を轟かせているハクキについてだった。その情報の精査の結果、彼という障壁は既に対策済みであると言えた。そして、その対策の理由ゆえに今こそが最大の好機と言えた。

 

ハクキ…その実名、白羈(はくき)はゼルプの曽祖父アドルフの類い稀なる記憶により遺された手記が今に伝える通り、そこで宣言した通り未だに期限なき自罰に従い、自身の主君たる神聖皇帝からの許しなきままに国城の地下牢から出ていなかった。

 

そしてゼルプが入手した情報の中でも最有力とされた、まさに天運とも言える情報こそが、新生した帝国の全権を握る神聖皇帝テトラは未だ経験も浅く世間知らずであり何より肝心名将ハクキの存在を知らず、また、現行の第二権力者である執政総監ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラは男の身でありながら皇帝に狂気的愛を捧げることを衆人環視の元でも憚ることなきハクキの意固地さを毛嫌いしているという情報だった。商人に扮して南方や、ハクキの出生地である東にまで赴いて聞き込めば執政総監のハクキ嫌いは相当のものだった。というのも、ハクキが自罰で地下牢に入って間も無く彼が率いた恐るべき軍団は解体され、副官の司馬忠も閑職へと追いやられたというのだ。司馬忠は名前を変えて峙金と名乗り軍を退役したという話まで耳にした。ゼルプは小躍りしたい心境だった。

 

帝国最中枢の不和。

 

敵の最高級の名将の自滅。

 

将に続いて優秀な副官の左遷。

 

果ては、強敵になり得た歴戦の大軍団の解体。

 

最高の状況だった。密偵の情報によれば西の国境に張り付いている敵将はアルザーヒル・バイバルトという実戦経験もない名ばかり軍団長と、竜騎と呼ばれる特殊軍の指揮権と皇帝の最側近にのみ許される大将軍の肩書きを持つハンナ・バアル・バルカ…こちらは百年前の建国当初から確認されているため注意が必要…、そして中央から派遣された国防軍とは別枠の

国都の防衛圏の死守を第一とするこれまた将も兵も実戦経験皆無の近衛軍第一軍が仁来来(ニーライライ)なる詳細不明の軍団長に率いられていること以外は至って特筆すべき条項はなかった。あえて言えば予想以上に敵の勘が鋭く、ゼルプが秘密裏に送り出していた騎兵部隊の動きに反応したことだった。しかしそれを除けば南方でも目立った動きもなく、各城塞都市にまとまった兵数が入城したという情報もない。二週間前に国城から前線に向けて出立した一団の動向は確認するまでもない。一団は既に公都ザマスへ入っており、後は退路を塞いで我々が奴等を殲滅するだけだ。

 

バルカン=テトラ神聖帝国軍十八万に対して、西方諸国連合軍は急募の傭兵(フリーランス)五万、西マネルワが販路を提供した代わりに東マネルワから借りた一万の精鋭重装歩兵師団を含めて数えると総勢七十万にまで膨れ上がっていた。

 

数で言えば先鋒軍五万を、ゼルプが率い変則的な動きをするために本軍との序盤の連携は難しいとの理由から外しても三倍以上の差が開いていた。

 

どうして負けることがあろうか。ましてや敵の障害にして憎っくき名将"白羈"は己が招いた味方との不和で戦の舞台にすらあがれぬ有様であった。

 

ゼルプは自らを鼓舞する様に、この日のために流した全ての血と汗の結晶。勝利へ続く美しい図面を検め、自らの母国への凱旋を確信した。

 

大陸に二度目の悪夢は現れないのだ。夕日が傾いている。ゼルプが先頭に立って進む入り組んだ道は彼の曽祖父アドルフが通った道だ。一度通った道を二度通るものはいない。数少ない緩やかな丘陵を幾つとなく越えて敵国の西の心臓部へと電光石火の勢いで進撃する。大胆だが効果的な軍事論の元にゼルプは「勇者の剣」を再現しようとしていた。その結末を勝利に塗り替えて。ゼルプは自分が伝説を前にして興奮していることを悟られぬ様、努めて落ち着いた声を心がけつつ副官に今日の野営の用意を命じた。

 

明日から二日は眠れぬ。丸二日駆け続けて敵の公都ザマスへと奇襲を仕掛けるのだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 宣戦布告

第十八話 宣戦布告

 

 

三日前に国都テトラリア郊外の国防軍駐屯地から出立した五千名の前線慰問団の進行は順調だった。すでに旅程は三分の二を終え、国都より遠く西のイスパナス公国公都ザマスの手前の街にたどり着いていた。日程三日目の晩、テトラとテクナイは同じ部屋で到着予定日の明日について話し合っていた。

 

「ふぅ〜今日も終わったね。」

 

宿泊のために用意された寝室は煉瓦建ての頑固な外容とは裏腹に柱や床は木製独特の温かみが感じられ壁の白漆喰には清潔感があった。公都近郊にある小さな街での一泊。一番の貴賓室をあてがわれたテトラはベッドへと飛び込んだ。日頃から使われているのか埃っぽくない。

 

「お疲れ様です、陛下。いよいよ明日にはザマスへと入城する予定となっております。出発は午前九時頃ですので、明日は少し早起きになりますね。朝食は車の中で召し上がるのが良いかと。あと、うつ伏せでは呼吸が苦しくなってしまいますよ?」

 

うつ伏せになったテトラは力を抜いていたもののテクナイは明日の予定を告げつついとも簡単に彼の体を仰向けに直した。

 

「そうだね。明日はザマスに入るんだね…少し、楽しみだな。」

 

コテンと仰向けで寝転んだテトラは気づいたら真上にあったテクナイの顔から自分が数瞬で膝枕の餌食になったのだと悟った。慣れたことなのでテトラは驚きつつも意外には思わない。自然な流れで話を続けた。

 

「ふふふ、それは何よりでございますね。」

 

撫でりこ撫でりこ役得を味わいつつテクナイはその赤瞳を細めてテトラに相槌を打つ。彼女はこの三日間、テトラが大いに世間への興味を強めているのを知っていた。

 

「うん。お城を出てみてよかったよ。僕は世間知らずだったってよくわかったし、お陰で知らないことを沢山見れた。この三日間で母さん達が創ってくれた国がどれだけ素敵な国なのか、まだまだ未熟な僕の目から見てもよくわかった気がするよ。」

 

少し真面目な顔でテトラはそういう。彼はのほほんとした顔立ちの、一見すると人間の子供だが、その実は森人(フォームレスト)に運命を魅せる不思議な人に非ざる男の子だ。外見は人間に見えても、その中身は全く違う。姿形が違うことが当然の価値観の中で生きてきた森人(フォームレスト)達にとっては彼が人間に見えることは髪の色が違う程度の違いに過ぎない。シンパシーとも言うべき独自の通念がそこにはあった。それはテトラから民やユリアナ達を見た時も同じだった。彼は強く運命を感知できるのだが、まだそれを使いこなせてはいない。

 

「陛下は勤勉でございますね。何より、楽しそうで良かった…ユリアナ様はさぞかし喜ばれることと思います!」

 

この三日間は特に問題もなく順調であった。テトラの成長は帝国にとって万金にも勝る大事であるから慰問計画は既にその成果を充分なものとしていると彼女は思っている。しかし、変わらず一つの懸念が頭を過っていた。

 

「テクナイは喜んでくれないの?眉がハの字だよ?」

 

顔が険しい。言外にそう伝えられてテクナイはハッとした。自身の腿の上に乗せた頭から純真な二つの輝きが向けられている。テクナイは隠し事も嘘をつくのも下手だ。

 

「顔に出てしまいましたか…まだまだ未熟ですね、私も。」

 

俯いてしまったテクナイは少し気まずそうな顔をしていた。

 

「陛下、私も陛下とこうして旅の趣を共に出来たことを心より喜び、そして誰より楽しんでおります。ただ、中々今の時分は平時とは言い難く。私は陛下を守るという使命がございます。それゆえ、護衛の者があまり明け透けに気を抜いていると思われてしまえば陛下の身を危険に晒してしまうかもと気が気ではないのですよ。未熟な私の落ち度です…申し訳ありません。」

 

テクナイはテトラに誰より忠実だ。隠し事は出来ないが、詳細を伝えることも気持ちが憚られた。

 

彼女はテトラを守護するために愛馬に跨り、完全武装の出立でこの行幸へと参加した。文字通り片時も離れずにテトラの側に侍る彼女の忠誠心は鋼よりも強靭なものだとわかるが、一方でテトラはトイレの中まで一緒に入られた時はどんな顔をすれば良いのかわからなくなった。

 

「…わかった。僕も少しハシャギすぎてたよ。ありがとう!セキウ。」

 

テトラは何を思ったかセキウの腿から飛び起きて彼女の頭に手を伸ばした。テトラは頭を撫でられることはあっても撫でたことはなかった。ふとした思いつきから彼はテクナイに望外の福音を与えた。

 

「〜!!陛下!こんな、勿体ない!!私は自分がしたいことをしているだけです!!」

 

テクナイはワタワタと手を動かした。テトラは笑った。

 

「へ、陛下こそ、いつも私の心を温めて下さったありがとうございます!!小さくて可愛らしい姿も最高です!!あと、立派な主君をもてて、その…私は家臣として、あ、あ、姉としてとても鼻が高いですよ!!」

 

「あ、ありがとう。」

 

テクナイは顔が赤くなっていた。キュンキュンしていたが、それ以上にちびっ子にヨシヨシされた照れもあったのだ。それにしても嘘がつけないあまりに人前では決して言わないことまで言ってしまっていた。テトラは可愛らしいという発言に少し凹んだ。自分がチビだとは理解している彼も流石に人から言われると応えたのだ。

 

「さ!明日は早起きですから今日はもう寝ましょう!!」

 

テクナイは布団をかぶってからも暫くデレていたが、テトラは「小さい」発言の傷から安らかに眠りについた。目の端から滴が伝ったのは見なかったことにするのが優しさである。結論として、翌朝テトラは滅法可愛いちびっ子発言が尾を引いて見事に寝坊し、テクナイに負ぶわれて車へ乗り込んだ。

 

 

テトラの寝坊はさておき五千の隊列は些かの停滞を見せていた。

 

ザマスの手前半日の地点で一千名が物資監査のために呂文桓の副官に率いられて南方へと向かい、ツェーザル家の私兵隊長オドアラクが新たに一千名を北のソヴィア公国の優秀な冒険者と傭兵で埋めることを進言したのだ。これに対して副官である呂文桓は反対した。結果としてテトラを前にしての御前会議が半ば無理やりに開かれることになった。

 

森林の各地にある森林や丘陵部をそのままに構築された都市。それらに住むなら防衛能力の高さや魔導技術の発展により快適な居住空間が演出できるために不便はないからまだしも、大所帯がそれらを行き来するのは甚だ困難を極める。そのために、その国土のほぼ八割以上を森林に満たされたバルカン=テトラ神聖帝国では宮廷府森林省が統括する森林庁により国土の測量と森林の計画的開鑿が行われている。これは過不足のない物資の利用と国土の保全管理、また兵站や備蓄に係る機密までもを扱う重要な国家業務であり、道路整備もまた森林庁の重要な仕事の一である。

 

帝国の都市は基本的に森林庁により城塞化される。自然の中に、というよりも自然そのものを城塞に作り替える匠の技だ。道路は敵の進軍を阻みつつも味方の配備と兵站を円滑に助けるものでなくてはならない。結果的に地下の軍用路を除けば地上の都市と都市を繋ぐ幅二十メートルほどの道路のみが唯一の国道という扱いとなる。都市を中心に十から二十の街や村がその外縁を埋めそれぞれの気候や土地柄に合った農作物の栽培などで糧を得たり日雇いの仕事でお小遣いを稼ぎその晩に飲む少し上品な酒を買ったりする。軍武官ではない彼らに軍務権はない。戦時となれば彼らは一路国都防衛圏へと避難する。もぬけの殻となった町村には村人達の代わりに軍人が入り、派遣された国防軍がその特色を存分に生かして瞬く間に前線補給地や簡易陣地へと作り替える。

 

こうして平時に都市を中心とする経済圏は、戦時体制移行命令が発令され次第都市を中心とした大規模防衛基地へと変貌を遂げる。

 

「つまり私が言いたいことはこうだ。平時において十大主要都市一つに当たり一軍管区、即応含まず常ならば五千名が詰める都市を黙然としているのにどうしてわざわざ所在もわからぬ連中を陛下の玉体守護の勅任を許さなければならぬのか私には甚だ疑問だと言うことだ。」

 

ドン!冷静な呂文桓にしては珍しい。机に強かに拳が叩きつけられた音は急で組み立てたせいで隙間風が何処からか入り込む陣幕でも逃げることなくよく響いた。腰を上げて前傾姿勢になって机を挟んで向かいにいるオドアラクを睨む呂文桓は見たこともないくらいに怒っている。

 

「ましてや我々が向かっているのは公都ザマスだ。公都には三万の衛戍軍が配備されている。練度も十二分だ。そんなに一千名も増援が必要だと言うならば衛戍軍から引き抜かせて貰えばいい。他ならぬ陛下の御身を守るためなのだ。文句は言うまい。」

 

言いたいことは言ったと今度こそ折りたたみ式の椅子に座り直した呂文桓は荒く鼻息を吐き出した。

 

「まぁまぁ、そう怒らずに聞いてくだされ。陛下の御身を守るためには実戦経験が豊富な傭兵などの方がいざという時にはお力になれると私は愚行しておりますれば、公都の衛戍軍は確かに精強でありましょうが、かと言って奇襲などに即座に対処したと言う実績はございません。今回は万に一つもあってはなりません。寝首をかかれることもおそろしいですがこのような道で立ち往生もできません。残りの旅程を完遂するためには最寄りの町に寄り、最低一千名の増員をすべきです。」

 

三日前に出立して以来、どことなくぎこちない二人。テトラは机の影の見えないところでテクナイの手を握った。

 

「お二方。私はまずは公都入りすることが先決かと思う。オドアラク殿が懸念しているのは呂文桓殿以下三千名が公都ザマスで護衛任務から離れることで四千卒がその兵力を半減し、結果的に帰路が危うくなることだと私も理解している。」

 

オドアラクはうむ肯んじた。テトラは呂文桓の顔を見る。彼の方はそれでよいと満足げだ。

 

「懸念は公都にて解決するということで宜しいか?私はかまいませぬ。」

 

呂文桓は締めにかかり、自分の結論を表明した。

 

「…私もそれで文句はございません。致し方ないことです。まずは玉体の安全を、早急に確保せねば。えぇ、そのためにも、公都へ急ぎ向かうこととしましょう。」

 

オドアラクは少し不満そうだったがまずは公都へ向けて足を急がせることを選んだ。

 

「よろしい。では各ら疾く出立のご用意を。私も陛下の御車のご用意を致します。さ、陛下はこちらへ。」

 

テクナイがまとめ、なるべく早くの出立が決定された。呂文桓は誰よりも早く天幕を出ていた。幕を捲った時には既に部下達へと指示を飛ばしていたから、彼のイライラはやはり道路脇に天幕を張りそれを兵で囲んだだけの無用心に対してだったのだろう。

 

オドアラクは配下の黒備の騎兵達に指示を下達して自らも騎馬に跨ると先導と後衛のために部隊を前後に一千ずつ二分した。中央に呂文桓の三千がテトラを挟む形で前衛後衛で二千と一千の布陣となった。

 

テクナイが用意した魔導式馬車に乗り込んだテトラは居住空間といって申し分ない、三日間世話になっている巨大八頭立て馬車の窓から外をボンヤリと眺めていた。

 

それくらいしかすることがなかったというのもあったが、周囲の慌ただしさに返って緊張感を無くしていたのだ。テクナイが御者として馬車を操っていたからと言うのもあった。久しぶりに静かな一人だけの時間だった。テトラはこの三日、ずっとテクナイと共にいた。一昨日も二つ目の街で湯浴みを一緒にした程だった。トイレにもお供してくれるのだからお風呂くらい何でもないということだろうか…。テトラはともあれ少し気疲れしていたのかもしれない。最高品質の馬車はスプリングも充実している。何より魔導式なので馬車内部は外気から遮断されており空調も快適だった。太陽は中天にあり森林帝国の象徴とも言える巨木達が伸びやかに育ち、空からの過分な光を遮り窓からは穏やかな木漏れ日だけが届けられていた。馬車に優しく揺られながら彼は暫し微睡んだ。

 

 

 

「酷い誤算だ。何故こうも日数を誤ったのか…。」

 

顎を摩るゼルプの視線の先には約四千名の兵列。

 

「いやはや、これで誤算とは大佐殿も欲張りですな!」

 

副官からの軽口を聞き流し、どうして今、目の前に二週間前に国都を出たはずの部隊が存在しているのか思考を繰り広げていた。

 

「可笑しい…二週間前に国都を出発したと言うオドアラク少佐からの報告は嘘だったとでも言うのか?」

 

目を瞑り頭を悩ませること数十秒。ゼルプは馬頭を返して自ら率いてきた斥候部隊と共に本隊である「勇者の剣」約一万を伏せているザマスから直線距離で北方一キロ地点にある湿地へと帰還した。

 

「叛意ですか?或いは彼らは我々の待ち伏せを?」

 

もう一人の若い副官から戸惑いの声が上がるがゼルプは答えない。

 

「大佐殿、我々は「勇者の剣」の名を現代に蘇らせる栄誉を手にするためにここまでやってきました。今更弾いては兵達の士気を無闇に下げることになりかねません。」

 

年配の副官からの陳言にもゼルプは答えない。

 

「(進むべきか…オドアラク少佐、貴様は私を裏切ったのか?或いは本当に二週間前に国都を出た一団がいたのか?では先程目の前にいた一団は一体…?)」

 

ゼルプの悩みを他所に、軍議は熱を帯びていく。焦りは良く燃え上がる油になりかねない。

 

「進軍すべきだ!!断固として!!我々の計画が敵に漏れていたとしても!敵を最も苦しめうる作戦こそ進軍することだ!!」

 

ついに一人の若手士官の戦意が爆発した。

 

「もとよりこの作戦は正面から本軍が敵前線を抜き、敗残兵と共にフラーテル・コリントスまで下がった軍を有り余る兵力の一部で包囲拘束し、我々迂回した機動部隊がザマスを奇襲して敵指揮官を討ち、残軍全てでこれを陥落せしめるものではないか!!!」

 

ゼルプも自らが立案した戦略の周到さは理解している。でなければ大胆にも一万で敵の中枢に進もうなど考えない。

 

「敵の援軍が来ぬように道を塞ぐのも、敵の敗残兵を一匹でも多く刈り取るのも、我々が遊撃のために敵領西方に深くまで展開していることが前提だ!!例え敵に我らの戦略が知られたところで敵は籠城以外に対処できまい!!」

 

その通りだ。ゼルプも思ったが彼の勘が何か致命的な見落としをしてはいないかと猛烈に痛みを発していた。だが、彼の胸騒ぎなど知らない周囲の若手幕僚達もそうだそうだと声を上げた。いやしかし、と声を濁すのはもはや年配の戦争経験豊富な老兵達だけだ。

 

「それとも!!なにか?諸君らは三倍以上の兵力差を誇る我が軍が負けるとでも?味方を信じずしてどうする!!!」

 

若手士官の蛮勇ぶりは見事に血気盛んな若手将校たちの心を掴み、良くも悪くも敵意と自信を増幅させた。戦うぞ!戦うぞ!そう強く訴えている。

 

「まてっ!もし敵に伏兵がいたらどうするのk「心配はいらない!!!」……!?な、貴方は!」

 

せめて伏兵対策を、と敵を軽んじる莫れと熱い息を吐く青年たちに訴えかけようとした老将校を押し退けて現れたのは黒髪黒目の十代の青年だった。

 

「あなたは…ユウヤ・ムラカミ!!!」

 

ユウヤ・ムラカミ。煌びやかな大剣を背中に背負った青年はそう呼ばれたことには反応せず。直感的に決めあぐねるゼルプに向かって、彼を頼みとする幕僚たちに向かってその大剣を天に突き向けると声を張った。

 

「オレが!この勇者ユウヤ・ムラカミがあなた達にはついている!!!この聖剣バベルの力を信じてくれ!!オレたちは必ず魔王に勝利するとこの剣に誓おう!!」

 

聖剣バベル。大陸に二振りしかないロストテクノロジーの塊。魔を滅する力があると伝承される正に、現存する最古の伝説だ。ユウヤが力を込めるとバベルの刀身が赤熱し、赫光がその場にいた者達の目を眩まし、それまでの不安を消しとばした。

 

うおおおおぉぉぉぉ!!!!

