ガールズバンドの恋する日常 (敷き布団)
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正月の溜まり場【パスパレ編】

謹賀新年。新しくやってくるこの年を謹んでお祝いしようという言葉である。今日は1月1日。恐らく殆どの人が家族や大切な人と共に年が明けた瞬間を祝い、家の近くの所縁ある神仏に詣でながら過ごす、そんな日。当然俺に待っているのも、そんな静かで、慎ましやかな1日だと、そんな風に思っていたのだ。

 

「やっぱり雄緋くんの家、快適だよねぇ」

 

「炬燵も完備ですもんね……、事務所より長居したいぐらいです」

 

「なんでいんのかなぁ……」

 

俺とて一人暮らしの身。それでいて一介の大学生。当然住んでいる家、賃貸だけどさ、広くないんだよ。他の人よりかは住環境重視するタイプだったから広い部屋なのかもしれないけど。

 

「はふぅ……、あったかいです……」

 

「あらイヴちゃん。みかんを剥いたけれど食べる?」

 

「だから何でそんな寛いでんだよ?! 他人ん家でさぁ?!」

 

「雄緋くん煩いよ……。どうしてそんなに怒ってるの?」

 

「当たり前だろ?! 元日! 俺! 一人暮らし!!」

 

あり得るわけないのだ。どうして男の一人暮らしを謳歌している俺のオアシスで、アイドル5人が堕落を貪っていようか。そんな夢のようなファンの夢が潰えそうな光景がどうして今俺の眼前にて広がっているというのか。

 

「あそっか、あけましておめでとうー! 今年もおねーちゃん共々よろしくねっ!」

 

「挨拶してないから怒ってんじゃねんだわ?! 明けおめ!!!!」

 

「雄緋、カルシウム足りてないんじゃない? そんなに声を荒げて」

 

「うるせぇ!! 怒ってる原因お前らだわ!!」

 

あまりにも新年早々叫びすぎたから俺の口をついて出るため息は大きい。てかこんな叫んで苦情来ないかな大丈夫かな、うんもう後の祭りだわ。

 

「……で、本当になんでいんだよ、正月の特番とかあるだろ?」

 

「あ、生放送に出演する分は終わったので、後は正月オフを楽しもうと……」

 

「おかしいんだよ、後半がさ。なんでここにいるのかの説明になってないんだわ」

 

「こんなにわかりやすい説明をしているのに分からないなんて、馬鹿なのね?」

 

あーキレそう。我慢してる俺を褒めて欲しい。てかなんだって俺がこんな立腹して、ついでに寒い室温に耐えながらさ、こいつらは炬燵占領してぬくぬくとしてるんだ? 訳がわからん。

 

「もーしょうがないなー、日菜ちゃんが説明してあげよう!」

 

「日菜の説明とか余計分からないと思うんだけど……」

 

まぁいい。どうでもいいや、とりあえず聞こう。どうせ「るんっ♪」ってしたからだとか、そんなんだろうけどさ。一瞬でもそう考えた俺が馬鹿だった。あぁ、千聖の言う通り俺は馬鹿だったよ、ええ?

 

「暇だから来たよ!」

 

「あーそうかそうか、帰れ」

 

溜まったもんじゃない。世間は元日だぞ? 大学も休み、バイトもなし、久しぶりにゴロゴロできる、人生の夏休みを満喫できるはずだった。しかもまだ昼前、どうしてこうなった?

 

「……やっぱり、ぐすっ、ユウヒさんにとってお邪魔でしたか……?」

 

「……え?」

 

炬燵の側面に入って温まっていたイヴの方を見ると、もうね、泣いてた。え、そんな泣くことなの? 泣きたいのこっちだよ? だとかそんな悪態つくのが申し訳なくなるぐらいの罪悪感が込み上げてくる。だってさ、震えてるんだよ。肉食獣に捕まる寸前の傷だらけの草食獣みたいに。

 

「いや……その、まぁ非常識だとは思うけど……そんなことは」

 

「あー、雄緋くんがイヴちゃん泣かせたー」

 

「え、ちょ」

 

「男の風上にも置けないわね」

 

「いやいや」

 

「それはちょっとるんっ、ってこないかなー」

 

「ジブンは残念です……、雄緋さんがそんな非情な人間だったなんて……」

 

「……ぐすっ」

 

「え……その……ごめんなさい……」

 

もう部屋の雰囲気は俺が謝る方向一択でした。もうなんかこの場にパスパレ5人がいるのが常識的に考えておかしいとかそんな正論がぶっ飛ぶぐらいの勢いで、圧力がかかってる。

 

「……私たちが、いちゃ……ダメ……ですか?」

 

「……ダメじゃ、ないです」

 

「……えへへ」

 

あ、かわいい。赤く目を腫らしたイヴの照れ笑い可愛いなぁ。

 

「よしよし、家主の許可も取れたし、今日はゆっくりしようよ!」

 

「だねっ、イヴちゃん、よしよし」

 

「ありがとうございますっ、アヤさん!」

 

そして俺は6人分のコップとお菓子を炬燵のテーブルの上に置いて、冷蔵庫からお茶を取り出す。まぁ、外雪降ってるレベルで寒いけど、お湯を沸かして淹れるなんて6人分しようと思ったら時間かかるし、いいよね、うん。

 

 

 

……は?!

 

「あら、気が利くのね」

 

「あっ、お菓子なら私も買ってきたよ!」

 

「あー、ありがとうじゃなくてっ、なくてっ!!」

 

俺が大声を出すとキョトンとした顔で5人が一斉にこちらを見た。あー、これもう詰みってことですね。

 

「……なんでそんなナチュラルに居座る方向に持っていけるんだよ」

 

「まぁジブン達、一応アイドルなんで」

 

「尚のこといちゃダメだろココ」

 

もうさっきから絶妙に話が噛み合ってないんだよ。追い出そうとしたけど、これはもう多分無理なやつだな。

俺は一通り注ぎ終えて、まだ半分ぐらい残ったお茶のペットボトルを冷蔵庫に戻し、部屋に帰ってくる。改めてこの状況を説明しよう。

俺がいつもよりちょっとゆっくり朝起きて、また新しい一年が始まるんだなぁ、って薄ら感動に浸っていたら、唐突にインターホンがなり、荷物かなんかだと勘違いした無様な俺が寒さを我慢して布団から這い出て、扉を開けるなりそこにはこの五人衆。雪崩れ込まれて、気がついたら寛いでて、そして今に至ると。

 

「いや、わけわからん」

 

「どうしたの? 独り言ボソボソって」

 

「何でもない、で、寒いんだけど」

 

「暖房はつけないんですか?」

 

「乾燥して喉が痛くなるからな」

 

「大変なんですね……」

 

「そうなんだよ、だから、寒いんだよね」

 

俺の露骨なアピールを全く意に介さず、雑談に興じる5人。そこで俺は溜まってた怒りのボルテージが爆発した。

 

「寒いから!! せめて家主に炬燵ぐらい譲れ!!」

 

「えー、でも私たち来客だよ?」

 

「招かれざる客なんだわ!!」

 

部屋の気温は多分一桁とか。炬燵に入ればきっとそれだけで温もりと安寧が約束されるというのに、当然5人が占領してて俺の入る余地はほぼなさそうだった。詰めたらいけるのかもしれないが、この5人、全く一人として動こうとしない。

 

「……でも、外は……寒いです……」

 

「泣き落としやめろ! てか俺も寒いの! 炬燵の外にいるんだよ!!」

 

ダメだ、指先が冷たすぎる。あと床と接地してる足の指の感覚がもうない。うん、もう、無理矢理入ろう。俺の家にも無理矢理入られたし。

 

「とりあえず寒いから入れろ!!」

 

「ええっ、冷気が来るじゃないですかっ!」

 

「その冷気に纏われ続ける俺の身になれ!!」

 

麻弥の抗議なんか気にする暇もなく、俺は自らの足から先を炬燵に突っ込ませる。あーーー、あったけぇ……。誰かの足とか蹴ったかもしれないけど冷たいし感覚ないしそこまで分かんないわ。俺は寒さに負けて、手前の面に入っていた彩の隣にすっぽりと入ってしまった。

 

「いたっ!! 雄緋くん今あたしの右足蹴ったでしょ!」

 

「あーごめん日菜。この炬燵6人も入れないから諦めてくれ。てか俺の角度からじゃ届かなさそうだから今蹴ったのは彩かイヴじゃないか?」

 

てかどう頑張っても4人が多分定員だよ。まぁ寒いから気にしてないけど、俺はなるべく体全部が入るように体を丸め込む。仰向けにしてると寒いから体を横に向ける。

 

「……わ」

 

「ん?」

 

と、途端にすぐ隣で寝転がっていた彩の顔が赤くなった。

 

「なんかあったか? 暑いなら人減るからすぐに出てくれて構わんぞ」

 

というか彩のおでこを触った感じかなり熱を帯びている。そりゃこんな外貨寒い中でずっと炬燵でぬくぬくしてたらそうもなるか。

 

「ち、ちが……あわわ……」

 

「はぁ?」

 

彩は何やらぶつぶつと小さく言っているのだが、早口すぎてよく聞こえない。

 

「……はぁ、女心ってのが分かってないなー、雄緋くんも」

 

「えぇ、どういうことだよ……」

 

日菜の呆れたような言い草は謎に俺の心に刺さった。

 

「ダメダメね……」

 

「だからどういうことだって……ん、どうした彩、近いぞ」

 

どういうわけか俺の胸元に顔を埋める彩に困惑する。あ。今めっちゃいい匂いした。じゃなくて、こんな姿ファンが見たら発狂するよ。そう思って止めようとした。

 

「……えへへ、あったかくて……安心するなぁって」

 

やばい、不覚にもドキッとした。まさか彩にこんなにときめかされるとは。一応2、3下の女の子だってのに。よし、よし、俺、落ち着け。ふぅ。

 

俺は賢者の心を取り戻した。けど、彩は再度俺の胸元に顔を埋め直した。しかもくすぐったい。

 

「ちょい、何してんの?」

 

「……この匂い、好き……すんすん」

 

「ちょ、くすぐったい」

 

突如彩が匂いを嗅ぎ始めたのだ。そんなの体臭とか気になるお年頃なんだから、やめてくれって止めようとしたら、彩の腕はいきなり俺の体の後ろへと回された。

 

「へ?」

 

「逃げちゃダメ……すんすんっ、ふーっ」

 

「ちょおっ、息、吐くなって、ひ……」

 

皮膚に直接彩の息がかかったんだ、くすぐったくても仕方ないだろ。というかこちょこちょのようにくすぐったいのに彩が抱きついてるから引き剥がせない、やばい。こそばゆくて今も身震いしたのに。

 

「んひっ、ちょ、おおっ、彩っ」

 

俺は思わず暴れてしまった。それが運の尽きだった。

 

「ちょ、雄緋ぃっ……足当たってぇ……」

 

「へ、へっ?」

 

何故か90度隣にいる千聖の方から聞こえてきたのは妙に艶かしい声。こいつ俺より年下だよな? なんでそんな声出せんのって感じ。

 

「あっ、雄緋さんがどさくさに紛れて、千聖さんのエッチなところ触ってます!」

 

「え、ええっ?! んひっ、ちょ彩タンマタンマ!」

 

「すんすん……」

 

俺の静止の声は彩に届かない。めっちゃこしょばい! やばい、動くの我慢しないといけないの分かってるけど、俺の意思と無関係に動いてしまう。

 

「雄緋っだめっ、んんっ……、そんなとこぉ……」

 

「ちょっ、ちさ、ともよけろよっ?! 彩ストップぅ!」

 

「クンクン……えへへへ」

 

「も、だめぇ……、んっ、んあっ……んあぁっ♡」

 

「まって! まって!!」

 

炬燵の中で始まった破廉恥な馬鹿騒ぎは、数分後、彩を無理矢理引き剥がしてなんとか収まった。というかなんでこんな動けないんだよと思ったら、彩が俺の上半身に抱きついて動きを封じているほかに、俺の片足はイヴと日菜によって抑えられていた。悪ノリ、良くない。

 

彩のちょっとだけ変態チックな吐息と緩んだ顔色。それから千聖の艶っぽい声と紅潮し蕩けた顔に少しだけ興奮してしまったのは内緒。



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正月の溜まり場【Roselia編】

ふぅ。

 

あ、いや何もしてないよ? まだ正月だけどもう少しで年末年始の休み期間終わるからもうゴロゴロ出来ないなぁ、って考えたらため息が出ただけだから。でもそういや初詣もまだ行けてないし、今日こそ行こうかな。

え、元日? んなもん消えたわ馬鹿野郎。そりゃ少しぐらいだらけて過ごそうとはしてたけども。気がついたら家の中をどこぞのアイドルバンドに占領されてたんだよ。

いやでもちょっといい匂いするんだよなぁ。昨日パスパレのみんながいたからだろうか、炬燵に入って暖まっていると、どこからか女の子の匂いというか、どことなく甘くてうっとりするような香りが漂ってくるような。

 

 

 

うーん、よい。

じゃなかった、俺は今日こそ初詣に行くんだ。いや、けど炬燵から出たらちょっと寒いなぁ……。部屋のデジタル温度計みたら8℃だって、どうなってんの。地球温暖化ってあれ夏だけ異様に暑くなってるんじゃないかって思うよ。俺が生きてるのなんかせいぜい20年弱だから昔の暑さとか知らないけどさ。

 

ピンポーン。

 

俺の寒さに打ち震える悲しみの声以外には何の音もしなくて静かだった俺の部屋に突如として、玄関先のインターホンが鳴り響く。今日届くような荷物を頼んだ覚えはない。うーん、デジャヴ?

 

ピンポーン。

 

催促のピンポンにしてはちょっとタイミングが早いと思うんだ。宅配便でももう少し待ってくれるし。いやまぁ返事してない俺も俺かもしれないけどさ。なんか嫌な予感がす

 

ピンポーンピンポーンピンポーン。

 

「うっせぇな!! 朝から!!」

 

思わず怒涛の連打に叫んじゃった。これじゃ居留守で取り繕うの無理だなぁ。てかうるさくて近所迷惑なの俺かな?

 

「……出よ」

 

止まない呼出の連打。俺は観念して寒い外気が流入してくる廊下をトボトボと力なく、玄関の方まで辿り着く。もうどうせ知り合いの誰かってことは分かってるから、俺は覗き窓とか見ることなくガチャリと玄関の戸を開ける。

 

「あら、やっぱりいるじゃない」

 

「……大所帯ですね」

 

「やっほー☆ あけおめー」

 

俺は面倒くさくなってスッとドアを閉じようとした。けど、瞬間ドアと壁の隙間に靴が突っ込まれた。靴が噛まされてドアがバフンと跳ね返る。

 

「呼び出しのベルを押している来訪者が目の前にいるのに、無視してドアを閉めようとはどういう了見をしているんですか?」

 

「正月の朝方から大人数で押しかける非常識だというのに、呼び出しのベルを連打するとはどういう了見をしているんです?」

 

戦いの火花がバチバチと、互いの目の間を飛び交っている。いやというか、その眼光怖いんだよ。風紀委員長の威圧というか、他を律しようとして恫喝すら辞さないと言わんばかりのギラつく瞳。

 

「失礼ですね。そこまで私の眼は怖いものじゃありません」

 

「当の本人に自覚がねぇんだもんなぁ……」

 

いやーそりゃこんなんで睨まれたら、非行も直そうとは思うかもしれないけど、生憎俺は花咲川の生徒じゃない、というかあそこ女子校。

 

「んで、誇り高き青薔薇さんはなんでこんなところに来たんでしょう」

 

「あら、言わないと分からないの?」

 

「逆にどうして分かると思ったの?」

 

エスパーじゃあるまいし。メンタリストでもないよ。てかメンタリストでもそれは分からんだろうよ。

 

「あこたちと遊ぼ!!」

 

「お断りです、それじゃ」

 

「待ちなさい」

 

「おわぁっっ?!」

 

俺はな、ドア閉めようとしたんだよ。いつのまにか脚も退かされてたし。そしたらな、急に体が持ってかれてな? ドアに。ドアが急に外の方にぐわって。

気がついたら俺の家の廊下を歩くRoseliaの4人がいた。あれ、4人?

 

「その……、大丈夫……ですか?」

 

「え……。……燐子さんや、あんただけだよまともに気遣ってくれるの……」

 

思い切り体が外に持ってかれた俺の身を案じてくれるのは燐子だけだった……。あぁ、神や、かの娘の如くを天の使ひたりと葦原中国(あしはらのなかつくに)に産み落とし給ふか。

 

「あの……それじゃあわたしも、……お邪魔します」

 

「えっあっ、はい」

 

天の使ひ? そんなものありません。戯言も大概にしろ。

 

俺は玄関に向かった時以上にトボトボと、リビングに戻った。そして俺の家のリビングには。

 

「……やっぱこうなるんだよね」

 

「あれ、遅かったねー?」

 

もうその収まりの速さは定位置か何かなの? 俺の部屋の炬燵さぁ。下手したら今年になってから俺がその炬燵に入ってた時間より他の人が入ってた時間の方が長いよ。どうなってんの?

 

「雄緋さん。一つ質問があります」

 

「はいなんでしょうか」

 

さっき俺を暴論でボコボコにしてきた紗夜さんからのご質問です。

 

「どうしてこの炬燵から、日菜のニオイがするのでしょう?」

 

「……はいぃ?」

 

「日菜だけじゃありません。誰のニオイかまでは分かりませんが、女性のニオイがするのですが」

 

どういうわけなんですか? そう聞かれたけど、その答え聞くまでもないよね。居たからに決まってんだろ、って言おうかと思ったんだけど、紗夜さんのオーラがなんというか怖い。というか紗夜さんだけじゃねーやこれ。

 

「……このニオイ。……丸山さんや、白鷺さんのニオイもします」

 

「パスパレかしら。どういうことなの雄緋?」

 

冷や汗がダラダラと流れる。というかみんななんで誰のニオイとか分かるの? なんかカメラとかで監視してるってぐらいピンポイントだし。というか紗夜さん、あんだけ妹アンチしてた割にはめちゃくちゃ匂いとか分かるんですね、シスコンじゃねーか!

 

「……まぁ、うん」

 

「隠し事しても分かるよ!!」

 

「昨日ですね、パスパレの方が取材で」

 

「は?」

 

「……プライベートでお越しになりまして」

 

「年頃の女の子を5人も、それもアイドルを男の部屋に迎え入れるとか貴方は頭の回路がとち狂っているのかしら?」

 

「別に迎え入れてないです。強いて言うなら今日の貴女達がしたことと同じことをされました」

 

「……そう。極めて友好的な交渉に基づく合意で滞在なさったのね」

 

「日本語一からやり直せ」

 

というか日本語の問題じゃないのかなぁ。倫理観? 道徳の授業ちゃんと受けた方が良さそうですね。

 

「ま、まぁ、日菜のニオイがした理由は分かりました。そういうわけですので」

 

「……どういうわけで?」

 

俺の発言をガン無視して、部屋はシーンと静まり返る。炬燵でぬくぬくと過ごす彼女達は何一つ喋らない。

 

「……あの。で、何しに来たんです?」

 

さっき玄関口で『あこたちと遊ぼ!!』とか言ってたよね? みんなゴロゴロしてるだけじゃん。しかもさっきそんな発言してたあこ寝かけてるじゃん。こんな煩い中秒で寝るとか国民的アニメのダメダメ主人公ぐらい才能あるよ。あのアニメの主人公はもしかしたらロボットかもしれないけど。

 

「その……正月、……ですから」

 

「はい」

 

「……ゆっくりしようかと」

 

「そうですか」

 

「……はい」

 

会話終わった。何もわかんねぇ。

 

「……なんでわざわざここ来たの?」

 

それならRoseliaの5人の仲間内のどこかでゆっくり過ごす選択肢があったはずだよね。というか少なくとも俺の家に来るという選択肢は普通ないよ。俺が家に居たからまだしも居なかったらどうするつもりだったの? ドア蹴破りそうな勢いだったのに。あっそういや俺初詣行こうとしてたのに……。この流れ今日も無理じゃん。泣いた。

 

「うーん、ゆーひの家来たら、楽しそうだなぁって」

 

「発案者は?」

 

「友希那さん!」

 

「……はぁ。誇り高き青薔薇が泣いてますよ」

 

「失礼ね」

 

まぁさっきの喰い気味の態度で察しはついたんだけどね。まぁいいや、うん。

 

「あ、あこテレビ見たい!」

 

「点けていいよ」

 

さっきまで真っ暗だったテレビ画面はいきなり音と光を放ち始める。その画面に映されていたのは所謂お正月特番。丁度、何の因果か、パスパレが出ている。生放送って出てるし、どうやら本当に昨日の正月オフはたまたま暇ができただけということらしい。最近はやはり仕事で忙しいのだろうか。

 

「……そういえばさー、雄緋は昨日彩たちと何してたの?」

 

「えっ、何って。……何してたんだろうな」

 

「自分でも……、分かってないんですね……」

 

燐子に呆れられた。めっちゃ分かりやすく。でも本当に何してたか正直分かんないし。ゴロゴロして。……ゴロゴロして。あっ、蜜柑食べたわ。……それ以外何したっけ? ……あっ。

 

「いや……何も特には、してないかなぁ?」

 

「……何かしたんだよね?」

 

「……えっいや」

 

「したんだよね?」

 

えっ、ちょっとこのリサ姉こわい。いや、全然年下だけども。威厳というか母性というか、癒しを感じるから親しみを込めてリサ姉と呼んでるんだけど、今のリサ姉からは癒しとかそういうのゼロなんだよ。怖い。

 

「……特に何も」

 

「……ほんとうに?」

 

「……その、いやまぁ、色々あって」

 

「色々って何? 全部言おっか? だーいじょうぶ、怒ってないから、ね? ほら、早く言いなよ、まさか人には言えないようなことしたわけないもんね? 言えるでしょ?」

 

 

 

怖えよ!!

 

いやだって、怖くない? 問い詰め方というか、捲し立てる怒涛の質問とか。声が淡々としてて、あと目に光がないの一番やばい。まじで虚ろな目で射抜かれるってこういうことなんだなって。

 

「……ちょっとだけ……彩とハグしたり、千聖とラッキースケベ的な……」

 

「へぇ?」

 

「ちょ、ちょっとだけだから……」

 

「へぇ?」

 

「……めちゃくちゃ少しだけ」

 

「へぇ?」

 

「すみませんでした」

 

何で謝ってるんだろうなぁ、俺。というか情けないなぁ。プライドとかそんなのドブに捨てたけどさ、もう。

 

「まっ、終わっちゃったこと、ネチネチ言っても仕方ないから、言わないけどさ?」

 

「……お許しを賜ること、幸甚の至りにございます」

 

「許すなんて言ってないけど?」

 

「あっ、はい」

 

怖い。怖いよ!!

だってだぜ? 俺だけじゃないんだよ。この空間にいる他の4人みんなビビり倒すレベルで俺詰られてるんだけど。助けてくれ、誰か。友希那とか幼馴染なんでしょ? 止めてくれよ(涙目)

 

「い、今井さん、それぐらいで……」

 

「そそそ、そうよリサ。脅しても仕方がないわ」

 

よく言ってくれた友希那様ぁ!!

 

「え、何か言った?」

 

「脅しても、仕方がないって」

 

「え、何か言った?」

 

「いえ……何も……ないわ」

 

友希那様屈したぁ……。くっそ、あこと燐子は……。

 

「リ、リサ姉から溢れる、禍々しい風格は正に魔界からの、ブラックマターがバーンとして……?」

 

「な、な、ななに言ってるのか分かんないよあこちゃん……」

 

ダメだ使いものにならねぇ。

 

「ねぇ、どうしてアタシから目を逸らしたの? 今アタシ怒ってるよね?」

 

「すいませんすいませんすいません」

 

「謝ってるだけじゃ何を悪いと思ってるのか分かんないじゃん?」

 

この質問の答え正解ある? 不正解の場合俺死んじゃうかもしれないけど。でも正解が分からないんだよね。あるのかすら分からないし。数学で言うところのコラッツ予想とか、ああいうの未解決問題って言うらしいよ。まさに今俺が直面してる。なお解答をミスると、死にます。

あぁ、天は我々を見捨て給ふたか!! 然ならずと宣はば我に一縷の希望を与え給へ!! とか言ってる場合じゃない。助けてくれ。

 

 

閃 い た !

 

 

いやなんか、合ってる気はしないけど。でもこれ以上最適解出せる自信ない。少なくともこの地獄の深淵から覗く亡者のような、畏怖を抱かせるこの瞳に吸い込まれる寸前なのに、そんな難しいこと考えてられるわけがない。それに嘘じゃないし。

 

よし行こう。

 

「ねぇ、アタシさ、聞いてるんだけど? どうしてアタシと目を合わせてくれないのって?」

 

「リ、リサが可愛すぎて、照れるから!!」

 

「……へ? は? へ、えっ、えっ、ええっ?!」

 

流れが……変わった?!

部屋が凍りついた。いや、さっきから寒すぎて凍ってたけど。別の意味で凍りついた。

 

「は、ちょ、いきなり可愛いなんて、ちょ、え、え」

 

今こそ畳み掛ける時だ。

 

「リサに……惚れそうになるから、直視できない!!」

 

「か、か、可愛いってぇ……」

 

リサ姉の顔は一気に沸騰したかのように赤く羞恥に染まる。大勝利。なんか他の人の空気が怖いけど。さっきのリサ姉のそれに比べたら一気に緩和された。

というかリサ姉急に態度変わりすぎじゃない? こんなオロオロして、なんだこの可愛い生き物。

 

「だから、ごめん!!」

 

「い、いいよ別に……」

 

対戦ありがとうございました。

 

「……ね、ねぇ雄緋?」

 

「はいなんでしょう、って、え」

 

「んっ……。……ぷはっ。……これで、今日は許してあげるから!」

 

「……は、はい」

 

「さっさとアタシに惚れてよバカ!」

 

リサ様はキッチンへと消えていきました。

この後もう一回修羅場が来ました。

 

明日こそ……明日こそ初詣に行くんだ……。

 

 

 

 









なんか改めて読み返すと破茶滅茶ですね。深夜テンションの勢いだけで書き上げたものなので許してください。
まるで正月ゴロゴロするみたいな話をさも7バンド分書くみたいなタイトルしてますが、そういうわけじゃないです。初詣にいつまでも行けないというフリではないです。需要があったら書こうとは思いますけど、多分需要がないですね。
何はともあれ読んでいただきありがとうございました。


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初詣のために【ポピパ】

深夜テンションです。りみりんが色々ぶっ飛んでます。許して……許して……。





悲報、三ヶ日今日で終わり。

 

俺の頭には昨晩からこんな言葉がずっと浮かんでいる。え、だって正月休みもう終わり? 年末年始過ぎた? テレビとかまだまだお正月特番やってるよ?

ところがどっこい、大変お気の毒ですが、正月休みは消えてしまいました。今日で、消えます。俺の正月何してたかって問われると、元日、パスパレとイチャ……戯れて、1月2日、Roseliaと戯れて。俺の正月休み、1人の時間がほぼありませんでした。どういうことなんだよと、いやさ、1人じゃなくて、寂しくなくて良かったね、とかそんな中途半端な慰めは要らないよ。

違うのだよ、今俺が心の底から求めているのは日頃疲れ切った心を癒し、これから始まる一年への準備、チャージ期間としての正月だよ!! 初詣すら行ってません。だから俺は。

 

 

 

「この時間なら……大丈夫だよな?」

 

只今の時刻、04:30。朝日は出ておりません。なお1月1日とかではありませんし、今日見るであろう日の出は初日の出にはなりません。大晦日から終夜元日エンジョイするわけではなく、三ヶ日の最終日、朝から神社に来ています。我ながらかなり発想がイカれているのかもしれない。

けど、もう俺は学んだのだ。昼過ぎぐらいに初詣行くかーなんて思考回路してたら誰かが押しかけてくるんだもん。そりゃあもう気合い入れて朝から突入するしかないよね。

 

「着いたけど……まじ人がおらんな」

 

きっと元日こそ人手は多かっただろうし、参道の両端に並ぶ屋台も盛況だったのであろう。だが、こんな時間には流石にまだ屋台の店主も店を出す準備すら始めていない。というか俺が来る時間が異常なんだよな。

 

「……まぁ、静かな神社も乙なものかな」

 

こないだからうるさかったし。よし、登るか。目の前に傾斜をつけて待ち構えている参道の石畳を踏みしめた。

 

「坂長くね……」

 

すぐ登れるかなーとか、思ってた時期が私にもありました。参道なっがい。長過ぎってぐらい長くてもう足の筋肉が痛い。これはもう普段の運動不足が祟ってるだけかもしれないけど、新年明けていきなり筋肉痛とかやだなぁ。でもこんなの実質山登りみたいなもんよ。今でこそ初詣という目的があるから登れるけど、そうじゃなきったらもう登る気は起きない。

 

「ま、無病息災のついでに「あ! ゆーひくんだ!!」……厄年かぁ」

 

振り返るまでもなく、斜め後ろから聞こえてきた声がいきなり近くなってものすごい衝撃とともにやってきた。

 

「ぐはっ」

 

「明けましたおめでとぉー!」

 

「……はい」

 

元気が過ぎるぞ。というかこの遭遇率どうなってんの? 朝だぜ? 朝は朝でも曙よ。いや、空まだ真っ黒なんだけど?

 

「ちょ香澄っ、ダメだって!」

 

「あ、あはは……あけましておめでとうございます。香澄が、ごめんなさい」

 

新年早々俺にタックルを繰り出してきたのは猫耳少女、ではなかった、猫耳の髪型の少女の率いる、率いる? ガールズバンドグループ、Poppin'Partyの皆様方でした。こちらを見つけるなり駆け出してきた香澄の後を追うように4人もこちらに駆け寄ってくる。

 

「ゆーひくんも朝から初詣っ?」

 

「そうだけど、なんでいんの? 俺が言うのもなんだけど、朝っていうかまだ下手したら夜だよ?」

 

自分のことを棚にあげてるけど、だって外真っ暗なんだもん。神社の境内とかぼんやり灯された灯り以外の光源がないんだよ。普段なら参拝客が列をなしてるはずの本殿の前も人はスッカスカ、というか人っ子1人見かけない。

 

「楽しそうだったので」

 

朝からいる理由にはなってないんだけどなぁ、なんて思ったけどこのウサギ大好き天然少女に聞き返したところで多分無駄かな。

 

「沙綾ちゃんが家のこともあって忙しそうだったから……日中じゃなくて早朝なら余裕あるかなって」

 

「あー……。こんな正月から店開けてんのか、大変だな」

 

どうやらこのパンの少女がこの時間帯にこの5人組の揃う理由だったらしい。

 

「あはは、買いに来られるお客さんも居たので、それはそうと雄緋さんはどうかしたんですか? こんな朝から」

 

「えっ? あー……いや」

 

どうしようかね、まさか誰にも1人の邪魔をされたくなかったから、なんて目の前に人がいるのに言うのは少し憚られるし、けどかといってそれ以上に納得させられるような理由は思いつかない。いやだってそうでしょ、こんな時間に初詣きているやつは誰だって相当の理由抱えてるよ、多分。

 

「人には言えない、ってやつですか」

 

「いやいやそんな物騒なんじゃないけど」

 

「物騒じゃなくて人には言えない……、そ、それってまさか?!」

 

「え、なになに有咲?」

 

「い、い、言えるかぁーこんなの!」

 

朝からうるせぇ、と思ったけどこんなやつ前にもいたなぁ……。それはさておき、この金髪盆栽少女はあらぬ誤解をしているらしい。大方誤解の方向性の予想はつくけど、こんな神聖な場所でそんな破廉恥なことするわけないでしょうよ。

 

「あっ、どうせだったらゆーひくんもこれからさーやの家行こうよっ!」

 

「へ? いやいや俺これから初詣……」

 

まずい、この流れは非常にまずい。ちゃんと、これから参拝するんだって意思を伝えて

 

「香澄、ナイスアイディアだよ。それじゃあ連行しよっか」

 

「ちょ、初詣っ!」

 

「じゃあいっくよーーー!」

 

「え、わぁぁぁーー?!」

 

無 理 で し た ☆

 

 

 

 

 

「ぜぇっ、ぜぇっ……はしるの……はやすぎ……」

 

足ちぎれそう。腕痛い。あと握られてた手首かなり痛い。

 

「ってあれー? みんなはっ?」

 

「お前が……置いてきたんだろ……?」

 

なんか後ろの方から駆け足の音が聞こえてきた。後ろから追っかけてきたおたえとかりみとかのものだった。まさか正月の朝っぱらからこんな走ることになるとは……。これなら家でゴロゴロしてた方がよっぽどマシだったかもしれない。

 

「香澄ちゃんはやいよぉ……」

 

「りみ頑張って。後で沙綾がチョココロネくれるから」

 

「ほんとっ? ……よしっ」

 

「ほら……香澄走るの早過ぎだって……はぁっ、はぁっ」

 

抗議の目線を向けるが、香澄は一切気にするような様子はない。こいつ大物になるな、間違いない。

 

「って、あれー有咲は?」

 

「はぁっ……有咲ならもう多分後ろの方で……、あ、いたいた」

 

沙綾が指さす方向には、半分ぐらい白目を剥きながらこちらにゆらゆらと近寄ってくる人影。この言い方だと完全にただの不審者だね。要約すると体力を使い果たした有咲がいました。

 

「……かす……み……、ほんとに……」

 

なんとかこちらまで辿り着いたけれど、もはや文が言えていない。というか何が言いたいのか、吐息で全部途切れてしまって分からない。まぁ、香澄への抗議だということだけは確かだろうか。

 

「有咲きたし、それじゃ山吹ベーカリーで、新年会やっちゃおー!」

 

「香澄、もう1月3日だよ」

 

「あの、おたえちゃん。気にするところそこじゃないんじゃないかなぁ……」

 

りみの言う通りだよ、朝だよ。朝なんだよ。

 

只今の時刻、5時30分でございます。新年会? 朝のお勤めか何かの間違いでは? もしかして前夜から飲み歩いて、6軒目とかの山吹ベーカリーで締めだったりする? いやいやこいつら高校生だよな。そんな大学生みたいに馬鹿みたいなどんちゃん騒ぎの荒れた生活習慣送るなんてことないよね。

 

「さて、とりあえず私の家まで一旦帰ろっか?」

 

今いる商店街の入り口から沙綾の家、もとい山吹ベーカリーまで戻る。他のお店はまあ当然のごとくシャッターが下されている。まぁお正月だもんね、いやというかまだ早朝だもんね。普通閉まってるわ。

けどどういうわけか山吹ベーカリーはすでにシャッターも開いていた。

 

「よし、と、ただいまー、あれ、お父さん?」

 

沙綾たちに連れられるように店の中に入った俺たちの目の前に現れた沙綾のお父さんは、下を俯いて、娘の帰宅にも顔をあげようとはしなかった。

 

「こんにちは。どうかしたんですか」

 

「……すまん」

 

何故か頑なに顔を上げずに俯き続ける沙綾のお父さん。

 

「えっと、どうしたの?」

 

「材料が切れたので……。パンが、……作れなかった」

 

「……へ?」

 

「……今日は、臨時休業だ。あと新年会? とやらも、すまん、出せるパンがない」

 

「え? ええっっっ?!」

 

5人が声を上げて固まっている。俺どうしよう、完全部外者なんだけど驚くフリしておくべき? てか俺ここにいて大丈夫? お父さん初対面ですよね? というか俺の存在に多分気づいてないよね。まぁいいや、驚いたフリしとこ。

 

「え、こ、こ、コロネは……」

 

というか1番悲壮な顔を漂わせているのはりみだった。1番楽しみにしていそうだった香澄はぽかんとした表情を浮かべている。

 

「すまんりみちゃん……。……作れないものは、どうしようもないんだ……」

 

「は、走ったのに……、コロネが……ない……っ」

 

「え、えっと……りみりん?」

 

俯いて表情が見えないが、プルプルと拳を作って震えていた。そして。

 

「……え、と、りみりんどうしたの?」

 

ぽかんと突っ立っていた香澄の方に近寄って。

 

「お前が走ってココまで連れてきたからこちとらクタクタなんじゃどうしてくれるんや?!」

 

「ひぃぃぃりみりんごめん!!」

 

「ごめんで済んだら警察要らんやろがい!! どない落とし前つけてくれるんじゃ?!」

 

「ひぃぃぃぃっ?!」

 

「へえぁっ?!」

 

え、どゆこと? さっきまで大人しそうだったりみが豹変したように関西弁で捲し立ててキレ始めた。え、怖い。

 

「あん?! というか雄緋さんよ、あんたがおらんかったらそもそも走ることなんざならんかったわどないしてくれるんや!!」

 

「ひぃぃぃごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

 

違うんです誰にも会わないように04:30とかいう訳の分からない時間に初詣に出かけたらどういうわけかそこの猫耳少女に見つかってしまっただけなんですぅ俺は悪くないからああぁぁぁ……。

 

ガクンガクンって視界が揺れてます。胸ぐら掴まれてるんです。助けて……。

 

「ちょ、ご、ごめんりみりん!! 私が材料買ってきて作るからぁぁっっ!!」

 

沙綾の懇願によりなんとか怒りは収まったとさ。

あ、お昼過ぎには解放されたけど、初詣行けませんでした。え、理由? 疲れてたし坂を登る気力もなかったし、疲れたんだよ畜生め。

 

初詣? あー行けたら行くわ。



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夜食には七草粥を【コンビニ組】

脳みそ空っぽで書いています。





「あー冷える冷える」

 

雪こそ降ってはいないが、真っ暗な住宅街は寒々しい。星の瞬く夜空が映えるのはきっと周りの景色が暗くて、そして空気が澄み切っているからなのだろう。

 

「けど寒さがなぁ……」

 

いやぁしかもこんなに夜になったら急に冷えるなんて聞いてなかったから、防寒具とかその手の類一切持ってきてないから、外套も厚手のものというわけではない。元々夕方までには家に着いている予定だったのだが、新年会という名目で大学の友人と少し晩飯に行ったせいで時間が少し遅くなってしまったのだ。

 

「いよいよ一年も始まって、松の内も終わりか……」

 

そう考えるとちょっと切なさすら感じられるな。俺の正月、まぁほとんど寝正月になっちゃったけども、世間一般では今日で正月も終わりだからな。

 

「……七草粥でも買って帰るか」

 

晩御飯のせいで多少胃ももたれているし、酒を呷った日もあるから、ちゃんと健康にも気を遣おうかと思い、家の近くのコンビニに入った。

 

「らっしゃっせ〜」

 

「あっ」

 

そういやここ、なんかダメそうな予感がしたんだけど、まぁもう遅いよね。

 

「あれ、雄緋じゃん?」

 

「……ども」

 

カウンターの方から聞こえてきた間延びした声に少々の絶望を覚えつつも、何も気にしないようにして曲がろうとした直後だった。目の前に、あやつが現れたのは。

 

「ちょちょちょ、素通りはひどいでしょ!」

 

「いやいや、バイト中だろ? リサ」

 

先日私を危うく殺しにかかりそうだったリサ姉改め、リサ様です。え? 呼び方? だってあんなん見せられた後に姉なんて呼べねぇだろ常識的に考えて。というかさ、バイト中にそんな私語していいのかよって感じだよ、ガンガン私情で客に話しかけてるじゃん。

 

「それはそうだけど、ちょっとぐらいね?」

 

そんな顔で見ないでくれ。良心が痛むから。

この顔を見るだけで想起される修羅の表情を貼り付けたリサから早く逃げろと叫ぶ声と、この淡い嘆願の色の混じった憂いの目線を備えたリサを見捨てるのかと詰る声が頭の中で闘っている。

 

「えっと、雄緋、大丈夫?」

 

「……いや、なんでもない」

 

危ない危ない。意識が飛びかけてた。

 

「それで、何買いに来たの? こんな時間に、夜食?」

 

「え? あー夜食っちゃ夜食? 七草粥だけど」

 

「七草粥なんてウチ置いてあるかなぁー」

 

「……ないかな?」

 

「ここコンビニだよ? クリスマスケーキとかは取り扱ってても流石に七草粥はないかなぁ?」

 

言われたら納得いくんだけど、でも今からこの足で材料買って帰って七草粥作る気にはならんじゃん? だから手っ取り早く済ませたいなーと思ってコンビニに立ち寄ったのだけれど、流石に置いてなかったか。

 

「あ、そうだ。なんならアタシが作りに行ってあげよっか?」

 

「……はい?」

 

何だろうね、背筋がゾクリと。あっ、これ、あかんやつだよね? その時、俺は思い出した。お正月に自室を支配されていた絶望を。目から希望の光とかそういうのが全て消えちゃってた憂懼を。

 

「もうアタシも、モカも多分上がりの時間だし、折角だしそんなに七草粥食べたいなら作りに行ってあげるよって!」

 

「えっ、そんな食べたいなんて言ってないです」

 

「なんで敬語なの? それはそうとまぁまぁ、遠慮しないでって!」

 

「遠慮なんかじゃ」

 

「じゃっ、お店の前でちょっと待っといてね!」

 

断る暇もなく、約束を取付けられました。どうすりゃ良かったんですかね?

俺はもう仕方がなく、何か適当な大きめのペットボトル飲料を手に取ってレジへと持っていく。

 

「お〜、ゆーひくんは七草粥をご所望かなー?」

 

「……話聞いてたのか」

 

「うむうむ、モカちゃんがリサさんと一緒に作ってあげようー」

 

「……はい」

 

何だろうね、最近思ったんだ。断る気力だとかそんなのがなくなり始めてるって。もうダメになりそう。

 

 

 

そして俺は寒空の下コンビニの前で2人のシフト終わりを待ち、食材をスーパーで調達し家にたどり着いた。こんなことなら最初からスーパー1人で寄っときゃ良かったよ、なんて後悔してももう後の祭りだった。

 

「お〜、ここは久しぶりですな〜」

 

「あんまりジロジロみないでくれ、ってリサはリサで何してんの?」

 

「……ううん、部屋の匂い嗅いだだけだよ?」

 

「怖い、やめろ」

 

絶対あれじゃん、匂い嗅ぐってオンナの匂いとかそんな感じのあれでしょ? もうほんとうに勘弁してください……。

 

「さって、それじゃあアタシが腕によりをかけて作っちゃうぞー!」

 

「あたしは味見係で〜」

 

「えぇ……」

 

キッチンに2人立ち並んで、仲良く喋りながら七草粥を作り始めている。というか味見係って、絶対モカがここに来た理由それだろ。ちなみに材料費は流石に俺の財布から出してるんだけど、絶対食べたいからって理由だよね。

 

「あはは、モカ、味見までまだ時間かかるから座って待ってていいんだよ? 炬燵もあるんだし」

 

「いやいやーモカちゃんには、料理の見張りという役目もありますから〜」

 

「そっかそっか、邪魔だけはしないでね? モカが相手でもアタシユルサナイカラ」

 

「リサさんも変なもの入れちゃダメですよ〜? ちゃんと見張ってますから」

 

話が色々盛り上がってるみたいだし、まぁ俺はあんまり料理に口出しはしないでおこうか。そもそも基本そんな自炊とかできないし。

いやね、みんなきっと大学生になって一人暮らしとかし始めたら分かると思うんだよ。たしかに自炊は食費を浮かすためにはめちゃくちゃ重要。けどな、労力が半端ない。安い食材買ってきて、作ってー、なんて今までぬくぬくと実家で親の作る料理に甘えてきたこんなドラ息子が突然どうこうできるようになるわけないからな。

俺が作れる料理? カップ麺って料理に入るかな? あとは察しろ。

 

そういうわけで大学生で自炊ちゃんとしてる人本当に偉いと思うよ。少なくとも俺には無理だ。俺の友達なんかだと彼女と同棲して家事を折半して楽しく生きている人種もあるらしい。はぁー、爆発しろ。

 

「あれ、雄緋どうしたの?」

 

そんなこんなでキッチンから小さめの器を持って帰ってきたリサとモカ。

 

「いや、爆発しろって」

 

「えぇ?」

 

いやこれ俺の言ってることの意味、わかんねぇな。脈絡なさすぎてテロリストみたいな発言してるじゃん。訂正しようとしたら。

 

「なるほど、リア充が憎いとな〜?」

 

「なんで分かんの? まぁ、彼女居たら家事とか負担減りそうなのになーって、独り身の悲しい後悔だから、ほっとけほっとけ」

 

こんな話聞かせても仕方がないからな。いやね、大学生になったら彼女なんてすぐできるものだと思ってたんだよ。

みんな思うでしょ? サークル入ってー、先輩とご飯行ってー、同期の女の子とちょっといい雰囲気になって、気がついたらその子と付き合ってー、バイトに授業にサークルで、キラキラキャンパスライフ! とかね?

 

寝 言 は 寝 て 言 え 。

 

いやまじで何なんだよあんな妄想の産物みたいなのがさもスタンダードですみたいな言説流布したやつ、マジ許さん。世の中にはそんな社会に順応できない非リアも居るんだって、分かってくれ。ただし憐れむな、惨めになるから。

 

「そんな可哀想なゆーひくんにはモカちゃんがハグをしてあげよー」

 

「え? いやいや……あっ、あったかいな……」

 

「……アタシだって、ほら」

 

「あ……。……じゃないじゃない、ちょ、お前ら離れろて!」

 

彼女欲しいみたいなこと言ってたやつが何でいざ近寄られたら引き離すんだって?

 

うるせぇこちとら理性との闘いなんじゃ!! 手出すとやばいから! いや家にあげた時点でヤバいかぁ……心配になってきた。

 

「乱暴されちゃうー」

 

「アタシは……いいケド」

 

「違うから!! あーーーー七草粥食べたいなーーーーー!!!!」

 

「あっ、そうだった。こんな感じの味付けでどうかな?」

 

なんとか済んでのところで平常心を取り戻したリサがスプーンを口の前に差し出してくれる。その粥をゆっくり咀嚼する。

 

「……う」

 

「……う?」

 

「うまっ!!」

 

「えっ、そ、そう?」

 

「え、才能なのか? あー……彼女に美味しい料理を作ってもらいたい人生だった……」

 

「か、かの……?! う……」

 

「ほらほらリサさん? 作ったやつ持ってこよー?」

 

俺がその粥の完成度の高さに感嘆し、まだ見ぬ叶うことなき未来に憂いている間に炬燵の上には小さな鍋で作られた七草粥が運ばれてきた。

 

「全部食べてもいいからね?」

 

「え、こんな作ってもらって、それは悪いからリサもモカも食べていいんだぞ」

 

作ってもらっておきながら、俺1人で平らげるなんてしたら罰当たりですらある。そう思って、俺は食器を片付けている籠からおかゆの入りそうな器を二つ取り出し、スプーンも持ってくる。

 

「って、炬燵にスタンバイするの早いな」

 

「寒いからね〜」

 

俺がちょっと目を離した間に2人並んで炬燵に入って、七草粥を2人は待っていた。俺は粥を注いで、ことりと2人の前に差し出すと、対面に入ろうとした。

 

「えっ雄緋さー」

 

「……えっ?」

 

「まさかそんなことないよね〜」

 

「そんなことって……」

 

「ほらほらこっちきてよ」

 

リサに促されるまま、一度入りかけた炬燵から立ち上がり、リサとモカの方へと回り込む。そして並んで炬燵に入っていた2人が間を空けて、布団を少し持ち上げた。

 

「……どういう」

 

「だからー、ゆーひくんの場所はここでしょー?」

 

「……いやいや」

 

「雄緋はココ、来てくれるよね?」

 

あっ、またいつかの記憶が……。今が7日だからちょうど5日前ですね、なんて寒いジョークも言ってられないほどに寒い。いや、部屋が寒いということじゃないよ。

 

「だってその、ほら、狭いじゃん?」

 

「問題ないよ〜」

 

「狭いからこそ良いんじゃん? くっついた方があったかいでしょ?」

 

「炬燵だからどこいてもあったかいんじゃ」

 

「……はぁ?」

 

「はい」

 

諦めました。だって無理じゃん。どう断れと。

狭いよ? だって炬燵の一つの面に3人がぎゅうぎゅうで入ってる姿を想像してみてほしい。……使い方頭悪くない? 向こうの面スッカスカよ。

 

「……失礼します」

 

「どうぞどうぞー」

 

「こうしたらあったかいでしょ?」

 

あったかい云々とかの前に、これ当ててきてるよね? なんかこう柔らかいというか幸せ……じゃなくて不埒というか。モカはモカで完全に抱きつきにきてるじゃん。……やばい。何とは言わないけどやばい。

 

「七草粥食べる前に、作ったご褒美欲しいなぁ?」

 

「あっ、リサさんずるいです〜」

 

「モカは味見係だもんね?」

 

「むぅ……、今日は引いておきます〜」

 

何やら取引が交わされたのか、2人の間では停戦協定が結ばれたらしい。

 

「それで、……ご褒美、欲しいなぁ?」

 

「……何をご所望?」

 

金? 金ならあるよ、出します。なので勘弁してください。とか、そんなふざけたこと言える空気じゃなかった。

 

「……ちょっと労を労ってくれるぐらいで良いんだよ?」

 

「えっ? あーそれぐらいなら「恋人みたいな感じで」難しすぎて出来ないかもしれない」

 

「……してくれないの?」

 

確かに作ってもらったのは間違いないし、そのおかげで俺はこんな七草粥にありつけているんだから労うとかはしたいよ? 是非させて欲しい。けど、内容がさ、むずいのだよ。要求難易度がベリーハード。

 

「恋人みたいな感じでって……」

 

「えー、例えば」

 

リサは倒れ込んできて、俺の胸元に頭を擦り付ける。首筋のあたりにリサの艶のある茶色の髪が擦れて妙にこそばゆい。ふんわりと華のような良い匂いもする。

 

「……ぎゅってして?」

 

「……こう?」

 

「そのまま、耳の近くで……囁いてほしいなぁ」

 

「……まじ?」

 

「大真面目」

 

恥ずかしいとかどうこうの前に、なんかもう色々アウトじゃない? とか思ったけど目線が痛い。うん。腹を括った。

 

「その……リサ」

 

「もっと近くで」

 

「俺のために七草粥作ってくれてありがとう」

 

「……うん」

 

「美味しかったよ」

 

「えへへ。……アタシのこと、好き?」

 

「え?」

 

「す、き?」

 

「え、う、うん」

 

「ありがと☆」

 

「リサさんすとーーーっぷ」

 

「わっ」

 

モカの声で完全に現実へと引き戻された。危なかった色々と。なんか、耳元で囁かれるリサの声全部が脳の奥まで染み込んで蕩けそうで。抱きついてるところとかもなんか甘くて、恋人みたいな、というかこれじゃ完全に。

 

「……次はモカちゃんもね?」

 

「あはは、そだね、アタシばっかじゃモカにも悪いからね?」

 

「……言い方もずるいですね〜」

 

何やら2人の間で閃光が飛び交っている。雰囲気も心なしか怖い。

 

「……それで、ゆーひくん?」

 

「どうしたモカ」

 

「モカちゃんにもご褒美を〜」

 

「ど、どんな?」

 

もうあんまりにも心労が大きいのはやめてほしい。もう理性がもたなくなりそう。

 

「うーん、じゃあこれー」

 

そう言ったモカが差し出してきたのはお椀とスプーン。

 

「あーんして?」

 

「え」

 

「ほらほら〜」

 

ええいままよ。思い切りが良くなると怖いね、何でも出来ちゃう。

 

「……んっ、……おぉ、これは美味……」

 

咀嚼するモカの顔はうっとりとしていて、その味に酔いしれるようだった。だがそんな顔も何故か普段外で見る時よりもなんだか。

 

「……モカちゃんの顔見つめてどうしたの〜?」

 

「えっ、いや」

 

「そっかそっか、見惚れちゃってたか〜、モカちゃん美少女だからね〜」

 

「そういうわけじゃ……」

 

「へ〜、……んっ」

 

「んっ……?!」

 

気がついた時には眼前にはモカが迫っていて。

七草粥の味はさっきよりもずっと甘くなっていた。

 

 

 







この作品はリアルの時節にもそこそこ合わせつつ、適当に思いついたネタを書きたいキャラで書き上げて投稿しているだけなんですけど、リクエストBOXみたいなのって需要ありますかね? リクエストしていただいても書ける保証もないしそもそも作者が妄想を垂れ流すのがメインなのであまり重視するかは分からないですが……。もし宜しければ以下のアンケートでお教えください。需要が一定数ありそうならBOXを用意するようにします。


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両手に迷子【千聖&花音】

「……どこ行ったのかしら」

 

「……そっすね」

 

そろそろ正月気分も抜けてきた今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。あ、私でしょうか? 元気でございます。色々あったけどこの生きにくく世知辛い世の中をあれだこれだと足掻きながら日々を生きております。今もね、無理難題をふっかけられて、それと戦っているんですよ。無理難題って何か、それはですね。

 

「一体花音はどこにいるの……?」

 

「こっちが聞きたい」

 

今週の『花音を探せ』。今回のゲストはアイドルバンドと女優、二足の草鞋を履いて芸能界を席巻している白鷺千聖さんです。そんな白鷺千聖さんをお招きして、今回も迷子となっている松原花音さんを探すこの企画。何回目でしょうかねほんと。

ちなみにどういう経緯で俺がそんなクソみたいな企画に参加しているかと申し上げますと、完全な巻き込まれ事故です、はい。この白い悪魔に

 

「何か失礼なことを考えていないかしら?」

 

「いえ、何も」

 

天使にお誘いを受けて、というか手伝いを請願されました。いやまぁ最初に迷子になってるんじゃないかって言ったのは俺なんですけどね。断ることもできないまま……という次第です。本当は夕方からのバイトの前に食材の買い出し行かなきゃと思って、家から這い出てきたんですけど、本当に偶然たまたま遭遇してしまってですね。クソが。

 

「というか貴方ももっと真剣に花音を探す方法を考えてくれないかしら?」

 

「至って真剣なんだけど? 俺は買い出しの途中なんだって」

 

俺だって予定の中に突然『花音 迷子のお呼び出し』なんて予定が飛び込んできたから早く見つけたいんだよ。

 

「というかさ、電話かけても出ないんだろ? そんなのどうしようもなくない?」

 

「そうなのよね……。正直連絡が取れなきゃもう思いつかないわ」

 

電話かけたら、迷子の花音をこの場所に来させることは出来なくとも居場所突き止めるぐらいはできると思ったそこの貴方。

 

ざ〜んねんでした、音 信 不 通です☆

いやどうするんだよ本当。詰んでるだろこれ。

 

「花音が行きそうな場所の心当たりはあるけれど……」

 

「おっ、あるのか? ならもうしらみ潰しに」

 

「そんなことしてたら日が暮れるわよ。それに花音が電車に乗ってたりなんてした日にはこっちが遭難よ?」

 

「いやどういうことだよ。……あっ」

 

俺が反論したら睨まれた。自覚はあるらしい。

 

「高校生にもなって電車にすらまともに乗れないポンコツ女優さんがいるって聞いたんですけどマジっすか?」

 

「……まさか、そんな人がいるだなんて私も初耳だわ」

 

自分のこと、棚に上げてやがる。

 

「いやーありえないよねー、まさか駅の案内板をちゃんと見てなお反対方向の電車乗るとかさー、えー?」

 

「それ以上口を開くようなら社会から貴方の存在そのものが消えることになるけれど?」

 

「調子に乗ってすみませんでした」

 

だって普段から小馬鹿にされがちだからこういう時ぐらいちょっと優位に立ってみたいじゃない? マウンティングというか優越感に浸りたいというか。大人気ないけど。

 

「……とにかく、現状花音の居場所を特定する方法なんてないから、心当たりのある場所を確かめてまわるしかないわね」

 

「俺帰っていい?」

 

「だめ」

 

「はい」

 

じゃあととりあえず千聖から心当たりのある場所を聞き出してみる。なんでもこの近辺だけでも数カ所あるらしく、その心当たりというのは過去の経験の蓄積とのこと。過去の経験の蓄積あるならもう少し迷子の対策なんとかなんないの? って思ったけど『迷宮のジェリーフィッシュ』だからね、仕方ないかな。

 

「……ふーん、じゃあ俺は川を挟んで東側……って、何その体勢?」

 

手分けしようぜって言おうとした瞬間、俺の左腕が凄まじい速度で掴まれる。

 

「いえ? それじゃあまずは川の東側から行きましょうか?」

 

「あの……腕……」

 

「何か問題でも?」

 

「大アリです」

 

一応、もしかしたら気になってる人もいるかもしれないから言及しておくけど、千聖は最低限帽子を被り、眼鏡をかけて、とぱっと見ではそれが白鷺千聖であると分からないような工夫はしているらしい。けどさ、この絵面やばいじゃん?

 

「仮にもアイドルって自覚あんの? というかこの間俺の家入り浸ってたけどさ」

 

「少なくとも貴方にアイドルを説かれるほど落ちぶれてはないわね」

 

「いや落ちぶれてるよ?」

 

「……本当に?」

 

「本当に」

 

「どういうところが?」

 

「えっと……世間体を気にしないところとか?」

 

「貴方より社会の厳しさは知っているつもりだけれど」

 

「そういうことじゃねぇよ」

 

なんだろうなぁ。初めて会った時はこの人こんなんじゃなかったんです。本当なんです。もっと自分自身が厳しい芸能界で生き抜いていくためにどうすればいいかとか色々葛藤してさ。いや、これはこれで人間味が出てていいと思うんだけど、俺は一体何を語っているんだ。

 

「まぁそういうわけだから、早く花音を探しに行きましょう?」

 

「待って? どういうわけ?」

 

というか振り払おうとしたらめっちゃ強い力で締められたあっ痛い痛い痛い。

 

「だから、腕なんで組んでるの?」

 

「……私が迷子になるかもしれないからかしら?」

 

「いや何で俺に聞くんだよ。世間体とか色々気にしろよ」

 

俺は一体なんでこんな説教をかましているんだ?

 

「うるさいわね、私は今腕を組みたい気分なのよ」

 

「どういう気分だよ」

 

「……いや?」

 

「ずるくない?」

 

こいつ多分わかってやってんだろと。ここでの上目遣いはずるいわ。というか嫌じゃないよ? 嬉しいよ? 嬉しいけど恥ずかしい、そんな複雑なお年頃の男の子の気持ちを分かってほしいとまでは言わないけど。なんかこう色々当たって、柔らかいなぁとか。

 

「変態」

 

「俺は悪くない」

 

「……触る?」

 

「……は?」

 

千聖はホールドしていない方の俺の腕をこちらへと持ってくる。そして掌を。

 

「ストップぅ!」

 

「……触りたくないの?」

 

「触りたい! じゃなかった、自制してんだよ!」

 

「……目がぎらついてるのに?」

 

「生理現象!」

 

「私は良いのよ?」

 

「さーーーて、花音を探しにいくぞぉーーーー!!!!」

 

待ってろ花音ーーー!

 

「チッ」

 

今こいつ舌打ちしやがった。

 

「……雄緋?」

 

可愛い。間違えた。あざとい。

 

 

 

そういうわけで俺の左腕はホールドされたまま花音の居場所の心当たりだという所へと歩く。住み慣れた街のはずなのに、いや、上京してからめっちゃ年月経ってるなんてことはないのだけれど、先の見えない不安感だとか、逆にこの迷宮に囚われてしまいそうな錯覚のせいか、見たこともない街を歩き回っているよう。

 

「……ここにもいなさそうね」

 

「だなぁ」

 

「……足がもう疲れたわ」

 

「……どうしろと?」

 

「……おんぶ?」

 

「恥ずかしくないの?」

 

「流石に恥ずかしいわ」

 

良かった、一般的感性はどうやら持ち合わせているらしい。

 

「というか、これ本当に見つかるのか?」

 

「見つかるか分からないけれど、でも見つけないわけにはいかないじゃない」

 

「いやそうなんだけどさ……、花音のスマホとはまだ連絡取れないのか?」

 

一度立ち止まってポケットからスマートフォンを取り出す千聖。というかこいつさりげなく、いや、堂々と抱きついてやがる。これ周囲から見たらただのイタイ2人組だよ。とりあえず引き剥がした。

 

「……あっ」

 

「どうした?」

 

「……私のスマホの電池が切れちゃったわ」

 

「まーじか」

 

どうやら花音と千聖、2人揃ってスマートフォンの電池が切れたらしい。絶望的では……。

 

「……なぁ、どうやって探すんだ? 本当に」

 

「今考えているから、貴方ももう少し考えなさい」

 

「えぇ……」

 

巻き込まれただけなのになぁ。乗りかかった船、とかよく言うでしょ? 違うんだよ、巻き込まれた船なんだよ。乗せてくれと頼んだ覚えもないよ。

 

「つべこべ言わずにちゃんと考えてくれないかしら? キスするわよ?」

 

「考えてるよ、というかどういうことだよ」

 

誰ださっきこいつに一般的感性が備わっているって言った奴。

こいつのテンションはそろそろぶっ壊れ始めたらしい。あの、もう一度弁明したいんですけど、初めて会った時はこんな人じゃなかったんです。むしろ現実を誰よりも直視して、冷淡に見えながらも友人想いの健気な少女だったんです。本当なんです。

 

「貴方からまともな意見を聞いたことがないのだけれど。協力してくれないなら押し倒すわよ?」

 

「もうその辺りで本当勘弁してください……」

 

キャラ崩壊著しいから勘弁して……。というか疲れてるからか言動ぶっ壊れすぎでしょう。何があったんだよ。

 

「キスなら良いってこと?」

 

「そんなこと言ってないです」

 

「でもリサちゃんとはこの間キスをしていたじゃない」

 

「えっなんで知って……あっ」

 

墓穴掘った。めっちゃ睨まれてる。んでめっちゃ背伸びして頑張ってるけど、俺も背伸びしてかわそうとした。

 

「えっ? ん……」

 

「んっ……、ちゅ……ん……。ふふっ。ヒール履いてるから、逃さないわよ?」

 

そのなんとも言えない妖艶さに思わず惚けてしまって、ちょっとぼーっとしてました。

よし、冷静になろう。というかやっぱりこいつ頭のネジが数本吹き飛んでるらしい。色んな意味でぶっ壊れが過ぎる。頭の中にどこからか湧いて出てきた108の煩悩を、頭を振って退散させていると、不意にポケットにバイブレーションが。

 

「……あれ、電話だ」

 

「えぇ……? 誰から?」

 

「って花音じゃねぇか?!」

 

思わぬ電話の相手にびっくりしながらも俺は電話に応じる。

 

『あっもしもし雄緋くん……。千聖ちゃん知らない?』

 

「おーちょうど探してて」

 

俺は目配せをして千聖にスマートフォンを渡す。

 

「もしもし花音?」

 

『あっ良かった。お店に着いたんだけど、電話も通じないから、その千聖ちゃんどこにいるのかな……って』

 

「……え?」

 

悲報、迷子なのは千聖さんでした。

 

「……ぷっ」

 

「笑うな」

 

「はい」

 

ガチトーンで怒られた。

 

「そ、そう。それじゃあ今から向かうわね?」

 

『うんっ。あっそれと千聖ちゃんに一つ聞きたいことがあってね』

 

「聞きたいこと?」

 

『どうして雄緋くんと千聖ちゃんが一緒にいるの?』

 

「……今すぐ行くわね」

 

こいつ無視して電話切りやがった。絶対電話口の花音さん怒ってたじゃん。声のトーンが聞いたことないぐらい怖かったんだけど?

 

「……これ以上花音の機嫌を損ねないためにも、着いてきてくれるわよね?」

 

「はい」

 

断れないです。

 

 

 

2人が行こうとしていたカフェは最初に千聖と会った場所の近くで、どうやら余計なことをせずにもう少し待っていたら何の苦労もなく今日のお茶会は無事成功するはずだったらしい。少しだけファンシーなドアを開けると、そこの1番奥で水色髪の少女が窓から外の通りを見ながら座って待っていた。

 

「遅れてごめんなさい花音」

 

「ううん。私も着くの遅くなっちゃったから、こちらこそごめんね?」

 

うんうん、良かった良かった、平和だった。バンドの垣根を越えた大親友の揺るぎない友情は守られ

 

「それでね、どうして千聖ちゃんと雄緋くんが一緒に居たのかなぁ?」

 

「ふふっ、花音も一体どうして私と雄緋が一緒に居ると知って電話をかけてくることができたのかしら?」

 

友情って、なんですか?

 

「……お互い様、かな?」

 

「えぇ。この後一緒に色々回りましょうか?」

 

「うんっ、そうしたら丸く収まるもんね」

 

友情、ありました。

 

「あの、俺の都合は?」

 

「千聖ちゃんが迷子になった責任は取ってもらわないと」

 

「え、俺のせいじゃ」

 

「『花音のことだから迷子になってるかもしれないし、探しに行ったら?』って言われたから……」

 

「え、言ってない……あー嘘、言ったような気がする」

 

「ふふっ、そうよね?」

 

「えへへ、雄緋くんとのデート楽しみだなぁ。私ともキスしてくれるよね?」

 

「あっはい」

 

言いくるめられました。いいですか皆さん。この世界は理不尽です。そんな理不尽に虐げられても根気強く生きていきましょう。

ちなみにこの後お茶会をして、ウィンドウショッピングに付き合わされ、挙げ句の果てにカラオケにまで巻き込まれました。え? JK2人とベタベタしてさりげなくキスもして両手に花? うるせぇバイト遅刻したんだよ、まりなさんごめんなさい。

 






読者の皆様、アンケートのご回答ありがとうございました。結果に基づきリクエストBOXを設置しました。興味がおありでしたら一度ご確認ください。


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バズりたい【彩】

「どうしよう、雄緋くんっ。このままじゃ……」

 

一寸先にすら光明の射さぬような言い知れぬ深憂が彼女を包んでいた。進むべき道が見えないこととはこれほどまでにも自分を怖気づけさせ、畏怖を生み、躊躇を踏ませるものであるのかと再確認する。

 

「私っ、もうっ……」

 

「彩……」

 

悲嘆に暮れる彼女の顔は歪み、底なし沼の如く抜け出すことの叶わないような、深すぎる絶望感は僅かに見出されていたはずの希望の光をも打ち砕いた。

 

「こんなのっ、どうすればいいのかぁっ」

 

その吐き出す言葉の一つ一つには、彼女なりの葛藤や彼女の心の底からの切なる本願が魂を宿し、幽玄すら感じさせる炎のような尊さと儚さが俺の胸を打つ。

 

「そんなこと俺に、言われても」

 

「だってぇ、もう、もうっ、雄緋くんにしかぁっ」

 

眼前で助けを乞うている悲劇の姫君が揺らす艱難辛苦の瞳が俺を射抜いていると言うのに、己が何の力にもなれない無力感を、俺は形容することが出来ないでいた。

 

「助けてっ、助けてよぉっ」

 

「彩っ……」

 

追い縋るか細く折れそうな指先が俺の裾を掴み、俺はその嘆きを聞き入れた。

 

「どうしたらっ、私もバズれるのぉっ?!」

 

「……知らんッッ!!」

 

いやだって、知らんもんは知らんし。てかそんなの芸能人の彩の方が分かるだろ? 流石に。

 

「だってほらっ、見てよぉっ! 例えばこれっ!」

 

彩が無理やり俺に見せてこようとするスマートフォンの画面には、彩のSNSの画面が。

 

『見て見て! この雲ハンバーガーみたい!』

 

という地球の反対側の超絶奥地に存在するかもしれない文明未開拓の部族もびっくりの感性をお持ちの文字列が写真と共に並べられている。……どこをどう見たらそうなるんだ? ちなみにこの彩の投稿に対するハートマーク、なんと19件。え、一応有名人だよね? 運営から公式だって認められてるし、フォロワーも数十万いるし。貴女、人気ガールズバンドのボーカル、丸山彩だよね?

 

「ぜんっぜん伸びないんだよっ、どうしたらいいのぉっ?!」

 

「だーーーかーーーらーーー、俺が知ってるわけないだろ?!」

 

平日の夕方からこんな喧嘩? をしている俺は案外暇なのかもしれない。いや、だって、ね? 俺みたいな一介の男子大学生、そりゃSNSこそしてはいるけれど、そんな『バズった』みたいな経験持ち合わせたことはない。それこそ普通なら知名度もあって一定数以上のファンも存在しているんだから、彩の方がまず間違いなく『バズる』はずだろう。

が、この投稿に対しての反応数……。いや、分かる。この投稿は、絶妙にセンスない。どっからどう見てもこの雲をハンバーガーと言い張るのは無理がある。食い意地張りすぎでしょって感じ。というかそんな食べたらまた太って千聖さんに怒られますよ。

 

「太ってないもん!」

 

「え、心の声聞こえた?」

 

「普通に声に出てたよ?! 私太ってないもん! 食い意地も張ってないもん!」

 

ぷくーっと頬を膨らませてぷりぷり怒りを見せる彩。が、怖くないというか可愛い。やっぱりアイドルなんだよな。

 

「ほら、お腹、ぷにぷにしてないでしょ?!」

 

「おお……、ってなんでナチュラルに触らせてんの?」

 

流れるような手つきで俺の手はどういうわけか彩のお腹を服越しに揉まされていた。まぁ指で掴めるほどの肉はない。というか冬場だから服が厚すぎてはっきり言って分からない。だって今の彩が着てる服、白のニット生地とかだし。

 

「えっ? まぁその……雄緋くんだったら良いかなというか触ってもらえると嬉しいというか……、と、とにかく太ってないでしょ?!」

 

「あーわかったわかった! 分かったから! でもハンバーガーには見えないけど色々分かった!」

 

「分かってないじゃんそれ?!」

 

「大丈夫! 分からないことが分かったから! んで、彩はどうしたいんだよ?」

 

「うー、ま、まぁ。とにかく私はバズらせたいんだよ!」

 

彩はどうやらこんなにも承認欲求の権化となってしまった原因の一端について、スマートフォンの画面を見せながら説明しようとしてくれた。

 

「これなんだ? 日菜?」

 

「そうそう! ほらこの『るんっ♪の意味はるんっ♪だよね?』って、この投稿、この文章だけで万バズしてるんだよ?!」

 

「ほんとだ。日菜の人気すごいな……」

 

「人気とかそういう問題じゃなくない?! なんでこの投稿が伸びてて私の投稿がダメなの?!」

 

そう言われてみると確かに彩の言うことにも一理あるかもしれない。改めて見たらこの日菜の投稿、意味がさっぱり分からない。けれど返信欄を見ていると、『草』とか『るんっ♪』という、もう何が何だかさっぱりという世界が広がっていた。これはもはや一種の才能ではなかろうか。

 

「他にもね……日菜ちゃんが紗夜ちゃんと仲良くツーショット写真上げてたんだっ」

 

「おっ……。お、すげぇ、ハンバーガー雲の5000倍ぐらいバズってるな」

 

「は、恥ずかしいからそんな換算やめてよぉ……」

 

「大体5000ハンバーガー雲ってところだな」

 

「変な単位にしないで?!」

 

いやぁイジリ甲斐があって楽しい。それはさておき、ツーショットか。まぁPastel✽Palettes、Roselia、それぞれのギタリストの双子ツーショットなんてそりゃあまぁファンからすればご褒美みたいなものだし。当然の如くファンからの反応も良いはずだよな。

 

「……というかさ、大人しく自分の自撮りとか上げたらいいんじゃないか?」

 

「自撮り?」

 

「前自分で研究してなかったか? 角度がどうとか」

 

俺がそんな提案をすると、面白いように彩の表情筋がフリーズする。数秒間、まるで時が止まったかのように彩からのレスポンスがなかったのだが、次の瞬間。

 

「そ、その発想なかったぁっ?!」

 

耳を劈くような大声とともに天啓を得た彩。……え、いや、割と普通の発想だよね? よく俳優さんとか声優さんとか、というか芸能人の人って結構自撮りだとか、知り合いのタレントさんと一緒に写ってる写真とかあげたりしてるよね? この発想至極平凡だと思うのだが、どうして彩はこんな単純なアイディアが思いつかなかったのだろうか……。

 

「え、でもなぁ……」

 

「何かダメな理由でもあるのか?」

 

「今自撮り棒持ち歩いてないんだよね……」

 

「あぁ」

 

というかまるで普段は自撮り棒持ち歩いてます、みたいな発言だな。普段持ち歩いてるならなおのことどうして自撮りを上げるという発想がなかったのか謎だらけだが、自撮り棒がないなら自力で腕を伸ばして自撮りをするしかあるまい。

 

「自撮り棒がないと自撮りできないのか?」

 

「そういうことではないんだけど……。な、なんか落ち着かない?」

 

「えぇ……」

 

精神安定剤か何か? まぁでも自撮りを趣味でかつ研究対象としている人からすればそれは魂のようなものなのかもしれない。なおさら何故自撮りの発想がなかったんだ?

 

「あっ、そうだ! じゃあ雄緋くんが撮ってよ!」

 

「……それは自撮りではなくない?」

 

「大丈夫だよ! あくまで撮り方の問題であって被写体がその本質だから!」

 

「言わんとすることは分かるけど、はぁ、まぁ良いけど、……で、動画? 写真?」

 

「あっじゃあ動画で!」

 

俺にスマートフォンを動画を撮れる状態で渡してくると、少し思案顔をする彩。

 

「よしっ、お願いっ」

 

彩の声に合わせて俺は録画ボタンを押す。ピコン、という音が鳴った。

 

「まんまるお山に彩をっ! ふわふわピンク担当の丸山彩ですっ!」

 

「ダサい、却下」

 

「なんでぇ?!」

 

ポージングが絶妙にダサい。

 

「だ、だって私の挨拶としてこれ確立してるんだよっ?!」

 

「なら敢えて動画じゃなくて写真で良いじゃん。やりたいだけだろ?」

 

「うん」

 

淀みなく答えを返す彩。彩の挨拶としてこれが定着しているのは、まぁ俺も知ってはいる。が、あまりはっきりと申し上げにくいが、もうちょっとなんか他のなかった? という感想が……。ちょっとズレてる辺りが彩らしくて良いと言われればそうなんだけど、なんか、うーーーん、という感じ。伝われ。

 

「でも普通の自撮りも色々試してみてるからなぁ」

 

「今までどんなやつあげてきたんだ?」

 

「えっーとね」

 

そういってこちらに画面をスクロールして様々見せてくれる。見た限りではそれはもう大量の自撮りを種々のコメント付きで載せているのだが。

 

「違いが分からん」

 

「なんでっ?! 全部違うじゃん、ほらっ、ほらっ!」

 

いやそりゃあ、撮ってる場所が違うだとかそういうのは分かるんだけど。

 

「なんだろうな、俺が言いたいのはその、変わり映えしないというか、全部同じ雰囲気というか」

 

「同じ雰囲気……?」

 

「言葉で表しにくいけど、全部『Pastel✽Palettesの丸山彩ですっ』ってアピールがすごい」

 

「今の裏声絶対バカにしてたよね?」

 

目線での抗議を俺は意にも介さず、改めて差し出されているスマートフォンの画面を眺める。恐らく撮る角度だったりだとか、パスパレのメンバーと一緒に歌ったりだとか、俺のよく分からない範囲での工夫はあるのだと思うが、素人目では違いが一切わからない範疇の話なのだ。

 

「うーん、そうだ。Morfonicaの透子ちゃんとかすごいSNSで有名じゃん。あんな感じの投稿目指せば良いんじゃないのか?」

 

「えっ透子ちゃん? ……いやっ、それじゃだめだよ!」

 

「なんでだよ」

 

「それじゃ人の考えをそのままパクったことになるじゃん?!」

 

「えぇ……」

 

と、思ったけど俺も確かに大学のレポートとか、剽窃行為とかしたら確実に単位不認定になるし、どこの世界でもパクリは良くないということだろうか。

 

「それなら彩なりのオリジナリティを出すしか」

 

「私のオリジナリティ? ってどんなの?」

 

「俺に聞くなよ……。……ダサいポーズとか?」

 

「ダサいって言わないでよ?!」

 

ポカポカと俺の胸元に細やかな反抗を加える。全然痛くないけど、そもそも彩の方が俺より10cm以上身長が低いから、怒っているのだろうけど怖さの欠片もない。

 

「うぅ。何かいい案ないかな?」

 

「……っ」

 

疲れたのか俺への攻撃の手を止めた彩は至近距離でこちらを見上げた。この目線だと上目遣いになるんだよな、ちょっとだけドキッとさせられた。……おっ?

 

「そうだ、カメラの角度を工夫して、恋人風自撮りとかどうだ?」

 

「こ、恋人っ?! え、ど、どういうこと?!」

 

「例えば、こんな彩と歩いてる目線の、自撮りをあげたら、擬似デート……みたいな? 彩可愛いから、そういう方向性でやったらそこそこ反応出るんじゃないか?」

 

「そ、そ、それだよ! じゃあ早速撮ろう!」

 

「おう、頑張れよそれじゃ「雄緋くんが撮るに決まってるでしょ!」……ですよねぇ」

 

名案が思いついたからそれを提示して俺はおさらば、っていう流れでとっととこの場を離れようと思ったのだが、一筋縄では行かなかったらしい。……まぁこの方針で撮るのなんて自撮りで撮るのは体勢的に無理があるし。

 

「カメラマンやって欲しいんだけど、ダメ?」

 

「……まぁしゃーなしな」

 

「やったぁ! じゃあじゃあどんなのにしよっかなー」

 

彩はスマホで検索をかけて、理想のシチュエーションを調べようとしているらしい。まぁオリジナリティという線ではそれほど新規性やユニークさはないが、一定数以上需要はあるだろうし、何よりハンバーガー雲の5000倍ぐらいマシだと思う。

 

「そうだっ、雄緋くんならどんなシチュエーションだと嬉しいかな?」

 

「は、俺?」

 

思わぬ質問が飛んできて、俺は挙動不審になりそうになりながらも彩の方を見る。

 

「そ、そう! もしも、もしもだよ? 雄緋くんが私のこ、恋人で……。どんなシーンが見たいかな……なんて」

 

「好きなシーン? えぇ、恋人とか長い間居た覚えがないから想像つかないんだけど」

 

「やった! じゃなくてえっと、妄想とかでもいいから!」

 

「も、妄想って人に話すようなもんじゃないだろ……。えぇ……、デートっていう想像を掻き立てるシーン、みたいな?」

 

俺の質問にぶんぶんと首を大きく縦に振る彩。とは言っても、デート、デートね……。というか彩の目線が、もう興味津々! って感じでこちらを一点に見つめてきて全然考えがまとまらない。

 

「どうしても無理なら私としたいデートのシチュエーションでもいいよ!」

 

「彩とデートか……」

 

やべぇもっと想像つかねぇ。彩とのデート? 俺も自撮りの研究とかしてるのかな。いやそんなデート絶対楽しさのかけらもないよな。エゴサーチ? 1人でやれ。

 

「思いつかないわ」

 

「え、ええっ。……、よし、なら、私がしたいデートのシチュエーションでやるから、それでもいい?!」

 

「え? あーまぁ思いつかないし、それでいいよ」

 

彩はどういうわけか小さくガッツポーズをすると、耳を貸せと合図をしてくる。

 

「その、き、キス待ち顔とかどうかなって」

 

「え? 本気で言ってる?」

 

「う、うん! デート風だから! それに待ち顔だし!」

 

「まぁそういうことなら……」

 

「というわけで練習がいるよねっ」

 

「ん?」

 

「練習! だってキスとかそんな、し、したことないからっ、キス待ちの気持ちを知るためには、その、キスしなきゃ」

 

「いやいや、それだと「はい構えて!」はいっ!」

 

彩の凛とした声でどういうわけか俺は直立した。その場が静まり返る。

 

「ゆ、雄緋くん? 今だけはその、私のこと恋人だと思ってね?」

 

「あ、う、うん」

 

「待ち顔だけど……、ちゃんと最後までしなきゃ気持ちがわからないから。……きて?」

 

「……分かった」

 

僅かに頬を赤くした彩の目が揺れながらこちらを見つめ、体が少し触れ合う。彩はそっと目を閉じて、こちらを見上げた。

 

「雄緋くん……」

 

「彩……」

 

「……んっ。ちゅ……」

 

彩の体は温かく柔らかい。そっと包み込むように唇の触れるキス。

 

「ぷは……。……」

 

「……、あ、彩?」

 

「わ、わあぁっ?! わ、私」

 

「お、お、落ち着け、自撮り! 自撮りだから!」

 

「う、うん! は、早く撮ろ!」

 

俺が撮ってる時点で自撮りではなくない? なんて野暮なツッコミはNGだぞ。俺も彩も色々混乱しすぎててどうするかとか頭の中空っぽだから。

さっきの彩の麗しい姿を彷彿とさせるような儚い待ち顔に彩が変貌を遂げる。そんな顔を斜め上あたりから、パシャリと一枚。

 

「ど、どう? こ、これならいけるかなっ?」

 

「お、おう。そ、そのとても可愛いと思う、ぞ? うんうん」

 

「だよね? ふぅ、ふぅ、よし、落ち着け〜、落ち着け私っ」

 

何度か深呼吸を挟む。俺の心臓はバクバクと治りそうにない。

 

「……うんっ、ありがとう雄緋くん。雄緋くんのおかげで新しい考えが広がったよ!」

 

「そうか? まぁ、なら、うん、良かったな?」

 

「その……最後に2人で写真なんてどうかな……なんて」

 

「写真? それぐらいなら全然……」

 

彩はこちらに勢いよく飛び込んできて、2人で並んで内カメラを向ける。

 

「はいっ、チーズ!」

 

シャッター音が響いて、画面に現れた写真の2人は真っ赤に顔を染めて、恥ずかしそうにピトリとくっついていた。

 

え、彩のSNS? なんでも彩がツーショットを一応俺の顔を隠した状態で投稿したらプチ炎上して話題になったそうです。

バズって良かったね、うん。



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姉妹喧嘩【紗夜&日菜】

さよひなじゃあ!!!!(発狂)

はい、氷川姉妹のお話です。尊い。








都心では珍しく雪が降り積り、静かな一月の空が広がっている。

 

「それでねー、あたしは『雄緋くんだから大丈夫』って言ったんだけどさー」

 

「ふーん」

 

一月。正月が明け、成人の日が過ぎ、高校生たちは大学受験が迫る。そんな季節。だが、俺はそんな時節との戯れをするでもなく、学生の本分に必死に取り組む季節なのだ。

 

「おねーちゃんなーんにも分かってくれなくてさー」

 

「ふーん」

 

学生の本分? それはバイトでもなく、遊びでもなく、恋愛でもなく、況してや競馬やパチスロなんかのギャンブルでもない。

その名は、勉学。大学生たる俺は自らの勉学の成果を、研究の成果を示すべく文字に起こしているのである。

 

「だからあたしが『おねーちゃんなんか知らない!』って叫んで飛び出してきちゃったんだよね」

 

「ふーん」

 

パソコンで文字を打ち込む、カタカタという音だけが寒空の雪からの冷気を受け止めた部屋に響

 

「無視しないでよ雄緋くん!!」

 

「うるせぇ勝手に家来といて文句言うなぁっ?!」

 

「今の雄緋くん怒ってあたしを無視する時のおねーちゃんと一緒だもん!」

 

「知らねぇよ!! こちとら締め切り期限ギリギリのレポートに追われてるから邪魔するんじゃねぇ!!」

 

炬燵に包まれてほんわかしてる、なんてことはなくて、俺はそんな学生の本分である学問に苦しめられている最中というわけなのである。苦しめられているというか、まぁ溜まってた負債を返済してるって言った方が近いけどね。そんな休日返上で文献を読み込みレポートを書き上げている俺の邪魔をしに来たのは、『おねーちゃんおねーちゃん』と五月蝿く騒ぎ立てる翠色の髪をした少女。

 

「だってあたしには雄緋くんのレポートなんか関係ないもん」

 

「俺だって姉妹喧嘩になんか関係ないんだけど?」

 

他所の家庭の揉め事を持ってくるなと、こっちが叱りつけたいぐらいなんだけど。まぁそんなことをしたところでこのシスコンが大人しくなるわけではないということは嫌というほど知っている。

 

「それでもちょっとぐらい話聞いてくれてもいいじゃん?」

 

「聞く義理がない」

 

「家入れてくれたのは聞いてくれるからじゃないのー?」

 

「俺家に上げるだなんて一言も言わなかったよな?」

 

実は最近ひとつ気がついたことがあるんだけど、玄関のインターホンが鳴っても出ない方が良いらしい。ってこの間それを実践したら大家さんにめっちゃ怒られた、『居留守すんな』って。あと『煩い』って苦情が来ているらしい。違うんです俺が悪いんじゃないんです大家さん。

 

「まぁいいや。どうせ集中力切れてるでしょ? ならあたしの話聞いてよ」

 

「切れさせたやつの台詞じゃねぇんだよなぁ……。まぁ聞くけどさ」

 

俺はとうとう諦めて、俺のベッドに腰掛けて、脚をぶらぶらさせて愚痴を言いたそうにしている日菜の方にちょっとだけ向き替える。

 

「で、なんで喧嘩してんの?」

 

「あたしさっき散々話したでしょ?」

 

「ごめん何も聞いてなかった」

 

だって一応真面目に勉強してたし。大学生みんな遊びまくってるだとか、飲み会ばっかやってるとか、馬鹿みたいなことばっかしてるだとか、そんなことないからな。やるときはちゃんと勉強してるよ? 卒業できないし。

 

「はぁ。それがさー」

 

 

 

 

 

『日菜、あなたこの間雄緋さんの家に行ったでしょう』

 

『あれ? 何で知ってるの? 話したっけ?』

 

『……ゴホン。他の人から聞いたのよ。人に迷惑をかけてはいけないといつも言っているでしょう?』

 

『迷惑なんかかけてないもん! それにおねーちゃんだってこの間行ったんだよね?』

 

『……何のことだが』

 

『ひどーい! 自分のこと棚に上げてるじゃん!』

 

『あ、あれは湊さんに誘われて仕方がなく……。そ、それに雄緋さんといかがわしいことをしているとも聞いたわ。そんな風紀の乱れの典型のようなこと、すぐにやめなさい!』

 

『ぶーぶー。変なことしてたのあたしじゃないもんー、千聖ちゃんだもーん』

 

『どちらでも変わりません! それに年頃の男性の家にアイドルが挙って押し掛けるというのがまずいけないのです!』

 

『雄緋くんだから大丈夫だもん! ……あっ、分かった。おねーちゃん嫉妬してるんだ?』

 

『なっ?! そ、そんな訳ないでしょう! 言いがかりはよしなさい!』

 

『羨ましいんだ? 自分は素直になれないからって?』

 

『う、煩いわね!! そんなことないと言っているでしょう?!」

 

『ふーん。まぁヤキモチ妬いてるんじゃないんだったらあたしを止める理由なんてないよね?』

 

『そ、そういうことではないと言っているのがどうして分からないの?!』

 

『ふーんだ、おねーちゃんなんてもう知らなーい』

 

 

 

 

 

「というわけなんだけどさ」

 

「仲良いなお前ら。てかなんでその喧嘩した流れで俺の家来てるんだよ。1番ダメな展開じゃん」

 

日菜が言うほどには喧嘩のようには思えなかったのだが。前もっとヤバい嫉妬の嵐みたいな喧嘩というかすれ違いしてたし、それに比べたらこんなの屁でもないよね。まぁそれはともかくとして、これでなんとなくあらましを聞いたわけなんだが……。

 

喧嘩の原因俺じゃん。

 

とは言ったって……不可抗力だし俺は悪くないよな? 招いたわけじゃないし。あ、いやでも家に入れた時点で俺が悪いのかな。というか俺の何が悪かったんだ……。これ犯罪ならないよね?

 

刑法第二二四条 未成年者を略取し、又は誘拐した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。

 

あ、ヤバいかな。パソコンに表示された刑法の条文がものすごく厳しくこちらを見ている。いや、俺誘拐したわけではないね。自ら来てるし、てか押しかけてるし。

 

「ねぇ話聞いてる?」

 

「あ、ごめん聞いてなかった」

 

「ちゃんと聞いてよ! でねー、別にあたし雄緋くんの迷惑になってないよね?」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

まさかこいつ……自覚がないのか……?! たった今、現在進行形で、be動詞 + 〜ing形で俺の期末レポートというラスボスの討伐を邪魔しているというのに……。こいつ、何者なんだ……?!

 

「邪魔してないよね?」

 

「あ、うん。それでいいよ」

 

まぁ直前までやってない俺が悪いんですけどねー。

 

「えへへ、そうだよねそうだよねー! 日菜ちゃんは雄緋くんならそう言ってくれると思ってたよー!」

 

「これでいいのか……」

 

明らかに俺の返答妥協感満載だったよね? 『もういいや……』みたいな諦観が見え隠れしてたよね? 日菜が気にしないならいっか……。

 

「じゃ、じゃあ……そ、その。これからもあたし、この家来ても……良いよね?」

 

「え? まぁ、俺が居る時なら……」

 

「ほんと?! わーい! 雄緋くん大好きっ!!」

 

「おわっ?! いきなり飛びついてくんなぁっ?!」

 

炬燵に両足を突っ込んでいた俺に、ベッドの方から猫のように飛びかかってきた日菜。避けることもできずその飛び込む勢いに。

 

カチッ。

 

あ、なんかのキー押し

 

「あああああ?! 俺のレポートおおおぉぉぉあああ?!?!」

 

焦ってもう一回立ち上げたらちゃんと一時保存効いてた、良かった。……本当に良かった。数時間の努力が全部水の泡になるところだった。

 

「いきなり飛びついてきたら危ないだろ?!」

 

「ご、ごめんね……?」

 

「あ……、ごめんこちらこそ。強く当たりすぎた……」

 

俺に抱きつきながらもいつにもなくしおらしい日菜の姿に思わず俺も激しく自省する。快活な普段の姿からは想像もつかないほどに今の日菜には元気がなかった。

……そっか、そういえば元々大好きな紗夜と喧嘩して、家を飛び出してきてるんだもんな……。本当は俺がもっと大人の余裕で日菜を慰めるなり、助言を与えたりするべきなのに。

 

「……ごめんな日菜。困ったこととか、辛いこととかあったら、なんでも言ってくれたら、俺にできることなら何でもするから」

 

「……本当に?」

 

「本当だよ」

 

「……今、何でもって言ったよね?」

 

「……あ」

 

……ヤバい。

 

 

 

 

ヤバい。

 

終わったかもしれん。え、どんな要求来るんだ? 俺の人生もしかして詰んだ? いつものぶっ飛んだ日菜の思考回路なら、下手したら『じゃあ一生奴隷ね!』とかいう訳分からんお願いきてもおかしくないよね? あ、ていうか今の紗夜との喧嘩を鎮めてくれ、とか言うのがむしろ1番しんどいまであるかもしれない。

 

「じゃあその。……えい」

 

キョトンとする俺に、俺のすぐ隣の位置に入ってきた日菜は。

 

「このままちょっとだけで良いから、……慰めて?」

 

「……うん」

 

本日の日菜ちゃん。天使だった。

 

「雄緋くんのここ、あったかくて落ち着くんだよね……」

 

「そうか?」

 

「……うん。……えへへ、だーいすきっ」

 

やばい。照れる。

普段の日菜がこんなにデレデレすることないじゃん? 2人きりの時の日菜ってこんなにデレデレと甘えてくるのか。……堕ちそう。あ、でも紗夜に対して甘えるのとかと同じ感覚か? だとしたら俺は兄として見られてるのかもしれない。

 

アリだな。

 

「おにーちゃんって呼んでも良いんだぞ」

 

「……え? あ、いや、うーん。それは、ないかなぁ……」

 

「……調子乗ってすいませんでした」

 

めっちゃ引かれた。泣きそう。

 

「『おにーちゃん』は無いけど。か、彼氏とかなら……」

 

「彼氏?」

 

「……あたし聞いたんだよ? 彩ちゃんから」

 

「彩が?」

 

「この間のSNSの話とか。というか事務所でまるで惚気みたいに、めちゃくちゃ幸せそうにその話ばっかりするから」

 

「あいつ言いふらしやがった……」

 

そりゃ口止めなんてしてなかったけどね? 口止めしてなかったからこそSNSあげてプチ炎上したんですけど。

 

「あたしもそういうの、ちょっと憧れあるんだよね……」

 

「……日菜?」

 

それまではパソコンのレポートの安否だとか、そんな些細なことばかりに囚われて、全く意識していなかったのに。気がついたらものすごく近くに迫っていた日菜は頬を赤らめて恥じらいを見せながら、いじらしい目をこちらに向けていた。

 

「ねぇ……。ちょっとだけで良いから、目を瞑って?」

 

「……え、どういう」

 

「良いから。早く」

 

俺は薄々と次に起きることを予測しながら、半ば期待を持ってしまっている自分の愚かさを恥じながら、瞼を下ろす。そして。

 

「……え?」

 

「……ぷぷっ。引っかかったねー!」

 

「……え、いやいや、え?」

 

どういうわけか俺の両頬はピンと伸ばされた日菜の両の人差し指で押されて、凹んでしまっていた。

 

「ぷぷっ、変な顔ー! なになにー? 日菜ちゃんと何がしたかったのかなぁー?」

 

「おまっ、おまっ! 男の純情をっ!」

 

「純情ー? なにそれぇー?」

 

「絶対許さ、って、んっ……」

 

「んっ……んんっ……。ぷはぁ……。こういうこと?」

 

「……日菜?」

 

「えへへ。ありがと、雄緋くんのおかげで元気出たよ。これはそのお礼っ!」

 

「……どういう」

 

「よーし、あたしは帰っておねーちゃんに謝ってくるね!」

 

俺の疑問に答えるつもりはないのか、足早に炬燵から飛び出して、晴々とした顔を浮かべる日菜。部屋から出て行こうとしていた日菜が、少しだけ名残惜しそうに振り返った。

 

「……日菜」

 

「あたしの初めてだよ? 純情だもんねっ、じゃあね!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……という自慢を日菜からされたのですが。どういうことでしょうか?」

 

「すみません、全くもって正座をさせられている意味が分かりません」

 

都心では珍しく雪が降り積り、静かな一月の空が広がっている。

 

「私が日菜に怒ったのは、年頃の男性が一人暮らししているところに女子高校生がそうやすやすと訪れるのは倫理的によろしくないから怒ったのですが」

 

「え、それなら今の紗夜さんはいえなんでもありません」

 

一月。正月が明け、成人の日が過ぎ、高校生たちは大学受験が迫る。そんな季節。だが、俺はそんな時節との戯れをするでもなく、学生の本分に必死に取り組む季節なのだ。

 

……取り組んでいた、はずでした。日菜が怒涛の勢いで俺を甘い残り香で惑わしながら帰って行って、ようやく冷静になれたところで、今度は怒涛のピンポンラッシュが起きたんです。それで急いで玄関のドアを開けたら乗り込まれました。そして気がついたら正座させられました。さっきまで炬燵にいたので寒いということだけ言っておきます。

 

「というか、今の私は別に1人で来たわけではありません」

 

「へ? そうなの?」

 

「あたしもいるよー!」

 

開幕から怒りマックスだった紗夜さんの迫力に呑み込まれたからか気がつきませんでした。

 

「……そ、それで自慢が云々というのは」

 

「だから、日菜から自慢を受けたのですが、貴方は何をしているんですか!」

 

「えっ……、し、姉妹喧嘩の相談?」

 

「違うでしょう?! どこをどうしたら姉妹喧嘩の相談の最後にキ、キスをすることになるんですか!!」

 

「断じて俺からしたわけじゃないから!!」

 

これだけは声高に主張させていただきたい。風紀の乱れ? 言わんとするところはわからない、というわけではない。だが! 俺は! やってない!! って言いたいけど紗夜さん怖すぎて言えないです。

 

「まぁまぁおねーちゃん。本当は怒ってるんじゃないでしょ?」

 

「へ?」

 

「な?! お、怒っていますよ! 怒っているからこそココに出向いてまで叱りつけているんです!」

 

「えー、本当?」

 

「……何が言いたいの日菜」

 

声を荒げる紗夜をスルーして、どういうわけかこちらにとことこ歩いてきた。

 

「……ほらほら、おねーちゃん。素直になったらこういうことも出来るんだよ?」

 

「ちょ」

 

「日菜! やめなさい!」

 

「えぇ? 本当はおねーちゃんも、こんなこと、したいでしょ?」

 

「ちょ、日菜くっつくなって」

 

紗夜さんの眼光が修羅になっております。

 

「いいの? おねーちゃん。ここで素直になったら、雄緋くんにいっぱい抱きついたり……、もっとすごいことまで……」

 

「くっ……」

 

「……おねーちゃん。あたし、おねーちゃんと一緒に雄緋くんと仲良くしたいっ。……こんな我儘、ダメ?」

 

「日菜……。……雄緋さん。これはその……、指導! 指導のためですから!」

 

「え、俺指導される謂れなんて……ちょ」

 

「おねーちゃん、ここ、良いでしょ?」

 

「……悔しいですが、否定はしません」

 

「……えへへ、おねーちゃんも雄緋くんも大好きっ!」

 

「わ、私だって! その……大好きですから! ……ふ、2人とも」

 

姉妹喧嘩、終戦しました。めでたしめでたし。



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マトリョーシカ・ミッシェル【ハロハピ】

今回特に内容がカオスでちょっぴりホラーになりました。






俺は大学生バイトファイター、北条雄緋。

 

「ミッシェルー! 今日も風船配りお疲れ様!」

 

「わぁー! ミッシェルだ!」

 

「ほんとだ! やーいミッシェルー!」

 

偶然たまたま、晩御飯の買い出しのために家の近くの商店街を訪れた俺は、商店街の人たちみんなから愛され、時には子どもたちに戯れつかれ酷い目に遭いかけているこのクマ、ミッシェルの中から誰かが現れる現場を目撃した。あまりに衝撃的な、『ピンクのクマの中は人であった』という事実に衝撃を隠しきれず、動揺してしまった俺は、この光景を目撃したということを気づかれていないとたかを括ってしまった。油断しきってしまい、何も見なかったということにしてその場を立ち去ろうとした俺は背後から忍び寄るミッシェルに気がつかなかった。俺は視界の外からミッシェルに頭部を鈍器のようなモノで殴打され、目が覚めたら。

 

「ええええどういうことーーー?!」

 

体がミッシェルになってしまっていた!

 

ん? どゆこと? いや本当に、街中歩いてたら、路地裏に駆けていく怪しげなミッシェルを目撃して、それを興味本位で追っていたら急に意識がふーっと、消えていって、気が付かないうちに俺はミッシェルになってたんです。本当なんです。

 

「あら! ミッシェルだわ!」

 

「や、やぁ〜、ミッシェルだよ〜!」

 

「あれ、今日のミッシェルは声が変よ? 風邪かしら?」

 

ふざけてる場合じゃねぇ。どういうわけかどういう因果かどんな薬の作用かなんだか知らないが、気がついたら俺はなんとミッシェルに変身しているではないか。そして俺は超絶危険な状況に直面しているのだ。俺をミッシェルだと信じてやまない、穢れなき、笑顔を求める少女、弦巻こころがミッシェルのことを疑っている。

 

「あれ、こころ? ってええぇっ?! なんでミッシェル?!」

 

「あら美咲! ミッシェルの声が変なの! どうすればいいのかしら?」

 

「ちょ、ちょーーーっとこころ?! ミッシェル借りてくねぇーー!!」

 

「お、お、おわあああっ?!」

 

「え、えぇ。……変な美咲ね?」

 

俺は着ぐるみを着ているというのに、無茶な全力疾走を強いられている。そして商店街からの奇怪なものを見るような好奇の目線に晒されながらも、無駄に重たい足をなんとか走らせ、俺を路地裏に連れ込んだところで美咲はようやく足を止めた。

 

「なんで?! ミッシェルはあたしのはずなのに?! 誰?! 誰!!」

 

「俺!! 俺です!! 北条雄緋です!!」

 

「へ、へ? 雄緋さん? ……何してるんですか?」

 

「目が覚めたら……体がミッシェルになっていたんだ!」

 

「……は?」

 

いやそりゃ分からんよな……。こんな説明されて信じられるわけないよな……。

 

「というかそれあたしのミッシェルですから! 早く脱いでください!」

 

「今人いない?」

 

「大丈夫ですから! あたししか居ませんから!」

 

「よし……ん、あ、あれ? んー! んー! ……抜けない」

 

「は?」

 

俺は力一杯……といってもミッシェルの手だからちょっとモフってしてるけど、そんはこんなでどうにかして頭に被っているはずの着ぐるみを脱ごうとしたんだ。けど、どういうわけかどんだけ頭を振ろうと、外そうとしても、頭につけられたクマの頭部は脱げそうにない。

 

「あ、頭が無理なら胴体からでもいいです!」

 

「どうやって脱ぐんだよ?!」

 

「あーもう! ……よいしょ!! え……あれぇ?」

 

「……脱げないんだけど」

 

「……どういうこと?」

 

「こっちが聞きたい」

 

なんてたって俺が気絶しているところから目が覚めたら、俺はミッシェルの着ぐるみに包まれていたんだからな。

 

「というか! 俺を気絶させて着ぐるみ着せたの美咲だろ?! なんとかしろよ!」

 

「え、ええっ?! あたし知らないんですけど?!」

 

「へ……? ……まじ?」

 

「マジ」

 

「……じゃあ一体誰があの時このミッシェルから出てきたんだ」

 

「訳わからないこと言ってないで、早くしないとあたしバイトの時間になりますから! 早くミッシェル返してください!」

 

「返せなんて言われても脱げないんだよ!」

 

そんな押し問答の末なんとかミッシェルの着ぐるみを剥がそうとした俺たちだったが、どうにもこうにもこの着ぐるみを脱ぐことは叶いそうになかった。

 

「ほんとどうなってんの……」

 

「こっちのセリフなんだけど……」

 

「というかあたし、これからミッシェルになってバイトあるんですけど、雄緋さんが着てるからどうしようもない……」

 

「……え。俺このままだともしかしてミッシェルとして生きていくの?」

 

「そりゃあ……脱げないんですもん」

 

「嫌すぎる」

 

「というかあたしのバイト代わりにやってください」

 

「え……あんなアクロバティックなの?」

 

俺の問いかけにコクコクと頷く美咲。だってこのミッシェル……結構着ぐるみにしては激しい動きしてたよね? さっきとか走るだけで一苦労だったのに……。

 

「なんでなんとか脱ぐ方向で考えないんだ……」

 

「そりゃああたしだって脱がせたいですよ?! ぜ、絶対あたしのニオイとかしてるじゃないですか……」

 

「あ……ほんとだ」

 

「ぎゃー!! 嗅がないで嗅がないで嗅がないでーーー?!」

 

「揺さぶるなぁ?!」

 

視界がガクンガクンと揺れる、ってか視界ほとんどないけど、真正面以外マジで何も見えない。とにかく酔いそう。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

「息切れるほど暴れるなよ……。……というかさ、バイト代わるって言っても、動きもそうだけど、声とかどうすんだよ」

 

「そういやさっきこころにもバレかけてたなぁ……」

 

「……腹話術とか」

 

「無茶言わないでください」

 

「えぇ……」

 

俺の隣に美咲がつきっきりで腹話術してくれたらなんとか今日ぐらいは乗り越えられそうなのに……。いや、俺はその先もミッシェルとしての生を受けるだなんて絶対嫌だけど。というか、暑い。1月なのにめちゃくちゃ暑い。

 

「……と、とにかくバイトまでになんとかしなきゃ」

 

「バイトって何やってるんだ?」

 

「一応風船配りとかですけど……。……このまま出られなかったらあたしの代わりにハロハピでDJやって貰いますからね」

 

「はぁっ?! ……なんとかして脱出する方法を」

 

「こっちから声した? って、あっ!! ミッシェルーーー!」

 

「ぇ……、はぐみ?!」

 

「あれ? みーくんもだ。こんな暗いところで何してたの?」

 

しまった……。あまりの絶叫具合に路地裏だったココも見つかってしまって、よりにもよって現れたのははぐみだった。

 

「あれ? というかミッシェルとみーくんが一緒にいるの珍しいね!」

 

「……へ?」

 

「あーーー! ちょーーーっとだけ待っててねーーー?!」

 

俺はさらに奥に連れ込まれ、俺の耳があるあたりで美咲が小さく話し始めた。

 

「あの、はぐみだけじゃなくてこころとか薫さんもなんですけど、ミッシェルの中があたしってこと、知らないんです」

 

「……はぁ?」

 

いやいや、いっつもバンド活動やってるよね? 5人で仲良く遊んだりしてるんじゃないの? と聞くと、どうやらそれにも関わらず、その3人は着ぐるみの中の存在ということを認識していないらしい。

 

「子どもたちの夢を守るのと一緒だと思って、絶対にミッシェルの中に人がいるってバレないようにしてくださいね?!」

 

「わ、分かった! 分かったから!」

 

「絶対ですよ?! 約束ですからね!!」

 

「みーくん? どうかしたの?」

 

「いーーーやなんでもないよーーー?!」

 

とにかく、どうやら俺自身はミッシェルという1つの知性を有する存在として振る舞うことが求められるらしい。ふとした時に油断してバレてしまいそうなので、ミッシェルの着ぐるみが取れない以上、自己暗示をかけることにした。

俺はミッシェル。

俺はミッシェル。

俺は北条ミッシェル。

あっ、違う。ミッシェル。ミッシェル。ミッシェル。

 

「あ、そーだミッシェル! こころんがこの後ライブしようだって!」

 

「ゲリラライブ?!」

 

「ゲリラライブミッシェーーー?!」

 

「ぶふぉっ! ちょっ、雄緋さん! ミッシェルはちゃんと日本語喋れますから! 語尾もそんなんじゃないですから!!」

 

「え? 雄緋くんもいるの?!」

 

「あーーー違う! 違うからはぐみ!! 雄緋さんが居たらなぁってぇっ!!」

 

「そ、そうだよぉ?!」

 

「あーそっかぁ! みーくん雄緋くんのこと大好きだもんね!」

 

「はぁっ?!」

 

「ちょぉっ?! よーーーしはぐみ! こころのとこ行こ! 早く!! あたしたちも後で行くから!」

 

「え、わわ! 待ってるからねー!」

 

そんな狂気のような会話の末に裏路地からはぐみが駆けていく。その場に奇妙な空気感の中に漂う着ぐるみの中のものたち2名。

 

「あの」

 

「何も聞いてない。いいですね?」

 

「あっ、はい」

 

俺はミッシェルとしての行動の基礎と原則を叩き込まれました。

 

 

 

突如として商店街の広場に作られていた特設のステージ会場。……さっきまでなかったよね? 俺たちを見つけた花音が驚きの目線で近づいてきた。

 

「え、え……。美咲ちゃんが……2人?」

 

「花音さん! 違うんです! 実はミッシェルの中身が……」

 

美咲が必死に事情を説明しようとしてくれるのだが、花音の方から向けられる目線は。

 

「……美咲ちゃんの中に、雄緋くん?」

 

「全然違います!! ミッシェルはそもそもあたしじゃないんです!!」

 

今日の総括としてはみんな混乱し過ぎて、もはや何が正解なのか誰一人として分かってないってところですね。うん。

 

「と、とにかくですね! 今日のところはライブは雄緋さんに任せようかと……」

 

「え、えぇっ?! だ、……大丈夫?」

 

「音源はなんとか……、だから今日のミッシェルはDJじゃなくて、完全に子どもたちを喜ばせるパフォーマーとして……」

 

「頑張ります」

 

「え、えぇ……。う、うん。頑張ろう……ね?」

 

なんかちょっと視線が冷たい気がする。俺だってミッシェルやりたくてやってるんじゃないんです。謎の着ぐるみの者にこんな体にされてしまったんです。

 

「あっミッシェルが来たわね!」

 

「こころちゃん?!」

 

「あ、花音さん! いつも通り! お願いしますね!」

 

「う、うんっ! 任せて!」

 

「おや……ミッシェルと美咲が並んでいるだなんて、珍しいこともあるものだ……」

 

「薫くんもそう思うよね?」

 

花音や美咲と粗方の打ち合わせのようなものを終わらせ、ステージ裏の方へ向かうと、どういうわけだかハロハピのメンバーはみんな集まっていた。

 

「あはは、あたしもミッシェルと遊んでみたいかなー? なんて……」

 

「子猫ちゃんのように戯れる美咲も、それは儚くて、いいものだね」

 

「……はぁ」

 

目に見えてため息をつく美咲だが、美咲の言う通り『3バカ』はどうやら本当にミッシェル=美咲、の方程式に気が付いていないらしい。

 

「さぁっ、みんな行くわよ!」

 

そして俺たちはステージへと駆け出す。観客席で無事を見守ると言った、美咲を残して。

 

 

 

 

 

 

ライブのエンディング。台の上に立ったミッシェルはポージングを決める。

 

「……はい!」

 

そして音がなり終わり、拍手が鳴り響いた。その瞬間だった。

 

「あっ、ミッシェル?!」

 

バランスを崩した俺は思わず、上半身でバランスを取る。そして誤って、着ぐるみの頭部を掴んで。

 

スポッ、と何かが抜ける感覚がした。

 

「あ、やば」

 

「雄緋さん?!」

 

遠くから俺の本体を知っている美咲の声が聞こえる。走馬灯だろうか。

あぁ、俺はきっと、沢山の子どもたちが見守る中で、そのクマの見せる幻想を、夢を壊してしまったんだ。

あぁ……。やってしまった……。

 

バタン。頭の着ぐるみが取れる感覚とともに、完全にふらついた俺は地面に叩きつけられた。なんだか顔もスースーする気がする。きっと子どもたちに、

『着ぐるみの中は人がいる』という悲しい現実を教え込んでしまったのだ。

 

「み、ミッシェル?! 大丈夫?!」

 

こころの声が響く。あぁ、こころにもバレてしまったか。美咲との約束、守れなかった。……美咲、本当にごめん。

 

「え、う、うそ」

 

驚愕の表情を浮かべたこころ。それもそうだろう、ずっとミッシェルはミッシェルであると信じてやまなかったこころが現実を知ってしま

 

「ミッシェルからさらにミッシェルが出てきたわ! どういうことかしら!」

 

「……え?」

 

俺は訳がわからず、自分の両手を顔の方に当てる。外れて無くなっているはずの着ぐるみの頭部。……あれ、あるぞ、モフモフしてるぞ。というか視界もまだ狭い。けど、あれ、狭い視界の端っこにはミッシェルの頭だけが。

 

「なんということだ……。ミッシェルは、脱皮をしたんだね、これが成長、進化……。……儚い」

 

「は、はぁっ?!」

 

ミッシェルはクマなんだから脱皮しないだろとか、そんなことはどうでもいい。俺は子どもたちの夢を守れたんだ。俺はミッシェルになれたんだ。

 

俺が……本当の、ミッシェル……。

 

 

 

 

(ゆめ)のような時間はあっという間に過ぎていった。

(じゃ)れつく子どもたちに希望を与えられて本当に良かった。

なぜだろうか。俺は達成感に包まれ、思わず涙が溢れた。

いや、正直クマから人に戻る喜びで泣きたかったけど。

ようやくこれで、俺の使命は、終わりを告げたんだ。

 

 

次々とミッシェルが走馬灯の如く脳裏を駆け巡る。

はっきりと俺の耳には祝福の声が響いていた。

おかしいな、嬉しいはずなのに目から汗が。

前から思ってたけどこのクマ過重労働すぎるもんな。

だけど、これで、俺はミッシェルから解放され……。

 

 

 

 

 

ませんでした。

あ、ちなみにガチで元の姿に戻れなくて、3日ぐらい引き篭もってたら、その次の日の朝ぐらいにちゃんと元に戻れました。バイトファイター? 当然バイトはブッチです。だって俺はミッシェルだぞ。

それはそうと、今更だけど美咲じゃないなら誰だったんだろなあれ。夢だったのかな? まぁまさか、……ね? 俺が本当にミッシェルなはずがないし。ミッシェルの中に人がいる訳ないもんな。

 














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赤メッシュの悩み事【アフロ】

赤メッシュ、悩みます。




どうも、ミッシェルです。間違えた、北条雄緋です。あれ以来、たまに夢の中でミッシェルとなって活動していることが増えました。現実では着ぐるみなんか着ているはずないのに、なぜだか着ぐるみの中にいるような錯覚すら覚えるようになりました。病院行こうかな。

 

……と、そんな幻覚症状を引き起こすような精神疾患? のようなものに悩まされる以上に、心労が祟っている少女がここに1人。

 

「……あたし、何が悪かったのかな」

 

「……さぁ?」

 

夕陽を反射して燦く水面を前にして、土手で憂鬱に浸る少女。その隣に腰を下ろして悩み事を詳らかにしていく男。エモいな。エモいけど、実際当事者になってみると、結局お前は一体何で悩んでいるの……? という俺とはかけ離れた世界に住んでいる少女の悩みへの俯瞰的で冷ややかな感想を抱くほかなかった。

 

「ひまりがさ、みんなのためを思ってあたしに怒ってくれたってことも、分かるんだけど」

 

「うん」

 

「あたしだって、本当は、……何にも疎かにしたくない」

 

「そっか」

 

「Afterglowも、みんなとの関わりだって、……勉強は、できないかもだけど」

 

「おい」

 

「……華道も、……やらなくちゃいけないなんてこと、……分かってる。あたしがやりたいことばっか、あたしの意見ばっか通るわけじゃないってこと、痛いほどわかってる」

 

反抗期を僅かに過ぎた赤メッシュ。何事も上手くいかない現実に反抗することでどうにか自我をギリギリに保とうとする、複雑な心情を言葉にすることなんて、あまりにも難しいはずなのに、蘭は自分の悩んでいることを全て、どうにか言葉にして伝えようともがいていた。

 

「……あたし、どうすれば良かったんだろう」

 

「うん。で、なんでひまりが怒ったのか、何があったのか、いい加減教えてくれよ」

 

「……あたしね、Afterglowのみんなに、本気で感謝してる」

 

「……はい」

 

なんか語り出した。

 

「Afterglowがなかったらきっと、あたしはクラスにも馴染めないままにただの不良になってたし、幼馴染のみんなとも、もっと疎遠になってた」

 

「まぁ、クラスも1人だけ引き離されてたもんな、色々と」

 

蘭は幼馴染5人の中で1人だけクラスを引き離され、クラスの中でも浮いた存在となってしまい、授業をサボって屋上でつまらない時間を送るしかない、という状況をすら生きていたのだ。

 

「うん。だから、……あたしにとって、Afterglowは、宝物だから」

 

「蘭にとっては、大事なものってことだよな」

 

「大事なものなんてレベルのものじゃない。……何よりも大事だから」

 

「そっか……」

 

「……あたし、何が悪かったのかな」

 

「だから何があったんだよ」

 

「……モカはね、いつも話聞いてないような顔して、けどいつもあたしが本当にしんどくなった時には、あたしのそばにいてくれた」

 

「まぁ、モカと蘭ってめちゃくちゃ仲良いよな」

 

蘭とモカは幼馴染が云々とか通り越して、一種のカップルなんじゃなかろうか、と思うほどの心の通わせ方をしている。別に他の幼馴染との繋がりが薄いだとか、そういうわけではない。例えば。

 

 

『蘭〜、何か悩み事〜?』

 

『べ、別に悩み事なんてほどじゃ』

 

『でも蘭が悩んでる時は、モカちゃんのセンサーがすぐに反応するからわからんだよー?』

 

『……モカって優しいよね』

 

『おっ? あたしの優しさにようやく気づいたの〜? 蘭にだけだよ〜』

 

『……モカぁ』

 

『よしよし……』

 

 

尊い美しい友情、儚い。

というか普段は人前では気丈に振る舞うことも多い蘭が、モカに泣きつくなんていうのは想像もつかないかもしれない。俺もまさかモカから隠し撮りの映像を見せてもらうまで信じられなかった。

 

「モカは、あたしにとって1番の大親友だから」

 

「そっか……」

 

「……あたし、何がいけなかったんだろう」

 

「だから何があったって聞いてるの聞こえてる?」

 

「……ひまりはね、みんなの空気が悪くなった時も、ムードメーカーでいてくれた」

 

「また何か始まった……」

 

 

『蘭! 巴も! そんな喧嘩ばっかしてても仕方ないじゃん!』

 

『だって蘭がいくら言ったって聞かないからだろ?!』

 

『はぁ?! 巴だってあたしの意見何も聞いてくれないじゃん!』

 

『け、喧嘩はやめてよ……』

 

『そうだよ蘭、トモちんだって』

 

『モカは黙ってて!』

 

『……ごめんね』

 

『も、もう! 2人が喧嘩辞めてくれないなら……!』

 

『ひ、ひまりちゃん?! 何しようとしてるの?!』

 

『……ヤケ食いする!! Afterglowがおデブ集団って呼ばれるぐらい太る!』

 

『ぶふっ! ちょやめなってひまりっ』

 

『ぷっ……、あはは! ……なんか喧嘩してるの、馬鹿らしくなってきたよ。ごめんな蘭』

 

『あ、あたしこそ……ごめん』

 

『おー、ひーちゃんがこの場を鎮めた……』

 

『ありがとうひまりちゃん……』

 

『え、へへ……。よーしっ! ライブも近くなったし頑張ろうね! えいえいおー!!』

 

『……』

 

『なんか言ってよぉ!!』

 

 

「ということがあって」

 

「お前らでも喧嘩するんだな」

 

いくら仲の良い幼馴染5人で組んだバンドだと雖も、やはり意見が食い違うことは起こりうるのだろう。しかし、そんな衝突も彼女たちが本気で音楽に取り組んでいるからこそのモノなのだ。そして、そんな本気の意見のぶつかり合いで、仲を崩壊させないようなムードメーカーとしてのひまり。

 

「……あいつも頑張ってるんだよな」

 

「……当たり前でしょ。あたしたちは5人でAfterglowだから」

 

「カッコいいな、そういうの」

 

「……あたし、何が悪かったんだろう」

 

「早よ何があったか言えやぁっっ?!」

 

「巴はね。ああ見えて、本当は繊細なんだ」

 

「また無視しやがるこいつ……」

 

 

『おい蘭。ラーメン食べに行こうぜ!』

 

『また……? 今週3回目じゃん……』

 

『いーだろー? 駅前のあそこのラーメン美味いからな!』

 

『いやいや、ラーメン自体を食べたくないんだって』

 

『……蘭、ラーメン嫌いだったのか……?』

 

『……え? いや、ちょ。あくまであたしが言いたいのはそろそろ何か別のものを食べたいなってだけであって』

 

『……ごめん。嫌なのに、誘っちまって……』

 

『……巴! あたし、ラーメンは、正直飽き始めてるけど、巴と、ご飯行きたい』

 

『……本当かっ?! アタシと飯行くの嫌じゃないかっ?!』

 

『あ、当たり前でしょ! ……だって、巴と行くご飯、美味しいし、楽しいし……』

 

『……ありがとうな、蘭っ。……それじゃあ、行くか!』

 

『……うんっ』

 

 

「このあと、豚骨は飽きただろうからって醤油ラーメンの美味しい店に連れてかれた」

 

「……大変だったな」

 

「……もう暫くラーメンは良いかなって」

 

でしょうね。

 

と、そんなたわいもない話で盛り上がっていた夕暮れの土手っ原に新たな影が伸びた。俺たちは揃ってそっちの方を見る。

 

「つ、つぐみっ?!」

 

「よかった蘭ちゃんっ。ここにいたんだ……。それに、えっ、雄緋さんも?」

 

「どうも」

 

「……つぐみ。その、ごめん」

 

「……ううん。良いんだよ。ひまりちゃんも反省してたから、みんなのとこ「つぐみはね、どんな苦しい時でも、いつも直向きに頑張ってくれるんだ」……へ?」

 

「あー。こうなったら蘭はもう止められないよ」

 

俺は突然語りが始まって、困惑するつぐみの肩に手を置いて、その語りに耳を傾ける。

 

 

『つぐみ、大丈夫? 疲れたなら休んでも……』

 

『大丈夫だよ! 私が1番っ、下手くそだから……』

 

『そんなこと……』

 

『でもつぐ顔色変だよっ! 休もう? ね?』

 

『……うん』

 

あたしやひまりの声かけもあって、一旦全体の練習を止めて、休憩しようって、つぐみのことをラウンジの方に誘ったんだよね。けど。

 

『大丈夫……ちょっとだけ1人にさせて?』

 

『つぐがそう言うなら……。でも、無理するなよな?』

 

きっと心を落ち着けたいんだろうと思って、スタジオでつぐみを1人にさせて、あたしたちが少しして帰ってきたら。

 

『ってつぐ?! なんでっ』

 

『……えへへ。出来る様になったよっ!』

 

『……つぐってるねぇ』

 

 

「ちょ、ちょっと蘭ちゃんっ?!」

 

「……あたしたちはいつも、つぐみの頑張りに支えられてるから、ありがとう」

 

「は、恥ずかしいからやめてぇ……」

 

一通り語りを終えると、蘭はまたも後ろの草むらに手をつきながら、遠くに見える夕陽と川を眺めて、少しして目を閉じた。そして、少しだけ微笑むと、またも真顔に戻り、空を仰いだ。

 

「あたし、どうすれば良かったんだろう」

 

「だから何があったか言えやぁっっ!?」

 

俺の全ての想いを込めた叫びは水面を飛び越え夕陽へと飛んでいった。

 

 

 

「……それじゃあ蘭ちゃん。みんな待ってるから、って……え?」

 

つぐみが座り込んだ蘭に手を伸ばしていたら、後ろの方からさらに影が伸びてきた。その3つの影はみんな蘭が大切な思い出を紡いできたパートナー。さっきの話を聞くと、この幼馴染の間に繋がれた友情は決して崩れることのない、尊いもののように思えてくる。

 

「蘭だけじゃなくてゆーひくんもいる〜」

 

「げ……。……ま、まぁ良かった、蘭っ。心配したんだぞ?」

 

「みんな……。……ひまり」

 

喧嘩をしていた、ということらしいひまりと蘭があい見える。けれど、さっきの蘭からのみんなへの愛を聞いていれば、きっと何事もないのだろう。俺の心は少しだけホッとした。

 

「……その蘭。ごめんね。私、蘭のこと、何も考えてなかった」

 

「そんな。あたしだって……ひまりの好意、無碍にしちゃって……だから、ごめん」

 

そうして、蘭はひまりの方へとゆっくりと手を差し伸べた。ああ、美しい友情。きっと、これがAfterglowの強さなのだろう。……俺の場違い感やべぇ。

 

「……その、雄緋さん」

 

「ど、どうした蘭?」

 

「あたしの悩み。聞いてくれて、ありがとうございました。なんだか、スッキリした気がします」

 

「力になれたなら何より?」

 

いや悩み聞いてないんですけど。聞きたい。ものすごく聞きたい! たしかに蘭の話、というかもうただの一方的な語りだったけど、それなら嫌と言うほど聞いたけど、肝心なところを聞いてない! なんで俺はここで蘭の話を聞かざるを得なかったのか、その本当の核心を聞いていないんだ。俺の心がその核心を知りたがっているんだ。

 

「それで、雄緋さん。聞きたいことがあるんですけど」

 

「聞きたいこと? って……?!」

 

蘭が口を開き始めた瞬間、それまで仲睦まじい、仲直りしましたっ、て感じの空気だったのが一瞬で張り詰める。みんなの視線が、5人の視線が何故か全部俺の方に向いた。

 

「雄緋さんって、Sですか? Mですか?」

 

「……は?」

 

「だから、Sですか? Mですか?」

 

落ち着け。蘭が尋ねていることは、俺がSであるか、Mであるか。うん、分からん。何がどうなった? 俺の耳はどうやら幼馴染感動ストーリーを聞きすぎた結果エントロピーがあまりに増大して機能停止したらしい。

 

「蘭〜。それじゃ意味が伝わってないよ〜」

 

「モカ……」

 

「うん、意味がわからん。服のサイズ?」

 

俺がそんな惚けたことを言うと、白けた目線が飛んでくる。あぁ、嫌な予感というのはいつの時代も、どんな場面でも当たるものらしい。

 

「ゆーひくんってサド? マゾ? どっちですか〜?」

 

「ノーマル」

 

「ほぅ」

 

「どっちか! どっちかで答えてください!!」

 

「えっ、ええっ?! なんでそんなこと聞くんだよ?!」

 

ひまりの突然の大声に俺はビビり散らしながら、少し仰反る。

 

「アタシたちにとって何より大事なことなんです! 答えてください!」

 

「え、ええっ?! そんなこと考えたことないから!! ってか考えたことあっても言わねぇから!!」

 

「なるほど、マゾヒストなんだねぇ」

 

「違う!!」

 

どういうことでしょうか。俺はね、最初はこんな夕陽差し込む川沿いに腰を下ろしながら可憐で繊細な少女の悩みを聞いていただけなんです。俺の方が人生経験長いし、きっと力になれるかな、なんて思いながら相談に乗ろうとしていたら。

俺は性癖を詳らかにされていました。しかもちょっとアレなやつ。え? というかこの子達、なんでこんなしょーもない話の内容聞くのに必死なの? まさか。

 

「なぁ。……ひまりと蘭が喧嘩してたのって?」

 

「私は絶対Mだと思ったのに、蘭がSだって言うから!!」

 

「こんなの絶対ドSでしょ! 顔とか行動が物語ってるじゃん!」

 

「はぁぁぁぁっ?!」

 

え、ということは俺、まさか自分の性癖に対する考察の末の意見対立を収めるために必死に相談に乗ってたの? 俺が仮にここでひまりの意見に賛成なんかしてみた日には、蘭はずっと俺に対する認識が実態と正反対の人に慰められてたってことになるけど。

 

「アタシとひまりとモカはドMって意見なんですけどね! でもつぐと蘭はドSだって」

 

「だ、だって雄緋さんちょっと強引に押し倒したり……」

 

「しない!! しないから!!」

 

つぐみはどうやら俺に対してあらぬ欲望というか、妄想の姿としての期待を抱いているらしい。しません。だって、だめじゃん。

 

「ええ〜、だってゆーひくん、この間あたしとリサさんでキスした時もやられっぱなしだったじゃないですか〜」

 

「……はぁっ?! モカっ!! き、き、キスしたのっ?!」

 

「ちょっと!! その話詳しく!!」

 

先程まで幼き頃の日々から美しい友情を築き上げて、それをバンド、音楽という形で昇華していたこの5人の少女たち。その尊さは他者に互いのメンバーの良さを語るほどでした。

しかし、

な ん と い う こ と で し ょ う 。

意見が分裂した5人の穢れなき純情な少女たちは、匠の手によって、すっかり変態的な欲望取り巻く人格へと生まれ変わりました。以前から抱えていた、本音を打ち明けられない場合での衝突という問題点も、匠の技がこれでもかと言うほどに加えられ、互いの欲望を見せ合うことで、全て劇的に解決したのでした。

 

「ずるいぞモカ! 抜け駆けなんて!」

 

「ふっふー。ゆーひくんとのキスは、山吹ベーカリーのチョココロネよりも甘くて美味しかったよ〜」

 

「ゆ、雄緋さん! 私ともしてください! ライバル店の研究のために!!」

 

「業種違うだろ! 適当な理由付けすんな!!」

 

「というかやっぱり私の言う通り雄緋さんはMじゃん!!」

 

「は、はぁっ?! 違うでしょ! 絶対雄緋さんはドSだから!」

 

「それは蘭の願望でしょ! 蘭が、雄緋さんに壁ドンされたまま強引にキスされたいって妄想とかしてるからでしょ!!」

 

「は、はあぁぁぁっっ?! ち、違うっ、違うからぁぁぁっ! されたいけど違うからーー!!」

 

俺は悲しい。彼女たちがこんな欲望まみれになってしまっただなんて。

 

俺は悔しい。……こんなしょーもない喧嘩の慰めに小一時間付き合わされたなんて……。



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甘い恋人役を【彩&千聖】

「私が今度出る舞台なのだけれど、あまりイメージが掴めないのよね」

 

「まぁ俺に言われても演者じゃないから分からないけど、そういうの難しそうだもんな」

 

「私も今度お芝居の役を貰ったんだけど、そんなに経験がないからわからないんだよね」

 

「そうかそうか。千聖に教えて貰ったら良いんじゃないか?」

 

適当にあしらってるんですけど、ちなみに今ここ、自宅です。またかよと思った? 俺の方がもっと呆れてるから大丈夫だよ。

 

「それで、イメージが掴めないから、実演してイメージを湧かせようと思うの」

 

「大変だな。薫とか仲良いんだからお願いしてみたらいいんじゃないか?」

 

「いきなり千聖ちゃんからプロの指導を受けるの怖いから、どんな風になってるかってことを素人目線でもいいから聞きたいかなって」

 

「俺何にも分からないから、そんなんより千聖からアドバイス貰った方がいいって、何事もチャレンジチャレンジ」

 

「「ちゃんと話を聞いて!!」」

 

「うるせぇ!!!!」

 

今日は休日です。やっと訪れた、心の落ち着く日なのです。朝起きました。

 

……なぜかすでに家の中に2人いました。いやこえぇよ。

 

「とりあえずお前ら2人が演技? 芝居? か何かで困ってるということよく分かった」

 

「なら話が早いわね。早速」

 

「待て、俺には聞かなきゃいけないことがあるんだ」

 

「聞かなきゃいけないこと?」

 

「……なんでいんのお前ら?」

 

いつもと違って、今日はインターホンが鳴って家に迎え入れたとかそういうわけではない。詰まるところだ、俺が言いたいのは今日は俺には何の落ち度もないんだ。気がついたら、目が覚めたら、こいつらがいたんだよ。普通にホラーとかそういうレベルですらないんだよ。

 

「なんでってそれは当然合いk「ふふっ、彩ちゃん。寝ぼけた雄緋が優しく迎え入れてくれたのよね?」うんっ!」

 

「……そっかぁ」

 

存在しない記憶。脳に流れ込んで……きません。だってないもんはないもん。

 

「もう何も言うまい……。なんか、変なことはしてないよな?」

 

「変なことって何かしら?」

 

「お金盗ったりとか、部屋を物色したりとか」

 

「そんな犯罪みたいなことしてるわけないじゃない」

 

不法侵入は犯罪ですよ? いやまぁ、言ったところで多分何の悪気もなくきょとんとした顔されるから。腹立つ、可愛いけど。

 

「えっ、千聖ちゃんさっき雄緋くんの寝顔スマホで」

 

「は?」

 

「彩ちゃん。後で送っておくわね?」

 

「え、いいの?! ありがとうー!」

 

盗撮は犯罪ですよ? いやまぁ、もうね、俺は悟った。俺にプライバシーはないんだって。

知 っ て た。

てかせめて俺の知らないところでそんなやりとりしてくれ。知りたくはなかった……。

 

「あら、雄緋も欲しいかしら?」

 

「要らないです」

 

「本当にいいの? 可愛い寝顔」

 

「要らないです!」

 

「彩ちゃんの寝顔は?」

 

「欲しいです! 間違えた、ください」

 

「え、千聖ちゃんそんなの持ってるの?!」

 

間を置かずに俺のスマホに通知が来ました。眼福。生きてて良かった、ありがとうございます。

 

「ふふっ、そんなの持っているわけないでしょう?」

 

「そ、そうだよね……良かったぁ」

 

「……ふふっ」

 

「……それはさておき。何の用でしょうか」

 

「え! それはもちろん雄緋くんとお芝居の練習だよっ」

 

「うーん、訳がわからない」

 

俺別に俳優とか、そんな異色の経歴を持つとかそんなんじゃないよ? ごく一般的な男子大学生です。どうしてそんな俺とお芝居の練習をしようという発想になったのか。

 

「まぁ、この家に私たちが来た時点で、貴方に拒否権はないけれどね」

 

「ですよね」

 

なんでそんな堂々とこの家に来たこと……というか不法侵入したことを誇れるのであろうか。そんな疑問は露と消えてゆく。もう諦めてるからね。実はこれは本質情報なのですが、諦めることができるようになると人生で目の前に立ち憚る恐ろしく不思議な出来事も、珍紛漢紛な難題もなんとかなるようになります。

 

「まぁいいや。それで、お芝居って何の練習?」

 

「えっと。『恋人同士がベッドの上でイチャイチャする』シーン「却下」」

 

「えっとね、『ほぼ人類が死滅した地球が滅ぶ最後の1日に生き別れの腹違いのお兄ちゃんと20年ぶりに再会した妹が無駄ということを理解していながらも最期の思い出を地球に刻み込むために涙を流しながらお兄ちゃんの欲望を全て受け止めて体を重ね合う』シーン「却下」」

 

「お前らの舞台どうなってんの? というか彩のめちゃくちゃ重たい設定は一体どういうこと? もう何がなんだか分からなかったんだけど」

 

「……このシーンを練習するなら雄緋しかいなかったのに」

 

「えぇ……」

 

というかもう内容がR-18ギリギリもギリギリじゃん。どうなってるの? というか千聖はさておき彩はそんな目に見えて落ち込まないでくれ。なんかこっち悪いことは何もしてないし落ち度すらゼロのはずなのにこっちが悪いみたいに感じるから。

 

「そ、そんな……私にとってお兄ちゃんみたいな人って雄緋くんしか思いつかないよ……」

 

「そんなぽんぽんいたら怖いけど。というかこの間『お兄ちゃんって思っていいぞ』みたいなの日菜に言ってドン引きされたこと思い出すからやめろ」

 

「……ダメ? お兄ちゃん」

 

 

 

ぐはっ。

 

彩みたいな妹を一杯撫で撫でしたいという欲望が溢れ出るところだった。

……いや色々と発言振り返ったら俺がキモかったけど。まぁそれはいい。閑話休題。

 

「色々言いたいことはあるけどさ。……なんでそんなシーンばっかりなの? 方向転換か何か? どういう仕事取ってきてるの?」

 

「それを言わせるだなんて……雄緋のヘンタイ」

 

「疾しいことやってる反応だよ? そういう理解でいいのか?」

 

「あら、私が体を許したのは雄緋にだけよ?」

 

「身に覚えがありません」

 

「えっ、雄緋くんと千聖ちゃん、そういう関係なの?!」

 

「身に覚えがありません。違うから!」

 

「あら、本当のことを言っても問題ないわよ?」

 

「問題大アリだよ! 嘘しかねぇから!」

 

というか彩、信じるな。ふつうに考えてありえないだろうよ。

 

「と、とにかく! 私たちは雄緋くんとイチャイチャしたいんだよ!」

 

「包み隠さず言うなよ!? オブラートに包め!」

 

というか絶対本心出てるじゃん。本心だったとしてもその想いは胸にとどめておいて欲しいけど。

いやね、逆張りしてるとか、そう言う訳じゃないんだよ。そりゃあ俺だって、可愛い子から好意を寄せられるのは嬉しいよ? なんか最近キスされることも増えたし、反省はしている。けどさ、みんな高校生とかなんだよ。なんか……あかんやん? 手を出したら、やばいやん? 倫理あるから、体が倫理に縛り付けられてるんだよ。

 

「それじゃ早速、始めましょうか。ベッドシーンから」

 

「おい待て話を進めるな!」

 

「ほらほら、早く!」

 

「あら彩ちゃんも手伝ってくれるのね、ありがとう」

 

「くっ……一回だけだからな」

 

倫理観? そんなもの無駄です。無理が通れば道理がひっこむって言うでしょ? つまり、そういうことさ。

 

「ほら、こっち来てよ」

 

「なんでベッドインしてるんだろ俺……。というか、台本は?」

 

「あらそんなのある訳ないでしょう?」

 

「えぇ……」

 

虚無。いやだって、こんな経験ないし何をどうし

 

「緊張しないで? 貴方は私の言う通りにすればいいから……」

 

「えっ」

 

「状況としては、事後、朝目覚めたシーンね」

 

「事後とか言う「寝ろ」はい」

 

俺は寝転がったまんま、寝たふりをさせられました。あと彩、そんなにこっちを凝視するな。恥ずかしいから普通に。あと当然俺の部屋のベッドとか普通にシングルだから、枕も一つしか用意してないので、一つの枕に俺と千聖、2人分の頭が乗っけられている。普通に距離が近くて煩悩退散煩悩退散(めっちゃいい匂いする)

 

「んぅ……雄緋、起きて?」

 

「……ん」

 

どうすりゃいいの? って目で訴えたらそっと口元に指を立てられました。喋るなということらしいです。

 

「……寝坊助。ふふっ……可愛い」

 

あっ優しい。郷里に残した姉のような優しさ。うん、伝わらないなこれ。いつも割と冷淡に、グサグサと言葉のナイフで突き刺してくる千聖が、すっかり甘やかしてスキンシップをとってくる。ギャップがすごい。

 

「……起きないの? 起きてない、わよね」

 

起きてます。

とか言える雰囲気じゃなかった。だって起きようとそっと目を開けたらまた右手が両目へと伸びてきて、掌で隠されたものだから、多分これは目を開けるなというメッセージらしい。

 

「ふふっ。私だけの雄緋……。キスしちゃおうかしら」

 

「……?」

 

「……起きないなら、キスしちゃうわよ?」

 

千聖の指先が俺の下唇に触れた後、とんとんと小さく瞼のあたりを叩いた。

 

「……おはよう」

 

「……起きちゃった」

 

「ダメだった?」

 

千聖はゆらゆらと上体を起こして、こちらの耳元に口を近づける。

 

「ここからアドリブね? 貴方は私のことが大好きな恋人、いいわね?」

 

「え、うん」

 

「ダメじゃないけれど……。もう少し寝顔を見たかったわ」

 

「……寝顔見てたのかよ」

 

「……好きだから。ダメ?」

 

「ダメ、じゃないけど」

 

「……ふふ、照れちゃって」

 

「だって」

 

「……その、おはようの」

 

「……え?」

 

「こ、こ」

 

「え、俺からすんの?」

 

「いつもみたいに」

 

目を瞑られると、もうそういうことだよな? え、そういうことだよね?

