ほんの少し慎重になったスバル君を異世界に投入する話 (面白い小説探すマン)
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始まりの王都編
一話
「これはえらいこっちゃ」
目の前を闊歩する獣耳の人間。さらには日本では見慣れない竜車が道を通過していた。その中で異色を放つ一人の黒髪黒目の少年ナツキ・スバルは現状を正しく理解する。
「異世界召喚ってやつか」
調べた所、言葉は通じるが文字が読めない。さらに日本通貨はここルグニカでは使えないようだ。そして、たった今その情報を得るのと引き換えにリンゴ屋、もといリンガ屋の店主からナツキ・スバルは無一文だと看破されて追い払われてしまった。
「路地裏にまわるのはやばいよな」
ここは日本とは全く異なる国・ルグニカ。治安も日本と異なる可能性が高い。ナツキ・スバルは人通りの多い道を探索することを決意した。
「てか初期装備貧弱すぎ」
ナツキ・スバルはコンビニ帰りである。その帰路で異世界に召喚された訳だが、歩きながら持ち物を確認した。ガラケー・カップ麺・スナック菓子・ビニール袋・着ていたジャージの上下。これがナツキ・スバルの初期装備である。
「どこかで仕事を探すべきか」
無一文で装備も貧弱。ナツキ・スバルが生きるためにはこれしか思いつかなかった。路地裏を避けて、人通りの多い道を進んでいるとナツキ・スバルは鎧を身に纏った人間がいる施設を発見した。
「いわゆる詰所ってやつか」
このルグニカにも警察のような組織があることを確認したナツキ・スバルは早速、詰所に入っていく。
「何か用か?」
入る直前で衛兵の一人に声を掛けられた。
「えーと、俺はここに来たばかりで仕事を探してるんだ。仕事とか紹介してくれる場所って知ってる?」
「…お前はどこから来たんだ?」
「日本ってとこなんだけど知ってる?」
「いや…聞いたこともないな」
やはりここは異世界で間違いないとナツキ・スバルは確信する。
「あー。まあちょっと遠い国。それで、仕事とかって紹介してもらえる?」
「いいや。今、国は少しごたついている。もう少し先にならなければそういったものは出てこないだろう」
その返答にナツキ・スバルは希望を砕かれた。しかし、それはさておき気になったことを聞く。
「国がごたついてるって一体どうしたん?」
「今、この国は王が不在なんだ」
ナツキ・スバルは噴水広場のベンチに腰を掛けていた。
「王が不在ねぇ」
あまり詳しくは聞けなかったが断片的に知ったルグニカの現状。しかしそれ以上に今は仕事を紹介していないという事実に落ち込んでいた。こうなっては地道に足を使って探すしかない。
「いや、待てよ。俺にも特殊能力の一つや二つ備わってんじゃね?」
異世界物特有の突然目覚める強力無比な力。自分にも宿っている可能性を感じたナツキ・スバルは力を開放した。叫び、拳を振るい、手のひらに力を入れて前に突き出し、地面を蹴る。しかし、何も起こらなかった。
「ま、まだ…開放イベントは…迎えてないのか」
若干の息切れを起こしながら嘆くナツキ・スバル。広場の椅子にどっしりと腰を下ろして大きなため息をついていると、幼さを残した高い声がかけられた。
「おにーさん。何してるの?さっきの踊りって何?」
先ほどのナツキ・スバルの奇行が目撃されていたらしい。杖を持った小さな猫耳の少女が目の前にいた。ナツキ・スバルは顔を赤くしながら言葉を紡ぐ。
「えーと、あれは…それはだな、俺に秘められているかもしれない力を開放してみたんだ」
「おにーさんには何か力があるの?」
「いや…何もなかったよ」
自分で言ってて少し悲しくなった。
「ところで君は誰よ?迷子?」
「ミミ?ミミはミミだよ!!迷子になってるのは団長!!全くけしからんですな!!」
ミミは元気よく答える。
「ミミっていうのか、どう考えても迷子になってるのは君のほうじゃね?」
「ところで、おにーさんの名前は?」
ナツキ・スバルの指摘には意を返さずミミは聞いた。それにナツキ・スバルはゴホンと咳ばらいをすると大きな声で言う。
「俺の名前はナツキ・スバル!!無知蒙昧な天下不滅の無一文!!よろしくなミミ」
「よろしくー!!おにーさん無一文なの?」
「ああ、そうなんだよ。この国じゃ俺が持ってきた金は使えないみたいでな。これから仕事を探すところだ」
「ふーん。ところでおにーさん、なんか食べ物持ってない?ミミおなかすいた」
「しょうがねーな、食べ終わったらミミの連れを探しに行くぞ」
小さい子には甘くなってしまうナツキ・スバルはビニール袋の中からスナック菓子を取り出した。
「わかったー!!それなーに?見たことなーい!!」
スナック菓子に騒ぐミミを横目にナツキ・スバルは袋を開けるとミミの前に置いた。
「これは俺の国から持ってきたスナック菓子というものだ!!」
ナツキ・スバルが一つ食べたのを皮切りにミミがスナック菓子にがっつく。
「うまー!!これはなかなかいけますぞー!!」
ナツキ・スバルはもう一つ食べようとしたがミミの鉄壁のガードに阻まれて手を伸ばせない。
「ちょ!!それ全部食う気か?!」
結局、スナック菓子は最初の一個以外は全てミミの腹の中へと消えた。
「ミミは満足!!大満足!!」
「まあ、満足したならよかったよ」
ナツキ・スバルは立ち上がってミミの手を握る。
「んじゃ、次はミミの連れを探しに行くぞ!!」
「あいあいさー!!」
ナツキ・スバルとミミは町へ繰り出した。ミミの言う団長を呼びかけながら探しているとナツキ・スバルは自分と同じようなことをしている二人組を見つけた。二人と二人は道の真ん中で向かい合う。見たところ、銀髪の女の子が小さな女の子の連れを探しているようだ。
「あー、君も保護者探し?」
「ええそうよ。あなたもなのね」
鈴の音のような声にナツキ・スバルはもう少し話していきたい気分になるがミミの団長を見つけてやらなければならない。
「んじゃ、お互い頑張ろうぜ!」
「うん。あなたも頑張って」
ナツキ・スバルは銀髪の少女と分かれるとミミを連れて再び歩き出す。
「あ!!団長だ!!」
「あの人か」
団長と思わしき犬の獣人に走って駆け寄るミミを追ってナツキ・スバルもついていく。
「こら、ミミ!!今までどこにいっとったんじゃ!!」
「このおにーさんが食べ物くれた!!」
団長はナツキ・スバルを見ると大きな声で言った。
「ミミが世話になったようやな、兄ちゃん」
「ははは、どう見ても迷子だったからな」
「ワイはリカード言うねん。よろしゅうな」
「俺の名前はナツキ・スバル。ミミの連れが見つかったんなら俺はもういくよ」
今、ナツキ・スバルはその日を生きるために仕事を探さなければならない。
「じゃあなミミ、今度ははぐれんなよ」
「おにーさんもまたねー!!」
「おう!!」
ミミとリカードに分かれを告げるとナツキ・スバルは早速行動を開始する。
「保護者探しも終わったことだし、今度は仕事探すか」
しかし、それからいくつもの店をまわってみたがどこも雇ってくれるところはなかった。住所不定な上に文字も読めない、さらにはその鋭い目つきが決め手となって見事に全敗。
「目つきが悪いとかどうしょうもねぇよ」
ナツキ・スバルはこのルグニカの王都が一望できる高台の広場で休んでいた。もうすぐ沈む夕日を眺めながら、今日はこの広場で野宿することになるだろうと思っていたナツキ・スバル。そこへある異変が現れた。
「雪?」
ナツキ・スバルが空を見上げた瞬間、体の芯に響き渡るような声が耳に届く。
『僕は契約に従いこの世界を終わらせる』
王都の一角に出現した巨大な影。
「獣?」
ナツキ・スバルがそう認識したときには既に王都がもの凄い勢いで凍っていた。その氷の波はあっという間にナツキ・スバルのいる高台にまで到達し、その命を飲み込む。ナツキ・スバルは声すら発する間もなく氷像となった。
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二話
「兄ちゃん、リンガは?」
「ほえ?」
気が付くとナツキ・スバルの目の前にはリンゴいやリンガを差し出す店主の姿があった。
「さっきまで夕暮れだったよな?」
空を見上げて確認すると、そこには燦然と輝く太陽がある。
「リンガは?いるのか?いらねーのか?」
さらに詰め寄ってくる強面のリンガ屋。ナツキ・スバルには目の前のリンガ屋に見覚えがあった。
「なあ、おっちゃん?俺たち今日会うの二度目だよな?」
記憶が正しければナツキ・スバルが無一文だと看破された瞬間に店の前から叩き出されたのだ。
「あ?何言ってんだ?初めてに決まってんだろ?」
しかし、それでも今日は初めて会うとリンガ屋は言う。
「なんでこれがここにあるんだ?」
ナツキ・スバルが所持しているビニール袋。その中にはミミに食べられたはずのスナック菓子があった。
ここまで状況証拠が揃っていれば認めざるを得ない。先程まで見ていた夕暮れと目の前のリンガ屋の発言、そしてミミに食べられたスナック菓子。
「時間が戻ったのか?」
「おい、兄ちゃん?」
タイムリープ能力。これなら今の状況を説明できる。
「でも、何で発動したんだ?」
少なくともナツキ・スバルの任意ではない。任意であるならもっと早い段階、力の解放をミミに見られていた時に発動してもおかしくはなかった。
ナツキ・スバルが有する最後の記憶は──
「この王都が凍ってたな」
突如出現した謎の獣。そいつが一瞬で王都を凍らせた。アレに飲み込まれれば只では済まなかったはず。頭に過る最悪の可能性。
「俺は……死んだのか?」
死んだ実感が薄い中で突き付けられる現実。死ぬことによって時間を巻き戻す能力。
「なあ、おっちゃん」
「ん?リンガ買うのか?」
「俺……なんか」
──死に戻りしてるっぽい
世界が止まった。
視界が全て闇で覆われると、遠くから影でできた紫色の手がゆっくり伸びてくる。それは世界が止まってもなお思考を続けるナツキ・スバルの胸に到達し、心臓を握りつぶした。
「がぁぁぁぁぁ!!」
他者に話すという禁忌を犯したナツキ・スバルを粛正する痛み。
息が出来る。
手も足も動く。
握りつぶされたはずの心臓は鼓動を続けている。
しかし、その脳髄に刻まれた恐怖はナツキ・スバルに立つことを許さない。ナツキ・スバルは地面に倒れ伏した。
「大丈夫かよ兄ちゃん?金は要らねーから食え」
気が付くと店の裏に座らされてリンガと水を渡されていた。
「あ、ああ。ありがとう」
辛うじて声を絞り出したナツキ・スバルは実感する。これが時間を巻き戻すという能力を与えられた代償なのだと。他者に口外することは許されない。
手足に力が戻ってくると渡された水を飲む。
「わかったよ。話さなければいいんだ。何の問題もない」
ナツキ・スバルな無理やり自分を納得させた。このタイムリープ能力が現実である以上、この王都を襲う氷の波、そして巨大な獣、あれもまた紛れもない現実ということになる。
「まずいなぁ」
このままでは遅かれ早かれ自分は死ぬ。その前にこの王都を脱出した方がよいのではないか。しかし、ここから逃げて何処に行く?ナツキ・スバルにはこの世界の情報など無いに等しい。王都を離れた瞬間、野盗の類いに殺されるかもしれない。
「アレを倒すのか?」
王都で生き延びる唯一の方法。それは王都に出現する獣を倒すこと。しかし、死に戻り以外は一般人であるナツキ・スバルにとってあの獣を倒すことは難しい。それに加えて獣が出現した瞬間にこの王都は凍る。
「誰か強いやつにアイツを出現と同時に討伐してもらうしかないな」
その為にもまずは、獣が出現した場所を確認することにした。そして、その後に王都の衛兵に獣の討伐をお願いしよう。現状、ナツキ・スバルの頭で浮かぶのはこれくらいだった。
ところで、思考に耽っていたナツキ・スバルがリンガ屋の前で起こった窃盗騒ぎなど知るよしもなく。
「確か、ここだな」
凍らされる前にあった最期の記憶はこの高台からの風景。王都を一望できるこの場所なら獣が出現した位置も分かる。
「あのあたりか」
ナツキ・スバルが当たりを付けたのは王都でも壁に近い端の方。端となるとその分治安も大通りに比べて悪くなるだろう。自分一人が行ったところで、ほとんど何も出来ない。チンピラの一人や二人ならどうにかなるかもしれないが、相手はあの獣だ。凄腕の衛兵に付いてきてもらうのがベスト。
ナツキ・スバルは早速、前回のループで見つけた詰所に駆け付ける。
「何か用か?」
そこには前と変わらないセリフで同じ衛兵が出迎えた。
「助けてくれ!!もうすぐこの王都にドでかい獣の化け物が現れるんだ!!力を貸してほしい!!」
「は?」
「夕暮れ時にソイツは現れる!!大体の位置も検討ついてんだ!!」
「……一応聞くが、その化け物は何処に現れるんだ?」
「王都の壁に近い端の方だ!!ソイツは現れると同時にこの王都をまるごと凍らせちまう!!」
ナツキ・スバルが指を指す方向に考える衛兵。
「その方向で壁の端。……貧民街だな」
「頼む!!一緒に来てくれ!!」
「待て待て、お前は一体それをどこで知った?」
「いや……それは……言えない」
ナツキ・スバルの脳髄に刻まれた恐怖が口をつぐませる。それを見た衛兵はため息をついて言った。
「話にならんな。我々は忙しいんだ。そんなデタラメに付き合っている暇はない」
「そこをなんとか頼むよ!!」
衛兵の足にしがみついてまで同行を要請するナツキ・スバルと業務執行妨害まで出してナツキ・スバルを追い払おうとする衛兵。その騒ぎは詰所の中にまで響くことになる。
「一体何を騒いでいるんだ?」
凛とした声がナツキ・スバルと衛兵の動きを止める。
「ユリウス様」
衛兵が敬称を付けたその存在はこのルグニカにおいて一握りの精鋭のみがたどり着ける騎士だ。衛兵から事情を聞くと、その視線をナツキ・スバルに向ける。
一方のナツキ・スバルはこの他者とは一線を画す立ち振舞いを行う目の前の男に期待を寄せていた。このユリウスならばあの獣さえ討ててしまうのではないかと。
「話は聞かせてもらったよ。この王都に化け物が現れるらしいね」
「あ、ああ。俺一人じゃどうしようもないから力を貸してほしいんだけど」
「なるほど。しかし、情報の入手先を明かせない以上。只の戯れ言として処理されるのもわかるだろう?」
ナツキ・スバル以外の人間には分かるはずもないこれから巻き起こる未来。ユリウスの理屈も分かるが引くわけにはいかない。
「どうすれば信じてもらえる?」
「本当は情報元を明かしてもらいたいところだが、そうだな。私の目を見て言ってほしい。君は本当に困っているのかい?」
ナツキ・スバルを貫く紫の双眸。
「ああ!!助けてほしい」
その様子を見たユリウスは言う。
「私には君が嘘をついているようには思えない。困っている人を助けるのも騎士としての務めだろう」
「ということは?」
「私が君に同行しよう」
「よっしゃぁぁぁ!!」
万歳で喜ぶナツキ・スバルの隣で衛兵がユリウスに言った。
「よろしいのですか?」
「ああ。君は君で自分の職務を全うしてくれ」
「了解しました」
ナツキ・スバルとユリウスは貧民街と呼ばれる廃棄不法地帯に来ていた。インフラのイの字も出てこない貧民街の現状に日本の環境は恵まれていたのだと感じるナツキ・スバル。
「ここが貧民街か」
「ああ。ルグニカ王国が抱える問題の一つでもある」
「表通りはあんなに綺麗だったのにな」
「君の言う化け物はここに現れるのかい?」
「ああ、王都が一望できる高台から確認した。今更だけど来てくれてマジでありがとう。俺の名前はナツキ・スバルだ」
「私はルグニカ王国近衛騎士団所属ユリウス・ユークリウスだ。これも騎士の務めだからね」
ナツキ・スバルとユリウスは貧民街に足を踏み入れるとあちこちから向けられる不穏な視線。
「なんか、見られてんな」
「君の格好が珍しいのもあるだろうが、私の騎士としての服装が目を引いているんだろう」
「俺一人だったらマジでやばかったな。この貧民街に例の化け物が出るのは間違いないんだけど、具体的に詳しい場所までは確認できなかったんだ。だからユリウス…さんが何か思ったことがあったら教えてほしい」
「わかった」
注意深く辺りを観察しながら会話を続けるナツキ・スバルとユリウス。
「ユリウスさんって騎士なんだよな?」
「ああ。ルグニカ王国の近衛騎士だ」
「近衛って王を守る側近だよな?」
「そうだ。君はルグニカの現状を知っているかい?」
「確か…王が不在なんだって?」
前回のループで衛兵から少し聞いた情報だ。
「でもさ、普通王がいないってだけなら第一皇子とかが引き継ぐもんなんじゃねぇの?」
「それが出来ないんだ。亡くなったのは王だけじゃない。王族全員が亡くなってしまった」
ユリウスから告げられるルグニカの更なる情報。
「え?!なら誰が新しい王さまになるんだ?」
「詳しくは言えないが王になれる候補者の方々がいるんだ」
「王族以外の候補者がいんのか。王の候補者ってどうやって決めるんだ?貴族の偉い人が立候補すんのか?」
「そうではないが、すまない。それも詳しくは言えないんだ」
「ふーん。それで?王の候補者がいるってのは分かったけど、その候補者この中からどうやって王を決めるんだ?国民による投票?」
「それにもまた別の方法があるが、言うことは出来ないんだ」
「そこら辺は国の機密って訳か」
貧民街を探索すれども時間だけが過ぎるばかりで何も発見できないまま、日も傾いてくる。
「まずいな。もうすぐ日が沈んじまう。獣の化け物が現れるまで時間がない」
「どうするつもりだ?ナツキ・スバル」
「この辺りに出現すんのは間違いない。もうユリウスさんにはアイツが出てきたと同時に倒して──」
──もらうしかない、と言おうとしたところでナツキ・スバルは前から何かにぶつかって地面に尻餅をついた。
「いてっ!」
「あら。ごめんなさい。大丈夫かしら?」
差し出された手を掴んで立ち上がる。目の前にいたのは超が付くほどの美人だった。
「大丈夫大丈夫。俺結構打たれ強い方だから」
女性に耐性のないナツキ・スバルは少しテンパりながら返事をする。
「そう。それならよかったわ。ところで、そちらの方は?」
女はユリウスに目を配りながら尋ねる。
「あー。これからここにでっかい獣の化け物が現れるんでな。俺一人じゃどうしようもないから付いてきてもらったんだ」
「そう。最優の騎士、ユリウス・ユークリウスね。とても気になるのだけど、私はこれから用があるからもう行かせてもらうわね」
「ああ。ぶつかって悪かったな。化け物には気を付けろよ」
「ええ。そうさせてもらうわ。こちらこそごめんなさいね。あなたとはまた会えそうな気がするわ」
そう言うと女は去って行った。
「スゲー美人だったな」
「……ナツキ・スバル」
感想を溢すナツキ・スバルにユリウスが真剣な顔をして言う。
「さっきの女性を追おう」
「え?なんでだよ?ナンパでもすんのか?」
最優の騎士と呼ばれていたこのイケメンなら落とせるかもしれないが。
「いや、そうではない。彼女はこの貧民街において不自然だ」
「あの人が?一体何で?」
「彼女…相当の使い手だ。こんな貧民街にうろついていて、いいような実力じゃない」
「え?そんなに強い人なのか?」
「私でさえ勝てるかどうか分からないだろう」
「そういや最優の騎士って言われてたな。ユリウスってこの国でもかなり強い方なんだよな?近衛騎士やってるくらいだし」
「ああ。そう言う訳で彼女を追うことにしよう」
「ストーカーするみたいで気が引けるけど、このままブラブラ探してても獣は見つからないし、行くしかないか」
ユリウスの先導に従ってナツキ・スバルは先程の女を追った。そしてたどり着いたのは一件の小屋。
「ん?あの女、裏手に回ってくぞ」
「いこう、ナツキ・スバル」
ユリウスが小屋の扉を開けると、そこにはでかいじいさんに金髪の少女、そして見覚えのある銀髪の美少女がいた。
「あ!確か迷子の……」
ギンッ!!
ナツキ・スバルがいいかけた一瞬の間に、ユリウスはいつの間にか抜剣し銀髪の美少女の死角から放たれた何かを弾く。弾かれた何かはナツキ・スバルのすぐとなりの壁に突き刺さった。
「なんじゃこのでかいナイフは?!」
壁から引き抜くとそれはククリナイフに似た刃物だった。
「無事か?スバル!!」
小屋の奥を見ながら、背中越しにナツキ・スバルの安否を確認するユリウス。
「ああ、大丈夫だ。結構ギリギリだったけどな」
小屋の奥から姿を現したのは先程ぶつかった美人の女。それを見た金髪の少女が叫ぶ。
「おい!!いきなりなんのつもりだ!!」
「あなたは仕事を全う出来なかった。盗んだ相手がいるんですもの所詮は貧民街の子供ね」
「てめー!!」
激昂する少女を余所に女はククリナイフを構えて話し続けた。
「そこにいるのはさっきのお兄さんじゃないの。また会ったわね」
「何してんだアンタ!刃物なんて危ないだろうが!!」
「ええそうね。でもそれは仕方のないことだわ。あなた達はこの現場を見てしまったもの。そして、そこにいるのがさっきも会った最優の騎士ね。嬉しいわ。ここに来るまで貴方の事が頭にちらついてしょうがなかったもの。さあ、全員のお腹の中身を見比べてあげる!!」
「その独特な民族衣装とククリナイフ、それにその発言。あなたが巷を騒がす『腸狩り』ですね」
「なにその物騒な二つ名!!」
ユリウスの説明に驚くナツキ・スバル。
「ナツキ・スバル!!あの人達の側に居てくれ!!」
ユリウスの指示で拾ったククリナイフを持ったまま、金髪の少女とでかいじいさんの側に行く。
「兄ちゃんがアイツを連れてきたのか?」
金髪の少女がユリウスを指差して言った。
「ああ、そうだけど」
「アイツ騎士だろ?アタシは騎士なんてのは嫌いだけどよ命あっての物種だからな。助かったぜ兄ちゃん」
「そうじゃな、フェルトの言う通り儂らだけだった場合どうなっていたか分からん」
でかいじいさんもフェルトに続いて言う。ユリウスは剣を構えて『腸狩り』を見据えた。
「騎士としてここにいる人達は守らせてもらう」
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三話
「君の出る幕はないんじゃないかな」
ユリウスと『腸狩り』、一触即発の空気の中で響く可愛らしい声。それと同時に『腸狩り』が大量の氷に押し潰された。それを成したのは銀髪の少女の傍らに浮かぶ小さな猫。
「リアを助けてくれたことには感謝するけど、ここはボクにやらせてもらおうか。リアを傷つけようとしたあの女は許せない」
ナツキ・スバルには今の一撃で終わったように見えたが、尋常な反応速度で『腸狩り』の女は氷の奇襲を躱していた。直後に繰り出される銀髪の少女と猫による氷の魔法の連撃。それを『腸狩り』は壁や天井を縦横無尽に駆け巡って躱わす。
「すっげぇな」
思わず言葉が漏れた。この世界に来てから初めて見た魔法。18年間日本に生きていたナツキ・スバルには見たことのない風景だ。しかし、言葉が漏れたのはそれだけではない。対する相手、『腸狩り』の身のこなしにも度肝を抜かれる。氷の連撃を回避しながら隙を窺っている様にも見えるが、銀髪の少女と猫のコンビネーションはバッチリで容易に崩すことはできない。
「ただ闇雲に撃ってた訳じゃない」
唐突に『腸狩り』の動きが止まった。足を見れば地面と凍らされて動くことができない。
「おやすみ~」
『腸狩り』は特大の氷に飲み込まれて見えなくなった。
「それじゃあリア。ちょうど時間切れだし、ボクはもう寝るよ」
「ありがとう。お休みパック」
銀髪の少女の隣で目元をこする猫、パックは光となって消える。
「終わったのか?」
「ああ、いくら彼女でもあれを喰らえばどうすることもできないだろう」
戦闘イベント終了の空気を感じるナツキ・スバルの質問にユリウスが剣を戻しながら答えた。
「ざまーねーぜ!!くそ女め!!」
「どうやら終わったようじゃな」
隣にいるフェルトとでかいじいさんも同意するように言うが、その直後。『腸狩り』を閉じ込めていた氷が粉々に砕け散る。氷の中から飛び出す黒い影。ナツキ・スバルは失念していた。ユリウスに続いてフェルト、でかいじいさんまでもが死亡フラグを立てていたことに。この戦いは所謂前哨戦。本戦はこの後の獣退治であるという認識がナツキ・スバルの思考を狭めてしまった。
銀髪の少女へと突貫する『腸狩り』。魔法の直撃を受けたとは思えないその速度には誰も反応することができない。ユリウスでさえ間に合わない速さだ。
その状況でナツキ・スバルのとった行動は半ば無意識によるものだった。
「俺は死に戻りをして──」
世界が止まる。その世界の中では誰も動く事叶わない。それはナツキ・スバルとて変わらないが、他の人間とは違って唯一止まった世界でも思考することが許されている。これから行われる事をナツキ・スバルにはしっかりと味わってもらうために。
あまりの速さで見えなかった『腸狩り』の表情もしっかりと確認できる。笑みを湛えるその美しい顔に思わずゾッとするが、ナツキ・スバルにはそれよりも気にする事があった。世界が闇に包まれると同時に遠くから影の手が伸びてくる。ナツキ・スバルはその手を見つめて強く思った。
まあ、待てよ。秘密を暴露しようとしたのは悪かったけど、俺はお前に会いたかったんだぜ。
心なしか影の手の動きが止まった気がした。このままでは心臓を握り潰される痛みに襲われるため、影の手を続けて熱く口説く。
お前の手、綺麗だよな。手しか見えないけど、遠くにいる影ってお前だろ?俺に死に戻りを与えてんのはお前なんだよな?手がそんなに綺麗ならきっとお前自身も綺麗なんだろうなぁ。
しかし、それでも影の手はナツキ・スバルの胸に到達し、その心臓を撫でる。心臓を触られているという感覚に背筋がざわめいても思うことはやめられない。
綺麗な影のお手手さんよ。お願いがあるんだ。目の前で『腸狩り』っつう危なっかしい女がナイフを振り回して襲ってくるんだ。本当はアイツの心臓をギュッてしてほしいんだけど、贅沢は言わない。アイツのナイフを持ってきてくれないか?俺、今手元に一つあってさ、二刀流ってのをやってみたいんだ。
ナツキ・スバルの思いが届いたのか、遠くからもう一つの影の手が伸びてくると、『腸狩り』が手に持つククリナイフを掴んで渡してきた。ナツキ・スバルは初めて影に感謝したが、二つの影の手が心臓を撫でる。手のひらにすっぽり心臓が包まれたと思ったらパチュンと潰された。
世界が動き始める。
「ぐあぁぁぁぁぁ!!」
二度目となる心臓の痛み。しかし、その痛みの甲斐あってナツキ・スバルは二刀流となった。その反面、驚きを隠せないのは『腸狩り』である女。
「え?」
絶好のタイミングで突如として消えた自分の得物。突然のハプニングに頭が混乱するも、攻撃を中断して即座に離脱した。剣を抜いたユリウスと戦闘態勢に入る銀髪の少女から十分な距離を取って聞く。
「一体どういうことかしら?絶好の機会だったはずだけれど」
その瞳に写すのは先程戦っていた銀髪の少女でも最優の騎士であるユリウス・ユークリウスでもなく、何の見所もない黒髪で目付きの悪い男。しかし、その男─ナツキ・スバルはいつの間にか自分の得物を二つも奪っているではないか。一つは最初の奇襲を防がれたものだとしても、もう一つがいつ奪われたのか分からない。『腸狩り』は迂闊に動けなかった。
「いやなに、心臓の痛みと引き換えだ」
「あなたにも不思議な力があるということね」
「まぁな。お返しにあんたもあの魔法でくたばらなかった理由を教えてくれよ」
「『腸狩り』が纏っていた外套が消えている。おそらくあれは防魔の外套だ。一度だけ魔法を弾く効果があったようだ」
ナツキ・スバルの質問にはユリウスが答える。
「なるほどな。ユリウス!!今の内にやってくれ!!」
「私にも何が起こったのか分からなかったが、君のお陰なんだな?感謝するよスバル」
『腸狩り』に向けて剣を構えるユリウス。
懐から更なるククリナイフを取り出して構える『腸狩り』。
「最優の騎士、ユリウス・ユークリウス」
「腸狩り、エルザ・グランヒルテ」
二人の超人が目の前で戦いを繰り広げた。
ユリウス・ユークリウスは騎士である。故に騎士剣を持って戦うその戦闘スタイルを正道とするならば、『腸狩り』─エルザの戦闘スタイルは変則的な動きで敵を翻弄する邪道。エルザの得物であるククリナイフは一つとなったがそれは彼女にとっては些細なこと。