 

歓声が上がり、それはその場で奇跡を目の当たりにしていなかった者たちにも伝播していった。

 

「ゼルプ大佐!オレとオレの仲間達なら必ずこの大陸に平和をもたらすことができます!そのためには貴方の決断が必要なんだ!!オレにこの力で大陸の人々の平穏を取り戻す機会をくれ!!」

 

右手を胸の前で硬く握りしめ、左手で聖剣をなお高く掲げる勇者ユウヤ。ゼルプは自分が感じてはいけない思いを抱いていることを表情に出ないように取り繕うのに必死だった。

 

「ゼルプ大佐!!」「ゼルプ大佐!!我々も勇者と共に戦いたいです!!」「そうです!!彼こそが真の勇者なのです!!我々は彼をずっと待っていたのではありませんか!!」「時は今です!!正に天命が俺たちに味方しているのです!!」

 

これまで共に歩んできた信頼できる幕僚たちの目にも生気が帰ってきた。彼らはやっと自分達が主役になれたと錯覚したのだ。ゼルプは口の中が乾いていた。唾液が粘ついて不快だった。

 

「俺たちは遂に真の「勇者の剣」となった!!!」

 

誰かがあげた声が耳障りであった。士気は上がり、最高潮となる。勇者は掲げる。希望となるべき力を。赤熱する聖剣から放たれる光は人々から熱気を呼び起こすような、正に魔法のような魅力とカリスマに満ちていた。

 

「勇者の剣バンザイ!!勇者の剣バンザイ!!」

 

「勇者バンザイ!!勇者バンザイ!!!」

 

ダメ押しとばかりに剣を輝かせる勇者は指導者に他ならない。希望への先導者。平和への先導者。他にもいくつかあるだろうが、ゼルプは掴み掛かられるように出撃を求められればもう頷く他なかった。声は出ない。勇者の剣はもはや勇者の剣に過ぎなくなったのだ。ゼルプは胸騒ぎだけが深まる今の己の心中が、せめて勇者へ感じた悔しさと口惜しさに取って代わってくれないものかと思えてならなかった。

 

「さぁ!みんなオレと共に勝利を掴むんだ!!正義をこの大陸に示す時が来た!!!」

 

「まずは前哨戦といこう!!目標はザマスに向かう途中の敵軍四千!!!足の速い騎馬から順次オレに続いてくれ!!」

 

軽騎兵二千、騎銃兵三千の五千と勇者ユウヤが率いる聖銀騎士団五千の計一万は稲妻の勢いで南下を開始した。

 

彼らの後方、重装騎兵二千と傭兵三千を率いて後詰めを担うことになったゼルプはやつれた顔に官僚的な表情だけを残して静かに行軍を開始した。

 

ゼルプの情熱は彼本人の困憊など知らぬ顔で一人駆け出した。

 

ゼルプは胸騒ぎを抱えたままに兵の足を期日通りに進め、これにより大陸に火の粉が舞った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 西バルカン戦争開戦

第十九話 西バルカン戦争開戦

 

 

森林帝国ことバルカン=テトラ神聖帝国二十万と、西方諸国連合軍七十万が睨み合う国境。

 

辺境領ノルマンディア大要塞の楼閣から目下の前線と敵の要塞線を眺めるのは西方諸国連合軍の最高司令官に選出されたログリージュ王国護国卿ベラノート侯爵ヴァレンシュタインである。

 

「…。」

 

懐中時計の外蓋を開き、そして軽快にパチンと閉じた。

 

「時間だ…最後通牒を伝令に持たせて送りつけろ。受け取られずともよい、文書の受け渡しを行った事実を作れ。既成事実は重要だ。王国の体面に傷はつけられん。伝令が帰還し次第、先鋒軍三万は順次進撃開始せよ。」

 

「はっ!」

 

ヴァレンシュタインは懐中時計を仕舞うと楼閣の真下にある作戦本部へと移動しながら副官に下命した。応えた副官は意気を盛んにしながら前線陣地へと向かい、大戦の幕を開けるのに一役を負った。

 

「南方からは最後になんと?順調か?」

 

作戦本部に入り次第ヴァレンシュタインは南方担当の参謀から報告を受け取り諸確認を開始した。

 

「北部はやはりマルダーホルンの素通り以外は非協力的な体勢で一貫していました。」

 

地図上、森林帝国の北に円弧を描くマルダーホルン山脈を指し示しながら参謀は応え、ヴァレンシュタインは手を左右に振りながら地図の南に指をなぞり進める。

 

「なら構わん。今は南だ。」

 

指が止まったところには西マネルワ王国が森林帝国と国境を接する地帯。南方マケドナ公国であった。

 

 

国境線上。

 

最後通牒の行き来は殺される覚悟をして出向いた伝令が惚けるほどには穏やかかつ円滑に行われた。

 

「ほい。これでウチとソッチは戦争状態になるんだな?」

 

「え、えぇ。そうだが?」

 

「ふ〜ん。そうか。戦争、始まっちまうのか。」

 

右手に皇帝から下賜された印璽を握るバイバルト。彼は自分が外交文書に押した最初の判子がまさか開戦の否応になろうとは夢にも思わなかった。不謹慎だが少し好奇心と達成感、そして緊張感と武者震いが同居する心境だった。使者の人間が少し引いていた。マイペースなだけだが暢気に見えてしまう彼の肩に白魚のような手が置かれた。だが、大きさがおかしい。

 

「バイバルトさん。貴方はもう少し緊張感というものを持ち合わせるべきだと私は思います。」

 

「ひぃぃぃ!!!!!」

 

「わぁ!ニーライかよ!驚かせないでくれよ!」

 

「これは失敬。いつまでもチンタラとハンコも押さずにいるものですから。さささ、貴方も向こうに早くかえりなさいな?私たちも急ぎ配置に着きますよ?」

 

「わかった!わかったから!俺の立髪を引きずるんじゃねぇ!!!」

 

白く美しい手、しかしその大きさは明らかに獅子の獣人(ランドノーム)の中でも大きい280センチの巨躯を誇るバイバルトの分厚い手よりも二回りは大きい。見下さざるを得ない身長差でバイバルトを叱ったのはイスパナスの森林帝国軍への援軍として近衛軍二万を率いてきた近衛軍第一軍団軍団長を務める仁来来(ニーライ=ライ)である。その身長は巨人以外では右に並ぶもののいない脅威の390センチ。白熊の獣人(ランドノーム)の中でも貴種で尚且つ魔導の素養豊かな魔人(マギア)でもある。さらに言えばその恵体に不釣り合いな穏やか系イケメンの甘いマスクの持ち主である。

 

敵の使者を手で追い払うと、バイバルトの立髪をむんずと掴んでのしのしと城塞へと帰還したニーライライの姿からも二人の力関係が見てとれた。これでどちらが戦上手なのかという問いには迷うことなくバイバルトに軍配が上がるのだが、それはさておき。

 

「…勝てるか?」

 

立髪を離してもらい、毛が抜けてないかとチェックしながらバイバルトはふとニーライに聞いてしまった。敵は七十万。味方は二十万。国が滅びることはなくても西部は甚大な被害を受ける恐れがあった。バイバルトたちにとって敗北とは主君の財産をより多く失うことだ。それは命も土地も時間も全てである。

 

「勝てるか勝てないかではなく。私たちは勝つことしか知りません。」

 

バイバルトの不安を拳で叩き割るようにニーライは胸を張って言った。

 

「私たちどころかこの大陸で初めての大戦です。両軍合わせておよそ百万の兵力がぶつかり合うなど前代未聞でしょう。しかし、私が尊敬する白羈様のお言葉を借りれば我が軍には陛下のご加護があり、陛下の加護に浴する軍隊には人間の軍には無い強みがある。それは数と戦略を根本から崩しうるのです。全ては使い方。」

 

「使い方…か。」

 

西方の国境で山脈と山脈の間に空いた唯一の道に蓋をする帝国の大要塞線。森林そのものが敵の大規模侵攻を用意ならざるものとする天然の要害である。地下深くに垂直に深く、横に長大。起伏に富み、巧みな用兵さえ叶えば戦いやすい衛に向いた土地だ。

 

「敵には百万の兵士がいるかもしれません。しかし、彼らは所詮兵士。私たちには二十万の武人がついています。人間の国にはできないことの一つでしょう。戦うために生きるものと、それを支える者達が信頼しあった上に存在しているのです。疑心暗鬼に陥りやすい神無き人間にはなし得なかったことです。くわえて、この大要塞があります。」

 

「百年の重みか。」

 

「そうです。この要塞はひたすら、建国以来一度として敵を通すまいと増築と改修を重ねてきました。七十万の人波を打ち返してやりましょう。」

 

「しゃぁ!!よぉおし!!気分上がってきたゾォぉ!!!」

 

「そうです。それでいいのです。バイバルトはそれくらい暑苦しくてしかるべきです。」

 

森林を分入ること四百メートル。周囲の石垣や煉瓦で堆く構築された果ての見えない城壁。そこの中央にある三重の防御陣地に囲まれた幅十メートル高さ三十メートルの打ち下ろし式大門扉の前で分かれた二人は各々の持ち場についた。

 

殺る気に満ちたバイバルトは全力疾走で要塞中央大門扉前の野戦指揮所へと向かい自身の馬具を点検し始め、冷気を纏うニーライは自身麾下の近衛軍第一軍団五千が伏する野戦陣地で出撃の時を待った。

 

なんだかんだ言いつつ猛将気質は似ている二人は初めから要塞に篭るつもりなどさらさらなかった。

 

戻らない指揮官二人に前線は任せつつ、要塞の地下の中枢にある総司令部で実質的な総司令官を任されたのは竜騎大将軍ハンナ・バアル・バルカであった。

 

「吾輩は諸君に対して一つだけ言明したいことがある。」

 

総司令部がその働きを開始しようとしていた時、総司令官竜騎大将軍ハンナは幕僚に向けて燃えるような赤い眼を向けた。

 

「諸君の不安や憂いは無論承知の上で言おう。我々は勝利を収めると。昨年末、我が国は生まれ変わった。黒玉より受肉された陛下を奉戴して以来、我が国はな思って気勢を猛にしている。それは止まるところを知らず、これからもより素晴らしい治世となることは間違いない。しかし、我が軍がここで一度でも負ければ、それは全てを台無しにする行為に他ならない。吾輩たちがすべきこと、それは全ての敵を合理的かつ最短ルートで撃滅することだ。吾輩たちは戦略と戦術のみを知り、勝利の使い方を知らぬ愚者では無い。」

 

ハンナは宝剣「雷光バルカ」をスラリと抜き放つ。龍の呼気は熱くされど冴え渡る鋭さを剣に纏わせた。

 

「吾輩たちはこの戦争に勝利する。ただし、我々が勝鬨を上げるのは敵国、ログリージュ王国王都ベルヴィンブルクにて、である。」

 

ダン!!!ハンナの剣は軍議の為に用意された大机の上、広げられた大地図上に記載された敵国ログリージュの首都名を貫いた。

 

「二週間程前に要請した私の竜騎軍全軍二万をもってベルヴィンブルクに奇襲を仕掛ける。明日の明朝より我が軍は北のマルダーホルン山脈を五日で踏破し、ログリージュ王国へと流れ込む。南方への対処及び、ここ西方要塞線の備えには吾輩の副官マハル・バアルに吾輩が今日まで育てた「山越えクラブ会員」五千名を遊撃軍として残してゆく故好きに使うがよい。では爾後より各員奮励努力せよ!!」

 

おぉぉ!!!感嘆と驚愕が入り混じる声が上がった。流石は帝国一の派手派手大将軍でもあるハンナ様だと皆は口々に言い合う。

 

「そういうことなので総司令官マハル・バアルに任せよ。」

 

特大の爆弾を落としてからスタスタと居なくなった。

 

「「「「えええぇぇぇぇぇ!!!!」」」」

 

こうして森林帝国は正規の総司令官不在で開戦することに決定してしまったのだった…。

 

 

 

南方。マケドナ公国と西マネルワ王国の国境地帯。

 

「ゼルプ大佐の命令に従い。これより秘密作戦を開始する!!第一軍、第二軍、第三軍、第四軍それぞれなるべく広く布陣せよ!!進軍しながら隊列入れ替え始め!!」

 

「前方の国境地帯ギリギリまで進め!!防衛兵器の射程外で揺さぶるだけでいい!!旗を大きく掲げろ!!」

 

真っ白いゆったりとした服に身を包み、その上から黄銅色の兜と胸当てを着込むのが特徴的な南方王国軍の軍装に身を包んだ約二万の混成騎兵軍が西マネルワと東マネルワの旗を掲げて国境を侵していた。

 

「まだ弓矢飛んで来ません!!」

 

「もう少し前へ進むぞ!!旗振れ!!」

 

ドドドドド…何万もの馬蹄が砂埃を立てて陣形をぐにゃぐにゃと崩しては形作ってを繰り返している。漸進しては弓騎兵が横切りざまにオアシスと森林の境界線に伸びる横長の城塞に向けて矢を射掛けては離脱するを繰り返していた。

 

突如として現れた約二万の混成騎馬軍団。旗の紋章は赤字に東向きの三日月と青地に西向きの三日月…これは即ち東西のマネルワ軍の旗印であった。

 

「敵の意図がわからんな…。」

 

南方東西大国による共同襲撃という急報に跳ね起きて見れば敵は明らかに攻城兵器を持ち合わせていない。あれでは一年たっても堅固な帝国の国境要塞線は陥落しないだろう。

 

城主を務めるラクダの獣人(ランドノーム)のセルナー総督は頭を悩ませていた。下手に続けば機動力のある敵に絡め取られる恐れがあり、かと言ってここを無視して西に援軍を送ればいざ南方の二大国が本腰を入れて進行してきた時に対処でき無くなる恐れもあった。

 

彼は総督ではあるものの商才や内政手腕を買われての現職抜擢であったために軍人としては一歩遅れをとってしまっていることに自覚があった。

 

「陛下よりお預かりした戦士たちをむざむざすり減らせることまかりならず…致し方なし。中央へ魔導電報を送ってくれ。南方国境地帯に約二万の東西マネルワ軍出現。我が方の国境を侵食しつつも強撃無かりしも要警戒。我が方より援軍の増員は難しい。以上だ。」

 

セルナー総督は堅実派。

 

セルナー総督は内政の腕を買われた軍官僚。

 

セルナー総督は軍学校時代、野戦での部隊指揮で落第点をとったことがある。

 

些細な情報。しかしそこからこの作戦を導き出したゼルプは彼が望んだ通りの成果を出した。

 

西マネルワの商業販路を繋いで神速で集結させた二万のログリージュ王国混成騎兵軍はその騎兵の足を使って到着した順に西マネルワ商人から森林帝国産の魔導製品や物資を買い付け、これを西方諸国連合軍本軍に運搬。再び西マネルワの販路を通じて結集し、西マネルワ王国と東マネルワ王国から旧王国時代の骨董品同然の防具と旗を買い上げる。買い上げた後に現行の東西マネルワ軍の防具と軍旗に塗装を似せる。自軍が持ってきた旗にも布を貼り付けて偽装し、緩衝地帯ではなくあくまでも西マネルワ王国領内に二カ国軍が集結したかのように見せかけた。

 

結果はゼルプが予想した通り。諜報員時代に拾った南方の指揮官の人物評が結果的にダメ押しの策として成功したのだ。

 

ゼルプが撒いた種は火の粉として大陸の西半分を覆い始めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 襲撃

第二十話 襲撃

 

 

「魔王に死を!!!」

 

「我らに勝利を!!!」

 

ドガガガ!!!ドドドドド!!!ブルルル!!

 

軽騎兵が一気呵成に突撃を敢行し凄まじい砂埃が舞う。

 

パキューン!!パキーン!!

 

「ぎゃぁぁ!?」

 

鉄火筒が破裂音と共に鉄球を吐き出した。腰部に被弾した森人(フォースレスト)の兵士が呻き声を上げた。

 

「盾構えぇぇぇ!!!弓番え!!」

 

呂文桓に統制された部隊が頑強に抵抗しつつ旗を掲げ、分散していた兵団を再結集して盾兵の後ろで簡易陣地の構築に勤しんでいた。

 

「衝撃態勢!!!右翼放て!!」

 

ばうん!?

 

「わぁ!?」「なぁ??!?」

 

ぱばしゅ!!ぱすぱすす!!!

 

「ぎゃっ!」「ぐぉ!」

 

鉄火筒や軽騎兵の突撃を国防軍で盾兵用に正規採用されている重厚な盾で防ぎ、衝突のフィードバックをいなしきれずに落馬した兵士や射程に入った騎銃兵士に矢を集中させる。矢を受けるのを嫌い集団から数騎分隊に分散させることで敵の衝撃力集中を抑えていた。

 

人間の軍が扱うものより遥かに分厚く大きい金属盾は地面に固定する為の石突を底面に持つだけでなく同規格のもの同士を左右と上下部分で連結させることができた。軽騎兵や騎銃兵が森と森の間や国道路上を縦横無尽に駆け回る中で出現した幾つもの鋼鉄の箱は西へとジワジワと移動を開始した。

 

公都ザマスより東に約二キロの地点でそれは起きた。

 

鳴り止まない号令。馬蹄が地を抉り馬が泡を吹く音。剣戟と破裂音。矢が空を切り、鉄の球が兜を突き破り肉を割く音が響き渡っていた。左右が巨木の鬱々に囲まれた幅数十メートルの整地。ちょうど国道と国道が合流する地点で戦闘は起こっていた。数分前まで平静に過ぎた森の中、不自然なほど正確に敷き詰められた石畳や標識に沿って細長い四千名からなる隊列は順調に進んでいた。歩兵の足に合わせて進んでいた彼らは銃騎兵三千による真横からの鉄火筒の斉射を殆ど無防備の状態で受けて崩壊した。枝分かれと合流を繰り返す複雑な国道網。前へと進むテトラ達の隊列は騎銃斉射で立ち往生をしている隙に、真横から軽騎兵二千の突撃に晒された。すぐさまツェーザル家私兵団の黒備の二千騎が対応して呂文桓とオドアラクによるザマスへ近づきながらの防衛戦が始められた。徐々に北上するテトラ達の四千弱。そんな中、テクナイは一人横転した馬車に取り残されたテトラを救うために砂塵の血が舞う戦地へと舞い戻った。

 

防衛陣地の構築のために呂文桓達の援護に向かった黒備の残り半分、約一千名はテトラを守護するために横転した八頭立ての馬車を中心に主へ接近する敵兵と片っ端から格闘していた。馬車から這い出た所で力尽き気絶したテトラ。舞い戻ったテクナイは状況の悪さに眉を顰めた。黒備が対処しきれる兵士の数が限界を迎えていた。黒備一千が何層にも薄く円陣状に展開していたが、馬車が倒れる道の中央に続く合流路からは勿論、その左右の森の中からさえ敵が湧き出していた。多勢に無勢。こちらが一千名だとすれば、相手は既に五倍の密度を持っている。遂に騎兵が十数騎単位で藁の楯を突き破り始めた。

 

テクナイは足を急がせた。血が混じった赤い泥が目立ち始めていた。そして、馬車近くで死んだように眠っている彼を見つけた彼女は泣きながら縋り付いて必死に声を掛けた。

 

「ぅぅ…」

 

「…ぃか!」

 

「……いか!」

 

「陛下!!!」

 

「うぁ!!てくない!?」

 

「へいが!!へいが!!ほんどに!!ほんどゔによぐぞごぶじで!!!よかっあ!!よがっだ!!!」

 

両手に持っていた双剣を腰に収めると体の中に押し込むような熱烈な抱擁を受けた。涙声でよくわからないが安堵の思いは寝起きのテトラにも伝わった。

 

「うぅ…ぷは!セキウ!どどどどういうこと!?これ?馬車の中で眠たくなって、それで起きたらメチャクチャになってて!!」

 

テクナイの胸…より下のお腹に顔をグリグリ押し付けられていたテトラは抱擁から頭だけ抜け出すと泣きすぎテクナイに状況説明を求めた。一瞬の浮遊感、次の瞬間には放り出されていたのだ。微睡も吹き飛んで必死に抜け出した所で意識を失った。しかし混乱するテトラが落ち着くよりも敵の足の方が早かった。

 

「見つけたぞ!!馬車の近くに倒れ込んでるのが魔王だ!!」

 

「勇者様!!こちらですぞ!!魔王がいました!!」

 

「奴を殺せ!!それで勝ちだぞ!!早い者勝ちだ!!すすめ我らこそが「勇者の剣」なるぞ!!!」

 

猛る完全武装の騎兵が雪崩れ込んできたためにテトラは青褪めずに居られず。視界がぶれるのと同時に反射的に口を固くつぐんだ。説明をして欲しかったがそんな暇はない。立ち上がったテクナイは顔を引き締めて右手に剣を持ち、左手でテトラを抱き抱えると敵が犇く真正面に駆け出した。

 

「後程ご説明いたします!!この罰は如何様にも!!暫しご辛抱を!!!」

 

「女ァ!!貴様に用はない!!どけぃ!!」

 

「邪魔だてするならこのまま轢き殺してくれる!!魔王に死を!!」

 

「陛下の御前を阻むな下郎が!!」

 

バギギ!!バヅ!!!

 

「うぉぉ倒れるぞぉ!!ぐぶが!!」

 

「ぐぉ!!ぅぅぐぁ…この女!馬をやりやがった!!!」

 

ゴウ!!!一瞬で踏み込んだテクナイの体は飛矢のように鋭く先頭の騎馬と騎馬の間に滑り込むと繰り出される槍を身を屈めることで避けると踏み込んだ方とは逆、着地に使った左足を軸にし、着地の際の勢いを右に流す要領で右手に握る宝剣「燕覇」を一閃した。先頭の騎兵は一人は運悪く倒れ込む馬に巻き込まれて首を折り、片割れは運良く放り出されるだけで助かったようだ。

 

「ひぃぃぃ!化け物だ!!!」

 

「怯むな!!囲め囲め!!!」

 

綺麗に四脚を切り飛ばしたテクナイは二騎を瞬殺した彼女に臆した敵に構うことなく疾り抜ける。景色はどこもかしこも死体と血と鉄が散乱していて酷い有様だ。今いる場所は特に人間の死体が多い。テトラはテクナイに強くしがみついた。

 

「その耳長女は手練れだぞ!!気をつけろ!!」

 

「囲んで殺せ!!近づきすぎるな!!」

 

「勇者様はまだか!!!おらっ!おらっ!」

 

「まだなのか!くそ!応援を呼べ!!確実に殺るぞ!!」

 

数十メートル進んだ所で敵に囲まれた。カラフルで統一感のない武装から見て傭兵であろう。だが侮る勿れ。彼らの対応は素早く、かつ的確なものである。相当な手練れを向こうは用意していたらしい。しかし、テクナイの顔には焦りはない。そこは左腕に抱くテトラを案ずる想いに満ちており、彼女は燕覇を構えてすらいない。

 

「一斉に突くぞ!!いまだ!!やれ!!」

 

「おぅ!!」

 

「せい!!」

 

ギャリン!!!