 

「……早く。ちょうだい?」

 

「千聖……」

 

「んっ……んぷ、んちゅ……んれろっ」

 

「んっ……」

 

「カ、カット!!」

 

突如響く彩の大声で俺は現実に引き戻された。なんだかすっかり千聖の放つ雰囲気に呑まれていた気がする。

 

「……何よ彩ちゃん。良いところだったのに」

 

「だ、ダメ! エッチすぎだよ!」

 

「……キスだけじゃない」

 

「う……そ、それでも千聖ちゃん止めなかったら絶対その先まで行こうとしてたでしょ!」

 

「……今日の彩ちゃんは鋭いのね」

 

なんだか目の前の現実が夢なのかそれとも本当のことなのかよくわからなくてぼーっとしていると、気がついたら俺は彩と千聖に挟まれていた。

 

「……次は私の! いいでしょ?」

 

「……もうちょっとだけ。……うん、仕方ないわね」

 

「え、次?」

 

「うんっ! 次は私の台本の練習にも付き合ってよ! 千聖ちゃんのもしたんだからいいでしょっ」

 

「え? あ、うん」

 

なんだか彩の言葉すらも遠くに聞こえていたが、ようやく俺は事の次第をはっきりと知覚し始めた。

 

「そういや彩の台本って……」

 

「え? だから『ほぼ人類が死「ああ良いから! そうじゃなくてどんなシーンなんだよ、具体的に」……えっ」

 

彩は少し考え込む。……怪しい。

 

「彩、本当にそんな台本、あるんだよな?」

 

「えっ、あ、当たり前でしょっ!」

 

「……ふーん?」

 

怪しい。が、彩の持っている台本らしきのを取ろうとすると腕でガードされる。

 

「彩、その台本見せろよ。滅びかけた地球で、えっとお兄ちゃんが妹と不倫する話だっけ?」

 

「だめ! というか違うよ?!」

 

「シーンが分からなきゃ練習しようがないだろう?」

 

「だ、だってぇ」

 

少し涙声になった彩の背後に立ち、それを覗き込んだのは千聖だった。

 

「ふふ。なになに彩ちゃん。『……雄緋くんに想いを伝え合ってイチャつくシーン』が練習したいのね?」

 

「え? う、うん! そうだよ雄緋くん!」

 

「千聖、本当にその台本にはそう書いてあるんだな?」

 

「えぇ。それに、可愛い彩ちゃんと恋人気分が味わえるのだから、貴方も良いでしょう?」

 

そうして俺に有無を言わさずに、ベッドへと腰掛けさせられる。俺の隣には小さく縮こまった彩も腰掛けた。最初こそ肩も触れないほどに離れていたが、少しずつこちらに寄ってきた彩は、遂に俺に体重を預ける。

 

「……雄緋くん。私ね、雄緋くんのこと、大好きだよ」

 

「……そっか。嬉しいよ、彩」

 

演技だとしてもものすごく恥ずかしい。彩が送る秋波の目線は本心でないにしろ俺を高揚させるには十分すぎた。

 

「その、ね。……もっとギュッてして?」

 

「こう?」

 

「あったかい……。……えへへ」

 

彩はすっかりデレデレとしているのだが、俺はどうすれば良いのだろうか、と彩の方を覗き込んだ。

 

「ねぇ。雄緋くんは私のこと、好き?」

 

「勿論」

 

「……えへへ。……えへへへ」

 

「……笑い方」

 

「……はっ。……ねぇ、ハグだけじゃ、足りないなぁ」

 

「何が欲しいんだ?」

 

「頭もなでなでしてほしい。もっと力強く抱きしめてほしい。私の唇に永遠の愛を刻んで欲しい……」

 

妙に詩的な言い方に、きっと彩の台本が嘘ではないのだろうと思った。ならこれは演技なのだから、そう俺は自分を納得させる。

 

「彩の髪、サラサラだな。花びらみたいな匂い……」

 

「嗅いでもいいけど、もっと強くハグして?」

 

「……はい」

 

ハグをする腕の力を強めるたびに彩が放つ甘やかな香りが強まって、俺をクラクラとさせる。彩は後ろ向きでずっと抱き締められていたのに、ゆっくりと振り返る。

 

「……ねぇ、ここ。……ちょうだい?」

 

「彩……」

 

「んっ……。んれろっ、んっんちゅ……」

 

「……カット。それ以上は暴走するでしょう?」

 

「……んっんれろっれろっ。んじゅぷっ」

 

「彩ちゃんストップ!!」

 

「わっ……。あれぇ……千聖ちゃん……?」

 

すっかり惚けてしまって、甘い時間はゆっくりと過ぎ去っていく……。

 

「ちょっと雄緋! 帰ってきなさい!!」

 

「お空にハンバーガーの雲……」

 

「馬鹿みたいなこと言ってないで!!」

 

 

 

あ、ちゃんと1分ぐらいして現実世界に帰ってきました。お空にハンバーガーが浮いてました。



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ネガティブ・モード【ましろ】

CiRCLEで働く大学生、北条雄緋。
バイトファイターとも名高い、彼の素性が、秘密が、今暴かれる——。









みなさんも思ったこと、ありますよね。

こいついっつもガールズバンドの女の子たちとイチャイチャしてばっかだな、とか。

こいつバイトファイター自称してる割には、バイト行ってるの見たことなくね? だとか。

いやね、俺も思ってたんですよ。なんか迷子のクラゲちゃんを探し回って流されるままに買い物行ったりだとか、全身がミッシェルになってしまっていてそもそも家を出ることが出来ないような状況だったり。

 

思ったよね?

 

"こいつ、クビになんねぇの……?"

 

 

ふっふっふっ……。その疑問の答えを、教えてしんぜよう。

 

「ま、まりなさん……」

 

「……何?」

 

「……無断欠勤しまくって、すいませんでしたぁぁぁ!!」

 

「……すいませんでした、とかじゃないレベルで無断欠勤してるよね?! えぇっ?!」

 

「すみませんすみませんすみません」

 

CiRCLEの事務室。ものすごく単調なテーブルやパイプ椅子、ホワイトボードなんかの事務用品が並んだ部屋のど真ん中で俺は土下座をしています。

事情は先程の会話というかモノローグを聞いていただけるとすぐにわかると思います。前述の通り、迷子騒動に付き合ってたりとか、ミッシェルになったりとかで、バイトの日を悉く休んだり遅れたりしてました。言い訳ですけど。つまりそういうことです。

 

「というか休むなら休むでさぁっ?! 休みますだとかせめて一言連絡いれなさいよ!! 報・連・相も知らないのぉっ?! ねぇ!!」

 

「すみませんすみませんすみません」

 

北条雄緋、人呼んで、『すみませんbot』。

 

「ねぇ反省してるの?! 話聞いてないでしょ!!」

 

「ごめんなさい」

 

心の中だけでもボケていかないと、自分の失態に向き合うことが出来ない愚かな人間なのです。ちょけてる時点で向き合えてないけど。

 

「あのね? 雄緋くんも大学生なら、なんとなく分かると思うけどね? アルバイトでも仕事なんだよ? 普通にもしも企業に就職してそんなことやってたら普通にクビだよ?」

 

「申し開きもございません」

 

怒ったまりなさんクソ怖い。いやほんと。

まぁ、そんな鎮められないお怒りを抱かれた雇用主に全力で詫びるために、今日は大学の講義終わりに久方ぶりにシフトに入り、勤務が終わったところでこういうお説教を受けているというところなのです。ちなみにですけど、今日店の中に来た瞬間目が合ったから挨拶したんですけど、ものすごく綺麗にシカトされました。そりゃそうだよね、怒ってるよね。

 

「はぁ……まぁいいけどね……。どういうわけだがお客さんも全然来なかったし……」

 

「……え、そうなんですか?」

 

拍子抜けした。お許しをいただけたようです。それはそうと、意外にも俺が休んでいる間は人が来なかったらしい。いやーヨカッタヨカッタ。

 

「そうなんだよ〜。ひどくない? みんなカウンターまで来たと思ったら急に踵を返して帰るんだよ?!」

 

「えぇ……」

 

近場に似たようなライブハウス、それも学生が使用しやすいようなリーズナブルなライブハウスが出来たなんて話も聞いたことがないし、急激に利用客が減るだなんて事情は特段思いつかない。というか、みんなカウンターにまで来て、そっから利用せずに帰るというのだから、もはやそれは何か別の事情があるような気すらする。

 

「なんかねー? あ、そうだそうだ。この話雄緋くんに聞こうと思ってたんだった」

 

「え、俺にですか?」

 

「そうそう。なんだかね、この間たえちゃんが予約の確認ってことで、来たんだけどその時雄緋くんがどうだとかぶつぶつ言ってるのが聞こえてね」

 

「……俺が? 何言ってたんです?」

 

「えー? いや、はっきりとは聞き取れなかったんだけど、この日は花園ランドに招待するから、とかなんとかって」

 

「……ぇ」

 

招待? 花園ランド?

 

説明しよう。花園ランドとは、よくわからん。たえがよく言っている、ウサギがいっぱいいる、(たえにとっては)天国のような楽園? なんだそうだが、これの何がやばいって、発言というか発想自体もやばいけど、なんでも逃げ場がないということらしい。要するに出口がないのだとか。

え、俺監禁される?

 

「あっ、そういえばたえちゃんだけじゃなくて、彩ちゃんも何か言ってたなぁ」

 

「……え、なんですか今度は」

 

「いや、前にロケで使った無人島があって、今度また行くことになりそうだから、雄緋くんも連れて行くんだー、とかって話してたかな」

 

「拉致じゃないですかー」

 

「あ、お土産よろしくね!」

 

無人島っつってんだろ。

 

「……まぁ、そんな話があったよー、ってだけ」

 

「情報提供ありがとうございます」

 

「……で、本題に戻るけど! いい加減バイトサボりすぎだよ?! 何があったの?! この間とか連勤の日も休んだよね?!」

 

「その日はミッシェルになってて……」

 

俺は事細かに何が起きたのかを一応説明したのだが、まぁ当然そんなとっぴもなく、絵空事のような話信じて貰えるはずがなく。

 

「……えぇ? とにかく! 次サボったらクビだからね! ちゃんと働いてね!」

 

「……すみませんでした」

 

そんなローテンションのままCiRCLEを出ました。がっつり怒られた……。いや当然だけども。普通にこれだけサボってたら即刻クビになってもおかしくないぐらいだよね。そう考えると、まりなさんはまだ優しさの塊なのかもしれない。

 

「……はぁ」

 

無断欠勤した癖に怒られて落ち込んでじゃねーよ、とかそんな辛辣なこと言わないでね。自分の中でも怒られたこと意外と心に来てるから。俺だって何もバイトサボりたくてサボったわけじゃないんだよ。この世ってやっぱ理不尽なんやなって。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

「えっ?」

 

夕陽に煽られながら落ち込んでいた俺の背中に声がかかる。そんな小さな声の主が誰かと思って振り向くと、そこにいたのは。

 

「あっ『後ろに向かって全速前進』」

 

「いきなりdisられた……、一応心配して声をかけたのに……」

 

「ごめんね? 今俺も心の余裕が絶妙になくて」

 

いやこれは俺も酷かったな。それはともかく俺に声をかけてきたのはネガティブの権化。いやこれも失礼だな。morfonicaのボーカル、倉田ましろだった。

 

「い、いえ。その……落ち込んでるように見えたから、声をかけたんですけど。お邪魔でしたか……?」

 

「いや! そんなことないよ? というかごめんね本当に」

 

「い、良いんです。私なんてどうせ……」

 

ネガティブモードに入りました。

 

「どうせ個性の強い他の人たちの影に埋没する運命なので……」

 

「えぇ……。えらく落ち込んでるんだな……」

 

なんというか、ネガティブモード云々以前に、何やら深い悩みを抱えているようだった。少なくとも、非常に深く致し方ない事情によりバイトを無断欠勤することになってしまって、それを上司からこっぴどく叱られた俺よりも、遥かに深い悩みのように思える。

 

「私……個性、ないですよね」

 

「まぁ」

 

「即答……。やっぱり……」

 

個性って何だっけ……。影が薄い、みたいな意味合いで使うなら、今のましろはまぁまず埋没しそう。それぐらいテンションも低い。個性がない、と影が薄いって全然イコールじゃないけど。

まぁ、とはいえ、学校で勉強して、良い大学に入れと親や先生に口煩く詰られ続け、そしてこれから周囲に引っ張られるように企業に就職して、社会の歯車になって、そんな何の変哲もない平凡で幸せな人生を現在進行形で送ろうとしている俺に個性とか聞かれてもな。

 

「ましろの思う『個性』ってなんだ?」

 

「……ぇ」

 

「話長くなりそうだな、折角だし、店とか入ろうか。仮にも先輩だし奢るぞ」

 

「え、ありがとう、ございます」

 

一応俺大学生だしな。金なら……あるとまでは言わないけど、多分高校生の小遣いよりはよっぽどある。派遣のバイトも行ってる時あるからね。そういうわけで、どうやら人生を深く思い悩むましろの話を聞くために、近場のカフェに行くことにした。

え、CiRCLEの前のカフェ? 馬鹿野郎、んなとこでずっと話聞いてたら寒すぎて風邪引くだろうよ。吹きさらしだぞ。

 

「ここでいい? コーヒーとか飲める?」

 

「え……は、……うーん。はい、まぁ飲めないということは……多分……」

 

「不安な返答だな。まぁいいや」

 

多分この子、自我とかそんなに強くなさそうだもんね。意見とか聞きすぎるのも酷な気がする。そう思って半ば強引に入ったお店はカフェ、だけどどちらかというとコーヒーショップだとかそっちに近い感じのお店。あ、ちなみに羽沢珈琲店じゃないよ。なんか、顔を合わせづらかったもので。看板娘さんと。今度会った時どうしよう、ドSになればいいのか?

まぁ、にしても悩み事ね。大学生なら、というか成人してるなら悩みなんかお酒入ったらびっくりするほどすんなりと吐き出せたりするから楽なんだけどな。他にも色々吐いちゃうけど、やばい事とか物理的なものとか。

うん、話題が汚い。折角こんな整って落ち着いた空間にいるんだからもう少し言動……思考? を慎め、私。

 

「さて、……頼みたいものあったらなんでも頼んで良いからな」

 

「はい……」

 

一応メニュー表を見る限り、軽食も揃ってるし、ドリンクもコーヒーだとかカフェオレだとか、それだけ、ということではないらしい。大体頼むメニューを決めて、店員さんにオーダーを通すと、俺は本題に入ろうと、対面に座る彼女の不安げな顔を見る。

 

「で、個性がなんだって?」

 

「その……私、……引っ込み思案というか、臆病というか、控えめというか。……ぁぁ」

 

「おい、消えるな消えるな。それで?」

 

「もっとキャラを強くしたいというか。埋もれないようになりたいんですけど……」

 

個性が埋没するのはまぁ仕方ないというか、morfonicaに限らずガールズバンドの子たちはみんな個性の塊みたいなものだからな。まぁ、決してましろの個性がないとは言わないけれども。

 

「キャラクターを濃くするとか……?」

 

「ど、どんな風に」

 

ここで、『いや、知らないよ、自分で考えろ』と突き放すこともできるが、テーブルの向こうでほとほとと困り果てた少女を前にそんな仕打ちはあまりに酷だ。というか、本当にネガティブモードから一生帰って来れなくなりそう。片道切符はいくらなんでも可哀想だ。

 

「うーん、例えば奇抜なファッションをするとか」

 

「……変な人に見られるかもしれないじゃないですか」

 

「じゃあ、口調を特徴的にするとか」

 

「そんな作り物、絶対ボロ出ますよ……」

 

「……派手な言動をするだとか」

 

「そんなことする勇気ないです……」

 

「全部否定で返すなぁぁぁっ!?」

 

「ひぃぃっ!!」

 

あっやっば。ここコーヒーショップなのに思い切り叫んでしまった。やべぇ、周囲のお客さんも店員さんも、目の前で俺の発言を否定をし続けてきたましろすらも、ものすごい形相でこちらを見ている。

 

「……ごほん、失礼」

 

「……知らない人のフリをしても」

 

「相席してるのに無理に決まってるだろ、諦めろ」

 

少なくとも俺が開き直って言うことじゃないわ。

 

「そんなぁ……」

 

「と、とにかく。ネガティブになるのもわかるけど、全部否定から入るのやめよう」

 

「個性、薄くなるから……ですか?」

 

「いや、単純に俺がイライラする」

 

「とても恣意的な理由……」

 

それな。というかこの会話からして俺の方がよっぽどやばいよ。

 

「まぁ、流石にそれは冗談だけど、否定ばっかしてても自分の可能性を狭めるだけだからな」

 

「な、なるほど……、参考になります」

 

というか個性が薄くなるというか、ネガティブであること自体も一つの立派な個性だと思うのだけれど、おそらく本人の反応的にネガティブ度合いも改善したいのだろう。

 

「まずだ、周りに埋没しない個性って、どんなものだ? ましろの考える範囲でいいから」

 

「私の……。……め、目立って、他の人から注目される……というか」

 

「なるほどなるほど?」

 

「ありのままの自分を出してて……恥ずかしがらないとか? 自信に満ち溢れている、だとか?」

 

「んー、なるほど」

 

「他の人と自分はやっぱり違うんだというか、自分は選ばれし才能があるんだー……みたいな?」

 

「ふむ。わかった」

 

「え、え?」

 

「よし、ましろは俺が改造する」

 

「……えっ?!」

 

そうと決まれば、ましろの手を無理やり引いて、店を出る。思い立ったが吉日。そう伝えると、ましろはこれから巻き起こるであろう自分の開花の瞬間を想像してか、頬を赤らめながら想いを馳せているようだった。それだけの期待をされているのならば。

 

よ か ろ う 。

 

その期待に見事応え、大改造を施そうではないか。'現代を生きる個性の魔術師'とは私のことだ。匠の挑戦が、今、始まる——。

 

 

 

「あれ、シロいんじゃ……ん?」

 

「あっ透子ちゃ……、……こ、小娘よ」

 

「そ、その格好……」

 

「ふっ、我のこの世の悉くを蝕む漆黒の衣を纏し形態を目撃してしまうとは……、哀れ……だが、これで終焉の時だ……」

 

「マジダサいよ? あたしが今度選ぼうか?」

 

服のセンス並びに'現代を生きる個性の魔術師'の美的センス、才能ナシです。



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SHINOBI in 花咲川【商店街組+α】

いつにも増してテンションがバグっていますが、お察しください。















突如商店街に現れた謎の巨大構造物……。

まさに超弩級という表現が相応しいアスレチックの如く聳え立ち、挑戦者たちを待ち受ける試練はさながらバベルの塔。

人類では決して届きそうもない鋼鉄の魔城を制覇し、この世の全ての富と名声を手にするのは一体誰なのか。

今宵、この恐るべき試練に立ち向かう挑戦者たちは、こいつらだっ!!

 

 

—— SHINOBI ——

 

 

 

 

 

「さて、今回で実に5回目を迎えます、SHINOBI。実況はアタシ、宇田川巴! そして解説に北条雄緋さんをお迎えしてお送りいたします! 北条さん、よろしくお願いします!」

 

「はい、よろしくお願いします……」

 

「商店街に現れた謎の魔城を攻略するものは、完全制覇を達成するものは現れるのでしょうか!!」

 

「待って」

 

「どうしましたかっ」

 

「なにこれ」

 

「SHINOBIですよ?」

 

「いや知らない知らない」

 

いきなり解説のオファーが来たんですって言われて、馴染みの商店街に来ました。まぁまぁ、呼ばれたぐらいは良いんだよ。家に居座られるより500倍ぐらいまっしだし。呼び出された理由が何度聞いても理解できなかったけど。何? 『解説のオファー』って。でまぁ、ね。それでさ、商店街に来たんだよね。

 

そこにあったのは謎の櫓組みの構造物。本当になんて言えば良いのか分からないけど、そこら中に池が張り巡らされていて、その上になんかアスレチックみたいなのが出来ています。本当に訳がわかりません。この間のミッシェルといい、この商店街なにがあったの?

 

「では改めてルール説明をいたします! 挑戦者は制限時間内にアスレチックの各ステージを次々とクリアして、あの最終ステージ、鋼鉄の魔城の頂上を制覇する。ただそれだけ! しかし時間切れになったり、着水したりするとその時点で失格となります!!」

 

「な、なるほど」

 

「解説の北条さん、今大会の注目選手は如何でしょうか?!」

 

「出場者知らないです」

 

「なるほど、やはり身体能力の高い北沢選手が注目株ということですね……!」

 

「なんで聞いたの?」

 

「それでは早速、First Challenger, Come on!!」

 

放送席からは目を凝らさないと見えないが、どうやら最初に台に現れた最初の挑戦者は。

 

「あれは……沙綾?」

 

「山吹選手ですね! ポテンシャルを秘めたそのbodyとheartに熱いビートは宿っているのか?!」

 

「なんで中途半端に英語出てんの? というか解説置いていかないで?」

 

あ、謎の電子音みたいなの聞こえたからそろそろ始まりそう。

 

『わ、私さっきまでお店の手伝いしてたよね?!』

 

「おっと、チャレンジャー、どうやらルールを理解していないようです。始まっているのに、まるで動こうとしません!」

 

「え? 明らかに反応を見るに拉致されてきたよね? 返してあげて?」

 

「山吹選手動きがありませんが、こうしている間にも制限時間は刻一刻と迫っております!」

 

「せめてルールぐらい説明してやれよ」

 

『え、ちょしかもエプロンつけた状態でこれやらされるの?!』

 

「どうやらユニフォームに問題があったようですが……、まぁいいでしょう!!」

 

「あの格好でアスレチックをするのは無理があるのでは?」

 

『大丈夫!! 宣伝にもなるから!』

 

どうやらこっちの音声を向こうに送ることもできるらしい。って、気がつけば右手のあたりに1stステージの制限時間の時計みたいなの置いてあったわ。

 

『やまぶきベーカリーの名にかけてぇっ!!』

 

「凄まじい雄叫びと気迫を見せています山吹選手! それはいわゆるよく吠えるというやつでしょうか!?」

 

「それはバカにしてない?」

 

「1stステージ、1番最初、エプロン姿の連続ジャンプで島を飛び移ることが出来るのか?!」

 

「絶対無理では?」

 

『やまぶきベーカリー……みんな来てねぇっ!!』

 

「助走をつけて、飛んだ——、あ、あっーーっとぉっっ、1つ目の島に飛び移れず着水!! 脱落ーー!!」

 

「知ってた」

 

「これが鋼鉄の魔城の恐ろしさです!」

 

「え、てか、救助は? 水落ちたよね? 助けなくて大丈夫?」

 

「さて続いてのチャレンジャー、Come on!!」

 

「無視しやがった」

 

そして壇上に現れたのは、銀髪の少女。あっ……。

 

「狂い咲く青薔薇ァ!! その歌姫が、このSHINOBIの門を叩いたぁ!!」

 

「人選ミスだろ……」

 

絶対無理じゃんと思った? 俺もそう思う。

 

『本当に最後まで行ったらネコカフェ1日貸切なのね? 言ったわよ』

 

どうやらこの銀髪の少女。自分が好きだということを必死に隠している(つもりになっている)、ネコに釣られて参加したらしい。というか最後までいく自信あるのかよ。俺でもこんなの行ける気がしないのに。

 

「おっと湊選手、まるでネコのような軽々しい身のこなしで、最初の関門を突破ぁっ!!」

 

「え、まじで?」

 

本当だ、見てない間に、数個の島をパッパッパッと難なく飛び移り、次の仕掛けへと対峙している。

 

「さて、次に聳えるのは、ターザンロープです! 大きなトランポリンで飛び跳ねて、ロープを掴み、対岸へと渡らなければいけない序盤の難所です!」

 

『くっ……。そこそこ距離があるわね』

 

「だが1stステージは時間との戦い! 悩んでいる時間はないぞ、どうする、湊選手!!」

 

「そこまで解説してくれるなら、俺要らなくない?」

 

『……けど、私たちRoseliaが目指すのは頂点! ネコ!』

 

「地に落ちた青薔薇のプライドを取り戻すため、……飛んだぁぁっ!!」

 

『絶対に……』

 

『にゃー』

 

『はっ、にゃーんちゃん?!』

 

「あーーっと湊友希那ぁ、背後から聞こえてきた猫の鳴き声に気を取られロープを掴めずに脱落ぅ!!」

 

「これはひどい……」

 

「やはり欲望に負けた結果ということなんですかね、解説の北条さん」

 

「そうなんじゃない? 多分」

 

まず出場動機が不純じゃない? 不純というか、欲望に塗れているというか。そしてこの湊友希那。着水してからもずぶ濡れの状態で先程声が聞こえてきたであろう路地裏の方へと必死にもがいている。ありゃあ相当ネコが好きなんだろうなぁ……。

 

「それでは、おっと、ここで今大会最有力候補の登場だぁ!!」

 

「おっ」

 

『よーし! 頑張るぞー!!』

 

「北沢印は元気印ぃ! ソフトボールチームのエースでキャプテン! 主人公とは私のことだぁ! 北沢ーーーはぐみぃ!!」

 

『あっ、トモちんだ! おーい!』

 

「さっきよりは期待が持てそうですね」

 

「おっ、解説の北条さんも段々ノってきましたね!」

 

「え? あっ、はい」

 

せっかく目の前でものすごいエンターテイメントが繰り広げられているんだからな。楽しまなきゃ損だろう。……と、思うしかないだろう。

 

『ゆーひくんもいる! 見ててね!!』

 

「さぁ熱烈なラブコールを受けた北条さん! コメントをどうぞ!!」

 

「コロッケ美味しいです」

 

「ありがとうございます!! さぁ、頑張れ北沢選手! 希望の星!! まずは川を、飛び越えたぁ! 凄まじい跳躍力ぅ!」

 

「素晴らしいですねぇ」

 

「続いて現れたのは先程湊選手が失敗したターザンロープです!」

 

『……よーし、せーーーのっ!!』

 

「飛んだぁっ! その跳躍力、プライスレスぅ!!」

 

「素晴らしいですねぇ」

 

「そして次なる難関、重量のある錘にタックルをして進みます!」

 

「これは体躯の小ささからも厳しいのではないでしょうか」

 

「ですが、北沢印は元気印ですから! いけ! 行ってくれ北沢ぁ!!」

 

『うーー!! はぁっ、はぁっ……、おーーー!!』

 

「頑張っている、頑張っている!!」

 

「素晴らしいですねぇ」

 

「だがしかし、……タイムアップだぁっ!! 無情にもけたたましく鳴り響くベルの音ォッ!!」

 

「惜しかったですねぇ」

 

『うっ……うぅっ……』

 

「あ、あ、ああっとぉ! ショックに泣き出してしまったぁ!」

 

『はぐみには……、SHINOBIしかないんだよ……!』

 

「このSHINOBIを愛してやまない、悲痛なベテランの叫び……。涙を禁じ得ないですね……北条さん……」

 

「え? あ、うん」

 

「さて、いよいよ、次が最後の挑戦者だ、Come on!!」

 

「切り替え早いね」

 

涙を禁じ得ないって言ってたのどこいった。さっきのお前の涙はどこへ行ったんだ。

 

「生徒会でも頑張ります! 我らがAfterglowの頑張り屋! その名も、羽沢……つぐみぃぃっ!!」

 

『待っててね巴ちゃん……、今助けるから!』

 

「なんとつぐには最深部でアタシが囚われの身になっていると伝えてあります! きっとその力を遺憾なく発揮してくれるでしょう!」

 

「鬼だなお前……」

 

信じちゃうつぐみもつぐみだけど。いやまぁ、突然家の前にこんな馬鹿でかい何かが出来てたら信じちゃうかもしれない。俺も夢見てるのかなって最初思ったもん。

 

『巴ちゃんのためにっ!』

 

「おおっ、連続ジャンプで華麗に渡っていくぅ!」

 

『絶対、あ……』

 

「おっと勢いそのままに行くかと思われたが、ここで止まってしまったぁ! 最後の飛び渡りは距離が他よりも長く、勢いがないととてもじゃないが渡れないぞっ!!」

 

『ごめんね……巴ちゃん……』

 

『諦めちゃダメ! つぐ!!』

 

『……? ひまりちゃんっ?!』

 

「ああっと、対岸に姿を現したのはひまりぃっ! ひまりが手を差し伸べて……、ギリギリ届いて、引き上げたぁ!! 着水していません!! 美しい友情コンボ!!」

 

「不正では?」

 

「さぁ、続いて向かったのはターザンロープ! 縦の跳躍力が要求されるがどうだぁっ?!」

 

『こ、怖いよ……けど、巴ちゃんが……』

 

「つぐ、なんと怖がっています!! だけど、この魔城の最奥ではアタシが捕らえられている、進まざるを得ない!!」

 

「畜生なの?」

 

『ど、どうしよう』

 

『つぐみ!』

 

『ら、蘭ちゃん?!』

 

「ああっと、対岸で待ち構えているのは蘭だぁっ! 蘭が心配ないよと、微笑みかけているぅ!!」

 

「美しい友情ですね」

 

「そして、蘭を信じて飛んだぁっ! と、届くか?!」

 

『つぐみっ!』

 

『わ、蘭ちゃん……』

 

「すんでのところで引き上げたぁっ! しかし蘭は勢い余って着水ぃっ!!」

 

『蘭ちゃん……、蘭ちゃんの犠牲、無駄にしないからね!!』

 

「不正では?」

 

「そしてやってきました、先程北沢選手が脱落した、力比べぇっ!」

 

『こんなの1人じゃ……』

 

『モカちゃんに任せなさーい』

 

「あーーーっと、ここで救いの手を差し伸べたのは青葉モカァ!」

 

『2人なら、行けるよね! よーーし!』

 

『それー』

 

「1人では厳しい力比べも、2人なら力は無限倍だぁぁっっ!!」

 

「不正では?」

 

「さぁそして、最後に立ちはだかった難関。このSHINOBIの代名詞、'反り立つ壁'だぁぁぁっっ!」

 

『みんなの応援があるから、助けがあったから……ここまで来れたんだよね。巴ちゃん、待っててね!!』

 

「アタシなんかのために……頑張ってくれるつぐのことがアタシも大好きだぁぁっ!!」

 

『……そりゃっ!!』

 

「だが届かない……、届かない! まだ、もう一度チャレンジできる時間はある!」

 

『ラストチャンス……! それっ!』

 

「あーーーっと、しかし現実は非情だったぁ!! ここでタイムアップぅぅ!! 誰よりも攻略に1番近づいたが、それでもダメだったぁ! この壁には魔物が棲んでいるとでも言うのでしょうかぁっ!?」

 

「不正だったのでは?」

 

「やはり、今回もこのSHINOBI、完全制覇者は誰も出ないのかっ」

 

そういやこの謎企画。今回で5回目とか言ってたね。そりゃあ完全制覇って。これまだ第1ステージでしょ? まだまだ先がありそうなんだから、そりゃこんだけ挑戦してボロボロなら無理なんじゃないかな、そう解説として口を挟もうとした瞬間だった。

 

「おや、壇上に上がった、あれは誰だ?」

 

「……ん?」

 

『ブシドーを極めるためには……忍者の心得、ニンジュツも学ばなければいけません!!』

 

「北欧から参上せしサムライ!! 否! 今日はサムライではない、彼女は天下人のSHINOBIだっ!! 若宮ーーーイヴっっ!!」

 

『任せてください! 私が絶対に最後まで攻略してみせます! そしてシノビを極めます!』

 

「まさに挑戦者!! このSHINOBIに相応しい北欧の忍者が降臨したぞぉ!!」

 

「挑戦者というか乱入者なのでは?」

 

「さぁ、今スタートを切っ、速いっ!? 切り返しの速さで他を寄せ付けないぞ!!」

 

「なんか慣れてる体の動きしてますね」

 

「あっという間に島を渡り切ると、ターザンロープ、止まらずに行ったぁっ! これも軽々飛び越えたぞっ?!」

 

「SHINOBIたる者の才能のようですね」

 

『勿論です! こんなところで挫けるわけにはいきません!!』

 

「このサムライかっこいいぞ! 惚れてしまいそうだぁ!! そして訪れたのは数々の挑戦者を困らせてきた力比べだ!!」

 

「力勝負はどうなんでしょうかね」

 

『……力技は私は得意じゃありません。だから……こうです!!』

 

「あ、あ、ああっとぉっ?! なんと本来押して階段を作らなければいけないところをその恐るべき跳躍力で飛び越えたぞっ?!」

 

「不正では?」

 

「さっきのつぐのがあるんで大丈夫です!」

 

「認めやがった……」

 

「さぁ迎えたのは最後のボス、反り立つ壁ぇ!!」

 

『……これに勝つために、来る日も来る日も、私は体を鍛えていたのです!』

 

「い、イヴの体から溢れ出るオーラが凄まじいです!」

 

「すごいですねぇ」

 

『絶対に、この壁を上り切って、みせます!!』

 

「ああっとなんとなんと、櫓の骨組みを利用して挑戦者を阻む脅威の壁を乗り越えたぁぁぁゴーーールぅぅっっ!!」

 

「せこくね?」

 

『ふふふ、私こそがジャパニーズ、SHINOBIです!!』

 

「北欧からやって来たプリティーSHINOBIが誕生したところで、'SHINOBI'、また次回お会いしましょう!! さようならぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

この番組は、

 

 

やまぶきベーカリー○○ 北沢精肉店

 

羽沢珈琲店

 

の提供で、お送りしました。

 



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熱きゲーマー達の闘い【あこ&燐子&紗夜】

よろうあ様からのリクエストを基にした作品です。当方'死にゲー'をプレイしたことがなく理解が間違っている部分などあるかもしれませんがご了承ください。ゲーム内描写等で少々センシティブなものが含まれますので苦手な方はご注意ください。





「ようやく、冬学期の授業終わった……か……」

 

帰宅して力の抜けた俺はベッドの上に思い切り倒れる。学生の本分たる勉学を全うしたのだ。今日の午後のテストで自分が登録していた今年度の授業が全て終わった、其れ即ち。

 

「晴れて、春休み……到来ッ……!!」

 

大学生になって気がついたことがある。大学生の長期休みマジでめちゃくちゃ長い。そりゃまぁバイトだとか、やらなきゃいけないことはいろいろあるけれど、そんなこんなを全てこなしたところでまだまだ、有り余る時間。

 

「まぁ今日ぐらいはゆっくり……」

 

ピンポーーーン。

 

「出来そうにない気がした」

 

俺はこの何かを知っている。俺が休もうとした時に限って訪れる、不意のドアチャイム。決してそれは宅配サービスで頼んだピザやファストフードではないし、宅配便でもないだろう。俺は希望を捨て、絶望を抱えながらドアを開け——。

 

「やっほゆーひ!!」

 

「うちは託児所じゃありませんお引き取りください」

 

「タクジショ?」

 

「あの、そ、そういうことじゃなくて、こんにちは……」

 

「あっどうもこんにちは」

 

今日訪問なさったのはどうやらRoselia……の中でもゲーム好きと名高いお二方……。

 

「私もいます」

 

「保護者?」

 

「違います」

 

と、紗夜さんです。何があったんだ。

 

「えっと、何用で?」

 

「お邪魔しまーす!」

 

「おいコラ待て! 話聞けよ!」

 

もういっか……。

 

 

 

「やっぱりゆーひの家快適だよね!」

 

「そりゃよかった」

 

俺は悠々自適なところを邪魔されたんですけどね。

 

「で、なんで来たの?」

 

「あっ、ゲームをやろうと思って……」

 

「……ゲームって、オンラインゲームか何か?」

 

「いえ、そういうわけではないんですが……」

 

「……なんでウチきたの?」

 

「実は最初はこの3人の家で持ち回りでプレイしていたのですが、あまりに騒ぎ立てすぎてしまい、禁止令が出されてしまって」

 

「えぇ……」

 

「それでね! この間お正月にゆーひの家来た時にあこみつけたんだよ!!」

 

「見つけたってまさか……」

 

「ゆーひの家、ゲーム機本体あるよね! 貸して!!」

 

「本体どころか家まで借りに来てんだろそれ!!」

 

「あ、これですね」

 

「紗夜さん何率先して探してんの? 貴女この暴走を止める立場だよね? 風紀委員が泣いてるぞ」

 

なんと、あろうことかこの3人組。自分たちの家でゲームをプレイできない環境になったために、この間偶然見つけた俺の家のゲーム機目当てにここに来たらしい。どういうことだよ……。

 

「いやまぁ、家押しかけられるとか慣れたものだから文句言わないけどさ、普通アポ無しでゲーム借りにくるやついる?」

 

「その、雄緋さんなら……許してくれるかなって……」

 

謎の信頼感。

 

「あ、ゆーひもやって良いから! ね、お願い!!」

 

「まぁ……もう招き入れちゃったし、良いよ全然」

 

「やったぁ!!」

 

招いてなかったけど。

 

「恩に着ます」

 

「というかこんだけRoselia集まってるなら練習しろよ練習……」

 

「それがね、なんか友希那さんが風邪引いちゃったらしくて」

 

「風邪?」

 

「聞くところによると……猫を探し求めている時に池に落ちた、そうなんですけど……」

 

「あっ」

 

あの'SHINOBI'とかのせいじゃん。というかこんな冬にあんな池に叩き落とされたんだもんな。風邪引いて当然だわ。

 

「それで今井さんは湊さんの看病とのことで、今日の練習が中止になって」

 

「なるほど……。まぁいいや。で、何しようとしてるの?」

 

「これですね」

 

燐子に見せられたそれはアクションRPGゲーム。あ、これ何か聞いたことあるな……。なんか、めちゃくちゃ玄人向けの高難易度ゲーって。一時期噂になってたような気がする。

 

「丁度NFOも今日の5時ぐらいまでメンテナンス中だったので、この機会に新しいゲームを買って一緒にプレイしようかと」

 

「だから包装紙とか付いてたんだな」

 

渡されたパッケージからディスクを取り出して本体に挿入している。俺はその間にケースの裏面の表示を見る。

 

正体不明のゾンビ化ウィルスの影響により人類が滅亡寸前に陥った世界で人は何を遺せるのか。

全世界のプレーヤーに贈る、史上最高難度のサバイバルアドベンチャー。

闘え。生き延びろ。

 

なんだろう。むずそう。

 

「よし、ロード出来たよ!」

 

「やりましょう!」

 

にしてもこの2人、ゲームの時だとものすごいイキイキしてるな。と思ったけど隣の紗夜さんも中々に目を輝かせている。ちょっと珍しい所も見れたようだ。

 

「キャラメイキングは適当でも良いよね?」

 

「基本1人プレイだから……わたしは気にしないかな」

 

「私も大丈夫です」

 

「よーし、それじゃ早速始めよう!」

 

あこがコントローラーのボタンを押すと、本体と繋がれたテレビ画面は暗転する。

 

 

『はぁっ、はぁっ……はぁっ……』

 

 

画面では女性と思しき人間が荒廃した街中を駆けている。どうやらパッケージにあったように、人類が滅びかけた世界が舞台となるらしい。その証拠か女性の衣服も何かに引き裂かれたようで、顔にも大きなアザが残っていた。

 

「おお、グラフィックもかなり綺麗……!」

 

「雰囲気も……出てるね……」

 

画面を食い入るように見つめる2人。そして途端に。

 

 

『グギャァッッッ!!』

 

『いやっ、イヤアァァッッ!』

 

 

「ひぃっ……!」

 

いきなり街の残骸の闇から現れた'何か'が女性の喉元に喰らいついた。その瞬間に、画面は真っ赤に染まる。完全にスプラッターの映画見てるみたいな感じだ……。

 

「こ、こ、怖かったぁ、って、紗夜さん大丈夫ですか?!」

 

「あ、あ、あ……」

 

「刺激が……強すぎたらしいですね……」

 

「思いっきり人が目の前で喰われてるし……まぁ」

 

そして、そんなムービーが終わると、いきなり操作できる主人公がフィールドにいる所に画面が切り替わる。

 

「あ、これ、もう動けるのかな?」

 

「チュートリアルとかないのか?」

 

「ないみたい……ですね……」

 

「……あ、意識が」

 

「氷川さん……」

 

「……大丈夫です、何のこれしき」

 

どうやら覚悟はついたらしい。このゲーム、高難度というだけではなく、所謂少々グロイシーンもあるゲームらしい。

 

「って、あこちゃん! 後ろから何か来てます!!」

 

「えっ?! きゃぁっ、りんりんどうしよどうしよ!」

 

「お、落ち着いてください宇田川さん! 向こうに橋があります! 逃げましょう!!」

 

あこが操作するキャラクターは荒れて凸凹の道を走って、紗夜の言っていた橋の方へと一目散に逃げる。そして橋を渡ろうとした。

 

「よし逃げ……って、ええっ?!」

 

「橋が……壊れたっ?!」

 

 

You’re Dead...

 

 

「……え、え、死んだの?」

 

「そのようですね……」

 

「……初見殺しじゃねーかっ?!」

 

明らかにゲームの雰囲気からこっちに逃げろって気がしてたじゃん。それで橋の方に逃げたら橋の木の足場が崩落するとか……初見殺しとかいうレベルですらない。酷い。

 

「り、りんりん交代!」

 

「わ、分かった!」

 

「難易度が高いようであれば、一度ゲームオーバーになる度にプレイヤーを交代しましょうか」

 

そうして今度のコントローラーは燐子へと変わる。またもあの薄気味悪いムービーが終わり、背後からは何か化け物がゆっくりと這ってきている。

 

「今度は、こっちへ……!」

 

「おっ、生存者みたいな人居ないか?」

 

「右奥の方です!」

 

「あの後ろ姿みたいなところ、ですよね?」

 

燐子が操作する主人公はダッシュでその人間へと駆け寄り、話しかけようとボタンを押した。そして振り向いたその人は。

 

「って、ぎゃあああぁぁぁっ?!?!」

 

「化け物ォォっっ?!」

 

「ちょりんりん逃げて!!」

 

「ちょ氷川さん抱きつかないでください操作できないですからぁっ無理無理無理っ!!」

 

「あ、あ、あ、きゃああぁぁぁっ?!」

 

振り返った人間。本来顔があるはずの位置に、およそ普通の人間の顔は存在していなかった。醜悪な蛸の触腕のような青白い複数の触手が顔面を漂い、その顔と思しき何かの中央に据えられて大きく開かれた口のような器官にはドス黒い牙、そしてそこから垂らされた乳白色の唾液はヌラヌラと光っている。

 

「気持ち悪いぃっっ!!」

 

「氷川さん本当に!!」

 

「だ、だって怖いです!! 雄緋さん!! 助けてぇぇっっ!!」

 

「俺だって怖いわこんなのぉ!!」

 

「あっ」

 

 

You’re Dead...

 

 

「……死んじゃいましたね」

 

「死にゲー云々の前に……ただのホラーゲームじゃねぇかこれ……。というか紗夜さん、良い加減そろそろ離れてください……」

 

「無理、無理です。……怖くて画面が見れません」

 

「だとしても抱きつくのはやめてください」

 

「次は紗夜さんの番ですよ!」

 

「冗談も大概にしてください!!」

 

死ぬたびに交代する制度にしようって言ったの貴女でしょう……とかいうツッコミが効きそうにはないぐらい憔悴している紗夜さん。新鮮だけどこれじゃあ埒が明かないな。

 

「じゃあ仕方ない。ここは俺が」

 

「おおっ、ここでゆーひのゲームの才能が……!」

 

「氷川さん、大丈夫ですからね……」

 

「ぐすっ……、はい……」

 

俺はあのオープニングムービーを見終わった後、先程の人擬きの化け物とは反対方向へと駆け抜ける。嫌な予感がするが、どのみち他の方向に走ったところで生存ルートはないらしい。

 

「よし、結構逃げられただろ……」

 

「わっゆーひ横!」

 

「うわぁっ、回避ぃぃぃっっ!!」

 

すんでのところで飛び出してきた野犬のような何かの飛びつきを躱す。俺はまたも走り始める。

 

「どうだ、撒いたかっ?!」

 

「撒いたようですね……」

 

「ってうわっ、何かダメージっぽいの負ってる、なんでだ?!」

 

「あ、落下ダメージだよ! さっき段差飛び降りたから!」

 

「たかだか段差なんかでダメージ負うなよポンコツゥッ!!」

 

「……雄緋さんって、ゲームの時だとちょっと口が悪くなるんですね……」

 

「……ごめんなさい」

 

めっちゃ冷静に指摘されました。注意しよう。

 

「ねー、ゆーひそろそろゲームオーバーならないの? あこそろそろやりたいなー」

 

「まだゲームオーバーならねぇから!」

 

というかまだ最初の人擬きと野犬から逃げただけだから、具体的にストーリー殆ど何も進んでないし。とりあえず俺はフィールド奥に見つけた小屋に入る。

 

「入口どこだ……」

 

「ないですね……、窓から入るのでは?」

 

「小屋としてアウトだろ……」

 

とは思ったものの、実際本当にドアがない小屋で、割られた窓から入るらしい。

 

「……入るか」

 

「真っ暗ですけど……ってきゃああっ!!」

 

「わぁっ、何っ?! 何事?!」

 

「左奥です!! 左奥に何かいました!」

 

燐子が必死になって指で方向を指し示してくれる。確かにそっちの方は少し明るくなっていて、辛うじて見えるが、何もいる気配はなさそうだ。

 

「りんりんもきっとさっきから驚かされすぎて警戒しすぎたんだよ!」

 

「そ、そうかなぁ」

 

「そうですね、白金さんの見間違……ってきゃあああっっ?!」

 

「あああぁぁぁっ今の何ぃぃっっ?!」

 

一瞬で画面右端が赤く染まり、その瞬間に画面が暗転する。

そして、中央の枠に。

 

「ぎゃあああ顔ォォォっっ?!?!」

 

 

You’re Dead...

 

 

 

「……あ……し、死んだ……」

 

「も、もう心臓に悪すぎますよこれ……や、やめませんか?」

 

「ま、まだまだ!」

 

「って、ゆーひ、操作変わってよ!!」

 

「ワンモア! もう一回だけやらせて!」

 

「後で交代しますから……」

 

「というか1番年長でしょっ?! 譲ってよ!!」

 

「ご、ごめん、熱くなりすぎた……」

 

そういや俺この中で1番年齢高めだった。完全に忘れてた。

 

「と、いうかあこちゃん。次は氷川さんじゃ……」

 

「あ、本当だ。はい紗夜さん!」

 

「え、わ、私は」

 

「大丈夫ですって!」

 

無理やりコントローラーを握らされる紗夜。おそらくこういう純粋なホラー系は苦手なのだろうが、まぁここまで着いてきてしまったからには自分だけ逃げるというわけにもいかず、渋々と言った様子でやらされている。

 

「で、ですが、幾らなんでも難易度が高すぎです! クリア出来る気がしません!」

 

「そ、そうは言っても……」

 

そういって、紗夜はムービーが終わると、どういうわけか後ろから迫り来ていたゾンビの方へとかけていった。

 

「と、特攻?!」

 

「何してるんですか紗夜さん?!」

 

「横をすり抜けて……! どの方向もダメならこれしかありません!!」

 

が。

 

「あ……」

 

 

You’re Dead...

 

 

当然敢えなく攻撃を受けてしまい、薙ぎ倒された主人公は……。

 

「……ど、どうやってクリアしろと言うんですかこんなの!!」

 

「ま、まぁまぁ落ち着いてください……」

 

「無理なものは無理です!! 時間をかけること自体無駄じゃないですか!!」

 

「またまたー紗夜さん、怖いだけですよね?」

 

「うぐっ……」

 

どうやらあこの指摘は図星らしい。

 

「……じゃああこが伝家の宝刀を……!」

 

「で、伝家の宝刀?!」

 

「……じゃじゃん、攻略サイト!!」

 

「え、せこくない?」

 

「だってこんなの無理じゃんさっきから4人とも死んだのにストーリー1つも進んでないよ?!」

 

「だ、だとしてもそれは何か違うじゃん?!」

 

「わ、分かりました、わたしがやります!」

 

「りんりん?!」

 

「攻略サイトに頼るだなんて……ゲーマーの名折れです! わたしは、意地を見せます……!」

 

「意地を見せるとは……、し、白金さん何をするつもりですか?」

 

「RTAです!! 世界最速を目指します!!」

 

「クリアすら出来てないのに何言ってるんですか?!」

 

「クリアどころか物語一つも進んでないんだって!!」

 

「あっ」

 

 

You’re Dead...

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……みんなで、NFOやる?」

 

「……賛成!」

 

後日、攻略サイトを見ながら頑張って攻略したそうです。

ちなみに私は大家さんから『煩い』とガチギレされました。



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豆まき鬼ごっこ【ボーカル組】

鬼はーーー外(1日遅れ)。




どうもこんにちは。北条雄緋です。

 

「待てーーー!!」

 

2月に入って寒さがさらに増したような気がするのは気のせいでしょうか。暦の上では2月の初めは大寒というものすごーーーく寒い時期なのですが、今日をもって立春になると。

 

「鬼はーーー外ーーー!!」

 

2月4日からが立春になるんですね。もっと詳しく知りたいと言う方は、二十四節気で検索検索ぅ!

 

「福はーーー内ーーー!!」

 

「痛い!!」

 

どうもこんにちは、北条雄緋改め鬼です。なんだかよく分からないのですが追いかけられてます。いやあの、警察とかそういうのではないので、変なやつだということを勘違いしないでください。街中を歩いていたらガールズバンドの子たちに会って、気がついたら追いかけられて豆を投げられてました。お陰でヘトヘト。

 

「あっいた! 鬼は外!!」

 

「鬼じゃない痛い!!」

 

鬼にも痛覚があるから、とても痛い。というか皆さんコントロールいいね。なんでピンポイントで痛いところ当ててくんの? なんて文句を言っても立ち止まっているとめちゃくちゃ投げられるので、只管逃げるしかなく……。

 

「あっいた、居たわ雄緋よ!」

 

「待てー!! 鬼は外!!」

 

ちなみに追いかけられている理由は判然としません。誰かと相談して鬼役をするとかいう馬鹿な真似を引き受けた覚えもないです。なんで?

 

「ちょ、行き止まりかよっ」

 

「追い詰めたわ雄緋! 覚悟しなさい!!」

 

「くっ……」

 

遂に俺は街角の路地裏にて追い詰められてしまった。なんだろう、目の前でゆく手を阻むこころがいつになく大きく見える。というか目の前に抱えた笊の中に入った豆の量がバグ。

 

「待て! 話せばわかる!!」

 

「話す必要なんてないわ! 豆を投げればみんな笑顔になれるわ!!」

 

「俺が笑顔になれないんだよ!!」

 

なんとかして打開策を探そうとするもここは何の変哲もない街の一角のブロック塀で囲まれた奥地。そんなに都合よく一発逆転のアイテムなんかが落ちているわけではない。

 

「大丈夫よ、その後きっと笑顔になれるの!!」

 

「痛さと引き換えに得る笑顔なんて要らない!! 笑顔のために何かを犠牲にするなんて間違ってる!!」

 

決まった……。めっちゃカッコいいこと言ったな俺。その姿はさながらRPGゲームの最後で悪に堕ちた過去の仲間を正気に戻そうと奮闘する主人公。

まぁ、痛いのは嫌だし、真理だよね。

 

「残念だけれど……敵同士なのね……」

 

「そうだな、だから……」

 

「えぇ、豆まきよ!!」

 

「そうなるよねやっぱり?!」

 

こころの手に豆が一杯握られる。

あっ……その量は、\(^o^)/(オワタ)

 

「こっちよ、雄緋!」

 

「な?!」

 

背後から声が聞こえた。俺が振り返ると、どう言うわけだかさっきまで壁となって俺の逃げ道を塞いでいたブロック塀に上からかけられた縄梯子が。

 

「誰だか分からないが恩に着る!!」

 

「あっ、待ちなさい雄緋!!」

 

俺は颯爽と梯子を駆け上りブロック塀を登る。大量の豆を握っていたこころは咄嗟に縄梯子に登りに行くことができず、俺を向こう側に引き上げることで役目を終えた縄梯子をこころがこちらに来る前に引き上げる。

 

「絶対にまた後で豆まきするわ!」

 

「ご勘弁願いたい!!」

 

俺は登り切ったブロック塀から向こう側へとなんとか飛び降りる。そして俺の目の前にいたのは。

 

「大丈夫? 雄緋」

 

「友希那……良かった、マジで助かった」

 

「そう、良かったわ」

 

「ありがとう、というかもう風邪治ったのか?」

 

「風邪? あぁ、もうバッチリよ」

 

俺は助けてもらった友希那にお礼を言いつつ、路地裏を通り抜けて表の通りの方へと歩き始める。

 

「それで、どうして弦巻さんに追いかけられていたの?」

 

「えっ? いや……心当たりはないけど」

 

「こころだけに?」

 

めっちゃキメ顔してるけど、寒いよ? 風邪移された?

 

「……まぁいいや。それで、多分節分だから、豆まきされてるんだよな」

 

「豆まき……? 貴方は鬼か何かなの?」

 

「そういうことじゃない? みんな鬼は外ーって投げてくるし」

 

「……そう」

 

「あともう一つ聞きたいことがあったんだけどなんで縄梯子なんか持ってんの?」

 

ふつうに考えて俺もまさかブロック塀に縄梯子かけられてるなんて想像もしてなかったよ。普通にあの大量の豆の嵐にボコボコにされるものだとばかり。俺ほぼ諦めかけてたし。

 

「実はこの間、商店街の巨大アスレチックに参加したのよ、優勝したら猫カフェの貸切権を貰えると聞いたから」

 

「……あー、あのSHINOBIだっけ?」

 

「そう。惜しいところまで行ったのだけれど、あと少しで届かなかったのよ」

 

「……うん。それで?」

 

どっからどう考えてもそっから日常生活で縄梯子を持ち歩くことへとロジックが繋がらない。全然理由になってないもんね。俺はあまりに気になりすぎる続きに耳を傾ける。

 

「もしもまたあのアスレチックが現れても良いように、こうして縄梯子を持ち歩いているのよ。これがあれば引っ掛けて登るだけで大抵のアスレチックは攻略できるわ」

 

「えぇ……」

 

絶対出てこないよ? あのアスレチックがそう頻繁にポコポコ出てきたら今頃街は大パニックだよ? いや一日あのセットが組まれただけで結構大騒ぎだったと思うけど。

 

「私たちが目指すのは頂点、すなわちネコよ。妥協は許されないわ」

 

「縄梯子を使って攻略するのは妥協では?」

 

「……ごほん、手段は問わないのよ」

 

不正だろってツッコミを入れようとした、その時だった。

 

「あっ、友希那先輩……と、雄緋さん!!」

 

「あら美竹さん、偶「鬼はーーー外!!」」

 

「ぎゃあああ蘭もかよ?!」

 

「ちょっと待って、私にも当たっているのだけど?!」

 

突如曲がり角から現れた蘭の投げる豪速球の豆、豪速球? 豪速豆が俺と友希那に降り注ぐ。多分だけど蘭の反応的に狙ってるのは友希那ではなく俺らしい。ならば友希那を巻き込むのも可哀想だな。

 

「くっこっちだ!! さっきはありがとうな友希那!!」

 

「待てぇーー!!」

 

「……何だったのかしら、あっ、にゃーんちゃん」

 

 

 

俺は絶賛追いかけっこ中です。俺が走って逃げる横をあっという間に前へと飛んでいく豆。フライング豆。

 

「鬼はーーー外!!」

 

「待って!! 鬼じゃないから投げないで!!」

 

「雄緋さんは鬼なんです! 諦めて御用になってください!!」

 

「いやです!! 豆痛いのやだ!!」

 

なんだか字面だけ見たらものすごくぐずってるだけの子どもみたいに見えるかもだけど、必死なんだよ。痛いもん、あっ痛い! たまーに当たったらヤバいでしょってレベルの豆がピンポイントで直撃している。というか街中歩いてて追いかけられて豆当てられたらそりゃ逃げるでしょ、誰でも。

 

「わがまま言わないで大人しく投げられててください!!」

 

「わがままじゃねぇっ正当な権利の主張だぁっ?!」

 

叫んで逃げてはいるものの、このままではジリ貧。俺の体力とて無限ではない。すでに追いかけられ始めてから1時間近くが経過している。賞金結構貰っても良いぐらいのレベルで追いかけられているのだ。

 

「どうして雄緋さんはお縄につかれないんですか?!」

 

「だって捕まったらありったけの豆まき攻撃食らうだろ?! 嫌だわ!!」

 

「そんなことしませんってば!!」

 

「へ、そうなの?」

 

「引っかかったぁ!!」

 

「ずるい痛い痛い痛い!! 痛いっ!!」

 

姑息な真似を!! ってつい叫びたくなるぐらいにはずるい。いや、というかこれで引っかかる俺が甘ちゃんなだけかもしれない。

 

「なんでお前ら揃いも揃って俺に豆を投げつけてくるんだよ?!」

 

「節分だからに決まってます!」

 

「だとしても俺に投げられる謂れはねぇ!」

 

どうやらまともに話が通じる相手ではないらしい。どうする? さっき極めて狡猾で非難に値する手段によって痛いっ、距離を詰められたせいでさっきから俺に直撃する豆の量がとんでもない量になっている。あと威力も大きくなってて普通にめちゃくちゃ痛い。

 

「鬼なんですよね? じゃあ黙って豆当てられといてください!」

 

「黙ってられるか?!」

 

知ってる? 痛いんだよ? 虐めてる側はやっぱり虐められてる側の痛みとか分からないと思うんだよ。物理的、精神的問わずね。今は専ら物理的だけど。

 

「豆を当てられる気持ちになれ!」

 

「追いかける身にもなってください!」

 

追いかけられる身になってください。だめだ、話が通じる相手じゃないらしい。かくなる上は只管に逃げるほかない。

 

「あっ、雄緋さん」

 

「ましろっ、その人捕まえて!!」

 

「へ、へっ?!」

 

突然道端に現れたのはましろだった。ましろは蘭から捲し立てられて困惑している様子だった。

 

「あ、あの蘭さん」

 

「何っ、今急いでるんだけど!」

 

「その、モカさんが」

 

「モカが何?!」

 

「『蘭の秘密暴露大会やるけど来るー?』って誘われたんですけど……」

 

「はぁぁぁっ?! ちょどこでやってるの?!」

 

突然血相を変えて豆から手を離した蘭はましろから詳しい話を聞いているらしい。そしてこちらを一度だけ振り返ると唇を噛み締めながら反対方向へ駆け出していった。どうやら豆まきを中断してまででも早急に何とかしなければいけない問題があったらしい。

 

「はぁっ、はぁっ、助かったよましろ……」

 

「い、いえ。何か困ってたみたいだったので」

 

「流石は『後ろに向かって……豪速豆』……」

 

「豪速豆……?」

 

脳が酸欠でまともに話せなかった。

 

「そ、それでどうして豆を投げられていたんですか?」

 

「それが俺にも、さっぱりで、はぁっ……」

 

「節分だから……鬼になってるとかですか?」

 

「断じて鬼じゃないです……。まぁ蘭以外にも、こころとか香澄とかその辺りにも追いかけられてるんだけどな」

 

「……何か恨みを買ったとか?」

 

「怖いからやめろ……」

 

どこで買ってるかとか分かんないからね。今の時代。自分の知らないところで恨みを買ってるとか普通にありそうで怖すぎて。

 

「でもそのメンバーなら、楽しがって投げてるだけとか……」

 

「まぁこころと香澄ならそれで分からなくもないんだけど。……蘭がそんなぶっ壊れたテンションで投げてくることある?」

 

「……蘭さんは、なさそうですよね」

 

「だよねぇ」

 

共通点すらなさそうだし。少なくとも香澄とこころが結託してたとして、蘭がその話に乗ることはなさそう。

 

「……もう素直に家に帰るとかってダメなんですか?」

 

「それがさ、俺の家……普通にフリーアクセスらしいんだよね」

 

「……フリーアクセス?」

 

「たまーに起きたら人がいる」

 

「おばけ?!」

 

「いやいや人間だって!」

 

と思ったけどその事実だけ見たらめちゃくちゃ怖かったわ。

 

「そういうわけだから万が一家に隠れて踏み込まれた時逃げ場がなくなるから、家に帰るというのは少々リスキーなんだよね」

 

「そ、そ、それじゃ、私の家なんか……」

 

「ましろの?」

 

ちょっと気になりはするし、助けて欲しい気持ちも山々なんだけど、なんだかさっきの友希那よろしく俺への豆まきに巻き込まれそうでなんだか申し訳なさの方が募る。最悪家の中が豆だらけになりそう。

 

「ありがたいけど……今回は遠慮しと「あれ、雄緋さん」……レイヤ?」

 

「レイヤさん、こんにちは」

 

「ましろちゃんも、こんにちは」

 

休み休み話に興じていると現れたのはレイヤだった。思えば今日会う人みんなボーカルだな……。

 

「あの、そういえば、雄緋さん。お話があるんですけど」

 

「俺に? 何かあった?」

 

「雄緋さん……」

 

レイヤは押し黙ったかと思うと俯いて、何かを葛藤しているようだった。

 

「えっと、何かあった?」

 

「……本当にごめんなさい!」

 

「へ?」

 

懐から取り出されたそれは。

 

「……豆? まさか……」

 

「鬼は外ー!」

 

「うわぁ!! ましろありがとうさらば!!」

 

「わっ……行っちゃった……」

 

 

 

さぁ、やってまいりました。本日の鬼ごっこの時間(part.3)でございます。ヤバい。そろそろ足がガクガク行ってきている。だってこの歳になると運動することが減るから、仕方ないね。

 

「なんでみんなして追いかけてくるの?!」

 

「こうするしか、ごめんなさい!」

 

「謝るぐらいなら豆投げんなぁ?!」

 

蘭はちょっと時間の経過とともに追いかけるペースかなり落ちてきたから逃げるのそこそこ楽だったんだけど、いかんせんこの子、体力が有り余っていそう。少なくとも疲労困憊のこの体で戦うのは分が悪すぎる。

 

「俺は鬼じゃないぞ!!」

 

「分かってます! だからごめんなさい!!」

 

「会話が噛み合ってないっ!」

 

俺は後ろから飛んでくる豆を避け続けるが、流石にもう限界が近い。というかもう殆ど避けきれてない。

 

「RASのみんなのためにっ、当たってください!」

 

「理由つけられてもダメなもんはダメ!!」

 

痛いから。

 

「心苦しいですけど、私にはこうするしかないんですっ!」

 

「その理由を教えろよせめて!!」

 

さっきから理不尽な暴力に遭い続けてるんです。せめて私がこんな目に遭っている理由だけでもお聞かせください。辛いんです……。

 

「理由は……くっ、ごめんねみんなっ」

 

「せめて俺に謝れ?!」

 

なんか話聞く限りではバンドメンバー人質にでも取られてます? って感じの言動なんだけど。まぁそれとこれとは別問題だよね。俺が豆嵐を喰らい続ける理由にはなり得ない。

 

「くっこうなったら!!」

 

「何をする気ですかっ?!」

 

「追いかけられてます助けてぇ!!」

 

「ひ、卑怯な手を……」

 

一頻り叫んだ俺は人目のありそうな方の道を選んで逃げる。一応常識を持ち合わせたレイヤだ。一般人の目があるところであまりにも無謀なことはしてこないだろうと踏んだのだ。そして俺は少し大きめの通りに逃げると、そのままさらに別の裏の通りの方へと逃げた。

 

「はぁっ……はぁっ……撒いたか?」

 

「あれっ、雄緋くん?」

 

「逃げる!!」

 

「えっちょ待ってよ?!」

 

もう狙ってるだろ、なタイミングに出会した彩。うん、これは豆を撒かれる雰囲気だ。

 

「どういうこと?! 逃げられるぐらい、私嫌われてるのぉ……?」

 

「えっちょ。違う! 豆、撒かない?!」

 

「豆……?」

 

どうやら豆まき目的ではないらしい。なんかもう誰が怪しくて豆撒いてこないかとか、疑心暗鬼になってきた。

 

「撒かないならいいんだ」

 

「節分だからってこと?」

 

「だろうな。なんかみんなに会うたび撒かれてるんだよ」

 

「……楽しそう」

 

「おい」

 

楽しそうって理由だけで豆投げられてちゃたまったものじゃない。……いや、なんか笑顔になるために豆投げるとか言ってたやつもいたけど。

 

「えっと、それどうするの?」

 

「どうするもこうするも、逃げるしか今のところ」

 

「どこかに隠れたりしないの?」

 

「隠れられるなら隠れたいけど……はぁ」

 

「そ、相当困ってそうだね」

 

そりゃさっきから追い回されてるからね。

 

「そ、その匿ってあげようか、なんて」

 

「えマジで? ……あ、でももし見つかったら豆投げられるよ?」

 

「私まで?!」

 

「うん。多分」

 

あ、めっちゃ葛藤してる。

 

「ま、大丈夫だよ、そんな簡単に街中で見つかったり「あっゆーひくんだ!!」言ったそばから、またな彩!」

 

「あっ……。私も参加してみたり……ってあれ、メール?」

 

 

 

今度俺を追いかけてきたのは。

 

「待てぇー!」

 

「くっ、また会ったな! 香澄ぃっ!」

 

「ゆーひくんに豆まきするのが節分だからっ」

 

「俺に当てるな!!」

 

豆を撒くのは鬼に対してなんだよ。なんでだ……。

 

「そ、そもそもなんで俺に豆撒いてんの?!」

 

「ルールだからだよっ」

 

「ルール?!」

 

そんなトンチンカンなルール古今東西探してもないよ絶対。

 

「節分の日に1番多くゆーひくんに豆を当てた人が一日ゆーひくんのこと独り占めできるんだよっ!」

 

「ちょっと待って俺そんなの聞いてない」

 

優勝賞品が俺ってこと? それ当事者の俺に対して話通してないよね?

 

「言ってないもん!」

 

「ふざけんなぁっ?!」

 

俺はそんな理不尽に負けないために全力疾走を仕掛ける。そして見つけたのは。

 

「あっ友希那!! 助けてくれ!」

 

遠目に見つけたのは先ほど助けてくれた友希那だった。

 

「雄緋?! ……鬼は外!」

 

「ふぁっ?!」

 

突然前からも飛んできた豆。え、さっき助けてくれたよね?

 

「事情が変わったわ、諦めて喰らいなさい」

 

「嫌だ!!」

 

俺は方向転換して駆け出す。後ろからは合流した友希那と香澄が追いかけてきている。

 

「そろそろ体力もないのにっ」

 

そして俺の視界の端に映ったのは。

 

「ま、ましろっ、助けてっ、助けてぇっ?!」

 

「あっ雄緋さん! 鬼は外!!」

 

「突然の裏切り?!」

 

俺は高速ターンで方向転換してまたもや駆け出す。あーーーなんか嫌な予感してきた。結局さっき香澄が見つかった地点の方向へと帰ってきてしまう。

 

「あ、彩……、う、た、助けて!」

 

「雄緋くん?! 来てくれたんだっ」

 

「へっ?」

 

「ごめんね? 鬼は外っ!」

 

「買収されてんなぁ!!」

 

結局7人全員に追いかけられた結果、流石に捕まった俺は丸一日拘束されることとなった。なんてこった……。



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花園ランド攻防戦【たえ VS ?? VS ??】

『ここに理想の花園ランドを建設するの。こっちがオッちゃんの部屋で……』

 

 

 

 

 

……はっ?! 今なんだか、すごい深淵の世界を覗き込んだ気がする。見てはいけない世界を見てしまったような、そんな何か。だが、それが何かは思い出すことは出来ない。これが夢というやつだろうか。悪夢だね。

 

「……なに馬鹿なこと考えてんだろ」

 

あんまり無用な時間を過ごすわけにもいかず、俺は今日は一日CiRCLEのシフトに入っているものだから、モゾモゾと布団への未練を残しつつも体を無理やり起こした。

 

「また怒られるのもやだし、……行くかぁ」

 

俺はついこの間大目玉を食らってばっかりなものだから、その時のまりなさんの怒りの表情を思い起こして、体を震わせ、家を出た。

 

 

 

 

 

 

「……ただいま」

 

「オッちゃんお腹空いたの? ちょっと待っててね」

 

「……」

 

時は夕暮れ。バイト終わったんです。今日は怒られませんでした。帰ってきました。ドアを開けました。

 

……?

 

え、みなさんはこんな状況、経験したことありますか? 現実がどこにあるのかよく分からなくなった結果、一度俺は家を出てドアを閉める。鍵かかってたよね、しかも。

部屋間違えた? 合ってる、何度も腐るほど見てきた家の部屋番号。

遂に家追い出された? ありえるな。騒ぎ過ぎたし。大家さんが雷を落とした結果、俺の意思の介在の余地なしに追い出された可能性が捨てきれない。が、常識的に考えてそれはない。

 

 

……?

 

 

うん、とりあえずもう一回ドアを開けてみよう。見間違いかもしれないし。もう一回だけ確かめよう。

 

「……お邪魔します」

 

「ちょっと待っててね、冷蔵庫に刻み野菜置いといたから」

 

「失礼しました」

 

なるほど。

 

 

 

……?

 

 

 

「うわぁっ?!」

 

再度ドアを閉めて呼吸を確かめていると、途端にドアが開く。勿論俺が開けたのではない。

 

「おかえりなさい」

 

「……おたえさんや」

 

「どうしました?」

 

「なんでいんの? あとうさぎ」

 

「花園ランドができたんです」

 

「話聞けこら」

 

ダメだ、この暴走機関車と話を噛み合わせることができそうにない。けど俺とてバイト上がりで疲れているので、家に帰らないという選択もいまいち取り難く、諦めて俺は玄関に入る。

 

「なにか、怒ってます?」

 

「怒らないとでも思った?」

 

「あっそっか、あれやってないからですか?」

 

「あれ?」

 

たえはこちらにくるりと華麗なターンを決めて振り返る。

 

「おかえりあなた。ご飯にする? うさぎにする? それとも、わ・た・し?」

 

「……」

 

 

 

 

……?

 

 

 

 

「あれ、違いました?」

 

「うん」

 

「そっかぁ」

 

ちょっとだけ良いな、と思ってしまった俺を赦してほしい。だって、ある意味男の夢みたいなものだろ? 新婚三択って。仕方ないじゃん。あっでも帰ってきて大量のうさぎに家が占領されてるのはちょっと問題だな。

 

「まぁどうぞ、上がってください」

 

「一応言っとくけどここ俺の家なんだけど?」

 

既になんか足元にたえが飼っている、オッちゃん? だっけ、がいるけどね。占領されてるじゃん。リビングにつながるドアを開ける。

 

「は……?」

 

「ようこそ、花園ランドへ」

 

「なんじゃこりゃあぁっっ!?」

 

予想だにしてなかった、というか予想したくなかった光景がそこに。

一面うさぎ、いやそれは言い過ぎか。でもあちこちうさぎ。うさぎ。あっちにもこっちにもうさぎ。うさぎの向こうにもうさぎ。なんだかもうてんやわんやで何が起こっているのかすら分からない。

 

「どうしてくれるんだ?!」

 

「うさぎ可愛いでしょ?」

 

「ここまで多かったら可愛いとかのレベルじゃねぇ!!」

 

可愛がる余裕すらないだろこれ。というか自宅から連れてきたのか知らないけどこの量のうさぎどうやってここまで持ってきたんだよ……。

 

「はやくなんとかしろ!」

 

「騒いだらうさぎがびっくりしちゃう」

 

「びっくりしてんのこっちだわ!! なんでバイトから帰ってきたら家の中うさぎだらけになってんだよ?!」

 

「花園ランドだから」

 

「俺の家です!!」

 

「……住みたいの?」

 

「違う! いや違わないけど違う!!」

 

花園ランドに住む? 冗談じゃない。出口がないだとか、というかもう色々無茶苦茶がすぎる。いやこの間から散々な目には色々遭ったけどね、まさか家が魔改造されてるだなんて、唯一の心のオアシス! ……いやなんかたまに侵入者がいるけど。というか今現に大量発生してるけど、仮にもプライベート空間だよ。

 

「とりあえずうさぎだけでもなんとかしろ!」

 

「なんとかって」

 

「ゲージ入れるなりあるだろ?!」

 

見れば部屋の奥隅の方にゲージらしい籠が積み重ねてある。なんで解き放った……。

 

「うさぎが可哀想」

 

「俺のセリフだわそれ」

 

「仕方ないなぁ」

 

渋々と言った様子でうさぎを餌で釣るなりゲージの方へと戻していくたえ。というかなんでそっちが妥協してますみたいな態度なの? 魔改造したの君だよね?

 

「見てないで手伝ってください」

 

「あっ……はい」

 

部屋が返ってくるならもういっかぁ。

 

 

 

「ようやく全員戻った……」

 

大きなゲージに10匹を優に超えるうさぎを戻すわけだからその苦労は想像も容易だろう。だって戻してる途中でまたゲージから出ちゃう子とかいるし。あと偶に噛まれそうになる。なんか敵意を向けられてる気がする。ゲージの中からそんな視線を感じる。それはともかくとして肉体労働を終えて疲れ切った俺はなんか毛まみれの炬燵の布団の中に入る。

 

「私の花園ランドが……」

 

「前から思ったけど花園ランドって何物?」

 

「……? 花園ランドは花園ランドだよ」

 

「いやもっと具体的に何があるかとか」

 

花園ランドは花園ランドなんです、とかなんの説明にもなってないよ。

 

「私の好きなものが全部揃ってる場所」

 

「好きなもの?」

 

「まずうさぎでしょ、あとはハンバーグかな」

 

「うさぎのハンバーグ……?」

 

「カニバリズムだ……」

 

違うよ? じゃなかった、俺もなんか発想がぶっ壊れ始めてる。あっ、なんかゲージから飛んでくる敵意の目線が強くなった気がする。ごめんよ、食べないから許して。

 

「美味しいものもいっぱいあって、なんでも食べ放題で。ポピパのみんながいて、ギターも好きなだけ弾ける」

 

「理想郷みたいな」

 

「そうだよ。あっ、あと」

 

「ちょ近い」

 

ずいっと、ぬくぬくと炬燵に篭っていた俺の方に顔を寄せるたえ。部屋の中は獣臭かったはずが、どういうわけかたえの体からは生臭くない甘い香りが漂った。

 

「雄緋さんも」

 

「……えっ」

 

「大好きなので、欲しいです」

 

「そ、そう?」

 

照れる。近い近い。

 

「知ってますか?」

 

たえから放たれるオーラはいつもの気の抜けたものとは何から何まで違う。年頃の乙女を感じさせない妖しいオーラ。俺はそんなものに屈しないと平然を装った。

 

「何が?」

 

「うさぎって寂しいと死んじゃうんですよ」

 

「……それウソなんじゃなかったっけ」

 

「……知ってましたか」

 

そうだよ、これみんなデマらしいからね。科学的根拠はなくて単に突然死することがあるからそう感じるってだけだからね。

 

「うん」

 

「知ってますか?」

 

「今度はなんだ?」

 

「……えいっ」

 

「ちょ」

 

なぜか肩を掴まれ、俺の目線は天井のうねった白いラインを向いていた。しかしそんな光景もドアップのたえによって遮られた。

 

「うさぎって万年発情期なんですよ」

 

「そ、そうなのか? 分かったから起こし」

 

「私、うさぎなんです」

 

「は……?」

 

「発情期です」

 

「……つまり?」

 

「襲っていいですか?」

 

「ダメ」

 

「答えは聞いてないです」

 

「おいってんっ……」

 

這い出ていなそうとした俺の体を上から押さえつけ、マウンティングの姿勢を取ったたえの唇がそっと紡がれた。発情期という割には穏やかだったそのキスも徐々に体の重みが加えられ、呼吸もできずに苦しくなる。

 

「んっ……ぶはっ、ちょ……やめろって」

 

「雄緋さんって」

 

「へ……?」

 

「色んな女の子から、こうやってされてますよね?」

 

「……そんなことは「全部見てますよ」……へ?」

 

さっきまではほんの僅かに穏やかな空気を醸し出していたのに、今のたえからは不穏な空気しか感じることが出来なかった。

 

「何言って……」

 

「うさぎって視野が広いから、色々見えるんです」

 

「ちょ……」

 

ずっとのし掛かられている俺はヤバいと直感的に察した。体を捩るも中々抜け出せそうにない。

 

「ちょっとだけ妬いちゃったので」

 

「おい……」

 

「発情期だから我慢できなくても仕方ないですよね?」

 

「待てって」

 

「花園ランドで、一緒に暮らしませんか?」

 

「くっ、ちょ」

 

パリン!!

 

「……?」

 

突如、ガラスが割れたような音が響き渡る。そして視界の端に大きな影が一つ、そしてさらに小さな影が連続して現れた。

 

「花園さん。そこまでよ」

 

「……友希那先輩?」

 

現れたのは。

 

「……ネコ軍団」

 

じゃない。ネコ軍団と、それを率いる。

 

「助けを求める声が聞こえたわ。我ら、Comprehensive Assault Team、通称CATに任せなさい」

 

「意味わかってる?」

 

「ネコよ」

 

違う、そっちじゃない。でもまぁ、助けに来てくれたということはありがたい限りである。このままじゃ完全にこの発情期のうさぎに襲われてたし。

 

「たとえ友希那先輩でも、邪魔するつもりであれば容赦はしません」

 

「そう。ならば仕方がないわね」

 

「ですね」

 

たえがゲージのドアを開け放とうと手をかける。今ここに、ネコVSうさぎという異種格闘技……、で合ってるか分からないけど、が開戦され……。

あ、いやちょっと待って。ヤバくね? お互いの生命の危機では? あとついでに俺の家大変なことならない?

 

「ストップ!! 待て!!」

 

「……どうしたの雄緋。貴方を助けるため、うさぎは致し方ない犠牲よ」

 

「そうですよ、ネコは尊い犠牲となるだけです」

 

やばい、バチバチと火花が散っている。ネコとうさぎの間でものすごい殺気の応酬が繰り広げられようとしている。

 

「このままだとうさぎかネコが傷つくことになるのにいいのか?!」

 

「……それは」

 

「……たしかに」

 

俺の言葉に一旦は矛を収めようという気持ちになったらしく、たえはゲージの蓋を開けることなく済んだ。……あぶねぇ。

 

「……友希那先輩」

 

「何かしら?」

 

「ネコって発情期あるんですか?」

 

「……はい?」

 

「発情期」

 

「あるんじゃないかしら」

 

2人はどうやら俺には意味のわからない次元で心を通わせ合っているらしい。あれ、互いに頷いて何故かこっちを見た。

 

「雄緋」

 

「何でしょう」

 

「発情期って知ってるかしら」

 

「そりゃね」

 

それ口実で襲われかけてたからな。

 

「ネコって明るいところにずっといると発情期になるそうよ」

 

「うん、それで?」

 

なんか嫌な予感というか、デジャヴだよねこれ。俺は立ち上がる。

 

「私はずっと明るいところにいたの」

 

「はい」

 

よし、逃げよ

 

「おい、なんで俺捕まえられてるの?」

 

「逃げようとしてたから」

 

うとしたら、後ろからたえに羽交い締めにされて動けなくなっていた。

 

「2人とも発情期なら、仕方ないわよね?」

 

「仕方なくないです!」

 

「出口、ないんですよ?」

 

「あります!!」

 

なんとか振り解こうとしたその時。

 

「……友希那ちゃん? たえちゃん? 何をしているのかしら?」

 

「……え」

 

「その声は」

 

「千聖とレオン……!」

 

「人の家に無許可で動物を連れ込んで、挙げ句の果てに雄緋を襲おうだなんて、お説教が必要かしら?」

 

特大ブーメラン刺さってるけど。

 

「友希那ちゃん? 豆まきの件だとかで、リサちゃんが怒っていたわよ?」

 

「なっ……あ、あ……」

 

「たえちゃんも、紗夜ちゃんに伝えておいたわ。学校で暫く教育的指導が必要だって」

 

「せ、殺生な……」

 

「まったく、勝手に家に動物を連れ込んで、ガラスを割って荒らし回り、終いには私の雄緋を襲うだなんて、反省しなさい!!」

 

反省してください千聖さん。というか最後なんつった?

 

「そもそも雄緋は私のものよ? 誰にも渡さないわ」

 

「ちょっと、それは聞き捨てならないわね」

 

「私だって、雄緋さんのことは渡しませんよ」

 

「……もう逃げても良いかな」

 

うさぎ VS ネコ VS レオンくん。絶賛公開中!!

 

ちなみに逃げたら逃げたで家の中大変なことになってたし、ガラスの修理代諸々で先月のバイト代が殆ど消えました。ちきしょうめ。



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Not シスコン But ロリコン【日菜&あこ&明日香】

みなさん、今日もご機嫌麗しゅう。ご機嫌斜めな北条雄緋です。只今、俺の家は物々しい雰囲気に包まれています。カタカナで 『ゴゴゴゴゴゴ……』 って文字が部屋に浮かんできそうなぐらいには雰囲気がやばい。

 

「……第1回、おねーちゃん選手権!!」

 

タイトルコール。が、歓声が起こるとかそう言うわけではない。むしろ緊張感がより高まったと言うかなんというか。というかその内容でなんでこんな緊張感が溢れてるの?

 

「俺の部屋で何やろうとしてんの?」

 

俺はこの選手権もどきを主催しようとしている日菜に向かって問いかける。が、なぜかそれ以外の参加者からものすごく恐ろしい目線を向けられる。ちなみに参加者は俺含め4人、日菜とあこと明日香。いや、というかなんで俺がナチュラルに含まれてるのか。

 

「だーかーらー、おねーちゃん選手権!」

 

「うん、だから何それ?」

 

「お互いのおねーちゃんの良いところをアピールするんだよ!」

 

「だからなんでそれをここで開催してるの?」

 

あ、みんな目を逸らした。なんか俺の家がフリースペースみたいになってるけど、そういうのならCiRCLEのラウンジとか使えよ。まりなさんも喜ぶだろうからさ。俺のプライベートスペース使ったところで誰も喜ばないんだよ。

 

「まあそれはそれとして、これ俺も参加してるの?」

 

「えっ、当たり前じゃないですか」

 

「ゆーひってお姉ちゃん居たんじゃなかったっけ?」

 

「いやまぁ、居るけどさ」

 

俺はここに居る面々と違いシスコンの気はないぞ。むしろ弟の立場からすれば姉とは色んな意味で恐ろしさの象徴のようなものなのだ。たまにびっくりするぐらい優しいけど。

 

「なら雄緋さんももっと積極的にお姉ちゃんの良さをアピールしないと」

 

「なんでそんなこと……」

 

「そんな……こと……?」

 

え? なんか俺今、地雷踏んだ? 俺の一言がこの部屋の闇に飲まれていった瞬間、みんなからの目線がとんでもなく怖いものに落ちた。

 

「あたしたちはこれに全てを賭けてるんだよ?!」

 

「それを馬鹿にするなっ!!」

 

「ひぇっ……」

 

あかん。

 

 

 

……あかん。

下手なこと言ったらその瞬間お陀仏になりそう。俺もこれに命を賭けよう。

 

「それじゃあファーストステージは、『私のおねーちゃんの武勇伝!!』」

 

「ひゅーどんどんぱふぱふ!」

 

「あぁ……またうるさいって怒られる……」

 

俺の切実な悩みはこいつらには関係がないようで、説明を淡々と進めていく日菜。急に空気も和んだな。それはそうと、姉の武勇伝ねぇ……、特に思いつかないけど。

 

「トップバッターはー?」

 

「はーい! あこから!!」

 

「おっ、あこちゃん積極的だねぇ」

 

「あこのおねーちゃんはね……」

 

 

──────────────────────────

 

あれはあこが10歳の夏……。まだまだ無邪気な盛り……。

 

『あ、あれ、暗くなってる……?』

 

気がついたら外は夜闇に包まれていて、あこはその場から動けなくなるほどの言い知れない恐怖に苛まれた。

 

『え、うそ。こ、ここどこぉ……?』

 

いつもならこのまま真っ直ぐに家に帰れるはずなのに、あたりは真っ暗。どうしていいのか分からなくなったあこはただ漆黒の血涙を流すことしかできなかった……。

 

『ひぐっ、おねー、ちゃん……助けてっ』

 

いくら涙を落としても、あこに救いの手を差し伸べる人なんて居なくって、往来を流れゆく人の群れはまるであこが見えないかのように素通りしていく。あこは絶望に打ちひしがれるしかなかった。

そんな時だった。

 

『……あこ!!』

 

『……おねーちゃん?』

 

『こんなところにいたのか! 心配したんだぞ!!』

 

『おねーちゃんっ、おねーちゃんっ!!』

 

街で彷徨い続けたあこを、なんとおねーちゃんは見つけ出したのだ。

 

──────────────────────────

 

 

「あの夜、助けてもらった日のことは、まだあこは鮮明に覚えてるよ!!」

 

「おお、これは武勇伝」

 

「なんと、それだけじゃなく……」

 

「そ、それだけじゃなく?」

 

「なんとあこがお母さんに怒られる時も必死に庇ってくれたんだ!!」

 

「巴ちゃんイケメンすぎるぅーーー!!!!」

 

「な、なんたる姉力……」

 

やばい。このテンションについていけねぇ。あこが楽しそうに語るのはまだ分かるとして、日菜と明日香ちゃんの反応がやばい。というか明日香ちゃんってこんな子だっけ? もっと姉とは対照的に大人びて落ち着いた雰囲気だった気がするんだけど。

 

「まっ、こんな姉、地球上のどこを探してもおねーちゃんただ1人だよ!!」

 

「待ったぁっ!!」

 

「あ、明日香ちゃんっ?!」

 

「……私のお姉ちゃんだって、負けてない!!」

 

「おおっ、明日香ちゃんの目に魂が宿ってる?!」

 

 

──────────────────────────

 

あれは私が中学2年生の頃……。花咲川の水泳部だった私は、所謂スランプに突入してしまった。

 

『……はぁ』

 

家でリビングにいる時も、無性にため息ばかりついてしまって。

 

『水泳かぁ』

 

あまりにも結果が出せない自分が不甲斐なかった私は、いっそのこと水泳なんてやめてしまえたらなんて、そんな風に自暴自棄にすらなっていた。

 

『あれぇ、あっちゃん今日は帰り早いねっ』

 

『……あ、お姉ちゃん。おかえり』

 

『ただいまぁっ!』

 

どんな時でも元気すぎるお姉ちゃんが、どこかうざったくて、どこか羨ましかった。それはきっと、私にないものを持っているから。

 

『……ねぇあっちゃん』

 

『……え、どうしたの?』

 

『……ううん。何か悩んでるのかなって』

 

『そんなつもりじゃ』

 

でも、その日のお姉ちゃんはなんだかいつもよりも神妙に。

いつのまにか私はお姉ちゃんに後ろから抱き締められていた。それはいつものような、抱きついてくるとか、そんなんじゃない。もっと慈愛が籠った、温かいハグ。

 

『……お姉ちゃん?』

 

──────────────────────────

 

 

「何か察してくれたのかな。お姉ちゃんは何も言わずに、ずっと……」

 

「香澄ちゃんやるぅ!! そして普段とのギャップ!!」

 

「あこの心まで射抜かれそう!」

 

「ま、まぁ別に嬉しかったとかそういうのではないけど。武勇伝かなって、私的には!!」

 

なんだかこの妹たち、すっかり姉にベタ惚れだな。素直になり切れてないところとかもあるが、こんな姉がいれば、なんて俺も少しだけ考えてしまった。

 

「じゃっ、次はあたしのおねーちゃんだねっ!」

 

「紗夜さんかぁ。いっぱい武勇伝ありそう……」

 

 

──────────────────────────

 

ついこの間、あたしが学校から帰ろうと校門を出ようとした時。生徒会のお仕事で先生とお話ししてたら、気がついたら夜も遅くなってて。

 

『早く帰んなきゃっ』

 

『あ、あの!』

 

『ん? 君誰ー?』

 

あたしの目の前には花女の制服を着た子がいて。面識は無かったんだけどもしかしたらファンの子かなーと思ってたんだけど。

 

『ひ、日菜さん! 好きですっ!』

 

『ほんとにー? ありがとっ』

 

『そのっ、恋愛的な意味で好きです!!』

 

『……えっ?』

 

あたしは突然言われたその言葉の意味がよくわかんなくて、固まっちゃったんだけど、その子がジリジリと迫ってきたものだからなんだか怖くなって。

 

『ちょ、あたしそーいうのは……あはは』

 

よくわかんなかったから笑って誤魔化そうとしたら急に距離が近くなって。どーしたらいいのか分かんなくなって。そしたら。

 

『わっ……、え、……おねーちゃん?』

 

『うちの日菜に、何か用でしたか?』

 

『さ、紗夜さん?!』

 

『妹が何か粗相をしましたか?』

 

『……私っ、日菜さんのことが好きなんです!!』

 

その子の告白に、おねーちゃんは詰るのではなく。

 

『……そうでしたか。ごめんなさい、お邪魔をしてしまって。日菜、ちゃんと貴女の本心で答えてあげなきゃ、この子が困っているわよ』

 

『え、う、うん』

 

おねーちゃんが声をかけてくれたからか、なんだか急に落ち着きを取り戻して、自分の中の気持ちが整理できるようになって。

 

『気持ちは嬉しいんだけど、ごめんね? あたしは今、そういうこと考えられなくて』

 

『そ、そうですよね』

 

『だからいっぱいパスパレのこと、応援してくれると嬉しいなって!』

 

──────────────────────────

 

 

「その日家に帰ったらね、おねーちゃんが『日菜も、よく頑張ったわね』って頭ナデナデしてくれたんだよ?!」

 

「紗夜さんのデレる姿……ギャップ萌え……!」

 

「想像つかないなぁ……」

 

武勇伝なのか? とは思ったけど、たしかに日菜の心の安寧のために働いたと考えたらものすごく立派な武勇伝だったのかもしれない。

 

「えへへぇ、るんっ♪ が止まらなかったなぁっ、るんっるらるんっ♪」

 

「その日のことを思い出して高揚に浸れるのか……」

 

その域までいくとシスコンとかそんなちゃちな枠では考えられないのかもしれない。まぁそれだけ、巴にしろ、香澄にしろ、紗夜にしろ、なんだかんだ姉妹仲は良いのだろうなぁと、ふと考えてしまう。

 

「雄緋さんのお姉さんの武勇伝はないんですか?」

 

「……えっ、俺?」

 

まさか本当に聞かれるとは思っていなかった俺は必死に頭をフル回転させて、姉とのエピソードを何かと思い出す。

 

「そういえばどんな人なのか聞いたことないなー」

 

「武勇伝含めて教えてよっ」

 

「えー……」

 

 

──────────────────────────

 

当時高校3年生の夏頃。学校では全国模試の結果が返ってきて、学校では先生と親と三者面談をして、進路をどうするかー、なんてのを話し合わなくちゃならなかった頃。

 

『進路なんて言ってもねぇ』

 

これといって大学に行って勉強をしたいことがあるわけでもなければ、どこか就職してしたい仕事があるというわけでもなく。幸いなことにして、親からはどんな進路でも応援するなんて言われてたけど、逆に余りに多すぎる将来の選択肢に、俺は何も活路を見出せないでいた。少しだけしたいことなんてのはあるけど、それを目指すには足を踏み出し切れないのだ。

 

『あれ、ゆうー、どうしたの? 進路志望届?』

 

『出さなくちゃいけないからさ』

 

『何かしたいこととかないの?』

 

『ねーちゃんと違って、したいこととか決まってるわけでもないからな』

 

『あっそうなの? ゆうのことだから東京の方の大学に行くのかと思ってた』

 

『なんでだよ……』

 

『だって去年オープンキャンパスとか色々行ってたでしょ?』

 

『んー、まぁ』

 

『本当は一人暮らしとか、都会に出るのとかが怖いだけだったり』

 

『……まぁ家を出るのはちょっと』

 

『まっ、色々辛くなったら帰ってきたらいいじゃん』

 

『ねーちゃん……』

 

『……彼女に振られた傷ならおねーちゃんが慰めてやろうっ』

 

『要らない』

 

『辛辣ぅっ。好きなタイプは?』

 

『ねーちゃんみたいに煩くない人』

 

『えっ、立候補していいの?』

 

『違う。うるさく、ない人』

 

『全私が泣いた』

 

──────────────────────────

 

 

「まぁ、色々辛いこともあるけど、帰る場所があるって思えたら、怖いものもなくなるからな。ねーちゃんと色々バカやってた頃が懐かし……ってどうしたお前ら」

 

俺が話し終わったっきり妙なほどに静かになる会場。俺もしかしてなんかまた地雷踏んだ? またなんか俺やっちゃいました?

 

「あたしって、普段から物腰柔らかくて、静かにしてるよね」

 

「……むしろそれは紗夜の方が?」

 

「あ、あこも静かだよね?!」

 

「元気いっぱいでいいと思うぞ?」

 

「……わ、私ってお姉ちゃんと比べたら、どうですか?」

 

「えっ、大人びてて、釣り合い取れてて良いんじゃないか?」

 

なんかみんなめっちゃ静かになった。……え、この空気どうすればいいの?

 

「ゆ、雄緋くんは煩い人嫌い?!」

 

「え、えぇっ?!」

 

さっきお姉ちゃんのかっこいいところとかで競い合ってた時よりもみんな目が真剣(マジ)なんだけど。

 

「良いから答えて!!」

 

「えっ、嫌いじゃないけど」

 

「わ、私じゃダメですか?!」

 

「えちょっ、近い近い近い!」

 

「元気なお姉ちゃんの方が私より良いんですか?!」

 

「どういう意味?!」

 

「恋愛的な意味に決まってるじゃん!!」

 

「そ、そこら辺は気にしないけど!!」

 

いや、年齢的な意味で気にした方がいいな。

 

「結局ゆーひの好きなタイプは?」

 

「……え?」

 

「……そうだ、この中だと誰が1番好き?」

 

「……はい?」

 

視線が痛い。めっちゃぶっ刺さってる。この間の節分の時の豆より鋭い。なんか回答間違えた瞬間に、俺の意識刈り取られそう。迂闊に誰が好きとか答え出すのは間違いっぽい。

 

「別に誰か1人「勿論、みんな好きとか、そんな答えダメですからね?」……えっと」

 

詰んだ。

その答え封じられると詰んだ。みんな好きじゃなくて、かつ優劣つけないとかだと、みんな嫌いってこと? そんなこと言ったら俺多分ここで人生のゲームオーバーよ? 好きか嫌いかの二元論じゃなかったとしても、普通とか答えても多分アウトよ?

 

「えっと……」

 

よし、落ち着いて素数を数えよう。2,3,5,7,11,13,17,19,23,29,31,37,41,43,47,53,57、あ、57は素数じゃないわ。

 

「ねぇ、聞いてます? 早く答えてください」

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

冷静に考えるんだ。3択なんだ。日菜、あこ、明日香ちゃん。優劣つけるなんてのは嫌いだけど、かといってこの世の中みんなおてて繋いでゴールイン、なんてわけにもいかない。冷静に考えよう。

日菜、この中ならある意味ねーちゃんに似て煩いかもしれない。ダメだな。

あこ、うーん、やばい、年齢的にやばい。犯罪臭すらする。ダメだ。

明日香ちゃん。年齢あこと一緒じゃん却下。

年齢のことを考えると日菜しかいないんだけど、そもそも高校生という時点で犯罪スレスレな気がするんだ。

 

「えー、えー、えー、俺歳下あんまり好きじゃないというかなんというか」

 

「へぇー」

 

「へぇ」

 

「へぇ?」

 

「その、年齢的にまずいかな……なんて」

 

「あこちゃん。至急みんなに連絡して、雄緋くんは歳上好きだから大学に彼女がいるかもしれないって」

 

「ちょいないから!」

 

「……へぇ、みんなで調教ですね、下の良さが分かるまで」

 

「調教?!」

 

「そもそもどうして年齢なんか気にするんですか?」

 

「世間体!!」

 

「えー、でもあたしたち、同意してるんだよ?」

 

「同意?!」

 

「雄緋さんなら嫌じゃないんですよ?」

 

「何故?!」

 

「歳下の良さ、思い知れぇっ!」

 

「勘弁!!」

 

ケテ...タスケテ......。



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黙秘権を行使します【紗夜&巴&香澄】

前回の話を読んでいた方がなんとなく内容が理解しやすいと思います。






その悪夢は本当に何の前触れもなく起こったのだ。

 

ピンポーン。

 

「またか……今度は誰だ?」

 

起きがけの体は気怠く、玄関のドアが遠い。トロトロと布団から這い出ると。

 

ドンドンドンッ!

 

「はぁっ?」

 

玄関のドアから聞こえてくる凄まじい轟音。それは凡そ平常を表すものではなかった。

 

「出ます、出ますからっ!」

 

俺は急いで玄関のドアを開けた。

 

「警察です。北条雄緋、だな?」

 

「……は? はい」

 

目の前の青服に身を包み、目深に朝日影の紋章をつけた帽子を被るその人たちは紛れもなく。

 

「貴方に逮捕状が出ています。署まで御同行を」

 

「は……」

 

小さな頃はまさか自分がそんな物騒なことの当事者になるだなんて、思ってもみなかった。けれども、目の前に突きつけられたそれは、自分が己の過去の行いを懺悔せざるを得ない悪人であるということを否応なしに突きつけてくる。青天の霹靂に俺は口をぽかんと開けるしかなかった。

 

で、今に至ると。

 

「おい、出せよ!!」

 

「ダメだ! 指示があるまでそこにいろ!」

 

北条雄緋、in 鉄格子。ふざけてるわけじゃないよ? 警察に捕まったからヤケになってるわけでもないよ? おいそこ、遂に捕まったか……なんて呆れたことを言うんじゃないよ。違うんだ、俺を捕まえたのは国家権力なんてものじゃない。

 

「呼び出しだ! 出ろ!」

 

「ちょ……くっそ、おい、分かってるんだぞ!」

 

俺は無理やり連行されていく中でも、しっかりとその名前を叫んだ。

 

「おい巴!! 警官を装ってるつもりらしいけどバレバレだからな!!」

 

「……何のことだか」

 

俺のセリフはドブへと吐き捨てられて、俺は警官らしき巴に連れられていく。両手を後ろ手に縛られた哀れな俺の姿を巴に晒すことになったのだった。

 

 

 

「ここだ、入るぞ」

 

その警官らしき巴に連れられて、俺はある部屋へと入れられる。部屋の中央に据えられた事務机にはすでに誰かがもう座っている。その事務机の右隅に取り付けられた薄白い光を放つライト。そして窓につけられたブラインド。全体的に殺風景なこの部屋はまさに。

 

「……取調べ室じゃねぇかこれ」

 

「余計なことは喋らないでください」

 

俺の手錠の拘束を解くと、巴は部屋の隅っこにある椅子に腰掛けた。

 

「早く座ってください」

 

「へいへい……って」

 

「それではただいまから北条雄緋さんの取調べを始めます」

 

「何してんの紗夜」

 

「……、さて、取調べにおいては貴方には黙秘権が認められています。本来なら」

 

「えっ」

 

「ですが、私が取調べをする以上、そんなものはありません。何が何でも吐いてもらいます」

 

「なんで?!」

 

目の前の警察官、もとい紗夜さんが仰ってることの意味がわかりません。というかさりげなく無視したよね俺の質問。ちなみに紗夜さんがその服を着てるとコスプレ感が。ミニスカポリス的な。

 

「どこを見ているんですか?」

 

「何でもないです」

 

「言いなさい」

 

「紗夜さんです」

 

「……の?」

 

「……黙秘権を「ありません」体です「正直でよろしい」……」

 

というかさりげなく今自分が紗夜だって自白したようなものだろ。

 

「それで紗夜さん何して」

 

「それでは、質問を始めます」

 

「無視すんなおいこら」

 

「……何でしょう?」

 

「何で俺逮捕されて、こんな取調べ受けてるの?」

 

そうなんだよ。今のところ俺が捕まるってことの意味がわからない。一体何がどう言うわけで取調べを受けてるのか、その目的もサッパリである。

 

「……そうですか。では、巴さん。彼にあれを」

 

「分かりました!」

 

「ん?」

 

何やらスマートフォンの画面に映し出されたのは。

 

「ってこれ俺の部屋じゃねぇか?!」

 

隠し撮りされた俺の部屋。ちなみに映っているのは俺と明日香ちゃんと日菜。

 

『あこちゃん。至急みんなに連絡して、雄緋くんは歳上好きだから大学に彼女がいるかもしれないって』

 

日菜の発言がデバイスから流れている。角度などから察するにあこによって撮られていたものらしい。というかやってることどっちが犯罪かで言えばこの人たちの方がよっぽどやばい、なんて言おうと思ったけど怒られるのが怖いので言えない。

 

「このようなタレコミがあこたちからあったので」

 

「タレコミの何もそれ日菜の虚言だよ? 邪推ってやつだよ?」

 

「うるさいぞこの犯罪者め!」

 

そっくりそのままお返ししたい。けど、机バンってするのビビるからやめろ。

 

「言い忘れていましたが、一応貴方は弁護人を依頼する権利があります。あったはずでした」

 

「……どういうこと?」

 

「この取調べはガールズバンドみなさんの総意ですので。たとえ誰に依頼しようと弁護人になることはありません。強いて言うならば喜んで警察官役になるかもしれませんが」

 

「圧倒的国家権力……、というか何でみんな喜んでやるんだよ」

 

「え? だって雄緋さんのパソコンの履歴に『警「わあああーー!!!!」……なんですか?」

 

「何の話ですか?」

 

「だから「わあああーーーー!!」……少し静かにしてください」

 

「はい」

 

「警察官」

 

「黙秘権を行使します」

 

「……ミニスカートの」

 

「黙秘します」

 

「パソコンの履歴に「黙秘」……まぁいいでしょう」

 

それは、見たらダメというやつですよ。本当に。人のパソコンの検索履歴とかみるのほんっとうに、ほんっっっとうに良くない。見られて目の前で朗読なんてされたら俺はもう躊躇なく切腹『ブシドー!』……を選ぶよ? この世に数多ある拷問の中でも最上級に性格悪いでしょそんなの。

 

「とにかく、みんなアピールのために喜ぶと、まぁそんなことは良いんです! 本題に入りますよ!!」

 

「……はい」

 

「それで、北条雄緋さん。『貴方には貴方の通う大学に彼女がいるかどうか』、答えてください」

 

「いません」

 

「それを証明できるものは?」

 

「悪魔の証明だろそれ……」

 

いないことを証明するなんて無理ゲーすぎる。何をどうすればそんなの証明できるんだ。

 

「……あ、たとえばたまに俺の家誰かに侵入されてるんですけど、たとえ誰かが来たとしても、家に彼女を連れ込んでる、なんてことないでしょ?」

 

「……たしかに。ですが、それは『同じ大学に彼女がいないこと』の証明にはなっていませんよね?」

 

「うぐっ……」

 

「それと、もう一点。……不法侵入しているのは誰ですか?」

 

「えっ? 確か千聖と彩と……あ、この間帰ったらたえがいたな」

 

「巴さん。直ちに捜査官の派遣を」

 

「分かりました!!」

 

まぁ、普段散々だしこれぐらいは良いよね。巴が慌ただしく出て行った。まぁこの際ちょっとぐらい反省してもらおう。

 

「……まぁ、大学に彼女がいるかどうかについては、このぐらいにしておきます」

 

「ほっ」

 

「次は、雄緋さんの好みのタイプはなんですか?」

 

「タイプ?」

 

「日菜の話では、雄緋さんは落ち着いていて煩くない人ということでしたが……。……なるほど」

 

「……な、なんですか?」

 

「これって私のことですか?」

 

「違います」

 

「……好みのタイプは、ギターが上手く、勉強ができ、生徒会役員でありながらRoseliaで、笑うと可愛くて、マメで努力家で、たまに優しくて、ポテトが大好きな方、と、なるほど」

 

「それは貴女の妹さんの好みのタイプでは?」

 

「……ごほん」

 

あっ、照れてる。

 

「と、とにかく。どういった方が好みなんでしょうか?」

 

「これって取調べなんだよね? お見合いとかじゃないよね?」

 

「そんな……気が早いですよ……」

 

「変なこと言わなきゃ良かった」

 

知ってたけど、みんなテンションぶっ壊れすぎでしょ。

 

「好みのタイプは」

 

「……ごくり」

 

「取調べをしない人かな」

 

「……質問を続けます」

 

そこは自重してくれよ……。

 

「……歳下は好みではないということでしたが、その発言の真意は如何程でしょうか」

 

「えっ」

 

「詰まるところ、歳上が好きなのですか? 歳下が好きなのですか? それとも同い年が良いのですか?」

 

「えっ、いやこだわりがあるわけじゃないけど……」

 

「つまり私たちにもチャンスがあると?!」

 

「ちょ近い近い!」

 

「……ごほん。すみません、取り乱しました。それで、年齢はさほど気にしないということでしょうか?」

 

「まぁ、平たく言えば」

 

「ではなぜ私たちが迫った時などに拒まれるのですか?」

 

「えっ」

 

そこはもはや年齢が云々の問題じゃないよね。だって皆さん、怖いもん。一周回って勢い良すぎて、そのまま突っ込んでくるんじゃないぐらいの勢いなものだから思わずこちらも腰が引けてしまうという。多分みんな全然気づいてないけど。

 

「まぁ。皆さん一応高校生とかじゃないですか」

 

「はい」

 

「で、俺は大学生なわけで」

 

「はい」

 

「犯罪臭するじゃん?」

 

「愛に年齢差は関係ありませんよ?」

 

「えぇ……」

 

俺にとって関係があると俺が考えてるんだから問題があるんだよ……、暴論だけども。少なくとも俺は気にしますよ、その辺りの世間体。

 

「歳下では満足できないのですか?」

 

「満足できないとは」

 

「歳上の余裕のようなものがないだとか」

 

「そういうのは求めてないかなぁ」

 

「……なるほど」

 

やっぱりこれさ、取調べじゃないよね。さっき総意だとか抜かしてたけど、絶対に紗夜の趣味というかそんな感じでしょ。

 

「あの、そろそろ取調べ終わってくれません?」

 

「まだです、聞きたいことが残っています」

 

「どれぐらい?」

 

「……そうですね、ざっと100個ぐらいは」

 

「終わんねぇだろ一個に絞れ!!」

 

「くっ……」

 

目の前で灰色の机に頬杖をついている紗夜の顔は百面相の如くコロコロと変わる。どうやら相当悩んでいる様子らしい。かといってそんなに大量の質問聞かれてばっかじゃこっちだっていつまで経っても帰れないし。暇じゃないし……暇じゃ……暇じゃ。あれ?

 

「紗夜、今日何日?」

 

「2月の8日ですが……、どうかしましたか?」

 

「……バイト!!」

 

やっべぇ。次遅刻とかブッチとかしたらガチでまりなさんに怒られる。いやというか、この間めちゃくちゃすでに怒られてるし。下手したらこのままクビとか言われそう。早く終わらせないと、やばい。

 

「ちょ、早く紗夜!」

 

「CiRCLEのバイトですか?」

 

「そう! 怒られるから!」

 

「なら心配はいりませんね」

 

「いるから! 俺が怒られるんだよ!!」

 

「まりなさんには話を通してありますので、納得していただいてから連行しています」

 

「……はい?」

 

え、俺遂に諦めて解雇された? いやまぁ、全然まともにバイト来ないやつは流石にあれだよね。クビにされても仕方ないかもしれない。

 

「CiRCLEの利用者は私たちが多く占めているということもありますので、じっくりと懇切丁寧に説明をしたら理解を示してくださいました」

 

「あっ」

 

どんまいまりなさん……。

 

「……って、バイト休んで良いとしてもだよ? 俺も忙しいから取調べなんて早く終わらせたいんだよ!!」

 

「……わかりました。最後の一つにします」

 

「おっ」

 

俺はようやくこの取調べから解放されるという気持ちよさと、胸を投げ下ろす気持ちで思わず油断していた。

 

「では、雄緋さんの好きな人は誰ですか?」

 

「……Pardon?」

 

「ですから、雄緋さんは誰が好きなんですか?」

 

「……黙秘権を」

 

「ダメです」

 

「……黙秘します」

 

「黙秘権はないと「黙秘します!!」……はぁ」

 

おっ、諦めてくれたかな。そう思っていた時期が俺にもありました。

 

「ならば、仕方がありません。戸山さん!」

 

「はーい紗夜先輩!」

 

部屋の扉をいきなりバタンと開けて入ってきたのは香澄だった。その手には何やら丼のようなものが。あっまさか。

 

「ほらほら雄緋くん、……カツ丼だよー?」

 

「くっ……兵糧攻めとは姑息な」

 

食欲をそそられる香りの誘惑に負けてしまったかのように突如として俺の腹の虫が部屋に鳴り響いた。たしかに最後に何かを食べたのはかなり前。気にし出した瞬間、急に天から降ってきたように腹の減りを実感するようになってしまった。

 

「美味しい美味しいカツ丼だよー? ほら、パタパター♪」

 

「ず、ずるいぞ?!」

 

香澄はどこからか取り出したうちわで湯気の立ち昇るカツ丼を仰ぎたて、俺の鼻の奥の奥までその衣に包まれた良い匂いが……。

 

「言ったら楽になれるのですよ、雄緋さん」

 

「ゆ、誘惑に屈するわけには……」

 

「こんなに美味しそうなカツ丼なのにー?」

 

「何のことだか!」

 

「えー、私が作ったんだけどなー。雄緋くんが食べないから食べちゃおっかな?」

 

「な?!」

 

気がつけば香澄の手には割り箸が握られている。まずい、このままだと。

 

「ま、待て!!」

 

「あれれー? どうしたの雄緋くーん?」

 

「……いや」

 

「じゃあ食べちゃうね? いっただっきまーす!」

 

「待て!!」

 

2人の期待に満ちた目が俺を見つめている。けど、それ以上にカツ丼から送られる秋波が俺を落としてしまった。あぁ、どうして空腹なんて概念があるんだ……。

 

「……カツ丼を、ください」

 

「いいよー? はいどーぞ!」

 

「……いただきます」

 

あっ、噛んだ瞬間にサクッとした衣が口の中で押しつぶされて弾けて、その瞬間に次から次へと肉汁までもが流れ込んでくる。そして風味の染みた炊き立ての白米が喉を流れるように俺の腹を満たしていく……。

 

「……ごちそうさまでした!!」

 

「はやっ?!」

 

あっという間に食べ終わってしまった。だが、俺は誘惑に負けて、食欲を取ってしまった。情けない……情けない……。武士の名折れ『ブシドー!』だ……。

 

「でもあれれー、カツ丼を食べたということは?」

 

「えぇ、大人しく喋ってはくれませんか? 私たちも手荒な真似はしたくありませんから」

 

「紗夜さん……香澄……」

 

なんだろう、目の前が急にぼやけてきて、2人の笑顔がまるでさっきとは違って、俺を尋問する警官から、俺を優しく包む女神のように……。

そっか、俺、許されたんだ……。これは取調べなんかじゃなくて。俺を癒してくれる、天の恵みだったんだ。素直になろう。正直に、思ったことを言えばいい。聞かれたことに答えれば良いだけなんだから。

己の気持ちに、真っ直ぐであれ。

 

「雄緋さん、もう一度聞きますね?」

 

「はい……」

 

「雄緋さんは誰が好きなんですか?」

 

「黙秘権を行使します」

 

めちゃくちゃ怒られました。



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Bar Hakanight【薫&千聖】

バー【Bar】。それは、太陽が沈み、街に夜の帷が下りる頃に、日々の疲れや鬱憤を忘れようと大人たちが集う場所。人間という生き物は日々、煩わしい柵に縛り付けられて生きている。かのアリストテレス【Aristotle】曰く、——人間はポリス的動物である、と。人は社会的生活を営むことを本来の自己が自然本性的に持つ目的と捉えているのであると……。意味? つまりそういうことさ。

 

……とにかく。人という生き物は他でもない人間同士の関わり合いで傷つき、喜び、そして苦しむ。……俺たちはそんな人生を、強いられているんだ! ……そんな強制された人生のその苦しみをほんの僅かにでも癒すために、人間には逃避する場所が必要なのだ。その場所はきっと人によって異なるだろう。自室の布団の中かもしれないし、ゲームをするためのパソコンかもしれない。それとも趣味に没頭するためのスタジオかもしれないし、はたまた観衆渦巻く会場に浮かぶ壇上かもしれない。

 

え、俺? 今の俺の気分は……そう。

 

かぁっ、喉が灼ける、これだよなぁ!

 

酒がうめぇ。

 

 

 

いや待て。これだけだと俺が単に大学デビューして酒イキリしてるだけのダサい大学生と思われるかもしれない。それは誠に心外で遺憾であります。

酒イキリしてる大学生をどう思うよ? 居酒屋で後輩に無理やり酒を呷らせ、仲間内でイッキコール飛び交う、そんな地獄も地獄。酒が飲めないやつからしたらそれはまさに弾丸で人の命が軽く弾け飛ぶ戦場に他ならない。じゃあ俺はそんな奴らと一緒なのか?

 

否! 断じて違う!! 俺はそう……大人の嗜みとして、このバーでその階段を、いや、もっと大胆に言ってしまおう。大人としての登竜門に臨まんとしているのだ。上品に酒に溺れ、辛く苦しい現世を憂い、儚くその尊さに酔いしれる。そんな崇高で、格式高い嗜みに興じようとしているのだ——。

 

 

酒うめぇ!!

 

 

 

……ごほん。大丈夫だ、まだ酔っていない。え、酔ってるやつはみんなそう言う? そんな戯言を吐くやつも大抵酔ってる時にそんな言葉を聞くものだから多少脚色されてしまうのさ。俺は酔ってない。だってまだ一軒目を終えたばかりだ。

大学の連れとの飲み会。そうそれはまさに俺にとって戦場で……。

彼らにとっては辛く苦しかったテスト期間を乗り切った自分たちへの祝杯かもしれない。しかし違う……俺が求めている祝杯はそんなのじゃない……! 勝利の美酒に酔いしれるなら、それはこんな無粋な空間でなくていい。だから俺は1人抜け出し、この二軒目の大人の空間に飛び込もうとしているだけなのだ……。

 

「ここだな……」

 

俺が訪れた路地裏の隠れた名店。それはいかなる地図にも載っていない、まさに知る人ぞ知る名店。大人のための秘密の社交場。看板に縁取られた艶美な文字が俺を呼んでいる……。

 

 

Bar Hakanight

 

 

 

「おや……今宵は珍しい子猫ちゃんのようだね」

 

「……マスター、空いてるかい?」

 

「大歓迎さ……」

 

俺はぼんぼりのような優しいオレンジの灯りに視界を歪められながら、その少し高めのチェアに腰掛ける。カウンター奥にあるシェルフを見れば、古今東西、客が望む如何なるお酒でも出してくれるのであろうコレクション。最早そのラベルなんかに記された文字は酷くうねって読めそうにない。

 

「最初の一杯はどうするんだい?」

 

「マスター」

 

俺の蕩けそうな声に、中性的な顔立ちをした、名状し難い儚さを持つマスターの視線がこちらを向いた。

 

 

「……水をくれ」

 

……氷の浮いたグラスがことりとテーブルの上で音を立てた。

 

 

 

朦朧としていた意識が一つの音の到来とともに覚醒する。混濁とした意識に凛としたその声が、どこか遠くから内側へと反芻し続けているようで酷く気持ち悪い。吐きそう。

 

「そこの方、……すごく酒臭いのだけれど」

 

「おや……君がそんなに人を気遣うだなんて、珍しいじゃないか、千聖」

 

「失礼ね」

 

「それに、他人を気にかけるなんてね」

 

「嫌味かしら? まぁ……あなたのお店に来るお客様なら、悪い人ではないと知っているから。女のカンなんていう、アレよ」

 

「ふっ、その通りさ。君のカンは抜群に冴えているようだね。……後は素直になれば完璧みたいだ」

 

「……素直になっても、気づいてくれないんだもの」

 

俺の視界がはっきりとしてきた頃、俺とマスターしか居なかった店内にはいつのまにか客が増えていた。擡げた首の向きを僅かに変えれば、そのうら若き乙女、凡そこのような場所にいるのが似つかわしくない幼さと、凡そこのような場所にいるのがこの上なく似合う妖艶さを兼ね備えた乙女が、そこに座っていたのだ。視界の端にしか写っていないものだから、それらはオーラでしかわからない。けれど、その表現が1番納得いくのである。彼女は俺が目覚めたことに気がつくと、甲高いヒールの音を響かせながらこちらへと近づいてきた。

 

「顔色が悪そうだけれど、そこの方、よければご一緒しないかしら?」

 

「……そんなお美しい方から誘われちゃ……て、へ?」

 

「ねぇ雄緋。何してるのかしら、こんなところで」

 

「は、千聖? それはこっちのセリフ……てか未成年だろお前」

 

「おやおや、私の店で諍いはよしてくれないか……」

 

「ってマスター、薫じゃねぇか!!」

 

「……五月蝿い」

 

「『儚い』みたいに言ってんじゃねぇ……」

 

酔ってた時は全くもって気がつかなかった。カウンターの中にいる紫髪のマスターは、紛れもなく瀬田薫であった。そして俺に話しかけてきたこの女は、紛れもなく白鷺千聖であった。

 

「まぁ、折角だから隣同士で座ったらいいじゃないか……儚い……」

 

「えぇ、お邪魔するわね」

 

「それで、子猫ちゃんたちは何を求めるのかな?」

 

「まずは、カシスオレンジで」

 

「あら、案外可愛いお酒頼むのね」

 

「うるせぇ」

 

「薫、オレンジジュースを」

 

 

 

テーブルの上に置かれたグラスには、柑橘類の鮮やかな橙が輝きを放つカシスオレンジが。クレム・ド・カシスというリキュールをオレンジジュースで割ったものだ。きっとお酒をほとんど飲んだことのない人にも比較的飲みやすかろう。俺も飲み会で周りが頼んでいるのを見て、取り敢えずこれからこのアルコールの魔力に取り憑かれたのだ……。

 

「千聖も、どうぞ……君のためだけの特別なオレンジジュースだ……」

 

「そう、ありがとう」

 

「ドライだな」

 

「えぇ。これぐらいが丁度いいもの」

 

「……儚い」

 

哀しげな声がうっすらと店内の照明に溶けてゆく。そして暫しの間沈黙が挟んだが、俺がグラスを手に取ると。

 

「「乾杯」」

 

水源から水が湧き出すように喉の奥へとゆっくりと橙色の液体が流し込まれてゆく。喉を酸味の混ざる苦味が薄らと灼いていくのだ。

 

「……くぅ」

 

「前から疑問に思っていたのだけれど、お酒ってそんなに美味しいの?」

 

「……微妙」

 

「じゃあどうしてみんなそうやって挙って酒を浴びるのかしら?」

 

「……ふっ、お子ちゃまだな」

 

「は?」

 

「マスター、カルーアミルクを」

 

「薫、コーヒー牛乳」

 

「……承った」

 

 

 

次にやってきたのはコーヒー豆をメインとするカルーアというリキュールをミルク、即ち牛乳で割った、カルーアミルクというカクテルだ。イメージとしては本当にそう、コーヒー牛乳をイメージしてくれればよい。いわゆる酒の中ではかなり甘い。そう、この隣の金髪の世間知ら「は?」……まだお酒の味を知らない純朴な少女のような甘さ。だがこのカルーアミルク、思ったよりもアルコール濃度が高いので、酒が弱い人間が飲みすぎると普通に酔い潰れる。

 

「ほら千聖。君だけのためのコーヒー牛乳(シロップたっぷりver)だ。受け取ってくれ……」

 

「……貴方は私を世間知らずだなんて言うけれど、自分ではそうは思わないのだけれど」

 

「……だろうな。少なくとも同世代の人間の中ならよっぽど年m「は?」……深い教養と経験に裏打ちされた聡明さには敵いません」

 

「……少し馬鹿にされている気がするけれど、まぁそれでいいわ」

 

少しどころか全部皮肉だけどね。

 

「きっと芸能界の闇の深さは俺の知るところではないようで」

 

「えぇ。貴方が想像するよりもきっともっと深くて、底が見えないと思うけれど、……ズズ、っ?!」

 

「どうした?」

 

「おや千聖。どうしたんだい?」

 

「……はぁ」

 

「おいなんでこっちを見る」

 

「飲みなさい」

 

「えっだってさっき口つけ「飲め」はい、甘っ?!」

 

いや、そんな俺も間接キスが蜜の味、みたいなそんな吐き気を催すレベルの感想を述べてるわけじゃないよ。そもそも俺こいつと直接そういうのした経験あるし。あ、誑し? 俺は悪くねぇ!

 

「あら、お酒ぐらいもっと静かに飲めないの?」

 

「静かに飲んでるっつーの。というかそれは酒じゃねぇ」

 

そいつはあくまでただのコーヒー牛乳だ。くっそ甘いけど。……だが口直しにしようにも俺のカクテルグラスに注がれたカルーアミルクはすっかり飲み干されてしまっている。いやまぁ、こっちもそんな苦くないし口直しになんないだろうけど。まぁ、この無駄な甘さだけ飲み込めればそれでいい。むしろ適度な甘さで薄めたいんだ。

 

「……マスター、モスコミュール」

 

「薫、ジンジャエールを」

 

「ふっ……儚い」

 

 

 

さっきから比較的甘めのカクテルばっかり飲んでるけど、別段甘口が好きだと言うわけではない。ただなんとなく……今日は甘さを体が欲しているだけだ。心がきっと疲れているのだろう。辛口なんて人生だけでいい。ふっ、決まった。儚い。

 

「……どういうわけだか、今日の雄緋は一段と大人に見えるわね」

 

「そらぁお前らよか大人だぞ」

 

「呂律回ってないじゃない」

 

「わざとだってーのわざと」

 

「お待たせ、モスコミュールだ……。千聖には、この愛の込めたジンジャエールを」

 

「そう。それで、モスコミュールって?」

 

「……そんな態度すらも、儚いなんて」

 

「モスコミュールってのは、ウォッカをジンジャエールで割ってるんだよ」

 

「ウォッカ……、なんとなく聞いたことはあるけれど」

 

「ロシアなんかの蒸留酒さ。モスコはモスクワのことだからね」

 

「……そう、解説ありがとう薫」

 

「お安いごようさ……」

 

あぁ、やはりこの薄黄色が揺れる様はこの橙に暗いバーでは独特の雰囲気を醸し出している。そしてこの舌を、喉元を、通り過ぎる快感は何者にも代え難い……。

 

「……はぁ、ジンジャエールでも、酔えるのかしら」

 

「無理だろ、精々雰囲気止まりだ」

 

「夢のないことを言うのね」

 

「……というか、酔いたいのか?」

 

「……まぁ、少しだけ経験してみたいという好奇心ならあるわね」

 

「飲むか?」

 

「犯罪よそれ」

 

「……すんません」

 

空気おっも。酒の席の空気じゃないっしょこんなの。

 

「えっと、なんか悩んでるのか?」

 

「……貴方には分からない気苦労もあるのよ」

 

「どしたん? 話きこうか?」

 

「貴方のせいじゃない……。というかもっと犯罪よそれ」

 

「ごめんなさい……」

 

なんか分からんけどめっちゃ怒られた。すっかり叱られてるな俺。あー、今なら空飛べそう。

 

「はぁ、これだから少女の気持ちに気づかない雄緋(バカ)は」

 

「……君も大変だね、千聖」

 

「……あら、そんな他人事でいいの? かおちゃん?」

 

「なっ?! そ、その呼び方はやめてよちーちゃん……」

 

「え、何今の」

 

「ふふっ、雄緋は見たことないでしょう? 薫、カウンターから出てこっちに来てくれないかしら」

 

「……な、何をする気だい? 子猫ちゃん」

 

「……はぁ、取り繕わなくていいのよ? かおちゃん?」

 

「も、もぉっ?!」

 

「えっ何今の」

 

「可愛いでしょう?」

 

「めっちゃ可愛い」

 

「〜〜!!」

 

あ、カウンターへと帰っていった。もうちょっと拝みたかったな今の……。

 

「そ、それで、何を頼むんだい?」

 

「そうだな、マティーニを、かおちゃん?」

 

「も、もうその呼び方はダメだよ!」

 

 

 

カクテルの王様。それこそがマティーニだ。ジンとベルモット。ただそれだけでその王様は表現されるのだ……。これぞ一つの頂点。ウォッカティーニもいい。しかし、やはり大人の男と女が儚き恋夜に狂い咲くためにはジンベースこそ至高。少なくとも俺はそう思ってる。イギリスはロンドンに通ずるドライ・ジンとフランスで花開いたドライ・ベルモット。雁字搦めの現世(うつしよ)で溺れるほどに一夜を狂わせるにはこれほど最適な酒はないだろう。少なくとも俺はそう思ってる。

 

「……マティーニって何?」

 

「知らなくていい……くっ……」

 

こんなの未成年に飲ませたらそれこそ大問題、というか普通に俺と薫が捕まるからな。それにこんなの飲ませた日には千聖とてぶっ倒れかねん。

はぁ、これまでの甘い口当たりを全て覆していくような辛口が、俺をドロドロに溶かしていくんだ……。

 

「私はもう今日は飲めないから良いかしら」

 

「そ、そうかい、千聖」

 

「あら、不満かしら、かおちゃん?」

 

「もぉっ!」

 

「ぐっ……はぁ。どうした、顔赤いぞかおちゃん」

 

「やめてよぉ……」

 

「顔赤いのは貴方も大概じゃない……。そろそろやめておいたら?」

 

「……うるせぇ。一晩ぐらい酒に溺れさせてくれてもいいだろ」

 

「って、無理に立とうと、ってえっ?!」

 

あー、ダメだ視界がぐわんぐわんしてる。

 

「もう……」

 

「……か、顔が赤いのはちーちゃんだって一緒じゃないか!」

 

「そ、そんなことにゃ……ないわよ!」

 

「耳元で、叫ぶなってのぉっ」

 

頭が割れそう、だが、これがいいんだよこれが。

 

「ちょ、ちょっと本当に大丈夫なの?」

 

「……んぁ?」

 

「だ、だって息も荒いし、さっきから私の肩とかそんなにペタペタ触って……」

 

「……ふっ。ちーちゃんも、嬉しいんじゃないか、素直に喜べばいいのに」

 

「なっ?! ……かおちゃんだって、本当は羨ましがってるくせに!」

 

「えっ?! そ、そんなこと!」

 

「えー? そっかそっかかおちゃん、どーしたんだ?」

 

あー頭がガンガンする。あとガチで足が見えない。

 

「ふふっ、雄緋? かおちゃんはキスして欲しいんですって」

 

「な、え、ちょ?!」

 

「そっか、本当だな?」

 

「えっ、う、うんっ、……んっ……」

 

冷たいのってくっそ気持ちいいな。脳みそが熱暴走してるみたいな。

 

「んっ、ストップぅ! わ、私はみんなの瀬田薫、だからね……」

 

「……わぁ」

 

「くっ、はぁ……」

 

「……千聖、君だって、その、足りないんじゃないかい?」

 

「な、何を?!」

 

「ほぉら、雄緋。プリンセスを待たせちゃいけないじゃないか」

 

「……あぁ、そうだな。こんなお美しい姫君……、放っておけるわけが」

 

「へ、へ?! ちょっと、雄緋?! ちか……え、んっ、んっ……」

 

「ふっ……。あぁ、なんて儚いんだ」

 

「んっ、ぷはぁ……。雄緋ぃ……」

 

「恋に溺れるプリンセスなんて、……あぁ儚い」

 

「こっ?! ……恋に溺れたプリンスに言われたくはないわ」

 

「……何のことだか分からないよ」

 

意識は混濁として。かき混ぜられて、その視界はすっと立ち消えて。祝杯に眩まされた高揚が俺の意識を刈り取って、安眠へ誘う。大人たちの集うBarで、こうして俺は大人の嗜みを、危険なカオリの立ち込める一夜を明かしていく。

 

「負けないわよ? かおちゃん?」

 

「あぁ。私だって負けないさ、ちーちゃん?」

 

聞こえていた声もいつしか薄れていった。勝利の美酒はこうやって静かにもの思いに耽ってこそ、甘美にロマンスに溶けて混ざり合うのだ。

……儚い。

 

 

 

 

 

Closed

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.大学のツレと祝杯に興じた、などと言う一部報道がありましたが、私、北条雄緋は追試に引っかかったので、飲んだお酒は「祝杯」や「勝利の美酒」などではなく、正しくは「自棄酒(やけざけ)」でした。お詫びして訂正いたします。

 



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盲目のバレンタイン【リサ&日菜&つぐみ】

Q. 雄緋はお子ちゃまですか?
A. 精神年齢は(偶に)ガキです。










あー……頭痛い。あ、どうも、二日酔いなうの北条雄緋です。街の路地にひっそりと出来てたバーでお酒を飲んだり、人生の辛い部分について考えたり、キスをしたりする夢を見ました。そういや今日街で偶然出会った薫や千聖が、挨拶をしても顔を赤くしてよそよそしい態度取ってきたんだけど、あの2人何かあるのかな……。あ、手作りのチョコもくれた。冗談抜きでめっちゃ美味しかったし、嬉しくて小躍りしてた。

 

 

 

……そうだよ、チョコだよ!

 

今日何日か、みんな知ってるよね。そう、2月14日。俺の二日酔いなんかよりこっちの方がよっぽど重要だよ。バレンタインデーなんですよ。世のピュアっピュアな男の子たちがクラスの女子から貰える何かを期待して、そして貰えなかったやつは落胆し、その格差社会をまざまざと見せつけられる、血を血で洗う戦の日。高校の時はまさに阿鼻叫喚の地獄だった……。あ、俺? 察しろ。

 

まぁとは言っても? もう俺大学生だし? お酒飲める程度には大人だし? まっさかチョコの一つや二つ貰った程度で一喜一憂するほどお子ちゃまじゃないし?

え、薫と千聖から貰ったチョコ? ……嬉しいものは嬉しいんだよ、お子ちゃまじゃねぇ!

とにかく、何があろうと平常心を保っていられると思ってたんだよね。それが命取りだったとは……。

 

ごめん、バイトには行けません。今、羽丘女子学園にいます。この学校を南北に分断する家庭科調理室で私はチョコを作ってもらっています。……本当はこの後が恐ろしいけれど、でも今はもう少しだけ、現実逃避をします。彼女たちが作るあのチョコも、きっといつか俺の空腹を満たすから……。

とか言ってる場合じゃない。今いるの、女子校です。

もう一回言うよ?

 

今、女子校にいます

 

ダメだ。いよいよ捕まる。なんかこの間取調べを受けたような記憶が微かにあるけど、今度こそいよいよガチの国家権力のお縄についてしまう。

でも一つ弁明をさせて欲しいんだ。

 

『あっ、いたいた雄緋くん』

 

『日菜?』

 

『実はちょっと協力してもらいたいんだけどー、あ、拒否権はないよ!』

 

『はい?』

 

有無を言わさず捕まえられたんです。これから捕まるんじゃないんよ。もう捕まった上でここにきてるんよ。というか誘拐もとい拉致されてるんだよ。ちなみに学校に入る許可は日菜がどうにかするらしい。どういうことだってばよ。

まぁ……。そういうわけで、女子校の廊下を歩く冴えない男子大学生として好奇の目線を浴びながら、俺はこの家庭科調理室の控室みたいなところで待ってます。なんでも家庭科調理室では今まさに競技が行われているとのことらしい。大体何があったかは察してるけど。

 

「雄緋くんお待たせぇ!」

 

「おかえり日菜。この拘束をなんとかしろ」

 

「まぁまぁ、ちょっと待っててね、今運ぶから!」

 

あーこの会話でなんとなく察した人はきっと聡い人だ。現在、椅子に座ったまんま後手に組まされ、拘束を受けております。なんなの? 捕虜なの? 奴隷なの? というか、今日バイトなんですよ、って言ったらなんでもまたもやまりなさんが丸め込まれたらしい。良かった……なんていう気持ちと同時に可哀想な気持ちと、後吹き飛んでいったガラス代の穴埋めとなるバイトの収入が減ることへの心配が募る。お陰で夜しか眠れません。

 

「意外と雄緋くんって重いんだねー」

 

「だったら普通に歩かせてくれない? もう逃げないから」

 

「あははーだめー」

 

許さん。

そういうわけで俺は妙にピリついた空気の家庭科調理室のど真ん中へと運ばれてきました。

 

「で、俺は何すればいいの?」

 

「チョコを食べていただいて、感想をいただこうかと!」

 

「そっかそっか。なんか今日もしかしてつぐみそっち側なの?」

 

悲報、常識人枠、0人。

 

「と、いうわけで、アタシたちの作ったチョコ」

 

「食べてくれるよね?」

 

「はい」

 

食べない、なんて言ったら俺動けないままこの世にグッバイしそう。それぐらい禍々しいオーラが溢れている。特にリサ。

 

「じゃあ、順番としては私、日菜先輩、最後にリサ先輩で、作ったチョコを雄緋さんに食べてもらおうかと!」

 

「えーあたしが1番最初がいいなー」

 

「まぁまぁヒナも、ワガママ言わないの」

 

「……あっ。良いこと思いついたんだけど、あたしが作ったやつで雄緋くんのお腹全部一杯になったらるんってするよね?」

 

「アハハ、ヒナー、冗談きついよー! アタシのも食べてくれるよね?」

 

「そうですよ! 私のチョコだって、雄緋さんなら、食べてくれますよね?」

 

俺は無言で首を縦に振り続けました。ちょっとでも横に振ったら俺の胴体と頭がおさらばしそう。リサだけじゃねぇや怖いの。

 

「うーんでもそれだけだとやっぱりまだ面白味が足りないなー」

 

「まだエンターテイメントを求めるのか……」

 

芸能人としての性とかそういうのなのかな。いや、でも日菜がそんな枠に囚われるとはとてもじゃないけど思えない。

 

「あ、そうだ。どうせなら、誰が作ったやつか、ちゃんと当ててもらおうかな☆」

 

「……はい?」

 

「だーかーら、アタシたち3人が作った雄緋のためのお菓子、まさか分からないなんてことはない、よね?」

 

「えっ」

 

やばい。プレッシャーが凄すぎてやばすぎてヤバい。とにかくヤバい。

いやいや冷静に考えてだよ? これまで別に食べ比べだとかそういうのしたことないし、少なくともそんなん食べたことはあったとしてもその味を覚えているかは別問題だ。

 

「おーリサちーのその案に賛成!」

 

「……雄緋さんなら、分かってくれますよね?」

 

そんな目で見ないで……。自信なんて皆無なんだから。

でも知ってる。こういうのって拒否権ないんだよね……。だってほら、既に俺の視界暗くなってるもん。これってそういうことなんでしょ? 俺、これ、知ってる。

 

「これで何も見えてないですよね?」

 

「見えてない見えてない」

 

「それにしても雄緋くんが縛られて、目隠しされてる姿……」

 

「ヒナも思った? なんか……」

 

「興奮しますね!」

 

「やめろ」

 

大いなる普通に戻ってくれ。このぶっ飛んだ天才ちゃんと、あの正月以来若干メンヘラ気味の聖母の中だと君は比較的まともな方なんだ。

 

「まーまー、全部当てられたら無事に返してあげるから!」

 

「え、一つでも外したら?」

 

「……1日奴隷」

 

「ひえっ」

 

「もちろん外れた分は全部だからね!」

 

「あはは☆ それじゃあ、まずはどれからいこうかなー」

 

「何でもいいから早くしてくれ……」

 

「じゃあ雄緋さん、口開けてください。あーん」

 

「ん……」

 

口の中に放り込まれたそれは形としては丸っこい。サイズは大きめの飴玉ぐらいで、……なんだろうな。外側は殻のようになっていて、歯でそれを噛み砕くと中はちょっとドロっとしてる……。うん、なるほど、苦くはない感じ。けど苦さと甘さなら甘さの方が圧倒的に強い。

 

「うーん、まぁ味は分かったぞ、大体」

 

「じゃあ作ったのは誰でしょーか!」

 

「そこなんだよなぁ……」

 

一つ言っていい? 分かるわけないんだよ。実質完全に1/3を当てるゲーム。

多分これを含めて3つ食べることになる。で、それを作ったのはリサ、日菜、つぐみの3人。即ちこれから食べるチョコを順番にA,B,Cとしたら。考えられる組み合わせは。

 

AのチョコレートBのチョコレートCのチョコレート
(リサ)(日菜)(つぐみ)
(リサ)(つぐみ)(日菜)
(日菜)(リサ)(つぐみ)
(日菜)(つぐみ)(リサ)
(つぐみ)(リサ)(日菜)
(つぐみ)(日菜)(リサ)

 

なるほど、6通りね。正解は当然この中の1つで、1/6で助かると。つまり奴隷になる確率が……これ高校の数学でやったやつだな、余事象だから5/6。

高確率奴隷。

 

「で、作ったのは?」

 

「うーん、なんか優しい味がするから日菜ではないかな」

 

「ぶーぶー、それどーいうことー?」

 

「拉致したやつが文句言うな」

 

「……確かに」

 

納得すんのかよ。

 

「で、うーん。雰囲気的に、リサかな……」

 

「まぁ、正解は後でまとめて言いましょうか。消去法が使えちゃうので」

 

「じゃあ次のチョコ! 雄緋くんの口に! あーん」

 

「うむ……」

 

しっとりとしたチョコケーキみたいなのを切って、一口大にしたみたいな感じかなぁ……。層になってる部分は結構板状の硬いチョコみたくしてる感じがある。味としてはまぁ、甘くもなく苦くもなく、ぐらいかなぁ。さっきよりは確実に甘くない。それぐらいしか言えなさそう。

 

「誰が作ったでしょうか?」

 

「これは……。つぐみかな。なんか作り慣れてる感ありそうだし、つぐみならお店の手伝いでそういうお菓子系も作るだろうし」

 

「なるほどねー。じゃあ最後のチョコだよ。はい、雄緋。あーん」

 

「ん……」

 

かなりビターな味。苦いけど俺はこれぐらいの苦味も結構好きだからいけるな。口当たりの感じだと固形のチョコか。まぁ味からして既製品ではないし、既製品を溶かして型で固めたとかそういうのでもなさそう。それに奇を衒うようなモノではない。順当で王道なバレンタインチョコ、という感じがする。

 

「ど、どうかな?」

 

「苦い、結構、大人の味がする」

 

「雄緋くんがなんだか渋い顔して縛られてるのるんっ、てくるから写真に撮っておこうっと」

 

「あー……。この反応日菜、確定だわ」

 

「えっ、なんでぇ?!」

 

「チョコに苦さで悶絶する表情を見たいって感じがしたから。残念だったな、苦いのでもいけるタチなんだ」

 

「……あーあー、どうなっても日菜ちゃんしーらない」

 

「ふっ。図星だったか……」

 

どうやら俺は作られたチョコの裏の意図まで読み取ってしまったらしい。やはり視界が奪われているからこその第六感のようなものが冴え渡っているのかもしれん。

……それに、このチョコが日菜だとすれば、

A リサ、B つぐみ、C 日菜 でちゃんと過不足なく出来てる。あーはい。完璧ですよ。残念だったな、俺は奴隷になんてならない……。自由なんだ!!

