じんせいみてい! (湯切)
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嚆矢編
第一話 きみが生まれた日のこと


22/11/23 1〜32話(旧1〜91話)を修正


 五大国の一つである火の国に存在する木ノ葉隠れの里。

 

 木ノ葉最強と謳われている一族の元に生まれてきた俺の名は、うちはスバル。

 

 一族の名に恥じない忍になるべく、うちはの子ども達は幼い頃から厳しい修行に励んで強くなっていくが、俺だけは例外だった。というか、そもそも土俵にすら立っていなかった。

 

 なぜかというと、俺は生まれてからこれまで一度も口から音というものを出せたことがないからだ。

 

 両親によると生まれた時ですら産声一つ上げなかったらしい。声で意思疎通をとれない忍なんて論外だろう。

 

 どうして俺は喋ることができないのか。これには里の優秀な医療忍者も首を傾げるばかりだった。

 喉や肺は勿論のこと、その他身体的機能に問題は一切見つからない。念のため受けた心理カウンセラーでも原因は見つからなかった。

 

「もし心理的なものだとしたら、お母様の胎内にいた頃から、この子はメンタルにダメージを受けていたことになりますよね」

 

 などと指摘してきた相談員の顔は今でも忘れられない。真顔だった。隣にいた母さんなんて絶句してた。そんな赤ちゃん嫌すぎる。

 結局は先天的なものだろうと結論づけられた。

 

 それでも悪いことばかりってわけでもない。口頭での会話ができない代わりに、俺は同世代の子ども達より内面の成熟が早かった。

 一歳で文字を完璧に理解し、覚束ない手つきで紙に書き写したとき。いつも冷静で寡黙な父さんですら、目を見開いて驚いていたんだから。

 

 そんなこんなで両親はちょっと、いや、かなり調子に乗ったらしい。

 アカデミー用の計算ドリルや忍術の指南書など、あれやこれやと俺に与えてきたが、さっぱり理解できなかった。

 

 どうやら俺が同世代より優れているのはこの思考力だけらしい。

 つまり、どれだけ優れた思考力でも理解力とイコールで繋がらず、頭の悪さはカバーできなかったというわけだ。自分で言ってて切なくなってくる。

 

「スバル。買い物に行くから荷物持ちをしてくれる?」

 

 自分の部屋で雑念だらけの瞑想をしていると、随分と膨らんだお腹に手を置いている母さんが部屋の前に立っていた。

 

 忍としてそのだらけきった腹はなんだと思われるかもしれないが、母さんの腹の中に詰まってるのは脂肪じゃなくて俺の弟(予定)だから許してほしい。

 名前はすでに決めてあるらしいけど教えてくれなかった。生まれてきてからのお楽しみなんだとか。気になって夜しか眠れない。

 

「はぐれるといけないから手を繋ぎましょう」

 

 母さんがこちらに差し出してきた手を遠慮がちに掴んで、顔を上げる。母さんは困ったように眉尻を下げていた。

 

「スバルはまだアカデミーにも入学していないし、忍術や幻術が上手くできなくたっていいのよ」

「…………」

 

 俺が自分の部屋で瞑想なんて柄にないことをしていたのは、他でもない父さんの言いつけだったからだ。

 

 うちは一族は里一番のエリートだ。

 そのトップに君臨している父さんは、俺を優秀な忍に育て上げようと日々厳しい修行をつけている。

 残念なことに、俺は声を出せないどころか忍術や幻術の才能は一般人に毛が生えた程度かそれ以下だった。

 その代わりに体術はそれなりに得意なんだけど、父さんはそれが気に入らないらしい。

 

 チャクラ消費を抑えられるし、体術も十分強いと思うんだけどなあ。相手がのろのろ印を結んでいる間に懐に潜り込めたりするし。

 悪いところっていうと、地味? 忍術幻術が派手すぎるってのもある。

 

 

 

 俺と母さんは無駄に広い家の敷地を抜けて、商店街に繰り出した。

 ここにいるのが全員身内ってすごいよね。オーソドックスな忍具専門店から角にある豆腐屋まで、全て一族の人間が切り盛りしてるっていうんだから驚きだ。どこの巨大組織だよ。

 

「……いらっしゃい」

 

 どこか不機嫌そうな豆腐屋のお婆さんが気怠げに椅子から立ち上がる。母さんが豆腐を三丁注文すると、お婆さんは俺をひと睨みしてから裏に行ってしまった。

 

「…………」

 

 俺ってやっぱり嫌われてるなあ。このお婆さんだけじゃなくて両親以外の一族に。どうせ一族みんなの憧れ(多分)な父さんの息子がこんなヤツなのが受け入れ難いとか、そういう理由だろう。

 今のところ直接罵倒されるとか殴られるとか、そういった被害には遭ってない。一人でのこのこやって来た暁には集団リンチされそう。すでに精神的村八分受けてるし。

 

「ほら」

「ありがとうございます」

 

 豆腐を受け取った母さんがにこっと微笑む。お婆さんが怯んだ。母さんの太陽のような笑みはアンデッドモンスターに効果抜群である。

 

 

 

 商店街に付き添ってから一ヶ月後、入院していた母さんが柔らかな布に包まれた赤ん坊を抱いて帰ってきた。

 

「ほら、スバル。弟のイタチよ」

 

 こちらに差し出された赤ん坊の瞳は硬く閉じられており、未だに母親のお腹の中にいるかのように穏やかに眠っていた。

 

 ぱちっと目を瞬く。視界の至るところで小さな泡のようなものが弾けたような錯覚に陥った。

 

 なんだこの生き物は。あまりにも小さすぎる。

 

 恐る恐る頬を指で突いてみると、想像以上に沈んで戦慄する。

 

 マシュマロみたいにぷくぷくしてる。永遠に触っていたい。

 舐めちゃいたいくらい可愛いって、こんな時のためにある言葉だったのか!

 

「そう……こちらの腕で首を支えてあげて。上手ね」

 

 戦々恐々と抱き上げた小さな弟はずっしりと重く、そして温かい。――生きている。そんな当たり前な事が何度も何度も頭を巡った。

 守りたい、この命。ぱちっと開いた小さな瞳と目が合う。

 

 起こしちゃったみたいだ。ほら、俺がお兄ちゃんだよ! はじめまして!

 

 イタチはキラキラと目を輝かせると、花が綻ぶような笑みを浮かべた。その瞬間、俺の中で何かが音を立てて崩れた。

 

「…………スバル?」

 

 真正面に立っていた母さんが、ひどく驚いたような顔をしてこちらを見ていた。

 

 

 

 少し離れた場所で待機する俺と、こちらにハイハイで向かってくる弟。この胸のときめきを誰かと共有したい。

 

 俺の弟って、もしかしなくても天才なんじゃないだろうか。

 

 生後四ヶ月でハイハイをマスターしてしまったイタチは、こうやって一日に何度も俺の後を追いかけてくるようになった。しかも満面の笑みを浮かべて。おかげで修行の時間に遅れて父さんに怒られることが増えた。

 

 いや、イタチには何の罪もないとも。悪いのは弟摂取タイムをまったく考慮してくれない父さんだ。間違いない。

 

 ああ、今すぐにでもその小さな体を抱きしめたい。

 しかし! 俺は他でもない弟のために、心を鬼にしてその場から動かないと決めている。兄が弟の成長を妨げるなんてあってはならないことだ。

 

 そうなるくらいなら舌を噛み切って死んだ方がマシ。なんなら火遁という名の地獄の業火に焼かれて死にたいし、あわよくば弟に遺灰を撒かれたい。

 

 三歳児とは思えない思考力が唯一の自慢な俺だが、イタチに関してだけはIQが一桁になってしまうのはチャームポイントだ。決して欠点ではない。

 

 ああ、もうすぐイタチがこの腕の中に飛び込んでくる……!

 

 想像しただけで頬の筋肉がゆるっゆるになった。

 部屋に置かれた大きな姿見鏡に映る俺は完全なる無表情かつ冷めた目で弟を見ていたが、心の中はフィーバーしていた。

 

「にぃ、に」

「…………」

 

 無表情のまま、こくこくと何度か頷く。イタチは俺から反応があったことが嬉しいのか、ぱあっと顔を綻ばせている。俺はさっと目を逸らして畳の目を数えることにした。

 

 あっぶねー、イタチの満面の笑み(ホーリーエンジェルスマイル)を直視してたら心臓が止まるところだった。まったく油断ならない。

 

「またイタチと遊んでくれてたのね、スバル」

 

 エプロンをつけた母さんが、隣の部屋から小窓越しに覗き込んできていた。

 何が起きるか分からない育児と家事を両立させるべく、イタチの部屋と母さんの部屋は隣同士になっていて、小さな窓からいつでもこちらの様子が確認できるようになっている。

 

 そう、元々ここは俺の部屋だった。喜んでイタチに献上した結果、今はここから少し離れた物置部屋を自室として使っている。どうせ寝る時しか使わないし、イタチの健やかな成長のためなら外で寝たって構わない。

 

「あーう!」

 

 ぷにっと柔らかい何かが触れた。その場で正座していた俺の膝にはいつの間にかイタチの手のひらが乗っていて、さらに体を乗り上げて俺の胸の中に飛び込んできていた。

 

「…………!」

「あらあら。本当にイタチはお兄ちゃんのことが大好きなんだから」

 

 慌てて抱きとめようと広げた腕がじんっと熱を持つ。僅かに痺れるような感覚ののち、幼児特有の温かさが腕から全身に伝わってきた。

 

 おいおい、俺を殺す気? 幸福過多で心肺停止しそう。

 

 初めてイタチを抱っこしたあの日から、俺の世界は弟を中心に回っている。喋らないせいか人より動かない表情筋も、イタチと一緒にいる時は少しだけ柔らかい。なんだか言い方がくどいな。つまり、俺は世界中の誰よりもイタチを愛してるってことだ。弟万歳。

 

 俺がこの子のためにしてあげられることって何だろうなあ。忍術幻術は絶望的だけど、体術くらいなら見本になれるかもしれない。

 

「そろそろご飯の時間よ。お父さんがお腹を空かせて待ってるわね」

 

 母さんがゆっくり立ち上がり、こちらに両手を差し出してくる。

 俺は抱っこしていたイタチを窓越しに母さんに預けると、その場で大きな伸びをした。

 午前中は基礎体力をつける運動、午後はずっとイタチのハイハイ特訓に付き合ってたから全身が軽い筋肉痛だ。

 

「今日はスバルの大好きなビーフシチューにしたの」

 

 優しく笑いかけてくる母さんに俺はいつものようにこくりと頷いて、エプロンの裾を控えめに掴んだ。

 

 

 

 今ではすっかり常時脳内お花畑イタチ大好き状態な俺だが、イタチが生まれる前はそれなりに病んでいた。むしろ闇しかなかった。

 

 豆腐屋のヨボヨボなお婆さんには挨拶代わりに睨まれるし、試しに一人で悠々と外出してみたら案の定集団リンチに遭った。精神的に。

 彼らに、子どもに物理的な暴力を振るって気持ち良くなるという特殊性癖がなくて本当によかった。

 

 おかげで今も五体満足で生きてます。どうも、あの時見逃してもらった鶴です。恩を仇で返すタイプの鶴なので全員の急所を潰して逃げてしまいましたが、今も変わらずお過ごしでしょうか?

 

 かっこよく闇とか言ったけど、普通に元気で逞しかったかもしれない。目には目を、嫌がらせには股間潰しをモットーに生きてた。やられっぱなしは性に合わないからな。

 

 それでも俺の世界が弟の誕生によって彩られたのは事実だ。イタチは俺が手を伸ばせば紅葉のような小さな手で応えてくれるし、笑顔が見たいなと思えば察したように無邪気に笑ってくれる。

 まさに混沌の地に舞い降りし天使。国を挙げて守らなければならない存在である。

 

 

「美味しい?」

 

 家族で囲んだテーブルの前で、完全に思考をお空に飛ばしていた俺の意識が母さんの呼びかけによって現実に戻ってくる。

 

 そうだ、今は夕飯の時間だった。

 

 ビーフシチューを一口食べたまま固まっていたせいか、母さんが心配そうに見つめてきていた。こくこくと急いで頷いて、さっそく二口目を口にする。美味いの一言も言えない息子でごめん。

 イタチは母乳で満腹になって眠気に襲われたのか、母さんの隣のベビーベッドで気持ちよさそうに眠っていた。

 

「…………スバル」

 

 低い声が鼓膜を刺激する。父さんに名前を呼ばれた俺はゆっくりと顔を上げた。父さんが俺の名前を呼ぶのは随分久しぶりな気がする。それも、食事中にだなんて。

 父さんは相変わらずぎゅっと強く結ばれた口端を僅かに緩めた。

 

「明日から忍術の修行をしてみないか」

 

 これまで一貫して体力作りや体術の修行だけをしてきたのに、どうして。

 

 それなりに驚いたものの、表情には一切出なかったらしい。

 父さんは深いため息をついて「忍としての素質はあるようだが、ここまで感情が表に出ないとな……」と、やりづらそうに頭をかいている。父さんが俺の心を覗けたら発狂しそうだ。

 

「お前なら分かっていると思うが、一族の後継はイタチになるだろう。お前には兄としてイタチをサポートできるよう、さらに修行に励んでもらいたいと思っている」

 

 俺は頷いた。それはもう素早く。

 

「早いな……本当に大丈夫なのか?」

 

 いくらなんでも心配になったのか、父さんが再度問いかけてきたので今度は素早く、かつ、さっきより深く頷いてみせる。

 

 声も出せない、忍術幻術は不得意。そんな俺がイタチにしてやれることは少ないだろう。先ほど考えた体術だって、優秀なイタチは難なく身につけてしまうに違いない。

 

 なぜ優秀だと分かるのかって? 俺の弟レーダーがそう言ってるからだ。

 

 だけど、俺はこの命をかけてでも何かしてやりたいと思ってる。

 この子の為になるなら文字通り何だってしてやるさ。例えイタチがそれを望まなくても。

 

 そんな俺の様子を見ていた母さんが吹き出した。

 

「ふふっ、あなた。とっても分かりにくいけれど、この子もイタチのことが大好きなのよ」

「…………」

 

 俺のイタチへの感情が正しく伝わっているのは嬉しかったが、なんだか気恥ずかしい。

 父さんが「……そうなのか?」と半信半疑で俺と母さんを見比べてくるから余計に身の置き場がなかった。

 

「明日から本格的に修行を開始するから、そのつもりでいるように」

 

 俺は返事の代わりにじっと父さんの目を見返した。

 

 やだなあ。初級忍術が一つも成功しなかったトラウマが蘇りそう。でも、他でもないイタチのためならたとえ火の中水の中! 俺はやってみせるぞ!

 

 

 

 俺が父さんの指導のもと忍術の修行を開始してから、丸二年が経過しようとしていた。

 

 この修行で分かったことは、俺に忍術の才能はまったくないということだった。

 

 まあね、この思考力ですらカバーできない理解力のなさというか才能というか、以前からそんな気はしてた。本当だとも。

 

 今日も今日とて、父さんによる付きっきりの忍術修行に明け暮れていた俺のメンタルはすでにズタボロ。SAN値直送は免れない状態である。

 

 大きく息を吸い込んで、覚えたばかりの印を結ぶ。ぷうっと頬を膨らませた俺の口から飛び出してきたのは、先ほど父さんが見本に見せてくれた炎とは比べ物にならないほどお粗末なものだった。

 

「…………なんだこれは」

 

 シャボン玉を彷彿とさせる小さく細切れな煙が、ぷすぷすと歯と歯の間から抜け出していく。

 

 うそ……俺の火遁の性能って、マッチ並み……?

 

 口から噴き出す前に歯茎か何かを燃やしたせいで煙が上がってるんだと思う。心なしかヒリヒリする。やだなー、あとで歯磨き粉が染みなきゃいいけど。

 

 父さんも同じ考えに至ったようで、あからさまにがっかりしていた。

 

「火遁はまだまだ難しいようだな。……オレがお前くらいの頃には扱えていたはずだが」

 

 ここで父さんの話は関係なくない? 五歳児相手にマウントとってくるなんて大人げないぞ。

 若干キレ気味に睨みつけると、父さんは気を取り直すようにゴホンと咳払いをした。

 

「……アー、そうだな、多少は忍術が苦手だとしても、まだまだ伸び代があるだろう」

 

 父さんの不器用なフォローに納得したわけじゃないけど、とりあえず頷いておく。いつか絶対に見返してやる。

 

「お前は体術に関しては飲み込みが早いし、反射神経も悪くない。おまけにチャクラ量も多い」

 

 父さんは懐から分厚い巻物を取り出し、俺の目の前に広げた。

 次に学ぶ忍術に関する指南書だろうか。

 軽く目を通してみると、そこには他の巻物とは比べ物にならない量の文字や図解がみっちりと詰め込まれていた。

 変わっているのはそれだけではなく、その内容も。これまで学んできた分身や身代わりの術とは比べ物にならないくらい、高度で複雑な忍術だというのは明白だった。

 

「……?」

「これは……禁術の一つだ」

 

 え? なんでそんなヤバそうなやつを俺に教えようとしてるの? さっき忍術の才能ねーな(意訳)って言ってたじゃんか!

 

 父さんがニヤリと笑う。

 

「そう怖い顔をするんじゃない。お前がこれをマスターすれば、声を出せるようになるかもしれないと思ってな」

 

 あっという間に手のひらくるくるした俺は熱心に巻物を読み始めた。

 

 巻物の一番右には《多重影分身の術〜うちは流・改〜》と書かれてあり、元々は二代目火影が考案した術をうちはの人間が改悪……いや改訂したものだと説明が続いていた。

 なんだろ、急に胡散臭くなってきたな。

 

「通常の影分身は分身の術よりもチャクラの消費が激しく、多用すれば死に至ることもある禁術だ」

 

 なるほど。つまり、天才と謳われるうちは一族の誰かがそのデメリットを克服したってことね。

 

「それは改訂版でも変わらない。存分に気をつけるように」

「…………」

 

 変わらないのかよ。俺はもうこの一族に何かを期待しちゃいけないのかもしれない。

 

「スバル。お前に一番最初に分身の術を教えた理由は分かっているか?」

 

 俺はそばに落ちていた木の棒を手に取って、地面に文字を書いた。

 

《分身体なら話せるかもしれないと思ったから》

「その通りだ。だが、どれだけ修行を重ねても、分身もお前と同じように話すことはまったくできなかった」

 

 つまり、実体に近い影分身の術なら話せるかもしれないってこと? もしそうなら俺にとって最優先で取得したい術になる。実際に取得できるかどうかは別として。

 

「改訂版影分身の術は、本来の影分身の術と異なる点が二つある。一つ目は分身の性能、二つ目が…………術のトリガーそのものだ」

《トリガー?》

「写輪眼だ」

 

 父さんがゆっくりと目を伏せ、もう一度目を開く。

 俺と同じ真っ黒な瞳はすっかり影を潜め、鮮やかな血の色で満たされている。血の海を泳ぐオタマジャクシのように、黒い巴模様が瞳孔の周りに浮かんでいて――生きている人間の瞳とは思えなかった。

 

「これはうちは一族しか開眼できない血継限界だ。この瞳をもって二代目火影の影分身の術を発動することにより、通常の影分身よりもさらに本体に近い性能と耐久を持つ分身体が形成される」

《…………この術を会得できた人はどれくらいいるの?》

「いない。この術の改訂者ですら不可能だった」

 

 一体どういうことだってばさ。思わず母さんと仲の良い友人の口調が出てきてしまった。

 

 誰も成功したことがない術を、どうして自信満々に指南書として残していったんだろう。せめて自分だけは成功させろよ。

 

「だが、理論上はこの仕組みで成功するはずなんだ。……オレや歴代のうちはのトップには扱えなかったが、お前にならできると信じているからこれを見せた」

 

 改訂者といいその自信はどこから来るんだと白けた目で父さんを見た。そもそもさっき俺に忍術の才能はないって以下略!

 

「巻物の一番最後を見てみるといい」

 

 とりあえず巻物を全部広げてみることにした。

 最後の十行には図式や説明文はなく、どうやら改訂者本人のコメントが載っているらしい。そこには達筆な字でこう書かれてあった。

 

《うちは一族の強みは血継限界にある。だが、瞳術の発動と引き換えに心は蝕まれ、二つ目の瞳では世界さえも閉ざされていくだろう。うちは特有の欠点を持たない存在になら、この術を完成させられるのではないかと私は考えている》

 

 二つ目の瞳についてはよく分からなかったが、何となく父さんの言いたいことが分かってしまった。

 

「お前は昔から声を出せない代わりに、心の成長速度には目を見張るものがある。……写輪眼の開眼条件は愛の喪失や己の未熟さから生じる葛藤。うちはの人間に置かれる状況が厳しいというのもあるが、その苦しみに心を病まない者はいなかった」

 

 うちは一族の者でありながら、うちはの内面的特徴を受け継がぬ者。父さんは俺がそうだと確信しているようだった。

 

「この術は写輪眼を用いることによって、分身体に幻術をかけるのだ。肉体だけでなく心さえも二分し、分け与える……写輪眼を扱えるうちはにしか扱えない術でありながら、精神が脆弱な者が多い我々には取得は不可能だとされてきた」

 

 そんなものだろうかと、穴だらけの理論に納得はできそうにない。

 だけどこれまで学んできた忍術や幻術も、理屈は正しくても、基盤となるある一点から一点を繋ぐ線の存在自体が曖昧であったり、ほとんどの術者がそれらを感覚のみで理解し、使用している場合が多いように思える。

 

 こんなものかもしれないと妥協するのも時には必要だろう。というか、これ以上考えるのがしんどくなってきた。

 

 俺は再び木の棒を使って地面に文字を綴った。

 

《心を分けるというのは? 通常の影分身も術者の性格や意志を受け継ぐみたいだけど》

「改訂版の影分身は……そうだな、分身体ではなくもう一人のお前みたいなものだと思えばいい。本体よりもやや劣る程度の耐久とはっきりとした意志を持つ個体……恐らく並の忍ではどちらが本体か見抜けないレベルだろう」

 

 ああ、厨二的なやつね。もう一人のボク、みんなの憧れの存在が手に入ってしまうの?

 

 それにしても、ただでさえチャクラの消費が激しい影分身に精神力を吸い取られた挙句、写輪眼まで使っちゃって大丈夫なんだろうか。

 写輪眼はそのチート能力を得る代わりに随分と体力を消耗するって、うちは一族しか入れない資料庫にこっそり忍び込んだ時に読んだ気がする。

 

「さっきから眉を寄せてどうした……不満があるなら言ってみなさい」

「…………」

 

 不満しかない場合はどうしたらいいんだろう。

 広げたままだった巻物をくるくる包み直して、スチャッと指を構えた。

 まあ不満ばかり言っててもしょうがない。

 

 改悪だが改訂だが知らないけど、うちは流多重影分身の術、とりあえず頑張ってみるか。

 

 

 

 毎日寝る間も惜しんで修行に明け暮れた結果……ついに! 俺は通常の影分身の術すら会得できなかった。

 おかしい。絶対におかしい。この流れは会得できるのが王道じゃないんですか? 友情努力勝利はどこにいった!

 

「さすがスバルだ。まさかここまでとはな」

 

 なんかもう様々な方向に気持ちよく振り切れてしまった父さんが、俺に向かって緩慢な動きで拍手を送ってきていた。腹立つ。冷静で寡黙な設定を返せ!

 

「分身の術で随分と苦労していたお前のことだ。一度高い目標を与えてやればもしかしたらと思っていたが……そんなことはなかったな」

「…………」

 

 そりゃあ、分身でヒーヒー言ってる俺が影分身、それも写輪眼を使った応用バージョンなんてできるはずがない。禁術にさらなる禁術を重ねたミルフィーユだし。

 でもここまで来たら意地だ。絶対にいつか成功させて父さんをギャフンと言わせてやる。

 

 今日は家の庭で巻物と睨めっこしつつ実践もしてみたが進捗なし。写輪眼が開眼できていない今、とりあえずノーマル版影分身の術だけでもマスターしようと思ったのにこれだ。流れは合ってるはずなのに一向にできる気配がない。いくら俺でも精神的に参ってくる。

 

 どうせ成功しないからと息抜きにその場で火遁を披露してみたら、やっぱりできなくて父さんには鼻で笑われた。

 成功してたら今頃父さんごと家が全焼してただろうから、結果としては良かったんだけど。

 あーあ、父さんの髪だけでも燃えてくれてたら胸がスッとしたのになあ。

 

 もはやただの冷やかし目的で俺の修行を縁側で眺めている父さんを完全に無視して、もう一度巻物に目を落とす。

 

 一体どこに問題があるんだろう。そもそも、一族とちょっと毛色が違うだけの俺じゃ条件を満たしていないんだろうか?

 

 父さんがいうほどメンタルが強いわけじゃないし……。まあ、写輪眼を開眼した近所のお兄さんが見事な闇堕ちしてたり、隣に住んでる優しいお姉さんが彼氏に振られた翌日に元彼を半殺しにして自殺未遂してたり……。俺はだいぶメンタルがつよ……いや、まともだとは思う。

 

 悶々と考え込んでいると、俺の中のイタチレーダーが反応を示した。

 

 どうやら出かけていた弟が帰ってきたらしい。慌てて広げていた巻物を背中に隠した。

 幼いながらに知識に貪欲なイタチのことだ。これを見せてしまえば「オレもやりたい!」って言い出すに決まってる。こんな命もメンタルも削るような禁術を弟に教えたくないので俺も必死だ。

 

 帰宅したイタチはまっすぐ俺と父さんがいる方へ駆け足でやってきたようで、その息は僅かに弾んでいた。

 

「とうさんと……スバルにいさん!」

「イタチ、訓練は終わったようだな」

 

 うちは一族の子どもたちは歩けるようになると、小さな公園のような訓練場に定期的に集められるようになる。

 そこでは遊び運動といって、複雑な形のジャングルジムやすべり台の乗り降り、鬼ごっこなどで基本的な身体の使い方が身につくよう訓練を行うのだ。

 こういった巧緻性を養う訓練はうちは一族でない子どもたちにも実施されているが、その規模はさほど大きくないらしい。里の子ども達の大半がアカデミー入学と同時に忍としての修行を開始するからだ。

 

 イタチは砂場で遊んだのか転んだのか、ズボンも上着も泥だらけだった。

 そんなイタチの後ろからやってきた母さんが「先に玄関で泥を落とさなきゃダメでしょう!」と眉を釣り上げて怒っている。

 

 俺の姿を見つけてぱあっと明るくなっていたイタチの表情がしゅんと暗くなってしまった。可愛い弟のそんな切ない瞬間を目の当たりにしてしまった俺のヒットポイントも減っていく。

 ああ、代われるものなら代わってあげたい……。

 

 俺は背中に隠していた巻物をさりげなく父さんに押しつけて、イタチの前に立った。

 

「スバルにいさん?」

 

 イタチがきょとんと不思議そうにこちらを見上げている。その泥だらけの服は、他の子ども達より訓練に全力投球した結果だろう。さすがイタチだ。

 よく頑張ったな。そう思いながら、わしわしとイタチの頭を撫でる。

 

「もう、スバルはイタチに甘いんだから」

 

 若干拗ねたような母さんの言葉に苦笑する。俺の表情筋は相変わらず仕事をしていないようだが、なんとなく察したのか、足元のイタチは「へへ……」とうれしそうに笑っていた。

 イタチが遠慮がちに俺に抱きついてくる。こちらの服にまで泥がついてしまったが、まったく気にならなかった。

 

 イタチの脇に手を差し込んで持ち上げる。久しぶりの肩車だ。そのままくるりと背を向けて歩き出そうとして。

 

「スバル!? まだ修行の途中だろう、どこにいく気だ?」

 

 さすがに父さんに捕まってしまった。

 

 はあ、こんなことも分からないなんてがっかりだよ。

 俺は深い深いため息をついて、仕方なく父さんに向き直る。

 

 肩車中のイタチを落とさないよう気をつけながら、両脚につけたホルスターから大量の手裏剣を取り出し、庭に向かって投げつけた。

 

「一体何の真似…………ふ、ろ……?」

 

 地面に突き刺さった手裏剣によって浮かび上がった文字を読んだ父さんがピシリと固まる。

 

「おい、まさか今から風呂だなんて悠長なことを言ってるんじゃ……待ちなさいスバル!」

 

 そのまさかでーす! 大正解!

 

 これ以上の問答は不要。俺はイタチと一緒に風呂に入っちゃうのさ。

 

 忍術や幻術の才能はなくとも、体術はそこそこ得意な俺。半ギレで追いかけてくる父さんをあの手この手で躱しつつ、コーナーで大きく差をつけて風呂場に逃げ込んだ。

 

 バタンッと扉を閉めて鍵をかける。

 さすがに無理矢理こじ開けてまで俺とイタチを連れ戻したりはしない……はずだ。

 

 俺の予想通り、脱衣所の前まで来た父さんは「まったくあいつは……誰に似たんだ」とぶつぶつ文句を言いながら遠ざかっていく。

 父さんに似てると思うんだけどな。消去法で。

 

「……ふふっ」

 

 頭上から小さな忍び笑いが聞こえてきた。

 

「あははは! スバルにいさん……またおこられちゃうよ?」

「…………」

 

 風呂場には木の棒も地面もない。イタチに何かを伝える手段を持たない俺は、暫くぼんやりと考え込んで……諦めた。

 

 せめて表情で伝えられるように顔トレでもしようかな。

 

 肩車していたイタチを下ろして、着ていた服を扉の前に脱ぎ捨てた。このまま洗濯機にぶち込むわけにもいかないし、ここである程度の泥は落としておかないと。

 

 まずはイタチの体を洗って湯船に投入する。次に汚れた服を石鹸でゴシゴシ適当に洗って、最後に自分の体を洗った。イタチにちょっと詰めてもらいつつ、同じ湯船に浸かる。

 

 ああ、生き返る。

 

 やっぱり俺の人生に必要なのは父さんによる鬼のような修行じゃなくて、可愛い弟と十分な休息だと思う。まあ、自分自身の為にも修行は続けるつもりだけどね。後でちゃんと指南書も読み込んでおこう。

 

「アカデミーってどういうところ?」

 

 ちょうどいいお湯加減に心も体もぽかぽかになってきた頃、イタチが問いかけてきた。

 

「…………?」

 

 アカデミーは基本的に六歳にならないと入学できない。

 

 俺は来年入学予定だ。戦争も終結してない今のご時世、優秀な子どもは規定の年齢に達していなくても、火影の許可があれば早期入学して任務に就くことができるらしい。

 

 まさか、イタチは俺がアカデミーに早期入学しちゃうような優等生だと勘違いしてるんだろうか?

 それはいけない。兄として、この可愛い弟にこの世の厳しさ、いや、俺がいかにこの荒波に揉まれまくっているかを教えてやらなくては!

 

「来年から、にいさんとの時間がへっちゃうね」

 

 あっ、そっちね。そう。それならいいんだ。

 

 何となく出鼻を挫かれたような気持ちになった。ぶくぶくとお湯に鼻下まで浸かってるイタチを眺める。

 

 アカデミーねえ。俺も行ったことないから分からない。

 ほぼ毎日朝から夕方まで拘束されるってことは知ってるけど、そんなことはイタチも分かってるだろうし。

 

 悩んだ末、右手を湯船から出してイタチに向ける。まず手のひらをグーにして、今度は手の甲を向けて指を三本だけ出す。

 最初は不思議そうに目を瞬いていたイタチが、ゆっくりと口を開く。

 

「さ、み、」

 

 俺は一つ頷いて、さっきの状態から広げていた薬指と親指を入れ替えた。次にもう一度イタチに拳を向けて、小指だけをピンッと立てる。

 

「し、い、?」

 

 たどたどしく俺の指文字を読み上げたイタチにもう一度頷く。

 まさか以前一度だけ教えた指文字を覚えてるとは思わなかった。というか使わさなさすぎて俺ですらうろ覚え状態だったのに。

 

 イタチは俯いて考え込んでいたようだが、ガバッと勢いよく顔を上げる。跳ねた水滴が俺の頬にかかった。

 

「あ……オレ、」

 

 しかし、その勢いは俺の顔を見た瞬間に一気に萎んでいってしまう。

 

 え? なんで? 今の俺の顔がそんなにダメだった!?

 

「……さみしい、よ。でも、にいさんは……」

 

 そこから先はいくら待ってみても続かなかった。

まってまって、俺の顔、あまりに罪深くない?

 

「さきに出るね」

 

 俺が自分の顔面にショックを受けて固まっている間に、イタチはそそくさと風呂を出ていってしまった。

 

 その日、俺は涙で枕を濡らしながら眠れぬ夜を過ごすことになってしまった。もう生きていけない。

 



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第二話 きみに伝えたいこと

「入学おめでとう」

 

 三代目火影のありがたいお言葉を受けとった子どもたちは、緊張の糸がすっかり解けてしまったようだ。今では隣の子との内緒話に夢中になっている。

 

 忍者学校(アカデミー)の小さな運動場内で行われた入学式には、俺たち当事者を囲むようにして親兄弟や親戚が立ち並び、火影の言葉に耳を傾けていた。

 

「今日というめでたい日を無事に迎えられたこと、火影として嬉しく思っておる」

 

 晴れやかな顔でそう告げた火影と違って、俺の顔色は今にも近くの川にでも飛び込みそうなくらい悪かった。

 

 風呂でアカデミーに関するやり取りがあってから、なぜかイタチとの関係はぎくしゃくしている。

 表面上は以前と変わらないように見えるが、不自然なほどイタチと目が合わなくなったり、俺の訓練についてこようとしなくなったり。

 上げていくとキリがない。エンドレス鬱。

 

 それでも俺が修行中に怪我をすれば泣きそうな顔で駆け寄ってきて手当てをしてくれるものだから、イタチが俺を嫌っているのかそうでもないのか、よく分からなくなってしまった。

 

 もし、もしもだ。イタチに本当に嫌われてたらどうしよう?

 去る者を追う勇気なんてないし、追うことでさらに嫌われる勇気もない。そうなれば俺に残された道は一つ。

 

「あの…………」

 

 その時は潔く腹切って死のう。そうしよう。

 

 やっぱり全部俺が悪いんだ。というか俺の顔が良くない。こんなことなら整形手術でも受ければよかったんだ。

 結局、毎日のようにやってる顔トレは未だに成果を得られてない。そりゃあ、常時ムスッとしてる兄とは距離を置きたくなるに決まってる。

 

「うちは……スバルくん?」

 

 目の前で誰かの手のひらが上下している。俺はハッと意識を現実世界に戻した。

 その手の持ち主は困ったような顔をして俺の顔を覗き込んでいる。

 

 知らない顔だ。少なくとも、うちは一族の人間ではない。

 

「もう入学式終わっちゃったよ。大丈夫?」

 

 見覚えのない顔だと思ったけど、思い出した。入学式の間ずっと俺の隣に立っていた子だ。

 他の子どもたちとは違って誰かとお喋りすることもなく、時々なぜか俺の方を気にしていた気がする。

 

 俺は俯いて地面に目を落とした。ポカポカと照りつけてくる陽気とは対照的に、風呂事件からずっと俺の心は沈んでいる。

 

 わざわざ指文字やその他手段を使ってまで他人と意思疎通する気になんてなれなかった。それに、うちはの人間でないのなら俺が声を出せないことすら知らないだろう。

 

「……知ってるよ。僕は覚方(おぼかた)セキ。心を食べる化け物の末裔のことは、きみも聞いたことがあるだろ?」

 

 俺と違ってクセのない黒髪がさらりと揺れた。

 

 父さんから聞いたことがある。

 覚方とは透視能力に優れた一族で、読み取った他人の心をチャクラに変換して己に還元することができるという。

 元々は雨隠れの非戦闘民族だったが、そんな希少な能力を持つが故にあらゆる戦争に巻き込まれ、殺され、たった数人の生き残りが木ノ葉の里に亡命してきたんだそうだ。

 

 木ノ葉上層部の一部には彼らの力を再び戦争に利用しようという動きもあるようだが、今のところ三代目火影が上手く躱しているらしい。

 平和主義者な俺は、そんな三代目の姿勢をひっそりと尊敬してたりする。

 

 って、待てよ。さくっと目の前の彼の経歴をなぞってみたものの、これってすごく俺に都合がいいんじゃないか? だって、声が出せなくても俺の心を理解してくれるってことだろ?

 

「…………君って、見た目と違って随分素直なんだね?」

「…………」

 

 ぽかんと頭が真っ白になって固まった俺に、セキと名乗った彼はくすくすと笑う。

 

 うわ、なんだこれ。これまで何度も何度も自分の心が相手に伝わればいいと思ってたのに。

 いざとなると……すごく…………こそばゆい。

 

「僕もここまではっきりと読み取れたのは、きみがはじめて……相性がいいみたいだ」

 

 セキはにこやかに笑って「ほら、もう校舎に入らないと。最初の授業に遅れちゃうよ」と俺の腕を引っ張った。

 

 

 

 記念すべき忍者学校の初日は可もなく不可もなく終わった。

 いや、嘘。不可しかない。すっげー疲れた。

 

 心も体も疲弊した状態で力なく玄関へと続く扉に手をかける。

 こんなのが毎日続くなんて正気? アカデミーから自宅までの道のりが遠いのも最悪だ。

 こんな重い体を引きずってちんたら帰ってたらそのうち遭難してしまう。

 

 ガラッと扉を開いて、踏み出そうとした一歩が止まる。扉のすぐ向こうに人がいたようだ。

 

「あ…………」

 

 癖のある黒髪が俺の肩辺りで跳ねている。

 

 扉の内側にいたイタチは肩を震わせ、ゆっくりとこちらを見上げてきた。

 

「…………」

 

 聞いてください。もう半年以上こんな反応なんです。やっぱり俺ってイタチにだいぶ嫌われちゃってるんですかね……?

 

 いつもなら俺を目の前にするとすぐに逃げるように去っていくイタチだったが、今日は何かを言いたそうに指をモジモジさせている。

 

 何度でも言うが、今日の俺は何もかもが限界だった。

 イタチは俺を避け続けるし、知らない人間に囲まれて勉強するアカデミーの体制はぼっち属性の俺には向いてないし、そもそも拘束時間が長すぎて、以前のように遠くからイタチを眺める時間すらない。

 こんなの拷問じゃないか。

 

「えっ。に、兄さん……?」

 

 俺はぐったりとイタチの肩に顔をうずめた。

 

 もう無理なんだよ俺は。お前にまで嫌われちゃったら、どうやって生きていけばいいのかも分からない。

 

「どうしたの? アカデミーで楽しんできたんじゃ……」

 

 ぐりぐりとイタチに頭を押し付けて癒しチャージに夢中だった俺でも、どこか棘のあるその言葉だけは聞き捨てならなかった。

 

 イタチのいないアカデミーが楽しいわけないじゃんか! 

 

 俺はぶんぶんと頭を横に振った。

 

 ああもう、面倒だとか気が進まないとか、そんなこと言ってる場合じゃない。

 声が出ない分、もっと伝える努力をしなくちゃいけなかったんだ。

 

 ――変わらなきゃ。このままイタチに嫌われたままなんて絶対に嫌だ!

 

「兄さん……。その眼……な、に?」

 

 イタチが真っ黒な目を大きくしてこちらを見ている。その瞳に映る自分の姿を見て、思わずイタチの肩を掴んだ。

 

 それは、以前父さんに見せてもらったのと同じ色をしていた。

 

 真っ赤な血の海を泳ぐ数匹のオタマジャクシ。それが、今は俺の両眼の中にある。

 

 これってまさか、写輪眼?

 

 何でこのタイミングで? 写輪眼の開眼条件って愛の喪失によるものだったような…………まさか、ついにイタチからの愛を完全に喪失しちゃったってこと!?

 

 写輪眼は奮起する心に反応して開眼することもあるが、この時の俺はそんなことはすっかり忘れていた。

 

 開眼に伴う激痛と体力の消耗で、ぐらりと視界が揺れた。イタチが何かを叫んでる。

 

「スバル!?」

 

 慌ただしく二つの足音がこちらに近づいてくる――父さんと母さんだ。立っているのもやっとだった俺の体を支えてくれた父さんが、額に汗を流して呟いた。

 

「写輪眼……」

 

 あれだけ俺に早く写輪眼を開眼しろと言ってたくせに。父さんの顔はまったく嬉しそうじゃなくて、なんだか拍子抜けしてしまった。

 

「父さん! 兄さんは大丈夫なの?」

 

「……ああ、問題ない。少し疲れただけだろう」

 

 そう言って、父さんが俺を抱きあげる。これには俺のぼんやりしていた意識も飛び起きて目を見開いた。

 ちょっとまって、この歳で父親に抱っこされるなんて恥ずかしすぎる。今すぐ下ろしてくれ!

 

「スバル……いいから大人しく……フガッ」

 

 暴れるついでに父さんの顔面を勢いよくビンタしてしまった。

 

 

 

 真夜中だ。

 

 鈴のような音色を持つ虫の音が遠くから聞こえてくる。随分と長く眠っていたらしい。

 

「……っ、」

 

 って、痛い痛い! なんだこれ!

 

 まるで全身が筋肉痛になっちゃったみたいだ。足なんか、爪一個分動かしただけで攣りそうになってる。あまりの激痛に涙まで出てきた。

 

 写輪眼を使うどころか開眼しただけでこんな状態じゃ先が思いやられる。もっと体力つけないとなあ。

 

 出来るだけ負荷がかからないよう、細心の注意を払いながら上体を起こした。

 

「…………」

 

 ちょうど俺の足を枕代わりにしてすやすやと眠っている存在に気づいて、筋肉痛でよかったと心底ホッとした。

 

 いつものように動いていたら、間違いなく起こしていただろう。

 

 伸ばした手の甲で優しく頬に触れる。柔らかい。こうしてイタチに触れるのも久しぶりだった。

 

 起きる気配がないのをいいことに、心ゆくまでイタチの頭を撫でたり頬をぷにぷにすることにした。

 

 これまで我慢してきたんだ。今くらい許されたっていいだろ?

 

 それにしても、まさかこんな時間まで俺の看病をしてくれていたなんて。

 

 俺の内なる欲望たちが一斉に「弟、俺のことが嫌いじゃない!」と書かれた旗を振り上げた。

 満場一致で俺はイタチに嫌われてないことになりました。ありがとう、ありがとう!

 

 そんな虚しい一人遊びはとりあえず思考の片隅に追いやって、イタチの体を慎重に抱き上げる。

 頼むから起きないでくれよ。

 俺の願いが通じたのか、小さな寝息は絶えず聞こえてくる。

 

 何とか俺の隣にイタチを移動させて、すっかり冷えてしまっている体に布団を被せてやった。

 それでもまだ寒いのか、イタチがぶるりと震えている。

 こうなってしまえば、俺に出来ることはただ一つ……そう! 湯たんぽになろう大作戦である。

 

 イタチの隣に寝転んで、同じ布団を深々と被った。ちょっと躊躇ったけど、イタチを腕の中に閉じ込めてゆっくりと目を閉じる。うん、あったかい。

 

 イタチがまだ一歳くらいの時にはこうやってよく一緒に眠ったなあ。

 

 布団をかけてくれるのはいつも母さんの役目で、俺たちは起きるまでずっとお互いの手を握りしめて離さなかった。

 あの頃は良かった。今でもこうやってイタチのそばにいられて、十分幸せだけど。

 

 

 

 翌朝、俺が起きる頃にはすでにイタチの姿はどこにも見当たらなかった。まさかの夢オチ?

 

 相変わらず全身痛いものの、何とか普通に起き上がって歩くことができた。

 部屋の姿見鏡に映る俺の顔は相変わらずの“無”。もうちょっと表情豊かになりたい。

 

 そんなんだからイタチにも色々と誤解されるんだぞ!

 

「もう起きて大丈夫なの?」

 

 憂鬱な気分のまま居間に顔を出す。

 任務で使う忍具の整理をしていた母さんが、心配そうに声をかけてきた。

 

 心配かけてごめんね、見ての通り元気です。

 

 そんな気持ちを込めて頷く。こういう時だけは表情筋死んでてよかった!

 

「お父さんの時もそうだったわ。とても辛そうだった」

「…………」

 

 見事にバレてら。

 

 母親に隠し事は通用しないって本当だったのか。

 近所の子どもたちがエロ本の隠し場所について談義していたのをこっそり盗み聞きしたことがあるんだけど、みんな最後の砦は母親だって言ってた。侮れないね。

 

 それにしても、イタチはどこにいるんだろう。まだ訓練に向かう時間じゃないはずだ。

 

 さりげなく周りをキョロキョロと見渡していると、母さんが「ふふっ」と笑った。

 

「……ほらね、言ったでしょう?」

「?」

「分かりにくいだけで、スバルはいつも貴方のことばっかり気にしてる……。ね、イタチ」

 

 その言葉と同時に、母さんの背中に隠れていたイタチがこっそりと顔を出した。俺の中に衝撃が走る。

 えっ、なんでそんなところに!

 

「…………本当?」

 

 躊躇いがちにこちらを見上げてくるイタチ。

 俺はいつものように首を縦に振ろうとして――やめた。

 

 そうだよな、こうやって首を縦に振るか横に振るかでしか反応しないのがダメなんだって。

 せめて自分が大事だと思った時だけでも、きちんと態度で示さなくちゃ。またイタチに悲しい思いをさせてしまう。

 

 その場に膝をついて、ゆっくりと腕を広げた。今の俺にできる精一杯だった。

 

 イタチの目がみるみる丸くなって、くしゃっと顔が歪んだ。

 いい意味でも悪い意味でも、弱みを顔に出さない子だと思っていたのに。

 

 イタチが勢いよく俺に抱きついてくる。ハイハイでゆっくりと俺の体をよじのぼってきたあの時とは全然違う。久しぶりの感触に、胸がいっぱいになった。

 

 おっきくなったなあ……。

 

 そっと抱きしめ返して、ぽんぽんと頭を撫でる。

 

「ごめんね、兄さん……。大好きだよ」

「…………」

 

 大好き。イタチが俺を……大好き?

 

 今日が俺の命日かもしれない。どうしよう。嬉しい。

 嬉しすぎて、このままサクッと墓にインしちゃいそう。この感情が風化する前に息を引き取りたい。

 

 ズズッと鼻をすする。もう嫌だ、喜びが限界突破して涙まで出てきちゃった。

 

「まあ、あのスバルが泣くなんて。よっぽどイタチに避けられて寂しかったのね」

「えっ?」

 

 ちょっと母さん、お願いだから空気読んで! 

 

「兄さん泣いてるの!? オレも見たい!」

 

 鬼畜か? なんでそんなにオレの泣き顔が見たいんだよ!

 

 頭を上げて俺の顔を確認しようとしてくるイタチを必死に阻止する。

 絶対にこの情けない顔は見せない。見せないったら見せないからな!

 

 

 

 イタチとの仲直りイベントを経て、俺は過去最高にご機嫌モードでアカデミーに登校した。

 

 死んだ表情筋が仕事しちゃってるのか、常にニヤニヤしてる俺を遠巻きに眺めてくるクラスメイトの視線が痛い。

 

 世間体なんてもうどうでもいいや。俺が幸せならそれでオッケーです!

 

「これはまた……どうしちゃったわけ?」

 

 幸せ絶好調な変質者にも平気で話しかけてくる変人が一人いたのを忘れてた。

 覚方セキ。何かと俺と行動を共にしてくる謎の人物である。

 

「氷結の貴公子が微笑みの貴公子にジョブチェンジしてるよ。恋でもした?」

「…………」

 

 ごめん、今なんて言った? ……貴公子?

 

「きみは周りの評価なんて気にしないから初耳だったみたいだね。ほら、うちは一族ってみんな顔がいいし……スバルのその氷のような冷たい雰囲気がいいって女子も多いんだよ」

 

 絶句した。二つ名がダサすぎる……。

 

 おそるおそる教室の隅で固まっている女子グループに顔を向ける。バッチリ目が合ってしまった。

 

 彼女たちは顔を真っ赤にさせて「キャーッ!!」と叫ぶと、恥ずかしそうにこちらに背を向けてしまった。

 

 待って、今のどちらかというと痴漢に遭った時の悲鳴じゃなかった?

 

「そんなことより、忍の心得第五十項まで覚えた?」

 

 俺の痴漢疑惑をそんなこと呼ばわりしたセキは、当たり前のように俺の隣の席に座った。

 あれ? おかしいな、ついさっきまでそこには別の誰かが座ってたのに。

 

「善意で代わってくれたんだ。みんな優しいよね」

 

 まさかそんなわけないだろとは指摘できなかった。笑顔が怖すぎる。

 

 そんなことをしている間に、一つ目の授業が開始する時間になっていたらしい。

 教室に担当教師が入ってきた瞬間、全員がお喋りをピタッと止めてそれぞれの席に着いた。相変わらず切り替えが早いことで。

 

 先生は教壇の上に持っていた紙の束を置くと、ニカッと笑った。

 

「みんな揃ってるなー! それじゃ、宣言通り、先週やった忍の心得第五十項までのテストを開始する」

 

 教室内がブーイングで溢れたが、俺は素早く筆記具を机の上に並べて、真剣な顔でテスト用紙が配られてくるのを待った。

 

 忍術と幻術の授業が絶望的な今、俺に残されたのは体術と筆記試験で点を稼ぐことだけだ。

 これだけは気を抜けない。アカデミーを卒業できなかったらイタチに幻滅されてしまう。

 

「よし、全員に行き渡ったな……はじめ!」

 

 教師の合図と同時に、裏返しにしていた紙をひっくり返した。

 

 

 

「さあ、やってみろスバル!」

 

 むしろ本人よりも元気があるんじゃないかと思うくらい、やる気マシマシな父さんが叫ぶ。

 

 俺はそんな父さんに応えるべく、何度も練習してきた印を結んだ。

 うちは一族専用の訓練場は閑散としていて、今は俺と父さんの二人だけだ。

 

 さあ、今こそこれまでの修行の成果を見せる時! いでよ俺の暗黒龍、いや、影分身!!

 

 どろんと辺りが煙に包まれて、隣に何かの存在を感じた。もはや手応えしか感じない。ゆっくりと霧のような煙が晴れていく。

 

「これは……!」

 

 父さんが感極まったような声をあげて……萎んだ。二人してそこに存在するものを見つめて思考を停止させる。

 

「…………これが何なのか説明しなさい」

「…………」

 

 俺が説明するのを……諦めろ! だって俺に分かるはずがない。

 なんで影分身を作ろうとした結果、スライムみたいな物体が出てくるわけ?

 

 俺の隣にちょこんと存在しているスライムもどきが、もぞもぞと体を震わせている。

 一体何をしてるんだと覗き込むと、スライムもどきが二体に増えていた。……なんで?

 

「……細胞分裂」

 

 父さんが唖然と呟く。さすがに頭が痛くなってきた。

 

 何も出てこなかった時と比べたら進歩してるとは思うけど、せめて人型でいてほしい。しかもスライムって。これ絶対攻撃力皆無だよ。すでに子孫繁栄しか考えてなさそう。

 あ、また分裂した。

 

「……今日はここまでとする。片付けてから帰ってきなさい」

 

 力なく頷いた俺の肩に父さんがぽんっと手を置いて去っていく。時々くれるその優しさが余計に辛い。

 

 俺はもう一度印を結んで、目の前で蠢いているスライムの実体を解除した。消費したチャクラの一部が体に戻ってくる感覚がする。

 

 せっかく写輪眼を手に入れたってのに、影分身がスライムになって出てくるって……。

 いっそこいつを敵の足元に出現させて転ばせちゃおうか? ぬめり具合だけは一人前だし。

 量産して底無し沼にしてもいいかもしれない。……あれ? 意外と使える?

 

 なんだか未来が明るくなったような錯覚を覚えた俺は、スキップしながら帰宅した。

 

 

 

「スバル兄さん! 今日はどうだったの? うちはの誰にもできなかったすごい禁術の修行してるんだよね!」

「…………」

 

 家族四人で一つのテーブルを囲みながら穏やかな夕食タイムを満喫していた俺は、イタチの言葉を受けて思わず父さんを見た。

 後ろめたそうに逸らされた目を、そのまま睨みつける。

 

 ちょっと、いつの間にイタチに喋ったの? このお通夜状態どうしてくれるわけ?

 

「……ハハ。そうだったな、スバル。修行の成果をイタチにも見せてやりなさい」

 

 しれっと裏切った父さんの足をテーブルの下で蹴り飛ばす。

 

「どうしたの父さん?」

「……いや、とても難しい術だからな。スバルもまだ未完成なんだ。でも今日はいいところまで行ってたぞ」

 

 慌ててフォローする父さん。そうそう、いいところまでいったんだよ。俺はあの術を底なし沼の術って名付けることにしたから!

 

「スバル兄さんすごい!」

 

 うんうん、スライムってすごいよな。敵が空でも飛ばない限り回避不可能な高等忍術になったりして!

 

 キラキラな目でこちらを見上げてくるイタチの頭を撫でる。ついでにイタチの頬についているご飯粒をとってやった。

 まったく、俺の弟はいつまでたっても可愛いな。

 

「ごほん……。それよりも、今日はスバルとイタチ……二人に大事な話がある」

 

 指についたご飯粒を口にして、すでに真剣な表情に切り替わっている父さんの言葉を待つ。そこには父さんの忍としての姿勢が表れていて、ちょっと緊張する。

 イタチも持っていた箸をテーブルに置いてピンッと背筋を伸ばしていた。

 

「木ノ葉が第三次忍界大戦中だということは知ってるな?」

 

 イタチの表情が暗くなった。

 

「……うん」

 

 沈んだ声に、俺の心まで落ち込んでしまう。心優しいイタチは、時々流れてくる戦争の状況を耳にしては胸を痛めているようだった。

 

 まだ戦争が本格的に始まったばかりなこともあって、三代目火影は幼い子どもやその両親を戦争の人員として数えないよう取り計らってくれていた。

 

 すべては、忍術も身につけていないような子どもが戦争の犠牲となるのを避ける為。また、親の愛情も知らずに戦争孤児となるのを防ぐ為だった。

 

「ちょうど一週間後、お前たちも戦争に参加することになった。勿論、父さんと母さんもだ」

 

 パリンッとガラスの割れるような大きな音がした。立ち上がった俺の手のひらがコップに当たってしまったらしい。

 

 イタチを驚かせてしまったのは申し訳なく思いながらも、父さんから目を離せなかった。

 

「……そう怒るな。これは最終決定だ。もう覆らない」

 

 なんでそうなる? 

 

 怒りで心が震えた。

 俺はまだしも、まだアカデミーに入学すらしていないイタチまで戦争に参加させるなんて!

 

 俺は父さんに向けて指文字を綴った。

 

《いたちには まだはやい》

「イタチにはすでに簡単な忍術と体術を身につけさせている。里が勝つか負けるかの大事な戦争に出さない理由はない」

《むだじにさせる つもりなのか?》

「忍として名誉ある死を無駄とするかは、お前の決めることではない」

 

 ついに父さんも椅子から立ち上がり、テーブルを隔てて本格的に俺との睨み合いが始まる。

 

 イタチはオロオロと父さんと俺を見比べていたが、母さんは黙々とご飯を食べ進めていた。

 ……一人だけ違う世界線で生きていらっしゃる?

 

「お前たちはオレの率いる隊に配属される。子が親より先に死ぬのは何よりも不幸なことだ。……絶対に死なせはしない」

「…………」

 

 ふっと力が抜けた。ガタンと椅子に背中を預けて、項垂れる。

 ……ずるいなあ。そうやって覚悟を決めた目で言われちゃったら、これ以上反対しようがないじゃんか。

 

「兄さん、オレもがんばるよ! だから……」

 

 イタチのどこまでも健気な言葉にも心が痛んだ。

 確かにイタチは優秀な子だ。猫の手でも借りたい状態の木ノ葉にとって大きな戦力になるだろう。

 

 だからって、どうしてこんな小さな子が戦争に行かなくちゃいけないんだ。里を守るため? 利益のため?

 

 俺にとっては、里よりも利益よりも、イタチの命の方が何倍も大切なのに?

 

「私も、貴方たちを戦争に連れて行くのはとても辛い」

 

 ずっと沈黙を保っていた母さんの手のひらが、俺とイタチの頬に触れた。

 

「だけどね、スバル。私たちは木ノ葉の忍なの。時には大切なものを捨ててでも、里を守らなければならない時がある」

 

 俺にはそんな立派な考えは持てない。だって、里よりも大事なものがここにあるのに。それを捨てるだなんて。

 

 俺は力なく指文字を続けた。これ以上の問答は無意味だと分かっていた。

 

《わかったよ》

「分かってくれたなら嬉しいわ」

 

 父さんと母さんがホッとしたように頷いて、椅子に座り直した。

 

 納得なんてしてないけど今は俺が折れるしかない。だって、忍として正しいのは二人の方だ。それは分かってる。

 

 何よりも任務遂行を優先に、里のためなら個が犠牲になることも厭わない。それが忍のあるべき姿だと、アカデミーでも嫌というほど言い聞かされているから。

 

 かつて任務よりも仲間の命を優先した忍がいたらしいが、最後は助けた仲間にすら責められ、孤立し、自殺したと聞く。

 

 任務において人としての心を強く持つことは、この里の人間にとってよほど罪深いことなんだろう。

 

 この里に生まれた者として最低限の義務は果たさなきゃいけない。

 でも、俺にだって譲れないものがあるんだ。弟は――イタチだけは、絶対に守ってみせる。

 

《あしたも しゅぎょうするから》

「……ああ。どこまでも付き合ってやる」

 

 にやっと笑った父さんにふんっと鼻を鳴らす。

 言質とったから。絶対にどこまでも付き合ってもらうから!

 

「オレも一緒に修行する!」

《いたちは かあさんにみてもらえ》

「えー」

 

 ぷくっと膨らんだイタチの頬を指で潰す。

 

 はあ、なんだか疲れちゃったな。指文字とはいえ、普段ここまで誰かと会話することって滅多にないし。

 気が抜けたら欠伸まで出てきた。

 

「兄さん、眠いの?」

 

 本日の指文字はもう閉店。俺はイタチの言葉に頷き、床に落ちたガラスの破片を一つ残らず回収した。

 食べ終わった後の食器も片付けて、腰に手を当てる。

 

 よし、本日のやらなきゃいけないことも終了だ。部屋で軽く明日の支度を済ませて、ゴロゴロしながら寝ちゃおう。

 

 こっそり隣に寄ってきていたイタチが、甘えるように俺の腕に自分の腕を絡ませてくる。

 

「……今日はオレも一緒に寝ていい?」

「…………」

 

 ダメなわけがない。むしろ俺は毎日イタチと一緒に寝たいです!

 

 俺は返事の代わりにイタチをいつものように肩車すると、真っ直ぐ自分の自室へと早歩きで向かった。

 

 

 

 戦争に参加することを聞かされた翌日、アカデミーに登校した俺を待っていたのは、息をつく暇もない質問攻めだった。

 

「スバルくん、弟くんと一緒に戦争に参加するって本当?」

「アカデミーの成績優秀者と、事前に訓練を受けている子どもが選ばれたんだって?」

「明日から戦争が終わるまでアカデミーに来れないんでしょ? がんばってね!」

 

 これまで俺のことを遠巻きに眺めていたクラスメイト達の怒涛の手のひら返しには驚いた。どう反応したらいいのか分からない。

 ついには親しげに肩に腕を回してくる人まで現れて、身の置き場がなくなってしまった。

 

 生まれてからこれまで家族以外とほぼ交流を持ってこなかった俺だ。これだけ他人に囲まれるのも初めてだし、その関心がこちらに向いてるのも、勿論初めてだ。

 そわそわしちゃって落ち着かない。むしろ居心地が悪すぎた。

 

 相手の友好的な態度とは対照的に肩身の狭い気分を味わっていた俺に、救世主の声が届いた。

 

「スバル。今日は外で演習だよ、早く行こう?」

 

 セキだ。人に囲まれてすっかり教室の隅に追いやられていた俺は、目を煌めかせる。

 

 セキの声を受けて勢いが削がれてしまった人混みを掻き分けて、教室の入り口まで誰にも捕まらずに辿り着くことができた。

 彼は俺の顔を見て、にこりと笑う。

 

「人気者だね、スバル」

「…………」

 

 こいつ絶対分かってて言ってる! 他人事だと思って!

 

 セキは手に持っていた俺の教科書を胸に押し付けてきた。いつの間に。

 

「でも、僕のおかげで無事に抜け出せただろ?」

 

 他人の心を読むという能力を持っているせいか、セキの周りには俺以上に人が寄り付かない。

 

 訓練で心を閉ざす術を身につけた忍の心を読むのは至難の業らしいが、忍としてまだまだ未熟な子どもの心を読むのは赤子の手を捻るより簡単らしい。

 

 その中でも、俺の心は他の人より強く感じ取れるって言ってたっけ。

 

 クラスメイトのほとんどがセキに心を読まれないよう関わりを持たないようにしているが、俺はむしろ彼の存在がありがたかった。

 

 だって、目に見える形にしなくても俺の意思を汲み取ってくれるなんて嬉しいじゃん。

 ほら、俺って声出ない上に表情筋まで死んでるせいで実の弟にまで誤解されてた哀れな男だし。

 自分で言ってて悲しくなってくるな。

 

 俺は教科書をありがたく受け取って、学校の裏にある演習場へと向かった。

 隣を歩いていたセキが思い出したようにぽつりと呟く。

 

「戦争に行くんだってね」

 

 その口振りで思い出したが、彼は今回の戦争に参加するアカデミー生の名簿には載っていなかった。

 

 セキは俺とは真逆のタイプで体力はないものの、幻術や忍術の中でもとくに繊細なチャクラコントロールが求められるものに関してはとびきり優秀だった。

 てっきり、彼も参加するものだと思っていたのに。

 

「貴重な血継限界をここで失うわけにいかないらしい。もう、覚方一族も僕一人になってしまったから」

 

 だから、ここでスバルの無事を祈るよ。

 

 そう言ってこちらを振り返ったセキに、俺は心を読まれる前にと指文字を綴る。

 なんとなく直接伝えておきたくなったからだ。

 

《かならず もどる》

 

 セキは目を丸くさせて、ぶはっと我慢できなかったように笑った。

 

「ごめん、指文字は分からないんだ……でも言いたいことは伝わったよ」

「…………」

 

 俺の影響で指文字を理解できるうちの家族が特殊だってこと、すっかり忘れてた。

 うわー、恥ずかしい。

 

 セキが嬉しそうに微笑んだ。

 

「待ってる」

 

 正しく伝わっているようで何より。

 

 

 

 そんな話をしているうちに演習場に到着した。今日は俺の得意な手裏剣術の授業が行われる。

 明日からは戦争に向けて、アカデミーではなく大人たちと混ざって別所で訓練を行うらしい。

 

 どう考えてもおかしいスケジュールだと思うが致し方ない。考えたら負けだ。

 

 先に到着していた担当教師が、俺とセキを見て人好きのする笑みを浮かべた。

 

「一番乗りだな」

 

 そして、何の脈絡もなく磨きたての手裏剣をいくつか投げつけてくる。

 って、あぶね! なにすんだ!

 

 慌てて後ろに飛び退いた俺の隣で、金属同士がぶつかり合う音が響いた。

 

「うちはは全部避けて、覚方は全部クナイで弾いたか。うんうん、悪くないぞー」

 

 悪いものがあるとしたら、先生の行動の方だと思うんだけどな……?

 

 セキが冷え切った表情のまま、スッと手を上げた。

 

「先生。挨拶代わりの手裏剣はセクハラだと思います」

「パワハラじゃなくて!?」

「僕は軽蔑しました」

「お、覚方あぁ……」

 

 シュールな光景だが、これも日常茶飯事だ。その場で項垂れた先生をフォローする人間はいない。というか、ここには三人しかいないんだから、俺がしなかったらいないに決まってる。

 

 俺? 触らぬ神になんたらってことで基本的にスルーだ。

 的確に心を抉ってくるセキの標的にされたら堪んないし!

 

 ぞろぞろと他のクラスメイト達がやってくる頃には、先生もやっとセキの毒舌によるダメージが癒えたらしい。

 何事もなかったかのように手を叩いてみんなを一箇所に集めていた。

 

「今日はみんなが大好きな手裏剣術の授業だぞー。なんと、本日のターゲットはこのオレだ! 先生に手裏剣を当てた者は――」

 

 先生が言い終わるよりも早く、ヒュンッと風を切る音がした。

 

「……うちはスバル。覚方セキ。二人は必要ないようだから自主練でもしていなさい」

 

 俺とセキが同時に放った手裏剣が先生の両頬スレスレを通過したようだ。

 

 してやったり。これでさっきのはおあいこってことでよろしく!

 

 

 

 アカデミーから帰宅してすぐ、父さんと共にうちは一族の訓練場にやってきていた。

 

 今日は影分身の術はお休みして、火遁だけを披露する予定だ。みてろよみてろよ。

 

 指文字効果なのか、印を結ぶスピードだけは誰よりも早くなった気がする。

 パパッと結び終わり、チャクラで練り上げ……勢いよく吐き出す!

 

 目の前で火の粉が爆ぜた。

 それは次第に渦巻き状の炎に包まれて見えなくなり、視界が轟々と燃え盛る巨大な火の球で埋め尽くされた。

 

「……ついに成功したな」

 

 父さんが感慨深そうに呟く。悪かったな、成功するのが遅くて。

 

 口内のチャクラが切れるのとほぼ同時に炎が萎んで消えていった。やっと火遁のコツを掴めた気がする。

 

「これで火遁はクリアだ。うちは一族といえば、豪火球の術。これが使えてやっと一人前として認められる」

 

 父さんが笑った。

 俺はびっくりして、つい、使う当てもないのに口内に再度チャクラを集めてしまった。

 

「さすがオレの子だ。……よくやった、スバル」

「…………」

 

 骨張った大きな手でわしわしと頭を撫でられる。

 まさかあの父さんがそんな顔で俺を見て、そんな優しい手つきで俺に触れる日が来るなんて。

 

 やっぱりありえない。……幻術か?

 

 俺は父さんの手から逃れるように距離をとって、目を閉じる。

 

 もう一度目を開き――写輪眼になった。

 

「…………」

「…………」

 

 おかしい。そっちが幻術で惑わせてくるならこっちも写輪眼で幻術返ししてやろうと思ったのに。

 ……これが現実、だと?

 

「……お前はことごとく、オレの息子扱いが気に入らないようだな」

 

 えっ、なんでそうなるの?

 

 父さんはそれはもう深いため息をついて、肩を落とした。その背中からは哀愁が漂っている。

 

「何にせよ、これで一つはクリアだ。明日からは影分身の術に集中する。アカデミーとは別で戦争の準備期間に入るが、気を抜かないように」

 

 こくこくと頷いた。

 父さんはさっきまでの明るい表情が嘘のように、どんよりとした空気を醸し出したまま。

 気のせいか、周りの温度まで下がってる気がした。

 



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第三話 暗躍する者たち

「基本的にはオレとスバル、イタチのスリーマンセルで動く。撤退する場合はこの黒の煙弾を――」

 

 里の東部に位置する深い森の中。

 

 三〜四人に分かれた小隊。一人ずつ配属されている中忍以上のベテランを中心に、今後の打ち合わせを行なっていた。

 中には下忍以下のみで構成されている隊も散見していて、この戦争における深刻な人手不足が浮き彫りになっている。

 

 俺の所属する隊は、うちは一族ってことで父さんとイタチと俺の三人だけだ。

 母さんは戦争には参加するものの、主に裏方でサポート役に徹するらしい。ちょっと安心した。

 

 戦況に応じて使い分ける煙弾の色やフォーメーションなどを細かく父さんが説明して、俺とイタチが必死に頭に叩き込んでいく。

 

 とくに俺の場合は約束事が多かった。

 声が出せない分、咄嗟の場合でも的確な意思疎通を可能にしなければならないからだ。

 

「スバル。お前はこの発煙弾を常に肌身離さず持っていなさい。隊と逸れて緊急で助けが必要な時は、躊躇わず赤色の煙弾を撃つように」

 

 小型の発煙弾が入った小袋を受け取る。

 ピンを引き抜く手榴弾タイプや、シンプルに煙幕のみに重点を置いたものなど、多種多様なものを揃えてくれたらしい。

 

 両手にずっしりとした重みを感じながら力強く頷く。絶対に落とさないようにしよう。

 

 

「……ねえ、スバル兄さん」

 

 くいっと服の裾を掴まれる。

 別の隊に呼ばれた父さんが離席したタイミングを見計らって、イタチが不安げに話しかけてきた。

 

「どうしてこの国は、戦争なんてするのかな」

「…………」

 

 どうして空は青いのかに通じるものがある疑問に、俺は答える術を持たなかった。

 

 ……どうして、かあ。考えたこともなかった。

 

 イタチは俺からの答えを期待していなかったのか、そのまま続ける。

 

「誰かを殺して、殺されて。憎んで、憎まれる。そういった連鎖が次の戦争を生む。一度でも連鎖を断ち切ることができれば……分かり合えるかもしれないのに」

 

 本当にこんな言葉がイタチの口から出てきたのかと耳を疑った。

 

 この歳で戦争とは何たるかを考え、嘆き、和解の道まで模索しているなんて。

 俺がイタチと同じ歳の時って何考えてたっけ。

 ……うん、イタチのことしか考えてなかったな。それだけは分かる。

 

 今ではもう息を吸うように扱えるようになった指文字を綴る。

 

《このくにが すきか?》

 

 イタチは少し目を丸くさせて、やがてにっこりと笑った。

 

「うん!」

 

 

 

 ついに戦争に参加する日が来てしまった。

 

 連日降り続いた雨のせいで地面はぬかるみ、ただでさえ残り少ない体力を根こそぎ奪っていく。

 俺は後方からついてきているイタチの姿が消えていやしないかと気が気じゃなかった。そんな俺を叱咤するかの如く、隣を走る父さんが叫ぶ。

 

「決して気を緩めるな。一度でも水溜りに足を取られたら死ぬと思え!」

 

 俺たちの隊は激戦区にて味方の小隊と合流することになっている。そこではいくつかの国の忍が混ざり合い、ひたすらに命の奪い合いをしているという。

 いくつもの要因が折り重なって始まった戦いは、今ではただの消耗戦に成り下がっていた。

 

「クソッ、刺客が多すぎる」

 

 足元の水溜りに身を潜めていた霧隠れの忍二人の襲撃を躱し、父さんがクナイで敵の首を刎ねる。

 もう一人の手がイタチに伸びる前に鳩尾を蹴り上げた。うめき声を上げながら地面に転がった男の脚に踵を振り下ろす。

 一応これにも痛天脚(つうてんきゃく)っていう技名があるらしいが、ただの全力の踵落としである。その名の通りめちゃくちゃ痛い、らしい。実際に受けたことがないから、ぶっちゃけ分からない。まあ骨が粉砕されてる時点で痛いでは済まなさそうだ。

 

「予定より大幅に遅れている。先を急ぐぞ」

「…………」

 

 力なく地面に転がっている霧隠れの忍を見下ろしていた俺は、再び駆け出した父さんとイタチの後を追いかけた。

 

 

 

 激戦区にて別働隊と合流を果たした俺たちは、そのまま終わりの見えない戦いの渦の中へと放り込まれることになった。

 周りに父さんとイタチの姿は見えない。逸れたようだ。

 

「木ノ葉の忍……ここで死ね!」

 

 片腕を切り落とされたばかりなのに少しも怯まずに反撃してくる草隠れの忍のクナイが頬を掠めた。チリッと僅かに熱を持った痛みに構ってる余裕もない。一先ずはこの男の動きを封じ込める必要がある。

 

 地面に両手をついてぐるりと腰を捻り、宙を舞った足が相手の顎を蹴り上げた。

 脳が揺れたせいで思考もままならないはずなのに、男の右手は何かの印を結ぼうとしている。その狂気とも呼べる執念にゾクッと背筋を何かが走った。まさか、片手だけでやるつもりか?

 

 戦争に負ければ里に残した家族の命を失うかもしれない。例え左腕を切り落とされようが、脳が揺さぶられようが、忍がその命尽きるまで耐え忍ぶ理由がある。

 ――俺は分かっているようで、分かっていなかった。

 

 男が印を結び終わる前にその腕を掴んでこちら側に引っ張った。

 負けられない理由なら俺にだってある。だから、今は相手の気迫にビビってる場合じゃない!

 

「うわあああああ!?」

 

 突然男の悲鳴が響いた。男の額には手裏剣がめり込んでいて、ぐるんっと白目を剥いて俺の肩にのしかかってくる。まって、いま何が起きた?

 

「てめえ、汚ねえぞ! そいつを盾に使いやがって!」

 

 どうやら腕を掴んで引き寄せた男が、ちょうど俺めがけて飛んできていた手裏剣に当たったらしい。

 こちらに手裏剣を投げたと思われる同じ草隠れの忍が声を荒らげている。

 

 そんなことある? 乱戦状態ならあり得ないこともないだろうけど、まさか自分が体験するとは思わなかった。不可抗力とはいえ、これは確かに汚い。反論できない。

 

「……クソが! 腹立つ顔してんじゃねぇよ!!」

 

 人の顔にケチをつけるとは許し難し。俺の表情筋が仕事しないのは俺のせいじゃないのに!

 俺は肩にもたれかかっていた死体を適当に足元に転がした。

 

「オレの仲間に何してんだ……?」

 

 男が怒りで震えている。気持ちは分からなくもないけど理不尽すぎない?

 

「何を遊んでいる」

 

 いつの間にか背後を取っていた父さんのクナイが喉を貫いて、逆ギレ男が地面に倒れる。こちらを見下ろしている父さんは困惑しているようだった。

 

「これは戦争だ。……わざわざ弄んで殺す必要はない」

「…………」

 

 俺がいつ遊んだって? しかもさらに不名誉な勘違いまでされている気がする。

 

 こちらに伸びてきた父さんの指が俺の頬の汚れを拭っていった。

 

「別働隊がここより奥に進んでいる。オレ達も続くぞ」

《いたちは?》

「イタチもそこにいる」

 

 それなら異論なしだ。俺は握っていたクナイをホルスターに仕舞い、先に走り出した父さんに続いた。

 

 

 

 傾いた太陽がさらに分厚い雲に覆われ、辺りは一時的に闇に包まれた。あれほど金属同士がぶつかる音や、怒号などが混じりあっていたのが嘘のように静かだった。

 

 返り血を吸いすぎた服が重い。それでなくとも両足は棒のようだし、腕は疲労から上がりにくくなっている。

 早くイタチのところに行かなくちゃ。あれからどれだけの時間が流れたんだ?

 

 時には地面に転がる死体を足蹴にしながら進んだ先。死体の数と比例して濃い血の匂いが漂う場所に出た俺を、求めていた声が呼んだ。

 

「…………兄さん」

 

 数多の死体の上でイタチが立ち尽くしていた。その手は血を吸ったクナイを握りしめたまま震えている。イタチの隣には父さんが立っていたが、足元を見つめて、何かを考え込んでいる様子だった。

 

「良かった……スバル兄さんが無事で」

 

 イタチの手のひらからクナイが落ちる。俺は慌てて駆け寄って、イタチの体を支えた。震えているのは手だけじゃなかったらしい。それに、全身が氷のように冷たい。抱きしめる腕に力がこもる。外傷は見当たらなくてホッとした。

 

「任務完了だ。このまま撤退する」

 

 父さんの言葉に頷く。

 

 安心したのか、そのまま眠ってしまったイタチを抱き上げる。父さんはそんな俺たちを見て複雑そうな顔をしていた。

 

「イタチは優しすぎる。……少しでもお前のような非情さがあれば」

「…………」

 

 絶賛勘違い続行中だった。そもそも自分の息子に非情とか言うのどうかと思う。絶対に教育に悪い。それから、イタチはこのまま優しい子としてすくすく育つべきだ。異論は認めない。

 

「……お前の中にある優しさがイタチにだけ向けられているのが、良いのか悪いのか」

 

 これは遠回しに父親であるオレにも優しくしろと言われてるんだろうか。

 父さんはちらりと目だけで後方を見た。先ほどイタチが立ち尽くしていた場所だ。

 

「イタチは死にかけた他里の忍を救おうとしていた。だが、何度もお前たちに言い聞かせてきたようにこれは戦争だ。他里の忍は当然イタチに敵意を向け、返り討ちにあった」

 

「…………」

 

 俺はくるりと踵を返した。そのまま逆方向に歩き始めた俺に、父さんが焦ったように名前を呼んでくる。

 

「スバル……? 一体どこに……まさか」

 

 ガシッと腕を掴まれた。

 

「報復なんぞ無意味だ! そいつはもう死んでいる!!」

 

 だああああうるさい! 離せ! 俺はイタチの優しさを無碍にしやがったそいつの顔を思いっきり踏んづけてやらないと気が済まないんだよ!

 

「お前が何をするつもりか分からないが、それこそイタチの優しさをなかったことにする行為だというのは理解しているのか!?」

 

 ぴたりと足を止める。父さんの口から飛び出してきた正論の塊を飲み込んで、咀嚼した。

 父さんがあともう一押しだという顔をして続ける。

 

「それに、お前がそいつを痛めつけている間にイタチが目覚めたらどうする。心優しいイタチはショックを受けると思わないか?」

「…………」

 

 さらなる正論パンチを受けて項垂れる。

 俺ってやつは……自分の怒りを鎮めることばかりで、イタチの気持ちを考えてなかった。なんて最低野郎なんだ。このまま地面に埋まりたい。でも眠っているイタチを父さんに預けたくないから、イタチを無事に家に送り届けてから庭に埋まりたい。一人じゃ寂しいからついでに父さんも道連れにしよう。

 

 腕を掴んでいた父さんの手が、ぽんっと俺の肩を叩いた。

 

「帰ったらまた忙しくなるぞ。アカデミーも再開するからな」

 

 父さん、悪いけど俺たちの未来は地面の中だよ。

 

 

 

 戦争終結における後始末が残っているらしく、真っ直ぐ家に帰れたのは俺とイタチだけだった。

 

 真っ暗な部屋の明かりをつける。人の気配もなく静かな家の中は、戦場とは大違いだ。

 腕の中で身じろぎしたイタチを片腕で抱え直して、もう片方の手だけで布団を引っ張り出す。畳に敷いた布団にイタチを寝かせて、その寝顔を見つめる。

 

 ――イタチが他里の忍を助けようとした。

 

 父さんの気持ちも分かる気がする。いつか、その優しさを利用しようとする人間が現れるかもしれない。

 

 すやすやと眠っているイタチの額に手のひらをのせる。少し熱っぽい。俺は襖を開けて押し入れから毛布を取り出すと、イタチが被っている布団の上に重ねてやった。これで一安心だ。

 

 パチッとイタチの部屋の明かりを消す。差し込む月明かりがイタチの顔を照らしている。

 さて、名残惜しいけど母さん達が戻ってくる前に家のことやっておかないと。この血だらけの服も着替えたいし。

 

 被っている布団の隙間から慎重にイタチの服を脱がせて綺麗な服に着替えさせたり、忍具が血で錆び付く前に布で拭ったり、泥だらけの靴のせいで汚れてしまった玄関を掃除している間に日付が回ろうとしていた。

 

 父さんと母さんが帰ってきたのは、それからさらに一時間後のことだった。

 

 

 

「突然ではあるが、今週いっぱいでアカデミーを離れる者がいる」

 

 一ヶ月ぶりのアカデミーは以前と変わらず穏やかな時間が流れていた。

 

 ぽかぽかと暖かい陽気を受けながら欠伸を噛み殺す。いつものように俺の隣をキープしているセキは、興味なさげに手元の資料に目を落としていた。

 

「うちはスバル。前に出てきなさい」

「…………?」

 

 ぼんやりと窓の向こうを眺めていたせいで、どうして先生に名前を呼ばれたのか分からなかった。クラスメイト全員の視線が痛い。とりあえず立ち上がって、教壇にいる先生の隣に立つ。

 

 さて、俺はこの後何をすればいいんだろう。腹踊りでもすればいい?

 

 先生が嬉しそうに笑った。腹踊りがいいのか!

 

「彼は先の戦争での活躍が認められ、下忍になることが決まった」

「…………」

「戦後の人手不足もあってね。木ノ葉の暗殺養成部門である“根”から推薦状が届いている。極めて異例であるが……下忍になると同時に根に所属するということだ。先生はとても誇らしいよ」

 

 ……なんだって?

 

 目が合ったセキが大きく目を見開いている。状況が飲み込めなくて唖然としていると、名前も覚えていない先生が俺の肩に手を置いた。そして、隣にいる俺にしか聞こえない声量で言う。

 

「あのダンゾウ様が直々にお前を指名したそうだ。期待を裏切らぬよう、これからも修行に励むように」

 

 トンッと軽く背中を押されて、ふらふらとよろめきながら自分の席に戻る。腹踊りなんてしてる場合じゃなかった。

 

 まだアカデミーに入学して一年しか経ってない俺が下忍に? しかも、里のためならどんなやばい任務も遂行すると噂の根に所属するって?

 

「事前に知らされてなかったの?」

 

 授業を再開した先生に聞こえないよう、セキが小声で話しかけてくる。事前に知っていたら俺だってこんなに驚いてなかったよ。多分。夢だと思い込んで、ここにきて現実を突きつけられてたかもしれないけど。

 

「そう……」

 

 セキはそれ以上何も言わなかった。俺の心を読んでこれ以上は無意味だと悟ったのかもしれない。

 

 まずは落ち着こう。夢オチの可能性もないわけじゃない。

 目を閉じてこの状況を整理しようとしたが、耳に入ってきた授業の内容にうずうずしてしまい、結局メモを取りはじめてしまった。

 

 くっ、これが優等生として生きてきた弊害か……! 勝手にペンを持つ手が動いてしまう! ああっ、授業で触れられていない完璧な図式まで……! 骨の髄まで真面目な自分が憎いッ!

 

 結局、俺はいつも通り授業を受けて、来た時と同じ道を通って帰宅した。

 

 

 ガラッと乱暴に扉を開けて玄関に雪崩れ込む。そのまま式台の上で力尽きていると、パタパタと小さな足音が近づいてくるのが分かった。

 

「スバル兄さん! おかえりなさ……えっ!?」

 

 ああ、イタチ。俺の人生における唯一の癒しよ!

 

「どうしたの? どこか痛いの?」

 

 心配そうに覗き込んでくる顔に、俺は全力で首を縦に振った。うん、めちゃくちゃ痛い。今後のことを考えてとにかく胸が痛いんだ俺は!

 

「どっ、どうしよう……父さんも母さんもいないし」

 

 イタチよ。お前もまだまだだな。俺にとってイタチは心の痛みすらも癒す万能薬なのさ! だからこうやってそばにいてくれるだけで……ってどこ行くの!? お兄ちゃんを置いていかないで!

 

「待ってて、冷たい水持ってきてあげるね!」

「…………」

 

 冷水を浴びて頭を冷やせってことですか、イタチさん?

 

 俺はすっかり行き場を失った腕を力なく床に下ろした。

 今やっと大人がお酒を飲む理由が分かった気がする。こんなの飲まなきゃやってられない。ほどほどに忍やって最期はイタチに看取られて死ぬっていう俺の完璧な人生プランが!

 

 暗部の、しかも根に所属した人間に穏やかな余生なんてあるはずがない。

 親がうちはのトップなだけあってダンゾウってヤツの悪名は俺のところまで届いてる。里の為だとか尤もらしい大義名分を掲げているものの、その本質は穏健派の三代目火影とは相反するものだ。

 

 だからと言って「折角ですがお断りさせていただきます」は通用しない。俺に与えられた選択肢はハイorイエスだ。ハイのイとイエスのイエを合成してイイエにしてくれ。マジで。

 

 イエスマンではなくノーマンになるにはどうしたらいいのか、床を這いながら考えていると、ぬうっと頭上に影が差した。

 

 イタチか? いや、これはイタチが向かった方とは逆の――俺の背後からきた影だ。

 

 ぞわっと悪寒が走り、思わずその場から飛び退いた。

 

「……その年にしては反応が早いな」

「…………」

 

 いや、誰だ。無機質な印象を与える動物の面をした男が玄関の扉を背にして立っていた。素早くホルスターに手を伸ばし、いつでも飛びかかれるように腰を低くする。

 勝手に人様の玄関まで入ってきたくせに態度がデカすぎる。まあ、それはいいとして……音が全くしなかった。僅かな気配すらも。

 

「うちはスバルか」

 

 不法侵入者は一人だけじゃなかったらしい。動物面をした男の背後から出てきたのは、先ほど頭に思い浮かべていた人物そのものだった。

 

 顔の右半分を分厚い包帯で覆い隠した男が、唯一見えている左目でこちらを冷たく見下ろしていた。

 特徴的な顎の傷跡は生々しく、ごくっと唾を飲む。

 志村ダンゾウ。まさか、根の創設者である彼が、わざわざ俺に会いに来たってことか?

 

「どうやら警戒されているようだ」

 

 コツッとダンゾウが杖を付いた。

 

「アカデミーで、ワシが直々にお前を根に推薦したことを聞かなかったと見える」

「…………」

 

 露骨に嫌味を言われてしまっては警戒を解くしかない。上司になる人間に向かってその不遜な態度は何だって言いたいんだろう。

 そう思うなら、不法侵入する前に呼び鈴を鳴らしてくれたら良かったのに。

 仕方なく、そう仕方なく、俺は低くしていた腰をそのままに、ダンゾウに向かって頭を垂れた。

 頭上で満足げに笑う気配がする。

 

「…………スバル兄さん? その人たちは誰?」

 

 不安げな声に振り返ると、水の入ったコップを持ったイタチが心配そうにこちらを見ていた。

 

「立ってする話ではないのでな。中に入らせてもらうぞ」

 

 明らかに客人のセリフじゃない。戸惑うイタチの横を通り過ぎていくダンゾウとその部下に頭が痛くなった。わざわざ父さんと母さんの留守中を狙ってきたのも、全部確信犯な気がする。

 

 俺は開けっぱなしだった玄関の扉を閉めようと手をかけて、その際に、離れたところからこちらを注意深く伺っている一族の姿を確認した。

 三人いや、四人か。恐らくダンゾウ達の後を追ってきたんだろう。きっと彼らが父さん達に報告してくれるはずだ。

 

 ぴしゃりと扉を閉める。どうしようか。早くダンゾウ達のところへ行かないと、鬼の居ぬ間に家宅捜索とかしちゃってそうだ。

 鬼は俺でも父さんでもなく、母さんのことね。ちょっとでも部屋が散らかってると普段の優しさはどこに行ったんだってくらい怒るんだよなあ。

 

 俺はイタチの横を通り過ぎる前に頭を撫でくりまわして、その手に持ってるコップを受け取った。キンと冷えた美味しい水をごくりと一気に飲み干して、口元についた水分を乱暴に拭う。

 

 よし、決めた。俺は絶対に暗部入りを断るぞイタチィーーッッ!!

 

 

 

 俺が案内するまでもなく、すでに客間で座布団に座っていた不法侵入者二人は、後からやってきた俺を見て「おせーな」という顔をした。

 うん、もう何も突っ込まない。目の前にいるのはこの星の常識が通じない宇宙人だ。

 

「まずはこれら全てに目を通してもらおう」

「…………」

「読み終われば、こちらに拇印をするように」

「…………」

 

 動物面をした男がテーブルの上にいくつかの資料を並べて、テキパキと一つ一つ説明を付け加えていく。

 テーブルを挟んだ向こう側ではダンゾウがこちらをじっと見つめてきている。その視線だけで穴が開きそうだ。自分の家なのに居心地が悪すぎる。

 

 言われるがままに読んだ資料には、根に所属する人間の心構えや情報漏洩阻止のために舌に呪印を施すことなど、自己中オブ自己中な決まり事がずらりと並んでいた。

 おいおい〜、誰がこんなのにサインするんだよ。奴隷契約かと思ったぞ。

 

「どうした。内容に何か不備でも?」

 

 そうだな、まずは人権ってやつを勉強してきてくれ。お話にならないです。

 

 動物面の男が、早くサインしろと言わんばかりに、自分の腕を指でトントンと叩いている。

 もし俺が協調性のある人間だったら焦ってそのまま勢いでサインしてたかもしれない。まあ見ての通りそんなものはない。

 

 そもそも子どもしかいない状況でサインさせるのってどうなの? 普通は先に親の同意を得るべきだと思うんだよ。

 ダンゾウをじと目で睨みつけると、彼は素知らぬ顔でお茶を飲み始めた。こっそり痺れ薬でも入れとけばよかった。

 

「……ワシは、お前の誰にも心を許さぬところを買っている」

 

 やっと話し始めたダンゾウに視線だけで先を促す。

 なんでみんなこぞって俺を孤高に生きる者にしたがるんだ。というか今日初めて会った俺の何を知ってるって?

 

「だが、弟……うちはイタチだったか。例外がいるようだな」

「…………」

 

 息を呑む。まさかとは思うけど、俺、脅されちゃってる?

 

「戦争中、お前たちスリーマンセルには常に根の者をつけていた。弟がそばにいる時、お前は決して敵の命を奪わず、動きを封じることのみに徹していたそうだな。甘い男かと思ったが……弟と完全に分断された直後から、一分の隙も見せずに容赦なく次々と敵の命を奪っていったと聞いている」

 

 そりゃあ戦争なんだから向かってくる敵の命を奪うだろう。俺は兄なんだから、弟の前で出来るだけ殺生しないようにするのも当然のことだ。

 

 ダンゾウが手に持っていた湯呑みをテーブルに置いた。その鋭い目はひとつだけのはずなのに、どうしてか、俺には包帯に隠された右目とも目が合ったような気がした。

 

「根に所属する人間に情は必要ない」

 

 どんよりとした、どこまでも広がる闇が俺を飲み込もうとしている。それは目の前のダンゾウから発せられたもので、指一本すら動かせないほどのプレッシャーだった。

 

 カタカタと膝に置いた両手が小刻みに揺れている。

 

 震えてる……? 鬼神の如く怒り狂った母さんを目の前にしても、まったく(見た目は)動じなかったこの俺が?

 

「しかし、忍が忍であることにも信念が必要だ。ブレることのない、己にとって守るべき根幹とも呼べるものが」

 

 フッと急に体が軽くなった。忘れていた呼吸を再開する。額から冷や汗が滴り落ちていった。ダンゾウの笑みが濃くなる。

 

「うちはスバル。お前にとってそれが弟であるというのなら、こちらからの申し出を断るのは賢明ではない」

 

 その言葉が何を意味しているのかは、言うまでもない。

 

 プツンと何かが切れる音がした。

 

「――ダンゾウ殿。事前に知らせもなく我が家にいらっしゃるとは」

 

 口調こそ丁寧だが、端々にたっぷりとした嫌味を含ませた声が降ってくる。俺は、目の前のダンゾウが苦々しげに舌打ちしたのを確かに耳にした。

 

 人一人分が通れるくらいに開いた障子の向こう側。急いで駆けつけてくれたのか肩で息をしている父さんが、それを悟られぬよう涼しげな顔をして立っていた。

 

 その目がこちらを向いて“大丈夫か”と問いかけてくる。

 いや、大丈夫じゃないです。正直……危なかった。無謀にも目の前の二人に丸腰で突っ込んで返り討ちに遭うところだった。

 それでも、許せない。イタチをネタに俺を強請るなんて。

 

「それで、息子に何か御用でしたか」

 

 父さんが穏やかに問いかける。

 

「……彼を根で預かることになった」

 

 真っ先に反応したのは父さんの後ろに立っていた母さんだった。

 

「どういうことですか? スバルが……まだアカデミーを卒業してもいないこの子が根に?」

「ワシが直々に推薦した。三代目も了承している。あとは彼の同意を待つのみ」

 

 ダンゾウの言葉を受け、父さんと母さんが同時にこちらを向いた。俺は勢いよく首を横に振る。

 まだサインしてないよ! 二人とも落ち着いて!

 

「……同意も何も、あなたの推薦と三代目の許可が揃っているなら決定事項でしょう。それでも、この子の親である私たちに先に知らせがあるべきではありませんか?」

 

 明らかに怒りを抑え込んでいる母さんの口調にかえって冷静になったのか、父さんが「やめなさい」と口を挟む。

 

「いいえ、黙りません」

 

 母さんにぴしゃりと切り捨てられた父さんが怯む。あの、父さんがだ。これには俺も驚いた。

 

「根の噂は存じております。この子が常に木ノ葉の為に動いている暗部に所属することは、親として誇らしい。ですが、スバルはまだ子どもです。そちらに広げられている資料……」

 

 母さんがスッとテーブルに山積みにされている資料に目をやった。動物面の男が肩を震わせる。

 

「私と夫にも、契約内容などが分かるように、一から説明していただけますか?」

 

「……モズ」

 

 ダンゾウが静かに誰かの名を呼んだ。消去法で動物面の男のものだろう。

 

 モズと呼ばれた男が、テーブルに散らばっていた資料をかき集めて母さんに手渡した。……見間違いでなければ、いくつか抜き取って懐に隠した気がする。

 

 母さんが受け取った資料を父さんにも見えるように広げて、二人揃って険しい表情をした。

 そうだよな、とくにやばいやつはモズってやつが抜き取ったと思うけど、十分奴隷契約だよアレ。

 

「スバル?」

 

 テーブルをトンッと軽く指で押す。こちらに注目が集まったところで、俺はにこっと笑った。うまく笑えてたかは別として。

 

《おれ、はいるよ》

「…………彼はなんと?」

 

 指文字が分からないダンゾウが両親に尋ねる。

 

「……入る、と言っているようです」

 

 通訳するのも不服そうな父さんが渋々と答えた。ダンゾウがこちらを向いて目を細める。

 

「ほう、本人がそう言っているのなら話が早くて助かりますな。……やはり、ワシの目に狂いはなかった」

 

 勝ち誇ったようなダンゾウの笑みに、俺の心はどこまでも穏やかだった。

 

 どっかの誰かが書いた兵法書に“彼を知り己を知れば百戦(あや)うからず”という一節がある。イタチをめぐる戦いの火蓋はすでに切って落とされ、俺に残された道はただひとつ。

 

 そう、敵の懐に潜り込み、不安の種を摘み取ることだ。例えすでに種から芽が出て巨大な大木を支える根になっていようとも、俺は掘り起こしてでも根を地面から引っこ抜いて太陽の元に晒してやるのさ! 

 

「スバル……本当にいいの? この契約だとほとんど向こうに住み込みで、滅多に家に帰ってこれないじゃない……!」

「…………」

 

 うそっ、そんなのどこに書いてあった!?

 

「スバルが自分で決めたことだ。……お前を誇りに思う」

 

 いやいや待って、住み込みだなんて知らなかった。イタチと離れ離れになるなんて、そんなの、俺が耐えられるわけないじゃないか!

 

「数日後には卒業試験を受けられるように手配しておく。一週間後の卒業式の後、そのまま暗部の装備部で必要なものを受け取るといい」

 

 用はこれで済んだとばかりに、ダンゾウと部下が立ち上がり、部屋を出て行こうとする。

 

「根はお前を歓迎する」

「…………」

 

 俺はダンゾウの背中が完全に見えなくなるまで、その場で立ち尽くした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 太く長い配管がいくつも張り巡らされている木ノ葉の地下は、日の光の一切を受け付けない。

 

 火影直轄の暗殺戦術特殊部隊――通称暗部の中にひっそりと存在する“根”と呼ばれる暗部養成部門の根城もまた、ここにあった。

 

 この薄暗い地下で一体何が行われているのか、太陽の元で暮らす者たちは一生知ることはないだろう。

 しかし、元来忍とは国を支えるために耐え忍ぶ影の者たちのことを指す。全てが必要な犠牲であり、闇に葬り去るべき事実ばかりだ。

 

 深く根を下ろしたこの場所で、闇に溶け込むようにして佇むダンゾウという男もまた影に生きる者である。

 

 コツ、コツ、と硬質な床を杖先が一定のリズムで叩く音が響く。ダンゾウが持ち上げていた杖を彷徨わせ、緩慢な動作で後ろを振り返る。

 

 そこには、動物を模した面をつけた青年が立っていた。青年は手に持っていた巻物をダンゾウに向けて差し出し、その場で膝を折る。

 

「こちらを」

「……モズか」

 

 モズと呼ばれた男はダンゾウが無事に巻物を受け取ったことを確認し、ゆっくりと立ち上がる。その際にバンテージの隙間に忍ばせていた手裏剣が僅かにずれてしまった。

 用意周到かつ神経質な一面を持つ青年は微かに眉を顰めた。

 

「報告は以上です」

 

 見た目より頑丈な紐をするすると解き、両手に巻物を広げる。ダンゾウは報告書に隅から隅まで目を通し、やがて薄く笑った。

 

「よくやった。あのうちはフガクの目を掻い潜って監視を続けるのは骨が折れただろう」

「……いえ、戦争中でしたので。恐らくこちらの気配には気づかれていたと思われますが、他国の密偵との区別まではつかないでしょうから」

 

 ダンゾウがモズに与えた任務の一つが、昨年アカデミーに入学し徐々に頭角を現しはじめた、うちはスバルについて情報を集めることだった。

 

 しかし、モズにはどうしても納得できないことがあった。

 うちはスバルは血継限界を持つ木ノ葉のエリート一族の生まれでありながら、アカデミーでの成績は体術を除き中の下といったところ。

 筆記試験ではそこそこの点を稼いでいるようだが、博識な覚方一族の末裔には及ばず、常に二番手をキープしている。加えて、戦争時の立ち振る舞いも非常にムラがあり、忍に向いているとは到底思えなかった。

 

 幼き頃から心を殺す訓練を積み、目の前の任務を遂行するためだけに生きてきたモズには、弟の前では敵を殺さないというスバルの行動はまったく理解できない。

 意識だけを奪うというのは、単純に殺すよりも難しい。相手が同等または格上の相手なら尚更、“手を抜く”ことが容易ではなくなってしまうからだ。後者の相手に対してそれをやってのけたことは称賛に値するが、状況が状況だけに評価はされないだろう。

 

 そもそも、彼には決定的な欠点がある。――口が利けない忍など、迅速な任務遂行において足枷にしかならない。

 優秀かそうでないか、それ以前の問題だろうとモズは思っている。

 

 評価するとすれば、あのずば抜けた体術のセンスと、弟への配慮さえなければ躊躇なく目の前の敵を一掃できる精神力。そして、すでに写輪眼を開眼しているところだろうか。

 

 部下の心情を敏感に察知したダンゾウは、広げていた巻物を巻き取って整える。

 

「もう一つの進捗はどうなっている?」

「完成にはまだ時間がかかるかと。セキの協力は得られましたが、面を経由して能力を発動させる核の部分に不備が見つかったようです」

 

 モズが二つ目の任務を受けたのはうちはスバルの件と同時期だった。

 

 それは暗部が装着する面に覚方一族の透視系統のチャクラを伝達する装置を組み込み、頭に思い浮かべるだけで設定された機械音声が面から発せられるというものだ。

 表向きは声質で敵に身元がバレないようにするためであったり、万が一喉を潰された場合でも対処できるようにというものである。

 

 ただ、貴重な透視能力を持つ忍はすでに覚方セキただ一人。()()自身の総チャクラ量が少ないこともあり、量産は不可能だ。さらに装置を起動させ続けるには、面を装着している人間のチャクラを大幅に消耗する。

 

 このような無理をしてまで面の完成を急がせる意図をはかりかねていたモズだったが、このタイミングでダンゾウが態々面の話題を出した理由に気づかぬほど愚鈍ではない。

 

「……まさか、あの面をうちはスバルに与えると?」

 

 ダンゾウは隠そうとしているものの明らかに狼狽している部下を見て、くつくつと笑った。

 

「あの幼さで写輪眼を開眼する逸材だ。ただ声を出せないというだけで埋もれさせてしまうには惜しいのだ」

「しかし、」

「うちは一族は以前から怪しい動きを見せている。駒は一つでも多く手元に置いておきたい。――何より、あやつは家族以外の一族をひどく憎んでいるはずだ」

 

 うちはスバルが一族の人間から疎まれているのは周知の事実であった。

 アカデミーに入学してからは周囲の見る目も変わっていき、今では表立って非難の声を上げる者は見られないが、それでも完全にいなくなったわけではない。

 

 誰よりもただ愚直に強さだけを求めてきた一族の気質は、決して異分子を認めない排他的な一面も併せ持つ。スバルがこれまでにどのような仕打ちを受けていたかは想像に難くない。

 

「うちはスバルのアカデミー復帰よりも先に手を打つ。根回しを頼んだぞ」

「はい、ダンゾウ様」

 

 すぐに任務に取りかかる為、モズは瞬身の術であっという間にその場を後にした。

 

 

 三代目火影であるヒルゼンには「優秀な人材を早めに確保しておきたい」といった名目で半ば強引にスバルの早期暗部入りの許可をもぎ取った。

 スバルの両親が揃って木ノ葉病院に向かったと報告を受けたダンゾウはすぐさま行動に移した。

 

 二代目火影の時代から角が立たぬよう慎重に里の政から遠ざけてきたこともあり、うちは一族の中には、今になってようやく木ノ葉上層部へ不信感を抱き始めた者も少なくない。

 

 現に、ダンゾウとモズが彼らの敷地内に一歩踏み込んだ瞬間から監視の目がぴたりとくっついて離れなくなっている。すぐにフガクの元へ報告がいくだろう。

 

「急ぐぞ」

「はい」

 

 そうしてダンゾウとモズは当初の予定よりも随分早く、うちはフガクの住居へ不法侵入を果たしたのであった。

 

 

 モズにとって、うちはスバルとの初対面は予想外の連続だった。

 

 基本的には冷静で落ち着いた人物といった印象を抱いていたのに、彼は玄関先で溶けたアイスのように力尽きていた。

 

 ……こいつは一体何をしているんだ?

 

 モズとダンゾウの心情が一致する。

 

 すぐに本来の目的を思い出して、何事もなく話を進めた二人はやはりプロである。

 そのまま自然な流れで客間まで足を踏み入れ、どこか不機嫌そうな少年に一部忍雇用法を無視した資料を読ませることに成功した。

 

 モズが二度目の異変に気がついたのは、ダンゾウがスバルに向けて分かりやすい挑発をした時のこと。

 

 戦争に参加した忍とはいえ、まだまだ幼い子ども。ダンゾウの殺気に微かに全身を震わせたスバルに同情していたのも束の間、彼はゆっくりと腰を浮かせて、明らかにモズとダンゾウに攻撃態勢を取り始めたのだ。

 

 結果的にうちはフガクとミコトの登場により未遂に終わってしまったが、モズの心臓はドクドクと騒がしいまま落ち着きそうにない。

 

 スバルは相変わらず無表情のままだったが、あの目は本気だった。本気で、モズとダンゾウを殺そうとしていた。

 この圧倒的な実力差が分からないわけではないだろう。そうなると文字通り死ぬ気で立ち向かおうとしていたことになる。

 

 あまりにも無謀で愚かな行為だ。

 この少年が根に所属しても、余計な諍いの種が増えるだけな気がする。

 

 モズは懇願するように隣に座るダンゾウを見たが、彼はひどく満足げにスバルを見つめていた。ああ、これはダメだ。モズは全てを悟る。

 

「根はお前を歓迎する」

 

 決定的なダンゾウの言葉を受け、モズはまずは新入りの性格矯正から頑張ろうと心に決めた。

 



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第四話 はじまりと最後の平穏

「次、うちはスバル。前に出なさい」

 

 卒業試験の内容は分身の術だった。

 急遽組まれた試験とはいえ、落ちたとなるとそれはそれでイタチに顔向けできないくらい落ち込む。けど、これから先奴隷として生きていくよりは何倍もマシだろう。……そう思っていました。ほんの数秒前までは。

 

 何でよりによって分身の術? かつて俺が何度も挑んでは何度も失敗し、まるで親兄弟を殺されたかの如く憎んだ術が卒業試験に来るなんて。

 

 はっはっはっ、此処で会ったが百年目! 底なし沼の術すら会得した今の俺にとって、こんな初級忍術なんて朝飯前っ!

 

 両手で印を結び意識を集中させる。ボンッという音と共に俺の隣に現れたのは、双子かと思うくらい完璧に再現された自分自身の姿だった。よっしゃー!!

 

「よし、卒業試験は合格だ。明後日の卒業式には忘れずに参加するように」

「…………」

 

 賢者タイム終了のお知らせ。

 

 俺はなんて意志の弱い人間なんだろう。一時の快楽を得る為に今後の人生を棒に振るなんて。まあどうせ俺がわざと卒業試験に落ちたとしても、ダンゾウの権力で再試験なり結果の書き換えなりされてただろうけど。

 

「ああ、すまない。忘れるところだったよ」

 

 試験官がにっこりと笑って、教卓の上に置かれていた箱から手のひらサイズの何かを取り出した。

 一体何だろうと身を乗り出した俺の額に冷たいものが触れる。するりと布地が頭の後ろまでまわり、きゅっと結ばれたのが分かった。

 

「下忍おめでとう」

 

 ゆっくりと額に触れる。里の忍として認められた証でもある額当てだ。思っていたよりもずっしりと重くて、存在感がある。

 

「卒業式はそれをつけて参加するように。これから頑張れよ」

 

 じわりじわりと目頭が熱くなった。

 決して感動してるわけじゃない。これからはなけなしの親の庇護も完全に無くなって、辛く苦しい奴隷生活が待ってるんだと思うと……しくしくしく。

 

 木ノ葉マークが刻まれた額当てを指でずらして目元を覆い隠す。

 その場で俯いた俺に、試験官が「お前も人間だったんだなあ」なんて言いながらバシバシと背中を叩いてくる。……俺は生まれてからこれまで、人間以外の生き物になった覚えはないんだけどな?

 

 

 

「卒業試験合格おめでとう! スバル兄さんっ」

 

 帰宅した俺が玄関の扉を開けると同時に、イタチが胸に飛び込んできた。

 

 ぽかんと間抜け顔のまま思考が停止する。それでも両腕はしっかりとイタチを抱きとめていたので自分で自分を褒めたい。ノーベルファインプレーで賞。

 

「……あ、あのね。結果を誰かに聞いたわけじゃないんだけど、兄さんなら絶対に合格してるだろうなって。そうだよね?」

 

 控えめに言って俺の弟は天使だった。控えなかったら神。合格しててよかった……!

 

 はにかんだイタチの笑顔が眩しすぎて灰になりそう。母さん譲りのピュアスマイルだ。豆腐屋のお婆さんや俺みたいなアンデッドタイプは直視すると死ぬ。

 

 感情が大渋滞を起こして上手く反応できなかったせいか、イタチの目が不安げに揺れている。

 しまった、心の中で幸福を噛み締めてる場合じゃなかった。

 俺は急いでこくこくと頷き、調子に乗ってイタチの頬にキスをした。ラブ・イタチ! 卒業後の憂鬱が一瞬で吹き飛んだよ。

 

「…………兄さんって、急にこういうことするよね」

「!?」

 

 頬を押さえながら、イタチが不服そうな顔をする。まさか、嫌だった? これ以上の思考は新たなる鬱ルートが開拓されそうだったのでプツンと遮断する。

 俺の心配とは裏腹に、イタチはくすくすと笑った。

 

「ふふ……兄さんって、分かりにくいけど分かりやすいんだね。オレにもやっと見分けがつくようになったよ」

「…………」

 

 イタチは一体何の話をしているんでしょうか。

 

「ほら、今日は庭でオレの変わり身の術を見てくれる約束だったでしょ。早く行こうよ」

 

 ぐいぐいと服の裾を引っ張ってくるイタチに苦笑して、大人しく誘導されることにした。

 

 期待してくれているイタチには大変申し訳ないことに、俺の変わり身の術の失敗回数は三桁を超えている。むしろ成功したの何回だっけ……。

 

 

 

「がんばって、スバル兄さん!」

 

 おかしいなあ、おかしさしかないなあ。イタチの修行に付き合っていたはずが、なぜか俺の修行に切り替わっていた。どういうことだってばさ。

 

「今だよ!」

 

 イタチの合図と同時に、近くにあった盆栽と自分の体を入れ替える。元々俺の体があった位置に飛ばされた盆栽が、イタチの投げた手裏剣によって蜂の巣になった。

 

 ……どれも急所に当たってるんだけど。しかもこれ、よく見たら父さんが毎日愛情込めて世話してる盆栽シリーズじゃん。一つ一つに名前まで付けてた気がする。

 俺が足場にしていた盆栽台がガラガラと音を立てて崩れた。

 

「すごい! 兄さん、本当に変わり身の術が苦手だったの?」

「…………」

 

 一度理論を教えただけで変わり身の術を一発で成功させたイタチに《おれよりうまい》と褒めたのが悲劇の始まりだった。

 

「兄さんが苦手ならオレが手伝ってあげる!」

 

 そのありがたい提案を脳死で受け入れたのが運の尽き。父さんの遺伝子を立派に受け継いでいたらしいイタチは、なかなかにスパルタだった。というか、手裏剣を投げる寸前の目つきがマジだった。

 

 命がけの修行に俺のコンディションも最高潮に達し、イタチの全ての攻撃を変わり身の術で躱した結果こうなってしまったわけだ。この調子だと愛する弟の手にかかって死ぬという俺の将来の夢は簡単に叶いそうだなあ。

 

「……これは、何事だ」

 

 唖然とした声が耳を打つ。父さんの声だ。くるりと振り返る。

 縁側に立っていた父さんが俺とイタチを交互に見比べて、最後に悲惨なことになっている盆栽たちに向いた。

 あちゃー。父さんが帰ってくるまでに証拠隠滅しようと思ってたのに。

 

「あ…………」

 

 ようやくイタチもこの事態に気がついたらしい。うん、ちょっとはしゃぎすぎちゃったね。

 

「オレの……盆栽、が」

「……父さん?」

 

 父さんの目がちょっと赤かった。泣いてるわけじゃなくて、まさかの写輪眼になる寸前だった。

 さすが愛情深いうちは一族の当主、盆栽ですら愛の喪失対象とは恐れ入った!

 

「…………はぁ」

 

 父さんは深いため息をついて、手のひらで目元を隠す。そして気持ちを切り替えるように無理のある笑みを浮かべた。それは思いっきり引き攣っていて見てるこっちが気まずい。

 

「そろそろ母さんが帰ってくる。……今日は大事な話があるから、早く手を洗って居間に来なさい」

「大事な話……また、戦争がはじまるの?」

 

 悲しげに目を伏せたイタチの頭を父さんが撫でた。

 

「戦争なんてそう何度も起こるものじゃないから心配するな。……母さんが明日から数日間ほど検査入院することになった。でも悪い知らせじゃない。詳細は後で話す」

「母さんが……? 大丈夫なの?」

「ああ」

 

 二人の会話を聞いていた俺にはピンとくるものがあった。

 そういえば、ダンゾウによる不法侵入奴隷契約押し売り事件があった時も、父さんと母さんは木ノ葉病院に行っていたような。

 

 俺から送られてくる熱烈な視線に気づいた父さんが、ぎくりと身動いだ。失礼な反応だな!

 

「……そうだな、スバル。お前にとっても喜ばしい知らせだろう」

 

 最後に「……喜んでる、で合ってるな?」と恐る恐る付け加えた父さん。本当に失礼だ。

 俺はイタチの手を握って急いで洗面所へと向かった。

 そわそわしてしょうがない。まさか、こんな日が一度ならず二度も来るなんて!

 

 男の子かな、女の子かな。どちらでも嬉しいな。

 

 死にかけの表情筋がゆるゆると緩むのを感じる。ああ、母さん。早く帰ってきて!

 

 

 

 卒業式を明日に控え、アカデミーでの最後の授業を無事に終えた俺は、セキに誘われてラーメン一楽でチャーシュー丼を食べていた。

 ここのチャーシューはマジで美味い。ラーメンも勿論好きだけど、今日は米の気分だったからこっちにした。セキはなぜか唐揚げ単品を注文して夢中で食べている。……美味しいけど、ラーメン屋でメインとして食べるのはちょっと違う気がする。

 

「ダンゾウという男には気をつけた方がいい」

 

 ぽろりと、たった今口に運ぼうとしていたチャーシューが丼の上に落ちた。

 

「心配してくれてるの? こんなところで上層部の悪口を言ったら、僕に何かあるかもしれないって」

 

 そりゃあね。この時間は比較的客足がまばらなものの、木ノ葉で一番美味いラーメン屋として有名なだけあって回転率は良く、店内はそれなりに繁盛している。どこに上層部信者が紛れ込んでるか分かったもんじゃない。セキは俺の唯一の友達だし、心配だってする。

 

「……ありがとう。でも大丈夫だよ。僕の血継限界は貴重だし、奪おうとして奪えるものじゃないからね。上層部とはいえ簡単に手出しはできない」

 

 覚方一族の透視能力は脳が媒体になっているらしく、その能力を奪うためには自分の脳と彼の脳を総入れ替えしなきゃいけないって聞いたことがある。

 しかも、その手の高度な移植手術を成功させられるのはほんの一握りの医療忍者だけだ。そんなリスクを負うぐらいならセキ本人を懐柔した方が早い。もしくは、俺たちの写輪眼とかで――

 

「そうだね。幻術返しは得意だけど、君の目に操られたら降参だ。大人しく従うよ」

 

 セキは楽しげに笑った。今の会話のどこに笑うポイントがあったのか分からない。こっちは本気で心配してんのに。

 小さくため息を吐くと、いつの間にか唐揚げを食べ終わっていたセキがニヤニヤとこちらを見ていた。

 

「長かったなあ、スバルが僕に心を開いてくれるまで。一年もかかるとは思わなかった」

 

 はいはい。俺だって家族以外の人間と仲良くなれるとは思ってなかったよ。セキは本当に変わってる。

 

「それで、話を元に戻すけど。ダンゾウには本当に気をつけた方がいい。あの男は里のためなら……いや、自分の野望の為ならどんな卑劣な手段を使うことだって厭わない。悪魔みたいな男だよ」

 

 なかなかに酷い言われようだった。擁護しようがないのもなんだか切なくなってくる。

 

「……おそらく、僕の作ったお面はスバルの元に渡ると思う」

 

 なんのことだと首を傾げる。

 

「以前からダンゾウに頼まれていた物なんだ。僕の透視能力を組み込んだ装置を発動させて……面から直接言葉を紡ぐことができる」

 

 もう一度口に運ぼうとしていたチャーシューが再び真っ白な米の上に落ちた。ええ……なんだその、全俺に需要たっぷりな便利グッズは。全力で貰い受けたい。

 

「声質で敵に正体がバレないようにとは言っていたけど、本来は他国の忍を捕まえて情報を吐かせる為に使うのかと思っていたんだ。……でも、君が根に所属すると聞いて…………」

 

 セキの声はどんどん尻すぼみになっていき、ついには気まずい沈黙が流れた。

 

 ええと、つまり。どういうことだ。

 

 ダンゾウは俺に何を期待しているんだろう。セキの懸念が当たっているとしたら、ますます彼の考えが読めない。俺一人のためだけに、セキの協力を仰いでまでそんなお面を作らせたっていうのか?

 

「…………ごめん」

 

 やっと胸の奥底から絞り出したような謝罪がセキの口から溢れた。まったく予想してなかった反応なだけに、今度は口からご飯粒がぽろぽろと落ちる。ごめん、流石にこれは汚いね。

 

「僕があんなものを完成させなければ、ダンゾウは君が根に入ることを諦めたかもしれないのに」

 

 つう、と一筋の涙がセキの頬を伝った。

 な、泣いてる……? なんで、どうして、こんなことで?

 

 これまでの人生、目の前で泣かれたことがあるとすればイタチくらいだし、そもそも自分の泣き顔すら見たことがない。啜り泣いていた時に鏡でよく見ておけば良かった。いや、そんなこと言ってる場合じゃなくて。

 

 万年ぼっちな俺が泣いてる同級生の慰め方なんて知ってるはずもなく。困惑している間にセキの瞳は大洪水に見舞われていた。

 あっ、ちょっ、ダムを、心のダムを堰き止めてもらっていいですか!?

 

 ぐいっと強引に腕で涙を拭ったセキが悔しげに言った。

 

「……涙を見せても動揺すらしてくれないなんて、僕たちの関係はまだまだってことか」

「…………」

 

 それはもう、めちゃくちゃに取り乱しましたとも。

 

 

 

 セキと別れた後、俺はその足で木ノ葉病院に向かった。施設中に消毒液や薬の独特の匂いが漂っていてなんだか落ち着く。受付で面会の手続きを済ませ、教えてもらった病室に入った。

 

「兄さん!」

 

 駆け寄ってきたイタチを流れるような動作で抱っこして、後ろ手で扉を閉める。すりすりと俺の首に頭を押し付けてくるのがとんでもなく可愛い。はあ、癒される。

 

《さきに きてたんだな》

「うん。修行が予定より早く終わったから、父さんが行ってきていいって」

 

 俺と違ってあらゆる忍術や幻術をほぼ一発で成功させるイタチの修行は、それはそれはスムーズに進んでいることだろう。父さんの誇らしげな顔が頭に浮かぶ。

 俺の時にだいぶ苦労したせいか、イタチが術を成功させるたびに大喜びするんだよあの人。気持ちは分かるけど。一時期「オレの教え方がそんなに悪いのか……?」って本気で落ち込んでたもんね。

 

「いらっしゃい、スバル」

 

 個室らしく、一つしかないベッドに座っている母さんの顔色は悪くなさそうだった。妊娠初期に入院だなんて心配してたけど、元気そうで良かった。

 

「管理入院だから明日の夕方には退院できると思うわ」

 

 なんでも、切迫流産のリスクがあるらしい。動いても大丈夫らしいが、あまり部屋からは出られないんだとか。

 

「卒業式には間に合わなくてごめんなさいね」

 

 母さんが申し訳なさそうに眉を下げる。俺はふるふると首を横に振った。母さんには自分のためにもお腹の子のためにも、安静にしていてほしい。

 

「オレが父さんと一緒に行くからね、スバル兄さん」

 

 心強いイタチの言葉に頬が緩む。俺は世界一幸せなお兄ちゃんだ。

 

「一人暮らしに必要なものはまとめてあるから、そのまま持っていけるはずよ」

 

 母さんの言葉はありがたかったが、忘れようとしていた事実を突きつけられて鬱が加速した。

 

 そう、そうなんだよ。明日から根が管理してるアパートで一人暮らしなんだよなあ、俺。一人暮らしというか、寝る場所以外は共同で使う部屋が多くて、ほぼシェアハウス状態らしい。つまり四方八方を暗部に囲まれながら暮らすわけだ。寝首を掻かれないように気をつけよう。

 

「……たくさん帰ってきてくれる?」

 

 たくさんどころか毎日実家に帰りたい。切実な叫びを心の奥に仕舞い込んで、イタチの頭を撫でた。もちろん、と答えられないのは俺も辛いけど。

 

《どりょくする》

 

 今はこれで精一杯。暗部がどれだけ多忙かはイタチもなんとなく分かってるはずだ。

 

「スバルならきっと大丈夫。イタチに会うためなら週一で帰ってこれるわよね?」

「!?」

 

 さらっと無理難題を押し付けられてると思ったら、母さんは満面の笑みだった。俺がイタチの前だと断れないって分かっててやってるな!

 

「本当? それじゃあ、毎週体術の修行に付き合ってね!」

 

 いやいやいや?

 

 一緒に遊ぶとかじゃなくて修行ってところがイタチらしいけど、そういうことじゃなくて!

 

 二人分のキラキラとした眩しい笑みを全身で受けてしまった俺には、もはや為す術はなかった。

 

《まいつき、なら》

 

 死ぬ気で任務を終わらせよう。もしダメだったらダンゾウを脅してでも家に帰る。そうしよう。

 

 

 

「本日の卒業式は本来、桜が舞う春に行われる予定でした。それほどまでに大戦によって受けた傷は深く、木ノ葉隠れの里に重たい影を落としてしまっています。私たちは今日から忍として……」

 

 ふわぁ、と欠伸をすると隣に立っていた子が迷惑そうにこちらを見た。ごめんなさい。

 

 卒業生代表のなんとかさんが答辞を読み終わる。長ったらしい名前だったから覚えられなかった。でも顔は何度か見かけたことがある。俺のような異例(戦後の人手不足)に異例(ダンゾウによるラブコール)が重なってしまったパターンを除けば、アカデミーを最年少で卒業するほど優秀な人だった。確か、九歳だったはず。

 

 第二次忍界大戦前後は一瞬で入学して一瞬で卒業とかいうふざけたパターンが多かったらしいので、勿論これも除外する。あの世代はバケモノが多いって婆ちゃんが言ってた。婆ちゃん、俺が生まれる前に死んでるけど。

 

 卒業式は例年通りであれば暖かい春に行われる予定だったが、こんなクソ寒い冬真っ只中で行われることになってしまった。いい加減凍りそう。せめて教室内でやってくれと言いたい。後ろで聞いてるイタチが風邪ひいたらどうしてくれるんだ。

 

 卒業生代表の答辞から数人の教師陣の挨拶を経て、ついに三代目火影が壇上に上がった。そういえば、そろそろ三代目が引退するって噂は本当なんだろうか。

 

「卒業生の諸君、卒業おめでとう。これからは木ノ葉の一人前の忍としての自覚を持ち、頑張ってもらいたい」

 

 入学式と同じように、三代目のありがたい言葉が俺の心に届くことはなかった。あれほど入学したくなかったアカデミーも、今となっては卒業が名残惜しい。社畜ダメ、ゼッタイ!

 

 

 

 桜の代わりにちらほらと雪が降る中、悴む両手を擦り合わせながら校舎を後にした。

 もうここにくることはないだろう。暗部入りの件がなくても、ちょっと寂しいかもしれない。

 

 イタチや父さんとは卒業式の直後にいくつか言葉を交わしたきりだった。一緒に家に帰りたかったけど、俺には行かなければならない場所がある。

 

 暗部としてこれから何度もお世話になるであろう、装備品たちを受け取りに行く必要がある。正直、イタチとの帰宅と比べたら重要度は低い。

 

 そう思いつつも足は真っ直ぐに暗部専用の更衣室や装備部が一緒になった建物に向かって進んでいて、ため息が止まらない。あーあ。この身に染み付いた真面目ちゃんはそう易々と消えてくれそうにないな。

 

 

 

「こちらがアナタの装備一式です」

 

 ありがとうという気持ちを込めて軽く会釈する。火影直属だろうとダンゾウ直属だろうと、お世話になる装備部だけは同じらしい。

 ありがたく装備を受け取り、同じ階にある更衣室のドアノブを捻る。まだ俺が住むアパートの契約が済んでいないこともあり、今日だけは着替えもここで済まさなきゃいけないらしい。

 

 更衣室に入った途端、こちらを射抜くような鋭い視線がいくつも飛んできた。その中心人物だと思われる一人の男が、ずいっと俺の前に立ちはだかる。

 

「うちはスバルか」

 

 はい、そうです。

 

「……左奥が空いている。今日はそこを使え」

 

 それはどうもありがとうございます!

 

 まるで俺の心が通じているかのような完璧な流れだった。心が浮き足立ったまま声をかけてくれた男の前を通り過ぎようとしたら、盛大に舌打ちされてしまった。

 

「チッ、すました顔しやがって。無視かよ」

 

 ですよね。いつものパターンだって知ってた!

 

 どこにいっても俺の顔って不評だ。そんなにムカつく顔してるかなあ。普通に父さん似だと思うんだけど。つまり、父さんの顔も一般的にはムカつく部類ってことでファイナルアンサー?

 

 指定された左奥のロッカーを開ける。まずは着ていた服を脱いでハンガーに吊るし、暗部の忍装束に袖を通した。

 ここにいる暗部の人とはデザインが僅かに違っている。……そういえば、俺のスリーサイズはどこでバレたんだろう。誰にも言ったことないし測らせたこともないのにピッタリで怖い。

 

 ま、まさか……! ダ…………俺の思考はここで途切れた。

 

 とりあえず、不法侵入奴隷契約押し売り勝手にスリーサイズ把握野郎のことは一旦忘れることにしよう。いや、今から会いに行かなくちゃいけないからすぐに思い出すことになるんだけど。鬱。

 

 背中に刀を差して最後に猫をモチーフにしたお面を被る。よし、これで準備完了!

 

「おい、待てよ」

 

 これからダンゾウの所もとい戦地に赴こうとしていた俺の肩を強引に掴む手のひらがあった。先ほど俺に声を掛けてくれた男のものだ。

 

「暗部の先輩に対してその態度はないだろ。喋れないってんなら、土下座してでも誠意を示せよ」

 

 男と、彼の背後に立っている暗部の忍たちが一斉に笑い声を上げた。

 ええ……。なんか、俺ってこういう無茶振りを受ける率高くない?

 

 ひっそりと苛ついたのと同時に、被ったお面の内側が触れている額に、ビリッと静電気が走った時のような痛みが生じた。

 

「それで、土下座はまだ……」

『やだなあ、先輩! 勿論嫌に決まってるじゃないスか〜!』

 

 一瞬でその場の空気が凍りついた。俺もわけが分からなかった。この状況にそぐわない底抜けに明るい声が聞こえた気がする。……もしかしなくても、俺のお面から。

 肩を鷲掴みにしていた男の手を出来るだけ丁寧に振り解いて、逆にぽんっと相手の肩に手を置いた。

 

『代わりに先輩が土下座する?』

 

 首を傾げながら、被っていたお面を外す。やっぱりこれ、このお面から出てる声だ。外した途端に静電気みたいな痛みも無くなっている。セキお手製の貴重なお面が、本当に俺の手に渡るなんて。

 

 俺と目が合った男の顔は恐怖に歪んでいた。

 

「すっ、するわけねーだろ! 着替え終わったならさっさと出ていけよっ!」

 

 とっくに着替え終わってたくせに新人いびりに熱心だった先輩がそれを言っちゃうのか。

 

 今お面を付け直したら一体何を口走るか分かったもんじゃない。俺はモヤモヤとする心に蓋をして、お面を手に持ったまま更衣室を出た。

 やっぱりあともう一言、いや三言くらいは返しておけば良かったかもしれない。

 

 

 

 里の裏門近くにひっそりと建てられた資料庫の重い扉を開いて、足を踏み入れる。まだ夕方ですらないっていうのに、光を取り入れる窓が極端に少ないせいで辺りは薄暗く、湿気でジメジメとしている。

 

 何かの儀式のように通路の隅に等間隔で置かれた蝋燭の灯りを見つめた。俺、このまま怪しげな黒魔術の生贄にされちゃったりしないよね?

 

 表向きは資料室、実際はダンゾウの居室という最悪の極みなこの屋敷は、裏門近くというより火影岩のほぼ真下に建てられていた。

 火影でもないのにこんなところに屋敷を構えてる時点でダンゾウの野望が嫌というくらい滲み出ている。本来火影に近いのはこのオレなんだぞって言わんばかりだ。メンタル強靭すぎだって。

 

 屋敷の最奥、一際光を放っている部屋の前で立ちどまる。息を吸って〜吐いて〜。よし、精神統一ばっちり。いけるいける!

 

 意を決して障子を開ける。机を挟んだ向かい側に座っているダンゾウの姿を視認した瞬間、整えたはずの精神が乱れた。

 

「これで、正式にお前は暗部……根の一員だ」

 

 薄く笑っているダンゾウにひくっと口端が歪みそうになるのを必死に我慢して首を垂れる。我慢しろ俺、イタチの為だ!

 

「暗部の面はどうした。装備部で受け取っただろう」

「…………」

 

 やっぱり付けなくちゃいけないのか……? 仕方なく懐に仕舞っていた猫のお面を被る。後悔しても知らないからな。

 

「その面は、話せないお前のためにワシが覚方セキに作らせたものだ。感想を聞かせてくれ」

 

 ビリッとまたあの静電気のような痛みが額に流れた。あっ、マズい。

 

『それより俺のスリーサイズはどうやって把握したんですか? まさか舐め回すように俺のこと、見てたんですか?』

「………………」

 

 あのダンゾウが黙った。根の創設者なだけあって、その表情はまったく動かない。そのプロ根性だけは認めてやってもいい。

 

『失礼しました。舐め回すまではしてないですよね。一度見ただけで把握しちゃう特殊能力持ちで?』

「……どうやら、その面には不具合が残っていたようだな」

 

 表情には出てないけど全身で怒ってますアピールをされた。いや、ごめんて。反省してるのでその物騒なチャクラは仕舞ってください!

 

 拝啓、セキくん。このお面、あまりに性能がキレッキレすぎて俺の命が危ないです。

 

 

 

 ダンゾウに半ギレされたり、後から合流した男(確かモズって名前のヤツだ)にドン引きされたり、記念すべき暗部初日は不満だらけで幕を閉じようとしていた。

 しかも、俺の所属する隊の隊長は他でもないモズだという死刑宣告まで受けてしまった。今からでも遅くない。俺の暗部入りを白紙に戻してくれ!

 

 俺とモズはダンゾウの屋敷の外で暗部入隊に関する最終確認を行っていた。何で外かというと、すっかり不機嫌になってしまったダンゾウに追い出されたからだ。

 

「明日からは根の管理するアパートに移ってもらう。任務内容は当日に知らせるから、今日は実家に帰って休むといい」

『あの、質問があるんですが』

「ダメだ。その面をつけている間は無駄口は慎め」

 

 にべもなく断られる。いつから俺の質問は無駄口認定されたんでしょうか。

 

『俺の忍服のサイズを指定したのってダンゾウ様じゃなくてモズ隊長だったんですか?』

「……待て、聞いてなかったのか。なに平然と質問してるんだ」

『俺の質問が無駄かどうかは俺が決めるんで』

「オレが決めるんだよ!?」

 

 勢いのあるツッコミに拍手を送りたくなった。すげえ、暗部の人間ってこういうところまでエリートなんだな。っていうかこの人、家で会った時と雰囲気違いすぎない?

 

『それで、どうなんです?』

「お前のそのどうでもいいことへの執念は何なんだよ……忍服はオレの担当だけどそれが何か?」

『ああ……隊長がショタコンでも、俺、その、大丈夫です! 偏見たっぷりなんで!』

「はぁ!?」

 

 ダンゾウごめん。冤罪だったわ。真犯人みっけ!

 

 モズがゴキブリを見るかのような目でこちらを見た。

 

「……マジで不具合だらけだなその面。お前のその顔で言ってんのかと思うと寒気がする」

『…………』

 

 これには面を装着した俺もだんまりしてしまった。これ、不具合どころかまんま俺の心の声を反映しちゃってるんですけど……。

 

「いいか、明日の任務が終わったら覚方に面の修理を申請する。それまで、お前は聞かれたこと以外は喋るなよ。当然だが無駄かどうかを判断するのはこのオレだ」

『恐怖政治ってやつですね』

「そういうのをヤメロって言ってんの!」

 

 ガチギレされた。どうどう。イライラするのは良くない。平和主義を具現化したような俺の振る舞いを見習ってくれ。モズは眉間にぐっと力を入れて腕を組んだ。

 

「暗部の世界は今までお前がいた表の世界ほど優しくない。口が軽いやつから消されていく。例えば、アカデミーで軽率に根の存在を口にした教師とかな」

 

 絶句。そういえばあの先生、次の日から姿を見かけなかった気がする。

 

「あの男は根から送り込まれたアカデミーの監視役だったが、もう根にも、木ノ葉の里にもいない。この意味が分かるよな?」

 

 ――あのダンゾウ様が直々にお前を指名したそうだ。

 

 あの時、俺にだけ聞こえるようにそう言っていた。何で今まで気づかなかったんだろう。あんなの、明らかに根の人間の発言じゃないか!

 

『大丈夫です。俺、口だけは硬いんで』

「オレもそう思っていたが、その面のせいで全く信用できなくなったよ」

 

 さっきからセキが作ってくれた面に対して失礼なヤツだな。信用って話題ならそれ、特大ブーメランだって知ってる? 初対面で非合法な契約書類にサインさせようとしたの忘れてないんですけど。

 

 

 

「スバル兄さん! おかえりなさい!」

 

 着替えるのが面倒で暗部の服そのままで帰宅した。いつものように俺に抱きつこうとしていたイタチの動きがぴたりと止まる。物珍しそうに上から下まで俺の格好を確認してるのが、たまらなく可愛い。

 

 そうだよな。いつも着てるうちは一族の服って背中にうちわのマークがある以外はとにかくシンプルなデザインだし。こうやって腕全体が露出するタイプの服を着るのも初めてかもしれない。

 

「これ、痛くないの?」

 

 服に関して突っ込まれるかと思いきや、イタチが指差したのは俺の左腕の刺青だった。彫りたてほやほやである。そこそこ痛かったし、そんなに時間も経ってないから赤く腫れている。

 

《もう だいじょうぶだ》

「そっか……あっ、母さんが兄さんの大好物をたくさん作ってくれてるんだよ! 早く食べよう」

 

 いつもの癖で指文字を使ってから、お面をつければよかったと後悔した。

 

 でもあの面で会話した人間全員から不評だったしやめといた方がいいのかな。イタチに「寒気がする」なんて言われちゃった日には立ち直れない。そもそも正体を隠す目的のお面を家族の前で付けちゃダメなんだろうけど。

 それに、思ったよりチャクラ消費が激しい。モズの言葉に従うようで面白くないが、任務中に喋りすぎると命取りになりそうだ。

 

「おかえりなさい、スバル。ちゃんと手は洗ったわね? すぐにご飯温め直すから」

 

 母さんの言葉にこくりと頷いて席についた。時刻は午後九時。みんなとっくに晩ごはんは済ませているはずなのに、テーブルの上には二人分のお皿が用意されている。

 不思議に思っていると、コーンスープを持ってきてくれた母さんがにこりと笑った。

 

「イタチがどうしてもスバルと一緒に食べたいって待ってたの」

「……母さん!」

「ふふふ、秘密だったかしら。ごめんなさいね」

 

 むう、と頬を膨らませたイタチ。どうやら内緒にしたかったらしい。可愛い。

 イタチの頬の風船を指で潰すと、すぐに膨らみが復活した。もう一度ぷすっとすれば今度は逆側が膨らんだ。エンドレス。人類のDNAの螺旋構造にイタチの頬風船潰しを組み込んでほしい。

 

《とうさんは?》

「自室にいるはずよ。……目を通したい資料があるって」

 

 湯気が出ているコーンスープをスプーンで掬って口に運ぶ。

 

 今に始まったことじゃないけど、父さんは熱心な木ノ葉上層部アンチだ。俺の暗部入りに色々と思うところがあったらしく、入隊が決まったその日から自室に篭って情報集めに奔走しているらしい。

 

 うちはのトップである父さんを中心に、反社会組織もどきが完成しつつあることも知っている。木ノ葉がうちはに対してそれとなく距離を取った政策を取るたびに一族の敷地内にある神社にコソコソと集まるからバレバレだ。少なくとも俺には。

 

「アナタも下忍になったから、これからはお父さんのお手伝いもしてあげてね」

 

 母さんに対しては基本的にはイエスマンな俺も素直に頷けなかった。イタチのいる前でするべき会話じゃない。母さんも察したのか、これ以上話を続けようとはしなかった。

 

 空気を読んで俺と母さんの会話を見守っているイタチの頭を撫でる。母さんが寂しげに呟いた。

 

「……いつでも、ご飯を食べるだけでも帰ってきていいのよ。ここはアナタの家なんだから」

《うん》

 

 最後のスープを飲み干す。イタチの言葉通り、俺の好物ばかりが並ぶ食卓だった。

 次に母さんの手料理を食べられるのはいつだろう。そんなこと言われちゃったら毎日食べに帰っちゃいそうだ。

 

《ごちそうさま》

 

 しっかりと両手を合わせてから指文字を綴る。母さんが嬉しそうに微笑んだ。

 

「ごちそうさま!」

 

 イタチも元気に両手を合わせた。立ち上がって食器を集めようとすると母さんに制された。

 

「私がやっておくから、部屋でイタチとのんびりしてきなさい」

 

 采配が神すぎる。キラキラとした目でこちらを見上げてくるイタチに、俺たちの心は一つになった。

 

 一先ず一緒に風呂に入り、今日はイタチの部屋に二人分の布団を敷く。そう、俺たちの夜はまだまだこれからだっ!!

 



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飛翔編
第五話 前途多難な一日目


 幸せはいつだって儚いものだ。

 

 ほんの数時間まではイタチと同じ布団でぬくぬくと過ごしていたっていうのに、今では仏頂面の上司と二人きりでかくれんぼ中である。

 コロシテ……コロシテ……俺の命はこれ以上輝けない。

 

「奈良シカク達が岩隠れとの国境に辿り着く前に、オレ達で先回りする。岩の連中が怪しい動きをしていないか注視しておけ」

『はい』

「オレがお前に求めることはただ一つ。任務に無関係な行動と発言をしないことだ」

 

 ここに来るまで耳にタコができるくらい聞かされたモズの言葉に神妙な顔をして頷く。お面のせいで表情見えないだろうけど。

 考えるんじゃない……感じろ!

 

 俺の記念すべき根での初任務は、平和条約締結について記された巻物を岩隠れの忍に受け渡すスリーマンセルをこっそりとストーキングすることだった。

 しかもこれ、上忍三人の護衛が目的らしい。これさあ、どう考えても俺が護衛される側だと思うわけよ。その辺りのことをモズに伝えると「ふざけるなよお前」って言われた。辛辣すぎる。

 

「彼らも暗部が護衛についていることは知らされているが、存在を気取られないように気をつけてくれ」

 

 モズ曰く、味方に悟られるような甘い気配の消し方じゃ敵にもバレてると思えってことらしい。なるほどね。さらっと無理難題を押し付けてくるじゃん。

 

『俺って存在感の塊なんで、気配消すの苦手なんですよね』

「お前のその無駄な自己肯定感はどこで身につけてきたんだよ」

 

 強いて言うなら母さんのお腹の中でかな。つまり心当たりがない。これ以上会話を続けるとモズの血管がプチッといきそうだったので、賢明な俺は黙ることにした。

 

 俺とモズは順調に岩との合流地点を目指して進んでいる木ノ葉の上忍達と一定の距離を保ちながら、あえて正規ルートを外れて遠回りしながら走り続けた。

 

 お分かりいただけただろうか。

 

 下忍人生一日目な俺が、上忍三人に存在がバレないように神経をすり減らしつつ、体力オバケな彼らに置いていかれないどころか最後は先回りしなくてはいけないという無理ゲー感。

 こんなの普通のうちは一族なら己の無力さを嘆いて写輪眼開眼してる。俺でなきゃ闇堕ち案件。

 

 まあ俺が闇堕ちするとしたら、イタチかこれから生まれてくる弟か妹に何かあった時くらいだから大丈夫だろう。俺は弟と妹の為なら躊躇なく命を捨てられるっていう確信がある。よって彼らが死ぬ時は、俺も死んでる。つまり闇堕ちはしてない。ヨシ!

 

「右足着地点、やや左下」

 

 走りながら顔だけでこちらを振り向いたモズが早口で言う。頭で意味を理解するより咄嗟に身体が動いた。ロープ付きの手裏剣を頭上の木の枝めがけて投げる。たった今地面に右足をつけるところだった俺の身体はぐんっと上に引っ張られて、枝の軋む音が耳元で聞こえた。

 

「よく反応したな」

 

 引き返してきたモズが感心したような顔をして、木の枝にぶら下がっている俺を見上げる。素直に褒められると嬉しい。

 

「ブービートラップだ」

 

 俺が踏みそうになった場所に顔を近づけたモズが淡々と口にする。俺は掴んでいたロープから手を離して、モズの隣に着地した。

 

『……地雷』

「だろうな。不自然に土が盛り上がってる」

 

 走るのに夢中でまったく気づかなかった。よく見れば土の色が一部分だけ不自然に変わっている。ふう、と隣から重いため息が聞こえてきた。

 

「これが岩隠れの忍のものだとしたら……マズイな。あいつら、木ノ葉(うち)とやり合うつもりかもしれない」

『それなら、上忍達が通る正規ルートに仕掛けるのでは?』

 

 ちょっと呆れたような顔をされ、ぱちりと目を瞬かせる。え? 俺なんか変なこと言った?

 

「彼らの足止めをしても岩の連中にメリットはないだろ。目的は巻物なんだから」

『……ああ』

 

 なるほど、確かにそうだ。せっかく向こうから巻物を持ってきてくれてるのに、国境に着く前に妨害するはずがないか。

 だとしたらなんでこんな場所に罠を仕掛けたんだ? 木ノ葉と岩に平和条約を結ばれると都合が悪い他国の陰謀とか?

 

「こういった場合に暗部が護衛に着くのはどの国でもよくあることだ。暗部が通るであろう非正規ルートに罠を仕掛けて本隊と分断し、本隊だけが国境に到着したところを叩いた方が効率がいい」

 

 まるで空には雲が流れているのよ、くらいの常識だとでもいうように語るモズ。やめてそういうの。モズ国では常識かもしれないけどスバル国では違うのよ。みんなちがって、みんないい。

 

「急ぐぞ」

『はい』

 

 木ノ葉でも有名な上忍たちのことだから心配いらないと思うけどなあ。だって、あの伝説のフォーメーション猪鹿蝶を持つ三人だぞ?

 

 

 

 モズの言葉通り、俺たちはこれまでの何倍のスピードでもって先回りを達成し、今は誰もいない国境付近に身を隠している。

 

 マジで死ぬかと思ったね。走ったまま死ぬってこういうことなんだなって。常にトラップの警戒までしてたから脳まで破裂しそうだったし。

 草むらの影に身を潜めているモズに、手頃な木に登って高い位置から周辺の様子を探る俺。完璧なコンビネーションだ。

 

 どれくらいそうしていただろうか。猪鹿蝶の三人が着くにはまだ少し早い時間なのは間違いない。俺のいる木の真下で、複数人の気配が揺らいでいた。

 

「木ノ葉の暗部は無事に足止めできたようだな」

 

 そのうちの一人が声を潜めながら、残りの二人の顔を見比べている。……これ、どっからどう見ても岩隠れの暗部じゃないですか?

 

 サッとモズのいるはずの草むらに目を向けると、そこには誰の姿も見当たらなかった。仕事が早い。あの位置だとすぐに見つかっちゃうもんな。

 

「B地点で木ノ葉の忍を確認したと連絡が入ってる。奈良シカクと山中いのいち、秋道チョウザのスリーマンセルだ」

「なかなかの手練れだぞ。やはり暗部と引き離しておいたのは正解だったな」

「だがこちらの本隊は中忍ばかりの急拵えチームだ。我らの介入のタイミングも重要になってくる。木ノ葉の暗部がいないとはいえ、油断はするな」

 

 木ノ葉の暗部の一人、君たちの真上にいるよ! 気づいて! 前提から間違ってるよ!

 

「条約なんて結ぶはずがないのに、火影ってのはどこまでも平和ボケしてるぜ」

「ハハッ、違いない」

 

 俺の真下に、周りに敵などいないと平和ボケしている岩隠れの暗部が三人。

 どうしよう。隊長であるモズの指示待ちをしたいところだが、彼が今どこにいるのか分からない。かといって、このまま岩の暗部を野放しにしておくのも非常によろしくない。

 なんて悶々と考えていたら、陽気に笑っていた三人のうちの一人が唐突に顔を上げた。えっ?

 

「そこにいるのは誰だ!?」

『…………』

 

 なんて最悪なタイミングで空を見上げちゃうんだ君は。ばっちり目が合ってしまった俺たちは恋に落ち……なかったけど、火花は散った。

 

「そのお面は木ノ葉の暗部!?」

「気をつけろ、上にいるぞ!」

 

 残念、もうそこにはいません。俺は音もなく木から降りて、素早く最初に目が合った男の背後に回り込んだ。

 

『おれ、メリーくん! 今ね…………』

「はっ!?」

『おまえの後ろにいるの!』

 

 ゴスッ! そこそこやばそうな音が出た。『後ろにいるの!』に合わせて目の前の男を蹴り飛ばしたおかげで視界がクリアになる。

 こちらをぽかんと見つめている岩の暗部二人とも目が合った。わあ、怖い顔。

 

『木ノ葉の暗部メリーくんです。対戦よろしくお願いします』

 

 なんとしてもシカクさん達が来るまでに片付けなきゃいけない。部下が死にかけてるってのに、モズの野郎はどこに消えたんだ。後で文句言われても聞かないからな!

 

「クソ!! 二人がかりで止めるぞ、絶対に逃すなっ!」

 

 にゅっとこちらに伸びてきた腕を体を逸らして避ける。続けざまにもう一人の足払いが飛んできて、内心泣きそうになりながら飛び上がる。

 防に全振りしたような攻防をひたすら繰り返し、ついにこちらの息が上がってきた。こっちはずっと一人なのにずるい。蹴り飛ばした一人目も脇腹を押さえながら参戦してくるし。

 

 なんとか三人からある程度の距離を取ったところで、両手で印を結ぶ。全身に覆ったチャクラが不安定になり、ぶるりと身体が震えた。やっぱりこれ、チャクラ消費量えぐいな。

 

 俺は高らかに叫んだ。

 

『秘技・底なし沼の術!』

 

 

 

 ***

 

 

 

 物心ついた頃には、すでにダンゾウ様の元で平坦とは無縁の日々を送っていた。

 それ以前の記憶はない。過去は捨てるようにと言われたから、誰にも見えない心の奥底に落とし込んで、ついには大人になってからも拾い上げるようなことはしなかった。

 

 オレはずっと“完璧”に憧れていた。オレの世界にたった一人存在している、ダンゾウ様が口にする完璧な人間というものに執着し、常にそうあろうと心に決めた。それは今でも変わっていない。

 

 己の中にある理想から一ミリのズレも生じさせず、あらゆる物事を運んでいきたい。共に戦う仲間達には時には煙たがられることもあったが、そんなことはどうでも良かった。

 

 いつの日か、オレはダンゾウ様のために命を散らすだろう。この完璧な忠誠心と共に。そんな自分が誇らしくもあった。

 

「…………」

 

 ――以上がほんの数日前の正確な心情だった。人間というものは一時の感情だけでなく信念すらも更新される生き物だとは知らなかった。

 

 一応念を押しておくが、オレの世界はダンゾウ様を中心に広がっていてとてつもなく狭かった。井の中の蛙とはまさにこのことだろう。オレは無知だった。

 

 まさか、たった一人の子どもに全てを無茶苦茶にされるとは。

 

 

 

『実力を考えたら、むしろ俺が彼らに護衛されるべきですよね?』

 

 お面のせいで表情は見えないものの、いつもと変わらない無表情でこのセリフを吐いてるんだと思うと頭痛は酷くなるばかりだ。

 オレは自分を計画的で慎重な男だと思っていたが、どうやら違ったらしい。少なくともオレの完璧な人生プランにクソガキのお守りは入っていなかった。

 

 こうも絶妙にこちらの神経を逆撫でされると、実はお面のせいではなく全部こいつの意思によるものなんじゃないかと思えてくる。むしろ七割くらいはそう思ってる。……しかし、あの温度を感じられない氷のような顔を思い出すたびに、流石にそれはないだろうと脳内の自分に一蹴されてしまうのだ。

 

 うちはスバルは確かに天才だった。こちらの思考を混濁させることに関しては他の追随を許さない。

 おかげでオレは連日寝不足だ。なんて悪夢のような男なんだろう。たとえこれがお面の初期不良による一時的な化学反応だったとしてもだ。

 

 自分がお面から発した言葉を自身も聞いているはずなのに、どうしてこうも冷静でいられる? こいつの不動の精神力は一体何なんだ?

 

 もしもオレがお面のせいであのような発言しかできなくなった暁には自害してる。この世に愚かな自分の痕跡など残していたくない。

 

 ……ダメだ。目の前の任務に集中しなくては。こんなに感情が乱れたのは初めてだ。

 

 しつこく付き纏ってくる無駄な思考から逃れるように走り続ける。大人しくついてきている部下の気配を感じながら、本日何度目か分からないため息を吐いた。

 

 

 道中で敵の小細工に足を取られたものの、予定から数分程度の遅れで目的地に到着した。

 

 隣で涼しげな顔をして立っているスバルを恨めしげに見つめる。汗をかいたせいか一時的にお面を外していた彼はすぐに付け直して『疲れましたね〜』と白々しく言った。

 しれっと嘘をつくな。下忍になったばかりの人間があのスピードについてこれただけでも異常だってのに。

 

 各々の配置について国境周辺を隈無く見渡す。オレは草むらに紛れ、スバルは木に登って高い位置から、いつこの状況が動くか警戒を続けた。

 

 事が起きたのは想定よりも早かった。複数人の気配が近づいてきている。それに気づいたのはオレだけじゃなかったようで、スバルも気配を感じる方角へと顔を向けた。

 

 スリーマンセルだ。その姿と発言からして十中八九岩隠れの暗部だと思われる。すでに草むらから少し離れた大きな岩陰に移動していたオレは、ホルスターから起爆札付きのクナイを取り出した。

 

 幸い、こちらの存在にはまったく気づかれていない。まずはこの起爆札で相手の注意を逸らしつつ、上手いこと彼らの真上にいるスバルと連携すれば…………はぁ?

 

「そこにいるのは誰だ!?」

 

 呆気なく敵に見つかったスバルに開いた口が塞がらない。おい、アイツ今わざと気配を外に漏らさなかったか?

 

 待ってましたと言わんばかりに、声を上げた男の背後に回り込んだスバル。彼の蹴りを受けた男が、オレが身を隠している岩に激突してよろめいている。

 

 ちょっと待て。まさかアイツ、オレがここにいることを分かった上でやってるんじゃ……。

 その場に残った岩の忍二人と対峙するスバルは、どことなく楽しそうだった。ふざけやがって。

 

『木ノ葉の暗部メリーくんです。対戦よろしくお願いします!』

 

 スバルの軽快な声と動きに岩の忍たちが翻弄されている。岩の忍側の攻撃は全て当たる寸前に躱され、彼らの表情に焦りが見えだした。焦り半分、苛立ち半分と言うべきか。

 誰だって碌な反撃もされずにひたすら攻撃を回避され続けたら冷静でいられなくなるだろう。

 

 っていうか、堂々と木ノ葉の暗部ってバラすのやめろよ! 向こうも分かってるとは思うが自分の所属を大っぴらにするんじゃない!

 

「土遁・土流壁!」

 

 最初に蹴り飛ばされた岩の忍がスバル達の間に割って入り、彼らを分断するように障壁を作り上げる。体勢を立て直すつもりのようだ。しかし、その目論見はあっという間に崩される。

 

『木ノ葉・君の心にダイレクトアタック!』

 

 右の拳にチャクラを集中させたスバルが、力一杯障壁を殴りつけた。そう、ただのパンチだ。

 

 …………今のは技名、なのか? どうか聞き間違いであってくれ。

 

 ただのパンチによって一瞬で崩れ去った壁に、岩の忍だけでなくオレもあんぐりと開いた口が塞がらなかった。そんなのアリかよ。おかしいだろ。チャクラを帯びた強固な岩の壁だぞ。

 

「ええ…………」

 

 あまりにも理不尽な状況に言語能力を喪失する岩の忍たち。飛び散った瓦礫に紛れてスバルが投げた手裏剣が飛んでいく。すぐに正気に戻った岩の連中は、避けたり弾いたりして防いでいた。

 

 そこからはまた、スバル側の防戦が始まる。三対一という不利な状況に置かれているとはいえ、奇妙なくらい反撃の手数が少ない。

 

 やっぱりこいつ、遊んでやがる。

 

 忍界大戦で彼が父親であるうちはフガクにも指摘されていたことを思い出す。とことん趣味が悪いヤツだ。暗部どころか忍にすら向いてない。

 ダンゾウ様はどうしてこんな問題児を根に……。

 敬愛する上司への不信感が膨らんだところで、戦いの流れが変わった。

 

 ここにきて初めてスバルが岩の忍たちから大幅に距離をとる。素早く結ばれた印は見覚えのあるものだった。しかし、実際に使っている人間はほとんど見たことはない。ごくりと唾を飲む。確かあれは禁術の、

 

『秘技・底なし沼の術!』

 

 そう、影分身の……え?

 

「うわああああ!? な、なんだこれはっ!」

「そ、底なし!?」

 

 突如として岩の忍たちの足元に出現したのは底なし沼……とは到底言えないものだった。

 なんだアレ。粘着質な何かが彼らの足を絡め取っていることは分かるが、土遁系統の技でもないし、勿論地面と干渉しているわけでもない。ただひたすらに、ネバネバとした何かがうようよと蠢いているだけだった。……本当に、何なんだアレは。

 

「くっ……! 動けねぇ! これは木ノ葉の伝説の三忍の一人が扱えたという土遁の高等忍術!? お前は……何者だ!?」

『……ナニソレ。あー、伝説の三忍って、美女とカエル顔とヘビ顔のやつだっけ?』

「自国の有名人をなんで知らないんだ!?」

『ごめんね、流行りに疎くて』

 

 油断させておいて、いや、油断した方が悪いのだが。岩の忍たちが謎の物体とスバルの発言に気を取られている間に、スバルはサクッと彼らの首を取った。なんの躊躇いもなく。

 

 その鮮やかな手つきに普段なら感心していただろう。しかしそんな気はまったく起きない。

 ゴトリと地面に転がった三つの首には一切目を向けず、スバルはゆっくりと顔を上げる。すでにオレは岩陰から顔を出していた。

 

 真っ直ぐこちらを射るように見つめてくる瞳は、赤に染まっていた。しっかり幻術にもかけていたとは抜かりがない。

 

『……ああ、そんなところにいたんスね、隊長』

 

 お面の内側でスバルの目が驚いたように瞬いた気がした。いつまでこんな茶番をするつもりなのか。初めから知ってたくせに。

 

 オレは握ったままだったクナイをホルスターに仕舞った。言及したいことは山ほどある。だが、今じゃない。

 

『殺しちゃったけど、良かったですよね?』

「問題ない。お前の判断は正しい」

 

 殺したことに関しては、だが。僅かに目の前の少年の気配が和らいだ気がした。間違いなく気のせいだろう。

 こいつがそんな可愛げのある人物だったら、オレの胃がこんなに痛くなってるはずがない。

 

 やはりダンゾウ様は間違っている。完璧なんてものはない。オレが全てを正す必要があるようだ。

 

「…………もうじき岩隠れの本隊も到着する。さっさと死体を片付けるぞ」

『はーい! 応援頑張りますね!』

「お前がやるんだよ!!」

 

 この任務、前途多難すぎる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 木ノ葉隠れと岩隠れの国境では、ただならぬ緊張感が漂っていた。ついに両国の使者が出揃ったのである。

 

「これが火影様からの書状だ」

 

 頬と額に特徴的な傷のある男、奈良シカクが懐から取り出した巻物を対峙する岩隠れの忍に放り投げた。巻物を受け取った岩の忍が意味深に笑う。

 

 彼らから十分距離を取った場所に身を潜めていた俺やモズにも、そのニヤついた顔ははっきりと見えた。というか元の人相が悪すぎてニヤつき顔までの変化があまり分からなかったというか……。

 

 小声でモズに伝えると、彼は僅かに肩を震わせながら「ブフッ……任務に関係ないことを……言うな!」と苦しげな顔で怒った。ごめんて。

 

「土影様に届けるまでもない。ここで返答してやる!」

 

 岩の忍がフンッと鼻を鳴らして右手を上げる。後ろに控えていた者たちが一斉にクナイを構えて臨戦態勢に入った。

 岩の暗部とすでに衝突済みの俺たちはともかく、木ノ葉側の三人にも動揺は見られない。どう見ても「まあ、岩の奴らってそうだよね」と言わんばかりだ。

 

 ほら、やっぱり。あの顔つきじゃどう考えても悪巧みしてるのバレバレだって。生まれた時からの確定演出だよ!

 

 よし、ここで俺たちも参戦するんだよな?

 

 仲良く同じ草むらに隠れていたモズとアイコンタクトを取ろうとしたが無視された。悲しい。

 

 渋々一人で立ち上がろうとすると、上から思いきり頭を押さえつけられた。ぐえっ。

 

「動くな。……砂の忍が出てきた」

『砂?』

 

 変な方向に捻られた首をさする。寝違えた時みたいに痛い。

 

『あれって、砂の忍どころか風影じゃないですか?』

「……そうみたいだな」

 

 同盟国である砂隠れが助っ人で来てくれたらしい。しかも風影自ら御出陣とは彼らの誠意がすごい。

 ねえねえ、闇討ちしようとしてた岩さん見てる〜? 今どんな気持ちぃ〜?

 

 木ノ葉と砂の仲良しビームを食らった岩が、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。とても清々しい気持ちだ。俺、何もしてないけど。

 

『これで任務完了ですね。現地解散でいいと思います』

「いいわけないだろ。彼らが無事に木ノ葉に帰還するまでが任務だ」

 

 家に着くまでが遠足みたいな? だからなんだっていうんですか!

 

 

 

 奈良シカク達が木ノ葉の正門をくぐったところで俺たちの遠足は終了した。ここに来るまで長かったよ。子どもたちを引率する先生達の苦労が分かった気がする。

 

「初任務ご苦労だった。今回はオレがダンゾウ様に報告するから、もう帰っていいぞ」

『お疲れ様でしたー! またよろしくお願いします!』

「このクソお面も修理行きだから」

 

 サッと付けていたお面を奪われる。ああっ、俺のアイデンティティーが!

 

 直に目が合ったモズがこちらをまじまじと凝視してくる。

 

「……そうだよな、やっぱり不具合だよな」

「…………」

 

 人の顔見て不具合呼ばわりってどういうことなの?

 

「次の任務は追って知らせる。今日は寮に帰って身体を休めておけよ」

 

 俺がこくりと頷いたのを確認したモズの姿があっという間に消える。本当に仕事が早い。

 

 そうそう、今日から一人暮らし用のアパートもとい寮で暮らさなきゃいけないんだっけ……。

 二人部屋とは知らされてるけど、どんな人だろうな。俺の同居人ってやつは。

 

 荷物はすでに寮に運び込まれているはずだ。まずは自分の部屋の状態を確認して、それから買い物にでも行こう。服も着替えたいし。

 

 

 今日から俺が住むことになっているアパートはダンゾウの屋敷近辺にあった。つまりは裏門の近くでもある。里外での任務にも行きやすいとはいえ、立地は最悪である。

 

 常にダンゾウの気配を感じながら生きていかなきゃいけないなんて拷問かな?

 

 弐百弐号室と書かれた札が立てかけられている扉の前に立つ。ここだ。解錠してドアノブを握る。ガチャッという音と共に部屋に足を踏み入れた。

 

「……うちは、スバル?」

 

 部屋の中には先客がいた。そこには、俺と同じくらいの歳だと思われる少年が警戒心を宿した瞳でこちらを見つめている。

 俺の名前を知っているということは、彼が同室のなんとか君だろうか。

 

「…………」

「…………」

 

 無言空間が気まずい。ああ、お面はモズが持っていったから意思疎通手段が首の縦振りと横振りしかないんだった。

 今の俺の会話レベルはゼロである。むしろマイナス。慌てて首を縦に振ると、名も知らぬ少年の顔が緩んだ。

 

「僕はキノエ。話せないことと、お面のことはモズさんから聞いてる。これからよろしく」

 

 差し出された手のひらを握り返す。お互いに、手裏剣やクナイの握りすぎで硬い手のひらだった。

 

「キミの荷物はもう届いてるよ」

 

 キノエの視線を辿ると部屋の隅に積み上げられた二つの段ボールが見えた。

 

「そこの奥がスバルの寝室。今いる共同部屋とは違って、内側から鍵も掛けられる。それ以外の風呂や台所は一つしかないから一緒に使おう」

 

 こくこくと頷く。キノエはそれほど表情豊かではなさそうだったが、こちらを見て笑ってくれた。

 

「後輩ができて嬉しいな。周りにはダンゾウ様やモズさんのような年上ばかりだったし、僕の複雑な事情もあって年下の子とは関われなかったから」

「…………」

 

 キノエ……さん、年上だったのか。馴れ馴れしく呼び捨てにするところだった。

 

 それにしても優しそうな人で良かった。根の人間ってもっとこう、目が合っただけでこちらの命を取ろうとしてくるような感じだと思ってた。

 なんだよ、案外話が通じるじゃないか。

 

「生活を共にするにあたって、守ってもらいたいことがある」

 

 キノエさんの顔がぬうっと俺の目と鼻の先にきた。…………ん?

 

「まず、僕とキミの洗濯物は必ず別々に洗うこと。食事の後はすぐに食器を洗うこと。放置しない。任務のない日は必ず部屋の掃除をする」

 

 ギリギリまで開かれた瞳孔が怖い。ガンギマリしてる。それから……いや、近い近い近い近い!

 

「僕はだらしのない人間が大嫌いなんだ……キミとならきっと上手くやれると思うんだけどねぇ……?」

「…………」

 

 ついには俺の肩に腕を回してさらに顔を近づけてくるキノエさん。

 もはや恐怖通り越して快感すら覚えちゃうんだが?

 やめて、ここにきて新たな性癖植えつけてくんの。

 

「分かってくれたかな?」

 

 新たな扉が開きそうになってしまった俺は、トゥンクする胸の鼓動を必死に隠しながら控えめに頷くことしかできなかった。

 

 

 

 任務服から一族の家紋が入った服に着替えて、財布だけを持ってアパートを後にした。

 

 キノエさんには「せっかくだから今日は一緒にご飯を作って食べよう」なんて言われてしまって断れなかった。……俺はこのルートを突き進んで本当に大丈夫なんだろうか。

 

 ぽんぽんといくつもの店が立ち並んでいる大通りに出る。

 うちは一族の敷地内にある商店街とは違って、里中の人間が集まっているだけあって活気に溢れていた。

 

 人が多いせいか誰もわざわざすれ違う人間一人一人を注視しない。最強だなんて持て囃されている一族の家紋が入った服を着ている人間がいようが、まるで無関心だ。

 

 そうそう、俺はこういうのを求めてたんだよ! うちは一族は良くも悪くも身内への関心が強すぎる。いっそ空気として扱われた方がどれだけ気が楽か。

 

「いらっしゃい。何をお探しで?」

 

 営業スマイルを向けてきた店主に持っていたメモを見せた。種類は少ないが生活必需品は無難に揃うと評判の店らしい。キノエさんが言うんだから間違いない。

 

「ふむ……これくらいなら明日には揃えてここに書いてある住所に送れるが、それでいいかい?」

 

 こくりと頷く。話が早くてありがたい。 

 

「服だけはここで選んでいくといい」

 

 着られたらなんでもいい精神な俺は、サイズのみを指定して適当に見繕ってもらうことにした。

 もはや背中にうちわマークが描かれてなければ何でもいいです。父さん、俺はね、うちは一族はもうちょっと自己主張控えめにしてくれたっていいと思うんだ。

 

 萬屋を出てぶらりと通りを歩いていると「だんごや」と丸っこいフォントで書かれた看板が目についた。思わず足を止める。

 

 念のため言っておくが、何も目の前の糖分に釣られたわけじゃない。俺の目は団子屋というより、看板の横に立っているある人物に釘付けだった。俺の全細胞を歓喜の渦に巻き込んでしまうあの人はまさか……!!

 

「ガイ! アナタもお団子で乾杯しましょうよ」

 

 卒倒するかと思った。店内から彼を呼び戻そうとする声は、確かに俺の頭に浮かんでいた名前を呼んでいる。

 

 ドキドキと心臓の音が煩い。まってまって。理解が追いつかない。こんなことがあっていいの? これまで目が糸になるくらい遠い場所からこっそりと見つめたことはあれど、こんな、こんな!

 

 俺の目の前に、あの、ガイ大先輩がいる。雲の上のお人が地上に降臨している!

 

 ああ、まったくなんてことだ。これは夢か? たとえ夢だとしてもお近づきになりたい、あわよくば「スバルくんへ」ってサインを書いてもらいたい。いっそ背中のうちわマークの上から油性ペンで書いてくれないかな!? 家宝にしちゃうっ! 毎日これ着て全人類に見せびらかしちゃうっ!

 

 脳内で父さんがお前の方が自己主張激しいじゃないかと文句を垂れたが無視した。それはそれ、これはこれだから。

 だってこの人は俺の命どころか人生の恩人みたいな人だ。忍術も幻術も上手くいかず落ち込んでいた俺の前に、体術という道を示してくれた存在。

 俺とは違ってそれらが苦手どころか一切扱えないというのに、忍の道を諦めずに体術のみを極めてきたような人だ。

 ちなみにガイ大先輩とはこれまで会話したこともなければ、認知もされてない。俺の一方的な片想いである。

 

「……ん? なんだお前、どこか悪いのか?」

 

 目が合った。誰と? ガイ大先輩と。誰が? ……俺が? しかも自意識過剰でなければ話しかけられている。なるほど、夢オチね。

 

 後光を背負っているガイ大先輩が、こちらを心配そうに見ている。ま、眩しい。俺は震える手を差し出した。

 手元にお面がない今、サインをお願いするのは難しくとも、せめて、握手くらいなら……!

 

「ああ、そうか」

 

 察してくれたらしいガイ大先輩に目が潤んだ。なんて慈悲深い人なんだろう。

 俺、あなたのファンです! ずっと憧れてました!

 

 ガイ大先輩がすうっとこちらに手を差し出してくる。緊張のあまりぎゅっと目を瞑ってしまった俺の手に何かが触れた。

 あれっ。なんか思ってた感触と違う。

 

「ここの団子は美味いぞ。オレのお気に入りだ!」

「…………」

 

 俺の手のひらにころんと転がっているのは、もちっとした三色団子だった。色んな感情が混ざり合って何故か泣きそうになる。

 

 どういうことなんだ。俺は、一体。握手してもらえなかったことを嘆けばいいのか、敬愛している大先輩の食の好みを知れて喜ぶべきなのか。

 こっ、心がふたつある〜!

 

「何があったかは知らんが、そんな顔をしていないで元気を出せ!」

 

 バシッと背中を叩かれた。そんな顔ってどんな顔? 団子を恵まずにはいられない顔!?

 

 叩かれた背中が地味に痛かったこともあり(さすがはガイ大先輩だ)俺はふらりとよろめいたまま、半ば放心状態でその場から離れた。

 これ以上ここに留まると俺の命が危ない。団子のお礼も兼ねて会釈もしたが上手くできたかは分からなかった。

 

 後方では「今のって、うちはの……」「滅茶苦茶こっち睨んでなかった?」「ガイのこと振り払うつもりかと思ったけど団子で気が削がれちゃったみたいね……ガイ、アナタ気をつけなさいよ」「なんのことだ?」なんて会話が繰り広げられていたが、幸い、意識がほぼ飛んでいた俺には聞こえていなかった。

 



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第六話 四代目火影

 俺が根に所属してから半年以上経った。

 

 正直、舐めてた。いくら暗部とはいえもうちょっと時間にも心にも余裕が持てるんじゃないかと思ってた。

 

 もしかしたら火影直属の暗部だったらもう少し融通が利いたかもしれないが、トップがアレな時点で俺には希望なんてない。

 どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう……。

 

 この約半年間で俺が実家に帰れた回数知ってる? ゼロだよゼロ! つまりイタチに一度も会えてない。

 しまいには《先週無事に産まれました。名前は三代目様のお父上にあやかって付けました……うちはサスケです。イタチもサスケも、スバルがゆっくり家に帰ってくる日を待ち望んでいますよ》なんて手紙が届く始末だ。キツい、何もかもキツい。

 

 ちなみに俺がその手紙を読んだのは今日で、手紙が届いたのは先月である。

 

 長期任務で里にいない間にもう一人の弟が爆誕していた。こんなことが許されていいのだろうか?

 

「おっと、おはようスバル。……そんなに急いでどこに行くの?」

 

 手紙を握りしめてすぐに実家に向かおうと自室から飛び出したら、部屋の前にいたキノエさんにぶつかりそうになった。うおっ、なんでそんなところに。

 

《じっかに かえらせて いただきます》

「僕の何が不満だったの!?」

 

 この半年ですっかり指文字をマスターしたキノエさん。何やら茶番を始める気満々のようでブチ切れそうになった。俺には時間がないんだよ!

 

《そこを のいてください》

「僕はちゃんと、スバルが通りやすいように道を開けてるよ」

 

 その言葉通り、キノエさん自身は横にズレて「さあどうぞ?」と言わんばかりだ。

 しかし俺は動くことができない。両足を彼の木遁忍術によって縛られていたからだ。これまでに何度思っただろう。その術は反則だって。

 

《なんの まねだ》

「先輩として忠告しておくと、さっき任務から帰ってきたばかりなのにすぐに出掛けるのは良くない。任務中ほぼ眠れなかったでしょ? すこし仮眠をとった方がいい」

 

 至極真っ当なことを言われてぐぬぬと唸る。俺は正論パンチにすこぶる弱い。だが男には引けない時がある。それが今だ。誰が何と言おうと今なんだ。

 

《おれの じゃまをするなら ころ、》

 

 殺すと言い切る前に、右側頭部に衝撃を受けた。視界の端で木屑が舞っている。痛みを感じる前にぐるりと目を回して――

 

「……ほら、こんな簡単な攻撃を受けちゃうくらい疲れてるんだから」

 

 壁から突き出してきた木片により思いきり頭を打たれた俺は、呆気なく意識を手放した。

 

 

 

 ぼんやりと意識が覚醒する。何度か目を瞬かせている間に意識を失う前の出来事を思い出した俺は、すぐに起き上がろうとして……ぼふっと枕に頭を戻した。

 体が重すぎる。これだからすぐにでも弟たちのところに向かいたかったのに。

 人間というのは不思議なもので、休まず動き続けている時よりも、一度休憩した後の方が疲労を感じやすかったりする。前者は感覚が麻痺してるってのもあるけど。

 

 あー、クソ。まだ暫くは満足に動けそうにない。ここまで酷いのは写輪眼を開眼したあの日以来かもしれない。

 あの日と違うのは、俺を必死に看病してくれる愛しい弟はそばにいないこと。

 これ、砂漠にオアシスがあるかないかくらい違う。つまり死活問題。このままだと俺、干からびて死んじゃいそう。

 

「目が覚めた?」

 

 布団の中で身じろぎひとつできずに天井を睨みつけていると、俺を自室へと追いやった元凶であるキノエさんがひょっこりと顔を出した。憎しみの感情がぶわっと溢れて、両眼が熱くなった。疲労度MAXにより写輪眼にはならなかったらしい。

 

「……スバルって家族への愛は人並み以上なんだね」

 

 キノエさんには理解できない感情だったようで不思議そうに言われた。

 

「キミが長期任務に出ている間に届いていた手紙は、全部僕とモズさんで目を通させてもらっていたよ」

 

 そうだろうと思っていたから特別驚かなかった。疑問に思う点があるとすれば、なぜ今このタイミングで俺にその話をするのか、だ。

 

 眉を寄せながらキノエさんの言葉を待つ。俺の気のせいでなければ彼はとても悲しげな目をしている。物心つく前から根で感情を殺す訓練を積んできたとは思えないくらい、()()()()表情だ。

 

「もう分かってるよね。これまで家族の待つ家に帰る暇もないほど無茶な長期任務に向かわされていたのも、キミの動向を僕とモズさんが監視していたことも」

「…………」

 

 何を分かってるって? どれもこれも初耳なんだけど。

 

「根には名前はない。感情はない。過去はない。未来はない。あるのは任務のみ。……もう家族のことは忘れた方がいい。それがキミの為だよ」

 

 一瞬キノエさんの言葉が理解できなかった。暫くして、これは彼というより、ダンゾウからの最終警告なんだと気づいた。

 

 そういえば最後までダンゾウに反抗的だった子どもが、久しぶりに会うと記憶を消されていたことがあった。俺も彼らと同じような目に遭うか……処分されるのかもしれない。

 

 それならまだマシな方だ。契約を持ちかけてくる際にイタチの名前を出して脅してきたヤツのことだ。その手が弟たちに伸びないとも限らない。

 

「この手紙のことと、スバルがすぐに家族に会いに行こうとしていたことは、まだダンゾウ様には報告していない」

 

 キノエさんの手には母さんからの手紙が握られていた。あっと思う間も無く、燃やされてしまった手紙の燃え滓が俺が横になっている布団の上に落ちてくる。

 

「気をつけた方がいい」

 

 どこかで聞いたようなセリフ。こんな状況なのについ頬が緩んだ。そうそう、セキも言ってたんだっけ。彼にもあれから一度も会えてないけど元気かな。

 微笑んだ俺にキノエさんが怪訝そうな顔をする。

 

《しんぱい か》

 

 家族以外に俺にそんな感情を向ける人間がまだいたとは。

 俺はバカだけど、ダンゾウに忠誠を誓っているこの二人が彼に報告せずに黙秘を続けているのがどういうことかは理解できる。

 

 ぐぐっと腕に力を入れて何とか起き上がる。全身の骨が軋むような痛みが走ったが耐えた。

 

「ちょっと、まだ起き上がるのは……」

 

 慌てて駆け寄ってこようとしたキノエさんを手で制する。これくらいは大丈夫だ。下ろした手のひらが、手紙の燃え滓にかさりと触れる。

 

「…………」

 

 両親やイタチ、まだ見ぬもう一人の弟のことを思い浮かべて目を細めた。

 ――サスケはどんな子になるんだろう。

 俺みたいに父さんに似なきゃいいけど。きっとイタチに似て可愛いんだろうな。

 

《もう だいじょうぶです》

 

 どうせこの身体じゃ今日一日は布団から出られない。明日にはまた別の任務が始まるし、キノエさんが言うように、確かに俺のスケジュールは任務以外の余計なことを考える時間を与えないように調整されているようだ。

 

《ひとりに してください》

 

「……うん。夜ご飯の時間になったら呼ぶからね」

 

 自室の扉がパタンと閉じて、部屋には俺一人だけになる。

 

「…………」

 

 俺は弟たちに会いに行くことを諦めた。……今は。そう、今だけだ。 家族のことを忘れる? 弟たちに二度と会えない? そんな状況を黙って受け入れる俺じゃない。

 

 今に見てろよダンゾウ。いつか俺がお前より強くなったら真っ先に根っこごと引っこ抜いてそのジメジメした頭をお天道様に晒してやるからな!