「武器がなくなれば爪で、爪がなくなれば骨で、骨がなくなれば命で、それが『腸狩り』のやり方よ」
全く衰えない戦闘意欲でユリウスの隙を探りながらあらゆる角度で攻撃を仕掛ける。それをユリウスは騎士剣で捌き、『腸狩り』を追って同様の速度で動く。
ナツキ・スバルは目の前の戦いに目を奪われていた。否、ユリウスのその動きに。生涯を掛けて積み上げられたであろうその剣術はナツキ・スバルの目にとても美しく写った。
「私のことも忘れないでよね!!」
ユリウスを援護するように飛ばされる銀髪の少女の氷の魔法。二人の連携によって『腸狩り』は少しずつ、しかし確実に追い込まれていく。
「おい兄ちゃん!!」
3人の戦いを見ていると、隣からフェルトに声をかけられた。
「ここにいると巻き込まれるぞ!!アタシはロムじいとさっさとここを出るぜ!!」
「そうじゃな、動くにしてもそろそろじゃろうて」
フェルトの言葉にでかいじいさん─ロムじいが同意する。
「そうだな。なら、ロムじいは転がってるテーブルを盾に出口へ走ってくれ!!俺とフェルトはその影に隠れさせてもらうよ」
ナツキ・スバル、フェルト、ロムじいの三人は小屋を離れて、遠くから戦いの様子を見ていた。
「ロムじい。そのテーブルを向こうに囮として置いてきてくれないか?」
「ああ、わかった」
フェルトに倣ってロムじいと呼ぶが、ロムじいは素直に従ってくれる。
「なあ、フェルト。お前、何であんな危ない奴に目付けられてんだ?」
「ん?依頼を受けたんだよ」
「依頼?」
「ああ、盗みの依頼だ。報酬がよかったから受けたんだ。結局ひっくり返されたけどな」
「何を盗んだんだ?」
「徽章だよ。あの銀髪のねーちゃんから盗んだ」
「あの子から盗んだかよ!!」
「後でちゃんと返すよ。あのあぶねー『腸狩り』と戦ってくれてんだしな」
「うむうむ。儂もそれがええと思うぞ」
囮のテーブルを設置し終えたロムじいが戻ってきて会話に加わる。
「あんな連中に目を付けられたとあっては命がいくつあっても足りんわい」
「そこでだな、兄ちゃん」
フェルトがおずおずと尋ねてきた。
「ん?」
「アタシの代わりにこの徽章、返してきてくんね?」
「いや何でだよ!!自分で盗んだんだし自分で返せよな!!」
「盗んだ相手に返すなんて氷漬けの刑にされるかもしれねーだろ!!」
その直後、凄絶な破壊音と共に白い光が小屋を破壊した。
「………」
「………」
「………」
「なあ、頼むよ。兄ちゃん」
心なしかフェルトは震えている。
「あ、ああ。しょうがねぇな」
「儂の盗品蔵が」
子供には甘いナツキ・スバルであった。
盗品蔵の瓦礫を掻き分けて『腸狩り』が逃走する。その方向は奇しくもナツキ・スバルたちが避難した方向であり、あの三人が隠れているであろうテーブルを発見。去り際にククリナイフでテーブルを両断した。
「あっぶねーな、あの女」
ナツキ・スバルはテーブルの残骸を眺めながら言う。
「兄ちゃんの指示、どんぴしゃじゃねぇか!!」
「最後まで気は抜けんのぉ」
フェルトとロムじいも揃ってナツキ・スバルを讃えた。
「てか、去り際にアイツと目が合ったぞ!!」
『腸狩り』の目は、今度会ったらそのお腹を切り開いてあげる、と物語っていたという。
ナツキ・スバルはフェルトが銀髪の少女から盗んだという貴章を手に盗品蔵へと戻る。フェルトは貴章を渡した途端、ロムじいと共に何処かへ消えてしまった。
「これで終わりじゃないんだよなぁ」
王都に出現する巨大な獣。それを何とかしない限り、ナツキ・スバルに平穏はない。盗品蔵の跡地には戦いを終えたであろうユリウスと銀髪の少女が立っていた。
「こっちは何とかなったよ。スバル」
「ああ。みたいだな。『腸狩り』の女が逃げてくのが見えたぜ。ユリウスも凄かったぜ!!」
あの激闘を経てよそよそしい、さん付けなどしてられない。ユリウスも特に何も言わなかった。
「あー、えーと、迷子の君」
「え?私?」
「これ、フェルトからだってさ」
ナツキ・スバルはフェルトから押し付けられた貴章を銀髪の少女に渡す。
「どうして、あなたがこれを?」
「どうにもフェルトは君に直接返したくなかったらしい。氷漬けの刑はいやだってさ」
「もう!!私はそんなことしないわよ!!」
可愛く怒る銀髪の少女が貴章を受け取ると、中心に嵌め込まれていた宝石が淡く光った。
「あれ?なんかそれ光ってね?俺の時はそんなことなかったのに」
「スバル。君には教えておこう」
ユリウスが改まって言う。
「あの貴章は王の候補者を選ぶ貴章なんだ」
「え?ってことは?」
「ああ。彼女は王選候補者の一人だ」
「この迷子の子が!?」
「さっきから迷子、迷子って。私は迷子になんかなってないわ!!」
銀髪の少女がナツキ・スバルに訂正を求めた。
「あーいや、君が迷子なんじゃなくて迷子の子の親を探してただろ?」
「え?あなた、私がはぐれた子の親を探しているのを見てたの?」
「あー、まあね」
正確には今回ではなく前回のループだが。
「スバル。君は彼女が『腸狩り』と遭遇することを知っていたのかい?」
「いいや、知らなかった。俺がここに来たのは獣を退治するためだ。ユリウスには悪いけどまだ終わりじゃない」
そう、獣を仕留めるまでは終わりではないのだ。
「なるほど。では引き続きこの辺りを探索しよう」
「ああ、よろしく頼むぜ!!」
「あなたたちはまだやることがあるのね」
男二人の様子を眺めていた銀髪の少女がナツキ・スバルに言う。
「私の名前はエミリア。助けてくれて本当にありがとう」
「俺、何かしたっけ?」
「うん。あのこわーい女の人の武器を取り上げて守ってくれたじゃない」
「ああ、そうだったな」
ナツキ・スバルの腰にある二本のククリナイフがその証拠である。
「徽章も持ってきてくれたし、ちゃんとしたお礼がしたいの。あなたの名前は?」
銀髪の少女に名前を尋ねられたナツキ・スバルはゴホンと喉の調子を整えた。この世界に来てから何度目かの名乗りをあげる。
「俺の名前はナツキ・スバル!!無知蒙昧にして天下不滅の無一文!!よろしくな!!」
「ふふ。よろしくスバル」
女の子からの名前呼びに否応にもテンションが上がる。
「もうお天道様も沈んでるわ。危ないから私もスバルに付き合ってあげる」
「え?いいの?」
あの獣を見た自分としては戦力はいくらあってもいい。しかし、それにはユリウスが待ったを掛けた。
「エミリア様!!あなたは王選候補者の一人なのですよ。危ないことは騎士であるこの私に任せて、もうお帰り下さい」
「危ないって言ったら、さっきも十分に危なかったじゃない!!」
互いの意見を主張し合う、エミリアとユリウス。ナツキ・スバルには奇妙な違和感があった。
「おかしいな?」
「どうした?」
「どうしたの?スバル」
二人はナツキ・スバルに目を向けて言葉を待つ。
「さっきお天道様が沈んでるって今日日聞かないこと言ってたけど、あの獣が出現したのは日が沈みそうになった時だった。そろそろ出現してもおかしくない時間なんだが?」
エルザとの戦闘で気付かなかったが、前回のループでは既に獣が出現した後だ。
「どゆこと?」
ユリウスとエミリアに尋ねても分かるはずないが、ユリウスはそれらしき推測を話す。
「もしかすると、あの『腸狩り』が関係していたのかもしれないな。私たちがここで『腸狩り』を撃退したことによって、スバルの言う獣が出現しなくなったのかもしれない」
「なるほどなー」
最優の騎士であるユリウスは頭も最優のようだ。
「ってことは、これにて任務完了か」
「スバル。君は今日、行くところはあるのかい?」
「あ、そういやないな」
ナツキ・スバルに帰る家はない。
「今日は野宿しかねぇな」
「それなら私が住んでる屋敷に来ない?きっと歓迎してくれるわ」
「いえ、エミリア様。私の屋敷に招待致します。スバルは食客としてもてなします」
家に誘ってくれるエミリアとユリウス。それならナツキ・スバルの答えは決まっていた。
「エミリアちゃんの気持ちは嬉しいけど、俺はユリウスの家にやっかいになろうかな?」
「どうして?」
ナツキ・スバルが思い出すのはあの動き。
「ユリウスがさエルザと戦ってる時、スゲー格好よかったんだよ。俺、ユリウスに剣とか習ってみたくてさ」
「もう。男の子なんだから」
呆れたように言うエミリア。
「わかったよスバル。私が君に剣を教えよう」
ユリウスは考える間もなくナツキ・スバルの要望に答えた。
「いいのか?」
「ああ、もちろんだとも。君がいなければ私はエミリア様を守る機会すらなかった。もしかしたら命を落としていたかもしれない。私は君に報いたいんだ」
「ユリウス……」
この最優の騎士が自分を認めてくれた気がして嬉しくなる。
「それならユリウス師匠って呼んだ方がいいか?」
「フフッ。ユリウスで構わないさ」
笑う最優の騎士はまた様になっていた。
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動乱のユークリウス邸編
四話
それは、とある屋敷にある一室での会話だ。
「それでね、スバルっていうんだけど私、助けられちゃった。ユリウスを連れてきたのもスバルだし今度会ったらちゃんとお礼しなきゃ。徽章を取られちゃった時はどうしようかと思ったんだけど、スバルが持ってきてくれたし、すごーく助けられちゃった。最初は私のことを迷子って言ってたんだけど、私が迷子の親を探すのを見てたっていってたわ。あんなに珍しい格好なら一度見たら忘れるはずないのに私は見てないのよね。スバルは住むところがないっていってたから、このお屋敷に来たら?って誘ったんだけど断られちゃった。ユリウスのお屋敷に行って、なんでも剣を習いたいんですって。本当に男の子ね。あとね、すっごく驚いちゃったことがあってね、刃物を持ったこわーい女の人が襲ってきて、もうやられちゃうって思ったんだけど、いつの間にかその人のナイフがなくなってスバルの手元にあったのよ。一体どうやったのかしらね?何か心臓が痛いとか言ってたから今度、私の治癒魔法で見てあげることにするわ。それでね──」
エミリアの弾丸トークを聞くのは一人の男。この屋敷の持ち主でもあるその男はエミリアの言葉が止んだタイミングを見計らって口を開く。
「なぁーるほど。つまり君はそのスバル君に助けられたと」
「そうよ」
「しかしスバル君は私の屋敷へは来ず、最優の騎士、ユリウス・ユークリウスの屋敷へ行ったと?」
「そうなのよ」
「なぁーるほどねぇーえ。エミリア様、お話ありがとうございます。今日はゆっくりと休んで下さい」
「わかったわ。おやすみなさいロズワール」
「おやすみなぁーさい」
エミリアが退室したのを確認すると男は懐から黒い本を丁寧に取り出した。
「記述とのズレはないけれど、これはまた難儀なことになったねぇーえ」
様についた仕草で本をめくる男。
「彼にはいずれこちらへ来てもらわなければならない。何としても。私の目的の為に」
その瞳は激情を湛えている。
「ナツキ・スバル。君は私のものだぁーーよ」
男の決意が屋敷に響き渡った。
「うぉぉぉぉ!!」
場所はユークリウス邸。その庭で木剣を持った黒髪の男が同じく木剣を持った長身の男に斬りかかった。しかし、黒髪の男の剣は長身の男の剣にことごとく弾かれる。
「脇が甘い、剣にばかり意識が向いている。立つ場所にも気を配るんだ」
長身の男は黒髪の男の剣を弾き飛ばした。
「やっぱスゲーなユリウス」
「これでも近衛騎士だからね、スバル。少し休憩しようか」
これがナツキ・スバルとユリウス・ユークリウスの日常の一端である。ナツキ・スバルがユリウスの屋敷の世話になってから2日が経った。こうして空いた時間にユリウスに剣の稽古を付けてもらっている。
「スバル。今日はエミリア様がいらっしゃるようだ」
「エミリアってあの王選候補者の子か」
王都に出現する獣を倒す為に奔走した結果、成り行きで助けた銀髪の少女が王の候補者だったという偶然。
「そういやユリウスは王と崇める方がいるって言ってたけどエミリアじゃないのか?」
「ああ、エミリア様とは違うまた別のお方だ」
「それなら、政敵を助けたってことにならないか?」
「私は騎士としての矜持に従ったまで。スバルが気にする必要はないさ。それに私の主はそんなことでとやかく言うような人ではないよ」
とやかくは言わないだろうが、最大限利用はするだろなと思いながらユリウスは答える。
「そっか、それならよかったぜ。俺の頼みを聞いた挙げ句ユリウスが怒られるのは何か違うからな」
ユリウスに飛ばされた剣を回収すると、近くに座って水を飲んだ。
「ユリウスの主ってどんな人なんだ?」
ユリウスは少し思案すると口を開く。
「わかった。君には話そう。私が王と崇めるお方はアナスタシア・ホーシン様だ」
「へぇー。そのアナスタシア……さんか」
「ああ、アナスタシア様はカララギ随一の商会であるホーシン商会の会長で鉄の牙と呼ばれる私兵団を抱えている。どんなことにも貪欲で、自分が王になれると分かれば、このルグニカすら手に入れようと欲する方だ。そして、アナスタシア様が一度手に入れた物は他の誰よりも上手く扱う。あの人がこの国の王となれば、ルグニカの繁栄は約束されたも同然だ。私は騎士として身命を賭してアナスタシア様に仕えることを誓った。此度の王選、私は何としてでもアナスタシア様を王にする」
「お、おう。その人のことになると饒舌になるんだな」
鬼気迫るユリウスの熱弁に若干引いたナツキ・スバル。
「王の候補者って全部で何人なんだ?」
「5人だと言われているが、既に4人が見つかっている。最後の一人が見つかり次第、王選が始まる」
「アナスタシアさんとエミリアって子と他に3人もいんのか。他の候補者にもユリウスみたいな近衛騎士が付いてんのか?」
「ああ。近衛騎士が付いているのはアナスタシア様を含めて二人だ」
「へぇー、そうなのか。ところで、ユリウスとアナスタシアさんってどうやって知り合ったんだ?」
「あれは私が任務でカララギへと赴いた時だが……スバル、そろそろ着替えよう。ゆっくりと話したいがエミリア様がいらっしゃる時間だ」
「そうだったな。んじゃ行くか」
ナツキ・スバルはこの2日間でユリウスとかなり打ち解けていた。
「今日の服は一段と引き締まってんな」
礼服に着替えたナツキ・スバルは騎士の服装を身に纏うユリウスと共に応接室でエミリアの訪問を待っていた。
「スバル。相手はアナスタシア様と同じ、王選候補者の方だ。礼を尽くしても尽くしすぎることはない」
「意識たけーな。流石は近衛騎士」
近衛騎士として求められる姿勢にユリウスを見て感心していると、部屋の扉が開かれる。
「この前ぶりね、ユリウス。それにスバル」
先日助けた銀髪の少女─エミリアが青髪のメイドを引き連れて現れた。
「先日はご無事で何よりですエミリア様」
「おーエミリアちゃん。この前ぶり」
エミリアが王選候補者と知ってもなおナツキ・スバルの態度は知る前と変わらない。権力には屈しない男なのだ。
「改めまして、先日はありがとうございました」
「私があなたを助けることが出来たのも偏にスバルがいてこそです」
「気にしないでいーって。俺たちは獣退治のために動いてただけで、助けられたのは偶然だから」
ユリウスが何か言いたそうな顔をするが、言葉を飲み込んだ。
「でも、何かお礼をしたいの。何かしてほしいこととかあったりする?」
「特にないなぁ。ユリウスと剣の修行する日々が充実し過ぎててな。ユリウスは何かないのか?」
「私はアナスタシア様の一の騎士。困っている人を助けるのは当然です」
「そ、そうなのね……」
何のお礼も出来なくて落ち込むエミリアにナツキ・スバルは慌てる。
「あー、えっと、それなら。ユリウスとの修行で所々筋肉痛でな。それを治してもらえたりできる?」
「治癒魔法は使えるけど、そんなことでいいの?」
「ああ!!これで更に修行が捗るってもんよ!!」
「そう言えば前に心臓が痛いとか言ってなかった?それは大丈夫なの?」
「心臓?」
思い出すのは死に戻りを明かそうとした代償である心臓の痛み。脳裏に刻まれたあの痛みに背筋が寒くなる。
「あー、それは大丈夫。一時的なものだからな」
「そう。でも一応痛いって言ってた心臓にも治癒魔法をかけてあげるわね」
「あ、ありがとう」
笑顔ではにかむエミリアにナツキ・スバルは苦笑いした。すると、エミリアに続いてお付きの青髪のメイドが話し掛けてくる。
「ナツキ・スバル様。この度はエミリア様を助けていただき誠にありがとうございました。当主であるロズワールに代わってお礼申し上げます」
「お、おう」
この世界で初めて見るメイドにテンションが高まるナツキ・スバル。
「つきましてはロズワール様が是非とも直接お礼がしたいとのことですので、どうかメイザース領にある当屋敷へお越しいただけないでしょうか?」
「うーん。俺はユリウスの屋敷で充分満足なんだけどな」
「スバル」
「ん?」
今まで静観していたユリウスに話し掛けられた。
「エミリア様の後見人であるロズワール様は辺境伯という地位におられるお方だ。君は先ほどエミリア様の顔を潰すような発言をしたが、これを断ればロズワール様の顔をも潰すということになる」
「えーと。つまり?」
「ロズワール様の招集には応じた方がいいだろう」
「ちなみにその場合ってユリウスは付いてきてくれるのか?」
「それは難しいだろう。私はアナスタシア様の一の騎士。必要以上にエミリア様の陣営に踏み込む訳にはいかない」
「俺はいいのか?」
「君はまだどの陣営にも属してないだろう?」
「陣営って5人の王選候補者の中から一人選んで応援する人のことだよな?」
「まあ、平たく言えばそうなるな」
「なら俺は陣営に属してないってことになるが、ロズワールって人の家に行ったら俺ってエミリアちゃんの陣営に入ったってみなされないか?ユリウスと敵対するとか嫌だぜ俺」
「少し高度な話になるが、スバル。君は今ユークリウス家の食客という立場だ」
「ああ」
「その君がロズワール様の招集を断った場合、君はロズワール様、ひいてはエミリア様の陣営との関係に亀裂を入れることになる。そうなれば君を食客として抱えるユークリウス家もまた同様だ。そして私はアナスタシア様の陣営の一の騎士。王選が始まってすらいないこの状況でアナスタシア様とエミリア様の関係を悪化させることになりかねない」
「つまり、ユリウスに迷惑がかかると?」
「そういうことだ」
ユリウスにそこまで言われればナツキ・スバルは納得せざるを得ない。
「ロズワールの屋敷に行っても、剣の修行付けてくれるよな?」
「ああ、それは約束しよう」
「分かったよ。メイドさん、俺行くよ」
「ありがとうございます」
青髪のメイドは恭しく礼をした。話が纏まりかけたその時、部屋の扉が開かれて使用人がユリウスに耳打ちする。
「なんだと?」
その内容を聞いたユリウスが驚いた声を出した。
「エミリア様、それにスバル。私は急用ができました故、ここで一度失礼させていただきます」
そう言うとユリウスは応接室を出ていく。部屋に残されたのはナツキ・スバル、エミリア、青髪のメイドの三人となった。
「ユリウスったら突然どうしたのかしら?」
「確かにアイツらしくねぇな。エミリアちゃんのこと王選候補者の一人だから礼は尽くすとか言ってたのにな」
ナツキ・スバルも机のお茶をすすりながら同意する。
「やあ!君がナツキ・スバルだね!!」
顔をあげると目の前には宙に浮かぶ小さな猫がいた。思わずお茶を吹き出しそうになるのをぐっと飲み込んで尋ねる。
「確か、パックだっけ?」
「そうだよ。ボクは大精霊パック。可愛い見た目だけど君をなぶり殺しにする力があるよ。ヨロシクね」
「めちゃ物騒な自己紹介だな。てかそれは知ってるよ。エルザとの戦闘みてれば分かるわ」
「リアから君のことは聞いてるよ。ボクがいなくなった後、リアを守ってくれたんだってね。ボクにも何か君にお礼をさせてくれないかな?」
「パックもお礼してくれんのか。正直もうお腹いっぱいなんだけどな」
うーんと唸るナツキ・スバルの周りをふわふわと浮かぶパック。
「そうだな。それなら呼吸させてくれ!!」
「呼吸?」
ナツキ・スバルはパックを手のひらに乗せるとそのお腹に顔を埋める。
「スーハースーハー」
「え?何してるのスバル?」
いきなり訳の分からないことを始めたナツキ・スバルに驚くエミリア。パックの猫吸いに満足するとエミリアの質問に答える。
「これは猫吸いと言ってな。ケモナーには堪らない至福の瞬間さ」
「ね、猫吸い?」
「エミリアちゃんもやってみるといい、すぐ癖になるから」
困惑するエミリアにパックが報告した。
「大丈夫だよリア。スバルに悪意や敵意なんてものは感じられない」
「へー。パックはそんなこともできんのか」
「うん。ぼんやりとだけどね」
「すっげーなー」
会話する猫と男に向けて少女は呟く。
「そういうことじゃないんだけどね」
しばらくするとユリウスが応接室に戻ってきた。
「席を外してしまい申し訳なかった」
椅子に座り直したユリウスが開口一番謝罪する。
「それで、スバルのロズワール邸訪問の予定だが4日後でどうだろうか?」
「承りました」
ユリウスの提案に青髪のメイドが了承の意を示した。
「スバルもそれでいいね」
「おう」
ナツキ・スバルのロズワール邸行きは4日後ということで、その間、エミリアと従者の青髪メイド─レムはユークリウス邸に泊まることとなった。
「それにしても治癒魔法ってスゲーんだな」
早速エミリアに治癒魔法を全身に施して貰ったナツキ・スバルが庭で剣を振るう。ユリウスと修行をした証である身体の節々の痛みがない。
「お役に立ててよかったわ」
エミリアもお礼が出来て満足気な笑みを浮かべていた。そして、少し離れた所から二人を見つめるのはエミリアの従者、レム。
「おーい!!君もこっちに来たらどうだ?」
ナツキ・スバルが声を掛けても特に反応はない。付かず離れずの距離を維持されてる感じだ。
「ごめんね。普段のレムは素直ないい子なのよ」
「あー大丈夫大丈夫。女の子に声を掛けても滑って無視されんのは慣れてっから」
自分で言ってて悲しくなるナツキ・スバル。
「よし!!早速ユリウスに剣の修行付けてもらってくるわ!!」
ユリウスとの剣の修行を終えたナツキ・スバルはユリウスと休憩がてらに会話していた。
「そういや、あのエルザとの戦いの最後で盗品蔵が白く爆発してたけど、あれってエミリアちゃんの魔法なのか?」
「いいや、あれは私が放ったものだ。あそこの住人には申し訳ないことをした、エミリア様の徽章を盗んだとはいえ今度会ったときにはきちんと詫びなければな」
「え!?ユリウスって魔法も使えんのか?」
しかし、この最優の騎士ならさもありなんと言ったところか。
「ああ。正確には魔法ではなく精霊魔法というものだが」
「どう違うんだ?」
「魔法を扱うには例外なくゲートと呼ばれる器官を利用するが、魔法は自分のゲートを介して、精霊魔法は契約した精霊のゲートを介してという違いがある」
「精霊ってパックみたいなやつだよな。ユリウスはどんな精霊と契約してるんだ?光の精霊?」
「実際に見た方が早いだろう」
ユリウスはそういうと、手のひらに6属性の精霊を顕現させた。
「これが私の蕾たちだ」
「まさかの全属性!!」
目の前でクルクル回る6つの光に目を見開くナツキ・スバル。
「白い光の魔法はこの白い子の力か」
「いや、違うよ。あの魔法はこの子たち全員の力を借りた複合魔法。私の切り札だ」
「全部合わせられんのか。近衛騎士のレベルって高過ぎじゃね?」
「まあ私は騎士の家系に生まれた騎士だからね」
ユリウスが手を引っ込めるのと同時に6つの光も消える。
「ユリウスって一体いつから剣とかやってんだ?」
「覚えてないな。物心つく頃から剣を振っていた」
ここへ来た最初の二日間に比べてユリウスと手合わせする時間が少なくなったように思う。ナツキ・スバルはそんな事を考えながら庭で剣を振っていた。
「物心ついたときからか……きっと想像もつかないような努力を重ねて来たんだろうな」
羨望や嫉妬の感情を剣を振るうことで紛らわす。何もしてこなかった自分がいて、人生全てを剣と魔法に捧げてきたユリウスがいるだけだ。
「騎士か」
ナツキ・スバルが何気なく口にするその言葉はとても重い気がした。
「おにーさん、精が出ますな!!」
声を掛けられて振り向くと、そこには杖を持った小さな猫の獣人いた。この少女は王都にいたとき、一度目のループで一緒に保護者を探した迷子の子だ。
「ミミ!!」
こんなところで再開したことにナツキ・スバルは驚く。その様子にミミは首を傾けた。
「むむむ?ミミ、おにーさんと何処かで会いましたかな?」
「そっか、やっぱり覚えてねぇよな」
ミミと会った一度目の世界はナツキ・スバルの中にしかない。忘れられたことに言い表せない感情が胸の中で渦巻いた。
「んじゃ改めて自己紹介だ!!俺の名前はナツキ・スバル!!無知蒙昧にして天下不滅の無一文だ!!よろしくなミミ!!」
「おおー!!コージョーってやつですな!!」
「前にお前が全部食ったやつまだ残ってるぜ、持ってきてやるよ」
一度目のループでミミに食べられたものの、時間を巻き戻す過程で復活したスナック菓子がまだあった事を思い出したナツキ・スバルは自分の部屋から持って来る。
「ほら、これやるよ」
袋を破いてミミに渡したナツキ・スバル。ミミは匂いを嗅ぐだけで手は出そうとしない。
「とてもうまそうな匂いがしますな!!これなーに?」
「俺の故郷から持ってきたもんだ。食っていいぞ」
しかし、それでもミミは手を出さなかった。
「ん?どうした?」
「おにーさんが先に一つ食べて」
「お、おう」
ミミの言葉に従って一つ食べると、それを確認したミミはいきなりがっつき始めた。ナツキ・スバルがもう一つ食べようとしてもやはりミミのガードは鉄壁で手が出せない。結局、王都の時と同様に最初の一つを食べるだけで終わってしまった。
「これチョーおいしー!!ミミは満足!!満足!!」
「さいですか」
ミミはあっという間にスナック菓子を完食する。そんなミミに気になることを聞いた。
「どうしてミミは全部食わなかったんだ?俺に最初の一つを食われることもなかっただろ?」
「ミミは傭兵ですからな。常に毒は疑うもの!!」
この子は見かけ通りの可愛いらしい存在ではないようだ。パックにもそう言われたばかりのナツキ・スバルは改めて肝に銘じることにする。この世界、本当に何があるのか分からない。腸狩りであるエルザが美しい見かけによらない様に。
「ところで、ミミはどうしてこの屋敷に?」
「ミミはおじょーの付き添い!!」
「おじょーって誰だ?」
「おじょーはおじょー!!」
ミミからは何も分からない。
「いつから来てたんだ?」
「今日の昼くらいですな」
この屋敷におじょーなる存在が来ていることは間違いない様だ。どこか引っ掛かるが休憩を終えたナツキ・スバルは再び剣を振るうことにした。
あっという間に4日が過ぎた。その間、ナツキ・スバルはユリウスと稽古したり、ミミと遊んだり、エミリアやパックと話したりしていたが、結局おじょーなる人物とは出会えなかった。そして今日、ナツキ・スバルはユークリウス邸を出て、ロズワール邸へ向かうことになる。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるぜ!!」
「ああ、旅の無事を祈ろう」
ユリウスと別れの挨拶を済ませると、エミリアと同じ竜車に乗ってロズワール邸を目指す。竜車に揺られて暫くエミリアとの会話を楽しんでいると、突然竜車が止まった。
「エミリア様!!どうか外へ!!」
切羽詰まったレムの声に従って竜車を降りるエミリア。それに続いてナツキ・スバルも竜車を降りた。竜車の周りをぐるっと取り囲み、行く手を阻むのは黒い服にフードを被った連中。
「なんだこいつらは?」
驚愕の声をあげるナツキ・スバルの耳に低い声が届いた。
「魔女教徒……」
その声の持ち主であるレムはナツキ・スバルを親の仇でも見るような目で見る。
「やはりお前は魔女教徒だな!!」
「何だよ魔女教徒って?」
当然、ナツキ・スバルにはそんな心当たりはない。
「白々しい!!そこまで魔女の匂いを漂わせて!!こいつらと同じ匂いを発していて、しらを切るにも限度がありますよ!!」
魔女の匂い?死に戻りを暴露しようとした際に現れたアイツが魔女なのか?