 

「……じゃあ、雄緋くん。一応もう一度だけ答え聞いておくね? どうぞ」

 

「食べた順に、リサ、つぐみ、日菜だ!」

 

「……そっか。じゃあ拘束も解くから、自分で目隠し取っていーよ」

 

「おっ、これは正解……あるか?」

 

両手の拘束が解かれたので、視界を覆う目隠しとなっていたタオルを取る。そして……久しぶりに俺の目が見た光景は。

 

「ひぐっ……ぐすっ」

 

「り、リサ先輩……。ハンカチ、使ってください……」

 

「ぐすっ……ありがと、つぐみ……」

 

「え……?」

 

「正解は順に、つぐちゃん、あたし、リサちーなんだけど……。まぁそれどころじゃないよね」

 

「ちょ、え?」

 

「普通に作った人が雄緋くんに食べさせるのが当たり前だから簡単だと思ったんだけど、まぁ、今はそんなことどうでもいいよね?」

 

「あの……私たち、出ておくので、ちゃんとリサ先輩に謝ってくださいね?」

 

困惑する俺とリサをおいて、日菜とつぐみが調理室を後にする。俺はテーブルの側で蹲って泣いているリサの近くにしゃがみ込む。

 

「な、なんでリサ泣いて……」

 

「アタシ……雄緋が苦いの好きだと思ってっ」

 

「……え?」

 

リサの作ったチョコ。つまり最後に食べたCのチョコ。それを食べた時の自らの発言を振り返る……。

 

 

『雄緋くんがなんだか渋い顔して縛られてるのるんっ、てくるから写真に撮っておこうっと』

 

『あー……。この反応日菜、確定だわ』

 

『えっ、なんでぇ?!』

 

『チョコに苦さで悶絶する表情を見たいって感じがしたから。残念だったな、苦いのでもいけるタチなんだ』

 

『……あーあー、どうなっても日菜ちゃんしーらない』

 

 

「……あ」

 

……俺が苦さに苦悶する表情を期待して、日菜がこのチョコを作ったとばかり思って、要約するなら、性格悪い味、みたいな反応してるよね……。仮に作ったのが日菜だったとしても折角作ってもらったのにそれは駄目だろって冷静になったら分かるけど、その上これ作ったのが本当はリサなんだったら……。

 

「ごめんね……アタシ、ぐすっ、そういうつもりじゃ、なかったんだけどっ」

 

「いや、その……」

 

「本当は、ううっ、喜んでもらいたかったけど、ひぐっ、ごめんねっ」

 

「こっちこそごめんリサ!!」

 

俺は猛省して勢いよく頭を下げる。

 

「ひぐっ、でも……あはは、アタシのチョコ……嬉しくなかったよね……ごめんねっ」

 

「そんなことない!」

 

「だって、苦くしようとしたのは……本当だもん……ごめんっ、ねっ……」

 

「でも……でも! リサのチョコは美味しかったし、嬉しかった! 俺のために作ってくれるだとか……。本当は対面でちゃんと貰いたかったけど! ……ごめん!!」

 

「……ぐすっ、謝るぐらいなら……ハグ」

 

「……ごめん」

 

「ひぐっ……アタシ、これで雄緋を許せるぐらい、チョロいんだよ?」

 

「……うん」

 

「……どうせ気づかないだろうけど、こっち、向いて?」

 

「……うん」

 

「バカ……」

 

 

バレンタインのキスは比喩でもなんでもなく甘かった。

 

……あ、それと、日菜にも謝りに行ったら俺を誘拐したからとかなんとかで紗夜さんからお説教食らってました。怖かった。



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恋の目安箱【花咲川生徒会】

「それじゃあ、蓋開けて中身出しますね」

 

「お願いします……」

 

空箱に穴をくり抜いて作られた箱の中から、二つ折りにされた紙が何枚も机の上へとぶち撒けられる。有咲が何度も箱の底を外側から叩いてももう何も出てこないため、きっとこれで全部なんだろう。

 

「それでは、開封していきましょうか」

 

「……これが花咲川の」

 

「……目安箱」

 

説明しよう!

目安箱とは江戸幕府第8代将軍徳川吉宗によって設置された、民衆の意見を汲み取るための投書箱である。徳川吉宗が将軍の位についた当時(18世紀前半)は幕府の財政の悪化が問題となっており、それに対応するために徳川吉宗は享保の改革を実行し、これはその改革の一つとして行われた。投函された投書は将軍自ら目を通し、民衆の不満や要望を広く聞き入れようとしたとされる。この目安箱の投書により小石川養生所などが設立されることになった。現代ではこの徳川吉宗の『目安箱』に倣って、学校等の組織において構成員の要望を汲み取る際に転じて使われることが多い!!

ふぅ。

 

「では、そうですね、雄緋さん。読み上げを……お願いしてもいいですか?」

 

「うーんちょっと待ってください」

 

別に早口が疲れたとかそんなんじゃないです。いやね、この間のバレンタインデーも似たようなことあったから、きっと驚くべきではないんだと思う。ないんだけどさぁ……。

 

「そういえば、なんで雄緋さんいるんです?」

 

「こっちが聞きたいわ!!」

 

俺だって好き好んで女子校に不法侵入してるわけじゃないんだよ!! 部外者だから! 生徒じゃないから!!

 

「外部から特別顧問として招聘しました」

 

「何の権限があってそんなことやってるの?」

 

というか特別顧問って何? 俺は教員ですらないんだけど。女子校の敷地に入れて役得じゃんとか言ったやつ、いざそんな女の園とか入ったらそれはそれで緊張感がMAXで心臓に悪いんだからな。

 

「風紀委員権限です。そもそも募集の段階で雄緋さんに目を通していただくということも一部には告知していたので」

 

「えぇ……。俺を知らない奴からしたら誰だよってなるだろそれ……」

 

「……あの、雄緋さん、早く読んでいただけると……、わたしたちも暇ではないので……」

 

「ええい、分かったよ!! 一通目のお便りはこちらぁ!」

 

 

学校でもチョココロネとか焼き立てのパンや、コロネとかコロッケとか、コロネが食べたいです。山吹ベーカリーの購買スペースを作ってください。

 

 

「なるほど……購買スペース、ですか」

 

「というかこのコロネ信者誰だよ……」

 

投書の節々にコロネが窺える。というかこれ目安箱を使った山吹ベーカリーの宣伝の可能性すらありそうだね。まぁ美味しいけども、パン。

 

「あー。……まぁ、その、これは沙綾のお店とも相談しないと厳しいと思うんですけど……」

 

「ですよね……。学校で販売していただくとなると調整が少し……難しいかと」

 

でも高校の購買のパンとか人気すごいから導入してほしいという声が分からないでもない。俺の高校も焼きそばパンみたいな惣菜系のパンは秒で売り切れてたもんなぁ。

 

「うーん、とりあえず、保留、ですかね?」

 

「そうですね。次に行きましょう」

 

「はいはい、次のお便りは……」

 

 

この学校にはまだまだ笑顔が足りないから、今度ここをテーマパークにするわね!

 

 

「テーマパーク化……ですか」

 

「え、今さらっととんでもない宣言されてなかった?」

 

俺は手元にあった紙を見直す。うん、やっぱりこれ、ご意見を伺うとかじゃなくて、これ宣言だよね? 『学校をテーマパークにします!』っていう宣言であって、要望とかそういうのではなくない? 確定事項じゃんこれ。

 

「楽しそうなのでありかもしれませんね」

 

「え、本気で言ってる?」

 

「ゲーミングルームとか……あ、周辺機器も高品質なものを……」

 

ダメだ、みんな常識を失っているらしい。どっからどう見てもこの投書、さっきの購買スペースとは比較にならないレベルのヤバさ誇ってるのに、何にも反対意見出ないんだけど。俺がおかしいのかな。……まぁ正直俺が通ってる学校ってわけじゃないからどんだけ魔改造されようがどうでもいいんだけど。

 

「是非前向きに検討しましょう」

 

「あーうん、それでいっか」

 

「それでは、次の投書をお願いします」

 

「えっとね、じゃあこれで」

 

 

キラキラドキドキしたいです!!

 

 

……どういうこと? まぁ、ご意見というか、ご要望の体裁をなしているだけ、取り敢えずさっきのよりはマシという評価はあげよう。……が、キラキラドキドキって何?

 

「あー、……なるほどな」

 

「えっ、これだけで有咲意味分かったの? 俺、何のことかさっぱりなんだけど」

 

「え、あ、いや。まぁ。……なんとなく、ですけど」

 

急に顔を赤く染めた有咲。今の会話の一体どこにそんな恥ずかしさ、羞恥を感じることがあったのだろうか。

 

「で、どういう意味なの?」

 

「わたしも気になります……」

 

「えっ?! あー、なんかワクワクするような、イベントというか、そういうのを用意してあげたらいいんじゃないですかね?」

 

「なるほど、イベントですか。そういえば学校行事のようなものが少ないということもあるので、検討の余地はありそうですね」

 

「そうですね。生徒が自主的に参加したくなるような……イベントだと、このような意見にも、対応できそう……ですかね?」

 

「……じゃあ、次の意見行きますか」

 

 

最近、自分の視界が明るいと妙な胸騒ぎを感じます。胸の動悸が治まらず、自分が被り物を被っていないと不安で全身の震えが止まりません。ここ数日は過呼吸さえも起こすようになってしまいました。私はどうすれば良いでしょうか。お願いします、助けてください。

 

 

「な、なるほど……これは、なかなか重篤なようですね」

 

「ど、どうします? 雄緋さん、何か策とかありますかね……?」

 

「病院行け」

 

突き放すような解答で申し訳ないが、こればっかりは生徒会でどうこうできる問題じゃありません。大人しく病院で治療を受けるか、被り物をして学園生活を送るようにしてください。ここで言われても対処の仕様がありません。

 

「……次、お願いします」

 

「はいはい」

 

 

今度時代劇の撮影のために、校内のセットをお借りします! ブシドー!!

 

 

「めちゃくちゃ達筆な投書が来たな……」

 

「時代劇の撮影ですか……。許されるのであれば、エキストラを校内の生徒から募れば、キラキラドキドキするようなイベントになるのではないでしょうか」

 

「た、確かに! ドラマに出られるかもしれないとなれば……」

 

「……え。時代劇だよね? この学校を使うの? 舞台となる時代にあまりにも雰囲気合わなさすぎない?」

 

「まぁ、これも先方との交渉次第、といったところでしょうか」

 

「え、乗り気なの? というかこの投書も目安箱に入れるやつではないよね?」

 

「つべこべ言わずに早く次のものを読み上げてください。時間が惜しいんです」

 

「辛辣ぅ……」

 

 

コロッケパンを今度家のお店で出したいです! どうすればいいかな?

 

 

「はぁ」

 

「どうかしましたか、雄緋さん」

 

「いやね、これ、実家でやってるお店の話だよね?」

 

「まぁ話を聞く限りには……私にはそう感じましたけど」

 

「ここで聞くことではないよね?」

 

というか目安箱なのであって、ここはお悩み相談室ではないよね? まぁある程度は仕方ないとは思うけども。でも少なくとも家業の経営方針は通学先の生徒会に諮ることではないと思うよ、うん。

 

「……で、でも! さっき山吹ベーカリーの購買スペースの話も出ていたので、それも合わせて先方に確認を取れば……!」

 

「確かに。燐子先輩、ナイスアイデアですね」

 

「この件は後でまとめて検討しましょうか。次に行きましょう」

 

「はいはい」

 

 

うさぎ

 

 

「……?」

 

「次、行きましょう」

 

「はい」

 

 

なんだか最近学校生活がるんっ♪ としないなぁって考えたらおねーちゃんがいないんだよ!! おねーちゃんと一緒の学校通いたい!!

 

 

「これは……」

 

「な、なぜ皆さん私の方を見るんですか?」

 

「紗夜、悪いことは言わないから、羽丘に転校しろ」

 

「しません!! 次いってください!!」

 

なんかめっちゃ怒られた。というかこれ花咲川の目安箱だよね? なんであいつ投函できてるの? あ、俺みたいに不法侵入したのか。セキュリティがガバガバすぎる……。

 

 

迷子癖がなかなか治りません。友達や雄緋くんに迷惑をかけることが忍びないので、なんとか治したいのですが、どうすれば良いでしょうか。あ、でも雄緋くんがお迎えに来て、私を励ましてくれる時はとても幸せなので、これからも迎えに来てくれると嬉しいな。

 

 

「さっきから目安箱の趣旨分かってない人多すぎない? どうにか出来るものじゃないでしょ」

 

「……それはいいんですけど」

 

「雄緋さん。……今の、投書、どういうことですか?」

 

「え?」

 

「……なんか、頻繁に迷子の生徒を迎えに行ってるとか」

 

「え、あっいや。花音が迷子になったって連絡きたら探し出して助けたりすることはあるけど」

 

「それです。……どーゆうことですか?」

 

やばい、みんなの目が怖い。俺としては本当にこの現代という大海原で路頭に迷い、困り果てた花音を助けに行ってるだけなんだけど……。いやまぁ、そんな大袈裟なことではない。けどまぁ、言い訳するとこの雰囲気だとさらに詰られそうなので。

 

「……次行きましょう!!!!」

 

「逃げましたね……」

 

 

懇意にしているライブハウスのバイトの方がなかなか振り向いてくれません。キスやボディタッチをする時は照れたりしてくれるのだけれど、この間酔って私の肩を抱いてくれたきり、少し素っ気ない気がします。どうすれば鈍感な彼は私の気持ちに気づいてくれるでしょうか。

 

 

「なるほど……まぁ言いたいことは色々ありますが。雄緋さん、これを見て率直にどう思いましたか?」

 

「え? うーん。……明らかに見る限りこの子はその人に好意抱いてるって分かり切ってるし、この子が可哀想だな。いくらなんでもそいつ鈍感すぎるだろ……」

 

「……これ、素で言ってるんですもんね」

 

「流石に……うーん。わたしも、なんと言っていいか……」

 

「え、なんでみんな呆れてるの?」

 

さっきまでは睨まれてたというか、こちらを詰るような目線だったはずが、気がつけば呆れた目線に変貌を遂げていた。今の俺の回答のどこに呆れられる要素があったのか……。

 

「……はぁ。参考までにお聞きしたいのですが、鈍感な方にアプローチするためにはどうすればいいと思いますか?」

 

「えー。俺はそんな鈍感じゃないと思うから的確なアドバイスじゃないかもしれないけど」

 

「……はぁ」

 

「ため息つくなよ……。えっとな、まぁ大胆に迫るとか? 相手が嫌がってなかったらの話だけど」

 

「……いいんですね? 白金さん、今すぐ通達を」

 

「分かりました……!」

 

「えっ何通達って」

 

「次行きましょう」

 

「え、あ、はい」

 

 

この間のバレンタインデーでチョコレートを好きな人に渡しそびれてしまい、今からチョコを渡すのではきっと周囲との差別化が出来ないと思い立ちました。なので、パンを焼いて渡そうと思うのですが、どのようなパンだと想いが伝わるでしょうか。

 

 

「……市ヶ谷さん、これって」

 

「……まぁ、えっと、雄緋さん。どんなパンが好きですか?」

 

「え、俺の意見なんかで意味あるのか?」

 

「ありますから、早く」

 

「えー。……何でも好きだけどな」

 

「1番……困るやつ……ですね」

 

「……はぁ。これだから」

 

「えっ、さっきから何なの?」

 

「ほら、次が最後ですから、早く読んでください」

 

「わ、わかったって、目を通すからちょっと待っ……」

 

 

雄緋くん、大好きだよ、放課後校門で待ってるね♡

 

 

「……」

 

「え、ど、どうしたんですか?」

 

「って、あ! どこ行くんですか?!」

 

「離してくれ! 危機を感じたんだ、帰らせてくれ!!」

 

「え、あっ、ちょっと?!」

 

「……帰ってしまいましたね」

 

「……まだあと3通残ってたんですけどね」

 

 

好きな人に素直になるためにはどうすればいいんですか?

どうすれば雄緋さんはわたしのことを好きになってくれますか?

日菜だけじゃなくてもっと私のことも見てください。

 

 

「……はぁ。またの機会に、ということでしょうか」

 

「そう、みたいですね……」

 

「次こそは……!」

 

 

まぁきっとその後の生徒会室では、頂いた投書の内容を元にこれからの学園生活をより充実させるような生徒会運営を考えていくのだろう。まぁ、そこは少なくとも部外者たる俺の立ち入るところではないし、何より俺は心の内に沸々と燃え上がる恐怖からいち早く逃げたかったのだ。俺は放課後の暗い、急な階段を駆け下りて、家に帰ることにした。校門を通っては、罠にハマるばかりであるから、俺は何とか裏門を探して逃げ帰るのだ。

俺の行方は、誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

……嘘です。そこまで読まれてたらしく、裏門を出た瞬間彩に捕まり、カラオケへと連行されたのでした。



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湯煙に惑わされ【ベース組+六花】

銭湯はマナーや利用方法を守ることは勿論、常識を考えて利用しましょう——。








臙脂色の暖簾を潜り、俺はガラス戸をガラガラと開ける。そこは漆喰の壁が少し古ぼけた雰囲気を醸し出した建物。屋根から伸びた煙突から吹き出す煙は独特の熱を持って、大気へと吐き出されてゆく。

 

「あ、すみません。今日の営業は……って雄緋さん?!」

 

「おぉ、ロック……じゃなくて、六花。ごめんなこんな早くに」

 

きっとまだ営業の時間にはならないような、準備の時間に来てしまったことを詫びながら俺はガラス戸を音を立てながら閉める。

 

「ロックでも大丈夫ですよ? えっと……どうしましたか?」

 

「まだ営業時間にはなってないかな? 家のお風呂が調子悪くてだな、今日は銭湯に入りにきたんだけど。……時間まで中で待っててもいいか?」

 

「え、ええっ?! 雄緋さんなら! どうぞ上がってください!!」

 

「悪いな……」

 

俺はお言葉に甘えて、男湯の脱衣所へと入っていく。まだ営業前ということもあって人は勿論誰もいない。広い脱衣所を独り占めしたかのようなしょうもない優越感に浸っていると、脱衣所に六花がやってくる。

 

「あっ、雄緋さん。もうお風呂自体はお湯張れてますから、入っても大丈夫ですよ」

 

「えっ。でもまだ営業前だろ? 流石に先に入るのは悪いし」

 

「大丈夫です! 今日営業中止になりましたから!」

 

「え?」

 

「え? あっ、ちがっ……えっと、どうせ先に入ったって分からないので!」

 

「そ、そうか? なら入ろうかな……」

 

「どうぞ!」

 

なんだか営業中止とかいう、不安なワードが一瞬だけ聞こえたが、多分焦った六花の言い間違えたとか、そんな感じであろう。俺はじゃあ入ろうかと、竹の椅子から立ち上がる。で、まぁ服を脱ぎたいんだけど……。

 

「あのー、六花?」

 

「はいっ」

 

「着替えたいんだけど……」

 

「はい、どうぞ?」

 

「いやどうぞじゃなくて、六花が居ると服脱げないと言うか」

 

「大丈夫です!」

 

「俺が大丈夫じゃない!」

 

こんな小さい子の目の前で服脱ぎ出したら完全にヤバいやつになるじゃん。露出狂みたいな。そんな変態に成り下がった覚えはないので、とりあえず六花にはご退場いただき、俺は纏っていた冬用の厚手の服を全て脱いで、籠へと放り込んでゆく。そして、俺は、フロストガラスの扉を横にスライドして、いざ、浴場へ——。

 

「まぁ銭湯やっててよかっ」

 

「ほんまあったかいー……」

 

「はぐみも入る!」

 

「ちょ、はぐ! 走ったら危ないって! 飛び込みはもっとダメェ!!」

 

「かといってひまりちゃんが走っては意味がないでしょう?」

 

「アハハ……。みんな、取り敢えず落ち着こっか?」

 

うーん。俺、取り敢えず落ち着こっか。

ガラガラと音を立てて、またも脱衣所のドアを閉める。俺が見たのは幻覚、いいね? よし。

 

「おっ、雄緋じゃん☆ 入って良いんだよ?」

 

「良いわけあるかい!」

 

俺は踵を返そうとしたが。

 

「ちょドア閉まってる?! 鍵まで!」

 

「雄緋さん! 一緒に入りましょうよ!」

 

「ここ男湯だからな?!」

 

あ、ありのまま今起こったことを話すぞ。俺は家の風呂が調子悪いから近所の銭湯で開店前に風呂場に入れさせてもらったんだ。そうしたらどういうわけか俺が男湯だと思って入ってみたら少女が5人いた。何を言ってるか分からないと思うが、俺にも分からん。つまりあれか、『Don't think!(考えるな) Feel!(感じるんだ)』ってことね。感じたとしても受け止められるかどうかは別なんですよ。

そして、閉め出された。風呂場に長タオル一枚ですっぽんぽんで。男湯だけど女の子がいるお風呂場に。俺は当然湯船の方を見ないように、慌てて自分の腰にタオルを巻きつけながら、会話を続ける。

 

「なんでいんのお前ら?!」

 

「みんなで練習帰りに銭湯に行こうってなったんだよ!」

 

「まだ営業時間なってねぇぞ!」

 

「それは雄緋だって同じことでしょう?」

 

「にしても男湯にお前らがいるのがおかしいんだわ!!」

 

「気のせいですよー」

 

あっ、てか背後でザバァって音がした。誰か来る音か、やばい。

 

「近づくなよ!」

 

「大丈夫だよ! 雄緋くんも一緒に入ろー!」

 

「俺が大丈夫じゃな……ってえ?」

 

「どうしたのー?」

 

「タオル巻いてたのか……」

 

横目でほんの少しだけはぐみの方を見ると、その体には白いバスタオルが巻かれていて、なんとか俺が変態扱いを受けることは避けられそうだった。

 

「おっ、見たいのかな☆」

 

「ちゃんと巻いててください。チラチラさせんな!」

 

 

※銭湯等公衆浴場でのタオルを巻いての入浴等はマナー違反になる場合があります。

 

 

「雄緋さんは入らないんですか? あったかいですよ……」

 

「そーですよ! 体冷えますって!」

 

「いやでも……」

 

「あら、そんなに渋る必要があるのかしら?」

 

「……え?」

 

「少女5人が湯船に浸かった浴場に姿を現した1人の男子大学生。私たちがもしもこの状況で事を大きくしたら……そんな哀れな男子大学生の末路は」

 

「……ひえっ」

 

めっちゃ生き生きと最悪のシナリオを語り始める千聖。その言葉の一つ一つにどこか重みを感じるのは、彼女のバックグラウンド故か、それともこの状況が本当にやばいのか。後者ですね。

 

「折角私たちが一緒に入ろうと誘っていると言うのに、それをわざわざ断ってまで、得られるものって何なのかしら?」

 

「是非ご一緒させていただきたく思います」

 

「……わぁ。千聖流石だねぇ」

 

「ふふっ、こんなこと朝飯前よ?」

 

この腹黒女優め……。完全に犯罪者扱いをチラつかせて強制的に逃げ道を断つとは……悪魔かな?

 

「何か言ったかしら雄緋」

 

「いえなんでも」

 

「……朝飯前って聞いたら、なんだかお腹空いてきちゃった……」

 

「あ、はぐみコロッケ持ってきたよー!」

 

 

※浴場への飲食物の持ち込みはマナー違反になる場合があります。

 

 

「えっほんと?! 食べたーい!」

 

「あれ、でもひまり。ダイエットするって言ってなかった?」

 

「うぐっ」

 

「あ、ひまりちゃん。私チョココロネ持ってきてるよ?」

 

「ぐはぁっ! 食べたい……ッ!!」

 

 

※浴場への飲食物の持ち込みはマナー違反になる場合があります。

 

 

「そういえばこの間トモちんが『ひまり最近太った?』って話してたなぁ」

 

「我慢します……」

 

というかこいつらどっからチョココロネとコロッケ取り出した? まぁいっか、寒い。普通にさっきからお湯すら浴びずにスッポンポンでお風呂場にいるの寒すぎるんだよ。この時期なんか特に冷えるし。

 

「じゃあ俺も湯船入ろうかな」

 

「掛け湯はした? アタシが流してあげようか?」

 

「……自分でするので結構です」

 

 

※掛け湯をしたり体を洗わずに湯船に入ることはマナー違反になる場合があります。

 

 

俺は騒がしいベース集団をさておいて、とりあえず体を洗うことにした。……というか、本当にこんな状況に遭遇することになるとは想定してなくてすっかり調子が狂いそうだ。俺は小さくため息だけ吐きながら、シャンプーを手にとって、頭髪を洗い始めた。そんな折。

 

「あの……あの!」

 

「ん? ……その声はりみか? どうした?」

 

「……せ、背中流しましょうか?」

 

「えっ? なんて聞こえなかった」

 

「背中、流しますね!」

 

「え? ちょ、え?」

 

なんか頭を洗ったり、広い浴場でタイルに反響したりで、何も聞こえないぞと思ってたら急に斜め前で物音がして、そうして。

 

「ちょ、何してんの?」

 

「雄緋さんの背中を洗ってます!」

 

「大丈夫だから! 自分で洗えるし色々危ないから!」

 

うっかり何とは言わないけどポロリとかしたら俺の尊厳が終わる。ついでに色々終わるから、静止させようとしたけど今俺の髪の毛シャンプーの泡だらけだから目を開けようものならあの激痛を味わうことになりかねないから、声で抵抗するほかない。

 

「あっ、りみずるい! 私も雄緋さんの背中洗いたい!」

 

「見せもんじゃねーぞ!」

 

「と、特権だもん!」

 

「許可してないから!」

 

「じゃ、じゃあ髪の毛洗いたい!」

 

「今自分で洗っとるわ!」

 

もう色々ダメかもしれない……。

 

 

 

耳を突き抜けるような小気味良いシャワーの音ともに俺の体を纏っていた泡が流されてゆく。え、りみとひまり? 声だけで取り敢えず追い返しました。洗ってくれるの自体は嬉しいんだけど、事故が起きた時に笑えないのでNG。

 

「……よいしょ。じゃあ、漸く湯船だ」

 

そういって俺が振り向いた先の湯船に浸かっているのは。

 

「ふふっ。雄緋、こっちに来てくれるわよね?」

 

「えー。アタシの隣空いてるんだけど、来るよね?」

 

やばい。どれぐらいやばいかと言うと地雷原ぐらいやばい。奥に鎮座する2人のオーラがとてつもなくやばい。語彙力もやばい。あとさり気なく破壊力もやばい。主にうなじとかの。然程髪の毛が長くない他3人に比べてロングヘアの千聖とリサが髪をまとめてお団子みたいにしてるのに少しだけドキリとさせられた。

……煩悩退散。

 

「あのー、一人で静かに入りたいかなー……なんて」

 

「「は?」」

 

お父さん、お母さん。僕ここに骨を埋めるかもしれません。

 

「ほ、ほらだってここ、男湯じゃん? 本来なら俺が一人で静かに入るのが筋かなー、なんて」

 

「あら。リサちゃん。ここは確か女湯だったわよね」

 

「そうそう。だから雄緋に1人で入るなんて権利ないよ☆」

 

「あっ、じゃあ出ていきますね」

 

 

※女湯に男性が入るのはマナー違反どころか犯罪行為に該当する場合があります。

 

 

「そういえば六花に頼んで鍵外から閉めてもらったんだよねぇ」

 

「終わった……」

 

忘れてたよもう。つまりここの5人が満足できない限り詰みと。

 

「それで雄緋」

 

「アタシと千聖」

 

「どっちを選ぶのかしら?」

 

「……み、みんな仲良く入る?」

 

「「はぁ……」」

 

俺悪くないでしょこれ。

 

「あっ千聖さんたちズルいですよ!」

 

「はぐみたちも入るー!」

 

「わ、わわっ! はぐみちゃん引っ張ったら危ないよっ?!」

 

と思ってたら向こうのほうから、さらに3人が追加で走ってきたので俺は流れで奥の方へと入ってしまう。

 

「……ふふっ、最初からリサちゃんと私の間に入れてあげれば良かったわね」

 

「まっ。今はこれで許してあげる」

 

「わ、私だって雄緋さんの隣がいいです!」

 

「私もだよ?」

 

「そんなのはぐみだってそうだもん!」

 

「ちょ、近いわ! 風呂広いんだからもっと広々使えよ!!」

 

 

※お客様同士の距離を取ってのご利用にご協力ください。

 

 

どういうわけか、普通に20人超余裕を持って入れそうな銭湯の湯船だというのに、俺含めて6人が端っこにめちゃくちゃ密集して浸かっている。結局隣同士が云々とかいうやり取り要らなかったぐらい近いし。最初から隣に陣取る算段だったのであろう千聖とリサとかもう肩同士触れてるし。

 

「ど、どうしたの? そんなにジロジロ見て」

 

「おやおやー? 女の子の体の膨らみが見れて喜んでるのかなぁ?」

 

「は?! 違うから! 胸なんて見てないから!」

 

「アタシ体としか言ってないんだけどなー?」

 

「嵌められた?!」

 

「ちょ、胸のサイズなら私相当自信あるもん!!」

 

「競うな!!」

 

「わ、私だって、それなりにはあるわよ!」

 

「競うなっつってんだろ?! てかタオル捲るな! 本当に見えるから!!」

 

あかん。これ以上ここにいると、ガチで取り返しがつかないことになる。そう思っていた時だった。

 

「待ってください!!」

 

「な、その声は?!」

 

光が差した、そこには——。

 

「ここは旭湯ですから! 私も参加します!!」

 

 

ロック○○○

○○参戦!!

 

 

The new fighter……。

いや、違う。これ以上参加者増えたらさらにカオスになるんだよ。

 

「ロックちゃん?!」

 

「皆さんが雄緋さんを誘惑したい気持ちも充分わかります! ですが……」

 

すごい。風呂場のタイルを踏み歩いてこちらに歩み寄ってくる六花がいつになく格好良く見える。

 

「ここは銭湯ですよ?! なんでコロッケとかチョココロネが置いてあるんですか?!」

 

「ど正論!!」

 

いやそうなんだよ。明らかに突っ込むべきところはまぁ他にもあるんだけどさ。

 

「というか、混浴してる時点でおかしいだろ?!」

 

「あ、それは私が今日に限り、というか雄緋さんに限り混浴可にしました!」

 

「ナイス六花!」

 

「ナイスじゃねぇ!」

 

どういう限定的な制限なの? というかそれはもはや俺が女として扱われているということでは?

 

「それよりももっと皆さんに言いたいことがあるんです!」

 

「ど、どうしたのろっか?」

 

柄にもなく並々ならぬ気迫を纏った六花にみんなの視線が注がれる。そして。

 

「お湯に浸かる時タオルをお湯につけるのはやめてください! 糸くずの掃除が大変になるので!」

 

「あっ」

 

その瞬間、流れが、変わった——。

 

「……うん。六花が言うんだから、仕方ないよね?」

 

「めっちゃ恥ずかしい……けど」

 

「はぐみもちょっと恥ずかしいな……」

 

「でも、これもアピールのためだから……!」

 

「……雄緋になら、私は喜んでこの身を捧げるわ」

 

「……はい?」

 

「皆さん……タオル、取っちゃいましょう!」

 

「……三十六計逃げるに如かず!!」

 

宋の国の将軍、檀道済(たんどうせい)の著した兵法書『兵法三十六計』にはこうあるのだ。走為上、と。つまり三十五計が破れれば逃げることも戦法の一つということだ。敵前逃亡は卑怯か?

否!

これらの先人たちの知恵が教えてくれることは、そんなことではない。つまりこういうことなのだよ……。

 

いざとなったら逃げろ!!

 

「俺はまだ18禁には沈まない! 逃げるんだよぉぉぉぉ!!」

 

六花が唯一策に溺れたこと。俺は決して見逃さなかった。

それは、この浴場に入ってくる時に、鍵を外から掛けることが出来ないことだっ!!

俺は脱衣所に駆け込み、40秒で支度するような猶予すらなかったので取り敢えず下着と上下を羽織り、銭湯代の500円玉をカルトンに投げ入れ、旭湯を後にするのだった。

 

めっちゃ外寒かった。

 



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暴走気味の看病【美咲&花音】

風邪引いてる時ってメンタル的にちょっと弱くなるから、まぁ、仕方ないよね……(遠い目)








この世界は残酷だ……。如月も終わりに近づくこの頃は身にも堪えるほどに冷えて、その寒さは部屋にいても変わらない。決してこれまでの20に近い人生で大病なるものを患ったことのない俺とて、この寒さは辛く苦しいものなのだ。

 

「……さ、寒い」

 

いや、この寒さは凡そ悪寒と言っても差し障りない。全身鳥肌が立ち、まるでこの世の終焉のような苦しみを味わいながら、襲いかかる悪夢に恐れ慄き、ただ身悶えることしかできない。

 

「……あぁ」

 

人類は無力だ。人の歴史が始まって以来、人はその手と知恵で数多くの発明により、その暮らしぶりを豊かにしてきた。身の回りにあるもの、テレビやエアコンなんかも、全てかつての人々が己の持つ知識と技術を組み合わせて、生み出してきたものなのだ。

 

「くっそ……」

 

まさにそれらは人類の叡智と言っても大袈裟ではない。今俺が包まる布団だって、そんなハイテクではなくとも立派な発明だ。ならば、今俺が心で、体で感じる悉くの痛みや苦しみだって、人類の知恵で解決できるはずなのに。

 

「あー、頭いた……」

 

例えば今ある頭痛の症状。それが何由来かは不明だが、人類は腫瘍の切除術や様々な病気の治療法を開発してきた。しかし、これは一体全体どういうことだろうか。

 

「なんで風邪のウィルスがやっつけられるような薬がねぇんだよぉ……」

 

なんと人類が生み出した風邪薬なるものは、症状を和らげるものではあっても、すぐさま完治を導けるというものではないのである。……俺が今どんな状況かって?

 

ろくに体も拭かずに薄着で銭湯から逃げ帰ってきたら思いの外寒くて風邪引きました。

 

……なんだよ。笑えよ。変なプライドや正義感に駆られた結果風邪を引いた俺を笑えよ!! あっ力んだら頭もっと痛くなった……。

 

「ゆ、雄緋くん! 起き上がったらダメだって!」

 

「す、すんません……」

 

俺は花音に諭されるがままにもう一度ベッドに臥して……。

 

「……あ、あれ。なんで花音いるんだ?」

 

「看病のためだよ?」

 

「ああ、そっかぁ……」

 

 

あれは俺が夜中どうにもこうにも寝苦しくて、起き上がった深夜のことだった……。俺が部屋の隅の箱にしまってあった体温計を脇に差し、その液晶画面を見るや、あらまなんやこらびっくり仰天、37.9℃と表示されているではないか。その瞬間俺は察したね。あぁ、銭湯帰りのあの悪い予感はこういうことだったのかって……。取り敢えず薬箱にあった解熱作用のありそうな市販の錠剤を飲み込んで、なんとか寝ようとしたわけですが。

まぁ朝起きて熱下がってるかって問われたら、そんなすぐには下がんないよね。ぜーんぜん下がんないの。それで諦めてすぐ食べられそうなものだけサッと食べてまた寝に戻って今に至ると……。

 

 

「……あれ、やっぱり花音が居ることに繋がらない」

 

「わわわ、雄緋さん。起き上がったらダメですって」

 

「……今度はミッシェルかぁ」

 

「あたし今日はミッシェルじゃないですから! 病人は寝ててください!」

 

俺が起きたら部屋にクマがいたんだ……。俺はクマに諭されるがままベッドへともう一度寝かされ……。

 

「……あれ。なんで美咲いるんだ?」

 

「看病のためですよ?」

 

「……あぁ、そっかぁ」

 

 

あれは俺が(ry

 

 

「……あれ、やっぱり美咲が居ることに繋がらない」

 

「気にしすぎですよ」

 

「かもしれん」

 

俺はなんて幸せものだろうか。単に風邪を引いただけだと言うのにこんな可愛い後輩の……後輩? 歳下のバンド少女たちが看病に来てくれるだなんて。

 

「というかはぐみが何か迷惑かけたみたいで、すみません」

 

「はぐみが? なんで?」

 

「銭湯がどうたらって話を聞いたんですけど」

 

「あっ……」

 

覚えているようでそんなに覚えてない。でも言われてみればそんなにはぐみに振り回された覚えはないな。強いていうなら風呂場にコロッケ持ってきててドン引きしたことぐらい。

 

「はぐみには特に困ったことなかったから、大丈夫。何なら1番困ったの最後だったし」

 

「最後?」

 

「一緒に湯船入ってたら、六花に言われてみんなタオル取ろうとしちゃって、というか千聖とかリサの方がやばかった覚えが」

 

やばかった。主に俺の理性が。

 

「……一緒に湯船に入ってたら?」

 

「うん」

 

「……へぇ」

 

やばい。主に美咲と花音の雰囲気が。

 

「まぁ、今は雄緋くんの看病するから、問い詰めないでおくね?」

 

「今は……」

 

「今ぐらいはあたしたちに甘えてくださいね。後は知らないですけど」

 

「後は……」

 

実質的には後で尋問されるじゃないですかヤダー。というか混浴の一件に関しては俺は悪くない……はず……だよね?

 

「食欲あります?」

 

「今は秋じゃなくて冬だよね?」

 

「は?」

 

「ごめんなさい、あります」

 

めっちゃ怖いわ。でも、熱出してる時の方が多弁になりがちというか。辛いからこそ喋り倒してその辛さを自覚しないようにしようみたいな、分かってくれ。

 

「どれくらいなら食べれそう? カットしたりんごならあるよ?」

 

「あっ、それでお願いします」

 

花音がキッチンの方から持ってきたりんごはすっかり薄黄色の身の部分だけが晒されていて、綺麗に皮も剥いてくれていることがよくわかる。

 

「ごめんね、ナイフだけ借りちゃった」

 

「いやいや。看病してくれるだけ……よっこいせ」

 

俺は体を起こして、りんごに刺す爪楊枝を受け取ろうとした。が、空振りした。

 

「……え?」

 

「ふふっ。雄緋くん、お口開けて? あーん」

 

「いやあの、自分で食べ」

 

「あーん」

 

「自分で食べたいかなぁ……なんて」

 

「え、自分じゃ食べれない? うんうん……風邪で辛いよね……」

 

風邪で辛いからか僕の発音がおかしくなってしまったようです。そっか、風邪だもんね、仕方ない。

 

「あ、あーん?」

 

「うんっ、あーん。……どお?」

 

シャクシャクしてて。

 

「……美味しい」

 

「好きなだけ食べてね?」

 

冷たくてとても美味しゅう。

なんだろう……。献身的な花音にお世話される未来というか、風邪でダウンしている時に優しい花音に労られる未来……。

 

「悪くないね」

 

「えっ?」

 

「何でもない」

 

「……やっぱり疲れてるよね?」

 

「ん、疲れ?」

 

俺がふと湧いて出た疑問を投げ掛けようとした瞬間、俺の体に暖かな感覚が伝わってきた。

 

「え……花音?」

 

「いつもバイトで忙しいのに私たちみんなの我儘に付き合ってくれて……きっと雄緋くんも疲れてたんだよ?」

 

「そうですよ。そうでもないと、こんな風に倒れたりなんてしませんし」

 

「美咲……」

 

「今日ぐらい全部私たちに頼って、ゆっくりと心を落ち着かせてね?」

 

俺の体を包む温かさが背中へと回される。気がつけば美咲も俺を抱擁している。

 

「普段から頑張ってて偉いよ……雄緋くん……よしよし……」

 

「かのん……」

 

「むしろ頑張りすぎなぐらいですよ。もっと休み休みで良いんですよ?」

 

「みさき……」

 

だめだ……。2人の甘く蕩けそうな声が俺の考えを奪っていく。

 

「そんなに頑張りすぎないで良いんだよ? 辛いことだとか、全部私たちに押し付けて……雄緋くんはもっと楽に生きよう? もっともっと……甘えて良いんだよ?」

 

「そうです。もっともっと、あたしたちのことを頼ってくださいね?」

 

ばぶぅ……。バブバブ、ばぶぅ。バブバブバブバブ、バブゥ、バブゥ……。

 

「……こうしてみると、私より歳上の雄緋くんがまるで赤ちゃんみたいで、可愛いなぁ……」

 

「なんだかこう……もっともっと甘やかしたい欲が湧いてきますよねぇ……」

 

「バブゥ……」

 

「ふふっ……よしよし……。お腹いっぱいになるまで食べようね? あーん」

 

バブゥ……りんごおいしい……。

 

ばぶぅ……。

 

ばぶ。

 

 

……はっ?!

 

「お、オギャーー! 俺はまだ堕ちんぞ!」

 

「うわっ?!」

 

いかんいかん。あまりにバブみが凄すぎて、すっかり脳みそまでバブバブしてバブがバブバブするところだった。母性というかバブみというか、寂しさのせいなのかそういうものに縋ろうとしてしまった自分が情けない!

 

「そんなことないよ? 堕ちてもいいんだよ……?」

 

「あっ……ばぶぅ……」

 

花音ママ……。なでなでは反則だよ……。花音はぼくのお母さんになったかもしれない人、否、お母さんなんだ……。

 

「ちょ、雄緋さんが完全に言語能力とか失ってますよ?」

 

「……いいんだよ。みんなで雄緋くんのこと見守ってあげれば……」

 

「花音さんが完全に母親目線に……!」

 

心の中の甘えたいという欲求と、いや、このままではいけないという自律を促す理性が必死に戦ってる。それはもう関ヶ原の戦いぐらい激しく戦ってる。だって仕方がないじゃないか……、甘えたい時なんて人間いつしか訪れるんだよ……。それがたまたま今この時だったというだけだ……。だって風邪だからしょうがないよね。体だけじゃなくて心も弱くなってるから。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、これもう流石に雄緋さん戻って来れなくなりそうですから! 花音さんストップです!」

 

「ふぇぇ? あっ、ゆ、雄緋くん?!」

 

「ふぇぇ……花音ママ……」

 

「ほら! 絶対にこれ精神イカれちゃってますって!」

 

「わ、わぁぁぁ?! 帰ってきてぇっ?!」

 

 

……ばぶぅ。

 

 

 

「……落ち着いたらまた頭痛くなってきた」

 

二重の意味でな。シンプルに悪寒が走るのに由来する頭痛と、生き恥を晒したという点でも頭が痛い。というか鳥肌が立ってる、自分の幼児退行のあまりの無様さに。なんだよ花音ママって……、たしかに花音の母性は強すぎたけど、完全に俺、側からみれば、というか自分で顧みてもやばい人だよ……。

 

「一応頭痛薬ならさっきドラッグストアに行ったときに買ってきたんですけど……」

 

「あ、それじゃあ私はお水入れてくるね?」

 

美咲がベッドサイドにかけてあったビニール袋をガサガサと漁り、取り出したのは頭痛によく効いて、痛みに負けなさそうな頭痛鎮痛剤が。

 

「頭痛薬最後に飲んだのっていつぐらいですか?」

 

「昨日の深夜かなぁ……」

 

「じゃあ多分大丈夫ですね」

 

「お水汲んできたよ」

 

「はい、飲めます?」

 

「うん、飲める」

 

「まぁもし万が一飲めなかったらあたしが口移「飲めます」……まぁ、流石に病人ですしね、自重しときます」

 

口移しなんかした日には確実に風邪を美咲に移しかねない。というか口移しされるのが頭痛薬とかそれはそれで嫌だし。

頭痛薬とは言っても気休めにしかならないかもしれないが、それでも態々買いに行ってくれて、飲ませてくれるのは本当にありがたい。なんだか、大学に入ってから親元を離れて、一人暮らしをすることになってからこんな風に風邪ひいて寝込んだりなんて経験もそうなかったので、尚の事そういったありがたみが身に染みる。

 

「ど、どうかした? 雄緋くん」

 

「……いや。2人とも本当にありがとうな。なんか、風邪引いて寝込んだ時、特に昨日の深夜なんかどうにも心細かったというか、不安もあったから」

 

「そっかぁ……一人暮らしだもんね」

 

「だからもう、話し相手がいるだけでも本当に心強いのに、それどころか看病までしてもらって、頭が上がらないな」

 

「そんなの気にしなくたって良いんですよ。あたしたちだって雄緋さんには毎日のようにお世話になってますし。あたしもアドバイス通り病院行ったら症状も落ち着いてきましたし」

 

「アドバイス? 病院?」

 

「雄緋さんのおかげってことです」

 

ガールズバンドのみんなからはこうやって感謝されることも多いけど、自分ではそんな風にはあまり思わない。俺はバイトで彼女たちにスタジオなんかの環境を提供するぐらいしかしてないし、他にはせいぜい……せいぜい、えっと家の中で姉の良さを語ったりだとか、取調べを受けたりだとか、花咲川の生徒会室に誘か……呼び出されて仕事をしたりとか。あれ……?

 

……うーん。まぁ、それでも彼女たちのおかげで日常に彩りが増えたことは確かだし、そういった意味でむしろ俺の方こそ感謝しているのだ。

なんて、風邪を引いたせいだろうか、柄にもなくセンチメンタルになってしまっているな。

 

「……ま、何にせよ、ありがとう」

 

「……お役に立てたなら、良かったです」

 

「うんうん。……私だっていつも迷子になったら雄緋くんのこと頼りにしてるんだから、雄緋くんに辛いことがあったら遠慮なく私を頼ってね?」

 

「それは勿論」

 

贅沢を言えばもうちょっとだけ理不尽なことに巻き込むのはやめて欲しいけど。まぁそれも非日常を味わうと思えば……思えば……うん。まぁでも、暴走するのさえやめてくれたら……ね?

 

「そういえばお腹空いたりとか、喉渇いたりしてないですか? 薬だけじゃなくて色々買ってきたんですけど」

 

「お、何かあるのか?」

 

「えっとね、ヨーグルトとか、ゼリーみたいなのとか」

 

「おー。食べやすくて良さそう。けど、ちょっとだけ喉が渇いたな」

 

「あっ、それならこんなの買ってきましたよ」

 

「こんなの?」

 

そして白いビニール袋から取り出されたのは。

 

「牛乳というか、ミルクというか」

 

「うーーーん?」

 

おっかしいなぁ。パッケージに可愛らしい赤ちゃんが見える。おめめクリクリしてて可愛いねぇ。

 

「じゃねぇ! おい、乳児用の粉ミルクじゃねぇか!」

 

「あっ、哺乳瓶買うの忘れてました」

 

「えっ? ……よ、よし! そ、それなら私が頑張って……、で、出るかな?」

 

「やめろぉ!!」

 

暴走さえしなかったら……。

あ、この後ちなみに、全力で花音の暴走を止めて、ゆっくり寝ることにしました。寝る子が一番育つ……じゃない、寝ないと風邪治んないからね。みんな寒くなってきたから風邪には気をつけるんだぞ!!!! ばぶぅ。



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『緋色小僧』【主演女優 若宮イヴ 脚本・監督 大和麻弥】

時は江戸……。将軍様のお膝元で、武家のお屋敷に悪事を働く世紀の大盗賊がいた。氏を北条、彼が名家の生まれであることなど世の者たちは知る由もなく、ただ貧民を救う彼の生き様を義賊と慕う。去り際に鮮やかな緋の閃光で追っ手の目を眩ませることから、彼を英雄と崇め奉る者は皆、彼をこう呼んだ。

 

 

緋色小僧

 

 

『また出たぞ! あの小僧だ!!』

 

江戸のとある武家屋敷に怒号が鳴り響く。それは民衆からは英雄と慕われ、世の権力者からは大罪人と蔑まれた、彼が現れたからに他ならなかった。利を貪り、たらふく富を蓄えた者たちから根こそぎ財を奪い去り、それを以てして貧民を救う英雄の凱旋であった。

 

『ふっ。どこの家も我欲に眩み、財貨を蓄える悪党の多きことよ』

 

人知れず屋根の上に飛び乗った彼は、呆れたように吐き捨てる。彼の声を聞いたことがある者は誰一人としていなかった。主人が寝ている隙に犯行を済ませ、貧民たちが汗水を垂らして耕作に励んでいる間にその獲物を配り渡すのだ。彼の救済を期待してなのか、自力で開墾を進めて、彼の助力なしに貧しさから抜け出した者も居るとかいないとか。

しかし、その日は何かがおかしかった。そんな仮面の中の素顔を決して知られることもなかった彼を呼び止める者がいたのだ。

 

『待てぇ! そこの小童めが!』

 

『な?!』

 

彼は今回も余裕綽々と逃げ果せたことで油断していた。だからだろうか、一瞬のことに反応が遅れる。僅かにいなしたその場所を、一筋の太刀筋が空を切る。

 

『あっぶねぇ?! 人を斬るとか何考えてやがる?!』

 

『たわけ! 罪なき者から金銭を奪う子悪党が何を言うか!』

 

『……そうか。その声は』

 

陰になっていたその顔に、月明かりが差し込んだ。

 

『貴様のような悪者は、私、若宮芬蘭介(ふぃんらんどのすけ)イヴが成敗してくれる!!』

 

名乗る若武者を嘲り笑うように、かつて相見えた際の余韻を思い出したように乾いた笑いをぶつける彼。それはその侍の誇りをも軽んじ、若き侍の心はぼうと燃えた。

 

『やはりか。だが以前我が其方から逃れたこと、忘れたわけではあるまい?』

 

『ふ、ふん! 今度こそは!』

 

彼女は武士として仕える身、敗北は二度と許されることではない。一度目は不意をつかれた敗北だったとはいえ、彼女にとってそれは屈辱の敗北に他ならず、彼女なりの、武士としての誇りを、気高きブシドーを貫き通すためには、絶対にこの者だけは我が手によって斬り捨てねばならないと、血判の誓いを立てていたのである。

 

『……まぁその心意気や善し。買ってやろう』

 

『……その腰に据えたるは仕込み刀であろう? ならば、私と刀で勝負で……、勝負だ!』

 

「はいカットォォォ!!」

 

 

 

……凄まじい声が屋根の下から響き渡る。

 

「ご、ごめんなさいマヤさん! ユウヒさん!」

 

イヴは屋根の下で待ち構える監督——麻弥のことだが、それと俺に向かって一言詫びを入れると、ぶつぶつと台詞らしいものを暗唱して確認しているようだった。

 

「大丈夫です! イヴさんは台詞大丈夫ですか?」

 

「……はいっ、次こそは!」

 

 

 

「よーい……アクション!」

 

『ならば、私と刀で勝負だ! この誇り高き妖刀・熊正で貴様を斬り捨てようぞ!』

 

『……女人を斬る趣味はないが。そういうことならば受けて立とうか』

 

彼は腰布に隠した刀を抜くと、中段に構える。

 

『女と見て油断すれば……痛い目を見ようぞ!』

 

『くっ、速っ……だが』

 

彼女の研ぎ澄まされた太刀筋は最初に彼を斬りつけようとした時同様、凄まじいスピードとその体躯からは想像もつかないほどの威力で襲いかかる。彼はなんとかそれらを受け流した。

 

『やりおる……。だが私とて1人の武士なのだ。勝たねばならんのだ!!』

 

『ぐぉっ?!』

 

鍔迫り合いに持ち込んだ彼女の膂力に、彼は履物を屋根瓦に押し曲げながら踏ん張り続ける。なんとかそれを押し返すが、彼女の追撃の手は緩められない。

 

『私のブシドーを、……思い知れぇ!!』

 

『ぐっ……、知らねぇなぁ……武士道なんざ……』

 

『私のブシドーを愚弄するなぁ!!』

 

『そんな夢や生き方はな……とっくのとうに、捨てたんだよぉっ!!』

 

『なっ、どこからそんな力がぁっ?! きゃああっっ!』

 

彼の押し固められた恨みの心が彼女の正義なるブシドーを跳ね返す。そして彼の刀が彼女の刀を持つ手を、峰で叩き打った。

 

『がっ……あぁっ!』

 

彼女の手を離れた名刀が急な屋根を滑り落ちて、やがて屋根から飛び出して剥き出しの地面へと落ちてゆく。それとともに彼女は膝をついて俯いた。

 

『……なんだ。若宮イヴよ。その態勢は』

 

『私の……負けだ。……好きなように斬るがいい』

 

『残念だが俺は無闇矢鱈と人を斬り捨てるようなつもりはない』

 

『……そんなものは関係ない、私は負けた。武士でありながら子悪党にすら刀で及ばぬ私に何の価値があるのだ! ……お願いだ、……殺してくれ……』

 

『……ほぅ』

 

彼は興味深そうに彼女を見下ろす。武士という誇り高き地位にありながら、所詮盗人に過ぎない緋色小僧にすらも、自ら刀での決闘を挑むも無様にも負けを晒した。その恥に耐えられぬから、介錯をしろと、せめてそのちっぽけな誇りだけでも守らせてくれと、彼女はそう乞うのである。

だが、彼の答えは「否」、であった。

 

『……無益な殺生などはしない』

 

『……なぜだ、なぜそこまでして情けをかける! こんな無価値な私に!』

 

『誇りなどなくても生きてゆける。……死ぬ必要のない者が、無闇にその命を散らす必要などない』

 

『……私には、誇りしか……ブシドーしか残されていないのだ! そんな詭弁に弄されるか!』

 

『……まぁ分からないならば、仕方がない』

 

『な?! 峰……打ち……』

 

とどめを刺せと喚き散らす彼女を憐れんだのか、それとも煩わしいと思ったか、彼以外の人にそれがわかる由などない。

彼女の中に僅かに残されたブシドーの誇りなのか、峰打ちを食らいながらも歯を食いしばり、意識を保たせている。しかし最早反撃は及ばない。

 

『そんなつまらぬ誇りなど捨ててしまえ』

 

『まだ……愚弄するか……』

 

『貴様にとって誇りとはなんだ?』

 

『誇りとは……ブシドーだ……。刀で高みを目指すこと、己を高める……それが、誇りなのだ……』

 

『ならばその刀、俺が譲り受けよう。貴様の刀に貴様を斬らせる意味はない』

 

『な……ふざけ……』

 

『……貴様のような美しき娘が、武士の誇りという名の呪いに縛られ死に晒す必要などない』

 

『な……に……を』

 

『……生きたくても生きられない者もいれば、死にたくても死ねない者もいる。生が辛くて死にたい者が無闇に命を散らす意味はない。俺はそう思う。例え一時生を諦めるほどに貧しかろうと辛かろうと、俺がその者を、この身を捧げ掬い上げよう。……それが貴様の言う、俺のブシドーだ』

 

『……そう……か』

 

『……気を失ったか。……何故こんなにも無駄に語ってしまったのか、自分が情けないな』

 

自らを嘲りながら、そして何故こんなにも素直になれたのかを不思議に思いながら、彼は刀を仕舞う。

 

『……ブシドーか。……俺が武士を語れるわけなどなかろうに』

 

何かを忘れるように彼は大きな息をつくと、力の抜けたうら若き元武者を抱きかかえた。

 

『よっと……。……倒したはいいが、このまま寝かせるわけにも行かない、か』

 

そして彼は彼女を抱きかかえたまま屋根の低いところから地面へと飛び降りる。地面に誇りを忘れて突き刺さった悲しき刀を腰に差す。しかし彼は確信していた。この呪いから彼女を解き放つには今しかないと。今解き放たなければ、彼女の呪いは彼女の身を滅ぼすと。

 

『ふぅ。此奴はこの館の者か。……ならばここで寝かせておけばよいか』

 

彼は中庭から家の中に入ろうと戸を横に開く。……そこには。

 

『あ、あれ?』

 

「か、カットォォォ! 薫さんどこに行ったんですか?!」

 

 

 

……予定ではここに薫がいるはずなのだが。どういうわけだか座敷に薫の姿はない。

 

「薫さーん?! 薫さーん!」

 

「おや……どうしたんだい……。私をそんなにも呼んで」

 

「呼んでも何も出番ですよ?!」

 

薫……。薫はフェンスの近くの花を見て愛でていたらしい。……いや撮影中ぐらい集中しろよ。

 

「あ、あの……ユウヒさん……」

 

「ん、どうしたイヴ? あぁ、ごめん。下ろすな」

 

「ま、待ってください! もう少しだけ……このままで……」

 

「え?」

 

「あ、もっと抱き寄せていただけると……」

 

「こ、こう?」

 

「あ、あと。そのさっきのセリフを……耳の近くで言ってください……」

 

「……さっき?」

「えっと、『貴様のような』からを……」

 

「えー……。ごほん。『貴様のような美しき娘が、武士の誇りという名の呪いに縛られ死に晒す必要などない』……でいいか?」

 

「はぅ……。えへへ……耳が幸せです……。私の生涯に……一片の悔いなし……」

 

 

 

「よーい、アクション!」

 

『おやおや、私の子猫ちゃんに手を出すとは、無粋な輩もいたものだ……』

 

『……この館の主人か?』

 

『いかにも……。それで、何用かな? ()()の倅よ』

 

『なっ、どこで……。くっ、この子は返す』

 

『……ふっ。悪くない判断だ……。儚い……』

 

不気味に感じたのだろうか、彼は慌てて、若宮イヴを畳の上に寝かせると、気高く揺れるその男から目を離すことなく後ずさる。

 

『まぁ。君のことは言わないでおこう。江戸の街が大混乱になるだろうからね』

 

『……そうしてくれると助かる』

 

『一つ、貸しというやつさ』

 

『……くっ。失礼する』

 

『まぁ待て……坊や。彼女の……妖刀はどうしたのかな?』

 

その男は彼の腰に差された、禍々しい雰囲気を放つ銀刃を見つめていた。気を失った若武者の魂をも抜かんとする妖刀を隠すことなど叶わなかったのである。

 

『……彼女にこの妖刀は必要ない』

 

『何故だい? それはこの熊正がその主を誑かして支配することを知ってのことかい?』

 

『……やはりそうか。そうであれば尚更だ。彼女が命を散らす必要などない』

 

『……命を絶つことまで見抜いていたのかい?』

 

『その誇りに従えば、間違いなく彼女はこの刀を自らに向けるであろう。……それを止めない理由などあるか?』

 

『……君は何も知らないようで、察しているようだね。……儚い』

 

『失礼する』

 

彼は家を飛び出すと、塀の上を風のように走り去る。今日はやけに身の上を語りすぎたな。そんにゃ……そんなことを悔いながら。

 

「ちょっと待った」

 

 

 

「……な、なんですか雄緋さん?! じじじ、ジブンは噛んでないっすよ?!」

 

「丸わかりだから隠さなくて良いぞ……」

 

「大丈夫さ麻弥。失敗なんて誰にでもあることさ」

 

「さっきお前は出番をすっぽかすとかいうありえないミスをしていたけどな」

 

「か、薫さん……」

 

「というか麻弥も、ナレーションなんか後で吹き込んだら良いだろ」

 

「拘りです!!」

 

「えぇ……」

 

 

 

……そんなことを悔いながら。そして彼が緋色の閃光を放つ。

 

『きゃあああ! 緋色小僧がまた出たよ!!』

 

『オッちゃんの眼の色に似てるっ』

 

彼は緋色の閃光に姿を隠した。緋色小僧の名を体現してみせて、またも己の考えを貫徹しようと駆け抜け続けたのである。

 

『ん……んんっ……』

 

彼が逃げ去った後の瀬田家の和室で、彼女は意識を取り戻す。

 

『おや、子猫ちゃんのお目覚めのようだね』

 

『……カオル様……。はっ?! かの者は?! 熊正が?!』

 

『緋色小僧のことかい? 彼ならもう去っていったよ』

 

『う、嘘……。私は……私は……っ』

 

彼女は自らが完膚なきまでに敗北したという事実を改めて悟り、そして自らのブシドーの拠り所ですらあった刀を奪われたことに酷く落胆していた。そして、この敗北が彼女にとって二度目の過ちであることにも。

 

『さて、イヴ……。この家は緋色小僧に2度も押し入られ、財物を盗られてしまったのだよ。……君というものが警備していながら、ね』

 

『も、申し訳ございません!! 私の、私のお命でどうかお許しを……!』

 

『……まさか命まで取りはしないさ。彼に救って貰った命を、無駄にするわけではないだろう?』

 

『彼……?』

 

『盗賊でありながら、卓越した刀術の腕を持ち、それでいて紳士だなんて……儚いことだ。相手が彼でなかったなら、君は今頃辱めを受けて慰み物に成り下がって、命を捨てていたかもしれないというのにね』

 

『な、慰み物っ?!』

 

『……だが、私は君に暇を出そう。済まないね、今までの礼を言おう』

 

『はっ……。……ありがとう……ございました』

 

『……彼はどのような意味でも君の命の恩人のようだ。彼に助けて貰った命を大切にするが良いさ……。彼の持つブシドー、私も感服したよ……』

 

『……カオル様に。一つだけ。彼は何者なのでしょうか……』

 

『……ふぅむ。難しい質問だね……だが』

 

畳の上の空気が凛と研ぎ澄まされる。

 

『彼の名は雄緋。その渾名が緋色小僧だなんて、儚い偶然だね……』

 

『雄緋……殿……』

 

彼女は突然訪れた先の見えない暗闇に畏怖を感じながら、屋敷を後にする。彼——世間を賑やかす緋色小僧。いや、雄緋と呼んだ方が良いだろうか。かの者に恨みを覚え、また一方では憧れを持ち、心の奥隅ではそれとは分からぬ恋心を抱いた若き少女の揺れる思いは今日も変わらぬ江戸の町へと溶けていく。雄緋とイヴ。武士を捨て去りし2人を狂わせる物語は始まったばかりである。

 

『まさか彼が……。それに、この家には雇い人はおろか財貨も何も残っていないなんて……。……儚い』

 

……儚くても続く!!

 

 

 

 

 

 

キャスト

 

 

緋色小僧○○○北条雄緋

 

 

若宮芬蘭介イヴ○○○若宮イヴ○○

 

 

 

瀬田家の主○○○瀬田

 

○○○町衆1○○○市ヶ谷有咲

 

○○町衆2○○○戸山香澄

 

○○町衆3○○○花園たえ

 

 

 

 

ナレーション

 

 

大和 麻弥

 

 

 

 

脚本

 

 

大和 麻弥

 

 

 

 

演出

 

 

大和 麻弥

 

若宮 イヴ

 

 

 

 

音楽

 

 

Pastel✽Palettes

 

 

 

 

ブシドー

 

 

若宮 イヴ

 

 

 

 

舞台演出

 

 

羽丘女子学園 演劇部

 

 

 

 

演技指導

 

 

瀬田 薫

 

白鷺 千聖

 

 

 

 

背景協力

 

 

花咲川女子学園 生徒会

 

 

 

 

衣装協力

 

 

白金 燐子

 

桐ヶ谷 透子

 

 

 

 

スペシャルサンクス

 

 

花咲川女子学園の生徒の皆様

 

 

 

 

 

 

監督

 

 

大和 麻弥

 

 

 

 

 

 



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映えを求めて三千里【彩&ひまり&透子】

「というわけでー?」

 

「ひまりっ!」

 

「彩の」

 

「「スイーツ食べ歩きの旅!!」」

 

いぇーい。という明るい声がもう雰囲気からして伝わってくる。いや、良いですね。スイーツ。冬だけど。

 

「何、そういう企画なの?」

 

「企画……?」

 

「めっちゃタイトルコールみたいなのしてたじゃん……」

 

どうやら単にノリと勢いだけで食べ歩きに出向こうとしたらしい。俺? 巻き込まれたというか、メッセージで呼び出されて来たらいきなり電車に乗って連れ回されてます。もう慣れたからそれぐらいで騒ぎ立てないよ。大人なので。……大人なので。

ただ、大人だからこそ食べ歩きはちょっとしんどいよね。この間とある時代劇の撮影があったんだけど、そこであまりにも張り切りすぎて筋肉痛になりました。だから本当は歩きたくないぐらい。もう剣道のトレーニング……いや、あれはもはや剣道の域に留めていいものではなかったけれども、万が一あれの続編が出るとかなったら今度は殺陣のシーンとかは絶対に代役立ててもらおう。

 

「……で、ピンク髪二人組、どこ向かってんのこれ」

 

「呼び方ひどくない?!」

 

「それに彩さんと私じゃ髪の色ちょっと違いますからね?!」

 

だって共通点多いじゃん……。こうやって人を振り回したり、SNSに命かけてたり。あとちょっと抜けてるところとか。共通点を抽出したら2人まとめてピンク髪になるんだよ。

 

「えっと。この先の道を曲がったところにね……」

 

「最近流行りのパフェが有名なお店があるんですよ! ね、彩さん!」

 

「そうそう! この間透子ちゃんも写真撮って投稿してたらしいから、私たちも、って思ってね!」

 

「パフェかぁ……」

 

正直最近パフェがやたらと重くなってきたというか、甘いスイーツを大量に食べると体が少しばかり拒否反応を示し出してきたというか……。おいそこ、老化とか言うんじゃないよ。まだピッチピチの大学生だからな。

 

「というか、パフェなんて……。そんなの食べて彩は大丈夫なのか?」

 

「えっ?」

 

「この間千聖が言ってたぞ? 『彩ちゃんまた最近少し体型を気にしないようになってきたようなのだけれど……大丈夫かしら?』って」

 

「え、あ、あはは……。運動すれば……ね?」

 

「そうですよ彩さん!」

 

「ひまりもだぞ」

 

「え?」

 

「モカが言うには『ひーちゃん私がカロリー送ってるって理論否定しながらも、結局自分がいっぱい食べてるから太っちゃうんだよねぇ』、だってさ」

 

「あ、あ、あ……」

 

「大丈夫だよひまりちゃん! だって考えてみてよ?!」

 

「はぁ?」

 

「食べ歩きは美味しいものを食べるために、歩くんだよ?! 歩くのにはカロリーを消費するから食べたものは実質カロリーゼロ! 私たちはバンドの活動も頑張ってるからむしろ栄養補給!」

 

「あ、彩さん……!」

 

「私たちはステージで輝くために美味しいスイーツを食べるんだよ?! つまりファンのみんなのためにスイーツを探し求め「今の録音して千聖に送っとくから」わーーー?! 嘘! 嘘嘘! 冗談だよ?!

 

そんな、カロリーは高温にも低温にも弱いから実質カロリーゼロ……みたいな理論に匹敵するレベルのぶっ飛んだはちゃめちゃな理論が通るわけもなく。録音したというのは流石に嘘だけれども、もし今度千聖からその話聞かれたら今の話絶対してやろう。

 

「で、そんなことはさておいて、店はまだなのか?」

 

「死刑宣告がそんなこと扱いされた……」

 

「えっとですね。あ、この角を右に曲がって……」

 

「あっ」

 

その角を曲がればー。あの日見た、懐かしい景色がー。やってくるー。

 

「うへぇ……この坂道を登るのぉ……」

 

「が、頑張ろうひまりちゃん! って、雄緋くんどうしたの?!」

 

「脚パンパンでもう無理……」

 

\(^o^)/

 

 

 

 

 

「着いたぞぉ!!」

 

「やったぁ!」

 

「……」

 

え、テンション低いって? 許せ。

 

「すごい、外観からしてすごいオシャレ……!」

 

「なんだかファンタジーの世界に来たみたい! お菓子の家みたいな!」

 

横の2人はスマホを構えてお店を様々な角度から写している。元気だね……ほんと……。というかお店の中で食べるなら食べ歩きじゃないじゃん……。

 

「ほらっ、雄緋くんも一緒に写ろっ!」

 

「良いけど……。間違ってもSNSにあげるなよ? この間プチ炎上したの忘れてないならな」

 

「はい……」

 

「そういう細かいことは気にしちゃダメですって! ほらほら笑ってください!」

 

作り笑いがやっとの俺だったが、流石に記念に残るような写真に興を削がれるような表情をするわけにはいかず、どうにか大きな息を落ち着かせて、笑顔を作る。

 

「ちょっと、雄緋さん頑張って笑ってください! 表情硬すぎですよ!」

 

「もう少しだけ息を整える時間をください……」

 

「えへへ、ひまりちゃん。雄緋くんの表情を崩す良い方法があるんだけど、知ってる?」

 

「え、なんですか?」

 

俺の硬い表情を崩す方法? んなもん休憩させてくれ。という心の叫びが聞こえないままに2人はどうやら内緒話のように小さな声で話し込んでいる。俺はその間に酸素をどうにか体に入れて、上がった息を整えようと試みた。

 

「よ、よし。あ、彩さん、本当に良いんですよね?」

 

「うんっ、バッチリだよ!」

 

「何話してたんだ……」

 

「いいからっ、ほら、撮るよ!」

 

「は、はい。チーズ……」

 

「……え?」

 

両頬に触れた少しだけ熱を帯びた不思議な感覚にキョトンとする。それがキスであるということに気がついたのは、その唇が余韻を楽しむようにゆっくりと離れて数秒経った頃だった。

 

「……ちょ、彩さん。めっちゃくちゃ、恥ずかしいです」

 

「……えへへ」

 

「はっ……。……え?」

 

「……よし! 入ろっか!」

 

「お、おー!」

 

「えいえいおー!」

 

どうにでもなぁれ。

 

 

 

入り口に入ってすぐのテーブル席に着いた俺たち。なんだか隣の争奪戦とかいう不毛な争いが始まりかけたので、向こうに無理やり2人を座らせ俺が1人で反対側に座らせて貰った。せっかく来たカフェに争いを持ち込むの良くないもんね。

 

「こちらメニューになります。注文が決まりましたら、お申し付けください」

 

「ありがとうございます……。……で、何だっけ、パフェ?」

 

「うんうん! なんか透子ちゃんが言うには、期間限定メニューってことらしいんだけど」

 

「……そんなの、メニューにないっぽいですよね?」

 

この冬の時期の期間限定メニューということだから、みかんやりんご、いちごなどの果物が妥当なところだと思うのだが、メニューのどこを見てもそもそもパフェらしきものがまるで載っていない。まさか店を間違えたなんてあるまいし、どういうことかと話していると、ひまりが店員さんを呼び出していた。

 

「ご注文がお決まりでしょうか?」

 

「あ、あの、私たち期間限定のパフェを食べに来たんですけど、もう終わっちゃいましたか?」

 

「……まさか、あのパフェを?!」

 

「……え?」

 

店内の空気が……変わった……ッ?!

というか店員さんの反応もおかしい。あのパフェをも何も、仮にも自分の店で出してるんだから、驚くも何もないだろう。

 

なんて、思っていた時期が俺にもあった。

 

「お待たせいたしました! こちら『ウルトラハイパーゴージャスなミカンマシマシ・エクセレントスーパーフィーバーいちごデラックス全部乗せ卍卍卍からの秋冬が旬のフルーツオールマシマシ・りんご丸々1個大盛りピコピコデラックスパフェ春夏秋冬ver. 〜日本全国の美味しさを乗せて〜』になります!」

 

「……ぱふぇぇ?」

 

「お連れ様の頼まれた分もすぐお持ちいたしますので、お待ちください」

 

「あっ……はい」

 

パフェ。……パフェ?

俺の前にどどん、と置かれたそれは、まるでピッチャーのような容器に何重もの層を土台としてフルーツと生クリームとチョコレートソースが、全部可食部のフォンデュセットになってます、みたいな感じの『山』だった。というか向こうにいるはずの彩とひまりの頭のてっぺんが見えない。……え? 普通のパフェ無理って言ってたやつがこれ食べるの?

 

「なぁ彩」

 

「な、何っ?!」

 

「これ本当にカロリーゼロなんだろうな?」

 

「……うんっ!」

 

な訳なくて草。

いや待て待て待て。えっ。……えっ? 今から頼んで返品してもらえる? もっとこう……キラキラしてて可愛いねーこのスイーツ、みたいな。そんな会話を期待してたんだ。けども、これを見ての感想が『カワイイ』には絶対ならないんだよ。一部分を切り取ってようやく可愛いの要素を見つけ出せるのであって、これを見たら、『富士山を作ろうとした?』ぐらいの感想が出てくるんだよ。

 

「お待たせしました。お連れ様2人の分をお持ちいたしました」

 

どん! って音がテーブルから聞こえる。同じ高さのグラス……? 容器? が向こうに二つ並んでいる。

 

「こちら大量に食べ残された場合は量に応じて元の料金に加えて追加料金を頂く場合もございますので頑張ってください!」

 

「えぇ?」

 

「あ、あの。ちなみにこれ、何円ですか……?」

 

「こちらお一つで¥5,800になります!」

 

「ほぁ……」

 

出したことない声出ちゃった。

 

「あの雄緋くん……」

 

「……どうした」

 

「手持ち少なくて……今度返すからちょっと工面してくれたら、嬉しいなって」

 

「……任せろ」

 

「え?」

 

「……奢るから、全力で食べろ。いいな?」

 

「「……頑張ります!!」」

 

決意の叫びが響めいたときだった。俺の背後からドアベルのなる音がする。新しくお客さんが来たのだろうと気にも留めていなかったのだが。

 

「……あ! 透子ちゃん!」

 

「うそっ?!」

 

ひまりの声が店内に響く。俺が視線を背後に向けると、そこにいたのは。

 

「え? あ、ひまりさんと彩さんと、雄緋さん? って、なんですかそれ……」

 

今回の大元の遠因となった人物……。透子がいた。来店客に気づいた店員がこちらに駆け寄ってきたが。

 

「あ、連れなので! 大丈夫ですよ!」

 

追い返しました。

 

「え? あっ……まぁ。大丈夫ですけど。で、なんですか?」

 

「なんですかじゃないよ?! 透子ちゃんが前投稿してたやつなんじゃないの?!」

 

「え、えぇ?」

 

おかしいな。彩の必死の抗議もどうやら透子の反応とは噛み合っていないように見える。

 

「前投稿したやつ……っていっても、あたしがここのお店で前頼んだ期間限定のパフェって、先週末までのやつですけど……」

 

「え?」

 

透子の言葉を聞いたひまりがスマホを取り出し、SNSを開ける。

 

「あ、ああっ?! 全然違う?!」

 

見せつけられた画面に映っているのは他のお店でもあるぐらいサイズの、いちごのソースが食欲をそそるパフェ。

 

「えーっと。あたしもまた期間限定のやつ食べにきたんだけど……アハハ」

 

「なぁ、彩。ひまり。分かるよな?」

 

「うん。これは責任取ってもらわないと」

 

「透子ちゃん? お腹空いてるよね?」

 

「いやー、そのー用事を思い出したというか、ルイに呼び出されてるというかー?」

 

「いっつもミクロンって言ってたよな? このパフェもミクロンだよな?」

 

いや、分かる。自分でもかなり理不尽というか、ものすごい八つ当たりをしているのは分かっている。けど。けど……! こうでもしないと俺たちのブレイクされたハートをどうにかすることはできないんだ……!

 

「透子」

 

「これ食べるの」

 

「手伝ってくれるよね?」

 

「……ミクロン、じゃないっしょ……」

 

結局俺たち4人は、映えることには映えるこの超ウルトラスーパービッグジャイアントなパフェを撮り(画角は殆どパフェ本体で埋まってたけど)、実に2時間超というパフェを食べるだけだとありえないレベルの時間をかけてなんとか完食したのであった。

 

 

 

「……うぅ。食べた食べた……」

 

店を出た俺たちはみんな既に陸で呼吸できない魚のような目をしている。限界オブ限界。あとついでに俺の財布の紐は全開オブ全開。お陰で1万超飛んでいった。言い出しっぺの手前どうしようもないけど、ガラス代やら風呂の修理代やら出費が嵩んで生活が苦しい……。

 

「というかいきなりこれに巻き込むってひどいですよ〜……」

 

「でも透子ちゃんもこれ食べにきたんでしょ?」

 

「それはそうですけど……」

 

「透子が1人で食べるよりも、あのパフェ1/4個分少なくて済んだんだ。むしろ感謝して欲しいぐらいだ」

 

「1/4……?」

 

「彩さんどういうことですか?」

 

「えっ、私にもさっぱり……」

 

「みんな計算ダメなやつしかいないのか……」

 

おそらくこれ以上説明したところでわかってもらえそうにないので、適当にスルーしつつ、歩き始める。

 

「とにかくお腹いっぱいすぎて重いんですけど」

 

そう愚痴る透子の足取りは確かに重そうだ。まぁあの量のパフェを食べ切ったのだから、透子に限らずみんなのお腹が限界に近しいことは容易に想像がつく、というか俺も重たい。

 

「わかるー! はぁー、透子ちゃんが上げてたってパフェも食べたかったなぁ」

 

「写真見たら美味しそうだったよね。もう私食べられそうにないけど、お腹いっぱいだもん……」

 

「ふふ、彩ちゃん。ものすごく、一杯食べていたものね?」

 

「「……え?」」

 

「「あ……」」

 

背後から忍び寄る鬼哭啾々たる声。地獄の釜の底から這い上がってきたかのような声に震え上がった。だって、そこにいるはずがない……。

 

「ち、ち、ち、千聖ちゃん?!?!」

 

「彩ちゃん? 来週撮影があるのよね? そんなに一杯食べても大丈夫なのよね?」

 

「い、いやいや、今日のは私としても全く予測してなかった量というかもっと食べる量を少なくする予定だったというかびっく「彩ちゃん」はいぃぃっ!!」

 

あまりに鋭すぎる千聖の声に、彩含め、その場にいた一同が跳ね上がった。

 

「お説教が必要かしら?」

 

「ご、ごめんなさぁぁい!!」

 

まさか千聖が花音と一緒に同じカフェにいるなんてな……。

ごめんな彩。俺と透子は実は席の向き的に途中で気がついたんだけど、怖すぎてとてもじゃないが言えなかったんだ。

彩の斜め後ろの座席から尋常じゃない程威圧的な眼光で睨みつけられてるぞ、だなんて……。



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瑠唯の部屋【瑠唯 × ゲスト:湊友希那】

ルールル、なんていう清く高らかな歌声が音楽とともに聴こえてくる。聞いているだけで薔薇で清澄に彩られた部屋が脳内に浮かび上がる。西洋の客間にもよく似たその部屋に対面で向かい合うようにアンティーク調の椅子。そこに腰掛ける瑠唯は威厳を棲まわせたような佇まいをしている。ここは本当に俺の部屋なのだろうか——。

 

 

 

瑠唯の部屋

 

 

「本日お越しくださったのは、ガールズバンド界でその卓越した技術と経験で頂点を目指し羽ばたき続けるRoseliaのボーカルを務める、湊友希那さんです」

 

「こんにちは。狂い咲く紫炎の薔薇こと、湊友希那よ。よろしく」

 

やべぇなんか始まった。最近外に出向くことが多かったから久々の休日家でゴロゴロしよっかなぁとか考えてたら、あっという間に俺の部屋が魔改造されていって、気がついたらこんな部屋が出来上がって。で、気がついたら2人の対談みたいなのが始まってしまった。俺1人だけ取り残されてるんだけど、一体俺はここで何をすれ

 

「最初にお聞きしたいのですが、『狂い咲く紫炎の薔薇』という名前は少々長くありませんか?」

 

「……えっ?」

 

「態々11モーラもかかる二つ名で呼ばなくても『湊友希那』で十分だと思いますが」

 

「そ、それは雰囲気というか、カッコ「無駄だと思います」良……さ……」

 

オーバーキルェ……。

 

「まぁご自身がカッコいいと考えていらっしゃるなら私はそこまで否定しませんが」

 

「そ、そうよね。イメージ戦略としてもカッコ「まぁ私は少々冗長のように思いますが」……」

 

反論する気すら刈り取る言葉の暴力。友希那の目からは完全に始まった時の自信に満ち溢れた瞳が失われたと言うか。うん、ちょっとだけ可哀想。

 

「け、けども八潮さんも『正論爆撃機』という二つ名を持っていたんじゃなかったかしら。私の二つ名のセンスに口を出せるほどかしら?」

 

「持ってはいますが、自称することはありません。というより、私たちmorfonicaの二つ名を付けてくださったのは戸山さんや湊さんですよね?」

 

「……あ」

 

「そもそも湊さんのワードセンスの問題になるのでは?」

 

「とても良い二つ名だと思うわ。大事にしなさい」

 

掌クルックル。

 

「そろそろ本題に入ろうと思うのですが、湊さんはお父様が音楽を嗜まれていたということですけど、ご自身が音楽を始められたのはそういった点が大きかったのですか?」

 

「えぇ。私がRoseliaで頂点を目指そうとしているのも、突きつければ私の……ある意味ではわがままのような、音楽に対する想いからよ」

 

「非常に興味深いですね。Roseliaの楽曲は確か湊さんが全て作曲や作詞をされているんですか?」

 

「そうね。リサが作詞をした時もあるけれど、基本的には曲を作るのは殆ど私かしら」

 

「私もmorfonicaで作曲をしていますが、コツのようなものはあるんですか?」

 

「コツ……。音楽に直向きに取り組んでいれば、頭の中にメロディーがふっと湧き出てくるわ。だから強いて言うならば、己の音楽と向き合うことかしら」

 

「なるほど、作詞はどうですか?」

 

「作詞……。それも日常のなんでもないことも歌に乗せることだから、色々な経験をすることかしら」

 

「そうなんですね。この間珠手さんから聞いたことなのですが、あまり英語のテストの成績が芳しくなかったとか。英語が出来ないのに歌詞を書くときに困ることはないんですか?」

 

「えっ……あ……。……歌詞は自分の想いを乗せるものだから問題「でも言葉が分からないとそもそも伝えることは出来ないですよね?」……があることもあるにはあるかもしれないわね」

 

なんだろう……。多分友希那は頑張って受け答えしようとしているんだけど、そのどれもこれが論破されそう。その場その場で答えてる感が否めないようにも写る。

 

「というより、あの小テストの点数……。チュチュ……他の人に漏らした「それと今井さんから先日行われた校内のテストの点数の結果を頂きました」ちょっと?!」

 

「読み上げますね。現代文 48点、古文 62点、数学 45点、英語 32点。赤点ギリギリですね」

 

「あ……あ……」

 

「音楽以外はポンコツという噂はある程度正しいようですね」

 

「べ、勉強なんてそんなものやらなくったって「今井さん曰くこのテスト結果は氷川さんに報告するとのことです」リサァァ!!」

 

珍しく声を張り上げる青薔薇の歌姫。まぁ……この点数は多少怒られたって仕方ないよね。諦めてお説教を食らってもう少し頑張っていただきたい。

 

「紗夜……違うの……これは……これは……。体調が悪くて勉強に集中することができなかったから……」

 

「譫言のようなものを呟かれていますが、話を続けますね。話がズレてしまいましたが、具体的には湊さんは音楽に対してどれほどストイックに取り組まれているのでしょうか」

 

「す、ストイック? えっと……。ど、どういう意味かしら?」

 

「つまり禁欲的に」

 

「もっと簡単に言ってくれるかしら」

 

「どれほど真剣に取り組まれているのですか?」

 

「あ、あぁ! ……どう説明すればいいの?」

 

おい、こっちを見るな。さっきまで場所奪った挙句、散々家主を蚊帳の外においたまんまで対談を始めたくせに困ったらこっちを頼ろうとするな。お陰でさっきから2人の間で凄まじい言論の応酬が繰り広げられていたのに俺は何も発言することなくずっと話を聞

 

「例えばどのようなことを考えながら音楽を作っていらっしゃるのですか?」

 

「どのようなこと……? え、えっと……えっと」

 

「参考までに、今井さんからの情報によると作詞の際は部屋にある猫のクッションに頭を擦り付けて作詞するそうですね」

 

「ぶふっ!!」

 

「なっ?! そ、それは。それは、きっとリサの妄言よ」

 

「こちらがその映像とのことです」

 

俺の部屋のテレビの画面に録画映像が流される。そこにはベッドの上で不動のまま天井をしばらく見つめ、体勢を変えてベッドの上に置かれた猫の顔のクッションに何度も頭を埋め、突然何かを閃いたように顔を上げる友希那の姿が。えっ、というかなんでこんな映像あんの? 流石に隠し撮りというレベルじゃないというか、友希那の部屋の中にカメラ持ってリサが待機してで

 

「あ……あ……あ……」

 

「猫のクッションに頭を擦り付けることにはどういった効果があるんでしょう?」

 

「……リラックス効果よ」

 

「なるほど。リラックスすることで歌詞が頭に浮かんでくるとか?」

 

「……そう。これはにゃーん……、いえ、猫のご加護を受けることにより、スラスラと頭の中に歌詞が湧き出てくるようにしているのよ」

 

「ご加護? そんな非科学的なことありえませんよね?」

 

「……」

 

やばい。さっきから言葉のナイフがグサグサと鋭く友希那の心をピンポイントで貫いてる。そりゃ付け焼き刃の受け答えじゃ正論にボコボコにされるのは仕方ないよね。付け焼き刃、そう言葉のナイフだけにね。なーんちゃっ

 

「というより、なんでも猫がお好きなのだとか」

 

「……?! ……いいえ。誰から聞いたのかしら?」

 

「各方面から伺っていますが。猫を追いかけて池に飛び込んだ話や、練習場所のCiRCLEに大量の猫を連れてきてしまって、挙げ句の果てには自らが恰も猫であるかのように振る舞って、氷川さんに戯れついていたとか」

 

「……あ、……にゃーん」

 

もうやめてあげてください。友希那さんのライフポイントが0になってしまいます。え? 俺の財布の残高? とっくのとうに Z ☆ E ☆ R ☆

 

「またある方のタレコミだと、なんでもラニーニャ現象が猫の大量発生イベントのような何かと勘違いしていたとか」

 

「……違うの?」

 

「え?」

 

「え?」

 

「……ごほん。ラニーニャ現象には猫は関係ありませんが。それはそうと、猫がお好きなんですよね」

 

「……まぁ、そういう考え方が出来ないこともないわね」

 

「音楽と猫ならどちらが好きなんでしょうか?」

 

「え? それは勿論……。……ハッ」

 

——刹那、友希那の脳内を溢れ出る思考の渦。

 

友希那は悩んだ。もしも仮にここで友希那自身が『音楽』が好きだと答えたとしよう。それは決して嘘などではない。彼女が心の底から音楽に人生の全てを、心血注いできたことは紛れもない事実であり、それは未来永劫不変の事実なのである。原始より、音楽は彼女にとって己の分身と言っても良いほどの存在だったのである。即ち彼女は音楽であり、音楽こそ彼女であった。彼女のこれまでの生涯は音楽と共にあったと言っても過言ではなかった。

ではここで「音楽」と答えるべきか? 答えはNOだ。それは彼女が愛してやまない『猫』という存在への謀反、裏切りであるのだ。猫。人心を惑わし、誑かして、その心を虜にしてしまう。その行動から仕草まで何から何をとってもまさに完全無欠、天衣無縫の生物。その可憐なる姿に心を魅了し尽くされた人間は1人や2人ではない。人類そのものが古来より関わりを持っていた生物ですらある。その猫の呪縛に取り憑かれてしまったのは湊友希那とて例外ではない。彼女は人知れず猫を愛し、猫にその心を傾ける。普段こそ冷静沈着に振る舞う彼女の心の平穏を唯一容易に壊し得る。それこそが湊友希那にとっての『猫』なのである。

ではここで「猫」と答えるべきか? 答えはNOだ。彼女は音楽と一心同体。この場で自らが愛するものを猫と断言して仕舞えばそれは彼女自身の自己否定をするに等しい。自らが人生そのものと疑わずに費やしてきた行いをも否定し得るのであり、彼女の存在の意義すらも揺るがす言説なのである。彼女が己のアイデンティティを喪失しないためには彼女自身が我が身を呈してでも守り抜きたい猫を捨する他なく、彼女は人生で一番とも思しきほど重大な人生の岐路に立たされたのである……ッ!!

 

この間、なんと3秒。彼女の軽く見積もっても80に近い年数を有する人生全てを決定せしめんが如き難題に直面した彼女。しかしながらその思惟は常人の思考回路を遥かに凌駕する。彼女自身である音楽か彼女の最愛の生物かの2択。それを選択する彼女の瞑想にも似た思考のプロセスを確かめるべく我々はアマゾンの奥

 

「にゃーん……ちゃんと音楽は違うようで同じなのよ。表裏一体なのよ」

 

「な、なんだってーーー?!」

 

そ、そうか。彼女にとって音楽は彼女そのものであり、それでいて猫だって彼女そのものなのだ。即ち湊友希那、音楽、にゃーんちゃんは違う形態を保っていると我々が認識しているに過ぎず、本質的にはそれらは全て同質的なものを指しており、それはまさに三位一体の様相を呈し、彼女という存在を形づく

 

「なるほど。ならば猫が作詞のモチベーションの源泉ということも腑に落ちますね」

 

「そうよ。まさに猫は猫であるが故に音楽の形態を持った猫であり湊友希那なのよ」

 

やばい。分からん。もう何が何だかわからんぞ。つまり湊友希那は音楽であるからしてにゃんにゃん鳴いているということなのか? 今の俺の目の前にいる湊友希那は我々がそうだと認識しているから『湊友希那』なのであって、違う時間軸の『私』から見ればそれは猫であるとも認識し得る存在なのか?! 分からん、わからんぞ!! 今俺が見ている湊友希那は一体どの湊友

 

「それで、音楽か猫、どちらが好きなんですか」

 

「両方好きよ。優劣の差はないわ」

 

「好きなものがあるというのは良いことだと思います」

 

「そうよね。にゃーんちゃんは世界を救うのよ」

 

「それだと猫の方が好きということになるのでは?」

 

「私が両方好きだと言えば両方好きになるのよ。分かったかしら」

 

「……分かりました。それではここで、湊さん宛のお手紙が視聴者の方から届いておりますので読み上げます」

 

え? 視聴者って言った? もしかして今俺の部屋……原型は留めてないけど全世界に電波に乗って公開されたりしてる? いやまぁ、テレビカメラに似た何かが搬入された時点で何かしらは察してたし今からどうこう言ってももう手遅れなんだけどさ。なるほど、公開処刑されることを今さら後悔しても意味ないと、公開処刑を後悔す

 

「では、ペンネーム『おねーちゃん大好き』さんから

 

この間CiRCLEでRoseliaが練習しようとしていた時、猫のフリをした友希那ちゃんがおねーちゃんにスリスリしてたのを見ました。どういうことですか? あたしのおねーちゃんに手を出すなら、いくら友希那ちゃんでも容赦しないからね。

 

とのことです。相当恨みを買っているようですね」

 

「ち、違うのあれは……。そ、そう、誤解よ。あの時こそ私は正真正銘猫だったのよ。私は猫になっていたからあの時の湊友希那は私の意思では動いていなかったわ」

 

「それだとやはり先程の湊友希那ないし音楽と猫が表裏一体であるということと辻褄が合わないのでは?」

 

「そ、それは……」

 

「よく分かりませんが、これだけ怒りを買っているのであれば素直に謝るのが吉かと」

 

「あ、謝るも何も「では登場していただきましょう。ゲストの氷川日菜さんです」えぇっ?!」

 

重厚そうな音楽とともに煙の中から現れたのは。

 

「あはは、友希那ちゃん。分かってるよね?」

 

「ひ、日菜?! どうしてここに」

 

「どうしてもこうもないでしょ? 知らなかったの? あたしと雄緋くん以外おねーちゃんに手を出しちゃダメって。おねーちゃんに手を出そうとしたんだよね?」

 

「そ、そんなことはっ、ひぃっ?!」

 

「ねぇ」

 

「な……あ……」

 

 

「 ユ ル サ ナ イ 」

 

 

ラーラーラーラーーー♪(放送事故)

※日菜ちゃんの怒りはこの後スタッフと紗夜さんが美味しく必死になって鎮めました。



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姉妹喧嘩 epi.2【紗夜&日菜】

日菜祭りの日(3/3)と紗夜の日(3/4)に間に合いませんでしたぁっ!!(血涙)
ひな祭り? 書き始めたのは良いけどネタが思いつかなさすぎて没になりました。





都心では段々と春の訪れの予感がするほどに、寒くない日々が続いた今日この頃。空は晴れた薄青の色をしている。

 

「そこで私は、『そういう問題じゃないわよ』と言ったんです」

 

「うーん」

 

三月。寒い冬を忘れ始めたから、桃の節句も瞬く間に過ぎ去ったようなそんな季節。だが、俺はそんな時節との戯れをするでもなく、この長期休み特有の自らの欲求を貪欲に満たしていた。

 

「日菜は何を言ってもどこ吹く風……。まるで私の話を聞き入れようとしません」

 

「うーん」

 

長期休み特有の自らの欲求? それは旅行でもなく、遊びでもなく、恋愛でもなく、況してや競馬やパチスロなんかのギャンブルでもない。

その名は、惰眠。大学生たる俺は自らの疲労に屈した体を労ろうと、鬱憤の溜まる日常生活を忘れるべくこうして睡眠に耽っているのである。

 

「日菜が『知ーらない』なんてそっぽを向くものだから、思わずカッとなってしまった私は大人気なく、『もういいわよ!』なんて吐き捨てて飛び出してきてしまったんです」

 

「うーん」

 

多少寒さがましになってきたとはいえ、この時期のお布団というのは人心を掌握するに長けた魔性の寝

 

「無視しないでください雄緋さん!」

 

「……うるさい。……いまなんじ?」

 

「5時です」

 

「ゆうがた?」

 

「朝です」

 

おやすみ。

 

 

 

ぐぅ……。

 

「じゃないです起きてください!」

 

「ぐへぇあぼっ?!」

 

あ、あ。お、お腹……お腹が今グギラボって、めり込んだ……あふ……。

 

「どうして私の話を聞いてくれないんですか?!」

 

「ごめん……なさい……」

 

「分かればいいんです、分かれば」

 

「あの……今何時?」

 

「5時で「おやすみ」待ちなさい!!」

 

ぐはぁ……。お腹やばい……。もう無理だ……。もう生命の危機レベルだから眠気がどうとかの問題じゃないもん。雪山とかで遭難したらよく『寝たら死ぬぞー!』なんて言うけど、今俺が無理矢理にでも寝ようとしたら俺は死ぬんじゃなくて間違いなく紗夜さんにやられる。間違い無いね。まぁなんだかお布団めっちゃあったかくて寒さゼロだから雪山の寒さとかよく分かんないけど。

というかもう眠気吹き飛んだ。

 

「……おはようございます」

 

「えぇ。おはようございます。というかどうしてこんな時間まで寝ているんですか? 春休みだからといってこの時間まで寝ていれば生活習慣が狂ってしまいますよ?」

 

「逆に聞きたいんですけど、どうしてこんな時間に俺の家にいるんですか? 長期休みとか関係なしにこの時間に起きてるのというかまずなんで俺の家にいるんですか?」

 

「だから、日菜と喧嘩したので」

 

「俺の家に来る理由になってねぇ……」

 

お腹痛いよぉ……。めり込んでるぅ……。

 

「日菜と喧嘩したので、その愚痴を聞いてもらおうかと」

 

「……はぁ。で、なんで俺今こんな馬乗りにされて、お腹ボコボコなの……?」

 

「……? 私はたまに日菜にこんな感じのことをされていますが」

 

「……仲が良いなぁ」

 

え、というか紗夜さん、こんな感じで朝にはお腹がぐわんぐわんになってんの? ご愁傷様ですけど俺にそれをかますのはどうかやめてくださいお腹が耐えられません。

※北条雄緋は専門家の指導のもと特別な訓練を受けています。絶対に真似しないでください。

 

「で、なんだって?」

 

「だから、日菜と喧嘩したんですって」

 

「その内容だよ。なんで喧嘩したんだ?」

 

「それは……」

 

 

 

 

 

『日菜。ちょっとそこに、座りなさい』

 

『え? なになにおねーちゃん。どーしたの?』

 

『……最近の貴方の雄緋さんへの態度は目に余るものがあるわ。もう少し自重しなさい』

 

『えー? あたしそんなに酷いことはしてないけどなー』

 

『十分すぎるぐらいしてるわよ?! どういうことなのよいきなり目隠しして、拉致して、家庭科準備室に放置するって?!』

 

『え? だって雄緋くんにバレンタインのチョコ渡したかったし、それならその場で作って食べてもらえたほうがすっごくるんっ♪ ってするかなーって!』

 

『『るんっ♪ ってするかなー』で済ませられるレベルじゃ無いでしょう?! そんなの私だって渡したかっ……いえ、私ならそこまでのことしなくても普通に渡すわ!』

 

『えー? でもおねーちゃんだってこの間取調べだとかなんとかで、雄緋くんのこと拉致監禁してたよね?』

 

『うぐっ……』

 

『というか雄緋くんって花女の生徒会の顧問になったんでしょ? それすっごくるらるんっ♪ ってするからあたしも羽女の生徒会に雄緋くん入れたい!』

 

『は、はぁっ?! ダメに決まっているでしょう?! あれは私が花女の先生方をおど……交渉して漸く認めて貰えたのよ?!』

 

『えー。でも本当の先生じゃ無いなら兼任ぐらいしても大丈夫だよー』

 

『……だ、ダメよ! 私が認めないわ!!』

 

『ぶーぶー! おねーちゃんの意地悪! 本当はおねーちゃんが雄緋くんのこと独占したいだけなくせに!』

 

『な?! そ、そんなことは……! とにかく、ダメよ絶対!』

 

『別におねーちゃんの許可なんて貰おうとしてないもーん! 雄緋くんにお願いするもん! 雄緋くんのことだからお願いしたらなんだかんだ聞いてくれるし!』

 

『そ、そういう問題じゃないわよ!!』

 

『つーん、おねーちゃんのことなんか知ーらない!』

 

『はぁ……もういいわ!』

 

 

 

 

 

「で、来たんです」

 

「えぇ……」

 

喧嘩の原因また俺かよ……。一頻り話終えた紗夜は俺の入る布団の膨らみにもたれかかりながら、大きなため息をついた。

 

「というか顧問になった覚えねぇぞ。教員免許なんか持ってねぇし」

 

「私立高校だから、多分大丈夫です」

 

「大丈夫じゃねぇよ」

 

「とにかく……そういうわけです」

 

「いや、話聞いてもよく分かんなかったけどね?」

 

「そう言うわけなので、もしも日菜がお願いしにきたとしても、断ってください」

 

「だから顧問なんてやるつもりないからな……」

 

……ん? というかそのお願いのためだけに紗夜はここに来たのか?

 

「というか、用件それだけ?」

 

「はい、そうですが?」

 

「なんでこの時間?」

 

「これぐらい早くしないと日菜が来てしまうので」

 

「つまり俺寝ていいの?」

 

「ダメです」

 

……ふむ。……ん?

 

「ダメですけど……」

 

「けど?」

 

「わ、私と同衾するという条件なら……許します」

 

「ど、同衾って……一緒に寝るってこと?」

 

「寝……?! そ、そんな卑猥な意味ではなく……」

 

「卑猥な意味で寝るって使ってないんですけど……」

 

「その添い寝というか……」

 

「いやいや……ダメでしょ」

 

だって同衾とか、添い寝とか、風紀一瞬で壊れ去ったよ? 音を立てて風紀の文字が風化していったよ? 風紀だけに、なーんちゃっ

 

「と、とにかく眠いんですよね?! 一緒に寝ましょう!」

 

「わ、ちょ、布団めくる「あ」な……?」

 

「え?」

 

「え?」

 

「おはよー! おねーちゃん! 雄緋くん!」

 

「……ん?」

 

「……え?」

 

「どーしたの?」

 

 

今お布団の中の膨らみからすぽんって。日菜が……え?

 

「出たあああぁぁぁっっっ?!」

 

「いやぁぁぁ日菜ああぁぁぁぁっ?!?!」

 

「え、2人ともどーしたの?」

 

 

 

 

「日菜、正座」

 

「……はい」

 

「雄緋さんも、早く」

 

「え、なんで「いいから」はい」

 

お腹も喉も脚も痛い。

何が起きたか分からなかった人のためにちゃんと説明するぞ? 耳の穴かっぽじってよく聞けよ。

 

何が起きたかと言うとな。

 

つまりだな?

 

その……要は。

 

 

すまん俺もよくわからなかった。

 

「……どうして布団の中に日菜がいたのよ?」

 

紗夜さん曰く、紗夜さんが俺の入ってた布団を捲った瞬間、謎の膨らんでた部分から日菜が勢いよく飛び出してきたみたいです。分からん。よく分からん。最初お化けかなんかだと思った。

 

「え、だっておねーちゃんがこんな朝早くから家を出てったから何かあるのかなー? って後ろついていったら雄緋くんの家に来たから、あたしも入ろーって」

 

「……はぁ。で、雄緋さんの言い分は?」

 

「言い分?! いやいや、俺寝てただけだから知らないって」

 

「寝てた?! 日菜と?!」

 

「え?! いや違っ、そういう意味じゃ「雄緋くん昨日の夜激しかったなー。あたしがもうダメって言っても何回も……」……」

 

「……雄緋さん?」

 

「違うから! 日菜も悪ノリやめろ?! さっき自分で朝来たって言っただろうが!」

 

「ちぇーバレたかー」

 

こいつ……。俺が紗夜に叱責の目線を向けられるのをこの上なく楽しんでやがる……。口を少しとんがらせて、横を向く日菜に悪びれる様子はない。

 

「……それで、いつのまに入ってたの?」

 

「え? おねーちゃんが眠ってる雄緋くんの顔見ながら頭撫で「なぁぁぁっっ?!」時?」

 

「え待ってなんて? 聞こえなかった」

 

「もういい! もういいから日菜!!」

 

「もごもごご……」

 

紗夜が無理矢理日菜の口を閉じさせようと実力行使に出ている。俺はその隙を逃さずに、そそくさと布団へと戻る。

 

「全く……、って雄緋さんはどうして布団に戻っているんですか!!」

 

「だって俺が怒られる謂れはないじゃん……」

 

「日菜と同じ布団に入ったという時点で重罪です!!」

 

「日菜から入ったのに?」

 

「ぐ……」

 

「あー、雄緋くんの体あったかかったなー。ものすごーくるるるるんっ♪ ってきたよ!」

 

「ちょ……」

 

え、この子今煽った? なんで煽った? 日菜はものすごい形相で煽り立てている。どういうメンタルしてたらこの怒られてた状況で怒ってる人をここまで煽れるというの? 俺には分からない……。

 

「布団の中もー、すっごく良い匂いがしてー、もうこれから毎日でも通って一緒に寝たいなー? なんて」

 

やばい。紗夜さんがものすっごいぷるぷるしてる。絶対怒ってるじゃん触らぬ神に祟りなし桑原桑原怒らないでごめんなさい。

 

「……雄緋さん」

 

「……はい?」

 

「眠いですか?」

 

「……いや?」

 

「眠いですよね?」

 

「いやあの……起こさ「眠いですよね」はい、今すぐにでも寝たいです」

 

嘘ですもう眠くないです。主にお前らのせいで。

 

「選んでください」

 

「おっ?」

 

「は?」

 

「日菜か私。どっちと寝たいか、選んでください!」

 

「ちょっと何言ってるか分かんない」

 

本当に訳がわからない。算数の問題で池の周りを一定の速度で周り続ける兄弟の目的ぐらいよく分からん。どうして選ぶ流れになった。

 

「え、あたしだよね?」

 

「日菜はさっき寝たでしょう、選んでください、早く」

 

なんだろう、今、ものすっごくフラグが立っている気がするんだ。今まだ朝の5時とかなんだよね? もうやだ全部忘れて泥のように眠りたい……。

 

「1人で「私ですか? ありがとうございます」答えを聞く前に入るなぁ?!」

 

「ずるいおねーちゃん!!」

 

「いいじゃないこれぐらい! 私だって一緒に寝たいわ!」

 

「キャラ崩すな?! 風紀委員どこいった?!」

 

「風紀なんてクソ喰らえです! あんなもの学校以外じゃ役に立ちませんから!!」

 

「やめろぉぉぉぉ!!」

 

貴女がそれを言い始めたらもうどうしようもないんだよ……。僅かに残った良心の要素が助走をつけて羽ばたいていった。

 

「日菜には負けたくないんです!」

 

「そんなところで対抗心燃やすなぁ!」

 

「もう川の字で寝ればいいんじゃない?」

 

「「……確かに」」

 

って、俺が呟いた瞬間、揉み合いになっていた紗夜が流れ込むように俺の右側に、日菜が空いている左側に滑り込む。せっま。そりゃこのベッドシングルだもん、3人は定員オーバーだよ。……でもまぁなんだか色々アウトな気がするけどもういいよね……。朝から俺頑張ったし……。

 

「……良い匂い」

 

「でしょでしょ? こうやったら……」

 

「ちょ、くすぐったいから動くなっ」

 

「暴れないでください、落ちます。日菜、もっとそっちに寄りなさい」

 

「えー? 雄緋くんに寄ればいい?」

 

「真ん中に寄っても意味がないでしょう?」

 

「おねーちゃんもこうすればいいんだよ?」

 

「……はぁ、はぁ」

 

「息荒くない?」

 

「……ぐぅ……」

 

「寝るの早くね? って……2人とも寝かけじゃん」

 

まじかよ、この状況で2人とも寝られるのか。というかガチで紗夜の方落ちそうになってるし、日菜にはもう少し壁側に寄ってもらおう。

 

「ん……? んっ……雄緋くんのえっち……」

 

「……風紀が……乱れてます」

 

現在進行形で乱れてます。

 

「俺のせいじゃないからな。あと俺そんなやばいところは触れてないからな」

 

「……いいよ?」

 

「ダメ」

 

「……いじわる」

 

「雄緋さん、私も落ちそうなので」

 

「うん、だから今寄ってんだわ」

 

「抱きしめてください。どこでも触って良いので」

 

「どこでもは触りません」

 

時刻はまだ朝の5時半過ぎ。怒涛の勢いで過ぎ去ってゆく朝の……というか早朝の姉妹喧嘩はなんとか終戦に持ち込むことが出来たのである。なんだかんだ氷川姉妹は仲良いから……良かった……良かった……。

 

 

 

 

 

「……くしゅん! さっむ……ってあれ?」

 

朝7時。どういうわけかフローリングの上に寝転がっていた俺が見たのは、俺の布団の中で互いを抱き合う紗夜と日菜の姿だった。……真ん中のはずの俺、なんでベッドから落ちた?



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信号機の暴走【彩&千聖&花音】

「わぁ……このクッキー美味しい……!」

 

「千聖ちゃんと行ったお店で買ってきたんだよ?」

 

「ふふっ。彩ちゃんも、今度のライブが終わったら一緒に行きましょう?」

 

「千聖ちゃんの笑顔がなんだか怖い……」

 

「……こちら、紅茶になります」

 

「あら、ありがとう雄緋」

 

あの。

ご報告が。

 

 

給仕係になりました。

 

なんだか俺の部屋が優雅な感じになっています。いい感じの音楽が流れて、いい感じの匂いが漂う。昼下がりのティータイムとでも言おうか。俺の部屋のど真ん中で卓を囲って、持ち合ったお菓子や紅茶、コーヒーなんかでティータイムと洒落込んでいるのだ。

 

「あ、注文いいかな?」

 

「……店じゃないんだけど」

 

「コーヒー、砂糖たっぷりで!」

 

「店じゃないんだけど」

 

「あ、私も注文いいかな?」

 

「店じゃないんだけど?!」

 

「知ってるよ? 早くー」

 

「あっはい」

 

無駄です。例え俺が何を言おうと何を持ち出そうと決定権はないのです。

 

「飲み物さえ出してくれたら、席についてくれてもいいわよ?」

 

「なんてやつらだ……」

 

勝手に家に訪問しておきながら占領するやつ。慣れたからと言って心の底から許せてるわけじゃないからな。

 

「あ、雄緋くん。これ貰い物なんだけど、折角だからはい!」

 

「お、ありがとう。クッキー?」

 

「うん、こころちゃんがくれたんだ」

 

「折角だからお皿出してくるから今食べるか」

 

こうやって手土産のようなものを持ってきてくれるだけでもありがたいのかもしれない。花音からの手土産のクッキーを大袋から出す。しかし内容量は結構あるようで半分ぐらいを皿に盛って、テーブルの真ん中に置いて席に着く。

 

「こころちゃんのクッキーかぁ。……外国のクッキーとかかな?」

 

「うーん? たしか試作品がどうって言ってたような……?」

 

「試作品?」

 

俺からの問いかけの声と同時に、彩と千聖の方からクッキーを噛み砕く音が聞こえる。その反応を見るに。

 

「美味しいわね……。香ばしくてまろやかな味がするわ」

 

「私のは甘いチップみたいな……、うーん、チョコ……? 花音ちゃんも食べないの?」

 

「ありがとう、もらうね? はむっ……。ん……、甘いけどチョコじゃないような……?」

 

「まぁ味が色々あるんじゃないか? 袋に味とか書いてあるかな?」

 

俺はキッチンの方に置いておいた袋を見に行こうと立ち上がる。

袋にはよくある成分表示のようなものが書いてあるシールはないが、その代わりに文章の書かれた紙みたいなものが入っている。

 

「えっとな……味は、ん?」

 

 

このクッキーは弦巻財閥が開発した、性質転換クッキーの試作品になります。食べた人間(以下、『試食者』と呼びます。)の特定の異性に対する感情の発現の性質が変化します。味と変わる性質がそれぞれ対応しており、以下の通りです。

 

「ふぁっ?!」

 

「どうしたの? 雄緋くん」

 

「……よくわからんけど性質転換クッキーだって」

 

 

味と性質

バター → ツンデレ

チョコ → ヤンデレ

ミルク → クーデレ

 

※なお、 ——』

 

「おいちょっとお前ら何食べ「雄緋くん」え?」

 

不穏な文字列を見てしまって焦った俺が振り向いた瞬間だった。俺の視界はどういうわけだか白塗りの天井を向いていて、すぐさま視界が何かに覆い隠された。揺れる視界の端を包むのは髪のようであり、その僅かな隙間から差し込む光が桃色を反射している。

 

「あ、彩?!」

 

「……最近、雄緋くんって私に対して、冷たいよね?」

 

「いや、え? そんなことは……」

 

「私以外の女の子といっぱいイチャイチャして楽しかった? 私のこと蔑ろにしてガールズバンドの女の子と遊ぶのは楽しかった?」

 

「ちょ……離……」

 

「どうして私以外の女の子と仲良くするの? 雄緋くんには私がいれば十分だよね? 私以外の女の子なんて……必要ないでしょ?」

 

「ぐ……ってうわっ」

 

腕ごと押さえつけられていた俺の体。しかし、突然視界に入る光が明るくなる。彩の体がいつのまにか起こされていた。

 

「何が起きて……え?」

 

「……雄緋くん、大丈夫?」

 

「花音……千聖?」

 

「彩ちゃん? 気持ちは分かるけれど、乱暴はダメよ?」

 

「……うっ」

 

「起き上がれる?」

 

「ありがとう花音」

 

「……このぐらいなんてこと」

 

「お、おう? 千聖もその、ありがとうな」

 

「べ、別に雄緋のために助けてあげたわけじゃないわよ? 勘違いしないでくれるかしら?」

 

「えぇ?」

 

「彩ちゃんが怪我しても大変だから。貴方はあくまで副次的に助かっただけだから。良いわね?」

 

「え、あ、はい」

 

「た、ただ。もしも雄緋がそんなにも感謝の気持ちを示したいならき、キスぐらいならしてくれても……」

 

「……千聖ちゃん? 抜け駆けは、良くないと思う」

 

「ぬぬぬ抜け駆けじゃないわよ花音?! つ、つまりそういうことだから!」

 

「アッハイ」

 

んんん?

 

「……ねぇ、お茶会、続けよう?」

 

「そうだね」

 

「え、えぇ。それに雄緋もそのクッキー食べて良いのよ?」

 

「あ、遠慮しときます……」

 

えっと……つまりえっと、え?

混乱しすぎてて何が起きてるのか良くわからんけどつまりこういうこと?

 

性質転換クッキーを3人が食べる。

彩 : チョコを食べた結果ヤンデレに

千聖 : バターを食べた結果ツンデレに

花音 : ミルクを食べた結果クーデレに

 

……なるほど? 分からん。分からんぞ。何が起きているのかまったくもって理解できないぞ。どうしたんだ弦巻財閥。何のための商品開発だ?

 

とにかく今確実なのはこのクッキーを俺が食べたらやばい。というか、他の人も食べたらやばいということだ。俺はすぐさまテーブルの上に置かれたクッキーの皿をキッチンへと持ってきて、他の適当なスナック菓子を代わりに盛って誤魔化す。

 

「クッキーは食べないの?」

 

「……私が食べさせてあげるから、食べようよ雄緋くん」

 

「スナック菓子で我慢してくれ! 頼むから!」

 

「そ、そんなに雄緋が頼むなら……仕方ないわね」

 

感覚が狂いそう。あと何より彩からのオーラが怖すぎる。

 

「……雄緋くん。食べさせてあげようか?」

 

「か、花音? 自分で食べられるからいいぞ?」

 

「……いいから」

 

「口数少ない花音ちょっと怖いから!」

 

「……怖いかな」

 

「あ、いやそういう意味じゃなくて可愛いけどなんか慣れないかなー! って」

 

「雄緋くんが、また私以外の女の子口説こうとしてる……。……ユルセナイ」

 

「彩が一番可愛いと思ってるぞー!」

 

「ば、バッカじゃないの?! 雄緋なんか……雄緋なんか……ッ!」

 

「いや、千聖も可愛い! 一番なんて決めれない!!」

 

どうすりゃ良いんだよ!!!!

 

いつもの俺ならここで『三十六計逃げるに如かず!』って逃亡を決め込む流れなんだが、今このクッキーをこの場に放置したまま逃げ去るのはナンセンスすぎる。もし仮にクッキーを持ち逃げしたとしても俺の運命力というか巻き込まれ力的に間違いなく誰かと遭遇する。これが日菜とかこころとかその辺りに見つかったらまず間違いなくこのクッキーを食べようとするだろう。二次災害発生間違いなしなんだ。

というかそもそもこのクッキーの効果時間はいつまでなんだ? それを見るためにはあの袋を取りに行かないといけないが、如何せんこの3人から目を離すのが怖すぎる。

 

「……ねぇ。雄緋くん。彩ちゃんと千聖ちゃんと私。誰が一番?」

 

「……ノーコメントで」

 

「そっか……。私たち以外なんだね。……消さなくちゃ」

 

「いないという可能性は?!」

 

「私も気になるわ? 答えなさい、雄緋」

 

「……私も気になる、かな」

 

「逃げちゃダメだよ? ちゃんと答えてくれるまで逃さないから」

 

誰か……助けてください。私に救いの手を差し伸べてください。

超絶ブラックな雰囲気を纏って自分たち以外を排除しようとする彩も、なんだかんだツンツンしつつも優しくしてくれる千聖も、素っ気ないフリをしながらも和やかな声をかけてくれる花音も、誰が一番かだなんて選べません。運動会じゃないんだからみんなお手手繋いでゴールインとかで良いと思うんです。優劣なんてないさ! って言いたいけど今ここでそんなことを言った暁には私の意識は天に召されることでしょう。

 

「……選ばないんだね?」

 

「……いや、その……」

 

並々ならぬ3人のオーラに俺は思わず後ずさる。どうにかして逃げようと玄関の方を確認し

 

しかし、まわりこまれてしまった!

 

俺が玄関の方を見た瞬間、逃さないぞと冷たい表情をした花音が立ち塞がる。やばい……この部屋の出入り口なんて玄関しか……。そこで俺は背後にあるベッドの横、窓の存在を思い出した。

 

「うおっ窓から……」

 

「逃さないわよ」

 

「え」

 

後ろから腕を掴まれ、無理やりそちらを振り向かせられる。

俺の腕を掴んでいる千聖の腕は震えていた。

 

「……雄緋、私は悲しいわ。私のこと……嫌い?」

 

「そんなことは……」

 

「なら……選んでよ。私のこと……!」

 

俺は返す言葉もなく沈黙をするのみだった。続け様に花音が俺のことを一心に見つめ、口を開く。

 

「ねぇ雄緋くん。千聖ちゃんや彩ちゃんには、やっぱり私、勝てないのかな?」

 

「そうは言ってない」

 

「……私じゃダメ?」

 

選ぶなんて出来ない。そんな言い訳を垂れることもできないでいると、彩がゆらりと立ち上がった。

 

「雄緋くん……。私ね、いっぱい我慢したんだよ?」

 

「……うん」

 

「だから……私のこと……選んでよ……っ!」

 

3人の悲壮な表情が視界に入るだけで俺の心がキリキリと締め付けられる。けれどきっと3人の苦しみや辛さに比べたらこんなの……。

 

そう考えていたうちに、急に俺の腕を掴んでいた力が抜けた。

 

「え? ちょっ、おい!」

 

3人の力が抜けたかと思うと、詰め寄っていた3人は気を失ったように思わず倒れそうになる。

 

「ぐぉ……おぉ……」

 

3人分の体重はかなりだったが、どうにか勢いよく倒れないように支えになった。しかし1秒とたたないうちに、またも3人は目を覚ました。

 

「え……? あれ……私」

 

「何して……」

 

「あ、ありがとう雄緋くん……」

 

「え? ……戻った?」

 

倒れそうになる寸前はまるで焦点の合っていなかった瞳が今はしっかりとこちらの目線と重なり合っていた。3人は何が起きたか分からないといった表情のままキョトンとしている。

 

「よかった、3人とも気を「雄緋くんっ!」うわぁぁっ?!」

 

意識が戻ったと思った瞬間に、気がついたらいつぞやのように、しかし先ほどよりもより体重がかかり俺の体は流石に支えきれずにベッドの方へと倒れ込んだ。視界を埋め尽くす三つの影。

 

「え……?」

 

「雄緋……。なんだか今日は貴方を見ているといつにも増して、ドキドキするの」

 

「ち、千聖? どうした?」

 

「雄緋くんのことを考えてるだけで……、もう体の疼きが止まらないんだよ?」

 

「いやちょ……彩も……ストップ」

 

「えへへ……。雄緋くんと触れ合うだけで、幸せな気持ちで一杯になるんだぁ」

 

「花音……待っ、何が起きて……」

 

 

 

そう。あの件のクッキーの説明書の続きにはこう書かれている。

 

※なお、効果時間は検証中ですが、効果が切れた後の試食者は特定の異性に対する感情をより率直かつ直接的に表現するようになります。また、当該性質の転換は試食者自身に僅かでもその性質がある場合のみ発現します。ハッピー! ラッキー! スマイル! イエーイ!!

 

ここで重要なのは、前者である。

彼女たち3人は、効果が切れたために、雄緋に対して、より直接的にその好意を示しているのである。

 

ところがどっこい。

 

 

誰も……、説明書を読んでいないのである!!!

 

 

とても恐ろしい集団心理だからね、仕方ないね。兎にも角にも、誰も読んでいないので、副作用の発生に気づくことができない。現実は非情である。

 

 

 

「ちょ……あの、みんな? どうしたんだよ?」

 

俺は押し倒されたところから慌てて抜け出そうとするが、彩も千聖も花音もみんな馬乗りになっていて流石に抜け出すことは敵わなさそうであった。思い切り暴れたら可能かもしれないが、この3人を傷つけるわけにはいかない。

 

「どうしたもこうしたも、私たちは自分の気持ちに素直になってるだけだよ? さっきの彩ちゃんを見たら、なんだか勇気が出てきたんだぁ」

 

「どんな勇気だよ?! 不要な勇気は捨てろぉ!!」

 

「ねぇ雄緋……。私はこの胸の高鳴りに素直になってもいいのかしら? 雄緋が受け入れてくれたら、私はもっともっとこの気持ちを大事にできる気がするの」

 

「この気持ちって何?!」

 

「あはは。雄緋くん……。抵抗する意味なんてないんだよ? 大丈夫……、私たち3人でいっっっぱい雄緋くんのこと満足させてあげるから……」

 

「何の話?! 抵抗するわ?!」

 

3人の端整な顔が迫る。少しでも身動ぎをすれば唇同士が触れ合ってしまいそうな距離感。熱の籠る吐息が肌を擽る。そんな至近距離から漂う女の子の甘い誘惑の香り。ふと気を抜けば堕ちてしまいそうな甘い声色。俺を見つめる3人の瞳ははんなりと濡れて、俺の心を溶かし切ってしまいそうなほど熱く燃えてもいた。

 

「ちょ……近……」

 

「えへへ……。雄緋くん、好きだよ……」

 

「私だって……大好きよ……。誰にも負けないぐらい」

 

「負けないよ? 私だって……ずっと好きだったもん」

 

青は進んでよし。

黄は止まれ。

赤は絶対に止まれ。

 

……そんな信号機が暴走したらどうなるか?

 

「雄緋くん……キスしよ?」

 

「花音だけじゃ嫌……私も……」

 

「ずるいよ2人とも……私だって」

 

青も黄も赤も、全部ノンストップ、止まらなくなるのだ。

……俺はその暴走をどうにかして受け止めるのだった。どうやって受け止めたか? お察しください。



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流星堂のお宝鑑定団【有咲&蘭&イヴ】

越天楽の平調が聞こえてきそうな雅に飾り付けられた蔵の中。スポットライトがマイクを持った俺に当たる。

 

「えー、始まりました。質屋に眠る掘り出し物やご依頼の品を専門家の方に鑑定いただく、お宝鑑定団。司会の北条雄緋です。どうぞよろしく」

 

「おい、なんだこれ!」

 

「……えー、今回お邪魔させていただくのは、市ヶ谷家に所縁のある、流星堂でございます。流星堂の経営者のお孫さんに来ていただいております。市ヶ谷有咲さんです」

 

「あ、どうも……。じゃなくて! 私こんなの聞いてねーぞ?! ばーちゃん! どうなってんだよ?!」

 

「許可はいただきました。はい、そして、本日お越しいただいた、日本文化に詳しい専門家の方をご紹介いたします」

 

スポットライトが切り替わる。真っ暗になった蔵の中。天井のライトが切り替わって、黄色いライトが照らし出した先には。

 

「まずは、華道の大家、美竹流の精神を受け継ぐ1人娘、美竹蘭さんです」

 

「……よろしく」

 

「続いて、北欧にルーツを持ちながら、日本の伝統文化に明るい、若宮イヴさんです」

 

「若宮イヴです! 押忍!」

 

「お二方、今日もどうぞよろしくお願いいたします」

 

「ちょっと待った!!」

 

「……何?」

 

話の流れを完全にぶった切って俺の横に立っていた有咲が割って入る。その様子を見るにどうやら何も知らされていないようで、相当慌てた様子に見える。

 

「私何も聞いてない!! 雄緋さんもそうだけど、蘭ちゃんとイヴなんでいるんだよ?!」

 

「高名な専門家の先生を気安く呼び捨てで呼ぶなぁ!!」

 

「えぇっ?!」

 

「おっと失礼。じゃあもう一回説明するぞ?」

 

「え、あ、はい」

 

「流星堂を盛り上げようと、質屋に眠る骨董品を見つけ出そうという企画が立ち上がりました。司会として何故か俺が呼ばれました。専門家には蘭とイヴが来てる。君は出品者、いいね?」

 

「……え?! 私が勝手にばーちゃんのもの売るのかよ?!」

 

「鑑定するだけだから! では早速、一つ目の作品を持ってきてください」

 

「わ、分かりましたよ……」

 

なんでも事前にスタッフが有咲のおばあちゃんに交渉して出品するものは事前に調整していたらしい。そして、店の裏から、事前に用意されていた流星堂に長く眠っていた骨董品が前に出される——。

 

「えー、こちらはですね。……『性質転換クッキー』とありま「ちょっと待て」え?」

 

いやいやいやいや。

 

え?

 

おま、おま……これ俺がこの間痛い目みた弦巻財閥オリジナルのトンデモクッキーじゃねーか?! 何故だ……あれは俺の部屋の菓子コーナーの奥の奥に厳重に封印してあったはずだ……。一体どうしてそれがこの世に出てきているのだ?!

まずい……まずいぞ……。彩がヤンデレに堕ち、千聖がツンツンし、花音がクールになったかと思えば途端に3人ともデレデレになって蕩け切る(意味深)まで甘やかされて『(^ω^ ≡ ^ω^)おっおっおっおっお』ってなってしまったあの日の記憶がぁぁぁぁ!!

 

「待て、有咲。それはダメだ」

 

「このクッキーに纏わる話を読み上げますね? ペンネーム:世界を笑顔に教 様から。

『これは食べた人の性格が味によって変幻自在に変えられるクッキーよ! 食べた人みんながとーーーっても笑顔になるために作ったわ! 是非ともみんな食べてくれるかしら!』

とのことです」

 

「やっぱり……。あのクッキーと一緒じゃねぇか……。どうしてここに」

 

「あ、そのクッキーは今朝私がユウヒさんの家から持ってきました!」

 

「イヴが持ち込んだの?」

 

「はいっ! アヤさんとチサトさんからとても素直になれる美味しいクッキーがあると聞いて!」

 

素直になれるクッキーってそれもう自白剤入ってるでしょ……。というかクッキーは俺の家から持ってきましたってめっちゃナチュラルに不法侵入自白してきてるんだけど? 俺は一体どういう反応をすればいい?

 

2度とあの安息の地(自室)は戻らなかった。

私室と公共スペースの中間の場所となり、永遠に人が入り浸るのだ。

 

そしてどうにかしたいと思ってもどうにもなんないので。

——そのうち俺は考えるのをやめた。

 

「えっと、それで、これどうするんですか?」

 

「う、うーん。と、取り敢えず鑑定を」

 

「食べてもいいですか?」

 

「ダメ、ぜったい」

 

蘭がクッキーに手を伸ばそうとしたので、慌てて止めようとする。……が。

 

「あれ、食べちゃダメなんですか? もぐもぐ……」

 

「ちょ、イヴなんで食べてんの?!」

 

時すでにお寿司。すでにイヴはそのクッキーを躊躇なく食べていた。終わった……。これでイヴがヤンデレクッキーなんか引いた日にゃ……。あれって彩が食べてたやつだから、多分チョコ味だよね。

 

「うーん、チョコですかね?」

 

オワタ。

 

「いいか? 蘭、有咲。お前らは食うなよ? 絶対だからな?!」

 

「それってフリなんじゃ」

 

「フリじゃねぇ! ガチだから!! ……さて、イヴはどうなる?!」

 

のんびりとお茶の入った湯呑みを片手にクッキーを咀嚼するイヴに相対して、反撃の構えを取るという、傍目から見れば何が何だか訳の分からない光景が広がっている。けれど、待てど暮らせどイヴの様子がおかしくなる様子はなかった。

 

「なんともないですよ?」

 

「うーん、何か彩の時とは違うのかな……。と、とにかく! 鑑定額の発表をお願いします! Open the price!」

 

「よく分かんないけど、あたしは量的に1,200円ぐらいで」

 

「美味しかったので私は2,000円ぐらいだと思います!」

 

「というわけで、鑑定額の平均は1,600円ということになりました!」

 

 

性質転換クッキー○○評価額:¥1,600

 

 

「続いて参りましょう。有咲よろしく」

 

「はーい、とってきまーす」

 

うんうん、もうこの突発的なカオス空間に慣れてきたか。有咲も素質がありそうだな。それはさておき、有咲が持ってきてくれたのは……。

 

「えっと……詳しくは知らないんですけど、何か焼き物? で、高級そうな器です」

 

「はい。とても綺麗な絵付けがされている磁器ですね。伊万里焼ですかね、の器ということですね。では専門家の方。鑑定をどうぞよろしくお願いいたします」

 

壁際に座っていた蘭とイヴが立ち上がり、台の上に置かれた焼き物を様々な角度から見ている。取り出したルーペで細かい紋様まで見たりと、かなり本格的だ。

 

「……なるほど。この発色……。悪くないね……、って、こ、これって」

 

「とても和の心を感じます!」

 

「では専門家の先生に鑑定をしていただいている間に、こちらの磁器に纏わる話を、市ヶ谷さんにお伺いしようと思います」

 

「えーと、えっと、あ、これか……。

このお皿は私の家にあったお皿で、代々大切に桐の墓に入れたまま受け継がれてきました。表に出しておくと妹たちに割られてしまう危険もあるので、その前に鑑定していただきたくお待ちいたしました。まぁ学級委員長の私の家のなんだから、きっとすごい品だよね!』

とのことです」

 

「なるほど……。お持ちいただきました、ペンネーム:スギナ様、ありがとうございました。では専門家の方の鑑定結果が出たようです。Open the price!」

 

「じゃああたしから、多分だけど、500,000円ぐらいかと」

 

「私は……、ズバリ、300,000円です!」

 

「な、なんと?! かなりの評価額が出ました?! では若宮先生の見解をお願いします!」

 

「はい……。こちらの磁器からはSAGAを感じます……。とても高尚な魂を感じました!」

 

「なるほど……。美竹先「買います」へ?」

 

「……この焼き物、あたしが買います!」

 

「いやいやあの……美竹さん?」

 

「この器……。底の方は粘土の質感が素朴な味を出しつつ、上面の釉薬が雰囲気を壊さない程度にしっかりと存在感を示していて……。花器にピッタリじゃん。買うよ」

 

「で、でも美竹さん。評価額だと500,000円なんじゃ……」

 

「交渉するから。鑑定評価額と実際の取引額は一致しないんだよ」

 

 

伊万里焼の器○○評価額:¥x(ただしxは任意の自然数)

 

 

大事なこと? ゴリ押しです。

 

「ありがとうございました! それでは次に参りましょう!」

 

「はーい、もってきます」

 

そうして、次に奥の部屋から有咲が台車に載せて持ってきたのは箱に入った何かだった。

 

「……なんか見覚えあるな」

 

運ばれてきた長方形の箱はかなり細長い。真っ白な布に包まれて出てきたのは……。

 

「こちら、江戸時代に鍛え上げられた、妖刀・熊正、とのことです」

 

「あれこれって」

 

見覚えがあるなと思ったら、これは以前花咲川で時代劇を撮影した時にイヴが持っていた剣なのでは……。

 

「こ、これって?! 鑑定します!」

 

イヴもどうやら気がついたようで、飛びつくようにブシドーの塊に興味を示した。

 

「えっと……じゃあ、有咲。出品者からの話を」

 

「あ、はい。これかな……。ペンネーム:キグルミの人 様から。

持っているだけで全身が熊になってしまったかのような錯覚に遭います。構えると全身にブシドーが溢れ出て、クマの着ぐるみに身を隠したくなります。私はこの妖刀を手にした時から、日常のありとあらゆる場面でクマによるクマのためのクマとしてのクマ生を送っていくことを望むようになりました。是非皆さんも手に取ってみてください』

とのことです」

 

「絶対ダメじゃん。触った瞬か「この妖刀、オーラがすごいです!」言ったそばから?!」

 

まずい。まずいぞ。今日のイヴがアクティブすぎて、次々と曰く付きのやばいものを片っ端から引いてしまっている。そろそろ止めなきゃいけないんだけど、まずこれをなんとかしないとイヴが商店街を賑やかす熊になってしまうちょっと見てみたい気もする

 

「熊正……私のクマッブシドー精神をくすぐってきます! まさにこれぞ日本のクマッブシドーの現れですね!」

 

「やばいじゃん……」

 

ブシドー精神が熊に精神を乗っ取られてるよ……。このままだとイヴがクマ生を送るなんていう訳の分からない苦行を強いられることになる。

 

「私はこのままクマドーを極めて! 熊になります!」

 

ダメそう。

 

 

妖刀・熊正○○評価額:¥8,109,003

 

 

「流星堂は様々なものが置いてあって、見てるだけで楽しいですね」

 

「あれ全部ウチに置いてあったやつじゃねー?!」

 

言われてみれば……。クッキーと磁器と日本刀だもんね。骨董品屋さんで置いてありそうではあるけど(※ただしクッキーを除く)。

 

「さて、では次が最後の鑑定品ですね。どうぞ、持ってきてください」

 

「はーい」

 

有咲はもう何もこの企画を疑うこともせず、俺の指示に従順を極めている。まぁとんでもないような状況に幾度となく晒されている先輩である俺からの意見、アドバイスとしては慣れろ、気にするな、これに尽きる。

 

「で、なんですか? これ……箱被せられてて、結構でかいんですけど」

 

「あー。有咲、その箱、取ってみな」

 

飛ぶぞ(意識が)。

 

「はいは……ちょ?! 私の盆栽?! ああ?! 神田川?!?!」

 

「というわけで、本日最後の品は、市ヶ谷有咲さんが育てた盆栽、松の神田川になりま、ぐぇぇっ?!」

 

「てめぇっ?! こんな狭っ苦しい箱の中に神田川を閉じ込めやがってマジでふざけんなよぉ?!」

 

「ぎぶっ、ギブギブ……」

 

「うわああぁぁぁぁ神田川あああぁぁぁぁ!!」

 

「ごほっごほっ……えぇ。う、売るわけじゃないからこれ……鑑定するだけだから……よろしく……」

 

酸素が足りない……。そうか……これが密閉空間にいた神田川の辛さだったんだ……。呼吸はおろか光合成もできない窒息状態の神田川の苦しみだったんだ……。

 

「この神田川……、すごい……この枝を切って、この花器に生けたら……。そうだ、作品名は……『青葉』!」

 

「ぎゃあああ?! 蘭ちゃんやめて、やめてっ! 神田川を切らないであげてぇぇぇっっ?!」

 

「熊正が……切りたがってます……! いえ、斬りたがっているのです! お覚悟っ、お命頂戴つかまつるっっ!」

 

「いやぁぁぁぁっっ神田川ああぁぁぁぁっっっ?!」

 

ジョキンッ。

ザシュッ。

 

「あ……」

 

✉️ 1件

ごめん↲

さよなら

 

 

「あ……」

 

悲しみの向こうを超えて、絶&望の境地に辿り着いたかのような有咲の断末魔。

 

「神田川あああぁぁぁぁぁっっ?!?!」

 

神田川は犠牲となったのだ……。彼は……盆栽としての生を全うし……、生花……、生花? となり、そして竹入り畳表となり。その幹を真っ二つにされた……。

 

「神田川ぁ……」

 

利根川は売られ、多摩川は誤って剪定され、千曲川は生け贄となり。

神田川は尊い犠牲となった。

市ヶ谷有咲。類稀なる才能を秘めた彼女が育てる盆栽はとても質がいいと評判を呼びながらも、悲惨な運命を遂げてしまうのである。

 

「青々と茂る葉っぱ……切られてもなお力強く葉を伸ばす姿。……悪くないね」

 

「ブシドーを目指すのです……。ごめんなさい、斬った相手の名前は覚えない主義なんです……」

 

やめろ! 剪定バサミと妖刀・熊正で、その枝の全てを切り落とされたら、深い絆で盆栽と心を通わせている有咲の精神まで蝕まれる!

 

お願い! 枯れないでくれ神田川! お前が今ここで完全に切り落とされたら、利根川や多摩川、千曲川たちとの約束はどうなっちゃうんだよ?! 枝葉はまだ残ってる! ここさえ乗り越えられたらまだ光合成が出来るんだから!!

 

次回、『神田川 枯れす』。ミュージックスタンバイ!