 

「…………っ!」

 

 興奮したら脇腹が痛くなってきた。いててて。ダンゾウからの遠距離攻撃か? 生意気言ってすみませんでした。

 そろそろと布団を掴んでもう一度横になる。戦士にも休息は必要だ。それでは、おやすみなさい。

 

 

 

 暫くは実家に帰らないと決意してからさらに二ヶ月経った。忙殺されていてそれどころじゃなかった半年間よりも、この二ヶ月間の方が長く感じる。

 

 俺はできるだけダンゾウに忠実であろうとしたし、彼もそんな俺の姿に満足げだった。

 

 心の中ですらイタチたちを思い浮かべないようにしていると、その間は平気だったが、ふとした拍子に思い出してしまった時には地獄だった。

 今すぐ除夜の鐘を百八回打ち鳴らしたい。愚かな煩悩たちを滅してやりたい。……今すぐイタチたちに会いたい。俺には圧倒的に足りない……癒しが!

 

「絶対に逃すなよ!」

 

 鋭い怒号が飛び交う中、こんな呑気なことを延々と考えていて申し訳ない。

 実は絶賛任務中でーす。しかも敵が逃げそうでーす。……見逃してやったらどうや?

 

 素早く飛んできたモズの指示に頷く。ダメらしい。そっかあ。

 

 任務についているのは俺、モズ、キノエさんのスリーマンセルだ。この中で一番偉いはずのモズ隊長だけ呼び捨てにしてるのはアレだ、愛じゃよ。

 

「木遁・大樹林の術!」

 

 キノエさんが敵に向けた腕が木となり、どんどん成長していく。本物と同じように細かく枝分かれしていくその様は、自然すらも味方につけた神の所業にしか見えない。

 やっぱりその術チートだって。

 

 キノエさんは伝説の三忍のうち蛇タイプに魔改造された結果、初代火影と同じ木遁が使えるようになったって言ってたけど。情報量が多い。

 

 今回の任務は、無謀にも木ノ葉に不法侵入してきたどこぞの国の忍を抹殺せよとの指令だ。

 俺たちは一般人に被害が出ないよう、侵入者を死の森まで誘き寄せることに成功した。

 

 侵入者は額当てをはじめとする出自の分かるものを徹底して身につけていないようで、彼がどこから来たのかは不明である。なんかぐるぐるしたダサいお面つけてるし。ちなみに単独で乗り込んできてる。

 

 一人ならこっち三人だし余裕じゃん! って思うだろ? これまでひたすら暗部として裏側の任務に励んできた俺には分かる。こういう時、群れないやつの方が圧倒的にやばい。強さ的な意味で。

 そもそもソロで敵国に来られる時点でメンタル鋼だから。

 

 キノエさんの木遁を簡単に避けた男が、待ち構えて一発食らわせようとしていた俺に手を伸ばしてきた。

 ……なんだろ、あの手、嫌な感じがする。急いで印を結ぶ。

 

「チッ」

 

 至近距離で豪火球を受ける度胸はなかったようで、男が舌打ちと共に飛び退いた。逃げると見せかけて俺に攻撃を仕掛けてくるとは汚い奴!

 

「……ダンゾウの手がここまで張り巡らされていたとはな」

 

 ぼそりと男が呟いた。その声に妙に聞き覚えがある気がして眉を寄せる。でも思い出せない。思い出せないってことはどうでもいい記憶ってことだ。多分。それならヨシ!

 

『ダンゾウは用意周到なヤツだからな』

「…………何?」

 

 独り言に反応されたのが気に障ったのか、男の纏う雰囲気が僅かに変化した。

 いやいや、聞かせたほうが悪いんじゃないですか?

 

「お前……いつのまに、喋れるように、」

 

 今度こそ一番近い俺に聞こえるか、聞こえないかくらいの小さな声だった。

 己の失言に気づいたのか、男はすぐに固く口を閉ざしてしまう。

 

『……俺の知り合いか?』

 

 うっかり口にしてしまってから、しまったと思った。

 セキのお面は、修理を経て以前より強く頭に思い浮かべないと音声に反映されなくなったとはいえ、やはり気が緩んでいると危うい。

 

 しかも、これまでは明らかな機械音声だったのが「スバルの声ってこんな感じだと思うんだよね」などと、いかにも肉声っぽく修正されてしまっている。

 完全に人間の声とはまではいかないが、お面越しなら違和感がないレベルに仕上がっていた。

 

 セキ、お前は技術職に就くべきだと思う。このままじゃ才能の無駄遣いだ。

 

 目の前の不法侵入者が俺の正体を知っていた場合、俺が本当に話せるようになったと誤解された可能性がある。

 ……いや、そもそも他国の忍がなんで俺のことを知ってるんだ? 自国ではうちは一族ってことで親どころか一族の七光り状態だが、他国では俺のことはまったく知られていないはずなのに。

 

 ちなみに俺に実力がないわけじゃない。モズとキノエさんっていう化け物連中と組むことが多いせいで、俺の悪名が轟かないだけだから!

 

 俺の思考が脱線している間に、モズとキノエさんが次々と攻撃を繰り出していた。ごめん、今度こそちゃんと集中するね。

 

「これは……」

 

 男の動きが不自然に止まる。モズの足元の影が、男のところまで伸びていた。かっこいいよな、あの術。

 

「影真似の術、奈良一族の者か」

 

 仮面越しに男の目が大きく見開かれた。

 

「キノエ! あいつの動きを封じているうちに木遁で縛り上げろ」

「はい!」

 

 キノエさんの印に合わせて、無数の木片が男へと向かう。そのうちの一つに身を潜ませて、俺自身も一気に距離を詰めた。

 

『木ノ葉旋風!』

 

 しっかりと練り上げたチャクラを両脚に集中させ、顎を狙って蹴り上げる。

 

「ぐっ」

 

 当たった! 顎への衝撃により脳も揺れたはずだが、そんな素振りは見えない。怪訝に思いつつ、さらなる蹴りを食らわせようと地面に手をついたのと、キノエさんの木片が男を縛り上げたのはほぼ同時だった。

 

 もう一度、今度は足元を狙ったはずの蹴りが、なぜか空に投げ出される。

 

『っ、』

 

 俺は見事にバランスを崩して、地面に転がった。

 

「どういうことだ!?」

 

 俺が言いたかったことをキノエさんがすでに叫んでいた。

 

『…………?』

 

 男はキノエさんの木片に貫かれても平然とそこに立っている。いや、木片に貫かれずに、まるで透明人間のようにすり抜けていた。

 というか、この状況、俺ごとすり抜け、た?

 

 ぞわっと全身に鳥肌が立った。なんか嫌だなそれ! 俺に野郎の身体をすり抜ける趣味なんてないぞ!

 

「そう怒るな」

 

 男が嗜めるように言う。モズの影真似も無効化されてしまったようで、伸びていた影がシュルッと本人に戻っていく。

 

「今回は痛み分けだ」

 

 男がつけている悪趣味な仮面の奥で、何かが赤く光った気がした。

 

「うっ……!」

「キノエ!?」

 

 キノエさんが、がくんとその場に膝をついた。

 すぐに駆けつけたモズが、ぐったりと俯いているキノエさんの肩に触れて自らのチャクラを流している。

 

『写輪眼……』

「なるほど、お前も()()眼をもっている」

 

 身体ごとこちらを向いた男が笑ったような気がした。

 奇妙なデザインのお面はちょうど右眼の位置に空洞が空いている。そこから覗いている右眼は真っ赤で、見たことのない模様をしていた。

 明らかに写輪眼とは違う。しかし、男は否定しなかった。どういうことなんだ?

 

 写輪眼を見かけたらとりあえず写輪眼になっとけというのは、うちは一族にとっての常識である。

 別に誰かに言われたわけでもないが、もはや生理現象のように両眼は自然と写輪眼になっていて、ゆっくりと体内のチャクラを蝕んでいた。

 

 うちはに抜け忍がいたなんて情報は聞いてない。

 俺のような下っ端には知らされていないだけか、もしくはどっかの誰かの眼が敵国の手に渡ったか。

 あれだけ大きな戦争があったんだ。一族にもそれなりに死者は出ているし、回収できてない死体だって一人や二人じゃない。

 

 実際に、木ノ葉にも戦死したうちは一族の眼を移植している人間だっている。会ったことはないが、ガイ大先輩の大親友だとかで……確か名前は…………なんだっけ。

 

「また会うことになるだろうな……うちはスバル」

『なぜ俺の名を』

「うちはについて知らないことはないと自負しているんでな」

 

 うちはの熱烈なファンかよ。世も末だ。趣味悪すぎ。

 男は一度キノエさんたちの方を一瞥して、消えた。文字通り、その場から一瞬で。

 

 うちはにあんなファンがいるなんて、我が一族は安泰だな。……アンチかもしれないけど。アンチほど対象について詳しくなるって聞くし。愛と憎しみは紙一重っていうやつだ。

 

「スバル、早くこの場を離れるぞ」

『キノエさんは』

「大丈夫、幻術を受けて一時的に気を失っているだけだ」

『俺が担ぎますよ。またあの男が来たら、対応できるの写輪眼持ってる俺だけなんで』

「…………頼む」

 

 モズの代わりにキノエさんを背負った。やっぱり意識のない人間って重い。

 だらんと前に垂れてきた腕を掴んで、落ちないようにしっかりと背負い直した。

 

「あの男と話していたようだが、何を言われた?」

 

 死の森からダンゾウの屋敷まで全速力で駆け抜けながらモズが尋ねてくる。俺はちょっと考え込んで、首を振った。

 

『有益なことは、何も』

 

 ここで「あの人、俺の一族の熱心なファンらしいですよ」なんて言うとモズの拳が飛んでくるんだよ。俺は学習しました。偉い。

 

「知り合いか?」

 

 抜かりなく俺から情報を聞き出そうとしてくるモズ。そりゃそうか。向こうが写輪眼持ってる時点で、真っ先に疑われるのはうちは一族だ。

 

『あっちは俺のことを知っているようでしたが』

「それが分かれば十分だ。お前の記憶力には期待してない」

『…………』

 

 ムカつくけど、俺のことよーく分かってんのね。

 

 

 

 仮面の男と一悶着あった翌日。俺はなぜか火影室に呼び出されていた。

 

「はじめまして、かな。波風ミナトです」

 

 はにかみながらこちらに手を差し出してきたのは、四代目火影の座についたばかりの木ノ葉の黄色い閃光、その人であった。

 

 なんというか、こちらが心配になるくらい雰囲気がおっとりしている。他国の忍どころか道端の虫すら殺せなさそうな顔だ。

 

 この人が直近の大戦で一番の戦果を上げて、結果的に終結に導いた功労者か。

 

 三代目の時とは違って、きちんと整理整頓された火影室には無駄なものが一つも置かれていない。性格が出るなあ。

 

『……うちはスバルです』

 

 失礼かもしれないと思ったが、差し出された手は握らず、頭を下げるだけにとどめておいた。

 四代目はゆっくりと目を見開いて、感嘆のため息を吐く。

 

「……驚いたな、本当に人の声のように聞こえるよ。すごい技術だ」

 

 火影になるような人がただの下忍にここまで気さくに話しかけてくれるなんてびっくりだ。恐れ多すぎて手なんか握れない。

 四代目は気にした素振りもなく差し出していた手を引っ込めると、柔らかな笑みを浮かべた。

 

 急に呼び出された時は何されるんだろって心配したけど、少なくとも今すぐ息の根を止められることはなさそうだ。もしこの笑顔のまま殺されそうになったら人間不信になる。

 

「ごめんね。ここ、まだオレの荷物を移してる途中だから座ってもらう椅子もなくて」

『このままで問題ありません』

「……そうかい? それじゃあ、オレもこのまま話すね」

 

 なんだろ。さっきから俺が喋るたびに四代目の表情が曇っていってる気がする。

 おかしいな。モズに「指文字の時と同レベルの語彙で話せ」と言われてからまったくその通りにしてるのに。もっと減らしたほうがいい?

 

「わざわざ火影室に来てもらったのは、ここにはキミの一族も、上司も、そう簡単には入ってこられないからなんだ」

『…………?』

 

 真剣な表情になった四代目が、机の上にあった一枚の紙を手に取った。

 

「先日の報告書について、聞きたいことがあってね」

 

 ぺらっと眼前に広げられたのは、紛れもなく数日前に俺が提出したものだった。四代目ではなく、ダンゾウに。

 なぜそれが四代目の手に渡ったかは聞かないほうが良さそうだ。そう、うちは一族のファンによる木ノ葉不法侵入事件の報告書である。人気者は辛いよ。

 

「この男がうちは一族の者かもしれないというのは本当かい?」

『木ノ葉のアイドルとして、ファンの民度はなんとかしたいとは思ってるんですが……』

「え?」

『写輪眼を持っているようでしたので、間違いないかと』

 

 あぶね。また心の声が漏れちゃった。困惑顔の四代目が「いや、うん……そっか」さっきとは違う曇り方をした。

 

『木ノ葉に張り巡らされている結界も痕跡を残さず破られていたようです。元々木ノ葉の人間だったか、内通者がいると思われます』

「……聞いておいてなんだけど、それはオレに話しても大丈夫な内容かい?」

『どうでしょうね』

 

 さらっと答えたが、ダンゾウには叱られる案件だろうな。間違いなく。でも、俺は四代目の言葉を信じることにした。

 ここでは、うちは一族もダンゾウも、簡単に聞き耳を立てることはできない。

 そもそも報告書を外部に流出させたダンゾウの落ち度じゃね? 何やってんだあの人。

 

『貴方はこの里のトップです。俺から全てを聞き出す権利がある』

「……無理強いはしないよ」

『強硬な姿勢が必要な時もあるでしょう』

 

 着任したばかりの四代目がここまで危ない綱渡りをするのは、それなりの理由がありそうだ。

 

 そういえば、四代目の奥さんと街ですれ違った時、随分とお腹が大きくなっていた。母さんの友人でもある彼女は確か……。

 

『うちはの瞳力を警戒されているんですね』

「……同じ一族であるキミには、」

『うちはとしての矜持なんて持ってませんよ。俺はね』

 

 だから遠慮なくうちはの悪口でも何でも言っちゃってね! という気持ちだったんだけど、四代目の表情は今日一番の曇りを見せた。なんで?

 

『時期的にも警戒を強めた方がいいと思います。結界の暗号変更と、護衛も身元がしっかりしている人間に絞ったほうが良い』

「そうだね……キミの言う通りだ」

 

 四代目は目を伏せて、少し悲しげに笑った。

 

「このような状況でなければまだアカデミーにいてもおかしくない年頃なのに……戦争ばかりをしてきた僕たち大人の責任は重い」

 

 急に話のスケールがデカくなった。どう反応したらいいのか悩んでいると、四代目が「ごめん、困惑させちゃったね」と俺の頭を撫でてきた。

 びっくりして身を硬くすれば、さらに謝られた。なんか、謝ってばかりだなこの人。

 

「戦争のない世界になれば……キミのような子どもや、これから生まれてくる子たちが平和に暮らせるようになるのに」

 

 ぽつりと呟いた言葉は、火影としては相応しくないものだった。四代目、いや、波風ミナトとしての言葉なんだろう。

 

 いくつかの資料が散らばっている執務机の向こうでは、大きめの窓が少し開いていて、その隙間から外を歩く人たちの話し声が小さく聴こえてくる。

 

「執務机に向かっている間、背後にこんな大きな窓があったら、刺客に狙われ放題だなんて思っていたことがあったんだ」

『…………』

 

 まさにそう思っていたところだった。確かに、少しでも気を緩ませたら一瞬で背中が針刺しにされそうだ。

 

「僕は火影たるもの常に気を抜かずにいろってことなのかと思ってたんだけどね」

 

 四代目は当時を思い出すように苦笑した。

 

「三代目はこう言っていた。“火影が無防備に背中を晒せるような里になれば良い。それに、ここからなら自分が守るべき里の姿が一望できる”ってね」

 

 すとんと言葉が胸に落ちて、馴染んでいく。目から鱗というか、俺にはまったく思いつかなかったであろう考えに脱帽する。

 

 四代目は照れくさそうに頭をかいた。

 

「ちょっと話しすぎちゃったかな」

 

 会ったばかりの、それもただの下忍に話す内容ではなかったかもしれない。でも、俺にとってはありがたかった。

 

 イタチと同じ考えを持った人が火影にいるという事実に、救われるような思いだった。

 ……いつか、本当に。彼が言うような平和な世界が訪れるとしたら。

 イタチのような優しい人が、戦争に心を痛めることがなくなるのかもしれない。

 

『…………それ』

 

 気づけば口に出してしまっていた。いつものようにうっかり心が漏れた時とは少し違う。

 抑えようともしていない心からの言葉が、表に現れようとしていた。

 

『いいですね。そんな世界になれば、弟たちもきっと…………』

 

 誰かを傷つけることも傷つけられることもなく、幸せに暮らしてくれるんだろうか。

 



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第七話 リンドウに揺れる

 薄い雲の隙間からゆっくりと顔を出したのは、まんまると満ちた月。

 

 イタチはサスケを抱いて縁側で夜空を見上げていた。

 

 まだ首がすわっていない弟の首後ろを左腕で支えながら、ゆらゆらと体を揺らす。やわらかな月明かりとゆりかごにいるような振動に、サスケはすっかり夢の中にいる。

 

 すうすうと眠っている弟に目を細め、その背中を優しく一定のリズムで叩いてやった。

 忙しい両親に代わって弟の面倒をよくみているイタチは、どうすれば弟が心地よく眠れるか何でも知っていた。

 

「サスケ、今夜は満月だ」

 

 弟を起こさないよう小さく呟くように口にする。

 

「スバル兄さんも同じ月を見てるかな」

 

 イタチはこれまで何度もサスケに兄の話をしてきた。

 いつ兄が家に帰ってきてもいいように、人見知りな弟が大好きな兄を怖がらないように。

 

 イタチの兄であるスバルが暗部に配属されてからというもの、彼はこれまで一度も実家に顔を出さなかった。

 母であるミコトの出した手紙にも返事はなく、家族の誰もがスバルの顔すら見ていない。

 

(毎月帰ってくるって約束したのに)

 

 アカデミーを一年で卒業どころか、下忍になると同時に暗部に配属されるほど優秀な兄のことだ。きっと任務に追われる毎日を送っているんだろう。

 

 頭では分かっていても、寂しいものは寂しかった。

 

(どんなに忙しくても、サスケの顔を見に帰ってきてくれると思ってた)

 

 イタチの心の機微を敏感に感じ取ったサスケが目を覚ましてしまった。きょとんとした表情で、イタチの顔を見上げている。

 

「……兄さんは、オレたちのこと忘れちゃったのかな」

 

 無邪気に笑っているサスケを見ていると心が安らぐ。沈みかけた心が解れていくようだ。

 

「サスケだって兄さんに会いたいよね」

 

 イタチもつられて微笑みながら、もう一度空を見上げる。

 

 ぐんぐんと雲が風に流されていく。またすっぽりと雲に隠れてしまった月がぼんやりとした光を放つ。辺りは一時的に薄暗くなり、ぽつりぽつりと街明かりが鮮明になってきた。

 

「……何だ?」

 

 それは確信の持てないほんの僅かな違和感だった。こちらまで流れてきた風がまるで“良くない”ものまで運んできてしまったかのような……。

 

 腕の中のサスケが大きな声で泣き始めた。小さな不安が芽を出すように心を蝕んでいく。それでもイタチは弟の前では気丈に笑っていた。

 

「大丈夫。何があってもお兄ちゃんがサスケを守るから」

 

 

 イタチはサスケを抱きしめながら走っていた。

 

 家から持ち出せたのは長めの布のみで、手が離れてもサスケを落とさないよう、抱っこ紐のようにしっかりと結んだ。

 崩れ落ちた屋根の一部や瓦礫が散乱していて、役割を果たしていない道なき道を、ぐねぐねと縦横無尽に駆け抜けていく。

 

 サスケの小さな泣き声は、そこらじゅうで上がっている悲鳴や爆発音のようなものにかき消され、足元に転がるのは瓦礫だけではなくなっていった。人だ。たくさんの人が倒れている。

 

 里で何が起きているのかイタチには分からなかった。

 時々こちらまで轟いてくる獣の唸り声が地面を震わせるたびに、逃げ惑う人々の恐怖が伝染してくる。

 

 ――あれは自然災害だ、人の手ではどうにもならない。

 

 すれ違った男がそう叫んでいる。腕の中のサスケの泣き声がいっとう大きくなった。

 

「大丈夫、大丈夫だ、サスケ…………」

 

 自分にも言い聞かせるように何度も口にする。

 

 一族の敷地内はとっくに抜けていた。今目の前に広がっているのは、大国の隠れ里らしく、常に人々の往来が絶えない大通りのはずだった。

 まるで廃墟のような変わり果てた姿に息をのむ。

 

 忍界大戦での記憶が蘇る。地に伏すもの言わぬ肉片と、血を吸って重たい自分の身体と、止むことのない雨。

 ここでは雨は降っていないし、自分の身体が重いのはサスケを抱いているからで……あの時とは違うんだと理解していても、一度頭にこびりついた映像は離れてくれない。

 

「そんなところにいたら危ないぞ」

 

 誰かに声を掛けられたと思ったと同時に、ずりっと頭上で何かがズレるような音が聞こえた。

 イタチは声を掛けてきた男の忍装束にすっかり目を奪われていて、反応が僅かに遅れてしまった。

 

 ――あれは、スバル兄さんと同じ暗部の……!

 

 ぐんっと大きく引っ張られた。サスケが布から飛び出さないよう、咄嗟に強く抱きしめた。耳元で小さなため息のようなものが聞こえて、ゆっくりと顔を上げる。

 

 誰かに抱き上げられているようで、その人物の肩越しに先ほど自分達のいた位置に瓦礫がくずれ落ちているのが見えてゾッとする。

 イタチ一人なら軽い傷で済んだかもしれない。けれど、もしサスケの頭などに当たっていたら……。

 

「おい、そろそろオレたちも行かないと」

 

 最初に声を掛けてきた男が、イタチ達を落ちてくる瓦礫から救った男に向かって言う。

 

『……はい。モズ隊長』

 

 聞き慣れぬ声が耳を打った。声の持ち主はイタチをそっと地面に下ろして、何も言えずにいるイタチの頭にぽんっと手を置いた。

 

 それから、壊れ物に触るような手つきでそっとサスケの額に触れる。

 イタチは人見知りな弟が大声で泣くんじゃないかと心配したが、サスケはきょとんとしたのちにニコニコと嬉しそうに笑った。

 それを見た男の纏う雰囲気が随分和らいだ気がする。暗部のお面越しの表情は見えないが、イタチにはそう感じられた。

 

「あの…………」

『避難所の場所は分かるか』

「……はい、大丈夫です」

 

 男の手が離れていくと、ご機嫌だったはずのサスケがまたぐずりはじめた。イタチが「よしよし」とあやしても一向に泣き止まない。

 まるで彼と別れるのを嫌がっているかのように。

 

「“クロネコ”! 招集時間に遅れる気か?」

『それ、やっぱり別のにしません? なんかほら、安直すぎるし……』

「オレの一存でころころ変えられるわけないだろ」

 

 イタチの前にいる男のお面は猫をモチーフにしているようだったが、どちらかというと白猫だった。クロネコというのはコードネームのようだが、本人は気に入っていないらしい。

 

 がくりと肩を落として、モズと呼んでいた男に向かって『分かりましたよ』と渋々答えている。

 

『ちゃんと避難所に行けよ』

 

 彼は最後にそう言い残して、イタチの返事を待たずに消えてしまった。モズという男の姿も消えている。

 

 その場に残されたのはさっきより激しく泣き叫んでいるサスケと、そんなサスケを必死にあやすイタチだけだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 イタチに会った。俺はイタチに会ったぞ。大事なことなので二回言った。しかもイタチが抱いていたのは俺のもう一人のキューピッド、サスケに違いない。

 

 実は親戚の子どもを一時的に預かってるとか、こんな時だからその辺に落ちてた赤ん坊を心優しいイタチが拾ったとかそんなんじゃないよね? ちゃんとサスケだよね? 俺はちゃんと念願の弟たちとふれ合いタイムできたんだよねっ!?

 

『……モズ隊長』

「……なんだよ」

 

 招集場所であるダンゾウの元へ向かう道中、深刻な表情と声でモズに話しかける。まだ何も言ってないのに、彼は既に呆れたような声色だった。

 

 俺はお面の内側でニカッと笑った。出来ているかはともかく、ガイ大先輩スマイルである。親指を立てることも忘れない。

 

『グッジョブ・九尾』

「お前……ッ! マジで人前でそれ言うなよ!? 後ろから全員に刺されるぞ! 何ならオレが刺してやろうか!?」

『心配なさらなくても、俺の心は隊長にだけオープン・ザ・ドア〜です』

「一生閉じてろ」

 

 九尾が暴れてくれなければ俺は弟たちに会えてなかった。サンキュー九尾。

 イタチたちの無事を知るまでは写輪眼でお手とお座りさせてやるとか思っててごめん。伏せも追加しとくね。

 

 まあね、不謹慎の塊な発言だって自覚は流石にある。まさに今九尾によって誰かが命を失っているかもしれないことを考えると胸が痛むよ。いやいや本当だって。

 

『それにしても根が動かないってどうなるんですかね、コレ』

「さあな。……オレたちはダンゾウ様に従うのみだ。考える必要はない」

『まったくその通りですね』

 

 モズの声のトーンが変わったところで、俺も心を引き締める。ダンゾウの屋敷が見えてきた。ここから先は余計なことを口にした途端に首が飛ぶ。もちろん比喩ではなく。

 

 屋敷の前には根に所属しているほぼ全員が揃っているようだった。全ての人間と面識があるわけではないが、ちらほらと見知った顔がいる。

 

 ここにいないことが判明してるのはキノエさんだ。彼は昨日の任務で負った傷のせいで自宅待機を言い渡されている。俺たちのアパート、九尾に踏み潰されてなかったらいいけど。

 

 キノエさんの心配? いらないいらない。あの人自分で豪邸建てちゃうくらい逞しいから何とかやってると思う。

 

「集まったか」

 

 輪の中心にはダンゾウが立っていた。なんかそうしてると口寄せで召喚されたみたいだな。

 

「何者かが九尾を里に野放しにした。九尾のことは火影直属の暗部に任せ、我々は黒幕を突き止めることに専念する」

 

 ダンゾウの言葉に異を唱えるものはいない。ここにはイエスマンしかいないからな。俺も表向きはすっかりコイツらの仲間入りをしている。

 そう、俺は仕方なく全肯定スバ太郎の皮を被ってるだけなのだ。ダンゾウの靴の裏を舐めるとおいしいのだ!

 

「まずは警務部隊の動きを監視する。スルカの隊は共に来なさい。モズとクロは周辺の警戒を。その他の者たちは――」

 

 まあ、それっぽいことを仰っているが、つまりは我らがダンゾウ様は、ここで四代目が倒れて尚且つ里も半壊してくれた方がご都合がよろしいらしい。

 これまで近くで見てきたから分かる。この人がどれだけ火影になりたいのかってことが。

 

「クロネコ、さっさと持ち場につくぞ」

『……隊長もダンゾウ様みたいに、せめてクロって呼んでくれません?』

「名前は大切にしろ」

『わあ、モズ隊長がそんな殊勝な心がけをされていたとは思いませんでした!』

「お前のような無礼なやつには一生無理な心がけだろうな」

『…………』

 

 元々俺への当たりがキツい人だったとはいえ、ここ数ヶ月はとくに酷い。息を吸うようにメンタル抉ってくる。

 癖になってんのか……部下のSAN値削るの……。

 やめて、口で勝てる気がしない。

 

 そうそう、いつだったか、急に「やはりお前のお面越しの発言は全部本心だったんだな」なんて言われたんだっけ。『当たり前体操〜』ってその場で踊りながら返事した気がする。

 

 それからというもの、一切の容赦がなくなりました。理不尽すぎない? お面の不具合って決め付けてたのそっちなのに!

 

「そのシロネコの面が真っ黒になるくらい血で染め上げた快楽殺人鬼ってのが名前の由来なんだって? ぴったりじゃないか」

『ただの皮肉ですよ。そもそもプロは返り血浴びないんでしょ』

「そんな迷信を信じてる奴がまだいるとは」

 

 酸化した血ってなかなか落ちないんだよね。他の人と違って俺のお面は替えがきかないから、毎回必死に汚れを落としてるんだけど、これがだいぶ心が折れる作業だったりする。

 風呂場でひっそりとやってたら間違って入ってきたキノエさんに「殺人現場!?」って驚かれたことあるし。

 

 そんなくだらない雑談に花を咲かせつつ、ダンゾウの指示通り、周辺の警戒ついでに飛んできた屋根の一部を拳で破壊したり、視界の範囲内で困ってる人を見かけたら助けたりした。

 

 人柱力がいながら何の前触れもなく九尾が里に放たれるなんて、未曾有の事態だ。ダンゾウがうちは一族を警戒するのも仕方がない。

 九尾が人為的に放し飼いにされているのだとしたら、そんなの写輪眼を持っている人間にしか成せないことだ。

 

 ただ、九尾を操れるほどの実力者となると俺には思い当たる人物がいない。あの父さんですら難しい気がする。

 

『俺たちが加勢すればこの状況が何とかなると思いますか?』

 

 頭に浮かんだのは四代目の顔だった。そして、四代目が警戒していた人物。妙な写輪眼を所持していたあの男だ。

 俺の隣で影寄せの術で爆風の影響を受けそうになっていた人たちをまとめて安全な場所に集めていたモズが、苛立ったように舌打ちをする。

 

「九尾を何とかできるのは写輪眼か、高度な封印術くらいだろ! お前の写輪眼でも無理、オレの影真似でも当然無理、これでどうにかなると思ってんのか?」

『……そうですよね』

「ダンゾウ様なら何とかできるかもしれないが、あの人はすでに動かないと決めた。もう四代目と三代目に託すしかない」

 

 部下にも手の内を見せないダンゾウが、どのような実力でどのような術を持っているのか俺たちは知らない。知らされてもいない。

 

 用意周到なあの人のことだから、あらゆる事態に対処できるだけの手段は持っていそうではあるが。キノエさんの件もあるし。

 

 九尾をコントロールできるのは現状写輪眼と封印術ってだけで、実はもう一つある。――初代火影だけが持っていたとされる木遁忍術だ。

 

 ダンゾウは自分が火影になった後、九尾を完全に支配下に置くために、木遁を使えるキノエさんと写輪眼を持つ俺という最高の人材を手放したくないようだからな。

 

 ……あれ、もしかして俺、将来的には九尾を操れるほどの瞳力を身につけなきゃいけないフラグ立ってる? 超期待されちゃってる?

 

『モズ隊長』

「…………」

 

 ついには返事すらしてくれなくなったが、こんなことで挫ける俺ではない。気にせず続ける。

 

『ペットの躾って得意ですか?』

「お前が何を考えているのか理解できてしまう自分が嫌になるよ」

『それ知ってます! 類友ってことですよねっ!』

「断じて違う」

 

 

 

***

 

 

 

「惜しい人を亡くしたものだ」

 

 残された者たちは黒を身に纏い、誰も彼もが心にぽっかりと穴が空いたような顔をしていた。

 

 墓石に供えられた色とりどりの花たちがそよ風に吹かれている。

 原型を留めておらず、最後まで身元不明のままだった者たちの墓には、里の子どもたちが朝から集めた竜胆の小さな花束がそっと置かれていた。

 

 ダンゾウのすぐ後ろで影の一つとして佇んでいたうちはスバルは、僅かに漂ってくる草花の香りを胸いっぱいに吸い込んで目を閉じる。

 

 竜胆の花言葉は――あなたの悲しみに寄り添う。

 

 御伽噺の一部のような九尾襲撃事件は、四代目火影とその他大勢の命を犠牲にして幕を下ろした。

 

 スバルは真っ白に磨き抜かれた墓石たちが、里の端の端まで続いているんじゃないかと思った。

 

 決して紙の上にある数字だけでは推し量れないほどたくさんの人々が死んでしまった。

 家族や大切な人を亡くし、その場で崩れ落ちて泣き出してしまう者。まるで感情を無くしてしまったように微動だにしない者。

 抱く感情はそれぞれだろうが、誰も彼もが傷を負っていることは明らかだった。

 

 スバルはお面越しに、うちは一族が参列している場所に目を向ける。

 まだ少年と呼べる年齢にある彼は、他人の生死に関しては随分と大人びた、あるいは著しく偏った価値観を抱いていた。

 彼は里のほとんどの人間が死んだとしても胸が痛むことも、涙を流すこともない。心の底からどうでも良いと思っている。

 

 ――ただ、家族に関してはその限りではなかった。

 

「クロ」

 

 こちらに背を向けているダンゾウからの呼びかけに、スバルは即座に反応した。すぐにダンゾウの右斜め後ろに駆け寄り、地面に膝をつく。

 己に忠実な部下を見下ろすダンゾウの目は冷たく、その感情は読み取れない。

 

「こんな日くらい、お前を家族の元に返してもいいと思っておる」

 

 スバルの指がぴくりと動いた。

 

「根に所属している他の者たちと違って、お前は()()()()()()ワシのところへ来た。心残りも多いことだろう」

 

 ダンゾウの目が先ほどスバルが見ていた場所に向けられたが、スバルは俯いたまま顔を上げることすらしなかった。沈黙はすぐに破られ、少しくぐもった声が響いた。

 

『必要ありません』

 

 ハッキリと告げられた言葉にダンゾウが目を細める。

 

「そうか……そうであったな。無駄な時間を取らせた」

『いえ』

「それとは別に、お前とモズには明日一日休暇を与える。キノエと共に身を休めるがよい」

『承知しました』

 

 ダンゾウは一つ頷くと、視線だけでこの場から去るように促した。スバルは言われるままに音もなく姿を消すと、離れたところで待機しているモズの元へと向かって行った。

 

 すでに告別式が終わっていることもあり、その場に留まっている人間も徐々に少なくなってきている。

 大戦直後にも見られた光景に、やはりダンゾウの心も動かない。彼の頭を占めているのは亡くなった者たちに向ける感傷でも、残された者たちへの憐憫でもなく……次の火影が誰になるのか、ただそれだけであった。

 

 

 

 今は亡き師匠の墓の前で、カカシは縫い止められたように、ただじっと佇んでいた。

 空席となった火影の座は、前任者であるヒルゼンが埋めることになりそうだと風の噂で耳にした。

 

 左腕の刺青がじくじくと痛む気がして、そっと手で触れる。カカシを忍として育てたのも、暗部として裏の世界で生きるようにしたのも、四代目火影であるミナトであった。

 

 カカシはこれまで己の生き方に疑問を抱いたことなどない。生まれてから死ぬまで忍であり続ける。

 それはかつて父と友が示してきた道であり、いつしか当たり前のようにカカシの忍道にもなっていた。

 

「ミナト先生…………」

 

 きつく寄せられた眉には深い悲しみが彩られている。父は死に、友も死に、守ると誓った大切な人を死なせ……ついには師まで失ってしまった。

 これから己が歩んでいくべき道がどこにあるのか分からない。見えやしない。ハッキリとしていることは、己にはもう何も無く、空っぽだということだけだった。

 

 わざと立てられた足音に、カカシは振り返った。

 

 そこにいたのは、こちらを鋭く睨め付ける左眼が印象的な男だった。右眼は分厚い包帯で覆われている。

 男は自らの存在を印象付けるかのように、こちらにゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「ダンゾウ様」

 

 ヒルゼンの側近である志村ダンゾウだった。

 こちらの心を見透かすような瞳に、カカシは思わず後退りしそうになるのをぐっと堪える。

 

「はたけカカシ。ワシの元で働いてみる気はないか?」

 

 それはあまりにも寝耳に水な誘いだった。二人の間を吹き抜ける風は冷たく、微かに竜胆の香りがする。

 カカシはその場に漂っている悲しみを振り解くように口にした。

 

「オレはミナト先生の部下です」

「しかし、そのミナトはもうこの世にいない」

 

 はっきりとした物言いにカカシの次の言葉が詰まる。力なく俯いた姿に、ダンゾウが畳み掛けるように言った。

 

「三代目の平和主義による保守的な姿勢により引き延ばされた戦争で、お前の大切なオビトやリンが死に……九尾襲撃時には三代目の出した命によりお前たちは戦いに加わることができなかった」

 

 以上はダンゾウにとっては盛大なブーメラン発言ではあったが、襲撃の夜にダンゾウがどこで何をしていたのか知る由もないカカシには、彼の言葉の上部だけが胸に突き刺さる。

 

「三代目が強固な姿勢を見せて戦争を早く終わらせていれば。九尾との戦いにお前たちを参加させていれば。お前の大切な者たちは死ぬことはなかったのではないか?」

 

 ダンゾウの頬に冷笑が浮かぶ。

 

「あのような者にこの里の行く末を任せるわけにはいかぬ」

 

 踵を返したダンゾウが来た時と同じようにゆっくりと去っていく。

 カカシはその後ろ姿をただ見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 カカシは火影直属の暗部にのみ渡される次の任務の計画書を手に、木ノ葉の地下へと潜っていた。

 張り巡らされた配管の間にいくつか鉄格子がはめられている。地上もしくは地下への連絡用だろう。

 

「木遁・大樹林の術!」

 

 壁の鉄格子を足場にして一息ついたところで、配管の隙間から無数の木片がこちらに向かって襲いかかってきた。

 

「木遁……?」

 

 カカシはその場から飛び退いて攻撃を避ける。

 

(木遁を扱えるのは柱間様だけだったはずだ)

 

 思考する間も無くこちらを追尾するようにさらに伸びてきた木片に対抗すべく、三つの印を丁寧に結んだ。

 

(――千鳥!!)

 

 バチバチと迸る稲妻を手のひらに宿し、カカシは右手を大きく振りかざそうとしたが、物陰から現れたもう一人に気を取られた。

 

 暗がりで不気味に光った赤色を認識した時にはもう遅かった。

 ここが敵陣ではないという油断も相まって、カカシの体は一度びくりと大きく震えた後、指一本動かせなくなってしまう……写輪眼による幻術だ。

 

『侵入者か』

 

 動かない体と、凍りついてしまったかのような頭の向こうで、カカシは確かにその声を聞いた。

 両眼に写輪眼を宿した少年が立っている。暗部の証であるネコのお面を被っていて、顔立ちは分からない。

 

 動けないカカシの体を先ほど木遁を使っていた少年が拘束する。……これでは何のためにここまで来たというのか。

 まずは彼らの誤解を解くのが先決だと、カカシは左眼の写輪眼を発動させようとしたのだが――

 

「キノエ、クロ!」

 

 カカシの頭上で「こいつどうする?」と会議を始めていた二人が一斉に顔を上げる。

 

『ダンゾウ様』

「その者はワシが招待したのだ」

 

 するりと物理的に体を拘束していた木片たちが消えていく。

 

「よく来てくれたな、はたけカカシ」

 

 ダンゾウが薄らと微笑んだ。それを見たネコのお面の少年が『……うわ』と軽蔑するように呟く。カカシは聞き間違いだと思った。

 

 ネコのお面の少年はややあって、緩慢にカカシを見下ろしてきた。

 

『はたけ……カカシ?』

「…………そうだけ、ど」

 

 やっと写輪眼による幻術を解いてくれた少年は、じいっとこちらに顔を近づけてきたかと思えば『…………本当に写輪眼を持ってるんだ』と感心したように言った。

 小さな子どものような素直な反応に毒気が抜かれる。カカシの肩に入っていた力が緩んだ。

 

 彼はカカシの腕を掴むと、その場から立ち上がらせる。カカシには、お面の裏で少年がニッと笑ったように見えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 これは神様とやらが俺に与えてくれたチャンスなのかもしれない。幻術が解けたカカシが立ち上がるのを手伝いながら、俺は内心ほくそ笑んでいた。

 

 どうしてカカシがここにいるのか? そんなことは今はどうでいい。いや、大体の察しはついている。

 どうせ欲に欲をかいたダンゾウが引き抜きに成功したんだろう。もしくはその過程にあるか。まあ、どっちだろうが構わない。

 

 俺にとって重要なのは……いかにしてカカシと親しくなるかだ。彼と仲良くなれば自然とガイ大先輩との距離も縮まる。

 

 ガイ大先輩との友情の架け橋になってくれるであろうカカシに話しかけようとしたその瞬間……歴史は動いた。否、ダンゾウが動いた。

 

「キノエとクロは下がっていなさい」

『…………』

 

 ダンゾウ絶許。夢見る時間くらい与えてくれよ。

 

「ほら、行くよ」

 

 俺の服の裾を掴んで引っ張るキノエさんの後を渋々とついていく。目だけはカカシから逸らさないようにしていたら、向こうも俺を熱く見つめていた。

 これはやはり……! 写輪眼使いは写輪眼使いにひかれ合う……!! デスティニー!!

 

 

 

 運命の二人は引き裂かれてしまったように思えたが、俺はどこまでも()()()()男だったらしい。

 その後の任務を無事に終え、俺はキノエさんと別れた後、一人で大通りを歩いていた。

 

 さあて、今日のご飯は何にしようかな。グルメそうな顔してるけど何でも美味しいって食べてくれるからなあ、キノエさん。

 ご本人に伝えたら「グルメそうな顔って……褒めてないよね?」と非常に怖いお顔をされたので言葉には気をつけようと思った。地雷がどこに転がってるか分からないので。

 

 最近肌寒くなってきたし鍋もいいな。いくつか浮かんだ晩飯候補達に頭を悩ませていた俺を呼び止める声が、真後ろから聞こえてきた。

 

「うちはスバル」

 

 ピタッと足を止める。振り返ろうかと思ったが、すぐに思いとどまる。

 今の俺はお面をつけていないとはいえ、うちはの家紋が入っていないシンプルなジャージを着て、さらに目深くフードを被っている。

 ばったり家族や知り合いにエンカウントしても正体がバレないようにだ。任務外でお面無しで外を出歩く際には、ほぼ常にこの格好をしている。

 

「お前に尋ねたいことがある」

「…………」

 

 振り返る勇気がない小心者な俺を鼓舞するように、声の主が言葉を続ける。

 俺の正体に確信を持っているらしいその声は、最悪なことについさっき耳にしたものだった。

 

「場所を変えよう」

 

 ゆっくりと振り返った先では、夕日に染め上げられた色素の薄い髪が揺れている。

 ――はたけカカシ。

 

 どうして彼が俺の正体を見抜いてこうして声を掛けてきたのか。俺にとって都合がいいとはいえ、手放しで喜べるものじゃない。あーあ、己の未熟さが嫌になる。

 俺はため息一つ吐いて、こくりと小さく頷いた。

 

 

 

 俺とカカシは火影岩の上でお互いに口を閉じたまま、気まずい雰囲気になっていた。

 

 喋れない俺にとっては不可抗力ではあったが、そもそも場所のチョイスが最悪すぎる。もっと他にいいところがあっただろうに。

 

「……ダンゾウ様との話が終わってから、丁度任務を終えたお前のことをずっとつけていた」

「…………」

 

 やっと話を切り出してくれたかと思ったらストーカー宣言をされた。これ、俺はどんな顔して聞けばいいの? 

 できるだけストーカー被害者っぽい顔を心がけたつもりだったが、すでに被っていたフードを下ろしている俺を見たカカシが若干諦めの混じった顔で俯いた。いや何その反応。

 

「驚かないってことは、やはり気づいていたか。気取られていないつもりだったんだが」

 

 これまでの人生経験からこうなる気はしてた。

 俺は神に誓ってストーカーを察知していませんでした。気づいてたら真っ直ぐお家に帰ってキノエさんに泣きついてたよ。呑気に鍋の具材なんて考えてなかった。

 

「うちはスバルに関しては、アカデミーの一件で有名だから」

 

 アカデミーってのはアレか、結果的に一人の教師が闇に葬り去られちゃったヤツね。つまり最初から俺がうちはスバルだと気づいていたらしい。

 言われてみれば暗部に所属してるうちはって俺だけな気がするし、この調子だと暗部姿の時に写輪眼使っただけで全員に正体バレちゃいそうだな……?

 

「お前のことはミナト先生……四代目から聞いたことがある。信頼に足る人物だと」

 

 こちらを真摯に見つめてくるカカシに、同じ写輪眼使いとしてシンパシーのようなものを感じないこともなかったが、状況が状況だったので、こちらも脳を真面目な方向に切り替える。

 

 四代目とは結局あれっきりだった。

 

 自分の足元にある歴代の火影達の顔岩を見下ろす。あの人がそんな風に思ってくれていたなんてなあ。

 

 わざわざこんな目立つところに連れてきたのにも理由はあったようだ。

 人の目が集まるとはいえ、こんなところまで登ってこようとする人はまずいない。うっかり誰かに話を聞かれることはないだろう。

 

「九尾襲撃の夜、お前達が何をしていたのか……いや、()()()()()()()()()が知りたい」

「…………」

 

 初手からクリティカル持ってくるのやめない? うーん、特別察しがいいわけでもない俺でも大体掴めてきたぞ。

 

 任務帰りだったことが幸いし、俺は懐に入れっぱなしだったネコのお面を被った。いつものように静電気のような軽い痛みが額に走る。

 

『冷血のカカシという呼び名は、どうやら正しくないらしい』

 

 カカシは暗部に入ってからというもの、すっかり心が凍りついたんじゃないかって噂されてたけど。

 敵が命乞いをしても容赦なくあっさり殺すとか、たとえ逃げてもどこまでも追いかけて殺すとか。……今思うと当然のことしてるだけだよな。やっぱ噂ってアテになんないや。

 

 俺はお面に手を触れながら、空を見上げた。そろそろ完全に日が落ちる。

 最近は日が沈む時間も徐々に早くなってきているから、酉の刻にもなると辺りは真っ暗闇に包まれてしまう。

 

『それを聞いてどうするんですか。三代目を裏切ることを躊躇しているとでも?』

「オレは……」

『ダンゾウ様とどのような話をしたかは知らないですが、あまり賢明な行動とは思えませんね』

 

 ダンゾウは狡賢くて己の野望のためなら何でもするヤベー奴なんだよ。マジで。根に所属してない人間にはしっくりこないかもしれないけど。

 

 さっき“うっかり話を聞かれることはない”とは言ったが、ダンゾウは“しっかり話を聞いている”タイプの人間だ。

 壁に(ダンゾウの)耳あり障子に(ダンゾウの)目ありだと思ってほしい。

 

 周りの気配を探ってる感じ、根の誰かが俺とカカシに張り付いてる気配はしない。

 ただ、俺が存在を察知できないほどの実力者が監視に回ってるとしたら非常に厄介だ。

 とくにこの状況、新入り候補であるカカシにあのダンゾウが監視の目をつけていないとは考えにくい。

 ……あの人、基本的に抜け目ないくせに、たまーに変なところで抜けてるからなあ。本当に監視がいない可能性もあるっちゃある。そのせいで俺の心が何度弄ばれてきたか。策士かな?

 

 恐らく四代目が死んだのは三代目のせいだとか有る事無い事聞かされて、こっち側に足を突っ込んじゃったんだろう。

 その言葉のみを鵜呑みにせず、ダンゾウがあの夜に何をしていたかを知ろうとするのは分かる。四代目が信頼していた俺から情報を聞き出そうとしたのも、分からんでもない。

 

 しかし、その考えに至る時点でカカシは気づくべきだった。己の中にあるダンゾウへの懐疑心に。

 

『俺は貴方を歓迎しない』

 

 遠回しに根には来るなという意味だったが、果たして、ちゃんと俺の意図は届いただろうか。

 

 あーあ。これでカカシと仲良くなって憧れのガイ大先輩に急接近作戦もパーになった。

 でもさ、カカシが暗部どころか根に所属しちゃったら、他でもないガイ大先輩が悲しむと思うんだよね。俺の人生を変えてくれた恩人にはいつも笑顔でいてほしいし。

 

 その場で立ち上がって、ぐーっと伸びをした。

 

『それじゃ、ネギを買って帰らなきゃいけないんで』

「…………え?」

『この辺で失礼しまーす!』

 

 まるで鳩が豆鉄砲を食ったような反応をしているカカシを置き去りにして、俺はそろそろ閉店してしまうであろう八百屋を目指して全力疾走した。

 

 鍋にネギが入ってなかったら、またキノエさんに叱られちゃう!

 



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第八話 天道是か非か

「速やかに三代目のお命を頂戴するのだ」

 

 お前は一体何を言っているのだ。

 

 どっぷりと日が暮れてから、急遽ダンゾウに招集された時点で嫌な予感はしてた。

 ふとした拍子に靴底を見たら誰かの噛んだガムが付着していたみたいな。そんな謎場面で発揮される予感とそれに伴う不快感ってあるよね。

 ないって? 例えが意味不明? 理解できるようになるまで書き取り千回ッ!!

 

「お前たちの働きに期待している」

 

 ダンゾウの最後の言葉を受けて、俺を含むこの場に集められた全員が散り散りになった。

 

 この任務マジでやるの? 正気の沙汰とは思えないんだけど……。

 

 作戦開始は明朝とのことだが、あまり時間はない。俺とキノエさんは一旦アパートに必要な忍具やらを取りに戻ってきていた。

 

 事が事だけに軽装で立ち向かうのはナンセンス。気持ち的には鉄の国の侍たちのような重装備で立ち向かいたいくらいだった。もしくは両手に千手柱間とうちはマダラを装備して戦いたい。

 一族の七光りどころか里の七光りの如く先人たちの力を行使して三代目に立ち向かいたい。

 

 だって、そうでもしなきゃこんなの無理じゃないか! 詰みゲーだもの!

 

 事の発端はなんと、カカシがダンゾウに手渡していた巻物にあったらしい。

 

 明朝、寅の刻。正式に火影として就任する為に、三代目は火の国の大名の元へ向かうことになっていた。

 

 このままでは三代目が再び実権を握ることになってしまう。ダンゾウは熱心な三代目アンチなので、どうしてもこのまま大人しく引き下がれなかったらしい。

 焦った彼は、根の中でもそこそこの手練れである俺たちにサラッと「三代目が大名に会う前に殺してきてね。あとこっちの正体もバレちゃダメよ」と無茶振りしてきたわけだ。うーんこの。

 

 カカシによるリーク情報は、三代目直属の部下が五名のみ護衛に当たることや、彼らの名前や所属する隊、知り得る能力等、向こう側からすると致命的とも呼べるものばかりだった。

 

 カカシには根に来るなと伝えたつもりだったが、あの人すでにとんでもないことをやらかしてた。大戦犯すぎる。

 むしろ今後の展開によっては火影直轄の暗部にいる方が危ないかもしれない。

 

 三代目を裏切るのを躊躇云々と説教垂れた自分が恥ずかしいよ。まさかすでに手遅れだったとは。

 

 三代目暗殺計画に加担済みの身で、俺にダンゾウって信頼できんの?(意訳)って今更感たっぷりなこと聞いてくるわけないと思うじゃんかぁ……。せめて加担する前に聞いてくれよぉ……。

 

 すっかりやる気消失してる俺の分の身支度まで済ませてくれたキノエさんに、縋るように話しかけた。

 

『今回の任務、成功するとは思えないです』

「するかどうかじゃなくて、させなくちゃいけないよ。それが僕たちにとっての任務だから」

 

 きっちり模範解答が返ってきた。俺の心にクリティカルヒット! ダウン!

 

『このままブッチしません? ダンゾウ様の白髪の数当てゲームでもしながら夜明けを待ちましょうよ』

「ははっ、スバルのお面って時々面白いこと言うよね」

『…………』

 

 未だにセキの超高性能お面に不具合があると信じている人間の一人であるキノエさんには、いつものことだからと軽く流されてしまった。

 俺の心の叫びは届かない……残念だ……。

 

「そろそろ着替えないとね」

 

 いつもなら暗部の証である腕の刺青が見えるような服を着ているが、今回ばかりは長袖必須である。正直お面のデザインでバレる気がする。その辺どうなんですかダンゾウさん。

 

 いざとなれば俺はキノエさんを無理やり引っ張ってでも逃げるぞ。

 

 

 

 ついに夜が明けてしまった。とはいっても、まだ太陽は顔を出していない。

 

 俺やキノエさんをはじめとする精鋭部隊は、すでにだいぶ前から背の高い木々に登って身を潜めていたので、すっかり凍えそうになっている。

 木枯らしが吹くにはまだ早いはずなのに。この肌を刺すような冷たい風は何なんだ。

 

 というか、そこそこの大人数なのに全員で仲良く木登りしてるこの状況がキツい。助けて。

 同じ根に所属しているとはいえ、俺がまともに会話したことがあるのはキノエさんとモズの二人だけだ。あとは顔と名前がギリギリ判別できるかできないか程度。ほら、俺って極度の人見知りだから。

 

「おい、クロネコ。はたけカカシと手合わせしたんだって?」

 

 早速判別できない方の顔が馴れ馴れしく話しかけてきて、俺の心は無事にお亡くなりになった。これだから陽キャは苦手なんだよ!

 

『…………』

「無駄だって。コイツ、オレ達とまったく話す気ねーから」

「でもお面で話せるようになったんだろ?」

「知らねえよ。本人に聞けよ」

「ええ……話す気ないって言ったくせに矛盾してるなあ」

 

 俺の隣でクナイの汚れを布で拭い取っていたキノエさんが「え?」と声を上げた。

 

「クロは普通に話してくれるよ」

「任務に関することは、だろ? オレはモズ隊長やダンゾウ様と話してるとこしか見たことないぞ」

「そんなことないと思うけど」

 

 キノエさんがこてんと首を傾げる。最初に話しかけてきた男が「え、マジなの?」と信じられないような顔でこちらを見た。

 やめろやめろ。こっちを見るな。

 

「そうだよね?」

 

 キノエさんのダメ押しに、口元がもにょもにょとした。大人数での会話に参加するのも苦手なんだって。

 ちなみに俺の基準では、知らない人が一人混じってる時点で三人以上イコール大人数である。異論は認めない。

 

『……俺が話すのは相手がキノエさんだからです』

「僕のことが好きなのは分かるけど、クロって誤解されやすいんだからもっとたくさんの人と話さないと」

『…………』

 

 そのセリフでさらなる誤解が生まれましたね? 俺が話す話さないで言い合いになっていた二人は、ぽかんとした顔をしていた。

 

「お前ら、何なんだよその雰囲気……」

「まさか……」

 

 やっぱり変な誤解された。待ってくれ、それだけはあり得ないからやめろ!

 

『おっと、標的が来たみたいですよ。こっちに集中しましょ』

 

 俺は三人の頭をぐりんっと木ノ葉の正門側に向ける。

 キノエさん以外には手加減しなかったのでグキッと嫌な音がした気がするけど聞かなかったことにした。

 

「そろそろ時間だ」

 

 ずっと沈黙を保っていた隊長が厳しい口調で言う。ちなみにモズではない。モズはダンゾウの元で別の任務に就いているらしい。

 俺たちは一斉に口を閉じ、木ノ葉の正門から出てきた三代目とその護衛たちの姿を見つけた。

 

 里から近すぎず、遠すぎない場所で三代目を始末しなければならない。

 俺たちはできる限り音も立てずに木から木へと飛び移り、三代目一行がカカシが持ってきた計画書通りのルートを進んでいることを確認した。

 

 そろそろいいだろう。隊長もそう判断したようで、黙って右手を上げる。俺たちはぴたりと足を止め、隊長の手の動きを注視した。

 指文字とはまた違った動きが何度か繰り返され、最後にその手が上から下へと振り下ろされる。突撃の合図だ。

 

「何者だ!!」

 

 突如として空から飛び降りてきた俺たちに、三代目の護衛達が戦闘態勢に移る。

 

 真っ先に向かってきた男のクナイを持つ腕を軽くいなして、もう片方の手で掴む。正体がバレちゃ不味いから写輪眼は使えない。俺は男を筋力だけで投げ飛ばすと、その体が宙に浮かんでいる間に回し蹴りを食らわせた。

 

「ぐっ……!」

 

 火影直属の暗部なだけあって、俺の蹴りはチャクラで強化した腕のせいで衝撃をほぼ殺されたっぽい。やりにくいなあ。

 

 俺たちが護衛の足止めをしている間に、キノエさんが三代目の前に立ち塞がっていた。

 この任務はキノエさんの木遁でどれだけ三代目の動きを封じ込められるかにかかっている。むしろキノエさんが失敗したら俺たちに後はない。

 影縛りができるモズがいたら違ったかもしれないが、肝心の彼はこの場に以下略。

 

「変わり身の術!?」

 

 ちょうど護衛の男と忍術VS体術で雌雄を決するところだった俺は、キノエさんの叫びに近い言葉に完全に気を取られてしまった。

 

 男の放った水遁の術をモロに受けてしまい、全身がびしょ濡れになる。チャクラを帯びた水による打撃で避けられなかった腕や足が打撲している。くっ……不覚だ。

 

 しかし、余所見せずにはいられない。キノエさんの目の前にいるはずの三代目はあろうことか丸太に変わっており、俺はそのままキノエさんの視線を辿った――木の上だ。

 だが、そこに立っていたのは三代目ではなく。

 

『はたけカカシ…………』

 

 片目だけの写輪眼が怪しげな光を放っている。

 

 すっかり昇っていた太陽の光を浴びた銀髪が眩しい。俺はお面の内側で口端をひくりと引き攣らせた。

 

 まさか、俺たち嵌められちゃった?

 

 

 

 ***

 

 

 

『冷血のカカシという呼び名は、どうやら正しくないらしい』

 

 凪いだ海のように静かな瞳がこちらを見て言った。彼の言葉の意図を読み解く前に感情が先走りそうになるのをぐっと堪える。

 

 ――彼は本当はとても優しい子なんじゃないかと思うんだ

 

 最後に会った日にそう言っていたミナト先生の言葉を思い出す。

 

 ――彼は……うちはスバルは、家族……いや、弟を人質に取られている可能性がある

 

 どこか確信めいた響きに、オレは「彼の根での異名をご存じないんですか?」と呆れたように先生に尋ねた。まさか知らないはずがない。

 けれど先生は、どこか困ったような顔で笑ってみせた。

 

 ――そうだね。だけど僕は……彼の中に人らしい心を見た気がするんだよ

 

 今となってはどうしてそれ以上追求することをやめてしまったのか。

 

 こうして今、実際に対峙しているうちはスバルはどこまでも人らしくなく、機械のように無機質に思える。感情と呼べるものがあるかどうかも怪しい。

 

 スバルはじっとこちらを見つめた後、お面越しに人差し指を自らの口がある位置に向けた。

 その行動を怪訝に思っていると、口元から離れていった手のひらが右足の側面に隠されて、俺のいる場所からでも覗き込まないと見えないようになった。

 その手がゆっくりと動いて、オレの勘違いでなければ指文字を綴り始めた。

 

《ここは》

『それを聞いてどうするんですか』

《みはられて》

『三代目を裏切るのを躊躇しているとでも?』

《いる》

 

 ハッと息を飲んだ。手元は一切見ずに、スバルはオレの反応を窺うように目を細める。

 

「オレは…………」

 

 彼がお面を持ち歩いていなかった時の為に、指文字が一通り載っている表に軽く目を通してきて良かった。

 そうでなければ、オレは彼の気遣いを無駄にしていたところだった。

 

『あまり賢明な行動とは思えませんね』

 

 横から頭をぶん殴られたかのような衝撃だった。根によって張り巡らされた情報網を侮っていたつもりはなかったが、相手は上忍であるオレに一切気配を悟られないような実力者。

 

 ダンゾウ様の元には優秀な忍が集められていると事前に知っていたはずなのに……。

 その気配に気づいていたうちはスバルもまた、爪を隠していた鷹だったというわけだ。

 

 暫くの間止まっていた指文字が再び綴られていく。

 

《こちらに》

《くるのは》

 

『俺は貴方を――』

 

《『歓迎しない』》

 

 一方的な拒絶は、けれど、ひどく優しいものだった。

 

 スバルはその場に立ち上がってぐーっと大きな伸びをした。まるで猫のような仕草が意外で、オレはただぼんやりと見上げていることしか出来なかった。

 

 

 

 スバルと別れてから、一度家に帰って監視の目が離れたと思われる頃に資料庫に忍び込んだ。

 スバルは直接的な物言いはしなかったが、ダンゾウには何かある。それだけは確かだった。

 

 古い資料もあるせいか埃っぽい部屋の中で、手元の小さな明かりだけを頼りに目的のものがないか隈無く探していく。

 

 初代火影しか扱えないとされていた木遁忍術を使う少年に、異例である下忍昇格と暗部所属が同時に成されたうちは一族の少年……うちはスバル。何かあるはずだ、ここならば。

 

「初代火影……木遁忍術」

 

 関連のある項目が並んでいる場所に辿り着く。やはりそう簡単に見つかるものではないらしい。【極秘】と書かれた封筒を見つけたが、案の定、中身は殻だった。

 

「探しているのはこれですか?」

 

 低くも高くもない、声変わりの途中のような声が聞こえて思わず飛び上がった。持っていたライトを落としてしまったが、探している余裕はない。

 声の主とは別に、自らの主人である三代目が扉を背にして立っていることに気づいたからだ。

 

「ぼ……私が、三代目からお借りしていたんです」

 

 三代目の隣に立っていたのは、まだ顔にあどけなさが残る少女だった。彼女が三代目を控えめに見上げると、三代目が「うむ」と頷く。

 少女は手に持っていた資料の束をオレの前に広げた。

 

「構わぬ。読みなさい」

 

 三代目は資料庫に侵入した罪を問わないおつもりらしい。オレは深く頭を下げた後、言われるままに資料に目を通した。

 

「これは…………」

 

 それは里内外で発生している行方不明者のリストだった。

 

「それはここ最近の話ではありません」

「里で暮らす一般人から暗部に至るまで、行方不明者が続出しておる」

「被害は里の中だけに留まらず、周辺の村々から赤子が攫われているんです。判明しているだけで六十名も」

 

 三代目がオレの持つ資料を悲痛そうな顔で見つめる。

 

「当時の赤子が生きていれば……十歳にはなっているだろう」

 

 十歳。成長速度は人それぞれだが、オレの頭には木遁使いの少年の姿がハッキリと浮かんでいた。

 

「一体誰が何のためにそんなことを……」

 

 言い淀んでいる三代目とは対照的に、少女がキッパリと言った。

 

「ダンゾウと大蛇丸です」

「これ、セキ……!」

「事実じゃないですか。それに、カカシさんもダンゾウの元で見たからここにいるんでしょう? ――木遁を扱う人間を」

 

 セキと呼ばれた少女には怖いものなどないのか、三代目の制止すら簡単に振り払ってしまった。

 

「初代様亡き今、木遁忍術を扱える人間を生み出そうとしたものの多くの犠牲を出し……未来永劫凍結されたはずのかつての実験がまだ行われていたということです」

「……どうしてそんなことを知っている?」

 

 手元にある資料だけではオレが木遁を扱う人間に会ったことや実験が現在も続いていることを完全に結びつけることはできないはずだ。

 少女はくすりと笑う。艶のある長い黒髪が凛と揺れた。

 

「私は覚方(おぼかた)セキ。半年ほど前、ダンゾウから受けた仕事のついでに彼の頭を少しだけ覗くことができたんです」

 

 セキが当時を思い出すように目を閉じた。

 

「ダンゾウは用済みとなった私を大蛇丸の実験体にするつもりでした。私の脳を無垢な子どもに移植し、根の人間として一から教育を施し、自分の手元に置いておこうとしていた」

 

 絵本にもなっている、人の心を喰らう化け物の話は有名だ。他人の心を読み、心をチャクラとして還元する一族の話。

 すでに生き残りはたった一人とされている覚方一族のことだ。彼女がその生き残りだったとは。

 

「私はそうなる前に三代目に保護されたので無事ですが……根にはまだまだ犠牲となった子どもや、呪印で無理やり縛り付けられた人たちがいる」

 

 セキはオレから資料を取り戻すと、元の封筒に仕舞い込んだ。そんな彼女を見つめるオレの心はすでに固まっていた。

 

「……報告すべき事柄があります」

 

 一度でも三代目に疑いの目を向けてしまった自分を恥じた。

 取り返しのつかないことになる前に、オレにはしなくてはならないことが山ほどある。

 

 

 

 三代目に扮したオレは、計画書に記載された時間ぴったりに護衛を連れて木ノ葉の正門をくぐり抜けた。

 

 すでに待ち伏せされてるはずだが、気配に漏れはない。あちらもそれなりの手練れのみを引き連れてきたようだ。

 

 計画書通りの道のりを三割ほど進んだだろうか。護衛達に多少の油断が生まれたのを見計らったかのように、空から奇襲がかけられた。

 

 特徴的なシロネコのお面の持ち主はすぐに分かった。

 彼は全身に風を纏っているのかと思うような軽やかな動きで護衛の一人を翻弄している。

 

 あまりにもその動きが早すぎて印を結ぶ前に無効化されていたり、地面にヒビを入れて安定した足場を奪っていたり(彼はその身のこなしから足場が不安定でも問題ないようだった)明らかに護衛側を圧倒していた。

 体術メインのその動きは、どこか親友であるガイを彷彿とさせる。

 

 しかし、悠長にスバルの状況を観察している余裕はない。オレのことを三代目だと思い込んでいる木遁使いの少年がこちらに向かってきている。オレを木遁で拘束するつもりだろう。

 

 少年の手のひらから無数に伸びてきた木片が、三代目から借りていた笠や外套ごと押し潰すように貫いた。だが、オレはすでにそこにいない。

 

「変わり身の術!?」

 

 思わずといった風に飛び出してきた叫び声が鼓膜を震わせる。

 木遁使いの少年が視線を彷徨わせていたのはほんの短い時間で、すぐにはっきりとオレのいる場所を捉えた。

 

 目が合った。オレはすでに右手に千鳥を宿していたし、少年の木片も目標を変えてこちらに向かってきていた。

 

「……ッ!?」

 

 オレと木遁使いの少年の間に何かが滑り込んできた。それが何かを理解する前に、振りかぶっていた右手がぴたっと止まる。

 少年の木片も力なく地面に下ろされて、辺りが一瞬静寂に包まれた。

 

『……まさかこうなるとは』

 

 静寂を切り裂いたうちはスバルが、オレの千鳥から木遁の少年を守るように立ちはだかっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 カカシの裏切りを察した俺の行動は早かった。

 

 まずは絶賛戦いの最中だった護衛の男を蹴り飛ばし、痛天脚(つうてんきゃく)を渾身の力で披露してやった。これを受けて骨が砕けなかったやつは今のところ見たことがない。

 

 以前大戦で使った時よりも威力が上がっているであろう全力の踵落としを食らった男が、悲痛な叫びを上げて悶絶している。

 

 うう、なんだか俺の方まで痛くなってきた。同性の急所を潰した時に自分もタマヒュンしちゃうアレと一緒か。これが共感性痛覚ってやつ?

 いたいのいたいの、同じになれ〜!

 

 当たれば勝ち、外せば大きな隙ができてしまう諸刃の刃な体術を無事に成功させた俺は、今まさに衝突しようとしていたキノエさんとカカシの間に滑り込んだ。

 

「……クロ!?」

 

 驚いたキノエさんが手のひらから飛び出していた木片の勢いを弱める。

 

 カカシの方も、振りかぶっていた右手が俺に当たる寸前にぴたりと止まった。その手が何かに怯えるように小刻みに震えはじめたのが気になったが、俺はキノエさんの腕を掴んで一緒に後ろに飛び退いた。

 

『まさかこうなるとは』

 

 まったく思いもしなかったよ。俺の予想では三代目に華麗に返り討ちにされる予定だったのに。

 

 そこそこの致命傷を負ってから逃亡すれば、「ワシの野望のために無茶をさせた」くらいの労いの言葉がダンゾウの口から出てくるかと思って。……ないか。ないな。ごめん、ちょっと脳内で美化しすぎちゃった。

 綺麗なダンゾウは解釈違いですパンチ食らっても仕方ない。

 

『初めからこれが目的で根に近づいたのか?』

「……違う!!」

 

 折角親身にアドバイスしたのにと臍を曲げそうになっていたら、カカシ本人から全力の否定が飛んできた。

 

 その必死な姿がどうにも嘘には思えなくて、次の言葉を詰まらせてしまった。これまで演技だとしたら人間不信になりそう。

 

『……悪いが、ここでお前達に殺されるつもりは毛頭ない』

 

 そっちがその気なら迎え撃つ覚悟はできてる。どっからでもかかってこい!

 

 ぐっと両の拳に力を入れて準備万端だったのに、カカシの口から出てきたのは意外にも肯定の言葉だった。

 

「そうしてほしい。オレに二人を追うつもりはないから」

 

 え、ええ…………。

 

 お面の内側で、俺とキノエさんはまったく同じ表情をしてる自信しかなかった。一体なんなのこの茶番。弄ばれた気分なんだけど!?

 

 俺からの疑いの眼差しに耐えられなくなったのか、カカシが周りを警戒するそぶりを見せながら、俺とキノエさんにしか聞こえない声量で呟く。

 

「二人の能力は木の葉隠れに必要だ」

「…………」

『…………』

 

 キノエさんの木遁と、ほぼ飾りと化してる俺の写輪眼とじゃ里にとっての優先度が随分と違う気がするけど。写輪眼持ちは他にもたくさんいるし。

 

 カカシもそうだとはいえ(ダンゾウに巻物を渡したことすら裏切りの伏線だったかもしれないが)三代目暗殺に関わった俺たちを生かそうとするなんて、正気の沙汰じゃない。

 

 里にとって貴重な能力を持ってるからこそ、そんな相手が敵であるという状況はむしろ都合が悪いんじゃないだろうか。

 

『……三代目は、相変わらず甘い人だ』

 

 これでもし三代目とダンゾウの立場が逆だったら? 俺とキノエさんは間違いなくこのまま消されてただろう。

 

「ミナト先生が火影だったとしても、きっとそうしていた」

 

 カカシが迷うことなく続ける。四代目と三代目ではまた対応が違っただろう。そう思ったが、あの人が俺やキノエさんの命を奪る選択をするとは確かに思えなかった。

 

 そろそろ散っていた護衛達や他の根の奴らがこちらに戻ってきてもおかしくない頃合いだ。俺とキノエさんは一歩ずつ後ろに下がっていく。カカシは追いかけてこない。

 

 なんだろう、この気持ち。熊に背中を見せたら襲いかかってくるような。俺は絶対に正面を向いたままこの場から逃走してみせるっ!!

 

 しかし、カカシは最後までその場から動かず、ただ俺たちを見送るだけだった。

 

 

 

 任務を放棄して逃げ延びてきた俺とキノエさんだったが、意外にもダンゾウからのお叱りはなかった。

 というか、ダンゾウ本人も火影室で「ついにワシが火影じゃ〜〜」(想像)と火影の椅子に座って有頂天になってたところを三代目にばっちり目撃され、次はないぞと脅され済みらしい。

 そりゃ自分がやらかしてるんだから下の人間を責められないよな。

 

 やばい、ダンゾウのそばにいたモズから聞いた話だとはいえ、想像しただけでかなり面白い。俺もその場にいられたらよかったのに!

 

 

 まさに九死に一生を得た俺だったが、現在新たな死亡フラグと格闘中である。ドウシテ……ドウシテ……。

 

「アナタがうちはスバルね」

 

 独特の粘りっ気のある話し方に、老婆のように嗄れた声。遠目で見かけたことはあるが、こうして話をするのは初めてだ。

 

『……大蛇丸様』

 

 伝説の三忍の! 蛇の方!! 脳内の俺がビシッと蛇野郎に指をさした。

 

 正直名前は記憶になかったが、ここにくる前にダンゾウが何度も口にしてたから流石に覚えた。多分寝て起きたら忘れる。

 目上の人間に対する敬意を胸に、その場に跪く。

 頭上から大蛇丸の喉をころころと鳴らすような笑い声が聞こえてきた。

 

「フフ……いい子ね。警戒心の強いダンゾウが代わりの者を寄越すなんて珍しいと思ったら」

 

 大蛇丸が喋るたびに、ぞわぞわと背中を虫が駆け抜けていくような不快感に襲われた。

 

 前言撤回させて。俺、この人の名前も容姿も話し方も声も全部忘れないと思う。こんなの夢にまで出てきて魘される。

 

「それで、私のところにダンゾウの部下が何の御用かしら」

『三代目が我々の動きに勘づいたようです』

 

 なぜ俺がこんなジメジメした場所にある大蛇丸とやらの実験場に足を運んでいるかというと、他でもないダンゾウに命令されたからだ。

 

 先日のカカシによる裏切りにより、三代目も本腰を入れてダンゾウが手をつけてる怪しげな研究を根絶しようと動き始めたらしい。

 

 実際に研究を行なっているのは大蛇丸らしいが、金銭面だけでなく人材面でも投資をしているのはダンゾウだ。

 

「そう。あの老いぼれが、ね」

 

 三代目を老いぼれ呼ばわりできるのはこの人くらいだろう。大蛇丸は手のひらに顎を乗せて思案顔をした。

 

『ダンゾウ様からの伝言です。“三代目に警戒されている間、直接会うのは控える”だそうです』

「ククク……それでアナタがここに来たわけね。よく分かったわ」

 

 ちなみに今日は正式に三代目が再就任する日である。当初は就任式を欠席して大蛇丸と密会するつもりだったらしいが、モズが全力で止めてた。

 そうだよな、そんな大事な日に欠席してたら「私は就任式を欠席してまで証拠隠滅しなければならないことがあります」って自白してるようなもんだ。三代目暗殺計画失敗したばかりだし。

 

 そういうわけで俺に白羽の矢が立ったわけだが、最後の最後までダンゾウは不満げだった。ごめんね、二人の密会を邪魔しちゃって。

 

 さて、俺の仕事も終わったしさっさと帰って寝るか。三代目暗殺未遂事件から一睡もしてない。そろそろ過労で死ぬ。

 

「待ちなさい」

 

 大蛇丸の制止する声に足を止めると、彼の手がこちらに伸びてきて――俺の猫のお面を攫っていった。

 

「やはり……うちはの男はイイわね」

「…………」

 

 も、もうヤダこの人! 貞操の危機を感じるッ!!

 

 じゅるりと舌舐めずりをした大蛇丸。今の俺はまさに蛇に睨まれたカエルである。

 やだもう帰りたいわ! こんな物騒なところもう嫌よ!

 

 大蛇丸の手がゆっくりと俺の肩から胸の辺りにまで降りてくる。

 

「…………」

 

 おいおいおい、こんないたいけなショタに何をする気だ? 俺の神聖なる領域を無断で踏み荒らしていいと思ってんのか? そこから先は誰にも触れさせたことのないオアシ……誰だ童貞って言ったヤツ。

 

 どうにも我慢ならなかったのでバシンッと大蛇丸の手を弾いた。ハエを追い払う時の動作に近い。

 

 大蛇丸は弾かれた手を摩りながらくつくつと笑っている。変態でマゾとかさあ……ちょっと俺の許容範囲外ですね……。

 

「悪かったわ。あまりにも平静だからちょっかいをかけたくなってしまって」

 

 ほお、いたいけなショタを弄んで快感を得るタイプと。見た目のまんまじゃねえか。ふざけんな!

 

「いいお面ね。覚方……あの子も私のコレクションに加えたかったのだけれど」

 

 手のひらの上でくるりとお面をひっくり返した大蛇丸の発言に、俺は無性に嫌な予感がした。

 

「貴重な生き残りを無駄にするわけにはいかないから、まずは子どもを産ませて、その子どもを使おうかしら? スバル君はどう思う?」

 

 大蛇丸が再び俺の顔にお面を被せてくる。スバル君呼びが少し……いや、非常に気になったが、今はそれどころじゃない。不快感よりも怒りが勝った。

 

『アイツに手を出すな』

 

 セキはなあ、セキはなあ……! アカデミー時代、ひたすらぼっちを極めそうだった俺に唯一関わってくれた超いいヤツなんだよ。大親友なんだよ!

 どれくらい好きかっていうと、神であるガイ大先輩と並ぶくらい大好きだ。

 

 そんな彼が大蛇丸の実験の為に子どもを産むとか……産むとか……あれ?

 

「彼女が聞いていたらなんと言ったかしらね」

『…………』

 

 そりゃあ「人を勝手に男扱いしてたなんて本当に僕の友達? 心の底から軽蔑するよ」って言われてたんじゃないですかね?

 



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第九話 ちょっと三途まで

 三代目自ら大蛇丸の研究所に向かったという報告は俺のところにも届いた。

 夜は非番だった俺とは違い、ちょうど夜勤に就いていたキノエさんが一人で任務に向かったと聞いている。

 

 ついに三代目が動き出してしまった。この間の暗殺事件もそうだし、そろそろ根自体が解体されたっておかしくない。

 

 自分しかいないアパートの自室、敷きっぱなしの布団の上でごろんと寝返りを打つ。

 やっとゆっくり寝られるってのに、心配事が多すぎてまったく心が休まらなかった。

 

「…………」

 

 キノエさんは無事だろうか。ダンゾウってやっぱ人員配置が下手すぎるというか、むしろ嫌がらせかと思うレベルだ。

 いくらキノエさんでも、たった一人で三代目やその直属の暗部に追われてる大蛇丸のフォローなんてできないって。体がいくつあっても足りないよ。

 

 俺も数時間後には別の任務があるから助っ人にはいけないし……今は大人しく寝るしかない。

 バサッと掛け布団を目元まで被って、猫のように体を丸めて目を閉じる。

 

 短時間でも十分な休息が取れるように訓練してきたおかげか、俺の意識はあっという間に夜の闇に溶けていった。

 

 

 

 大蛇丸が無事に里を抜けてから数ヶ月経った。もう一生戻ってこなくていいぞ。

 

 俺も九歳の誕生日を迎え、根での地位もそれなりに確立されてきたと思う。

 モズが単独任務に就いている時限定ではあるものの、隊長を任されることが増えてきたし、仕事にもやりがいを……感じることはなかったが、まあ苦痛は感じてない。慣れてきたしね。

 

「クロ、以前からお前の元に家族から手紙が届いていたな」

『…………』

 

 そう、ダンゾウからの急なラブコールだって慣れっこだ。

 

 いつものように急に屋敷に呼び出してきたと思ったらこれだよ。

 ダンゾウは俺の目の前で見覚えがありすぎる封筒を見せびらかすようにひらひらと揺らしてきた。煽りのつもりか?

 

「お前にとっては興味のないものかもしれないが、ワシが代わりに開封しておいた」

『…………』

 

 ツッコミどころが多すぎて追いつかない。まずは未だに俺の元に届く手紙を監視してたのかってことと、大切に自室の机の引き出しに仕舞い込んでいたはずの手紙が、どうして今ダンゾウの手元にあるのかってことだ。

 

「送られてきた手紙は読むべきだとは思わんかね?」

 

 まあその意見には概ね同意するが、人の手紙を勝手に開封しないべきだとは思わんかね?

 

 家族からの手紙を読んだら家に帰りたくなっちゃうから自制してたに決まってるだろ。決してダンゾウに開封される為に大事に置いてたんじゃないから! 

 

「うちはフガクが、お前をうちはの定例会に参加させたがっているようだ」

 

 ピキッと額のどこかで青筋が立ったのが分かる。まさか父さんがそんな露骨な内容の手紙を俺に送っていたとは。

 これまで一度も返事がない時点で察してくれてるかと思ってたんだけど。

 

「お前に暫し暇を言い渡す。まずはうちはの定例会に参加し、あちらの情報を手に入れてくるのだ」

『……暇、ですか?』

「お前には期待しているからこそだ」

 

 どうやら不満げにでも聞こえたらしい。俺としてはマジで休んでいいの? 実家に帰っていいの? 状態だったんだけど。

 

「うちはフガク達は木ノ葉に不信感を抱いている。必ず定例会でボロを出すだろう。この機会にお前はうちは側の人間だと示し、彼らから信頼を得てきなさい」

『……はい。承知致しました』

「任せたぞ」

 

 い、やったあああああ! 俺、今ならダンゾウと握手どころか両手を握りながらスキップだって出来る! やんないけど!

 

「それでは早急に手紙の返事をだ、」

『すぐに荷物を纏めて実家に帰ります』

「……そうだな」

 

 俺はその場でお面を外して、瞠目しているダンゾウに軽く一礼をした。

 いやあ、あのままお面を被ってると余計なことを口走りそうで。うふふふふ。どうしよう。ここ最近で一番嬉しい。根に入ってから一番のグッドニュースだ。

 俺の顔、気持ち悪いくらいニヤけちゃってたりしないかな?

 

 

 

 ダンゾウへの宣言通り、俺はアパートに戻ってすぐに荷物を纏めて(とは言っても小さな鞄に入る程度だ)任務で不在なキノエさんに置き手紙を残して家を出た。

 

 心臓がドキドキと高鳴っている。念のため身内によるストーカーもとい監視の目がないか、さりげなく写輪眼で辺りを見渡してみる。

 ……大丈夫そうだ。異常なくらい気配を消すのが上手いモズが潜んでない限り。

 彼は長期任務中のはずだからまさに俺の天下である。フハハハ!

 

 この一年間ほとんどを写輪眼の強化に費やしたおかげで、この目は本当によく()()()ようになった。

 

 片目だけなのにコピー忍者のカカシなんて異名が他国にまで轟き始めている人とは比べ物にならないだろうけどさ。あの人実は右目にも写輪眼入ってたりしない? もしくは前世うちは一族だろ。

 

 アパートを出てたくさんの人が行き交う商店街を抜け、次第に人が疎になっていく一本道。ここを真っ直ぐに進んでいけばやがてうちは一族の敷地内に入る。

 

 以前はもっと里の中枢に近い位置にあったが、九尾襲撃事件を経て今の場所に落ち着いたらしい。……まあ、追いやられた、が正しいんだけどね。

 ダンゾウは三代目アンチだし、父さんは木ノ葉の上層部アンチだし、もっと仲良くしてくれたらいいのに。平和が一番だよ。

 

 カサリとポケットに入れていた手紙を取り出す。ダンゾウが見せびらかしていた父さんからの手紙だ。新しい住所はここにきちんと記載されている。

 

 俺が今まで開封もせず仕舞い込んでいた手紙たちはアパートに置いてきてしまった。

 中には差出人がイタチのものもいくつかあったが、ここ一年は母さんや父さんからのみになっていたはず。……どうしよう。急に帰るのが怖くなってきた。

 

 うちは一族の敷地を跨ぐと、顔に穴が開くんじゃないかと思うくらいじろじろと見られた。ついでにコソコソ話もされてる。う〜ん懐かしいなこの感じ。これでも昔よりは幾分かマシになったほうだ。

 

 新しくなった我が家はすぐに見つかった。外装はかつて住んでいた家に寄せているせいか、懐かしさすら感じる。

 

「…………」

 

 玄関の引き戸の前でぼんやりと思考する。不思議だ。あんなに帰りたかった我が家がここにあるのに、知らない誰かの家に来てしまったような気がしてくる。

 胸を焦がすような懐かしさは、確かにここにあったのに。

 

「どちら様ですか」

 

 意を決して引き戸に手をかけると、後ろから声を掛けられた。どこか背伸びをしたような口調だ。

 

「両親は出掛けているので」

 

 目元が潤む。ああ、もうだめだ。

 

「何か伝言があれば…………え?」

 

 くるりと振り返った先。一年前に会った時よりも成長していた。見開きすぎて落っこちるんじゃないかと思うくらい大きな瞳が俺の姿を映して揺れている。

 

 肩に掛けていた鞄がするりと地面に落ちる。そんなことには構わずに、俺は目の前の弟を抱きしめた。

 

 イタチが痛くないように力を調節するのに精一杯で、もう、とにかく実感がない。イタチの肩に顔を埋めると懐かしい香りがした。

 

「スバル……兄さん?」

 

 困惑したような声は掠れていて、躊躇いがちに俺の背中に回ってきた腕は震えている。

 

 ええ……なんだか俺まで困惑してきた。幸福過多で脳内がお花畑だよ。大丈夫? 夢オチじゃないよね?

 

 抱きしめていたイタチを離して、お互い無言で見つめ合う。今更のこのこと帰ってきて何を言えばいいのか分からない。

 どのツラ下げて帰ってきたんだって責められてもおかしくない。

 

 イタチ、お兄ちゃんは覚悟できてるよ。さあ、思いつく限りの罵詈雑言をこの弟不幸者な兄に浴びせておくれ!

 

「スバル兄さん……! やっと、やっと帰ってきてくれた……」

 

 俺の心臓が緊急停止した。動いて、動いて、死んじゃうよお!

 

 イタチはぽろぽろと泣いているのに、花が綻ぶような笑みを浮かべた。

 

「おかえりなさい、スバル兄さん……!!」

 

 俺の心臓はすでに木ノ葉病院まで搬送された。

 

 

 

「よく帰ってきたな」

 

 どこか偉そうな父さんの発言にすら涙ぐんでしまうくらい、今の俺は実家に帰ってきたという安心感に気が緩んでいた。

 父さん……手紙の件は後で問いただすことにするよ。

 

「ほら、サスケ。スバル兄さんだよ」

 

 イタチが紹介してくれる前にすでに俺の膝を占領していた天使が、こちらを見上げてにっこりと笑っている。

 ここは天国かな? どうやら俺は無事に三途の川を渡れたらしい。

 

「……どうしてサスケは泣かないんだ? 未だにオレの顔を見て泣き出すのに」

 

 父さんの不満げな声に俺の鼻はぐんぐん伸びる。サスケはお利口さんだなあ。パパよりお兄ちゃんの方が大好きでちゅよね〜!

 

「に、に!」

「…………」

 

 かつてのイタチを彷彿とさせるカワイイパンチにタコ殴りにされた俺は、こっそりと胸を押さえて悶絶した。

 ああ、可愛い。なんてことだ。一年以上こんなに可愛い存在と触れ合ってこなかったなんて大損失だ!

 そうだ、ダンゾウに慰謝料請求しよう。俺はその金でうちはの敷地内にブラザーランドを創設し、弟達と夢の世界を――

 

「暗部ではどうだった」

 

 俺の妄想に土足で入り込んできた父さんが頭にネズミの耳をつけたまま尋ねてきた。幻覚でも似合ってないなそれ。

 

 俺はサスケの身体を腕で支えながら、指文字を綴る。

 

《とくに なにも》

 

 ダンゾウがブラックってこと以外はわりと順調だと思う。それが一番の問題なんだけど。

 大蛇丸の里抜けにより例の研究は凍結されちゃったし、ほんの少しはホワイトなダンゾウに近づいたんじゃないだろうか。一ミクロンくらい。

 

「ならばどうしてこれまで一度も……いや、この話は後でするとしよう」

《わかった》

 

 盆栽の手入れに戻っていった父さんの背中を見送る。

 まるで滑り台を逆走するかのように黙々と俺の体を登ってきていたサスケの背中をさする。ヤンチャだなあ。

 

 かつての俺やイタチの部屋と同じように小窓が付いているのサスケの部屋に、夕飯の支度をしていた母さんがひょっこりと顔を出した。

 

「スバル、イタチ。ジャガイモの下拵えを手伝ってくれる?」

「サスケはどうするの?」

「お父さんに任せることにするわ。庭にいるんでしょう?」

「うん……」

 

 心配そうに俯いたイタチを怪訝に思っていたが、理由はすぐに分かった。

 

「いやあああああああ! ぎゃあああああ!!」

「さ、サスケ、こら! 髪を引っ張るんじゃない!!」

「…………」

 

 俺の手を離れ、父さんが抱き上げた瞬間にギャン泣きするサスケ。ここにいる全員の鼓膜を突き破るような大声だった。

 想像以上に嫌われてて楽し……いや、可哀想だな。父さんのあんな焦った顔、初めて見たかも。

 

「……スバル兄さん、なんだか嬉しそうだね」

 

 おっと、死にかけの表情筋が仕事をしていたらしい。それとも、イタチだから分かったんだろうか。

 

《まだ いってなかったな》

 

 俺はふっと笑みを浮かべる。本当に、ここに帰ってこられて良かった。イタチとサスケの隣に。

 

《ただいま》

 

 

 

「そうか、オレの手紙を読んで帰ってきたんだな?」

 

 イタチとサスケが寝静まった頃。蝋燭の灯りが揺らめく薄暗い部屋には、俺と父さんと母さんの三人しかいない。

 

「ここにはいつまで居られるんだ」

《わからない》

「……うちはの定例の会合が三日後にある。本来は下忍になった日から参加資格があったが、いよいよお前にも参加してもらうことになった」

 

 恒例の木ノ葉への悪口大会ね。楽しそうじゃないか。ダンゾウの悪口なら任せてくれ。

 

 こくりと頷いた俺に、母さんが正座を崩してすぐ隣にまでやってきた。労わるように俺の肩を撫でていく手のひらが温かい。

 

「暗部で辛いことはない? 貴方は昔から自分の心を素直に表現することが苦手だから……」

 

 俺が素直に感情を表現してたら、今すぐ父さんめがけてちゃぶ台返しして「そんなくだらない会合に参加してる時間があるならイタチとサスケを愛でてるわバーカ!!」って走り去ってるけどいいの? このまま二人が寝てるお布団にインしちゃうけど後悔しない?

 

《もんだいないよ》

 

 勿論賢い俺はそんなことはしないさ。これまでダンゾウの元でひたすら耐え忍んできたからな! これくらいは朝飯前である。

 

「スバルが帰ってきてくれて嬉しいわ。……もう戻ってこないんじゃないかって、」

「……おい」

「ごめんなさいね。不安だったの」

「…………」

 

 俺ももう二度と母さん達とこうして一緒に過ごせないんじゃないかと思ってたよ。

 

「イタチもずっと、スバル兄さんはスバル兄さんはって言ってたのよ。……どうしてこれまで一度も手紙の返事をくれなかったの?」

 

 聞かれるだろうなとは思ってたけど、いざとなると言い訳の一つも思いつかないものなんだな。

 ここで正直にダンゾウの監視の目が……なんて言ってしまえば、これまで俺がしてきたことが全て水の泡になってしまう。

 

《ごめん》

 

 どんなに忙しくても手紙の一通くらい出せたはずだ。俺にはただ、謝ることしかできない。

 

《こちらからだす てがみは》

 

 謝ることしか出来ないけど、罪を償うべきは俺じゃなくてダンゾウだしね?

 

《かならずないようを あらためられる》

 

 父さんと母さんがごくりと唾を飲んだ。

 

《だからへんじは ださないようにしていた》

 

 久しぶりにこんなにたくさん指を使って話したせいか、なんだか息切れしそうだ。変だよな、口で喋ってるわけでもないのに。

 

 実際は俺から出す手紙だけじゃなくて、父さん達からの手紙が内容を検められるんだけど。こっちは伏せといた方が良さそうだ。

 

「どうしてそこまで……?」

「……根は三代目すら全てを把握されていないほど機密が多い組織だ。外部に情報が漏れるリスクを少しでも減らす為だろう」

 

 俺が言いたかったことを代弁してくれた父さんに頷く。

 事実とは異なるけどそういうことにしておいてほしい。イタチ達をダンゾウの魔の手から守る為だ。

 

「だが、お前はうちは一族のスバル。そのことを忘れたわけではないな?」

 

 そんなことは生まれた時から嫌というほど分かってる。俺はそれ以外の何者にもなれない。

 うちは一族のスバルでなければ、俺はイタチやサスケのお兄ちゃんにすらなれないんだから。

 

「分かっているならいい。暫くは任務がないんだろう? イタチやサスケとたくさん遊んでやるといい」

《うん》

 

 それも言われるまでもない。大きく頷くと、母さんが何かを思い出したように目を輝かせた。

 

「そうよ、スバル。イタチが何歳になったか知ってる?」

「?」

 

 藪から棒に。イタチの年齢が一体……俺が九歳になったから、三つ下のイタチは六さ……ああっ!?

 

「そうなの。来月にはアカデミーの入学式よ。当然参加するわね?」

《ぜったいに いく》

「そうよね!」

 

 すっかり忘れてた! クソッ、兄としたことが何という体たらく。そうだよ、イタチもアカデミーに通う年齢じゃないか!

 

「それでこそスバルよ。お母さん安心しちゃった」

「……だが、休暇がいつまでか分からないんだろ? 大丈夫なのか」

 

 フッ、父さんもまだまだだな。今の俺はうちは側の人間だと見せつけてこいとダンゾウ直々に命令を受けている身。家族と交流を深めるためなら休暇延長申請くらい通るはずだ! いや、通してみせる!

 

 

 

 うちは一族の敷地内にある南賀ノ神社。

 

 父さんに促されるまま障子を開くと、いくつもの目が一斉にこちらを向いた。広くもない部屋を二十人以上の一族の人間が埋めている。

 

 その場で足踏みしそうになった俺の逃げ道を断つかのように、背後で障子がピシャリと閉まる音がする。

 わあ、これでもう逃げられないね!

 

「フガクさん」

 

 見覚えのある顔が父さんを呼んだ。うちは一族の中で父さんの次かその次くらいに発言力のある人……だったはず。

 

「ヤシロ、どうした」

 

 そうそう、ヤシロさんだ。彼は父さんに何かを耳打ちすると、気遣わしげにこちらを見る。

 

「……そうか。だが、皆には納得してもらうしかない」

 

 父さんが僅かに眉を寄せる。俺絡みで何か不都合が起きたとみた。……まあ、大体の見当はついてるけど。

 険しい顔つきで部屋の一番奥にまで進んで行った父さん。俺はこの後どうすればいいのかと思っていると、ヤシロさんがすぐに気づいてフォローを入れてくれた。

 

「もっと小さい頃に会ったことがあるんだが……ヤシロだ。今日はよろしく頼む」

「…………」

 

 お互いに軽く会釈する。

 

「スバルはそこに座っていてくれ。すぐに会合が始まる」

 

 こくりと頷いて、指示された場所に座った。見事に下座である。上座に座ってるのは、勿論父さんだ。

 その隣にヤシロさんが座ると、その場にいる全員が小声でのお喋りをぴたりと止める。

 

「会合を始める前に新顔を紹介する」

 

 ヤシロさんの目がこちらに向くと、その場の空気が一気に冷たくなった。その中には明らかに俺に敵意を向けている人もいてひどく居心地が悪い。

 

「フガク殿の御子息、スバルだ。今日から会合に参加することになった」

「息子はすでに暗部として里の内部に身を置いている。……我々の情報が漏れるのではないかと危惧している者がいることも理解している」

 

 一体九歳の子どもの何を恐れてるんだと言いたい。

 俺はまだぴちぴちで人畜無害なうちはスバル君だぞ! ダンゾウには逆らえないので実はスパイ目的でここにいるけど怖くないよ。誓って無害だよ。

 

「しかし、息子は紛れもなくうちは側の人間であると保証する――これは父親としてではなく、オレ自身の言葉として皆には受け止めてもらいたい」

「…………」

 

 これ実は俺への精神攻撃だったりする? 滅茶苦茶刺さってるんだけど。父さんへの後ろめたさで心が痛……くはないな。無傷だったわ。

 

 父さんが深く頭を下げると、さっきまで俺に敵意を向けていた人たちの中に動揺が走った。

 父親にここまでされて息子である俺がそのままでいるわけにもいかない。きちんと姿勢を正して、頭を下げる。

 微かに残っていた敵意が薄らいでいくのを感じた。

 

「それでは、会合を始める」

 

 ヤシロさんの厳格な声に耳を傾ける。会合での議題はやはり、木ノ葉上層部によるうちは差別を何とかしようぜ! だった。

 

 俺が死ぬほど頑張ってダンゾウの隙をついて殺すでもしないと無理だと思うなあ。死ぬほど頑張っても殺せそうにないのがダンゾウなんだけど。

 

 九尾襲撃事件後にうちは一族が里の端っこに追いやられたのだって、言い出しっぺはダンゾウだったはずだ。三代目の意見のみが通っていたなら、きっとこうはなっていない。

 

 ……待てよ。ここで父さんたちが里に反旗を翻したとして、大戦と九尾襲撃による傷がまだまだ癒えてない木ノ葉にとって大打撃なのは間違いない。

 木ノ葉が傾けば、隣国は迷わず攻め込んでくるだろう。誰だって甘い蜜は吸いたいものだ。

 

 そもそもうちはがここまで追い詰められたのは誰のせい? ダンゾウですね。アイツが全部悪いじゃん。何これ。

 辛うじて父さん達は今すぐ木ノ葉をぶっ潰すぞ! とまではなっていないみたいだが、時間の問題な気がする。

 

「スバル。暗部であるお前から見て、三代目や側近のダンゾウ、相談役の二人はどうだ?」

 

 急に父さんから話を振られてびくりと肩が震える。びっくりした。少なくとも今日は話を聞き流してるだけで済むと思ってたから油断してた。下っ端に意見を求めないでくれよ。

 

 指文字で返答するにはそこそこ長くなりそうで億劫に思っていたら、隣に座っていた人から紙と筆を手渡された。えっ、これに書いていいの?

 

 紙を受け取ってから真っ先に《ありがとう》と書くと、その人はちょっと意外そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうにニカッと笑う。

 よく見れば俺と同じか少し下くらいの年頃の少年だった。

 

《相談役の二人とは直接話したことはない。三代目は良くも悪くも慎重で、白黒をつけずにグレーにするような人だ》

 

 下座から部屋の中央に移動して、紙にすらすらと文字を書いていく。

 父さんたちが興味深そうに覗き込んできてるんだけど、こんなに人に囲まれるの苦手だから正直やめていただきたい。暑苦しい。

 

 さてさて、ここからが本番だ。気を取り直してダンゾウの悪口大会を開催しようと、筆を持つ力にぐっと力を込める。

 

《ダンゾウ様は――》

 

「…………ッ!」

 

 手から滑り落ちた筆が、紙の上に墨をばら撒いて転がっていく。

 

「おい、どうした!?」

「スバル!?」

 

 その場に蹲って体を折り曲げて震え出した俺に、父さんとヤシロさんが焦ったように肩を掴んでくる。

 

 ポタポタと冷や汗が畳の上に落ちる。呼吸もできなくなるんじゃないかと思うくらいの激痛だった。

 

 痛みの出どころは分かってる。俺は右の脇腹を押さえながら、ひたすら浅い呼吸を繰り返した。

 まるで自分の身体の中で別の生き物が暴れ回っているかのよう。それは次第に弱まっていき、だんだんと頭に酸素が行き渡るようになってきた。

 額に浮かんでいた汗を腕で拭うと、ぼやけた視界の中で父さんが見たことのない表情でこちらを見ているのが分かった。

 

「スバル……お前…………」

「…………」

 

 ダンゾウの呪印が発動したらしい。

 

 本来、根の人間にはダンゾウや根に関することを外部に話せないように、舌にダンゾウの呪印が施されることになっている。

 

 なぜ舌なのかと言うと「死人に口なし」「口は禍の元」などという諺があるように人間というものは己の中にある何かを他の誰かに共有しようとする時、大概は口を使う。

 

 ダンゾウの呪印は口のみではなく、今回のような紙に文字を書く場合でも発動するが、こういった“呪い”は形式がとくに大事らしい。舌とその他の場所に同じ呪印を施すのとでは、ずいぶん効力に差が出るのだとか。

 

 俺の場合は舌ではなく右の脇腹の辺りにダンゾウの呪印がある。元々喋れないから舌よりもそっちの方が縛りやすいって理由らしい。

 初期の反抗的な態度が悪かったのか、情報漏洩阻止目的以外にも、ダンゾウへの強い敵対心を抱いただけで呪印が発動したりする。

 

 ほら、前にキノエさんに「家族のことは忘れろ」って言われた日もそうだった。あの時は相当強い憎しみを抱いてたからなあ。

 

「……今日の会合はここまでとする」

 

 父さんは一族の集まりよりも俺の体調を考慮してくれたようだ。

 

 なんだか申し訳ない。まさかダンゾウの悪口を紙いっぱいに書き連ねようとした代償がここまで重いとは思わなかった。

 てっきり、以前のように脇腹の辺りがびりびりと軽く痺れる程度だとばかり。……ダンゾウ、俺の呪印だけ強めにしてるとかじゃないよな?

 

「……あの!」

 

 父さんの肩を借りながら部屋を出ようとしたら、先ほど俺に紙と筆を貸してくれた少年が慌てて立ち上がるのが見えた。

 

「これ、使ってください」

 

 それは綺麗にたたまれた手拭いだった。お礼を伝える気力もなかった俺の代わりに、父さんが少年の手のひらから受け取る。

 

「すまないな……シスイ」

「いえ」

 

 少年はにこりと笑って、未だに冷や汗をたっぷり掻いている俺に向かってひらりと手を振った。

 弱ってる時は他人の優しさが身に染みる。シスイ君、この御恩は一生忘れないからね。

 

 

 

 南賀ノ神社から帰ってきてすぐに気絶するように寝て起きたら、隣でイタチがすうすうと眠っていた。

 疲労が一瞬で飛んでいった気がする。イタチパワーすごい。

 

 ゆっくりと伸ばした手のひらでイタチに触れる。うわ、頬がびっくりするくらいぷにぷにだ。俺がイタチくらいの年頃の時ってこんなに柔らかくなかった気がするのに。

 

「……兄さん?」

 

 ぼんやりと開いた瞳と目が合った。やべ、つい触りすぎて起こしちゃった。

 イタチはゴシゴシと手の甲で目元を擦りながら身体を起こす。被っていた薄い毛布がはらりと落ちた。

 

「え?」

 

 イタチの指が俺の目元で何かを拭うような動作をする。

 

「スバル兄さん……どうして――泣いてるの?」

 

 泣いてる? 俺が?

 

 むしろ今にも泣き出しそうなのはイタチの方だった。鼻を赤くさせて、顔の中心にぎゅうっと力が入っている。

 

「父さんと何かあった?」

「…………」

 

 目を覆っていた薄い膜が破れる感覚がしたと思ったら、ぽろっとこぼれた滴が頬を濡らしていた。これには流石に驚いて、イタチの指に被せるようにして自分の顔に触れる。

 ……どうやら、本当に泣いているのは俺の方だったらしい。

 

 嘘だろ。弟の前で泣くなんて格好悪い。今まで一度もイタチに見られたことなんてなかったのに。

 

 イタチは唇を噛みしめて、勢いよく俺に抱きついてきた。動揺しまくっていた俺の思考が完全に停止する。

 イタチと俺、どちらのものか分からない心臓の音がとくんとくんと一定のリズムで鳴っていて、全身に血が巡っていく。ホッと息をついた。

 

「大丈夫、大丈夫だよ兄さん。オレがずっとここにいる」

「…………」

 

 昔から、イタチは俺にとって“魔法”だった。ただそこにいてくれるだけで心が安らぎ、その言葉はいつだって俺を救ってくれる。

 

 落ち着いてきていたはずの涙腺がまたゆるっと緩む。もうダンゾウの呪印による痛みもないはずなのに、痛くて痛くてしょうがない。

 呪印による痛みなんてただのきっかけにすぎない。俺はただ……ずっと辛かった。根に入ってダンゾウの元で任務をこなし始めてから、何もかも。

 

 だけど、もうこれ以上弟の前で醜態を晒すわけにはいかない。涙が溢れないように極力目元に力が入らないように気をつけながら、ずずっと鼻を啜る。

 くそう、いかにも泣いてます! と主張してくる鼻を啜る音すら恥ずかしい。

 

 もう大丈夫。これ以上は余計に泣きそうだからちょっと……。

 ありがたさ半分気恥ずかしさ半分で、俺に抱きついていたイタチを引き剥がそうとしたら、倍以上の力で反抗された。なんで!?

 

「今くらいはオレの好きなようにさせてよ」

「…………」

 

 イタチの好きなようにって、俺の情けない泣き顔を満足いくまで眺めることなの? なんの拷問?

 

 もうこれだけじっくり見られちゃってたら今更か。俺は諦めてぐったりと全身の力を抜いた。

 この勝負、お兄ちゃんの負けです。好きなようにしてください。五体投地。

 

 イタチは満足げに俺に擦り寄ってきて、ぴたりとさらにくっついてきた。もうどうにでもな〜れ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 スバル兄さんが家を出てから何年経っただろう。あれから兄さんは一度も実家に顔を出すことなく、手紙をくれることもなかった。

 両親から「お前が出せばいけるはずだ」「あなただけが頼りなの、イタチ!」と謎の後押しを受けたオレが書いた手紙にも勿論返事は来ていない。

 

 “便りの無いのは良い便り”という言葉があるように、きっと兄さんは一人前の忍として忙しくも充実した日々を送っているのだろう。

 そんな物分かりのいい弟のような考えもあれば、手紙の一つくらい送ってくれたっていいのになんて自分勝手な考えも出てきたりする。

 

 兄さんはサスケが生まれたことや九尾によって以前住んでいた集落が跡形もなく破壊されてしまったことも知っているはずだ。

 

 オレの知る兄さんは大切な修行を中断してでもオレとの時間を優先してくれて、後で自分の睡眠時間を削ってきちんとノルマをこなすような真面目で優しい人だ。

 だから、そんな兄さんがここまで一度も家に帰ってこないなんて予想すらしていなかった。

 

 体を壊しているんじゃないだろうか。そんな心配も顔を出してくるし、毎日気が気じゃない。

 それ以上に、兄さんがオレたち家族のことをもうどうでもいいと思ってるんじゃないか、なんて想像をしてしまった日は辛かった。

 

 それでも時間は流れていき、ついにアカデミーに入学できる年になった。これでやっと一つスバル兄さんに近づける。

 

 その日は父さんも母さんも手が空いてなくて、久しぶりにたった一人で手裏剣術の修行をしていた。

 距離は近いとはいえ以前は難しかった位置にある的に突き刺さっている手裏剣を引き抜く。今日はこの辺にしておこう。

 

 家に帰る前にうちはの商店街に寄ると「サスケくんは元気かい?」「余り物だけど持っていきなさい」と次々に声をかけられて両手は貰い物でいっぱいになってしまった。

 これは母さんが幸せな悲鳴をあげるだろうなと苦笑する。

 

 自宅近くまで戻って来たところで、オレは玄関の前に誰かが立っていることに気づいた。

 こちらに背を向けているその人はうちはの家紋が入った服を着ていない。集落の外から来た人だろう。

 排他的で人を寄せ付けない雰囲気のあるこの場所にうちは一族以外の人が訪ねてくるのはとても珍しい。

 

「どちら様ですか」

 

 声をかけると僅かにその人の肩が震えた。その反応を怪訝に思いつつ言葉を続ける。

 

「両親は出掛けているので、何か伝言があれば……」

 

 その人がゆっくりとこちらを振り返る。後ろで一つ結びにしている髪が揺れて、あっと思った時には懐かしい瞳に見つめられていた。

 

 スバル兄さん。

 

 ずっと会いたかった兄がそこにいた。記憶にあるよりも髪が伸びていているし、身長はいうまでもない。

 顔つきも少し変わったかもしれない。オレを見つめる瞳の温度だけは以前のままで、胸の奥がじんっと熱くなった。

 

 スバル兄さんが肩に掛けていた鞄が地面に落ちる。その時点で「兄さんがオレたちのことをどうでもいいと思ってる」なんていうオレの想像は想像でしかなかったんだと気づいた。

 だって、その後すぐにオレのことを全力で抱きしめてくれたんだから。

 

 オレを抱きしめている兄さんは力の調節が上手くいっていないのか少し痛かったけれど、まったく気にならない。それ以上に嬉しかった。

 兄さんが目の前にいて、言葉にしなくても全身でオレのことが大切だと教えてくれている。こんなに幸せなことはない。

 

「…………やっと」

 

 喉の奥で何かがつっかえて息がしづらい。

 

「やっと、帰ってきてくれた……」

 

 一族の人には「イタチくんは随分と大人びてるのねえ」なんて言われてしまうオレが、この人の前でだけはどうしようもないくらい()()()になってしまう。

 

「おかえりなさい、スバル兄さん……!!」

 

 兄さんはオレの頬を濡らしていた涙を拭うと、昔のようにオレを抱き上げたまま家に入ろうとする。

 しかし、疲労のせいか途中で足がもつれてオレごと玄関に転んだ。兄さんが全力で庇ってくれたようで怪我はない。

 

「す、スバル兄さん!?」

「…………」

 

 むくりと起き上がった兄さんが再び玄関と一体化する。オレはサーッと顔を青くさせた。

 

「こっ……木ノ葉病院!!」

 

 今すぐにでも走り出そうとするオレの腕を掴んだ兄さんが首を横に振る。ああ、またそうやって我慢して強がって!

 

「兄さんの大丈夫は大丈夫じゃないって知ってるんだからね。ほら、病院が嫌ならすぐに部屋に戻って、母さんが兄さんがいつ帰ってきてもいいようにって部屋を整えてくれてるから!」

「…………」

 

 身長と筋肉のせいか随分と重たいスバル兄さんをずるずると引きずりながら、何とか兄さんを布団の中に押し込むことに成功した。

 

 

 

 夕方になると出かけていた両親とサスケが家に帰ってきた。

 涙ぐむ母さんに抱きしめられたスバル兄さんがカチカチに固まっていたり(あれは動揺してる時の兄さんだ)、人見知りの激しいサスケが勝手知ったる我が家のように膝を占拠しているのを穏やかに見つめていたり、家族全員が初めて揃った時間はとても温かい。

 

 サスケがスバル兄さんに向かってにぱーっと笑うたびに兄さんは自分の胸を押さえて眉を寄せてしまう。

 どこか悪いんだろうか? さっき玄関で倒れたことといい、一度無理矢理にでも病院に連れて行った方がいいかもしれない。

 今だって涼しげな顔をしているけれど疲れているはずだ。

 

 

 スバル兄さんが一時的に実家で過ごすことになってから数日後。

 一族の会合に出席した兄さんが倒れたらしい。慌てて帰ってきた父さんはすぐに母さんを呼んで、オレはバタバタと兄さんの部屋を出たり入ったりする母さんの代わりに布団を敷いた。

 

 父さんに背負われて帰ってきたスバル兄さんの顔色は、びっくりするくらい悪かった。

 

「スバルがどうしてこんな……」

「説明は後だ。オレも戻らなければ」

「会合を途中で抜けてきたのね?」

「ああ。またすぐに帰ってくる」

 

 両親はぽんぽんと会話を続けて、部屋を出ようとした父さんは最後にスバル兄さんを見つめて……複雑な表情をしていた。

 

「スバル兄さん……」

 

 オレの声に反応した兄さんは布団に横になりながらこちらに手を伸ばしてくる。一瞬頬に触れた手のひらは冷たい。

 

《だいじょうぶ》

 

 指文字を綴った兄さんはそのまま眠ってしまった。

 

 

 

 スバル兄さんの額に浮かぶ汗を拭いたりしていたら、いつの間にか眠っていたらしい。

 頬に何かが触れたような気がして目を開けると、兄さんと目が合った。

 

 兄さんはどこか申し訳なさそうな表情をしたと思ったら、次の瞬間にはつうっとその頬を何かが伝っていく。兄さんの表情には一切変化がない。

 

「スバル兄さん……どうして――泣いてるの?」

 

 まるで自分が泣いているような……上手く言えないけれど、急に胸が苦しくなってぎゅっと唇を噛む。

 

 スバル兄さんは言われて初めて自分が泣いていることに気づいたらしい。自分の頬に触れて驚いたように目を見開いた。その拍子にまた一つ二つと大きな雫がこぼれ落ちていく。

 

 見ていて痛々しかった。兄さんは自分の痛みにあまりに鈍感すぎる。

 

 スバル兄さんは泣いている顔をオレに見せたくないのか顔を逸らそうとしたので、代わりにぎゅうっと抱きしめた。

 兄さんの身体がぎくりと強張ったのが分かる。暫くすれば肩に入った力も抜けていき、遠慮がちにオレの肩に頭を寄せてきた。

 自分の兄に向ける感情としては正しくない気もするけど、こういう時の兄さんはちょっと可愛いと思う。

 

 ……オレが兄さんを守れたらいいのに。

 

「大丈夫だよ」

 

 また時間が経った頃に思い出したように抵抗されたが「たまにはオレの好きにさせてよ」と言えば大人しくなった。諦めてくれたらしい。

 そっと顔を窺うとなんだか不貞腐れているようにも見える。もう一度さっきよりもスバル兄さんに密着して頬を胸に当てる。

 

「あのね、スバル兄さん。これから少しでもいいから……こうやってオレに弱いところも見せてくれたら嬉しいな」

「…………」

 

 返事の代わりに頭を撫でられた。これは適当に誤魔化そうとしている時のスバル兄さんの癖だ。

 

 オレはむうっと頬を膨らませる。しかし待ってましたと言わんばかりに飛んできたスバル兄さんの指によって頬の風船は破られてしまった。

 

「…………」

 

 昔からスバル兄さんはオレの膨らんだ頬を指で潰すのが好きだった。オレはまったく楽しくないのに。

 

「もういいよ。オレがちゃんと兄さんを見ていればいいだけだから」

 

 一緒に過ごすたびに兄さんの新しい一面を知っていける。

 スバル兄さんに笑みを向けると、今度は誤魔化しでも何でもなく、いつものように優しく頭を撫でてくれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 会合があった翌日。すっかり元通りの元気を取り戻した俺は、サスケを抱っこしながら、うちはの商店街を歩いていた。

 やはり多方向から視線を感じるが、今日はなんだかいつもと雰囲気が違う。なんだろう。

 

「とーふ!」

 

 簡単な単語の意味ならしっかりと理解しているらしいサスケ。

 でも「とーふ!」と連呼しながら俺の頬をブスブスと指でブッ刺してくるのはちょっと違うかな。俺のほっぺは豆腐じゃありません。

 

 商店街の角にある豆腐屋に顔を出す。あのお婆さんは健在だった。

 ちらりとこちらを見たかと思うと、ガタンッと座っていた椅子から立ち上がった。ヒェッ。

 

「あ、ああ……いらっしゃい。よく来たね」

 

 耳を疑った。俺がここに来れば必ず盛大な舌打ちと共に出迎えてくれていたお婆さん。……幻術か?

 

 俺が写輪眼を発動するよりも早く、お婆さんが俺の手に豆腐の入った袋を握らせて「お代はいらないよ」と言った。

 いやいや。本当にどうしちゃったのさ。いつもならここで見送り代わりにもう一度舌打ちが飛んできてるところだろ?

 

「ばあば!」

 

 サスケが婆さんをビシッと指差す。あってる、あってるけど。サスケの満面の笑みに婆さんが怯んだ。いや、まだ光タイプに弱いのかよ。

 

「すまないねぇ……こんなに小さいのに、しっかりと里のために働いて……それをワシ達は、」

「…………」

 

 心からの言葉に聞こえた。

 

 でも、それを心の底から欲しがっていた子どもは、もういない。

 

 無性にやるせなかった。豆腐屋の婆さんがどうして急に俺に懺悔しようと思ったのかは分からないが、何もかもが遅すぎる。

 

 俺はポケットから豆腐代を取り出して、無理やり婆さんの手に握らせた。

 何が腹立つって、俺には今も昔もこの人に向けるべき感情なんて一つもないってことだ。それを今更こんな形で掘り返されることになろうとは。

 

「また来ておくれ」

 

 確かなことは、心の奥底ではもう一度ここに来たいと思ってることだった。

 

 

 

 サスケとのデートを終えて帰宅していた俺は、自覚があるくらい険しい表情で手元を睨みつけていた。

 

【中忍昇格試験を受けてきなさい】

 

 手に持っていた巻物を床に落とした。巻物は俺が読んだことを確認するや否や、するすると床に溶けるようにして消えていく。証拠隠滅に抜かりがない。

 

 代償が高くついたな。休暇延長申請を出して、漸く返事が来たと思ったら。

 

 今期の中忍試験が、ちょうどイタチのアカデミー入学前に行われるらしい。

 ダンゾウからの返事は「一ヶ月も悠々と休めると思うなよ。せめて中忍試験の一つでも受かってこい」だった。

 実際はこんな言い方じゃなくて、もっとこう……じわじわと追い詰めてくるような嫌な言い回しが使われてる。思い出したくもないよ。

 

 どうせ中忍試験は受けなくちゃいけなかったし、それでイタチの入学式に参列できるなら安いもんだ。……もし中忍になれなかったらどうなるんだろう。やっぱり入学式参加は取り消し? 断固阻止!

 

「すば、に?」

 

 来客用の部屋(帰省してる間は俺の部屋)で拳を握りしめていると、半分開いた障子の隙間から天使が顔を出していた。

 その声は、我が弟、サスケェではないか!?

 

 その場に膝をついて両手を広げると、天使がぱあっと破顔する。さ、サスケェッ! お前は俺にとってふたつ目の光だ! 愛してる!!

 

「すばにぃ!」

 

 ぽすんっと俺の腕の中に飛び込んできた天使がキラキラと目を輝かせながら見上げてくる。

 待って、すばにぃって、まさか、スバル兄さんってこと? 俺の名前を呼んでくれたの……?

 

 幸せメーターがカンストしかけた瞬間、俺の膝にお座りしていたサスケが真顔になった。

 唇を結んだまま、俺ではないどこか遠くを見ている。悟りを開いたかのような表情だ。

 

 その直後に、部屋中に芳しい香りが充満する。うん、そうだろうと思った。たくさん出したんだなサスケェ……。

 弟のオムツを替えるのは兄にとってご褒美である。これ、この世の理な。

 

 古いオムツを捨てて、汚れたお尻を綺麗に拭いてやると擽ったいのかキャッキャッと笑うサスケ。

 

 お前は本当にイタチにそっくりだなあ。将来は間違いなく美人になるぞ。男にしておくのが勿体無いくらいだ。

 ……いや、お兄ちゃんは弟だろうと妹だろうと、お前を愛する気持ちに変わりはないけどな! それだけは忘れないでくれ。

 

 よし、オムツも新しいのにしたし完璧だ。久しぶりの作業だったけど忘れてなくて良かった。

 

「にぃ、めっ」

 

 なんかよく分かんないけど叱られた。ごめんなさい。

 

 とりあえずサスケを抱き上げて部屋を出る。サスケは俺の肩をぺちぺち叩きながら「めっ、めっ」を繰り返していた。

 それは俺の存在がダメってことかい? サスケ君よ……。

 

「スバル兄さん! サスケ!」

 

 ちょうど父さんとの忍術の練習から帰ってきたイタチと縁側で鉢合わせになった。

 俺からサスケを受け取ったイタチが「あれ?」とサスケを目線の高さまで持ち上げて首を傾げる。

 そんなイタチの後ろから父さんがこちらにやってくるところだった。

 

「もしかして、スバル兄さんがサスケのオムツを替えたの?」

 

 えっ、よく分かったな。戸惑いつつ、こくりと頷く。もしかして、うちは流オムツ装着の術でもあった?

 

「スバルはイタチのオムツも替えたことがあるからな」

 

 父さんの言葉にイタチの顔が真っ赤になった。

 

 全てを察してしまって申し訳ない気持ちになる。ああ、俺がオムツを替えられないと思ってたのかイタチは。まさか自分のオムツを替えてもらってたなんて思わないよな。

 

「スバル兄さんが……オレの…………」

 

 ごめんな、イタチ。そんなことわざわざ言われたら誰だって恥ずかしいよなあ。

 

「ウッ!!」

 

 俺はすれ違うついでに父さんの足をさり気なく踏んでいった。これでおあいこってことで頼む!

 



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第十話 ずっとあなたのことが

 しとしとと降り続く雨はいつだって止むことはない。この国は泣いてばかりいる。

 

 私は雨が嫌いだ。戦争が嫌いだ。この国が――大嫌いだ。

 

 止まない雨が土地を乏しくし、必死に守り抜いたかと思えば、大国に蹂躙されては死と再生を繰り返している。

 誰もが見えない明日に怯えていた。……私自身でさえも。

 

「近いうちにまた大きな戦争が起きる。その前に大国に避難しよう」

 

 逃げ続ける生活に疲弊していた私たちの前にそれ以外の選択は残されていなかった。

 父の提案に、母は私を抱きしめて涙を流しながら頷く。

 

 そうして私たち家族は迫りくる戦禍を逃れて大国――火の国にある木ノ葉隠れの里へと亡命することとなった。

 

 

 

 アカデミー入学前に両親を病気で亡くした。

 

 長い間劣悪な逃亡生活に置かれたことが原因だろうと医者に残念そうに言われたが、私にはもう流す涙も残っていない。

 

 忍でもない、心を隠す術すら持たない医者の心を読むことなど赤子の手を捻るよりも簡単なことだった。

 

 貴方が本当に残念に思っているのは、貴重な血を受け継ぐ者が私だけになってしまったからでしょう?

 

 私は木ノ葉による保護を拒否して、たった一人で生きていくことを心に決めた。

 

 一人で生きていくためには相応の力が必要になる。その日から私はありとあらゆる書物を読み漁り、独学で忍術を学んでいった。

 

 今になって思えば、周りの人間全てが敵に見えていたんだと思う。覚方(おぼかた)一族は雨隠れにいた時から異端で、常に迫害を受けていたから。

 

 私だって好きで他人の心を見ているわけではないのに。私が彼らの畏れを理解できないように、彼らも私の苦悩を理解しようとはしなかった。

 

 

 

 念願の忍者学校への入学式。純粋な子どもの心は、読もうとしなくても私の元に届いてしまうことが多い。その日もそうだった。

 

 “あ〜あ、三代目の話長いなあ”

 

 “父ちゃんと母ちゃん、ちゃんと見にきてるかな?”

 

 小さな心の塊が僅かなチャクラとなって私に還元されていく。

 ほとんどの子が入学式を退屈に思っていたり、参列している父兄の存在に気を取られている中、私の隣に立っている男の子だけは違っていた。

 

 “俺が悪かったんだろうか”

 

 ぷつんっとそれ以外の“声”が遮断される。隣の男の子の心の声があまりに強すぎるせいだ。

 

 “イタチに嫌われたくない”

 

 聞いているこっちが神妙な顔になってしまうくらい切実な声だった。

 

 こっそりと男の子を横目で見てみると、心の声とは似ても似つかない、落ち着いた雰囲気を纏っている。その整った顔立ちにすぐに彼がうちは一族だと分かった。

 

 どうやら彼はイタチという人と喧嘩をしてしまったらしい。ここまで強い心の声は初めてとはいえ、その全てが聴こえているわけではない。

 

 “イタチに嫌われるくらいなら、いっそ”

 

 男の子の心がより一層深く沈んでいく。随分と両極端な性格をしているようだ。

 

 三代目の話が終わって、他の生徒たちがぞろぞろと校舎に戻っていく。男の子は完全に自分の世界にいるようで、まったく気づいた様子がない。

 

 いつもなら気にもせずにさっさとその場を去っていただろう。けれど、私は男の子から生じたチャクラの甘さに惹かれるように声を掛けてしまっていた。

 

「あの…………」

 

 男の子は気づかない。痺れを切らした私が目の前で手のひらを上下させて、やっと温度のない黒い目がこちらを向く。

 男の子にしては少し長めの黒髪が揺れて、一瞬で目を奪われた。

 

 “だれだ”

 

 冷たい声だった。イタチという人に向けていた柔らかな心とは比べ物にならない、容赦のない拒絶に怯みそうになる。

 目が合ったことで先ほどより読みやすくなった心が、膨大な情報として私の中に流れ込んできた。

 

「もう入学式終わっちゃったよ。大丈夫?」

 

 うちはスバル。彼のことは以前から知っていた。エリート一族の元に生まれながら、これまで一度も声を出すことができず、当然一族からの当たりは日々厳しいものになっているらしい。

 

 “どうせ俺が話せないことも知らないくせに”

 

 ちょうど思考が彼の言葉と重なって、小さく笑ってしまった。まるで警戒心の強い猫のよう。

 きっとそうすることでしか自分を守ってこられなかったのだろう。そんな姿が自分と重なって、胸のどこかが鈍い痛みを放つ。

 

「知ってるよ」

 

 私が名を明かすと、やはり知っていたようで彼の中にあった不信感が薄らいでいく。

 私が覚方一族の人間だと知った人たちの反応はいつも決まったものだった。自分の心を読まれることを恐れるか、この力を私利私欲に利用しようと画策するか。

 しかし、男の子――スバルの反応はそのどちらでもなかった。

 

 “いいな”

 

 たった一言。シンプルな感想に驚く。

 

 “俺が話せなくても、思いを汲み取ってくれるのか”

 

「…………」

 

 これまで、たったの一度もそんな風に捉えてくれた人はいない。例えこれが彼の思考のほんの一部だったとしても。

 

 ぱちりと目を瞬かせる。どうしてだろう。不思議な心地がする。

 

「……君って、見た目と違って随分素直なんだね?」

 

 決して皮肉ではない。スバルには悪い意味として取られてしまったようで、拗ねたような反応が返ってきた。

 

 それが可笑しくて、くすくすと笑ってしまう。変だなあ。こんなに穏やかな気持ちになれたのも、随分と久しぶりな気がする。

 

 

 

 スバルは私にとって良きライバルであり、良き理解者だった。

 

 筆記試験の成績はほぼ拮抗していたし、忍術幻術で私がリードしたかと思えば、彼はずば抜けた体術のセンスでさらに追い上げてきた。

 

 正直、彼が同じ人間である限りあんな風に動けないはずだ。同い年とはとてもじゃないが思えない。

 

 組み手の授業は地獄だった。私はいつも彼と向き合って開始の合図があった直後の記憶がない。正確には記憶がないんじゃなくて、気がついたら地面に転がっていて、青々とした空を眺めている。背中は痛いし、スバルは涼しい顔をしているし、とにかく最悪だった。彼は手加減というものを知らない。

 

 

「セキさんって、どうしてくノ一クラスの授業にも参加してるの?」

「え? 女の子でしょ?」

 

 短く切った髪と、僕という一人称のせいでこのような話をされるのも慣れっこだ。あのスバルだって気づいていないのだから仕方ない。

 

 それに、覚方一族のたった一人の生き残りが()()()()()ことは重要だった。幼い上に女であると他里に伝わってしまえば誘拐のリスクが跳ね上がる。

 木ノ葉の人間に性別を聞かれた時には素直に女だと伝えるようにしているが、アカデミーを卒業するまで表向きは男として生きる。それは三代目からの助言でもあった。

 

「スバル!」

 

 くノ一の授業で集めた野の花たちを握りしめながら、私よりも大きな背中に飛びついた。

 

 “セキ”

 

 不意をついたつもりなのに、スバルは動揺すらせずに心の中で私の名前を呼ぶ。そこに咎めるような色が混じっていたので、私は誤魔化すように手に持っていた花を一つ、彼の髪に挿した。

 

 そっと花に触れるスバルの手つきに、私はにこりと笑った。

 

「似合ってるね」

 

 男の子であるスバルには嬉しくないかもしれない。それでも、彼は気のせいかと思うくらい薄らとした笑みを浮かべる。

 

 “コスモスか”

 

 彼の心を満たした優しさの正体はすぐに分かった。

 

 どうやら、以前弟であるイタチにも同じ花を貰ったことがあるらしい。彼は……弟のことをとても大切に思っている。いっそ妬けるくらいに。

 

 

 

 体術で卓越した成績を収めているスバルが、常に人手が足りていない戦争に送られることになったのは必然だったと思う。

 

 それを知った日から、私は何度も三代目に嘆願した。どうか、私も彼と同じように戦争に行かせてほしいと。しかし、色良い返事が返ってくることはなかった。

 覚方一族の血をここで絶やすわけにいかない。そう言われてしまっては、結局は里に守られるばかりの私にできることは無くなってしまう。

 悔しかった。やるせなかった。私が本当に男だったら。もっと力があれば。

 こんな思いはせずに済んだかもしれないのに。

 

 

 

 スバルが戦争に参加する日は雨が降っていた。やっぱり雨は嫌いだ。

 

 何事もなかったかのようにアカデミーでの授業は行われ、何も知らない子ども達が無邪気に校舎を走り回っている。

 

「スバルくん、どうなったかな」

「戦争ってたくさん人が死ぬんだよね……」

 

 何かとスバルのことを気にかけているクラスメイトの女の子たちだけは違ったようだが。私はそんな彼女たちの存在に少し救われながら、ただスバルの無事だけを祈った。

 

 

 もしも私が占い師だったら、スバルの顔を見た瞬間に「あなた、呪われてますよ」と言っていたかもしれない。

 

 スバルが戦争から無事に帰ってきたと思えば、アカデミーに登校してきたその日に卒業が決まってしまった。

 しかも、下忍になると同時に暗部に所属するなんて。異例中の異例である。

 

 教師が口を滑らせた根という組織は、私にとっては馴染みのあるものだった。つい先日、根の創設者であるダンゾウ本人からある仕事を請け負っていたからだ。

 

 私のありったけのチャクラを凝縮した欠片を搭載した暗部のお面。装着した人の心の声を吸い出して、表に吐き出すことができる。

 

 違うかもしれない。でも、違わないかもしれない。

 

 どうやらスバルも根がどのような組織かぼんやりと知っているようだったが、彼の心に大した動きは見られない。動揺はしているものの、他の人が抱くであろうそれと比べれば極々小さなもの。

 

 まさか、ダンゾウはあのお面をスバルに使わせるために私に依頼を……?

 

 一度浮かんだ疑念はそう簡単に拭い去れそうにない。もしもそうだとしたら私は……。

 

 “アカデミーも、あと少しで終わりか”

 

 誰に向けたわけでもないスバルの心の声が私に突き刺さる。

 

 “少し寂しくなるな”

 

 寂しくなる理由に私の存在があればいいのに。聞き流すこともできなくて、まだ授業の途中だったけれど小声でスバルに話しかけた。

 

「僕に会えなくなるから寂しいってこと?」

 

 スバルは手のひらに顎を乗せたまま、視線はしっかりと教壇にいる先生に向けながら答えた。

 

 “何を当たり前なことを”

 

 

 

 ***

 

 

 

 ついにこの日が来てしまった。中忍選抜試験である。

 

 受付会場であるアカデミーに集まった俺以外の下忍達が三人ずつのグループに分かれてお互いに牽制し合っている。そう、俺だけぼっち。

 

 すっかり忘れてたけどさ、俺って一般的な下忍のように担当上忍込みでのフォーマンセルで表の任務に参加したことないんだよ。

 だから、通常任務と同じスリーマンセルで参加すべき中忍試験もこの通りである。

 ははっ、まさか一人で参加しろってこと? 正気?

 

 今すぐ回れ右で帰らせていただきたいところだが、俺は自分の命よりもイタチの入学式参列を選ぶことにした。

 なにもこの数年間暗部で遊んでいたわけじゃない。ここまで来たら意地でも合格してやる。

 

 教室の前にいる受付の女性に志願書を提出しようとしたら、誰かに腕を掴まれた。

 

「キミ……中忍試験には班員全員の志願書が必要なはずだが?」

 

 俺の隣にはメガネをかけた長身の男が立っていた。彼は神経質そうにメガネのズレを整えると、フンッと鼻を鳴らしながらこちらを見下ろしている。

 

「聞いているのかい?」

「…………」

 

 こいつ、ムカつくくらい背が高いな。そこそこ年上に見えるけど。このまま見上げていたら首がやられそうだ。

 しかも、身長を抜きにしても俺より足が長い。大嫌いだ。

 

「まったく、いくら人手不足だからと言ってキミのような子どもを中忍にだなんて」

 

 長身メガネくんの言葉は右から左へスルーアウェイである。俺は掴まれている方とは逆の手に志願書を握り直して、受付の人に手渡した。

 

「ああっ! 本当に私の話を聞いていなかったのか!?」

「うちはスバルさんですね。ありがとうございます」

 

 受付の人が志願書の名前を確認して「大丈夫です。問題ありませんよ」にこにこ笑ってくれる。天使だ。

 

「う、うちは……だって?」

 

 長身メガネくんのメガネがずり落ちた。ぱちぱちと何度も瞬きをしている。

 彼は暫く呆気に取られていたようだが、さっさと待機場所である教室に入ろうとした俺の肩を鷲掴みにした。

 ちょっ、何だこいつの馬鹿力……!!

 

「キミがあのエリート一族の!!」

 

 俺の肩がミシミシ鳴った。いや、痛い痛い! 嬉しそうに目を煌かせながら俺の肩を粉砕する気か!?

 

 俺は根性で教室の扉を開けて、長身メガネくんを振り払うようにして中に入った。

 

「エリートはやはり……孤高を生きる存在……! 私の目に狂いはなかった!」

 

 こわっ、なんかどっかの宗教家みたいなこと言ってる。長身メガネくんは俺の後をついてこようとしていたが、そんなのは絶対にお断りキーック!

 

「ぐはっ!!」

 

 興奮のあまり判断力が著しく低下していたらしい。ちょっとは避けるかと思ったらモロに入ってしまった。

 

 俺の蹴りを受けた長身メガネくんが痛みで悶絶している間に、俺は受験生達がひしめく教室内に姿を隠した。ごめん。でもほら、俺の安心安全な中忍試験の方が大事だからさ……?

 

 

 

 俺の身長が小さ……いや、それほど高くないおかげで長身メガネくんに見つかることなく、無事に試験開始を迎えることができた。

 仕方ないよ、だってまだ九歳だもん。すぐに大きくなるし!

 

「お待たせしました。中忍選抜試験、第一の試験を担当させていただきます。試験官の尾仲スイタです」

 

 いやすごい名前だなそれ。そう思ったのは俺だけだったようで、他の受験生達はみんな真面目な表情で試験官の言葉に耳を傾けている。

 

「第一の試練を始める前に……本戦を除く一から二の試練で協力し合うことになる班を予めこちらで決めてあります」

 

 スイタさんの名前にはノータッチだった受験生達がざわめいた。

 

「そうです。貴方たちが下忍となってからこれまで組んでいたであろうスリーマンセルを崩し、中忍試験専用のチームを組んでもらいます」

「そ、それでは、これまで一度も組んだことも、ましてや話したこともない人間とこの大事な試験に臨めということでしょうか!?」

「班決めは完全にランダムで行っています。そうと言えるし、そうとは言えないかもしれない――組み直した結果、メンバーが変わらない可能性もありますからね」

 

 受験生達のさらなる不満を一蹴するように、スイタさんが元から細い目をさらに細めた。

 

「中忍にもなれば、即席のチームメイトと難しい任務に駆り出されることもあります。そんな状況に陥った場合、いつものメンバーがいないから、なんて理由で任務を放棄するのでしょうか?」

 

 騒いでいた受験生達がしんと静まり返る。恒例の正論パンチの破壊力はそれなりにあったようだ。

 元々ぼっちだった俺にはありがたいシステムに感謝しかない。ありがとうスイタさん! 仲間がいるだけで俺の生存率がぐんぐんと伸びるはず。

 

「それでは、まず第一班から発表します――うちはスバル」

 

 まさか一番最初に呼ばれるとは思わなかった。スイタさんに手招きをされたので、彼のいる教壇に並んで立つ。

 さて、俺のチームメイトは誰なんだろう。

 

「覚方セキ」

 

 びっくりしたなんてもんじゃない。口から大蛇丸が出てくるかと思った。……想像でも嫌だな。

 

 受験生達の中から出てきたのは、肩のあたりまで伸びた癖のない黒髪を揺らしている少女。

 

 彼……いや、彼女は俺より驚いた顔をしながらも同じように教壇の横に並んだ。

 

「…………スバル」

 

 小さく名前を呼ばれる。これ、本当にセキだよな……? なんか髪は長くなってるし普通に女の格好をしてるし、落ち着かないんだけど。

 アカデミーを卒業してから初めて会った友人の変化に心がついていかない。

 

「スバルは、格好良くなったね」

「…………」

 

 セキがにこりと笑う。以前からストレートな物言いだったけど、こんなだったか……?

 

「うちはに、覚方に、そしてこの私! エリートしかいない第一班の未来はとても明るい!!」

 

 俺の意識がお空に飛びそうになっている間に、三人目としてやってきた長身メガネくんがガッツポーズをしていた。

 

 

 

 第一の試験開始までの数十分間ではあったが、新しい班員の能力や性格をある程度把握する為の時間が設けられた。

 

「スバルはとっくに中忍になってると思ってた」

 

 セキが眩しい笑みを浮かべながら俺の頬に触れる。優しく撫でていく指にそわそわしながら、これ以上は直視できなくて目を逸らす。

 なんか調子が狂うんだよ。どうしちゃったんだ俺は。

 

「そっか、忙しくてそれどころじゃなかったんだね」

 

 俺の失礼な態度を気にもしてないのか、セキは昔と変わらず嬉しそうに話しかけてくる。

 たった数年前のことなのに、懐かしいな、こういうの。

 

「ずっと君に会いたかったんだよ」

「…………」

 

 だから、そんなことを言うのはやめてほしい。さっきからやけに距離も近いしそろそろ俺の頭がバグる。

 

「男だって嘘をついてたのは悪いと思ってる。私のことはこれからも男だと思ってくれていいから。……ううん、その方が嬉しい」

 

 無理難題を押し付けられてる気がする。そんな簡単に切り替えられたら俺も楽だけどさ。

 

「だって、私は……」

「二人だけの世界を構築されているところに大変申し訳ありませんが」

 

 完全に存在を忘れていた長身メガネくんがセキの言葉を遮った。こほんと咳払いして、指でメガネを押し上げる。

 

「まずはお互いの能力を把握するのが先ではないでしょうか?」

 

 嫌味ったらしい、取ってつけたような敬語に素早くセキが返した。

 

「私はセキ。忍術幻術が得意。体術や体力には自信がない。よろしく」

「…………ふむ、分かりました。そこのうちは一族の方は?」

 

 紙でも貰ってきて書こうかと思っていたら、またしてもセキが口を開いていた。

 

「彼はスバル。得意なのは体術で、写輪眼による幻術や見切りも可能。あとは暗部での経験から暗殺も得意。そうだよね?」

「…………」

 

 暗殺が得意ってだいぶ嫌なんだけど。いや、間違ってない……間違ってはないけど!

 

「暗殺…………それは、頼もしい、です、ね」

 

 長身メガネくん、明らかにドン引きしてる。俺の歳で暗部にいること自体珍しいもんな。養成機関でもある根では珍しくもなんともないが。

 

「私はエビス。体術忍術幻術を満遍なくこなすことができます。アカデミーや木ノ葉の図書館の本はほぼ全て読破してしまったので、知識量には自信がありますよ」

 

 それはすごい。素直に感嘆していると、長身メガネもといエビスが誇らしげに胸をそらした。

 

 その後も得意なフォーメーションなどを確認していると、カランカランと小さな鐘が鳴る音がした。

 

 再び教壇に立ったスイタさんが手をあげる。

 

「それでは、第一の試験を開始します」

 

 

 

「スバル! またあったよ、お宝が!」

 

 第一の試験は宝探しだった。わざと残された僅かな痕跡を頼りに、アカデミー内のあらゆる場所に隠された“宝”を見つける。

 制限時間内に多くの宝を見つけた上位チームのみが第二の試験の参加資格を得るらしい。

 

 この試験、思ったより奥が深い。当然その辺に宝がぽろっと落ちているわけではないが、カーテンの裏に隠されてるとかそんなレベルじゃない。

 

 巧妙に幻術で空間が歪められていたり、不用意に触れると爆発する仕掛けが施されていて宝が消し炭になってしまったり、仕掛けたやつの性格の悪さが滲み出てる。

 

 ちなみに俺はすでに二回も宝を消し炭にしている。

 セキには「スバルはもう触らない方がいいね」と言われたし、エビスには「本当にエリートなのか、キミは?」と初対面の時と同じ不遜な態度を取られた。遺憾の意である。

 

 現在俺たちの班が手に入れている宝は五つ。スイタさんはアカデミー内にいくつ宝が隠されているのか明らかにしなかった。どこまで集めれば上位に食い込めるのか分からなくする為だろう。

 

 さらにこの試験、他の受験生への強奪も認められている。おいおい、試験終了間際にアカデミーが血の海になるぞ。

 

「私の力じゃ、びくともしないみたい」

 

 セキが見つけた宝は頑丈な箱の中に入っていた。箱ごと持って行っても数のうちに入らないという説明はすでに受けている。

 どうにか破壊したいところだが、どうしたものか。俺の体術は加減が難しくて中の宝まで壊しかねない。

 

「フッ、ここは三人目のエリートである私に任せてくれ」

 

 エビスのメガネがきらりと光を反射する。彼はセキから箱を受け取ると、指で何度かなぞった。

 

「何をしてるの?」

「ここ、いくつか傷が入っているだろう。これはただの傷じゃなくて――ほら」

 

 カチリと音がした。箱はまるでパズルのように、切り込み同士が一点の線になっていく。

 線は鍵の役割を果たしていたようで、何度か同じ動作を繰り返すと……呆気なく開いた。

 

 なるほど、無理やりこじ開けるんじゃなくて、こっちが正規の手段だったのか。

 

「これで六つだ」

 

 箱の中には宝――三代目火影の直筆サイン入りのメモが入っていた。

 ……まさかこれ、不要になった書類の三代目のサイン部分だけを千切ってきたわけじゃないよな?

 まあ、火影のサインってそう簡単に捏造できるものでもないから不正防止にはなりそうだけど。燃えたら燃えたで処分の手間が省けてラッキーみたいな? いいのかそれで。

 

《さすがだな》

 

 指文字でエビスを讃えると、彼はあんぐりと口を開けた。失礼な反応だな。

 

「キミ……セキさん以外と意思疎通が可能だったのか……?」

「…………」

 

 一体俺を何だと思ってたの? それにしても指文字まで理解してるなんて、図書館の本読破男の名は伊達じゃないな。

 

「あれ、エビスってスバルが声を出せないことも知らなかったの?」

「勝手に心を読まないでもらえるかい? ……耳にしてはいたが、私は他人の噂は簡単には信じないタチなんだ」

 

 「その様子だと本当のようだが」とエビスが続けた言葉に、いかにも真面目な彼らしいと思った。さらに続いた「エリート一族の子どもが口も利けないなんて、にわかには信じ難いだろう?」という発言で、僅かに俺の中で持ち上がりかけていたエビスの株は急暴落した。

 そうそう、短い付き合いだけどお前はそういうヤツだよ。

 

「ねえ、そろそろ隣の教室に移動し――」

 

 移動しようと言いかけたセキの口を手のひらで塞ぐ。真っ赤になって声にならない叫びを上げていたセキだったが、俺の様子に気づいて大人しくなった。

 手を離すと、セキがぷはっと大きく息を吸った。

 

《うんが いい》

「運って?」

 

 その直後、俺たちのいる教室の扉が開いた。のそのそと入ってきたのは、待機場で見かけた覚えのある三人組。いかにもゲスい顔つきをしている。

 

「あ〜ら、“エリート”が集まってる第一班の皆さんこんにちは!」

「突然ですが、突撃隣のお宝争奪戦を開催したいと思いまして!」

「……まして!」

 

 なんか一人乗り気じゃなさそうなヤツが混じってるけど大丈夫?

 

「なるほどね」

 

 顔を見合わせた俺たちは、同時にニヤリと悪い笑みを浮かべた。

 

 

 

 結果的に俺以外の二人が三人組を瞬殺していた。あまりにも手際が良すぎて、俺の出る幕がなかった。

 二人とも、俺より暗殺の才能あるんじゃね……? いや、一応殺してはいないんだけど。

 

「スバル! これでお宝が倍以上になったね」

 

 セキ、俺はお前が一番怖いよ。

 

 相手を幻術にはめた後、彼らの体に触れて心を読み「へえ? すごいね、君って毎晩寝る前に◯◯で◯◯◯なことをして――」「やっ、やめてくれぇっ!?」一瞬で戦意を喪失させていた。

 あの手際の良さは常習犯と見た。怖すぎる。

 

 すでにメンタルが満身創痍な彼らに物理的な引導を渡したのがエビスで、あの状況でトドメを刺せる非情さは暗部に欲しいくらいだった。

 

 この班決め、本当にランダムなんだろうか。ちょっと偏りすぎてるような……。

 

 

 

「第一の試験に合格した皆さん、おめでとうございます」

 

 俺たちが宝である三代目のサインを渡すと、スイタさんは満面の笑みでそれを焼却炉にぶち込んでいた。結局燃やすのかよ。

 

「ちょうど半分にまで減りましたね。今期の受験生は大人しいなあ、強奪者がたったの一班しかいなかったなんて」

「…………」

 

 マジで言ってる? アカデミーを血の海にしたの、俺たちの班だけ?

 

 他の受験生たちがヒソヒソ声で「本当にやるヤツがいたのか……?」なんて話している。せっ、正当防衛だからっ! 「どうせ第一班の三人だろ」勘のいいガキは嫌いだよ。

 

「それでは第二の試験を担当する試験官にバトンタッチしたいと思います」

 

 スイタさんの後ろから、まったく同じ顔が出てきた。あえて違いを挙げるとすれば、その顔色が滅茶苦茶悪いってことくらい?

 

「第二の試験を担当します……尾仲イタイです。よろしくお願いいたします」

「…………」

 

 イタイさんが苦悶の表情でお腹をさする。悪いことは言わないから今すぐトイレに行くことをお勧めする。

 

「スイタとは双子で……こんな話はどうでもいいですよね。早速試験を始めたいと思います」

 

 スイタさんとイタイさんのお腹が同時に鳴った。

 スイタさんは笑顔で「私としたことが六回目の食事を失念していました。それでは失礼致します」と言って去っていったし、イタイさんはひたすらにお腹を抱えて耐えている。

 この二人、内面は全然似てないな。

 

「まずは組んでいるチームで、どのような方法でもいいので“一人”を選んでください。ジャンケンでもいいですよ」

 

 チームを組み直すと言われた時と同じくらい受験生たちがざわついた。

 

「現時点で詳細をお知らせすることはできません。それでは、よろしくお願いします」

 

 与えられた時間内でサクッと決めなくてはいけないようだ。

 

「どうする? 選ばれた一人が幸運か不運かも分からないんだよね」

「セキさんの能力で試験官の心を読めないのか?」

「中忍以上となると、せめて触れないと難しいかな。向こうが動揺でもしていたら別だけど……精神状態によっては、触れてもあまり読めない人もいるしね」

 

 スバルとエビスは結構読みやすいよ、と付け足すセキ。それはあまり聞きたくなかったかな。エビスも複雑そうな顔をしている。俺の精神は常に不安定ってことなの?

 

「じゃあ……ジャンケンにしようか」

「……セキさんは心を読めるし、スバルくんの写輪眼による動体視力では、相手が出す手に被せることもできるのでは?」

「…………」

 

 もしもジャンケンの勝敗で合否が決まるとしたらエビスが圧倒的に不利なのは間違いない。今回は選ばれたからと言って有利とは限らないんだけど。

 

「そうだね。公平にいこう」

 

 セキが残念そうにため息をついた。心を読んで勝つ気満々だったらしい。危ない危ない。俺は写輪眼のことすら頭になかったってのに。

 

「阿弥陀くじはどう? 線を付け足すのは、試験官のイタイさんにして貰うってことで」

「それなら」

 

 エビスが納得したように頷く。俺たちは早速それぞれの名前を書いた紙をイタイさんに渡して、適当に線を書いてもらった。気になる結果は……。

 

「スバルに決まったみたいだね」

 

 俺の名前から伸びた赤い線は、一番下の丸印に届いていた。

 

「さて、皆さん決まったようですね」

 

 イタイさんがパンパンと何度か手を鳴らす。彼は相変わらず顔色が悪いままだ。

 

「選ばれた一人には、お姫様になってもらいます」

 

 ごめん、なんて言った?

 




【補足】セキよりもお面の方が主人公の心の声をより鮮明に取得しているのは、お面は実際に主人公に触れている且つ主人公のチャクラを媒体にしているからです
セキが主人公に抱きついている間はそこそこの精度で心の声が聞こえますが、そんな時はまず主人公が驚いて頭真っ白状態なので碌な情報が得られなかったりします


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第十一話 生け簀の鯉

誤字報告ニキには足向けて寝れない(いつもありがとうございます)


 いっそ殺してくれ。頼むから。

 

 俺の切実な願いは届かず、両手を後ろで縛られて目隠しをされた。

 

 俺の知ってるお姫様ってやつはこんな仕打ちは受けないはずなんだが。そもそも俺はお姫様じゃなくて中忍になりたいんだよ!

 

「それではお姫様にはここで退場してもらいますね。この先は、」

 

 イタイさんの言葉を最後まで聞くことも叶わず、目の粗い布袋に無理やり入れられたかと思ったら、手押し車のような物に乗せられて連れ去られてしまった。

 お姫様ってそういう……ピー◯姫?

 

 俺をどこかへ運んでいるらしい、恐らく試験の補佐官が安心させるように言った。

 

「心配しなくていいからね〜。君の仲間が先に見つけてくれたら無事にお家に帰れるから」

「…………」

 

 俺の仲間以外に先に見つけられたら無事にお家に帰れないって聞こえたんだけど。気のせいでしょうか。

 

 目隠しされた上に袋に入れられてるせいで、自分が大体どの辺りにいるのかすらまったく分からない。

 

 順調にドナドナされていった先、ゴトンッとある地点で補佐官が立ち止まった。やけに緑と土の匂いが濃い気がする。ここってもしかして。

 

「気づいたかな? 死の森だよ」

 

 わあ、演習場のくせに半端な覚悟で足を踏み入れた人間が続々と死んでるって噂の。自然の状態を維持するために普段はゲートは固く閉じられていて、立ち入るには事前に里の許可を取らなければならないらしい。

 俺とは一生ご縁がない場所だとばかり。根の任務中に足を踏み入れたことはあるが、それも入り口付近の話だ。

 

 ここで何をするんだと思っていたら、乱暴に手押し車から降ろされた。布袋の中で受け身を取れるはずもなく、俺はゴツゴツとした地面の上を面白いくらいに転がった。

 ちょっ、滅茶苦茶痛いんだけど!?

 

「姫役の人はその状態のまま仲間の救出を待たなくちゃいけない。ああ、布袋からは出てもいいよ。出られたら、だけど。目隠しも外していいし」

「…………」

「でも両手を拘束している縄には特殊な札をつけていてね。まず自力では解除できない。外すことができるのは、仲間が持っているソレと対になる札だけだ」

 

 想像以上に鬼畜仕様だった。まともな人間が下忍向けの試験にこんな内容を選ぶか? あの双子、やっぱり内面もそっくりだよ。

 

「ちなみに他の班が持っている札を当てられた場合……人生アウトだから。どうなるかは想像に任せるけど」

 

 こわ……爆発でもすんの?

 

「さらに、この試験の合格基準は“姫の拘束が解除された状態”かつ“三人全員揃って死の森の中央塔に辿り着く”かつ“先に塔に到着した上位十チームのみ”だよ」

 

 俺はイタイさんの腹が永遠に痛くなりますようにと願った。

 

「十チームとなると三分の一にまで減るのかな。タイムアタックになるから、道中で敵の姫を見つけたら積極的に札で殺して蹴落としていくのが効率的だよね」

 

 今、殺してって言った。やっぱ札当てられたら死ぬんじゃないか!

 

「じゃ、姫役以外の人たちは一時間後に死の森にやって来るから。それまで猛獣に食われたりしないように気をつけて! アハハ!」

「…………」

 

 楽しげな笑い声を上げながら補佐官の気配が離れていくのが分かった。

 

 何がお姫様になってもらいます、だ。ふざけやがって。九年間生きてきてこんな惨めな気持ちになったことないよ。

 俺はただ、中忍になりたかっただけなのに……。しくしく。

 

 

 

 もぞもぞと芋虫のように布袋ごと身体を地面に押しつけること三十分。ようやく破けた箇所を歯で噛んで穴を広げていくことに成功した。無事に布袋から脱出。

 マジで長かった……。目が粗い割に頑丈すぎるんだよ。

 

 時間感覚が狂っていなければ、三十分後にセキ達が森に投入されるはずだ。それまでにこの目隠しもなんとかしたい。

 

 身につけていたクナイや手裏剣類は全部回収されちゃったのが痛いな。しっかり歯と歯の間に仕込んでいた麻酔針まで取られちゃったし。

 

 そりゃあ、武装してる姫なんていないだろうけどさ? 布袋に入れられて物騒な森に放置プレイされる姫もいないと思うんだ。

 

 俺はとりあえず両足の裏にチャクラを集中させて木に登った。そこそこ高い位置まで辿り着くと、ホッと息をついて立ち止まる。

 

 目元を覆い隠していた布の端を適当な枝に引っ掛けて取れば、目の前には何度か遠目にも見かけたことがある死の森が広がっていた。

 

 いい眺めだな〜両手さえ縛られてなければなっ!

 

 ガッツリ結ばれてるせいで印すら結べそうにない。両足が拘束されていないだけマシだと思うべきだろうか。

 

 この森にいると言われている猛獣の相手は足だけで何とかなりそうだし、もしもの場合は写輪眼を使えばいい。

 

 ただ、気の休まる場所もない上に食料の確保すら厳しい状況……出来れば写輪眼は使わずに温存しておきたい。

 

「おい、あそこ!!」

 

 木から木へと移動している途中、聞こえてきた声に全身に緊張が走った。

 やべっ、見つかった。セキでもエビスの声でもないってことは……!

 

「なんでアイツ袋から出られてるんだよ!? 目隠しもないし!」

「でも両手は縛られたままだから、姫ってことだろ!」

 

 二人ってことは、自分たちの姫はまだ見つけられてないってことか。

 

「こっちは二人なんだ、お前は先回りして、挟み討ちにするぞ!」

 

 両手が使えない相手になんて卑怯な! ええい、温存とか言ってる場合じゃない!

 

 どくどくと全身の血が巡る感覚と共に、それらが全て両目に集まっていく。

 

「あ……あっ」

 

 目が合わさった一人の身体がぐらっと傾いて倒れる。

 

「お、おい!?」

 

 残った一人が倒れた仲間に駆け寄って、すぐに状況を把握したのか、俺の目を見ないように俯きがちに叫んだ。

 

「第一班のうちはかよ……! チッ、ついてねーな」

 

 彼は気を失っている仲間の体を抱えて、すぐに去っていった。

 後先考えずに突っ込んでくるタイプじゃなくてよかったぁ……。おかげでこれ以上チャクラを消耗せずに済みそうだ。

 

 

 死の森でのサバイバル生活二日目。未だにぼっちです。何とか足だけで近くの川で魚をとって食べてはいるけど、やっぱりとっても惨めです。早くお家に帰りたい。

 

「うー、うー! うううー!!」

 

 ああ、ごめんごめん。ぼっちじゃなかったね。

 

 もぐもぐと味付けもされてない魚を咀嚼している俺の隣で、布袋に入ったままの人間が陸に上がった魚のように身体をバタつかせている。

 袋の上から口の辺りを丈夫な蔓で縛っているせいで、彼は満足に叫び声を上げることもままならない。可哀想に。

 

「ううー!!」

 

 やっぱ焼き魚には塩が必須だよなあ。君もそう思うよね?

 

 なぜ俺がわざわざ他国の姫を手元に置いているのかというと、別に深い理由はない。ただ目の前に落ちていたから、だ。

 例えば帰り道の途中でイタチやサスケが落ちていたらとりあえず家に連れて帰るだろう? そう、そんな感じ。

 

 俺は魚の皮などがこびりついてしまった両足を川で綺麗に洗って、ピカピカの太陽で乾かしてから靴を履き直した。

 

 足で魚をとって食べるとか初体験だったけど、何とかなるもんだね。二度とやりたくないけど。

 

「ううう…………」

 

 ぺろっと口端についていた食べ残しを舐めとる。うん、ご馳走様でした。

 

「…………」

 

 さあて、どうするかな。ここで殺しとく? それか、せめて両足でも折っておこうか。

 

 俺はとりあえず口元を縛っていた蔓を外してやった。よし、大声で助けを呼ぶようなら殺そう!

 

「……お前、どうしてオレに札を当てないんだ」

「…………」

 

 叫ばなかったので殺すのはとりあえず保留となった。まだ布袋の中にいるってことは目隠しも外せてないんだろうし……俺が同じ姫役だとは思ってもいないらしい。

 

「くっ、オレを仲間への人質にでもするつもりか…………?」

 

 あっ、いいねそれ。採用! まあ、ここに辿り着いたのが俺やコイツの仲間じゃなかったとしても、囮くらいにはなるかもしれない。

 

「碌でもねえ人間だよテメーはよ! この袋から出られたら覚えてやがれ!!」

「…………」

 

 やっぱり殺しといた方が良かったかな?

 

 俺は挨拶代わりに、他国の姫に優しめの痛天脚を振り下ろしておくことにした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「健闘を祈る。お・ひ・め・さ・まっ」

「ふっざけんじゃねぇぞ! このクソ試験補佐官がよおおお!!」

 

 こんなふざけた試験内容があるか!? ジャンケンで勝ったオレがなんでこんな目に遭うんだよ!

 

 高笑いしながら去っていった補佐官に舌打ちして、実は鋼の一部でも入ってんのかと思うくらい頑丈な布袋の中でもがく。

 

 クソッ、袋の口を縛る紐にも例の札がつけられてんのか? 動くたびに両腕以外に頭上からもカサカサと紙のようなものが揺れる音がする。

 

 補佐官の言葉を信じるなら、仲間以外の人間が持っている札を当てられるとアウトらしい。

 どうアウトなのかはどれだけ聞いても教えてくれなかったが、こんな試験を思いつくようなやつだ。どうせ碌なことにはならないだろう。

 

 布袋に入っていれば札を当てられずに済むのかと思ったら。むしろこんな身動きが取れない状態で布袋の札に敵のものを当てられでもしたら……どうなるんだ……?

 

 ぞくりと背筋が冷えた。そして、想像してしまった未来の自分の姿にふるふると首を振って、もう一度ジタバタともがいた。

 両足にチャクラを集中させて蹴り破ろうにも、オレの身体のサイズに合わせた袋に入れられているせいで両足もほぼ動かせない。ぴっちりすぎる。もはや全身が縛られてるようなものだ。

 

「あの試験官、ぜってーぶっ殺してやる……!」

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 オレの人生こんなものか。しょーもなかったわ。

 

 未だに布袋から出られずにいたオレの前に、一つの気配が立ちはだかった。気配だけで分かる――オレは、この拘束がなかったとしてもこいつには敵わない。

 例の第一班の奴らか? それにしては気配は一つしかないように思えるが……。

 

「……おい」

 

 黙ってないで何か言えよと話しかけようとしたら、袋の口を縛る紐部分を持って(見えないけど多分)、そのままズルズルとどこかへと引き摺られていった。

 

 おい! 一体オレをどこに連れ去るつもりなんだ!?

 

 

 

 水の流れる音がする。ここは確か森全体を二分割するように中央に川が流れていた筈だから……仲間と合流するにはここより分かりやすい場所はないかもしれない。食糧や飲み水の確保もできるし。

 

 その分敵とかち合うリスクは跳ね上がるが、最終的な目的地である中央塔周辺よりはマシだろう。あそこは未だに姫と合流できていない出待ち目的の輩がありとあらゆる罠を張り巡らせているはずだ。

 

 それに、誰かは分からないが只者ではないオーラを垂れ流しているコイツなら、その辺の受験生に負けることもないだろう。その自信がなければ、必然的に人が集まる水辺に呑気に滞在しているわけがない。

 オレはとんでもない奴に捕まってしまったらしい。

 

「うー!! う、ううー!」

 

 すぐに殺すつもりはないようだが、一体何が目的なんだ……?

 

 紐状のもので口元を縛り付けられているせいで喋ることもできない。そろそろ日も暮れる。オレはずっとこのままなのか? 

 

 不安感から一層大きな呻き声を上げると、頭に強い衝撃を受けて意識を手放した。

 

 

 

 目を覚ますと朝もしくは昼になっていた。袋と目隠し越しにでも伝わってくる陽の光がぽかぽかと温かい。

 

 動こうとしたら後頭部がズキッと痛んだ。昨日やられたところだ。おそらく殴られたんだろう。それにしては当たった時の感触が拳っぽくなかったが……。

 

 大人しく耳を澄ましていると、水が跳ねるような音が連続して聞こえてきた。川に入っているのか? 

 

 暫くすると、ゴリゴリと何かを擦る音やパチパチと火の粉が爆ぜるような音、そして何かが焼けるような匂いが漂ってくる。

 

 こいつ、魚を焼いてやがる。こっちはアレから何も食べてないどころか水すら口にしてないのに!!

 

 当てつけかと思うくらい穏やかな食事時間を耐え抜いていたら、ふいに口元を縛っていた紐を解かれた。な、なんだ……?

 

「……お前、どうしてオレに札を当てないんだ」

 

 誘拐犯は何も答えない。こんなことをせずに、オレに札を当ててしまえばいいものを。

 人質にするつもりかと追及を重ねてみたが、やはり答えはなかった。ついでに暴言も浴びせれば強烈な踵落としが降ってくる。痛すぎて死ぬかと思った。

 

 それにしてもここまで徹底して喋らないとは、オレに正体がバレちゃマズい理由でもあんのか?

 

 中忍試験専用にと組み直されたチームは明らかに実力が偏っていた。とくに真っ先に呼ばれた第一班。

 異例のアカデミー卒業と同時に暗部に配属されたうちはスバルの名は有名だ。覚方一族の末裔である覚方セキは言うまでもない。

 もう一人のエビスという男は聞いたことがない名前だったが、同じ班になった仲間に聞いたところアカデミーをそれなりに優秀な成績で卒業しているらしい。

 

 あの三人の中で一番“やばい”のは間違いなくうちはスバルだ。

 人を寄せ付けない独特の雰囲気に、人を殺すことに何の感情も抱いていなさそうな冷たい目。そして、誰も聞いたことがないという――声。……まさか。

 

「うちは……スバル、なのか?」

 

 姫に選ばれた人間は把握している。彼もその一人だったはずだ。そんな……あの短時間でこの要塞のような布袋から抜け出して、オレをここに連れてきたっていうのか?

 

 まさか、すでに腕の拘束すらも外れて……? いや、彼がずっと一人で行動していることを考えるとそれはないはずだ。

 

 無言を肯定と見做して、オレはごくりと唾を飲む。こりゃあ、本格的に腹を括る必要があるな。でもオレだって、ただでやられてやるわけにはいかないんだ!

 

「お、オレの仲間には優秀な感知タイプがいる! この場所だってすぐにバレ……いっでぇ!!」

 

 最後まで言わせてもらえずに殴られた。いや、腕は使えないはずだから蹴られた……のか? 痛すぎる。

 

 ちなみに班員に感知タイプがいるというのは大嘘である。オレ達はまさかの幻術タイプしかいないハズレチームだ。

 幻術タイプって、写輪眼持ちの前ではまったく意味を成さないんだよな……。

 

 

 

 それからどれだけの時間が過ぎただろうか。

 

 うちはスバルは相変わらず一言も喋らずに、ただじっとオレの隣に座っているだけだった。助けを呼ばれるリスクもあるのに、オレの口は再度縛られることもなく放置されている。

 そのわりには罵倒と脅迫には必ず制裁を課してくるし。

 

 何を考えてんのかまったく分かんねー! 人が恋しいとか? ははっ、それだけはないか!

 

「退屈してるなら面白い話でもしてやろうか? つい先日もオレの弟が――まっ、この布袋から出してくれたら、だけど」

「…………」

 

 今度はどこに蹴りが飛んでくるかな。身構えていたのに、予想した痛みはいつまで経ってもやってこない。その代わりに、ゴソゴソと物音がしていた。

 

「何をやって……あ?」

 

 ビリッと布が破れる音がした。それから、目隠しの内側に細い棒のようなものが差し込まれ、ぐいっと上に押し上げられる。

 

「…………マジ?」

 

 たっぷりと降り注ぐ太陽の光を背にしたうちはスバルが、真っ黒な瞳でこちらを見下ろしていた。

 

 

 

 無事に布袋から抜け出して、スバルが口に咥えた木の枝によって目隠しを押し上げて貰ったオレは、およそ二十四時間ぶりに外の世界に触れることができた。

 

 うちはスバルはすっかり冷めている焼き魚をオレの口に無理やり突っ込んで食べさせた。

 あまりにも乱暴だったので戻しそうになったが、念願の食事に必死に食らいつく。味はないけれど、腹が満たされていく感覚に涙が出そうになった。

 

「…………」

 

 そんなオレを、スバルは立てた膝に頬を押し付けながら眺めている。

 

 彼はオレより三年も後にアカデミーに入学したのに、たった一年で卒業してしまった。在学中に話すことはなかったが、覚方セキとよく一緒にいるのを見かけたことがある。

 

 くノ一クラスの女たちが毎日のように騒いでいて、当時は悔しさもあって認めたくなかったけど……うちはの奴らってどいつもこいつも顔が整ってるよな。

 これで忍としての才能にも恵まれてるとか、神様、不公平すぎるだろーが。

 

 魚を食べ終わって、顔を上げるとスバルはまだオレのことを見ていた。無機質な黒い瞳が、何となくキラキラと輝いているように見える。……まさかとは思うが、こいつ。

 

「ほんとに聞きたいわけ? ……さっきの、弟の面白い話」

 

 半分冗談だったのに、スバルが首を振る。横ではなく、縦に。

 

 にわかには信じ難い話だが……そういえば、こいつにもいたんだっけ。弟が。

 こんな無表情で何考えてるか分からない兄貴とか弟も苦労しそうだな。それとも弟もこんななのか?

 

「悪いけど、あんなの助かりたい一心での方便で、」

 

 スバルの目がじわじわと赤くなって……って、写輪眼か!!

 

「でっ、でも、弟に関する話ならいくらでもできるぜ! 面白いかは別として……」

 

 蹴りは飛んでこない。恐々と閉じていた目を開くと、スバルの片足は少しだけ地面から浮いていた。あっぶねー!

 

 ただ、弟に関する話でもいいのか……? 後でやっぱ気に入らねぇって蹴りが飛んでこないよな? はぁ……腹を括るか。

 

「……オレ、母ちゃんが弟を産んですぐに死んじまったから、母ちゃんの分まで弟のこと誰よりも可愛がってきたんだよ」

 

 クソッ、なんだってオレは誰にもしたことがない話をうちはスバルにしてるんだ? でも、これも生き残るための時間稼ぎだ。仕方ないんだ。

 

「弟もオレのこと慕ってくれて、今回の中忍試験に参加することが決まった時も、自分のように喜んでくれてさ」

 

 どうだ? お前にも人の心が残っているならこんな話を聞いた後にオレを殺そうとは思えまい。

 

「…………」

「…………」

 

 一ミリも表情変わんないのかよ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 俺は猛烈に感動していた。

 

 亡くなった母親の分まで生まれてきた弟を愛する兄。なんて美しい兄弟愛なんだろう! 俺も見習わないと。

 

「……お前には理解できない感情だろうけど」

 

 なんとも複雑な表情で最後に付け加えられた言葉に、ぶんぶんと首を横に振る。

 なんでそんなこと言うの? 俺と君は誰よりも弟を愛している同志じゃないか。どこまでも分かり合えるさ!

 

「…………ッ」

 

 ぐっと両足に力を入れて、大胆にもここから逃げ出そうとする他国の姫。その足を引っ掛けて転ばせた。他国の姫がズシャーッと勢いよく顔から地面に突っ込む。あらやだ、ごめんあそばせ!

 

「いてっ!」

 

 なんで急に逃げようとするんだよ。俺から離れたらすぐに他の受験生に見つかっちゃうって。

 

「ひっ、ヒィッ!!」

 

 これは落ち着いてって言ってもダメそうだな。とりあえず大人しく眠っといてくださいキーック!!

 

 

 

 気絶させた他国の姫を太い木の幹に寄り掛からせて放置し、俺は同じ木に登って辺りを警戒していた。

 

 こうしてるとモズとの初任務を思い出すなあ。あの時はこうやってたら……。

 

「――敵に見つかった?」

「…………」

 

 トンッと小さな音を立てて木から降りて地面に足を着く。違ったらどうしようかと思った。

 

「スバル!」

「スバルくん!」

 

 木の真下にセキとエビスが立っていた。

 

「無事……どころか無傷だとは」

 

 エビスが若干引き気味に言う。なんだか彼には引かれてばっかりな気がする。

 

 敵意の感じられない微かな気配が確信をもってこちらに近付いてくるから、一応警戒してたんだけど。よく俺のいる場所が分かったもんだ。

 

「まさかスバルがこんな奥の方にいるとは思わなくて。見つけるのが遅くなっちゃった」

 

 ごめんね、と謝るセキに首を振る。

 

 ああ、それは少しでも中央塔に近い場所にいようとしたらここがベストかと思って。

 この演習場って出入り口がたくさんあるから、セキたちがどこから入ってくるかも分からなかったしな。合流できて本当に良かった。

 

 セキが懐から見覚えのある札を取り出す。俺の腕と布袋の口部分についてる札とデザインが似ているが、微妙に違っている。

 

 後ろで縛られてるせいで腕についてる札は詳しく見られてないけど、他国の姫についてるのと一緒だと思う。

 

「スバルの心の声が大きい方で良かった。おかげでこの場所が分かったよ」

「…………」

 

 セキってある意味感知タイプなんじゃないだろうか。一体どれくらいの距離まで俺の声が届いてるのかは非常に気になるところではある。

 

 セキが俺を後ろに向かせて、持っていた札を俺の腕にぴたりと当てる。バチッという音と共にきつく縛っていた縄が解けてはらりと地面に落ちた。

 

 いててて、これ絶対痣になってる。解放された両手を見てみると、やっぱり縛られた痕が濃く残っていた。

 

 まあ、これでやっと何をするにも足を使う生活とさよならバイバイ! ほんと惨めだったよ。

 

「姫役の人ってどの人も精神状態がひどくって、ちょっと酔ったけどね」

 

 そりゃあ、あんな仕打ちを受けていれば誰だってそうなる。俺も袋から出るまでは涙目だったし。

 

「おや、敵の姫役も捕まえていたのか」

 

 エビスが気絶している他国の姫に気づいて、自然な流れでセキと同じ札を取り出した。エッ、ちょっ、何する気!?

 

「これで対処済みの敵の姫役は六人目」

 

 もう六人も殺したの!?

 

 慌ててエビスの腕を掴むと、彼は「なっ、何をするんだ!?」と怒ったような顔をする。何をするんだはこっちのセリフだよ!

 

 そこで気絶してる他国の姫は俺と志を同じくした弟愛同盟の会員なんだぞ! そんな人を殺すなんて、断固阻止!

 

 もういっそ火遁で札を燃やしてやろうと思っていると、すぐ隣でぶはっとセキが吹き出していた。

 

「ふっ……あははは! スバルも補佐官にそんな風に脅されてたんだ」

「…………」

 

 楽しそうに笑っているセキにぽかんとする俺とエビス。……待って、話が見えない。

 

「補佐官は敵の札を当てられるとどうなるって言ってたの?」

 

 それは……具体的には教えてくれなかったけど。その後「札で殺して」とか言ってたし、やっぱり爆発するんじゃないの? 第一の試験官もやけに爆発させるの好きだったし。

 

「まあ……ある意味殺すことになるのかな。中忍試験的に?」

「?」

 

 セキは俺とエビスを軽く押しのけて、未だに呑気に気絶している他国の姫の前に立つ。そして、あっさり札と札をぺたりとくっつけた。

 

「…………」

 

 なんだ、何も起きないじゃないか。安堵のような落胆のようなどっちつかずな気持ちになっていたら、他国の姫の札に変化が起きた。

 

 札に描かれた模様がジリジリと音を立てて書き換えられていく。セキの札に描かれたものが反映されて……まったく新しい術式が組まれている。こんなの初めて見た。

 

 札の変化に合わせて、姫役を縛り付けている縄がドス黒い色に変わっている。……気のせいだと思いたいけど、より頑丈に縛られてるような……。

 

「これで姫役の札は暗号が書き換えられて、仲間の札でも解除できない。つまり、合格条件である“姫役の拘束が解除された状態”をこの時点でクリアできないんだよ。つまり、失格(ころした)ってこと」

「…………」

 

 どちらにせよ、えげつない仕様だなそれ。ただでさえ姫役は敵と会ったら逃げるのすらギリギリなのに、向こうの札が当たっただけで失格?

 

「うん。だから、姫役以外のほとんどの人は、どこにいるか分からない仲間の姫と合流するよりも、偶然見つけた敵の姫役に札を当てることに躍起になっちゃって。合格できるのは十チーム以内だし、まずは相手を蹴落とした方が後々有利だろうしね」

 

 つまりこれって、超理不尽な人数逆転鬼ごっこってところだろうか。やっぱりイタイさんは燃やす。絶対に。

 

「我々はセキさんの心を読む能力のおかげでサクサクと姫役を見つけて、スバルくんの元に辿り着いたというわけで……」

 

 丸一日スバルくんを見つけられなかった時には、正直もう札を当てられていると思っていたよ、とエビスが続ける。

 

「……のんびり話してる時間もなさそうだね。姫役の“声”もあまり聞こえなくなっちゃったし、早く中央塔に向かおう。精神が落ち着いたってことは失格になって諦めたか、味方と合流できたってことだろうから」

 

 セキ、お前やっぱり感知タイプだろ?

 

 

 

「その人、連れて行くの?」

 

 他国の姫を俵のように抱きかかえた俺に、セキがちょっと嫌そうな顔をする。

 そ、そんなこと言わずに! こんなところに捨てたら猛獣に食べられちゃうから!

 

「……拾ったものは最後まで面倒見ないといけないからね」

 

 うんうん、ちゃんと責任持って中央塔まで一緒に連れて行くよ、ママ!