混乱するナツキ・スバルを余所にレムは行動に移す。
「お前たち魔女教徒は全員殺す!!死ね!!魔女教徒!!」
「待ってレム!!」
目の前に迫る黒い何か。それはナツキ・スバルの頭蓋を砕き、中身をぶちまける。ナツキ・スバルは二度目の死を迎えた。
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五話
「スバル。相手はアナスタシア様と同じ、王選候補者の方だ。礼を尽くしても尽くしすぎることはない」
覚醒する意識。
「ああぁぁぁぁああぁあ!!」
ナツキ・スバルは絶叫と共に顔を掻き毟る。
「熱い熱い熱い熱い熱い熱い」
顔面が否、頭蓋骨そのものが灼熱で犯されるが如くの痛み。血が出てもお構いなしに頭を机に叩きつける。この灼熱の痛みがが和らぐのならこれくらいどうということはない。
「一体どうしたんだ?スバル!!」
目の前でいきなり急変したナツキ・スバルにユリウスは慌てて駆け寄る。ユリウスが力ずくで押さえない限り、ナツキ・スバルは何度でも頭を叩きつけるだろう。
「クア!!スバルを眠らせてくれ!!」
このままでは不味いと判断したユリウスは己が契約する精霊の一体、水を司るクアにナツキ・スバルを眠らせる。淡い水色の光がナツキ・スバルの顔を包み込むと、ようやく静かになった。
「一体どうしたというんだ、スバル」
ナツキ・スバルが目を覚ますと見慣れた天井が目に入った。この天井はナツキ・スバルがユークリウス邸に住むことになった二日前から貸し与えられている一室のものだ。
ナツキ・スバルは涙が止まらなかった。異世界に召喚されて自分も例外なく持っていた特殊能力。時間を巻き戻すといえば最強クラスの能力だ。初めて死に戻りが発動した時は死んだという実感が薄かったため、勘違いしていた。
人は死ねば意識が失われる。それは偏に人という存在は自分が死んだという意識に耐えきれないからだ。しかし、ナツキ・スバルは違う。死んでもなお、意識が残る。
前回の王都では死の実感も薄いまま、二度目のループで死を回避してしまった。都合よくユリウスに協力を取り付け、都合よくエミリアを救う。そんな都合のよさが今、代償となってナツキ・スバルに牙を剥いた。
死とはそんなに生易しいものではない。ナツキ・スバルは自分が死んだという事実に耐えきれなかった。
ナツキ・スバルはまた泣いた。
「スバル」
ドアがノックされた後、ユリウスが部屋に入ってくる。ナツキ・スバルは窓の外に目を向けてユリウスから顔を逸らした。ユリウスにこんな情けない顔を晒したくないというささやかな抵抗だ。
「エミリア様はお帰りになられたよ。スバルの体調が優れないことを知って日を改めるそうだ」
ナツキ・スバルにはもう何かを考える余力など残っていない。それほどまでに、頭蓋を砕かれて死ぬという記憶が強烈だったのだ。
「一体君はどうしたんだ?」
何も答えないナツキ・スバルにユリウスは目を瞑る。
「しばらくゆっくり休むといい」
そう言うとユリウスは部屋から出て行った。それを確認したナツキ・スバルは再び泥のように眠る。
眠りとは記憶の整理を行う時間だ。今までの記憶が夢となって現れる。
ユリウスと剣の修行。全く勝てない。いつか一本取りてぇな。
──頭蓋を砕かれる。
この料理めちゃくちゃ旨いな。貴族って毎日こんなの食ってんのか。
──頭蓋を砕かれる。
この世界の文明って日本よりも遅れてるよな?なんで風呂がこんなにでかいんだよ。
──頭蓋を砕かれる。
死ね!!魔女教徒!!
──頭蓋を砕かれる。
──頭蓋を砕かれる。
──頭蓋を砕かれる。
──頭蓋を砕かれる。
──頭蓋を砕かれる。
──頭蓋を砕かれる。
──頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を、頭蓋を──
「うわぁぁぁぁ!!」
ナツキ・スバルが飛び起きるとそこは既に夜だった。汗でグッショリ湿った服。
「はぁはぁはぁはぁ」
眠れば、あの記憶が呼び起こされる。ナツキ・スバルは部屋を出て外の空気を吸いにいった。剣の修行をした庭に寝転がる。心地よい風が汗を乾かし、夜空で輝く星々が目に映った。少しずつだが死の記憶が和らいでいく。モノを考える力がナツキ・スバルの中に生まれた。
「あのメイドか……」
前回、ナツキ・スバルを殺したのはエミリアに付いてきた青髪のメイド─レム。最期に見えたのは自分を睨み付ける青い瞳と、頭蓋を砕いた何かだ。
「クソッ」
成り行きとはいえ自分はエミリアを助けたというのに、その仕打ちがこれか。従者であるレムがナツキ・スバルを殺すことを是とするなら、その主人であるエミリアもまた……。
「クソッ!!」
二度目の悪態。あんな可愛い顔して、腹の中はそれかよ!!このユークリウス邸から離れた瞬間に自分は死ぬ。それも助けた女の子に殺される。
「そんなバカな話が……」
しかし、それとは別に竜車を取り囲んでいた連中がいた。
「魔女教徒って言ってたな」
レムがアイツらとナツキ・スバルに向けて言った言葉。そして、魔女の匂い。連中と同じ匂いがすると言う。自分で匂いを嗅いでみても何も感じない。分からない事が多すぎる。
「ユリウスん家から出なければなんの問題もないんだが」
しかし、それは難しいだろう。アナスタシア陣営の一の騎士であるユリウスの食客という立場である自分が真っ向からエミリアたちの謝礼を蹴れば、エミリア陣営との関係悪化を招く。ここ数日でユリウスとは仲良くなったが、ナツキ・スバルと主であるアナスタシアを天秤に掛ければ、ユリウスはアナスタシアを取るだろう。
「このまま体調が悪いってことにして、エミリアを追い払い続けられれば」
だが、きっとそれでも政治的には関係の悪化を招くことには違いない。
「今日、エミリアが来るって言ってたからセーブポイントは死の4日前で更新か」
いっそのこと王都に戻れれば、今度こそエミリアを助けずに獣だけを討伐するという未来を掴むために動いていたというのに。
何の光明も見えぬまま、ユークリウス邸での二度目のループが始まる。
翌朝。
「スバル、体調はもう大丈夫なのかい?」
「ああ。大丈夫……とは言えないがだいぶましになった」
前回のループでエミリアを迎えた例の応接室でナツキ・スバルはユリウスと話していた。
「では、これからエミリア様を迎えても問題はないだろうか?」
「そうだな。あんまり遅すぎてもユリウスに迷惑かかるだろ?」
「スバル……」
ユリウスは驚いた様に目を見開く。
「俺は大丈夫だから呼んでくれ」
「わかった」
それから数時間後にエミリアが到着するということになった。その時間にナツキ・スバルは少しでも情報を集めるために動く。
「なあユリウス。魔女教徒って知ってるか?」
「魔女教徒?この国では知らない者の方が少ないと思うが」
「教えてくれ、頼む」
「魔女教徒というのは魔女を崇める魔女教の教徒だ」
「魔女?」
「この国において魔女という言葉が指す存在は一つしかない。嫉妬の魔女だ。魔女教の目的はその嫉妬の魔女を復活させることだと言われている。そのために動く存在を魔女教徒と言う。そして各々が福音と呼ばれる黒い教本を持ち、それを見て行動する」
「復活って、封印でもされてんのか?」
「ああ、ルグニカから東にある魔女の祠に三英傑によって400年前に封印された」
「すまん。三英傑ってのも教えてくれ」
「三英傑とは剣聖、賢者、神龍のことだ。剣聖の末裔はこの国の騎士で、賢者は今でもプレアデス環視塔から魔女を見張っている。そして神龍は大瀑布の彼方よりこの国を見守っているんだ」
「大瀑布?」
「大瀑布は魔女の祠の更に向こう、世界の終わりに存在する巨大な滝だ」
何となくだが魔女教徒、魔女教周りのことが分かってきた。
「魔女教って今までにどんなことをやってきたんだ?」
「街を壊滅させたり、村人を皆殺しにしたりとそれはもう酷い悪行だ」
「魔女教って倒せないのか?」
「奴等は神出鬼没。行動の予測など出来ないさ」
「そうなのか」
そんな魔女教に間違われる匂いを発しているらしいナツキ・スバル。確かにあの状況では殺されても仕方ないのかもしれないが、無関係なもんは無関係で冤罪だ。エミリアとレムはナツキ・スバルがユークリウス邸から離れたら殺しに来る。しかし、それまでは安全な筈だ。前回のループでもユークリウス邸では悠々自適に暮らせた。この屋敷を出る前になんとかするしかない。
ユリウスに同行してもらえれば万事解決だが、それは難しいと前回のループで本人が言っていた。
ユリウスから情報を聞いた後でも、何一つ策が浮かばないまま時間が過ぎる。そして遂にエミリアを迎える時間となった。
「改めまして、先日はありがとうございました。体調が悪いって聞いたけどスバルは大丈夫?」
白々しい。ナツキ・スバルは目の前で可愛く振る舞うエミリアを見て、そう思った。しかし、それを表に出せばユリウスが困ることになるので尾首にも出さない。
「ああ、大丈夫だ。心配してくれてありがとうな」
この少女はいずれ自分に牙を剥く。ナツキ・スバルは心底、あのとき腸狩りに素直に殺されておけと思った。恩を仇で返されるくらいなら、ない方がましだ。
「何かお礼をさせてほしいの」
「それなら、君の事を教えてくれよ」
何事にもまずは情報収集だ。
「私の?」
「ああ。王選候補者なんだってな。何で王を目指すんだとか教えてくれよ」
生かすにしろ殺すにしろ相手の手札は出来るだけ多く知っておくべきだろう。その後は、自分を直接殺したレムについても丸裸にしてやる。ナツキ・スバルは笑顔でエミリアに頼んだ。
「ええ。そんなことでいいんだったら、喜んで」
俺が受けた痛み、苦しみ、全てをお前に返してやろう。
エミリアは自分の生い立ちについて語った。要約すれば、自分はエリオノール大森林に引きこもっていたエルフのハーフで、ある日森が凍ったから、氷に閉じ込められた仲間を助け出すために王を目指しているらしい。
「なるほどな、ありがとう」
たいして、有益な情報はなかったかとナツキ・スバルは内心舌打ちする。
「ボクも君にお礼をしなきゃね」
前回のループ通り次はパック。しかし、こいつは悪意や敵意を触れて察知できる。今のナツキ・スバルは内心ではエミリア死ねと思っているため直接触るのは危険だろう。やはり、情報収集だ。
「パックって精霊なんだよな?」
「そうだよ」
「エミリアちゃんとどうやって契約したんだ?」
「どうしてそんなこと聞くんだい?」
少し怪しまれたか?心の中で深呼吸して言う。
「俺も精霊と契約したくてな。参考に聞きたいんだ」
「なるほどね。それなら話そう」
パックの話を要約すると、凍っていたエミリアを助け出したのがパックであり、そこからエリオノール大森林を出るまでずっと行動を共にしているらしい。
結局、パックの話にもたいした収穫はないと分かると頭を抱えたくなる。
その後は前回のループと同様4日後にロズワール邸へ向かうことが決まった。エミリアとレムも同じく4日、ユークリウス邸に泊まる。会議はそこでお開きとなった。
「それにしても、また4日後か」
前回のループであれば、昨日それが決まったためユークリウス邸を出るのが今回のループより1日早いことになる。前回よりも1日だけ長くいることで何が変わるのか。もしかすれば、あの魔女教徒と遭遇しなくなる可能性だってある。ナツキ・スバルは自室に寝転がりながら思考に耽った。
「ユリウスのやつ。今回は途中退室しなかったな」
前回のループでは王選候補者であるエミリアの前で退室したはずだが、今回は特になかった。エミリアの訪問が1日遅れたため、用事もなくなったのだろうか?その用事は昨日にあったということだろう。
「うぅ」
だいぶ気が楽になってきたが、それでも未だに死の痛みが浮かび上がる。部屋に籠っていても気が晴れないため、外に出て剣を振るうことにした。道中、エミリアやレムと遭遇してもここがユークリウス邸である限り襲われることはないだろう。
「ハッ!ハッ!」
死の恐怖を掻き消すように剣を振り下ろす。しばらく剣を振っていると横から声がかけられた。
「おにーさん、精が出ますな!!」
そこにいたのは猫耳の獣人少女ミミ。
「ミミか」
ユークリウス邸で会うのはこれで二度目となる。
「むむむ?ミミ、おにーさんと何処かで会いましたかな?」
もっとも、ミミの方は覚えていないが。
「何でもない。スナック菓子持ってきてやる」
ミミは自分が毒味しなければ食べない。今回も最初の一つを除いて全てミミに食べられた。
「なあミミ。明日もここに来いよ。また話そうぜ」
ナツキ・スバルにとってミミとの会話は安らぎになるため、明日も誘う。
「ミミ明日はいないよ」
「そうなのか?」
「うん。おじょーが帰るから」
また現れたおじょーなる存在。そういえば前回のループでもミミはエミリアが来てから二日後にいなくなっていた。それが今回、予定が1日ズレたことによってミミはエミリアが来てから1日でいなくなるのだ。
「おじょーって誰だ?」
「おじょーはおじょー」
やはりミミからは何も聞き出せないようだ。
ミミがいなくなってから残りの3日は相変わらずユリウスと剣の修行を行っていた。たまにすれ違うエミリアと世間話をし、内心死ねと思う。そして、遂に明日の朝、ロズワール邸へと向かう、ユークリウス邸での最後の夜を迎えた。
「いよいよ明日か」
結局、1日ずれただけでは何も変わらない。このままロズワール邸へ向かえば間違いなく殺される。ユリウスには悪いが、ナツキ・スバルはユークリウス邸から逃走することにした。腸狩りから奪った二本のククリナイフを護身用に身に付けて道を駆ける。すると目の前に人影が現れた。
「こんな夜更けにどこへ行かれるおつもりですか?」
エミリアの従者レムだ。前回と同じようにまた殺されるのか。ナツキ・スバルは心底怯えた表情をする。
「そんなに怯えなくても今はまだ何もしませんよ」
問答無用で殺されないことに内心安堵した。
「あなたにもう一度問います。こんな夜更けにどこへ行かれるおつもりですか?」
「ちょっとその辺りをランニングに……だな」
「では、腰に指してある二本のナイフは何ですか?」
「護身用だ!!危ない目に遭うのは懲り懲りなんだよ!!」
「そうですか。最後に聞きます。あなたは……魔女教の関係者ですか?」
魔女教、またそれか。ここの問いかけで自分の生死が決まると言っても過言ではないことをナツキ・スバルは実感する。単純に否定するだけではダメだろう。
「違うって言っても信じてはくれないよな?」
「ええ。そうですね。あなたから漂う魔女の残り香がそれを証明しています」
魔女の残り香。魔女の匂い。やはりナツキ・スバルには分からない何かが目の前のレムには分かるようだ。
「その残り香があれば魔女教だと断言できるのか?」
「疑わしきは罰する。メイドとしての心得です」
「俺は魔女教じゃないって証明できるぜ」
「どうやって?」
「魔女教ってやつはみんな福音っつう黒い本を持ってるらしいぜ。調べてくれていい。俺はそんなの持ってない」
ユリウスから得た情報を早速活かした。
「なるほど。ですが、そんなもの何処かに隠せば済む話です」
だが、レムはこちらが黒だと決めつけている。
「俺はユークリウス家の食客だぜ?殺すのはまずいんじゃねぇの?」
「そうですね。ですが、あなたはこうしてユークリウス邸を離れました。森の魔獣に殺された風にしておけば問題はないかと」
行動が全て裏目に出た。ユークリウス邸は安全だとあれほど自分に言い聞かせていたのに、このままでは明日死ぬという意識がそれを曇らせてしまった。
「喰らえ!!」
ククリナイフをレム目掛けてぶん投げる。しかし、それはレムが取り出した鎖に弾かれた。その一瞬でナツキ・スバルは森の中へ逃走する。
「うぉぉぉぉ!!」
すぐ後ろの木がモーニングスターに吹き飛ばされた。あれが頭蓋を砕いた武器か。
「しくじった、しくじった、しくじった」
敵はナツキ・スバルの魔女の残り香を便りにこちらの位置を常に捕捉してくる。全速力でユークリウス邸へと戻るナツキ・スバル。鎖の音と共に背後からモーニングスターが襲いかかる。
「ぐおぉぉぉ!」
最後のククリナイフを盾にしてモーニングスターから身を守った。このナイフは元はと言えばあの『腸狩り』エルザの武器。そう易々と壊れたりはしない。
「見えた!!」
ナツキ・スバルの視界にユークリウス邸が映る。あれを潜れば俺の勝ち──
モーニングスターがナツキ・スバルの腕をククリナイフごと吹き飛ばした。
「ごぁぁぁあぁぁあ!!」
今の衝撃でユークリウス邸には入れたものの、自分の右腕がもがれたという事実に声にならない叫びを上げる。視界が涙で曇る中、目の前に人影が映った。
「どうしたの?スバル!!」
鈴の音の様な声を持った少女、エミリアが駆け寄ってくると治癒魔法でナツキ・スバルの右腕を治療する。
「どうじで?」
君は俺を殺そうとしたんじゃないのか?どうして治癒してくれる?
「動かないで!!じっとしていて」
段々と視界が晴れてはっきり見えるようになったエミリアの顔は自分を治すことに集中していた。今になって思い出す前回のループの最期の記憶。レムがあのモーニングスターで自分を殺したとき、この子は最後までレムに静止の声を呼び掛けていた。
痛みが引いていく自分の右腕。俺は勝手にこの子を疑って、助けたことを後悔して、あまつさえあの時死ねと思った。
「ごべん」
「え?」
「ごべんなざい」
事情を理解出来ないエミリアは、それでも優しくナツキ・スバルを撫でる。
「もう。大丈夫だからね」
「エミリア……」
ナツキ・スバルが見上げたエミリアの顔は──
首がなかった。
「え?」
力なく倒れるエミリアの胴体。すぐ後ろには巨大な犬のような生き物がいた。そのぐちゃぐちゃと咀嚼している大きな口からはきれいな銀色の髪がはみ出ている。
「あ?」
それはゴクンと飲み込むと大きな赤い口を開けて──
「うえ?」
ナツキ・スバルを噛み砕いた。
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六話
「スバル。相手はアナスタシア様と同じ、王選候補者の方だ。礼を尽くしても尽くしすぎることはない」
喰われた。
赤い口。
薄暗い口内。
吐き気を催す異臭。
鋭い牙に絡まった血に染まる銀髪。
焦点が定まらずに体がふらつく。自分が立っているのか座っているのかさえ分からない。
「スバル?」
反応のないナツキ・スバルにユリウスが声を掛けた。
「おぇぇぇぇぇ」
ナツキ・スバルは胃の中身を床にぶちまける。自分が吐いたゲボの上に倒れ込むとナツキ・スバルは気絶した。
再び目を覚ますと、見慣れた自分の部屋の天井が目に映る。ゲボにまみれた礼服から寝間着に変えてくれたようだ。
頭蓋を粉砕された死の記憶が薄れてきたと思ったら、再び植え付けられる死の記憶。しかも、今回は頭からの捕食だ。ナツキ・スバルは死に戻りをしてしまった事実に喉の奥から激情が込み上げる。
一度目は頭蓋を粉砕され、二度目は生きたまま喰われた。どちらの死にも甲乙付けがたい。ナツキ・スバルはぼんやりと天井を見つめていた。
「エミリア様はお帰りになられたよ。スバルの体調が優れないことを知って日を改めるそうだ」
二度目のループと同じ台詞がユリウスから告げられる。虚構を見つめるナツキ・スバルはいつの間にか眠りについた。
そして翌日、二度目のループ通りエミリアの訪問が行われる。
「改めまして、先日はありがとうございました。体調が悪いって聞いたけどスバルは大丈夫?」
目の前に座るエミリアの顔を見て、前回のループの最期の記憶を思い出した。自分を必死に治そうとしてくれた横顔。ナツキ・スバルは罪悪感で死にたくなる。この少女に自分を殺そうとする気持ちは1mmもない。
むしろ問題なのは後ろで控える青髪のメイド─レム。恐らく彼女だけが自分が発する魔女の残り香とやらを感知できる。そして、魔女教に相当な恨みを持っていた。今もナツキ・スバルを殺したくて仕方がないだろう。しかし、表立ってレムと二人きりにならなければ殺されることはない。なぜなら、殺そうとするのは彼女の独断であるため、必ずエミリアやユリウスに知られない場所と時間を選ぶ筈だ。
「それで、何かお礼をさせてほしいの」
自分は1日、死の衝撃で寝込んでしまった。このまま行けば、前回のループと同じ結末を辿るだろう。ユークリウス邸に突如として現れた犬を巨大化させたような謎の獣。かつてナツキ・スバルが見た王都を凍らせた獣と比べれば規模も小さいが、それでも脅威となることは間違いない。ひとまずはユークリウス邸の安全を確保する必要がある。
「ユリウスから聞いたんだけど、エミリアちゃんって魔獣を寄せ付けない結界石ってやつを作れるんだってな。それをこのユークリウス邸に付けてほしい」
エミリアが訪問する前にユリウスから魔獣に関する情報を聞いて、それに対する最善策を考えた。外からの侵入を防げれば魔獣に齧られることはなくなるだろう。首のないエミリアの姿を思い出して、ナツキ・スバルは気持ち悪くなった。
「え?そんなことでいいの?」
「ああ」
「スバル」
今まで静観していたユリウスが口を挟む。
「この地域に森はあるが魔獣の被害がここまで届くいたことは一度もない。それでは無駄骨になってしまうのではないか?」
当然の反応だ。二度目の世界は既にナツキ・スバルの中にしかない。
「ユリウス、頼む。結界石の配備を受け入れてくれ。」
しかし、二度目のループから未来を知るナツキ・スバルにとってこの願いは何としてでも通さねばならない。ナツキ・スバルの瞳の中に王都の時と同じ光を感じたユリウスは頷く。
「わかった。君が言うなら何かあるんだろう。私はそれに従う」
「いいのか?」
「ああ」
「ありがとう」
ユリウスの同意も得て、本日会談の後、エミリアによって結界石が配備をされることとなった。
「ボクも君にお礼をしなきゃね」
そして次はエミリアの契約精霊─パックによるお礼。これに関しても既に内容は決まっている。
「そうだな!!それならしばらくの間、猫吸いさせてくれ!!」
死の痛みによって傷ついた自分を癒すことだ。そしてその後は二度目のループと同様、4日後にロズワール邸へ向かうことが決まった。
ナツキ・スバルは部屋で寝転がりながら考えを巡らせていた。
一度目のループでエミリアが訪問した日である昨日を1日目として考える。一度目のループでは4日目の朝にロズワール邸へ向かうこととなり、その道中で魔女教徒の集団に遭遇。レムの疑いが限界を超えてエミリアの前で殺された。
今回と同様、二度目のループでは5日目の朝にロズワール邸へ向かうこととなったが、4日目の夜に謎の魔獣がユークリウス邸に出現。自分とエミリアは喰われて死亡した。
その他にもあった事と言えば、1日目にユリウスが王選候補者であるエミリアよりも優先した事態。
2日目に、ミミがおじょーなる人物と共にユークリウス邸を去ること。
「結局おじょーって誰だ?」
今まで一度も遭遇したことがないおじょー。
「2日目ってことは、今日いなくなっちまうのか!!」
ナツキ・スバルは部屋を飛び出した。ここを逃したらミミはいなくなり、おじょーへの手掛かりが消える。今回のループで何としても突き止めるべきだと判断した。策を講じるにしても情報収集が第一だ。
「いた!!」
ユークリウス邸を駆け回ることしばらく、遂にミミを発見した。ビニール袋からスナック菓子を取り出すことも忘れない。
「ミミ!!」
「んにゃ?おにーさん、だーれ?」
相も変わらず忘れられていることに胸が締め付けられるが、喉に流し込んで恒例の自己紹介をする。
「俺の名前はナツキ・スバル。無知蒙昧にして天下不滅の無一文だ!!」
「おおー!!」
「んじゃ早速だけど、これやるよ」
ナツキ・スバルはスナック菓子の袋を開けると一つ食べてミミに差し出した。ミミは匂いを嗅いだ後にすぐさまがっつく。ナツキ・スバルが手を出す隙はない。何度世界を繰り返してもミミは変わらないようだ。ミミが食べ終わったのを見計らって話を再開する。
「美味かったようなら何よりだ。ところでミミはどうしてここにいるんだ?」
この答えは既に分かっているがいきなりおじょーのことを尋ねるのは不自然だ。
「ミミはおじょーの付き添い!!」
「おじょーの付き添いかー。おじょーって誰だ?」
「おじょーはおじょー」
やはりミミからおじょーの正体については聞き出せない。
「おじょーって今、この屋敷にいるよな?どこにいるんだ?」
核心に迫った問いをミミにぶつける。
「それはいえなーい!!」
「言えない?一体なんで?」
「おじょーに言うなって言われてる!!」
ナツキ・スバルは再び部屋に戻るとミミの言葉について考えた。
「俺に言えないってどういうことだ?」
おじょーについての謎が深まる。ナツキ・スバルに知られる事で何か不都合があるのだろうか?
「ミミから辿らなくてもユリウスからって手があったか!!」
ここはユリウスの屋敷。おじょーがユリウスの屋敷に泊まっているならユリウスが知らない筈がない。さっそくユリウスを探して聞くことにした。
しかし──
「すまないスバル。それは彼女から言うなと言われている」
ユリウスはミミと同じ答えを返した。ミミと同じくおじょーの居場所については明かせないらしい。
「おじょーって一体誰なんだ?」
「それも言うことができないんだ」
「なんでだよ?」
「わからない。あの人にはあの人のお考えがあるようだ」
結局、ユリウスからも何も引き出せないまま、自室に戻って来てしまった。
「ユリウスにもか……こりゃ相当徹底してんな」
ユリウスが駄目な以上、この屋敷の使用人も同じ答えを返すだろう。こうなった以上、僅かな手掛かりから自分で答えを導くしかない。
「今日にはもう帰るんだろ?」
だというのに、ナツキ・スバルに知られたくない理由とはなんだ?
「何かを警戒してんのか?」
思い付くのはユークリウス邸に出現する魔獣だが、ユリウスも最初結界石の配備は必要ないと言っていた様に魔獣を警戒しているとは思えない。それを警戒できるのは二度目のループを体験したナツキ・スバルだけだ。
「ん?待てよ?」
ユリウス・ユークリウスは騎士である。その上、ルグニカの貴族でもある男だ。剣と魔法に秀で王の側近である近衛騎士さえ務められる力量を携えている。だからこそ浮かび上がる違和感。
「お考え……か」
先程の会話でユリウスが口にした言葉。あのユリウスが敬称を付けた。かなり上の立場であるユリウスがだ。
「おじょーはユリウスよりも偉いってことか?」
偉いだけではない。敬称すら付ける人物。その情報で点の一部が線となって繋がる。
「1日目のユリウスの途中退席はおじょーを出迎えることか」
王選候補者であるエミリアよりも優先されるおじょー。
「同じ王選候補者か!!」
ナツキ・スバルが思い付くエミリア以外の王選候補者。ユリウスが熱弁し、忠誠を捧げるその人物は──
「アナスタシア・ホーシン!!」
そのアナスタシアがどうしてナツキ・スバルを警戒する?
「俺の事を間者か何かだと思ってんのか?」
突如、ユークリウス邸へ乗り込んだナツキ・スバルをアナスタシア陣営へのスパイだと疑っている?
「それなら一応筋は通る……か?」
しかし、それを考えた所で現状は何も変わらない。自分がスパイと疑われてようがいまいが、4日目の夜に出現する魔獣をどうにかしなければならないことには変わらない。
ナツキ・スバルの二日目は終了した。
次の日の朝、ナツキ・スバルは剣を振るっていた。もうここまで来れば後はもう、4日目の夜の魔獣と5日目の朝のロズワール邸への出発を残すのみ。やれることは全てやった。今はここに来た目的である剣の修行に専念するのみだ。
「おにーさん。精が出ますな」
隣にはミミが立っていた。
「え?」
「ところでおにーさん。あの美味いやつはもうないの?」
どういうことだ?ここに来て突如発生するイレギュラー。
「ミミは昨日ここを出たんじゃないのか?」
一度目、二度目のループでは、共にミミは3日目の朝を迎えたときには既にいなくなっていた。
「そうだったんだけど、おじょーがもう一日ここにいるって!!」
ナツキ・スバルは素振りを止めて考え込む。
「おにーさん。もう終わりー?」
分からない。一体何がそうさせた?一度目と二度目、そして今回では何が違う?
「分からねぇ」
「なにがー?」
しかし、これはおじょーを探る時間が一日伸びたということでもある。
「ミミ。おじょーの部屋って分かるか?」
「それはいえなーい!!」
やはり誰かから聞き出すことは出来ない。自分の力で探るのみだ。
「やってやるよ」
アナスタシア・ホーシン。その面絶対に拝んでやるぜ!!
素振りを終えたナツキ・スバルは庭に寝転がって青空を眺めていた。エミリアは約束通り、ユークリウス邸に結界石を付けてくれたらしく、壁に等間隔で淡い光を放つ緑の石ある。
「ヤッホー!!スバル」
パックが上から覗き込んできた。
「いい天気だな、パック」
「スバルは何をしているんだい?」
「んーにゃ、ちょっと考え事をな」
ナツキ・スバルはパックを持って、その腹を自分の鼻に押し付けた。
「スーハースーハー」
パックで呼吸しながら考えを巡らせる。
考えることとはそう。アナスタシア・ホーシンについてだ。ナツキ・スバルが一方的に思ってるだけかもしれないが、アナスタシアには勝負を仕掛けられたと思っている。その勝負とはアナスタシアを見付けられれば自分の勝ち、見つけられなければ自分の負けだ。男としてこの勝負には負けられない。
「どうするかねぇ」
「何が?」
アナスタシアを探す方法についてだ。屋敷の部屋をしらみ潰しに探してもいいがそれだと相手は納得しないだろう。どうせやるなら相手を納得させた上で勝ちたい。そうなってくると、アナスタシアには自分から居場所を知らせるヒントのようなものを出してほしいところだが。
「そんなヘマしないよなぁ」
「ヘマってなんだい?」
ユリウスの話ではアナスタシア・ホーシンはホーシン商会を束ねるやり手の会長だ。もしかしたら今、この瞬間もナツキ・スバルの様子を観察しているかもしれない。
ナツキ・スバルは庭から起き上がってユークリウス邸の全貌を見上げる。ここから見える窓の部屋には多くの使用人も住んでいるため、ただ動きがあるだけで当たりを付けるのは無理だ。
「スバルってば本当にパックの匂いを嗅ぐのが好きね」
離れた場所から見ていたエミリアが近くにやってきた。
「おー、エミリアちゃん。結界石の件、ちゃんとやってくれたんだな、ありがとう」
「どうってことないわ。助けてもらったお礼だもの」
こんないい子を疑うなんて、あの時の自分はどうかしていたと、ナツキ・スバルは心底思う。この子を助けるためにもユークリウス邸に出る魔獣はなんとかしなきゃな。
そうだ。今はアナスタシアよりも魔獣だ。ナツキ・スバルは結界石の見回りを行うことにした。
次の日。ロズワール邸へ向かう前日の日がやってきた。今夜、ユークリウス邸に魔獣が出現する。ナツキ・スバルは念入りに結界石を見回りした。ミミはアナスタシア、もといおじょーと共にユークリウス邸から去ったようだ。
勝負は俺の負けでいい。それよりも優先することがあるからな。何としてでも魔獣からこの屋敷を守らなくては。
そして──運命の夜がやってくる。
ナツキ・スバルは自室で待機していた。腰にククリナイフを装備しようと思ったが止める。前回はそのせいでレムからの疑いが更に強くなってしまった。
さて、屋敷の中は結界石もあって安全な筈だが一応見回りしておくか。
ナツキ・スバルが部屋の扉を開くと───
目の前にはどこかで見たような巨大な犬の魔獣がいた。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
間違いない!!アイツは前回のループの最後に自分を食い殺した存在だ!!