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無知のホワイトデー【つぐみ&リサ】

ホワイトデー編です。最初7バンド全員登場ver.を書こうとしたんですが流石に途中で心が折れて断念しました。
本編どうぞ。












3月14日といえば、みんなは何を思い浮かべるだろうか? 歴史好きな人なら赤穂浪士による討ち入りの発端となった刃傷沙汰が起きた日を思い浮かべるかもしれない。あれ旧暦換算だから今でいう3月14日ではないけど。それとも3.14だから数学の日? まぁそんな人もいるかもしれない。

 

そうは言っても? 世間に出てみれば、どこのスーパーや百貨店もなんだかんだ『ホワイトデー』なるものに取り憑かれたように売り出しをするもんなんですよ。

 

ホワイトデー。ただの販促イベントと侮るなかれ。たかが販促イベントであろうとそれが社会的にその地位を認められた時、その影響力は計り知れないものとなる。俺もそんな哀れな企業の販売戦略にまんまと踊らされている民衆のうちの1人なのである。

そんなダンシングなうの俺は、珍しいことに。

 

「お邪魔しまーす」

 

「はい、どうぞ上がって。つぐみも」

 

「はーい」

 

なんと自らガールズバンドの2人を自宅へと招いたのだ。おいそこ、犯罪とか言うんじゃないよ。

 

「それにしても雄緋が直々に家に呼んでくれるとか、何かあったの?」

 

「まぁ、それなりにはな」

 

「それも私とリサ先輩をですか?」

 

「適任だと思ったんだよ、色々と」

 

「アタシたちを呼ぶ理由かぁ。……はっ、下着もっと可愛いの着けてきたら良かった……」

 

「そんなことしないからな?! 俺のことなんだと思ってんだよ……」

 

リサはあらぬことを妄想し始めたのだろうか、頬に朱をさして恥ずかしがっているが、そんな理由で呼ぶはずがない。というかいよいよ犯罪なんだよそれ。

 

「えっと……、ヘタレ……とか?」

 

「失礼だな」

 

「ドスケベ」

 

「それはもっと失礼だな?!」

 

失敬な、そんなやばいことしてないよ。少なくとも故意ではないからね。何回かやらかしたことは否定しないけども。それはそうと、この2人を今日呼んだのはそんなdisり大会を開くためではないのだ。そこまでMではないし、暇でもない。俺がこの2人を呼んだのは、今テーブルの上に置かれたもののためだ。

 

「あれ……これって、何かの材料?」

 

「……そうなんだよ。今日2人を呼んだ理由は」

 

「理由は?」

 

「……お菓子作り、教えてください」

 

頭を下げた。それはもう惚れ惚れとするほどの角度と速度で。

大変嬉しいことに先月のバレンタインデーでは各方面からチョコとか、それに類するプレゼントを貰ったのであるが、いかんせんお返しなるものが必要なのだ。これまでそういったお菓子を作るのに全く無縁ではなかったとはいえ、いざ自分で作り始めると。

 

『焦げてんじゃねぇか!』

 

とか。

 

『形が崩壊した……』

 

等々。

 

作らなければいけない量が多いため、前々日から準備を始めたというのに、結果は散々だった。お菓子作りってやっぱり才能がいるんだと思うんだ。料理とは別の。料理もできないけど。

 

「そっか、ホワイトデーだもんねぇ」

 

「雄緋さん結構みんなから貰ってましたもんね。全部作って返すんですか?」

 

「そうだよ。別にアタシたちは既製品でも貰えるだけで十分嬉しいよ?」

 

「いやいや。みんな結構力を入れて作ってくれたのに、買って渡してじゃあんまりだろ? それに手作りの方がやっぱりくれた人への想いとかもこめられるからな」

 

「……わぁ」

 

俺がそこまで言い切ったところで、リサもつぐみも口元に手を当てて心底驚いたような反応を見せる。それほど変なことを言った自覚はないのだが、一体全体どう言うことなのか。

 

「……どうした?」

 

「……わっ、いやいや何も。……でもつぐみ。多分雄緋、分かってないよね?」

 

「……まぁ、気づいてはないかな、なんて」

 

「え、何か俺今おかしな事言ったか?」

 

「んーん? こういうところの気遣いは出来るのに、どーしてアタシたちの気持ちには気づかないのかなー? なんて」

 

「どういうこと?」

 

「べっつにー?」

 

見たところリサは口を尖らせて、明らかに拗ねている雰囲気を醸し出しているのだが、どうやら触れられたくないようで話の軌道修正がなされてしまった。

 

「明らかに気にしてるだろ……」

 

「まぁまぁ。そういえばどうして私たち2人だったんですか?」

 

「ん? 作るの手慣れてそうだし。それに2人には1ヶ月前色々と迷惑をかけたからな」

 

「1ヶ月前……? あっ」

 

「……雄緋。アタシのチョコ……」

 

俺があの忌まわしいバレンタインデーの話を出した瞬間、リサの表情が一気に曇る。深淵に潜む闇すら表に這い出たようなオーラに思わず唾を飲み込んだ。

 

「ちょごめんリサ! リサの作ってくれたチョコ、美味しかったし、めちゃくちゃ嬉しかったから!」

 

「そ、そう? えへへ……」

 

素直な感想を口にした瞬間、急激に表情筋が緩むリサ。

 

「リサ先輩の表情が見たことないぐらい蕩けてる……。あれ、それなら日菜先輩はどうしたんですか?」

 

「……日菜が教えてくれたとして、それを俺が理解できると思うか?」

 

「あっ」

 

 

『えー時間? そんなのるんっ♪ ってするまでだよー』

 

『どうして分かんないのー? だってかき混ぜて焼いてってするだけだよ?』

 

『で、あとはギュルルルンッ、ってするんだよ?』

 

 

脳内の日菜がお菓子作りにおいて無能な俺のメンタルを独特な擬音でへし折っていく音が聞こえた。日菜が作るのであればその理論は通用するのかもしれないが、第三者が日菜の教えを理解するのは至難の業。少なくとも先日から失敗続きのお菓子作りスキルの俺が真似できる芸当ではない。

 

「なるほど、それならアタシたちの方がまだ教えられるかな?」

 

「リサなら友希那にクッキー作ったりしてるって聞いたし、つぐみも家で手伝いしてるって言ってたから。だから、お願いします!」

 

「ふふっ、任せてください! 雄緋さんが美味しいお菓子作れるように、いっぱいお手伝いしますから!」

 

「本当にありがたい限りだよ……。急に呼んだのにすぐに来てくれてありがとうな」

 

何の前触れもなしに2人を呼んだのが前日の夜のこと。そこからちゃんと約束の時間の少し前には家に来てくれたこの2人。やはり常識人か。

 

「雄緋がわざわざ指名までして呼んでくれたんだもん。行くっきゃないでしょ☆」

 

「そうですよ! 呼んでもらえてむしろ嬉しかったぐらいですから!」

 

「そういって貰えると何より」

 

「まっ、実は友希那には行くってことバレちゃったけど、お話ししてきたから大丈夫だよ☆」

 

「え、なになに怖い怖い」

 

'お話'って何? '大丈夫'ってどういうこと? 俺は些細な疑問に対するリサの反応は畏怖するほどの整った笑顔だった。

 

「……よし、お菓子作りしよう!」

 

「おー!」

 

気にしたら負けかな。やっぱり常識人枠なんてなかったんだ……。

 

 

 

「よいしょと。それで、何を作るの?」

 

「流石に35人分作るとなると大変だからな。チョコに拘る必要もないかなと思って、クッキーを焼こうかと」

 

「クッキーなら私よりリサ先輩の方が作り慣れてますかね?」

 

「そうだねー。友希那にいっつも作ってあげてるもん」

 

そんなクッキーの専門家こと今井リサさんのご指導を受けられる俺は幸せかもしれない。ちなみにクッキーだが、昨日もチャレンジしたが、まぁダメだった。どうやってもオーブンで焼いた段階で割れてしまって、とてもじゃないが人に渡せる代物は出来なかった。

 

「それじゃ、さっき室温で戻しておいたバターと、グラニュー糖を一緒にボウルに入れて混ぜてね」

 

「はいはーい」

 

「それで、ちょっと混ざれたら、卵も入れよっか」

 

リサの指導の通り、ボウルに入れた材料をかき混ぜる。最初こそバターは少しだけ硬さを持っていたが、卵黄と混ぜ込む頃には力をそれほど入れずともかき混ぜられるほどになっていた。

 

「リサ先輩。薄力粉とココアパウダーの量測っておきました!」

 

「ありがとうつぐみ〜。もうちょっと混ぜたら入れよっか」

 

「え、粉の量とかそんな厳密に測るのか……」

 

「当たり前でしょ? お菓子なんて分量ちょっとミスしてるだけで、簡単に失敗するんだから」

 

「まさか目分量でやってたり……?」

 

「ドバッと」

 

「あぁ……」

 

つぐみの俺を見る目が完全に、『あーこいつダメだ』って感じの目に変わっている。そんな目で見ないで、俺が悪かった。

 

「そもそもお菓子作るの苦手なんだったら尚のこと手順ちゃんと守んないと」

 

「お菓子作り舐めてました……」

 

ちゃんと怒られた。

 

「じゃあもう薄力粉とかも入れちゃおっか」

 

「入れますねー」

 

ちゃんと測りとられた量の粉がボウルに入り、先程までちょっとだけ液体ぽかったのが粉まみれになる。

 

「えっと、混ぜたら良いの?」

 

俺はとりあえず先程の同じ感じでボウルの中身を混ぜ始める。

 

「あーもうちょっと、ヘラを切る感じで」

 

「切る?」

 

「もぉ……。じゃあアタシが」

 

「わ……ちょ」

 

「んー? どうかした?」

 

お菓子作りのスキル皆無の俺を見かねてか、混ぜ方の指南とばかりにリサが後ろから俺の手首を握りながら混ぜるのを手伝ってくれる。……が、全然そっちの方に意識が向かない。

 

「その……」

 

「んー? 何が言いたいのか分かんないなー? ほれほれぇ☆」

 

どう言えば良いんだよ……。当たってるとか言ったらさっきよろしくドスケベ認定されるし、抱きしめられてるわけでもないから言い出しづらいし。あってか良い匂いしたな……。

 

「……むぅ」

 

「あはは。じゃあアタシはもう一個の方の準備するからつぐみ、よろしくね?」

 

「え? は、はい! 私も混ぜるの手伝いますね?」

 

「え、いやなんとなく分かったというか」

 

「……ダメですか?」

 

「ダメじゃないです」

 

それはずるいわ。さっきのリサと同じ体勢で俺はつぐみから混ぜ方を教わる。

 

「こんな感じで混ぜると、粉っぽさが結構すぐなくなりやすいんですよ」

 

「なるほど……。作り慣れてるなぁ」

 

やはりお菓子作りなるものは経験がモノを言うらしい。リサもつぐみも、なんだか手の動かし方がこなれている。

 

「じゃあこれぐらい混ぜられたら、塊にして、一度冷蔵庫で寝かせましょうか」

 

「はーい」

 

「1時間ぐらいかな? じゃあその間に別のフレーバーのやつ作ろっか」

 

「了解」

 

 

 

その後、冷やした生地を取り出して、ある程度の厚さまで延ばす。

 

「それぐらいでいいよ?」

 

「え、もっと薄くしてたな」

 

「多分薄くしすぎて、焼いた時に割れちゃったんですね」

 

「薄ければ良いってものでもないのか……」

 

「まぁね。それじゃ、型抜きしよっか」

 

俺は買ってあった星形やハート形など、色んな形の型を出して、生地に強く押し当てる。冷やしてあったおかげで生地もそこそこの硬さを保っていて抜きやすい。

ある程度抜けたら、オーブンの天板の上に敷いたクッキングペーパーの上に並べていく。予熱はしてあるから、あとは焼き上げたら完成と。

 

「じゃ、後は焼いて待つだけかな」

 

「おお……。ようやく……」

 

「まだ焼けてないですけどね」

 

「まぁまぁ、いつも通りのやり方で作ってるから、きっと割れたりはしないと思うんだけどなぁ」

 

「願ってるよ。いやいや、何より本当に手伝ってくれてありがとうな」

 

俺は改めてクッキー作り、ひいてはお菓子作りの真髄を教えてくれた2人に頭を下げた。

 

「また困ったらいつでも呼んでくださいね? 料理でもお菓子でもいっぱい作りますから!」

 

「そうだよ! 雄緋が呼んでくれたらいつでも駆けつけるよ?」

 

「いやもう本当にありがとう。そんな2人にだな」

 

「え?」

 

俺は昨日の奮闘の成果、唯一人に出せる程度の出来になっていたそれを、冷蔵庫を開けて取り出す。本当は最初はカップケーキを作ろうと思っていたのだが、あまりにも失敗を繰り返したところで断念し、クッキーに切り替えたところ、これまた敢えなく失敗。そんなわけで最後に買ってあった材料で奇跡的にまともなものに仕上がったのがこれだった。

 

「え、どういうことですか?」

 

「その……わざわざ2人には手伝ってもらえたから、みんなより先に。これ、昨日作ったカップケーキなんだけど、よかったら」

 

「くれるの? アタシたちに」

 

「そりゃあもう。本当にありがとう」

 

「え、そんなの私たちこそ、ありがとうございます!」

 

2人は唐突なバレンタインのお返しに心の底から驚いているようだが、この反応が見られて良かった。昨日最後の最後まで諦めなかった俺、グッジョブ。

 

「もちろん後でクッキーも渡すけど。2人には、な」

 

「……もぉ、雄緋ってば本当に、ずるいよね。ねぇ、つぐみ?」

 

「……リサ先輩の言う通りですよ。ずるいです」

 

「えぇ? まぁ喜んでもらえてたら」

 

2人は包み紙を開けて、薄茶色に焼き目のついたカップケーキを取り出して、まじまじと見つめている。

 

「まさかあの雄緋がこんだけのが作れてるって」

 

「そ、そんなひどかった?」

 

「粉を袋丸ごと入れるのは流石に擁護できないですよ」

 

「反省してます……」

 

「……ねぇねぇ、雄緋。せっかくだから、雄緋に食べさせてもらいたいな?」

 

「え?」

 

どういうわけだかリサは俺にカップケーキを手渡して、自分は目を閉じて口を開けたまんまで待っている。

 

「……早く」

 

「あ、あーん」

 

「ん……美味しいっ! すごいよつぐみ、これ」

 

「その雄緋さん。私も……」

 

リサに負けじと、つぐみも完全に待ち体勢になっていた。俺はつぐみから受け取り。

 

「……うん、あーん」

 

「ん……ん……。わぁ、なんて言えば良いのか分からないんですけど、すごく美味しいです!」

 

「よ、良かった」

 

「……何より、雄緋がアタシたちにくれたってのが1番大事なんだよ?」

 

「そうですよ? すごく、嬉しいです!」

 

「……なら良かった」

 

その後、クッキーも無事焼き上がり。てんやわんやはあったものの、なんとかみんなにお返しが出来た俺なのだった。お返しの際にも色々と一悶着はあったがそれはまた別のお話……。

 

 

 

北条雄緋 今日の格言

 

お菓子作り 分量大事



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RAISE A 酔乱?【レイヤ&マスキング】

たかっちゃ様からのリクエストを基にした作品です。リクエストありがとうございました。

酒は飲んでも飲まれるな。by北条雄緋











「うー……」

 

ここはガールズバンドの聖地、CiRCLE、の受付。受付の目の前にあるガラス戸の向こうではとうに空が赤らんで、1日の終わりを暗示している。そう、俺はあと少しでシフトも終わるから、上がり、というこの微妙な時間の虚無を生きているのである。

この時間ともなると、もう正直スタジオを借りに来る客は来ないし、今スタジオを借りている団体が帰るのを見届けるだけなのである。使用済みのスタジオの機材の片付けなんかは全て終わっているので、要は本当に暇。暇オブ暇。こんな暇でも給料は発生するというんだから、奇妙な世の中である。

 

「雄緋くんおつかれー。もう後は3番スタジオの片付けだけだろうから、上がっていいよ?」

 

「あ、まだあと10分ぐらいあるけど、いいんですか?」

 

「この時間だしねぇ、大丈夫だよ」

 

「じゃあお言葉に甘えて……」

 

俺がそそくさと控室に戻ろうとした時、ついでとばかりにまりなさんから声がかかる。

 

「そうだ、雄緋くんってお酒とかって飲む?」

 

「え? あー、まぁ飲みますけど。何かありました?」

 

「実はこの間知り合いから果実酒のリキュールを貰ったんだけど、私があんまり飲まないやつだったから、もし良ければ雄緋くんにあげようかなと思ったんだけど。どう?」

 

「果実酒か……」

 

お酒ね……。この間どこぞのBarに行った時は醜態を晒す程度には飲みすぎてしまったが、果実酒ならばそれほど強いお酒でもないし、晩酌というのもなかなか乙なものだろう。

 

「じゃあ折角なので、いただいてもいいですか?」

 

「良かったぁ。ロッカーの横の台の上に置いてあるから、持って帰っていいよ!」

 

「ありがとうございます」

 

そんな上司からの思いもよらぬご好意の酒瓶を小脇に抱え、俺はいつもより少し早めにバイトを上がる。とは言ってももう夜は夜なんだけどね。そんな夜の入りの道を急ぐのだった。

 

 

 

「どれどれ……、お、苺のリキュールか……。結構美味しそうだな」

 

包み紙を外すとかなり独特な形状の瓶が現れる。どうやら苺を漬けてあるものらしく、瓶の内部に遍く苺が漂っている。

 

「晩酌にするなら……。うーん、とりあえず冷やしとくか」

 

バイトの最中も控室に安置されていたことを考えれば一応は冷やして保存しておいた方が良いだろうと思い、冷蔵庫に寝かせて入れておく。まぁリキュールだけどアルコール濃度15%ってあるから、多少常温でも大丈夫だろうけど。とはいってもこれから簡単に晩飯を作るとなったら、30分はかかるか。おつまみはまぁ冷凍のフライドポテトとかをアテにすればいいや、ん? 空だな冷凍庫。何故。そんなことを考えているとインターホンの音が静かな部屋に鳴り響く。

 

「……うーん」

 

絶対これさぁ……デジャビュなんだよねぇ。配達を頼んだ覚えもないし、多分35人のうちの誰かかなぁ、なんて思いながら俺は玄関のドアを開ける。

 

「はーい、お、レイヤとマスキじゃん。どうした? もう夜だぞ」

 

俺は嫌な予感を感じながらもそう尋ねる。

 

「ご飯食べにきました」

 

「そんな約束した覚えないんですけど……」

 

「あれ? ガールズバンド向けの食堂をやってるんじゃないんすか?」

 

「初耳だよって人の話を聞けよ、まぁいいけども」

 

多分ここで簡単に家にあげてるから、こうやって1人の時間消滅する程度には誰かしらが入り浸ってたりするのかな。もう正直手遅れなので、俺は堂々と上がっていくマスキの後を追いかける。

 

「レイヤも、上がっていいよ」

 

「ありがとうございます」

 

「というか、親御さんとか大丈夫?」

 

「え? はい」

 

大丈夫なんだ……。

俺はとりあえず進めていた晩飯の準備を……。冷蔵庫開いても3人分の食材なんてないよ……そりゃそうだ。食堂じゃないもんここ。ついでにいうなら人を招いた時なんかの茶菓子とかそういう類もないよ。だって大学生の一人暮らしだもん。そんなの家の中にある飲食物なんざせいぜい缶ビールとカップ麺と……。あとはこの間のホワイトデーで使ったバターぐらい。うん、だめですねこれは。

 

「ちょっと、食材諸々ないから、買い出し行ってくるわ」

 

「え、そんなの悪いんで、私たちで買いに行きますよ」

 

「いやいや。ついでに買いたいものとかもあるし、夜も遅いし、俺1人で十分だよ。寛いでていいからな」

 

「それじゃあ……お言葉に甘えて」

 

「まぁ何にもないけど、冷蔵庫にお茶とか飲み物ぐらいは入ってるから、コップとか勝手に使っていいから飲みたかったら飲んでてくれ」

 

「ありがとうございます」

 

「んじゃちょっくら行ってくるわ」

 

まぁ家に置いといても、比較的常識がある2人だし多分大丈夫だろ。……比較的常識があるやつは多分この時間にアポ無しで人の家まで飯食いには来ないけど。まぁ、最低限やばいことさえしなかったらなんでもいいや。

そういうわけで俺は家から徒歩10分程度のところにあるスーパーに急足で到着した。買うものとは言ってもそんな大層なものは買わない。

 

「冷食も買わないとさっきすっからかんだったもんなぁ……」

 

買い物カゴに放り込んだのは冷凍のフライドポテトに枝豆。やっぱりお酒のアテと言えば枝豆だよな。いや、でもビールならまだしも苺のリキュールに枝豆ってそんな合わないな。ピーナッツとかも買うか。

 

「それと3人分の食材もね。何買おう……」

 

2人の食の好みとか把握してないけど、まぁふらっと訪れたんだからそのあたりは多少は許してもらおう。この時間だとタイムセール品とか多分あるだろ、なんて考えながら生鮮食品の売り場に行けば、大漁も大漁。パックには黄色い数字の書かれたシールがあちらこちらに。

 

「ムネ肉……モモ肉……? まぁ焼けば一緒か? うん……。最悪2人になんとかしてもらおう」

 

ちなみに言っておくと俺は料理ができない。全くできないわけじゃないけど。最低限自分が困らない程度しかできないから。そうだな、イメージしやすいように言っておくと卵焼きは作れない。スクランブルエッグにならできる。そんな感じ。料理は感覚。目分量こそ正義。この間のお菓子作りとはわけが違うんだ!

 

「こんなもんでいいや。野菜炒めも多分なんとかなるだろ……」

 

俺は大量に買い込んだ数日分の食材やらを両手に提げて、帰路に着くのだった。

 

 

 

「しょっと……ただいまー」

 

俺が鍵を開けて家に入ると、返事がない。電気自体はついてるから、部屋にはいるはずなのだが。まぁいいやと部屋のドアを開けると。

 

「……ん?」

 

どういうわけだか机に突っ伏す2人と、机にデカデカと自己主張の激しい苺リキュールにグラス。……んー?

 

「……はっ、ちょ。まさか……」

 

買い物袋をその場に下ろして、2人の肩を揺らすと、朧げながら反応が返ってくる。

 

「ふぇ……?」

 

「あ、おかえりなさい……すっ」

 

「おい、これ飲んだ?」

 

「苺美味しいっすね」

 

飲みやがったこいつら……。そういや俺出かける前に冷蔵庫のやつなら飲んでいいとか言ったっけ? 言ったけども、俺が良いって言ったのは炭酸の清涼飲料水とかそういうのなんだよなぁ。というかしかもこれ多分この2人ストレートでいったな。そりゃ無謀だよ……。……どうしよ?

 

「あー、えっとだな。とりあえず水飲め。そんな飲んでないだろうけど」

 

「んー」

 

俺はシンクの方に向き直り、新しくコップに水を注ごうとした時だった。

 

「……よいしょ」

 

「ちょ、どうした?」

 

ふと温かな感覚がしたので、振り返ると、よろけながらもマスキが俺の腕を触りながら、神妙な面持ちでいた。

 

「お、おい?」

 

「なんか……良い体してるんすね」

 

「ど、どうも。じゃなくて、いいから休んどけって、え?」

 

今度は横からと、これまた頬を赤くしたレイヤがマスキとは反対の腕を人差し指で突いていた。

 

「……固い」

 

「分かった、分かったから落ち着け、これ飲んで、な?」

 

2人は一応俺が手渡したグラスに注がれた水を、グイッと一気に全て飲み干す。……いい飲みっぷりだな。というかこの勢いであの酒飲んでたとしたら……。うわぁ、頭が痛い。いや、2日酔いのごとく頭痛の激痛が痛い。

 

「落ち着いたか?」

 

「……ううん」

 

「ちょ」

 

コップを流しに置くなり、体重を預けてきたレイヤの目はトロンとしており、完全に酔いが回ってしまっているようだった。マスキはレイヤに比べたら幾分かマシそうだが、それでもやはりいつもとは様子が違う。

 

「……雄緋さんっ、座って欲しいです」

 

「え? お、おう……」

 

俺が促されるままに座らされると、その両脇を固めるように2人が腰を下ろし、しなだれかかる。2人は少しだけ荒くなった息を吐きながら、こっちを見つめている。

 

「おい、酔って」

 

「……なんかポカポカする。脱いでもいいですか?」

 

「脱ぐな!」

 

上の服を豪快に脱ごうとするレイヤを慌てて止める。力が入っているわけではなかったので簡単に止めること自体はできたのだが、このままでは先が思いやられる。

 

「って、どうしたマスキ?」

 

「……脱がせてもいいですか?」

 

「脱がすな! 揃いも揃って酔ってんなお前ら!」

 

「というか、雄緋さんも飲みましょうよっ、それそれ」

 

「それそれって何だよ、完全に酔っ払いのノリじゃねぇか!」

 

既視感あると思ったら、これ、完全に大学でよく連むやつとの飲み会の時のそれ。1番酔いが回ってるやつが自分が倒れないために周りの人間にも酒を浴びさせるそれ。

 

「……飲んでくれないんですか?」

 

「そんな目で見るなよ……飲む! 飲むから!」

 

「やったぁ」

 

「私たちの勝ちだな、レイ!」

 

勝ち負けなんて存在しないからな、なんて説教がこの酔っ払いたちに通じるわけもないので、俺は諦めてコップを出してきて、なみなみとその苺のリキュールをコップに注ぐ。が、流石にこれをストレートでいくなんて無謀な真似はしない。無謀というほどキツイわけではないが、空腹のこの段階で煽られるがままにお酒を呷るなんて悲惨な翌朝を迎えることぐらい簡単に予想がつく。

とりあえずもう割るのは炭酸水でいいやと、ペットボトルに入った炭酸水を半分ぐらい入れた。

 

「ほらほら、飲んでくださいよ」

 

「はいはい……。……ぐ、はぁ……。思ったより甘くないんだな」

 

炭酸水を入れすぎたからか、将又元の味なのか、甘みはそれほど強くない。けどまぁ、これは本質情報なのですが、今重要なのは味ではない。俺の両脇を固めるこの酔っ払い2名だ。

 

「一気に全部飲まないんすか?」

 

「一気飲みとか悪いことばっか知ってんのな……。そんなバカなこと、しないっての」

 

「えー! コール要ります?」

 

「なんでコールとか知ってんの?!」

 

コールとか俺存在すら高校生の頃は知らなかったよ。あの頃は無垢だった。今となっては……。流石に居酒屋さんいってもコールなんて危ないからしないけどね。それはそうとどういう因果でマスキがコールを知っているのか非常に気になる。

 

「うちのバイト先のラーメン屋でもコールにあわせてスープを一気飲みするお客さんとか居るんですよ」

 

「ちょっと待ってそのお客さんめっちゃ気になるわ」

 

「じゃあますき、コールよろしくね」

 

「任せなっ」

 

「任せなじゃねぇ?! コールとか危ないからな?」

 

「えー、じゃあ、飲んでください」

 

「文句言うなよ……。で、ん、んぼぉっ?!」

 

「きゃぁ豪快」

 

「ん、ん。豪快じゃねぇ?! 一気に人が飲んでるグラス傾けんな?!」

 

「アッハッハ! 良い飲みっぷりっすね!」

 

「お前のせいだわ?!」

 

ダメだこの酔っ払いども。タチが悪いとかそんな言葉で収まらないレベルだった。

 

「惚れ惚れするぐらいの飲みっぷり……」

 

「お、レイもいくか?」

 

「これ以上飲むな?!」

 

神様助けてください……。そっか……酔っ払いの相手するのってこんなにも面倒なんだな……。

 

「えー、んー、雄緋さんが飲まないなら飲んじゃおうかな?」

 

「くっ……姑息な?!」

 

「……飲まないんですかぁ?」

 

そんな目で見るな……。普段レイヤにしろマスキにしろそこそこ身長高いせいで立ってても目線の位置もそんな変わらないからか、いざこうやってもたれかかって上目遣いされた時に瞳が揺れるのがちょっとドキッとするんだよ……。こんなの流石に口には出さないけども。

 

「えー、なら私も飲んじゃおうかな? レイには負けてらんないしぃ?」

 

「だから勝ち負けなんてねぇから?! あーくそ飲めばいいんだろ飲めばぁ!!」

 

「いったぁぁぁっ?!」

 

 

 

お酒は節度を持って楽しむものなんです。あとは皆さん、お分かりだな?

 

 

 

「折角だしゲームしましょう雄緋さん!」

 

「おっいいぞ! やろうぜぇっ!!」

 

酒が回ってきた。テンションアゲアゲ卍。

この時間は無敵なんだよな。何やったって笑えるし、何をやるにしても理性が上手いこと働かないので、怖いもの知らずになれるのだ。

 

「ゲームって、ゲーム機結構あるんすね……」

 

「ん? まぁやるときはやるからな、って、ゲームそっちじゃねぇぞ?」

 

宴のゲーム? まさかテレビゲームや携帯ゲームじゃあるまい。お酒のゲームとか多分良くないけど酔ってるから分かんない☆

 

「あ、私、こういうの知ってますよ。負けたら飲むんですよね?」

 

「あーそうそう、ってー、お前らが飲んだらあかんやないかい!」

 

「コテコテのエセ関西弁……。りみちゃんに怒られますよ?」

 

「すいませんでした……」

 

まぁ流石にこいつらに俺が酒を飲ませると、俺がお縄についちゃうから自重してやろう。が、俺は飲むぞ。まだまだ余裕だからな。

 

「ほら、雄緋さん! グイッと、グイッと!」

 

「んっんっ……ぷはぁ! 酒がうめぇっ!!」

 

 

どうにか酔いが覚めた2人を家に帰した俺は翌朝二日酔いで苦しんだのだった。

え、ゲーム? 外来語禁止ゲームをやった上で、R・I・O・Tを歌わされたんだよ。1人で丸々一本開けちゃったよ。気持ちよかったですね。ほぼ(喉と意識が)逝きかけました。



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意味深クロスワードパズル【燐子&有咲&美咲&モカ】

予め言っておくと、今回は深夜テンションがどうとかじゃないレベルでバグっています。
クロスワードパズルを自力で解きたい方は、読み進めずに話の途中で解くことをお勧めします。多分解けるようにはなってる、はずです。多分。







「うーーーん……」

 

「ん?」

 

お昼頃からぶっ通しだったバイトも休憩時間に入ったため、俺が息抜きでもと考えてCiRCLEのラウンジへとやってきた。いつもなら人の入りもそこそこで、休憩に使う人が多いのだが、今日は閑散としていた。ところが、ど真ん中に据えられたソファに腰掛けながら、頭を抱えて唸りを上げている方が1名。

 

「えっと、どうしたんだ燐子?」

 

「あっ……雄緋さん……」

 

「悩み事か? って……それって」

 

燐子が顔を上げたところで、テーブルの上に開かれた冊子に目がいく。そのページは白黒印刷がされていて、マス目が大量に並んでいる。

 

「クロスワードパズルで……。実は懸賞の応募が近いので……」

 

燐子が持ち込んでいたのはどうやらパズルを埋めて懸賞に応募するタイプのクロスワードの問題集らしい。ところが、その冊子のページのマス目は見事に真っ新だった。

 

「今から始めるのか?」

 

「いえ、少し前からしてたんですけど……。難しくて……」

 

「へぇ……。しかも漢字じゃん……」

 

見たところ普通のクロスワードパズルなどではなく、漢字オンリーのクロスワードらしく、それが難易度を引き上げているらしい。

 

「その……よければ手伝っていただけたり……」

 

「おっ、暇だから勿論いいぞ」

 

「本当ですか……! どうぞ、隣座ってください」

 

「はいはい、失礼します、と。……近くない?」

 

「……こうすると、頑張れるので」

 

「う、うん?」

 

やたらと距離感の近い燐子はさておき、俺とて休憩時間には限りがあるので早速とばかりに問題を見る。

 

「どれどれ……と」

 

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漢字群
大、内、反、生、尻、外、白、写

血、色、抗、学、画、春、朕、帳

密、雲、道、開、静、濁、題、鎮

 

「……むずくね?」

 

「そう、ですよね」

 

この手のクロスワードパズルって、二字熟語の語群から、とかそういうのじゃないの? 漢字自体が群として与えられてるって難しすぎない?

 

「わたし1人じゃ……」

 

「うーん、そうだ。紗夜とか居ないの? 勉強とか出来そうだし」

 

「氷川さんは……日菜さんが連れて行ってしまって」

 

「あっ……」

 

なるほど、そんなわけで燐子が孤軍奮闘しているというわけか。

 

「よし、頑張ろう! ……といっても、どっから手をつけたらいいんだ?」

 

「定石が通用しないんですよね……」

 

「……うーん。二字と四字は候補が多くなりそうだから、三字をどうにかしようか」

 

「どれか行けそうなのは……」

 

「この『○○期』、とかどうだ?」

 

「新学期……、『学』はあっても『新』がないですね」

 

「学期か、『春学期』とか?」

 

「両方ありますね……!」

 

「他は、『○○展』とかどうだ?」

 

「芸術に関するもの……、写画とかなら作れそう……」

 

「でも『写画展』にすると右上の『写風』はおかしいからな」

 

「○画ですか……」

 

「うーん、『○○期』が『春学期』じゃなきゃ『春画展』なら『春風』で辻褄が合いそうだな」

 

「なるほど……! 春画……? って、なんですか?」

 

「え? あ……」

 

しゅん が【春画】(名) 江戸時代に流行した男女の性愛を描いた絵。

 

やっべぇこんなの事細かに説明できねぇ。……どうするべきか。

 

「あの……?」

 

「芸術の一形態だ」

 

「は、はぁ? えっと……とにかく、『○○期』がおかしいんですかね?」

 

「そうなるな、何か……」

 

「……あ! 『反抗期』って作れそうです……!」

 

「でかした燐子! なら、……『抗○清』は『抗血清』だな」

 

こう けっせい【抗血清】(名) 抗原を動物に摂取して得られた抗体を含んだ血清の一種。

 

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**

 

「なるほど……。あっ、『○止画』って、『()()()』ですかね?」

 

「えっ?」

 

文字が埋まった喜びで半分ぐらいしか聞き取れなかったんだけど、今とんでもない単語が燐子の口から発せられなかった? え、俺の聞き間違いじゃなかったら今間違いな

 

「ここ、『静止画』かなって」

 

俺の心が穢れまみれなだけでした。本当にごめんなさい。

 

「うん、そうだと思う。……なら、その『○静化』は『鎮静化』とかかな?」

 

「な、なるほど……! ……でもこんな『○湖○鎮』なんて四字熟語見たことない……」

 

「……文字数減ってきたから、一旦二字熟語行くか?」

 

「そうですね……!」

 

漢字群
大、内、生、尻、外、白、写

色、学、朕、帳

密、雲、道、開、濁、題

 

そんな折、夢中でクロスワードと格闘していたラウンジに足音が聞こえてきた。

 

「あれ、燐子先輩と雄緋さん?」

 

「お、元引き篭り優等生と着ぐるみ優等生」

 

「変な呼び方やめてください……。で、何してるんです?」

 

「クロスワードです……。難しくて……」

 

「……奥沢さん」

 

「……わかってます」

 

お、どうやら2人ともかなり乗り気らしい。3人寄らば文殊の知恵とも言うし、有咲は学業優秀と聞いたことがある。美咲も常識が吹き飛んだあのグループの作詞作曲を取り纏めているのならば地頭も良いだろう。それに何より、俄然燃えている3人ならすぐに終わりそう。

 

「……負けません!」

 

「あの、俺はそろそろ……」

 

「「「ダメです!!」」」

 

「はい」

 

逃げられませんでした。そろそろ休憩時間ギリギリかなぁとか思ってたけどどうやら逃げることは叶わない、というか物理的に距離を詰められすぎて逃げ出せそうになかった。諦めて、俺もこの問題を解き終わるのに集中しよう。

 

「それで、二字熟語……ですよね」

 

「『展○』とかいけそうじゃないですか?」

 

「この語群なら……『展開』じゃ?」

 

「あー、言われてみれば」

 

俺が居なくてもちゃんと進んでるのに逃げ出せないというジレンマ。

 

「なら『開○』は、『開学』『開道』……のどっちかですかね?』

 

「あっ、『開帳』もいけそう。ご開帳〜、って言うときの」

 

「ぶっ?!」

 

「わっきたな! じゃなかった……なんですかいきなり!」

 

「な、なんでも」

 

ダメだ。俺の脳みそは煩悩塗れらしい。さっきから春画とか静止画とか、連想であらぬことを考えてしまった影響を受けてる自分が憎い。クロスワードなのに連想ゲームとはこれいかに。

 

「でも『帳』って他に使い道が……。わたしは『開帳』かなと……」

 

「会長が『開帳』……」

 

「寒いんでやめてください」

 

「ごめんなさい」

 

完全に俺の頭はオーバーヒートしてしまったのだ。許して欲しい。

 

「あはは……。ほ、他は?」

 

「『湖○』は残りの語群だと『湖尻』ぐらいしかないと思われます」

 

「急に敬語になりましたね……」

 

こ じり【湖尻】(名) 湖の水が流れ出るところ。決して卑猥な意味ではない。

 

「二字は他埋められそうですか……?」

 

「左下の『好○』とか?」

 

「好きかぁ……」

 

「えっ?」

 

「えっ?」

 

びっくりした。俺がボヤいた瞬間に隣に座っている美咲が急にこちらに振り向いたから。

 

「……ドキッとさせないでください」

 

「……何の話?」

 

「もういいです! 早く考えてください!」

 

「怒られた……」

 

「あの……『好色』なんて、どうでしょうか?」

 

「あーありますよね。意味はっきりと分かんないですけど……。どういう意味なんですか? 雄緋さん」

 

「え? そりゃ色事が好きな」

 

「色事……?」

 

「あっ……。古典とかで勉強してください」

 

「え、はい」

 

こう しょく【好色】(名・形動) 色事、特に男女の情愛を好む様。

 

「とすると、『○色』は、『白色』ですかね?」

 

「そうなると……『白○』は、『白濁』ですかね?」

 

「ぶふぉっ?!」

 

「わぁぁだから汚いですって!!」

 

ごめんなさい……汚いのは俺の心なんだ……。そうだよな……、石灰水に息を吹き込んだら二酸化炭素と反応して、石灰水が白濁するって……。知ってる……知ってるけど……、煩悩に浸された俺の頭はもう完全にアウトな方向じゃないと考えられないんだ……。

 

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漢字群
大、内、生、外、写

学、朕、

密、雲、道、題

 

「……結構埋まってきましたけど。四字熟語がよく分かんないですね……」

 

「おやおやー。モカちゃんの出番かな?」

 

「あ、モカちゃん」

 

「モカちゃんも参戦しよ〜」

 

「青葉さんって、Afterglowでも結構勉強とか出来たんだっけ?」

 

「もちろん〜。ひーちゃんにカロリーを送る分、学力を吸い取ってるからね〜」

 

「そうだったのか……。で、4人もいるなら俺は……」

 

「モカちゃんホールド、逃がさないよ〜」

 

「……はい」

 

衝撃の真実を明かしながらホールドされたのでやっぱり逃げられなかった。だが、半分ぐらい埋まっているから、きっとあと少しなはずだ。終わらせる……終わらせるんだ……!

 

「四字熟語がなぁ」

 

「『○清○濁』って、静も濁も反対の意味だよね」

 

「なるほど〜。これは『内清外濁』かな〜」

 

「なんなのそれ?」

 

「心は清らかに、けれど外面は汚れたようにした生き方のことだよ〜」

 

「心は清らかで外面は汚れた?」

 

「うーん、今の雄緋くんの丁度反対みたいなところ〜」

 

「え、俺今内面汚れてる?」

 

「うーん、心が煩悩で汚れてそうだねぇ」

 

「ぐはっ」

 

致命傷。

 

ないせい がいだく【内清外濁】 心の中は清らかでいながら、外面を汚く見せて、生きてゆく処世術のこと。

 

「……しょっ、と。それで右下の方が全然埋まってないんですよね……」

 

「『○○○会』か。奥沢さん、どう?」

 

「えー……。あ、『大』を使って、『○○大会』とか?」

 

「それなら……、『写生大会』が、作れますね……!」

 

「ブフォァッ?!」

 

「わぁぁ?! またですか?!」

 

「……やっぱり雄緋くんの心は汚れてそうだねぇ〜」

 

仰る通りで……。仕方ないじゃん……。春画に始まり、静止画に、開帳に、白濁とか、最後に写生大会とか狙ってるとしか思わないだろ! 俺は悪くないんだ……。作問者の陰謀なんだ……。

 

「となると、『○○先生』ですか……。流石に担任の先生とかじゃないからなぁ……」

 

「青葉さん、何か思いつかない?」

 

「……おっ。『道学先生』が作れそうだよ〜」

 

「道学先生?」

 

「倫理とか道徳を説いてばっかりで、世の中に疎い人のことだよ。ここには道徳をかなぐり捨ててる大学生もいるけどねぇ〜」

 

「ぐはぁっ……」

 

何も言い返せねぇ……。こんな純真無垢な子達の前で俺だけ変な連想……もとい妄想を繰り広げてる俺の倫理観は確実に欠如してるよ……。

 

「なるほど……。あ、『外○学問』は、『外題学問』ですね……!」

 

げだい がくもん【外題学問】 見た目だけが立派で、中身を伴っていない学問のこと。

 

「『学』も消えたから、『○会』は『密会』で確定しそう」

 

「となると……残りは『朕』と『雲』だけで、こうですね」

 

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**

 

「うーん。『○湖○鎮』なんて、モカちゃんも、こんな並びの四字熟語見たことないです〜」

 

「見たことない字面ですよね……」

 

「……もうネットで検索したら?」

 

「言い出しっぺの法則ですよ。お願いします雄緋さん」

 

「……はいはい。『湖』と『鎮』と『雲』と、『朕』で、検索……と」

 

俺のスマートフォンに検索結果が表示され。

 

「お、あるんだ。えっと、『雲……』はっ?!」

 

「え、どうしました?」

 

俺は自分の目を何度も擦る。だが画面には……。

 

雲☆湖☆朕☆鎮( う ん こ ち ん ち ん )

 

 

……ぱぁ。

 

ダメだ。

 

 

ダメだ。

紛うことなき下ネタ。俺はどう乗り切るべきか? そうだ、四字熟語。漢字の羅列なんだ。

 

「……前が『雲』、後ろが『朕』だ」

 

「へぇ。これは『うん「読むなぁっ!!」ひぃっ?! 耳が……」

 

「……ごめん。けど、読むな、いいな?」

 

「は、はい。なるほど……。こんな四字熟語が……」

 

「覚えなくていいからな? 絶対に覚えなくていいから!」

 

「フリかな〜?」

 

「フリじゃないから!」

 

そっか……。この冊子の問題。やけに出題の範囲が酷いと思ったら、そう言うことだったのか……。真面目にこれを考えていた燐子には可哀想だが、まともじゃないと言わざるを得ない。

 

ピーーーー(自主規制)【雲湖朕鎮】 怒りの感情に囚われている時こそ、冷静な判断が出来ないから、周囲に目を配れるような心を持つべきであるという教え。秦の始皇帝の古事に由来……、するわけないだろ。

※実在しない、ネットで創作された四字熟語です。

 

「とにかく……これで完成、ですね!」

 

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**
**
**

 

「みなさん、手伝いってくださって……ありがとうございました!」

 

「燐子先輩のためですから」

 

「そうですよ。いつでも頼ってくださいね」

 

「モカちゃんもいつでも手伝いますよ〜」

 

「……良かったよかっ「何が良かったのかな?」……あ」

 

背後から聞こえたのは、まりなさんの声。そういえばここはCiRCLEで。俺は休憩時間中にラウンジに立ち寄って……。

 

「ずっーーーとサボって、女の子たちとイチャイチャしながら解くクロスワードパズルは楽しかったかなぁ?」

 

「あ、違……違うんです……」

 

「私ずっーーーーーーーっと今日1人で掃除も片付けも受付もぜーーんぶ捌いてたんだけど?! 早く持ち場に戻りなさーーーい!!」

 

「申し訳ございませんでしたぁぁぁっっ!!」

 

元々こんなに居座り続ける予定じゃなかったのに……、なんて泣き言を言ってももう手遅れらしい。結果的にサボってしまったのは事実だけれど。

この後キッチリ怒られました。

 

はぁ……。

 

……雲ピーーーー(自主規制)



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パスパ霊能者の災厄【彩&りみ&七深】

えー、暫く更新が滞っており、すみませんでした。ちゃんと定期的に更新していきます。
では、本編どうぞ。










雷鳴り止まぬ森の奥。寂れた鉄門に閉ざされた洋館。窓ガラスは割れ、烏がガァガァと叫び、侵入者を拒むがごとく、茫々と生い茂る高い草。

 

「こ、ここが心霊スポットと名高い洋館……!」

 

「おぉ〜。悍ましい雰囲気が外にいても伝わってくるよー」

 

「悍ましいって言ってる割にはりみちゃんも七深ちゃんもかなり声弾んでない?! 怖くないの?!」

 

「むしろ楽しみでドキドキするぐらいです」

 

「う、うそっ?! 私がおかしいの?! ねぇ、雄緋くん?!」

 

「いや知らねぇよ」

 

こんな山の奥に連れてこられた俺は心底機嫌が悪いのである。いやというか、普通誰でもそうなるでしょうよ。こんな山奥にある心霊スポットだとかなんとかに連れ出され、天候は荒れるわ、普通に怖いし。

 

「それにしても、本当にここ行くんですか? かなり霊の圧力を感じますけど〜」

 

「ちょ、そんなこと言わないでよ?!」

 

「そもそも、何でそんなに怖がってるのに来たんだよ? というか俺を巻き込むな」

 

「怖いんですか?」

 

「怖くねーし?」

 

「え、えっとね。実は今度から新番組をやることになったんだよ」

 

彩はそう言うと、スマートフォンでSNSを立ち上げた。山奥だけれどもなんとか電波は通じているらしく、SNSは速度が遅いながらも、タイムラインが表示された。そして彩が投稿している内容には。

 

「『パスパ霊能者』……?」

 

「そうっ。冠番組貰ったんだよ! けど……」

 

「けど?」

 

「私どういうわけだか分からないけどMCじゃなくてロケに行く羽目になったんだよ?! 訳わからないよね?!」

 

あっ……。多分彩が言いたいのは、冠番組なんだからボーカルである私はスタジオ収録の際にMCを務めるだけの仕事だと思ってたら、実際にロケに行くのは自分たちでこんな恐ろしい場所に足を踏み入れなければいけない、という文句らしい。でもまぁ、彩がMCは多分現状無理そうなので、リアクションの大きそうな彩をロケに駆り出そうとしたテレビ局のスタッフはきっと有能である。そして今日はそのロケの予行演習みたいなものと。

 

「あはは……。えっと……頑張ってください?」

 

「というより、そろそろ行きません〜? 暗くなったら帰るの大変ですし」

 

「そうだよ、帰りの車も運転するの俺なんだから、早く帰らせろ」

 

「そ、そうだよね。よし……行こう!」

 

廃墟と化した洋館は、玄関に入る前から既に雰囲気たっぷりである。どっからどう見ても『お化け出ます!』と言わんばかりの寂れ具合。蔦が壁面を多い、人の手が全く入っていないであろうことがすぐにわかる。

 

「それに、あんまり遅くなるとここだけの話。ここ、出るらしいですよー?」

 

「で、出るって?」

 

「なんでも、17時になると、無人のはずのこの洋館の屋上にある鐘塔から鐘が鳴り響いて、同時に地獄の釜の底から這い出るような囁きが聞こえてきて、……一生ここに囚われちゃうとか」

 

「ひぃっ?!」

 

「すごい雰囲気だねぇ……」

 

「感心してる場合じゃないよ?! そんなやばいところなの?!」

 

「流石に迷信だろ……」

 

「で、でも!」

 

「だって一生ここに囚われるなら、そんな噂が外で広まる訳ないんだから」

 

「そ、そっか……」

 

そもそもこの科学が発達した現代において、一見超常現象にしか見えないような摩訶不思議な出来事は、大抵科学の力でその原理を解明することが出来るのである。人類は歴史とともにさまざまな学問を発達させてきた。その進化とともに、迷信や心霊なるものの類いは、実は思い込みであったと証明されているのだ。だからお化けなんていない。絶対にいない。いる訳ないだろ。絶対。

 

「でも帰ってこれなくなった人がいるそうですよ?」

 

「や、やっぱりダメじゃん! あ、いやでも雄緋くんがいるなら別に一生ここに閉じ込められても……」

 

「おい、俺はゴメンだぞ、こんなところで閉じ込められて死ぬのなんて」

 

少なくとも、俺にはここで閉じ込められて生を終えることに価値を見出すことはできない。それが喩えどんな人間と一緒に閉じ込められるとしても、だ。

 

「というかおい、早く行くぞ」

 

「はーい」

 

そして、重々しく軋みながら、玄関の重厚そうな木の扉を開け放つ。中は真っ暗で、天窓からわずかに入る雲越しの太陽光だけが館内を不気味に映し出している。

 

「真っ暗だな。……っておい、お前らも早くこいよ!」

 

「え、だってこう言うのって、全員が入ったら閉じ込められて……っていうのが定番なんですよ?」

 

「だからって俺を売るなよ?!」

 

「雄緋さん怖いんですか〜?」

 

「ここここここ怖くねぇ! 不安なだけだ! いいからはよ来い!」

 

「はーい」

 

俺を放置しようなどと言う愚か者が館内に入る。その瞬間。

 

バタン!

 

「わっ?!」

 

勢いよくしまった背後の扉。冷や汗が流れる。これは、やばい。先程恐れていた定石が現実のものとなってしまいそうで。

 

「まさか……、うわぁっ?! 開かないっ、開かないよ?!」

 

「うっそだろおい?!」

 

「あーだから言ったのに」

 

「閉じ込められちゃいましたね」

 

とは言われても俺1人閉じ込められた方がそれはそれで大問題だ。絶対怖い。というか本当に、一応この明らかにやばい雰囲気がぷんぷんと立ち上るこの空間に閉じ込められたというのに、どうしてこの2人はそんなにも冷静なのか。

 

「よ、よし。脱出路を探そう! きっとどこかから出られるはずだよ!」

 

「言われずとも」

 

「えへへ、肝試しだぁ」

 

楽しそうな人2名。人生の危機に瀕した人2名。愉快なパーティーで洋館探索が始まったのである。始まったのであるが……。

 

「ど、ど、どこ行く?」

 

いかんせん怖すぎる。館内は真っ暗だし、耳の奥にまで浸透してくるような空間音や、肌に張り付くような冷たい空気——。

 

「ぴとっ」

 

「ふぁーーー?!?!」

 

「ちょっと雄緋さん。騒ぎすぎですよー?」

 

「だって?! いきなり首筋に冷たい指が触るとか心臓止まるかと思ったわ!!」

 

「ふー……」

 

「くぁwせdrftgyふじこlp」

 

「ゆ、雄緋くんどうしたの?!」

 

「どうしたもこうしたもねーわ?! やっていい悪戯とガチでダメな悪戯があるだろ?!」

 

「ごめんなさい興味本位で……」

 

「興味本位で人を弄んで楽しいか?!」

 

ごめんなさい強がって。いやもう、これぐらい大声で威圧してないと、本当に怖いんだ。いやさ、怪談噺とかなら全然良いんだよ。怖い話ちょっとしたぐらいで幽霊とか出てくる訳ないし。悪霊退散とか言いながら陰陽師に除霊をお願いする必要なんてのもないし。

だが、現地となると話は別だ。だって怖いよ。怖いもんは怖い。暗がりから何か出てきたらどうすんの? 武器とかないよ? 防具もないよ? 倒せないよ? カッコいいスキルとかお化けを吸い込む魔法の掃除機とかないよ?

 

「さっきから雄緋さん、ぶつぶつしゃべってどうしたんですかー?」

 

「何でもない、なんでもない!」

 

「とりあえず端っこから手分けして回りましょうか」

 

「そ、そうだな。広いもんな、この洋館」

 

「えっ、じゃ、じゃあ、私とりみちゃんと七深ちゃんで……」

 

こいつら……。何をどう考えたらナチュラルに1:3のグループ分けができるというのだろうか。

 

「おい、俺を1人にするな?!」

 

「か弱いか弱い女の子3人ですよ〜? 人数は多くしておくに越したことないですよ」

 

「は、はぁっ?! か弱い男の子だっているんだよ!」

 

「まぁでも4人で回ったら時間かかりますから。よろしくお願いします〜」

 

「え、ちょ、おい、待てよ?! 待って……!」

 

洋館の右手側にある一階の部屋の奥。そっちへと3人の姿は消えていく。俺は1人取り残され、天窓からのわずかな光の束にすがっていた。

 

「……え、俺マジで一人で探索するの?」

 

俺の問いかけに答える人はいない。そりゃそうだ。というか居たらそれはそれで怖いからダメ。居ないでくれ、絶対。あ。いやでも誰かしら居てくれた方が怖くない、ちゃんと実体を持った何かしらであれば。

 

「く、ひ、左側……行くか」

 

脚は震えている。そりゃそうだ。怖いもん。ほんと怖い泣きそうガチで。

 

「うわっ、扉開いた……入ろう」

 

いやだってほら。扉開いただけで驚いてるんだよ? そんなビビり1人にしちゃダメですって。そんな根性なしをこんないかにもな洋館で1人にしたらダメだって。というかこんなところで1人行動とか、確実に死亡フラグ立ってるじゃん。犯人がいたらきっと今頃俺刺されて消されてるよ。

 

「ここは……食堂……?」

 

何やら中央に上板が長くて広いテーブルが広がっている。当然テーブルの上には埃が溜まっており、長年にわたり使いこまれた形跡が残っていない。

一応テーブルの中央には燭台が置いてあるが、古ぼけて黒ずみ、きっと美しく食卓を彩っていたであろう時もあるだろうに、そんな姿は想起することはできない。

壁には何やら肖像画のような。この家の主人か何かなのだろう。が、ここで壁にかかった肖像画は本当にやばい。よくあるパターンならこれが動いて襲いかかってきたりなんて……。

 

「いや……ダメだ。ダメだ考えるな考えるな」

 

その瞬間。

 

ガタッ。

 

「ぎゃあああっっ?!」

 

し、心臓が止まるかと思った。だって、ひとりでに物音なんて鳴るわけ……なるわけ……。

 

「あ、あ……誰か助けて……」

 

調子に乗ってて本当にすみませんでした。無理です無理です怖すぎます。なんなんですこの状況誠にもってありえなくなくなくなくないですか?

 

ゴロゴロガッシャーーーン!!

 

「ひぎゃぁぁぁあああっ?!」

 

どうやら外ではすぐ近くに雷鳴が轟いたようで、あまりの音のデカさにビビった俺は完全に腰を抜かした。というか窓らしきものがあるはずなのに、板で目貼りされているらしく、ここから脱出することは叶わないらしい。

 

ガタガタっ。

 

「ひぃっ?!」

 

どどどどどどういうこと? 今確実にテーブルがガタッって揺れたよねありえないよね? ダメだもう帰ろう。1人でここを探索とか絶対無理。無理なものは無理。どう頑張ってこの世にはどうにもならないことがあるそれが今まさにここに。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

俺はダッシュでエントランスホールに駆け戻り、プライドとか全てを捨て去って、情けないとは思いつつも、大声で3人の名前を呼ぶ。

 

「彩ー?! りみー?! 七深ーー!」

 

が、全くと言っていいほど返答はない。それどころか不気味なほどに物音一つ聞こえなかった。

 

「な、なんで……」

 

流石にこれだけ大声で騒いでいれば、まず間違いなく聞こえているはずだ。それなのに返事がないというのは……。

 

ボーーーン。ボーーーン。

 

「……鐘の音? ……声? 誰かいるのか……?」

 

刹那、俺の脳に蘇る記憶。

 

『なんでも、17時になると、無人のはずのこの洋館の屋上にある鐘塔から鐘が鳴り響いて、同時に地獄の釜の底から這い出るような囁きが聞こえてきて、……一生ここに囚われちゃうとか』

 

鐘の音。囁きのノイズ。……ダメだ……ダメだダメだ。

 

「あ、あ、あぁ……」

 

フリーズした。目の前が真っ白になる。視界がグルングルンと回って、天井を向いた。

 

 

 

「……テッテレー! ドッキリ大成功ー!」

 

「……は」

 

と思ったら、聞こえてきたのは愉快な彩の声。

 

「どうでしたか雄緋さん〜。怖かったでしょー?」

 

「ど、どういうこと……?」

 

「ちょっとだけ雄緋さんを脅かしてみたらどうなるのかって、見たいなって話になったんです」

 

「……よ、よかった……よかった……」

 

「あ、あれ? な、泣いてる?」

 

「……泣いてねー」

 

マジで。マジで。

もうなんだかドッキリで良かった、という安心感と、駆り立てられた恐怖心とで、感情が停滞していたからか。

 

「えっと……大丈夫ですか?」

 

「……大丈夫」

 

とにかく蹲って、顔を伏せてみっともない自分の顔を隠す。

だって怖かったんだよ……。怖いものは幾つになっても怖いんだよ……。20歳を超えたとしてもいつまでも少年の心を持って生きてるんだ……。

 

「よ、よしよし……大丈夫ですよー?」

 

3人が必死になって慰めてくれている。……にしても、情けないことだ。自分のことながら。

 

「う……大丈夫……大丈夫……」

 

「……それにしても、雄緋さんが泣いてるところ……新鮮ですね」

 

「……うん。なんだか、もうちょっと苛めてあげたくなるぐらいです」

 

「もうやめて……」

 

流石にもう懲り懲りだと、しばらくお化けとか霊とかそういう存在には触れたくないと、溢れ出始めていた涙を拭い、立ち上がる。

 

「ご、ごめんね? やりすぎちゃった……?」

 

「……いいや。耐性もつけられたから。大丈夫だ。帰るぞ」

 

「は、はい!」

 

俺たちはこの謎の森の奥の洋館から立ち去ろうと歩き始める。赤く、薄汚れたレッドカーペットは歩いても埃一つ舞うことなく、踏みしめることができた。

彩が重厚そうな入り口の扉に手をかける。思い切り、彩が力を込めて、押した。……はずだった。

 

「あ、あれ? 開かない……」

 

「「「……え?」」」

 

「17時になりました。風紀を乱す貴方達を、一生ここから逃がしません……」

 

 

 

パスパ能者○○



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恋のキューピッド レオン【千聖】

皆さんは、快適な睡眠の邪魔をされた経験、ありますか? いろいろなものがあると思います。学校に行けと親に布団を剥ぎ取られて叩き出されたり、休日だと思ってたら会社からの電話で飛び起きて休日出勤に放り出されたり、シチュエーションで言えば、きっと様々なものがあると思います。

 

皆さんは経験したこと、ありますか?

 

「ワンッ、ワンッ!」

 

「……」

 

朝起きたら、知り合いの飼っている犬に顔を舐められて起きたこと。

いやもう、顔ベットベトのドロンドロンなんだけど? なんか獣臭いなーって思って目を開けたら、いきなり愛くるしいお顔とお目覚めの騒がしい美声と、そして鼻をいきなり抉り取る生臭さ。びっくりしたよね。

 

「ちょっとレオン! やめなさいってば!」

 

「……」

 

「ワンッ!」

 

「もう……。そんなに雄緋のことが好きなのね。その気持ちは分かるけれど、迷惑をかけちゃダメよ?」

 

「……」

 

「ワンッ!」

 

俺の顔を舌で舐めながら、尻尾をブンブン振り回すレオンくん。元気だね。ものすごく元気だね。

 

「……なぁ」

 

「ん? どうかした?」

 

「……助けて」

 

俺は飼い主に助けを求めた。ものっすごい懐かれているのはまぁいい事ではあるのかもしれないけど、ここまでとなるとちょっと愛が重いな。というか俺、レオンくんとそんなに顔合わせたことないのに、なんでこんなに懐かれてるの?

まぁきっと皆さんの中には今どういう状況か分かっていない人もいるだろうから、簡単に説明すると。千聖の飼ってるレオンくんが朝起きたら俺の顔を舐めてました。はい、説明終わりでーーーす。

 

どういうことやねん?!

 

やばい、似非関西弁が出てしまった。突っ込みたくもなりますよ、こんな非日常。人の家に勝手に出入りされてるのはまぁ良いとして、その場に飼い犬を連れてくるというクレージーな非常識を持ち合わせたやつに朝の優雅な時間(にどね)を邪魔された訳である。

 

「助けてと言われても……。レオン、私のいうことを全然聞かないんだもの」

 

「躾出来てないんじゃなくて人望……いや、犬望が足りてないんじゃない?」

 

「初めて聞いたわねそんな単語。それはそうと、確かに流石に可哀想だから」

 

そういうと千聖はパンパンと手を叩く。その音に反応したレオンくんはくるりと翻り、膝をついて腕を広げる千聖の胸へと飛び込んでいった。ゴールデンレトリバーのレオンくんが千聖に飛びつくのを見ると、サイズ感的な意味合いでなんだか不思議な感覚に襲われる。

 

「よしよし」

 

「……とりあえず顔洗ってくるわ」

 

「えぇ、ごめんなさいね?」

 

そう思うなら朝っぱらから人の家に犬を連れてこないでくださいって言おうかなとも思ったんだけど、あまりにも水分を蓄えた顔面の不快感に駆り立てられるように洗面所に向かった。鏡には寝起きでものすごい形相をしている自分が映っている。

 

「はぁ、……ふー、スッキリした……」

 

まだ朝ということもあって水道から出る水はしっかりと冷たさを感じるし、目が冴える。いやまぁ、舐められまくった時点で完全に目は覚醒状態にはなっていたけど。というか最初このまま食べられるのだと思ってた。流石にそれはないか、なんて自分に呆れながらリビングに戻る。

 

「で、こんな朝っぱらからなんでレオンくん連れて家に来たんだ?」

 

「朝からレオンを散歩させていたんだけれど、いつもと違うコースを散歩してたら急にレオンが走り始めて、そのリードに引かれるままに来てみたら雄緋の家だったのよ」

 

そういえば遠い過去の記憶で家の中に兎と猫とが溢れて、窓からレオンくんがやってきた記憶があるようなないような。多分その時に家へのルートを完全に覚えて、また帰ってきたというところだろうか。

 

「つまり散歩の途中だったってこと?」

 

「えぇ。勝手に入ってごめんなさいね」

 

「……ん。まぁ、吠えまくって近所迷惑になっても困るからな。いいよ別に」

 

この世の地獄のような不等式、爆誕。

早朝、顔を犬に舐められる不快感 < 自宅前で犬が吠え苦情がくる迷惑

 

「……はぁ、散歩途中か」

 

「そ、レオンも満足しただろうから、そろそろ行くわね? 朝っぱらからごめんなさい」

 

そうして千聖がレオンを連れ出そうと、その首についたリードを引っ張ろうとした瞬間、レオンが少しだけ小さな遠吠えをあげて、こちらを振り向いた。

 

つぶらな瞳。儚さを感じさせる哀愁漂う目の輝き。

 

トゥンク。俺はな、犬よりも猫派なんだ。つい3秒前まではな。

 

「……いや、俺もいくよ。散歩」

 

「……え?」

 

ありえないものを見るかのように、目を大きく見開き、驚きの表情を浮かべている千聖だったが、レオンの嬉しそうな声を聞いて、表情を和らげた。

 

「……そう。レオンも喜んでいることだし、ご一緒してくれたら嬉しいわ」

 

「あぁ。眠気も覚めちゃったしな、どうせ二度寝はできないし」

 

俺は半ばどうしようもなかった朝の運命を呪いながら家を出る支度をする。とは言いつつも、そんな大層なものではなく、最低限朝の外を出歩く格好に着替えただけだけど。

 

「いいかしら? 出られる」

 

「いいよ。鍵閉めるから先出てな」

 

トタトタとレオンを連れて、玄関の方に出て行く千聖。窓の戸締りを確認してから俺も玄関の方へ。……うわぁ、キッチンのシンク前に敷いてあるマットにハンコのように犬の足型がくっきりと。こりゃ洗ってもダメそうだな、可愛い。

 

「よし、じゃあ行くか」

 

「えぇ、行きましょう」

 

「……ん? 何その手」

 

千聖は右手でレオンくんのリードを握りながらも、どういうわけか左手を差し出してきた。

 

「私1人じゃレオンに引っ張っていかれちゃうかもしれないから、ほら、今日雄緋の家に連れて来られちゃったのも、体が持ってかれちゃったからだから」

 

「ワンッ! ワウワウッ!」

 

「それは貧弱すぎだろ……。まぁ良いけども」

 

別に今更手を繋いで不純異性交遊です! とかそんななんちゃってで校則の厳しい高校の生徒指導の先生みたいなこと言わないからな。確かにレオンくんが走り出したりとかしても問題かと思ったので俺はその手を取った。

 

ワンッ! ワウ……ワンッ!(目の前でイチャイチャすな)

 

「ふふっ。早く行きたいのね、分かったわ」

 

ワンッ、ワンワン!(くっそ話通じんわ)

 

朝早くからでも元気なレオンが些か羨ましくも恨めしくもあるが、そういうわけで俺たちはいつもは通ることのない散歩コースを通ってみたのである。

 

まだ多くの人が家を出るような時間になっていないこともあってか、人通りもまるでなく、少しだけ青白く暗い街を歩いていた。

 

「それにしても、まさか雄緋が着いてきてくれるなんて思わなかったわ」

 

「ん? まぁ、別に犬とか動物と遊ぶのが嫌いな訳じゃないぞ。朝顔を舐められて起きるのは嫌だけど」

 

ワウッ(ごめんやん)

 

「あら、そうなの? てっきり前の時はたえちゃんの兎で嫌そうな顔をしていたから、動物自体が苦手なのかと思っていたわ」

 

「あれは……家帰ってきたら兎に占拠されてたからな、そりゃ怒っただけで。俺は動物は好きだぞ。もちろん犬もな」

 

「ふふっ、良かったわねレオン」

 

ワンッワンッ! ワウゥ……ワンッ!(俺はご主人を誑かす時のお前は嫌いやけどな)

 

なんだか朝起きた時とは違って、ものすごくレオンの吠え方に敵意を感じる気がする。さっきまではどことなく優しさの籠った吠え方だったのが今のは威嚇混じりのような気が……。まぁ俺は動物の声とかが分かるわけではないし、杞憂というやつだろうか。

 

「レオン、下手をすれば私よりも雄緋の方が懐いてるきらいがあるわね」

 

ワンッ! ワンワンワンっ!(人間としては君のこと好きやで)

 

「お、……確かに懐かれてるような気がした」

 

ワウワウッ! ウゥ……ワンワンッ!(けど俺の目の前でご主人と手繋ぐなや小童が)

 

「……本当に懐かれてる?」

 

「え、えぇ。レオンがこんなにも顔を舐めたり、ずっとついて回ったりすることなんて珍しいから」

 

ワウッ、……ウウゥワンッ!(ご主人守るためや勘違いすんなよ)

 

……の割にはめちゃくちゃ吠えられてる気がするんだけどなぁ。まぁ千聖の言う通り、ある意味では懐かれているとも言えるのかもしれない。さっきからずっとレオンに構ってもらってるし。一応千聖と2人で手を繋いで歩いているけれど、正直レオンくんの方に気がいって仕方がないぐらいだ。

 

ワンッ!(しばくぞ小僧)

 

「ふふっ……。あっ、あの公園は別の散歩コースでも寄っているから、今日も寄っていきましょうか」

 

「はーい、了解」

 

右手前方に現れたのは住宅街の中にあるにしては少し広めの木々や草も生えた公園。この時間は特段人もおらず、閑散としている。

 

「向こうのベンチまで行きましょうか」

 

「レオンくんも連れて行けるのか?」

 

「えぇ、ペット禁止とかではないから」

 

奥まった藤棚の横に並んだ2人がけベンチに近づいて腰を下ろす。俺たちが並んで座ると、レオンくんも千聖の足の前にノシリと座り、その姿はさながら忠犬であった。

 

「今日もいい天気になりそうね」

 

「だなぁ。ちょっとずつあったかくなってきたもんな」

 

ワンッ、ワンワン(お、流れ変わったか?)

 

さっきまでは少々大きな声で吠えていたレオンくんだったが、座ってどっしりと構えていると、少し小さめの声でグルグルと吠えるのみだった。

 

「そ、その。今日はお昼も天気が良いそうよ?」

 

ワンッ……ワウワウッ……ワンッ(ご主人こういうときだけ妙にピュアやな)

 

「おぉ……。洗濯物干そうかな」

 

ワンッ、ワウウ(おお、頑張れご主人)

 

「洗濯物を干すって……。今日は一日暇なのかしら?」

 

「え? あー、まぁ忙しいっちゃ忙しいけど暇といえば暇というか」

 

今日の予定は1日家でゆっくりとダラダラ過ごすという予定を入れていたために少しだけ迷う。ある意味では忙しいのである。

 

ワンワンッ!(はっきりせんかい)

 

「もし暇なら一緒にランチを食べに行くなんてどうかしら?」

 

ワウッワンッ!(おぉ! よう頑張った!)

 

「え? あー……。今日は家で済ませるつもりしてたから」

 

「そ、そう……」

 

ワウッ……バウッ! (は? ご主人のピュアっ)ワンワンワンッバウッ!!(ピュアな恋心弄ぶなやワレェ!)

 

「いた! いててて?! レオン?! 歯が痛い!」

 

「ちょっとレオン?! やめなさい!!」

 

突然俺の足に突き立てられたレオンの歯。とか言ってる場合じゃない痛い痛い! ズボンの上からでも痛いものは痛い! 千聖がリードをピンと引っ張ってくれて、なんとか俺は難を逃れる。

 

「ダメでしょレオン!! 1週間おやつ抜きにするわよ!」

 

ワウッ……ワウゥ……(俺が怒られた……、なんでや……)

 

「ま、まぁまぁ。おやつ抜きは可哀想だから、俺は大丈夫だぞ」

 

いくら俺を噛んでしまったとはいえ、落ち込むレオンくんの表情を見ているとおやつ抜きにされてしまうのは少しだけ忍びない。……そもそもレオンくんがおやつ抜きとか言われても理解してないだろうけど。

 

ワウッ……ワン……ワンッ(マジ? 自分聖人君子なんか?)

 

「雄緋がそう言うなら……。本当に大丈夫?」

 

「あぁ、血とか出てなさそうだしな」

 

「良かった……。そ、そうだ。その……お詫びと言ってはなんだけれど、今日のお昼、ご馳走したいのだけれど。……どうかしら?」

 

千聖の表情はこちらを探るような。一応レオンくんに噛まれる前にはそう言う話も出ていたことだし、飼い犬が噛んだわけでもあるから、負い目というか、少しだけ不安のようなものもあるのかもしれない。

 

「……まぁ。そういうことなら、折角ならご相伴に預かろうかな」

 

「……ふふっ。任せて、腕によりをかけるから」

 

ワン、ワンッワンッ(え? これ俺がMVPやんけ)

 

「あぁ。楽しみだな……。俺も作るの手伝うよ」

 

「料理できないんでしょう? 無理しなくていいのよ?」

 

どうやら俺が料理をまともにできないという話はすでにそこそこ広がっているらしい。……まぁホワイトデーの一件もあるし、仕方がないと言えば仕方がないか。

 

ワンッ、ワンワンっ、ワウゥ……(どうも恋のキューピッド、レオンです)

 

「あら。……ふふ、レオン、さっきは怒ってごめんね?」

 

ワウッワウッ(ええんやで)

 

「それじゃ、そろそろ散歩も切り上げて、帰ることにするか」

 

「そうね。食材の準備とかもしなくちゃだし」

 

ワウワウッ、ワウッ……ワン!(小僧、ご主人のこと傷つけたら容赦せんぞ)

 

「あれ、でも昼ごはんだよな」

 

今はまだ早朝。こんな時間から店に行ったところで開いていないし、そもそもご飯を作り始めたらこんなの昼ごはんではなく朝ごはんである。

 

「えぇ。時間まで暇だったら、少し家でゆっくりしましょう?」

 

ワンッ、ワンワン(くっ、ご主人もご立派になられて)

 

「だな……。一旦じゃあ、レオンくんもいることだし千聖の家に帰るか」

 

「えぇ、そうね」

 

 

 

そうして俺はお昼の時間が近づくまで千聖の家にお邪魔して時間を潰し、食材を買いに行って、ご飯を作ることになるのだが、それはまた別のお話……。

 

「それじゃあレオン。お留守番よろしくね?」

 

「またなレオン」

 

「ワン……?」

 

犬小屋は静かだ。

 

ワンッワンワン!!(俺は結局お留守番かーい!)

 

苦労人、……犬? は今日も元気です。



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四月馬鹿 〜神様の悪戯〜【モカ神様】

春爛漫と桃色の花弁が咲き誇る季節。ここCiRCLEの受付から見えるカフェテラスの奥の方でも沿道に咲いた桜がすでに開花している。俺はカウンターで春眠を貪りつつ……寝てちゃダメだな、予約表とのんびり睨めっこしながらバイトの時間を過ごしていた。

 

「……今日は、4月1日か」

 

4月1日と言えば、そろそろ春休みが終わるなぁ、なんて哀愁を楽しみつつ話題に上がるものがある。

そう、エイプリルフールだ。合法的に、いやまぁ合法的ってもついていい嘘とダメな嘘があるけれども、嘘をついていいという日なのである。今は受付業務をする時間だが、受付業務といいつつも誰も受付に来ないのであればそれは実質的に休憩時間も同然だから、そんな暇の極みのようなしょうもない考えに及ぶのである。

 

「といっても、つく嘘も思いつかないからなぁ」

 

生憎正直に生きてきたもので、絶妙にフランクな嘘なんてのは思いつきそうにない。ジョークとか大喜利とかその手のものもそんな得意では無いし、はてさてどうしたものか。

 

「おやおや……お困りのようですなぁ」

 

「そ、その声は?!」

 

突然CiRCLEのフロントに現れた謎の光。その光球は奇妙な音を発しながら、ユラユラと地面に落ちる。

 

「あたしはモカ神様だよ〜。嘘が思いつかない情弱・白痴の哀れな子羊に悪知恵を授けよ〜」

 

なんか今めっちゃdisられたような気がしたけど、まぁそれでもいっか、なんてつい思ってしまった俺の思考はすっかり毒されているらしい。そして、現れたモカ神様の光はカウンターに座っていた俺の方ににじり寄り、俺の全身を包み——。

 

「って、まぶしっ、んぐぅっ?! んーーー?!」

 

俺の意識は途端に混濁して、闇に落ちていった……。

 

 

 

「……はっ?!」

 

ぼんやりとしていた俺は目を覚ます。一体何が起こったのかとキョロキョロと辺りを見渡すが、特に何かが変わった様子などは無い。強いていうならば俺の視界の右斜め上あたりに先程のモカ神様のような光が。

 

「あっ、おい! モカ神様とやら、なんだよいまの?!」

 

「んー? 今になったら分かるよ〜」

 

「ちょっと雄緋くん?!」

 

「はいっ?!」

 

モカ神様などという胡散臭い神様に文句を垂れようとすると、急に廊下の方からまりなさんの声が聞こえて、身震いした俺は振り返る。

 

「あったかいから眠たくなるの分かるけど、今寝てなかった?」

 

「いやっ?! 勿論寝てません! はい、寝てるわけないですから!」

 

デデーン。

 

「え?」

 

雄緋 OUT

 

「え?! なになに、ぐはぁっ?!」

 

「ええっ?! ちょっと大丈夫?!」

 

「大丈夫……じゃないです……」

 

お尻が……。お尻が……。

謎の力で今お尻にバチコーンって……。いてぇ……。なんとか突然お尻に走った激痛から回復した俺は視界の右端に佇むモカ神様にブチギレる。

 

「おい今のなんだよ?!」

 

「ふっふっふっ。モカ神様は、なんと雄緋くんに、今日一日。『嘘をついたらお尻が謎の力で攻撃される』呪いをかけました〜」

 

「はぁっ?!」

 

「題して、『絶対に嘘をついてはいけないエイプリルフール24時』〜」

 

「悪知恵働いてんのはテメェじゃねぇかぁっ?!」

 

くっそ……。漠然とどんな嘘をつこうかなーとかいうことを考えてたいた頃が恨めしく感じるレベルに面倒なことに巻き込まれてしまった……。

 

「えっと……。雄緋くん? 誰と喋ってるの?」

 

「……え? モカ神様と……」

 

「……頭おかしくなった?」

 

「……いや、嘘です。何も見えてません、独り言でした」

 

デデーン。

 

雄緋 OUT

 

「しまったぁっ?! ぐはぁっ?!」

 

くっそ……。今のはヤバいやつと思われないために必要不可欠な嘘だったじゃねぇか……。俺は悪くないだろ……。

 

「と、とにかくよく分かんないけど、仕事はちゃんとしてよねー?」

 

「はい、すみません……」

 

「それじゃアタシもここらでドロンです〜」

 

あ。視界の端にいたモカ神様がフェードアウトしていった……。全く、とんだ疫病神もいたものである。これじゃあ本当に損なことしかないし、少なくともご利益を求めるべき神様の類ではない。

まぁ……。そうだ、嘘をついたらお尻に攻撃がくるだけなのだから、裏を返せば嘘さえつかなければいい。さっきのまりなさんとのやり取りでついた嘘なんてのはかなりの特殊な例なわけだから、日常生活で嘘をつく機会なんて、しかもバイト中であればそうそうない。というか普段から清廉潔白を売りに生きている人間な訳だから嘘なんてつかない。

 

デデーン。

 

雄緋 OUT

 

「ちょっと待って?! ぐはっ」

 

今喋ってないよね? 頭の中で思考を展開してただけだよね? なんで今攻撃されたの?!

 

『モカ神様からの自分をよく見せようとする愚かな人間への天罰です〜』

 

すでに天罰よりタチの悪い仕打ちを喰らっているのに天罰とはこれいかに。どうやらこのモカ神様とやらはモノローグでさえも隙有らば攻撃しようとしてくるらしい。本当に全くもって厄介である。これは迂闊に嘘を考えることもできない。

そうこうしていると、ヒリヒリと痛むお尻を庇いながら座っていた時に、CiRCLE入口のベルがなった。

 

「……こんにちは。予約してた、Afterglowです」

 

ドアを開けて入ってきたのはAfterglowの5人。……というかモカ? モカ神様? どっちの人格か分からないけど、そのびっくり能力をお持ちのモカ神様にお尻を大変なことにされているというのに、モカはのんびりとパンを食べていて、なんだか恨めしくなった。

 

「はいはい。予約してたスタジオの鍵は……これかな」

 

「ありがとうございます!」

 

「そういえば雄緋さん、今度ラーメン食べに行きませんか! オススメのニンニクたっぷりの濃厚な豚骨ラーメンのお店が出来たんですよ!」

 

濃厚な豚骨ラーメン……。巴の誘いはとても魅力的だが、このパターンはまずいという話は蘭から愚痴で散々聞かされている。なんでも一度誘いになると次からも断りづらくなってそのままの流れでラーメン店を梯子してお腹の容積を越えそうになるとか。それで律儀に相手をし続ける蘭はなんだかんだと言って優しいと思うが、俺には流石にそこまでの根気はない。

 

「あー。最近ラーメン食べたばっかりだから今回は……」

 

デデーン。

 

雄緋 OUT

 

「なんで?! 今のはノーカンだろ、ぐはぁっ?!」

 

「え、ええっ?! 大丈夫ですか?!」

 

今のは……嘘も方便というやつだって……。世渡りの術なのよ……。嘘認定したらダメでしょ……。

 

『絶対に嘘をついてはいけないので、ダメでーす』

 

「……モカが2人いる」

 

「……? モカちゃんは1人ですよー?」

 

「……ぐふ」

 

すでに4発食らって、満身創痍のお尻。Afterglowの面々は完全に不審者を見る目つきで去っていった。その目はかなり心にくるけど……まぁお尻が叩かれるリスクが減ることに関しては万々歳だ。……そうだ、というよりここでもう誰もお客さんが来なかったらその分だけおしりを叩かれるリスクが……。

 

「こんにちはー、スタジオ借りに来ましたー!」

 

ですよねー。元気いっぱいで4人を連れて入ってきた香澄。香澄が来たってことはPoppin'Partyかなと思い、予約リストのついたバインダーに目線を落とす。

 

「……あれ、ポピパの名前ないぞ?」

 

「えぇ嘘っ?!」

 

「香澄また予約ミスったのかー?」

 

「そ、そんなはずは。今日の17:30〜のところに名前、本当にないですか?!」

 

「えー。……あれ、2枚目がある。あ、あったあった!」

 

そのバインダーで表に挟まれていた紙には続きがあって、偶然にもポピパの予約の内容は後ろの紙の方に書いてあったので俺はスタジオの鍵を手渡そうと俄に立ち上がる。

 

デデーン。

 

雄緋 OUT

 

「……え? はっ?! ぐはぁっ?!」

 

「え、大丈夫ですか?!」

 

「……今の跳ね方、ウサギみたい」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないよ?!」

 

そっか……。本当は予約リストにあったのにないって答えたから嘘認定されたんだ。……こんなのシンプルにミスしただけじゃん……。見逃してよ……なんて弱気な口も叩いてしまうわけだが、まぁ文句を言ったところで仕方がない。文句を言って解決するぐらいなら、そもそもこんなクソみたいな茶番劇に参加すらしてないよなぁって。

 

「と、とりあえず……スタジオ空いてるからどうぞ」

 

「はーい! 行こっ有咲!」

 

「だぁっ! 走るなぁ!」

 

もう行った? 行ったよね? お願いします、モカ神様お願いします。もうか誰も来ないでください。バイトとしては失格かもしれないけど、これ以上誰かが来たら俺のお尻は大変なことになってしまいます。

 

カランコローン。

 

絶望を告げる鐘の音。どうあがいたってこの呪いのような企画からは逃れられないのだ……。

 

「雄緋! とっーーーても楽しいことを思いついたわ!」

 

「おぉ……。絶対スケールがデカくてやばいことだと思うけど。それはとにかくいらっしゃい。でもハロハピ予約とかしてなかったよね?」

 

「あ、はい。今日は練習に来たとかじゃなくて、こころが来たいって言ったので」

 

それで5人全員揃い踏みするあたりはさすがと言えば流石らしい。

 

「で、楽しいことって?」

 

「今日はエイプリルフールというらしいわ! 嘘をついていい日なの! 雄緋も嘘をついてちょうだい!」

 

「……えっ?!」

 

それは、やばい。本当にヤバい。スケールが小さくて良かったと言えば良かったんだけど、いかんせんタイミングが最悪すぎる。だって、俺がお尻を守るためにはこの純真無垢なつぶらな瞳の期待を全てドブに捨てるという方法しかないってことでしょ? 俺はそんな畜生にはならない。……なれない。

 

「実は今日、俺ライブするんだ」

 

デデーン。

 

雄緋 OUT

 

知ってた……けど辛いよ。

 

「本当に?! 楽しみにしてるわね!」

 

「やったー! 雄緋くんのライブだ!」

 

「……儚い」

 

嘘つけって言われて言ったのに本当のことじゃないに決まってるじゃん……。そんな目で見ないで……。罪悪感湧いて本当にライブやりかねないから。というか弦巻財閥が本気を出したらガチでステージがセッティングされちゃうから。それは困る。

 

「えっと……ご迷惑おかけしました!」

 

「いいんだよ花音ちゃん……。ハロハピの良心……」

 

3バカに振り回されていった美咲と花音がスタスタとCiRCLEを後にした。結局、こころの考えたとっても楽しいことはエイプリルフールの何だったのだろうか。そんな疑問に思いを馳せていると、またもやあの鐘の音が。あー。……憂鬱。

 

「こんにちは! 雄緋くん!」

 

「今度はPastel✽Palettesか……」

 

もうお尻がスースーする程度には攻撃を受けて悟りを開いているので、この後に起こりうる何かに想像を働かせながら、俺は予約リストに目を通す。あ、ここだな。

 

「そういえば聞いてよ雄緋くんー。彩ちゃんってば、パスパレみんなの嘘、ものすごく真に受けちゃうんだよ?」

 

「だっ、だってあれはみんなの嘘が上手いからじゃん!」

 

「へー。……俺、来月でCiRCLEのバイトやめるわ」

 

「……えぇっ?! 嘘ぉっ?! ……嘘だよね?」

 

俺が心の中で泣きながら吐いた嘘に、泣きそうな表情を浮かべる彩。

 

「うん、嘘」

 

「……って、知ってたよ? 嘘泣きだよっ」

 

デデーン。

 

丸山 雄緋 OUT

 

「ぐはぁっ?!」

 

「いたぁぁっ?! 何今の?!」

 

「アヤさんどうしたんですか?!」

 

「というか雄緋も、何が起きたの今?!」

 

「モカ神様の祟りじゃ……」

 

「モカ……神様? 青葉さんですか?」

 

「分かんなくていいよ……」

 

一体何が起きたのか俺にも理解できなかったが、どうやら今のモカ神様からのお仕置きが、俺のみならず彩にまで行ったらしい。まぁアナウンスで『丸山』って呼ばれてたしな。でもまぁ、アナウンスは他の人には聞こえていないらしいから、彩からすれば本当に突然、訳もわからずお尻に激痛が走るという怪奇現象に襲われたと勘違いしたに違いない。

 

「痛いよぉ……」

 

「彩ちゃん大丈夫ー?」

 

「でもほら、予約時間になったから。歩ける? 彩ちゃん」

 

「頑張る……」

 

「ありがとうございましたユウヒさん!」

 

「……はーい」

 

お尻痛いけどもう痛くない……。何言ってるか分かんないと思うけど、もうすでに10発近く食らっている。ここまで食らうとなんだかね、もうお尻の感覚自体が消え失せて、痛いという痛覚すら無くなってきた。

 

「くっそ……いつまで続くんだ……!」

 

全てはモカ神様の御心のままに……!

 

 

続く……?



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Roseliaの投銭 SHOUT!【リサ&友希那】

特殊タグで遊んでました。リサゆきメイン回ですが、連載中のやつとの温度差で風邪ひきそう。

では本編どうぞ〜。









それは、久しく何も予定の入っていない休日を充実させようと、もとい腫れ上がったお尻を癒そうと(※前回参照)、部屋でとある動画サイトを徘徊している時の出来事であった。俺のスマホの画面には、見慣れないチャンネルの名前が踊っていたのである。

 

「……ん、あれ? 『Roseliaの投銭 SHOUT!』……? 何じゃこりゃ」

 

そのトップに表示される画像は紛れもなく友希那とリサ、紗夜、あこ、燐子が一列に並んでいる画像である。あまりに気になって、俺はそのチャンネルをタップすると、どうやらあと数分後に生配信を行うらしく、完全に興味本位ながら、俺は数分待つことにした。

 

「……おっ、始まった」

 

『Roseliaの投銭 SHOUT!、司会の湊友希那と』

 

『今井リサだよ、よろしく☆』

 

概要欄を見ると、この生放送は定期配信のものらしく、投銭のチャット機能を使って、漫然とリサと友希那がその質問なんかに答えながら話を続けるというシステムのものらしい。同時接続は俺を含めてまだ34人とかしか表示されていないが、まぁ始まったばかりだから、ここから増えていくのだろう。

 

「って、会員限定? 俺そんなの入った覚えないんだけど……」

 

画面中央に踊る優越感を感じさせるような文字の羅列に困惑する。どっからどう記憶を辿ってもそのような記憶には思い当たらない。……だが、やはりこの生放送が気になり、俺の目はその配信に釘付けになった……!

 

 

 

『いつも通りここは恋愛だとかバンドのこととか、何でも相談してくれたらいい枠だから、どしどし投銭よろしくね〜』

 

『早速来たわよ、リサ』

 

R
  

 

RinRin○○○○○○○○○○○

¥500

二人の好きな男性のタイプはどんな方でしょうか。(・・?)

 

『好きなタイプかぁ。友希那は何かある?』

 

『そうね……。タイプ……と言われるとあまりないわね』

 

『そっかぁ。アタシはねー、ヒ・ミ・ツ☆』

 

『……それはずるいんじゃないかしら?』

 

  

 

♪るんっ♪○○○○○○○○○

¥50,000

あたしもおねーちゃんとバンドやりたいんだけど、

誰か変わってくれないかなー? あたしはギターを弾いてるんだけど、

最近もっと刺激が欲しいなー! って思って、だったらおねーちゃんと一緒にバンドをしたら、

もっとるるるるんってするかなーって思ったんだけど、どう思う?

 

『長いわ、もっと短くまとめてちょうだい』

 

『あ、アハハ……。でもお姉ちゃんとバンドをするんじゃなくて、単純にセッションすればいいんじゃないかなーと思うよ』

 

S
  

 

妹がどうもすみません○○○○○○○

¥500

いつもお世話になっています。学校でも妹が迷惑をかけるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

 

『……おや、これは頭がいい人ね』

 

『ほんとだ、文字数制限のことを考えて名前の部分にも文章を打ち込んでるの賢いね〜』

 

『妹、ということは先程の人の姉かしら。とても丁寧ね』

 

『うんうん、それじゃ次行こっか』

 

R
  

 

RinRin○○○○○○○○○

¥1000

2人の好きな男性のタイプはどんな方でしょうか。焦らさずに教えて欲しいです。(´・ω・`)

 

『ほら、リサがちゃんと答えないからさっき質問をくれた人からまた来たわよ』

 

『答えてないのは友希那も一緒でしょ?』

 

『私はそもそもあまり考えたことがないもの』

 

『アタシはその、……は、恥ずかしいから……、つ、次!』

 

R
  

 

R_メッシュ○○○○○○○○○

¥1200

RoseliaとAfterglowだったら、明らかにあたし達の方がオーディエンスを沸かせる能力に長けてますよね。

 

『……ありゃー。ど、どう思う? 友希那』

 

『でもそれってこの人の感想よね? 明らかに、という表現はあくまでも当人の主観の問題に過ぎないわ。Roseliaは頂点よ、決して負けないわ』

 

『あ、アハハ……。と、いうことだそうです、R_メッシュさん。これで良かったかな?』

 

R
  

 

R_メッシュ○○○○○○○○○

¥500

はい? 訳わかんないですし。頂点云々って湊さんの所見ですよね? 何かそういうデータとかあるんですか?

 

『はぁ? 訳がわからないのは貴方よ』

 

『ちょちょちょ! 落ち着きなって!』

 

『……リサ、所見ってどういう意味?』

 

『え、えぇ……』

 

R
  

 

R_メッシュ○○○○○○○○○

¥500

あ、こんな簡単な日本語の意味も分かんないんですね……^ ^

 

『……』

 

『ちょ、友希那も挑発乗ってたらダメだって!』

 

『……リサ、画面が動かなくなったわ』

 

『友希那が怒りに任せて変なところ叩くからでしょ?! も、もぉー!』

 

『あ、直ったわ。とにかく、美竹さん。貴方週明けの学校、覚えてなさい』

 

『だからダメだって! 次行くからね?!』

 

R
  

 

RinRin○○○○○○○○○

¥3,000

恥ずかしがる今井さん、可愛いです……! それから、2人の好きな男性のタイプはどんな方でしょうか。

\\\٩(๑`^´๑)۶////

 

『ほら、めちゃくちゃ怒られてるわよ』

 

『え、えぇ?! というか、褒めてくれて……ありがとうね。タイプというか気になってる人ならいるけど……』

 

『ほら、それを言えばいいのよ。きっと怒りを鎮めてくれるわ』

 

『う、だ、だってこれみんなに聞かれてるんだよね? 恥ずかしすぎるよ……! 友希那も答えないんでしょ? なら次行こ次!!』

 

  

 

漆黒の堕天使○○○○○○○○○

¥500

今度また集まれるときにみんなでNFOのイベントやりたいです!

 

『おっ、いいねぇ。アタシもなんだかやりたくなってきちゃった!』

 

『今度のライブが終わったら、暫くステージに立つ予定がないから、それなら私も構わないわよ』

 

『やった、今から楽しみだな〜』

 

『今度、そのリサの想い人とやらを誘って6人でプレイしましょうか』

 

『ちょ?! 掘り返さなくていいから!』

 

R
  

 

RinRin○○○○○○○○○

¥5,000

勿体ぶらずに今井さんの好きな人をどうか教えてください。(T ^ T)

 

『ほら来ちゃったじゃん!!』

 

『観念しなさいということよ。というより泣かせてしまっているじゃない。最初の文字は?』

 

『……「ゆ」』

 

『2文字目は?』

 

『……「う」……って、これ特定されちゃうダメ! 修学旅行の夜じゃないんだから!!』

 

『恋愛の話もいい枠って自分で言っていたじゃない……。次のチャットに移るわよ』

 

T
  

 

Tu.P.RAS○○○○○○○○○

¥5,000

頂点を目指すと言っていたRoseliaがこんなおままごとをやってるなんてね。聞いて呆れるわ! これなら文句なしにRASがこの時代の天下を取っていると言っても過言じゃないわね!

 

『……なんでしょう。嘘をつくのはやめてもらってもいいかしら? これはおままごとじゃない、自分たちの音楽に対するフィードバックを得るための情報収集よ』

 

『それならアタシの恋愛の話なんだったの……?』

 

『……ごほん。まぁ、Tu.P.RASさんには分からないでしょうけど。さっきのR_メッシュさんのお話を真に受けてしまったのかしら? 嘘を嘘であると見抜けない貴方がこの話について来られるか怪しいけれど』

 

『ま、まぁまぁ友希那も。さっき痛い目見たんだからそのぐらいで……』

 

『根拠も示さずに批判をするだけなんて、情けないわよ』

 

T
  

 

Tu.P.RAS○○○○○○○○○

¥10,000

Huh? Shut up!! 現代文 48点、古文 62点、数学 45点、英語 32点の貴方に言われたくないわ! 悔しかったら勉強することね!

 

『……』

 

『ちょ、だから下手に煽っちゃダメって言ったじゃん!! 確かに友希那はアタシももうちょっと勉強頑張った方がいいと思うけど!』

 

『……勉強をする意味が分からないわ。出来なくても生きていけるじゃない』

 

R
  

 

R_メッシュ○○○○○○○○○

¥500

そういえば『所見』の意味分からなかったですもんね m9(^Д^)

 

『……はぁぁぁ?!』

 

『友希那ストーップ!! 叩いちゃダメ!! 鎮めて! 落ち着いて?!』

 

『……ふぅ……はぁっ。……あら、また画面が止まったわ。リサ、直してちょうだい』

 

『だから変なところ叩くからでしょ?! もぉ……本当に……煽られたらすぐこうなるんだから』

 

『……ありがとう。直ったわね、次のコメントいくわよ』

 

  

 

笑顔を大事に○○○○○○○○○

$1,000,000

みんな争いはやめて、もっともっともーーーっと笑顔になって欲しいわ! 今度ライブをやりましょう!

 

『……ふふっ。そうね。こんなことでいがみ合ってもキリがないものね。貴方のお陰で何か大切なものを取り戻せたような気がするわ。笑顔を大事にさん、ありがとう』

 

『よ、良かった……。友希那も、自分が煽られたらすぐ興奮しちゃうんだから、変に人を煽っちゃダメだよ?』

 

『わ、分かったわよ……。あら、リサ宛にコメントが来てるわよ』

 

『え?』

 

  

 

モカちゃん○○○○○○○○○

¥1041

リサさんバイト忘れてないですか〜? シフトの時間始まってますよ〜。

 

『……あっ?! 忘れてたぁっ?!』

 

『締めはしておくから、行ってきていいわよ』

 

『あ、ありがとう友希那! 行ってきまーす!』

 

『……さて、リサがバイトに行ってしまったわね。私も次の予定があるから、そろそろ今回の枠は終わりにするわ』

 

R
  

 

R_メッシュ○○○○○○○○○

¥200

次の予定ってテストの補講ですか?^ ^○○○○○○○

 

『美竹さん、貴女本当に覚えてなさい』

 

  

 

モカちゃん○○○○○○○○○

¥200

蘭もこの前のテスト、補講だもんね〜。○○○○○○○

 

『……ふっ。それでこそ私のライバルね。……そろそろ今回の放送も締めに入りましょうか。Roseliaの投銭 SHOUT!。次回の司会はあこと燐子とゲストスピーカーで雄緋が担当するわ。また来週』

 

 

 

……終わった。怒涛の勢いでコメントが読まれていっていたので、俺も投げ銭をしようとかと思っていたのに、質問を考える暇すらなく終わってしまった。……質問というか途中から煽り合いが始まったけど。今日も平和だなぁ……。

 

『ゲストスピーカーで雄緋が』

 

『ゲストスピーカーで雄緋が』

 

『ゲストスピーカーで雄緋が』

 

 

『 ゲ ス ト ス ピ ー カ ー で○○○○

○○○○○○○雄 緋 が 』

 

 

……俺がそんな最後の最後に仕掛けられたトラップに気がつくのは来週の土曜夕方5時30分のことだった。



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女タラシの紗夜さん【紗夜×つぐみ&透子&日菜】

それはあまりにも突然訪れた。お天道様が春の訪れを教えてくれるぐらいのある春の日のこと。俺は物凄く静かで、有意義で、充実したお一人様ライフを楽しもうとしていたのだ。

 

バァン!

 

という凄まじい音とともに家のドアが開く。鍵が閉まっているはずなのにドアが開くことに関してはもう何も驚かない。その程度で驚いているようではこの世界において精神衛生的に健康に生きて行くことなんて不可能である。だが、そのドアの開閉音はおよそ通常の状態を保ってはいなかった。

 

「すみません雄緋さん! 助けてください!」

 

「はいっ? どなた、ってどうした紗夜」

 

礼節を重んじる彼女らしくない荒々しい入室に俺は困惑しながらも、息の上がっている彼女に何事かと問う。どうやら走ってここまできたらしく、顔も赤らんで、相当な事態だったようだ。これでは事情を聞くこともままならないか、と思っていたら、紗夜がやっとの思いで呼吸を整えて口を開く。

 

「……実は、追われていて」

 

「追われてる?」

 

俺にとって誰かに追いかけられるとかは日常茶飯事というか、それも日常を彩る1ページというか。そんな程度のものでしかないので、そう焦るほどのものでもないだろうと思っていたが、あまりにも急迫したように見える。鬼気迫る様子で追われていると説明した紗夜は一体どんな凶悪な組織か何かに狙われているのかと思った。

……が、事態は俺の想像の5倍ぐらいはしょぼかった。

 

「日菜と、羽沢さんと、桐ヶ谷さんに……追われています……」

 

「はぁ?」

 

日菜に関してはいつも通りでは、と思ったけど、よくよく考えたらいつも通りにプラス2名だろうと、普通なら別にこんな息が上がるまで逃げることもない。

 

「なんで追われてんの?」

 

「その……お恥ずかしい話なのですが、……浮気と言われてしまって……」

 

「は?」

 

「風紀委員でありながら、そんな社会的良識の欠如にも気がつかなかった私は愚かです……」

 

「えぇ……」

 

もっのすごい反省をされているのは分かるんだけど、訳がわからないよ? 浮気って言ったこの人? まぁ最近色んなガールズバンドの女の子たちをタラシこんでるなぁぐらいは思ってたけど、でもそんな深刻なことにはならないだろと軽く考えていた。でも、それで追われて浮気と言われたならば、この部屋に来て、男の部屋に来ているのはもっと浮気では? 話を軽く聞いたところで未だに状況がさっぱりである。

 

「日菜とつぐみと透子でしょ? それは浮気ではないんじゃない?」

 

「いえ……最初は街で会った羽沢さんと出かけるという話になったのですが、そこに偶然居合わせた桐ヶ谷さんにギターを教えてくださいと泣きつかれ……。そこを日菜に目撃されたものですから、『あたしにも教えてー!』なんて言われまして……」

 

「あぁ……。大変だったな……」

 

同時に3人と遭遇して、各々から引っ張りだこになったというわけか。たまたまその場所に4人が居合わせる確率というのは相当低そうだが、そうなってしまったのであればまぁ仕方がない。それはそうとして、なぜ紗夜が逃げるような状況になっているのか。

 

「それなら、最初につぐみと会ったんだから、つぐみを優先すれば良かったんじゃ」

 

「その……選ぶのは、可哀想じゃないですか。羽沢さんを優先したら桐ヶ谷さんと日菜を蔑ろにしてしまう気がして」

 

「え、えぇ……」

 

「し、仕方ないじゃないですか! 普段はおちゃらけた桐ヶ谷さんが私にギターを教わる時は熱心に指の一本一本にまで力を込めて、難しかったフレーズが上手くいったらあんなに可愛らしい笑顔をこちらに向けてくるんですよ?! 日菜だって以前こそ粗雑に扱ってしまうこともありましたが、『おねーちゃんおねーちゃん!』と慕ってくれる妹はやっぱり可愛いもので……。も、もちろん羽沢さんだって可愛いところあるんですよ?! 日菜がいつも迷惑をかけていないか心配で、かと思えばカフェでも熱心に働いて……そんな健気で可愛らしい後輩が慕ってくれるのは嬉しいのですが、そんなの選べるわけないじゃないですか!」

 

逆ギレされても……。めっちゃ早口で説明されたけど、とりあえず言いたいことは。

これは浮気です。完全に浮気です。どうみても浮気です。本当にありがとうございました。順番が順番だったとはいえ、つぐみも透子も日菜もこれは怒っていいよ。

 

「……で、擬似トリプルブッキングみたいになって浮気だと泣かれたと」

 

「……はい」

 

「で、そっからなんで追われることになってんの?」

 

「ギターを教えてという桐ヶ谷さんと日菜、それからつぐみさんとのお出かけ、どれを優先するのかと詰め寄られまして」

 

「え、それで逃げたの?」

 

「はい……」

 

ラブコメやんけ! 羨ましい……。じゃなくて、なぜ逃げたのか。そこは流石に誰かを優先するのが忍びないとしても順番に回るとかするなりあったろうに。絶対に逃げたからそんなややこしいことになってるんでしょうよ。

 

「と、いうわけで匿っていただ「いたよおねーちゃん!!」日菜?!」

 

「窓?! って、え、ちょおい俺を引っ張って行くなよ?!」

 

「あーー! おねーちゃんが雄緋くんも連れて行こうとしてる!」

 

「紗夜さん! 浮気なんて悲しいですよ?! あたしたちをほっぽって男に行くんですか?!」

 

修羅場じゃねーか! というか匿うのは100歩譲って分かるとして、なんで俺を連れて逃げたの? そんなことしたら確実にその3人から果てしない恨みを俺までついでに買うことになるんですけど? って言いたかったけど、既に命の危機に瀕して逃亡を図る紗夜に引きずられるまま俺は家を飛び出す。

 

「待ってください紗夜さん! 一緒に買い物に行こうって話してたじゃないですか!」

 

「ご、ごめんなさい羽沢さん! 私には選べません……!」

 

「いやそれは行ってやれよじゃなくて俺を巻き込むなぁーーー!」

 

かくして、俺と紗夜の逃避行が始まった……!

 

 

 

「とにかく逃げます! それしかありません!」

 

「逃げるったってどこに?!」

 

「知りません!!」

 

勝手に俺を巻き込んでおきながら、そんな無責任なことをほざく紗夜。そんな2人の足は商店街の方に向かっていた。

 

「商店街……?」

 

「ここなら皆さんの目を掻い潜れそうですかね……?」

 

「人もいっぱいいるしな……ん?」

 

人をかき分けて商店街の中でも人通りの多い、交差点のあたりに来た俺は目を凝らした。何やらこちらに向かって走ってくる人影が、あ。

 

「見つけましたよ紗夜さん!」

 

「羽沢さん?!」

 

そうか……。よくよく考えればここはつぐみにとってはホームグラウンド! くっ、どうするんだ?!

 

「買い物に行くって話をしたじゃないですか……!」

 

「そ、それは……」

 

「紗夜もなんで行ってあげないんだ?」

 

「わ、私だって羽沢さんとの買い物は楽しみにしていましたよ?」

 

「なら!」

 

「で、ですが……ギターが上達せずに困っている2人を捨て置くわけには」

 

「さ、紗夜さんの浮気者ぉっ!」

 

つぐみ泣いちゃってるんだけど? 俺はこの状況に居合わせてどうすればいいんだ……。あの、みなさんここどこか覚えてます? 商店街のど真ん中もど真ん中よ。つぐみが今大声で叫んだから明らかにこの集団は触れたらいけないという雰囲気が出て、俺たち3人の周りだけスペースが出来ました。野次馬も大量に集まっている。しかも、この状況で『浮気者!』なんて叫ばれたらだぞ? 俺がつぐみの恋人で紗夜に浮気したみたいな構図に見えるじゃん? どうしてくれんだ……。

 

「おい貴様……」

 

「……え?」

 

「つぐみちゃんは商店街の宝なんだが? ……そんな可愛い子がいるにも関わらず浮気したのかぁーーー?!」

 

「うわあああ違うんですぅぅっっ! ほら勘違いされたじゃん! 逃げるぞ紗夜ー!!」

 

「は、はい!」

 

「待ってください紗夜さん!」

 

商店街の大人たちを敵に回した俺はどうすればいいんだ……。それはさておき、最早戦場と化した商店街に居座ることなんて出来ず、思わず紗夜を連れて逃げてきてしまった。冷静になって考えると俺が紗夜を伴って逃げる意味はまるでなく、紗夜だけつぐみに任せれば良かったのに。……やっちまったぁ。

 

「紗夜とかのせいで俺これからもう商店街利用できなくなったんだけど。……っておい、なんで顔赤くしてんの?」

 

「私が浮気相手……。興奮しますね」

 

「正気に戻れ」

 

「あっ、紗夜さんはっけーーーん!」

 

「なっ?!」

 

背後から殺気……! 振り返るとそこには大きく手を振ってこちらに駆けてくる透子。

 

「探しましたよ紗夜さん! ギターを教えてください!」

 

「ほら、言われてんぞ紗夜。教えてやれよ、早く」

 

「な、なんだか雄緋さんの私の扱いが段々適当になってきている気が……」

 

何をおっしゃいますか、そらそうよ。ここまで巻き込んでおいて通常の取り扱いをしてもらえると思うな。

 

「桐ヶ谷さんに教えてあげたい気持ちはやまやまなのですが……」

 

「じゃあ良いじゃないですか!」

 

「私には……日菜が……」

 

「や、やっぱり……! 紗夜さん、浮気なんて酷いですよ!」

 

「す、すみません」

 

……この流れ、デジャブか? この女性2、男性1の状態での浮気に対する詰りはまず間違いなく男の方に飛び火が行くんだよ。

 

『浮気……? 浮気だって……』

 

『あの男かしら。サイテー……』

 

『修羅場じゃん。撮ってアップしよ』

 

ほらこうなった。

 

「日菜さんに教えるのは家でも出来るじゃないですか! あたしとじゃダメなんですか?!」

 

「そ、そう言われてしまうと」

 

「あ、いたー! おねーーーちゃん!!」

 

街中のあらゆる雑音をかき消すほどの大声で紗夜を呼んだのは、間違いなく紗夜の妹で。

 

「日菜?! ど、どうしたの?」

 

「どうしたもこうしたもないよ! 追いかけたら雄緋くん連れて逃げちゃうし……」

 

「そ、そうですよ! 紗夜さんはあたしたちじゃなくて雄緋さんを選ぶんですか?!」

 

『よく分かんないけど、三股ってこと?』

 

『うっわサイテー』

 

俺の社会的評価死んでない? いやもう、ここまでなった以上どうにもならない気がしてならない。それはそうとして、最初はつぐみと透子と日菜の3人で浮気者だという話が始まっていたはずが、紗夜が俺を連れて逃げたせいで完全に浮気の対象相手が俺になった。本当に万引きの冤罪を押し付けられたような気分なんですけど。

 

「雄緋さんを選んだわけでは……。わ、私だって桐ヶ谷さん、日菜にギターを教えてあげられるなら、してあげたい気持ちはあります!」

 

「どうしてそれで雄緋さんを選ぶんですか?!」

 

「そうだよおねーちゃん! ずるい!」

 

「羽沢さんや桐ヶ谷さん、日菜の中から選ぶのは他の人との差が不公平ですから……」

 

「俺を選んだら、つぐみも透子も日菜も可哀想にならない? それ」

 

「……コラテラルダメージというやつです」

 

致し方ない犠牲。

 

「ぶーぶー。雄緋くんばっかりおねーちゃんを独占してずるい!」

 

「そうですよ! ついでに言うなら雄緋さんを独占して紗夜さんもずるいですって!」

 

「どっちかハッキリしろよ……」

 

お前らの目的は紗夜じゃないのか……。そんな恨言を吐いてもまるで埒が明かない。俺の優雅なお一人様タイムも、紗夜とつぐみのお買い物タイムも、紗夜と透子のギターのレッスンも、紗夜と日菜の姉妹水入らずタイムも、それら全てが犠牲になりかねない。ここいらで流石に決着をつけて欲しい。

 

「あ、紗夜さんいた!」

 

「羽沢さんまで……」

 

遂にさっき逃げ切ったばかりだったつぐみにも追いつかれ、浮気の当事者たちが一堂に会する。いや俺は当事者ではなかったんだけども。

 

「さぁ、紗夜さん! 選んでください!」

 

「あたしと一緒にギターを弾くか!」

 

「いっぱいいっぱいるんってするか!」

 

「私と一緒に、お買い物に行くか!」

 

「「「どれ?!」」」

 

「わ、私は……」

 

水を打ったように辺りが静まり返る。世界中の空気が流れを止めたように物音一つしなくなる。3人の視線は紗夜の口元へと注がれ、その神経は紗夜の唇がなす空気の波にのみ集中していた。

 

 

鳥は囀りを止め。

 

 

人は呼吸を止め。

 

 

空気は凍りつき。

 

 

地球は回転を止めた。

 

 

紗夜が。

 

 

答えを。

 

 

「……や、やっぱり決められません! 雄緋さん逃げましょう!!」

 

「はい?!」

 

出せなかった。

紗夜は、優柔不断で。

天然ジゴロだった……。

 

「この浮気者ーーー!!」

 

「待ってください紗夜さん!」

 

「本当に上手くならなきゃルイに怒られるんですって!」

 

「皆さん、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

「謝るぐらいなら俺を巻き込むなぁ?!」

 

後日、商店街の掲示板には『WANTED』と銘打たれて顔写真が掲載されていました。紗夜、許すまじ。やはり彼女はタラシでした。



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ユウヒ会談【ボーカル組】

たかっちゃ様からのリクエストを基にした作品です。リクエストですありがとうございました。






「ゴホッゴホッ……風邪かな」

 

朝起きたばかりの俺は、止まらない咳に苛まれていた。体温からして熱があるというわけではないものの、どうにも体が怠く、痰が絡む。咳が止まらない辺りも見ると、春先ということもあり、季節の変わり目で風邪を引いてしまったのかもしれない。とりあえずこの酷い咳をどうにかしないことには始まらないと思い、俺は薬箱からそれらしい薬を飲む。

 

「あー、これだな……」

 

水と一緒にその錠剤を飲む。

 

次に目が覚めると。

 

体が縮んでしまっていた! え、何これ? 部屋に置いてある姿見を見るとそこに身長が1mにも満たないぐらいの俺がいた。あれ? 熱でも出て幻覚見てる? いやでも、ほっぺをつねると痛い。

 

「なんで、ちいさくなった?」

 

ん? というか自分の話し振りを自らの耳で聞いていてもやはり辿々しい。え、もしかして本当に俺。

そんな時、床に落ちていた瓶を見つける。これは、間違いなく俺が風邪薬として飲んだやつで。

 

『幼児化薬 効能:大体3歳児程度まで生理機能が低下、(株)弦巻製薬』

 

……あの弦巻財閥め。俺はまんまとしてやられたというわけか。弦巻印の薬を飲まされたということか……! まずい、これは大変まずいぞ。クッキーの時も散々な目を見たからな。

 

ピンポーン。

 

……まずい。誰かが来た。居留守を使おうと思ったが、無情にも俺の家のドアの鍵はフリー素材なので、容赦なく開いてしまう。誰が来た?

 

「おっじゃましまーす!」

 

「ほ、本当にいいんですか香澄さん」

 

「心配しなくてもいつも私、侵入してるから大丈夫だよ!」

 

「それ全然大丈夫じゃないんじゃ……」

 

廊下から聞こえてきた声に俺は震え上がる。そして、リビングに通じるドアが開き。

 

「……あれ、誰かしらこの子?」

 

「かなり小さく見えますけど、これって」

 

「あら、雄緋よね? どうしたの」

 

「ば、ば、ばぶぅ」

 

間違えた。もう頭の中が完全に思考停止してしまって、本来紡ぎ出せるはずの言葉が何も出てきません。やばいどうしようという考えばかりが先行して、もう何を話せば良いのかさっぱり。

 

「わ、わぁぁぁ可愛い! よしよーし!」

 

「はなせ! やめろ!」

 

「え、え、本当に雄緋くん?!」

 

「そうだ!」

 

「なんで小さくなったのかしら?」

 

「おまえのところの、くすりのせいだ!」

 

「あ、あの、これじゃないですか?」

 

レイヤが拾い上げたのは俺が小さくなった元凶。この際この家にナチュラルに侵入したことについては一切咎めないから(というより割と普段から侵入されてるから)、とにかく俺を元に戻してくれ……。

 

「幼児化薬……? そんな薬があるのね」

 

「初めて聞いたんですけど……。それ、元に戻るんですか?」

 

「で、でも。元に戻らなくても……可愛い!」

 

「そうですよ! 全人類が愛でるべきですって! ね、彩先輩!」

 

「え、う、うん! 全人類愛でるべきだよ、うん!」

 

後輩の言葉をオウム返しする彩ちゃんェ……。いやまぁ、そんなことはどうでも良いんだ。重要なことじゃない。今重要なのは流れが変わったというか、俺が危ないという予感がするということだ。つまりどういうことかというと。

 

「なんか……可愛がりたくなりますよね」

 

「どういうことだよ!」

 

「あの雄緋さんも小さい頃はちょっと生意気な感じなんですね……」

 

「しつれいだな!」

 

「ませてるだけじゃないかしら?」

 

「でも、それはそれとしてどうするんですか? これ」

 

「あ、ならPoppin'Partyでお世話するよ! 沙綾とか小さい子の扱い慣れてるし!」

 

「待ちなさい、それは見過ごせないわ」

 

「おいまて、おれだってそんなのごめんだぞ!」

 

お世話される? そんなの冗談じゃない。こいつらにお世話なんざされてしまえば俺の身がどうなるか分かったものじゃない。最悪『ばぶーきゃっきゃ』とか俺が言っていてもおかしくないからな。だが、俺のそんな必死の抗議など聞き入れられるわけなく。

 

「話は聞いたよ! 議論で決着をつけるしかないみたいだね!」

 

「まりなさん?!」

 

突如部屋に現れた我が上司。いやまじでどっから来た、とかそんな疑問が解決するよりも前にかの上司はこの混沌を沈めようと動いたのだ。

 

 

 

 

ユウヒ会談 議事録

 

4月某日

@都内某所

 

議長:月島まりな

出席者:戸山香澄、美竹蘭、丸山彩、湊友希那、弦巻こころ、倉田ましろ、和奏レイ

 

 

 

月島「ただいまから、北条雄緋(3歳)の処遇を決めるガールズバンド間会議を開催いたします! 意見がある方は挙手して発言してください」

 

戸山「はーい! 私から! さっきも言ったみたいにうちには小さい子の扱いに慣れた沙綾がいるから私たちポピパでお世話すれば良いと思います!」

 

湊「意義あり。小さい子の扱いに慣れているだけならうちだって、1人だけ歳下のあこをいつもお世話しているわ。Roseliaこそ適任よ」

 

美竹「それは本当に適任なんですか?」

 

湊「何かしら美竹さん」

 

美竹「それだとあこだけを下に見るようで、チームワークに欠けるのでは? その点あたしたちならチームワークは抜群です」

 

和奏「そうですよ! それにお世話だけなら私たちもパレオがチュチュのお世話で慣れているはずです!」

 

湊「くっ……」

 

丸山「ま、待って! 小さい子のお世話ならそう、私たちパスパレこそ向いてるよ!」

 

湊「苦し紛れの意見ね。どこにそんな要素があるというの?」

 

丸山「うっ、そ、そうだ事務所! うちの事務所なら託児所があるし! プロの人に見てもらえるんだから安全!」

 

弦巻「あら、ならあたしの家なら専属の黒服さんがつくわよ?」

 

丸山「むむむ……」

 

倉田「な、ならMorfonicaはどうですか?」

 

戸山「えー、なんで?」

 

倉田「う、うちにはるいさんがいます! るいさんとか子ども育てるの上手そうじゃないですか?」

 

戸山「……確かに、貫禄がありすぎて母親になってるというか」

 

湊「まって、それならリサだって適任じゃない。なんたって慈愛の女神よ? 適任よ」

 

美竹「適任適任って、それ以外の日本語知らないんですか?」

 

湊「なんですって?」

 

—— 音声識別不能 ——

 

月島「ストーーーップ!」

 

和奏「……スタップ?」

 

月島「それは細胞! じゃなくて、このままだと何にも話進まないから! 一旦議論を整理しよう!」

 

倉田「整理って言ったって……」

 

月島「まずは各バンド毎にプレゼンをしてもらいます! 幼児化した雄緋くんを任せるに値すると思うポイントを挙げてください!」

 

(7人が各々のバンドの特徴等をまとめる)

 

月島「みんなできたー? じゃあポピパからよろしく!」

 

戸山「はーい、ポピパはやっぱり沙綾! じゅんじゅんとさーなんのお世話で小さい子のお世話は慣れてる! それから有咲もなんだかんだ面倒見がいい、ツンデレだけど!」

 

月島「なるほどね……。推しポイントは2つと。Afterglowは?」

 

美竹「あたしたちは5人で協力して子育てできますから。チームワークは抜群だし、誰か1人に辛い作業を押し付けるとかが起きないから、子どもにとっても良い環境だと思う」

 

月島「ふむふむ……。パスパレは?」

 

丸山「は、はいっ。私たちが忙しい間は事務所に預けられるし、日菜ちゃんに任せておけば多分大体のことはなんとかなるよ! 千聖ちゃんや麻弥ちゃんもしっかりしてるしイヴちゃんも優しい!」

 

月島「じゃあ次は、Roseliaかな?」

 

湊「Roseliaは子育て界隈でも頂点を目指すわ。いつも私を完璧にお世話してくれるリサにかかれば雄緋のご飯のお世話もお着替えもお遊戯もお茶の子さいさいよ」

 

月島「えっーと、ハロハピは?」

 

弦巻「専属の黒服さんが24時間警備してくれるわ! あたしたち5人の力があれば雄緋をずーっと笑顔にしてあげられるし、何より元に戻す薬が出来たらすぐに戻せるわよ!」

 

ゆーひ「そうだよ、くすりだよ! はやくつくれ!」

 

月島「はいはい、赤ちゃんは静かにしててねー! 次はMorfonicaかな?」

 

倉田「えっ、え、わ、私は力になれるか分からないですけど……。つくしちゃんとかいっぱい妹とかいるし、ルイさんはお母さんみたいだし……。だから、えっと、いいと思います!」

 

月島「うーん。なるほどね? 最後はRASだね」

 

和奏「チュチュのマンションなら雄緋さんをお世話するスペースも設備も揃ってますし、みんなじゃじゃ馬の集団を一つに持っていった経験を活かして、やんちゃ気味な雄緋さんをしっかりお世話できると思います」

 

月島「な、なるほど。……うーん、難し」

 

ゆーひ「ちょーーーっとまった!」

 

月島「んー? どうしたのかな、雄緋くん?」

 

ゆーひ「さっきからだまってきいてたら、さんざんおせわおせわって、じぶんのことぐらいじぶんでできるっての!」

 

(一同沈黙)

 

ゆーひ「な、なんだよ」

 

戸山「強がっちゃって可愛いー!」

 

美竹「本当に、悪くないというか、飼いたい」

 

丸山「え、え、可愛いー! なでなでしてあげるね!」

 

ゆーひ「だーーーー!! がきあつかいするなー!!」

 

—— 音声識別不能 ——

 

和奏「ダメだよ、みんなに迷惑かけちゃ」

 

ゆーひ「れ、れいや?」

 

和奏「みんな雄緋さ……雄緋くんのことを心配してるんだから、ね?」

 

ゆーひ「れいやまま……」

 

倉田「雄緋さんが堕ちた?!」

 

弦巻「すごいわ、これが母性ね!」

 

戸山「レイヤちゃんばっかりずるいよ! 私もハグしてあげる!」

 

湊「そんなにみんなで囲んではかわいそうよ。雄緋、こっちに来なさい」

 

ゆーひ「やだ!」

 

湊「なっ?!」

 

美竹「残念でしたね、湊さん」

 

—— 音声識別不能 ——

 

ゆーひ「じゃなくて、みんなそろいもそろってがきあつかいすんなよ!」

 

倉田「可愛がってるだけじゃ……」

 

ゆーひ「それががきあつかいっていってんの!」

 

弦巻「3歳で反抗期というやつかしら?」

 

湊「そんなに早い反抗期、聞いたことがないわね」

 

ゆーひ「せいしんねんれいはだいがくせいなんだよ!」

 

丸山「精神年齢なんて言葉知ってるんだ、偉いね、よしよし!」

 

ゆーひ「まるやまァ!」

 

月島「うーん、結局のところ、雄緋くんはどうされたいの?」

 

ゆーひ「どうされたいもなにもおせわなんてされたくない!」

 

月島「えー、この意見に賛成の人は挙手を」

 

(一同沈黙)

 

月島「賛成0、反対7。よって全会一致で否決です!」

 

(拍手喝采)

 

ゆーひ「ふざけんなよ!」

 

月島「えーでも多数決で決まったことだし……」

 

ゆーひ「ぼうりょくだ! しょうすうはをひていするな!」

 

戸山「よーしよしそんな難しい言葉知っててえらいねぇ♪」

 

ゆーひ「だぁぁぁぁ!! ごほっごほっ」

 

湊「叫びすぎたら喉を痛めるわよ? お水を飲みなさい」

 

ゆーひ「ありがと……ごくごく」

 

弦巻「お礼を言う時は相手の目を見て言うのよ! そうしたらもっと気持ちよく笑顔になれるわ!」

 

ゆーひ「ようちえんかよ! なぁ!」

 

月島「あちゃー。議論が紛糾しちゃったなぁ」

 

ゆーひ「ふんきゅうもなにもおれのいけんがんむしするからだろ!」

 

月島「もういっそのことこれから持ち回りでどこが1番上手くお世話できるか試してみる?」

 

ゆーひ「もういいもん……」

 

倉田「あっ拗ねた……」

 

ゆーひ「……おせわってなにされるの?」

 

戸山「ポピパに来たら一緒にキラキラドキドキしようね!」

 

美竹「Afterglowなら……6人で夕焼けを眺めたり、とか?」

 

丸山「あ、折角だからパスパレの衣装着て写真撮影しよっ!」

 

湊「6人目のRoseliaとして練習に励んでもらうわ」

 

弦巻「ハロハピでミッシェルの付き人なんてどうかしら!」

 

倉田「え、Morfonicaに来たら、テスト対策の勉強会とか……」

 

和奏「うーん、RASで一緒に音楽作ってみるとか?」

 

ゆーひ「どれもおせわとかそーいうのじゃない!」

 

月島「あ、CiRCLEのシフトの時間増やしてもいいよ?」

 

ゆーひ「ろうどうはくそ!」

 

戸山「よぉし、わかった!」

 

美竹「何か良い案でも思いついたの? 香澄」

 

戸山「雄緋くんをみんなが平等にしっかりとお世話できるようにルールを作ろう!」

 

弦巻「それは良い案ね! 早速作りましょう!」

 

ゆーひ「は?」

 

月島「はい、採決を取ります! 賛成7、反対0、棄権1の賛成多数で決定!」

 

ゆーひ「なにが?!」

 

 

 

我々、ガールズバンド一同は、ここに、雄緋条約の締結を宣言する。

 

 

雄緋条約

 

第一条 この条約は北条雄緋に適切なお世話を施すことを目的として締結される。

第二条 この条約を批准するいかなるガールズバンドも抜け駆けをしてはならない。

第三条 この条約を批准する全てのガールズバンドは北条雄緋を全力で愛でなければならない。

第四条 この作品はフィクションである。

 

Poppin'Party○○○○○○○IKasumi Toyama

Afterglow○○○○○○○○LRan Mitake

Pastel✽Palettes○○○○○LAya Maruyama

Roselia○○○○○○○○○NYukina Minato

ハロー、ハッピーワールド!Kokoro Tsurumaki

Morfonica○○○○○○○○IMashiro Kurata

RAISE A SUILEN○○○○○IRei Wakana



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花より太鼓【ドラム組】

「雄緋さん! お祭りしませんか!!」

 

勢いよく蹴破られたうちのドア。そろそろ壊れるんじゃないかと思うぐらい粗雑な扱いを受け続けている不遇なドアだが、それは俺が住んだが運の尽き。そんなボロボロのドアから姿を現したのは、どこぞの幼馴染集団の姉御肌だった。

 

「おう巴、ドアは優しく扱え。それはそうと何だって?」

 

見る限りドアの損傷は平常運転として置いておき、巴の発言をもう一度問いただす。

 

「お祭りですよお祭り!」

 

「……何故?」

 

なんかあったっけな今日。別段何かしらの催し物をやるとかそういった趣旨の話は何も聞いていないのだが。

 

「今って桜が満開じゃないですか」

 

「え? あー、そうなの?」

 

「というわけでお祭りしましょう!」

 

「論理関係すっ飛ばさないで?」

 

だから桜が満開→お祭りの流れが理解できないんだよな。

 

「花見ってこと?」

 

「お祭りです!」

 

「何の?」

 

「桜を見る祭りです!」

 

「花見じゃねーか! ごほっごほ……」

 

叫んだ拍子に思い切り気管支に痰が絡まり咳き込んだ。数日前どこぞのぱちものの薬のせいで体が縮み挙げ句の果てにはボーカルの面々から飼育(意味深)お世話されそうになったものだからな。すっかり体が鈍り、精神的にも限界を突破して悟りを開いたのである。

 

「え、大丈夫ですか?!」

 

「大丈夫だ、問題ない。ちょっと……この体に戻ってから体が慣れなくてな」

 

「……うわぁ」

 

「……何だよ?」

 

「その歳で厨二病は痛すぎるので身の振り方考えた方が良いですよ……」

 

「ちげーよ!」

 

ドン引きされたけど、厨二病故の化身モードとかそんなんじゃなくて事実なんだよって説明してやりたい。絶対信じてもらえないからもう諦めるけども。

 

「で、その花見か祭りか知らんが。いつやるの?」

 

「今でしょ?」

 

「違う、そうじゃない。何日にやるのかって聞いてんだよ」

 

「今日です!」

 

「今からじゃねーか!」

 

偉大な先生方の名言はまさに今この状況を的確に表現していた。俺はそんな巴に連れ出されるがままに部屋を出る。部屋の前ではあこが既に待機していた。

 

「お、姉妹揃っていたんだな」

 

「そうだよ!」

 

「お、そうだあこ。雄緋さんが漆黒のパワーで変身したからこの体に慣れてないみたいなこと言ってたぞ」

 

「え、え、え?! どうやって目覚めたんですか?! 教えて!!」

 

「ややこしい説明やめろぉ!!」

 

今日も喉が痛い。

 

 

 

そんなわけで宇田川姉妹に連れられた俺は商店街に程近い公園に向けて移動した。4月になってからというもの、急激に気温も上昇して、少し歩いただけでも額には汗が浮かぶ程度の頃合いになっていた。

 

「ゆーひなんでそんなキョロキョロしてるの?」

 

「商店街と今折り合いが悪くてな」

 

「あー、指名手配されてましたね、なんか」

 

「なにそれカッコイイー!!」

 

「かっこよくねぇ!」

 

不名誉オブ不名誉だよ指名手配とか。それも世紀の大泥棒とかでお尋ね者になってるとかならまだ悪名高い方で有名になってるというか、漫画とかアニメの主人公になれそうな指名手配ならまだしも、俺の罪状浮気(冤罪)だからな。下衆オブ下衆なものでかっこよさはかけらもない。

 

「それでずっとアタシの陰を歩くみたいに変な歩き方してるんですね」

 

「商店街の方にバレたら俺はいよいよ骨を埋めることになるからな」

 

ただでさえ買い物をする場所の候補が減り、人の目が恐ろしさを増しているのに、さらに恨みを買った末路だなんてそれだけはごめんである。というか巴の近くにいるのもそれはそれで勘違いされてさらに過激派の暴動を引き起こしそうだが。

 

「そういうわけだから早く公園に行きたいんだけど」

 

「あ、もう着きますよ?」

 

そんな会話を挟んで住宅街の角を曲がると、そこそこ広めの公園が現れる。公園に生える木々は緑に溢れ、公園の中央には大きな桜の木が鎮座していた。桜の花びらの房にはまっすぐ伸びた陰がその色味をさらに深くしていた。なるほど、ここで、祭りを開こうというわけか。

 

「で、花見って」

 

「祭りですって!」

 

「なんでそんな頑なに祭りに拘るんだよ!」

 

「ソイヤッって叫べないでしょ?」

 

訳がわからないよ。……昔の偉い人はこう言っていたらしい。分からないものはわからない。理解を放棄せよと。

 

「……もういいや。花を見るって、他に準備とかないのか、弁当とか」

 

「さーやに頼んで今パンを持ってきてもらってるんだよ!」

 

「……後で商店街に磔にされないかな俺」

 

「え?」

 

「こっちの話だ。……で、もう一つ、もう一つだけさ、あと巴に聞きたいのは、あれ何?」

 

もうね、さっきからツッコミが追いつかないんだわ。さっき桜が陰に入ってるとか言ったけど、それどういうことかというとですね。

なんか物見櫓みたいな構造物が公園の中に建築されております。

 

「あれは太鼓用の台です! 麻弥先輩とマスキが作ってくれてるんですよ!」

 

「あ? 太鼓? というかドラマー主催なの? これ」

 

「たまたま集まったメンバーがドラムばっかだったんですよね、お、麻弥先輩たちも来た」

 

桜の木の1番上よりも高い物見櫓からワイルドに飛び降りた麻弥がこちらに気付いたのか手を振って駆け寄ってくる。その手には工具やらが握られていて、どうやら本当にあの櫓は自作のものらしい。

 

「こんにちは雄緋さん! 雄緋さんも参加するんですか?」

 

「参加するしないの選択肢がなかったからね」

 

横目で睨むがどこ吹く風。ここまで来たのだから乗り気になる以外の選択肢は取りようがないのだが、強制連行の実行犯にこの態度を取られるのは話がまた別である。

 

「というかあの櫓すごいな、自分たちで組んだのか?」

 

「はい! キングも手伝ってくれましたから早く終わりましたよ!」

 

「そんな、麻弥さんに比べたら私なんて」

 

マスキの麻弥を見る目は完全に憧れを超えたそれである。そもそも俺のような常人からすればそこそこ立派ななりに見えるその櫓を2人の力で組み上げたことがまず偉業なのであるが。

 

「それに工具とか建材もしっかり用意されてましたし、簡単でしたよ?」

 

あっ(察し)。この世には知らなくていいこともある。不思議な力なんてものはごまんとある。つまりそういうことだ。

 

「あはは……。メンバーはこの5人だけなのか?」

 

「あれぇ? かのんとつくしもいたよーな?」

 

「あ、花音さんとつくしなら小道具類を買いに行くって、商店街の方に行ったぞ?」

 

「え?」

 

花音を? いやまぁつくしもいるのは分かってるけど。絶対にそれ、所謂死亡フラグというやつでしかなくて。いやいやでもまさか、そんな予定調和な'go back to the future'な展開など、ありえない……と思いたいが。誠に残念だが俺からすれば、今のそれは迷子の2文字を連想する他なく。

 

「……雄緋さん。それって」

 

「……うん。多分」

 

起こるべくして起こる、これだって謎の力の一つなのだが、迷子という名の確定イベントは巴も予感づいたらしい。そんな折、風と一緒に舞う花びらに紛れて、駆ける音が聞こえて来る。

 

「みんな、大変だよーーー!」

 

公園の入り口の方から聞こえて来る大きな声は、急いでここまで来たことを示すような不規則な呼吸の音にせめぎ合いながら、その声の主とともに辿り着く。

 

「さーや!」

 

「とりあえずこれ、パンね。それで、花音先輩とつくしが」

 

「……迷子?」

 

「そうなんです!」

 

「遭難です?」

 

「つまんないこと言ってる場合じゃないですって!」

 

いや本当にね、我ながら口に出してすぐそれどころじゃないなと思ったし、敢えてこのタイミングで言うほどの洒落でもなかったって反省したよ。それはそうと、懸念していた嫌な予感なるものはやはり当たるものらしい。俺はここに呼ばれたことの意味を、予期しない形ながらも自覚した。

 

「……探しに行ってくるわ」

 

「あ、私も一緒に行きます!」

 

「……え?」

 

「え、ダメでした?」

 

……よーく考えよう。俺、これから、商店街、行く。隣、沙綾、いる。沙綾、商店街の、育ち。

これから起こりうる全てを察した俺は、時間が惜しいと思いながら走り出す。沙綾もついてくるが、俺はこの悲しい事実を伝えてあげないといけない。

 

「二手に別れて探そう、そうしよう」

 

「え? 一緒じゃダメなんですか?」

 

「石投げられたい?」

 

「指名手配のこと気にしてるんですか? 大丈夫ですって!」

 

「俺のメンタルが大丈夫じゃないんだ……!」

 

道路を全力疾走する俺の、自らの近い将来の苦を憂う涙は風のように流れていく……というのは大袈裟だが、心は泣いている。沙綾は優しいからそんな風に俺を励ましてくれるが、商店街のおっちゃんたちからすればそんなもの関係ない。片っ端から女の子に手を出す(冤罪)俺は絶対悪である。

 

「私はその……勘違いされても、いいですよ?」

 

「俺が生活できなくなるんだって!」

 

主に行動範囲的な意味で。ガールズバンド各所との問題ではないのだ。無念。

 

「……ほんと鈍感だし唐変木」

 

「え、なんて?」

 

全力で街を駆け抜ける俺の背中を追う沙綾がボソリと何かを言ったのだが、走りながらだったためよく聞き取れなかった俺は聞き返した。

 

「指名手配されて当然だなって、言ったんですよ!」

 

「突然の裏切り?!」

 

泣きました、俺は冤罪ふっかけられるポンコツ大学生です。

あー、とか言ってる場合じゃない。元々の目的は花音とつくしを探し出すことである。探し出すと言っても、2人が雑多なものを買いに行ったという情報以外は大したヒントがないが、そもそもヒントを貰ったところであの天性的な類い稀なる才能を持ってすれば、短時間の間にも県境をいくつも跨ぐことすら花音ならできそうだ。……いやそれは流石に馬鹿にしすぎか。

 

「そういや、花音とつくしはどこいったんだって?」

 

「あ、私が電話を貰った時は、どこかの袋小路に迷い込んだって言ってたんですけど」

 

「え、てことは周りの目印とかは?」

 

「家の壁しか見えないって言ってました」

 

「本当にどこなんだよ……」

 

これじゃあ探すにしても無理があると思った俺は、息を整えるついでに足を止めてスマートフォンを取り出す。そして2人の居場所を知るべく花音に電話をかけた。

 

「もしもーし、聞こえるか? 花音、つくし」

 

『あ、雄緋くん!』

 

「お、聞こえる聞こえる。で、どこいるか分かるか?」

 

『それが、歩いてるんだけど、ずっと細い通路の両側が家になってて……』

 

というか移動しているのか。そうなると、そもそも商店街のどこ辺りにいるかとかすらまともに参考には出来なさそうだ。

 

「というかつくしもいるんだよな?」

 

『はい、いますよ!』

 

「どっからそこに迷い込んだんだ?」

 

『それが……、私もそんな方向音痴とかじゃないんですけど、分かんなくって……。携帯の衛星地図とか見ても、電話の電波は届いてるのに、何故か圏外表示になるんですよね……』

 

「へ?」

 

『いやぁ……。ここまでいくともう花音先輩の力というか……、何故か迷子になっちゃったと言いますか……』

 

『ふえぇ?! 私にそんな力無いよ?!』

 

『でもほら、私の方向指し示すアプリの画面、方位磁針クルクル回ってますもん!』

 

『ほ、本当だ……。すごいね……』

 

いやいや花音さんや、すごいねとか感嘆してる場合じゃないよ。これはもう……詰みというやつですね。だってもう、こんなのどうしようもできないじゃん。人智を超えた何かしらの力が働いてないと、そんな怪奇現象というか、物理法則ガン無視みたいな事情起きないだろうよ。彼女はまさに迷子になるという目的を持って生を受けたと考える方が、自然ですらある。

 

「と、とにかく商店街であることには間違い無いんだな?」

 

『う、うん……。多分……?』

 

『あ、……なんか香ばしい匂いがする……』

 

「香ばしい匂い?」

 

「あ、その匂いが何かわかったら、そこから店の系統とか絞り込めないですか?」

 

「そ、それだ! どうだ? 2人とも」

 

画面の向こうでは2人がすんすんと鼻を鳴らすシュールな音声が途切れ途切れに聞こえてくる。

 

『なんだろう……。食事系の何か……美味しそうな』

 

「食事系の匂いか……。まぁ匂い源が分かったらまた教えてくれ」

 

どうやら俺の携帯の充電が不幸にも十分にあるわけでもないらしく、万が一の連絡に備えて、悩む時間は電話を切ることにした。手短にそういったことを伝えると、電話を切り、後ろにいた沙綾の方を振り向いた。

 

「よし、行くか」

 

「はいっ」

 

俺たちの探索は、これからだ——!

 

 

 

と思った? 沙綾と行動を共にして、商店街に堂々と足を踏み入れたわけじゃん。

 

「おいそこの愚か者……」

 

「はっ殺気?!」

 

「つぐみちゃんと浮気相手じゃ飽き足らず今度は沙綾ちゃんかぁ、えぇぇぇっ?!」

 

「違うんです違うんです違うんです!」

 

「そこまで否定しなくてもいいのに……」

 

「誤解は今のうちに解いておかないと面倒なことになるって知ったから!」

 

だがまぁ、そんな誤解を解く間にも彼女たち2人が迷子になっている時間はどんどんと過ぎていくのであって、そんなことに悠長にはしていられない。

 

「くっ、さよなら俺の平穏な商店街ライフ!」

 

「わ、わぁぁぁっ?!」

 

「逃げたぞ!!」

 

追われることを恐れた俺は沙綾を伴いながら、慌てて近くの建物の陰に身を潜めようとして……。

 

「よいしょってうわぁっ?!」

 

「きゃぁっ?!」

 

ゴチーン、という重たい音が鈍痛とともに頭に響く。物陰から飛び出して来る人に気づかなかった俺は尻餅をついて衝撃を交わしつつも、人体でも群を抜いて硬い部位をぶつけた痛みは相当である。

 

「う、うおぉ……」

 

「いたた……、あ、雄緋くん!」

 

「へ? あ……」

 

棚からぼた餅、物陰から飛び出してきたのは花音で、偶然にも2人の迷い込んだ袋小路がここに通じていたらしかった。

 

「ご、ごめんね?! 痛くない? 大丈夫?」

 

「俺は大丈夫だ……問題ない。花音こそ大丈夫か?」

 

「う、うん」

 

何はともあれ、これでようやくメンバーは全員揃った。メンバーが揃ったのならば、あとは宴の時間である。

 

「2人が買い物終わってんなら、公園行くか……」

 

「はいっ!」

 

仲間を2人増やし、パーティーグッズみたいなものから、ちょっとしたお菓子や飲み物の詰め込まれたビニール袋を手に提げて、俺たちは公園へと帰還する。散々駆け回って、すでにヘトヘトだが、楽しむ時は楽しむがモットーである。

 

「よっしゃ、花見するか」

 

「だから祭りですって!」

 

「ソイヤッソイヤッ、祭りするぞ祭り」

 

公園に集いし7人のドラマーたちは、己の信じるドラムのビートを刻み続ける。

 

「よっしゃ、最初の和太鼓はやっぱり」

 

「おねーちゃん!」

 

「ジブンも巴さんの太鼓のパフォーマンス家になるっす!」

 

「ソイヤッソイヤッ」

 

そのどこまでも熱い思いが公園全体に響き渡る。

いざ、散りゆく儚い桜を目に焼き付けん。

やっぱり日本人の心には桜が咲いているのだ。

 

 

 

……え? 花見なのに桜要素が薄い? 花より太鼓だ。



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春眠天体を覚えず【日菜】

すっかり春ですね。


眠い。






「でねー。人数不足で天文部潰れそうなんだよね」

 

俺が眠たい目を擦りながらせっせと大学に出す書類にボールペンで記入している中、ちょっと日当たりが良さげな……いや、もう全く太陽光が届いてない時間帯なんだけれども、ベッドのへりに腰掛けて、足をぶらぶらとさせながら彼女は特に取り乱したり焦ったりもせずにそんな言葉を吐き出した。そりゃあまぁ、今まで部員が1名という状態で部活として存続を続けてきた事自体がまず奇跡、もとい先生方の温情である。彼女もそれがわかっていないというわけではないらしく、どうにかこうにかと頭を捻っていた。

 

「なら頑張って新入部員を勧誘するしかないんじゃないのか?」

 

至極真っ当な解決方法である。人がいないから潰れそうだと言うのなら、そりゃ根本のところ、入る人を増やせば良いという至極単純かつ根本的な解決方法である。が、まぁ俺とてそれでどうこうなるものなら今こうしてここに悩みを持ち込まれる事自体ないはずだ、というそれぐらいの察しはついている。

 

「でもなんだかみーんな入ってくれないんだよね。あたしと一緒に星見ようよーって言っても、微妙な反応のまま去っていくんだよね」

 

「あー。まぁ、それは日菜に常識とかそういう大切な部分が抜け落ちてるからじゃないか?」

 

「ひどっ?! そんなこと言うんだ〜。へー」

 

「だってさぁ……」

 

01:00 AM

 

今、1時なんですけど? もちろん深夜ね? え、え? 泊まりに来たの? って時間よりやばいよ? これ同じ街ならギリギリセーフだけど、遠出してたら終電終わってるよ?