 

 俺の心を読んだらしいセキがさらに嫌そうな顔をする。ごめんて。

 

 俺たちはエビス、セキ、俺の順になるように事前に打ち合わせしていたフォーメーションを保ちながら、中央塔を目指して走っていた。

 

 “声”を聞くのに集中するために隙が出来やすいセキを俺とエビスでフォローしつつ、前方の警戒をエビス、後方の警戒を俺がする。

 

 俺とエビス、どちらが前と後ろに回るか意見は分かれたが、セキの「スバルなら後方から敵が攻めてきた時に振り向いて写輪眼を向けるだけで対処できそうじゃない?」という言葉を受けてこうなった。

 

 みんな写輪眼を過信しすぎだと思う。間違ってはないけど……対写輪眼戦に慣れてる人って、そもそも目すら合わせてくれないんだよ。

 話しかけてくる時も俺の腰あたりを見ながらとかさ! 露骨に目を逸らされる方の身にもなってくれ。なかなかに切ないんだぞ。

 

 そんな時どうするかって? 瞬時にしゃがんで無理矢理視線を合わせてこんにちは〜するに限る。目を閉じられたら、至近距離で反撃されるリスクを覚悟で、指で瞼をこじ開けに行くし。……ちなみに成功したことはない。

 

「セキさん、スバルくん、ここから先は私が踏んだ場所をなぞるように移動してくれ」

「うん、分かった」

 

 このフォーメーション、正解だったかも。

 

 エビスはその優れた観察眼ですぐに敵の仕掛けたトラップを見抜き、さらにその対処に至るまで一切無駄がなく最短でやってのけた。

 

 俺はトラップ系見つけるの苦手だからなあ。任務中に何度も敵の罠を発動させてモズに叱られた苦い記憶しかない。

 おかげでトラップの発動を防ぐことよりも、発動済みのトラップの回避方法ばかり身についてしまった。

 

 これほど優秀な人が俺やセキと同時期に中忍試験を受けているのが不思議なくらいだ。

 一般的には担当上忍の推薦が必須らしいし、上忍がやけに慎重なタイプだったとか? もしくはエビス本人が最近になってメキメキと頭角を現してきた大器晩成型だったり……アカデミー卒業時点で優秀だったって聞いてるし、後者はどうだろ。

 

 エビスのおかげで順調に進んでいき、ついに中央塔が見えてきた。

 

「……スバルくん!!」

 

 常に気を張っていたエビスの鋭い声に、俺はすでに印を結び終わっていた。

 腕に抱えていた他国の姫を背中に移動させていて良かった。落ちないように縄で固定してあるから自由に動ける。

 

 やっぱりこのまま何事もなく突破できるわけないよな!

 

 火遁・豪火球の術!

 

 巨大な炎の塊が、前方にいるエビスを通り越して気配が揺れた茂みに直撃する。素早く茂みから飛び出してきた二つの気配が、同時に印を結んだのが見えた。

 

「「水牢の術!!」」

 

 茂みから出てきたのは、男女二人組だった。

 

 彼らが発動した術の片方をエビスが避けて――もう一つが逃げ遅れたセキに降りかかる。

 

 写輪眼の前では一連の出来事が全てスローモーションで、ただただ両眼の動体視力に追いつきようのない身体の鈍重な動きには舌打ちしたい気分だった。

 

 写輪眼持ちはこれだから! 頭では理解してるのに身体がついていかないとか新種の爺さんかよ!

 

「セキさん!!」

 

 エビスが己の失態を恥じるように顔を歪ませる。いや、あんなの誰でも反射的に避けちゃうって。彼は悪くない。

 

 水牢の術。まさか二人一緒に同じ術を掛けてくるとは。しかも、ご丁寧に予め俺たちが通る道に水溜りまで用意してくれてるなんてな。

 水溜りを拙い幻術で見えなくしていたようだが、目眩しにはなったらしい。

 

 ごめん、エビス。やっぱり写輪眼持ちの俺が先導すべきだったかも。

 

 とぷんっと薄らとした水の膜がセキの全身を包んでいる。その隣に発動者と思われる男が立つ。

 

 下忍には発動すら難しいとされる水牢の術を二人とも息ぴったりで使えるなんて――さてはこいつら、試験用に班を組み直した結果元々のチームメイトが集まっちゃったパターンだな? 額当ても雨隠れのだし!

 

「あともう少し発動を遅らせていれば写輪眼持ちを閉じ込められた」

「それは無理。一番最初に幻術を見破ったのもアイツよ」

「お前の放った水牢をあのメガネに避けられたのがダメなんだろ」

「アンタこそ、そこの雨隠れの裏切り者にもうちょっとで避けられそうだったくせに」

 

 ……こいつら本当に元々のチームメイトか? すっげー仲悪そうなんだけど。

 

「裏切り者とは……セキさんのことか?」

 

 エビスが若干キレ気味に呟く。こっちも不穏だ。

 

「彼女は大事な木ノ葉の忍です。裏切り者だなんて人聞きの悪い」

「煩いわね。木ノ葉の平和ボケしたバカの言葉なんて聞かせないでちょうだい!」

 

 大戦の傷も癒えないうちに九尾襲撃事件を経験した木ノ葉を平和ボケ呼ばわりとは。

 雨隠れってそれ以上の過酷な生活を強いられてるってこと? セキの一族が亡命してくるくらいだもんな。

 

「まあいいわ。アンタたちはこの女が窒息死するのを眺めていれば……」

 

 俺の放った蹴りが女の額当てを掠める。残念、避けられたか。

 

「ちょっと……! 人の話は最後まで聞きなさいよ!」

《ひつようない》

「えっ!? な、何よそのヘンテコな印は!?」

 

 ヘンテコな印って……指文字だよ! 失礼だな!

 

 エビスが小馬鹿にするように鼻で笑う。

 

「フンッ、指文字も知らないとは雨隠れのバカはこれだから」

 

 こらこら、そこも低レベルなところで張り合わない! ……エビスって意外と煽られ耐性ないのね。

 

「スバルくん。フォーメーションSでいきますよ。この哀れな雨隠れのお二人に木ノ葉のエリートの恐ろしさを見せつけてやりましょう」

「…………」

 

 ごめん、俺、そんなフォーメーション聞いてない。スバルのSとか言わないよね? あと気取った態度になるとき敬語になるのもやめろ。

 

 エビスが印を結ぶ。

 

「金縛りの術!」

「ウッ……」

 

 女の動きがぴたりと止まった。基本忍術とはいえ、その効力は術者の練度に大きく左右される。

 やっぱ、エビスってすげー。俺の金縛りの術、その辺の猛獣にも効かない自信あるよ。

 

「おい、何やってんだ!」

 

 水牢でセキを捕まえている男が叫ぶ。水牢の術って捉えた人間の動きを封じて有利に立てる術ではあるけど、三対二で一人一人の戦力差もそれほどない時にはデメリットが大きいんだよ。

 発動者は水牢から手を離せないし、下忍である彼らの実力に不相応な術だからチャクラ消費も激しい。

 ほら、分身で俺からの攻撃を妨害する余裕もないだろ?

 

 そんなわけで――木ノ葉旋風!

 

「ぐううっ……!」

 

 エビスが女の方を金縛りの術で止めている僅かな時間、セキを閉じ込めている水牢ごと男を蹴り上げる。男の手が触れていた水牢が離れて……小さな水の塊がぶわりと崩壊した。

 

「…………ごほっ」

 

 息を吸おうとして口内に残っていた水を詰まらせそうになったのか、びしょ濡れのセキが何度も咳き込む。その背中をさすっていると、エビスの高笑いが聞こえてきた。

 

「これぞエリートの勝利! セキさん救出用フォーメーションS、大成功!」

 

 セキのSだったか…………。もし俺とセキの両方が水牢に捕まってたらフォーメーションSSにでもなってたわけ?

 

 フォーメーションもクソもないエビスによるソロ救出だけどな!

 

「なるほどね。君たち、雨隠れの…………」

 

 ぐいっと濡れた頬を手の甲で拭ったセキが、俺の手も借りずに立ち上がる。木ノ葉マークの額当てからポタポタと水滴が落ちていく。

 

 ついにエビスの金縛りが解けた女が、セキに向かって素早くクナイを投げる。

 

「……避けられたのに」

 

 セキが隣に立っている俺に不満げに言った。俺の手には女の放ったクナイが収まっている。そんな顔色悪いやつに言われても説得力ないって。

 

「ごめん、ヘマした。もう大丈夫」

 

 セキがにっこり笑う。それはもう怖いくらい一点の翳りもない完璧な笑みだった。

 

「木ノ葉の平和ボケした……なんだっけ。水を吸い込まないのに必死で大事なところを聞き逃したから、もう一度言ってくれない?」

 

 ピキッと雨隠れの二人の額に浮き出るものがあったが、こちら側の二人も負けてなかった。

 

「地面に這いつくばりながらでも、まったく同じセリフが言えるかな」

「…………」

 

 俺は背中からずり落ちそうになった他国の姫を背負い直して、深い深いため息をつく。今回も俺の出番はなさそうだ。

 

 

 

「おめでとう! 君たちは三組目の合格者です」

 

 辿り着いた中央塔はお通夜状態だった。主に、他国の姫が醸し出している負のオーラのせいで。

 

 すでに合格した九人プラス、不合格だけど俺が連れてきちゃったから肩身の狭い思いをする羽目になった他国の姫が一人。

 

 悪かったよ。でも、あのまま猛獣の餌になるよりは良かっただろ?

 

「こんな思いをするくらいなら、猛獣に食われた方がマシだった……!」

 

 姫がわっと泣き出す。そっちの方が良かったらしい。マゾかよ。

 

「猛獣に布袋ごと噛ませて袋から脱出した人もいたみたいだし、いいんじゃない?」

 

 セキが突き放すように言う。俺もその脱出方法はちょっと。腕の一つや二つくらい持ってかれそう。

 

「猛獣の牙が布袋を貫いて肉体に到達する前に変わり身の術を使えばいけるかと」

 

 エビスが冷静に分析している。それは変わり身の術を印なしで発動できる優秀なやつにしか使えない反則技では?

 

 俺には理解できない領域だが、アカデミーレベルの術なら印なしで発動できる人もいるらしい。印を結んだ方が精度が上がるそうで、省略しない人がほとんどだけど。

 変わり身の術のようなスピード勝負だったり、とりあえず場所が入れ替わったらいいやって時には省略することもあるとか。

 

「……なんで、オレを助けたんだよ」

 

 恨めしげに睨んでくる他国の姫に、指文字を綴る。

 

《いっしょ だったから》

 

 エビスに指文字の意味を伝えられた他国の姫が、怪訝そうに顔を顰める。

 

「一緒だって? オレと、お前が?」

 

 こくりと頷く。俺の気を逸らす目論みがあったにしろ、彼が弟の話をしている時の目はどこまでも優しかった。

 

《まもりたいもの》

 

 他国の姫が息をのむ。そんなに変なこと言ったかな。

 

 ああやって全身で誰かへの愛を伝えられるのは羨ましい。俺にとっては難しいことだから。

 

 

 

「あー……ええっとですね。第二の試験ですが、合格者はここにいる四チームのみでした」

「…………」

 

 中央塔から出て一箇所に集められたと思ったら。十チームまで合格できるはずじゃなかったの? 残りの六チームはどこにいったんだよ。

 

()()()予選は必要なさそうですね。……そんなに難しかったでしょうか」

 

 腹痛のせいか顔色は悪いのに、どこかのほほんとした雰囲気を感じるイタイさんに、受験生全員の殺意が集中する。

 

 その時、俺は思い出していた。スイタさんが仕掛けた箱が爆発して全身煤まみれになったことを……イタイさんの指示によって鋼鉄のような強度を誇る布袋に囚われてしまった屈辱を――! 

 

 俺の激しい怒りを感じ取ったのか、隣に立っているセキが微かに震えた。ごめん、思い出し笑い……じゃなくて、思い出し憎しみっていうの?

 

「本来ならここに三代目がいらっしゃるはずなのですが……残念ながら予定より随分早く第二の試験が終わってしまったので不在です。代わりに私の方から、皆さんに第三の試験についてお知らせしようと思います」

 

 イタイさんの言葉に合わせて、補佐官が受験生たちに一枚の紙を配り始めた。

 

「無事で良かったな、お姫様?」

「…………」

 

 俺に紙を手渡してきたのは、第二の試験で目隠しをされる前に見た顔だった。受け取った紙をぐしゃりと握りつぶす。

 今度はエビスがそんな俺を見てギョッとしていた。これは思い出し殺意。

 

「第三の試験は一週間後に行われます。全員に一対一で闘ってもらい……その実力を審査員に認められた人のみが中忍になることができる」

「……審査員に認められるということは、勝敗は関係がないということですか?」

「その通りです。しかし、わざと手を抜いたり楽をしようとした者が中忍に選ばれるはずもありませんから……勝敗への拘りも大切だと思っています」

 

 イタイさんと質問をした受験生の短いやり取りに、ホッと肩を撫で下ろす。

 

 なんだ、第三の試験はわりとまともそうだな。中忍のみで構成されてる補佐官達のスリーマンセルVS俺たちみたいな地獄の対決が用意されてるかと思ってた。

 

 一対一なら複数の敵の動きに気を取られることもないし、楽勝じゃね?

 

「皆さんに配った紙に少しでもいいので、チャクラを流してみてください。ランダムで選定された対戦相手の名前が浮かび上がるはずです」

 

 第二の試験の札といい、イタイさんは紙を媒体とした術を組み込むのが得意なんだろうか。

 

 言われた通りに、クシャクシャになってしまった紙にチャクラを流し込む。俺のチャクラに反応して、じわりじわりと紙が熱を持ちはじめる。

 

「…………」

 

 誰だよ楽勝とか言ったヤツ。

 

「…………スバル」

 

 絶望顔をしている俺とセキの紙には、お互いの名前がくっきりと刻まれていた。

 



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第十二話 血継限界

「そうか、最終試験まで残ったか……さすがオレの子だ」

 

 何かあるとすぐにオレの遺伝子が優秀なんだアピールをしてくる父さん。忍術幻術が上手くいってない時は()()才能がないなんて言ってたくせに。調子がいいんだから。

 

 一週間後の第三の試験に備えて、久しぶりに父さんに修行を見てもらうことになった。

 

 豪火球の術を披露したら「このサイズを出せるようになったのか!」と大喜びして、うちは流影分身の術を披露したら「数は……増えたな」とゴミを見るような目でスライムを見下ろしていた。大変失礼である。

 

 この術は岩隠れの暗部に、伝説の三忍の術!? と言わしめた伝説級の秘術なんだぞ!

 

「金縛りの術の印を結んだように見えたが……発動しているのか?」

「…………」

 

 第二の試験でエビスがやっていたのを思い出して、父さんに向けてやってみたものの。やっぱり効果はないようだ。

 相手に発動したことすら悟られないほどの隠密性を持った俺の金縛りの術、最強!

 

「どうだ? 新しい演習場は。ここに来るのは初めてだろう」

 

 父さんの言葉に改めて演習場を見渡す。九尾襲撃事件後にうちは一族を里の隅っこに追いやる代わりにと、里から充てがわれたものである。

 

 火遁の練習をするにはうってつけの場所で、日々修行に励んでいる子ども達には丁度いいんじゃないだろうか。俺も結構好きだな、ここ。

 

「スバル」

 

 じっと演習場中央の湖を見ていた俺を、父さんが呼ぶ。

 

「お前、オレに……いいや、父さんや母さんに言わなくてはならないことがあるんじゃないのか」

「…………」

 

 父さんに言わなきゃいけないことなら心当たりはいっぱいある。

 今朝サスケを抱っこして庭を散歩していたら、父さんの盆栽をサスケが根っこから引き抜いてたとか、証拠隠滅しようと俺がその盆栽ごと納屋にこっそり移動させたこととか。

 

 でも、父さんと母さんの両方となると……思いつかないなあ。晩飯のリクエストならあるけど。猛烈に焼きおにぎりが食べたいです!

 

「お前が暗部……根であのような扱いを受けていたとは知らなかった」

 

 想像の斜め上だった。いや、俺の今夜の献立が脳天気すぎたのか。それにしても今更感のある話じゃない?

 

《いわなかったから》

 

 手紙を出せる状況じゃなかったし、実家に帰ってきてから無理やり聞き出されることもなかったから、興味もないのかと思ってた。聞かれることがなければ、言う必要もない。

 

「そうだ。お前は言わなかった……何も……定例会でのことがなければ、恐らくこの先もオレが知ることはなかっただろう」

 

 父さんは俺にほうれん草……間違えた、報連相を求めてるってこと? そりゃあ、折角息子が木ノ葉の上層部に近い場所に潜り込めたんだから、もっと情報よこせって考えるものかもしれない。

 

「親が子の身を案ずるのは当然だ」

「…………」

 

 かつて移転前の演習場で父さんからの優しさが信じられずに写輪眼になったことを思い出した。俺が人間不信すぎるの?

 

「お前もイタチも一人で抱え込みすぎる。もっと親を頼りなさい」

 

 ここでイタチの名前を出してくるのはずるい。

 ふう、と息を吐く。確かにイタチはもっと周りの人間に頼るべきだろう。あの年頃にしてはあまりにも大人びている。

 

「……お前が辛いのなら、暗部は辞めたっていい」

 

 聞き間違いかと思った。もしくは、根の誰かが父さんの姿に変化しているのかと。

 

 俺の知るうちはフガクは、決して家族への情がないわけではないが、うちは一族を背負う人間として“弁えている”人だ。

 家族と一族、どちらが大切か、優先すべきかをよく分かっている――俺が一族と弟を天秤にかけて、選び取ったように。

 

 だから、父さんが一族の益になることを選ばないはずがない。俺の暗部入りを利用しないはずがない。俺が父さんなら、やっと手元に帰ってきた息子から可能な限りの情報を搾り取ってる。呪印のせいでそれができないだけで。

 

 ……こんなのは気の迷いだ。これが父さんの本音だとしても、うちはを束ねる人間としての顔はそれを許さない。

 

《おれは》

 

 俺は父さんのことを忍として尊敬しているし、イタチやサスケに向ける表情から、愛情を感じることもある。

 けど、ダメなんだ。父さんを信じることも、受け入れることも出来ない。この先ずっと。

 

《じぶんのために あのばしょにいる》

 

 ――イタチとサスケを守れるのは俺しかいないじゃないか。

 

 うちは一族はこれからもダンゾウ達によってどんどん里の中枢から追いやられていく。父さんが耐えられたとしても、他のうちは一族は? 彼らの怒りや焦燥を、父さんは無視できない。

 

《しんぱいしないで》

 

 いつか父さんはイタチやサスケを一族のために利用する。俺だけが、父さんの一時的な気の迷いなんかでその場所から抜け出すことなんて許されない。

 

「…………そうか」

 

 父さんは肩の荷を下ろしたような、いや、どこかに置き忘れてしまったような顔をしていた。自分でも感情の着地地点が分からないような……そんな表情。

 

 閑散とした演習場に吹く風はどこまでも冷たかった。

 

 大きな手のひらがあの時と同じように俺の顔に影を落とす。不器用な手つきで頭を撫でてきた父さんが、どこか寂しげに笑った。

 

「そろそろ帰るか」

 

 

 

 ついに明日が第三の試験だというのに、俺は新術の一つも覚えなかった。

 

 一週間で何ができるっていうの? 第二の試験で負った心の傷すら癒えなかったんだけど。

 

 準備期間最終日、自分の部屋で大の字になっていた俺の腹の上を、サスケがよじよじと登っている。

 てっぺんにたどり着いては滑り台のように転がって、床に落ちるたびにキャッキャッと笑う。

 俺の腹がサスケに楽しさを提供しているなら何よりです。ちょっと余分な肉ついちゃったかなあ。後で腹筋しよ。

 

「サスケ、スバル兄さんが困ってるだろ」

 

 再び俺の腹に登ろうとしていたサスケが、この状況を見守っていたイタチに抱き上げられる。

 サスケは楽しみを奪われてうるっと目を潤ませてしまったが、自分を抱っこしているのがイタチだと気づいて、あっという間にご機嫌になった。

 

 サスケは家族の中でイタチのことが一番好きらしい。寂しい気持ちがないと言ったら嘘になるけど、俺もイタチのことが大好きなので問題はない。

 

 サスケ、お前がもうちょっとおっきくなったら二人でイタチの可愛さを語り合おうな! その前にイタチと二人でサスケの可愛さを語り合ってると思うけど!

 

 でも、サスケが「お兄ちゃんたちよりお父さんが一番好き!」なんて言い出した日には闇堕ちしちゃう。俺は父さんにだけは負けたくない。絶対に。

 

「スバル兄さん、今日はずっと家にいるの?」

 

 イタチがサスケを高い高ーいしながら聞いてくる。

 

 穏やかな昼下がり、障子の隙間から入り込んできた太陽の光をたっぷりと浴びている可愛い弟たち。

 ああ、神様。アンタ最高だよ。これが人生における最高の瞬間ってやつですか?

 

「兄さん?」

 

 何も答えない俺を不審に思ったのか、イタチがサスケを降ろして首を傾げる。ごめん、人生の喜びを噛みしめるのに必死だった。

 

《そのつもり》

 

 一応昨日までは真面目に鍛錬してたし、前日くらい身体を休めてもいいんじゃないかなーって。

 

 本当はセキ相手にどう立ち回ろうとか、考えなきゃいけないことは山ほどある。

 忍術幻術有りってなると……相手が相手だし。セキの幻術を確実に回避するには写輪眼は必須だ。ただ、常に写輪眼でいると消耗戦に持ち込まれた場合にすぐにバテてしまう。どうすっかなー。

 

「母さんとサスケはそろそろ出かけるんだって」

 

 ああ、なんかそんなこと言ってたっけ。サスケの新しい服と靴を見に行くらしい。

 

「それで、ね……」

 

 足元で抱っこのおねだりをしているサスケの頭を撫でながら、イタチが言いにくそうにモジモジしている。

 

 俺は知ってる。こういう時のイタチは結果的に俺に喜びをもたらすってことを……!

 

「折角のお休みだから、兄さんは家でゆっくりしたいかもしれないんだけど……」

《どこだ?》

 

 もう待ちきれなくて、寝そべっていた状態から起き上がった。びっくりしているイタチに笑いかける。実際に笑えているかどうかは以下略。

 

《いきたいところが あるんだろ》

「……うん」

 

 仕事内容はブラックではあるが、給与面ではホワイトな暗部に所属しているだけあって、貯金はそこそこある。俺の歳を考えるとありすぎるくらいだろう。

 

 サスケが服を買いに行くなら、俺たちも買いに行っちゃう? ちょっと早いけど入学祝いにアカデミーで必要そうなものをプレゼントするのもいい。

 

 さあ、イタチよ! お兄ちゃんの金でいくらでも欲しいものを買ってやる!

 

 イタチがはにかんだような笑みを浮かべた。

 

「だんごやの新作が美味しかったから、兄さんにも食べてほしくて」

「…………」

 

 急に胸を押さえてしゃがみ込む俺。「兄さん!?」と心配してくれるイタチ。戯れあってると勘違いしたのか、構ってほしくて俺とイタチの間でごろごろし始めるサスケ。これがカオス。幸福なカオス!

 

 俺の弟がこんなに可愛いはずがあるッ!!

 

 

 

 木ノ葉隠れの里は一種のお祭り騒ぎだった。

 

 同盟国の大名や重役たちがぞろぞろと最終試験会場へ続く門をくぐっていく。

 

 試験会場はこれまでのようなアカデミーや演習場ではなく円形の闘技場で、俺たち受験生はまさに見せ物状態だった。

 中央のアリーナを観客席がぐるりと囲っていて、あまり派手な忍術を使うと客席にまで被害が及びそうだ。

 

 自国の力を他国に見せつける目的があるとはいえ、これはちょっとなあ。大名にとってはこれも一種の娯楽なんだろうけど。

 

 三代目による開会の挨拶も終わり、会場内も一番の盛り上がりを見せている。さて、いよいよだ。俺とセキの試合は一番最初に組まれているから、心の準備をする余裕もない。緊張してきた。

 

「スバル」

 

 戦うことが決まってから一度もまともに話せていなかったセキが俺の名を呼ぶ。

 

 今日のセキは少し長めの髪を後ろで結んでいるからか、少し雰囲気が違っている。前髪の隙間からちらりと見える真っ直ぐこちらを見つめる瞳に胸が鳴った。

 

「今日は楽しもう」

 

 緊張で硬くなっていた身体から少し力が抜ける。この状況で楽しもうなんて言葉が出てくるのがセキらしい。

 

《ああ》

 

 目の前の扉が開かれて、さらに大きくなった歓声に背中を押されるように俺たちも会場に足を踏み入れる。

 すごい人の数だ。ただの下忍の試合を見るためにこんなにたくさんの人が集まるものなのか。

 

 何となく観客席を見渡すと、そこには他国の姫の姿もあった。彼の両隣りにはさらに見知った顔が並んで座っている。俺が布袋から出て最初にエンカウントした敵役の二人だ。同じチームだったのか。いや、組み直す前のチームメイトかもしれない。

 

 あっ、姫役と目が合った。ひらりと手を振るとぎょっとした顔をされた。

 

「ファンサービス?」

「…………」

 

 観客全員に手を振ってると思われたのか? セキがジト目でこちらを見てくる。

 

「一気に黄色い声援になったね」

 

 勘弁して。本当に。俺は他国の姫にフラれて傷心中なんだよ。

 

「それでは、両者向かい合って――」

 

 アリーナの中心に立つ。俺とセキの間にいる進行役の中忍が小さな声で「頑張れよ」と言ってくれた。

 

「どちらかが負けを認めるか、こちらが試合続行不可能と判断するまで戦ってもらいます。……うちはスバル。君は、負けを認める場合は指でバツ印を作りなさい」

 

 こくりと頷く。俺は「まいった」って言えないもんね。

 

「覚方セキ、うちはスバル! はじめ!!」

 

 進行役が素早く後ろに下がったのを確認して、俺とセキは同時に印を結んだ。

 

 火遁・豪火球の術!

 

 指文字で鍛えられている俺の印を結ぶスピードは、そこそこのものだと自負している。

 セキよりワンテンポ早く放たれた炎の塊が、彼女に当た……えっ、避けなかった!?

 

 バシャッと辺りに水滴が飛び散った。

 

 すぐ近くで動いた気配に反射的に右腕を振り上げる。

 

「……チッ」

 

 俺が振り上げたクナイと、セキのクナイがぶつかり合って火花が散る。

 

 俺の豪火球を受けたのは水分身の方だったか。本物はすでに俺の背後を取っていて、もうちょっとで首後ろを掻き切られるところだ。危ない危ない。

 

 お互いに距離を取り、ジリッといつでもその場から動けるように両足に力を込める。じんわりとクナイを握る手に汗が滲んだ。やっぱりそう簡単に勝たせてくれそうにない。

 

「結構練習したんだけどな、水分身の術」

 

 セキが残念そうに言う。あれって少なくとも下忍が扱える術じゃないだろ……?

 チャクラのみで作り上げる影分身と違って、一部に水を使っているだけあってチャクラ消費が少ないと聞いたことはあるが。

 

「……せっかちだね」

 

 両眼にチャクラを集中させた俺に、セキがため息と共に肩を竦めた。彼女はゆっくりと目を閉じる。

 写輪眼を見ないようにする為かと思ったが――それだけじゃない。明らかにセキのチャクラの流れが変化した。

 

「水遁・花心拿捕の術!」

 

 セキの背中から羽のように生えた無数の水の“手”が、彼女は目を閉じたままだというのに、正確に俺めがけて向かってくる。

 なっ、なんだこの術!?

 

 俺の真上にまで迫ってきた水の手が、頭上で一つに合わさって巨大な“グー”の形になる。つまり握り拳。おい、嘘だろ!

 

 ヒュンッと振り下ろされた水の拳を必死に避ける。さっきまで俺が立っていた地面には拳サイズの穴が空いていた。全身からサーッと血の気が引く。

 

 どっ、どういうことだってばさ。あんな術見たことないぞ!

 

「私のチャクラを練り込んだ水の掌たちは、貪欲に心のエネルギーを追い求める――射程圏内に心が存在する限り逃げられないよ」

「!?」

 

 心がある限りって生きてる限りと同義なのでは……? そんなの反則だろ!?

 

 思わず進行役に目を向けてしまったが、彼は怪訝そうにこちらを見ているだけだった。

 そりゃそうだ。反則的に強いだけじゃイエローカードすら出ない。バカか俺は。

 

 そうしている間に再び複数に分かれた水の手が、今度はまるで槍のような鋭利な形へと変化し、降り注いでくる。

 

 わあ、とっても痛そう。ここから入れる保険はないんですか?

 

 水の槍を二転も三転も後ろに飛び退いて躱す。セキは相変わらず目を閉じたままだ。

 地面に突き刺さった槍がパシャッとただの水に戻ったかと思えば、また人の手の形になって俺を追いかけてくる。

 今度は“パー”だ。しかも“グー”の時と違って腕らしきものは二本生えている。

 

 俺が重心を右にずらせば向こうの左手が動く。その逆も然り。挟み討ちにする気なんだろうか。

 

 ここで悲しいお知らせしていい? 俺、基本的に火遁しかまともに使えないから、水とは相性最悪。接近戦は体術、遠距離は写輪眼でこれまで何とかやってきたから、こういう時にどう対処したらいいのかさっぱりだ。

 

 まずはセキに近づかないとどうにもならない。あの術、それなりにチャクラの消耗が激しいはずなのに涼しい顔をしてるってことは……やっぱり心をチャクラに還元してるのか。

 

 俺の前後に立ちはだかった水の手が、バチンッと手と手を合わせる。俺はハエか?

 

 ギリギリのところで飛び上がってなかったら今頃ミンチになってたし、木ノ葉精肉店に並んでた。それをイタチが食べてくれれば、俺は愛する弟の血となり肉となる……。ミンチも悪くないかもしれない。

 

 この水の塊、さすがに発動者の意識がなくなるか気が逸れたらどうにかなるよな……? そうでなくては困る。

 

 俺は水の手からの攻撃を避けながら、とりあえずセキめがけて手裏剣をいくつか放り投げてみることにした。

 

 手裏剣は彼女の背中から飛び出してきた新たな水の手に全て弾かれて地面に落ちる。

 ……そっかあ。それ、いくらでも新しいのが生えてくるのね。ピーッ! レッドカード! 即退場です。

 

 火遁は不利属性だからすぐに無効化されるし、手裏剣術は見ての通りだ。写輪眼はセキが目を開けてくれない限り役に立たない。

 

 だとすると、負担はデカいけどアレをやるしかないか。写輪眼を温存できたからチャクラは十分に残ってる。

 水とはいえ、チャクラを帯びているから()()()()()()はずだ。

 

 俺は両手に持っていたクナイや手裏剣、何もかもをバラバラと地面に落として、その場で飛び跳ねる。地面スレスレを水の腕が通過して行った。

 

 よし、これまでので準備運動も大丈夫だろう。

 

 そして、足と腕につけていたリストバンドをごっそり落とす。先ほど水の拳が地面を揺らした時には及ばないが、リストバンドはすっかり地面にめり込んで見えなくなってしまった。

 

 世界で一番尊敬しているガイ大先輩の修行方法を俺がリスペクトしていないはずがない。

 木ノ葉新聞に小さく載っていた「木ノ葉の期待の新人、マイト・ガイさんのおすすめ修行法!」の欄を、何度舐め回すように読み返したことか。

 

 貴方が推奨する内容なら「志村ダンゾウの頭の上で片足立ちして体幹を鍛える」とか「志村ダンゾウの屋敷の周りをぐるぐると回り続けて闇の魔術を完成させる」でも何でも喜んでやりますとも!

 

 このリストバンドはダンゾウに『とにかく重いやつが欲しい』と大雑把すぎるおねだりをして手に入れたものだ。

 最初は付けて歩くことすらままならなかったが、今では両手首と両足首につけていても普通に動けるようになった。

 

 見ていてください、ガイ大先輩! 貴方の「毎日リストウェイトつけて腹筋背筋マラソン手裏剣投げ何でもやってます!(超絶スマイル)」という言葉を胸に修行に励んできた成果、今ここで見せます!!

 

 会場内にどよめきが走った。俺は逃げるのを止めて、その場に立ち止まる。

 

 ちょうどいい。他国のお偉いさんがいるこの場で、体術がいかに高等“忍術”かを知らしめてやる。

 

「なっ……!」

 

 目を閉じたままでもこの状況を理解しているのか、セキが声を上げる。

 

 俺の身体を貫こうとしていた水の手はすでのただの水へと成り下がっている。

 

 セキはもう目を閉じてはいなかった。しっかりと両目を開けて、けれど俺と直接目が合わないよう俯きがちに、足元の水溜まりを見ている。

 

「私の水の掌を……」

 

 バシャッ!

 

 もう一つの水の手を、自分の拳に纏ったチャクラを流し込むようにして殴り飛ばす。チャクラというエネルギー源を失った水の手が、再びただの水に戻る。

 

「やっぱり、スバル相手にこれだけで潰せないか」

 

 日向一族が得意とする、己のチャクラを流し込んで敵の経絡系を破壊する柔拳に似ているかもしれない。

 

 俺の場合は自分のチャクラを流すところまでは一緒だが、破壊するものが違う。

 

「あくまで外面的損傷を与える剛拳らしく、“纏ったチャクラのみ”を破壊する拳」

「…………」

 

 分析が早すぎるんだよ。もうちょっと混乱してくれてた方がやりやすいのに。

 

 そう、俺のこの技は剛拳の延長線上にある。

 

 人間の身体の内側に流れているチャクラには関与できないが、そのチャクラを外側に放出している時や、武器などに纏わせている時には多大な効果を発揮する。

 

 物理的なダメージをほぼゼロにする代わりに、纏ったチャクラのみを破壊するのに特化してるってわけだ。

 

 セキの背中から新たに出てこようとしていた水の手たちが、花が萎れるようにだらりと垂れ下がる。

 

「あーあ、折角たくさんチャクラを貯めてたのに」

 

 セキが困ったように笑う。

 

 既に彼女の後ろを取ってその首元にチャクラを帯びた指先を突き立てている俺には、その表情は見えない。

 

「君と遠距離戦ができないなら、体術で敵わない、幻術も写輪眼で突破されてしまうこの状況じゃ勝ち目はないね」

 

 セキがゆっくり両手を上げる。その声は悔しそうなのに、どこか晴れやかだった。

 

「参りました」

 

 

 

 ***

 

 

 

「チャクラのみを破壊する、剛拳とも柔拳とも呼べないあの体術……お前は知っていたのか?」

 

 中忍選抜試験、最終日。他国の大名や重役達が一堂に集まるという政治的側面からも重要なイベントである。

 

 そのような場に主催である火影様とその側近であるダンゾウ様の席が設けられないはずがない。しかし、実際にダンゾウ様が席を埋めたのは俺の記憶にある限りでは初めてのことだ。

 

「いいえ、私にも知らされていなかったことです」

 

 ダンゾウ様はただ眉を寄せて「そうか」とだけ返す。

 

 誰よりも敬愛しているこの人への嘘がどんどん増えていく。

 オレは以前もスバルのあの技を目にしたことがある。アイツの根での初任務――岩隠れの暗部の土流壁を拳一つで破壊した時のことだ。

 

 たった今行われたうちはスバルと覚方セキの戦いは、卓越した戦闘センスを披露した二人の下忍離れした活躍のせいで、未だに会場内の興奮は冷めない。

 素質のみを重視するのであれば中忍どころか、上忍レベルに片足を突っ込んでいる。足を引っ張っているのは実戦経験不足くらいだろう。

 

 水遁に己の血継限界を組み合わせたオリジナルの術を披露したセキはあれだけでも上忍クラスに値する。

 よほどチャクラ消費が激しいのか持続性は無いようだったが、消費よりも吸収と還元が追いつくようになれば、これ以上なく使い勝手の良い術になるはずだ。

 

「そろそろ休暇も不要だろう。……モズ、後でお前の方から知らせを出しなさい」

「はい」

 

 間違いなくダンゾウ様の手元で燻っている高難易度の任務を振り分けられるな。

 

 オレは脳内で可哀想な部下に手を合わせた。

 

 うちはスバルは、忍術も幻術の才能もない落ちこぼれだ。否、落ちこぼれであるべきだった。

 

 彼には間違いなくうちは一族の血が流れている。まるで才能を体術に全振りしたかのような男の使い道をダンゾウ様は模索しているようだったが……とっくにぴたりとはまってしまっている。

 

 写輪眼に、優れた体術――さらには、あらゆる攻撃の基本となるチャクラを破壊することまで可能になったとは。体内を流れるチャクラには影響を与えられないとはいえ、十分な脅威となりえる。

 

 スバルのあの攻撃スピードで通常の剛拳と今回のチャクラ破壊の攻撃を混ぜられてしまえば、両方を警戒するのは難しい。遠距離戦に持ち込もうとすれば、あの厄介な写輪眼に捕われてしまう。

 

 それこそ、セキのように視界をゼロにした状態でも発動する能力がなければ勝ち目はない。

 今回の試験、彼女以外の受験生がスバルの相手だったならば、まともに戦うことすらできなかっただろう。

 

「……ダンゾウ様。クロの休暇延長申請は承認されないのですか?」

 

 最近、オレはスバルが恐ろしくてしょうがない。アイツは何を考えてるのか分からないような男だが、()()()()()()()()のだ。実際に。

 

 常に目先の感情を最優先にし、そのくせ弟達に関することは一歩どころか百歩先まで考えている。

 

 もしかすると()()()()()()()()のかもしれないが、感情を優先した結果全てを無駄にしても良いと思っている。そんな男だ。

 

「うちは一族の懐に潜り込むには、クロのみではなくこちらからの寛容な姿勢も必要かと」

 

 オレは怖い。弟の入学式に参列できなかった、たったそれだけのことであの男が何を仕出かすか分からない。

 

 ああ、理解できない。何なんだ、あの生き物は。理解したくもない。

 

「お前がいうのなら、もう暫く猶予を与えてもいい。任せよう」

「ありがとうございます」

 

 ダンゾウ様は良くも悪くもスバルのことを理解していない。アイツの行動を先読みしてトラブルを未然に防ぐのもオレの仕事だ。

 

「…………割に合わない」

 

 ダンゾウ様に聞こえないようにぼそっと呟く。切実に転職したい。

 

 

 

 インクを零したような闇が空の青にすっかり溶け込んでいる。

 

「中忍おめでとう」

 

 最終試験も無事に終わり、帰宅途中のスバルの背中に向かって言葉を投げかける。まだ結果は出ていないが、確定しているようなものだった。

 

「…………」

 

 間違いなく聞こえたはずなのに何事もなかったかのように歩き続けるスバル。この野郎。

 

 その肩を掴んでぐっと力を込めると、諦めたのか渋々とこちらを振り返った。感情の読めない目が真っ直ぐこちらを見ている。

 

《つれもどしに?》

 

 こいつにとってオレは死神か何かなんだろうか。あながち間違っていない。

 

「安心しろ、休暇延長申請はちゃんと通ってる」

 

 ぱちり。スバルの目が緩慢に瞬いた。よほど驚いたんだろう。人が疎な時間帯とはいえ、誰かに聞かれては厄介だ。路地裏に足を向けると、スバルも大人しく着いてくる。

 

 大通りを彩る街灯の小さな明かりもここには届かない。壁に背中を預けて、腕を組む。

 

「数週間後のアカデミーの入学式が終わり次第、すぐに任務だ」

「…………」

 

 それなりに長い付き合いだ。人の出入りが激しい根だからこそ、スバルもキノエも“もっている”方だと思う。

 

 幼い頃から他人の顔色を窺って生きてきたオレには、目の前の男が無表情の中に僅かな不満を滲ませているのが分かった。

 

 気は進まなかったが、懐に入れていた猫のお面をスバルに投げ渡す。

 

『……どうしてモズ隊長がこれを?』

「キノエがお前の部屋から持ってきてくれたのを受け取っただけだ」

 

 スバルが『そうなんスね』と軽く頷く。相変わらず違和感を煮詰めたような口調だ。

 

『入学式後すぐってことは、弟と仲良く手を繋いで帰宅するっていう俺のささやかな願いすら叶わないってことですか?』

「お前のささやかな願いは弟の入学式に参列するところまでだろ。オレが無理に申請を通してやったんだから感謝しろよ』

『モズ隊長ったら素敵! 抱いてっ!』

 

 マジで何なんだよこいつ。気色悪い。

 

「……休暇は楽しかったか」

 

 これを聞くためだけに自分がここにいるのだと思うと、すっかり絆されてしまったなと思う。本当は紙にでもしたためて送りつけてしまえば良かったのに。

 

 スバルの纏う雰囲気がゆっくりと柔らかくなっていく。今日までの出来事を思い出しているのかもしれない。お面にあいた二つの穴から見える瞳は優しげだった。

 

『弟が二人もいるなんて、幸せも二倍ですね』

「…………」

 

 当然のことをしみじみと言われたような気がする。オレには家族のありがたみなんて理解の範疇外だが……。

 

『モズ隊長、イタチには会ったことありましたよね! 家に勧誘に来た時と、九尾の時と……』

「オレはお前の監視全般を任されているからな。お前よりも早く一番下の弟の顔も把握していた」

『そうでした……俺がずっと会いたくて会いたくて震えそうなくらい恋焦がれていたサスケに、あっさり会ってたんですよね』

「……監視していただけだ」

 

 ここで会っていたことを認めると絶対に面倒なことになる。

 

『俺も認知されなくていいから毎日サスケを眺める生活したかったなあ……』

 

 オレが毎日幼子の監視しかすることがないみたいな言い方はやめろ。そこまで暇じゃない。

 

「とにかく、任務のことは知らせたからな。……お前、中忍試験でもう少し上手く立ち回れなかったのか? 次の任務、それなりに重いやつになったぞ」

『げ』

「弱いフリをしろと言ってるわけじゃないが、晒すべきじゃない力もあるだろ」

『……そうでもしないと勝てないと思ったから。それに、あれは俺の望んだ結果じゃない』

 

 一体何を言い出すのやら。この辺で話を切り上げようとしたオレを引き止めるように、スバルが続ける。

 まるで小さな子どもが駄々をこねているみたいだった。

 

『セキは本気じゃなかった』

「…………まさか」

 

 スバルの言葉が真実だとすると、セキがわざと勝ちを譲ったことになる。……もしくは。

 

『あっ』

 

 スバルがしまったという顔……いや、声を出した。

 

『今のは忘れてください。はい、オブリビエイト』

「…………」

 

 奇妙な文字の羅列と共に記憶消去を求められた。消えるわけないだろ。

 

『モズ隊長は何も聞かなかったので、ダンゾウ様にチクることもないわけだ。いや〜、危なかった!』

 

 記憶消去どころか事実を捏造し始めた。なかったことになるわけないだろ。

 

 ああ、頭が痛い。こいつがこれでも根では五本の指に入る将来有望な新人であるという事実がさらにオレを苦しめる。

 

 淡々と任務をこなしてきたキノエでさえも、スバルの影響を受けたのかその他に理由があるのか、任務に身が入っていないことが増えた。

 優秀さと従順さはイコールで結ばれないのかもしれない。

 

「……ただの仮説をダンゾウ様に報告するわけにはいかない」

 

 スバルの目がキラキラと輝いた……気がした。

 

 こうやって話していると、こいつもまだ子どもなんだと実感する。オレに弟がいたら、こんな気持ちになっていたんだろうか。

 

 何かと手を焼くし、厄介な存在だが……見捨てようとは思えない。

 

「残りの休暇を楽しめよ」

『モズ隊長はこれから任務ですか?』

「そう、お前の監視」

『うわ…………』

 

 スバルが『隊長に見張られてる時って他の人と違って気配まったくしないから油断しちゃうんだよなあ』と愚痴をこぼす。

 ……他のやつの監視には気づいてたってことか?

 

 スバルがお面を外して、こちらに投げてよこしてくる。それを受け取って顔を上げれば、空に広がった闇と同じ色を纏った瞳が無感情にこちらを見つめていた。

 

《もどしておいてください》

 

 お面のことだろう。オレは肩をすくめるだけに留めて、任務に戻るためにその場から離脱する。

 

 スバルの監視とは言ったが、正確には彼の父親であるうちはフガクの監視がメインだ。

 今はまだ表立った行動は集会以外には見られないが、時間の問題だろう。彼らはいずれ動き始める。その時、ダンゾウ様がどのような決断を下すかは想像に難くない。

 

「…………ただ、アイツの行動だけは読めないな」

 

 これ以上は任務に支障をきたす。オレは思考を切り替えて、手に持ったままだったお面を懐に仕舞い込む。

 

 長い夜になりそうだ。

 




チャクラ破壊する拳は初任務でも使ったやつです
君の心にダイレクトアタック
反則ヤケクソパンチ!


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鞍替編
第十三話 負の遺産


「写輪眼を取ってくるのだ」

 

 だからお前は何を言っているのだ。

 

 無事に中忍と認められてからおよそ二年。風の知らせでセキとエビスも無事に昇格したと聞いている。

 

 一年前にうちはの定例会への参加目的で実家に帰った時には、イタチはすでにアカデミーを卒業して下忍になっていた。しかも主席らしい。

 照れくさそうに額当てをつけた姿を見せてくれて、嬉しさ半分寂しさ半分で泣いた。心の中で。

 

 みんな頑張ってるなあ、俺もこんな職場だけど頑張らなくちゃなと気を引き締めて仕事に邁進する日々……だった。今この瞬間までは。

 

 いつものようにダンゾウの屋敷に呼び出された俺は、こっそり左手首を抓った。痛い。こ、このふざけた発言が夢じゃない、だと!?

 

「写輪眼というものは、そもそも使い捨ての力だ。お前たち三人でこの右眼の代わりとなる写輪眼を手に入れてこい」

 

 写輪眼持ちのうちは一族である俺がいるのに、使い捨てとかひどくない? ママのお腹の中にデリカシーを置いてきちゃったのかな、ダンゾウ君は。

 

「……うちは一族を手にかけるとなると、それなりの準備が必要になるかと」

 

 ちらりと俺の顔色を窺ってから、同じようにダンゾウに呼び出された先輩が進言する。いいぞ、もっと言ってやれ。

 

 これってもしかして、空気を読んで自分の眼を抉って「つまらないものですが……」って差し出さなきゃダメなやつ? そんな気軽にダンゾウと眼球シェアしたくないんだけど……。

 

「うちは一族の者ではなく、親兄弟もいない。しかし、写輪眼を持っている――そんな都合の良い人物が一人いるだろう」

 

 ダンゾウとの強制眼球シェアは神回避したが、とんでもないところに飛び火した。

 

「……はたけカカシ」

 

 俺と先輩の間に立っていたキノエさんが呟く。

 

 ダンゾウが、この世の不穏をかき集めて煮詰めたような笑みを口元に浮かべる。ただの悪どい笑みである。

 

「クロの写輪眼とキノエの木遁があれば、あのはたけカカシにも容易に打ち勝てよう。……キノト、お前は二人のサポートをしてやりなさい」

 

「はい」

 

 そういえば先輩の名前ってキノトだっけ。

 

 (きのえ)(きのと)。木の兄と木の弟だなんて、適当に割り振った名前かと思いきやダンゾウもきちんと考えてんのね。

 

 俺が根に入る前までは、二人は同じ任務に割り振られることが多かったらしい。途中から入ってきた俺がキノエさんを寝取った形になるわけで、俺はいつキノトさんに夜道で襲われるかと眠れぬ夜を過ごしているわけだ。

 

 ほら、キノエさん、毎日俺の隣(の部屋)で寝てるからさ……?

 

「はたけカカシは三代目の任務を受けて、大蛇丸が残した研究施設の後始末を任されているようだ。彼の任務に同行し、大蛇丸の実験体の仕業に見せかけて写輪眼を奪ってくる……できるな?」

『…………』

 

 できるな? じゃないんだよ。まともな人間はできるとしてもやらないんだよ。そうだよな、ダンゾウにまともさを求めた俺が悪かったです。

 

 とっても気になったんだけど、大蛇丸の研究施設がまだ残ってるのはともかく……実験体もまだ生きてるの……?

 しかも、木ノ葉の誉れであるはたけカカシが()()()()写輪眼を奪われかねないほどの化け物クラスが?

 

 毎度のことながらこの場にはイエスマンしかいないので、ダンゾウに異を唱える者はいなかった。

 

 そんな危険な任務に代替が利く俺やキノトさんはともかく、キノエさんを連れて行くのはどうなんだろう。

 三代目暗殺任務の時もそうだったけど、ダンゾウはキノエさんを木ノ葉最強だと考えている節がある。

 

 そりゃあ、キノエさんは木遁忍術が使えるし、忍としての才もある。怒らせると自ら写輪眼の一つや二つを差し出したくなるくらいには恐ろしい。

 だからって、三代目やカカシ+大蛇丸の実験体とやり合って無事で済むとは限らないのに。

 

「クロ?」

 

 ダンゾウが離席してもまったく動かない俺を不審がって、キノエさんが首を傾げる。

 

『…………いえ』

 

 キノエさん、いつかの任務でカカシに世話になったってこっそり教えてくれたことがあったけど……大丈夫なのかなあ。

 

 

 

 俺、キノエさん、キノトさんのスリーマンセルは、絶賛はたけカカシをストーキングしていた。

 

 俺たちは大蛇丸が残した施設の詳しい場所は知らされていないので、このまま案内してもらおうという魂胆である。

 なんでも、別の任務を遂行していた小隊が偶然見つけた施設らしい。

 

「どうやらあの辺りのようだな。オレは入口を見張るから、お前たち二人はダンゾウ様の指示通りに中へ」

「はい」

 

 木ノ葉の西側に広がる森の中。青々とした緑が生い茂る豊かなこの場所は人の手がほぼ入っていないこともあって、何かを隠すにはうってつけとも言える。

 自然と生えた草木たちが都合の悪い物を覆い隠してくれるからだ。

 

「クロ、僕が先に入るから着いてきて」

『……分かりました』

 

 先ほどカカシが消えていった円状の入口は、どうやら地下へと続いているらしい。

 

 ダンゾウ様、ここ、とっても嫌な感じがします。今すぐ帰りたい。

 このパイプのような入口からして、絶対いる。大蛇丸二号のような、蛇の形をした実験体が! 俺の心の写輪眼がそう言ってるんだよ!

 

「おい、キノエはもう入ったぞ。お前もさっさと行ってこい」

 

 キノトさん、俺たちのサポート役といいつつ、実は俺がちゃんと中に入るかどうかの監視役だったりする? はいはい、入ればいいんだろ!

 

 ヤケクソで地下に降りると、案外早く底に足がついた。想像よりも浅い位置に作ってあるらしい。

 くんっと鼻を鳴らす。長いこと放置されていたせいか、埃っぽい匂いがする。

 

「こっち」

 

 キノエさんが小声で手招きする。こくりと頷いて、後に続く。

 ところどころ老朽化が進んでおり、音を立てずに歩くので精一杯だった。

 

 あまり早い段階でカカシに存在を気取られると、ずっとストーカーしていたのがバレてしまう。

 どうせ合流するとはいえ、ストーカー野郎のレッテルは貼られたくない。全部ダンゾウが悪いんです。

 

 研究施設へと繋がる扉はすぐに見つかった。封印の札が貼られた扉の前でカカシが立ち止まっている。

 

 カカシが札に触れる――しかし、何も起きない。

 まさか暗号が必要だったのか? 大蛇丸への愛を囁けば開くに全財産!!

 

「なっ……!?」

 

 札の術式が時間差で発動する。暗号で開くどころか、不用意に触れた人間ごと爆発に巻き込んで殺す鬼畜仕様だったらしい。俺の全財産……。

 

 間近で爆風に巻き込まれたカカシの身体が炎に包まれる前に、印を組んだキノエさんが水遁で援護に入る。火はすぐに鎮火され、足元は水浸しになった。

 

 瞬時にこちらを振り返ったカカシの目が大きく見開かれる。

 

「キノエ……と、うちはスバル!」

「お久しぶりですね、カカシさん」

『…………』

 

 お面が特徴的すぎてすぐに正体を見破られる暗部。それでいいのか暗部!

 

「どうしてここに」

「任務ですから」

 

 感情を押し殺したような声が響く。カカシはそんなキノエさんには気付いた様子もなく、肩をすくめた。

 

「まさか、オレのバックアップにきたわけじゃないんだろう? ダンゾウ様に言われて、根が独自に大蛇丸の施設を探りにきたってところか」

 

 いい感じに勘違いしてくれていてむしろ罪悪感が増した。キノエさんもデバフを食らったようで口を噤んでいる。

 この流れでお前の眼球をよこせなんて誰が言える?

 

 俺とキノエさんはそれとなく目を合わせて……頷き合った。

 眼球強奪はもっと油断させてからだな。ついでに施設の状態も確認してこいって言われてるし。

 

 かつてダンゾウと大蛇丸は共同で実験を行なっていたことがあるものの、大蛇丸の研究施設の数とその内容を全て把握していたわけではないらしい。

 

 ダンゾウって木ノ葉の里を()()()守るためならどんな禁術にも実験にも手を出すけど、同じく放置された禁術や実験体が木ノ葉に齎すかもしれない実害には目を向けないというか……無頓着なんだよな。詰めが甘いわけではなく。

 

「どちらにせよ助かった。お前のおかげで命拾いしたよ、キノエ」

「か、カカシさんが燃えてしまっては僕も困りますから……!」

 

 側から見ればツンデレ拗らせた発言に見えなくもない。

 現実はカカシ(の写輪眼)が燃えたら困るってだけの話だ。

 でも、黒焦げになった写輪眼をダンゾウに献上するのも楽しそうじゃない?

 

「スバルも。目的が同じなら一緒に行こう。お前がいてくれると心強い」

『…………』

 

 む、胸が痛い。そんな全幅の信頼を置いてるような目で俺を見ないで!

 

「うちは……スバルだよな? さっきから話さないが……」

「クロ……スバルは人見知りするんです。僕とならまだしも、カカシさんと楽しくお喋りするはずがありません」

 

 キノエさんがどことなく誇らしげに言う。そんな設定初耳なんですけど。余計に喋りにくくなったんだが?

 

「いや、オレも普通に話をしたことは――」

「もう行きましょうよ。ほら、スバルも」

 

 カカシの言葉を遮ってキノエさんが扉の向こうに足を踏み入れた。

 

 度胸あるぅ! 扉が爆破されてるのに先に進む勇気があるなんて。トラップを上手く躱せそうなカカシに囮になってもらう気満々だったよ。

 

「スバル、前を歩いて先導してくれる?」

『お断りします』

「あ、喋った」

 

 これ以上死亡フラグを増やしてたまるか! ただでさえ写輪眼持ちだからって通常任務でも最前線に配置されることが多いってのに。俺は弾除けじゃないんだぞ。

 

 俺とキノエさんの隣に並んできたカカシが、興味深そうに俺たちをジロジロと眺めてくる。

 

「根って、もっと殺伐としてるのかと思ってた」

「僕とスバルの仲が特別良いだけです。勘違いしないでください」

「……あのさぁ、その妙にツンデレ混じりの発言どうにかならないのか? そんなキャラじゃないだろ、お前」

「つ……ツンデレ!?」

 

 キノエさんが唖然とした声色で叫ぶ。無自覚だったのか。

 

『キノエさんは元々そうですから』

 

 とりあえずさっさと施設内の散策任務を終わらせようよ。こんな物騒な場所からは一秒でも早く退散したい。

 

「元々ってどういうこと、スバル!?」

『そのままの意味です』

「……やっぱ仲良いな、お前ら」

 

 こんな騒がしい任務があっていいんだろうか。気が削がれる。

 

「どうやら、トラップは最初の扉のみのようだな。あの大蛇丸も里抜けの際に新たな罠を仕掛ける余裕もなかったらしい」

「……でも、用心は必要ですよ」

 

 そうそう、とくに俺たちのことは警戒してほしい。ここまで信頼されてると逆にやりにくいって。

 

 長い通路を抜けて、漸く研究室にたどり着いた。罠が仕掛けられてないことを確認して、中に入る。

 

 テーブルの上にはいくつかの資料が出しっぱなしになっているし、調合して長期間放置されたせいか、毒々しい色になっている液体まで放置されていた。

 

 う〜ん、こっそり持って帰ってダンゾウが飲むお茶にでも混ぜたい。

 

「何も残っていませんね」

「ああ」

 

 生死問わず、実験体の一つや二つくらい残ってるかと思ってた。

 ここにあるのは経過を記録する資料や使用した器具くらいで、ダンゾウへの手土産としてはちょっと弱い。

 

 それに実験体がいないとなると、カカシの写輪眼をくり抜いた罪を誰に擦りつければいいのか……。

 いっそ俺のスライムを実験体に見せかけて、底なし沼の術で溺死という手も――って、殺しちゃダメなんだった。

 

 仕方がないから写輪眼は貰い受けるつもりだが、命まで奪ってしまえばガイ大先輩が悲しむ。恩人の悲しみは俺の悲しみである。どうすっかなあ。

 

「あっちの部屋も調べよう」

 

 カカシが指差した部屋の扉には鍵が掛かっていた。蹴り破ろうとした俺をキノエさんが制する。

 

「木遁忍術……」

 

 印を結んだキノエさんの指先には木でできた鍵が生成されていて、カチリとぴったり鍵穴にはまった。

 キノエさんの前では施錠は無意味だな。

 ということは、俺の自室も……考えないようにしとこ。

 

 無事に部屋に入った俺たちは、再び中を物色し始めた。

 鍵がついてたってことは、さっきの部屋よりも重要な秘密が隠されている可能性が高い。

 

「木遁術は、木ノ葉にとって重要な意味を持つ」

 

 カカシが無造作に置かれていた分厚い本を捲りながら続ける。

 

「木ノ葉には九尾の人柱力がいる。その力は九尾をコントロールできる力の一つだ」

「写輪眼もその一つだということは知っています」

 

 二人の視線が、フラスコを手にまじまじと中の液体を凝視していた俺に向けられた。え、何?

 

「キノエやスバルの力は、本来はもっと里のために広く使われるべきものだと思う」

 

 謎の液体に夢中でまったく聞いてなかった。ごめん、真面目な話をしてたのね。

 

「九尾をコントロールできる二つの力をダンゾウ様が手元に置いているのも、何か考えがあってのことだろう。だが、お前たちも、もっと日の当たる場所に出たくはないのか?」

「日の当たる場所……」

 

 何かどころか、自分が火影になって九尾を支配下に置くことしか考えてないです、あの爺さん。

 

「二人の居場所は根よりも、火影直属の暗部の方が相応しい」

『ふっ……』

 

 ここまではっきりと言葉にされるとは思わず、つい笑ってしまった。

 キノエさんとカカシが首がもげるんじゃないかと思うような勢いでこちらを振り返る。

 

「スバルが……笑った」

 

 ク◯ラが立ったみたいな反応はやめて。

 

『そうか……貴方は四代目の弟子でしたね』

 

 どうりでなんだか懐かしい気持ちになるわけだ。直接的な物言いといい、あのダンゾウを恐れない強気な態度。

 そして――常に木ノ葉隠れの里を第一に考えて行動している姿勢まで。

 

 あの日の竜胆の香りすら鮮明に思い出せる。手向けた花は無事に届いただろうか。

 

 あの人が理想としていた世界にはまだ届いていないけれど……。

 彼の火の意志はきちんと受け継がれているようだから、そう遠くない未来なのかもしれない。

 

 扉に手をかける。この部屋にも収穫はなかったな。未だに呆けている二人に声を掛けた。

 

『次の部屋に移りましょう』

 

 

 

 次に足を踏み入れた部屋には、ひんやりと冷たい空気が漂い、部屋全体が霞がかったように薄ぼんやりとしている。

 

 資料や小さな実験器具ばかりの小部屋とは違って、中央にはチューブに繋がれた巨大なケースがいくつも鎮座していた。

 ケース表面の結露のせいで中の様子は分からない。

 

 俺の心の中の写輪眼が今すぐここから逃げろと以下略! ああ嫌だ。こんなの明らかに“そう”じゃんか。

 

「中に何かあるぞ」

 

 カカシが結露を拭うようにケースに触れた手を動かす。

 そりゃいるでしょうね。そのサイズ、間違いなく大蛇丸の――

 

 脳内で【にげる】【たたかう】のコマンドを表示させていると、俺の隣にいたキノエさんが突然走り出したのが見えた。えっ。

 

 結露がただの水滴になり、ケースにキノエさんの姿が映ったんだろう。

 

 キノエさんが右手に構えたクナイがカカシの腕を切り裂き、追撃を逃れたカカシめがけて放たれる。

 

「キノエ!? 何のつもりだ!」

 

 俺もまったく同じことを叫びそうになった。

 開始の合図くらい欲しかった! それに、いかにも大蛇丸の実験体がいそうなこの部屋で戦いたくないよ!

 

 キノエさんが放ったクナイを背中の忍刀で弾いたカカシだったが、死角から飛び出してきた木遁に投げ飛ばされてしまった。

 うわあ、容赦ない。あの腹パンは効く。

 

「くっ」

 

 迫りくるキノエさんに、カカシが額当てをずらして写輪眼を見せる。

 

 俺との手合わせで対写輪眼戦を熟知しているキノエさんは、瞬時に左腕で己の視界を塞ぎ、素早く後退して身を隠した。

 

 一連の流れを部屋の入り口で眺めているだけだった俺に、カカシが叫ぶ。

 

「……スバルッ! まさか、お前もか!?」

 

 俺はブルータス、その通りだ。

 

 写輪眼戦になるとキノエさんは正面から戦えない。ここからは俺の出番だ。

 

『任務を遂行させていただきます』

 

 さあ、大人しくその写輪眼を渡してもらおうか。

 キノエさんは命ごと奪うつもりだろうが、俺は違う。キノエさんに殺される前に、ほら、早く!

 

「正気なのか? 仲間同士で殺し合うなんて!」

 

 残念ながらダンゾウが正気だったことなんて一度もないんだよ。むしろ正気の状態で狂ってる。

 

『火遁・豪火球の術!』

 

 先ほどの腹パンのダメージが蓄積されているらしく、俺の挨拶代わりの火遁すらギリギリで避けるカカシ。

 これなら体術でスピード勝負した方が手っ取り早そうだ。

 

 カカシが体勢を立て直す前に、その懐に入って思い切り蹴り上げる。写輪眼は俺の動きについてきていたが、身体はそうではない。

 顎ごと脳を揺さぶられたカカシは、再び壁に強く打ち付けられた。

 

 ほら、俺たちを信用しすぎるからこうなる。卑怯だとは言わせないぞ。

 カカシが痛みによる苦悶の表情を浮かべながら、口を開く。

 

「……スバル、お前が望まぬ場所にいることは、ミナト先生から聞いて知っている」

 

 言葉で改心を促すつもりらしいが、無駄だ。この任務に俺の意志は関係ない。

 

 その場から動けそうにないカカシに近づいて、ホルスターからクナイを取り出した。切っ先が眩く光っている。

 

「ダンゾウ様の命令に従ってオレを殺すことが、お前の弟達を守ることに繋がると本当に思っているのか……?」

『…………』

 

 お面の内側で眉を顰める。守ることになるのではなく、すでに“守ってきた”つもりだ。

 あの男の手が、決して弟達に伸びることがないように。

 イタチやサスケには、この世の綺麗なものだけを見ていて欲しいから。

 

『俺にそのような感情はない』

「嘘をつくな! それなら何故、あの時オレを――」

 

 ぴくりとクナイを持つ腕が反応する。

 まさか、根に監視されてるぜってバラした時の話をするつもりか? それは不味い。キノエさんに聞かれるわけにはいかない。

 

 さっさと写輪眼を奪ってずらかろう。

 振りかぶったクナイがカカシの左眼を抉り取った……と思ったら、ポンッという軽快な音と共に辺りが煙に包まれる。

 

 煙が消えた後に手元を見れば、俺のクナイは室内にあった椅子の足部分に突き刺さっていた。変わり身の術……。

 

 後ろを振り返れば、俺の背後を取ろうとしていたカカシVSさらにその後ろを取ったキノエさんというマトリョーシカ戦が始まっていた。ややこしいよ。

 

「狙いは写輪眼か」

 

 ご名答。俺が真っ先に写輪眼を抉り取ろうとしてたの、やっぱりバレちゃった。

 

「キノエ、お前も仲間同士で殺し合うなどおかしいと思わないのか!?」

「任務ですから」

 

 キノエさんにまったく同じ返しを受けたカカシの表情が歪む。

 

「仲間を殺す任務なんてあるわけがない! お前達にそのような任務を与えた人間が間違ってる!」

「ダンゾウ様が……間違ってる?」

 

 キノエさんは経緯はどうであれ、自分を拾って育ててくれたダンゾウに恩を感じてる。

 モズもそうだって言ってたっけ。幼少期からの刷り込みは侮れない。どう考えても二人は被害者なのに。

 

「ダンゾウ様が間違ってるはずがない!」

 

 一度でも怯んだ己を恥じるように、キノエさんが刀を振りかぶる。

 それを難なく受け止めたカカシが、動かない俺を訝るように一度だけ視線を寄越した。

 

 俺の目は、二人の攻防戦ではなく、その更に奥に向けられていた――正確には彼らの背後にある巨大なガラスケースに。

 

 俺たちのそこそこに激しい戦いは、当然ながら室内の備品を破壊しながら行われていた。

 

 その中にはケースも含まれていて、例えばキノエさんが投げた手裏剣だったり、吹き飛ばされた刀であったり、俺が外した蹴りであったり……それらがガラスにヒビを入れていたわけだ。

 

 ……お分かりいただけただろうか。

 

 僅かに入った亀裂を押し広げるような、ドンッ! とケースの内側から何かを打ち付けるような音が響いた。

 

 霧がかった室内に不気味なシルエットが浮かび上がる。

 キノエさんとカカシも戦うのをやめて、ゆっくりと後ろを振り返っていた。

 

 もう一度、ドンッと施設全体が揺れるような衝撃がくる。

 

「まさか……」

 

 そのまさか、だ!

 

 三度目の衝撃音は、ガラスが割れる音と共に部屋中に響き渡った。

 

「キノエ、そこから離れろ!」

 

 カカシが伸ばした腕は届かず、キノエさんは霧にまぎれた“それ”の牙に捕われて見えなくなってしまう。

 

 そう、これだよこれ。囚われの姫って普通こういうシチュエーションだよな! やっぱりあの中忍試験は……って思い出し殺意抱いてる場合じゃなかった!

 

『チッ』

 

 お行儀が悪いけど許されたい。こんなの舌打ちしたくなってもおかしくないだろ?

 

 俺とカカシは天井すれすれに移動した。

 ガラスケースに入っていた液体が蒸発したせいか、さらに霧が濃くなっている。これでは部屋の様子が分からない。

 

 全身のチャクラを両眼に集中させ、視界が赤に染まる。

 キノエさんの居場所はすぐに分かった。

 非常に残念なことにすぐそばに別の気配がある。それも、禍々しいチャクラの持ち主が。

 

『木ノ葉旋風!』

 

 深い霧の中に身を滑り込ませた勢いそのまま、ガラスケースから逃げ出したと思われる“それ”に向かって連続した蹴りを放つ。

 

 ゆらりと気配ごと髪が揺れる。それは、とにかく大きかった。

 

 巨大な大蛇に人のような顔がついている化け物がこちらを見下ろしていた。

 

 肝心のキノエさんは大蛇の尾に巻きつかれて身動きが取れなくなっている。

 きつく締め付けられているのか、苦しげな呻き声まで出していた。

 

 まさに大蛇丸と蛇を足して二で割ったような実験体の姿に空いた口が塞がらない。

 なんか顔も大蛇丸に似てる気がするし、ご丁寧に立派な御髪までついている。ノーベル気持ち悪いで賞!

 

「スバル、足元だ!」

『…………これは』

 

 この状況では一時休戦してくれているカカシの存在がありがたい。

 

 同じように上から降りてきたカカシの言葉を受けて足元に目をやれば、夥しい数の白蛇が蠢いていた。

 

 人面蛇と比べれば小さく、通常サイズではあるものの、床を埋め尽くさんとする規模だ。しかも明らかに毒を持ってますよと言わんばかりの見た目である。

 

 奥歯に解毒剤は仕込んでいるが、一気に噛まれたら解毒が追いつかずにあの世行きになりそうだ。

 

 例え毒がなくても、大蛇丸産の蛇に噛まれると何か大事なものを無くしてしまう気がする。貞操とか。

 

『火遁・豪火球の術!』

 

 カカシへの挨拶代わりに放ったものより数段大きな炎の塊が、範囲内の白蛇を一掃していく。

 炎を逃れた蛇は直接刀で切り裂きながら、こちらの隙をついてくる大蛇の攻撃も同時に躱す。

 忙しすぎる。蛇自体がトラウマになりそうだ。

 

「はっ……お前、さっきの炎、まったく本気じゃなかったんだな」

『あの程度だと思われたら心外ですね』

 

 息も絶え絶えなカカシの軽口につい反応してしまった。

 

 俺たちは自然と背中合わせになって、忍刀を握る手に力がこもる。

 任務の遂行に俺の意志は関係ないが……破綻してしまったものは仕方がない。

 

『任務は放棄します。キノエさんの命の方が大事ですから』

 

 この場にダンゾウがいたとしてもそう判断しただろう。

 写輪眼を手に入れる任務と、この世にたった一人しか存在しない木遁術の使い手であるキノエさんの命、どちらが重いかは明白だ。

 

 あの大蛇を始末した後に、カカシと殺り合う体力が残っているとは思えない。

 

「……感情がないとか言ってたのは、」

『これ以上根での立ち位置を悪くするわけにはいかないので』

 

 背中越しにカカシの動揺が伝わってくる。

 今ならキノエさんに俺たちの会話を聞いている余裕もないだろうと考えての発言だったが、喋りすぎたかもしれない。

 

 まあ、きっとこれが最後だからいいか。カカシと話をする機会なんてそうあるもんじゃない。

 

『…………俺は、四代目の見ていた未来をこの眼でも見てみたかった』

 

 戦争がなく、幼い子ども達が呆気なく命を落とすこともない世界。

 まるで絵本の中から飛び出してきたような、平穏な日常。

 

 そんな世界で生きるイタチとサスケはどのように暮らすのだろう。

 忍という存在がなくなっていれば、修行で怪我をするなんてこともなくなっているのかもしれない。

 ただ一つ確かなことは、二人は……今よりずっと笑顔でいてくれるんだろうな。

 

 カカシが笑った。憑きものが取れたような晴れ晴れとした笑みだ。

 

「見られるだろ――今からでも」

『…………』

 

 同じ夢を見ることは諦めていたはずなのに。不思議だ。本当にそうなる気がしてくるんだから。

 

 休まず刀を振り続けていた腕が少し痺れてきた。足元の白蛇はほぼ始末したし、頃合いだろう。

 

 カカシは右手に千鳥を、俺はありったけのチャクラを両足に集めて、勢いよく地面を蹴った。

 

 カカシの千鳥が大蛇の尾を切断し、キノエさんの拘束が緩む。

 キノエさんが床に落下する前にカカシが受け止めたのを横目に、尾を無くしてバランスを崩した大蛇に渾身の蹴りをお見舞いした。

 

 耳を防ぎたくなるような絶叫が響く。ひどく耳障りな断末魔と共に、大蛇の体が傾いて床に転がる。

 

 大蛇丸の実験体なだけあって、半端なチャクラではダメージを与えられそうになかった。

 おかげで立っているのもやっとだ。ダンゾウに特別手当請求しよ。

 

「ごほっ……」

「大丈夫か?」

 

 カカシに上半身を起こされたキノエさんがぼんやりと目を開く。顔色は良くないが、無事でよかった。

 

「どうして…………助けたんですか。あなたを殺そうとした、僕を」

「死にたかったのか?」

「…………いえ」

 

 キノエさんの声は弱々しく、感情が乗せられていないようでいて、今にも泣き出しそうだった。

 

「僕は……死にたくはありませんでした」

「それなら、生きていることに感謝するんだな」

 

 キノエさんにとっては酷なことだろう。一度だってそんな生き方をしてきたことはないはずだ。

 

「早くここから脱出を、」

 

 カカシの言葉が途切れる。俺とキノエさんも、部屋に満ちていく瘴気に気づいた。その出どころが分かったところで、もう手遅れらしい。

 

 ぐにゃりと視界が歪む。

 

「スバル!?」

『キノエさ、ん、これを吸わないでくださ……い』

 

 思考が途切れ途切れになったせいか、お面の声もノイズ混じりになる。

 

 いつもの静電気が額に走るような感覚がぷつんと消える。

 違う。思考のせいじゃない、チャクラ切れだ。

 体内のチャクラ量が一定以下になると、使用者の安全のためにお面の機能が停止するって聞いていたような……。

 

 キノエさんが俺の肩に腕を回して支えてくれた。

 

「解毒剤を!」

 

 なんとか頷いて、ガリッと奥歯に仕込んでいた解毒剤を噛み砕く。

 キノエさんやモズほど毒への耐性がないから結構きつい。

 

 いいや、あの大蛇丸の実験体の体液から生成された毒の霧だ。その辺で耐性を作れるようなものは使っていないだろう。

 だとすると、キノエさんやカカシですら危ないってことか?

 

「う……」

「カカシさん!」

 

 俺に続いて、カカシが倒れた。しかも、こっちはさらに重症で意識すら手放している。

 そりゃそうだ。俺とキノエさん二人がかりの戦いで疲弊していた上、うちは一族でもないのに写輪眼を多用したから肉体への負担も大きい。

 

 嫌な予感ばかりが的中する。

 ああもう、写輪眼強奪任務が大蛇丸の残した実験体退治に切り替わったかと思えば、最後は全滅フラグ! あの毒まみれの実験体をケースに入れて持ち帰ってダンゾウの屋敷にぶちまけてもいいんじゃないかな!?

 

《じぶんで あるけます》

 

 だから、キノエさんはカカシを頼みます。

 

 そんな思いを込めて、ぐっとキノエさんを押し退ける。

 

 ふらりと踏み出した足がずりっと地面の上を滑る。

 体内の熱が一気に頭にのぼるような感覚に包まれてひやっとした。しかし、予想した痛みはやってこない。

 

 俺の腰にはキノエさんの腕から飛び出した木遁がしっかりと巻き付いていた。……もう少しで地面に顔面強打するところだった。

 

「僕はスバルより年上だし、暗部でも先輩だ」

 

 キノエさんは倒れていたカカシを担いで、さらに木遁で作った“腕”で俺を支えた。か、かっこいい……。

 

「大丈夫、このまま部屋を突破するよ!」

 

 一生ついていきます、キノエ先輩!!

 



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第十四話 正しい居場所

 熱で朦朧とする意識の中、バタンと重い扉が閉じる音を聞いた。

 なんとか毒が充満する部屋からは脱出できたようだ。

 

 扉を背にしてズルズルと座り込んでしまったキノエさんの息が荒い。

 彼は何度か深呼吸をしてから、俺の腰に巻きついていた木遁を解除する。

 伸びてきた手のひらが俺のお面を攫っていったかと思えば、額に冷たいものが触れた。

 

「毒が回るのが早い……」

 

 やっぱり? もうね、指文字すら億劫でやりたくない。

 そうは言ってられないので、仕方なく腕を動かした。完全に解毒されるまでの辛抱だ。

 

《あのひとは》

 

 ネコのお面を付け直してくれたキノエさんが、扉の横に寝かせているカカシに目を向ける。

 

「処置は済んでるから、大丈夫」

 

 それなら良かった。胸を撫で下ろしていると、キノエさんが懐から手のひらサイズのガラスケースを取り出す。

 中に入っているのは――人間の眼球だ。

 

 カカシの目は抉られていない。それは確かだ。

 つまり、キノエさんが持っているのは他のうちは一族のものか、レプリカということになる。彼の性格上、間違いなく後者だろう。

 

「僕にはカカシさんは殺せない」

『…………』

「キミには失望されてしまうだろうけど……どこかでこうなることが分かっていたんだと思う」

 

 キノエさんには、俺とカカシの会話は聞かれていなかったらしい。こうなってしまえば、聞いていてくれたら良かったのに。

 

 キノエさんの懺悔のような言葉は止まらない。

 

「以前話したカカシさんに助けられた任務で……僕は、僕を“テンゾウ”と呼んでくれる女の子に出会ったんだ」

 

 テンゾウ。そこだけがやけに柔らかい響きだった。

 

「それは女の子にとって大切な人の名前で、勿論人違いだったけれど……きっとその時、僕は……」

 

 自分の心の輪郭をなぞってる途中のような言葉たちが不器用に紡がれていく。

 

「己が何者であるのかを知った」

『…………』

 

 体内の毒が上手く中和されていっているのか、少しずつ呼吸が楽になってきた。

 チャクラも戻ってきているようで、少量ではあるが練られそうだ。

 

「僕はもう、ダンゾウ様の望む“根のキノエ”には戻れない。あの時からずっと“木ノ葉のテンゾウ”になりたかったから」

『テンゾウ、ですか』

 

 お面で話せるほどに回復したことに驚いたのか、キノエさんが目を見開く。

 

『ダンゾウ様からのお叱りは一緒に受けましょう』

「でも……!」

『俺も、キノエさんの命を優先してカカシとの共闘を選びましたから』

 

 ただ、と目を伏せる。入り口で待機しているキノトさんが問題だ。

 急に「カカシを殺したくないので任務は放棄します!」なんて言っても受け入れて貰えないんだろう。

 それどころか「お前たちに出来ないならオレがやっとこうか?」なんて親切心たっぷりの申し出を受けてしまう可能性もある。余計なお世話である。

 

 意識もないカカシを暗部の手練れから守り抜くなんて、無謀すぎてやりたくない。

 だからこその“レプリカ”なんだろうが。……まてよ。

 

『……もし、ここで俺が任務遂行を要求していたら』

「スバルには悪いけど気絶してもらうつもりだったよ」

『…………』

 

 外にいるキノトさんにはレプリカで誤魔化せるかもしれないが、写輪眼持ちである俺やダンゾウにはすぐに見抜かれてしまう。正しい判断だ。

 

『レプリカを用意したことをキノトさんやダンゾウ様に知られてしまっては、ダンゾウ様に見抜かれた時に任務失敗の言い訳ができなくなります』

 

 これが、カカシに返り討ちにされた、もしくは大蛇丸の実験体に手も足も出ず逃げ帰ったという話であれば大事になることはなかった。

 

 あのダンゾウにも己の采配ミスかもしれないと認識を改めるくらいの懐の広さはある。

 俺たちは多少のお叱りは受けるかもしれないが、カカシの写輪眼については保留となるだろう。

 

 しかし、外で待つキノトさんが「失敗したならオレが代わりに以下略!」などと言い出さないようにする為には、レプリカを彼に見せる必要がある。

 そうすると任務失敗で済むわけもなく、ダンゾウを謀ろうとした罪にも問われてしまう。

 

 あのダンゾウだよ? 子どもがしたことだからとあっさり許してくれるはずがないし、流石に殺されることはないだろうが、相当痛い目に遭わされるのは間違いない。

 

「僕はそれでも構わない。でも、スバルは」

 

 キノエさんの意志は固いらしい。それなら俺の覚悟も決まった。

 

『俺たち、痛いのには慣れてるじゃないですか』

 

 それに、これまでダンゾウから受けてきた“痛み”は絶対に忘れないし、いつか必ず返すと決めている。俺は根に持つタイプなんだよ。絶対倍返しするマン。

 

 キノエさんはふっと小さく笑った。

 

「嫌なことに慣れちゃったなあ」

 

 

 

「写輪眼は手に入ったのか」

 

 研究施設から出てきた俺たちに、キノトさんが早速声をかけてくる。

 彼は入口から出てきたのが俺とキノエさんだけだと分かると、僅かに警戒を緩めた。

 

「はい。ここに」

 

 キノエさんが素早く写輪眼のレプリカが入ったケースを見せる。

 

「死体は大蛇丸のトラップにやられたように見せかけてあります。後で火影直属の暗部が見つけるでしょう」

 

「よし、もうここに用はない。ダンゾウ様の元へ急ぐぞ」

 

 キノトさんが写輪眼持ちじゃなくて本当によかった!

 そうでなければ任務失敗+ダンゾウを謀った罪+キノトさんに危害を加えた罪という罪に罪を重ねることになっていたはずだ。

 

「……お前たち、やけに傷だらけだな。そんなにキツかったのか?」

「…………」

『…………』

 

 ダンゾウといい、キノトさんといい、カカシを見縊りすぎなんじゃないだろうか。もしくは、大蛇丸の実験体を軽視しすぎ。

 こっちはもうちょっとで死ぬところだったんだぞ。

 俺に睨みつけられたキノトさんがたじろぐ。

 

「おい……クロのやつ、なんか怒ってないか?」

「気のせいだと思いますよ」

 

 フォローに入ってくれたキノエさんが白々しく言う。

 キノトさんは釈然としない様子だったが、触らぬ神に祟りなしと思ったのか、それ以上追及してくることはなかった。

 

 

 

「これは一体……どういうつもりだ」

 

 俺たちが持ち帰ったレプリカを見たダンゾウの顔がみるみる険しくなっていくのは、非常に良くなかった。俺のメンタルに。

 

 ダンゾウは手に持っていたケースを勢いよく床に投げつけた。

 ガラスの破片が飛び散って、写輪眼のレプリカがころころと転がって、コツンと俺の足先に当たる。

 

「キノエ!」

 

 ダンゾウの怒気を帯びた声にわりと本気で泣きそうになった。

 剣士の背中の傷並みの恥になるから絶対に泣かない、泣かないけど!

 

「お前もだ、クロ。写輪眼を持つお前であれば、これが偽物だということくらいすぐに気づいただろう!」

『…………』

 

 スバル国に代々伝わる秘技・だんまりを行使する俺にダンゾウが苦々しい顔をする。

 これは絶対不可侵の最強心閉ざし術である。奴と会話するくらいなら鎖国した方がマシ。

 

 ダンゾウは額を押さえて疲れたようなため息を吐いた。あのダンゾウにダメージが入っただけでも快挙といえる。

 

「クロは悪くありません。彼にはこれが本物かどうかを判別するだけのチャクラは残っていませんでした」

「……なに?」

「チャクラが足りなければ写輪眼も使えない。そうですよね? クロは大蛇丸の実験体と戦った直後、お面の機能すら停止するくらい体内のチャクラが不足していました」

 

 キノエさんの発言に驚いたのはダンゾウやキノトさんだけじゃない。俺もだ。それは事実ではあるが、真実でもない。

 

 ダンゾウが自身の右眼の包帯を解いた。写輪眼で俺のチャクラを確認するつもりなんだろう。

 今の俺は同じ写輪眼で対抗することもできないので、目を伏せて時が過ぎるのを待つ。

 ついでで幻術にかけられたくないからな。

 

「……そのようだな」

 

 ダンゾウが渋々ながら認める。我ながらチャクラがあまりにも枯れ果てていて、ダンゾウにすら同情されそうな状態だ。

 くっ! その憐れむような目はやめろ! 敵からの情けは受けぬ……!

 

「僕は、クロがチャクラ不足と実験体から受けた毒のせいで意識を手放している間に、はたけカカシの写輪眼を手に入れたことにしたんです」

『…………』

 

 ちょっと待て。このままじゃキノエさんだけがお咎めを受けることになってしまう。

 一緒にダンゾウに叱られようぜって約束したのに!

 

「――僕は、木ノ葉の仲間を殺したくありませんでした」

 

 キノトさんがギョッとした顔でキノエさんを見ている。

 まさか、ここまで直接的にダンゾウに反抗心を示すとは思ってなかった。やりすぎだ。ちょっと痛めつけられる程度じゃ済まなくなるぞ。

 

「どういう意味だ。キノエ、お前はワシの任務を放棄した挙句、根の掟にすら逆らうつもりなのか?」

 

 ダンゾウからの圧が強くなる。表向きは三代目の側近または右腕と呼ばれているだけあって、そのプレッシャーの前では冷や汗が止まらない。

 

 キノエさんはぎゅっと唇を噛んで、叫んだ。

 

「僕は根の……根だけの忍じゃない。木ノ葉の忍だ。仲間は殺さない!」

「何を言っている……キノエ」

「僕はキノエじゃない!」

 

 ダンゾウがいよいよ理解が追いつかないといった様子で顔をそむけた。

 

「何を馬鹿げたことを……お前にキノエ以外の名があるわけがない」

「僕は木ノ葉の忍です。地上も地下も関係ない、みんなが仲間なんです」

 

 俺は自然と顔を上げて、キノエさん、いや、ダンゾウを真っ直ぐ見ていた。

 あの、じんわりとこちらの首を絞めあげてくるような、チャクラによるプレッシャーが消えたわけでもないのに。

 

「お前は間違いなく根のキノエだ。任務以外に大切なものなど存在しない」

 

 ダンゾウがせせら笑うように言った。キノエさんの心からの叫びを一蹴して、何の躊躇いもなく踏みつける。

 

「クロ、根とは何かを言ってみなさい」

『…………』

「…………」

 

 俺にガン無視されたダンゾウと目が合ってしまったキノトさんが、慌てて口を開いた。

 

「根は、名前はない。感情はない。過去はない。未来はない。あるのは任務のみ」

「その通りだ。お前にあるのはキノエという“番号”と、任務だけ。根を束ねるワシの命令は絶対なのだ」

 

 俺にスルーされた過去などなかったかのように、ダンゾウが続ける。

 そのメンタルの強さだけは認めてやってもいいのだ。

 

「僕は二度と、カカシさんや木ノ葉の仲間を傷つけない!」

「貴様……!」

 

 ダンゾウが写輪眼をキノエさんに向けた。

 膝をついていた俺は咄嗟に立ち上がって、崩れ落ちたキノエさんの身体を受け止める。

 ……まさか、ここまでするとは。キノエさんにそれを向けるなんて。

 

「キノエを拘束しておけ! さらなる呪印で縛る」

「はい」

 

 抑えきれない苛立ちを俺とキノトさんにぶつけていったダンゾウが部屋から出ていく。

 

 ダンゾウは木ノ葉の忍を仲間だと主張するキノエさんに、お前の仲間はここにいる根の人間だけだと言った。

 その舌の根が乾く前に写輪眼を“仲間”に向けて使った彼に、そんなことを言う資格があるのか?

 

 じんわりと脇腹の辺りが熱を持ち始める。この状況で呪印が発動するのは不味い。

 俺は思考を切り替えて、キノエさんを抱え直した。

 

 このままキノエさんが俺と同じかそれ以上の呪印の縛りを受けるのを黙って見ているだけなんて嫌だ。

 

 でも、どうしたらいい? 俺は無力だ。ダンゾウからキノエさん一人逃すことすらできない。力も、立場も、何もかもが弱い。

 

「クロ、お前までバカなことを考えているわけじゃないよな」

『…………』

「……お前にはそんな感情すらないか。まったく、キノエには驚かされたよ」

 

 キノトさんがやれやれと肩をすくめる。俺より長くキノエさんと組んできた人がこれでは。

 別にキノトさんが悪いというわけではない。彼は根の忍として当然のことを言っているだけだ。

 

 だけど、これでは……あまりにもキノエさんが報われないじゃないか。

 

「おい、早く移動するぞ」

 

 ひどく足が重い。キノトさんの催促に力なく頷く。

 一度だけ床に散乱したガラスの破片に目を向けて、部屋を後にした。

 

 

 

 俺にできたことといえば、キノトさんの手によって拘束器具を付けられていくキノエさんを見下ろしていることだけだった。

 

 後にこの部屋にダンゾウがやってきて、キノエさんへの呪印による縛りを強くする。

 ……でも、それだけで済むだろうか。いくらダンゾウでもキノエさんの思考を縛ることはできない。

 

 キノエさんの反発心はそう簡単に宥められるものではないということは、ダンゾウにも分かったはずだ。

 キノエさんは貴重な木遁使いではあるが、自分の思い通りにならない力をそのままにしておくような男ではない。

 

 俺たちのやるべきことが全て終わり、キノトさんが顔を上げる。

 

「オレはこれからダンゾウ様に“処置”が終わったことを知らせにいく。お前はここで見張っておけ」

 

 そのまま部屋を出て行こうとするキノトさんの肩を掴む。怪訝そうにこちらを振り返った彼の目と目をしっかりと()()()()

 

『ははっ、まさかここから無事に出られると思ってるわけじゃないスよね?』

「は?」

 

 ぐるんっと回る。俺ではなく、キノトさんの目が。キノエさんの時とは違って、俺はその身体を支えることはしなかった。

 

『いてて、俺を殺す気かよ。まーた写輪眼使わせやがって』

 

 あー寿命縮んだ。兵糧丸を口にしたおかげでちょこっと回復してるけど、実際は数日間は寝込みたいレベルの疲労感だ。

 

 不意打ちで俺の写輪眼を食らって気絶しているキノトさんの足を掴んで、ずるずると引きずりながら部屋の隅に移動させる。

 後のことは後輩に任せて、先輩はそこで大人しくおねんねしててくださいね。 俺ってばなんて先輩想いのいい奴なんだろう!

 

『さあて、どうすっかな』

 

 とりあえずダンゾウを呼びに行こうとしていたキノトさんを止めることには成功した。けど、いつまでも呼び人が来ないことを訝ったダンゾウも遅かれ早かれこの部屋には足を向けるはずだ。

 

『キノエさーん、朝ですよ!』

 

 捨て身タックルでダンゾウに立ち向かうにしろ、ここから尻尾巻いて逃げるにしろ、まずはキノエさんには起きていてもらわないと困る。

 

 ぶっちゃけ今の俺は足手纏いにしかならないから、理想はキノエさん一人に逃げてもらうことだけど……。

 それに、俺にはまだ根でやるべきことがある。弟達を巻き込まないよう、ダンゾウを牽制するという大事な役目が。

 

 あーあ、今すぐ根の本拠地に隕石でも降ってこないかな。

 

『…………』

 

 キノエさんはまったく起きる気配がない。軽く揺すってみても無反応。

 心配になって顔を近づけると、ちゃんと呼吸はしているようでホッとした。

 

 とりあえず拘束器具は全部外しておいたからいつでも逃げられるはずだ。

 ここまで起きないってことは、よほど写輪眼によるダメージが深いんだろうか。

 

 もう一度揺り起こそうとしていると、部屋の外から数人の足音が聞こえてきた。

 その足音は真っ直ぐこちらに向かってきていて、俺は素早く扉に手をかけて部屋を出る。

 

「クロ! ちょうどお前を呼びに行こうと思っていたところなんだ」

『外が騒がしいようですが』

「侵入者だ。たった一人で乗り込んできたらしい」

『ナイスタイミング!』

「え?」

『いえ、分かりました』

 

 俺を呼びにきてくれた先輩たちは俺の不審な発言には目を瞑ることにしてくれたようで「お前は先にダンゾウ様にこのことを伝えに行け」とだけ言い残して去ってしまった。

 

 やっぱり、俺ってついてる! この状況だとついてるのはキノエさんの方だろうか? どちらにせよ、いい風向きだ。

 

 まずは気絶してるキノトさんを別室に移動させて、ダンゾウへの報告途中に侵入者にやられたようにみせかける。

 そして、俺はダンゾウを呼びに行き、侵入者のことを伝えて、いい感じにキノエさんへのヘイトを減らしつつ侵入者の始末を優先するように促す。

 完璧だ! パーフェクト! あとは、ダンゾウが呑気に侵入者と対峙している間にキノエさんが逃亡できれば言うことなし!

 

『ちょっと失礼しますよ〜』

 

 部屋の隅で伸びているキノトさんの頬をバチーンッと打つ。思ったよりいい音がした。

 

『…………』

 

 よし、起きない。これなら暫く動かしても大丈夫だろう。

 打つ時の力に私情が入っていただなんてそんな。

 

 俺はキノトさんを俵のように抱き上げて、適当な部屋に放り投げておいた。

 ふう、第一関門クリア。さて、後はダンゾウを呼びに行けば――

 

「クロ」

 

 ビクッと肩が震えた。俺は先ほど閉めたばかりの部屋の扉を背にして何事もなかったかのように取り繕った。

 

『ダンゾウ様』

「キノエを見ているはずのお前が何故ここにいる。キノトはどうした」

 

 せっかちなダンゾウが我慢できずにこちらに向かっていたらしい。

 あともう少し早ければ、俺がキノトさんをこの部屋に押し込んでいたのを見られていたかもしれない。まさに危機一髪である。

 

『侵入者が現れたようですので、こちらからもお迎えにあがろうと思っていました。……先に出たキノトがダンゾウ様の元に辿り着いていないとしたら、侵入者と対峙している可能性も……』

 

 我ながら名演技なんじゃないだろうか。内心ほくそ笑んでいると、ダンゾウが「侵入者……」と呟いて目を細める。

 

「キノエの処置は終わっているのだろうな」

『……はい』

 

 待て待て、なんで真っ先にキノエさんのことを聞くんだよ。

 

「侵入者の目的はキノエだろう。すぐに向かうぞ」

『…………』

 

 悲しいかな、ダンゾウは有能だった。

 迷いなくキノエさんのいる部屋に足を向けるその後ろ姿に絶望を隠せない。

 どうしてなんだよおおおお! 全部上手くいくはずだったのに!!

 

「フン……はたけカカシ。キノエをどうするつもりだ?」

 

 どうやらダンゾウの脳内では侵入者はカカシで決定しているらしい。

 俺も、もしかしたらとは思ってたけどさ! 判断が早い!

 

 こうなってしまえば、ダンゾウの後頭部をぶん殴って捨て身で阻止するしかないのか……? もう写輪眼も発動できない俺に勝ち目があるとは思えないが、やるしかない!

 

 そろそろキノエさんを拘束してる部屋が見えてくる。勝負はダンゾウが扉に手をかけた瞬間。

 手を出す直前に呪印が発動しそうではあるが、できるだけ殺意を抑えてやればあるいは……。ああ、出来る気がしない。だって殺意だらけなんだもの!

 

「キノエ!!」

 

 拘束部屋の扉が勝手に開き、中から二つの人影が飛び出してくる。キノエさんと……カカシだ。

 

 タイミングがいいのか悪いのか、しかし、おかげでキノエさんの拘束具が外れていた言い訳をしなくて済む。

 あれは本人には解除できない仕組みになっているから。

 

「……クロ!」

『はい』

 

 ダンゾウに名前を叫ばれてしまっては、傍観しているわけにはいかない。

 戦うフリくらいはしなきゃと思って踏み出した足に、ぐるぐると細い木の枝がいくつも巻き付いてきた。

 

『!?』

 

 キノエさんの木遁術か! 

 

 片足のみに巻き付いたそれを、キノエさんが容赦なく引っ張る。当然のようにバランスを崩して思いっきり床に尻を強打する俺。

 これは恥ずかしい! 新手の精神攻撃なのか?

 

「キノエ! どこにいくつもりだ」

 

 俺もどこかに連れ去られようとしてます、ダンゾウ様! 助けて!

 

 キノエさんはダンゾウを木遁で作った格子に閉じ込めて、俺をさらなる木遁術で全身を縛り付けてからカカシと共に駆け出してしまった。

 ええっ、ちょっ、俺のことも置いてってくれないか!?

 

 狭くて長い通路を抜けて、出口に近づいてきた頃、先回りしていたダンゾウと根の忍たちとかち合った。

 この野郎、俺たちも知らない近道を使ってきたな。

 

 キノエさんが木でぐるぐる巻きにした俺を雑に床に下ろした。緊急事態とはいえこの扱いは悲しい。

 

 待ち構えていたダンゾウが短い印を結んで、スゥーッと大きく息を吸い込む。

 あの印はまさか……!

 

「風遁・真空大玉!!」

 

 術名の通り、風が巨大な球体となってキノエさんとカカシに襲いかかる。……つまり、彼らの足元に転がっている俺にも。

 

 嘘だろ、貴重な木遁使いと写輪眼持ち二人を殺すつもり!?

 

「木遁・木錠壁!!」

 

 キノエさんが間髪入れずに木遁を発動する。

 彼を中心に半円を描くようにドーム状の壁が出来上がり、ダンゾウの風遁を全て防いだ――が、すぐに壁ごと吹き飛ばされてしまう。

 

 爆風と飛び散った木片のせいで閉じていた目を開く。

 険しい顔でこちらを睨みつけているダンゾウと目が合った。俺の寿命は十年くらい縮んだ。

 

『…………』

 

 やっぱりキノエさんは強い。あのダンゾウの風遁を受けて、一瞬とはいえ持ちこたえるなんて。

 

「お前の方からわざわざ来てくれるとはな」

 

 ダンゾウがキノエさんたちを追い詰めるように足を踏み出す。

 

「根の領域に許しなく立ち入り、根の忍を連れ出そうとした……ただで済むとは思っておるまい」

 

 火影直属の暗部から無断で眼球を拝借しようとしていた男の台詞とは思えない。

 

「ダンゾウ様! カカシさんは……」

「黙れ!!」

 

 ダンゾウに一喝されたキノエさんが口を噤む。あんまりな言い方にこっちがキレそうになった。

 

 頼む、誰でもいいからあの独裁ジジイをぶん殴ってくれないか?

 

「キノエ、お前もただで済むとは思わないことだ……」

「お前もな」

 

 俺の祈りが通じたのか、天から神の声が降ってきた。

 一瞬俺の心の声が漏れたのかと思ったよ。

 

 頭上――つまり、外と根の本拠地を繋ぐ場所から降り立ったその人の外套が揺らめいている。三代目火影だ。

 

「ヒルゼン……」

「お前がカカシを恨んでいることは知っている」

 

 火影直属の暗部を引き連れた三代目が、ダンゾウの隣に並んだ。これ以上にない助っ人だ。

 まさか、三代目がここに現れるなんて。

 ダンゾウによる火影暗殺事件があった時でさえ、彼は根の領域に足を踏み入れることすらしなかったのに。

 

「だが、そんなことで里の優秀な忍を手にかけるのはやめてもらいたい」

『…………』

 

 三代目って、なんというか、ストレートだな。

 そんな正面からの直球勝負に怯むダンゾウではなく、白々しく「何のことだ?」と返している。

 こんな状況に置かれてもシラを通せると思ってるところが流石である。勿論褒めてるわけじゃない。

 

「カカシのことなどどうでもよい。だが、根の施設に勝手に侵入したことは問題だ」

「いいや、カカシはワシの呼び出しに対して居留守を使ったお前を探しに来たのだよ。ワシの命令でな」

「…………」

 

 見事に論破されてしまったダンゾウが黙る。

 俺はキノエさんの木遁に縛られたまま、その夢のような光景を目に焼き付けようと必死だった。

 あのダンゾウが手足どころか口も出せないなんて!

 

「どうやら伝達ミスがあったようだ。そのような話は聞いていない」

「そうか、ならばカカシの件はこれで不問だな」

 

 ほんとに……三代目がこんなに強気で来るなんて誰が予想できただろうか。

 ダンゾウの反応を見ていると、彼にとっても不測の事態のようだ。

 これまで徹底してダンゾウの暴挙に目を瞑ってきた人とは思えない。

 

「次の件を話すために、お前を召喚しようと思っていたのだ」

「次の件だと?」

 

 三代目がキノエさんの前に立ち、優しげに目元を緩ませる。

 

「カカシだけではない。里の優秀な忍についてだ」

 

 三代目はダンゾウと正面から向き直った。

 

「木遁使いの存在が、里にとって宿願であったことは知っているだろう。しかし、お前はその木遁使いの存在を隠匿するどころか、呪印を施して非人道的な扱いをしていた――間違いないな?」

「隠すなど……その者はワシが見つけて保護をし、育てていただけだ。報告の必要はないと判断したまで。呪印に関してもそうだ。根の秘密が外部に漏れないように……」

「うちはスバルの呪印についても同じことが言えるのか?」

 

 ダンゾウがぎくりと肩を震わせた。……俺?

 

「以前、うちはフガクから相談を受けておってな。お前がうちはスバルに施している呪印、あれは一歩間違えれば本人の命すらも奪いかねない危険なものであると」

『…………』

 

 それは大袈裟なんじゃないかと思ったが、そうではないとも言い切れないので黙った。

 

 今回の件ではっきりしたことがある。

 ダンゾウにとっては写輪眼を持つ人間というのはさほど重要ではなく、その写輪眼の持ち主がいずれ自分になるかどうか……それだけが大事なんじゃないだろうか。

 つまり、いずれ俺が呪印の影響で命を落とそうとも、写輪眼さえ回収できれば彼にとってはどうでもいいということだ。むしろストック扱いされてる?

 まあ、俺は表向きはダンゾウに従順だったから、カカシのように無理やり奪われることもなかった、それだけだろう。

 

「そこで、だ」

 

 すっかり俺の存在を忘れていたに違いないキノエさんが、漸く木遁による拘束を解いてくれた。

 差し出された手を掴んで立ち上がる。

 

「木遁使いと、うちはスバルはワシが預かろう。火影直属の暗部に入れる」

「それは……」

 

 なんだって?

 

「里のためだ。九尾の人柱力も四歳になった……恐らくワシよりも里のことを考えてくれているお前なら、きっと理解してくれると信じている」

「…………」

 

 三代目からストレートパンチを食らったダンゾウはすっかり黙りこくってしまった。

 おいおい、まさかこのまま俺まで根を脱退することになるのか?

 

「根の情報を話せぬよう、呪印は解かぬぞ」

「いいだろう」

「だが、木遁使いが木ノ葉のため、または九尾のコントロールのために火影直属の暗部に必要なのは分かるが、うちはスバルについては当てはまらない。必要であれば、他のうちは一族から引き抜けば良い」

 

 反抗的でもう自分には従わないであろうキノエさんはともかく、一応命令には忠実な俺のことは手放したくないらしい。

 

 信じてたよ、ダンゾウ。俺も、監視目的であんたのそばに居なくちゃいけないからな!

 

「彼ほど写輪眼と体術を上手く組み合わせた戦いができる忍は他にいない。その力は必ず木ノ葉の役に立つ。そうであろう?」

「…………」

 

 一ミリくらいは好きになれるかと思ったのに。結局三代目に言い負かされてしまったダンゾウは、俺を差し出すことを決めたらしい。ふざけやがって。

 

 ずっとこちらに背を向けていた三代目が振り返る。

 

「お主たちは、これよりワシ直属の暗部だ。木ノ葉のために、力を貸してほしい」

『…………』

 

 ブラックからホワイトな職場に転属になったってのに、こんなに素直に喜べない日が来るとはな。

 

 カカシに背を押されながらその場を後にしようとするキノエさん。

 俺は自分のボロボロな身体を見下ろしてため息をついた。

 キノエさんが無事に根から離れられることになったのは嬉しい。嬉しいけど、計画は狂ってしまった。こうなると、根の外側から何とかしてダンゾウの動向を継続して探る手段が必要になってくる。

 根に所属していたからこそ分かる。そんな隙は絶対にないことを。どうする、俺!

 

 最後にダンゾウに「お世話になりました」と声をかけたキノエさんはすごい。むしろ慰謝料請求してもいいくらいだろ。

 

「クロ……いや、スバル」

『ダンゾウ様』

 

 今更何の用だよという気持ちをおくびにも出さずに対応する。

 

 ダンゾウは三代目やカカシ達と距離があることを確認してから、俺に耳打ちするように顔を近づけてきた。

 頼む、ソーシャルディスタンスを厳守してくれ。

 

「お前はどこに所属していようと、根のうちはスバルだ。決して忘れるでないぞ」

『…………』

 

 火影直属の暗部に所属しながら外側から根を監視する方法、みーっけ!!

 



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第十五話 背負ったものより

「本日よりこちらに配属されることになりました。よろしくお願いします」

 

 主に火影直属の暗部が利用する更衣室。

 俺とキノエさんは完全にアウェイだったので、お互いに寄り添って場所を取らないようにと肩身の狭い思いをしていた。

 

 ここは根での任務初日に利用したことがある。あの時の土下座お兄さんの姿は見当たらなくてホッとした。

 

『……よろしくお願いします』

 

 痛い痛い。視線が痛い。キノエさんに続いて、軽く頭を下げる。これってもう顔上げていいの?

 三つ数えるうちに誰も何も言ってくれなかったら、俺は顔を上げる。いーち!

 

 ぽんっと左肩に何かが触れた。

 

「ようこそ。火影直属の暗部へ」

 

 顔を上げる。長い髪が揺れて、ふわりとほのかに花の香りがした。

 

「卯月夕顔です。あなたが、あのうちはスバルね」

『……はい』

 

 とんでもない美人が隣に立っていた。それはそうと、“あの”ってどういう……? いい意味だとは思えないんだけど。

 

「スバル、テンゾウ! ようやく来たな」

 

 更衣室の一番奥にいたカカシが手を上げてこちらに近づいてくる。

 

「カカシさん……テンゾウって」

「キノエは根でのコードネームだろ? これからはそう名乗るといい」

 

 キノエさん、いやテンゾウさんが少し照れたような表情で頬をかく。なんだかこっちまで嬉しくなっちゃうな。

 

「それから、スバル。お前もこれから任務中は“ツミ”と名乗れ」

『…………』

 

 ツミ……罪!?

 

 漢字変換によっては地味にお断りしたい名前だなと思っていたら、カカシがこちらに何かを差し出してくる――お面だ。

 

雀鷹(つみ)だ。……ああ、このお面も覚方セキが作ったものだそうだから、“声”についても問題はないはずだ」

 

 ああ、木ノ葉でも時々見かける鳥のことか。

 カカシから受け取ったお面を持ち上げて眺める。

 ツミという鳥がどのような姿形をしていたかハッキリとは覚えていないが、お面のデザインがそれをモチーフにしているということは分かった。

 暗部の人間のコードネームって鳥関係多くない? モズもそうだし。

 

 それにしても、セキはそろそろ開発部に転属になるべきじゃないだろうか。

 

『ありがとうございます』

 

 早速猫のお面を外して鳥のお面を被る。いつも通り静電気のような軽い痛みが額に走る。性能面でも問題なさそうだ。

 

「ロッカーはそこよ」

 

 夕顔さんが指差した先には弍捨六と書かれたロッカーがある。

 根にいた時は住んでいるアパートで全部済ませていたから、誰かと同じ空間で身支度をするのは新鮮だ。

 

「正式な任務は明後日からだ。足りない装備があれば早めに申請しておけよ」

「はい。これからお世話になります」

 

 深々と頭を下げるキ……じゃない、テンゾウさん。俺もこの名前に慣れるのに時間がかかりそうだ。

 

「テンゾウは暗部の担当者が住む家を確保してくれているから、後で詳細を聞きに行くといい。スバルは実家に戻るんだろう?」

〔……そうなりますね〕

 

 こっちのお面、以前のより声が大人びている気がする。俺の成長に合わせてくれたのかもしれない。

 

 実家に帰るのは一年ぶりだ。それも、一週間以内の滞在ではなく住むとなると、それこそ根に所属してからは一度もなかったことだ。

 

「そうか、やっとゆっくり弟たちと過ごせるんだね」

 

 テンゾウさんの言葉にこくこくと頷く。相変わらず根の監視がついているだろうが、問題ない。

 

 うちは一族と良好な関係を築いておけというダンゾウの指示通りに、ひたすら俺が弟たちを愛でている姿を見せるだけだ。いくらでも見ていけ。

 

〔……早く会いたいな〕

 

 ぽろっと本音がこぼれる。テンゾウさんはうんうんとにこやかに笑ってくれたが、カカシや夕顔さん達はぎょっとしていた。

 もう慣れたよその反応。

 

「えっと、イタチくんは下忍で……サスケくんはもう四歳になったのかな。九尾の子と同じ歳だったよね」

〔はい〕

「詳しいな、テンゾウ」

「スバル、口を開いたと思ったらいつも弟のことばかりなんです」

〔…………〕

 

 そんなにイタチたちのことを話してたか? まったく覚えがない。

 

「……お前がそこまで入れ込む二人にオレも会いたくなったよ」

 

 カカシがにやりと笑う。同じ木ノ葉の忍だし、まだ幼いサスケはともかく、イタチはすでに下忍として日々任務をこなしているようだから、すぐにその機会は訪れるだろう。

 

 そのうち同じ暗部で一緒に任務につくことになったりして。イタチは優秀だからきっとすぐに追いつかれる。弟の成長は嬉しいけどちょっと複雑だ。

 俺ももっと精進しよう。ガイ大先輩のように!

 

「テンゾウもツミも同じろ班の仲間だ。これからよろしくな」

〔こちらこそ……カカシ先輩〕

 

 こちらから手を差し出すと、カカシは驚いて目を丸くしていた。

 それはすぐに困ったような笑みに変わり、俺の手を握り返してくれた。

 

「お前以上に先輩呼びが似合わないヤツ、いないだろ」

 

 

 

 うちは一族の敷地内目指して、木ノ葉の大通りを歩いていた。

 

 今日家に帰ることは両親にも伝えていないし、急遽決まった転属のせいで引っ越しの準備すら出来てない。

 

 あのアパートに置いてた荷物、全部処分してもいいかなあ。

 どうせ根の機密ガー! 根からの支給品ガー! とか言われて没収されるだけだろうし。仕方ないから俺のパンツもくれてやるよ。

 

 ……やっぱり、今のナシ。下着類だけは何としても持ち出そう。

 ダンゾウによる厳重なチェックが行われないとも限らないし、そんなところに俺のパンツが並ぶところは想像すらしたくない。

 

「安いよ、安いよー! 木ノ葉名物、木ノ葉饅頭もあるよ!」

 

 相変わらずここは繁盛してるな。

 

 何かイタチやサスケへの手土産でも買って帰ろうかと思っていたら、ぐうっと腹の音が鳴った。念のため言っておくが俺のものではない。

 

「…………」

「…………」

 

 小さな子どもが涎を垂らしながら木ノ葉饅頭を見つめている。子どもの周りに保護者らしき人の姿は見えない。まさか、迷子か?

 

 にこやかに人当たりのいい笑みを浮かべながら木ノ葉饅頭を宣伝していた店主が、子どもの存在に気がついた瞬間に険しい顔つきになった。

 

 それは、ただの勘だったのかもしれないし、昔の出来事を思い出したせいかもしれない。

 

 気がつけば俺は子どもの腕を引いて、自分の背中に隠していた。その直後に店主が振り上げた拳が俺に当たる寸前で止まる。

 商店街の喧騒が遠のいて、お互いの意識が目の前にのみ集中する。店主の表情に焦りが浮かんだ。

 

「おっ、お客さん! すまねぇ、もう少しで」

「…………」

 

 もう少しで、何だって言うんだ。俺を打つのはダメで、小さな子どもはいいって言うのか?

 

 俺が険しい表情をしているせいか、店主が驚いたように口を開いた。

 

「……あんた、知らないのかい? そいつは……」

 

 ――九尾の化け狐なんだよ。

 

 その先は音にはならなかったが、店主の唇は確かにそう動いた。俺の背後でびくりと気配が震える。

 

「…………」

 

 俺が話すことができれば、もしくは暗部の面をここで使うことができたならば、小さく震えているこの子に「大丈夫だ」と伝えることができたのに。

 

 俺は無言で店主を睨みつけて、くるりと振り返って膝を曲げた。目線の高さが同じになった子どもの両目は少し潤んでいた。

 

 特徴的な金髪に、懐かしい色を受け継いだ瞳。外見だけでいえば、四代目に生き写しだった。彼と違って快活そうな雰囲気はお母さんに似たのかもしれない。

 

「な、なんだってばよ……」

「…………」

 

 てばよ、かぁ。癖のある口癖も母親似ってこと。不思議なもんだな。

 

 ふっと口元が緩んだ。

 

 確か、ナルトという名前だったはずだ。サスケと同い年で、四代目火影の大切な忘れ形見。赤子の時に九尾を封印されることになってしまった――この里の英雄。

 

 この子が自分の意思ではないにしろ、九尾の器になってくれていなければ、俺も弟たちも、この里の人間ほとんどが死んでいたに違いない。

 それほどまでに九尾の力は強大で恐ろしいものだから。

 

 あの夜を知る大人たちは彼のことを九尾の器ではなく、九尾そのものとして見ているんだろう。

 脳死で憎しみの対象を作ってしまえば、自身では消化できない悲しみや苦しみの矛先を向けることができる。

 それが、たった四歳の子どもだったとしても、だ。

 

 ぽんっと小さな頭を撫でる。きょとりと子ども――ナルトの目が瞬いた。

 

「わっ、なっ、なにするんだってばよ!?」

 

 とりあえずナルトを抱き上げてみれば、この歳の子どもとは思えない力で抵抗された。

 おい、髪を引っ張るなって。

 

 まだ何か叫び出しそうな口が開かれる前に抱え直して、真っ直ぐ本来の目的地への足を進める。うちはの自治区だ。

 

「はなせ! なにか言えよっ!」

「…………」

 

 もしかしてこれ、側から見たら誘拐犯とその子どもってことになるのか……?

 

 攫われているのがナルトだからか、すれ違う人たちは煩わしそうに顔を顰めるものの、何も言ってこない。

 

 おいおい、もし俺が悪いヤツでナルトの中の九尾を利用しようとか企んでたらどうするんだよ。

 俺の容姿は明らかにうちはの人間だし、うちはということは写輪眼を持っている可能性が高いということだ。

 九尾事件でうちは一族に冤罪(じゃないかもしれないけど)がかかってるのは周知の事実である。

 

 こういう陰湿なのって、うちはだけかと思ってたんだけどなあ。今までこんな連中のために暗部で命張ってたのかと思うと……腹が立つ。

 

 知らなかったんだ。

 

 九尾のことやナルトの両親については、本人に伝わらないようにしなければならないとはいえ、もう少し大切に扱われていると思っていた。

 

 ――これから生まれてくる子たちが平和に暮らせるようになるのに

 

 四代目の言葉が浮かんで、消えていく。

 彼が命懸けで守った里と子どもがこんな状態にあるだなんて、誰が胸を張ってあの人の墓石の前で報告できるって言うんだ。

 

「……にいちゃん?」

 

 よほど険しい表情をしていたのか、いつの間にかナルトは抵抗をやめて、むしろ心配そうにこちらを見上げていた。

 

 自分が攫われそうになっているかもしれないのに俺の心配をするなんて。この子は、四代目の優しい心もしっかりと受け継いだらしい。

 

「変なにいちゃん、どこいくんだってばよ?」

「…………」

 

 変な兄ちゃん……。

 

 確かに本人の了承も得ずに連れ回していては、誘拐犯の烙印を押されても文句は言えない。でもこの子に指文字を使っても理解できないだろうし、それは周りの大人たちもそうだ。

 だから、とりあえず指文字が読める人がいるであろう実家に先に帰ろうかと思ってたんだけど――

 

「スバル兄さん?」

 

 俺の全身の細胞が全力で止まれと言っていた。

 

 ぴたりと足を止めて、腕にナルトを抱えたまま振り返る。俺の中の弟レーダーに反応が二つ。やはりこれは!

 

「あー! スバルにいさんだ!」

 

 任務帰りなのか、額当てをつけたままのイタチと、そんなイタチと仲良く手を繋いでいるサスケがいた。

 なにこれ。幸福のサンドイッチ?

 

 二人は同じタイミングでパァッと顔を綻ばせたが、イタチだけは俺が抱っこしてるナルトに気づいて首を傾げる。

 

「兄さん、その子は?」

「このにいちゃんが、オレのこと勝手につれていこうとしてるんだってばよ!」

「…………」

「…………」

 

 うちはスバル、ショタ誘拐未遂容疑で投獄決定。

 

 

「兄さんは、君が迷子だと思ったみたいだよ」

 

 俺の指文字に目を通してくれたイタチが、ほっとしたように言う。

 もしかしなくても俺のこと疑ってたんですねイタチさん?

 

「スバルにいさん! オレも、だっこ!」

 

 足元でぴょんぴょん跳ねているサスケに空いている右腕を差し出せば、嬉しそうに飛びついてくる。

 左腕にショタ、右腕にもショタ。これはお持ち帰りしたくなってもおかしくないのでは? 少なくとも右腕のショタは持ち帰る予定だがな!

 

 抱っこに慣れていないようで、もぞもぞして落ち着きのないナルトと、好奇心旺盛でキラキラとした目で通りすぎる人や並べられた商品を見て騒いでいるサスケ。

 う〜ん、癒される。

 

「休暇が貰えたの?」

 

 俺は両腕の二人を落とさないように気をつけながら指文字を綴った。

 

《すむことになった》

 

 ぽかんとしているイタチに、さらに続ける。

 

《またいっしょに くらせる》

 

「ねえねえ、スバルにいさんなんて言ったの?」

「……一緒に暮らせるって」

「ほんとう!?」

 

 すでに指文字は完璧に理解しているサスケだが、今のは早すぎて目が追いつかなかったらしい。

 

 しまった、もう少しゆっくりやるべきだった。

 普段から印を早く結ぶ修行のつもりで指文字使っちゃってるからなあ。…………印が必要になる忍術、ほぼ習得できてないけど、な!

 

「……変なにいちゃん、しゃべらねーの?」

 

 喜色に染まっていたイタチとサスケの顔がナルトの言葉で曇った。……本人が目の前にいるのにイタチ達が「そうだよ」なんて肯定しにくいか。

 

《つたえて くれるか?》

「……うん」

《うまれつきだってことと かってにつれてきて もうしわけないと》

 

 イタチがしっかりと最後まで指文字に目を通して、ゆっくりと口を開く。

 

「兄さんは生まれつき話せないんだ。それで、君に何も伝えることができずに連れ去ってしまって申し訳ないって言ってる」

「はなせない……」

「スバルにいさんは、話せなくてもつよいんだ! もう、あんぶで働いてるんだぞ! バカにするなよな!」

 

 あっ、こら! 俺の所属をこんな大通りで叫ぶんじゃない!

 

 ふんっと鼻息荒くサスケが胸を張る。恐らく父さんか母さんの会話を盗み聞きでもしたんだろう。

 

 まあ、俺に関しては木ノ葉の忍ほぼ全員に所属がバレてる状態だからいいんだけど……。

 別の意味でカカシも有名すぎて所属を知らない人はいないレベルだ。人気者はつらいよ。

 

「ち、ちがう! オレってば……」

《きにすることは ない》

「兄さんが、気にしなくていいと」

 

 また何かを言いかけたナルトのお腹が鳴った。そういえばさっきも木ノ葉饅頭を食べたそうに見つめてたっけ。

 

《そこで たべてかえろう》

 

 団子屋を指差す俺に、三人の目が今日一番の煌めきを見せた。

 

 

「…………」

 

 某吸引力が自慢な掃除機並みに皿の上の団子を平らげていくナルト。見ているだけでお腹いっぱいになってきた。

 そんなに腹が減ってたならすぐに連れてきてやれば良かったな。

 

 糖分に目がない俺とイタチは迷わず三色団子とおしるこ、何を頼めば分からない様子のナルトはとりあえず同じもの、サスケはおむすびセットを注文していた。

 

 団子屋でおむすびかよと思うかもしれないが、これが結構美味いんだよ。ちなみに俺はおむすびの具は明太子派である。ここ、テストに出るから。

 

《いえで だれか まってるのか?》

「家で誰か待っている人がいるのかって、兄さんが」

「……そんなのいない」

 

 ズズッとおしるこの残った汁まで飲み干したナルトが、しゅんと垂れた耳が見えるような表情を見せた。

 ……そんなことある? まだ四歳で、しかも九尾の人柱力であるナルトが住んでる家に誰もいないだって?

 

「朝、オレがねてる時にご飯をおいていく人ならいるけど……」

「…………」

 

 それ絶対暗部じゃん。俺には分かる。暗部のやつって気が利かないからマジで言われた仕事しかしないんだよ。

 一緒に食えとは言わないからせめて起きるまで待っててやれば……いや無理か、こういう時って姿見せちゃダメだもんな、ごめんね!

 

 脳内の自分に即否定されたので全部無かったことにした。そりゃそうだ。

 

 俺がナルトだったら、起きた時に暗部のお面つけた不気味なやつが台所に立ってたら泣く。例えそいつがエプロンつけて卵焼きを箸でくるくるしてても泣く。一生のトラウマになる。

 

 それにしても、流石に身の回りの世話をするような人間の一人や二人くらい常にそばにいるのかと思ってたんだが……。

 ザッと周りの気配を探った感じ、この場に暗部が張り付いてるようには見えないし。

 

 散々言っているが、勿論火影直属の暗部にモズ並みに気配を消せるやつがいたら以下略。

 オレが思うに、あの人は気配を消すことに関しては規格外なんだよ。そりゃダンゾウも重宝するさ。

 いつの間にか敵の背後をとっていて、いつの間にか影真似を成功させているような人だ。

 

《いえまで おくる》

「……家まで送る、と」

「い、いいってばよ……どうせ、あの家にかえっても、だれもいないし」

《それなら きょうは とまるといい》

「…………」

 

 イタチの口が中途半端な形で止まった。……まずかったか? そもそも、うちは地区に九尾の器であるナルトが足を踏み入れることを父さんや一族の人たちが許してくれるだろうか。いや、その前に三代目か。

 そうだった、俺たちってただでさえ九尾襲撃の犯人扱いされてるんだから、ナルトを悪用するつもりだと思われるかもしれない。とくにダンゾウは疑り深いから。

 

「兄さん、それは」

 

 イタチの眉が下がっている。そうだよなあ、やっぱり無理だよな。

 でもこんな話聞かされて「そうなんだ〜じゃあ、またね!」って別れられるか? この子はまだサスケと同い年なんだぞ?

 それに、あの四代目の大切な一人息子だ。

 

《やっぱり おくる》

 

 ガタンと席を立つ。そして、イタチとサスケの頭に手のひらを乗せた。ひとしきり撫でてから引っ込める。

 

《おれは なるとを おくっていくから》

「わっ!」

 

 ナルトの両脇に手を差し入れて、そのまま肩車する。

 驚いて俺の頭をぎゅうっと掴んだナルトだったが、すぐに「たかいってばよ!」とはしゃぐ声が聞こえてきた。素直な反応でよろしい。

 

《おまえたちは さきにかえって とうさんにこれを》

 

 懐から取り出した手紙をイタチに手渡す。中には俺が転属になったことを知らせる紙が入ってる。

 これを見れば父さんならすぐに分かってくれるだろう。ついでに引っ越しの手続き諸々やってくれたら最高なんだけど。

 

「スバルにいさん、一緒にかえらないの!?」

「サスケ、これからはスバル兄さんと一緒に暮らせるんだ。すぐに帰ってくるよ」

「やだ! 一緒にかえる!」

 

 俺の足に縋り付いてきたサスケがイヤイヤと首を振る。可愛い。このまま一緒に帰りたい。

 

「ほら、サスケ。今日は特別におんぶしてやるから」

「ほんとう!?」

「…………」

 

 俺との帰宅はあっさりイタチのおんぶに敗北した。そっかあ。べ、別に泣いてないから!

 

 いつかスバル兄さんの洗濯物と一緒に洗わないで! なんて言われるかもしれない。今のうちにメンタルを鍛えておくべきだ。

 

「…………」

 

 ううっ。想像だけでこんなに辛いなんて本当に大丈夫なのか!? 

 

 無事にイタチにおんぶしてもらったサスケが、ご機嫌でイタチの肩に顔をうずめている。かわいいなあ。

 

 俺の弟たちが天使すぎる件。累計発行部数は軽く十億を超える、超人気ブラコン漫画である。

 

「オレとサスケは先に帰ってるから」

《ああ》

「ナルトも、またな」

「……うん!」

 

 満面の笑みを浮かべるナルトに、イタチもつられて笑う。サスケはちょっとだけ頬をぷっくりとさせていた。

 

「んん! なにするのスバルにいさん!」

「…………」

 

 あまりにも良いふっくら具合だったから、つい……。

 

 軽率に頬ぷにした俺を不服そうに睨んでくるサスケと、どこか生温い目で見つめているイタチ。

 

 肩車しているナルトの表情だけは分からなかったが、まあ、いいだろ。せっかく表向きだけはダンゾウの魔の手から逃れられたんだ。ちょっとくらいハメを外しても許されたい。

 

 

 頭上で指をさして自分の家の方向を教えてくれるナルトに従いながら、のんびりと足を進めていた。

 

 最初の警戒心をどこに置いてきてしまったのか、ナルトのお喋りは止まりそうにない。

 

 今日の朝ごはんは苦手な野菜が出てきたとか、早くアカデミーに通いたいとか、弾むような声を聞いているとこちらまで楽しくなってくる。

 まるで、生まれてはじめて自分の話を聞いてくれる相手を見つけたかのようだ。

 

「あんぶってどんなところ? たいへん?」

 

 だんだんと俺がどういう質問なら答えやすいのかが分かってきたらしい。最終的に首の動きだけで反応できるのはありがたい。

 

 小さく頷くと「オレも入れる?」と続いた。ちょっと答えに迷ったが、もう一度頷く。

 

 忍としてある程度の優秀さがあれば誰でも入れる……はずだ。向き不向きはあるだろうけど。

 

「ふーん……あ、ここだってばよ」

 

 肩を叩かれたので、ゆっくりと屈む。

 

 俺の肩から降りたナルトが、あっという間に目の前のアパートの階段を駆け上がっていき、扉の前に立った。

 ナルトは家に入らずに、階段の下にいる俺を見る。

 

「…………」

 

 トントン、と俺も階段を上る。なんとなく、ここで別れるのは良くない気がした。

 

「……へへっ」

 

 隣に並ぶと、やっとナルトはドアノブを捻って扉を開けた。

 

 真っ先に目に入ったのはテーブルの上に置きっぱなしになっているカップラーメンの容器の数々……は? カップラーメン?

 

「いつもは、もうちょいキレーだから!」

 

 俺が散らかってる部屋に唖然としているのだと思ったらしい。

 ナルトは急いでベッドの上のパジャマや、ゴミ箱に投げ入れようとして失敗したような紙クズたちを拾い集めていた。

 

 ……思っていた以上に、ナルトの待遇は悪いのかもしれない。

 いくらなんでも四歳の子どもにカップラーメンばかり食べさせるのは……この状態を見るに、部屋の掃除などの管理も全部一人でやらせているみたいだ。嘘だと言ってくれ。

 

 俺渾身のジェスチャーにより、なんとかナルトに紙と筆を用意してもらい、そこに平仮名で文字を書く。

 この歳なら平仮名も読めるはずだ。

 

《ねてるあいだに きているひとは なにをしている》

「え? うーんと、カップラーメンと、時々サラダとかを置いていったり……あとは、数日おきに洗濯してくれてる!」

「…………」

 

 洗濯……洗濯かあ。確かにこの子の身長では洗濯物を干すのも大変だろうから、そこは最低限やってるんだろうが……。

 

 嫌な予感しかしない。これ、絶対三代目把握してないだろ。あの人は良くも悪くも他者への配慮も一番に考える人だから、ナルトへのこの様な扱いを許していないはずだ。

 

「か、カップラーメンも、おいしいってばよ!」

 

 俺がテーブルのカップラーメンを睨みつけていたせいで、ナルトに不要な弁解をさせてしまった。

 

 カップラーメンは美味しいけど、少なくとも四歳の子どもが毎日食うもんじゃないんだよ。

 そういう不摂生は、自分の健康に対する責任を負える大人がやるもんだ。

 

 むくむくと膨らんでくる怒りをそのままに、俺は冷蔵庫の扉を開けた。

 

「ヒッ」

 

 小さく聞こえてきたナルトの悲鳴に被せるように扉を閉める。

 

 千切りにしたキャベツと、フレンチドレッシングしか入ってなかった。

 正気? フレンチなど邪道、せめてごまドレッシングだろうが! 

 

 あと何なんだあの一週間分はありそうなキャベツの山は? キャベツで全ての栄養が摂れると思ってるの? イタチの好物とはいえそんな万能じゃないから! ちなみに俺はキュウリが好き!

 

「スバルにいちゃん、お……おこってる?」

「…………」

 

 ああ、怒っているとも。ナルトの世話を担当しているであろうどこぞの暗部に。フレンチ派との間に和睦の道はない。

 

 今日はとりあえずキャベツで我慢してもらうしかないが、これは流石に三代目に報告せざるを得ないだろう。

 ひどい、あまりにもひどすぎる。

 そもそも四歳の子どもに一人暮らしをさせないでくれ。

 

 俺はナルトに、夕飯はキャベツを多めに摂取して、カップラーメンの汁はくれぐれも飲み干さないように言い聞かせて、家を出た。

 

 そのまま火影室へと足を向ける。この時間ならまだ三代目も自宅ではなくそこにいるはずだ。

 

「うちはスバル」

 

 人通りの少ない裏道を経由しながら順調に火影室に向かっていた途中、頭上から声が降ってきた。

 

 ナルトの家を出てからずっと俺のことをつけてきていた気配だ。

 三代目かダンゾウの命令で俺を監視している人物かと思っていたが、声をかけてきたということは違うらしい。

 

 目の前に降り立った影は、特徴的な暗部のお面を被っていた。

 俺が見たことのないお面のデザインということは、三代目直属の暗部の可能性が高い。

 

「火影様がお呼びだ」

「…………」

 

 なんだろう……向こうから呼ばれちゃうと回れ右したくなるの俺だけ?

 

 

「急に呼び出してすまぬな」

〔……いえ〕

 

 いつも持ち歩いているお面を被り、服だけは普段着だから不釣り合いではあるが、火影室の入り口の側で跪く。

 俺を呼びに来た暗部の姿はすでに消えていた。

 

「ちょうど水晶を覗いていたら、お前とうずまきナルトの姿が見えたのでな」

〔…………〕

 

 ばっちり見られてた。ああ……護衛の一人もついてないのは、三代目が水晶で逐一動向を確認しているからなのか。

 それでも何かあった時に迅速に対処できるよう、近くに誰かいた方がいいとは思うけどなあ。

 

「子どもが好きなのか?」

〔えっ〕

 

 質問が予想の斜め上すぎて素の声が出ちゃった。三代目が怪訝な顔をする。

 こういう時みんな同じ反応するよね。

 

 落ち着け、俺! ここで返答を間違えるとショタコン疑惑をかけられてしまう。

 

〔……とくに、好きではないかと〕

「随分と親しくなっているように見えたのだが」

 

 迷子だと思ったり、里の大人たちに冷遇されていたり、お腹をすかせていたり……必要だと判断したから少し世話を焼いていただけだ。

 子どもだからと言って全員にあそこまでしているわけじゃない。

 

「ナルトにかつての自分の姿を重ねたか」

〔……そうかもしれません〕

「ふっ、素直で良い」

〔…………〕

 

 なんだか、孫でも見るような優しい目で見つめられてる気がする。

 

「ナルトはお前の目にどう映る?」

 

 三代目の問いかけに答えるのは難しかった。少なくともその意図は読み取れない。

 

〔分かりません〕

 

 だから――飾りなく正直に答えるしかなかった。

 

 世界がイタチとサスケを中心に回っている俺は、いつだって二人以外の人間を振り分けてきた。

 両親、セキ、ガイ大先輩、モズ、テンゾウさん、うちは一族、そして、うちは一族以外の里に住む人たち。

 

 俺の中にある世界地図に名前があるのとないのとでは、大きな違いがある。

 好きか嫌いかではない。心を占めるか、占めないか。もはや、存在するかしないかの違いですらある。

 

 そこにナルトの名はまだない。

 

〔でも、理解したいと思っています〕

 

 予感はしている。いつか必ず、この大きくもない心のどこかにその名前を刻むことになると。

 

「そうか」

 

 三代目はどこか嬉しそうに微笑んでいた。目元の皺が柔らかく歪んで、これまでの人生が滲み出ている――その優しさが、俺は少し苦手だった。

 

〔……水晶で、ナルトがどのような暮らしをしていたのかご存知ですよね〕

「うむ……ナルトの世話を担当する暗部はこれまでに何度も変更してきた。しかし、誰もあの子を人扱いしようとはしなかったのじゃ」

〔…………〕

 

 彼らは任務を放棄しているわけではない。だから罰することもできずに、ただ担当者だけを代えて様子を見てきたということだろうか。

 

 俺は三代目の平和主義的な考えを好ましく思う一方で、ダンゾウのいう“優柔不断で常に後手に回っている”ところを許せない気持ちもあった。

 

 かわるべきは担当者ではなく、彼らの偏見に満ちた心そのものだろう。

 火影であるこの人ならばそれができたはずだった。

 そうやって策を弄したところで、事態はまったく好転していないのに。

 

「ワシは、今度はお主に担当してもらいたいと思っておる」

〔…………〕

「ろ班としての任務がない日に、時々で良いからナルトの身の回りの世話と、護衛も兼ねて話し相手になってやってほしい。あの子には、同じ孤独を分かち合える人間が必要なのだ」

 

 俺は三代目が苦手だ。苦手だが、まだこの人を推し量れていない。

 

 俺に分かることは、この人もダンゾウや四代目とは違う形でこの里を守ろうとしているということだけだ。

 

「やってくれるか、ツミ」

〔はい〕

 

 ならば、俺もまずはこの人を見極めよう。三代目の暗部として側で支えながら、彼の見据える未来を同じようにこの目で見るために。

 

 なーんてかっこよく任務を引き受けたはいいものの、どう考えてもキャパオーバーである。

 

 ろ班での任務に加えて、ナルトの世話係兼護衛、うちは一族の監視に、さらにはダンゾウの動きも見張っておかなくてはならない。

 こんなの体がいくつあっても足りないよ。

 

 ろ班としての任務は明後日ということで、とりあえず明日はナルトと過ごすことになった。

 食材と服や靴、その他消耗品などなど、とにかく足りないものが多すぎるから一緒に買いに行くつもりだ。

 

 ろ班の任務のことを考えるとナルトに割ける時間はそれほど多くはないだろうから、下準備は明日で終わらせておきたい。

 

 そんなことをつらつらと考えながら火影室から実家へと向かっている俺の肩に、ぽんっと誰かの手が触れた。

 

〔きゃああああああっ!?〕

「!?」

 

 あまりにびっくりして痴漢に遭った女の人みたいな声出ちゃった。

 気配を消しながら近づいてくるなとあれほど……!

 

「お前なんでお面つけてるんだよ……」

 

 俺の肩に触れた手の持ち主、モズが耳を塞ぎながら言う。失礼な、もう叫ばないよ。

 

〔火影室に寄った帰りなので〕

「ああ……」

 

 自分がお面被ってたのすっかり忘れてた。うちは地区に着くまでに外しておかないと。

 

〔モズ隊長が来たということは……ダンゾウ様から何か?〕

 

 話しながら、さらに人通りの少ない道に入る。モズは自分のお面を外して、疲れたように一息ついていた。任務帰りらしい。

 そういえば、モズの素顔みたのって今の合わせて片手で足りる程度だったような……。

 影を操れることから奈良一族の血が入ってるのは確かなんだろうが、俺、この人のこと全然知らないんだよな。奈良一族の人たちと違って、髪や瞳の色も黒じゃないし。全体的に色素が薄い。

 

「お前がオレを隊長呼びするってことは、残ることに決めたんだな」

〔当然です〕

 

 モズは呆れたようにオレを見て、軽く肩をすくめた。

 

「ダンゾウ様にお前の意思を再確認してこいと言われて来たんだが」

〔意外でしたか?〕

「いや、お前ならそうすると思ってたよ」

 

 そう言って、モズがぐりぐりと俺の頭を撫で回した。何かと頭を撫でられることが多い気がする……いい位置に俺の頭があるってことか? 

 つまり、俺の身長がひ……この先はうちはスバルの精神衛生上カットさせていただきました。ご了承ください。

 

「お前も表の任務で忙しくなるだろうけど、ダンゾウ様からの呼び出しには出てこられるようにしておけよ」

〔モズ隊長のラブコール付きですか?〕

「黙れ」

〔…………〕

 

 間髪入れずに暴言吐くのやめてくんない? 俺だって一応傷つくんだよ。まったく、ジョークの通じないヤツはこれだから。

 それにしても、火影直属の暗部の仕事を“表の任務”なんていうのも、根の人間くらいじゃない?

 

「それじゃあ、オレはダンゾウ様に報告しにいくから」

〔はい〕

 

 あっという間に消えてしまったモズ。俺もお面を外して懐に仕舞い込む。……ほんとに、長い一日だった。

 

 

「根から転属になったとは、どういうことだ?」

「…………」

 

 実家に帰ったらたっぷり弟たちを摂取し、美味しいご飯を食べてぐっすり眠れると思っていた時期が俺にもありました。

 

 実際は父さんと母さんの目の前で正座しながら項垂れている俺。帰ってきた途端にこの扱いは聞いてない。

 

 構って欲しそうに近づいてきたサスケは部屋から追い出されてしまったし、イタチも然り。このままでは脳への栄養不足で死ぬ。この人殺し!

 

 人殺しの自覚などまったくない様子で、父さんが腕を組む。その隣で母さんが心配そうに眉を下げていた。

 

「先にオレに知らせることはできなかったのか」

《きまったばかりの ことだから》

「三代目がお前を急遽転属させる必要があると判断するほどの扱いを受けていた、ということでいいんだな」

「…………」

 

 まったくもってその通りなんだけど、相手が父さんとなるとこれ以上ダンゾウへのヘイトを高めてしまうのも問題だ。

 ただ、残念なことにダンゾウの所業が酷すぎてどう庇えばいいのか分からない。

 

「私たちはあなたのことを心配しているのよ」

「三代目の側近とはいえ、うちは一族の者を不当に扱うなどあってはならないことだ」

 

 ほら、そうやってすぐに主語を大きくするだろ。ダンゾウの俺への扱いに一族はまったく関係ないのに。

 

「……スバル、オレには、お前が何を考えているのかが分からない」

「あなた!」

「本当のことだ。お前は痛みも苦しみも何もかもを胸の内に隠して、決して表に出そうとはしない」

 

 随分とミステリアスな人間だと思われているらしいが、それは表情筋が仕事しなかったり、両親の前ではお面を使って喋ることができないからだ。

 

 家族の前でお面の使用が認められたら「イタチやサスケというこの世の宝を産んでくれてどうもありがとう!」って二人と握手してるんだけどなあ。

 指文字だと、どうしても会話のテンポが遅くてそんな気分にはなれない。

 

 それにさあ……俺、今すっげー疲れてるんだよ。

 

 やる気のカケラもない動きで指文字を綴る。

 

《はなしは それだけ?》

 

 父さんの眉が一気に吊り上がった。

 

「お前、親に対してその態度はなんだ」

 

 部屋の前で小さな気配が揺れたが、頭が怒りで満ちている父さんも、疲れ果てている俺も、そんな俺たちの仲裁に忙しい母さんも、誰もそれに気づかなかった。

 

 その場で立ち上がろうとした父さんを母さんが必死に止めている。

 遅い反抗期がきたような気分。ちょっとスッキリした。

 

《まさか》

 

 今更父さんたちにそんな態度をとり続けるほど子どもじゃないって。

 薄らと笑った俺に、父さんが動きを止めて信じられないものを見たかのように固まった。

 

《つかれてるから もういい?》

「……そうだな。お前も根で苦労してきたんだろう。今日はゆっくりするといい」

《うん》

 

 部屋を出ようとした俺の背中を父さんが呼び止める。

 

「スバル……明日どこかで時間を取れるか」

《あさ すこしなら》

 

 父さんは神妙な面持ちで続けた。

 

「南賀ノ神社の石碑……あの石碑に記された本当の意味をお前に教えてやる」

 

 

 翌朝、南賀ノ神社の地下へと続く階段を下りながら、俺は父さんの言葉に耳を傾けていた。

 

「お前が九尾の人柱力と接触したことは、一族の者が数人目撃している。その場にイタチやサスケもいたそうだな」

 

 どこにいても気が休まる場所がない。自分も誰かの監視対象だということを時々忘れそうになる。

 

「一族の中には、九尾の人柱力を利用しようと画策する者もいる」

《とうさんは ちがうと?》

「……一族の意思は俺の意思でもある」

 

 誰も彼も、上に立つひとは孤独だ。孤独であるがゆえに、踏み出した一歩の間違いに気づかない。心を押し殺し続け、麻痺して摩耗したそれを大義として掲げてしまう。

 

 ちなみにダンゾウはこれに当てはまらない。アイツの心は摩耗するどころか破裂してる。絶対に。

 

 目の前には石碑がある。ここに一族の秘密が眠っているのだと父さんは言った。

 

「この石碑は写輪眼を持たぬ者はその意味を知ることすら出来ない」

 

 隣に立つ父さんの瞳は見慣れた赤色に染まっていたが、その模様は見たことがないものだった。

 禍々しいチャクラが地下に漂い、足元から冷えていくような感覚がする。指先が震えた。

 

「お前は写輪眼のその先を持っていないから、この先は読めないだろう」

 

 “ふたつ目の瞳では世界さえも閉ざされていくだろう”

 

 写輪眼の先。それは、随分昔に見た指南書に載っていたあの瞳のことだろうか。

 

「我々が持つ九尾を支配しコントロールする力……お前は、なぜこのような力をうちはが持っていると考える?」

「…………」

 

 力の存在理由なんて、考えたことはない。力は存在するだけのものではなく、奮うものだ。俺の力はイタチとサスケを守るためだけにあればいい。

 

「木ノ葉上層部との確執はこれからも深まる一方だろう」

 

 父さんはすでに“二つ目の瞳”ではなくなっていた。

 

「うちはが彼らと手を取り合う未来などない。我々は、修羅の道を歩まねばならん」

《そうかな》

 

 ダンゾウの命令に忠実であるならば、ここで肯定すべきだった。

 でも、一族が勝手に決めた修羅の道なんかにイタチやサスケを巻き込むなんて、どうしても納得できない。

 

《さんだいめは うちはのことを かんがえている》

「保守的な三代目をアテにすることはできない。お前も志村ダンゾウの元にいたのなら分かるだろう。あの男は暗い噂が絶えないからな」

 

 よーく知ってるとも。知った上で、俺は親切にも、父さんたちにできることなど一つもないと遠回しに教えてるんだよ。

 ダンゾウは遅かれ早かれ、必ず不穏の芽を摘む男だ。

 

《ならば どうして》

 

 俺の脇腹に今も残っている忌まわしき証。服の上から触れて、目を細める。

 

《じゅいんのことを さんだいめに?》

 

 父さんが呪印について三代目に苦言を呈していなければ、俺は今も変わらず根に属していただろう。

 

 父さんは決して無駄なことはしない人だから、三代目なら動いてくれると判断して()()()。それは揺るぎようのない真実。

 

《いちぞくのことは いい》

 

 今大切なのはそんなことじゃない。

 

《とうさんは さんだいめを しんじてる》

「……何をバカなことを」

《あゆみよらなくては》

「無駄だ。そんなことをしたところで……」

「…………」

 

 そう、無駄だ。俺の言葉も何もかも全部。

 

 両腕から力を抜いて、だらりと腰の横に下ろす。もう話すことはない。

 

 父さんがいつものように俺の肩に手を置いてから、去っていく。

 いつもそうだった。

 いつだって、俺は父さんの期待に応えることができないでいる。

 

「…………」

 

 手のひらに乗せられた淡い期待すら見て見ぬふりをして。

 

 

 ナルトの住むアパートに足を運んだのはちょうどお昼時だった。

 扉をノックすると、半分寝ているのか目がほぼ開いてないナルトが出てくる。しかもパジャマ姿のままだ。

 

「……スバルにいちゃん、どうしてここに?」

《ほかげさまに たのまれたんだ》

 

 予め紙に書いていた文字を見せると、ナルトの目がまんまるになった。

 俺は紙を捲って、次の文字を見せる。

 

《ときどき いっしょに かいものしたり ごはんをたべる》

「……ほんとう!?」

 

 俺は紙をポケットに仕舞って、こくりと頷いた。手に持っていたエコバッグを揺らして、商店街の方角を指差す。

 

「すぐ着替えてくるってばよ!」

 

 よかった、ちゃんと伝わったみたいだ。

 宣言通りすぐに家から飛び出してきたナルトだったが、寝癖だけはそのままだったので指で軽く押さえつけてやった。

 ナルトがびくっと震える。

 

「あ……あのさ、オレってばこういうの、慣れてないから」

「…………」

 

 どうやらそうらしい。自分の手のひらを見つめて、ポケットに隠した。

 いかんいかん、ついイタチやサスケと同じように接してしまう。人とあまり関わってこなかったナルトはびっくりするよな。

 

 自制のためにもう片方の手もズボンのポケットに入れて、アパートの階段を下りる。

 顔を上げて待っていると、ぼんやりしていたらしいナルトが慌てて駆け降りてくるのが見えた。

 

 

「お客さん、悪いがこれは売れ……まぁす! いくらでも売りまぁすっ!!」

 

 俺がナルトの付き添いだと分かった途端に門前払いしようとしていた店主が、俺が拳に纏ったチャクラに気づいて引き攣った笑みを浮かべた。

 初めからそう言えばいいんだよ。

 

 持っていた紙にさらさらと文字を書いていく。

 

《右の棚の、この子に合ったサイズの服を二着。靴も試し履きしたい》

「勿論です! すぐにご用意させていただきます!」

 

 あっという間に裏に引っ込んだ店主がメジャー片手に戻ってくる。

 

 最初は険しい表情で耐え難い屈辱を受けているかのような様子の店主だったが、服を試着したナルトの「これ、すっげーかっこいいってばよ!」という満面の笑み付きの言葉にすっかり頬の筋肉を緩ませていた。

 ちょろいなこいつ。

 

「いやぁ、この服の良さが分かるなんて、見る目があるじゃねぇかボウズ……アッ、いや、坊ちゃん……」

「…………」

 

 それくらいの呼び方で怒ったりしないのに。

 

「お買い上げありがとうございました! またのお越しをお待ちしておりますっ!!」

 

 結局ナルトが「かっこいい」と言った服と靴を全部買ってしまった。……一応、三代目からそこそこのお金は受け取ってるけど、後で怒られないかな。

 服は少しサイズに余裕のあるものを買ったから、わりと長く着られるはずだ。もし怒られたら自腹を切ろう。

 

 その後は適当な店に入ってお昼ご飯を食べ、ナルトの家に戻って簡単な料理をしてそれを冷凍して、数日は食べるものに困らないようにした。

 

 うーん、この歳の子どもに必要な栄養ってなんだ?

 キャベツとカップラーメンばっかりな生活をしてたから肉とか魚とか、足りないものばっかりなんだろうけど。後で母さんに聞いておこう。

 

 そもそも、人柱力って栄養の一部を九尾に持ってかれたりしないのかな。……ないか。

 ナルトの摂取してる栄養が偏ってるせいで不健康になってる九尾とか想像するだけでおもし……失礼な気がする。けしからんぞ。

 

「……あのさ、あのさ! スバルにいちゃん、次はいつ来てくれるの?」

《すうじつごには》

 

 紙に書いた文字を向ける。ナルトは、家に帰ってから俺が料理をしている間もずっと熱心に読んでいた本をぎゅうっと抱きしめている。

 帰る前に寄った本屋でナルトが欲しがったものだ。

 

「それまでに、これ読んで指文字おぼえる! そしたらさ、オレもスバルにいちゃんと話せるようになるってばよ!」

「…………」

 

 俺はこんな体質で生まれてきちゃったし、それを恨んだこともあったけど……こうやって歩み寄ろうとしてくれる人がいる。恵まれてるなあ。

 

 俺が生きていく上で指文字はなくてはならない存在だが、家族やキノエさん達、ナルトは違う。必要のないものを、わざわざ俺のために身につけてくれた。

 ああ、勿論これもダンゾウは以下略。てめーはダメだ。

 

 ナルトは“すぐにわかる指文字入門!”というタイトルの本の表紙を撫でて、へへっと笑った。

 



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第十六話 黒いネコ

 ついにろ班としての活動も本格的に始まり、それなりに忙しい毎日を送っていた。

 

 ダンゾウからのラブコールは掛かっていないものの、実家にはほぼ寝るために帰ってるようなものだ。

 つまり弟摂取がまったく捗ってない。辛い。

 むしろ最近はナルトの家で過ごしてる時間の方が多いかもしれない。何回か泊まってるし。

 

「イタチにいさん、今日こそ手裏剣術をおしえてよ!」

 

 そんなわけで今日は随分と久しぶりに手に入れた休暇だ。

 まだ太陽も昇っておらず薄暗い時間帯だというのに、社畜生活の影響か、いつも同じ時間に目が覚めてしまう。

 

 欠伸を噛み殺しながら部屋を出れば、玄関の方角からサスケの明るい声が聞こえてきた。

 

 ふらふらとおぼつかない足取りで、血に飢えた吸血鬼のように玄関に足を向ける。

 弟レーダーに反応は二つ!

 

「これから任務なんだ」

「でも、約束したのに」

 

 俺が玄関に顔を出した時には、サスケがイタチに額を小突かれているところだった。

 

「許せサスケ」

 

 少し痛かったのか、サスケが少し涙目になって額を押さえている。

 そんなサスケを困ったように見つめていたイタチが俺の存在に気づいて顔を上げる。

 

「スバル兄さん」

「…………」

 

 ああ、俺が地位もお金もある大名だったら、この素晴らしい光景を高名な画家に描かせて国宝扱いにしてるのに。

 

「スバルにいさん、聞いてよ! イタチにいさんが約束破ったんだよ!? 針千本だよね!」

「…………」

 

 サスケがこちらを振り返って同意を求めていたが、画家に絵を描かせることができない今、両目にこの光景を焼き付けるしかない俺はそれどころじゃなかった。

 俺の目は今だけ高解像度で保存が可能となっている。

 

「兄さん?」

 

 困ったような表情から心配そうな顔つきになったイタチが再度俺を呼ぶ。

 よし、俺の心のアルバムに永久保存した。

 

 すでに靴を履いて扉の前に立っているイタチと、未だにぷんぷんと怒っているサスケに、ちょいちょいと手招きをする。

 二人は同時にこてんと首を傾げて、俺に近寄ってきた。

 

 天使二人、時々こうして動きがシンクロしてることがあるから油断ならない。君たちはそうやって軽率に俺を喜ばせる!

 

 二人が射程圏内に入った瞬間、俺は翼のように広げた両腕で彼らを捕縛した。ただの愛情たっぷりなハグである。

 

「ちょっと、スバルにいさん! 急になに!?」

「スバル兄さん……」

「…………」

 

 もうちょっとだけ我慢してくれないか? 充電中なんだ。

 

 イタチの声に呆れが混じってたのは聞き間違いだと思いたい。許して! もう限界なんだよ!

 

 昔から何かあるとすぐにイタチを抱きしめて充電させてもらっていたせいか、イタチはそれほど動じることなく大人しくしてくれている。

 サスケは「どこか痛いの?」としきりに心配してくれていた。

 懐かしい。昔はイタチもこんな反応だったなあ。

 

 きっちり五分。フルパワーになった俺は渋々ながら二人を解放した。心なしか肌ツヤが良くなった気がする。

 

「サスケ、スバル兄さんの“これ”は昔からだ」

「!?」

 

 イタチから衝撃の事実を聞いてしまったサスケの背後に宇宙が広がっている。

 ごめんな、勝手に二人を俺の生命維持装置に任命してて。

 

 すっかりこれまでの疲れも吹き飛んで、上機嫌で指文字を綴った。

 

《すきだから しただけ》

「…………」

「…………」

 

 むしゃくしゃしてやった。それだけです。

 

 サスケが無言で俺の腰に腕を回してべったりとくっついてくる。

 えっ……かわいい。今日って何? 命日?

 

「サスケ…………“これ”も昔からだ」

「…………」

「…………」

 

 なんだか妙な空気になってしまった。もしかして俺のせいですか?

 

 

 朝から任務に出て行ったイタチの代わりに、俺がサスケの手裏剣術を見ることになった。

 

 比べる対象が少なすぎてハッキリとは言えないが、同じ年頃の子どもたちより随分と上達が早い気がする。

 

 俺はイタチの修行もほとんど見られなかったから、基本的に幼少期から忍としての訓練を積むうちは一族の平均値を知らない。

 今の木ノ葉でうちは以外でこの歳からきっちり修行してるのって、日向とか一部の一族だけだろうけど。

 

 俺もイタチもカカシ達の時代と比べると程度は軽いが、戦争や九尾襲撃事件の影響を受けた世代だ。今はもう時代が違う。

 サスケやナルトがアカデミーに入学する頃には、どんなに優秀でも早期卒業はできなくなると聞いているし(よほど優秀なら例外もあるかもしれないが)そういう意味では四代目の理想としていた世界に近づいていると言える。

 少なくともほとんどの子どもがアカデミーを満期で卒業するまでは、任務等で命を落とすリスクが減ったからだ。

 

「にいさん、どうだった?」

 

 全ての的に刺さってる手裏剣を見て目を細める。サスケはそわそわと俺の顔色を窺っていた。

 

《おれが おしえることは ないな》

「……そんなこと言って、教えるのが面倒だからとかじゃないよね?」

《まさか》

 

 本当だってば。ぐりぐりと頭を撫でてやると、やっとサスケは安心したように笑った。

 

 よく見ればサスケの両手はマメだらけだ。

 イタチは任務で忙しいし、父さんは警務部隊と会合で家を空けていることが多い。きっと、一人でもたくさん練習したんだろう。

 

「オレも、にいさんの自慢の弟になれる?」

「…………」

 

 ぎくりとした。そのようなことを言わせてしまうような態度を、俺はとっていたんだろうか。

 もしもそうだとしたらお詫びに腕の一本でも二本でも差し出したい。

 

 そりゃあ、できれば幸せになってほしいとかいつも笑顔でいてほしいとか、言い出したらキリがないけど。

 いつどこで誰が死ぬか分からないこの世界で、俺が望むのはたった一つ。

 

《うまれてからずっと じまんのおとうとだ》

 

 生きてるだけで花丸満点。これ以上を望んだらバチが当たる。

 

 さては、俺がどれだけ二人の存在に助けられてきたか知らないんだな?

 いや、以前イタチとすれ違ってしまっていた時のように、俺の伝えようとする努力が足りないんだろう。

 

 イタチが生まれた日、サスケが生まれたと手紙を受け取った日。

 それほど記憶力のない俺でも、絶対に忘れない自信がある。

 あの時胸の奥底から湧き上がった感情の一つ一つに名前をつけることは出来ないが、全部覚えてる。

 今の俺があるのは二人のおかげだ。

 

《どうすれば つたわる?》

 

 サスケの頭を撫でながら問いかける。表情や声で伝えられない分をどう補うのが正解なんだろうか。

 背中のうちはマークの上に弟ラブ! の文字を付け足して毎日木ノ葉の大通りを練り歩けばいい?

 

「……伝わったよ」

 

 サスケが小さく呟いた。その顔はなんだか不服そうだ。まったく言葉に説得力がない。

 

《そうは みえない》

 

 俺はサスケの両頬を掴んで痛くない程度に引っ張った。

 さあ、観念しろ。俺の弟愛は世界一だと言え!

 

「いひゃいよ、にいさん!」

「…………」

 

 ま、まあ、今日はこの辺にしといてやってもいい。

 絶対に痛くないはずなのに、痛いと言われると小心者な俺は引き下がるしか無くなってしまう。

 本当に痛かったらどうしよう。腕二本じゃ足りなくなる。

 フィールドに召喚された俺の心臓を生贄に捧げ、サスケのライフポイントを一万回復して、ターンエンドだ。

 

 解放したサスケの頬が赤くなっていないか念入りに確認していると、サスケが「……もしかして」と口を開く。

 

「心配してるの?」

「…………」

 

 どこにこの状況で可愛い弟の頬を心配しない兄がいるんだ? 俺ですか?

 

 

 手裏剣術の次はかくれんぼをしていたら、あっという間に時間が経っていた。

 そろそろ一旦家に帰らないと、母さんが用意してくれているであろうお昼ご飯を食べ損ねてしまう。

 

「…………」

「どうしたの?」

 

 演習場から出ようとしていた俺は、不自然な形で足を止めることになった。手を繋いでいたサスケが首を傾げる。

 

《さきに かえって》

「え?」

 

 どうして、と続けそうになったサスケが口を閉じる。聡い子だ。

 サスケの頭を数回撫でて、もう一度寄り道せず家に帰るようにと念押ししてその場を離れる。

 ああ。さようなら、俺の幸せ時間。

 

 

 

「珍しいな。お前がオレの気配にこんなに早く気づくとは」

 

 演習場から少し離れたところでモズが立っていた。暗部の面をつけている。

 オレも懐からお面を取り出して被った。鳥ではなく猫のデザインのものだ。

 

「さすがに服はないだろ。これを」

 

 モズが投げて寄越してきたのは暗部の忍装束だ。

 ここでうちはスバルの生着替えコーナーを開始するのは少し気が引けたが、素早く着替えて背中に忍刀をさした。

 

『任務ですか』

「ゆっくり話している時間はない。走りながら説明する」

『…………』

 

 彼がここまで焦っているのは珍しい。よほど状況が悪いようだ。

 

 モズは里を抜け、火の国へと通じる道を走っている。しかも、このルートは大名やその側近たちがお忍びでよく利用する道だ。

 俺の脳内で消魂しい(けたたましい)警報音が鳴り響く。

 

 今日のイタチの任務が火の国の大名たちの護衛だということは知っている。

 本人から聞いたわけじゃないし、そもそも真面目なイタチが実の兄とはいえ俺に任務内容を漏らすことはない。

 だが、俺は火影直属の暗部の一人として任務内容をすでに三代目から聞いていた。形式上の護衛をイタチのいるフォーマンセルが担当することも。

 

 以前はそのような任務を下忍が担当するなど考えられなかったことだ。

 今は戦争が終結し、表面上訪れている平和のおかげで最小限の人数で護送できるようになっている。

 

 実際は下忍だけでなく暗部が数人裏で任務についているし、そもそも大名は独自の警務部隊を持ってる。

 毎年木ノ葉隠れの里を訪問する際には彼らも同行していたはずだ。

 

『……モズ隊長』

 

 だから、大丈夫。何も問題は起きない。

 そのはずなのに、俺の両手はすっかり冷え切っていて感覚がなかった。

 

 ――生きていてくれるだけでいい

 

 たった一つ、それだけなのに。

 

 忍である俺が望むには、あまりにも贅沢なのだろうか。

 

「うちはイタチ達に関する知らせを受けてるわけじゃない」

『……でも、貴方がわざわざ俺を呼びに来たってことは、危険が迫ってるってことなんだろ!?』

「オレは冷静ではない人間に情報を伝えるようなことはしない。お前もよく知ってるだろ」

『…………』

 

 この状況で落ち着いてられるか! イタチが危ないっていうのに!

 

 俺は大きく息を吸って……吐いた。

 

 落ち着いていられない、いられないけど、今は感情を最優先に動いても良い結果は得られないことはちゃんと理解してる。

 

『申し訳ありません。もう大丈夫です』

「それでいい。敬語を使わなかったことは不問にしといてやる」

 

 モズは「仮面の男を覚えているか」と続けた。

 忘れるわけがない。以前俺とモズ、キノエさんのスリーマンセルで以ってしても取り逃がした屈辱の相手である。

 ……力の底が見えない、不気味な奴でもあった。

 

『……まさか』

「そうだ。国境周辺であの男の姿を確認したと根の仲間から連絡があった」

『大名を狙って?』

「その可能性は高いだろうな。なんせ、大名が里を訪問するのは年に一度の恒例行事。それが今日であることは、誰でも簡単に知ることができる」

 

 それなら、大名の一番近くで護衛についているイタチはどうなる?

 あの男は異様な写輪眼……南賀ノ神社での父さんの話を聞く限りでは、写輪眼の先をいく眼を持っている。そんな相手にまだ下忍のイタチが敵うはずがない。

 

 根で拘束のスペシャリストとまで言われた俺とモズ、キノエさんの三人がかりでも捕らえることすらできなかった相手だ。

 どういう仕組みかは分からないが、物体をすり抜ける能力……あれが“ふたつ目の瞳”の力なのかもしれない。

 

「根の人間はほぼ出払っている。同行できるのはお前しかいなかった」

『…………』

 

 それはありえない。このような事態に備えて、ダンゾウは常に手元に人を置いている。

 

『…………ありがとうございます、隊長』

 

 モズは敢えて俺を選んでくれたんだ。その事に気づかないほど鈍くない。

 

「そろそろ大名を乗せた駕籠が見えるはずだ。急ぐぞ」

『はい』

 

 俺は僅かにズレた猫のお面をしっかりと被り直して、モズの背中を追い続けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 アカデミーを卒業して下忍となってから一年。簡単な任務がほとんどだったが、常に全力を尽くしてきたと自負している。

 

 任務の報告に向かえば、受付担当者には報告書が丁寧で素晴らしいと褒められ、さらにはオレのチームが同期の中で最も達成した任務数が多いのだとこっそり教えてもらったことがある。

 

 同じチームに所属しているテンマやシンコとは気が合うとはまったく思えない状態ではあるものの、任務に支障はない。

 迷子の子猫を探したり、お婆さんの買い物を手伝ったり、二人の力を借りずとも達成できる程度のものがほとんどだったからだ。

 

 幼い頃に戦争を経験した時、このような思いをするのは自分だけでいいと思った。

 

 共に参加した父さんや兄さんのような動じぬ心があればと何度も考えたが、オレはきっとあのようにはなれない。

 戦争はつらくて悲しいものだ。忍という運命からは逃れられないと分かっていながら、スバル兄さんやサスケが人を殺し、殺されるようなことがなければどんなに幸せかと考えたりする。

 オレの考えは忍が持つものとしては相応しくない。両親や里の人間に伝えれば、否定の言葉しか返ってこないだろう。

 

 オレがこうして忍としての道に立っているのは、この世から争いを無くすためだ。そのためにはもっともっと強くならなければならない。

 ――第三次忍界大戦を終わらせた功労者と呼ばれていた、四代目火影のように。

 

 だから、正直焦っていた。兄さんはアカデミー卒業と共に暗部として前線で戦ってきたというのに、オレは一体いつまでぬるま湯のような場所に留まっていればいいのだろう。

 

 これだけの任務をこなしていれば、今年の中忍試験に参加できると思っていた。

 担当上忍である水無月先生には「中忍試験はスリーマンセルでの参加が基本だ。テンマとシンコの実力がそれに達していないのはイタチも分かっているだろう?」とやんわり断られてしまっている。

 

 しかし、オレは例外があることを知っている。兄さんだ。

 兄さんは暗部に所属していた為、通常任務でのスリーマンセルに所属しておらず、たった一人で中忍試験に参加して合格したらしい。

 ……兄さんはいつもオレの前を歩く。その背中に追いついたことは一度もない。

 父さんは忍術や幻術の才能は致命的に無いなどとぼやいていたが、兄さんにはあの体術と――写輪眼がある。オレが持っていないものだ。

 

「イタチにいさん、スバルにいさん帰ってくるの遅いね」

「……そうだな」

 

 オレの部屋までついてきて、戦術書を読むのを邪魔するように膝の上を占領していたサスケが無邪気に笑っている。その小さな頭を撫でて、頬を乗せた。

 

 一年ぶりに兄さんに会った。記憶にあるより身長が伸びていて驚いた。

 オレの身長も確実に伸びて大きくなっているのに、どうしてか兄さんに会うたびに衝撃を受けている気がする。

 

 兄さんは見知らぬ子どもを抱きかかえていて、最初は人違いかと思った。

 その子はサスケと同じくらいの年頃で、名前を聞いてすぐに“例の子”だと分かった。

 

 何よりも驚いたのは、兄さんが自ら例の子――ナルトを助けようと動いたこと。

 兄さんは良くも悪くも他人に対して無関心な人で、自分とサスケだけに心を割いているのだと思っていた。

 自分だけが特別なんてことはあり得ないのに。

 兄さんの優しさは平等で、たったそれだけのことが、オレの心を落ち着かせなくしている。

 

「あっ! きっとスバルにいさんだよ」

 

 玄関の扉が開く音を耳聡く聞きつけたサスケがあっという間に部屋を出ていく。仕方ないなと肩をすくめて、後に続く。

 

 今日から一緒に暮らせるというのは本当なんだろうか。そうだとしたら……。

 

 玄関に向かっても、スバル兄さんの姿は見当たらなかった。靴はあったから帰っているのは確かなはずなのに。

 

 兄さんがいると思って楽しみにしていた反動が大きすぎたのか、サスケの両目にたっぷりと涙が溢れていた。

 

「すば、るにいさん、いないぃぃ……」

「…………」

 

 サスケの泣き顔を見て、だいぶ前に久しぶりに家に帰ってきたスバル兄さんに泣きながら抱きついた時のことを思い出してしまった。恥ずかしい。

 昔から、オレはスバル兄さんに対して恥ずかしいことばかりしている気がする。

 勝手に勘違いして拗ねて、随分と困らせてしまったことだってあった。

 

 今だってナルトの件で心の中に留めているとはいえ、思うところはたくさんある。根本的に変わっていないのだと思う。

 

 泣きじゃくっているサスケを抱っこして、トントンと背中を優しく叩いてやる。まるでかつての自分の姿を見ているようで奇妙な心地だった。

 

「こんなところでどうしたの……まあ、サスケったら。泣いてるじゃない」

「母さん」

 

 母さんが指でサスケの頬を拭ったが、出てくる涙の量に追いつかなくてすぐに諦めていた。

 

「しゅばるにいしゃんどこぉ……」

 

 くすりと笑いそうになるのを必死に堪えた。こういった時に笑ってしまうとヘソを曲げてしまうからだ。

 

「……スバルは、お父さんやお母さんと大事なお話があるの」

「やだ! にいさんのとこいく!!」

「サスケ!」

 

 サスケがオレの腕から抜け出して、一直線に父さんの部屋に走っていった。

 母さんと顔を見合わせて、同時にため息をつく。仕方なくその小さな後ろ姿を追いかけた。

 

「スバルにいさんっ!」

 

 勢いよく障子を開いたサスケに、こちらに背を向けていたスバル兄さんがゆっくりと振り返って目を丸くしたのが分かる。

 本当に僅かな変化だが、よく観察すれば気がつくレベルだ。

 

「……サスケ」

 

 父さんが疲れたように額に触れた。

 

「スバルは父さんたちと話がある。イタチ、サスケを連れていきなさい」

「……うん」

 

 嫌がるサスケを無理やり抱き上げる。

 こちらを見ている兄さんは心配そうだった。無表情の中に小さな感情の機微を見つけるのは慣れている。兄さんの目は、少し寂しそうでもあった。

 

 障子をしめて、未だにぐずっているサスケを宥めながら自分の部屋へと戻る。

 大事な話ってなんだろう。兄さんが一緒に暮らせるといったことと関係があるんだろうか。

 

 それから数十分経っても父さんたちが部屋から出てくることはなかった。

 サスケは泣き疲れて眠ってしまったし、一度様子を見に行った方がいいかもしれない。

 

 サスケを起こさないようにこっそりと立ち上がって、自分の部屋を後にする。

 父さんの部屋の近くにまでくると、珍しく父さんが声を荒らげていた。

 

「お前、親に対してその態度はなんだ」

 

 じわじわと首元を締め上げてくるような心地がした。

 

 父さんが兄さんに怒っていることも、兄さんが父さんを怒らせているということも、全てが信じられないことだった。

 ――兄さんは父さんに逆らったことがない。

 そんな兄さんが、何を言ったかは分からないが、この状況を作っている。

 障子の前で座り込んで、ドキドキと鳴る胸を押さえる。オレの知らない兄さんがここにいる。妙な胸騒ぎがした。

 

「スバル、お前……」

 

 次に聞こえてきた父さんの声から怒りはすっかり消えていたが、そこにはまったく別の感情が隠れていた。

 

 父さんが、兄さんに圧倒されている。

 

 障子の奥で気配が揺らいだ。誰かが立ち上がって、部屋を出て行こうとしている。恐らく兄さんだ。

 

 オレは慌ててその場から離れた。故意ではないとはいえ、聞いてはいけなかった会話を聞いてしまった罪悪感で胸がいっぱいになる。

 

 自分の部屋に戻ると、サスケはまだ夢の中にいた。

 

 

 

 火の国の大名警護任務。

 戦後の大名警護の任は、その年最も活躍が目覚ましかった下忍の在籍するチームが担当することになっているのだと、水無月先生が誇らしげに笑った。

 それが誰を指すのかは、ここにいる全員が分かってる。

 

 テンマとシンコから痛いくらいの視線を感じながら、オレは静かに手元の資料に目を通していた。

 この短時間で護送ルートはすでに頭に入っている。危険は少ない任務だと言われたが、これはチャンスだ。

 今は少しでも多くの任務を完璧にこなして、木ノ葉上層部に己の実力を示す必要がある。

 

「やっぱお前は里のお気に入りだな」

 

 何かと突っかかってくるテンマが腕を首後ろに回しながら、にやりと笑う。安い挑発だ。

 

 任務は明日の早朝から。資料を綺麗に折りたたんで仕舞い、なぜか言い争いにまで発展しているテンマとシンコに向けて口を開く。

 

「また明日」

 

 さっさとその場を後にする。帰ったらまずは忍具の手入れをして、早めに休んで明日に備えよう。

 

 

 

 家を出る前に色々あって、予定よりも遅い時間に集合時間に着いてしまった。それでもまだ誰も来ていない。油断していると緩みそうになってしまう頬を手のひらで隠す。

 

「…………」

 

 スバル兄さんは、すっかりいつも通りだった。

 以前のように一緒に暮らすようになってから、まだ幼いサスケを抱っこすることはあっても、オレを抱きしめることはなかった。

子ども扱いがなくなって嬉しい反面寂しく思っていたところにこれだ。オレもまだまだ子どもということらしい。

 

「相変わらずイタチは早いなあ」

 

 集合時間の五分前に到着した水無月先生が穏やかに声をかけてくる。テンマとシンコはその数分後に現れた。

 

「よし、揃ったね。まずは大名のところまでノンストップで向かうよ」

 

 水無月先生の言葉に三人一斉に頷く。護送任務開始だ。

 

 

 

 駕籠に乗っての移動とはいえ、長距離の移動に慣れていない老齢の大名には疲労やストレスが溜まるものらしい。

 道中多くの休憩を挟んだこともあり、予定より大幅に遅れていた。

 このままでは夜までに里に着くかどうかも怪しい。

 

 オレの所属する第二班、守護忍十二士が二人、彼らとは別に大名の身の回りの世話をする従者が数人。姿は見えないけれど火影直属の暗部がフォーマンセルで待機している。

 最後まで気は抜けないが、遅れていることを除けば順調に進んでいる。そう思っていた。

 

 何度目かの休憩が終わり、ようやく大名が重い腰を上げた時、“それ”は姿を現した。

 

 一人の男がこちらに向かって歩いてくる。

 

 火の国から里へと続く街道。いつもは誰でも通ることができる道ではあるものの、今日だけは封鎖されているはずだ。

 

 一般人が誤って入り込んだ可能性も考えたが、男が着けている奇妙なお面のせいで警戒心を解くことはできない。

 

 木ノ葉の暗部のような動物をモチーフにしたものではなかった。

 目も覚めるようなオレンジ色に渦のような模様が刻まれており、右眼の位置にぽっかりと穴が空いている。

 

 守護忍の二人が大名を駕籠に乗せたのを確認してから、オレ達第二班は駕籠の前へと躍り出た。

 

「あのー」

 

 間伸びした声が、こちらの警戒心を揺さぶる。

 

「ちょっとお聞きしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」

 

 水無月先生がホッと肩を撫で下ろす。テンマとシンコもクナイを握る手を下ろしたが、オレだけは警戒を緩めなかった。

 

「今日この道は封鎖されているはずなんですが……」

「そうだったんですか?」

 

 男が「あれぇ?」と首を傾げる。水無月先生が男を別の場所へと誘導しようとしたその時、男の纏うチャクラが変化した。

 

 水無月先生の動きが止まる。いや、現実とは別の映像を()()()()()()()。幻術だ。

 水無月先生だけじゃない。このような事態だというのに駕籠の中が沈黙を保っているということは、大名や守護忍十二士の二人も……。

 最悪の可能性に頭にひりつくような痛みを感じた。

 

「意外だな」

 

 男の口調の変化と共に、雰囲気ががらりと変わる。

 唯一顕になっている右目がこちらの姿を捉えた。

 

「オレの幻術を見抜いたやつが、二人」

 

 男の視線がオレを通り過ぎて、すぐ隣に向かう――テンマだ。

 

「シンコたちに何をしやがった!」

 

 テンマが叫ぶ。それと同時に、クナイを握り直して駆ける。

 いけない、あの男に無闇に近づいては!

 

「止まれ、テンマ!」

 

 テンマが一度だけこちらを振り返った。

 

「二人でかかればすぐだ! イタチ、お前がいれば!」

 

 普段からオレを疎ましく思っているはずのテンマから出てきた言葉とは思えなかった。

 テンマは止まらない。余裕そうに立ち止まっている男の喉元に突き出したクナイが……テンマの腕ごとすり抜けた。

 

「……なっ!?」

 

 男はそれでも静かにテンマを見下ろしている。

 男の首は血も出ていなければ、テンマの様子を見るに手応えの一つもなさそうだった。

 

 一体どうなっている。脳が答えを導き出そうとするよりも先に、テンマの足が地面から離れた。

 

「テンマ…………?」

 

 唖然と呟く。ぽたりぽたりと赤色が滴り落ちていった。

 

 男の腕がテンマの胸元を貫いていた。先ほどのようにすり抜けてはいない。

 男の手は真っ赤な血で染め上げられていて、テンマの身体は何度か痙攣を繰り返して……動かなくなった。

 

「流石だな。お前はこいつのように無闇矢鱈と突っ込んでこないで、冷静にオレの力を分析しようとしていた」

 

 男がテンマの身体を振り払うようにして地面に叩きつける。

 目を見開いたまま絶命しているテンマと目が合ったような気がした。

 両眼に熱が集まる。それどころか全身が熱い。

 

「オレの目的はお前の後ろの駕籠にいる大名の命だ。このまま何もせずにいてくれるなら、見逃してやってもいい」

 

 それは無理な頼みだ。体が震える。

 死んでしまった……テンマが、あんなに呆気なく目の前の男に命を奪われてしまった。

 

「オレは木ノ葉の忍だ……任務は放棄しない」

 

 男が首を傾げる。この場にそぐわない動作だった。

 

「それは、死んでも構わないという意思表示か?」

 

 圧倒的強者から放たれるプレッシャーは正常な思考を妨げ、脳へ届ける酸素を薄くさせる。

 

 こんなところで死ぬわけにはいかない。オレにはまだやらなくてはならないことがある。

 

 しかし、恐怖に呑まれた身体はそう簡単に動いてくれない。

 

「ならば、殺してやる」

 

 男が拳を振り上げる――オレは、ここで死ぬ。そう思った。

 

『――誰が誰を殺すだって?』

 

 背後から声がした。

 

 真横から伸びてきた腕が、あっという間にオレの身体を引き寄せる。

 

 硬直して冷え切っていたはずの身体に再び熱が巡っていくのを感じた。

 

「……貴方は」

『死ぬのはてめーだろ、相変わらず陰湿な面つけやがって』

 

 白い猫のお面から二つの眼が男を鋭く睨みつけていた。

 そのお面にも、声にも、見覚えがある。九尾襲撃事件でオレとサスケを救ってくれた暗部だ。

 ……また会えるとは思わなかった。ずっと、あの時のお礼を伝えたいと思っていたのに。

 

「……お前がなぜここに」

『それはこちらのセリフだっつーの。うちはの大ファンだとは知っていたが、まさかこんな子どもが趣味だったとは……軽蔑する』

「…………」

 

 うちはの大ファン……子どもが趣味……。

 

 男が黙った。間違いだとは分かっているが、すぐに否定してくれないとこちらも居た堪れない。

 

 猫のお面を着けた男がオレの腰に回していた腕を離す。彼の隣にもう一つの影が現れた。

 

『遅いっスよ。危ないところだったんですから』

「……お前が早すぎるんだよ」

 

 あの夜に見た面のデザインだ。確か、猫のお面の彼にモズと呼ばれていた気がする。

 

 猫のお面がこちらを向く。二つ空いた穴から真っ黒な瞳がキラキラと輝いていた。

 

『無事で良かった』

 

 表情など見えないのに、まるで笑っているみたいだ。

 

『――必ず守る。だから、もう大丈夫だ』

 

 

 

 ***

 

 

 

 やっと大名が乗っているであろう駕籠を見つけたと思ったら、その手前に広がる血の水溜まりに最悪の未来を想像した。あの血が一人分であれば、致命傷だ。

 もしもこれがイタチのものだったら……?