急いで扉を閉めて鍵を掛ける。ドゴン!!ドゴン!!とひしゃげていく扉。突破されるのも時間の問題だろう。
「緊急脱出!!」
こんなこともあろうかと用意しておいたロープを伝って屋敷の外に降りる。
「どういうことだ?結界石があれば魔獣は中に入れないんじゃないのか?」
尽きない疑問。ユークリウス邸の中ではあちこちで破壊音が鳴っている。あの魔獣は一匹ではない。その可能性に思い至り、背筋が寒くなる。しかし、一方で屋敷から出てくる魔獣はいない。
「結界石の効果か!!」
外から魔獣の侵入を防ぐために取り付けた結界石が魔獣をユークリウス邸に閉じ込める檻となってしまった。
「そんなバカな!!」
ユークリウス邸に閉じ込められたユリウスやエミリア、使用人達の生存は更に絶望的となる。
「クソ!!」
ナツキ・スバルは壁に取り付けられた結界石を一つ握ると、屋敷の中へと駆け込んだ。
ユークリウス邸の中は地獄と化していた。あちこちにばら蒔かれた臓物。壁を汚す大量の血。そして、体の一部を食い散らかされて息絶えた使用人。
「おぇぇぇぇぇ!!」
夜に食べた物が食道を逆流してくる。ひとしきり胃の中身を吐き出すとナツキ・スバルは歩みを進めた。
「そんな……」
破壊された数々の部屋。涙を流したまま死んでいる使用人。
「違う……俺は……こんな……」
ナツキ・スバルが結界石で魔獣を閉じ込めなければここまでの事態にはならなかっただろう。
遠くから激しい物音がする。
「誰かが……戦っているのか?」
そこにいたのは騎士、ユリウス・ユークリウス。そのユリウスと相対するのは──
「そろそろ貴方のお腹の中身が知りたいわ」
『腸狩り』エルザ・グランヒルテだった。
「なんで、アイツがここに!?」
ナツキ・スバルが叫ぶ間にユリウスは追い詰められていく。エルザと魔獣による連携攻撃。ユリウスは徐々に傷が増えていき──
「アハハハハ!!」
エルザに腹を切り裂かれた。力なく倒れ付したユリウス。ナツキ・スバルはただ見ていることしかできない。肉に餓えた魔獣はユリウスを噛み砕いた。
「ちょっと。もう少し長く中身を見たかったのだけど」
「ごめーん。でも、これ以上『待て』するのはかわいそうだったから」
「あああぁぁぁぁあ!!」
ナツキ・スバルは全速力で逃げる。ユリウスが負けた。喰われた。もうどうすることもできない。屋敷の外を目指してただがむしゃらに走った。
窓を突き破って庭に出る。月明かりがナツキ・スバルを照らした。
「あ……え……あ……」
月明かりを背後に立てられた十字架。ナツキ・スバルを黒いフードの連中が取り囲んだ。その十字架には磔にされ数多の槍で体を貫かれた少女がいた。
「れ……む……」
頭と手足は在らぬ方向へねじ曲げられている。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
ナツキ・スバルは黒いフードの連中を掻き分けて走った。
走った。
走った。
走った。
走った。
走った。走った。走った。走った。走った。走った。
そして、転んだ。
咄嗟に手をついて頭から突っ込むのを回避する。地面から手を離すと──
手が取れた。
「がぁぁぁ!!」
足を見てみると転んだ足が取れていた。
耳が取れる。
鼻が落ちる。
体が崩れる。
ナツキ・スバルは凍りつき、その体は氷となって砕け散った。
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七話
「スバル。相手はアナスタシア様と同じ、王選候補者の方だ。礼を尽くしても尽くしすぎることはない」
意識が覚醒する。
体が粉々に砕ける最期だった。しかし、苦しくはなかった。全身の感覚が遠のいていったから。
こんな死に方、前にもあったなとナツキ・スバルは思い出す。あれはこの世界に召喚されて初めてのループ。王都に出現した獣に凍死させられた時と似ている。死の実感が薄いため、こんな感じで死に戻りをした後でも物を考える力があった。
「スバル?」
だから今回はユリウスの前で、二度目、三度目の様な無様を晒さずにいられる。
「エミリアが来るのってあとどれくらい?」
「一時間もしない内にお越しになるだろう」
ここで倒れる訳にはいかない。二度目、三度目のループでは共にこの1日目を無駄にしてしまった。今だからこそできることがあるはずだ。
「改めまして、先日はありがとうございました」
ナツキ・スバルはエミリアの相手をしながら考える。
「それで、何かお礼をさせてほしいの」
前回のループではこのユークリウス邸を囲うように結界石を配備してもらった。本来であれば屋敷の中に魔獣は入れないはずである。しかし、魔獣は屋敷の中に現れた。その結果、結界石が魔獣を屋敷の中に留めてしまい、ユークリウス邸が地獄と化したのだ。
「もう少し考えてもいいかな?」
魔獣に対して結界石が有効であることは分かっている。ナツキ・スバルが前回のループで魔獣が跋扈するユークリウス邸に突入したとき、魔獣の被害には遭わなかったからだ。しかし、今、このタイミングで結界石を配備する場所を決めるのは早計であると思った。
「わかったわ。決まったらいつでも言ってちょうだい」
「ボクも君にお礼をしなきゃね」
次は今まで通り、パックのお礼。しかし、エミリアと違って何をお願いするかは既に決まっている。
「パックを吸わせてくれ!!」
世界を何度やり直してもこれだけはやめられない。
パックの匂いを嗅いでいると、突然ユークリウス邸の使用人がやって来てユリウスに耳打ちをした。
「なんだと?」
ナツキ・スバルの予想が正しければ、その内容とはおじょーであるアナスタシア・ホーシンの訪問。
「エミリア様、それにスバル。私は急用ができました故、ここで一度失礼させていただきます」
「待ってくれユリウス!!」
恐らくここが、アナスタシアと会うことのできる最後の機会となるだろう。やってきてすぐに顔を合わせれば隠れるもクソもない。
「俺も行っていいかな?」
ユリウスは困った顔をする。
「スバル、悪いがそれはできない。だが、あの人の許可が下りれば会うことも出来るだろう。私の一存では決められないことを理解してほしい」
「それもそうか」
ユリウスが戻ってきたその後は一度目のループと同じように4日後にロズワール邸へ赴くことが決まったが──
「ちょっと待った!!ロズワール邸へ行くのは5日後にしてほしい」
このまま4日後で行くと一度目のループと同じように4日目の朝にはユークリウス邸を出発する。それでは4日目の夜に行われるユークリウス邸の襲撃に対応できない。
この提案には青髪のメイド─レムが反応を見せた。
「何故4日後ではダメなのですか?」
疑われている。ここで突飛なことを言えば更に疑いが増すだろう。4日後に襲撃があると言っても証明できるものは何もない。それどころか襲撃を企てた一味だと見なされる。ここで言うにはやはり時期尚早。
「俺がユリウスの屋敷で世話になってるのは剣を教えてほしいからなんだ。少しでも長く練習したい」
「そうですか」
ひとまずレムは納得してくれたようだ。話は5日後の朝にユークリウス邸を出発することで纏まった。
会議もお開きとなり、自室へ戻る途中でナツキ・スバルはユリウスに声をかけられた。
「スバルに伝言を預かっている」
「伝言?」
これはどう考えても先程の会議でユリウスに付いていっていいかどうかを聞いたことが影響している。
「あの方からの伝言だ。『会いたければ探してみろ』だそうだ。そして期限は3日後だ」
ユリウスからアナスタシアの伝言を聞いた後、ナツキ・スバルは自室で考えを巡らせていた。考えることは山ほどあるが、まずはアナスタシアの伝言についてだ。
「3日後か……」
本来であれば、アナスタシアはミミと共に2日後、ユークリウス邸を去る。これは前回のループと同じ状況になったということ。
「そういや、前回も今回も俺がアナスタシアについて探ろうとしたら期限が伸びたな」
前回はミミとユリウスにおじょーの正体を聞いて、今回は直接会おうとした。前回はミミとユリウスから、今回はユリウスからナツキ・スバルがアナスタシアを探っているという情報を得たことで、アナスタシアはユークリウス邸に1日長く滞在することを決めたのだろう。
「やっぱ、スパイだと疑われてんのか?」
徹底した情報秘匿。前回だけならそう考えていただろう。
「会いたければ探してみろ……か」
今回、明確に示されたアナスタシアからの挑戦状。ご丁寧に期限まで教えてくれている。
「スパイだと疑ってるやつにこんなこと言うか?」
ここで前回、屋敷の結界石の見回りを優先する前に考えていたことを思い出した。
「俺とアナスタシアの勝負……か」
アナスタシアを見つけられればナツキ・スバルの勝ちで、見つけられなければナツキ・スバルの負けだ。アナスタシアが何を考えてこんなことを仕掛けてくるのかは分からない。幸い期限は3日ある。見つけた後に問いただせばいいだけだ。
「さて、そろそろ本題を考えるか」
本題とは勿論、4日目の夜に起こる色んな奴らの襲撃である。
「何故、結界石を潜り抜けたんだ?」
ユークリウス邸にくまなく配備されていた結界石。ナツキ・スバルも念入りに確認したから間違いない。それでも魔獣は現れた。
「内部発生か」
外からでなく中から。それしか考えられない。
「この屋敷にあんな巨体が通れる抜け道でもあんのか?」
仮に、そんな抜け道があるのだとしたら結界石に引っ掛からず魔獣達が内部発生した理由にも説明がつく。
ナツキ・スバルは部屋を飛び出してユリウスに真偽を確かめに行った。
「ユリウス。この屋敷の出入口って玄関だけか?」
「……何故、そんなことを聞くんだい?」
ユリウスにしてみれば家の機密を探られているに等しい。そんなユリウスの想いを知ってか知らずかナツキ・スバルは話し続ける。
「もし、ドデカイ抜け道があるんだとしたらヤバい!!その道を通ってこの屋敷が襲撃される可能性がある!!」
「……なんだって?」
ユリウスがこんな突飛なことを言われるのは二度目であった。一度目は王都の詰所で初めてナツキ・スバルと出会った時だ。本来であれば戯れ言として処理するが、一度目は戯れ言として処理しなかった結果、王選候補者であるエミリアを救うことができた。ナツキ・スバルの言う獣こそ現れなかったが。
「わかった。君には見せよう」
故に、ユリウスはナツキ・スバルに案内することにした。
「これか……」
ユリウスに見せられたのは屋敷の一階にある一際大きな部屋に隠されていた階段だった。ユリウス曰く、この階段を出現させるスイッチはこの部屋の中にも隠し階段の通路にもあるとのこと。
「間違いねぇ」
あの巨大な犬の魔獣でさえ通れてしまうような階段。あの魔獣はここから現れたのだ。
そして、前回のループでユリウスが魔獣と共に相手にしていた存在。『腸狩り』エルザは魔獣と連携しながらユリウスを追い詰めていた。あのエルザは魔獣側ということになる。恐らくだがエルザもこの隠し階段から屋敷に侵入したんだ。
「ユリウス。この階段の先ってどうなってんだ?」
「ユークリウス領の郊外へ繋がっている」
「案内してくれ」
「わかった」
ユリウスはこの階段をナツキ・スバルに見せた時点で、階段の先も案内することを決めていた。
薄暗い暗い道を進んで暫く、自然豊かな森の中へ出た。
「ここからか……」
そこはエルザと魔獣が現れても不思議ではないひとけのない森だった。ユークリウス邸へと戻ったナツキ・スバルはユリウス、エミリア、レムを集めて会議を開く。
「決まったぜ、エミリアちゃんへのお願い事」
「本当!!」
やっとお礼が出来ることに、はしゃぐエミリア。
「……と、その前に。ユリウス。あの階段だけどエミリアちゃん達にもみせていいよな?」
「……わかった。あまり知る人間は増やしたくないが、君にも案内した事だしな」
ほんの少し葛藤した後にユリウスは言った。
「わぁーー。大きな階段!!」
隠し階段を見たエミリアが開口一番に言う。
「さて、エミリアちゃんへのお願い事だが。この階段の先にある通路に魔獣を寄せ付けない結界石をびっしり配備してくれ!!」
屋敷の守りを案ずるナツキ・スバルの提案にユリウスも特に異論はないようだ。屋敷の周囲ならばここに魔獣は出ないと言うところだが、ここまで具体的な場所を示されたとあっては本当に魔獣がこの隠し階段から出てくるような気さえしてしまう。
「わかったわ!!私、頑張っちゃう!!」
ユリウス監督の元、隠し階段の先にある通路に結界石が取り付けられた。
ナツキ・スバルの1日目、終了。
ナツキ・スバルの朝は早い。ユリウスと剣の修行をして体を動かす。それが終われば庭で休憩がてらに空を眺めていた。考えるのはナツキ・スバルを取り囲みレムを殺した黒いフードの連中。
「魔女教か」
一度目のループであれば、魔女教と遭遇するのはロズワール邸へ向かう途中であった。それが前回のループでは出発が1日遅れた為に、このユークリウス邸へやってきたのだ。
「あの遭遇は偶然じゃない」
一度目のループで遭遇した魔女教徒はナツキ・スバル達を意図的に狙っていた。でなければ、ユークリウス邸にまで押し掛ける筈がない。
「かなりの人数がいたな」
自分を一方的に攻撃したレムでさえなぶり殺しに遭うレベル。多勢に無勢と言うやつだ。
「こっちで戦えるのは何人だ?」
ユリウス、エミリア、レムの三人しか思い浮かばない。結界石があるとは言えどうなるか、エルザに魔獣、そして魔女教徒を相手にしなくてはならない。
「人手不足だ」
ナツキ・スバルが行った現状把握では明らかな劣勢であった。
「おにーさん。何してるの?」
頭を抱えるナツキ・スバルに掛けられた陽気な声。ミミが隣に座っていた。
「ミミ!!」
そこにいたのはパックと並んで癒しであるミミ。
「むむむ?ミミ、おにーさんと何処かで会いましたかな?」
それでもやはり、ミミの方は忘れている。ナツキ・スバルは胸が苦しくなりながらもミミに問い掛けた。
「なあ?ミミって強いのか?」
「ミミは強いよ!!ちょーサイキョー!!団長もいればもっとサイキョー!!」
「おおお!!」
突如降って湧いた思わぬ光明にナツキ・スバルは歓喜の声を上げる。ミミの言う団長とは王都の一度目のループで会ったミミの保護者である体の大きな犬の獣人のことだろう。
「団長はどこにいるんだ?」
「団長はここにはいないよ」
「そうだよな……」
そんなに都合よくいる筈がない。王都では運が良すぎたのだ。
「でも団長はおじょーが呼べばくるよ!!」
ナツキ・スバルの頭に電流が駆け巡る。
「おじょーもミミも明日帰るけどね」
今日は2日目、本来であればミミとアナスタシアは今日にでも帰ってしまうが、アナスタシアの計らいによって明日となったのだ。もう時間がない。この人手不足を解消するためにはアナスタシア、もといおじょーに団長を呼んでもらう他ない。
「ミミ!!おじょーの場所は?」
「それはいえなーい!!」
「クソォォォ!!」
ナツキ・スバルはユークリウス邸へと駆け出した。
「ユリウス!!ユリウス!!ユリウス!!」
大急ぎでユリウスを捕まえて聞きたいことを聞く。
「どうしたんだスバル?」
「お前の主であるアナスタシアさんについて教えてくれ!!」
「……それは何故だい?」
「今、アナスタシアさんはこの屋敷にいるんだろ!!」
「……どうしてそう思うんだい?」
「昨日、ユリウスは王選候補者であるエミリアちゃんと会ってる最中に途中退席したよな?ユリウスみたいな礼節にしっかりとした近衛騎士がエミリアちゃんよりも優先するべきことが出来たってことだ!!」
「……それで?何故アナスタシア様がここにいると?」
「ユリウスがエミリアちゃんよりも優先するべきことなんて一つしかない。同じ王選候補者だろ?仮にアナスタシアさん以外の王選候補者だった場合、エミリアちゃんよりも優先するはずはないからな!!」
「なるほど……」
ユリウスはフーっと息を吐いた。
「スバルの言う通りだ。アナスタシア様は今、この屋敷におられる」
「でだ、昨日ユリウスが俺に伝えた伝言は覚えてるよな?」
「ああ」
「『会いたければ探してみろ』。アナスタシアさんがどういう理由で俺を避けてるのかは分からないが、これは俺とアナスタシアさんの勝負なんだよ!!」
「勝負?」
「そう!!見つけられたら俺の勝ちで、見つけられなかったら俺の負けだ」
「なるほど、確かにあの方のやりそうな事だ。しかし、スバル。君がその勝負に乗る必要があるのかい?」
「あるんだよ!!アナスタシアさんは明日にでも帰っちまう!!そうなったら俺の負けだ。男として負けられない戦いがそこにあるんだ!!」
死に戻りのことを話さずにそれっぽく会わなければならない理由を伝えるナツキ・スバル。しかし、その熱意はユリウスに伝わる。
「俺がこの屋敷の部屋を片っ端から捜索してもアナスタシアさんはきっと納得しないだろう。俺は確実な根拠を持ってアナスタシアさんの居場所を見つけないといけない。その為にもユリウス!!アナスタシアさんの情報が必要なんだ」
「しかしだな……」
「問題はないハズだぜ!!向こうもそのつもりなんだ!!ユリウスやミミたちに課せられた指示は『ミミから漏れるであろうおじょーの正体の秘匿』と『おじょーであるアナスタシアさんの居場所の秘匿』だろう?」
「………」
「一つ目の指示はこの勝負の難易度が下がっちまうから。そして二つ目の指示はこれがなけりゃ勝負にならないからな」
「……なるほどな」
「だが、アナスタシアさんがどんな人かについての情報なら教えて問題ないハズだ!!」
しばらく訪れた静寂。
「わかった」
その後にユリウスが答える。
「君にアナスタシア様がどんなに素晴らしい人か教えよう」
ユリウスも中々に乗り気な様だ。
「ふー」
ユリウスの話を聞いた後、ナツキ・スバルは自室に戻ってその内容を反芻していた。
商業が盛んなカララギという国において、数年で自分の商会を1、2を争うまでに成長させたという天才。相手によっては実力行使すら辞さない猛者である。己に仕える一の騎士であるユリウスの戦いを見るのが好きなんだとか。鉄の牙と呼ばれる私兵団を有しており、ミミもその一員である。ミミはかなりのお気に入りで、よく一緒にご飯を食べたりするらしい。
「ユリウスから聞いた話を元に作戦を立てていくか」
ユリウスからの情報で思い付いた策がある。
「まずはそれを試すとするか」
MIO作戦の開始だ!!
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八話
ナツキ・スバルが今分かっているだけでも、このユークリウス邸を『腸狩り』エルザ、犬の魔獣、魔女教徒の集団が4日後の夜に襲う。今日は二日目、すなわち明後日の夜にはこのユークリウス邸宅は地獄となるのだ。
その襲撃者の面々を迎え撃つには更なる戦力が必要となる。現状、この屋敷にいるユリウス、エミリア、レムだけでは歯が立たないレベルだ。そこで、ナツキ・スバルは王選候補者の一人であるアナスタシア・ホーシンにミミの言う団長を呼んでもらうことにした。
しかし、現在アナスタシアはユークリウス邸で雲隠れを決め込んでいる。ユークリウス邸の戦力不足を解消するにはアナスタシアと会う必要があるのだが、肝心の居場所が分からなかった。屋敷をしらみ潰しに探しても、それではアナスタシアの興が削がれて頼みを聞いてはくれないだろう。だからこそ、アナスタシアの方からアクションを起こさせる必要がある。
その為の作戦がMIO作戦だ。
ナツキ・スバルはユークリウス邸の庭でレジャーシートを広げていた。ユリウスから借りたシートの上に腰かけて目的の人物を待つ。その手にはスナック菓子の袋が開封されていた。あの子ならこの匂いに気付くはずだ。
「おにーさん!!何それ?すごくいーにおい!!」
来た!!ナツキ・スバルが待つその人物とはミミである。
「おーミミ!!一緒に食べるか?」
スナック菓子を一つ、口に放り込みながら言った。
スナック菓子にこれ以上手を出さないという条件で、ナツキ・スバルは膝の上にミミを乗せていた。スナック菓子にがっつくミミの動作で、そのフサフサの猫耳が頬に当たってこそばゆい。ナツキ・スバルは至福の時を過ごしていた。
アナスタシア。お前も来いよ!!早くしないとミミがお菓子を食べ終わっちまうぜ!!ナツキ・スバルはミミの頭を撫でながら、アナスタシアがいるであろうユークリウス邸を見上げた。
これがMIO(ミミと一緒にお菓子)作戦である。ユリウスからアナスタシアはミミと一緒に食事をするのが好きだと聞いた。ならばこんなレジャーシートの上で楽しくお茶会していれば自分も混ぜてと言ってくるかもしれない。
「ダメだな……」
庭から確認した限り、ちらほらと動きのある窓はあった。しかし、このユークリウス邸には使用人も住んでいるためそれだけでは当たりを付けられない。動きがあった部屋に突入してもいいが、まだ絞り混みが足りない。最初に開けた部屋がアナスタシアの部屋であるくらいには追い込みたいところだ。そうでなければ向こうも納得しない。
ユークリウス邸を観察している間にミミはスナック菓子を食べ終えてしまった。空になったスナック菓子の袋をミミから回収する。
「おにーさん!!またあしたー!!」
ミミは去っていった。MIO作戦ではあまり収穫がないまま、ナツキ・スバルは2日目を終える。
「もうYGK作戦しかねぇな」
それが一晩考えたナツキ・スバルの答えであった。アナスタシアの目につく場所で、興味を引くようなことをしてアナスタシアを動かしても、使用人も動いてしまえば特定は出来ない。
アナスタシアの興味を引く。
屋敷から使用人を排除する。
この二つを同時になし得るのがYGK作戦である。今日がアナスタシアの帰ってしまう3日目。泣いても笑ってもこれが最後のチャンスだ。これを逃せば、ナツキ・スバルは再び、地獄の様な光景を目にした後、死に戻りをするしかない。もうあんなのは懲り懲りだ。自分が死ぬのも、目の前で誰かが死ぬのも。
「やるしかねぇな」
ナツキ・スバルに退路はない。
3日目の朝。ナツキ・スバルはユリウスにある提案をしていた。
「もう一度言ってくれ、スバル」
ユリウスはナツキ・スバルのその提案を聞き返す。
「んじゃ、もう一度言うぜ。ユリウス、俺と決闘してくれ!!」
これがYGK(ユリウスとガチ決闘)作戦である。
「なぜ、私が君と決闘をしなくてはならないんだい?」
「アナスタシアさんとの勝負に勝つためだ!!」
ユリウスから得た情報。アナスタシアは己の一の騎士であるユリウスの戦っている姿を見るのが好きらしい。これなら確実にアナスタシアの興味を引ける。
「だが、君と私では……」
そう。力量が違いすぎる。ユリウスとナツキ・スバルの戦力は文字通り天と地の差だ。これまでの剣の修行で痛いほど理解している。
「頼むユリウス!!俺と戦ってくれ!!」
真っ直ぐと己を見つめるナツキ・スバルの黒い瞳をユリウスは見た。
「一方的な戦いとなるだろう」
「そうだな」
「それでも君はやると?」
「ああ!!」
ナツキ・スバルが折れることはないと悟ったユリウスは決断を下す。
「わかった。君の申し出を受けよう」
「ユリウス……」
「アナスタシア様の御前だ。手は抜かないよ」
「ああ。ありがとう」
ナツキ・スバルとユリウス・ユークリウスとの決闘の知らせはユークリウス邸に瞬く間に広がった。
ナツキ・スバルは木剣を持ってユリウスと相対する。場所はユークリウス邸のどの部屋からも見ることができる庭だ。王選候補者であるエミリアそして多くの使用人が庭に下りてナツキ・スバルとユリウスの様子を出来るだけ近くで見ていた。
これでいい。部屋で寛いでる使用人でもこんなイベントがありゃ間近でみるだろ。
「スバルそろそろ始めようか」
自分と同じく木剣を持ったユリウスが言う。
「そうだな。その前にルールの確認だ。勝利条件は『相手に参ったと言わせる』か『相手を気絶させる』か『相手の木剣を手放させる』のどれか1つでいいな?」
「……ああ。わかった」
ユリウスが即答しなかったのには訳があった。ナツキ・スバルとは剣の修行をした上で、その才が凡庸であることは分かっている。100回戦っても100回勝てるだろう。しかし、今回の決闘の最後の勝利条件である『相手の木剣を手放させる』という言葉にユリウスは思うところがあった。
ユリウスがナツキ・スバルと初めて出会った王都。その貧民街で『腸狩り』エルザと遭遇した。エミリアとパックのコンビネーションによって一度、エルザはその身を氷に閉ざしたが、そこで気を緩めてしまい『防魔の外套』を纏ったエルザの奇襲に対応できなかったのだ。本来であればエミリアは致命傷を負っていた。しかし、ナツキ・スバルがエルザの武器を手元へ召喚することで難を逃れたのだ。加護に依るものかどうかは分からないがナツキ・スバルに妙な力があることは間違いない。
そして今回の『相手の木剣を手放させる』という条件に関してはナツキ・スバルに分があると言わざるを得ないだろう。何故なら自分はナツキ・スバルがどうやってエルザの武器を消したのか検討も付かないのだから。もしかすれば始まりと同時に剣を奪われるかもしれない。ユリウスは油断の欠片もなくナツキ・スバルを見据えた。
「それじゃあ、合図は私がするわね」
エミリアが宣言する。
「よーい。どん!!」
エミリアの合図と同時にナツキ・スバルは駆け出した。木剣をユリウスに振り下ろす。当然、ユリウスは難なく弾くがその動きはどこかぎこちない。ナツキ・スバルの一挙一動に集中し、武器を奪った力のネタを暴こうとする。
「ぐぁ!!」
ナツキ・スバルはユリウスの剣に吹き飛ばされた。ユリウスは疑問だった。ナツキ・スバルが自分に勝つためにはあの力を使う他ない。
「がっ!!」
再び吹き飛ばされるナツキ・スバル。剣こそ離さなかったものの、力を使う予兆がまるでなかった。使えないのか、使うのに条件があるのかは分からないが、ユリウスはこの決闘を終わらせることにした。
「ぐぁあ!!」
もう何度目になるか分からないユリウスによる吹き飛ばし。ナツキ・スバルは震える膝を抑えながら立ち上がった。
「はぁはぁはぁ」
息切れするナツキ・スバルに対して、ユリウスは息切れどころか汗一つかいていない。
「降参してはどうだ?スバル」
ユリウスからの提案。
「ユリウス……」
「君では私に勝てない」
「だろうな」
ナツキ・スバルは即答した。
「君に勝機はないだろう」
「それはどうかな?」
その言葉にユリウスが反応をみせる。
「ルール無しのなんでもありなら、勝ち目はねぇけどよ。今回に限っては一つだけ勝ち目があるだろ?」
「………」
「お前なら分かってる筈だよな?」
「……ならば何故、そこまで追い詰められてもあの力を使わない?」
「言っただろ?これはアナスタシアさんの御前だって。それが答えだ」
ナツキ・スバルの勝算というのは勿論『死に戻り』暴露の際に発生する時間停止。その中で唯一動ける影の手にユリウスの武器を奪ってもらうことだ。
何故、今の今までそれを使わなかったのか。これは決闘の目的としてアナスタシアに確実に見てもらう必要がある。では、決闘の中で最も注目度が高いのは?それは決着する瞬間だと思った。
「スバル!!これ以上は危険よ!!」
エミリアが身を案じてくれている。そろそろいいだろう。
「なあ、ユリウス。俺と勝負しないか?」
「勝負?」
「次で終わらせよう。俺はあの力を使うぜ?先に相手の武器を飛ばした方の勝ちだ!!」
「なるほど。君が私から奪うか、私が奪われるよりも前に君の武器を飛ばすかという勝負か」
「乗るか?ユリウス!!」
不敵な笑みを浮かべるナツキ・スバルにユリウスは優雅に笑う。
「いいだろう、スバル!!その勝負受けて立つ!!」
ナツキ・スバルとユリウス・ユークリウス。両者同時に地面を蹴った。
もはやその速度はナツキ・スバルには見ること叶わない。圧倒的な速度で振るわれたユリウスの木剣はナツキ・スバルの木剣を正確に弾き飛ばす。ユリウスは確かな手応えと共に、この決闘に終止符を打った。
「バカな?!」
ユリウスは驚きの声を上げた。エミリアは勿論のこと、周りを取り囲む使用人たちもざわめきの声を上げる。
ユリウスは確かにナツキ・スバルの剣を弾いた。前で落下する剣がその証拠だ。しかし、ユリウスの剣も消えていた。その剣はナツキ・スバルが手にしている。
ナツキ・スバルは胸を抑えながら──笑っていた。
ナツキ・スバルはユリウスの目標を剣に固定させる必要があった。問答無用で気絶させられたのでは『死に戻り』を暴露することなくこちらの負けだ。それほどまでにユリウスの剣速は凄まじい。しかし、剣を弾かれた直後であれば意識はある。勝負でユリウスの狙いを固定したのだ。
膝を落として苦しむナツキ・スバルにこれ以上戦う力がないことは明白だ。しかし、決闘の勝利条件は『相手の木剣を手放させる』こと。
無傷のユリウス。
傷だらけのナツキ・スバル。
それでもこの決闘は両者引き分けだった。
唖然とするユリウスを横目にナツキ・スバルは確かに見た。ユークリウス邸の最上階一番左の部屋の窓の中が大きく動いたことを。そして、その場所は確かにMIO(ミミと一緒にお菓子)作戦でも動きのあった窓だった。
「そ、そこまで!!引き分け!!」
エミリアの決着の合図と共に走り出す。身体全身が痛むこともお構いなしに走った。アナスタシアが部屋を変えてしまえば全てが水の泡。その前に何としてでもたどり着く必要がある。
ナツキ・スバルは使用人を掻き分けてユークリウス邸へ駆け込んだ。階段を駆け昇り、最上階を目指す。
「これから何をなさるお積もりですか?」
目の前にナツキ・スバルの頭蓋を砕き、右腕を粉砕した青髪のメイド──レムがいた。