 

「人の家にこんな常識はずれの時間に訪れるやつに常識が欠けてるって言って何か問題があるのか?」

 

「大アリだよ!」

 

なわけ。やばすぎるだろ。常識とか全部姉の方に吸い取られてるんじゃないかって疑うぐらいだよ。

 

「時間くっそ遅いのに?」

 

「それで言うなら雄緋くんだってこんな深夜まで明日提出の書類書いてるのもおかしいじゃん! というか日付変わってるから提出今日じゃん!」

 

「それを言われるとなぁ……」

 

極論を言えば提出時間に間に合えさえすればいい。窓口が明日の17時とかだから、後16時間の猶予があると思えばまだまだ耐えというやつだ。それと比べたらむしろ咎められるべきはこんな時間に自宅に帰っていない日菜の方で間違い無いだろう。外を歩いていたら余裕で補導の対象である。ついでに言えば俺は犯罪者の烙印を押される対象である。指名手配の誤解が漸く解けたばかりだというのに。

 

「で、なんでこんな時間までここにいるわけ?」

 

長い文章を書く欄と遭遇した俺は書類を書くのを諦めて、いつの間にかベッドでゴロゴロと遊んでいる日菜と相対した。俺が重たい腰をあげると、日菜がゴロゴロとベッドの奥の方まで行ってくれたので、ありがたく固い床で痛めた尻をベッドの縁に乗せた。……というか、まぁまぁ夜も遅いというのに、まだ眠気の欠片すら見せないこいつは一体何者だ。

 

「えー? 逆に聞くけど何だと思う?」

 

「……雑談?」

 

「あははっ、それだけのためにこんな時間まで居たら流石にあたしおねーちゃんに怒られちゃうよ?」

 

その言いぶりということは今日は何もお咎めなしでいるということだろうか? そこは流石に叱ってほしい。いくら何かしらの事由があるとは言え、こんな夜遅くに帰らないなんて、風紀として末期ではないだろうか。

 

「……じゃあ何なんだよ?」

 

眠気に苛まれて特段何も思いつかなかった俺は白旗を上げる。だが、日菜はニヤニヤしたまま小さくため息をついた。

 

「えー? 男女がこんな夜遅くに二人きりですることといえば?」

 

「……は?」

 

寝転がっていたはずの日菜がのそのそと起き上がり、俺の肩に手をかける。視界の端に映るその指はほんのりとピンク色に染まり、俺の肩口に先を滑り込ませて、くすぐってくる。俺の心臓が大きく飛び跳ねた。

 

「1文字目は『セ』で……」

 

「……おいおい」

 

そんな風に言われたら、いくら健全を基調とする俺の思考回路でさえも、大人の交わりを想像せざるを得なかった。耳元で日菜の吐息がかかる。普段こそ快活で、色気だとかを連想させない程度には清純さを保った少女だった日菜はそこにはおらず。

 

「ムード漂う空間で、ロマンチックな想いに耽って……」

 

「ちょ、日菜……?」

 

無理やり日菜の方に向かされた顔。その頬が日菜の左手で撫で回されたかと思えば、日菜の真っ赤で瑞々しいリップが震えていた。日菜の表情は艶やかと形容するに相応しく、大人の女の魅力を存分に蓄えた嬌笑を浮かべていた。

 

「相思相愛の男女が愛を囁き合うと言えば……?」

 

「そんなの……」

 

「例えば雄緋くんとあたしが……夜に二人きり、暗い場所で愛を囁き合いながら、することといえば?」

 

「……いえば?」

 

「セ?」

 

「……」

 

「星座を観る、だよね?」

 

「……へ?」

 

「……ぷっ」

 

星座を観る? 何の話だ……? 理解が追いつかなかった俺のあげた素っ頓狂な声に、日菜は笑いを堪えられていなかった。

 

「なになにー? 星座だよ? セ、イ、ザ! 何だと思ったのかなー?」

 

「……おま、ちょ、日菜……。嵌めやがったな……」

 

「え?」

 

「……あ、違う。えっと、引っ掛けたな?」

 

「別にー? あたしは、天体観測の説明をしただけなんだけどなー?」

 

「なら1文字目とかややこしくいうなよ! 1文字目は『テ』じゃねーかよ!」

 

俺の虚しい勘違いへの嘆きの声が部屋に響く。そういや今深夜だったな、あんまりうるさくしてはいけないと思い直し、口をつぐんだ。それを見た日菜が言い返されることはないと悟ったらしい。

 

「ねぇねぇ何すると思ったのー? ねー?」

 

「……何でもない」

 

「えー? 顔赤いよ? 初心だねー?」

 

「うるせぇ」

 

「ちょーーーっとだけでもえっちなこと想像しちゃったのかなー?」

 

「だーうるさい! あんなん勘違いして当たり前だろ!」

 

あれは悪意たっぷりの説明をした日菜が悪いと、そう反論したかった俺は思い切り立ち上がろうとした。しかし、日菜の手は肩にかかったまんまで。立ち上がろうとした俺を押さえつけながら、日菜は俺の耳元に口を当てた。

 

「……あたしはね? 雄緋くんとなら、いつでもそーいうことしてもいーよ?」

 

「……はっ?!」

 

「よーし、天体観測へレッツゴー! ……あれ、どうしたの?」

 

意識が飛んだ。

 

 

 

「……はぁ、本当に駆り出されたし」

 

「だってー、普通に今の時間外で歩いてたらあたし補導されちゃうもん」

 

俺は車の助手席に日菜を乗せ、……序でに後部座席にはいつの間にか置かれていた日菜の望遠鏡とやらが色々と積まれて、目的地へと出発した。明日が休みだとはいえ、まさかこんな時間になって車を運転するとは。眠気の残ったまんま運転するのは危ないからドバドバとカフェインを摂取した。どうにかして日菜の我儘に付き合おうというわけである。

 

「というか検問とか万が一あったら俺がお縄につくことになるんだけどこれ……」

 

「あはは、誘拐とか?」

 

日菜は愉快そうに笑っているが、捕まる側からすれば全然笑い事でもなんでもない。ガチで笑えない。

 

「てか、これ本当に道合ってるんだろうな?」

 

「うーん。あたしもよく分かんないんだよねぇ」

 

「は、はぁ?」

 

俺が運転しているものだから日菜の行きたいところとやらを日菜にナビしてもらっているのだが、生憎スマートフォンを充電中だったせいでグローブボックスに積んでいた紙媒体の地図帳を引っ張り出している。が、日菜の返答はなんだか曖昧だ。

 

「今どこら辺にいるかぐらいは分かるだろ?」

 

「うーん道路の形とかは分かるんだけどなぁ」

 

「……あ、今右手にあるの総合病院っぽいから、病院探せよ」

 

「あたし地図記号わかんないんだよねぇ」

 

「えぇ……」

 

意外にも日菜は地図記号はさっぱりらしい。何でもかんでも天賦の才でこなしているのかと思えば、変なところで能力が欠けているらしい。まぁ、地図記号が分からなくても人生で困ることはそうそう無いと思うが。

 

「うーん、だからわかんない!」

 

「はぁ……。次のコンビニで一旦停まるわ……」

 

諦めて俺は近くのコンビニの駐車場にて、自力で地図を読み解くのだった。

 

 

 

そこから15分ぐらい、深夜で車通りも無い道路を延々と走り、街並みが徐々に寂れていくのを目の当たりにする。意外や意外、花咲川の町の近くにも、……いや、車で結構走ったが、それでも都会から程近い場所に自然が溢れていることを知った。

 

「結構山がちなところ来たんだな」

 

「まぁ山というか、丘ぐらいかな? そろそろ着くよ?」

 

道なりに進んでいくと、やがてアスファルトでの塗装が粗雑になった道に出る。それからさらにもう少し行くと、とても小さな駐車場のようなものがあって、そこから先はもはや車で行く道が用意されていない、公園のような、野原のような場所が広がっていた。

 

「ここ、あたしの見つけたお気に入りの場所なんだよ?」

 

車から降りた俺は、声につられるように顔を空へと向けた。そこには肉眼でも都会の数十倍、いや数百、数千倍の星々が見えた。普段観る夜空なんてのは星が疎らで寂しいものだが、今観ている夜空には星が溢れ、最早暗い部分の方が少なく見えると言っても過言では無いかもしれない。

 

「よいしょっと。……雄緋くん、これ持てる?」

 

「おっし、任せろ……。っておも、これ何に使うんだよ……」

 

どうやら天体観測には望遠鏡だけじゃ足りなかったようで、何やら重たい長方形のそこそこのデカさの箱を運ばされた。明らかに体の前に両手で持つことは不可能だったので、腰を折り曲げて自身の背中に載せて、フラフラとした足取りながらもその矢鱈と重たい何かを日菜を追いかけながら運ぶ。日菜はこれまた重かろう望遠鏡を軽々と運んでいて、それはそれで驚いた。

 

「あ、台車持ってきてたの忘れてた」

 

「は、はぁ? 先に言えよ……」

 

散々重たい荷物を所定の場所にまで運んでからそれを言われると精神的にきつい。それはそうとして、俺はどうにかその重たい箱を下ろした。

 

「なんなのこれ……」

 

「箱から出せば分かるよ? じゃあ雄緋くんは望遠鏡組み立てといて! こっち向いちゃダメだよ! 絶対にね!」

 

フリかとも思ったが、かなり念押しするものだから、まぁ見ないでおいてやろう。素人に望遠鏡の組み立てなんか出来るのかと思ったが、意外や意外、説明書通りにやればなんとかなるもので、ものの10分程度で設営が終わる。俺が作業を終えるちょっと前に日菜も終わったらしく、絶対に振り向くなとまたもや念を入れた上で手伝ってくれた。

 

「じゃあ早速星を見よー!」

 

「おー」

 

すでに眠気に襲われかけていて、俺の返事は気力に欠けているが、空を見上げたら疲れだとか眠気は吹き飛んだ。

 

「あっちの空に見えるのが、アルクトゥールスとスピカとデネボラで、春の大三角だよ!」

 

「んー。……どれ?」

 

その歩くなんちゃらとやらがまずどの星かわからない。だってそうだろう。あまりにも星が多すぎる。こんなに大量の星が散らばった夜空を見たのは随分と久しぶりだ。

 

「あの赤い星がアルクトゥールスだよ? で、その下の方の明るいのがスピカで、そっから向こうの方にちょっと離れてるのがデネボラ」

 

「あー。なんとなく……明るいもんな」

 

春の大三角なんて銘打つぐらいだから、当然見やすい星になっているのだろうが、これだけ星が多い中でも輝きを放っているなんて、すごすぎる。それはまるで、スターの原石溢れる芸能界で輝くパスパレそのもののようにも見えた。

 

「実はあっちには、冬の大三角も見えるんだよね」

 

「あ、それなら知ってるぞ。デネブとアルタイルとベガだろ?」

 

「残念それは夏だよー? 冬はシリウス、プロキオン、ベテルギウスだよ?」

 

「聞いたことあるな……」

 

小学校の理科だとか、そんなのでやったっけか。だが余りにも昔のことすぎて、正直記憶が曖昧だ。あと眠い。

 

「まぁ星に興味持ってないと難しいよね」

 

「覚えたのは覚えたけどな」

 

「でも、星、観てると綺麗でしょ? 折角だから望遠鏡も使って観てみようよ」

 

「おっ……いいな」

 

日菜ははしゃぎつつも、そのテンションの上がりようは抑え目だった。けれど、俺は何故だか幼い頃の何も知らないことを知る楽しさだとか、そんな無邪気な心を思い出した。あと眠い。

 

「ほら、もっとはっきりと見えるでしょ?」

 

「おぉ……すごい」

 

さっきまで夜空を直に観ていた時はむしろ星同士の繋がりを無意識のうちに線で捉えていたのに、望遠鏡で一つの星を拡大して観た瞬間、その星一つ一つがかけがえのないものであることに気がつく。不思議なものだ。眠い。

 

「あたしも変わって!」

 

「はい、ほらよ」

 

「眠たいの?」

 

「うん」

 

「ギュッてしてていいよ?」

 

ぎゅっDAYS♪。so sleepy.

 

「あすなろ抱き……。えへへ……」

 

「……んー。……見えるか?」

 

「……え? うんっ! るんっ♪ ってするよ!」

 

どれぐらい時間が経ったか。漸く日菜が動いて俺は覚醒した。いや、目は完全に開き切ってないけど。日菜は流れるように望遠鏡を片付ける。ちょっとだけ眠い。

 

「……ん? もう観ないのか?」

 

「うんっ。すっごく満足した!」

 

元気だなぁ、なんて思いながら、日菜に手を引かれた。このあとどうすんだろな。運転したら事故起こすよこれ。車中泊? 味があるけど流石に。

 

「どうすんの? 帰り」

 

「そういうと思って、じゃじゃん!」

 

「……ん?」

 

目の前にあるのはテント。暗いここでは何色のテントかはあまり見えないが。

 

「……テント?」

 

「そうだよ? るんってするでしょ?」

 

「るんっ」

 

俺は日菜に手を引かれるまま、そのテントとやらに潜る。ここキャンプ場だったっけ、なんて思いながら、俺はその真っ暗なテントの僅かな灯りを点けた。そこそこの広さ、とは言いつつも2人が寝転がれば窮屈だが、そんなテントのど真ん中には水色の何かが横たえられている。

 

「もう眠いもんね? 一緒に寝よ?」

 

「……あぁ」

 

2人はあれだから1人だけ車で寝るよとか言えるほどの元気もなかった俺はゆっくりと頷いた。

 

「えへへ……。いっちばんるんっ♪ ってきた」

 

「るんっだなぁ」

 

「でもごめんね? あたし寝袋一つしか持ってきてなくて」

 

「んー?」

 

「一緒に入ろ?」

 

「ん」

 

柔らかい日菜の体とあったかさに包まれて、俺は早々と睡魔に襲われた。

 

「ものすごく近くて良い匂いして……。……るんってきた」

 

「……」

 

「……えへへ、好きだよ、雄緋くん……おやすみっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

— 翌日 — @氷川家

 

「……ひーーーーなーーーー?」

 

「ぽ、ポテトの無料券がここに!」

 

「……」

 

「……今度3人で天体観測、とか」

 

「……」

 

「ゆ、雄緋くんのあすなろ抱き付きで!」

 

「絶対よ? 言ったわね?」

 

 

 

……るんっ♪

 

 






眠くなるとちょろくなる主人公。天体観測、流行ります。



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修羅場を超えて行け【リサ&燐子】

D・MAKER様からのリクエストを基にした作品です。リクエストありがとうございます。





修羅場。それは長い人の一生の中で選択を誤った時に訪れる天に与えられた試練である。時に理不尽で、時に自業自得であるその試練は、人に己の選択の愚かさを自覚させるになお余りある恐怖と混沌を与えてくるのである。

 

「アハハ☆ いくら燐子でも、それは看過できないかなぁ?」

 

「……圧力には、……決して屈しません!」

 

「……覚悟、出来てるよね?」

 

助けて。

あの、俺が覚悟できてないです。違うんです、色々あって話をそれなりに合わせていたらなんだかいつのまにかこうなってたんです。だからまたかよ、なんて言って見捨てないでください。

助けてください。

 

「……今井さん。雄緋さんが……怖がってますよ?」

 

「……えー? そんなことないよね? 雄緋」

 

「え」

 

「ないよね?」

 

「怖くないです!」

 

「言わされてます……よね?」

 

「あ……えっと……」

 

助けてください……。なんて泣き言を言う前に、まずは一体全体どうしてこんな修羅場に巻き込まれることになったのか。

 

 

 

話をしよう。

あれは今から36万……いや、盛ったな。3時間ぐらい前だったか。まぁいい。

俺にとってはついさっきの出来事だが……君達にとっても多分さっきの出来事だ。意味がわからない? 早く要件を言え? そう急かすな。

兎に角俺がCiRCLEでいそいそとバイトに励んでいた時、ラウンジで燐子に居合わせたのだ。その時はこんな険悪なムードはなく、ただ練習の小休止というか、一休みの空気の柔らかさすらあった。俺はまりなさんから散々咎められているのに性懲りも無く雑談に興じた。

 

思えば、これが間違いだったのだ。誠実に、目の前のスタッフ業務の遂行に邁進し、私情の混同なきよう職務に当たれば良いだけの話であった。

 

『あ……雄緋さん……』

 

『おお燐子。……あ、クロスワードか?』

 

いつぞや見た光景を思い出す。まりなさんに怒られた記憶がありながらも、またあんな卑猥な……いや、性悪なクロスワードをやっているのかと気になった俺はその冊子を覗き込む。

 

『その……手伝ってもらっても』

 

『ちょっとだけだぞ?』

 

我ながらちょろい。自覚はある。が、俺が手伝おうとソファで隣に腰掛けた瞬間、燐子はササッと距離を詰めた。

 

『……近くない?』

 

『いえ……! これぐらいなら……普通です』

 

その良い匂いがするのはそれはそれとして感触というか……うむ。これは中々に壮観というか、世の男どもみなが求め

 

『アハハ……何してんの? 二人とも?』

 

 

  /|__________()

〈    To Be Continued │

  \| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄()

 

 

 

対戦ありがとうございました。

俺はその瞬間、人生の終わりを悟った。こうやって人は修羅場というものに遭遇し、世の儚さを知って、命の短さを嘆くのだろう。あぁ、儚い。

俺の目の前には青筋を浮かべて、とても美しく恐ろしい笑顔を讃えたリサが。

 

『……今井さん。クロスワードパズルを二人で解いている()()ですよ?』

 

『へぇ。でもそんなに近いと解きづらいんじゃない?』

 

『そんなことありませんよ。ねぇ、雄緋さん?』

 

 

 

という夢を見たんだったら良かったんだけどなぁ……。そんなわけで俺は今地獄を見ているわけである。事の発端は俺がバイト中に雑談に感けたことと言えばそれはそうだけど、まさかここまで地雷原を踏み抜くなんて想定はしていなかったもんだから、臨戦体制の二人を前にして俺はビビり散らかしているのだ。

 

「燐子……アタシ、そんなに変なこと言ってないよね? クロスワードを解くのに、そんなにくっつく必要ないって、間違ったこと言ってるかな?」

 

表面上はそれほど声を荒げたり、捲し立てたりしてこないリサだが、威圧感が段違いである。リサの全身から溢れるオーラというか、そういうところからして別格なのである。

 

「……こうすると、こうすると、リラックス出来て、疲れが取れるので、ちゃんと……意味があります……!」

 

「へぇ。でも、クロスワードは息抜きのためにやってるんだよね? 息抜きのためのクロスワードで疲れるならそもそも意味ないよね?」

 

YA☆BA☆I。

完全にリサが論破モードというか、なりふり構わず燐子を言いまかそうとしている。こうなると口数の少ない燐子の方が不利なようにも思われた。だが、意外にも燐子はキチンと反論すべきところでは……いや、反論すべきではないかもだけど、しっかりと言い返してはいた。

 

「……だからこそ、疲れないためには、雄緋さんが……必要なんです。息抜きのために、必要なんです」

 

強いて言うならこの修羅場からとっととドロンしたいところなので、どっちかの肩を持つとかいうわけではないのだが、既に修羅の顔を浮かべるリサに立ち向かう燐子が少々不憫にも思えて、ついつい応援したくなってしまった。いやまぁ、そもそも燐子がもう少し距離を取れば解決するんだけども。

 

「そっかそっか☆ じゃあアタシが『息抜き』しても問題ないよね?」

 

「へ? 息抜き?」

 

「……何をするつもりですか?」

 

「それはー。よいしょと、……えいっ☆」

 

「へぇぁ?!」

 

どういうわけか、クロスワードの冊子の前に鎮座していた燐子とは反対側に座ったリサ。何をするかと思えば、俺の腕を抱え込み、さらに頬をスリスリと俺の頬に擦り付けた。鼻腔の奥にまで漂うリサの匂いと皮膚と触れ合う髪の感触に意識を刈り取られそうになりながらも、理性をどうにか腕を包んだ膨らみから逸らさせる。いやでも、むにむにする、何がとは言わないけど。

 

「……何をしてるんですか? 今井さん」

 

「これ? 『息抜き』だよ? 雄緋のほっぺたスベスベしてて気持ちいいんだよねぇ」

 

「……ずるいです」

 

「ちょ」

 

負けじと燐子まで同じような体勢に変え、俺の理性は一瞬で冥府に送られた。……ところをすんでのところでどうにか繋ぎ止めた。危ない、社会的地位とか信頼を全てドブに捨てるところだった。

 

「『息抜き』してるだけだから文句ないでしょ? というかアタシが息抜きしてるところだから、邪魔しないでほしいなーって」

 

「……わたしも、元はと言えば息抜きをしてました」

 

「息抜きってクロスワード? それなら今やればいいんじゃないかな?」

 

「……くっ、手強いですね……」

 

何が? 何が手強いの? というか息抜き云々って言ってるけど俺が前提の息抜きをやめろと声を大にして言いたいし、巻き込むなと言いたい。が、そんなことを言った瞬間俺は消し炭になるだろうことは容易に想像がつくので、そんな愚かな、自らの命をボッシュートするような真似はしない。

 

「雄緋ー。練習疲れたから、いつもの()()、やって?」

 

「……へ?」

 

「……今井さん。なんですか?」

 

やばい俺もわからん。いつものアレとはなんぞや? リサが上目使いでウィンクしてきたものだから思わず思考回路が停止していたわけなんだけれども、まだピンとこないぞ。

 

「……もー。恥ずかしいから、出来ないんだよね? じゃ、アタシから……」

 

「え? あ……」

 

ずっと近かったリサの顔。気がつけばさらに近くなってすっかり俺の視界の全てを覆う。それどころか全身の感覚が一点に集中して、またも脳内が休眠状態に入る。

 

「……ぷはぁ。アハハ……可愛いっ」

 

「……今井さん?」

 

「んー? どうかしたの? 燐子」

 

「……ずるいです」

 

「……へ? ちょ……」

 

何が何か分からないまま、俺は顔を無理やり左へと向けられ、またもや不意打ちを喰らう。既に俺の思考と感覚のキャパは限界を超え、ふと気を抜いて仕舞えばそのまま卒倒しそうなほどには刺激的だった。

 

「あ……」

 

「燐子もやるねー。でもそれはアタシの専売特許の息抜きなんだけどなー?」

 

「……今井さん限定じゃ……ありませんから!」

 

「じゃアタシも、もう一回……」

 

またも顔が反対を向くとなったその瞬間、足音が聞こえてきて、帰ってきた意識が遠くにいたそれを捉えた。

 

「……え? リサ? 燐子? 何をしているの?」

 

「……友希那さん。今、良いところですから」

 

「あの……そろそろ練習を再開したいんだけど」

 

「友希那」

 

「何? ……はっ、リサ……?」

 

「ワカルヨネ?」

 

コクコクと2度頷いた友希那がくるりと向きを変え去っていく。俺が必死に送ったヘルプの表情をチラ見したのに、だ。薄情者だと叫んでやりたかったが、今俺が友希那の立場でも一目散に逃走を選ぶので、まぁギリギリ許してやらんこともない。後で恨むけど。

 

「……今井さん? 友希那さんが呼んでいるなら、早く行った方が良いですよ?」

 

「えー? でも練習を再開したいなら、燐子だって行かなくちゃだよね?」

 

「……何のことだか」

 

そんな折、またもやラウンジに足音が響いた。ついに俺を助けてくれる救世主の登場、だと思っていた。

 

「まりなさん?!」

 

「雄緋くん! またサボってるのね!」

 

「……燐子」

 

「……今井さん」

 

「え? あれ、2人とも?」

 

何か示し合わせたようにアイコンタクトを取った2人はソファから立ち上がり、テーブルの向こうのまりなさんの方へとつかつかと歩み寄る。一瞬で消えた熱と感触に落胆を隠せない正直な自分の気持ちを恨みつつも、何をするのかと見守っていた。

 

「まりなさん。今、アタシたち大事なお話してるんです」

 

「うーん。それもわかるんだけど、そろそろ仕事に戻ってもらわないと」

 

「……まりなさん。後にしてもらえませんか?」

 

「え、そんなこと言われても」

 

「後にしてもらえませんか?」

 

「いやだから」

 

「後にしてください」

 

「……えっと」

 

「後にして、くれますよね?」

 

「……はい」

 

向こうでは説明、もとい話し合いが進んでいるらしい。できることなら、今このチャンスを存分に活かしてこのラウンジから脱出したいのだが、いかんせんここの出入り口が3人の議論によって塞がれていて不可能だ。要は逃げることはできない。終わった。

 

「えっと、雄緋くん?」

 

「あ、どうしたんですか……まりなさん」

 

「……今日もう上がりでいいよ!」

 

「……へ?」

 

「私にはどうにもならないから……頑張って生きて帰ってきてね!!」

 

「……は?!」

 

そう言い残すとダッシュで去っていくまりなさん。おいおい嘘だろ……。まりなさんが居れば百人力だと思ってあの2人を言いくるめてくれるものだとばかり期待していたのに……。遂に退路が全て絶たれた。そうこうしているうちにまりなさんを笑顔で見送ったリサと燐子が、またもや火花を飛ばしあっていた。

 

「あの……お二人とも、そのぐらいで……」

 

「え? 何か言いましたか?」

 

「へ?」

 

「何か言いたいことあるの?」

 

「……いえ! 何も!」

 

怖すぎるよ。こんなのどう言い返せというか、そろそろ帰っていいですかとか言えるってんだよ。

 

「そうだっ。雄緋、今日の帰り、一緒に、2()()()()でカラオケ行こうよ。練習したい歌もあるんだよねぇ」

 

「……え?」

 

「……雄緋さん? 今日の帰り、一緒に、わたしの家に来ませんか? もちろん2()()()()で。おすすめのゲームがあって」

 

「あ、いや……ちょっと」

 

これは所謂、死亡フラグが立ったというやつか? もしこれがどちらか片方かだけからのお誘いならほいほいと誘われて行っているだろうに、いかんせん今の2人からは人を容易く失神させるほどには悍ましい負のオーラが漂っている。軽率にじゃあこっちで、なんて言おうものなら俺に明日は来ない。

 

「ねぇ、アタシのこと、選んでくれるよね?」

 

「わたしと一緒に、ゲームしたいですよね?」

 

逃げるべきか? いや、そもそも逃げられる気がしない。誰かを囮にーとかすればワンチャンあるかもしれないがその囮が居なきゃ皮算用である。というか、逃げたところで何も解決していない。そうだよ、この2人がこんな病みモード全開で行き続ける限りは俺はこの2人から逃げ続けることになる。

 

「その……順番にカラオケもゲームもするというのは」

 

「え? アタシはずーっと、雄緋のこと独り占めしたいんだけどなぁ?」

 

「あ、いやそれはちょっと……」

 

自由の保障が大事、なんなら古事記とかにもそう書かれている、多分。

 

「わたしだって……一生雄緋さんのこと……。ふふふ……」

 

「待って怖い怖い怖い」

 

その笑い方、何を考えてるか分かんないからやめて?

 

「というかアタシ聞いたよ? 日菜と星見に行ったって」

 

「……ふぁっ?!」

 

……まずい。これはまずいぞ。まさか天体観測のことがバレているとは。いやまぁ、日菜が紗夜に叱られたって言っていたからそこから漏れたと考えるのが妥当か。だが、知られているということは。

 

「一緒の寝袋で、寝たんだよね?」

 

「……あ、いや」

 

「……どうなんですか、雄緋さん」

 

「まぁ……。……はい

 

たしかに、起きたら隣に日菜が居ました。もうねびっくりした。ほぼ全身密着してるし、日菜は俺にしがみつきながら俺の胸元によだれ垂らしてたし。起きたら昨日は(運転が)激しかったね、とか顔を赤らめて日菜が言ってきたから、あ、俺遂に犯罪に手を染めちゃったんだって勘違いしたし。紗夜と面談だなって、真実を話すように言ったら、既成事実にして責任取らせようとしたって、これまたえげつない爆弾を放り込んできたから肝が冷えたけど。

まぁテントから出て紗夜さんが凄い眼圧で仁王立ちしてた時が一番ビックリした。心臓止まるかと思った。日菜も真っ青な顔でズルズルと引き摺られてたし。

 

「へぇ。……日菜さんと、夜を共にしたと」

 

「まぁ言い方はあれだけど」

 

「なら、花咲川の生徒会長であるわたしとも一緒に寝るべきですよね?」

 

「どうしてそうなった?」

 

論理を超えて行け。

 

「……へぇ。あの夜、アタシの上で愛を囁いてくれたのに、嘘だったんだ?」

 

「待って待って待って俺そんな記憶ない! 改竄されてる?!」

 

日菜の既成事実並に記憶がありません。

 

「……日菜さんだけじゃなくて、今井さんにも手を出してたんですね……」

 

「虚言だから信じるなぁ!!」

 

もう何も信じられないよ。

 

「……わたしにも手を出していいんですよ?」

 

「出しません!」

 

「アタシだって、ハジメテも何もかも全部雄緋に……」

 

「ダメだから!」

 

手を出したらいよいよ捕まるんだよ。社会的に終わるんだよ。そう言い聞かせて俺は逃げようとした。しかし。

 

「……アハハ、逃げちゃダメだよ? これからカラオケで2人きりで……ね?」

 

逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ……。じゃないや、逃げなきゃダメだ逃げなきゃダメだ。本能がそう囁いている。けど、腕を掴まれて身動きが取れず。

 

「ちょ、り、燐子?」

 

「わたしの家で、イイコト、するんですよね?」

 

「いや……その……」

 

「ほら、早く選んで」

 

「わたしか」

 

「アタシ」

 

「「早く」」

 

Q.救いはないんですか?

A.あるわけない、諦めろ。

俺は修羅場を嘆きながら、薄らと目を閉じた。目が覚めたとき全部解決していますように……。



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飲んだくれの大暴れ【まりなさん……?】

今回キャラ崩壊著しいです。許して……。







この世界にはありとあらゆる不幸、鬱々しい出来事に溢れかえっている。貧困、紛争、気候変動。世界に目を向ければそんな解決が極めて困難な課題に溢れかえっている。

だが、我々の生きる社会にも、程度の大小はあれど、人を苦しめて止まない事柄はごまんと存在するのだ。

蒸せ返る満員電車の通勤通学、万事を否定してくる頑固な上司、何度提出しても修正されるレポート。ため息が止まらなくなるような、憂鬱を、俺たちは。いや、俺は——。

 

「やってらんないわよもおおお!!」

 

「はいはい……飲みすぎないでくださいね……」

 

「本当どういうことなのよねぇ?! みんな来て『雄緋さんって今日シフト入ってますか?(裏声)』って聞いて『いないよー』って言ったら何も言わずに帰ってくなんて、ねぇっ、えぇっ?!」

 

「大変ですね……」

 

「大変ですねじゃないわよ他人事みたいに! あんたのせいでしょおがぁぁぁ?!」

 

発狂する上司を宥めるという憂鬱と戦っているんだ……。あの……、一応言っておくと、ここ、居酒屋なんです。バイト上がって、今日はお客さんも来ないから早いうちに店締めるねーって言われて、誘われて行ったらこれだよ。着いた瞬間いきなりお通しが来る前にハイボールを出せと店員を脅し、届いたばっかりのハイボールをものの5秒ちょっとで飲み干した瞬間、そのジョッキを店員に突き返すなどということをしておりました、まりなさんが。

さっきからもう周りの視線が怖い。いや、カウンター席に座ったから周りのお客さんは見えないんだけど、明らかに関わっちゃやばい雰囲気を出してるものだから、何だったら店員さんでさえビクビクしながら注文を取りに来てくれたりしています。……どうしよう。

 

「ねぇ聞いてんの?! えぇ!!」

 

「すいませんすいません。聞いてます、聞いてますよ」

 

だがこの飲んだくれを抑えるのは最早俺以外いない。同伴者たる俺がどうにかこうにかしてこのモンスターを抑えないとこの店に平穏は訪れない。いやまぁ、もう出禁確定だろうし、関係ないけど。

 

「何よアンタたち青春しやがって!! アンタらみんなバンドのためにライブハウス来てんでしょ?! 男に会いに来るために来てんじゃないよ!!」

 

「ご尤もです……」

 

「ねぇ客寄せパンダくんよぉっ?!」

 

助けて……。この哀れな客寄せパンダを助けてください……。上司のパワハラ(キャラ崩壊)に耐えられません……。

 

「おかげで今月は収支マイナス! 機材だけはぶっ壊れたりして修理代金とか新しいの買い換えたりで大赤字よ、潰れる! このままだと店潰れるから!!」

 

貴女は今、一軒の居酒屋さんを潰そうとしているんですよ? きっと常連さんに親しまれた愛嬌のある頑固そうな店長の親父さんが白目剥く程度には、この店を潰そうとしてますよ?

 

「客呼ぶならせめてちゃんとバイト来いやぁ!! サボりすぎというか雑談しまくってんじゃねぇよ就業中によぉっ!!」

 

「それはほんと……すいません」

 

「で?! 私がキツく言ったら匿名アンケートで『雄緋さんにキツく当たらないでください』とか『雄緋さんの休憩時間増やせ』だの、私が悪いんか?! あぁっ?! CiRCLE畳むぞこらぁぁぁっっ!!」

 

貴女は今、一軒の居酒屋さんを畳ませようとしていますよ? ほら、私たちの背中にいた、店員さんと仲良さそうな常連客っぽい人たちが渋い顔しながら、釣りは要らんとばかりに万札投げつけて帰りましたよ? 絶対あの人たちブチギレてるよ?

 

「何よ?! 店員虐めて楽しいんか?! 格差社会見せつけて楽しいんかぁぁっっ?!」

 

貴女は今、一軒の居酒屋さんの店員を虐め倒してますよ? さっきから明らかに貴女が注文した料理持っていきたいけど荒れ狂う貴女に話しかける勇気がなくて、皿を持ったまんま店員さん困り果ててますよ?

 

「ちょ……まりなさん。その辺で……」

 

「……はぁっ。分かってんのよ私だって……、ね? みんなバンドは勿論だけど雄緋くんに会うのを楽しみにしてんのかなって。バンド真面目にやってるならそれぐらいのご褒美みたいなのあってもいいんじゃないかなって」

 

「え? あ、はい」

 

「みんなの目見たら、若き日の自分を思い出すというか……。心のときめきに直向きに生きていた、若いあの頃を思い出して……うう。……うわーん!!」

 

うわぁめんどくさいこの上司。さっきまで台パンしまくってたのに急にそんな号泣しないでくれ……。ほらもう、店員さんが申し訳なさそうに俺の横に皿置いて、そそくさと退散したし。少しだけ声のボリューム下がったから、迷惑度は下がったけど、泣き上戸とか途端になられると温度差で風邪ひくよ。

 

「ちょ、あの、よしよし」

 

「ほら、それ、それよ馬鹿野郎!!」

 

「へぁっ?!」

 

嗚咽を上げるまりなさんの背中をトントンと叩こうとした瞬間、まりなさんはぐわっと起き上がってこちらを振り返る。こちらに向けた人差し指を震わせながら、目までもが血走ってる。獲物を捕食せんとする肉食獣のようなギラついた目をしている。うんやばい、怖い。

 

「あんたもあんたよ?! 散々バイトサボる癖にあんなに女の子侍らせやがって!! なんじゃお前は王侯貴族か?! 一夫多妻を超えるハーレム形成しやがって!!」

 

「え、えぇ……」

 

「泣いてる女の子見て優しくするからよ! どこで習ってきやがったのよそんな技術ぅ!!」

 

「ぐぇっ、くるし、苦じぃでず……」

 

突然カツアゲがごとく、俺の胸ぐらを両手で鷲掴みにしたまりなさんは俺を物凄い剣幕で揺さぶりながら、俺を詰る詰る。もしも俺がベロベロに酔っていたらこの揺さぶりに撃沈されて、食べたもの、飲んだものの悉くをリバースすることになっていただろう。なんとかギブアップの意思を伝えて酸素を補給した俺は、まりなさんの主張を掻い摘みながら、苦し紛れに答えた。

 

「ぐほっ……、え、っと、父親から人には優しくしなさいって……」

 

「どこで習ってきたのよ!!」

 

「え? は、ハワイに家族旅行で……」

 

「やっぱり!! じゃなくて真面目か!! 優しくしなさいの意味履き違えてんじゃないわよ!!」

 

「あ、え、え? 俺が悪いの?」

 

「そんなことばっかするからあの子たちみーんな恋する乙女みたいになってんじゃないどうしてくれんのよ!!」

 

「こ、恋する乙女?」

 

もう話が飛び飛びというか、CiRCLEが潰れそうだって話から飛躍しすぎて。序でに言えば酸欠状態でボロクソに言われたおかげで、まりなさんの言っていることの意味がよく分からなくなっていた。優しさの話だとか、王侯貴族がどうとか、色々ありすぎて、脳内で整理が追いつかない。

 

「スケコマシもいい加減にせぇよ?!」

 

「す、すけこまし?」

 

「何?! スケコマシ知らないの?!」

 

「えっと……」

 

どこかでは聞いたことがあるような単語だが、よくわからず首を傾げると、またもやグイと胸ぐらを掴まれる。

 

「天然ジゴロとか、タラシとか、分かんない?!」

 

「あ、そ、それはわかります」

 

「ジェ、ジェネレーションギャップだとでも言うの……? ナウでヤングなとか分かんないの?!」

 

「意味の想像はつきますけど、あんまり聞いたことは……」

 

「くっそぉぉぉ私には若さもないのぉ?! はぁぁぁぁぁ」

 

ああっくっさ! ため息が既にアルコール臭いよ!! そういやこの人こんなになるまでに既にジョッキ何杯も一気に喉に流し込んでるんだから、そりゃあこれぐらい酒臭くても当然かと納得する。が、納得したとしても堪えられるかは別の話である。

 

「ていうかね?! 雄緋くんも飲みなさいよ!!」

 

「アルハラですよそれ……」

 

「だーーーー! 近頃は全部が全部ハラスメントハラスメントって……。どうしろってんのよ!!」

 

飲まさなきゃ良いんだよ……とは怖くて言えない。俺まで酔ったら不味いなと思い、さっきからお酒はちょびちょびとしか飲んでいない。しかも、酎ハイ。お陰様で頭は揺さぶられたこと以外はノーダメージなのだが、頭よりも心が痛い。

 

「はぁ。店員さん! 日本酒! 2合!!」

 

「ちょ、まだ飲むんですか?!」

 

平身低頭の店員さんを乱暴な物言いで呼びつけると、またもアルコールを注文するまりなさん。これ以上飲んだら流石に店に迷惑……いやもう十分すぎるぐらいかけてるけど! もうこれ以上飲まれると、収まりがつかなさそうな気がしたから、慌てて店員さんにバツ印を送ろうとした。

 

「何言ってんの? 雄緋くんが飲むに決まってんでしょ!!」

 

「えぇっ?!」

 

「飲まないとは言わせないわよ?! まだあんた酎ハイ一杯も飲んでないでしょおが私を見習え!!」

 

反面教師ですか?

 

「ちょ飲みますから待って、待って……」

 

結局、鬼気迫る表情で早く飲めと視線を送るまりなさんに耐えきれず、俺は半分ぐらい残っていた酎ハイを一気に流し込む。さっきまでちょびちょびとしか、アルコールの流入に慣れていなかったからか、喉が灼けるような感覚がした。

 

「お、お待たせしました……。日本酒、熱燗2合です……」

 

「す、すいません」

 

「ほら、飲む! 私が注いであげるから!!」

 

「自分のペースで飲むんで……」

 

急いで退散した店員さんに軽く会釈をしながら、強引に徳利を持とうとするまりなさんから酒を死守する。流石に熱燗をラッパ飲みなんかするわけないと思うが、万が一されたらそれこそ阿鼻叫喚の事態になるし、喉が大火傷、なんてなってもおかしくはない。

 

「私の酒が飲めないっての?!」

 

「出たよこれ……」

 

もうお決まり。何回となく聞いたそんな文句。酒なんてのは自分のペースで飲むから勘弁してくれと言いたいのだが、まぁそんなこと酔っ払いに言おうが通じるわけもない。

 

「飲めないなんてないわよね?! 聞いたわよ?! 酒癖悪いって!!」

 

貴女だけには言われたくないです……。え、もしかして俺、もうこの場から逃げ出してもいいのかな? もうこの人放って帰ってもいいかな……。

 

「だからちゃんと自制して飲むんですよ」

 

「本当? 酔って千聖ちゃんとか薫さんやらレイヤちゃんとかますきちゃんとかに手出したって聞いたけどぉっ?!」

 

「待って待って話盛らないで?! 手出してないから!!」

 

「乙女心弄んでおきながらよく言えたわね!! ABCで言うとどこまで行ったの?!」

 

「ABCって何?!」

 

「はーーーー?! 通じないの?! キスはした?! キスはアウトよ!!」

 

「……は、はぁ? え、あ、はい」

 

「あーーー!! 黙れよロリコンうわぁぁぁ私なんかもうおばさんなのよ!! あーーあーーー!!」

 

……あ、店の奥で店長さんが泡吹いて倒れた……。そりゃそうだよなぁ、こんな厄介な客が来て常連離れてって。出禁確定だよ。いやまぁ、俺も二度とこのお店に顔出したくはないけど。まりなさんが変な話ばっかするせいで俺が年下の少女たちに片っ端から手を出す節操なしみたいなことになってるし。さっきまで同情の目線を投げかけていた店員さんも完全に軽蔑、まりなさんに向けられるそれと同列の目線に成り下がったんだけど。

 

「まりなさんはまだお若いですし……。その、悲観的になるほどではないかと」

 

「五月蝿いわね?! そこまで優しいならもうちょっとマシな慰め方があるでしょうがぁぁぁ!!」

 

「どうしろと!」

 

「そんなのピーーーー(自主規制)とかピーーーー(自主規制)とか!」

 

「あー待って待って公衆の面前でそんなこと言っちゃダメですって!!」

 

「うるさいわね! 公衆の面前でクソほど騒いでる私が今更何を取り繕うことがあるってのよ!!」

 

自覚あるなら自重しろよ……。というか、開き直っていうセリフではないよ、間違いなく。

 

「はぁ……。やっぱり若さって、武器なのよね……! 気付くのが遅かったぁ……」

 

「えぇ……。まだ、そんな言うほどじゃ」

 

「本当? でもピッチピチで可愛い、ガールズバンドの子たちの方が可愛いでしょ? こんな生きる希望も見失った老害よりもさぁ……」

 

「い、言い方……。いやいや、その誤解とかされるんで言っときますけど、手出してないですからね?」

 

本当に、一線は超えてない。……多分。どこからが一線かと問われるとその定義は非常に曖昧として難しいが、少なくとも捕まらない程度には理性を保ってる……はず。襲われそうになっても奇跡的な回避を続けているから。

 

「じゃあ、私は雄緋くんのストライクゾーンに入る?」

 

「……はい?」

 

ストライクゾーンという単語が飛び出てきて思わず俺は聞き返した。いやいや、流石に俺とて野球の話をするほど頓珍漢ではない。……違うよね?

 

「私はまだまだ現役かって言ってんのよぉぉぉ!!」

 

「わーー?! 現役です! 多分!! 分かんないけど!!」

 

現役って何? もしかして実は野球の話してたりする? 俺が話を聞いてなかっただけでプロ野球の話になってたりした?

 

「はぁ……そうよね。悔しいけど私じゃあの子たちに勝てないし、メンタルも、体も……。ファンの数も多そうだし……はぁ。くぅぅぅ」

 

あの子達に勝てる? ファン? え、まりなさんプロ野球の選手ってこと? もう訳がわからんぞ。

 

「というかまだ酒減ってないじゃない! 早く飲みなさいよ!!」

 

「結構飲みましたっでぇっ!!」

 

「それ飲んだら、可愛いと思う子1人叫びなさい!!」

 

「へぇっ?! 好きなプロ野球選手の話ですか?」

 

「はぁ?! 揶揄うのも大概にしなさいよ!!」

 

それから先も物凄い量のお酒を飲まされ、財布から札が飛んでいった。勿論お店は出禁だと言い渡されたけど、とてもじゃないが俺もこのお店に来られるほどメンタルは大丈夫じゃない。そして二日酔いも……。

 

 

 

 

 

CLOSED
☆☆☆  臨時休業のお知らせ  ☆☆☆

 

いつもご愛顧いただきありがとうございます。

本日、月島まりな、二日酔いにつき、臨時休業とさせていただきます。

ご理解の程、よろしくお願いいたします。

 

ライブハウス CiRCLE

 

「あれ……、何だろうこれ?」

 

「そういえば昨日泥酔したまりなさんと雄緋くんを見たような……? 見間違えだと思ってたけど」

 

「そっかそっか……」

 

「……お説教」

 

 

 

To be continued......?  



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犬を舐めちゃ【ベース組】

大鉄人ワンセブン様のリクエストをもとにした作品です。リクエストありがとうございました。





体がダル重い。原因はまぁなんとなく察してはいて、この間馬鹿みたいに酒を飲みまくった、もとい飲まされたせいだろう。二日酔いというわけではないのだけど、やはり過度の飲酒は体に悪いということを自覚した。ちなみにCiRCLEは昨日は休業、今日から営業を再開したのだが、今日も今日とて俺はシフトが入っているので労働に励むわけである。

 

「はぁ……。そろそろ上がり、かな?」

 

背後の壁にかかった時計を……ん? どこだ時計。あったけど、いつもより遥かに高い位置に時計が掛かっていて、針が少ししか見えない。うん、まぁでもどうせそろそろ終わりだし、まりなさんは今日もほぼダウンしてるし上がりってことにしちゃっていっか。

とりあえず今日は帰って、ゆっくり寝ようか。そんな風に考えていた折、俺はふと違和感を覚える。

 

「……カバンでかくね?」

 

いや、確かに質感、色味は俺の普段使いの鞄そのものなのだが、俺の体よりカバンが大きいとはこれいかに。どういうことだと困惑していると、さらに大きな違和感が俺を襲う。

 

「腕……毛?」

 

気がつけば俺の手が白い毛に覆われている。慌てふためいた俺は取り敢えず思いのままに走ってみる。……四足歩行だ。え。

壁際に並んでいた姿見のような鏡を見て、俺は漸くその違和感の正体に気がついた。

 

「俺……犬になってる?!?!」

 

鏡に映っていたのは、それはもうただの犬であった。俺ではない、少なくとも俺の面影はないだろう。そこにいたのは白いチワワだったのだから。何がどういうわけでチワワになったのかは分からないし、いつどの瞬間にチワワになったのかすら分からない。どうして気がつかなかったんだ俺は……。

 

『……あれー?』

 

「な?!」

 

突如背後から声が聞こえて俺は飛び上がった。いやまぁ、CiRCLEの中だから、人の声がしたのは普通のことだが、その声の発生源はいつも俺が聴くよりもはるかに上の角度であった。

 

『こんなところに犬がいるよー!』

 

「はぐみ?!」

 

予想していなかった人間の登場に俺は焦る。ヤバいどうしよう、別に悪いことをしてないのに悪いことをした気分。ここで必死に俺だってことをアピールすべきか? いや、きっと分かりっこないだろう。だって普通に考えてありえないもん。

 

『はぐみちゃん、どうかしたぁ?』

 

『あ、りみりん! 見てみてー! 犬がいたよー!』

 

『本当だぁ、めっちゃ可愛い……よしよし』

 

「触るなくすぐったい!!」

 

『こんなに吠えて、元気だね!』

 

『私懐かれてないのかなぁ。……というより、どこから迷い込んだのかな?』

 

「おい高い! 高いから下ろせ! 俺の話を聞けよ!!」

 

俺の切なる願いも虚しく、聞き入れられることなく消えていく。さっきまでは天井がはるかに高くに見えていたので、持ち上げられたせいで俺の脚は宙ぶらりんで恐ろしいことこの上ない。

 

『あ、はぐみまりなさん呼んでくるね!!』

 

『う、うん!』

 

はぐみがまりなさんを呼んでくるとかけて行ったが、そもそもまりなさんは今日も気分が悪いとグロッキー状態だったはずだ。大丈夫だろうか。……いやいや、今は人の心配をしている暇なんてないぞ。なんで俺は今犬になっているのか、それが大事だ。

 

『ふふふ……可愛い……』

 

「おいりみ。いい加減俺を下ろせ!」

 

『わわ……、吠えちゃダメだよ? よしよし』

 

「え? 俺の声聞こえてないのか?」

 

どういうわけだかさっきから必死に下ろせと叫んでいるのに、ずっと持ち上げたまんまだ。……これは、もしかして俺の声が届いていない、もしくは鳴き声として聞こえているのだろうか。

 

『可愛い……ギュッてしておきたいなぁ……』

 

「おいちょ、苦し……」

 

『ふふ、スリスリ〜』

 

スベスベー^ ^。

じゃない苦しい苦しい! 息できないからそれ! なんとか吠えたのが功を奏したのか、苦しいということが伝わったらしい。そうこうしているうちに、別の足音が聞こえてきた。

 

『あれ、りみちゃん?』

 

『あ、レイヤちゃん』

 

『どうしたの、その犬』

 

『さっき受付でウロウロしてたんだ』

 

『受付で? でも飼い犬とかでもなさそうだよね……』

 

「ちょ、そんなジロジロ見んなって」

 

向こうには俺の言いたいことが伝わってないと知りながらも、こんな感想なんかはついつい口をついて出てしまう。が、悲しいことに通じることはない。

 

『飼い犬じゃないなら、野良の犬なのかな』

 

『うーんでも、あんまりチワワって野生で見ることないよね』

 

『捨て犬……。可哀想……ヨシヨシ』

 

ダメだ、これはメッセージを送るのは諦める他なさそうである。ついこの間3歳児ぐらいの体にされた俺からすれば、こうして甘やかされるのはトラウマを思い出すようで勘弁願いたい。が、そんな思いが通じるわけもない。

 

「ちょ、モフるなモフるな!」

 

『ふふ……。気持ちよさそうな声出してるね……』

 

『すごい……、さっき私が撫でたときはそんなことなかったのに』

 

あれ? 俺が吠えてるの気がついてないのか? というか俺のこの思いは犬としての俺の体に反映されていないのか? 俺の心の中ではくすぐったいからすぐさまその手を止めろと思っているのだが、現実問題俺は可愛くキャンキャン鳴いているだけらしい。

 

『私も撫でて大丈夫かなぁ……?』

 

『優しく撫でてあげたら大丈夫だよ。ほら……』

 

『わわ……。ほんまめっちゃ可愛い……』

 

『こうして撫でてあげたら……』

 

「ちょ、頭撫でんなって!」

 

ダメだ伝わんねぇ。

 

『つぶらな瞳……可愛い』

 

『うんうん、あ、なんだか雄緋さんに似てるかも……』

 

『本当だ……。なんだか面影があるような? しかも可愛いし……』

 

「俺だよ! 気づけ! あと可愛いってなんだ!」

 

いや、気付いたところで人間に戻れないから意味がないな。いや、というか持ち上げられてる今この状況で人間戻ったらそれはそれで最悪だよ。タイミングが。

 

『まりなさん呼んできたよー!』

 

『何の騒ぎ……? 私もあんまり元気ないんだけど……』

 

俺がか細い抵抗を見せていると、奥の方から元気な声と一緒にしゃがれた声のまりなさんがやってきた。まりなさんは完全に酒に喉をやられたダメな大人の典型例みたいな姿で、こちらを見下ろした。

 

『ちょっとちょっと、うちはペットの連れ込みはダメだよー?』

 

『それが、受付にいたんだよー?』

 

『受付に? なんでだろ? とにかく、あんまりライブハウスの中に動物なんか入れちゃったら、音に敏感な子なんかは危ないから、一旦外に連れて行こうか?』

 

「え? それは困るんですけど」

 

いや、まぁさっきから耳が良くなったとか嗅覚が強くなった気がするのは、そのせいか。1時間前ぐらいから店内を流れるロックなBGMがうるさいと感じていたのだが……。それはそうとこの、犬の姿で外に出されるのはそれはそれで危ない気もする。

 

『えー! でもそれじゃ可哀想だよー!』

 

「そうだはぐみ言ってやれー!」

 

『あ、ミッシェルランドに連れて行くなんてのはどうかな?』

 

「それははぐみやめてくれ……」

 

なんだか頭が最高にハッピーでスマイルになれそうなテーマパークだな。入った瞬間いよいよ出られなくなりそうだ。

 

『でもこのままは可哀想だから、はぐみが飼ってあげたいなぁ』

 

『はぐみちゃんってペットとか飼ってないよね?』

 

『でも千聖先輩のワンちゃんのお世話はしたことあるよ!』

 

レオンくんね。その節はお世話になりましたよ、えぇ。

 

『だからなんとかはぐみたちでなんとかしてあげたいんだけどなぁ』

 

『うーん、でも、とりあえずみんなも練習の時間があるでしょ? 私があとはなんとかしておくから』

 

『ありがとうございます、まりなさん』

 

「なんとかってなんですかまりなさん……」

 

どうやらその場を収めたらしいまりなさんは大きくため息を吐きながらキョロキョロしている。

 

『ちょっとー?! 雄緋くーん? 雄緋くーん!』

 

「はーい? って聞こえないのか、不便だな」

 

突然呼ばれたら返事をしてしまうのは反射的なものだから良いとして、どういうわけで俺を呼んでいるのか、まりなさんの独り言に耳を傾けた。

 

『いないのー? はぁ……。押し付けようと思ったのに』

 

「ダメだなこの上司……」

 

『というかまーたサボってんのー?! もーーー!! 絶対居酒屋さんでのこと根に持ってるでしょ……』

 

「その通り」

 

いやいや、サボってはいない。ついでにいえばもうシフトの時間は終わっている。あとは俺は帰るだけなのに、こんな姿で帰るとかどうこうの話ではなくなってしまった。けれど、まりなさんは俺を外のカフェテリアの方に連れて行こうとしているし、どうしようか。

 

『どうしたものかな……』

 

『あれ? まりなさん、どうかしたんですかー?』

 

『あ、七深ちゃん。実は犬が迷い込んじゃってねー』

 

迷い込んじゃったんじゃないんですよって言いたいけど、言っても無駄なんだよなぁ。悲しい。いや、儚い。

 

『ふむふむ、私に任せてくださいー』

 

『あれ? 何か良い案でもあった?』

 

『いつも仔犬みたいなしろちゃんをお世話してますからー』

 

確かに言われてみれば、あのオドオドしたところとか小型犬っぽいなぁ。いやいや、他人の心配をしている場合じゃなかった。今はとにかくどうしてこうなったのかと、どうやって戻るのか、それまでの間どうやって生きるかを考えなければ。

 

『うーん。なんだか変な感じですねー』

 

「ちょ! 変なところ引っ張るな! あと毛が、痛い!!」

 

チワワの耳らしき部分を軽く引っ張られたのだが、普通に痛い。あとついでに毛が巻き込まれて毛根が痛い。ここはやはり人獣共通なのか。

 

『……なんだか、雄緋さんに似てますねー』

 

『えー? そうかなぁ』

 

『あ、でも震えた感じがしろちゃんにも似てる』

 

『ましろちゃんに?』

 

『ライブ前のしろちゃんこんな感じなんですよ。で、とーこちゃんが緊張をほぐすためにこんなふうにビヨーンって』

 

「ちょ痛い!」

 

おそらく再現するためなのだろうが、軽く頬の毛を引っ張られた。これが猫なら思い切り反撃として爪で引っ掻きそうなものだが、いかんせん今の俺はチワワである。というかさっきからみんなして虐待しすぎだろ。生類憐みの令で江戸時代から罰するぞ。

 

『このワンちゃん可愛いですね。しろちゃんに似てるから、まっしろしろすけ、とかどうですか?』

 

『名前付けちゃうの?』

 

「え、俺名前つけられんの?」

 

『つーちゃんの呼び名と混ざっちゃった』

 

「そんな変な名前つけるからだろ……」

 

『……なんだか飽きました』

 

「え?」

 

『え?』

 

「いきなり? しかも飽きたって何?」

 

『あ、用事思い出したので失礼しまーす』

 

嵐のように来て、風のように去っていった……。あの飄々としたものは何か特別なものを感じる。まぁ俺からするとこれ以上の実害なく去ってくれたら万々歳ですけども。

 

『えー……。どうしよう』

 

『あれ? まりなさん、その犬、どうかしたんですかー?』

 

『あら、リサちゃんに、ひまりちゃん』

 

俺(犬)をカフェテリアのカウンター前の椅子に安置したまま困り果てた我が上司の元に訪れた2人。興味津々とばかりに、大きく目を見開きながら、しゃがみ込んできた。

 

『CiRCLEに迷い込んだみたいでね。2人は今帰り?』

 

『はい! リサ先輩のバイト先のスイーツ巡りに!』

 

バイト先……。本当なら俺もバイト上がりだー! 帰るぞー! アフターファイブだー! ってなってるはずだったのに。どうしてこうなったのか……。

 

『CiRCLEに犬かぁ。紗夜が居たら喜びそうだったんだけどなぁ』

 

『でもこのチワワ、目もくりくりしてて可愛いー! 抱き上げても良いですか?』

 

『良いんじゃない?』

 

「あ、俺が良くない!」

 

まぁ聞こえないんですけどね(n回目)。

 

『アハハ、ひまりすごい吠えられてるねー』

 

『私の抱え方がいけないのかなぁ』

 

『ちょっと貸してみて?』

 

『え、は、はい』

 

『こうやって……。胸元に抱き抱えてあげて、そうしたらこうやって、ヨシヨシ……ふふ』

 

「あ、聖母……」

 

『すごい……これぞ慈愛の女神……』

 

『頭を撫でてあげて……。雄緋をナデナデする場面想像したらいけそうでしょ?』

 

『た、確かに! よしよーし』

 

「痛い痛い撫で方痛い。あと、そんな想像すんな! 恥ずかしいから!」

 

『みんな雄緋くんに似てるって言うんだよねぇ……』

 

確かに、言われてみれば。自分で姿見で自分の姿を見たら似てるとなんて微塵も思わなかったのに、他人から見れば俺とこのチワワは雰囲気か何かしらが似ているらしい。あと瞳か。何が一緒なのかさっぱりだが。

 

『あ、雄緋と言えば。まりなさん、この間雄緋のこと、居酒屋さんでベロベロに飲ませてましたよね?』

 

『あ、そうだ! 見ましたよ動画!』

 

『……へ? なんの話?』

 

『アハハ……。惚けてもダメですよ?』

 

『あ、あ、あはは……。じゃあその犬よろしく!』

 

『あ、まりなさん逃げた!』

 

「ちょっと待って動画って何?」

 

聞き捨てならない単語が聞こえた。是が非でもここで、早急に追及したいのだが、生憎俺の声は届かない。くそう……口を滑らせろ……。

 

『あの動画、ヤバかったですよね』

 

『ね、お酒ってあんなに人を変えるんだねぇ』

 

『……というか、どうします? このワンちゃん……』

 

『あっ。……どうしよっか。連れて帰っても、飼えないよねぇ。アタシも友希那に散々猫を飼えないのに連れ帰っちゃダメだって注意したところなのに』

 

2人のため息が重なって大きなため息となる。いやはや……自分の存在がそこまで重荷になっているとは思わず逆に申し訳ない。本来なら元に戻ることで頭が一杯のはずだが、居酒屋さんの件だとかで多方面に迷惑をかけた覚えがあるので、これ以上誰かに迷惑をかけるのは忍びない。

 

『あら、ひまりちゃんにリサちゃん。こんばんは』

 

『あ、千聖さん!』

 

『やっほー☆ 千聖はレオンくんのお散歩かな?』

 

『そうなの。……えっと、その犬は?』

 

『あー、このワンちゃんはかくかくしかじかで……』

 

改めて俺が犬になってからの経緯を聞くと、完全にたらい回しにされている。千聖がレオンくんを伴って、現れたのだが、現状どうにもならない。

 

「おい、小童」

 

「……へ?」

 

「お前やお前。何よそ見てんねん」

 

「……え、レオンくん?!」

 

どこかから聞こえた声にびっくりしながらキョロキョロしていると、千聖の連れてきたレオンくんと目が合う。……が、チワワの俺からするとゴールデンレトリバーのレオンくんはデカすぎる。というかコテコテの関西弁。どういうことだ。

 

「あの、俺の声、聞こえるんですか?」

 

「犬やねんから当たり前やろ。お前なんで犬なってんや?」

 

「それが分かんなくて……」

 

『わぁ、レオンくんとこのワンちゃん、とっても仲良さそうですね!』

 

『ふふっ。そうね、レオンも、久々に他のワンちゃんと会うから、喜んでいるのかもしれないわね』

 

「で、犬になったお前は俺の話聞こえるんやな?」

 

「え? あ、はい、レオンさん」

 

いざ話してみるとこのレオンくん、貫禄たっぷりである。思わず自然と敬語が溢れる程度には。まさかこの犬の体になって誰かと話すことになるとは思っても見なかったので、困惑していた。

 

『やっぱり千聖は犬飼ってたら、扱いとか慣れてたりする?』

 

『そうね……。お世話したりはずっとしているから、分かるけれど』

 

「……まぁええわ。こないだは噛んだり舐めたりしてごめんな」

 

「……え? あぁ、そんな気にしてないから」

 

「一つ聞きたいことあるんやけど、ええか?」

 

「え? 何? ってうお」

 

レオンくんと話していると、突然俺は持ち上げられていて、千聖の膝の上に乗せられていた。

 

『……ふふ。こうしてみると、小さかった時のレオンを思い出すわね』

 

『千聖さんが小さかった時とかですか?』

 

『えぇ、今じゃこんなに大きくなったけど、あの頃はレオンも小さくて。昔はこんな風に膝の上でお昼寝してくれたりしたんだけどね……』

 

『レオンくん可愛いよねぇ。よしよし』

 

『っしょと。こんな感じで抱き抱えてあげると、顔をペロペロ舐めてきたり、懐かしいわね』

 

「……レオンさん可愛いとこあるじゃないすか」

 

「うっさいわ」

 

「ペロペロ?」

 

「しばくぞ調子乗んな」

 

「すいません……」

 

「で、聞きたいことやけど。自分、ご主人のこと誑してるけど、何考えとんねん」

 

「へ? 自分?」

 

質問の意図が分からず、俺はレオンくんに聞き返そうとした。その時だった。

 

『雄緋くーん! どこー!』

 

『あ、まりなさん。雄緋さん探してるんですか?』

 

『本当に、バイトサボってどこ行ったのよ!!』

 

まりなさんがそう叫んだ瞬間。

 

ボフン!! と大きな音と共に視界を煙が包む。

 

「きゃぁぁぁ何?!」

 

「ごほっ、ごほっ!!」

 

「ワンッ!! グルルル、ワンワンッ!!」

 

カフェテリアのテーブル丸ごと一個を覆うような白煙が辺りに撒き散らされて、むせた俺は咳き込む。数秒ぐらい何も見えなかったが、聞こえてくるのは周りの咳き込む声とレオンくんの吠える声。

 

「な、何この煙……って、……え?」

 

いつの間にか俺は元の体に戻っていて。

 

「……え?」

 

目の前には千聖の顔。俺は何故か千聖と向かい合って、千聖の膝の上に座っていた。

 

「……ゆ、雄緋? 何して」

 

そっか、さっきまで抱えられてたからこんな近くに、とか冷静なことを考えていたが、どうにかこの状況を打開しようとした俺は咄嗟に。

 

「……わ、わんわんっ」

 

「きゃああぁぁっっ?!」

 

「ぐほぉっ?!」

 

強烈なビンタを貰った。いやまぁそりゃそうなるよね……。遠のく意識。俺の耳には悲鳴と、遠吠えが響いていた……。

 

ワンッ、……ワンワンッ(あーあ、しかも聞くこと聞けんかったわ)



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シェフの気紛れ愛の鞭【RAS】

Eva(Ver2)様からのリクエストを元にした作品です。リクエストありがとうございます。






やぁ、みんなこんにちは。いつも厄介ごとに巻き込まれることで有名な俺だが、今日も今日とて、面倒な俗世に生きている。例えば……。

 

「ユウヒ、貴方をRASの料理長に任命するわ!」

 

「……は?」

 

拉致されました。

 

何? 訳がわからない? そうか、時を戻そう。

 

 

 

今日の朝のことだ。今日も俺は実に優雅な朝を迎え、朝日を浴びて、ウルトラスーパーワンダフルな新しい一日の到来を慶び

 

『Hello! ユウヒ! ワタシたちのところに来なさい!』

 

『待ってどっから来た?』

 

『雄緋さん! パレオはチュチュ様の命令に従順ですので……せいっ!』

 

『ごふっ』

 

 

 

というわけで、俺はここに連れてこられた。まぁ事情云々は俺も知らないのだが、冒頭みたいなことを言われたというわけである。

 

「待て待て、どういうこと? というかなんでこんな乱暴で手荒な方法を選んだの?」

 

「だから、貴方をRASのChefとして任命すると言っているのよ! Do you understand?」

 

「いやいや、分からん分からん。で、なんで拉致され」

 

「チュチュ様はモチベーションの下がる皆さんのために料理を作ってくださる方を探していたのです!」

 

「俺が、君らのご飯作るってこと?」

 

「そうよ! 前にレイヤとマスキングが貴方の家に行った時、食べられなかったって言ってたから、作れるわよね?」

 

「え? いや……」

 

どうやら、このポンコツプロデューサーは何かを勘違いして、俺のことを拉致してきてしまったらしい。いやまぁ、確かに以前レイヤとマスキが来た時は結局酔い潰れてご飯を食べるどうこうの話じゃなくなってしまったが。大事なことを忘れてしまっているらしい。

 

「……俺、料理出来ないんだけど?」

 

「……Ha?」

 

「……え?」

 

「だから、俺料理、出来ないんだって」

 

「……」

 

「……」

 

「What the fuck!!」

 

「わぁぁぁチュチュ様そんな汚い言葉を使ってはいけません!!」

 

「どういうことよ?! 貴方perfectな料理が作れるんじゃないの?!」

 

「美化されすぎだろ……。何でも屋じゃないんだぞ」

 

「……と、とにかく! 今日の練習終わりにRASのみんなにはspecialな晩餐と伝えてあるから心して作りなさい! 出来なくても練習してなんとかするのよ!!」

 

「ふぁっ?!」

 

こうして、俺は勘違いの末に、半ば強引に出来もしない料理を期待値MAXの状態で作らせられることになったのである。

 

 

 

「北条雄緋のー、お手軽数時間クッキングー」

 

いぇーい、という無理矢理にでもテンションを上げるほかない、悲しい声が響く。チュチュから仰せつかったご注文はオッちゃんみんなが満足するperfectな晩餐。晩餐ということだから、食後のデザートだとかそういうのでさえ求められているのだろうが、ホワイトデーで露呈した通りデザートを作ることすらままならない。俺はカップ麺を料理と言い張るような人間である。

 

 

そして、完成したものが。

 

 

消し炭になりました。いやまぁそうだよね。火を扱う料理とか作ろうとした経験すら殆どないからね。むしろこれだけの焦げで済んだのが奇跡まである。こんなものを流石に練習終わりのみんなの前に、というか練習後じゃなくても人前に出せる訳がない。それでも完璧な栄養バランス、見た目、味の料理を求められているのである。

 

 

そこから、彼の挑戦は始まった。

 

 

最初は失敗だらけだった。食材を無駄にすることもあった。ガス栓の閉め忘れで、危うく大爆発を起こす寸前すら経験した。

 

 

おそらく生命の危機を見てきた者だ。面構えが違う。

 

 

そして、彼は、至高の領域へ——。

 

 

「ダメだデザート出来ねえええええ!!!!」

 

到達できなかった。いや、一応彼なりに満足のいく晩御飯の用意は整ったのである。ところがどっこい、何度やっても食後のデザート、謂わば有終の美ともあろうものが散々な有様なのである。彼の試行錯誤の努力は全て水泡に帰する、虚しい結果で終わろうとしていた——。

 

「終わった……。練習終わるまであと1時間……。詰んだ……」

 

どうしようか、メッセージでも残してここから逃亡しようか。だが、これでもっと上を目指しなさいとかで愈々シェフとして正式に任命されにでもしたら、俺の1日の大半は食材の無駄遣いで終わることになる。世界一不毛な時間と言っても過言ではない。では上手くなればいいじゃないかって? 上手くなれてたら苦労してねんだよ!!!!

 

「……あれ、雄緋さん! お疲れ様です」

 

「……ってうおっ、マスキか」

 

自分の無力さを嘆くところに現れたのは仮にもシェフという俺の役目を知らないマスキだった。俺の存在がバレたことはまぁ仕方ないとして、マスキはキッチンを覗き込む。

 

「ケーキ作ろうとしてたんですか?」

 

「あ、あー。まぁそんなところかなー?」

 

「私も手伝いますよ」

 

「……え、マジ?」

 

「あ、ダメでしたか?」

 

「いやいやいやいや全然むしろ作ってください助けてくださいお願いしますお願いします!!」

 

「わ、わぁぁ?! 顔あげてくださいって!」

 

俺は、プライドを捨てた。尊厳を捨てた。

だって、無理なものは無理だったから。まさに天の使い、救い、メシアだったのだ。こうなれば百人力、いや、千人力、もっともっと上を——。

 

 

 

「ふふっ、今日はspecialな晩餐よ!」

 

「スペシャル?」

 

部屋に足音が近づいてくるとともに高鳴る俺の胸。やるべきことは全てやったとどうにかこうにか自分の心を宥めすかし、みなの登場を待った。

 

「あれ、雄緋さん?」

 

「って、すごい料理……!」

 

その顔を見たかったと、さも自分が三つ星シェフかのような心持ちで待ち構えていた。

 

「今日のdinnerはユウヒが作ったのよ!」

 

「え、えぇっ?!」

 

「雄緋さんの腕は素晴らしいですよ!」

 

「おい、ハードルを上げるな」

 

折角ボロボロの料理スキルを可及的最大限まで上げて、漸く出来上がったものたちなのに。それでも傍目から見ても、多少の甘めの評価を加味しても美味しそうな料理には仕上がった。少なくとも味の方は問題ない。もうここまでくれば、何も出来ることはないとみんなを椅子に座らせる。

 

「……ちょっと、ちょっと。Wait……Calm down.……saladが大皿じゃなくて、小分けにされているのはどういうつもり?」

 

「……ふっふっふっ」

 

席に着いたチュチュは目の前に鎮座した残酷な小鉢を見て、顔を青ざめさせた。これはもはや、拉致されてきた自分のできる精一杯の意趣返しである。だが、単なる嫌がらせではない。そうだろう? 苦手な食べ物なんてないに越したことはないし、栄養バランスが偏ることに比べれば、多少苦手な食べ物を我慢して必要な栄養素を摂ったほうが100倍マシ、況してやチュチュが絶対に食べないサラダは、言うまでもない。ドレッシングなどという逃げ道は存在しないけど、新鮮だから大丈夫!

 

「待って……この酢の物。まさか」

 

プルンプルン、コリッコリの何かの入った酢の物。単に海藻類の和物というわけではない。海藻たちと一緒に和えられた海の幸、なまこである。調理前こそグロテスクに感じるかもしれないが、こうして小鉢に入っているとそうでもない。海藻と一緒に口に放り込んだら食感も気にせずに食べられるね!

 

「あ、こ、このサラダ……」

 

チュチュに白目を剥かせた殺傷能力高めのサラダ。そのサラダにはもちろん緑色のあの香草と、真っ白でピリリと舌に辛みの残る生玉ねぎが。まぁでも4月になったこの時期。新玉ねぎをふんだんに使ってるから辛くないよ、やったね!

 

「あ、あ……」

 

「Oh my god……」

 

「そ、そんな……」

 

「あ、あちゃー……」

 

「好き嫌いはいけない、そう思うよな? マスキ?」

 

「そうだな。作ってもらってるんだから、文句言わずに食べないとな」

 

「ま、ますきの裏切り者……」

 

「あ、あはは……」

 

食卓は、阿鼻叫喚である。

いや、流石に俺もど畜生とかではないから、嫌いなものオンリーを食卓に並べてるとかそんなんじゃないよ? ちゃんとみんなが好きな食材や料理だってつけてある。主菜ではないが、カレー煮や一周回っておやつ感すらあるビーフジャーキーも用意はしてある。ただ好き嫌いは良くないよねという、克服して欲しいなぁという俺からの愛情であり、それ以上でもそれ以下でもない。決して拉致されてきたことを根に持っているわけではない。

バイトのシフトはブッチしたけど。

バイトはブッチしたけど。

 

……決して拉致のことをどうこう言うわけじゃないよ? 文句オンリーなら料理作らずに逃亡しているので。デザートなんざ絶対作らん。

と、俺が心の中で精一杯の謝罪を一通り終えると、みんなどうやら腹を決めたらしい。チュチュはまだ白目を剥いているが。

 

「じゃあ、いただきます!」

 

「……ん。わぁぁ、味しみてて、でら美味いわぁ」

 

「……おぉ。料理作ってるところは見てなかったですけど、このカレー煮、スパイスの配分も丁度良いですね」

 

「そこに気づくとは流石だな。……さてと」

 

嫌いな食べ物がさしてないのだろう。マスキとロックはいい。特別大好きな食べ物があるかないかはさておき、嫌いな食べ物なんてのはないほうがいいに決まっているし、そっちの方が栄養バランスは大きく崩れない。だからこの2人は良いのだ。問題は残り3人。

 

「あ……あ……」

 

「どうしたレイヤ。箸を持ったまま震えてるぞ」

 

「だ、だって……」

 

日頃取り乱すことのないレイヤが、なまこ1匹程度にここまで恐れをなしているというのは少し奇妙な光景ではあるが、彼女が苦手な食べ物と向き合う瞬間にまさに立ち会っているのだ。そう思って見守るほかない。

 

「なまこ食べなくたって、生きて、いけますよね?」

 

「何を言ってるんだレイヤ。なまこはミネラル豊富な海の幸だぞ。食べなくてどうする?」

 

「う……うぅ……」

 

涙目になっちゃったもので、少しだけの申し訳なさを感じつついると、救いを見るような目でこちらにふるふるとレイヤが箸を渡してくる。

 

「……その、雄緋さん。食べさせて、ください……!」

 

「俺が食べさせたら食べるんだな?」

 

「……はい!」

 

こうもオドオドとしたレイヤは初めてだったからか、俺は断ることなんてできずにそのレイヤの震える口めがけて、なまこと海藻たちを……そっと差し入れた。

 

「ん……んん……」

 

「……レイが終わったから、次私もお願いします!」

 

「マスキは自分で食べられるだろ」

 

「じゃ、じゃあ私も!」

 

「ロックもダメ」

 

「そ、そんなぁ」

 

そんなことしてたら俺の体が何個あっても足りなくなる。それにそれ以上に深刻な人たちが向こうにいるからな。

 

「ちゅ、チュチュ様。好き嫌いはいけませんよ!」

 

「パレオだって玉ねぎだけ綺麗に残してるじゃない! 食べてくれたら、玉ねぎ、ちょっとは食べてあげないこともないわ」

 

「……それは、くっ」

 

「……おやおや2人とも。どうした?」

 

「あっ、ユウヒ!! ……食べなさいよ」

 

「何を?」

 

「saladに決まってるでしょ! 全部食べなさい!」

 

「俺が食べるんじゃ作った意味がないだろ? 折角作ったのに食べてくれなきゃ悲しいなぁ」

 

我ながら大人気ないが、必殺技の良心の呵責責めである。罪悪感を感じさせたもの勝ちなので、姑息な手であること極まりない。

 

「くっ……卑怯ね」

 

「食べないのか?」

 

「……食べるわよ! パレオが」

 

「な、なんでですか?! あっでもチュチュ様にあーんしていただけるなら……」

 

「そうか、パレオは俺が食べさせるよりチュチュの方が良いん「チュチュ様自分で食べてくださいね!」

 

「パレオ?!」

 

誰かに押し付けられてしまえば、折角作った手間が台無しなので、それぐらいなら俺が餌付けした方がマシである。そう思えば躊躇はそれほどなかった。苦手な玉ねぎを前にして百面相を巧みに操るパレオは観念したかのように口を開けた。そして、サラダをざっと箸で掴んで口へ。

 

「ん……。……美味しいですよ?!」

 

「そりゃ、辛みが抜けるように手間かけたからな」

 

「こ、これなら食べられます! チュチュ様も是非!」

 

「No! ロック、食べなさい!」

 

「え、えぇっ?! 私ですか?!」

 

「ダメだぞロック。食べるならデザートのケーキと甘い蜜たっぷりの焼き芋はなしだ」

 

「……チュチュさん! 頑張って食べましょう!」

 

「Huh?! どれだけ買収してるのよ!!」

 

「さぁ、チュチュ。口を開けるんだ」

 

「あ、あ、うぅ……」

 

チュチュはぐずったように声を上げながら、目を思い切り閉じている。どうやら相当に嫌らしい。

 

「あ、あーんして」

 

「したら食べるのか?」

 

「日本のLovers達はこうするのが普通と聞いたわ。なら、するまでよ。決してsaladが食べられないわけじゃないわ」

 

「じゃあジャーキーでするか」

 

「Wait! 今ワタシはsaladの話をしているの、ほら、早く!」

 

介錯とあらば、時間をかけるなということらしい。憔悴しきったチュチュにこれ以上ダメージを与えるわけにはいかないので、彼女の勇気に応えるべく、俺は野菜たちを彼女の口の中へと……。

 

「ん……んん……Oh……」

 

悶絶している。だが、乗り越えなければいけない道だ。いずれ人生では嫌でもしなきゃいけないこととぶち当たるのだ。ならばそれを少しでも早いうちに体験しておいた方が良い。これは、まさに()()だ。

これは人生のそんな、大事な大事な、1ページなのだ——。

 

 

「金輪際chefとして雇わないわ……」

 

愛情が正しく伝わるとは限らない……。

 

 

 

p.s.

みんなでお口直しにデザートを食べました。



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情念の多い即席料理(ファストフード)店【花音&彩&ひまり&巴】

ここは、都内某所。

 

 

暫く食材を見たくない、そんなダメダメ大学生が小腹が空いた時に、飯のために行く場所とはどこだろうか? 居酒屋? 大学の食堂? コンビニ? 違うんだなーこれが。

教えて欲しいか? それは——。

 

「いらっしゃ、あ、雄緋くん!」

 

ジャンクなフード、ファストフード店である。大学生にとっても安くて美味いというのはこの上ない魅力であり、気がつけばフラッと訪れているものである。食欲を満たす時、食欲もまたこちらを見ているのだ。そういうものである。

 

「元気な接客は良いけど、私情は持ち込まないようにな、花音」

 

「うん! 心から笑顔を向けられるのは雄緋くんにだけだから、大丈夫だよ!」

 

客の取り扱いに差を持たせているのは、もはや炎上の種でしかなさそうだが、あまりに注意のためにカウンターで長居して、雑談と変わらないこととなってもいけない。俺は言及もいいかと思い、メニューに目をやる。

 

「私のおすすめは、……全部かなぁ」

 

「じゃあ全部、とはならないんだよなぁ」

 

「はい! 合計で¥48,520になります!」

 

「待て待て待て」

 

ここのメニューの欄にあるやつ全部を頼んだらなんてした日には俺の財布は冷たい空気を浴びることになり、俺はお湯の出ない冷たい水道水を浴び、人から好奇の目線を浴びる羽目になる。そんな大失敗はごめんである。

 

「とりあえず、フライドポテトはMサイズで、それと、ドリンクは、サイダーのSサイズを」

 

「はい! あ、お店で食べる?」

 

「そういや聞かれてなかったな。店内で」

 

「はい! もう少しでシフトあがるから、後でお邪魔してもいいかな?」

 

「え? あぁ、良いけど」

 

「はい! 料金は出世払いになります!」

 

「ありがとうございます」

 

出世払いという名の現金支払いを済ませた俺はキョロキョロと店内を見渡す。時間も飯時ではない、そこそこ微妙な時間帯ということもあって、店内は閑散としている。奥の方にあるテーブル席で良いかと、俺がトレーを持って、座ろうとした瞬間。

 

「雄緋くん、お邪魔するね?」

 

「え、上がり早くない?」

 

そこには既に私服に着替えていた花音が待機していた。なんということか。職人の早業云々でも説明できないほどのスピードである。

 

「ちょっとポテトが揚がるのが時間かかっちゃったでしょ? それで雄緋くんが受け取り待ちの時に上がらせてもらったんだ」

 

「そっかそっか。……近くない?」

 

テーブル席なのだから対面もあるはずが、花音はピトリと俺の右腕にくっついたまま離れようとしない。店内に人が少ないからこそ変な目線がないものの、人が多ければ顰蹙を買いそうである。

 

「ダメ?」

 

「ずるいな。というか花音は何も食べないのか?」

 

「……あっ」

 

「買ってくるな!」

 

「あ……。……むぅ」

 

俺は財布片手に、花音を置き去りにしてレジの方へと向かった。あんまり店内でベタベタとするのも……な。

 

 

 

 

ここは、都内某所のファストフード店。

 

 

花音が食べる用のメニューを買い込むことにした俺は、レジ前に誰もいないことを確認してカウンターの方へ——。

 

「……あっ! いらっしゃい雄緋くん!」

 

「……今度は彩か」

 

この店舗、何を隠そう。知り合いが4人勤務している。そのため来店すると異常なほどの知り合い遭遇率を誇る。店員とも、客とも。

 

「お店で食べるの?」

 

「あぁ、まぁな」

 

「では、ご注文をどうぞ!」

 

「えーっと。摘めるものがあるし、うーん。コーヒーのSサイズとアップルパイ……とかかな」

 

「はいっ、ご注文繰り返します。『丸山彩』をお持ち帰りですね?」

 

「ちょっと待て」

 

「オプションで、ホテルのご予約も、ですね!」

 

「ファストフード店だよね? というか自分で言っときながら顔を赤らめるな」

 

「……はい! 代金は『給料3ヶ月分』になります!」

 

「婚約指輪か!」

 

大学生のバイトの給料なんてたかが知れているから、一般的な婚約指輪は高すぎて届かないし、せいぜいファッション的なペアリングだが。

 

「私は雄緋くんとのペアリングでもいいよ?」

 

「俺がファンにボコボコにされるからNG」

 

「……ファンだけなら良かったのにね」

 

「今さらっとものすごく怖いこと言わなかった?」

 

「……はい! そちらのカウンターでお待ちください!」

 

「無視すんな」

 

「あ、花音ちゃん居るんだよね? 私も行くからね」

 

「あ……はい……」

 

みんな揃いも揃って一斉にバイトが上がりの時間なのか。いやーウンガイイナー。俺は注文した花音用のセットを店員さんから受け取って、席に戻った。店の通路をズンズン進んだ奥の方にあるテーブル席。そこにいるのは花音だけのはずなのに。

 

「雄緋くん、ありがとう。こっちに来て?」

 

「え? 雄緋くん。こっちに来てくれるよね?」

 

彩が既に私服姿で待機してました。え、早くない? さっきの花音も大概だったけど。まぁそれは良いんだ。瑣末な問題で、重要じゃない。一番大切なのは、修羅場にも近しい、花音と彩、どちらの座っている側を選ぶかだ。ご丁寧にも、対面の座席で花音と彩、綺麗に分かれて座っている。穏便に収めるのならば、彩を花音の方に行かせるべきだが、これはてこでも動かないだろう。

 

「……私の分買ってきてくれたお礼がしたいから、こっちにきてよ」

 

「う……」

 

そうと言われて仕舞えば、俺は拒むことなどできず、諦めて花音の隣に座る。彩からの視線が怖いなぁとか思っていると、徐に立ち上がった彩は結局こちら側の席にやってきた。あ、挟まれた。

 

「ふふ、やっぱり彩ちゃんもそうするつもりだったんだ?」

 

「考えてること、花音ちゃんと一緒で嬉しいな」

 

「煩悩まみれだなお前ら……」

 

2人して俺をオセロにする気満々なら、俺の最初の葛藤の時間はなんだったのか。後の祭りと言うほかないけど。

 

「じゃあ、早速雄緋くんに」

 

「ん、俺に?」

 

「餌付けして欲しいな……って」

 

そんな口を開いて待機するなと文句を言いたかったが、左右から挟まれているせいか圧力がすごい。俺は渋々目の前のテーブルのど真ん中に鎮座したポテトをつまみあげる。

 

「あの、左右から同時に口開かないで……」

 

「じゃあ、花音ちゃん、先にいいよ?」

 

「ありがとう、彩ちゃん」

 

流れ的に花音にポテトをあーんしてあげたら良いと思うでしょ? みんなそう思っただろ? 俺もそう思ったんだ。

 

「え、雄緋くん。餌付けって知ってる?」

 

「え?」

 

「鳥の親は雛たちに嘴で咥えた餌を与えるんだよ?」

 

「……は?!」

 

「んー」

 

つまりそれは細長い棒状のお菓子を両端から齧り合う、あの飲み会のノリみたいなゲームをポテトでしろと? 花音は既に目を閉じて待っているしそういう心算ってことだろう。彩もご丁寧にどうやればいいかなんてことを、もう一本のポテトを咥えながら伝えようとしてくる。

 

「……食べ物で遊んじゃいけません!」

 

そんな母親みたいなことを叱りながら、俺はポテトを咥えたりしてポカンとしていた2人の間を緊急脱出して、人気のあるレジの方へと逃げた。

 

「……いじわる」

 

「お預けってやつだよね?」

 

「……彩ちゃん?」

 

 

 

 

ここは、都内某所の煩悩に毒されたファストフード店。

 

 

半ば逃げることだけを目的として席を立ったものだから、レジまで来たところで特段何かすることがあるだとか、買うものがあるとかそう言うわけではないのだが、ここで店を出るわけにも行かない。荷物は席。実質的な人質状態である。

 

「……レジ行くか」

 

「いらっしゃいませー!」

 

「あーデジャヴ」

 

「あれ? 雄緋さん! 珍しいですね?」

 

「ひまり、バイト中の私語はアウトだぞ」

 

ここの店員はどうやら接客マニュアルが行き届いていないらしい。知り合いが来店することが多すぎたせいか完全に私語が常態化しているのか。

 

「ご注文お決まりですかー?」

 

「無視すんな。えっと、とろーりチーズのデリシャスバーガー」

 

「を、5つ?」

 

「5個も食べられねぇよ」

 

あともっと酷いのが注文を捻じ曲げてくるスタイルですね。頼んだものとまったく違うものを出してくるあたり、そんじょそこらのぼったくりバーよりも酷い、なんて届くことのない文句を胸中で垂れる。

 

「え、でも彩さんと花音さんの分と、私の分もありますよね? で、後で多分巴が合流するので、それで5つです!」

 

「巴も来ること確定なんだな……。で、バーガーは1つで」

 

「はーい! お持ち帰りですかー? 店内でお召し上がりですか?」

 

「あー、今なんだか食べられない気がするからテイクアウトで」

 

「はーい、持ち帰り用の袋でお渡ししますねー!」

 

「……え?」

 

「え?」

 

いやいや、ひまりは何も変なことは言ってない。なんでそれがおかしいような反応をしてしまったんだ俺は。

 

「どうかしましたか?」

 

「……いや、ひまりをお持ち帰りとか、そんな突拍子もない話をされるのかと」

 

「頭おかしくなりました?」

 

本当に。おかしくなってます。

 

「……そういうのは帰り道で2人き「お釣り結構なんで」もーーーなんでそういうところは最後まで聞いてくれないんですかぁ!」

 

俺は煩悩に犯されてしまった自らの思考回路をリセットすべく、1000円札をカルトンに叩きつけてレジを後にした。周りの人からやばい目で見られていたような気がするけど、大丈夫かな。

というより、改めてこの受け取りカウンターにいると、店内は時間柄それほど人がいないし、席も埋まっていないというのに、レジの前には徐々に列ができ始めている。しかもレジの機械自体は複数設置されていると言うのに、レジは何故だかひまりが1人で回している。人員不足だろうか。

 

「ご注文の商品お待たせしましたー! って、雄緋さん?」

 

「あ、巴」

 

殺到する客の波に翻弄されているひまりをぼんやり眺めながら待っていると、カウンター内から声がかかる。しかも帽子を目深に被っていたからぱっと見ではわからなかったが、声の主は巴だった。

 

「これ、注文のとろーりチーズのデリシャスバーガーです」

 

「ありがとうな巴。って、なんでカウンターから出てきた?」

 

カウンター横にあった押し戸を開けて、ユニフォーム姿のまま巴がフロアに出てくる。カウンター越しに商品手渡したんだから、それでいいんだろと思っていたのだが、なんのつもりか。

 

「さっき彩さんと花音さんが話してたんですけど、バイト上がりでご飯一緒に食べてるんですよね?」

 

「え、うん。そうだけど」

 

「アタシも参加しますね!」

 

「店員だよね?」

 

今、あなたはユニフォーム姿で俺に商品を手渡していたよね?

 

「いやいや、まだバイト終わってないだろ?」

 

「え、終わってなかったらダメなんですか?」

 

「店員だよね?」

 

今、あなたは決して客がしない格好で店を闊歩しているよね?

 

「まぁ終わってなくても忙しい時間帯じゃないんで大丈夫ですよ!」

 

「あーんもう捌き切れないよ! 巴ー!」

 

「あれ、呼んだかひまり?」

 

「レジ手伝ってぇ巴ぇ!」

 

「アタシ、今お腹空いちゃってな!」

 

「店員だよね?」

 

今、あなたは店のマークつきの帽子を被って接客してたよね? 忙しい時間帯じゃないから大丈夫って理由づけしてたけど、ひまりからのヘルプにも完全に目を逸らしたよね? そもそも休憩中に小腹が空いたから何かを食べたりとかなら分かるけど、今あなたは完全に勤務中ですよね?

……え、お前も勤務時間中にCiRCLEのラウンジでたまに雑談してるじゃないかって? 店が違えば文化が違うんです、批判は受け付けません。

 

「よーし、じゃあ休憩入るかぁ……」

 

「休憩って自主的に決めるものなのか?」

 

「いや、店長とかから休憩の時間になったら言われますね」

 

絶対それ大丈夫じゃないだろ。それで君たちがクビとかになっても俺は何の責任も取れませんよ? だって別に業務妨害とかしたわけじゃないし。

 

「あ、遅いよ雄緋くん!」

 

「巴ちゃんもバイト上がったんだね、お疲れ様」

 

「サボりですけどね」

 

「認めやがった……」

 

「あれ、ひまりちゃんは?」

 

「今レジにいるぞ」

 

「あ……」

 

何かを察してしまったらしい彩と花音はさておき、俺は席に戻る。花音と彩は俺が席を立つ前と同じように並んで座っていたので、これ幸いとその2人の対面に俺と巴が腰掛けた。

 

「あ、席に来るなら何かポテトとか持ってこればよかったですね……」

 

「じゃあ俺買いに」

 

「ダメ! 雄緋くんは今度こそそこにいてね!」

 

「……はい」

 

逃げ出そうとしたのだが、流れ的に俺が席の奥側で、手前に巴がいる。巴からは絶対に逃さないオーラを感じたので、脱出は多分無理である。

 

「さっきまでなんの話してたんですか?」

 

「あ、巴ちゃんが来る前は餌付けごっこしてたんだよ!」

 

「餌付けごっこ……」

 

ネーミングセンスというか、その響きの奇怪さには頭を抱えずにいられないが、そういやそんなごっこ遊びから逃げ出すためにレジに駆けていったんだっけ。人気があるところに行けばぶっ飛んだことしないだろうと想定していたのだが、結局自分でやばい話題を振ってしまったところは反省である。

 

「花音さんとか彩さんに餌付けしてあげてたんですか?」

 

「未遂だからな。っておい、なんで巴までポテトを咥えようとしてるんだ」

 

「え、雄緋さんに餌付けしてあげたいなーって!」

 

「結構で「ちょぉーーーっと待ったぁぁぁ!!」え?」

 

時間の経過と共にそこそこの賑わいを見せはじめていたファストフード店でも、その声は相当大きく響いた。あまりに突然の大声にみんな揃って惚けていると、その大声を発したやつが颯爽と登場した。それは。

 

「あ、レジの奴隷」

 

「不名誉ですねっ、はぁっはぁっ……。巴! 助けてくれてもいいじゃん! あと彩さんも勝手に休憩入っちゃダメですって!」

 

「あはは、バレちゃった……」

 

「お前ら店員だよね?」

 

さも上がりです、みたいな雰囲気で席で談笑していた3人の店員のうち、本当にバイト上がりだったのは花音だけだったらしい。不真面目なCiRCLE店員である俺が言えたことではないが、大丈夫かこの店。

 

「それで、どうしたのひまりちゃん。そんなに息を切らしてまで」

 

「だって! 私だけバイトしてイチャイチャしてるの眺めてるとかアホらしいじゃないですか!」

 

「お前ら店員だよね?」

 

「私も雄緋さんとポテトゲームやります!!」

 

「一番最初は私だもん!」

 

「そ、そうだよ順番抜かしはダメだよ!」

 

「店員としての自覚持てよなひまり!」

 

「お前ら全員店員としての自覚持てよ!!」

 

 

このファストフード店は、情念の多いファストフード店であった。

当軒は情念の多いファストフード店ですから店員から襲われる(食べられる)(意味深)ことはご承知ください。



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品評会に咲く花は【蘭&モカ】

4月も末に差し掛かり、冬の寒さを忘れてしまうほどに暖かくなってきた。それは朝の時間帯も同じことで、薄い掛け布団1枚でもすっかり熟睡が出来るほどには暖かい。俺はふわふわのベッドの上で春の陽気な睡眠を享受して……いたはずだったんだよ。

 

「重……って、え、金縛り?」

 

陽光がカーテンで遮られているから、部屋の中は薄暗いのだが、それでも仰向けで寝る俺の腰の上あたりにはシルエットがぼんやりと浮かんでいた。おまけに確かな重みが下半身には感じられて、俺は動くことができない。

これは創作の世界でよくみる金縛りかと身構える。漫画とかならここでそのシルエットが振り返ったら、ヨボヨボのご老人が怨憎の炎を瞳に宿して睥睨するような、そんな状況。俺は肝が冷える思いで震えていた、が。

 

「おはよ〜」

 

「……モカ? なんで」

 

そこに居たのは呪詛を唱えるご老人でも、現世に未練を残した地縛霊でもなかった。俺を金縛りに遭わせていたのはパンを咥えたダウナー系美少女でした。こんな感じのラノベのタイトルありそうだけど売れなさそうだな、なんてつまらないことを考えながら、どういう経緯でその美少女とやらが現れたのかを尋ねた。

 

「んん? モカちゃんがいる理由が気になっているのかなぁ?」

 

「……そりゃ」

 

「ズバリ、モカちゃんが目覚まし時計になってあげようとしたのですよー」

 

「……目覚まし時計?」

 

「そうそう。お腹に負荷を与えて目を覚まさせるタイプのとけー」

 

どこの世界にそんなアクロバティックな時計があるんだと文句の一つでも言いたくなったが、目が覚めたらちゃんとどいてくれたので俺はゆっくりと上体を起こす。目覚ましとやらが無駄に機能したせいでいつもよりもかなり早い起床となってしまった。

 

「春だからと言って、遅くまで寝てたらダメですよ〜?」

 

「モカには言われたくないな……ふあぁ……」

 

春夏秋冬、眠気に負け続けているこいつに言われるのは癪である。もっと反論しようと思ったが、あまりにも眠くて、あくびを噛み殺すのに精一杯だった。

 

「……で、なんで来たんだ?」

 

「……目覚まし時計?」

 

「じゃなくて、起こしに来た理由だよ」

 

ここで何の理由もなく起こしに来たなんて言われたら、それこそ俺は秒でモカを追い出して二度寝を決め込む。けれども普段から睡眠と恋人のようなモカがこんな早くに起こしに来たのだ。それなりの理由、俺を起こした動機なんてものがあるのだろう。

 

「実はですねぇ、モカちゃんは品評会に行きたいんです〜」

 

「……品評会?」

 

「そーそー。蘭が作品を出してるんだよ〜」

 

蘭が作品を出しているということは華道関連の何かしらか。それはいいとして、蘭の華道の作品ということならどうしてAfterglowの面々ではなく俺を連れ出したのか。あとついでにこんなクソ早い時間に叩き起こされなくちゃいけなかったのか。

 

「つぐは家の手伝いが忙しくて、トモちんとひーちゃんはバイトをサボったツケが回ってきてるらしいんですよ〜」

 

「……あ」

 

「そーいうことだから、ゆーひくんを連れて行こうというわけです〜」

 

「……朝から?」

 

「そこは気分ー」

 

「……はぁ」

 

これだよ。これだからさ……。いい加減家の鍵付け替えようかな……と思ったけど、大家さんに言うのも面倒だし、どうせ変えたところで誰かがすぐ合鍵作ったりしてるんだよね。俺には安息の地などないのだ。とほほ。

 

「ねっむ……」

 

「モカちゃんと一緒に二度寝しますかー?」

 

「1人で」

 

「あたしの体、あったかいですよー?」

 

「……あ、ほんとだ。じゃねぇよ」

 

「あふぅ」

 

二度寝した日には布団の中にまで潜り込まれていそうなので、俺は諦めてカフェインの力に頼った。さぁ……。行くぞ……。……行くぞ!

 

 

 

「おら、起きろ。行くんだろ」

 

「うーん」

 

そして、今は立場が先程と完全に逆転しました。どういうことかって? 俺のベッドでモカが眠いと言って二度寝を始めたら起きなくなりました。なんでだよ……。それなら俺をもう少し朝から寝かせてくれよ。

けど、そんな恨み辛みも夢の世界に旅立ったモカからしたら認識の外の世界の話で。俺がどれほど揺さぶっても、声をかけても、ほっぺたをびよーんと伸ばしても、モカはふにゃりとした唸り声を少し上げるだけで起きようともしない。

 

「早く起きてくれよ……」

 

「んー。眠った姫はねぇ、王子様のキスで起きるんだよ……」

 

「……は?」

 

キス? キスって言った? 寝言で? いやいや。

 

「おいモカ。起きてるだろ?」

 

「ちゅーが欲しいなぁ。もしくはパン」

 

Oh... kiss or bread?

そんな2択ある? ありました、ここに。

 

「早くパン食べさせてぇ……」

 

「……ほら」

 

「もっと近づいてぇ……」

 

「はいは……ん?!」

 

kiss or kiss。

 

「モカちゃんふっかつ〜」

 

「……ほら、いくぞ」

 

「えいえいおー」

 

こんなに気の抜けたえいえいおーが聞けるとは。不意打ちの不意打ちに心が疲弊した俺はモカを連れてようやく家を出た。

 

 

 

駅まで出て、電車を乗り継ぐこと数十分。花咲川からは少し離れた街の展示会場に赴く。西洋風の造りをした建物は華道の展示の他にも、考古学的に有名な何かの展示会だとか、美術品の展示なんかを盛んにポスターで宣伝されていた。俺は芸術だとかその他のものに疎いので、紙に踊る文字列の少しも理解できないのだが。

 

「よーやく着いたねぇ」

 

「誰のせいだと……」

 

俺が起きてからだと実に5時間ぐらい経っている。移動には1時間もかかっていないのだから、余程家でゆっくりしていたということがよく分かるだろう。この時間でいいならばやっぱり俺はもう少し寝ることが出来たはずなのである。後の祭りだけど。

 

「さーさーれっつごー」

 

「ほんと良い性格してるな……」

 

調子のいいモカに呆れながらも矢鱈と高級そうな赤絨毯を踏みしめる。ロビーからして格式高そうなのだが、こんなところに芸術のげの字も理解できない若造が転がり込んでもいいものなのか。若干周囲の目線を気にしながら、華道の品評会とやらをやってるらしい展示室への誘導看板を見つけたので、館内を歩く。

 

「おお、やってるねぇ」

 

「モカは来たことあるのか?」

 

「蘭が作品を出してるときはねぇ」

 

そこは幼馴染だから流石というべきか。廊下の角を曲がったところで、観音開きに開かれたドアがあって、その中にはそこそこ人が集まっている様子だった。多分俺たちのような一般の来客もいるのだろう。華道の品評会なるものを目に焼き付けようと、ドアを潜る。

 

「……おぉ。すごいいっぱいお花が並んでるな」

 

「感想が陳腐だねぇ」

 

うるせーほっとけ、と口汚く文句を言いたくなるのをグッと堪えながら、少しずつ厳かになっていく部屋の空気に口籠る。こういう場でもいつも通りの雰囲気を醸し出しているモカは一周回って大物である。俺は部屋に入ったばかりだというのに、通路の両サイドに並んだ作品に、近寄り難い正体不明の畏怖を抱いてすらいるのだが。

 

「蘭も来てるのか?」

 

「勿論だよ。どこかなぁ」

 

「……え?」

 

モカの間延びした声が部屋の奥へと飛んでいった丁度その時、後ろから聞き覚えのある、詰まったような声がした。件の人が現れたかと振り向く。振り向いた先にいたのは、普段ステージ上ではあまり見ることのないような、動きづらそうな和装に身を包んだ蘭。赤ベースに花の咲き乱れた柄といつもの赤メッシュが交互に目に飛び込んできていた。

 

「……おぉ。よっ、蘭。品評会? お疲れ様」

 

「……なんで、なんでいるん、ですか?」

 

「モカちゃんが呼んだんだよ〜。みんな来れないと蘭が寂しがるかなぁって」

 

「さ、寂しくなんてないし! え、え、ええっ?!」

 

「そんな大声出してもいいのか?」

 

「だ、だって!」

 

なんとなく周囲の人たちから冷たい目線が飛んだ気がするのは俺が荘重な雰囲気に当てられているだけだろうか。いや、蘭は俺たちに困惑しながらも、明らかに罰の悪そうな顔を浮かべている。これはサプライズ登場とやらはあまり良くなかったな、なんて反省しながらも珍しい蘭の姿をありがたく拝んでおいた。

 

「あー、も、もう! 外行くよ外!」

 

「え、ちょ」

 

「あーれー」

 

やっぱりその場の空気を乱すのは良くなかったらしく、顔を赤らめた蘭に引っ張られるがまま俺たちは部屋の外に連れ出された。展示室の中は暖かみのある濃黄色のライトアップがされていたが、一度ロビーだとかのある方に出ると、大理石なんかの主張がうるさく、蘭の和服姿が余計に目立った。

 

「で、なんで雄緋さんまで来てるんですか?!」

 

「朝起きたらモカに連れてこられた」

 

「も、モカ!」

 

「またまたぁ、蘭だって嬉しいくせに〜」

 

俺たちの予想外の登場にあたふたとしながらも元凶のモカに抗議の目線を向ける蘭。だが、モカからすればそんな反応も織り込み済みで、飄々と蘭の言動を受け流している。

 

「蘭もひーちゃんたちが来れないってなって落ち込んでたでしょー?」

 

「落ち込んでなんか……なんか……」

 

これほどまでに分かりやすい奴がいるのかと、モカと2人顔を見合わせてニヤリと笑った。品評会の経緯を詳しくは知らないが、蘭も本当はAfterglowのみんなに見てもらいたかっただとか、そう言う気持ちがあるらしい。

 

「で、でも雄緋さんが来るとか……聞いてないし……」

 

「言ってないしー」

 

「俺も知らなかったし」

 

「……そうですけど」

 

「ゆーひくんが来ちゃダメな理由でもあるのかなぁ?」

 

「べ、別にそんなことはないというか確かに来て欲しかったけどいざ来られると恥ずかしいしテーマがテーマだからぁ!!」

 

「は、はぁ?」

 

聞いたこともないような捲し立て方でペラペラと喋る蘭。いつにもないほど饒舌である。というかモカとの会話のペースに慣れすぎたせいか、蘭の口調があまりに早口すぎて半分も聞き取れなかった。

 

「よく分かんないけど、来て欲しかったならそうだって言えば良いのにー」

 

「そうだぞー」

 

「モカの口調の真似しないでください! 腹が立ちますから!」

 

「しくしく。悲しいなぁ」

 

「ちょ、モカには言ってないって!」

 

モカに翻弄される蘭を見ていると、まだ本当の目的である作品には一切触れていないと言うのに、今日来た目的が全て達成されたような気すらする。蘭が小さな頃から親しんでいた華道へのモカの理解が、そのやり取りのあちこちに凝縮されているようだった。

 

「まぁモカちゃんは1人でも行くつもりだったけどねぇ」

 

「……なら雄緋さん誘わずに来ればよかったじゃん」

 

「ほんとーに蘭、そんな風に思ってるのー?」

 

「……来て、欲しかった」

 

「……なんか俺が恥ずかしいんだけど?」

 

俺が恥ずかしがる要素はまるでなかったはずなのに、そこまで素直に吐露されるとそれはそれでこちらが恥ずかしい。勿論喜んでもらえて何よりだけれども。

モカがこの状況を面白がるように斜め前からこちらを覗き込んできたので、会話の流れ自体を変えるために俺は本来の目的を思い出して、2人を誘う。

 

「とにかく、蘭の作品を観に行こう、それからだ」

 

「……はっ、ちょ! ダメです!」

 

「……どうした? 蘭」

 

文脈的に蘭は俺がこの品評会に来てくれることを一応は望んでいたはずだ。そこで俺がダメだと言われて止められるのが分からず、俺はモカと蘭の顔を交互に見合わせていた。どうして出鼻を挫かれようとしているのか、と。

 

「その……。さ、作品は! 先に先生方の評価というか! そういう感じの何かがあるんでダメです!」

 

「え? あ、そうなの?」

 

確認のためにモカに目配せした。

 

「またまたー。そんなのないでしょー」

 

「モカ!」

 

そこは話を合わせてよ、なんてお手玉にされている蘭があたふたを隠さずに文句を言っている。まぁ、品評会といえど一般公開されているのだから、一般の観覧者も見ていいのだろう。少なくとも何度か来たことのあるだろうモカがそう言っているのだから大丈夫だと自分に言い聞かせる。蘭は頬を紅潮させたまま何も喋らなくなってしまっているし、モカもニヤニヤとするのみだった。

 

「とりあえず、行くぞ?」

 

「ほらー、らーんー。行くよー」

 

「も、もう……ダメだ……」

 

まるでこの世が終わるかのような悲壮感を蘭の言葉の節々から感じるが、モカの反応を見るにそんな大したことはないのだろう。多分これもいつも通りの何かだと思いながら、さっきまでいた展示室へと戻る。人の数はさっきと同じぐらいだが、通路に立ち止まりながら、ボードを携え何かを書き込んでいる人がいる。品評会というぐらいだから、何かと評価を受けたりするのだろうか。

白い布の被せられたテーブルの上に等間隔で並んだ生花たちが揺れることもなく静かに佇んでいる。モカの案内に従いながら、その横を通り抜けていく。蘭はやはり俯いたまんまで顔を上げようとすらしない。

 

「蘭の作品はどこかなぁ。ねぇ、蘭」

 

「……知らないし」

 

「あれー。冷たいなー」

 

「……うっさい」

 

蘭の言葉尻は刺々しいが、それは不満を表しているというか、本人の何かしらの葛藤の表れか何からしい。そのせいか、蘭に話しかけてもまともな返事は何一つ返ってこない。

 

「……なぁモカ。なんで蘭のテンションこんなに低いんだ?」

 

「さぁー? 蘭の作品を観ればきっと分かるよー」

 

「……見つからないならさ、もう帰ろ?」

 

「というか蘭が案内しろよ……」

 

「絶対ヤダ」

 

「あっ」

 

頑なに拒む蘭だったが、遂にモカが目的のものを発見したらしい。モカの小さな声がした方を見ると、モカが指さした先に1つの花器に飾られた生花があった。

 

「これが蘭の作品か?」

 

「……おわった」

 

「ほうほう……。味があるねぇ」

 

「華道のこととか全然知らないから味とか分かんないけど……。……ふむ」

 

さも通のように、口元に右手を添えて見定めたフリをする。左腕は顔を上げない蘭に掴まれっぱなしなものだから、遠目から蘭の作品を眺めてみた。

周囲の作品はかなり華やかなものが多い。4月だから花の種類も多いとか、そういうことなのだろう。事実、ぱっと見でも彩り豊かな、目に煩いほどにテーブルの上が多彩な色で溢れている。

だが、蘭の作品は右寄りに立つ1本の茎。その茎の先に1輪だけ真っ赤な花が咲いている。その茎に寄り添うように太い茎がもう1本、その赤い花に覆い被さるように聳えたっている。その2本の茎の根元には草本がいくつか生えていながらも、薄紫のちょっと独特な形の花が彩りを添えていた。

 

「……やっば全然分からん」

 

「この花はナデシコでねー、その下の方を辿っていくと錨草で剣山を隠しながらー」

 

「モカは解説しなくていいからぁ!!」

 

「茎の絡み方が幽玄の美を体現していると」

 

「変な言い方やめてくださいよもう! ほんとダメ……」

 

結局モカの説明もさっぱりなまま、蘭に帰れと背中を押されて会場を後にする。蘭の表情は最後までナデシコの花のように真っ赤だった。

 

 

   隠れ恋  美竹 蘭

 

素朴だけれど抑えきれず、隠しきれない純愛の

執念深さを不安定な全体で表現しました。



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キケンなオープンキャンパス【花女3年組】

丁度花女3年組の修学旅行イベも発表されましたね。キグウダナー。





みんなさ、もしかして俺がごく一般的な学生ってことを忘れてるんじゃないかと、ふと思ったんだ。だってそうだろう。人に曝け出すような俺の日常はいつもどこかのバンドの誰かに埋め尽くされている。人が知る俺の日常は俺の家と、バイト先と、花咲川周辺のそこだけで完結していると思う人が大半だろう。

だがそうじゃない。俺だって学生なわけだから授業はある。キラッキラのキャンパスライフを送っている時間もあるわけだ。もちろん大学の友達だっている。ぼっちなわけじゃない。ただ何かしらのハプニングによって、日頃俺が友達と遊ぶような時間が取れないというだけだ。

だから、今日は俺が大学に通う、いつも通りの風景をみんなに紹介しようと思う——。

 

「わぁぁ……高校なんかとは全然違う……!」

 

「彩ちゃん。あんまり騒いじゃダメよ?」

 

「いや……でも……すごいですね」

 

「学術の府の存在感に圧倒されそうですね」

 

「……なんでいんだよ本当」

 

高校生のみんなが一度は経験することがあるかもしれない。そう。

 

オープンキャンパス

 

そんな大学という次のステップに踏み出す行事を取り仕切るやつみたいになってしまっている。いや、違うんだよ。最初は俺も普通に授業あるからさ、3限だるーみたいな空気で家を出たら、いたんだよ。こいつらが。

 

「まじで騒ぐな。目立ちすぎたら誰かにバレでもしたら俺のキャンパスライフが終わる」

 

「もう終わっているのに?」

 

「雄緋くんが大学生ってこと殆ど気にしたことないもんね……」

 

そりゃあまぁ普段からタメ口で良いよなんて適当なこと言いまくってるわけだから、歳の差を感じずにフランクに接してくれるのは良いんだよ。けどね? それはあくまでCiRCLEでの関係性での話であって。自分の通ってる大学に高校生5人連れてきてるのはヤバいやつじゃん。

一応配慮したのか制服で来たわけじゃなかったけど、それでも入学したばかりの初々しい1年生よりもさらに若いからな。オーラでわかる。それに丁度サークル活動の新歓の時期だから頻繁に声がかかる。こんな新入生が大学生の階段を昇り始める、色々と混沌とした時期に高校生を連れてきた俺は完全にただのやばいやつである。

 

「というか、私たちはともかく、アイドルが居るのがバレたらまずいのでは?」

 

「Roseliaも大概だろ……」

 

というか知名度云々で語り始めるなら、花咲川からそれほど離れていないここではガールズバンドの話だって話題に上ることはある。そんな若々しい子たちを連れてきているのがバレたら普通に揉みくちゃにされかねない。連れてきている以上危険な目には遭わせられないので、こうして神経をすり減らしているわけである。

 

「あれ、雄緋くんは授業受けに行かないで良いの?」

 

「この状況でお前ら5人を放って行けるわけないだろ……」

 

「サボりは……良くないかと……」

 

「そう思うならせめて休日に来てくれないかなぁ」

 

なんか花女は何かの振替休日とやらで暇だったらしいのだが、世間一般はど平日である。GW前とはいえ学校も、会社も、休みのところはまぁないだろう。そんな折、俺はこうして花女3年組を自主的なオープンキャンパスに連れてきているのだ。

 

「雄緋くん授業出てても寝てそうだよね……」

 

「花音。図星なんだから言っちゃダメよ?」

 

「お前らの中で俺の認識どうなってんだよ」

 

「貴方は大学に何をしにきているのですか?」

 

「少なくともお前らを連れてくるためかな、今日ばっかりは」

 

案内するとはいえ、キャンパスツアーをするほど語ることもなく。俺とて普段自分が授業を受ける棟と図書館と学食、あとは大学近くの美味しい居酒屋さんとかしか知らないので、紹介するほどのものもない。流石にこの5人を連れて授業をしている教室に突入は無謀だし。

 

「大学ってもっと殺伐としたイメージがあったけど、意外と楽しそう!」

 

「……入る前はな、みんなそう思ってるんだよ」

 

「へ?」

 

「よし、取り敢えずカフェでもいくか」

 

正直図書館だとか、チラリと見せるだけで規模感がわかってもらえれば十分だし、名所となるようなものがあるわけでもないし、初代学長の像とか絶対興味ないだろうし。ならもう手っ取り早く学内のカフェテラスでお茶会でいいやとみんなを連れて行く。道中講義棟や図書館も通るだろうし、序でに紹介しておいて、比較的緑豊かな立地のカフェへと連れて行った。

 

 

 

「花女の中庭より広いですね」

 

「大学のキャンパスなんて、都市型じゃなきゃどこもこんな感じだ」

 

「松原さんが……迷子になってそうです」

 

「ふぇえ?!」

 

「大丈夫よ花音。私が手を繋いでいるから」

 

「千聖ちゃんはそもそも大学に辿り着け「彩ちゃん?」ひっ」

 

普段は同じ学部の仲のいい友達と大学で過ごすわけだが、そいつらと連む時に比べて遥かに華々しい。あと若い。若さって良いよね。既に俺からは消えつつある概念である。俺が普段訪れることが少ないとはいえ、陽光が木陰を隙間を縫うように差し込むテラスが、どこよりも光り輝いて見えている。

 

「……まぁ、お金は出すから、好きなの頼んで良いぞ」

 

「あら、ありがとう」

 

「ありがたく頂きます」

 

何せ大学生協のカフェだからな。組合員の方が支払いだとかが楽だ。しかも生協といえど、そのクオリティは街中にある洒落たカフェと比べても何ら劣る部分はない。ケーキだとか、デザートも充実しているし、ドリンクも普通のカフェにあるものは大概揃っている。みんなの注文とやらをカウンターで頼んだ俺たちは、庇が影を作る丸テーブルの方へと腰掛けた。

 

「そっか。雄緋くんって大学生なんだよね」

 

「今更だな。まぁ一年後、みんなも通るかもしれない道だからな」

 

彼女たちももう高校3年生。受験勉強とやらと嫌でも向き合わざるを得ない時期になる。自分語りにはなるが俺もこの時期は普通に辛かった。進路だとか考えるのも面倒になったりもしたし。

 

「受験勉強かぁ……。あはは……」

 

「丸山さんは、苦労しそうですね」

 

「うっ。し、精進します……」

 

「みんなその辺りの勉強はやってるのか?」

 

「私は、1年生の頃からコツコツと進めているので」

 

「流石は紗夜ちゃんね」

 

あ、彩が完全に俺から目を逸らした。まぁ、まだこの時期は尻を叩かれるほど勉強に真面目にならなくても、目指す進路を探す方が優先すべきかもしれない。

 

「千聖ちゃんはアイドルとか役者を続けながらだとか、大変そうだなぁ……」

 

「花音だってバンドは忙しいでしょう? それと変わらないわよ」

 

「……まぁ、極論で言えば、大学に進まなくたって社会に出る手段はあるからな」

 

それこそプロダクションと契約を結んでプロを目指すだとか、そもそも現時点でパスパレのようなアイドルは学校に通わずに芸能活動に専念するという道もあるだろう。否応なしに将来のことを考えさせられる、大人になるための通過儀礼のようなものだ。

 

「だから、全員バンドをこれからどうするかってことぐらいは、共通の悩み事になりそうだな。勉強を並行して進めるにしろしないにしろ、な」

 

そこはもう人生の先輩だぞと、下らないプライドや使命感に駆り立てられて、俺は語り始める。それはもう受験勉強の苦労だとか、合格発表までのメンタルの擦り切れ具合だとか、覚悟をしておけと言わんばかりの密度の話だった。そんなしょうもない自分語りに過ぎないというのに、至極まともに聞いてくれるあたりこの5人、ひいてはガールズバンドの子たちはみんな素直で優しいことこの上ない。

 

「やっぱり……大変……なんですよね」

 

「5人全員の進路が一致するとも限りませんからね」

 

「……うーん。難しいなぁ」

 

やっばい。オープンキャンパスだーという明るい気持ちで訪れたはずが、将来の不安に影を落とすような暗い話ばかりで完全に場の空気が沈んでいる。みんなの表情は葛藤や不安に惑うものとなっていたから、どうにかこうにか明るい話題を探そうとした。

 

「まぁでも、1番の悩みどころは……みんな、あれだよね?」

 

「……あれ?」

 

彩が共通認識だと言わんばかりに、卓についた面々の顔を見回しながら口を開いた。その視線に釣られるように他の4人を見ると、彩の言いたいことに薄々気がついているらしく、しかもそれは的を外れたものというわけでもないらしい。

 

「あれって何だ?」

 

「……それは勿論」

 

「誰が1番」

 

「雄緋さんの隣に立つものとして」

 

「相応しいか……ですよね?」

 

「……んん?」

 

「だから! 雄緋くんの伴侶に誰が1番相応しいか、だよね!」

 

訳わかんない。

 

「私でしょう?」

 

「は?」

 

「千聖ちゃん……?」

 

「わたし……かと」

 

「よし一旦ストップ」

 

余りに不毛というか、荒寥とした場に陥りそうだったため、待ったをかける。色々と異論というか、反論をしたいところではあるが、まず何故バンド活動の行先よりもそっちの方が重要となるのか、さっぱりである。

 

「いやいや、バンドの心配しろよ」

 

「ハロハピの活動をやめたりはしないよ?」

 

「私たちだって、パスパレの活動は続けるし」

 

「Roseliaも頂点を目指しますよ?」

 

「うん、なんでそこで俺の話が出てくるの?」

 

「恋は戦争、でしょう?」

 

「むしろバンドの存続は前提で……、ここからが本当の勝負、ですよね……?」

 

「そんなこと言われても……」

 

みんなのこちらを見る目が怖い。なんか血走ってるというか、飢えた獣が見せる双眸を向けている。絶対に誰にも負けないみたいな強い意志が宿っている。

 

「えっと……と、トイレ行ってきまーす!」

 

一旦退却しよう、そうだそれがいいそうしよう。困った時は一度退いて態勢を整えろとどんな兵法書にも書いてある。何も今にも抗争を始めそうな肉食獣たちの檻に閉じ込められる必要はない。建物の中にトイレがあるから、テラスからは見えない位置ぐらいまで逃げて呼吸を整えようと退却した。

 

 

「あっ、逃げられちゃった」

 

「何にせよ誰が雄緋の1番になるか、決着をつける必要がありそうね」

 

「争いたくはないけど……仕方ないよね?」

 

「当然です。全員で共有財産化する案も検討の余地がありますが……」

 

「誰だって1番に……なりたいですよね?」

 

 

幸い追いかけられることはなく、俺はトイレの個室内で一呼吸置くことに成功した。正直空気が怖すぎて今すぐには戻りたくないから、小一時間ぐらいこの個室に篭っていたいけど、ずっとあの5人を放置するわけにもいかない。

 

「……出るか」

 

諦めて大きく息をつきながら個室を出て、トイレを後にする。なんだかテラスの方からは禍々しいオーラというか、まるで世界の命運をかけた魔王との最終決戦前のようなオーラが溢れ出ている。けれども、逃げ続けても意味がない。

 

「……ってあれ?」

 

テラスの方に戻ろうとすると、先ほどまでいたテーブルに2人組の大学生らしき人影が立っていた。何やらビラのようなものを見せられながら、話をしているらしい。

 

「あ、雄緋くん!」

 

「……あぁ。サークルの勧誘か何かですか?」

 

画用紙に何やら写真だとかを貼りつけて意気揚々と喋る2人組。4月の終わりということもあり新歓に託けた何かだろう。彩たちの表情はどことなく『早く帰ってくれないかな……』みたいな表情をしていたので、取り敢えず会話に割って入る。

 

「そーなんですよ! どうかなーと思って」

 

「この子達、私の連れというか、この大学の学生じゃないので、他を当たってください」

 

いやほんとに、まだ高校生だから。変なサークルに捕まっても面倒極まりないし、連れてきた以上俺がそれを、みすみす害をなすような奴らを放っておくわけにもいかない。というか大事なうちのガールズバンドに手を出すなと言わんばかりに冷たい目で睨みつける。

 

「いやうち、インカレだから!」

 

勧誘ということもあり、粘り強く食らいついてくるが、努めて声を低く、冷たい対応をする。

 

「迷惑なので」

 

「……はぁ、行くか」

 

そこまですれば、この場でこれ以上は無理だと察したのかすごすごと逃げていく。その場の空気に居づらかったとはいえ、新歓の面を被った変な勧誘もあるこの時期にこの子達を5人で放置してしまったのは不味かったなと猛省した。

 

「大丈夫だったか……って、おお」

 

1番近くに座っていた花音が震える手で俺の上着の裾を摘んでいた。怖い思いをさせてしまったようで、本当に申し訳ない。

 

「……はぁ。全く、身の程知らずが多いですね」

 

「……へ?」

 

反省の念を心に刻み込んでいたのだが、紗夜の呆れるような声での吐き捨てに、5人は揃いも揃って大きく頷いている。

 

「ありがとう、雄緋くん。雄緋くんが居てくれたから、断りやすかったよ」

 

「あ、あぁ。なら、良かった?」

 

「新入生が来る時期だから……仕方がないですけど……」

 

「そういえば怪しい集団への注意喚起なんかも貼ってあったよね」

 

「えぇ。だから、私たちのこと、絶対に放っておかないでね?」

 

「……心に刻みます」

 

この子達もまだ高校生なのだ。俺が言えたことではないが、社会の闇が深い部分を知るにはまだ早い。この子達がどんな進路を選ぶかは分からないけれど、俺がその道の一つを指し示す以上はしっかりと見守ろう。

 

「雄緋さんのことですから、ナンパからもしっかりと私たちのことを守ってくれるでしょう」

 

「信じて……ますからね?」

 

まずはこの信頼に応えよう。俺ももっと責任感を持って、この子達を守らなければならないと、そんな決意を固めた、大学での1日だった。

 

 

 

 

 

「そういえば、みんなで雄緋くんに永久就職って進路もありかなって話になったんだけど」

 

「何の話?」



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たえデレラ異世界転移【たえ&薫&麻弥&りみ&ひまり】

GWは小説を書きまくろうとしてたら、3回目のワクチン接種による発熱で暫く倒れてました。というかまだしんどい。

本編どうぞ。






校門の前に据え付けられた看板。普通に考えて、高校の校門前にある看板なんてのは、例えば交通ルールを守るという注意喚起の看板とか、そういうものがせいぜいだろう。だが、この看板からはオーラが、風格が、溢れ出ているのである。それこそ、本当に光源が当てられているのではないかというぐらいの輝きを放っているし、その輝きは両隣でハートマークを浮かべる熱烈なファンを虜にしていた。

 

「薫先輩……あぁ……」

 

「薫さんってどうしてこんなにカッコいいんだろう……」

 

「……えぇ」

 

「いいなぁおたえちゃん。ヒロインを出来るなんて……」

 

看板にどでかく書かれたタイトルには、『たえデレラ』などというなんとも聞いたことがあるようなないような文字列がいた。純白のドレスを着たたえは何故か赤いリンゴを齧りながら、それを大きく手を広げ迎えにいく薫。

そんな宣伝用のポスターやら看板やらを見て、薫のファンたちは黄色い歓声を上げているのである。事実、隣で声をあげているりみとひまりも、そんな衝撃のステージを今日見られるということもあって、そのうち卒倒でもしそうなぐらい興奮をしている様子だった。

 

「いや、まず『たえデレラ』ってなんだよ……」

 

「なんでも『シンデレラ』の脚本を麻弥先輩が色々弄ったらしいですよ!」

 

「だろうな。だって毒りんごは『白雪姫』だし……」

 

たえが齧っているこのりんごが毒りんごなのかどうかは定かではないが、少なくともシンデレラのストーリーにりんごが出てきた覚えはない。どっちかというとかぼちゃの馬車とかそっちだろう。それと序でに言えば、告知看板の薫とたえの間に描かれた青いギターは『シンデレラ』にも『白雪姫』にも見覚えがない。というかそんな現代チックなギターが出てくる御伽噺は聞き覚えがない。そんな点を考えても、相当程度には原作に対して改変が加えられているらしい。

 

「でもでも、本当ラッキーだったよね! チケット当選するなんて!」

 

「うんっ。本番はまた今度って言ってたけど、まさかその前に見られるなんて〜」

 

きっと、みんな。頭の中に『?』ってなってるだろう。今日観に行くのに、本番はまた今度ってなんぞや? と。俺も最初りみとひまりに誘われた時何が何やら分からなかった。

で、話を聞くと今日は『完成記念式典・プレミア公演』ということらしい。どういうこと? お前ら普通の一高校の演劇部だよね? なんでそんな映画のクランクアップ記念の試写会みたいなノリで公演開けてるの? 実は興行収入でめちゃくちゃ稼いだりしてる? 薫の人気っぷりを見れば物凄い収入になりそうではあるけれども。

 

「でも開演時間までまだかなり時間あるよね?」

 

開演予定は18:00とかで、今はまだ16:00。多分当の演劇部やらは上演準備で多忙を極めているだろうが、単なる観客にすぎない俺たちからするとこの2時間はものすごい暇な時間である。

 

「あ、なら演劇部の部室行ってみましょうよ!」

 

「え、今は絶対忙しくてそれどころじゃなくない?」

 

「薫さんのこと出待ちできるかなぁ……」

 

あ、だめだこの子達。推しの尊さか何かに頭をやられて、完全に思考回路が短絡してしまっている。恋は盲目とはよく言ったものだ。

 

「よーし、そうと決まれば早く行こうー!」

 

そしてひまりの案内で、羽丘の演劇部の部室とやらに向かうことにした。

 

 

 

案の定部室の近辺の廊下に着くと、部員かどうかは分からないながらも、生徒が慌ただしく荷物の搬出をしたり、忙しなく部屋を出入りしたりしている。

 

「なぁ……。やっぱり忙しいんじゃ」

 

「あ、薫先輩だ!」

 

「本当だ」

 

だめなファンか。

 

「おや……子猫ちゃんたちが迷い込んでしまったようだね」

 

と思ったらこの演者も演者であったか。教室の窓から目敏く俺たちの存在に気が付いたらしい薫はつかつかと近寄りドアを開けた。

 

「折角来たんだ。ゆっくりしていってくれ」

 

「い、いいんですか?!」

 

「お邪魔します!」

 

本当にお邪魔になってないか、なんて思ったが、まぁ薫がそう言っているのだから大丈夫だろう。今の部室の中には会場準備の人たちはある程度出払ったのか、主演である薫と、たえの姿だけがあった。

 

「あ、りみ」

 

「おたえちゃん。おつかれさま」

 

「薫先輩もお疲れ様です! これ、差し入れです!」

 

「おや、嬉しいね。ありがとう」

 

「私も食べていい?」

 

「もちろんだよ?」

 

ひまりとりみがずっと大事そうに持っていた袋の中には小腹が空いた時に食べられるようなお菓子が沢山包まれている。お腹が相当空いていたのだろうか。何やら高級そうな赤の袋に入ったお菓子を、たえがかなりのスピードで平らげていく。

 

「……えっと。それで、『たえデレラ』ってどんな話なんだ?」

 

「麻弥が『シンデレラ』を元に書いてくれたお話なんだ……。あらすじだけでも教えてあげよう……。

 

あるところに、'たえ'というとても愛らしい娘が居りました。その娘は病弱で常に美しいギターの音色を聴いていないと、倒れてしまう特殊体質でした

 

「おいちょっと待て」

 

「おやおや……どうしたんだい?」

 

「特殊体質過ぎない?」

 

俺の耳がおかしくなかったらだけど、ギターの音が聞こえなくなった瞬間倒れるってことだよね? そもそも病弱は良いとして、それは最早そのギターの呪いか効能かどちらかなのでは?

 

たえは必死にギターを練習し、自分で満足の行くようなギターの音色を奏でられるようになっていました。しかし、ある日突然たえの周囲を眩い光が包み……。その光に導かれるまま目が覚めたら

 

「……目が覚めたら?」

 

なんとたえは遥か昔、ギターなんてものが存在していない時代、世界へと転送されてしまっ「ちょっと待てや」……何かな?」

 

「……え? 異世界転移ものか何か?」

 

「そんな近年流行の小説の傾向に囚われたものじゃないよ……」

 

「いやいやどっからどう考えても」

 

たえが異世界へと転移してしまった際に、たえの持っていた青いギターはどこかへと消えてしまい、ギターの音色を聴くことが出来なくなったたえは倒れてしまいました

 

「……おい、やっぱり異世界に転移してるじゃねぇか」

 

やっぱり流行に乗っかった感が満載である。多分タイトルをつけるなら、『ギター命の私がギターのない世界で音楽革命』とかそんな感じだろ。

一体今の話のどこに『シンデレラ』の元々の要素があったというのか。かぼちゃの馬車もガラスの靴も、意地悪なおばさんたちも出てこなさそうである。

 

「薫先輩はどこに出てくるんですかぁ!」

 

「それは観てからのお楽しみだよ」

 

「おたえちゃん、宣伝が上手いなぁ……」

 

「……とはいえ、折角私を求めて遥々この舞台に巡り会った子猫ちゃんたちに何のお土産も渡さないと言うのは、あまりに儚い……」

 

「……と、言うと?」

 

薫がバッと手を前に捧げながら跪く。その角度的にはどうやら俺も子猫ちゃんのうちの1匹としてカウントされているらしい。やめてくれ。熱量はひまりとりみと比べると遥かに劣っているだろうに。

 

「私はたえちゃんがギターの音色を取り戻そうと奮闘する時に颯爽と現れる異世界の音楽の伝道師なんだよ……」

 

「異世界の音楽の」

 

「伝道師?」

 

「めっちゃ面白そう……」

 

え、まじで? カオス展開が容易に想像つくのだが、ここから面白さを抽出するのは難しくない?

 

「おたえちゃんの儚い現世での御魂を繋ぎ止めようと薫さんが自分の身を削りながらも必死の形相でギターというアーティファクトを生み出すシーンが目に浮かぶ〜」

 

うん、やっぱりそこまで妄想を巡らせるような面白さを見出すのは難しくない?

 

「うん、りみが考えてるようなシーンあるよ」

 

「す、すごいよりみ!」

 

「薫さんの出てくる脚本を書く才能ならあるかも……」

 

それはそうと急に饒舌になりすぎでは? 2人の薫に対する入れ込み様は物凄く、嫌と言うほどに理解ができたが、残念ながら俺にはここまでのめり込むような情緒が理解できない。根本的に薫に対する捉え方が違うのかもしれない。

瞳に幾重ものハートマークを溢れさせている2人に乾いた笑いを溢しながら、ふと教室前方の時計を見る。談笑をしていたせいか、時刻は16:30を回り、教室に稀に出入りする演劇部員たちの動きもより一層慌ただしくなってきた。その時、またも教室前の廊下を駆けてくる足音が聞こえてくる。

 

「薫さーん?! たえさーん?! あ、ここに居たんですか!」

 

「おや……麻弥。そんなに息を切らせてどうしたんだい?」

 

「どうしたもこうしたも、リハーサルの時間とっくのとうに過ぎてますから! 早く来てください!」

 

慌ただしく駆け込んできた麻弥は肩で大きく息をしながらもすごい剣幕である。けど、そんな大慌ての麻弥とは対照的に椅子に腰掛けたままの薫とたえは全く焦る素振りを見せない。

 

「そういえばリハーサルの時間そろそろでしたっけ」

 

「そろそろも何も、もう予定だったらリハーサル始まってますよ?!」

 

「私の中では、リハーサルは16:40からだった記憶なんだけどね……。まだ16:30になったばっかりだ。そう焦ることもないよ、麻弥」

 

「は、はぁ? ……あ、あの時計止まってますから!」

 

「え?」

 

麻弥が指さした先には先程俺がチラリと見た教室前方の時計。その時計は未だに変わらず16:30を指し示し続けている。

 

「さっき言いましたよね?! あの時計電池切れですけど代わりの電池ないから今日は使えないってぇ!!」

 

「……儚い」

 

「儚いですね」

 

「ほら! 早く行きますよ!!」

 

麻弥に手を引かれ、ポージングを決めながら引きずられていく薫とたえ。本当に時計が止まっているのかと思い、スマートフォンの画面をつけてみれば、確かに現在時刻は16:51と表示されていた。

 

「……遅刻だな」

 

「遅刻しているのにあの余裕……。カッコいい……!」

 

「わかる……。あんな余裕のある大人に憧れるなぁ……!」

 

「えぇ……」

 

余裕がある大人は遅刻なんてしませんなどという俺の正論は聞き入れられることなく、この思考が逆上せた乙女たちに辟易するのだった。

 

 

 

「会場の皆さま、本日は本校演劇部主催、『たえデレラ、完成記念式典・プレミア公演』にお集まりいただき、ありがとうございます。まもなく開演いたします。はじまりはじまりー!」

 

講堂のある席に着いた俺たち。数分ぐらい経って、場内アナウンスが流れると、目の前の深い緋の幕が上がっていく。そして同時に、会場全体が拍手喝采に包まれた。

 

時は現代。この花咲川の街に、花園たえという、それはもう周囲から崇め奉られるような偉大なギタリストがいました。たえの奏でるギターの音は自由奔放ながら、確かなテクニックと情動の籠った、聴くものの心を震わせるような力を持っていました。しかし、たえは昔からそのようなギターを奏でる力を持っていたわけではなかったのです。これは、Poppin'Partyの花園たえとして名を轟かせる前の、不思議な不思議なお話

 

ナレーションが一通り終わると、舞台上にはスポットライトがぼんやりと当てられ、そこにゆっくりと歩み寄ったのは、主役とも言うべきたえだった。

 

『そういえば今日、あの日か。懐かしいな』

 

棒読み。なぜここまで感情を無にできるのだろうかというほどの清々しい棒読み。哀愁に浸る気持ちはその声色からは全く感じられない。なんでこんなキャスティングをしたのだろうか。

 

たえが思い浮かべたのは、3年前のある日。虚弱で、美しいギターの音色を聴いていなければ失神してしまうような自分に失望したたえが、漸くギターを弾けるようになった、そんな日常に訪れた奇怪で、摩訶不思議な体験のことでした。

 

『私は、あの日から成長したのかな』

 

ここでスポットライトが消されて、神妙なBGMが流れる。それは回想シーンに入ることが感覚的に伝わってくるような、ノスタルジックな音楽だった。

 

私は、3年前の今日、当然光に包まれ、目が覚めたらギターの存在しない、太古の世界に転移していたのだ。そこには現代で通用する音楽理論だとかいうものは存在しなかった。楽器というものも、叩いて音を鳴らすような原始的なものしかなかったのだ。ギターの音色を聴いていないと心臓の動悸が止まらず、数分で意識を失ってしまう私は酷く焦ったのを覚えている

 

『どうしよう。このままじゃ、死んじゃう』

 

『どうしたんだい? 子猫ちゃん……』

 

会場が静まり返る。あの、薫様の、登場だったからだ。

 

生命の危機に瀕した私が聴いたのは、どこか懐かしさを感じる温かい声。王子様のようなその声に、私は一瞬で恋に堕ちたのだ

 

『その、ぎたあというものの音を聴かないと、君は死んじゃうんだね?』

 

『はい、助けてください』

 

私は懇願した。掠れ始める声を上げて、ギターの音を伝えて、こんな音色が聴きたいと、嘆願したのだ。無理だということは、分かっていた。だってこの人はギターを知らない。この時代にギターはない。だから、私の一生はここで終わるんだって、諦めていた。けど、カオルサマは違った

 

『君が来た未来にしかない音色……。儚い……』

 

『御託はいいから、死ぬので、早く』

 

『そう急かさないでくれ。ぎたあが無かったとしても、その音色を聴く方法はないわけじゃない』

 

『どういう……』

 

『この世界には、音色を創る、そんな方法があるんだよ』

 

『音色を……創る?』

 

固唾を飲んで、舞台上を見守った。そして。薫がこちらに振り向いて、あのカッコつけた表情で。

 

『ビートボックスさ』

 

「え?」

 

「「きゃぁぁぁあああ!!」」

 

客席から歓声が上がる。え、今ビートボックスって言った? そんなことないよね? 音楽理論が存在してない、ギターもない世界でビートボックスとかないよね?