 

傭兵隊長の掛け声と同時にテクナイは剣を正面に横倒しに掲げて一歩踏み出し、ただそれだけで正面三人の穂先を跳ね上げた。

 

「お前らそこから引け!!」

 

傭兵隊長の声がテクナイの次の動作に追いつこうとするが叶わなかった。

 

「邪魔だ。」

 

感情なく燕覇を横凪に振るい二人の首を飛ばすと再び駆け出すテクナイ。彼女の目的地は少し先に構築されている呂文桓とオドアラクによる即席陣地である。

 

ザン!ザブ!ジャシュ!ズン!

 

弧で受け止める様に槍を向ける敵兵三人に対して流れるように繰り出された上段振り下ろし、下段横払い、連続切り払い、踏み込み突き。それら全てが彼らの肉体に重篤な傷を刻んだ。

 

「ぐぁぁ!腕が!おれのうでが!」

 

「……。」

 

「ひぃぃぃ!くびが、首が飛んだ!」

 

燕覇は肉厚の双剣が片割れである。刀身は頑強な螺旋鉄鋼を鍛えて作られた逸品だ。重量約三十キログラム。人が扱うには重すぎるそれを彼女は自身の手足の如く扱う。

テクナイが一振りするたびに燕覇は美しく煌めき、その煌めきの数だけ敵兵の体の一部が吹き飛んだ。薄い刃は切るのに適していたとしても何度も繰り返せば毀れるし砕けることが多い。しかし、燕覇を始めとした帝国独自の重く分厚い名剣達はどれも扱うことこそ難しいが、使いこなせば毀れることもなく力任せに扱っても重量で敵を叩き壊すことができる。

 

「隊長!っぐぁ!!」

 

テトラを狙って槍を突き出した敵の穂先を切り落として目を一閃。

 

「盾兵!!っがふ!?」

 

隊長格の兵士が呼び寄せた盾兵を、命令を下した男ごと叩き伏せた。

 

「円を広げろ!!がぁぁ!!」

 

円陣で包囲することが難しくなり体勢を整えようと撤退し始めたが時すでに遅く。傭兵隊長は袈裟に一合と打ち合わずに両断された。

 

「たいちょぉぉぉぉ!!ぁぁぁッギャぁ!?」

 

最後の一人は二の太刀で下から切り上げて腹を半ばまで切り裂いた。

 

円状に囲んでいた手練れの傭兵たちはテクナイに初めの二人を塵殺されてから一刻と立たずに全滅させられた。傭兵隊長の周囲を固めていた特に煌びやかな羽飾りが特徴的な十人ほどの部隊は最後まで組織的に行動していたがテクナイの前には何の意味もなさなかった。

 

「セキウ!だいじょうぶ?」

 

「ありがとうございます。大丈夫ですよ。間も無く陣地です。私にしっかり、しっかり、しっかりと捕まっていてくださいね。」

 

「う、うん。わかった。」

 

「いい子ですね。では参りますッ。」

 

精神不安定でカタコト気味のテトラはテクナイに絶対振り落とされてなるかとしがみついていたが、最小限の動きで無双するテクナイがテトラを振り落としてしまうような無様は晒すわけがなかった。あとしっかりとが些か多かった気がするが気のせいだろうか?

 

テクナイはテトラを力強く抱き直すと疾駆を再開した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 勇者

第二十一話 勇者

 

 

 

「おぉ!!陛下!テクナイ大将軍!!ご無事でございましたか!!!」

 

「陛下!!この度は何と!何と申し開きを致せばよいか!!!」

 

「それはあとでいいよ。まずはどうしてこうなってるのか教えてほしいな。」

 

「呂文桓殿、オドアラク殿、あなた方も無事で何よりだ。」

 

陣地と言われていたそれは騎馬の死体と兵士の死体と物資運搬のための荷車などを防壁代わりにしたものだった。その陣地の中心でテトラは将軍二人と再会を果たした。

 

「はい。陛下、私の方からご説明させていただきます。現在までわかっていることは敵兵は恐らくログリージュ王国兵であること、我々の隊列の真横に垂直に北より奇襲が仕掛けられたこと、敵兵は騎兵が主体であること、恐らく魔導を利用した兵器か火薬を用いた火筒を多用してくること、そして敵方には勇者なるものが指揮官として存在していることです。」

 

「他には何かないか?我々の現状戦力は?」

 

テクナイの追求に進み出たのは呂文桓だ。

 

「はっ!そのことに関しては私が御報告いたします。第一攻撃により前衛と後衛が分断され、前衛と合流する前に後衛は壊滅。敵は我々の隊列を三分割した上で最後尾から各個の背を穿つ戦術を繰り出して参りました。ツェーザル家の私兵団は現地に残り時間稼ぎのために格闘したため分離奮戦中ですが流石は総監の私兵なのか粘り強く損失は軽微です。」

 

ユリアナの送り込んだ黒備はやはりというか優秀だった。呂文桓としても予想以上の練度に驚きつつ、その半数を自由にさせることで敵の包囲を防ぐ役割を負わせていた。何とか構築した陣地からは未だ彼らが奮戦しているのが、遠くの砂煙でわかる。彼らには第一波を生き残った歩兵、騎兵と共に連携をとりながら漸次撤退するように伝えていた。

 

「我が隊はここに集結して陣地を構築しました。陛下の御車を横転せしめたのは敵の炸裂する鉄筒によるものでした。反応が遅れ、剰え陛下の御身を敵陣に残した大罪は陛下の玉体を公都にお届け奉ったのちにしかと頂きたく。」

 

「…うん。わかったよ。二人ともありがとう。」

 

二人に状況説明を求めたテトラ。しかし、彼らもまた状況を完全には把握しきれていないというのが実情だった。相手が人間の兵隊だということ、初めて剣を向けられたこと、全てがテトラにしてみれば悪い意味で新鮮な体験だった。恐怖や悲しみ、困惑など…どれもそれまで城や国都の中では決して味わうことのなかった感情だった。テトラは自分の手足が震えていることに気がつかないフリをした。暑いわけでもないが冷めた汗が額を伝った。

 

「閣下!新手です!!あ!敵方が包囲を開始しました!!」

 

「何!?新手の兵種は何か!!」

 

「重騎兵です!!恐らく二千!!」

 

「敵の後詰めか!」

 

悲鳴が届き、呂文桓が受けた。軽騎兵より遥かに重厚な圧力を発しながら今にも防陣を踏み潰さんとする重装騎兵隊が向こうに見えた。騎馬と兵士双方の体格がいいこともあるがその身を覆う分厚い鉄色のプレートアーマーがより一層彼らを大きく見せていた。

 

「いかがいたしますか!!」

 

「やりたくは無かったが重装騎兵と真っ向からかちあうのは悪手だ!!撤退戦だ!!オドアラク殿にも話は通す!!」

 

反応は早く。的確な対処を実践できる呂文桓は優秀な前線指揮官と言えるだろう。彼は既に自身の腰元にある直刀に手を按じている。陣地を半包囲する形で敵の先鋒と後詰めできた騎兵が足を止めた。中央に陣取ったのは銀ピカの鎧と白のマントが特徴的な一団だった。恐らくは彼らが聖銀騎士団であろう。いつぞや総兵官として西に赴任した折に触れた情報の中、注意を払うべき謎多い兵団だと聞いたことを呂文桓は覚えていた。その一団の奥から一人の男が出てきた。

 

「魔王に告ぐ!!!オレの名はユウヤ・ナカムラ!!貴様を打ち倒し正義と平和をこの大陸に取り戻す真の勇者だ!!!」

 

「「「「ウオォォォ!!!勇者様バンザイ!!!」」」」

 

呂文桓はテトラに一礼すると退席した。彼が物見の兵から情報を受け取りつつ部隊に指示を出した所で見知らぬ声があたりに響き、それに従い歓声が爆発した。

 

「………ナカムラ??勇者??」

 

テトラは疑問が首をもたげた。呂文桓やテクナイ、オドアラク達は特に驚いた顔をしていない。不思議に思ったのは自分だけなのかと疎外感を感じてしまう。それはさておき目の前の黒髪黒目…東洋的な外見といい、名前と言い何というかアレである。既知の感覚を覚える。これは断じて面識があるとかではなく、テトラにもあったであろう異世界で言う日本という国に住む人間の名前とよく似た響きだったからだ。

 

「オレは勇者として魔物とその王である魔王を倒す使命がある!!しかし、お前達は魔物と呼ばれて入るものの、外見が人間によく似たもの達がいることもオレは知っている!!」

 

「さらに!お前達の中にはオレ達と同じ人間もいるはずだ!!オレは君たちのこれまでの忍耐を賞賛して罪に問うつもりはない!!ただ…」

 

勇者は突然演説を始めた。降伏勧告が名乗りかと思い聞いていると雲行きが怪しくなっていた。

 

大胆不敵。背中の大剣を抜き放った勇者ユウヤは自身に溢れた微笑を浮かべて人と、人と似た外見のもの達に向けて声をかけた。

 

「この剣を見よ!!これこそ聖剣バベル!!この輝きを受けたとき君たちは再びオレ達の仲間となる!!」

 

赤熱する聖剣から溢れる光に釘付けとなる勇者の周りの人間の兵士たち。彼らの瞳には疲れなどまるでなかった。

 

「さっき部下に聞いたぞ?エルフがいることは分かっているぞ?エルフはオレ達人間と外見も似ていることは知っている!!そこにいるのはわかっているぞ!!銀髪のダークエルフ!お前はオレのこの剣から放たれた光を受けて何を感じる?そこの男のエルフもだ!!お前達はオレのこの聖剣の加護を受けて、そして目を覚ましたはずだ!!!そこにいる魔王こそが悪なのだと!!」

 

テトラを抱えて疾駆したテクナイや呂文桓に目をつけた理由は分からないが、やたらと勇者ユウヤは人間に近い外見にこだわりがあるのか剣を光らせながら演説を続けていた。

 

「この聖剣に誓って!オレは共に魔王を倒す勇気をもつものを仲間として迎えてやろう!!さぁ!オレと一緒に魔王を倒そう!!覚悟の証として、そこにいる魔王の首を持ってこい!!さぁ、君たちの中の正義を悪に見せつけてやれ!!」

 

うおおおぉぉぉぉ!!!!

 

熱狂的な歓呼で演説に応えた人間の兵士達に対して、テトラの周囲を固める森人(フォームレスト)達の間には真反対の静寂で満ちていた。

 

「………魔王に勇者。つまり、貴様は転生者というわけだな?」

 

低く。よく通る声は誰のものか。

 

「ん?あぁ…なんだい?君はダークエルフに転生した元人間なのか?なら仲間じゃないか!オレは勇者に生まれ、そしてこうして聖剣バベルを授かった!神はホントにいるんだって思ったよ!!それで…君の名前は?君みたいに綺麗で強いエルフがオレの仲間になってくれれば魔王なんてすぐに首だけさ!!」

 

「…軽々しく、私に話しかけるなあぁッッ!!!」

 

ビリビリビリビリ!!!

 

陣地から無手で進み出たテクナイの大音声はよく通った。

 

「…なんだよ?オレの仲間になりにきたんじゃないのか?もしかして疑ってるのか?」

 

威声にビビったのか反射的に背中の剣に手を回す勇者。

 

「貴様らにとって、私たちがどのような存在なのかよくわかった、礼を言う。そして…。」

 

ゴクリ。生唾を飲み込んだのはテトラだったかもしれない。

 

「私の名は籍狄古乃!!!貴様が我が主君テトラの道を塞ぐものであると言うのならば私はそれを抹殺するのみ!!貴様の小賢しい細工などに惑いはしない!!我々はこの国に生まれ、この国で育ち、そしてこの国に受け入れられた!!そこに生まれや外見は関係ない!!ただ志を持つか否か!それだけだ!!お前が望んだようなものはこの国には無い!我らの怒りが鉄槌を形作り貴様らを断罪する前に命が惜しくば立ち去るがいい!!!」

 

「それでも我らが主を害そうというのなら…森林帝国にあって敵は無し!!!覇王テクナイの双剣をその身に刻め!!!」

 

拳を強く握り固めて天を押し上げる勇壮な姿でテクナイの演説は幕を閉じた。赤い瞳はいつにも増して炯々として肌刺すような覇気を発している。

 

ウオォぉぉぉぉ!!!!

 

今度こそテトラ達の歓呼が彼女に応えた。

 

「へー…いいぜ、ならテクナイこうしようじゃないか!!オレとお前、どっちが強いのかを決闘で示そう。そして、オレが買ったらお前はオレの仲間になれ!!オレは勇者としてこれからも戦う必要がある!そのためにはお前の忠誠心が必要だ!!オレに忠誠を誓うのも、戦うのもどっちも今すぐにでもいいぞ!!」

 

不機嫌そうな顔をしたかと思えばニタニタとした顔で…それこそ勇者がしてはいけないような…テクナイへと挑戦状を突きつけた勇者ユウヤ。テクナイは「ルールを教えろ」と短く返して腕を組んだ。

 

「両軍から代理の指揮官とそれぞれ二千ずつで戦おう。戦うのはここから少し先にある狭い平原でだ!!騎馬戦で決闘だ!!全滅したら負けだ!!」

 

「………いいだろう。」

 

テクナイの表情は無に等しい。だが彼女の表情の豊かさを知るテトラは彼女が憐憫の表情を浮かべていることに気づいた。

 

半刻後に開戦する。

 

勇者ユウヤはそう言って陣を払った。残ったのは傭兵と重騎兵のみ。特に文書を交換していないにも関わらず気付けば停戦の運びとなっていた。

 

半刻の間、この隙にテトラをザマスへ送り届けるべきだという意見と、テクナイの側から離れるべきではないという意見が対立した。結局決まらず、テクナイは現状の最精兵といえるツェーザル家の私兵ではなく、呂文桓の率いてきた部隊から自ら選び出した騎兵百騎を率いて平原へと向かった。

 

 

 

騎馬戦はテクナイの到着を待って開始された。

 

「オレに続け!聖銀騎士団!!」

 

「応!!!」

 

ドドドドド!!!

 

ユウヤは騎士団の先頭で息のあった走り出しに満足しつつ、馬の間隔を取った。最初の勢いは散開した状態を維持し、テクナイの部隊と接敵する瞬間に最高密度でぶつかる。

 

相手の能力は未知数だが少なくとも剣使いだということは知っている。騎兵が短兵器を扱うのには並々ならない技量が必要であり、むしろ好都合だった。転生の特典(チート)として固有魔法剣術を手に入れたユウヤにとって剣は最も得意とするところであり、まして相手はファンタジー世界では魔法が得意な割に矢鱈と膂力が脆弱なエルフである。聖剣バベルは勿論、常人からかけ離れた身体能力も特典(チート)とは別に手に入れているユウヤにとって目の前のダークエルフの女は自らの強さを最初に見せつけるべき、いわば物語の好敵手とヒロインを兼務するような存在程度にしか見えていない。

 

彼はサクッとテトラとかいう魔王を殺し、正義とダークエルフの美女という実績を解除するためのクエストを大いに楽しんでいる。故に、先ほどの彼女の話にも心を動かされることもなかったし、或いは彼は勇者というロールプレイングに実に模範的に没頭していた。演技者としてなら一流になれたかもしれない。

 

彼はルーティン化した士気向上の儀式を行うために大剣を抜き放った。

 

「さぁ!この戦いに勝って魔王を倒そう!!この大陸に、オレ達の手で福音をもたらすんだ!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 逆鱗に触る 前編

第二十二話 逆鱗に触る 前編

 

 

ゼルプにとって勇者という存在は極めて重大だった。

 

自身の半生を懸けて挑んだ大敵にして仇敵である森林帝国を倒す上では外せない要素であったと言えよう。

 

というのも、彼は鍵屋の息子として生まれて何かと職人気質を持っていたからか軍人となるために出奔したとはいえ錠前作りに関して相応の才をもっていた。

 

彼はその才能を生かして帝国へ潜入している間に幾つかの書庫や禁書庫へと忍び込み、魔の者たちの国を崩しうる決定打を探していた。そのための手がかりとして見つけたものこそ勇者だった。転生者と古来より呼ばれるこれらは過去数千年前に魔物の王たる存在を打ち倒した、という実績があった。勇者を筆頭に複数の転生者により王の命を奪われたことで魔物達は衰退。大陸の覇権は人間のものとなったという。

 

人間の、特に聖銀教会が吹聴していた人間が魔物を滅ぼしたという眉唾話も案外間違ってはいなかったと言えよう。

 

故に、ゼルプは帰国後すぐに決定打となりうるこの勇者なる存在を探し出し、これを秘中の秘として敵の首魁を討ち取るために用いることをヴァレンシュタインに上申した。

 

結果は彼の意見が通り、聖銀教国からの招聘と相なったのである。聖銀の中枢もまた森林帝国により度々開拓事業を阻まれたことで深く敵愾心を持っていたようだ。聖銀騎士団を派遣する程度には協力的だった。

 

ゼルプは勇者という存在を人類の武器と見做していた。いや、そうであるべきだと。それは後に彼の抱く理想に過ぎなかったと思い知らされたわけだが、彼は自身達「勇者の剣」こそが真の意味での戦士であり、勇者であると信じていたのだ。だから、勇者とはあくまでもその生まれや立場を便宜上設定した役職としての勇者に過ぎない。

 

彼にとって表に飾り立てた勇者とは記号であり、それが真に示すものこそ、「勇者の剣」の誇りを受け継ぎ森林帝国を打ち破るべき自分達のことであった。勇者に振るわれた剣が敵を殺すのではない。振るう者が勇者であっても、敵の命を奪うのは他ならない剣であると、ゼルプはそう解釈した。

 

彼は自分が生涯を注いだ大作戦を敢行した。現状それは成功していると言って良く、このまま進めば彼は後世大きな評価を得られることだろう。

 

しかし、彼は決断を迫られた折に勇者の勇者たるものをまざまざと見せつけられたのだ。それは彼の職人気質な自負と軍人としての誇りを大いに傷つけた。彼が用いようとした武器は強力だが、しかし扱うに難しいものだった。

 

彼にとって一生涯に一度の晴れ舞台は他ならぬ人類の味方に穢されてしまった。少なくともゼルプはそう感じていた。雪原に泥を落とされたような、欠くべきでないものが欠けた感覚を強く覚えていた。それは積年の誇りであり、楽しみであり、それらを後生大事にしてきた彼自身を否定されたというべき事件だった。

 

言葉を選ばずにいえば、彼は自らが主役から引き摺り下ろされたのが我慢ならなかったのだ。

 

全力で取り組み実現した勝利を目の前で、他ならぬ飾り同然の或いは反則的な存在に奪われんとすることが許せなかった。敵が反則的な強さを持ち得ると知って挑んだ。それは良い。相手にとって不足なし。今こうして追い詰めている。しかしそれは味方に同然の存在があることを考慮しないで手を届かせるという前提に成り立つべきものだった。

 

勝利の形が歪になった様がゼルプには幻視された。それに彼は暫しの合間、大いに毒された。敵に向いていた高邁でいて挑戦的戦意は異邦からの若造へと向けられる低俗な殺意に代わっていた。それに間違いはない。だがしかし。ゼルプは有能な軍人であった。彼は自身の人間性を押し殺し、敢えて現実的な勝利を手に掴むことを選んだ。

 

手塩にかけた虎の子の騎兵軍団五千の指揮権を勇者ユウヤに与え、彼が率いる聖銀騎士団五千と共に、栄誉ある一番槍の機会を与えること…言い換えれば戦果の横取りを許すこと…を容認した。自らは徒歩の傭兵と重装騎兵を率いて後詰めに甘んじ、勇者の後方の安全と進行速度の調整などに力を注いだ。

 

ゼルプは賢明な、実に優秀な軍人である。職業軍人としての誇りはもちろんのこと、彼には職人魂としての作品への執着があったにも関わらず、心の内で血涙を流しつつも勝利への拘泥を選んだ。勇者に高められた士気は彼が後続を率いていても嫌というほど感じられたことだった。常ならば国家や思想への共鳴を示さない傭兵達の目にも強い戦意や信仰心が見受けられ、それは敵地に孤軍で乗り込んだゼルプの指揮下にあって糧食以上に得難いものであった。彼は冷徹に自らの手に握られた命の重さの勘定に努め、結果、勇者ユウヤの手で最大限に高められた士気を悪戯に下げることなくぶつけることを決断した。

 

自身に与えられた使命、いや、彼が自負する職業軍人としての国家に対する責任感と生来の職人気質からくる意地。それこそが、余所者に誇りを半ば傷つけられたゼルプが私心を押し潰してまで決断した最大の要因であった。

 

だが、彼が後詰めとして向かった先で見たものは勇者ユウヤの、「いかにもな英雄譚的一幕」であった。

 

ゼルプの憤激たるや言に尽くし難し。

 

彼は決して、断じて、「英雄譚」に憧れて此処に立っているわけではない。

 