ナツキ・スバルにとって恐怖の象徴ともいえる少女─レム。使用人は全て出払っておりここにいるのは二人だけだ。
「そこをどいてくれないか?」
「質問に答えてください。あなたはこれから何をなさるお積もりですか?」
「俺はこの屋敷にいるアナスタシアさんに会いに行くだけだ!!」
ナツキ・スバルとしてもこの機は逃せない。
「アナスタシアさんから伝言をもらった。『会いたければ探してみろ』と。これは俺とアナスタシアさんの勝負なんだよ!!」
「では質問を変えます。あなたは先ほどユリウス様と戦ってもいましたが、決闘の最後にユリウス様の剣を奪いましたよね?魔女の残り香……。何故あなたが身に纏うその悪臭が強くなったのですか!!」
ここに来て知る新たな情報。あの影の手が魔女の物ならば、それを呼び出す『死に戻り』の暴露はナツキ・スバルの魔女の残り香を強くするらしい。いや、レムが言うなら間違いないのだろう。
「なるほどな。それが今、このタイミングで俺に接触してきた理由か」
「ッ!!と言うことはつまり……」
「いや違う、あれはペナルティだ」
レムには全てを説明することにした。
「俺が好き好んでこんな匂いを漂わせてると思うか?俺じゃない!!別の誰かが俺にこの匂いを付けてんだ!!そいつの気に障ったことを俺がすればこの匂いは濃くなるんだ!!」
「………あなたは何のためにアナスタシア様にお会いしたいのですか?」
レムが核心に迫る質問を繰り出す。
「それは……みんなを救うためだ!!」
「救うため?」
「このままじゃあ、この屋敷は地獄になっちまう!!俺はもう誰かが死ぬところなんて見たくねーんだ!!そいつを回避する為にはアナスタシアさんの力が必要なんだよ!!」
レムにしてみれば突飛なことを喚き続ける目の前の男。しかし、誰かを救いたいという気持ちは上辺ではないと感じた。
「通してくれ!!レム!!今しかないんだ!!お前が俺に聞きたいことは山のようにあると思う。それには後で全部答える!!だから頼む、今だけはそこを通してくれないか!!」
ナツキ・スバルの渾身の叫び。
「………ここはユリウス様のお屋敷ですからね。今殺すわけにはいきません」
「レム!!」
「後で必ず全てを洗いざらい吐いて貰いますからね」
「わかってる」
「レムも同行します。まだ疑いが晴れたわけではありませんから」
「分かった!!んじゃ二人で行くぜ!!」
走るナツキ・スバルの後を追うレム。
「あなたがユリウス様にやられた傷も相当です。いつ気を失ってもおかしくありませんよ」
「アナスタシアさんに会うまでは根性だ!!」
目星を付けた部屋の前に到着する。ここだ、間違いない。
ナツキ・スバルはノックをした後に部屋の扉を開けた。そこにいたのは──
「おお!!おにーさん!!傷だらけだけど、だいじょうび?」
杖を持った猫耳少女のミミと──
「いらっしゃいナツキ君。ようここがわかったなぁ」
関西弁を使う、白い服に身を包んだ女性だった。
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九話
「ここに来たことやし、もう知っとると思うけど一応自己紹介や」
アナスタシアの部屋にたどり着いたナツキ・スバルは椅子に座り、机を挟んでアナスタシアと向かい合っていた。アナスタシアの後ろにはミミが、ナツキ・スバルの後ろにはレムが控えている。
「ウチはアナスタシア・ホーシン。ホーシン商会の会長や」
「初めましてだな、アナスタシアさん。そっちも色々と俺のこと知ってそうだけど一応自己紹介」
ナツキ・スバルはゴホンと喉を調えた。
「俺の名前はナツキ・スバル!!無知蒙昧にして天下不滅の無一文だ!!」
「おお!!こーじょーってやつですな!!」
ミミはいい反応を返してくれるが当のアナスタシアはナツキ・スバルを値踏みするように見る。
「無知蒙昧ねぇ。この部屋に来ることが出来たのに、無知蒙昧は少し通らんとちゃう?」
「おお!!んじゃ、無知蒙昧は卒業で」
アナスタシアの言葉に同意を示すナツキ・スバルだが、早速本題を切り出すようなことはしない。その本題とは勿論、このユークリウス邸に戦力を集めることである。しかし、まずはジャブを打ち込んでアナスタシアの人となりを知らなくては。ナツキ・スバルはユリウスから聞いた情報でしかアナスタシアを知らないのだ。
「ユリウスから聞いてたけど王選候補者でアイツが主と崇めてるんだってな」
「そうやで。ユリウスはウチの一の騎士や」
「『会いたければ、探してみろ』。その一の騎士を通じて、どうして俺にそんなことを言ったんだ?」
アナスタシアがこの屋敷にやってきた1日目にユリウスから伝えられた伝言。
「ん~?ナツキ君はなんでやと思う?」
ナツキ・スバルの問いに対して、アナスタシアは楽しそうに聞き返す。
「前はアナスタシア陣営の間者か疑われてんのかと思ったけどな、疑ってるやつにそんな伝言しないだろ?」
「そやな。でも、確かにそれもあるで」
「他にもなんかあるってことか?」
そんな、考えるナツキ・スバルをアナスタシアは面白そうに見ていた。
「これは俺が個人的に感じたことなんだが、あの伝言はアナスタシアさんが俺に仕掛けた勝負なんじゃないかと思うんだよ」
「勝負?」
「ああ、アナスタシアさんを見つけられたら俺の勝ちで、見つけられずにアナスタシアさんがユークリウス邸を出ちまえば俺の負けって勝負だ」
ナツキ・スバルの答えにアナスタシアは笑みを深める。
「勝負……。あながち間違いでもないなぁ。確かにその通りや」
「んで?アナスタシアさんはどうしてこんなことを?態々、ユリウスやミミに正体や居場所を口止めさせてまでして」
「それはな──ナツキ君の価値を測るためや」
「俺の価値?」
そうやで、と言うとアナスタシアは続けた。
「商売と同じや。多少の不利益があったとしてもそれを上回る利益があればいい。ナツキ君はそうは思わん?」
「なるほどな。ってことは、間者の可能性があることを差し引いても、俺には会う価値があったって解釈でいいか?」
「そうやな。3日でウチの存在に気付き、ウチの居場所を一発で探り当てた。ミミと仲良くお茶会しとったのは兎も角、ユリウスと引き分けたのは脱帽やったわ。真剣勝負ならまだしも、あれは前もってルールを決めていた決闘。どうやったかは分からんけど、ユリウスの剣を奪ったのは流石やと言う他ないな」
「まあ、アナスタシアさんが驚いてくれたお陰で、こうして会えてるんだけどな」
「その機会を作ったナツキ君に素直に賞賛やわ」
アナスタシアは紅茶に口を付けると言葉を続ける。
「それで、ナツキ君がウチを探しだしてまでやりたかったことってなんや?」
「もしかして、無料でお願い聞いてくれたり?」
そうなれば万事解決ではあるのだが。
「それは物にもよるけどぁ」
「まぁ。そうだよな」
そこで、部屋の扉が開かれてユリウスとエミリアが入ってくる。
「アナスタシア様!!」
「いた!!ちょっとスバル!!あなたの身体はユリウスにやられてボロボロなのよ!!」
それを見たナツキ・スバルはニヤリと笑った。そして、ユークリウス邸を取り巻く難題を一気に解決する一手を打つ。
「それじゃあ、今から緊急ユークリウス邸首脳会議を開くぜ!!アナスタシアさん、勿論アンタも参加してくれよな!!」
それから、ナツキ・スバル発案のユークリウス邸会議開催が決まった。その場は一旦お開きとなったが、その際にアナスタシアが最後に放った台詞──
──もう一つの価値を超えることを期待しとるわぁ。ナツキ君──
それが、ナツキ・スバルの耳に残った。
そこは1日目にエミリアを迎えたユークリウス邸にある応接室。その部屋に、ユリウス、アナスタシア、ミミ、エミリア、レム、そしてこの会議の発案者であるナツキ・スバルが集まっていた。
「アナスタシアさんも、ユリウスのお屋敷にお泊まりしてたのね」
エミリアがこの三日間で初めて顔を合わせるアナスタシアに言う。
「エミリアさんもおおきに。ウチのユリウスと食客のナツキ君の世話になったそうやねぇ」
「そうなのよ。王都ではすごーく助けられちゃって」
「ユリウスは騎士やからお礼とかはいらへんけど、恩は感じてるんよな?」
「う、うん。いつかはユリウスにもお礼しなきゃなって思うわ」
「それならええわぁ」
えげつねぇ……。ナツキ・スバルはアナスタシアの手腕に内心引く。純粋無垢なエミリアから言質を取りやがった。これがアナスタシアが商売の天才である所以の一つなのだろう。
「ゴホン!!それじゃあ、早速だけどユークリウス邸首脳会議を始めようか」
「何するん?」
アナスタシアが面白そうに言った。それにナツキ・スバルはレムを見ながら返す。
「……っと、その前に、レム。後で洗いざらい答えるって言ったよな?聞きたいことを全部聞いていいぜ」
レムはピクリと反応した。
「今……ですか?」
「そうだ!!この面子の前なら俺は適当な事言えねぇだろ。元よりそのつもりだから、遠慮なく聞いてくれ」
「……わかりました。では遠慮なく聞きますね。何故あなたから魔女の悪臭がするのですか?」
その質問にはユリウスが手を挙げる。
「一ついいだろうか?魔女の悪臭とはなんだい?」
ナツキ・スバルはレムに遠慮なく答えるよう促した。
「レムが俺から感じる魔女の悪臭とは何か、全て説明してくれ」
「わかりました。レムがナツキ・スバル様より感じる魔女の悪臭とは、魔女教を崇拝している魔女教徒の連中が身に纏う物と同じ代物です」
「ウチからも一つええかな?」
次はアナスタシアが手を挙げる。
「レムちゃんやったな?レムちゃんはナツキ君から魔女教徒と同じ匂い、悪臭を感じると?」
「はい。そうです」
「そないな悪臭やったら、ウチやユリウスも感じてええ筈やろ?百歩譲って人間であるウチらが感じんくても、獣人であるミミまで何も感じんのはおかしいとちゃう?」
「それは……レムにだけ分かる匂いだからです。姉様にも分かりません」
「レムちゃんの姉様にも分からん匂い。レムちゃんはどうやって分かるようになったん?」
「そ、それは………」
レムは言葉を濁らせた。それを見たナツキ・スバルはアナスタシアとレムの会話に割り込む。
「レム。俺が言うのも何だけど言いたくないなら無理して言わなくてもいいんだぜ。人には誰だって言いたくない事の一つや二つある」
「ナツキ君。それは無理なんよ」
しかし、アナスタシアはレムに答えを強要した。
「ナツキ君が本当に魔女教徒と同じ匂いをしとるのか、レムちゃんの法螺なのかはっきりさせなあかん」
「ちょっと、アナスタシアさん?!」
「これはナツキ君だけの問題とちゃうねん。ナツキ君はユークリウス家の食客やろ?」
そう言われてしまえばナツキ・スバルは黙るしかない。しかし、その時間でレムは覚悟を決めたのか、己の過去について話し始めた。
レムの話を纏めると、レムとレムの姉様は鬼族と呼ばれる亜人種で、昔は山奥の村に住んでいたとのこと。ある日、村が魔女教徒に襲撃されてレムは姉様以外すべての家族を失った。それからレムは魔女教徒の悪臭を感じ取れる様になったという。
「そ、そうだったのか……」
ここに来て判明するレムがナツキ・スバルへと向ける殺意の理由。それを聞いたアナスタシアが話を進めた。
「なるほどなぁ。それならまあ、レムちゃんが魔女教徒の悪臭を感じる力があるってことにも納得がいくかもなぁ」
アナスタシアは次にナツキ・スバルへと視線を向ける。
「ほんなら次はナツキ君の番や。レムちゃんの力がほんまやとして、ナツキ君に魔女教徒と同じ匂いがする理由は?」
ナツキ・スバルはこの会議でレムの質問に答えると決めた時点で、自分の生い立ちについて語ることを決意していた。
「それに答えるにはまず。俺の出身について話す必要があるな」
ナツキ・スバルはこの会議に出席している全員を見渡す。
「俺は六日前まで日本という国で暮らしていた!!故に無知蒙昧……は卒業だとしても、無一文だというわけだ!!」
その発言に全員ポカンとした。
「アナスタシアさん。日本という国について聞き覚えは?」
「あらへんなぁ。長いこと商売やってきたけど初めて聞くわぁ」
「それもそうだろう。なぜなら、日本はこの世界ではない別の世界の国だからだ!!」
ナツキ・スバルの言葉にアナスタシアは少しがっかりしたように言う。
「あのなぁ、ナツキ君。別の世界っちゅうことは大瀑布の向こう側っちゅうことや。今までもそんなことを嘯く輩はおる。その大抵が相手にしても損なばかりの連中なんよ」
「なるほどな。確かにアナスタシアさんの側からすれば只の妄言にしか思えないよな?」
「そういうことや。悪いけどウチとミミはここらで帰らせてもらうでな」
席を立つアナスタシアとミミにナツキ・スバルは切り札を使う。このユークリウス邸の絶望的な状況すら一変させる切り札だ。
「なんやそれ?」
商売の天才であるアナスタシアでさえ目を引く物がナツキ・スバルの前にあった。
そのアナスタシアの反応にナツキ・スバルはニヤリと笑う。
「これは俺が日本から来たという証拠の物品だ。おそらくこの世界には二つとないものだぜ!!」
ナツキ・スバルの目の前に広げられていたのは、ガラケー・カップ麺・ミミに食べられたスナック菓子の袋・ビニール袋。ナツキ・スバルが異世界へと召喚された際に身に付けていた初期装備一覧だった。
「アナスタシアさん。ここを逃せばきっと二度とお目にかかれないぜ。続きを聞きたきゃ席に座りな!!」
ナツキ・スバルの目の前の物品に目を通したアナスタシアは渋々と椅子に座り直した。
「まぁ、ええわ。続きを聞いたる。しょうもないもんやったらホーシン商会敵に回すって覚えとき」
「勿論だぜ!!アナスタシアさん。んじゃあコイツらの説明をするぜ」
ナツキ・スバルは持ってきた日本の品を自分が知る限り、事細かに説明した。
「さ~て、どうかな?アナスタシアさんの見覚えのある品はあったかな?」
未だ吟味を続けるアナスタシアに言う。
「ミミが食べとった菓子の袋。確かに見たことない素材や。丈夫で頑丈。この白い袋もどうやって作ったか検討もつかへん。このカップ麺やったな?これも今までにない携帯食や。そして、このガラケーちゅうミーティア。ウチも職業柄ミーティアは扱っとるが、ここまでボタンの多いものは初めてみる。確かにこの世界にないっちゅわれても納得せぇへんことはないなぁ」
「よーし!!んじゃ俺が別の世界の人間だとアナスタシアさんにもお墨付きを貰った上で、なんで俺から魔女の悪臭がするのかを説明するぜ」
ナツキ・スバルはパンと手を叩いて話を切り替えた。
「俺は六日前にこのルグニカに来たって言ったな?ユリウス、お前と初めて会った日だ」
「私がスバルの案内に従ってエミリア様を『腸狩り』から助けた日だな」
ユリウスも六日前という言葉に補足を入れる。
「そうだ。俺はその日に日本からルグニカの王都へ召喚された」
「召喚?」
馴れない言葉にユリウスが聞き返した。
「ああ。俺は気付いたら王都にいた。なんの前触れもなくな。俺も詳しくは分からねぇけど、俺をルグニカに召喚した奴が俺に魔女の残り香を付けたんだ」
「本来なら眉唾やって切り捨てるんやけどなぁ」
しかし、ルグニカどころかカララギでも見掛けない異色の品々がその選択をアナスタシアに取らせない。
「レムには悪いけど俺が魔女の悪臭について分かってるのはこれくらいしかないんだ」
「……なるほど。分かりました。あなたの話では六日前にルグニカに現れたとのことですので、それ以前にあなたが活動していた痕跡がないか洗い出してみます」
「まぁ。それしかないなぁ。裏の裏までばっちり探ったるさかい、ナツキ君は覚悟しときぃ」
アナスタシアもレムの言葉に同意した。
「ま、まぁ。みんながそれで納得するってんなら、それでいいや………」
ナツキ・スバルはこの流れに乗じて新たな情報を開示する。
「それじゃあ、今回みんなに集まってもらった本題について話させてもらうとするぜ!!明日の夜。このユークリウス邸が襲撃される。その為に力を貸してほしい!!」
その発言に全員が反応した。
「襲撃やて?また突飛なこといいだすなぁ」
代表してアナスタシアが言う。
「ナツキ君にどうしてこれから、ユリウスん家が襲撃されるって分かるねん?襲撃者の一味なんか?」
これから襲撃されることを話す上で避けては通れない疑問。これに対してナツキ・スバルは答えを決めていた。『死に戻り』に関して話さずにみんなを納得させるだけの答えを。
「そうじゃない。俺がこれから襲撃が起こることを知ってんのは、ある能力によるものだ」
「能力?」
それには心当たりのあるユリウスが聞いた。
「ああ。俺は日本からルグニカに召喚された時にある能力を得た。それは──断片的にではあるが未来を知る事が出来る能力だ」
世界は止まらない。これは許されるのだとナツキ・スバルは内心安堵する。
「まさか、その能力によってスバルは私を貧民街に案内するよう行動したのか?」
「そうだ」
かつての王都での出来事を思い出すユリウス。
「しかし、君はあの時、エミリア様が『腸狩り』と遭遇する事は知らないと言った。王都に未知の獣が出現するとも。しかし、獣は結局出現しなかった様だがそれについてはどう説明するんだ?」
「ユリウスの推測通りだ」
ユリウスの推測。それは『腸狩り』を撃退した事によって獣が出現しなくなったというものだ。
「俺達が何もしなければ、獣は確かに出現した。だが、俺達の行動によって獣が出現するという未来が変わったんだ。本来なら、ユリウスは貧民街になんていないし、『腸狩り』からエミリアちゃんを守るなんてことはないからな」
「確かにな」
「今回もそれと同じだ。俺達が何もしなけりゃ間違いなく、この屋敷は血の海に沈む。エミリアちゃんへのお願いであの階段の守りは固めたが、それだけじゃあ焼け石に水だ。みんなの力が必要なんだ」
「……あの階段から侵入されるということですか?」
1日目にナツキ・スバルに見せられた、ユークリウス邸の隠し階段。その通路に結界石がエミリアによって取り付けられているのを見たレムが聞く。
「そうだ。魔獣はそれで何とかなるかもしれないが、その他への対処はあの結界石だけじゃあ出来ない」
「ちょっと待ちぃや!!」
今まで、黙って話を聞いていたアナスタシアが口を挟んだ。
「ユリウスが納得しとる様やし、ナツキ君の未来視に関しては何も言わへん。何がこの屋敷を襲撃すんのかはっきりと言いや!!」
「アナスタシアさんは信じてくれんのか?」
「ナツキ君が言う内容次第や。はよいい!!」
「わかった。今のところ屋敷を襲撃すんのが分かってるのは、エルザ・魔獣……そして、魔女教徒だ」
「魔女教徒!?」
その言葉にレムが大きく反応する。
「本当に未来視とやらによるものですか?魔女教は神出鬼没。あなたが魔女教と繋がっているのでは?」
「まあ。確かにユリウス以外の面子にはそう取られても仕方ないよな。未来視なんて物が本当にあるのか証明する手段はないし、俺の言葉が本当なのか只の妄言なのか、みんなには分かんないだろう」
「そうやな」
アナスタシアが即座に同意した。
「そこでだ!!みんなの疑念とかそう言ったものを払拭するために、アナスタシアさん!!アンタと取引したい」
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十話
「取引やて?」
ナツキ・スバルに突如として言われた『取引』という言葉に商人としての性が否応にもなく刺激されるアナスタシア。
「聞くだけきいたるわ」
アナスタシアの許可を得て、ナツキ・スバルはこれから巻き起こるユークリウス邸の現状を改めて説明した。
「俺が分かってるだけでも、明日の夜に発生するのは、『腸狩り』エルザ・巨大な犬の魔獣・魔女教徒の集団による襲撃だ」
「エミリア様を助けるきっかけにもなったスバルの持つ未来視だな」
王都でもナツキ・スバルに突飛なことを言われたユリウスは既に未来視で納得している。
「そうだ。俺たちはそいつら全員倒さなくちゃならねぇが、圧倒的に戦力が不足している」
現在、このユークリウス邸で戦えるのはエミリア・レム・ユリウス・ミミ?の四人しかいない。
「それでも、俺は未来視で屋敷が襲撃されることを知ってるけど、他のみんなは本当に襲撃されるかわからない。この戦力不足の解消とみんなの襲撃に対する意識を高めるために、アナスタシアさんにはここに団長を呼んでもらいたい」
「鉄の牙の力を貸してほしいってことやね」
「そうだ。このままじゃあ間違いなく全滅だ!!」
ナツキ・スバルはアナスタシアに熱意を伝えるが、当のアナスタシアは感情の読めない表情でナツキ・スバルを値踏みする。
「ナツキ君の未来視。ユリウスはそれで納得しとるようやけど、ウチはまだ信じてへんで」
当然アナスタシアにとってはそんなものは眉唾物だ。只でさえこの会話はナツキ・スバルが別の世界の人間などという眉唾の仮定の上に成り立っている代物。眉唾の上の眉唾など信じられるはずもない。
「なら未来視についてはまだ信じなくていい」
「ええんか?それが襲撃の根拠やろ?」
「そうだな。でもアナスタシアさんとのこの取引に関しちゃ、それは些細な問題だと思わないか?俺の要望はあくまでも鉄の牙をこのユークリウス邸に集結させてくれってことなんだから」
「なるほどなぁ。確かにそれなら未来視の真偽なんてどうでもええな」
アナスタシアはナツキ・スバルの瞳の奥を覗き込む。
「せやけど、そうなったら。根拠のない襲撃に対して鉄の牙を動かしてほしいって言ってるようなもんや。普通だったら相手にせぇへん。ナツキ君はウチに対して何をしてくれはるの?」
当然の疑問。取引と言った以上、見返りがなければ成り立たない。
「アナスタシアさんが今まで手にしたことない物をやるよ」
「ウチが手に入れたことのない物?」
「そう!!アナスタシアさん自身が初見だと公言した俺が日本から持ってきた物全てだ!!」
ナツキ・スバルは机の上に広げられたガラケー・スナック菓子の袋・カップ麺・ビニール袋を示す。
「ナツキ君が大瀑布の向こうから来たという証拠の品々ねぇ」
「どうだい?アナスタシアさん!!」
「ナツキ君は一つ勘違いしてへん?」
「勘違い?」
「ウチは確かに見たことないとは言うたけどな、それらがこの取引を成立させる価値があるかどうかはわからんとちゃう?」
「……それで?アナスタシアさんの審査の結果は?」
こればかりはアナスタシアの匙加減ですべてが決まる。アナスタシアが白と言えば黒い物でも白くなるのだ。ここにきてナツキ・スバルは主導権を完全にアナスタシアに渡してしまった。
「ナツキ君がウチにくれはるのは『ナツキ君が日本から持ってきた物全て』やんな?」
「あ、ああ」
アナスタシアは答えをもったいぶる様に言う。
「ところで、ナツキ君が今着とるその見慣れん服も『ナツキ君が日本から持ってきた物』に入るんよな?」
「ま、まあ。そうだな。でもこれ以上は絞っても本当に何も出ないぜ。俺は天下不滅の無一文!!」
「人は絞って、何も出ぇへんことはないんよ」
ナツキ・スバルは下着から靴に至るまで、アナスタシアに全てを引き出された。
「ほんなら、『ナツキ君が日本から持ってきた物全て』で鉄の牙の力を貸したるわ。そこにサインしぃや」
アナスタシアから契約書を渡される。これでナツキ・スバルは正真正銘、裸一貫の無一文となってしまった。ユリウスが服を貸してくれなければ今頃はすっぽんぽんだ。
「俺、文字読めねぇわ」
ここに来て思い出す異国の言語。ユークリウス邸では剣の修行ばかりしていたため、文字に触れる機会がなかったのだ。
「レム。俺の代わりにこの契約書に目を通してくれないか?」
「わかりました」
ナツキ・スバルはレムに代読を頼む。
「概ね、先ほどの会話の内容で問題ないかと」
「ありがとな」
レムから契約書を受け取るとナツキ・スバルは日本語でサインした。
「ほんまに見たことのない文字やな。適当ってわけでもなさそうやし」
ナツキ・スバルから契約書を受け取ったアナスタシアが言う。
「ともかく、これでアナスタシアさんは団長を呼んでくれるんだな?」
「ええよ。そういう契約やしな」
これにて緊急ユークリウス邸首脳会議は終了した。
「あーあ。まじで無一文になっちまった」
会議を終えたナツキ・スバルは庭に寝転がって夜空を見上げていた。先ほどの会議ではアナスタシアに全てを渡してしまったが、ナツキ・スバルに後悔はない。代わりに鉄の牙の力を貸してくれることが決まったからだ。
「これで何とかなるだろうか?」
明日の夜に発生するユークリウス邸の襲撃。これで防げなければ再び地獄が繰り返されることになる。他にも何かやるべきことはないかを考えていると、ナツキ・スバルの隣にユリウスが座った。
「スバル」
「ユリウスか」
ナツキ・スバルは身を起こす。
「先ほどの会議ではアナスタシア様との取引を見事に成功させていたな」
「まあこれで本当の無一文になったけどな」
特に悲観していないナツキ・スバルの様子にユリウスは笑った。
「未来視と言っても王都の騒動を体験した私でなければ素直に信じることは難しかっただろう」
「今思い出してもあの時、ユリウスはよく信じてくれたと思うよ」
王都でユリウスは特に何も言わずに自分についてきてくれた。あれがなければ貧民街に出現する獣のループを止めることなど出来なかっただろう。
「盗品蔵での戦い、そして今日の決闘でも見せたあの武器を奪う力はなんだい?あれも君が日本からルグニカへ来た際に得た力だろうか」
その詳細を話せばきっと、あの影の手がナツキ・スバルを粛清しに来る。ナツキ・スバルはユリウスの質問に答えることができなかった。
「まあ、そうだな。ユリウスには悪いけど詳しくは話せないんだ」
そんなナツキ・スバルの態度を見てもユリウスは特に気にする様子はない。
「私はね、君とは長い付き合いになる気がするんだ」
ユリウスは星を見ながら言う。
「何となくだけれど、スバルの言う未来視も全てを話しているわけではないだろう」
「ユリウス……」
「今はそれでいいさ。それでも、いつかは君の全てを話してくれ」
ユリウスの紫色の瞳がナツキ・スバルを見つめた。
「ああ。もちろんだ。そのためにも明日は頑張らねぇとな。一度エルザを撃退してるんだし、ユリウスには特に期待してるぜ!!」
「フフ。それなら、その期待に応えなくてはな」
ナツキ・スバルとユリウスは星空の下、笑いながら拳を合わせた。
そして、運命の4日目がやって来る。ナツキ・スバルはいつも通り、庭で剣を振っているとユークリウス邸の門の辺りが騒がしいことに気づいた。
門の付近に集まる武装集団。その中の一際大きな人影がナツキ・スバルに近づいて来る。
「よお!!兄ちゃんがお嬢の言っとったナツキ・スバルか」
王都の一度目のループで出会ったミミの保護者がそこにいた。
「ワイは鉄の牙の団長で、リカードゆうねん。よろしゅうな」
「やっぱりアンタだったのか!?」
その巨体に加えて犬の獣人であるリカードを忘れるはずもない。
「兄ちゃんとどっかで会ったか?」
やはりリカードもミミと同じで覚えていないことにナツキ・スバルは悲しくなった。
「んーにゃ。俺の名前はナツキ・スバル。無知蒙昧は卒業したが、正真正銘の無一文だ。よろしくな、リカードのおっさん」
「ワイはまだおっさんとちゃうで。それじゃあ兄ちゃん、お嬢から大体の話は聞いとるが今夜事を構える連中について聞こか」
「分かった。主要な面子を全員集めてくるぜ!!」
場所は例の応接室。そこにはナツキ・スバル、エミリア、レム、アナスタシア、ユリウス、ミミ、リカードが集まっていた。
「んじゃ今夜戦う連中について説明するぜ!!」
その言葉で全員がナツキ・スバルに視線を集中させる。
「大きく分けて三つの勢力が相手だ。一つ目は『腸狩り』エルザ、二つ目は巨大な犬の魔獣、そして三つめは魔女教徒の集団だ」
「えらいごっつい面子やな」
リカードが軽口を挟んだ。
「まあな。一つ目のエルザと二つ目の魔獣がどこから現れるかは検討がついてる。ユークリウス邸の隠し階段の先だ。エミリアちゃんにお願いして、その通路に結界石を取り付けてもらったから魔獣がこの屋敷に入ることはないと思うが、エルザは別だ。そいつの相手をする役目が必要だ。それをユリウスにやってもらいたい」
「ああ。任されたよ」
ユリウスはナツキ・スバルの言葉に即答する。
「でだ、通路の先の郊外にはエルザの他にも魔獣がいる。エルザとは別に魔獣を引き付ける役目が必要なんだ。それをエミリアちゃんとレムに任せたい」
「分かったわ。私、頑張っちゃう」
エミリアは快く引き受けてくれたがレムの反応はいまいちだ。
「何故レムは魔女教徒の相手ではないんですか?」
「俺さ…この戦いで誰にも死んでほしくないんだ」
前回のループで魔女教徒に串刺しにされたレム。
「レムが魔女教徒を前にすれば、自分のことも顧みずに突っ込みそうで…怖い。だからレムは魔獣の相手をしてくれないか?」
「……分かりました。但し、あなたもレムやエミリア様と共に魔獣の相手をしてください。あなたから目を離したくはありませんから」
「分かってる。元よりそのつもりだからな。ユリウスの戦いを邪魔させないのは俺がやりたい」
フッと笑うユリウス。レムとの会話を終えたナツキ・スバルは最後にリカードとミミを見る。
「最後に一番分からないのが魔女教徒だ。ユークリウス邸に現れることは間違いないがどこから出現するかはわからない。リカード達、鉄の牙はユークリウス邸の周囲に蔓延る魔女教徒を殲滅してほしい」
「ワイらの相手は魔女教徒か。腕が鳴るのぉ」
「あいてはまじょきょー!!団長とミミがいればちょーさいきょー!!」
リカードとミミもその役目を了承した。
「よっしゃあ!!んじゃ、この布陣で奴らを倒すぜ!!」
勝負といこうぜ、運命様よ!!