 

『この口で、君の命を紡ぐのさ』

 

「「きゃあああぁぁぁ!!」」

 

そこからは凄まじかった。薫が台の上に乗り上げ、渾身のビートボックスでギターの音色を披露。ノリは新春隠し芸大会のそれ。しかし、俺以外の観衆たちはそのギターの音色とやらに酔いしれていた。

正直、俺が異世界に来たのかと思った。

 

こうして、花園たえは元気を取り戻し、カオルサマと一緒にギターの音色を探し求めてこの世界の旅を始めた。そして、花園たえは魔法使いから貰った毒リンゴを齧り、呆気なく現世に帰ったのであった。おしまい

 

「え、終わり?」

 

「おたえと薫先輩の別れ、悲しすぎるよぉ……」

 

「おたえちゃんも薫さんも、お互いが信じる音楽の道を突き進んで、一生を全うしたんだね……!」

 

「え、どこからその感動の要素汲み取ったの? というかシンデレラは? ギターという名のアーティファクトを生み出す物語は? 毒リンゴは何?」

 

「煩いですよ! 人が感動の余韻に浸ってる時に口出さないでください!」

 

俺は物凄く怒られた。なんでこんなに理不尽な形で怒られたのだろうか。

俺は物凄く後悔した。なんでこの観劇のために時間を割いたのかと……。

 

『たえデレラ』は、羽女演劇部史上、最高の観客動員数を記録した。

なんでや、シンデレラ関係ないやろ。



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着ぐるみの中は【美咲&こころ&ましろ&つくし】

大鉄人ワンセブン様から頂いたリクエストを基にした作品です。リクエストしていただきありがとうございました。





それは、青天の霹靂、あまりに突然の出来事であった。

 

「いやぁ……、わざわざ付き合ってもらってすみません……」

 

「良いんだよ、これぐらい」

 

商店街を闊歩する俺と美咲。各々の両手には大量のビニール袋。事情があって、大量に買い込まざるを得なかった手芸用品とやらの買い出しとやらに俺は付き添いで出かけていたというわけである。

 

「ふぅ……。にしても急に暑くなったよな。5月になって」

 

「本当……。ミッシェルの中にいても、……あれ?」

 

気候変動の単語を連想する程度には暑さが増した日々を嘆き、着ぐるみの中に入ることの辛さを美咲が語ろうとした矢先、俺たちの視線が十数メートル先の路地へと向かう。ガサガサという大きな音とともに飛び出してきたそれは。

 

「って、ミッシェル?! なんでぇ?!」

 

「み、美咲が2人?!」

 

「あの中身あたしじゃないですって! 待てぇぇ!!」

 

「あ、おい!」

 

人通りの少ない道を颯爽と駆け抜けたミッシェルを追う美咲と駆け出した美咲を追う俺。美咲が謎のミッシェルの後を追って裏路地へと曲がろうとしたから、俺もそれを追って。

 

「えっ」

 

「え?」

 

突如俺の視界は真っ暗になった。

 

 

 

 

 

「う、うーん……」

 

すぐ近く、耳元に呻き声のような何かが聴こえて、俺の意識も覚醒する。しかし、目を開けても真っ暗で何も見えない。だが、周囲はいつにも増して蒸し暑く、圧迫感も感じる。

 

「……って、え?!」

 

「……その声、美咲かって、え?」

 

俺はその違和感に気がついた。真っ暗で身動きも取れない中で、確かに分かるのは柔らかい肌感。掌に吸い付くような何かを確認しようと俺は指をわずかに動かした。

 

「ひゃぁああぁ?! ちょ、何してるんですかぁ?!」

 

「ふぁっ?!」

 

俺は大声で詰られる。そして俺は悟った。どうやら俺に密着しているこの物体は美咲の身体なのだと。

 

「あともう少し上を触ってたら、ボコボコにしてましたからね?!」

 

「す、すいません」

 

「ていうか、え、これ、なんですか?!」

 

「俺にも分からん……」

 

俺が知覚できるのは、汗をかいてしまいそうなほどに、やたらと熱のこもっていた美咲の体だけ。どうやら俺の体勢は背中側から美咲のお腹の方へと腕を回して抱きつくようなものになっているらしい。ガチで後もう少し上を触っていたら、まず間違いなく処されるところであった。危ねぇ。

 

「て、てかなんで後ろからハグしてるんですか?」

 

「そんなの言われても俺だって目が覚めたらこうなってて」

 

「と、とにかく今どうなってるのか……」

 

美咲の声が途切れる。それは、急にどこか遠くから幼い声が聞こえてきたからである。

 

「あっ、ミッシェルだ!」

 

「へ?」

 

「今日のミッシェルいつもよりおっきいねー?」

 

それは商店街の近くに住む子どもたちの声だった。しかも、全身に感じるポフポフという感覚とその声からして。俺は美咲に物凄く小さな声で話しかける。

 

「なぁこれって、もしかして」

 

「……あたしたち、ミッシェルになってますよね」

 

美咲の対応は慣れたもので、子どもたちを上手く扱い、一旦お家の方へと帰らせた。周囲から人が居なくなったのか、美咲は大きくため息をつきながらぽつりと呟いた。

 

「これ、多分前に雄緋さんがなったみたいに、脱げないやつですね」

 

「……脱げないですね」

 

「……どうしましょう」

 

「さぁ?」

 

どうしようと言われても、どうしようもない。前の時は三日三晩はあの状態だったし。その調子でいけば、まず間違いなくこの着ぐるみから脱出は不可能である。なんてこった。

 

「あっ、ミッシェルーーー!」

 

「え? あ、こ、こころ?!」

 

着ぐるみのまま過ごさなければいけない日々を憂いて、悲嘆に暮れていると、向こうの方からミッシェルを呼ぶ声がした。俺からすれば着ぐるみの目の部分からの視界が利かないので、本当に声などの音と美咲の反応の他に外界の様子を探る術はないのだが、その両方が接近してくるのがこころであると告げていた。

 

「あれ、ミッシェル、少しいつもに比べて大きいわね。太ったのかしら?」

 

「え、えーーー? いやぁ、そんなことはないよぉ?」

 

「そ、そうだそうだ!」

 

「ちょ、何言ってんですか?!」

 

「え?」

 

あっ、やっばい。よくよく考えたら着ぐるみの中から2種類の声が聞こえてくるなんて、世紀末じゃん。いや違う。そういえばこころはミッシェルの中身が美咲という事実に気がついていないんだ。それならばミッシェルの中が俺の声だとバレた瞬間完全に詰みである。

……やってしまったという後悔ばかりが募って、俺はダラダラと冷や汗をかきながらも、行く末を見守る他なかった。

 

「あら? ミッシェル、声変わり? とっても渋くてカッコいい声ね!」

 

「単純で良かった……」

 

純粋さとは時に人を救うのである。俺は無闇に動かすことのできない両手でこの世の全ての巡り合わせに感謝を伝えるべく天に拝んだ。

 

「そ、それはそうと。こころは何かあたしに用なのかなーって」

 

「用? 用事はなかったけど、こっちに来たらとっーーーても笑顔になれる気がしたの!」

 

「あはは……。清々しいぐらい晴れやかな笑顔だね……」

 

「そ、そうかしら?」

 

なんだろう。着ぐるみの外で、というか着ぐるみを介して、尊ぶに値するような、物凄く純情なやりとりが展開されているような気がするのだが、俺からすれば視界は真っ暗なもので全くと言っていいほどその光景を拝むことができない。くそう。

 

「ミッシェルは笑顔になれないの?」

 

「え? あ、あたし?」

 

「そうだわ! 薫から聞いたのだけど、とっても笑顔になれる方法があるらしいわ!」

 

「え、薫さんが?」

 

なんだか美咲の表情が引き攣っているような、そんな気がする。見えないけど、そんな気がするんだ。それは俺も恐らく美咲と同じことを考えているからである。薫から聞いただって? 絶対まともじゃないじゃん、その方法。普段から、壇上でさえも台本を無視して、もはやアドリブだとかで許容される域を超えて『儚い』を連呼するようなあのクレイジー演者がまともな方法を持ち出してくるわけない。

 

「どんな方法?」

 

「ハグよ! ハグは各神経系の神経細胞で産生されるβ-エンドルフィンの増加を促して、μ-オピオイド受容体に作用することで多幸感を生じさせ、恒常性の維持に貢献するのよ!」

 

「なるほどなるほど、こころどうした? 何があった?」

 

え、こころ、急に生物学に目覚めた? オピオイドがどうたらこうたらって、もう学校の授業とかですらほぼ聞き覚えがないよ。普段のこころから、そんなアカデミックな横文字が飛び出すところも聞いた記憶はないし、難解な単語をペラペラと喋り倒すようなこころは後にも先にも見られることはなさそうである。

 

「あら、その声は雄緋かしら?」

 

「やべっ……」

 

「もう、何してるんですか!」

 

「すいません……」

 

そんなに怒られたところで後の祭りである。だが、美咲は、不審がっているらしいこころを前にして、この窮地から脱することのできるようなエキセントリックな手段を思いついたらしい。

 

「あははー。今、腹話術の練習をしてて、その成果、披露してもいいかな?」

 

「成果? 雄緋の声真似ってことかしら!」

 

こころからのそんな声でようやく俺は美咲に求められていることに気がついた。なるほど、ミッシェルが腹話術をしている体で俺が適当にそれらしいことを喋る、そういう手筈らしい。小声でどうするんだと問えば、話す内容は適当だし、こころの話と合わせろということらしい。

 

「やぁこころ。今日も笑顔がいっぱいだな!」

 

「すごいわ! 雄緋の声そのものじゃない!」

 

そのものだからね。

 

「早くみんなにも聞かせてあげましょう!」

 

「それがねこころ。これから商店街の代表として会議に出なくちゃいけないんだ」

 

「それは残念ね……。なら、また今度にしましょう!」

 

良かった。ただのでっち上げだったけど、この……2人1組? 体制のミッシェルでみんなの前に駆り出されるなんて事態になればいよいよボロが出る。こころはなんとか納得してくれたらしく、手を大きく振って帰っていった。

 

「なんとか乗り切れましたね……」

 

「……だな。とにかく、人が来ないうちになんとかこの状況を脱する手段をだな」

 

「……あたしは、もうちょっとこのままでもいいですけど」

 

「え?」

 

「雄緋さんとこうやって2人で近くで話せる機会そんなにないですし……」

 

近くで、というかゼロ距離なのですがそれは。

 

「その、ハグされてるのもまぁ嫌じゃないと言うか、嬉しいと言うか、それはまぁあの、あ、あぁ」

 

「ちょ、どうした?」

 

「もっと強くしてほしいというか荒々し「……あ、ミッシェル!」わぁぁぁ!!」

 

美咲の声は終盤の方が掠れるようになって判然としなかったが、急に外から聞こえてくる大きな声は誰かがまたもやって来たことを示していた。それがどうも、こちらに駆け寄ってくる足音は2種類あるらしい。

 

「こんなところにミッシェル……、えへへ……」

 

「や、やぁ、倉田さん……」

 

「も、は、速いよっ、ましろちゃん……はぁっ、はぁっ」

 

どうやらその声から察するに、今ミッシェルにダイレクトに届いた衝撃の元凶がましろで、それを後から追ってきたのがつくしらしい。つくしの声、息は荒く、遠くからミッシェルを見つけて、夢中になって駆けてきたましろをダッシュで追いかけてきたということらしかった。

俺がふぅと小さく息を吐くと、ましろにはくぐもって聞こえないであろうような小さく低い声で、美咲から喋るんじゃないぞと念押しをされる。俺とてさっきのような頓珍漢な真似はやらかさない。

さっきはこころだったからミッシェルの中に人がいるという事実がバレることが問題だったが、今となってはミッシェルの中に美咲と俺が一緒に入っているという事実がバレるのがやばい。マジでそういうプレイが好きな変態だとかと勘違いされかねない。

 

「やっぱりモフモフ……あれ」

 

「ど、どうしたのかな?」

 

「……今日のミッシェル、ふわふわだけど、……いつもと体型が違う」

 

「本当だ。なんだか、いつもより大きい着ぐるみですね」

 

「も、モデルチェンジしたんだよ? 最新バージョンに……」

 

着ぐるみを最新バージョンにモデルチェンジとはこれまたパワーワードを……。とはいえ、前方からハグをしてきたましろが違和感を抱くのは仕方のないことで、いつにもまして胴体部分が太くなっているから誤魔化しようがない。まだ着ぐるみの背後からハグをされていないからマシだとは言え、違和感を悟られると色々とまずい。

 

「着ぐるみもハイテクなんですね……」

 

「ハイテクなミッシェル……」

 

「倉田さんは、こういうミッシェルは、嫌いかな?」

 

「そ、そんなことないです! ステージ上で貫禄を感じさせながら、ふわふわピンクで可愛いミッシェルも好きですけど、いつもよりおっきいサイズにモデルチェンジしたミッシェルも好きです!」

 

そうか、某アイドルのふわふわピンクはそのお株をこのクマの着ぐるみにとられていたのか。ご愁傷様である。

 

「ましろちゃんは本当にミッシェル好きだよね」

 

「うん。雄緋さんの次ぐらいに好き……なんて……えへへ」

 

「ぶっ」

 

不意打ち。

 

「ちょ汚……じゃなくて、ましろちゃん? ミッシェルが1番だと嬉しいなぁ……なんて」

 

「ミッシェルも好きだけど……。雄緋さんはそういう意味じゃなくてれ「わああぁぁぁぁ!!」え?」

 

不意打ちを喰らったダメージから回復していると、突然今度は耳が潰れるんじゃないかと言うほどの大声を美咲が放つ。着ぐるみの中で反響して俺の耳は完全にお陀仏の一歩手前である。

 

「ど、どうしたんですか?!」

 

「なんでもないよぉ?!」

 

「で、えっと雄緋さんは「ああぁぁぁぁぁ!!」

 

「ぐへぇっ」

 

え、いきなり何が起きた? 俺も分からん。だって着ぐるみの中だもの。突然体が重力に従って背中の面から着地したかと思えば、背中側のモコモコの柔らかさと上から降ってきた美咲の体重とに押しつぶされ、柔らかくプレスされた。いや、柔らかくプレスってなんだよって感じかもしれないけど、本当に弾力性のあるプレスをされたのである。何が何だかよく分からないまま俺は鳩尾に深いダメージを負う。

 

「だ、大丈夫ですか?!」

 

「ぐふっ、み、ミッシェルはこれぐらい平気平気……」

 

「というか、何か喉が潰れたみたいな凄い声出てましたけど……」

 

「これ? ミッシェルの中から空気が抜けた音だよ」

 

「え、明らかに声「空気が抜けた音だから」は、はい」

 

俺のお腹から空気が抜けた音なんですけど……。なんてツッコミをする気力もない。俺のお腹はそれぐらいのダメージを受けたのである。何より突然、何の知覚もないままに喰らったダメージというのが大きすぎた。

 

「そのね、倉田さん? そういう話は今度いつでも聞くから」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「うんうん、なんだったらミッシェルとの握手でもハグでも高い高いでもなんでもしてあげるから」

 

「やったぁ」

 

「良かったねましろちゃん!」

 

良かったね! ぐふっ。

空気が抜けていく。俺の着ぐるみの中としての人格が、薄れて消えていった……。



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GWの小休止【日菜&つぐみ】

GW。世の人たちはみな連休だなんだとあちこちへ赴き、非日常を満喫するのであろう。テレビのニュースでは毎年の如く見たような、高速道路の大渋滞が空からのアングルで映されて、人々の営みが垣間見えている。

まるで達観したような、連休を悠々自適に暮らす人々を嘲笑するかのような言い方をしている俺だが、じゃあそんな俺はどうなのかと問われれば、勿論ありがたくこの休暇を享受していた。俺もそんな世俗の中の1人である。

 

「学校も何にもない休日って最高だなー……」

 

授業だとかゼミだとか、そんなめんどくさいもの全てからおさらば出来るし、バイトのシフトも出していないし、俺はまさに休暇を満喫する気満々であった。里帰りするには微妙に帰りづらい休日配置に帰省を諦めた俺が、GWをどう過ごそうかと思えば、その手段はもう遊び倒すぐらいしかない。勉強? しなくても生きていけるそんなもの。

だが、もう気がつけば三連休とやらは最終日らしい。ミッシェルになって色々やってるうちに気がつけば休みというものは消え失せていた。その失くなってしまった休みを取り戻すように俺は、日帰り旅行という形で……。

 

「ねー。まだ着かないのー?」

 

「渋滞してんだから仕方ないだろ……」

 

……おっかしいなぁ。本当は1人でこう、のんびりと車でね? 3連休の最終日だから高速道路の下りもそんな混んでないかなと期待しながら旅行しようとしたわけですよ。まぁたしかに、初日ほどは混んでなかったよ。けど違うんだよ、予定と。

 

「あたし流石にそろそろ飽きちゃったなー」

 

「ひ、日菜先輩っ」

 

「暴れんな。下ろすぞ? 高速道路で」

 

「パワハラ反対ー!」

 

車には日菜とつぐみが乗ってます。おっかしいなぁ……。

いやまぁ俺もね、折角旅行行くなら同伴者が居たらいいなとは思っては居たよ? 友達に聞いたら彼女と旅行とかいう羨ましい爆発すべきリア充が大量発生していたものだから、俺もそれに倣って愛しの彼女と2人でドライブデート! みたいなのを妄想していたわけよ。そしたらなんか、後輩のお守りになりました。違うんだ、俺が求めてるのはそうじゃないんだよ。

 

「というか、後部座席からじゃ景色横しか見えないもん。前の方見たーい!」

 

「ダメ。助手席に日菜が来たら、暴れられた時に事故起こしたら困る」

 

「あ、あはは……」

 

この間の天体観測とかやらはこっちも無気力状態で車を運転してたものだから多少騒がれても影響は出なかったが、今この状態で馬鹿みたいに騒がれると、高速ということも相まって大事故を起こしかねない。連休最後に事故で大怪我なんてのは勘弁である。

 

「もうすぐ渋滞してるエリア抜けますから、ね? 日菜先輩!」

 

「つぐちゃんがそう言うならー」

 

「……てかさ、なんでいんの? 本当に」

 

みんな、お前が乗せたんだろって思ったろ? 違うんだよ。駐車場から出て少し走ったところで信号待ちしてたら急にミラーに日菜の頭が映ったんだよ。気づいたら乗り込んでやがったってわけだ。最初は本当に心臓飛び出るかと思った。というか前の車に追突しかけた。

 

「え? だって雄緋くん、今から旅行に行くんだよね?」

 

「……そうだけど?」

 

「修学旅行の行き先決めるときの参考にしよーって、ね? つぐちゃん」

 

「ま、まぁ。行き先の案を作る時に役に立てばいいのかなって、思いました!」

 

違うよね? 修学旅行の行き先決めるのはまず生徒会じゃないよね? 学校でしょ? 流石にいくら生徒会長でも修学旅行の行き先とか決める権限はないはずだし、詭弁であることには違いない。大方、面白そうだからついてきたとかせいぜいそれぐらいだろう。

 

「……もうなんでもいいけど」

 

「そういえば行き先聞いてなかったですよね。どこに行こうとしてたんですか?」

 

「……箱根」

 

「温泉?! 温泉ってこと?!」

 

「あーうるさい! 騒ぐな!」

 

ものすごく後部座席で騒ぐ日菜を静かにさせていると、つぐみからも声がかかる。

 

「あれ、箱根に行くのに、車なんですか? この時期だと道路とか混みそうなのに」

 

「ん? あぁ。混みはするけど、移動中もプライベート空間でいられるからな」

 

「なるほど……、たしかに電車だと落ち着かないかもしれないですね」

 

「……あ、もしかして雄緋くん電車乗れないとかー? 千聖ちゃんみたいに」

 

「あれと一緒にするな……。初見で迷うことはあってもあんな悲惨にはなってないぞ」

 

「あーあ、知ーらない」

 

あんまりこっ酷く言うと今度とんでもない目に遭わされそうだからここら辺にしておこう。

そうこうしているうちに渋滞の続くゾーンを抜けたのか、スイスイと車が動くようになる。高速道路を運転すると言うのはやはりこうも気持ちがいいものか。少しだけ開けた窓から空気がさっと入ってきて頬を撫でるのが快感だ。

 

「それで、今日は箱根温泉に日帰りで行くってこと?」

 

「まぁな。泊まるほどじゃないし、というか明日朝から授業だし」

 

「雄緋さんと温泉旅行……。……枕投げとか」

 

「修学旅行じゃないんだから……。あと泊まりじゃないからな」

 

温泉旅館で枕投げをする不届きものにはなりたくない。枕投げでひと汗かいてその汗を温泉で流すなんてのもちょっと魅力的ではあるが、流石にやることが幼稚すぎる。

 

「……というかさ、俺、お前らがついてくるなんて想定してないから、部屋とかご飯とか1人で予約してるんだけど」

 

「……えぇっ?! あたしたちは部屋もご飯もなしってこと?!」

 

「そ、そんなぁ!」

 

「そんなこと言われたって勝手に車乗り込んでたのそっちじゃねぇか……」

 

いや、今更だけど、鍵俺が持ってんのにどうやって車に乗り込んだの? 流石に車のキーまで合鍵作りましたとか言われたら俺泣くんだけど。

 

「えっと、ちなみにご飯っていうのは……」

 

「宿で食べるのは夕ご飯だけの予定だったけど……」

 

「メニューは?」

 

「……国産牛のしゃぶしゃぶとお寿司」

 

「食べたい!!」

 

「……はぁ。宿の人に連絡して聞いてみるから……」

 

「ありがとうございます!!」

 

俺は緑の案内板で見る限り1キロほど先にあるとかいうSAにまで車を走らせ、流れに沿って側道に入る。後部座席ではまだ食べられるかどうかなんて確定すらしてないのに、2人でどこの肉だとかどうとかを話していた。

この膨れ上がる期待に応えられるのか、いやいや宿の人も当日にいきなり言われても困るし食材とか用意できてないし、そもそも用意してもらったとして財布から金が凄い勢いで飛んでいくなぁだとか、色んなことが頭をぐるぐる駆け巡っている。ちょっとぐらい請求しても許されそうだが、それは余りに情けないし。そんな葛藤を窓の外に吐き出したら丁度駐車場に空きを見つけたので車を停めた。

 

「トイレとか、今のうちに行ってこいよ。俺、これから宿に電話かけるから」

 

「はーい!」

 

めちゃくちゃ元気だなおい……。2人の中ではもう既にご馳走にありつけることで確定しているのかも知れないが、果たして宿の人にそんな無理が通るのかどうか、番号を調べて電話をかけた。

 

 

 

「ただいま戻りました!」

 

「ねーねーどうだった? いけた?」

 

「……行けました」

 

「え、本当ですか?!」

 

「当日キャンセルが出た分があるので予約内容も変更して、用意できるとのことです」

 

「ありがとー!!!!」

 

本当にありがとうございますと、俺はあと数十キロ先の旅館の方と、数時間後に一気に軽くなるであろう革財布に敬礼した。料金? 当然3人分だからな。日帰りとは言え、高いよ。

 

「しゃぶしゃぶ……」

 

「お寿司……」

 

「お手洗いは済ませたな? 出るぞ」

 

後部座席でトリップを決め込んで、まだ見ぬ極上食材に涎を垂らしそうになっている2人を尻目に、ドライバーは粛々と車を走らせた。

 

 

 

高速道路を降りた一行の車は、箱根湯本の街を訪れる。早川の流れに沿って道路が伸びて、その道路の並びには幾つもの土産物や茶屋、旅館が立ち並んで観光地の様相を呈している。観光地の良いところというのは、実際に店に入らなくても、こうやって目で見るだけでもその雰囲気を楽しめるところにあるのだろうか。

左右に迫る山々の木々の影に隠れるような家屋を見送りながら車は進む。俺は対向車や徒歩で歩く観光客らしき人を尻目に運転するのだが、その背景となる街の艶な雰囲気を楽しんでいた。

 

「ぐぅ……」

 

「……はぁ」

 

が、後部座席の2人はテンションをやたらとあげたのが祟ったか、揺られながらも睡眠に溺れていた。車のエンジン音に紛れて寝息が聞こえてくるのだ。外の風景を見て楽しもうとしている俺は、こいつらは観光に来た割にその辺りは完全に無視なのかと呆れながらも坂道を上っていた。

 

「……んんっ」

 

「あぁつぐみ。起きたんだな」

 

「……ここどこですかぁ?」

 

「箱根だ。目的地は割とすぐそこだぞ」

 

「……んんぅ」

 

どうやらつぐみもまだまだお眠らしく、生徒会長の寝息も健在である。だが、どうにか起きようという努力はしているらしい。目を何度も何度も擦っては、窓から見えている、道路の真上にまで枝を伸ばす木々や、1番下に荘という字を拵えて、いかにも旅館の風貌をなした建物に視線を向けている。そんな観光地らしさを実感すると漸く眠気もそこそこになってきたらしい。

 

「ここが、箱根温泉……」

 

「まぁ箱根温泉は温泉でも、目的地はもうちょっと先だけどな」

 

「温泉じゃないんですか?」

 

「いや、強羅温泉っていうところでな、カラフルな温泉があるって聞いたからな」

 

箱根温泉とは言いつつもそれはあくまでも総称で、実際には箱根周辺にはかなりの規模で温泉街が広がっている。さっき通ってきた箱根湯本なんてのは有名で、この辺りでは1番大きな類の温泉街になるが、その他にも沢山、特色豊かな温泉街がある。温泉ごとに特徴のある街がいくつもあるのも箱根温泉の魅力なのである。

 

「カラフル?」

 

「なんでも5色パステル温泉なんて言うらしいんだけど」

 

「……あはは、日菜先輩、寝てますね」

 

「だな」

 

起きそうにない。

でもまぁ、旅館に着くまでは後少しだし、今起こそうが着いてから起こそうがそれほど変わりがないし、着いたからでいいやとくねくねとした幹線道路を走らせて、坂を上った。

時折道路の近くを通る電車の音を聞き流しながら、談笑をしつつ山道を上っていると、視界が開けて街が見えてくる。依然として多くの木々が視界に溢れてはいるが、それなりに駅前のような発展を見せる街並みになってきた。

 

「お、あれだ。あそこだよ」

 

宿として俺が元々予約していた旅館が見えてきた。駐車場もそれほど埋まってはおらず、適当なところに車を停めた。

 

「日菜先輩! 着きましたよ!」

 

「……むにゃぁ」

 

「……紗夜が浴衣で」

 

「どこっ?! おねーちゃん?!」

 

「凄い起こし方ですね……」

 

「夢かぁ……」

 

「おはよう、チェックインするぞ」

 

渋々重そうな体を起こして車から降りた日菜とつぐみを連れて宿に入る。急遽予約内容の変更に応じてくれた宿の人にこれでもかというほど頭を下げまくった。

 

「よし、じゃあ早速温泉行くか」

 

「おー!」

 

「当然だけど、女湯と男湯別だからな」

 

「えーー!!」

 

「当たり前だろ……」

 

ここ旭湯じゃねーから。いやというか、旭湯のあの対応もおかしいから。

どうにか抵抗しようとする日菜とつぐみを引き剥がして俺は男湯にへと飛び込む。まずは運転に疲れた自分の体を労うための癒しのお湯を。日々の疲れを癒すってのはもうちょっと後でいい。どうせこの後美味しいご飯を食べたら、また帰りも運転しなきゃ行けないんだし……。

……あれ、なんで俺疲れを癒しに温泉に観光しにきたはずが疲れてるんだろ……。休みの日に休むために疲れて、疲れを癒すという無限ループを忘れるかのように俺は熱々の温泉にダイブした。

 

 

 

「……ふぅ」

 

温泉から上がって、本来楽しむはずだったお一人様ライフを満喫した俺は旅館の廊下を闊歩していた。え? 彼女とのリア充タイムが欲しかったんじゃないかって? うるせぇな居たら元から2人でデート行ってるんだよ余計なお世話だ、と誰に対するツッコミなのかすら分からぬものを無駄に考える。

いやでも、きっと、竹細工の灯籠でこんなに雅な橙に彩られた廊下で考えることではないのかもしれない。光が単に美しいのではなく、竹の節や竹そのものが構造上遮ることによって産まれる影の形が美しいのである。そんなものを眺めていれば、普段の冗長な悩みだとかは全てどうでも良くなったような気が——。

 

「ただい「えっ?」あ?」

 

自室のドアを開けて、襖の奥へと視線を向けた。そこには水色の羽織と緑の羽織でで上気した肌の一部を隠そうとしていた、2人の繊細で耽美な姿が。

 

「あ、おかえり。雄緋くん」

 

「えっちょ、日菜せんぱっ」

 

「あ、え」

 

「どーしたのつぐちゃん?」

 

俺は咄嗟に目を瞑る。これ以上はいけないという生存本能的なサムシング的な反射神経的なアレ的な何かのアレである。

 

「あ、これ? 雄緋くんもあたしの裸見るー?」

 

「早く着付けしろ!」

 

「ダメですってぇ日菜先輩! ってあ、あ、あ、私……あぁ……」

 

「見てないから!! 早く着ろよ!!」

 

まさか着替えてるとは思わないじゃん。こちらには背中側を向けてたからまだ良かったとは言え、部屋の鍵開いたままだったし、襖開きっぱなしは無防備過ぎるから気をつけろよと怒ろうにも怒らない、温泉街の夜の入りであった。



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吸血鬼(ヴァンパイア)・香澄【香澄&有咲】

雷鳴が轟き、奇怪な影が月夜に照らされる。透き通るような白い月光が紅く()え盛る血汐の滴りを映した。雫の元を辿れば、月の光よりも白く鋭い歯がその血を滴らせているのであった。

 

「次は……あははっ、そっかぁ」

 

血塗られた声が美しく闇夜の空気に溶ける。人々を恐怖と混乱の渦に陥れ、尊き紅血を吸い続けた悪魔が高らかに笑う。紅玉に染まった瞳が哀れな犠牲者を捉えた。

 

「待っててね……有咲♪」

 

吸血鬼、香澄。

 

 

 

 

 

3連休のゴールデンウィークとやらも明け、中途半端な平日に苦しめられた俺は、やたらと重たいお腹を摩りながら、夜食を買いに外に出ていた。今宵は最近にしては珍しく、吹き抜ける風は涼しい。雲の隙間から覗いている月も綺麗で、静かな夜だった。

だからであろうか、そんな静寂が破られた時のことははっきりと覚えている。

 

「っ?! うわぁ!」

 

「うわっ、……って、有咲? どうした?」

 

もう少しでコンビニに着くだろうという路地の角で、その静寂は破られた。俺が曲がろうとした角っこで、急に人が飛び出してきたのだ。しかも、落ち着いて見ればその人は、俺のよく見知った顔であった。

 

「あ、ゆ、雄緋さんかぁ……。びびらせんなよ……はぁっ、はぁっ」

 

「あぁ。悪い悪い。マスクつけてたら不審者みたいに見えたか」

 

「そ、そういうことじゃねーけど、はぁっ、はぁっ」

 

余程角から人が飛び出してきたことに驚いたのか、将又走ってきたからなのか、有咲の息は荒い。いや、おそらく後者だ。有咲の表情は、光源の下ということを加味しても赤く見える。恐らくここに来るまでに相当に走っていたのだ。

 

「どうした? というかこんな時間に出歩くなよ。迷子か?」

 

「迷子じゃねー! じゃなくて、いやっ、その」

 

有咲は説明に四苦八苦していた。かなり複雑な事態らしく、どう説明しようかと考えあぐねた様子の有咲はポリポリと首筋を指で掻いていた。そんな仕草に自然と目線がいった俺は、有咲の首筋の不自然な傷に気がついた。

 

「……有咲? 首のそこ、怪我してんのか?」

 

「え? く、首?」

 

「ここだよ、右の顎の下あたり。気がつかなかったのか?」

 

有咲は手鏡だとかは持ち合わせていなかったのか、俺がスマートフォンを内カメラにして渡してやる。そこに映ったであろう首の傷に、有咲は相当驚いたようだった。

 

「って、うっわ……。最悪だ……」

 

「傷に心当たりでもあるのか?」

 

「さっき香澄に……」

 

「……おお」

 

なんだろう、仲良いな。って、そんな風に茶化そうとした瞬間、有咲が勢いよく拒絶する。

 

「違いますから!」

 

「激しかった?」

 

「そういうことじゃないからな?!」

 

「キスマークぐらい今更気にしないぞ」

 

「気にしろよ?! じゃなくて、そう! 香澄! 香澄だよ!」

 

「は?」

 

なんだ今から惚気でも聞かされるのかと思って身構えた俺は、どうせほのぼのとした話をさも特別大きな出来事のように語られるのだろうと思っていた。有咲はなんだかんだ言って香澄からの絡みに嬉しそうな反応をしているから。

しかし、俺の期待は裏切られた。有咲の口から語られた事実は俄には信じ難いことであった。

 

「……は? 香澄に噛みつかれた?」

 

「そうなんだよ! 蔵で話してたらいきなり!」

 

「……お前ら、なんかアブノーマルな関係なんだな」

 

「アブ? はっ、違う! 違うから!! 普段からそう言うことしてるわけじゃない! んで、いきなり首筋に口を寄せてきたから何だと思ったら、噛みつかれたんだよ!」

 

「なるほどね……。その時の傷ってことか」

 

首筋に口を寄せてきたくだりで拒否しない辺り、キスマをつけられることへの抵抗はなさそうだが、傷となればそりゃあ痛いし別問題らしい。にしても首筋に噛み付くなんてまるで。

 

「吸血鬼みたいだな」

 

「だろ?!」

 

「分かった、分かったから落ち着け。それで、どうしたんだ」

 

「え? 香澄の様子が変だったから、引き剥がしてどうしたのか聞こうとしたら襲われそうになって……。命からがら逃げてきたんですって」

 

それはまた大変だったなと声をかけようとしたところで、ふと、全身を強い悪寒が襲った。違うぞ、オカンじゃないぞ、悪寒だぞ。どうやら有咲も同じようで、急にガタガタと震え出した。しかし、その震えようは異常だ。俺の感じた悪寒とは比べ物にならないほどの。

 

「どうした?」

 

「なんか、香澄が……。ちょ、そこの角曲がった電柱の影に隠れるから、上手く香澄のこと誘導してくれ!!」

 

「は、はぁ?! ……わかったよ」

 

どうやらこの怯えよう、それなりに恐怖の中襲われたらしい。ここまで懇願されてしまっては、見捨てるわけにもいかないし、現れるかもしれない香澄の出現を待った。そして10数秒が経ち、向こうの方から一陣のそよ風が頬を撫でた。俺はその風に震えながら目を凝らした。

 

「……あれ、ゆーひくんだ、おーい!」

 

「あ、あれ? お、おー、香澄じゃないか」

 

遠くの方からかけてきたのは、いつもと同じようなテンションの香澄だった。その様子に何らおかしいところはない。

 

「こんな時間にどうした? 流石に帰らないと怒られるんじゃないか?」

 

俺は時計を見るフリをして、スマートフォンを覗き込む。そこにはどうにかしてこの状況をなんとかしろとのお達しが。

 

「もう10時とかだし、そろそろ帰らないとまずいだろ」

 

「そうだけど、あっ! 有咲のこと見てないですかー?」

 

「……有咲? いやぁ、見なかったけど」

 

がんばれ、俺。何も知らぬ存ぜぬを貫き通すんだ。態度に出すな。俺は有咲の居場所を知らない。有咲の首にキスマに似た傷があったこととか知らない。

 

「……本当に?」

 

「ちょ近っ……」

 

笑うな……。幸い口元は花粉症予防のマスクで隠れている……。これならバレないはずだ。そんな風に考えていたところで、道の電柱に取り付けられた光に照らされて、香澄の顔がはっきりと見えた。普段とそれほど変わらないように見えた香澄の表情だったが、一つだけ気になる部分を見つけた。

 

「……あれ、香澄って、そんなに瞳の色、赤かったか?」

 

俺の記憶では香澄の瞳は紫に近かったはずだ。それが急に赤、それも炎が揺れるような真紅の輝きに変わることなどありえるのだろうか。

 

「え? あ、あーこれはねー、カラコンだよ! うん!」

 

「そ、そうか」

 

途端に空気が冷える。

 

「で、有咲の居場所、本当に知らない?」

 

「知らない知らない」

 

「電柱の影に居るって知らない?」

 

「知らない知らない、曲がり角の先の電ち……え?」

 

「えへへ、教えてくれてありがと♪」

 

「しまったぁ?!」

 

俺の馬鹿アホスカポンたん。そんな幼稚な言葉では片付けられないレベルでのやらかし。いや、というかそもそも香澄はなんで電柱の影に居るって知ってたんだ? まぁそれはいい、兎に角有咲に逃げるように叫ばなくては。隣を駆け抜けようとする香澄の左腕を掴みながら、マスクを外して思い切り叫んだ。

 

「有咲すまん! 逃げろ!!」

 

「は?! ちょっ」

 

「あっ。ちょ、……離してって、ぐ、ぐふっ……」

 

「え?」

 

急にフラフラと香澄の足取りが覚束なくなる。そして、大きな声を上げたかと思うと、俺の腕を振り切って、全速力で反対方向へと逃げていった。そんな叫び声と足音が聞こえたのか、曲がり角の方から有咲が顔を出す。

 

「ちょ、大丈夫……ですよね?」

 

「あ、あぁ。香澄は逃げていったから、大丈夫だぞ」

 

「てか何居場所バラし、って、ちょ……くっさ!」

 

「え?」

 

「喋らないでください! 公害ですから!!」

 

「そこまで言われる?!」

 

どうやら臭いと言われたのは俺が原因らしい。中でも俺の口。それに気がついた俺は慌てて外していたマスクをつける。

 

「ニンニクの臭いが凄いんですけど……。なんか食べました?」

 

「え? あー。晩飯は巴に誘われて濃厚背脂ニンニク山盛り特大チャーシュー乗せラーメン食べてきたからな……。お陰で今もちょっとだけ気持ち悪い」

 

「絶対口臭の原因それですって……」

 

「だよな……。って、ニンニク? あっ」

 

「どうかしました?」

 

俺は脳内で改めて吸血鬼に関することを思い出す。別段吸血鬼に詳しいだとかそういうことはないが、日光に弱いだとか、そういうこと以外にも確か吸血鬼には弱点が多い。弱点の中にはニンニクの臭いもあったはずだ。とすれば、さっき香澄が急に調子を崩したのは俺のニンニクの臭いが原因だろうか。撃退できたことの安堵の反面、ちょっと嫌だな、歯磨きしたい。

 

「香澄が逃げたのは、ニンニクの臭いがしたからかもな」

 

「な、なるほど……。じゃあ、丁度良いですね!」

 

「何が?」

 

「なんとかして私を家まで送り届けてください! 夜遅いんで!」

 

「あぁ。……それは勿論」

 

この際夜食が云々なんてどうでもいい。有咲が無事に帰ることが出来たらそれでいい。帰って香澄が待ち伏せしているんじゃないかなんてことも考えたが、そんなことを言っているとキリがないので、俺は快諾して、有咲の家を目指すことになった。

 

……のだが、意外なほどに、何も起きないままに有咲の家に着いた。ある意味では拍子抜けだった。震え上がるような冷気を纏って有咲を付け狙っていた香澄の影はどこにもなく、すんなりと家に帰れてしまったのだ。

 

「……なんとか、着きましたね」

 

「だな。今日は早く寝るんだぞ」

 

「分かってますって!」

 

「部屋まで送ろうか?」

 

「は、はぁぁ?! 変態! 悪魔! 吸血鬼!!」

 

「また縁起でもないことを……。兎に角、暫く香澄とは距離を置いて大人しくしてるんだぞ」

 

まぁ有咲が香澄と距離を置こうが、香澄の方から距離を詰めてきそうだけれども、何もしないよりかはマシであろう。それに吸血鬼ならば、昼間は日光の下では活動できないとかありそうだし。

突然ミッシェルになったり突然商店街に違法建築物が林立したりしても、数日後には何事もなかったように戻っているこの世界なのだ。1人や2人吸血鬼が出てきたところで多分明日ぐらいには元に戻っているだろう。香澄の記憶からも何が何やら有咲の首筋に歯を突き立てた部分の記憶だけがすっぽり抜け落ちて日常に戻るに違いない。

俺は結局、当初の目的であった夜食云々は買うことなく、家まで帰り、いつも見たような光景に安堵した。男子大学生の寂しい一人暮らしの部屋。

シャワーを浴びて、歯を磨き、戸締りを確認して俺は床に就く。

 

世界よ、おやすみ……。

 

 

「美味しそうな人、みーつけた♡」

 

 

「……ん?」

 

寝入ろうとした。その時だった。

ベッドの横の窓が急にガタガタと揺れ出した。それだけではない。閉めていたはずのカーテンがいつの間にか開け放たれている。雲の隙間からこちらを睥睨した月明かりが部屋を照らし出した。

 

「さっむ……」

 

目の前で突如発生した超常現象に冷や汗を掻きながらも、俺の体は恐怖心か寒さなのか分からない震えに襲われていた。俺が触ってもいないのにゆっくりと窓が開いて、隙間風がうるさく騒ぎ立てながら俺の肌に纏わりついた。

 

突然。

月明かりが一気に遮られて部屋が暗くなる。いや、部屋は明るかった。暗いのは、俺の視界だった。窓からの光を吸い込むように、俺の眼前に黒い何かが聳え立っていた。

 

「だ、誰だ……」

 

「やっほーゆーひくん!」

 

「……は?」

 

聞きなれた声。いや、1時間ほど前にも聞いたであろうかその声は。

 

「……香澄?」

 

ついさっき、俺を、というか有咲を慄然とさせるに至った吸血鬼。得体の知れない変貌を遂げたかつての戸山香澄であった。

 

「って、バケモノォ?!」

 

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って! 私はバケモノとかじゃないですってば!」

 

夜中に部屋を荒らして、人の寝込みを襲う正体不明のそれをバケモノと呼ばずして何と形容しようか。というか仮に香澄が相手だとしても寝込みを襲ってくる奴は問題児である。

 

「は、ま、まさか……。俺の生き血を?!」

 

「違います! そもそもヴァンパイアって美しい女性の血しか吸いませんから!」

 

「へ? そうなの?」

 

「はいっ!」

 

だから有咲は哀れなことに被害者になったのか。まぁ、香澄に敵意がないのだとしたら話し合う余地はあるかもしれないいやまぁこの時間に人の家に来る不届き者の考えを理解するための話し合いの余地はないですがえぇ。

 

「……てか、血を吸いに来たんじゃなかったら何で来たんだよ」

 

「え、ダメでした?」

 

「ダメだろそりゃ」

 

どこの世界に24時間フリーアクセスの一人暮らしの部屋があるんだよ。

 

「有咲のことか? 有咲なら知らないぞ」

 

「え? でも、有咲の首に私が吸っちゃった時の傷があること、知ってますよね?」

 

「え? あぁ。……あっ」

 

どういうことだ。今日の香澄は妙に聡い。まるで誰かから悪知恵を吹き込まれました、みたいなレベルの。というか俺が眠気に負けそうなせいかボロを出してるだけかもしれないけど。

 

ピンポーン。

 

俺が額に噴き出る焦りの汗を隠せなくなってきた折、こんな時間にも関わらずインターホンが鳴る。俺の前に立ちはだかる香澄も突然の来訪者に驚いたような素振りを見せた。

 

「なんだこんな時間に……」

 

「出ないんですか?」

 

「……あー。ちょっと出てくるわ」

 

一応誰が来たかぐらいは確認しておこうと、香澄を待たせたまま俺は玄関へと赴き、ドアの覗き穴を見る。そこにいたのは、有咲だった。

今、ここに来るのは不味かろうと俺は焦る。だが、有咲も俺がドアの裏側にいる気配を感じ取ったらしく、再度ピンポンが鳴らされる。これでは香澄に誤魔化すことも出来ず、俺は背後を振り返り、香澄がこちらを見ていないことを確認してからドアを静かに開けた。

 

「おいっ、何してんだ?」

 

「いや、その……」

 

「今、部屋の中になんでか知らないけど香澄がいるから、有咲は逃げ、え?」

 

突然ガッとドアを開けられる。驚いた俺は完全にドアの方へと意識を取られる。その瞬間、有咲が俺の首筋の近くまで顔を寄せ。

 

「いたっ……」

 

痛みと共に力が抜けた。急に貧血を起こしたかのような。

 

「……ちゅる。すみません、雄緋さん。私、ヴァンパイアなので」

 

「……は?」

 

「香澄に血を吸われて、なっちゃいました」

 

妖しく微笑んだ有咲の瞳は燃えるような紅だった。血で染めたような興奮の色に変わっていた。

 

「……はぁ?!」

 

「あ、有咲ー! って、先に吸うのずるい! 私も!」

 

「ま、待て……!」

 

俺はどうにかフラフラな体を起こして、後ずさる。だが、すぐに背中が壁とぶち当たる。

 

「吸血鬼って……美しい女性の血しか吸わないんじゃ……」

 

香澄の方をジロリと睨むが、虫の息の威嚇など何も効かないらしい。香澄が俺の前に腰を下ろした。

 

「有咲の血も美味しかったけど、ゆーひくんの血も試したいなって……」

 

「いやちょ……さっき吸われて、もう無理……」

 

視界が霞む。

だが、歳に似合わぬ妖艶な表情で耳に囁きかける香澄の甘い毒が、俺の思考回路を溶かした。

 

「拒否するなんて悪い子ですね……。ふふっ、吸っても、いいですよね?」

 

「あ、あ……」

 

俺の答えを聞く前に、牙が皮膚を貫いた。鮮血に濡れた声が(こだま)した。

 

 

 

 

 

さぁ、今宵は誰の生き血を吸おうか。俺は昏い街に旅立った。



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和菓子屋での邂逅【瑠唯】

みーくーすち様のリクエストを基にした作品です。リクエストしていただきありがとうございました。






「それで、起きたら冷や汗で背中までビッショリだったんだよ……」

 

「そうですか。風邪を引いていなければいいですね」

 

取り付く島もない。のんびり街を散策していてふと訪れた茶屋で出会った、ぶっきらぼうなCiRCLEの常連さんから、ざっくりと斬り捨てられたのである。いや、これだけじゃあ何が起きたのかさっぱりだろう。ならば事の次第とやらを語ってしんぜよう。

 

 

 

GWが完全に終わりを告げ、俺はただただ家から出たくなかった。そこ、ニートとか言わない。あれだ、俗に言う『五月病』なるものに苦しめられていたのである。年度替わりに訪れた連休、それが明ければ地獄のような平日がまたやってくる、そう考えた俺は気持ちよく寝ることが出来なかった。

月曜日の朝、どういうわけか荒い呼吸で飛び起きた俺。部屋は驚くほど静かだが、外には既に朝日が昇っていて、人間の営みも開始されているようだった。

なんだか長い悪夢のようなものを見ていた気がしたのだ。自分がまるでドラキュラのような、誰かの血を啜っているかのような。そんな悪夢から目覚めた俺は凄まじい量の汗をかいていたというわけだ。

 

『なんだ……これ……』

 

全身から力が抜けるような感覚と、悶絶しそうなほどの頭痛にベッドから這いずり出る。不快極まりない汗を流すためにシャワーをさっと浴びた俺は、大学の授業を自主休講するという手段に出て、昼間は完全に無益な時間を過ごした。そして学生たちが通学路で帰る姿を尻目に出かけたところ、心惹かれたちょっと高貴そうな、気品あふれる和菓子屋に流れ着いた俺は、瑠唯と出会ったというわけである。

 

 

 

以上、解説終わり。

 

「さっきから心ここに在らずといった様子ですが、具合でも悪いのですか?」

 

「……へ? あぁ、違う違う。こっちの事情だ」

 

「はぁ」

 

まだ平日の早い時間ということもあり、店内は比較的人も居なかったもので、知り合いだと見かねた店員さんにこの対面の席に案内されたは良いものの、口数の少ない瑠唯との会話の糸口に困っていたわけである。で、冒頭の朝起きた超怪奇現象を説明したら『非現実的です』と一蹴されました。なんてこったい。

 

「それで、その悪夢とやらに心当たりはないのですか?」

 

「心当たり?」

 

「話を聞く限りだと、吸血鬼とかそちらの類だと思いますが」

 

心当たりとは言われてもここ最近の記憶が蒙昧としており、はっきりと思い出せないのである。確か夜に出かけて何かが起きたところまでは覚えているのだが、その何かがわからない。そんなことを言えば、どうしようもないですね、と極めて冷静に、呆れられる始末である。

 

「……その首筋の傷は、どうしたのですか?」

 

「え?」

 

細く長い指を指され、暫く見つめていると不思議な顔をされる。指先に気を取られていた俺は慌てて首のところを確認した。なんだか二つの傷が皮膚に残っており、周辺が赤く腫れている。

 

「……なんだろうこの傷」

 

「吸血鬼にでも吸われたのではないですか?」

 

「はっはっ、まっさか」

 

笑って返して見せると、案の定起伏の少ない表情と冷たい目線を送られたため自重する。静かなお店だもんね、大声での会話、良くなかった、うむ。

 

「というか、瑠唯も冗談言ったりするんだな」

 

「冗談のつもりはありませんが」

 

「え?」

 

「……ごほん。意外と現代の科学だけでは説明のつかないことも、この世界には溢れていますから」

 

「……へぇ。超常現象とか信じなさそうなのに、意外だな」

 

「信じていませんが?」

 

「あっ……うん」

 

どうやら話を聞く限りでは、ポルターガイスト的な事象を起こす霊的存在を信じているわけではないが、現代の科学の発展状況からでは説明出来ない高度な物理的事象の存在は認識しているとのことらしい。改めて、まだ高校一年生だというのに達観した子である。

俺が瑠唯の思考の高尚さに感嘆していると、丁度俺の注文したメニューが店員さんによって運ばれてきた。

 

「お待たせ致しました。こちら、季節の茶菓子と抹茶でございます」

 

「あ、ありがとうございます」

 

目の前のテーブルに運ばれてきたお盆には、どこか哀愁を感じる焼き物の器に盛られた3色の華々しい茶菓子と湯気のたつ抹茶が。茶菓子にはこれでもかというほどに細く繊細な紋様がついて、華を忠実に再現しようとされていた。

 

「凝った茶菓子ですね」

 

「そうだなぁ……。作るのにどれぐらい時間かかってるんだろう」

 

こんなの俺が作ろうと思えば、一生かかっても完成しない自信がある。そりゃあ職人さんからすれば、これを作るのに何十年と修行を重ねてきた人もいるだろうから、簡単には真似できなくて当たり前だが。

 

「って、うおっ」

 

「どうしました?」

 

鋭い茶菓子の上面を凝視するのを止めようと顔を上げたら、思いの外俺の近くまで瑠唯の顔が迫っていたためびっくりした。テーブルが若干細くなっていることも相まって、茶菓子を眺めていた瑠唯の顔が近くにあったらしい。それはそうと、普段から淡々としているように見えた瑠唯が、この茶菓子には興味が湧いているのは意外でもあった。

 

「和菓子は好きなのか?」

 

「和菓子は、まぁ嫌いではないですが。私は白玉ぜんざいが好きなので」

 

「……ほう」

 

来店してからあまり気にしていなかったが、確かに対面のお盆にはとても甘そうな白玉ぜんざいが鎮座している。黒いお椀に浮かぶ小豆と真っ白な白玉団子が優雅に佇んでいた。

 

「というか甘いものを食べるんだな」

 

「……私はそんなに甘いものを食べるイメージがないのでしょうか」

 

「え?」

 

「以前広町さんにも、お菓子は食べないのかと聞かれたので」

 

「あぁ……。そんなイメージはあるかも。食べてるところが想像つかない」

 

とはいえ、お菓子を食べないイメージでのお菓子とはスナック菓子とかそういうところだろう。瑠唯がスーパーの店頭などで売っているような袋菓子などを買って食べているところがイメージしづらいだけであって、今みたいに甘味を食すところは絵になるような美しさを湛えている。

 

「でも、白玉ぜんざいを食べてる瑠唯は、なんだかカッコいいな」

 

「カッコいい……。……そうですか」

 

「うん。中世ヨーロッパの絵画なんかで描かれてそう」

 

「……なるほど」

 

美術館に瑠唯が器を片手にもの憂い気な目線を斜め上に向けた後ろ姿の絵とかが額縁に飾ってあったりしたら、その幽遠な儚さに思わず目を奪われそうなものである。思わずうっとりするような、凛とした雰囲気が絵からですら伝わってきそうだ。

 

「白玉ぜんざいは中世ヨーロッパに出てきそうにないですが」

 

「そこはまぁ……」

 

冷静なツッコミ。なんとか他の話題を探そうと、眼前で湯気を僅かにあげるぜんざいを頭に思い浮かべていた。

 

「ぜんざいかぁ、久しく食べた覚えがないなぁ」

 

「そうなのですか?」

 

「甘すぎる印象があるからかな」

 

ぜんざいに限らずだが、勿論お抹茶なんかとあわせれば、丁度いいぐらいになりそうである。しかしぜんざいを単独で食べるとその甘さに思わず狼狽えてしまいそうだからか、ここ暫く食べた覚えがなかった。

 

「それでも日常的に糖分を一定以上摂ることは大事ですから」

 

「それはまぁ……分かってはいるんだけど」

 

「脳が疲弊すると血中の糖が不足しますから。α-D-グルコースが不足して脳を動かすエネルギーが不足すれば、処理能力も落ちますし、勉強の効率も悪くなります。血糖値が下がって肝臓に蓄積されたグリコーゲンが使われる前に、炭水化物などから糖を摂取することも大事です」

 

「なるほど、分からん。というかこの前のこころといい、一体どうして何があったんだ?」

 

αが一体なんだって? 瑠唯の話がさっぱりな俺は糖分が不足しているのかそれとも単純に馬鹿なのか、どっちだ。後者だ。

 

「つまり、疲れた時には甘いものを食べろと?」

 

「そういうことです」

 

あれだけつらつらと専門用語が飛び出した割には結論はそんな自明なことなのかと思っていると、突然不意に、目の前にスプーンが差し出されていた。そのスプーンには親指大の白玉ぜんざいが小豆と共に乗っかっていた。

 

「え? これは?」

 

「どうぞ」

 

「え?」

 

「ですから、口を開けてください」

 

「ん」

 

「あーん。どうでしょう?」

 

「すごく……甘いです」

 

「良かったです」

 

こんなにも淡々としたあーんがあるのだろうか。いや、これは俺が余りにも初心すぎるからこんな反応をしているだけで、実は世間一般ではあーんで食べさせるだなんてごく一般的なことなのか? 思考の無限ループに突入しようとしている自分を必死に抑え込みながら、ふっと目を見開いた。

 

「って……。瑠唯、顔が赤いぞ」

 

「……はい?」

 

「だから、顔が」

 

交感神経系が優位になっているだけです。(私だって慣れないことで恥ずかしいんです)

アドレナリンの放出が促されて、(それぐらい態々口に出さないでも)

顔面の血管が拡張したんです(分かるようになってください)

 

「な、なるほど?」

 

さっきから生物用語が飛び交ってさっぱり分からんぞ。兎にも角にも、顔面の血管に流れる血の量が増えたから、赤い血の色がより濃く見えるせいだなんだとかそういうことらしい。

 

「美味しいですか?」

 

「とても……美味しゅうございました」

 

「それは良かったです」

 

そこまで言い切ると、何故か次はお前だとばかりに口を小さく半開きにしながら、何も喋らなくなる瑠唯。

 

「えっと……瑠唯さんや、その顔は」

 

「早くしてください」

 

「あっはい」

 

どうしようかと思い、とりあえずお盆の端に載っていた木のナイフで桜色の花の茶菓子を半分ぐらいのサイズに切る。断面を見ると、これも美しい餡子の断層となっていて、その作りの良さに惚れ惚れとする。茶菓子に見惚れるのもそこそこにして、それ用らしき串に刺した茶菓子を持ち上げる。

 

「えっと、はい、あーん」

 

「あーん……。ん……。……ん」

 

顎に手を添えて、ゆっくりと咀嚼する瑠唯。さっきまでの顔の赤さはどこへやら、今は口の中で蕩けるような茶菓子の味をじっくりと吟味している。というか俺がそもそもこの茶菓子を食べていないのだから、瑠唯に味見をさせてしまったようになっていた。

 

「ど、どうでしょう」

 

「しっとりとした味わいかと思いましたが、餡子の方まで口に含んで咀嚼すると、餡を舌で押しつぶした時にぜんざいよりも僅かにあっさりとした甘さが広がって、絶品ですね。桜をイメージしているからか、薄めの味に仕上がっているのも私好みではありますね」

 

「おお……食レポが上手い」

 

「ありがとうございます」

 

デザートの食レポで、カメラに向かって『美味しい』を連呼していたふわふわピンクのレポーターよりも味がしっかりとイメージされるような食レポだった。いや、あの子はあの子で表情と声から『美味しい』の気持ちが全力で伝わってくるから、あれはあれで良いんだけども。

 

「食レポをしたつもりはなかったのですが。それはそうと、食べさせていただきありがとうございます」

 

「いやいや、それぐらい良いんだよ。餌付けとか色んなところでやってるしな……」

 

この間のファストフード店でのポテトとかね。あれ以外でもしてる時あるけど。大丈夫かな、今の俺はどこか遠くのところを見つめてはいないだろうか。

 

「……そうですか」

 

「うん」

 

「じゃあ、もう一口、どうぞ」

 

「え?」

 

「一度やっているなら二度でも変わらないでしょう? 早く」

 

「あっ、じゃ、いただきます……」

 

「……どうですか?」

 

「ぜんざいです」

 

「知っています」

 

残念だが俺に食レポの才能はないらしい。まぁこれ以上飯テロなんてものをしても致し方ない。

 

「その、美味しいです」

 

「そんなことが聞きたいんじゃないんです」

 

「え?」

 

「……ごほん。失礼しました。何でもありません」

 

「ん? そう?」

 

「はい」

 

何やらあまり良く分からなかったのだが、本人が満足とならばそれで良いや。

 

「それはそうと、茶も飲まなければ、折角熱い淹れたてのものが冷めてしまうのではないでしょうか」

 

「あ、たしかに」

 

「私はちょっとお手洗いで席を外しますので」

 

「はーい、いってらっしゃい」

 

たしかに先に茶菓子をパクパクと食べてしまいそうになったが、よくよく考えたらこの抹茶はどちらかというと苦いと形容できるお茶であろう。良くあるグリーンティーとかの甘さがあるわけではないだろうし、先に甘い茶菓子を全て食べてしまうのも考えものか。

瑠唯が席に立ってからそんなことを考えてお茶を飲もうとしていたのだが、ものの30秒か1分ほどで瑠唯は帰ってきた。

 

「あれ、早いな?」

 

「お手洗いに対して言及するのはデリカシーがないかと」

 

「その通りですすみません……」

 

「お詫びとして、私がお茶を飲ませて差し上げましょうか?」

 

「……はい?」

 

お茶を飲ませて差し上げましょう? 俺は脳内でそんな構図をイメージする。うんダメだ、意味がわからん。

 

「あの……1人で飲めるので……」

 

「良いですから」

 

「ちょ、まっ、絶対熱いから!!」

 

「大丈夫です。火傷をしたとしても病院は紹介しますから」

 

「そういうことじゃないよ?!」

 

……俺は無作法にも気品高い和菓子屋のカフェで騒いでしまい、無礼者としての経験を積み重ねてしまうのだった。因みにお茶は瑠唯を宥めてから、しっかりと冷まして、茶菓子と共に美味しく頂きました。大変美味しゅうございました。



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メイドに説法【チュチュ&パレオ】

メイドの日(5/10)ですからね。2日遅れです、はい。








小鳥の囀りが真っ白い部屋に響き渡る……。あぁそうか。5月の早緑、寒く辛い冬を乗り越えた生命の息吹がこの無機質な大学生のワンルームにも届いているのだ……。そう、これこそが生命の神秘……。あぁ、尊ぶべき48億年もの歴史の結晶。人類が築き上げてきた500万年ほどの叡智、文化の真髄が今目の前に……!

 

「おはようございます♪ ご主人様!」

 

「……Good morning。……ユウヒ」

 

「……ん、んん? あ、おはようございます」

 

寝ぼけ眼を擦る。擦るに擦って擦りまくる。が、目の前に広がる衝撃的な光景は何ら変わるところがない。

朝目覚めて、伸びをして、目を開いたら、メイドが2名。

 

 

……?

 

 

「どうかなさいましたか? ご主人様」

 

「あ、いや……え?」

 

チュチュと、パレオが、あの超古典的なメイド服——黒ベースの服に白いエプロンドレスに、髪にはフリルのついたカチューシャだが——を羽織って。パレオこそノリノリで愉しんでいるようだが、チュチュは呆れ混じりの表情で視線を右往左往させている。で、たまにこちらを睨みつけられる。やめてください、朝起きたばっかりでそんな罵倒、罵詈雑言が聞こえてきそうな睨みつけはご褒美メンタル的に厳しいものがあるのだ。

 

「何よ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!」

 

「いや、いつもは猫耳のヘッドホンつけてるけど、メイドのカチューシャも可愛くて似合ごふぅ?!

 

視界がぐるりと半回転ぐらいして、俺はさっきまで寝転がっていたベッドに倒れ込む。顎痛い。超痛い。

 

「な、んで……」

 

「お言葉ですが、ご主人様は女の子の気持ちをしっかり考えたほうが良いですよ!」

 

「褒めた……じゃん……」

 

頭の上でヒヨコが舞って、意識が飛び飛びの俺の耳に、パレオからの叱咤の声が聞こえてくる。なんでも率直に思ったことを言えば良いというものではないらしい。何故こんなコミュニケーションの基本のきを、自分よりも遥かに下の少女に教え込まれているのだろうか。恥ずかしくて顔向けが出来ない。あ、いや、顎が痛すぎて顔が上がらない。

 

「そうよ! 褒めるだけじゃNo!」

 

「チュチュ様は褒められたら照れちゃいますもんね!」

 

「パレオ!!」

 

何が何だかさっぱりである。褒めるだけじゃいけないのに褒めてもいけないとか一休さんのとんちじゃないんだから。顎痛いです。

 

「……ぐふっ。で、……それで、……何してんの?」

 

「見て分からないの?」

 

「……メイド?」

 

「そうです! 5月10日はメイドの日ですから! チュチュ様に相談を受けて「パレオ!」これは内緒でしたね、失礼しました!」

 

内緒の定義、とは。それはそうと、なるほどな。そんな記念日めいた何かしらがあるから、それに合わせてメイドの格好をしていると。だが、俺は使用人を雇うような相談も契約もした覚えはない。というかこの間の旅行やら云々で給金として出す金がない。

 

「あの、俺別にメイドなんか呼んでないんですけど……」

 

「はい、呼ばれてませんよ?」

 

「呼ばれてはいないけど、来てあげたわ!! 感謝することね!」

 

ありがた迷惑って知ってる? 本当に俺のことを思うのであれば朝はゆっくりと寝かせて欲しい。が、そんな俺の眠気との葛藤もつゆ知らず、朝だというのにやたらと元気いっぱいなチュチュとパレオはニコニコと俺の言葉を待っている。

 

「折角チュチュ様が勇気を出されたんですから、存分に使ってあげてくださいね!」

 

「Yeah! 何でも……いや、アレなお願い以外なら聞いてあげるわ!」

 

「アレなお願いって……そんな俺、鬼畜じゃないからな」

 

「流石ご主人様、そんなお優しいところをパレオは慕っております!!」

 

色々とやばい。朝からこのテンションに着いていくのが厳しいのはそうとして、ご主人様呼びだとか、メイド服もそうなんだけど、アニメとかの創作物の中からいいんだ。けど、現実で、今まさに俺が年下の少女たちにこんなことをさせているというのが犯罪的すぎて心が痛い。いや、頭が痛い。違うな、さっき1発入れられた顎が痛いや。

 

「では、早速私たちにご命令を!」

 

パレオがまるで忠犬のように答えて、尻尾を大きくフリフリとしている姿が目に浮かんだ。ご命令か。俺はこの背徳感に抗うことなく、素直に人間の醜悪な部分を晒け出すべきなのだろうか。俺は……このまま振り切って……倫理を捨て……。

 

「よし、じゃあ最初の命令だ」

 

「何よ!」

 

「……今から二度寝するから、静かにしてろ」

 

忠犬たちは静かに首を垂れた。

 

 

 

心地よい朝の時間を惰眠に費やして、そんな堕落の様相から抜け出す。そろそろ活動を始めようかと眠気覚ましのコーヒーが都合よく用意されていたので頂くことにする。……が、やはり慣れない。コーヒーの味は確かに俺好みで、まぁどうして俺のコーヒーの飲み方をこの二人が熟知しているかについての糾弾はともかくとして、お世話のそれは良いんだよ。いやでもね、お世話されること自体が……ね?

何を贅沢を言っているんだこの甲斐性無しって俺を罵りたいって言う奴もいるかもしれない。けどな、考えても見てほしい。自分よりも、下手したら妹とかのそれよりもさらに幼い子達に家まで上がり込まれて、メイド服を着させて(俺が着させたわけではない)、お世話をさせるって……。

 

 

……犯罪じゃん。これはもう紛うことない犯罪的なそれじゃん。

お前たちは自分の親や親しい者に胸を張っていえるか? 一回り歳下の子達をメイドとして仕えさせてますって。言ってみろよ、(社会的に)死ぬぞ。

 

「おはようございます! 二度寝はどうでしたか?」

 

「……まぁ、寝心地は良かったけど」

 

「ふっ、ワタシが最高なコンディションになるようにBed makingしているんだから当然じゃない!」

 

ベッドメイキングなんて眠る前にされたっけ? と俺が疑問符を浮かべていると、パレオがご丁寧にも説明しようとしてくれた。

 

「チュチュ様はご主人様がよく眠れるようにと、「待ちなさいパレオ」……添い「パレオ!!」してくださったんですよ?!」

 

「……はぁ」

 

「はぁぁぁなんで言うのよぉパレオォォォ!!」

 

寝起きでテンションの上がらない俺 VS 嬉々としてチュチュを弄り倒すパレオ VS 絶対に知られたくなかった事実を哀れにも暴露されて赤面しながら悶絶するチュチュ。

世界で一二を争うほどに不毛な争いの叫び声で眠気が殆ど吹き飛んだ俺は、仲良さげに揶揄い、揶揄われるチュチュとパレオを呆れた目で見つつ、1人洗面所へ。朝からご近所さんからの苦情を招くほどに騒ぎ立てているが、本当に大丈夫かと心配になる。そういえば最近大家さんから文句を言われることも減ったのだが、遂に諦められてしまっているのかもしれない。

 

「……まぁ、顔洗っ「何かお手伝いしましょうかご主人様!」ぎゃぁぁあああ?!」

 

俺が蛇口からの水に額をつけようとした瞬間に背後、それも超至近距離から声をかけられ震え上がる。声の主はパレオだったのだが、喉から心臓が飛び出るほどにびっくりさせられた。

 

「どうなさいましたか?」

 

「お手伝い、いいから。リビングで静かに待ってろ」

 

「承知しましたぁ!」

 

……たく。メイドなるものを雇ったばっかりに……。あれ、俺雇ってはないな。まぁいい、そのために俺のいつも通りの静かで優雅な朝……、あれ、俺結構な頻度で安眠を妨害されている気が……。……うむ、邪魔されるだなんて。

俺はどう説教をかましてやろうかと思案しながらリビングに戻る。が、しかし。

 

「……ん、……なにこれ?」

 

俺は驚きのあまり、またもや言葉を失う。さっきから突飛なことが起きすぎて心の安らぐ瞬間が全くと言って良いほど存在しないのだが、俺の心はまだ落ち着くことを許されないらしい。

 

「こちらは模様替えです!」

 

「知ってるよ。何故家主の許可を取らずに模様替えをした?」

 

先程は不毛な争いからそそくさと逃げ出すために意識すらしていなかったが、冷水で顔を洗ってから部屋に戻ると、その部屋の中央には真っ白の曲線美の美しいテーブル。まさに西欧の豪邸なんかの庭先にチェアと共に置いてあるようなアンティーク調のテーブル。申し訳程度にセットとなるチェアも用意されているのだが、俺の見慣れた自分の部屋との違いにあんぐりと口を開ける他なかった。

 

「ワタシたちがメイド服を着るんだから、それに相応しいセットが必要でしょう?」

 

「セットってな、ここ撮影のスタジオとかじゃないんだけど?」

 

俺の自室なんですけど?

 

「いいじゃない、こんなpreciousなテーブルがあれば、魅力的な空間になるじゃない」

 

「そうです、チュチュ様の言う通りですよ!」

 

「プレシャスなテーブルってもなぁ……。確かに高そうだけども」

 

近寄って手をついてみると、なるほど、テーブル中央の方の上面にも細かく紋様が彫ってあり、恐らく大量生産などではなく人の手の入った家具なのだろうということがわかる。自分ではまずここまで調度品に投資しようとは思わないので、今後の人生でも恐らく触れることのないであろう家具に、心が躍らないと言えば嘘になった。こういう機会でもないと家具の新調なんかすることもないものだから。

 

「これ結構なお値段しましたからね!」

 

「……ちなみに、額は?」

 

「それがですねなんと……」

 

パレオがわざわざ耳打ちで、目の前に鎮座している調度品の値段を告げてくる。俺はその額を聞いて、青くならざるを得なかった。

 

「……、え、ちょっ。……本当に?」

 

「はいっ! ご主人様のために!」

 

いやいやいや。そんな額、軽々しく誰かのために出しちゃあダメよって、言いたくなったけど、いやもう、頭の中で整理が追いつかない。というより、この2人にどうしてここまでの財力があったのか。

 

「そうよ! だから感謝しなさい!」

 

「……いやまぁ、ありがとうというか……えっ?」

 

だってそうだろう。この子達、年齢だけでいうならまだ中学生だよね? 俺が中学生の頃とか、お小遣いで買い食いでもするかーみたいなそんなレベルだよ? 海外から家具をお取り寄せしますなんて発想は中学生の頃、いや、今ですらない。

 

「あの、どっから出てんの? そのお金」

 

「それはもう色んなところから工面しました!」

 

パレオは大変だったんですよ、なんて言いながら詳しいことを何も言わないし、チュチュもお金を出した、なんてことしか言わないものだから、具体的なお金の出どころはさっぱりだった。だが、まず間違いないのはこの子達が自分の身を削ってそのお金を捻出したと、そういうことだろう。ならば俺がすることは一つしかなかった。

 

「ちょっと待ってろ」

 

「はい?」

 

何をするのかなんて反応をされたが、俺はベッドサイドのチェストから鍵付きの棚を開けて、ガサガサと物探しを始める。チュチュやパレオからは不思議な目線を感じたが、お構いなしに目的のそれを、書類やら通帳やらの中から探り当てた。

 

「えっと、何よそれ」

 

「……あのな。軽々しくそんな風に金は使う物じゃない。確かに俺も家具とか服とか、準備してくれたのは嬉しいけど、まだ中学生かそこらのお前らがお小遣いやら生活費やらなんやらで捻出してまでして欲しいわけじゃないんだ」

 

「ユウヒ……」

 

「というわけで、これ。こんだけあればさっき聞いた額なら足りるだろうから、出し合った分穴埋めしとけ」

 

俺もまさか、大学生ぐらいの立場でこんな説教めいたものをすることになるとは思っていなかった。とりあえず部屋の中に現金の状態として使わずに置いてある、謂わばヘソクリ、緊急事態用の現金を封筒のまま渡す。

その想いは言葉通りのそれだ。チュチュとパレオの気持ちは嬉しいが、まだ勤労なるものを知らない年端も行かない少女にそんな真似をさせるほど俺は畜生ではない。え、メイド服の格好させてるそれは違うんですだからその通報中の電話を置け。

 

「で、ですが! これではご主人様の大切なお金を……!」

 

「それを言うなら、買ってくれたその家具とかだって、2人の大切なお金だろ。使い所はもう少し考えないとな」

 

「……Sorry. ワタシも……その、パレオに無理強いしてしまって」

 

「そんな! チュチュ様は悪くありません!」

 

でもまぁ、これだけキツイ言葉をかけたんだ。もう流石にこんな頓珍漢な金遣いはしないだろう。自分で稼いできたお金ならまだしも、そういうわけでもなく、何よりこんなお金の使い方をするよりも有意義な使い方があるとは、なんとなくでも分かってくれるだろう。だから。

 

「……チュチュ、パレオ。ありがとうな。2人の気持ち、嬉しかったよ」

 

「ご……主人様……」

 

「……ユウヒ」

 

2人も分からないなりに、自分の行動を省みることが出来たのだろう。顔を埋めて啜り泣いているところを見ると、多少大人びていようとやっぱりまだまだ子どもということらしい。少ししょげた2人の頭を何度も何度も撫で回した。

 

 

 

「……もう大丈夫です!」

 

「なら良かった」

 

数分もすれば段々と心も落ち着いた2人が顔を上げた。清々しい笑顔だった。

 

「このお金は……」

 

「だからそれはお前たちにあげるから。まぁ色つけた部分は、そうだな……」

 

折角メイドの日ということらしいなら、こういうことにしておこう。

 

「今日は支えてくれるんだろ? まぁなら、お給料だと思って、頑張ってくれ、な」

 

2人の顔はさらに明るくなる。やはりこういう元気さを忘れてはならないのだろう。

 

「……ならば、精一杯ご奉仕させていただきますね!」

 

「えぇ! ユウヒがワタシたちが居なきゃ何もできなくなるぐらいにお世話してあげるわ!」

 

「まずは……、夜の……お世話を……!」

 

「それはいいから」

 

「ぬ、脱げば良いのね?! パレオ?!」

 

「だからいいって言ってんだろ!」

 

思考が何段階も飛躍しがちな2人を適度に抑えつつ、苦手ながらに家事の練習がてら、てんやわんやな1日を過ごすことになったのだった。

 

 

 

「あれ、お前ら学校は?」

 

「自主的にお休みですよ!」

 

……もう少し説教はいるのかもしれない。



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重たい女神【リサ】

「で、アタシが何でか分かんないけど、過激みたいな扱い受けるんだよねぇ」

 

「……そっすね」

 

ここは数々の思春期特有の悩みを抱える子達が相談に訪れる、雄緋の家。どうやら今日も深刻な悩みを抱えた迷える子羊が1匹……。その様子を少し覗いてみよう。

やたらと新品のような輝きを放つテーブルを挟んで、1組の男女が話し合っている。女性の方は派手な風貌をしつつも、その表情には翳りが差し、その重たそうな話を男側がそこそこに聞いていると、そんな様相である。相談の場面であるはずなのだが、相談に乗っている立場であろう男はもはや話に興味を示すことも薄くなり始めているようだ。

 

「何で? 何でアタシばっかりこんな感じなの?」

 

「そんなこと俺に言われても……」

 

そうです、相談に乗っているのは他でもない、俺です。俺だよ俺。そしてテーブルを挟んで向かい側に座っているのは、Roseliaのベーシスト、今井リサだ。この恐ろしく高いお金を払って買い上げたテーブルの白さを全て塗りつくさんとするほどの負のオーラで部屋を侵略しているのである。

まぁそんな負のオーラを出すのも無理はない。彼女の悩み、それは。

 

「何でアタシ、ヤンデレって扱い受けてるの?」

 

ヤンデレキャラとして扱われてしまうという、哀しき性であった。

説明しよう。ヤンデレとは、ある対象に常軌を逸するほどに執着し、その不完全燃焼な好意を自分自身で上手く消化できずに周囲に危害を加えたり、またその執着の対象を自身の心理的ないし物理的支配下に置いたりと、異常な行動を取る性質のことである。

 

「言うほど、リサってその……ヤンデレ? の扱いを受けてるのか?」

 

「十分すぎるぐらい受けてるよ!」

 

「例えば?」

 

「たとえばそうだなぁ。……独占欲が強いみたいな言い方されたりとか」

 

「独占欲ねぇ」

 

リサが持つ独占欲か。確かに友希那の幼馴染としてのポジションは絶対誰にも譲らない、みたいな独占欲はあるのかもしれない。それが単なる幼馴染の枠を越えるかのようなほどの尋常でない好意かと問われれば、その実態は詳しく知らないが。

 

「アタシそんなに独占欲強いのかなぁ……」

 

「なんかその、リサは好意を持っている人をどうしたいかとか、そういう欲望みたいなのはあるのか?」

 

単純にふと湧いて出た疑問。もしもその欲望みたいなものが言語化された時に、あまりにおかしいものであれば独占欲が強いかどうかなどが判断しやすいだろう、そう思ったのだ。

 

「……えっ?! ちょ、それ今ここで言うの?」

 

「そりゃあ俺がジャッジするんだったらここで言うしかないだろ」

 

「……え、本当に言わないとダメ?」

 

「……? まぁ、嫌なら良いけど」

 

「わ、分かったから、ちょーっとだけ待ってね……」

 

そんなに心の準備を要する物なのかと疑問に思っていたが、修学旅行の夜とかでよくある、『好きな人いるー?』『いないよー!』みたいな、そんなノリみたいなものなのかもしれない。俺が脳内で修学旅行のロールプレイをしていると、リサがその準備とやらもできたらしい。

 

「で、相手をどうしたいんだ?」

 

「……その。例えばその人の周りに女の子とかが近寄ってくるのとか嫌だし……。その人には一生アタシのことだけ見て生きてほしいっていうか、その人を笑顔にするのはアタシだけでいいから……。それで、ずっとずっとアタシのこと愛して欲しいというか……。ちょ、やっぱ恥ずかしいから今のナシ!!」

 

「無しって言われてもほぼ全部言ったしな……」

 

好きな人には自分のことをずっと好きで居て欲しい、という気持ちが理解できないわけではないが、まぁ世間一般のそれからするとリサの感覚は少し重いと言う評価を受けてしまって致し方ないものなのかもしれない。

 

「……重いのかな」

 

「……うーん。でもまぁ、まだ可愛いものじゃないか?」

 

「かわ……ご、ごめん何でもない。続けて?」

 

「監禁とかそういう危害が加わるのに比べたらマシかなって。寧ろそんなにリサに愛される人は幸せ者だと思うぞ」

 

「……そっか。……うん、うんうん☆」

 

リサは満面の笑みを浮かべているし、慰めの言葉はどうやら響いたらしい。まぁ事実、これほど一途に愛してくれるリサに想われる人間なんてのは、前世で相当に徳を積んだ人間だとか、そういうのなんだろう。

 

「あ、そうだ! 参考までに、雄緋は恋人とはどんな風な関係がいいとかってある?」

 

「恋人? 長らくいた覚えがないぞ」

 

「願望でいいから!」

 

「えー。まぁ束縛はキツいと気疲れしそうだな……。理想はこう……お互い同じ部屋にはいるけど基本無干渉で、けどたまに彼女に甘えたりとか……」

 

「……うんうん」

 

「……これ恥ずかしいな」

 

「でしょ?!」

 

喩え願望であったとしても、それをいざ言葉にして誰かに伝えると言うのは拷問並みに恥ずかしい。顔から火が吹き出そうだ。

 

「……アタシだと、束縛ってキツイのかな……?」

 

「俺基準で?」

 

「……うん」

 

小さく呟くリサは手を震わせている。物凄く小さく、怯えるような素振りすら見せている。それがとても可哀想に見えてきた。

 

「……いや、そんなことないと思うぞ。好きな相手からの束縛だったらある程度なら耐えられそうだし」

 

「ほ、本当に?!」

 

「え、あぁ」

 

さっきまで小さく縮こまっていたリサが蕩けた顔を隠す様子はない。俺の言葉の一つ一つで一喜一憂するリサは見てて面白いものがあるが、あんまりにも話が逸れすぎたので元の話に戻すことにした。

 

「で、ヤンデレ扱いの話だろ」

 

「……はっ、そうだった」

 

「他にもヤンデレみたいな扱いをされる言い方ってどんなのがあるんだ?」

 

「独占欲とか嫉妬以外なら……。……その、好きな相手のこと知りたいって思いすぎちゃうところとか」

 

好きな人のことを知りたい、か。とはいえ、その気持ちはヤンデレ云々の前に、どんな奴にでも一定以上は持ち合わせているような感情だろう。その人のことを知り尽くそうとするとまではいかずとも、相手のことを知ってからでないと恋愛云々には踏み入れられないだろうから。

 

「それは普通の感情だと思うけどな。どんなことを知りたいって思うんだ?」

 

「えっ? ……それも言わなきゃダメ?」

 

「まぁ言ってくれると」

 

「まずやっぱりその人がアタシ以外の女とどれぐらい関わってるかは知りたいよね。出来ることなら一緒に居れない時間は誰とも会わないで欲しいけどやっぱりそれは難しいから、どんな話を何分話したかどんな表情でどんな気持ちでどんな仕草で話したかを記録しておきたいなぁ。結局一緒に居る時間以外に何してるのかなってことかな。ずっとアタシのこと考えてくれるなら嬉しいけどそうじゃないだろうから出来ることならずっとアタシのこと意識させたいし。欲を言うとアタシが居れない時間のことは全部録画していつでも見返せるようにしておきたいけどそれは現実的に難しいからやっぱり1番は24時間アタシとずっとくっついてるのが理想かなぁキスとかハグとかもっとすごいことでもずっと出来るしアタシの匂いつけてアタシだけのものって分かったらもし24時間一緒に居るのが無理でも他の女も近づこうとしないだろうからね」

 

「う、うん? 早口過ぎるのと文が長すぎて内容さっぱりなんだけど」

 

「あはは☆ 気にしないで気にしないで! まとめるとアタシと居る時以外どんな感じなのかなってことを知りたいってだけだから!」

 

「あー。確かに気になるときはあるよなぁ……」

 

一緒に居る時に何をしているかなんてのはわかるのは当然だが、一緒にいない時こそ相手が何をしているかなんてのは気になるものだろう。そう考えるとリサの言っていることは異常と言うのは言い過ぎな気がする。

 

「まぁよく分かんないけど、リサのそれは普通なんじゃないか?」

 

「そ、そうだよね?! 良かったぁ」

 

心の底から安堵したって表情のリサ。

 

「で、レッテル貼りの所以はそれぐらいか?」

 

「他はねぇ……。……うーん、スキンシップ激しめって言われたりするかなぁ」

 

「スキンシップ?」

 

頭を撫でたりとか抱き締めあったりするとかそういうことだろう。そんなことはカップルであれば普通にしていることだと思うのだが、言われるほどにリサのそれは激しいのだろうか。

 

「激しいって何するんだよ?」

 

「……それ今言うのはちょっと」

 

「恥ずかしい?」

 

俺が尋ねるとコクリと頷くリサ。まぁ、そこで赤裸々と性事情とか語られ出しても俺も反応に困るからよしとしておこう。

 

「……言うのは恥ずかしいけど、実践するとかなら良いけど」

 

「実践? 言うのより実践する方が恥ずかしくないのか?」

 

普通なら言葉に出している方がまだ気持ち的には楽なんじゃなかろうかと思うのだが、リサ曰くそういうことではないらしい。これが乙女心は複雑とか言われるところだろうか。そうだとすれば俺には乙女心なるものを一生理解できないかもしれない。

 

「というかさ、その!」

 

「ん?」

 

「もしも将来恋人が出来た時のためにシミュレーションというか、練習しておきたいかなー? なんて」

 

「練習? むしろそういうのは好きな人とやるべきじゃ」

 

「良いの! というか雄緋のこと結構好きというかその……兎に角練習したいんだってば!」

 

「別に過激なやつじゃなかったら良いけど……」

 

激しいとはいえ高校生の初心なカップルのスキンシップだとか可愛い物だろうし。どうせ大したことはないとたかを括っていた。なお、その見通しは甘かったことを知るのだがそれはもう少し後のことだ。

 

「本当?! じゃあ……その、ベッド行こ?」

 

「ベッド?」

 

「テーブル挟んでだったら距離あるから! ね?」

 

「あ、あぁ」

 

いきなりベッドに行こうなんて言い出すから、完全に激しいという度を超えたスキンシップが飛び出してくるのかと思ったが。まぁそれでもこれほど繊細なリサだ。そんなぶっ飛んだスキンシ

 

「服……脱ぐね?」

 

「ちょっと待て」

 

ぶっ飛んでた。てかクライマックスだった。

 

「……何?」

 

「なんで脱ぐの?」

 

「だってカップルでベッドの上って……。絶対そういうことするじゃん……」

 

「でもダメです」

 

「……じゃあ服脱がなきゃいい?」

 

「そういうことじゃねぇよ」

 

信じた俺がダメだったのかもしれん。いやまぁそうだよな。ヤンデレのレッテル貼りされるって相談だったのに、普通のが来るわけなかった。これはヤンデレとか関係ない気がするけど。

 

「というかスキンシップ激しいとかは、そんなヤンデレとかではないじゃん?」

 

「それは……その……」

 

「何か他のないのか?」

 

ベッドで隣に腰掛けたまんま俯くリサにそう問いかけたのだが、考え事をしているからなのかその返事とやらはない。まぁ、出鼻を挫かれたのだから、色々と考え直している部分があるのかもしれない、そう思っていた。

 

「……ちゃんとヤンデレって言われるからには、それなりの事情があるんだよ?」

 

「……は? 何の話ってえ」

 

急に顔を上げたから驚いた俺の体はベッドへと倒れる。そして、部屋中央の電灯から俺を隠すように、リサの顔がそこにあった。

 

「え?」

 

俺はベッドの上に押し倒されていた。

 

「私、スキンシップ、激しいんだよね」

 

「わ、分かったから……な?」

 

「……こんだけしても気がつかないんだもん。アタシ、悪くないよね?」

 

「……へ? 何のはな……ちょ……」

 

倒れ込んでくるようにして視界が埋め尽くされる。リサの長い茶髪のウェーブが俺の視界をカーテンのように覆い尽くして、頬が上気したリサの顔だけが目に映っていた。リサの口から漏れる熱い吐息にクラリとした。

 

「……ん。まだ分からない?」

 

「……なにが」

 

「……じゃあ、本番にしていい?」

 

「本番って」

 

さっきからリサから告げられる言葉のどれもがまるで意味を成していなかった。

 

「全部ただの建前だから。……アタシ、結構ガマンしたんだよ? それならちょっとぐらいご褒美貰っても……いいでしょ?」

 

「建前……? 我慢……?」

 

「……誰にも渡さないから」

 

 

 

視界が全て真っ黒になって数瞬、突如としてガラスの割れる音が響く。俺は驚きのあまり、完全に閉じていた目を思い切り開いて、何が起きたかを目の当たりにする。部屋のガラスを割って乱入してきたのは……。いつか見た光景だった、友希那の登場だった。

 

「待たせたわね」

 

「……友希那?」

 

「リサ、気持ちはわかるけれど、やりすぎはいけないわ」

 

「……うん、そうだよね☆」

 

「……へ?」

 

さっきまで視界がぐるりと回転したり、覆い尽くされたり、熱に襲われたり、何が何か分からなかったのだが、リサが起き上がって漸くどんな状況だったかを知った。そしてリサに物を言おうとした時。

 

「……テッテレー! というわけで、もしもアタシが突然暴走したら、雄緋はこんな反応をする、でした!」

 

「……はい?」

 

本当に訳がわからず、やたらと楽しげなリサと感心したように頷く友希那を交互に見返す。何が起きたんだ、本当に。これは何だ?

 

「ドッキリよ、雄緋」

 

「どっ……きり」

 

「さしもの雄緋もまだまだ初心なんだねー?」

 

「……うるさいわ。……リサのヤンデレの演技とやらが上手すぎたんだよ」

 

「褒められちゃったかぁ」

 

俺の心臓が何度も飛び跳ねそうになるほどには迫力があった。勿論リサに迫られたことでドキドキしたとか、そういう場違い的な興奮もあるが、主にはこの後どうなるか分からないという、リサが悩んでいた云々の怖さにドキドキとさせられていた。

 

「今日は付き合ってくれてありがと! これは、お礼……」

 

「……、え?」

 

「私からもよ。雄緋、こっちを向きなさい」

 

お礼とは名ばかりの不意打ちが飛んでくる。さっきから全く平常心を取り戻さない心臓を宥めすかしながら、手を振って帰っていく友希那とリサを見送った。床に砕け散ったガラスの破片がぽかんと間抜けヅラを晒す俺を揶揄って笑っているようだった。

 

「……って、ガラス割っていきやがったなあいつ!」

 

助けてもらったとはいえ……。はぁ、またお金が……とほほ。

 

 

 

 

 

「リサ、ずるいわよ。次は私も呼びなさい」

 

「あはは、そうだね。……でも、アタシも誰にも負けたくないから。友希那もそうでしょ?」

 

「……えぇ、勿論。リサにも負けないわ」



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パステル✽ウェディング【パスパレ】

大鉄人ワンセブン様からのリクエストを元にした作品です。リクエストありがとうございました。












俺が最近悩まされていること、それは。

 

金 欠

 

想像以上に深刻だ。海外の家具、旅費、ガラスの修理代。最早CiRCLEのバイト代で賄えないレベルで吹き飛んでいるのだ。

 

「……シフト増やしてもらうか」

 

兎に角安さを追求した買い物をするために街に出た俺。多分誰かが俺の顔を見れば生気を失っているようにしか見えないのだろう。急に声をかけられたのはそんな面を下げて角を曲がろうとした時だった。

 

「お兄さん、ちょっと良いですか?」

 

「はい?」

 

「給料手渡しの単発バイトがあるんですけど、是非と思って」

 

「……はぁ」

 

どうしよう、物凄く怪しい。怪しいが当日手渡しは魅力だし、話を軽く聞けば雑誌のモデルの仕事で、急遽欠員が出たから探しているとのことだった。

 

「結構額も渡せるので」

 

「……まじすか?」

 

としても、怪しい……どうしようか。その時、俺の腹の虫が鳴ってしまった。

 

「お昼ご飯も出せます」

 

「行きます」

 

俺はスカウトの人に連れられ、スタジオの入居したビル……、ではなく、何故か車に乗せられる。困惑する俺を尻目に車は走り出す。まんまと餌に釣られた俺は道中、日当を教えられ確信した。

ダメだこのバイト多分やばい。主に額が。こんなの単発バイトで払って良い額ではなかった。が、俺はもうサインをして、車に乗り、美味しい昼ご飯をご馳走になる気満々でもあった。

 

「やってくれますよね」

 

「はい」

 

俺は顔面蒼白で車に揺られ、ホテルかオフィスビルかよく分からない建物に連行されて、試着室に連れて行かれたのだった。

 

 

 

 

 

「こちらが今日着て頂く衣装になります」

 

「……え?」

 

俺の目の前にはタキシード。謂わば正装と言われるそれに俺は混乱する。

 

「えっと、モデルなんですよね?」

 

「こちらジューンブライドの企画撮影でして」

 

「Oh……」

 

この部屋の独特な雰囲気は結婚式場のそれだったのか。納得こそすれどこれまでの人生で来たこともないようなタキシードに恐れ慄きながら、撮影の段取りが組まれていく。あっという間に俺は着替えさせられ、準備が終われば連れていかれる。

茶色い観音開きの重厚なドアが音を立てて開いて、俺は感嘆の声を上げ——。

 

「……あっ、雄緋くんだ!」

 

「……へ?」

 

俺は壇上に並ぶ5人の花嫁姿を認め、目をパチクリとさせた。

 

「遅かったのね。撮影、もう始まるわよ?」

 

「いやいや、え?」

 

「ユウヒさんどうかしましたか?」

 

背後でドアがバタンと閉まる音がするが、そんなことを気にならないほど目の前の奇妙な光景に混乱を極めていた。

 

「え、なんでいんの?」

 

「お仕事だもん、結婚雑誌の撮影のね!」

 

「ほら雄緋さん! 時間押してるらしいですよ!」

 

そう、そこに居たのは。

 

「はいそれじゃあ北条様も到着されたので、撮影の方始めて行こうと思います。Pastel✽Palettesの皆さんもお願いします!」

 

「お願いしまーす!」

 

アイドル。

え、これ結婚雑誌なんだよね、ジューンブライドだよね? パスパレの5人と撮るの?

 

「いつまで惚けてるのー?」

 

「そうですよ! ハラを斬りましょう!」

 

「腹は括るものかと……」

 

頭の回らない俺だが、手を引っ張られいつの間にか隣にみんなが立ち、カメラを向けられたところで脳がバグを処理した。

 

「なんでお前らいんの?!」

 

「お仕事ですよ?」

 

「いやいや、え?!」

 

「雄緋くんは私たちとの撮影、イヤ?」

 

「えっと……」

 

正直に言うといざ状況を理解するとあまりに眩しすぎてまともに見れないのである。自分より遥かに幼いと思っていた少女たちが純白のドレスに身を包む姿を一目見れば、まるで俺自身が今から彩たちと結婚するのではないかと錯覚してしまうほどに5人の姿は美しかった。

 

「私たちじゃ不満かしら……?」

 

「そんなことない……です」

 

「うんっ、じゃあいいよねっ」

 

「じゃあまずはブーケを抱えた花嫁と2人で並んで立つところから撮りますね!」

 

「まずは私がモデルとして先陣を切ります!」

 

「あ、あぁイヴ、よろしく」

 

「どうかしましたか?」

 

キョトンとした顔を向けるイヴ。とても幼く見えるはずなのに、そこには花嫁がいた。髪色と同じ白銀のベールを垂らして、いつもと同じ弾けんばかりの笑顔を浮かべるイヴの醸し出す艶美な姿に見惚れていたのだ。

 

「ふふっ、雄緋はイヴちゃんに見惚れていたのね」

 

「……へ?! ゆ、ユウヒさん不意打ちは卑怯です! 狡いです!」

 

「ちょ、確かに綺麗すぎて見惚れてたのはそうだけど!」

 

「あ、あうあう……」

 

「あー。イヴちゃんがトリップしちゃった」

 

「し、幸せすぎて……はふぅ……」

 

「イヴ?! いきなりどうした?!」

 

「自覚がないのがタチ悪いよねぇ」

 

「ユウヒさんが……見惚れて……ブシドー……」

 

「俺も恥ずかしいから早く撮るぞ……!」

 

俺は顔の紅潮を自覚しながらもなんとかカメラマンの指示通りにポージングを取る。白いグローブを着けたイヴの右手を両手で包んでみたり、2人でブーケを抱えてみたり、途中から羞恥で記憶は曖昧だった。

 

「も、もう……我が生涯に……一片の悔い無しです」

 

「い、イヴさん?!」

 

「あーあー。雄緋くんがイヴちゃんのこと本気で口説き落としちゃうからー」

 

「……へ? 日菜、何か言った?」

 

「これは雄緋もダメそうね……」

 

「次誰行きます?」

 

カメラマンの声でどうにか現実に帰ってきた俺は5……いや、4人の動向を窺い。

 

「じゃあ麻弥ちゃんは?」

 

「……へぇっ?! ジブンっすか?! 心の準備が!!」

 

「あはは……。でもイヴちゃんの後の方がイメージが湧きやすそう」

 

「あら、なら彩ちゃんが次行く?」

 

「私も心の準備が要るから麻弥ちゃん頑張ってね!」

 

「そ、そんなぁ?!」

 

「ほら、麻弥……やるぞ」

 

「へ、へぇ?! ゆ、雄緋さん……」

 

この際全員とそういう写真を撮るのだろうから変に萎縮しても仕方がない。早く恥ずかしいこれを終わらせる方がいいと思ったのだ。

 

「雄緋さんの手……。……フヘヘ」

 

「ん、麻弥?」

 

「……はっ。何でもないです始めましょう!」

 

「はい、じゃあ麻弥ちゃんがしたいポーズはあるかな?」

 

「じ、ジブンですか? ……お姫様抱っこ……なんて」

 

「……え?」

 

ちょっと待って、普通に式場での記念写真みたいに2人で並んだ写真を撮って、それを全員分撮り終えたら終わりじゃないの? そんな疑問をスタッフ一同にぶつけた、が。

 

「いやいや色んな写真欲しいので!」

 

「……そうっすよ! バリエーションが大事です!」

 

「ま、まじか」

 

「雄緋さん……」

 

何かと隣で俯き気味だった麻弥の方に振り向くと、徐にその顔が上がる。覚悟を決めたような麻弥の瞳は透き通って、ただ一心に俺を見つめていた。そのクラクラするような熱い視線に思わず惚けていた。

 

「……絶対に……落とさないでくださいね?」

 

「……任せろ」

 

「わっ……。雄緋さん……」

 

俺は力を込めて、しかし意外なほどに軽く、麻弥の華奢な体を抱きかかえた。右手で麻弥の首筋を支え、赤面した顔で見つめあった。

 

「いいよ麻弥ちゃん!」

 

「雄緋さん……。もっと強くしても、いいですから」

 

「……こうか?」

 

「……フヘヘ。イヴさんの気持ち、今なら分かります……」

 

「麻弥って、軽いな」

 

「そういうの、デリカシーがないって言われるんですよ?」

 

「……すまん」

 

「……いえ、嬉しいです。軽いなら、これからもずっと雄緋さんにこうやってお姫様抱っこしてもらえますからなんて……ワガママ、ですかね?」

 

「ワガママなんてのは、思わないぞ」

 

「……フヘヘ……フヘヘへ」

 

「……雄緋くん、また無意識に落としてるよね?」

 

「へ? 落としてないぞ」

 

「……何を言っても無駄ね」

 

「はーいOKです!」

 

撮影は十分らしく、反応が薄い麻弥をそっと下ろす。しかし呼びかけにも反応しないもので、ふらふらと麻弥はそのまま座席の方に腰を下ろしてしまった。

 

「さて、次の標的は誰かなー?」

 

「言い方が物騒だよ……」

 

「彩ちゃんは心の準備が出来たのね?」

 

「……へっ?!」

 

「じゃあ早速彩ちゃん、レッツゴー!」

 

「へ、へ?!」

 

「次は彩か?」

 

「は、はい末長くよろしくお願いしましゅっ」

 

「プロポーズじゃねえんだから……」

 

「あ、それいいですね。指輪交換の所撮りましょうか」

 

「……はい?!」

 

成り行きで決まった次の相手は彩らしい。が、そのシーンはなんと結婚式の中でも特筆すべき、指輪を彩の指に嵌めるシーンらしい。俺はこのまま羞恥心で倒れてはしまわないだろうか。心配する俺を他所に俺はスタッフから指輪を渡される。

 

「指輪……えへへ。雄緋くんからの結婚指輪……」

 

「彩? おーい」

 

「……はっ」

 

放心状態だった彩を呼び戻すと、彩がこちらを見上げる。その表情には羞恥混じりの覚悟のようなものが浮かんでいた。

 

「指輪の交換かぁ……。すごく不思議な気分だね……」

 

「まぁ、な」

 

「左手の薬指、だよね?」

 

「結婚指輪だからな」

 

「えへへ……嬉しいなぁ。ねぇねぇ、一つお願いがあるんだけど、良いかな?」

 

「お願い?」

 

「本物の結婚式だと思って、指輪を嵌める時は愛の言葉と一緒がいいな、……だめ?」

 

「そんな……」

 

羞恥で倒れそうなお願いだったが、ベールに包まれた彩の表情は真剣そのものだった。真っ白な衣に咲くピンクの花びらの儚げに揺れる姿に、俺は全ての意識を奪われていた。細く伸びた指にそっとリングを嵌め込んだ。

 

「雄緋くん……」

 

「彩……愛してる……」

 

「……私もっ」

 

柔らかな唇の感触がした辺りで俺の視界は暗くなった。

 

……そこで、拍手の音がして俺は我に返る。彩も数瞬遅れて気が付いたらしい。

 

「え、あ、わ私っ」

 

「彩ちゃんの表情、バッチリ撮れてますよ!」

 

「う、うわぁぁぁっ?!」

 

あ、こけた。顔を真っ赤にした彩があたふたと駆け出した瞬間、慣れない衣装に躓いたらしく、複雑な感情の入り混じった顔で百面相を繰り広げていた。

 

「はぁー。彩ちゃんずるい! 次あたしね!」

 

「えっちょ日菜ちゃ」

 

「わっ」

 

急にお転婆を発揮しだす日菜に手を掴まれたかと思うと、カメラの前へと連れられる。

 

「あたしこの間からずっとして欲しかったことがあるんだよねー!」

 

「して欲しかったこと?」

 

「前に天体観測行ったでしょ? あの夜にこう……後ろからギュッてされたのが忘れられなくて、もう一回して欲しいな……なんて」

 

「ちょっと待って日菜ちゃん。私たちそんなこと聞いていないのだけれど」

 

「言ってないもん!」

 

千聖からの目線が少し怖いが、日菜の要望とやらにはまぁ応えようかと、日菜の後ろに回る。しかしまぁ、ベールが後ろに垂れている状態で後ろからハグをするのは少し違和感もあるが、これでいいのだろうか。

 

「そうそう……そのまま後ろから前に腕を回して?」

 

「……こう?」

 

「うん……ねぇ、ちょっとだけ、頭下げて?」

 

「頭って……んっ……」

 

ブーケを抱えた日菜。至近距離からの不意打ちに俺は驚く他なかった。しかし、同時に鼻の奥を突くふんわりとした匂いに思考が止まる。普段よりもしおらしく見える日菜のギャップにやられそうになるのだ。

 

「……えへへぇ。こうやってバックハグされるの、るんってくるぅ……」

 

日菜はすっかり惚けて、いつもより哀愁の美を蓄えて微笑んでくれる。俺はすっかりそれに呑まれそうになったが、シャッター音でどうにか自我を保った。

 

「日菜、しっかりしろ。撮影だぞ」

 

「だってぇ……」

 

カメラマンさん曰くOKらしいので、俺は力の抜けた日菜を支えながら休憩用か何かで脇に置かれた椅子まで日菜を誘導する。これで4人撮り終えたわけだし、後は千聖だけかと一息ついて戻ると、千聖は明らかにむくれていた。

 

「……どうした?」

 

「……別に? 何ともないわよ」

 

何ともないわけなかろうと口を開こうとした瞬間にその本音とやらはすぐに飛び出た。

 

「別に雄緋が私を放置して他の子とイチャイチャして私のこと最後まで放っておいたのを気にしたりなんてしてないもの」

 

「ちょ……悪かったって……」

 

「……なんて、困らせても仕方ないわね。早く撮りましょう」

 

「ごめん、千聖。その……お詫びになるか分かんないけど、どんなシーンでも千聖の言う通りにするから」

 

「……言ったわね?」

 

あ、やばい、と思ったが今更撤回できるわけもなく。千聖の表情は小悪魔のような笑みを湛えていた。

 

「なら結婚初夜のシーンでも撮ってもらいましょうか?」

 

「んなもん雑誌載せられないだろ……」

 

「……後で個人的に、ね?」

 

「え?」

 

「さて。でもどんなシーンを撮りましょうか。指輪交換とかお姫様抱っことか粗方撮ってしまったし」

 

「……なら、手の甲にキスとか?」

 

「手の甲?」

 

「今の千聖は何というか……。御伽噺に出てくるお姫様というか。幼いとかそういうわけじゃなくて、その凛としたかっこよさと可憐さが備わって、……陳腐だけど、すごい綺麗だと思った、から」

 

「……ふふっ」

 

俺は羞恥の余り物凄く恥ずかしいことを本人を前に言ってしまったと思ったのだが、千聖の返事は俺の言葉の表現を超えるほどに美しかった。

 

「雄緋だって、いつも以上に格好良くて、王子様みたいじゃない」

 

「そうか? ……照れるな」

 

片膝をつく。聖堂をバックに微笑みを浮かべた千聖はまさに、姫と呼ぶに相応しかった。

 

「……私に一生の愛を誓ってくれるかしら?」

 

「……勿論」

 

跪いて、ベールよりも白い千聖の手の甲にそっと口付けを残した。

 

こうして俺の結婚式(仮)は拍手と共に閉幕したのだった。

 

 

 

 

 

後日。件の雑誌が発売され、CiRCLE界隈は大荒れとなった。今回はその一部始終を少しお見せしよう……。

 

【彩 side】

 

「彩ちゃん。この記事、どういうこと?」

 

「……そろそろ休憩終わりだね、花音ちゃん」

 

「誤魔化してもダメだよ? いいなぁ……私も雄緋くんと指輪交換したい……」

 

「……えへへ。あの撮影から毎晩、夢で雄緋くんが誓いのキスをしてくれて……幸せだなぁ……」

 

「彩ちゃんの表情がこの間からずっと蕩けてたのってそういうことだったんだ」

 

「うんっ。『愛してる』かぁ……えへへ。えへへ……」

 

「……いいなぁ」

 

 

【日菜 side】

 

「日菜、ちょっと来なさい」

 

「どーしたのおねーちゃん? あ、それパスパレの特集記事載ってる雑誌だ! 買ってくれたの?」

 

「えっ、いやこれは……じゃなくて! なぜ雄緋さんがモデルに参加しているのよ!」

 

「事務所にみんなで直談判したら快く良いよって言われたから! あ、そうだ今度おねーちゃんも一緒に撮ろうよ!」

 

「えぇっ?! そういうことじゃ……ないけれど、日菜が言うなら……」

 

 

【千聖 side】

 

「やぁ千聖……。この記事、見させてもらったよ、とても儚いね」

 

「そう。どうもありがとう、かおちゃん? 話はそれだけ?」

 

「かっ……。その、どうして雄緋と」

 

「……ふふっ。雄緋は私の、私だけの王子様だもの、当然じゃない」

 

「そこは私の場所というか……」

 

「あら、お姫様になりたくないの? 素直になって良いのよ、かおちゃん」

 

「も、もぉっ!」

 

 

【麻弥 side】

 

「麻弥さん麻弥さん!」

 

「うわぁっ、どうしたんですか、キング!」

 

「何ですかこれっ、お姫様抱っこって、ええ?!」

 

「実は雄緋さんにお願いしたら、任せろって言ってもらえまして……フヘヘ」

 

「ずるいですよ!! 私も雄緋さんにお姫様抱っこもキスもされたいです!!」

 

「キングって見かけによらず結構乙女チックな一面もあるんですねぇ……」

 

 

【イヴ side】

 

「ねぇねぇイヴちゃん。これって……雄緋さんだよね」

 

「そうですよ? どうかしましたか、ツグミさん」

 

「う、ううん! 綺麗だな……って思って」

 

「ありがとうございます! そうだ、今度ツグミさんも一緒に撮りましょう!」

 

「え、えっ?! わ、私は恥ずかしいからこんなの」

 

「ユウヒさんにお願いしてみます! 私も誓いのキスのシーン撮りたいですから!」

 

 

【雄緋 side】

 

「……ん? なんじゃこの拘束……って、え?」

 

「被告人、北条雄緋。前へ」

 

「えっ、ここどこって、え?」

 

 

次回 北条雄緋、法廷へ。









雄 緋 そ こ 代 わ れ
出来ることならこの話をイラストで描きたい(描けない)。
誰かパスパレの花嫁の絵描いてください(他力本願)。


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出張!やまぶきベーカリー!【沙綾&りみ&モカ】

出張! やまぶきベーカリー!

 

「というわけで始まりました!」

 

「何が?」

 

俺の現在の状況をお伝えしよう。ガールズバンドの子たちが多く通う花女(女子校)の購買に居座り、沙綾と2人並びながらエプロンをつけて、目の前のテーブルに並んだ大量のパンを前にしています。で、そうしたらいきなり沙綾が何かの企画のタイトルコールかのように甲高い声を上げながら手を叩いたと。うん、分からん。

だってそうだろう? 今からお店出しますから手伝いしてくださいねって何の前触れもなく日常で言われることがあるか? ないだろう? 俺もなかった、今の今までな。お金出すからモデルやってね、とか言われて拉致されて結婚式を挙げさせられた経験ならあるんだけどな。

 

「だから、やまぶきベーカリーの花咲川女子学園支店です!」

 

「銀行か何か?」

 

支店て何よ。商店街のアレは本店か何かでこれから全国に向けてチェーン展開するみたいなそんな計画でも持ってるのかと疑ってしまいたくなるほどの言い草だ。

 

「で、その販売員を手伝ってもらおうと思って……」

 

「思って、じゃ無いんだよ……。みんなあれだよ、許可なく人を拉致しちゃダメって学校で習わなかった?」

 

俺今とんでもないこと言ってるな。絶対に教えてもらってるわけないよそんなコアなこと。俺も無いもん。学校で『許可なく人攫いをしちゃあいけません』って。怒られることないもんなそんなことで。

 

「あ、ちゃんとお給料も出しますよ?」

 

「一応労働だしな……」

 

「私は途中から授業受けに行くのでお昼以降居ないんですけど、その間の店番お願いしますね」

 

「え? 授業受けに行く?」

 

「そりゃあ平日なので……。普通に午後からも授業ありますし……」

 

いやまぁそうだよね。俺だって今日は本当は授業あるんだから、高校生の君たちは授業があって当然だよね。ちなみにサボったわけではなく、否応なしにここに連れてこられたので、止むを得ない事由による欠席である。決して俺が不真面目だとかそういった批判はあたらない。

 

「まあそっか。俺もあるからね」

 

「あっ、授業ありました?」

 

「そりゃあ……」

 

「でも真面目に授業受けてませんよね?」

 

恐らく、誤解する人が一定数存在するだろうから、もう一度声を大にして主張しておく。俺は決して大学の授業を面倒と思って欠席しているわけではなく、大抵このガールズバンドの誰かしらに巻き込みを食らって休んでいるだけである。欠席しているから授業理解できてないんだろうだとか、そういう批判も論外である。そもそも出席したところで理解できていないので。

 

「ごほん、で、沙綾よ。一つ言って良い?」

 

「え、はい。どうかしましたか?」

 

それでもだ。それでも、今日俺をこの花女(女子校です)の購買に連れてきたこの愚かな少女に一つだけ問いたい。問わずにはいられないのだ。

 

「昼休みは沙綾が居てくれるんだよね?」

 

「え、はい。それは勿論」

 

「で、午後からは沙綾も授業があるし、一人で店番するってことだよな?」

 

「そういうことになりますね」

 

「……沙綾が授業なんだったら、他の人も授業なんだし、店番したところで誰もお客さん……来ないよね?」

 

「……あ」

 

そう、ここは。今俺のいるここは。

 

花女(女子校)である。

 

お客さんになりうるのは花女の生徒。あとはせいぜい先生ぐらいか。いやまぁ、先生と顔を合わせても気まずいけども。当然授業の時間帯に店番をしたところで、誰も買いに来られる客即ち生徒はいない。居たとすれば、そいつはシンプルに授業を真剣に受けずにサボっている不良生徒である。

どうやらその反応を見るに、沙綾はそんな大切なことに全く気がつくことなく俺をここまで連れてきたらしかった。俺に致命的な点を突かれてからの沙綾は明らかにしどろもどろとして、視線があっちを向いたりこっちを向いたりしている。

 

「……とりあえず、6時間目終わるまでは居てくださいね!」

 

「だから居る必要ないんだって!」

 

そもそも昼食用の購買だ。なぜ6時間目の終わる頃まで開いておかねばならないのか。6時間目の終わりとなれば、時間にして恐らく15時過ぎぐらい。その時間に食べるパンは最早ただのおやつである。

しかも、今でこそやまぶきベーカリー商店街本店から直送されてきた焼き立てのパンが並んでいるが、その頃に店頭に並んだパンはかなり前に作った在庫のパン状態だ。それでも美味しいのだから、このパン屋は凄いのであるが、だとしても、である。

 

「そろそろお客さん来ますから! しっかりしてください!」

 

「このチャイムは授業終わりとかそういう感じなのね……」

 

沙綾にしっかりしろと喝を入れられた辺りで学校中に響くような大きなチャイムが流れる。どうやら今ので午前中の授業が終わったらしく、近くの教室の方からは早速拘束から解放された生徒たちの騒がしい声が聞こえてきた。……ん?

 

「あれ、沙綾は午前の授業は……」

 

「私ですか? 私はパンを売る係なので……」

 

……良いなぁその係。

 

 

 

先程までの、店先にパンを並べながらの雑談の時とは打って変わって、昼休みになって数分で、購買には生徒が殺到した。購買スペースに入ってきた女子生徒たちはレジに立った見慣れない俺を見て、『誰だこいつ……?』という表情を明らかに見せていたが、隣に沙綾が立っているのを見て取り敢えずは安心したらしい。前の方の棚に並べたパンやお菓子なんかを眺めて、友達同士で談笑を楽しんでいる。輝かしい青春の1ページに触れたような気分になった。

 

「あの、すいません! お会計お願いします!」

 

「あ、はいはい」

 

俺が感傷に浸る間もなく、早速並んだ女の子からパンを受け取り、スキャンしてと、完全にレジ担当の店員さんになりきることになる。気がつけばびっくりするほどにその背後には列ができており、このベーカリーの人気っぷりを目の当たりにすることになった。

 

「お釣りとレシートです」

 

「……と。あの、レシートなんですけど、これ」

 

「え?」

 

その子は何故か少しゴソゴソとした後、お釣りと一緒に渡したはずのレシートを突き返してきた。当然困惑したのだが、その子は足早に購買スペースから立ち去ってしまった。

 

「雄緋さん、それ、貰いますね」

 

キョトンとしていると隣で沙綾が妙にニコニコとしていたものだから、よく分からないままに突き返されたレシートを渡した。しかし、訳がわからないままにまた次のお客さんの会計が始まり、忙しさに気を取られていく。

接客を続けグロッキーだったが、それでも一応昼休みという時間の縛りもあるし、この時間内に買ったものをお昼ごはんとして食べようということもあってか、ある程度の波を過ぎると人の数は次第に落ち着いていった。最初は隣でもう一つのレジで慌ただしくしていた沙綾も、今はレジを俺1人に任せ、減ったパンの補充に充てられるぐらいには購買は平穏を取り戻した。みるみるうちに減っていくお客さんの数に安堵をしながら、レジに並んでいた最後の女子生徒を見送った。

どっと疲れが噴き出してきたなぁと大きく息を吐こうとした瞬間、購買入り口のドアのところからひょっこりとこちらを覗き込む顔が飛び出してきた。

 

「沙綾ちゃん、お疲れ様。って、あれぇ? 雄緋さん?」

 

「あぁりみりん。いらっしゃい」

 

「パンはまだ残ってるから、ゆっくり見ていってくれ」

 

「完全にパン屋さんになってる……」

 

りみに言われてハッとした。完全に思考回路……というか口ぶりがパン屋さんのそれだった。慣れというのは本当に怖い。

 

「いやー。ダメ元でお店の手伝いしてくれませんか? ってお願いしたらOKしてもらえて」

 

「花女で働くなんて聞いてなかったけどな……」

 

「あはは……。その、パン、選びますね?」

 

事の経緯を半ば呆れ気味で聞き流したりみはくるりと翻り、購買の中央の棚に並んだパンに目を向けた。昼休みもかなり終わりに近づいてきた頃ということもあって、それらのパンも流石に熱は冷めてしまったらしい。だが、バスケットに入った諸々のパンを見つめるりみの表情は本当にパンを楽しみにしているような、純粋な顔をしていた。

 

「わぁ、チョココロネまだ残ってるー……」

 

「もしかしたら今日は結構売れるかなって、全部のパン多めに持ってきたんだよねぇ」

 

「そんな売れる日とか分かるのか……」

 

「曜日とか、季節とかで結構売れるパンがあったりするんですよ」

 

この発酵少女も伊達にパン屋の娘をしているわけではないらしい。感心のあまり、まさにプロフェッショナル、購買の守り神などと宣うと、恥ずかしいからと怒られる。

 

「今日も放課後になるまで開いてるの?」

 

「そうだよ。今日は雄緋さんが一日店番してくれるから」

 

「わぁ。じゃあ、また帰る前に寄りますね?」

 

「あぁ。それは良いけど、……俺帰れないじゃん」

 

授業時間中に買い物に来る生徒が居ないのだから、さっさとトンズラを決め込もうとしていたのに、知り合いが帰る前に立ち寄るとなればそんな適当なことをするわけにもいかない。

 

「雄緋さんに会えることを楽しみにして、午後の授業受けますね」

 

「パンを食べられる喜びを楽しみにしろよ……」

 

「雄緋さんが店番で居てくれるなんて、今日は特別だからですよ?」

 

「うんうん。当然締め作業までいてくれますよね?」

 

沙綾からの期待の籠った目線で、俺はとてもじゃないが目を逸らすことなどできずに肯定をしていた。まぁ授業を受けに行くという選択肢は元より潰えていたものだからいいだろう。

 

「あ、帰って家の方も手伝ってくれても良いんですよ?」

 

「それは遠慮しときます」

 

そんなことまでしていたら体が足りないので、丁重にお断りをさせていただいた。沙綾と、それだけでなく何故かりみまでため息をついているが、一体俺をどうしたいというのか。

終わりの見えない労働を巡るやりとりをしていた折、急に予鈴がスピーカーから聞こえてくる。

 

「あっ、もう5時間目始まっちゃう」

 

「だね。と、いうわけで雄緋さん、お願いしますね!」

 

「あっおいっ、……って、絶対客来ないだろこんなの……」

 

授業がそろそろ始まるからなのか、急いで教室に戻る二人を見送ってからため息を吐く。何故客が来ないというのに店を開けなければいけないのか甚だ疑問であるが、パンなんかを置きっぱなしで逃げ帰るわけにもいかない。どうせ来るとしても興味本位で顔を出した教職員程度だろうと高を括り、欠伸でもしようとした瞬間。

 

「モカちゃんとーじょー」

 

「ぎゃあっ?! なになに?!」

 

突如背後から聞こえてきた声に背中を思い切り反らせてフロントステップを決める。振り返ると、その独特な間延びした声の持ち主。

 

「やっほー」

 

「おい待て、何故ここにいる」

 

ここは花女である(女子校)。何故ここにモカがいるのか。

 

「やまぶきベーカリーのパンの匂いがするところ、モカちゃんは神出鬼没ですからー」

 

「学校違うだろ……」

 

「モカちゃんだって、本当なら羽丘に売りにきて欲しいんですよー」

 

何度でも言うが、ここは花女である(何度でも言いますが女子校です)。まず制服からして違うと言うのに、どうやってこの学校の敷地内に入ったのか。いや、というかそもそも、モカだってこの時間は羽丘の方で授業があるはずである。この際学校敷地内の不法侵入だなんて某生徒会長が常習犯であるし構わない。だが、授業を受けずしてパン屋巡りに興じるなんぞ言語道断である(授業を受けずしてパン屋さんごっこに興じてます)。

 

「羽丘には流石に出店してないのか。だとしても、朝やまぶきベーカリーに寄ればいいものを」

 

「今日の朝は寝坊してギリギリすぎて寄れなかったんですよー、しくしく」

 

「なんだったら今も眠そうだもんな」

 

パンを買いに来たという割には、モカは何度も目を擦りながら、そして若干フラフラとしながら店内を物色し始める。

 

「これは眠いんじゃなくて、栄養不足ですねー」

 

なるほど、だから我慢ができずにパンを買いに来たと。違う学校の購買スペースまで。いくらなんでも前代未聞である。

 

「モカちゃんは常にやまぶきベーカリーのパンを食べていないと倒れちゃうんですよー」

 

「不便な体してるな……」

 

「カロリーはひーちゃんに送ってるけどねぇ」

 

ひまり……、可哀想に。

 

「今日もパンが美味しそうですなぁ。オススメはー?」

 

「店員初日の俺に聞くのか……。モカが好きなのを食べればいいんじゃないか?」

 

「……雄緋くん食べてもいいのー?」

 

「俺はパンじゃないぞ」

 

「……ごくり」

 

生唾を飲み込むような音が聞こえたのは俺の勘違いであって欲しい。それはそうと、どうやらパンを無限に吸収する永久機関は俺の姿を見るとパンだと認識するようになってしまっているらしい。

 

「おい、そんな目でこっちを見るな」

 

「……そんな目って、今のあたし、どんな目してますかー?」

 

「この世のパンを一つ残らず吸い尽くすって感じの目」

 

「……ぶっぶー」

 

「違うのかよ……」

 

「正解はー」

 

「は? は?」

 

突如パンの酵母の香りが全て消え去った瞬間、俺の視界は黒に染まった。困惑のうちにまたも鼻腔をパンの匂いがくすぐった。

 

「美味しそうなパンは誰にも渡さないという獣の目、でしたー」

 

「……お会計、¥4,280です」

 

「しゃーしたー」

 

俺は暫く放心したまま、授業の終わりの鐘を聞くことになるのだった。因みにモカを除いては、案の定授業時間中に客は来なかった。



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坐禅で目覚めよ【ハロハピ】

無心で書いてたらものすごくぶっ飛んだ作品が完成しがち。






車に揺られて、人の手の殆ど入っていない山道を行く。舗装のされていない道だからか、数秒に1度座面が大きく揺れて、昼間に食べたものを戻してしまいそうなほどに酔いそうな環境だった。

 

「雄緋……大丈夫かい? 今の君の顔はシェイクスピアの書く、悲壮な結末より儚いよ……」

 

「俺の酔った顔は芸術作品なのか……」

 

体調が悪かろうと飛んでくる意味不明な表現に少々イライラしつつも、俺は反論もそこそこに外の景色を見る。いや、森の中だが。

 

「薫さん、今の雄緋さん結構やばそうですからふざけてる場合じゃないですって」

 

「……すまない」

 

何故山道にいるのか? 何故車に乗っているのか? 何故ハロハピと一緒にこんなところを旅しているのか?

 

「みんな、もう少しで着くみたいよ!」

 

「……あれか」

 

車の前方に現れたのは立派に造られた木の門。その脇に建てられた碑には悠然とした文字が堂々と彫られている。ここが、今回の目的地であった。

 

「雄緋くん、もう少しの辛抱だよ?」

 

「あぁ……。なんで普段車運転している時は酔わないのに、乗ってるだけだとこんなに酔うんだろうな……」

 

「大丈夫? コロッケ食べる?」

 

「油で更に気持ち悪くなるって……」

 

車は門をくぐるとゆっくりと減速して、砂利の敷き詰められた駐車スペースらしいところに強引に駐車される。そこで漸く、この起伏激しい旅路から抜け出せると、黒服の人の手を借りながら下車する。

 

「雄緋様。気分が悪くなられたようでしたら」

 

「大丈夫です……。というか黒服さんもよくこんな道を、この車で運転しますね」

 

「それほどでも」

 

車長は相当に長い。なんだって運転席、助手席の後ろにはハロハピの5人、俺を乗せてもなおスペースが有り余っている。そもそも後部座席が丸ごと、1つのテーブルを囲むタイプの座席になっている車だとか、現実世界で見たことなかった。所謂リムジンだとかの後部座席をさらに改造した結果がこの車らしい。

俺は気遣ってくれた黒服さんに軽く会釈をすると、体の中に溜まった悪い空気をほうと吐き出して、振り返る。既に遠足気分でテンションが最高潮に達した若い5人の背中を追いながら、その向こうにどっしりと構えられた木造建築の厳しさに言葉を失った。

 

「これが……」

 

「さぁみんな! 修行の時間よ!」

 

辿り着いたのは、禅寺であった。由緒正しきこのお寺は建立されてから実に数百年を優に超えるような有名なお寺らしく、本来であれば多くの人が詰めているだとかという話だ。しかし、どういうわけか某財閥のお嬢様の気紛れで、そんな歴史ある禅寺はこのうら若き修行僧たちを出迎える体制に様変わりしたらしい。修行という名前を被った暴走が始まるだけであるというのに。

 

「ようこそおいでくださいました。私がこのお寺の住職でございます」

 

「あ、本当に修行だったんだ……」

 

美咲のその反応は御尤もである。俺もこのメンバーで禅寺に行くだなんて聞いた時、観光か何かだと思っていた。けれど目の前のお寺と住職さんの風貌はれっきとした寺院であることを示している。

いかにもという雰囲気のお寺の構えであったが、実際にいざ建物の中に入るとひんやりとした空気が肌にまとわりつく。合掌と共にお辞儀をした、法衣を羽織った住職を前にすると、今からまさに修行なるものが始まるのだと思わず身構えてしまう。

 

「こちらが坐禅を組んでいただく、坐禅堂になります。順にお座りください」

 

招かれるままに訪れたお堂で、壁に向かって座らされる。教えられるがままに結跏趺坐などという姿勢を取ろうとするが、股関節が硬すぎてそんな風には脚は曲がらない。俺が自身の体の限界と格闘していると、若々しい修行僧たちの感嘆の声が聞こえてくる。修行でそんなはしゃいでも良いのかと思ったが、観光客向けだとか、そういう坐禅を経験したい人向けのものなのだろうか。

 

「住職さんー! はぐみの脚これ以上曲がらないよー!」

 

「両方の脚が難しければ片方だけでも構いませんよ」

 

「これが到達すべき境地……。あぁ……なんて儚いんだ……」

 

「はは……諸行無常って言うから強ち間違いじゃないかもですね」

 

呆れ気味の美咲、なんとか足を組もうとしている花音に比べ、住職さんを困らせそうな程に騒ぎ立てるトリオ。

 

「組めたわ! こうすれば脚が痛くなくなるのね!」

 

「こころんすごーい! はぐみにも教えて!」

 

「ふえぇ……。もう脚曲がらないよぉ……」

 

「お前ら流石にもうちょっと静かに……」

 

「構いませんよ。皆様には坐禅で心を落ち着けることを体験していただくわけですから」

 

「ほんとすみません……」

 

この5人の中にいると半ばただの保護者のようになってしまいがちなものだから、温厚そうな住職さんのご好意に甘え続けることへの謎の責任感に苛まれる。喩え住職さんが多少騒ぎ立てることを許しているとはいえ、向こうには菩薩像がいらっしゃる前で羽目を外すというのはどうにも罰当たりな気がするのである。

 

「禅師も言っている……。打坐して身心脱落することをえよと……。慌てず騒がずに、ただ只管坐禅に集中するんだ……」

 

「脚ピクピクさせてるやつに言われてもなぁ……」

 

「薫さん凄い汗……。変な意地は張らずに片足だけ組んだらどうですか?」

 

「……動かない」

 

どうやらみんな、俺も含めて坐禅を組むだけでも精一杯らしいが、どっからどう考えてもここからが本番である。俺たちが一応の落ち着きを取り戻したと見るやいなや、手の組み方や体の動かし方をさっと説明した住職さんは、背後で静かに歩みを進めながら口を開いた。

 

「皆さん、仏教には空という教えがございます。悉くはそれだけでは存在し得ず、何かと比べること、相対的に考えることでしか存在することが出来ません。静かな場所で坐禅に励み、自らの考えを捨て、それ以外の何かで自らの心と向き合いましょう」

 

良かった、どうやら観光目的オンリーの坐禅体験云々だとかそういうのではなく、ちゃんとした修行の要素もあったらしい。ただふらっと坐禅を組みに行くためだけであれば態々こんな山奥まで車酔いに遭いながら訪れるなんてしないが、こういう本格的な自分を見つめ直す機会とあらば、ここまで赴いた意味もあるというものだろう。

仏教の考えには明るくないし、哲学的なことは何一つわからないが、とにかく坐禅を通じて自分の心と向き合えばいいらしい。住職さんの話を聞いたからか、さっきまで騒ぎ立てていた他のハロハピメンバーも流石に心を落ち着かせようという気になったらしい。言われた通りに印を結び、半分ぐらい目を瞑っていた。

 

「皆様のご想像の通り、邪念に囚われていたり、自身の抱える苦に苛まれて、心が崩れて参りましたら、こちらの警策を与えます。右肩に何か当たった感覚を感じたら打たれると思いながら前屈みになってください」

 

修行としての要素も捨てず、それでいて坐禅に関するイメージで1番オーソドックスであろう、木の棒で打たれるそれもあるらしい。ならば打たれないよう、時間が終わるまで全力で坐禅を組むだけだ——。

 

そう思っていた時期が俺にもありました。始まって実に3分程度が経った頃であろうか。

 

すっ。何かが俺の右肩に触れたのである。その次の瞬間。

 

 

 

 

不意に肩から全身へと響き渡る衝撃。脳天に電流が駆け抜ける拍動。

 

 

俺は今、大学生という身分を名乗りながら日々を怠惰に生きている。日常には満足しているし、仲間たちと過ごす時間も充実したものだと感じることが出来ている。将来に対する不安はあるが、その場その場で何とかなるだろうという、根拠のない妄言を自らに与えて、今を生きることに集中させようとしているのである。

 

 

だが違う。本当に自分がしたいことは何か。それを考えずして、自分本来を埋没させて、型に当てはめようとしてはいないか。現実逃避という弱さを自己肯定して、結果的に将来感じるであろう不安を今の享楽で掻き消そうと考えてはいないか。

私が目指すべき道はここではない。CiRCLEでただ労働、奉仕に励むだけの自己ではない。

 

目覚めよ、北条雄緋。

 

 

……。

俺が目を覚ましたら、ハロハピ5人がまだ坐禅に励む外で、お堂の廊下から彼女たちの勇姿を見届けていた。

 

 

──────────

 

 

熊を想起する木材の色。いやいや桃色だろうと、あたしは気を取られてしまった。すると、肩に僅かに触れた感触。それが警策と分かったのはすぐのことだった。

 

 

 

 

不意に肩から全身へと響き渡る衝撃。脳天に電流が駆け抜ける拍動。

 

 

あたしは今、キグルミの人として生きている。ミッシェルとしての内面を抱えながら、普段は奥沢美咲という普通の少女を生きている。偶然の出来事であった。この巡り合わせに後悔はしていないが、この後の人生も漠然と二足の草鞋を履き続け、こころやはぐみ、薫さん達にクマとしての自己と美咲としての自己を見せ続けるのだ。

 

 

だが違う。ミッシェルはどこから来たのか。本当のあたしは何者だ。ミッシェルはどこへ行くのか。思考を放棄してはいないか。幻想を見せることに妥協を演じてはいないか。

あたしが目指すべき熊はそうではない。いつまでも欺瞞に満ちた存在ではいられない。

 

目覚めよ、奥沢美咲。

 

 

……。

あたしはフラフラと雄緋さんのところに向かう。

 

「力が欲しいか?」

 

「……はい」

 

 

──────────

 

 

左隣から音がして、はぐみがそっちを見たら、肩に木の棒が乗っていた。声が指図するように、はぐみは少し前に体を倒す。

 

 

 

 

不意に肩から全身へと響き渡る衝撃。脳天に電流が駆け抜ける拍動。

 

 

はぐみは今、1人の人間として精一杯を生きている。街行く人にコロッケを売り、笑顔を届けながら、一方ではハロハピの一員としてさらに広く笑顔を届けたいと願っている。日々生きることに不安を抱くことはないが、時々18歳、19歳になっていく自分自身の心の乖離に戸惑っている。どこかから聞こえてくる喚起の声に惑わされて楽になりたいのだ。

 

 

だが違う。本当のはぐみとは誰だ。今まさにここにいるはぐみの考えることは、これから成長を予期して襟元を正させようとするはぐみと何が違うのだ。どちらもそれは自分自身であり、自己の確立から目を背けたいだけではないか。

はぐみが目指すべき己はここにはいない。これまでもこれからも、己は己自身である。

 

 

目覚めよ、北沢はぐみ。

 

 

……。

はぐみが目を覚ましたら、手招きされて廊下へと出る。

 

「いい顔してるな、はぐみ」

 

「……うんっ!」

 

 

──────────

 

 

衣の擦れる音がする。美しい音色が瀬田薫を揺すり起こした。

 

 

 

 

不意に肩から全身へと響き渡る衝撃。脳天に電流が駆け抜ける拍動。

 

 

私は今、瀬田薫として王子様を演じている。皆から脚光を浴び、皆の求める瀬田薫に応えることには慣れているし、そのこと自体に一種のやりがいすら感じている。時々自分を見失うこともあるが、周りから期待される姿を演じ通すことに使命感を抱き、自らの儚さという幽玄に酔いしれようとしているのである。

 

 

だが違う。本当に私がしたいことは何か。幼馴染の千聖は偶に今の私を受け入れてくれない時がある。そんな過去を知る人が私を認めてくれるのは、過去、何者の期待にも囚われずに私を私たらしめる正体を曝け出すときのみ。それでも私は瀬田薫を演じようとする。

私が目指すべき薫はそうではない。ありのままの私こそが薫である。

 

目覚めよ、瀬田薫。

 

 

……。

柄にもなく、私は見知った顔に向い駆け出していた。

 

「振り切ったんだな。かおちゃん」

 

「……あぁ」

 

 

──────────

 

 

笑顔を揺さぶる音に目が覚めた。あたしの肩に置かれたそれは、太い木の棒だった。

 

 

 

 

不意に肩から全身へと響き渡る衝撃。脳天に電流が駆け抜ける拍動。

 

 

あたしは今、世界に笑顔を届けようと歌っている。見てきた人全てが笑っているわけではない不条理な世の中で、あたしたちの歌で笑顔の人が増えるのであれば、あたしは幸せであった。あたしの心の奥底に逆巻く欲求の渦が穏やかに溶けていくのだ。勿論全てを笑顔で済ませられるとは思っていないが、目の前の人を笑顔にすることに喜びを覚えるのだ。

 

 

だが違う。本当のあたしが目指すべき世界は何か。人を笑顔にすることに固執して、笑顔の本質を忘れていやしないか。その人が幸せであるからこそ生まれる笑顔を表面的に捉えて、勘違いをしてはいないか。あたし自身が本心から笑っているのか。あたしの歌は笑顔の源なのか。

あたしが目指すべき歌はそうではない。あたしが心から笑顔で歌いたい歌であるべきだ。

 

目覚めよ、弦巻こころ。

 

 

……。

自分では見えないが、笑っているような気がした。あたしは廊下へと歩みを進める。

 

「こころ、いい笑顔だな」

 

「……えぇ!」

 

 

──────────

 

 

みんなの立つ音に気を取られた私の肩の近くの空気が張り詰める。私は思わず力んだ。初対面の人と話す時のように。

 

 

 

 

不意に肩から全身へと響き渡る衝撃。脳天に電流が駆け抜ける拍動。

 

 

私は今、臆病な自分を見つめ直している。バンドに入る前は引っ込み思案だった性格も、最近では少しずつ改善している。人に考えを伝える時、自分の考えがおかしいと思われないかと取り繕う時はあるが、それも必要なコミュニケーションのうちだと理解した。私の気持ちが分かるのは本当に1部、私に天井なき優しさを注いでくれる人たちだけでも構わない。

 

 

だが違う。本当の私が目指す自分の姿は何だ。バンドに入って、自分の世界が自己で完結するのではなく、外の世界に羽ばたくことを学び得たのではないのか。周囲の優しさに甘えて、一時の甘美な気持ちにのみ心が揺さぶられ、それは私が変わりたいと思った姿だったのか。

私が目指すべき姿はそうじゃない。私は自らに芽生えた勇気を大切にしたいのだから。

 

目覚めよ、松原花音。

 

 

……。

目を覚まして左右を見渡すとそこには誰もいない。私は廊下で待つ5人の元に駆け寄った。

 

「最後まで頑張ったな、花音」

 

「……うんっ!」

 

 

──────────

 

 

目覚めよ。ハロー、ハッピーワールド!



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末期五月病【有咲&つぐみ】

「……はぁ、だりぃ……」

 

「まぁまぁ、そう仰らずに」

 

「何もしねぇやつは気が楽で良いよな……はぁ……」

 

「そりゃ部外者だし俺……」

 

会話だけを聞けば愚痴を聞いてるだとか、そういう光景と思われるのかもしれない。だが、実を言うと状況はみんなが想像するようなものとは少し違うだろう。

 

「部外者でも、わざわざここに来たってことは、私を説得しに来たんですよね? 無駄ですんで、早く帰ってください」

 

「頼まれてる以上そういうわけにもいかないんだよ。だからさ、早く」

 

そう、ここに俺が赴いているのは俺の意思ではない。あくまで『お願いします』とかいうクソみたいな懇願を承諾してしまったがための、不可抗力である。俺がここ、市ヶ谷邸に来ている理由、それは。

 

「早く部屋から出てきてくれ引き篭もり、俺も暇じゃない」

 

「嫌です、お引き取りください」

 

自分の殻の中に閉じこもってしまった哀れな有咲を引き摺り出すためである。が、その頑固具合は相当なもので、引き篭もり歴の長さに裏打ちされた抵抗。今だって扉一枚を隔てて、出ろ出ないの応酬が繰り広げられている。話は平行線を辿るばかりでまるで進展がない。

 

「なんで引きこもってんの? 第一さぁ」

 

「人には誰しも殻の中に閉じこもりたい時期があるんです、今がそれです」

 

「元引き篭もりが何か言ってんな……」

 

説得力があるのかないのかよく分からないが、有咲が引き篭もることで誰かが被害を被っているわけであるから、頼まれた俺としては任務を遂行するしかないのである。が、内開きらしきドアにはご丁寧に何かものでつっかえられており、正面突破は困難に思われた。

 

「ほら、有咲が引き篭もることで今だって誰かがその分負担を背負ってるんだぞ」

 

「はぁぁぁぁ。私だってその負担から逃げたい時だってあるの、分かりません?」

 

物凄く大きなため息が部屋の中からわざとらしく聞こえてくる。どうやら有咲がここまで部屋から出ることを拒む最たる原因はその部分にあるらしい。生徒会云々で背負わされた負担、書記の仕事云々が煩わしくなったとかそういうことだろう。

 

「良いから早く出てこいよ引き篭もり」

 

「五月病なんですー! ほっとけ!」

 

五月ももう終わりに差し掛かろうとしているのに何を言っているんだ。あれは長期休暇明けの憂鬱な気分のせいであって、その天国であった連休だなんて既に二週間以上前に終わっている。発症までに時間差がありすぎやしないか。

 

「まぁ、なんだかんだ理由をつけて出てこないであろうことはこっちだって予想済みだ」

 

「じゃあ最初っから分かりきってたんじゃないですか! 早く帰れ!!」

 

「いやいや、頼まれた以上は仕事を果たさねばならないからな、カモン!」

 

「な、なんだ?」

 

俺が助っ人を呼び出そうと声を上げると、扉の向こうから抵抗を続ける有咲の困惑する声が聞こえてくる。生徒会の仕事に嫌気がさして、五月病に陥ってしまった哀れな社畜を励ますためにはこの人をお呼びするほかなかった。

 

「有咲ちゃん! その、引きこもってても何も解決しないよ!」

 

「は、羽沢さん?!」

 

そう、生徒会の仕事が辛くて逃げているのであれば、その苦労を知っている人に話を聞いて貰えば良い。燐子じゃ、仕事場の上司みたいなものだから有咲とてやりづらいだろう。日菜? 参考になるわけがない。ならばそう、つぐっていることでお馴染みのこの人を連れてきたわけである。

 

「なんで羽沢さんが?!」

 

「有咲ちゃんが生徒会の仕事が辛くて元気を出せないって言ってたって聞いたら居ても立っても居られなくなって!」

 

「羽沢さん……」

 

もうまさに人間の鑑のような存在である。隣に立っているはずだが、後光すら差しているような気がする。聖人たるオーラに溢れているのである。

 

「まぁ俺が話多少盛ったら飛んできてくれたんだけど」

 

「感動返せよ!」

 

「それはさておき、同じ境遇の人間の方が話しやすいだろ? だから大人しく投降して出てこい」

 

「投降するって……」

 

「有咲ちゃん。お願い……出てきて欲しいな。それが無理そうなら、部屋に入れてくれるだけでも良いよ?」

 

今日も最高につぐってるつぐみのお願いに、さっきとは違って控えめなため息が聞こえてきて数秒。それまで固く閉ざされていたドアがわずかに開き。

 

「……どうぞ」

 

「ありがとう!」

 

「よし突入!!」

 

「なんで雄緋さんまでくるんだよ!!」

 

その隙を逃す俺ではない。バリケードらしき何かが取っ払われた部屋のドアなど恐るるに足らず。つぐみが部屋に入るものだから抵抗のできない有咲の部屋に堂々と押し入った。ここだけ切り取ると俺が女の子の部屋に無闇矢鱈と押し入るヤバいやつと捉えられかねないが、そんなことはないのでみんな安心して欲しい。

 

「カウンセラーが1人じゃ心配だろ? そういうのは多い方が良いって海外のある有名な大学の研究者が出した論文で証明されているかもしれないからな」

 

「また口から出まかせって……え?」

 

「ほら有咲ちゃん! 辛いことがあったらなんでも私に話してみて?」

 

「え、あ、あぁ」

 

ぽんぽんと飛び出る調子の良い言葉尻を捉えられて思わず焦るがそこはつぐみのナイスカバー。伊達にあの日菜のサポート役をやっているわけではない。あの暴れ馬を飼い慣らす……振り回されているような気がするが、そんな日菜と共に仕事をするつぐみなら、2年間の実績のあるつぐみなら、有咲の悩み事の一つや二つ、簡単に解決してくれそうである。

 

「別に……何かが辛かったとかそういうことじゃ」

 

「じゃあとっとと出てこいよ」

 

「そういうことじゃない! って……うーん」

 

多感な時期である高校生の頃。人それぞれ悩みなんてあって当然なのではあるが、それでも生徒会の仕事が億劫になって引き篭もるとは、将来社畜になったが最後本当に秒で退職していそうなムーブだ。高校生の生徒会の仕事などたかが知れていると思うのだが、何が問題であると言うのか。

 

「嫌な仕事があったとか?」

 

「……いや、仕事自体はまぁそこそこ楽しいし、燐子先輩も優しいから困ってないんだけど」

 

「じゃあ何がダメなんだよ……」

 

「広報とか作ったり、資料の文章読むのに飽きたというか……。活字読むの疲れるし、文章書くのめんどくせぇし……」

 

書記として絶望的な感覚である。そりゃ生徒会誌なんかを作る作業なんてのはめんどくさい作業だろうなぁとは常々思っているし、敢えて自分がその作業をしたいとは思わない。大学で出されるレポート課題と同じぐらいの面倒くささを持っているとすら思っている。

が、それでも生徒全員から信任されて生徒会書記という任に就いている以上はその役目を果たすというのが筋であろう。なんていう正論が励ましに一役買うぐらいであればそもそもこんなことにはなっていないのだが。

 

「わかる……。わかるよ有咲ちゃん……。生徒会ってなんだか無駄に紙の資料多いよね……」

 

「だよな?! なんであんなのとずっとにらめっこしなきゃいけねんだよ! 疲れすぎて目玉取れるって!」

 

「えぇ……」

 

どうやら有咲の中に溜まっている不満というのは計り知れないレベルにまで膨れ上がっているらしい。デジタル化が進んでいない教育現場とはいえ、そんな不満が爆発する程度には業務が煩雑な生徒会とは、いとあはれなり。

 

「例えばな……。この資料、みてくれよ! 『重要』なんて四角囲みで書いてあるからなんだって読んだら、各項目全部、もう一枚の概要のコピーペーストだぞ?! やってられるか!!」

 

有咲から渡された4枚程度の紙の束。ペラペラとその紙を捲ればたしかに、項目ごとに分けられているはずなのに文章がどれも同じ文章である。そして最後の1枚と照らし合わせると、短く纏まった文章を意地悪なほどに長くペーストしただけのような、はっきり言って無駄な資料であった。

 

「かわいそうに……」

 

「そう思うなら私の五月病ぐらい多少見逃してくれ」

 

「だが断る」

 

「めんどくせぇ……」

 

俺だって出来ることであれば、全く自分の関わりのないところの五月病なんざ放っておきたい。が、まぁ『キラキラドキドキが』だとか、『うさぎうさぎ』、『コロネコロネ』、『小麦粉小麦粉』と奇妙で不穏なワードが飛び交っていた方々全員から、『連れ出してこい』とお願いされたからには断るなんぞ出来るはずもなかったのである。

 

「こういう無駄な資料を徹底的に減らしてくれるなら戻らないこともないけどな……」

 

「わがままな書記だな……」

 

そう言い放つと有咲は文句の捌け口になっていた書類とやらをクシャクシャと丸め、部屋の隅のゴミ箱へとポイと投げる。そのやさぐれ具合から察するに相当嫌気がさしてしまっているらしい。だが、これに我慢がならなかったのは意外にもつぐみの方だったらしい。

 

「……ねぇ、有咲ちゃん。煩雑な書類が多いのは分かるけど、それって生徒会の仕事をサボって良い理由にはならないよね?」

 

「うぐっ……」

 

ぐうの音も出ないほどのど正論である。書類の適当さ具合なんかを鑑みれば有咲の気持ちは分からないでもないが、それ即ちサボタージュが許容されるわけではないし、きっと真面目なつぐみにとっては、仕事を放棄して引き篭もろうとするそれは赦せなかったのだろう。

 

「生徒会の書記をするってなってた時点で、こういうことになるって分かってたよね」

 

「それは……」

 

未だ嘗て見たことがないほどのつぐみの詰問に有咲はたじたじになっている。というか俺も内心ちょっとビビってる。ここにつぐみを連れてくるにあたり、つぐみの中の使命感を煽りすぎた俺が原因と言われるとそれはそうなのだが、それでもここまで覚醒するとは思わなかったのである。真面目が故に有咲を本気で心配し、叱咤激励しようとしているのであろう。

 

「生徒会の仕事って大変だけど、学校の生徒全員の代表なんだから、ちゃんとしないとダメだよ?」

 

「それは……まぁ……。……けど! 学校の書類だとかが無駄にややこしくなってることの愚痴を言うくらい!!」

 

「……有咲ちゃん、これを見ても同じこと言える?」

 

「え?」

 

反論の糸口を見つけたとばかりに勢いを盛り返した有咲の言葉に、途端に表情を曇らせたつぐみ。つぐみは先程にも増して、普段からは考えられないような冷淡な表情で、鞄の中から取り出したファイルの中に入っていたプリントを取り出し、有咲に手渡した。

 

「これって……」

 

「この間、羽丘の生徒会で会議をすることになったんだけど、私が偶然書記をすることになって、これがその時の議事録の抜粋だよ?」

 

何やら様々に書き込まれたその紙を一目見ようと覗き込む。そこには。

 

発言者      発言内容       
日菜先輩 

最近なんだか『るんっ♪』ってくることが少ないんだよねえ。行事も開催できないし、おねーちゃん羽丘に全然来てくれないし。ねぇねぇ、みんな何か学校生活がるんるんるるるんって来る感じの『るんっ♪』って心躍る名案ってないかな?