 

「おい、クロ!!」

 

 すっかり耳に馴染んだ名で呼ばれても止まれない。遠目に見えていた駕籠がぐんぐんと近づいてくる。

 

 米粒サイズだった人間らしき影の姿も鮮明になっていき、数人確認できた。どれがイタチかは分からない。

 ただ、中央の二人以外は全員棒立ちで、身じろぎひとつしていないようだ。おそらく、幻術かそれに近いものをかけられている。

 

「…………そ……は、…………か?」

 

 途切れ途切れに声が聞こえる。――見えた。あの後ろ姿、間違いなく仮面の男だ。

 

 男が振り上げた拳は、目の前の影に向かっている……イタチだ。生きている。生きて、あの男に一矢報おうと、震える手に握ったクナイが見えた。

 

「ならば、殺してやる」

 

 今度は鮮明に聞こえてきた言葉にぷつんと切れた。どこがとは言わない。

 

 全身に纏ったチャクラのおかげで身体が風のように軽い。一瞬で仮面の男とイタチの間に滑り込み、小さな体を勢いよく引き寄せた。

 驚いているイタチの名を呼ぼうとして、寸前で止める。

 

『…………』

 

 あっぶねー、今の俺はスバルでもツミでもなく、クロだった。

 正体がバレたらダンゾウの手で豚箱行きになる。断固拒否!

 

 抱き寄せていたイタチを背中に隠して仮面の男と向き直る。

 ちょうど遅れていたモズも到着し、数では有利に立った。そう、数では……。

 

 数の暴力を行使しても勝てる気がしないのはなんで? 俺の人生におけるラスボス臭がハンパない。今すぐ退場してくれ。

 

「…………うちはの……何と言った?」

 

 どうやら聞こえていなかったらしい。

 ちょっと耳が遠いと思われる仮面の男に、親切な俺はもう一度言ってあげることにした。

 

『うちはが好きなのは分かったが、こんな小さな子どもにまで手を出すとはどういう性癖してんだてめー! って言ったんだよ』

「…………」

 

 まさか、違った? もしも俺の勘違いだったら男の反応も理解できる。申し訳ない。

 

『……そういえば、お前も写輪眼持ってたよな。どっかの誰かみたいに強奪したわけじゃないとしたら、うちは一族の人間ということになる……つまり、同族愛…………ファンなどと一緒にするな……そう言いたいのか?』

「…………」

 

 まただんまりかよ。やめたやめた、犯罪者の考えなんて俺みたいな凡人には理解できないさ。

 

『いや、例え同族愛だとしても手を出したら終わりだろう……お前、どうかしてると思うぞ』

「もういい。やめろ」

 

 やっぱり納得いかなくて追及を続けたら、ぶつんと会話を切られた挙句、一方的に心のシャッターを閉められる音がした。

 しかし、俺は間髪入れずにシャッターを無理やりこじ開けて顔を押し込む。

 話はまだ終わってないだろうが!

 

『そうはいかない。ファンの民度が悪いと、怒られるのは俺なんだから、な!』

 

 言い終わる前に蹴り上げた足は、やはり男の体を簡単にすり抜ける。

 再び実体化した腕に掴まれそうになったので、急いで後ろに飛び退いた。

 

 あー!! もう、やりにくいんだよ! どうなってんだあいつの体は!

 

「クロ」

 

 暫く側を離れていたモズが戻ってきたらしい。

 

「うちはイタチは駕籠の中に避難させた。大名たちも無事だ」

 

『あー……そういえばいましたね、大名』

 

 イタチしか眼中になさすぎてすっかり忘れてた。死んでないならヨシ!

 ここで大名に何かあるとイタチに任務失敗という不名誉な結果が残ってしまう。イタチのキャリアに傷をつけることは許されない。

 

「もう一人はどうした?」

 

 仮面の男の問いかけに、モズが答える。

 

「今日はオレたち二人だ」

『…………』

 

 仮面の男はキノエさん……いや、テンゾウさんのことを気にかけている。

 俺たち三人の中で一番童顔なテンゾウさん。

 やはりこの男はそういう目的で……?  危険すぎる。

 

 しかし、俺たちはお面をつけているから童顔かどうかなんて分かるはずがない。

 奴の写輪眼はお面を貫通して相手がショタかどうかすら見抜いてしまうのかもしれない……すり抜けるのは身体だけじゃなかったということか! 名推理!!

 

『モズ隊長。こいつ、やっぱり只者じゃないですよ』

「分かってる」

 

 モズが神妙に頷く。そういえば、モズも俺のスリーサイズ把握してたんだよな……信用していいのか? 俺、実は危険人物に囲まれて四面楚歌なんじゃ……?

 

「木ノ葉には命知らずな愚かな者が多いようだな」

 

 おい、それはイタチのことを言ってるんじゃないだろうな!

 

「よほど殺されたいらしい」

『死にたがってるのはそっちだろ』

 

 男の指がぴくりと動いた。いつ飛んでくるか分からない攻撃に備えて意識を研ぎ澄ませる。

 

『命を大事にしてるやつが、単独でこのような危険な行動に出るわけがない。お前の大切な人が泣いてるね、今頃』

 

 大国の隠れ里である木ノ葉に不法侵入したり大名を襲撃したり、火の国と敵対している国でもここまでの暴挙に出ることは少ない。

 

 せめてチームで動くところを、こいつは常にたった一人で行動している。それだけの実力を持っているとしても、リスクがないわけではない。

 行動の端々から投げやり感というか、己の身を顧みない姿勢が表れてるというか。

 

「……大切な人だと」

 

 男の纏うチャクラの質が変わった。どうやら俺は思いっきり地雷を踏んだらしい。

 

 だからなんだ。こっちは大事な弟に手を出されそうになって、それ以上に怒ってるんだよ! 

 

『人の大事なものを踏み躙ったお前が、俺から配慮を受けられると思うな』

 

 可哀想に、イタチは今日のことがトラウマになって一生消えない心の傷を負ってしまったに違いない。

 俺がファンの管理を怠ったばかりに……。これもアイドルの運命(さだめ)だというのか……。

 

『そこの子どもを殺したのもお前だろ』

 

 俺の足元の血溜まりに倒れているのは、間違いなくイタチの班員の一人。

 ここに倒れているのがイタチではなくてホッとしたが、この子の存在もイタチの心の傷の一つになってしまったはずだ。

 

 俺だって、少しでも自分と関わった人間がこうなってしまえばそれなりに思うところがある。

 

「それがどうした? お前のような人間に、他人を気遣う心があったとはな」

『…………』

 

 俺の名前を知っていたことといい、よほど熱心なファンなのは確かだが……。相変わらずどいつもこいつも、俺を勝手に知ったような気になっていて腹が立つ。

 

「落ち着け。今日はキノエはいないが、時間稼ぎならいくらでもやり様がある」

 

 モズが俺にしか聞こえない程度の声で言う。

 

「もうすぐ火影直属の暗部たちも合流するだろう。オレたちはそれまで持ち堪えればいい」

『……あいつを取り逃しても構わないということですか?』

「そうだ。大名の命が最優先。お前、あいつから足手纏いを守りながら勝てる自信なんてないだろ」

『…………』

 

 それはそうなんだけど。なんなら大名の存在がなくても勝てる気がしない。でも、俺にはファンの管理という使命が……!

 

「ここで無謀な戦いをして弟をさらなる危険に晒したいと?」

『それでいきましょう! 仕方ないですね、時には守る戦いも必要ですから』

 

 イタチの為なら仕方ない。命って大事。

 

「作戦時間はおしまいか?」

『三分間待ってくれてどうもありがとう! おかげで滅びの呪文を教えてもらえたよ』

「…………」

 

 律儀に俺たちの内緒話が終わるまで待っていてくれた仮面の男。意外にも親切だ。

 

「お前……さっきからそのふざけた口調は何のつもりだ」

 

 普通に喋ってるだけなのに失礼すぎない? そっちの悪趣味な仮面のデザインよりは真面目なつもりだ。

 

 モズの足元から勢いよく影が伸びていく。俺はそれに触れないように気をつけながら、仮面の男に向かって駆けた。

 お遊びは終わり。ここからは永遠に俺のターン!

 

「相変わらず早い」

 

 俺の拳はやはり男の身体をすり抜けるが、男の身体が実体化しようとしたタイミングを狙ってもう一度蹴り上げる。

 俺の拳を掴もうとしていた腕は実体化を中断して、再びすり抜けた。

 

「小賢しいことを」

 

 お互いに距離を取って、もう一度駆け出した。その間にモズの影が男の動きを制限してくれていた。

 

『なあ、一つ聞いていい?』

「…………」

 

 男から返事はなかったが、どうしても気になって夜も眠れそうになかったので続ける。

 

『お前の身体、すり抜けるみたいだけど、なんで服はすり抜けないわけ? 同化してんの?』

「…………」

 

 男はやはり答えない。悲しいなあ。そんな会話をしながらも、俺と男の攻防は止まらない。

 

『でも助かるよ。露出狂と戦いたくないし』

 

 視界による暴力は根絶せねば。

 脳内プロフィール内にあった「露出趣味(疑惑)」に取り消し線が入った。ちゃんと最新版に更新しておいたから安心してほしい。

 

「無駄な問答はそれまでだ」

 

 仮面の男が俺の腕を掴む。しまっ……!

 

「!?」

 

 なーんてな!

 

 男が掴んだはずの俺の腕はドロドロと溶け出して――地面に巨大なスライムを作り出した。

 

 こんなこともあるだろうと思って、離れたところにこっそりスライムを作っておいてよかった。あとは変わり身の術で入れ替わるだけだ。

 

「これは…………」

 

 男の手のひらはスライムの粘液でべとべとになっていて、控えめに言って最高だった。

 ちなみにそれ、水で落ちないからよろしく!

 

「まさか、お前あの禁術を…………」

『?』

 

 男は何やら別のところに気を取られているらしかった。

 

「クロ!」

 

 モズの声に即座に反応した俺は、すぐに横に飛び退いた。

 俺の足元に隠れていたモズの影が一斉に姿を現して仮面の男に襲いかかる。手応えはあった。

 

『……これもダメか』

 

 完全に不意打ちだったはず。それなのにモズの影は男に触れることもできずに全てすり抜けてしまった。

 

 俺は地面に手をついたまま思案する。

 あの男の能力がふたつ目の瞳によるものだとして、あの眼で認識したものを任意ですり抜けたり触れたりするのかと思っていたが……。

 まさか、眼で認識どころか本人が察知していない攻撃すら避けられるのか? そうだとすると、あまりにもこちらに分が悪すぎる。

 

「あの術の“外側”を作れる人間がいたとは」

 

 仮面の男が独り言のように呟いた時、遠くから複数の気配が近づいてくるのを感じた。

 そのうちの一つは見知ったチャクラを纏っている――カカシだ。やっと暗部が到着したらしい。

 

「……はたけ、カカシ」

 

 仮面の男がぽつりと呟く。無意識に口にしてしまったようだった。

 

「また会うことになるだろうな……うちはスバル」

『次は握手券持ってこいよ』

「…………」

 

 アイドルの握手会に手ぶらで参加できると思ってる時点で烏滸がましい。CDを五十枚は買え。

 

 援軍にビビって退散するのかと思ったが、多分カカシのせいだ。

 さすが天才忍者って呼ばれてるだけはある。存在だけであの男に撤退を選択させるとは。

 

 仮面の男はあっという間に姿を眩ましてしまった。

 

「お前も急げ、オレが上手く言っておく」

『……はい』

 

 カカシに俺が未だに根に属していることを知られると非常に不味い。イタチのことは心配だが、モズとカカシが何とかしてくれるだろう。

 

 俺もその場から離れて、真っ直ぐ木ノ葉へと向かった。

 

 

 

 一足先に木ノ葉に戻った俺はモズの代わりにダンゾウに報告を済ませ、家に戻った時にはすっかり空は暗くなっていた。

 

「おかえりなさい、スバル」

「…………」

 

 玄関で靴を脱いでいる俺を出迎えてくれたのは、母さんだった。人の顔色をよく見て育ってきた俺には、母さんが無理に笑みを浮かべていることなんてすぐに分かる。

 

 靴箱にはイタチの靴が入っていた。もう帰っているということは……そういうことなんだろう。

 

《ただいま》

「あのね、スバル。イタチのことなんだけど……」

《わかってる》

 

 母さんは驚いたような顔をしたが、すぐに「そうね」と続けた。

 俺が暗部としてイタチの任務を把握していることを察してくれたようだ。

 

「帰ってから一言も話さずに自分の部屋に篭ってしまったの。何も食べてないだろうから、心配で……」

 

 今はきっと一人になりたいだろうから、そっとしておいてやりたいが……。

 

 確かに何も食べていないのは心配だ。任務中は碌に身体も休められなかっただろうし、帰ってからもこれでは体調を崩してしまう。

 

「サスケも近づけないくらいなのよ。だから、スバル、お母さんの代わりにイタチにご飯を持っていってくれないかしら?」

「…………」

 

 あの癒しに全振りしたサスケでも無理なら俺はもっとダメなんじゃ……? サスケと比べるのも失礼なレベルで癒し要素がないんだけど。むしろイタチの鬱を加速させかねない。

 

《おれでは……》

「アナタなら大丈夫よ。お願いね」

「…………」

 

 人の話を聞かないことに定評がある母さんが、にっこりと笑う。どうやら決定事項らしい。

 

 湯気の出ている卵粥を持って、イタチの部屋の前に立つ。

 

 俺はここで死ぬのかもしれない。イタチに「一人にしてくれオーラすら分かんねーの? それでもオレの兄かよ」って言われたら死ぬ。

 イタチ、こんな口調じゃないけど……。普段のあの口調でやんわり拒絶された方がキツくない? 想像すらしたくない。

 

「…………」

 

 うん、やっぱりやめよう、こんなこと。イタチも俺も幸せにならない。一人でしか癒せない、どうにもできない痛みだってあるんだ。

 本人が一人で耐えることを選んだのなら、外野が軽率に手を出すのは――

 

「…………兄さん」

 

 引き返そうとした俺の足を引き留める力があった。

 障子の隙間から伸びた腕が俺のズボンの裾を弱々しく掴んでいる。ちょっとしたホラー展開に思考が停止した。

 

「行かないで」

「…………」

 

 行かない、行かないとも。ここにいる。

 

 俺は手に持っていたお盆を床に置いて、その場に座った。こういう時、きっと顔を見られたくないだろうと思って障子を開けることはしなかった。

 

 ……イタチの手、震えてたな。

 

 やっぱりあの仮面の男は刺し違えてでも殺しておくべきだった。

 むくむくと怒りが膨らんでいく。

 なんなんだ、アイツは。一体どのような大義名分があって未熟な下忍を殺し、イタチまでも手にかけようとしたのか。

 

 護送中の大名に何かあったとなると、木ノ葉は責任追及を免れない。

 木ノ葉に強い恨みを持つ人物……だろうか。大名への私怨のみだとしたら、以前木ノ葉に侵入したことへの説明がつかない。

 

 カカシ率いる暗部も待機していて警備は万全だったとはいえ、あの男の幻術の精度がイレギュラーだった。

 まさか、イタチの担当上忍だけでなくカカシ以外の暗部も一発で幻術に嵌めるとは。

 暗部の、対象から離れたところから見守るシステムもどうにかすべきなのかもしれない。

 周辺の警戒も兼ねているが、幻術に嵌った仲間の解術をして警護対象のところまで急いで駆けつけたであろうカカシの苦労は相当なものだったはすだ。

 

「……今日、オレのせいで仲間を死なせた」

 

 部屋の中から感情を押し殺すような声が聞こえてくる。

 

「オレしかいなかったのに……何もできずに、死なせてしまった」

「…………」

 

 イタチは悪くない。悪いのは全部、あの仮面の男だ。

 誰にも予測できなかった……下忍であるイタチが責任を感じる必要なんてないのに。

 

 障子越しでは指文字をイタチに見せることもできない。俺のズボンを掴んだままだったイタチの手を握る。

 怖かっただろう、でもそれ以上に――悔しかっただろう。俺もそうだった。圧倒的な力を前にして、己の無力さが嫌になる。

 もうちょっとでイタチを失っていたかもしれないと考えるたびに、胸がいっぱいになった。

 

 イタチがこんなに苦しんでるっていうのに、イタチが生きていて、それで良かったと思ってる。……やっぱり俺、イタチの兄失格かもしれない。

 

 玄関の方が騒がしい。どうやら父さんが帰ってきたようだ。

 

「イタチは大丈夫か?」

 

 父さんが母さんに問いかける声がする。

 

「今はスバルがついていてくれてる。きっと大丈夫よ」

「そうか」

 

 全然大丈夫じゃないです。イタチの手の震えは止まらないし、俺は泣きそうです。兄失格……。

 

「アイツも、もう立派な忍だ。任務を受けていれば仲間の死に直面することもある」

 

 なんだか嫌な予感がした俺は、ゆっくりイタチの部屋の障子を開いて中に入る。

 できるだけイタチの方を見ないようにして、後ろ手で障子を閉めた。

 

「あ…………」

「…………」

 

 マジでごめん。イタチが望むなら後で切腹でも何でもしてお詫びするから許してほしい。

 

 俺は顔を逸らしたまま、布団に包まって震えているイタチの両耳を手のひらで覆い隠した。

 

「…………」

「…………」

 

 無言のまま、暫くそのままじっとしていた。

 こういう時、父さんはイタチが聞いているかもしれないと分かっていながら、厳しいことを口にすることがある。

 それらは正論だし間違ってないけど、今のイタチにはあまりにも酷だ。傷口に塩を塗るような行為を見過ごすわけにはいかない。

 

「……スバル兄さんは、優しいね。いつも、オレとサスケのこと……ばっかり」

「…………」

 

 イタチが俺の腕を掴んで、引き寄せるような仕草をした。……そちらを見てもいいということだろうか。

 恐る恐る視線をイタチに向けて、息を呑んだ。

 

 イタチの両眼が真っ赤に染まり、暗い部屋の中で歪な光を放っている。

 

 ――写輪眼だ。

 

「ずっと兄さんのように写輪眼を開眼したかった。……知らなかった。兄さんがこの痛みと苦しみを乗り越えてここまで来たってこと」

「…………」

 

 写輪眼の開眼条件は一つや二つじゃない。イタチのように身近な人間の死や、それに伴う悲しみなどの負の感情に触発されることもある。

 ただ、俺の場合は……うん。イタチに嫌われたくない一心で開眼しちゃったから、比べるのも申し訳ない。

 

 イタチはゆっくりと瞼を閉じて、再び開いた。その眼はすでに写輪眼ではなくなっていた。

 

 ふらついたイタチの身体を慌てて支える。急にチャクラを消費したせいで身体がびっくりしたんだろう。

 

「もっと強くなる」

 

 きちんと整えた布団に寝かせたイタチが俺を見て笑う。

 その笑みは母さんとそっくりだった。無理して笑うことないのに。似ちゃったんだなあ。

 

「兄さんも、サスケも、みんな守れるくらいに」

「…………」

 

 不意打ちだったからうるっときてしまった。イタチに泣き顔を晒すなんてもう二度とごめんだ。

 

《ありがとう》

「…………うん」

 

 他にもっと良い返しがあったはずなのに……。感動のあまり語彙が消失してしまった。

 俺から謎のお礼を受け取ってしまったイタチは曖昧に笑って流してくれた。なんか、さっきからごめん。

 

 そのまま眠ってしまったイタチを起こさないよう、こっそり部屋を出る。

 障子の前にはすっかり冷めてしまった卵粥が置きっぱなしだった。完全に忘れてたよ。

 

「スバル」

 

 お盆を持って台所に行こうとしていたら、こちらに向かっていたらしい父さんに呼び止められた。

 

「イタチはどうだった」

 

 隣にいた母さんが差し出した手のひらにお盆を乗せる。

 

《もう ねてる》

「……そうではない、立ち直れそうかと聞いてるんだ」

 

 そんなこと聞いてどうするつもり?

 

 思わず眉を寄せた。最近の父さんの言動に思うところがありすぎて、素直に受け取れない。

 

 さっきもイタチを警務部隊に入れるつもりはないだとか、オレなりに考えているとか……。

 耳を塞いだイタチには聞こえていなかったと思いたいが、まさか、父さんはイタチを俺と同じように暗部に入れるつもりじゃないだろうな。

 

 イタチは優秀だから、このままいけばいずれ木ノ葉上層部から声がかかるだろう。

 イタチの暗部入りに反対してるわけじゃない。父さんがそれを利用しようとしていることが許せないだけだ。

 

《いたちのやさしさは とうさんもしってるはず》

「…………」

 

 戦争で見ず知らずの他人の死に心を痛めていたイタチが、仲間の死に傷つかないはずがないじゃないか。

 立ち直るかどうかがそんなに重要? 俺には、イタチを道具扱いしようとしてるようにしか思えないんだよ。

 

《でもいたちは つよいから》

 

 どんなに辛くても明日には気持ちを切り替えていつも通り任務に向かう。そういう子だ。

 ……そうなるように、無理をするように、仕向けてしまった。

 

「そうだな。イタチなら乗り越えてくれるだろう」

 

 イタチと同じように育てられてきた俺も、ぐっと込み上げてきた感情を押し殺して俯く。

 こればっかりは、やはり俺にはどうにもできないように思えた。

 

 

 

 イタチの大名護衛任務から数日後。

 

「ツミ……ちょっといいか?」

 

 本日の任務も無事に終わり、後は報告書を提出するだけとなった時、負のオーラを背負ったカカシに呼び止められた。

 そういえば、今日は朝からずっと元気がなかったような。

 

〔大丈夫ですよ〕

「悪いな……ああ、テンゾウ。オレの代わりに提出してきてくれないか」

「お安いご用です」

 

 カカシから報告書を受け取ったテンゾウさんが姿を消す。

 

 なんだろう、改まって。……もしかして後輩指導!? お前最近調子乗りすぎなんだよから始まる集団リンチ!?

 

「お前の弟のことなんだが……」

〔…………〕

 

 リンチじゃなかったけど絶妙に反応に困りそうな話題だった。

 

〔イタチのことですか〕

「……すまない!」

 

 直近だとそれしかないと思ってイタチの名を挙げれば、カカシが勢いよく頭を下げていた。ええっ。

 

「もう聞いているだろうけど、お前の弟が危険に晒されたのはオレの責任だ」

〔……あれは、仕方がないかと〕

「そうだとしても、だ。悔しいが、根の者たちが予め危険を察知して来てくれていなければ、全滅していたかもしれない」

〔…………〕

 

 責任感が強すぎると、どうしようもなかった状況だとしても思い詰めてしまうものらしい。イタチもカカシももっと肩の力を抜いていいと思う。

 そうだよ、どう考えても仮面の男が十割悪いじゃん。アイツが規格外に強くて、規格外に迷惑な性癖を持ってるのがいけない。

 

〔でも、もう大丈夫ですよ。次はちゃんと握手券持ってくるように言い聞かせといたんで!〕

「…………は?」

〔今のは幻聴です。正しくは貴方が気にすることじゃないって言ったんです〕

「いや……絶対にそんなこと言ってなかっただろ」

 

 カカシは「テンゾウから聞いてた通り、そのお面急におかしくなるんだな」と苦笑いした。

 

 俺の普段の発言をおかしい呼ばわりはやめてくれない? どう考えてもまともだよ。ちょっと思ったことが素直に出ちゃうことがあるだけだよ。

 

「……まあ、ありがとうな」

〔こちらこそ。例の男はカカシ先輩の姿を見て逃げ出したって聞いてます。先輩は弟の命の恩人です〕

 

 カカシは大袈裟だという顔をしたが、俺にとってはまったくそうではなかった。感謝してもし足りない。俺は本当にいい上司に恵まれてる。

 

「何度も言ってるがその敬語どうにかならないのか? 前みたいに気楽に話してくれていい」

〔俺がカカシ先輩より出世したら考えます〕

 

 俺がカカシより出世するなんてまず無理だから、その時は一生こないわけだ。諦めてくれ。

 

「オレは、お前と友のような関係になれたと思っていたんだがな」

〔…………〕

 

 困ったように笑うカカシにいい意味で殺意が湧いた。殺意にいい意味もクソもないとは思うが、本当のことだから仕方ない。

 

 かつて忠実なダンゾウの部下だったテンゾウさんを心変わりさせただけのことはある。

 そ、そんな手には乗らないんだからねっ! この人タラシ!

 

「任務中以外ならいいだろ? お前のことをもっと知りたいんだよ」

 

 もう何なのこの人。距離の詰め方怖すぎ。俺はそういうのに……すこぶる弱いッ!

 

 以前テンゾウさんによる恐怖政治を受けた時と同じような胸のときめきを感じながら、俺はほぼ無意識に頷いてしまっていた。

 カカシの顔に喜色が浮かぶ。

 

 やめろ! そんな心の底から嬉しそうな顔で俺を見るな!

 

「これから飯でも食いにいかないか。美味いとこ知ってるんだよ」

〔悪いけど、俺は今すぐ家にかえっ……〕

「ガイとよく行った店で……って、ガイのこと知らないか」

〔行く〕

 

 ガイ大先輩がよく行った店? そんなの、両足を千切られても行くに決まってる。

 

「……家に帰るんじゃ?」

〔それは幻聴だ〕

 

 さっきと全く同じやり取りをして、俺はカカシの背中を押して無理やり歩かせた。ああ、楽しみすぎる!

 



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内輪編
第十七話 転回


「ツミ隊長。これで最後です」

〔ああ〕

 

 忍刀を軽く振って付着した血を払う。見上げた空は曇天で、今にも雨粒がこぼれ落ちてきそうだった。

 

「巻物は全て回収しました」

〔木ノ葉に戻る〕

「はい!」

 

 元気よく返事をした部下たちから巻物を受け取り、落とさないよう上着の内ポケットに仕舞い込む。

 

 仮面の男はあれから一度も姿を見せることもなく、表面上は平和な日常が戻ってきていた。

 

 ちなみに俺もここ最近でかなり出世してしまった。今では小隊を率いるリーダーである。

 まさか、本当にカカシにタメ口を使っても問題ないところまで来てしまうとは。人生というやつは何が起きるか分からない。

 

 イタチは試験に合格して中忍になっているし、数ヶ月後にはサスケのアカデミー入学を控えている。

 あのサスケがついに忍者学校に通う年になったのだと思うと感慨深い。

 

 ううっ、入学式に参加するサスケの姿を想像しただけでお兄ちゃんは泣きそうだよ。

 絶対に当日は休みを貰って参列するんだ。そして、今回こそサスケと一緒に家まで帰る。イタチの時は邪魔が入ったが、そうはさせるか。

 

「ツミ隊長、この後何かご予定でもあるんですか」

〔どうしてそんなことを聞く?〕

「いえ……いつもより雰囲気が楽しげでしたので」

 

 それなりに長い付き合いになる部下達が「オレもそう思ってた!」「デートですか!?」と騒ぎ立てる。そんなに分かりやすかったかな。

 

〔子どもに会うんだ〕

「……子ども」

「え?」

 

 正直に答えたらその場の空気が凍った。

 いやあ、最近暗部の任務が忙しすぎてあまり会えてなかったから。ちゃんと飯食ってるのか気になってて。

 

「……へ、へえ、おいくつなんです?」

〔もうすぐ六歳だ〕

「ろっ!!」

 

 部下の一人が盛大に顔を引き攣らせた。彼らは俺から距離をとり、お互いの肩に腕を回して内緒話を始める。

 「隊長、何歳だっけ」「十四だと聞いたが……」「!?」コソコソと小声で話している内容はこちらには聞こえなかったが、その雰囲気から少なくともいい内容ではないことは分かる。

 

 俺は溜息をついて腰に手を当てた。

 

〔置いていくぞ〕

「は、はいっ!」

 

 今日の任務は、霧隠れの暗部が木ノ葉から無断で持ち出した巻物の奪還だった。国境ギリギリまで逃げられてしまったせいで帰るのも一苦労である。

 不法侵入されすぎだろ木ノ葉。うーん、どこの里もこういうのは防ぎようがないって聞くけど。

 

 抵抗されたら殺せという命令だったが、この状況で大人しく巻物を返してくれるはずもなく、結局全員斬り殺してしまった。

 まったく、ちょっとはこちらの苦労も考えてほしい。

 

「あの……もう一つだけ聞いてもいいですか?」

 

 木ノ葉へと続く道を走っている途中、隣に並んだ部下が恐る恐るといった様子で尋ねてくる。

 一つくらいなら、と頷いた。

 

「隊長は、その子が可愛いんですか!?」

〔…………〕

 

 いや……そんな、全力で質問する内容がそれでいいの?

 

〔まあ……それなりに〕

「…………」

 

 この微妙な空気をどうしてくれるんだよ。

 

 

 

 三代目に任務の報告を終えて、更衣室で着替えを済ませて一旦家に帰ることにした。

 うちはの自治区に入り、暫く進んだところに俺の家がある。玄関の前に誰かが立っているのが見えた。

 

「あっ」

「…………」

 

 イタチと同じくらいの年頃の……シスイか! 

 一番最初に参加したうちはの定例会で親切にしてくれた子だ。

 

「こんにちは」

 

 丁寧に会釈付きの挨拶をしてくれたので、こちらも同じように頭を下げる。

 

「あの、オレ、イタチ君を待ってて……今サスケ君が呼びに行ってくれてるんです」

 

 そうかそうか、イタチを。二人が友人関係だというのは以前イタチから聞いたことがある。小さく頷いて、俺も玄関に足を踏み入れる。

 

 何でも一人で抱え込みがちな弟に心を許せる友がいるのはとても嬉しい。これからもイタチをよろしく頼むよ。

 

「スバルにいさん! おかえりなさい!」

 

 靴を脱いでいると、背中に小さな衝撃があった。サスケが抱きついてきたらしい。

 そんなサスケはシスイの方を見てむうっと頬を膨らませた。

 

「スバル兄さん……帰ってたんだ」

《ただいま》

 

 少し遅れて、イタチが玄関に顔を出す。

 

《すぐにでる》

「スバルにいさんまで、イタチにいさん達と行っちゃうの!?」

《おれは にんむがある》

 

 ああ、サスケがシスイを不満そうに見てたのはイタチを呼びにきたからか。イタチと過ごす時間が減っちゃうもんなあ。

 

 しょぼんと項垂れてしまったサスケにちくりと胸が痛んだ。俺が一緒にいてあげたいけど……これからまた任務が……。

 

《いっしょに つれていけないのか?》

「うん……シスイと修行するから」

 

 それは連れて行けないな。二人の修行に巻き込まれてサスケが怪我をするかもしれない。

 

「ごめんな、サスケ君」

「……むう」

 

 シスイに対してむっつりとした顔を見せたサスケに笑いそうになる。

 そんな可愛いのに敵意丸出しなことある?

 シスイが苦笑した。

 

 俺はサスケを抱き上げて肩車した。

 

《すこし さんぽするか》

「……うん!!」

 

 約束の時間まで少し余裕がある。俺とサスケはイタチとシスイを訓練場近くまで見送って、その帰り道にうちは煎餅を買った。身内贔屓を無しにしてもこれは美味い。

 

 手を繋いでいたサスケがじいっとこちらを見上げてきていたので、首を傾げる。

 もう家に着いてしまった。散歩が物足りなかったかなと思っていたらサスケは「えへへ」と笑った。

 

「スバルにいさんもイタチにいさんも大好き!」

「…………」

 

 帰宅した瞬間に爆弾を投下されてしまった俺は瀕死になったが、何とか地面から這い出して家を後にした。

 

 

 

「スバルにいちゃん、遅いってばよ!」

《すまない》

 

 遅刻はしていないはずだが、時間ギリギリになってしまった。久しぶりに会うナルトは相変わらずだった。

 

 家にお邪魔すると、以前のようにカップラーメンが並んでるだけではなくなったものの、まだまだ占める割合の多い棚が真っ先に目に入った。

 ナルトが「……えへ」と誤魔化すように笑っている。俺の作り置きはとっくに食べきってしまったようだ。

 

「でもさ、でもさ! 昨日は自分で料理したから!」

《りょうり?》

「まだ残ってるからスバルにいちゃんも食べてみて!」

 

 ぐいぐいと背中を押されて、椅子に座らされる。

 

《つくれるように なったのか》

「ふふーん。これでやっと、にいちゃんの驚く顔が見られるかな?」

 

 すっかり指文字を読めるようになったナルトが得意げに笑う。

 それは楽しみだ。ついさっきサスケと煎餅を食べたばかりでお腹は空いてないけど、入らないわけじゃない。

 ナルトは冷蔵庫からラップのかかった皿を取り出して、温め直していた。

 

「じゃーん!」

「…………」

 

 これは…………チャーハン! 俺の大好物!!

 

 差し出されたスプーンを受け取り、早速食べてみ……うんま!?

 

「……もしかして、美味しい?」

 

 こくこくと頷く。マジで美味い。

 ご飯はパラパラじゃなくてしっとりなんだけど、しっかり味が染みこんでるニラがとにかく……美味い、美味すぎる。ベーコンとの相性も最高。なんだこれ。

 

「へへ! ちょっと驚いてるの、分かったってばよ」

《おいしい すごいな》

 

 ちょっとどころか、だいぶ驚いてる。こんなに美味しいチャーハンは初めて食べた。

 

「にいちゃん、チャーハンが好きだって言ってたから、一楽で秘密のレシピを教えてもらっ……あ、」

「…………」

 

 ごめん、笑っちゃダメなんだろうけど、ちょっとニヤけそうになった。内緒にしたかったことを、つい口にしちゃうところがナルトらしいというか。

 

 それにしても……そこまでして俺の好物を作ってくれるなんて、嬉しいな。

 

《ありがとう》

 

 常に指文字には心を込めてるつもりだけど、これはもっと特別だ。伝わっていればいい。

 

 ナルトはニッと笑う。でも、すぐに寂しげな表情になってしまった。

 

「……ほら、もうすぐアカデミー始まるし…………」

「…………」

「火影のじいちゃんに頼まれてたの、入学までなんだろ?」

 

 三代目に頼まれていたナルトの世話と護衛は、彼がアカデミーに入学するまでと言われていた。それももうすぐ終わる。

 

 そろそろ伝えないとって思ってたから、ちょうど良かった。

 

《うん》

 

 あっという間だったな。暗部の任務であまり来られないこともあったけど。

 純粋に俺のことを慕ってくれているナルトの目はいつも真っ直ぐで、くすぐったい気持ちになる。

 

 ――ナルトといる時間が好きだ。

 

 彼といる時だけは、一族のことも暗部のことも全部忘れて、一人の人間になれる。

 それは無責任と同義でもあるが、一括りにしてしまうにはあまりにも惜しい感情だった。

 

 俯いて表情が見えなくなってしまったナルトの頬を掴んで、引き伸ばした。

 

「いっ、痛いってばよ!」

 

 絶対に痛くないって。サスケといい、ナルトといい、なんでそんな嘘をつくんだ。

 

 パッと手を離すと伸びた皮膚がバチンッと戻っていく。…………アレ? もしかして本当に痛いやつ? 

 

 そわそわしていたら、ナルトがぷっと吹き出した。

 

「ウソだって、にいちゃん、心配しすぎ!」

「………………」

 

 ついに五歳児にまで心を弄ばれるようになっちゃったのか、オレは。

 

《また あそびにくるよ》

 

 ぴたりとナルトの表情が固まった。

 

《こんどは にんむじゃなくて》

 

 ナルトの目がまん丸になって、犬か猫のように俺の胸に飛び込んでくる。その小さな体を受け止めて頭を撫でた。

 ……俺にもう一人弟がいたら、こんな感じだったのかな。

 

「約束……嘘ついたら針千本だってばよ」

「…………」

 

 ついさっき嘘をついた人間が何をとは思ったが、大人な俺は不問にしてやることにした。

 

 俺に抱きついているナルトには指文字は見えない。それなら。

 

「……にいちゃん?」

 

 そっとナルトを抱きしめ返す。思えば、イタチとサスケ以外の誰かを抱きしめたのは初めてだった。

 

 とくとくと少し早い鼓動の音が聞こえる。腕の中のナルトは緊張で動きがぎこちなかったが、構わずそのままでいた。

 

 ……なんか、違うな。イタチとサスケを抱きしめてる時ってこう、俺もう死ぬのかなあって思うし実際にそんな状態なんだけど、ナルト相手だとひたすら心が穏やかというか……。

 

 ちょっと何言ってるのか分かんない。誰か翻訳してくれないか? スバル語は習得難易度Sだって誰かが言ってた。

 

 

 

「よっ、ツミ隊長。最近どう?」

〔…………〕

 

 ポンッと肩を叩かれて振り返れば、二つのニヤニヤ顔が視界に入った。テンゾウさんとカカシだ。

 

 俺がろ班を離れてから、更衣室で一緒になる度に隊長呼びして揶揄ってくる。それなりに照れるからやめてほしい。

 この二人、こういう時だけ無駄に結束力あるんだよな。

 

 すでに任務服から着替え終わっていた俺はパタンとロッカーの扉を閉めた。部屋を出る前に外そうと思っていたお面に触れる。

 

〔ぼちぼちかな〕

「ま、元気にやってるようで良かったよ」

 

 同じ班ではなくなったとはいえ、こうやって更衣室で頻繁に顔を合わせるし、一から編成した即席チームで一緒に任務をこなすこともある。

 そのせいか、俺の方はまだろ班に所属しているような気分だった。隊長としての自覚がないだけかもしれない。

 

「もう帰るのか?」

〔行くところがあるから〕

「ろ班のみんなとラーメンでも食べに行こうって話してたから声掛けようと思ってたのに」

 

 テンゾウさんが残念そうに言う。それは是非とも行きたかった。

 でも、俺はこれから死地に赴かなくちゃいけないんだよ……骨は拾ってくれ。

 

 

 

 鳥のお面を外して更衣室を出た俺は、監視がついていないか慎重に周辺の気配を探ってから、人通りの少ない道に身を潜めた。

 

 仕舞い込んだ鳥のお面の代わりに猫のお面を被って、真っ直ぐ目的地に向かって走る。

 

 ――ダンゾウの待つ根の本拠地だ。

 

 地下へと潜ると、暗がりで何かが光ったのが見えた。すぐさまホルスターからクナイを取り出して、それを弾く。

 

 カランッと音を立てて飛んできた何かが、俺が着地したパイプ菅の上に転がる。手裏剣だ。

 

『俺です、キノトさん』

「クロか」

 

 戦闘態勢に入っていたキノトさんが緊張を緩める。

 ちゃんと正規ルートを使わなかった俺が悪いとはいえ、せめてお面を確認してから攻撃してほしいものだ。

 

「ダンゾウ様がお待ちだ」

 

 どうやらこのまま案内してくれるらしい。キノトさんの隣に並ぶと、暫く沈黙が流れた。

 ……何でもいいから喋ってほしい。

 

「お前とこうやって言葉を交わすのはキノエが抜けた時以来だな」

『そうですね』

 

 気を引き締めるように息を吐き出すキノトさん。

 

「お前、あの時……オレに幻術をかけたり、しなかったよな……?」

『…………』

 

 バッチリかけました! 途中で目を覚まさないか心配になってビンタもしちゃいました!

 

 などと白状するわけにはいかないので、お面で見えないとはいえ、一応神妙な表情で首を横に振った。

 

『キノトさんはダンゾウ様を呼びに向かった途中で侵入者であるカカシと交戦し、幻術を受けたと聞いていますが』

「オレもそう聞いてる。でも……最後に見たの、お前の顔だった気がするんだよ」

『ああ、写輪眼による幻術を受けた際に起きる記憶の混乱でしょうね。よくあるんです』

 

 大嘘である。しかし、キノトさんは写輪眼持ちである俺が言うならそうかもしれないと思ったのか「なるほど」と少し安心したように頷いていた。ちょろいぜ。

 

「疑って悪い、忘れてくれ」

『いえ。キノトさんが無事で本当に良かったです』

「クロ……」

 

 キノトさんが感動したようにこちらを見てくる。

 バレたら殺されるなこれ。言い換えればバレなきゃ何してもいいってことだ。素晴らしい世界だよ。

 

 そんな話をしていたらダンゾウの待つ部屋に到着した。

 

「オレはここまでだ」

『はい。ありがとうございました』

 

 キノトさんの姿が消えたのを確認してから『ダンゾウ様、クロです』障子越しに声を掛ける。

 

 障子の向こうで気配が揺れた。ややあって、小さな声で「入れ」と許可を貰った。

 おい、「入ってください」だろうが! やり直し。

 脳内のダンゾウが「お入りください」と言ったので、満足した俺はやっと障子を開けた。

 

 ダンゾウは座布団に腰掛けて、こちらを気怠げに見つめている。暗部の任務終わりにここまで呼びつけた人間の態度とは思えない。

 三代目なら労いの言葉が出てきてるところだ。

 

「うちはフガクから、うちはイタチを暗部に推薦したいと打診があった」

『…………』

「クロ……お前はこれをどうみる?」

 

 父さんがついに動き出したか。ダンゾウから熱い視線を受けながら、俺は思考を止めないように気をつけた。

 

『彼は、うちはイタチを一族のスパイとして利用するつもりだと思われます』

「ほう……己の父に対して他人行儀な言い方だな」

『俺はダンゾウ様の部下です』

 

 ダンゾウが満足げに笑った。いいぞ、もっと気持ち良くなれ!

 

「お前はよくやってくれている。……三代目の元にやったのも、結果としては根に益をもたらしてくれた」

『…………』

 

 俺が三代目の動きを逐一報告しているおかげで、ダンゾウはお得意の“悪巧み”を邪魔されることなく、非常に有意義な時間を過ごしているようだった。

 また俺の知らない間に謎の研究施設が木ノ葉に増えてるんじゃないだろうな。

 

「うちはイタチは優秀な忍だ。今は根に呼び込むことは難しいが、いずれそうなる」

 

 ダンゾウの言葉に眉を顰める。いずれそうなる? やけに自信があるようだ。

 

「うちはイタチの暗部入りの条件として、一つ任務を与えることになっている。簡単ではないが、きっと上手くこなすだろう」

 

 熱に浮かされているような表情で、ダンゾウが続ける。

 

「うちはフガクのこともある。根によるうちは地区の監視人数も増やすつもりだ。お前は表向きは一族の者となっているが、監視のことは気取られないようにしろ」

『はい』

 

 ダンゾウから、一族に信用してもらう為にある程度はチクっていいよと言われていた俺はちょっと残念だった。

 

 勿論ダンゾウや根の機密に関わる内容は呪印的にもアウトだが、今日の集会は暗部に監視されてるよとか、あの人が最近上層部に目をつけられてるらしいよとか、そういった些細な情報を一族に流していたわけだ。

 

 仲間であるはずの俺に監視をバラされた根の人の気配が思いっきり動揺していたり、まあ、楽しかったよね。……本当に残念だ。

 

「これからも期待しているぞ、クロ」

『お任せください』

 

 俺は跪いていた状態から立ち上がって、一度頭を下げて部屋を出た。

 

 深く息を吸う。うーん、やっぱダンゾウのいる空間って空気が不味いんだよな。

 

 

 

 ダンゾウに呼び出された日は、ほぼ必ずと言っていいほど甘味を摂取してから帰宅している。家にまでこの鬱々しい気分を持ち帰りたくないからだ。切り替えって大事。

 

「スバル兄さん……?」

「…………」

 

 あ、ああ……ああああ!?

 

 里の中心部にある茶屋。外側にある長椅子に腰掛けてみたらし団子を二本同時に頬張っていた俺は、ダラダラと背中に大量の汗をかいていた。

 ……やべえ、イタチが女の子とデートしてる。

 

「どうして兄さんがここに……」

 

 イタチが気まずそうに視線を逸らす。

 イタチの隣に立っていた女の子は、俺たちの顔を何度か見比べて「イタチ君のお兄さん!?」と悲鳴を上げた。

 

「任務が終わって、ここに?」

「…………」

 

 ごくんと咀嚼していた団子を飲み込む。きつい、きつすぎる。

 基本的に人付き合いが苦手な人種である俺は、弟のデート現場に居合わせた時の正しい対応が分からない。

 

 イタチのぎこちない反応からして、今すぐこの場を去るべきなんだろうか? それともこの泥棒猫! って女の子をビンタするべき?

 ……ダメだ、後者は絶対にイタチに嫌われる。そもそもこのような可愛らしい女の子をビンタしたくない。キノトさんに再ビンタした方がマシだ。

 

 邪魔してごめん! どうかお幸せに!

 

 お茶と菓子代を先払いしていて良かった。

 俺はまともにイタチ達の顔も見られずに、逃げるようにその場を離れ――ようとしたが、腕を掴まれて後ろに引き戻された。

 

「あっ、あの!」

 

 イタチとデートしている女の子だ。俺の左腕を両手で握っていて離してくれそうにない。

 もういっぱいいっぱいだった俺は泣きそうだった。

 

「うちはイズミといいます。その、イタチ君にはよくお世話になっていて……お隣いいですか?」

「…………」

 

 俺は見た。こちらを見上げているイズミという少女は気づいていないだろうが、彼女の後ろに立っていたイタチがちょっと嫌そうな顔をしたのを。

 嫌そうというか……迷惑そうというか……無理だ。俺が死ぬ。弟に嫌われるくらいなら今すぐ存在を消したい。

 俺だって弟の恋路を邪魔する無粋な兄のレッテルを貼られたくない。

 

 俺は全力で首を振った。横に。少女――イズミが「ええっ」と声を上げる。

 

「どうしてですか? この後用事でも?」

 

 俺は助けを求めるようにイタチを見た。今すぐ別の茶屋に行くか、俺の腕を掴んでいる少女に手を離すように言って! 頼むから!

 

「……ごめん、兄さん。イズミは言い出したら聞かないんだ」

「…………」

 

 死刑宣告だった。俺は項垂れて、そのまま長椅子に座り直す。絶望だ……。

 

 そんな俺とは対照的に太陽のような笑みを浮かべたイズミが、嬉しそうに俺の隣に座った。

 

 待ってくれ、せめてイタチを真ん中にしないか?

 

「すみません、二人追加で」

 

 俺の心の叫びなど聞こえていないようで、イズミが元気よく店の奥に向かって声を張り上げた。

 

「はーい」

 

 やってきたのは、先ほど俺の注文を受けてくれた女の子だった。

 彼女は俺を見てにっこりと笑うと、隣に座るイズミとイタチに気づいて目を丸くした。

 

「イタチ君やなかね!」

「シンコ」

 

 俺とイズミは勢いよくイタチを見た。イタチは心なしか嬉しそうに……見えなくもない表情でシンコと呼んだ少女と言葉を交わしている。

 まさか……ここにきて二股か? 弟よ……。

 

「私、今はここで働きよるとよ」

「そうか」

 

 安心したように目を細めて返事をするイタチに、イズミが二人を見比べて……肩を落としてしまった。

 

 ああっ、そんな、落ち込まないで! まだ分からないぞ。イタチは誠実な子だ、きっと勘違いに決まってる。

 

 茶屋のシンコがイズミに目を向けて、首を傾げる。

 

「彼女?」

「友人だ」

 

 俺とイズミは即答したイタチを見た。本命はそっちだったっていうのか!?

 

 イズミがずぅーんっとこの世の闇を全て背負ってしまったような表情になったので、あまりにも不憫に思えてしまった俺はその背中を撫でてやった。強く生きろよ……。

 

「ふふっ。この子、すごくガッカリしたばい」

「が、ガッカリだなんて……!」

 

 イズミが顔を真っ赤にして否定する。分かりやすい。しかし、肝心のイタチには伝わっていないようだ。

 

「それにしても、やっぱりイタチ君のお兄さんやったとね」

 

 シンコが俺に笑みを向ける。

 

「兄さんを知ってたのか?」

「うん。常連さんやから」

「…………」

 

 ああ……弟に茶屋によく出没してることがバレてしまった。さっきも団子二本踊り食いしてるの見られちゃったし……兄としての威厳が微塵もないじゃないか。

 

 シンコはイタチとイズミの分のお茶を出すと「注文が決まった頃にまた来るけん」と言い残してまた店の奥に引っ込んでしまった。

 

 この場に取り残されてしまった俺たちの間に気まずい空気が流れる。

 

「イタチ君……今の人は?」

「昔の仲間だ」

 

 昔の仲間と聞いて、真っ先にテンマという少年の顔が浮かんだ。

 もしかして、あの時のイタチの班員の一人か? あの少年の死がきっかけで忍を辞めてこの茶屋で働くようになったのかもしれない。

 

 仮面の男による被害がこんなところにまで影を落としているとは。まったく、なんてやつだ。

 

「そっか……あっ、イタチ君のお兄さん、今更なんですがお名前を聞いてもいいですか?」

「…………」

 

 本当に今更だ。イズミが名乗ってくれた時にこちらも名乗るべきだった。

 ただ、多分この子、俺が話せないことを知らないと思うんだよ。

 

《いたち》

 

 俺の指文字を見たイズミがぎょっとする。しかし、すぐに自分の反応が失礼だと気づいたのか身を縮こまらせた。……優しい子だ。

 

《じゃまをして わるかったな》

「兄さん……そんなこと」

 

 イタチが少し泣きそうな顔で首を振る。

 

「ごめんなさい! 私……」

「…………」

 

 いいんだよ気にしなくて。そういうのには慣れてるし、俺だって立場が違えば全く同じ反応をしてる自信がある。

 そもそも、俺がデートを邪魔したのが悪いんだから。

 

 二人の頭に手のひらを乗せると、ぽかんとした‬顔でこちらを見上げてくる。

 

 本人は気づいていないようだが、イタチはイズミを友人以上に想っているように感じる。

 

 なんだろ、兄としての勘ってやつ? 弟に対する俺の勘はそこそこに当たると自負してる。

 

《ちゃんと おくってやれよ》

「うん……」

 

 それならいい。イタチの頭を撫ででいると、イズミが意外そうな顔で見ていた。その視線に気づいたイタチの頬が赤に染まる。

 

 しまった、好きな女の子の前で子ども扱いされたくないよな。ごめんよ、イタチ。可愛くてつい!

 

 パッと手を離して、背中の後ろに隠した。そろそろ俺は自分の両腕を切り落とした方がいいのかもしれない。

 

 

 

 イタチの暗部入りの為の任務が正式に決定したらしい。態度に出ないようにしているようだが、その日からイタチの纏う雰囲気はどこか暗く、人を寄せつけない。

 

 サスケは気にせず話しかけにいっているようで、あのコミュ力を見習いたいと思ったりする。

 俺? 目も合わせられないよ。任務内容もダンゾウから聞いてるし、軽率に頑張って! なんて声も掛けられない。

 三代目も三代目だ。あのダンゾウに任務を任せたらえげつないのを選んでくるに決まってるじゃないか!

 

 イタチがダンゾウに任された任務は、小日向(こひなた)ムカイという男の暗殺である。

 ちなみに俺もよく知っている人物で、なんと暗部の同僚だったりする。よくある「まさかあの人がねぇ……」状態だ。

 火影直属の暗部でありながら、どうやらコソコソと霧隠れに里の情報を流していたらしい。けしからん奴だ。

 

 この時点で、これから暗部に入ろうというイタチに暗部のベテランをぶつける気? 正気か……? と思ったが、ダンゾウが正気ではないことは俺がよーく知ってるので今更である。

 

 アイツ、平気でライオンにネコぶつけようとするからな。◯子VS◯◯子を観て出直してきてほしい。

 同格同士がぶつかり合って生じる一瞬の煌めきに魅せられて来い。

 

 名前で察している人もいるだろうが、彼は日向一族の遠縁にあたる家柄だ。

 血が薄い小日向家の人間でありながら白眼を有しており、俺と同じく体術メインで戦う人だ。

 

 何度か近くで戦ってるところを見たことあるんだけど、これがまた強いんだよ。

 攻撃と攻撃を繋ぐ動きの一つ一つに無駄が一切ない。つまり隙を作らない。白眼のおかげで視野も広く、敵の攻撃を察知するのも早いから、まず初速からして違う。

 体術を扱う者として、写輪眼ではなく白眼を持っていればと何度考えたことか。

 ……そう考えると瞳術なしで体術のスペシャリストとまで呼ばれるようになったガイ大先輩はやっぱり凄いな。

 俺もいつか写輪眼に頼らずあの境地まで辿り着きたいものだ。

 

 話が逸れた。そう、そんなムカイにイタチをぶつけるのはどうなのって話なんだけど、実はこの二人、初対面じゃない。

 少なくともムカイはイタチのことをある程度知っている。

 ――例の大名護送任務に選ばれた暗部のチームに、カカシと一緒に参加していたからだ。

 カカシ以外の全員が幻術に嵌ったという、悪い言い方をするとマジで使えなかった暗部の一人である。

 

 あの人が特別幻術に弱いって情報は聞いてないが、もしかしたらそうなのかもしれない。

 だとするとイタチにも勝ち目はあるということか。どんな手練れでも幻術にかかってしまえば解術できない限り対抗できない。

 それに、今回の任務はイタチ一人でこなすわけじゃない。

 ダンゾウは一人だけ同行を許可しているようだから、きっとシスイに頼むんじゃないかと俺は踏んでいる。

 

 

 

 イタチとまともに話もできないまま、うちはの定例会を迎えてしまった。そもそも、なんかずっと避けられてる気がする。気まずい。

 

 実はイタチが下忍となって参加資格を得てから、初めて一緒に参加する会合である。

 俺は暗部の任務で忙しくてほぼ参加できてなかったし、イタチも度々欠席していて、見事にすれ違っていたわけだ。

 

 あの息苦しい木ノ葉アンチの会に共に参加しなくて済んだことにホッとしてたのに。憂鬱がすぎる。

 

「スバル、もう出るぞ。イタチは先に行ってる」

《わかった》

 

 部屋に呼びにきた父さんに頷く。両親も俺もイタチも出る為、家にはサスケ一人になってしまう。

 

「……行ってらっしゃい」

「…………」

 

 玄関にまで見送りに来てくれたサスケが、言葉とは裏腹に俺の服を掴んで離さない。

 俺の中の罪悪値と幸福値が同時にカンストした。

 

「サスケ。兄さんは大事な会合があるんだ。困らせるのはやめなさい」

「……はぁい」

 

 父さんの言葉に、サスケが渋々と手を離す。ガッデム!!

 

 父さんがいつまで経っても動こうとしない俺の腕を掴んで家を出ようとする。

 ああっ、サスケ! すぐに帰ってくるからな、俺が帰ってくるまでに変な人がお家を訪ねてきても出ちゃダメだからな!

 

 

 

「それでは、定例の会合を始める」

 

 俺とイタチは、死刑を待つ死刑囚のような表情でヤシロさんの言葉に耳を傾けていた。離れたところにシスイの姿も見える。

 

 気のせいかな、隣に座るイタチからの視線が痛い。この場に俺がいるのに違和感があるのか、それとも別の理由からか。

 分からないが、あまりの居心地の悪さに正座している足を僅かにずらした。

 

「イタチの暗部入りが目前に迫った」

 

 は?

 

 隣の気配が揺らいでいる。俺の纏うチャクラも一瞬不安定になって、すぐに落ち着きを取り戻す。

 父さんは任務のことを知らなかったか……? いや、知ってるはずだ。内容までは詳しく知らされていなくとも、それがイタチの命をかけて行われることくらい分かってるはずだ。

 父として息子への信頼の表れかもしれないが、どうにも納得がいかない。

 

「暗部にはすでに長男であるスバルが所属している。きっと上手くイタチを手引きしてくれるだろう」

 

 おいおい、そんな話聞いてないぞ。隣からの視線が強くなった。許せない。

 

「これでようやく、我らの悲願が叶う大きな一歩となる」

 

 俺は静かに目を閉じて、時が過ぎるのを待つ。ここから先はいつものパターンだ。満足するまで木ノ葉への恨みつらみを吐き出して、終わり。

 言葉は呪いだ。吐き出すことによって感情をより高め、支配する。

 

 俺が次に目を開けたのは、神殿を背にして熱弁する父さんのチャクラの質が変わった時だった。……写輪眼になっている。言葉に熱が篭ってるわけだ。

 

「イタチの暗部入りを機に、我らは里へのクーデターを実行へと移す」

 

 一斉に歓喜の声が上がった。

 

「スバル、イタチ。お前達には木ノ葉上層部に近づいて、彼らの情報を流してもらう」

 

 イタチの動揺がこちらにも届いた。……イタチが暗部入りの為に受けた任務もまた、スパイを殺すこと。

 ダンゾウも人が悪い。彼は言外にこう伝えているわけだ。木ノ葉を裏切るようなことがあれば、お前もこうなる運命なのだ、と。

 

 俺とイタチを見る一族の眼がどいつもこいつも真っ赤だったので、俺も思わず写輪眼になった。

 攻撃されてるのかと思った。興奮してるだけか、ややこしい。

 

 

 

 南賀ノ神社の鳥居のそばで立ち止まり、空を見上げた。

 名前も分からない小さな鳥が気持ちよさそうに青に混じって飛んでいる。

 

 ――自由、か。

 

 後から出てきた人たちが俺の肩を叩いて「期待してるぞ」と声を掛けて去っていく。

 俺がまだ幼かった頃、散々白い目で見てきた人たちだ。

 調子がいいなという思いもあれば、彼らにも苦悩や葛藤があったんだろうと察する気持ちもある。正当化はできないけれど。

 

「スバルさん」

 

 俺の後ろで立ち止まっていた気配には気づいていたが、あえて振り向かずにいた。

 名前を呼ばれたことで、やっと首だけを横に向ける――シスイだ。

 

「お話ししたいことがあります……イタチ君と一緒に」

「…………」

 

 シスイの隣にはイタチが立っていた。ああ、これはきっと良くない話だな。

 二人の纏う雰囲気ですぐに察した俺は、断ることも出来ずに頷くしかなかった。

 

 人目を憚るように移動した先は、演習場だった。ここで一体何を?

 

 ぼけっとしている俺の手に、シスイがクナイを握らせた。ええ?

 

 俺の脳内でイタチ&シスイVS俺という、まさにライオンとネコの戦いが繰り広げられたが、その妄想は俺の死体が転がったところで打ち砕かれた。

 

「監視がいるんでしょう」

「…………」

「オレ達はスバルさんに修行を見てもらいたくてここに来た……そういうことです」

 

 フリをしろってことね。それにしてもこの監視に気づくとは。

 

 俺がクナイを離れた的に投げると、シスイがそれに倣う。イタチも同様だった。

 

 それにしても、さっきからイタチが一言も喋ってくれない。

 最近ずっと避けられてたからな……あれ、最後にイタチとまともに会話したのって茶屋以降無い? あとは「おはよう」とか「おやすみ」くらいしか無かったような……。

 

「スバルさんは、一族のことをどう考えているんですか」

「…………」

 

 いきなりクリティカル出してくるじゃないか。死体蹴りまでしてくるなんて。

 

 俺は的に刺さったクナイを抜き取って、ため息をついた。

 そろそろストレスで禿げそう。うちわ型に。

 

《どういう いみだ》

 

 シスイがごくりと息を呑む。威圧したつもりはなかったが、ちょっと配慮が足りなかったかもしれない。

 ごめんね、俺も余裕がなくて。

 

「……貴方はきっとオレ達と志を同じくしているのかと」

《まさか》

 

 二人がクーデターに反対していることは、その態度で知っている。父さんもだ。

 実際、イタチは前回の定例会で一族の前で反論してしまったらしい。

 父さんから相談を受けた時は《いたちも そのうち わかるようになる》と伝えたが、正直腑が煮えくり返りそうだった。

 

《もう とまらない》

「それを止められるのが、オレ達です」

《とめて どうする》

 

 返す言葉を用意してなかったのか、シスイが怯んだ。

 そういえばナチュラルに指文字で会話してたけど、いつの間に覚えたんだろう。

 

「……兄さんは木ノ葉を憎んでいるのか?」

 

 ずっと黙っていたイタチが、拳を震わせながら口にする。今度は俺が怯む番だった。

 

「兄さんが上層部に付けられた呪印で苦しんでいることを、シスイから聞いた」

「…………」

 

 イタチにそんな気はまったくないことは理解してる。でも、イタチの態度そのものが俺に留めを刺そうとしていた。

 ――失望。

 兄として、弟からその感情を向けられることがどれほど辛いか。俺は……知らなかった。今この時までは。

 

「スバル兄さんも、父さんのように……」

 

 ――聞きたくない。意識が乖離するような感覚があったが、すぐに引き戻された。

 

「待て、イタチ」

 

 シスイがイタチの次の言葉を遮ってくれたおかげで、俺は自分が呼吸すらも忘れていたことに気づく。

 二人に悟られない程度に急いで新鮮な空気を肺に取り入れた。それでも苦しい。誰かに心臓を握られているかのようだ。

 

「感情的になるな。冷静に話をしようと言っただろ」

 

 二人は、冷静に、俺を糾弾しようとしているわけだ。最近のイタチが俺を避けていた理由はこれだったのか。

 

 イタチが平和のために忍として努力してきたことを知っていながら、父と共に里へのクーデターを進めようとしている兄。……失望されて当然だな。

 

 イタチは優しいから、これまでずっとその感情を押し殺して俺に接していたんだと思うと、さらに胸が苦しくなった。

 

 ――この くにが すきか?

 

 かつて、自分がイタチに向けた言葉。屈託なく笑ったあの幼い笑顔は、今でも忘れられない。あの時から俺は……。

 

《…………》

 

 手が震えて、指文字が言葉とならない。このくらいで動揺してどうする。

 全部覚悟の上だったじゃないか。今更……こんなところで、心を折るなんて、そんなこと。

 

 木ノ葉を憎んでいるかだって? 否定はできない。

 

 でもイタチが……他でもない、お前が!

 ……このどうしようもない国を好きだと言ったんだ。そんなお前の心を俺が踏み躙っていいはずがない。

 

 ……もうやめよう。言い訳はこれで最後だ。

 

《そうだとして なんのかんけいがある》

 

 シスイとイタチが完全に言葉を失ったのが分かった。

 半分嘘で、半分は真実。だからこそ苦しかった。

 

 イタチやサスケを守るために始まった嘘が、今では何よりも二人を傷つけると知りながら、俺はもう止まれないところまで来てしまっている。

 

《おまえたちに できることはない》

 

 少しの怒りもあったのかもしれない。こんなの、完全に八つ当たりだ。イタチの傷ついたような表情に目を逸らす。

 

 これ以上ここに留まれない。二人に背を向けると、力強い声が届いた。シスイだ。

 

「でも、オレ達は止めてみせます――必ず!」

 



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第十八話 破鏡不照

「会合まで時間がある。こんな早くに出てどうするつもりだ?」

「少し身体を動かしてきます」

 

 父さんの訝るような視線に気づかぬ振りをして、朝稽古をすると嘘をついた。

 本当は行く当てなどない。ただ、少しでも家にいる時間を減らしたいだけだった。

 

 これまでずっと、目を背けてきたことがある。スバル兄さんのことだ。

 兄さんの任務での活躍や、一族への貢献を父さんが褒めているのを見るたびに……心がざわつく。

 

 兄さんはクーデターのことをどう考えているんだろう。

 

 絶対などというものは無いと分かっていたはずなのに、オレは心のどこかで兄さんは自分と同じ考えなのだと決めつけていた。

 

 兄さんは今も昔も変わらず優しい人だ。

 里のためにその身を捧げ、常にオレとサスケの前を歩き続ける――そう思っていた。

 

「そうか、お前はまだスバルさんと共に会合に参加したことがなかったな」

 

 会合までの僅かな時間、ふらっと立ち寄った演習場にはすでに友人の姿があった。

 うちはシスイ。志を同じくする、数少ない一族の人間。

 

「オレにはイタチのようにスバルさんの感情の機微を感じ取ることはできない。その行動が本心に基づくものかどうかも……ただ、ハッキリしていることは、スバルさんが既に里の情報を一族に流しているということだけだ」

「……兄さんが、」

 

 ショックだった。勝手にそうだと決めつけて、期待して――失望するなど。兄さんにとってもいい迷惑だろう。

 

 いつだってオレとサスケに甘くて、優しい兄さん。だからこそ理解したくなかった。

 スバル兄さんが、一族の為だけに、より多くの犠牲を望んでいるかもしれないなんて。

 

「まだそうと決まったわけではないだろう」

 

 シスイの慰めだけが、オレの支えだった。

 

「仮にそうだとして……優しい人なんだろ、お前のお兄さんは。一族というよりも、お前やサスケ君の為に、うちはの地位を確固たるものにしようとしている……そう考えられないか?」

「…………」

 

 柔らかな笑みを浮かべながらオレとサスケを見つめているあの瞳。オレにしか分からないほど僅かな変化。

 

 兄さんから受けてきた愛を疑うことは……出来なかった。

 

 

 

 南賀ノ神社での会合は予定通り行われた。

 

 いつもと変わらぬ内容に疲弊する。ここに来るたびに心が摩耗し、感覚が鈍っていく。

 

 前回の会合では一族の言葉に納得ができず口答えをしてしまったことを、オレはずっと後悔していた。

 今でも気持ちは変わらない。でも、熱に浮かされた人間に何を言っても無駄だということは、分かっているはずだった。

 

 どうにか……彼らを止める手段はないのだろうか?

 このままでは里の上層部だけに留まらず、木ノ葉の危機を察知した他国からの侵略を受けて大勢の命が失われてしまうかもしれない。

 仮にクーデターが失敗に終わったとしても、一族が受ける被害は想像を絶するものになるだろう。

 里と一族、共存の道を探し出すことができれば……。

 

「イタチの暗部入りを機に、我らは里へのクーデターを実行へと移す」

 

 父さんだけでなく、こちらを振り向いた一族の瞳が赤に染まっている。

 彼らの視線から逃れるように隣に向いたオレの目は、会合中ずっと無表情だった兄さんの横顔に辿り着く。

 兄さんの瞳もまた……一族に同調するように写輪眼になっていた。

 

 

 

 会合が終わり、真っ先に立ち上がって部屋を出たのは兄さんだった。

 そんな兄さんの姿に、部屋に残った一族の何人かが「立派になったものだ」「フガクさんの育て方が良かったんだろう」と口にする。

 兄さんは本当に、父さんたちの考えに賛同しているんだろうか。

 

 兄さんは鳥居の前で立ち止まり、何かを思案しているようだった。

 そんな兄さんに「期待している」と声をかけて去っていく人たち。

 幼い頃の記憶が蘇る。外でうちはの大人に会うたびに、冷たい視線や言葉を受けていた兄さん。今更態度を変えてきた彼らに思うところが無いはずがない。

 

「スバルさん」

 

 オレの隣に立ったシスイが兄さんの名を呼ぶ。オレ達の気配には気づいていたはずなのに、兄さんは興味もなさそうに顔だけをこちらを向けた。

 胸がざわつく。己に向けられた瞳にここまで温度を感じられなかったのは、初めてだった。

 

 場所を変えて話をしようと提案するシスイに、兄さんが頷く。

 神社から演習場に着くまで、兄さんと目が合うことは一切なかった。

 

 

 

 投げたクナイを全て的に命中させていく兄さんを盗み見る。シスイも兄さんの動きに魅入っていて、自分の手元が疎かになっているようだった。

 

 ――もしも兄さんと戦うことになったら、勝てるのか?

 

 最近ずっと考えていたことだ。答えは出ていない。兄さんが一族側として木ノ葉と敵対するのなら、そのような未来もあり得る。

 そうなったら……勝たなくてはならない。何としても。

 

 俺が兄さんの戦いを間近で見たのは、大戦の時だけだ。今でも絶賛されている体術の腕は相当なものであるのは間違いない。

 体術に幻術で対抗しようにも、同じ写輪眼を持つ兄さんがそう簡単に幻術にかかってくれることはないだろう。

 

「スバルさんは、一族のことをどう考えているんですか」

 

 思考に沈んだままだったオレの代わりに、シスイが尋ねる。

 兄さんはまるで質問された事実すらなかったかのように平然としたまま、クナイを回収しようとしている。

 最後の一つを的から引き抜いた兄さんが小さくため息をついた。

 

《どういう いみだ》

 

 呆れというよりも、苛立ちが滲んでいる。どうしてわざわざそのようなことを聞くのかという煩わしさからだろうか。

 

 指文字を教えたことのあるシスイの緊張がこちらにまで伝わってくる。

 

 兄さんは、クーデターを“止まらない”と言った。……そんなことはない。まだ道はあるはずだ。

 兄さんが一族を“止められない”と判断したのなら、これから共に考え、力を合わせていけばいい。

 

《とめて どうする》

 

 シスイの提案を一蹴した兄さんが痛いところをついてくる。クーデターを止めて、それから……。

 

「……兄さんは木ノ葉を憎んでいるのか?」

 

 口にしてすぐに後悔した。ここで言うつもりではなかったのに。

 

 今日一日ずっと読めなかった兄さんの感情が表に溢れた。――悲しみ。自分の言葉が兄さんを酷く傷つけてしまったという事実に頭が真っ白になる。

 思考が正常でないというのに、オレの口は止まってくれなかった。呪印のことにまで触れ、やはり兄さんは……という可能性がチラつく。……苦しい。でもそれ以上に兄さんの方が辛そうだった。

 

 シスイの制止がなければどこまで問い詰めていただろう。

 ――違う、違うんだ、スバル兄さん。オレは貴方を責めたいわけじゃない。

 兄さんはあの戦争で人間同士が殺し合いを続けることをどう思った? 仲間が倒れても顧みることすら許されず、がむしゃらに他国の忍を殺し続けたことを、一体どんな気持ちで……。

 うちは一族の身勝手なクーデターが、またあのような惨劇を引き起こすかもしれないのに!

 

 オレはただ、兄さんのことが知りたかった。

 今も昔も、いつだって兄さんのことを知りたくてしょうがない。一度でいいからその心に触れてみたかった。

 

《そうだとして なんのかんけいがある》

 

 それは、やわらかな心臓を握りつぶすような――拒絶。

 

 ありとあらゆる物事が、取り返しのつかない過去となる。

 オレはこの感覚をよく知っていた。痛いくらいに。

 

「……イタチ」

 

 ギリッと唇を噛みしめる。血の味がした。

 兄さんを引き止めることすら出来なかったオレとシスイは、ぽつりぽつりと降り始めた雨に肩が濡れても、暫くの間その場から動けなかった。

 

 

 

「……スバルにいさんとケンカしたの?」

 

 心配そうにこちらを見上げてくるサスケの頭を撫でて、苦笑する。

 

 任務はないはずなのに日が昇るよりも先にどこかへ出掛けてしまったスバル兄さん。

 会合があった日から、兄さんが家にいる時間はほぼゼロに等しかった。

 元々複数の任務を掛け持ちしているようで多忙な人ではあったが、ここまで姿を見かけないのは初めてだった。

 

 オレやサスケより先に起きて、オレ達が寝静まった頃に気配すらも消して帰ってくる。その繰り返し。

 

 何度か翌日に響くと分かっていながら兄さんの帰りを寝ずに待っていたこともあったが、やっと帰ってきた兄さんと話をすることは出来ず仕舞いだった。

 ……話しかける勇気すら打ち砕かれるほど、兄さんからの拒絶は強い。

 あの冷たい瞳と目が合っただけで足がすくんで動けなくなってしまう。

 

「仲直り、しないの?」

「……できるならしたいさ」

「それなら大丈夫だよ! スバルにいさん、優しいもん。ごめんなさいしたら、すぐに許してくれるよ」

「……そうだな」

 

 両手に握ったクナイを擦り合わせる。明日は暗部入りの条件でもある重要な任務がある。よって、今日一日は通常任務もなく休暇となっていた。

 

 サスケに何度もお願いされて修行に付き合うことになったが、そろそろ明日に備えたい。

 家に帰ろうと声をかけると、サスケの頬がぷっくりと膨らんだ。

 

「明日の任務のためだ」

 

 強がってはいるが、すでに目元が潤んでいる弟に罪悪感を抱く。

 オレも折角の休暇をもっとサスケと過ごしたかった。

 

「……兄さんのうそつき」

 

 サスケが拗ねたように鼻を鳴らす。完全に臍を曲げてしまった。

 

 仕方なくこちらを睨みつけてくるサスケを手招きすると、あっという間に浮かんだ笑み。

 ここにいるのがオレではなくスバル兄さんだったなら、嬉しそうに駆け寄ってくるサスケを腕を広げて抱きとめただろう。そんな想像にすら胸が痛んだ。

 

「許せサスケ……また今度だ」

 

 こつんと額を小突く。痛い! と大袈裟に叫んだサスケに笑って、曲げていた膝を伸ばした。

 

 

 

 意地でも修行を見てもらおうと無茶をしたサスケが足首を捻ってしまったので、おぶってやるとすっかりご機嫌になった。

 

 帰り道の途中、背中のサスケが「あっ」と声を上げる。

 

「ここでしょ、父さんが働いてるのって」

 

 木ノ葉警務部隊の本部。

 

「イタチ兄さんもここに入るの?」

 

 何の意図もない純粋なサスケの疑問が胸に突き刺さる。

 自身も望んでいることを除けば、木ノ葉とのパイプ役が欲しい父や一族のために暗部に入ることになっていた。

 

「どうだろうな……」

 

 否定も肯定もできずに濁したオレに、サスケは「そうしなよ!」と叫ぶ。

 

「大きくなったら、オレも警務部隊に入るからさ! スバルにいさんと、イタチにいさんと、オレでこの里の治安を守るんだ」

「…………」

 

 スバル兄さんやサスケと共に警務部隊に入り、里を守る。そのような未来を思い浮かべるだけで胸が温かく、満たされていく。

 一族がこのような状況でなければあったかもしれない、今では絶対に来ないであろう夢のような日々。

 

 顔を見なくとも、サスケがどのような表情なのかは弾んだ声ですぐに分かった。

 

「明日の入学式には父さんも来てくれる。オレの夢の第一歩だ」

 

 

 

 うちは地区の入り口で待っていた父さんと共に家に帰り、話があると言った父さんの部屋の障子を開く。

 

「…………」

「あ、スバル兄さん! 朝からずっとどこに行ってたの?」

 

 部屋にはすでに兄さんが待機していて、きちんと正座をして座っている。

 早朝でも深夜でもない時間に兄さんの姿を見るのは久しぶりだった。兄さんに会えた嬉しさと気まずさで感情がぐちゃぐちゃになる。

 

 嬉しそうに駆け寄ったサスケの頭を兄さんが撫でている。その目がゆっくりと立ったままのオレに向けられた。

 

「…………」

 

 スバル兄さんは何も言わなかったけれど、これまで騒ついていた心が一気に落ち着いていくのを感じる。

 あの瞳じゃない。いつもの、温度を感じられる兄さんの瞳に戻っていた。

 

「二人とも座れ」

 

 父さんがオレとサスケにそう言って、部屋の一番奥の座布団に座る。

 オレは兄さんの隣、サスケはオレの隣に座って、姿勢を正した。

 

「明日だそうだな」

 

 明日――小日向ムカイ暗殺任務のことだとすぐに察した。なぜ父さんがそのことを?

 

「その特別任務にオレもついて行くことにした」

 

 ――オレの夢の第一歩だ!

 

 明日はサスケのアカデミーの入学式。一族のことばかりで、大切なことを忘れるなんて。

 

 父さんへの怒りで溢れそうになる心を必死に押さえつけた。

 オレの隣でサスケは笑っていた。きっと悲しくて悔しくてどうしようもないだろうに、必死に耐えて……笑っている。

 我慢しなくていい。お前は自分の望みを口にしたっていいんだ。

 頷いたオレに背中を押されて、サスケが恐々と口を開く。

 

「父さん、明日はオレの……」

「明日の任務はうちは一族にとって――」

 

 サスケの言葉を勢いよく遮った父さんの言葉が不自然に途切れる。

 オレの左隣に座っていた兄さんが急に立ち上がったせいだ。

 

「スバル?」

 

 父さんを見下ろす兄さんは、無表情で何を考えているのか分からない。先ほど見られた僅かな温度すら形を潜めてしまっている。

 

 兄さんが両腕を持ち上げた。指文字だ。兄さんが指文字を使っているところを見るのも、オレにとっては会合以来だった。

 

《とうさんが どうこうする ひつようはない》

「一体どういう意味だ……スバル」

《さすけの にゅうがくしきも》

 

 父さんがハッとした表情でサスケを見た。

 

《おれがいく とうさんはいらない》

「いらない、だと、お前はいつもそうだ、親に向かってその口の利き方は……」

《こんどこそ ぜったいに いっしょにかえるんだ》

「は?」

 

 父さんの間の抜けた顔なんて、一生に一度見られるかどうかじゃないだろうか。隣のサスケもぽかんとしている。

 

《あのやろう いつも おれのじゃまを》

「…………」

 

 話の流れが掴めない。そう思ったのはオレだけじゃなかったようで少し安心した。

 

《とうさんは るすばん すればいい》

「……お前が何を言いたいのかさっぱりだが、よく分かった」

 

 ……結局何も分かってないのでは? と思ったが、突っ込む人間はこの場にいない。

 

「サスケの入学式にはオレが行く。……スバル、お前も明日は急遽任務が入ったと言っていただろう」

「…………」

 

 兄さんは腕を下ろして、もう何も言うことはないという顔をした。

 

 父さんが額に手を当てて、ため息をつく。やがて立ち上がって、母さんの待つ食卓へと足を向けた。

 その背中を、捻った左足を庇いながらサスケが追いかけて行く。

 

「スバル兄さん」

「…………」

 

 サスケの後ろ姿を心配そうに見送っていた兄さんを呼ぶ。兄さんの両腕が持ち上がったのを見て、心が震えた。

 ――会話をしようとしてくれている。

 それだけでも嬉しくて、どうにかなりそうだった。

 

《おれのいしは かわらない》

「…………」

 

 兄さんは父さんと一緒にクーデターを実行に移していく。

 

 僅かな期待はすぐに砕かれてしまったけれど、まともに目も合わせてもらえないよりはずっとマシに思えた。

 

《でも》

 

 兄さんの瞳が寂しげに瞬く。

 

《わるかった》

 

 何についての謝罪なのかは、聞いてはいけない気がする。

 兄さんはオレの頭に手を伸ばして……触れる前に引っ込めた。

 

《あした むりはするな》

 

 立場の違う兄さんからの、精一杯の激励だった。それを手放しで喜ぶには……失ったものが多すぎる。

 

「……うん。頑張るよ」

 

 もう昔のように兄さんに頭を撫でてもらうことも、抱きしめてもらうこともできない。

 

 それでも、平和のために歩みを止めない――己の忍道を捨てることは、どうしても出来なかった。

 

 

 

 裏切り者の末路は呆気ないものだった。

 

 シスイの万華鏡写輪眼によって脳に干渉を受けた小日向ムカイが、自ら己の腹を切り裂いた。

 ムカイは他里のスパイ……敵に情報を抜かれる前に自害するような術を仕込まれていたんだろう。

 

「忍の死に様なんざこんなもんさ……」

 

 最期に任務中でも手放せなかったタバコを手に、ムカイは完全に動かなくなった。

 

「あとはこちらで処理します」

 

 初めから闇に紛れて潜んでいたのか、暗部がすぐに駆けつける。

 ムカイの全身を確認したのち、死体を布袋に入れていく。

 後からやってきたもう一人の暗部が袋を受け取って、肩に担いだ。

 

「クロさん、それくらいオレがやりますよ」

『問題ない。お前は先に戻ってダンゾウ様に報告を』

「はい!」

 

 白猫のお面の少年だった。やはり火影直属ではなく、ダンゾウの指揮する暗部――根の所属だったか。

 かつて、スバル兄さんが在籍していたところだ。

 

 少年は辺りに落ちていたクナイや、タバコの吸い殻に至るまで全てを回収すると、オレとシスイに背を向けて両足にチャクラを込める。

 

「待ってくれ!」

 

 シスイが少年を呼び止める。少年は振り返らなかったが、足を止めて話だけは聞いてくれるようだった。

 

「小日向ムカイの裏切り行為に、彼の妻子は関係がない。どうか――もう一人の暗部にも伝えてほしい」

『お優しいんだな』

 

 オレ達より先にダンゾウ様へ報告に向かった二人が、そのままムカイの家族に制裁を下す可能性は高い。

 

 シスイの言葉に少年が笑ったような気配があったが、不思議と不快感はなかった。

 

『全てはダンゾウ様が決めることだが……伝えておこう』

 

 そう言って、少年が姿を消す。

 

 自分にとっても、一族にとっても重要な任務が無事に終わった。

 安堵の息を吐き出したオレの肩に、シスイが頭を預けてくる。

 

「……シスイ、近い」

「今の、ちょっとスバルさんに似てるよな。背格好と、雰囲気がとくに」

「…………」

 

 オレも以前から思っていたことだ。でも兄さんは話せないし、何より根からは脱退している。……他人の空似だろう。

 

 

 

 装備部で必要なものを受け取り、指定された扉の前に立つ。

 ――ついにここまで来た。

 暗部専用の更衣室の前で、深呼吸する。

 

〔へえ、テンゾウさんらしいですね……。ああ、扉、開けてもらってもいいですか〕

「あ……すみません」

〔いえ、だいじょ――うわああっ!?〕

「!?」

 

 いつまでも扉の前に突っ立っていたせいで、通せんぼしてしまったようだ。

 軽く謝罪して横に移動すると、後ろにいた二人のうち、声をかけてきた一人が叫んだ。

 まるで幽霊か怪物でも見たかのような悲鳴だった。

 

〔ヒッ……い、イタチ……?〕

「…………」

 

 なんだろう、怖い。しかも、噛みしめるように名前を呼ばれてしまった。

 

 奇妙な発言をしたその人は鳥をモチーフにしたお面を被っており、その隣に立っていた青年はお面を被っていないものの、体を折り曲げて何やら悶絶しているようで、顔は見えなかった。

 

「ぶっ……ふふっ、あはは!」

 

 悶絶どころか顔を上げての大爆笑である。

 ひいひい苦しそうな顔をしながら腹を押さえている。

 オレは一体何が何だか分からなくなって、その場で立ち尽くすしかなかった。

 

「やっぱり、そのお面最高だよ……ここまで酷いのは初めてじゃないかい?」

〔……楽しそうですね、テンゾウさん〕

「ああ……もう正常に戻っちゃったか。残念」

 

 お面をつけていない青年が、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら「ごめんごめん」と謝る。

 

「うちはイタチ君だよね。僕はテンゾウ。同じろ班に所属している」

「……うちはイタチです。今日からよろしくお願いします」

「うん。それで、隣にいるのが……」

 

 テンゾウと名乗った青年が、隣の鳥のお面の少年に目を向ける。

 

「僕が紹介するまでもないと思うんだけど」

「?」

「ほら、スバル」

 

 スバル。まさかこの場でその名前が出てくるとは思わず、思考が停止する。

 鳥面の少年は、ややあって顔を逸らしながら声を出した。

 

〔……うちはスバル。今日からよろしく〕

 

 

 

 更衣室に入ると、オレの配属されたろ班の隊長であるカカシさんをはじめとする班員たちに、それなりの歓迎を受けた。

 中には離れたところからこちらを見定めるような視線を送ってくる人もいたが、気にしていられない。

 

 ろ班はスバル兄さんの班と共同でこの部屋を使っているようで、ちょうど空いてるからと兄さんの隣のロッカーを使用するようにと言われた。

 ……想像もしていなかった展開続きで頭がついていかない。

 

 まず、なぜ兄さんが話せるようになっているのか。……まさか、影分身? もしも影分身が話せるとしたら、どうしてこれまでもそうしなかったのだろう。

 

 次々と浮かんでくる疑問にパンクしそうになっていると、いつの間にかカカシさんとテンゾウさんがオレを囲うようにして立っていた。

 二人の顔はニヤついていて、反射的に身を引いてしまった。

 

「ちょっと、スバル。まさかこのまま黙って任務に行っちゃうつもり? 弟君に説明が必要だと思うけど?」

「そうだよ。それに、さっきから全然話さないじゃないか」

〔……性格悪い〕

「オレ達は親切心で言ってんの! ねっ、テンゾウ」

「勿論ですよ、カカシさん」

 

 ぱちりと目を瞬く。兄さんが家族以外の誰かと好意的に、さらには気安く話をしているのを見るのは……初めてだ。

 

 兄さんは背中に忍刀をさして、ため息をついた。

 

〔イタチ〕

「あ……はい」

〔…………〕

 

 突然名前を呼ばれて上手く反応できなかった。まだ任務前とはいえ暗部に入った以上、先輩である兄さんに敬語は必須なはず。

 そのはずなのに、どうにも失言したような気持ちになるのはどうしてだろう。

 ……絶対に、さっきから笑いを堪えきれずにぷるぷると体を震わせている例の二人のせいだ。

 

〔このお面は、覚方セキの能力のおかげでオレの意思を汲み取り、言葉にしてくれる。オレがこうして話をできるのはそのおかげだ〕

「覚方一族の……」

 

 この世にたった一人の生き残りが木ノ葉にいることは知っていた。他人の心を読み取り、己のチャクラとする一族。

 まだ会ったことはないが、その人はアカデミーでスバル兄さんと特別親しかったと聞いている。

 

「僕はスバルとは根の時からの付き合いでね。ずっとキミの話ばっかりしてたよ」

「オレのことを、ですか」

〔…………〕

 

 スバル兄さんは両手でお面の上から顔を覆っている。……それはちょっと、ずるいんじゃないだろうか。

 

「キミやサスケ君とまた一緒に暮らすことになった時も、早く会いたいな……なんて夢見る少女のように言っ、」

〔さっきから酷いじゃないですか! オレに何か恨みでもあるんです!?〕

「ぶっ……そんな、恨みなんて、ふふっ」

〔この野郎……!〕

 

 ぽかんと目の前の光景を眺めていると、未だに顔がニヤついたままのカカシさんが「ま、そんなわけで」と続ける。

 

「あのお面、ちょっと不具合あるらしくてな。時々ああやって()()()()()発言するけど、気にしないでやってくれ」

「ちょっと……」

 

 ちょっとどころではないと思う。……この現実を受け入れるのに時間がかかる程度には、変だ。

 

 ガチャッと更衣室の扉が開く。ここにいるろ班の人たちとは少し雰囲気の違う三人組が入ってきて、彼らの目が真っ先にスバル兄さんに向かう。

 

「ツミ隊長。そろそろ集合時間です」

〔……すまない。すぐに向かう〕

「いえ、まだ余裕はありますから。外でお待ちしています」

 

 急に真面目なトーンになって彼らに返事をする兄さん。その温度差で風邪を引きそうだった。

 カカシさんとテンゾウさんはやっぱり笑っている。

 

「待ってますよ〜」

 

 三人組のうちの一人が、無駄に明るい声で兄さんに手を振る。個性が強い。なんならお面をつけている時の兄さんが一番強い。

 

「スバルの班、癖強いの多いよね」

〔そうですかね〕

「うん。でもスバルがぶっちぎりで優勝かな」

〔…………〕

 

 ちょうど考えていたことを兄さんとテンゾウさんが話していて微妙な気持ちになった。

 そんなオレに、カカシさんが首を傾げて問いかけてくる。

 

「もしかして、まだ本人か信じられない?」

「そんなことは……いえ、そうかもしれません」

 

 目の前の少年を「お前のお兄さんだよ」と言われるより、あの猫のお面の彼をそう言われた方が納得できる。

 それほどまでに、お面をつけた兄さんの発言は普段とかけ離れていた。

 

「これでいいんじゃない?」

〔あっ、〕

 

 カカシさんが兄さんのお面を外す。声は途切れ、見慣れた瞳と目が合った。

 

「…………」

「…………」

 

 スバル兄さんだった。兄さんが、今度はお面無しで両手で顔を覆う。……だから、それはずるいと思う。

 

《かえせ》

「はいはい。これでイタチにも納得してもらえただろうし、安心して任務に行けるでしょ」

〔余計なお世話だ〕

 

 お面を取り返した兄さんが素早く顔につけて、カカシさんを睨む。

 

〔……弟を頼む〕

「ん! 任せといて」

 

 カカシさんとテンゾウさんがニッと笑う。そんな二人に兄さんも安心したように肩の力を抜く。

 信頼。三人の中にある絆が羨ましくて、眩しかった。

 二人は、オレが見たことのない兄さんをたくさん知っている。

 

〔任務中のオレのコードネームは、ツミだ。班が違うから任務が一緒になることは少ないだろうが……〕

「ツミさん」

〔…………〕

 

 試しに呼んでみたのはいいものの、違和感しかない。兄さんもそう思ったのか、お面は暫く沈黙していた。

 

〔任務中以外はそう呼ぶ必要はない。口調も楽にしてくれて構わないから〕

「……分かった、兄さん」

 

 兄さんが満足げに頷く。穏やかな時間が流れ、オレの方も徐々にお面をつけた兄さんのことを受け入れつつあったその時、再び部屋の扉が勢いよく開いた。

 

「ツミ隊長! まだですかー? 待ちきれないです!」

 

 兄さんの部下と思われる三人のうち、先ほど最後に部屋を出て行った青年だ。

 

 ノックもなかった為、上半身裸だった誰かが「キャッ」と短い悲鳴を上げる。

 念のため言っておくが、ここにいるのは全員男である。

 

〔ユノ〕

「ヨルなんて、もうこーんな顔して待ってるんですよ。あの女怖いです。早く標的を殺しに行きましょう!」

〔もう行くよ〕

 

 兄さんが呆れたように肩をすくめるが、青年の口は止まらない。

 

「そういえば、弟さんですよね。隊長の弟さんならオレの弟でもあるわけで、オレのこともお兄様って呼んでくれても――」

〔イタチの兄はこの世で俺一人だけだ〕

「…………」

 

 きっぱりと告げた兄さんに、青年が不服そうにしている。

 

 兄さんは青年の腕を掴んで、扉に手をかけた。

 

「行ってらっしゃい」

 

 テンゾウさんが兄さんの背中に声をかける。

 

 兄さんは片手を上げて軽く振ると、未だにお兄様呼びについて語っている青年を引きずりながら部屋を出て行ってしまった。

 



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第十九話 月が綺麗ですね

※今回の話と次の話に女性の月のものに関する話題が出てきます



 イタチとは会話はするものの以前のような触れ合いは皆無になったり、サスケの入学式には参列すらできなかったり、俺は実に散々な毎日を過ごしていた。

 あの野郎、絶対に許さない。

 

 “急遽入ってきた任務”の中に小日向ムカイの後処理が入っていたのは正直ありがたかったが、その後に写輪眼必須な胸糞悪い任務を立て続けに二件も処理させられた。

 プラマイゼロどころかむしろマイナスである。

 

 イタチとシスイには悪いが、ムカイの妻子はダンゾウに“処理対象”とされてしまった為、結局俺の手で始末した。

 写輪眼で幻術にかけて二人がムカイの裏切り行為を把握していたかどうかを確認し、どちらにせよ命は奪えという命令だった。

 

 結果としては、二人は本当に何も知らなかった。夫と父親が木ノ葉を裏切っていたことも、すでに処理されてしまったことも、何もかも。

 忍ですらないひ弱な女性を殺し、木ノ葉病院で長い間入院生活を送っていた子どもにすら手をかけた。

 ……これまでたくさんの命を奪ってきた俺でも、サスケと同じ年頃の子どもを殺すことに抵抗がないわけじゃない。

 

 ムカイの一人息子は難病を患っていて、現時点で明確な治療法は無く、まずはその治療法を探すだけでも莫大なお金が必要だったらしい。

 彼が木ノ葉を裏切って霧のスパイとして動かなくてはならなくなったのはそのせいかもしれないし、元々スパイだった彼が木ノ葉で家族という足枷を作ってしまっただけかもしれない。

 ……真相はすでに闇に葬り去られてしまったけれど。

 

 もしもこの任務がダンゾウではなく三代目預かりであれば、このような結末を迎えることはなかった。だからといって、ダンゾウの判断が間違っているとも思えない。

 いずれ何らかの手段で夫もしくは父親が木ノ葉に処理されたことを知った二人が憎しみに駆られて復讐を始めないとも限らないからだ。

 不穏の芽は予め摘む。三代目と形は違えど、いつだってダンゾウはそうやってこの里を守ってきた。

 

 

 

「暗部に入れてください!」

〔…………〕

 

 これは夢かな? 夢に違いない。

 

 この日はちょうど午前中で終わった任務の報告を三代目にしているところだった。

 そろそろ離席しようかと思っていた俺の隣に、見知った影が土下座状態のままスライディングしてきたわけだが、ある程度冷静になってきた今でも状況が飲み込めない。

 どういうこと?

 

「カカシの為にもそれが一番です!」

〔が、が……が、〕

 

 ガイ大先輩が俺の隣で土下座してる!?

 

 そんなガイ大先輩に、三代目は眉をハの字にして口を開いた。

 

「ガイよ……お前がカカシを心配しているのはよく分かった。しかし、こういったものには適材適所というものがあってだな……」

「お、オレには向かないということですか!?」

「そうじゃ」

 

 バッサリと容赦なく言葉の刃に斬り捨てられたガイ大先輩が項垂れる。ああ……そんな……。

 

「ここ最近のカカシは変なんです。親友であるオレが隣で支えてやらなければならないんです……!」

「ふむ……カカシがのう。お主の目にもそう見えるか? ツミ」

〔いえ、俺には……〕

 

 急に話を振られてしまった俺の体は面白いくらい固まった。

 

 隣のガイ大先輩がバッと勢いよく顔を上げて、その鼻息が届く距離で俺を凝視している。

 ち、近い近い! ありがとうございます!

 

「この者は暗部の……?」

「僅か七歳で暗部入りし、既に隊を率いる隊長として働いている優秀な忍じゃ」

「この者にあって、オレに足りないものとは一体何なのですか!?」

 

 ガイ大先輩に足りないものなんてあるわけないじゃないか! 貴方はいつだって完璧な人です!

 

「ええい、煩いぞガイ! 話はそれだけならワシはもう行く」

「火影様ぁ……」

〔…………〕

 

 三代目は本当に火影室を出て行ってしまった。がくりと肩を落としながら、ガイ大先輩も部屋を出て行こうとする。

 俺は少しタイミングをずらすつもりでいたら、ガイ大先輩が恨めしそうにこちらを振り返っていた。

 

「ツミと言ったな」

〔……はい〕

 

 な、名前を呼んでもらえた……ガイ大先輩に……本名じゃないけど……。

 

「足りぬもの……お前は何か分かるか?」

〔ありません。ガイさんは立派な人です〕

 

 言った!! 俺はついにガイ大先輩とまともな会話を果たした!

 

 ああ……初対面の時はお面もなく、指文字で会話もできなくて、差し出した手のひらに団子を乗せられてしまった俺。

 あの時の自分に「いつかこういう日が来るから大丈夫だよ」と肩ぽんしてやりたい。結局あの団子は何だったんだろう。

 

「……オレには分かるぞ、適当に褒めてこの場から逃れようとしているな? カカシもよく使う手だ」

〔…………〕

 

 カカシ、後でぶん殴っていい? お前のせいでガイ大先輩に褒め言葉すら受け取ってもらえなかったじゃないか!

 

「まだだ。まだオレは諦めない」

 

 ガイ大先輩はぶつぶつと独り言のように呟いて部屋を出る。その後ろ姿を追いかけて、三代目の執務室の扉を閉めた。

 ……なんだろ、邪悪なオーラが近づいてきてる気がする。

 

〔ガイさん〕

「なんだ?」

〔この先は危険です。引き返して一旦執務室に避難しましょう〕

「危険? そんなわけ――ダンゾウ様!」

 

 ああああ! やっぱりこの不穏な気配はお前かダンゾウ!

 

 根の人間を数人引き連れたダンゾウが向かい側から歩いてきている。

 呼び出されて心の準備を済ませている時ならまだしも、こういう不意打ちエンカウントはメンタルへのダメージがでかい。

 存在してるだけで俺を曇らせるとは……相変わらず恐ろしい男だ。

 

「ダンゾウ様の暗部にオレを入れてください!」

〔!?〕

「なんだと?」

 

 根の存在を知ってるのは、家族が所属している場合や本人が火影直属または根の暗部に所属している場合を除いて、ほぼ限られる。

 

 まさかガイ大先輩が知っていたとは思わず、ダンゾウから引き離そうとしていた腕を止める。

 カカシから聞いたとは思えないが……どこで知ったんだろう。

 

 俺みたいに所属を大っぴらにされるような事故が他でも起きていたのかもしれない。木ノ葉ってその辺適当だし! 魔法の言葉である。

 

「……お前には足りぬな、闇が」

「や……やみ……」

〔…………〕

 

 今回ばかりはダンゾウに盛大な拍手を送りたい。

 火影直属の暗部ならまだしも、ガイ大先輩がダンゾウの元で働くなんて……悪夢だ。考えたくもない。

 ダンゾウの闇の前ではいくらガイ大先輩でも闇堕ちしてしまう。

 

 打ちひしがれているガイ大先輩には非常に申し訳ないが、俺は背中に隠した拳でガッツポーズをした。

 

〔ダンゾウ様、火影様は先ほど出て行かれたので不在です〕

「……そうか」

 

 多分外で煙草休憩でもしてるんだろう。去っていったダンゾウ達に、お面の裏でにんまりと笑う。

 さあて、これで邪魔者は消えた。

 

〔ガイさん、もしよろしければこの後ご飯でも……〕

 

 振り返るとそこには誰もいなかった。は?

 

〔…………〕

 

 まさかと思って開きっぱなしの窓から顔を出すと、特徴的なジャージがどこかを目指して走り去っていくのが見えた。

 

〔……やべ〕

 

 あの距離で俺に気配を悟られることなく、この窓から抜け出した……ってコト!? さすがガイ大先輩! そこに痺れ以下略ゥ!

 

 

 

「お前、最近のイタチをどう思う」

《どうって》

「……うちはを裏切る可能性があるのか、そういった話だ」

「…………」

 

 今日は、イタチが暗部に入隊してから初めて行われた会合だった。すでに会合は終わり、帰宅途中である。

 

 暗部で気づいたことはないかと問うた父さんに対して、イタチは里の人間のうちはへの偏見や警戒心について言及しながらも、こちらへの嫌悪や危害を与えようという悪意は感じられなかったと報告した。

 

 前半は父さんや一族の望む模範解答だったが、後半がよろしくなかった。

 すでに思考停止している父さん達に必要なのはクーデターへの着火剤となる情報のみ。

 里の肩を持つようなイタチの発言には反感しか生まれず、そこそこに不穏な空気を纏った状態で会合は終わってしまった。

 

《おれにも わからない》

「……暗部でのイタチはどうだ?」

《しょぞくが ちがう》

「それでも同僚から何か聞いているだろう」

 

 父さんは少しでも情報を聞き出そうと必死だ。そんなことをしても無駄なのに。

 隣に並んで歩いてる俺が一番の裏切り者だと知ったらどんな顔をするかな。

 俺も、とっくに後戻りのできない場所に立ってるわけだ。戻る気もないけど。

 

《うまくやってる》

「そうか……」

 

 父さんの表情は暗い。一族との板挟みによる心労のせいだろう。

 やめてしまえばいいのに。そうしたら、俺たちも昔のように……。

 

「オレは……イタチがオレ達と違う考えを持っていてもいいと思ってる」

「…………」

 

 言いたいことはたくさんある。どうしてそれを俺の前で言うのかとか、イタチに言ってやらないのかとか――もっと早くにその考えに至らなかったのか、とも。

 

 もしくはずっと自分の中に秘めていたんだろうか? 一族を束ねる者として私情を挟まないために。

 

「…………」

 

 唇が少し震えたが、いつものように動揺は表に現れなかった。

 

《ゆるされない》

「ああ……分かっている。オレ達はもう進むだけだ。お前や、お前達の子ども世代の為にも」

「…………」

 

 いや、そっか、そういう目的なんだ? でも……うん、次の世代の為っていうより単純にムカつく木ノ葉の連中を潰そうぜ! みたいな自分達の感情優先なのかと思ってた。

 実際に会合に参加してる連中の大半はそうなんだろうけど……少なくとも父さんの掲げているものは違うということか。

 

 口先だけでも俺たちのことを想ってくれているなら、尚更イタチの願いを受け入れて里との共存を考えてくれたら良かったのに。

 ――だって、イタチはあれほど父さん達が望んだ跡取りだろう?

 

 そんな話をしているうちに家に着いてしまった。

 

「父さんっ、スバルにいさんっ! おかえりなさい!」

 

 玄関の扉を開けた瞬間に飛びついてきたサスケを抱きとめる。

 会合のある日はどうしても一人でお留守番になるから、寂しい思いをさせてしまう。

 

《ただいま》

「イタチにいさんは?」

「イタチはシスイに話があると呼ばれたきりだ」

「……そっかあ」

 

 ――オレ達は止めてみせます、必ず!

 

 あの日の言葉通り、二人は何度も一族の目を掻い潜ってクーデター阻止のために動いているようだった。

 

 俺がそれを把握しているのは、二人の監視をダンゾウに任されているから。報告は勿論していない。

 俺以外に二人を監視する根の忍がいれば幻術をかけて別の映像を見せ、なにかと誤魔化している。

 

 シスイが三代目に直談判して一人で自由に動き回る権限を得たことも知っている。

 

 あの言葉が上っ面だけでないことは分かっていたけど、その行動力には驚いた。そもそも保守的な三代目が了承すると思ってなかったんだよ。

 だからこそ、一緒に見張っていた根の仲間にギリギリまで幻術をかけることを躊躇した。

 

 結果として、仲間はダンゾウへ報告してしまったし、ダンゾウも焦って何かやらかしそうな雰囲気を出してきてる。

 ……完全に俺の落ち度だ。根の包囲網にいる限りどこかでダンゾウの耳に入るのは避けられないだろうが、時期を早めてしまった可能性はある。

 

「にいさん?」

 

 深く思考に沈んでいたせいで、サスケの言葉を聞き逃していたらしい。俺は目を細めてサスケの頭を撫でた。

 ……幸せだ。俺はいつまで、この穏やかな場所にいられるんだろうなあ。

 

 

 

 俺の所属している班の任務は無事に終わり、いつものように更衣室で着替えを済ませていた。

 

 部屋の扉をノックする音がして、暫くしてからゆっくりと開く。

 

〔イタチ〕

「……スバル兄さん」

 

 今でも俺のことを兄さんと呼んでくれる弟が愛おしい。それと同時に辛い。

 イタチから向けられる感情の全てを義理に感じてしまうからだ。

 

 カカシやテンゾウさんの姿は見えず、イタチだけが先に戻ってきたらしい。更衣室には俺とイタチしかいない。

 

 無言で俺の隣のロッカーを開けて着替え始めるイタチ。その横顔には疲労がくっきりと滲んでいる。

 

 すでに着替えを済ませていた俺はお面を外して懐に仕舞った。パタンとロッカーを閉じる。

 

 あの日から兄弟としての会話は皆無に等しく、流石に俺も何度か闇堕ちしそうになったが何とか耐えている状態だ。

 

 これまでイタチとの無言が気まずいなんて思ったことなかったのにな。今はいっそ、一緒にいる時間を減らした方が気が楽だった。

 

「スバル兄さんは知っていたのか?」

 

 部屋を出ようとした俺の背中にイタチの言葉が刺さる。何のことかと問う前に、イタチが続ける。

 

「集落の監視を」

「…………」

 

 俺は先ほど盗み見たイタチの顔に疲労が滲んでいた理由を察した。うちは一族の監視はそれぞれの班が交代で行うことになっている。

 今日はろ班が担当だったか……。

 あれいいよね。任務中に合法で弟たちを摂取できるんだもの。スバを。

 

《しっている》

 

 イタチの表情に僅かに焦りが見えた。俺がこのことを父さん達に知らせていないか心配なんだろう。

 念のため、周囲の気配を探って聞き耳を立てている人間がいないか確認する――大丈夫そうだ。

 

《しらせる つもりない》

「何故……? 兄さんは、一族の……」

 

 イタチも周囲の警戒はすでに済ませていて、この話をしても問題ないと判断したようだが、最後は濁してしまった。

 

《あせりは やっかいな かんじょうだ》

 

 例を出すとダンゾウとかダンゾウとか。アイツが焦って何かをしようとした時は必ず碌なことにならない。

 

 うちは地区が暗部によって二十四時間監視されていることを父さんたちに知らせれば、必ず焦りや怒りが生じ、感情の赴くままにクーデター決行を早める可能性だってある。

 

 俺の立場がうちは側であろうと木ノ葉側であろうと、クーデターの早期実行は都合が悪いわけだ。

 お互いに準備不足の状態で衝突が起きるとどんな結果を齎すか分かったもんじゃない。

 

 このクーデターに痛み分けはあり得ない。どちらかを完全に潰すまで止まらない――止めるべきではない。

 どちらに天秤が傾くかは、すでに明らかだ。

 

《かならず せいこうさせなければ ならない》

「どうして兄さんはそこまで……」

《おれの ほんしつの ため》

「……本質?」

 

 弟愛だよ。分かるだろ?

 

 険しい表情をしているイタチを置いて、俺は更衣室を後にした。

 

 

 

 その後、いつものように呼び出されたダンゾウの屋敷にて、俺の脳内では木魚のぽくぽくという音が永遠に響き渡っていた。

 

 アレって実は眠気覚まし目的で叩いてるらしいね。今の俺は眠気というよりも、口から飛び出していこうとする魂を引き留めるためといいますか、逃避しようとする自分を現実に押し戻そうとするためといいますか。

 ……ああ、今日もダンゾウは元気だなあ。

 

「暗部はどうだ」

 

 ダンゾウがそう問いかけた相手は俺じゃない。

 ダンゾウの隣に並んで立っている俺は、目の前で頭を垂れている影を見下ろしながら必死に羊の数を数えていた。羊が二千五百二十イーチッ!

 

「まだ解りません」

 

 短く答えたイタチが顔を上げる。その目は真っ直ぐにダンゾウを見つめている。

 なーんでここにイタチがいるかな。さっき会ったばかりだというのに。……いや、分かってるけど受け入れたくないんだよ、この現実を。

 

「うちはイタチ。お前には今後の会合の内容をこちらに流してもらいたいのだ」

 

 隣に俺がいるのに堂々と浮気か? この野郎。

 

「一族を裏切れと?」

 

 イタチの目に僅かな苛立ちが見える。上手く隠しているが、ダンゾウには見透かされているだろう。羊が二千五百二十ヨーンッ!

 

「このまま策も見つけられず、一族と共に滅ぶつもりではあるまい。お前がワシに情報を提供すれば、一族の暴走を事前に止めることができるのではないか?」

「……解りました」

 

 裏にいくつものパイプを持っているダンゾウならと考えたのかもしれない。

 

 そんなイタチにダンゾウは優しげな笑みを向けた。かつて、カカシを根に取り込もうと画策していた時に浮かべていたものと同じだ。

 

 イタチがダンゾウの居室を去った後、俺は慎重に思考を巡らせる。

 

『ダンゾウ様。うちは一族の情報なら、すでに手は足りています。……わざわざ彼の力を借りる必要はないのでは』

 

 俺も根に所属してから知ったことだが、一族にはすでにスパイが二人紛れ込んでいる。ダンゾウの為なら死ぬことも恐れぬ根の忍たちだ。

 このスパイたちは会合にも毎回参加している為、尚更イタチの情報が必要とは思えない。

 

「……お前はまだワシを推し量れていないようだな」

『…………』

「それとも弟が心配になったか?」

『そのようなことはありません』

「そうだろうな。お前はワシの手で育ててきた。誰よりもワシがお前のことを理解して(わかって)いるのだ」

 

 分かってんだよおじさんはやめろ。鳥肌立っちゃったじゃないか。羊が二千五百三十サーンッ!

 

「うちはイタチは根に必要不可欠。会合の件はその足がかりにすぎぬ」

 

 そうでしょうね。俺は、お前がイタチがアカデミーに入学した時からずっと気にかけてたのも知ってるんだからな。

 

「……近いうちにお前に会わせたい者がいる」

『俺に……ですか』

「その者にも指文字を叩き込んでおけ」

『承知致しました』

 

 指文字を教えなきゃいけないってことは、俺がお面をつけていないときに関わる可能性が高いってことか?

 

 モズもキノエさんも自主的に覚えてくれたから、こうやってダンゾウに指示されるのは初めてだ。

 

「クロ。お前はこれまで通りうちはイタチとシスイの監視を続けろ。動きがあればすぐに報せるように」

『羊が二千五百三十ロー……あ……』

「…………」

『…………』

 

 分かってる、死んだ。

 

 

 

 アレは確実に死んだなと思ったけど見逃してもらえた。「そのお面……」まで言われてしまったものの、必死に何事もなかった風を装っていたら「……もう下がってよい」と部屋を追い出された。

 

 いや〜、シャバの空気は美味しいなあ!

 

 そんな俺は今、お面を外してアカデミーの入り口の塀に背中を預けて目を閉じている。

 せっかちな性格だと自覚もある俺だが、この時間はまったく苦にならない。永遠に待てる。

 

「スバルにいさーん!」

 

 ほら、天使の歌声が俺の魂を迎えにきたっ!

 

 瞬時に目を開けてこちらに駆け寄ってくる天使(サスケ)の姿を視界に収める。

 アカデミー用のカバンを肩から下げて、こちらにぶんぶんと手を振っているサスケは……可愛かった。こんなの成仏しちゃう。

 

「どうして? もう任務終わったの?」

《ああ》

「スバルにいさんと一緒に帰るの初めてだね!」

 

 嬉しくて堪らないといった様子で、サスケが俺に引っ付いて「えへへ」と笑う。

 

 イタチといい、サスケといい、どうしてこうも存在が眩しいんだろう。この世で最も可愛い自信しかない。

 可愛さレベルでギネスブックに載ったりしないかな?

 

 でもな、サスケ。本当は入学式の日に一緒に帰れるはずだったんだ。全部あの男が悪いんだよ。

 

「スバル兄ちゃん!」

 

 サスケと手を繋いで帰ろうとしたら、校舎から飛び出してきた影が俺の背中にタックルした。

 ――ナルトだ。

 

「うずまきナルト……!」

 

 今にも噛みつきそうな表情と声色で、サスケがナルトを睨みつける。こんなサスケは見たことがなくて反応が遅れた。

 

 えっ、いつもほわほわご機嫌で俺とイタチに抱っこされてるサスケが? 何かあるとすぐに両頬をぷっくりさせて怒ってますアピールしてくる可愛いサスケがっ!?

 

「へーんだ! サスケだけスバル兄ちゃんを独り占めなんて、ずるいってばよ!」

「スバルにいさんは、オレのにいさんだ! お前にはかんけーないだろ、ナルト!」

「…………」

 

 可愛いショタ二人に取り合って貰えるなんていいご身分だな? でもどうしてか、あまり嬉しくない。

 

 背中に張り付いているナルトは俺の左足を容赦なく踏んでるし、そんなナルトに噛み付いているサスケは俺と繋いでる手に力を入れすぎて爪が食い込んでいる。

 地味に痛い……。なんだか切なくなってきた。

 

「オレやイタチにいさんより、こいつのことが好きなの?」

 

 まさか、そんなわけないだろ? お前たちは世界一だよ。

 

「……兄ちゃん、アカデミーに入学してから一度も会いに来てくれないのは、本当の弟じゃないから?」

 

 ……いや、そんな……そもそも、他人に対して優劣を付けるのがおかしかったね! 何様なんだって話だよね、ごめんね!

 

《どちらも たいせつだ》

「…………」

「…………」

 

 優柔不断なクソ野郎で申し訳ありませんでした。

 

 

 

 今夜は満月だった。雀鷹(つみ)のお面を被って、すっかり眠りの世界にいる木ノ葉を高いところから見下ろす。

 

 この場を照らすのは月明かりのみだったが、隣に立っている少女の顔が鮮明に見えるくらいには明るかった。

 

「今ので最後、だね」

 

 少女――セキが眉を寄せながら言う。

 

〔怪我は?〕

「ないよ」

〔それならいい〕

 

 丁度ナルトの世話係兼護衛担当を外れてから、三代目は俺に新たな任務を授けた。 

 

「今日は岩隠れの暗部…………」

 

 忌々しそうにセキが睨んでいる先には、ついさっき二人がかりで始末した敵国の忍の死体が転がっている。

 覚方であるセキを狙った、所謂誘拐犯である。未遂で終わったけど。

 

「スバルがいなければ殺されていたかもしれない」

〔…………〕

 

 セキの言葉がいっそ大袈裟であれば良かったのに。

 残念なことに、俺が三代目からセキの護衛を任されるようになってからというもの、彼女は何度も危険な目に遭っている。

 

 敵国はセキを誘拐して覚方の能力を自分達のものにしようと目論んでいた。もしくは彼女の力が手に入らないのなら……暗殺。

 みすみす木ノ葉に置いておくような真似はしないというわけだ。

 

〔どうして、今更セキが狙われる?〕

「……それは」

〔……言いたくなければいい〕

 

 中忍試験以降、こうして彼女と二人で話をするのは二度目だった。

 

 一度目は、イタチやシスイと正面から対立した日の夜。うちはの集落を抜けて、行く当てもなく里の東部にある森でぼんやりしていたらセキと再会した。

 しかも偶然ではなく、丁度近くまで来ていたらしく、あまりにも俺の心の声が強すぎた為に、すぐに居場所が分かったのだという。

 ……恥ずかしすぎない?

 

 あの日の俺はとにかく落ち込んでいた。いくら目の前に友人であるセキがいて、久しぶりの再会だったとしても、それを素直に喜べる状態ではなかった。

 

 俺の心なんていつもお見通しなセキには、とんでもない醜態を晒してしまったと思う。

 その日、セキはほとんど何も話さず、ただ黙って俺の隣にいてくれた。

 

 それから数日後、三代目からセキの護衛任務を言い渡されたのは、きっと偶然じゃない。

 

 任務開始から暫くは暗部らしく彼女に悟られないようにこっそり敵国の忍達を始末していたが、それがついにバレてしまった。

 

 というより、あまりにも敵の数が多すぎて俺一人では捌ききれず、敵の手がセキ本人に届いてしまった。これは姿を見せないわけにはいかない。

 俺は堂々と姿を現して、セキを連れ出そうとした岩隠れの忍を殺し……現在に至る。

 

「言いたくないわけじゃない。私は、スバルに隠し事なんてしない」

〔…………〕

 

 別に隠し事の一つや二つくらいしていいと思うけどな。

 

 セキは僅かに頬を赤らめて、深呼吸を繰り返した。まって、そんな無理して話さなくても……!

 

「月のやつが来たんだ」

〔…………つき、〕

 

 それって女性に毎月くるっていう……あの……? それと最近の誘拐犯ホイホイと一体何の関係が……って、まさか!

 

「私が子どもを産めるようになったから――そういうことだよ」

 

 かつての大蛇丸の言葉が蘇って、お面の裏側でサーッと顔を青くさせる。

 

 他里の忍が一人の女性のそういった状況を把握してるだけで十分気持ち悪いってのに。

 つまり、セキを誘拐して、その、あの……俺の純潔は今も守られてるわけでこの先を言葉にするのは憚られるわけだが……おい、まだ童貞なのかよって言ったの誰だ。

 俺は妖精目指してるからいいんだよッ!

 

「火影様に優秀な忍をつけるって言われた日から、スバルかもしれないって思ってた……ありがとう」

〔……俺がいない時は、別の暗部がお前を守る。何も心配しなくていい〕

 

 すごく心配だ。俺がいない時って誰が担当してるんだろう?

 三代目に聞いたら教えてくれるかな……ダメだって言われたらこっそり火影室に忍び込んででも……。

 セキがくすりと笑った。

 

「やっぱりスバルは優しいね」

「…………」

 

 セキは何かとそう言ってくれるが、そこそこ自己評価が高い俺でも自分のことを優しいと思ったことはない。

 

「優しいから、そういう道しか選べなかったんだよね?」

〔…………〕

 

 セキの言葉はぼかされていたが、俺には何についての話題かすぐに分かった。

 

 空を流れる雲に一時的に光を遮られていた月が、再び顔を出す。照らされたセキの顔は――少し泣きそうに見えた。

 

「森で再会した時、スバルの心が全部見えた。……もう決めたんだね」

〔…………セキ〕

「私にはあなたを止められないよ」

 

 もしかしたら俺はずっと誰かにこう言ってもらいたかったのかもしれない。

 

 俺は後戻りしたいわけでも、逃げ道を求めているわけでもない。

 ただ……知っていて欲しかった。俺はもう、どこにも行けないのだと。

 

〔俺は後悔しない。もう決めたことだから〕

「うん…………」

 

 セキの手のひらが俺の被っている鳥面を掻っ攫っていく。

 お面を無断で外してくる不届き者は過去にもいたが……今この瞬間、不快のふの字すら浮かばなかったのは何故か。

 

「お面がちゃんと機能してて良かったけど……私の前では必要ないでしょ?」

「…………」

 

 なんか、ちょっと、あのさ。妙な雰囲気じゃない? ど……純潔を守ってきた俺でも分かる。

 

 微笑んだセキから目を離せない。彼女の指先が俺の頬に触れて、引き寄せられる。

 ――だめだ。この引力には抗えない。

 

「…………スバルのえっち」

「!?」

 

 薄らと閉じかけていた目を見開いた瞬間、頬に柔らかい感触があった。ああっ!?

 

「隙あり」

 

 離れていったそれに名残惜しさを感じつつ、俺は未だに感触の残っている左頬を手で押さえたまま、唖然とした。

 待ってくれ、情報量が多すぎる。

 

「怒らないでよ」

「…………」

 

 怒るどころか混乱してるんだけど。一体どんな感情が伝わってるんだ。

 

 まさか、想定していた場所にしてもらえなくて無自覚で怒ってたのか? …………とんだ変態野郎だな俺は!

 




セキはヒロインじゃないかもって言ってたけどこれはヒロインだ。ごめん、よろしくお願いします


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第二十話 ずっときみのことが

 閉め切っていた窓を開くと、冷たい夜風が部屋に吹き込んできた。

 

「お腹冷えるよ」

「うん」

 

 もう少しだけ、と伝えると同居人は苦笑して「カイロ持ってきてあげるね」と部屋を出ていく。

 彼女とはアカデミー時代からの仲で、スバルを除くと唯一友人と呼べる存在だった。

 

 住む場所を転々と変えなければならない私に付き合ってくれる理解ある人で、思わず「あなたのような人と結婚したい」と口にしてしまうことがあるくらいには、人として好ましく思っている。

 

「ほら、肩は冷やさない。お腹も冷やさない。足も――」

「わ、分かったから」

 

 戻ってきた友人が私の肩に毛布を被せてくる。

 背中とお腹にぺたりとカイロを貼ってくれた彼女がもう一枚毛布を取ってこようとしたので止める。

 

「そんなこといって、すぐ寝込むんだから。火影様からの依頼だから仕方ないけど……もう少し減らせないの?」

「……火影様の期待に応えたい。少しくらいの無理はするよ」

 

 中忍になってから本格的に木ノ葉の裏の仕事を請け負うようになった。

 ある事情があって捕らえた他里の忍の頭の中を覗いて情報を抜き取る機械的な作業。

 それらは山中一族であるいのいちさんと行うことが多く、最終的にお互いの得た情報を擦り合わせて火影様に報告する。

 単純だけれど精神力とチャクラの両方を消耗する難しい仕事だった。

 

「例のお面も一つならまだしも二つも作ったんでしょう? あれはセキの持つチャクラ以上のものを奪っていくから……」

「あれは、いいんだ」

 

 一つ目のお面を作った時に随分と消耗したこともあり、次の製作は厳しいとダンゾウと火影様には伝えていた。

 それにあれは私の大切な人を不幸にするきっかけとなったもの。いっそ壊れてしまえばいいのに……とまで思っていた。

 

 スバルは知っているのかな。

 

 もう一つお面が欲しいと火影様に言われた時、私はスバルが根から火影直属の暗部へと転属になったことを聞かされた。

 ……心の底から嬉しかった。やっと彼の不幸が終わったのだと、喜んで新たなお面を作って――

 

「…………」

 

 私は何も知らなかった。以前ある森で再会したスバルの纏うオーラはすっかり変わっていて、心の声は記憶にあるよりも冷たく……痛々しいものになっていた。

 彼の不幸は終わっていない。それどころかこれから始まって、いつ終わるかも分からないのだと……。

 

 窓の向こうを見つめ続ける私に、同居人が小さなため息をつく。

 彼女が自分の部屋へ戻っていっても、私は窓の前から動かずにいた。

 

 ズキズキとした痛みを発するお腹をさする。――私はついに子を成せる身体になってしまった。

 火影様が腕の立つ忍を手配してくれているようで、こうやって今も生きている。その忍に心当たりがある私は、ずっと闇に潜む姿を探していた。

 

 会いたい。

 

 スバルに……会いたい。

 

 私の切実な願いは、思ってもみない形で叶えられることになった。

 

 ――風が、止んだ。

 

 美しい満月が雲に隠れて、部屋を照らすのは小さな蝋燭の灯りのみ。

 それまで静寂を保っていた世界が突如として音に満たされていく。

 

「覚方……セキだな?」

 

 感情を伴わない無機質な声。開いた窓の向こう側に佇んだ影が私を見ていた。影は岩隠れの額当てをしている。思わず窓の桟を掴む。

 

「あ…………」

 

 私の心を占めたのは恐怖じゃなくて、歓喜だった。覚方の血を求める侵入者の存在なんてとっくに頭にない。

 岩隠れの忍が伸ばした腕は私に届く前に斬り落とされていた。

 

「ぎ……ぎぃ、ああああっ!?」

〔――触れるな〕

 

 ボトンと肉の塊が床に落ちる。至近距離で血飛沫を浴びた私は、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。

 

 再び顔を出した月明かりに反射した忍刀の、すらりと伸びる刀身の美しさに目を奪われる。

 刀を振り払って血を落としたその人は、斬られた右腕を押さえて叫んでいる岩隠れの忍を冷たく見下ろしていた。

 

「木ノ葉の暗部か!!」

〔……何をしようとした?〕

 

 見覚えのある鳥のお面をつけ、暗部の忍装束に身を包んだその人の発する“声”は、こちらが震え上がるほどの怒りに支配されている。

 彼は怯んだ岩隠れの忍に一歩ずつ近づいていく。

 

〔彼女に何をするつもりだった〕

「そ……それは……」

 

 “里に連れ帰って子を作らせた後は脳を摘出して殺す”

 

 動揺のせいか、手で触れずとも心の声が流れ込んできた。気持ち悪さに吐き気すら覚える。

 

〔……言葉にできないようなことをするつもりだったんだな〕

 

 鳥面をつけた青年の思い浮かべたイメージの一部が見えた。あまりにも強い感情は時として映像となって私に共有されることがある。映像の中の私も殺されていた。

 映像はところどころ不鮮明でノイズが走っていて、作り出した本人の拒絶する心が表れている。

 

 ぺたりとその場に座り込む。隣の部屋にいる同居人は無事だろうか……。

 私が現実逃避するように同居人の安否を気にしている間に、岩隠れの忍の首が飛んでいた。

 

 刀を背中に隠した青年が目の前でスッとしゃがんだ。

 その手が私の頬に触れる前に躊躇うように彷徨って――触れずに終わる。

 

〔……何か拭くものを〕

 

 そうだ、私の顔は返り血を浴びていた。それを拭おうとしてくれていたんだろう。小さく震えている足を掴んで唇を噛む。

 

「…………」

 

 幼い頃から多くの戦争を目にしてきた私は、人同士が傷つけ合うことで流れる血が苦手だった。これでも慣れてきた方とはいえ、今みたいに震えが止まらなくなることがある。

 

 火影様が私を里外の任務に出さないのは覚方の血を守るためだけじゃない。……私が弱いせいだ。

 

「……スバル」

 

 青年の名を呼ぶと、ぴくりと指先が動いたのが見えた。

 

「隣の……部屋に、私の友人が」

〔…………〕

「無事か確かめたいの。そして、敵がまだいるのならここから離れて、彼女を巻き込まないように……」

 

 いつもなら手に取るように分かる彼の心が見えない。私の心がざわついているせいだろうか。

 

 スバルはこくんと頷いて私の腰に腕を回した。

 そのままいわゆるお姫様抱っこをされてしまい、さすがに慌てて止めに入る。

 

「スバル、あの……これは」

〔すぐだから〕

 

 密着すれば嫌でも相手の心が読める。スバルの心にはやましい気持ちは一切なく、純粋に私を心配してくれているようだった。……恥ずかしいだなんて言える状況じゃない。

 

 緊張で強張る体からできるだけ力を抜いて身を預ける。

 スバルの胸に頬を寄せると心臓の音が大きくなった。彼も緊張していることが分かってホッとする。

 

 スバルは私を抱き上げたまま隣の部屋に向かい、友人の無事を確認するとすぐに部屋から飛び出した。

 

 びゅんびゅんと風を切りながら走るスバルが立ち止まったのは、すでに使われていない廃工場の折板屋根の上。

 彼はその場に私をおろすや否や、一瞬で姿を消す。

 

 ぽつりぽつりと小さく聞こえていた“声”がスバルが移動するたびに消えていく。まだ聞こえてくる声は多く、次々と集まってきているようだ。

 

 スバルの手から逃れて私に向かってきた忍のクナイをクナイで受け止める。

 渾身の力を込めて相手のクナイを弾きとばし、素早く印を結んだ。

 

「――水遁・花心拿捕の術」

 

 私の背中から生えたチャクラの塊が巨大な腕となって、目の前の忍の腕を握り潰そうとする。

 岩隠れの額当てをつけた忍は背中の忍刀を引き抜いて私の“腕”を斬り落とすことで逃れていた。

 ただの水となったチャクラの塊が岩隠れの忍の足元で水溜りを作り――再び生成される。

 

「なっ……!?」

「いくら壊したって無駄。あなたが人としての心を持つ限り――私のチャクラがある限り、それはあなたの前に立ちはだかる」

 

 二つに分かれたチャクラの腕が“グー”の形になり、一気に振り下ろされる。

 水と血液が混じり合ったものが屋根に広がって、ぽたりと雨粒のように落ちていく。

 

「…………」

 

 いつの間にか隣にはスバルが立っていた。彼のお面や刀も血に濡れている。

 無性に泣きたいような気持ちになった。こんな時でさえスバルの心は静かで……昔のように容易に読むことはできない。

 彼が忍として心を閉ざす術を身につけてしまった証だった。

 

「今ので最後だね」

 

 独り言のようにぽつりと呟く。スバルはそれを受け止めて小さく頷いてくれた。

 

〔……どうして今更お前が狙われる?〕

「…………それは」

 

 言い淀んでしまった私に、スバルは優しく〔言いたくなければいい〕と微笑む。

 お面で表情は見えないし、以前のようにはっきりと心の声は聞こえていないのに、そんな気がした。

 

「言いたくないわけじゃない。私は、スバルに隠し事なんてしない」

 

 彼は私に無理をしないでほしいと思ってくれているようだったが、()()()私のエゴだ。

 不可抗力とはいえ勝手に他人の心を覗いてしまう私を受け入れてくれた人。

 私が抱く感情とは別に、友人としていつだって対等な立場でいたいと思うのは我儘だろうか?

 いつだって自分の心を偽らないスバルの前では、どんな些細な嘘だってつきたくなかった。

 

「……月のやつが来たんだ」

 

 お面の内側で真っ黒な瞳が大きく見開かれる。予想すらしていなかったらしい。

 

 与えられた任務で他里の忍から情報を得ているからよく分かる。

 戦争という目に見える形をとっていないだけで、どの里もお互いの“弱み”に飢えている。常に相手の弱点を探り、隙ができるのを待っていた。

 他里の情報を得るのが想像以上に容易だったように、木ノ葉の――私の情報なんて少し努力すればいくらでも手に入るだろう。

 

 もう慣れてしまった。女として生まれてしまった絶望も、苦しみも。それでも私は恵まれているのだと胸を張って言えるようになったから。

 

「火影様に優秀な忍をつけるって言われた日から、スバルかもしれないって思ってた……ありがとう」

〔……俺がいない時は、別の暗部がお前を守る。何も心配しなくていい〕

 

 “俺がずっとそばにいられたらいいのに”

 

 やっと鮮明に聞こえてきた声に頬が緩む。この人はいつも他人のことばかり気にかけている。

 優しい人……優しいからこそ、時に残酷な手段を選び取ってしまうのだろうか。

 

「やっぱりスバルは優しいね」

 

 数日前に再会した時に見えた決意は今も変わっていない。

 

「優しいから、そういう道しか選べなかったんだよね?」

 

 少し責めるような口調になってしまったかもしれない。

 でも、私にはそんなつもりはなかった。スバルの心に小さな波紋が広がり……やがて落ち着いていく。

 

「私にはあなたを止められないよ」

 

 ――本当は、そんな道を選ばないでって言いたかった。

 

 うちは一族のことも、ダンゾウのことも……火影様のことも。私の見てる世界とスバルの見てる世界はこんなにも違う。

 同じ場所にいるのに、こんなにも遠いのはどうして?

 

 私の葛藤すら見透かしたようにスバルは小さく笑った。

 

〔俺は後悔しない。もう決めたことだから〕

「うん……」

 

 ああ、どうしよう。

 

 伸ばした手のひらがスバルのお面に触れる。血が固まった部分を指でなぞれば塵となって風に攫われていく。

 

 この人が好きだ。初めて会った時からずっと……どうしようもないくらいに。

 

 かつて幸せな感情を注いで作り上げたお面にそっと手をかけて外す。

 怪訝そうにしているスバルと直に目が合えば、自然と頬が緩んでしまった。……変わってないなあ。

 

「お面がちゃんと機能してて良かったけど……私の前では必要ないでしょ?」

 

 ただ顔が見たかった。見るだけじゃなくて、触れたい。一つ叶えば次から次へと生まれてくる欲に自分でも戸惑う。

 

 こういう時こそ相手の心が見えたらいいのに。

 

 スバルの頬に触れる。薄らとしか聞こえていなかった声が大きくなって、まるで閉じていた目を開いたかのよう。

 私にとって心の声は世界だ。望めばいつだってそこにある。

 

 引き寄せたスバルが目を閉じようとしていたので、私の動きはぴたりと止まった。

 スバルの心は色んな音が混じっていてどれを拾えばいいのか分からない。

 

「…………スバルのえっち」

「!?」

 

 スバルが固まった瞬間を狙って、その頬に唇を寄せる。

 

「……? …………!?」

 

 心を読むまでもなく明らかに戸惑っているスバルに吹き出してしまった。

 

「隙あり」

「…………」

 

 ようやく状況が飲み込めてきたのか、スバルは不服そうにしている。……揶揄ったわけじゃないのに。あれが精一杯だっただけ。

 

「怒らないでよ」

 

 スバルは拗ねたようにそっぽを向いてしまった。そんな姿でさえも可愛いと思ってしまう。

 

 弁解しようと口を開く前に、くしゅんとクシャミをした。

 震えながら腕を摩っているとスバルがぺたぺたと自分の服を触って、しゅんっと落ち込む。

 ……言うタイミングを逃してたけど、暗部の忍装束は露出が多すぎる。それ以上脱いだらどうなるんだろう。

 今でさえ目のやり場に困るのに。

 

「大丈夫だよ。そんなに寒くはないから」

「…………」

 

 スバルは迷いに迷って、私の腰に腕を回した。そのまま引き寄せられて……ぴたりとお互いの身体が密着する。

 

「…………」

「…………」

 

 そんなに照れるなら初めからやらなきゃいいのに。

 

 私はスバルにぎこちなく抱きしめられながら、鳥のお面で自分の顔を隠してこっそりと笑った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 木ノ葉上層部は警務部隊に対する大幅な予算削減案を提出し、うちはの会合は大いに荒れていた。

 

 ダンゾウには今回こそクーデターに向けて具体的な話が出るに違いないと言われ、俺は三代目から休暇を貰ってまで会合に出席していた。

 

 今日はイタチとシスイも参加しており、彼らは険しい表情で父さん達の言葉に耳を傾けている。

 

「スバル、お前は何も聞いていないのか」

 

 父さんの腹心であるヤシロの言葉に首を横に振る。

 いくらなんでもダンゾウ、三代目、相談役二人の会議に参加するような権限は俺にはない。

 

 どうせいつものようにダンゾウと相談役が暴走した結果、警務部隊予算削減という火に油を注ぐ結果になったんだろうが……いや、ダンゾウの場合は確信犯だったな。

 

 それにしても、毎度のことながら三代目の“弱腰”も笑えなくなってきた。

 さっさとクーデターを起こしてうちはが滅んでも仕方ないという大義名分を得たいダンゾウと、和平を求めていながら具体的な案すら出せずに燻り続けている三代目。

 最悪の組み合わせだ。

 

 三代目の純粋に里を想う気持ちを理解しているからこそ、やるせない。彼がうちは一族のことを重んじてくれていることも分かってるつもりだ。

 ……三代目はシスイに一族の命運を託したまま、動かないつもりだろうか?

 

「次回の会合で、具体的なクーデター決行日について皆と話し合いたいと思っている」

 

 父さんの言葉に、南賀ノ神社に集まったほぼ全員が立ち上がって口々に何かを叫ぶ――ついにこの日が来た。

 

 父さんやヤシロ達の目が俺とシスイに向かう。

 

「クーデターの成功はお前たち二人の働きにかかっている。頼んだぞ」

「…………」

 

 俺は小さく頷くだけに留めたが、シスイは険しい表情を崩さず、俯いたままだった。

 

 父さんたちの作戦はこうなっている――まずは俺が火影屋敷に堂々と正面から侵入して三代目と接触する。火影直属の暗部という立場を利用するわけだ。

 

 三代目に重要な相談があるように見せかけて彼の気を引いている間にシスイが瞬身で現れ、二人で三代目を拘束し、警務部隊本部まで拉致する。

 ここまでなら現実的にも可能なレベルではあると思う。

 

 しかし、まず前提としてこの計画はすでに破綻している。……だって、クーデター反対派であるシスイが三代目の拘束に協力してくれるはずがない。

 むしろ火影屋敷に現れたシスイに俺が殺されるパターンだろこれ。

 

 物申したいところは他にもある。仮に三代目の拉致監禁が成功したとして、あのダンゾウや相談役が「三代目の命より大切なものはない……里を明け渡そう」ってなると思うか? なるわけがない。

 絶対喜んで三代目を殺すように煽って、表向きは三代目の弔い合戦ってことで堂々とうちはを討ちに来るぞ。

 

 絶対にあり得ないが……仮に、ダンゾウ達が大人しく引き下がったとしよう。

 父さん達は無血革命などと大袈裟なものを掲げているが、里の人たちから信望が厚い三代目を過程と内容はどうであれ排斥した時点で、彼らからの支持は永遠に得られない。

 解決策は里の人間も全員殺すことだが……昔から少しずつ縮小されていっているうちは一族にそこまでの軍事力があるはずもない。

 

 そう、俺たちは詰んでいたのだ、初めから……。

 ダンゾウの底すら無い悪意の前ではなす術なしってことだよ。

 

 こんな穴だらけ夢だらけな計画をここにいる全員が成功すると思い込んでいるんだから、救いようがない。

 

 正直、イタチやシスイが彼らを踏み止まらせようと動いていること自体、俺には滑稽に思えてしょうがない。この一族には勿体ないくらいだ。

 一族という小さな枠にとらわれず、里、国、さらにもっと広い世界にまで手を伸ばして平和を望む二人は、こんな場所に生まれなければもっと自由に、心の赴くままに、生きていけただろうに。

 

 ――どうしてこの国は、戦争なんてするのかな

 

 なあ、イタチ。俺もお前もあの時の疑問に答える術をもう手に入れてしまったけれど。

 

 お前の心があの日から変わっていないことは、俺が誰よりも知ってる。

 

「分かってるな、スバル」

 

 父さんが何かを念押ししてきたが、過去のイタチに思いを馳せていた俺は勿論聞いてなかった。

 

 イタチがよく笑顔を見せてくれていた時代に繋がるヘブンズ・ドアーは強制的に閉じられ、一気に現実へと押し戻される。

 ……なんてことをしてくれたんだ。

 怒りを内側に押し込んで適当にこくこくと頷いたら、父さんは満足そうにしていた。

 

「それでは解散」

 

 ヤシロの言葉に、会合に集まった一族たちは一人また一人と部屋を出ていく。

 

 イタチとシスイがお互いに顔を見合わせながら、何やらアイコンタクトを取っている。

 ……シスイはいい奴だ。いい奴だからこそ、これからうちは一族がどうなるかを知っている俺は苦しくてしょうがなかった。

 

 

 

 会合が終わってすぐ、俺はいつものようにダンゾウに呼び出されていた。

 

「次の会合で決行日が決まるか」

『そのようです』

「ゴズとメズからも報告を受けている。お前がうちはシスイと共に計画の中核を担うそうだな」

『……はい』

 

 ゴズとメズというのは、俺が根に入る前からうちは一族にスパイとして潜り込んでいる双子のことだ。

 顔には整形を施して、あるうちは一族の男になりすましている。

 うちはカゲン。それは、誰にも知られることなくひっそりと命を失った哀れな男に残された唯一の存在証明だ。

 

「それで…………クロ」

 

 手にしていた資料から顔を上げたダンゾウの片目が俺を射抜く。ぴくりと俺の指が動いた。

 

「なぜ、覚方セキの護衛任務を受けていたことを、ワシにすぐ報告しなかった?」

『…………』

 

 久しぶりに受けるダンゾウからの圧は、思ったより平気だった。

 昔は情けなくもこれに怯えていたが、俺もそれなりに成長したということらしい。

 俺はダンゾウから目を逸らさず、言葉をお面に委ねた。

 

『ダンゾウ様は以前、火影様からの任務を全て報告する必要はないと仰いました』

「そうだ。しかし、九尾の人柱力の時は迅速な報告があったではないか。同じく里にとっての重要人物だ。お前が報告を渋るのに、何か個人的な理由があったのではないのかと疑うのは自然なことだろう」

 

 陰湿な奴って口も達者なことが多いから厄介だ。だからって言い負かされるつもりもないけど。

 

『俺は、覚方セキが里にとってそれほど重要だとは考えていませんでした』

「……なに?」

『俺にとって里とは、根であり、ダンゾウ様です。彼女は根に不信感を抱いている――ダンゾウ様に益をもたらすことはない、そう判断したまで』

「…………」

 

 ダンゾウは未だにどうにかしてセキを手元に置いておきたいと思っている。

 しかし、三代目に不信感を抱いていたカカシを懐柔できそうだったあの時とは状況が違う。

 

 ――彼女はダンゾウに従うくらいなら死を選ぶ。

 俺がみすみすセキを死なせると思うか?

 

『心に干渉するセキにそういった類いの術は効かないですしね』

 

 従わせる方法などいくらでもある、と言い出しそうなダンゾウに先手を打つ。

 

『俺はダンゾウ様の忍です。貴方が覚方セキを殺せと命じれば実行しましょう』

「……その必要はない」

 

 ダンゾウが問答に疲れたようにため息をついた。

 

 張り詰めていた緊張の糸が解ける。すとん、と全身の力が抜けた。

 

 ダンゾウがセキを諦めて始末を命じるはずがない――頭の冷静な部分では分かっていたが、もしも違っていたら俺は…………ダンゾウを殺すつもりだった。

 例えその前に呪印が発動して死ぬことになろうとも。

 

 ダンゾウがそう決めたのなら、俺が従わなくても他の根の忍たちがありとあらゆる手段を使ってセキを殺しに向かう。

 止めるには、ここでダンゾウを殺す以外の手がなかった。呪印が無くても万華鏡写輪眼すら開眼していない俺に勝ち目はないだろう。

 

 それでも……それでも、彼女の死を黙って受け入れる気はなかった。

 

「大蛇丸が里を抜けていなければ……」

 

 ダンゾウが悔しそうに呟く。大蛇丸がここにいれば、セキを従わせる術はあったかもしれない。

 それが無理でも、以前彼が言っていたように出産させてその子どもを利用することも……。

 

 セキが妊娠可能となった今、大蛇丸が木ノ葉に干渉できない現状は唯一の幸運ともいえる。

 

「報告を怠った件は不問にする。だが、動きがあれば必ず知らせろ」

『はい』

「お前を信用している、クロ」

『……お任せください』

 

 俺を信用していると何度も口にするわりに疑り深いのは、そういう性質(タチ)なんだろうな。ダンゾウは己以外の誰も信じていない。

 

 呪印という縛りをつけてやっと「ワシに危害を加えることができないと“確信している”」そんなレベルだ。

 

 この男が自分と同等かそれ以上に俺を信用するようになるには……あとどれだけの犠牲を払えばいいんだろう。

 

 

 

 今夜も元気に闇に潜んでいた他里の暗部を殺して回っていた。

 

「お前は……木ノ葉のクロネコ……!」

『…………』

 

 コードネームがそのまんま有名になっちゃうのも問題だな。表向きは一応引退したことになってるし。

 どこかで三代目の耳にでも入ったら大変だ。よし、死んでもらおう。

 

 俺は地に這いつくばっていた忍にトドメを刺して、忍刀に付着した血液を布で丁寧に拭った。

 

 いい加減この里の結界システムもっと厳重にしてくれないかな。足を踏み入れた瞬間に地獄の業火に焼かれるとかさあ。

 ゴキブリ並みに不法侵入してくる輩が多すぎる。

 

「お前は相変わらず動きに無駄が多すぎる。遊びすぎだ」

『俺はいつも真面目にやってますよ』

 

 隣を見れば、ちょうどモズも敵の喉にクナイを突き立てているところだった。

 この場に立っている人間は俺たちしかいない。

 

 今夜の任務は最近多発している不法侵入者たちの一掃だった。そう、セキを狙った奴らのね。

 ダンゾウも他国にセキを渡すつもりはないようで、こうやって根の忍を総動員して守りにきたというわけだ。

 

 モズが配属されてる時点でダンゾウの本気度が分かる。彼ほどダンゾウに信頼されてる根の忍はいないし、その貢献度も然り。

 モズが普段任されてる任務は、そこそこ根で上の立場にいる俺でも把握できていないくらいだ。

 

「キノエは元気にやってるか」

『今はもう班が違いますが、カカシといいコンビらしいです』

 

 モズの表情は根の忍らしく基本的に動かないが、僅かに目元が柔らかくなったのが分かる。

 任務中はこんなもんだ。任務が終わった後だともう少し感情豊かなんだけど。

 

 ダンゾウに信頼されまくってて、根を裏切った部下であるテンゾウさんのことを今でも気にかけてるとか、最高の上司だと思う。欠点を探す方が難しい。

 ああ、短気なのは直した方がいいかな。俺の為に。

 

『モズ隊長も火影様のところに来ればいいのに』

「……お前、そろそろ己の失言で死ぬぞ」

『隊長がいる時は他に監視の目がない時だって知ってるんで!』

「……はぁ」

 

 さっきも言ったが、ダンゾウはモズを随分と信用しているので、彼がいる任務に他の根の忍を監視につけることがない。

 つまり今だけはダンゾウの悪口言い放題ってことだ。なんて素晴らしい世界なんだろう!

 

 俺とモズは死体を全て布袋に詰め込んで、可能な限りここで戦闘が起きたと分からないように痕跡を消していた。

 里内の任務ってこういう後始末が必要だから嫌なんだよな。

 

 モズが袋の口を縛りながら、ぽつりと続ける。

 

「悪かったな。覚方セキのこと」

『ああ……やっぱりモズ隊長だったんスね』

 

 セキの護衛任務に向かう際には、必ず根の監視をそれとなく撒いてからにしていた。

 それが今回バレたということは、俺の足の速さについてきた上、俺にまったく気配を悟らせなかった人物……ここまでくるとモズしかいないことになる。

 

『いずれ報告するつもりではいましたから』

 

 モズも立場上、報告せざるを得なかったんだろう。彼はよく俺に不都合なことをダンゾウに黙ってくれているが、今回のことはいずれ明るみに出る。

 自分の立場を危うくしてまで俺に味方する義理はない。

 

「……そうか」

 

 気にしなくていいと伝えたのに、モズはまだ何か言いたげだ。首を傾げると、彼はちらりとこちらを見て躊躇いがちに口を開いた。

 

 ……待てよ。モズが俺とセキのことを知っているということは、まさか昨日の出来事も全部見られ――

 

「……お前が覚方セキに恋愛感情を抱いていたとは知らなかった」

『エッ』

 

 一体何を言い出すんだ。

 

 モズはお面越しに俺を見て、少し驚いたようだった。

 

「その反応を見る限り、本当なんだな」

『…………』

 

 そーっと視線を逸らす。自覚がまったくなかったわけじゃない。そうかもしれないとは思ってた。

 いつからと言われると自信はないけど。

 

 俺が一番に優先すべきはイタチとサスケだと決めていたから、今更前提がブレるような感情を認めたくなかったのも事実で……。

 

 ――そうだ、そのはずだったのに。

 

 俺は今日、セキの為ならこの命を差し出してもいいと考えていた。

 

 一族のせいで弟たちにどのような被害があるか不透明なこの時期に死んでもいいだなんて。……どうかしてる。

 

「いや、マジかよ……お前」

 

 モズらしくないというか、もしかすると彼の素なのかもしれない口調に顔を上げる。

 

 モズの指が俺に伸びてきて、通り過ぎたと思ったら耳朶を掴まれていた。いだだだっ!?

 

「耳まで真っ赤」

『……!!……!?』

 

 全身に熱が広がった。

 

 ねえ、まってなんの拷問なのこれ!?

 



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第二十一話 鳴かず飛ばず

 明日はうちは一族にとって最も重要な会合だった。ついにクーデターの決行日について話し合いが行われる。

 

 今を逃せば二度とクーデターを止められないかもしれない。そう言ったシスイが秘めていた決意を話してくれた。

 

「フガク様にこの万華鏡写輪眼、別天神(ことあまつかみ)を使う」

 

 父さんの心を偽りで書き換えることに一切の躊躇いはなかった。

 親友であるシスイに頼るしかない現状には罪悪感を抱いたが、もしもオレがシスイの立場であったとしても同じことをしていただろう。

 父さんの口からクーデター中止が知らされれば、一族が賛同するかどうかはともかく、開始を遅らせることはできる。

 それからは父さんを筆頭に一人一人説得してオレ達と志を同じくする仲間を増やしていけばいい。

 

「スバルさんのことはお前に任せた方が良さそうだな」

「……オレの言葉は、兄さんに届くだろうか」

 

 自身の口から弱音が飛び出したことに驚いた。

 兄さんはいつも父さんに従ってきたとはいえ、父さんの変貌ぶりを訝しむだろう。兄さんは聡い人だ。万華鏡写輪眼を用いたことにすら気づかれてしまうかもしれない。

 

「スバルさんがお前たちを大切に扱っていることは、第三者であるオレの目にも明らかだ」

「…………」

 

 シスイは笑った。オレの中にある全ての不安を払うように。

 

「大丈夫。必ず分かってくれるさ、お前の気持ちも、オレ達の夢も」

 

 

 

 すでに会合が始まっているであろう時間、オレは一足先にシスイとの合流地点に辿り着いていた。眼前に広がる崖を見下ろしながら、友を待つ。

 父さんに別天神を使って上手くやっている頃合いだろうか。

 父さんをこちら側に引き込んだ後、どうやって一族全員、いや大半を説得すればいい? ここに来てからそればかり考えているが、何も策が浮かんでこない。

 

 せめてスバル兄さんだけでも考えを改めてくれたら……。シスイと兄さん頼みな計画は実行にすら移せなくなり、もっと時間を稼げるはずなのに。

 

「イタチ」

 

 思考に沈んでいたせいで、背後に現れた気配に気付くのが遅れた。

 

 振り返った先にはシスイが立っていた。

 まだ会合が終わるには早い。なにより、シスイの閉じられた右眼から頬にかけて残る血の乾いた跡がオレ達の計画の失敗を示唆していた。

 

「シスイ……その右眼は」

「すまない」

 

 シスイの声は沈んでいた。それでいて凪いだ海のように静かで、いっそ不気味だった。

 

 問いかけに答えないシスイに焦燥感を抱く。一体、彼に何が起きたというのか。

 

「――失敗した。フガク様に接触する前にダンゾウからの邪魔が入ったんだ。もうオレ達ではクーデターを止められない」

「その眼もダンゾウが」

「あの男の手下に油女一族の者がいることは知っているか? ……虫の毒を受けたオレはもう助からない」

 

 ダンゾウの部下……油女一族。すぐに一人の男の顔が浮かぶ。その男は暗部入りと共にダンゾウからオレの手足にと押し付けられた根の忍だった。

 

「ダンゾウはオレの右眼を奪い、根のやり方でクーデターを止めるつもりらしい」

 

 シスイはそこで言葉を切った。彼はずっと崖を見つめていた目をこちらを向ける。その目に滲むのは、戸惑いと――畏れ。

 

「イタチ…………スバルさんを信用するな」

 

 胸を鷲掴みにされるような衝撃だった。

 

「なぜ、ここで兄さんのことが」

「確証はない。だが、オレは……」

 

 シスイの目は、また崖に向けられてしまった。隠された感情の続きを読むことはできない。

 

「いいや、今のは忘れてくれ。そんなはずはない……」

 

 シスイは独り言のように呟く。

 

「残った左眼がダンゾウの手に渡る前に、親友(とも)であるお前に託したい」

 

 その後の記憶が、徐々に黒く塗り潰されていった。

 かつての親友を殺したシスイが、万華鏡写輪眼を開眼した話。左眼だけでなくもう一つ渡したいものがあるのだと無理やりに笑う顔。

 

 それぞれの記憶がバラバラに散って、砕けて、この両手に集中する。シスイの背中に向かって伸びる、この二つの手に。

 

 親友を殺した悔恨の情によって、シスイは万華鏡写輪眼を開眼した。彼の言ったもう一つ渡したいものとは……聞くまでもないことだった。

 

「オレは毒のせいで死を待つのみだ。どうせなら、友であるお前に新たな力を託して死にたい――オレの最期の望みを、どうか叶えてくれ」

「…………」

 

 こちらに背を向けたままのシスイが微かに笑った気配がする。

 

 シスイは、オレにとって二人目の兄のような存在だった。長い時間を共に過ごし、切磋琢磨してきた。

 

 ――死ぬな。

 

 言葉にすることは許されないと分かっていた。

 頬を伝う温もりを自覚した途端、その場で崩れ落ちそうになるのを必死に耐える。

 

「この里を、うちはを……頼む」

「シスイ……」

「お別れだ、イタチ」

 

 背を向けたままなのに、シスイの浮かべた表情がはっきりと()()()

 

「お前と出会えて本当に良かった」

 

 それはこちらのセリフだ。これまでどれだけシスイの存在に救われてきたか……。

 

 指先が背中に触れる。力を込めたのか、込める必要もなかったのか――今となっては何も思い出せなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 オレが初めてイタチの兄に会ったのは、南賀ノ神社で行われた会合だった。

 うちは上層部がやってくるまでは比較的穏やかな雰囲気が漂っている会合の待ち時間。それが、今日は少し違っていた。

 

「今日はフガクさんの御子息が初めて参加するらしい」

「さてどうなるかな。我々はフガク殿を信頼しているが……」

 

 オレと共に部屋の隅に座っていた父が、話しかけてくる一族の人たちに愛想笑いを浮かべている。父は忍界大戦で足を負傷してから一日のほとんどを家で過ごしていた。こうやって重要な会合には無理して顔を出しているものの、そろそろ体力的にも厳しそうだ。次回からはオレ一人での参加になるだろう。

 

「…………来たぞ」

 

 聞こえてきた声にオレも入り口に顔を向ける。フガク様に背を押されるようにして入ってきた少年は、自分に向けられている視線など気にならないようで、まったく表情を変えることなく部屋に足を踏み入れた。

 ヤシロさんといくつか言葉を交わした少年が下座――つまりオレの隣に座る。

 凛と伸びた背中はオレと一つしか歳が違わないとは思えないくらい堂々としたもので、彼は会合が開始してからも一切感情を表に出すことはなかった。

 

 

 会合が中断されることなんて、そうあるものじゃない。木ノ葉上層部の情報を紙に書き出そうとしたフガク様の御子息、スバルさんが脇腹を押さえながら苦しみ始めた時は、誰もが立ち上がって何事かと目を丸くした。

 

「あの……?」

 

 そっと肩に手を置いて顔を覗き込む。しかし、すぐにこれはおかしいと気づく。顔が土色だ。全身が小刻みに震え、冷や汗もすごい。

 

 ――まるで命を削られているみたいだった。

 

 フガク様が怪訝そうな顔をして、スバルさんの上着の裾を捲る。

 

「…………これは」

 

 そこには見たことのない模様が刻まれていた――呪印だと、すぐに分かった。言葉を失ったのはオレだけじゃない。父親であるフガク様ですら困惑と怒りの混じった目でそれを見ていた。

 

「スバル、()()は根によるものか?」

「…………」

 

 ある程度呼吸が落ち着いてきたスバルさんは暫く迷う素振りを見せたが頷く。

 

「なんてことだ……いくら暗部とはいえ、このような……」

 

 誰かがぽつりと「うちは一族だからこのような仕打ちを受けているのでは」と口にすると、その憶測に伴う感情はあっという間に全体に広がる。

 クーデターに積極的ではないオレですら、情報漏洩を阻止するためとはいえ、これはやりすぎだろうと思った。スバルさんが紙に書き出そうとした内容が、暗部の機密に関わる重要なものだったとしてもだ。大人たちの無遠慮な視線にも顔色一つ変えなかった人だからこそ、それほどの痛みと苦しみを受けたのだと分かる。

 

「フガク殿、ひとまずは木ノ葉病院か自宅で安静にさせるべきかと……」

「……すまない」

 

 さっきまでスバルさんに横柄な態度を取っていた大人たちの顔に浮かぶのは――同情と後ろめたさ。

 フガク様はスバルさんの腕を肩に回し、立ち上がる手助けをする。真っ直ぐ部屋を出て行こうとした二人を慌てて呼び止めた。

 

「……あの!」

 

 振り返ったフガク様がオレの差し出した手拭いに目を細める。

 

「これ、使ってください」

 

 フガク様と一緒に振り返ったスバルさんが、じっと手拭いとオレの顔を交互に見た。何を考えているのか分からない瞳に見つめられるのは居心地が悪い。急に自分が場違いなことをしている気分になった。

 

「すまないな……シスイ」

「いえ」

 

 受け取ってくれたフガク様に笑みを向ける。スバルさんも思うところがあったのか、会釈をするように軽く頭を下げてくれた。そんな些細な仕草ですらやけに嬉しく感じられて、つい気安く手を振ってしまった。不快にさせてしまったかもしれない。

 

 スバルさんの右腕が僅かに持ち上がって、まるで話しているかのように何度も指を動かす。

 

「え?」

「…………」

 

 スバルさんはどこか困ったような表情をして、もう一度軽く頭を下げて前を向いてしまった。

 

「すぐに戻る。それまで次の会合で話し合う内容についてまとめておいてくれ」

「分かりました」

 

 フガク様とスバルさんが出て行った後、残った者たちで話し合われたのは、当然次の会合に関するものではなく――木ノ葉によるうちは一族への仕打ちについてだった。

 

 

 

 スバルさんの弟であるイタチとは、うちは一族の集落の外れにある森で出会った。

 イタチは年下でありながらすでの忍としての才能を開花させており、一族の大人たちが嫉妬するほどである。

 

 初めてイタチを見た時、絶対に友達になりたいと思った。イタチの強さに惹かれたというより、自分に近いものを感じたのかもしれない。実際、オレたちはとても気が合った。

 

 森で声をかけた時は警戒混じりだったイタチも、勝手に隣で修行をしているうちに、一緒に組み手や手裏剣術の腕を競ったりするようになり――今では隣を歩いて行動を共にするようになった。

 

「お前の友になれて幸せだ」

 

 そんな風に言うとイタチはいつも照れくさそうな顔をする。そして、決してこちらとは目を合わさずに「……オレもそう思ってる」と薄ら微笑んでくれるのだ。

 

 

 

 イタチをただの友人と呼ぶにはついに物足りなくなり、お互いに親友と称するようになった頃。

 いつものように二人で修行をしようと、イタチの家まで迎えに行っていた。気配を察知したのか、玄関の前に立っただけで小さな影が家の奥から駆けてくる。

 

「サスケ君か? 大きくなったな」

 

 ガラッと玄関の扉が開いて、イタチをそのまま小さくしたような存在がこちらを見上げていた。大きな瞳がまんまるになり、やがてガッカリしたように肩を落とす。どうやらオレを別の誰かと勘違いしたようだ。

 

「こんにちは。イタチ君を呼んでくれるかな」

「……こんにちは」

 

 一応挨拶は返してくれたものの、イタチを取られると思っているのか不満そうに唇を尖らせている。サスケ君とは仲良くしたいと思っているのに上手くいかない。

 イタチの兄であるスバルさんとは違った意味で距離を感じていた。

 サスケ君が渋々とイタチを呼びに行った直後、背後から近づいてくる気配を感じた。噂をすればなんとやら、振り返るとスバルさんが立っている。……これほど近くに来るまで気づけなかった。

 

「こんにちは」

「…………」

 

 イタチ曰く、「よく見ていれば何を考えているか大体分かる」らしい。それならオレもとスバルさんを見つめてみたが……。分からない。分からないぞイタチ。脳内のイタチが首を傾げているが、オレもそうしたい気持ちだった。

 

 会合でのことを思い出して会釈してみると、ややあって頭を下げてくれた。それだけのことなのにやっぱり嬉しい。警戒心の強い猫が、ほんの少し歩み寄ってくれているような心地になるせいだろうか?

 

「あの、オレ、イタチ君を待ってて……今サスケ君が呼びに行ってくれてるんです」

「…………」

 

 あっと声を出しそうになった。イタチの名前を出した瞬間、スバルさんの目が急に優しいものに変わったからだ。

 

「スバルにいさん! おかえりなさい!」

 

 パタパタと音を立ててやってきたサスケ君が勢いよくスバルさんの背中に飛びつく。スバルさんは一体どんな反応をするのかと思ったら、穏やかな表情でサスケ君の頭を撫でている。事前にイタチから聞いていなければ幻術だと思ったかもしれない。

 

「スバル兄さん……帰ってたんだ」

 

 サスケ君より遅れて玄関にやってきたイタチに、スバルさんが何度か指を動かして見せた。

 イタチは「おかえりなさい」と口にしたから、きっと「ただいま」と言ったんだろう。

 

 スバルさんはこれからまた別の任務があるらしい。話に聞いていた通り多忙な人だ。

 

 家で一人になってしまうサスケ君に申し訳なく思っていると、スバルさんがサスケ君を肩車した。そして、イタチとサスケ君に向かって指文字らしきものを綴る。

 

「イタチ、スバルさんは何て?」

「……サスケと少し散歩するらしい。オレたちのことも途中まで送っていくと」

 

 意外だ。今日はそんなことの連続だった。

 これほどイタチやサスケ君のことを大切に想っている人がどうして……。

 イタチも同じことを考えていたのか、複雑そうな表情でスバルさんとサスケ君を見つめていた。

 

 

 

「オレも指文字を覚えたいな」

 

 訓練場に着いたオレとイタチは早速修行を始めるための準備を進めていた。手裏剣術を磨くために難しい位置に的を置いたり、木登りに最適な木を探したり。

 

「シスイが指文字を?」

 

 イタチは反対こそしなかったが、使う機会がないと思ったのかもしれない。オレは苦笑する。

 

「一つだけ知ってる。意味は分からないが」

 

 それはスバルさんと初めて会った日に彼がしていた指の動き。

 

「“ありがとう”? どこでそれを」

「……そうか、あれは“ありがとう”だったんだな」

 

 あの日のスバルさんの困ったような表情を思い出す。

 そういえば、彼は紙と筆を差し出した時もわざわざ「ありがとう」と書いてくれていた。

 

「そろそろスバルさんと話をしてみないか?」

「…………シスイ」

 

 これまでに何度も話題に上がっていたことだった。スバルさんが本当にクーデター決行を望んでいるのか知りたい。

 

「オレも指文字を覚えて、スバルさんと話をしたいんだ」

「…………」

 

 イタチの肩に手を置く。オレにはイタチの不安を取り除いてやることは出来ない。それができるのはスバルさんだけだからだ。

 

「信じよう。お前の大好きなお兄さんなんだろう?」

 

 

 

 イタチの暗部入りがほぼ決定した。まだダンゾウ様の用意した任務があるが、イタチならクリアするだろう。それに当日はオレも同行することになっている。全力でサポートするつもりだ。

 

 その日のうちはの定例会は案の定、イタチの暗部入りに関して話し合われた。今日は珍しくスバルさんも参加している。オレもイタチも会合よりもこれからのことで頭がいっぱいだった。

 

 会合が予定通りの時間に終わる。いよいよだ。

 

 先に部屋を出たスバルさんが神社の鳥居の前で立ち止まる。まるでオレたちに呼び止められるのを知っていたみたいに。

 

「スバルさん」

 

 ゆっくりと振り返ったスバルさんの瞳には、以前イタチに向けていた優しい色はどこにもなかった。

 

 

 

 スバルさんは心の底からクーデターを望んでいるのかもしれない。先ほどまでスバルさんと話をしていたのが幻だったかのようだ。

 

 この場に残されたのはオレとイタチだけ。

 スバルさんはオレたちにはっきりとした拒絶を示して去ってしまった。

 

「……諦めてはダメだ。スバルさんはクーデターを“止めたくない”とは言わなかった」

 

 隣で聞いているはずのイタチの反応はない。冷静になってスバルさんとの会話を思い返してみれば、おかしなことだらけだ。

 

《もう とまらない》

《とめて どうする》

《おまえたちに できることはない》

 

 どれも全部、スバルさんの望みを伴わないものだ。あの人は最後まで自分の考えを口にしなかった。

 

「だから――イタチ」

 

 オレはイタチの顔を見た。続けようとしていた言葉が宙に浮かんで……消えてしまう。

 

「もういいんだシスイ」

「もういいって何を――」

「スバル兄さんは本気だった」

 

 イタチの言葉は重かった。

 

「本気で、オレたちには何も出来ないと思ってる」

「……そんなこと」

 

 そんなことはないとは言えなかった。

 

 望みも考えも伴っていなくとも、感情はそこにある。スバルさんがオレたちに出来ることはないと思っているのは事実らしかった。

 

「それでも歩き続けるしかない」

「……ああ」

「――絶対にクーデターを止める。オレとイタチで」

 

 平穏が崩れる音はすぐそこまで迫ってきていた。

 

 

 

 次の会合ではクーデターの決行日について話し合うことになっていた。オレとイタチに残された時間はもうない。

 

「フガク様にこの万華鏡写輪眼、別天神(ことあまつかみ)を使う」

 

 会合が始まる前にフガク様に接触し、別天神による幻術をかけるつもりだった。親友の父であり、うちは一族の長でもあるフガク様にこのような手を使わなければならないとは……。

 それでもクーデター決行によって流れる血のことを思えば罪悪感を抱いている場合ではない。

 イタチの同意を得たオレは早速フガク様の元へ向かおうとした。幻術にかけるタイミングを図るためである。

 

 しかし、その道中で足止めを食らうことになった。

 

「遅かったな」

「…………」

 

 志村ダンゾウ。三代目火影の側近であり、根の創設者でもある男が立っていた。

 根の屋敷の門前。なぜ自分がここに呼び出されたのか、なぜこのタイミングなのか、悟るには十分だった。

 

「明日、南賀ノ神社で会合があるそうだな」

 

 三代目を光とするなら、目の前の男は闇だ。

 

 独自に木ノ葉中に張り巡らせた“根”を伝ってあらゆる情報を手に入れ、操作している。

 この男ならば知っていてもおかしくないと分かっていながら、()()()()知られているのかと背筋が冷えるような気持ちだった。

 

「……一族は泳がされていた、ということですか」

「お前は実に聡明だ、うちはシスイ」

 

 脳内で何度も警笛が鳴る。この男はあまりにも危険だと。オレがあえて“一族”と線引きしたことにすら気づいて、“うちはシスイ”と呼んだ。

 

「それでオレに何のご用ですか。時間もありませんので……」

「そうだな。ワシの話が長引けばうちはフガクを襲撃する機を失ってしまう。お前も必死だろう」

 

 自然と眉間に力が入る。まさかそこまで知られているとは思わなかった。いつから? 一体どこから漏れた?

 

 オレの心など手に取るように分かるのか、ダンゾウが薄く微笑んだ。

 

「奴の名誉のために言っておくがヒルゼンではない。お前が一番よく分かっているように、うちはイタチでもない……。ワシの手の者が調べ上げた結果だ」

「…………」

 

 冷や汗が止まらない。人間に対してここまで恐れを抱いたのは初めてのことだった。

 この男はオレを聡明などと言っておきながら、心の内ではずっと嘲笑っていたのだろう。何も知らない若輩者が自分の手のひらの上で踊っていると……機が熟すのを待ちながら。

 

「お前の瞳術でうちはフガクに幻術をかけ、一族によるクーデターを阻止する。唯一無二の写輪眼を持つ者にしか出来ないことだ。しかし――」

 

 オレがフガク様に万華鏡写輪眼を使うと決めたのは数日前のこと。それがすでにダンゾウに筒抜けになっている。異常な情報収集能力だった。

 

「今更うちはフガク一人が心変わりしたところで高が知れている。お前はその貴重な能力をみすみす無駄にするのだ」

「やってもいないことで無駄と決めつけるのは……」

「お前の計画は必ず破綻する」

 

 ――おまえたちに できることはない

 

「…………」

 

 今ここであの言葉を思い出したのは何故だろう。ダンゾウの自信に満ちた響きにあの日のスバルさんの姿を重ねてしまったから? あの人は一族が止まらないことをすでに確信しているようだった。

 

 ――そうだとして なんのかんけいがある

 

 関係? あるだろう。オレもイタチもうちは一族だ。それと同じように木ノ葉の人間だ。心の底から一族を愛しているからこそ、木ノ葉隠れの里を愛しているからこそ、両者を守るために足掻いて何が悪い。オレたちにだって出来ることはあるはずだ。

 

「……オレは一族も木ノ葉も守り抜いてみせる。あなたがどう考えていようと関係がない」

 

 あの人がどうしてオレたちを遠ざけようとしたのか――イタチを突き放したのか。関係ないだなんて悲しい言葉を弟であるイタチに吐き出さなければならなかったのか。

 

 オレたちは知らないことが多すぎたのかもしれない。この事態を予測できなかったように。

 

 包帯に覆われていないダンゾウの左眼が怪しく光った。

 

「だが、ワシならば……ワシがその眼を持っていたならば、話は違っただろう」

「なっ……」

 

 ゆっくりと持ち上がったダンゾウの腕に慌てて飛び退こうとした――が、その場から動けない。

 

「ようやく気がついたか」

 

 両足の感覚がない。まるで切り取られてしまったかのように。

 

「オレに……何をした!?」

 

 背後でゆらりと気配が揺れる。顔だけで振り返ることはできたが、相変わらず足はほとんど動かない。

 

 そこには見覚えのない白虎の面をつけた男が立っていた。

 

「その男は油女一族の者……聡いお前にはこれ以上の説明は不要だろう」

「くっ……」

 

 油女一族が蟲を扱うことは有名だ。オレの足が動かないのも蟲の毒によるものだろうが、こうなるまで身体が毒に侵されていることに気づかせない手腕は見事としか言いようがない。

 

「その毒は即死性は低いものだ。必ず死に至るが……今すぐではない」

 

 ダンゾウが一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。

 

「写輪眼は、死人よりも生きた人間から抜き取った方が馴染むのが早い。こちらも、抜き取る前に死んでもらっては困るのだ」

「アンタは何を……?」

 

 ついに眼前まで迫っていたダンゾウの指が、一気に鋭さを増した。

 

「こうするのだ」

 

 オレの右眼に勢いよく突き立てられた指が、グジュルと形容し難い音を立てて動いている。オレは思わず叫んだが、痛みはない。毒のせいで感覚が麻痺している。

 ヌルッと自分の右側から球体のようなものが抉り出されたのが分かった。球体とオレを繋ぐ最後の糸のようなものがぶつんっと千切り取られ、オレは恍惚の表情になっているダンゾウを見上げた。

 

 ――狂ってる。

 

「あとひとつ」

 

 ダンゾウがそう呟いた瞬間、オレの残された左眼は弱々しい最後の光を放った。

 

 

 

 瞬身は成功したが、追手から完全に逃れることは出来なかった。あの油女一族の男と数人の暗部の姿は見えなくなったが、一番最後に合流した狐面の男だけはぴたりと後ろを追いかけてきている。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 限界が近い。身体の痺れは無くなって足が動かせるようになっても、全身をめぐる毒のせいで震えが止まらない。さっきからずっと心臓が痛いのも、自分の死期がすぐそこまで迫ってきているのを感じる。

 

 後ろから飛んできたクナイを弾き、オレは何度もイタチと修行した森の中に逃げ込んだ。

 

「うっ」

 

 倒れた木の枝に足を取られて転ぶ。普段ならば絶対にしない失態だった。そんな隙を見逃してくれる相手ではない。

 

 あっという間に距離を詰めてきた狐面の男が腰の忍刀を抜いて振り下ろしてくる。

 

「ぐ…………」

 

 こんなところで死ねない。死んでたまるか。

 オレを突き動かしているのは意地と親友との約束だった。

 

 両手に構えたクナイで刀を受け止める。力が入らないせいでギリギリと刀がオレの喉元へと近づいてくるが、諦めることは出来なかった。

 

 なけなしの力を振り絞って男を押し戻す。たたらを踏んだ男に向かって、ホルスターから取り出した手裏剣を投げた。

 

 男はすぐに持ち直して刀で手裏剣を弾いたが……弾いた先が悪かった。

 手裏剣はくるくると回転して、男の被っている狐面の端に当たる。

 ズレたお面の内側にある顔と目が合った。

 

「そん……な……」

「…………」

 

 ここにあるはずのない顔だった。

 

 それは一瞬の出来事で、男はすぐにズレたお面を元に戻してしまったから顔全体を見られたわけでもない。

 

 あれは、うちはスバル。イタチの兄の顔だった。

 

 

 

 自分のお面を手で支えながら戦闘続行はできないと判断したのか、狐面の男は闇に紛れて消えてしまった。

 だが油断はできない。オレは最大限の注意を払ってイタチとの約束の場所に来ていた。崖の前でオレを待っている後ろ姿を見ると全身の力が抜けそうになる。

 

「シスイ…………?」

 

 気を抜かずにイタチの前に立つ。

 

「すまない、イタチ」

 

 困惑しているイタチを追い越して崖の前に立った。……もう時間がない。

 

 オレはイタチに全てを話した。計画が失敗したこと、ダンゾウに右眼を奪われたこと、油女一族の男の毒を受けてもうすぐ死ぬこと。

 

「イタチ……スバルさんを信用するな」

 

 そう、全てを話さなければならない。オレの考えはイタチの表情を見て霧が晴れるように消えていく。あの狐面の男をスバルさんだと断言するには、あまりにも情報が少なすぎると気づいたからだ。

 

 あれは本当にスバルさんだったのだろうか?