遂に4日目、運命の夜が始まる。
ナツキ・スバルはエミリア・レム・ユリウスと共に結界石の取り付けられた隠し階段の先にある通路からエルザや魔獣たちが出現するであろうユークリウス領の郊外へ向かっていた。
「スバル。リカードたち鉄の牙をこちらへ回してもらわなくてもよかったのだろうか」
この四人で向かうことに思うところのあるユリウスが聞いてくる。
「ああ。リカード達が相手にする魔女教徒の数が敵の中だと一番多いんだ。鉄の牙には万全の態勢で望んでほしいからな。それに、俺はこの面子でどうにかなると思ってるぜ。エルザに魔獣、確かに楽な相手じゃないがユリウスがエルザを一人で抑えてくれれば、エミリアちゃんとレムの力で魔獣は殲滅できるだろう」
前回のループで見たユリウスとエルザ・魔獣の戦いでは数匹の犬の魔獣がエルザと連携してユリウスを倒していた。犬の魔獣は多くても5匹。それならエミリアとレムの力でどうにかなると踏んだ。
「俺たちが絶対ユリウスの戦いに横やりなんて入れさせねぇから、しっかりとエルザの奴をしばいてくれ」
「わかった。それなら期待させてもらおう」
ナツキ・スバルは改めてエミリアとレムを見た。
「今更だけど、エミリアちゃんとレムにはこんな危ないことに付き合わせちまって悪い」
「これから大変なんでしょう?それに、エルザってこの前のこわーい女の人じゃない!!私がみんなぎったんぎったんにするから安心して」
「ぎったんぎったんって今日日聞かねぇな。ところでパックも手伝ってくれるんだよな?」
盗品蔵ではエルザを一方的に攻撃していたパックが参戦してくれれば心強いことこの上ないが。
「う~ん。ボクは日が暮れたら眠らなきゃいけないんだ」
「そういえば盗品蔵でも真っ先にいなくなってたな」
「本当ならリアに危ないことはしてほしくないんだけど、本人がどうしても手伝いたいって言ってね。スバル、リアのことくれぐれも頼んだよ」
「ああ。むしろ俺がエミリアちゃんに頼む立場だけどな」
パックは不安な顔をして、死んだように消えていった。
「レムはエミリア様の従者ですから。エミリア様だけを危険な目に遭わせるわけにはいきません」
「レム…」
「あなたは兎も角、私の目が届くところにいてください」
「あ、ああ。でも、俺は本当に役に立たないと思うからしっかり守ってね」
「ユリウス様に戦いの邪魔をさせないとか言ってたのはどこのどなたですか?」
ナツキ・スバルたちは通路を抜けてユークリウス領郊外の森に着いた。もう日も暮れて月明かりだけが森を照らしている。
「獣臭……」
レムが呟いた次の瞬間、木々の合間からいくつもの赤い双眸が輝いた。その目の持ち主はゆっくりと月明かりの下に姿を現す。
「で、出やがった!!」
その数は5匹どころではない。数十は下らなかった。
「なんでこんなに多いんだ!!」
前回のループでは魔獣の数を全て確認したわけではない。予想を遥かに上回る魔獣の数に思わず後退る。しかし、目の前に立つユリウスが一歩も引かないのをみて、ナツキ・スバルも気を入れ直した。
そんな中、月明かりの下に降り立つ美しい女が一人。
「思いのほか、随分と早くあなたたちのそのお腹の中身を切り開けそうね」
『腸狩り』エルザ・グランヒルテだった。
「俺はもう正直会いたくなかったけどな!!」
「お兄さんもこんばんは。あの時のテーブルの借りを返させてもらうわね」
ナツキ・スバルが盗品蔵からフェルトやロムじいと一緒に逃げる中で、囮として設置しておいたテーブル。エルザはそれに一杯食わされたことをまだ根に持っているようだ。
「「「「グルルルルルルル!!」」」」
「なあ?あの犬っころども俺のこと見てね?」
隠し階段の通路の出口を取り囲む魔獣は一様にナツキ・スバルを睨みながら唸っていた。
「あなたの魔女の残り香が原因なのでは?」
「え?そうなの?」
レムから告げられた笑えない推測。魔女の残り香は魔獣にとって形容し難い物なのだろうか。
「ま、まあそれならそれでやりようはあるってもんだ!!」
ナツキ・スバルのその言葉を皮切りにエルザと魔獣が動き出した。エルザと高速で切り結ぶユリウス。当然、魔獣もエルザと連携してユリウスを屠ろうとする。
「俺は『死に戻り』をして―――」
世界が止まり影の手がナツキ・スバルの心臓を握り潰した。それと同時に魔獣は攻撃対象をユリウスからナツキ・スバルへと変える。
「ナツキ・スバル様!!一体何をしているのですか?!!」
突如として濃くなったナツキ・スバルの魔女の悪臭にレムは思わず攻撃を仕掛けそうになった。
「へへへ……。魔女の残り香で魔獣を引き付けられるならもしかしたらってな。前に話したペナルティだ」
レムはナツキ・スバルがアナスタシアと会う前に何となくだがその説明を受けていた。故に、ナツキ・スバルに攻撃こそ仕掛けなかったものの魔獣への対処に遅れる。
「私だっているんだから!!」
ナツキ・スバルへ襲い掛かる魔獣がエミリアの氷の礫に押しつぶされた。
「助かったぜ、エミリアちゃん!!」
「その魔女の残り香に頼る生き方はやめたほうがいいと思いますけど…ね!!」
レムの鉄球が魔獣の頭を砕く。それを目にしたナツキ・スバルは一度目のループでレムに同じ様にして頭蓋を砕かれたことを思い出すと脳の裏が熱くなった。
「と、兎に角。俺たちはユリウスとエルザの戦いに魔獣共を寄せ付けなければいい!!俺が魔獣を引き付けるからエミリアちゃんとレムは魔獣を片っ端から倒していってくれ!!」
ナツキ・スバルの四方八方から魔獣が攻撃を仕掛けてくる。エミリアとレムがいるとはいえ、ナツキ・スバルはユリウスがエルザを倒すまで、数え切れないほどの魔獣から逃げ続けなければならない。
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十一話
ユークリウス邸5日目の夜。煌めく月の元に三つの戦場があった。
「まさか兄ちゃんの言っとったことがほんまに当たりよった。お前ら!!一匹も逃がすんとちゃうぞ!!」
「ミミはさいきょー!!だんちょーもいるから絶対逃がさなーい!!」
『鉄の牙』vs『魔女教徒』。ユークリウス邸の周囲で繰り広げられる激戦。一方、時を同じくしてユークリウス領郊外でも激しい戦闘が行われている。
「ウフフフフ。盗品蔵ではお世話になったわね。今度こそ、あなたのお腹の中身が知りたいわ。とっても綺麗なんでしょうね」
「スバルは私にあなたの相手を任せると言った。ここで私があなたを止められなければ計算が狂うようだ。スバルが用意してくれた一対一のこの戦いで私が負けるわけにはいかない」
『腸狩り』エルザ・グランヒルテvs『最優の騎士』ユリウス・ユークリウス。そして我らが主人公ナツキ・スバルもユリウスと同じ戦場で戦っていた。
「あぶらはんさむみだ!!」
辛うじてしゃがみこんだそのすぐ上を魔獣の巨大な顎が通過する。ナツキ・スバルは耳元で牙と牙がぶつかり合う音を聞きながらすぐさま逃走を再開した。
「スバルばっかり攻撃しないでよね!!」
「アル・ヒューマ!!」
エミリアとレムの氷の魔法がナツキ・スバルの逃走を援護する。ユリウスがエルザを倒すまで魔獣をユリウスに近づけない。それがナツキ・スバルの戦いだ。前回のループではユリウスはエルザと魔獣の連携に敗北していた。如何な『最優の騎士』であっても『腸狩り』の相手をしながら魔獣の攻撃を捌くのは容易ではない。
「くっそ!!何体いやがるんだ、デカイ犬っころ共!!」
絶え間なくナツキ・スバルへと襲いかかる犬の魔獣。エミリアとレムの援護がなければ今頃、骨まで仲良くシェアされていただろう。ナツキ・スバルのそれと比較してエミリアとレムは魔獣の攻撃をほとんど受けていない。これはナツキ・スバルが自身の纏う魔女の残り香を利用して魔獣を一身に引き受けているのだ。魔女の残り香に激しい敵意をぶつける魔獣。『死に戻り』暴露によって強化された魔女の残り香の効果は凄まじい効果があった。
しかし、ナツキ・スバルが身に纏う魔女の残り香を感知できない者にとってはどうして魔獣がナツキ・スバルを執拗に狙うのか分からない。それはこの魔獣の群れを率いてきた者ですら理解できない。魔女の残り香を感じる術がないのだから。そして遂に、この戦場に似つかわしくない一人の少女が不機嫌になり始めた。
「ちょっと!!どうして私の言うこと聞かないであっちのお兄さんの方に行ってるのよ!!」
青髪のお下げの少女が離れた場所から文句を言う。
「あの子は!!」
魔獣の攻撃を回避しながら横目に映ったら少女にナツキ・スバルは既視感があった。あの子は確か、前回のループでユリウスを下した後にエルザに話しかけていた少女だ。エルザとあの少女は笑いながらユリウスを魔獣の餌にしていた。
「くそっ!!」
胸糞悪い光景を思い出してしまい思わず悪態が出た。
「あなたたち!!そっちのお兄さんはいいから、さっさとあの入り口から屋敷に侵入するのよ!!」
お下げの少女が魔獣に指示を下した先はユークリウス邸の隠し階段に繋がる入口だ。魔獣の侵入を許してしまえばユークリウス邸は前回と同様に地獄と化すだろう。
お下げの少女の指示を受けて、ナツキ・スバルから遠い場所にいた魔獣の何体かが、入り口へと向かう。しかし、入り口に入る直前で魔獣は動きを止めた。
「どうしたのよ?」
それに不思議な顔をするお下げの少女。目を凝らして見てみれば入り口の先にある通路が淡い緑色に光っている。
「あれってもしかして結界石?!!」
エミリアが訪問した1日目にナツキ・スバルがエミリアに頼んで仕掛けた結界石が効果を発揮した。お下げの少女が強く命令しても、その入り口に入ろうとする魔獣は一匹もいない。エミリアとレムの援護によって余裕が出てきたナツキ・スバルはその様子を見てお下げの少女にマウントを取り始めた。
「どうした?どうした?自慢のペットが役立たずになっちまったか?」
そう言われてはお下げの少女もムキになるしかない。魔獣を従える力を持つとはいえ、まだまだケツの青い幼女なのだから。
「もういいわ!!そんなに死にたいんならお兄さんから殺してあげる!!」
ナツキ・スバルのニヤケ面が凍る。よりにもよって自分の首を自分で絞めてしまった。ナツキ・スバルの全方位から魔獣が襲いかかる。エミリアの魔法によって魔獣は潰されるが、全てを仕留めるには至らない。
万事休す。
しかし、突如横から現れた鎖がナツキ・スバルの胴体に巻き付いて、魔獣を潰したエミリアの氷塊の上にその体を移動させた。
「ぐぉぉぉぉ!!」
いきなりの立体機動に三半規管が揺さぶられる。氷の上で頭を抱えるナツキ・スバルの隣から同じく氷に乗ったレムが呆れながら言った。
「あなたは自分で自分を窮地に追い込んで何をしているのですか?」
「た、助かったぜレム」
「これに懲りたらあまり敵を挑発しないでください。只でさえあなたはどす黒い臭いを纏っているのですから」
「どす黒いって……。でも結界石のお陰で魔獣は屋敷に入れないのはナイスプレイじゃないか?俺?」
「結界石を取り付けたのはあなたではなくエミリア様ですが……。あなたはこの状況を読んでいたということですか。1日目だというのに他陣営である私たちにあの隠し階段を見せてまで」
レムからすればナツキ・スバルの1日目の行動は今まで意味が不明だった。何が狙いなのかまるで分からなかったが、主人への手土産が増えるならそれに越したことはないと割り切っていた。その提案が魔女の臭いを纏う者からであっても。ユークリウス邸では手が出せなかったというのが大きい。
「魔獣がユークリウス邸に湧くなら、あそこしかないと思っただけだよ」
「あなたの未来視はどこまで見えているのですか?」
ナツキ・スバルが今夜の襲撃を手っ取り早く説明するために使った嘘。しかし、この状況ではレムに疑う余地はない。アナスタシアと契約を結んだナツキ・スバルの言う通り実際に襲撃が起こったのだから。襲撃者と内通しているのなら、わざわざ隠し階段の通路に結界石を取り付けるはずはないだろう。
しかし、それすらも見越してこちら側に溶け込むためのナツキ・スバルの策略なのではないかと、レムは未だに心の何処かで疑っていた。疑わしきは罰する。レムのメイドとしての心得であるが、現状ナツキ・スバルは魔獣を引き付けているため利用価値がある。レムは全てが終わった後に審判を下す心積もりであった。
「俺の未来視?まあ断片的なもんだ。でもこの状況の先は分からない。どうなるか分からないからレムも気を引き締めてくれ」
「あなたが言うと説得力がありませんね」
言外に気を引き締めるのはお前の方だと言ってくるレムにナツキ・スバルは苦笑いする。しかし、お喋りの時間はここまでだ。魔獣がジャンプして氷塊の上のナツキ・スバルに襲いかかって来た。
「うわぁぁ!!」
ここは氷の上。当然足場も悪い。
「スバル!!」
エミリアが咄嗟に氷のスロープを作った。体勢を崩したナツキ・スバルはそのままスロープで下っていく。しかし、それは急造のスロープであるため曲がりきれず途中で空中に投げ出された。その下に待ち構えるのは魔獣の薄暗い口内。
「アルヒューマ!!」
巨大な氷柱が魔獣の口を上から強制的に閉じる。ナツキ・スバルは重力に従って落下したが、魔獣の鼻がクッションとなった。ナツキ・スバルが魔女の臭いを間近で放っているが魔獣は氷柱に口を地面に縫い付けられて動けない。
「はぁはぁはぁはぁ」
ナツキ・スバルは肉体的にも精神的にも限界だった。数多の魔獣に絶え間なく襲い掛かられるプレッシャー。そこへ更にスロープからの落下による痛みが加わる。
「ユリウスは……いや、今は少しでも魔獣を引き付けねぇと」
ユリウスの戦いが気になるが、確認する余裕はない。ナツキ・スバルはユリウスを信じて自分のやるべきことに集中する。
そこで魔獣の動きが変わった。魔女の残り香を発するナツキ・スバルを仕留めようとしても、周りの二人に殺されることを学習した魔獣がレムに集中攻撃を始めた。ナツキ・スバルのデコイにエミリアとレムの援護があってどうにか持ちこたえている状態で1人欠けてしまえば陣形はあっという間に崩壊する。
レムの実力は今までの戦闘で確認した。魔獣を2体までなら同時に相手にできる強さだ。1体ですら相手にできないナツキ・スバルと比較して逆立ちしても勝てないレベルだが、今レムに襲い掛かっている魔獣は6体。如何にレムと言えども多勢に無勢で死んでしまう。前回のループの記憶がフラッシュバックする。あの魔女教徒相手に戦い、多勢に無勢で殺されてしまった姿が。
「俺は『死に戻り』をして──」
男の意地だ。今まで散々レムに助けられっぱなしじゃ情けなさすぎる。例え相手が自分より強いレムであっても曲げれない意地。
世界が止まった。
再び世界が動き出した時、変化が訪れる。魔獣はレムへの攻撃を中断して、地面にうずくまるナツキ・スバルへと駆け出した。
その突然の変化にエミリアは対応できない。何が起こったのか理解したのは、ナツキ・スバルの魔女の残り香を感知できるレムのみ。しかし、レムはナツキ・スバルを助けない。自分が助けられたのは理解している。だが、レムがこの世で最も忌むべき連中。最愛の姉の角を奪った奴らと同じか、それ以上の悪臭にレムは行動を起こせない。
ナツキ・スバルは自分に迫るいくつもの巨大な口を見ながら覚悟を決めた。無数の牙が己を噛み砕んとする。どうやら今回はここまでらしい──
「ハーーーーーー!!」
突如、横から襲来する巨大な衝撃波。ナツキ・スバルの目の前に迫っていた魔獣が全て吹き飛んだ。エミリアもレムも間に合わないタイミングだった。それを成した人物の方へ振り向く。
「助太刀に来たったでぇ、兄ちゃん」
「リカード!!」
そこには『鉄の牙』の団長であるリカードが立っていた。しかし、リカードはユークリウス邸の警護で魔女教徒の相手に回っていたはずだ。
「お嬢の采配や!!大罪司教は居らへんかったようやからな。魔女教の連中はあらかた片付けてきたで!!お前ら!!次はあの魔獣共の殲滅や!!」
リカードが率いてきた『鉄の牙』のメンバーによって、魔獣が次々と倒されていく。
「これが……ミミの言う団長の力か」
三人掛かりで漸く相手にしていた魔獣の群れがあっという間に片付いていく。魔女教徒の相手で精一杯と思い込んでいた『鉄の牙』。しかし、その力はナツキ・スバルの予想を遥かに超えていた。
「ハハハ」
その光景に思わず笑みが漏れる。この戦い、俺たちの勝利だ!!
魔女教徒を殲滅した『鉄の牙』の援軍によって、ユークリウス邸での戦いはいよいよ佳境を迎える。
「フフッ」
「何が可笑しいのかしら?」
数百を越えた剣とククリナイフのやり取りの中でユリウスは軽く笑った。ユリウスの笑いにムッとして問い掛けるのはユリウスと切り合う『腸狩り』エルザ。尚も、エルザと戦いながらユリウスは答えた。
「素晴らしいだろう?私の仲間たちは。誇らしい限りだ」
ユリウスはその仲間たちに応えるために剣を振るう。
「頼もしい仲間たちが私の背中を守ってくれている。この戦い、負ける気がしないよ」
過去、たった一人で戦わなければならない状況がユリウスにはあった。その時は背筋が凍えるように寒い。背後を取られてしまえば、そこで決してしまうからだ。しかし今、ユリウスの背筋は燃えるように熱かった。
ユリウスは仲間のためにも絶対にエルザを倒さなければならない。その想いにユリウスの精霊が応える。六色の輝きを放つ六体の精霊がユリウスに力を与えた。その力は剣へと集約されていく。
「これで終わりにしよう」
ユリウスは極光に輝く剣をエルザへと放った。
「アル・クラウゼリア!!」
その一撃はククリナイフを破壊してエルザの心臓へと向かう。体勢を崩したエルザに捌く術はない。しかし、その直前で黒い影が横からエルザを回収した。
「ちょっとメイリィ!!まだ終わってないわ!!」
「足の速い子を残しててよかった。これ以上は無理よ!!ここは引くわ!!」
魔獣に跨がったお下げの少女─メイリィがエルザに撤退を伝える。エルザとしてはこんな結末には到底納得できない。
「逃げたいなら一人で行きなさい。私は最後まで戦うわ」
「お願いエルザ」
真剣に懇願するメイリィにエルザも気が冷めていった。
「……わかったわよ」
エルザは最後に一人の男を睨む。その男とは自分を打ち破ったユリウスではない。この襲撃をユークリウス邸に被害を出すことなく防いだ無力な男だ。エルザはその男の最後の言葉で、次は確実に腸を引きずり出すことを決意した。そこにはもう前回の王都で去り際に見せた余裕の表情はない。
その男─ナツキ・スバルは魔獣の死骸を踏み台にして声高々に叫んだ。
「尻尾巻いて帰った帰った!!一昨日来やがれ!!」
その日、ナツキ・スバルは一人の死傷者も出さずにユークリウス邸5日目の夜を乗り越えた。
そして、その日の翌朝ナツキ・スバルは約束通りロズワール邸へ向かうためにユークリウス邸の玄関にいた。
「結局行くハメになんのかぁ」
ユークリウス邸の襲撃を乗り越えても、それは変わらない。ナツキ・スバルは知っている。ユークリウス邸一度目のループでロズワール邸へ向かう途中で魔女教徒に遭遇しレムに殺されたのだ。しかし、今回は一度目とは違って大勢の見送りがいた。ユリウスに加えて『鉄の牙』の面々が別れの挨拶をする。
「兄ちゃんも大変やなぁ。昨日の今日でもう出発かいな?」
「ああ。なんでも先方のロズワールに今日向かうって伝えちまったらしい」
リカードの横から次はミミが話しかけてきた。
「おにーさん、また遊ぼーね」
「そうだな。生きてたらまた遊ぼうな」
挨拶を終えたナツキ・スバルは竜車へ乗り込もうとする。一度目のループと同じく御者がレムでナツキ・スバルはエミリアの横だ。全く変わらない竜車の様子に辟易する。
「それでは行きましょうスバル君」
レムが早く乗るよう促した。あの夜の戦いの後、レムと話をする機会があった。何故あの時身を危険に晒してでもレムを守ろうとしたのか等。やはり助けられた今でもナツキ・スバルを全面的に信頼するのは無理とのこと。しかし、レムは一度ナツキ・スバルを見捨てようとしたことが心に残っていた。何かお詫びをさせてほしいとのことだったので、ナツキ・スバルはレムに他人行儀な呼び方をやめるよう頼んだのだ。
今でもレムによる監視は続いているが、一度目のループと比べて多少なりともレムとの関係が向上したということで、問答無用に殺されることはないと信じたい。
「あ、ああ。わかった」
ナツキ・スバルが竜者に足を掛けた瞬間、とある人物が待ったを掛けた。
「ちょっと、待ちぃ」
その人物とはホーシン商会の会長でありユリウスが王と崇める女性─アナスタシア・ホーシンだった。アナスタシアとユークリウス邸の最終日を迎えるのは初めてだったりする。
「どうしたんだ?アナスタシアさんも見送りに来てくれたのか?」
ナツキ・スバルの質問に答えることなく、アナスタシアは御者席に座っているレムを呼んだ。
「ナツキ君はユークリウス邸の食客やから、辺境伯の謝礼は必要ないって伝えといて」
「え?」
「はい?」
「アナスタシア様……それは……」
ナツキ・スバル、レム、ユリウスがアナスタシアの発言に三者三様の反応を見せる。
「え?どゆこと?俺、ロズワールん家に行かなくてもよくなったの?」
ユリウス曰く、それではロズワールの顔を潰すことになり、アナスタシア陣営とエミリア陣営の関係に亀裂を入れるのではなかっただろうか?
ユリウスがアナスタシアの思惑についてナツキ・スバルに小声で説明した。
「アナスタシア様はエミリア様の陣営と敵対してしまう不利益以上に君を抱えることによる利益が大きいと判断されたんだ」
「そ、そうなのか?」
ナツキ・スバルとしてはユークリウス邸から離れなくていいなら、それに越したことはない。
アナスタシアの発言を受けてレムが裏手に回っていった。しばらくするとレムが戻ってくる。
「ロズワール様にお伝えしました。その報告を受けて、ロズワール様は自らこのユークリウス邸にお越しになるそうです」
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十二話
「ロズワールさんって一体いつ来るんだ?一週間後?」
場所はユークリウス邸の応接室。エミリアの訪問にも使用した部屋だ。ナツキ・スバルは同席しているアナスタシア、ユリウス、エミリア、レムに質問する。
「辺境伯はもうすぐ来られるだろう。それこそ一時間もしない内にね」
ナツキ・スバルの質問にはユリウスが代表して答えた。
「ロズワールさんの家とユリウスの家って結構近いところにあるんだな」
「そうではないよ。ロズワール辺境伯は宮廷筆頭魔術師と呼ばれるルグニカ1の魔法使いだ。あの方は空を飛んでこられるから、あまり時間がかからないんだ」
「空飛べんのか!!魔法使いってスゲーな。俺も魔法使えるようになれば空飛べる?」
「それは難しいだろう。空を飛ぶには全ての属性の魔法を高い次元で操る器量が必要なんだ」
「ユリウスも無理なのか?」
六属性の精霊と契約を結んでいるユリウスならば空を飛べるのではないかという可能性にナツキ・スバルは思い至る。
「今の私では無理だ。重力を緩和させることなら出来るけどね。だが、私の蕾たちが成長すればいずれ出来るようになるだろう」
「お前もお前で何でもアリだな」
この男、最優に付き。ナツキ・スバルは改めてそれを理解した。
「てかさ、俺たちロズワールさんとの約束をドタキャンした訳だろ?その人怒ってねぇかな?」
「ロズワール様はほんの少しだけですけど、怒りの表情が見えました」
レムがロズワールとの連絡手段である対話鏡を通して得た情報を伝える。
「だよなぁ。俺は正真正銘の無一文になっちまったから、詫びの品とか出すの無理だぜ」
先日のアナスタシアとの取引によって身ぐるみ剥がされたナツキ・スバルは予め自分が戦力外であることを告げた。
「ナツキ君が心配することなんて何もあらへん。言い出したのはウチやからな。辺境伯との交渉。腕が鳴るわぁ」
アナスタシアが気後れするナツキ・スバルに腕を捲りながら応える。
「なんでアナスタシアさんはこんなこといきなり言い出したんだ?ユリウスから聞いたけどエミリアちゃんの陣営を敵に回してまで俺を引き留める価値はないと思うぜ」
「ナツキ君にもう一つの価値があると判断した結果や」
「もう一つの価値?」
ナツキ・スバルはその言葉に聞き覚えがあった。
「そういや、アナスタシアさんと初めて会ったときにもそんなこと言ってたな」
ナツキ・スバルはユリウスとの決闘を利用してアナスタシアの居場所を暴き、道中に遭遇したレムと共に部屋へ押し掛けた時の事を思い出す。
「一つ目の価値は俺が他陣営の間者である可能性を差し引いても会う価値があったってことだろ?」
「そうや。けど、それだけやないってゆうたよな?ナツキ君にエミリアさんとこの辺境伯と対立してもええってくらいの価値があるかどうかをあの3日間で測っとったんよ」
「やっぱり、俺が感じたアナスタシアさんとの勝負って見解は間違いじゃなかったんだな」
「結果だけ見れば、ウチのユリウスと引き分けたんやからな。そして、ウチとの取引で魔女教やら色んな奴らを撃退した」
ナツキ・スバルは死のループを回避することに夢中で気付かなかったが、客観的に見ればなかなかの成果を上げていた。
「ナツキ君から回収した物品やけど、ますます製法が分からんし、分かるものでも画期的や。ウチなりにナツキ君がユリウスん所に来る前の経歴を調べてみたけど、ユリウスが出会ったあの日、王都に突然出現したって感じや。それ以前は全く辿れへんかった。ナツキ君が別世界の人間ってことも信じたってええ」
「アナスタシアさん……」
「ナツキ君の未来視に関しても信じる価値はあるとウチは思う。ナツキ君があの襲撃勢力と繋がってる可能性も捨て切れへんけど、王都以前の経歴を抹消し、あの勢力を動かす力があるならこんなまどろっこしいことせぇへんやろ?」
ナツキ・スバルが5日目の襲撃に対処するために動いていた時間でアナスタシアはナツキ・スバルについて念入りに探っていたらしい。結果としてそれがナツキ・スバルの身の潔白を証明することになった。
「それにや。例えナツキ君がそんなまどろっこしい方法を選んでいたとしても全く問題はあらへん」
そう言うとアナスタシアはナツキ・スバルと結んだ契約書を取り出す。それはナツキ・スバルがアナスタシアに『鉄の牙』を呼んでもらうために結んだ契約だ。『ナツキ・スバルが日本から持ってきた物全て』をアナスタシアに譲渡するという契約。
「ここに書いてある『ナツキ君が日本から持ってきた物全て』をウチは押さえとる訳やからな」
「ん?」
ナツキ・スバルがアナスタシアに渡した私物がどう関係するのか。
「あのガラケーとかが、なんか関係あんの?」
「鈍いやっちゃなぁ。ナツキ君」
アナスタシアは意味深な笑みを浮かべている。
「契約書にあるのは『ナツキ君が日本から持ってきた物全て』。すなわち、ナツキ君の身柄も含まれとるんよ」
「は?」
「ナツキ君自身にもう一つの価値がないと分かった場合、ロズワール辺境伯には素直に搾りカスとなったナツキ君を渡すつもりやったんやけどな。ナツキ君でさえも渡すのが惜しくなったんや。ウチは一度欲しいと思ったものは絶対に手放さへんねん」
「え?」
アナスタシアの言葉の意味をナツキ・スバルはやっと理解した。
「ちょっと待て!!俺がアナスタシアさんにあげたのはガラケーとかカップ麺とかだけの筈だぜ!!」
「甘いなぁナツキ君。商人相手に『全て』とか言うたらあかんへのよ。本当に『全て』持ってかれるでな。ナツキ君は今日からウチの奴隷や!!」
ニヤリと笑いながら指を指してくるアナスタシアにナツキ・スバルは恐れ戦く。
「お、おいユリウス。お前の姫さん、とんでもないこと口走ってるぞ。なんとかしてくれ」
「素晴らしいじゃないか、スバル!!これこそがアナスタシア様の美徳だよ。アナスタシア様の奴隷なんて誰でもなれるわけではない。アナスタシア様の騎士である私でさえも羨ましいと思ってしまったよ」
「まじかよ」
あらゆる物事を最優にこなす目の前の騎士は何故アナスタシアに関することになるとこんなポンコツになるのだろうか?