 

生徒A 

るんるんるるるんって来る感じの『るんっ♪』ってどういうことですか?

 

日菜先輩 

『るんっ♪』は、『るんっ♪』だよ? 心の中のおっきな『るんっ♪』がるんるんする感じで『るんっ♪』って心がときめくみたいな。言葉にするの難しいけど、先生たちもOKを出してくれるような企画ってことは教育的にも『るんっ♪』ってしないといけないよね? ならみんなが学校生活全体で『るんっ♪』ってなって、より勉強の意欲に結びつくような『るんっ♪』って意見じゃないとダメじゃん? だから生徒全員が勉強に『るんっ♪』ってする『るんっ♪』な行事を考えないといけないと思うんだけど、つぐちゃんは何か意見ある?

 

つぐみ 

はい?

 

 

もはや何が書かれているのかすらあまりよく分からない議事録。読んだとしても中身はさっぱり理解できないのだが、有咲と2人、この判読不可能な怪文書を手に顔を見合わせる。

 

「ねぇ、有咲ちゃん。わかる?」

 

「な、何が……」

 

「議事録作ってて、日菜先輩の表現のニュアンスの違いを意識して書いたことある?」

 

「へ?」

 

「作った議事録を先生に見せて、『生徒全員が勉強に『るんっ♪』ってする『るんっ♪』な行事』の説明、したことある? 『教育的に『るんっ♪』ってする企画』を解釈して先生に説明したこと、ある?」

 

「え、いやその」

 

「『るんっ♪』と『るんっ♪』と『るんっ♪』の意味の違い、誰かに説明したことある?」

 

「えっと……ないです」

 

「ないよね? ないでしょ? 雄緋さんは?」

 

「あると思う?」

 

やばい、会話の9割が理解できないぞ。『生徒全員が勉強に『るんっ♪』ってする『るんっ♪』な行事』の説明、って何? それは日本語としてちゃんと成立している文章なのか? もはや全くの異言語を理解するレベルの議事録の作成には頭も上がらないし、物凄く冷ややかな目でこの議事録で使われた『るんっ♪』の意味の違いを事細かに説明するつぐみに反論することなんて出来るはずがなかった。

 

「有咲ちゃん、羽丘きて、書記、やる?」

 

「……あー! なんだか花咲川の生徒会に行きたくなってきたなー!!」

 

「本当に? 無理しなくても良いんだよ? 羽丘においでよ。今ならコーヒーもつけるよ?」

 

「……羽沢さんごめん! 私にはそのポジションは無理だ!」

 

その時丁度、有咲のスマートフォンに電話が掛かってくる。有咲は慌ててその電話を取ると、鞄を抱える。

 

「あ、燐子先輩! 行きます、行きます、今すぐ行きますから! はい!!」

 

そうとだけ言い残すと有咲は電話を切りこちらを振り向いた。

 

「2人ともありがとう、私花咲川で頑張るから!!」

 

そして俺たちが未だに部屋に取り残されているにも関わらず、有咲は逃げるように部屋から去っていった。多分あの電話口の焦りようなどから察するに、余程羽丘の生徒会で言語学の勉強をするのが嫌と見える。いや俺も無理だけど。

 

「有咲ちゃん、ちゃんとやる気出してくれましたね」

 

「……あ、あぁ。ありがとうなつぐみ。こんなことで呼び出しちゃって」

 

何はともあれ、五月病を拗らせすぎた引き篭もりをなんとか仕事に復帰させることが出来てよかった。そんな感謝をつぐみに伝えると、つぐみはさっきまでの死んだ魚のような目から一転、いつもの純朴で元気一杯の朗らかな表情を取り戻していた。

 

「大丈夫ですよ! それにしても有咲ちゃんじゃ分からないのかぁ」

 

どうやら有咲があの『るんっ♪』と綴られた怪文書を読み解けなかったことが少し残念らしい。だが、有咲のその反応が普通だと思う。だから、あくまで一般的な観点で、至極当たり前のことをつぐみに教えておいてあげよう。

 

「その議事録か? 普通の人間は多分何を言っているのかさっぱりだと思うぞ?」

 

「え、でも紗夜さんは全部分かってましたよ?」

 

「……え?」

 

「その場に居たわけじゃないのに、細かなニュアンスの違いまで全部」

 

るんっ♪ という概念は、俺の予想よりも遥かに奥深いものであった。



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恋愛取材(尋問)【彩&千聖】

それは家に届いた1通の手紙から始まった。俺はその手紙に連れられるがままに街へ繰り出し、指定されたビルの下に辿り着く。そこには。

 

「あら、遅かったのね」

 

「は?」

 

「じゃあ早速入ってよ!」

 

俺が辿り着いたのは、芸能事務所だった。

いやいやいや、ちょっと待てちょっと待て。辿り着いた先が芸能事務所だったとして、どうして完全部外者の俺がそこに突入することになろうか。目の前でニコニコと笑う彩と千聖の態度も怪しいし、抵抗をしようとした俺だったのだが。

 

「あれ、雄緋くんが帰るって言うなら、私たちここで叫ぶよ?」

 

「え?」

 

「襲われたーって、ね?」

 

「ピンクの悪魔め……」

 

俺はその脅しに屈する他なく、渋々自動ドアの奥に進む。構造的には裏口の類なのだろうが、俺が逃げられないようにその通用口の後ろから2人が着いてきている。要は嵌められたのである。

 

「千聖ちゃんに教えて貰ったこれ、効果抜群だね!」

 

「そうでしょう? これを使って……ふふ」

 

どうにでもなあれ♪

 

 

 

「で、俺を態々呼び出してまでする用事ってなんだ?」

 

ビルの一室、応接間のような部屋に連れ込まれた俺は2人と向かい合って茶色の長ソファに座らされる。当然穏やかな休息の時間を邪魔されたものだから俺の機嫌は悪い。だが、そんな悪態も当の2人は全く気にもとめないらしい。

 

「実は今度雑誌の取材が入っていて、それがかなりプライベートなこと含めて質問されるようなのよね」

 

「はぁ」

 

「だから雄緋くんに記者の役をやって貰って練習しようと思ったんだよ!」

 

「俺である必要性は?」

 

「ないよ!」

 

「帰ります」

 

「待って待って!」

 

いやいや、これは帰っても良いところだろう。むしろここまでよく我慢した方ですらある。記者の役なんざ、パスパレの内輪で替りばんこにやればいいものを。

 

「想定質問集みたいなのは用意してあるから!」

 

「そういうことじゃないんだよなぁ」

 

「雄緋が記者の役をしてくれることで、適度な緊張感があるのよ」

 

「そういうことだよ! 緊張感だよ!」

 

「スタッフさんにやって貰えば……」

 

「スタッフさんに赤裸々に語るのは恥ずかしいじゃない。適材適所よ」

 

「うんうん、適材適所だよ!」

 

彩が完全に言葉を反復するbotのようになっているが、そこまで理詰めされてしまうともう反論の余地がない。これ以上は不毛な文句を垂れるだけだ。

 

「分かったよ……。じゃあその質問集とやらを貸せ」

 

「はーい! 上から全部の質問をしていってね!」

 

「分厚……」

 

彩から手渡された冊子は想定質問集にしては不思議なほどに分厚い。が、明らかに手書きで書かれたものらしく、多分この字は彩とかその辺りが書いたのであろう。完全自作の想定質問集ということらしい。

 

「じゃあ最初の……は? ……これ本当に聞くのか?」

 

ページを捲る。そこに踊る文字。無慈悲にも俺の頭に湧いて出た疑問には肯定が返された。

 

「『スリーサイズを、上から』」

 

「秘密です!」

 

「何で聞かせたんだよ!」

 

「だって記者の人からだよ? 聞かれるかもしれないじゃん!」

 

「聞かれないだろ! グラビアアイドルじゃねぇんだから!」

 

というよりも、初手でこれを聞いてくる記者がいたとしたらそいつはシンプルにただの変態か何かである。ついでに言うとこの冊子を作って最初にこの質問を持ち込んだバカは煩悩まみれである。

 

「千聖ちゃんもほら!」

 

「えぇ、上から順に「待て待て待て」……何?」

 

「何でナチュラルに言おうとしてるの?」

 

「だって雄緋になら知られても問題ないじゃない、というか教えたいわ」

 

「変態なの?」

 

「これが芸歴の長さの持つ貫禄なんだね……」

 

「違うよ?」

 

もしかしなくても、この冊子を作ったのは千聖のような気がする。というか教えたいとか言われても反応に困るからやめてほしい。喜べばいいのか呆れたらいいのか怒ったらいいのか、感情の変化が忙しい。

 

「次は、『演劇に対する拘りや想いを聞かせてください』、これだよ、こういうのでいいんだよこういうので」

 

「私はそうだなぁ、まだ役者の仕事を貰って日が浅いけど。私じゃない私を演じる……みたいな? 多分この質問は千聖ちゃんの方が深みがありそう」

 

「ハードルを上げないでちょうだい……。そうね、私にとって演劇は人生そのもので、物語の中の人物に命を吹き込むようなもの……かしら」

 

「子役から経験してると重みが違うな……。1番思い出深かったのは?」

 

「そうね……。ベッドシーンかしら?」

 

「え、待って千聖ってベッドシーンとかやったことあんの?!」

 

「私も初耳なんだけど?!」

 

思わず心から漏れ出た叫びは部屋の壁に反響する。俺や彩の驚きにも慌てることなく澄ました顔を崩さない千聖に宿っているのは女優としての風格そのものだ。

 

「アイドルがベッドシーンなんて炎上ものだよ?! どんな話でベッドシーンしてたの?!」

 

「恋人同士の役なんだけど、事後に眠りについた翌朝、まだ寝惚けた恋人役(雄緋)にキスをせがむ話よ」

 

「……ん?」

 

「お、大人だぁ……もっと詳しく!」

 

「あら、彩ちゃんも現場に居たじゃない」

 

「……えっ?!」

 

「雄緋、次の質問を」

 

「待って?!」

 

「えー、『アイドルは社会的に』」

 

「待ってってば!」

 

「……『アイドルは社会的に恋愛はご法度と評価される面もありますが、お二人は恋愛経験はおありですか』」

 

俺は彩を適度に無視して次なる質問を読み上げる。なるほど、確かに記者からプライベートなことを質問するとなれば、こういった恋愛関係の質問が飛んでくることはあるかもしれない。下手をすればこの質問に対する回答一つで大炎上である。勿論この質問を作ったのも2人だろうから想定解はあろうが、どう返してくるのか。

 

「私は……実は今、いい感じの人が1人」

 

「……えっ?!」

 

「私も、彩ちゃんと同じで片想いをしている人なら」

 

これはたまげた。その答えを記者に対してもするのかと問うと、2人は何度も頷く。

 

「え、取材なんだよな? 大丈夫? というか好きな人いんの?」

 

「えぇ。まず嘘は不誠実、私たちの交友関係を知られていないなら誰かは特定されないわ。好きな人がいるのはその通りよ」

 

「おぉ……。というか青春してるんだなぁ……」

 

まぁアイドルとはいえ普通の女の子と言われればそうなのかもしれない。俺からすれば現実をある程度知るとそういった青春が霞んで見えて仕方がないのだが、この2人が青春の宝石を探し求めるというのなら応援ぐらいはしてあげよう。

 

「雄緋くん、その文の下に追加の質問あるでしょ? 早く読み上げて?」

 

「え? 『気になる人とは誰ですか?』」

 

「誰だと思う?」

 

何故か彩と千聖は向かい合っていたソファから立ち上がり、回り込んでこちら側に距離を詰めてくる。強いて言うならば圧が強い。

 

「当てられたら、キスしてあげるわよ?」

 

「いやいや……え?」

 

何かのスイッチが入ったように迫ってくる2人に俺は身を翻そうとした。しかし、立ち上がる余裕もなかった俺は、そのまま慌てて2人を止めた。

 

「待て!」

 

「どうかした?」

 

「これ、取材の練習なんだよな?」

 

「えぇ、最初に言ったじゃない」

 

「お前らは取材の一環で記者にキスをするのか?」

 

「まさか、するわけないよ!」

 

「雄緋以外にキスなんてするわけないじゃない」

 

「ならロールプレイ中もすんなよ!」

 

「……はぁ」

 

「ダメね、これは」

 

俺は真っ当な正論を言ったはずであったが、何故か2人には盛大なため息を吐かれる。俺からすればそこまでの反応をされる謂れはない。

 

「じゃあ次は交代ね!」

 

「私たちが記者の役をするから、雄緋が答えていってちょうだい」

 

「は? 何で俺が」

 

「私たちも記者の気持ちを理解したいのよ。良いから早く座りなさい」

 

「はい」

 

有無を言わさぬ目力で俺は屈して、諦めたように長ソファにもう一度腰掛ける。そして想定質問集とやらを渡すと、何故か両隣に彩と千聖が座ってくる。

 

「おいちょっと待て」

 

「まだ文句があるの?」

 

「近くない?」

 

「近くないよ?」

 

「……もういっか」

 

長ソファに座ったら距離を詰められた経験だなんて今に始まったことじゃない。CiRCLEのラウンジでも幾度となく経験したし、一々それに文句を言っていても何も進まないということも経験した通りだった。

 

「率直に聞くね? 私たちのことどう思ってる?」

 

「記者の立場逸脱してない?」

 

「良いから。私たちは雄緋に聞いているのよ? 今度来るとかいう記者には微塵も興味を持っていないわ」

 

それなら記者からの取材だなんて口実でしかないじゃないかと目で訴えかけたが、それを聞いてくれるような雰囲気ではなかった。

 

「雄緋くんに聞きたいことがあるから呼んでるんだよ? それで、『私たちのことをどう思ってる?』」

 

「彩たちか? 彩は頑張り屋で……偶に空回りはするけど見ていて応援したくなる感じだな」

 

「えへへぇ……そんなぁ、褒めすぎだよ……」

 

「彩ちゃん? 肝心な部分が聞けていないのにダメじゃない」

 

「千聖は打算的なのはそうだけど、本心はパスパレみんなのことを想ってて、優しいなと思うぞ」

 

「ふふ……。そう、かしら……。ふふふ……」

 

こいつらやたらトリップしてるな……。多分この状態に入ったら暫くまともな受け答えは出来ないだろうが、その隙に帰ってやろうか。そんな風に思っていると意外なほど2人は早く復帰してきた。

 

「そ、そうじゃなくて! 女の子として見た時……どうかな……なんて」

 

「女の子?」

 

「そう! 恋愛対象として!」

 

「俺にロリコンの気はないぞ」

 

「私たちはロリじゃないわよ!」

 

「高校生じゃん……。兎に角、ノーコメント」

 

「そんなぁ……」

 

「目に見えて落ち込むなよ……罪悪感湧くから。……その、可愛いとは思うぞ」

 

「ほんと?!」

 

テンションが暴走気味の彩をとりあえず抑え込み、比較的冷静そうな千聖に早く次の質問を振れと合図する。思い出したように手元で開く冊子に目を向けた千聖から次の質問が来た。

 

「『ぶっちゃけ、元カノいたことある?』」

 

「答えなきゃダメ?」

 

「えぇ」

 

「……ある」

 

「誰? なんて名前の人? 電話番号は? 出身は? 住所は? いつの話? どういう関係性でどういう馴れ初めでどんな交際を経てどういう経緯で別れたの?」

 

「怖いから! 質問責めすんな!」

 

「……えっ?! 雄緋くんって元カノいるの?!」

 

「反応遅いな。まぁ……な」

 

やばい、空気が地獄すぎる。彩はさっきの有頂天のテンションから一転、完全に抜け殻のように反応が乏しく、千聖は千聖で小さな声でブツブツと何かを呟いている。

 

「俺に元カノが居たことがそんなに重要なのか?」

 

「当たり前だよ! 私のファーストキス……うぅ」

 

「え、えぇ……」

 

「……ねぇ雄緋。その元カノさんと会ってお話しはできないかしら?」

 

「は? 無理無理無理。いやというか俺が無理」

 

「大丈夫。取り次いでくれたら私が丁寧に対応してお話を進めてくるから。良いわよね?」

 

「ダメです」

 

というか後輩の女の子に元カノと連絡を取らせるってどういう新手の拷問なんだ。

 

「何でダメなの?」

 

「何でって……。連絡取るメリットないし、そもそも知り合いが連絡取るとかならまだしも無関係の後輩が連絡取るとか訳わかんないし……」

 

「なら彼女とかなら良いのね? 私を彼女にしなさい」

 

「ダメです」

 

「千聖ちゃんずるいよ! 私も彼女になる!」

 

「彩でもダメです」

 

「なんで!」

 

「高校生が彼女とかなったら俺が社会的に死にます」

 

「大学生なら良いのね? 今から海外の大学で飛び級で入れるところ探そうかしら」

 

「そういうことじゃないから!」

 

あとそもそも世間体を気にするならアイドルと交際するのタブーだってさっき質問で言ったところだろうが。俺がファンにボコボコにされる。……そういやこの間のウェディングの記事大丈夫なのかな。

 

「はぁ……。雄緋くんが何も肝心なところ教えてくれない……」

 

「肝心なところってなんだよ……」

 

「元カノさんの有無こそ教えてくれたけど、元カノさんのこと何も教えてくれないし……」

 

「俺だって思い出したくはないんだけど……」

 

というか誰だって好き好んで、無闇矢鱈と過去の恋愛を探られたいということはなかろう。俺が際立って変だとかいうそういう話ではない。

 

「トラウマ……とかかしら?」

 

「まぁ、良い思い出ではないな」

 

「私が塗り替えてあげるわよ?」

 

「更に血みどろの思い出が出来上がりそうだからダメ」

 

「血みどろの思い出が出来上がる自覚はあるのね」

 

そりゃあまぁ、俺だってポンコツではない。変な修羅場を自ら作りに行くほど愚かではないのだ。

 

「雄緋くんの血……ごくり」

 

「怖いからやめろ」

 

「流石に冗談だよ? でもどうしよっかなぁ」

 

「どうしようって何が?」

 

「一問一答で雄緋くんの元カノさんの話聞き出そうと思ってたのに」

 

「拷問?」

 

幾らなんでもオーバーキルもいいところな酷すぎる扱い。エンターテイメントにもならない、もとい誰も幸せにならない取材である。

 

「そんなの聞いてどうすんだよ……」

 

「大切な人の過去を知って、苦しみを共有したいというのは、悪いことかしら?」

 

「悪いことじゃ……。……何か良い話風に持って行こうとしてない?」

 

「……雄緋くんの好み探れないかなぁ……なんて」

 

「そっちがメインだよな?」

 

そりゃあ過去の辛い出来事なんかを誰かに打ち明けて楽になるなんてことはあるかもしれない。が、それを幾分か下のこの子達に話してまで楽になるべきかと問われればそうではない。

 

「雄緋のタイプの女性なんかは気になるわね」

 

「気にならなくて良いから……」

 

「ガールズバンド向けのアンケートでも9割以上の人からその質問出てるよ?」

 

「割合高っ……、というか何そのアンケート」

 

以前どっかの誰かに取調べもどきを受けた時なんかもタイプの女性だとかを聞かれた覚えはあるが、俺のその問いに対する回答はそれほどまでに需要があると言うのか。結論から言えば俺にだって勿論性癖とかタイプとか、そういうものはあるが、それはおいそれと他人に話すものでもなかろう。

 

「みんな気になってるんだよ? 好みのタイプは?」

 

「……言わない」

 

「……千聖ちゃん。仕方ない、よね?」

 

「えぇ。これだけ真剣に聞いてもはぐらかされるんだもの」

 

「今の真剣だったの?」

 

なんならてっきりそのアンケートでっち上げだと思ってたよ? が、確かに彩と千聖の醸し出す雰囲気はどこか畏れを抱きたくなるほどに粛然としている。

 

「聞き方を変えるね? ……私みたいな女の子、嫌い?」

 

「……へ?」

 

「彩ちゃんだけじゃないわ。……私のこと、嫌い?」

 

「ちょ、その聞き方……」

 

ずるいだろうと反論出来るほどの空気でもない。

 

「……嫌いじゃない」

 

「良かった。ねぇ、私のこと、好き?」

 

「まぁ……」

 

「雄緋、私は。私のことは、好き?」

 

「その……」

 

俺の両腕を抱えながら小さく震える2人の表情は見えない。この状況で否定など出来ようはずもない。

 

「……彩のことも、千聖のことも、好きだぞ」

 

但し人間的な意味で。但し人間的な意味で。

なお、俺の言葉を聞き届けた2人は気がつけばソファの両サイドでグッタリと気絶していた。

……俺の音声が切り抜かれて拡散された結果、他の子たちからも取材と称した誘導尋問が始まったのは言うまでもない。









パスパレの花嫁の絵くださいって言ってたら遂に公式から供給がありました。尊い。


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CiRCLEの掟【レイヤ&マスキング】

たかっちゃ様からのリクエストを元にした作品です。リクエストいただきありがとうございました。





俺は今、大変な状況を迎えている。いやまぁ、そんなの今に始まったことじゃないだろうと思う人もいるだろう。確かに俺は頻繁に修羅場に巻き込まれて精神をすり減らしているからその理解で強ち間違いではないのだが、そうだとしても現在直面している問題が解決するわけではない。

俺が直面している問題、それは。

 

「ということは、最近話題のグループみんなとお知り合いってことですよね!」

 

「ま、まぁー。そんなところですかね……はは」

 

「やっぱりCiRCLEで練習出来て良かったぁ。すごい経験だよ!」

 

「だったら良かったです……」

 

「お兄さんもすっごく優しく対応してくださって、ありがとうございます!」

 

みんな、誰? ってなってるだろ。俺も分からん。いや、CiRCLEの利用客ってことは分かるし、このビッグウェーブに乗って、ガールズバンドを始めた子達ということも知っている。まぁ前に何回かここでチラッと見たりしたかなぁ、ぐらいの関係性だ。名前も苗字ぐらいなら覚えてるかなぁ……ぐらいなのだ。

なのに、なのにである。

 

「よかったら、お兄さんの連絡先、教えていただけませんか? 勿論私の番号も渡しますから!」

 

「いやー、その……はは」

 

逆ナンされてます。いや違う、たらし込んでる訳じゃないぞ、勘違いをするんじゃない。羨ましいだとかそういうことも言わない。考えてもみろよ。大して知っているわけでもない人からいきなり連絡先交換しませんか、なんて言われるのは男の俺でもちょっと怖いんだからな。

 

「俺と連絡先交換したところで、全然連絡することもないと思うし」

 

「いやいや、お兄さん、結構目が肥えてたりしてますよね? 話題のガールズバンドみんな見ている訳だし!」

 

「まぁ……それは」

 

目の前でキラキラと顔を輝かせているところ申し訳ないのだが、連絡先を交換したところで別段連絡を取るわけでもない。当然好みが云々だとかそういうことでもないし、あくまでも俺は店員だと、そういうことである。あとこれ以上何かやらかしたらまりなさんに怒られそうだし。

そういうわけで俺はどうにかこうにかのらりくらりとかわそうとしているのだが、4人という数の暴力で押されるとどうにも弱く出るほかない。別にナンパされてるのがちょっと嬉しいとかそういうことではない、うん。断じて。断じて

 

「私たち、まだまだ上手くなりたくて……」

 

「くっ……。泣き落としとは卑怯な……」

 

「周りのバンドはみんな大きな舞台で羽ばたいているのが憧れで……!」

 

「くっ……。泣き落としとは小癪な……」

 

「私たちもCiRCLEを代表するバンドになりたいんですっ!!」

 

「ぐはぁっ!!」

 

致命傷であった。それはCiRCLEに誇りと使命を持って勤労奉仕する俺にとって、強烈すぎる一撃だったのである。

 

「だから、お願いします!」

 

その時、固まっていた俺の両手がギュッと握られる。あまりに突然訪れた温もりにびっくりした俺は顔をあげる。そこには新しくCiRCLEの顔を目指さんとするボーカルの端整で熱意のこもった表情が。俺を見つめる熱い視線に、その脇からも降り注いでいる懇願の目線。俺はたじろぎながら、気恥ずかしさに目を逸らそうとして。

 

「……」

 

固まる。いや、手を握られたことで驚きすぎたからとか、そんなちゃちな理由ではない。ただ、その幾重にも降り注ぐ期待の満ちた目線のさらに後ろから、身の毛もよだつほどの冷たいオーラが放たれていることに気がついたからである。

 

「おい」

 

「へ? ……えっ、RASのレイヤさんとマスキングさん?!」

 

低く冷たい声でその存在に気が付いたのか、逆ナンパをしかけてきたガールズバンド4人組も一斉に振り向くと、大物の登場にすっかり呑まれてしまったらしい。いや、違う。それはレイヤとマスキングが大物だからという理由ではない。周囲の気温を5℃ぐらい下げていそうな、全身が萎縮するほどの冷たい空気の威圧に呑み込まれたからである。

 

「ねぇ、雄緋さんの手を握って、何、してたの?」

 

「え、いや。その……お兄さんにもっとバンドのこと教えてもらいたいと思って……」

 

「それで連絡先をせがんでたのか?」

 

「そういうつもりじゃ……」

 

「でも実際、聞き出そうとしてたよね?」

 

2人からの鋭い糾弾に押し黙ってしまう4人。俺ももはやどう立ち回るべきか分からず、その威圧感に気圧されて、惚けるばかりであった。

 

「知らなかったのか? 確かにまだ雄緋さんはRASの専属マネージャーになってもらうところまでは至ってないが……」

 

「雄緋さんに触れていいのは、少なくとも私たちRASを含めた、特別に選ばれた7バンドの人間しか許されてないんだよ? 私たちは協定を結んで、そう決めたんだよ?」

 

「えっ、あっ……あっ……」

 

「ちょっと待って協定って何?」

 

修羅場の真っ只中にいる俺ですら全く聞き覚えのない単語にびっくりする。だが、俺が聞き返したところで鬼神のごときオーラで周囲の全てを薙ぎ倒しそうな勢いの2人が返事をしてくれるわけもなく。

 

「……わかったら、私たち全員を圧倒できるぐらいになってから出直してこい!!」

 

「す、すみませんでしたぁ!!」

 

もはや声すらも失うほどの威圧、常識の通用しない謎の協定に涙を飲んだ4人組。無礼を働きすみませんでしたと、一言詫びを入れられたのだが、それほど怒りなんてものは特段感じていない俺はその子たちを宥めようとする。だが俺のか細い声の慰めを聞き届けることもなく、レイヤとマスキングの威圧に屈服したのか、逃げるように店から立ち去っていってしまった。

 

「あ、行っちゃった……」

 

「……って、雄緋さん! 大丈夫でしたか?!」

 

「え?! な、何が?!」

 

カウンターで困惑を隠しきれない俺の肩をいきなり揺さぶるレイヤ。さっきまでの威圧的な雰囲気のそれとは打って変わって、目に見えて慌てたような声と態度に風邪を引きそうになるほどの温度差を感じたが、それはレイヤだけではなかった。

 

「そうですよ! 何か変なことされませんでしたか?!」

 

「変なこと?」

 

これまたさっきの怒りに満ちた様相を完全に失ったマスキに詰問される。が、連絡先を聞き出そうとされたことを除いては特段変なことをされた覚えはないし、何ならさっき聞こえてきた『協定』とか、態度の変わりようの方がよっぽど変であるし気になっている。

 

「例えばそう……、全身を弄られるとか?!」

 

「そんな犯罪みたいなことされてないからな?!」

 

流石にその域にまで達してるようであれば今頃俺は警察に駆け込んでいる。とはいえ俺の体を弄ろうとする物好き中の物好きはこの世には居ないだろうから、発想が奇想天外、論理飛躍の塊のような2人の少女に呆れてため息をついた。

 

「あのなぁ……。されるわけがないし、そもそも俺の体弄るような悪趣味なやつは居ないって……」

 

「えっ、みんな思ってるよね?」

 

「え?」

 

「え?」

 

レイヤの口から飛び出た予想の斜め上のさらに斜め上を行くような返答に俺の思考はフリーズした。みんな思ってる? みんなって誰? それは俺の知ってるみんななの? なんていう哲学的な思考を繰り返した結果、理解を拒んだ俺の脳の神経回路が断線する。

 

「えっとまぁ。兎に角何も君らが思うような変なこと? はされてないから! 何考えてたのか知らないけど!」

 

「何考えてたってそりゃあ、雄緋さんのデリケートで敏感な」

 

「あーあー言わなくて良い言わなくて良い!」

 

何が悲しくてそんな薄い本が分厚さを増していくような、特定のニッチな部分にしか需要のない妄想じみた悪夢を聞かされなくてはならないのか。大体ここはライブハウスのエントランスで、ここでそんな事態になった時点でCiRCLEは閉鎖待ったなしである。

 

「まぁ……。落ち着いたか? それはそうと一々大袈裟すぎだろ……。いきなりドスの効いた声が聞こえてくるから誰かと思ったよ……」

 

今思い出してもそれまでの、困り果てていたとはいえ比較的和やかだった空気を一瞬で凍りつかせるようなオーラの襲来は恐ろしかった。まさかそのオーラの発生源がマスキたちだとはとても思わなかったが、これまで幾度となく修羅場を潜り抜けてきた俺が恐れ慄くほどの圧迫感であった。

 

「だって……その……」

 

「その?」

 

「……とにかく! 雄緋さんの連絡先が全くの部外者にバレたら困るんですって!」

 

「そうですよ。だから私たちはそれを全力で阻止した、それまでです」

 

「最後の方もはや脅迫だったじゃん……」

 

俺に声をかけてきた女の子たちを店から追い出すに至った際の声はマジで怖かった。俺に対して言われているのは違うと分かっていても、それでも俺すら目の敵のようにされてるんじゃないかと思うほどの空間の支配力を誇っていた。

 

「俺もまぁ、連絡先教えるのは流石に憚られたけど、そこまでしなくとも……」

 

「いやいや、バレてからじゃ遅いんですよ!」

 

「レイの言う通りですよ。私たち以外に知れ渡るのはまずいんですから!」

 

「何? 俺の連絡先は全てを手に入れた海賊王が隠した遺産の在処か何かなの?」

 

「当然! トップシークレット中のトップシークレットです!」

 

どうやら俺の個人情報もとい、俺とのコンタクト手段は完全に最高機密に類する扱いを受けるらしい。というかそこまで重大な秘密に認定されるぐらいなら、もう少し俺のプライベートスペースもより機密性を高めても良いものだと思うのだが、彼女たち曰くそこは、『辛く苦しい人生で、天が授けてくれたオアシス』らしい。俺の個人情報しかり俺の家しかり、一体何だと言うのか。

 

「連絡先の件は分かったけども……。はぁ、これじゃあまたお客さん減っちゃうじゃん……」

 

「それなら私たちがもっと来ますよ?」

 

「既に一定以上来てるユーザーが来る頻度上がるよりも、単純に利用客の母数が増える方がなぁ……。大体君たちチュチュのマンションでいっつも練習してるじゃん……」

 

「くっ……」

 

そもそもCiRCLEにそれほど来ないでも活動を続けるRAS頼りにするよりも、新規のユーザーをより多く獲得した方が良い。なんだったらここ最近、CiRCLEを利用するのは大体俺と知り合いのガールズバンドばかりなので、新規利用客の開拓は急務なのである。まりなさんからも頻繁にその類いのぼやきは聞いているので、俺としてはお客さんが離れていくのは心苦しい部分もあった、だが。

 

「……ちが大切なんですか」

 

「へ?」

 

「ぽっと出のガールズバンドと私たち! どっちが大事なんですか?!」

 

「え、え、えぇっ?!」

 

いきなりカウンター越しに胸ぐらを掴まれ、耳にキーンとした痛みが残るほどの叫びを喰らい、またもや思考がフリーズする。お客さんが離れていく云々の考えが吹き飛ぶほどに揺さぶられる視界。

まさか『仕事と私、どっちが大事なの?!』みたいな2択をここで投げかけられることになるとは。そもそも比べる必要もないと思うのだが、変な答えを返すと尋問が続きそうだった。

 

「も、もちろん君たちです……」

 

「ですよね? なら、もっと……私たちのことを優先してくれても良いですよね?」

 

「え、もうかなり優先して痛ててて?! しますっ、しますっ! バンバン優先します!」

 

完全に言わされたし、優先をするとは具体的にはどういうことをしろと言う要求になるのだろうか。それを考える余裕は俺になかったわけだが、俺に残された選択肢はただただうなずくのみである。

 

「本当に優先するんですか?」

 

「ほんと、本当です!」

 

「じゃあCiRCLEの利用客が私たちだけになっても問題ないですよね?」

 

「えそれは問題あ、ありませんありません! 問題ナッシングです!」

 

俺の考えの全てを見抜いていくような目線に耐えきれず、ポロリと出てしまった微弱な本音の芽すら摘まれている。どうやらCiRCLEに来るお客さんは35人に完全に絞らざるを得ないらしい。

 

「ちょーーーっと待った!!」

 

「その声はっ?!」

 

「まりなさん?!」

 

俺がCiRCLEの行く末を悲観し始めたとき、大きな声と共に現れたのは我が上司、まりなさんであった。

 

「それは困るよ! CiRCLEに来るお客さんが減ったらここ潰れちゃうから!」

 

「でも、雄緋さんが居ないのにCiRCLEに来る意味ないですよね?」

 

「え、それは極端すぎない?」

 

どうやら俺はCiRCLEの本当の意味での客寄せパンダということらしい。別段客寄せパンダとして働くことに文句があるわけではないが、一体何処の部分にみんなは俺の存在に価値を見出しているのだろうか。それだけは甚だ疑問であった。

 

「極端じゃないです! そもそもあんなぽっと出のガールズバンドに誑かされる雄緋さんだって悪いんですからね?!」

 

「なんで?!」

 

「とにかく、これからCiRCLEに来るお客さんたちはしっかり私たちで選別するので!!」

 

「そんなぁ?!」

 

「私たちがルールです!!」

 

ライブハウスCiRCLE。

そこは、1人の男子大学生を巡る争いが白熱した結果、理不尽な経営状態に追い込まれるのであった……!



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喧嘩するなら3人で【ましろ&六花&香澄】

お久しぶりです。キャラ毎に技量差が出てしまうのがちょっと……ね。という言い訳でした、本編どうぞ。











俺はどうやら何かしらの揉め事の仲裁に入ることが多いらしい。このCiRCLEなるライブハウスのアルバイトを経験してから、常々思ってきたことだ。今日だってそう、俺の目の前で不毛極まりない争いが。

 

「香澄先輩のこと何も知らないくせに!」

 

「わ、私だって香澄さんに憧れて、バンド始めたもん!」

 

「「むむむ……」」

 

互いに一歩も譲らない、意地と意地のぶつかり合い。どうあがいたって2人が互いの矛を収めることはなく、プライドにかけて、自分のポジションをかけて引くことできないのである。

 

「まぁ2人とも……争ったって仕方ないんだから……」

 

「「雄緋さんは静かにしててください!!」」

 

「……はい」

 

ここまで強情に断られてしまっては間に入りようがない。というか普段は2人ともこんなに俺に強く当たることなんてなかったはずなのに、己の推しに対することであればなりふり構わずということらしい。これが同担拒否とかいうやつだろうか。

とまぁ、2人が香澄をかけてつまらない意地の張り合いをするのは勝手にしてくれればいいのだが、問題はその現場である。俺のバイト先こと、ライブハウスCiRCLE。その顔とも言えるエントランスでこの2人はぶつかっているからこそ、俺はどうにかこの場を収めようと躍起になっているわけである。

 

「そのね? 香澄に対して熱い想いを持ってるのは素晴らしいことだと思うんだけど、他のところで発散して欲しいかなぁ……なんて」

 

「今目の前に私の存在を脅かす好敵手がいるのに、引けません!」

 

「そんなの私だって……! そもそもどうせCiRCLE、私たちの関係者以外誰も来ませんから……!」

 

そんな身も蓋もない……事実だけれども。どっかの誰かが暴れたお陰で閑古鳥が鳴いている。まりなさんはショックで寝込んでサボタージュ起こしてるし、バイトの俺が1人で店を回すという、限界状況もいいところである。まぁ仰る通り客が来ないんですけどね? えぇ、来ませんよ。店潰れるよこのままだと。

 

「こうなったら……、やはり今ここで決着をつけるしかないようですね、RASと香澄先輩の名にかけて!」

 

「香澄さんの名前を語るなんて、100年早いよ!!」

 

「お前らは香澄の何を知ってるんだ……。取り敢えずそんな野蛮なやり方じゃなくてもっと穏便な……」

 

「暴力とかですか?」

 

「穏便と最もかけ離れてるからな! もっと建設的で、平和な解決方法があるだろ!」

 

なぜこんなにも血気盛んで、一触即発のいがみ合いを繰り広げられるのか。一体全体彼女たちの何が香澄への愛を駆り立てているのかすらよく分からない。だがしかし、どちらかが相手よりも愛が弱いことを理解しなければこの紛争は終わりが見えなかった。

エントランスホールの中央で対面した2人は、禍々しいオーラを放ちながら睨みを効かせている。相手からの強烈なプレッシャーにも臆することなく、2人が動きを見せた瞬間、CiRCLE正面のガラスの両開きの戸が大きな音を立てながら開かれた。

 

「ちょっと待った2人とも!!」

 

「その声はっ?!」

 

幾分かの既視感を覚えながら目線を向けると、ご丁寧に照明の落ちたフロアにカツカツと音を鳴らしてこちらに近づいてくる影が。その声の主はまさに渦中の人物と言って間違いない。

 

「香澄先輩!!」

 

「……ふふん」

 

よく分からないポーズを取りながら、威風堂々たる立ち振る舞いを見せつけた香澄。その周囲には普段では感じ取れないようなオーラを纏っているようにも見える。

 

「2人とも、私のために喧嘩をするのはやめて欲しいな!」

 

「香澄さんがそう言うなら……でも!」

 

まさかこんな近くで『私のために争うのはやめて』というお決まりの文句を聞くことになろうとは思ってもみなかった。それにしてもツンデレちょまま少女のみならず、後輩をこれほどまでに魅了して誑かすとは、香澄もなかなかやり手な、タラシと呼ばれそうな女だ。いつぞやの紗夜のことをふと思い出したが、今回こそはあの時のように巻き込まれてたまるかと思い直す。

 

「私はロックとましろちゃんが喧嘩してるところは見たくないもん!」

 

「香澄先輩……」

 

「香澄さん……」

 

それにしてもこの2人の少女、完全に恋する乙女状態である。星のカリスマこと香澄にここまで入れ込むのがどういう所以かも謎のままだが、何はともあれ争いが解決してくれるのであればこちらとしては万々ざ

 

「どうしても喧嘩したいと言うなら……。私も混ぜて!」

 

「へ?」

 

「ん?」

 

「は?」

 

こいつなんて言った? 混ぜて? 混ぜてって言った? 混ぜるって喧嘩に混ぜて? カチコミに来たのか何かってこと?

俺の頭の上には疑問符が大量に浮かんで、このカリスマの突飛な発言の意図が全く汲み取れそうにない。おそらくこれは極めて普通の反応で、さっきまであれほどいがみ合っていた六花とましろも完全に『この人何言ってるんだろう……?』という表情で憧れの人とやらを見つめている。そこにカリスマへの憧憬のような、瞳の輝きはなさそうである。

 

「香澄、お前は何を言っているんだ?」

 

「そうですよ! 混ぜてってどういうことなんですか?」

 

「だーかーらー! ロックとましろちゃんが喧嘩するんなら、私もその喧嘩混ぜてよ!」

 

「は?」

 

「へ?」

 

「え?」

 

こいつは一体何を言っているんだ。ちょっと何言ってるか分からない。なんでわからねぇんだよと問われても分からないものは分からない。香澄はまさか香澄自身を巡って六花とましろが言い争っていることに気がついていないのだろうか。そうだと考えれば説明はつく。あ、いやでも、『私のために争うのはやめて』みたいなこと言ってたのにそれはないな。詰まるところ、香澄の今の発言は本当の本当に意味不明である。

 

「あの……意味が分からないんだけど」

 

「ごめんなさい香澄先輩。私もよく分かんないです……」

 

「じ、実は私もさっぱり……」

 

「えー? だから、どうせ喧嘩するなら3人の方が良いでしょ?」

 

……?

 

ダメだ手に負えない。少なくとも俺の極めて陳腐で、極めて常識的な脳の回路ではこいつの言葉の意味を理解することは出来ない。理解しようとすると脳のどこかが焼き切れて、理解を拒む。まるで理解してはいけないと、そんなふうに脳内に直接囁かれているようであった。

(○○○チキください。)

こいつ直接脳内に……!

 

「すまんな。俺にはその、喧嘩するなら大人数の方が良いって理論が理解できない。もうちょっと詳しく説明してくれ」

 

「えっとー。喧嘩は大人数でする方が楽しいよね?」

 

「……ん?」

 

こいつは喧嘩を一種のエンターテイメントや、レクリエーションの一環だとでも考えているのだろうか。単に野次馬根性だとか、そういうものであればそれは強ちまちがいではないのかもしれないが。

 

「香澄先輩って喧嘩……好きなんですか?」

 

「そんなことないよ? でもロックとましろちゃんが争うぐらいなら私も争いたい!」

 

「でも、争うって言ったって……」

 

「あっ、喧嘩に混ぜてって言ってもそんな殴り合いだとか、そういう野蛮なやり方じゃないよ?」

 

野蛮じゃない喧嘩とはこれいかに。話を聞いていてもちんぷんかんぷんな部分もあるが、兎に角香澄が言いたいのは、どうせなら3人で競争しようぜ、みたいなことらしい。自信満々に『野蛮じゃない』と言い張る香澄のドヤ顔を見れば、香澄の考えがそれほど物騒なやり方ではなかろうことは薄ら伝わってくる。

 

「そうだなぁ。私を賭けるんじゃなくて、折角だからゆーひくんを賭けて争おうよ!」

 

「はい?」

 

「雄緋さんを」

 

「賭けて?」

 

「うんっ。勝った人がゆーひくんを独り占め!」

 

「雄緋さんを……」

 

「独り占め……」

 

「えっなになに怖い怖い」

 

2人の目つきが急激に変わったところが怖すぎる。それはともかくとして香澄の主張を整理しよう。

 

 

香澄を巡って六花とましろが言い争うところに遭遇

2人が言い争うところは見たくない

喧嘩は3人でやった方が楽しいよね

折角なら俺を賭けて争おうぜ!

 

 

いかん。論理の飛躍が激しすぎる。というより折角だから賞品を俺にしようぜという発想自体が碌なことになった覚えがない。大体この手のことに巻き込まれると俺の日常生活の自由な時間は消えて……いやまぁ今も現在進行形で消えてるんだけども(作者註:現在雄緋はバイト中です)

 

「俺が賭け事の賞品にされる謂れがないんだけど?」

 

「じゃあゆーひくんはロックとましろちゃんが言い争って傷ついても良いって言うの?」

 

「……え?」

 

「心優しいロックとましろちゃんが不毛な言い争いのせいで、心ない言葉に傷ついても構わないって言うの?」

 

「それは……ダメですね……」

 

「でしょ?」

 

「あっはい」

 

「じゃあゆーひくんを賭け事に使っても問題はないよね?」

 

「それはちょっとおかしい」

 

危ない。言いくるめられるところだった。ふつうに考えたら仮に香澄を巡って六花とましろが言い争おうが、CiRCLEの店内で喧嘩をするのでさえなければ仕方ないと言うか、言ってしまうと俺からすれば関係ない話になる。が、香澄の理論でいくと俺の犠牲回避は心ない行動らしい。なんてこったい。そもそも心ない言葉で相手を傷つける奴を心優しいとは言わない。

 

「というかロックとましろも、元々香澄目当てで争ってたのに、それじゃあ意味ないだろ……って、ロック?」

 

「……雄緋さんを独り占め……。旭湯でこれから毎日同じシフトで、上がったら一緒にお風呂で全身洗いっこ……。あっ、CiRCLEにいたら2人一緒にシフト入れる時間減ってまうからまりなさんに言ってクビにさせて……。そうしたら他の人との関わりも絶てて一石二鳥で……、旭湯のところで2人暮らし……同棲……うへへへ……」

 

「ちょ、どうした? 本当にどうした?」

 

俯き加減で声のトーンも低く、何を言っているのかはまるで聞き取れなかったが、ロックから漂うのは先ほどまでの一触即発の対抗心とかではなく、むしろもっと身体の危険を感じざるを得ないような恐怖を抱かせるオーラである。かつてここまで人を畏怖させることがあったのだろうかと疑いたくなるほどのオーラだ。俺はそのオーラから目を背けるようにましろの方に振り返る。

 

「えっと、その。ましろだって、そうだよな? ましろも元々香澄が目当てでロックとあれだけいがみ合って……って、ましろ?」

 

「雄緋さんを独り占めできたら……。あっ雄緋さんにあのノート一緒に見せて、そうだ魅了と発情の呪文をこっそり夜に寝入ったタイミングで……。なら部屋の床に先に五芒星を紅のチョークで書いておいて……。そうだ、入室した瞬間発動する結界も張って……。そうしたら雄緋さんが狂気に染まりながら私に覆い被さって……。ふ、ふふふ……」

 

「おーい? どうしたー? おーい、おーい?! 返事しろー?!」

 

六花だけでなく、ましろも同じように呪詛みたいなものをつらつらと呟き続けるようになってしまう。2人とも、小声でぶつぶつと物騒な単語をたまに吐き散らかしながら、俺の声掛けにも一切の反応を示さない。一体何が彼女たちをそんな状況へと駆り立てるかは不明だが、明らかに様子のおかしくなった2人を前にして救いを求めるべく、香澄を頼ろうと目を向けた。

 

「ふっふーん、これで私に有利な戦いを持ちかけてー、ましろちゃんとロックには悪いけど、絶対に私が勝てるようにしてから……。そうだ、有咲に言って蔵を貸してもらって、そうしたらロックもライブの日限定で会えるだろうから快く許可してくれそうだし……。あっでもそうしたらポピパのみんなに取られちゃうかも……。じゃあ私の家で、私がどうしても居れない時だけあっちゃんに頼めば……」

 

「あのー? 香澄さんや、おーい?」

 

どうやら気を違えてしまったのは六花やましろだけじゃなかったらしい。俺を賭けの対象にするのを提案した香澄自身がどうやら策を練っているらしく、俺は背中の冷や汗が止まらなくなる。ガイアが俺の直感に地の果てまで逃げろと囁いている。

 

「あー、3人とも? 俺ちょっと裏で作業することあるからこの辺りで……」

 

「……え?」

 

「裏で作業?」

 

「嘘ですよね? まりなさんは今日出勤してないから、受付業務だけですよね?」

 

ものの見事に論破される。そりゃあそうか、CiRCLEのバイトの状況だなんてみんな知ってるし、簡単な嘘なんてすぐバレる。とはいえ逃げないだなんて選択肢はない。ガイアが俺に囁いているのだから。だが今このままでは逃げ出すことだなんて不可能だ。

 

「じゃあ勝負の内容発表するね?」

 

「ま、待って!」

 

「どうしたんですか? 雄緋さん」

 

思わず俺は意気揚々と喋る香澄を遮り、視線が一斉にこちらを向く。正直話すことは何も頭には思い浮かんでいないが、ここで止めないと完全に手遅れになると思ったのだ。

 

「……勝負の内容は、俺が決める」

 

そうだ、まだ俺の反撃のフェイズは終了していない。ここで逆転の一手を、魔法の如き神の手を発動するのだ。即ち、3人が勝負を続行できなくならざるを得ない状況へと追い込むのである。独り占めにされる状況が不穏なのであれば、独り占めにならなければいいのだ。

 

「……3時間後、可能な限り自分の陣営に加わってくれる人を集めて来て、人数が最も多かった陣営が独り占めしていいというルールにします!!」

 

「つまり誰よりも人を集めて来たら、その人たちでゆーひくんのことを独り占めしていいってこと?」

 

「そういうことだ! 但し独り占めの期間は1日だけな! 俺の自由が侵害されるから! 今から3時間後だぞ!」

 

「急がないと……!」

 

「他の人に盗られる!」

 

「待っててくださいね雄緋さん!!」

 

3人が一斉にCiRCLEを飛び出していく。きっと他の2人に負けないように陣営の数を増やそうとするだろう。しかし人数を増やせば増やすほど独り占め出来る時間とやらは減る。まさにジレンマというやつである。

勝利を確信した俺は、優雅に休憩時間に入るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

3時間後、地獄を見ました。



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恋する乙女裁判【裁判長:瑠唯&紗夜&日菜】

何も見えない真っ暗な世界にいた。周囲からは誰のものかもわからぬ声が聞こえてくる。どうやら俺はまたもや厄介ごとに巻き込まれてしまったらしい。自分の哀れな運命を実感して悲嘆に暮れていると、急に光が差し込んできた。突然の光源に目を眩まされて、まだ何も見えない。しかし、それでも腕を動かそうと……動かそうと……あれ?

 

「……ん? なんじゃこの拘束……って、え?」

 

「被告人、北条雄緋。前へ」

 

「えっ、ここどこって、え?」

 

 

 

開 廷

 

 

 

俺はいつの間にやら椅子に座らされ、目の前には厳粛な空気を纏い、木槌か何かを持った瑠唯がいた。その姿はまるで司法の番人。そして高い位置からこちらを見下ろした瑠唯は鋭い目つきのまま、重そうな口を開いた。

 

「ただいまより、裁判を開廷します。開廷にあたり、被告人の人定質問を行います。被告人は氏名及び好みの異性の特徴を述べてください」

 

「へ、俺? 北条雄緋で……、その後なんだって?」

 

「好みの異性の特徴です」

 

「ダメです、言いません」

 

「……チッ」

 

舌打ちされた? 気のせい? 会場……いやまぁ、敢えて言うならばここは裁判所、法廷なのだろうけど、傍聴席の方から不穏な空気が漂っているのだ。

 

「検察官は起訴状を朗読してください」

 

「検察官……?」

 

俺が左に目を向けると、ものすごく渋い目をした、それはもう風紀を絶対に守らせると言わんばかりの雰囲気を放つ紗夜がいた。

 

「公訴事実、被告人は5月15日午後1時頃、都内撮影スタジオにおいて、所轄の機関からの許可を得ずに、みだりに女性タレントと婚姻を模した撮影を行ったものである。罪名及び罰状、北条雄緋特別管理法第35条、贔屓・誘惑等による不法接待」

 

「さて、通常の刑事裁判であれば、被告人には黙秘権等が認められています」

 

「つまり言いたくないことは言わなくても不利益にはならないって?」

 

「はい、ですが。今回は北条雄緋特別管理法第261条の規定に基づき認めません」

 

「ふぁっ?!」

 

「被告人、検察官の述べた公訴事実に間違っていることはありますか?」

 

「待って、その前に色々と聞きたいんだけど?!」

 

「被告人、静粛に。直ちにここで厳罰に処してもいいんですよ?」

 

「裁判官の自覚ある?」

 

横暴な裁判官とは、司法の名が聞いて呆れる。それはそれで、たった今紗夜から読み上げられたものに関して、正直難解なワードが並びすぎてまるで内容が理解できなかった。取り敢えず分かったのはどうやら俺は今裁判にかけられているらしいということだけである。ひとまず失言は怖いので、全て否定しておこうか。

 

「それで、紗夜の言ってたことだけど、よく分からないし、やってません! 俺は無実です!!」

 

「静粛に。それでは証拠調べに移ります。検察官は冒頭陳述、並びに証拠の提出をお願いします」

 

「はい。被告人は公訴事実の通り、CiRCLEの従業員という立場を悪用し、知人の女性タレントに好意的な態度を見せることにより自身に好意を持つように仕向け、撮影スタジオで犯行に及んだものです」

 

「散々な言われようだな……。で、証拠はあるのか?」

 

まるで推理ドラマで苦し紛れに探偵に突っかかる真犯人のような口ぶりで、俺は紗夜に文句を込めた目線を向ける。すると、紗夜が懐から何やらビニール袋のようなものを取り出した。

 

「被告人が上記行為をしたという証拠は、こちらの雑誌に掲載されています」

 

「雑誌……、ってあっ?!」

 

その時俺は理解した。いきなりのことで何が何やら、何故被告人だなんだと言われなければならなかったのか理解の及んでいなかった俺だが、その雑誌の表紙を見て俺は察した。

その雑誌の表紙にはウェディングドレス姿のパスパレの面々、そして紗夜が大きな音とともに開いたページには俺が彩たちと撮影と称した行為とやらがデカデカと、読む人たちの心を揺さぶるような文句と共に掲載されていたのである。

 

「なるほど……それで俺が法廷に?」

 

「被告人は丸山彩、氷川日菜、白鷺千聖、若宮イヴ、大和麻弥の5名に対し、好意を抱かせるような態度を取った上で、欺罔して錯誤に陥らせたのち、婚姻を迫りました。上記の態様の如き行為は北条雄緋特別管理法第35条が禁止する接待行為に該当します」

 

「さっきから言ってるその法律なに? 俺の名前の入ってる法律なのに俺が聞いたことないんだけど?」

 

法律用語の詳しい云々はまるで分からないが、全く聞いたことも見たこともないその謎の法律によって罰せられるというのは流石に納得がいかない。

 

「北条雄緋特別管理法第35条は以下の通りです。

 

北条雄緋特別管理法 第35条 特定のガールズバンドに所属する女性と身体的接触を伴う接待を行った者は、別途政令で定める機関が寵愛を受ける女性の待遇に特別の格差を設ける措置を執ることを認めた場合を除いては、3ヶ月以上の懲役刑に処し、又は情状により、第380条に規定する保護監視処分を実施する。

 

というわけです。いいですか?」

 

「何も分かりません」

 

難解なワードが多すぎて本当に意味がわからない。おそらくこれを聞いている人みんながそう思っただろう。もっと簡単に解説をしてくれと。それにしてもその俺を管理する特別法とやらは条文がありすぎじゃなかろうか。もはやツッコミが追いつきそうにない。

 

「もう少し簡単に言いますと、『雄緋さんが私たちの扱い方に明らかに差をつけた場合は懲役刑になります』、こういうことです」

 

「……ふぁっ?!」

 

「被告人、静かに。それでは、証人尋問に移ります。証人は、前へ」

 

「証人……?」

 

俺がぽかんと空いた口を塞ぐ間も無く進んでいく裁判。瑠唯はノリノリで裁判官をやっているし、紗夜もイキイキとした様子でトンデモな法律をペラペラと語っている。そして瑠唯に呼び出されて現れた証人は。

 

「わぁ、本格的なんだ〜!」

 

「日菜?!」

 

「被告人、静かに。これ以上騒ぐようであれば即厳罰に処します」

 

理不尽な言論統制に屈した俺の前、何故かいたのは日菜。そうか、撮影に参加した側なのだから、日菜が現れたとてそれはおかしくはない。

 

「証人は前へ」

 

「氷川日菜さん。貴方は5月15日、スタジオで北条雄緋との雑誌の撮影に参加していましたね?」

 

「うんっ。というかおねーちゃん、いつも通りの喋り方でいいんだよ?」

 

「……ごほん。日菜、貴方は雄緋さんとどんな写真を撮ったの?」

 

「え? 雄緋くんが後ろからこう……腕を私の前に回して、ベールの上からあたしのことをぎゅっと……えへへ……えへへ」

 

ダメだ、日菜があまりにも事細かに俺の動作まで含めて説明してくれたものだから、俺だってあの時の自分の行動をありありと鮮明に思い出してしまう。そんな日菜の強烈な暴露にため息をついた紗夜は呆れたように言葉を続けた。

 

「……はぁ。それで、他の人に対しても、雄緋さんは色々としていたの?」

 

「うーん、イヴちゃんを口説いたり、麻弥ちゃんをお姫様抱っこしたりとか、彩ちゃんもプロポーズされてたしなぁ」

 

「プロポーズ……うらや……いえ。とにかく! このように、被告人の行動は明らかに撮影のモデルという職権を逸脱したものであり、私たちにも同様の撮影会を用意するなどしなければ、特別管理法の立法目的や行動の態様、その他の諸般の事情を考慮しても著しく不平等と言わざるを得ません!」

 

「つまりどういうことー?」

 

「日菜たちだけずるいわ! 私たちも雄緋さんに口説かれたいのよ!」

 

「どういうこと?!」

 

「被告人、静粛に」

 

もはや今の紗夜の発言が常軌を逸しすぎていて、俺の頭にまるで内容が残らない。詰まるところ俺の何が悪かったのかよく分からないし、不平等が云々と言われても、あれはバイトをして生きる日銭を稼ぐための致し方ない行為である。まさに情状酌量の余地があると言うべきである。

 

「つまり検察官の主張は、証人たちだけが良い思いをするのは不公平だと」

 

「そういうことです」

 

「どういうことなの……」

 

「では、被告人質問です。検察官から被告人に対して、質問があればお願いします」

 

瑠唯が紗夜を促すと、何やら色々と考え事をしっぱなしの紗夜の顔がこちらを向く。そしてつかつかと歩み寄るなり、俺の周りをグルグルと回りながら徐に口を開いた。

 

「雄緋さん、貴方は何故あのようなバイトに参加したんですか?」

 

「それは、金欠をなんとかするために、給料即日払いのバイトがあったので」

 

「なるほど、ですが、北条雄緋特別管理法第1151条の2では、雄緋さんが生活に最低限度の金銭に困った際には、私たちが管理をして生活の水準を落とさないようにする、ということが定められているのはご存知ですよね?」

 

「待って? 知らないし、そもそもその法律一体どこまであるの? 何が決まってるの?」

 

1151条ってことはそれより前に1000個以上条文があるということだよね? いくらなんでも俺を管理する……いやまぁここもおかしいけども、そのために必要な条文の数としては多すぎる気がする。

 

「ごほん。何故金銭面で困ることがないのにも関わらずそのバイトをしたのですか?」

 

「それは、その北条雄緋特別管理法? とやらを知らなくて」

 

「ですが法律の世界に無知は許されません。分かりますよね?」

 

「知らないけども……」

 

そもそもその法律とやらは本当に存在するのであろうか。どう考えても俺の名前がついている法律だなんてあるほうがおかしい。

 

「では、なぜ撮影会が実施された際に、その場から逃げ出すことなどをしなかったのでしょうか」

 

「え? 流石に無責任だし……」

 

「パスパレの皆さんが可愛かったから、ですか?」

 

「いやまぁ……それもまぁ」

 

「うちの日菜はどうでしたか?」

 

「え?」

 

「日菜は、可愛かったですか?」

 

「はい」

 

「そうでしょう。私の自慢の妹ですから」

 

「おねーちゃん……えへへぇ……」

 

どうやらこの妹馬鹿な姉は無意識に自分の妹を虜にしてしまっているらしい。こういうやつを天然ジゴロだとかって言うのだろう。全くもってけしからん、ふしだらなことである。

 

「日菜のどこが可愛かったですか?」

 

「へ?」

 

「ちょ、おねーちゃん?!」

 

「日菜の、どこが、可愛かったんですか?!」

 

「え、いやその」

 

「全部でしょう? 全部ですよね?」

 

「あっ、はい」

 

「おねーちゃん……恥ずかしいよぉ……」

 

今日の紗夜は色々とテンションがぶっ壊れてしまっているらしい。まぁ姉妹仲が悪いことに比べれば間違いなくこっちの方が良いに決まっているのだが。

 

「……ふぅ。話が逸れましたね」

 

「貴方が逸らしたんじゃ……」

 

「ごほん。次の質問ですが、もしも私が今度ウェディングの撮影を一緒にして欲しいと言ったら、貴方は参加しますか?」

 

「……え?」

 

あの恥ずかしさの塊のような撮影をもう一回しろと言われると、恥ずかしさが勝ってそれどころではなくなってしまう。

 

「私じゃダメなんですか?」

 

「ダメじゃ……ないです……」

 

「その言葉が聞けて安心しましたよ。満足しました、被告人質問は以上です」

 

「満足しましたって何よ……」

 

どうやら俺に対する尋問とやらはこれぐらいのようで、殆ど何も明らかにならないままに尋問が終わりを告げた。紗夜は満足そうな表情で椅子に腰掛けているが、俺からしたら未だにさっぱりなことばかりで落ち着けそうにない。

 

「では、検察官より論告と求刑を」

 

「はい。被告人の行為は思春期の恋する乙女の心を誑かすなど、極めて残虐的な性質を持ち、特に撮影に参加した5人の少女を完全に自身に陶酔するよう誘惑し、犯行の態様は悪質です。その上、被告人質問で同様の撮影を要求した私に対しても容易にそれを受け入れるなど、凶悪すぎるほどに優しさを見せ、誰かということを問わずに弄ぶ恐れもあります。誘惑による接待に対する罪悪感もなく、反省の色が見られません」

 

「……え? 悪質とかいうワード聞こえてきたんだけど?」

 

「被告人静粛に。続けて求刑を」

 

「はい。自力による更生の余地はなく、35人全員で矯正することが望ましいと考えられます。よって、被告人を保護監視処分とすることを求めます」

 

「は? 矯正? 保護監視処分?」

 

まるでここから監獄にでも入れられて指導を受けるのかといったような言葉の数々に動揺を隠せない。俺は一体何をされるんだ……。

 

「静粛に。では弁護人の最終弁論……、失礼、弁護人はいませんでしたね」

 

「……はっ?! そうだよ弁護人だよ! なんで検察官と裁判官がいて弁護人がいないんだよ!!」

 

そうか、感じていた違和感の一つはこれなんだ。明らかに俺を有罪の方向に進ませる議論ばかりで見落としていた。俺に味方してくれる弁護人がいないのである。傍聴人もザワザワとしているだけで、公判には影響を及ぼすものでもない。なぜ弁護人がいないのか。

 

「公平な裁判の結果を捻じ曲げられてしまっては困るので」

 

「公平って知ってる?」

 

「文句があるのであれば、自己弁護しろということです」

 

「裁判官辛辣すぎない? 裁判官の良心と推定無罪はどこへいった?」

 

「では判決を言い渡します。被告人は我々ガールズバンド一同が一度、みっちり教育し直すべきだと考えます。よって、保護監視処分とします」

 

「なぁ何? 保護監視処分って何? ってうわっ、何をするやめ」

 

俺はまたもや視界を奪われそのままどこかへと運ばれてゆく。裁判という名の出来レースの被害にあった俺は保護監視処分という、実質的にお世話をされ、教育を施されることとなったのであった……。

 

 

 

閉 廷

 

 

 



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図書館で聞き耳【ひまり&巴+七深&つくし+たえ&沙綾】

曇天、いや、雨が降り続いている。外に出るのも億劫になりそうな空気の重さにも負けず、俺は自分の通う大学の図書館に出向いている。不幸中の幸いか、雨のせいで人の入りも少なく、大学図書館でありながら貸切気分を味わえるなんていう貴重な瞬間を享受している。

 

「にしても、本当に人っ子一人見ないな……」

 

俺がそんな感心の独り言を呟けるぐらいには人がいないということがお分かりだろう。普通図書館と言えば『お静かに』なんて注意書きがされているし、うちの図書館だって御多分に洩れず、基本的には静かにしろというルールがある。俺の今いる自習室なんてスペースは、机の上の高い仕切りで周りからは隔絶された感覚すらある。その仕切りの向こう側に人がいる気がして喋ることなんて憚られるが、俺は事前にどの席にも人がいないことを確認済みである。

 

「……この文献読み込まないとダメ、か」

 

そんな訳で堂々と独り言をぼやきながら自身の勉学に励んでいるというわけである。……真面目だろ?

 

と、その時、仕切りの向こう側、自習室の入り口のドアが開く音がした。俺は口をつぐんで、自身の文献に目を向ける。足音からしてやってきた学生は2名。しかも運の悪いことにどうやら俺のスペースとは仕切りを挟んで向かい側に座ったらしい。その仕切りのおかげでまるで顔は見えないが、人がいるという気配だけがする。

 

『そういえばこの間のアンケート、なんて答えたんだ?』

 

小声でボソボソと向こうから声が聞こえてくる。友人同士でこの自習室にやってきたらしい来訪者だが、ここが図書館だという自覚があるのだろうか。自分のことは棚にあげるが自習室で雑談なんて論外だ。が、まぁ俺にそれを注意する度胸などなく、机の上に数冊積み上がった文献の読込のBGMぐらいにその雑談とやらを聞いていた。……いや、まぁ、難解な文章の読解に気を取られすぎてよく聞き取れない部分もあるのだが。

 

『私? 好きなコンビニスイーツはなんですかっ、て』

 

『そんなこと聞いてどうすんだよ……』

 

えー、でも好みのタイプとかを質問するよりも答えてくれそうじゃん?』

 

『返ってきた答えが使えるのかって話だよ』

 

『まーまー、私たちにはコンビニのプロがいるでしょ?』

 

『プロっていうか店員だけどな? ……置いてあるパン以外を覚えてるのか謎だけどさ

 

……一体何の話なのだろうか。『コンビニ』って単語とか、『プロ』がどうとかって話は聞こえてきたな。コンビニのことを隅から隅まで知り尽くしたプロの話だろうか。……いや、図書館の自習室でする話ではない、か。

 

『でも何が好みなのかなぁ。質問して答えてくれたらなぁ』

 

なるほど、どうやらコンビニのプロが選ぶオススメのパンの話らしい。朝はパンもそれなりに食べる俺からすればそれはかなり気になる情報だ。少しだけ耳をそばだてて、この子達には悪いが盗み聞きしてしまおう。好みのパン……、俺の好きなパンはそうだなぁ。

 

『和風とかいいんじゃないか? 前にさ、ほら』

 

和風のパン……? 和食×パン……? 抹茶を練り込んだパンとか、そういうのが最近の流行りなのか?

 

『あ、蘭の赤いやつだよね。写真で送られてきてたやつ?』

 

蘭? 花を練り込んでんの? 赤い蘭の花を練り込んだパン? やまぶきベーカリーでも取り扱いなさそうじゃない?

 

『あー。後で聞いたら、目が血走ってたらしいぞ?』

 

『えっ、絶対フェチじゃん。今度みんなで着て試してみる?』

 

『だな。絶対堕とせるよな』

 

目が血走ってる? 何その依存性100%のパン。フェチがどうとかいうレベル超えて、それは最早薬物を超えた何かじゃない? それは『堕とせる』がどうとかじゃなくて、行きすぎて命を落とすレベルだよね? それをパクパク食うパンのプロはやばいよ。モカのパンを食べるスピードのそれよりやばいよ。これ以上この話に踏み入ると俺はやばいことになるかもしれない、そう思って俺は目の前の本に集中することにした。

 

やべっ、そろそろ時間だ。いくぞー?

 

えっ? 待ってよ〜、とーもーえー

 

トタトタと駆けて行く音が聞こえる。少し騒がしさも落ち着いた俺は、最早暗号と化した文章のそれから一旦目を離し、薬物中毒不可避パンのことを改めて考えた。

 

「……いや、俺が触れちゃあいけない世界だな、多分」

 

この世界には知らなくて良いことが一杯あるらしい。そう思ってまた手元にある漢字と英文だらけの意味不明な文章に目を戻した。

……なるほど。何が書いてあるか分からない。英語が苦手でも得意でもない俺だが、この引用部分の文章を日本語に直すと意味が成立しなくなっている。そんなことに悩みながら唸っていると、またもやドアが開く音がした。俺は口にチャックをして、その意味不明な文章に目を落とす。

どうやらその足音からして、来訪者はさっきと同じで2名。忘れ物を取りに来たのかと思ったが、椅子を引いて座るらしい音がしたからさっきとは違う2人なのだろう。しかも、またもや仕切りの向かい側の席のどこかに座ったらしく、こちらからでは誰がきたのかとか、そういうことすら分からない。

 

『裁判凄かったねー。断罪、って感じがして』

 

『うんうん。すっごくカッコ良かったし、私もあそこに座って有罪とか言ってみたいなぁ』

 

なるほど、裁判の話をしている辺り法学部の学生あたりだろうか。……裁判か。俺からすればとても嫌な記憶である。つい先日のことなのだが。ちなみに無理やり捕まって保護という名目の監禁を受けそうになったが、一瞬の隙をついて逃げてきた。テストも近づいてきたこの時期に監禁なんてされてちゃ溜まったものじゃない。

 

『どうするんだろうね。追加の取り調べかな?』

 

『うんうん。きっと吐くまで問い詰めるんだよー』

 

数日前の辛く苦しい裁判の記憶に想いを馳せていて、途中のところを聞き逃してしまっていたが、恐らく一審で控訴がなされた後とかの話だろうか。俺も裁判の詳しい手順がどうたらなんてことは知らないが、やはり実際の裁判に伴う取り調べだと、厳しい取り調べになるのだろうか。

 

『私もやってみたいな〜。誓って、って普通にその場で迫ったらいいんだよね〜?』

 

『そ、そうなの? それなら私も……』

 

『学級委員長はみんなのまとめ役だから、取り調べには参加できないんじゃない?』

 

『そ、それは差別だもん』

 

俺の知ってる取り調べじゃないぞ……? 『神に誓って犯罪はしていません』みたいなことを刑事の前で誓うってことか? まぁ冤罪だとかも怖いもんなぁ……。

というか学級委員長って、中学校とかなのか? 一応ここ大学の図書館なのだが。ちなみにだが一応大学にもクラスという概念自体はある。もはや忘れたけど。

 

『取り調べだって、私わかるよ?』

 

『おー。自信満々だね〜。それじゃあどうやるのか教えてよ』

 

『えっまずは……』

 

『キスからだよね?』

 

『……えっ?!』

 

「え?」

 

やばい。衝撃的すぎて思わず声が出てしまった。キスから始まる取り調べ? 新しいラノベのタイトル? あ、いや、違うな。そういう趣向の大人向けのビデオとか? とにもかくにも俺のこれまで生きてきた常識の中にはそのような取り調べの概念はないぞ?

 

『キスして、次は普通に襲うんだよね?』

 

あ、やっぱりそうだ。そういうコンセプトのビデオなんだ。凡そ図書館で話すべきではない不埒な話なんだ、多分。もう1人の子も驚いてる感じだったし。

 

『……そ、そうだよね。動けなくして……食べて……はぅっ』

 

「……えっ?」

 

食べる? もしかして……。いやいや、取り調べで『食べる』といえばカツ丼。そうだ、カツ丼の話なんだこれは。

 

『美味しく頂きます〜ってね』

 

『どんな味がするんだろう……』

 

「味?」

 

『あっ』

 

カツ丼なのに味が分からない? え、もしかしてカニバリズム的なそういう話をしてる? そうだよね、食べるだもん。うん、食べるんだもんね……。

 

というか不意をつく形で声が出てしまったせいで、きっと話していた2人と俺の存在に気がついたのだろう。物凄く小声でボソボソと喋るようになってしまった。それはそれで勉強している身としては気になるのだが、微妙に内容も聞こえなかったからか、俺は良い加減に文献の方に目を向けた。

 

つーちゃんも初心だねぇ。キスぐらいで声出ちゃうなんて

 

だ、だって……。キスだけじゃなかったじゃん! 七深ちゃんだって顔赤いし……

 

キスの話の時に赤くなるのって普通だよね?

 

むむむ……

 

俺が暫く勉学なるものにひたすら意識を向けていると、いつのまにかその雑談の2人は自習室から出て行っていた。集中すれば周りの声や音が聞こえなくなるというのはどうやら本当らしい。

うん、折角自習室に来てるんだ。俺は大学生であり本分は勉強、研究だ。ここは俺の集中力を総動員してこの厄介な文献たちを討伐し

 

ガラガラガラ。

 

俺が意気揚々と勉学なるものに本気を出そうとした瞬間、水を差すようにまたもや人が入ってきた。今度は静かな人たちであればいいのにな、なんていう淡い期待も抱いたが、どうやら向こうの通路のところに座ったその来訪者は早速とばかりに話し始めた。

 

『この間、大変だったね』

 

『いきなり呼び出された時、何のことか分からなかったよ』

 

何やら話し始めたようだが、よくよく考えるとここは自習室なのに、どうしてみんな雑談に興じて、終いには大した時間も滞在せずにすぐに出て行くのだろうか。そもそも雑談に興じることが論外といえばそうなのだが。

 

『でも最終的に、のらりくらり逃げられちゃったもんね』

 

『そうなんだよねぇ。上手くいかないなぁ』

 

逃げられた? どうやら追いかけっこかなんだかの話らしい。

 

『でも、女の子に迫られて、逃げるのって、どうしてなんだろう』

 

『そうだよね。逃げずとも喜んでくれたりぐらいはしそうなのにね』

 

『恋愛感情とか、そういうのがないのかな』

 

『あはは、それはあるかも』

 

恋愛感情? どうやら女の子から迫られて、情けなくも逃げる腰抜けがいるらしい。事情を詳しく聞いているわけでも何でもないが、そういう根性なしには強気に迫ったりするのも一つの手かもしれない……なんて、自分のことを棚に上げながらふと考える。俺の場合はまぁ、社会の目というか、複雑だから仕方ないとして。

 

『でも、直接好きですって伝えてるんだけどな』

 

『……えっ、言ったの?』

 

『うん』

 

『大胆だなぁ……。どんな状況で?』

 

『押し倒して』

 

『……わぁ』

 

『襲って良いですかって聞いて』

 

『……うそぉ』

 

『キスしたよ』

 

『……それで?』

 

『逃げられちゃった。しくしく』

 

『そっかぁ……』

 

女の子にそこまで言わせておいて逃げるようなチキンもいるらしい。明らかに仕切り板の向こうの女の子はその男に恋をしているだろうに、その想いを無碍にするようなけしからん男の顔が見てみたいものである。

 

『私それ以上のムードとか作る自信ないなぁ』

 

『逃げられない状態にしちゃうとか?』

 

『逃げられない状態?』

 

『監禁する?』

 

『それは物騒すぎるかなぁ……』

 

……その男の子は逃げて正解だったかもしれない。ナチュラルに監禁という発想が出てくる辺りはぶっ飛びすぎている。かといっていつまでも先延ばしにするところは感心できないが。

 

『も、もうちょっと無難というか、平穏な手段もあるよね?』

 

『でも、告白とかしても言いくるめられそう』

 

『それはそうだけど……』

 

ここまで好意を大胆かつ明確に見せられているというのに告白を受けても返答すらしないとは。据え膳食わぬは、とはよく言ったものだが、そこまでいかずともせめてその気持ちに何らかの答えぐらいは返してあげるべきであろう。何なら俺がそいつに厳しく言い聞かせてやりたいぐらいである。

 

『ライバルも多いなら、手を抜く余裕はないよね?』

 

『それは……うん。そう、だよね』

 

しかも極め付けはそいつはモテているということらしい。完全にそれじゃあ誑かされているみたいなものではなかろうか。話を聞いているだけの身とはいえ、幾らなんでもその子が可哀想である。

 

『私ももうちょっと頑張ろうかな、なんて』

 

『2人で襲う?』

 

『そこまでの勇気はなぁ……。嫌われたくないし……』

 

『大丈夫だと思うけどなぁ』

 

ここまで一途に恋慕われていて、それに応えずして何が男か。甲斐性なしという言葉だけでは片付けられないほどのチキン具合はまるで聞いていられない。できることであれば俺が一肌脱いでやりたいぐらいである。……まぁ、他所の話に首を突っ込むような真似もしないのだが。

 

『また今度全員で追いかけ回す?』

 

『楽しそうだけどね?』

 

『みんなで協力して、捕まえたら好き放題』

 

『……ちょっといいかもって、思っちゃった』

 

どうやら逃げ続けた罰が当たったらしい。その女タラシの健闘を祈ろう。まぁ自分がここまで女の子たちの心を弄び続けたことのお返しとしては可愛いぐらいだろう。

話を終えたらしい2人の方からガラガラと椅子を引く音が聞こえてくる。本当に雑談をしにきただけらしいが、俺は気にせず自分の勉強に集中することにした。

 

蔵に閉じ込めて襲えば良いのかな

 

だねぇ。ありったけのパン持ち込んでそのまま泊まり込みとかも楽しそう

 

もしまた逃げ出そうとしても、出口はないから、だね

 

まぁ俺の知らないところでどんな物騒なことが起きようが、ましてやそれが女タラシの自業自得とあらば、俺からすれば関係のない話だ。

精々頑張り給へ、女タラシくんよ。

俺はそんな哀れで救えない、監禁の危機に瀕した女タラシくんの幸運を祈りながら、図書館で1人静かに、それこそガールズバンドの誰とも会わずに勉強に励むのであった。



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父の会【蘭×友希那&蘭パパ×友希那パパ】

takabe様からのリクエストを基にした作品です。

今回、一部BL的な要素を含む表現があります。苦手な方はご注意ください。

リクエストしていただきありがとうございました。









俺は今、すごい空間にいる。卓を囲むのは俺、そしてガールズバンドの面々……ではなく、蘭のお父さんと友希那のお父さん。唐突に蘭の家にまで呼び出され、そしてその構えに硬直していたところ、招かれて入ったのがこの空間である。

 

いや、何ここ?

 

物凄く厳格な雰囲気は出てるし、お茶菓子のようなものが長机には置かれていて、何やらその道に通ずる人が点てたのであろうお茶も湯気を立てている。そしてこの2人の親御さんの娘、犬猿の仲でもあるはずの2人は、どういうわけだか襖の奥からこちらを見守っているようである。視線が気になる。

 

「君が、北条雄緋くん、だったかな」

 

「は、はい」

 

拷問かな? 圧迫面接とか、それに近しい雰囲気の何かを感じながら名前を尋ねられる。身近な人の親族とはいえ、そう会ったこともなければ言葉を交わしたこともない。要するに赤の他人なのだが、そんな関係性の人間からジロリと鋭い目を向けられれば、頭の回転が止まってフリーズしてしまうのは至極当然であろう。

 

「いつも友希那と仲良くしてくれてありがとう」

 

「いえいえ、こちらこそ」

 

「友希那のこと、これからもよろしく頼むよ?」

 

「あ、はい、何卒よろしくお願いいたします……」

 

父が問う 消えいるような 俺の声。風流のかけらもない俺の川柳は適当に流してもらって、そうこうしているうちに友希那の父が俺を見定めるような目線を向けた。その目線から逃れるように右の方へ顔を逸らすと、これまたこちらを品定めするような目線の。

 

「北条雄緋くんか。蘭が世話になっているね」

 

「いやまぁ、はは」

 

「うちの娘では不満かな?」

 

「いえいえとんでもない」

 

「ならば、よろしく頼むよ」

 

何なのさっきから? よろしく頼むよって何? 俺はこの緊張感に耐えきれず、取り敢えず目の前に出された茶と、茶菓子に逃げることにした。

 

 

 

 

——思えばこれが全ての過ちであった。阿鼻叫喚な騒動の引き金であった。

 

 

 

 

茶菓子を食べ終えた俺は、ふと自分の体の違和感に気がついた。その違和感を、最初は説明することは叶わなかったが、段々とその感覚に気がつくことが出来た。

 

今、俺は恋をしている。

 

あ、いやいやちょっと待て俺は何を言っているんだ。何を言っているか分からないと思うが俺も分からない。恋をしているとは如何様な意味か。

 

俺は、どういうわけだか蘭のお父さんと友希那のお父さんに惹かれている。

 

いやいや、俺はノンケである。異性愛者とかいうやつだ。それでガールズバンドの子達を恋愛の対象として見做すかどうかは別の話として、恋愛の趣向としては女性を求める傾向にあるのである。これまでの己の経験を統合しても男性に惹かれた経験はなかった。だから困惑しているのだ。

 

「……ん、どうしたのかな、北条くん」

 

「あ、いえ、なんでも!」

 

何故か頬を赤らめた友希那のお父さん。俺が濁すような返答をすると、友希那のお父さんもズズ、とお茶を飲み干して場の空気を変えようとしていた。

 

 

 

 

——この時の俺たちには知りようがなかったが、某財閥の悪戯の副産物として、同性が魅力的に感じる粉末が茶菓子に使用されていたらしいのだ。それがどういう経路で混入したか知らないし、こんなのリコールものだが、決して俺の性癖が歪められたとかそういうことではないということを注記しておく。

 

 

 

 

「……さっきから北条くんは、言葉数少なめなようだね」

 

「あ、いえ、あはは……」

 

いやいや、おかしいだろう。俺からすれば蘭パパは一回りも二回りも上の男性で、そこに人間的な魅力がないとは言わないが、実質今日が初対面みたいなものである。それに色っぽさを感じるなんて、俺は一体全体どうしてしまったんだ。

 

「どれ、緊張しているのか? こちらに来なさい」

 

「……はい」

 

距離が近い。いやまぁ、いつものバンドメンバーの方がよっぽど距離が近いのだけれども、それでも初対面の人間とここまでの距離の近さはそもそも経験があまりないもので。こうして近くで見ると、意外と蘭パパもダンディに見える。顔立ちが整っているのは、蘭の端正な顔が同じ遺伝子を受け継いだものだと考えたらまぁ納得はいく。

 

「緊張しているのならお茶を淹れよう」

 

「あ、いえ、お、お構いなく」

 

「なんだ、私の茶が飲めないというのか?」

 

「そんなことはっ」

 

「……飲みなさい」

 

「はい……」

 

急須で淹れたお茶であったが、飲んでいると確かに心が落ち着く。そして肩が触れ、蘭のお父さんの和服の生地の感覚が伝わったちょうどその時、反対側から声がかかった。

 

「北条……いや、親しみを込めて雄緋くんと呼ぼうか。私のお茶も飲まないかい?」

 

「え?」

 

友希那のお父さんが差し出してきた茶碗。そこから立ち上る湯気に視界が眩み、その奥に佇む友希那のお父さんの表情は朧けだった。しかし、そこに蓄えられた凛々しい色気が俺に更なる緊張を生む。

 

「えっと……」

 

「……そう緊張しないでいいんだ。ゆっくり、飲みなさい」

 

まるで俺が赤子にでもなってしまったかのように飲まされるお茶。優しく丁寧な言葉遣いから感じる、凛々しさの中に隠れた柔らかさに困惑して、俺は飲んでいるお茶の味すらわからなくなった。あと、お腹がそろそろ水分でいっぱいになってきた。

 

「雄緋くんは、とても綺麗な瞳をしているんだね」

 

「……へっ?!」

 

「うちの友希那が嫁となるのがもったいないぐらいだ」

 

「あ、あはは……。結婚するなんて一言も……」

 

「どうせなら私が君のために歌ってあげたいぐらいだ」

 

「……ふぁっ?!」

 

突然、凛々しさを崩した、優しさだけを持った笑みに思わず目を奪われる。それはきっとミュージシャンとしての魅力の一つでもあろうが、それと同じぐらいに、人間そのもの、そしてある種では魅了に近しい本質的で潜在的な興奮を煽る色合いを蓄えていた。

 

「その、ち、近い、です」

 

まるで自分が少女漫画に出てくる主人公のように、魅力に満ちたマスクを被った男にときめいているような感覚に浸り、俺は目の前に置かれていたお茶を一気に飲み干す。お茶の熱とほんのりとした苦味がしてようやくその呪縛に似た感情を数瞬忘れることが出来た。

 

「まぁ湊さん。そういう誘惑は青少年には良くないでしょう」

 

「……何を?」

 

「へ?」

 

感情が忙しく、目眩がしそうな俺の背後から、今か今かと発言を待っていたらしい蘭のお父さんの、嗜めるような声が聞こえてくる。なるほど、確かにまだ人を愛するという経験に乏しい俺を誘惑してくるような、儚さを秘めた友希那のお父さんの美しさは心臓に悪い。

 

「北条……いや、雄緋くん。うちの蘭と、ここは一つ結納というところでどうだろうか。そうすれば私は君の義理の父になるんだ。何をしてもいいんだぞ?」

 

「何を……しても……」

 

何故だ……何故一瞬俺の心は揺らいだんだ。友希那のお父さんと蘭のお父さんの間で揺れる俺のこの心を、言の葉で形容するとなれば、最適に感情を呈する表現とは何なのか。答えは自明であったが、難解極まりなかった。

 

「美竹さん。青少年の心を惑わすのは良くないと言っていたのは貴方ではないんですか?」

 

「……どうかしましたかな。私はあくまで、雄緋くんが是非うちの娘と結ばれてほしいと、そう告げただけでしょう」

 

「雄緋くんが蘭ちゃんと結ばれるのであれば、そこに義理の父親に過ぎない美竹さんが介入するのは、ナンセンスかと」

 

「蘭は恥ずかしがりですから、きっと雄緋くんが求めている何も、満たせはしないでしょう。だからこそ私が雄緋くんの欲望を満たしてあげようとしているんですよ。ねぇ、雄緋くん」

 

「は、はいぃっ?!」

 

あまりに突然に話を振られて、慌てふためいた俺はもはや蘭のお父さんを直視することなど出来なかった。いつにも増して魅力的に映るその顔を見れば、俺はどうにかなってしまいそうだったから。貫禄を感じさせる風貌に似合わぬ、茶目っ気を持ち合わせた表情を見ると、きっとその人間的な魅力に吸い込まれてしまうだろう。

 

「無理に言い聞かせても意味がないでしょう、美竹さん。雄緋くん、友希那はどうかな? 勿論友希那が拒むことであっても、私は受け入れよう」

 

「う、受け入れるって」

 

「君がどんな欲望を持ち合わせた人間だとしても、友希那がそれを拒んだとしても、私はそれを受け入れようと言っているんだよ」

 

「はいっ?!」

 

そして、直視できないのは友希那のお父さんの顔も一緒であった。友希那のお父さんの、儚さと芯の強さが境目の見えぬほど入り混じった表情を一瞬でも見つめて仕舞えば、俺はきっと元の北条雄緋に戻ることが出来なくなってしまう。

そんな風に、俺の両脇を固める両父の方を向くことが出来なくなっていた俺だったが、2人の俺への距離感はさらに詰まる。それと同時に俺の心臓はさらに高鳴る。

俺の両手に重ねられた手の放つ温かさは、親心を超えた温かな気持ちを感じさせた。

 

そして、遂に肩の線が俺の身に触れ合おうとする、その時に急に視界が一瞬だけ白くなった。その白い靄が秒で消えると、両隣にいた2人の距離はもはやゼロに近いほどになっていた。だが、それまでの胸を焦がすような感覚はどこかに霧散して、先程までの魅力的に感じた色気やら何かは消えてしまっていた。困惑した俺は慌てて後ろに飛びのいた。

 

「ひっ」

 

「えっ」

 

「どうしたんだい、雄緋くん?」

 

いつのまにか、誘惑の目線云々は恐怖の対象になっていて、完全に怯えてしまった俺は、震える脚をなんとか立たせて、唯一の出入り口である襖の方に腰砕けながら這う。

 

「そんな逃げなくてもいいだろう」

 

俺は何故か止まらぬ動悸に促されるように襖を開いた。そこでは何やら難しい顔をしていた友希那と蘭がいた。

 

「ゆ、雄緋さん?」

 

「……どうかしたの?」

 

「ら、蘭……、友希那ぁ……」

 

「えっ、ちょ?」

 

「何があったのよ? わ……」

 

見知った顔を見た俺は安心したからか、壁に背をもたれながらこちらを不思議そうに見ていた友希那と蘭の元に飛び込んだ。いつもならハグが云々とか、抵抗が云々とか言っているはずだが、今はまた別である。緊急事態のそれなのだ。

いつもは優しさだとかは不器用で、上手く伝わってこない2人だったが、不思議なことに涙の止まない俺の背中をとんとんと叩いたり、頭の後ろに腕をそっと回して抱きしめたりと、何か慈しむような感情すら伝わってきたのだ。

 

丁度その時、ガラガラと背後の襖が開く音がして、俺は完全に硬直した。

 

「……父さん? 何したの?」

 

「何したの、じゃないだろう。雄緋くんとくっつきすぎだ。男女でそうも密着するなんて、不純だろう」

 

「煩い。雄緋さんに何したの? 答え次第では、許さないから」

 

「友希那、雄緋くんが苦しそうだろう。離してあげなさい」

 

「……お父さんが雄緋に何をしたかを教えてくれたら、考えるわ」

 

「別に、何もしていないよ。そうだろう? 雄緋くん」

 

「ひっ」

 

「……ダメよ。雄緋、安心しなさい。私が守るから」

 

「あたしだって付いてますから。あたしは雄緋さんの味方ですよ」

 

「蘭……友希那……」

 

情けないと思われるかもしれないが、出会って精々1時間経たずの大の大人の男性2人から迫られていることに気がついた時の恐怖なんて、こんなものなのだ。普段そばで慕ってくれる蘭や友希那の豹変とかであればまだしも、まだ距離感すら掴めていない人の豹変は最早得体が知れず、怖すぎるのだ。

 

「父さん、雄緋さんのこと襲ったの?」

 

「襲ってはない。ただ想いを重ねようとしただけだ」

 

「……最低。暫く雄緋さんに近づかないで」

 

「なっ?!」

 

「……お父さんも。何をしたの?」

 

「雄緋くんの全てを、受け入れようとしただけだよ」

 

「……ダメね。雄緋に近づいたら、許さないから」

 

「……友希那?」

 

ただ震えているだけの俺だったが、なんとか蘭と友希那、信頼関係の築けている2人に慰められて、現状をうっすら理解できるまでになった。

 

「雄緋さん、怖かったですよね。父さんがごめんなさい」

 

「私からも、ごめんなさい」

 

「いや……大丈夫……」

 

「その、お詫びと言っては何ですけど、雄緋さんが安心できるように、き、き、き」

 

「き?」

 

「美竹さん。それじゃ怯えている雄緋にトラウマを思い出させるでしょう?」

 

「そんなことは」

 

「……雄緋、雄緋が心の底から落ち着けるよう、私がキスをするわ」

 

「へ? ……えっと、大丈夫、元気になった」

 

「……そう。早く」

 

「ちょ、抜け駆けはずるいですって。あ、父さんたちは早く部屋戻ってて」

 

「え?」

 

「いいから」

 

「はい……」

 

向こうのほうからは何故か重苦しい空気と、蘭の冷たく鋭い声が聞こえてきた。俺はキスをせがむ友希那をそこそこに交わしながら、一体全体何が起きたのかをゆっくり頭で振り返るのだった。……え、キス? 2対1で勝てるわけないだろ。

 

 

 

「で、いつのまにか雄緋さんを誘惑しようとしてたと?」

 

「……はい」

 

「雄緋が魅力的に感じたから、仕方がないって言いたいの?」

 

「……そうだ」

 

「で、雄緋さんもうちの父さん達が魅力的に感じてたんですね」

 

「あぁ……良くわからないけど」

 

「……はぁ。どうなってるの」

 

それから数分、蘭と友希那のお父さん達も正気に戻り、今に至るという訳である。部屋の空気はお通夜のような暗さだが、起きた珍事に全員が困惑すらしている。

 

「雄緋さんと結婚出来るってなったらその……嬉しい、けど。父さんには絶対渡さないから!」

 

「ちょ、蘭?」

 

「……娘が強く成長したのを実感して、何よりだ」

 

「美竹さんの想定には賛成できないけれど。私も雄緋と結ばれたとしても、お父さんには渡さないわ」

 

「友希那もどうしたんだよ……?」

 

「……あぁ。友希那を頼んだよ……雄緋くん」

 

その後、冷静になった俺、蘭のお父さん、友希那のお父さんの3人でお互いに謝り倒した。そして、5人で心の安らぐお茶を啜ったという……。



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雨の帰り道【薫&花音】

6月が終わり頃に差し掛かっている。俺はどちらかと言えばこの時期はあまり好きではないのだが、その原因は今、俺を悩ませているものだと言っても過言ではない。俺を悩ませるもの、それは。

 

「……この雨の中帰るのか」

 

屋内を出て、外を歩いて帰ろうとすれば、この雨の中を歩いて帰らねばならない。至極当然である。傘を持ってないだとかそんなことはないが、それでもこの梅雨時の雨というのは妙なほどに勢いも強く、連日の雨で道路も水溜りだらけだ。駅を出て、これから家に帰ろうとする時に限って強くなった雨足を前に俺は絶望感を味わっていた、というわけである。

 

「でも帰らないわけにもなぁ……」

 

駅の券売機の前。ここでどれだけ時間を潰していようが、今日の予報ではずっと雨。日付が変わっても雨。というよりも日付が変わるまであと6時間超あるのに、ここで無益な時間を過ごすのは余計に鬱々しい。

 

「帰る……か」

 

傘をさしていようが横から吹き付ける風と共に雨粒に晒されるので、結局のところ多少濡れることは承知の上だ。かつ、歩道にも深くなった水溜りができて、踏むだけで水が跳ねてズボンの裾が濡れる。

これならいつものように部屋の中を某ガールズバンドたちに占領されて荒らされる方が幾分かマシかもしれない。そんな皮肉混じりのため息をついた。その時だった。

 

「おや……天からの恵みの雨だというのに、そんなに暗い顔をしてどうしたんだい? 雄緋」

 

「……面倒な奴が」

 

「……儚い」

 

俺がちょっと人気の少ない道を抜けようとした時、脇にあった庇の下から声をかけてきたのは羽丘中の女子生徒を虜にしたことで有名な瀬田薫である。いつものように回りくどい言い回しで声をかけられたものだから煩わしさもMaxで、雨の鬱陶しさにも負けないほどの面倒臭さだけが募った。

 

「折角恵みの雨が降ったんだ……。もっと明るい顔でいないと損だろう。シェイクスピアもこう言っている、『濡れろ』と……」

 

「絶対言ってないだろ……」

 

俺とてこんな雨晒しの場所にいるよりはとっとと家に帰ってゆっくりしたい。だから話もそこそこに帰ろうと思い歩き出そうとした。しかし、どういうわけか俺は左手をガシッと掴まれた。びっくりして振り返ると、普段では見られないような半分焦った表情を浮かべた薫がいた。

 

「まぁ焦らなくても良いじゃないか。止まない雨はないんだからね」

 

「だとしても俺は雨が止むのを待つのは面倒だから帰るぞ」

 

「では、こうしてはどうだろう。私をその傘に入れておくれ」

 

「薫? 傘持ってないのか?」

 

「……傘ない」

 

「帰って良い?」

 

しょうもないやり取りに飽き始めている俺が露骨な態度を取ると、薫は明らかに取り乱した様子になる。

 

「減るものじゃないだろう?」

 

「俺の入るスペースが減るんだけど? 傘がないなら止むまで待ったら良いんじゃないか? 止まない雨はないんだろ?」

 

「……天気予報もこう言っていた。『夜遅くまで雨は強く降り続けるだろう』、とね」

 

「シェイクスピアも言ってたんだろ? 『濡れろ』って。走って帰ったら?」

 

「どうしてそんなに私が雄緋の傘に入るのを拒むんだい?」

 

「羽丘の生徒とか、誰かに見つかったら俺が消されるから」

 

熱狂的なファンも一定数いる薫くんとやらと相合い傘だなんて見つかれば、きっと過激派から猛攻を浴びるだろう。俺は相合い傘がどうとかなんて言うほど初心ではないが、ファンからしたらきっと薫が男と1つ同じ傘の下で歩くだなんて発狂ものである。そんなファンの幻想を守るためにも俺は薫を傘に入れるのを躊躇っていた。あと、見つかったら元々俺の傘なのに『薫様の傘に入るなんて図々しい』だとか言われそう。

 

「私が保証するよ、大丈夫だとね。子猫ちゃんたちに見つかったとしても、私が弁明をすればきっと大丈夫さ」

 

「本当に大丈夫かなぁ……」

 

「では行こう……。我々の故郷へ……」

 

たかだか家帰るだけで大袈裟な、なんて毒を心の中で吐きながら、俺は薫を隣に入れて歩き始める。

雨足は俺が駅を出た時よりもさらに強まっており、地面に叩きつける雨が跳ね返ってさらに足元が濡れる。それだけでなく、隣に薫も入ったことで俺の右肩は完全に傘からはみ出ている。薫を堂々と雨に晒すわけにもいかないので、俺が濡れるしかないわけだが、服に染み込んできた雨のせいで肌にまで冷たさが伝わってくる。

 

「……雄緋、君は優しいんだね」

 

「別に。可愛い後輩を雨に濡れさせるのはバツが悪いからな」

 

「そういうことにしておこう……、ん?」

 

そんな時、薫のポケットに入っていたらしいスマートフォンが振動したらしい。それで足を止めた薫に合わせて俺も足を止めた。どうやら電話がかかってきたようで、薫はこちらに目配せしてからその電話に出た。

 

「もしもし、やぁ花音。どうかしたのかい?」

 

『ふぇぇん! 助けて薫さん!!』

 

電話口から聞こえてきたのは、いつぞや聞いたことのあるような花音の叫び声。俺はこのパターンを経験したことがある。それも1度や2度ではない。その焦り切った声を聞くだけで状況が完全に想像つく程度には、俺は同じシチュエーションを経験してきた。これは。

 

『迷子になってどこにいるのか分かんなくなっちゃったぁ!』

 

「やっぱり」

 

ここまで来ると十八番。御家芸と呼んでも差し支えないだろう。途轍もないレベルの方向音痴は俺の知り合いでは2人ほどいるのだが、花音はそのうちの1人なのである。

 

「落ち着くんだ花音……。人生は選択の連続。迷い続けることは美徳ですらある……」

 

『そういう話をしてるんじゃないよぉ!!』

 

これほどの的外れな慰めが出来る薫もなかなかのものだ。こればっかりは花音の意見に賛同する他ない。いざ自分が見知らぬ土地で迷子になって助けを求めてこんな回答が返ってきたら普通に暫く連絡を断ちそうなものである。いやまぁ、花音の場合は見知った土地でも迷子になってるけどさ。

 

『千聖ちゃんも今日はお仕事で忙しいって言ってて、雄緋くんも電話繋がらなかったから、もう薫さんしか頼れる人がいないよぉ!』

 

「なるほど、私は路頭に迷うか弱き乙女の最後の砦というわけか……。儚い」

 

「……電話? あっ」

 

電話口から聞こえてきた花音の言葉に釣られて俺はスマホを取り出す。が、しかし、俺のスマホは電池が切れてしまっている。それで花音からの連絡が俺には来なかったのか。

 

「それで、その周りに何か特徴的で目立つものはあるかい?」

 

『えっと、た、建物がいっぱい?』

 

「どんな建物かな?」

 

『えっと……い、家?』

 

「……わからない」

 

匙投げやがった。いやまぁ、目立つものを聞かれて建物、しかもそれが家とだけ言われてもまるでどこか見当もつかないが。

 

「少し歩いてみたら、特徴的な建物が見えてきたりしないかい?」

 

『私もそうしたいけど、実は風のせいで傘が壊れちゃって……』

 

「奇遇だね……。私もついさっきまで傘に困っていたところだ……」

 

『ふぇぇ、どうしようもないよ……』

 

「でも雄緋が偶然通りかかって傘に入れてくれたからね、事なきを得たんだよ」

 

『……雄緋くんが、傘を?』

 

ん? 流れ、変わったな。というより薫が俺の名前を出した瞬間、先ほどまで慌てて混乱するだけだった花音の声色が変わった。具体的にどう変わったかと問われれば、いつものふわふわした感じの声から冷たいナイフが首筋に触れるような鋭さを含んだ声。

 

「あぁ。とても優しいことに、ね」

 

『ねぇ薫さん、今そこに雄緋くんっているかなぁ?』

 

「勿論だ。代わるかい?」

 

『代わって、早く』

 

「ご指名だよ、雄緋」

 

「え、なになに怖い怖い」

 

瞬間的に不機嫌そうになった花音の声にビビり散らかしながら、俺は薫のスマートフォンを受け取る。電話口から漏れて聞こえていた花音の口調は、いつものゆるふわ感を完全に失っていた。

 

「も、もしもし?」

 

『あ、雄緋くん。なんでさっきは私の電話、出てくれなかったのかな』

 

「ごめん、そのバッテリー切れで」

 

『そっかぁ……。なら、仕方ないよね……』

 

「そう、でございますね……」

 

なんだか電話越しでも背筋に冷や汗が流れそうな畏怖感を抱かせる花音の声に怯えまくる俺。その怯えの証拠に俺は訳の分からない丁寧な語尾をしている。取り敢えずの弁明はしたものの、まだ電話の向こうの花音の雰囲気からは謎の禍々しさを感じ取れる。

 

「あの、花音? その」

 

『なぁに?』

 

「えっと、何か怒ってらっしゃいますか……?」

 

『怒ってないよ? 私からも聞きたいことがあるんだけど良いかな?』

 

「ど、どうぞ」

 

『今、薫さんと2人で同じ傘に入ってるのかな?』

 

「え?」

 

『今、薫さんと2人で同じ傘に、入ってるの?』

 

やばい、これは俺の直感がそう告げている。やばい。何が原因かよく分かんないけど間違いなく電話の向こうにいる花音は怒ってる。多分俺が薫と2人で傘に入ってることに対してご立腹なんだと思うけど。

と、すると俺は花音の質問にどう答えるべきだ?

やはり嘘をつくべきなのか? そうか、俺がそもそも傘を2本持っていると可能性もまだ残されているわけでそれを説明すれば花音だって怒りを鎮めてく

 

「あぁ。雄緋は今私と同じ傘で雨をやり過ごしているよ」

 

終わった。弁解のしようがないぐらい断言しちゃったよ。これはもう薫の邪魔が入ったらさらに状況が悪化しそう。そう思って俺はスピーカーモードもやめて、耳元に薫のスマートフォンを持ってくる。

 

『そっかぁ……。そっか、うん……うん……』

 

「か、花音さんや?」

 

『え、何かな?』

 

「その、迷子なら探しに行くよ?」

 

『そっかぁ、嬉しいなぁ』

 

全然嬉しそうに聞こえねぇ。俺の頭の中にはゆるふわな花音がいるはずなのに、その声色から想像のつく花音は、完全に激おこを超えた怒りを覚えた花音だ。

 

「その、目立つ建物とか……」

 

『あ、この香り……。……ごめんね、一旦電話切るね?』

 

「え? なんて? というか目印は?」

 

『大丈夫。大丈夫だから、雄緋くん?』

 

「は、はいっ」

 

『そこ、動かないでね?』

 

「えっ? ……切られた」

 

俺の耳に残っているのは、ザーザーという雨の無味乾燥とした音と、ツーツーという無機質な電話の切れた音。そして、電話口から聞こえてきた花音の低い声。これ、何かのホラーゲームか何かなのか? 実は俺が見ている夢なんじゃ? そうは思ったけど、俺の肌に貼りついてくる濡れた服の冷たさは本物だ。現実である。

 

「なんて言われたんだい? 雄緋」

 

「……『そこを動くな』って」

 

「まさかあの花音がそんな恐ろしいことを言うわけないだろう……。脚色のやりすぎは興を削ぐとシェイクスピアも……」

 

「……」

 

「……本当に言っていたのかい?」

 

「うん」

 

「なるほど……儚い」

 

薫もどうやらある程度の状況は察したようで、花音が不穏な空気を纏いながら電話を切ったということは分かってくれたらしい。

 

「どうするんだい? 本気になった花音のそれは、儚いよ?」

 

「どうするもこうするも……」

 

「逃げるかい?」

 

「逃げるっても」

 

「愛の逃避行……。儚い……」

 

そう言うなり、傘を持っている方とは反対の腕を握り、薫は歩き出そうとする。花音から移動をするなと言われているにもかかわらずだ。

 

「ちょ、引っ張るなって、ってか本当に逃げるつもりか?」

 

「今の花音に会うのは危険だ……。なら、少し落ち着いたほうがいいだろう? ……それに」

 

「それに?」

 

「もう少し君との時間を……。……いや、なんでもないよ」

 

「え? 今なんて」

 

 

「あっ」

 

 

薫の言葉を聞き逃した俺が聞き返そうとしたその時だった。耳障りな雨音をかき消すぐらいハッキリとした声が少し前から聞こえてきて、その声の主はついさっき聞いたばっかりの。

 

「見つけた、雄緋くん」

 

「花音?!」

 

迷子になっていたはずなのに、だとかを聞くよりも前に、花音がこちらに飛び込んできて、避けることも出来ずに受け止める。その瞬間俺が感じたのは。

 

「って冷たっ?!」

 

花音はこの雨の中、傘も差さずに走り抜けてきたらしく、恐らく服も雨に濡れているのだろう。そのせいか抱きつかれた俺の服も既にびちょびちょそうである。

 

「ふふふ……。良かったぁ……。安心したなぁ……」

 

「か、花音。迷子が解決してよかったじゃないか」

 

「薫さん? 後でちょっとだけ、お話ししようね?」

 

「……儚い」

 

花音の醸し出す威圧的なオーラに俺が口籠もっていると、花音と薫は何やら話を進めているようで、なるべくならあまり関わりたくないもので、スルーを決め込む。しかし、抱き着いていた花音が離れて、俺の名前を呼ばれて視線を向けたところで、俺は驚愕した。

 

「って花音?!」

 

俺は咄嗟のことに目を背ける。梅雨の雨に濡れた花音の服は透けて、わざとではないとはいえ俺は完全に花音の胸の膨らみを包み隠す下着を見てしまった。

 

「どうかしたの?」

 

「い、いやー。迷子がなんとかなってヨカッタヨカッタ」

 

「うん。薫さんとの電話のおかげですぐ場所が分かったよ」

 

電話のおかげで場所が分かったとは一体どういう原理なのか……。もはや聞くのも恐ろしいので触れないでおくが、何はともあれ花音の迷子がなんとかなってよかった、うん。

 

「でも薫さん。ちょっと雄緋くんとの距離、近くないかな?」

 

「花音……。それは錯覚というものだよ……」

 

「……それなら、私と雄緋くんの距離が近くても、錯覚、だよね?」

 

「……それは詭弁というものだよ」

 

「あの、お二方?」

 

「「なにかな?」」

 

「……いえ、なんでも」

 

近さがどうとか、色々当たってるのがどうとか、多分言及したら俺がセクハラとかに該当しそうだからやめておこう。そんな自己防衛が色々と働いた結果、俺が導き出した答えは『考えるのをやめること』であった。どうせ1つの傘で3人入らないとダメだもんね。色々謎も多いけど、そんなこと気にしたら生きていけない、そんな世界の真理に目覚めたのだ。

 

「……雄緋くん? もっと見たいよね?」

 

「……ふぁ?!」

 

「チラチラ見てたでしょ? ……いいよ?」

 

「あぁ。私も少しばかり雨を浴びたい気分だ」

 

「もう勘弁して……」

 

考えるのをやめた。ちなみに2人は風邪をひきました。



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NFOバトルロワイヤル【Roselia】

こちらは、とあるP様のリクエストを元にした作品です。今回の作品はリクエストの都合上、2部構成の1部となっており、2部を後日投稿予定です。

リクエストしていただきありがとうございました。








「それでバトルロワイヤル方式の大会が開催されるんだー!」

 

「……ふーん」

 

完全に興味の薄れた俺の返事を意にも介さず盛り上がるあこ。ワクワクしているような声に聞こえるが、この空気はやばいということを俺は経験則的に知っている。今俺がどこにいるかって?

ゲーミングルームだ。それもパソコンがご丁寧に5台揃っている。

 

「んで、そのNFOの大会とやらが今日だから、今こうして特設ルームみたいな場所に5人とも集まってると?」

 

「そういうことになりますね」

 

「バンドの練習しろよ……」

 

「Roseliaとしての結束を強めるためよ」

 

物はいいようかとため息もつきたくなるが、本当に気になっているのはそこではない。NFO自体は俺も知ってはいるし、Roseliaの面々が偶に遊んでいるということも知っている。が、なぜ俺がここにいる?

 

「なんで俺ここに連れてこられたの?」

 

「それは直ぐにわかるよ☆」

 

「あ……ログイン、できますよ……!」

 

みんなは円卓のように並べられたパソコンを前に座り、まるでこれから大きなライブのステージに立つ前かの如く、いつにもなく真剣なオーラを纏いながら画面を見つめている。

 

「なんでみんなそんなに命かけてるみたいな表情してるの?」

 

それはこの試合から脱落すれば命を刈り取られるかのような、そんな緊張感を部屋に持ち込んでいた。少なくとも俺はここまでの緊迫感の中でゲームに勤しんだ経験はないし、これほどまでに追い詰められてゲームをしたいとは思わない。一体何が彼女たちを突き動かすのか。その答えを、俺は知ることとなる。

 

「この大会で1番上位の人が、後日、ゆーひと1日デートだもん!」

 

「ん????」

 

「デート……です」

 

「え?」

 

「物分かりが悪いのですか?」

 

なぜ俺今disられた? いやいや違う、そうじゃない。今大事なのはそこじゃない。

 

「まだ分からないのかしら? この大会で最後まで勝ち残った者だけが」

 

「雄緋を1日中、デートで独り占めできるんだよ?」

 

「……えぇっ?! 聞いてない!!」

 

「言ってない!」

 

いつも思うことだが、なぜ俺のプライベートはここまで誰かに強制されるものが多いのだろうか。俺も積極的に予定を埋めようとするタイプの人間ではないので、こうして予定を組んで遊びに誘ってくれる友人の存在が有難いのは確かだ。が、なぜいつも俺の了承を取るのが後になるのか。

 

「何か問題でもありましたか?」

 

「なんで俺の事後承諾になってんの?」

 

「いつものことなんじゃ……」

 

そうか、適応できない俺が悪いのか。たしかにこの世界は弱肉強食。環境に適応のできない生物は淘汰され、絶滅していく理で、その縛りの中で生物は生きているのだ。そんな悟りを開いた俺はこの状況に、素直に生きるということを学んだ。

 

「で、どういうルール?」

 

「他のプレイヤーもいるオープンフィールドで、長く生き残った1人だけが勝ちだよ!」

 

「今回は新規実装の『デヤンレ氷原』がステージですから、やり込みによる地形の有利不利もありませんからね」

 

「なるほど、それで友希那とか、経験が浅い勢のディスアドバンテージを無くすってことか」

 

「私の名前だけを例示された点は納得いかないわね」

 

まぁ友希那がパソコンのキーボードとかの扱いに慣れてない話は先日も聞いて大爆笑したところだ。なんでもチャット機能をまともに扱えなかったということらしい。

 

「そろそろ開始ですよ……!」

 

俺がチラリと覗いたパソコン画面。その中央上部にはカウントダウンらしいものが表示されていて、その数字が0になった瞬間、画面が急に切り替わりフィールドのランダムな位置に飛ばされたらしい。

 

「レベルも統一されるから公平に勝負できるのがいいよね!」

 

「時間をかけた努力が失われる感覚がするのは少しばかり悔しいですが。レベリングが意味をなさないというのは努力を否定されたような気分です」

 

レベリングが云々と言い出すあたり、どうやら紗夜はゲーム廃人の道を歩み始めてしまったらしい。前までは風紀委員として、花女に蔓延る不良生徒をバシバシ指導してきて、ゲームだとかを学生生活に不要だと豪語していたこともあったそうだが、その頃の紗夜に今の光景を撮影して見てもらいたいぐらいのハマりようである。

そうしてスタートしてから数分、件の紗夜の方から叫び声のようなものが聞こえて、俺は紗夜の画面を見に行った。

 

「きゃああ?! 後ろから攻撃を受けたのですがどういうこと?!」

 

その画面をずいっと覗き込めば、なんだか体力ゲージがオレンジ色になった紗夜の操作するプレイヤーが、白い木の影に隠れた画面になっていた。

 

「あ、紗夜さんに逃げられた!」

 

「宇田川さんでしたか……! 遠距離攻撃を正確に命中させてくる、流石の腕前です……!」

 

氷原をモチーフとしたステージということもあってか、全体的に白い雪に覆われた木々の下に身を隠した紗夜は、回復アイテムを使いながら周囲をグルグルと見回している。

 

「アイテムも使用できるルールなのか」

 

「はい、フィールドで拾ったものだけですが、って……雄緋さん?!」

 

「え?」

 

隣で画面に釘付けになっていた紗夜がいきなりこちらに振り返って大声を出すものだから俺の耳もキーンとしてしまう。そんな驚かれるほどのことをしたのだろうか。

 

「……その、近いです! いえ近いのは構わないのですが、その……そういうことは夜にお願いします」

 

「そういうことって何? 俺何かそんなやばいことした?」

 

「私の鼻の近くでそんな良い匂いをさせないでください! 興ふ……気が散りますから!」

 

「え、あ、ごめん」

 

謎に怒られてしまい反省をした俺は一旦距離を取り、また他の4人の様子を窺おうと見て回る。離れた瞬間紗夜から小さなため息のようなものが聞こえてきたのだが、それほどまでに真剣勝負ということだろう。

そうしていると、また1分も経たないうちに今度は反対側から叫び声が聞こえてきた。

 

「わぁ?! 何これ?!」

 

「今度はあこか?」

 

俺がぐるりと回ってその画面を覗きにいくと、さっきまで山の斜面の木に登って、背面から紗夜のプレイするキャラクターを攻撃していたあこが、どういうわけか移動の操作を受け付けないように固まっていた。あこは何かの攻撃を危惧してか、視点を周囲にぐるぐる回して索敵をしている。

 

「何これ?! 動けないってどーいうこと?!」

 

「ふふふ……あこちゃん、ごめんね? わたしも……負けられないから……」

 

「……まさか、バインドかけられた?」

 

「バインド?」

 

何やらスキルの名前らしいがよく分からないので声に出してみると、焦った声色のあこが説明をしてくれた。

 

「モンスターの行動を縛る呪文なんだけど……。そっか、バトルロワイヤルだから対人にも効果が出るんだ!」

 

「あこちゃん、仕留めにいくね……?」

 

「りんりんガチすぎるよ?!」

 

どうやら呪縛らしきものを解くためにあこが色々とコマンド入力みたいにしているようだが、生憎あこほどこのゲームをやり込んでいるわけではない俺からすれば、そんなコマンドがあるのかと感心するぐらいだったが、あこは苦戦しているようだった。

 

「ダメ! なかなか解けない?!」

 

「効果時間も長く設定してるから……! あこちゃん……いた!」

 

「もう指も疲れてきた……! ……ねぇゆーひ!」

 

「え、どうした?」

 

後ろから見守るだけだった俺を呼びつけたあこの形相は必死であった。俺もその焦りに釣られるようにあこに駆け寄る。

 

「頭撫で撫でして!!」

 

「は?」

 

「え?」

 

「早く!」

 

「あ、はい」

 

「あこちゃんでも……抜け駆けは許さないから……!」

 

どういう流れか当事者である俺もまるで理解できなかったが、俺はあこの髪を撫で回している。それにあこはデレデレしたりするでもなく、さっきよりもより早くタイピングしていた。

 

「えいっ!」

 

「逃げられた?!」

 

「連打で早めに切れるんだよね? この間攻略サイトか何かにも載ってたもん!」

 

「流石あこちゃん……」

 

「何が流石なのかさっぱり……」

 

互いの健闘を称え合うあこと燐子。それはそうとあこの頭を撫で続けている俺。一旦安全なところまで逃げたらしいあこはキーボードやマウスから手を離したまんた、なぜか目を瞑り始めた。

 

「え、あこどうした?」

 

「……えへへ」

 

意味ありげな笑みを浮かべるあこに俺は言葉を返すことも出来なかった。しかし、またもや聞こえてきた声の方を向く。今度はさっきあこを襲おうとしたばかりの燐子らしい。

 

「何故かステータスが……! これは……」

 

燐子の画面を覗き見ると、普段のスピードよりも圧倒的に遅い移動スピードと、ステータスに大幅なデバフがかかった燐子のキャラクター。燐子の職業はウィザードで、あんまり防御系のステータスが高くない。だからこそ少しのデバフによって大ダメージを喰らう可能性もあるのだろう。

 

「これほどのステータスが一気に下がってるというのは……。……はっまさか」

 

「そう、そのまさかよ」

 

「友希那?」

 

何故かテーブルの向こう側から自信満々に語り始めたのは友希那。一応バトルロワイヤルだというのにそんなふうに悠長にこちらに意識を向けている余裕があるのかと聞いてみたいところだが、多分友希那のことだから敵の出現まで考慮していなさそうだ。

 

「広範囲に効果があるらしい歌を歌っているわ」

 

「しかも連続で発動……ですか……」

 

「連続? よく分からないけど、どうかしら?」

 

友希那はこちらにふふんとドヤ顔すら見せるが、スキル発動を入力し続けているせいで過重にデバフが燐子に掛かっているらしい。どうやら友希那は自分が今何をしているかよく理解していないようだが、それが却って燐子の足を引っ張ってしまっているらしい。

 

「とにかく……友希那さんを止めないと……!」

 

「ふふ。効いているようね、燐子」

 

得意げな言い回しだが、実際には燐子のHPは全く減っていないので、そこだけを見れば友希那が物凄く害を与えているわけではない。しかし、その状態を他のプレイヤーに狙われて仕舞えば、燐子はなす術もなくやられてしまう。そのためには、友希那の無意識のスキル発動をやめさせないとダメらしい。

 

「……そうだ、雄緋さん……! 来てください……!」

 

「え? 俺?」

 

今プレイしているわけでもない俺を呼んだどうするんだと聞きたくなったが、大人しく燐子の画面がはっきりと見えるぐらいまで近づく。そして、燐子は移動の遅い自機の操作を諦め、こちらを向いた。

 

「……雄緋さん! ……その、ハグを……!」

 

「え?」

 

「早く……お願いします……!」

 

「え、あぁ」

 

その威圧に圧されて俺はゲーミングチェアに座ったままの燐子とハグをした。……うむ。

 

「……ちょっと、燐子。それは見逃せないわ」

 

どうやら効果は抜群らしい。友希那は取り乱したせいか無意識に押しっぱなしになっていたスキル発動を止め、やがてその友希那のスキルの効果も切れた。

 

「デバフが消えました……!」

 

「その、でばふが効くのね。喰らいなさい」

 

友希那はさっきと同じボタンを押してスキルを発動したらしいが、燐子はそれを察してかすぐさまその範囲から脱出していたので、友希那の歌の効果は不発に終わる。

 

「もっとでばふが効くようにしてあげるわ」

 

友希那はそれにも気が付かずにスキルを乱発している。……やはり、レベルは統一だとしても、本人のスキル不足は完全に無視できない要素らしい。あまりに初心者が友希那を心配した俺は燐子の席を後にして、友希那の様子を見にいくことにした。

 

「やっと来たわね、雄緋」

 

「まぁ……プレイング見てて心配だったからな」

 

「そうかしら」

 

「褒めてないぞ」

 

「そうなのね」

 

そこはゲームの専門用語も関係のない純粋な褒め言葉だったはずなのだが、友希那のそもそもの理解力の問題らしい。

 

「友希那はそもそもちゃんとプレイできるのか?」

 

「失礼ね。ところで、このゲージが減っているのは何かしら?」

 

「ん? そりゃHPだな。なくなるとゲームオーバーだぞ」

 

「そういえばどこかで聞いたことがあるわね」

 

こいつ……よくバトルロワイヤルに来たな……。というレベルの驚きを感じつつ、友希那に基本的な画面の見方や操作方法をチラっとだけ教える。

 

「それで、何故減っているの?」

 

「今も攻撃を受けてるからだな」

 

「誰から?」

 

それを察知して対策を練るのがバトルロワイヤルだろう、と言いたいところだが、いくらなんでも基礎知識のかけてる友希那が1人で対策できるわけでもないので助太刀する。

 

「おかしいわね。このHP、何故か今度は増えているわ」

 

そして、何故か友希那がアイテムを使ったわけでもないのに体力を回復させていた。俺も気になったので画面をよく見ると、向こうの距離が少し離れたところからリサらしき姿が見えた。そこで俺はリサのパソコンの方へと向かおうとしたその時。

 

「待ちなさい雄緋」

 

「……どうした?」

 

「待っていなさい。私が勝ち獲るわ」

 

誓い表明を受けたところで、俺はそのリサの画面を覗きにいく。そこには何故か仮にも敵である友希那に対して回復魔法を打っていた。

 

「えっと、どうしたんだリサ?」

 

「え? いやー、アタシヒーラーだから、攻撃手段そんなにないなぁも思って」

 

……なるほど、普段はパーティーを組んでダンジョンを攻略するのがメインだから、対人ではなかなか力を発揮しづらい職業もあるらしい。パーティーの回復役であるリサも対人戦では、その能力は何ら役に立たない。

 

「それで友希那が負けても可哀想だから、回復してあげよっかなぁって」

 

それじゃあいつまでもRoselia内の決着がつかないだろう。が、まぁ立ち回りとして他の人に恩を売っておくなんてことはあり得るかもしれない。サバイバルとは言え、臨時でチームを組んで戦うこともできる。だから俺はそのままリサの画面の行く末を見守ることにした。

 

「やっぱり回復役じゃ、難しいよねぇ」

 

「まぁこのイベントじゃあな」

 

「いつも回復してばっかりだもんなぁ……」

 

「まぁそれが役割だし」

 

「誰かリアルなアタシも回復してくれないかなぁ〜」

 

 

……??