 

 スバルさんは根に所属していたことがあるとはいえ、今は火影様直属の暗部。うちは一族のクーデターに賛同している急進派の一人でもある。

 ダンゾウはあくまで木ノ葉側の人間だ。そんな彼にスバルさんが従うはずがない。もしもあれが本当にスバルさんだとしたら彼は……ずっと一族を裏切っていたことになる。

 

「シスイ?」

「いいや、今のは忘れてくれ……そんなはずはない……」

 

 そうだ、そんなはずはない。スバルさんが一族を裏切ってまでダンゾウの元にいることを説明できない。

 

「お前に頼みがある」

 

 さいごのひとつ。オレが親友に与えられる唯一のものであり、たった一つ永遠に背負わせなければならないもの。

 

 自分の左眼を自ら抉り取り、イタチに差し出す。もう何も見えない。オレには未来がないが、イタチは違う。彼はこれから先を見ていける。

 

「この左眼がダンゾウの手に渡る前に、親友(とも)であるお前に託したい」

 

 自分の口元が穏やかに緩んだのが分かる。イタチの顔を見られないことだけが心残りだった。

 

「オレは毒のせいで死を待つのみだ。どうせなら、お前に新たな力を託して死にたい――オレの最期の望みを、どうか叶えてくれ」

 

 イタチはオレにとって対等な友であり、弟のような存在でもあった。

 

 間違った道を選ぼうとする一族と板挟みになっていたオレの前に差し込んだ、たった一つの希望の光。

 

「お前なら大丈夫だ」

 

 オレは自分の言葉がイタチの人生を縛る呪いになるとは思っていなかった。

 

 ――万華鏡写輪眼の開眼条件は、大切な人間の死に触れること。

 

 自らの死を以てイタチに新たな力を遺せることを誇りに思う。そして、何よりイタチのことを誇りに思う。彼ならばきっとうちはと木ノ葉を救ってくれると信じているから。

 

「お前に出会えてよかった」

 

 ――お前の友になれて幸せだ

 

 あの日と同じ響きなのにこんなにも重い。オレの本当の心はここに留まりたいと叫んでいた。

 

「…………」

 

 ふっと笑う。時間だ。

 

 イタチの両手が弱々しく背中に触れた。押される感触があるかないか、そんなタイミングでオレは体重を前に傾ける。

 

 自分の体がこんなに軽かったことはない。落ちて、落ちて、落ちていく。

 

 意識が途切れる寸前、オレは見えるはずのない“眼”でイタチを見た。今より身長は高く、まるで未来の姿を見ているかのようだった。

 

 カラスの羽が舞っている。

 

 その中にいるイタチの瞳が見つめる先には――

 

 

 

 ***

 

 

 

 親友の死を目の当たりにしても、オレは()()()()日々の中に囚われている必要があった。

 

 今日もスバル兄さんは朝からどこかへ出掛けているようで、家の中にその姿は見当たらない。

 

 ――スバルさんを信用するな

 

 あの言葉がずっと頭から離れない。シスイは一体何を見たのだろう。今となっては聞くことも出来ない。

 

「……凄いな、サスケ」

 

 サスケと並んで縁側に座っていたオレは、手にしていたアカデミーの成績表を閉じて笑みを向ける。学年一位。非の打ち所がない成績だった。

 

「母さん達にはもう見せたのか?」

「父さんとスバルにいさんには……」

 

 こんなにも素晴らしい成績だというのに、サスケの表情は暗い。

 

「スバルにいさん……声をかけて、ちゃんと聞こえてたはずなのに、見てもくれなかったんだ」

「……スバル兄さんが?」

 

 あの兄さんがそんな態度を取るはずがない。少なくとも、サスケには。

 

 兄さんはクーデターのことを何も知らないサスケに対しては以前と変わらない対応を貫いていた。

 

「父さんはこの調子でにいさん達のように頑張りなさいって、そればっかり」

 

 サスケの言葉には、父さんに対するものというよりオレやスバル兄さんへの負の感情が含まれているように感じた。

 それは兄を持つ弟ならば珍しくもない感情なのかもしれない。だが、オレはスバル兄さんに対してそのような想いを抱いたことすらなかった。

 

「オレがうとましいか?」

 

 サスケの瞳が大きく見開かれる。図星を突かれて驚いているのか、はたまた、全くの別物か。オレには判断できそうにない。

 それでもサスケの無言を肯定と見做して続ける。

 

「それでもいい」

 

 心からそう思っていた。愛する弟から向けられる感情が憧れだろうと疎ましさだろうと、オレがサスケに抱く想いは変わらない。

 

「…………」

 

 スバル兄さんに対してもそうだ。シスイの言葉は気になるが、兄さんが例えクーデターの実行を望み、オレとは相反する道を進もうとしていても……オレにとっては、今も昔もたった一人の大切な兄だった。

 それに、誰かに憎まれるのは慣れている。忍として生きていく以上、誰かを殺し、彼らや残された者達から恨まれることからは避けて通れない。

 

 小日向(こひなた)ムカイの妻子はどうなっただろう。

 

 あの白猫の面と共に、ムカイの最期の言葉が蘇る。忍の死に様……彼に残されたのは、本当にあのような最期だけだったのか? 今更考えても仕方のないこと。彼を死に追いやったのは、紛れもなくオレなのだから。

 

 

 

「イタチはいるか! 出てこい!」

 

 玄関に複数人の気配が近づいてきていることにはとっくに気づいていた。勢いよく扉が開く音がして、見知った声が響く。

 

「に、にいさん……」

 

 立ち上がったオレを引き留めるようにサスケが服を掴む。そんな弟を安心させるように笑みを浮かべる。

 

「心配しなくていい」

 

 サスケの手を優しく解いて玄関に向かう。

 父さんの腹心であるイナビ、ヤシロ、テッカが立っていて、高圧的にこちらを見下ろしていた。

 

「どうされたんですか」

 

 彼らがどのような目的でオレを訪ねてきたのかすでに察していたが、冷静に問いかける。

 

「昨日の会合に来なかったやつが二人いる……イタチ、お前は何故来なかった?」

 

 もう一人はシスイのことだ。

 

 彼らはすでにシスイが死んでいることを把握している。シスイの死をオレに伏せたまま、敢えてこのような遠回しな言い方をしているということは――疑われているのだろう。

 

「昨夜は重要な任務に就いていました。父から知らせを受けていませんでしたか?」

「お前が暗部として様々な任務に駆り出されていることは承知している。お前の父上も多忙なお前を庇ってはいるが……己を特別などと思わないことだ」

 

 あれほど一族に望まれた暗部入りだというのに、今となってはこのような言われようだ。それに、オレは一度たりとも自分を特別な存在などと思ったことはない。

 

「……暗部の任務はオレの一存でどうにかなるものではありませんが、心に留めておきます」

 

 ――そろそろお引き取りください。

 

 そう続けようとした言葉は、ヤシロに遮られてしまった。

 

「最後にもう一つ、訊かなければならないことがある」

 

 これ以上話を続けると彼らへの怒りを抑えられそうにない。しかし、ヤシロ達はそう簡単にオレを解放する気はないようだった。

 

「昨夜、南賀ノ川に身投げして自殺した、うちはシスイについてだ。……お前はヤツを実の兄のように慕っていたな?」

「…………」

 

 実の兄のように。そこまで知っていて、シスイにオレの監視を命じたのは目の前の三人だった。

 激情が外側に溢れそうになる。シスイを死に至らしめたのは、オレであり、一族の里への反発心という愚かで、稚拙な、集よりも個を優先する利己的な感情のせいだ。

 彼らの口からシスイの名前が出てくるだけで瞳に熱が集まっていく。許せなかった。何も知らない人間に、オレ達の志を穢されたかのような心地ですらあった。

 

 震えるオレの腕をおさえているのは、他でもないシスイの遺した言葉。

 

 ――里と一族を頼む

 

 残酷だった。こんな愚かな一族の為にお前は……。

 

「我々警務部隊は、この件を全力で捜査することにした」

 

 イナビがこちらに紙切れを差し出してくる。オレが受け取ったのを確認してから、再び口を開いた。

 

「シスイの遺書だ。筆跡の鑑定は済んでる。間違いなく本人が書いたものだと」

「…………自殺が明らかであるなら、一体何を捜査するのですか」

 

 白々しい。間違いなくお互いが相手に対して思っていることだった。

 

「写輪眼を使える者なら筆跡のコピーなど容易い」

 

 遺書の内容は見ずとも全て()()()()()。これはシスイ本人から受け取った言葉をオレが書いたものだ。

 

 これ以上“道”に背くことはできない。

 

 道とは何か。それは一族がいずれ辿り着く先の話だと解釈している。このままではうちはに未来はない。

 シスイはこの言葉で少しでも一族の暴走を止められたらと考えていたようだが、目の前の三人の様子を見るに一つたりとも伝わらなかったようだ。

 

「とりあえずその遺書はお前に預ける。お前から暗部に捜査協力を要請しろ」

「……了解しました」

 

 信頼しているスバル兄さんではなくオレに命じる時点で、彼らがオレを“クロ”だと考えているのは明白だった。

 

 三人がこちらを背を向ける。

 

 危ないところだったが、何とか耐えられた……胸を撫で下ろしそうになったその時、敷居をまたぐところだったヤシロがオレに聞こえるよう、わざとらしく言った。

 

「手がかりが出てくるといいがな」

 

 何が言いたい。眉を寄せたオレに、これまで一言も発さなかったテッカがヤシロの発言を拾った。

 

警務部隊(オレたち)には同じ暗部に所属するお前の兄がいる。……要請を怠れば、すぐこちらにも伝わるぞ」

「…………」

 

 兄はお前ではなく一族を選ぶ。そう言われたのだと分かって、これまでのシスイに対する侮辱行為と相まって、目の前が真っ赤に染まった。

 

「……直接的に言ったらどうだ」

 

 もう抑えられそうにない。

 立ち止まった三人がこちらを振り返る。彼らの瞳はすでに写輪眼になっていた。

 

「オレを疑ってるのか?」

 

 彼らの写輪眼に応えるように、瞳の模様が変化する。

 

「そのとおりだ……クソガキ」

 

 みすみすシスイを死なせてしまった自分のことが許せない。しかし、一族への怒りがそれに勝った。

 未だに自分達が優位に立っていると信じて疑わない三人に足を踏み出す。

 まずは自分より体格も身長もあるヤシロを軽々と蹴り飛ばし、残りの二人が反応を見せるよりも早く、急所を突いて地面に転がす。

 

 あっという間の出来事だった。

 

「ぐうっ……!」

「……くだらない」

 

 何も知らぬ愚か者の戯言だと聞き流すべきだ。僅かに残った冷静な部分が囁いてくるが、止められなかった。

 

「自分達がどうして地面に這いつくばっているのか……まだ分からないようだな」

 

 彼らがオレに敵うはずがない。力量も、内に秘めたる夢も、何もかも“格”が違う。オレの夢はオレだけのものではなく、唯一無二の友と目指した夢だった。

 父を革命のトップとして祭り上げ、友の監視をシスイに命じ、心優しい兄を利用し、自分達は一族の上層部でありながら、その手は一切汚さずにのうのうと生きている。

 

 急進派である彼らが死ねば、シスイの死により崩れかけている計画にさらなる穴を開けることができるのではないか?

 

 力なく下ろしていた腕を持ち上げる。そう、ここで彼らを殺してしまえば――

 

「やめろ、イタチ!」

 

 ぴたりと手を止める。振り返った先に、父さんと……スバル兄さんが立っていた。

 

 兄さんと目が合う。

 

「……スバル兄さん」

 

 縋るように呼んでしまった。兄さんはオレの隣を通り過ぎて、倒れている三人に手を差し出す。

 

「スバル……お前の弟はどうかしている……一体どんな教育をしてきたんだ」

「…………」

 

 兄さんに立ち上がるのを助けてもらった三人がこちらを睨みつけてくる。

 

《ここで なにを?》

 

 兄さんが微笑みを浮かべながら指文字を綴る。…………そう、笑っていた。

 

 これまでも主にオレやサスケに向けてかすかに微笑んでくれることはあったが――ここまでハッキリとした自然な笑みは見たことがない。隣の父さんも驚いているようだった。

 

「我々はうちはシスイの自殺について知らせに来ただけ」

《そうでしたか》

「それを、お前の弟が急に腹を立てて襲い掛かってきたのだ」

 

 保身のために事実を捻じ曲げるつもりか。ぐっと自分の腕を自分で押さえていると、兄さんが頭を下げた。

 

《もうしわけありません》

「……お前が謝ることでは……スバル、お前は本当によくやってくれている」

 

 唖然とした。……兄さんはこの場を丸く収める為にそう言ったのかもしれない。しかし、この違和感は一体なんだ?

 

 こちらを振り返った兄さんがオレの右腕を掴む。ぎくりと肩が揺れた。

 

 兄さんはやけにゆっくりとした動きで、空いている手で指文字を続けた。

 

《しゃざいを》

「…………」

 

 オレの右腕を握る力が強くなる。どうして……兄さんは、本当に…………彼らの言う通り、オレではなく一族を取るつもりだというのか?

 

 兄さんから厳しい言葉や態度を取られたことのないオレは、がくりとその場に膝をついた。

 

 シスイ……オレは……兄さんがオレやサスケの為に一族の地位を確固たるものにしようとしているのではないかというお前の言葉を信じていた。――兄さんを信じていた。

 

 だというのに、現実は、兄さんはオレを冷たく見下ろし、一族への謝罪が出てくるのを待っている。そこにあるのは“厄介な弟”に向ける感情だけ。優しい兄の姿はどこにもなかった。

 

「……シスイを殺したのはオレではありません」

 

 兄さんはシスイの死を耳にしても、まったく動じなかった。何も感じないみたいに。

 

 まるで人が変わったみたいだ。シスイと共に対立した日も、暗部のお面越しでも、いつでもその瞳を見れば温もりがあったのに――

 

「ですが、数々の失言については……申し訳ありませんでした」

 

 心からの謝罪でないことは父さんや兄さんには見抜かれているだろう。勿論、ヤシロ達にも。

 

「……スバル、暗部の仕事はキツいだろう」

 

 父さんが何の脈絡もなく兄さんに話を振った。兄さんはきょとんとしている。またしても、見たことのない表情だった。こんなに表情が動いている兄さんは、やはり見たことがない。

 

《そうですね》

 

 ヤシロ達がいるからか、やけに他人行儀な言葉に父さんが僅かに眉を寄せる。

 

「イタチも、慣れない任務に疲弊して平静さを失っていたんだろう……」

「隊長!! まさか、イタチの件を疲れなどという言葉で片付けるおつもりですか?」

「火影様直属の暗部を、警務部隊の一存で拘束することはできない。それにイタチのことは、父であるオレが責任を持って監視していく」

 

 ……シスイの代わりに。オレは無意識のうちに心の中で付け足していた。

 

「……頼む」

 

 父さんがヤシロ達に深く頭を下げた。一族のトップにここまでされてしまっては、彼らも引き下がるしかない。

 

「……分かりました」

 

 イナビが最後にオレを憎々しげに睨みつけて、ヤシロ達と共に去っていく。

 

 感情の昂まりが瞳を(くれない)へと変化させ、熱が一点に集中する。万華鏡写輪眼……。

 

 顔を上げたオレの視界の中にスバル兄さんがいる。

 

 スバル兄さんの唇が微かに動いたのを、写輪眼になったオレの瞳は見逃さなかった。

 

 “すぐに崩せる”

 

 音は無かったが、確かにそう動いた。

 



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第二十二話 終わらせるために

 シスイの死が与えた影響は大きく、うちは一族は一年以上クーデターの決行を遅らせることとなった。

 

 ところが、近頃また動きが活発になってきている。

 父さん達が新たな計画の骨組みを完成させ、一族に再起を促しているせいだった。

 ――その中には、当然スバル兄さんもいる。

 

「ダンゾウ様から話は聞いている。うちはイタチだな」

 

 オレがいるのは、ダンゾウに一時的に提供された根の屋敷の一室。ここでうちは一族に関する資料を整理することになっていた。

 

 共に資料を捌いていた猿面の男が、部屋にやってきた人物に勢いよく顔を上げた。

 

「モズさん!」

「ゴズ、進捗はどうだ」

「順調に進んでいますよ」

 

 モズと呼ばれた男はオレの目の前まで来て、同じように床に直に座った。

 オレと猿面の男が整理していた資料に手を伸ばして内容を確認している。ダンゾウが言っていた補充要員は彼なのだと分かった。

 

「大名の護衛任務以来か」

「……そうですね」

 

 モズが資料から目を離さずに淡々と口にする。

 

「アイツはいない」

「…………」

 

 アイツというのは白猫のお面を被った少年のこと。無意識のうちにあの少年の姿を探していた自分に驚いた。

 思考をすぐに読まれてしまうのは修行不足の証。オレは気を引き締めて手元の資料に集中した。

 

「モズさんに雑務が割り当てられるなんて珍しいですね」

「この件は最優先事項だからな」

「ヤシロの出した修正案によると、漸くシスイに頼らず火影を拉致する目処がついたようです」

 

 この修正案を根に持ち帰ったのは、ゴズという猿面の男だった。オレは彼の素顔を幼い頃から何度も目にしたことがある。

 うちはカゲン。警務部隊の事務処理や後方支援を行う部署に配属されており、うちはの会合に毎回参加しているものの目立った発言をしているところは見たことがない。

 

 その正体が誰にも気づかれぬうちに入れ替わった根の忍だと知ったのは、暗部の分隊長となり、ダンゾウから部下として彼らを与えられた時だった。

 ゴズには双子の弟がいて、二人揃ってうちはカゲンの顔に作り替えている。

 背格好もチャクラの質も同じ二人が交互にうちはカゲンとしての役目を果たし、根にうちは一族の情報に流していたのだ。

 

 木ノ葉において根の目が届かない場所などないのかもしれない。木ノ葉という大木を目に見えぬ地下から支える、闇を生きる忍たち。

 オレにその資質があると言ったダンゾウの言葉を思い出す。

 

 根はシスイの仇だ。しかし、オレには親友と共に追いかけた夢がある。戦争のない世界のため、木ノ葉隠れの里の未来のために、復讐心に取り憑かれている場合ではない。

 三代目が動かない以上、ダンゾウに従うしかなかった。

 

「本当にうちはフガクが次の火影に就任できると思ってるんですかね」

 

 ゴズが読んでいた資料を「処分」と書かれた箱に振り分けながら言う。

 

 火影……それは、オレが己の夢への足がかりとして目指した道でもあった。

 

 うちは一族初の火影となって、この世のありとあらゆる争いを失くす。

 今でも平和への情景は絶えることなく胸の中にある。夢を夢で終わらせるつもりはなかった。例え、火影となる道が既に潰えていたとしても。

 

「さあな。オレたちが考える必要はない」

 

 モズがぶっきらぼうに答える。

 白猫の少年と会話している時の彼はもう少し感情のこもった話し方をしていた気がする。

 

 仕分けしなければならない資料も残り少なくなってきた頃、遠くから騒々しい足音が聞こえてきた。その音は部屋の前で立ち止まり、断りもなく障子が開かれる。

 

「分隊長!!」

 

 隊長と呼ばれるのは未だに慣れない。ゴズと同じ猿面をつけた男が障子の向こうに立っていた。どこから走ってきたのか、肩で息をしている。

 ゴズの双子の弟であるメズだ。

 

「メズ……? お前、なんでここに! 監視はどうした」

 

 ゴズがこの場にいるということは、メズはうちはカゲンとして集落に存在していなければならない。

 兄であるゴズの責めるような目に怯むことなく、メズがオレに向かって叫んだ。

 

「たった今、通達があったんだよ! 監視どころじゃねぇんだ!」

 

 ゴズより随分と荒々しい口調だった。

 話を続けようとしていたメズの動きが急に止まる。

 彼の肩には、いつの間にか第三者の手が置かれていた。

 

『……メズ。やけに急いでいたようだが、その前に俺の用事を済ませていいか?』

 

 メズの背後から姿を現したのは白猫の面をつけた少年だった。

 

「く、クロさん……気配を消して後ろに立たないでくださいよ」

『ああ、悪い』

 

 少年は怯えているメズの言葉を軽く流して、メズの肩越しに部屋の中に目を向ける――真っ先に手前に座っていたオレと目が合った。

 

『…………』

「…………?」

 

 すぐに逸らされるだろうと思って、オレの方は少年を見上げたままだったが、いつまで経っても視線が外れない。ずっと見られている。気のせいでなければ瞬きすらしていない。

 少年の瞳は乾燥のせいで徐々に充血していた。素直に感情を表現するなら……怖い。

 なぜ、そんなにも必死にオレを見つめる……?

 

「お前な…………」

 

 オレの隣に座っていたモズが、呆れたような声と共に立ち上がる。

 

「オレを呼びにきたんだろ。さっさと行くぞ」

『……モズ隊長、これは、』

「喋るな」

『…………』

 

 借りてきた猫のように大人しくなった少年の首根っこを掴んだモズ。

 

「後は頼む。オレはこいつと別の任務だ」

「は、はい!」

 

 ゴズが慌てて立ち上がって、二人の姿が完全に見えなくなるまでメズと一緒に見送っていた。

 

「随分とあの二人に配慮しているんだな」

 

 ゴズとメズがオレの言葉に振り返る。その目は今まで見た中で一番生き生きとしていた。

 

「当たり前です。とくにモズさんは根の忍で知らない人はいないですよ」

 

 ゴズの言葉にメズが勢いよく頷く。人徳のある人物のようだ。

 

「あの猫のお面の少年はいつから根に?」

「…………分隊長とはいえ、外部の人間に根の構成員のことは話してはならない決まりですから」

 

 やはりこれ以上は踏み込めないか。ゴズの反応は予想できていたから落胆はない。

 

「ところで、メズ。ここまで走ってくるほどの用はなんだったんだ」

「あ…………」

「…………」

 

 不覚にも完全に忘れていた。

 

 

 

 メズが持ってきた情報は、次の会合でクーデターの決行日と配属が皆に伝達されるというものだ。

 オレには知らされていない。ヤシロ達との件があってから会合には一度も参加していないし、父さんやスバル兄さんと碌に会話も出来ていないことを考えれば当然のことだった。

 

 あれから兄さんはますます家に寄り付かなくなり、別の場所で寝泊まりすることも増えた。

 父さんがたまに帰ってきた兄さんを捕まえて詳細を聞き出そうとしていたが、あの“笑顔”と共にのらりくらりとかわされてしまっている。

 完全にお手上げらしかった。

 

 今日は、一族にとって重要な会合のあった翌日。

 火影屋敷にある優先度の高い報告や話し合いを行う際に使用される査問室。

 

 オレの前には長机を挟んで四人の木ノ葉上層部が椅子に腰掛け、それぞれ温度の違う視線を投げかけている。

 

 ゴズやメズと共に調べ上げてきたうちは一族に関する報告をする為に設けられた場だった。

 最後に行われた会合の内容は、参加したメズのおかげで全て把握している。

 クーデター決行は十日後に迫っていた。

 

「うちはフガクの火影襲名……集落の解体……九尾事件での我らの温情を忘れたか!」

 

 報告を受けて真っ先に感情を露わにしたのは、うたたねコハルだ。

 

「これ以上うちは一族の蛮行を見過ごすわけにはいかぬ。今すぐにでも逆賊として処断すべきだ!」

「待てコハル! 決行まで十日ある、まだ出来ることがあるはずじゃ……」

 

 たった十日間で何ができるというのか? シスイの命を犠牲にして一年以上もクーデターを引き延ばしたというのに、三代目は今日までこれといった動きは見せていない。少なくともオレの前では。

 シスイの死を無駄にしない為、何よりも里の平和のために動いていたのはオレと根の忍、そして皮肉にも根のトップであるダンゾウのみだった。

 

「ヒルゼン……イタチやワシの暗部が持ち帰った情報によると、()()うちはスバルも一族側につくのだろう? あの男は実に優秀だ……悠長にしていれば本当に寝首を掻かれることになるやもしれぬぞ」

「……スバルがうちは側につくこと自体、ワシはまだ受け入れられていないのだ」

「しかしそれが現実だ。あの男が根に所属していた頃、常に里を想い里の為に働く優秀な忍だった。あやつが変わったのは火影直属の暗部なんぞに入ったせいではないのか?」

 

 額に手を当てた三代目の顔には疲労が滲んでいる。

 

「まずはうちはスバルと話をしなくては」

「あの男はこれまで巧妙に本心を隠し、里を裏切ってうちは一族に情報を流し続けていたスパイだ。イタチ達が集めた情報を我々が知っていることをスバルに知らせれば、すぐに一族に伝わる。そうなればクーデター決行がさらに早まるだけだろう」

「だが、うちははかつての戦友……力ではなく言葉で話しかけたい」

 

 せめて、一族との対話を九尾襲撃事件の後でも構わないからしてくれていれば。一族を里の中枢から遠ざけて隔離するような真似をしなければ。

 

 今更たらればの話をしたって仕方ない。

 もう止まれないところまで追い詰められてしまったうちは一族にはどのような言葉も意味を成さない。

 彼らは奪われたものを取り返そうと必死だ。

 

「イタチ……少しでいい、時間稼ぎをしてくれ。その間にお前の兄であるうちはスバルのことも、一族のことも、ワシが策を考える」

「…………」

 

 シスイの死を無駄にした三代目の言葉は薄っぺらいものにしか聞こえなかった。もう貴方に出来ることは何も――

 

 ――おまえたちに できることはない

 

 かつての兄さんの言葉を思い出す。あの時は荒波のような感情を抑えるのに精一杯で、その言葉の意味を深く読み取る余裕もなかった。

 

 スバル兄さんはどうしてあのようなことを……オレが三代目に抱いているような感情を、何故クーデターを実行する側であるはずの兄さんが……。

 あれは間違いなく“怒り”だった。

 

 オレとシスイにクーデターの邪魔をされそうになったからか?

 ――違う。

 愚かにもたった二人で一族を止められると信じていたオレ達への呆れからか?

 ――違う。

 

 兄さんは一体、何に対して怒りを抱いていた?

 

 

 

 三代目達へ報告を済ませてすぐ、ダンゾウに根の屋敷に呼び出されていた。

 

「戦争になろうがなるまいが、クーデターが起こった時点でうちは一族の滅亡は避けられない」

 

 静かに告げたダンゾウの言葉は、正しい未来だった。シスイの死によって確定してしまった未来。……もうどうすることもできない。

 

「事が明るみに出てしまえば、何も知らぬ子どもといえど粛清の対象になる」

「…………」

 

 何も知らぬ子どもが弟であるサスケのことを指しているのはすぐに気づいた。サスケはまだアカデミーに通う子ども……一族がしようとしていることは何も知らされず、日々己の力を磨く為に努力している。

 そんな弟が愚かな一族と共に滅ぶ運命にあるなど、受け入れられなかった。

 

「しかし、クーデターが起こる前に全てを闇に葬り去ることが出来れば…………分かるな?」

 

 一年以上前から覚悟していたことだった。

 ダンゾウはこちらを試すような態度でいるが、オレの心は決まっている――たった一つの心残りを除いて。

 

 そんなオレの“心残り”を見透かすように、ダンゾウが不気味に笑った。

 

「うちはサスケを除く、一族全員の暗殺。生みの親であるうちはフガクや、うちはミコト――そして兄であるうちはスバル。お前の手で殺すのだ……イタチ」

 

 

 

 ダンゾウに任務を受けると伝えた日。

 

 帰宅したオレを玄関で迎えたのはスバル兄さんだった。

 まだ日も落ちていないこの時間、兄さんが家にいるのは珍しい。

 

《おかえり》

 

 兄さんが丁寧に指文字を綴る。その表情は柔らかい。

 

「……ただいま」

 

 それだけ口にして、兄さんの隣を通り過ぎる。

 クーデターを数日後に控えた今、余計な接触は控えたかった。……罪悪感で胸が押し潰されそうになる。

 

「イタチにいさん! 今日は早いね」

 

 声を聞きつけてやって来たサスケがオレに精一杯の笑みを向ける。……ぎこちない笑み。サスケもオレの様子がおかしいことに気づいている。

 そんな弟が、何度か父さんやスバル兄さんとの仲を取り持とうとしていたことも知っていた。

 

「久しぶりに三人で商店街に行こうよ!」

「……それは」

《ひまじゃない》

 

 真っ先にサスケの提案を切り捨てた兄さんに、サスケが目をまん丸にさせる。

 

「……どうして? スバルにいさん、やっと帰ってきたのに……今日はもう任務もないって」

 

 シスイが死んだ頃から兄さんは変わってしまった。以前はもっと言葉を選んでくれていたのに。

 サスケはぎゅうっと自分の服を皺になるまで握りしめて今にも泣き出しそうになっている。

 

 オレは生まれて初めて、大好き()()()兄に対して小さな怒りを覚えた。

 

「……サスケ。自分の部屋に戻っていろ」

「で、でも……」

「オレはスバル兄さんと話がある」

 

 オレとスバル兄さんを交互に見つめていたサスケが、最後にちらりとオレの方を見て……消え入りそうな声で「うん……」と頷く。

 小さな背中が離れていったのを確認して、兄さんに向き直る。

 

「暇ではなくても時間はあるはずだ。一族の演習場へ」

「…………」

 

 兄さんは煩わしそうに眉を寄せたが、すぐに頷いた。

 

 

 

 一族専用の演習場に来るのは久しぶりだった。

 

 視線を横にずらせば、かつて何度も世話になった忍具などが収納されている倉庫がある。

 下忍となってからは里の、暗部に入ってからは専用の演習場の使用許可が得られたおかげで、長い間ここには来ていなかった。

 何度かサスケの付き添いで足を向けたくらいだろう。

 

 隣で静かに演習場を眺めている兄さんを盗み見る。

 

 ――昔から、考えの読めない人ではあった。

 

 それでも母さんの言うように慎重に観察すれば単純な喜怒哀楽はすぐに分かるようになり、兄さんの伝えようとする努力に気づくこともできた。

 

 いつもオレとサスケに対して全力で愛情を注いでくれていたように思う。

 

 オレが不安を感じていれば安心させるように抱きしめ、サスケが嬉しそうに笑えば兄さんの頬も僅かに緩んで、蜂蜜が溶け出したような優しい目をする。

 そんな兄さんを見ているのが大好きだった。

 

 ――あやつが変わったのは、火影直属の暗部なんぞに入ったせいではないのか?

 

 ダンゾウはあのように言っていたが、兄さんを変えたのは間違いなくうちは一族という(しがらみ)だ。

 

 一族の会合に参加した者は、それまでは里に特別な恨みや憎みを抱いていなくても、呪いを刷り込むようなヤシロ達の言葉を何度も耳にしていれば次第に感化されていった。

 昔から使われてきた洗脳の手口。彼らはそうやって少しずつ同志を増やしていったのだろう。

 

「……どうして、サスケにあんな態度を?」

 

 この口は本当に聞きたいことを問いただそうとはしてくれなかった。

 演習場に吹いた風がお互いの髪を何度か揺らして、止む。

 演習場に向けられていたはずの兄さんの瞳は既にオレの姿を捉えていた。

 

《あんな?》

「……突き放すような言い方のことだ」

 

 兄さんが首を傾げる。無自覚だったとでも言うのか。一度もオレから逸らされない瞳は、ゾッとするほど冷たく感じた。

 

《きをつけよう》

「…………」

 

 まただ。あの違和感が消えない。

 

 表情が読みにくいスバル兄さんと一緒に暮らしてきたおかげか、オレは普通の人よりも相手の感情を読み取る能力に長けている。両親やサスケもそうだろう。

 最近の兄さんを家族以外が見れば、恐らく違和感すら抱かない程度の変化。

 

「貴方は……クーデターを成功させてどうするつもりだ。本当に一族の考えに同調しているのか?」

 

 兄さんが微かに笑みを浮かべる。側から見れば動いていない表情でも、オレからすれば一目瞭然だった。

 

《そんなはなしを するために?》

 

 ……これすらも本題でないことに気づかれている。

 

《これいじょうは むだになる》

「…………」

 

 兄さんは空を見上げて、どこか遠くを懐かしむような顔をした。

 

《おれも おまえも》

 

 言い聞かせるように一度区切られた言葉はやけに重たく感じた。

 

《あたえられた やくめを はたせばいい》

「……貴方に与えられた役目とはなんだ」

《もうすぐ わかる》

「…………」

 

 それはクーデターの決行を指しているのだろうか。

 ダンゾウに指定された一族を抹殺する日は、クーデターが起きる前日の夜。その頃兄さんとはもう……。

 

 

 

 根と火影直属の暗部がうちは一族の集落に設置した監視カメラの位置は全て正確に把握している。

 カメラに映らない場所に身を置いて、たった今、南賀ノ神社から出てきた影が向かう先を後から追いかける。

 影の動きに合わせて見覚えのある黒のロングコートがはためいていた。

 

 影はオレと同じように監視カメラの死角を走り続け、木ノ葉隠れの里を抜けて砂隠れの里へと続く街道の途中で走るのをやめる。

 

 街道を横に逸れると広大な森が広がっており、男はその場所でオレを待っていた――最初から気づかれていたらしい。

 

「久しぶりだな、うちはイタチ」

 

 特徴的な仮面の右側にだけ空いた穴から覗く目が、こちらを見定めるように細まる。

 大名護衛任務でテンマを殺した仮面の男だった。

 

「南賀ノ神社でヤシロと何の話をしていた?」

「見られていたか」

 

 やけに周囲を警戒している様子のヤシロが先に神社から出てきたのをオレは見逃していなかった。

 

「うちはシスイという計画の心臓とも呼べる忍を失い、一族がどのような手で火影様を攫うつもりなのかとずっと考えていた」

「……それで、答えは出たと?」

「あんたが裏でヤシロを唆していたのか――うちはマダラ」

 

 仮面の男の目がさらに細くなる。

 

 ヤシロの提出した修正案には、ヤシロとスバル兄さんを中心とする部隊で火影屋敷を襲撃することまでしか書かれていなかった。これではシスイが抜けた穴を十分に埋められていない。

 ヤシロ達はオレに一瞬で地面に沈められる程度の実力しか持ち合わせていないからだ。

 シスイの瞬身が使えない以上、暗部である兄さんはともかく、ヤシロ達は火影屋敷を正面突破する必要がある。彼らでは三代目に辿り着く前に他の暗部にやられてしまうだろう。

 いくら兄さんでもたった一人で教授(プロフェッサー)と謳われた三代目を拘束することは不可能だ。

 

「死んだはずの人間が生きているなど、到底信じられることではなかったが……。あんたがマダラであり、うちはのクーデターに介入するというのなら、ヤシロが強引に決行に持ち込んだのも理解できる」

 

 何より、目の前の男の禍々しいチャクラがその証明だった。

 仮にこの男がうちはマダラでなかったとしても、その実力は嫌というほど知っている。彼を味方につければクーデターは間違いなく成功するだろう。

 

「どのような人物でどんな思想を持つのかは既に調べさせてもらっている」

「……それなら話が早い」

 

 仮面の男、うちはマダラの瞳にふいに怒りの炎が見えた気がした。

 

「わざわざ修正する必要もないと思うが、オレはうちはの……ファンなどではない」

「…………」

 

 まさかここであの時の話の続きをされるとは思っていなかった。

 よほど白猫の少年の発言を根に持っていたのだろうか。……あれから何年も経っているというのに。

 

「オレはうちは一族の人間で、木ノ葉とうちはの両方に強い憎しみを抱いている……理由は説明するまでもないな。そもそもオレの行動のどこを取ってもお前たちへの好意は一つも見当たらないはずだ」

「…………」

 

 何故か、本当に何故かは分からないが、頭に浮かび上がってきた白猫の少年が『愛が憎しみに変わっちゃった?』と首を傾げる。

 オレは即座に記憶を消した。

 

 オレが調べ上げた情報の中に、仮面の男が白猫の少年が言っていた()()()()思想を持っているというデータは勿論なかったが、フォローを入れるのはやめておくことにした。

 この件のどこに触れても仮面の男の逆鱗に触れる気がする。これから協力を仰ぐ立場にある以上、余計なことで波風を立てる必要はない。

 

「アンタが里と一族を恨んでいることは分かっているつもりだ。……一族への復讐は手引きする。だが、里側とうちはサスケには手を出すな」

「意外だな、そこにうちはスバルの名前が挙がってこないとは」

「彼は一族側の人間だ」

「…………なんだと?」

 

 マダラの表情は仮面のせいでまったく見えないが、声色だけでも驚いていることが読み取れる。

 

「あの男は根の人間だろう」

「根に所属していたのは何年も前のことだ。今は火影様直属の暗部でありながら一族に情報を流している……そんなことはアンタが一番分かっているはずだが」

「…………」

 

 マダラは一旦情報を整理するかのように口を閉ざした。オレにはこの問答の真意が掴めなかった。

 

「ククク、未だにお前は何も知らされていないのだな……うちはイタチ」

「どういう意味だ」

「正直、お前の条件を飲むメリットはオレにはないと思ったが……気が変わった。手を組んでやる」

 

 仮面の男が急に上機嫌になったことを察した。まるで新しいオモチャを見つけた子どものように。

 

「ただ、それだけではお前にばかりメリットがあって対等ではない。オレはこのままいけば里も一族も確実に滅ぼせるのだからな」

 

 マダラがこちらに掌を差し出す。

 

「オレの組織に暁というものがある。お前は一族を抹殺した後に里を抜けるのだろう? 暁は人手が足りていない。お前がその穴を埋めてくれるというのなら、協力しよう」

「…………暁」

「オレはお前の兄に個人的な恨みがある。お前がオレの元にあることが、最も効率の良い復讐になるだろう」

「……兄が一体何を」

 

 うちはマダラのチャクラの質が、今日一番の禍々しさを見せた。

 

「あの男の存在は許されないのだ……視界に入るだけで虫唾が走る」

「…………」

 

 兄さんがマダラと接触する機会があったとは思えないが、非常に嫌われているということだけは、うんざりするほど伝わってきた。

 



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第二十三話 守られていた

 うちは一族によるクーデター決行の前日――彼らを抹殺しなければならない日。

 

 自分に出来ることを全てやってきたかというと、未だに後悔ばかりが残っている。後悔……兄さんのこと、サスケのこと。

 まだやれることがあって、その為の努力を怠ってしまったのではないかという考えが消えない。

 

 もっとサスケの修行に付き合ってやれば良かった。

 

 もっとスバル兄さんと話をすれば良かった。

 

 過去を振り返り、懐かしんでもあの頃には戻れない。火影と同じ……もう二度と叶わない夢だ。

 

 九尾襲撃事件で集落の場所が変わってから、ずっと一日の始まりを迎えた自分の部屋を見渡す。

 物欲がなかったのと、両親が厳しかったのもあり、忍に不必要なものは一切置かれていない。

 そういえば、以前住んでいた家には子どもが遊ぶようなおもちゃがいくつかあったような覚えがある。あれは母さんが用意したんだろうか。

 

「…………」

 

 これ以上感傷に浸るわけにはいかない。自室から真っ直ぐ玄関へと向かう。

 

 いつもより丁寧に靴を履く。家を出れば、もう二度とここに帰ってくることはない。

 

「イタチにいさん」

 

 立ち上がろうとしたオレを引き止める声があった。

 

「もう任務に行くの? スバルにいさんも日が昇る前に出かけちゃったのに……」

「…………」

 

 スバル兄さんの任務は夕方までに終わる。決して長引くことがない簡単な任務を割り当てたのはダンゾウだ。

 仕事熱心な兄さんが三代目から別の任務を受けないよう根回しも済んでいる。

 

 ……これで最後だ。最後に少しだけサスケと過ごすことができる時間に留まろうと、浮かせていた腰を下ろした。

 

「あのね、スバルにいさんが昨日言ってたんだ。今日はイタチにいさんにとって大事な日だって」

「……スバル兄さんが?」

 

 サスケの顔には心から嬉しそうな笑みが浮かんでいる。こんな笑みを見るのは久しぶりだ。

 オレや兄さん、両親の変化を敏感に感じ取っていたサスケの表情は暗いものばかりだったから。

 

「だから、こうしてやれって!」

 

 背中に軽い衝撃があった。……どうして。

 

 オレの背中に力一杯抱きついてきたサスケの温もりに、冷え切っていた感情が痺れるような感覚。

 触れている部分が温かい。……動けなかった。

 

 これからすることを考えれば許されるはずがない。

 オレはサスケに憎まれて当然のことをする。いや、憎まれなければならない。全ては、幼い弟がこれからも続く未来を無事に生きていく為に。

 それがオレの勝手なエゴだとしても。

 

「スバルにいさん、昨日はいつもと違ったんだ。昔のにいさんに戻ったみたいに」

「…………」

 

 オレの肩に頬を乗せたサスケの声は弾んでいた。サスケの小さくて細い腕がオレの腹の辺りでもぞもぞと動いている。

 

「にいさんたちが仲直りしてくれたら、もっと嬉しいのに」

 

 サスケはあの日からずっとオレがスバル兄さんや父さんとケンカをしているのだと思ってる。

 これが後でいくらでも歩み寄ることができる些細なケンカであればどれだけ良かっただろう……。

 

「今日こそはイタチにいさんに手裏剣術の修行見てほしかったけど、明日にする! ねっ、約束だよ」

 

 サスケの温もりが離れていく。オレをこの場に縫い止めようとする平穏が終わる。

 

「ああ……約束だ」

 

 震えそうになる声を必死に抑える。

 

 もしもオレに明日があるのならば、お前はいつものように頬を膨らませて「嘘つき」と怒っただろうか。

 

 

 

 うちは一族の集落には、根による念入りな手回しのおかげで一族以外の人間が近づくことはない。

 サスケはアカデミーが終わった後、学校の先生から個別で手裏剣術の修行を見てもらうことになっている。この“先生”も根の人間であり、個別指導自体も今日のために仕組んだものだった。

 これで弟がすぐに集落に帰ってくることはない。

 

「…………」

 

 そろそろ日が落ちる――全てを終わらせる時間だ。

 

 最初に手にかけるのは彼女だと予め決めていた。

 

 腕の中で眠るように息を引き取ったうちはイズミの身体を床に横たわらせる。

 

 万華鏡写輪眼による“月読”を受けたイズミは幻術の中で幸福に包まれたままその生涯を閉じた。

 先に通常の写輪眼で気絶させておいたイズミの母親の背中に忍刀を突き立てる……イズミは母親と二人暮らし。

 この家で生きている人間はオレ一人だけとなった。

 

「順調なようだな」

 

 イズミの家から出たオレの背後に仮面の男、うちはマダラが現れる。この男の気配は独特だ。振り返らずとも分かる。

 

「うちはイタチ、お前はまだ幼い。好きな女だけでなく家族を手にかけるのはその身には重すぎるだろう。オレが代わりに殺してやる」

 

 マダラの言葉にひどく苛立っている自分がいた。

 

「言ったはずだ。両親と兄、うちはイズミは己の手で殺す。それ以外は集落を西と東に分けて分担すると」

「無理をすると壊れるぞ」

「これは任務だ。無理などしていない」

「素直になった方がいい」

 

 オレはマダラに背を向けたまま、外していた暗部の面を被り直した。これ以上の問答は不要。

 その場から立ち去ったオレに、残されたマダラは肩をすくめて、同じように姿を消した。

 

 

 

 すでに集落にいる大半の命を奪った。忍刀についた血が乾く前に払い、ついでに頬に付着していたものも手の甲で拭う。

 忍として、任務で返り血を浴びることはほとんどなかった。

 今夜は数が多すぎる……そんなことに頓着している余裕など皆無だった。

 

 ――自宅。斬って、斬って、斬り続けてここまできた。

 夜の闇に覆われた我が家は、朝方に出てきた時と何も変わっていない。変わったのは、自分だけ。

 

 玄関の扉の前にひとつの影が立っていた。

 

 肩まで伸びた黒髪を後ろで束ね、その瞳はただ静かにこちらを見つめている。

 

「……スバル兄さん」

 

 暗部の忍装束に身を包んだ兄さんが、ゆっくりと腰のホルスターに手を伸ばす。クナイを握った。

 ――動く。

 

 兄さんの右手が小さくブレたのを確認した瞬間、その場から飛び上がる。オレの左足があった位置にクナイが突き刺さった。

 間髪入れずに飛んできた蹴りを余裕を持って躱す。

 

「…………」

 

 俺の動きをじっと追いかけていた兄さんの目が一旦地面に落ちて、やがて小さなため息が聞こえてきた。

 殺気が完全に消えている。

 

「……どういうつもりだ」

 

 暗部の任務で何度か一緒になったが、兄さんの実力はこんなものではない。体術だけを極めてきた兄さんの動きは写輪眼であっても追いきれず、実に軽やかだった。

 勝機がないわけではないが、万華鏡写輪眼を持つ父さんと同じくらい苦戦する可能性があると踏んでいた。……なのに。

 

 すでに持っていたクナイを地面に落としてしまった兄さんの両手が持ち上がり、指文字を綴った。

 

《ころせ》

「…………なぜ、」

 

 手を抜いているようには見えなかった。けれど、本気でオレを殺そうとしているようにも見えない。

 

《やくめを はたすときが きた》

 

 兄さんの表情は穏やかだった。

 

《これで おわる》

「……初めからここで死ぬつもりだったというのか?」

《そうだ》

 

 兄さんの腕が垂れ下がり、もうこれ以上話を続ける気はないのだと悟る。

 

「…………」

 

 手に持った忍刀を持ち上げることはしなかった。

 

 うちはイズミにそうしたように、オレはスバル兄さんにも“月読”を使うと決めていた。

 

 瞳に熱が集中し、模様が変わる。

 

 視線が交錯した兄さんの身体がびくりと震えた。

 

 イズミに見せたものは偽りの人生だったが、兄さんに見せるものは――嘘偽りのない真実のみ。意識を集中させる。

 

 オレの記憶の始まり。

 

 こちらを見つめる無機質な瞳が大きくなって、腕を掴まれる。

 

 自室で本を読んでいた大きな背中に飛びついたせいで、兄さんがバランスを崩していた。

 飛びついたオレごと床に転がりそうになったところを、ギリギリ踏ん張った兄さんに腕を掴まれて難を逃れる。

 

 無邪気に笑っているオレを、兄さんが優しく抱きしめてくれた。

 

 躊躇いがちに広げられた腕。

 

 アカデミーに通い始めた兄さん。オレばかりが寂しくて、兄さんはなにも感じていないのだと思っていた。

 勝手に怒って、拗ねて、避けていたくせに、兄さんがアカデミーから帰ってくる時間には必ず玄関で待つようになっていた。

 

 写輪眼を開眼した兄さんが倒れた翌日、母さんの背に隠れたオレが見たのは、真っ先にオレの姿を探すように彷徨う視線。

 

 母さんに背中を押される。じっとオレの挙動を見つめる兄さんの瞳は……揺れていた。

 素直になれなくて歩み寄れずにいたオレに、広げてくれた腕。胸がいっぱいになる。

 正面から抱きついたオレを抱きしめて頭を撫でてくれた兄さんの手のひらは、とても温かかった。

 

 それから――

 

 

 月読によって凝縮された過去の映像を見せていた途中。

 

「はは…………」

 

 幻術の中で兄さんが笑った――()()()()()

 

「なんだよこれ……他人に興味なんてなさそうな顔して…………」

 

 その声には聞き覚えがあった。

 

 思わず月読を解除する。精神と肉体の体感時間の差異が大きすぎたのか、兄さんが苦しそうに咳き込んだ。

 ……いや、目の前の男は兄ではない。

 

「……お前は」

「…………」

 

 兄さんと同じ顔をした男を前に、すでに答えは出ていた。

 

 顔を作り替えていたゴズとメズのように、この男もずっとスバル兄さんに成りすましていたというのか? 一体いつから……?

 

「万華鏡写輪眼……普通の幻術と違うわけだ。一本取られたよ」

 

 男がけらけらと笑う。無邪気さの残る笑い方に、漸く男の正体が分かった。

 

「お前は、スバル兄さんの部下の……?」

「もう言い逃れはできそうにないな……隊長の弟ならオレの弟でもあるって言っただろ?」

 

 兄さんと共に任務に参加した時、部下であるこの男もいた。男の名は、ユノ。

 

「オレは根の忍だ。与えられた役割は、ここであの人の代わりに死ぬこと」

「…………」

「“うちはカゲン”を殺してきたんだろう? もう時間がない。ほら、さっさと終わらせてくれ」

 

 男が目を閉じる。

 

「……なぜ兄に成り代わる必要があったのか、兄はどこにいるのか、話すつもりはないんだな」

「根の忍は拷問されても任務内容を漏らさない」

 

 根の忍が任務のために躊躇いなく命を投げ捨てることは嫌というほど知っている。火影直属の暗部よりもその覚悟は強い。

 ユノが満足げに目を細める。

 

「オレには理解できない感情だけど……ちょっとだけあの人のことが分かった気がして楽しかったよ」

 

 握りしめた忍刀を突き立てた。

 

 

 

 動かなくなったユノを見下ろし、彼の背中の忍刀を手に持つ。一度も使われておらず、新品同然だった。

 シスイが死んだ翌日、兄さんはすでにあの男と入れ替わっていた………?

 

 “すぐに崩せる”

 

 あの日、兄さんの唇は確かにそう動いた。

 どうして気づかなかったんだろう。口から言葉を発することのない兄さんが、無意識にそんなことをするはずがない。

 あれは普段から口で話している人間がすることだ。

 

「…………」

 

 思考を占めようとする存在に首を振る。今はこんなことを考えている場合じゃない。

 

 玄関の扉を開く。不自然なほど人の気配を感じられない。だが、両親が帰宅してから一度も外に出ていないことは確認済みだ。自室か、台所か……。

 玄関の壁に立て掛けられた時計の針を確認する。そろそろサスケが帰ってくる時間だった。

 

 外の異変に気づいて気配を絶っているのか。

 

 どこで奇襲を仕掛けられても対応できるよう、忍刀を強く握りしめた。

 

 台所……いない。

 

 応接間……いない。

 

 両親の自室……いない。

 

 まさか、外に出たのか? いや、そんなはずはない。見張っている根の忍から連絡がきているはずだ。

 

 サスケの自室にもいない。残るはスバル兄さんの自室だ。

 スバル兄さんの部屋の障子を開ける。

 

「……父さん? 母さん?」

 

 オレの足元でうつ伏せ状態で倒れている二人の身体は血で赤く染まっていた。

 

 膝から力が抜ける。その場に倒れ込むと、手にべったりと血がついた。

 ……まだ乾いていない。殺されてから時間が経っていない証拠だ。

 

 震える手で両親に手を伸ばす。首に触れると、まだ僅かに熱が残っていた。脈はない。

 部屋を見渡せば、争った形跡は見当たらない。

 

 真っ先に疑ったのは、忍装束に身を包んで玄関の前に立っていたあの男。

 

 兄さんの姿で油断させて、後ろから両親を……?

 

 二人の背中には暗部の忍刀によるものと思われる深い刺し傷がある。しかし、ユノの持っていた刀は血液が付着していないどころか刃こぼれひとつしていなかった。

 武器を持ち替えたのか、別の人間がやったのか。

 もう一人思い当たる人物がいる――うちはマダラ。あの男はオレの代わりに両親を殺すなどと口にしていた。

 本当に実行に移すとは思っていなかったが……。

 

 玄関の方角から、絶叫のようなものが聞こえてきた。

 

 オレの自室よりも物がない兄さんの部屋を急いで見渡す。小テーブルの上に置き時計があった。……もうサスケが戻ってくる時間。

 

 兄さんの部屋を出て、玄関へ走る。

 

 小さな影が何かを抱きしめて震えていた。

 

「あ……ああ…………どうして、スバルにいさんが、こんな……!」

 

 音もなく、その小さな子どもの背後に立つ。

 

 子ども――サスケは、兄さんの姿をしたユノの亡骸を抱きながら泣き叫んでいた。

 家の中に移しておくべきだったと後悔しても遅い。

 

 わざと足音を立てるとサスケが顔だけで振り向いた。

 

「い、イタチ、にいさん……」

 

 サスケの瞳にたっぷりと溜まった涙に胸が押し潰されそうになる。

 

「イタチにいさん! スバルにいさんが……!」

 

 サスケの言葉が途切れる。その瞳はオレの持つ忍刀を映して、ゆっくりと顔を上げる。

 オレの服は血を吸いすぎて重くなり、変色もしている。頬には血を拭った跡が残り、髪には酸化した血液がこびりついていた。

 

「――なんで?」

 

 本当に、純粋に心の奥底からの疑問だったんだろう。

 どうしてオレが返り血だらけで立っているのか、刀を手にしているのか、冷たい目で自分を見下ろしているのか。幼い弟には何一つ理解できない。

 

「愚かなる弟よ」

 

 自分でも驚くくらい冷え切った声が出た。

 

 ああ……これが最後の仕事。

 

 兄として弟に残すことができる唯一の“傷痕”として、今からすることをその小さな胸に刻みつけなければならない。

 

 すうっと閉じたばかりの瞳を開く。

 

 ――月読

 

 スバル兄さんに刀を突き立てる。

 

 サスケが叫んだ。

 

 両親の背後に降り立って、容赦なく命を奪う。

 

 サスケの叫び声が徐々に細くなって、大きな震えと共にその場に崩れ落ちる。

 

 ゆらりゆらりと揺れる真っ赤な視界の中。

 

 サスケは月読を解いたオレを地面に這いつくばりながら見上げている。……その瞳に憎しみの色は見えない。

 

 足りない。これでは、足りていない。オレへの憎しみ……お前がこれからも生きていく為の力が!

 

「どうして、イタチにいさんが……スバルにいさんや父さんたちを……」

「己の器を量るためだ」

 

 任務だった。一族すべての命を奪ってでも止めなければならない理由があった。

 

「器……? そんなことのために、スバルにいさん達を殺したっていうの……?」

「…………」

 

 言葉がつっかえて出てこない。クーデターがきっかけで起こるであろう戦争を防ぐために、一族全員を殺すという選択が正解だったとは思っていない。

 三代目の言うように、他にいくらでも道はあっただろう。……もう後戻りのできない状況ではなかったならば。

 

 ――シスイ。

 

 あれから何度もお前に問いかけた。オレはどうすれば良かったのかと。

 友に託された夢を、一族を、こんな形でしか終わらせることができなかったオレを、きっとお前は恨んでいるだろうな。

 ふっと自嘲気味な笑みがこぼれた。

 

 オレに殴りかかろうとしたのか、拳を握りしめたサスケが立ち上がる。だが、幼いサスケが月読によって受けたダメージは大きい。

 ふらつく身体を上手く支え切れずに前のめりになって倒れる。

 ……手を差し出して背中を支えてやることすら、もう二度と出来ない。

 

「にい、さん」

 

 サスケの倒れた先には二度と目を開けることのない兄さん……ユノの顔があった。

 

 小さな悲鳴を上げて、サスケが後ずさる。自分もこうなるのだと本能で察したのだろう。

 

 ――生きてくれ。

 

 自分勝手な兄を許さなくていい。兄だと思わなくていい。一族を虐殺した犯罪者として力の限り憎んでほしい。

 愛する弟に憎まれるのはこの身が引きちぎられるように痛い。けれど、お前の方が痛い。一族の無念を背負って生きるしかないお前の方が……きっと、もっと辛い。

 

 いつかお前の手で殺されることになるとしても、お前が、生きて、生きて、生き延びて、オレの前に現れるその日を待つ。

 

 それだけでオレは……この絶望だらけの世界を生きていける。

 

 ――大きくなったら、オレも警務部隊に入るからさ!

 

 屈託のない笑顔と共に、あの日のことを思い出す。

 

 ――スバルにいさんと、イタチにいさんと、オレでこの里の治安を守るんだ!

 

 夢は夢でしかない。それでも……救われていた。

 いつだってお前はオレにとっての“希望(ひかり)”だった。

 

 

 

「そろそろ姿を現したらどうだ」

 

 一族抹殺後に三代目といくつか話をして、オレは木ノ葉隠れから砂隠れの里へと続く街道の外れにある森の中にいた。仮面の男と話をした場所でもある。

 

 虚空に投げかけた問いかけが小さな波紋を呼び、風と共に三人の姿が現れる。

 

 あれからずっとオレの後をつけていた監視の目…………根の忍達だ。

 

「分隊長……」

 

 三人はダンゾウによって与えられた部下だった。彼らにゴズとメズを足せば五人。……ゴズとメズに関してはすでに殺している。

 残った三人の中には、シスイの死の間接的な原因となった油女一族の男もいた。

 

 三人のうちの一人が手に持っていたクナイを鋭く投げつけてくる。

 

「こちらとしては、Sランク犯罪者である隊長を一応は捕らえようとした。そういう体裁が必要なんですよ」

 

 クナイの軌道から最小限の動きで逸れて、彼らの次の動きを止めるべく忍刀を抜いた。

 

「体裁を整える……動きではないな」

 

 抜け忍となったオレがいずれ里に不利益を及ぼすことを危惧したダンゾウによる差金だろう。サスケに手を出せば里の重要機密を全て敵国に流すと脅した結果でもある。

 尚更こんなところでやられるわけにはいかない。三代目にはサスケを守るよう約束させたものの、オレはあの人を完全に信用したわけではなかった。

 

「この力を“仲間”に使うのは初めてだが…………」

 

 ――天照(あまてらす)

 

 オレの目が真っ先に捉えたのは、油女一族の男。アカデミーへ入学した時からオレの行動の全てをダンゾウに報告していた忍だった。

 テンマが死に、シンコが忍を辞めた後、二人の穴を埋めるようにオレと同じ班に入ってきた新入りのうちの一人がこの男――油女ヨウジ。

 今はまた別の名前を名乗っているが、オレにとってはこちらの方が馴染みがある。

 

「シスイの仇だ」

 

 漆黒の焔が一瞬で油女ヨウジの身体を覆い尽くし、獣が肉を貪るように蹂躙していく。

 悲鳴を上げることなく息絶えたのを見た残りの二人の動きが止まる。

 

「万華鏡写輪眼……」

 

 それが彼らの最期の言葉となった。

 

 天照による炎が三人の肉体を焼き尽くしてついに消えようとしたその時、草むらから数人のお面をつけた男女が飛び出してきた。

 

 根の追手か――しかし、どうも様子がおかしい。彼らはオレに襲いかかるどころか、何かから()()()()()ようだ。

 

「う、裏切るつもりか、ダンゾウ様を!!」

『……裏切る? バカなことを言うな。元々俺はお前達の仲間じゃない』 

 

 遅れて草むらから姿を現した青年の、血に濡れたお面が月明かりに照らされる。

 

 白い猫のお面は酸化した返り血のせいで黒に染まり、彼のコードネームを脳裏に浮かび上がらせた。

 青年の持つ忍刀も夥しい量の血を吸っている。あれでは斬りにくいだろうに、刀に纏わせたチャクラで補っているようだった。

 

「クロネコッ!! このようなことをして許されると思うな!」

「必ず我らの仲間がお前を見つけ出して殺す!」

『死人に口無し。この場にいる根がすでにお前達だけだとなぜ分からない』

 

 根の暗部達の顔色が悪くなったのが分かる。お面をつけていようと、動揺のせいで感情が剥き出しだ。

 

『そもそも俺は許されたいなどと思っていない。……ずっとこの日のために生きてきた。これもまだ“一歩”に過ぎないが』

 

 追い詰められた根の忍達が後退りする。

 まるで駄々をこねる小さな子どもに言い聞かせるような口調で青年は続けた。

 

『そう心配するな。お前達の分まで、俺がこれからもダンゾウの元で務めを果たしていく――最後の瞬間まで』

「だ、ダンゾウ様……」

 

 青年が緩慢に首を傾げる。

 

『現世に遺す言葉がそれでいいんですか? ……キノト先輩』

「貴様…………ッ!」

『うん、そっちの方がいいですよ。それでは、先に向こうで待っていてください』

 

 青年の手が目で追うのもやっとな速度で動く。

 瞬き一つする間にその場にいた根の暗部全員の首が地面に転がっていた。

 

「貴方は…………」

 

 色のない瞳がこちらを見返してくる。お面の内側で、青年がへらりと力なく笑ったような気がした。

 

『これを見た人間は全員殺さなきゃいけないんだけど……お前のことは殺せないなあ……』

 

 独り言のように呟く。青年の纏う雰囲気はがらりと変わっていた。

 

「……根の貴方がどうして、こんなことを」

『俺は根の人間でも、木ノ葉の人間でもない。俺の本質はもっと別のところにあるからだ。目的のためなら何だってやる……それだけのこと』

 

 ――おれの ほんしつの ため

 

 かつて、たった一人の兄も同じようなことを言っていた。…………本質。その正体を、結局オレは知ることができなかった。

 

「オレを殺せないと言ったのは、その目的に関係があるからか?」

『鋭いな、その通りだよ』

 

 今度こそ、ハッキリと青年が笑った。

 

『お前には生きていてもらわないと困る』

「…………」

『俺は嬉しいんだ。この気持ちは……そうだ。そうでなくては困る』

「何の話だ」

『お前が一生知る必要のない感情の話だよ、イタチ』

 

 闇の中で二つの瞳が揺らめいている。それは血色に染め上げられていて、こちらの心を全て見透かすように細められている。

 ……まさか、そんなはずはない。

 

「どこでその眼を」

 

 喉の奥が妙にひりついている。……そうだ、オレはずっとその可能性に気づいていた。

 

 青年の瞳に浮かぶ六つの小さな星が四芒星の中を泳ぐように煌めいている。

 

 ――万華鏡写輪眼。確かに、その輝きだった。

 

 オレは、この人のことを何も知らなかった。

 

 頬を温かい涙が伝う。心だけが過去に置き去りにされたまま帰ってこない。

 

 どうして気づかなかった。ずっと、ずっと、そうだったじゃないか。

 

 オレの涙に気づいた青年が大きく目を見開いた。その腕を逃さないように強く握りしめる。

 青年の肩がぎこちなく揺れただけで、胸が張り裂けそうだ。

 

 溢れ出した心の柔らかな部分は、鋭く研磨してきた言葉遣いでさえもかつての形に戻そうとする。

 抑え切れなかった嗚咽が漏れた。

 

「…………兄さんは、ずっとそうやってオレ達を守ってくれていたの?」

 



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第二十四話 二つの愛

「お前には一度死んでもらうことにした」

 

 ダンゾウに呼び出された屋敷にて、開口一番死亡宣告を受けた俺は、真っ先に「ここから入れる施設ってあるのかな」と思った。

 爺さんだとは思ってたけどついにボケたのか。

 

 大変申し訳ないけど、俺みたいな凡人は一度死んだら二度目はないんだよ。

 ダンゾウ国ではそうではないって? 非常識な国との国交は断絶ですね、さようなら。

 

 俺の脳内で国外追放されたダンゾウが渋々と自国へと帰っていく。一生戻ってくるんじゃねーぞ。

 

「ユノ」

 

 俺の隣で頭を垂れていた部下――ユノが顔を上げる。

 彼は俺より二つ年上で、ダンゾウによる「お前も三代目の元で一人では心細いだろう」という気遣いの皮を被った監視役だった。

 俺の裏切りを危惧しているというより、根の忍は基本的に二人以上で動くことになっている。お互いがお互いを監視し、有事の際にはサポートし合う為だ。

 

「お前は根の忍の中では背丈もチャクラの質もうちはスバルに最も近い。来たる日には、身代わりとなって死ね」

「はい!」

 

 は?

 

 さらっと言ったダンゾウもダンゾウだし、元気よく、むしろ嬉しそうに即答したユノもユノだ。

 

『…………』

 

 もう嫌だ、こいつら命を軽んじすぎてて怖いよママッ!

 

 

「光栄ですね、隊長の代わりに死ねるなんて」

『…………』

 

 こっちは空いた口が塞がらないけどな。マゾなの? そりゃあ、俺もイタチの代わりに死ねって言われたら喜んで死ぬけどさ。

 家族でも友人でもない他人にここまで言わせるとは、やはりうちはは木ノ葉にて最強のアイドル!

 ファンに野郎が多すぎるのは一旦考えないことにしとく。

 

 ダンゾウの部屋を下がり、外に出る。

 今日の任務はユノと二人でうちはの集落を大まかに監視することだった。

 根や火影直属の暗部が監視カメラの映像を二十四時間確認しているし、俺たちの仕事はカメラの死角のチェックくらいだ。

 

「うーん、指文字って難しいんですね。読む方はすんなりいけたのに」

『問題なく使えてるだろ』

「まだまだ隊長には追いつけないですよ」

 

 確かにユノの指文字は良くも悪くも丁寧でゆっくりだ。俺の指文字は印を結ぶのと同じくらいの速さではあるが、非常に雑でもある。

 指文字に不慣れなナルトの前では出来る限り端折らないように心がけているが、家族の前では口で話すのとそれほど大差のないスピードになっている。

 家族全員動体視力が常人離れしてるし。

 

「あの弟くんが一族抹殺するなんて、本当にそうなるんですかね。当初は隊長がやる予定だったんでしょ?」

『…………ダンゾウ様が決めたことだ』

 

 うちは一族のクーデターは止められないという結論に至った時、ダンゾウは俺に一族抹殺を命じていた。

 根が動くのであれば、やりようはいくらでもある。うちはに恨みを抱く他国の忍による虐殺と見せかけることだって可能だった。

 

 しかし、イタチの実力がダンゾウの想定よりも伸びてしまった為に、イタチを木ノ葉に置いておく方が危険と判断したのだ。

 平和を愛するイタチがダンゾウのやり方に賛同することはない。いずれその思想が邪魔になると判断したダンゾウは、一族抹殺の汚名をイタチに被せて里抜けさせることにした。

 これは、俺にとって最大の誤算だった。

 

『……でも最悪の事態ではない』

「何がです?」

『独り言だ』

 

 イタチに一族を殺させることも、里抜けさせることも、今すぐ屋敷に回れ右してダンゾウにグーパンしたいレベルで腹が立つ。

 でも、それは最善ではなくとも最悪ではない。もしも俺が予定通り一族抹殺を遂行していた場合、間違いなくダンゾウは俺にイタチを殺すよう命令していただろう。

 イタチとサスケを手にかけろと言われた日がダンゾウに刃を向ける時だと思っているが、まだ早い。今の俺はあの男には敵わない。

 “今は”きっと……これが最善。

 

「ヨル達には上手く言っといてくださいね。オレ、暫くいないので」

『分かった』

「ゴズとメズに聞いたらそこそこ痛いって。あれって大蛇丸様が残したんですよね?」

『……そうらしいな』

 

 ユノは本当によく喋る。気を抜いた時の俺みたいだ。

 ゴズとメズは大蛇丸が残した実験の成果を使って“あの顔”を手に入れている。身内が見ても絶対に気づかない……完璧なうちはカゲンの顔を。

 

 うちはの集落を見渡しながら、異常がないと分かれば次へ次へと移動を繰り返す。

 

「指文字は何とかするとして、隊長って普段どんな感じで家族と接してるんですか? 入れ替わった時の参考にするので教えてくださいよ」

『…………』

 

 俺とユノはちょうど実家が見える位置までやってきていた。家の中から小さな影が出てくる――サスケだ。

 これから手裏剣術の修行にでも行くんだろうか。小さめの鞄を肩から下げている。可愛い。

 

『家に帰ったらまずはサスケを抱きしめてエネルギーを補給する』

「はい?」

『基本的な挨拶は忘れないようにしている』

「あ、ああ……そうですよね」

 

 困惑気味にユノが頷く。そうなんだよ。ただいまのハグがなければ何も始まらない。朝起きてからのコーヒー、それに近い。

 

『サスケがこちらに両腕を伸ばしてきたら、必ずやってもらいたい事がある』

「……何ですか?」

『抱っこだ』

「…………」

 

 部下とはいえ他人にサスケの抱っこを任せるのは少し、いや、非常に憎らしいが、サスケに寂しい思いをさせてしまうよりマシだ。

 黙り込んだユノに構うことなく続ける。

 

『イタチとは不干渉同盟中なんだ。だから最低限の挨拶だけでいい』

「ふかん……何ですか?」

『ふれあいタイムを設ける必要はないという意味だ』

「…………」

 

 ユノが俯いて「……やべえ、何言ってるかまったく分かんねえ」とぶつぶつ呟いている。

 

 顔を上げたユノの表情はお面のせいで分からないが、唯一見える目だけは疲れ切ってるように感じた。

 

「隊長クラスになると、オレみたいな凡人には理解が及ばないんですね」

『…………』

 

 なんかそれ、ダンゾウに向ける俺の感情そのまんまじゃない?

 

 

 

 うちは一族にとって最も重要な会合に出席していた俺は、そこにイタチとシスイの姿がないことに対して、一族とはまた違った感情を抱いていた。

 

「クーデターの決行日について意見を募るという時に限って二人も欠席者が出るとは」

 

 ヤシロが憎々しげに呟く。会合はすでに終わっていて、この場に残ったのは俺と父さん、先進派のヤシロ達だけだった。

 

「フガク殿、イタチはなぜ来なかったのですか?」

「…………暗部の任務だそうだ」

「クーデター以上に優先すべきことなんてないでしょうに。イタチには色々と自覚が足りませんな」

「…………」

 

 俺は一体いつまでこの茶番を見ていればいいんだろうか。

 暗部が任務を蔑ろにできるわけないだろうが! と叫んで暴れてやりたい。ついでにここにいる全員に鼻フックしたい。父さんは道連れだ。

 

「スバル。お前も兄として弟の管理はしなければならないぞ」

「…………」

 

 ヤシロの追い討ちに脳内のヴェスヴィオ山が噴火寸前になった。

 管理が必要なのはイタチじゃなくてお前たちの方だから。

 

「シスイも一体どうしたと言うんだ……あれほど優秀な忍が連絡も取れないとは」

 

 シスイは……どうなっただろう。ダンゾウの企みを知っている俺が、彼の安否を心配することすら罪深く感じる。

 せめて、イタチと合流できていればいいんだけど……。

 

 まだ話があるという父さんたちを南賀ノ神社に残して、俺は一人帰路についていた。

 

「…………」

 

 往来から裏道に入る。少し進んだところで足を止めて、振り返った。

 

「隊長」

 

 周りに人がいないことを確認してから姿を現したのは、ユノだった。いつものようにお面を被って暗部の忍装束に身を包んでいる。

 

《なぜ ここにきた》

 

 ユノはダンゾウと共にシスイの万華鏡写輪眼を奪りに行っていたはずだ。こんなところにいる場合ではない。

 

「ダンゾウ様の作戦が半分上手くいかなかったんです」

 

 どういう意味かと眉を寄せる。

 

「うちはシスイの片眼は奪えたんですが、もう一つを奪う前に逃げられてしまって…………」

「…………」

 

 あの男はいくつ失敗を経験すれば学ぶんだ。

 それでは、今頃シスイは無事にイタチと合流できたのかもしれない。

 

「ヨウジさんが毒を打ち込んでるので、解毒が間に合わなければいずれ死ぬはずです。……解毒はヨウジさんにしか出来ないから、間違いなく死ぬでしょうけど」

 

 ――シスイが死ぬ。油女ヨウジの毒の効果はよく知っている。

 

「それでですね、オレがシスイの捜索をヨウジさんの虫に任せてここにいる理由なんですが……シスイにオレの顔がバレたかもしれないんです」

 

 ……聞き間違いかな?

 

 とりあえず聞き間違いということにして続きを促す。まだ焦る時間じゃない。

 

「交戦した時にシスイの投げたクナイがお面に当たって……ほら、ここに傷が残ってるでしょ? その時にお面が少しズレてしまって」

「…………」

 

 ユノはすでに俺とまったく同じ顔になっている。これは不味い。非常によろしくない。

 イタチと合流したシスイが全てを話してしまったら俺はおしまいだ。

 イタチに嫌われるのは百歩譲って……涙を飲んで堪えるとして、クーデター前に俺が根の人間だと見破られてしまうのはこの計画の破綻を意味する。

 

「オレの不注意ですみません。だから、先に隊長に伝えようと思って」

《わかった おまえは はやくもどれ》

「はい」

 

 ユノの姿が風と共に消える。瞬身のシスイと呼ばれる彼がこのまま根の追手に捕まるとは思えない。

 確実に逃げのびて、イタチと会ってるはずだ。

 

 

 

 イタチの気配が家に戻ってきたのは、真夜中だった。

 シスイが死んだかもしれないのに、イタチが無事だと分かってホッとしてしまった俺は最低な兄だろう。

 それでも……良かった。シスイとイタチの合流地点に根の忍たちが辿り着いていれば、そのままイタチを巻き込んで戦うことになっていたかもしれない。

 俺はシスイ殺しの容疑をかけられないよう、ダンゾウから必ず家を離れないようにと命令されている。

 イタチの無事を確かめる為にここを離れることは許されなかった。

 

 イタチのものと思われる気配が、玄関から廊下へと足を運んでいる。

 気配はイタチの部屋を通り過ぎて、何故か俺の部屋の前で立ち止まった。

 

「…………」

 

 やはり……シスイから全てを聞いてしまったか?

 

 部屋の前の気配は動かない。暫くして、障子がゆっくりと開いていく。俺は目を閉じて眠っているフリをした。

 

「…………」

 

 障子の隙間から差し込んできた月明かりの一部がイタチの影に遮られている。

 光に刺激されて動きそうになる瞼を必死に落ち着かせる。

 

「…………」

 

 やがて、小さな音と共に障子が閉まる音がした。

 ほとんど聞こえない足音が遠ざかっていく。

 

 被っていた布団をはいで、上半身を起こす。

 

 たまらず胸を押さえた。

 

「…………」

 

 微かに漏れた嗚咽を聞き逃すわけがない。……イタチは、泣いていた。

 

 

 

 あれから一睡もできなかった。最後にイタチの涙を見たのは……随分と前のこと。

 

 自己嫌悪でどうにかなりそうだ。俺がやろうとしていることは結果としてイタチの命を救うことになるとしても……この手で、イタチを不幸にする。

 俺はこの事実を忘れちゃいけない。

 

「スバルにいさん、どうしたの?」

「…………」

 

 朝、俺を起こしにきたサスケを布団の中に引き摺り込んで既に十分は経過している。

 腕の中でもぞもぞと動いたサスケがぷはっと布団から顔を出す。

 

「まだ眠い?」

 

 くりくりとした大きな目が至近距離で俺を見つめている。

 

 ――俺はずっと、弟を幸せにすることだけを考えて生きてきた。

 それがどうして、こんなことになったんだ? それ以上に望むことなんて、一つもないのに。

 

 ああ……そうだな。俺の人生はダンゾウという男に出会った時点で、ここに終着することが決まっていたのかもしれない。

 

 俺はこれからイタチとサスケを不幸のどん底に突き落としておきながら、のうのうと生きていかなければならない。

 “いつか”が来るまでダンゾウの元でじっと息を潜めて。

 

 いつまで? いつまで俺は耐え忍べばいい?

 

 答えを求めるようにサスケを抱きしめる腕に力を込める。

 

「ふふ、くすぐったいよ!」

 

 無邪気な笑い声に肩の力が抜ける。

 サスケとの時間をのんびり堪能できたのは、これが最後だった。

 

 

 

「スバルにいちゃん、やっと来たってばよ!」

 

 ナルトの家の前。

 扉をノックする前に慌ただしい足音と共に飛び出してきたナルトが俺の胸に飛び込んでくる。

 

「ほら、早く入って!」

「…………」

 

 腕を掴んでぐいぐいと家の中に誘導してくるナルトに、俺は片足に少しだけ力を入れてその場に留まった。

 

「にいちゃん?」

 

 きょとんとこちらを見上げてくる目を直視できない。今日は、ナルトに別れを告げなければいけなかったから。

 

《これから にんむなんだ》

「任務?」

《ちょうきにんむで ほとんどこれなくなる》

 

 ナルトが「なんで!?」と声を荒らげる。膝を曲げてナルトと目線を合わせた。

 夕方からは完全にユノと入れ替わることになっている。……ナルトに会うことはもう二度とないだろう。

 

 俺よりも硬質な髪を撫でる。

 

「…………」

 

 言いたいこと、たくさんあったのになあ。

 ラーメンばかり食べるんじゃないぞとか、寝る時は布団をきちんと被るようにとか。

 それなのに、結局出てきたのは別れの言葉ですらなくて――

 

《またな》

 

 全部終わったらまたナルトに会えるだろうか。うちはスバルとして、堂々とこの子の前に立てる日が来たら……。

 

 

 

 シスイほどの実力者の穴を埋められる忍は、うちはにはいなかった。

 みるみるうちに失速していくクーデター計画に「もしかしたら」と淡い期待を抱いたりもした。だが、現実は甘くない。

 

 ――あれから、一年以上の時が流れていた。

 今日は、クーデター決行の前日。イタチが全てを終わらせる日だった。

 

「いよいよですね」

 

 根の屋敷。隣に立ったユノに頷く。

 

「聞くまでも無い気もしますけど、いいんですか? 弟くん二人を除く一族全員が死ぬんですよ」

『構わない』

「はは、やっぱり隊長はとんでもないな」

 

 今から他人の身代わりとなって殺される人間とは思えない陽気な笑いだった。

 時と場合と相手によっては不快に思っていたかもしれない発言でも、ユノ相手だと腹を立てることすら無意味に思えてくる。

 表情や言葉こそ豊かではあるが、彼は感情というものが全くと言っていいほど理解できない……典型的な根の忍だった。

 

『そろそろ日が暮れる……俺たちも集落へ向かうぞ』

 

 

 

 集落の至る所で悲鳴が上がり、夜が濃くなっていく。充満した血の匂いに酔いそうになりながら、昨日ぶりの我が家の前に立つ。

 

『…………』

 

 昨日は、ユノに適当な言い訳をして一日だけ“うちはスバル”としてこの家に帰った。

 久しぶりに食べた母さんの手料理は美味しいし、父さんの仏頂面は相変わらずだった。俺の表情筋が死んでるのは父さんのせいに違いない。

 帰ってすぐおんぶしたサスケは弾けそうな笑顔を向けてくれて……こんなにも幸せなのに、胸が痛い。

 遅く帰ってきたイタチとは会わないように、自室で眠ったように見せかけてやり過ごした。

 

『…………』

 

 やっぱり俺は自分のことばかりだな。でも、それでもいいや。

 ありとあらゆる人を不幸にしようとも、俺の世界の中心は今も昔もイタチとサスケだけ。死なないでほしい。俺のために――生きてほしい。

 最悪だ。最悪だけど、俺にはもうこれしか残ってないんだよ。

 

 中に入らないのかと、ユノが視線だけで問いかけてくる。

 

 扉の前にはすでに気配が二つあって、それが俺に扉を開けることを躊躇わせた原因だった。ゆっくりと玄関の扉を開ける。二人の人間と目が合った。

 

「……何者だ」

『うちはフガクと、うちはミコトだな』

 

 いつものように額に静電気のような痛みが走る。お面越しの聞き覚えのない声に、父さんと母さんが警戒心を強めた。

 

 俺は背中の忍刀を手に取り、構える。

 

「火影の……いや、根の暗部。外の騒ぎはお前達の仕業だったのか」

「あなた」

「下がっていろ」

 

 父さんの瞳が完全に赤に染まる前に視線を逸らす。写輪眼だ。

 母さんを庇うように一歩前に出た父さん。心臓の音が煩い。集中しろ、そうでなければ勝てない相手だ。

 

 ユノは父さん達に見えない位置に身を隠している。ここからは俺一人だけの仕事。

 

 俺の振りかぶった刀は軽々とクナイで受け止められ、クナイの切っ先が傷をつけるような不快な音が響く。

 

「なぜ一族を襲う。答えろ」

『…………』

 

 そんなの、俺が教えてほしいくらいだよ……父さん。

 これは一族が……父さん達が始めたことじゃないか。俺にはずっとこの未来(結末)が見えていた。

 

「ミコト、こっちへ来るんだ!」

 

 父さんが母さんの肩を掴んで、家の奥へと走っていく。

 ぼんやりとしてきた頭で、父さんが母さんを名前で呼ぶところなんて初めて聞いたな、なんて思う。

 思考とは裏腹に身体はすぐに二人を追いかけようと動いた。

 

 廊下を慌ただしい音が三つ駆けた。

 二人の背中めがけて投げたクナイは、写輪眼になっている父さんに弾かれていったが、そのうちの一つが母さんの足首を掠めたらしい。小さな悲鳴が上がった。

 

「ミコト!」

『木ノ葉の未来の為に、貴方達にはここで死んでもらう』

「どこで我らの企みを知ったのだ!」

『…………』

 

 念願の長男として生まれてきた俺が話せないと知った父さんの落胆ぶりから分かっていた。

 俺が寝静まってから、いつも母さんと二人で「これでは一族の悲願はどうなる」と頭を抱えていたことも……。

 

 お面の内側でくしゃりと顔が歪む。

 

 俺はなぜ生まれてきたのかを知った日に、なぜ生まれてきてはいけなかったのかを知った。

 

 望まれて生まれてきたはずが、俺という存在は両親にとって重荷にしかならないのだと。

 二人からの愛は、見返りがあってはじめて歪さの上に成り立つのだと……気づいてしまった。

 

 深く絶望した――イタチという希望が生まれる、その日まで。

 

 上手く走れない母さんを庇いながら逃げ続けることはできないと判断したのか、立ち止まった父さんが一番近い部屋に母さんを押し込む……俺の部屋だった。

 

「……ダメよ、危ないわ!」

 

 母さんが目に涙を溜めながら部屋から出てこようとする。その細い腕を振り払って、父さんが俺に向き直った。

 

 父さんの瞳はいつの間にか万華鏡写輪眼へと変貌を遂げていた。

 

 それは、咄嗟の防衛反応に近い。降り注いでくるであろう幻術から身を守ろうとした俺の瞳にも熱が集まり、視界が真っ赤に染まった。

 

 茫然自失。父さんが呟く。

 

「写輪眼だと……お前は一体」

『…………』

 

 持っていた忍刀をするりと手から離す。刀が床に落ちる音と同時に駆け出して、父さんに拳を振り上げる。

 

 動揺のせいか反応が鈍い。モロに食らった父さんが吹っ飛んだ。父さんがすぐに体勢を整えようとする。

 でも遅い。俺はもう木ノ葉旋風を繰り出す準備ができて――

 

「――もうやめて、スバルッ!」

 

 ビクッと身体が震えて、俺の蹴りは父さんに当たる寸前で止まった。

 父さんは床に手をついたまま、放心状態だ。

 

「ミコト…………何を言ってる」

 

 振り返った先では、障子に手をかけた母さんが涙でぐちゃぐちゃになった顔で必死にこちらに腕を伸ばしていた。

 

「スバル……スバル……! 貴方なんでしょう……?」

『…………』

 

 …………どうして。

 

 足を下ろして、その場で立ち尽くす。否定の言葉は出てこなかった……頭が真っ白で何も考えられない。

 

 腰が抜けているのか、足首の傷がそれほど深かったのか、母さんが両手を床につきながら俺のところまで這ってくる。

 

 ――動けなかった。

 

 母さんの手のひらが俺の肩に触れる。その温かさに驚いたと同時に強く抱きしめられた。

 

「昔も今も……私は母親失格ね。こうなるまで、貴方の心に気づきもしなかった」

『…………母さん』

 

 最後に母さんに抱きしめられたのはいつだろう。こんなにも……温かいものだっただろうか。

 

「本当にスバルなのか……? なぜお前がオレ達を裏切る……」

「スバルは裏切ったんじゃない。“選んだ”のよ」

 

 母さんは涙を流しながらも毅然としていた。

 

「スバル……私を貴方の部屋まで運んでくれる?」

『…………分かった』

 

 母さんの腕が首に回ってくる。そのまま抱き上げて、俺の部屋に向かう。後ろから困惑気味の父さんがついてきていた。

 

 部屋の中央に母さんを下ろす。その隣に父さんが座った。その顔にはすでに困惑の色は消えている。

 

「……お前は里側についたのか」

『…………』

 

 両親の正面に座って、俯く。ここが俺の部屋であることを除けば、二人に里や暗部でのことを報告する時と同じ光景が広がっていた。

 

「……顔を見せてくれ。確認がしたい」

 

 懇願するような響きだった。俺は両手をお面に当てて、外す。

 何の障害もなく目が合った両親が息を呑む。母さんは口元を手のひらで覆って、また涙を流していた。

 外していたお面をもう一度被る。

 

『俺はお面がないとこのように話せない』

「…………そうか」

 

 ぎゅうっと膝の上で拳を握った父さん。悲痛な表情だった。

 

「お前はどこまでも木ノ葉の忍だったということか……」

『それは違うよ』

 

 これで最後だ。最後に、二人に真実を告げることになったのは、むしろ良かったのかもしれない。

 ユノはいつイタチが来ても良いように玄関の前で待っているはずだ。ここには俺と両親しかいない。

 

『俺はうちは一族のスバルだ。そうありたいと願って生きてきた』

「スバル…………」

 

 母さんの声が震えている。

 

『俺がうちはであるという事実が、俺をイタチとサスケの兄にしてくれた』

 

 これ以上の贈り物があるだろうか?

 

 ダンゾウは俺が両親や一族を憎んでいると思っていた。彼が両親の始末を命じたのもそのせいだった。俺の覚悟が本物なのか確かめる為に。

 

 俺の中にあるのは彼らへの感謝のみだった。

 

『俺はこれからもうちはの名を背負って生きていく』

 

 一生消えることのない、たくさんの罪と一緒に。

 

 泣き崩れた母さんの肩に父さんが腕を回して、自分の胸に引き寄せた。

 

「一族の未来の為にと始めたことが、結果としてお前やイタチを苦しめてしまった……」

『…………』

「刀を持ちなさい」

 

 父さんの目が障子の向こう――廊下に転がっている忍刀を捉える。

 

 俺は無言で立ち上がって廊下に出た。まだ誰の血も吸っていない刀を持ち上げる。

 

「イタチとサスケは無事なんだな?」

『…………うん』

 

 父さんが笑った。相変わらず、不器用な笑い方だ。

 

「――スバル。お前の望むようにやればいい」

『…………俺の望み、』

「お前はオレの子だ。オレは一度たりとも自分の中のお前への愛を疑ったことはない」

『…………』

 

 胸の奥に鈍い痛みが走った。

 

「貴方はいつだって私たちの誇りよ……スバル」

 

 廊下から部屋に入る。両親の正面ではなく、後ろに立った。

 まるで優しい呪いにでもかけられたように、そこから動けない。

 手入れの行き届いた刀だけが小刻みに揺れている。……震えているのは、俺の方だ。

 お面越しに見える両親の背中がゆっくりとぼやけて、不鮮明になっていく。

 

「スバル」

 

 どこまでも穏やかな父さんの声に顔を上げる。

 見えないはずの父さんの表情がはっきりと分かる。

 頬を伝っていった温かい水滴がポタポタと床に落ちた。

 

「後は頼む」

『…………』

 

 ぐっと心を内側へ内側へと逃していく。部屋の隅に置かれた時計の針は、この時間の終わりを告げていた。

 

『あ…………』

 

 震える手に温かなものが触れた。母さんがこちらを振り返っていた。柔らかな手のひらが俺の手を覆っている。

 ……震えが止まった。これでもう、俺は役目を果たさなくてはいけなくなる。

 母さんが寂しげに微笑んだ。

 

「私たちの分まで、イタチとサスケをお願いね――お母さんの、最期のお願いよ」

 

 思考が完全に止まったせいかお面は沈黙を保っている。次第には周りの音さえも消え去って、目の前で起きている現実だけが俺の前に取り残されていた。

 

 ゆっくりと、刀を握っている右手を振り上げる。

 

 現実と共に動き出した俺の思考に反応したお面が言葉を紡いだ。

 

『俺は、父さんと母さんのことを…………愛していた』

 

 全ては過去となりいつまでも消えない膿となる。

 

 息を呑むような音が二つ聞こえたと思った時には、俺の右腕は突き立てられた後だった。

 

 父さんの身体が糸が切れた操り人形のようにぐらりと傾いて倒れる。引き抜いた刀は血を吸っているせいでひどく重たく感じられた。

 

 こちらに背を向けたままだった父さんとは違い、母さんはしっかりと俺を見ていた。

 その両眼が真っ赤に染まり、眩い光を放つ。

 

『…………その眼は』

 

 以前父さんに見せてもらった万華鏡写輪眼。それとは形状が異なるものの、明らかに通常の写輪眼とは違う。

 その瞳の模様は手裏剣のようだと思ったが、十字架のようにも見える。

 ――そうか、四芒星だ。

 既視感の正体はすぐに分かった。

 

「私が死んだら、すぐにこの両眼を抉り取りなさい」

『母さん、それは』

「私が写輪眼を有していたことは夫であるフガクしか知らない。さらに、たった今万華鏡写輪眼を発現したことを知るのは、ここにいる私と貴方だけ」

 

 母さんが涙を流しながらにこりと微笑んだ。

 

「私もよ、スバル。私たちも、貴方たちを心の底から愛している……」

 

 母さんが目を閉じて背中を向ける。俺は両眼の奥でひりつくような熱と痛みを感じていた。

 長い夜だ。そのうち朝がやってくるのが信じられないくらいに。

 

 ああ、そうだ。もう一つ言っておかなくてはならないことがあった。父さんには伝えそこねてしまったけれど。

 

『…………ありがとう』

 

 指から力が抜けて、するりと握っていた刀が床に落ちる。

 俺の足元では二つの動かない塊が折り重なるようにして倒れている。これでもう、全てが終わった。

 

 ぽつりぽつりと止まない雨が降り注ぐ。真っ赤な血の海にぼんやりと浮かび上がる俺の瞳もまた、小さな星の輝きを放っていた。

 



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第二十五話 “希望の中にいる”

『万華鏡写輪眼…………』

 

 姿見鏡に映った俺の瞳には六つの小さな星がゆらゆらと浮かんでいる。

 それは写輪眼のオタマジャクシに少し似ているが、全身を包むチャクラの質の変化は明らかだった。

 これではダンゾウに開眼したことを隠し通すことは難しいだろう。

 

『…………』

 

 写輪眼といい、どこまでも心の存在を浮き彫りにする力だと思う。

 

 母さんの両眼は自分の部屋にあったケースに入れて、すでに懐に隠している。

 託されたこの眼をどうすればいいのか、俺には分からない。考える余裕もなかった。

 

 ただ、これだけはダンゾウから守り抜かなくてはならない。

 

 うちは一族の写輪眼は昔から里によって厳重に管理されてきた。里の外で戦死した場合は可能な限り回収され、リストと照合される。

 今回も異例ではあるがきちんと処理は行われるだろう。

 母さんはそのリストに載っていないはずだから死体を確認されることはないと思うが……警戒はしておいた方がいい。

 ユノの両眼にもダンゾウの使用済み写輪眼が移植されていることもあって、その辺りはダンゾウが上手くやるはずだ。

 むしろそれくらいはやってもらわなければ困る。

 

 ふらりと立ち上がる。……長く留まりすぎてしまった。

 障子に手をかけながら、顔だけを部屋に向ける。

 

『さようなら……父さん、母さん』

 

 二人に割いていた心が過去のものであろうとも、その事実が消えることはない。

 

 部屋を出る。廊下の向こう、赤で満ちた世界で、二つのチャクラが揺らめいていた。

 

 

 

 場所を移して遠くからイタチとユノの姿を確認すると、動かなくなったユノを見下ろしていたイタチが家に入っていくところだった。

 

 その姿を見届けた俺はダンゾウの元へと戻っていた。任務完了を報告する為に。

 

「これで木ノ葉の未来は守られた」

『…………』

 

 ダンゾウの前で跪きながら、背中に隠した拳を血が滲むまで握りしめる。

 

 ――命じられたことは、何だってやってきた。

 

 幼い子どもも、善良な大人も、命令であれば一人残さず殺した。

 弟を守る為だと言い訳をして、俺は一体どれだけの罪を重ねたことだろう。

 

 ……もう、俺は二人の兄などではない。

 

 その資格はとうに失せた。うちはスバルは死んでしまった。

 二人に認められなくても、許されなくても、俺は兄であり続けるつもりだった。

 万華鏡写輪眼を開眼する、その時までは。

 

「お前とイタチはよく働いてくれた」

 

 珍しいダンゾウの賛辞にすら心は動かない。

 

「ヒルゼンの部下達が死体の確認を終えるまで、お前は身を隠しておいた方がいいだろう」

『問題ありません。彼らに俺の動きを悟ることはできないでしょうから』

 

 警戒すべきはカカシとテンゾウさんくらいだ。裏で動くくらいなら支障はない。

 俺にはまだするべきことがある。こんな時、ダンゾウなら。

 

「キノト達にイタチの始末を命じているが、お前が手を出す必要はない。万が一、イタチが逃げ延びた際にお前の生存を知られては厄介だからな」

『…………』

 

 そうくると思っていた。俺はダンゾウに頷くことで同意を示して、屋敷を離れた。

 

 

 

 長い夜が明ける。

 

 二十四時間体制で集落の監視をしていたはずの火影直属の暗部達が、こうなるまで気づかなかったのには理由がある。

 

 イタチが一族抹殺を開始する寸前、根の忍が監視室を襲撃してその場にいた全員を殺していたからだ。監視カメラも壊してしまえば、あの夜の記録が残ることはない。

 そうして、ダンゾウの目論見通り、彼らが異変に気づいたのは次の監視担当が交代にやってきたタイミング……その頃には、全てが終わった後だった。

 

 往来で倒れていたサスケを暗部が発見して木ノ葉病院へと運んでいくのを見守り、閑散としている集落の演習場に来ていた。

 当然だが、俺以外に人の気配はない。

 

 イタチは三代目に接触するために必ずもう一度木ノ葉に戻ってくるだろう。それは恐らく、夜。

 イタチの暗殺を命じられた根の忍たちが動くのもその時だ。

 

『…………』

 

 最後に俺に遺された場所が演習場(ここ)しかないなんて滑稽だな。

 

 もうどこにも居場所がない。帰る場所が、ない。

 

 うちはの集落中に転がる死体は太陽が真上に昇る前には綺麗に片付けられ、集落自体も閉鎖されてしまう。

 そこに住まう人間がいなくなれば当然のことだった。

 

 抜け忍となったイタチはこれからどうなる? たった一人里に残されるサスケは?

 新しい居場所を見つけてくれるだろうか……。

 

 次々と溢れてくる不安に胸が押し潰されそうだ。

 

 演習場の脇にある大きな丸太に腰掛けてお面の上から手のひらで覆う。

 

『…………』

 

 いつまでそうしていたのか定かではないが、こちらに近づいてくる気配に、俺はゆっくりと顔を上げた。

 

『……どうして?』

 

 自分でも随分と幼い口調になってしまって驚いた。

 どうしてここにいるのか。どうして俺はここを離れるという選択をせずに、間抜けにも留まってしまっているのか。

 

 気配が俺の隣に腰掛けた。癖のない黒髪が揺れている。

 

『…………セキ』

 

 セキの顔を見ただけで張り詰めていた糸が緩くなっていく。

 すぐに首を振って、頭に浮かんだ愚かな考えを振り払う。

 

 セキは全てを見透かしたように笑った。

 

「チャクラの質が変わっても、離れていても、私にはスバルのことが分かるよ」

 

 膝の上に置いていた手を掴まれて、身体ごとセキの方を向かされる。俺はされるがままだった。

 

「血だらけだね」

 

 俺の手のひらを見たセキが眉を寄せる。ダンゾウの屋敷を出てから治療するという考えすら浮かばなかった。

 

「スバルは自分勝手だよ。昔から……他の人の心なんて何も分かってない」

『…………』

 

 まさかここにきて説教を受けるとは思わなかった。

 

「貴方が痛いと私も痛いって、分かってないでしょう?」

『セキが痛い?』

「ほら、やっぱり分かってない」

『…………』

 

 なんだか理不尽な怒られ方をされてる気がする。

 セキが俺の手に自分の手を重ねる。ぎくりと肩を強張らせると、温かな光が灯った。

 

『医療忍術……』

「私の得意な水と相性が良かったから、少しだけ齧ったんだ。役に立って良かった」

 

 セキが手を離すと、自らの爪でつけてしまった傷は完全に塞がっていた。ぼんやりと手のひらを見つめる。

 

 傷は消えた。なのに……どうしてこんなにも痛い。

 

「……火影様が教えてくれた。万華鏡写輪眼を開眼した人は良くも悪くもチャクラの質が変化して、時には心さえも変わってしまうことがあるって」

『…………』

 

 これまでの人生で、こんなにも心が沈んで浮かび上がらないことなんてなかった。

 同じ絶望でも昔とは違う。両親からの愛を諦めたあの頃と、今では、簡単に諦められるほど背負ったものは軽くなかった。

 

 胸の辺りに言葉では言い表せないモヤモヤとした黒い霧のようなものが見える。……存在している。

 これがうちは一族特有の闇堕ちと呼ばれるものだとしたら、確かに抗い難い。気を抜けば負のオーラに飲み込まれて自分自身を見失ってしまいそうだ。

 

『…………こわいんだ、ずっと』

 

 まるで小さな子どもが罪を告白するような響き。

 

『出口が見えない……一生ここから出られないんじゃないかって』

 

 軽口でもなく、心の底からの弱音を吐いた。両親や弟達にも見せたことのない、本当の自分を。

 

『でも……俺はあの人から逃げられない』

 

 ダンゾウがイタチやサスケに手を出す可能性が残っている限り、俺はこの場所に留まり続けるだろう。

 たとえ、目の前に出口が見えていようとも。

 

 二人の兄だから? いいや、違う。今はもう、違うんだ。俺は兄としての肩書きを失ったとしても、二人を……イタチとサスケを愛している。

 理屈で感情を語る段階からはすでに抜け出していた。

 

「帰る場所がないって言ったよね」

『…………』

 

 言ってない。言ってないけど、心の中では思っていた。……あの時からすでに読まれていたらしい。

 

「ここにある。スバルが帰ってくる場所」

 

 セキが両手を広げる。反応に困っていると、頭の後ろにセキの腕が回ってきて、引き寄せられた。

 

『!?』

「ふふ、ちょっとだけ調子戻ってきたね」

 

 俺の頬が柔らかなものに当たっている。こ、これが噂のおっ……ちょっと待ってほしい。色々と理解が追いつかない。

 

 セキの言葉通り、思考がさっきより鮮明になっていた。……恥ずかしいことに。

 

「スバルは、もっと自分の望むままに生きたらいいんじゃないかな」

『…………』

 

 俺を抱きしめたまま、セキが言う。優しい声だった。

 

 俺の望むままに……父さんの最期の言葉を思い出す。

 

「君の望みは全部誰かの為じゃないか。君が自分のためだけに、望むことだってあるはずだよ」

『そんなもの…………』

「無ければ作ればいい。私と一緒に」

 

 セキと一緒に。ぱちりと瞬く。

 

「今は理由が必要なら……私のために生きて」

『…………』

「私はずっと君のことが好きだよ、スバル」

 

 脳が痺れるような感覚があった。

 

 目を閉じる。規則正しい鼓動の音に耳を澄ませていると、心がかつての穏やかさを取り戻していく。

 

 さわさわと小さな風がお互いの髪と頬を撫でていった。

 

 セキの背中に腕を回す。俺より随分と細い腰を抱き寄せて、さらに密着する。心臓の音が大きくなった。

 

「す、スバル…………?」

 

 あれほど積極的なセキだったが、こちらから来られるのは耐性がなかったようだ。顔を見なくても真っ赤になっているのが分かる。

 思わず、ぶはっと笑った。

 

『なんでそんなに動揺してるんだよ。……そっちから始めたくせにさ』

「口調までらしくなっちゃって……」

『……セキくらいだよ。“らしい”なんて言うのは』

 

 久しぶりに笑った気がする。いや、むしろここまで心が晴れやかだったことはない。

 

『俺も…………』

 

 抱きしめていたセキから離れる。どこか物足りなさそうな顔が見えて、俺はもう一度笑った。

 

 両手をお面に添えて、外す。座っていた丸太の上に置いて、そのままセキの頬に触れた。

 

 

 “ずっと好きだった”

 

 確実に届くように、強く強く頭に思い浮かべる。

 

 ぽろっとセキの瞳から涙がこぼれる。……あーあ、我慢しようと思ってたのに。

 

 セキの瞳に唇を寄せる。小さな悲鳴を上げて腕に力を込めて離れようとするセキ。

 いやいや、この状況で逃すわけないだろ。

 

「どういう……」

 

 どういう意味だと言いかけたセキの口を自分のもので塞ぐ。

 面白いくらいに硬直した身体にまた笑いそうになるのを抑えて、すぐに唇を離す。

 

 至近距離で見つめ合ったセキの顔は可哀想なくらい真っ赤で、そうじゃない部分を探す方が難しい。こっちまで頬に熱が集まる。

 

「そっちまで赤く……」

「…………」

 

 俺たちは一体何をやってるんだろう。セキがちらりとこちらを上目遣いで見上げてきた。

 

 またセキに近づこうとすると、俺の心を先読みしたらしい彼女が丸太の上のお面を手に取って無理やり俺に被せてきた。

 

『……そこそこ痛かったんだけど、酷くない?』

「悪いけど半径一メートル以内に入ってこないで」

『そんなに!?』

 

 

 

 ***

 

 

 

 ものは試しだと左眼を抉り取った俺に、セキがドン引きしながら「まともじゃないよ……」と呟いた。

 散々こちらの心に触れておきながら俺をまともな人間だと思ってたんだとしたら猛者すぎない? 自分が一般の枠からはずれてる自覚くらいはある。

 

「ちゃんと痛覚はあるんだよね?」

「…………」

 

 当たり前だ。滅茶苦茶痛い。

 

 俺の左眼(もう眼球ないけど)からは出血が止まらないし事故現場すぎる。

 

 セキが先ほど俺が渡したケースの中から母さんの眼球を恐る恐る取り出した。

 

「うう……まさか眼球に触れる日が来るなんて…………」

「…………」

 

 なんともカオスな光景と発言ではあるが、気持ちは分かる。それこそ、まともに生きてたら一生体験することはないと思う。

 

 俺がなぜ急に自分の眼球を抉り取るマゾムーブをしているのかというと、かつてのカカシの発言を思い出したからだった。

 

「お母さんの意志を継ぎたい……ってこと?」

『それもある。残された側の自己満足だって分かってるんだけど』

「……ううん、いいと思うよ。それが君の生きる糧になるというなら、お母さんも嬉しいんじゃないかな」

 

 セキの言葉は不思議だ。聞いてるだけで心がぽかぽかと温かくなる。

 

『でもそれ以上に、余った俺の眼がイタチの役に立ったらいいなって』

「……いい、んじゃないかな」

『…………』

 

 仕方なく言ってやった感がすごい。いいよ、こういうのは俺だけが理解できていれば。

 

 うちは流多重影分身の術の指南書に書いてあったことが事実なら、ふたつ目の瞳……つまり万華鏡写輪眼はいずれ失明に向かう瞳らしい。

 イタチがいつか失明するなんて俺には考えられない。

 最初は母さんの眼をそのままイタチに預けるつもりだったけど、ほら……イタチの大ファンとしては俺の眼を使ってほしいなと思ったわけだ。

 ダンゾウにストックとして使われるよりは断然イタチにそうしてもらった方がありがたいし。

 

「でも、イタチくんはスバルが死んだと思ってるんでしょ? どうやってその眼を渡すの? 私だったら、見知らぬ他人が急に亡くなったお兄さんの眼球取り出してたら怒っちゃうけどな」

『……それはまあ、なんとかする』

 

 そこまで考えてなかった。そうか、受取拒否どころか、他人の眼球をなんで勝手に奪ってきてんだテメー! ってなる可能性もあるのか。

 ああ、イタチ。その勢いのまま俺に豪火球の術を放ってくれないだろうか?

 

 ――そんなわけで、俺は左眼を抉り取って、今に至る。

 

 俺が理想の死に方について思いを馳せている間に、セキが眼球の移植を続けてくれていた。

 糸状のチャクラが神経を繋げるように動いているのが分かる。

 何度か根の医療忍者の世話になったことがあるが、本当に繊細な術だと思う。手先が不器用な俺には難しそうだ。

 ……もしかして俺、あまりに不器用すぎるせいで忍術と幻術が壊滅的だったりする?

 

「できたよ。目を開けてみて」

 

 右眼にもまったく同じ手順を踏んで、ゆっくりと目を開ける。 

 

「…………綺麗」

 

 セキが溜息をつく。

 

「四芒星と――六連星(むつらぼし)だね」

「…………」

 

 ここには鏡がないから自分の目がどうなっているのか確認できない。

 

 あの小さい星たちも残ってるだって?

 

「うん。最初に見せてもらった六つの星と、スバルのお母さんの四芒星が合わさってるみたい」

「…………」

 

 元々の俺の眼球はすでに取り出して、例のケースに仕舞ってある。

 

 もしかして俺の写輪眼の能力は自分の中に残ったままで、ケースに入ってる眼球はただの眼球になってたりするんだろうか……。

 もしそうだとしたら、ただのゴミをイタチに押し付けることになってしまうのでは?

 

 ケースを斜めに傾けると、中の眼球がころりと動く。

 ……くり抜いただけで能力が失われるなら、ダンゾウが執拗にカカシやシスイの眼を奪おうとするはずがないか。きっと大丈夫だろう。

 

 膝の上に置いていた猫のお面を被る。

 

 顔を上げると、空は朱色に染まっていた。

 

「もう時間だね」

『……森でのことも、今も、俺がこうして自分を取り戻せたのはセキのおかげだ』

 

 ――今はただ、前に進んでいよう。

 

 胸の奥にあるモヤモヤとした何かが消えたわけじゃない。それ以上の温かなもので上書きされていて、一時的に見えなくなってしまった。だから……。

 

「…………」

『…………』

 

 あれ? と首を傾げる。

 

『逃げなくていいの?』

 

 俺の思考を読んでいる彼女なら、すでに俺から距離をとっているはずだった。

 そんな彼女に苦笑して、俺はこのままイタチの元へ向かうつもりでいたのに。

 

 丸太から立ち上がった俺を、座ったままのセキが見上げている。これは受け入れ態勢とみた。

 

 お面を上にずらして、セキの額にキスする。

 

『行ってきます』

「……いってらっしゃい」

 

 そっと自分の額を押さえたセキの顔は赤くなかった。残念。

 

 

 

 夜。とっくに太陽は眠りについて、微かに虫の囁く声が聞こえてくる。

 

 遠くでフォーマンセルの背中が小さく見えていた。俺の視力では見えないが、さらにその奥にスリーマンセルが待機しており、そのさらに奥には…………イタチがいる。

 なんだこれ、ややこしいな。

 

 つまりは、イタチをストーカーする油女ヨウジのいるスリーマンセルと、彼らがしくじった時用のキノトさん率いるフォーマンセルが息を潜めて機会を窺っているわけだ。

 で、俺はそんな彼らを監視している。勿論ダンゾウはこのことを知らない。

 

 遠目でキノトさんが腕を上げて、振り下ろしたのが見えた。

 こういう時、根の手の動きで指示を出すところは便利だ。おかげで突撃のタイミングが分かった。

 

 後ろから放ったクナイが、四人組のうちの一人に命中する。

 痛みに喘ぐ声に、キノトさんが異変に気づいて振り返った。

 

「何者だ!!」

『お久しぶりですね、先輩』

「そのお面……声…………クロネコ!?」

 

 お面の裏でにっこりと笑う。覚えていてくれて嬉しいよ。最近ほぼ会ってなかったもんね。

 

 茂みから姿を現した俺に、四人に動揺が走っている。

 

『ああ……もう終わりだから敬語なんていらないか』

「お前ほどの男がなぜこんなことを…………」

『死んでからじっくり考えたらどうだ?』

 

 ダンゾウや俺たちが犯した罪の重さってやつをさ。

 

 背中に深く刺さったクナイを引き抜こうとしていた男が急に苦しみ始めて、地面に何度も何度も爪を立てながら悶えている。

 逃げ遅れたその男の首を忍刀で貫く。

 

『……解毒剤も仕込んでいないとは』

 

 ダンゾウも随分と間抜けな奴にイタチの暗殺を命じたもんだ。見慣れないお面だったし、新入りかもしれない。

 ダンゾウの采配がアレなばっかりに……成仏してくれ。

 

「シナミ、ハヤ! こいつとは目を合わせるな、写輪眼の使い手だ」

「キノト隊長……」

 

 眉を寄せる。聞いたことすらない名前だ。

 どうやら、本当にキノトさん以外は入ったばかりの新人らしい。俺が写輪眼使いということすら知らされていないなんて。

 

 三代目に俺とキノエさんをぶつけようとした時より悪化してない? 判断能力にデバフがかかってる気がする。

 こればっかりは他人事じゃないから早急に治療してほしい。

 

 キノトさんが二人と共に駆け出した――イタチのいる場所を目指して。

 

 わざわざイタチのところに向かうなんて焼身自殺希望者なの……?

 

 キノトさんもダンゾウ化してきたのかと呆れながら追いかける。

 それとも俺の将来の夢がイタチによる火遁で死ぬことだと見抜いた上でマウンティング取ってくる気か? 許せねえ。

 イタチィ! こんな奴らを燃やす前に俺を燃やしてくれ!

 

「キノト隊長! ダメです追いつかれます化け物ですよあの人!!」

「嘘だろ!?」

 

 生い茂る草木を腕で薙ぎ払いながら突き進む。俺の中のイタチレーダーに大きな反応があった。

 

 クソッ、イタチに会う前に彼らを始末しておきたかったのに! 焼身自殺を横取りされちまう!

 

 キノトさん達が草むらを抜けた先に、イタチが立っていた。

 

 キノトさんはイタチの足元に転がる三つの死体を見て「まさか……ヨウジまでやられたのか!?」と叫ぶ。

 

 なるほど。自殺を希望していたわけではなく、俺を殺せるのはヨウジの毒蟲しかいないと判断して援護を求めにいったわけか……ヨウジがすでにイタチを始末していると思い込んで。

 

「う、裏切るつもりか、ダンゾウ様を!!」

 

 前にはイタチ、後ろには俺。死神に挟まれた三人の絶望が伝わってくる。

 打つ手なし。最後の悪あがきをするしかないキノトさんが、聞くまでもないことをわざわざ問いかけてくる。

 この状況で俺がダンゾウの味方なわけないだろ。

 

 それより……。俺もキノトさんのようにイタチの足元に目を向ける。

 油女ヨウジ含む、最初にイタチに敵意を向けたであろう三人の死体に小さな黒い炎が見えた気がする。

 豪火球とは別の術で燃やされたんだろうか? いいなあ。

 

「必ず我らの仲間がお前を見つけ出して殺す!」

『死人に口無し。この場にいる根がすでにお前達だけだとなぜ分からない』

 

 俺が手にかけた根の忍は、さっきの間抜けな男だけじゃない。ここに来るまでに近くに潜んでいた者は全て殺してきた。

 彼らはイタチの動向を報告するためにこの辺りに身を隠していたんだろうが、俺にとっては邪魔になる。

 

 キノトさんが後退りしながら「嘘だ……」と呟く。

 

『俺が一体何年あの場所にいたと思ってる』

 

 キノトさんよりは後だが、今ではモズの次にダンゾウに近い立ち位置にある。

 我ながらとんでもない執念でここまで上り詰めたものだと思う。ここまできたら……あとは堕ちるだけ。

 

『そう心配するな。お前達の分まで、俺がこれからもダンゾウの元で務めを果たしていく――最後の瞬間まで』

 

 あの男を終わらせるのは俺だ。その為だけに生きてきた。

 俺は…………もう二度と迷わない。これから先、どれだけの苦しみと痛みを伴おうとも。

 

「だ、ダンゾウ様……」

 

 握っていた刀を揺らす。それは……あんまりだ。

 

『現世に遺す言葉がそれでいいんですか? …………キノト先輩』

 

 キノトさんは煽りだと思ったのか激昂した。

 

 俺は主にキノエさんの件でキノトさんにいい感情を抱いていない。

 この人はどこまでも根の忍で、かつてのモズのように盲目的にダンゾウを慕って、敬っている。

 

 かつてこの人がキノエさんの心を踏み躙ったことを一生忘れないし、今日イタチを殺そうとしたことも許すことはできないだろう。

 

 それでも、キノトさんが一人の忍として己の信念を立派に貫いてきたことは尊敬していた。

 形が違っただけ、信じるものが違っただけ、俺とキノトさんの間にあるのはその程度の差。どちらも正しくて、間違っている。

 

 ――だからこそ、最期にダンゾウに縋るような姿だけは見たくなかった。

 

『そっちの方がいいですよ』

 

 同じ罪を背負ったもの同士、死んだら行き着く先は同じだろう。俺への怒りは、その時まで取っておいてくれたらいい。

 

『先に向こうで待っていてください……俺も、そう遠くない未来に追いつくでしょうから』

 

 どうせ俺は長く生きられない。それほど待たせることもないだろう。

 

 腕を軽く動かしただけで呆気なく首が転がる。

 

「ひ、ヒィッ!」

 

 地面に転がったキノトさんと目が合ってしまったらしい残りの二人を殺すのは、さらに容易かった。

 

 深い森の中、ついに立っている人間は二人だけ。

 

「貴方は…………」

 

 イタチの声を聞いただけで胸が痛くて苦しい。目が合っただけで泣きそうだ。

 

 忍刀を軽く振って、背中に戻す。

 

 こんな再会をするつもりではなかった。イタチにはあくまで根の忍だと認識された上で、“俺の心”を託したかった。

 

『これを見た人間は全員殺さなきゃいけないんだけど……お前のことは殺せないなあ……』

 

 キノトさん達を目の前で殺してしまった時点で、俺が根の人間ではないと知られてしまった。

 

 俺の本質は……ずっとお前たちと共にある。

 

『お前が一生知る必要のない感情の話だよ、イタチ』

 

 お前はずっと知らなくていい。知らないでいてほしい。

 お前たちの兄である資格すら失った人間のことなんて。

 

 感情がゆらゆらと振り子のように揺れて、たたらを踏む。

 …………未練。兄だった過去の自分への執着、弟だった彼らへの色褪せない――愛情。

 

 感情の昂りが身体中の熱を一点に集めたのは必然だった。

 

「どこでその眼を…………」 

 

 俺が自分の失態に気づいたのは、イタチの言葉を耳にした後だった。

 急いでイタチから顔を背けたがもう遅い。…………見られてしまった。

 暗闇の中では決して無視できない(くれない)の光を。

 

 万華鏡写輪眼。

 

 ダンゾウやカカシの例がある。早く何か言い訳をしなくてはと焦る俺の思考を止めたのは――イタチの両目からこぼれ落ちる涙だった。

 

 瞳の熱が一気に引く。正面からイタチの涙を見てしまった衝撃は大きい。

 この状況ではどう考えても俺がイタチを泣かせてしまった原因だった。

 怯んで後退りしそうになると、イタチに腕を掴まれた。

 

 震える唇が確かめるように言葉を紡ぐ。

 

「…………兄さんは、ずっとそうやってオレ達を守ってくれていたの?」

 

 掴まれた腕を振り払うことなんて簡単だった。

 それができなかったのは、イタチの浮かべた表情があまりにも痛々しかったから。

 

『…………』

 

 俺はもう、お前に兄と呼んでもらう資格なんてないんだよ……イタチ。

 

『誰と勘違いしてるのか知らないが、俺は、』

「あの日死んだのがユノという男だったことは知っている」

 

 俺の腕を掴む力が強くなる。まさかユノがしくじっていたとは…………迂闊だった。

 

 ゆっくりと近づいてきたイタチとの距離が拳数個分になった時、俺の腕を掴んでいた手が離れた。

 

 トンッとイタチの頭が俺の胸に当たる。背中に回ってきた腕が服に皺ができるくらい強く握りしめた。

 

「やっと辿り着いた……スバル兄さんのところに」

 

 イタチの言葉を理解するには、俺の頭はもういっぱいいっぱいだった。

 

 背中を抱く力が強すぎて痛いのも、俺の胸に涙の跡が見えるのも、イタチの身体が震えているのも…………現実だ。苦しいくらいに現実の中にいる。

 

 イタチやシスイと対立し、うちは一族の処遇がダンゾウによって決定した時から、こんな日は二度と来ないと思っていた。

 ……イタチに抱きしめられる日なんて。

 

 ゆっくりと持ち上がった両手がイタチに触れる前に止まる。

 

『…………』

 

 俺は許された気でいるのか?

 

 一族殺しの汚名を被せ、恋人にすら手をかけるように取り計らった人間が、どうして許されるなどと……。

 

 頭の片隅に浮かんだセキの笑顔が消えていく。

 本当は全部俺がやるべきことだった。恋人も友人も家族も、この手で殺さなければならなかった。

 俺がイタチだったら……出来ただろうか。

 セキを殺し、兄のように慕った友を殺され、両親には別れを告げることすらできずに、それでも木ノ葉隠れの里の為に、全ての罪を背負って抜け忍となり生きていくことが。

 

 ぐにゃりと視界が歪む。

 

 ――苦痛。そんな単純な言葉で表せられるものじゃない。

 地獄だ。俺がこの場所に引きずり落としてしまった。

 

『お前の兄なんかじゃない』

 

 ずっと俺の胸に顔を埋めていたイタチが顔を上げる。

 

『……そんな資格なんて、ないんだ』

 

 頬に温かな感触があった。見られないように俯いてイタチの肩に額を乗せる。

 

『お前とサスケの幸せな未来を壊してしまった』

 

 何度も何度も自問自答を繰り返した。この道しかなかったのかと。

 イタチやシスイから協力を求められた時だって、三人でなら一族を止められるのではないかと少しも思わなかったわけじゃない。

 ……ただ、俺は嫌というほど知っていた。己の未熟さと、ダンゾウという男の狡猾さを。

 

『……お前たちにはもっと綺麗で美しい世界だけを見ていて欲しかったのに』

 

 見てばかりいる。四代目の目指した未来をこの胸に宿したあの日から、ずっと覚めることのない夢を。

 

 あの人は大切なものを守って死んでしまった。

 

 ――見られるだろ、今からでも

 

 カカシの言葉があの時とは違う質量を持ってのしかかってくる。

 

 …………可笑しいよなあ。たった一度交わした言葉にいつまでも囚われているなんて。もう、すべてが手遅れだっていうのに。

 

「…………資格?」

 

 どこまでも深く落ちていった思考を浮上させたのは、イタチの小さな呟きだった。

 

「貴方は……過去も現在も未来も、オレのたった一人の兄さんだ」

『…………』

 

 涙が……止まった。

 そっと身体を離したイタチの顔がよく見える。

 

 イタチが泣けばいいのか笑えばいいのか、感情をどちらに傾ければいいのか迷っているような表情をした。

 

「オレの兄は自分だけだって、言ってくれたよね」

 

 イタチと暗部の更衣室で初めてお面越しの会話をした日のことだろう。ふざけたユノの発言を見逃せなかった。

 あの頃の俺はユノが自分の代わりに死ぬことになるとは思っていなかったが、ユノはそうじゃない。

 似たような年頃、似たような背格好、似たようなチャクラ質。

 彼は元々、うちはが滅ぶ前提でダンゾウが用意した俺の身代わりだった。

 

 ……自分がいずれイタチの兄として死ぬことを分かった上で言ったのだと、俺は気づきもしなかった。

 

『…………言った』

「あれは嘘だったの?」

 

 嘘なんかじゃない。

 

『俺はいつだってお前たちの兄であることに幸福を感じていた』

「それならどうして、オレ達とのことを過去にしようとする」

『…………』

 

 少しずつ周りを見る余裕が出てきたのか、ここにくる前に聞こえてきていた虫の囁き声や、風が草木を撫でる音が耳に入ってくる。

 

 そろそろ薄明に照らされた木ノ葉が微睡から覚める頃だろう。イタチとの時間が終わる。

 

 頭に浮かぶのは、心が擦り切れるまで言い聞かされた言葉。

 

『根は――名前はない。感情はない。過去はない。未来はない。あるのは……任務のみ』

 

 イタチの肩に触れる。

 

『偽りの姿とはいえ、俺は根で生きる者。うちはスバルはもう死んでしまった』

「死んでない! 兄さんはここに、」

『…………ごめん、イタチ』

 

 イタチの肩に触れていた手を背中に移動させて、控えめに抱きしめる。イタチの嗚咽がさらに酷くなった。

 

 また夢を見てもいいだろうか。全部終わったら……二人の兄として生きる未来を。

 

 目を閉じる。どこで終わりとするかも分からない、途方もない夢の話。

 分かってるつもりだ。そんな未来は絶対にやってこないと。夢は叶わない。

 

 俺にはダンゾウの施した呪印がある。

 ダンゾウを殺すということは――俺が死ぬということ。

 

 それに、きっとダンゾウを殺すだけでは足りないだろう。あの男はあれでいて木ノ葉を守る側の人間でもある。

 事なかれ主義である三代目だけでは、今回のクーデターはもっと最悪の結末を迎えていたかもしれない。

 

『お別れだ』

 

 夜が明ける。指でイタチの涙を拭った。ぎゅっと眉を寄せて耐えるように涙を流す姿に胸が締め付けられる。

 

『……俺は、お前を泣かせてばかりいるな』

 

 困ったように息を吐き出す。……ああ、名残惜しい。ずっとここにいたい。

 使命も何もかも放り出してイタチやサスケと共に逃げ出せたらどんなに幸せだろう。

 この期に及んで希望に縋りたくなる自分に嫌気が差す。

 

『イタチ』

 

 名前を呼ぶ。たったこれだけのことで胸がいっぱいになった。

 

 未練は、ここに置いていく。

 

 俺にはずっと忘れられない記憶がある。記憶だけは置いていかない。ずっと持っている。それは――

 

『俺は…………』

 

 

 

「うちはイタチを追っていた五つの隊が全滅。油女ヨウジの虫も全て黒炎に燃やし尽くされていて追跡はできなかったようです。記録も残っていませんでした」

 

 隣で淡々と報告するモズの声に耳を傾ける。

 

 油女ヨウジのいた小隊はイタチが、残りの四つの隊は俺が手にかけた。

 

 クーデターの前日、モズは集落を監視していた火影直属の暗部を皆殺しにして、集落周辺に無関係な人間が立ち入らないように取り計らう任務を受けていた。

 

 もしもイタチを追っていた小隊の中にモズがいれば俺の作戦は上手くいってなかっただろう。

 こんな時だけはダンゾウの采配ミスをありがたく思ったりする。

 

 ダンゾウの屋敷、居室。モズの報告を受けたダンゾウは苦々しい表情をしていた。

 

 根に所属していた人間のほとんどがダンゾウの呪印を解かれて脱退している。

 今回のうちは一族虐殺事件を受けて、三代目がダンゾウの失脚と根の解体を同時に言い渡したからだった。

 

 ――あれから数日。サスケはまだ木ノ葉病院にいるものの命に別状はなく、里にも平穏が戻っている。

 

 うちは一族の“暴走”に晒されることなく平和を享受している彼らは、あの夜の惨劇を知らない。

 それだけ上層部が上手く動いたということだ。

 

「うちはイタチ……あの者の里への想いは買っているが、その思想がワシの前に立ち塞がらないとは限らぬ。動向だけは追いたかったがな」

『…………』

 

 もしもイタチの監視をモズが担当していれば、今イタチがどこにいるのかすらダンゾウに筒抜けだったかもしれないと思うとゾッとする。

 

 イタチなら俺と違ってモズの気配を察知できるかもしれないが、相手はストーカー検定一級持ちのベテランだ。

 それだけに特化してきたとすれば俺の体術に近い執念を感じる。

 

「ヒルゼンによって根が解体され、ワシの手元に残ったのはお前たちを含む数人と、まだ里外で育成途中の者たちだけ」

 

 強制脱退したり俺とイタチに殺されたりで一気に主戦力が消えた根の勢いはこのまま失速……なんてことにならないのがダンゾウの嫌なところだ。

 死んだなら補充すればいいじゃない! をモットーに、これからもダンゾウは水面下で己に忠実で都合のいい忍を養成していくだろう。

 

「近いうちに残った根の忍を全てこの屋敷に集める。お前たち二人も暫くはここで過ごし、決して里側に存在を気取られるでないぞ」

「はい」

『…………』

 

 ここにダンゾウとの同居が決定してしまった。嫌すぎる。全力でお断りしたい。

 

「これから、二人には若手の育成に力を注いでもらう。表向き根が解体された以上、これまでのように動き回ることはできない。まずは失われた力を取り戻すのが先決だ」

「オレとクロのみで新人を管理する……ということでよろしいでしょうか」

「これまではある程度の状態になるまではワシが管理していたが、体制が整うまでは二人に一任する」

『…………』

 

 ダンゾウはサラッと言ってるが、これは大変なことなんじゃないだろうか。

 あのダンゾウが、これからの根を担う忍の育成……つまり思想の管理すらも俺とモズに任せるということだ。

 

『お任せください』

 

 ここまでの信頼を示されたことはない。……うちは一族の件で、やっと俺もスタート地点に立てた。

 

 一礼して、モズと共に部屋を下がる。

 

 長い廊下を二人で歩いている途中、モズがふいに口を開いた。

 

「……変わったな、お前は」

『…………』

 

 俺は変わったんじゃない。元に戻っただけだ。イタチが生まれて、愛が何かを知ったあの日より前の自分に。

 

「チャクラの変化もそうだが……何を考えている?」

 

 やっぱりチャクラの質は変わっていたか。それならばダンゾウにも間違いなくバレている。

 ……俺が万華鏡写輪眼を開眼したことを追及されるまで時間はない。

 

『一族が滅んで変わらない人間なんていないでしょう』

「…………」

『すっきりしたんです。ダンゾウ様もご存知の通り、俺は随分と彼らに嫌われていましたからね』

 

 瞳が熱を持つ。薄らと浮かんだ四芒星の周りを泳ぐ六つの星がモズの姿を捉える。

 完全に万華鏡に移行する前に、瞳は元の色に戻った。

 

『そう警戒しなくても、俺はまだこの能力を使えませんよ』

 

 俺の瞳に赤が滲む前から危険を察知して距離を取ったモズに苦笑する。……やっぱりこの人には敵わないな。

 そもそも俺は、まだこの両眼に宿った能力すら把握していない。

 能力を発動する前に眼を入れ替えてしまったせいで、その能力が自分のものか母さんのものか、その両方なのかすら分からないだろう。

 

「お前のチャクラの質が変わったのはその眼のせいか……?」

『どうでしょう』

「ダンゾウ様への報告は」

『していませんよ。でも、次に俺一人で呼び出された時に見せることになるでしょうね』

 

 ため息をつく。もしもシスイのように他人の思考に干渉する能力だった場合、ダンゾウに眼球を強奪される可能性がある。

 そうならないことを願うばかりだ。

 

「……うちはサスケはまだ目を覚ましていないようだな」

 

 足を止める。止めてしまった。一瞬揺らいだチャクラにもおそらく気づかれてしまっただろう。

 振り返ると、同じように立ち止まっていたモズが微かに安心したように笑っていた。お面をしていないからその表情を遮るものはない。

 

「お前が変わっていないようで安心したよ」

『…………』

「これから忙しくなる。屋敷に人を受け入れる前にするべきことがたくさんあるぞ」

『…………はい』

 

 俺の前を歩き出したモズの後を追いかける。

 

 万華鏡写輪眼の能力が何であろうと、もしもあの場で発動したなら容赦しないつもりだった。

 利用できるものはなんでも利用する。それがたとえ――モズであろうと。

 

 拳を握りしめる。

 

 良かった……これで良かったんだ。失わずにいられるのなら、その方がいい。

 身体を覆うチャクラの冷たさが少し和らいだ気がした。

 

「クロ?」

 

 いつまで経っても追いついてこない俺を呼ぶ声。

 そういえば、いつの間にこの人は俺をクロネコではなくクロと呼ぶようになったんだろう?

 

『すぐ行きます――モズ隊長』

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――このくにがすきか?

 

 あの日の言葉が、目の前の青年の声で再生される。

 戦争の悲惨さをまだ知らない子どもだったオレの無邪気な笑みに、頭に降ってきた兄さんの温かい手のひらも、ついこの間の出来事のようだ。

 

 真実に近づいたオレの頭の中ではこれまでの出来事がまるで走馬灯のようにいくつも浮かび、その一つ一つを掬い上げていく度に心が擦り切れていくようだった。

 

 ――兄さんは木ノ葉を憎んでいるのか?

 

 愚かな問いかけだった。守られていた。ずっと、守ってくれていた。

 他でもないオレが兄さんに呪いをかけた。この国が好きだという言葉が、あの人を縛りつけたくせに。

 

 オレが一歩踏み出せば、兄さんが一歩離れていく。掴む腕に力を込めれば、兄さんの肩が小さく揺れてその場で足踏みする。

 

 この人は――いつから感情を押し殺して生きてきた?

 

 いつから……オレ達の為に人生を捧げてきた?

 

 頭に浮かんだのは、あの不吉を纏った男がお面を被った部下を連れて家にやって来た時のこと。

 今思えばあのお面はモズと呼ばれていたあの男の被っているものと一致している。

 

 オレの地獄は、イズミを殺し、一族を手にかけ、弟に憎まれ――今この場所から始まるのだと思っていた。

 それは事実だが、これまでのオレの平穏な生活がすでにスバル兄さんの不幸の上に成り立っていたのだとしたら……兄さんの地獄がすでに始まっていたのだとしたら…………?

 オレは、どれだけの間違いを犯してきたのだろう。

 

 掴んでいた腕を離す。今を逃せば二度と手の届かない場所に行ってしまう。

 そんな焦燥感に突き動かされるまま、兄さんの胸に頭をうずめた。両腕で逃がさないように強く抱きしめる。

 

「やっと辿り着いた……スバル兄さんのところに」

『…………』

 

 猫のお面は沈黙を保っていて、垂れ下がったままの腕がいつかのようにオレを抱きしめることはない。……それでもいい。

 

「…………」

 

 伝えたいことがたくさんあるのに言葉にならない。

 オレの口から漏れるのは嗚咽ばかりで、止まらない涙が兄さんの胸を濡らしていく。

 込み上げてくる感情が忙しなく胸を鳴らす。聞きたいことも、話したいことも、たくさんあったのに。

 

『お前の兄なんかじゃない』

 

 この距離だからこそ分かる、微かにノイズが混じった声。顔を上げる。

 

 お面の裏側で、赤の滲む瞳が揺らぐ。左眼に薄らと浮かんでいた雫が、つぅ……と流れていくのが見えた。

 

『……そんな資格なんて、ないんだ』

 

 俯いた兄さんのお面が下にズレたのか、露出した額がオレの肩に触れる。

 

『俺は……お前とサスケの未来を壊してしまった』

「…………」

 

 感情を無理矢理に抑えたような弱々しい声が鼓膜を震わせるたびに、心に棘が刺さって抜けなくなっていく。

 

「…………資格?」

 

 この人が兄でないというのなら、誰がオレの兄だというのだろう?

 

 たった一人で全ての痛みを引き受けて生きてきたこの人が……今もこうしてオレとサスケを想って涙を流しているこの人が…………。

 

「貴方は……過去も現在も未来も、オレのたった一人の兄さんだ」

 

 そっと身体を離す。兄さんの涙は止まっていた。

 

「オレの兄は自分だけだって、言ってくれたよね」

『…………言った』

「あれは嘘だったの?」

 

 兄さんがゆっくりと首を横に振る。

 

『嘘じゃない……俺はいつだってお前達の兄であることに幸福を感じていた』

「どうしてオレ達とのことを過去にしようとする」

 

 平行線を歩き続ける会話に、もどかしさでどうにかなりそうだ。

 

『それだけ俺が取り返しのつかないことをしたからだ』

「…………」

『お前とシスイの夢を知りながらダンゾウに一族の情報を流し続け……一族を抹殺する業すらお前に背負わせてしまった。本来は俺がするべきことだったのに』

 

 先ほどとは違う、はっきりとした意思の存在を感じる。

 

「……オレの感情を無視するのはもう最後にして」

 

 怒り混じりに言う。まだ続きそうだった兄さんの言葉が止まった。

 

「一族のことはオレが選んだ道だ。決断に至るまでにダンゾウによる圧力があったことは否定しない。……貴方も知っていたように、遅かれ早かれこうなることは決まっていた」

 

 二代目の時代から抑圧され続けていた一族はもう限界だった。かつて自分達が追い出したうちはマダラの影に縋るほど……追い詰められていた。

 

「うちはにはこの里は小さすぎたんだ」

『…………』

 

 千手と手を取り合って築き上げた里ですら居場所を確立できなかった、哀れな一族。

 

 手を取り続けるにはあまりにも木ノ葉の勢力は大きく、うちはの声は小さかった。

 それでも写輪眼という個々の強大な力を恐れた木ノ葉上層部による迫害と里の人間からの偏見と差別は消えない。

 心を代償に得られる力でさらに身も心も蝕まれた一族の行きつく先は……きっとここしかなかっただろう。

 

「……兄さんが全てを背負うのは間違ってる」

 

 一族殺しという大罪を引き受けた日から、全て覚悟の上だった。

 今は……唯一の兄と共にあることに喜びすら感じている。

 

 それなのに、兄さんから告げられたのは――拒絶の言葉だった。

 

『偽りの姿とはいえ、俺は根で生きる者。うちはスバルはもう死んでしまった』

「死んでない! 兄さんはここに、」

『……ごめん、イタチ』

 

 身を引き裂かれるような痛みとともに、優しく抱きしめられる。涙が溢れて止まらない。

 

 もどかしい。どうしてこの人はたった一人で生きていく道を選ぶことしかできないのか。……真実を知られても、かつて背負ったものを預けてくれないのか。

 

 兄さんが懐から小さなケースを取り出す。

 

『イタチとサスケを頼む――これが父さんと母さんからの最期の頼みだった』

「…………」

『お前が両親に別れを告げる機会を奪ったのも、俺だったな……』

 

 差し出されたケースを受け取る。二つの眼球がころりと動く。

 

『今、俺の両眼にあるのは母さんの眼だ。そこにあるのは俺の……なんだけ、ど』

「…………」

 

 急に歯切れが悪くなった兄さんが、オレの手のひらにあるケースを睨み付けている。

 

『お前は母さんの眼の方が良かったよな』

「…………」

『俺はいつかダンゾウに写輪眼を抜かれるかもしれないから、それならお前に使ってもらいたいと思ったんだ』

「……オレが持っていていいの?」

 

 兄さんは頷いた。その手が、ケースの上から撫でるように動く。

 

『万華鏡写輪眼はいずれ失明することが決まっているらしい。その時は迷わずに俺の眼を移植してほしい』

「……オレが兄さんの眼を」

「サスケの為に残すだとか、サスケの為に命を捨てるようなことはするな」

 

 ぎくりとした。兄さんの目はすでに眼球の入ったケースではなくオレに向いている。

 その瞳では、先ほどと同じように四芒星と小さな星たちが眩しいほどの輝きを放っていた。

 

『いつかサスケが俺たちと同じ眼を手にした時のことは、後で考えればいい。今の俺の眼を使ったっていいんだ――俺が役目を終えていれば』

 

 役割、役目……ユノの言葉を思い出す。

 

『俺はダンゾウの懐刀となって、あの男の隣に在り続けるつもりだ』

 

 伸びてきた指がオレの目に浮かんだ涙に触れる。懐かしい、優しい手つきに視界がさらに滲む。

 

『サスケがダンゾウに害されないレベルまで強くなるか、俺があの男を殺すか…………その両方か。未来は分からない。でも、終わる時は必ずやってくる』

 

 お面の内側で、兄さんが目を伏せる。

 

『お前が生まれた日のことを、俺は昨日のことのように思い出せるよ』

 

 どこまでも優しくて柔らかい声だった。

 

『イタチ。お前が生まれてきてくれたから、俺を兄にしてくれたから……俺はこの世界で生きてこられたんだ』

 

 呪いも足枷もなかった。そこにあったのは…………。

 

『――生きてくれ』

 

 お面が紡いだ言葉のはずなのに、その声は掠れているし、震えてもいる。まるで兄さんの感情すら反映しているみたいに。

 

『お前たちがいない世界なんて、何の価値もない……俺は…………』

 

 これほど強い感情を誰かに向けられたことなんてない。……いや、気づいていなかっただけだ。

 

『イタチとサスケを生かす道があるのなら、何をしたっていい。それがお前たちにとって痛みを伴うものであったとしても』

 

 ずっと、スバル兄さんは強い人だと思っていた。

 

 過酷な戦争に身を置こうとも一切動じず、暗部に入れば淡々と任務をこなし、心が強いからそうあれるのだと思っていた。

 

 本当の兄さんはこんなにも何かを恐れ、怯え、可能性に縋り――限りなく人間に近くて、こんなにも愛おしい。

 

「…………約束する」

 

 無責任だと思われるだろう。オレはサスケの為に死ぬつもりでいる。

 同じ眼を手にした弟と対峙することになるであろう未来で、確実に、その手にかかって…………。

 

「オレは死なない。兄さんが、再びオレの前で“兄として”存在できるようになるその時まで」

 

 オレが弟としてできる最後のこと。この人が背負ってきたものを一つでも減らすことだ。

 

 兄さんが小さく笑った気配がする。オレの嘘を見抜いた上で、気づいていないフリをしてくれるようだ。

 

『……お前はこれからどこに身を置く?』

「暁という組織に」

『暁…………』

 

 聞き覚えがあったのか、それとも記憶に刻もうとしたのか、兄さんが鸚鵡返しに呟く。

 

 迷ったが、ダンゾウの元にいる兄さんの耳にもいずれ入るだろうと判断して、正直に話すことにした。

 

「兄さんも知っている仮面の男……今回の件であの男の力を借りた。オレはこれから暁に身を置いて、あの男を探るつもりだ」

『…………』

「兄さん?」

 

 兄さんの目が大きく見開かれた。それはやがてわなわなと震え、怒りを露わにする。

 

『あの野郎……ついに手を出したか』

「…………」

 

 オレは忘れていた。兄さんが……白猫の少年が……仮面の男をうちはのファン呼ばわりしていたことを。

 

「兄さん、あの男はそういうのでは、」

 

 うちはのファンどころか先祖なんだと伝えても信じてもらえないかもしれない。

 そもそもあの男への誤解をオレが必死に解く必要はないのだが、あまりにも不憫すぎて放置するのも罪悪感を刺激される。

 

「――こんなところにいたのか、うちはイタチ」

 

 最悪のタイミングだった。オレの真後ろの空間が歪み、そこから姿を現したのは今まさに話題に上がっていた人物だった。

 

 目の前にいたはずの兄さんの姿がいつの間にか消えている。

 

 兄さんの蹴りが仮面の男、うちはマダラの腹を貫通していた。

 

「……なぜお前がここにいる」

『それはこっちのセリフだろうが……握手券も用意できないにわかファンがデカい面してんじゃねーよ』

「…………」

 

 兄さんが何の話をしているのかは分からないが、マダラの神経を意図的に逆撫でしてることだけは分かる。それが効果抜群なことも。

 

「その様子では、イタチはすでにお前の正体を知っているようだな」

 

 会話すらしたくないのか苦々しい口調でマダラが言う。

 

『気安くイタチの名を呼ぶな』

「お前の名前はいいのか? うちはスバル」

『……見る? 鳥肌立った』

「…………」

 

 本当に服を捲って腕を晒した兄さん。ぶつぶつと毛穴が盛り上がった肌を見て、マダラが愉快そうに鼻で笑う。

 この二人、実はとても仲が良いのではないかと血迷ったことを考えてしまった自分が嫌になった。

 

『よりによってお前……よりによってうちはの害悪ファン…………』

 

 兄さんは暫く頭を抱えながらぶつぶつと呟いていたが、無理やりに吹っ切ったようだ。

 

『……イタチに手を出したら許さない』

「手を出すというのが殺すという意味であるなら、心配するな。イタチの力は暁に必要だ」

『そういう意味ではない手を出す方は心配しろって意味か?』

「…………」

 

 マダラが無言で拳を向けたが、兄さんは軽々と避けてオレの隣に立った。

 

『納得はいかないが、お前の元ならダンゾウも易々と手を出せないだろう』

「随分とダンゾウという男を警戒しているんだな。オレには後は枯れるのを待つだけの老人に見えるが」

『お前はあの男を知らないからだ』

 

 歪み合っているわりにテンポ良く続いた会話の中で、どうやらお互いの妥協点を擦り合わせたようだ。

 

『お前がうちはのファンではないことは認めよう』

「イタチが暁にとって有用である限り、殺さないことを約束しよう」

 

 どう考えても割に合わない約束事のはずだが、よほどファン呼ばわりが堪えていたらしい。マダラは満足そうだった。

 

 マダラがこちらを向く。空はすっかり明るくなっていた。

 

「時間がない。移動するぞ」

 

 兄さんの方を見ると、小さく頷いてくれた。

 

『……またな、イタチ』

「また……スバル兄さん」

 

 最後まで兄と呼び続けるオレに、兄さんが苦笑する。

 

 この先何があろうとも、兄さん自身が認めていなくても…………オレにとって兄さんは兄さんだ。

 

 走り出したマダラの後に続く。

 最後に振り返った時にはすでにスバル兄さんの姿はなく、ぽつぽつと点を描くようにして転がった死体だけが深い森の中に置き去りにされていた。

 




内輪編完、そして第一部のようなものが終わった気がする

イタチがこの国を好きだと言わなければ、スバルはきっとクーデターを決行して木ノ葉を潰す道を選んでいたんじゃないかな
ここまでお付き合いありがとうございました!


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鶏鳴編
第二十六話 歩きはじめること


「先生! うちはサスケくんが…………!」

「…………?」

 

 ぼんやりと浮上した意識。忙しなく遠ざかっていく足音に後押しされて目を開いた。

 真っ白な天井に、消毒液の匂いが鼻につく。ぴくりと動いた指はシーツの感触を確かめるように握りしめた。

 

 ここは…………木ノ葉病院? どうしてオレが?

 

 ゆっくりと身体を起こす。たったそれだけのことで全身に走った鈍い痛みに顔が歪む。

 やがて、先ほど慌てて病室を出て行った看護師が医師を伴って戻ってきた。

 

「目が覚めて良かった……キミは三日間も眠りっぱなしだったんだよ」

「三日…………?」

 

 怪訝そうにするオレに、医師と看護師が顔を見合わせる。

 

「キミ……火影様を」

「は、はい!」

 

 再び出て行った看護師の後ろ姿が見えなくなるまで目で追いかけていると、残った医師が言い辛そうに咳払いをした。

 

「あの夜のことをどこまで覚えているかね?」

「あの夜…………」

 

 ズキッと頭に鋭い痛みがあった。

 あの夜……夜……そうだ、オレはあの男に……。

 

「あ……あああ…………」

 

 両手がカタカタと震える。そのまま自分自身を抱きしめるように掴んだ。

 

「父さん……母さん……スバル、にいさん……!!」

 

 悪い夢の中にいるのだと思った。あの男……イタチに両親の死を記憶として刻みつけられた時のことが、あの苦しみが、鮮明に蘇ってくる。

 

 それでもこの目で見て、触れて……スバルにいさんの身体の冷たさは夢ではなかったと訴えてくる。

 

 口端には血が滲み、優しげにこちらを見つめてくれていたあの目が開くことは二度とない。あれは紛れもなく――死だった。

 

「どうして…………?」

 

 どうして父さんや母さんが殺されなくちゃいけなかったんだ?

 どうしてスバルにいさんが死ななくちゃいけなかったんだ?

 

 どうして――あの男はオレから何もかもを奪うんだ?

 

「ううっ…………」

「ああ、無理をしてはいけないよ。横になりなさい」

「離せ! あの男は……イタチはどこにいるっ!!」

 

 全部……偽りだった。オレが幸せだと感じていた現実は全て嘘で塗り固められ、存在すらしない夢物語だったんだ。

 

 ぽろっと涙がこぼれる。

 

 オレの肩を掴んだ医師の悲しげな目も、満足に動かせない身体も、何もかもが腹立たしい。

 

 こうなることが決まっていたなら、どうしてオレに優しくしたんだ。

 どうして…………オレと同じようにスバルにいさんが好きだと、あんな表情で…………。

 

「オレは…………お前を絶対にゆるさない」

 

 瞳に焼けるような痛みが生じたが、すぐに元に戻る。

 

 後からやってきた三代目火影にオレとイタチを除く一族全員が滅んだことを聞かされ、その日から復讐者として生きることを決意した。

 

 

 

「動機なんて些細なことだ。“生きようともがいた強い意思”がキミを救ったんだよ」

「…………」

「今日で通院は最後だけど、何かあったらいつでも来なさい」

「…………ありがとうございました」

 

 優しく微笑んだ担当医に顔を背ける。誰かの言葉が自分の心に住まおうとするのが許せなかった。

 それでもかけられた言葉の温かさを完全に拒絶することの方が難しくて、小さく頭を下げる。

 

 ――あれから一年。

 

 心のケアという名目で最近では一週間に一度病院に通うことが義務付けられていたが、それも今日でようやく終わった。

 夜になるとあの日のことがフラッシュバックして眠れなかったのが嘘のように、今では日常生活に何の支障もきたしていない。

 胸のどこかで燻る憎しみの炎が消えたわけではない。ただ、意図的に見えなくすることができるようになっただけだ。

 

 病院を出て、まっすぐ道なりに進む。何度も何度も通った道。

 通院日には必ず足を向けていた場所に辿り着いた。

 

「…………ただいま。父さん、母さん――スバル兄さん」

 

 唇を噛み締める。

 

 うちは一族の集落にある南賀ノ神社。その隣に並ぶ無数の墓石たちの中に「うちはフガク」「うちはミコト」「うちはスバル」の名が刻まれている。

 「うちはスバル」の墓石の前に小さな花束がぽつんと置かれていた。

 名前には詳しくないが、薄ピンク色の花弁にどこか儚さを感じさせる花だった。

 

「…………」

 

 この花束を置いた人間も花の名前や花言葉などきっと知らないだろう。

 オレはその人物をよく知っていた。花という存在が到底似合わないことも。

 

 ザクッと背後で土を踏みしめる音がした。瞬時に振り返る。

 

「…………ごめんね、邪魔するつもりじゃなかったんだけど」

 

 女が立っていた。女にしては短すぎる髪が穏やかな風に吹かれて揺れている。

 オレの視線に気づいた女が少し照れくさそうに笑った。

 

「はは、短いよね? 自分でやったら思ったより切りすぎちゃって」

「…………別に」

 

 女は腕に抱えていた薄紫色の花束を両親とスバル兄さんの墓の前に供えた。

 釣鐘のような特徴的な花の形には見覚えがある――リンドウだ。

 

「……知り合いなのか?」

 

 目を閉じて両手を合わせていた女がゆっくりと目を開ける。

 

「好きだったの」

 

 ぽつりと呟かれた言葉に瞠目する。まさか父さんのことではないだろう。そうすると、スバル兄さんのことだと気づく。

 

「スバルとはアカデミー時代からの付き合いでね。私なら……あの人の心に唯一触れられる私なら……孤独に寄り添えると思ってた」

「…………孤独」

 

 記憶の中にいるスバル兄さんはいつも寂しげな目をしていた。その理由を、オレは最後まで知ることができなかった。

 

「あなたは少しだけスバルに似てる気がする」

 

 全てを見透かすような瞳が優しげに細まる。

 

「自分のためだけに生きてくれないところが」

 

 痛々しい笑顔だった。なぜか胸が熱くなって、力なく俯く。

 墓石の前でしゃがんでいた女が立ち上がる。

 

「今日は花を添えにきただけだからもう行くね」

「……アンタの名前は?」

 

 顔を上げる。そこにはもう痛々しい笑みは存在していなかった。

 

覚方(おぼかた)セキ。これからも時々ここにくることを許してね……うちはサスケくん」

 

 

 

 翌日。忍者学校(アカデミー)の組手の授業でナルトと組むことになったオレは、ちょうどいい機会だと予め言おうと思っていた言葉を放った。

 

「な、なななな、なんの言いがかりだってばよ!?」

「コソコソと早朝に花を置きにくるなって言ってんだウスラトンカチ」

 

 目に見えるほど動揺しまくってるナルトが、「なんのことか分かんねーよ!」と叫ぶ。

 腕を組んで強がっているが、だらだらと額から流れる汗は隠せていない。

 

「チッ……お前がスバル兄さんと仲が良かったことは知ってるからな。堂々と花を供えに来たらいい」

「…………サスケ」

「勘違いすんじゃねぇぞ。その方がスバル兄さんも喜ぶと思っただけだ」

 

 ぷいっと顔を逸らす。ちらりと目だけでナルトの顔を確認すれば、スバル兄さんが死んでからオレと同じくらい……いやオレ以上に沈んだ表情が多かった顔にじわじわと喜色が滲んでいた。

 

「……なあ、今日アカデミー終わった後って空いてる?」

「…………空いてるが」

 

 ナルトがぱぁっと破顔する。

 

「ならさ、ならさ! 一緒にスバル兄ちゃんのとこ行くってばよ」

「…………なんでオレがお前なんかと」

「オレってばスバル兄ちゃんの大好物だった特製チャーハン用意していくからさ! サスケも兄ちゃんが好きだったもの持っていけば、もっと喜んでくれるに違いないってばよ!」

「…………」

 

 へへ、と笑うナルトの顔が眩しい。脳裏に見たこともない兄さんの満面の笑顔が浮かんで、消えることなく存在し続けている。

 

 ふんっと鼻を鳴らした。

 

「スバル兄さんの大好物はオレが作った明太子のおむすびだ」

「オレの作ったチャーハン食べた時、兄ちゃん、こんなに美味しいの初めて食べたって言ったもんねーだ!」

「兄さんは礼儀正しい人なんだ。不味いもんを素直に不味いって言うわけないだろうが」

「ああ? そこまで言うならお前にも食べさせてやるから覚悟しとけってばよ!」

「望むところだ、一口目で不味いって言ってやるよ!」

 

 売り言葉に買い言葉、ついには肩で息をしながら至近距離でメンチを切っていたオレ達の頭に鋭い拳が降ってきた。

 

「いっ!!」

「…………!!」

 

 頭を抱えながら悶絶する。一体誰だとイライラしながら顔を上げたオレとナルトはすぐに固まった。

 

「お前たちぃ……組手をしろって言ったのに聞いてなかったのか?」

「い、イルカ先生ェ…………?」

 

 般若を背負った、いや般若そのものになっているイルカ先生がオレ達の前に立ちはだかっていた。

 その恐ろしい顔は、今にも口から火遁を噴き出しそうなくらいだった。

 

 イルカ先生の肩がふるふると震えている。

 

「罰としてアカデミーを十周だ! 今すぐに!」

「えー!?」

「元はといえばナルトが先に……!」

「言い訳禁止!」

 

 くすくすとクラスメイト達が笑っている。……屈辱だ。

 オレは頬を赤らめながら、未だにブーブーと文句を垂れているナルトを放置して走り出した。

 

「あっ、置いてくなよサスケェ!」

「ついてくんな、ウスラトンカチ!」

「あんだとぉ!?」

「まだケンカするつもりなら倍に増やすからな!」

「…………」

「…………」

 

 黙々と走り続けるオレの真後ろをぴたりとナルトが着いてくる。

 

「…………」

「…………」

 

 ナルトがオレの隣に並んだ瞬間に走る速度を速めると、ナルトもついてきた。

 

「…………!!」

「…………!!」

 

 どちらかが前に出れば、次はもう片方が前に出る。

 何度も何度もそれを繰り返したオレ達は、最終的には同時にゴールした。そしてまったく同じタイミングで崩れ落ちる。

 

「も、もう走れないってば……よ…………」

「…………」

「…………お前たち二人は一体何と戦ってるんだ?」

 

 呆れたようなイルカ先生の言葉が降ってきたが、そんなのはオレが知りたいくらいだった。

 

 

 

 アカデミーが終わって、オレは前方にいるナルトとは十分に距離を保ったまま歩いていた。

 クラスメイトに仲良く一緒に帰ってるなどと勘違いされては堪らないからだ。

 

 ナルトがある場所で立ち止まって、こちらを振り返る。オレがついてきていることを確認してから階段をのぼっていく。

 

「ここがオレの家!」

 

 ナルトがニッと笑う。促されるまま、開かれた扉の先に進んだ。

 

「……掃除くらいしろよ」

 

 真っ先にそんな言葉が出てきてしまうくらい酷い有様だった。

 ナルトは心外だという顔をして「これでも昨日整理整頓したとこだってばよ」なんて言う。

 一体どこを整理したんだと小一時間くらい問い詰めたくなった。

 

「今から作るから座ってて!」

「ああ…………」

 

 やけに張り切っているナルト。椅子に腰かけて、さりげなく周りを見渡す。

 ナルトが戸棚を開けると、そこには大量のカップラーメンが並んでいて絶句した。

 

「お前、それ」

「あっ…………見なかったことにしてくれってばよ!」

「無理に決まってんだろ」

 

 毎日三食カップラーメンなのかと思うほどの量だった。

 

「スバル兄ちゃんには絶対に黙ってて! このとーり!」

「……兄さんも知ってたのか?」

「身体に悪いからって叱られたことが…………」

 

 そりゃそうだろうなという感想しか浮かばない。

 あとで墓石の前で報告しとくかと思いながら、ため息をつく。

 

 ナルトが引き攣り笑いを浮かべながら戸棚を閉める。その時に戸棚の内側に貼られた真っ白なシールが見えて、ガタッと立ち上がる。

 

「それ…………」

「ん?」

 

 ナルトの隣に立ってもう一度戸棚を開ける。シールには丁寧な字で《食べすぎないように》と書かれてあった。

 ナルトが懐かしそうな顔をする。

 

「スバル兄ちゃんが書いてくれた。おかげでちょっと……いや、だいぶカップラーメン率が下がったってばよ」

「…………」

 

 羨ましいような、妬ましいような、複雑な感情が湧き上がってくる。

 それと同じくらい、懐かしさで胸が締め付けられていた。

 

「……そこの引き出しにスバル兄ちゃんが置いてった本がある」

 

 フライパンを用意しながらナルトが空いてる方の手で引き出しを指差した。

 

「小難しい忍の心得みたいなやつでオレには読めないし、待ってる間に読んでていいぞ」

「…………」

 

 言われた通りに引き出しを開けると、それなりに読み込まれてると分かる分厚い本が出てきた。

 

 ここでナルトと過ごしている間、兄さんはこの本を読んでいた。今のオレと同じように。

 

 パラパラと紙を捲ると、ひらりと何かが床に落ちた。本に挟まっていたらしい。

 

 膝を曲げて手を伸ばす。カサリと音を立てて掴み取ったそれは、どうやら写真のようだった。くるりとひっくり返して、息を呑む。

 

「…………」

 

 オレとスバル兄さんと、あの男……イタチの三人が映った写真。

 溢れんばかりの笑みを浮かべるオレを抱っこしたスバル兄さんが、どこか照れくさそうな顔をしたイタチの肩に手を置いている。

 

「…………ッ」

 

 夢のような日常。もう二度と手の届くことのない、幸せな世界。

 イタチの顔を見ても今だけは憎しみは湧いてこない。ただただ、あの日の感情を思い出して胸が苦しくなるだけだった。

 

 ぐいっと腕で目元を拭う。

 

「……この本、貰っていいか?」

 

 パタンと閉じた本の隙間に写真を挟む。

 遠慮がちにこちらを振り返ったナルトが不器用に笑った。

 

「仕方ないから、譲ってやるってばよ」

 

 しばらくして完成したチャーハンは、文句のつけようがないくらい……美味しかった。

 



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第二十七話 うちは流多重影分身の術

 ダンゾウ様の屋敷にて。

 

「最終試験を通過したのは、これだけか」

 

 兄弟のように過ごした二人に殺し合いをさせるという、悪習とも呼ばれる慣わしは根に色濃く残っていた。

 かつて自分も受けた試験を思い浮かべながら、目の前に並んだ顔を一つ一つ確認していく。

 

 本来であれば最終試験に参加した半数がここに立っているはずだったが、そう単純に事が運ぶことはない。

 試験を放棄して両方処分されたり、相手を倒して勝ち残ったもののすでに致命傷を負っていたり、相討ちになるケースもある。

 

 表向きは解体され常に人手不足に悩まされてる根にとっては、解体後初めて実施した試験の通過者がここまで少ないのは頭が痛い。

 想定よりも情に流されて“処分”となったペアが多かった。感情を殺すというのは、それほどまでに難しいことなのだと実感させられる。

 

 オレは一列に並んだ新人たちに順番に声をかけていった。

 

「お前の名は?」

「イロです」

 

 こちらを静かな瞳で見つめてくる少年の顔を見ただけで、頭の中にある膨大なデータの中から正しいものを見つけた。

 少年の特性からダンゾウ様がつけた名前だったか。

 

「……あそこにいる白猫面の男のところへ」

「はい」

 

 少年がしっかりとした足取りで白猫面――クロネコの呼び名で知られている青年の元へと向かう。

 

 試験を通過した大半が兄弟殺しの余韻から抜けきれず呆然としている。しかし、あの少年はすでにその段階から抜け出しているように見えた。

 ……感情を殺せたというよりも、麻痺したという表現の方が正しいかもしれないが。

 

「次……お前の名は?」

 

 この作業をあともう少し続ければ、今日の任務は一旦終了となる。

 告げられた名前から目の前の合格者が“兄役”か“弟役”かを瞬時に割り出して、弟役だった場合は優先的に白猫面、クロの班に割り当てていた。

 

 離れたところからこちらを睨みつけるように見つめてくる視線を感じる。

 オレは素知らぬ顔をして「お前もあっち」と目の前の少年を誘導した。

 

 

 

『モズ隊長、どういうつもりなんですか?』

 

 選定が終わって、早速不満がありますオーラを背負ったクロが隣に立った。

 

「お前もオレと同じ規模の隊を率いる隊長なんだから、いつまでも隊長呼びはどうかと思うぞ」

『様呼びしろってことですか』

「違うに決まってるだろ! ……はぁ、まあいい。班員に何か不満があると?」

 

 呼び方に注意を逸らしたつもりが、逆にこちらが翻弄されてしまうところだった。対クロ戦においてオレはまだまだ修行不足だ。

 いつまでも湿気を帯びた視線から解放されそうになかったので、ため息をつきながら問いかけたが、逆効果だったかもしれない。

 

『どうして俺のところに年下ばかり集めてくるんですか? ショタコン疑惑かけられてるなら迷惑です。うちは一族にだってまともな性癖持ちはいるんです』

「なんでお前はそういう尖った解釈しか出来ないんだよ……」

 

 早口で言い切ったクロはどうやらご立腹らしい。自分はまともだと思ってるようだ。

 オレの知るうちは一族の中でもレジェンド級の変人なんだが。どう考えても頭おかしい部類に入るんだが……?

 

「……お前はどうも年上と組ませるとサボる傾向にあるらしいからな」

 

 ソースはオレとキノエだ。サボるというよりも、本気を出さないというか。

 

「守るものがあった方がやる気が出るんだろ」

『…………』

 

 心当たりがあったのか、それとも納得がいかないのか、クロのお面は沈黙した。

 

 こいつは弟に重ねているのか、自分とある程度歳が離れている年下に弱い。

 戦闘の時もいつものように後先考えない無謀な動きが少なくなって、“守る”ことを中心に行動するようになる。

 根の忍としては仲間を守ることは不必要だが、目を離すとすぐにとんでもないことをしでかすクロには丁度いい“足枷”だった。

 

 それに、何度もいうが根は絶賛人手不足に陥っている。

 少しでも生存者が増えれば補充する手間もなくなるのでこちらとしてもありがたかった。

 

「クロ隊長」

 

 控えめな声がクロに投げかけられる。先ほどクロの隊に振り分けたイロという少年だ。

 イロは感情を全て削ぎ落とした表情のまま、こちらの反応を待っている。

 

『イロ……だったな』

「はい」

「…………」

 

 クロの猫被りも随分と様になってきた。落ち着いた様子で対応しているところを見るたびに妙な気持ちになる。

 

「これからボクはどうすればいいですか」

『それは先ほど全員に伝えたように、今日のところは新しく割り当てられた寮で過ごせ。明日からの任務は追って知らせる』

「そうじゃないんです」

 

 クロが怪訝そうに首を傾げる。

 

「シン兄さんを失って……己が何者なのか分からなくなったんです」

 

 この場にダンゾウ様が居合わせなくて本当に良かった。

 

 やはり心を殺せたのではなく、麻痺していた方だったか。麻痺して分からなくなってしまった分、素直に自分の現状を吐露してしまったんだろう。

 

 ここはオレがフォローすべきかと思っていたら、クロの腕がイロに伸びていた。そっと肩に触れる。

 

『それでいい』

 

 静かな声には何の感情も含まれていない。

 

『過去は捨てろ。これからは与えられた任務の為だけに生きていけばいいのだから』

「任務のために…………」

 

 彼らしからぬ発言に無意識のうちに眉を寄せる。

 こいつはこれでいて自分の下についた部下を大切にしていた。

 時には根の方針に合わない者がいたとしても、ダンゾウ様にその思想がバレないように庇っていたことも知っている。

 

 他人のために積極的に動くことはなくとも、己の手の届く範囲であれば気にかけるような不器用な男だった。

 

 お面の内側でゆっくりと目を閉じる。そうすれば、いつだって目に見えないものが“見えるようになる”。

 目を閉じる前に確認したクロの位置で青い気配が揺れていた。それは氷のように冷たく、すぐに閉じていた目を開いてしまう。

 

「…………」

 

 変わらないものもあるが、目の前の青年は確かに変わったのだろう。

 ただ愚直に弟に降りかかる“悪意”に正面から立ち向かおうとしていた七歳の子どもの面影は、すっかり消えてしまっていた。

 

 

 

 その日の夜。自室で明日に向けて準備を進めていたオレは、扉をノックする音に「どうぞ」と声をかける。

 

 部屋に入ってきたのはクロだった。こんな時間だというのにわざわざお面をしているということは、一言二言では終わらない会話が目的らしい。

 すでに寝巻きに着替えているせいで、余計に暗部の面が不釣り合いだった。

 とりあえず座るように促す。クロは素直にストンとその場に腰を下ろした。

 

『モズ隊長って、イロと何かあるんですか? 名前を聞いた時、やけに反応してましたよね』

「…………オレが?」

 

 身に覚えはなかった。そもそもまだ隊長呼びなのかと言いたかったが、その前にクロが続けた。

 

『イロにというより、単語に?』

「あー…………」

 

 らしくない煮え切らない反応をしてしまった。やはりクロ相手だと調子が狂う。

 彼は妙なところで鋭いし、意外と周りの人間をよく観察している。

 

「それを聞くためにわざわざここに?」

『一度気になっちゃうと朝までしか眠れない気がして』

「健康で良かったな」

『まったくです』

 

 こいつ何も考えずに喋ってるなと思ったが指摘はしない。余計に話が拗れるからだ。

 

 トントンと目の前の畳を指で叩く。クロが緩慢な動きでそこに座る。

 オレもそろそろ話しておきたいと思っていたところだった。

 

「これからは以前よりお前と組むことが多くなりそうだからな。オレの能力について少し話しておく」

『隊長の能力?』

「能力というより……血継限界か」

 

 ゆっくりと目を閉じる。目の前で揺れているのは、やはり青い炎。それ以外に周りに色がないことを確認して、口を開く。

 

「この状態でお前がどれだけ気配を消して部屋のどこかに隠れようと、オレにはお前の位置が正確に分かる」

『…………目を閉じた状態で、ですか?』

「ああ」

 

 目を開ける。暗闇の中で揺れる炎は消えて、正しい光景が広がる。

 

「オレは色葉(いろは)一族と奈良一族の混血だ」

『……なんか混じってるなとは思ってましたけど』

「…………まあ、なんか混じってるからな」

 

 そこそこ有名な一族のはずだが、この様子だと知らないらしい。伝説の三忍すら知らなかったくらいだから特別驚きはしない。

 

「お前、視界の範囲外に誰かがいる時にその存在を感じることはあるか?」

『勿論ありますよ。見てなくてもなんかそこにいる気がするってやつですよね。…………そういえば俺、もしかしたら幽霊とか――』

「幽霊の話は置いとけ」

『はい』

 

 なんでそう息を吸うように自然に話を脱線させようとするんだ。

 深呼吸する。クロに話の主導権を持っていかれたら終わりだ。

 

「色葉一族は、そういった生きている存在が必ず放つ気配に色をつけることができる一族……だと言われている」

 

 断言できないのは、オレが実際に一族の人間に能力の仕組みを教えてもらったことがないからだ。

 色葉一族出身だった母以外の一族に会ったこともない。

 

「純血なら目を閉じる必要もなく“色”として認識できると聞いたが、オレの場合は目を閉じている時だけ可能になる」

『……もしかして、隊長の気配が滅茶苦茶薄いのも関係あったりします?』

「…………そうだ。自分の気配から生じる色を限りなく無に近くすることもできる」

 

 こちらに関しては目を閉じる必要はないのだが、そこまで情報を開示する必要はないので黙っておいた。

 あくまで気配を薄くすることしか出来ないので、チャクラで感知するタイプや単純に目敏いやつには普通に存在がバレる。後者は身の隠し方で何とかなるが前者は無理だ。

 今のところ感知されないところまで離れるくらいしか対応方法がない。

 

『それでイロって名前に反応してたんですね』

「そうらしいな…………自覚はなかった」

 

 ふうん、とクロが相槌を打つ。

 

「お前の方はどうなんだ、万華鏡写輪眼」

『それがですねえ……』

 

 クロの両眼がゆっくりと赤に染まる。初めてその瞳を見た時とは違って、今回は目を逸らすことも距離を取ることもしなかった。

 ……しかし、いつまで経ってもこれといった変化は感じられない。

 

「まさかとは思うが、うちはシスイに似た能力か?」

『どうやら違うみたいです。この間ダンゾウ様の目の前で“実験体”相手に色々試したんですけど』

 

 クロの両眼は元通り黒色に戻っていた。

 

『分からないんですよ』

「は……?」

『ダンゾウ様にも疑われましたけど、隠してるわけじゃないです。本当に自分の能力が何なのか分からないんですよね』

「…………」

 

 ふざけているのかと思ったが、クロの目はいたって真剣だった。

 その目は「お面に不具合などなく全部お前の本心なんじゃないのか?」と指摘した時と同じものに見える。

 芋蔓式にその後妙な踊りを披露されたことを思い出して肩が震えた。記憶の中のアイツにすら翻弄されるのは屈辱的だ。

 

「そんなことあるのか? 自分の能力が分からないなんて」

『俺もイタチみたいに黒い炎でるのかなと思ってたら出ないし、シスイのように脳に作用しているわけでもなさそうだし…………ダンゾウ様がいうには、“能力は正常に発動しているようだが、発動対象もしくは環境に条件があって不発に終わってるのではないか”だそうです』

「発動対象と環境……」

 

 とくに血継限界となると発動した時点で元から自分の一部だったかのように能力の詳細を理解するものだと思っていたが、そんなパターンもあるのだろうか。

 万華鏡写輪眼は開眼できた人間がそもそも少ないため前例と比べることも難しい。だが、よりによってそんな面倒そうな能力を引き当てるなんて。

 

「お前って……()()()()よな」

『…………』

 

 皮肉に気づいたクロが黙る。こいつは都合が悪いとすぐに沈黙に逃げる癖をどうにかするべきだと思う。

 

 

 

 ***

 

 

 

 うちは一族にとって悲劇の夜――あれから、一年の月日が流れていた。

 

 ダンゾウの命によって新人の教育を中心に行ってきたが、漸くある程度のところまで育ってきたと思う。

 先日の中忍試験では俺の担当する班の合格者は一人だったが、まあ、いいだろう。

 モズのところは三人だったとかそんなことは……うん。決して俺の教え方が悪いわけではないはずだ。

 

 モズに「チャクラの質が変わった」だの「お前の気配を色として見ると真冬の海のように冷たい色をしている」だの好き放題言われたものの、なんとか無事に過ごしている。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるってやつなのか、両親を手にかけた直後の頭に霧がかかったような状態にはあれから一度もなっていなかった。……“俺は”。

 

 おかげで元気に(ダンゾウをどうにかするために)頑張れているわけだが、その成果に万華鏡写輪眼がある。

 

「クロ隊長」

 

 ダンゾウの屋敷にある一室を自室として与えられている俺は、障子の前に現れた気配に読んでいた資料から顔を上げた。

 

『どうぞ』

 

 一応資料整理という任務中なので、自室にいるとはいえお面はつけている。こうやって部下が度々訪れてくるから付けたり外したりする方が面倒くさい。

 部屋に入ってきたのは、俺の班で唯一中忍試験をパスしたイロという少年。まだ十歳くらいで、サスケとそれほど変わらなかったはずだ。

 面立ちが少しサスケに似ているせいか、この少年を見るだけで心がざわついてしまう。

 

『今日は任務はなかったはずだが』

「ダンゾウ様がお呼びです」

『…………ああ』

 

 そっちか。折角いい感じに整理が進んでたとこだってのに、相変わらずあの男はタイミングが悪すぎる。

 

 俺は目の前で同じように座って資料を手にしている存在に声をかけた。

 

『お前が行ってこい』

〔俺は忙しい。お前が行くべきだ〕

『…………』

 

 ピキッとこめかみに青筋が立つ。

 かつて俺が雀鷹(つみ)というコードネームで火影直属の暗部で働いていた時に使っていたお面がこちらを向いた。

 

〔俺はここで資料を整理していたい。その方が有意義だからな〕

 

 分かるなあ、その気持ち。いくら“自分の”為だからってダンゾウのところになんか行きたくないよね!

 仕方ない。こうなれば闇のゲームで雌雄を……。

 

「あの……ダンゾウ様は二人とも連れてくるようにと」

〔…………〕

『…………』

 

 俺と雀鷹の面を被った男がふらりと立ち上がる。そしてほぼ同時にお互いの背中を慰めるように叩いて、困惑顔をしたイロと共に部屋を出た。

 

 

「遅かったな」

『…………申し訳ありません』

 

 ダンゾウの居室。安定の急に呼びつけた人間とは思えないクソデカ態度にキレそうになりながら、頭を下げる。

 ダンゾウの部屋(地獄)にどちらが飛び込むかで擦りつけ合いをしていたなんて口が裂けても言えない。

 屈辱に耐え忍ぶという点では俺はこの世のどの忍をも凌駕してる自信があった。ダンゾウ様様である。

 

「クロとイロ。お前たちに新しい任務を与える」

「任務ですか」

 

 俺の部屋を出た時は微かに困惑顔だったイロだが、今ではすっかり無表情に戻っている。

 この切り替えの早さを見習いたい。俺の場合、常に無表情だけど。セキや弟たちと関わらなくなってから、本当に一ミリも動いてない気がする。

 

「クロとイロのスリーマンセルで木ノ葉を離れたばかりの大蛇丸の部下を追え」

『…………』

 

 こいつ……今度こそおかしくなったか?

 

 こんな感情は初めてだった。純粋に心配になってしまった俺は、恐る恐る口にした。

 

『ダンゾウ様、一足す一は三にはなりません……』

「…………」

 

 大蛇丸という鳥肌ワードすら意識の外に追いやられるくらいの衝撃だった。

 ダンゾウ、足し算を間違えるところまで来てたのか……。

 

 憐れみの目を向ける俺を嘲笑うかのように、非情な一言が降ってきた。

 

「お前が二人になるのだ」

 

 

 

 ダンゾウのあのセリフが俺以外に向けられていたなら「バカじゃねーの!」と大笑いされて終わっていたかもしれないが、悲しいことに俺は二人になることが可能だった。

 それどころかすでに二人になっていたので、ダンゾウの足し算はある意味では正しい。腹立たしいことに。

 

 俺とイロは大蛇丸の部下が目指している合流地点とやらが記載されている地図を受け取り、大急ぎで支度して、今では森の中を走っていた。

 急ぎの任務なら先に言えと何度言えば分かるんだあの男は! 指摘したことないけど!

 

「クロ隊長の影分身は通常の影分身と何が違うんですか?」

 

 そこそこの速度で進んでいるのに息一つ乱さずについてきていたイロが問いかけてくる。

 俺の隣を走っていた雀鷹のお面が揺れた。

 

〔俺がもう一人増えただけだと思えばいい〕

「もう一人……」

 

 俺の万華鏡写輪眼の能力は、かつて何度挑戦しても完成しなかったうちは流多重影分身……あの怪しさ満点の術に最後の仕上げをする為のものだった。

 失敗だと思われていたあの大量のスライムはどうやら正しい形だったようで、ようはスライムという成り損ないたちを一つに統べて、己の魂を分け与える……ということらしい。

 言葉にしても意味が分からない能力である。

 

 一つだけ分かっているのは、前段階であるスライムを作り出し、尚且つ、万華鏡写輪眼の能力ガチャでスライムに魂を吹き込む能力を手に入れなければこの術は絶対に完成しないということだった。

 そりゃ発案者すら完成させられなかったわけだと納得もいく。

 むしろよく前段階まで手探りで完成させたな。どんな嗅覚だよ。

 

〔当然、色々と縛りはあるが……〕

 

 耳元で風が鳴った。反射的に振り上げた腕に鋭い痛みが走る。

 

 雀鷹のお面を被った男――俺のオリジナルだ。

 

 オリジナル、つまり本体から飛んできた蹴りを今度は防御動作無しに素直に受け入れる。

 本体の脚が俺の横腹を貫通し、俺の身体がぐにゃりと歪んで、一部がゼリー状に溶けていく。

 それも暫くしたら元通りに修復されてしまった。

 

 ぽんぽんと服についた汚れを払って何事もなかったように走り出した俺に、イロが目を見張る。

 

〔普通の影分身なら今の衝撃で消えてる〕

「非常に丈夫ということですか」

〔今はそう認識してくれていればいい〕

「分かりました」

 

 説明が面倒になったのだとすぐに分かった。さすが俺。

 でもいくら面倒だからって急に殴りかかってくるのはやめてくれないか?

 

 

 

 俺はオリジナルに生み出された影分身だ。

 

 うちは流多重影分身の術で複数のスライムを生み出し、俺の右眼に宿った能力【千千姫】によって魂と肉体を分け与えられた存在である。

 

 オリジナルのチャクラをまさかの二分割にしているので、それはもうコスパの悪いチャクラ食い虫だ。俺でもそう思う。

 今日は資料整理だけだと聞いていたから術の精度を上げることも兼ねてもう一人のボクならぬ俺を生み出したというのに、ダンゾウは常に俺の予想を超えていく。

 

 どこの世界に影分身を一人として数える小隊があるんだ? オリジナルにも影分身にも本来あるべきチャクラの半分しか残ってないからすでに戦闘後だよ。任務開始前からジリ貧だよ!

 

 しかも、影分身である俺はどれだけ身体を休めようともチャクラが回復することはない。

 その代わりオリジナルが解術するか体内に残ったチャクラが空っぽになるまで決して死なないし消えないゾンビアタックが可能だったりする。

 これは強い。強いが、もしも他人のチャクラを吸い取るタイプの敵に遭遇したら瞬殺されるだろう。

 そんな卑劣な奴が存在しないことを祈るばかりだ。

 

〔もうすぐ目的地に着く。離れたところで一旦様子を見るぞ〕

「はい」

 

 恐怖の二人ぼっちスリーマンセルのせいで実感なかったけど、大蛇丸の部下とやらの後をつける任務だったな。

 

 どうやら木ノ葉に大蛇丸のスパイが紛れ込んでいたらしい。上司が上司なら部下も部下だ。

 勿論、近くに大蛇丸はいないんですよね? 渡された地図に記された合流地点とやらに大蛇丸が現れるなんてことはないですよね?