明確な勝利の先にあるものだ。後の世に人口に膾炙すべくという思いは否定しまい。が、ゼルプは紛れもなく人の生命を用いた残酷な営みに、正々堂々と相対すべくこの場に立っているのだ。

 

ゼルプというこの世界の一級の人物から見れば、目の前で英雄然と聖剣を振るう男が紛れもない小人であることなど一目瞭然であった。喉まで出かかった言の刃。すんでのところでゼルプは自身の喉を揉んだ。潔白な声はきっと、初めて嫉妬の篭らぬ声で天に訴えたことだろう。

 

「(何たることか!勇者よ!貴様には魔の女すら持ち合わせている覚悟がないではないか!!)」

 

恥。

 

ゼルプは有能な軍人であり、良き性質を持って生まれた人間でもあった。だが耐えたのは彼が将であり、未だ夢を捨てきれぬ職人であったからだ。

 

勇者が騎馬戦決闘の約定を立てた後、陣営にて両者は相対した。

 

「決闘をしようとはまことか?」

 

ゼルプは自身の固く握りしめた手のひらから温かいものが流れる感覚を覚えた。勇者へと詰問するゼルプの顔は今までになく険しい。

 

「あぁ。魔王を倒すにしたって、あのエルフ女は邪魔だろ?オレが勝てばアイツはオレのモノになるという条件を飲んだはずだ!魔王の盾であるアイツが消えれば、勝ちはこっちのものになる!約束を守らなくてもオレに勝てないんだ、すぐに皆殺しにしておしまいさ!」

 

勇者への詰問は勇者自身が自らのデモンストレーションを兼ねて大言壮語する場へと変わった。ゼルプはまだ数日の、まともに話したのは数時間の付き合いであるはずの目の前の若造が憎たらしくてたまらなかった。

 

「…ッ!勇者ユウヤ殿。貴方は今の状況を分かっているのか?貴方がしたことは相手に時間を与え、剰え我々の有利を欠こうとしているのだぞ!我々の有利は敵の中枢を混乱させることから生まれるものなのだ!貴方の行為は戦略上の道を踏み外している!!」

 

ゼルプはもとより軍政家のヴァレンシュタインの元で多くを学んだエリートだ。今、彼が積み立ててきた戦略的な重点は揺らぎを見せていた。どれもこれも勇者の独断的英雄譚のお陰様である。勇者の派手な進撃はその動力として三つが数えられた。敵四千に対して一万という圧倒的な兵力差を誇ること、奇襲に加えて敵には自軍の情報がほとんど把握されていないということ、そして聖剣と勇者の奇怪な檄が熱狂的な戦闘意欲を軍全体から引き出していることの三つだ。逆を言えばこの三つのみ。ゼルプが知る上で、比類なき優勢の形があるように見えてその実は堅実と冷静さを意図的に失わされた軍がその統率を長く保てた試しなどないのだ。英雄的精神が非効率的に戦争を進行し、果てには極めて効率的に名誉の犠牲者を量産するであろうことは想像に難くない。

 

「何をいうかと思えば…大佐!オレは勇者だ!勇者として兵を率いるならば、それは正義の名のもとに行われるべき行為だ!!勝利は目前、此処でより決定的な衝撃を敵に与えるなら一番の強敵を正面から打ち破ったほうがいいに決まってるだろ!?」

 

勇者も蛮勇を語る。彼とて世に言う反則(チート)を身に宿した者だ。傑物と呼ばれるだけの直感を持ってはいるはずなのだ。彼はそれに任せた強引だが、現状としてはいかにもな有効性を発揮している自らの独断に満足と自負を覚えていた。十八歳の青年は才能と引き換えに謙虚さを奪われたといえる。互いに不幸なことは、彼がその大言を実現可能であると相手に思わせる威を放っていたことだ。そして彼に従う者達はそこに夢を見る。

 

「貴方は!貴方はあの国の輩を理解しておらんからそんなことを言えるのだ!相手に理解の時間を与えることが間違いだと言っている!!」

 

ゼルプは自分でも意図せずに口走っていた。あの国のこと。それは他ならぬバルカン=テトラ神聖帝国のことであり。そこに暮らす民のことだ。ゼルプは決して思いを漏らすまいと思い続けていた。それは彼が潜入から戻り母国ログリージュの土を踏んで以来固く誓ったことだ。欠片でも羨望を抱いたことをゼルプは決して言わない。これは表情にも出すことはなかった。だが、心中の奥底にある真心では強く羨望せずにはいられなかった。ゼルプは彼の国で見た豊かさを、他のどんな人間国家にも見たことがなかった。無差別で牧歌的な温厚と、飽食や教育は言わずもがな、魔導による高度な技術的利をも端々の下民や余所者にさえ惜しみなく与える国力と文明の高さ、そして軍人として憧憬に溺れた強力な軍事力と反則的な国家制度、それら全てを飲み込む寛容な、シンボルとしての神聖皇帝が放つ君徳。

 

ゼルプは白羈の不在の間にこの帝国を瓦解させるには、いや凡ゆる被害を甘んじて受け止めてでも君主を一人抹殺することのみが結果的に勝利につながることを強く確信していた。正面戦争が起これば長寿で肉体的にも高性能な向こうが人間国家に対してどれだけの損失を与えるかなど想像もつかなかった。超長期戦を考慮しなければならない。それを回避するのならば敵の首を断つしかない。戴冠式でゼルプが目にしたのは、飛翔するであろう邪神の禍々しくも煌めき立つ姿、それもまた運命であった。ゼルプはテトラが王に成長する前に抹殺しなければならないと言う使命に燃えた。

 

故にゼルプは勇者の寄り道に怒らずにおられない。「もしも」が恐ろしくてならない。怒りに忘れていた胸騒ぎが再来した。

 

ゼルプがなんとか勇者の遊戯を阻止しようとしていたのを知ってか知らずか、勇者の指揮下に入った軽騎兵の一人が馬を駆ってやってきた。時間切れだ。

 

「勇者様!!出撃の用意ができました!!徒歩の聖銀騎士団の方々には重装騎兵の騎馬をお貸ししました!!いつでもいけます!!!」

 

伝令は獰猛な笑みを浮かべて報告した。勇者は答えるようにヒラリと借り物の愛馬である白馬に跨った。そして去り際にゼルプに言い捨てた。

 

「ゼルプ大佐には失望した!オレとは違って覚悟がないらしい…残念だ。まぁ、勇者のオレと比べると無理もないか。アンタの話はわかったよ。アンタはそこでオレがあの女に勝つところを見てればいい。今にわかるさ!勇者に勝てる魔王なんかいないってことをな!」

 

どが!派手に砂煙を巻き上げて馬を走らせた勇者ユウヤ。ゼルプは何も言わずにその場を後にした。瞳は暗く、固く結ばれた口元から血が垂れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 籍羽狄古乃 前編

籍羽狄古乃編を前後編で間に挟みます。


第二十三話 籍羽狄古乃 前編

 

 

「…」

 

テクナイはぐっと両手に力を入れて愛刀の握り具合を確かめた。

 

右手に「燕覇」左手に「蓋峻」。どちらも刃渡り一メートルに届くかという両刃の長剣だ。片方だけで約三十キログラム。丸ごと螺旋鉄鋼の塊から削り出した逸品だ。螺旋鉄鋼とは墾窟族(ドワーフ)の学者達が長年の研究の結果鋳造に成功した強靭な金属である。別名ダマスクス鋼。最高級の素材から生まれた極厚の双剣がテクナイが最も使い慣れた得物だ。

 

騎馬戦決闘の申し込みはテクナイからすれば渡に船であった。補給線の分断により前線が窮地に陥る可能性をわざわざ排除してくれるのだから 帝国にとって利点は多い。一方で帝国の芯たるものを何かよく理解してもいると思っていた。

 

現状、いや過去にも未来にも森林帝国を国家たらしめているのは皇帝の存在一つである。ユリアナやテクナイは確かに傑出したカリスマを持っているやもしれないが、それは所詮多寡で量れるものに過ぎない。テトラが持つそれは一種の正統であり、寄る方のなかった森人(フォームレスト)達からすれば故郷と言っても過言ではない。

 

相手がテトラを弑することを優先するのも宜なるかな。この場で敢えて相手の失策を笑わないのは向こうの思惑がどうであれ、一時的にもテトラの安全を確保し、同時に時間を稼ぐ余裕が生まれるからだ。

 

テクナイは雄叫び上げながらこちらへと突撃を開始した勇者の部隊二千卒を冷徹な目で見ていた。事前に通告された兵数に違いなし。意外と律儀なようだ。頃合いであるか。テクナイは自らが率いる百騎へと背中越しに語りかけた。

 

「諸君の中にはなぜ自分が選ばれたのか理解できていない者も多いことだろう。何故ならば諸君らは殆どが呂文桓殿指揮下の兵員の中でも落ちこぼれに属する、謂わば素行不良の輩であるからだ。」

 

テクナイの言に対する反応は百名でさまざまであった。鋭い言葉に身を固めた者、疑問の答えを期待して耳を傾けた者、ただ俯く者、勝ち気に見つめ返す者、或いは耐え難く得物を強く握りしめる者。様々であった。彼らの反応から分かる通り。たしかに彼女が選んだ百名は協調性を欠くなどの理由により落ちこぼれと見做されていたもの達だ。しかし、同時にそれぞれが己のみが信じる道を誰になんと言われようと進む頑固さを持つ者達だ。単なる落ちこぼれではなかったわけだ。

 

「諸君らを私自らが選出した理由。それは諸君らには優等生にはない、一種の信念があること。私は歪まない芯のあるものを欲していたこと。そして這い上がるためには一度死んでもらう必要があるからだ。」

 

「「「「!!!!!?????」」」」

 

テクナイの言葉に今度は全員が同じ反応をした。飛び跳ねるように頭をあげて、怒りや呆れを飛び抜かして口をポカンと開けて目を丸くしている。単純な驚愕であった。

 

「…勘違いをするな。何も肉体的にも死ねと言うわけではない。ただ、ここで一度これまでの己とは訣別せよと言う意味だ。」

 

一同安堵。ホット胸を撫で下ろしたのか、さっきまで体を固くしていたものまで肩から力が抜けている。テクナイは剣の鋒を、見方によれば先刻の勇者ユウヤに倣うように天へと突きつけた。

 

「貴様らは今日まで落ちこぼれであった。しかし、それは今日という晴れ舞台において大いに跳躍せしめ、これまでお前達を見下してきた同僚や、お前達を軽んじてきた人間共に落差をつけて見せつけてやるためだ。天が貴様らをここに招いたと言っても良いだろう。」

 

不敵なテクナイの美しい微笑に百人の兵士たちは見入っていた。

 

「…そして同時に、貴様らには勇者とやらが真に天に滅ぼされるべき小物であることを証明するための嚆矢となってもらう。我が主君を愚弄し、刃まで向けたのであるから奴らには報いを受けてもらう。」

 

一転。テクナイの顔には陰が差し、轟々と渦巻く憤怒を纏う。

 

「我々はまことの天命の下にこの一戦を交える。もしも、今この時に私を滅ぼすのであればそれは我が兵法の瑕疵には非ず。私の不忠故に天が下された滅びの罰である。汝らは鬼神となりて只管に我に続け。」

 

いざ。

 

その言葉を最後に馬の腹を蹴ったテクナイは天に突きつけていた剣をそのまま勇者へと向けて突撃を開始した。

 

「〜ッ将軍に続け!!遅れをとるな!!」

 

「俺たちが栄光を掴む時は今だ!!テクナイ様から離れるな!!!」

 

覚悟を決めた百騎がテクナイの後に続く。テクナイを先頭に槍先のように鋭い推型となり加速し始めた一団。彼らを目に認めた勇者の隊もまた衝突を目前として徐々に騎兵同士の感覚を狭めてきていた。

 

接近。接近。接近。

 

土埃が互いの姿を大きく見せるがそれに臆するものはいない。全身を重厚な白銀の鎧で固めた重装騎兵中心の聖銀騎士団に対して、テクナイに率いられているのは胸甲と頭をスッポリと覆う金属兜を除けば布や革で急所を補強した程度の軽装騎兵。兵士の顔ぶれも人間側は体格も良く精悍な顔つきの者達で固められているのに対して、森人(フォームレスト)側は小人族(ホビット)や森族(エルフ)、獣人族(ランドノーム)など多種多様な種族で背丈も横幅も凸凹と不恰好に見えてしまう。

 

ドドル!ドドル!

 

「!!!!!!!!」

 

両者が互いの表情まで確認できるほどに接近してから数瞬間。先頭の勇者ユウヤとテクナイの間合いが遂に交差した。赤い煌めきが中空を疾り抜ける。

 

「貰った!!!清浄の炎よ出よ!!」

 

ゴボボボッッ!!!

 

大ぶりに両手で振り抜いた勇者の聖剣バベルから赤い炎がわく。灼熱を発する赤炎が正面から突撃してきたテクナイ目掛けて物凄い速度で直進した。仄かに燐光を放つ聖剣バベルを握る勇者ユウヤの頬には一粒の汗が浮かんでいる。魔法の行使により体内の魔力が一時的に目減したため代謝が促進されたのだ。体からは湯気が上がっていたが騎乗の人である彼は風に冷やされて、あるいは夢にまで見た魔法の全力での発動による興奮物質に酔いしれてか苦などなかった。

 

「……ッ!右に抜けろ!!!」

 

帝国における魔導…人間達は魔法と呼ぶそれがテクナイの目の前で炸裂した。人間が使わない訳ではないが、そもそも魔法を行使できる人間などそうそういない。実戦投入は今回が初となる上ではテクナイの驚きも当然であろう。しかし、それも須臾のことであったのは魔導の普及により大発展を遂げた帝国で生まれ育った武の達人テクナイの胆力と経験が成せる反射的妙技に他ならなかった。人間の騎兵の多くはテクナイから見て右側、左の腕に小型の馬上盾を持っている。自身はまだしも背後の騎兵に被害を出さないためにとテクナイが発した号令に、腹を括った百騎は瞬時に従った。案の定、右に流れた騎兵へと槍を突き出す敵兵もいたものの、ほとんどは届くことなく騎馬を取り逃していた。テクナイは一人前進して燕覇を一振りして炎を巻き付けるようにして躱すと姿勢を低くした。

 

「まだまだ!!!清浄の炎よ暴れろ!!」

 

地を這うよう鞭のように炎をしならせる勇者、しかし彼など眼中にないとテクナイは低い姿勢のままに手綱を左右に導いては愛馬「兎騅」の横跳びを二度三度披露してから軽やかに勇者ユウヤを通り越した。

 

「チッ!反応早すぎだろ!!反転!!?背を討てぇッおぉ!?!?」

 

勇者ユウヤは間抜けな声を出して後続の騎士団へと目を向けた。

 

「グギャ!?」

 

「ぐぁ!!」

 

「左右に別れろ!?周りこめぇっ!ッガ!?」

 

左手に抜け去る騎兵に被害がないのを横目に見つつ、勇者ユウヤは残念がったが一人遅れたテクナイへと剣を叩きこもうとすべく聖剣を振りかぶりやめた。鐘を打ちつけたような重く響く音が勇者ユウヤの鼓膜を叩いた。

 

テクナイは右にも左右にも抜けることなく、ただ直進していたのだ。

 

「一人で突っ込んで来たぞ!!盾を構えろ!!」

 

「槍先を揃えろ!!串刺しだッ!!」

 

二千騎に突貫するのはテクナイのみ。大陸一の名馬と名高い碧血馬の兎騅は流星の如くグングンと加速しながらテクナイの手綱捌きに忠実に従い、徐々に右へ右へと進路を切る。

 

一度燕覇を鞘に戻したテクナイは固く手綱を握り馬術の絶技で二千騎の戦意を一身に受けていた。頭を低くした彼女は左手に持つ蓋峻を引き摺るように後ろへ流した。そして接敵の瞬間に全身をもって彼女は怒りを解き放った。

 

…………ギャオォォン!!!

 

無音。一拍遅れて銅鑼を縦に割ったような狂音が二千騎の鼓膜を打ち叩いた。

 

「ぐぶゥゥ!?」

 

「ガっ!?バッぁぁ!?」

 

先頭を預かる騎士二人の胴体には野蛮な爪痕が一閃。両者共に血を噴き出して落馬した。白銀のフルプレートアーマーは無惨にも捩じ切られていた。テクナイは既に兎騅を駆って先頭の一団をすり抜けていた。すれ違いざまにその豪刀で思う存分に暴虐を撒き散らして。

 

先陣を切った不運な者たち。先陣組に続く騎兵達が目にしたのは悪夢に違いなかった。

 

「な、なんだありゃぁ!!」

 

勇者が魔法を発動したことを確認した彼らは魔法を使う魔法騎士と、彼らを守護する守護騎士に分かれている。勇者直下の彼らは希少な魔法騎士を擁する後衛であり、勇者が先行したのを追ってきた者達だった。

 

「馬がまっすぐ走らねぇぞ!?」

 

「ううわぁ!?」

 

「どう!どうどう!!振り落とされる恥を晒すな!」

 

「馬を落ち着かせろ!!」

 

人間の中でも心身共に優秀な者だけが選ばれる聖銀騎士団の生え抜きから見てもそれは異常であった。遠目にでもわかるほどに兵法の、いや戦人の極みがそこにはあった。二千の騎兵の波をその暴力を持って掻き分けて進むテクナイは正に鬼神の形相であった。誇り高き人間の戦士達は遠心力が最大限に付与された重厚な鉄塊に跳ね飛ばされて宙を舞った。五十キログラムのフルプレートアーマーを身につけているとは思えない軽やかさで血を噴き上げながら。笑ってしまうほどに戦士には不似合いである。そんな滑稽な結末が無情にも量産されていた。

 

「ひ、人が吹っ飛んだ…。」

 

「天よ…。なぜこの世にあのような怪物を産み落としたもうたのか…。」

 

「…ゴクリ…しかし、我々は聖銀騎士団。推して参るほかあるまい。」

 

「う、うむ。」

 

聖銀騎士団は精鋭ではあったが化け物との戦闘は初めてであった。彼らが跨る馬は人間国家の間においては一財産とも言える名馬に間違いない。だがしかし、やんぬるかな、テクナイが跨る兎騅は巨獣犇く灼熱の南部で生まれた。肝っ玉の坐り具合と肉体的頑強さは碧血馬の中でも上位に位置するほどだ。魔境も魔境の極寒の北部へと、わざわざ牧場から遁走して見せたその胆力は賞賛ものである。テクナイが先陣を切る時、それは本能的な恐怖を与える暴力の嵐をこの世に呼び込むことに等しい。今鬼神の彼女の覇気に当てられて平然としていられる馬など帝国随一の名馬と名高い紺碧八脚の一角たる兎騅の他にはあるまい。

 

「守護騎士を前にして魔法騎士に魔法を打たせろ!!遠距離で仕留めるぞ!!」

 

「おぉ!!」「わかった!!」

 

「こっちは二千!我が中隊だけでも三百名の騎士がいる!!臆することはない!!確実に仕留めるぞ!」

 

「オォ!!」「穂先を揃えろ!あの怪物に付け入る隙を与えるな!!」

 

守護騎士と魔法騎士の一団を纏める中隊長の命令で再起動を果たした聖銀騎士団。彼らは恐怖を正義感で塗りつぶして迎撃体制を取ろうと騎馬を走らせつつ器用に五重の横陣を展開した。前衛に長槍を構えた守護騎士の騎兵二百騎、背後に魔法騎士の騎馬が百騎。

 

「数の有利を活かせ!!囲むように展開せよ!!」

 

「両翼開け!!閉じ込めろ!!」

 

「敵も不死身ではない!!恐るな!!」

 

中隊長の勇敢な声を耳に盾と長槍を構えて隊列の密度を高める守護騎士達。例え自らが討たれても隣の戦友の槍が届けば良い。聖銀騎士団第三中隊は決死の覚悟で一塊となった。彼らの覚悟が凝縮された騎馬突撃陣形は寸分狂わずテクナイへと突き進んだ。

 

「あ、あぁ!!き、きたぞぉぉ!!」

 

後方から聞こえたのは悲鳴。後ろで何が?三百名決死の騎兵突撃でテクナイただ一人を葬らんとする勇猛な中隊長は戦闘意欲漲る脳の片隅で疑問を得た。が、敵は目前。彼は振り返らず進む。先頭に立ち剣を抜き構えた。げに恐ろしき敵将を討てるのならばと部下の命を捧げようとしているのだ。自分が真っ先に死なねばなるまい。彼の覚悟は、彼にとっての幸運であった。

 

「行くぞぉぉぉぉ!!!敵将とったりぃぃぃ!!ぅうぅぉぉぉ!!!」

 

雄叫びを上げた中隊長は斜め右上から迫る豪速の白刃を見た。ゆっくりと迫るそれは回避できない必死の一撃だ。中隊長は自分の首が空高く飛ぶのを幻視したが、死の際に立ってなお気迫を保ち声を上げた。

 

「はぁ!!!!」

 

ばきゃ!ガゴッ!!ずず…ざじゅ!