その日、ナツキ・スバルはアナスタシア・ホーシンの奴隷となった。元より無一文のナツキ・スバルにアナスタシアを振り切る術はない。ナツキ・スバルはがっくりと項垂れた。
そして、ロズワール辺境伯がユークリウス邸に到着した。ロズワールはエミリアの隣に座り、後ろにはレムが控えている。その三人と対面してアナスタシアとナツキ・スバルが座り、その後ろにユリウスが控えていた。
「まずは、はぁーじめまぁーしてだぁーね。ナツキ・スバル君」
「お、おう」
目の前のピエロが軽快に話しかけてくる。
「あんたがロズワール…さんだよな?」
「そうだとも。身内の恥を晒す様で気が進まないけぇーれど、君がエミリア様の助けになったということだぁーね。本当は私の屋敷で行いたかったが、礼として君の願いを叶えたいと思う。ロズワール・L・メイザース辺境伯の名の元に望みは思いのまま、さぁなんでも望みを言いたまぁーえ」
ロズワールは王都でエミリアを助けた報酬としてナツキ・スバルの願いを叶えてくれると言った。しかし、ナツキ・スバルに思い当たる望みはない。少し前なら襲撃者を倒してくれと願ったかもしれないが。
「俺は特にないなぁ。アナスタシアさんは何かあるか?」
何も思い浮かばないナツキ・スバルがアナスタシアに話を振ると、それを見たロズワールが笑みを深めた。しかし、その目は笑っていない。
「何故アナスタシア様に話を振るのかな?私は君の望みを聞いているんだぁーよ」
「だって俺、アナスタシアさんの奴隷になったっぽいし」
「は????」
そこでロズワールは初めて真顔になった。左右で色の異なる瞳の瞳孔が開く。
「何故君がアナスタシア……様の奴隷になっているんだい?」
「昨日色々と襲ってきた奴らがいてな。そいつらを倒すのにアナスタシアさんに『俺が日本から持ってきた物全て』を渡す条件で力を貸してもらったんだ。いつの間にか俺自身の身柄を含まれてたらしい」
「な、なんという……」
ナツキ・スバルの目に映るロズワールは一気に老けてしまった様に感じた。しかし、ロズワールは良い考えを思い付いたのか再び息を吹き返す。
「ならば、私が君を奴隷の身分から解放しよう!!君は騎士ユリウスに憧れているそうだね?私が君を騎士にしようじゃぁーないか!!」
ロズワールの渾身の想い。
「いやいいよ」
しかし、ナツキ・スバルには届かない。
「な、何故?!!」
「俺はユークリウス邸に来てからユリウスの騎士としての振る舞いを見てきた。なんか俺、騎士って柄じゃねぇわ。俺はユリウスみたいには振る舞えねぇよ」
「確かに君と騎士ユリウスは違って当然だ!!だが、君は君にしか出来ない騎士をやればいいんだぁーよ!!」
「それは無理だなぁ」
「……どうしてだい?」
「俺の中の騎士って言ったらユリウス以外いねぇんだわ。確かに他のやり方の騎士でもいいのかもしんないけど、俺はこれからどんなことがあっても騎士であるユリウスの姿が消えることはない。だから無理だ」
「…………」
「それにいいこと思い付いてな」
「いいこと?」
「ユリウスがアナスタシアさんの『一の騎士』なら、俺はアナスタシアさんの『一の奴隷』ってのはどうだ?アナスタシアさんに俺以外の奴隷はいないらしい。騎士と奴隷じゃ釣り合わないけど、ユリウスと同じで『一の~』って付くのはカッコいいだろ」
ナツキ・スバルの説得は無理だと悟ったロズワールはエミリアに助けを求めた。
「エミリア様、あなたはよろしいのですか?徽章を取り戻してくれた命の恩人でもある彼が奴隷となるのですよ!!」
「確かに……奴隷って響きはよくないかも」
その言葉にロズワールが心なしか笑顔になる。しかし、その後に続く一言でその笑顔は凍りついた。
「でも、それって嫌々やってるからだと思うの。自分から進んでやりたいっていうならいいんじゃないかしら」
場が静まり返る。
タイミングを見計らってアナスタシアが口を開いた。
「辺境伯、ウチの奴隷のスバル君にどうしてもお礼がしたいっていうんやったら、いつか恩を返しておくんまし。ナツキ君もそれでええか?」
「俺もそれでいいぜ」
何も考えていないナツキ・スバルはアナスタシアの提案にノータイムで同意する。
ナツキ・スバルの同意を皮切りにロズワールとアナスタシアによる回りくどい様で相手の喉元を互いに狙い合う交渉が始まった。
ロズワールはあらゆる事象を引き出してナツキ・スバルをなんとしてでも己が屋敷に引っ張ろうとする。要約:このままでは、エミリア陣営とアナスタシア陣営の致命的な傷となりますよ!!
対して、アナスタシアはロズワールの言い回しを的確に見抜き、ナツキ・スバルをロズワール邸に送る要求を尽く却下する。要約:お好きにどうぞ。陣営の関係に亀裂が入る不利益よりもナツキ君を得た利益の方が大きいですから。
白熱する口論。ナツキ・スバル、ユリウス、エミリア、レムの四人は空気と化していた。
「なあユリウス」
「なんだい?」
「言葉って刃物なんだな」
「刃物で済めばいいね」
「俺ってよくアナスタシアさんとの取引成功させたよな」
「ああ、それに関しては見事だったと取引をした夜にも言ったね」
アナスタシア相手にどうやってもナツキ・スバルを手に入れるのは無理だと悟ったロズワールは話を変えた。
「エミリア様はナツキ・スバル君との関係が悪くなるのは嫌でしょう?」
「え、ええ」
「そこで、アナスタシア様。エミリア陣営とアナスタシア陣営の同盟は如何でしょう?」
「今までのやり取りでナツキ君は無理やと悟ったんね。この流れでウチがそんな同盟に同意すると思てはるん?」
「……………私も陣営同士の対立は避けたい所なのです。この同盟に同意するか否かは私の提示する条件を聞いてからでも遅くはないのでは?」
「聞くだけ聞いたるわぁ」
ロズワールが提示した条件は以下の5つ。
(1)エミリア陣営とアナスタシア陣営は対等な同盟関係を結ぶ。
(2)上記の(1)の条件にはどちらか一方の陣営が危機に陥った際、もう一方の陣営が援助を行う事も含まれる。
(3)エミリア陣営はアナスタシア陣営に対して、所有するエリオノール大森林の魔鉱石の採掘権を一部譲渡する。
(4)エミリア陣営はアナスタシア陣営に対して、メイザース家がルグニカ親竜王国に代々秘匿し、所有している土地である『聖域』を解放する。
(5)エミリア陣営はアナスタシア陣営に対して、筆頭宮廷魔術師であるロズワール・L・メイザースが魔法に関する情報を提供する。
「なるほどなぁ。特に(3)は中々大きいなぁ」
エミリア陣営とアナスタシア陣営の同盟が成立すれば、王都へ流れ出る魔鉱石の市場をホーシン商会が一手に引き受けることが出来る。
「せやけど、同盟条件でいくつか気になる項目があるなぁ」
アナスタシアは順に気になる要項を述べた。
「(2)やけど、ウチは『鉄の牙』っちゅう戦力を提供できる。そちらの戦力はどないなん?少なくとも『鉄の牙』と張り合える戦力でないと話にならんで?」
「私が何故、辺境伯という地位であるかをお忘れで?」
「辺境伯自ら戦ってくれはると考えてもええんか?」
「……ええ。もちろんです」
ロズワールがたいした手駒も持たずに辺境伯という重要な役割をルグニカから任されている理由。それはロズワール自身が一軍に匹敵する戦力であるからに他ならない。
ロズワールからきちんと言質を取ったアナスタシアは次の項目に移る。
「(4)の『聖域』ってなんや?」
アナスタシアでさえも耳にしたことがない『聖域』という言葉。当然、詳細を求める。
「『聖域』とは……」
ロズワール曰く、メイザース家が400年もの間守り続けてきた秘密の土地。誰の目からも秘匿されたその場所はその土地ならではの特産品があると言う。
そこでアナスタシアに新たな疑問が生まれた。
「お宅が400年間守ってきた大切な土地をこの交渉で出す理由が分からんなぁ」
「同盟を組むに当たって互いの腸はある程度見せ合う必要があります故」
「少し弱い気もするけど、それで納得したるわ」
「それで、如何でしょーうか?」
ロズワールがアナスタシアにこの同盟に対する如何を尋ねる。
「それに答える前にウチとしては辺境伯に聞かなあかんことがあるねん」
「なんでしょーうか?」
「昨晩なウチらは魔女教徒含む勢力に襲撃されてん」
それはこの場においては自明の理だ。ロズワールもレムから逐一報告を受けている。
「まずは『腸狩り』。王都でもエミリアさんを助けるついでにユリウスが撃退した相手や」
「ついで……」
エミリアが悲しげな声を出すが、今反応する者はいない。
「それに関して今はええ。魔獣の群れについても同様や。問題は魔女教徒。そこのレムちゃんからナツキ君には魔女教徒と同じ臭いがするって言われててな。今回の魔女教徒の襲撃はナツキ君の魔女の臭いが原因ってことにして乗り越えたんやけど、本当にそうやとはウチは思ってへん」
「と言うと?」
アナスタシアがルグニカにおける常識を改めてエミリア含む全員の前で言った。
「銀髪のハーフエルフ。400年前世界の半分を飲み干したっちゅう嫉妬の魔女と同じ存在であるエミリアさんが魔女教徒を呼び寄せてるんとちゃうの?」
エミリアは顔に影を落として俯く。しかし、ルグニカの常識はナツキ・スバルにとっての非常識。この重い空気の中でも遠慮なく手を上げた。ナツキ・スバルに空気を読むといった高度なテクニックは存在しない。
「エミリアちゃんが魔女教徒を呼び寄せてるってどゆこと?」
その質問に答えたのはアナスタシアの後ろに控えるユリウスだ。
「魔女教の目的はアナスタシア様の仰られた嫉妬の魔女の復活ではないかと言われている。その嫉妬の魔女は銀髪のハーフエルフであると伝わっているんだ」
「つまり同じ嫉妬の魔女と同じ身体的特徴を持つエミリアちゃんも俺と同じで魔女教に狙われてるってことか?」
「まあ、君が本当に魔女教に狙われているのかは定かではないが、今回の魔女教徒の襲撃がアナスタシア様の仰られた通り、エミリア様が間接的に引き起こしたのではないかという事だ」
ユークリウス邸一度目のループでナツキ・スバルはロズワール邸へ向かう道中で魔女教徒と遭遇した。魔女の臭いを持つ自分が引き寄せているのかと思っていたが、本当はエミリアの存在が引き寄せていたのかもしれない。
「エミリアちゃん」
「は、はい」
ナツキ・スバルの呼び掛けにエミリアは怯えながら返事をする。
「こればっかりは君はなんにも悪くねぇよ。しょうがねぇじゃん自分の容姿の事でとやかく言われてもさ。むしろ悪いのは全部魔女教の連中だよ。銀髪のハーフエルフと見れば誰にでも欲情するアイツらが悪い」
それがナツキ・スバルの出した結論だった。
「え?」
エミリアは呆気に取られた顔をする。
「俺たちは全員で力を合わせて昨日の襲撃を乗り越えたんだぜ!!ここにいる奴らでエミリアちゃんを側だけで判断するやつなんていねぇよ!!」
後ろのユリウスもその通りだ、という顔をして頷いていた。しかし、当のアナスタシアがコホンと咳払いをしてその空気を打ち切る。
「ええ空気になっとるところ悪いんやけど、それとこれとは別問題や。確かにエミリアさんは容姿が同じってだけで嫉妬の魔女とは違う。でもな、エミリア陣営と同盟を組むっちゅうことは必然的に魔女教徒の相手をせなあかんちゅうことや」
「だからアナスタシアさんはエミリアちゃんと同盟結ばないのか?」
「そうや」
「それだと既に俺がいる時点で魔女教徒と戦うことになってるんじゃね?今、魔女教徒を引き寄せてる原因ってエミリアちゃんか俺のどっちかだろ?原因がエミリアちゃんだけじゃなくて俺もだった場合、同盟結んでも結ばなくても魔女教と戦うことになるぜ」
思考するアナスタシアにロズワールが更に追い討ちを掛けた。
「では、ナツキ・スバル君がアナスタシアさまの奴隷をクビになった暁には行く宛のないスバル君を私の屋敷で丁重にもてなすこととしようじゃーあないか」
「…………」
ナツキ・スバルとロズワールの思わぬ連携にアナスタシアがいぶかしむ顔をする。
「ナツキ君、本当は辺境伯の回し者とちゃうやろな?」
「ちげぇって!!このピエロのおっさんとは今日初めて会ったばっかだっての!!」
「それならなんで、同盟を組むように促すねん?」
「促してねぇって!!俺はただ、エミリアちゃんの容姿が原因で同盟却下されんのはなんか違うと思っただけだ!!アナスタシアさんがそれ以外の理由で同盟を却下するなら俺は何も言わねぇよ」
全員の視線がアナスタシアに集中する。そんな中、アナスタシアは大きく息を吐くと同盟に対する答えを告げた。
「しゃぁーないなぁ。ロズワール辺境伯。同盟の件、了承したるわ」
夕刻、ロズワールは空を飛んで帰ることになった。エミリアとレムは翌朝、竜車で帰宅するそうだ。
ロズワールの見送りには同盟相手であるアナスタシア、その騎士ユリウスとその奴隷ナツキ・スバル。そして、エミリアとレムだ。
飛び去るロズワールを見ながらナツキ・スバルはロズワールから個人的に掛けられた言葉を思い出していた。
──これから先、君は選択しなければならない。スバル君、君はほんの少し慎重になるべきだぁーよ──
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十三話
ロズワールが帰った次の日の朝、エミリアとレムもロズワール邸へ帰ることとなったのだが、
「アナスタシア様、レムはスバル君の側に居たいと思います」
あの夜の襲撃を共に乗り越えてもレムはナツキ・スバルを未だに疑っていた。それほどまでレムにとってナツキ・スバルが身に纏う魔女の悪臭という代物は唾棄すべき物だったのだ。レムはナツキ・スバルの監視を至上の命として動く。ロズワールからも既に了承を得ていた。
アナスタシアとしてはあからさまにロズワールの息が掛かっていると思われるレムを懐に抱え込みたくはなかったが、アナスタシア陣営とエミリア陣営は先日の会合で同盟を結ぶ事が決まったため、真っ向から拒否するわけにもいかない。さらに、ナツキ・スバルには奴隷という枷を付けたが、枷が更に増えるならそれに越したことはないという腹積もりだった。アナスタシアも未だにナツキ・スバルに対して疑念を持っている。
目的は違えど同じ考えを持つレムをアナスタシアが拒絶する訳はなかった。こうしてレムはユークリウス邸の滞在が決まる。
しかし、そうなると困るのはエミリアだ。ロズワール邸へ帰還するための御者がいなくなってしまう。アナスタシアの方から御者を出すという提案もあったが、ロズワール邸の方から後日迎えを出すという連絡があった。こうして、エミリアも迎えが来るまでの間、ユークリウス邸の滞在が決まる。
そして、場所は例の応接室。そこにアナスタシア、ユリウス、ナツキ・スバルの三名が顔を合わせていた。
「今のウチらに必要なんは現状確認や」
アナスタシアが話を切り出すが、そこにナツキ・スバルが手を挙げる。
「これってアナスタシア陣営の会議だろ?俺が聞いててもいいのか?」
「ナツキ君はウチの奴隷やろ?もう既にアナスタシア陣営に入ってるねん」
「そ、そうなのか……」
ナツキ・スバルも納得したことで、アナスタシアは早速本題を切り出した。
「まず最初にはっきりさせたいんわ、ナツキ君。君、本当は何者や?」
「何者?それは前に話さなかったか?日本から来た異世界人だよ」
しかし、アナスタシアが本当に聞きたいのはそれではない。
「昨日の辺境伯との取引で思ったんや。あの辺境伯、ナツキ君にめちゃくちゃ執心しとるで」
「あのピエロのおっさんが?まあチラチラ見られてるのは感じてたけど……」
「鈍すぎるやろナツキ君。あの辺境伯はなウチと交渉してる間、ずっとナツキ君の事見とったで。ケツの穴でも狙っとるんとちゃうか?って思ったくらいや」
「え?そんなにか?」
しかし、ナツキ・スバルにロズワールから執心される理由は見当たらない。ユリウスは主であるアナスタシアの少々下品な物言いに苦言を呈そうとしたが、話の腰を折るべきではないと判断してグッと堪える。
「あのおっさんが俺に執着する理由……か」
「ナツキ君に聞かんでも、ウチは大体の検討ついてんねん」
「そうなのか?」
「ナツキ君の未来視。きっと眉唾物じゃないな?」
アナスタシアは一見何の見所もないナツキ・スバルにロズワールが何としてでも手に入れようとする理由を考えていた。
「そもそも、辺境伯があの場で初めて会ったナツキ君にあそこまで入れ込むのは不自然すぎるやろ?いくらエミリアさんの恩人だとしてもや」
「まあ、そう言われてみれば確かに」
「味噌っカスなナツキ君に価値があるんとすれば、ウチは未来視の事しか思い付かん」
「味噌っカスって……。前からちょくちょく思ってたけど、アナスタシアさんも相当口悪いな!!」
ユリウスにも思うところがあったのか、心なしか表情が晴れやかになる。
「問題はそこやない。辺境伯がその事を知っとることや。ナツキ君に関する素性はあの王都まで。それ以前の素性はどうやっても見つからん。ウチが保証したる。にもかかわらず、辺境伯はナツキ君をだいぶ前から知っとるみたいやった。ナツキ君が過去に辺境伯と繋がっとったとしても、その経歴を消しとったら必ず歪みが出てくるねん。その歪みすらないってことは、ナツキ君はあの日王都に突然出現したってことや。辺境伯が前から知っとるのはおかしな話やで」
ナツキ・スバルはアナスタシアの意見を聞いて確かにその通りであると感じた。ユリウスも色々と考えを巡らせている様だが、ロズワールが前からナツキ・スバルとその能力を知っているという矛盾に対する答えは出ない。未来視に関してはレムから漏れたとしても、あの襲撃を体験していないロズワールがすぐさまそんな眉唾物を信じられるのだろうか?
「あの辺境伯、腹に色んな物を隠しとんで。辺境伯にとってナツキ君はかなり重要な存在らしいわ。これからもばれへん様に何かしら仕掛けてくるやろし、ナツキ君は特に気ぃ付けや」
それがアナスタシアの出した結論だった。議題は変わり、次はユリウスが口を開く。
「先日の襲撃に関する報告です。あの襲撃はスバルの読み通りユークリウス邸の隠し階段による侵入を想定していました。しかし、あの階段の存在を知る者は屋敷の中でも限られています。当家の使用人を調べたところ一人の女性が行方不明となっていました」
「その消えた女性がユークリウス邸の情報をエルザたちに流したってことか?」
「そう捉えて間違いないだろう」
ユリウスはナツキ・スバルの考えに即座に同意した。
「それで、その女性は一体誰なん?」
「その女性の名は──」
アナスタシアに尋ねられたユリウスがその名を口にする。
「──リューズ・カルマだ」
ユークリウス邸激動の5日目を越えた。アナスタシア陣営による現状把握会議が終了すれば、ユークリウス邸に来たときの生活が戻ってくる。しかし、その時とは違ってユークリウス邸は騒がしい。『鉄の牙』の顔ぶれが襲撃を凌いで以降もこのユークリウス邸に留まっていた。
「なんや兄ちゃん、そのへっぴり腰は?もっと力込めて振らんかい」
ナツキ・スバルの剣の修行に『鉄の牙』団長のリカードもミミと共に付き合ってくれている。ユリウスは例の消えた使用人であるリューズ・カルマの調査に忙しいらしく、付き合ってはくれないがリカードとミミによる稽古も中々に充実していた。
「だぁーー!!もう動けねぇ」
ナツキ・スバルは大の字になって庭に寝転がると、ミミが上から覗いてくる。
「おにーさん、もう終わりー?」
「結構、頑張った方だろ?獣人の体力って半端ねぇな」
「まぁ、ワイらは傭兵やからな」
リカードら『鉄の牙』は魔獣の群れを一掃できるレベルの傭兵だ。あの戦いを見ていた者として素直に納得できる。
「なあ、リカードのおっさん。あの時言ってた大罪司教ってなんだ?」
リカードが援軍として来てくれた時に確かそんなことを言っていた。今回は大罪司教はいなかった……と。
「なんや兄ちゃん知らんかったんか?大罪司教ゆうたら魔女教の幹部連中や」
「幹部連中?」
「そうやで。色々おってな。中には城壁都市をたったの一人で落とした奴もおるがな」
「そんなにヤバい奴らなのか、あの時の襲撃で一緒に来てたらマジやばかったな」
「そうやな。まぁ戦ったワイらだから分かる。あれは威力偵察や」
「威力偵察?」
「本命をぶつけるための小手調べ。こりゃあ本格的に奴らとやり合うことになりそうや。兄ちゃんにも期待させてもらうで」
「お、おう」
リカードらが信じているナツキ・スバルの未来視。しかし、彼らは知らない。その代償がナツキ・スバルの死であるということを。ナツキ・スバルはリカードに苦笑いで応えた。
リカードとミミが去っていくと、ナツキ・スバルに一つの人影が近づく。ナツキ・スバルの監視の為に残ることを決めたレムだ。
「おー、レム。どうしたんだ?」
ナツキ・スバルは体を起こして話しかける。
「スバル君も既に承知していると思いますが、レムはスバル君の監視をすることにしました」
「あー、まぁそうだよな」
問答無用で殺されない分、ユークリウス邸一度目のループとは天地の差だ。
「あの戦いでスバル君はレムを守ろうとしてくれましたが、レムはスバル君を助けようとはしませんでした」
『死に戻り』の暴露により魔獣の標的をレムから自分に移すことには成功したが、その結果リカードが来てくれなければ自分は死んでいた。レムにとって、ナツキ・スバルが命を顧みず自分を救ったあの行動は心の中で大きく引っ掛かっているのだ。
「この気持ちが何なのかは分かりません。ですが、あなたは奴らと同じ臭いを発していたとしても、奴らとは違う存在であると思うようになりました」
「そっか」
その言葉を聞けただけで、頑張った甲斐があったとナツキ・スバルは思った。しかし、その反応がレムにある疑問をつくる。
「怒らないのですか?スバル君は助けた相手に未だに疑われているのですよ?」
「まぁ、そうだな。思うところが何もないわけじゃないけどな」
しかし、ナツキ・スバルはレムからかつての境遇を聞いてしまった。だからこそ、
「レムの立場からすればその対応で当然だろ?疑いが晴れた時は、また教えてくれ」
それがナツキ・スバルの答えだ。
レムがその答えに納得したのかは分からないが、複雑な顔をしながらユークリウス邸に戻っていった。
昼食を食べ終わり、ナツキ・スバルがユークリウス邸をブラブラしているとユリウスと鉢合った。
「ユリウス」
「スバルか」
「なんか忙しそうだな。リューズ・カルマか?」
「それもあるが、来客があった」
「来客って言うと、エミリアちゃんのお迎えか?」
レムの代わりにエミリアの御者を務める人物がやって来たのだろうか?
「いや、そうではない。ラインハルトが来たんだ」
「誰?」
当然ナツキ・スバルが知る故もない人物。そんなナツキ・スバルにユリウスが説明する。
「ラインハルトは私と同じ近衛騎士で今代の『剣聖』だ。ラインハルト・ヴァン・アストレア、それが彼の名だ」
ユークリウス邸二度目のループでユリウスから聞いた情報にあった『剣聖』。400年前、嫉妬の魔女を封印した一族の末裔がユリウスと同じ騎士をやっているとは聞いていたが。
「そいつがラインハルトか」
「丁度いい。スバルも来てくれ。彼に紹介したい」
ナツキ・スバルはユリウスに付いて、例の応接室へ向かった。
扉を開くとその部屋には既にエミリア、レム、アナスタシアがいた。そして、もう一人初めて見る人物がいる。ユリウスと同じ騎士服に身を纏う赤髪、青瞳のイケメンだ。
「君がナツキ・スバルだね。ユリウスから話は聞いているよ。僕はラインハルト。よろしくね、スバル」
その男─ラインハルトはさらっと距離を詰めてきた。
全員が席に付くと早速会話が始まる。最初に話を切り出したのはナツキ・スバルだ。
「ラインハルトさんってユリウスと同じ近衛騎士なんだよな?」
ナツキ・スバルの質問にラインハルトは朗らかに答える。
「そうだね。若輩の身だけれど、近衛騎士を務めさせてもらっているよ。それと、ラインハルトさんは硬いね。ラインハルトで構わないよ、スバル」
「お、おう」
ラインハルトの距離を詰める速度は尋常ではない。それは戦闘にのみ限らないということだ。
「えーと、じゃあ。ラインハルトもユリウスみたいに王選候補者の誰かの騎士をやってんのか?」
「いいや。僕はまだ誰かの騎士になった訳じゃないんだ。王選候補者は既に4人が見つかっているが、最後の一人が未だに見つからない。僕がここへ来たのも最後の候補者についての情報を集めるためなんだ」
そう言うとラインハルトはエミリアとアナスタシアを見る。
「ここに王選候補者であるお二方がいらっしゃったのは幸いだった。何か情報はありませんでしょうか?」
ラインハルトはエミリアとアナスタシアに尋ねるが結果はあまりよろしくない。
「王選候補者って確か徽章の石が光った人がなれるんだっけ?」
「そうやで」
そう言うとアナスタシアは懐から例の徽章を取り出した。アナスタシアが手に持つ徽章に埋め込まれた宝石が赤く光る。エミリアもアナスタシアに倣って徽章を光らせた。エミリアの顔には「今度はなくしてません」と書いてある。
その姿に苦笑しながらもナツキ・スバルには光る徽章を見て、引っ掛かることがあった。
「徽章を光らせた人が王選候補者なんだよな?」
「何か思い当たる事があるのかい?スバル」
腕を組んで唸るナツキ・スバルにラインハルトが尋ねる。
「なんか、アナスタシアさんたち以外にも徽章を光らせてた奴がいた気がするなぁ」
「本当かい?!それは一体誰なんだい?」
詰め寄ってくるラインハルトにナツキ・スバルは唸り続けた。
「いた気がするなぁ。でも、表に出てこないなぁ。最近だったと思うんだが」
焦れったいナツキ・スバルにラインハルトは肩を揺さぶろうか悩む。そこにユリウスが助言した。
「スバル。徽章を持てる機会なんて滅多にないよ。それこそ誰かが盗まない限りはね」
「あ!!」
ユリウスの一言によりナツキ・スバルは思い出してしまった。確かにあの子は徽章を光らせていた。だが、あの時はこれから王都に出現する氷の獣を倒そうと意気込んでいたため、今の今まで思い出せなかったのだ。
「思い出したんだね!!教えてくれ、スバル」
そこでナツキ・スバルは初めて悩む。言うべきか言わないべきか。
「言ってもいいのかなぁ?」
「何を悩んでいるんだい?言わない理由なんてないだろう?」
ナツキ・スバルの脳裏に思い描かれる徽章を光らせた金髪の少女。
「なんかさ、その子。騎士とか表の人間が嫌いっぽかったんだよな」
ナツキ・スバルが教えることによってあの子の平穏が失われてしまうのではないかと考えた。
「いいかい、スバル」
そこで初めてラインハルトはナツキ・スバルの肩に触れる。
「五人目の候補者が見つかるということは、ルグニカにおいて王選の開始を意味するんだ。君の証言如何によってルグニカの歴史が動くかどうかが決まるんだよ」
「でもさ、ルグニカの歴史を動かすとか、あの子が望んでるとは限らないだろ?」
ラインハルトはナツキ・スバルの目を見て真剣に語り掛けた。
「その子を見つけても決して無理強いはしないと、騎士として誓うよ。だから、その人の事を教えてほしい」
ナツキ・スバルは最後にユリウスをちらりと見る。
「あー、分かったよ。教えるって」
ナツキ・スバルの言葉にラインハルトは顔を明るくした。
「その子の名前は───」
ナツキ・スバルから名前と身体的特徴を聞き出したラインハルトは風のようにユークリウス邸を去っていった。
「あれだけの情報で見つけられんのか?」
「ああ。ラインハルトならあれで充分だろう」
ラインハルトの居なくなった応接室でナツキ・スバルがユリウスと会話をする。
「ユリウスとラインハルトってどっちが強いんだ」
「私とラインハルトが戦えば、間違いなく私が負ける。勝負にすらならないだろう」
「マジで?」
「ああ。ラインハルトはそれほど規格外の英雄なんだ」
「信じられねぇな。ユリウスが勝負にならないって、一体どんなレベルなんだ?」
「さあね。私もラインハルトの本気は見たことがないよ」
そう告げるユリウスの顔には少しだけ、陰りがあった。
次の日、ユークリウス邸に新たな来客があった。その客はナツキ・スバルを発見するや否や目を細くして睨んでくる。
「あなたがナツキ・スバル様ね。いいえ、あなたなんてバルスで充分だわ。よくもレムを誑かしてくれたわね、この卑劣漢!!」
レムとそっくりの赤髪のメイドだった。
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選択の奴隷編
十四話
「死になさい!!」
「えぇ……」
レムと瓜二つの赤髪のメイドがナツキ・スバルへ暴言をぶつける。ナツキ・スバルは初対面の人物であるにも関わらず、何故こんな暴言を向けられるのか分からなかった。
「姉様……」
「レム……。あなたも遂にそんな年頃になったのね。でもこの男はやめておきなさい。アナスタシア様の奴隷だし、目付きが悪いわ」
「違います、姉様」
赤髪のメイドはレムの手を取って語りかける。
「レムがロズワール様から……ラムから離れてまで、この男に付いていきたいと聞いた時は気がどうかしてしまいそうだったわ。ロズワール様のお屋敷に帰りましょう。こんな男じゃなくてもレムならすぐにいい人が見つかるわよ」
赤髪のメイド─ラムはレムの手を引いて帰りの竜車の方へ向かった。しかし、レムは立ち止まってラムから手を離す。
「ごめんなさい、姉様。レムはスバル君を見張らないと」
魔女の残り香を纏うナツキ・スバルの監視を選んだレムの決意は固い。だか、その決意はラムにとって全く別の形となって映る。
「そんな……レム……それほどまでにあの男のことを……」
ラムは地面に崩れ落ちた。差し出されたレムの手を掴むや否や謀反人─ナツキ・スバルを睨み付ける。
「レムに何かあったら許さないわ!!」
ラムはエミリアを回収するとロズワール邸へ帰っていった。
「あれがレムの姉様か……」
「はい……。色々と勘違いしていますね」
「今度会ったら、妹さんを俺に下さいってのをやろうかな?」
「はっ倒しますよ」
それからの二週間、ナツキ・スバルはユークリウス邸で平穏な日々を過ごす。ユリウスや『鉄の牙』と剣の修行をしたり、色々なゲームをしたり。
しかし、楽しい時間にはいつか終わりが来るもの。その日、ナツキ・スバルの日常が動いた。
「ほんならウチらは行ってくるでな」
アナスタシアは今日の朝、ユリウスと『鉄の牙』を伴って王都に向かう。なんでも、王選に関わる重要なイベントがあるとのこと。ナツキ・スバルもユリウスと共に王都へ向かおうとしたが二つの理由から断念した。
一つはイベント会場である王城には王選候補者と近衛騎士以外は入れないというユリウスからの情報。もう一つはアナスタシアからの待機命令だ。
理由を聞いても全てはぐらかされる。ナツキ・スバルが王都へ行くことによってアナスタシアに何かしらの不利益があるのだろうか?