 

「この地図は大蛇丸の部下が持っていたものだと聞いていますが、本当にこの場所に現れるんでしょうか」

『どうだろうな。そいつは根の忍とすでに一戦交えた後のようだから……地図を取られたことに気づいて目的を変更しているかもしれない』

 

 ちなみにスパイと交戦した根の忍は二人いたが一人は死に、もう一人は瀕死の重傷を負ったそうだ。怖すぎ。

 忍は消耗品がモットーなブラックな組織なので、生き残った忍も情報を抜かれた後に処分されるだろう。

 

 木ノ葉の西側に広がる森を抜けて視界を遮るものがない街道に出てしまう前に立ち止まる。これ以上は近づけそうにない。

 指で上を指すと、イロが小さく頷いて手頃な木に登っていく。

 俺と本体も足裏に流したチャクラで別々の木を駆け登っていき、見晴らしのいい位置で止まった。

 

 木の枝に足を引っ掛ける。

 遠目に街道から外れた場所――地図に記された合流地点とやらが見えた。

 

 スパイが木ノ葉の機密情報を手に入れているかどうかを確認し、どちらにせよ始末すること、あわよくば大蛇丸の動向や思想を探ること。

 以上が俺とイロに授けられた任務である。

 

「……合流地点に大蛇丸が待機していた場合は?」

〔…………〕

 

 本体の沈黙が重い。考えたくないよな、そんな最悪な未来。

 

 合流相手が大蛇丸の部下だったら一緒に始末するだけだが、大蛇丸本人がいた場合は別だ。今回の任務は放棄して里に戻ることを優先する。

 

 これはイロには伝わっていないが、もしも大蛇丸に存在を気取られてしまったなら、イロを囮にしてでもダンゾウの元に帰ってくるようにと言われている。写輪眼が大蛇丸の元に渡らない為だ。

 まあ、そうはならない。犠牲になるとしたら間違いなく影分身(俺の方)だろう。

 

〔大蛇丸との戦闘は極力避けるつもりだ〕

『もし戦闘になったら俺が時間を稼ぐから、イロは逃げることを優先してほしい』

「…………はい」

 

 さっさと前に向き直って合流地点を遠目から確認している本体にため息をつく。我ながら無愛想なやつだ。

 どことなく心細そうにしているイロに『心配するな』と声をかける。

 影分身の方が表面上も感情豊かな傾向があるのは、この術の特徴なんだろうか?

 本体からの視線が痛い。余計なことをするなと言いたいんだろう。だがしかし拒否する。

 

『お前は死なない』

「ボクは死を恐れているわけでは……」

『“それでいい”とは言ったが、人らしさを失うのが良いことだとは思っていない』

 

 人らしい感情があるからこそ、敵と対峙した時に相手の行動を先読みできることがある……と俺は思ってる。

 これをモズに言ってみたところ「お前のような無神経な男が?」とバカにされたけど。感情を失いしモンスターにだけは言われたくない。

 

〔お喋りはそこまで〕

 

 冷たい声に容赦なく会話が中断された。本体が合流地点から目を離さずに続ける。

 その目はすでに写輪眼になっていた。

 

〔――大蛇丸だ〕

 




うちは流多重影分身の術(もう一人のボク)
本体のチャクラを半分こしてもう一人の自分(ベースはスライムなので腕が取れようが足がもげようが元に戻るゾンビ)を作り出す能力。分身体は他人からの譲渡以外でチャクラを補充できないので基本的にチャクラを使い切れば死ぬ。
オリジナルが受けていた肉体的精神的ダメージは分身体には受け継がれないので、オリジナルが闇堕ちしていても分身体には影響がない(というより忘れる)。本体と比べると瞳術は弱め。
千千姫無しにこの術を生み出した考案者といい謎しかない能力。

・右眼の万華鏡写輪眼【千千姫】
ただのスライムに命を吹き込む女神の能力。(この能力が発動した時にチャクラを半分持っていかれる)
スライムを作り出せなかった人間がこの能力を手にした場合、詰む。


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第二十八話 女神と王の力

 久しぶりに見た大蛇丸は以前会った時と全く変わっていなかった。

 ダンゾウのように不穏をその身に纏ったチャクラは遠目からでも分かる。俺の嫌いなヤツ感知レーダーもなかなかのものだ。

 

 ――だからだろうか。不意に背筋にぞくりと悪寒が走ったのは。

 

「木ノ葉のお客さんなんて、珍しいじゃない」

 

 真後ろからねっとりとした独特の声が聞こえた。

 

 合流地点にいた大蛇丸の姿は小さな煙に包まれて見えなくなっている。あそこにいたのは分身だったのだと頭で理解するより前に、俺たちは木の上から飛び降りていた。

 

 翻した背中越しにクナイを放つ。大蛇丸に避けられたクナイが木の幹に突き刺さり、揺れた枝からいくつもの葉が舞い落ちていく。

 その一つが地面に降り立った俺の肩の上に落ちた。

 

 最悪だなこりゃ。例の木ノ葉から逃げ出した大蛇丸の部下とやらが変化してるのかと思ったら、明らかに本物じゃないか!

 

 肩の葉っぱを手のひらで払い落とす。

 

〔……クロ〕

『はいはい。後は俺に任せてさっさと逃げてくれる?』

 

 他にも何か言いかけた本体だったが、僅かな沈黙の後にイロの腕を引っ張って、来た道を引き返していく。

 

 この場に残されたのは俺と大蛇丸の二人だけ。

 もしかしたら例の部下が近くに潜んでいるかもしれないので、周囲への警戒も怠らない。

 

「そのお面……コードネーム……うちはスバルは死んだと聞いていたけれど、違ったのかしら」

『うちはスバルは死んだよ。うちは一族虐殺の夜……実の弟の手にかかってね』

「ええ、そうね、彼とアナタは随分と“オーラ”が違うもの……それに、あのイタチくんが仕留め損ねるとは思えないしね」

 

 そうだろう、そうだろう。イタチは優秀だもんね。

 まあ俺もあの時死んでたら良かったんだけど。生きてる人間にしか出来ないことがあるんだから仕方ない。

 

「だとするとアナタの正体は一体誰なのかしら。秘密主義な根の人間は素直に教えてくれないでしょう?」

『今すぐ俺の周りを百周してワン! って言えたら考えなくもないよ』

「…………」

 

 どちらかと言うと平和主義な俺が提供した妥協案はどうやら気に入らなかったらしい。大蛇丸は無言で腕から蛇を生やしてこちらに迫ってくる。

 まったく、話が通じないやつだな!

 

潜影蛇手(せんえいじゃしゅ)!」

『おっと……そんな気持ち悪いもんを伸ばしてくるなって!』

 

 全国の蛇好きには申し訳ないが、俺は蛇が大嫌いだ。大蛇丸のせいで。大蛇丸が悪い。大事なことなので二回言うし、このトラウマは一生払拭できないと思う。

 

 大蛇丸の腕から伸びてきた蛇の牙から逃れて、三歩以上後ろに下がる。

 大蛇丸の蛇イコール毒持ちなのは確実だ。迂闊に近づけない。

 手持ちの解毒剤で対処できるか分からないし、スライム体とはいえ毒にかかれば動きは鈍くなる。

 

「……本当に別人のようね」

 

 しつこく疑っていたらしい大蛇丸がつまらなさそうに言った。

 ……なんでそんなにうちはスバルに拘るんだよ。身の危険を感じたせいか、少しだけ尻に力が入った。

 

『逃げた二人を追いかけなくていいのか?』

「いくら私でも三対一は不利だもの、アナタだけをじっくりいただくとするわ」

『拷問で情報を聞き出すのは一人で充分ってことね』

 

 ゆったりと笑みを浮かべる。

 大蛇丸に限って三対一が不利なわけないだろ。人間よりも厄介な蛇たちを数に入れるのを忘れてもらっちゃ困る。

 よし、ここはプランFだ。

 

『ダンゾウ様と大蛇丸様は以前協力関係にあったでしょう。俺がここに来たのも何か貴方のサポートができないかと思ったからで……』

「フフ……口が達者なようね。木ノ葉に紛れ込んだスパイの正体が私だったと聞いてもその調子が続くかしら」

『…………』

 

 フレンドリー作戦は呆気なく失敗に終わった。

 なるほどね、俺たちが追っていた大蛇丸の部下がご本人だったわけだ。優秀な根の忍が二人がかりでも瞬殺された理由が分かった。

 

『……なぜわざわざそのような真似を?』

「様子を見に来たのよ……うちは一族のたった一人の生き残り……あのうちはイタチですら“殺さなかった”子どもが気になってね。姿を見る前に里中をコソコソと監視している根に見つかってしまったけれど」

 

 ゴウッと風が鳴る。

 

 俺が手にしていたクナイが大蛇丸の頬に浅い傷を作り、傷口からゆっくりと血が垂れていく。

 

 大蛇丸が珍しく驚いたように目を見張った。

 

「…………地雷を踏んだかしら」

 

 大蛇丸はすぐに飄々とした態度に戻っていた。その首元にクナイを突きつけたまま、睨みつける。

 

『うちはサスケは、木ノ葉隠れにとって貴重な血継限界である写輪眼を持つ唯一の存在。抜け忍に渡すわけにはいかない』

「早とちりね。彼には手を出さない…………今は、ね」

『いずれ“木ノ葉の宝”に手を出す輩をみすみす見逃せると思うか?』

 

 大蛇丸がくすくす笑う。

 

「まさか、この私に敵うと思っているの? あの二人がアナタを置いて逃げたのは、アナタが私を倒せるからじゃない。良くて足止め……ただの弾除けにされたのよ」

『俺が望んだことだ』

「自殺願望者ってところかしら」

 

 見下すような目をしている大蛇丸に、俺の心はどこまでも穏やかだった。

 

『――死にたいさ。たったそれだけでこの地獄が終わってくれるなら』

 

 オリジナルの精神的ダメージを引き継がないように、オリジナルの苦しみの記憶は影分身()にはほとんど伝わっていない。

 

 記憶が無くなったわけじゃない。ただ、一時的に薄れているだけだ。

 思い出したところで、記憶と感情は上手く切り取られて繋がらないようになっている。

 

 だから、あの夜の感情を今の俺が語るならば、それはただ過去の自分をなぞっているだけにすぎない。

 

 死にたがっているのは本体()であって、影分身()じゃない。

 

 それでも“彼”の感情を正しく理解できるのは、俺が間違いなく“彼”であるからだ。

 

『俺が貴方を足止めできるか……試してみますか?』

「やけに自信があるのね」

 

 お面の内側で口端が吊り上がる。

 

『一瞬で沈みますよ』

 

 

 

「ちょっと待ちなさい…………正気なの?」

 

 あの大蛇丸がめちゃくちゃ狼狽してる。

 なんかもうそれだけで俺の勝ちじゃね? という気持ちになった。いやこれ実質俺のターンだろ。

 

「沈むってアナタのことだったの!?」

『…………』

「だんまりはやめなさい」

 

 首から下がドロドロに溶けてしまってる俺が無言で見上げると、大蛇丸がこの状況に何をどうしたらいいのか分からないようで、ファイティングポーズを取ったまま固まっている。

 大蛇丸からしたら沼の上に生首が浮いてるみたいになってるだろう。

 

 あれから大蛇丸と戦闘を開始したわけだが、うちはスバル最大の特徴である体術をそこそこに抑えなくてはいけない以上、俺に勝ち目があるはずもなかった。

 元々チャクラも半分しかなかったし、書類整理やここにくるまでにそれなりに消費しちゃってる。

 攻撃を受けた箇所は勝手にスライム状になり、チャクラを消費することによって自動的に元に戻るが、俺はそうしなかった。

 見事に首から下だけに受けたダメージをそのままにしていたら、沼に生首がぷかぷかしているこの状況を作ってしまったわけだ。

 

水化(すいか)の術とはまた違うわね」

 

 研究者としての知識欲が刺激されたのか、大蛇丸がぶつぶつと独り言を言っている。その目が“ガチ”の類いでちょっと怖い。

 

「その状態からどのような反撃を見せてくれるのかしら?」

『あ、もうここから動かないです』

「…………」

 

 心なしかわくわくしてる素振りを見せていた大蛇丸の目が一気に冷たくなった。酷いや。

 

「何がしたかったの……?」

『そんなガチトーンで言われるとちょっと』

 

 どいつもこいつも、まったく失礼だ。

 俺はやれやれと肩をすくめながら(肩部分はスライムなのでバシャバシャと液体が跳ねただけだ)、ゆっくりと両目を閉じる。

 

 瞳に熱が集中したのを自覚した途端、左眼のみを開いた。

 

『――菊理媛(ククリヒメ)

 

 沼から勢いよく飛び出した液体が凄まじいスピードでチャクラを帯びて、腕の形になっていく。

 腕が油断していた大蛇丸の足首を掴む。

 

「なっ……!」

『これで、貴方と俺に“ご縁”ができましたね?』

 

 俺と大蛇丸はほぼ同時に口から血を吐いた。

 

 前者は菊理媛発動による反動で、後者は菊理媛の能力によって。

 

 立っていられなくなった大蛇丸が地面に手をついて何度も咳き込んでいる。

 

「私に…………何をした」

『人間って不平等じゃないですか』

「なに…………?」

『等しく過ぎたお互いの時間の中で、同じように負うべき痛みすらも分け合えず……俺は、それがどうしても許せないんです』

 

 沼から這い上がるように、片腕に力を込める。肩、胸、腹…………チャクラを消費して一つずつスライム状から人の形へと戻っていく。

 大蛇丸が口元の血を拭い、ふらつきながら立ち上がっていた。その正面に立つ。

 

「まさか……あのダンゾウが写輪眼を使って実験をしていたとでもいうのかしら」

『そのまさかかもしれませんね。ご想像にお任せしますが』

 

 大蛇丸が憎々しげに呟いた。

 カカシのようにうちは一族でもないのに写輪眼が適応した人間だと思ったらしい。確かにあのダンゾウならやりかねない。

 カカシの写輪眼を強奪しようとしていたくせに、もう一度カカシを根に勧誘していたくらいには写輪眼への執着も強い。

 あり得ない話でもないだろう。

 

「でもアナタも死にかけじゃない……随分とピーキーな術みたいね」

『そうでもないですよ。大蛇丸様の方こそ思ったより辛そうですが……木ノ葉で根の忍と交戦した時に結構チャクラを消費してたんですか〜?』

 

 俺のとってつけたような敬語に大蛇丸がイライラしているのが分かる。

 いいぞ、もっとやるから覚悟しとけ!

 

 実際、沼の上で頭だけがぷかぷか浮かんでいた時よりも元気だ。

 能力を発動したせいでチャクラは残り僅かになってしまったが、“奥の手”を数分間発動するくらいの余裕はある。

 

 菊理媛(ククリヒメ)

 

 左眼で対象を見て、対象に直接触れることによって発動することができる。

 

 左眼で見て触れた相手と自分で“痛み分け”をすることができ、それまでに受けた自分の痛みが大きいほど相手にダメージを与え、相手が健康体であればあるほど自分のダメージが癒える能力だ。

 

 ほら、俺だけ痛くて相手だけ無傷とか許せないじゃんか。

 

 目には目を、歯には歯を。痛みには痛みを分け合っていきたい所存。まあ、つまりは対強者の場合のみ輝く嫌がらせみたいな能力だ。

 

 …………右眼の千千姫(チヂヒメ)といい、女神シリーズはどうも使い所が限られるというかいっそ使いにくいまである。

 

 千千姫はうちは流多重影分身がないと詰んでるし、菊理媛は使う対象が自分より強いが瞬殺はされない相手に限られる上、ダメージを受けることが前提な時点で本体ではなく千千姫で作った分身体でないと使う気になれない。

 

 結局は左眼の能力もうちは流多重影分身がなければ活躍の機会は限られるわけだ。

 

「フフフ……いいわ、とってもいいわね、アナタ…………私のコレクションに加えたいッ!」

 

 加えたいッのところで大蛇丸の首が勢いよく伸びてきた。思わず叫びそうになる。ろくろ首かよ!!

 

「――口寄せの術!!」

 

 伸びた首は俺の反応を鈍らせるためのものだったらしい。

 

 器用にも首を伸ばしたまま印を結んだ大蛇丸の足元に巨大な大蛇が現れた。

 

 その大きさは見上げる際に首が痛くなるレベルで、その鋭い目つきと牙を前に足がすくみそうになる。トラウマ持ちにはきつい……。

 

 かつて、カカシやテンゾウさんと大蛇丸の研究所で遭遇した実験体とは比べ物にならない。

 

「大蛇丸よォ…………久しぶりに呼び出したと思ったらこんなガキの相手をしろってか?」

 

 大きな瞳がぎょろりと動いて、大蛇の上に乗っている大蛇丸の姿をとらえる。

 

「なんでこのオレ様がテメー如きの為に動かなきゃなんねェーんだ!?」

「…………」

 

 足元でいかにも凶暴そうな大蛇が叫んでいるというのに、大蛇丸は完全に無視を決め込んでいる。強い。

 

「…………まあいい。さっさと終わらせるぜ」

 

 大蛇がその大きな身体を思いっきり“捻った”。

 それだけで周囲を取り囲んでいた木々は根元から薙ぎ倒され、視界がクリアになる。

 俺も限界まで身を縮こまらせていなければ胴体が真っ二つになっていただろう。

 

『おいおいおい……化け物かよ』

「マンダもアナタにだけは言われたくないでしょうね」

 

 無駄に大蛇の名前を知ってしまった。まったく嬉しくない。

 

「その再生能力がどれほどのものか分からないけれど……体内に毒を持つマンダに丸呑みにされたらどうなるのかしらね?」

『…………』

 

 俺は考えることを拒否した。

 

「死ね!」

 

 見た目より素早い動きでマンダが距離を詰めてくる。

 蛇はその細かく分かれた背骨や、鱗と鱗の境目を地面に引っ掛けることによって体を前に進めることができるという。

 マンダの場合もそうだったが、そのあまりの速さに胴体から足どころか羽が生えてるんじゃないかと思うくらいだった。

 

 走って逃げている俺の頭上に影が差した。

 呑気に見上げる余裕もなく、勢いよく地面を蹴って頭を腕で庇いながら地面を転がる。

 地震が起きたような衝撃と共に、砕けた岩の欠片が腕や足に当たって痛みに呻いた。

 

『…………マジかよ』

 

 尻尾の一振りで地面が割れている。

 あの素早さに加えて力まであるなんて反則すぎるんじゃない?

 

 俺はいくらでも替えのきく影分身だし、残ったチャクラでは木ノ葉に帰還することも難しい。

 ならば、俺がすべきことはただ一つ。彼らに傷を与えて、撤退を選択させることだ。少なくとも本体やイロを追いかけないように。

 

 地面に座り込んだまま動かない俺に、マンダが再び尻尾を振り上げた。

 

 その尻尾が俺ごと地面を押し潰そうとした寸前に、“奥の手”が発動する。

 

「これは…………」

 

 マンダの尻尾を黒いオーラのようなものが受け止めていた。

 それは俺の全身を軽く包み込み、剥き出しになっていた骨は徐々に肉付けされて人の形に近づいていく。

 最終的にどこぞの国の王様のような風貌になった“それ”が、右手に持っていた神々しい剣を真っ直ぐに振り下ろした。

 

 尻尾の先を切り落とされたマンダの絶叫に混じって、大蛇丸が唖然と呟いた。

 

「まさかそれは……須佐――」

 

 全身を包む黒いオーラに守られながら、俺はかつて初めてスライムを他国の忍に披露した時と同じような勢いで叫んだ。

 

『――暗黒剣士だ』

 

 

 

 ***

 

 

 

 指が痺れるような感覚があった。

 

 立ち止まって、空を見上げる。後ろからついてきていたイロが足を止めて声をかけてくる。

 

「何かあったんですか」

〔影分身がやられたようだ〕

 

 お面越しに額に手を当てて目を閉じる。一気に押し寄せてきた“記憶”に足元がふらついた。

 

〔…………悪い〕

「いえ」

 

 背中を支えてくれたイロにもう大丈夫だと伝えて、しっかりと自分の力だけで立つ。

 

 すでに消耗していたとはいえ、“奥の手”まで見せることになるとは。

 おかげで後に脅威になりそうな大蛇の動きは暫く封じられたとはいえ、肝心の大蛇丸は生きている。

 彼が撤退を選択したかどうかさえ分からない。その前にチャクラ不足で分身体が消えてしまったからだ。

 

 ピィと控えめな鳴き声が頭上で響く。小さな影が俺の肩に素早く降りてきて、その鋭い爪が思いっきり食い込んだ。……痛い。

 

〔いい子だ〕

 

 肩でのんびり羽づくろいをしている、俺のお面のモチーフにもなっている雀鷹(つみ)が嘴に咥えていたものを受け取る。

 白猫のお面、影分身が持っていたものだ。

 

 俺は白猫のお面を懐に仕舞い、何かを考え込んでいるイロに声をかけた。

 

〔予定通り、このまま木ノ葉まで〕

 

 

 

 どうやら大蛇丸は大人しく自分のアジトへと帰っていったようで、俺とイロは無事に木ノ葉に帰還していた。

 

「では、里に侵入していたのが大蛇丸本人だったというのか?」

〔根の中でも手練れである二人がやられたことを考えると、嘘偽りではないでしょう〕

 

 イロには自分の部屋で休むよう指示し、俺はダンゾウに書き上げた報告書を提出していた。報告書には分身体が手に入れた大蛇丸の情報を記している。

 

「あの男は利用価値があったが、今では里にとって危険な思想を持っている」

〔…………〕

 

 かつて大蛇丸の里抜けの手伝いをテンゾウさんに指示した人間のセリフとは思えない。

 ダンゾウはこんなのばっかりだ。すっかり慣れちゃったよ。

 

「お前の影分身でも大蛇丸にかすり傷ひとつ負わせられなかったとはな」

〔…………〕

 

 呆れ果ててさっきから沈黙でしか返せない俺に、ダンゾウは額に手のひらを当ててため息をついた。

 ……なんで俺が悪いみたいな雰囲気になってるの? 俺の影分身に一体何を求めてるの?

 

「大蛇丸が木ノ葉に侵入したのは、うちはサスケが目的だというのは本当か?」

〔はい。時期は不明ですが、木ノ葉に侵入する前にうちはイタチと交戦したようでした。結果的にうちはイタチは手に入らないと判断し、まだ忍としては未熟なうちはサスケに標的を変えたようです〕

 

 一体どんな理由でイタチやサスケを求めているかは知らないが、あの大蛇丸のことだ。ただの興味本位ではないに決まってる。

 俺の分身体があの大蛇丸とそこそこに戦えたのは、彼がイタチにボコられた後だったせいだろう。わざわざ口寄せに頼ったのも、まだ本調子ではなかったから。

 もしもフルパワーな大蛇丸と分身体がぶつかっていたらと思うとゾッとする。足止めも出来ずに俺もイロも死んでいたかもしれない。

 

「万華鏡写輪眼の能力はどこまで見せた」

〔影分身に万華鏡が使われていることは知られていないと思いますが、左眼の菊理媛(ククリヒメ)の能力はある程度把握されているかと。それから、暗黒――〕

「――お呼びでしょうか、ダンゾウ様」

 

 奥の手も使っちゃいましたと暴露するところだった俺の言葉は、部屋に入ってきたモズに遮られた。

 モズはやけに物言いたげな目で俺を見た後、ダンゾウの前でお面を外して膝をつく。

 

「モズ。お前にはうちはサスケの監視を任せていたな」

「はい」

「今日、お前を別の任務に向かわせている間に、大蛇丸がうちはサスケに接近しようと木ノ葉に侵入したのだ」

「…………それは」

 

 モズの表情が険しいものになった。

 

「また、大蛇丸に気づいた根の忍は“今日”いつもと違う配置についた二人だった」

「…………根に裏切り者がいるということでしょうか」

「内部と決めつけるのは早い。だが、里内にいるのは確かだろう」

 

 モズは自分の役目を察したようだった。ダンゾウの視線を受けてしっかりと頷いている。

 

「裏切り者を見つけるまで、うちはサスケの監視は誰に?」

「クロに任せる」

「………………」

〔………………〕

 

 こいつは本当に人の心ってやつをどこに置いてきたんだ。

 モズの沈黙は「こんなやつに任せていいのか……?」だろうが、俺の沈黙は「実の兄にそれさせちゃう……?」だ。

 

 モズと共にダンゾウの部屋を出て、廊下で二人して立ち止まる。

 

「……大丈夫か」

〔問題ありません〕

 

 ――最近、サスケやイタチのことを考えるとひどい頭痛がする。

 

 影分身の方はそんなことないのに、本体だけに起こる症状だ。

 お面を外してこめかみの周辺を指で押さえる。……どうしちゃったんだろうなあ、俺は。

 

〔でも、出来るだけ早く密告者を見つけてくれると助かります〕

「勿論だ」

 

 以前の俺なら、監視とはいえサスケを見ていられるなんて幸せだなんて思ったかもしれない。

 それが今では彼らの写真を見るだけで体調が悪くなる。うちは一族が滅んでから、半年以上経った頃からだろうか。

 

〔俺は裏切り者は根にはいないと思ってます〕

「…………理由は?」

〔大蛇丸と影分身が戦ったんですが、彼は俺の正体もその能力もまったく心当たりがなさそうだったので〕

 

 もしも根の裏切り者が大蛇丸に「今日は厄介なモズがいないこと」と「あの場所に根の監視がいないこと」を伝えていたとして、それよりも先に俺のことを大蛇丸に話すべきだろう。根の人間で俺の正体を知らない者はいない。

 そもそも根の人間は呪印のせいでダンゾウの許可なく外部に情報を漏らすことは出来ない。

 うちは一族の事件以降、俺に関することも根の機密事項に加えられている。

 

 外部の人間が根の情報を手に入れる術がないわけではない。

 非常に高度な幻術の類いで根の人間に自分を仲間だと思い込ませたり、セキのように心を読む能力があれば恐らく可能だろう。

 俺が知らないだけで、口封じに分類される呪印を突破する方法は他にいくらでもあるはずだ。

 かつて霧隠れのスパイであった小日向(こひなた)ムカイがそうであったように、舌ではなく脳に仕掛けを施していれば幻術による情報漏洩は防げるかもしれないが。

 

 それにしても、大蛇丸の用意した木ノ葉のスパイがこれらの手段を講じた場合、やはり俺の情報が漏れていないのはおかしい。

 

 モズがサスケの監視を離れることも、大蛇丸が侵入した場所は根の監視が手薄だったことも、根の人間でなくても自力で手に入れられる情報ではある。

 そりゃあ、その辺の一般人には厳しいのは確かだ。

 

 スパイは根の人間ではないが、相当の手練れである。これが俺の結論。

 

 直前に配置換えになった例の根の二人のことを知らなかったのも、外部の人間なら仕方のないことだ。

 

 大蛇丸ほどの実力者であればたった二人の監視を殺すことなど造作もないだろうが、彼の言葉を信じるなら()()サスケに手を出す予定はなく、様子見段階。

 今回のように事を荒立てるのは不本意だろう。リスクは少しでも減らしたかったはずだ。

 

 俺の考えをモズに告げると、彼は少し、いや、とても驚いたような顔をした。

 

「お前、考える頭があったんだな」

〔…………〕

 

 いくらなんでも鋭利すぎるだろ。

 

 自分の失言に気づいたモズが珍しく焦った様子で「いや、今のは違う」「ちょっと口が滑っ……いや、いやいやいや違うんだ」などと言っている。

 モズの辛口には慣れているつもりだったが、ここまで無意識に思った事をつい口に出しちゃいました感を出されるときつい。

 

「まて、なんだその目は、やめろ!」

 

 モズの吐き気を催す邪悪は俺の純粋な心を裏切ったのであった。完。

 

 

 俺とモズの美しい友情(笑)には終了のお知らせが流れたかもしれないが、そう簡単に終わってくれないのが任務である。

 

「サスケくーん! 一緒にお昼ご飯食べましょうよ!」

 

 モズがスパイを見つけ出すまでの辛抱だ。

 

 変化の術でまったくの別人に成りすました俺は、少し離れた場所でサスケを見守っていた。

 お面を被ることができない為、誰かに話しかけられそうになる前に場所を移動したりして何とかやり過ごしている。

 

「オレに構うな」

 

 くノ一クラスの女の子たちにモテモテらしいサスケの周りには常に人が絶えない。

 授業中も誰がサスケの隣に座るかで女同士の戦いが始まったり、見事サスケの隣の席を勝ち取った子がそれ以降他の女の子たちにガン無視という洗礼を受けたりしているようだった。

 女社会怖すぎる。

 

 いくら健気で可愛らしいとはいえ、これが毎日であれば煩わしいのかもしれない。

 うんざり顔をしたサスケが、女の子数人からのご飯の誘いを素気なく断る。

 がっくりと項垂れた女の子たちに興味は失せたようで、誰も寄せ付けない雰囲気を出して、長テーブルにお弁当を広げている。

 

 そのまま一人でお昼を食べるかと思われたサスケの隣に、驚くくらい自然に並んだ影があった。

 癖の強い金髪が太陽みたいに揺れている。

 

「今日の弁当は何入れてきた?」

 

 サスケの隣でそわそわと肩を揺らしているのは、ナルトだった。

 意外すぎる組み合わせに、自分がサスケを監視していることすら忘れて必死に耳をすませてしまう。

 

 距離的に二人の声が聞こえるわけないだろって? 盗聴器に決まってるじゃないか!

 

 念の為言っておくが、俺ではなくモズがサスケの通学鞄やその他もろもろに仕掛けたものだ。

 あの野郎よくもという気持ちがまったくないわけではないが、結果的にサスケの安全に繋がっているんだからしょうがない。

 

 サスケのお弁当箱を勝手に覗き込んだナルトが、ちょっと嫌そうな顔をした。

 

「…………おむすびだけ?」

「…………悪いかよ」

 

 サスケの頬は僅かに赤くなっている。

 

 俺はいつもの頭痛とは別の意味でも頭を抱えたくなった。久しく忘れていた感覚……。

 

 ――そう、サスケが可愛いという当たり前の感覚であるッ!

 

 なんでこんな大事なことを忘れていたんだと唖然とする。

 いや、影分身である自分は忘れていなかった気もするが……俺は何を言ってるんだろう。混乱してきた。

 

「オレのだし巻き卵やるってばよ。自信作!」

「別にいらな……」

「そんなこと言わずにィ〜」

 

 ナルトがにやにやと笑いながら無理やりサスケの口にだし巻き卵を詰め込もうとした。

 必死に抵抗していたサスケだったが、一瞬でも自分の口に触れた食べ物を突き返すことも、捨てることも出来ない。最終的には渋々ながら咀嚼していた。

 

「へへ、美味いだろ」

「…………別に」

 

 サスケの反応は相変わらず素っ気ないものだったが、付き合いのある人間であれば出し巻き卵が美味しかったのだとすぐに分かる。

 

 あのナルトがカップラーメンではなく自分で作ったお弁当を持参していることにも驚いたが、家族以外の人間には全力で壁を作りがちだったサスケが、ここまで他人に心を開いているとは思わなかった。

 

 俺の知っているサスケは、隣にナルトが座った時点で「ここに座るな」と怒っていた気がするし、そうでなければ無言で自分が席を移動するくらいのことはしただろう。

 

「…………」

 

 頭痛はなくなったが、代わりに胸の痛みが強くなった。

 

 うちは一族虐殺事件で、サスケの負った傷がどれほどのものか。イタチの背負った痛みがどれほどのものか。

 

 漠然と、全てが終わっても“変化”はないと思っていた。変化とは、癒えることだ。

 俺がダンゾウに勝っても、サスケがイタチの真実を知っても、過去だけは変えられない。

 

 俺は無意識のうちに、サスケはあの日から死ぬまでずっと不幸のどん底にいて、二度と幸せにはなれないのだと勝手に決めつけていた。

 

「これ食い終わったら手裏剣術の修行やろーぜ」

「お前とやるくらいなら一人の方がいい」

「あんだとぉ!?」

 

 ムッとしたナルトがサスケの肩を掴んだが、なんだかんだ二人とも楽しそうだ。

 

 そんな二人を離れたテーブルから見つめるくノ一クラスの女の子たちは「ドベのくせにサスケ君に馴れ馴れしくして修行の邪魔までして……!」という過激な派閥と、「あの二人……」となぜか頬を赤らめている謎の派閥にわかれていた。

 

 後者は形容し難い危険な香りがしていたのでそっと見なかったことにした。

 




【おまけ】あのまま墓参りに行っちゃったサスケとナルトと、彼らの後を追ったスバルの話
https://syosetu.org/novel/291357/5.html


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第二十九話 五十歩百歩

 過去はなくならないくせに、戻ってくることもない。

 

 ひとつひとつ、振り返っていけば後悔ばかりが増えていく。

 

 木ノ葉隠れの里は、すっかり平穏を取り戻していた。

 九尾襲撃事件も、うちは一族虐殺事件も、今では過去の出来事でしかない。

 あれからどれだけの月日が流れただろうか……短いようにも、長いようにも感じられる。

 

 数年前の大蛇丸の件も、結局里内でスパイを見つけることは出来なかった。

 こちらの動きを警戒してすでに里を抜けたか、未だに息を潜めているのか。

 どちらにせよ、根の優秀な忍たちにまったく行方を掴ませないのは脅威だ。

 表立って木ノ葉の警備に当たることのできない俺たちが里の治安を維持するのも限界がある。

 

「クロ隊長」

 

 ダンゾウの屋敷の一角。第一資料室。

 

 振り返る際にさらりと視界の端で揺れた黒髪。その一房を指で摘んで見つめていると、俺を呼び止めた人物が柔らかな笑みを浮かべた。

 

「髪、伸びましたね」

「…………」

 

 懐からお面を取り出そうとしていた腕を止める。

 声を掛けてきたイロが「ボクが切りましょうか」と続ける。

 それに首を横に振って、ようやく見つけ出した白猫のお面を被った。

 

『長い方が束ねやすいから』

「隊長の癖っ毛もこれで落ち着くでしょうか」

 

 最近イロが任務に関係のない話を振ってくることが増えた気がする。

 

 以前、寝癖がどうしても直らなくてモズに何とかしてもらおうと自室を出たところ、イロを伴ったダンゾウに見つかってしまったことがあった。

 ダンゾウはイロに「……あれをなんとかしろ」と命令し、手先が器用なイロのおかげで俺の髪は人権を取り戻したが、どうもあの頃から隊長としての威厳とか大事なものを失ってしまった気がする。

 

『…………』

「ふふ」

 

 口元に手を当てて楽しげに笑っているイロに悪い気はしない。

 ここ数年で彼も随分と変わった。いや、根の最終試験を受ける前の状態に少し近づいたというべきか。

 よく一緒にいる俺の前ではこうやって堅苦しい態度を崩すことが増えた。

 

『俺に何か用事が?』

「いえ…………少し、寄ってみただけです」

『今日はオフだったな』

「はい」

 

 珍しいこともある。今日は久しぶりに俺も一日休みだった。

 休日に身体を休めるのがどうにも苦手で、結局いつもの時間に起きて朝の鍛錬を済ませた後、こうやって資料室で過去のデータに目を通していた。

 

「……どうして隊長はそこまでするんですか?」

『そこまで?』

「あなたが休んでいるところを見たことがない」

 

 そんなことないだろと適当に返して、資料整理を再開するつもりだったのに。

 ふと顔を上げると、イロはあまりにも嘘くさい笑みを浮かべていた。

 

「そうですか。根では休日も問答無用で働けということですね」

『ん?』

「それ、ボクにも貸してください」

『待て…………勝手に持っていくな』

 

 俺が読んでいた資料を掻っ攫っていったイロ。

 ついには資料を持ったまま部屋の隅に移動して畳の上で胡座までかいて、居座る気満々らしい。ええ……。

 

『どういうつもりだ』

「隊長が働いてるのに、部下であるボクが休むわけにはいかないですから」

『これは俺が自分で望んでやっていることだ。お前まで巻き込むつもりもなければ、その必要もない』

「モズさんに指摘されていませんでしたか? 上司が休むことが、部下の為になることがあると」

『…………』

 

 ため息も出ない。なるほど、モズの差金か。

 でも俺も引くつもりはない。何でもいいから仕事をしていないと気が狂いそうなんだよ。俺から現実逃避(オアシス)を奪わないでくれ。

 

『板挟みにしてしまったのは悪かった。だが、俺はこうしている方が落ち着く。休息は充分にとっているし、問題はない』

 

 イロが静かに首を横に振る。彼は目を向けていた資料を膝の上に置いた。

 

「モズさんに頼まれたわけではありませんよ」

『なら、誰に』

 

 イロは、またにっこりと笑った。最近板についてきた()()()()()笑みだ。

 

「ボクがそうしたいからです」

『…………』

 

 それが本心かどうかは俺には測れない。

 

『…………好きにするといい』

 

 隣に積み上げていた資料の山から一つ手に取って、じっくりと目を通す。イロは満足そうに頷いていた。

 

 

 あれから数ヶ月後。俺はダンゾウに言われるがままにある場所へやって来ていた。

 

「…………悪趣味だな」

 

 火影室。

 嫌悪感たっぷりに呟いたカカシの言葉には全力で同意したい。俺は心の中で激しく頷いた。

 

 それにしても、カカシをこうやって至近距離で見るのはいつぶりだろう。

 木ノ葉の警備中に何度か遠目に見かけたことがあるので懐かしさはあまり感じない。

 

 火影室では白猫の面を被った本体(おれ)と雀鷹の面を被った影分身(おれ)がダンゾウの左右に並んで立っている。

 何が楽しくて二人分の俺でダンゾウをサンドイッチしなければならないのか。

 そんな俺たちの正面には火影椅子に座って険しい表情をしている三代目火影と、丁度任務の報告に寄ったと思われるカカシがこちらの一挙一動を警戒していた。

 

 趣味が悪いどころじゃない。最低だよ。

 

「……根は解体されたはずではなかったのか?」

 

 肌が痛くなるほどの重苦しい沈黙を真っ先に破ったのは三代目だ。

 突然火影室に現れた俺とダンゾウ。三代目の動揺は当然のものだった。

 

「その通りだ。ワシの元に根はすでに存在しない」

「何を考えているのだ……ダンゾウよ」

 

 この場にいるダンゾウ以外の全員の気持ちを代弁してくれた三代目。

 うちはスバルが未だに生きていることを知る由もない三代目とカカシからすれば、ダンゾウの行動は見過ごせるものではない。

 

「かつてお前の右腕であったワシも日々他国の忍に命を狙われる身の上、優秀な護衛を側に置いているだけだ」

「護衛なら、これまでのように火影直属の暗部を用意する」

「お前の部下は信用できぬ」

「……これまで徹底して屋敷内に護衛を入れなかったのも、信用できなかったからか?」

「そうだ」

 

 相変わらずさらさらと口から出まかせが出てくる野郎だ。

 屋敷を三代目の部下に探られたら都合の悪いものがたくさん出てくるだけのくせに。

 

 ダンゾウは失脚してからというもの、里外に出る際には必ず三代目の息がかかった暗部に護衛という名目で監視されていた。

 

 三代目がイタチの嘆願をきちんと聞き入れてくれたことはありがたいものの、やはり三代目は現状を把握していない。

 かつて木ノ葉のありとあらゆる場所に潜り込んでどんな汚い手も使っていた根の忍たちを軽視しすぎだ。

 根はアカデミーの教師や、うちは一族、木ノ葉の一般人、さらには俺やユノのように火影直属の暗部として火影の懐にまで潜り込んでいた。

 虐殺事件が起こることを事前に知っていたダンゾウが、自分の力が直接上層部に届かなくなることを読んでいないはずがない。

 火影直属の暗部として情報を流せる人物が俺とユノしかいなかったこともあり、彼は虐殺事件が起きる前に新たなスパイを潜り込ませていた。

 そして、スパイは今も健在である。スパイは時として火影の命でダンゾウの監視についたり、ダンゾウの監視につく人物の情報をこちらに流す役目を与えられている。

 つまり、三代目によるダンゾウへの監視処置はほとんど機能していなかった。

 

「何を企んでおる」

「ワシは今も昔も……これからも木ノ葉のためになることだけを考えている」

「この“二人”がその答えだというのか?」

 

 三代目の厳しい目が俺と影分身に向けられる。

 うちはスバルという今は亡き忍の遺品をこのような形で使うことを責めているんだろう。

 ただ、俺の生存を知らないことになっているセキに別の面を作ってもらうことは叶わない為、面を取り上げられるわけにはいかなかった。

 

「うちはスバルのように、喉に異常のある二人だ。自分と同じ境遇の人間に活用してもらった方が奴も喜ぶのではないか?」

「貴方がスバルについて語るのはやめていただきたい」

 

 これまで沈黙を貫いていたカカシだった。

 

「白猫面は根に返却したと聞いていましたが、雀鷹面はそうではなかったはずです。わざわざうちはスバルの遺品に手をつけたのですか」

 

 カカシのダンゾウを見る目にはハッキリと怒りの感情が見て取れた。

 

 その怒りの矛先としてとばっちりを受けている俺は、ちょっとだけ指先が震えた。これは…………本気で怒ってる。

 自分の写輪眼を抜き取ろうとした時でさえダンゾウに怒りを示さなかったカカシが、だ。

 

「うちはスバルは過去がどうであれ、火影直属の暗部でした。彼の遺品をダンゾウ様が無断で持ち出すことは許されない」

「はたけカカシ……お前も今は暗部の任を解かれ、この件に口を出せる立場ではないはずだが」

 

 ダンゾウの言葉に動揺したのは俺の方だった。

 あのカカシが暗部の任を解かれるほどの失態を?

 

「カカシの任を解いたのは二日ほど前……お前にも知らせていなかったはずじゃ」

「…………」

『…………』

 

 愚かなダンゾウはうっかり口を滑らせたようだった。自業自得である。

 三代目の妙な落ち着きを見て、俺は少し認識を改めた。

 もしかすると、内部にスパイがいることをこの人はすでに知っていたのではないか……と。

 

「カカシには暗部としてではなく、木ノ葉の上忍としてこれから芽吹いてくる若い芽を育ててもらおうと思っておる」

「……うちはサスケとうずまきナルトの卒業を数日後に控えた今、カカシがどの班に配属されるかは明白ですな?」

 

 お前が言うな感は否めないし、俺でも分かるほどダンゾウに不利な状況になっている。

 

 ただでさえイタチの件でサスケに手を出しにくいのに、彼らの担当上忍がカカシとなるとサスケどころかナルトにも干渉できなくなる。

 

 これまでサスケにつけていた監視もモズが不在の場合は諦めるしかなさそうだ。

 少なくとも俺は、カカシの警戒をくぐり抜けながらサスケの監視を続ける自信はない。

 ただ、根による監視が薄れるデメリットよりも、カカシがサスケのそばで見守ってくれる安心感の方が強い。

 元火影直属の暗部として、カカシの人望と実力はよく知ってるつもりだ。

 

 今だけは三代目に拍手喝采を送りたいし、俺ともう一人のボクで高々と胴上げしたい。

 グッジョブ・火影案件だよこれは。

 

「ダンゾウ……お主がわざわざその面を持つ忍を伴ってこの場に現れた意図は分かった」

「…………」

「これからは公的な場にその二人を帯同させたいということじゃな」

「火影様!」

「カカシ。根が機能していないのは確かじゃ。屋敷に入る許可を得られぬ火影直属の部下達では、奴の護衛としては相応しくないのも事実」

「…………ですが!」

 

 無理やりにでも屋敷の中まで干渉してしまえよと言いたくなるが、火影とはいえそこまでの権限を持っていないのが悲しいところだ。

 悔しげに拳を握りしめるカカシを、ダンゾウは勝ち誇った目で見つめている。

 

 俺の脳内で絶賛胴上げされまくっていた三代目は、急に支えを失って地面に放り出されていた。

 

 俺が火影だったら、外野が何を言おうとうちは一族虐殺事件が起きた時点でダンゾウを国外に追放してる。

 それもまだ優しいくらいだろう。ダンゾウは今も元気に木ノ葉で悪巧みできている現状にもっと感謝すべきだ。

 感謝という二文字が辞書に登録されてるダンゾウもそれはそれで嫌だけど。いや、だいぶ気持ち悪いな。やっぱり無しで。

 

 三代目は深いため息をついた。

 

「……許可しよう」

 

 ダンゾウがそれはもう腹が立つくらいニヤリと不敵に笑った。殴りたい。

 

「じゃが、里外に出る際にはこれまで通りワシの部下を二人以上付けさせてもらう」

「それで構わぬ」

 

 これでダンゾウは堂々と俺を連れ歩くことができるわけだ。俺以外の忍を連れ歩いていようとも、表向きは“根ではない”ことになる。

 ここに来るまではそう上手くいくはずがないと思ってた。軽視していたのは俺の方だ。…………三代目の甘さを。

 

 なぜこのタイミングなのかは分からないが、無駄に頭だけは回るダンゾウのことだ。

 三代目が頷くという確信を得られたのが今日だった……そういうことだろう。

 

 満足したダンゾウがさっさと火影室から出て行く。俺と影分身、カカシもその後に続いた。

 

 杖をついているわりに早足なダンゾウの背中はすでに小さくなっている。

 

 追いかけようとした俺の肩を、カカシが掴んだ。

 

「少し話がしたい」

 

 カカシは俺の肩を掴んだまま、一歩も譲る気がないらしい。

 

 これは困った。流れ的にお面について聞きたいことがあるんだろうが、そんなものはダンゾウに聞けばいいのに。

 ……ダンゾウに話が通じるかは別として。

 

 助けを求めるように影分身を見る。雀鷹面を被った影分身がこくこくと頷いて、片手を上げた。

 

〔あ……邪魔者は先に退散しておきますねっ!〕

「お前もだ」

〔…………〕

 

 俺の代わりにここに留まるべき影分身は、あっさりと本体(おれ)を見捨てようとした挙句、カカシに一刀両断にされていた。

 

 護衛役が〜と散々言っていたダンゾウは、俺がカカシに捕まっていることにも気づかず、すでに背中すら見えなくなっている。

 あの野郎、せめて護衛を必要とするそれらしい素振りくらいは見せておけよ!

 

 カカシは俺と影分身を交互に睨みつけながら、うちはスバルであった俺には一度も見せたことのない敵意を向けてきた。

 

「白猫面のお前……数年前に一度だけうちはサスケの前に現れたことがあっただろ」

『…………』

 

 バレてる。えっ、数年前にバレてた?

 

 言葉に詰まっていたら、首元と後頭部に鈍い痛みが走る。俺の喉を掴んだカカシが頭ごと壁に押し付けたようだ。地味に痛い。

 

「ダンゾウ様が何をお考えかは知らない。三代目も気づかぬふりを貫くようだが……オレの班員には手を出すな」

『…………』

〔うちはサスケはまだ班員じゃなかったはずでは?〕

 

 空気の読めない影分身がカカシに容赦なく睨まれて縮こまっている。

 頼むからお前はもう何も喋ってくれるな。

 

 カカシが俺の喉元から手を離した。自分の喉を押さえて何度も咳き込む。…………本気で殺されるかと思った。

 

「三代目には報告していない」

『…………なぜ』

「お前からうちはサスケへの敵意を感じなかったからだ」

 

 そんな理由で。半信半疑でカカシを見上げる。

 

 数年前…………白猫の面をつけていたとなると、大蛇丸の件よりも前のことだ。それも、まだサスケが木ノ葉病院にいた頃。

 うちは虐殺事件後に病院に運ばれたサスケが目覚めるまでの間、俺は一度だけダンゾウの目を掻い潜って病院に潜り込んだことがあった。

 

 あの頃の俺は正気じゃなかった。いつまでも目覚めないサスケに焦って、リスクを考えられる状態ではなかったから。

 

 穏やかな呼吸を繰り返すサスケの姿に安堵して、すぐにその場を離れたはずだ。

 病院に滞在したのはほんの数分程度。まさか、それを見られていたなんて。

 

「……信じたかったのかもしれない」

 

 カカシが呟く。

 

「魂なんて信じてなかった。見間違いだとも思った。それでも、アイツが弟を心配して戻ってきたんじゃないかと」

『…………』

 

 カカシの両手が俺の肩に痛いくらい食い込んでいる。

 あの時点で俺のチャクラ質は変わっていた。病院にいた俺とうちはスバルを繋げるものはお面くらいしかなかっただろうに。

 ……カカシらしくない。でも俺は、俺の死がカカシにどれだけの影響を与えたのか何も知らなかった。

 

『あの日病院にいたのは、お面の元の持ち主の弟が気になったからだ。ダンゾウ様から何か命を受けていたわけではない』

「…………だろうな」

 

 “俺の声”が癪に触るのか、カカシの表情がより一層険しくなる。

 こればっかりはどうしようもないから見逃してほしい。

 

〔クロ〕

 

 またしても空気の読めない影分身が俺のコードネームを呼んだ。当然の如く、鎮火しそうになっていたカカシの怒りは爆発した。

 この野郎、俺はここまで空気が読めなかったか?

 

「“その名”はお前のものじゃない!!」

『……コードネームはただの記号だ。お前も元暗部なら分かるだろう?』

 

 カカシの顔が悲痛に歪む。

 胸がちくりと痛んだが、未だに俺の肩を掴んだままだったカカシの手を振り払う。

 正直、彼がここまで俺のことで熱くなる理由が分からなかった。

 俺とカカシは元々は敵同士だ。同じ暗部とはいえ、根の忍だった俺はダンゾウの命でカカシの写輪眼を奪おうとしたことがあるし、避けられないと判断すれば命ごと頂戴していたと思う。

 火影直属の暗部となってからはテンゾウさんと共に関わる機会も増えたが……それだけだ。

 

 ――オレは、お前と友のような関係になれたと思っていたんだがな

 

『…………』

 

 嫌なタイミングで昔のことを思い出してしまった。

 

 カカシは俯いたまま拳を震わせている。

 

「その面の持ち主は、無愛想で、集団行動が苦手で、時には融通が効かないくらい生真面目で…………」

『…………』

 

 もしかして俺、とんでもない早口で悪口言われてる?

 

「共通点なんてまったくないのに、どこかオレの親友に似てた」

『…………』

 

 うちはオビト。

 

 俺とイタチが参加したあの戦争で戦死したうちは一族の子どもの中にその名前はあった。

 カカシと同じ班に所属していた少年で、俺も何度か集落で姿を見かけたことがある。

 

『…………似てるか?』

「なに?」

『空耳だ』

 

 どう考えても似てないだろ。いつもの癖で口を滑らせた俺は、いつもの癖でなかったことにした。

 うちはオビトとは話したことはないが、どちらかというと見た目も中身もナルトに近かった気がする。

 

「お前…………」

 

 カカシはじっと俺を見てなんだか奇妙な顔をしていた。

 

「クロ、ツミ」

 

 カカシが何か言いかけたのを、いつの間にか俺の背後に立っていた気配が遮る――ダンゾウだ。

 今になって漸く俺たちがいないことに気づいて引き返してきたらしい。遅すぎる。

 

「はたけカカシ。ワシの護衛がどうかしたかね」

「…………いえ」

『ダンゾウ様、お側を離れて申し訳ありません』

 

 ダンゾウの矛先がカカシに向かう前に、とりあえず下手に出ておく。

 わざわざここに戻ってくることになって不機嫌そうだったダンゾウのオーラが若干和らいだ。ふっ、ちょろいな。

 

〔ダンゾウ様も俺たちがいなくなったことに気づかないなんて、どうかしてますよね?〕

「…………」

『…………』

 

 俺の影分身ってもしかして、チャクラも半分、知能も半分だったりする? ダンゾウに致命傷を与えすぎだろ。あのカカシまでぽかんとしてる。

 日に日に知能が下がってる(ように見える)影分身のせいで、ダンゾウに呼び出された時に必ず「本体もしくは両方が来るように」と付け足されることが多くなった。

 おかげで影分身を弾除けにしよう作戦は実行にすら移せない。

 

「…………戻るぞ」

『はい』

 

 モズ曰く、俺のやらかしには非常に寛容らしいダンゾウは今回も聞こえなかったふりをしてくれるようだ。

 ……そういえば、ダンゾウは昔から俺の不敬な態度を不問にしてくれることが多かった。

 それどころか任務失敗でお叱りを受けたこともほとんどなかった気がする。

 

 ダンゾウ、もしかしなくても滅茶苦茶俺のことが好きなのでは?

 

 俺と同じように考え込んでいた影分身がハッと顔を上げて、ダンゾウを見つめた。そんな影分身に必死にテレパシーを送る。

 やめろ、何も喋るな!

 

 俺は影分身の腕を掴むと、またしても一人で去ろうとしているダンゾウの後を追いかけた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 サスケが随分と余裕を持ってアカデミーの卒業資格を得たという話は聞いていた。

 

 サスケが俺やイタチと同じタイミングで入学していれば、間違いなく一年で卒業していただろう。

 昔から人一倍努力を重ねる姿を見ていただけあって、現在の「みんな仲良く同じタイミングで卒業しましょう(留年はある)」というシステムに思うところがないわけではないが、もう一桁の年齢の子どもが無理やり戦争に駆り出されるような時代じゃない。

 

 本当に、この国は平和になった。

 

 まだまだ争いはあるけれど、子どもたちがきちんと学校で戦う術を身につけられるだけの余裕がある。若い芽が育てば、任務で命を落とすリスクも下がる。

 

 確かに遅かったかもしれない。もっと早くここまで来られていたかもしれない。

 

 それでも、三代目のしてきたことは無駄じゃなかった。

 少なくとも、四代目が亡くなった後に大蛇丸やダンゾウが次の火影に就任していたら木ノ葉隠れの里はここまでの平和を享受することはできなかっただろう。

 想像するだけで悪夢だ。常に自分が有利に立っていたい系男子・ダンゾウ君が、戦力の拮抗をモットーとする五大国の在り方を良しとするはずがない。

 初代が分配したらしい尾獣を他国から奪い取ってでも木ノ葉一強を目指すに決まってる。

 今すぐ群雄割拠の戦国時代にお帰りいただきたい。

 

 サスケのことを考えていたはずなのに、いつの間にかダンゾウへの悪口になってた。俺は悪くないぞ。

 

『今日、お前には里の見回りに行ってもらう』

 

 ダンゾウの屋敷内にある、俺の自室。黙々と忍道具の手入れをしていた本体がこちらを見ずに言った。

 

〔お前は?〕

『俺はダンゾウの“護衛”だ。お前では務まらないから』

〔アイツが神経質すぎるんだよ〕

 

 ダンゾウ(アイツ)どころか、本体もそうだ。本体はダンゾウに気を使いすぎだと思う。あの程度で今更ダンゾウが俺を手放すはずがないのに。

 

『……俺がお前を作ってからどれくらい経った?』

〔カカシに会った時点で一週間は経ってたんじゃないかな〕

 

 今のところ、チャクラを半分与えられた影分身が存在できたのは最長で二週間。

 出来るだけ屋敷から出さずにチャクラの消費を抑えた結果、そこそこ存在を保てるようになった。

 初期は同じようにしても一週間程度だったはずだから、ここ数年で本体の総チャクラ量が増えたのか、分身体の燃費が良くなったのか、その両方か。どちらにせよいい傾向だ。

 

『ここまで来ると、お前はもう別人のように思えてくる』

〔大袈裟だなあ〕

 

 絶賛影分身中である俺に自覚はないが、どうやら影分身は“うちは一族特有の苦しみ”とは無縁らしい。

 

 まさか自分が闇落ちなんてなあ。

 

 これまでご近所のイケメンお兄さんが闇堕ちしたり、隣に住んでた優しいお姉さんが元彼半殺し自殺未遂事件を起こした時でさえ、なんだかんだ俺には無縁の世界だと思ってたのに。

 

 自覚はない。自覚はないが、俺も変わったんだな。

 

 とっくに成人してるし、あんなに小さかったサスケも誕生日を迎えれば十三になる。時が流れるのはあっという間だ。

 

 立ち上がって、自室の壁に立てかけてあった忍道具一式を手に取った。

 引き出しに入れていたホルスターを腰に巻いて、クナイを一つ一つ差し込んでいく。

 

〔行ってくる〕

『ああ』

 

 さあて、今日も忍びながら木ノ葉の警備をするか。

 

 一応三代目には存在を認知されているとはいえ、うちはスバルを知る暗部たちに見つかったら厄介だ。とくにテンゾウさん。

 カカシであれなら、テンゾウさんに見つかったらどうなるんだろう。これ以上あの人に新たな性癖を植え付けられるわけにはいかない。

 

 やっぱり忍は忍ぶべきだ。

 

 

 

 この分身体で警備に配属されるのは初めてだった。

 チャクラはすでに半分以下なので、もしも敵と遭遇したとしても満足に戦えない。

 俺はなんでここにいるんだ? いくら根が人手不足だからって適材適所ってやつがあるだろうに。

 

「待ってよ〜、お兄ちゃん!」

「遅いぞ!」

 

 変化の術で一般人に成りすました俺は木ノ葉の大通りをのんびりと歩いていた。雀鷹の面は懐に隠してある。

 

 目の前を元気に駆けていった子どもたちの姿に目を細める。どこも平和だ。警備が必要ないくらいに平穏な毎日が続いてる。

 

 主に里の中心から離れたところを監視している根の仲間達の代わりに、ぐるっと人通りの多い場所を見て回った。

 日が落ちて月が顔を出す時間になれば、お面を被り、裏道を経由しながらこれまで確認できなかった場所にまで潜り込む。異常はない。

 

 そろそろ交代の時間だ。

 

 今夜は自分を照らす明かりがやけに眩しい気がして、夜空を見上げる――そこにあったのは、満月。

 

「まさか、うちは一族の子まで!? なにかの間違いじゃないのか?」

 

 過去に思いを馳せていた俺は、遠くから聞こえてきた声によって現実に引き戻された。

 お面を深く被り直して、声がした方向に駆ける。

 

 火影屋敷の前に複数の影が見えた。その剣呑な雰囲気と、先ほど聞こえた「うちは一族」という言葉に嫌な予感が溢れてくる。

 

「うずまきナルトとうちはサスケが、封印の書を持ってどこに消えたって言うんだ!」

「それが分からないから総出で探し回ってるんじゃないか」

「クッ……ここ最近は大人しくしてると思っていたら……!」

「火影様の屋敷に忍び込んだのはナルトだけじゃなかったのか?」

「どうやら後でうちはサスケと合流したところを見たって奴が……」

 

 一体何が起きてる?

 

 じっとりと汗を掻いていた手のひらを握りしめる。

 

 影分身である俺は真っ先に屋敷に戻ってダンゾウに指示を仰ぐべきだ。

 

 自分が何をすべきか分かってるはずなのに、俺は呼び出した小さな鷹に紙をくくりつけていた。

 

〔これを本体とダンゾウに〕

 

 小さく鳴いた雀鷹の嘴を撫でて、飛び立っていく姿を見送る。

 

 雀鷹が夜の闇に溶けるように消える頃には、俺の姿も僅かな風と共にその場から消え去っていた。

 



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第三十話 変わらない人

 うずまきナルトは誰もが認める落ちこぼれ()()()

 

 忍者学校(アカデミー)の卒業資格者一覧の中には、あのうずまきナルトの名前がある。

 うみのイルカは、誰もいない教室でこっそりと笑みを浮かべた。

 

 イルカの受け持つクラスで一番最初に実施された卒業試験を合格したのは、うちはサスケである。

 この時の試験内容は分身の術。かねてから分身の術が苦手なナルトは真っ先に試験官に落とされていたのを覚えてる。

 その後も何度か実施された卒業試験でナルトは落ち続け、この調子では同期と一緒に卒業できないのではないかと教師陣の中でも危ぶまれていたところだった。

 

 ナルトが今日行われた卒業試験で合格した。しかも、あれほど苦手だった分身の術で、だ。

 

「びっくりしましたよ、まさかあのナルト君が分身の術を完璧に会得してくるなんてね」

 

 卒業試験が終わった後、イルカの隣で受験者一覧に合否を示す丸バツを記入していたミズキが感慨深そうに呟く。イルカもまったく同じ心境だった。

 

 ナルトはああ見えて努力家だ。きっと忍になる為に人一倍練習を重ねたんだろう。

 

 ただの教師と一生徒の関係でありながら、ナルトの姿にかつての自分を重ねていたイルカは自分のことのように嬉しかった。

 誰かに自分の存在を認めてもらいたくて、気を抜けば覆いかぶさってこようとする孤独を必死に払いのけ、大きくもない自分を偽るようにみんなの前で目立つことばかり考えている。昔のイルカもそうだった。

 無理やりにみんなの興味を引いたところで、孤独は埋まることはない。

 ……辛かった。苦しかった。それと同じ……いや、それ以上に苦しんできたであろうナルトの努力がこうして目に見える形で実を結んだ。

 これほど嬉しいことはない。

 

 夜まで卒業関連の事務作業に追われていたイルカは、すでにミズキもいなくなって静まり返っている教室内で大きな伸びをした。

 

 

 

「このままじゃ足りない」

 

 事の発端はうちはサスケの言葉だった。

 

 一ヶ月に一度。サスケとナルトは必ずアカデミー後にうちはの集落に集まって、墓参りと共に組手や手裏剣術などの修行をしていた。

 ナルトの方はもっと一緒に修行する時間を増やそうと主張したが、サスケにあっさりと拒否されて今に至る。

 ただ、はいそうですかとあっさり諦めるナルトではない。

 昼休憩にサスケの下に突撃してそのまま午後の授業まで修行に付き合わせるのはしょっちゅうだった。

 ぶつぶつ文句を言いながら、なんだかんだ最後まで修行に付き合ってしまうサスケは末っ子とは思えない面倒見の良さを兼ね備えている。

 水と油のように見えて、案外相性の良い二人だった。

 

「足りないって何が?」

「何もかもだ」

 

 その日は珍しく、墓参りの日でもないのにアカデミーが終わった後にうちはの演習場で修行をしていた。

 設置した全ての的に一ミリのズレもなくクナイを命中させたサスケに、ナルトがぐぬぬと唸る。

 

「ずるいってばよ! 手裏剣術はスバル兄ちゃんたちに修行つけてもらってたんだろ?」

「煩い。いちいち喚くな、ドベ」

 

 オレもスバル兄ちゃんに修行見てもらいたかったと唇を尖らせるナルト。

 手裏剣術に関してはスバルよりもイタチに見てもらったことの方が多いが、サスケはあえて否定しなかった。

 

 里で暮らす誰もがサスケの前でうちは一族の話をしない。

 以前両親と交流があった人たちでさえ、サスケを見かければどこか気まずそうな顔をして故人の話題を避ける。

 暗部として長い間裏の世界に身を置いていた二人の兄に関しては、そもそも誰とどのような交友関係にあったのかすら知らない。

 

 サスケにとってナルトは大好きだった兄を知る唯一の同世代であり、あのような悲惨な出来事が起きた後でも気兼ねなく思い出話ができる貴重な存在だった。

 

「足りないっていっても、これ以上どう強くなるんだってばよ?」

「……お前はまだまだ途上だろうが」

 

 アカデミーを主席で卒業予定のサスケと違って、ナルトの成績は下から数えた方が早いどころか最下位である。

 ここ最近は実技のテストでそれなりの結果を残しているものの、筆記が足を引っ張りすぎている。

 

 アカデミー卒業を数日後に控えた今、サスケはとっくに独学の限界を感じていた。

 兄たちの時代とは違って、アカデミーは全ての子どもたちの学びの歩みを揃えようと躍起になっている。

 優秀だからといって、自分一人だけの力で次のステップにいけるわけではないのだ。

 

「そういえば、卒業試験を受ける前にミズキせんせーが封印の巻物の話をしてたような……」

「なんだと?」

「もし今日の試験に失敗しても、その巻物の術を一つでも身につけられたら、異例でも卒業できるに違いないって」

 

 最終的にナルトは無事に卒業試験に合格した為、今の今まで封印の書のことはすっかり忘れていた。

 

「…………封印の書ってやつにはそれほど凄い術が載ってるのか?」

「…………そうに違いないってばよ」

 

 片や火影になるという大望を持ち、片や一族最強と言っても過言ではない兄への復讐を志している。

 

 ――強くなりたい。今よりも、ずっと。

 

 ここに、サスケとナルトの思考は珍しく交錯した。

 

 

 

 どっぷりとした闇の中に浮かぶのは、眩い光を放つ満ちた月。

 

 のちにアカデミー教師半殺し事件と名付けられる今回の騒動の原因であり()()()でもあるミズキは闇夜に紛れながらほくそ笑んでいた。

 

(まさかナルトが卒業試験に合格するとは思わなかったが…………天はオレに味方したようだ)

 

 今日実施された卒業試験は、ナルトが同期と共に卒業するためには必ず合格しなければならない重要なものだった。

 今日のためにナルトがアカデミーが終わった後も教室に残って修行を続けていたことを知っていたミズキは、これを利用するしかないと考えた。

 ナルトには才能がない。才能のない者がいくら努力しようが、結果はついてこない。

 努力が報われなかったナルトは、ショックを受けて落ち込むだろう。

 九尾の化け狐として忌み嫌われているナルトが最後の卒業試験すら落ちたとなれば、里の大人たちからの視線もさらに厳しいものになるに違いない。

 

 そこに一筋の希望――甘い蜜を垂らしてやれば、必ず飛びつく。

 

「火影様の屋敷には、色んなものが集められているんだよ。他国から寄贈された希少価値の高い品物から、その恐ろしさ故に人知れず封印されてしまった強力な禁術に至るまで……」

 

 ごくりと唾を飲み込んだナルトの肩にそっと手を添える。

 大蛇丸の元で人心掌握能力を磨いた経験のあるミズキには、ナルトの幼くも強い好奇心を掴んだという確信があった。

 

「とくに火影様の元に集められる禁術は特別でね。ボクが思うに……その禁術の一つでも扱うことが出来たなら、とっくに無くなったアカデミーの飛び級制度ですら適用されるんじゃないかな?」

「そんなにィ!?」

「はは、それほど凄い術を火影様が管理されてるってことだよ」

 

 そんな会話をしたのは、ナルトが卒業試験を受ける直前。

 

 完全に読み通り……とはいかなかったが、月が浮かぶ真夜中、ナルトはついに火影屋敷から封印の書を盗み出した。

 

 所詮、化け狐は化け狐でしかない。いくら健気に努力を重ねようとも、禁術に手を出して高度な術を身につけようとも、木ノ葉隠れの住民は誰一人としてナルトを認めやしない。

 

(全部……全部無駄なんだよ。お前がしてきたことは、なにもかも!)

 

 落ちこぼれのはずなのに。里の大人たち全員から憎まれているくせに。

 

 ミズキはこれまでずっとナルトを監視してきた。

 理由(わけ)も分からずに周りから嫌悪されるナルトに優越感のようなものを抱くと同時に、苛立ちも感じていた。

 

 ――ナルトが、これまで一度もその目から完全に光を失うことがなかったから。

 

 

「大変です、イルカ先生! ナルト君が封印の書を持ち出したみたいで…………」

 

 すぐに動ける中忍以上の人間を集めるようにという火影の命を受けて、ミズキはイルカや他の教師陣の家を回っていった。

 

「ついにやりやがったか、あの化け物が……!!」

「手遅れになる前に急いで探しましょう」

「やっぱり殺しておくべきだったんだよ、あんなヤツは!」

 

 危険な術だからと散々言い含めておいたから、ナルトは普段は誰も寄り付かない森の中で一人で禁術を会得しようと躍起になっていることだろう。

 

(バカなやつだ…………禁術の習得どころか、お前は里の連中に憎まれたまま死ぬっていうのに)

 

 ある程度里の人間にナルトのことを言いふらしてから、ミズキは例の森に駆けつけた。

 

 そこで、ミズキの心の中の笑みは初めて崩れる。

 

「…………なぜだ?」

 

 そこまで広い森ではない。木々が生い茂るわりに見晴らしは良い方で、少し探し回れば見つけられるはずだった。

 しかし、ナルトの姿はどこにも見当たらない。それどころか森に誰かが入った形跡すらなかった。

 

 ミズキは知らない。

 

 誰にも認められることなどないと思っていた少年を、すでに一人前の忍として誇りに思っている教師がいることを。

 

 孤独なはずの少年に、不器用ながらに友情を育みつつある戦友(とも)がいることを。

 

 そんな少年と友人には、見晴らしのよすぎる森よりも、禁術の修行にぴったりな場所があることを。

 

「なぜここにいないんだ!?」

 

 ミズキの絶叫は誰もいない森の中で虚しく響いた。

 

 焦ったミズキが一先ず火影の元に戻ろうとしたところを、一つの影が邪魔をするように立ちはだかった。

 

『こんばんは』

 

 影が月明かりの下に出てくる。

 真っ白な猫のお面に二つ空いた穴から、感情の読み取れない目がこちらを見つめていた。

 

 露出した肩には暗部を証明する刺青がある。いつものミズキならば、頭をフルに動かしてこの場を切り抜けようと画策していただろう。

 

「な、なん……なんでお前がここに……“クロネコ”!」

『…………』

 

 ミズキは白猫面の“元の”持ち主を一方的に知っていた。

 彼がまだ大蛇丸と定期的に接触していた頃、「あの子には手を出さない方がいいわ」と珍しく大蛇丸が一目置いていた。

 

 木ノ葉の暗殺養成部門、根に所属していた――うちはスバル。

 

「こ、後任者か……? そうだろう? そうに決まってる、死んだ人間がここにいるはずが…………」

 

 白猫面の青年がミズキに向かって足を踏み出す。思わず後退りながら、ミズキは引き攣りそうになる頬を必死に取り繕った。

 

『“俺”を知る人間は限られている』

 

 しっかりとした足取りで近づいてくる青年と違って、ミズキの足は震えていて、上手く動かせていない。

 二人の距離があっという間に縮まったのは必然だった。

 

 ――殺される。

 

 青年の纏う氷のような冷たいチャクラは、特別な眼を持っていなくてもはっきりと目に見えるかのようだ。

 

 額に汗を滲ませ、ミズキはやっとの思いで再び口を開いた。

 

「オレは、大蛇丸様の…………彼の部下だ! 根が大蛇丸様と協力関係にあったことも知っている……!」

 

 あと一歩、距離を詰めようとしていた青年の足が止まる。

 ミズキは命拾いしたかもしれないと引き攣り笑いを浮かべながら続けた。

 

「だから…………!」

『なんだ、お前だったのか』

 

 ミズキは、お面の内側で青年がにっこりと笑ったように見えた。

 

『うちはのケツを追うのが趣味な変態に、内部から情報を流してたクソ野郎は』

「え…………?」

 

 ゴッ!! と鈍い音が森に響いて、二つあった影のうちの一つががくりと倒れる。

 

『…………』

 

 森の中には再び静寂が訪れたかと思われたが、数分後には何かが軋む、または折れたような不穏な音が何度も響き渡り、ほとんどの動物たちが一目散に森の外へと走り去っていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 サスケとナルトが封印の書を持ち出したと聞いて、真っ先に頭に浮かんだのがうちはの演習場だった。

 

 確信はない。……でもそこにいる気がするんだよなあ。なぜって、本体と違って俺の中の弟レーダーは健在だからだ。

 

 本体の俺はイタチとサスケを()()()()()()()()()。そのわりに二人への愛は影分身である俺より重い……気がする。

 意味分かんねーよ! と思われるだろうが、これ以上どう説明したらいいのか。

 血縁上は兄弟であると認めているものの、精神的には兄弟ではない……というより、自分が二人の兄であることを受け入れられない状態にあるらしい。

 影分身として生み出された瞬間から精神にかかってる負荷がリセットされている俺には、ちょっとどころか、かなり理解できない感情だ。

 どう考えてもイタチとサスケは俺の弟だし、二人の兄であり続けるため、うちはの名を背負って生きていくことを決意したはずなのに。

 

 両親を手にかけ、セキへの恋心を再確認し、イタチと別れて、病院でいつまでも目覚めないサスケを見て最後の涙を流したあの日から…………本体はゆっくりと闇に沈んでしまったようだ。

 

 

 火影屋敷の前に続々と集まってくる人たちに存在を気取られる前に、俺はうちはの集落へと向かった。

 

 五分もしないうちに知らせを受けた本体やダンゾウたちが動き出すだろう。人手は多い方がいい。

 

 もしもサスケ達が禁術に手を出して何か取り返しのつかないことをしでかしていた場合、とくにナルトには里側からどのような処分が下るか分かったもんじゃない。

 今までは良くも悪くも放置されてきたナルトだが、この機会に地下牢に繋いでしまえと言い出す過激な輩が出てくるかもしれない。

 火影屋敷の前に集まった人の中には、今からでも殺すべきだなどと騒ぐ奴らもいた。

 

 …………ふざけるな。

 

 九尾の器になってくれた子どもに見当違いな増悪を押し付けて、正義面して気持ち良くなってるだけの人間のくせに。

 

 ぐっと拳を握る。

 

 俺だって彼らと同罪だ。ナルトに何もしてやれなかったんだから。

 

 うちはの集落に着いた。静寂が降りている商店街を抜けて、演習場の入り口に立つ。

 ここまで全力疾走したせいで乱れている息を整えて、中に入る。

 

 キンッと金属同士がぶつかる音がした。

 

「…………誰だ?」

〔…………〕

 

 咄嗟に伸びた腕は瞬時にホルスターからクナイを掴み取り、こちらに投げられた手裏剣を弾き返した。

 手裏剣が持ち主の足元に突き刺さる。持ち主――サスケは、冷や汗を流しながらも好戦的な笑みを浮かべた。

 

「暗部が封印の書を取り戻しにきたのか」

「暗部って、スバル兄ちゃんも所属してたっていう、エリート集団の!?」

 

 サスケの隣にいたナルトが慌てて巻物を背負う。

 

「悪いがもう暫く借りるぜ」

「いくらオレに負けたからって……! 暗部の奴に勝てるわけねーだろ!」

「……オレは負けてない」

「オレが先にあの術を成功させたのが悔しいんだろ。いい加減認めろっての」

「なんだと?」

 

 息を吸うように掴み合いの喧嘩に発展しそうになっていた二人だったが、俺がいつまで経っても動かないことを訝しんだのか、顔を見合わせて不思議そうにこちらを見る。

 

 俺は瞬きすらも忘れてサスケに見入っていた。こんな至近距離でサスケに話しかけてもらえたなんて……後で本体に自慢しよう。

 

 気のせいじゃなければサスケはちょっと引いてた。以前、イタチにもまったく同じ反応をされた気がする。気持ち悪い兄で申し訳ない。

 

〔……二人で、ここで修行を?〕

 

 やっとの思いで俺の口から出てきたのは、この状況には不釣り合いなものだった。ややあって、ナルトが困惑気味にこくりと頷く。

 

〔封印の書の存在をどこで知った〕

「ミズキ先生に言われて…………」

〔ミズキ…………?〕

 

 それはアカデミーの教師の名じゃなかったか? 教師であれば尚更、そんなことをナルトに吹き込む理由が分からない。

 

「オレがずっと卒業試験に受からなくて落ち込んでたら、ミズキ先生がここの術を覚えたら大丈夫だろうって」

〔…………〕

 

 卒業試験に受からない子どもに封印の書の術を薦めるなんてどんな教師だ。

 

「でもさ、でもさ! オレは将来火影になる男だから卒業試験なんてよゆーで合格したんだってばよ!」

〔おめでとう〕

「な、なんか、そう食い気味に言われると嬉しくないってばよ……」

 

 何度も卒業試験に落ちてると聞いていたナルトが合格しただなんて知らなかった。

 反射的におめでとうと言ってしまったのが、逆にナルトを怖がらせてしまったらしい。ごめん、嬉しくてつい。

 

「お前……これを取り戻しに来たんじゃないのか?」

 

 殺気を感じない、とサスケが続ける。

 

 あぁサスケ、いつの間に殺気を感じられるようになったの?

 俺は頼まれてもサスケに殺気を向けられないから安心してほしい。

 

〔俺は火影様直属の暗部じゃない〕

「ってことは…………」

〔でも、その巻物は危険だから火影様に返却すべきだ〕

「嫌だと言ったら?」

〔…………分からせるまで〕

 

 ナルトとサスケがごくりと唾を飲む。

 

 俺は手元の巻物を広げながら〔うわ、マジかよ〕と声を上げた。

 

〔一つ目から多重影分身の術!?〕

「え、え、え?」

「おい、ナルト! お前いつの間に巻物取られたんだ!?」

「わっ、分かんねーってばよ!」

 

 あちゃーと額に手を当てる俺と、ナルトを睨みつけるサスケに、自分の背中を何度も確認するナルト。

 

 しかも“多重”って……さっきサスケは成功しなかったと言ってた気がするが、そりゃそうだと言ってやりたいし、その方がいい。

 ただでさえ写輪眼でチャクラを消費しがちな俺たちが多重影分身なんて使ったらどんな悲惨な目に遭うか……下手したら死ぬんじゃないの?

 封印してる場合じゃないだろ。こんなものは後世に残さず滅却してくれ。

 ちなみに、うちは流多重影分身の術は自分の影分身ではなくスライムを大量に生み出す術なので、見た目よりチャクラを消費しない。

 あいつら勝手に分裂するし。

 

〔ナルト……だったか、お前、さっきこれを成功させたって言わなかった?〕

「へ? そうだけど……」

〔…………〕

 

 今日までアカデミーの卒業試験に落ち続けたナルトが、影分身、しかも多重影分身を会得しただって?

 

 完全に無意識だった。

 

 自然と伸びた腕がナルトの頭上で、触れる直前にびくりと震えて止まる。

 

「…………え?」

 

 攻撃されると思ったのか、咄嗟に目を瞑っていたナルトが恐る恐る目を開けて、自分の顔に影を作る俺の手のひらに驚いている。

 サスケもその隣でクナイを手に、唖然としていた。

 

 …………嘘だろ。

 

 俺は二人以上に驚いて、慌てて引っ込めた自分の手のひらを見つめる。

 

 一緒に過ごしてた頃は何度も頭を撫でていたし、もう一人弟ができたみたいだなあなんて思ったりもした。

 だからってこの状況で当時の癖が出てこなくてもいいのに。

 触りたくて気が狂いそうになってきたじゃないか!

 

 俺は脳内でナルトを三回くらい撫で回した後、サスケに抱きついてすりすりした。

 

 俺の脳内で何が起きてるか知らない二人は、神妙な顔で俺を警戒している。

 まさか会ったばかりの不審な暗部が脳内で自分達を撫で回したり抱きしめて喜んでるだなんて思うはずがない。

 

 色々と拗らせてる俺は、想像だけで充分気持ち良くなれる次世代の弟愛を築いてるんだよな。環境に優しい。

 

 俺のついた小さなため息に大袈裟に反応する二人に寂しさを感じつつ、行動に移せないならせめてこれくらいはとお面越しに言葉を紡ぐ。

 

〔……すごいな、こんな難しい術を〕

 

 よく見たらナルトもサスケもボロボロだ。手足は擦り傷がいっぱいだし、着てる服には泥がついている。

 

 ナルトは、なんだかむず痒そうな顔をしていた。

 

 会ったばかりの頃もこんな顔をしていた気がする。

 そうそう、寝癖を整えようと手を伸ばしたら、びくりと震えたナルトに「慣れてないから」って言われたんだっけ。……懐かしいな。

 

〔この多重影分身の術はチャクラの消費が激しく、使用にはリスクを伴うものだ。ナルトは生まれ持ったチャクラが多いようだから問題ないだろうが、うちはサスケ……お前はやめておいた方がいい〕

「なぜオレを知っている。お前は一体……?」

 

 ここでお兄ちゃんだよと言ったら、どんな顔をするんだろうか。

 そんなことをすれば本体は二度と影分身を作ってくれないだろうから言わないけど。

 

〔木ノ葉で暮らす人間で、あのうちは一族の生き残りを知らない奴がいるわけないだろう?〕

 

 こちらに誰かが近づいてくる気配を察知した俺は、演習場の入り口に顔を向けた。手に持っていた巻物を懐に仕舞い込む。

 

「あ!」

 

 風と共に俺が消えた直後、見覚えのある忍が駆け込んできた。

 俺は演習場の裏側に生い茂る木々に身を隠しながら、ナルト達の様子を探る。

 

「イルカ先生!」

「お前たち……なんでこんなところに……巻物はどうした」

「変なお面被った兄ちゃんが持って行ったってばよ……」

「なんだって!?」

 

 変なお面……。これでも一応かっこいい鷹のお面なのに。

 

「そんなことより、あのさ、あのさ! オレのすっげー術を見てくれってばよ!」

「火影様の屋敷から危険な巻物を盗んでおいて、そんなこととはなんだ!!」

 

 ナルトと静観していたサスケの頭にイルカ先生とやらのゲンコツが降り注いだ。うわ、痛そう。

 叫びながら地面を転がるナルトに、頭を押さえながら悶絶しているサスケ。今回ばっかりは二人が悪い。

 それよりも、ここまで本気で二人を心配して怒ってくれる先生がいることの方が嬉しかった。ナイス拳。

 

「まずはオレと一緒に火影様に頭を下げにいくからな……! 巻物の行方はその後だ!」

「えー!?」

 

 ギャーギャー騒ぎながら先生に連れ出されていくナルト達を見送り、俺もうちはの集落を後にした。

 

 

 

 木ノ葉の大通りから外れた森の中。

 

 ナルトが“巻物の術を練習するならここがいい”とミズキに勧められていた場所に来ていた。

 そろそろチャクラ切れになることもあり、戦闘になったら役に立たないなあと遠い目をしていたところだったが、無駄な心配だったようだ。

 

〔クロ〕

 

 俺の呼びかけに本体が顔を上げる。本体の足元にはきっちりと縛り上げられた男が転がっていた。もちろん意識はない。我ながら容赦ないな。

 

〔巻物は俺が回収した〕

 

 懐から出した巻物を放り投げる。受け取った本体が無言で中身を確認して頷いた。

 

〔その人がミズキ先生? 何でお前が先にここへ?〕

『……数年前、大蛇丸にサスケと根の情報を流したのがこいつだ。恐らくな』

〔なんだって?〕

 

 とんだクソ野郎じゃないか。

 どうやら大蛇丸の部下なのは確定らしく、数年前大蛇丸が里に侵入した件に関わっていたかどうかは分からないらしい。

 聞き出す前に()()殴りかかってしまったようだ。血の気が多すぎる。

 

 ミズキをダンゾウの元へ運ぶため、本体が背負う。

 

〔もう一つ報告があるんだけど〕

 

 本体が顔だけをこちらに向けて続きを促してくる。

 

〔今回の騒動、そいつのせいだよ。ナルト本人に聞いたから間違いない〕

『………………』

〔ナルトを唆して巻物を盗ませて……大蛇丸の部下だったなら献上するつもりだったのかもな。見た目からして禁術の類い好きそうだし〕

『………………』

〔ナルトはまだしも、サスケが多重影分身の術を習得しようとしてたみたいで、一歩間違えたら死んでたかもしれ――〕

 

 本体が掴んでいた腕を離したせいか、そこそこ大きな音と共にミズキが地面に落下する。

 ちょうど脇腹の辺りに大きめの岩があったらしく「ぐわぁっ!?」と悲痛な叫びが静かな森に響き渡る。

 

 それを見た俺は思わず口笛を吹いた。

 

〔よし! あばら粉砕コォース!!〕

 

 

 

 ***

 

 

 

 あの後、ナルトとサスケは三代目や教師陣にみっちりお叱りを受けたものの、ナルトを唆したミズキの存在が浮上したおかげで罪に問われることはなかった。

 

〔里が管理する施設に収容ってなんだよぉ……終身刑ってこと? アイツ生きてるわけ? 大蛇丸のことも聞き出せずに?〕

 

 ダンゾウの屋敷にある、俺の自室。

 

〔あばらだけじゃなくて全身の骨粉砕しといた方が良かったんじゃないの? 悔しくて夢にまで出てきそう〕

『…………』

 

 本体(おれ)がダンゾウへの報告を済ませて戻ってきてからずっとこの調子だ。いい加減耳にタコができる。そもそもお前睡眠必要ないだろ。

 畳の上をごろごろと転がりながらミズキの処分について文句を垂れている影分身を呆れ顔で見下ろす。お前は子どもか。…………俺か。

 

『ミズキがナルトの件にまで関わってたんだから仕方ない』

〔……分かってる〕

『分かってるなら何でそんなにしつこいんだよ』

〔だってさあ〕

 

 だってもクソもないから。何で俺は自分の影分身に駄々をこねられてるんだ? 意味分かんない。

 

 ミズキがナルトの件で表を騒がせている以上、根がこっそりと彼を拘束することは叶わなくなった。

 しかも犯罪者が収容される施設としては最も警備が厳重な場所に連れて行かれたらしく、隠密が得意な根だろうと容易には手を出せないらしい。

 

〔アイツが本当に大蛇丸の部下だったなら、今度こそ部下を取り戻しに大蛇丸が里を襲撃するんじゃ?〕

『さあ……そこまで部下思いな奴が封印の書を持ち出せなんて無茶振りしないと思うけど』

〔だからって、サスケへの脅威をこのまま見逃すのか〕

『……まだミズキが情報を流してたかどうかは確定してない』

 

 実際に対峙して思ったことだが、恐らくミズキではない。

 サスケに関する情報はアカデミーの教師だったミズキなら簡単に手に入れられる。でも根に関する情報は彼の実力では無理だろう。

 

 ミズキは元々大蛇丸に情報を流していなかったか、流していたとしてもサスケのものだけ。根の情報を渡した人間は別にいる。

 

 何の証拠もないからダンゾウには報告していない。つまり、こういったことへの対処が得意なモズも動かない。

 

 影分身の言う通り、サスケへの脅威は残ったままだ。大蛇丸が関わっている以上、その脅威はサスケだけではなく木ノ葉全体に向けられているかもしれない。

 

 俺は一言の断りもなく、サクッと千千姫(チヂヒメ)を解いた。

 〔あっ〕という間抜けな声を最後に、影分身の身体はとぷんっとスライム状になり、こぽこぽと小さな音を立てながら俺の足元に広がっていく。

 流れるような動作でうちは流多重影分身の術も解除すれば、スライムの姿はあっという間に消えた。

 ほんの僅かに戻ってきたチャクラにため息をつく。

 ついでに滝のように降り注いでくる影分身の記憶を整理して、畳の上に転がっていた雀鷹のお面を手に取った。

 

『自慢になると思ってたのか』

 

 影分身はサスケに話しかけてもらえて相当嬉しかったようで、その辺りの記憶だけやけに鮮明だった。

 

 雀鷹面をことん、と机の上に置く。

 

『……バカだなあ』

 

 影分身は忘れてる。こうなった時、結局は自分が苦しむことになるってことを。

 

 部屋の前に見知った気配が現れた。

 

「クロ、入るぞ」

『…………』

 

 気配――モズは部屋に入ってくるや否や、机の上に手を置いている俺を見て「……また頭が痛むのか?」と言った。

 お面をつけていないモズの表情はよく分かる。……心の底から俺を心配してくれていることも。

 

『いえ…………次の任務ですか』

「違う」

『ああ、この間頼まれていた資料なら、』

「それも急ぎじゃない」

『…………? それなら何の用でここに?』

 

 モズの眉間にぐっと力が入る。あれ、なんか怒ってる?

 

「バカなことばかり言ってたお前が恋しくなる日が来るとは思わなかった」

『……俺もいい年ですし、いつまでもガキじゃないです』

 

 モズの眉間の皺がさらに濃くなった。ええっ。

 

「うちはサスケの護衛をお前に任せていた時、纏う“色”が少しだけ昔に戻っていた」

『…………』

「うちはサスケも、お前も、復讐を忘れて生きていくことはできないのか?」

 

 復讐、復讐だって?

 

 机の上の雀鷹面を指で撫でながら、首を横に振る。

 

『誰かに復讐しようなんて、一度も考えたことないですよ』

 

 うちは一族が滅ぶ前から俺の望みはたった一つだった。でも、お望みならこう言ってやるのもいい。

 

『俺はただ……壊すだけだ。この腐った世界を――』

「…………」

『…………』

「…………」

 

 長い沈黙の後、耐えきれずモズが噴き出す。俺のガラスハートは砕け散った。

 

 

 「忍べ」と大きく書かれた看板の下を通り抜ける。

 木ノ葉の大通り。

 すれ違う誰も彼も全く忍んじゃいないが、常に楽しげな笑い声が飛び交うこの場所はわりと好きだ。

 もう少し遅い時間帯になれば酔っ払いに絡まれる確率が上がってしまうが、この時間なら穏やかな雰囲気の家族連れが多く見られる。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 だんごやの暖簾の中に吸い込まれた俺は、深くフードを被った状態でメニュー表の三色団子を指差した。

 注文を確認しに来た店員がにっこりと笑う。

 

「今日はそれだけでいいの?」

「…………」

 

 つつ……と指を横にずらす。

 

「おしるこも追加ね!」

 

 上機嫌で店の裏に消えていった店員に、俺の心もほくほくしていた。

 甘いものを食べている間は例の頭痛がなくなることに気づいてから、俺は事あるごとにだんごやに足を運んでいた。

 以前ここで働いていたイタチの同期の女の子は見ていない。今は別のところで働いてるんだろうか。

 

「はい、おまちどうさま!」

 

 ありがとうの気持ちを込めてこくこくと頷く。

 さっそく両手を合わせて心の中で「いただきます」と唱えた。

 舌を火傷しそうなくらい熱々なお茶に何度もふーふー息を吹きかけながら丁度いい温度にして、三色団子を頬張る。俺はちょっとだけ猫舌だ。

 

「カカシ先輩とここに来るのは久しぶりですね」

「オレも見習い忍者たちの担当上忍になったし、お前も忙しいからな」

「ええ。オフの時間が被って良かったです」

 

 口の中の団子を全部吹き出しそうになって、慌てて手のひらで押さえる。あっぶねー。

 

 暖簾をくぐってだんごやに入ってきた二人組が、あろうことか俺の真横に座ってきた。

 待ってくれ、何も隣に座らなくても…………って、混雑しててここしか空いてないのか!

 

 二人組――カカシとテンゾウさんが店員に三色団子を注文した。

 テンゾウさんはともかく、カカシはそれほど甘味に興味がなかったはずなのに。

 

「珍しいですね。カカシ先輩が団子なんて」

「甘味処に来たんだから別に……」

「ふふっ。ボクも普段はみたらし派なんですけどね。この店にくるといつも三色団子を頼んでしまう」

 

 何やらだんごやの三色団子に随分と思い入れがあるらしい。それは知らなかった。

 

 こんな偶然もあるんだなと思いながら、急いで残りの団子を頬張る。

 今のところ大丈夫そうだが、早めにここを出た方がいいだろう。

 

「スバルってここに来たらいつも三色団子とおしるこしか……」

 

 ちらりとテンゾウさんが言葉の途中で俺の方を見た。

 その視線は明らかに三色団子が乗っていたお皿と、まだ手をつけてないおしるこに向いている。

 

「……注文しませんでしたよね」

 

 テンゾウさんは何度か俺の顔を覆い隠すフードをちらちらと見て、何事もなかったように正面に向き直った。

 ……心臓が止まるかと思った。

 

「カカシ先輩はあれから定期的に墓参りに?」

「いや……あそこはうちは一族の敷地内だからな。あまり行けてない」

「ですよね。ボクもそうです」

 

 これまではうちは一族だろうが、日向一族だろうが、里の人間と同じ場所に埋葬されていた。死体がない場合もそうだ。

 実際に、カカシの親友だったオビトという少年は体を持ち帰ることができなかったそうだが、あの戦争で戦死した人たちと同じ場所に墓が建てられている。

 

 なぜあの夜に虐殺されたうちは一族だけが南賀ノ神社のすぐそばに埋葬されたのか……。理由は明らかにされていない。

 俺は、三代目からの最後の気遣いだろうと思ってる。最後の最後まで木ノ葉への敵対心を抱いて死んでいったうちは一族。

 せめて、彼らが心の拠り所にしていた神社の近くに眠らせてやりたかったのかもしれない。

 

 うちは一族はもういない。

 以前のように里の人間を拒絶するような排他的な雰囲気はないのに、かつてのうちは一族を知る人たちほど、あの場所に足を踏み入れるのを躊躇するようだ。

 

「懐かしいな」

「ええ……あれからもう何年も経ってるなんて信じられない」

 

 隣でカカシとテンゾウさんがしんみりするたび、罪悪感で胸がちくちく痛んだ。

 なんだろう……生きててごめん。

 

「アイツは認めなかったが、甘味への執念はなかなかのものだった」

「そうですね」

「オレ達や弟達によほど知られたくなかったのか、わざわざうちはの家紋が入ってない服に着替えて、」

 

 カカシの視線が先ほどのテンゾウさんのように俺の方を向いた。

 

「……フードまで被ってここに来てたよな」

「……ええ」

「…………」

 

 カカシの視線を辿って、テンゾウさんまでこちらを見ている。

 

「なあ、そこの――」

 

 カカシが明らかに俺に向かって話しかけてきた瞬間、ガタンッと大きな音を立てて立ち上がる。

 もう限界だ、逃げよう。

 

「お、お客さん……? 今日のは不味かったかい?」

「…………」

 

 まだ半分以上残ってるおしるこを見た店員が、とても悲しそうな顔をした。

 そ、そんなことあるわけない!

 

 俺は勢いよくおしるこの入ってるお椀を傾けて飲み干した。

 ごくんっと大きな塊が喉を通っていく。なんとか喉には詰まらなかったけど流石に苦しい。

 

「え?」

 

 唖然としている店員に小さく頭を下げる。

 美味しかった。とても美味しかったから、これに懲りずに美味しい甘味を作り続けてほしい。俺のために。

 

「あっ、ちょっと……」

 

 さらに話しかけようとしてくるカカシの声にはまったく聞こえないふりをして、俺は逃げるようにだんごやを後にした。

 




【おまけ】だんごやのお姉さん視点
https://syosetu.org/novel/291357/7.html


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第三十一話 霧隠れの兄弟

 何度か背後を警戒しながら裏道に入り、そこからは一気に駆け抜けた。

 誰かが後をつけている気配はない。

 撒いたか? それとも、元々追いかけてきてはいなかったのか。

 

 ため息と共に胸を撫で下ろす。暫くは甘味処には行けそうにない。

 最後にもう一度周囲の気配を探ってから、ダンゾウの屋敷に足を踏み入れた。

 

「クロ」

「…………」

 

 屋敷に入ってすぐのところに二人の部下を伴ったダンゾウが立っていた。これから外に出るつもりだったのか、杖を受け取ったダンゾウが「手間が省けたな」と呟く。

 俺を探しに行くところだったらしい。ダンゾウ自らとは、よほど急ぎの用事と見える。

 懐から白猫面を取り出して被る。

 

『暫くの間外に出ておりました。申し訳ありません』

「構わん。中で話す」

『はい』

 

 ダンゾウは踵を返して自室へと向かう。俺が後に続く。

 ダンゾウが連れていた部下はその場で頭を下げたまま、部屋までは着いてこないようだ。

 見慣れぬお面……恐らくモズが世話を担当していた者たちだろう。

 

 ダンゾウの部屋はいつ来てもジメジメしているというか、薄暗いというか。とにかく陰気だ。

 折角この屋敷内で一番日当たりのいい場所にあるというのに、この部屋の窓が開いているところを見たことがない。

 

 ダンゾウが一番奥の上座に座ると、部屋の四隅に置かれた蝋燭の火がゆらゆらと揺れた。

 

 ダンゾウはこう見えて煙草は吸わない。

 

 むしろ以前は火影室で煙草を吸う三代目に苦言を呈していたくらいだ。

 火影とはいえ既に前線を退いた三代目と、未だに裏で暗躍しているダンゾウとでは忍としての在り方が違う。

 この部屋に来るたび、この蝋燭の小さな炎はダンゾウにとっての煙草の代わりなのではないかと考えたりする。

 とくに理由はない。でも、あながち間違ってない気もした。

 

「昨夜から霧隠れの忍が木ノ葉周辺を探っているようだ」

『霧隠れ……ですか』

 

 面倒なところが手を出してきたもんだ。今でも霧隠れと聞いて真っ先に思い出すのは、小日向ムカイ。

 また木ノ葉にスパイを送り込もうとしているんだろうか?

 

「どうやら、木ノ葉に直接手を出すのが目的ではないようだ。奴らは二、三から成る小隊で、波の国から木ノ葉の国境周辺を行ったり来たりしている」

『波の国といえば、忍を持たない小さな島国では?』

 

 あんな小さく、さらには貧しい島国と霧隠れの忍にどんな接点が?

 あまりに貧しく慎ましい暮らしぶりに、盗み目的では外部の人間は介入すらしないと聞く。

 

『……すぐに調べ上げます』

「頼んだぞ。定期的に鷹を送ってきなさい」

『はい』

 

 すぐにダンゾウの部屋から下がり、自室に戻る。

 

 影分身の印を結び、部屋いっぱいに大量のスライムを生み出した。

 俺自身がスライムによって生き埋めにされる前に、両眼に熱を集める――万華鏡写輪眼。

 

『…………千千姫(チヂヒメ)

 

 真っ赤に染まる瞳に浮かぶ四芒星と小さな星たち。

 

 突如現れたまばゆいほどの美しさを放つ女神が見事な衣を風にはためかせながら、シャランと錫杖を鳴らす。

 

 女神は俺が生み出したスライム(人でないもの)一つ一つにまるで衣を織るかのように命を吹き込んでいく。

 宿ったばかりの命が一つの“個”となり、やがて覚えのある姿形に変わっていった。

 

 役目を終えて消えていく女神と入れ替わるように、俺の目の前でちょこんと座り込んでいる存在。影分身だ。

 

「…………」

 

 “生まれたばかり”で意識がぼんやりしている影分身の顔に雀鷹面を押し付けた。

 

〔何をする?〕

 

 寝起きのような緩慢な動きで影分身が立ち上がる。

 自分自身に何かを命令……いや、お願いをする時、いつも妙な気持ちになる。

 

『そうだな……木ノ葉に波の国と関係がある人物がいないか調べてくれ』

〔了解。お前は?〕

『俺は木ノ葉を離れて周辺を張ってる霧隠れの忍を探しに行く。異常がなければそのまま波の国に向かうつもりだ』

 

 表向き根が解体されてから俺が木ノ葉を離れるのはいつぶりだろう?

 おつかいで済む程度の距離と時間ならまだしも、これは恐らく長期任務になる。だからこそ、ダンゾウも鷹で連絡を寄越せと言ったんだろう。

 

『何かあればすぐに連絡を。お前には木ノ葉を任せる』

 

 今は別の任務に出ているイロやモズが戻ってくれば二人にも協力を求めるように言い含め、小さなポーチの中に素早く荷物を詰める。

 

 長期任務において兵糧丸は必須だ。俺みたいに写輪眼やお面のせいでチャクラの消費量が多い人間はとくに。

 小腹を満たすありがたい携帯食でもある。

 

〔いってらっしゃーい〕

『…………』

 

 自室を出る際に非常に気が抜ける見送りの挨拶を受けた。しかも自分自身に。

 悩んだ末に片手を上げてひらひらさせてやると、影分身はとても嬉しそうだった。なんでだよ。

 

 

 

 小さな翼をめいいっぱい広げた鷹がやってきたのは、俺が木ノ葉を離れてから数日後のことだった。

 

 僅かな休憩時間を木の上で過ごしていた俺の肩に雀鷹(つみ)がその鋭い爪を出してとまる。

 ちょうど両頬に兵糧丸をリスのように詰め込んでいたので、モゴモゴと忙しなく顎を動かしてごくんっと一部を飲み込む。

 やっぱり不味いなコレ。

 

『ありがとう』

 

 労いの意味を込めて雀鷹に兵糧丸を差し出す。

 雀鷹はくんくんと匂いを嗅いですぐにそっぽを向いてしまった。……このグルメ鳥が。

 

 雀鷹の足に括り付けられていた紙切れを広げる。

 

『…………は?』

 

 綺麗に折り畳まれていた紙をぐしゃりと握りしめてしまった。ダメだ、まだ最後まで読んでないのに。

 

『…………』

 

 きっちり最後まで読んで、ぐしゃっと手の中で丸くする。行き着く先は同じだったか。

 

『カカシ班がCランクの任務を請け負って、さらに波の国の人物を護衛するだって…………?』

 

 しかもすでに木ノ葉を出発したらしい。早すぎる。

 そもそもなんで下忍になったばかりの三人を抱えるカカシ班にCランクの任務が回ってくるんだ?

 

『…………雀鷹』

 

 応えるように鳴いた雀鷹の嘴を撫でる。

 

『影分身にこれを届けてくれ。すぐに合流するようにと』

 

 波の国の人間が何の用事で木ノ葉にいたのかは分からないが、今回の霧隠れの件と無関係だとは思えない。むしろその人物こそが霧隠れの本命なんじゃないだろうか。

 こういう時の俺の嫌な予感ってやつは必ず当たるから嫌なんだよ。

 

 雀鷹が元気に飛び去っていくのを見送り、木の上で胡座をかいていた状態から立ち上がる。

 口内に残っていた僅かな兵糧丸をガリッと噛み砕いた。

 

 

 

「鬼兄弟をやったのはコイツか?」

「でも一人だぞ。報告ではターゲットについてる木ノ葉の忍はフォーマンセルだって……」

『…………』

 

 一人の何が悪い? お前たちのせいで俺は誰もいない森の中で孤独な時間を過ごしたというのに。

 

 俺の目の前には霧隠れの額当てをした目つきの悪い男が二人。いかにもといった風貌だ。

 木ノ葉と波の国の間にある森の中で一晩中探し続けて、やっと見つけたと思ったら。

 霧隠れ(コイツら)の狙いがカカシ班とその護衛対象なのはもう確定だな。

 

「さっさとそいつら見つけて殺さないといけないってのに……」

「おい!」

「あ?」

 

 血飛沫と共に霧隠れの額当てが空を舞う。

 額当てを巻き込む形で二人組のうちの一人に蹴りを入れた俺は、くるくると回転しながら落ちてくる額当てを片手で受け止めた。

 俺の蹴りを受けた男がボタボタと鼻から流れてくる血を手のひらで押さえている。

 

『なぜ彼らの命を狙う』

 

 手元の額当てを草むらに投げ捨てて、二人との距離を詰める。

 

「テメェ…………」

『答えろ。答えなければ殺す。答えても――殺す』

 

 ピキッと男が額に青筋を立てた。

 

「霧隠れの中忍を舐めるなよ」

『…………』

 

 わざわざ中忍(小物)アピールをしてくれるなんて親切だな。

 ジャラジャラと鎖で繋がっている鎌のような形状をした武器を両手に持った男が、勢いよく突っ込んでくる。

 もう一人の男は接近戦は不得意なのかすぐには動かな――いや、何か印を結ぼうとしている。

 

「霧隠れの術!」

 

 辺りが濃い霧に包まれていく。それに紛れるようにして、目の前に迫っていた鎌の男がすでに腕を振り上げているところだった。

 背中に携えていた忍刀を抜く。大ぶりな鎌を軽々と振り回してるだけあって、その一撃は重い。

 

「チッ……! そもそも木ノ葉の暗部がなんでこんなところに!」

 

 それはこっちのセリフだ。

 男が再び霧の中に消えていく。霧隠れの忍はどんなに濃い霧の中でも正確に敵の位置を把握できる者が多い。彼らもそうらしい。

 タイミングを合わせて飛んでくる鎌と手裏剣を忍刀とクナイで弾き飛ばす。

 

「オレたちを鬼兄弟と比べてもらったら困るぜ」

「そうだ。アイツらはオレ達の中でも最弱だったからな」

『…………』

 

 心の中で言っておくが、奴は四天王の中でも最弱云々は立派な死亡フラグだ。こいつら死んだな。俺が殺すんだけど。

 まず戦ったことすらない相手とどう比べるんだって話だろ。

 

「お前はこの霧の中でオレ達に嬲り殺されるんだよォッ!!」

 

 弱い奴ほどよく吠えるというが、本当にそうだと思う。俺も気をつけたい。

 

 霧の中から飛んできた鎌を躱し、持ち手部分を掴み取る。鎖の先にもう片方の鎌を持つ男がいる。俺はそのままぐんっと引っ張った。

 

「なに!?」

 

 大きく目を見開く男の姿。鎌を引っ張って男を引き寄せたことよりも、俺の両眼の色と模様に驚いている。

 

「うちは一族だと……!?」

『相手が悪かったな』

 

 どんなに視界の悪い霧の中だろうと、敵の体もしくは武器が触れるほど近づいたなら容易に視認できる。

 普通はその距離から攻撃を躱すのは至難の業だが、写輪眼は特別だ。ほぼゼロ距離からの攻撃すらも見切り、身体がそれについていけるならば反撃すら可能にする。

 

『お前は口が軽そうだから、今も心臓が動いている』

「な、なん…………」

 

 深い霧が晴れる。その先で立っているのは俺と鎌の男の二人だけ。

 

 地面に倒れているもう一人の男の胸には、俺が鎌を引き寄せる前に放ったクナイが突き刺さっている。

 男の死体はすでに血の海に沈んでいた。

 

 仲間の死体を見た鎌の男ががくりとその場に膝をつく。

 そして、自分の首元にクナイを押し付けている俺を見上げる。

 

「弟が……オレの、弟…………」

『…………』

 

 血も涙もないと言われている霧隠れの忍のこんな姿を見るとは思わなかった。

 俺もその場に膝をつき、男と目線を合わせた。

 

「よくも……よくもオレの弟を…………!」

『訂正する』

 

 右手に握っていたクナイに力を込める。シャワーのように飛び散った血液が白猫面に付着した。

 

『……お前は口が堅そうだ』

 

 クナイについた血を布で拭い、ホルスターに仕舞う。

 

 お面についた血が垂れてくる前に同じ布で拭いてから、重たく感じられる身体を叱咤して立ち上がった。

 

 急がなければ。

 

 すでに波の国へ足を踏み入れているかもしれない彼らを頭に思い浮かべ、その場から姿を消した。

 

 

 

「ちっ、違うんだ、誤解だよ!」

「…………」

 

 まさかすれ違っただけの同性にケツを狙われるとは思わなかった。

 俺に腕を掴まれた男が必死に弁解しているのを見つめる。犯罪者はみんなそう言うんだよ。

 

 波の国に到着した俺は情報収集目的で町を歩いていた。お面は外して変化の術で姿も変えてある。かといって年齢も性別も大差はない。

 ご丁寧に俺のケツを丹念に撫で上げてくれた目の前の男が実は女でしたなんてこともなさそうだ。

 それはそれで俺がラッキースケベで捕まりそうだから困るけど。

 

 ちらりと周囲を見渡す。痴漢疑惑の男が騒いでいるというのに誰も見向きもしない。

 立ち並ぶ店の前にはしゃがみ込んで俯く人々で溢れていて、異様な光景だった。

 この国の人間にとっては日常茶飯事らしい。

 

「あの……これは……」

 

 男は涙目になっている。ちょうど俺の真横を通り過ぎようとした女性が小さな男の子に財布をすられていた。

 ピンときた俺は、男の腕を掴む手に力を入れた。

 この野郎、ただでさえ兵糧丸で食い繋いできた俺からさらに搾取するつもりだったのか。

 

「ちがう! 何かを盗もうとしたわけじゃない。ただ…………」

 

 よほど生活に困窮しているのかもしれない。未遂で終わったことだし許してやろうかと力を緩めかけた俺に、男が力いっぱい叫んだ。

 

「オレは尻フェチなんだ、とくに男のケツに目がないんだよォッ!!」

「…………」

 

 俺は無言で(常に無言だけど)男を殴り飛ばすと、人目につかない場所に逃げ込み、変化の術で女の姿になった。

 貧しさで追い込まれると人間ってやつはどこまでも頭がおかしくなるらしい。

 

 

 

 女の姿で情報収集を再開したら誰にも絡まれずにスムーズに終わった。この国はどうなってるんだ。

 

 今のところガトーという男が不穏な動きをしてることは分かってる。まあ、明らかに黒だろう。

 彼が波の国を拠点に活動し始めたのがちょうど数年前……根が解体され他国にまでその目を光らせることができない状態にある頃だったこともあり、俺たちの耳には届かなかったようだ。

 ダンゾウは情報に関しても貪欲な奴なので、根の人間はしょっちゅう収集に駆り出されていた。俺はなぜかダンゾウのそばを離れる仕事はほとんど回ってこなかったけど。

 

 やっぱりダンゾウは俺のことがす――

 

 ――最悪な想像をしたせいで気分が落ち込んだ。

 

 とりあえずこの辺にしとこう。人々の会話に耳をそばだてるのをやめて、今日こそは兵糧丸以外のものを食べるために八百屋に入った。

 

「いらっしゃい」

「…………」

 

 客はまばら、食材が並ぶ棚ですらスカスカでなんだか見ていられない。見ていられないが、大根とキュウリを腕に抱えた。

 店主から「お前それ買う金あんのか?」という疑惑の目を向けられる。

 素早くカウンターにお金を出すと店主はにっこりした。やはり支払いは早めに済ませるに限る。

 

「あの、ここって本当に」

 

 俺の後から店に入ってきた二人組に店主が「いらっしゃい」と声をかける。親子か、それとも祖父と孫娘の関係だろうか。

 

「ここは超貧しいからのォ。これが普通だ」

「そう……」

 

 家族にしてはよそよそしい会話だ。知り合ったばかりかもしれない。

 

 何気なく二人組に目を向けて、固まる。

 

「他のお店でサスケ君たちにも何か買っていってあげようかな」

 

 頬をピンク色に染め上げた可愛らしい少女が、目を閉じてうっとりしていた。

 その顔には見覚えがある。……カカシが率いる班のくノ一だ。

 

 先日のカカシ達の件といい、知ってる人間とのエンカウント率がおかしいと思う。

 さりげなく周囲を見渡したが、どうやらサスケ達はいないようだ。

 俺は女の姿に変化しているし、何より俺はカカシ班のくノ一とは元の姿でも会ったことがない。

 

 さっさとこの場から退散しようと焦ったのがいけなかった。

 

 すれ違う直前にトンッと軽く肩同士がぶつかる。彼女がこちらを振り返ろうとした。

 その際に、俺が持っている袋からはみ出している大根が彼女の下半身、つまり、お尻に――

 

「きゃあああっ! またチカーーンッ!!」

 

 目を疑うくらい勢いのある飛び膝蹴りがとんできた。

 右腕で蹴りを受け止めて、これ以上被害を広げないように大根の入った袋を地面に置く。

 

「……あれ? 大根?」

「…………」

 

 確か、サクラという名前だったはずだ。サクラは地面の大根と俺の顔を交互に見て、今度は別の意味での悲鳴を上げた。

 

「ごっ、ごめんなさい! 大根だったなんて……その……怪我はないですか?」

「…………」

 

 差し出された手は握らずに大根の入った袋を持ち上げる。

 女の姿をしているし、ここは声を出せないことを悟られずに切り抜けられるかもしれない。

 

 内気な女性を演出するために、顔を俯かせて長い前髪で顔を隠す。

 

「超やばい蹴りじゃった……娘さんが怯えるのも無理はない」

「やだ、どうしよう。本当にごめんなさい!」

 

 ふるふると首を横に振る。サクラは申し訳なさそうに眉を下げた。

 サクラの隣に立っている男性は依頼人だろう。彼は俯いている俺の腕を覗き込んでいた。

 

「まずは傷の手当てが先じゃな」

「怪我してるの!?」

 

 ぐいっと右腕を掴まれる。先ほど蹴りを受けた時に掠ったのか、擦り傷ができていた。

 大したことはない。薬をつける必要もないくらいだ。

 

「それじゃあ……」

 

 このままでは傷の手当てだと言って連行されてしまう。俺は必死に首を振って、何度も頭を下げた。

 そして、彼らが困惑している間に走って逃げ出した。

 カカシの時とは違って後ろから追いかけてくる気配がしたので、全力で走って裏道に身を潜める。

 

「…………」

 

 足音がどんどん遠ざかっていく。

 

 撒けたか。ふう、と一息ついていると頭上に影が差した。屈んでいた俺の首元にクナイが突きつけられる。

 

「何者だ。一般人の動きじゃないな」

「…………」

「波の国に隠れ里はないはずだ。再不斬の手下か?」

 

 現役の暗部がそう簡単に背後を取られるなというお叱りは最もだ。でも、俺は“彼”に対してだけはどう足掻いても隙をつかれると思う。

 ……本能が、どうしても彼を警戒してくれないから。

 

「答えろ。お前が再不斬の配下なら、どうしてサクラを()らなかった」

 

 両手を上げながらゆっくりと立ち上がる。

 こちらが見下ろす形になっても彼は俺に向けたクナイはそのままで、睨むように見上げてくる。

 

「……何を笑ってる」

「…………」

 

 ぺたりと自分の頬に触れる。笑ったつもりはなかった。

 彼――サスケは不快そうに鼻を鳴らし、クナイの先を俺の心臓に向ける。

 

「目的は何だ。吐かなければ……殺す」

 

 それもいいなあ、なんて思ってしまったせいかいつもの頭痛はしない。

 こうやってサスケに見つかってしまった以上カカシにも報告がいくだろう。

 まいったな、これは本当に詰んだかもしれない。

 ……いや、カカシの前に引きずり出されない限り俺の正体がバレることはないはずだ。

 

 クナイを持っている腕に手刀を落とす。

 

「ぐうっ!」

「………………」

 

 罪悪感がちくりと胸を刺した。サスケの手を離れて地面を転がったクナイを遠くに蹴り飛ばし、力を調節した拳をサスケの腹に沈める。

 崩れ落ちそうになる身体を脇に手を入れて支えた。

 

「…………」

 

 本当に、大きくなった。

 

 気絶しているサスケを壁に寄りかからせる。子どもの成長は早い。

 でもこの場にいたのが俺でなかったらサスケは殺されていたかもしれない。

 うちはといえどサスケはまだアカデミーを卒業したばかりの下忍。

 今のは、俺が油断している間に刺し殺しておくべきだった。

 

 サスケの言っていた再不斬とは、かつて霧隠れの鬼人と呼ばれていた再不斬だろうか?

 

 だとすれば、ガトーとかいう成金ヤクザもどきをどうにかするだけではこの件は終わらないかもしれない。

 そもそも彼がガトーのそばにいるなら、俺一人で太刀打ちできるとは……。

 

 サスケを置いてその場から離れる。遠目に何かが裏道に飛び込んでいくのが見えたが、俺は拠点にしている近場の森へと急いだ。

 

 

 

 塩をつけたキュウリをポリポリ食べながら、雀鷹(つみ)が届けてくれた巻物を広げる。

 

 町のはずれにある小さな森の中。

 

 俺のキュウリを盗もうとしてくる雀鷹に兵糧丸を押し付ける。反対の手で巻物を持ち、無駄に達筆な字を追いかけた。

 

『……あの野郎』

 

 不穏な空気を察知した雀鷹が兵糧丸で妥協して齧り付いている。

 巻物にはダンゾウの字で「そっちに割く人員はない」「霧隠れの忍が木ノ葉を襲撃しようとしているわけではないのなら帰ってこい」といった内容が書かれていた。

 つまり影分身もダンゾウに捕まっているということだろう。

 木ノ葉で何かあったのか?

 イロとモズはまだ別の任務から帰っていないようだし、人手不足といえば確かにそうだ。

 

 まあどちらでも同じことだ。

 俺は「帰るわけねーだろ」を可能な限り丁寧な内容にして雀鷹に巻物をくくりつけた。

 

『桃地再不斬か……』

 

 飛び去っていく雀鷹を見送りながら思案する。

 時間はかけられない。ダンゾウから次の連絡が来た頃がタイムリミットだろう。

 

 その前にガトーを殺す。護衛がいない、もしくは少ないタイミングを狙えば勝算はある。

 

 食べていたキュウリの最後の一欠片を飲み込んだ。

 

 

 

 ガトーはダンゾウに劣らないレベルで用心深いやつだった。

 いついかなる時も一人にならない。常に護衛と行動を共にしているせいで手を出せるタイミングがない。

 

 ガトーに雇われている侍二人組の話を盗み聞きしたところ、桃地再不斬は木ノ葉の四人組に返り討ちにされて寝込んでいるらしい。

 寝込んでいる部分は絶対に盛ってるし、鬼人とまで呼ばれた男がここで引き下がることはないだろう。

 

 ただ、深傷を負っているのは本当のようだった。

 今日までガトー側が沈黙していたのは、主戦力である再不斬が動けなかったから。

 侍たちが口にしていた「再不斬と行動を共にしている生意気な少年(ガキ)」の存在も気になる。

 もしその少年が再不斬に近い戦闘力を持っていればおしまいだ。そうでないことを願う。

 

 

 

 明朝、ガトーたちが橋の建設に携わった人間を()()()()()という情報を得た俺は、拠点で念入りにクナイと忍刀の手入れをしていた。

 

 橋にはカカシ達と彼らの護衛対象であるタズナも向かう。

 盗み聞きした侍達の話を信じるならば橋には再不斬がいるはず。ガトーの周囲が手薄になる、またとない機会だ。

 

 ここに影分身がいれば、再不斬は分身に任せて俺はガトーを殺しに行けたのに。

 

『…………』

 

 サスケ達を囮にするのか?

 

 彼らが一度は再不斬の手から逃れていたとしても、二度目があるかは分からない。

 橋に再不斬がいると知らない彼らは、十分な準備もできないまま命を落とすかもしれないのに?

 

 森の生き物達のほとんどが眠りの世界にいる時間。

 近くの草が揺れた。適当な木に登っていた俺は、背中の忍刀に手を伸ばしながら周囲の気配を探った。――誰かいる。

 

「やっぱりお前か」

『…………なぜ』

 

 月明かりに照らされた銀髪が見えた。その姿が何年も前に見た光景にぴたりと重なる。

 ……あの時は月明かりではなく、太陽の光だったけれど。

 

 カカシは木の上にいる俺を見上げながら言った。

 

「お前なら説明しなくてもこの状況を理解しているはずだ。木ノ葉の忍として手を貸してくれ」

『以前会った時に随分と歓迎してくれたお前に、どうして俺が手を貸さなければならない? それに、お前は根を嫌っているだろ』

 

 カカシがふっと笑う。その笑みにも既視感がある。

 でもこっちはどこで見たのか思い出せなかった。

 

「根に所属する人間全てを嫌っていては、かつて根にいた友人たちのことも嫌わなければならなくなる」

『…………』

 

 軽く首を振る。

 

『どこで俺のことを知った』

「お前、町でガトーの情報を聞き回っていたんだろう? それも何度か姿を変えて……ある男が“次に見かけた時は女の姿だったが、あの尻の形は間違いない!”って言ってたよ」

『…………』

 

 そりゃあ、尻の形まで変えてないけど……まさか俺の完璧な変化の術が尻フェチ野郎ごときに看破されるとは思わなくない? 何もかもおかしいよ。

 

「後はサクラとサスケの情報を擦り合わせた。二人に害を与えるつもりがなく、サスケから一瞬で意識を奪えるほどの実力者。そしてガトーの情報を集めている……その中には木ノ葉に関するものもあったそうだな」

『…………』

 

 見事な王手を食らった俺は何も言い訳できなかった。

 それだけの情報があれば少なくとも根の人間だという推測はできる。実際にカカシはここにいる。

 最初からマークされていたのなら、俺がどれだけ細心の注意を払おうとも小さな綻びを拾われてしまうだろう。

 俺の尻がある男にとって非常に良い形をしていたばっかりに……。

 

 木から降りてカカシと目線を合わせる。

 

 同じ暗部にいた時から彼には及ばないことばかりだった。

 うちは一族を差し置いて「写輪眼のカカシ」と他国に恐れられていた彼の実力は相当なもので、決して本人には言わなかったがガイ大先輩の次に尊敬する忍だった。

 

『……俺に何を望む』

 

 カカシがにやりと笑う。

 

「ガトーについて知っている情報を全て教えてほしい。そして、オレ達と共に戦ってくれないか」

 



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第三十二話 無自覚

時間がいったりきたりしてるのでややこしくなってます


「アカデミーに通う息子から聞いたんだが、あのうちは一族が暗部に…………」

 

 人の口には戸が立てられない。

 

 これまでうちは一族は下忍という見習いを経て中忍に昇格すると、警務部隊に配属される者、そのまま木ノ葉の表の任務を遂行する特別上忍や上忍を目指す者とに分かれていた。

 

 そんな中、里の中枢に身を置く暗部に配属される者が出てきたとなると、一時的とはいえ里中の噂の的になるのは当然だった。

 

 噂の中心人物の名は――うちはスバル。

 

 彼は生まれつき声を出せない体質と、人を寄せつけない独特のオーラのせいで、一族だけでなく里の人間からも遠巻きにされていた。

 

「声は出せなくとも、やはりうちはの血なんだな」

「だからといってうちは一族を……」

 

 一族や、血を分けた親兄弟が優秀であればあるほど、呪いは強まる。

 うちはスバルが優秀であれば人々は口を揃えて「血のおかげ」と言うだろうし、そうでなければ「ただの親の七光り」だと好き勝手に蔑むのだろう。

 生まれた時からそのような環境に置かれる辛さを、オレは嫌と言うほど知っている。

 

「カカシ?」

 

 たくさんの人が行き交う木ノ葉の大通り。

 

 そう、オレは知ってるんだ。

 

 うちは一族という大きな存在の元に生まれ落ちた人間に付き纏う苦悩を。ずっと、すぐ側で見てきたから。

 

「おい、カカシ!」

「ガイ…………今はそっとしておきましょう」

 

 呼びかけに反応せずだんごやの前を通り過ぎたオレを、かつての同期たちが心配そうに見送る。

 

 大通りを抜けて、過ぎたばかりの大戦の“英雄”たちが眠る場所。オレだけは覚めない夢を見続けることしかできない。

 

 覚めることも許されない――悪夢を。

 

 

 

 オレが()()友を失ってから時は流れ、少しずつ傷は癒えていく。

 

 “彼”が最も大切にしていたものと深く関わりを持つことになったのは、運命だろうか。

 

「今日からお前たちスリーマンセルの担当上忍になった、はたけカカシだ」

 

 最後までアカデミーに残っていた三人組を外に連れ出して、簡単な自己紹介を済ませる。

 

 うずまきナルト、うちはサスケ、春野サクラ。

 オレへの期待や不安が入り混じった三つの視線がこちらを向いた。

 

「じゃあ、次はお前らの番だな」

 

 順に自己紹介するようにと指示すると、そわそわと落ち着きなく額当ての位置を調節していた少年が「はいはーい!」と元気よく手を上げる。

 

「うずまきナルト! 好きなものはカップラーメン、もっと好きなのはイルカ先生におごってもらった一楽のラーメンとぉ……これまで兄ちゃんが作ってくれたやつ全部っ!」

「……このウスラトンカチが」

 

 ナルトの隣に座っていたサスケが呆れたようにため息をつく。

 

「元気でよろしい。……兄ちゃんっていうのは?」

 

 元々知っていた内容と前日に三代目から聞いていた情報を擦り合わせたが、ナルトに実の兄は勿論、兄のような存在がいるなんて聞いたことがない。

 ナルトは照れくさそうに「へへへ」と笑った。

 

「スバル兄ちゃんだってばよ。サスケの兄ちゃんで……」

「…………スバル?」

 

 ナルトがちらっと隣のサスケを見る。スバルの名を出されたサスケが怒りを露わにするんじゃないかと危惧したが、その目は懐かしそうに細められているだけ。

 意外な反応にぽかんと空いた口が塞がらない。

 マスクのおかげでそんな間抜けな顔を三人に見られることはなかった。

 

「オレにとっても本当の兄ちゃんみたいな人だ。オレってば、兄ちゃんのような強い忍になって、いずれは歴代最強の火影になってやるんだってばよ!」

「…………」

「先生?」

「いや…………」

 

 まさかスバルがナルトと交流があったとは思わなかった。しかも、“兄のように”なんて。

 

「そんで、嫌いなもんはカップラーメンにお湯を入れてからの三分間!」

「カップラーメンばっかじゃねーか」

「おむすびばっかで栄養バランス最悪なサスケよりマシだっての!」

「ああ?」

 

 わざわざサスケが絡みにいくくらい仲が良いのかと思えば、二人はお互いの胸ぐらを掴んでガンの飛ばし合いをしている。

 そんな二人をサクラが「ちょ、ちょっと! なんでこのタイミングで喧嘩してるのよ二人とも!」と慌てて止めに入っていた。

 

「まぁまぁ……ナルトの自己紹介は終わったな。次はそっちのキミからね」

「…………フン」

 

 オレはにこやかな笑みを浮かべたまま、注意深くうちはサスケを観察した。

 アカデミーの成績は文句のつけようのない優等生。やはりエリート一族出身なだけあって才能がある。

 しかも溢れんばかりの才能に胡座を掻くことなく努力を続けてきたタイプで、オレの知る二人の姿とぴたりと重なる。

 血は争えないな。

 

「名はうちはサスケ。嫌いなものならたくさんあるが、好きなものは別にない」

「サスケはおむすびが好きだってばよ」

「…………」

 

 なんだか妙に覚えのある空気が流れた。

 サスケに無言で頭を叩かれたナルトが「いったぁー!?」と叫んで悶絶しそうになっている。

 

 不覚にもマスク越しにぶふっと吹き出した。サスケとナルトには気づかれなかったが、サクラにはバッチリ見られていたようで視線が痛い。

 

 ちょっぴり頬を染めたサスケがこほんと咳払いをした。

 

「…………夢なんて言葉で終わらせるつもりはないが、野望はある。一族の復興と、ある男を必ず…………殺すことだ」

 

 涙目になっていたナルトが途端に悲しげな顔をする。

 

「うちはイタチか」

 

 オレが“ある男”の名を出すと、サスケが勢いよく顔を上げて睨みつけてきた。

 

「そう怖い顔をするな……お前の二人の兄とは共に任務をこなしたことがある。優秀な忍だった」

「サスケ君のお兄さんたちと、カカシ先生が……?」

「ああ。とくにうちはスバルとは友と呼べる間柄だったからな」

 

 ナルトとサスケが同時に立ち上がる。しかし反応は対照的だった。

 期待に胸を膨らませているナルトとは違って、サスケは眉を吊り上げている。

 

「スバル兄さんに親しい人間がいたなんて聞いたことがない」

「オレ達は暗部の先輩後輩の関係だった。それに、スバルはあまり自分のことを話さない奴だった……そうだろ?」

「…………チッ」

 

 サスケはまだ何か言いたげだったが、とりあえず口を噤むことにしたようだ。

 

「あのさ、あのさ!」

「ナルト。続きは全員の自己紹介が済んでからだ。最後に、女の子」

「えっと……私は春野サクラ。好きなものは……」

 

 ちらちらと何度もサスケを見ながら好きなものと将来の夢を匂わせるサクラ。まさに恋する乙女といったところだろうか。

 ……こんなにも癖の強いメンバーばかりが集まるのも珍しい。

 自然とこぼれそうになるため息を飲み込んで、腰に手を当てる。

 

「よし。うちはスバルに関する話だが…………」

 

 ごくりと唾を飲む音がふたつ聞こえてきた。にっこりと笑う。

 

「明日の演習でお前達がこの話を聞く権利があるとオレが判断したら話すことにしよう」

「演習だと?」

 

 笑みが濃くなる。オレはとんとん、と自分の額当てを指で叩いた。

 

「ただの演習じゃない。失敗すれば折角の額当ても没収されてアカデミーに逆戻り――これは、脱落率六十六パーセント以上の超難関試験だ」

 

 

 

 翌日。アカデミーから一番近い場所にある演習場。

 すでに集まっていた三人の前に遅れて登場し、「さぁて、そろそろ始めるか」と丸太の上に十二時にアラームをリセットした時計を置いた。

 

「カカシ先生からその鈴を取れたらスバル兄ちゃんのこと教えてくれるってこと?」

「そうじゃなくて正式に下忍として認められ……まっ、同じことか」

 

 鈴が取れたヤツには必ず教えると約束すると、二名分の殺気が飛んできた。……予定より彼らのモチベーションを刺激してしまった気がする。

 サクラが控えめに手を上げる。

 

「あのぉ……それって私には二人ほどメリットがないんじゃ……」

「鈴は二つしかない。そして、オレから情報を聞き出したい人間も二人。もしもサクラ、お前が鈴を手に入れたらナルトかサスケと個人的な取引をして情報を高く売ればいい。ちなみに! 鈴を取れた人間が二人いた場合、オレはスバルに関する別々の情報を提供しよう」

「そこまでして手に入れたい情報って一体……」

 

 サクラは半信半疑だ。だが、その目は“サスケと個人的な取引”のおかげでやる気に満ち溢れている。

 

「たとえばどんな情報を教えてくれるんですか?」

「そうだな……うちはスバルの得意な技、通いつめてた甘味処、戦う時の癖、それから――」

「待ってよ、カカシ先生! そんなもの、ナルトのバカはまだしもサスケ君が欲しがるはずが……」

「あの二人を見てもそんなことが言えるか?」

 

 「え?」と後ろを振り返ったサクラ。そこには今すぐにでも演習を開始したいとうずうずしている二人がいた。

 普段からサスケのやることなす事全てを肯定しがちなサクラですら、ちょっと引いている。

 恋は盲目というが、彼女に最低限の理性が残っているようで安心した。

 

「待ちきれない奴らもいるようだし、説明は以上だ。…………はじめ!」

 

 

 

 森の中と大差ない演習場内で、オレは片手に愛読書を持ったままのんびりと歩いていた。

 

「意外だな……とくにナルトは無計画に突っ込んでくると思ったんだが」

 

 それにしても、やはりイチャイチャシリーズはどれも面白い。いっそ芸術と言えるだろう。

 以前スバルにも勧めてみたことがあるが、彼は冒頭を軽く読んだだけで頬を僅かに赤く染めて《おれは こんなものは》と高速の指文字を披露し、慌てて部屋を出て行ってしまった。

 

「フフ…………」

 

 懐かしい。あの後暫くはテンゾウと二人でそのネタで揶揄ったな、なんて思い出す。スバルはああ見えて純粋なところがある。

 こうやってスバルとの思い出を穏やかに思い出せるのも、過ぎた時間のおかげだろう。

 

「…………」

 

 それにしても静かすぎる。まさか鈴を諦めたのかと思い始めた時、草が揺れ動く小さな音がした。

 

「火遁・豪火球の術!!」

「なにィッ!?」

 

 それはまだ下忍にはチャクラが足りないはず!

 

 草むらに隠れていたサスケの放った豪火球は、チャクラが足りないどころかその規模ですら一人前だった。

 以前、大蛇丸のアジトでスバルがオレに向かって放った豪火球に近い。

 同じ木ノ葉の忍に豪火球を放たれるなど滅多にない経験のはずが、まさか兄弟揃って成し遂げるとは。

 

 妙な感動を覚えながら土遁の印を結ぶ。

 

「土遁・土流壁!」

 

 地面から飛び出してきた巨大な土の壁が全ての炎を受け止めて衝撃を吸収する。

 

「そんなの反則じゃないの!?」

 

 別の方角から叫び声が聞こえた。サクラの声だ。

 そちらを見れば「キャッ!」と慌てて口に手を当てているのが見える。……確かにあれは大人気なかった。

 

 不意打ちとして豪火球を出してくるのはなかなかに良かったが、コンビネーションとしてはいかがなものか。

 そもそも、真っ先に攻撃してきそうなナルトは一体どこに……。

 

「――油断大敵、だってばよ」

 

 声がした。それも、真上から。バッと顔を上げる。

 いつの間にかオレの作った土壁の上に立っていたナルトが、にやりと笑って影分身の印を結ぶ。

 あっという間に二十人くらいに増えたナルトが上から一斉に降ってくる。

 しかも全員がクナイを手にしていて、同時に振りかぶった。

 

「くらえ!」

 

 まさに“槍の雨”。飛んできたクナイを全て避けたかと思えば、次はナルト本体と影分身全員の相手をしなければならない。

 

 三代目から封印の書を持ち出した件を予め聞いていたおかげで辛うじて動揺は少ない。

 

 まさかナルト相手にイチャイチャシリーズを封印されるとは。

 

 こちらに向かってくる拳をいなし、蹴りが届く前に足払いで転ばせる。数は多いとはいえ、ナルトの体術はまだまだ未熟だ。

 避けられないほどでは――

 

 次々と消えていく影分身。次、次、と機械的な作業になりつつあった頃、ナルトの影分身の一つが足払いを避けるどころか、オレの腕を掴み、素早く逆の手で腰の鈴に手を伸ばしてきた。

 

「なっ……!?」

 

 その両腕を捕まえようとした瞬間、ボンッという音と共に辺りが土煙に包まれる。

 その中から姿を現したのはサスケだった。

 

「…………変化の術、ね」

 

 やけに動きがいいのがいると思ったら、ナルトの影分身の中に紛れていたか。

 カラクリが分かったところで、状況は良くならない。

 荒削りながらも諦めずに食らいついてくるナルト本体と影分身、そして、そんなナルトとやけに息の合ったコンビネーションを見せるサスケ。

 さらにサスケの体術は以前のスバルを彷彿とさせる動きが多々みられる。

 

「その体術……スバル仕込みか?」

「…………」

 

 サスケは答えずにくるりと体を大きく捻って鋭い蹴りを放ってくる。

 正確にオレの脇腹を狙ってきたそれを片腕で受け止めて、衝撃を逃す。

 

「チィッ!」

「悪いがオレもスバルとは何度も()()()()の組み手をしてきたんでな」

 

 対処法はよく知ってる。それに、スバルの体術の癖は親友であるガイともよく似ていた。

 スバルなら、この状況で蹴りを防がれたら背中の忍刀で……。

 

 サスケがホルスターから抜き取ったクナイを握る。

 

 そうだ、サスケは忍刀を持ってない。当たり前のことながら、無意識に頭の中で描いていた未来と違うことに僅かに動揺してしまった。その隙をつかれる。

 

 サスケのクナイはオレではなく、一直線に腰の鈴に向かっていた。紐を切るつもりか。

 スバルとの組み手に思いを馳せていたせいで、一瞬とはいえ鈴の存在を忘れていたオレは咄嗟に反応できない。

 

「さっ、させるかぁっ!!」

 

 リン、とサスケのクナイが鈴に触れる。両足にぐっと力を込めて勢いよく後ろに飛び退く。

 間一髪で鈴を守り抜いたと思ったオレに、ナルトとサスケが不敵な笑みを浮かべた。

 

「ナイスだってばよ、サクラちゃん!」

「…………は?」

 

 ボコッと着地したはずの地面に足が沈む。足どころか、一気に崩れた地面にサーッと顔が青くなる。

 オレの身体は、あっという間に深く掘られた穴の中に落ちていた。

 

「へへっ、どうどう? オレ達のチームワークは!」

「気を抜くな、バカ。カカシはずっと手加減してた」

「でもさ、でもさ、オレ達相手ならこれでじゅーぶんって決めてたラインを超えた……合格ってことだろ?」

「…………サクラの読みが外れていなかったらの話だ」

 

 そんな会話を、オレは落とし穴で大の字になったままぼんやりと聞いていた。

 

「…………」

 

 …………完敗だ。

 

 アカデミーを卒業したばかりの三人が、ここまで見事な連携を見せてくれるとは。

 

 落とし穴にひょっこりと顔を出したサクラが「やったの……?」と不安げに聞いている。

 

「ナルトとサスケはオレをこの落とし穴に誘導する役で、サクラは落とし穴に気づかれないよう周辺に幻術を掛ける担当だったのか……?」

 

 いくら手加減している状態であっても、落とし穴なんて簡単なトラップにはすぐに気づいたはずだ。

 

 掘り返した土の色が違うことに気づかれないよう幻術をかけるのは簡単ではあるが、相手に違和感を与えないように調整するのは難しい。

 幻術は塩梅が重要だ。完璧すぎるとそこから綻びが生じることだってある。

 それに、オレはナルトとサスケの息をつく暇もない攻撃に本を読む余裕すらなかった。そんな状態で幻術の施された落とし穴に気づくことは、やはり出来なかっただろう。

 

「そうだってばよ。この辺はサスケの作戦で、影分身にサスケを紛れ込ませるのはオレの考え!」

「…………サクラの読みってのは?」

「えっと……アカデミーで、チームで動くときは何よりもチームワークを大切にしろって学んだから。最初から鈴が二つしかなくて、どんなにいい結果を残しても二人しか合格できないのはおかしいって思ったの」

 

 事前にそこまで読んで冷静に対処できるのは、忍として必要な要素だ。

 

「カカシ先生、サスケ君のお兄さんの話を“聞く権利があると判断したら”話すって言ったでしょう? 今日、ナルトに鈴を取れば教えてくれるのかって聞かれた時も“下忍として認められることが同じようなもの”って言ってた」

 

 ナルトがうんうんと頷く。

 

「だから、これは単純に鈴を取る試験なんかじゃなくて、私たちの心……忍としての強さを測るためのテストなんじゃないかって」

 

 百点満点の答えだった。アカデミーではどの科目でもサスケが一番の成績だったと聞いているが、サクラは特定の座学ではサスケよりも良い結果を残していたと聞いている。

 本で得られる知識だけでなく、それを実践にも活かせる柔軟な思考力。忍として必要不可欠な要素だ。

 

「もしかして、違った……?」

 

 違っていればサスケに失望されるかもしれないとすでに涙目になっているサクラ。

 ……愛の力でこの試験の意図に辿り着いたのだとしたら、侮れないとも思う。

 

 オレはサクッと落とし穴から出て、三人の前に立った。

 

「ああ!? そんな簡単に出られたなら、何で!」

「ったく……言っただろ、カカシはずっと手加減してたって」

「サスケの言う通りだ。オレはこの試験でアカデミーレベルの体術と忍術しか使わないって決めてたからな」

 

 忍術を使えば落とし穴に気づいたときに回避も可能だった。それをしなかったのは、彼らの見事な作戦と連携に“負けた”と判断したせいでもある。

 

「でも、サスケ君の火遁には土遁を……」

「それだけサスケの術が完璧だったからだ。あの規模の豪火球をオレに向かって放ったのは二人目だよ」

「それってもしかして…………」

 

 ナルトの言葉に頷く。

 

「そう、一人目はうちはスバル。サスケ……お前の一番上の兄貴だ」

 

 ぐらりと明らかに感情が揺れた黒い瞳。

 

 ――やはり、これは運命だろうか……スバル。

 こうやってお前が何よりも大切にしていた弟にお前のことを話しているのは。

 

 全身についた土を払って、オレはにっこりと笑った。

 

「全員…………合格だ!」

「やっ、やったー!!」

 

 ナルトとサクラが揃ってガッツポーズをする。

 

「っと、もう十二時か。これから親睦会ってことで焼肉にでもいって、スバルの話をしようと思うんだが、」

 

 どう思う? なんて聞くまでもなく、喜びの声が上がる。

 

「焼肉なんて久しぶりだってばよ。しかもスバル兄ちゃんの話まで!」

「……オレも誰かにアイツの話をできるのは嬉しいからな」

 

 目を細める。そんなオレの腕をナルトが引っ張った。

 

「カカシせんせー! 置いていくってばよ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 黒い服に袖を通し、誰もが不安を纏いながら列を成して、閑散としたうちはの集落に足を踏み入れていく。

 かつて親友が生きていた頃はもっと活気に溢れていたその場所はいつしか排他的な雰囲気が漂うようになり、ついには一族以外の人間が近づくことすらなくなっていった。

 

 暗部としてではなく、ただの“はたけカカシ”として集落に入るのはいつぶりだろう。

 親友――うちはオビトが眩しいくらいの笑みを浮かべて「あそこの煎餅は木ノ葉一なんだぞ」と自慢していた店は、まるで突然店主が失踪したかのように看板は出しっぱなしで……ただ、人だけがいない。

 

 うちはの集落は胸に鉛が落ちてきそうなくらい――空っぽだった。

 

 うちは一族がたった二人を除いて滅んだと聞いた時、何の冗談だと思った。

 その話を持ってきたのが誰だったのかはもう覚えていない。

 ああ、でも時間はよく覚えてる。午前五時。

 そろそろオビトの墓参りに行こうと思っていたせいか、その日は早めに目が覚めてしまって……そこからは記憶にノイズが走ったかのように不明瞭だ。

 

 うちはイタチが弟以外の一族全員を惨殺し里を抜けた。

 

 ガツンと頭を殴られたような衝撃は今でも忘れられない。弟以外。

 真っ先に浮かんだのが無愛想な友人の顔で、とてもじゃないが信じられなかった。

 

 うちはスバル。イタチの兄であり、オレの数少ない友人の一人であり……オレの知る限り誰よりも愛情深い奴だった。

 愛を向ける対象がどうも限られすぎているというか、弟以外の人間に対する興味がほとんどないんじゃないかと思うこともあったが、それでも不器用ながらに自分の周囲の人間を大切に思っていることには気づいていた。

 

「まさかあの人がね…………」

 

 そんな声が聞こえてきて俯いていた顔を上げる。

 

 木ノ葉で暮らすほぼ全員が集まったと思われる追悼式が終わり、一部の希望者のみがうちはの集落の奥――南賀ノ神社に向かっているところだった。

 まだうちは一族の遺体は上層部が管理しており墓の一つも建っていないが、その前に花だけでも供えたい人たちが列を作っている。

 

「うちはイタチと弟のサスケくんが仲良さそうに歩いてるところを何度も見かけたのよ?」

 

 続いて聞こえてきた言葉に無意識に眉が寄る。

 

「一番上のお兄ちゃん……ほら、最近はほとんど見かけなかったけれど、小さい頃はよくうちはイタチと一緒に商店街におつかいに来ていたわよね。手まで繋いで……」

 

 泥濘の上を歩くようだった足がついに動かなくなった。その場に立ち止まったオレを、後ろの人が迷惑そうな顔をして追い抜いていく。

 

 うちはスバルは誰よりも弟たちを愛していた。

 普段ほとんど表情を動かさない彼が、弟の話をする時だけはフッとやわらいだような顔をするくらいには。

 

「大丈夫ですか?」

 

 自分で思うより時間が経っていたのかもしれない。

 

「体調が悪いなら木ノ葉病院に…………」

 

 声をかけてきた人物が不自然に言葉を途切れさせる。

 

「……はたけ、カカシさん?」

 

 真っ黒な瞳が大きく見開かれた。

 

 

 

 鳥居を抜けて参道を歩く。南賀ノ神社の拝殿の前に特別に設置された台の上にはたくさんの花が供えられていた。

 隣に立つ女性が腕に抱えていた百合の花束を一番上にそっと乗せて目を閉じる。オレも彼女に倣って目を閉じた。

 こういう時に何を考えればいいのか分からない。

 突然消えてしまったものが多すぎて心が追いつかないせいだろうか。

 

「お会いするのは久しぶりですね」

「もっとくだけた話し方で構わない」

「いいえ、カカシさんは木ノ葉の誉れですから」

 

 彼女は弱々しく笑った。目の下には薄らと隈ができている。

 

「体は平気ですか?」

「ああ。ただの立ちくらみだったから」

「よかったです」

 

 彼女の背にある見慣れない家紋を見つめる。白黒に塗り分けられた丸い円の中央にさらに小さな白黒の円が存在しており、どこか陰陽太極図を彷彿とさせるデザインだ。

 太極図と大きく異なっているのは、白黒の部分が真ん中できっちりと別れているところだろう。

 太極図の白黒があのような曖昧な別れ方をしているのは陰と陽の性質そのものを表しているからだと言われている。

 

 その家紋を背負う人間は木ノ葉……いや、世界中を探しても一人しかいない。

 

「お互い辛いな。こんなことになって……」

「……私はずっと無力で、それをこうやって突きつけられるたびに辛いけれど……」

 

 彼女は翳りのある微笑みを湛える。

 

 覚方(おぼかた)セキは、うちはスバルの数少ない友人だった。

 

 彼女に最初に会ったのはオレが火影様とダンゾウ様の間で揺れていた時。

 臆することなくダンゾウ様と大蛇丸の犯した罪を追及する姿は凛々しく、生半可な覚悟で臨んでいるわけではないと分かった。

 

「――前に進みます。今はそうすることしかできないから」

 

 あの日と同じ、静かに燃えているような瞳だけがその場に残っていた。

 

 

 

「お待たせしてすみません。報告書を届ける途中で色々あって……」

 

 「忍べ」と書かれた看板の下。人を待っている間に広げていたイチャイチャパラダイスを閉じる。

 待ち人であるテンゾウは珍しく額に汗を浮かべていた。ここまで走ってきたらしい。

 甘味処の前で待ち合わせても良かったが、「忍べ」という皮肉の効いた突出看板は内照式のおかげで日が沈んだ時間でも見つけやすい。

 いつしか木ノ葉の大通りで待ち合わせする時はここを選ぶようになっていた。

 

 テンゾウと並んで歩く。

 

「前回食べに行ってからもうすぐ一年なんですね」

「そうだな……」

 

 テンゾウは普段甘味など食べないオレの方から誘ってきた理由を悟っているようだ。

 うちは一族虐殺事件からそれなりに時間が流れ、オレはあの日のことを強く思い出すたびにこうしてテンゾウと一緒に“彼”が好んでいた場所に足を運ぶようになっていた。

 

 うちはスバルは見かけによらず甘いものに目がない。

 

 同じく全くそうは見えない彼の弟も甘味が好物なようで、二人の甘味巡りに付き合わせた結果、一番下の弟が甘味嫌いになってしまったのだとどこかしょんぼりとした雰囲気で話していたことがある。

 

 こっそり思い出し笑いをしたつもりだったのに、マスク越しでもバレてしまった。

 テンゾウは「ボクもですよ」と困ったように眉を下げる。

 

「スバルはアレですよ、アレ。孫が一度好きだって言ったものをしつこく与えてくるお婆ちゃんタイプ」

「ブフッ」

「今度はハッキリと笑いましたね」

 

 そう言うテンゾウの目もニヤついていた。確かに、一番下の弟であるサスケは昔は甘味がそれなりに好きだったらしい。

 

「おっと……通り過ぎるところでした」

 

 見慣れた看板が目に入って、二人同時に方向転換した。

 だんごやの暖簾をくぐる。

 

「カカシ先輩とここに来るのは久しぶりですね」

 

 テンゾウの言葉に同意して混雑している店内の奥に進む。なんとか二人分のスペースを見つけて一息つく。

 隣に座っていたフードを深く被った男性が壁に寄ってくれたので軽く会釈した。

 

「ご注文はどうなさいますか?」

「ボクは三色団子を。先輩は?」

「……三色団子を一つ」

 

 笑顔で注文を受けていた店員が裏に下がったのを見計らって、向かい側に座っていたテンゾウがこちらに乗り出してくる。

 

「珍しいですね。カカシ先輩が団子なんて」

 

 オレは特別甘いものが好きというわけじゃない。好きでもないけど嫌いでもない。その程度だ。

 だからいつも磯部焼き餅か、どうしてわざわざここでという食事メニューを選びがちだった。

 

 たまにはアイツが好きだったものを食べるのもいいかもしれない。

 

 なんとなくそう思っただけなのに。ニヤニヤと笑っているテンゾウに居心地が悪くなった。

 

 スバル絡みのネタになるとオレとテンゾウの間にあった先輩後輩のそれらしい距離感は一気にゼロになる。でも不快じゃない。

 こうやって穏やかに過去の話を持ち出せるようになったのはむしろ喜ばしいことだった。

 

「スバルってここに来たらいつも三色団子とおしるこしか…………」

 

 やけに溜めが長いなと思って顔を上げる。

 テンゾウはオレの隣――フードを被った男性をじっと見つめていた。しかし、すぐに視線を逸らしてオレの方を向く。

 

「注文しませんでしたよね」

「そうだな」

 

 一体何だったのか。テンゾウが意味もなくそんな行動をとるとは思えなくて、オレもさりげなく隣の男性を観察する。

 男性の前には串だけが残っている皿とおしるこの入ったお椀が並んでいた。

 ああ、ちょうどその話をしていたところだったからつい視線が向いてしまったのかと納得する。

 

 それからはぽつりぽつりと墓参りの話をしたり、まったく関係のない話をしたり。

 混んでいるせいか注文した団子が来るのは少し遅くなりそうだった。

 話題は再びスバルに関することに戻っていた。

 

「アイツは認めなかったが、甘味への執念はなかなかのものだった」

「そうですね」

 

 スバルが自分のせいでサスケを甘味嫌いにしてしまったかもしれないと告白した日。

 オレとテンゾウはそれはもう大笑いした。腹を抱えてひぃひぃ苦しんだくらいである。

 スバルは臍を曲げたのか〔……過去の話です。俺はもうそれほど甘味処にも行かなくなりましたから〕なんて言っていた。

 それは厳しいだろ、今でもこっそり一人で甘味処に行ってることがあるのに? とオレとテンゾウは思ったが、本人には言わなかった。

 釣った魚は泳がせておいた方が楽しいことを知っていたからだ。

 

「オレ達や弟達によほど知られたくなかったのか、わざわざうちはの家紋が入ってない服に着替えて、」

 

 そこまで口にして、オレはふと隣の男性の姿を思い出した。

 

「……フードまで被ってここに来てたよな」

「……ええ」

 

 オレとテンゾウの視線を一身に受けたフードの男性がびくりと震える。

 

 三色団子とおしるこを注文し、深々とフードを被っている男性。どう考えても不審者だ。

 脳裏に全身タイツの個性的な友人が浮かぶ。奇抜な格好を好むタイプという線もあるが、オレ達には妙な確信があった。

 

 確信はあったが、どう考えても冷静じゃなかった。

 思わず声をかけたフードの男性が気まずそうに暖簾の向こうに消えていく。

 追いかけようとしたところ、店員が持ってきてくれた団子に後ろ髪を引かれてやっと――自分たちがあり得ない可能性に縋っていたことに気づいた。

 

「……カカシ先輩」

「…………」

 

 うちはスバルは死んだ。愛する弟の手にかかって。

 

 気遣わしげに呼びかけてくるテンゾウに首を振る。

 

 お通夜みたいな雰囲気の中で食べた三色団子は、ほとんど味がしなかった。

 

 

 

 あれから少し時は流れ、オレは部下を連れて波の国にやってきていた。要人を護衛する為である。

 それだけであれば良かったのに、非常に困ったことにこの任務には裏があった。

 

「それがさ、それがさ! オレとサスケがサクラちゃんを迎えに行こうとしたら……」

 

 布団を被りながら真剣な表情で聞いていたオレに、ナルトは途端に気の抜けた様子で「なんか……調子狂うってばよ」と言った。

 そんなナルトの頭に拳骨が落ちる。サクラのものだ。

 

「アンタねぇ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? サスケくんが……サスケくんが正体不明の女に襲われたんだから!!」

「サクラ……」

 

 サスケが恥ずかしそうに頬を染めて「声が大きい」と呟いた。

 

「まさかサスケがやられるとはね……心当たりは?」

「…………ない」

「私もよ。タズナさんもここでは見かけたことがない顔だって」

 

 波の国は閉鎖的な小さな島国だ。その上、サスケの意識を簡単に奪えるほどの実力者。サスケの言うように波の国には忍の隠れ里はない。

 

「ガトーが雇ったくノ一だったら迷わず私たちを殺しにきたわよね? たまたま他里の忍が観光にでも来てたってことかしら」

「タズナさん達には悪いが、波の国ほど貧しい国にわざわざ他里の忍が観光や監視目的で訪れるとは考えにくい。仮にそうだとしても、観光目的であればサクラから逃げる必要もサスケを昏倒させる必要もない。後者であれば任務に支障をきたすと判断して迷わずサクラ達を殺しただろう」

 

 どうにも腑に落ちない。まるで彼らに存在を悟られたくなかったかのようだ。

 

「それって考えすぎじゃない?」

「こういう時は考えすぎなくらいが丁度いいんだよ」

 

 以前の再不斬との戦いの後遺症でほぼ寝たきりだった身体を起こす。

 なんとか松葉杖無しでも歩けそうなくらいには回復してそうだ。

 

「これから情報を集めてくる」

「オレもオレも! サスケを襲った姉ちゃん探すってばよ!」

「その言い方はやめろ、このウスラトンカチが!」

「いったぁ!?]

 

 相変わらず仲が良いのか悪いのか。サスケの拳をきっかけに掴み合いの喧嘩を始めた二人を「まあまあ」と宥める。

 ジト目になったサクラに「カカシ先生ったら、止めるのもメンドーなんでしょ」と指摘されドキッとした。彼女は意外と鋭い。

 

「サクラは引き続きタズナさんの護衛、ナルトとサスケはちゃんと修行の続きをすること! 情報収集はオレ一人でジューブン。いいな?」

 

 不満げな「はぁ〜い」にため息をこぼす。大丈夫だろうか。まあ大丈夫じゃなくても信じるしかない。

 オレはすぐに支度を済ませて、少しふらつく体をもどかしく思いながらタズナさんの家を後にした。

 

 

 

「嘘じゃないぞ、オレは確かに怪しい女を見たんだ!」

 

 “酒”の文字が刻まれた提灯がゆらゆらと揺れている。

 波の国では珍しい居酒屋の前を通り過ぎようとすると、少し舌足らずな声が聞こえてきた。

 

「その話詳しく聞かせてくれないか」

「誰だ……? 同志か……?」

 

 その男はカウンター席で店主に対して絡み酒の真っ最中だったらしい。明らかに「助かった」という顔をする店主。

 男の隣に腰かける。男の顔は真っ赤で、完全に出来上がっているようだった。

 

「そうさ、オレはなぁ、見たんだ! この目で、はっきりと! 今まで見たことのない素晴らしい形をした尻を!」

「…………」

 

 色々と間違ったかもしれない。オレは注文を取りにきた店員に「やっぱりいいです」と言おうとした。

 

「でもなぁ、最初に会った時そいつは男だったのに、次見た時には女の姿に変わってたんだ……」

 

 オレは店員に「ぼんじり一本」とだけ答えた。

 

「どういう意味だ。その女は実は男だったということか?」

「分からねェ……だがな、これだけは言っておく。オレは一度目にした尻の形は絶対に忘れない」

「…………」

 

 やっぱり間違えたかなと思い始めた頃、男がビールを呷りながら「もう一度見たい……あの尻を……」と泣いた。そう、泣き始めた。

 あまりにも悲痛な表情だけを見ればつい同情してしまいそうなくらいだったが、その発言が全てを台無しにしている。

 

「オレを異常性癖持ちの変態野郎だと思ってるんだろう?」

「あー……つまり、同じ尻をした男女を別々で見かけたってことなのか? たまたま同じ尻の形をした人間がいたというわけではなく?」

「お前は何も知らないんだな。この世に同じ尻など存在しない」

「…………]

 

 マスクの裏でひくりと頬を引き攣らせる。こいつは本物だ……。

 プロとしての根性で笑みだけは崩さなかった。

 

「あれは間違いなく同一人物だった。それに、この国の誰もが禁句扱いしているガトーのことを嗅ぎ回って……」

「ガトーのことを?」

「そうだ。何度も性別や容姿、時には日を変えて街に出てきてはガトーと関わりのある人物などを調べている様子だった」

 

 この男の言っていることが真実ならば、その女(もしくは男)はガトー側の人間ではないということになる。

 

「……ありがとう。助かったよ」

 

 いつの間にか店員が置いてくれていたぼんじりを一気に食べる。最後に水を喉に流し込んで立ち上がった。

 そんなオレを見上げる男がいくらか酔いのさめてきた顔で呟く。

 

「アンタの尻もなかなかいい感じだよ」

「…………」

 

 次に変化の術を使う時はちゃんと尻の形まで変えようと誓った。

 

 

 

 どうやらサクラ達が遭遇した女と例の尻フェチ男が見かけた女は同一人物らしい。

 

 例の男が女の姿の時に見かけた場所とサクラのいた八百屋で聞き込みをしたところ、顔つきと服装の特徴が一致した。

 本来の性別は不明なものの、ここにきて妙に信頼度が高まった例の男が「あれは男の尻だ」と断言していたことを考えると、男だろう。間違いなく。

 火影様に「尻の形を判別できる男を木ノ葉の特別部隊に配属してみませんか」と提案したいくらいだ。

 素の体格が良すぎたり痩せすぎ、太りすぎな場合を除いて尻の形まで変えている忍はほとんどいない。彼の特殊性癖は大活躍するだろう。

 

 その後の地道な情報収集によって、オレは漸く目的の男をみつけることに成功した。体も寝込む前の状態まで回復している。

 今なら相手に気配を悟られることなく後を追うことができるはずだ。

 

 男はこれまで挙がっていたどの容姿でもなかったが、足音もなく歩く姿からしてすぐに同業者だと分かる。

 これが木ノ葉であれば足音を消している忍などごまんといるから気にならなかっただろう。

 

 男は用事を済ませた後だったのか、街を出て近くの森に姿を消すところだった。恐らくあそこに拠点がある。

 オレは澄んだ青色が広がる空を見上げる。

 

「……夜まで待つしかないか」

 

 明るいうちに森に入るのはリスクが高い。日が落ちた頃にまた出直すことにした。

 

 

 

 今夜は満月か、それに近い。闇に紛れて森の中に侵入したオレはあっさりとその男を見つけた。

 男は木の上でクナイや手裏剣の手入れをしていて、その顔は見覚えのあるお面で覆い隠されている。

 

「やっぱりお前か」

 

 男が手に持っていたクナイが音を立てて木の真下に落ちる。

 それを拾い上げるオレの動きを注視していた男……ダンゾウ様の側近の一人からは意外にも警戒心は感じられない。ただただ驚いているようだった。

 

 やっぱり。自分で口にしても妙な気分だ。オレはこの男のことを何も知らない。

 彼が身につけている懐かしいお面がそうさせるのか、それとも彼の纏う雰囲気がそうさせるのか。

 

 根の人間でありながらオレを警戒しない男は、戸惑うくらいかつての“彼”にそっくりだった。

 

「お前なら説明しなくてもこの状況を理解しているはずだ。木ノ葉の忍として手を貸してくれ」

『以前会った時に随分と歓迎してくれたお前に、どうして俺が手を貸さなければならない? それに、お前は根を嫌っているだろ』

 

 一度共通点を見つけてしまうと、こうも心を通わせなければ気が済まなくなってしまうのだろうか。

 

 月明かりの下。あの日も()()()()は敵同士だった。

 

 そこにはなんの意図も打算もない。まるで目の前に友人が戻ってきたような感覚に陥りながら口にする。

 

「根に所属する人間全てを嫌っていては、かつて根にいた友人たちのことも嫌わなければならなくなる」

 

 お面の内側で男の目が見開かれ、その瞳の中に僅かな赤色が滲んでいるのを見た。

 



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第三十三話 切れた糸

 それは、根から火影直属の暗部に転属にされた時の居心地の悪さに似ていたかもしれない。

 

「カカシセンセー、その人誰だってばよ?」

『…………』

 

 不思議そうな顔をして首を傾げるナルト。

 以前ナルトとサスケに会った時の俺は影分身の方だったし、お面も白猫ではなく、鳥面だった。

 彼らにとって俺は初対面の人間だ。ただでさえ緊迫している状況下、突然カカシが見知らぬ男(しかもお面付き)を連れてくるなんて怪しさ満点だろう。

 

 ここはカカシに上手く紹介して貰うしかない。

 カカシはにこーっと目を細めて俺の肩に手のひらを置いた。

 

「コイツがサスケを襲った例の女の正体だ」

『!?』

「エーッ!?」

 

 自分の頬に手を当てた女の子、サクラが叫びながら立ち上がる。そして、ふるふると震える指をこちらに向けてきた。

 

「そ、その人、どう見ても男の人じゃない!」

「変化の術を使ってたんだよ」

「あっ、そっかぁ……じゃなくて! どうして女としてあの場所に……」

『…………』

 

 そうだった、カカシはこういうやつだった。お面の内側でぐぬぬと唇を噛む。

 さっきからサスケが「よくもこのオレにあのような屈辱を」と言わんばかりに睨んでくるのが辛すぎる。

 

「……その“男”をわざわざオレたちの前に連れてきた理由はなんだ?」

 

 男の部分をやけに強調するサスケ。

 

「それは本人に説明してもらった方がいいだろう。なあ、」

 

 ツミ、と続きそうだったカカシの言葉が途切れる。そもそも今の俺は雀鷹面ではなく白猫面だというのに。

 そういえば、カカシは白猫面を被っている時は頑なに「スバル」と呼んでたっけ。

 

 小さくため息をつく。

 

『……俺は木ノ葉の暗部。今回は利害が一致したから、あなたたちと行動を共にする。それだけです』

 

 それでも警戒心の消えない三人の少年少女たちに肩をすくめた。

 どうせガトーを討つまでの短い共闘だ。信用される必要もない。

 

『俺のことはクロネコと呼んでください』

 

 

 

 カカシの提案をのむことにした俺は、彼らの班が滞在している波の国の依頼人の家にお世話になっていた。

 そろそろ日付が変わるような遅い時間帯だというのに、依頼人の娘さんは「まあ、ずっと森で生活を? 大変だったでしょう」と優しく気遣ってくれた。

 

「夕飯はもうお済みですか? 残り物ですが、ご用意できますよ」

『…………』

 

 エプロンをつけて台所に立つ姿が母さんと重なる。髪色だけでなく背格好まで似ているなんて。

 

「先生?」

『……いえ、俺は先生では』

「そうでしたか。それなら……クロさんとお呼びしても?」

『構いません』

 

 依頼人であるタズナさんの一人娘であるツナミさんは、俺の返事を聞く前に鍋を温め直し、テーブルの上にいくつかの料理を並べてくれた。

 国自体が貧しく店頭にすら食材があまり並ばない波の国で、これだけの食事を用意するのがどれだけ大変なことか。

 

「どうぞ。おかわりもありますから」

『……ありがとうございます』

 

 正直……手も合わせずに食らいつきたいくらいだった。ここ最近の俺の食事は兵糧丸、兵糧丸、兵糧丸、キュウリ(塩付き)だ。

 こんなにまともな、しかも美味しそうな食事はいつぶりだろう?

 それでも最低限の礼儀は示すべきだ。俺はきっちりと両手を合わせて『いただきます』と呟く。

 

「…………」

『…………』

 

 あとは箸を持って煮物や米を口に運ぶだけ、だったのに。

 

 テーブルの向かい側には、とっくにサスケやサクラと客間に籠ったはずのナルトが座っていた。

 テーブルに肘をのせて、じいっとこちらを見ている。

 

『…………』

 

 気になる。めちゃくちゃ気になる。気になるが、まともな食事に飢えていた俺は被っていたお面を僅かに上にずらして、箸で掴んだ煮物を食べた。……美味しい!

 

「あー!!」

『!?』

 

 ナルトが急に叫ぶ。

 驚いて次に食べようとしていたニンジンを皿の上に落としてしまった。

 

「ちぇっ、猫の兄ちゃんもカカシ先生タイプかぁ。顔が見られると思ったのに」

『…………』

 

 ここに来てからずっとお面をつけている間も変化の術を使ってるから、仮にお面を完全に外しても俺の素顔がバレることはない。

 

「カカシ先生ってば、あのマスク絶対外さねェの。マスクの下にどデカい頑固なニキビができててー、恥ずかしくてずっと隠してるに違いないってばよ!」

『…………』

「あっ、いま口元がちょっと動いた! 笑った?」

 

 お面を上にずらしていたせいで、俺の口元の動きははっきりとナルトに見られていたらしい。不覚。

 その流れだとお面で顔を隠してる暗部の連中、全員顔に問題抱えてることになるだろ。

 ナルトは昔からこうやって他人を笑わせる天才だったなあ。

 

「あのさ、あのさ! 暗部ってどんなところ? オレでもなれる?」

『…………』

 

 それは、初めて会った日と同じ質問。あの時の俺は「なれる」と思って頷くだけだった。

 無事にアカデミーを卒業し、多重影分身の術まで習得したナルトは、すでに素質があるかもしれない。

 

 俺はあの日と同じように頷いたが、真逆のことを口にした。

 

『でも、君には向かないと思います』

「なんで!? オレってばこう見えて難しい忍術を……」

『暗部は太陽のような眩しさを持つ人には、ただ苦しいだけの場所だから』

 

 ナルトもガイさんも、暗部の考え方が合うような人じゃない。

 彼らのように真っ直ぐで純粋な人たちは、目的のためならいくら手を汚しても構わない暗部の生き方は納得できるものじゃないだろう。

 かつてのダンゾウの言葉を借りるなら、闇がなさすぎるせいだ。

 

「たっ、太陽?」

 

 褒め言葉をストレートに受け取ったナルトが照れていた。本題はそこではないが、事実なので否定はしない。

 

 会話の合間に続けていた食事が終わる。俺は『ごちそうさまでした』ともう一度手を合わせた。

 使ったお皿を洗って、食事したテーブルを台拭きで拭く。ツナミさんはすでに寝る支度をしているようだった。

 何か手伝うことはあるだろうかと思案していた俺の腰に、こつんと何かが当たる。

 

『ナルト?』

 

 ふにゃりと今にも溶けそうなナルトの身体を受け止める。……気持ちよさそうに眠っていた。立ったまま寝るなんて、よほど疲れてたんだろう。

 

『…………』

 

 そっとナルトを抱き上げる。半分無意識なのか、首に回ってきた小さな腕が温かい。あまりにも懐かしく、もう二度と得られないと思っていた温もり。

 

「随分と慣れているんだな」

『……そういうわけでは』

 

 ナルトを客間に運ぼうと思っていたら、客間の前に立っていたカカシが意味深な視線を寄越していた。

 

「お前、もしかして――」

「ちょっと! 部屋の前で何を……って、ナルト? 寝てるの?」

 

 カカシの言葉は客間の障子をスパーンッと勢いよく開いたサクラに遮られる。部屋の奥にはサスケもいて、道具の手入れをしていたようだった。

 

『寝てしまったので、預けてもいいですか』

「え、ええ……」

 

 サクラには男の子であるナルトを支えられないだろう。俺とサクラの視線を受けたサスケがため息と共に立ち上がる。

 俺の前に立ったサスケが両手を出す。抱いていたナルトを差し出そうとしたが――思ったよりも強い力でしがみつかれていて離れない。

 

「ったく、ナルト! てめェ、呑気に寝てる場合じゃ……」

「んん……スバ……ル……にい、ちゃ」

「…………」

『…………』

 

 サスケがぴしりと固まった。俺も同じように一瞬思考が停止したが、俺の首に回っているナルトの腕をゆっくりと外して、その場に膝をつく。

 

『……布団。用意してもらっても?』

「はっ、はい!」

 

 素早く反応してくれたサクラが押し入れから布団を出す。サスケはナルトから顔を逸らして俯いていた。

 

 サクラが敷いてくれた布団にナルトを寝かせる。……本当に、幸せそうな寝顔だった。

 

 

 

 深夜。ツナミさんに勧められた部屋を辞退した俺は、家の前にある立派な木の上から見張りを続けていた。

 ガトー達による襲撃は夜が明けてからのはずだが、俺の掴んだ情報が必ずしも正しいとは限らない。偽の情報を掴まされた可能性もあれば、ガトー側の事情で計画が変更になることだってある。

 一瞬でも気を抜くことは出来なかった。

 

「仕事熱心なことで」

 

 じっと目を閉じて闇の中に身を置いていたら、真下から声が聞こえてくる――カカシだ。

 

「お前の話では、襲撃は朝なんだろ。今は身体を休めて万全の状態で臨むべきなんじゃないか?」

『貴方はそうすればいい。俺はここにいる方が落ち着くので』

「……わざとじゃないよな?」

『?』

 

 カカシはどこか気まずそうな顔をしている。何なんだと思っていたら、カカシがあっという間に俺のいるところまでのぼってきた。

 しっかりとした大木とはいえ、大人二人が並ぶとミチッとしていて……狭い。わざわざこんな窮屈なところに来なくても。

 

「お前を見ていると懐かしくなる」

『…………』

「まだ根にいた頃のうちはスバルを思い出すんだ」

『…………』

 

 まあ本人なのでとは言えないし、なんで“根にいた頃”の俺限定なのかもよく分からない。カカシの中で根の俺とそれ以降の俺は別人扱いってこと?

 

『お面のせいじゃないですか?』

「……それもあるだろうな」

 

 それ“も”って。やけに意味深だ。

 

「そのわざとらしい敬語は、オレたちが一時的とはいえ協力関係にあるせいか?」

『……わざとらしい』

 

 別に嫌味だとか他に何か含みがあるわけじゃない。カカシの言うように、協力関係にあるならあまり失礼な言葉遣いは良くないと思っただけだ。

 モズ曰く俺の普通は世間一般の普通とは違うそうなので、俺が普通だと考えている態度はカカシの考えるソレとはかけ離れているのかもしれない。

 

「本当に一人でガトーのところに?」

『はい』

「オレたちと一緒にタズナさんの護衛をして、奴らが来るのを待った方がいいんじゃないか」

『俺の任務は波の国の要人の護衛ではなく、木ノ葉の脅威となり得る人物の暗殺ですから』

 

 ダンゾウには調査までしか頼まれてないけど。こんな勝手なことして、今回こそはお叱りを受けるかもしれないな。

 

 ぎゅっと拳を握る。暗部としての悪い癖だ。俺たちはいつだって最悪の事態を想定して動かなくちゃいけない。

 

『…………ガトーのところに敵が全員揃っていたとしたら、俺は必ず取りこぼすと思います』

 

 とくに、一番ネックな再不斬と例の少年の動きが読めない。ガトーの部下である侍たちも「奴らは単独行動が多すぎる」と愚痴をこぼしていたくらいだ。大人しくガトーの元にいるとは考えにくいが……。

 

 ひらりひらりと落ちてきた葉が俺の手のひらに収まる。

 

『俺はガトーだけは必ず殺します。もしも再不斬たちがそちらに向かったなら――』

 

 ガトーたちよりも先に奇襲をかければ不意をつけるはずだ。

 再不斬という不意打ちが通用しなさそうな相手はいるものの、ガトーくらいなら何とかなる、と思いたい。

 

『あとはお願いします』

 

 風が吹く。俺の手のひらにあった葉は小さく舞い上がって、カカシの肩に落ちる。

 それをつまみ上げたカカシは、感情の読めない顔をして「分かった」とだけ口にした。

 

 

 

 忍はどのような不測の事態にも備えるべし。

 まったくその通りだと思うし、どのような任務においても大切にしていることだ。しかし、俺は動揺を隠しきれなかった。

 

『……嘘だろ』

 

 日が昇る少し前にガトーの拠点に降り立った俺は、天井に空いた大きな穴の真下で絶望していた。

 そんな俺が対峙しているのは、本命のガトー。そして見渡す限りの――雑魚。再不斬どころか、あの侍たちすらいない。

 

「お前、何者だ!?」

 

 それはこちらのセリフだ。なんで拠点に雑魚しかいないんだよ。

 

「フン、そのお面……木ノ葉の暗部か」

 

 この状況において狼狽えるどころか余裕たっぷりなのは流石と言うべきか。

 ガトーはニヤリと笑みを浮かべる。

 

「鬼兄弟を()った奴らの仲間だろう。まんまと私の手のひらの上で踊ってくれたものだ」

 

 ザッと俺の周囲を武器を持った男たちが取り囲む。

 

『……俺は嘘の情報を掴まされたということか』

「クク……そうじゃない。どちらでも良かっただけだ。絶対に隠さなければならない情報以外が漏れようと、漏れなかろうと、私にはどうでも良かったのさァ」

 

 背中から忍刀を引き抜く。ガトーの笑みは消えない。……不愉快だ。

 

「再不斬達はタズナとかいう目障りな橋職人の元へ、侍たちは橋職人の家に向かってる頃合いだろう。お前たちが少数で動いていることは知ってたからなァ? 事前に私の企みを知ったとしても、全てを止めることは出来ない」

『…………』

「普通はタズナの護衛を優先して橋の建設を進めるだろう? 仮にそこに向かった再不斬がやられたとしても……タズナが家に戻る頃には侍たちがタズナの愛する娘と孫を殺してるってわけだ」

『……クソ野郎が』

 

 俺にクソ野郎と呼ばれたガトーは嬉しそうだった。喜ぶな。

 

 もし今日の橋での作業を無事に終えたとして、家に戻ったタズナさんが変わり果てた家族の姿を目にしてしまったら?

 タズナさんを殺せないのなら橋を作る意欲ごと潰してやろうという魂胆なんだろう。それは恐らく効果的だ。

 

 ゆっくりと閉じていた瞳を開く。赤に染まった視界の中で、俺は右手に握った刀を軽く振った。

 

「ぎゃああああ!!」

 

 視界の端がさらなる赤に染まる。数は多いが、やはり俺の敵ではない。

 俺に斬られた斧を持った男が叫ぶ。俺を取り囲んでいた連中があっという間に一歩下がったおかげで、随分と広々と戦えるようになった。

 

「何をしてる、たった一人だ! さっさと殺せェッ!」

『お前は一つ勘違いしている』

「なんだと!?」

 

 スパンッと俺にとっては気持ちいい音が響いた。

 ぐらりと傾くのは――ガトー含むこの場にいた過半数の上半身。

 

「そんな……まさ……」

『俺を足止めしたいなら、せめて忍を連れてくるんだったな』

 

 真っ二つに斬られたガトーの身体が吹き出した血液と共に床に崩れ落ちる。

 この場に残ったのは、たまたま俺の間合いにいなかったごく少数だけ。

 

「無駄だ……! 橋の近くには他にも待機している仲間が……」

 

 親切に教えてくれた男ににっこりと笑みを向ける。お面のせいで見えてないだろうし、どうせ俺の表情筋は動いてないだろうけど。

 

『そうか。そいつらも殺すことにしよう』

「ヒィッ!!」

 

 血の海と化した拠点。俺はガトーの首を持つとすぐに走り出した。

 

 

 

『……これは』

 

 急いで戻ってきたタズナさんの家の前には、これでもかというくらい縄で縛られた例の侍二人が転がっていた。

 気絶しているようだが、これなら目が覚めても動けなさそうだし大丈夫だろう。

 

 問題は、誰がこいつらを――

 

「お面のお兄ちゃん……?」

「クロさん!!」

 

 恐る恐るといった様子で家から出てきたのは、ツナミさんと彼女の子どもであるイナリだ。

 まさか、二人が侍たちを撃退したのか?