 

一閃。テクナイの野獣の如く引き締まった褐色の左腕に操られた名刀蓋峻は差し出された中隊長の剣を一打で砕いた。そしてその勢いのままに中隊長の胴を横凪にした。脇腹の上部から鎧ごと割り裂かれた中隊長は血を撒き散らして絶命。落馬して物言わぬ鉄人形と化した彼に一瞥もすることなくテクナイの暴威は再加速した。向かうは前列の守護騎士二百名である。

 

「うわぁぁぁ!!」「隊列を崩すな!!」「くるぞくるぞくるゾォォォ!!!」

 

中隊長がすれ違い様に斬り飛ばされた衝撃。そこから前列の騎兵たちが回復する暇を与えるまでもなくテクナイと兎騅は切迫する。血に染まったその威容をこれでもかと見せつけ、堅固なはずの覚悟を揺るがせる。本能的な恐怖に足が動かないことは彼らの名誉を守ったのかもしれない。不運なことに、果たしてそれは生命の喪失を意味したが…。

 

「牙雄ッ!!!」

 

グガシャ!!

 

「ヒィィ!!?」「グぁ!?」「ごふぅ!?」「くびゃァ!!」

 

蛮勇に満ちた雄叫び。殺意の波動がビリビリと相対した戦士たちの心身を打擲する。体が動かぬ一瞬の間が生まれる。全ては決した。先頭の数騎は力任せに跳ね除けられた。続く数十騎をすれ違い様にズパンズパンと切り飛ばし、張り倒す。意識が戻った時、茫然我失の騎士たちは自らが血の沼に沈んでいることを初めて知る。

 

またしても彼女は一対多の圧倒的戦力差を覆してみせた。勇者を置き去りに二千騎に突貫した唯一騎テクナイの面目躍如である。ブリキ同士を打ちつけたキリキリ音が後続の騎士らの背筋に冷たい汗を垂らした。

 

 




戦闘シーン難しい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 籍羽狄古乃 後編

第二十四話 籍羽狄古乃 後編

 

 

前列二百騎の隊列を散々に切り裂くこと数分。後衛で魔法発動を今か今かと待っていた魔法騎士百名。彼らに対して遂にテクナイの刃が向かった。待ち受けていた魔法騎士たちは自分達の出番だと意気を上げた。死ぬ恐怖から目を逸らしての蛮勇は、本質的にテクナイが誇る武威への畏敬からくるものであった。

 

「魔法斉射用意!!」

 

「放てぇぇ!!!!」

 

「「「清浄の炎よ行け!!」」」

 

「「「荒涼の風よ吹け!!」」」

 

百名の魔法騎士がテクナイの命を刈り取らんと虎の子の魔法を各々の得物から解き放つ。

人間が魔法に関して甚だしく帝国に遅れをとっていることは事実だ。

しかし、人間には人間ならではの魔法学なるものがある。魔法学はその誕生から最終目標の一つとして軍事力の拡大を掲げて発展してきた。

この点は森林帝国が魔導技術を文明発展のためだけに開発してきた点とは大きく異なった。

 

結論から言えば魔法または魔導の軍事利用に関する歴史は人間の方が長いのである。

そして、魔法騎士は第一線級の攻撃魔法を使用する専門兵である。彼らの得物というのは魔法を発動させる触媒を兼ねるものも多い。これらは十字の銀細工や銀の指輪に魔導鉄鋼を埋め込んだものである。魔導鉄鋼は帝国でしか採掘・加工ができない。帝国から輸入した魔導電気機器を分解し、微量な欠片をかき集めること数年。魔法騎士ニ千名分の魔導鉄鋼を涙ぐましい努力で集めた聖銀騎士団もとい人類の努力の結晶がここで見事火を吹いたのである。

 

「ッ!!!」

 

「よぉし!!飲み込んでやったぞ!!」

 

「怪物を燃やし尽くせ!!清浄の炎よ!!!」

 

「荒涼の風よ!!礫を飛ばせ!!」

 

ゴボゴボゴボゴボ!!!バワウバワウバワウ!!!

 

橙色の炎が同じ光を纏う剣から放たれ、緑色の淡い光を纏った銀の首飾りや銀札を嵌め込んだ経典を持つ魔法騎士を中心に激しい風が吹き荒ぶ。

炎は可燃物がないにも関わらず剣を伝ってドウドウと注がれるようにテクナイ目掛けて飛び込んで行くように見えた。

炎が飛翔したのは魔法で起こされた風が文字通り炎に勢いをつけたのみならず運搬の役を担ったためである。

風というより物理的干渉とも言える力に煽られて一層赤く、熱く、高く立ち上る炎がテクナイを愛馬の兎騅ごと飲み込んだ。

追い打ちをかけるように魔法で風が起こされる。

攻め立てるように地面に転がる小石飛礫を吹き上げてはテクナイの行動を狭めることに余念がない。

 

「………」

 

「……やったか?」

 

数分もの激しい魔法斉射攻撃により土が焼け焦げた匂いと砂埃が辺りを霧のように包んでいた。

熱気が立ち込めては魔法騎士たちの顔に塩辛い汗を垂らした。

彼らは荒い息を吐き出しながらも恐怖から解放されたもの特有のあどけない安堵の表情で目の前の惨状を見つめていた。

 

誰かが言った一言は何事もなく空に消えるはずであった。

 

「ハッ!!!!」

 

「なっ!?横跳び!?き、切り抜けただと!!!!」

 

「そんなバカな!?」

 

「覚悟はよいなッ!!!」

 

「うわぁぁぁ!!!せ、斉射!続けて斉射!!!」

 

百名による圧倒的火力での徹底殲滅攻撃。

何人の生存も許さない苛烈さをもってしてもしかし、テクナイは、彼女は現れた。

人間世界の最高の軍事魔法専門兵士の集団は狼狽を隠すこともなく無理を押して二度目の斉射準備に取り掛かる他無かった。

テクナイの鮮烈な赤い瞳が風よりも早く迫ってくる。

彼女からの死刑宣告に火炎粉が舞った。例え幻覚であれ幻聴であれ同じこと。

彼女の言葉を脳が理解する前に体が反応した。

死からの逃走のために逃げ腰で魔法を放とうと騎士たちは得物を向けるがそれも疎であった。

 

「うわぁぁぁ!!!ま、間に合わなぃギッ!?」

 

「ててて!撤退!!!ーーギャァァァア!!」

 

「オォォ!!!!」

 

「ヒィ…」

 

軍事利用の歴史は人間の方が長い。

 

しかし、そもそもの経験値は圧倒的に森人(フォームレスト)の方に利があって然るべきである。

攻撃魔法の開発こそ進められていなかったが、こと防御魔法や対魔法防御に関しての研究は盛んに行われてきた。

常に受け身にならざるを得ない地政学的要因が森林帝国にはあり、攻められることを前提とした頑強な国家体制の基礎には即応能力と防衛力が不可欠であった。

 

そして、それは言わずもがな魔法にも適応されていた。

超火力を前にテクナイは冷静に対応した。

炎が迫りくる中で彼女はまず兎騅の進路をすぐさま逆方向へと転ずると互いの姿が派手な火炎と土煙で見えないことを利用して炎から距離を取った。

逃走中に襲い掛かる炎を突入したものと勘違いしている間に迂回し、その間に敵の火焔が収まるのを待った。

魔法による風と炎が潰えた頃に自然の風に煽られて動き出した土煙に連動して再突入を敢行した。

自然の風に従って徐々に開ける視界と共に当初の突入地点から大きく外れた、魔法騎士たちから見れば突然横へ移動したような、箇所からテクナイは飛び出してきた。

 

その後は言うまでもない。彼女は自らの両碗に同じ双剣で冷酷なまでに魔法騎士たちの命を確実に刈り取っていった。

 

散発的に繰り出された魔法をものともせずに無傷で切り抜けた先、瞬く間に最前列の魔法騎士たちとの距離を詰めたテクナイは無慈悲な双鉄を叩き込んだ。蹂躙が開始された。

 

グシャッ!!!ゴジャッ!!!

 

「ごァッ…」

 

「ゲぶぅ!?」

 

「ぎゃあぁぁ!!」

 

フルプレートの鉄甲を薄木板のように叩き割る音が軽快に響く。下着の鎖帷子はちぎれ飛んだ。五分とかからずに魔法騎士隊は崩壊した。

 

血潮と土埃の奥から飛び出してきたテクナイは依然健在である。褐色の肌に瞳と同じ赤に染まった返り血滴る銀髪をたなびかせた鬼神は悲鳴を喉に詰まらせた二列目の騎兵を殺し尽くすとさらに前進した。

 

鉄の全身鎧が無力にも割られる音。

 

鋭い切れ味の白刃で切り裂いたのではない。

重量物を勢いよく、無駄なく全力で叩きつけた結果である。

分厚く長い、見る人が見れば斬馬刀に思えるそれは双剣である。

テクナイは自らの手足の如くこれを操る。

刃渡り一メートルに届くこの宝剣の前では人間のフルプレートアーマーなど薄ペラなブリキ板に過ぎない。

容易くその衛を破り、その下に隠された柔らかな肉に勢いと切れ味を発揮するのだ。

強靭な鈍器になりうるそれはしかし剣である。

一度肉を前にすれば剃刀のような鋭い切れ味で食らいつく凶暴さはテクナイにしか扱いこなせない猛犬の如きである。

 

「ヒィぃぃ!!鬼神だ!鬼神がくるぞおぉ!!!」

 

誰が叫んだか。腹に溜めに溜めた恐怖は爆発した。

 

「我こそ籍狄古乃也!!!天に仇名す者どもよ!!死にたい奴から前に出ろ!!!」

 

敵の恐慌を見落とすテクナイではない。蓋峻と燕覇から血を払うと大音声を戦場に響かせた。畳み掛ける時は今である。兵法の妙技は今こそ発揮されるべしだ。

 

「逃げろ!にげろぉ!!」

 

「陣地にもどれ!!大佐の元へ!!」

 

「嫌だァァァァ!!死にたくない!死にたくない!!」

 

兵士たちは泣きながら、失禁しながらと色々の醜態を晒しながら狂ったように馬に鞭を入れ始めた。聖銀騎士団の誇りはどこへやら、彼らはすっかりテクナイの暴威を前に臆してしまった。

 

「お、落ち着け!また大丈夫だ!お前ら!まだ勝てるぞ!こっちの方が数は多い!!敵は一人だ!!」

 

逃げ腰の味方の元へとやっとの思いで辿り着いた勇者ユウヤ。

彼を待っていたのは完全に士気を折られた第三中隊の遁走劇である。

彼の声がけに少しの落ち着きを取り戻したものの、依然としてテクナイへの畏怖は沸々と起こっていた。

 

「あっ。」

 

呆然としていた勇者ユウヤは意図せずテクナイと目があった。勇者ユウヤを認めた彼女はすぐさま勇者目掛けて馬を駆けさせた。足元の転がる泥人形のような白銀の残骸。

第三中隊の援軍にと向かってきた第四中隊の蹂躙を淡々とこなした彼女が感情をあらわにした。憤怒である。瞳は煌々と怒りを赫く吹き散らしながら飛び込んできた。

 

「勇者ッ!!小賢しい豎子がッ!!策が相成った今。貴様を殺すことに躊躇があろうか!!」

 

侮蔑と怒りを増した声はそれまでの彼女からは感じられなかった明確な感情を放つ。

テトラを前にしての彼女も無論のこと彼女である。

しかし、武将としての彼女が敬愛する主君の前に曝け出されることを彼女自身が許容できないでいたのだ。

生来では傲慢不遜で気の短い彼女の弱点とも言える本性が垣間みえている。

戦場に吹き荒れる血の嵐は彼女が被っていた清楚の仮面を引き剥がしてしまったといえる。

 

「て、テクナイぃぃぃ!!!てめぇの相手はオレだぁぁ!!」

 

「軽い!!」

 

それまでの理不尽と思い通りにいかないクソゲーの展開に腹を立てた勇者ユウヤはこめかみをひくつかせながら聖剣を振るう。

しかしそれを難なく受け止めたテクナイは言葉少なに燕覇をふるって勇者の体を揺さぶった。

 

「クソが!!オラ!!」

 

下段から大ぶりに切り上げる勇者ユウヤ。

剣は赤熱して彼に力を与える。彼自身のチートに加えて更に常人を遥かに超える膂力を与える。力技で相手の出方を探る一手である。

 

「ふん!!」

 

下から蛇の如く這いずる剣筋を見切ったテクナイは危なげのない動作で真上から剣の腹を叩き落とした。魔法剣士として剣術の才に比類なき勇者ユウヤは寸前で剣を引き戻す。

 

「〜〜ぐあぁぁぁ!!!」

 

体を筋力任せに捻りあげて中断で突きを繰り出す。

鋭い突きは右の剣を上段から振り落としたばかりのテクナイの喉を狙ってのものである。

稲妻の突きはしかしテクナイが引き戻した燕覇の腹で受け止められ、すぐさま喉元への軌道外へと受け流される。

体を強引に引き戻した勇者。またしても人間離れした肉体を酷使してテクナイの斬撃をすんでで受け止める。

 

「軽い…私から行くぞ!!」

 

「うぉぉお!?くっ!?ッ清浄の炎よ!!」

 

ゴボボ!!!

 

テクナイは兎騅を駆って勇者へ肉薄した。

瞬時の出来事にほぼ反射で動いた勇者ユウヤは鼻先三寸に鉄の壁が迫る恐怖に慄きつつ聖剣バベルから炎を吹き上げる。

双剣の軌道をチートにより見切った彼はギリギリで首刈りの双撃を回避する。

体から魔力が抜けて彼の体から湯気が上がり汗が散る。

継続しての魔法の使用は肉体的な負担が大きい。

常人であれば失神間違いなしの高火力を継続して発動させる彼はやはり勇者であった。

彼は炎を滾らせた聖剣バベルを上段に全力で振り下ろした。

熱気巻き上がり馬上から遠い地面の雑草が焦げて土の青臭い香を紛らわす。

 

「清浄の炎よ!!!」

 

火勢はいよいよ猛りテクナイへと雪辱を晴らさんと迫る。

 

「猪口才!」

 

「ぅあッ!?」

 

が、彼女は冷や汗一粒かくことなく剣で炎波をいなすと鋭利な剣先で勇者ユウヤの頬を撫ぜ切った。黒髪と血が舞う。

 

「勇者よ!!幕だ!!!」

 

「ぐぶぅ!?がぁぁぁ!!!!」

 

魔法剣士という固有の転生特典(チート)を与えられている勇者ユウヤには天才的な剣術の才能と超人的な動体視力がある。

そのスペックは確かにテクナイの剣筋を捉えていた。

捉えていたが、しかし彼は彼女の剣を受け止めるたびに弾き飛ばされた。

その剛力は正に山を相手にするが如くであった。

この世界に来て初めて感じた肉体的な痛みによろけたユウヤにテクナイは容赦のない一刀を与えた。

 

都合十合に満たない一騎討ちはあっさりと勇者ユウヤの敗北で終わった。

 

「がッ?!がふッ!?ヒュー…ヒュー…!!!」

 

肩口から深く裂かれた勇者は口と傷口から血を噴き出した。

致命傷であった。血痰を吐き出し顔は苦痛に歪む。

白を基調とした鎧と衣裳は瞬く間に赤く染まった。

顔中を血と涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたその姿は勇者とは言えまい。

 

「……締めだ。」

 

刀を勇者の肉から引き抜いたテクナイは目の前の垂死の輩に引導を渡してやろうと片割れの蓋峻を傾けた。

 

「ッや"だ!!や"ッ、ぃ"や"だッ!!!」

 

傷口を手で押さえて泣き喚くユウヤは虚な瞳でテクナイから距離を取ろうともがいた。

顔を彼方此方へ振り乱し、足元に聖剣を見つけると煤けた白馬から転げ落ちるように着地して最早握る力無き両腕でそれにしがみついた。

ユウヤの様子は滑稽だが、当人たちからすれば哀れに過ぎた。

 

しかし戦場の掟としてテクナイが彼を救う道理はなかった。

 

「や"ら!やだ!たずげ、だすげで!!いだい!いだいよ!!いやだ!ごめんなざい!ごめん!ごめんなざィ!!!ゆるじで!ゆるじっぃ…………」

 

テクナイはユウヤの黒髪を毟るように掴んだ。

頭を抑えられた彼は壮絶な顔になる。

ちらりと見た首元には分厚い蓋峻が血の香りを吐いている。

白刃が後ろへ周り、項の骨につたわる金属の冷謐に身震いを覚える。

泥に爪を立てて離れまいとする勇者はテクナイの前に無力だ。

 

ずう…と刃が食い込み、そして…

 

「ぁ…………」

 

……………。

 

 

テクナイ一騎を残して分離した百騎はそのまま偽造離脱を図った。

テクナイの強烈な暴打を受けて混乱する二千騎から守護騎士二百名が突撃を敢行していた頃、完全に離脱したかに思われた百騎は敵軍の後尾へ突入した。

前方のテクナイの苛烈な攻撃を受けて幸運にも生き残った負傷兵たちが安堵していたのも束の間。

テクナイへの密度を高めるために速度を緩めていた後方一千騎は無防備な背を打たれた。

 

さらに不運なことには守護騎士二百卒を轢殺して勢いを増すテクナイが殺戮と混沌を巻き起こしていた。

魔法騎士による砂煙は後方からの視界をも遮り、煙が晴れると共に火牛の如く血飛沫を立てながらテクナイに切迫された彼らは大いに統率を乱した。

 

背を打たれた後方部隊は前へ逃げようと馬を走らせ、前方からテクナイに粉砕された部隊は後方へと逃れんとした。

騎馬と騎馬はすれ違えば運の良い方で、混乱の中に互いに衝突して愛馬の下敷きになる者、友軍の騎馬に踏み殺されるものなど混乱の中に起きた事故で死んだ者が百を超えた。

 

混沌に支配され人馬が秩序なく流れ狂う激流を逆走すること暫し、何とかテクナイへと追いついた勇者の登場は唯一の希望となり得た。

しかし、帰還により一時は統率と士気を立て直せた後続部隊も背面よりの奇襲に成功して士気を爆発させた新生百騎に打ち破られ、人間側の一騎当千の丈夫である勇者は味方を率いる余裕もなくテクナイとの一騎打ちに手間取られていた。

 

 

 

振り返ることもなく我軍の陣地へと逃げ帰る聖銀騎士団とは対照的な者たちが血と泥の香りが強く充満する戦場にて勝鬨を叫んでいた。死に物狂いで奇襲を成功してみせた百騎は見事に天の微笑みを得たものと見える。

 

「貴様はもう十分に罪を償った。自らの命で罪を濯ぐのだから何人もこれを犯すことは無い。安心して逝くといい。」

 

百騎の中心で燕覇を高く掲げてみせるテクナイは幾分か優しい声をかけてから旗布に包んだ勇者ユウヤの首級を部下へと預けた。

 

「テクナイ将軍万歳!!!」

 

「テクナイ様に栄光あれ!!我らの勝利だ!!!」

 

「勝利をテトラ陛下へ!!そして祖国へ!!!」

 

「陛下へ!!そして祖国へ!!」

 

ウオオオォォォ!!!!!