ユリウスと『鉄の牙』がいなくなり静かになったユークリウス邸の庭でナツキ・スバルは考えていた。
「レムは王都に行かなくてもいいのか?王選のイベントってことはエミリアちゃんも出るんじゃねぇの?」
「レムはロズワール様から好きにしていいと言われているので問題ありません」
ナツキ・スバルの隣に控えるレムが答えた。
「もう昼過ぎか」
今朝、アナスタシアたちがユークリウス邸を出発してから既に半日が経過している。そこへユークリウス邸の門を潜って見慣れない竜車が入ってきた。その中から出てきた三人の男がナツキ・スバルへと近づく。
「お前がナツキ・スバルだな?」
「そうだけど。まずアンタら誰よ?」
「俺たちはホーシン商会の使いだ。ナツキ・スバル、俺たちと一緒に来てもらおうか」
「はぁ?なんで俺が付いてかなきゃいけないんだよ?!」
ナツキ・スバルの反応を予期していたのか真ん中の男が懐から一枚の紙を取り出した。
「ホーシン商会からの指令だ。奴隷ナツキ・スバル、お前にはこれから労役作業を行ってもらう」
「労役作業?」
男から紙を受けとるとその内容に目を通す。この二週間で簡単なイ文字は読めるようになったのだ。しかし、その紙に使用されている文字はイ文字だけではない。
「レム、これって本当にホーシン商会からの指令なのか?」
「……どうやら本当にそのようです」
ナツキ・スバルから紙を渡されたレムがその内容に目を通しながら答える。その間にも男たちはナツキ・スバルの身柄を拘束した。
「お、おい!!アナスタシアさんが本当にそんなこと言ったのか?!!」
「その紙に書いてある通りだ」
ナツキ・スバルの問い掛けに男は素っ気なく返す。それを見ていたレムがナツキ・スバルを助けようとするが、その後に続く男の言葉により動きを止めた。
「これはアナスタシア陣営の問題だ。同盟を結んでいるとはいえ、他陣営である嬢ちゃんの出る幕じゃない」
ナツキ・スバルは竜車に押し込まれながらもレムに頼む。
「レム!!アナスタシアさんに確認してくれ!!」
ナツキ・スバルはユークリウス邸から連れ去られた。
竜車に揺られること半日、目的地に着いたのは連れ去られた日の翌朝だった。
「ここは……」
吐いた息が白く氷る。一面銀世界の森だった。テレビの中でしか見たことのない景色にナツキ・スバルは感動を覚えた。しかし、その感動に浸る時間は与えられない。
「こっちだ」
ナツキ・スバルは男に先導されて急造の建物の中へ案内された。
「ここが、今日からお前が住む部屋だ」
そう言うと男はナツキ・スバルを部屋に押し込んで何処かへ行く。ナツキ・スバルが案内されたその部屋には先客がいた。
「どうも。どうやら僕たちは相部屋みたいですね」
灰色の髪の優男だった。
ナツキ・スバルは早速その男と情報のやり取りをする。
「ああ、よろしくな。俺の名前はナツキ・スバルだ」
「これはこれは、僕はオットー。オットー・スーウェンと言います」
その男は自らをオットーと名乗った。
「ナツキさんと呼ばせてもらいますね。ナツキさんはどうしてここへ?」
「俺はな少し前にアナスタシアさんの奴隷になっちまってな、そのアナスタシアさんからここに行くよう指令が出ていたらしい」
「ナツキさんはあのアナスタシア・ホーシンの奴隷なんですか!!」
オットーはナツキ・スバルの言葉に驚く。
「知ってんのか?」
「知ってるも何も、商人で知らない者はいませんよ」
「オットーって商人なのか?なんでこんなところにいるんだ?」
ナツキ・スバルが聞くとオットーは恥ずかしそうに身の上を語った。
「実はですね、僕は王都で大量の油を仕入れたんですよ。これから寒くなるグステコで売りさばこうと思いましてね。ですが、グステコには交通規制がかかっていて入れませんでした。僕は大量の油の在庫を抱えたまま路頭に迷っていたんです」
「グステコって別の国だよな?結局、その在庫はどうなったんだ?」
「はい。僕は結局その在庫を売りさばけずに破産しました。そこで僕はラッセルさんに拾われたんです。ですから僕はナツキさんと同じ奴隷です。ラッセルさんにここに行くよう言われました」
「オットーはそのラッセルって人の奴隷なのか。ところで、ラッセルって誰だ?」
「知らないんですか?ラッセル・フェロー。ルグニカで商業を司る商人組合の会長です」
「へぇー。アナスタシアさんと似たようなもんか」
「まあ、僕からすれば同じくらい凄い人ですね」
ナツキ・スバルはここへ来てから気になることを聞く。
「なあ?ここって何処だが分かるか?」
雪降り積もる、見たことのない一面の銀世界。それが今ナツキ・スバルを取り囲む環境である。
「知らないで来たんですか?ここはロズワール領のエリオノール大森林ですよ」
「エリオノール大森林だって?」
「そうです。僕たちはそのエリオノール大森林で採れる魔鉱石の発掘に召集されたんです」
エリオノール大森林と言えば、エミリア陣営とアナスタシア陣営の同盟によって採掘権の一部がアナスタシア陣営に譲渡された場所だ。
「まあ、アナスタシア・ホーシンの奴隷であるナツキさんが呼ばれたのは納得です。この事業はホーシン商会が中心になって行われていますから」
「そうなのか?」
まあ、鉱石の採掘と言えば奴隷の定番の仕事でもある。
ジリリリリリリリリ!!
「なんだ?!!」
突然、宿舎全体にけたたましいアラームが響き渡る。
「さぁ行きましょう、ナツキさん。この知らせが作業開始の合図です」
オットーに従って宿舎の外に出ると既にかなりの人数がいた。それぞれが30人くらいのグループとなって固まっており、それが3つくらいだ。その他は疎らにちらほらと言った感じである。
「結構人がいるんだな」
ナツキ・スバルはこの事業の運営側から受け取った防寒具を着用して辺りを見渡す。ナツキ・スバルをエリオノール大森林へ連れてきた男たち。彼らはこの魔鉱石の発掘事業の運営側の人間だった。
「ナツキさん、こっちです」
ナツキ・スバルはオットーの案内に従って進むと一つのグループを紹介された。
「この方々が僕と同じでラッセルさんの奴隷になります」
エリオノール大森林に集まる3つの奴隷グループ。その一つはラッセル・フェローに身柄を押さえられた集団だった。
そのグループの一員であるオットーの紹介によりナツキ・スバルもラッセルグループに溶け込んでいく。そこではアナスタシア・ホーシンの奴隷であるという肩書きが大きい。それだけで、ある程度の信用が得られるのだ。
それから、ラッセルグループとは一度別れて各々の作業を始める。ナツキ・スバルの持ち場は同室になったオットーと同じ場所だ。
「これが魔鉱石ってやつか」
ナツキ・スバルの手の中にある鉱石が淡く青色に光る。
「ナツキさんは魔鉱石は初めてですか?」
魔鉱石に見とれているナツキ・スバルにオットーが聞いた。
「ああ、綺麗なもんだな」
「まぁ、得たものは全てホーシン商会に納めるんですけどね」
「ホーシン商会が魔鉱石を王都の市場に流すんだっけ?」
やはりナツキ・スバルらがいるこのエリオノール大森林はエミリア陣営からアナスタシア陣営に採掘権が譲渡された土地で間違いないようだ。
「そうですね。僕の主人であるラッセルさんも一枚噛んでるって感じです」
ナツキ・スバルとオットーは支給された袋に魔鉱石を詰め込みながら会話を広げる。
「オットーはいつここに来たんだ?」
「僕は昨日です。ナツキさんより1日先輩って所ですね。ところで、ナツキさんはアナスタシア・ホーシンの奴隷になる前は何をしてたんです?」
「え~と、それはだな……」
オットーと喋りながら魔鉱石を集めるナツキ・スバル。採掘に熱中していると既に日が沈みかけていた。
「そろそろ戻りましょうかナツキさん」
「そうだな」
だいぶ袋に貯まった魔鉱石を見ながら一息つく。
「にしても、景色のいい屋外で魔鉱石を集められんのはいいな。薄暗い洞窟に閉じ込められたらどうしようかと思ったぜ」
「僕も最初はそれを予想してたんですけどね。ですが、噂ではエリオノール大森林の奥深くにはそういった洞窟もあって、そこにもっと大きな魔鉱石の結晶があるそうですよ」
「これよか更にデカイのか。これから行くことになんのか?」
「どうでしょうね。ホーシン商会が今回獲得した採掘権の範囲に含まれていれば、いつかお目にかかれるかもしれませんね」
オットーと話しながら宿舎を目指すナツキ・スバル。すると突然目の前に、獣人と人間で構成された見慣れない集団が現れた。
「な、なんだお前ら!!」
声を上げるナツキ・スバルに一人の男が代表して答える。
「お前らが集めた魔鉱石を全部よこせ」
「なんだと!!」
男の無粋な物言いにナツキ・スバルは身を乗り出そうとするが、隣のオットーがそれを止めた。
「待ってくださいナツキさん。ここは大人しく従いましょう」
「ヘヘッ。物分かりがいいな、兄ちゃん」
オットーから魔鉱石の入った袋を受け取った連中は中を確認するとナツキ・スバルの目の前から去っていった。
「どういうことだよ!!」
ナツキ・スバルは自ら進んで今日の成果を渡したオットーの胸ぐらを掴む。
「お、落ち着いてくださいナツキさん。ここで怪我をするのは不味いです。ここはまともな医療設備もない辺境のエリオノール大森林ですよ?最悪死ぬ可能性だってあるはずです!!」
オットーの言い分を理解したナツキ・スバルは渋々と手を離した。
「そうか……悪いなオットー。当たっちまって」
「い、いえ……」
ナツキ・スバルはオットーと宿舎を目指す。宿舎の前には成果である魔鉱石を回収するために運営側の男たちが陣取っていた。
「くっそ、どうするか」
ナツキ・スバルとオットーは両者手ぶら。このまま今日の成果を報告すればどうなるか想像に難くない。
二人で悩んでいると、そこに一人の男が現れた。
「あんたは……」
その男はラッセルグループリーダー格の男であった。
「どうしたお前ら?今日の成果は?」
「それが、見慣れない連中に奪われてしまいまして」
「なるほどな」
オットーから説明を聞いた男はナツキ・スバルとオットーに手で着いてくるよう促す。
「お前らこのままじゃやばいぞ。成果が少なかった連中がどうなるのかちょっと見せてやるよ」
ナツキ・スバルはオットーと共に男の後に続いて宿舎の裏手へ回った。裏手にあったのは美しいエリオノール大森林の景色とは似合わない独房のような施設。そこで見たものは──
「なん……だよこれ」
足腰立たなくなるまで痛め付けられた男たちだった。
「奴隷ってのは基本扱いは物と同じだ。だから所有者の許可なしに傷つけられる事はない。だが、今回は事情が少し違う。ここで働くに当たって、仕事ぶりが悪い者には相応の制裁があると契約で決められている」
ラッセルグループリーダーの男が淡々と告げる。
「俺たちは……どうすれば……」
意気消沈しているナツキ・スバルに男が懐から小袋を取り出した。
「ここに魔鉱石の入った袋が二つある。これを使えばお前らは制裁を免れるだろう」
「くれるのか?」
「バカ言うな。これは貸しだ。いつか返してもらう。それでもよけりゃこの袋を取れ」
独房で横たわる男たち。それを見た後で袋を取らないという選択はナツキ・スバルとオットーには存在しなかった。
男から受け取った魔鉱石を運営側の男に提出し、ナツキ・スバルはオットーと宿舎に入る。その横目では成果を奪われたであろう男たちが宿舎裏手の独房へと連行されていた。
あの男が助けてくれなければ今頃自分も同じ目にあっていただろう。その事実がナツキ・スバルに悪寒となって襲う。
「こんなことが許されていいのかよ」
成果を奪われれば、その日なにもしていなかったと見なされるここのシステムに怒りを覚える。
「ここは自主申告成果性みたいですからね」
オットーが隣からナツキ・スバルに声をかけた。
「恐らくですが、この仕事の報酬はどれだけ魔鉱石を集められたかに依存します。その量が多ければ多いほど奴隷から解放される上にしばらくは遊んで暮らせるとかそんな所でしょうか」
「それが俺たちが成果を奪われた理由か……」
「ナツキさん、食堂に行きましょう。少しでも栄養を摂らなければ」
「……そうだな」
白銀の世界に覆われた美しいエリオノール大森林。その裏では魔鉱石の採掘に奴隷同士の醜い成果の奪い合いがある。
天国のようなユークリウス邸にいた頃では考えられない様な環境。ユリウスは貴族だからこそ、あのレベルの生活を提供出来ていたが、この世界は下を見ればそれこそ日本よりも深い闇が広がっているのかもしれない。
ナツキ・スバルは食堂に向かう中で人生がどん底に叩き落とされる音を聞いた。
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十五話
「クソッ!!こんな場所にこれ以上いて堪るか!!」
質素な晩飯を掻き込む様に食べ終わったナツキ・スバルは現状を打開するべく動く。アナスタシアの奴隷となったナツキ・スバルはアナスタシアの命令には従わなければならない。きちんとした令状はあったが自分をこんな場所へ移送させる理由がわからなかった。
「見つけた!!」
ナツキ・スバルが一目散に駆け寄るのはホーシン商会の職員。アナスタシア陣営とエミリア陣営の同盟によってなし得たエリオノール大森林の魔鉱石採掘事業はホーシン商会が中心となって行っているため、ホーシン商会の人間も当然いる。
「待ってくれ!!アンタ、ホーシン商会の人間だろ?」
「ええ。そうですが?」
「俺はナツキ・スバル。アナスタシアさんの奴隷って言えば分かるか?」
「ああ、あなたが…。どうかしましたか?」
「俺がここに連れてこられたのは本当にアナスタシアさんの指示かどうか確認してほしいんだ」
ユークリウス邸からエリオノール大森林に連れて行かされる直前、自分の側にいたレムに命令の真偽をアナスタシアに確かめて貰うように頼んだが、向こうの状況が分からないため自分でも行動する。
「令状はお持ちですか?」
「ああ、これだ」
ナツキ・スバルは渡された令状を職員に渡した。その令状に目を通すと職員はナツキ・スバルに答えを告げた。
「これは正式にホーシン商会から発行された物で偽造は不可能です。従って会長からの指示は本当ということになりますね」
「クッ!!」
やはりレムに見てもらったときと同じ結論か。こうなった以上、エリオノール大森林での魔鉱石サバイバルに身を投じる他ないのか。
ナツキ・スバルのそんな心情を察してかホーシン商会の職員がある提案をした。
「あなたがホーシン商会所属の奴隷であることを公表しましょうか?そうすれば滅多な輩には手出しされない様になると思いますし」
この職員もエリオノール大森林の魔鉱石を巡った水面下での争いを知っているのだろう。その提案はナツキ・スバルにとってユークリウス邸に戻れない以上最も望んでいた物だ。これで自分の生活に少なからず平穏が訪れると。
「ああ!!よろしく頼む!!」
自室に戻ったナツキ・スバルを出迎えたのは相部屋になった破産商人オットー・スーウェン。
「どこに行ってたんですか?ナツキさん」
「あーまぁ、ちょっとな。今日、魔鉱石をカツアゲされただろ?その対策として俺がホーシン商会会長アナスタシアさんの奴隷ってことを大々的に広めてもらうように頼んできた」
「本当ですか?!今から明日の事について話し合おうと思っていたのですが、流石ナツキさんです」
「流石って…まだ会って間もないだろ?」
「いえいえ、アナスタシア会長の奴隷になることができる人間なんてほんの一握りですからね」
「そうなのか?」
「え~と、ところでですね。明日の作業なんですけど、僕も御一緒していいですか?」
「オットーの場合一人になったら、また狙われるしな。1日一緒に作業したよしみだ。明日も一緒にやろうぜ」
「ありがとうございます~!!」
エリオノール大森林二日目。
ジリリリリリリリリ!!
「よし、行くかオットー!!」
「はい!!」
作業開始のベルでナツキ・スバル、オットーコンビは行動を開始した。
「これは確かに凄いな」
「そうですね」
ナツキ・スバルがアナスタシアの奴隷であるという事実が公開され、どの奴隷たちもナツキ・スバルに一目置いている。それから次第に奴隷たちは魔鉱石を集めるため、散り散りになっていった。そんな中、ナツキ・スバル一行に近づく複数の影。
「お前らは!!」
その男たちは昨日、ナツキ・スバルとオットーから魔鉱石をカツアゲした連中だった。
「まぁ、待てよ。俺たちはやり合いに来たんじゃない」
「何?昨日俺たちから奪っておいて何言ってやがる!!」
「知らなかったんだ。アンタがホーシン商会会長アナスタシア・ホーシンの奴隷だと知っていれば手は出さなかった」
そう言うと男は昨日ナツキ・スバルとオットーから奪った魔鉱石の3倍を差し出した。
「これで手打ちといかねぇか?」
昨日、ラッセルグループリーダーに借りた魔鉱石を返しても十分に余る量。ナツキ・スバルは渋々といった感じで同意しようとするが……
「ちょっと待って下さい!!」
横から口を挟んだのはオットー。
「あなた方はご存知だったはずでは?成果を上げられない奴隷がどういった目に合うのかを」
「そ、それはだな……」
ここエリオノール大森林では魔鉱石を集められない奴隷に価値はないと言わんばかりに身体を痛め付けられる。こんな辺境で怪我をしてしまえば生命にすら関わるだろう。
「僕たちの命の値段がこれですか?見くびらないでください。……二倍です。この更に二倍の魔鉱石で手を打ちましょう」
「これの更に倍だと?!こちらが下手に出ていれば……」
「いいんですか?アナスタシア会長の奴隷に手を出しても?ホーシン商会を敵に回しますよ?」
「クソッ!!」
目の前に積み上げられた大量の魔鉱石の入った袋。これを換金すれば一体いくらになるんだ?
「うは~。凄いですねぇナツキさん。僕たち今だけ大金持ちですよ」
「何言ってんだよオットー。これはホーシン商会に納めなきゃいけないんだろ?」
「そうですけど……」
「それにしてもオットー。お前すげぇな、昨日カツアゲされた連中相手にここまで引っ張るかよ」
「それはこちらにナツキさんがただの奴隷ではなく、アナスタシア・ホーシンの奴隷という最強のカードがあったからですよ。でなければ僕もここまでしません」
ここエリオノール大森林においてアナスタシアの奴隷という肩書きはナツキ・スバルが認識する以上に価値があるようだ。それを差し引いてもこのオットーの交渉力は目を見張るものがある。
「流石は商人。交渉させたらピカイチだな。なんで奴隷なんかになってんだよ?」
「あれ?言いませんでしたっけ?僕は油で失敗して……」
「それは聞いたよ。足元掬われたんだろ?んじゃ、ここでは足元掬われない様にこの魔鉱石の山を処理するぞ」
「分かりました。半分は納めて、もう半分はいざというとき時のために隠しておきましょう。昨日、リーダーに借りた魔鉱石も上乗せして返さなければいけません」
「そうだな」
その日は結局、魔鉱石の隠し場所を探すことに重きを置いたため、実際に収穫した魔鉱石は微々たるものだったが、その甲斐があり秘密の隠し場所を見つけることに成功する。
「ナツキさん。ここなら大丈夫です。この辺り一帯に僕ら以外の奴隷はいません」
「なんでそんなことが分かるんだ?」
「僕には『言霊の加護』がありますからね。この辺りの動物や虫たちに聞いたんです」
「お前、加護持ちだったのかよ!!」
「ええ。そうなんですよ。今でこそ自由に扱えていますが、この加護のせいで幼少期は地獄でしたけどね」
オットーが語る所によると、未熟だった『言霊の加護』はありとあらゆる生物の声を拾ってしまうため脳内を意味が分かるような分からないような言葉で延々と殴り続けられている感じだったらしい。
「あらゆる方向から政治家の演説を聞かされるようなもんか」
「あながち間違いじゃないです」
作業が終了し、ナツキ・スバルとオットーはラッセルグループのリーダーと落ち合う。昨日借りた魔鉱石、その倍をリーダーに差し出した。
「お前ら、上手くやったみたいだな」
「あぁ。昨日は助かったぜ」
「少し多目にお返ししますね」
「まあ、こちらも利があると判断した上での結果だ。これからも困ったことがあれば遠慮なく言え」
「そうだな。何かあったら頼らせてもらうわ」
「自分はラッセルさんの奴隷になって間もないですがよろしくお願いします」
場所はナツキ・スバルとオットーの相部屋。負債から解放された二人は布団で寛いでいた。
「あのリーダーマジいい人だな」
「そうですね。僕が同じラッセルさんの奴隷だったというのもありますが、初日は助かりましたね」
「今日は誰にも絡まれなくてよかったぜ」
「ナツキさんのアナスタシア・ホーシンの奴隷という肩書きとラッセルグループリーダーとの繋がりがあればここでの生活には苦労しなさそうですね。後は地道に返済して奴隷から解放されるだけです」
「俺の場合、素直に解放してくれるかねぇ?」
「ナツキさんの負債額はいくらですか?」
「負債とは少し違うんだよな」
ナツキ・スバルはアナスタシアと交わした契約の大まかな概要をオットーに教えた。『腸狩り』エルザ、魔獣、魔女教徒といった連中を撃退するためにホーシン商会の私兵団『鉄の牙』の力を借りた契約だ。
「それはやってしまいましたねぇ。金額が明記されていない以上、アナスタシア・ホーシンのさじ加減一つで全て決まるでしょうね」
「だよなぁ。でも俺、ここに来る前まではユリウスの屋敷で贅沢三昧してたんだぜ?奴隷のままでもあの生活が戻ればいいんだけどなぁ」
「『最優の騎士』の邸宅ですか?!羨ましすぎますよ!!って言うかナツキさんがここに飛ばされたのって『最優の騎士』の邸宅でゴロゴロしすぎていたせいではないですか?」
「う!!」
言われてみれば襲撃を乗り越えたという解放感から実のない生活を続けていたのかもしれない。自分ではミミやリカードと鍛練を頑張っていたと思っていても、アナスタシアから見れば……ということもある。
「ま、まぁそうかもな。でも、ここで成果出せばアナスタシアも見直すだろ」
「それは間違いありませんね」
それからのエリオノール大森林での生活は正に平和そのもの。面倒な輩に絡まれることなく、着々と成果を重ねラッセルグループと一緒になって飲むという日もあった。ナツキ・スバルは未成年なため酒ではなくジュースにしたが。
エリオノール大森林での日々が三日、四日、五日と過ぎた。
「いくらなんでも遅いな」
「何がですか?」
ナツキ・スバルはエリオノール大森林5日目の作業の疲れを癒すべくオットーと一緒に寛いでいる。
「アナスタシアさんの指示の真偽の確認だよ」
そう。ここに来る前、レムにアナスタシアさんの指示を確かめてくれと頼んだ。ついでにエリオノール大森林にいるホーシン商会職員にも。
「結局、真偽はだらけきったナツキさんを更正するためにアナスタシアさんがエリオノール大森林へナツキさんを飛ばしたってことになりませんでした?」
「んッ……まぁ、多分そうだろうけど、アナスタシアさんの命令が本当か嘘かの結果報告くらいはあってもいいんじゃないかと思ってな。俺のお付きのメイドならすぐに駆け付けてくれると思ったんだが」
「お付きのメイド?!なんですかそれ、初耳ですよ!!奴隷の身分でメイドまで付いてたんですか?」
「監視だよ、監視。オットーが想像してることなんて起こらねぇって」
「どうですかねぇ~」
「明日もあるし、もう寝ようぜ」
「ナツキさんにメイド。ナツキさんにメイド。ナツキさんにメイド。ナツキさんにメイド。ナツキさんにメイド」
「うるせぇぞオットー。もう寝ろ」
エリオノール大森林六日目の朝。
ナツキ・スバルは………
「ナツキさん!!ナツキさん!!ナツキさん!!ナツキさん!!ナツキさん!!」
デカイ声でオットーに叩き起こされた。
「なんだよオットー。作業までまだ時間あんだろ?」
「作業?一体何を寝ぼけてるんです!!今、この1分1秒が僕たちの今後の人生を大きく左右するといっても過言ではないんですよ!!」
「はぁ?」
「取り敢えず今すぐに行きますよ!!ナツキさん早く準備して下さい!!」
「行くってどこに?」
「決まってます、エリオノール大森林で魔鉱石を回収するんです!!」
ナツキ・スバルはオットーに急かされるまま、外に出る。
「他の奴らもだいぶ慌ただしいな」
作業までまだ時間があるというのに、外ではかなりの奴隷たちが右往左往したいた。
「ナツキさん!!」
「おお、オットー……ってなんだそりゃ!!」
オットーはどこからか荷台付の竜車を持ってきていた。
「なんとか竜車の争奪戦には勝利しました。ですがいつ奪われるとも限りません、早く乗ってください!!」
ナツキ・スバルは終始オットーの言いなりだったが、竜車が走り出したのを確認すると、オットーに事情を尋ねる。
「なぁ、オットー一体……」
「ナツキさん!!追っ手です!!少し飛ばします!!舌を噛まないようにして下さい!!」
オットーの声を合図に竜車は更に加速した。道なき道を進み追っ手を撒こうとする。エリオノール大森林でのカーチェイスが始まった。
追ってくる竜車は少なくとも3台。通常であれば勝ち目はない。道の分からないエリオノール大森林なのだから。
しかし、この男─オットー・スーウェンには当てはまらない。『言霊の加護』により森の生物から巧みに進路の情報を得る。
ナツキ・スバルの体感にして30分くらいだろうか、ナツキ・スバルとオットーの乗る竜車は追っ手を撒いた。
「全く……朝から意味がわかんねぇよ」
ようやく落ち着いた事もあり、ナツキ・スバルは今度こそ事情をオットーに尋ねる。
「なぁ、オットー。さっきの追っ手は一体なんだ?」
「恐らくは僕たちの竜車が狙いでしょうね。後は僕たちが隠している魔鉱石の居場所を吐かせると言った所でしょうか」
「はぁ?状況変わりすぎだろ!!」
ナツキ・スバルのアナスタシア・ホーシンの奴隷という肩書きとラッセルグループリーダーとの繋がり。これさえあれば平穏な日々を享受できるのではなかったのか。いや、実際前日までは楽しい日々を送れていた。
「ま、まぁ…いい。所で、なんでみんな俺たちを含めてこんなにバタついてんだ?」
オットーの叩き起こしから始まり、エリオノール大森林でのカーチェイス。今までで体験しなかったことを一度に詰め込まれた。
「朝も言いましたが、これは僕たちの今後の人生を大きく左右します。僕たちは無一文で商売をするにしても先立つ金がいる。その為には魔鉱石を大量に運べる竜車が必要で、あれば更に人生の選択肢は広がります。こんな好機おそらく二度とないでしょう。──────丁度今、僕たちのいる場所がエリオノール大森林で唯一、誰も採掘権を保有してない場所なんですから!!」
????
「更にはそんな場所に誰も所有してない竜車が捨てられている。ここで僕たちは人生をやり直すことが出来るんです!!」
どういうことだ?だってここは──
「アナスタシアさん率いるホーシン商会が所有してる場所だろ?」
「ナツキさん──」
オットーから言葉が紡がれる。
「アナスタシアさんって誰のことですか?」
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