 

「早く橋に行って! ナルトの兄ちゃんたちを助けてあげてよ!」

「イナリ!」

『……彼らは、誰が?』

「ナルトの兄ちゃんが助けてくれたんだ……! それで、橋も危ないって……」

 

 イナリの両目にじわりと滲んでくる涙。ガトーの言葉が正しければ、あそこには再不斬がいる。そして、近くに潜んでいるという新手も。

 

「だから……!!」

 

 必死に続けようとするイナリの頭に手を置く。イナリはきょとんと瞬いて、緩慢に顔を上げる。

 

『すぐに向かう。お前はお母さんを守れ』

「…………うん!」

「クロさん、お気をつけて……」

 

 ツナミさんが、ぎゅうっと大切そうにイナリを抱きしめながら言う。それに大きく頷いて、俺は橋へと急いだ。

 

 

 

 タズナさんの家から橋まではそう遠くない。しかし、ガトーの拠点からタズナさんの家、そして橋へとやってきた俺は、完全に出遅れていた。

 

 ――そう、手遅れだった。

 

 一歩踏み出した足が水溜まりを踏む。

 溶け出した氷が辺りに散らばっている。それが何かを理解する前に、俺はその場に片膝をつく。

 

『…………』

 

 そっと伸ばした手のひらが触れたのは……どこまでも冷たい――

 

 ――俺、今何してたんだっけ?

 

 そうそう、ガトーを殺してその首を持って橋に……あれ、持ってきてたはずのガトーの首どこにやった?

 

「うっ……ううっ……」

 

 すぐ近くで誰かが泣いている。先ほど俺が触れたものに縋り付いて、ひどく悲しんでいるようだ。

 

 ――ここで何があったんだっけ?

 

 何だったかな。分かってるはずなのに、分からないような気がする。これは以前にも感じたことがあった。

 そうだ、両親を……。

 

 俺を取り巻く全ての音が消える。

 

『サスケ』

 

 ――ぷつんっと、何かが切れるような音がした。

 



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第三十四話 憎悪の果て

 夜が明ける前にガトーの元へと消えていったクロネコを見送り、オレも数時間ほど仮眠をとって朝を迎えた。

 

 昨夜、クロネコに寄りかかって寝落ちしたナルトは案の定起きなかった。

 サクラは「会ったばかりで、しかもお面で素顔も見えない人によく身体を預けられるわね!」とぷりぷり怒っている。先ほどもナルトに拳を振りかぶって強制的に起こそうとしてサスケに止められていた。

 

「ナルト、暫くは起きないと思うので置いていきます。もしガトーの手の者がここに来ることがあれば、容赦なく叩き起こしてください」

「じゃ! 超行ってくる」

「皆さんお気をつけて」

 

 ナルトは今でも何をしでかすか分からないドタバタ忍者だが、昔とは違う。起きればすぐにオレたちの後を追いかけてくるだろうし、もしもそれまでにツナミさん達に何かがあれば対処してくれる。

 それは、短い間ながらに出来上がっていた“信頼”だった。

 

「それにしてもバカナルトとはいえ、どうしたのかしら」

 

 橋に向かう途中、何かとサスケに話しかけては撃沈していたサクラがぽつりと呟いた。

 

「何がだ?」

「だって先生! いくらナルトでもあんな怪しい人の前で無防備すぎるわよ。変だと思わない?」

 

 サクラはサスケのことしか見ていないようで、ナルトのこともよく見ている。ナルトとサスケが喧嘩するたび、真っ先に止めに入るのも彼女だ。

 

「……そうだな」

 

 脳裏に浮かぶのは、うちは一族虐殺事件があって木ノ葉病院にサスケが運ばれた後のこと。

 サスケ以外誰もいないはずの病室に佇んだ影。シルエットしか分からなかったが、頭の位置にあるお面と思われる形だけはハッキリと見えた。

 

「再不斬のいた霧隠れが血霧(ちぎ)りの里と呼ばれていて、卒業試験で生徒同士が殺し合った話を覚えてるか?」

「ええ」

「木ノ葉にもあったんだよ。いや、まだあるかもしれない」

「……何だと?」

 

 ずっと心ここにあらずといった様子だったサスケが反応する。

 

「お前達もそのうち分かるだろう。クロネコの所属する暗部は少し……特殊なんだ」

「それは、根という組織のことか」

「……やはり知っていたか。サスケ」

 

 根はすでに解体された。しかし、以前のダンゾウの振る舞いからみても健在なのは明らかだった。

 今の彼らが根だろうが、別の名前を使っていようが、恐らくその体質は何も変わっていない。

 

「記憶は朧げだけどな。……スバル兄さんと両親がどこかの部屋に篭って話をしている時、何度かその組織の名前が出てきたことがある」

 

 過去を思い出すサスケの目には、決まって苦しみや憎しみといった負の感情が滲む。

 

「根は……兄弟のように育った二人に最終試験として殺し合いをさせる。クロネコもそうだろう」

「じゃあ……あの人がやけにナルトの扱いに慣れてたのって」

「アイツにもいたはずだ。兄か弟のように慕った誰かが」

 

 表情をさらに暗くさせたサスケの為に続ける。

 

「スバルのことは分からない。でもオレは、アイツはその試験を受けていないと思ってる。……スバルは途中から根に所属することになった“異例”だからな」

 

 根は養成機関なだけあって、基本は物心つく前の少年少女を対象としていたはず。キノエ……テンゾウなら知っているだろうが、テンゾウは根の機密事項を話せない。

 

 ――クロネコは、自分が殺した兄弟のように育った誰かと、サスケやナルトを重ねているのだろうか?

 

 かつてのスバルとはまったく異なる冷たいチャクラ。纏う雰囲気すらも違う。

 それなのに、昨夜ナルトを抱き上げた手つきはどこまでも優しく、向ける瞳ですら温もりを帯びていた。

 

 もしかしたらクロネコはスバルと面識があったのかもしれない。

 ただお面を受け継いだという理由だけで病室に忍び込んだりするだろうか。

 前任者の残した存在が気になっただけ? あんなにも――この場から離れがたいという雰囲気を出しておきながら?

 

「超着いたぞ! 今日も作業を……」

 

 前を歩いていたタズナさんが立ち止まる。

 そこには。全身を鋭利なもので斬りつけられたタズナさんの同僚たちがいた。

 

 

 

 橋に潜んでいたのは、悪鬼。お面を被った少年も一緒だ。

 サスケと、途中で合流したナルトはお面の少年、(ハク)と。サクラはタズナさんと共に気絶している職人達を安全な場所まで移動させ、オレは再不斬と対峙していた。

 

 どんどん霧が濃くなり、視界が悪くなる。

 

 みんな無事だろうか? 今すぐにでもサスケ達の元へ駆けつけたいのに。

 

 焦りを隠しきれずに、霧に紛れて攻撃を仕掛けてくる再不斬の相手をする。

 

「お前の相手はオレだろ、カカシ!」

 

 後ろから飛んできた手裏剣をかわす。やっと再不斬の姿が見えたと思ったら、彼は再び霧と一体になり消えてしまう。

 写輪眼になっていても攻撃を回避するので精一杯だ。これでは……。

 

 濃霧の中で、オレはその場に似つかわしくない音を聞いた。

 

「……なんだ?」

 

 どくん、どくん、という鼓動。

 それは空耳か、現実か……やはり、現実。

 

「まさか、封印が解けたのか!?」

 

 徐々に霧が晴れていく。限界まで神経を研ぎ澄ませたオレは、覚えのある禍々しいチャクラの存在に目を見開いた。

 

 

 

 ――サスケが死んだ。

 

 サスケの死を受け入れられなかったナルトが九尾の力を暴走させ、敵味方の区別も出来ずに暴れ回っていた。

 

「ぐっ……!!」

 

 九尾(ナルト)がしならせた尾に弾かれた白が背中を強く打ち付けて気絶する。

 ナルトはギリギリ残っている理性で抗っているのか、すぐ隣でサスケに縋り付いているサクラのことは眼中にもなさそうだった。

 

 ――本当にサスケは死んだのか? アイツの残したものを、オレは守れなかったのか?

 

「ナルトッ! 怒りや憎しみに囚われるな! これ以上九尾に……」

「ヴオオオオオオ…………」

「くそっ!!」

 

 顔だけを後方に向けて叫んでも、ナルトにはまったく響かない。すぐに駆け寄ってナルトごと抑えるべきだ。

 多少手荒なことをしてでもナルトを気絶させ、暴走を止めなければ……。

 

「あちらは騒がしいな」

「……再不斬!!」

 

 状況は最悪だ。お面の少年、白は気絶しているものの、再不斬が戦いを止める気配はない。それどころか楽しげに口端を持ち上げた。

 

「やっと楽しくなってきたじゃねェか」

「待て、再不斬! アレを放置すればお前もタダでは……」

「そんなこと知るか……オレは己の理想のために、ただ目の前のお前をぶっ殺すだけだ」

 

 サクラは……ダメだ、サスケ以外見えていない。

 タズナさんは……良かった。離れたところに避難している。

 

 サスケと彼から離れようとしないサクラを背に、九尾が咆哮する。

 その目がぎょろりと動いて、気絶している白の姿を捉える。九尾が大きく腕を振りかぶった。白にトドメを刺すつもりだろう。

 あの距離ではサスケやサクラも攻撃の余波を受けてしまう。

 ダメだ、間に合わない……!

 

「やめるんだ、ナルトーッ!!」

 

 オレの声は、やはりナルトには――

 

 ――ざわりと気配が揺らいだ。

 

 オレ達の周囲に木ノ葉が舞う。

 

 完全に霧が晴れて、ひらりと舞い落ちる木ノ葉の隙間から、紅に光る()()()

 

「お前は……クロネコ!?」

 

 旋風と共に現れたのは、白猫面を被った青年だった。

 

 

 

 クロネコの登場により九尾の動きが鈍った。

 

 なぜだ?

 

 九尾を止めることなど出来ない。幸い、まだ尾は一本。有効な手段はナルトを気絶させることだけ。

 それなのに九尾はクロネコの姿を見た途端、まるで意識を乗っ取られたかのように大人しくなった。

 

『…………』

 

 ふっとクロネコが九尾から視線を逸らした直後、九尾の尾がふわりと揺れて……消えていく。それだけじゃない。九尾の力そのものが消えていた。

 

 九尾から人間の姿に戻り、意識を失ったナルトをクロネコが支える。彼はナルトを地面に横たわらせると、その場に片膝をついた。

 

 クロネコがそっと手を伸ばした先には――サスケ。

 首元に無数の千本が生えている彼は、遠目から見た限りでは、もう……。

 

『   』

 

 クロネコが何かを呟いたが、ここまでは聞こえてこなかった。

 あの再不斬ですら動きを止めてしまったこの空間では、サクラの啜り泣く声だけが響いている。

 

 どくん、とまたあの音がした。これはナルトのものだと思っていたが、まさか……。

 

 ぞわり。

 

 それは、どこまでも鋭利で純粋な――殺意。

 

 凪いだ海の中にたった一つ落とされた異物、異質、矛盾。

 

 ついさっきナルトに感じたものよりも重たく……氷のように冷たい。

 

 ゆっくりと立ち上がったクロネコの、すうっと伸びた指先が再不斬の姿を捉える。

 どこまでも静かな声が呪文のように浮かび上がった。

 

『――王よ』

 

 クロネコの背中からどぷんっと黒いオーラが姿を現した。

 それは彼を守るように全身を覆い隠し……いや、違う。

 

 クロネコが再不斬に向けていた手のひらにはいつの間にか剣が握られている。

 

 オーラは剥き出しになっていた骨のようなものを包み、クロネコはそれを()()()

 

 まるでどこかの王を思わせる風貌。九尾のように禍々しく恐ろしい気配は感じないが、ぴんと張り詰めた糸のような緊張感。

 

 クロネコが巨大な剣を一振りする。

 

 再不斬だけでなく、オレごと巻き込む強烈な一撃。素早くその場から飛び退く。再不斬も何とか躱したようだ。

 

「なっ!?」

 

 視界を遮る土煙が消えた先。建設途中だった橋の先端が真っ二つに割れていた。……たった一振りでここまで。

 

『うぐっ……』

 

 クロネコが口元を押さえて蹲ったと思ったら、ぼたぼたと地面にこぼれるのは――血。吐血だ。

 

「おい、もうやめろ! その術はお前の……!!」

 

 ――命を削ってるんじゃないか?

 

『…………もういい』

 

 クロネコがもう一度剣を構える。切先は、完全に再不斬に向いていた。

 

『何もかも――』

 

 その動きは、写輪眼になっていたオレの目ですら追えない。視界に映るのは、ただの残像。

 

『ぶっ壊してやる』

 

 クロネコが足を踏み込んだことだけは分かった。

 オレの真横を一陣の風が吹き抜ける。それは頬に真っ直ぐな切り傷をつけ、つうっと傷口から血が滲む。

 

 振り返った先。そこには――

 

「ざ……ぶ、さ」

 

 パキパキ……と黒いオーラが氷に覆われていくのが見えた。

 

「再不斬、さん……」

 

 クロネコの突き出した剣は再不斬ではなく、いつの間にか目を覚ましていた白の心臓を貫いていた。

 クロネコがその身に纏ったオーラごと氷で覆って動きを鈍らせ、その剣が再不斬に届く前に自身の身体を滑り込ませて……。

 

『…………氷』

 

 クロネコが呟く。

 

『お前が』

 

 ぐぐぐ、とさらなる力を込めようとしているのが分かった。

 

 これ以上はダメだ。

 

 術者の心臓が止まり、クロネコの動きを封じていた氷が一気に溶ける。

 それと同時にオレは走り出していた。止められるはずがない。それでも、止めなければならないと思った。

 

 クロネコの剣が再不斬の首を刎ねようとした――その時だった。

 

「…………サスケくんっ!?」

 

 止まった。

 

 クロネコの動きが、完全に停止する。

 

 カランッと音を立てて地面に落ちる剣。

 やがて彼はゆっくりと後ろを振り返って、その目はサクラに支えられながら上体を起こすサスケを見る。

 全身を覆っていた黒いオーラはすでに形をひそめていた。

 

「おい!!」

『ああ…………』

 

 ふらりと倒れそうになった身体を受け止める。ぼんやりとオレを見上げたクロネコが肩から力を抜いて言った。

 

『良かった』

 



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丁半編
第三十五話 翳りゆく里


〔あー…………〕

 

 俺は忙殺されていた。

 頭の上に降り立った小さな鳥が餌を催促するために何度も頭皮を嘴でつついてこようが、手に持っていた筆を奪って遥か彼方へと飛び去っていこうが、相手をしている暇もないくらい忙しい。

 このままでは仕事に殺されてしまう。まさにそんな状況だった。

 

 被っていた鳥面を外して膝の上に置く。ぐーっと大きな伸びをした。

 よし、集中。

 引き出しから新しい筆を取り出して机の端に積み上げられている紙の束から数枚取り出して正面に並べる。

 書かれている内容全てに目を通して、問題がなければ机の左側に移動させ、修正箇所があれば記入する。それを何度も繰り返した。

 

 さあて、結構進んだんじゃないかな。

 

「…………」

 

 紙の束の高さに大した変化はない。マジかよ。

 

 デスクワークの恐ろしさに震えていると、自室の障子の向こうから声をかけられた。

 

「入るぞ」

「…………」

 

 モズの声だ。お面を外しているから「帰ってください」とも「入るだけだぞ」とも言えない。

 俺の返事を待たずに……というより初めから俺の返事には期待していないモズが障子を開ける。

 まあそもそも「入っていいか」じゃなくて「入るぞ」だったもんな。

 

「…………影分身の方だな」

 

 モズはお面を被っていない俺を暫く凝視して、ぴたりと言い当てる。何で分かるんだろ。感動したのでパチパチと手を叩いたら「今すぐやめろ」と怒られた。

 

「“色”を見なくても表情で分かる」

「…………」

「言っておくが、俺はお前の言う“うちはの大ファン”でも何でもないから」

「…………」

 

 思考する暇すら与えられずに先回りで否定される人の気持ち考えたことある?

 このままでは好き放題言われるだけだなと思って雀鷹面を被る。チャクラも残り少ないから、あんまり良くないんだけど。

 

〔イロとの任務はもういいんですか?〕

「さっき終わって戻ってきたところだ。……それより、本体はどうした」

〔……えっと〕

 

 この口ぶり、俺の本体がまだ波の国にいることを知らないようだ。ということは、ダンゾウへの報告はイロに任せて、この人は真っ直ぐ俺のところに来たってことか。

 

〔そろそろ帰ってくると思います……多分〕

「そろそろって」

 

 言葉の途中でモズが後ろを振り返る。彼はそのまま軽く瞼を閉じて、眉を寄せた。

 

「……何故ここにあの人が」

 

 ――あのモズが動揺してる?

 

「見張りは何を」

〔侵入者ですか?〕

「分からない……」

 

 急いで部屋を出ていくモズの後ろ姿を追いかける。

 侵入者かどうかも分からないってどういうことだ。元々は仲間だった人? 根の解体で転属になった人とか?

 

 部屋数も多く、無駄に広いダンゾウの屋敷内を慌ただしく移動する。

 すれ違う部下たちが「モズ隊長どこへ……ツミ隊長!?」と驚きつつ道を開けてくれる。なんで俺の時だけそんなびっくりしてるの?

 

〔隊長、侵入者はどこに――〕

 

 ぼふっと被っていたお面が押し付けられて言葉が途切れる。前を歩いていたモズが急に立ち止まったせいだ。

 勢いよくモズの背中に突撃した俺は、ズレたお面を直しながらヒリヒリと痛む額に思いを馳せる。可哀想。

 

「…………あら」

 

 聞いたことのある声だった。

 

 ちょうど屋敷の入り口に足を踏み入れるところだったその人は、じゅるりと長すぎる舌を出した。

 全身の毛という毛が逆立つ感覚。

 その女――いや、男の顔は見たことのないものだったが、俺は知ってる。こいつ、やっぱり!

 

「そのお面……今日は白猫の子はいないのかしら」

 

 大蛇丸じゃん!! 根の力を借りて無事に里抜けしたかと思えば、イタチに返り討ちにされた挙句、代わりにサスケを手に入れるために木ノ葉に不法侵入した、けしからん奴!

 

「“スイ”もいるなんて珍しいわね。もう二度と私の前には姿を現したくないと思っていたけど」

「…………」

〔……隊長?〕

 

 不自然な間をあけて、モズが声を出す。

 

「お久しぶりです、大蛇丸様。今は“モズ”と名乗っています」

 

 スイというのは昔のコードネームらしい。ずっとモズなんだと思ってた。

 

「貴方は抜け忍であり、木ノ葉の土を踏むことは……」

「今日はダンゾウと話をしに来たのよ」

「ダンゾウ様からの許可は」

「フフ……相変わらずお堅いのね。そんなものあるわけないじゃない。彼なら私の持ってきた話を聞かずに追い返すなんて勿体ないことはしない。それは、アナタが一番よく分かっているでしょう?」

「……ご案内します」

 

 展開が早すぎて色々と追いつかない。俺はどうすればいいの? っていうか、大蛇丸がダンゾウに話って……嫌な予感しかしない。

 こちらを振り向いたモズが「さっさと行け」という仕草をした。助かる!

 

「そこのアナタも一緒に来なさい」

〔…………〕

 

 訂正。俺、助からないかもしれない。

 

 

 

 大蛇丸の言葉通り、ダンゾウは彼との話し合いの席を設けた。

 大蛇丸がここまでしてダンゾウに持ってきた話……あの自信ありげな顔……。よほどダンゾウ側にも益がある美味い話なんだろう。

 大蛇丸が里を抜ける前、ダンゾウは大蛇丸をそれなりに気に入っているように見えた。キノエさんに里抜けの手助けをさせたくらいだ。

 大蛇丸が木ノ葉にもたらすかもしれない実害を危惧しつつ、その能力は認めていた……そんなところだろうか?

 

 ダンゾウの居室。ゆらりと蝋燭の炎が揺れている。薄暗い部屋を照らす小さな炎が、その場に集まった数人の顔に影を作る。

 ダンゾウが目を細めて、大蛇丸を見つめた。

 

「目的は何だ」

 

 大蛇丸は立ったまま口端を持ち上げる。

 決して広くはない部屋の中、部屋を出入りできるのは俺の背後にある障子のみ。ここにはダンゾウ、モズ、俺、そして数人の部下たちがいる。

 大蛇丸が何か良からぬことを考えていたとしても実行に移すのは不可能……なはず。

 仮に考えていなかったとしても、このプレッシャーの中でも余裕そうな態度は何だ? 心臓に毛でも生えてるんじゃないのか。蛇のイメージが強すぎて、どこもかしこもツルツルしてそうだけど。

 

 大蛇丸は勿体ぶるように両手を広げた。

 

「アナタも潮時だと思っていたんじゃない?」

「…………」

「そろそろ……“過去の遺物”には退いていただかないとね」

 

 あっと思った。不本意ながらにダンゾウと過ごしてきた時間もそれなりに長い。根のトップらしく滅多に表に出てこないダンゾウの感情も、ある程度は悟れるようになった。

 

 ダンゾウ、今めちゃくちゃ喜んでる。最悪だ。

 

「それは、三代目火影のことを言っているのだろう」

「アナタの悲願でもなくて?」

「今更あやつが火影の席を空けたところで、ワシにどのような利点があろうか」

 

 内心ウキウキしてるくせによく言うよ。

 でも、利点という意味では正しい。

 ダンゾウはすでに三代目によって失脚している。ダンゾウが三代目の右腕として今以上に権力を好き勝手行使していた頃とは違う。

 仮に次の火影候補を探すことになったとしても、上層部の信用を失っているダンゾウが選ばれることはないはずだ。

 

「――次に火影に選ばれるのは、誰かしらね?」

 

 ぴたっとダンゾウの動きが止まる。大蛇丸の笑みが濃くなった。

 

「以前四代目が亡くなった時に私の名を挙げたように……“伝説の三忍”が候補に上がる……」

「…………」

「でも、あの人たちが大人しく火影の座に収まるかしら?」

 

 伝説の三忍のことはよく知らないが、そのうちの一人が大蛇丸なせいで、残りの二人も似た属性なんじゃないかと邪推してしまう。

 どうしよう、マジで大蛇丸一号と二号だったら。木ノ葉終わってるな。

 

「男の方は放浪好きのエロオヤジ、女の方は賭け事好きの浪費家」

〔…………〕

 

 なんか別の意味でも木ノ葉終わってるかもしれない。

 

「仮に木ノ葉上層部が無理矢理に彼らを火影に就任させたとしても、すぐにボロが出るはず」

 

 俺は、ダンゾウのテンションがここ最近で一番高まっている気配を察知した。

 

「そうなれば今よりもっと動きやすくなるんじゃない? アナタが火影の座につかずとも、木ノ葉をコントロールできる……隙を見て乗っ取ることもね」

「何が望みだ」

 

 やばい、大蛇丸の提案を受け入れる気満々だ。これはまずいことになった……よりによって本体がいない日に。

 三代目がいなくなったら……どうなる?

 エロオヤジもしくは浪費家の女が火影になったら全てが終わる気がする。かといって、彼らの後釜としてダンゾウがトップに君臨するなんてことになったら……もっと終わる。絶望だ。

 

「根のバックアップが欲しい。そして――部下を一人くれないかしら?」

「…………」

「誰でもいいというわけではないわ。一人……どうしても欲しい子がいるのよ」

「まだモズを諦めていないのなら、」

「ククク……スイのことは今でも欲しいけどね。アナタの一番のお気に入りだもの……」

 

 大蛇丸の蛇の目のような瞳が蝋燭の炎を映す。

 

「白猫面の子――とても興味深い。あの日、液状になったと思ったら完全に消滅してしまったけれど……生きているんでしょう?」

〔…………〕

 

 人の心配してる場合じゃなかった。

 今ではダンゾウの指示で白猫面は本体、鳥面は影分身が被るようにしているが、当時はそうじゃない。あの日、白猫面を被って大蛇丸と対峙したのは、影分身(おれ)だ。

 

「根の協力と、白猫面の子が得られるなら――私が猿飛先生を殺してあげる。アナタや木ノ葉には一切危害を加えずに、ね」

 

 部屋の隅に置かれていた蝋燭の炎の一つが大きくブレたかと思えば、フッと消える。

 

「ダンゾウ様」

 

 障子の外から声がかかる。部屋の外で控えていた部下のものだ。

 

「クロネコが戻ってきました」

「通せ」

「はい」

 

 俺の隣に立っているモズの気配が揺らいだ。ほんと、俺って()()()()

 

 障子が開く。部屋に入ってきたのは、白猫面を被った俺の本体。

 

〔…………?〕

 

 本体は真っ直ぐ部屋の中央、大蛇丸の横にまで進んで片膝をついた。

 

 なんか……違う。これ、誰だ?

 

 どこがどう違うのかと問われたら困るけど、違うと断言できる。これは、俺じゃない。偽物って意味じゃなくて……。

 

『この場で任務の報告をしても』

「構わぬ」

 

 本体は大蛇丸のことを気にしていたようだが、ダンゾウの許可を得て続ける。

 

『ガトーカンパニーの経営者であるガトーが波の国を乗っ取ろうと画策しておりました』

「それは事前に送られてきていた報告書で把握している。ワシはすぐに戻ってくるよう指示したはずだ」

『申し訳ありません。ガトーがいずれ木ノ葉を狙うという情報を手に入れましたので、先に始末しました』

 

 ダンゾウが無言で手を差し出す。本体は懐から取り出した巻物を渡した。

 

『証拠も押さえてあります』

「…………」

 

 じっくりと巻物に目を通したダンゾウが、するりと巻物を閉じる。

 

「後始末も問題ないな」

『はい』

「後でお前の部下に、ガトーに手を貸そうとしていた者たちを消すよう指示しておけ」

『承知しました』

 

 あっちはあっちで大変だったようだ。でもな、お前(おれ)、今からもっと大変なことになるから。

 

「お前も疑問に思っているだろうが、ここに大蛇丸がいるのは我々と手を組む為だ」

『…………』

「詳しい経緯は後で聞くといい」

 

 影分身(おれ)のチャクラは無くなりかけている。俺が消えれば、本体はこの部屋で起きた全てを知ることになる。

 

「大蛇丸がお前を自分の部下にしたいと打診してきたのだ」

『…………』

「ワシはそれを受け入れようと思っている……一部は」

 

 終始余裕の笑みを浮かべていた大蛇丸がここでやっと真顔になった。

 

「……それはどういう意味かしら?」

「そのままの意味だ。クロネコをお前の部下にすることは構わない。しかし、あくまで貸し出すだけだ」

「随分と強気ね。交渉が決裂となれば、アナタの大切な木ノ葉に何が起きるか……」

「お前も知っているように、クロネコは写輪眼を持っている。いずれワシが木ノ葉を乗っ取り、九尾を手中に収めた際には――必ず手元に置いておかなければならない人材なのだ」

 

 ダンゾウが冷ややかに大蛇丸を見つめる。

 

「ククク…………」

 

 大蛇丸は小刻みに身体を震わせた。

 

「アッハハ! いいわね、とっても楽しそう。久しく忘れていたけれど……アナタは私を退屈にさせない貴重な人物」

 

 やけにダンゾウを高く評価している大蛇丸が、愉快そうに「乗ってあげようじゃないの」と続けた。

 

「私もアナタがどうやって木ノ葉を乗っ取っていくのか興味があるわ。……約束してあげる。白猫の子は来る日にちゃんと五体満足で返してあげると」

〔…………〕

 

 本人の意思は完全無視で譲渡会が行われてしまった。俺は犬猫じゃないんだけど。

 

『…………』

 

 意外にも本体は不満を漏らすことなく、受け入れることにしたようだ。

 あれほど執拗にサスケを狙っていた大蛇丸が三代目の命だけを取って満足するはずがない、俺が側で監視しなければとか考えているんだろう。俺も真っ先にそう考えたから間違いない。

 

「ワシは大蛇丸ともう少し話すことがある」

 

 そう言ったダンゾウに促され、俺たちは外に控えていた部下を一人残し、ダンゾウの部屋を出た。

 

「待て、クロ」

 

 さっさと自室へ向かおうとする本体の腕をモズが掴む。

 

『…………』

「お前何があった? またオーラの色が……」

『何もありませんよ』

「何もないなんてことないだろ。それに、大蛇丸様のことだって、あの人は……」

『俺、もう決めたんです』

 

 本体がやんわりとモズの手を振り解く。

 

「決めたって何を」

『…………』

「……お前な、前から思ってたが、そういう肝心なところで何も言わないから誤解から誤解が生じ……って、今は説教してる場合じゃない」

〔…………〕

 

 自分を客観視することってなかなかないと思うけど、確かにこれは鬱陶しい。はっきりと言え。

 こんなだから幼いイタチに無関心だと勘違いされて随分と寂しい思いを……。

 

『モズ隊長には感謝してます。今も、今までも、きっとこれからも』

「…………」

 

 こいつなんでこのタイミングで感謝の言葉を述べたんだという思いは、影分身(おれ)とモズの中で一致した。頭おかしい。

 

 本当に言い逃げしていった本体の後ろ姿を見つめる。

 

「……ツミ、アイツに何が?」

〔……俺に聞かれましても〕

 

 まあ闇堕ちしちゃったんだろう。さらに。……もしかして、サスケに何かあったのか!?

 

〔どうしよう、モズ隊長! 本体のあの様子からしてサスケが、あのサスケが、死――〕

 

 モズの肩を鷲掴みにしようとした手がどぷんっと液状になる。

 

〔あっ〕

 

 チャクラが切れるにはまだ早い。本体が術を解いたんだ。

 

 俺の身体はあっという間にスライムになり、意識がぼやけていく。

 モズの驚いたような声を最後に、俺の意識は一瞬ブラックアウトして――本体と混ざり合う。

 

『…………そうか』

 

 本体(おれ)なのか影分身(おれ)なのかハッキリとしない言葉を、ぽつりと呟いた。

 



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第三十六話 理想になる世界

 コツコツと音を立てて長い階段をおりていく。

 

 火影屋敷の地下深く。一歩足を踏み出すたびに燭台に立てられた蝋燭の炎が揺らめいている。ここではその小さな光だけが頼りだ。

 

 地下だというのに、漂う空気は外と大差ないくらい澄んでいる。この場所の存在を知るのは三代目火影とごく一部の木ノ葉上層部のみ。

 しかし、現時点でここに何があるのかを正確に把握している人物は火影様と私しかいない。

 

 ギィッと錆びついている扉を開く。真っ暗だ。扉のすぐ横の棚に燭台を置けばぼんやりと中の様子が見える。

 つい先ほどまでここにいたのは影分身。だから自らの目で確かめるまでもないこと。

 

 それでも微かな希望に縋ろうとするのをやめられない。

 

「……変わらない、か」

 

 消毒液の匂いが充満する室内。私の言葉は誰に届くこともなく消えていった。

 

 

 

 火影屋敷を出て木ノ葉の商店街を歩いた。

 

「セキちゃん。火影様のおつかいかい?」

「今日は自分の買い物に来たんです」

 

 薬種問屋。薬だけでなく、最低限の医療品も揃っている貴重な店だ。

 すっかり顔馴染みになってしまった店主が朗らかに話しかけてくる。

 

「ああそうだ。特別上忍になったんだってね。お祝いに今日は少しまけておくよ」

「ありがとうございます」

 

 ぱちんとウインクまでされてしまっては遠慮する方が失礼だ。私はくすりと笑って、ありがたく好意を受け取ることにした。

 

「それでは、そこのガーゼと切り傷への塗り薬と……」

「はいよ」

 

 テキパキと私が口にしたものを紙袋に詰めてくれる店主。

 

「アンタは立派だよ。医療忍術まで学びたいだなんて」

「本業が忙しいので合間にかじってる程度ですよ。それに奥が深くて楽しいんです」

「そうかい。綱手様が里にいてくだされば良かったのにねぇ」

「……綱手様」

 

 伝説の三忍の一人であり、病払いのナメクジ綱手姫といった異名まで持つ医療忍術のスペシャリスト。

 私が火影様に医療忍術を学びたいと伝えた時にも「あやつがいれば」と話題に上がった人物でもある。

 

「伝説の三忍が揃いも揃って里にいないなんて変な話だけどね。一人は里を抜け、残りの二人はどこにいるかも分からないんだから」

 

 困ったお人だよと店主が続ける。その後もいくつか他愛のない話をして店を後にした。

 

 再び木ノ葉の大通りを一人で歩いていると、ある店の前で人だかりが出来ているのが見えた。

 

 新しいお店でも増えたのかな。

 

 そんな軽い気持ちで前に立つ人々の肩から顔を出す。しかし、そこには何もない。

 

「ここで何かあったんですか?」

「ああ、さっきまで誰かが砂隠れの忍と揉めてたんだが……」

 

 砂隠れの忍……もうそんな時期なんだ。

 

 中忍昇格試験。

 

 もう懐かしい記憶。火影様が近いうちに開催すると仰っていたからきっとそうだろう。

 

 私も何か手伝えないかな?

 

 特別上忍として認められ外で任務をこなすようになったけれど……足りない。

 火影様はあの日からずっと志村ダンゾウや敵国の手から私を守ってくれている。

 だから、もっともっと彼の力になりたい。私にできることはなんだってしたいのに。

 

「…………」

 

 今回か次に開催される試験では、きっと()()()も参加資格を得るはずだ。

 この里のどこかにいるはずの“彼”を思い浮かべる。

 

 私、本当は……。一番力になりたいのは……。

 

 ねえ、スバル。

 

 私にできることは本当にあれだけだったの?

 

 

 

 ***

 

 

 

 中忍選抜試験。

 

 危うい場面はあったものの無事に第一の試験を突破したオレたちは、第二の試験が行われる演習場前に集合していた。

 

 第二の試験では参加予定の二十六チームでそれぞれ半分ずつ配布された天の書と地の書を奪い合い、両方の巻物を持って中央塔まで辿り着いたチームのみが次の試験に駒を進めることが出来る。

 

「……アンタ、スバル兄さんの」

 

 ここから先は死人が出るからと書かされた同意書の提出先。受付に座っていた彼女は同意書を持つオレの姿を認めて瞳をまん丸にさせる。

 一度だけスバル兄さんの墓前で話したことがある覚方セキだ。

 

「サスケくん?」

「なによ、セキ。うちはの子と知り合いだったの?」

「彼はスバルの弟ですから」

「あ……そう、だったわね」

 

 試験官であるみたらしアンコが気まずそうな顔をする。

 

「今さ、今さ! スバル兄ちゃんの話してた?」

 

 オレの後ろから顔を出したナルトは試験官を見て「げっ」という顔をした。

 

「うずまきナルト君だよね。スバルがキミのことを話してたことがあって」

「こっ……」

 

 ピシリ。一瞬石になったナルトがコソコソとオレに耳打ちしてくる。

 

「この女の人知ってるってばよ……!」

「お前が?」

「“ムッツリスケベ”がスバル兄ちゃんとこの人の三人で写った写真を見せてきたことが」

「……ムッツリスケベ」

 

 ナルトの話はいつもこうだ。一つ分かったと思えば次には別の疑問が出てくる。

 

「そのムッツリ野郎がスバル兄さんたちとの写真を持ってることと、何の関係があるんだよ」

 

 そう言いつつ内心気になってしょうがなかった。

 スバル兄さんの写真はとても少ない。

 オレや()()()が頼み込んだ時は少し困ったような顔をしながらも撮らせてくれたが、あまり得意ではないのか母さんたちがカメラを向けようとするたびに姿を消してしまう人だったから。

 

 そんなスバル兄さんが家族以外と写真を撮っただと?

 

「ムッツリが『私はスバルくんと一緒に中忍試験を受けて合格したエリートですよ』っていうからさぁ、オレってばてっきり嘘だと……」

「……それってもしかしてエビスのこと?」

「やっぱり本当だったのかぁ!?」

 

 セキは口元に手を当ててくすくすと笑う。

 

「……キミは昔のスバルみたいに“読みやすい”ね。それにしてもエビスをムッツリだなんて。あそこまで真面目な人なかなかいないのに」

「真面目とムッツリは両立するんだってばよ」

 

 腕を組んで「ウンウン!」と頷くナルト。

 

「私もスバルも中忍試験でどれだけエビスに助けられたか」

 

 穏やかに微笑んだセキがこちらに手を差し出してくる。

 

「同意書、貰っていいかな」

「ああ……」

 

 三人分の同意書を受け取ったセキは最後までしっかり目を通すと眉を下げた。

 

「私の時は書かなかったのに……」

「それってばオレたちより簡単な試験内容だったってこと?」

「言っておくけど、この子が受けた第二の試験は過去一番合格者が少なかったわよ」

「……どういうことだってばよ?」

 

 試験官が「あれは当時の試験官運が無さすぎたのよ」とため息をつく。

 セキはオレたちの同意書をテーブル横の箱に入れつつ苦笑するだけだった。

 

「第二の試験を通過したのはセキの班を含む四チームのみ。最近ならあり得なくもない数字だけれど……今とは時代が違うからね」

「…………」

 

 時代。スバル兄さんやあの男と自分を比較するたびに、母さんやアカデミーの先生たちは揃って「あの頃とは時代が違うから」と口にしていた。

 

「忍界大戦や九尾襲撃事件……まだまだ傷の癒えぬ木ノ葉では今よりも早くアカデミーに入学させて卒業させ、どんどん中忍に昇格させていたもの。どこもかしこも人手が足りていなかった」

 

 試験官は過去を懐かしむように目を細める。

 

「今でこそ他国への牽制目的で命懸けで中忍試験に挑ませるけど、昔はそうじゃなかったのよ? 今より同盟国も少なかったから自国の戦力を見せつける必要もそれほどなかったし……何より貴重な人材を試験で失うことすら惜しい状況だったから、受験生が死なないよう最大限配慮されていた」

「……イタイさんの札に守りの加護があったんですよね」

「それだけじゃないわよ。死の森周辺にはちゃーんと暗部が待機してたんだから」

 

 ある程度命の保証がある状態で合格したのがたったの四チーム。

 セキの様子からして受験生には知らされていなかったようだが、それだけ内容が過酷だったということだろう。

 

 そんな試験をスバル兄さんは……。

 

 考え込んでいたオレと目が合ったセキはちょっとだけ意地悪そうな顔をする。

 

「試験内容はお姫様役になったスバルを救出する、だったんだけどね」

「…………」

 

 そんな試験をスバル兄さんは……。

 

 まったく同じことを、さっきとは別の意味で反芻した。

 

「それは言っても、あの頃の中忍試験は戦争の延長みたいなもの。戦争に参加する人にわざわざ同意書なんて書かせないでしょ? 今より命が軽い時代だったから、同意を得る必要すらなかったってこと。分かった?」

「わ、分かったってばよ」

 

 オレたちは戦争も木ノ葉に甚大な被害を齎したという九尾襲撃事件も経験していない世代。

 後者が起きた時、オレはすでに生まれていたらしいがまったく記憶にない。

 

「アンコさん。ちょっといいですか」

「ええ。セキ、このまま頼んだわよ」

「はい」

 

 補佐役に呼ばれた試験官が受付から離れていく。

 

「サスケくーん! こっちにナルトが来て……るわね、やっぱり」

「さ……サクラちゃん!」

「同意書の提出くらい一人でいいってサスケ君に言われてたでしょ!」

 

 ナルトが角を生やしたサクラに頬を引き伸ばされながら連れ去られていった。

 セキはそんな二人をぽかんとした表情で見送っていたが、やがて微笑ましいものを見たかのように目を細める。

 

「いいチームだね」

 

 差し出されたのは引換券のようなもの。

 これを黒塗りの幕が下ろされているもう一つの受付に提出して巻物と交換するらしい。

 今はまだ交換時間外の為、誰かが並んでいる様子はない。

 

「……頑張って」

 

 なんと答えるべきか悩んだ末、頷くだけに留めておいた。

 

 

 

 ついに第二の試験が始まった。

 

「くっ……」

 

 ドクドクと血が流れていく左腕を押さえる。それよりもさらに強く痛みを発するのは首元。その焼けるような熱さと痛みに触れることすら躊躇するほどだった。

 

 死の森と呼ばれる演習場に足を踏み入れてから、およそ数時間後。

 同じ受験生から奇襲を受けたところまでは良かった。

 誰が来ようと全力で迎え撃つ。その心構えで臨んでいたおかげだろう。オレたちは大きな動揺もなく比較的冷静に敵の存在を受け入れた。

 でも……。

 

「さあ、これからその身に流れるうちはの血で私を楽しませてちょうだい!」

「サスケ君に何をしたの……!?」

「アナタには関係のないことよ」

 

 オレを庇うように立ち上がったサクラがギリッと歯を食いしばる。

 敵はたった一人。額当てを見たところ草隠れのくノ一。

 

 うちはの、だと……?

 

 草隠れは木ノ葉隠れと同盟関係にあるというのに、まるで目的は別にあるかのような口ぶりと態度。

 その証拠に、オレから奪った天の書を見せつけるように目の前で燃やしていた。

 

 この女は一旦席を外したナルトと入れ替わるようにオレたちの前に姿を現した。

 

 どうしてナルトは姿を現さない? この女にやられたのか、別の仲間に捕まったのか……。

 

「サ、サスケ君……血が……それに首元のその痣は……!」

「……こんなの、何ともなっ、」

 

 より一層大きな痛みに視界が大きく揺れた。

 

「うっぐぁ、ああああ!!」

「サスケ君!!」

 

 オレの名を呼ぶサクラの顔が涙でぐちゃぐちゃになっている。

 

「なるとぉ……! どうして……どうしてこんな時にいないのよ!」

 

 ――アイツは無事なのか?

 

 痛みで身も心も引き裂かれそうになる中、それだけが気がかりだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 オレってば、なんでこんなところにいるんだ?

 

 うーんと眉間に力を入れて記憶を手繰り寄せる。

 

 中忍試験の第一の試験をクリアしてぇ……第二に進んだ。うん、ここまでは覚えてるってばよ。

 そんで、第二の試験会場は死の森なんて呼ばれてる物騒な演習場。いつだったか火影の爺ちゃんにサスケと一緒に修行するから使わせてくれって頼み込んで断られた場所だ。

 演習場の出入り口と直結してる受付所で巻物を受け取って、そのまま森に……。

 

「どういうことだってばよ……?」

 

 目の前に広がるのは、何度も何度も見上げてきた火影岩の真下の景色。

 

「あれぇ……?」

 

 オレってば確かに森の中にいたはずなのに。……うんうん、いた。絶対にいた。

 天の書をどちらが持つかでサスケと喧嘩して、負けて、そんでもってタイミング良く尿意がきたからサスケ達と離れて用を足しに行ったんだってばよ。

 

「そんなところに突っ立ってどうした。また火影様たちの顔岩に落書きしようとか思ってるんじゃないだろうな?」

 

 オレ以外誰もいないと思っていたこの場所に突然現れたのは、イルカ先生。ちょっと困ったような顔で笑ってる。

 

「イルカ先生がなんでここに。今は中忍試験で来られるはずが」

「はは、寝ぼけてるのか?」

 

 イルカ先生はいつものように優しい笑みを浮かべてオレの肩を叩いた。

 

「下忍になったばかりで疲れてるんだな。……よし、一楽にでも行くか。奢ってやる!」

「いっ……かないってばよ! オレってばこんなことしてる場合じゃなくて、サスケ達が!!」

「オレがどうかしたの?」

 

 慌てて声がした方を振り向く。そこにいたのはサスケ――だけど、どこか違う。

 

「……サスケ?」

「そうだよ」

「……お前ってばそんな口調……じゃなくて、縮んで、る……?」

「それより早く行こうよ。兄さんが待ってるかもしれないから!」

「兄さんって……待てってばよ!」

 

 強引に手を取られる。

 

「イルカせ――」

 

 サスケに引きずられながら顔だけを後ろに向ける。

 

「え?」

 

 そこにはもう誰もいなかった。

 

 

 

「ただいま! 兄さん、もう帰ってる?」

「お、お邪魔しまぁ……す?」

 

 うちは一族の集落は、明るい顔をしたサスケが駆け込んでいくには不自然なくらい静まり返っている。

 

 サスケの家……入るのは初めてだ。

 

 どことなく景色がぼやけているような気がしたうちはの商店街と違って、サスケの家に入った瞬間から何もかもが鮮明になった。

 

 綺麗に整えられた玄関横の棚に飾られた花瓶に、そこに生けられた薄ピンク色の花。

 

 オレってばこれまで友達の家に遊びに行ったことなんて一度もないから……!

 

「こういう時靴ってどうしたら……なるようになるってばよ!」

 

 とりあえずサスケの靴の隣に並べて、向きも揃えておく。

 

「兄さーん? まだ帰ってないの」

 

 オレを置いてどんどん家の奥へと進んでいくサスケ。

 

「あれって……」

 

 通り過ぎようとした居間で立ち止まる。

 

「おかしいなあ、お昼には帰ってくるって言ってたのに」

 

 サスケの声がどんどん離れて小さくなっていく。オレは吸い込まれるように居間に足を踏み入れた。

 居間には四角いテーブルに、テーブルを囲むようにして置かれた座布団が四つ。

 その奥には小さな引き出しがあって、その上にはいくつかの写真立てが並んでいた。そのうちの一つを手に取る。

 

「サスケと、うちはイタチ……?」

 

 オレはサスケの笑顔を一度しか見たことがない。それは今よりもずっと幼く、写真として残っていた()()でしかなくて……。

 

 だから、ちゃんと覚えてた。

 

 サスケの兄ちゃんがオレの家で静かに本を読んでいた時に、ふとそれを見ては穏やかな表情を浮かべていたことを。

 

 それはなんだと聞けば、じっとそれを見つめたまま何も答えてくれなかったこと。

 

 兄ちゃんに二度と会えなくなってから、兄ちゃんの僅かな荷物を整理してる時に偶然見つけたこと。

 

 そこには、オレが一度も見たことのない表情で笑っているサスケに、そんなサスケを抱き上げながらうちはイタチの肩に手を置いている――そんな、スバル兄ちゃんの姿が。

 

 ミシッと床が軋む音がした。顔に影が差しているサスケが、オレと、オレが持っている写真を交互に見つめている。

 

「……何してるの? 兄さんはいないし、ナルトはこんなところにいて、オレだけがひとりぼっちだ」

「サスケ……」

「兄さんが帰ってくるまでここで待っていようよ!」

 

 パッと映画か何かで画面が切り替わった時のように、サスケはいつの間にか四つある座布団の一つに座っていた。

 

「ナルトは兄さんのところに座って。そこと、それは父さんと母さんのだからダメだよ」

「なんで、なんで……スバル兄ちゃんの分がないんだってばよ?」

「……だれのこと? オレ、知らないよ」

「サスケェ!!」

 

 するりと手から落ちた写真立てのガラス部分が割れる。飛び散ったガラスの破片の中に躊躇なく手を突っ込んで中の写真を引っ張り出した。

 

「この写真も……! スバル兄ちゃんと写ってる最後のやつだって言ってたのに! なんでスバル兄ちゃんだけが消えて……」

 

 じわりじわり、目に涙が溜まっていく。

 途端に不安定になった“世界”は真っ黒な闇に包まれていった。サスケの家という器はとっくに取り払われ、ここにはオレとサスケしかいない。

 

「……それが」

 

 サスケがぽつりと呟いた。ジジジ……と音を立ててその姿が歪んでいく。

 歪みは次第に落ち着いていき、()()()()()()()少年の姿へと変わる。

 覚えのある冷たい瞳がオレを射抜いた。

 

《おれの のぞみだから》

 

 

 ハッと勢いよく起き上がる。荒い呼吸を繰り返し、額にはいくつもの汗が流れた。

 

「オレってば……」

 

 ピィピィとどこかで鳥の鳴き声がする。鬱蒼と生い茂る緑の濃厚な匂いと、湿った土の匂い。

 

「……森?」

「……ナルト、アンタねぇ……!!」

「えっ」

 

 殴られたと理解した時にはオレの身体は吹っ飛んでいた。

 いっ、痛いってばよ!?

 

 吹っ飛んだ身体を受け止めてくれたのが岩じゃなくて木だったのは不幸中の幸い。

 ズキズキと痛む背中に構ってる余裕もなく恐る恐る顔を上げる。

 

 そこには般若がいた。

 

「レディの前でお花摘みしようとしたり、肝心な時に不在だったり、見つけたかと思えば敵の幻術に掛かって呑気に寝てるわで一体どーいうつもりなの!? アンタがそんなだから、サスケ君が、サスケ君が……!」

 

 鬼から弱々しい女の子に変わったサクラちゃんがわっと泣き出してしまった。

 

「あれって幻術……じゃなくて、サスケがどうしたんだってばよ!?」

「大蛇丸っていう変なヤツがサスケ君に……サスケ君にぃ……」

「なっ、泣いてたら分からないってばよ……」

 

 これはもう自分の目で確かめたほうが早い。

 

「サクラちゃん、サスケは今どこに――」

 

 サクラちゃんが手の甲で乱暴に涙を拭いながら目の前から退いた。

 ちょうどサクラちゃんで影になって見えなくなっていた位置に横たわるサスケが……。

 

 その光景が波の国での出来事と重なる。

 

「サスケ!! なんでお前が」

 

 駆け寄って肩を揺する。

 

「うっ……」

「ナルトやめて! サスケ君、酷い熱なの」

 

 生きてることが分かって力が抜けた。へなへなとその場に座り込む。

 

「オレが幻術なんかに掛かってたからサスケが……」

「そ、それはアンタ一人の責任じゃ……」

 

 でも、サクラちゃんだって。

 サクラちゃんの罪悪感に満ちた表情と、その頬を流れる涙を見てしまったら言葉にするのは憚られた。

 

 サスケ達を襲った大蛇丸という草隠れの忍に天の書も燃やされてしまったらしい。

 

「これからどうするの……? 私たちだけじゃ、二つも巻物を集めるなんて無理よ」

「……サスケが起きるのを待つ。今日はここで朝を待つってばよ」

 

 サスケがオレだったら、きっとこうしたはず。

 サクラちゃんはきょとんとした表情でオレを見上げていた。

 

「完全に日が落ちる前に何か食べられそうなもの探してくる! サクラちゃんはサスケから離れずに、この近くで燃やせるものを探しといてくれってばよ」

「う、うん!」

 

 力強く頷いたサクラちゃんが早速作業に取りかかる。

 

 オレってばいつまでもサスケに頼ってばかりじゃダメだ。もっとたくさん修行して、サスケもサクラちゃんも守れるくらいに……。

 

 得意ではないなりに念入りに周辺の気配を探ってからその場を離れた。

 




【補足】セキの「少しかじった」は一般的には「猛勉強した」と同じ(本人無自覚)


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第三十七話 繋ぎ目

 今度こそこっちも闇堕ちの影響を受けるんじゃないかと思ったけど、そんなことはなかった。多分。自覚がないタイプだったら分かんない。

 

 ついに中忍試験が始まった。

 

 大蛇丸はすでに数人の部下を連れて受験生として紛れ込んでいる。

 ダンゾウには「これも木ノ葉崩し前の余興でしかないわ」だとか言っていたが、十中八九サスケが目的だろう。

 これまでの大蛇丸の口ぶりからしてサスケの命を奪いに来たわけではなさそうだ。でも、警戒はしておかないと。

 

〔…………〕

 

 キュッキュとクナイを磨く。

 受験生としてではないが大蛇丸のそばには本体がいる。試験官や受験生たちに存在を悟られないよう、ある程度離れた場所から監視しているはずだ。

 

〔…………〕

 

 磨きすぎてもはや黒曜石かなってくらい綺麗になってしまったクナイをさらに磨き続ける。

 

 そもそも、大蛇丸はサスケをどうしたいんだよ。

 それとなく聞いてみたら世継ぎがどうのって言われたから〔鏡見てます?〕って返しておいたけどさ?

 歳の差と性別はまあいいとして(あの人そういうのはお得意の研究成果とやらでクリアしそうだし)、変態蛇野郎と俺の可愛い弟が釣り合うはずがないだろ。この世に産まれるところからやり直してくれ。

 

 カタンッと背後で物音がした。びっくりして振り返ると、そこには白猫面を被った青年が立っている。

 咄嗟に握りかけたクナイを机に置く。

 本体は気配を消していたわけじゃないけど、自分の気配はなかなか気づきにくい。

 

〔…………〕

『…………』

 

 かける言葉が見つからない。向こうもそうなのか、それとも言葉をかけようとも思っていないのか。

 無言のまま部屋の隅に置いていた荷物を持って再び部屋を出ていく本体。

 ぽつんと自室に残された俺は、いつの間にか止めていた息をぶはっと勢いよく吐いた。

 

〔……きっつぅ〜〕

 

 必要なものを取りに戻ってきただけらしい。

 俺がまだ本体だった時、影分身とすら会話をしたくないと考えていたことを覚えている分、自分のためにも話しかけようとは思わなかった。

 

 千千姫を使って精神的負荷がリセットされていようと、この苦しみは本体だけのものじゃない。

 

 本当にサスケが死んだと思っていた時、俺は、俺じゃない何かに支配されていた。

 

 胸の奥に渦巻く暗くて冷たい――絶望と怒り。

 

〔……あれ、なんだったんだろう〕

 

 激情に突き動かされるままに発動した奥の手は、いつもと様子が違っていた。

 握った剣の感触に、ギリギリまで研ぎ澄まされた感覚。耳元で鳴り止まぬ“声”。

 

 まるで俺自身があの王になったかのように。

 

 力を力のままに振り回すのはとても気持ち良かった。

 力は大切なものを守るためにあればいい、なんて思っていた過去の自分を嘲笑うかのように――溺れていた。

 

 ……あの力はもう使っちゃいけない。使えば使うほど心が蝕まれていく、そんな気がした。

 

 机の上のクナイを睨みつけていると、障子の向こうから気配が近づいてきていた。気配は障子の前で立ち止まり、控えめに声をかけてくる。

 

「隊長、イロです」

〔入っていいよ〕

 

 ホッと息を吐き出したイロが障子を開けて部屋に入ってくる。

 どうやら部下たちの間で本体=怖い、影分身=まだマシという認識があるらしく、俺の元を訪ねる時は鬼が出るか蛇が出るかといった様子だ。

 ……どっちも悪いか? まあとにかく本体が闇堕ちしちゃったのがいけない。俺は無罪。

 

「ダンゾウ様から、ツミ隊長の手が空いていれば一緒に里周辺を見て回るようにと」

〔分かった。すぐに準備する〕

「はい。外でお待ちしてます」

 

 ずっと愛用してる無地のジャージを脱いで暗部の忍装束に着替える。

 動きやすければなんでもいいんじゃないかと思ったりするけど、こうやって着替えると気が引き締まる気もする。やっぱ大事なんだな。

 

 用意していた装備はさっき本体が持っていっちゃったから、代わりに引き出しから新しいものを取り出す。

 

〔おまたせ〕

 

 部屋の外で待っていたイロの肩に手を置く。彼はぼんやりとこちらを見上げてくる。

 何か言いたげだ。……そろそろ指摘されるだろうなって思ってたんだよ。

 

「ツミ隊長はクロ隊長とは別人みたいです」

〔……色々あってね〕

 

 うちは一族特有の闇堕ちパワーの恐ろしさがこれだ。可視化できて良かったんじゃないだろうか。

 ずっと他人事だと思ってたのになあ。

 

〔本体は俺より余裕ないけどさ……許してやってよ〕

 

 伸ばした手のひらでイロの髪をくしゃりとかき混ぜる。

 

 少しだけ雰囲気がサスケに似ていることもあって、イロは俺にとって密かな癒しだった。

 本体はそれが余計に辛いみたいで波の国の件があってからは以前より距離をとっている。

 だからって嫌いになったわけじゃない。

 

「……はい」

 

 イロはゆるゆると力を抜いて、安堵したように微笑んだ。

 

 

 

 中忍試験期間中は他里の忍の出入りが多くなることもあり、当然のように不法侵入者の数が増える。

 この時期、火影直属の暗部はてんてこまいの忙しさだ。

 火影の護衛人数もいつもより多い。客人に何かあれば国際問題にも発展するのでいつも以上に警備に気を使うことになる。

 根が機能していた頃はそれとなく役割分担していたがそれも出来なくなった。

 

 今となっては根が不法侵入者を手引きして火影の首を狙ってるんだもんな。前科持ちだし。

 やっぱり三代目はあの時ダンゾウの首をチョンパしておくべきだった。優しすぎるんだよ、あの人は。

 

「すごい人ですね」

〔そうだな……〕

 

 イロと二人、適当な屋根の上から木ノ葉を見下ろす。

 俺が中忍試験を受けた時ってこんなに人多かったっけ?

 以前より平和的関係を築いてる国が多いんだからその分来訪者が増えるのは当然か。中忍試験を見にきたことがきっかけで、木ノ葉に移住する人だっているし。三代目の継続的な努力の賜物だろう。

 

〔試験は今どのあたりか分かるか〕

「第一の試験は無事に終わったと聞いているので、第二の試験の最中かと」

 

 なんで本体に聞かないの? という雰囲気を出しつつも答えてくれたイロ。

 本体とはね、不干渉同盟中なんだ。まさか自分とこの同盟を結ぶことになるなんてな!

 

「……全部終わったら、もう木ノ葉には戻って来ないんですか?」

〔ダンゾウ様次第だろう〕

 

 全部終わったら。中忍試験のことじゃなくて木ノ葉崩しのことだ。

 

 そもそもあの三代目が大蛇丸にそう簡単にやられるかって話だが……。

 いざとなれば全力でサポートするようにとダンゾウに口酸っぱく言われてるものの、俺では三代目は殺せないし、無理に大蛇丸と三代目の戦いに乱入すれば無駄死にするだけなのでは?

 伝説と伝説の戦いに一般人が足突っ込むとかもはや自殺行為だろ。

 

 大蛇丸は部下たちに結界を張らせて三代目と一対一に持ち込むと言っていた。その間、根は外部の人間が邪魔しないようゴミ掃除をしとけってことらしい。

 

 大蛇丸による木ノ葉崩しが成功すれば、俺はそのまま大蛇丸の部下として里を抜ける。何かとうちはのケツを付け狙ってる大蛇丸を監視する為にはこうするしかない。

 いくらダンゾウでも三代目が死んで低迷期に入るであろう木ノ葉ですぐに問題を起こすことはない。暫くは様子を見るはずだ。

 大蛇丸曰くヒヨコ同然な伝説の三忍の誰かが火影になってからは、ダンゾウは三代目という抑止力がなくなった木ノ葉で信頼回復につとめる。いつか自分に火影の座が回ってくる日まで。

 

〔…………〕

 

 三代目を殺す手助けをすることは、結果としてサスケを守る人間を減らすことに繋がる。

 

 うちは一族抹殺の話が出た時と同じだ。

 

 最善の道ではないが、もう他には残されていない手詰まり感。

 だからって本体のように視野が狭まるのも良い傾向とは言えない。

 

 ふう、と思わずため息がこぼれる。そんな俺を観察するように見ていたイロは、心なしか嬉しそうな顔をした。

 

「木ノ葉を離れるのはツミ隊長たちの本意ではないですよね」

〔……そうだな〕

 

 正直ちゃんと聞いてなかった。

 作られた時に精神的負荷はリセットされてるはずなのになあ。なんでこんなに考えることが多くて頭が痛くなるんだ?

 本体は別方向に吹っ切れちゃったせいか以前のような頭痛もないようだし。ずるい。

 

「ボクが……ダンゾウ様に」

〔ダンゾウ様に?〕

「……いえ。何でもありません」

〔…………〕

 

 ここ最近イロが何かと意味深なことを言い出すことが増えた気がする。本体に似てきてるんじゃないだろうな。

 

 

 

 ***

 

 

 

「オレたちが発見した時にはもう……」

 

 里の外れに並んでいる地蔵菩薩に飛び散っている血痕。その前には三人の死体が転がっていた。

 三人全員の顔が無くなっていて、抜き取られずに放置されていた身分証から彼らが草隠れの下忍ということが分かっている。

 

「セキ、アンタも分かるでしょ。誰がこれをやったのか」

「……はい」

 

 アンコさんの言葉に頷く。

 執拗に命を狙われた日から、私は可能な限りその忍のことを調べていた。そこで交流を持つようになったのが、その忍の元弟子であり被害者でもあるアンコさんだ。

 

 ――大蛇丸が木ノ葉にいる。

 

 怒りと恐怖で身体が震えた。

 こんな目立つ場所に誰の仕業か一目瞭然な状態で放置するなんて。

 挑発的で、憎たらしいくらい自信に溢れてる。

 

 それにしても……おかしい。どうしてこの死体を発見したのが根の暗部ではないの?

 

 彼らが殺されたのはたった数分前というわけではない。それなりに時間が経っている状態で、彼らがこれに気づかないはずが……。

 

 ダンゾウの周到さはよく知ってる。()()()()()()()は私たちの目に入る前に適切に処理され、闇に葬られることも。

 根が解体されてから随分経った。彼らも以前と同等……いや、それ以上の組織力を持っていてもおかしくないのに。

 

 中忍試験の影響で火影直属の暗部による監視が厳しくなったから?

 

 やはり不自然だ。あり得ない。私の把握していないところで何かが起きようとしてる。

 

「死体から離れていてください」

「何をするおつもりで?」

「彼らが心身ともに未熟な下忍であれば、最後に発した感情が表面に漂っているかもしれません」

 

 強い感情はその人の肉体が死を迎えた後でもこの世に残り続けることがある。

 

 顔のない女性の前に膝を下ろして心臓の位置に触れる。

 

「……ごめんなさい」

 

 途端に流れ込んでくる、絶望、痛み、空虚感。

 

 どんなに恐ろしかっただろう。心細かっただろう。

 

 そっと触れていた手を離す。

 

 致命傷となったのは大蛇丸の顔を奪う術。

 でも、助けを求めて逃げ出そうとした彼らの動きを止めたのは――クナイ。

 

「セキさん?」

「……彼らを運んであげてください」

 

 羽織っていた薄めの上着を脱いで女性の顔に被せる。

 露出した私の右腕には、暗部の証である刺青が刻まれている。

 

 あとは両腕のバンドに取り付けてあるチャクラ蓄積装置がきちんと機能していることを確認して……うん、問題ない。

 

 中忍たちに火影様へ連絡するよう指示しているアンコさんの隣に立った。

 いつも持ち歩いているウサギのお面を被る。

 

「セキ……アンタ、まさか」

「私も連れて行ってください――大蛇丸のところへ」

 

 

 

 死の森に入るのはいつぶりだろう。

 

 これまでにも何度か中忍試験の補佐をしてきたけれど、実際に森の中に入ったことはなかった。自分が受けた中忍試験以来かもしれない。

 

 あの頃の私はスバルと一緒にいられることがとにかく嬉しくて、楽しくて……幸せで。

 

 心が読めるからってその人の全てを理解できるわけじゃないのに。

 心という海の上澄み部分だけを掬って、全部分かった気でいた。

 

「セキ! 絶対に声を出すんじゃないわよ。大蛇丸がアンタの正体に気づいたら……」

「そうなっても気にせず見捨ててください」

「アンタねぇ……今からでも置いてくわよ! 断るなら一人でも行くって脅すから仕方なく……!」

 

 前を走りながら振り返ったアンコさんの表情は怒っているというより、心配そう。

 

「戦いが始まれば確実にバレます。私の忍術はちょっと変わってるから」

「だからそれを使うなって言ってるんじゃない!」

「手を抜いて殺せる相手なら私もそうします」

 

 それどころか全力を出しても……。

 

 アンコさんは物言いたげな顔をしていたけれど、口を閉じて前に向き直る。

 そろそろ森の中央を流れる川が見えてくるはずだ。実戦に不慣れな子どもたちの心の声がいくつも聞こえてきている。

 

「……誰かの泣き声」

「大蛇丸にやられた子かしら」

「そこまでは……でも、」

 

 前方で何かが光った。

 

 私より素早く反応したアンコさんが飛んできたクナイを弾き落とす。

 

 日が落ちてきて薄暗い森の中。闇に溶け込むようにして立っていたのは――狐のお面を被った青年。所属を表す額当てをしていない。

 

「……アンタ、受験生じゃないわね」

「…………」

 

 狐面の青年は無言で新しいクナイを構える。フッと軽快な動作でこちらに飛びかかってくる青年がアンコさんとクナイを交え、簡単に押し戻した。

 

「ぐっ……!!」

 

 バランスを崩したアンコさんの隣に並び、その背中を支える。

 

「大蛇丸の部下……私たちを足止めしに来たのね」

「アンコさん」

 

 私は狐面の青年に聞こえないよう小さな声で耳打ちする。

 

「私が引き付けます。その隙に大蛇丸のところへ」

「…………あとで追いついて来ないと許さないから」

「はい。約束です」

 

 ウサギのお面で見えないだろうけど、安心させるように微笑む。

 アンコさんが去って行くと当然のように青年は追いかけようとしたが――行かせない。

 

 貴方の相手は私がする。

 

 煩わしそうに伸ばされた拳が私の首を掠めた。チリッと鈍い痛みが走る。

 ……避けきれなかった。反射神経は結構いい方なのに。

 

 でも、今度はそっちが避けられない方だから!

 

 自他共に認める負けず嫌いである私は、印を結んで地面に手をつく。

 途端に、地震が来た時のように不安定に揺れる地面。ボコボコと音を立てて鋭く尖った土たちが突出する。

 一見、土遁系列の技に見えるけれど歴とした水遁だ。地面から吸い上げられた水分たちが、乾燥して硬質的になった土ごと地面を突き上げていく。

 呑気にその場に立っていれば簡単に串刺しになってしまうくらい強力な術。私のチャクラを纏っているから尚更だ。

 

 狐面の青年は懐から細いワイヤーを取り出して遠くの木に飛ばすと、瞬時に手繰り寄せる。

 

 人間というのは、地に足がついていない状態ではどうしても動きが不安定になるもの。

 青年が完全に木に飛び移る前に、もう一度地面に手をついた。

 今度は木の周辺の水分をありったけ手繰り寄せる。パキパキパキ……と根元に亀裂が入っていき、大木が傾き始める。

 

 青年はそれでも冷静さを失わなかった。

 

 落ち着いた様子で自身と木を繋ぐワイヤーを背中の忍刀で切り離す。そして、全く音を立てず地面に着地した。

 

「やるね。まさかこの術を披露した相手が無傷なんて」

「…………」

 

 青年の動きが不自然に止まった。それを怪訝に思いつつ、私は次の印を結ぶ。

 

「今日は蓄積してきた分を使えるから……」

 

 両腕に装着しているバンド。総チャクラ量が少ない私が、他人の心をチャクラに変換して効率よく貯めておくために必要不可欠な装置。

 これから使う術はチャクラの消費があまりに激しく、還元速度に追いつかない術だ。

 それが原因で以前は“彼”に負けてしまったけれど、今ならあんなことにはならない。

 

「水遁・花心――」

 

 私の背中から生えようとしていたチャクラの塊が、形となる前にしなしなと萎びていく。

 

「…………え?」

 

 腕を掴まれている。

 

 術式を完全に構築する前に止められてしまったから、私は……?

 

「…………」

 

 驚くくらいの速さで私の目と鼻の先に立った青年が、私の腕を掴み、こちらを見下ろしていた。

 

 違う。避けるなり振り払うなりすれば良かっただけ。

 どうして私は何もしなかったの?

 

 その心は――読めない。読めないけれど、深い深い闇の中に沈んでいるような……不安定さは嫌というくらい伝わってきた。

 

「…………貴方、は」

 

 青年は何度も躊躇うような仕草を経て私の首に触れた。生じた痛みに小さく声が出る。

 

「…………」

 

 青年の指が離れていく寸前、僅かに広がった()()からその心が漏れ出したのが分かった。

 

 私の首元の傷よりも痛くて、苦い感情。感じ取れたのはたったそれだけ。

 

「待って!」

 

 青年は一度空を見上げ、次の瞬間には風と共に姿を消してしまった。

 

 

 

 あれから私はすぐにアンコさんを探しに向かった。

 

「あなたは……」

「ヨルさん! それに、先輩方も」

 

 アンコさんのところには、先に暗部のスリーマンセルが到着していた。

 

「……セキ。無事だったみたいね」

「顔色が……」

 

 急いでチャクラを帯びた手のひらをアンコさんにかざす。傷が浅ければ私の医療忍術でも少しは……。

 

 アンコさんがやんわりと私の腕を掴む。

 

「いい。これは怪我じゃなくて、呪印のせいだから」

「大蛇丸に会ったんですね」

「大蛇丸の狙いは、うちはサスケ。私の時と同じなら、彼にもすでに呪印が……」

「……そんな」

 

 そんなはずは。だって、もしもあの人が“彼”だとしたら、大蛇丸の行動をみすみす見逃すはずがない。ましてや協力するなんてことは。

 

「アンコ。お前をすぐに火影様の元へ連れていく。詳しい話はそれからだ」

「いいえ、塔に行って。どうしても中忍試験を中止にするわけにはいかないのよ」

 

 アンコさんはふと思い出したように「暗部に狐面を使ってる男はいる?」と尋ねた。

 

「狐面……()()、誰も。そのはずよね」

「ああ」

「ユノのやつが持ったまま蒸発しちまったからな」

 

 ユノ……確か、ヨルさんと共にスバルの部下として暗部に所属していた青年の名前。

 

「どうして狐面の話を。まさか、見たの?」

「大蛇丸を追ってる途中でね」

「私が相手をしました。取り逃してしまいましたが……」

 

 あれは、スバルではなくユノ? スバルの知人である私に怪我をさせたことに気づいてあんな行動を?

 

 私の心はあの人がスバルだという可能性を捨てきれなかったが、どうしても、あのいっそ恐怖を覚えるくらい闇に染まった感情が以前のスバルと同じものだとは思えなかった。

 

「……とにかく今は一刻も早く中央塔へ。火影様もそこにお呼びして、ユノという男のことも調べるわよ」

 



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第三十八話 口寄せ

 柊木(ひいらぎ)ユウ。ごく普通の一般家庭で育った特筆すべきこともない平凡な青年。

 

 父親は忍界大戦で戦死。母親は元々病気がちで身体が弱い人だったが、夫に先立たれた精神的ショックのせいか、後を追うように数年後に亡くなっている。

 

 パラパラと手元の資料を捲る。

 

 ◯年◯日 中忍に昇格。

 

 ◯年◯日 中忍昇格から三年後、木ノ葉上層部の推薦を受けて火影直属の暗部に所属。うちはスバル率いる“に班”に配属。

 

 ◯年度 火影直属の暗部 所属一覧 “に班”隊長ツミ、以下班員ユノ、ヨル、タキ

 

 次の資料に移ろうとしていた手が止まる。

 

「木ノ葉上層部からの推薦……柊木ユウ……ユノ」

 

 私は無意識のうちに包帯の上から首元の傷に触れていた。

 大した怪我ではないのに、じくじくと痛む。まるで何かを訴えかけているかのように。

 

 あの狐面の青年はスバルかユノか。それとも別の誰かか。

 ユノという青年が当時の木ノ葉上層部……つまりダンゾウと繋がりのある人物だった可能性は非常に高い。彼は恐らく根の人間だ。

 

 やっぱり、根は今回の大蛇丸の件に絡んでる。

 

 狐面の青年の正体が誰であれ、スバルは一体……。どこにいて、何をするつもりなの?

 

 

 

「これで少しは楽になったはずじゃが……」

「ええ。ありがとうございます、火影様」

 

 死の森、中央塔にあるモニタールーム。

 私が別室で資料を読んでいた間に火影様が到着していたようだ。何か処置をしたのか、アンコさんの顔色は随分と良くなっている。

 

 私に気づいた火影様が、疲れの滲む顔に笑みを浮かべる。

 

「何かめぼしいものはあったかの」

 

 その視線は私が抱えてる資料に向けられていた。

 

「いえ……空振りでした」

 

 まだ火影様には話せない。この件にスバルが関わっているかもしれない以上、何が彼の足を引っ張るか分からないから。

 

「中忍試験はどうなりましたか? 中止の知らせはいつ――」

「試験は続行する」

 

 火影様の言葉は私の胸にずっしりとのしかかってきた。

 

「大蛇丸の捨て台詞が原因ですか? このまま試験を続行すれば、うちはサスケ君や他の受験生に危害が及ぶかもしれないのに」

「セキ」

「今すぐ中止にすべきです! 丁度、木ノ葉には同盟国が集まっています。彼らの協力を得れば……!」

 

 火影様の表情が曇ったのと、私が彼の危惧するところに気づいたのは同時だった。

 

「まさか、同盟国が…………」

 

 火影様はゆるりと首を振る。

 

「全て確証のないこと。……じゃが、大蛇丸ならやりかねん」

「…………」

 

 根どころか、同盟国の一部もしくは全てが大蛇丸と協力関係にあったとしたら。

 

 ……短慮な考えだった。

 

 俯いた私の肩に温かい手が触れる。火影様のものだ。

 

「セキ。お主がいつも誰かを気遣い、考えを巡らせていることはワシが誰よりも知っている。それを誇りこそすれ、恥じる必要はない」

 

 優しい言葉にぐっと何かが込み上げてくる。

 

 このような人に言えないことがあるという罪悪感が、さらに私を苦しめていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夢を見ていた。とにかく懐かしくて……ずっと見ていたくなるような、そんな夢。

 

「にいさん! ねえ、スバルにいさんったら!」

 

 こちらに背を向けながら去っていく兄さんを必死に追いかけるオレの姿は、今よりも無力な幼い頃のもの。

 オレの存在に気づいた兄さんが立ち止まり、こちらを振り返る。そのまま棒立ちになってじっと見下ろしてくる兄さんに飛びつけば、待っていたかのように広げられた腕がオレを包み込む。

 兄さんからはいつもお日様の香りがする。オレはそれがとっても好きだった。

 

「あのね、さっき母さんと手裏剣術の修行やったんだ。全部的に当たったんだよ!」

 

 スバル兄さんが柔らかく目を細める。

 

《そうか》

 

 素っ気ない言葉に感じるかもしれないが、スバルにいさんの顔を見れば、心の底から喜んでくれていることが分かる。

 そんな兄さんの不器用な優しさも大好きだった。

 

「だからね、今度はにいさんも一緒に――」

 

 幸せな夢は唐突に終わりを迎える。

 

 目の前で兄さんの身体が崩れて床に倒れる。

 ハッと顔を上げれば、そこにはあの日の父と母の姿もあった。

 

「あ……ああ、あ……」

 

 これは夢だ。ただの、悪い夢。

 

 スバル兄さんや両親の亡骸の向こう側で、怪しげな光が揺らめいている。

 

「……いつの日か」

 

 光はオレを指差して、まるで追い立てるように言葉を紡いだ。

 耳を塞ぐ。聞きたくない、聞きたくないのに、声は頭の中に直接響いて鳴り止むことはない。

 

「オレと同じ眼を持ってオレの前に来い。最も親しい友を殺し、その手をこのように血で染めて――」

 

 ぽたり、ぽたり。

 

 ――血。大切な人たちの身体から流れ出ていく、たくさんの血。

 

 

「……サスケ?」

 

 全身が……熱い。

 

 オレはいつの間にか夢からさめていた。いや、とっくにさめていたのかもしれない。

 

 視界が赤い。持ち上げた腕に浮かんでいる奇妙な模様の正体も、今だけは気にならなかった。

 

「……どうしたんだってばよ?」

「……ナルト」

 

 赤に染まる視界の中でオレンジが揺れている。()()()()()()は傷だらけで、その隣にいる少女も同様だった。

 

 見ていた夢の延長で、二人の姿が夢の中の“彼ら”の姿と重なる。

 あの時オレの頭を支配したのは恐怖だった。でもあの頃とは――違う。

 

 オレは大蛇丸にやられて気を失ったはず。大蛇丸は――見当たらない。だが、音隠れの額当てをつけた忍がいる。

 

 あれから……どれだけの時間が流れた?

 

「誰だ……? お前たちを傷つけたのは」

 

 二度と失うもんか。やっと、やっと……見つけたんだ。

 あの男への復讐以外で、自分が立っていたいと思える道の先を。

 

 

 

 次にオレの意識がはっきりとした形を取り戻した時には、サクラが泣いていた。全身の熱はすっかり引いている。

 そんなオレたちをナルトが複雑そうに見つめている。

 

 オレの首筋に呪印を残した大蛇丸という男が放った刺客たちは去っていき、ここにいるのはオレたちの班だけ……ではなかった。

 

「……なんでアイツらまでここに?」

 

 同期である奈良シカマルたちはまだしも、一個上であり、中忍試験開始前に少し揉めたロック・リー達の班まで揃っている。

 

「リーさん達は私たちを助けてくれたの」

「ゲジマユってば凄かったんだぞ! サスケ、お前の体術なんかよりよっぽど――」

「命の恩人をなんて呼び方してるのよアンタは!」

「ぶはぁっ!?」

 

 サクラにぶん殴られたナルトの頬にはくっきりと拳の跡が残った。……同情はしない。

 

「お前、オレ達が大蛇丸と戦っている間どこにいたんだ?」

 

 サクラとナルトは顔を見合わせて、ナルトがおずおずと申し訳なさそうに口を開いた。

 

「敵の幻術にかかって……」

「幻術? ……お前が?」

 

 叱られると思ったのか、ナルトがしゅんっと小さくなった。

 

「オレとの修行で何度も幻術対策やったのに。無駄だったようだな」

「……今でもアレが本当に幻術だったのか自信がないってばよ。イルカ先生や、昔のお前、スバル兄ちゃんまで出てきて」

「……スバル兄さんが?」

「そうだ! ちゃんとあの写真大事に取ってあるよな? まさか、スバル兄ちゃんのところだけ切り取ったりとか!」

「そんなことするわけないだろ」

「よかったぁ」

 

 心底ホッとしたように息をつくナルト。

 

「……アレは、オレにとっても大切なものだ」

 

 ナルトがどれだけスバル兄さんを慕っているかを実感するたびに、ずっとオレだけのものだった()()がもう違うのだと思い知らされる。

 あの写真は()()()()の大事なもので、オレが勝手にどうこうすることは出来ない。

 

「…………」

 

 未だにじんわりと熱と痛みを発している首筋に触れる。

 

 ――アナタは必ず私を求める……力を求めてね

 

 違う。オレは……今のオレはもう……。

 

 瞼を閉じればいつだって幸せだった頃の記憶が浮かんで胸が苦しくなる。

 でも、ナルトやサクラがいて。認めてはいけない新たな感情が芽生えているのも事実。

 

 今の幸せを享受することは、過去への裏切りなのか?

 

 両親やスバル兄さんの死を……。

 

 

「サスケ君」

 

 沈んでいた思考を掬い上げたのは、オレよりも全身の傷が痛々しいロック・リー。

 

「ボクではサクラさんを助けることは出来なかった。……完敗です。まさか君があれほどの力を秘めていたなんて」

「オレは……」

 

 記憶は途切れ途切れだが、アレが自分の力ではないことは分かってる。

 目の前で項垂れているリーに後ろめたさのようなものを覚えていると、彼はサクラに向き直った。

 

「サクラさん。次こそはアナタを守れるよう……もっともっと強くなります」

 

 リーの言葉を受けたサクラは心からの笑みを浮かべていた。なぜか胸の奥が鈍い痛みを放つ。

 

「……うん。私も、リーさんに負けないよう頑張らなくちゃ」

 

 短くなったサクラの髪が柔らかい風に吹かれて揺れている。

 その様子をぼんやりと見つめていたオレは、無意識のうちに手を伸ばしていた。

 

「…………髪」

「ひゃっ……さ、さささサスケ君っ!?」

 

 ズザザザザとサクラがあっという間に遠ざかっていく。

 行き場を失ったオレの手はその場に取り残され、サーッと顔色を悪くさせたサクラが涙目になりながら弁解する。

 

「ちっ、違うの! いきなりだったからびっくりしちゃって……!」

「……もういい」

 

 プイッと顔を背ける。内心は安堵していた。

 

 ……オレはサクラの髪についてなんて言うつもりだったんだ?

 

 小さくため息をついたオレの後ろでは、地面に手をついてこの世の終わりみたいに嘆いているサクラに、そんなサクラを勝ち誇ったように見下ろしているイノ、よく分からずぽかんとしているナルト達がいた。

 

 

 

 シカマルやリーたちと別れ、中忍試験を続行することになった。

 

 イノに髪を整えてもらったサクラは、しきりにオレの顔を盗み見ては(まったく盗めていないが)ポッと顔を赤くさせている。

 そんな反応をされてしまっては、オレの頬も少しずつ熱を持ってしまう。いい加減顔に穴があきそうだ。

 

 しかし、いつまでもそんなことに気を取られている場合じゃない。

 大蛇丸や音忍の襲撃で随分と時間を取られてしまったオレたちは焦っていた。

 

 音忍が置いていった地の書があるとはいえ、オレたちの天の書は大蛇丸によって燃やされてしまっている。

 試験の残り時間を考えると、すでに巻物を揃えて合格しているチームがいくつかいてもおかしくない。

 

「さ……サスケェ! まだ続けるのかよ!?」

「あともう少し」

「お前ってばさっきも同じことを……って、あぶね!」

 

 半裸で川の中に入っているナルトが抗議している途中、ピチピチと活きのいい魚が姿を見せたのでクナイを投げる。

 オレの投げたクナイはナルトの上半身スレスレを通過して、後ろの木に魚ごと突き刺さる。ナルトは奇妙なポーズで固まっていた。

 

「……まあ確かにお前一人じゃ大変だろうな」

「そうだってばよ! 今度はオレと交代して――」

「影分身を使えばいいんじゃないか?」

「…………」

 

 ガックリと項垂れるナルト。もう一度ナルトが水に潜ろうとしたその時、明るい声が降ってくる。

 

「サスケ君! 豪火球で火つけてもらっていーい? ご飯にしましょ!」

「…………先にメシにするか」

「なんでサクラちゃんの言葉は素直に聞き入れるんだってばよ。……このムッツリ」

「黙れウスラトンカチ」

 

 睨み合いを続けていたオレとナルトの腹が同時にぐうっと鳴った。

 

 

 

「本当にここで合ってるの? 誰もいないけど……」

「さっきカブトさんに詳しく聞いとけば良かったってばよ……」

「…………」

 

 無事に中央塔に辿り着いたオレたちは天と地の書を持ちながら途方に暮れていた。

 

「喋れねーくらいキツいなら座ってろ」

「……もう平気だ」

 

 肩を貸していたナルトが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

「ナルトの言う通りよ。無理しないで」

 

 サクラがカバンから取り出したハンカチでオレの額に浮かんだ汗を拭う。

 

「大蛇丸ってやつがつけたそのアザ、この試験が終わったらカカシ先生に――」

「ダメだ。カカシには言うべきじゃない」

「……どうしてだってばよ?」

「そうよ! 今すぐにでも見せたほうがいいくらいなのに」

「…………」

 

 このアザがヤバいのは感覚的に分かる。このまま放置しておけないことも。

 

「カカシが知れば試験を離脱しろと言うかもしれない。もし次の試験がこれまでと同じように三人揃って参加が条件だったらどうするつもりだ」

「それは……」

「……仮にそうじゃなかったとしても、オレはこの試験を放棄したくない」

 

 サクラはともかく、一生下忍のままだとしても試験続行を選んだナルトだ。こんなところでリタイアなんて、誰よりもしたくないに決まってる。

 

 ナルトは眉を寄せ、唇を震わせ、ぎゅうっと拳を握りしめた。

 

「でも……それでも……オレってばお前がそんな死にそうな面してんのに、試験のことなんて考えてられないってばよ」

「…………」

 

 そうだ、ナルトはこういう奴だった。だからオレも……。

 

 言葉に詰まっていると、ふと視線を彷徨わせていたサクラが「あれ……見て!」と天井付近を指差す。

 

「“天”無くば智を識り……」

 

 それは意味深な暗号のような文章。

 疑問符をいくつも浮かべているナルトの隣で、オレとサクラは「まさか!」と顔を見合わせる。

 

「この場所で、天と地の書を開けということか」

「カブトさんにも止められたのに大丈夫なのかよ!?」

「チッ、わざわざお前に説明してる暇はない。開けるぞ」

「お前はいちいちそーやってムカつく言い方を……」

 

 そう言いつつナルトはぺりっと地の巻物を開こうとする。

 そんなナルトを見て、サクラもごくりと唾を飲み込み……天の書を開いた。

 

 巻物に書かれていたのは――口寄せの術式。

 

「ナルト、サクラ! 今すぐソレを投げ捨てろ!」

「うおっ!?」

 

 二人がぶん投げた巻物からボンッと煙が上がり、人のような姿が見え隠れする。

 

 ゆっくりと薄れていく煙の中から姿を現したのは……。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 巻物によって召喚されたのは、見覚えのある鳥のお面を被った青年。何かを掴んでいたかのような、妙な体勢のまま固まっている。

 

〔…………アレぇ?〕

 

 彼の発した間抜けな声は狭い部屋によく響いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 うみのイルカは限界だった。その顔は土色になっており、さっきから冷や汗を流しすぎてカラッカラに干上がっている。

 

「まだ……まだいける。オレたちは中忍、これくらい耐え忍べなくてどうする……!」

「ああ……!」

 

 隣に立っている同僚もイルカ同様、酷い顔色をしていた。

 

 彼らは木ノ葉隠れの中忍であり、現在行われている中忍昇格試験における特別補佐官である。

 

 彼らに与えられた仕事は、受験生たちが奪い合う巻物に口寄せされ、時と場合に応じて受験生たちにとって悪魔もしくは天使役になること。

 つまり、試験(任務)を放棄して途中で巻物を開こうとした輩には制裁を、見事巻物を集めて中央塔に辿り着いた優秀な者には試験合格を言い渡す、心身ともに決して楽とは言えない重要な役目だ。

 

「なんで誰も部屋に戻って来ないんだ……? それかいっそ口寄せしてくれ……」

 

 隣の同僚の精神状態が不安定になってきたのを察したイルカは、次は己の番かとさらに顔色を悪くさせる。

 

 二人が担当する第二の試験は最大五日間に渡って実施される。

 

 巻物に記した術式によって生きている人間を口寄せする方法はいくつかあるが、今回は口寄せされる側の人間は受験生が持っている巻物と同じ術式の書かれた陣の上で待機する必要があった。

 

 ……察しのいい人は気がついただろう。

 もしもたった一人でこの役目を担う場合、下手をすれば五日間この場所から身動きできないということを。

 

 当然だがそんな酷い状況にはならない……はずだった。

 

 本来ならば担当する中忍が仮眠などで離席する場合、常に待機している他の仲間たちが一時的に交代することになっている。

 

 この場にはイルカともう一人の同僚しかいない。しかも、お互いにそれぞれ担当している巻物があり、どちらかがその役目を代わることなど到底できるはずもない。

 

「みんなが部屋を出ていって……どれくらい経った?」

「さあ……」

 

 もう限界だぁ……。

 

 二人の心の声が一致する。

 

 元々この部屋にはそれなりの人数が待機していたのだが、受験生の死体が発見されたとか、火影様が呼び出されたとか、動ける人間は今すぐ死の森に来るようにという指示を受けたりだとか。

 一人また一人と部屋を出ていき、時には生理現象で仕方なく離席した仲間もいたりして……最終的には彼らだけになっていたのだ。

 

「ちょっとくらいなら離れてもいいんじゃないか……? 五分……いや、せめて三分あれば」

 

 こいつ小じゃなくて大なんだなと思ったイルカは「オレなら三十秒だ」と心の中で張り合いつつ、ぶんぶんと首を横に振る。

 

「それはダメだ! その数分の間に受験生が巻物を開いたらどうする? しかもそれが不正だとしたら……オレたちの怠慢が受験生の合否を左右するんだぞ」

「だ、だよなぁ……でもこのままじゃオレたちの尊厳が先に死ぬんだが」

 

 それはそう。本当にそう。イルカは遠い目をした。

 

 尊厳死が先か、任務放棄という忍としての人生の終わりが先か……。

 

 究極の二択を迫られていた二人の前に、なんと救世主が現れた。

 

「……三代目の姿が見当たらぬようだが」

 

 片目を分厚い包帯で覆い隠した男である。

 目を輝かせていた二人はすぐに絶望に突き落とされた。

 

 志村ダンゾウ。かつては三代目火影の右腕として権力をほしいままにしていたタカ派の男。

 

 いくらなんでも無理だ!

 

 二人の心はまたしても一致する。

 

 ただの中忍が元木ノ葉上層部の男に「ちょっとトイレ行きたいんでここに立っててもらってもいいですか? あっ、もし口寄せされた場所が森の中だったら受験生を適当にボコっといてくれませんかね?」なんてお願いできるはずがない。ただの自殺行為である。

 

「火影様は今は席を――」

 

 残念だが今回は諦めるしかない。仲良く()()()を待とう。

 イルカとその同僚はアイコンタクトで完全に通じ合い、ダンゾウに火影であるヒルゼンのことを伝えようとした……のだが。

 

 そんなダンゾウの後ろからひょっこりと顔を出した人物がいた。

 

〔ダンゾウ様。火影様は中忍試験の会場である演習場の中央塔に向かったそうです〕

「そうか」

 

 いかにも暗部といった風貌の、鳥のお面を被った青年。

 

 彼の存在を認識した瞬間、イルカは口寄せの陣に片足を置いたまま青年に縋りついた。

 

「三十秒!! たった三十秒でいいんです、ここに立っていてください!」

〔……は?〕

「ずるいぞイルカァァッ!!」

「オレは三十秒だ! お前より何倍も早く戻ってくる!」

「嘘ついたんだ、オレ本当は十五秒なんだよぉ!!」

 

 そんなわけあるかと。そんなのもうたどり着く前に垂れ流す前提じゃないかと。

 

 イルカは同僚の慟哭を無視して走り去った。全ては己の尊厳を守るために。

 

 その場に取り残された同僚は、唖然としているお面の青年の腕を掴んで引き寄せようとした。

 

「頼むよ! そっちじゃなくてこっちの陣に立ってくれ! なぁに、別に難しいことを押し付けようってんじゃない。ただ目の前にいる受験生に……」

 

 お面の青年は、最後までその言葉を聞くことは出来なかった。

 

 ポンッという音と共に身体がどこかへと引っ張られる感覚ののち――

 

「お前は……あの日封印の巻物を持ち去っていった暗部……?」

〔…………〕

 

 哀れな青年はとある一室に口寄せされていた。

 



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第三十九話 七手

 厄日だ。これを厄日と呼ばずしてなんと呼ぶ。

 

 ダンゾウの野郎が三代目に「中忍試験は順調ですかな?」という煽り、いやお伺いをするために火影屋敷に行きたいと駄々をこねるから、護衛役としてついて行ったら……中忍試験に乱入する羽目になった。

 

 大蛇丸の件で試験の補佐を任されていた中忍たちが次々と呼び出され、極端な人手不足に陥っていたらしい。

 

 第二の試験で合格の鍵となっていた巻物への召喚役。

 

 ナルトが慕っている先生の膀胱が破裂しなくて良かったけど……。だからって、見ず知らずの他人である影分身(おれ)を死の森に召喚しなくても!

 

 不幸中の幸いは、召喚されたのが本体でもダンゾウでもなかったこと。

 俺が受験生だったら、巻物からダンゾウが出てきた時点で心臓麻痺で死んでるね。だんごやの三色団子を賭けてもいい。

 まあダンゾウは上っ面だけはいいから、受験生への対応もそれなりに上手くやっただろう。

 

 

「この場に残った全員に、第二の試験合格を言い渡す!」

 

 死の森、中央塔。

 

 サスケのいる第七班との唐突なエンカウントに、不審者と間違われて火影直属の暗部による拘束未遂。

 最終的にはなぜか試験終了を見届ける立場にいた。

 

「お前には聞きたいことが山ほどある」

〔…………俺たち、初対面みたいなもんですよね?〕

「クロネコのことだ」

〔…………〕

 

 雀鷹面(おれ)はアウトオブ眼中ってことね。

 

 隣に立っているのは、俺を暗部による拘束から救い出してくれたカカシである。

 

 サスケたちが開いた巻物に口寄せされた俺は、その足で部屋の奥の扉を叩いて自首した。無関係な人間なのにここに来ちゃいましたと。

 

 当然といえばそうなんだけど、めちゃくちゃ怪しまれた。しかもその部屋には暗部が待機していて、試験官まで一緒だった。

 

 自然な流れでお縄につきそうになっていた俺に助け舟を出してくれたのは意外にも暗部の一人で、さらには遅れて部屋にやってきたカカシの後押しのおかげで何とか拘束されずに済んだわけだ。

 いやあ、カカシ様様だなあ。

 

 三代目にも「あやつの護衛だったな。迎えがくるまでここにいるといい」と言われ、こうやって第二の試験終了を見届けてるわけだけど……。

 あれ? なんでわざわざ迎えを待たなきゃいけないんだ?

 

 あのダンゾウが迷子の部下を探しにきてくれるような殊勝な男だったらまだしも。今頃屋敷に戻って茶でも飲んでるに決まってる。だんごやのお汁粉も掛けていい。

 

〔クロネコは超元気です。これでいいですか?〕

「本当に元気なら一度くらい姿を見かけてるはずだ。まさか、波の国の件で何か……」

〔……いえ、普通に元気です、けど〕

 

 カカシは一体なにをそんなに心配してるんだ?

 

 波の国で本体が傷を負った記憶はないし、むしろ危なかったのはカカシたちの方なのに。

 もしかして、本体が見せてしまった“奥の手”のせいか?

 あれは写輪眼の能力の一つだから、カカシがそのことを知っていれば、俺がうちは一族だとバレて……。いいや、あれはどちらかというと“憑依”だったし、普通は同じものだとは思わないはずで……。そもそもお面越しに“赤い眼”を見られていたら――

 

「よくここまで残った。第三の試験について説明する前に、お前たちに知っておいてもらいたいことがある」

 

 ぐるぐると巡り続ける思考に沈んでいたら、いつの間にか三代目の話が始まっていた。

 俺が中忍試験を受けた時には聞けなかった、試験の真の目的について。ダンゾウの元にいれば嫌でも耳に入ってくる話だ。

 

〔…………〕

 

 やっぱり、見られてる。

 

 部屋の隅に待機しているのは、カカシが来る前に俺のことを庇おうとしてくれていたウサギ面をつけた暗部。

 大蛇丸の件もあるし、暗部がこういう場に姿を見せていること自体はおかしくない。ただ、やけに俺のことを気にしているようだ。

 

 火影直属の暗部なら、俺の雀鷹面を直接的もしくは間接的に知っている可能性がある。

 

 でも……なんか違う気がするんだよな。写輪眼になってチャクラの質を確認すれば分かるかもしれないけど。そんなリスクは冒せない。

 

「……そんなわけで、第三の試験の前に予選を行います」

 

 第二の試験が難しすぎて、俺の時には実施すらされなかった予選。始まる前にさっさと退散しよう。

 

「おい、どこにいく気だ? オレはまだ――」

 

 目敏く気づいて俺の逃亡を阻止しようとしてくるカカシ。

 

 やれやれ。元友人としてアドバイスしてやるが、しつこい男は嫌われるぞ。

 

 俺は振り向きざまにキュルンと両の拳を顎に密着させた。

 

〔やだあ、カカシさんったら! ナンパするならもっと時と場所と相手を選ばないとっ!〕

「なにぃ!?」

「オレの永遠のライバルにそんな趣味が!?」

 

 秘技・相手が冤罪の対応に追われてる間に逃げちゃおうの術!

 

 なんか別のところにも飛び火したようだけど、俺はなにも見なかった。憧れのあの人なんていなかった。

 認めてしまったら、この場から離れがたくなっちゃうだろ!

 

 カカシが全身タイツの人に捕まったのを確認し、俺はこっそり部屋を出た。

 尊い犠牲をありがとう。カカシ、お前のことは忘れない。

 

 

 そのまま死の森の奥へと進もうとして――立ち止まる。

 

 草木が風で揺れている。この場にある気配は、俺を入れて二つ。

 

 無視するわけには……いかなさそうだな。

 

〔……俺はダンゾウ様の護衛を任されてる人間だ。これ以上はお互いの信用問題に関わる〕

 

 もう一つの気配はだんまりを決め込んでいる。俺は大袈裟にため息をついた。

 

〔火影様がこのようなことを認めるはずがない。……お前の独断だろう? さっき庇ってくれたのは助かったが、それとこれとは話が別だ。俺の後をつけてもお前にはなんのメリットもない〕

 

 かさりと音を立てて草木の間からウサギのお面が顔を出す。身体つきと右腕の暗部の刺青からして、女だろう。

 彼女は胸の前で両手を握りながら、覚束ない足取りで近づいてくる。

 

 高すぎず、低すぎず。やけに心地よい声が耳に届いた。

 

「…………お願い」

 

 彼女の声は震えていた。その不安定さはあっという間に俺に伝染して、ごくりと息をのむ。

 

「逃げないで。……ここにいて」

〔…………〕

 

 簡単に接近を許してしまった体温が、俺の腕の中にいる。

 

 …………なんで?

 

 暗部のお面。暗部の忍装束。暗部の――刺青。

 

 なんで、セキが暗部に。

 

「あなたの心なら読める。まだ……私にもハッキリと伝わってくる。どうして、そんなことになってるの?」

〔俺、は……〕

 

 困惑、焦燥、怒り。

 

 ああ、ダメだ。これはダメだろ。こんなの、本体が知ったらどうなるか。

 三代目、貴方ならセキを危険から遠い場所で守ってくれると()()()()()のに。

 

「君の本体は大蛇丸と一緒にいるんだね」

〔……なんでそれを〕

「私は中忍試験の補佐官。“彼”にもすでに会ってる」

 

 セキがお面を外した。彼女と正面から向き合ったのはいつぶりだろう。

 

「スバル。君はこの中忍試験で……」

 

 突然夢から覚めたように、抱きしめようとしていたセキを突き放した。

 

 ――何をしてるんだ、俺は。

 

「……どうして?」

〔ダメなんだ。セキには、セキにだけは話せない〕

 

 本体はとっくに覚悟の上だった。

 

 三代目を殺す手伝いをして、セキに恨まれる覚悟。

 三代目を慕う里の人たちの希望を奪う覚悟。

 

 人の命を奪うことに覚悟だなんてどうかしてる。バカみたいだ。

 でも、俺には必要だった。

 

 俺は、全部捨てなくちゃいけなかった。

 

 俺以上の犠牲を払うことになってしまったイタチ。

 突然両親や一族の庇護を失い、たった一人で立って復讐という茨の道を歩まなければならなくなったサスケ。

 

 どうすることも出来なかった。俺が無力だったから。俺が捨てきれなかったから。

 

 それももう――過去の話。

 

 

〔……ここで会えてよかった〕

 

 どうか彼女に心が伝わっていませんようにと願うことしかできない。

 

〔前に言ってくれたよな。望むままに、自分のためだけに生きればいいって〕

「…………」

〔やっぱり俺はそうは生きられないみたいだ。折角与えてもらった“権利”を手放せそうにない〕

 

 そこで一旦俯いて、眉を寄せる。

 

 幸せだった頃の記憶は時として足枷のように俺の歩みを妨げようとするが、幸福な記憶だけが俺を生かしてくれる。

 過去だけが、俺を肯定してくれる。

 過去だけが、俺を戒めてくれる。

 

〔中忍試験にはもう関わらない方がいい。それから、俺の本体には絶対に近づかないで〕

 

 セキの口からさらなる疑問が飛び出してくる前に、絞り出すように呟いた。

 

〔……きみに傷ついてほしくない〕

 

 傷つけたくないとは、言えるはずもなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 影分身(おれ)は一度本体の記憶と混ざり合った後、第三の試験開始と共に再び肉体を与えられた。

 

 予選が行われてから一ヶ月のインターバルを経て、今日に至る。

 

 俺のときもそうだったなあ。確か、試験前日にはイタチと一緒にだんごやの新作を食べに行ったんだっけ。あの時食べた団子は格別に美味しかった。

 

 ダンゾウの屋敷。空は雲ひとつなく、絶好の試験日和だった。

 

〔部下たちが第三の試験がよく見える席を確保しています〕

「ワシは屋敷に留まる。お前も残りの部下たちを連れて大蛇丸の補佐に向かえ」

〔それでは、ダンゾウ様を護衛する者がいなくなります〕

 

 ダンゾウは一瞬だけ、恐らく自分でも自覚しない程度に俺を煩わしそうな目で見た。

 

〔……分かりました。何かあれば鳥を飛ばしてください〕

「…………」

 

 ダンゾウは何も言わずに屋敷の奥へと消えていく。

 

 あのダンゾウがこんな日に一人で屋敷に籠るだなんて。

 またこっそり火影の椅子に座ってやらかすつもりか? 懲りない奴だな。

 

「隊長。やはり数人は屋敷に残した方がいいのでは」

〔ダンゾウ様の命は絶対だ。このまま全員で試験会場に向かう〕

「……はい!」

 

 どことなく不安そうな雰囲気を醸し出している部下たちの中に、イロの姿はない。

 彼はモズと共に里周辺の監視を任されている。俺たちと違ってイロは空からも里の状況を確認できるからだ。

 自分で描いた鳥に乗れるなんて便利だよな。

 

 一度だけ、イロに「隊長も何か描いてみますか?」と墨のついた筆を差し出されたことがある。

 これまで絵なんて描いたことがなかった俺のそれは、まあ酷いものだったらしい。イロのあんな引き攣った顔は初めて見た。

 ……別にいいよ。絵が描けなくても生きていけるから。

 

 

 第三の試験が行われる会場は、以前俺が参加した中忍試験と同じ闘技場。

 

「な、なぜ……同じ木ノ葉の暗部が……」

〔…………〕

 

 先ほど心臓を貫いた男はこちらに手を伸ばして……力なく地面に伏した。

 男の死体を近くの森に隠し、彼がつけていたお面を被る。

 

〔お面を付け替えたら観客席に〕

「はい」

 

 俺と同じように火影直属の暗部たちからお面を奪った部下たちと共に、会場へと侵入する。

 

 この闘技場は観客たちが中央のアリーナを見下ろす形になっていて、俺たちは観客に紛れて深くフードを被って待機していた。

 

 こんな形でまたここに来ることになるなんて、あの頃の俺は想像すらしなかった。

 

 まずは開催国の代表である三代目の挨拶から始まり、早速最終試験が行われる。

 

 一回戦は、ナルトと日向一族の少年。審判は彼ら以外の受験生が控え室へと下がったのを見届けてから、開始の合図を送った。

 

 ついナルトたちの戦いに意識を向けそうになりながら、会場内を見渡す。

 本体はどこにいるんだろう。大蛇丸が風影に成りすましていることは知ってるけど……。

 

 大蛇丸を警戒する木ノ葉側のピリついた気配に、作戦の成功に全てを賭けている砂隠れ含む俺たち側の緊張感。

 それらが混ざり合った会場内は異様な空気に包まれていた。

 

 一部の人間たちの思惑など、受験生たちには関係ない。

 

 試験は恐ろしいほど順調に進み、ついにその時が来た。

 

 遅れて会場に到着したサスケと、砂側の我愛羅の戦い。

 会場全体が彼らの下忍離れした動きに魅了され、夢中になっている間に木ノ葉崩しの舵は進む。

 

「うっ!」

 

 背後から急所を狙い、観客を気絶させていく。

 一人、また一人と倒れていくが誰も異変には気づかない。

 忍ですらない一般人たちはすでに幻術(ゆめ)の中。

 

 やがて、大蛇丸の部下であるカブトの幻術が会場全体を包み込んだ。

 

 ――始まった。

 

 俺は被っていたフード付きのコートを脱ぎ捨てて、ホルスターから抜き取ったクナイを両手に持つ。

 

 カブトの幻術でほとんどの人間が動きを封じられたが、優秀な忍はそう簡単に幻術には嵌まらないものだ。

 

「どうなっている!? 火影様は!?」

「会場内に配置していた暗部が入れ替わっていたとは……」

「上だ! 風影様が火影様を……!」

 

 木ノ葉のエリートたち。不意打ちだったにも関わらず、難なく幻術返しをしてくるとは。

 

「なんだお前は? まさかお前も……ぐああっ!?」

「おい、どうした!?」

 

 ――だが、反応が鈍い。

 

 俺の投げたクナイが背中に突き刺さった男が倒れる。隣に立っていたもう一人の男がやっと気づいた時には、俺は背中の忍刀を抜いた後だった。

 

「…………」

 

 ぷしゅう、と斬りつけた首筋から大量の血が吹き出す。

 

「あ……あ、ああ……」

「…………」

 

 何の罪もない、木ノ葉の仲間。なぜか、いつかのテンゾウさんの言葉が、叫びが、頭の中にこだまして――すぐに振り払う。

 

「…………」

 

 迷うな。こんなことで揺らぐな。俺の足元はこんなことで崩れたりしない。

 

 お面に飛び散った血を手の甲で拭う。俺に首を掻き切られた男は、すでに地面に転がっていて動かない。もう、動けない。

 

 新たな標的を探そうと顔を上げた俺は、次の瞬間には蹴り飛ばされていた。

 咄嗟に腕でガードしたが、全く間に合わなかった。

 

「……ッ!!」

 

 ――何だ、今のは?

 

 ――俺は()()()()()

 

 ガラガラと瓦礫が崩れる音がする。背中からだ。

 ふらりと立ち上がる。打ちつけた背中がズキッと痛んだ。……スライム体じゃなければ骨がやられていたかもしれない。

 

 写輪眼無しでも反応速度だけは自信がある。その辺の忍には負ける気がしない。

 

 オリジナルより劣るとはいえ、木ノ葉に俺以上に速い忍なんて――

 

「なんだお前は」

 

 真っ先に視界に入ったのは、目に優しい緑色。

 

「木ノ葉の暗部……ではないようだな」

 

 …………マジか。いや、マジか。

 

「ふむ。どうやらオレの動きを目で追えていたようだが……体が反応できないならどうしようもない」

 

 まったく、その通りだ。俺ではこの人には到底敵わない。

 

 声の主が、すうっと胸の前で拳を構える。所作の一つ一つに無駄がなく美しい。

 彼の動きにその場の空気が支配される――飲み込まれてしまう。

 

 

 ――化け物だ。

 

 拳を合わせる必要もない。勝てる要素が一つもないことくらい、俺でも分かる。

 

「里に仇なす存在は、このオレが一人残さず正義の鉄槌を下してやる!」

 

 緑色の全身タイツに上忍のベストを合わせるという個性的すぎる格好をしたその人は、目を疑う速度で俺との距離を詰め――

 

 洗練された動きで木ノ葉剛力旋風を放った。

 




じんせいを書き始めて一年、ハーメルンさんと出会って一年でした。
お気に入り・評価・感想・誤字報告、いつも励まされてました。本当にありがとう〜!!
今年もよろしくお願いします!


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第四十話 裏切り

 ――体術とは肉体の強さではなく、精神の強さにあり。

 

「スバル。何読んでるの?」

「…………」

「木ノ葉新聞か。僕にもあとで見せてくれる?」

「…………」

「ありがとう」

 

 アカデミーの昼休憩。この三十分間に出来ることは限られてる。ゆっくりご飯を食べる人もいれば、食事もそこそこに体を動かすことに夢中になる人がいたり、午後の授業の予習にあてる人もいる。

 

 俺の場合はおむすび片手に新聞を読む、だった。

 

 クラスメイトにはドン引きされてるけどやめるつもりはない。なぜって? 弟が大好きだと言ったこの国のことをもっと知っておきたいし、里で危険なことが起きていると予め知っておけば、警戒することもできるからだ。

 

 まあでも今は忍界大戦のせいで特に変わり映えもしない記事ばかりが並んでる。◯◯橋での攻防戦はどうなったかとか、◯の国の最新の動向だとか、優秀な忍が戦死したとか。

 時期火影候補に挙がってる黄色い閃光の目覚ましい活躍のおかげで、敗戦の色濃い木ノ葉もなんとか他里に食らいついている状況らしい。

 

 ……木ノ葉が負けて、他里がここまで攻め入ってくるなんてことあるのかな。

 

 自分の想像にぶるりと身震いする。ナシナシ、今のナシ。洒落になんないよ、マジで。

 

 今日の新聞もいつもと同じ。それも仕方ないことかと、ため息と共に新聞を閉じようとしていた俺は、隅っこの記事になんとなく目を向けて――首を傾げた。

 

 真っ先にインパクトを与えてきたのは、添えられていた小さな写真に写っている人物。綺麗な歯を見せてニカリと豪快に笑っている。

 

 誰だこれ。なんか濃っゆいな……。

 

 いかにも大戦と無関係そうな記事が逆に気になって、閉じかけていた新聞を開き直す。

 

 書かれていたのは――()()()()()を追い求めた男の努力の結晶と、その集大成。

 

「あれ、スバルまだ読んで……」

 

 離席していたセキが戻ってきて、不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。

 

「なんだか……嬉しそう」

「…………」

 

 そりゃあ、もう。嬉しいなんて言葉だけじゃ足りないくらいだ。

 

 セキがふわりと笑う。

 

「そっか。この人、スバルとちょっと似てるんだね」

 

 似てる、のかな。

 

 この人は俺以上に恵まれない環境にいながら、きっと苦しいだけの日々もたくさんあっただろうに、己の努力を信じ抜いて体術だけを極めた。

 本当に……すごい人だ。

 

 

 

 ――体術の核は肉体ではなく、精神に宿る。

 

 憧れは、ひたむきさに。目的についてくるだけだった努力は、自信に。

 

 イタチを守れるよう、兄として恥ずかしくないよう、ただただ強くなりたかった。でも忍術も幻術も上手くいかなくて……。

 

 そんな時に背中を押してもらったというより、むしろ引き留めてもらったというか。

 

 出来ないことは罪じゃないって許されたような気になったんだよ。

 不得意なものがあったっていい。得意なものを大切に育てて伸ばしていけばいいんだって。

 

 ――声も出せない出来損ないだって、努力すれば一人前として認めてもらえるんだって。

 

 あの頃の俺は一族や家族という狭い世界の中で生きていたから。彼らからの評価が絶対で、それを信じて疑わなかった。

 

 一族の大人たちに認めてもらいたい。

 

 弟にとって頼れる兄でありたい。

 

 俺は夢を叶えたようでいて……全部手放した。この手に掴みかけたものたちを、何の躊躇いもなく。いや、躊躇いにすら気づかないふりをして。

 

 

「……どうした? なぜ反撃してこない」

「…………」

 

 過去へと飛んでいた思考が戻ってくる。

 

 ああ……そうだったな。

 

 お面の裏側で表情が強張ったのが分かる。

 混乱の渦に巻き込まれている闘技場内は慌ただしく、根の仲間たちが一人また一人と倒れていく。

 

 ずっと垂れ下げていた両腕を持ち上げて――構えた。

 

「ようやくやる気になったようだな」

「…………」

 

 その人は、真剣な表情をして俺とまったく同じ構えをとる。

 胸がドキドキして煩い。他には何も聞こえないかと思いきや、相手の息遣いだとか、動かした足が砂利を撫で付ける音とかは、やけにはっきりと聞こえてくる。

 

 ああどうしよう。死にそう。ここにいたのが俺じゃなくて本体だったら、もっと上手くやったのかな。

 

 この人に目をつけられた時点で、逃げるという選択肢はないに等しい。足の速さで勝てる気はまったくしないし……。

 

 だからって大人しく白旗を振るつもりもない。

 みっともなく逃げ出したなんて部下からダンゾウの野郎に密告されたら終わるからな。

 

 そもそも前提が間違ってた。

 

 勝てるか勝てないかじゃない。()()()()と思うかどうか、だ!

 

 ですよね、ガイ大先輩。ずっと追いかけるだけだった貴方に少しでも届くのなら。

 

 俺は今ここで、貴方に勝ちたい。さあ、手合わせ願おうか。

 

 ガイ大先輩が動いた、と思ったらもう目の前にいた。あっ、ちょっ。

 

「木ノ葉――」

 

 ――木ノ葉

 

「旋風ッ!!」

 

 ――旋風!!

 

 急接近してきたガイ大先輩の後ろに回り込むように身体を捻らせ、勢いを殺さぬよう注意を払いながら回転と共に蹴り上げた。

 

 俺とガイ大先輩はお互いの蹴りの衝撃を殺し合い、それを利用してさらに高く飛び上がる。

 

「ほう……」

 

 そんな感嘆のため息のようなものを聞いた気がしたが、感情を割く余裕すらない。

 

 くるくると何度か回転して闘技場の観客席に着地する。しかし、すぐ横に飛んだ。さっきまで俺がいた場所は大岩でも降ってきたのかと思うくらいの大穴があき、そこにはガイ大先輩が立っていた。

 

「…………ッ!!」

 

 もうもうと視界を遮る砂埃。そこから飛び出してきた突きを間一髪で避ける。

 

 この視界不良で正確にこっちの急所を突いてくるか、普通!?

 

 二転三転して距離をとり、俺の動きに追従するように迫ってきた蹴りを背中から抜き取った忍刀で受け止める。

 

 ああっ、体術のみでやりたかったのに!

 

 でもそんなこと言っていられる状況じゃない。やっぱバケモンだろこの人!!

 

 写輪眼になれば完全に目で追えるだろうけど……さっきも言われたように身体が置いていかれてるんじゃ意味がない。

 スライム体なのにさっきから冷や汗が止まらない。

 

 …………なんて遠いんだ。

 

 俺の刀を押し返そうとするゴリラを彷彿とさせる力。そのあまりの強さに刀を手を持つ両手は震え、刀からはカタカタカタと音がする。

 

 作られた時に本体から貰ったチャクラを両手両足に纏わせ、一気に押し戻す。

 

「くっ……!」

 

 一瞬バランスを崩したガイ大先輩に近づく。その時点ですでにガイ大先輩は俺からの攻撃を予測して受け身の体勢になっていた。

 ……なんというかもう、完敗だ。大したダメージが入らないのを承知で蹴り飛ばす。

 

「…………?」

 

 ガイ大先輩はやはりすぐに立ち上がったが、その表情は固まっていた。

 

 なんだ?

 

 不思議に思っていたら、背筋をゾクリと悪寒のようなものが撫で上げていった。

 思わずその場から飛び退く。俺の後ろにいたのは――

 

「…………」

 

 暗部のお面を被った忍。見たことのない面だ。服や額当てにも返り血を浴びていて、とくに右腕は酷い有様だった。まるで、その腕で人間の体を貫いたような……。

 

「……誰だ?」

 

 俺の気持ちを代弁するようなガイ大先輩の言葉に、少しずつ頭が冷静さを取り戻していく。

 

 その忍はすらりと引き抜いた忍刀を構える。

 

 ぽたり、ぽたり。暗部が刀に添えている手のひらから返り血が滴り落ちていく。

 

 一瞬の静寂。

 

 忍は瞬く間にガイ大先輩の真上に移動する。

 

 太陽の光を反射した刀が、勢いよく振り下ろされた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時間は止まってしまった。何度も何度も、あの日の後悔を繰り返してばかりいる。

 

 

 俺だけは絶対にそばを離れちゃいけなかったのに。

 

 どうして寄り道をしてしまったんだろう?

 

 

 ――まちがっていた。ぜんぶ、ただのまちがい。 

 

 イタチと交わした最初で最後の約束すら守れなければ俺が生きている意味はない。

 

 ……依頼人の家族なんてどうでも良かったじゃないか。

 

 ガトーの言葉を無視して真っ直ぐ橋に向かっていればサスケが死ぬことなんてなかった。

 

 

 ああ……ちがう。ちがっただろ。サスケは死んじゃいなかった。

 

 でも死んだようなものじゃないか。サスケは、一度死んだ。

 運が良かっただけ。運が悪ければすべて現実のもの。

 

 ふれたときのつめたさも、ぜつぼうも……。

 

 ここにあるべきはずのものだった。

 

 

 

「今日から本戦……いよいよね」

「…………」

「クロネコ。アナタは風影(わたし)の側近の一人としてそばにいなさい。会場内を満たすカブトの幻術が合図。もう一人が煙幕を張るから、結界を担当する四人の音忍が無事に私の元に辿り着けるようサポートほしいのよ」

 

 大蛇丸の言葉に頷いて、首を垂れる。

 

 今の俺はこの手で殺した風影の側近の一人になりすましているから、お面を被ることは出来ない。

 

「音忍たちが無事に結界を張ることができたら、あとは好きにするといいわ。そうね……観客がいた方が盛り上がるけれど、結界に集まってきた奴らを始末するのはどうかしら。アナタだって暇は嫌いでしょう?」

「…………」

「さあ……もう行かなくては。私たちの()()へ、ね」

 

 地面についていた片膝を伸ばして立ち上がる。

 

「楽しみだわ……猿飛()()がどんな顔をするのか」

 

 風影の姿のまま、大蛇丸は不敵な笑みを浮かべる。

 長い舌をだらりと垂らすその姿は、まさに獲物を前にした捕食者()のようだった。

 

 

 

 第三の試験。まさにこの中忍試験の本命とも呼べる二人の対決が行われている最中、作戦は決行された。

 

 幻術に包まれる観客席からは悲鳴の一つすら上がらない。見事な手腕だった。

 混乱に乗じて大蛇丸が三代目を拘束し、部下たちが後に続く。

 

「なんだあいつらは!? 火影様に何を……!」

 

 結界を張る邪魔をしようとした暗部の首をはねる。ごろごろと足元に転がってきたそれには目もくれず、次から次へとやってくる暗部を斬り殺していった。

 

 想定よりも配置されていた暗部の数が多い。三代目も第二の試験で姿を見せた大蛇丸を甘くみてはいなかったようだ。

 

「同盟を組んでいる砂が裏切るなど、恥知らずな!!」

 

 これは、元はといえば大蛇丸を放し飼いにしていた木ノ葉側の落ち度。風影が大蛇丸の手にかかってしまった時点で、砂隠れだけを責めることは出来なくなった。

 

 “義”がどうのと騒ぎ立てている忍を殺し、根の部下たちが順調に仕事をこなしているのを横目に、漸く敵一人いない結界の前に立つ。

 

「……フン。あの程度の奴らの一掃にこれだけの時間がかかるとは」

 

 結界を張っている大蛇丸の部下の一人がそう吐き捨てる。

 これから大蛇丸の部下となる俺のことが気に入らないんだろう。その目は敵対心が露わになっていた。

 

「おい、無駄口叩いてると結界が()()()だろうがッ! 集中しろ!」

 

 大蛇丸の部下である四人が張る結界に最初の不安定さはすでになく、三代目ですら容易には突破できないようだ。

 

「隊長! 影分身があのマイト・ガイと交戦中。苦戦しているようです」

「…………」

 

 駆け寄ってきて、誰にも聞こえないよう耳打ちしてきた部下に頷く。

 部下の右肩を指で押し、結界に目を向ける。

 

「はい。ここは我々にお任せください」

 

 上手く伝わらなかった。首を横に振る。

 

「……向かわれないのですか」

 

 そうだと頷く。いくらでも作り直せる影分身の為にこの場から離れるわけにはいかない。貴重な戦力ではあるが、最優先事項でもない。

 

「では、私たちだけで」

 

 こくりと頷く。今度こそ正しく汲み取ってくれた部下は他の仲間を引き連れて姿を消した。

 

 

 

 ――ついにこの時がきた。

 

 それほど長くもない時間でも、俺には永遠のように感じられてしまう。

 

 大蛇丸と三代目を囲っていた巨大な結界が、みるみるうちに消失していく。

 

 勝敗が決した。

 

 ()()()なのか、()()()()なのか。

 

 どちらであろうと……俺は役目を全うするだけ。

 

 溶け出した蝋のように沈んでいく結界から飛び出してきたのは、大蛇丸と四人の部下たちのみ。

 

 地面を蹴り、彼らの後を追う。その際に結界があった場所に目を向けた。

 

「…………」

 

 木ノ葉を守り続けた火影のあまりにも変わり果てた姿。

 

 ……あの人は最期まで最善を選び続けてきたのかもしれない。

 

 そう思えるのは今だからこそだろう。俺は……。

 

「逃すか、囲い込め!!」

 

 結界が破れてすぐ、タイミングを見計らっていた木ノ葉の忍たちの半数は三代目のところに、残りは大蛇丸の元へと走った。

 

 大蛇丸の部下の一人が蜘蛛の巣を張って暗部たちを捕える。

 

「お前も手を貸せ! 大蛇丸様を安全なところへお連れする!」

「…………」

 

 言われるまでもない。

 大蛇丸に向けられた水遁をチャクラを纏った拳で破壊し、体術には体術でやり返して彼らの逃走を援護した。

 

 

 木ノ葉の外れにある森へと逃げ込んだ時には、すでに追っ手の姿は一人も見当たらなくなっていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 部下たちに身体を支えられている大蛇丸の息は荒く、顔色は地面の土と大差ない。額にはいくつもの汗が浮かび、頬を流れていく。

 

 大蛇丸は三代目の殺害には成功したが、失ったものの方が大きかった。

 

 懐から取り出した白猫の面を付ける。軽い静電気のような痛みが額に走り、聞き慣れた音を発した。

 

『大蛇丸様』

「…………」

 

 大蛇丸が顔を歪ませながらもこちらを振り返る。彼の部下たちも怪訝そうに俺を見た。

 

『ダンゾウ様から伝言と、これを預かっていました。全てが終わったら渡すようにと』

 

 それは、藍色の紐で結ばれた巻物。

 

「後に……しなさい。今はそれどころでは」

『いいえ』

 

 苛立ち混じりの大蛇丸の言葉を遮る。

 

 俺は巻物を持ったまま大蛇丸へと近づき。

 

 そして。

 

「なっ……!!」

『申し訳ありません』

 

 大蛇丸の心臓を、忍ばせていた小刀で――貫いた。

 

 俺の手から転がり落ちた巻物の紐が解かれ、何も書かれておらず真っ白なそれが地面に広がっていく。

 白に飛び散った大蛇丸の血の赤さに目を細める。

 

『ダンゾウ様からの伝言は、“お前はワシの役に立ってくれたが、これ以上野放しにすることはできぬ”です』

 



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第四十一話 不器用な男

 大蛇丸の胸を貫いたのは使い慣れた忍刀ではなかったが、確かな手応えがあった。

 

 ずるりと引き抜くと、待っていたかのように血が噴き出してくる。

 

「ぐっ……まさか、ダンゾウが裏切るなんてね……」

「大蛇丸様!」

「貴様……ッ!!」

 

 大蛇丸を囲む四人の男女の反撃を食らわぬよう、木に引っ掛けたワイヤーで距離を取る。

 着地した枝が大きくしなり、枝先からいくつかの葉が落ちていく。

 

『…………』

 

 五対一、実質は四対一か。あまりぐずぐずしているとカブトという手練れが合流してしまう。

 あの男はどうも嫌な気配がする。木ノ葉にスパイとして潜り込んでいたことといい、()()()()知られているのか……。

 

「私相手に貴方一人を寄越してきたということは、それほど貴方の実力を()()していたのか、あのジジイの置き土産を予想していたのかしら……」

『…………』

 

 良くも悪くもダンゾウが己の部下の力を過信しすぎるところがあるのは、第一回火影暗殺未遂事件の時から明らかだ。

 というより相手を見縊りすぎてるんだ、あの男は。

 

「無駄、よ。アナタのしてきたことも、今からしようとしていることも、全部無駄なのよ」

「大蛇丸様、これ以上はお身体に……」

「黙りなさい」

 

 大蛇丸は心配そうに声をかけてきた部下を一喝した。部下はしおしおと項垂れ、それでも大蛇丸を支える腕は離さずにいる。

 

「知っているで、しょう? 私の今の身体、は……かつての私のものではないことを。両腕を持っていかれ、心臓を突き刺されても、私は、死なないッ! 新しい器を見つけて私のものにするだけ……」

『ええ。ですが、全てはダンゾウ様が決めたこと。そこに俺の意思は関係ありませんので』

「ふっ、ふふふ……本当に、惜しいわね。アナタのような忠実な部下が欲しかったのだけれど」

 

 ダンゾウといい大蛇丸といい見る目がない。

 俺からすれば、邪険にされた後ですらもひたすらに大蛇丸の身を案じている彼らの方が優秀で忠実な部下だ。

 

『貴方を殺せないことはダンゾウ様もご存知です。ですが……その術はそう何度も使えるものではないでしょう』

「……初めから」

 

 大蛇丸の唇がわなわなと震える。

 

 イタチを次の器として狙っていた時期はハッキリとしないが、おおよそは分かる。

 

 以前大蛇丸と俺の影分身が交戦した時にやけに動きがぎこちなかったのは、恐らく以前の身体にガタが来ていたか、新しい身体になって間もなかったから。わざわざ口寄せで命令を聞かない大蛇を召喚したのもそのせいだろう。

 あの時大蛇丸が本領を発揮できていれば、俺の影分身レベルの相手に手を焼くこともなかったはず。

 

 しかし、一度イタチという素晴らしい器と出会った大蛇丸は今の身体には満足出来なかった。

 

 だからサスケを狙った。うちは一族であり、イタチと同じだけの瞳力を宿す可能性のある優秀な身体を。

 

『大蛇丸様。貴方のおかげで木ノ葉はこれから新体制へと移行する。三代目火影という抑止力から解放されたダンゾウ様は、今以上に木ノ葉の地中深くに根を広げる……』

「…………」

『貴方が次の器に乗り移り、本来の力を取り戻すまで。ダンゾウ様はその期間を“数年間”だと予測しました』

「……よく、喋るじゃない。それもダンゾウに命令されたことなのかしら」

『はい』

 

 察しのいい大蛇丸なら理解したはずだ。これは全てただの時間稼ぎだと。

 

 ダンゾウは初めから大蛇丸をここで殺せるとは思っていなかった。

 

『俺では貴方を殺すことはできません。しかし、貴方の今の身体を傷つけ、ここから先数年間……ダンゾウ様が木ノ葉で地盤を固めるその日まで貴方の動きを制限することはできます』

 

 とはいえ、三代目の残した土産は思ったより強力なものだった。

 

 ダンゾウはそれすらも予想していたんだろうか。三代目なら必ず大蛇丸に致命傷を与えると。……まさかな。

 

「私がここで次の器としてアナタを利用するとは思わないのかしら」

『…………』

 

 木の枝から降りて、警戒を強くする大蛇丸たちとその部下へと近づく。

 伏せていた瞳は――すでに赤に染まっている。

 

『俺の眼は、お前にくれてやるほど安くはない』

 

 この眼は特別だ。最後の最後まで俺やイタチたちの身を案じていた母さんのものだから。

 家族以外の手に渡るなんて……ゾッとする。

 

「大人しく聞いてりゃ、好き勝手にわーわー騒ぎやがって」

 

 俺から庇うように、大蛇丸の部下の一人が躍り出る。

 胸の中央で組まれた印は先ほども目にしたものだった。

 

「忍法、蜘蛛縛り!!」

 

 蜘蛛の糸のようにぶわりと眼前に広がったそれを忍刀で斬ろうとしたが――刃先にねっとりと付着して取れない。

 

『……流れるチャクラは内側、か』

 

 相手のチャクラを自分のチャクラで相殺する俺の技は、中忍試験でセキ相手にやったように、あくまで剛拳らしく外側のチャクラにしか干渉できない。

 この術はチャクラが糸の外側を覆っているわけではなく、糸の内側を巡っているようだ。

 

 使えなくなった忍刀を捨てるついでにぽっちゃり体型の男に投げつけておく。

 男は刀を避けるでもなく受け止めて、バキッと腕の力だけで真っ二つにする。

 

『…………』

 

 見た目通り腕っぷしは良さそうだ。

 

「次郎坊、こいつの眼を正面から見るなよ! 見たら最後、あっという間に幻術にかかっちまうぜよ」

「ああ。――多由也、左近。お前たちは大蛇丸様をアジトまでお連れしろ。ここはオレと鬼童丸がなんとかする」

 

 多由也と左近と呼ばれた男女が大蛇丸を連れて行こうとする。

 

 ダンゾウから与えられた任務はもう終わった。

 だが、俺個人としてはまだ大蛇丸に用がある。

 

 地面を蹴る。拳を振りかぶってきた次郎坊という男や、新たな糸を吐き出そうする鬼道丸という男を簡単に追い越して――届いた。

 

「は…………」

 

 大蛇丸の腕を掴んだ状態でこちらに背を向けていた男、左近が()()()()振り返る。

 

 

 腕だけじゃ、心臓だけじゃ――足りないだろ。

 

 確証が欲しい。必ず、すぐにでも大蛇丸が次の身体に転生しなければならないという、確証が。

 

 俺は大蛇丸が転生を終えるまでサスケを守り抜けばいい。その後のことは……サスケ本人に委ねることになるだろうが、今は考えても無意味だ。

 

 可能なら、ここで殺してやりたい。

 サスケやイタチを害する可能性のある奴らを生かしておきたくない。

 

 でも……まだ、俺はそこに届かない。

 

 だから今は、ここまで。ここまでで十分だ。

 

 

 ――俺の全身を覆うように飛び出してきたチャクラを帯びた骨。

 

 空を仰ぐように伸びた骨は薄らと皮膚のようなものを纏い始め、今まさに大蛇丸の部下たちの攻撃によって蜂の巣になりそうだった俺を守り切った。

 

「な、んだっ、これは!?」

 

 絶対防御。そして、俺の中で最強の矛でもある。

 大量のチャクラを消費することになるが、もうこれしかない。体術だけでは四人の攻撃を躱すだけで精一杯になってしまう。

 

『邪魔者を排除しろ。暗黒――』

「――須佐能乎。うちは一族でもないアナタが、どうしてここまで写輪眼を扱えるのかしらね。そこも含めて、私の興味対象(オモチャ)に……ゴホッ」

「大蛇丸様!!」

『…………』

 

 大蛇丸はやけに早口で俺の言葉に被せるように言った。

 

 スサ……なんと言ったか分からなかった。俺の暗黒剣士はそんな間抜けな名前じゃない。

 何か別の術と勘違いしているのか?

 ……まあいい。

 心なしか大蛇丸は「やっと間違いを正せた」と言わんばかりの達成感たっぷりな表情をしている。間違っているのはお前だ。

 

 さっきとは別ベクトルの怒りを上乗せして腕を振り上げる。

 

 俺の動きに合わせて手にしていた剣を振り翳した“王”が、大蛇丸を支える二人の部下ごと大蛇丸を真っ二つにしようとしたが……。

 

 一つ目は、王の広げた骨に弾かれてカランッと地面に転がった。

 

 二つ目は、僅かな隙間から直接俺を狙ってきたので、咄嗟にホルスターから抜き取ったクナイで弾き飛ばした。

 

『……針?』

 

 そうしている間に二人の部下は大蛇丸を連れて駆け出してしまった。

 追いかけようと思ったが、残されたもう二人の部下の追撃もあって断念する。

 

 しかし、一番の懸念は俺に飛んできた針のような形状をしたものの持ち主。

 まるで、医療忍術で使うそれのような――

 

「どういうことかな、これは」

 

 聞こえてきた声に振り返る。

 

「テメーは……カブト」

「大蛇丸様を連れて行ったはずのキミたちがまだこの森で足止めを食らっているなんてね……それも、味方だと思っていたクロネコ相手に?」

『…………』

 

 薬師カブト。

 

 現時点で俺が把握している大蛇丸の部下の中で最も危険な人物。その思想も実力も……こちらに全てを掴ませない。

 

「……写輪眼、だと?」

 

 この場にやってきたのはカブトだけではなかった。

 

 薄暗い森の中、銀髪が揺れている。

 

「やはりお前は、うちは…………スバルなのか?」

『…………』

 

 はたけカカシ。なんで、お前がここに。

 

 スウウ……と景色に溶けこむように“王”の姿が消え、俺の両眼を満たしていた色が黒へと戻っていく。

 

 カブトがやれやれと肩をすくめる。

 

「こんなところまで追ってくるとは。クロネコのことといい、予想外のことばかり起きる」

 

 そこまで言って、カブトはメガネのズレを指で直した。

 

「残念だけど、そこの男はダンゾウの実験体だそうだよ。キミと同じ――写輪眼が適合した貴重な人材さ」

「……実験、体」

 

 カブトの言葉を反芻しつつ、カカシからの疑いの眼差しは消えない。

 

 まだ持ち直せるだろうか。カカシに俺の正体がバレれば、確実にサスケの耳にも入る。それだけは避けなければ。

 

『…………』

「おい、ス……クロネコ!」

 

 クソ……奥の手を使った反動が、もう。

 

 地面に膝をつく。上手く力が入らない。

 第三の試験が始まる直前にチャクラの半分を影分身に与えていたから、本来は奥の手を出せるような状態じゃなかった。

 

「どうやらさっきのでチャクラを使い果たしたようだね。それなら……ボクたちも大蛇丸を追うことにしようか」

『……待て!!』

「待てと言われて素直に待つやつがいると思うかい?」

 

 カブトの姿があっという間に消える。次郎坊と鬼童丸もその後に続く。

 お面の内側で歯軋りする。部下の一人くらいは殺して相手の戦力を削いでおきたかったのに……!

 

「クロネコ」

『……触るなッ!』

 

 こちらに伸ばされていたカカシの手が止まる。今の俺は自力で立ち上がるどころか、カカシの手を振り払う力もない。

 なのに、カカシはまるでそうされたかのようにショックを受けたような顔をして……項垂れる。

 

「どうしてだろうな……お前を見ていると、いつもうちはスバルの存在がチラつく」

『…………』

 

 もう一度手を差し出される。俺はそれをバカみたいに見上げているだけだった。

 さらに催促されたので、躊躇いがちに手を伸ばす。

 俺の手を掴んだカカシは勢いよく引っ張ってくれた。何度かバランスを崩しそうになりながらも、なんとか立ち上がる。

 

「ほら」

『…………』

「毒なんか入ってない。食べておけ」

 

 カカシから受け取った兵糧丸を噛み砕く。僅かに体内にチャクラが戻ってきた。

 

「お前には出会った時から聞きたいことばかりだ」

『……そうみたいだな』

 

 カカシのいう出会った時とは、火影室でのことを言ってるんだろう。

 カカシは昔からそうだ。仄暗い噂しかない根に所属している俺やキノエさんにも躊躇せず話しかけ、いつだって馴れ馴れしかった。

 カカシは暗部の隊長という立場上、細やかな気配りのできる人間だったとはいえ、俺やキノエさんへの距離感は異常ともいえる。

 

 ……でも、なんでだろうな。そんなカカシを不快に思ったことは一度もない。今この瞬間ですら。

 

『……もう戻らなくては』

「そうだ、火影様は」

『三代目は亡くなった。……知らなかったのか?』

 

 カカシの目が大きく見開かれる。どうやら、本当にカブトの後を追ってここに来ただけのようだ。

 確かに、カカシが三代目のことを知っていれば里に残っていただろう。

 カカシは……根が三代目殺害に加担したことすら知らない。

 

 

 

 一緒に連れていくというカカシの提案を断り、俺はたった一人でダンゾウの屋敷まで戻ってきていた。

 屋敷の前で待機していた部下が俺の姿を見て駆け寄ってくる。

 

『……影分身がまだ戻ってきていない?』

「はい。暗部の面を被った誰かと共にマイト・ガイと戦っているところまでは確認したんですが……どうやら、我々の中にあのような面を使っていた者はいないようでして」

『…………』

 

 すでに闘技場での件は収拾がついたと聞いている。影分身が今もそこにいるとは思えない。まだ消えていないのは確かだ。

 

 無理矢理にでも術を解いて戻すべきだろうか。いや、もしも影分身がそれを望んでいるなら自らチャクラを無駄遣いして早々に戻ってきているはず。

 あちらの状況が分からない以上、下手なことは出来ない。

 

「どうされますか」

『ダンゾウ様に報告した後、俺が直接行く』

「分かりました」

 

 屋敷の奥へと進み、ダンゾウの部屋の前に立つ。

 

『ダンゾウ様。クロネコです』

「…………入れ」

 

 障子を開いて驚いた。

 

 ダンゾウの部屋は地下にあるせいで日の光が届かず、常に薄暗い状態ではあるが……蝋燭一本ついていない。

 

 ただ、小さな明かりならひとつだけあった。

 

 夜空に浮かぶ星のようにぽつりと静かに佇んでいるのは、ダンゾウの指先にある煙草の火。

 

 鼻をつく独特の匂いに息が詰まる。

 

 匂いだけのせいじゃない。俺は……動揺していた。ダンゾウが煙草を吸っている姿など、これまで一度も見たことがなかったから。

 この男は忍らしく自身に匂いが移るものを避け、煙草を好む三代目には度々苦言を呈していた。

 

『ご報告が……』

「…………」

 

 ダンゾウは半分くらい吸っていた煙草を灰皿に押し付け、火を消す。

 一段と暗くなった部屋の中。やけに自分の心臓の音がうるさく感じた。

 

『大蛇丸の手にかかり三代目が逝去されました。大蛇丸ですが、三代目の封印術により両腕が機能しない状態にあり――』

 

 ぽとっ。

 

 そんな音がして垂れていた頭を上げる。

 

 ダンゾウはこちらを見てはいなかった。その目は部屋のどこを映しているわけでもなく、ただなんとなく……ダンゾウはここではないどこかにいるのだと悟る。

 

 先ほどの音の正体はダンゾウが手にしていた煙草だろうか。

 灰皿の上に落とされた煙草の僅かな煙が、ダンゾウの表情をかげらせている。

 

「そうか」

 

 ぽつりと。ダンゾウはそれだけを口にした。

 



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第四十二話 この道の果て

 全ての報告を終えてダンゾウの部屋を出た。

 

 薄暗い通路を歩く。途中数人の部下とすれ違ったが、誰も彼も今回の騒動の後始末で忙しそうだ。

 

 俺の影分身については、やはり俺自身で探しにいくつもりでいる。すでにダンゾウの許可は得ているので問題ない。

 

 大蛇丸の部下の一人に忍刀を折られていたことを思い出して自室へと急ぐ。

 そもそも粘り気のあるチャクラに絡められていたから使い物にはならなかっただろうが……。

 

 自室。記憶にあるより少し散らかっていた。俺より後に出た影分身のせいだろう。

 

 引き出しの奥から細長い箱を取り出して膝に乗せる。

 箱を開くと、そこには新しい忍刀。すらりと引き抜いて刃こぼれ等がないか確認する。そういったものは見当たらない。

 

 刀を箱の上に置く。そして――

 

 ドンッ! と勢いよく拳を壁に叩きつけた。

 

『…………』

 

 何事もなかったかのように立ち上がる。

 

 行き場を失いかけている怒りが、俺の中をぐるぐると巡り続けていた。

 

 

 

 屋敷を出て、最後の中忍試験が行われた闘技場へと向かった。

 闘技場周辺は火影直属の暗部たちが目を光らせているだろうから、遠目に確認した程度だが……影分身の姿は見当たらない。

 

 人気のない路地裏に入って思案する。

 

 やはり強制的に回収すべきか?

 

 部下の報告にもあった、暗部のお面を被った正体不明の人物。……心当たりがないわけじゃない。

 いくら影分身とはいえ本来の目的を忘れることはないはずだ。

 

 なぜこの時間になっても屋敷へ戻ってこない?

 

『…………』

 

 さっきから胸がざわついているのは、ダンゾウのあんな姿を見たせいだろうか。

 

 

 ――その時、リン、と軽やかな鈴の音を聞いた気がした。

 

 俺の中に宿る女神の持つ錫杖の音。

 

 記憶の濁流。

 

 とぷんっと足元を掬われ、流されていく。

 

 

 これは、影分身が消えた時のものだ。

 次から次へと流れ込んでくる記憶の海に溺れそうになる。

 

 たたらを踏む。

 路地裏に積み上げられていたビールケースに寄りかかりながら、ズキズキと痛む頭を押さえた。

 

 全ての記憶を掬い上げた直後、表通りを歩く人々の会話が耳に届いた。

 

「木ノ葉病院はひっきりなしに怪我人が運びこまれていてひっ迫状態らしい。無理もないよな、アレだけのことがあったんだから……」

「火影様まであんなことになって。これから木ノ葉はどうなるんだ?」

「警備についていた火影様直属の暗部も、大半がやられたらしい」

 

 プラスチック同士が擦れるような音と、ガラガラと崩れる音。

 

 足元に散らばったビールケースを踏み台にして、俺は木ノ葉病院へと走った。

 

 

 

 木ノ葉病院の表と裏にある出入り口は常に人が行き交い、文字通り混乱状態に陥っていた。

 

 患者を受け入れる部屋どころかベッドすら足りず、通路の隙間を埋めるように患者をのせたストレッチャーが並んでいる。

 

 可能な限り気配を断ちながら、人とすれ違いそうになればすぐに身を隠し、通路に寝かされている患者の顔や病室の一つ一つを確認していく。

 こんな状態では病室の前に患者の名前を記す余裕もないだろう。

 

 同じ作業を何度も繰り返し、ようやく見つけ出した。

 

 ザッと見た限り十人近くが押し込まれている大部屋。

 ピッピッピ……と一定のリズムを刻む機械音がいくつも聞こえてくる。

 意識がないのか眠っているだけなのか、その目は閉じられていたが、一人だけは違った。

 

 落ち着いた黒の瞳が病室の入り口に立っている俺に向けられる。

 

 彼女は少し驚いているような素振りをみせ、やがて泣き笑いのような表情になる。

 

「そんな格好で……なりふり構わず来てくれたの?」

『…………』

「大丈夫。幻術でここの人たちにはより深く眠ってもらってる。誰も起きないよ」

 

 足を踏み出すとコツッと音が出た。足音を消す余裕も消え失せて、早歩きになる。

 

 至近距離で見下ろす形になったセキは、そっと俺の手を掴んでぎゅっと両手で握りしめた。

 

「……やっぱり、聞こえない」

 

 堪らなくなって口を開いた。音を紡ぐのは、彼女から貰った白猫のお面。

 

『あっちは影分身だと知っていただろ。中忍試験には関わるなとも言った。なんで……影分身(おれ)を庇った』

 

 セキは薄らと微笑むだけで何も言わない。

 ギリッと歯を食いしばる。

 

『ガイさんが体術のスペシャリストだということも知っていたはず。どうしてそんな無茶を』

「仕方ないよ」

『……仕方ない? たかが影分身のために、セキが』

「君が……スバルが、傷つけられようとしているのに、黙って見ていることなんてできなかった――身体が勝手に動いたんだ。頭のどこかでは影分身だと分かっていても」

『…………』

 

 沸騰しそうだった熱が少しずつ下がっていく。

 

『……三代目のこと、知っていたのか』

「うん」

『セキは……俺と違って、三代目を慕っていた』

「そうだね」

 

 でもね、とセキは続ける。

 

「火影様の決定が……ううん、火影様が()()()()()()()()()()がスバルや、うちはの人たちを追い込んだことも知ってる。あの人がそれを悔やんでいたことも」

『……分かってる』

「うん、スバルだって知ってたでしょ」

 

 知ってる。知ってるからこそ、三代目を憎みきれなかった。

 うちは一族が滅んだのはクーデターを企てた一族側の責任もあれば、そう仕向けたダンゾウ、全てを知っていながら中立の立場を崩さなかった三代目の落ち度もある。

 

 三代目は優しい人だった。優しすぎたからこそ、一つを選んで一方を切り捨てることなど出来ない人だった。

 

 どうして三代目は、ダンゾウがうちは一族虐殺事件という取り返しのつかないことを引き起こすまで、その悪事の全てに目を瞑ってきたんだろう。

 俺とキノエさんを根から引き抜いて日の当たる場所へと連れ出した時の強固な姿勢を知っているからこそ、余計に。

 

 切り捨てず、そばに置いて。三代目がダンゾウを諭すような……自分の隣――同じ光の元へ立つよう促すような素振りを何度も見てきた。

 

 彼がダンゾウをそこまで気にかける理由が見つからない――そう思っていた。

 三代目の訃報を知った時のダンゾウの反応を見るまで。

 

 あの二人は…………。

 

 

「あ、アザになってる」

『……どこ』

「右の脇腹。ガイさんの攻撃受けてすぐ治療したのに」

 

 影分身から流れてきた記憶の一部。

 チャクラ切れを起こす寸前だった影分身(おれ)が蹴り飛ばされた直後、俺を庇おうと立ちはだかったセキも同じように横腹に蹴りを受けていた。

 吐血したセキの姿に頭が真っ白になった俺は、任務も何もかもをかなぐり捨てて、セキを抱き上げたまま木ノ葉病院へと駆け込んだ。

 そして、誰にも姿を見られない場所に身を隠し――完全にチャクラが切れて消えていった。

 

 病衣の裾をたくし上げるセキ。日焼けしていない真っ白な肌には包帯が巻かれており、ところどころに痛々しい青痣が残っている。

 

 セキのベッドの端に腰を下ろし、包帯の上から傷口に干渉しないよう優しく撫でる。

 

「……あの、」

『……なに?」

「その手つき……やめてくれないかな」

 

 眉を寄せた状態で言われた。その手つきってどんな手つきだ。

 

「……本体なんだよね? 死の森で狐面を被っていた」

 

 こくりと頷く。セキにつけてしまった首の傷は今ではすっかり消えている。

 

「あの時のスバルは……正直、怖かった。まったく別の誰かになったみたいで」

『…………』

「でも今の君からはあの嫌な感じがしない。心は読めないままだけど、まるで影分身と同じような……」

『影分身と?』

 

 そういえば、またあの頭痛が戻ってる。サスケが死んだかもしれないと思った時からぷつりと途切れていた、あの痛みが。

 

 いつからだろう。

 

 少しずつ記憶を辿り、顕著になったのは、カブトを追ってきたカカシと話をしたところからだと気づいた。

 

 そう、胸を温かい何かが満たしていった時から――

 

「いつまで触ってるつもり?」

 

 ぺしりと手を叩かれた。セキはムスッとしたまま捲り上げていた服の裾を下ろす。

 俺はちょっとだけ残念な気持ちになった。

 

 

「そろそろ幻術がもたない」

 

 セキが少し残念そうに言った。この病室には比較的軽症の患者が運び込まれたそうだが、そろそろ誰かがやってくる頃だ。

 

「スバル。最後に一つだけ。私の他には火影様しか知らなかったことを、君に」

 

 セキに耳打ちされた言葉に目を見開く。

 

『まさか……あり得ない』

「まだどっちに転ぶか分からない状態だけどね。最善は尽くすつもりだよ」

『…………』

「私にできるのはこれくらいだから」

 

 心臓の鼓動が激しくなる。

 

 セキは先ほど振り払った俺の右手を掴み、自分の額にコツンと当てた。

 

「……私を信じて」

 

 

 

 ***

 

 

 

 木ノ葉病院。砂の下忍たちと交戦したオレたちは、一人残らず病院のベッドに拘束されていた。

 

「まったく。ただでさえ忙しいのに、何度も抜け出そうとして私たちの手を煩わせるなんて。今日と明日は絶対安静です! いいですね」

「…………」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらナース服の女性が病室から去っていく。

 

 本来なら個室として使われている部屋に二人もいるんだから、それはもう窮屈だ。少しくらいいいだろと部屋から出ようとすればすぐに見つかって病室に逆戻り。

 いい加減息が詰まる。同じ病室にいるナルトは五回目の脱走に失敗してからは口から魂が抜け出していた。

 

「はぁ……オレってばもう元気なのに」

「お前の回復スピードが異常なんだよ」

 

 あれだけの戦いをしておきながら、ナルトはすっかりいつもの調子だ。……こいつの身体はどうなってやがる。

 

「サクラちゃんどうしてっかなぁ? 流石にもう起きてるよな?」

「……さあ」

 

 砂隠れの忍、我愛羅相手に戦ったオレたちは、目覚めないサクラを急いで木ノ葉病院へと連れて帰った。

 

 サクラは頭も打っていたはずだ。……何ともなければいいが。

 

「今何時?」

「午後八時だ」

「なんかさぁ……こういうのもお泊まり会みたいで、悪くないってばよ」

「…………」

 

 チクタクと進む時計の針。一人であの広い家にいる時、この音が大嫌いだった。

 

 今でも時々、両親やスバル兄さんの幻覚を見ることがある。

 

 居間のテーブルに座って新聞を広げている父さん。

 エプロンをつけている母さんが台所から呼ぶ声。

 玄関の向こうから聞こえてくる微かな物音に、駆け出したオレの足音。

 玄関の扉が開く音に、思わず飛びついたオレの頭を撫でる……温かくて大きな手のひら。

 

 もう二度と手に入らない幸せな日常。

 

 進むことしかしない時計の針の音は、決して過去へは戻れないのだと訴えかけてくるようで。

 

「あのさ、あのさ! 退院して……爺ちゃんの葬式も出て、全部落ち着いたらさ、オレの、」

「お前の?」

「そ、そう。だから、その、オレの家に、さ」

「…………」

 

 ナルトの顔は真っ赤だった。後半なんてパクパクと口が動いてるだけで言葉にすらなってない。

 

「……それもいいが」

 

 口元が動かないよう力を入れていたのに、緩もうとする力には勝てなかった。

 

 ――時は進む。等しく、時間を刻んでいく。

 

 過去には戻れないが――歩き続けることだけは出来る。

 

 ()()()から流れた時間は、オレにとって優しく……居心地がいいものだった。

 

「お前の家は狭いからな……。オレの家にすればいいだろ」

 

 ナルトは「えっ!?」と声を上げ、ベッドから身を乗り出し――そのままバランスを崩して顔から床に落っこちた。

 

 

 

「…………重い」

 

 翌日。オレはあまりの息苦しさに目を覚ました。

 そろそろと視線を上から下へと移動させれば、そこには自分のものではない誰かの足が腹に乗っかっている。

 

「…………てめェ、ナルト」

 

 すぴーすぴーと心地良さそうな寝息まで聞こえてきて、血管がブチィッと切れた。

 

「なんでオレのベッドに寝てんだっ!!」

「うぉわあっ!?」

 

 飛び起きたナルトがキョロキョロと周りを見渡して……ぐうと二度寝に入る。

 その耳を引っ掴んで「カップラーメン食べすぎてスバル兄さんに怒られろ」と囁くと、もう一度飛び起きて、ぱちぱちと目を瞬かせた。

 

「……兄ちゃん?」

「ようやく起きたか。このウスラトンカチ」

「サスケ……って、お前ェ!! 何でオレと同じベッドにぃ!?」

「それはこっちのセリフだ、このバカ!!」

 

 早朝からギャーギャーと騒いでいたら、コンコンとノックする音がした。病室の扉ではなく、窓から。

 

「……朝から元気いーね、二人とも」

 

 窓の向こうには、死んだ魚のような目をしたカカシが立っていた。

 




ついに中忍試験編が終わる……終わるということは……分かるな?

イタチとの触れ合いタイム――つまり、イタチ摂取ゾーンに入るッ!


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第四十三話 時すでに

 窓の外に立っていたカカシを病室に招き入れ、ナルトのベッドに座ってもらう。……ナルトはそのままオレのベッドに居座る気満々のようで動く様子はない。

 

 オレの肩――大蛇丸に付けられた呪印の状態を確認したカカシは「ひとまずは落ち着いてるようだな」と安堵したように頷いた。

 

「あの火影様ですら大蛇丸の呪印を完全に解くことは出来なかった。……第二の試験の試験官だったアンコがそうだ。一時的に呪印の暴走を鎮めることはできても、感情の昂りや大蛇丸のチャクラに反応して発作が起きる」

「……じゃあ、サスケはずっとこのままなのかよ?」

「まっ、オレも色々探してみるよ。そう心配するなナルト」

「うん……」

「…………」

 

 こちらをしきりにチラチラと見てくるナルト。そろそろ顔に穴があきそうだった。

 

「……情けねェ顔」

「んだとォ!? オレはお前のことを心配して――」

「分かってる」

 

 拳を震わせていたナルトがきょとんと目を瞬く。

 

「……分かってる」

 

 もう一度、噛みしめるように呟く。

 ナルトの頭上には疑問符が浮かび上がっていたが、カカシは険しい表情でオレを見ていた。

 

 呪印。オレの身体は、この呪いが暴走したときの感覚を鮮明に覚えていた。

 

 全身を巡る熱と、今なら何者にでもなれるという高揚感、全能感。

 

 

 ――サスケくんは必ず私を求める

 

 薄れゆく意識の中で聞いた大蛇丸の言葉。あの日からずっと反芻しているそれを簡単に押しのけられるほど、オレは……。

 

「……ところで、ナルト。第二の試験で大蛇丸と遭遇した時に幻術をかけられたというのは本当か?」

「なんでカカシ先生がそれを?」

「ちょっとな」

 

 ナルトは一度オレの顔を見て、こくこくと頷いた。

 

「本当だってばよ。イルカ先生と話したり、今よりちっさいサスケが出てきたり、サスケの家に行ったり……」

「…………」

「最後は知らない子どもが出てきて、そこで目が覚めたんだってばよ。……なんか、世界? が不安定だったっていうか、途中で追い出された、みたいな?」

「幻術で相手……この場合はナルトだな。ナルトの知らないものが出てくるということは滅多にない。相手の把握している事柄で固めて惑わせるのが基本だからな」

「じゃあさ、なんでオレの知らないことばっか出てきたんだ? あとでサスケに確認したら家の間取りとか、置いてある家具の位置までほとんど一緒だったってばよ」

 

 ナルトにかけられた幻術についてはオレも疑問に思っていた。

 ナルト自身が知らないことが幻術に出てくるということは、少なくとも術者はそれを知っていたということ。

 ナルトに幻術をかけた人間が大蛇丸の部下だとして……ずっと木ノ葉にスパイとして潜り込んでいたカブトなら可能かもしれないが、わざわざそこまでする必要があったんだろうか?

 

「……オレの考えでは、ナルトに見せた幻術の一部は術者本人の意図したものではなかったんじゃないかと思ってる」

「どういうことだってばよ、カカシ先生」

「幻術をかけようと――相手の精神に干渉しようとした時、術者の精神も同じように無防備になる。幻術を扱うのに慣れていない……もしくは普段は別の手段を使っている人間なら尚更……」

「別の手段?」

「……いや」

 

 カカシはすぐに口を噤む。

 

「今のは忘れてくれ。証拠もない」

「…………」

 

 幻術の扱いに慣れていない、もしくは別の手段で相手を幻術にかけている。

 

 この世にはまだまだオレの知らない術がたくさんあるはずだ。

 しかし、オレにとって()()は身近なもの。

 

 ――写輪眼。

 

 そして、写輪眼を持つ人間もこの世に……あと一人。

 

 心の中で首を振る。……それは違う。あり得ない。

 うちはイタチが大蛇丸の元にいて、わざわざナルトに幻術をかけるだなんて馬鹿げてる。だからカカシも途中で言葉を濁したんだろう。

 

「とにかく……二人とも暫くは用心しておけ。まだ大蛇丸の息のかかった人間が潜んでいるかもしれないからな」

「分かったってばよ」

「ああ」

 

 

 

 ナルトの怪我の治りが異常に早かったせいか、オレたちは予定より早く退院する許可が下りた。

 

「私もサスケ君たちと一緒に退院したかったなぁ……」

 

 退院する前にサクラの病室に顔を出した。彼女はオレとナルトを交互に見て羨ましそうにため息をつく。

 

「サクラちゃん、明日には退院できるんだろ? ……爺ちゃんの葬儀には間に合うってばよ」

「……そうね」

 

 影が落ちる。サクラの暗い表情に胸のどこかがざわついて、無意識に拳を握っていた。

 

「サクラ」

「な、なに……? サスケ君」

 

 サクラはオレの視線が髪に向いてることに気づいて、慌てて寝癖がないか確かめていた。

 胸元まであった長い髪は今では肩先で綺麗に揃えられている。

 彼女はアカデミー時代からやけに髪を気にする素振りを見せていた。髪は女の命という、男のオレからしたら大袈裟な言葉があるように、きっとサクラにとっても大切なものだったはず。

 

「こんなに短いとやっぱり変だよね? サスケ君は髪が長い子が好きだって聞いてるし…………」

「……そんなこと、思ったこともない」

「え!?」

「サクラちゃん、アカデミー時代に流れてたサスケの情報はほとんど嘘だってばよ」

「ちょっと、ナルト! なんでアンタがそんなこと知ってるのよ」

「サスケ本人に確かめたから」

「…………そ、そう」

 

 サクラは脱力してガックリと項垂れる。

 

「アンタは昔からサスケ君と仲良かったものね……信憑性あるわ」

「別に仲良いわけじゃ……」

「アンタが仲良くないなら私はどうなるわけ? あ?」

「ご、ごごごごごめんってばよ……!?」

 

 拳を鳴らしたサクラに露骨に怯えているナルト。……こいつ、結婚したら尻に敷かれるタイプだな。

 

「今の髪も…………」

 

 悪くないんじゃないか。そう言おうと思ったのに、喉の奥でつっかえて言葉が出てこない。

 

「……オレは」

 

 短い髪の方が似合ってると思う。……なんでこんな単純な言葉が言えないんだ。

 

 眉を寄せて口を閉じていると、ニヤニヤしながらこっちを見ているナルトと目が合った。

 腹が立ったが、サクラの病室で暴れ回るわけにはいかない。そのムカつく顔をぎゅむっと鷲掴む。

 

 結局つかみ合いの喧嘩に発展していたら、サクラが僅かに頬を染めながら「二人って……ほんと、仲良いわよね」とうっとり呟いていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ズレ落ちないよう笠を深く被り、顎の下で紐を結ぶ。

 

「足元、気をつけてください。ここはあまり整備されていませんから」

「ああ」

「少し歩いた先に大きな岩もあります。上手く避けてくださいね」

「…………鬼鮫、お前はオレを何だと思ってるんだ」

「しっかりされた方だとは思っていますがねェ……時々妙なところで抜けていることがあるでしょう。三兄弟の真ん中というのは、大体そんなものだと聞いたことはありますが」

「…………」

 

 そんな話は聞いたことがない。オレは小さくため息をついた。

 

「それにしても意外でしたよ。アナタがわざわざ木ノ葉の様子見と九尾の件を引き受けるとは」

「…………」

 

 ザッと足を止めて、顔を上げる。隣の鬼鮫と合図を出し合うこともせず、同時に地面を蹴って飛び上がった。

 

 木ノ葉隠れの里をぐるりと覆う巨大な壁。その頂上に立つ。

 

 バサッとマントが風にはためく。見下ろすのは、かつて自分が生まれ育ってきた世界。

 

 ――木ノ葉。

 

 ここにきたのは確かめるためだ。

 

 

「…………スバル兄さん」

 

 ぽつりと呼んだ名前は風に攫われて、鬼鮫の耳には届かなかった。

 

 

 

「久しぶりの帰郷でしょう。少し歩いてみますか?」

「…………」

「だんごやの看板が出ているようですね。どうです、探し物の前にお茶でも」

「……いいだろう」

 

 だんごやという言葉に惹かれて反応する。鬼鮫はなんともいえない顔をしつつ、オレが通りやすいように暖簾を持ち上げてくれていた。

 

 懐かしい暖簾をくぐった先には、三角巾を被った女性が立っていた。

 

「いらっしゃいませ。お二人ですか?」

「…………」

 

 女性は何も言わないオレを怪訝に思ったようだが、すぐにメニュー表を広げてくれた。

 

「おすすめは三色団子です」

「…………」

「…………三色団子、でよろしいですか?」

 

 鬼鮫はともかく、木ノ葉にはオレの声を把握している人間がそれなりにいる。

 不用意に声を出さない方がいいだろう。

 

 そう思ってメニュー表を指差すのみに留めたが、それを見ていた女性がみるみるうちに破顔した。

 

「あ…………もしかして」

 

 顔を覗き込まれそうになったので咄嗟に笠でガードする。

 

「ごっ、ごめんなさい……! 以前来てくれていた常連さんと雰囲気がそっくりだったから……違いましたね。失礼しました」

「…………」

「席はあちらです。お連れ様の分も一緒にお持ちしますね」

 

 とりあえず奥に座り、鬼鮫が正面に腰掛けた。

 

 お互い無言で店内を眺めたり、テーブルの上にも置かれたメニュー表に目を通したりする。

 暁の仲間であり、コンビを組んでいる鬼鮫との付き合いはそれなりに長い。

 無言の空間にあっても、すでに気まずさなど抱かない関係だ。

 

 そのままお茶と団子がくるのを待っていたら、だんごやの入り口の前に見覚えのある男が現れた。店を背にして寄りかかり、誰かを待っているかのような素振り。

 

「……早速見つかってしまったようですねぇ」

「…………」

 

 はたけカカシだ。今すぐ動く気はないようだが、こちらがだんごやを出ようとしたところを捕まえるつもりだろう。

 離れたところから数人の手練れが近づいてくる気配も――いや、そのうちの一つはすでに目の前に……いるだと?

 

 ファサッと暖簾が捲られる。だんごやに入ってきたのは、大きめのサイズのパーカーに、フードを深く被った男。

 その男を見た途端、入り口に立っていたカカシさんが明らかに狼狽えていた。……仲間ではないのか?

 

「いらっしゃ――」

 

 先ほどと同じ女性がメニュー表を見せようとする前に、つつ……と長い指がメニュー表のある部分を指差す。

 

「あ……あなたは……!」

「…………」

 

 女性は手のひらで口元を覆い……少し涙ぐんでいるようだった。

 

「……三色団子におしるこ、よね! すぐに用意するから、空いてる席にどうぞ」

「…………」

 

 パーカーの男は数回頷き、きょろきょろと店内を見渡す。空いている席はオレたちの隣しかない。

 

「…………」

 

 すとんと席についた男は、懐から小ぶりの本を取り出して読み始める。

 店の外にいたはずのカカシさんはすでに片足を店内に突っ込んでいて、瞬きもせずにパーカーの男を凝視していた。

 ……さっきまでのさりげなさは微塵もない。

 

 

「カカシ。……なにしてんだ?」

 

 店外からかけられる、僅かに幼さを残した声。

 

 ダメだと分かっていても、その姿を目に焼けつけようとすることはやめられなかった。

 身長は……伸びている。

 目つきは……変わってしまった。

 その身体を流れるチャクラから、強くなったのだと……。

 

 動揺を内側に押し隠していると、隣にいた男が急に立ち上がった――まるで、サスケがここにくるのを待っていたかのように。

 

「お、お客さん……()()なにか……? まだ何もお出ししていないはずだけど……」

「…………」

 

 パーカーの男は店員の言葉に後ろ髪を引かれるような動きをしたが、やがて懐から取り出したお金をテーブルの上に置いた。

 

 そして、店内の誰もが戸惑うくらい綺麗なお辞儀。

 

 男はズンズンと早歩きでだんごやの入り口に向かったが、案の定、すぐにカカシに引き止められた。

 

「お前……やっぱり、」

「またアナタなんですか……?」

 

 しかし、男の腕を掴んだカカシの手は弾かれてしまった。パーカーの男ではなく、だんごやの店員である見目の良い女性によって。

 

「あの時も今も……この人がなにをしたって言うの? 妙な言いがかりをつけるのはやめてください!」

「い、言いがかり?」

 

 女性は一息で言い切ると、肩を上下させ、持っていた包みをパーカーの男に押し付けた。

 

「この間から持ち帰りもできるようになったの。だから……変な人に絡まれても、また来てね」

「…………」

 

 パーカーの男は押し付けられた包みをじっと見て……ぎゅうっと大切そうに胸の前で抱きしめた。

 その仕草に胸の奥で何かが跳ねた。……嫌というくらい知っている感覚。

 

「……イタチさん?」

 

 急に立ち上がったオレを、鬼鮫が小声で引き留めようとする。

 

 カカシさんはオレたちと、たった今出ていってしまったパーカーの男の間で揺れながら、後者を選んだらしい。その姿はとっくに消え、この場には困惑気味のサスケだけが残された。

 

「サスケ。今ここにいたカカシはどこに行ったか分かるか?」

「あ、ああ。それなら――」

 

 カカシの呼んだ増援がだんごやに来る直前、オレと鬼鮫もその姿を消していた。

 




おまけ
https://syosetu.org/novel/291357/11.html


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第四十四話 本能

 本体はまだ仕事が残っているからと屋敷に篭っているが、影分身(おれ)は久しぶりに外で羽を伸ばしていた。

 

 影分身が休みを満喫したって無駄だと思う人もいるだろう。しかし、術を解いた時に本体も休んだ気になるからちょっとお得だったりする。

 ……社畜に残された唯一の息抜き方法というか、現実逃避というか。そんな感じ。

 なんて可哀想なんだ、俺ってやつは。

 

 

 ――空は快晴、解放、最高!

 

 木ノ葉崩しの後処理で山のように積み上がっていた書類たちを捌くのは本当に大変だった。

 まったく、ダンゾウも本体もスライム使いが荒いんだよ。

 二人とも他の誰よりも働いてるから面と向かって文句すら言えない。ダンゾウもなんだかんだいつ寝てるか分からないような男だ。

 寝てくれ、頼むから。お前が寝なければ部下も眠れない。

 

 だが、この瞬間だけは俺は自由だ。といっても行きたい場所もなければしたいこともない。

 我ながら仕事ばかりの人生だった。もっとこう、趣味の一つでも持つべきだったのでは。

 

 ……実家で暮らしてた頃は、弟観察と弟とのふれあいだけが人生の楽しみだったのになあ。

 

「…………」

 

 ふれあいは無理でも、観察くらいならできるよな?

 

 何故か脳内に友情出演してきたカカシが「できるだろ――今からでも」と、かつてのセリフを改変しつつ背中を押してきた。やっぱそう思う? ダメだったら責任取ってくれ。

 

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだから。遠くから顔見たらそれで終わるから。

 

 どこぞの絶対それだけで終わる気がない男のようなことを考えつつ、うちはの集落へと足を向けた。

 

 

 

「今からカカシのところに行ってくる。オレが戻るまでに家を出るなら、鍵はそこだ」

「分かった。それにしてもカカシせんせー、わざわざだんごやに呼び出して何の用だってばよ?」

 

 オレがうちはの集落に辿り着いた時、懐かしい家からサスケが出てきたところだった。

 

「…………」

 

 え、なにこれ。情報量多すぎて処理が追いつかない。

 

 なんでナルトが俺たちの家に。俺たちというか今はサスケ一人の家だけど……。しかもその会話……なんかそういう……。

 

 いや、まてまて。俺はなんてことを。サスケが誰を好きになって誰と一緒に暮らそうと、兄として応援してやるべきじゃないか。

 それに、相手はあのナルトだ。二人が幸せなら俺はそれでいい。

 

「…………」

 

 いやでもやっぱり。仮にナルトが女の子だったとしても、心の準備はしたかった、かも……。そうか、サスケもそういうことを考える歳になったんだな……。

 

 ゼロから百を行ったりきたりしながら、内心えぐえぐと泣きながら歯を食いしばる。

 ごめん、サスケ。もうちょっとだけ、大きくなったお前の成長についていけないお兄ちゃんを待っていてくれないか……?

 

「呪印のことだろ」

「そっか……あとでオレにも内容教えろよ」

「ああ」

 

 その後もいくつか言葉をかわし、ナルトはぶんぶんと手を振ってサスケを見送っていた。

 

「…………」

 

 大蛇丸の呪印、か。俺もいつかに備えて自分とサスケの呪いを解く術を見つけておかなければならない。

 

 カカシはすでに見つけたのか?

 

 もしもそうだとしたら、すぐにでも。

 

 儚い休暇だったが悔いはない。

 すでに集落の出口にまで来ているサスケの姿を目に焼き付け、俺はだんごやへと急いだ。

 

 

 

 だんごやに到着した俺は困惑していた。

 

 ……イタチがいる。だんごやの暖簾の向こう側、同じ格好をした見慣れぬ男と一緒のようだが間違いない。

 

 本体はともかく影分身(おれ)の弟レーダーの精度は完璧だ。この距離で弟の存在に気づけないはずがない。

 

 それだけならまだ良かった。良くはないが、イタチがこのタイミングで木ノ葉にやってきた理由は、十分に察することができるからいい。

 

 問題なのは――だんごやの前にカカシが立っていることだった。

 あのカカシがイタチともう一人の男が放つ異様な気配を見逃すはずもなく、かつて暗部で彼と共に過ごした経験から、()()は獲物が罠にかかるのを待っているのだと理解する。

 

 恐らく、イタチ側もそれに気づいてる。

 

 今のイタチともう一人の男の実力は分からないが、あのカカシ相手に完全に無傷というのは厳しいはず。

 

「…………」

 

 だんごやの隣の建物に身を隠していた俺は、着ていたパーカーのフードを深く被った。念の為、変化の術で顔を変えておく。

 ……ついでに尻の形も。用心に越したことはない。

 

 入り口に立っているカカシに意識を向けないよう細心の注意を払いながら、だんごやの暖簾をくぐる。

 ここにくるのは以前カカシとテンゾウさんに見つかった時以来だ。

 だんごやの内装は――あの日から変わっていない。ここはずっとそうだ。何も変わらない。団子もおしるこも特別に美味しい。

 

 久しぶりに会った店員に少し大袈裟な反応をされたが、なんとか無事にイタチの隣に座った。

 この距離まで近づくと多少残っていた疑いは完全に晴れた。――イタチ本人だ。確実に。

 

 何度も隣のイタチを真っ正面から見つめたい衝動に駆られつつ、平静を装って持ってきていた本を開く。

 

 ……イタチの正面に座ってる連れの男、一瞬でいいからそこ代わってくれないかな?

 

 こんな状態で集中できるはずもなく、読んだそばから内容が頭から抜け落ちていった。

 

「…………」

 

 ダメだ、見たい。めちゃくちゃ見たい。今のイタチの姿をバーストモードで連続撮影して心のアルバムに重複保存したい。

 

 滝行以上の精神修行。これを乗り越えた先にはきっとさらなる幸福が――

 

 

「カカシ。……なにしてんだ?」

 

 そんな溜息混じりの声が聞こえてきた瞬間、急いで立ち上がる。

 そろそろサスケが来てくれる頃合いだと思ってた。

 

 ……ああ、サスケ。やはりお前は、俺の闇を明るく照らしてくれる日輪の一つだッ!!

 

 絶妙なタイミングで来てくれたサスケのおかげで、さっきから怖いくらい俺を凝視していたカカシの意識が僅かに逸れた。

 

 今ならカカシに捕まることなくだんごやを脱出し、あわよくばカカシが追ってきてくれるかもしれない。

 カカシが呼んだのか、二つの気配……しかもそれなりの強者が近づいてきている。せめてカカシさえこの場から離脱させることができたら、イタチたちも無事に逃げられるはずだ。

 

 しかし、予想外の出来事は起きるものである。

 

「お、お客さん……()()なにか……? まだ何もお出ししていないはずだけど……」

「…………」

 

 弟摂取タイムに酔っていた俺は、日々美味しい団子を作ってくれている彼女たちの思いを踏み躙っていたことに気づいていなかった。

 

 あわよくば団子を食べられたらいいなという邪な思いもあったから注文したっていうのに。俺は……団子が出てくるのも待たず……。

 

 ……ごめん。この罪滅ぼしはいつか必ず。

 

 気持ち多めのお金をテーブルに置いてだんごやを出ようとしたが、当然カカシに腕を掴まれた。

 そりゃそうだ。カカシはもうサスケではなく完全に俺に意識を向けている。

 

 内心焦っていたら、意外なことにだんごやの店員が全力で庇ってくれた。

 カカシにとっては冤罪でしかないので申し訳ないけど……助かった。

 

 だんごやの女性はそれなりに大きな包みを手渡してくる。ほのかに甘い匂いがした。……まさか、これって。

 

「この間から持ち帰りもできるようになったの。だから……変な人に絡まれても、また来てね」

「…………」

「ずっと待ってるから」

 

 やっぱりちょっと大袈裟だなと思ったが、三色団子がいくつか入った包みを胸の前で抱きしめる。

 これはなんとしてでも死守して屋敷まで持ち帰らないと。

 

 素早くだんごやから離脱し、暫く歩いた後で全力ダッシュする。

 

「…………」

 

 一度だけ後ろを振り返って、すぐに前を向いた。

 やべ、ついてきてる。その方が助かるけど、助からない――俺が。

 

 

 無言で追いかけてくるカカシに、無言(不可抗力)で逃げる俺。

 

 狙い通りとはいえ、この後どうするか何も考えてなかった……!

 

 いやあ、これまで散々耳にタコができるくらい「後先考えて行動しろ」ってモズに言われてきたのになー。

 でも緊急事態だったんだから仕方なくない? 仕方なくなくなくない? 混乱してきた。

 

 

 これじゃあ埒があかない。いっそ人気のない森にでも誘導して草木に身を隠しながら逃げた方がいいのか?

 それか背後から“奥の手”が持ってる剣の柄でボコった方がいいのでは?