 

神聖御宇暦二年の初春。籍羽狄古乃と彼女が率いる百騎は勇者率いる聖銀騎士団二千名に勝利した。これは人間に対して森林帝国が初めて手に入れた戦争状態下における正式な勝利となった。

 

テクナイの勝利はのちに大錦の伝説的な歴史家である司馬仙によりこう記録されることとなる。

 

ーーーーー

 

 

碩武十年 狼珠国勇者裕也攻森威

 

(碩武帝十年=神聖御宇暦二年にログリージュ王国の勇者ユウヤが森林帝国を攻めた。)

 

勇者奇兵将弑天帝

 

(勇者は奇襲して皇帝を殺そうとした。)

 

勇者率一万五千

 

(率いること一万五千騎。)

 

奇兵害臣下 天帝乱心

 

(奇兵により(テトラの)家臣は傷つき天帝(=テトラ)の心を乱した)

 

狄古乃謀 裕也応之

 

(テクナイは一計を謀りユウヤはこれを受けた。)

 

森威狄古乃爲将相戦

 

(森林帝国のテクナイは将となり勇者と戦った。)

 

狄古乃率百騎 大勝之

 

(テクナイは百人の兵士を率いてこれに大勝した。)

 

斬首五百 裕也誅用短兵

 

(首を斬ること五百人。ユウヤは剣で誅殺された。)

 

 

ーーーーー

 

 

生来、彼女が目指したのは一対万の兵法の極みを体現することであった。禁衛軍の筆頭を張る彼女はかの軍団にあって唯一の建国後の生まれである。建国まもない頃の治安維持任務などで功績を上げた程度の彼女が皇帝の最も近くに侍るまでになったのは何故か。その物語は彼女の類い稀な軍才を抜きには語れない。出来て間もなかった帝国の軍学校を主席で卒業した彼女は前代未聞の大記録を打ち立て続けた。

 

そしてある日、彼女は未だ黒石であった頃のテトラの御前で模擬戦闘を演じる機会を掴んだ。

 

相手は上大将軍白羈。

 

時の禁衛軍において大いに隆盛であった彼との互いに一万の兵を用いての模擬戦闘は熾烈を極めた。

大練兵は平野一帯で三日三晩かけて繰り広げられた。

無駄や局所的勝利を悉く切り捨て戦略的勝利を予定調和的に獲得したハクキに人々は絶句した。

彼への畏敬とは対照的に、自ら兵を率いては幾度となく接戦を演じ、局地戦において一度の敗北も許さなかったテクナイは万人の人口に膾炙されることとなった。

模擬戦後、彼女は千金を与えられた。

この際、ハクキはテトラの黒石が淡く輝いたことを天意であると称えた。ハクキは自財の中から二振の名剣をテクナイに下賜した。

 

高い評価を得たテクナイはハクキ直筆の推薦状を以って宮廷府へと進んだ。

故郷のシンイ公国の国防軍方面軍をよく統御した。

軍からの支持を受けて禁衛軍へと転属して間も無く、ハクキの自獄に際してテクナイはユリアナから皇帝に近侍に抜擢され、軍学校での業績や軍内部で発揮した統率力などを鑑みて特令官家を一代で開いたのである。

 

不世出の無双丈夫は今日、この時を以って世界へと産声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウォォォォ………」

 

 

 

 

「何の声だ?」

 

勝鬨を浴びたテクナイは耳を澄ませた。百騎が上げる雄叫びとは違う声が聞こえた。遠くにこだまする歓声は勇ましさと慶びに満ちている。しかし、耳にしたことのない胸騒ぎをテクナイに与えた。

 

「…何の声だ!なぜ!なぜ陣地の方から歓声が上がるのだ!!」

 

テクナイは目を吊り上げて叫んだ。

 

「我らの勝利に味方も喜んでいるのでは?」

 

「そんな訳があるか!!どうして味方の陣地から勇者への賛美が聞こえるのだッ!!!」

 

「ヒィ!?」

 

部下からの返答を撥ね付けるテクナイの顔は焦りで青筋が浮かんでいる。瞳は紅く狂気を滲ませる。

 

「何が起きたのだ!何が!!」

 

「あぁ!!閣下、アレを!!!」

 

「!?」

 

「旗が!!!」

 

突如陣地がある場所から旗が生えた。純白天鵞絨の旗。旗先から垂らされた紫金の飾り毛が風に流れている。光を反射する絢爛は遠目にもその存在感を鮮明に主張している。テクナイの記憶にピリリと電が走った。

 

「行くぞッ!!!!!!」

 

「ハハっ!!」

 

「続け!!」「オオォォ!!!」

 

テクナイは前傾姿勢で兎騅を駆った。今日一番の力強さで愛馬の腹を蹴った。後に続く百騎をグングンと突き放して彼女は馬を走らせた。

 

歓声が悲鳴へと変わるのを耳に認めつつ、テクナイはただ愛しい主の元へと急いだ。

 

「テトラ様ッ!!どうか御無事で!!」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 逆鱗に触る 中編

伸びた。ごめん。


第二十五話 逆鱗に触る 中編

 

 

勇者率いる聖銀騎士団二千名とテクナイ率いる百騎が平野で衝突してから暫く。

平野より少し離れた地点にゼルプは斥候と共にいた。

勇者の突撃がテクナイによって切り裂かれたのを目の当たりにしたことで彼は相異なる情に心穏やかではなかった。

 

「…世に名を遺す怪物がまた、どうして我が敵として現れるのか…。」

 

そう言わずにはおれまい。ゼルプは重苦しいため息と共に、自らの胸に立ち込めた憤激が霧散していくのを感じていた。

 

「大佐!我らはいかが致しましょう!」

 

若い斥候兵は勇者の信奉者であった。しかし、恐怖の体現者たるテクナイの前に清涼な向上心は砕かれた。怪物の相手はゴメンであった。

 

「…急ぎ陣地へ戻るぞ。全てはそれからだ。まだ何も終わっておらん。」

 

ゼルプの自らの熱を押しとどめるような声に兵は畏れを抱いた。

 

「閣下!では、勇者様をどうお救いするのですか!!」

 

兵が言わずにおられなかった疑問にゼルプは厳しい面持ちで答えた。

 

「…勇者様にはまだ暫しの時間を稼いでいただく。全ては勝利のためだ。陣地に戻り次第、敵陣地を包囲する我が全軍へ総攻撃の号令を下せ。あの化け物の矛が我らに向かってくる前に魔王を殺す。」

 

要約すれば勇者の身を人身御供に勝利を掴むことを告げたゼルプ。

ゼルプが馬に鞭を入れると、周囲の兵士達は物言わずに従った。

死の鱗粉を吸い込んだ彼らに勇者を救う勇気は無かったのである。

 

 

「大佐!全軍出撃準備が整いました!!いつでも行けます!」

 

数刻とかからず全軍の支度を整えたゼルプは腰につけた革袋から銀の戦喇叭を取り出すと静かに下命した。

 

「全軍出撃。」

 

爆発する歓声と共に無数の馬蹄が猛り狂う。

 

「重装騎兵団突撃!!」

 

重厚な銀光を誇る金属塊二千が固い土を抉りながら呂文桓とオドアラクの構築した陣地正面へと突撃を開始した。

 

「軽装騎兵団は敵の背後に回れ!!騎銃兵団は両脇から挟射せよ!!」

 

軽騎兵二千は鉄塊のような重装騎兵とは対照的に、軽快に大地を滑り馬車の残骸と土嚢で編まれた陣地後方へと回り込み、騎銃兵三千は半数ずつに分かれて射程距離を侵しつつ両脇を塞いだ。

 

 

我が生涯の頂点はここにあり!!

 

「我に続けぇぇ!!」

 

重装騎兵二千卒と共に簡易陣地の第一線に突入したゼルプは自らの幸運に感謝して槍を奮った。

 

「止めろぉ!!」

 

頼りない木の柵と土嚢で陣地の機能を平野に現した呂文桓は有能である。しかし、一方で勇者の敗北を知らずに士気が依然として高い騎兵隊の突撃は強烈な衝撃を持っていた。第一線が抜かれるまでは時間の問題と言えた。

 

「貫け!!」

 

柵を張り倒し、下敷きの兵士を柵の隙間から槍で突き殺した。

 

「ギャッ!」

 

馬蹄に踏み抜かれた兵士の断末魔は、隆盛甚だしい興奮に掻き消された。

 

「我が軍の旗を掲げよ!喇叭を吹け!!」

 

勇壮な銀喇叭をゼルプ自ら吹きつつ、黒地に銀の剣が刺繍された旗を掲げた。兵士達の士気は最高潮に達しいよいよ勝利への確信を堅くした。

 

 

 

「柵の隙間より馬の首を突け!!」

 

対して後方では軽騎兵からの攻撃を見事に第一線で防いでいた。

 

「将軍!敵重騎兵の攻勢苛烈なり!前方から援軍を求める声が!!」

 

防護柵と、即席とはいえ踏み固められた土嚢は騎馬の脚を難んだ。

陣地に基づいた強固な守備姿勢を崩さない桓の陣頭指揮は見事だったが、オドアラクの指揮する前方陣地からは悲鳴が頻りに届いていた。

 

「私が行く!オドアラク殿には陛下の御身を第一に黒騎兵をまとめるよう伝えてくれ!!」

 

実質的に呂文桓は陣地の防衛を一手に引き受けていた。

オドアラクには統率者としての器はあったが、将としての豪気が欠けていたからである。

何者にも歪められない強固な忍耐力をもつ桓は守りの匠としてその才能を大いに生かして主君の身を守っていた。

 

 

同刻。四方形に木柵と土塁の三重の防衛線をはる陣地の左右の側面にて、耳長の白森族(ライトエルフ)の複合長弓が放つ矢と、騎銃の小鉄球が遠距離戦闘を展開していた。

 

「矢を番よ!!鉄球は盾で受け、敵が火縄に火縄を取り替えるまで頭を出すな!!」

 

死鉄の応酬は騎兵突撃にも勝る白熱したものとなった。

 

「敵の矢に当たるなよ!騎乗盾で受け止めようとするな、貫かれるぞ!」

 

騎銃兵の騎銃を分厚い盾で受けつつ、より長大な射程を生かして精確な斉射を射かける森人(フォームレスト)の弓兵に騎銃兵団は既に数十名の落伍者を出していた。

 

「第三斉射!ッてーー!!」

 

火薬が爆ぜる音と共に馬上で煙が上がる。

ガンガンと金属を叩く音が柵の向こうから上がり、悲鳴が散発的に聞こえてきた。

 

帝国兵側にも数十人規模の被害が出ていた。

 

 

「盾兵は土塁の内側に下がれ!槍兵は前に、弓持ちは騎馬の足元に縄を張れ!いまだ!!」

 

呂文桓へと指揮官がかわったことにより前方陣地での重騎兵の勢いは堰き止められることとなった。

 

「ぐぎゃぁ!?」

 

指揮を代わった桓は陣地の一線を超えた重装騎兵の速度が落ち始めたのを見逃さなかった。重厚な白銀の騎士達は矢を通さぬ防備と、重量と速度を利用した衝撃力を持つ平野において最も強力な破壊の申し子である。

しかし、同時に馬から振り落とされればその重量がそのまま動きを規制する重りとなる。

 

「大佐!!第二線が抜けません!!」

 

焦りを含んだ声がゼルプを呼ぶ。

 

「わかっている!!騎銃兵へ旗で指示を送れ!!弓兵の牽制はもういい、獣耳の長槍兵とヒゲモジャの墾窟族(ドワーフ)の盾兵を殺れ!!はっ!」

 

ゼルプは柵の隙間を縫って槍を奮いつつ、視界の端から突き出された槍を掴み、馬の腹を蹴った。

 

「ぐはっ!!ぬ、抜かれるぞぉ!」

 

ゼルプが勇猛を発揮して柵の一部を破った。土嚢に乗り上げる覚悟で鎧を被せた馬体ごと突進したのだ。ゼルプの開けた隙間から騎兵が雪崩れ込む。

 

「後方より軽騎兵が侵入!!」

 

畳み掛けるように苦い報せが続いたが、背後からの悲鳴に桓は驚かない。

 

「くそ!陛下に脱出のご用意を!テクナイ将軍に期待するな!」

 

そもそもの母数が違う。聖銀騎士団を除く一万強の内、騎兵は七千を占めている。受け止め切れる衝撃力を遥かに越える力押しに、呂文桓の巧みな防御もを苦しさが目立ち始めていた。

 

「もう少しだ!もう少しだ!!」

 

部下達の声は勇み、気は昂っている。

しかし、ゼルプは静かに自らが相手にすべき存在への警戒を強めていた。

 

そしてついにその時が現れる。

 

「大佐!!黒騎兵です!!黒騎兵が現れました!」

 

第三線。つまりは最後の防衛線の奥には上等な天幕が張られているのが見え、そこを他の兵とは一線を画す全身を黒い鎧で固めた騎兵が囲んでいる。ゼルプ達の接近に気づいた百騎ほどが向かってくるのがわかった。

 

「ここが正念場だ!!奴らを抜けばもはや魔王を守る盾は無い!!敵も死兵と化すことを覚悟せよ!!進め!!」

 

ゼルプのこれまでになく熱い檄に応えるように、第三線を落伍者を出しつつも勢いをつけ、力強く乗り越えた重騎兵団はついに往年の仇敵とも呼べる黒備の騎兵と激突した。

 

「陛下の御為に。」

 

人の背丈ほどある長柄の戦斧で戦闘の二騎をまとめて片付けたオドアラクはここに来て初めてゼルプと会合した。

 

「……オドアラク!!裏切ったのか!?」

 

怒りではなく純粋な疑問から声を張るゼルプ。彼の周囲では人間の重装騎兵団と森人(フォームレスト)の黒備の重装騎兵が激突を開始した。

 

「否!!」

 

ゼルプからの問いに強く否定を答えるオドアラクは斧を振り上げてゼルプに迫る。

 

「まぁいい…では!なぜ魔王へと尽くすのか!!傭兵から我が国の少佐にまでのしあがった貴様がどうしてか!!」

 

ゼルプもまたオドアラクへと問いを投げかけることをやめない。オドアラクの斧に槍で答えつつ、剣戟の合間にゼルプはオドアラクへ叫んだ。

 

「ゼルプ殿は勘違いをしているようだ、なっ!」

 

オドアラクは一笑し、面白がる様子でゼルプに応えた。

 

「何?私が勘違いだと!?」

 

ゼルプは謎が深まる感覚を覚える。

斧が風を切り馬の首へ迫る。

ゼルプは手綱を強く引き斬馬の禍を回避した。

 

「そもそも、私は貴方に支えたことなどない!元より私は忠義を一つとしている!」

 

オドアラクは斧を一度払い、不敵に笑ってゼルプへ言い切る。辺りでは徐々に兵士の質を数が上回りつつある。

 

「……最初から、向こう側だったということかね?」

 

黒備に被害が出始めてもオドアラクに焦りは見えない。汗を散らしつつ、二人の剣戟は距離を時折開けつつも、散談義を交えつつ続いた。

 

「然りッ!!我らは元より舞台上から降りることは許されぬ身であるのよ!!」

 

オドアラクは突然、抽象的な表現を用い出した。ゼルプは首を傾げて槍を突きつけた。

 

「…何が言いたい?我が舞台…どうして降りることすら出来ないのか?魔王や貴様はそうであろうが…。」

 

オドアラクがゼルプの疑問に答えることはない。二人は黙って武器を交えた。

 

「敵兵を囲んで殺せ!!もはや談義に用は無し!悪いなオドアラク!我らも魔王を生かしてはおけぬのだ!!」

 

一対多であっても苛烈に攻勢に出る黒備達は、人間の精鋭で構成された勇者の剣の面々が見たこともないほどの高い技量の精兵揃いであったが、後方より進出した軽騎兵も数えれば三千を越える敵に囲まれた三百に満たない黒騎は刻一刻と数をすり減らしていく。

 

「いくぞ!オドアラク!貴様の名は魔王の側近として遺るであろうが恨むなよ!」

 

ゼルプは激情を振り撒きながら、自らの憂いを振り払わんとオドアラクへ迫った。

 

「ははっ!!ゼルプ殿の言うことはごもっともである!!しかし、元より我らは駒に過ぎぬのだ!!大局は二週間前に決しておる!!私に与えられたのは人の身に産まれた忠義の者として新たな時代初めの嚆矢となる名誉を賜ることのみよ!!」

 

ゼルプの槍を斧でいなしたオドアラクは一度距離を取り、その禿頭をピシャリと叩いて笑った。

 

「人間の裏切り者め!」「面汚しに死を!!」

 

周囲には白銀しか居なくなっていた。

泥に沈んだ三百余の黒忠は物言わぬ身となっても、彼らが殺した三倍に近い白銀の遺骸の中で存在感を放っていた。

 

「陛下を無事に送り届けよ!!伝説の始まりぞ!!大陸の歴史は今日より塗り替えられるッ!!!ははっ!!まっこと、恐ろしい御方よ!!」

 

自身を睨む数千の白銀の騎士に恐る様子もなく、数重に囲む彼らの向こうに不安げな主君の無事を認めると、オドアラクはテトラを囲む狂忠の黒士達に最期の大命を任せると哄笑した。

 

「死ねぇい!!」「殺せ!!」

 

「……ッ!!………」

 

ぞぱ…。アッサリと一槍を首に受けたオドアラクは絶命した。

噴き出る血を受けとめるように、さらに複数の槍や剣が彼の体から生やされた。

 

「……さぁ!敵将を一人討ち取ったぞ!!将を失った敵をどうして恐るのか!我らの勝利は近い!!猛者どもよ、私に続け!!」

 

一瞬の瞑目。血を噴き上げながら血泥へと沈んで動かなくなったオドアラクに再び目を向けることなく、目を見開いたゼルプは大本命へと槍先を向けた。

 

激戦の爪跡を中天から東へ傾く太陽が照りつけた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 逆鱗に触る 後編

第二十六話 逆鱗に触る 後編

 

 

時は十分ほど遡る。

 

天幕の外から響く物騒な音が鳴り止まないどころか、徐々にここ防衛陣地の中心へと近づいて来ていた。

剣戟の音。火薬の破裂音。耳をつん裂く悲鳴。嗅いだこともない臓腑と汚物から漂う異臭。

 

「………」

 

顔色の悪いテトラは床几に腰掛けながら、不安を表に出さないように努めて、両手に浮かんだ汗を湿ったズボンで拭った。

 

「陛下、このオドアラクはこれより最期の大事を果たして参ります。此度の行幸は全て私の不徳が致すところ。ここに至ってはこの身をもって陛下の心を安んじるほかありませぬ。この不忠者をどうか許さないでください。ツェーザル閣下にも心よりお詫びを…では、これにて失礼いたします。どうか壮健でいらっしゃいますように。」

 

初めて間近に迫る戦場の狂気に当てられて俯きながら目を瞑っていると、つい先ほど幕へと駆け込んできたオドアラクが膝をついて言った。

 

「峙金殿、あとを頼みます。傭兵の身で大いに舞ったと、そう閣下にはお伝え下さい。」

 

兜を自身が腰掛けていた空の木箱の上に置いたオドアラクは、いつの間にか彼の背後に控えていた黒備の白森族(ライトエルフ)の青年へ後を頼むと天幕を退出した。

 

 

 

オドアラクのが討たれたとの報せが入った頃、テトラは馬上にいた。

 

「魔王を追え!!一騎だけ餓鬼を乗せてるやつだ!!」

 

背後から火薬が爆ぜる音と矢が風を切る音が鳴り、心臓が縮む心地がした。

 

「陛下は私に強く捕まっていてください。」

 

テトラの体を抱く力が強くなった。テトラは何も言わずに峙金の黒い外套に顔を埋めた。顔に冷たい鎧の感触がして少し落ち着く。

 

オドアラクが出ていくと同時にテトラは天幕から峙金と向き合う姿勢で初めての乗馬を体験した。今にも迫ってくる人間が御する馬よりも二回りは大きい赤茶の毛並みをした六本足の馬だ。

 

テトラと峙金を中心にして一千強の黒騎兵がザマスへ向けて陣地を発ち、呂文桓は陣地に五百の黒騎兵と共に残った。

桓と陣地に籠城する軍の存在は少しでもテトラ達への追手を減らす為の措置だった。

しかし、部将を討ち取ったことで士気を更に上げたゼルプ達の追手は予想よりも早く追いつき、彼らを激しく責め立てた。

 

 

「黒外套にガキが抱きついてるやつを狙え!!他には構うな!!」

 

黒騎兵一千に対して人間の騎兵四千はその数の利を目一杯生かして追い立てる。彼らは重装騎兵の他に幾つかの兵種を混ぜ、遠距離武器を用いてテトラを乗せた峙金の騎馬を執拗に攻撃した。

 

「ッうぅ!?」

 

一団の中腹を走るテトラのすぐ横を鉄の球が通過して彼を怯えさせた。

恐怖からか情けなさからかはわからないがテトラの目からは涙が溢れた。

命を狙われる経験などした試しがなかったのだから当然といえた。

 

「クソっ!!また外した!」

 

件の鉄球を吐き出した鉄火筒に次の球を込めつつ騎銃兵の一人が悪態をついた。

 

「大佐!!炸裂筒の使用許可を!!」

 

悪態を拾った仲間が四千騎を直率するゼルプへと火薬を炸裂させる兵器の使用許可を求める。

 

「許す!!炸裂筒を持つものは並走位置から投げ込め!!残りのものは私に続け!奴らの足を削ぐぞ!!」

 

「オォォ!」

 

烈烈たる気迫で許可したゼルプは槍を握り直して約半数の二千騎を率いて速度を上げた。

 

 

騎兵戦闘はゼルプにとっての夢だった。彼の曽祖父の代から、王国が誇る勇者とは即ち国難に立ち上がり華麗な功績を立てる騎士達のことである。夢であると同時に最も有効な手段であることも間違いなく、そこには憧れと打算が入り混じった感情があった。

 

手塩にかけて育てた重装騎兵二千と騎銃兵一千に軽騎兵一千を加えた四千騎で魔王を追い詰めている。ゼルプはこの状況に興奮を隠せずにいた。

勇者という邪魔者が排された今、それまでの反動的な心からの歓喜は彼に満足と、僅かな油断を生んだと言えよう。

 

テトラを抱き留めながら器用に短鉄棍を抜いた峙金は、前方に小高い丘を認めると口の端を上げた。

 

「第一から第五小隊の五百騎は反転迎撃せよ。第六と第七小隊二百は陛下に続け。第二中隊三百は側面を屠ったのち本隊の背を討て。」

 

端的に指示を出すと最精兵の二百を周囲に残して全兵を迎撃へと送り込んだ。人間側から驚きの声が上がる。

 

「来るぞ!!鉄火筒用意急げ!!ぬ!?は、速いっ!!」

 

火縄を付け替える騎銃兵は明らかに相手の馬速が先程とは違うことに狼狽えた。

 

「投槍用意!!」

 

馬脚を乱す側面の騎銃兵に対して逆走する黒騎兵は迷いなく槍を逆手に持った。

 

「投槍今!!」

 

相手が速度を緩めるより前に、掛け声と共に黒騎の数だけの槍が風を切り裂き騎銃兵へと襲い掛かった。

 

「ぎゃっ!!」「ゔぇッ!!」

 

勢いよく先頭の胸を貫いた槍は勢い鋭く更に進みすぐ後ろで鉄火筒を構えていた兵士の喉奥へと吸い込まれて行った。

 

「ぐぼっ?!」「あがっ!」「盾を!ッがぁ!!」

 

黒騎兵の大半は長駆怪力で知られる黒森族(ダークエルフ)と強固な鱗と剛力の竜人(ドラゴニア)で構成されている。一般的なものより尚長い鉄芯入りの長槍が人外の膂力で投じられたのだから、その威力は言わずもがな大弩の如き破壊を齎した。首元に直撃を受けた兵士の首は高く飛んだほどである。

 

「頭を下げろ!!左右へ抜けッグェ!?」

 

指揮官の一人が鉄火筒を放り出して頭を下げたが、すぐに首から血を噴き出した。

 

「接敵!接敵!!剣を抜け!!軽騎兵は、軽騎兵はどこだっギャァ!?」

 

向かい合う状況では互いが馬を駆る速度が黒騎兵へと味方した。つんのめり前方から失速していく騎銃兵団へと黒騎兵の突撃が炸裂した。

 

「槍構え!突入!!」

 

「ぎゃあ!!」「剣だ!剣を抜け!!ぐぁッ!」

 

鞍から予備の槍を抜いた彼らは銃から近接武器へと換装する暇を与えず縦横無尽に暴れ回った。護衛の軽騎兵を足止めするものと、近接武器が貧弱な騎銃兵を殺戮するもの、二手に言葉を交わすまでもなく別れた彼らは相手の息の根を止めるよりも戦闘能力を削ぐことに徹底した。

 

「旋回せよ!敵本隊の背を討つぞ!!」

 

粗方の騎銃兵を散らした彼らははぐれた敵兵の背を討ちながら再び合流すると救援にきた軽騎兵団を蹴散らしつつゼルプ率いる本隊の最後尾へと食らいついた。

 

追う者と追われる者の立場が逆転した状態で、黒騎兵とゼルプの後尾を預かる軽騎兵達の間では熾烈な激闘が展開された。

 

「うおぉ!!複数で囲んで殺せ!!!」

 

数で勝る人間は有利を活かそうと動いたが、黒森族(ダークエルフ)や竜人(ドラゴニア)の中でも一騎当十の猛者を揃えた黒騎を前に、それらは全て裏目に出る羽目になった。

 

「ぐぁぁ!?う、腕がぁあ!!」「ギャぁぁぁ!!!」

 

包囲しての接近戦を演じた兵士たちが次々に振り回される槍先に弾かれて腕を飛ばされて落馬し、剣を突き刺そうと馬を寄せれば鉄拳を受け顔面を破壊される者を量産することとなった。

 

「落伍者は捨て置け!!撃てるものから撃て!!撃て!!」

 

「散開!!!!」

 

「クソっ!敵の反応が早くて当たらん!どうすればッギっ!」

 

包囲作戦が失敗し、距離をとっての騎銃斉射を図るも、勘鋭く散開しては十全な成果を得られなかった。怒りに任せて騎銃を撃つ小隊長の土手っ腹に槍が生えた。

 

「密集!!!!槍構え!!」

 

「ぐがはッ!!」

 

「き、気をつけろ!!槍が!槍が来るぞォォォ!!」

 

「っぎゃぁぁ!!」

 

騎馬の足を巧みに操りつつ間隔を狭めてからの槍の一斉投射に後尾に配されていた騎銃兵や軽装の騎兵が餌食となった。

 

 

 

「両脇より侵食して足を殺せ!!」

 

「今だ!!炸裂筒を投げろ!!」

 

側面の騎銃兵団を散らした五百がゼルプの本隊後方をもズタズタにしている頃、前方では追うゼルプ達が追われるテトラ達二百騎に息つく暇もない攻撃を仕掛けていた。

 

「大佐!!後方より火急の声が!!このままでは崩れてしまうとのこと!!」

 

「それは向こうも同じだ!!後方には耐えてもらわねばならん!!奴らにザマスまでたどり着いて貰っては困るのだ!!やっとここまできたのだ!!」

 

老年の副官から報される後方の悲鳴に応える余裕はゼルプにもなかった。彼が思っていた以上に往年の黒備兵は強力な存在だったのだ。

倍する兵力があってもこれほどに攻めあぐねるなどゼルプも想像だにしていなかったことだ。

 

「くっ!!全ては勝利のために!!魔王の息の根を止めねば仲間も救えぬとは!!」

 

「然りだ!!さぁ、次だ!!火付け急げ!!炸裂筒投げろ!!」

 

「魔王に死を!!!」「やや前方に修正!!投ーー!!」

 

犠牲を厭わずに側面へと進出した身軽な軽騎兵達が炸裂筒に火をつけて次々にテトラ一騎だけを目掛けて投げ込んだ。

投げ込めるか否かの時に黒の豪槍に貫かれて落命する者も多かった。

 

ドカン!!!

 

だが、命懸けで投げられた中の一つが峙金の右前方へと辿り着き、瞬間、爆ぜた。二人は放り出された。

 

「!?陛下!!!」

 

初めて黒騎兵達の顔に焦りが浮かぶ。声を荒げて駆け寄る者もいたが、多くはここぞとばかりに後ろから攻め寄せたゼルプの重装騎兵団を阻もうと反転した。

 

「へいか!陛下を御守りしろ!!!」

 

「ハッ!!円陣展開!!陛下を守れ!!」

 

爆風で足を掬われた騎馬は峙金を下敷きにした。

馬の下から峙金は部下へと下命し、部下達も自分がなすべきことをすぐさまに理解して動いた。

 

「今だッ!!!殺れぇぇぇ!!!!!」

 

「騎銃放てーー!!!」「魔王覚悟ぉぉぉ!!!!」

 

千載一遇の好機に湧くゼルプの号声高らかに、目を血走らせた兵たちがテトラめがけて突撃した。

 

「…カッ…カハッ…!…ぁ…!」

 

爆発により馬から跳ね上げられたテトラは背中を大地に強かに打ちつけて僅かな間気を失したが、肺から空気が無理矢理に押し出されたことで意識を取り戻した。

 

「…に、逃げな、きゃ……!」

 

混濁した意識で目前に迫った明確な死に、彼の体は力を振り絞って立ち上がった。

 

「魔王ッ!!貴様はここまでだ!!死ねっ!!」

 

バキ!!

 

「…なにっ!?」

 

頼りない足取りで必死に逃げようともがく彼の背を穿とうと、周囲に展開する黒騎を押し退けて重装騎兵が一騎迫った。

 

「陛下!!丘へ!!丘へと向かってください!!うおぉッ!!」

 

重装騎兵の投げた槍は寸での所で峙金の剣によって叩き落とされた。

彼は馬の下敷きになった所から左腕を断じてまで抜け出してきたのだ。

左腕を失った峙金は右手の短鉄棍で敵騎馬の横面を殴り付けると、そのまま力任せに引き摺り下ろした騎士の頭を潰した。

 

テトラはヨロヨロと足を引き摺りながらも決して止まることなく丘へと向かう。

行幸用に仕立てられた銀糸と深紅のトゥニカは泥と血に汚れてなお目立ってしまった。

血を滾らせるゼルプはテトラが一人護衛からも離れて只管に丘へと向かうのを見逃さなかった。

 

「他の兵士はいい!!炸裂筒でも鉄火筒でも何でもいい!!アイツを殺せ!!あれが魔王だ!!アイツを殺せば全てが、全てが終わるのだッ!!!」

 

口角泡まで吹いてゼルプは自ら槍を構えると、懸命な牛歩のテトラへと全速力で駆けた。

 

「貴様の相手は我らだ!!陛下に手は出させん!!」

 

「邪魔だァ!!今こそ!私たちこそが!勇者の剣であるぞ!!」

 

「死んでも通すな!!」

 

「屍を盾にしてでも押し通る!!」

 

ゼルプの狙いを瞬時に理解した黒騎兵は目の前の相手に背を討たれることも気に留めることなくゼルプの前へと躍り出る。

槍と槍が交わされ、剣と剣が合する。肉が裂け、骨は砕け、血飛沫が舞い、火花が散る。

真正面から激突した両者は技量・膂力で遥かに勝る黒騎兵が殆どの敵を粉砕したが、一方で文字通り前列の屍を盾にしたゼルプと彼の副官を含む数名の通過を許してしまった。

 

「ユリ…アナ!!セキ、ウ!!誰か!たすけて!!」

 

地響きはもう数秒で自分の生命を刈り取る地点にまで迫ってきている。今のテトラに残ったのは言葉に尽くし難い死と痛みへの恐怖と、溺れるような生存本能のみだ。

 

「じきん!!せきう!!ゆりあな!!かん!!だれかッ!!」

 

自身が何であるのか、そんな事を思考の俎上に上げられるような、正常さはそこに無かった。彼は自身の知りうる庇護者の名前をただ懇願するように呼ぶしかなかったのである。

 

そして、汚泥まみれ血まみれのテトラにゼルプ達は遂に追いついた。

 

「さらばだ魔王!!大陸の平和のために死ね!!!」

 

「ーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」

 

テトラの言葉にならない絶叫。

 

ゼルプは勇者に不釣り合いな狂気的な笑みを浮かべて槍を振るった。

 

「(あぁ…やってやったぞ!私はッ!私こそがッ、ほんとうのゆうしゃになれたのだ!!!)」

 

振り上げられ、天に向いた槍の穂先が斜陽を受けて煌めいた。

 

今。打ち下ろされる時。

 

「曲射始め。」

 

 

 

 

 

 

 

 

ギヤウッッッ!!!!

 

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

斜陽を受けて煌めく槍の穂先。

 

穂先は終ぞ、打ち下ろされなかった。

 

放物線を描いて遠ざかる自らの利き腕。槍を振り翳していた右腕。

 

天を舞ったそれは元にもどる兆しもない。

 

ゼルプは地を抉り立った全金属矢が四肢の片割れを奪ったのだと遅れて理解した。

 

「大佐!大佐ッ!!あ、あれを!!丘の上を!!!」

 

訳もわからず片腕を奪われ、言葉を失ったゼルプに追い打ちをかけるように、目の前の丘の上には彼を絶望させるのに足る存在が屹立していた。

 

「あ、あ、あ、あぁぁあああああァァァァ!!!!!」

 

頭を掻きむしって奇叫を上げたゼルプは、鼻血を垂らし、尚もテトラを弑さんと腰帯の剣に手を伸ばしたが、彼以外の全ての瞳が集まる丘上へと視線を向けてから拳の力を失った。

 

やんぬるかな、正義の鉄槌が御宇(ユーニアスター)の身に再び打ち込まれることは無かったのである。

 

丘上に立つ純白の天鵞絨で編まれた一旒の軍旗は、解散したはずの白禁軍のものであった。そこからあわや漆黒の波動が立ち昇る様を幻視した者は少なくないだろう。統一された白金色の甲冑に漆黒の飾り毛を垂らして、丘の端から端までに展開した軍勢が道を一筋作るように二つに割れていく。

 

「……」

 

一際立派な軍旗が奥から純白の青年と共に現れた。

そ皇帝直下の禁衛軍において最もくらいの高い者にのみ与えられる紫金毛房がその軍旗の頭から垂れて風を纏っていた。

 

「…ぁぁ…。」

 

純白の青年はあまりの急展開にヒョイと泣き止んだテトラの前まで来ると、その美しい甲冑が汚れるのも厭わずに跪いた。

それは完璧な最敬礼であった。

 

「…あなた、は?」

 

テトラはただ茫然として、涙も乾かない充血したままの瞳をクリクリさせて青年へと声をかけた。

 

「…ぁぁ。僕の愛しい主君よ。僕に、貴方様に名乗るのを許されている名前などございません…剰え、このような大不敬を拵えた万死の罪すら霞む大罪人に、名前など御座いません。」

 

名前を聞いたというのに、目の前の眩いほどに美しい耳長の青年は名前がないと言う。死の際から場違いな、いっそ劇場的な答えを貰ったテトラは此処が戦場であることを寸暇忘れ、つい平時の口調で声かげてしまった。

 

「…よくわからないけれど、君のおかげでたすかったんだ。すごく、こわかったんだ…だから、ありがとう。そのう、だからね、不敬とかはいいから君の名前をおしえて?」

 

全身泥まみれ血まみれの見窄らしい姿を見れば、誰も今のテトラとは触れ合いになりたくないと思ったことだろう。しかし。

 

ふわり。

 

「……ッ!!!そ、そのような勿体のない!!…あぁ!御労しい!!これほどの稚さで……どうか僕を御恨みください………。」

 

「あのう、名前を…ね?なまえをおしえて?」

 

青年は力一杯テトラを抱きしめた。

テトラは本格的に自分がどんな状況にあるのか理解できなくなっていた。テトラの奮闘が実ったのかはわからないが、青年はもう一度跪くと、頭を地面に触れるほど深く下げながら宣言した。

 

「受肉された玉体にてはお初に御目にかかります。御身の矛にして盾となる栄誉を再び賜りまして御座います。陛下より拝領しました神聖姓は公尊。またの名を白羈と申します。」

 

爛々と漆黒の瞳を輝かせる目の前の美青年の名乗りは戦場の泥を払う如く明朗と響いた。

 

「遅れ馳せながら只今参上仕りました。僕の愛しき陛下。」

 

テトラはついさっきまで自らが生命の危機にあった事などすっかり忘れて、こう想わずにはおられなかった。

 

「(あぁ〜〜〜そんな名前つけたやつ居たなぁ……)」と。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 終始

第二十七話 終始

 

 

白羈率いる白禁軍の登場は敵味方問わず混乱を撒き散らした。

混乱のどよめきは両軍の頭であるテトラとゼルプを中心に瞬く間に周囲へと伝播していった。

 

彼らの混乱に乗じて白禁軍は蹂躙を開始した。

少なくとも味方であることが分かり、そして現指揮官である峙金が戦闘を解いて散開する事を命じたことで黒騎兵達は被害を受けなかったが、丘上から降り注いだ巨兵の鉄矢は重装軽装の別なく鎧を貫き、僅かに触れただけでも人間兵の肉体を吹き飛ばした。

 

なすすべなく巨大な鉄の矢で地面に縫い付けられる仲間を見て、初めて敗北を理解した残存兵達が逃走し始めたのは時間の問題であった。

しかし、次いで雪崩れ掛かったのは六メートルの巨大なブタを駆る巨人(ジャイアント)の騎兵隊であった。

 

巨人族(ジャイアント)の中では背の低い三メートル程の者達は、その人間からすれば巨大な体で凶暴な戦ブタを巧みに制御した。

 

ブタというより化け物イノシシに近い容貌のそれはトップスピード時速八十キロに到達すると言われている、森林帝国原産の森林獣であった。

人間に馴染みのない、馬よりも更に速い怪物に背を負われた兵士たちは必死で逃げたが、そもそもの生き物としての規格が違う両者の間は僅かな時間で無くなり、しまいには追い抜かれ包囲された。

 

全周囲を数で数倍する巨大な獣騎兵に咬合された怯懦の卒二千は、瞬く間に心身共に食い散らかされた。

 

戦ブタは戦場での用法を考慮された極めて凶暴な雑食のブタである。

飼い主の言うことに従い、馬の足や首を一噛みで噛みちぎったり、突進で転倒させるなど思うがままであった。その巨体に跳ねられれば、人間の兵卒に命はなく、例え跳ねられずとも鼻のいいブタ達に追いつかれて直接食い殺されるだけである。

 

戦ブタも巨人兵もただでさえ巨体な上にその全身を金属の分厚い板金で覆っている。至近距離でなけなしの鉄火筒を放っても安っぽい音を立てて跳ね返される始末であった。

一時間とかからずに掃討された二千卒は、鉄の矢に縫われた残りの二千卒と共にその屍を晒すことになった。

 

掃討が終わった頃、丘上の幕下では生き残った黒騎兵達と片腕を失った峙金、そして白禁軍と白羈に囲まれたゼルプとその副官の姿があった。

 

白羈とテトラが場違いな話をしている内に副官ともども捕らえられたゼルプには、手塩にかけた戦士達が空想上の化け物に追い立てられ、獣のように狩られる様をただ見ていることしかなかった。

些かやつれたゼルプはきつく腕を縛られて止血だけされると、白羈の前に引き摺り出された。

 

ゼルプが引っ立てられる少し前に白羈は主君を奥の天幕へと誘った。

 

「陛下の玉体を泥に塗れたままにはしておけません。どうか、後のことは全て僕に任せて下さい。後ほど伺いますので、懲罰はどうかその時に。」

 

白羈のその言葉を受けてテトラは丘の上に既に張られていた帷幕へと案内されるがままに従った。

 

テトラが居なくなったのを確認した白羈は一同を見渡すと峙金に向けて手を差し出して言った。

 

「これより人間国家による我が国への違法行為について、バルカン=テトラ神聖帝国の国法に則り厳正に懲罰を下す。」

 

峙金は自らの周囲の黒騎兵へと耳打ちして周り、間も無く臨時法廷が上大将軍白羈の名の下に開廷した。裁判長白羈、弁護士は不在、検察官も白羈である。

 

峙金は懐から固い皮革に守られた封書と、革袋を一つ手渡した。

 

「そして…ここに、第一の調査資料を召喚した。」

 

そう言うと、白羈は峙金から渡された封書を解き、中身に目を通して言った。

 

「審査する。…ふむ。ここによれば、陛下の生命を脅かすと言う大罪は現行犯であるから免れないとして、被告人ゼルプ・ディートリッヒにはいくつかの余罪の存在が判明している。一つ、許可なしに機密文書庫や禁書庫へと侵入したこと。これは防諜法に違反しているため量刑は禁錮十年。」

 

「次に、違法な書類の持ち出し…これは持ち出されたものが魔導書類であり、公文書に利用されるものだったので厳罰として禁錮十年が課される。次…貴様は我が国の機密情報を外部に漏らした挙句、それらを追及したオドアケル傭兵隊長を暗殺した嫌疑がある。これは殊更重罪であるため量刑は後ほど。」

 

「最後に、法務省編纂の国法大典によれば、印璽の無断利用、魔導印璽の無断持ち出しまたは無断利用は極めて重大な罪であるとされる。ゼルプ・ディートリッヒ…君にはこのどちらもが嫌疑としてかけられている。此処で一旦、被告人に意義があるか確認しよう。」

 

「…嘘だ!!私は確かに書庫へ侵入した!それは認める!!しかし、しかし印璽の無断利用やオドアケルなどという者を殺したことなどない!!断じて身に覚えのない濡れ衣だ!!」

 

言い終わるが早いか、ゼルプは怪我の痛みなど忘れて口撃した。

 

「…濡れ衣?それは疑われる余地が無い者が言うことです。」

 

ゼルプの怒りもどこ吹く風、淡々と応える白羈の手には革袋があった。

 

「次に、証拠品を召喚します。これは峙金が先程貴方を捕縛した時に応酬したものです。中身は何だと思いますか?」

 

「知らぬ!!なんだと言うのだ!!私が持っていたわけがなかろう!!全て冤罪だ!!」

 

「応酬品の中身は二つの魔導印璽です。色等級は三番目に高い漆黒の魔導光であり、間違いなく盗難に遭ったユリアナ執政総監私兵団のものです。そして二つ目が紫金の魔導光を放つ玉印です。これは極めて高度に複製された陛下の勅令印でした。」

 

ゼルプはポカンとした顔で白羈の言葉に絶句した。何一つとしてゼルプには身に覚えがないのだから。敵は魔物であり、耳を貸さぬことは理解した。

 

「ッだが!!暗殺などは断じてしておらん!!私の騎士の誇りにかけて!!」

 

彼はしかし、用なき殺人だけはしていないと必死で暗殺だけは冤罪だと主張したが、これが仇となった。

 

「貴方は殺人の容疑を否認するのですね?では、目撃者を募ります。ここに、傭兵隊長として人間国より帰化し我が国の国籍を得たオドアケル氏の暗殺現場に居合わせた方はいらっしゃいますか?」

 

白羈からの呼びかけに峙金と黒騎兵達が一斉に手を上げた。彼らは峙金を端緒にして口々にそこの男がオドアケル殿を殺害した、と証言した。

 

「目撃者曰く、ゼルプ・ディートリッヒはオドアケル氏を殺害したとのこと。貴様はオドアケル氏と面識が無かったのですか?」

 

全く茶番であった。ゼルプはこのあと自分がどうなるのかよりも、何の目的があってこのような茶番を演じているのか気になった。

 

「……何が目的なのだッ!!オドアケルなどという男を私は知らん!!」

 

「本当に?」

 

「本当だ!!!」

 

「…容疑を否認しましたね。撤回はありませんね?」

 

「無い!!」

 

「最後の証人喚問です。」

 

連れてきなさい。白羈の指示で運ばれてきたのは布に包まれた何かであった。

 

「被害者のオドアケル氏、旧名オドアラク氏を此処に召喚します。」

 

布を取り払われたそこにあったのは生首。ツェーザル家の私兵団団長を務めていたオドアラクの首がそこにはあった。戦果報告のためにゼルプの副官が鞍に括り付けていたのを回収したものだった。

 

「言い逃れの出来ない証拠が発見されましたので、ゼルプ・ディートリッヒ及びその副官を現行犯とします。」

 

ゼルプの後ろでズダンと副官の首が飛んだ。

 

「遺体を遺棄したことを罪状に加えまして、改めて正式な罪状を読み上げて差し上げます。ゼルプ・ディートリッヒは二週間前に帰化した傭兵隊長オドアケル、旧名オドアラク氏を自らの諜報活動の露見を恐れたために不当に暗殺し、その遺体を遺棄したということでよろしいですね?」

 

「あ、後出しではないか!!茶番だ!!こんなのは茶番だ!!」

 

「いいえ。後出しではありません。ここに確かにオドアケル氏直筆の改名届けと国籍取得の申請書がございます。国籍取得申請書の日付は二週間前に受理したことになっておりますし、改名届出によると二週間後の正午から改名されるものとされています。」

 

「な、な、な…」

 

あんまりな法廷にゼルプは目を回しながら反論した。

すると、彼の耳元に白羈が口を寄せてこう囁いた。

 