 

 そんな物騒な考えが頭に浮かび始めた頃――天が俺に味方した。

 

 

「…………はたけカカシか」

 

 木ノ葉の大通りを悠々と歩く男がいた。

 男の隣には、いかにも暗部といった風貌のお面を被った人物が二人いる。一人は白猫のお面、もう一人は……鳥のお面。ツミではなく、モズだ。

 

「……ダンゾウ様」

 

 カカシが足を止めている間に、俺は路地裏に身を滑り込ませる。

 

 すっかり忘れていたが、今日はダンゾウが「大蛇丸のせいで壊滅しかけた里の隅々にまで目を向け、住民たちに気を配る素晴らしいワシ」を演出する日だった。まあ一種の選挙活動みたいなものである。

 どう足掻いても次の火影に選ばれることはないだろうけど、こうして土台を作っていけばその次の火影にはなれるかもしれない。

 ダンゾウにしては地味で堅実な方法だ。でも実際こういうのが有効なんだからダンゾウもよく分かってる。

 

「やけに急いでいたようだが……何かあったのかね?」

「……いえ」

 

 カカシは何度もダンゾウの隣にいる白猫面――俺の本体に視線を投げかけ、困惑気味に俯いた。

 

 これでだんごやに出没したフードの男はクロネコではない、と印象付けられたはずだ。

 いや、カカシならまず影分身の可能性を考慮するか……。だとしても、「別人かもしれない」という疑惑が少しでも大きくなっていればいい。

 

 こっそりと路地裏を抜け出した俺は、今度はイタチともう一人の男の行方を探るべく走り出した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「こんなところにいたのか」

「…………」

「……本体だな」

 

 ダンゾウの屋敷にいくつかある資料庫。

 少しでもチャクラ消費を抑えようとお面を外した状態で籠っていたら、モズが探しにきた。珍しくお面を被っていない。

 

 いつも持ち歩いてる白猫面を被る。

 それにしても、どうしてモズは顔を見ただけで俺がどちらか分かるんだろう。

 資料庫にある時計を確認する。もうこんな時間か。

 

『そろそろでしたね』

「ああ。……随分と仕事が溜まっているようだな。あまり休めていないんじゃないか?」

『大丈夫です。息抜きは影分身に任せてるので』

「……お前な」

 

 それは違うだろうという顔をされた。何が違うんだ。効率重視でいいだろ。今やってる仕事は影分身には向かないし。

 

 さらなる小言が飛んでくるかと思いきや、モズは肩をすくめるだけだった。

 

「……まあいい。お前も以前より安定しているようだから」

『…………』

「波の国で何があったかは聞かないが、今もオレに変な感謝をしてるんじゃないだろうな?」

『変なって……』

 

 人の好意を失礼な。

 

()()感謝なんてしてません。一度も』

「ははっ……どうだか」

『…………』

 

 モズがくしゃりと笑う。

 

 モズが……あのモズが、笑った?

 

 無性に誰かに伝えたくなった。とくにキノエさんに。キノエさんはもうテンゾウさんとして根とは無関係の道を歩いてるから無理だけど……!

 大蛇丸の研究施設で俺が笑っただけであれだ。モズが笑ったなんて聞いたらどんな反応するんだろう。眼球から木遁出るんじゃないか。

 

「……なんだよ」

『……いえ。なんか、空からダンゾウ様が降ってきそうだなと思って』

「……何を言ってるんだ?」

 

 それはちょっと俺にも分からないです。

 

 

 

 俺とモズを帯同したダンゾウによる木ノ葉の見守りパトロールは順調に進んでいた。

 

 木ノ葉崩しによる被害状況を確認し、上層部へと報告する。すでに復旧作業は始まっているが、こうやって自分たちの目で確認していると案外取りこぼしがあったりするものだ。

 最優先で取り掛からなければならない案件があるのに埋もれているだとか、予算不足で未着手になっているだとか。

 

 おまけに、里で暮らす住民の大半はダンゾウが自ら火影の右腕の座を退いたと思っている。

 中には「上層部を抜けてでもこうやって下の人間に目を向けようとしてくださってる」とさらなる勘違いを重ねている輩までいたり。

 十中八九ダンゾウ自身が流した噂によるものだろうが。自作自演乙。

 

 それもこれも、三代目がダンゾウの任を解いた時にその理由を公表しなかったせいだ。

 うちは一族のクーデターやイタチの件を伏せなければならなかった以上、仕方ないんだけど。

 

 そんなわけで木ノ葉の住民たちのダンゾウへの好感度も順調に上がってきていた。今すぐ氷点下まで下がってほしい。

 

「ダンゾウ様、次の火影はどなたが選ばれるのですか? ヒルゼン様の後任となると……伝説の三忍と呼ばれた自来也様か綱手様でしょうか」

「いやいや、自来也様は放浪してばっかでほとんど里にいないじゃないか。こういう時こそ美しく医療忍術にも長けていらっしゃる綱手様だろう」

「綱手様こそ里にいないだろ。あの浪費癖がなければなぁ」

「…………」

 

 ……まあ、ダンゾウの火影への道のりもまだまだ遠そうだ。

 

 こうやって時々住民たちからの無意識なダンゾウ下げを受けつつ、真面目に仕事をこなしていく。

 

 さて、ぼちぼち屋敷に戻れるかな。そう思っていた時だった。

 

 木ノ葉の大通り。たくさんの人が行き交うこの道で、やけに向こうの方が騒がしい。

 自然と俺とモズでダンゾウを囲み、襲撃だろうかと周囲を警戒する。

 人混みをかき分けてやってきたのは――

 

『…………』

「…………」

「…………」

 

 やけに見覚えのある格好をした人物を追いかけているカカシだった。

 

 カカシが追いかけていた人物は、カカシがダンゾウに呼び止められた瞬間にどこかへ姿を消したらしい。

 

『…………』

 

 ダンゾウと会話しているというのに、カカシは「なんでお前がここに」「本物か?」といった目で見てくる。

 

 ……どういう状況なんだ。影分身は一体何を?

 

 

 

 カカシと別れてダンゾウとの任務を続行したのち、やっと屋敷に戻れると安堵していたら「このまま木ノ葉周辺の見回りに行け」といつもの無茶振りを受けた。

 

 同情するようなモズの視線を受け流し、木ノ葉の外へ出た。

 確かにここ最近は人手が足りずにこういった見回りはまったく出来ていない。

 木ノ葉崩しによって根の人間も死んでいるし、それだけ木ノ葉のエリートたちが強かったからだ。

 火影直属の暗部も大打撃を受けたはず。そもそもあっちはトップである三代目を失ったばかりだから……。

 

 ああ、早く帰りたい。一体何日まともに寝てないと思ってるんだ。

 

 睡眠不足により若干イライラしつつ、木ノ葉の外れにある森にまで足を伸ばす。

 

『…………』

「おや……また客人ですか。木ノ葉は随分と騒々しいですね」

 

 森には先客がいた。それも、招かれざる客が。

 

 やけに派手なマントに身を包んでいる男。笠を被っているせいで顔ははっきりと見えないが、開いた口から覗いている鋭利な歯は獰猛な鮫を彷彿とさせる。

 

「木ノ葉の上忍二人に、()()はたけカカシ。それから……珍妙な格好をした体術の男。最後には暗部ですか。まったく……退屈しない」

 

 男はやけに大きな刀を振り上げた。

 

「いいでしょう。私の連れが追いつくまで相手をしてさしあげますよ」

『…………気に入らないな』

 

 寝不足によるものなのか、はたまた別物か。

 

 無性に目の前の男の存在が腹立たしい。なぜだ。

 ――遺伝子レベルで気に入らない、ということだけは分かる。

 

 両眼に万華鏡写輪眼を宿す。一瞬だ。一瞬で――潰す。

 

「その眼は……ッ!?」

 

 俺は動揺している男の懐に潜り込み、全力の蹴りを叩き込んだ。

 



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第四十五話 積み木

 以前影分身としてこの身に受けたガイ大先輩の“木ノ葉剛力旋風”。

 

 流石に写輪眼無しだと目で追うことすら出来なかったから、全部感覚だ。

 でもちょっとだけコツを掴んだ気がする。

 

「ぐっ……これは、あの全身タイツ男と同じ……」

『…………』

 

 タイツ……。ガイ大先輩のことを言ってるのか?

 

 後方に蹴り飛ばされていった男は、刀を地面に突き立てて勢いを殺していた。

 まるで鰹節のような抉れ方をしている地面に目を細める。例えは自分でもどうかと思うけど他にいい表現が見つからない。どうやら普通の刀ではなさそうだ。

 

「その体術……形は限りなく近いですが、どうやら威力はお粗末のようですね」

『……もう一度言ってみろ』

「おや、地雷を踏んでしまいましたかね。威力がお粗末だと、」

『違う。もう少し前』

「…………形は限りなく近い」

『それだ』

 

 つまり、見た目だけでもガイ大先輩に近づけたってこと。

 お面の内側でちょっとだけニヤける。そうかそうか。限りなく近い、ね。影分身も報われるってもんだ。

 

 目の前の男は真顔のままだった。

 

「変わった人ですねぇ……。このやりとり、妙に覚えがあるような……」

『陸で生きてるサメなんてこれまで会ったこともないが』

「……私の持つ大刀・鮫肌は生きたサメのような存在ですが、陸でも水中でも問題なく呼吸ができますよ。そもそもサメという生き物は――」

『サメ博士なんだな』

「…………」

 

 やけに熱心にサメについて語り始める男。その知識量に素直に感心する。陸に長時間いても死なないサメがいるなんて知らなかった。

 

「写輪眼にその発言、アナタはまさか……」

「こんなところで何をしている、鬼鮫」

 

 その声を聞いた瞬間、今日起きた全てのことがあっという間に頭を巡り――影分身の奇妙な行動の理由すら分かったような気がした。

 

 サメに詳しい男の背後から、まったく同じ格好をした人物が姿を現す。被っている笠のせいで顔は見えないが……声だけで俺には十分だった。

 

「…………」

『…………』

 

 ――イタチ。

 

 僅かに笠を持ち上げたイタチと目が合う。

 お互いに表情は変わらず、ただ相手の写輪眼に呼応するかのように瞳に広がる海が波打っていた。

 

「……あなたは」

「またお知り合いの方ですか、イタチさん。アナタも顔が広い」

 

 イタチの連れと思われる男は俺に向けていた刀を下ろす。

 

「うちは一族の生き残りはアナタともう一人だけだと聞いていましたが」

「彼は一族の者ではない」

「……なるほど。そういうことですか」

 

 瞬時に状況を理解したイタチが息を吸うように嘘を吐く。

 

「オレはこの人と話すことがある」

 

 先ほどイタチに鬼鮫と呼ばれた男はやれやれと肩をすくめ、やがて姿を消した。

 イタチが行動を共にしていたということは、例の暁という組織の人間だろう。

 

 鬼鮫の姿が完全に消えたことを確認したイタチが笠を外し、身を包んでいた外衣から片腕をのぞかせた。見覚えのない指輪をしている。

 

「スバル兄さん」

 

 数年ぶりに見たイタチの顔には疲労が滲んでおり、両眼の万華鏡写輪眼は以前のまま――移植はしていないようだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「カカシのヤツ、人を呼び出しておいて急用とはな……」

 

 大事な話があると言われてわざわざ茶屋まで足を運んだというのに、肝心な本人が話をする前にいなくなるなんて。

 

 とりあえずうちはの集落まで戻ってきたものの、ナルトはすでに出かけたようだった。そういえばラーメンを食べに行きたいと言っていた気がする。

 玄関で靴を脱ぎ、行儀は悪いが足で隅に寄せた。どうせすぐ後で履くだろうからどうでもいい。

 

「…………」

 

 昨日ナルトが家に泊まったせいか余計に家が広く感じる。元々は五人で住んでいたんだから当然だ。

 居間に向かう途中、意味もなく壁に指を添えてみたり、寄りかかってみたりした。

 ……なんでこんなことをしてるんだろう。すぐ我に返ってやめた。急に暇になると碌なことがない。

 

「……はぁ。オレの方から行くか」

 

 ついでに買い出しもしよう。冷蔵庫の中身を確認し、頭の中で買い物リストを作成してから家を出た。

 

 

 

 カカシの住む部屋の扉を開けようとしたら、部屋の中から数人の話し声が聞こえた。内容までは分からない。

 

 もう帰ってきていたのか。

 

 無駄足にならずに済んでホッとしながらドアノブに手をかける。話し声はすでに聞こえなくなっていた。

 

「サスケか」

「……どうしてカカシが寝てる。それに、ここで何を」

 

 カカシの部屋には三人の上忍がいた。部屋の主はベッドに寝かされていてその目は固く閉じられている。一目で何かあったのだと分かった。

 

「いやこれはだな……」

「――あのイタチが帰ってきたって話は本当か!? 狙いはナルトだっ…………あっ」

 

 笑って誤魔化そうとしていたマイト・ガイの言葉を遮ったのは、後から部屋にやってきた別の忍。

 

「……イタチ、だと?」

 

 あの時、急用が出来たと突然姿を消したカカシ。入れ替わるように茶屋にやってきたアスマたちはカカシの行き先をオレに尋ねて、何故かカカシとは逆方向へと消えて行った。

 

「イタチがナルトを……?」

 

 一体何が起きてる。何故あの男が今更木ノ葉に。ナルトをどうするつもりだ。

 

「待つんだ、サスケ!!」

 

 気づけば走り出していた。上忍達が追いかけてくる気配がしたが、彼らの動きは妙にぎこちなく、驚くほど簡単にまくことができた。

 

 木ノ葉にいて、カカシほどの実力者をあそこまで追い詰められる人物がどれくらいいる?

 

 少なくともオレは知らない。カカシはいつだって余裕そうで、オレやナルト達の攻撃を難なくかわして二倍三倍で返してくるような奴だ。

 

 そんなカカシの余裕の笑みが剥がれたのは、再不斬や白という少年と戦った時だけ。そもそも木ノ葉の人間が仲間であるカカシ相手にあそこまでやるとは考えにくい。

 

 やはり、イタチなのか……?

 

 あの男はナルトを狙っていると言っていた。カカシはそれを止めようとして……?

 

 なぜだ? なぜナルトを狙う必要がある。何の目的があって? 分からない。あの男の考えは昔から……。

 一つだけ確かなのは、イタチが()()オレから奪おうとしているということだけだ。

 

 大好きだった兄、両親、一族。そして――――

 

 ギリッと拳を握りしめる。

 

「ここにナルトが来なかったか? 来たのなら、今はどこにいる!?」

 

 ナルトが外でラーメンを食べる場所といえば一楽しかない。暖簾をめくった先にいた店主に矢継ぎ早に言葉を投げつける。

 

「急ぎなんだ! ナルトはどこに行った?」

「ナルトなら自来也さんと一緒に取材旅行だとか……言ってたような」

「自来也?」

 

 聞き慣れない名前だ。

 

「彼は伝説の三忍の一人でね。ああ……里の外れにある宿場町が目的地だと言ってたよ。知ってるだろう? ファンファン通り」

「…………」

「あそこは男の…………やめておくか」

 

 店主は自分の話し相手が成人男性ではないことにやっと気づいたらしい。ごほんと気まずそうに咳払いしている。

 

「……分かった、行ってみる」

「次来た時はラーメン食っていきな!」

 

 その言葉には返事をせずに駆け出した。

 

 

 

 一楽の店主は自来也という男を「白髪で図体のデカいオッサン」だと言っていたな。

 宿場町と呼ばれてるだけあって宿屋の数はそれなりに多い。しらみつぶしに探し回るしかないのか?

 

 ちょうどすれ違った男女の会話が耳に届いた。

 

「さっき伝説の三忍見ちゃったよ」

「どこにいたの?」

「忍民の横にある宿屋の受付だったかな。自来也様、木ノ葉に帰ってきてるって噂は本当だったんだなぁ……って、なに!?」

「その宿屋はどこにある」

「忍民の……」

「その忍民は!?」

 

 見たところ忍ではない男には、オレが瞬間移動してきたように見えたかもしれない。

 男には悪いがこちらも時間が惜しいんだ。

 

「えっと、あっちに……ほら看板が見えるだろ?」

「……あれか」

 

 男が指差す方向には『酒処 忍民』の看板がぶら下がっている。すぐ目の前だった。

 

「な、なんだったんだよ!?」

「ねぇ怖いよ、早く行こ……」

 

 男は一緒にいた女に引きずられるような形で離れていく。

 オレは忍民の隣にある宿屋に入り、受付で教えてもらった部屋へと急いだ。

 

「……ナルト!」

 

 頼む、無事でいてくれ。

 

 ドクドクと胸の鼓動が煩い。痛い。苦しい。それは、まるであの夜の再現のよう。

 

 一族の集落に足を踏み入れた瞬間に鼻をついた濃厚な血の匂いに、折り重なるように倒れている死体の数々。

 

 あの夜のオレも今と同じように走っていた。全部悪い夢であれと願っていた。

 

 家まで走って走って走り続けて……そして――長い夢からさめたんだ。

 

 

「なんで……お前がここにいるんだってばよ」

 

 ナルトが泊まっているという部屋にたどり着くと、僅かに震えた声が廊下に響いていた。

 

 ……無事だ。

 

 怪我も見当たらず、普通に立っているナルトの姿を見た途端に肩の力が抜ける。しかし、ナルトの視線の先にいる人物を見て凍りつく。

 

「うちはイタチッ! お前がスバル兄ちゃんやサスケにしたこと、オレは……!!」

「――――久しぶりだな、サスケ」

 

 こちらに背を向けていた二人のうち、ナルトの前に立っていた男が振り返る。

 奇抜なデザインのマントが翻り、記憶にあるより細くて長い腕が見えた。

 

 うちはイタチ。

 

 怒りに伴う熱で目の前がチカチカした。

 

「さ、サスケ?」

「ナルト……そいつから離れろ」

「それはお前の方だろ! イタチはきっとサスケを」

「その男の狙いはお前だ、ナルト!!」

「えっ?」

 

 ここまで全力で走ってきたせいかもう息切れしている。来る途中から制御できずに写輪眼になっていたから、チャクラも消耗してるはずだ。

 

「オレはこの日のために生きてきたんだ」

 

 だが関係ない。どんな手を使っても目の前の男を殺す。それだけの為に絶望の中でも命を絶つことなく生き続けてきたんだから。

 

「……少しは変わった、か」

「ナルトをどうする気だ」

「お前に話す必要はない。……うずまきナルトは連れていく」

 

 殺したいほど憎い男を前にしてまだ冷静さを保っているのは、ナルトがいるから。オレの復讐にアイツを巻き込むつもりはない。

 

 イタチの隣に立っていた長身の男がオレの目を見て「やれやれ」とため息をついた。

 

「今となっては希少な写輪眼をこうも立て続けに見ることになるとは……些かありがたみに欠けるといいますか」

「カカシをやったのもお前たちか」

「それだけではありませんがね……」

 

 イタチが「よせ」と言うように長身の男に目配せする。

 

 イタチ達に隙が生じたと思ったナルトがホルスターに手をかけたが、クナイに指が触れる前にイタチに首を掴まれてしまった。

 壁に背中から押し付けられたナルトの口から苦しげな呻き声が漏れる。

 

「……ぐっ!!」

「大人しくしていれば危害は加えない」

 

 ナルトが眉を寄せながらニヤリと笑う。

 

「そんな脅し……ぜんぜん怖くないってばよ」

「この鮫肌で右足か左足か……身体から切り離された時にその強がりが続くか試してみますか?」

「――やってみろ。足がなくなっても、手がなくなっても、オレは絶対諦めない」

「…………ナルト?」

 

 ナルトの周囲に禍々しい気配が渦巻いていた。これは――チャクラ?

 イタチがナルトから手を離して長身の男と共に後退する。

 

「九尾の……これほどまでとは」

 

 ナルトはオレを庇うようにこちらに背を向け、その横顔からはどこか鋭さを感じる。

 

「やめろ、ナルト! お前には関係ない」

「関係あるだろうが!!」

 

 廊下に響いた怒鳴り声に次の言葉が引っ込んだ。

 

「オレはお前みたいに、復讐とかうちは一族の無念を背負って生きていくとか、難しいことは正直よく分かんねェ。……でもスバル兄ちゃんのことは関係なくないだろ」

「…………」

 

 こいつは本当に。

 

「一緒に戦うからな」

「…………好きにしろ」

 

 どうせ言ってもきかない。勝手に口元が緩むのを止められなかった。

 

 

 ――雷鳴。

 

 印を結ぶ。ゆっくりと持ち上げた左手から迸るチャクラが、静電気の如く身体の表面を駆け抜けていく。

 

「…………千鳥?」

 

 怪訝そうに呟いたイタチの声すら、爆ぜるようなチャクラの音にかき消された。

 

「多重影分身の術!」

 

 瞬く間に周囲は煙に包まれ、中から飛び出してきたナルトの影分身がイタチ達に飛びかかる。

 

「影分身を一度にこれだけ作り出せるとは、厄介な人柱力ですねぇ……」

 

 長身の男が刀を一振りしただけで次々とナルトの影分身が消えていく。消えるというより、チャクラを吸収されているのか?

 

「数だけ多くても無意味だ」

 

 イタチは一気に飛びかかってきたナルト達に手裏剣を命中させ、影分身が音と煙を出しながら消えた。

 

「――無意味じゃねェ」

 

 どこかにいるナルト本体の声。

 

 怯むことなく突っ込んでいく影分身達に紛れていたオレは、最後は影分身が消える時の煙に身を隠し――千鳥を纏った左手をイタチに振り下ろした。

 

 完全に煙が晴れ、至近距離で鳴り響く千鳥の音に気づいたイタチは、驚くほどの速さでオレの左手を掴み取った。

 

 これを止めるのか……。あの日から埋まるどころか広がっているイタチとの差に焦燥感を抱く。

 

 まだだ、まだ終わってない。

 

 

 ――うでを つかまれたら

 

 期待の目をして見上げてくるオレに、スバル兄さんは指文字とともに分かりやすく教えてくれた。

 

 ――こうやって てをひらいて あいてにふみこむ

 

 相手と力の差があるなら尚更。オレは今のオレにできることをやる。

 

 オレの左手を掴んで離さないイタチに対して左足を大きく踏み込む。

 

 ――てをうえにあげるように ふりほどく

 

 イタチの手が離れた。これまで一貫して無表情だったイタチの顔が微かな動きを見せる。

 

 ――すぐににげろ にげられないなら

 

 ――つぶせ

 

 

 身体を大きく捻り、両手を床についた状態で、地面から突き上げてくる岩をイメージした全力の蹴りを放つ。

 

「なっ!?」

 

 今までで一番自信のある蹴りだった。だというのに、イタチはまるで()()()()()()()()()()()()()()()()()大きく飛び上がってオレの蹴りを完全に回避した。

 

「今のは……」

 

 難なく床に着地したイタチ。しかしその表情には動揺が見え隠れしていた。

 

「…………スバル、兄さんの」

 

 懐かしむように細められた目は、記憶の奥底に沈められていた“優しかった頃の兄”とまったく同じ色をしていた。

 




誤字報告ありがとうございました!

うちは三兄弟、無事に兄(弟)摂取完了


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第四十六話 葛藤

『サスケにはこれから会うのか?』

 

 その予定はないと答えると、スバル兄さんは『そうか』とだけ呟いた。

 

 数年ぶりに会った兄さんは……少し痩せただろうか。チャクラの質は随分と変わっている。写輪眼になっていても、特徴的な白猫面を目にするまでまったく気づかなかったくらいだ。

 

『三代目のことを聞いて木ノ葉に顔を出したんだな』

「……うん」

 

 こうも柔らかい言葉を選んで使うのはいつぶりだろう。

 お面を外す素振りを見せないことから、あの夜から兄さんの考えは何も変わっていないのだと痛感させられる。

 

『呪印で直接口にすることはできないが、木ノ葉崩しの件はお前の想像通りだ』

「……根が大蛇丸と手を組んだと」

 

 兄さんは否定しなかった。つまりは、肯定。

 大蛇丸ほどの実力者であれば単独で里の結界を潜り抜けることは出来るだろうが、音の忍や大蛇を引き連れてとなると話は変わってくる。里が外部に開かれる中忍試験のタイミングを狙ったとはいえ、内側からのサポートがなければ事はスムーズには進まなかっただろう。

 木ノ葉が今の平和を享受できているのは、根や火影直属の暗部による功績が大きい。彼らの監視の目を掻い潜って木ノ葉崩しの下準備を行うのは至難の業だ。

 

『大蛇丸に襲われたそうだな』

「大蛇丸が暁を抜ける際に……まさか、今度はサスケを狙って?」

『……そうだ』

 

 あの日、大蛇丸はうちは一族の身体に固執しているように見えた。その手がサスケに伸びることは危惧していたが、まだ時期ではないとも思っていた。

 サスケはまだ幼い。少なくとも万華鏡写輪眼を開眼するまでは大丈夫だろうと……。

 

 そろそろ鬼鮫との合流地点に向かわなければ怪しまれる。だがサスケに迫っている危機を前に、そんなことを気にしている場合じゃない。

 

 スバル兄さんは出来る限り簡潔に大蛇丸のこれまでの行動やサスケの身に起きたことを教えてくれた。

 サスケが写輪眼を開眼したこと、カカシさんの元でうずまきナルトや春野サクラと下忍の任務をこなしていること、過去にも一度大蛇丸がサスケを狙って木ノ葉に侵入したこと。

 

 ――大蛇丸はこれまでに何度も他人の身体を渡り歩いてきて、次はサスケがそうなるかもしれないということ。

 

『今が大事な時だ。大蛇丸はそう遠くない未来、いやすでに新しい身体に移っているかもしれない。ダンゾウの仮説が正しければ、数年間は次の身体へ移ることはできない』

「大蛇丸の居場所は」

『……分からない』

 

 強く握られたオレの拳に気づいた兄さんが目を細める。そして、安心させるように続けた。

 

『大蛇丸が適当な肉体への変更を回避するには三代目にやられた腕を治療するしかないが、あの状態では治せる術者も限られる』

「……同じく伝説の三忍と呼ばれた綱手様」

『そうだ。幸い、ダンゾウは綱手様が里に戻ってくることを望んでいる』

 

 彼女の人望と能力で枯れかけている木ノ葉隠れの里を再建し、最後に自分が美味しいところを持っていく為だろう。

 兄さんは口にしなかったが、根の忍もすでに動き出しているとみて間違いない。……綱手様が里にいれば、あるいは。

 

 頭に浮かんだのは、自分で自分の首を絞めるに等しい行為だった。

 

「…………もう行かなければ」

 

 頭の片隅に追いやったそれを兄さんに悟られる前に自分から会話を断ち切った。

 兄さんは相変わらずお面をつけたまま、気づいた様子はない。

 

『イタチ』

 

 そう思っていたのに。

 

 オレを呼び止めるスバル兄さんの声は昔のように優しい響きをしていた。

 

『サスケは強い。いや、強くなった。ナルトという友に恵まれ、俺が奪ってしまった幸せを一つ一つ取り戻していっている。まるでパズルのピースをはめるみたいに』

「…………」

『……あの子はもう、自分の足で立って歩いていけるんだな』

 

 無性にお面の裏でどんな表情をしているのか気になった。

 

 兄さんはそれ以上言わなかったが、オレの考えなんて手に取るように分かっているんだろう。

 サスケはもう大丈夫だと、諭すような言葉を素直に受け止めることはできなかった。

 

 サスケはまだ()()()()が守るべき存在だ。兄さんはサスケの幸せを奪ったのは自分だと言ったが、オレだって同じ罪を背負っている。

 

「……また、兄さん」

『……ああ』

 

 後ろ髪を引かれる。ずっとここにいたい。木ノ葉に留まりたい――兄さんや、サスケと一緒に。

 

 でも、もう行かなくては。訝しんだ鬼鮫がここに戻ってくるかもしれない。

 

 走り出そうとしたその時、伸びてきた手のひらが遠慮がちに頭を撫でていった。

 

『……お前はいつも、言いたいことを我慢している時は眉間に力が入る』

「…………兄さん」

『――もう少しだけ待っていてくれ。俺が必ず全てを終わらせるから』

「…………」

 

 オレたちの幸せにはスバル兄さんがいないと意味がないと言えば、この人を苦しめてしまうだろうか?

 自分がサスケに対してしようとしていることを思えば、どちらの立場の苦しみも理解できる。

 

 オレも兄さんも自分勝手だ。

 

 兄さんの身勝手さがオレとサスケを守り、オレの場合は一族を犠牲に木ノ葉を守った。

 ただ振り回されるだけのサスケは……兄さんの言うように、これから一人で歩いていけるのだろうか。無理矢理にオレが引いたレールの上を歩くこともなく。

 

 お面越しに兄さんが苦笑したのが分かった。

 

『会って確かめてくるといい』

 

 それだけ呟いて兄さんは姿を消した。一人木ノ葉の外れにある森に残されたオレは、兄さんの言葉をなんとか噛み砕き……鬼鮫が待っているであろう合流地点へと向かった。

 

 

 

 暁から下された「九尾の人柱力であるナルトの捕縛」という指令は初めから達成する気はなかった。

 ナルトを守っているのが自来也様だと知った時は心底安堵した。鬼鮫の目を掻い潜りナルトを逃すのは難しい。ならば、初めから任務を成功させなければいいだけ。相手が伝説の三忍の一人だと知ればリーダーたちも納得するだろう。

 人柱力たちを集める計画が本格的に始動するのは数年後だと聞かされている。彼らも無理に木ノ葉を敵に回すよりも、準備に時間と労力を割くはず。

 

 鬼鮫と合流したオレは、カラスたちにナルトと自来也様の場所を探らせ、ようやく居場所を突き止めた。

 

「久しぶりだな、ナルト君」

「…………うちは、イタチ?」

 

 ナルトとはスバル兄さん経由で何度か話をしたことがある程度だった。サスケとは折り合いが悪く、アカデミーでも喧嘩ばかりしていたと記憶していたが……。

 

 宿屋に自来也様の姿はない。彼が美しい女性に目がないのは有名だ。適当な女性に幻術をかけ、今頃彼女は自来也様をナルトから引き離すために外へと誘導しているだろう。

 

「こんなお子さんが九尾の器になっているとはね」

 

 ナルトは、興味深そうに見下ろしてくる鬼鮫に戸惑っているようだったが、すぐにキッと力を込めてオレを睨みつけてくる。

 

 ……驚いた。

 

 初めて会った日、スバル兄さんに抱えられながら心細そうにしていた子供とは思えない。

 

「お前がスバル兄ちゃんやサスケにしたこと、オレは……!!」

 

 許さない。ナルトの口がそう動く前に、背後に現れた気配に声をかけた。

 

「――――久しぶりだな、サスケ」

 

 いつも他人事のようだった、“時間の流れ”。

 ふと、兄さんの『サスケは強くなった』という言葉を思い出して薄らと微笑む。オレの後ろに立っているサスケには見えなかっただろうが、正面にいるナルトには見られてしまったようだ。さっきまで怒りが滲んでいた瞳に困惑の色が混じる。

 

 振り返った先で見たサスケは、オレへの憎しみよりもナルトに対する心配が先行しているようで、無事だと分かって安堵していた。

 

 アカデミー時代、オレとスバル兄さんにシスイや覚方セキという切磋琢磨し合う友人がいたように……サスケにとってはナルトがそうだというのか。

 

 …………あの、サスケに。

 

 なんとも言葉にし難い感情に満たされる。

 

「…………」

 

 もしかしたら、あの時スバル兄さんはこういう表情をしていたのかもしれない。寂しさのような、嬉しさのような。

 断言できない感情の糸たちは複雑に絡み合って――いつかは解ける。

 

 オレの知るアカデミー時代のサスケは「忍術も体術もイタチにいさんとスバルにいさんに教わった方がずっといい」「アカデミーの同級生となんて一緒に修行する気にもならない」が口癖だった。

 オレやスバル兄さんに修行に付き合ってもらう為の口実だったのだろうが、実際に友人と呼べる存在はいなかったように思う。

 

「……少しは変わった、か」

「ナルトをどうする気だ」

 

 それだけじゃない。

 抵抗の意思を見せたナルトを拘束すれば、その殺気は何倍にも膨れ上がる。

 

 今のサスケは自分の復讐のためではなく、ナルトのためにオレと戦おうとしていた。……その目に写輪眼を宿して。

 

 共闘の形をとった二人。

 

 彼らは同時に印を結び、サスケの左手からバチバチと爆ぜる雷鳴が建物全体を揺らしていた。

 

「……千鳥?」

 

 あれはカカシさんの術。アカデミーを卒業して日が浅いサスケが習得しているなんて。

 

 千鳥を完全に発動するまでの時間的ロスを補うように、ナルトの影分身たちが壁の如く立ちはだかる。無数の影分身によってサスケの姿は完全に見えなくなってしまった。

 

「影分身を一度にこれだけ作り出せるとは、厄介な人柱力ですねぇ……」

 

 鬼鮫が鮫肌を一振りするだけで影分身が三体ほど巻き込まれて消えていく。だが、数が圧倒的に多すぎる。

 オレの目の前にも数体の影分身が躍り出てきた。仮に本体に当たったとしても致命傷にならないよう、急所を避けてクナイを投げる。

 

 ボンッ! と音を立てて影分身たちが消え、辺りに煙が立ち込める。

 

 サスケはどこだ。

 

 サスケの居場所はすぐに分かった。煙によって視界が遮られようとも、至近距離から聞こえてくる千鳥の音は隠しきれない。

 

 顔を上げる。煙に紛れてオレの真上にいるのは――左手を振り上げているサスケだ。その手を掴み、逃げられないように捻り上げる。苦痛に唸る声が聞こえた。

 

 あと少し反応が遅れていれば擦り傷くらいは負っていたかもしれない。

 

「無意味だと言ったはずだ。お前には何も……」

 

 出来やしない。言い切る前に、サスケは驚くほど素早く一歩足を踏み込み、腕を振り上げてオレの拘束から逃れた。

 

 今のは?

 

 強烈な既視感に眩暈がした。

 

 振り払われた腕が宙を泳ぎ、思考が一瞬持っていかれる。

 

 サスケの姿がいつかの兄と完全に重なる。

 アカデミー入学前だっただろうか。いつになく真剣な表情のスバル兄さんに誘われて修行していたときに、ある体術を教わったことがある。それは兄さんオリジナルだそうで、技名は……衝撃的すぎて逆に忘れてしまったが、所謂護身術のようなものだった。護身だけと見せかけて相手を再起不能にする反則技でもある。

 

 サスケが床に両手をついた瞬間、オレはすでに宙に飛び上がっていた。遅れて放たれたサスケの蹴りは空振りする。

 《つぶせ》という兄さんの言葉すら()()()()。渾身の蹴りが外れたサスケも相当驚いているようだが、それはオレも同様だった。

 

「今のは……スバル、兄さんの…………?」

 

 これまで築き上げてきた“冷酷な兄”の仮面すら剥ぎ取られてしまう。

 今のが男の急所をピンポイントに蹴り潰す技だと気づいたのか、いつの間にか姿を見せていたナルトが自分の股間を押さえながら真っ青になっていた。オレの斜め後ろに立っている鬼鮫も心なしか具合が悪そうに見える。

 

「……アンタも同じ技を教わっていたんだな」

 

 いち早く動揺から立ち直ったサスケが憎々しげに口にする。

 

「そう……これはスバル兄さんが教えてくれた体術、“楽園追放”だ」

 

 技名を完全に忘却していた過去の自分を称賛しつつ、二度とこの手は通用しなさそうな予感に内心頭を抱えた。

 多分、いや、確実にスバル兄さんにはネーミングセンスがない。

 なぜか脳内のスバル兄さんが白猫面をつけながら『当たり前体操〜』していた。

 

「…………」

 

 楽園がオレとサスケを指していると分かってしまうのもなんとなく嫌だ。この様子ではサスケは気づいていないだろう。

 

 里抜けしてから、今日まで。スバル兄さんの正体が()()白猫面の少年だと知ってから見て見ぬ振りしてきたが……やはり、()()が本来のスバル兄さんなのだろうか?

 ……やめておこう。今のオレには荷が重すぎる。

 

 

「――――強くなったな、サスケ」

 

 思わず呟いた言葉。サスケがピクリと反応し、信じられないといった様子でオレを見上げる。

 

 あの夜。全てに絶望し、自分が唯一残される弟にしてやれることはこれしかないと思っていた。

 

 

 ――――憎め! オレを憎んで、復讐心を糧に生き続けろ。……生きてくれ。誰を傷つけたっていい。裏切ったっていい。ただ、お前が生きていてくれるならば。

 

 

 だが今のサスケはどうだ?

 

 手を取り合い共に困難に立ち向かえるナルト(とも)がいる。かつての三代目のように成長を見守り導いてくれるカカシさん(せんせい)がいる。

 

 過去として、オレやサスケの心を支え続けるスバル兄さん(かぞく)がいる。

 

 

 嫌というほど理解した。

 

 サスケがナルトを手にかけることはない。オレへの復讐のために、万華鏡写輪眼を開眼するために、親友(とも)を殺せない。

 

 ――あの子はもう、自分の足で立って歩いていけるんだな

 

 どうやらスバル兄さんが正しかったみたいだ。

 

 サスケは心身共に強くなった。……オレにできることは、もうほとんどないのかもしれない。

 

「鬼鮫……今日のところは退くぞ」

「私の方はようやく調子が戻ってきたところだったのですがね」

「正面からアレを相手にするつもりか?」

「それはどういう……」

 

 近づいてくる強烈なオーラに気づいた鬼鮫が鮫肌に手をかける。

 

「女に幻術をかけるなんざ、男の風上にもおけん奴らだのォ……」

「伝説の三忍ですか。なるほど確かにこれは我々の分が悪いようだ」

 

 気を失った女性を壁に寄り掛からせ、その人はこちらを睨みつける。特徴的な白髪がゆらりと揺れた。

 

 伝説の三忍、自来也。能力の相性的にもオレと鬼鮫二人がかりでも敵うかどうかといったところ。彼の口寄せ術も非常に厄介だ。

 

「尻尾巻いて逃げようとしていたところ悪いが、お前らはすでにワシの腹の中」

「……なに?」

 

 ズズズズ……と足が床に吸い込まれる感覚がした。これは不味い。

 

「鬼鮫!」

 

 それだけで察した鬼鮫が、走り出したオレの後を追う。

 

「まさか、天照(アマテラス)を使うおつもりですか? 反動を忘れたわけではないでしょう」

「ここで蛙の餌になるよりはマシだ」

 

 閉じていた右眼から生温かい液体が頬を伝っていく。

 

 辺りは一気に黒い炎に包まれ、強靭な蛙の内臓を焼き切った。

 

 安堵したのも束の間、ゴボッと口から吐き出したのは……血の塊。

 

「だから言ったでしょう。はたけカカシ達と交戦した身体で天照は負担が大きいと」

 

 隣を走る鬼鮫がため息混じりに言う。

 

「お体に触りますよ」

「……なんだと?」

 

 よろめいたオレの身体を、鬼鮫が有無を言わさず抱き上げ、そのまま走り続ける。

 

「…………」

「…………」

 

 暫くして、鬼鮫がぽつりと呟いた。

 

「……自分でしておいてなんですが、これはナシ寄りのナシですね」

「奇遇だな。オレもそう思っていたところだ」

 




・楽園追放
スバルのオリジナル体術の一つで、一般的な護身術の最後に一矢報いるシリーズ。
両手を地面につき、勢いよく振り上げた両足で一直線に相手の股間を蹴り潰す。主に弟に群がる変態撃退用。


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飛花編
第四十七話 あなたを守るもの


 イタチがナルトに接触したという事実は、あっという間に木ノ葉で暮らす人々の間に広まった。

 

「あのイタチ相手に、うちはサスケと上手く立ち回ったらしいじゃないか! あの落ちこぼれが……」

「お前、中忍試験でのあの二人の活躍を見てないのか? 凄いやつだよ、ナルトは」

「自来也様が直々に面倒をみるくらいだ。これからさらに強くなって、木ノ葉に貢献してくれるだろう」

 

 ナルトの中忍試験での活躍は、今でも頻繁に耳にする。あの時からだろうか。里の人間のナルトへの評価が、がらりと変わりはじめたのは。

 

 うちは一族での自分の立場を思い出せば、手放しで「良かった」とは思えない。ナルトはどう感じたんだろう。

 ただ、ナルトの努力が相応に認められたことは……とても嬉しかった。

 

 

 里の人間が知っているということは、当然、根も知っているということ。

 

 イタチが木ノ葉に姿を見せた数日後、久しぶりに根における主要メンバーが屋敷に集められた。

 ここにいないのはすでに別の任務に出ている者くらいで、隊長を任されている者は大体揃っている。

 俺の部下で、屋敷に残っていたのはイロだけ。彼も分隊長に配置されているので招集対象だった。

 

 基本的にダンゾウの屋敷を拠点とする部隊の隊長である俺とモズ、拠点が屋敷外にある部隊を率いる山中一族のフーや油女一族のトルネ、屋敷どころか里外に拠点を持つ部隊もいくつか存在する。

 フーやトルネ達とは何度か話したことがあるが、里外の部隊に会うのは、根が三代目によって解体された時以来だった。

 

「暫く見ないうちに、以前より優秀なのが揃っているな。貴方の隊の者か?」

『…………』

「…………」

 

 親しげに話しかけてきた熊の面を被った男。俺が何も言わないので、向こうも気まずそうに黙ってしまった。

 わざと無視したわけじゃない。……誰だったかなと思って。

 俺にタメ口ってことは同じ階級なんだろうが、外の部隊に熊の面を被ってる奴なんて……。

 

 ……思い出した。いたな、こんな人。ユノと同時期に根の試験に合格した人だったはず。ユノが、優秀な同期がいると肩身が狭いと何度か愚痴っていた。

 

『……ええ、俺の部下です』

 

 とりあえず時差有りで返事をしてみた。隣にいたイロが熊面の男に会釈する。

 敬語が必要かどうかは微妙なラインだが、ユノの同期ということは一応先輩にあたる。

 俺がダンゾウやモズ以外に丁寧な口調なのが珍しいんだろう。イロが興味津々にこちらを見ていた。

 

 これ以上屋敷の入り口で話し込むわけにもいかない。ダンゾウの提示した時間より少し早いが、イロに声をかけ、先にダンゾウの待つ部屋へ向かうことにした。

 

 

 

「お前達を屋敷に集めたのは他でもない」

 

 上座にいるダンゾウは集まった根の人間をぐるりと見渡し、満足げに頷いた。

 

「大蛇丸による木ノ葉崩しや、先日のうちはイタチの件は聞いているな」

 

 全員頭を伏せたまま、ダンゾウの次の言葉を待つ。俺の隣で片膝をついているイロが、イタチの名前で反応したのが分かった。

 

「うちはイタチが木ノ葉に現れたのは、人柱力であるナルトが目的だったとされているが――それは大きな間違いだ。奴はうちはサスケの安否を確認し、ワシを牽制するために姿を見せたのだろう」

 

 イタチの意図が正しくダンゾウに伝わっているのは喜ばしいが、こうも察しがいいと複雑でもある。

 

「とはいえ、暁の目的が九尾というのは嘘ではないようだ。根はこれまで以上に木ノ葉を脅かす存在に目を光らせる必要がある」

 

 ダンゾウがその場から立ち上がった。

 

「これまで木ノ葉を外から支えてきた部隊は、暁の活動内容やその思想に至るまで、全て調べ上げるのだ」

「お任せください」

 

 熊の面をつけた男が代表として発言する。

 

「屋敷外の部隊は、うちはイタチを追え。里外の部隊と連携し、少しでも怪しい動きを見せれば報告するように。可能であれば抹殺しても構わぬ」

「承知いたしました」

 

 今度はトルネが声を発した。俺の心は僅かにざわついたものの、フーやトルネ達が優秀とはいえイタチがそう簡単にやられるとは思えず、小さく息を吐き出すだけで済んだ。……落ち着こう。

 

 ここにきてからなんだか変だ。どうも嫌な予感がする。

 

「そして、クロ」

『…………』

 

 黙って顔を上げる。流れ的に屋敷内の部隊としてモズと一緒に呼ばれるのだと思っていた。

 木ノ葉組は俺のダンゾウに対するちょっと不遜な態度には慣れっこだが、里外の連中はそうではなかったらしい。数人が驚いたようにこちらを振り返っていた。

 

「お前の部隊は大蛇丸だ」

『…………』

 

 嫌な予感の正体はまさか。以前大蛇丸相手に『ご縁ができましたね』などと言って菊理媛(ククリヒメ)を発動したのがいけなかったのか?

 

「あやつは殺しても死なぬような男だ。お前達に任せるのは、大蛇丸のアジトや研究施設を探し出し、時間をかけて一つずつ潰していくこと」

『…………』

 

 大蛇丸の研究施設とかトラウマしかないんですが。

 

 不屈の精神・巨が搭載されているダンゾウは、終始無言な俺の態度を気に留めることすらせず、最後にモズに目を向けた。

 

「モズ」

「はい」

「お前が今抱えている任務は全て部下に引き継ぎ、これから与える任務が終わるまではお面を外せ」

 

 ……暗部がお面を外すということは。

 

「以前と同様に“スイ”と名乗れ」

 

 モズがお面を外して懐に仕舞った。

 モズの素顔を見た一部の人間がざわついてる。里外に拠点を持っている奴らだ。モズはなんかこう、他では見ない珍しい顔つきなので気持ちは分かる。

 

「すでに自来也がうずまきナルトを連れて、綱手姫を探そうと里を出ている。その為、はたけカカシの班は早急に人員を補充しなければならぬ。カカシ自身もイタチの幻術を受けて動ける状態にないのは知っているな」

「私は、はたけカカシの代わりに七班の担当上忍になるのですね」

「そうだ。相談役からの了承は得ている」

「承知いたしました」

「人柱力には自来也がついているから心配はいらぬだろう。もしも大蛇丸がうちはサスケを狙ってきたのなら、お前が適切な対処をするように」

「適切……というのは」

 

 こんなにもダンゾウの言葉を一言一句聞き漏らさまいと集中したのはいつぶりだろう。

 

 “適切な処理”という表現に引っ掛かりを覚えていると、モズもそうだったようで聞き直していた。

 モズは影真似による後方支援は得意だが、一人で大蛇丸に立ち向かうには、戦闘スタイルや能力の相性が悪すぎる。さらにサスケやサクラを守りながらとなると……ほぼ不可能。

 ここでダンゾウが適切という言葉を選んだ意図は、恐らく。

 

「大蛇丸と対峙し、うちはサスケを守り抜くことが不可能だと判断したならば。あやつの手に写輪眼が渡る前に、うちはサスケを――――始末するのだ」

 

 声も出せないのに叫びそうになった。

 

「うちはサスケが大蛇丸の手に落ちることだけは、なんとしても阻止しなければならぬ。器としても、写輪眼としても、だ」

 

 額に浮かんだ冷や汗が頬を伝い、立てた膝に乗せた俺の腕にぽとりと落ちた。

 ああ、本当に。この男はいつも俺の想像を超えてくる。

 

 いつもはダンゾウから命を受けたならば二つ返事で引き受けるというのに、モズは俯いたまま何も言わない。

 ダンゾウが怪訝そうに眉を寄せる。

 

「どうした」

「……いえ、何でもありません。お任せください」

 

 モズは目を伏せ、さらに深く頭を垂れた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 モズがスイという名で、正式に第七班の臨時担当上忍となった日、俺は自室で荷造りをしていた。

 

「クロ隊長。全員支度が済んだようです」

『すぐに行く』

 

 部屋の前で声をかけてくれたイロに、少し待つように伝える。

 俺の足元には兵糧丸などが入った小袋に、充分な数のクナイや手裏剣、薬や包帯などが散らばっている。

 

『…………』

 

 こんな形で木ノ葉を離れることになるとは思わなかった。

 

 小さな鞄に必要なものを全て詰め込む。念入りに確認したから忘れ物はないはずだ。

 

 これは間違いなく長期任務になる。大蛇丸のアジトや研究施設なんてどれだけあると思ってるんだ。

 木ノ葉ですら、資料には存在が示唆されているのに未だに見つかっていない施設がいくつかある。実際はもっとあるだろう。

 捜索対象がここまで広範囲だと……俺はもう二度と木ノ葉の土を踏めないのでは?

 

 鞄を腰に固定し、一度ぐるりと周りを見渡してから自室を出る。

 部屋の前で待っていたイロには、障子を開いた時に中の様子が見えたんだろう。「影分身を置いていくんですね」と言われた。

 

『チャクラが切れるまでは』

 

 顔だけで振り返って、部屋の中央に布団を敷いて眠っている(ように見えるだけで実際は寝ていない)影分身を見る。少しでもチャクラを温存できるよう、基本は眠らせておくつもりだ。

 

「ボク達が里を離れれば、木ノ葉の守りはモズさんの隊だけになりますからね」

『ああ』

「ボクも……クロ隊長のような影分身を作り出せたらよかった」

『……必要ない。これはうちは一族にしか使えないし、お前には“それ”がある』

 

 そう言って、イロが背負っているリュックを指差した。正確には、リュックの中にある彼の道具を。

 

『根には必要不可欠な能力だ』

 

 イロの能力はよく出来ている。チャクラを込めた墨で描いたものを実体化させ、例えば鳥であればその背に乗って移動するだけでなく、報告用に使うことも可能だ。

 イロの飛ばした鳥は受け取る側が巻物を用意して情報を書き出すタイプなので、鳥が敵側に見つかっても情報が漏れる心配はない。その場合は元の墨に戻るだけだ。

 

「隊長にとってもですか?」

 

 思いもしなかった言葉に目を瞬く。……俺にとって。イロの能力には何度も助けられたから当然だ。

 何となく、俺の考えている通りの意味で聞いてきたわけではない気もするが、こくりと頷く。

 

「……そうですか」

 

 イロは最近よく見せるようになった綺麗な笑みを向けてきた。悪い言い方をすれば、いかにも嘘っぽい笑みだ。

 

『何か気に入らなかったのか』

「あ……いえ、違うんです。本に、書いてあったので」

『本に?』

 

 イロは困ったように眉を下げ、ちらりと俺を見上げながら言った。

 

「嬉しいと感じたら――ボクにはまだはっきりとその感情に確信は持てないけれど――そうかもしれないと思ったら、笑顔を手段にして自分の気持ちを相手に伝えることが……」

『…………』

「その人と仲良くなる秘訣だと、本に……』

 

 つまり、俺と仲良くなるために?

 

「……隊長?」

 

 モズといいイロといい、なぜ? ユノだってそうだった。

 

 “敵”を好きになりたくないのに。好かれたくはないのに。

 どうして……俺の心に入ってこようとする。

 

 

『……問題ない。ダンゾウ様に報告してから行くぞ』

「はい」

 

 木ノ葉崩しが起きた日。……ダンゾウが初めて俺の前で弱みを見せた日。

 弱みと呼べるかも怪しい小さな綻びは、今でも俺の中に波紋を呼び続けている。

 

 迷いも油断も、目的の前では足枷でしかない。分かってる。俺は、痛いくらい理解してる。だからまだ……大丈夫だ。

 

 開いたままだった自室の障子を閉じて、イロと共にダンゾウの部屋へと向かった。

 



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第四十八話 面影

 毎日身につけている暗部の忍装束を脱ぎ、表の任務では不要な忍具を一つ残らず取り外していく。歯の裏側に隠し持っている解毒剤などはそのままだ。

 鏡の前で口を開き、全て揃っているか確認する。

 ここまでしなくても良かったか? 表の任務が久しぶりすぎて塩梅が分からない。

 

「……面がないと落ち着かないな」

 

 最後に“モズ”のお面を畳んだ忍装束の上に置いた。一時的とはいえ、このお面を外すことになるなんて。

 

 最低限の荷物だけ持って自室を出ると、部下を引き連れた白猫面を被った青年を見かけた。彼は目ざとくこちらの気配に気づき、振り返って立ち止まる。

 

『モズ隊長』

「今はただの“スイ”だ。……班員は全員揃ったか?」

『はい。今から木ノ葉を出ようかと』

「……そうか」

 

 あっさり答えが返ってきて拍子抜けする。

 白猫面の少年――クロは、部下たちに先に行くよう指示を出し、この場にはオレと彼だけが残った。

 

『影分身はここに置いていきます。ダンゾウ様の許可は得ていますので』

「すでに聞いている」

『…………』

 

 クロが僅かに俯いた。小さなため息をこぼす。

 

『いつも、なんでも知ってますよね。知らないことの方が少ないんじゃないですか』

「は……まさか。オレにも読めないことはたくさんある」

 

 お前の突拍子もない思考回路とか。そこまでは口にせず、肩をすくめるだけに留めておいた。

 クロが影分身を木ノ葉に置いておきたい理由は聞くまでもないけれど。

 ダンゾウ様には『木ノ葉に何かあった時にすぐ戻ってこられるように』『影分身が消えたら報告も兼ねてこちらから新しい影分身を送り直す』と伝えたことも。

 

『へえ……。ああ、そういえば気になってたことがあるんですよ』

「……なんだ?」

 

 ここでやっと、うちはサスケのことを聞くのか。やっぱりこいつの考えは読めないなと思っていたら、さらに予想を超えてきた。

 

『今の隊長の名前がスイってことは、色葉スイってことですよね。いろはスイ……いろはすい……なんか聞き覚えありません?』

「…………」

『昨日から妙に気になっちゃって』

「……もういい」

 

 頭痛がしてきた。

 

 しっしっと犬猫を追い払う仕草をする。

 

「さっさと行け。部下が待ちくたびれてるぞ」

『大丈夫ですよ。俺の部下はちゃんと“待て”ができるので』

「……お前ができないのに?」

 

 今思えばクロとこういう会話をするのは随分と久しぶりだった。まだ本調子ではないようだが……少しは良くなったんだろう。

 

「気をつけて行ってこいよ」

 

 クロはこれから長期任務に出る。分母すら分からない大蛇丸のアジトを潰すために。ダンゾウ様の方から呼び戻すことがなければ、少なくとも数年間は木ノ葉に戻ってこられないはずだ。

 

『…………』

 

 こちらに背を向けようとしていたクロの動きが止まる。

 

『……聞きたかったことがもう一つだけありました』

 

 纏う雰囲気ががらりと変わった。

 

()()()は、俺が怖くないんですか』

「怖い……? お前のことが?」

 

 こいつはまた何を言い出すんだ。

 そのままの意味で受け取るなら“NO”だ。そんな単純な話ではないだろう。

 

 クロは考え込む俺を見て毒気(かどうかは分からない)を抜かれたようだった。目をぱちくりさせている。

 

『……素でやってる?』

 

 だから何の話だよ。

 

『あーいや、何でもないです。もう行きますね』

「まてまてまて。おかしいだろ」

『影分身のこと、よろしくお願いします』

 

 肩を掴んだ手はあっさり引き剥がされ、クロは部下たちと合流して本当に屋敷を出て行ってしまった。

 この場に残されたのは、中途半端に手を伸ばした状態で固まっているオレ。

 

「…………は?」

 

 アイツ……言葉を交わすだけで相手の体力を奪う天才すぎるだろ。

 前から思っていたが、あの見た目でバカみたいに力強いのなんなんだ。

 

 

 

 カサッと紙を捲る音がする。文字の羅列を追いかける時の目つきは、うんざりするくらいクロにそっくりだった。

 

「色葉スイだ。はたけカカシが復帰するまでの短い間だが、君たちの担当上忍を任されている」

「……カカシの代わりがこんなに早く来るとは思わなかった」

「カカシ先生は大丈夫なんですか?」

 

 木ノ葉の第二演習場。俺の目の前には、警戒心丸出しなうちはサスケと、不安げな春野サクラが立っている。

 

「命に別状はないと聞いている。それで、今日の任務は――」

「まっ、待ってください! 顔を合わせたばかりなのに、もう任務だなんて」

「……これ以上何かすることがあるか?」

 

 はたけカカシの代わりに来たことと、名前も教えた。木ノ葉上層部のお墨付きである証明として任命書も見せている。二人に関するデータはすべて頭に入っているし、わざわざ聞く必要もない。

 うちはサスケに関しては、生まれた時から監視対象だったから尚更だ。

 

「オレとサクラはアンタの名前しか知らない。お互いの能力や戦闘スタイルを把握していた方が連携がスムーズにいく」

「そう! サスケ君の言う通り! とりあえずここに座ってください」

「おい、何を……」

 

 サクラに強引に腕を掴まれ、その場に座らされる。二人はオレの向かいに座った。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 どういう状況。

 

「任務っていっても、初日だし簡単なものですよね? 急ぎじゃないなら、まずはお互いのことを知る時間を……」

「まずは所属からだ」

「や……やぁだ、サスケくんったら! それじゃ面接みたいじゃない!」

「…………」

 

 ダラダラと冷や汗を流しているサクラに、相変わらずギラついた目でオレを見ているサスケ。

 やっと状況が読めてきた。

 

「はぁ……いいだろう。すでに知っているようだからな。オレは暗部の人間だ」

「……やっぱり」

「誰から聞いた?」

 

 続けて口を開こうとしたサクラが躊躇うようにサスケを見る。

 

「誰だろうと関係ない。カカシのように元でもない現役の暗部が、なぜこのタイミングでオレたちの担当上忍に選ばれる」

「オレを推薦したのは相談役の二人だ。大蛇丸やうちはイタチ……ここまで言えば理由は察せるだろう」

「…………」

「大きな事件が立て続けに起きて、木ノ葉はどこも人手が足りていない。火影の席すら空席のままだ。オレ以外の暗部も表の任務に駆り出されている」

 

 色葉スイの名は以前にも表の任務で使ったことがある上、オレが暗部所属だということもそれなりに知られている。今も昔も、この里の情報管理は杜撰だ。

 オレは素の顔に特徴がありすぎて名前を変えても意味がないってのもあるが……。

 

「もういいだろ。任務内容について話をしよう」

「いや、もう一つ聞きたいことがある」

「……なんだ?」

「暗部は暗部でも――“根”の人間か?」

「…………」

「なに? サスケ君、根って……」

 

 うちはイタチはともかく、うちはサスケは根の存在すら知らないはずだ。クロが火影直属の暗部に異動になる前にどこかに所属していたことくらいか? それ以上はクロ本人ですら呪印の影響で伝えることは出来ない。

 

「両親の遺品整理をしている時に、契約書を見つけた」

「……ああ」

 

 根の構成員の大半が赤子のうちにどこかから攫ってきたか、大戦などで両親を亡くして行く当てのない子どもたちだ。

 うちはスバルに関しては、きちんと両親や本人の理解を得てから根に所属することになった、非常に珍しいケースである。

 当時まだ彼が幼かったのもあって、親からの同意を得るためにどうしても契約を紙で済ませる必要があった。

 ……普通、そういった書類は遺品整理くらいで出てくるものじゃないんだがな。

 うちはフガクもああ見えて脇が甘いのか、それとも、いずれ明るみに出ることを望んでわざとそうしたのか。

 

「根はスバル兄さんが所属していた暗部だ」

「カカシ先生と同じってこと?」

「オレがまだ幼かった頃、兄さんはあるところから異動になって火影直属の暗部になったと聞いている。カカシは後者だ」

「それって……」

 

 さっきからオレを見たりサスケを見たりで忙しなかったサクラが、ぐりんっと身体ごとこちらを向く。その目は思わず後退りしてしまうくらいに爛々と輝いていた。

 

「カカシ先生も知らない、サスケ君のお兄さんの話が聞けちゃうってことぉ!?」

「…………」

「…………」

 

 会ったこともない男の話に、どうしてそんなに興味津々なんだよ。

 

 

 

 今日の任務は、顔合わせ初日ということもあって比較的簡単なものだった。

 

「店番なんて初めてかも」

 

 カウンターに寄りかかりながら、サクラがため息混じりに言う。

 

 少し前まで下忍の任務といえば猫探しだとか草むしりだとか、里内で完結する身内からの依頼ばかり。

 大蛇丸による木ノ葉崩しや先日のうちはイタチの件で人手が足りない為、今では下忍を含む班でもBランクが割り当てられることがある。それを考えれば、この任務は随分と良心的だろう。

 

「これまではどんな任務を?」

「うーん。新聞の配達とか庭の手入れとか……」

 

 低ランク任務とはいえ、忍に依頼するなら中身は肉体労働が多い。こうやって店内でぼんやり客待ちをすることは稀らしい。

 

「あっ、いらっしゃいませ!」

 

 店に入ってきた客にサクラが満面の笑みで対応している。

 ……彼女がいてくれて本当に良かった。サスケは終始無愛想だし、オレも笑顔での接客は得意じゃない。オレとサスケの二人だけで店に立たされていたらと思うとゾッとする。

 

 サクラが客と話している間に、会話の流れで必要になりそうな忍具を棚から出して並べておく。

 ここは古くからある忍道具専門店で、店主はぎっくり腰で入院中らしい。里がこういう状態だからこそ店を閉めるわけにはいかないと依頼を出したそうだ。

 

「なあ、店主のじいちゃんは元気か? 入院したって聞いたんだけど」

「私は依頼を受けただけなので詳しくは……」

「ふーん。その歳でもう忍として働いてるなんて偉いじゃん」

 

 客である青年がカラッと笑う。青年はサクラからオレに視線を移して口を開いた。

 

「あと、ホルスターもつけてくれる? もうボロボロになっちゃって」

「はい」

 

 ホルスターが入っている引き出しは、隣で忍具の手入れをしていたサスケのそばにあったので、無言で手のひらを差し出す。サスケは渋々ながら引き出しを開いた。

 

「でさ、今日の任務ってこれだけ?」

「……そうですね」

 

 サクラの眉がぴくりと動いた。

 オレにホルスターを手渡そうとしていたサスケの動きも止まる。

 

「良かったら一緒に病院にお見舞い行こうよ」

「だから、このお店のおじいさんとは会ったこともなくて、お見舞いに行くような間柄じゃ……」

「いいじゃんいいじゃん。あのじいさん若い女の子大好きだからきっと喜ぶよ!」

 

 この流れは不味い。オレが間に入る前に、サスケがホルスターを手に持ったまま男の元へ向かおうとする。

 しかし、誰よりも早く動いたのはサクラだった。

 

「勝手にレディーの肩に腕を回すなんて……ふざけてんじゃないわよ!! この変態!!」

「へ、変態ってそんなぶぼぁっ!?」

「…………」

「…………」

 

 鳩尾に重いのを一発。

 男は口から泡を吐いて床に伸びていた。 

 

 息を荒くしたサクラは、すぐ我に返って「……きゃっ! サスケくぅん、怖かったぁ」とサスケに抱きつく。サスケの頬は僅かに赤かった。

 

 …………女って、いや、こいつらが怖い。

 

 

 

 例の男はサスケによって店の前に晒し刑となり、当然のことながらその後店に客が来ることはなかった。

 店主に営業妨害で訴えられるんじゃないだろうか。オレたちが。

 

「報告書は……よし。これまでは誰が提出していた?」

「基本は自分たちでやっていました」

「なら、任せよう。明日も同じ時間にあの演習場で待機しているように」

「あの……最後に一ついいですか?」

「…………なんだ?」

 

 今日はやけにその言葉を耳にする。しかも、今のところ二連続で聞いたことを後悔してる。

 

 サクラは顔を真っ赤にしながら叫んだ。

 

「サスケ君のお兄さんの話がまだですっ!!」

「アイツの話なんてこの世の何よりもどうでもいいだろ!」

 




い・ろ・◯・す


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第四十九話 音沙汰

 朝起きて顔を洗い、鏡に映った自分の顔を見つめる。

 

 自分の顔つきに両親や兄の面影を探すのが日課になっていた。

 幼い頃は母親似だと言われていたが、今ではそれもしっくりこない。ただ、父の顔とはもっと離れていると感じる。どちらかといえば父親似だと言われていた兄とは、さらに。

 

「…………」

 

 オレとスバル兄さんを繋ぐように、あの男――うちはイタチは父と母の特徴を半分ずつ受け継いだような存在だった。

 昔はそれが嬉しかった。スバル兄さんと二人で出掛けても周りの人たちはオレたちが兄弟だと気づかないことがあったけれど、イタチが一緒なら「あら三兄弟でどこに行くの?」と声をかけられる。

 これまでもこれからも、ずっと三人一緒にいられると思い込んでいたから。

 絶対なんてない。永遠なんてない。そんな簡単なことに気がつくまで、オレはどれだけの時間を浪費しただろう。

 

 ぽたぽたと滴り落ちてくる水滴。きゅっと蛇口を捻って水を止める。

 

 朝になるといつも身体が重い。スポンジみたいに水を吸って、どんどん重くなっていく。

 

 洗面所を離れて、居間に向かう。数日前、家にきたナルトが作り置きしていったおかずをテーブルの上に並べた。

 

「…………うまい」

 

 箸を手に、本人の前では絶対に言わない言葉を呟く。

 なにかと手料理を振る舞ってくるナルトだが、日に日に腕前が上達している気がする。……アイツは将来料理人にでもなるつもりなのか。

 

 食べ終わった食器を洗い、洗濯と目についた箇所の掃除だけ済ませて、最後に花瓶の水を換える。新しい花を花瓶にさし、居間に飾られている写真立ての前に置いた。

 両親とスバル兄さんの三人が映ったアカデミーの入学式での写真や、赤子だったオレを恐々と抱っこしている父さんの写真(撮影者が誰かは分からない)、そして……兄弟三人で映った写真。

 あの事件があってから、家にあったイタチの写真は全て燃やしてしまったというのに。ナルトのところにあったこの写真だけは捨てることもできずにいる。

 スバル兄さんがわざわざ本の隙間に隠すように忍ばせて、ナルトに会っている時ですら時々眺めていたという写真。

 

 あの人はとても不器用な人だった。その不器用な優しさが大好きだった。

 

 スバル兄さんは思いもしなかっただろう。その優しさがイタチにも向けられていたことをこうやって突きつけられるたびに、オレの中のあの男への憎しみが消えることなく燻り続けることに。

 

「兄さん……オレは」

 

 オレは、イタチを殺す。あなたが心を割いて大切にしていた男を殺す。

 復讐するんだ。誰でもない。自分自身のために。

 ……兄さんは。スバル兄さんは、悲しむかもしれないけれど。

 

 スバル兄さんの顔を思い出そうとするたび、いつも先にイタチの顔が浮かんでくる。

 

「…………どうして」

 

 ――――強くなったな、サスケ

 

「どうして……オレに」

 

 先日会ったあの男は、懐かしむような、切なげな瞳であんなことを言ったんだろう。

 

 

 

 ナルトが自来也と共に里を出た数日後。暫く活動を休止していた第七班が招集されることになった。

 合流したサクラと一緒に指定された演習場に向かう途中。

 

「ねえ、サスケ君。新しい先生ってどんな人かしら」

「これを持ってきたガイは『気をつけろ』と言っていたが……」

 

 相談役を介した、正式な任命書。

 ガイは「今の木ノ葉は、動ける者には非常に簡易的な手続きで任務を振り当てている状態だ。カカシの代わりに短期間担当上忍を任せるだけの人物をわざわざ相談役の二人が推薦し、このようなものまで用意してくるのが逆に怪しい」と言っていた。言われてみればそうだった。

 

「暗部かもしれない」

「暗部ってエリート中のエリートしか所属できないっていう、あの?」

「ああ」

 

 ガイがいうには、大蛇丸には色葉一族の部下が存在していたことがあるらしい。

 今回オレたちの担当上忍に選ばれた男の名前は、色葉スイ。

 色葉はどこの国にも属さず、住む場所を転々と変えながら暮らしている一族だ。木ノ葉で色葉の人間を目にすることは珍しく、大蛇丸の時もひっそりと話題になったという。その男は大蛇丸の部下になる前は志村ダンゾウの元に身を寄せていたそうで、大蛇丸の部下ではなくなってから、その行方は分からなくなっている。

 そして……志村ダンゾウは“根”の創設者。

 大蛇丸の部下だった男と色葉スイが同一人物かは不明だが、可能性は限りなく高い。

 

「新しい担当上忍の人が、実は大蛇丸の回し者で、サスケ君のことを狙ってるかもしれないってことよね……」

 

 サクラが「そんなのダメよ! サスケ君は私が守るんだから!」と叫ぶ。あまりにも大きな声だったので周りの人が一斉にこちらを振り返った。

 

「…………」

「…………」

 

 オレたちは俯きながら早足で演習場に向かった。

 

 

 

 演習場には例の担当上忍がすでに待機していた。

 上忍のベストを身につけ、少し長めの前髪を額当てで押し上げている。太陽の光に透ける薄青色の髪に、灰がかった青色の瞳が特徴的な男。さらには一度も日に焼けたことがないのかと思うくらい真っ白な肌をしていた。

 波の国で出会ったあの少年に、少しだけ雰囲気が似ているかもしれない。

 歳は二十代後半くらいだろうか。老け顔というわけではないけれど、もう少し上にも見える。

 

「色葉スイだ。はたけカカシが復帰するまでの短い間だが、君たちの担当上忍を任されている」

 

 ガイのは写しだったが、目の前の男が手渡してきたのは任命書の原本だった。

 すでに見た内容をもう一度上からなぞるように目を通す。スイはそんなオレをどこか複雑そうな表情で見ていた。

 

 カカシの後任がこんなに早く決まるとは思わなかったと言えば、すぐに「動ける人間が限られているからこれでも遅い方だ」と返ってくる。

 

 さっさと任務に向かおうとするスイをサクラと二人で引き止め、無理矢理その場に座らせた。困惑顔をした彼の前に二人で並んで座る。

 ……なんだか妙な雰囲気だな。

 この場に流れた気まずい空気には目を逸らした。

 

「まずは所属からだ」

 

 気持ちが先走りすぎたようで、問い詰めるような口調になってしまった。スイは諦めたように肩をすくめる。

 意外にも簡単に暗部所属であることを認めたスイは、知られても困らない情報だと判断したのかそれらしい理由を並べてきた。木ノ葉崩しの件を引き合いに出しているが、それでも相談役直々の推薦を受ける理由にはならない。

 何か裏があるのではと勘繰ってしまうのは当然だろう。

 

「暗部は暗部でも――“根”の人間か?」

「…………」

 

 ほんの一瞬。気のせいかと思うくらい僅かな時間、スイの表情が硬くぎこちないものになった。

 

「両親の遺品整理をしている時に、契約書を見つけた」

 

 暗部養成部門“根”に所属することを示すいくつかの契約書の下部には、全てうちはスバルの名が血判と共に記入されていた。

 スバル兄さんが火影直属の暗部に配属される前。記憶は朧げながら、兄さんがほとんど家にいなかったことを覚えてる。寮暮らしをしていて、たった一度しか実家に帰る許可を得られなかったことも。

 火影直属の暗部になったスバル兄さんが実家に戻ってくることになって、一番喜んでいたのが母さんだった。

 ほとんど使われたことのない兄さんの部屋を綺麗に掃除し、兄さんが後で買い足しせずに済むように生活用品を揃えていた。母さんが用意した部屋着はその時の兄さんには小さかったようで、スバル兄さんがオレとイタチを誘って三人で買いに行ったことも覚えている。

 

 一度だけ、スバル兄さんが両親に呼び出されて何かを報告する際に、以前所属していた場所について言及されている場面に遭遇したことがある。

 詳しい内容までは覚えていないけれど、父さんは兄さんが以前所属していたその場所に良い印象を抱いていない様子だった。「今はあのような環境にはいないだろう」と諭すように言っていたから。

 

「それは――」

 

 スイが何かを言いかけた時、彼の肩めがけて小さな鳥が飛んできた。任務を知らせる忍鳥だ。

 

「……オレたちがいつまでも来ないから催促にきたようだな」

「まだ話は終わってない」

「お前たちに話すことはないし、任務は遊びじゃないんだ。さっさと行くぞ」

 

 立ち上がろうとするスイに、サクラが「待ってください!」とその腕を掴んだ。

 

「能力くらいは教えてくれてもいいんじゃないですか? 今日の任務は店番だから必要ないかもしれないけど……ほらっ、明日以降のためにも!」

「…………そうだな」

 

 足元で何かが動いた。背筋を駆け抜ける悪寒に、本能的にその場から飛び退こうとしたのに――身体が動かない。

 オレだけではなく、サクラも同じ状況らしかった。

 

「目にしたことくらいはあるだろう。お前たちの同期にオレと同じ使い手がいるのだから」

「これってシカマルの!?」

「そういうことだ。詳しい説明は必要ないだろ」

 

 スルスルとこちらに伸びていた黒い影がスイの元へと戻っていく。

 

「あなたって一体……」

 

 唖然と呟くサクラに、スイは微かな笑みを受かべた。

 

「お前たちと同じ、ただの木ノ葉の忍だ」

 

 

 

 スイと共にスリーマンセルとして任務をこなすようになって一週間経った。

 任務というより訓練に近い内容が多く、スイの影真似によるサポートを受けた状態でサクラとオレでターゲットを仕留める流れがお決まりになりつつある。

 

 今日は久しぶりの午後休だ。溜まっている家事を片付けたり、そろそろ買い出しにも行かないと冷蔵庫の中身が空になってしまう。

 

 今日は両親やスバル兄さんの部屋も片付けよう。

 遺品整理として以前にもやったことがある。ただ、彼らの部屋にいるだけで辛くなって本格的にはやっていなかった。

 そろそろ……心の整理もしたい。

 

 スバル兄さんの部屋の障子を開く。定期的に換気をしているから埃っぽさはない。

 

「…………」

 

 父さんと母さんはスバル兄さんの部屋で亡くなっていた。両親の部屋でも、イタチの部屋でもなく。

 オレが病院で眠っている間に火影直属の暗部は全ての死体を確認して持って行ってしまったから、オレはスバル兄さん以外の死体をこの目で見ていない。イタチにかけられた幻術で当時の映像を見せられただけだ。

 再び一族の死体が戻ってきた時には全員棺の中に入っていて、すぐに南賀ノ神社のそばに埋められた。

 

 あの日、イタチは玄関前でスバル兄さんを殺し、家に入って両親を殺した。オレの悲鳴を聞きつけたイタチが家から出てきて……それから。

 

 ズキッと頭に激痛が走る。眉を寄せ、痛みが過ぎ去るのを待つ。

 まるで心臓を直接握られているような息苦しさ。服の上から胸を押さえた。

 

「はぁ……はぁ」

 

 少し落ち着いてきた。額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。

 

 後で病室にやってきた火影には、家の中はほぼ当時のままにしてあると言われた。

 退院したオレが真っ先に確認したのはスバル兄さんの部屋。血の跡は綺麗に拭き取られていたが、いつも綺麗に整えられていた兄さんの部屋が少し荒れていた。

 ミニテーブルの位置はズレているし、姿見鏡は割れている。オレがやったのは割れた鏡を片付けたことくらいで、それ以外は触っていない。……いや、触ることすら出来なかった。

 ここで兄さんが過ごしていた過去すらも消えてしまう気がして。

 

「今のは?」

 

 兄さんの部屋に唯一ある棚に近づこうとすると、足元が不自然に沈んだ。立ち止まる。

 

「…………まさか」

 

 うちは一族の氏神を祭る場所。南賀ノ神社本堂にも同じような地下への入り口があった。

 

 棚を移動させ、畳を一枚押しのけた先。小部屋とも言い難い僅かな空間が存在していた。

 そこには巻物が一つに、やけに分厚い本が三冊積み上げられている。

 

 ごくりと唾を飲み込む。

 

 まずは巻物を手に取った。紐をとき、全ての文字が見えるように広げる。

 

「うちは流……多重影分身の術?」

 

 火影が保管していた禁術の一つである多重影分身の……うちは版だと? どうしてこんなものをスバル兄さんが?

 

 巻物を足元に置き、隣の分厚い本のうち一つを持つ。見た目通りずっしりと重く、表紙を開くのもやっとだった。

 きっとこれもあの巻物のようになにか重要な……。

 

「…………記録?」

 

 何の記録だろう。忍術や任務に関するものだろうか?

 

 次のページを捲る。ページ全体を赤子の写真が埋め尽くしていて反射的に本を閉じた。

 

「…………」

 

 なんだ今の。オレは何を見せられた。

 

 もう一度本を開く。今度は適当なページだ。

 

「…………」

 

 そこも赤子の写真でびっしりと埋められていた。既視感がすごい。

 

「…………オレと、うちはイタチの写真、か?」

 

 一度も見たことのない写真だが、どれもこれも覚えのある顔つきをしている。ピントは合っていないが、ところどころに父さんらしき人物の腕やら足が写っているものもある。

 

「…………」

 

 二つ目の本に手を伸ばす。パラパラと捲って、最後の本に手をつけた。

 

「…………」

 

 最後の本は最初の数ページにしか写真が貼られていなかった。

 本を閉じ、元の場所に置いて、畳と棚を正しい位置に戻した。

 

 スッと立ち上がり、口を開く。

 

「赤ん坊時代だけで本一冊分…………」

 



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第五十話 死んで花実が

 他にもスバル兄さんの部屋に仕掛けがないか念入りに確認したが、あのような隠し部屋は見つからなかった。例の巻物だけを持って部屋を出る。

 

「…………次はイタチの部屋か」

 

 巻物をズボンのポケットに押し込み、スバル兄さんの隣の部屋――うちはイタチの部屋に入る。

 以前一度だけこの部屋に入った時は、目に映るもの全てが憎らしく感じて全く手をつけられなかった。

 今思えばもっと早くこうするべきだった。

 いつまでも縮まらない実力差、写輪眼とは違う異様な瞳……イタチの強さの秘密がここに残っているかもしれない。

 

「…………」

 

 兵法や、忍術の指南書ばかりが目につく。今のところ地下への隠し扉もなさそうだ。押入れや棚の中までひっくり返して探したものの有益なものは見つから……

 

「なんだ?」

 

 棚の引き出しの裏に何かある。薄っぺらい……これはファイルか?

 ご丁寧に糊付けされているそれをべりっと引き剥がす。ファイルにはたった二枚の紙しか入っていないようだった。

 

 ここまでして隠したいものとは一体。やはりイタチの強さの秘密が記され――

 

「…………アカデミー通信」

 

 見出しの時点で肩から力が抜けた。もう一枚も同じタイトルだった。

 そういえば、不定期に学校側が作成して配布していたな。学校行事だとかその年の成績優秀者について特集を組んだりして。

 最初の頃は自分のことについて書かれたそれを嬉しそうに持ち帰って、父さんに見せようとしていた。父さんはちらっと軽く目を通して「この調子で兄さんたちのように頑張りなさい」と言うだけだったけれど。意気消沈しながらイタチにも見せたら、あの男だけがオレを……。

 

 一枚目のアカデミー通信はイタチに見せたものだった。あの後どこにやったか忘れてしまったが、どうしてイタチが持っているんだろう。

 一枚目を裏に移動させ、二枚目のアカデミー通信を表に持ってくる。こちらは紙自体が古く随分と草臥れていた。

 

「これ……スバル兄さんの」

 

 そこには二人の少年が写っていた。隠し撮りなのか視線はカメラの方を向いていない。一人はスバル兄さんだ。

 

「今期の成績優秀者……異例の二人……“血は争えない”」

 

 ――覚方セキ、うちはスバル

 

 もう一度写真を見る。言われてみればもう一人は覚方セキにそっくりだった。まだ男女の身体的特徴が現れにくい年頃だからこその中性的な見た目だろう。

 

「…………」

 

 ……意外だ。アカデミーの成績は常にスバル兄さんが一番だとばかり。

 

 スバル兄さんは写真を撮られることをあまり好まない。だからスバル兄さんの写真は少なくて、残っているのは家族の誰かと一緒に写っているものだけだった。

 カカシも「スバルとは暗部の部下と三人で無理やり撮ったのが一枚あるだけだ」と言っていた。オレの把握している交友関係でいうと、あとはセキくらいだろうか。次に会ったら聞いてみようと思う。

 

 もう一度写真を見る。セキがスバル兄さんに話しかけているところで、その手には花が握られていた。

 視線を下に移動させると、写真の注釈として《覚方セキからコスモスを受け取るうちはスバル》と書いてあった。その隣に《撮影・写真提供者:くノ一クラスのAさん》と続いている。誰なんだ。

 

「…………」

 

 スバル兄さんは基本的に無表情だが、僅かな感情が滲み出ていることがある。微妙な変化だから、おそらく家族以外は気づかない。

 セキを見つめるスバル兄さんの瞳はオレやイタチを見る時のように優しく、とても温かいものだった。

 

 ファイルにアカデミー通信を二枚とも戻し、引き出しの中に押し込んだ。

 スバル兄さんといい、イタチといい……情報量が多すぎる。

 

 認めたくない。認めたくはないが、昔のイタチがスバル兄さんやオレに向けていた感情に偽りはないのだろう。

 ただ、どこかで歪んだ。どこかで変わった。どこかで……オレ達の知らない別の“なにか”になってしまった。

 

「もうこんな時間か」

 

 縁側に出ると外はすっかり暗くなっていた。急がないと店が閉まってしまう。

 

 ポケットに入れたままだった巻物を自分の部屋に置き、財布と買い物袋だけを持って家を出た。

 

 

 

「サスケくんは買い物に来たの?」

「その帰りだ」

 

 そうなんだと言って微笑んだのは、覚方セキ。商店街で必要な買い物を済ませて帰ろうとしていたところに偶然会った。

 セキの目的地がちょうど同じ方角らしく、途中まで一緒に歩くことになった。

 

「こうやって話すのは中忍試験以来かな。……ナルトくんとサクラちゃんは元気にしてる?」

「ああ。ナルトは自来也と外に……これくらい知ってるか」

「うん。大変だったね」

 

 その声がやけに優しげで、思わず顔を上げてしまった。セキが不思議そうに首を傾げるから慌てて俯く。……心臓に悪い。

 

「私に聞きたいことがあったんじゃないの?」

「……分かるのか?」

「サスケくんは、用もなく私と並んで歩いたりしないだろうから」

「…………」

 

 その通りだった。

 

「…………写真を」

「写真?」

「スバル兄さんの写真を、アンタが持っていないかと思って」

 

 セキは緩慢に瞬いた。予想外だったらしい。

 

「写真……あるね、たくさん」

「たくさん」

「スバルと昼市に出かけた時のだけで十枚はあるし……アカデミー時代にクラスメイトがよく私とスバルを盗撮してたから」

「盗撮」

 

 どういう状況なんだそれは。

 セキはにっこりと微笑んだ。

 

「私とスバルが一緒にいると、くノ一クラスの子達が離れたところで撮影会やってることが多くて。サスケくんも覚えがあるでしょ?」

「まさか」

「あはは、それ気づいてないだけだよ。スバルも全く知らなかったみたいだし。写真がアカデミー通信に載った時はすごく不思議そうにしてたなあ」

 

 セキは「あの時のスバル、可愛かったんだよ」と頬に手を当ててうっとりしていた。……聞いてはいけないことを聞いてしまった気分だ。こっちが恥ずかしい。

 

「ああ、ごめん。それで写真がほしいのかな? 見にくる?」

「……いいのか?」

「いいよ。くノ一の子達の盗撮コレクションは全部揃ってるし、焼き増しもしてるから好きなものを持って帰って」

「…………」

「ふふ。アカデミー通信の写真が魅力的だったから『欲しいな』って言ったらみんな自主的に持ってきてくれるようになったんだ」

 

 セキは目を細め「みんな優しいよね」と呟く。……絶対に確信犯だろ。

 

 

 

 それからセキの家に行って全ての写真を見せてもらった。

 セキはアカデミー時代の友人と一緒に住んでいるらしく、その人には「スバルくんにそっくり!」と驚かれた。スバル兄さんに似てると言われることは滅多にないから……少し嬉しい。

 

「全部持って帰る?」

「…………」

「セキのスバルくんコレクションどうかしてるよね。この子、たくさん予備置いてるから遠慮なく持っていっていいよ」

 

 セキはムッとして「どうもしてない。普通だよ」と拗ねた。セキの友人は楽しそうに笑うだけで、困惑しているオレにスバル兄さんの写真が入った封筒を握らせてくる。

 

「……アンタもスバル兄さんと仲が良かったのか?」

 

 セキの友人は目を見開き、次の瞬間には爆笑した。腹まで抱えて。

 

「まさか! そんなことしたらセキに殺されちゃう」

「……殺しはしないよ」

「殺し“は”しない、ね。私は命が惜しいので、この話はおしまいにしよう」

 

 サスケくんもいいね? と聞かれてぎこちなく頷く。

 

「帰る前に冷蔵庫のやつ取ってくる」

 

 さっき買ったばかりで痛みやすい食材をセキが自分たちの冷蔵庫に入れてくれていたんだった。

 セキが台所へと消えていくと、セキの友人が小さなため息をついた。

 

「あれでも……あの事件があってからは様子がおかしかったんだよ。少しずつ元気になってくれたけど」

「…………」

「いつかご飯でも食べにおいで。セキも喜ぶだろうから」

「……考えておく」

 

 セキの友人はまた笑った。「そういうところもそっくり!」とオレの頭を撫でながら。

 

 

 

 家に帰ったのはいつも夕食を食べている時間帯だった。

 手を洗い、冷蔵庫に今日は使わない食材を押し込む。以前ナルトに作り方を教えてもらったチャーハンをレシピと睨めっこしながら作って食べた。悪くない。次の墓参りにはナルトのじゃなくてオレのチャーハンを供えてやる。

 

 チャーハンを食べ終わったら遺品整理の続きだ。あとは両親の部屋だけ。

 

 まずは母さんの部屋。

 真っ先に確認した大きな衣装箪笥の中には、子供サイズの服がいくつか残されていた。

 スバル兄さんやイタチの部屋のように何か隠されているかもしれない。畳が不自然な凹み方をしていないか、引き出しの裏側に何かが張り付いていないか、念入りに調べる。

 

「……ないな」

 

 兄達の部屋で続けて見つかったものだから感覚がおかしくなっていた。普通は隠し部屋を作ったり引き出しに細工をしたりしない。

 

 最後は父さんの部屋。何か見つかるだろうか?

 

 父さんは一族の代表であり警務部隊のトップでもあった。そんな人が重要なものを自室に隠したりは――

 

「…………」

 

 スバル兄さんの部屋と同じ、棚の下。踏み出した右足が不自然な沈み方をした。

 

「…………」

 

 無言で棚を部屋の隅に移動させ、畳をのける。

 

「…………あった」

 

 スバル兄さんの部屋のものより大きな扉だ。ここまであっさり見つかると逆に心配になってくる。

 ……不用意に扉を開くと爆発したりしないだろうな。

 

 いつでも部屋から飛び出せるよう、障子は開いたまま隠し部屋の扉を開いた。爆発は……しない。毒ガスが噴出……されていない。

 肩透かしをくらった気分だ。

 中にはいくつかの資料の束と、分厚い本。

 

「…………」

 

 分厚い本にトラウマというか、いやトラウマではないと思うが……。

 

 複雑な気持ちを抱きながら資料を手に取る。

 

「九尾襲撃事件後の集落移動計画?」

 

 見たところ木ノ葉上層部からうちは一族への集落移動の提案、いや命令だった。

 この件についてはオレも父さんから聞いたことがある。ただ……元の集落の位置や、ほぼ強制的な立ち退き状態だとは知らなかった。

 

里の中心寄り(ここ)から、今の場所に変わったのか」

 

 資料に記されている当時の里の被害状況を考慮しても、ここまで遠い場所にうちは一族を移動させる必要があったとは思えない。しかも、直接的な被害を受けていない警務部隊ごと移動させられている。

 

「…………そんなはずはない」

 

 嫌な予感のせいか胸の奥がズキズキと痛む。

 

 父さんはなぜこの資料をこんなところに隠した?

 木ノ葉上層部に渡されたものなら何も後ろめたいことなんてない。もっと堂々と保管しておけばいいのに。

 

「……まるで」

 

 まるで、これを見つけた誰かに――オレに――読ませたいみたいじゃないか。

 

「そうだ、契約書も」

 

 スバル兄さんの根との契約書は棚の中に直接入っていた。本来はもっと別の場所に仕舞っておくものだということはオレでも分かる。

 

「南賀ノ神社の本堂……地下への入り口」

 

 うちは一族の人間ならば、南賀ノ神社の地下の存在を知る者ならば――すぐにこの隠し部屋を見つけられる。

 父さんが生きているうちに父さんの自室に入る人間は限られている。ましてや、何かを探そうなどと考える人間はいない。少なくとも家族の中には。

 

「父さんは、自分の死後にこれが見つかることを望んでいた……?」

 

 資料を持つ手が震える。

 

 どうして。何のために。

 

 他の資料はどれもこれも木ノ葉から一族に下された、理不尽としか言いようがない指令ばかりだった。

 

 誇り高いうちは一族。

 里の治安を守る警務部隊。

 一番近い日付のものは、警務部隊の存続すら危うくさせるものだった。

 

 仮に一族以外の人間がこの場所を見つけても問題がない、けれど一族の者が見れば里側が自分たちに何をしてきたのかが分かってしまう。

 

「うそだ」

 

 震える手で分厚い本に手を伸ばす。

 

「…………日記」

 

 それは父さんの日記だった。誰に見られても問題のない内容を意識しているのか、事実を淡々と述べ、ところどころ(ぼか)されている。

 

「……《一族の集まりにスバルが初めて参加した》」

 

 うちは一族は度々会合を開いていたようだった。詳しい中身までは書いていない。恐らく()()()()()()のだろう。

 

《スバルの脇腹に根のダンゾウによる呪印、命にかかわる呪い》

《三代目に嘆願書を送る》

《スバルが火影直属の暗部になった》

《イタチもついに暗部へ》

《スバルはよくやっている》

《シスイが死んだ。里側から圧力があって自殺として処理された。シスイほどの忍が自殺など……》

《イタチの様子がおかしい》

《まさかイタチは》

 

「…………“イタチは”」

 



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第五十一話 前日

 父さんの日記を読み終わる頃には、すでに日付が変わってしまっていた。

 

 今日も数時間後には任務がある。忍具の手入れも済んでいない。

 こんなことをしている場合ではないと分かっているのに……。

 父さんの日記をもう一度最初から読み返す。答え合わせをするために。

 

《〇月〇日 イタチを暗部に推薦。三代目は難色を示していた》

「……オレがアカデミーに入学する少し前か」

 

 この頃からイタチが父さんの自室に呼ばれることが多くなっていた気がする。

 

「…………」

 

 イタチにおぶられながら「スバルにいさんと三人で警務部隊に入って、父さんと一緒に働くんだ」などと夢を語っていた過去の自分を思い出す。

 あの頃のオレは兄達の所属のことは理解していなくて、いずれは二人とも警務部隊に入るのだと信じて疑わなかった。

 

《〇月〇日 第〇回目の定例会。スバルとイタチが揃って参加するのは初めてのことだった。イタチは前回の会合で反抗的な態度をとっていた。スバルがイタチの良い手本になればいいが……》

「この日……覚えてる」

 

 ――スバルにいさんとケンカしたの?

 

 兄たちの間に流れる緊迫した空気に気づかないはずがなく、オレはイタチにそう問いかけた。イタチは誤魔化すように苦笑するばかりで何も教えてくれなかったけれど。

 この時からだ。スバル兄さんがほとんど家に帰ってこなくなったのは。

 

 ――仲直り、しないの?

 ――……できるならしたいさ

 ――それなら大丈夫だよ! スバルにいさん、優しいもん。ごめんなさいしたら、すぐに許してくれるよ

 ――……そうだな

 

 結局二人の間に何があったのかオレは知らない。知る前に……あの事件が起きてしまったから。

 

《〇月〇日 サスケのアカデミー入学式。……大きくなったものだ。イタチの任務も無事に終わったと聞いている》

「…………」

 

 ――お父さんね、私といる時はアナタの話ばかりしてるのよ

 ――あの人はスバルに似て……いいえ、スバルがお父さんに似たのね。とても不器用な人だから……分かってあげてね

 

 心のどこかで、あの日の母さんの言葉は嘘なんじゃないかって思ってた。オレを慰めるために、適当なことを言ったんじゃないかって。 

 

「そういえば……スバルにいさん、父さんの代わりに入学式に行こうとしてくれてたな」

 

 あそこまで連続して指文字を綴る兄さんを見たのは初めてだった。声を出せないことを抜きにしても、父さんと同じくらい寡黙な人なのに。

 

《〇月〇日 ついにイタチがスバルと同じ暗部へ。スバルがイタチについて『あの子は務めを果たしている』と言っていた。先日の会合ではそうは見えなかったが……スバルが言うならそうなんだろう》

 

 スバル兄さんとイタチが、以前と同じようにとはいかなくとも、剣呑な雰囲気を出さなくなったことがある。恐らくこの頃だろう。

 父さんの《イタチの反抗的な態度》と関係があるのだろうか。

 イタチは父さんの何かに反発していたが、暗部入りを境に一旦は落ち着きを見せた。スバル兄さんは父さん側で、イタチが改心したから態度を和らげた……そういう見方もできる。

 

《同日 スバルに『イタチが我々と違う考えを持っていてもいい』と伝えた。スバルはただ『ゆるされない』と答えただけ。スバルの目はすでに先の未来を見据えているようだった》

「なにが許されないんだ……?」

 

 日記を持つ手に力を込める。叶うなら、あの頃に戻って直接問い詰めたい。

 どうしてオレには何も教えてくれなかったのか。

 どうして…………イタチは?

 

《〇月〇日 木ノ葉上層部が警務部隊に対して大幅な予算削減案を提出してきた。……うちは一族の名が木ノ葉から消えるのも時間の問題だろう》

《〇月〇日 ヤシロ達の進言を受け、予定外の会合を開くことになった。次の会合で全てが決まる。シスイとスバルだけが頼りだ》

《〇月〇日 重要な会合だというのにイタチとシスイは最後まで現れなかった。真面目なシスイまで何故?》

《〇月〇日 シスイの死体が南賀ノ川の下流で見つかった》

 

 ……イタチは、家にやってきたヤシロ達にシスイさん殺害疑惑をかけられていた。

 イタチは消したんだ。自分に不都合な人間を。

 あの時のイタチは異常だった。ヤシロさん達を痛めつけ、父さんに向かって「このくだらぬ一族に絶望している」と口にした。最後、イタチの目はあの異様な――

 

 ――もっとも親しい友を殺すことだ

 

 イタチは親友であるシスイさんを殺してあの力を得た。そして、オレも同じ力を手に入れることを望んで殺さずに生かした。

 

《〇月〇日 イタチの様子がおかしい。スバルもそうだ。まるで人が変わったような……》

《〇月〇日 最近のスバルはやけに表情が動く。雰囲気が丸くなったようにも感じる。だというのに、サスケ達への態度は以前とは真逆だ》

《〇月〇日 ヤシロ達の強い希望により、今後イタチを会合には参加させないことが決まった。シスイのこともある。計画の延期は避けられないだろう》

 

 日記には頑なに会合の内容は記されていないが、木ノ葉上層部に向けて抗議活動のようなものを考えていたのだろうか?

 ただ、それだけならイタチを暗部に推薦した理由にはならない。一族内で五本の指に入る実力者と言われていたスバル兄さんやシスイさんを“計画の要”とするのも、しっくりこない。

 シスイさんがいなければ実行すらできない計画とは一体なんだ?

 

「実力行使…………」

 

 口に出してから首を横に振る。うちはは誇り高い一族だと教えられて育ったオレには考えられないことだった。その誇りが木ノ葉上層部によって傷つけられていたことすら、知らなかったというのに。 

 

「イタチは器を確かめるためだとか言っていたが……本当は」

 

 ――オレはこのくだらぬ一族に絶望している

 

「うちは一族を裏切った……?」

 

 計画の中枢を担うシスイさんを殺し、新たな力を手に入れた上で、一族全員を手にかけた。

 木ノ葉上層部からの圧力に抗おうとしていた両親やスバル兄さんを……。

 

「うっ…………」

 

 頭に激痛が走った。手から離れた日記のページが勝手に捲られ、ある場所を開いたまま畳の上に転がる。

 

《〇月〇日 いよいよだ。明日すべてがはじまる》

 

 開いたままだった障子の向こうから吹き込んできた風がさらに日記のページを捲っていく。次々と、なにも書かれていない空白のページを。

 

 父さんの最後の日記。日付は、一族が滅んだ日。

 

「…………イタチは」

 

 誇り高いうちはが木ノ葉に対してやろうとしていたことに絶望し、()()()()一族を終わらせることにしたのかもしれない。

 それとも、それすらも口実だったのか。

 あの男はオレを生かした。自分と同じ目を開眼する可能性があるからと、たった一人……この道を残して。

 

 フッと背中から影がさした。その場から跳び退いて振り返る。

 

「…………誰だ!?」

「――冷たいのね。最近会ったばかりだというのに」

 

 障子の向こう、庭に立っていたのは包帯を巻いた見知らぬ男。男の後ろでは四人の男女がこちらを牽制するように、各々の武器を構えていた。

 男の唯一包帯で覆われていない右目が蛇のように怪しげに光る。

 

「姿形が変わっても分かるでしょう? 私の呪印を受けたアナタならね……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 三忍の一人である綱手が木ノ葉に帰郷し、さらには五代目火影に就任するという話は瞬く間に火の国中に広がった。

 正式な任命はまだ行われていないが、火の国の大名への知らせはすでに出してある為、それも時間の問題だろう。

 これまで火影が不在なことで、あらゆる問題が山積みのまま放置されていた木ノ葉。綱手は正式な任命を待たず、里内ではすでに火影として様々な仕事をこなすようになっていた。

 

「ダンゾウのところの“根”か……猿飛先生によって解体されたと聞いていたんだがな」

「仰る通り、すでに根は解体され全ての権限を失いました。我々は根とは似て非なるもの……今ではダンゾウ様個人が有する小規模組織でしかありません」

「だが、相談役の推薦を受けてうちはサスケの護衛と監視を任された」

「…………」

 

 トンッと執務机に両手を置き、綱手は目の前の男に鋭い視線を向けた。男は一切表情を変えずに淡々と続ける。

 

「いくら火影様でも個人の“財産”には口出しできないでしょう。今回の件は木ノ葉の現状を顧みて、我々の主であるダンゾウ様が木ノ葉側に人材を提供しただけのこと……大蛇丸やうちはイタチのこともあって、彼はいつ誰に狙われるか分からない状況に置かれていますから」

「……フン、タヌキジジイに似て口が達者だな」

 

 男は微かに苦笑を浮かべる。根の人間にしては随分と人間らしい表情だった。

 

「申し訳ありません」

「いや……いい。それより、うちはサスケの様子はどうだ」

「とくに変わった様子はないかと。うずまきナルトが合流したことで少しは気が紛れているようです。……はたけカカシの七班復帰はまだ先になるのですか?」

「ああ。カカシにはしばらくの間他国から舞い込んでくる依頼を任せるつもりだ」

 

 綱手は足を組み、肘をついて前のめりになった。机の上に乗った豊満な胸がたゆんと揺れ動く。

 普通の男ならば思わず二度見してしまうレベルのものだったが、目の前の男は「また何かあれば火影様に報告いたします」と答えるだけだった。

 

「それもダンゾウの指示か?」

「はい。綱手様に全面的に協力するようにと」

 

 あのダンゾウが単純な好意で新しい火影を手助けしてやろうなどと考えるはずがない。

 綱手は顰めっ面でダンゾウの意図を読み取ろうとした。しかし、何も思いつかずに「あー!!」と頭を掻きむしって叫ぶ。

 

「昔からそうだ。あのジジイ、初代火影の孫である私が気に入らないからと顔を合わせるたびにチクチクチクチクと姑のように……!! 私は針刺しじゃないんだぞ!」

「…………」

「お前もあんな上司はやめておけ! いいように使われて捨てられるだけだ。私ならそうはしない。怪我をすればいくらでも治療してやるし、休息だって十分に与える」

「忍にとって主人は選ぶものでは……ところで綱手様。先ほどからその手に持っていらっしゃるのは、もしかしてお酒――」

「木ノ葉に戻ってきてから資料の山、山、山山!! これが飲まずにいられるか! お前も付き合え! なんならダンゾウも連れてこい!!」

「あの、ちょっ……綱手様、私はこれから任務が」

「任務なんてどうでもいい! 乾杯するぞ。さあ飲め!!」

「飲みません!!」

「ダンゾウは」

「呼びません!!」

 



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第五十二話 わかつまで

 ナルトが五代目火影と共に里へ戻ってきてから一週間経った。

 

 思うようにいかなかった復興作業は魚が水を得たように進み始め、木ノ葉は少しずつ以前の姿を取り戻しつつある。

 

「なあなあ、今日の修行はどうする?」

「ナシだ」

「えー!?」

 

 任務後、報告書を提出した帰り道。

 オレの後ろで跳びはねていたナルトが「オレってばエロ仙人にすっげー忍術教わったのにぃ……」と肩を落とした。

 

「すごい忍術?」

 

 足を止めて振り返る。ナルトはパッと周囲に花を散らす。

 

「四代目火影の術!! これでまたサスケに近づけたってばよ」

 

 ナルトの笑みは過去の自分が浮かべていたものによく似ている。ちくっと胸のどこかが痛んだ。

 

「オレはもっと先に進んでる」

「先って? あっ、まさかまた新しい忍術を習得したとか!?」

「…………さあな」

 

 ――――真実に一歩近づいた。

 

 止めていた足を前に踏み出すと、ナルトが追いかけてくる。

 

「…………」

 

 いつまでもそこから歩き出せずにいたせいで、ナルトはすでに隣に並んでいた。訝しげにオレの顔を覗き込んでくる。

 

「サスケ?」

「…………今日家にくるか? セキがスバル兄さんの写真をいくつか譲ってくれた」

「マジ!? 行く! 行くったら行く!」

 

 ナルトがオレの腕を掴んで走り出す。こちらも自然な形で駆け足になって、ナルトの動きに合わせて体が上下に揺れる。

 

 太陽のような笑みを浮かべたナルトが顔だけで振り返る。

 

「その前にスバル兄ちゃんに挨拶にいくってばよ!」

 

 

 

 うちは一族の集落に入る前に寄った花屋で、気に入った花をいくつか選んで花束にしてもらった。

 

「これ、サスケが?」

「……いや」

 

 集落の奥、南賀ノ神社。鳥居の手前で右手に進んだ先に、一族のほぼ全員が眠る墓が並んでいる。

 花束を抱えたナルトがその場に膝をついて手を伸ばす。ナルトの指が触れたのは、うちは一族にとっては馴染みのある黒を纏った花。

 

「…………黒いコスモス」

「コスモスってことはセキの姉ちゃん? でもこれまでは黄色とか白だったような」

「どっちでもいい。さっさと花を置け」

 

 ナルトがぶーぶー文句を垂れながら持っていた花束をスバル兄さんの墓に供える。オレは両親の墓にまったく同じものを置いた。

 膝を下ろしたままなナルトの隣に立ち、目を閉じて両手を合わせる。

 

「………………」

「………………」

 

 ――――兄さん。スバル兄さん。

 

 心の中で何度呼びかけてもあの人が応えることはない。もう二度と会うことはできない。どれだけ……心の奥底から焦がれていたとしても。

 

 目を開ける。隣のナルトはまだ目を閉じたままだ。暫くの間その横顔を見つめる。

 

「………………」

 

 高揚感だけなら良かった。

 ただ、オレにはこの感情に名前があるのか分からない。

 

 ――――ナルトの存在は家族に似ている。

 

 たった一夜で兄も両親も一族すらも失ったオレに与えられたのが……これなのか?

 すべて忘れて生きていけば、きっと。

 

 ナルトの瞼が震え、開こうとする気配を察知して目を逸らす。

 

「よぉし! 今日はスバル兄ちゃんにオレの成長を見せてやるぞ」

「……おい、ここで暴れるのは」

「分かってるって。この前セキ姉ちゃんがスバル兄ちゃんにはこれがいいって言ってたやつ!」

 

 ナルトが見慣れた印を結ぶ。周囲は大量の煙に包まれ、中から姿を現したのは、

 

「…………は?」

「――――おいろけ・サスケパラダイスの……」

「やめろ。今すぐにだ」

 

 

 

 この間セキにもらった写真を一つ一つベッドの上に広げる。スバル兄さんの写真が占める割合が多くなるたび、ナルトの目がきらきら輝きを増していく。

 

「犬かよ」

「これっていつの!? 何歳!?」

「アカデミー入学後だから六歳」

「へえぇぇ……セキ姉ちゃんと二人で写ってるのばっか」

「アカデミーではほとんど一緒にいたらしいからな」

「オレとサスケがもっと早く生まれてたら、一緒にアカデミーに通ってたのかなあ?」

「無理だな。スバル兄さんは一年でアカデミーを卒業してる」

「うげ」

 

 ナルトは写真を手に持ったままベッドにごろんと横になり、パタパタ足を動かした。

 

「カカシ先生の時はもっと早く卒業できたんだっけ? みんなそういう時代だったって言うけどさぁ」

 

 想像できない、とナルトは続ける。

 毎日のように戦争に駆り出されて敵と殺し合いを続ける日々。

 カカシ曰く「とにかく酷い時代だった」らしい。当時すでに上忍になっていたカカシでさえ、仲間を守り抜くことはできなかった。自分のせいで犠牲ばかり生んでしまったと……いつもの穏やかな表情でそう口にしていた。

 スバル兄さんや両親からは忍界大戦の話を聞いたことがない。カカシは「お前に血生臭い話をしたくなかったんだろ」と言っていたが……。

 

「なあ、ナルト」

「…………んー?」

「もしもオレが……」

「…………」

「…………」

「写真、欲しいのがあればやるよ」

「………………マジぃ?」

「ああ。お前、一枚も持ってなかっただろ」

「…………ここにきたらいつでも見られるし」

「………………そうだな」

 

 手を伸ばして、ナルトの指から写真を抜き取る。アカデミー通信の表紙にもなったことがある例の写真だ。

 ……コスモス。黒いコスモスの花言葉は何だっただろうか。

 

「自分の家にあった方がいいだろ」

「………………んー」

「写真は全部居間の引き出しに入れておく」

「………………」

「持って帰るのが嫌ならここで見てもいい」

「………………」

「鍵はちゃんと教えた場所に…………」

「………………」

「…………聞いちゃいないか」

「………………」

「……オレはこの一つだけで十分だ」

 

 スバル兄さんがナルトの家に置いていった、兄弟三人が揃っている唯一のもの。

 

「あとは全部ここに置いていく」

 

 オレの部屋は元々写真は一つも置いていなかった。

 窓際の棚の上。カーテンを開ければいつでも集落を見渡すことができるその場所は幼い頃からのお気に入りで、何度か棚によじ登ろうとして母さんに叱られたこともある。

 棚の右側にはアカデミーのために買い揃えた指南書や兄達のおさがりの本が並び、何度も何度も読み返した。

 夏には窓を少し開けて、行儀は悪いが棚に腰掛けて本を読むこともあった。

 

 だから、棚の上には何も置かない。置いていなかった。アカデミーを卒業するまでは。

 

 第七班として毎日のように顔を合わせて同じ任務をこなしていたある日。

 写真を撮ろうと言い出したのは誰だったか。一番乗り気だったのがサクラで、カカシも頑なに口の布を外さないわりに写真を撮ることに抵抗はなく、ナルトは言わずもがな。オレもため息一つで了承したことを覚えてる。

 

「………………」

 

 カタン、と棚の上に置いていた写真立てを伏せる。

 変顔をしているナルトに、写りがいい角度とやらを試行錯誤していたサクラ、二人を苦笑しながら見つめていたカカシ。

 そして――驚くくらい柔らかい表情を浮かべて一緒に写っている自分。

 

 窓を開ければさわさわと揺れるカーテン。カーテンに巻き込まれて写真立てが倒れることもあった。カーテンを結んでいても、風が強い日はどうしようもない。

 

 それまでのオレならすぐに写真の位置を変えていただろう。そもそも飾ることすらしなかったはずだ。こんな――毎日必ず目にするような場所になんて、絶対に。

 

「………………」

 

 ここのところ任務続きで疲労が溜まっていたのか、すっかりオレのベッドで爆睡しているナルトを見下ろす。

 すでに腹を出して気持ちよさそうにしている。

 

「バカ面しやがって」

 

 フッと笑ってナルトに布団をかけてやった。

 

「じゃあな、ウスラトンカチ」

 

 本当は今日ナルトを家に呼ぶつもりなんてなかった。

 

 部屋の隅に置いていたリュックを背負ってバルコニーに出る。生温い夜風が頬を撫でていき、思わず目を細めた。

 

「――――いるんだろう。出てこい」

 

 闇に向かって言葉を投げかける。四つの影がゆるゆると動いて姿を現す。

 

「………どうやらご決断されたようですね」

「早くオレを大蛇丸の元へ連れて行け」

「こちらにも踏むべき手順というものがありますので」

 

 大蛇丸の部下である音隠れの忍たち。一週間ほど前、大蛇丸が以前とは全く異なる姿でオレの元に現れた時にもこいつらはいた。

 

「我々は早速結界術の準備に取り掛かります。サスケ様は…………」

 

 左近と名乗っていた男が視線をオレの背後に向ける。

 

()()をする必要がありそうですね。アナタなら問題ないかと思いますが……里の出口でお待ちしております」

「………………ああ」

 

 物音一つしなかった。

 

 音忍が完全に姿を消した後で振り返る。

 

「…………サスケ」

 

 完全に目を覚ましたナルトがベッドの横に立っていた。

 油断していたつもりはない。むしろいつも以上に警戒していた。正直ナルトは気配を消すのが上手くない。あの左近という男にもすぐに気づかれるくらいだ。

 ……ただ、オレ自身がナルトの気配にすっかり慣れてしまっているのが原因だった。まるで己の一部のように、今この瞬間ですらオレはナルトに完全な警戒心を向けられないでいる。

 

「……起きたのか」

「大蛇丸のところに連れて行けってどういうことだよ……? なんであんなヤツのところにいく必要があるんだってばよ」

「ナルト…………お前には言う必要がない。これはオレ個人の問題だ」

「…………違うッ!!」

 

 ナルトの悲鳴のような叫びが足元を揺らした。

 

「オレが木ノ葉に戻ってきてから、お前ってばずっと様子がおかしくて……サクラちゃんも気づいてた」

「………………」

「里を抜けるとか大蛇丸の元へ行くとか、そんなの、お前だけの問題なわけねェだろうが!」

 

 ナルトは息を荒くして肩を揺らし、こちらに近づいてきてオレの腕を掴む。

 

「…………オレはもう、木ノ葉にいられない」 

「だから、その理由を教えろってばよ!!」

「お前には言わない」

 

 ――――なあ、ナルト。もしもオレが…………

 

「………………」

 

 オレの腕を掴んでいたナルトの手を払いのける。ナルトの傷ついた表情に、熱をもった手のひらに痛みが生じた。

 

「オレは大蛇丸についていく」

「お前は大蛇丸に騙されてる! 大蛇丸はサスケの身体を乗っ取るつもりで……」

「それも知ってる。アイツがすでに転生を済ませていて、この先数年は次の身体に乗り移ることができないことも」

「…………そこまで知ってて、なんで」

 

 ナルトは泣きそうに顔を歪めていた。

 

「…………お前が木ノ葉に帰ってくる少し前、大蛇丸に会った」

 

 父さんが遺した資料と日記。大蛇丸は全てを見透かしたように包帯の内側で笑みを浮かべ――――真実に近づくには、私の力が必要不可欠だと言った。

 

「オレはずっと復讐すべき相手はイタチだけだと思っていた」

「…………どういうことだってばよ?」

「そのままの意味だ」

 

 イタチの一族虐殺には協力者がいた。

 

 大蛇丸は里を抜けてからも度々木ノ葉にスパイを潜り込ませていたらしい。優秀な木ノ葉の暗部によってスパイはすぐに殺されることが多かったが、それでも少しずつ情報を抜き取ることに成功していた。カブトもその一人。

 

 うちは一族は常に里側に監視されていたのだという。集落の至るところに監視カメラを置かれ、二十四時間体制で最低でも五人以上の火影直属の暗部をモニタールームに配置して。……このことはカカシもイタチも――スバル兄さんも知っていたはずだった。

 

 うちは一族が虐殺されたあの夜、事前に監視業務にあたっていた暗部が全員殺されていたらしい。

 医療忍者でもあるカブトによると、彼らの死亡推定時刻はイタチが一族虐殺を開始した時刻とほぼ一致する。さらに、イタチはたった一人で一族全員を殺害した後にスバル兄さんと両親を手にかけている。

 うちは一族で最も体術に優れていると言われていたスバル兄さんと、兇眼のフガクという名が里内外に轟いていた父さん。家族として近づいて油断していたところを襲ったとしても、そう簡単にやられる二人じゃない。

 

 ――――いくら天才と呼ばれたイタチ君でも不可能だと思わない?

 

 イタチはあの父さんに「うちは一族の歴史の中でも一二を争うレベルだろう」と言わせるほどの実力者だった。しかし、どんなに優秀な忍でもイタチは一人しかいない。

 

 大蛇丸は戸惑うオレを諭すように言った。

 

 現時点でイタチが一族を虐殺した理由を決めつけることは出来ないが、少なくとも木ノ葉上層部の手助けはあったはず。そして――自分はその人物に心当たりがあると。

 

「オレはずっと監視されている」

 

 色葉スイ。あの男はやはり根の人間で、かつては大蛇丸の部下でもあった。

 スイは血継限界によって相手の気配を探ることに長けており、特定の人物の監視などに根が重宝している人物らしい。

 一週間前、大蛇丸が部下を連れてオレの前に現れた時も、今この瞬間も。色葉スイが他の部下と監視を交代するタイミング。

 

「……監視って誰が」

「さあな。分かっているのは、今しかないってことだ」

「そんな理由で全部捨てて出て行くってのか? オレとお前は友達じゃなかったのかよぉ……?」

「………………」

 

 ナルトの痛みに呼応するかのように鼻の奥がツンとした。

 

「…………もしもオレが」

 

 右手をナルトに差し出す形で伸ばす。今自分がどんな表情をしているのか知りたくもなかった。

 

「この道を……復讐者として生きる道を、一人ではなくお前と歩みたいと言ったら、お前はこの手を取ったのか?」

 

 ナルトが言葉を詰まらせる。……それが答えだった。

 

 すとんっと右手を下ろす。

 

 復讐者として生きていくことしかできないオレと、火影になることを忍道にしているナルト。

 

 オレ達の道は初めから交わってなんかいなかった。スバル兄さんという繋がりが結びつけていただけで、一度解けてしまえばもう二度と交わることはない。

 

 オレは笑った。

 

「やっぱり、甘いよお前」

 



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第五十三話 分岐点

 小柄な鳥が青々とした空に溶け込むようにして飛んでいる。

 

「隊長、雀鷹(つみ)が」

 

 俺の肩にとまった鳥が、鳴き声を上げることなく嘴を頬にすり寄せてきた。甘えているつもりなんだろうが、地味に痛い。

 

「里からの知らせでしょうか」

『確認するのは後だ。まずはイロの班と合流しなければ』

「あちらは生きてますかね」

『…………』

 

 いつもなら否定するような言葉でも、今回ばかりは即答できなかった。

 

「見つけたぞ! こんなところに隠れていやがった!」

 

 遠くから聞こえてきた声の主が、明らかに俺と部下数人が身を隠していた岩裏を指差している。感知タイプの忍か。

 

「隊長」

『……俺が足止めする。お前たちは先に合流地点に向かっていろ』

「はい!」

 

 部下達が完全に姿を消したことを確認してから、短い印を結ぶ。続いて指の腹にクナイで傷をつけ、溢れてきた血液を真っ白な巻物に走らせた。

 

『――――口寄せ』

 

 辺り一帯が闇に包まれる。巻物の陣から飛び出してきた巨大な物体が、俺と敵の頭上を覆っていた。

 

「なっ、なんだあれは!?」

「こちらに向かって落ちてくるぞ!」

 

 さらに印を結ぶ。使い慣れた(とら)で終わるものよりも複雑で長い印だ。ただし、日常的に指文字を使っている俺にとっては、息を吸うように簡単なもの。

 

 お面を僅かに上にずらし、ぷくっと頬を膨らませる。

 

『火遁・炎沼(えんしょう)地獄の術!!』

 

 空から落ちてくる巨大なスライムが、豪火球の術よりも火力も範囲も広い炎を帯びてより一層膨張する。

 隕石のように降り注いだスライムがとぷんっと対象を飲み込み、燃え続ける炎の檻の中で苦しみもがく人の腕が見えた。

 

 あっという間に灰と化した忍たち。中には白衣を着た研究者らしき人たちもいたが、すでに見分けはつかない。

 

『今のでスライムのストックが尽きたな』

 

 口寄せ用として事前に生み出していたスライムたちは、木ノ葉隠れの里で誰も足を踏み入れない場所――旧大蛇丸の研究施設に収納している。

 スライムは時間経過で分裂を繰り返し、無限に増え続ける。

 また時間が経てば口寄せできるようになるが、先ほどのような巨大な“沼”を生み出すなら、数日間は放置しておかなければならない。

 

「ピィッ」

 

 俺の懐に潜り込んでいた雀鷹が、顔だけを出して元気に鳴く。周囲に敵がいなくなったことを察知したようだ。額を指で撫でてやれば、気持ちよさそうに目を細める。

 張りつめた糸を解くように、ゆっくりと息を吐いた。

 

『……行こう』

 

 

 

「クロ隊長!」

『イロ』

 

 ……無事だったか。

 

 合流地点にほぼすべての部下が集まっているのを確認して、無意識のうちに肩から力が抜けた。

 イロはお面を外している。額の切り傷のせいだろう。

 

「すみません。ひっきりなしに敵が現れるので、連絡が後回しになってしまいました」

『こちらも同じようなものだ。負傷者は?』

「全員手当を受けています」

『…………そうか』

 

 里外に点在している大蛇丸の研究施設を片っ端から潰し始めてから、数週間は経った。

 

 さすがは大蛇丸と言うべきか、未だにこちらに全体像を掴ませず、正直終わりが見えない。

 今回見つけた施設は規模が大きく、仕方なく班を二つに分けて探索を開始した。

 予め合流地点を決めておいたから良かったものの、班を分けたのは間違いだったかもしれない。

 

「隊長」

 

 イロが気遣わしげにこちらを見上げていた。

 

「隊長のせいではありません。死傷者もいませんし……だから」

『…………』

 

 不器用ながらに感情を表に出せるようになってきたイロ。

 彼の肩に手を置く。

 

『お前に任せて良かった。今のうちに少しでも身体を休めておけ』

「……はい!」

 

 小さな子どもが親に褒められた時のような顔をされた。

 今回イロが率いていた班員の元へ戻っていく姿を見送っていると、別の部下が音もなく姿を現す。

 

『俺の班の死傷者と行方不明者はどうなってる』

「生死の確認までは取れていない者がほとんどですが、全体の二割程度かと」

『多いな』

「これから生存者を探しに向かいましょうか」

『……いや、いい』

 

 生きているかどうかも分からない部下の為に、全体を危険に晒すことは出来ない。

 

「分かりました。……ところで、里からの連絡は何だったのですか?」

『定期連絡だった』

「あちらは平和ですね」

『…………』

 

 部下の口調は皮肉混じりだった。そう言いたくなる気持ちも分からないでもない。

 暁を任された班よりはマシかもしれないが、俺たちもまあまあの()()()を引いている。

 

 この任務が終わる日が来るのか。来るとしても、三年後か五年後か。

 

 ただ、里に残っている部隊が当たりを引いたかっていうと、そういうわけでもなく。

 あちらはあちらで、暁や大蛇丸による襲撃に備えなければならないし、里を脅かす脅威はそれだけじゃない。

 少しでも弱っている素振りを見せてしまえば、同盟国ですら手のひらを返すだろう。

 

「次は班を分けずに施設に突入しますか?」

『そうするつもりだ。全員に伝えてきてくれるか』

「はい」

 

 部下が消える。

 

 次の侵入は深夜が妥当か。それとも逆に油断している昼間を狙うべきか。

 組んだ腕の上で指でトントンと叩く。

 

『…………』

 

 大蛇丸の研究施設。今回見つけたものは、人体実験に関わるものですらないようだった。

 どちらかといえば、神話や伝説。そういった一般的にはお伽話と思われている類のものばかり。

 その中には、暗黒剣……須佐能乎について書かれた資料もあった。

 

 恐らくこの施設は、大蛇丸にとっても重要な知識の保管場所。

 何としても制圧して全て調べ上げたい。一応研究施設内についての報告も任務の内だから、ダンゾウ側に怪しまれることもない。

 

 問題は、それだけ重要な施設を簡単に突破できるはずがないということだ。

 これまでに侵入してきた大蛇丸の施設の中でも特別警備が厳しく、凶暴な実験体も多い。前回のように戦力を分散すれば、今度こそ全滅するだろう。

 

『…………今からだな』

 

 適当な木に寄りかかっていた体を起こす。

 

 施設内に置いてきた盗聴器から聞こえてくる音が少なくなってきた。

 研究者って奴らは深夜でも平気で活動してるから厄介だ。むしろ今のような、朝と昼の間くらいの中途半端な時間の方が大人しい。そのくせ数時間で活動を再開する。その辺の暗部より寝てないはずだ。

 

 部下が集まって輪になっているところに顔を出した。

 

『十分後、再度施設に侵入する。動けない者はここに残れ。動ける者はすぐに支度を』

「はい!」

 

 

 

 血で満たされた床の上に、一枚の紙が落ちた。それが完全に血を吸ってしまう前に拾い上げる。

 

「また同じ剣に関する資料ですか?」

『……今度は盾のようだな』

 

 血液が付着してしまった紙を机の上に置く。

 

 ――――八咫鏡(やたのかがみ)

 

 全てをはね返す最強の盾とも呼ばれる霊器の一つ。昔なにかの本で読んだ記憶がある。一般的な本と、うちはの書庫にも似たようなものがあったはずだ。

 

 生きてる人間は俺と部下しかいない施設内をぐるっと見渡す。

 

 封印術を帯びた最強の剣である十拳剣(とつかのつるぎ)に、最強の盾である八咫鏡。

 

 この研究施設では主にこの二つについて調べていたようで、いたるところに剣と盾に関する資料や研究データが保管されていた。

 さらには、暗黒……須佐能乎など、うちは一族の能力に関するものまで。

 

 偶然か、意図的か。

 

 とくに十拳剣は貫いた対象を幻術世界に封じ込める能力を有しており、大蛇丸がうちは一族との関連を疑うのも無理はなかった。

 

「隊長はこれらについてご存知だったのですか?」 

『……いや。俺も聞いたことがない』

「大蛇丸はそうは思っていなかったようですね」

『ああ』

 

 部下が手元の資料を指で撫でている。

 

 暗……須佐能乎が俺固有の能力ではなく、万華鏡写輪眼を開眼したうちは一族なら誰でも発動できる能力であることも分かった。

 つまり、イタチもすでに同じ能力を持っている可能性が高い。

 

『あちらにも暗黒剣士が宿っているのか……』

「ダー……何です?」

『何でもない』

「…………」

 

 部下に向けられた疑わしげな眼差しはスルーした。

 

「クロ隊長」

『どうした』

 

 別室を調べていたはずのイロが、いくつかの紙を持ってこちらにやってくる。

 彼は先ほど俺が置いた八咫鏡について書かれた資料の隣に紙を並べた。

 

『これは?』

「十拳剣と八咫鏡の居場所を示した地図です。……とは言っても一つではなく複数あって、どれが正解なのか、どれも不正解なのかも分かりませんが」

 

 イロが持ってきた紙に記された場所はどれも霊山だった。名前すら初めて聞いたものもある。

 

『霊器……実体を持たぬもの、か』

「十拳剣や八咫鏡以外にも存在を仄めかされているものがありますね」

「クロ隊長のダ……須佐能乎も、聖剣のようなものを持っていませんでしたか?」

『……ああ』

 

 今絶対暗黒剣士って言おうとしただろ。

 

「あれも霊器の一つではないのですか?」

『……アレは元々あったものだから』

 

 須佐能乎はいつの間にか俺の中にあって、あの聖剣もどきも最初から持っていたものだ。

 

 イロはじぃっと何もない俺の背後を見つめている。

 

「いつだったか本で見かけたパラディン――聖騎士みたいだと思いました」

『……騎士じゃなくて王だ』

 

 まあ剣士なんて名前つけちゃったけど。何となく、剣士でも騎士でもなく王だと感じている。

 騎士にしてはアイツ、盾も持ってないしな。

 

「骸骨の時は剣も持ってないですよね。肉付けされてあの姿になってから、剣を持っていた気がします」

『…………』

 

 言われてみればそうだ。

 

 写輪眼の時からこの不思議な力を何となく使ってきたけど……今でも知らないことの方が多い。

 

「霊器についても別ルートから調べておきましょうか」

『……今は研究施設の処理が最優先だ。ダンゾウ様に報告だけはしておく』

「分かりました」

 

 ある程度資料を持ち出したら、まとめてどこかに保管しておこう。

 イロの能力で運んでもらうのもいいかもしれない。

 

「霊器だけでも随分と数がありますね。弓に、槍に、用途の分からない天秤まで……」

 

 こういったものは実体がないのに、どうやって存在を認識しているんだろう。

 

 実体はなくても、チャクラはある?

 写輪眼や白眼があれば視認できるとしたら?

 

 あの大蛇丸がここまで情報を掴んでおきながら、一つも霊器を手に入れていない様子なのも納得がいくし、うちはの肉体に執着する理由にもなる。

 

 ……ただ、あの男がなぜダンゾウのように自分の眼を写輪眼にしないのかが分からない。

 適合しなかったのか、写輪眼を最も使いこなせる肉体ごと欲しいという強欲さから、妥協できなかったのか。

 それとも、他人の肉体を乗っ取る明らかな禁術に付随するデメリットゆえなのか。

 

 大蛇丸ほどの人間が写輪眼の移植を考えたことがないはずがないから、何かしらの理由はあるんだろう。

 

『そろそろ施設を――――』

 

 出るぞ、と続くはずだったお面の声は甲高い鳥の鳴き声に遮られる。

 

 激しく羽をバタつかせながら施設内に突っ込んできたのは、雀鷹だ。

 

「隊長!」

 

 窓を突き破った雀鷹がガラスの破片と共に床に転がる。

 元々研究員や実験体の血で濡れていた床に、雀鷹の血と羽が落ちた。

 

 俺はすぐに血溜まりの中から雀鷹を掬い上げて胸元に寄せる。

 

「木ノ葉からの巻物です」

『……医療忍者を呼んでくれ。ここにくる途中で攻撃を受けたようだ』

 

 イロが別室にいる医療忍者を呼びに行っている間に、雀鷹の足に括り付けられていた巻物を取り外した。

 雀鷹は俺の気配に安心したらしく、今は呼吸を落ち着かせてぐったりしている。

 

「木ノ葉に何かあったのでは……」

『…………』

 

 定期連絡が来たばかりだった。雀鷹の傷が木ノ葉の件と直接関係があるかは分からないが……。

 

 根の者しか知らない手順で巻物を開く。手順を一度でも間違えれば、巻物は瞬時に燃え上がるように仕組まれている。

 巻物に書かれた文字を追いかけた。

 

『うちはサスケが里抜けを、』

 

 サスケが里を抜けた? ……上手くやったのか?

 遅かれ早かれ、大蛇丸があらゆる手を使ってサスケを自分の元に置こうとすることは俺もイタチも分かっていた。

 大蛇丸はこの先数年間は次の体に移れない。ならば、今がサスケをダンゾウから引き離す最後のチャンス。

 俺は里に残した影分身で、可能な限り里抜けをサポートするつもりだった。

 

 巻物を持つ手が震えた。

 

『…………目論み、うずまきナルトと交戦。九尾化したナルトが里の一部を破壊』

 

 目論み……失敗したのか?

 なぜナルトと戦わなければならなかった?

 

『駆けつけた五代目火影やはたけカカシ、火影直属の暗部、そして根に取り押さえられ――――』

 

《現在は拘束完了。地下牢に収容済み。今後は重要監視対象として火影の監視下に置かれることが決定した》

 



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第五十四話 飛花落葉

 九尾の人柱力とうちはサスケが交戦しているという知らせは、あっという間に里内に留まっていた暗部全員へ届けられた。

 

「五代目様からの指示だ。この隊はうちはの集落で暴れている九尾の人柱力を食い止める」

「待てテンゾウ。追加が来ている」

 

 別の隊を率いる男が、飛んできた鳥を肩に乗せたままこちらを振り返る。

 

「九尾の方は自来也様がすでに対処済みだそうだ。お前の隊もうちはサスケの元へ向かった方が良さそうだな」

「では、数人だけを自来也様の元へ。残りは僕と一緒に行こう」

「分かりました」

 

 部下たちと共に更衣室を出る。

 

 九尾と聞いて思い出すのは、十年以上前の九尾襲撃事件。あの頃の僕はまだ根に所属していた。

 別任務での怪我が原因で待機を言い渡されていたけれど、任務から戻ってきた仲間たちは揃って「自然災害のようだった」と口にしていた。

 

 スバルは……どうだったかな。ああ、そういえば。

 

 大丈夫だったかと尋ねた僕に、彼はお面をつけた状態でこてんと首を傾げ、暫くして『三途が見えました』とだけ答えたんだった。

 

 相変わらず表現に癖があるなと思った。それだけ九尾が恐ろしい存在だったってことだろう。

 あのスバルにそこまで言わせるなんて、やはり生きた兵器と呼ばれるだけある。

 

 そんな九尾を自来也様がすでにどうにかしてくれていることに、どことなくホッとしてる。

 

 木遁の使い手である僕は、根の時に九尾への対処法を叩き込まれているものの、実戦で試したことはない。本番で上手くいく自信はあまりなかった。

 

「隊長、うちはサスケが……!」

「……あれは」

 

 うちはサスケは九尾化したナルトに()()()()()、集落の奥の森に飛ばされたと聞いている。

 

 森の中へ入った僕の隊は、簡単にうちはサスケを見つけた。そして、頭から血を流している彼に忍刀を振り下ろそうとしている影の姿も。

 

 部下たちが僕から距離を取ったと同時に印を結ぶ。

 

「土遁……土流槍!」

 

 地面から突き上げてくる土の槍を、こちらに背を向ける形で立っていた影が軽く飛び上がって避ける。

 続けて印を結ぶ。

 

「木遁・大樹林の術!!」

 

 空中では誰もが無防備だ。腕が大木に変化し、相手を拘束するために伸びていく。もう少しで届くといったところで、影が片腕を斜め上に上げた。

 

「ワイヤーか!?」

 

 忍の中でもとくに暗部が好んで使うもの。僕の木遁から逃れた影に、部下が水遁で追撃をかけたが、すでにワイヤーによって離れた木に飛び移っていた影には届かない。

 

「この隙にうちはサスケの確保を!」

「はい」

「おい、離せっ! オレは……!!」

「僕たちはキミを守るようにと指示を受けている。どんな事情があるかは知らないけど、大人しくしていてもらうよ」

 

 ……それに、キミはスバルが可愛がっていた弟の一人なんだから。

 

「オレはこんな里は出ていく!! ……もううんざりなんだよ。どいつもこいつも、オレの道を邪魔しやがって!」

「里を抜ける?」

 

 話が見えない。人柱力であるナルトとサスケの間に何があったかは分からないが、単なる仲違いではなかったのか?

 

「――そうだ。キノエ、そこにいるのは木ノ葉の裏切り者」

 

 その声の持ち主は、先ほどサスケから引き剥がした影。影は木の上から降りてきて、僕たちへ近づいてくる。

 

 月明かりの下にやってきたことで、影が被っているお面のデザインがはっきりと見えた。

 

 特徴的な鳥を模ったお面――百舌鳥(モズ)

 

「……モズ、隊長?」

「……お前もまだオレをそう呼ぶんだな。とっくに隊員ではなくなったというのに」

 

 お面の裏で男が苦笑したように感じられた。

 

「なぜアナタが……。うちはサスケをどうするつもりだったんですか」

「言っただろう。うちはサスケは大蛇丸の部下の手を借りて里を抜けようとした」

 

 モズ隊長……いや、モズさんが僕の後ろにいるサスケに視線を向ける。

 

「危険因子は早々に排除しなければならない」

「はっ……! オレに正体を見破られたから口封じに殺そうとしてるだけだろ」

 

 興奮状態なのか、サスケはやけに早口だった。冷静には見えない。

 

「大蛇丸の部下は始末した。お前にはチャンスを与えただろう。引き返すなら、これまでのような日常が送れると」

「“日常”だと? そんなものはいらない。オレが求めているのは……真実。そして、一族虐殺に関わった人間全員の死だ」

 

 裏の世界で生きる者なら、誰もがあの夜の矛盾に気づく。しかし誰も口にすることはない。

 

 うちは一族虐殺事件の詳細な調査は一度も行われなかった。他でもない、三代目火影の指示によって。

 

 ……あの事件には何かある。僕もカカシ先輩も、何度か三代目に嘆願したものの、スバルの遺体を確認することすら許されなかった。

 

「テンゾウ!」

 

 複数人の足音と共に、僕たちを取り囲むように暗部達が集まっていた。奥から綱手様が駆けてくる。

 

「そのお面……色葉スイ? これはどういうことだ」

「…………」

 

 モズさんは手に持っていた忍刀を背中に戻した。その姿が空気に溶けるようにして消えていく。

 

「……色葉一族の術か」

 

 完全にモズさんの姿が消えたところで、綱手様がこちらを振り返った。

 

九尾(ナルト)にやられたんだな、酷い傷だ」

「…………」

「うちはサスケを火影屋敷へ運んでおけ。治療する」

「はい」

 

 部下達が抵抗するサスケを数人がかりで連れていく。

 綱手様の後ろからカカシ先輩が顔を出した。

 

「カカシとテンゾウも屋敷に来い。今後のうちはサスケのことで話し合う」

「分かりました」

「……僕もですか? 担当上忍であるカカシ先輩だけならまだしも」

「お前もだ。二度も言わせるな」

「は、はい!」

 

 鋭く睨まれ、ビクッと肩を震わせた。

 

 ……新しい火影様は少し、いやかなり恐ろしい。

 

 

 

「里の被害状況は?」

「自来也様の迅速な対応により、うちはの集落のほんの一部に留まっているようです。時間が時間でしたので、気づいていない住民がいるほどかと。今は手が空いている暗部を総動員して後始末に回っています」

「ナルトは?」

「木ノ葉病院に。自来也様がついてくださっています。驚異的な自己治癒力によって傷のほとんどは塞がっているようです」

「……そうか。もう戻っていい」

「はい」

 

 うずまきナルトの元へ向かうよう指示されていた暗部たちが持ち場へ戻っていく。

 

 火影室に残されたのは、綱手様と彼女に治療されているサスケ、そして僕とカカシ先輩だけだった。

 

「手当てはこれで終わりだ」

「…………」

「うちはサスケ。お前に見せたいものがある」

「……オレに?」

「ああ。そこにはお前が知りたがっていた“真実”に近づくために必要なものがあるはずだ」

 

 綱手様が僕とカカシ先輩に目を向ける。

 

「二人はここで待機していろ。地下には私たちだけで行く」

「地下……ですか」

 

 カカシ先輩と顔を見合わせる。二代目様の時代に作られたという、火影屋敷の地下にある小部屋。

 特定の人間しか入れないよう術式が施されており、僕は一度も中に入ったことはない。噂では貴重な資料が保管されているそうだが……。

 

 サスケはあの夜の真実を知りたがっていた。

 

「……うちは一族に関する資料があそこに?」

 

 ずっと綱手様を睨みつけていたサスケの表情が虚をつかれたものになる。

 

「あるはずだ。肝心の資料にもロックがかかっていて私でも解除できないがな」

「それでは」

「地下にあるのは資料だけじゃない。あそこには、猿飛先生と覚方セキしか知らなかった秘密がある」

「……覚方セキ?」

 

 なぜここで彼女の名前が出てくるんだ。

 

 セキは同じ火影直属の暗部だけど、ほとんど顔を合わせたことはない。

 彼女は里に留まって捕虜から情報を得たり、忍具の開発等を中心に任されているから。里外の任務によく駆り出される僕とは対照的だ。

 

 綱手様は自重気味に笑った。

 

「私も火影にならなければ、一生知ることはなかったかもしれないな」

 

 

 

 綱手様とサスケが地下へ消えてから十分は経っただろうか。

 

「どう思う? テンゾウ」

「……何がです?」

「うちは一族のことだよ。お前もずっとおかしいと思ってたんだろ」

「それは……まあ」

 

 三代目様が最後まで固く口を閉ざしていたことを考えれば、疑いを口にすることすら躊躇われる。

 

「オレ達はスバルとイタチ、両者の実力をよく知っている。だからこそ分かる。あの夜のことはイタチ一人では不可能だ」

「…………ええ」

「うちは一族のほとんどが警務部隊に所属していて実力も保証されている。たった一晩、たった一人に滅ぼせるような存在じゃない」

 

 カカシ先輩は綱手様たちが消えていった地下への扉を見つめている。

 

「あの夜から何度も何度も考えてきた。……スバルは、なぜあんなにも愛していた弟の手によって殺されなければならなかったのかと」

「…………」

「結論はいつもこうだ。どのような理由があろうとも、()()()許せそうにない」

「……綱手様はどうしてサスケだけを地下に連れて行ったんでしょうか」

「さあな。うちはの真実……それを知ったオレ達が、サスケのように里を抜けてでもイタチを追うことを危惧したんじゃないか?」

「それはサスケも同じでしょう」

「サスケはすでに里を抜けるところだった。ならばいっそと考えたのかもしれない。……いや、憶測でする話じゃないな。忘れてくれ」

「……冷静じゃないですね。アナタほどの人が」

 

 そう口にはしたが、冷静ではないのはお互い様だった。

 相手がイタチだというのもやるせない。彼も、不器用ながらに兄や弟へ愛情を向けているように見えたのに……。

 

 カタンッという音と共に地下への扉が開かれる。扉の奥から綱手様とサスケが出てきた。

 

「大丈夫か、サスケ」

 

 サスケの顔色は酷いものだった。気遣うカカシ先輩の言葉に、サスケは黙って顔を逸らす。

 

「綱手様……一体何が?」

「本人から聞くといい」

 

 綱手様の顔にも疲労が見える。彼女は僕らの前を通り過ぎ、火影椅子に体を沈めた。

 

「……いつから知っていた」

 

 やっと口を開いたサスケが、静かに綱手様を睨みつける。

 

「火影に就任する少し前にセキから聞いた」

「それから何をした? このことを調べようとは思わなかったのか」

「勿論調査は進めていたさ」

「なぜオレにアレを見せた」

 

 綱手様は机の上で腕を組む。

 

「お前に里を抜けられては困るからだ。しかも大蛇丸になんぞ渡せるものか。もしお前の体が乗っ取られでもしたら? 今度こそアイツは木ノ葉崩しを完成させるぞ」

「…………」

「里を抜けることは許可できない。だが、お前の望みを叶えてやることはできる」

 

 サスケが弾かれたように顔を上げた。

 

「オレの望みは、うちはイタチとその協力者を殺すこと。カカシと、そこの暗部の力を借りて殺してこいと言っているのか?」

「違う。私が言ったのは、“真実を知ること”。そこにいる暗部はテンゾウ。以前は根に所属していた男だ」

 

 急に全員に注目されてギクッと肩が震えた。

 

「根……お前もスバル兄さんの……? だから色葉スイと顔見知りだったのか」

「初めまして、になるかな。キミのことはスバルからよく聞いていたよ。だからかな。あまり初めて話した気はしないんだけど……」

「…………」

「キミは地下で何を見たんだい?」

「……根の」

「根?」

 

 サスケの両眼はいつの間にか写輪眼になっていた。薄暗い火影室を照らす二つの光が僕を射抜く。

 その光はかつてのスバルやイタチよりも鋭く、見ているだけで妙に落ち着かなくさせるものだった。

 

「根が一族虐殺に関与したという確固たる証拠だ」

「……まさか」

 

 酷く喉が渇いている感覚。意識が片隅に追いやられ、冷静な自分が納得していることに気づいた。

 僕は根をよく知っている。

 あそこがどれだけ歪んだ場所だったか……。所属していた時にはあれが当然だと思い込み、麻痺していたけれど。

 きっとスバルもそうだった。僕たちは三代目様やカカシ先輩達によって掬い上げられ、日の当たる場所の温もりを知ったんだ。

 

 どのような背景があったかは分からない。でも、もしも()()()()()()()()()()なら。

 根ならば、ダンゾウ様ならば、迷わずうちは一族を滅ぼす選択をしただろうと。……嫌というほど理解できてしまう。

 

「――オレは根に潜入する」

「無謀なことを! キミは根がどういう場所か分かって、」

「それが出来なければ里を抜ける」

「だそうだが、テンゾウ。他にいい案があるか?」

「…………綱手様。やはり無謀です。彼が里を抜けずに済んだとしても、これでは大蛇丸の元に向かうより危険が伴います」

「……はぁ」

 

 隣に立つカカシ先輩の大きなため息が聞こえた。

 

「オレとテンゾウを残したのはこの為ですか?」

「このためって……」

「テンゾウは根に詳しい。オレもほんの一瞬とはいえ根に所属したことがあるし……暗部歴も長い。サスケが根に潜り込めるようにバックアップすることもできる」

「……僕にはダンゾウ様の呪印が付いたままです。話せることは限られているんですよ」

「全てに制限がかかってるわけじゃないだろ」

 

 ダンゾウ様のことはもちろん、根の仲間の能力すら呪印の対象になっているはずだ。根の機密とは言っても、それがどこまで及ぶかは当事者も把握していない。

 

「……まさか、僕がどこまで話せるか試すつもりじゃないですよね?」

「どうだろうな」

「絶対にダメですよ! 僕の呪印は痛みを伴うものじゃないですけど、話そうとした内容の重さによっては、呪印の持ち主であるダンゾウ様に伝わる可能性が高いです」

 

 軽いものまでいちいち拾うほど性能がいいものじゃないと思うが、ダンゾウ様の能力について話そうとしたなら、すぐに本人に伝わるはずだ。

 実際に重要な情報を敵に渡そうとした仲間が、ダンゾウ様にバレて処分されてしまったことがある。

 

「例えば、当時ダンゾウ様が身につけていた下着の色とかなら問題ないとは思うんですけど」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………今のは忘れてください」

 

 何故お前がそんなおぞましいことを知ってるんだという、かなり引いた視線が三つ飛んできた。

 新人が任される雑用の一つに洗濯があることと、ダンゾウ様は風遁の使い手だから……まあ。

 

「それは置いておいてですね。リスクが高すぎると思います。下忍レベルの変化の術ではすぐに解術されるでしょうし、そもそも潜入すること自体が不可能かと」

「根はかつての霧隠れのような選別をしていただろう。今も行われていることは調査済みだ」

「……それは」

「呪印を恐れて否定も肯定も出来ないか。この辺りは私でも知っているから構わない。正式に根に入る前に行われる試験が、丁度今のサスケくらいの歳に行われるそうだな」

 

 額に浮かんだ冷や汗が頬を流れていく。

 

 とんでもないことだ。前任である三代目様を保守派とするならば、綱手様は急進派。

 

 ……良くも悪くも、この里は変わる。

 

 一度は枯れ落ちてしまった木ノ葉が新たに芽吹く瞬間。胸の奥で言葉にし難い高揚を感じた。

 

「うちはサスケ。今この時よりお前を火影直属の暗部に任命する」

 

 綱手様がサスケに手渡したのは、かつてスバルが使っていた白猫面とは対になる――黒猫のお面。 

 

「そして、長期任務を言い渡す。丁度近いうちに根の最終試験が行われる。お前はそこで生き残る一人と入れ替わるんだ」

「容姿についてはどうするんですか!? サスケが里を抜けようとしたことも周知の事実になるでしょう。そんな状況で彼を暗部に入れたことが知れたら……」

「私が誰か忘れたか?」

 

 綱手様が不敵な笑みを浮かべる。

 

「私はこの里、いや、この国一番の医療忍者。中忍試験でカブトがしたように人の顔を変えることなど造作もない」

「…………」

「うちはサスケは地下牢に入れたことにする」

「綱手様。根や里の人間を騙し通すことは不可能ではないでしょうか。いつまでもサスケの姿が見えなければ不審がるはずです。最初は代役で何とかなるかもしれませんが……」

 

 綱手様はカカシ先輩の指摘に頷き、一枚の紙を差し出してきた。

 

「これは……ミズキと同じ?」

「ああ。後ほど地下牢から例の施設に移したことにすればいい。ミズキの身柄の受け渡しを要求していたダンゾウも、あの場所には手出しできなかったようだからな」

 

 確かにあの収容施設であれば守りは万全。外から中の様子は全く分からないレベルだ。

 

「このことはここにいる四人のみぞ知ることとする。ナルトやサクラ達にも話すつもりはない」

「サクラはともかくナルトが納得するでしょうか?」

「……ナルトはサスケを兄弟みたいに慕ってるからね」

 

 カカシ先輩は青くなり、サスケの頬はほんの少し赤くなっていた。

 

「チッ……アイツのことはどうでもいい」

「ナルトのことは心配いらない。この先数年間は……だが」

「数年間?」

「自来也が修行目的でナルトを里の外に連れ出すそうだ。サスケが施設で問題を起こさなければ、数年で戻ってこられることにしておけば問題ないだろう」

「……なるほど。覚方セキにも伝えないのですか? 彼女も地下の秘密を知っているようですが」

「ああ。セキも猿飛先生と同じく“沈黙”を選んだ側の人間だ。その理由が分からない限り、下手に伝えることはできない」

 

 綱手様がサスケに向き直る。サスケの手にはすでに黒猫面が握られていた。

 

「このまま里を抜ければ、今後一生私の暗部や根に追われることになる。私の暗部として根に潜入することも、同じくらい危険が伴うもの……それでもやるか?」

 

 サスケが黒猫面を被った。 

 

「オレはあの夜の真実を知らなければならない。その為ならば……何だってやってやる」

 




スバルも鞍替編に入るまでは洗濯担当してますね

活動報告の同人誌のお知らせに追記してます。よろしくお願いします…!


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第五十五話 帰還

 鏡の前に立つ。

 

 これまではずっと自分の顔に家族の面影を探すように、憎むべき相手のカケラを探すように、睨みつけるように見ていた。

 そうする必要のない顔がこちらを見つめ返しているという事実は、妙な心地にさせてくる。

 

「違和感や痛みはあるか?」

「……いや、ない」

 

 里抜けに失敗してからおよそ一月経った。

 隣に立っていた綱手が顎に手をやり、「問題なさそうだな」と呟く。

 

「本来ならば私のことは『火影様』と呼び、常に敬語を使うべきなんだがな。……本当に向こうで大丈夫なのか」

「それくらいできる……ます」

「……はぁ」

 

 深いため息をつかれた。

 

「いよいよ今日、根の最終試験が行われる。詳細は頭に入っているな?」

 

 黙って頷く。

 根が不定期に行う選別とも呼ばれる試験。兄弟のように育った二人を殺し合わせ、生き残った方を根に加入させるという悪趣味なものだ。

 オレはそのうちの一人に成りすまし、根に潜入することになっている。

 

「最終試験開始と共に、試験に参加する二人は相手の出方を伺うために距離を取るだろう。お前の()()()は確実に合格すると思われている弟の方だ」

 

 綱手がテーブルの上に広げたのは、地図。木ノ葉隠れと砂隠れの間に位置する森を指差す。

 

「試験が行われるのがこの森。恐らく試験中に監視の目はないと思うが、警戒はしておけ」

「ああ」

「お前が入れ替わる兄弟たちは、テンゾウが一人ずつ拘束することになっている。早々に決着がつくようであれば、生き残った方をな。お前は生き残った一人として根の合流地点に向かうだけでいい」

 

 もう一度頷く。無意識に左腕の刺青を撫でる。

 

「気になるのか?」

「?」

「さっきから刺青を気にしているだろう」

「……これは、スバル兄さんの腕にも同じものがあったから」

 

 根と火影直属の暗部は同じ位置に同じデザインの刺青を入れている。男は左、女は右の二の腕に。

 スバル兄さんは脇腹にも似たようなものがあった。あれが父さんの日記にもあった、ダンゾウによる呪印なのだろうか?

 

「根による呪印は、普通はテンゾウのように情報を話せなくなるようにするだけなんだろ」

「そのはずだ。お前の父が残した日記を信用するなら、うちはスバルの呪印だけは特別だったようだな。……恐らく、うちはだったからだろう」

「うちはだったから?」

「うちは一族は、マダラの一件からずっと木ノ葉上層部に警戒の眼差しを向けられていた。そして、十三年前の九尾襲撃事件……あれも九尾を操ることができる写輪眼を持つ、うちはの仕業ではないかと噂されていたのだ」

「……なんだと?」

 

 九尾。九つの尾を持つ化け物がナルトに封印されていることは聞いている。

 ……オレも直接目にした。あの日、ナルトの全身から禍々しいチャクラが溢れ出し、完全に満ちたと思ったら――集落の奥の森へ飛ばされていたのだから。

 

「当時の木ノ葉上層部は、うちはがこれ以上の権力を持つことを危惧し、集落を里の端へ移動させたんだろう。……幼いお前は気づかなかったかもしれないが、強すぎる力は差別の対象になり得る」

「…………」

「私の知る限りでは、ダンゾウの根にうちは一族の者が所属したのは、うちはスバルが最初で最後。スバルが里を――ダンゾウを――裏切ることがあれば命を奪う呪印を与えていたとしてもおかしくはない」

 

 ずっと不思議だった。

 スバル兄さんが根に所属していてほとんど家に帰ってこなかった頃、両親はまるで兄さんを地獄に送り出してしまったような、そんな罪悪感に塗れた表情をすることがあった。

 結局兄さんは火影直属の暗部に所属することになり、同じ暗部だというのに両親は安堵しているようだった。

 

 涙ぐむ母さんに抱きしめられながらも、抱きしめ返すこともせず、戸惑うように視線を彷徨わせていたあの日の兄さんのことは、今でも記憶に残っている。

 

「呪印のことも分かっているな? 私の忍術で可能な限り抑え込んでいるが、チャクラを練りすぎればすぐに自我を乗っ取られるぞ」

「問題ない」

「ならいい。逐一私へ報告する必要はない。常に監視の目があると思っておけ。確実に見られていないと確信できた時と、急ぎで知らせたい事がある場合のみ、連絡を寄越してこい。お前の舌には“呪い避け”を施してある」

「……はい」

 

 いつものように分かったと言いかけて、ここからが本番だと気を引き締める。

 綱手は満足そうに頷いた。

 

「ナルトを見ていかなくていいのか?」

「……この先もアイツとオレの忍道が交わることはないんだ。ナルトがどう思おうと勝手だが、オレはもう……余計な感情に振り回されるつもりはない」

 

 ――大蛇丸にお前を殺されるくらいなら、今ここでオレがお前を殺す!

 

 ナルトは九尾化して完全に意識を失う前にそう言った。

 

 大蛇丸どころかナルトにやられるつもりは毛頭なかったが……それも悪くないと思ってしまった。

 

 本当は全部ここに置いていくつもりだったのに。

 全てを失った夜から、一歩ずつ歩いて積み重ねてきたものたち。

 立ち止まっていた俺を追い越すことなく隣を歩き続けたナルトに、少し先で待っていたサクラ。

 優しい場所だった。だからこそオレは全てを捨てなければならない。捨てなければ――踏み出せない。

 

 あんなことがあってもナルトはまだオレを友だと思っているだろう。アイツは、きっとオレに殺されることになろうとも死の直前まで……いや、死んだ後でさえオレに向ける感情を変えることはない。

 

 ずっと一緒に歩いてきたんだ。……今度は、一人で。

 

 伸ばされる手をわざわざ振り解く必要もない。ただ、何もかも届かなくなるくらい――遠くへ。

 

「……一つだけ約束してくれないか」

 

 綱手はいつになく真剣な表情でこちらを見ていた。

 

「必ず戻って来い。どのような真実が待っていようが、お前がどのような選択をしようが、ここにはお前の帰りを待っている存在がいることだけは忘れるな」

「…………」

 

 綱手がフッと気を抜くように微かに笑う。

 火影椅子から立ち上がった彼女はオレの目の前までやってきて――念押しするように肩に手を置いた。

 

「もう時間だ」

 

 

 

 火の国と風の国の間に位置する森の中。

 

 綱手の作戦は全て上手く行った。テンゾウが根の候補生である二人を無事に拘束したことを確認し、二人の懐から生き残った一人が向かうべき場所が記された巻物を手に入れた。

 

 腕や足には二人が持っていたクナイで傷をつけ、服を拝借している。()()()()()()()の少年の基本データも頭に入れてある。何の問題もないはずだ。

 

「じゃあ、僕は火影様の元へ戻るよ」

 

 候補生二人を木遁で縛り終えたテンゾウが立ち上がる。その腕がこちらに伸びてきて、微かに緊張が走ったのも束の間、頭にぽんっと軽い衝撃があった。

 

「…………」

 

 ぽかんとした顔でテンゾウを見上げてしまう。彼は照れくさそうに眉尻を下げていた。

 

「スバルは僕にとって弟のような人だった。……気をつけて行っておいで」

「…………ああ」

 

 テンゾウがひらりと手を振る。オレはもう振り返ることはなく、合流地点に向かって走り出していた。

 

 

 

 合流地点には熊のお面を被った男が立っていた。男が手にしている巻物が風に煽られている。

 

「巻物をこちらへ」

「……はい」

 

 言われた通りに巻物を差し出す。男が自分の持っている巻物にオレのものを重ね合わせ、巻物はあっという間に炎に包まれて消えてしまった。

 綱手から事前に聞いていなければ焦ったかもしれない。

 

「これでいい。さあ、木ノ葉に向かうぞ」

 

 走り出した男の背中を追いかける。男は慣れたように木から木へと飛び移っていく。

 正直、着いていくのもやっとな速度だったが、恐らくこれでも加減されている方だろう。現に男は時折こちらを気にかけるような素振りを見せている。

 

「…………」

 

 こういう時、自分の未熟さを突きつけられる。大蛇丸に付けられた呪印が疼いた気がした。

 

 森を抜けて火の国に入る。根の独自ルートなのか、行きとは全く違う道だった。

 

 あっという間に木ノ葉隠れの里が見えてきた。

 

「こっちだ」

 

 熊面の男と共に裏門を通り、根の根城――志村ダンゾウの屋敷へ足を踏み入れる。

 

 すでに権力を失った男の屋敷にしては広く、元権力者にしては贅沢品が一切置かれていない。

 中は全体的に薄暗く、点在する蝋燭の炎が照らし出している。

 

「屋敷を拠点にしている者たちの一部はここで生活している。第一部隊と第二部隊……は今はいないがな。第二は外で長期任務中だ」

 

 前を歩く熊面の男の説明に耳を傾けながら、不自然ではない程度に屋敷内に目を向ける。部屋の配置を頭に叩き込む為だ。

 

 男が立ち止まったのに合わせて足を止める。

 

「そいつで最後か」

「はい。モズ隊長」

 

 百舌鳥のお面をつけた男が腰に手を当てた状態で立っていた。ごくっと喉が鳴る。

 

 ……色葉スイは相手を“色”で認識する。生き物の持つ色は体調や心情に左右される為、完全に個人を特定できるものじゃない。

 だが油断はできない。オレの色とやらが以前会った時と変わっていなければ、怪しまれる可能性だってある。

 

「ご苦労だったな。次の任務に向かっていいぞ」

「はい」

 

 熊面の男の姿があっという間に消える。スイは資料片手にこちらを見た。

 

「弟役か。お前は第二部隊だな」

「…………」

 

 先ほど熊面の男が、第二部隊は里外の長期任務に出ていると言わなかったか? それではダメだ。わざわざ根に潜入した意味がほとんどなくなってしまう。

 

「すでに聞いているかもしれないが、第二部隊は里の外で長期任務中だ。数年で戻ってくるだろう。それまでお前はオレの隊に所属させる」

「はい」

「名前は……シキか。面は忍服と一緒に受け取っておくように」

 

 スイは紙に何かを書き込み、「よし」と頷く。

 

「着いてこい。部屋まで案内する」

 

 

 

 ダンゾウの屋敷は綱手に渡されていた資料よりも複雑な造りになっているようだった。

 以前は別にあったという根のアジトが取り壊され、そのまま中身だけをダンゾウの屋敷へ移動させたせいだろう。地下に伸びる無数の“根”は綱手の資料には記されていない。

 

「本来は数人で一つの部屋を使うことになっている。今は第二部隊がいないから部屋が余ってるんだ。お前も暫くは一人で使うといい」

「はい」

「第二がいない関係でどこも手が回っていない。お前も明日から任務に向かうことになる。問題ないか?」

「はい」

 

 根の人間は最終試験によって完全に心を殺す。

 余計な感情が乗らないよう、抑揚もつけずに答える。実際にここに来てから見かけた同期と思われる少年たちは皆同じような話し方だった。

 

「この時期はロボットに話しかけている気分になるな」

 

 スイが少し億劫そうに言う。まるでこの状況を良しと思っていないような口ぶりだ。

 

「……ああ。まだ言っていなかったか。オレは第一部隊の隊長、モズだ。第二の奴らが戻ってくるまではオレの指示に従うように」

「分かりました」

 

 スイが小さなため息をつく。

 

「つい最近までは第二部隊の隊長が定期的に影分身を寄越してきてたんだが……。お前が目にするのは彼らの任務完了と同じ頃になりそうだな」

「…………」

「オレはこれから任務がある。お前はこの部屋で待機していろ。オレが戻ってきたらダンゾウ様の元へ行く」

「はい」

 

 ダンゾウの名前に反応しそうになった。

 ……ついに。オレの知りたい真実に一番近いと思われる男をこの目で見ることができる。

 

「…………お前」

「…………何でしょうか」

 

 部屋を出て行こうとしていたスイが不自然に立ち止まり、意味深な視線をこちらへ寄越してくる。……まさか、バレたか?

 

「面のデザインに希望はあるか」

「……面、ですか」

「ああ。大体何でも揃ってる」

「…………」

 

 面のデザインを自分で選べるとは思わなかった。

 黒猫は綱手に渡された面と被るから良くないだろう。それに、スバル兄さんが根に所属していた時に使っていたお面が白猫で、コードネームはクロネコだったとカカシから聞いている。スバル兄さんが使っていたお面は、今はもう別の人物が使っていることも。

 

 頭にあの日のナルトの姿が浮かんだ。

 

「狐……のお面とか」

「……狐か。ちょうど一つ使っていないものがある。用意させておこう」

「ありがとうございます」

 

 礼を言えば、スイの目元が僅かに柔らかくなった。

 

 

 

「今回の選別で残ったのはたった十人か」

「はい」

 

 屋敷の一番奥の部屋。隅に蝋燭が置かれた部屋で首を垂れていれば、やや遅れて入ってきた男が上座に座った。

 男の右眼は包帯で完全に覆われており、歳は七十前後といったところだろうか。唯一見える左眼の鋭さは、年を重ねたことによる衰えを一切感じさせない。

 

 志村ダンゾウ。かつては三代目火影の右腕だった男。

 

 ダンゾウはこの部屋に集まったオレを含む根の新入り十人を見渡し、ダンゾウに近い場所で膝をついているモズを見下ろした。

 

「大蛇丸の木ノ葉崩しによって、この里は黎明期にある」

 

 低く、やけに耳に残る声が響く。

 

「お前たちは木ノ葉の地下に広がる根の一つとなってワシの為に働け。木ノ葉を地中深くから支え、守り、正しい道へと導くのが根の使命。……期待しているぞ」

 

 十人の感情のない瞳がダンゾウを見上げている。

 

 膝に乗せた拳を強く握った。ダンゾウが部屋を出ていく。……いつの間にか手のひらには汗をかいていた。

 

 

 

 ――――季節は巡り、オレが根に潜入してからおよそ三年の月日が流れた。

 

 あと数ヶ月でオレは十六になる。

 

 鏡の前に立って、少し伸びた髪を整える。この顔もすっかり見慣れてしまった。

 

 暗部の忍装束に着替えて忍刀を背中にさす。右脚のホルスターにクナイや薬などを補充していたら、部屋の前に誰かがやってきた気配がしてそちらに顔を向ける。

 

「シキ。いるか?」

「ああ」

 

 同時期に根に入った男の声。根の人間は隊長クラスを除いて二人一組で行動することが多い。この男がオレのパートナーだ。

 

 棚の上に置いていた狐面を被ったタイミングで障子が開かれる。男はまだ面を被っておらず、手に持ったままだった。

 

「第二部隊が木ノ葉に帰還したらしい。モズ隊長が、出迎えてやるようにと」

 




連載開始してからちょうど二年でした。今でも読んでくれてる人、本当にありがとう〜!

じんせいとつれづれ(別作品)のイラストを描いてくださった方がpixivに載せてくれたので、ぜひ見てほしいです!頼む!!
https://www.pixiv.net/artworks/113706707


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残花編
第五十六話 記憶の中の人


少し前に影分身のセリフを[]→〔〕に変更してます



 およそ三年間。オレが根に所属してから今日までで得られた情報は少なく、それほどまでに根の機密は厳重に守られているようだった。

 

 最近になって少しずつダンゾウから直接任務を言い渡される機会も増えてきている。このタイミングで第二部隊が戻ってきたのは幸運だろう。これで少しはスイの監視の目を気にしなくて済むはずだ。

 

 自室を出て、屋敷の入り口へ向かう。

 

 すでに屋敷内にいる人間のほとんどが集まっているらしく、ここからでは帰還したという第二部隊の姿は見えない。

 

「戻ったか、クロ」

 

 屋敷の奥からスイが現れた途端、第二部隊を取り囲んでいた根の者たちがあっという間に道をあけた。

 

『お久しぶりです。モズ隊長』

 

 中心に立っていたシロネコのお面をつけた青年が、スイの言葉に反応して軽く会釈する。

 

 カカシが言っていた通りだ。波の国で一時的に共闘した白猫面の男が、根の第二部隊の隊長。

 ……スバル兄さんのお面とコードネームを引き継いだ男だ。

 

 オレとナルトが巻物を持ち出した時や、中忍試験中に現れた鳥面の男の姿は見当たらない。白猫面の男が隊長ならば、あの男は隊員の一人だと思ったんだが……。

 

「ダンゾウ様は外出なさっている。任務の報告は戻られてからで構わないだろう」

『分かりました』

「……身長が伸びたな」

『二十超えてからは伸びませんよ』

 

 それなりに気心の知れた仲なのか、お面で表情が一切見えないクロネコはともかく、スイの方は随分と和らいだ表情をしていた。

 三年間アイツの部下として過ごしてきたが、あのような顔は一度も見たことがない。

 

『…………』

 

 唐突にクロネコの視線がこちらに向いた。思わず肩が揺れる。

 感情を伴わない二つの瞳が静かにオレを見つめていた。

 

「ああ、そこにいるのはシキだ。お前が戻ってくるまでオレの隊で預かっていた」

『……そうですか。今年の選別で?』

「三年前だな。ちょうどお前が影分身を送ってこなくなった頃だから知らないだろう」

 

 クロネコがこくりと頷く。その視線はなかなかオレから外れない。

 

『…………あのお面』

「そう、ユノが使っていたものだ。狐面はあのデザインしか残っていなかったからな」

『…………』

 

 オレの正体に感づいたのではなく、このお面に何かあるらしい。ユノという名前に聞き覚えもない。もう使われていないお面ということは……死んだんだろう。

 

「今日からお前の隊に合流させても構わないか? 実力は保証する」

『ええ。……イロ』

「はい」

『面倒を見てやるといい。お前と組ませる』

 

 クロネコの後ろに控えていた青年はお面を被っていなかった。

 彼はこちらを振り向き、オレに手を差し出す。愛想笑いの一つすら浮かべる気はないらしかった。

 

「ボクはイロ。君がボクの足を引っ張るタマ無し野郎じゃないことを願うよ」

 

 

 

 オレが仮で与えられていた部屋は元々イロのものだったらしく、今日から二人で使うようにと言い渡されてしまった。少しやりづらくなる。

 

 モズとクロネコが二人でどこかへ消えてしまったので、オレとイロは自室に戻ってきていた。

 

「あのモズさんがあそこまで言うってことは、キミは相当な実力者なんだろうね」

「…………」

「だからってボクが新人の面倒を見ることになるなんて……。ボクはクロ隊長の右腕なのに。他に適任者がいたと思わないかい?」

「……そう、ですか」

「まあ構わないよ。優秀なんだろ? ボクの足を引っ張ることさえなければ……ね」

 

 イロは根の装備部から貰ってきた段ボールを部屋の中央に置き、中からクナイや手裏剣などを一つ一つ取り出していく。

 

「君は運がいい。同じ新入りでも、第一や第二に配属された者とそうでない者とでは生存率が全く違うから」

 

 取り出した忍具を丁寧に棚に仕舞ったイロが立ち上がる。部屋の入り口に立っているオレに目を向けた。

 

「とはいえ、今回の長期任務では半分以上が死んだよ。……やはり君は運がいい」

 

 第二部隊は大蛇丸の研究施設を一掃するために長期間木ノ葉を離れていた。今回の任務で根が把握しているものは全て潰したらしい。

 

「クロ隊長はまだまだ大蛇丸の施設は残っているだろうと言っていた。勿論、アジトも。こちらもついでに探したけれど、全く掴めなくてね」

「…………」

「……君はお喋りは好きじゃないタイプか。困ったな。ボクにも組む相手ができたら、あの人達のようになれると思ったのに」

「あの人達?」

「モズさんとクロ隊長のことさ」

 

 一貫して無表情を貫いていたイロの表情が微かに動く。

 

「本当に……凄かったんだ。二人が組んでるところを見たのはあの一度きり。言葉を交わさずとも、姿を視界に入れなくても、相手がどこにいて何をしているのか全部分かってるみたいだった。……ああいうのを信頼っていうのかな?」

 

 イロがこちらに手を差し出してくる。先ほどとは違って、その顔に嘘くさい笑みを浮かべながら。

 

「さっきは悪かったよ。……これからよろしく、シキ」

 

 

 

 第二部隊でイロと組むようになってから数週間。

 

 やることは第一にいた時とそれほど変わらない。

 ただ、第二の隊長であるクロネコは必要最低限しか顔を見せていない。第一では隊長を呼びに行く役目は新人に任されることが多かったのに、第二では全てイロが担当している。

 だから、オレは未だにクロネコの素顔すら見たことがなかった。

 

〔…………〕

『…………』

「…………」

 

 急遽ダンゾウに呼び出されたかと思えば、部屋に入った途端、二つのお面が同時にこちらを振り返った。一つは白猫面で、もう一つは――スバル兄さんが火影直属の暗部時代に使っていた雀鷹面だ。

 ……やはり同じ第二に所属していたか。今日まで一切姿を見かけなかったのは、別任務にでも駆り出されていたんだろう。

 

 部屋の奥、上座にいるダンゾウの視線に促されるまま、二人の後ろで膝をつく。

 

「揃ったか」

 

 ダンゾウから発せられる独特の圧のようなものにも慣れてきた。未だにこの男の戦闘能力は未知数だが、そう遠くないうちに手が届く予感はしている。

 オレ自身も根で数々の任務をこなすうちに、それなりの実力が付いてきた自負がある。表の任務が子供の遊戯に思えるほど、暗部に回ってくる任務は精神的にも過酷なものが多い。

 

「これから三人に任務を与える」

〔ダンゾウ様。一と一を足したら、〕

『どのような任務でしょうか』

 

 クロネコが雀鷹面の男の言葉を遮るように言った。

 微かに眉を持ち上げていたダンゾウだったが、気を取り直して続ける。

 

「暁を追っていた部隊から直接巻物を受け取ってこい。すでに国境周辺まで戻ってきているはずだ」

 

 クロネコがダンゾウから何かを受け取る。オレの位置からはよく見えない。

 

「必要に応じて対処するように」

『はい。お任せください』

 

 たったそれだけのやり取りでクロネコ達は部屋を出ようとする。ダンゾウの前で余計な口を挟むわけにもいかず、大人しく二人の背中を追いかけた。

 

「……あの、任務内容はどのような」

 

 足早に屋敷の出口に向かう背中に声をかける。クロネコではなく、雀鷹面の男が振り返った。

 

〔道中で説明する。ツーマンセルだから場合によってはキツい任務になるぞ〕

「ツーマンセル……クロ隊長は別任務ですか?」

〔……ん?〕

 

 雀鷹面の男が驚いたような声を出して立ち止まる。クロネコも立ち止まり、『それも道中で説明を、』と言いかけた。

 

 雀鷹面の男が一歩オレに近づく。

 

〔……シキ、だったな?〕

「はい」

〔…………〕

『いい加減にしろ。この任務は急ぎだ。無駄話に花を咲かせている時間はない』

 

 雀鷹面の男はそれでも〔俺はそれどころじゃなくて〕とか〔つまりお前もそれどころじゃなくてだな〕とか〔……いやそんなはずはないからそれどころかもしれない〕と早口で捲し立てていたが、最終的にはクロネコに無理やり連れ出される形で屋敷を出ていた。

 

 

 

〔暁を追っていた部隊はどこだったか把握しているか?〕

 

 火の国の国境へと続く道の途中、前を走る雀鷹面の男が問いかけてくる。

 

「第六と第七だと聞いています」

〔正確には第七だな。第六は早い段階で離脱して別任務を任されている。第七はこれまで一度も里への帰還を許されていない〕

「……何故ですか?」

〔第六部隊が、暁側に人間の記憶に干渉する術を持つ者がいることを掴んだからだ〕

 

 人間の記憶に干渉……ということは。

 

潜脳操砂(せんのうそうさ)。術の詳細は不明だが、暁のサソリという男の術らしい。今分かっていることは他人の記憶を操作することだけ〕

 

 第六部隊が早々にその情報を掴んで木ノ葉に帰還し、今は別の任務を割り当てられている。そして、残された第七部隊は未だに帰還を許されていない。

 

「……第七はすでに敵に操作されている、ということですか」

〔さあな。幻術に掛けられているだけなら対処のしようもあったが、記憶となるとこちらも確かめようがない。可能性があるというだけだ〕

 

 雀鷹面の男は少し投げやりな口調だった。

 

〔ダンゾウ様は暁のサソリが死ぬか、何らかの手段で彼らの潔白が証明されない限りは、第七部隊の帰還を認めないおつもりだ。……今回の俺たちの任務は、()()彼らから巻物を受け取り、来た時と同じツーマンセルで帰還すること〕

 

 そう口にした雀鷹面の男が片腕を横に広げる。

 

 ……何のつもりだ?

 

 やがて、雀鷹面の男が広げた腕がどろっと溶け出した。

 

「こっ、これは……一体!?」

〔俺はドロドロの実を食べた全身スライムに――〕

『こいつは俺の影分身で知能も低い。発言を真に受けるな』

「……影、分身?」

 

 影分身が溶けるだなんて聞いたことがない。それに、雀鷹面の男の正体がクロネコだったとは……これはカカシですら知らなかった情報。

 

 これまで黙って雀鷹面、いや、影分身に任務の説明をさせていたクロネコが深いため息をつく。

 

 影分身は何も言わなかったが、少し不貞腐れているようにも見えた。

 

 

 結果的に第七部隊との接触は難なく終わった。

 

 もし第七がダンゾウの指示を無視して木ノ葉に帰還する素振りを見せたり、こちらへ襲いかかってきたら容赦なく()()する必要があったらしい。

 

 こちらは実質ツーマンセルで相手は第七部隊全員。これまでに何度も思ってきたことだが、ダンゾウはこちら側の戦力を見積もるのが致命的に、

 

〔お互い五体満足で木ノ葉に帰れることになって良かったな〕

「…………」

 

 やっぱり常習犯か、あの男。

 

 

 

 クロネコやその影分身との任務を終えた数日後。朝から屋敷と外を行ったり来たりしていたイロに呼び止められた。

 

「シキ。少しいいかな」

「イロ」

「これをクロ隊長に渡してほしいんだ。ボクはこれから急ぎの任務があるから」

「分かった」

 

 今ではすっかり敬語を使わずに会話するようになったイロが、相変わらず嘘くさい笑みを浮かべている。

 

「隊長の部屋は分かるよね」

「ああ」

「それじゃあ、悪いけどもう行くよ」

 

 手渡されたのは昨日の任務の追加報告書。こういったものは、ダンゾウに提出する前に一度クロネコを経由することになっていた。

 以前はどれだけ忙しくてもイロが直接クロネコに手渡していたもの。……少しずつ信頼されてきているのかもしれない。

 

 次の任務へ向かうイロの後ろ姿を見送り、ダンゾウの部屋に近い場所にあるクロネコの自室へ足を向けた。

 

 

 

 クロネコがいるであろう部屋の前で立ち止まる。

 声をかける前に『入れ』と中から聞こえてきた。……モズほどじゃないが、この男もそれなりに他人の気配に鋭い。

 

 控えめな動作で障子を開ける。忍刀の手入れをしている最中だったらしい。クロネコが顔だけをこちらへ向けた。雀鷹面の影分身の姿は見えない。

 白猫面にあいた穴から唯一見える瞳が細まる。

 

『……イロはどうした?』

「これから急ぎの任務があるようです。私が代わりに報告書をお持ちしました」

『そうか』

 

 クロネコはよほどイロを信頼しているのか、重要な書類はアイツにしか預けない。

 

 立ち上がったクロネコに、イロから託された報告書を差し出す。彼は軽く目を通して『確かに受け取った』と頷く。

 

『…………』

「……何か?」

『…………いや』

 

 無言で見つめてきていたクロネコが気まずそうに顔を逸らす。

 

「このお面の前の持ち主のことですか」

『…………』

 

 クロネコが小さくため息をつく。

 波の国で関わった時も決して饒舌なタイプではなかったが、あの時より口数が少ない気がする。こちらが素なのかもしれない。

 ……影分身がやけに饒舌なのは未でも謎だ。

 

 これ以上無駄話をする必要もないだろうと部屋を出ようとしたオレを引き留めるように、少し低めの声が鼓膜を震わせた。

 

『元の持ち主は少し……特別だった』

 

 躊躇するかのように、間を開けて言葉が続く。

 

 目の前に立っていたクロネコの手がこちらへ伸びてきて、ビクッと身体が震える。

 

「…………あ」

『…………』

 

 頭の位置にくると思った手のひらは、オレの肩に乗せられていた。

 

『今日はもう任務はなかったな。部屋に戻って休むといい』

「……はい」

 

 再び忍刀の手入れに戻ったクロネコを残し、部屋の外に出た。

 

 無意識に胸元の服をぐしゃりと掴む。心臓の音がうるさい。張り裂けそうなくらいに。

 トンッと背中を壁に預けた。

 

「…………」

 

 どうかしている。

 

 こちらに伸ばされた手のひらに、かつてのスバル兄さんの姿を重ねるだなんて。

 



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