「……戦争の正しいおこし方って貴方はご存知ですか。ご存知ありませんでしょうから冥土の土産に教えて差し上げますね。一般的に人間の国々は大義と、利益が釣り合った時に戦争を起こしますけど、僕たちが戦争を起こすのには、第一に陛下の御裁可が必要なのです。正義とか悪とかどうでもいいんです。戦争の大義は陛下のお気持ち次第ですから。ただし、これにも唯一の例外がございましてね、陛下の御身を弑逆せんとした者が不幸にも存在して、実行に移した後であれば、例外的に対外戦争に係る動員命令権が宮廷府に下賜されるのです。陛下の御身を守るためですから、平時は屯田に勤しむ予備役まで引っ張り出せるんです。そのためには、明確な弑逆者が必要です。」

 

「貴方には名誉あるその大役を担ってもらいました。」

 

「僕は陛下の御身を危険に晒してでも戦争がしたくてたまらない変態なんかじゃありませんよ。ただ、陛下のために僕は長い間網を張っていただけで、そこに貴方が引っかかってしまっただけなんです。百年は僕には短すぎました。貴方には長かったようですね、随分とはしゃがれてましたから。僕の愛しい陛下を追い詰めるのは楽しかったですか?僕は見てて心が幾度となく引き裂かれる思いでしたよ。でも、我慢です。全ては陛下のため。そして、僕には適切な機と言うものを理解し、それを生かせる力がありましたから。ユリアナも大層歪んだ女ですよね。僕は本当に危ない時でもないと動けませんでしたから。出来る最善を尽くさなければ陛下に不敬ですから。だから、我慢したんです。なのに、貴方は随分楽しそうでしたね。十分ですよね。そうですよね。」

 

「では、さようなら。西から太陽が登ることは二度とありませんから安心して御逝きなさい。」

 

「此処にゼルプ・ディートリッヒ及び、その母国ログリージュ王国と、それに連座する西方の国家を弑逆者と見做す!!実行犯ゼルプ・ディートリッヒを極刑に処す。ログリージュ王国他弑逆国家に対しては武力制裁を以ってその罪が清算されることを許可する!!国家の緊急事態により動員命令権を上大将軍の名の下に代勅発令する。」

 

「……いつからだ?」

 

宣言を下した白羈に、今にも首を斬られようとしているゼルプが聞いた。

 

「百年前からです。僕の中で人間との戦いは一度として終わっていません。」

 

「生き物としての格が違ったのであるか…。無念だ。」

 

ゼルプは最期の言葉らしい言葉も吐くことなく沈黙した。歴史に名は遺るだろうが、全ては他人次第である。

 

数分後、ゼルプと彼の幕僚は例外なく皆斬首された。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 勅令宣下

第二十八話 勅命宣下

 

 

 

天幕の中には四、五人のメイドがテトラを待っていた。

鎖帷子にサーコートを纏った彼女たちをメイドだと思ったのは兵士には不似合いなほど所作が洗練されていたからだ。

テトラは予め用意されていた湯で泥を二人がかりで落として貰い、顔と口を清涼な水で洗った。

 

髪は勿論、耳の裏から手足の指の間まで洗われたテトラは柔らかい長布巾で水気をとられて、パンツまで穿かされた。

義母のユリアナ以外からは初めて裸を見られたので、彼は気恥ずかしさを覚えたが、至極真面目な顔で甲斐甲斐しく世話をされている内に冷静を取り戻した。

 

深紅と金糸のマントを白絹のトーガの上から羽織った彼はやっと幕中の椅子に腰を落ち着けた。

 

仕事を終えた侍女達が出ていくと腹の底から重い息が吐き出された。

飾り気のない陣幕の中は思いの外静かで、暫し彼はこころの整理に精を出した。

 

テトラが熟考すること半時間。白羈が入ってきて言った。

 

「改めてお初にお目にかかります。公尊羈でございます。此度の万事。我が身の不徳の致すところ甚だしく、罰を賜りに参りました。」

 

両手両膝を大地につけて、頭を垂れる姿はあまりにも迷いがなかった。

簡潔に言われた言葉はテトラをさらに困惑させる。

 

「何が何だか僕にはわからないよ。さっきから罰とかなんとかばっかり言ってなんなのさ。僕にはあれもこれもさっぱりだよ。ねぇ君、僕は罰とかよりも籍羽や桓のことが心配だよ。」

 

どれもこれも理解し難い。混沌とした状況に彼は説明を求めた。

白羈は押し黙っていたが、すぐに顔を上げた。

 

「畏まりました。僕の配慮が足らずに心苦しい思いをさせてしまい申し訳ありません。ことの始まりから、包み隠さずご説明させていただきます。テクナイ将軍や呂文殿のことはご心配なく。私の兵を既に走らせております。遠からず合流できます。」

 

「…うん。」

 

「ことの発端は、百年前。帝国が建国されて間もない頃に僕とツェーザル総監との間で結ばれた密約に御座います。」

 

「密約?」

 

テトラは首を傾げた。とんと聞いた覚えのない話だった。

 

白羈は朗々と百年に亘る経緯を紡いだ。

 

「はい。建国当初、我が国も人間の国のように内乱がございました。現在のような、四つの執政府と一つの宮廷府からなる中央集権と地方分権が融合した体制が固まるのは、暫く経ってからのことです。当時は各地の境界線で人間との小規模な小競り合いが多発し少なくない被害が出ていました。」

 

「国内では森を出て人間の領域を攻める主戦派と、帝国の国土を完全に掌握するのが先であるとする統政派で二分されていました。僕はどちらにも所属しておりませんでしたが、守るだけでは駄目だとも考えていました。あわや内戦になるまでになりましたが、これは険悪だったのではなく、今以上に森の外への反発が強かったのです。」

 

「ツェーザル総監は当時から別格の発言力を持っており、自分からどちらかの陣営に属することも良しとしておりませんでしたから、僕とも馬が合ったんです。陛下がまだ黒玉であらせられた頃、僕とユリアナは陛下を温めていた絹のお包みを巡り殺し合いましたが、そのことを含めても僕達は戦友のような関係を保ちました。」

 

「内戦へと踏み切らぬうちに人間側は略奪者を五百騎ほど差し向けてきました。百や数十での小競り合いが続く中、このことはなぁなぁと時間が過ぎていく内に軟化していた主戦派を再燃させました。侵略者を迎え撃つために兵が組織され、いざ戦争と言う時に、ツェーザル総監から僕に声がかかりました。」

 

「母さんは何て言ったの?」

 

「彼女曰く、人間との戦争は回避できない事項だが、今ではない。力を蓄え、陛下がその力を自らの御意志で振るわれるまでは時期尚早。戦争を壟断すべきではない。そのためには、主戦派と人間側を震え上がらせるのが一番だ。一時的な枷が必要だと彼女は考えたのです。抑止力として敵の差し向けた兵力を出来るだけ惨たらしく常識外の方法で誅滅して見せれば、人間は怒りを通り越して恐れを抱き戦争を踏みとどまり、憎しみも薄れる常識外の悲劇を味わった人間に対して主戦派の溜飲も下がる。」

 

「勝利というものを綺麗なものと勘違いしている者は敵にも味方にもいましたから、これはとても効果的でした。ご覧の通り、百年間の平和が現出したのです。最初の三十年で生活水準は大きく改善されて、人間より良い生活をしている満足感や優越感、国家という寄る方が確かなものとなっていく安心感は反面外部への敵愾心を慰めました。その頃は主戦派も少しずつ解体され、筋金入りの強情以外は平安を享受したのです。」

 

「君はそのあとどうしたの?」

 

「僕は結局どちらの派閥にも属さず、表向きは残酷な処断が目に余るとして獄へ繋がれましたが、内務省に掛け合って親衛軍に組織した情報部隊の指揮をユリアナに頼まれておりました。」

 

「母さんは何のために君に頼んだの?」

 

「国外は勿論、国内の主戦派と統政派の動向に目を光らせておりました。凶悪な将軍がどちらの派閥にも属していなければ彼らは動けず、しかし野放しにされていなければ心安んじていられる。毒にも薬にならないが無視できない存在感を醸し出せたのはツェーザル総監の助力のお陰ですね。彼女のおかげで僕は警戒されることなく私兵を国内至る所に隠蔽しておくことができました。」

 

「獄に繋がれること百年というのは、人間にしてみれば途轍もなく長い時間であり、我々長命種の森人(フォームレスト)から見ても長すぎる投獄でした。敵にも味方にも僕とツェーザル総監の謀を邪魔されるわけにはいかなかったのです。そのことを今の今まで陛下にまで隠していたことを謝罪いたします。そして…」

 

「そして…言葉を選ばずに申し上げます。百年間、僕たちは只管に戦争の準備をして参りました。平時、僕たち戦士の役目はいついかなる時に攻められても、外敵から陛下と国家をお守りできるように力を蓄えておくことです。その一環として軍が国の負担と極力ならないように屯田制や予備役制度と言われるものがあるのです。僕たちは常に戦ってきたのです。」

 

「戦争は断じて楽しいものではありません。戦争は極力避けるべきです。しかし、それは優先順位に過ぎません。土を耕すものがいるように、まだこの世には剣を持ち、同じ覚悟を持った者の命を奪うことで糧を得ているもの達がいるのです。それは僕や、陛下を襲ったゼルプ達敵も同じでしょう。」

 

「……百年の平穏は、人間の側から破られてしまいました。いつかは必ずそうなるであろうと覚悟していました。」

 

「戦争は現実として起きてしまったのです。そして、始まった以上僕は軍人の宿命として勝たねばなりません。全てを賭し、陛下の平穏を勝ち取ることを僕は堅く心に誓い実行したのです。結論すれば、ただその一点に尽きます。僕の信仰にかけて私事は挟んでおりません。」

 

「…ツェーザル総監は開戦の兆しに鋭く反応すると僕を呼び出しました。時が来たことを僕たちは互いに確信していました。雌伏の時は終わったのだと。」

 

「陛下にも侍った峙金には暫し民間の商会にて情報を集める任務を任せていました。彼は名を司馬忠と申しまして、古くから僕へ仕えてくれている副官です。此度の一件で彼の片腕を奪ってしまったことは悔やんでも悔やみきれません。」

 

「禁衛軍は陛下の御身、国防軍は国土、近衛軍は四大要塞と国都を含む防衛圏、親衛軍は宮廷府と国城の守護を司ります。国城地下の監獄内に執務室を与えられていた僕は、親衛軍の者を通じて彼と定期連絡を取り合っておりました。」

 

「忠から間者として警戒していたゼルプが出奔したことも聞きました。もとより彼の実家に関しては把握していましたから、特に警戒を強くしていたのですが、やはり彼が中心となって此度の戦争は開戦に踏み切られました。少なからず陛下の即位も関係していることは、伝えるべきではないかもしれませんが、紛れもない事実です。」

 

「ど、どうして?どうしてそこで僕が皇帝になると戦争になっちゃうの?」

 

それまで静かに話を聞いていたテトラが声を上げた。

自分のせいで戦争になったなどという話は冗談でも聞きたくなかった。

 

「…僕はそれだけは避けたかったのですが、紛れもなく、陛下はこの時既に戦争に組み込まれてしまいました。敵は我が国が今後、陛下という明確な最高指導者を得たことで、対外戦争へと踏み切ることを恐れたのです。」

 

「そんな…そんなこと、考えたことも無いのに…。」

 

「或いは、僕たちが尚強く結束することを恐れたのかも知れません。いずれにせよ、陛下は敵にとって最大の戦略目標となってしまいました。」

 

テトラの顔は不本意と理解し難いという思いに染まっている。

白羈は心が締め付けられる痛みに顔を歪めた。

 

「僕の不本意の極みであり、この身命を以て償っても償いきれない失態でした。…しかし、敵が明確に陛下を狙うということが分かりきったことを、僕は家臣として、万卒の将として優先順位に組み込まざるを得なかったのです。」

 

「どういうこと?」

 

彼は唇を噛みしめながら搾り出すようにテトラへの懺悔を始めた。

 

「僕が将であるのに対して、ツェーザル総監は母なのです。僕は勝利を捧げることを自身の忠誠心であると誓いました。その誓いに背くことは、たとえ陛下の御身に望まざるを一時強いる無礼を働くとしても認められません。ツェーザル総監は陛下を心から、我が子として愛しておいでです。僕は家臣として仕え、一人の情ある者としてこの世で一番に陛下をお慕い申し上げております。」

 

「しかし…僕は家臣として陛下の親任を得て将たる位を賜っております。将となったならば、陛下の加護を受けた兵士たちの、彼らの生命を握るという責任を負わねばなりません。全てを無駄なく、戦術的、戦略的な資源として、兵站上の息する数字として扱わねばならないのです。そこに、私情など挟むわけにはいかないのです。」

 

「…司馬忠に、誉洸を通じてツェーザル総監の印璽と陛下の勅印の模造品を作るよう指示し、出来た印璽を使って、傭兵から軍の会計に転じていたオドアラクをツェーザル家の私兵団長に据え付けました。」

 

「オドアラクがログリージュより来た者だとは存じておりました。彼が傭兵になったのも先祖が南からの奴隷身分だったことまで分かっていましたから、それまでの諜報活動に恩赦を出す代わりに計画への参加を持ちかけたのです。彼は二度返事で参加し、西側に恨みを持つ彼は清々しいまでによく働いてくれました。陛下を危険に晒したとなれば偽であれ本物であれツェーザル総監とオドアラクの名誉と大義に傷がついてしまいますから、後々に行幸の勅令文、信任状に再度利用した印璽は全て外部の存在であるゼルプ・ディートリッヒの咎として収拾したのです。」

 

「僕が言っても信じてもらえないかもしれませんが、本来ならば穏やかに死ねたはずだったのに彼は自らのこの道を選びました。僕は彼に敬意を払うと共に、ツェーザル総監達と共に新たな平和を創出するために失敗するわけにはいかなくなったのです。」

 

「……僕が狙われたのは?ゼルプが僕を狙ったのはどうして?ユリアナは都市を攻め取ろうとしてるって言ってたけど?」

 

「陛下の存在は致命的なリスクを払っても余ある、決定打になりうるものとして相手には映っていたのだと思います。それと同時に彼は僕がツェーザル総監と不仲だと勘違いするや否や侵攻計画を立てたことからも僕への警戒を薄めたのでしょう。」

 

「僕はこの点を利用して、作戦開始の二週間前に前線へと派遣される禁衛軍竜騎軍の隊列に紛れ、国都からザマスへ移動してから散らばっていた白禁軍に集合を掛けました。いささか時間がかかりましたが、敵味方双方に捕捉されていない完全な孤軍を五万揃えて陛下がザマスへ入城するのを待っていたのです。」

 

「ただ一つ不測の事態がございました。それは勇者の登場でした。彼が僕の想像以上に将としての器を欠いていたのは完全に予想外でした。結果的に僅かに駆け付けるのが遅れ、陛下の身を危険に晒すこととなりました。」

 

「僕は結果的に陛下を生き餌に使ってしまいました。決して本意でありませんでしたが、万が一を起こしたとなれば許されるべきことではありません。」

 

「僕は優先順位に従いました。陛下を愛する者として間違っていたとしても、家臣として、将として、戦人として過ちは犯しませんでした。」

 

「平和は放棄され、一度でも戦火がついたのなら、最後まで戦い抜くための正当な理由が必要だったのです。でなければ、僕は僕が愛する全てを奪われると思ったからです。そして、その正当性は確保できましたが、その間に少なくない犠牲を払ったことも事実です。」

 

「だから、罰を下さい。僕は僕の陛下への忠誠を疑ったことがありません。僕は僕の存在が許し難く愚かであることも知ってます。」

 

「僕の優先順位の最高は他ならぬ陛下の幸福に他なりません。そのためならば、例え一見矛盾しようと、いかなる非難を受けようとも断行いたします。故に、見方によれば陛下の御身を軽んじるような暴挙に出た次第です。」

 

居住まいを正した白羈は改めて最敬礼の姿勢をとる。

 

「もとよりこの身は全て陛下へと捧げています。……僕の弁明と説明は以上です。僕もまた果たすべき役を全うすることができました。陛下にも見えることができたのですから悔いもありません。だからどうか…願わくば、陛下の御手で愚かな僕に罰を与えてください。」

 

「……」

 

 

 

俺には白羈の話を理解するのに少し時間が必要だった。

 

要約すれば、俺の一時的な身の安全よりも、結果的に俺の将来の平穏と国家全体の利益になる方を選んだことに後悔はしていないけれど、個人的感情として白羈自身が自分を許せないということだ。

 

感情がない訳じゃないから白羈の言いたいこともわかる。

そして思う。

自分が本当の意味で人の上に立つ器ではないのだと。

 

目の前の麗人は俺に罰をくれという。

 

確かに俺の中では怒りが湧かない訳じゃない。

理不尽に怒る強い気持ちもある。

 

でも、それが全てじゃない。俺は、何というか彼の話を聞いて凄く面倒くさく感じてしまっていた。

 

人が思うほど俺は自分が大層な扱いを受けるような人柄ではないと思っている。実際、転生してから働かなくていいことや難しい勉強を強いられないことに気安さを感じている。

技術的なハンデがあっても気にならないくらい快適な生活を送ってきたから余計に思う。

 

思えば今日まで、自分が不自由を覚えたことは数えるほどしかなかった。家である国城では母代わりのユリアナと姉代わりのセキウが常に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。城の中で俺がしなきゃならないことは会議とかで煮詰まり切った話にうむうむと偉そうに首肯くだけだった。

 

心と体がちびっこなのは堪えたが、それ以外は何一つ問題なく健康だ。朝昼晩には好きなものだけが使われた豪華な料理が所狭しと議場の長机みたいな食卓に並び、デザートは頼まなくても数種類常に用意されている。食事だって自分で手を動かすことなくユリアナとセキウに食べさせてもらってる。

 

衛生環境だってそうだ。呆れるくらい広い貸切の浴場で毎日毎日全身の毛穴まで磨かれて、洗われてないとこがないくらいだ。

 

朝起きて夜眠るまで、片時も離れないで誰かがいる。情けない話だけど、慣れると寧ろ誰かいないと落ち着かなくなるのだ。

 

俺はすっかり腑抜けていた。心の芯まで幼稚になってしまっていた。

 

遠くない未来に俺は道を踏み外していたかもしれない。それこそ暗君まっしぐらだったかも知れない。

 

そう考えると俺は白羈が俺にただ忠実な存在でなかったことに感謝しなければならないと思う。

 

殺されそうになった時の俺にあったのは生きたいという意思じゃなくて、死にたくないという思いそれだけだった。

 

自分の命に執着する人の想いの強さを痛感した今、目の前で俺に罰を下されるのを待っている彼は、どれだけの死地を歩んできたのだろうかと思う。彼は死にたくないなんて安い想いはとうに追い越しているのだ。

 

畏敬せずにはいられないし、自分はそうはなれないとも思う。

 

死ぬほど怖かったけど、落ち着いて考えると走馬灯のように今までのことが過って、その中の自分はあまり好きになれそうになかった。

 

もし、省みる機会が無ければ、俺は何も知らないまま気づけば自分勝手な大人に成長したかもしれない。宮廷府(あの場所)では、俺を諌めてくれる人は殆どいない。それを嬉しく感じていた俺は、納得して、すぐに恥ずかしいと思った。

 

僕という一人称もやめようと思う。無知で愚かな俺は今死んだ。甘ったれは治らないけど頑張ろう。いまならまだ這い上がれる気がする。

 

結局自分が襲われた理由はよくわからない。けどきっと、誰かの逆鱗に触れてしまったのだと思う。

 

誰かにとっては些細なことが、誰かにとっては爆発的な影響を及ぼす何かになり得ることを忘れてはならないのだと感じた。

 

その事も含めて、蒙きを啓く重要性を痛感した。

 

「白羈将軍は罰をお望みなのだな。」

 

テトラは努めて厳かに言った。顔立ちは以前に比べて幾分か引き締まり、大人びているようにも見える。

 

「はい。信賞必罰の基に罰するべきを罰して下さいませ。」

 

白羈は覚悟を決めた固い表情を浮かべた。

 

「白羈将軍は確かに私の身を敢えて危険に陥れた。しかし、それは結果的に私の命を救うことになったのだ。このことは寧ろ賞するべきことと言える。信賞必罰を旨とするならば、これまでのことも加えて讃えたいと私は思う。」

 

一人称が私に変わった瞬間、テトラも予想だにしない変化があった。雰囲気の域を出ていないが、間違いなくテトラの言葉に重みが感じられるのである。後年の言を借りれば、この時初めてテトラは王というものを意識した。王なるものが如何なるものなのか明確に答えられはしなかった。この時のテトラは公における自分を初めて形作ったのである。

 

「………」

 

「罰は百年の不名誉で十二分に与えられた。ユリアナと私のお包を奪い合ったことだけが減点だが、それも微々たるもの。だが、それでは将軍も納得しないだろう。」

 

「将軍には百年の謀の完成を命ずる。君は率いてきた五万の総大将となり、この国を守ってほしい。私は政治はおろか戦争について何もわからない身だ。君が始めた百年の責任を果たしてくれ。これは、勅令だ。」

 

見違えたようなテトラの成長は、不自然に思われたが、それ以上に憑依されたような異質を上回る、納得してしまうような貫禄があった。

 

「勅命、しかと承りました。」

 

白羈は恭しく拝命すると、静かに幕を辞した。

 

 

ーーーーー

 

 

御宇暦百二年の春

 

神聖皇帝テトラ・バルカン・ドラコニウス・ノトヘルム=ノトガーミュラー・バシレウスは白禁軍五万を主力とした西部戦線派遣軍を編成した。

 

皇帝は派遣軍の総司令官に上大将軍白羈を任命した。

 

 

「正史森威」より

 

 

ーーーーー



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。