 

 

「暇な雄緋が居てくれたら、回復してくれそうなのになー」

 

「くっ……」

 

面倒ごとだと察したので逃げたがったが、不幸なことに情に弱すぎる俺が完全にリサの掌の上で踊らされた形だ。

 

「……何をすれば」

 

「アタシにも、あすなろ抱き、……して欲しいな、なんて」

 

「……なるほど」

 

どうやら日菜から聞いた結果話が広がってしまっているらしい。俺は他のみんなの要望を叶えた手前断ることなんか出来るはずもなく、リサのために回復手段とやらを実行した。

……結局、このバトルロワイヤルは意外や意外、決着が着くまでにものすごい時間を要するのであった。果たして、誰が勝ったのか、それはまた別のお話である……。



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CiRCLE広報戦略【透子】

時は大ガールズバンド時代……。それとは全く関係なく、殺伐とした俗世に生きる人々の心は荒み、経済は止まり、世は暗黒時代に突入しようとしていた。ここ、CiRCLEとて例外ではなく、明日潰れてもおかしくないほどに経営は傾き始めていた。

 

 

 

 

CiRCLE広報会議

 

 

 

「……ではまず、どの消費者金融から資金を借り入れるか「待ってください」……なに?」

 

ここは、ライブハウスCiRCLEの会議室。殺風景な白い部屋は、以前にもましてものが消え、部屋に残っているのは申し訳程度の長テーブルとホワイトボード。それとほぼ空の棚がいくつか残っている程度。その惨状を見るだけで、今のCiRCLEの嘆かわしい困窮具合は嫌でもわかるというものである。

今日、俺は突然まりなさんに呼び出されるなり、落ちぶれた会議室に連れられて、先の訳の分からない話を聞かされそうになっている、そういうことである。

 

「なんで消費者金融の話が出てきたんですか?」

 

「……だって、もう潰れそうなら借金してでもお金集めなきゃだめでしょ?」

 

「いやいや話が急すぎるでしょう……」

 

確かに最近シフト入る日ちょっと減ったなぁとか、設備ボロいのがなかなか買い替えてもらったりできてないなぁとは思ったよ? 段々と寂れていくCiRCLEの姿は目にしていたわけだけども、ただの1バイトである俺にどうにかすることはできなかったわけだが。

 

「それに、仮にもライブハウスなんだから、お金が足りないとかなら普通銀行から融資してもらうとか……」

 

「では、お手元の資料をご覧ください」

 

「え?」

 

 

 

 

400

 

 

 

 

300

 

 

 

 

200

 

 

 

 

100

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月2月3月4月5月6月 

 

 

いつの間にやら机の上に置かれていたグラフを見せられた俺。ご丁寧にカラーリングされたその資料には数字と、何月がどうという情報が書かれていた。

 

「このグラフ見ると、6月の数値がものすごく低下してるの、分かるよね?」

 

「まぁ、はい」

 

「これ、何のグラフかわかる?」

 

「えっと……売り上げとか、じゃないですかね、はは……」

 

左側の軸には『200』だとか、そういうのが書いてあるし、各月の何かがグラフとして出力されているのだから、精々そんなところだろう。かなり粗雑な思考の末に俺がそんな気の抜けた返事をした瞬間、まりなさんの額には青筋が浮かび上がり、ものすごい声量の怒号が部屋に響いた。

 

「そうよ?! 6月のね?! 売り上げがやばいってわけ!!」

 

「ひぃっ?!」

 

いやまぁ、このグラフを見た人間がいれば真っ先に目につくのは6月の落ち込みようだ。それはグラフに明確に表れてしまっているから仕方がないとして、経営に関してはど素人な俺の抱く疑問をまりなさんにぶつけてみた。

 

「……えっと、結構前半で稼いでるから大丈夫なんじゃないですか? なんて……」

 

「大丈夫だと思う?! いくら税金で取られると思ってんのよ?! 私の生活もあるんだけど?!」

 

「すみませんすみませんごめんなさい」

 

聞きたくなかった大人の事情。知りたくなかった懐事情。なるほど、金欠に悩んでいたのは、バイトを減らされた俺だけじゃなくて、そもそも経営に立ち悩むまりなさんもだったのか。仲間がいて心強

 

「同じ金欠の奴がいて心強いなとか思ったでしょ?!」

 

「あーそんなことないですそんなことないです……」

 

いなんてことはないので、これはいよいよどうにかしないといけない。いやー、流石に俺も自分のバイト先が経営不振で潰れちゃったら困るからなー、なんて。

 

「でね? 私も6月なんでこんなに売り上げ落ち込んでるのか、原因を探るために監視カメラの映像とか見たのね?」

 

「え? ……あっ」

 

「そしたらめっちゃ喧嘩した挙句お客さん脅してたよね?! 元々レイヤちゃんの時とか怪しいと思ってたけど?! どう落とし前つけてくれんのよ?! あぁ?!」

 

「ひぃぃぃごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

 

俺は見る人全員がびっくりするぐらいのスピードで頭を床に擦り付ける。だってもうまりなさんのキレ方、平常時の口調からかけ離れ過ぎだもん。

まぁ、心の中では何で俺が、って思ってるけど。いやだって、ねぇ? 喧嘩したの俺じゃないし……、お客さん脅したのも俺じゃないし……。むしろ利用客側のマナー的な問題だと口答えをすると説教(八つ当たり)がさらに長引きそうなので言わないけども。

 

「ほら、先々月の売り上げは300万円超えてんのにぃ? 6月の売上どうなってるかわかる?」

 

「えっと、50万ちょっと……ですよね、はは」

 

「なぁに笑ってんのよ?! 潰れるわよ?! というか店畳むわよ?!」

 

怒り狂うまりなさんを落ち着ける術は俺は生憎持ち合わせていないので、この嵐が静かに過ぎ去るのを見守るしかないわけだが、すぐにまりなさんも疲れてきたのか、遠い目をしながら売上のグラフを眺めている。

 

「でね? このままいくと、本当に、ほんっとうにCiRCLE潰れちゃうから」

 

「はぁ」

 

「打開策を用意しました!」

 

「はい?」

 

そういってまりなさんが勢いよく廊下に繋がるドアを開けると、恐る恐るという様子で入室してきたのは。

 

「ど、どーも……。すごい声聞こえてきたんですけど、大丈夫でした?」

 

「……透子?」

 

明らかにここに居たらヤバいんじゃないか、みたいな気持ちが顔から見え隠れしているような透子が連れられて入ってきた。まぁ怖がるのは無理もない。まりなさんもあれだけ叫んでいたのだから、廊下まであの叫び声が響いていてもおかしくはないだろう。

 

「だーいじょうぶ! 透子ちゃんはうちの救世主だから!!」

 

「え、え? マジ?」

 

透子の反応を見る限りだと、何も聞かされないままにCiRCLEまで連行されてきたというところだろうか。事情も知らないままにこんな大人の面倒ごとに付き合わせてしまって申し訳ない限りである。

 

「……で、透子に何させるんです?」

 

「……ふっふっふっ。それはね、ズバリ広報! SNSで宣伝してもらいます!!」

 

「え? あっ、あたしと雄緋さんの仲をってことですか!」

 

「ちがーーーう!! ……はぁ、本当にみんなそればっかり……」

 

何やら頓珍漢な返しをする透子に呆れるまりなさん。まぁその発想には俺も同様の反応を返すしかないので、既に喉を酷使してグロッキーなまりなさんに代わって、透子を呼んだ趣旨とやらを憶測混じりで伝える。

 

「このグラフの売上表分かるか? 売上激減して、CiRCLEがピンチらしいから、透子のSNSで宣伝してもらって、お客さん集めようってことなんだとよ」

 

「あちゃー、6月すっごい落ち込んでますね」

 

「ぜぇ……はぁ……。で、透子ちゃん? ……何とかなりそう?」

 

「え? いやー……、売り上げに直結するかまでは分かんないですけど、宣伝ぐらいなら?」

 

「ほんと?! いやぁ本当に助かったよ透子ちゃーん!」

 

透子の足にしがみつくまりなさんはとても透子より歳上だとは思えない立ち振る舞いだが、それほどまでに追い込まれているということだろうか。グラフを見る限りでは2月ぐらいの売り上げで今月は十分保ちそうなのに、やはり素人目ということか。

 

「……でも、なんかあたしだけが宣伝するっていうのは、ねー?」

 

「え?」

 

透子は意味ありげな目線をこちらに向けてくる。その目線の意味はよく分からないのだが、ようやく体を起こしたまりなさんは一足先に透子の言わんとすることに気が付いたらしく、急に俺に駆け寄り、そして、俺の後頭部を掴み。

 

「もちろん! 雄緋くんは煮るなり焼くなり食べるなり飼うなり好きにして良いからね!」

 

「流石まりなさんっ!」

 

「はぁっ?!」

 

要は俺が何でもするから、ん? 今何でもするってそれを対価として透子が宣伝をするということらしい。俺の不祥事で店の売り上げが下がったのなら文句も言いにくいが、今回に関しては俺は悪く……悪くないよね? というより俺の扱いが一体どうなるか、謎を極めている。

 

「いやいやっ、俺はそんなんしませんからね?!」

 

「煩いわね、つべこべ言わずに透子様の奴隷になりなさい!!」

 

「えぇっ?!」

 

流れるように権力を持し者に媚び始めるまりなさん。見てて情けないところもあるが、これでも一応上司として尊敬してた部分もあったのに……。そんな俺の中のまりなさん評価の暴落を知らない透子は何やらあれこれと欲望を呟いている。

 

「どーしよっかなぁ……。1日まるごとデートしてもらうとか、いやいやそれだけじゃ勿体無いし夜も……」

 

「1日と言わずにぜひうちの雄緋くんをこき使ってね!」

 

「あんた本当に俺の上司か?」

 

さっきまでそこそこ尊敬をしていた俺の上司は何処へ? もう今のまりなさんは完全に持たざる者として他者を犠牲にのしあがろうとする悪人だよ? 売り上げ下がったところはまぁ俺の責任多少あるとしても、俺そこまで酷い扱いを受ける謂れもないよね? ……労基駆け込もうかなぁ。

 

「まー今思いつかないんでじっくり考えます!」

 

「そうして!」

 

「やめて?」

 

「じゃあSNS戦略2人で頑張って考えてね! よろしく!」

 

「え?」

 

まりなさんは透子を連れてくるだけ連れてきて、後は俺たち2人に任せて放置ということらしい。まぁいくらなんでも店番の方をずっと放置し続けるわけにもいかないし。今日のシフトも俺だけ……あっ、そうか……人件費削減のために……。うぅ、儚い。

 

「あのー、雄緋さん?」

 

「え?」

 

「考えないんですか?」

 

「え? あ、真面目に考えるんだな」

 

「そりゃああたしたちもCiRCLE潰れたら悲しいですもん!」

 

まぁ君たちが暴れたからCiRCLEのお客さん減ってるんだけどね? 6月に限って売り上げがここまで落ち込んでいるというのはまず間違いなく、あの協定云々で通常のお客さんが激減したことが原因だろうし。広報とはいいつつも、まずはその少々危なっかしいイメージを取っ払わないと効果はなさそうだ。

 

「まずはごく普通の、健全で安全なライブハウスってところを謳おう」

 

「……ライブするってことですか?」

 

「あー違う……。宣伝しようってこと」

 

「なるほど。ってうわぁ……、CiRCLEで検索したらめっちゃ出てくるじゃないですか!」

 

「え?」

 

透子に画面を見せられて、CiRCLEとSNSで検索した結果を見ると、そこはすごい有様だった。やれ、『ガールズバンドの宗教の総本山』だの、『許可証を持たずに入店すると、選ばれし客に睨みつけられて、トラウマを植え付けられる』だの、『客寄せパンダ的な店員に声をかけようとしたら親衛隊に襲われた』だの。確実に事実無根と言って良いような言説に溢れかえっていた。

 

「こりゃあ無法地帯だな……」

 

「マジ許せないんだけど! ……どうやって特定しよ」

 

「え?」

 

「あーーー! 何でもないです、ぴゅ、ぴゅーーー」

 

透子の物凄く下手くそな口笛をそこそこに聞き流し、ネット上に溢れたCiRCLEの悪い噂をどう払拭しようか悩む俺。透子も隣で画面と睨めっこしながらうんうん唸ってはいるが、どうやら芳しくはないらしい。そして突然。

 

「……あーーーー! 悩んでるなんてあたしの性に合わないですって!」

 

「そんなこと言っても仕方ないだろ……。服のトレンド作るみたいな感覚で、宣伝を考えるとかしかないんじゃないか?」

 

「そうは言っても勝手も違いますもん……。……考えるの疲れてきた」

 

「早……」

 

いくらなんでも悩み始めて精々5分ぐらいしか経ってないのに、音をあげるのは早過ぎだろう。そうやって俺が文句を言おうとした瞬間だった。

 

「……あー、雄緋さんが、あたしを優しくもてなしてくれたらなー?」

 

「……姑息な真似を」

 

「……ダメなんですか?」

 

「その聞き方はずるいよなぁ……」

 

ダメなのかと問われたら、そこでダメだと一蹴できるほど俺のメンタルは強靭ではない。まぁ要求の難易度によるのだが。

 

「何をご所望で?」

 

「えっ? えーっと、き、き、……あー。えー」

 

「……どうした?」

 

「……接吻……とかぁー?」

 

「接吻って……言い方……」

 

「……ダメ、なんですか?」

 

「くっ……」

 

完全に俺の心を掌握した上で、この発言をしているのだとしたら中々に手強い。というか心得てやがる。が、身を思い切り乗り出してきた透子が、椅子に座ったままで思案に暮れていた俺に抵抗を許すわけもなく。

 

「……良い、ですよね」

 

「……まぁ」

 

不意を突かれたせいか、普段は恥じらいがどうとかを見せることもあまりない透子の姿に一瞬だけ困惑しつつ、霧散した唇の感触が嘘ではないことを確かめてしまう。

 

「……はぁ」

 

「やわらか……雄緋さんと……」

 

それは透子も例外ではないらしく、熱っぽかった下唇を人差し指で押さえてみたりしているらしい。が、俺の目線に気がつくと慌てて。

 

「え、あ?! いやーこんなの、えっと、ミクロンだからマジ! マジマジ!」

 

「お、おう?」

 

透子は流れるように机の上のスマホに目線を戻すと、フリック入力で一心不乱に文字を打っていた。俺は半ば放心状態でそれをぼんやりと見つめていたのだった。

 

……後日、CiRCLEには多くのお客さんが訪れたという。縁結びの願掛けを訪ねて。

 

 

 

TOKO@Morfonica 

@toko_photo1216

CiRCLEは来るだけでも心臓ドッキドキするから、みんな来てねー! あたしは今日ここで運命の人とキス出来たから、恋に悩む人も必見✨

#恋の名所

#恋愛成就

 

18:27・2022/7/4

  □ 105  ♺ 1216 ♡ 1.5万  ⏏︎  

 



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幼き薫の恋心(ヤキモチ)【薫&千聖&美咲】

大鉄人ワンセブン様から頂いたリクエストを基にした作品です。リクエストしていただきありがとうございました。









既に講堂前の通路には人が溢れていた。見渡す限りの人、しかしそれらの影は殆どが俺とは違う世界を生きている人達。端的に言おう、俺は浮いているのだ。

 

「……なぁ。目立たない?」

 

「今更じゃない」

 

「そうですよ。来る前から分かってたじゃないですか」

 

「俺は脅されて……いや、野暮か」

 

なぜ浮いているのか。それは周囲にごった返す人々はみな、周辺の女子校に通う高校生達。羽丘や花咲川、一様ではないが、俺の連れでさえもその例外ではない。お目当ては皆、ただ1人、瀬田薫なる演者なのだが、その薫が主演の会場に半ば強制的に連れてこられたというわけだ。

 

「というか白鷺先輩、巻き込んでおいて言うのもなんですけど、普段あんな態度なのに薫さんの舞台観に来るって、律儀なんですね」

 

「確かに。割と扱い雑だよな?」

 

同伴者No.1、白鷺千聖。件の薫の幼馴染。普段は気取った態度を取る薫を毛嫌いしてか冷たい態度を取る。

 

「……私だって最初薫からチケットを渡された時は突き返したけれど、花音から頼まれたら断るなんて出来ないもの」

 

「花音の力ってすげー……」

 

「はは……、同伴者頼んだあたしのせいと言われたら否定できないですけど」

 

同伴者No.2、奥沢美咲。。元は花音と観劇の予定が、急遽花音が行けなくなり、ピンチヒッターとして千聖を招集した模様。

 

「で、なんで俺まで?」

 

「私と美咲ちゃんのモチベが上がるもの」

 

「そういうことです」

 

そういうことだそうです。そんなわけで俺は舞台が設置された会場に入り、席につく。開演は割とすぐだったようで、着席から10分も経たないうちに大きな音が鳴った。そしてスポットライトの先、主役たる薫の姿が。

 

『……レディース、エーンド』

 

「ジェントルメーン」

 

「え?」

 

「え?」

 

「あ」

 

何故か隣に座る熊こと美咲から呟かれた来場者を歓迎する挨拶。多分ハロハピのノリでやってしまったそれだろうが、周囲から凄まじい目線を浴びていた。やらかした、という表情を浮かべていた美咲が注目された、丁度その時だった。舞台の方から謎の大きな音が響く。

 

「きゃぁあ?!」

 

悲鳴と轟音。舞台の天井に据えられていた何かが舞台の方に落下したのだ。

 

「薫っ!!」

 

「薫さん?!」

 

「え?! ちょおい! 薫が巻き込まれたのか?!」

 

俺の両脇に座っていた千聖と美咲は俺が反応するよりも早く席を立ち、混乱する会場を駆け抜け、舞台裏の方に回った。場内を落ち着かせるアナウンスの中講堂を脱出して、舞台裏に着いた俺たち3人が見たのは担架に担がれた薫の姿。

 

「薫?!」

 

見たところ外傷は無いようで直撃したわけではなかったらしい。だが、唸り声を上げながら目を開かないところを見ると、何かしらのダメージは負っているらしい。一先ず薫は保健室に運ばれ、困惑している演劇部員を千聖が瞬時に宥めすかし、部長さながらに薫を任せて会場の混乱を鎮めよと指示を出していた。そして部屋には薫と千聖、美咲、俺の4人だけが残された。

 

「薫さん、薫さん?」

 

「う、うぅ……」

 

「薫っ!」

 

呼びかける声に目を見開いた薫。目線はしっかりと声のした方を向いて、覗き込む千聖の顔をしっかりと見つめていた。

 

「良かった……無事なのね!」

 

「……ちーちゃん?」

 

「……へ?」

 

「ん?」

 

しかし、どういうわけか、薫の口から聞こえてきたのは幼馴染だという2人が幼い頃だけ呼び合っていた渾名。普段なら薫は『千聖』と呼ぶはずなのに、目の前に寝転がる薫は間違いなく渾名を口にしていた。

 

「きゃっ、ど、どうしたの? 薫?」

 

「……ちーちゃん。……怖かったよぉ……」

 

「え、え?!」

 

「薫さん……?」

 

千聖に抱きつきながら泣き始める薫。普段のそれからは絶対にイメージできない甘え方に千聖を含め全員が困惑していた。

 

「本当にどうかしたの? 薫?」

 

「……いつもみたいにかおちゃんって呼んでくれないの?」

 

「……へっ?!」

 

「雄緋さん、これってまさか」

 

「……幼児退行してるな」

 

「幼児退行って」

 

「……呼んでくれないの?」

 

「かお、ちゃん……?」

 

現在進行形で精神が幼くなった薫の甘えを一身に受けている千聖は、普段の薫の姿のままで演じられる幼き頃のかおちゃんの姿にショックを受けているのか、口をパクパクさせている。そんな姿に疑問を抱いたのか、薫は徐々に泣き止んで周囲をキョロキョロ見渡した。そして、俺をはっきりと見つめて。

 

「ゆうひ」

 

「……へ? どうした薫?」

 

千聖を『ちーちゃん』と呼ぶ幼い頃の薫には俺の記憶はないはずだろうに、どういうわけかはっきりと俺を指差して名前をぴたりと言い当てた。そして、まだ安静にすべきだのにゆっくり起き上がり、俺の方に歩み寄って、……そのまま何故か抱きつかれた。

 

「ど、どうした?!」

 

「ゆうひぃ……怖かったよ〜……」

 

「お、おお、よしよしよし?」

 

身長が俺とほぼ同じの薫を、まるで子をあやすように慰める光景は異様と言うほかなかったが、甘えられたのを邪険にするわけにもいかず、俺は薫の後頭部をゆっくりさすっていた。

 

「そんな……大きなかおちゃんが、私をちーちゃんって……」

 

「あ、あの。大丈夫ですか? 白鷺先輩」

 

「……夢なら覚めてほしいわ」

 

薫の後ろの方で頭を抱えた千聖。頭を抱えたいのは俺もそうだが、いかんせん甘えてくる薫をぞんざいには扱えない。

 

「薫さんってこんなに甘えたりするんですねぇ……」

 

「……幼い頃なら、仕方がないのかもしれないけれど」

 

「ゆうひぃ……」

 

「おぉ。よしよし」

 

体格がそのままだからか、抱きつき方は幼児のそれなのに、腕はすっかり俺の全身を包み、その光景はとても幼い頃の薫の映す世界だとは思い難い。

 

「もっとナデナデして……」

 

「はいはい」

 

「うん……。優しくて……あったかいなぁ……」

 

なんだこの薫。普段のそれとの違いで脳内がバグってしまったのかと勘違いするほどだ。だが、話しぶりのそれは完全に幼き頃の薫で、いやまぁ俺はそんな小さい頃の薫は知らないけど、多分こんな感じだったんだろう。千聖もなんだか複雑な表情をしているし。

 

「それにしても幼くなったのに、雄緋さんのことは覚えてるって凄いですよね」

 

「えぇ、どういう原理なのかしら」

 

「……あっ、みさき!」

 

「へ? え、あたしも覚えてんの?」

 

俺から興味が美咲に移ったのか、ベッドサイドで立ち尽くしていた美咲に駆け寄り飛び込む薫、じゃなかったかおちゃん。突然呼びかけられた美咲も困惑しながら薫に返事をする。

 

「……この香り、ミッシェルの香りに似てる」

 

「……えっ?! き、気のせいじゃないかなぁ? か、薫……さん?」

 

どうやら嗅覚が鋭敏なようで、美咲に抱きつきながらもその匂いを嗅いでいるようだ。それにしても、単に俺や美咲を覚えているだけじゃなくて、ミッシェルのことすら覚えているらしい。なんなら美咲とミッシェルの同一性に感づきそうな辺り、普段より賢いのかもしれない。

 

「一体どうなってるのよ……」

 

「あ、千聖。じゃなかったちーちゃん」

 

「変な呼び方はやめてくれないかしら」

 

美咲に夢中な薫を尻目に、つかつかと薫から距離を取って、懐疑的な目線を向けている千聖。美咲は薫の好奇心に振り回されている分、薫の身に何が起きたかの考察はこちらでするしかないらしい。

 

「ま、幼児退行ってところだろ」

 

「でもそれなら雄緋と美咲ちゃんを覚えているのは変でしょう?」

 

「まぁ、記憶がごちゃ混ぜになってるとか、そんなところか?」

 

「それだけなら良いけれど、……元に戻るのかしら」

 

「元に戻って欲しいのか?」

 

「……違和感が」

 

「……あぁ」

 

確かに遠目から見ても大きなサイズの薫が拙い口調で美咲に甘えようとする光景はなんとも……うん。と、丁度その時、それなりに満足をしたらしい薫が振り返ると、血相を変えたようにこちらに駆け寄り、俺と千聖の間に入って大きく手を広げた。

 

「え、ど、どうしたの? か……かおちゃん?」

 

「……ゆうひは私のものだよ!」

 

「え?」

 

その瞬間、なんだか部屋の空気が数度下がった気がする。また厄介なことになるなという悪い直感。この手のやつは当たるのが定石だ。千聖は困惑するかに見えたが、柔和な笑みを浮かべる。それは幼い子に接するそれであった。

 

「そう、かおちゃんはヤキモチを焼いているのね?」

 

「そ、そんなんじゃないよ!」

 

「……これが、幼い頃の白鷺先輩と薫さん……」

 

何やら感情をぴたりと言い当てられたらしい薫はジリジリと後退しながら、依然俺を守るような形で手を広げて立っている。子ども扱いをする千聖に相対してキリッとした顔つきをした薫は大きく目を見開いた。

 

「ゆうひは私のお婿さんになるから! 渡さないよ!」

 

「お婿さん?」

 

「……ふふ、おませなかおちゃんね」

 

薫の精神年齢相応の可愛らしい発言に疑問符を浮かべていただけの俺とは対照的に、千聖は柔らかい笑みを浮かべたまま、一歩一歩こちらに近づいてくる。

 

「かおちゃんは、雄緋がかおちゃんのものって、そう思ってるの?」

 

「う、うん!」

 

千聖は歩みを止めることなく、薫を回り込んで、俺の方にやってくる。薫はプルプル震えたまま千聖の方を見つめていた。そして、何故か千聖は端で傍観していた美咲の方を振り向くと、数度ウィンクしたらしかった。それで何かを察した美咲まで近寄ってくる。それをアワアワとした薫が見守っている中。

 

「かおちゃん? 雄緋は誰のものかしら?」

 

「え? わ、わ、私?」

 

「……ふふっ」

 

途端に右側から熱がやってきたかと思えば、それは千聖の腕が回されたからだった。えらく上機嫌な千聖に気を取られていると、反対側からも同様に。

 

「薫さん。雄緋さんって、本当に薫さんのものなんですか?」

 

「そ、そうだよ! だからちーちゃん……」

 

「じゃ、あたしも……えいっ」

 

「み、みさき?!」

 

千聖だけでない。ヤキモチを焼いたまま、それを上手く伝えられない薫を揶揄っているのは間違いなく美咲もそうだった。流石に薫が可哀想かと思い、俺も身動ぎをしようとしたが、薫からは見えない角度で鋭い眼光が向けられ敢えなく断念する。

 

「ゆ、ゆうひから離れてよ!」

 

「あら、どうして? 雄緋は私たちのものよね、美咲ちゃん?」

 

「はい。あっ、まだ小学生の薫くんには早かったかなー」

 

「む、むぅ……!」

 

ほっぺたをぷくーと膨らませて不満を露わにする薫の反応を見て、心底楽しんでいる2人。薫は何かを言い返そうと難しい顔をしているが、そうこうしている内にも千聖と美咲の悪ふざけはエスカレートする。俺はと言えば眼光に怯え……いや、正直に言おう、何やらヤキモチを焼き続ける薫くんがどうにも愛らしく、俺もなんだかんだノリノリだった。

 

「でもこの間、私は雄緋のお嫁さんになったもの、ね?」

 

「え? う、うそだよねゆうひ」

 

「え、あー。そういえば、ウェディングドレスとタキシードで写真撮ったもんな」

 

「あ、あたしも見ましたよそれ。白鷺先輩が綺麗だったのでよく覚えてます」

 

「ふふ、ありがとう美咲ちゃん」

 

「そん……な……」

 

急に俯き加減になった薫の声は消え入るように小さくなる。……続けて聞こえてきたのは、鼻を啜る音。

 

「……ひぐっ」

 

「……あっ」

 

恐らくここ3人の共通認識はこれだろう。『やばいやりすぎた』、と。俺は慌てて薫の方に駆け寄ろうとした。

 

「ぐすっ、そんなぁ……ゆうひも、ちーちゃんも行かないでよぉ……」

 

「か、かおちゃん……」

 

「あ、あはは……」

 

部屋の空調の音よりも静かに呟いた薫を思うと居た堪れなかったものだから、あまりに揶揄いすぎたことを反省し、……身長はそのままだからしゃがみ込みはせずとも下を向いた薫を慰めようと近寄ったその時だった。

 

「……ひっかかった!」

 

「え?」

 

途端にほっぺたに触れた小さな感触に俺がぽかんとしていると、得意げな薫の表情が視界に映る。

 

「ちーちゃんが相手でも、ゆうひは渡さない!」

 

「……これは演技派だったな」

 

どうやらここまで幼い薫に一杯食わされたらしい。俺を含めて、薫以外の全員が呆気に取られていた。

 

「ねぇ、ゆうひ。……私もウェディングドレス着たいよ」

 

「え?」

 

無邪気な笑顔を向けた薫は、さっき千聖や美咲に見せつけられたことを見せつけ返すように俺に抱きつきながら、そう呟いた。

 

「……ふふ、宣戦布告というやつかしら?」

 

「薫さんじゃないですけど、結婚式とかはあたしも夢みたいなのありますね」

 

「うぅ……私もちーちゃんたちには負けないよ! 先に挙式する!」

 

挑発するような千聖と美咲の発言にも噛みつこうとする薫は、やはりまだ小学生ぐらいの精神年齢ということらしい。俺を締め上げる腕にもそれなりの力が入っていて、時折強まったそれは最早痛い。……それにしても、結婚式か。

 

「結婚式にそんな夢を見るもんなんだなぁ」

 

「当たり前じゃない。好きな人と結婚したいと願うのは普通のことでしょう?」

 

「それはまぁ、でもそんなに焦らなくても……」

 

まだ彼女たちは精々高校生。俺もどうせ大学生だしそう変わりはないし。まだ焦って結婚式がどうとかドレスがどうとかって話をするのも早計だとは思うのだが。結婚式なんてまぁ、俺はするとしても多分三十路前後で経験するぐらいだろうし。

 

「10年ぐらい経ったら考えないこともないけどな……」

 

「まぁあたしたちはそんなに待てないんで、それこそ既成事実でも」

 

「ん? 帰省?」

 

「あっいやいや何でもないです。えー、それより、薫さんの方が問題ですよね! もう一回衝撃与えとけば戻ります?」

 

「リスク高すぎるだろ……。怪我したらどうすんだよそれ……」

 

「がむしゃらに思いついた案を試すしかないんじゃないかしら? 目の前で私と雄緋のキスを見せつけるとか」

 

「とりあえず薫をこれ以上煽る案は即却下な」

 

「うん、ゆうひとキスするのは私だよ」

 

ダメだこりゃ。薫を煽るなとは言っているのに、美咲にしろ千聖にしろ、そして薫さえも闘争心剥き出しで、収拾がもはやつきそうにない。これは暫く薫の精神状態はどうしようもないか、そんな風に諦めかけていたその時、背後で保健室の戸が慌ただしく開く音がした。

 

「薫さん?! 大丈夫っすか?!」

 

「麻弥ちゃん?!」

 

慌てて部屋に飛び込んできた麻弥は薫に駆け寄ろうとしたが、焦りのあまり脚がもたれたと思った瞬間、時すでに遅し。

 

「え」

 

「あ」

 

まるで漫画の効果音のような音を立てて麻弥と薫がぶつかって倒れる。喜劇のような展開に困惑しながらも云々唸る2人の下に駆け寄る3人という既視感あふれる光景。取り敢えず見たところ麻弥は大丈夫そうだが、薫は。

 

「薫?」

 

「……やぁどうしたんだい千聖?」

 

「薫さんが……戻った?!」

 

「よ、良かった……薫……心配したのよ」

 

「千聖がこんな取り乱すなんて……あぁ、儚い」

 

そのワードにぷつりと、いつもの調子を千聖は取り戻してしまったらしかった。

 

「……ふふ、美咲ちゃん? さっきまでの薫、なんて言っていたかしら?」

 

「え、『ゆうひは私のお婿さん!』でしたっけ?」

 

「……へっ?!」

 

「ふふ、そう。雄緋にお熱なのね? かおちゃん」

 

「や、やめてよぉちーちゃん!」

 

「……こっちの方が、しっくりきますね」

 

「だな。何はともあれ良かった良かった」

 

薫と千聖は先程とそれほど変わらぬ様子で、慌てふためく薫を千聖が揶揄っているようだった。これが幼馴染としてあるべき姿のようなものなのだろうか。公演中に突如見舞われたアクシデントだったが、これはこれで良かったと美咲と顔を見合わせ安堵の息を吐いて、幼き頃の薫の姿を思い起こすのだった。

 

「……へ、おねーちゃんたち誰っすかぁ……」

 

……幼き心を取り戻した演劇部の片割れを残して。









本作品の合計UA数が10万を達成しました。いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。


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双子の織姫 〜七夕伝説〜【紗夜&日菜】

七夕伝説。各地方によってその種類は様々であるが、1番オーソドックスなものは、織姫と彦星が1年にただ1日だけ会うことを許される、そんなロマンチックな日こそ今日、7月7日なのである。大学生にもなって、謂わばそういった風習の類に関わることがめっきりと減ってしまった今となっては、今の今まで七夕であることすら忘れてしまいそうだったが、俺は今、否応なしに七夕なるものの存在を自覚せざるを得なかった。

 

「おねーちゃん、絶対に負けないから」

 

「日菜、何度も言っているでしょう。譲れないわ」

 

俺はこの光景を一体これまで何度見てきたであろうか。姉妹喧嘩? それならそれほど物珍しいものではないかもしれない。世にある兄弟姉妹で、全く喧嘩をしないなんてのは少数だろうし、殊にこの2人は何度も思い込みや、嫉みの暴走ですれ違いを続けてきた。ならばその光景はありふれたものか?

いいや違う(反語)。俺が言いたいのはそうじゃない。

 

「これ以上は迷惑になるから、大人しく引きなさい」

 

「なんで? おねーちゃんが我慢すればいいじゃん!!」

 

「煩いわね。声を荒らげないで、近所迷惑よ。況してや家でもないのに」

 

「おねーちゃんだってさっき叫んでたもーん!」

 

そう。ここは氷川家ではないのだ。

 

「とにかく、雄緋さんに迷惑がかかるから静かにしなさい」

 

「そう思うなら姉妹喧嘩は他所でやってくれない?」

 

そう。俺が言いたいのはこれだ。幾度となく見た光景。それは。

 

俺の家にまで態々赴き、揉め事を起こす姉妹の図。

 

これに尽きる。一体誰がこんな光景を何度も何度も見ることを想像しただろうか。宇田川姉妹はこれほどまでに喧嘩をしているのか? 他所の家で。いや、それはないだろう。とにかくこの姉妹、面倒極まりないことにこの家で喧嘩をするのである。

 

「何でお前らいつも俺の家で喧嘩するの?」

 

「私だって喧嘩したくてしてるわけじゃないんですよ? 日菜が」

 

「おねーちゃんが突っかかってくるんだもん! あたしが何もしてないのに!」

 

「十分してるでしょう?」

 

「今回は何をしたんだ?」

 

「織姫の衣装を纏って、雄緋さんの寝込みを襲おうとしていたようです」

 

「ふぁっ?!」

 

どうやら俺は身内に命を狙われているらしい。人の命を獲りに来る時に、わざわざ織姫の衣装で来るというのは謎が深いが、衣装がどうだからと言って俺の命が獲られて良いことにはなるまい。

 

「それで紗夜は日菜を止めに来てくれたのか……。ありがとう」

 

「いえ、日菜が独り占めするのは平等ではないと思ったので。私に黙って襲いに行ったことを怒ろうかと」

 

「そっちなの?」

 

あれ……紗夜って風紀委員だよね? ポテトを目の前にすると気が狂ったように摘み続ける一点を除けば、綱紀粛正の文字を胸に生き続ける、常識人の権化のような人だったはずだよね? 俺の見る目がなかったのか。

 

「とにかく、夜遅いから、喧嘩するなら帰ってくれない?」

 

夜遅くになっても学生の狭っ苦しいワンルームで暴れられると、俺の最低限度の生活は保障されない。紗夜と日菜が多少喧嘩していようが俺の預かり知るところではないし、俺が襲われるとなればさらに、である。

 

「なんで?! 七夕だよ?! 1年に1回なんだよ!!」

 

「七夕がどうしたんだよ……」

 

「私にとって……いえ、私たちにとって、七夕というのは特別な日なんです」

 

「七夕が……特別……」

 

「私はずっと、才能と僅かな経験で私を追い越していく日菜が苦手、いえ、はっきり言って嫌いでした。唯一の妹を憎く思う自分でさえも。しかし、あの七夕の日から、私は日菜と真っ直ぐ向き合うことが出来たような、そんな気がするのです」

 

「まー、あたしはおねーちゃんをずっと追いかけ回してたんだけどねー」

 

「それは……。だから、だからこそ」

 

「だからこそ?」

 

「この七夕の勝負で、日菜に負けるわけにはいきません!」

 

「何がだからこそなの?」

 

俺には紗夜の言葉の意味が分からない。さっきまでは冷え切った姉妹関係がどのように今のような真っ正面から向き合える関係にまで改善してきたのか、聞くも涙語るも涙な吐露が語られていたはずなのに、次の瞬間から何を言っているのかさっぱりになった。そもそも七夕の勝負って何?

 

「……おねーちゃん。分かり合えないみたいだね」

 

「えぇ、残念だわ。私は貴女を理解したいと思っていたのに」

 

ここがまるで決戦場であるかのように。一瞬の油断が片方の魂をこの暗く明るい夏空の空気に溶けさせてしまうような緊張感。俺の家ではなく、ここはそんな崇高な場所なのであると錯覚する。そして。

 

「あたしとおねーちゃん。どっちが相応しいか」

 

「より織姫になれるか、勝負よ!」

 

「はい?」

 

刹那、俺の視界をマントのような何かが遮って、一瞬だけ意識が暗闇に落ちる。俺が再度目を見開くと、ひらひらと床に舞い落ちたマントの奥に立ち並んだ2人の姿は。

 

「え?」

 

一瞬にして。漢服。あの、織姫が纏うような華々しい色を放ち、羽のような白いフリルに包まれた衣装を纏い、半透明のベールすら這わせて、織姫を演じ切る2人がそこに。

 

「ふふ、かわいい日菜ちゃんに見惚れちゃった〜?」

 

「ふぅ……。衣装に問題は無さそうね」

 

「なんじゃこりゃ?!」

 

俺の目の前で何が起きたのか。2人が早着替えをしたのかと思えば、部屋はいつの間にやら薄暗く、多少の装飾が施されていた。いや、なんでみんなそうだけど俺の家を勝手に魔改造させたがるのか。

 

「ルールは簡単だよ? あたしかおねーちゃん、どっちが織姫らしく振る舞えるか!」

 

「織姫らしくない行動や発言をしたら減点、いいわね? 日菜」

 

俺の知らない間に設計されたルールの下に、突如として開催されることになったそれを、後の人々は織姫選手権と呼んだ。しかし、そこにお巫山戯の要素は全くと言っていいほどない。2人の織姫の表情はギターに向き合うそれよりも真剣かもしれない。何が彼女たちを奮い立たせるかまでは分からないが、とにかく彼女たちは今まさに織姫になろうとしているのである。

 

「おねーちゃん? 律儀で勤勉な織姫のおねーちゃんなら、働かなくなった彦星にも注意できるよね?」

 

「当たり前でしょう? 雄緋さん。早く」

 

「へ? 何を」

 

「彦星役です。早くそこに寝転がってください」

 

「はい?」

 

言われるがままにベッドの上に寝っ転がり、まるで休日をリビングでテレビを眺めながら、自堕落に過ごす父親のような姿勢を強制される。困惑しながらも、織姫に扮した紗夜がベッドサイドに立って見下ろしてきたものだから、俺はその視線を紗夜に向けた。

 

「……ごほん! 雄緋さん、もっとしっかり働いてください!」

 

そうか、そういえば七夕伝説といえば、そもそも彦星と織姫が1年に1回しか会えなくなった原因は、恋に感けた2人が機織りや牛追いなど、自らの仕事を全くしなくなったところを咎められたはずだ。多分日菜が言っていたのはその辺りを汲んだ発言だったのだろう。

 

「いや、俺、割とバイトとかシフト入って働いてるんだけど」

 

紗夜からのお咎めに意気揚々と反論する俺。そうだ、CiRCLEのシフトを全面的に支えたりと、俺だって相当に働いているのだから。それを紗夜に言われる筋合いはないと、たかを括っているわけだ。

 

「えー、でもパスパレで入ってくるお金より少ないよね?」

 

「日菜、黙っていなさい」

 

「そうだぞ、比べる対象がおかしい」

 

「雄緋さんもです。バイトに励むのは結構ですが、学生の本分は勉強。雄緋さん、そろそろテストですよね? 単位は大丈夫なんですか?」

 

「ぐはぁ?!」

 

❤︎             
500/1000

 

ノーツを5つ落とし、俺は500のダメージを受けた。それはいけないだろう。大学生? そんなの単位なんか落としてなんぼなものだ……というのは言い過ぎだし、俺はそれほど単位を落としているわけでもない。だが、だからといって7月末、8月初頭にやってくるテストの連撃を俺が倒せるかと問われればそうではない。フル単というのはみんなが思うより難しいものなのだ。

 

「あー、おねーちゃんダメだよー。織姫は彦星と一緒に堕落しなくちゃ」

 

「あっ、しまっ」

 

「おねーちゃんげんてーん!」

 

「くっ……しくじったわ」

 

どうやら先のゲームとやらも日菜の先制攻撃が決まり、紗夜は大層悔しがったようだった。しかし、何か良い考えが思いついたと言わんばかりに目を見開いた紗夜は日菜を振り返る。

 

「日菜? 1年に1度しか想い人に会うことの出来ない織姫、彦星に会うことを我慢し続ける織姫の貴方なら雄緋さんに抱き着くのを我慢できるわよね?」

 

「と、当然だよ! おねーちゃんみたいに変なところでミスしたりしないもん!」

 

「ふふ。なら、雄緋さんとテーブルを挟んで向き合ってみなさい? まるで天の川で分け隔てられてしまった2人のように」

 

「いいよ? 織姫らしすぎるあたしの振る舞い、しっかり見ててね!」

 

そういうと俺を今度はテーブルの向かい側に立たせて、その対面、テーブルを挟んで向かい側に日菜が立つ。当然俺と日菜はテーブル越しに向かい合って、お互いの顔が見える距離にいるのだが、テーブルがあるせいで日菜は直接こちらにアクションを起こすことはできなさそうだ。まるで天の川に邪魔をされて彦星に会えない織姫さながらだった。……だが、なぜか日菜は大きく頬を膨らませていた。

 

「えっと、どうした日菜?」

 

「……なんでもない」

 

なんだかそわそわしたような様子で、俺の顔を見ては顔を横にブンブンと振ったり、俺の顔を見つめ直したりと、何やら慌ただしい。

 

「あら、日菜。我慢しないと織姫らしさが全うできないわね?」

 

「うぅ……。……これが、放置プレイ……」

 

何が放置プレイなんだ? 一応犬に躾として教えるような『待て』のような意味合いで言っているのだろうが、むしろ訳の分からない放置をされているのは俺なのだが。

 

「……もうダメっ!」

 

「日菜?」

 

何故か日菜は1度大きく身震いすると、目に涙を溜めながら、テーブルをジャンプで乗り越える。その仕草に驚いた俺が後ろに倒れそうになったが、よろめいた俺を支えるように、眼前に飛び降りた日菜が俺に抱きついた。そして日菜は俺の胸元に顔を埋めている。

 

「ひ、日菜?」

 

呼びかけにも何かを答えるわけでもない。勝ち誇ったような紗夜が余裕たっぷりの表情を浮かべていた。

 

「日菜も頑張ったようだけど、最後まで我慢はできなかったみたいね」

 

「うぅ……だってぇ……」

 

織姫らしさを追求するのであれば、天界の神様から命じられたように彦星に会うためには天の川があって滅多と会うことは出来ないのだから、こんなテーブルを飛び越えるなんて荒技はそれとは正反対だった。だが、言い訳をするような日菜が、徐々に顔を上げた。その距離は俺の顔と、10cmと離れていなかった。

 

「だって、……雄緋くんと1年に1回しか会えないなんてヤダもん。……もっとこう、いっぱいギュッてしたい……」

 

「がはぁ?!」

 

❤︎             
尊死/1000

 

これがアイドルの本気だろうか。自然と生まれたような、普段の天真爛漫な日菜の照れ顔を至近距離で見るのはまさに、尊死に値する。もはや何事を捨て去っても後悔しないような、これさえ見られたら本望と言わんばかりの、強烈な一撃をお見舞いされた俺の頭はガクンと力が抜けた。

 

「雄緋くんと離れるのなんてヤダ……」

 

「ま、待ちなさい日菜!」

 

「……なぁに、おねーちゃん」

 

「……織姫なら、その」

 

「会うのを我慢しなきゃ、ダメってこと?」

 

「……えぇ。織姫らしく、なのよね?」

 

漸く視界がまともになってきた。何故だか今俺は後ろ向きに倒れそうになっているところを日菜に前から支えられているが、織姫がどうとやらの話に日菜は夢中らしい。

 

「……でも! 織姫と彦星だって今日は7/7だもん! 今日ぐらい会って、いっぱいハグしても大丈夫だもん!」

 

「な?! そ、それは……!」

 

何やら勝ち誇ったような表情で紗夜に対して息巻く日菜。気絶していたせいで前後の記憶が曖昧だが、どうやら織姫らしく振る舞うゲームとやらで日菜が優位に立っているらしい。そこで、紗夜からまたまや、声がかかる。

 

「……雄緋さん」

 

「ん?」

 

「今日は7/7、つまり七夕です。七夕なら織姫と彦星が会える日、これはいいですよね?」

 

「あ、あぁ」

 

「では……」

 

紗夜はこちらを一心に見つめて、その揺れる瞳で俺の心を串刺しにした。

 

「織姫は2人いても構いませんよね?!」

 

「……はぁっ?!」

 

前からは日菜が飛び込んできていたはずだのに、後ろから迫る紗夜。俺は逃げることなんて出来ず、紗夜からのタックルをまともに食らう。しかし、そのタックルは。

 

「……私だって、雄緋さんと1年に1度しか会えないなんて、考えられません。一瞬足りとも、……勿論日菜ともですが、離れたくありません」

 

「……へ?」

 

「……おねーちゃん。あたしも、……このまま3人でいたいよ。ダメ? 雄緋くん?」

 

「私からも、お願いです。一緒に星に、願って……いえ、誓ってくれませんか?」

 

「あたしと」

 

「私と」

 

「「ずっと一緒に」」

 

「……ぐはっ」

 

❤︎                 
3417/1000

 

その日、俺は天女を見た。俺の意識は一瞬にして刈り取られ、記憶すらも定かではない。だから思うきっとこれは夢なのだろう。これほどまでに現実離れした出来事など、そうそう起こるはずがないのだから。

 

「あっ、雄緋くん倒れちゃった」

 

「……! 少し鼻血が出てるわね、直ぐに手当てをしないと」

 

「ベッドに寝かせて……。……織姫2人で、襲っちゃう?」

 

「……今日は七夕だから、この夜ぐらい、正直になってもいいのよね?」



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過労によく効くRAS療法【RAS】

コロン 10様からのリクエストを基にした作品です。リクエストしていただきありがとうございました。






大学生はよく、人生の夏休みだと言われている。実際それは正しいだろう。俺だってきっと社会人のそれに比べれば休暇を満喫しているし、金欠とは戦いつつも時間だけは有り余る、そんな時期だというわけだ。人によっては資格勉強に費やす奴もいれば、研究室に篭りきりになる奴もいるし、俺みたいにふわふわと生きる奴もいる。人それぞれではあれど、その人の好きなように時間を過ごす、それが出来るという点で夏休みなのである。

だが、そんな俺たち大学生にも夏休みなるものはある。謂わば人生の夏休みにおける夏休み。まさに天国。

そんな天国を前に立ちはだかる最後の関門こそ、レポートとテストの嵐である。

 

『くっそ、どんだけ書きゃいいんだよ……』

 

一向に終わりの見えない文字数。何度読み返しても意味のわからない文献。最早日本語としての意味をなさない文字列。

 

『……こんなの授業でやったか?』

 

講義内容の隅を突くような問題。どう考えても教授の自己満足であろう出題。問に対する回答として的外れどころか自分で読んでもちんぷんかんぷんなレスポンス。

そんな苦行を乗り越えて……乗り越えて……乗り越えようとした結果。

 

結果。

 

結果……。

 

「あー、……辛い」

 

俺はこうして数日前からずっとベッドに横たわっているわけである。別に季節の変わり目に風邪を引いたとかそういうわけではない。ただ単純に、『過労』、これだけである。せっかくバイトのシフトも減らしてどうにかこうにかテストラッシュ、レポートラッシュを乗り越えようとした結果がこれである。

 

「動いちゃダメですよ!」

 

「……はい」

 

疲れが溜まりすぎた結果発熱し、どこから聞きつけたかRASの5人が駆けつけていたのだった。……こいつらの相手したら更に疲労が溜まるのではないかという危惧はあるけど。

 

「おい、何か失礼なこと考えてねーか?」

 

「……なんでもないです」

 

普段は丁寧な口調で喋っているはずのマスキも俺の不穏な思惟にはこの反応である。我を忘れたかのような威嚇に怯んだ俺は大人しく縮こまる。

 

「なんだかもっと疲れそう、って顔してたね」

 

「Why? ワタシたちが看病しにきたのよ? 疲れさせるわけないじゃない!」

 

看病……。それ自体はありがたいが、碌なことになった覚えがないのだ。そもそも疲れが溜まって発熱しているのだから、ただただ静かに寝かせてくれればそれでもよいのに、である。そりゃあそっとしておいて、なんて表情にもなるだろう。

 

「ま、体調管理できてないなんて、プロ意識に欠けるわね!」

 

「チュチュ様はこう仰っていますが、実際には昨日からずっと心配で慌てふためいておられましたよ!」

 

「あー!! 言わなくて良いのよ!!」

 

心配してるなら騒がないでください。いやまぁ、俺の気持ちが届くことはなかろう。

 

「チュチュ、静かにしてあげて」

 

「……悪かったわ、Sorry」

 

と思ったが、レイヤに諭されたチュチュは一瞬で静かになった。これはまさにレイヤの落ち着きがなせる技なのだろうか。俺はレイヤに内心感謝を持ちながら、ここまでご足労いただいた真意を問う。

 

「それで、何しにきたんだ? 生憎遊んでやるのは無理だぞ」

 

「雄緋さんを癒しに参上したんですよ! ちなみに発起人はチュチュ様です!」

 

「だから一言余計なのよ! ……その、疲れが原因なら、その疲れを取れば良いと思ったのよ、早くCiRCLEに復帰してもらう必要もあるなら尚のことね!」

 

「そうか……チュチュも、ありがとうな」

 

どうやら快適な睡眠を妨害しにきたとかそういうことではなく、ちゃんと意図があってここにきたということらしい。まぁ純粋な嫌がらせとかなら俺とてブチギレる他ないと思うが、一先ず安堵の息をつく。

 

「その、先陣を切るのは誰かいるのっ?」

 

予想していなかったであろう、妙なほどにしおらしい感謝の言葉への恥ずかしさを隠すためなのか、目を逸らして無気質な部屋の家具を見つめながら叫んでいるチュチュ。どうやら先鋒となれるほどみんなの心の準備は十分ではなさそうだったが、誰が行くのかという空気感の中、一人の手が上がった。

 

「……ロック?」

 

「は、はい!」

 

沈黙を切り裂いたのは普段はむしろ消極的なところが目立っているようなロックだった。俺は少しだけ驚きながらも寝床に伏せた状態でロックの顔を見上げた。ロックはRASのみんなからの止める声も聞こえないというままにつかつかとベッドサイドにまで近寄って腰を下ろした。

 

「その、どうしたんだ? ロック?」

 

「私は……私は、耳かきをします!」

 

「……耳かき?」

 

どこからともなく現れた茶色い棒にキョトンとした俺はゴロリと仰向けから横向きへと体勢を変えられる。突然行われる耳かきに困惑していたが、俺の右耳の中を凝視するロックが放つ謎のオーラに押し黙る他なかった。

 

「全然耳かきせずに放置していましたよね? その、私が取ってみます!」

 

「お、おぉ? じゃあ、お願い」

 

気圧された俺の耳の穴の中に徐に侵入していく耳かき棒。一人暮らしを始めてから1人で済ませることが多くなっていた耳かきを誰かにやってもらうのは不思議な感覚だった。

 

「うわぁ……中……すごいですね」

 

「そんなに?」

 

「……溜まってますよ? 私が定期的にお掃除してあげますね?」

 

耳をかく音と、ロックのどこか艶かしさを感じさせる吐息混じりの声に思わず不思議な気分になる。

 

「わ、こんなにおっきいの……」

 

「……おぉ」

 

出し入れする棒の先に乗ったおっきいの(意味深)耳垢に感嘆の声を上げる俺たち。ロックの微笑んだ顔が先程までの異物を押し出した快感に染まったロックの声と表情と混ざり合って、奇妙な感覚に陥る。そして反対側の耳もやってもらおうと体を捻った時、声が響いた。

 

「待てよロック」

 

「……ますきさん?」

 

「次は私の番だ」

 

「……分かりました」

 

渋々と言った様子で耳かきをマスキに渡したロックは引き下がる。代わりにベッドに乗り上げたますきは、何故か正座を少し崩したような形で座り、ぽんぽんと自らの太ももを叩いた。

 

「ほら、ここ」

 

「……頭を乗っけろと?」

 

マスキは答えるでもなくコクコクと頷くばかり。俺もここは言われた通りにするべきかと頭を載っける。すると、少し経ってから穴の中を進んでいく棒。穴が押し広がるような感覚を覚えつつも、後頭部に感じられる柔らかな感触を俺はさりげなく楽しんでいた。

 

「ほぉら……もう少しで……出そう……」

 

「もう出そうなのか?」

 

「喋るな……手元震えるから……」

 

どうやら真剣、それもものすごく繊細な作業が求められているらしく、俺が声を出そうとしたらそれを静止する答えが飛んでくる。俺は静かに黙りつつ、こっそり頭を委ねた太ももの感触をこっそり分析するみたいになっていた。

……一応言っておくと断じて変態ではない。

 

「おっ。これでラスト……と」

 

「……ありがとな、マスキ」

 

「いつでもしますから、これぐらいなら」

 

怪我させることなく耳かきを終えて、落ち着いたのであろうマスキから頼もしい答えが返ってきたわけだが、両耳の耳掃除を終えて早速とばかりに声を掛けてきたのはチュチュ、そしてパレオだった。その声に反応するように2人の方を見ると、何故かそこには施術台のような何かが置かれている。一体どうやって持ち込んだのか。

 

「ユウヒ! 次はワタシたちがマッサージをするわ!」

 

「マッサージ?」

 

「はい! チュチュ様が雄緋さんの体を触りたそうにしていたので!」

 

「Huh?! そ、そんなことないわよ!」

 

兎にも角にもどうやらマッサージをしてくれるということらしいので、体が怠くて仕方がない俺は喜んでその台の上に寝転がる。すると、数秒もしないうちに4本の掌が俺の体を這うように触れる。そのまま皮膚を、肉をゆっくりと押し込んでいき。

 

「……おぉ」

 

「ものすごく凝ってますね。ずっと同じ体勢で作業でもしておられたのですか?」

 

パレオには完全に、レポート地獄との闘いを生き抜いてきた俺の生活習慣を暴かれてしまったらしい。俺が寝転んだまま僅かに頷くと、それらの生活習慣によって凝り固まったであろう肩甲骨や肩周りに手が伸びてきた。

 

「デスクワークのやりすぎは身を滅ぼしますよ?」

 

「今揉んでもらって実感してる。以後気をつけるよ」

 

パレオに肩周りの筋肉を揉んでもらうだけで、なんだか頭痛まで取れそうな感じだった。まさに極楽という表現がふさわしい。肩こりが少しマシになるだけでこれほど変わるだなんて、マッサージをしてくれるチュチュとパレオには頭が上がらな

 

「ほら、チュチュ様も一杯揉みましょう! 合法的に雄緋さんの全身を弄れるチャンスですから!」

 

どうやら下心も全開なようで、素直に受け取った俺が馬鹿だったみたいだ。それでも揉んでもらっている手前、文句をつけることもできず、結局チュチュの腕も俺の上体にのびていた。

 

「そうよ……。これはlegal、何もおかしくない……」

 

「そんな葛藤するぐらいなら別に良いぞ?」

 

「No! 貴方は黙って寝転がってなさい! はぁ……はぁ……」

 

明らかに呼吸が荒い。たかがマッサージぐらいで大袈裟な、なんてのは思うのだが、俺の腕を揉み解そうとしたその手はどこかぎこちない。でも……なんだろう。

 

「意外と硬いのね……。はぁ、はぁ、もっと触っていいのよね?」

 

「あ、あぁ」

 

「頑張って雄緋さんの体をマッサージするチュチュ様も……」

 

「パレオもやるのよっ! もっと、もっと……」

 

「はいっ、はぁっ、パレオもっ、はぁっ、はぁっ、いきます!」

 

犯 罪 臭 。

いやまぁ、決して何も疚しいことはしてないはずなんだけど、チュチュとパレオ、2人の言い草だとか吐く息に惑わされると完全に大人なマッサージをしている風に聞こえてしまいそうだ。一応この2人は年齢で言えば中学生なはずなのに、そんな子達にこんなことをさせて……俺は……。

 

……俺は。

 

よし。

 

ふむ。

 

「どうでしょうか? かなり解れてます?」

 

「あぁ……最高だ」

 

「当然じゃない! はぁっ、はぁっ……」

 

……はっ。

 

いやいや、俺は一体何を考えていたんだ。折角過労で倒れていた俺を心配してチュチュとパレオがマッサージに励んでくれたというのに、それに対して良からぬ妄想を働いた俺は外道か? 下衆か?

 

「ごめんな、疲れちゃったよな」

 

「そんなことないわ! こんなの……余裕に決まって」

 

「チュチュ様、少し休憩しましょう! ささ、こちらへ!」

 

椅子に座ったチュチュはぐったりとした表情で。パレオと手を震わせている。こんなになるまで尽くしてもらったと言うのに、やはり……俺は……。

 

「え?」

 

「……大丈夫です」

 

極度の自己嫌悪。それはもはや抜け出すことも叶わないように思われた負のスパイラルだったのに、そんな俺に手を差し伸べた人がいた。レイヤだった。

 

「レイヤ?」

 

「きっと雄緋さんは、迷惑をかけたとか、そういうことを気に病んでいるんですよね……」

 

違うんです。不埒な妄想を働いた罪悪感と自己嫌悪に駆られているだけなんです。

 

「でも私、思ったんです。普段から雄緋さんって何事にも全力を尽くしすぎてるんじゃないかって」

 

そうなんです。しょうもないことに全力を尽くしてしまった結果、俺は年端も行かない少女2人に劣情に似た感情を抱いてしまったんです。

 

「だから私たちで雄緋さんを癒せたらいいなって。そう思っただけですから。雄緋さんは気にしすぎないでください……。雄緋さんのことは私たちが助けますから」

 

やめて……。俺にそんな価値は……。少なくとも15歳にも満たない少女にあらぬ想像を犯してしまった俺の罪はもはや消えようがないんだ……。むしろそんなにみんなから助けてもらうほどの価値のある人間じゃ……。

 

「雄緋さんは私たちにとって、かけがえのない、大切な人ですから……」

 

だ……めだ……。そんなこと……そんな、優しい言葉……俺に、かけるべき……じゃ……。

 

「だから、私たち、ううん、私のことをもっと頼ってください。甘えて良いんです……。全部私が受け止めますから」

 

レイヤの温かな抱擁が俺を包んだ。俺はその時、真理に気がついた。そうか、ここがまさに天国。そうか、レイヤの言う通り俺は頑張りすぎたのかもしれない。普段から頑張りすぎて、その結果が過労となって倒れてしまったわけだ。

そうか。それならレイヤの言う通り、この時ばかりは甘えて、そして、また明日から頑張ればいい。明日、また元気を出して自分のなすべきこと、使命を全うすれ

 

「お母さんだと思ってもいいんです。ママって呼んでください……。ダメですか?」

 

……あれ?

 

「ほぉら、ねんねして……」

 

オギャッ。

 

「ママのおっぱい吸ったら寝られるかな?」

 

レイヤがおれのとなりにねころんで、せなかをとんとんとしている。なんだかまぶたがおもくなってきた。

 

「私が添い寝してあげますから……」

 

……すやぁ。










投稿間隔が相当空いてしまい申し訳ございません。またここから頻度を上げて投稿出来たらと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


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夏の24時間耐久クライブ?【ポピパ】

「第1回!」

 

「夏真っ盛りの?」

 

「24時間耐久クライブ」

 

「あはは……」

 

「はぁ……」

 

なんだここ。

出オチかと言われたらそうかもしれない。俺は突然ここに呼び出され、建物内に入った瞬間、背後でガチャリ、ガチャガチャと不穏な音が聞こえて振り返った。お約束と言ってもいい具合に鍵がかけられ、外側から閂か何かで閉じ込められ、逃げる術を失った俺が半ば諦め気味に辿り着いたのがここである。

有咲の家の蔵。いつもポピパはクライブと称して専用のライブ会場として使ってるその蔵で、俺は今監禁されているのである。

 

「なんで俺ここに閉じ込められてんの?」

 

「えっ、だってゆーひくんもクライブ、観てみたいでしょ?」

 

「うん観たーい! とはならないんだよ」

 

こちとら監禁等々には慣れ親しんでいるとは言え、それでもいざそんな状況になったら困惑する程度には常識が残っているのである。何の説明もなしにこんな空間に連れてこられて、ライブやります、はい観ます、では納得がいかないんだ。俺はここまでのところで何かおかしなことを言っていただろうか?

 

「でもお客さんは雄緋さんだけの限定ライブなのに」

 

「そういうことじゃないからかな」

 

やはりこのおたえの考え方はぶっ壊れているらしい。別に俺はお客さんの数が云々で反論しようとしているわけではない。

 

「24時間耐久がダメってこと?」

 

「うんまぁそれも気になったけど、一番大事なこと(蔵に監禁)が解決してないから俺はこれだけ言ってるんだよ?」

 

「え、でもゆーひくん自分からここに入ったよね?」

 

「ん? いやまぁ、呼び出されたからな」

 

「自主的に来たんだったら監禁じゃないって考えも」

 

「ないよ?」

 

仮にも善意でここまで赴いたやつに対して監禁じゃないとか言われても反論の余地しかない。というよりこれ慣れてなかったら普通に怒っても許される類のものだろう。ライブすら開催してる蔵の中ということを考えたら怒鳴るという選択肢もありそうなほどだ。

 

「なるほど……それなら監禁じゃないのかも?」

 

「おい沙綾。常識を取り戻せ。お前はこっち側の人間(常識人枠)なんだから」

 

すごいね、俺誰かに対して『常識を取り戻せ』なんて台詞言ったことないよ。というよりも、正気に戻れ、とかな分からないでもないのに、これに関してはきっとこれから先も言うことがなさそうな言い回しである。

ポピパの中で比較的良識のある沙綾が毒されたと思えば、まとも枠は……有咲は場所を提供していることを加味しても実質的に香澄に対してチョロいが過ぎるので、りみしかいそうにない。

 

「りみ。りみならこの状況がおかしいってわかるよな? なら少しこいつらを説」

 

「チョココロネめっちゃ美味しい〜」

 

「……得するのは、無理そうだな」

 

「りみりんは買収済みだよ」

 

仮にも同じバンドのメンバーに対して買収とはこれいかに。どうやら俺がポピパみんなをあるべき道へと誘導して、ここからの脱出を図るという手段は潰えたようなので、俺は諦めてこの状況を受け入れるほかないらしい。とはいえ。

 

「……24時間耐久って、何すんの?」

 

「いやいや、クライブって言ってんですから、ライブするに決まってるじゃないですか」

 

「そんなさも正論みたく言われても……。24時間ずっとライブするわけじゃないだろ?」

 

例えオールをするとしても、既に起きてからまぁまぁな時間が経過しているわけだし確実にどこかで睡魔の限界が来る。というより体力の限界が訪れるのはきっと演奏をするポピパのみんな方だろう。最悪俺に関しては聞いているだけだし。

 

「あ、ちゃんとパンも焼いてきたのでいつでも食べられますから、お腹の心配は大丈夫ですよ?」

 

「お気遣いありがとう。でもそうじゃないんだ」

 

どうりでテーブルの方にパンの山が出来てると思ったら。まぁライブのおつまみだと思ってありがたく後でいただくことにしよう。

 

「じゃあ早速ライブ始めよー!」

 

俺が申し訳程度に置かれていたソファに腰掛けようとした時、それまでソワソワしているようだった香澄が大きな声を張り上げた。いよいよこの24時間耐久とかいう最高に頭の悪いライブを始めようとしているらしい。

……が、香澄はマイクだとかを悉く無視して、他の4人が各々の楽器を準備しているにもかかわらず、ランダムスターも立てかけると、観客であるはずの俺の横に座る。一体何をすると言うのだろうか。

 

「なんで香澄がそっち行って座ってんだよ!」

 

「え、だってライブだよ?」

 

「私がおかしいのか……?」

 

有咲の疑問は尤もである。俺も自分がおかしくなったのかと思った。でも違うよね。

 

「香澄ちゃん、ライブするんじゃなかったの?」

 

「うん! ゆーひくんのためだけの特別なライブだよ!」

 

多分香澄以外の全員が頭を抱えて同じことを考えているだろう。こいつ何言ってんだ……? と。香澄は元気よくピースをしながら、当たり前のことのように言っているのだが、おそらくその行動の意味を理解している人はここにはいない。

 

「だから、ライブするって言ってるのに、なんでここに座ってんの? って聞いてるんだけど?」

 

「そうだぞ! 私もそっち……じゃなくて、ギター置いてんのに演奏もクソもねーだろ!」

 

「ゆーひくんに歌を届けるんだよね? それならゆーひくんの隣で歌うのが一番だと思わない?」

 

「……」

 

ほらもう。完全に蔵の中の空気が沈黙したよ。だって仮にもボーカルかもしれないけど、香澄はギターボーカル。それなのに隣に座って、というかこの近さでギターを弾いて歌を歌うとか、何を言い出すのかこの子は。

香澄の訳の分からない理論を聞かされたポピパの他の4人もみんな、スティックとか、ギターだとか、楽器を置いて、……楽器を置いて?

 

「おい、ライブはどうした?」

 

「……香澄ちゃんが言おうとしてること、なんだか良いなぁと思ったんです」

 

「いやいや……え? 演奏どうすんの?」

 

「……鼻歌とか?」

 

「ライブって何か知ってる?」

 

一体俺はガールズバンドの子たちになんという質問を投げかけているのだろうか。ああいや、でもおかしいのは俺じゃないんだ。こんな質問を投げ掛けざるを得ない状況に追い込んだこの子たちの問題なんだよ。

そして遂に香澄だけじゃなくて5人全員ご丁寧にソファに座ってしまったし。本当にライブって何か知っているのだろうか。

 

「というか香澄いいな、私も雄緋さんの隣がいい」

 

「えー? 一番近くで歌いたいからなぁ。さーやに言おう?」

 

「沙綾ちゃんもなんだかんだすぐに雄緋さんの隣のポジション確保したよね」

 

「あはは、もうちょっと頑張らなくちゃってこの間思ったからね」

 

「良いなぁ、沙綾。代わってくれよ」

 

「いやいやちょっと待てお前ら」

 

俺の隣に誰が来る問題なんざ今はどうでも良い。だってそうだろう。勝手に競ってもらう分には結構だが、俺は今、記憶が確かならライブの観客としてここに来た、もとい誘い込まれて監禁されているわけであって。ここでこの5人がこうしてソファの周りに固まって談笑していては、いつまで経ってもライブどころではない。そもそも楽器の音を1音すら聞いていない。

そんなこんなを言おうと盛り上がりかけている5人の会話に割って入ったのだが、会話の話題の中心でありながら、邪魔をするなみたいな視線が俺に飛んでくる。俺はそんな視線をものともせず、冷静でいることに努めた。

 

「取り敢えず言いたいこと幾つかあるけど、1箇所に固まるな、暑いから」

 

本当に暑い。蔵の中に籠り切った熱が、6人が密集することで余計に感じられる。何だったら動いてすらないのに汗が出そうなほどである。

 

「え、でも暑さより雄緋さんの隣に誰が座るかを決める方が大事ですよね?」

 

「それそんな重要なのかよ……」

 

「これだけでこれからの人生のモチベーション、相当変わってきますからね?」

 

「分かったよ……」

 

そういうことであれば、多分無理やり俺がどうこうして、というのは無理そうだ。ならば、押してダメなら引いてみろという格言に従おう。

 

「数曲演奏してもらって、パフォーマンスが高いなって俺が思った人、上から順に2人が俺の隣に座って良いことにする、これならどうだ?」

 

「……」

 

俺がなんとかこの場の収拾がつきそうな案を上手く絞り出して伝えると、途端に5人は押し黙る。そんなに俺は変なことを言っただろうか、なんてことをこの静かな空間に後悔しながら考えていたのだが、5人は徐ろに立ち上がると、さっきまで壁やらに立てかけていたり、テーブルの上に置いていた楽器を手に取って、ステージらしくセッティングされた方にスタンバイした。そして、香澄が。

 

「それじゃあ聞いてね、ゆーひくん」

 

やべぇ説明もなくなんかいきなり始まった。ものすごくキリッとした香澄の表情、いや香澄だけでなくたえも、りみも、沙綾も、有咲もみんなこれ以上ないほどに真剣な表情。ついさっきまでは完全にオフのテンションで、本当にこれからライブをしようというのかと言わんばかりだったが、何はともあれ遂に始まった俺のためだけという豪華なクライブに集中しようか。

蔵の中は音が外に漏れずに、さながらライブハウスのように全身が震えるほどに音が反響している。先程から感じていた夏の熱気は完全にライブの盛り上がりによる熱に変わっていた。

 

「ゆーひくん聞いてくれてありがとー!」

 

早速1曲を終えた香澄たち。その額には汗をかいたりしているところからも、このライブにかける想いだとかは十分伝わってくる。

続け様に2曲目に入るみんな。パフォーマンスで体が大きく揺さぶられる度にその汗の結晶が飛び散っている。それを観ているだけで、自然と心が完全にそちらに向いてくるような、不思議とポピパの魅力に囚われるような、音楽だけでない彼女の人間性のあれこれまで伝わってきそうだ。

 

「何曲歌おうとしてるの、香澄」

 

「うーん、どれくらいが良いかなぁ?」

 

「24時間耐久クライブでしょ? ずっと歌おう」

 

何曲かを終えたぐらいで最初に言っていた、パフォーマンスの高さの判断云々のことか、沙綾が香澄に問いかける。俺としては折角ならこのままずっとポピパのみんなの音楽を聴いていたいぐらいなのだが、多分さっきまでの彼女たちの様子を見ている限りだとそういうわけにもいかないのだろう。

 

「ゆーひくんに聞いてみるのが一番だよね? ねっ、有咲!」

 

「有咲ちゃん? どうかした?」

 

香澄が振り返ったが、キーボードを前に完全にぼーっとした有咲は香澄やりみの呼びかけに答える素振りは見せない。

 

「有咲。どうかした?」

 

「う、うぅーん……」

 

何か意味のある答えを返すわけでもなく、有咲はこちらに一瞥もすることなく座り込んで、バタンと仰向けに倒れる。何事かと俺も、他の4人も焦って有咲の元に駆けつけると、顔を真っ赤にした有咲はうんうんと唸り声を上げながら倒れているではないか。

 

「ちょ、有咲?!」

 

「うっわ、すごい熱い!」

 

沙綾が有咲のおでこに手を当てると、よほど熱かったのだろうか、一瞬で手を離して何かないかとキョロキョロ見渡した。

 

「え、え、え?! どうしちゃったの有咲?!」

 

「そうか、熱中症か?!」

 

有咲の額や首筋から、明らかに異常な量で噴き出ている汗や、赤みを帯びた頬の肌。荒い呼吸なんかを考えれば、おそらく有咲はこの暑い蔵の中で熱中症に陥ってしまったのだろうと予想できた。

 

「え、あ、そ、そうだパン食べたりとか?」

 

「それじゃもっと乾燥しちゃうって!」

 

「あ。うさぎ用のミルクあるよ?」

 

「何で持ってんの? てか有咲はうさぎじゃないからな?!」

 

ダメだ、ツッコミ役が不在だとここまでポピパのみんなは混沌を増すのか。おそらくみんな想定外のことで動転しているだろうから、俺はあたりを見回して飲み物の入ったペットボトルを引っ掴んで、有咲を揺する。

 

「水だけど、飲めるか?」

 

「う、は、はぃ……」

 

いつになく元気のない、消え入るような声に驚いたが、有咲はもぞもぞと体を起こし、ペットボトルに口をつけて、半分ぐらい入っていた水を一気に飲み干した。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「そうだ、雄緋さん。何か塩分も摂らないと」

 

水を飲ませて一安心してしまっていたが、まだ比較的冷静さを保っていた沙綾に言われてはっとする。脱水症状だけでなく、これだけ汗をかいていれば塩分も摂らなければ熱中症の症状は改善しないだろう。

 

「塩分って何かあるか……?」

 

生憎熱中症予防の塩飴だとか、そういう都合の良いものは持っておらず、蔵の中を一通り見てもあるのはパンだけである。

 

「塩っけがあればいいの?」

 

「まぁ、そうだな」

 

「汗とか舐めさせるとか?」

 

「お前何言ってるか分かってる?」

 

おたえの出してきた提案はとんでもないものだった。いやまぁ、たしかに汗ってなんかしょっぱいし、塩分ありそうだけど、汗だよ? 成分だけ考えたら同じとまでは言わないけど、尿とそんなに大差ないよ?

 

「ゆ、雄緋……さん……」

 

「どうした有咲?」

 

「……雄緋さんの、汗、舐めたいです……」

 

「……ふぁっ?!」

 

俺の耳は遂に壊れたのか? 確かにこの狭い蔵の中で大音量のライブをずっと聴いていたわけだから、俺の聴覚が完全にバグってしまったとしてもおかしくはないのかもしれない。そうだよな、俺の耳がおかしくなっただけだろう。

 

「ほら、ゆーひくん早く!」

 

「へ、へ? 何を?」

 

「有咲がゆーひくんの汗舐めたいって言ってるから、早く舐めさせてあげて!!」

 

「正気なの?! え、俺の耳おかしくなかったの?!」

 

「はや……く……」

 

「え、ええっ?!」

 

「雄緋さんの……汗……欲しい……」

 

なんかものすごいパワーワードがさっきから連発していて、俺の頭も完全にバグってしまっていたらしかった。異常なほどに指先を震わせて、天井を仰ぎながら満面の笑みで汗を求める有咲の姿に、俺は困惑する他ない。

蔵の中はまだ暑い。24時間耐久ライブなど出来るはずもなく、一通り休息を終えると納涼、パン祭りが始まったのだった。

 

……え? 塩分? 塩分はどういうわけか蔵の隅に置いてあった経口補水液を飲ませてどうにかした。汗を飲ませるなんて不衛生極まりないからな。









みんな熱中症には気をつけようね!!!!


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ハバネロ、マシマシマシで【七深&巴&マスキング】

夏の太陽がジリジリと路面を照りつけて、向こう側に見えるアスファルトの上空は空気そのものが揺れているかのようである。町のそこらを歩いていても、遂に現れ始めた蝉の声が耳に煩い。もはや何をとっても夏の到来を感じずにはいられない。

当然外の空気はサウナかと勘違いするほどには暑苦しい。直射日光を全身で浴びて、既に俺の体力はその熱に奪われそうである。だが、俺には倒れることは許されないし、この人のなす列から脱落することなど考えられない。ここで倒れて仕舞えば、今までの努力は全て水の泡なのだ。

今何をしているかって? それはだな。

 

「ようやくお店の前ぐらいまで辿り着きましたね〜」

 

「あー、早く食べてぇなぁ、背脂激増濃厚豚骨醤油激辛拉麺!」

 

なんだそのめちゃくちゃ強そうなラーメンは。名前が長すぎて、覚えることすら億劫になるようなラーメンだが、こんなクソ暑い日に俺が外に出て、長蛇の列と戦っているのは、全てこのラーメンのためだった。

10メートル程度先には黄色い庇に隠されるようにお目当てのラーメン店の入り口がある。後ろを振り返ってみれば列の先が見えないほどに人が並んでおり、本当に俺たちもここまで並んだのかということを疑いたくなるほどの列である。数時間前から並び、漸く店の手前ぐらいまで辿り着いたのである。

 

「あまりに激辛すぎて何でも途中でダウンする人が続出するとか」

 

「うわぁ、俄然楽しみだな! 燃えてきたぜ! 雄緋さんも勿論大盛りですよね!」

 

「……へ?」

 

暑さで体はだるいし、会話する元気すらも暑さで奪われそうなのだが、俺は巴から恐ろしい口約束をさせられたような気がする。今回のラーメンはどうも量がどうというよりも、辛さが尋常じゃないらしい。そんな激辛のラーメンの噂を聞きつけた七深がラーメンに造詣が深いだろう巴を連れ、そのおまけで俺が付き添いで来たと、そういうわけである。

俺とてラーメンが嫌いなわけではないし、むしろ好きな部類だ。ああいったガッツリとしたものを食べたくなる時だってある。だからラーメンを食べに行くと誘われてノリノリで来たのだが、蓋を開けてみるとこうである。

 

「あっ、これです。このポスターを見て食べたいなって思ったんですよ〜」

 

「ポスター?」

 

七深が指さした先には壁に貼られた宣伝用のポスターがあった。この暑い中で余計に煩わしさを増すようなカラフルな配色で、頭が痛くなるほどである。

 

背脂激増濃厚豚骨醤油激辛拉麺

 

 

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ラーメン 銀河

当店は本企画による健康上の害について一切の責任を負いません。

救急車等は当店では手配致しません。

 

「なるほどな……。七深がこれを見たのが全ての元凶ってわけか……」

 

どうやらただただ無駄に目がチカチカとするこのポスターのせいで七深の興味が引かれてしまったらしい。このポスターの書いてあることがどれほど事実に忠実かは不明だが、俺からすればここまでの激辛ラーメンを食す覚悟は整っていない。暑い日に辛いものを食べたくなる、まぁわかる。だが、この身を犠牲にしてまで食べたくはない。

だってそうだろう? 救急車の手配が言及されるポスターってなんなんだよ。そもそもこのポスターの左下の字、小さすぎて悪質な企業が契約書とかで肝心な部分を超小さく書くレベルの狡い行いである。

 

「口に激痛を覚えながらラーメン食べたくなんかないぞ……」

 

「まーまー! でも結構口コミサイトとかだと結構評判高いらしいですから大丈夫ですって!」

 

「本当だな? サクラじゃないよな?」

 

巴が誇らしげに見せてきた口コミサイトの画面上には、『☆3.7/☆5.0』と書かれている。このようなサイトは得てして悪意ある評価などもあるところ、かなりの口コミ数が投稿されていてこの数字だということは、味は確かにそこそこ保証されているらしい。

 

「おー、やっぱりこういう口コミサイトに食べたものを書き込むのが普通なんですかねー?」

 

「口コミサイトねぇ……」

 

「色々評価が分かれるみたいですね」

 

画面に表示されている口コミをスライドしていくと、高評価だった意見には『学校帰りに食べに行きました! 帰りのバイクの後部座席でその味をついつい思い返すぐらいです! 急かされることもなかったし、店員さんの対応も最高で、でら美味しかったなぁ』なんてのがある一方で、低評価のものも幾つか並んでいた。

 

「低評価だと、『幼馴染に毎日無理やり誘拐されてラーメンを食べさせられています。美味しいですけどもう胃が限界ですし、幼馴染という間柄の手前、断ることもできません。どうすれば良いですか? 誰か助けてください』だとか書いてありますよ!」

 

「それはもはや評価に味関係してないよな? というかこれは口コミじゃなくて人生相談だよね?」

 

「それに、無理矢理友達に食べさせるとか良くないですよね! 況してや幼馴染なんて! アタシなら蘭やモカには絶対そんなことしないのになぁ!」

 

口コミサイトにはそれ以外にも多種多様な評価が書かれていたが、書いてある口コミは概ね肯定的なものだ。だからこそ味以外の部分に関して低評価のなされる口コミは余計に目がつく。

 

「お待たせしました! 次の方どうぞ!」

 

そんな口コミサイトに書かれた深刻なお悩みと睨めっこしていると、遂に前のお客さんが帰ったらしく、お客さんの入れ替わりに俺たちが呼ばれる。いつのまにか俺たちより前で待っていたお客さんは姿を消していて、残る列は俺たちの後ろに並んだ大量のお客さんのみとなっていた。

 

「おっ、ようやく順番来ましたよー」

 

「はぁー! 楽しみだなぁ!」

 

見るからにワクワクが伝わってくる七深と巴、そして食べなければならないだろう激辛のそれに恐れをなしている俺という奇妙な3人組が店員に連れられ店内へ。中ではカウンターに並んで座ったお客さんが、額から汗をダラダラと流しながら一心不乱にラーメンを貪っている。店内はクーラーが効いて外よりも圧倒的に涼しいから、おそらくあれは辛いものを食べて噴き出る汗の類だ。つまりあの目的としていたラーメンが相当な怪物っぷりを放っていることの証左である。

 

「あれを食べるんですかー。辛くて美味しそう〜」

 

「辛くて美味しそう、で片付けて良いレベルなのか……?」

 

何故か麺の色まで赤く染まりつつあるラーメンを口に運ぶその顔は必死の形相である。何かに逆立てられたような、食べなければ酷い目に遭わされるのではないかと傍目で勘違いしそうなほどに狂ったように麺を吸い込もうとしている。その姿は味わって食べているのかすら分からない。

そんな数分後の自分の未来に戦々恐々としながら席に着くと、カウンターの奥からは見慣れた顔が出てきて、俺は目を見開いた。

 

「あれ、雄緋さん?」

 

「……って、マスキ? あー、ここバイト先だったのか」

 

バンダナを頭に巻いて現れた店員を見て、俺はここがマスキのバイト先だったことを思い出した。激辛という文字に踊らされすぎて全く気にしてはいなかったが、『銀河』という店のロゴを見れば、スッと頭の中で結びついた。

 

「雄緋さんもうちの激辛ラーメン試しに来たんですか?」

 

「え? いや俺っていうか、3人というか、むしろ出来れば俺は普通のラーメン食べたいというか」

 

メニューの書かれた紙を見れば、多分普通であろう、『豚骨ラーメン』や、『醤油ラーメン』なんかのメニューもありそうだ。そういうことであれば、チャレンジをしにきた七深、巴にはさっきの激辛とやらを挑戦させて、俺は素直に普通のラーメンを美味しく食べて帰れば良い。そう思ったが、現実とは非情であった。

 

「ま、今そういう企画やってるんで、あの『背脂激増濃厚豚骨醤油激辛拉麺』以外のメニュー封印してるんですけどね」

 

「……は?!」

 

「やっぱり雄緋さんあのラーメンチャレンジするしかないですって!」

 

「この店にとっての普通はあのラーメンだから大丈夫ですよー」

 

退路は絶たれた。いや、なんだったらあの列に並んだ時点で退路なんてなかった。というよりあの長蛇の列を作る人々はみなそれを知ってなお、あのラーメンを食べにこの猛暑の中を生きているというのか。

どうやら俺は思った以上に魔窟へと飛び込んでしまったらしい。だが、飛び込んだが最後、食べなければ出られないのなら食べるしかない、あの激辛を。覚悟を決めた俺は改めてカウンター奥に置かれた割り箸を引っ張り出した。……が、それとほぼ同時にドン、という音が目の前のテーブルに響いて、俺の思考は固まった。

 

「……え? 水?」

 

ラーメン店なんだから水が出るくらい普通だろう。それはそうだ。むしろ水なしでラーメンを食べることの方が珍しいかもしれない。だが、違う、俺が言いたいのはそうじゃない。

 

「え? 要りませんでした?」

 

「いやいやそうじゃなくて、コップは?」

 

「一々注ぐ余裕ないと思いますよ?」

 

そう、俺の目の前には水が置かれたのだが、そこに置かれた水は、グラスに注がれた水じゃない。ペットボトルである。それも。

 

「え、2L?」

 

「はい。一々コップに注いで、ってしてたら20分で食べ切るの確実に無理だと思いますよ?」

 

そこにあったペットボトルは、2Lの、あのクソでかいペットボトルだった。少なくとも直接口をつけて飲むことはそうそうないだろう、あのめっちゃくちゃ大きなペットボトルである。テーブルの上に置かれたならば風格すら感じる、そんなペットボトルの隣に、遂にそのラーメンとやらが顕現する。

 

「お待たせしました! 背脂激増濃厚豚骨醤油激辛拉麺、大盛り1丁!」

 

赤い。スープが、赤い。いや、赤じゃない。紅だ。もう濃すぎて赤だとかで表現してはいけなそうな見た目をしている。これを食べたらダメだと俺の脳が囁いている。あと俺大盛りなんて言ってない。誰か助けて。

 

「こ、これが待ちに待った激辛ラーメンですか……。……美味しそう」

 

「美味そうだなぁ! これは人もあれだけ並ぶわけだ!」

 

え、正気で言ってる? 美味しいかどうかはさておき、食べたら口が爛れそうな見た目してない? 激辛もここまで行きすぎると多分凶器になる、いや、狂気だよこれもう。美味いかもしれないけど、口の中に入れた瞬間ズキズキ痛む色してるよ?

 

「それじゃあ今から20分測りますけど準備はいいですか?」

 

「え、いやいや待って? 待って」

 

「あ、間違えた」

 

「え?」

 

「今から20分測りますけど、覚悟は良いですか?」

 

「えっ何その言い回し」

 

俺、今までの人生の中で、ラーメンを食べる前に『覚悟は良いですか』なんてこと聞かれたことないんだけど。俺の人生経験が浅すぎたからこうなったのか? それとも俺はその経験がなくて当然だけど、このラーメンがそれに値するラーメンなのか? 俺には分からない。分からないが、俺が悩んでいる間も無く、店内にマスキの大声が響いた。

 

「制限時間は20分なので、それ以内にスープ含めて完食してください! それじゃ、よーい、スタート!!」

 

悩んでいる暇がないとわかった俺はラーメンを、箸で掴む。麺の中まで赤色が浸透したそれは、まさに激辛を極めたと言っても過言ではないらしい。臭いからしても、鼻の近くにそれらの麺を持ってきた時点でわかる。これはやばい、と。

でももう引き返すことできない。俺は食べるしかない。ラーメンを、口の中へとかきこむ。時間はもう始まっている。俺はこのラーメンを食べ

 

「辛っでぇ痛だだだ?!」

 

突如口の中を走る激痛。感じたことすらない痛みが口の中の全痛覚で感じられる。まるで口の中にラーメンを入れ、そのラーメンが刃物だったかのように。酸素を必死に求めてはふはふと声を出しながら俺は死物狂いで鉢の隣に鎮座していた2Lのペットボトルを引っ掴む。考えるよりも早くキャップを回し、顔に飲みきれなくて溢れた水がかかるんじゃないかってほど水を大量に喉に流し込んだ。それでも痛みはまるで消えない。

ふと横に目をやると、目をキラキラとさせながらラーメンを美味しそうにほうばっている七深、そして巴。20分のチャレンジを意識してか、感想を口々に述べあったりはしないが、それでもその表情を見ればおよそラーメンの辛さをものともしていない。

 

「美味しいですか? 雄緋さん」

 

「ん、んー!」

 

声を出そうと喉に力を込めるが、出てくるのは呻きだけである。声帯は痛みへと変わった辛さによってイカれてしまって、感想を述べるどころか悲鳴すら上げられない。

 

「美味しそうで何よりです!」

 

何言ってんの? なんて文句をつけることもできない。目の前に置かれたタイマーは俺にラーメンを食べることだけを要求してくる。そこに慈悲はない。

 

「良い食べっぷりですね! CiRCLEのみんなにも伝えられるように写真撮っておきますよ!」

 

その後、ガールズバンドの間では俺が白目を剥きながらラーメンを食べ続ける動画さえもが共有されており、俺はと言えば、2、3日口の中を襲い続ける痛みの奔流に悩まされ続けることになったという。

 

 

背脂激増濃厚豚骨醤油激辛拉麺

 

 

遂に新登場!! 一口食べればが噴き出す!!

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大盛りチャレンジ受付中! 20分以内に完食した方には賞金10,000円!

 

現在のチャレンジ成功者:2

 

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ラーメン 銀河

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救急車等は当店では手配致しません。

雄緋さんがラーメンを食べたことで気絶した場合、店員による人工呼吸を行います。雄緋さんのご来店を心よりお待ちしております。

 



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粗茶ですが【イヴ&花音&千聖&蘭】

「あぁ……今日も疲れた……」

 

どこぞの刺激物のおかげかガラッガラになった声でうめきを上げながら、今日も今日とて労働を終えて帰宅の途に着いた自分を慰める。毎日頑張って偉いね、みたいな。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、人間毎日働いていると思った以上に自分を蔑ろにしてしまうものなのだ。

 

「バイトの段階からこれって、就職したらブラック耐性ありそうだな、なんて」

 

そんな風に洒落にもならない悲しき性を笑いながら、玄関のドアを開ける。安定と信頼の我が家は今日も整ったフローリングの廊下で俺を待ち構えている。そんなプライベートとパブリックの狭間の長い廊下を抜けると、

 

和室だった。

 

アイエエエエ! ワシツ!? ワシツナンデ!? この部屋昨日までというか朝俺が出かけるまでごく一般的なワンルームの洋風リビングだったよね?! 改装? そういうこと?!

 

「お帰りなさいませ! 旦那様!」

 

「え?」

 

まるでそこがメイドの喫茶店かと勘違いするような声が聞こえて、俺は和室の畳に釘付けになっていた視線を戻す。そこには部屋と完全にマッチした、涼しげな緑の浴衣を羽織った、お茶の少女がいた。

 

「バイトお疲れ様です!」

 

「イヴ? なにこれ?!」

 

部屋が異次元の改装を受けることなんてこれまで幾度となく体験してきた俺であるが、それでもまさかこんな短時間の間に家の雰囲気そのものがここまでガラッと変化するとは。外見上は何は変わりがなかったせいで余計痛烈にこの部屋の変貌ぶりが目に焼き付けられた。

 

「こちらですか? 新装開店の甘味処『若宮』です!」

 

「何勝手に人の家で店開いてんの?!」

 

ここで怒鳴り散らそうがきつい言葉で嗜めようがなにも変わらないということは嫌と言うほど知っている。が、俺はそうツッコミをせざるを得ないのである。そういう定めだから。

 

「こちらのお席どうぞー」

 

「花音もいるのかよ、止めろよ!」

 

「あはは……。準備してたら楽しくなっちゃって……」

 

どうやらこの大改造は甘味処云々ではなく、花咲川の茶道部の出張事業の成れの果てらしく。

 

「花音、茶団子のおかわりを頂けるかしら?」

 

「ほんと花音がいる所どこにでも出没するよな……」

 

クラゲ少女の大親友こと、某腹黒純真無垢の女優やら。

 

「このお茶……悪くないね……」

 

お店の違い棚に飾られた花瓶に挿した花を見繕ったであろう華道少女やらがいる。

 

「というか、千聖と蘭は客人なんだよな? なんで客まで浴衣なの?」

 

「和の空気を壊すわけにはいかないので」

 

「納涼って知らないの?」

 

「他人ん家で涼まないでくれ……」

 

どうやらみんなで徹底的に部屋の作り出す空気に馴染むようにしているというわけらしい。そりゃそうだよな。俺これまでの人生でこんな狭い部屋の中で野点傘をさすやつ見たことないよ。屋内なんだからその傘さしてちゃダメだろとすら思うよ。部屋の中でやってるならそれはもう野点じゃないじゃん。

 

「いやというか、和室に改装するのはいいとしてなんでナチュラルに客呼んでんの?」

 

「家を勝手に和室にしたところは怒らないんだ……」

 

「そんなのに一々文句言ってたらキリがないだろ」

 

「お客さんとして呼んでる人はガールズバンドに限定しているので大丈夫です!」

 

俺が大丈夫じゃないんです。いやまぁ、一般客を呼ばれたらさらにブチギレていたか。

 

「雄緋くんもバイト疲れたよね? お茶をどうぞ?」

 

「あぁ、こりゃどうも……」

 

ふぅ……。

あ、この茶団子美味しい……。渋いお茶の苦味と和菓子の素朴な甘さが混ざり合うとこんな落ち着く味になるんだなぁ……。……あぁ。

 

じゃないんですよ。ダメなんだよ、緋毛氈を敷いた床几の上に座ったら、あぁお茶屋さん来たなぁとか実感して和むけど、そうじゃないんだよ。ここはお茶屋さんじゃないから。俺の家だから。寛いでちゃダメなんだって。

 

「だから違うんだって!」

 

「雄緋さん……煩いですよ? 茶席でぐらい静かにできないんですか?」

 

「こちとら家が占領されてんだぞ!!」

 

君たちがどれほどこの家に勝手に入ろうが、不法侵入しようが、合鍵を作りあたかもレンタルスペースが如く使おうが、この家は俺の家なんですよ? そりゃあ賃貸だから正確に言えば俺のじゃないかもしれないけど、唯一俺の心にゆとりと平穏を齎すオアシスなんですよ? それを我が物顔で占領しないでという矮小で切実な願いすらスルーしないであげて欲しい、それだけなのだ。

 

「家に帰って、年頃の女の子が一杯いるなんて恵まれた環境を享受しているくせに、何を文句を垂れているのかしら?」

 

「それ勝手に来たやつがふんぞり返って言うセリフじゃねぇから!」

 

「いいえ、チサトさんの言う通りです! ユウヒさんはもっとこの状況を悪代官様が如く悪用してもっと酒池肉林、驕奢淫佚の限りを尽くすべきです!」

 

「千聖は今絶対にそんな趣旨の話してなかったよね?」

 

「解釈違いかなぁ……」

 

「甚だしいだろ!」

 

どっからどう考えても日本語を最大限歪めた読み違えです。明らかに最初は恵まれた環境に文句を言うなという話だったはずがその恵まれた環境に溺れろと言われているのだから。

 

「悪代官様の話を知らないんですか?」

 

「知ってるよ?」

 

「私、袖の下を渡したいです!」

 

「袖の下って、賄賂をか?」

 

イヴが袖の下なんてものを学んでいる点も掘り下げたいところだが、悪代官様に纏わる話で賄賂なんて言えば、商人と悪代官が菜種油の明かりで照らされながら小判の枚数を数えるあのシーン以外思いつかない。イヴから送られてくる視線は熱いもので、もう目の奥がキラキラと輝いているようにすら見える。

 

「……ワカミヤお主も悪よのぉ……?」

 

「いえいえ、お代官様ほどでは……」

 

「ノリノリじゃねーか!」

 

明らかにフリだったとはいえやってしまった。だって悪代官様といえば、『お主も悪よのぉ』だろ? 人生のうちに一度は言ってみたいセリフランキング27位ぐらいには入りそうじゃないか。ノリノリなのは俺とて同じことだった。

 

「わ、私もやりたい!」

 

「今度はなんだなんだ……」

 

今のこのしょうもない悪代官様ごっこを見ていた花音が、どういうわけだか顔を赤らめたまま口を開く。今のやりとりのどこにそんな要素があったのかは不明だが、何を演じたいか問うと、覚悟を決めたような表情で花音が顔を上げる。

 

「お、お許しくださいお奉行様……」

 

「……え? ……あぁ。おぉ、良いではないか良いではないか?」

 

これ、俺合ってるよね? これってお奉行様に差し出された町娘の浴衣に巻かれた長い帯をクルクルするあれで合ってるよな。そう思いつつ、俺は花音の背中の帯に手をかけ……。

 

「あ、あーれぇ……」

 

「ちょっと待て」

 

「や、やらないの?」

 

「これだと俺が花音の浴衣脱がせることになるよね?」

 

「……いいんだよ?」

 

「よくねぇ!」

 

主に俺の理性が。むしろ合わせの隙間から誘惑が顔を覗かせる状況でここまでよく耐えた方だと自分を自分で褒めたいよ。ちゃんと浴衣の帯に手をかけたところで理性が頑張って仕事をしたおかげで、ラッキースケベみたいなこと起きなくて済んだんだから。

 

「セクハラよ。変態ね」

 

「松原さんが可哀想ですね」

 

「自分からやられにきてたよね?」

 

明らかに望まれて、それに俺が応じただけだったのに物凄い言い様である。こうやって冤罪は増えていくと言うことを嫌と言うほど分からさせられる。

 

「……雄緋くんのえっち」

 

「おい」

 

4VS1はもうただただ卑怯である。俺を叩いてくるけど、そもそも事の発端は全て俺じゃない。要はとばっちりというやつだ。

まぁ、ね。CiRCLEのバイトを始めてから数えられないほどの理不尽と対面して打ち克ってきたわけだから、その程度で俺の心は挫けないけれども。

 

「反論はするけれど、花音の帯を外そうとしていたのは確かよね?」

 

「え? いやまぁ、最終的に躊躇したし」

 

「ユウヒさん! いくら悪代官様でもやって良い事と悪いことがありますよ!」

 

「言い出しっぺが言うか?! なぁ?!」

 

少なくともさっき淫らな宴に溺れろ云々と説いたこやつだけには言われたくないのである。元を辿っていくとこの憎むべきお代官様ごっこの始まりもイヴだし、多分だけどこの魔改造の元を辿ってもイヴに帰着するだろう。そんなこんなで文句をぶつけていると、俺が腰掛けていた床几の両サイドにぽふりと腰掛けるお二方。

 

「というかここは宴席でもない、お茶の席よ? 女の子を襲ったりとか暴れるのも大概にしてくれないかしら?」

 

「そうですよ。もっと慎み深く、厳かな場の雰囲気を崩さないよう、節度を持ってお茶を楽しめないんですか?」

 

「ど正論なんだけど、発言に行動が伴ってないよ?」

 

「……それよりチサトさんもランさんもユウヒさんにくっついててずるいです!」

 

「言いたいことは同じなんだけどずるいって反応はおかしいかな」

 

千聖と蘭は陣取ったりとばかりに俺の両腕をロックしている。その態勢はあまりにもお茶を飲むには不向きで、凡そ茶屋客の振る舞いとしては風流を欠いている。

 

「じゃあ……私は真ん中で?」

 

「何しようとしてんの?」

 

両サイドを固められたからとばかりに、俺の膝の上にそっと腰掛ける花音。腰の部分の帯が絶妙に座ろうとすると俺の体との間の緩衝材となっているが、それでも膝頭の方に無理やり座ろうとする。

 

「むむむ……。カノンさんまで……」

 

「いやだから、止めろよ。というか他3人は自重しろよ」

 

「嫌よ」

 

「ヤダ」

 

「私も嫌かな」

 

揃いも揃って頭の中が一面桜色のピンクなやつしかここにはいない。俺は両腕をロックされてなおかつ膝の上に人を乗せているというカオスな状況に身を置いている。黄色と赤と青の花に囲まれていた。

3方向から固められたせいで身動きが取れなかったが。セクハラ云々と言われても面倒なので無反応で居続けると、右隣から大きなため息が聞こえた。

 

「ずっと疑問だったんですけど、なんで雄緋さんってあたしたちに手出したりとかしないんですか?」

 

「あ、それは私もずっと思ってたよ。どうかしたの?」

 

「どうかしたも何も……。手出したら社会的に終わるんだけど?」

 

世間体を考えれば、大学生が高校生の少女に手を出すなんてほど人聞きの悪いことはない。それも男性なるものに慣れていないであろう女子校の生徒達である。手を出そうものなら俺は間違いなく『悪い大人』に成り下がる。

 

「私たちでは魅力が足りなかったんでしょうか……」

 

「そんなことはないけど、人生詰ませたくないし……」

 

「詰めば良いじゃない?」

 

「なんてこと言うの?」

 

「別に雄緋の人生が詰んでも私たちの人生は変わらないもの。というより詰んでくれた方が好都合なのだけれど」

 

「無情だなぁ……って、どういうこと?」

 

無情というか非情というか。今まさにこの瞬間にでも人生の道が閉ざされるだなんて考えたら貰ったお茶を飲んだところで落ち着ける気もしないし、それどころか動悸も収まらない。

 

「逆にどうやったらあたしたちを襲ってくれます?」

 

「ものすごい物言いだな……。いや、襲わないよ?」

 

そんな期待の目みたいなの向けられても反応に困る。そもそも襲われたいだなんて時点で物好きだとは思うが、俺は喩えどんな手を使われようがそんな発想に至ることはなかろう。

 

「でも武士は夜襲をするのでは?」

 

「それはもはや意味が違ってるんじゃない?」

 

「イヴちゃん。イヴちゃんが言いたいのは夜這いのことじゃないかな?」

 

「ヨバイ、ですか?」

 

「こらこら、純粋な子にそんな知識教えようとしな……え、花音は夜這いとか知ってるのか?」

 

イヴの無垢さに胸を撫で下ろそうとしたのも束の間、よくよく考えると千聖とかじゃなくて花音の口からそんなアダルティックなワードが飛び出したことが衝撃的だった。

 

「うん。知ってるというか、仕掛けようとしたこともあるよ?」

 

「そうなのか。……ん、……えぇっ?!」

 

「なかなか上手くいかないけどね。……えっ、普通だよね?」

 

「えぇ、常識かしら」

 

「Afterglowのみんなも狙ってますよ」

 

「……さ、最近の高校生は進んでるんだなぁ……」

 

俺の知らないところで風紀は吹き飛んでしまっていたらしい。無法地帯と化しているとまでは言わずとも、俺の身の回りのバンド少女達は爛れ切った学生ライフを送っているのだ。

 

「なるほど、では私もヨバイをしたいです!」

 

「何言い出してんの?」

 

「あらイヴちゃん。じゃあ、今日、ここでレッスンしましょう」

 

「千聖もなんで悪ノリしてるの?」

 

その瞬間鋭い眼光で下から睨みつけられる。悉くを絶句させるような迫力で俺の反論は握りつぶされる。その目力で全身が痺れたように、蛇睨みのように硬直した。

 

「イヴちゃん。夜這いする時はまず羽織った浴衣をはだけさせて、たわわに実った2つの果実を晒け出すんだよ」

 

「花音は官能小説かなんかでも読んでるの?」

 

「イヴ。男性を興奮させるために、全身に縄化粧施すか、亀甲縛りをしてもらわないと」

 

「蘭はなんでそんなコアな知識ばっか知ってるの?」

 

「なるほど……。皆さんの知識を総動員して、ヨバイをします!」

 

「やる気出さなくていいから!! って……うっ、眠気が……」

 

イヴに襲われそうなことを察知して逃げようとした俺だったが、急に視界が薄暗くなる。そうか、お茶を飲んだ時ぐらいから体に感じていた違和感はこれだったのか、そんな風な後悔をする他なかった。

 

「これがヨバイ……! 日本の伝統的な男女の交際スタイルですね!」

 

違います。違……う……。

 

に、日本すげぇ……。カルチャーショックと共に眠りについた。



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秘胸病院 検査室にて【有咲&ひまり&麻弥&燐子&瑠唯】

クラクラとする頭を抱えながら、外観からして新しい建物の自動ドアが開く音を聞く。この頭の違和感自体は熱射にやられただけであろうが、俺がここを訪れたのは、その程度ではないここ最近の不調によるものだった。

 

「こちらへどうぞー」

 

白を基調とした部屋。待合室らしいここに他の利用客は誰もいない。いるのは今しがたここを訪れたばかりの俺とカウンターの向こうで微笑んでいるであろう女性だけ。曖昧な言い方をしたのは、場所に似つかわしくない仕切りによってその顔色を窺うのが難しいからだった。受付嬢らしきその人は肩の下まで伸びるピンクの髪を時折触りながら、こちらに何かの用紙を渡してきた。

 

「こちら初めてですよね? 保険証の提示と、問診票の記入お願いします」

 

「保険証……あった、はい」

 

そう、ここは。病院である。

最初にも言った通り熱中症がどうとかそんなことではない。渡された問診票にチェックを入れたりしながら、俺はここ数日間、いやもっと長い期間を振り返っていた。記憶が抜け落ちたりしている時期すらあるのだが、それも含めて丹念に。

 

「これ、お願いします」

 

「はーい。北条さんは……なるほど。不眠と、立ちくらみと、意識が朦朧として、たまに動悸も、と」

 

「……はい。最近急に卒倒したりと、もしかしたらどこかおかしいんじゃないかと思って」

 

症状で言えば、多分相当にどこか具合が悪いとかそのレベルだろう。少なくともここ1ヶ月で頻繁に意識を失っているという状況は相当異常だ。動悸がするのも変だ。

 

「最近?」

 

「例えばこの間の家でのお茶会……じゃないか。友人とご飯を食べていると急に目眩がして」

 

「それって蘭が」

 

「え?」

 

「あっ、いえいえ! こちらの話なのでお構いなく!」

 

「はぁ……?」

 

今この受付の人、蘭って言ったような? そういえば聞き覚えのあるような声な気もする。

 

「動悸もするんですね、今もドキドキしますか?」

 

「え? いや今は」

 

「私の手を握れますか?」

 

「え、えぇ」

 

何故か手を差し出されて俺はその手を握る。握っている間はトクン、トクンと心臓が脈打つのが意識された。

 

「……ふふ。ずっと握ってたいなぁ」

 

「えっ?」

 

「あー! お気になさらず! 今日は診察を希望と……。診察後は乳房検診も出来ますが、受けて行かれますか?」

 

「……ここって婦人科とかじゃないですよね?」

 

「ご希望ということですね畏まりました!!」

 

「あっちょっ」

 

中から意気揚々とした声が聞こえてくる。止めようかと思ったが、声をかけてもこちらの言うことを聞きそうな雰囲気もなく、カウンターの中身を覗き込むだなんて不躾な真似をするわけにもいかない。俺はあまり深く気にしないようにして待合室の座席に戻る。そこから数分もしないうちに呼び出しの声がかかった。

 

「北条さん。診察室にお入りください」

 

「はーい」

 

スリッパの音を鳴らしながらドアを開けると、背もたれの長い椅子に腰掛けて背中を向けた医師が、厳格な雰囲気で俺のことを待っていた。兎に角診察ということだったので俺は一言声をかけてその手前にある椅子に座る。すると、こちらに気がついて椅子を回転させた医者が……医者が。

 

「北条さん。お疲れ様です」

 

「……ふぁっ?! 瑠唯?!」

 

何故かそこにいたのは瑠唯だった。新進気鋭の女医のオーラを醸し出しながらの佇まいは威厳たっぷりで、本業なのではないかと錯覚してしまうほどだ。いやでもおかしい、瑠唯はまだ高校1年生。当然ながら医師免許なんか取れるはずがない。

 

「なんでここで」

 

「つべこべ言っている暇はありません。診察を始めます」

 

「あっはい」

 

「症状は立ちくらみや意識が朦朧とするということですか。精密検査が必要そうですね」

 

「そ、そうですか……」

 

おかしいな……。俺より遥かに歳下なはずだが、本物の医者のように見える。びっくりするぐらい本職に見える。

 

「あの、精密検査って、どこが悪いんですかね……?」

 

だって俺の聞き方、完全に大病を患って担当医に病状を尋ねる瞬間のそれだもん。これはもう完全に医者とのやりとりそのものだよ。

 

「頭だと思いますが」

 

「頭、ですか……」

 

いや確かに悪いかもしれない。瑠唯がお医者さんに見えてしまう俺は多分頭が悪い。

 

「どうすれば良いんでしょうか?」

 

「乳房検診を後で受けてください」

 

「あのさっきからその乳房検診って……」

 

「では心音を聴きます。大和さん」

 

無視された。さっきからそのパワーワードが気になりすぎるのだが、それはそうと呼ばれた名前も気になる。まさかと思えばそのまさかであった。

 

「はーい! フヘヘ、雄緋さん、お待ちしてました!」

 

「今度は麻弥か……。なんでみんなしてここにいるの?」

 

白衣を纏った瑠唯とは対照的にナース服を着込んだ麻弥。多分看護師をしているつもりなのだろうが、麻弥の目線はどこか怖さを感じざるを得ない。

 

「ジブンが必要とのことだったので!」

 

「え、えぇ……。医療機器弄ったりとか?」

 

「それは物凄く興味があるッス!」

 

そのうち本当に分解して機構を理解しようとかしてそうなものだから怖い。それはそうと何故瑠唯は麻弥を呼んだのか。その答えを明かすように瑠唯が口を開いた。

 

「では、北条さん。服を脱いでください」

 

「……はいっ?!」

 

「心音を聴きますから! ジブンが脱がせましょうか? というか脱がせていいッスか?!」

 

「いやいや! えっと……その、大丈夫なので」

 

「大丈夫じゃないから病院に来たのでは?」

 

「病院じゃないよね? ここ」

 

最低限病院っぽい外観をしただけの別の何かである。瑠唯と麻弥が診察室にいる時点でまともなものじゃないのは確定だし、そう考えるとさっきの受付にいた看護師らしい姿も、知り合いの誰かかもしれない。声に聞き覚えがあったわけだし。

 

「兎に角、脱ぎましょう! 雄緋さん!」

 

「わ、分かったから! 脱ぐ! 脱ぐから!」

 

せめて自分で脱ごうとすると、背後に回った麻弥が俺の腕を掴む。俺の腕は万歳の姿勢のまま固められた。

 

「ちょ」

 

「フヘヘ……。……脱がせます!」

 

「吐息荒くない?! ちょ……」

 

抵抗する間も無く脱がされる俺の服。無様に晒された俺の素肌にひんやりとした感覚が。それは聴診器で、俺の左胸のあたりに順番に押し当てられる。

 

「……良い音ですね」

 

「良い音って何?」

 

「いえ、好みの音と感じただけです」

 

「心臓の音に好みとかあるのか……」

 

その独特な感性が理解できることはないだろうと考えていると、やがて聴診器が離される。心音が聴かれたということは動悸に関することなどは検討がついたのだろうか。

 

「あの、動悸の原因とか分かりそうですか?」

 

「はい。精密な検査は必要ですが、不治の病と思われます」

 

「……えぇっ?!」

 

「しかも本人に自覚のない病ですから余計にタチが悪いと思いますが」

 

「マジか……。自覚症状のない不治の病とか……、それってめちゃくちゃやばいやつだよな?!」

 

「……はぁ。気づくのにはもう何年か掛かりそうですね」

 

「え?! 今気づいたんだから治療してもらえるんじゃないの?!」

 

瑠唯のため息が止まらない。なんなら麻弥のため息まで聞こえてきた。……いやまぁ、そりゃそうか。何故俺はそんな大病を高校生に治そうとしてもらっているのか。ちゃんと大きい病院に掛かれという話か。結構健康には気を遣っていたつもりだっただけにその診断はかなりショックである。

 

「今度ちゃんと大きな病院で検査を受けるよ……」

 

「そういうことじゃないんですけどねぇ……」

 

「え?」

 

「……動悸に関してはそれぐらいかと」

 

「あっ、じゃあ立ちくらみは?」

 

「……意識障害については詳しくわからなかったので、検査が必要だと思いますので、検査室へ」

 

服を返してもらった俺は言われるがままに部屋を追い出され、隣にあった部屋へと誘導される。ドアの代わりにカーテンで仕切られたその部屋に入ると、やはり俺を待ち構えていた見知った顔が二人。

 

「お、お待ちしていました……!」

 

「燐子先輩緊張しすぎですって。雄緋さん、こっちで寝転んでください」

 

「今度は燐子と有咲か……」

 

ナース服姿の二人に目を奪われていたが、いつのまにか腕を引っ張られ、謎の台に寝かされる。診察台というにはあまりに物騒だ。というのも、四方には四肢の拘束に使うのだろう金具が取り付けられていて、まるで患者が暴れることを前提とした作りにしか見えないからだ。

だが、拘束されるかもしれないという悪い予感は当たることなく、意外にも俺は普通に寝転んだだけで、ベッドサイドに燐子と有咲が腰掛ける。何がとは言わない。絶景である。

 

 

 

 

絶景である。

 

 

「えっと……どうか、しましたか……?」

 

「いいえ、何でも。よし、続けてくれ」

 

会話として成立しているかすら不明のやり取りを交わして、俺は次に行われるであろう診察とやらを待つ。どうにかこうにか俺の不埒で邪極まりない考えは見透かされることはなく、安堵の息を吐きながら次の言葉を待つ。反省した俺は煩悩を頭から追い出すことに専念した。

 

「よく分かんないですけど、今から雄緋さんの意識障害となった原因を探るために問診していきますから、YESかNOだけで答えていってください」

 

「おっ、心理テストみたいだな。いいぞ」

 

「まず……、……立ちくらみをする時は、……いつも意識を失ってしまう」

 

「なんだかんだいつも気絶するから、YES」

 

そういえば俺の意識が遠のきそうな時っていつも完全に意識が途切れるんだよなぁ。尚のこと何が起きているのか不安である。

 

「気絶する時は親しい誰かと一緒にいる時だ」

 

「んー……?」

 

そう問われて、俺は直近で倒れた瞬間を想起する。自宅で茶屋が開かれていた折、ラーメン屋で激辛ラーメンを食べ残した時、過労によく効く添い寝をされた瞬間、そして七夕で氷川姉妹に甘えられた時……。たしかに全て親しい誰かと一緒にいる時だった。

 

「YES」

 

「次は……、気絶する時は……目覚めて暫くの間の記憶が、曖昧だ」

 

「うーん、YES」

 

「気絶中に何をされていたとしても覚えていない」

 

「YES?」

 

それは気絶してるからこそ当たり前だろう、そんな風にぼんやりと考えていたが故に、段々と回答が適当になっていた。当たり前のことしか聞いてこないものだから、全部『YES』で答えればいいだろう、と。おそらく検査という緊張感も、寝転がりながらだからこそ薄れてしまっていた。

 

「その、……大きな、胸は……好きだ」

 

「YES……って今燐子なんつった?」

 

一瞬、俺は自分の耳が完全にバグったものだと思った。だって、まさかそんな質問がいきなりされるだなんて考えもしなかった。だが、俺の疑問にも燐子は少々頬を赤らめる程度で、何も答えない。俺が困惑していると、有咲が懐から何かを取り出して、器具らしき何かを俺の目の前に持ってきた。

 

「じゃあ次は採血するので」

 

「採血?」

 

言われるがまま俺は腕を出して、目を背けていると何かで刺されたような痛みを感じる。何故採血をするのかは分からなかったが、きっと精密検査云々と言っていたからそれのことだろうと自分に納得させた。

 

「これで雄緋さんの血液が……」

 

「……市ヶ谷さん。後で……わかって……ますよね?」

 

「当然です、燐子先輩」

 

「えっと……お前らどうした?」

 

「あっ、すぐに検査しますから、はい」

 

2人が内緒話のようにわざとらしく口元を手で抑えているのを勘繰る。有咲はなあなあで俺の話を流すと、機械っぽい何かの前でさっき採られたばかりの俺の血液を弄っているらしかった。

 

「えっ、有咲は何してるんだ?」

 

「今、雄緋さんの……、血に含まれている成分を……解析してるんです」

 

「解析?」

 

「意識障害の……原因を調査するために必要なので」

 

聞けば精密検査して、薬剤かなんかの成分が体内から検出されたら、俺がたまに意識を失うのは睡眠薬だとかそういうのが原因だと分かるということらしい。原理などはさっぱりだが、燐子の説明が終わってまもなく有咲がこちらに帰ってくる。

 

「結果出ました」

 

「早くない?」

 

「いえいえ。で……検査の結果ですが。特に異常はありません」

 

「……へ?」

 

てっきり俺は気絶の頻度や突発性からして、そういうこと(一服盛られてる)だと訝しんでいたものだから驚いた。

 

「なら俺が気絶する原因って」

 

「うーん、疲れとかじゃないですか?」

 

「俺そんな疲れてるのか……?」

 

「あとはその……安心して、とか」

 

燐子の言うことにも一理あるのだが、俺は安心するたびに気絶をするとか言うびっくり体質をお持ちなのだろうか。そう考えるとやはり納得はいかない。

 

「疲れとか安堵で倒れてちゃ世話ないんだけど……」

 

「そんなに疑うなら、乳房検診受けてみます?」

 

「え?」

 

またもや聞いたパワーワード。いやまぁ、レディースクリニックなんかだとそういう検査はあるだろうが、男性に対してもそういうのって必要なのだろうか。

 

「あの、さっきから聞くその検診って何?」

 

「……受けますか?」

 

「え、なになにこわいこわい」

 

一瞬で検査室の中の空気が変わって軽く恐怖を覚える。台の上に寝転んだまんまだからこそ、謎の圧迫感を感じる。

と、ちょうどその時。

 

「あ、検査終わりましたー?」

 

「待ちくたびれたわ」

 

「長かったですねー」

 

先程まで受付やら診察室にいたであろう瑠璃や麻弥、ひまりがカーテンレールを滑らせて入ってくる。いつのまにかみな一様にナース服に着替えている。ただ、服装がどうであれ、寝転んだ周囲に5人が立っているというだけでさらに圧迫感は増している。

 

「ちょ、何のつもりだ……?」

 

「乳房検診するって、受付でも言いましたよねー? 楽しみー!」

 

「燐子先輩が準備頑張ってくれましたもんね、私も楽しみです」

 

「可愛いの……作りましたから……。乳房検診ということで……気合い入れました……!」

 

「いやだからその乳房検診って」

 

「名前の通り、乳房に関する検査です。時間が惜しいです、始めましょう」

 

「うわ何をするやめ」

 

 

 

 

 

俺は目覚める。いつもと変わらぬ自室の天井。窓の外に目をやると、区切られた空が既に暗くなって、1日の終わりがやってきているようだった。外では相変わらず街のあちらこちらで明かりが漏れていて、何ということのない日常が続いていた。

どうやらさっきのは変な夢だったらしい。そりゃあそうか。急に街の中にあんな訳の分からない病院が建つはずがないし、病院が出来たとしても他に客も来るだろう。そもそも高校生の彼女たちが働いているなんてありえない。

 

「考えても無駄、か。まだ眠いし……寝るか、って痛っ」

 

寝返りを打ってちょっとだけ痛んだ左腕と胸部を庇いながら、もう一度俺は、心地よい眠りについたのだった……。



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糾弾のメリーさん【ボーカル組+リサ】

たかっちゃ様からのリクエストを基にしたです。リクエストしていただきありがとうございました。








「ただい……はっ」

 

玄関のドアを開けた瞬間。俺が感じたのは違和感。いや、既視感だ。一人暮らしの俺、まぁ頻繁にガールズバンドの誰かしらが入り込んでるから生活が賑やかといえばそうなのだが、そんな生活ぶりに合わない靴の量。1、2……数えたら7足もある。奥の方から聞こえてくる声からしても大所帯でのお越しらしい。枯れるところまで来てしまったため息を嘆いて、俺は部屋のドアを開ける。

 

「あっ、ゆーひくんおかえり!」

 

「お邪魔してます」

 

「本当にな。この部屋に8人は無理だって」

 

そこにいたのは各バンドのボーカルの面々。このクソ狭い部屋に俺を含めて8人が犇めき合っている。人数が多い割にはすっかり寛いでいるやつもいるようで、その神経を疑いたくもなる。

 

「雄緋。お帰りのところ悪いけど、飲み物ってないかしら?」

 

「あ? お茶ぐらいなら冷蔵庫に……全部飲み干しやがった……」

 

暑い中から帰ってきた人間に飲料を強請るだとか、図々しい歌姫もいたものだと思いたくなるが、こいつらは人の家にあった飲み物を飲み干した上でさらに要求してくるというわけらしい。害悪と言わずしてなんと言おうか。

 

「もう水道水でもいいか?」

 

「勉強が捗らないわ」

 

「勉強してんのかよ、偉いな」

 

「補講よ。テストの結果が悪かったから」

 

「あっ……」

 

覗いてはいけない闇。そもそも友希那は今年受験になるはずだが学力だとかそっちは大丈夫なのだろうか。卒業できるかどうかの問題かもしれない。

 

「ぷっ。湊先輩補講引っかかったんですか?」

 

「あら、何か言いたげね、美竹さん」

 

「ちょ。ちょっと、みんな喧嘩はやめよ? ね?」

 

「彩の言う通りだぞ。人の家来てまで喧嘩しないでくれる?」

 

「私も補講だから! みんなで仲良く勉強しよ?」

 

「何の励ましにもなってねぇ……」

 

おバカアイドル路線を地でいくつもりだろうか。俺がいつもパソコンを広げてタイピングしているテーブルは、友希那と彩、それと蘭が各々の教材を広げていた。って、え?

 

「というか蘭は」

 

「……何ですか?」

 

「そのプリントとかは」

 

「ぷっ、まさか美竹さん。自分も補講に引っかかって追加の課「これ、夏休みの宿題なんですけど、今年は早めにすることにしたんです」……は?」

 

「おっ、偉いじゃん」

 

「頭撫でてください」

 

「ん? まぁ良いけど」

 

「……あ、あ……」

 

「友希那ちゃん? ……諦めて一緒に勉強しよう?」

 

「あ……あ……あぁ……」

 

夏休みの宿題を早い時期から自発的にやるという蘭を褒めていると、すごい音と一緒に友希那が崩れ落ちた。大方同族と思って見下していた蘭が思いの外勉強熱心で自分の遅れに気がついたのだろう。これを機に勉強に本腰を入れてもらいたいところである。

 

「これは何かしら? 宿題をすると雄緋に褒めてもらえるのね?」

 

「いや、そんな制度ないけどな?」

 

帰ってきたばかりだと言うのに、部屋に入り浸る7人の少女が代わる代わる話しかけてくるもので気が休まる暇がない。勉強組は集中し始めたからか静かになったが、それ以外の4人は雑談をしながら人の部屋で堂々と寛いでいた。

 

「うーん、でも宿題はポピパのみんなと有咲の蔵でするって約束しちゃったからなぁ」

 

「あら、ならみんなで有咲の蔵で勉強会でも開けばいいじゃない!」

 

「勝手にここでそんなこと決めたら有咲多分怒ると思うぞ? というか俺ならキレる」

 

そんなことしたらとんでもない人数が集まりそうだし、少なくとも今の比ではない。そもそもその人数に対して頑張った子の頭を撫でて回るだなんてしていたら俺の掌が摩擦で溶けそう。……いやまぁ、それは少し盛っているが、大変なのは間違いない。

 

「有咲ちゃんの蔵でも、そこまで広いスペースは取れないんじゃないかな……?」

 

「というかこの部屋、狭いですよね……。机埋まってますし……」

 

「勝手に人の家占領しといてよく言うな?!」

 

7人とかいう大人数で押し掛けておいて間取りに文句を言うだなんて図々しいこと極まりない。前提として俺が1人で住むのであって、それに関しては部屋の広さは十分だ。むしろちょっと広いぐらい。そりゃ7人が一気に来たら狭くもなろう。

 

「狭いのなら改築したらいいんじゃないかしら?」

 

「マジで俺が大家さんから追い出されるから勘弁してくれ……」

 

これ以上この家で暴れ倒したらそろそろ退去させられそうだ。なんだったら今日も8人で騒いでるなんか、騒音でクレームがいかないだろうか。住むところを失うのはかなり問題があるので、それだけは勘弁願いたいのだ。

 

「そもそもここ勉強の共同スペースとかじゃないから、な?」

 

「雄緋さんの家、チュチュのマンションより勉強捗りそうなんだけどな……」

 

その真偽は怪しい。なんだったらさっきの友希那みたいに効率が悪いやつも一定数いそうだ。流石に俺もこれから先勉強部屋として占領されるのは困るので一応否定しておく。

 

「で、でも誰かに教えてもらいながら勉強って」

 

「誰が勉強を教えるんだ?」

 

「え?」

 

ましろは俺の問いかけに部屋を見回す。レイヤは教えられるほどでは、と固辞している。そういうわけでましろがさらにぐるりと首を回して、最上級学年の2人を。

 

「あっ」

 

「……あはは。私もちょっと」

 

「……あら。倉田さん、質問があるなら私に訊いてくれて良いわよ」

 

「あ、その、遠慮しておきます」

 

「そう」

 

「でも2年生はっ」

 

「ましろちゃん? 有咲に聞いておこうか?」

 

「いや、大丈夫です。……なるほど、雄緋さんの言いたいこと、大体わかりました」

 

そう、このボーカル組。勉強に難がある人が少々多いのだ。完全にフィーリングで動いたりだとか、授業をボイコットする不良少女に、勉強はてんでダメな歌姫。ポンコツさん。勉強に関してはお笑い集団のようになっている。特に最上級学年の2人が絶望的なのが問題である。

 

「あ、でも雄緋さんに聞いたら」

 

「面倒だからヤダ」

 

「……はい」

 

全員分の勉強なんか見ていたら埒があかない。いよいよ俺のプライベートは消える。流石に人様の勉強にそこまで身を捧げられる自信はなかった。

 

「……はぁ、もう勉強疲れたよ」

 

「根を上げるの早いな……」

 

「……よしっ、休憩も大事だよねっ」

 

「彩さんもう休憩入るんですか?」

 

「うんっ、みんなの話を聞いてたら私も他愛もない話がしたくなっちゃった!」

 

早速ここにも集団で勉強することの弊害を受けた者が1名。どうしても雑談するやつが出てくるので、それに釣られて勉強意欲が削がれたのだろう。

 

「他愛もない話って……もっと勉強のこととか真面目に話すことあるだろ……」

 

「えぇっ! 勉強に疲れたから雑談しようとしてるのに意味ないじゃん! そうだ、そんなこと言うなら、あの話もっと詳しく聞かせてよ!」

 

プンスカと頬を膨らませながら分かりやすく怒った様相の彩をなあなあで鎮めるために一応何の話かだけ聞き返す。聞き返してから、俺は激しく後悔した。

 

「元カノさんの話だよ! ほら、千聖ちゃんと一緒に取材の練習した時に話してくれたでしょ?」

 

「ちょっ、おまっ」

 

こいつ言いやがった、と思った時にはもう遅かった。部屋の空気が張り詰める。それまで和気藹々としていたのが嘘のように会話が止まり、雰囲気が重くなり、空気が凍て付いた。

 

「ゆーひくんに?」

 

「元カノさん?」

 

「元、カノということは」

 

「雄緋?」

 

「どういうことか」

 

「説明してくれますよね?」

 

「……彩ぁ?!」

 

「えっ、あっ。あっ、……ごめんね?」

 

絶対わざとじゃねぇかこいつ。これまでは彩と千聖、取材の練習をしたあの2人内で留めておいたのに、わざとかそれとも失言か知らないが遂にバラしやがった。他の6人は寝耳に水とばかりに恐ろしいオーラを纏いながら詰め寄ってくる。

 

「ゆーひくん。隠し事してたなんて、悲しいなぁ……」

 

「あ、え、香澄? その、違ってだな」

 

「言い訳? ダメだよ?」

 

普段はおちゃらけた雰囲気の香澄も、目から生気を失って虚にこちらを覗いている。

 

「ちゃんと説明してもらわないと、困ります」

 

「いやな、説明も何も」

 

「……父さんに、地下室の鍵、貸してもらおうかな」

 

地下室って何? 怖いよ? 蘭のあの豪邸ならそういう折檻に使いそうな部屋とかもしかしたらあるのかもしれないけど、監禁するつもり?

 

「あ、ちょ、リサ。助けてちょうだい、訳がわからないことになっているわ」

 

「なんで友希那はリサに助け求めてんの?」

 

「私の頭では理解できないのよ」

 

考えることを放棄した友希那はまだいい。比較的平和だろうから。問題は他の人たちである。

 

「……ねぇ雄緋」

 

「え? ……どうした、こころ?」

 

「あたし、何故か分からないけど笑顔になれないの! どうしたら、笑顔になれるかしら? ねぇ、ねぇ、知ってる?」

 

「ひぃっ……」

 

普段は無垢な雰囲気のこころが豹変するのがなんだったら一番怖かった。その、怖さが100倍増しぐらいだ。俺はあまりの恐ろしさに後退りし、元凶たる彩を盾にする。

 

「ちょっ、なんで雄緋くん私の後ろに隠れるのぉ?!」

 

「元はと言えば彩が口を滑らせるからだろ?!」

 

「……彩先輩。見損ないました。まずなんで彩先輩だけ知ってたんですか?」

 

「え、いや、その千聖ちゃんも一応知ってたと言うか、その……、えっと、……ましろちゃんの好きなふわふわピン「私が好きなのはミッシェルです。思い上がらないでください」……はい」

 

「雄緋さんも、なんで彩さんの後ろにばっかり隠れてるんですか?」

 

「それはその」

 

「……彩さん。どいてください。雄緋さんに話、聞けませんから」

 

「う、うん」

 

彩のやつ、レイヤの眼光にやられておめおめと下がりおって……。元凶なのだからせめてこの場を鎮めてほしかったが、仕方がない。かといってみなのお怒りを鎮めるほどの策はない。

 

「雄緋さん」

 

「れ、レイヤ?」

 

「怒ってません。怒ってませんから」

 

「は、はい」

 

「……早く答えてくださいね。じゃないと私、我慢できないですから」

 

「ひぃっ?!」

 

腰が抜けてしまう。だって、これは怖いだろ、仕方ないだろ。

 

「一つ、いつの元カノですか? 二つ、その方は今どこに住んでいますか? 三つ、その女としたこと全部答えてください」

 

「ひっ……あ……」

 

レイヤの問いかけと共に6人が、いや、さりげなく彩と加わって7人全員がにじり寄ってくる。俺は唇もわなわなと震えて、まともに受け答えもできそうにない。みんなの瞳から消えた光。その澱みに怖気ついたものだから、もはや何も話せないほどに震えたのだ。

 

その時、どこからか鈍いバイブレーションが部屋に響く。どうやらその発生源は俺のスマホらしく、みんなの顔色を一度伺ってから、届いたらしいメールの文面を開いた。

 

✉️ 受信Mail[1/101]

 今日 18:21

from:risa.love-yuhi@~~~.jp        

◆アハハッ☆

アタシ、リサ。今、アタシの部屋にいるんだ☆

 

 

 

今行くから

 

「……ふぁっ?!」

 

突然送られてきたのはリサからのメール。文面も何故か意味深で、深く考えるのが怖い。

 

「ゆーひくん? 何かあったの?」

 

「……いや。なんでもない。悪戯みたいだ」

 

「……それなら、あたしたちを欺いた罰が要りますよね?」

 

「ちょ、欺いたわけじゃって、……今度は電話?」

 

出ていいかとみんなにコンタクトを取ったので出ようとすると、そこには何故かリサというわけではなく、千聖という文字が出ている。

 

「……もしもし」

 

『あっ雄緋? 気をつけなさいね』

 

「は? ……おい、リサに何喋った?」

 

『元カノが居るということしか話してないわよ?』

 

「おまっ、は?! なんで?!」

 

『ふふっ、リサちゃんと密約を結んだの♪ 頑張ってね?』

 

そのままツー、という音だけが耳に届く。電話は切れたらしく、結局リサにも元カノの話がバレたということしか分からなかった。

 

「何が起きて……」

 

「リサがまさか……」

 

「……おい、友希那」

 

「な、何?」

 

「お前だなリサに初めに喋ったの! そういやさっきなんか相談してたな?!」

 

「違うわ。私はリサに詳しいことは丸山さんか白鷺さんに聞いてとしか」

 

「やっぱお前かこのポンコツがぁ?!」

 

そんな風に叫んだ折、まあもやメールの通知音が。恐る恐る開くと、やはり届いていた。

 

✉️ 受信Mail[1/102]

 今日 18:23

from:risa.love-yuhi@~~~.jp        

◆アハハッ☆

アタシ、リサ。今、雄緋の家の近くだよ☆

おっきい声で叫ぶところも好きかも、なんて。

でも友希那を怒鳴るのはダメだよ?

 

 

 

逃げないでね?

 

「ダメだ。逃げよう」

 

これはここにいると俺の命が危ない。というかもう無いかもしれない。俺に命なるものが存在しないのかもしれない。既に。恐怖に支配された頭はまともな思考を生み出さない。

 

「リサちゃんからメール、来たの……?」

 

「あ、あぁ」

 

「……私も来たんだけど」

 

「え?」

 

「『彩は今度お説教ね☆』って……」

 

「……あぁ」

 

どうやらみんなの命が危ないらしい。やはりここは逃げるしか無いのか。そうこうしていると、またも通知音が鳴る。

 

✉️ 受信Mail[1/103]

 今日 18:24

from:risa.love-yuhi@~~~.jp        

◆アハハッ☆

アタシ、リサ。今、雄緋の部屋の前にいるんだ☆

あっ、鍵掛けても無駄だよ? 逃げても無駄だよ? 絶対逃がさないから。

雄緋が逃げたらアタシ、悲しいな。そこにいて、くれるよね?

 

 

 

絶対に、逃げないでね。

 

「え、あ……」

 

「どうしたんですか……?」

 

もはや俺を追い込んでいた7人の圧力がどうとかを考える余裕も霧散して、残るのは底知れぬ恐怖。家の外に誰かが待ち構えているかのような恐怖。

その時、廊下から床材が軋む音がした。

 

✉️ 受信Mail[1/104]

 今日 18:25

from:risa.love-yuhi@~~~.jp        

◆捕まえた

アタシ、リサ。今、アナタの後ろにいるよ?

 

 

 

 

「ひっ」

 

俺は振り返

 

「捕まえた」

 

「ひぎゃぁっ?!」

 

刹那、俺の視界が真っ暗に。後ろから手か何かで目隠しされたのだ。俺の断末魔めいた声だけが部屋に響いて、何故か部屋にいたはずの7人も声を出していなかった。暖かさと柔らかい感触がして、恐る恐る目を開く。

 

「やっほー☆」

 

「あ、あ、り、りり、リサ?」

 

「なんでそんな怯えてるの? 悲しいんだけど」

 

俺はリサの顔もまともに見れないまま、救いを求めてキョロキョロと部屋を見回す。すると、部屋の隅っこに固まって、あわあわと戦慄く7人がこちらを見ていた。いや、違う。見ているのは俺じゃない。リサだ。

 

「ねぇ、なんでアタシじゃなくて、友希那たちの方見てるの? 今、アタシバックハグとか結構勇気出したんだけど」

 

「あ、いや、その、ひっ」

 

俺がゆっくり顔を上げると、そこにはリサが、いや。リサじゃない。生気がすっかり失われたリサがいた。冷たく、ただ無表情。虚な瞳が俺を1人だけ映していた。そこか、読み取れる感情は憎悪だとかそういうのでもなく、ただ『無』だった。

 

「なんでそんな怯えてるの? アタシ、そんなに怖い?」

 

「いや、その」

 

「嫌だな。アタシも可愛いって思われたいんだけど」

 

「あ、そ、その」

 

「まぁいいや。本題に入るね?」

 

一層、空気が冷える。いや、凍っている。冷凍庫だとか、そういうのよりも冷たいのかもしれない。身動きも、もはや瞬きもできない。動けないのだ。

リサは、ゆっくりと口を開いた。

 

「ねぇ雄緋。元カノって、どういうこと?」

 

文字だけ見れば浮気かなんかだとか、そう思われそうなのに。修羅場であった。そこにいたのは、恐ろしく可憐な修羅だった。

 

「その、前に付き合ってた、人です」

 

「どこの誰? その人の名前、生年月日、電話番号、住所、全部答えて。そもそもいつの話? もちろん今は連絡取ってないよね? この間履歴見た時はなかったから当然取ってないとは思うけど」

 

「ちょ、質問責めは、怖いって」

 

「は?」

 

「怖い、です。……その、聞き出して何するつもりですか?」

 

「え、そんなの一つしかないじゃん」

 

「一つって」

 

「邪魔者だよ? アタシの雄緋からハジメテ奪ったんだよね? 本当なら全部全部アタシが貰う予定だった雄緋との初体験全部そいつが持っていったんでしょ? 許せない、そうなった運命が許せないし、その時雄緋のそばにいてあげられなかった自分が憎いし、今も雄緋がその時の話覚えてるってのが許せないから」

 

「ひぃっ」

 

「あっ、そっかぁ……」

 

「え?」

 

息を吐く間も無く話し続けるリサに狂気を感じながら腰を抜かして、まともに言葉も喋れなかった俺は、いきなり止まったリサに驚く。そして、深淵の闇よりも深いリサのドロドロになった昏い瞳を覗いてしまった。

 

「雄緋がその女狐のこと覚えてるからいけないんだよね? 全部消しちゃお? その人の記憶。ううん、雄緋の記憶全部。アハハッ☆ そうしたら雄緋のナカの全部、アタシで一杯になるよね? そうしたら雄緋のハジメテ全部アタシに出来るもん。最高じゃん☆」

 

「ちょ、や、やばいこれ絶対やばい」

 

生命の危機だ。多分、ここが俺が骨を埋めるべき場所なんだ。直感が察した。狂気に歪んだらしい顔も少し可愛らしいと思ってしまった俺はどうやら末期らしかった。

まぁ……可愛い後輩の手にかけられるのであれば本望……。そうだ……。走馬灯、見よう……。俺は、深く目を瞑ったのだった……。

 

to be continued……?










雄緋くんちゃんと生きてます。大丈夫です(白目)


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ピコピコパン泥棒事件【沙綾&ひまり&モカ&あこ】

俺は普通の大学生バイトファイターの北条雄緋。幼馴染でもなんでもない知り合いの山吹沙綾とその親御さんが経営している地域のパン屋さんに行って、怪しげな者たちの犯行を目撃した……山吹沙綾に頼まれ、事件を解決することになった。うん、目撃したのは俺じゃないんだ。済まないな。だが俺は。

 

「この中に、パン泥棒の犯人がいるッッ!!」

 

まるで探偵のようなことをしていた。

事の発端は朝食用のパンを買い出しに出た事だった。俺は行きつけであるやまぶきベーカリーに来店し、自分の好みのパンを買い、満足感と共に帰宅する……。本当ならこうなるはずだった。

しかし、店に入るとそこは店内には似つかわしくない重々しい空気。店員として手伝いをする沙綾、その他にも見知った顔が3人、青葉モカ、上原ひまり、宇田川あこがいた。その4人が何やら物々しい雰囲気を醸し出しながら睨みあいを効かせる中で、俺は入店してしまったのだった……。まずはそこから語ろうと思う。

 

 

……

 

 

「あっ、雄緋さん、いらっしゃいませ……って言いたいところ、なんですけど」

 

山吹(やまぶき) 沙綾(さあや)(17)

やまぶきベーカリー店員(てんいん)

 

沙綾はベルを鳴らしながら入ってきた俺を一瞥して何やら不安そうな顔をした。きっとこの場の雰囲気も何かがあってのことだろう。そして、沙綾は何か思案顔になり、突然良い案を思いついたとばかりに入店した俺に向かって食い気味に声をかけた。

 

「そうだ雄緋さん! 私と協力してこの中からパン泥棒の犯人を見つけ出してください!」

 

「は、パン泥棒?」

 

話についていけずにそう聞き返すと、沙綾が向かい側の壁際に並んだ3人を指差して叫ぶ。

 

「そうなんですよ! さっき私が大きな物音に気を取られて少し目を離していた隙に、今日の目玉商品で並べてた、『ピコピコパン』が消えていたんです!!」

 

「待って何その『ピコピコパン』って」

 

パンが消えたとか泥棒が云々とかの前に、まずそのパンのネーミングが気になりすぎる。名前を聞いてもどんなパンなのかが全く想像がつかない。やたらと破裂音が多くて発音しにくそうなパンというイメージ以外何も残っていない。

 

「一口食べたら甘味と酸味と塩味と苦味と旨味が口中に広がって、頭の中まで『ピコピコ』して幸せになれるパンですよ!」

 

「薬物? というか食レポしろと言ってないんだわ。味はどうでもいいから外見とか教えてくれる?」

 

「って、そんなことどうでもいいんです! 兎に角犯人を見つけ出してください! ピコピコパンを並べる前から消えたのを確認するまで、私と一緒にずっと店内に居たのはこの3人だけなんです!」

 

「なるほど容疑者ってこと?」

 

沙綾に促されるままに目線を動かすと、疑われたことに文句を言いたげな3人が口を開いた。

 

「ちょっと! 私も忙しいから早く帰りたいんだけど!」

 

上原(うえはら) ひまり(16)

来店客(らいてんきゃく)

 

「モカちゃんも早く帰って、折角買いたてほやほやのパンを食べたいな〜」

 

青葉(あおば) モカ(16)

来店客(らいてんきゃく)

 

「あこだってお腹ぺこぺこだよ?!」

 

宇田川(うだがわ) あこ(16)

来店客(らいてんきゃく)

 

「……なるほど、そういうことか」

 

「……えっ、まさか雄緋さんもう分かったんですか?!」

 

「あぁ、3人とも、何かと口実をつけて逃げようとしている。つまり……」

 

「つ、つまり?」

 

「この中に、パン泥棒の犯人がいるッッ!!」

 

「だからそれは知ってますって」

 

めっちゃ普通に怒られた。いやだって、この3人がみんな逃げ出そうとしてるって言ってたからかっこつけただけなのに、被害者からすればやはり死活問題なのだろう。なにせパンが盗まれる、それに留まらず容疑者が全員友人。友情崩壊は待ったなしである。

 

「そもそもこの3人のうちの誰かが盗んだってことなら、今この場で持ってるかどうか調べたら分かるんじゃない〜?」

 

「でかしたモカ! なら身体検査をすれば……」

 

「えっ、それって雄緋さんに全身弄ってもらえるってこと?!」

 

「はいはい! あこが1番!」

 

「も、モカぁぁぁっ?!」

 

図りやがった……。俺が男であるが故にどうしたって身体検査なんて出来ようはずもないのに悪戯に時間をかけることで痕跡を消すチャンスを狙っていたんだ……。

 

「モカちゃんはそういう意図で言ったわけじゃないよー?」

 

「そうだよね、モカは真面目に犯人を……。ゆ、雄緋さん! まず私自身の身の潔白を証明したいので……触ってくれませんか?」

 

「沙綾は潔白も何も店員だよね? 後半の言い草も問題だけど、自演だったら俺流石に怒るんだけど?」

 

モカは混沌の店内を眺めながらニヤニヤとしている。くそっ……完全にモカの掌の上だ。現時点で間違いなく怪しいのは……。

 

「モカも時間稼ぎとは姑息な……。というよりパン泥棒だよな? なら怪しいのはモカだろ!」

 

「え〜、何でですかー?」

 

「パン好きだし、こっそり食べまくってそう」

 

「そんな風に思われてたなんてモカちゃんショック……」

 

目に見えて落ち込むモカ。いやそれもそうか……。犯人探しとは言いつつも、この3人のうちの1人が犯人、それがモカじゃなかったら、俺はモカ自身の人格否定なんてことをしてしまっている……。良心が……。

 

「あっちがっ……。わ、わかった! モカの身の潔白を示すために、まずはモカのアリバイを聞こう! その大きな音? が聞こえた時モカは何してた?」

 

「おっ、探偵っぽくなってきましたな〜。モカちゃんはずっとカウンター前に居ましたよ〜? さーやとお話ししてたー」

 

「それはそうだけど。モカは会計しようとしてたけど、雑談をずっとしてたら外から大きな音がしたんだよね」

 

「うんうん」

 

「よし、一旦情報を纏めよう」

 

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沙綾、モカ

《証言》

 

 

「つまりこう。沙綾の目の前で犯行は難しいか……。なら他の人のアリバイも聞こうか。じゃあひまり」

 

「え、わ、私?!」

 

「狼狽えることか? ……妙だな」

 

「びっくりしただけですって! 音がした時の辺りは、そうだなぁ、入り口の近くに居た気がする? それで外から大きな音がしてドアの方を振り向いたんです!」

 

「ふむふむ、入り口近くと」

 

俺は手持ちのメモ帳にひまりが居たらしい場所を書き込みつつ、話を聞き続ける。しかし、ひまりの次の言葉に驚くこととなる。

 

「でもその前に中央の台見た時、ピコピコパンなんてなかった気がするけどなぁ……」

 

「へ? パンがなかった?」

 

「もしかして沙綾はそもそもピコピコパンを店頭に出してなかったとか?」

 

「えぇっ?! そんなことないよ!」

 

「なるほど気になる証言が」

 

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パン、沙綾、モカ、ひまり

《証言》

ひまり『音が鳴る前に台を見た時にはパンはなかったから、沙綾はそもそもパンを置いてなかったのでは?』

 

 

「沙綾、本当にパンは店に並べたのか?」

 

「はい。ポップとかは用意してなかったんですけど、その台のところに……。あれ、でもうーん」

 

「何か気になることでも?」

 

「い、言われてみると自信が」

 

「おいおい……」

 

沙綾の記憶があやふやなのは気かがりだが、取り敢えずひまりの行動は確認できた。それなら残りはあこだけだと思い、あこの方を見る。

 

「って、あこ。どうした?」

 

「え? な、なんでもな、あー、深淵の力に呼び出されて……」

 

「……怪しい」

 

妙に挙動不審だ。あこの厨二病を彷彿とさせる言動はともかくとして、目を向けられただけで挙動がおかしくなるのは怪しい。いやでもそう考えるとひまりが入り口近くに居た確証もないし、そもそも妙に長い雑談をしていたモカの行動も怪しく思えてくる。いや、本当にそもそもパンはあったのか? ピコピコパンなんてものは無かったんじゃ……。

 

「えっと。ゆ、ゆーひ……?」

 

「あ、いや悪い。あこのアリバイは?」

 

「あこは窓沿いの台に並んでるパン、例えばコロネとか見てたよ! 本当だもん!」

 

「……と言っているが」

 

俺はそれを証明できる人を探そうと他の3人の方を見る。するとモカがあっ、と小さな声を上げた。

 

「そういえば音がした時、発生源探そうとしてキョロキョロとしてたら、あこちんが窓沿いのパンを眺めてるの見た気がする〜」

 

「なるほど? ……まぁそれも気になるな。それで、あこは何か気になったこととかはないか? ……例えば、ひまりが入り口から動いたりとか、モカがやたらと長く雑談してたりとか」

 

「え? ひーちゃんは分からないけど、でもモカちんはここに来る前に溜まったポイントカードで一杯パンを買うんだ! って話してたよ!」

 

「ポイントカード?」

 

「これだよ〜?」

 

モカが見せてきたのはスタンプが大量に押されたポイントカード。どうやらやまぶきベーカリーの期間限定のポイントカードで、キャンペーンに参加してスタンプを全て貯めると好きなパン1個と交換できるというものらしい。モカはどうやら相当本気らしく、そのポイントカードを複数枚掲げていた。どれもスタンプは一杯である。そしてカウンターに置かれたパンの山もすごい量である。

 

「これ使ったらいっぱいパンが貰えるんだよね〜」

 

「流石にこれ全部くださいって言われた時びっくりしちゃったなぁ……」

 

「確かあこが何回かカウンターの方見た時も、自信満々に掲げて『支払いはこれで……!』って言ってたよ!」

 

「なるほどな……。取り敢えず証言と情報を一旦まとめるか……」

 

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パン、沙綾、モカ、ひまり、あこ

《証言》

ひまり『音が鳴る前に台を見た時にはパンはなかったから、沙綾はそもそもパンを置いてなかったのでは?』

モカ『あこはずっと窓沿いのパンの方を眺めていた』

あこ『何度か振り返るとモカはポイントカードでカウンター上の大量のパンを購入しようとしていた』

 

 

「こんな感じか。ちなみに沙綾は何か覚えてることとかないのか?」

 

「それがモカの持ってきてくれたパンが多すぎて呆気に取られちゃってあんまり……」

 

まぁそれもそうか。カウンターに積まれたパンを見れば、むしろそこがパンを陳列しているのではないかと錯覚するほどである。

とにもかくにもこれで全員の証言は揃った。そろそろ推理すべきだろう。ここからがむしろ探偵としての腕の見せ所のはずだ。

 

「犯行のタイミングをまず考えると、沙綾が気付いてないのはモカのせいということか」

 

「えー、でもモカちゃんの無実はさーやも、あこちんも証明してくれてますよ?」

 

「そうだけど、沙綾の記憶があやふやな以上、誰かが嘘をついてる可能性も拭いきれない」

 

そうだ、これはよくある論理クイズで見るやつだ。多分3人のうち犯人だけは嘘の証言をしていて、その嘘を見抜けば犯人がわかるとかいう典型だろう。

 

「きっとこの3人の証言に、1人の証言だけ嘘が紛れてて、それが分かれば犯人が分かるはず」

 

「モカちゃんはあこちんの無実を証明してるから、嘘を言うメリットもないですよね〜?」

 

「それは……確かにそうだな。ひまりの証言は、沙綾に確認する他ないな。本当に沙綾はピコピコパンとやらを並べたのか?」

 

「う、うーん。並べたような、並べなかったような……」

 

どうやらその様子を見る限り、沙綾と自信はないらしい。そのパンを並べた記憶がないのなら、そもそもパン泥棒自体いないことになる。というかひまりの証言はそんなに検討する余地もないだろう。

 

「ならあこの証言は。モカの無実を証明するような証言だな」

 

「でしょ?! あこも嘘言わなくていいもん!」

 

「でも、何であこは何度も振り返ったんだ?」

 

「そういえばあこちんが振り向いたら丁度パンがあるところだね〜」

 

……ん? モカの発言を聞いてピンときた俺はもう一度メモの方を見る。メモに記されたみんなの位置関係を改めて見直した。

 

「……あ。パンの位置からして盗れるのはあこしかいないような……」

 

「えっ?! あこじゃないもん!!」

 

「いやでも確かにそうだよね……。私が入り口にいて、モカと沙綾がカウンターにいたなら」

 

「どうなんだ? あこ?」

 

「ち、違うもん!」

 

「あこ。悪いことしたなら、素直に謝らなきゃダメだよ? 今なら私も、勿論私のお父さんだって、怒ったりしないだろうから」

 

沙綾の、まるで弟や妹を諭すような声を聞いたらしいあこは下を向いたままプルプルと震えた。俺を含めたみんながあこの言葉を待っていた。しかし。

 

「……ひぐっ、ぐすっ、違うもん! 違うもん!!」

 

「えっ、あっちょ」

 

顔を上げたあこは叫びとともに、涙を流す。……俺はなんということを、自分よりも遥かに幼いあこを詰って、挙げ句の果てに追い詰めて泣かせてしまうだなんて。無配慮な自分を呪うとともに恨んだ。

 

「……ごめんな、あこ。俺が疑いすぎたよ」

 

「……えっ」

 

「沙綾。ピコピコパン? その分の料金俺が払うよ」

 

「えっでも」

 

「犯人探しなんてやめよう……。この中に1人だけいる犯人を探し出すなんて残酷すぎる。きっと盗んだ1人も、態度には出さなくても後悔してるんじゃないか? こんなことになってしまって」

 

店内が静まり返る。そうだ、探偵ごっこで人を追い詰めることを楽しんでいるなんて。俺はなんて最低な奴なんだ……。

 

「みんなで美味しくパンを食べよう、な?」

 

「……うんっ!」

 

「雄緋さん……」

 

「……感服〜」

 

「じゃあ、私奥からもっとパン持ってきますね!」

 

うんうん。終わりよければ全て良し。俺のお金が多少飛ぶぐらいなんてどうってことはない。犯人を知るより俺は、ピコピコパンが何なのかを知りたい……。犯人を追い詰めるのは探偵の仕事じゃないんだ。きっと。俺の使命は……ここにいるみんなが楽しい時間を過ごす方法を見つけ出すことだったんだ……!

 

 

……

 

 

後日、家に帰ると何故かいつもにも増して部屋がピカピカ&物凄く豪華だけど、手作り感溢れる、沁みた味の料理が並べられていたのだった。



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推しが尊くて選べない【つぐみ&紗夜&日菜】

投稿頻度が落ちててごめんなさい。明日から本気出す……(フラグ)。
もうちょっと上げられるように頑張ります。









「私……! 一体どうしたらっ……」

 

部屋の脇に鎮座するベッドの上で震える少女。俺はその少女の嘆きを聞いても、何か具体的かつ決定的な解決策を提示できやしない。そんな無力な自分に無力感を抱きながら、俺はその嘆きに耳を傾けることしかできなかった。

 

「どちらかを選ぶなんて、私にそんな勇気は、ないんです……!」

 

タオルケットの一部を濡らす涙に、俺の心は打たれた。二つに一つ。たったそれだけの解にここまで窮することがあるのかと、不思議に思うかもしれないが、この立場に追い込まれた者はきっと、この問いに心底頭を悩ませるのだろう。

事実、俺もそうだった。極限状況で二択にまで追い込まれた時、人は自らの思考回路を停止させる。明確な答えなどないと、自分自身を錯覚させて、堂々巡りを続けるのだ。俺も、眼前の少女と似たような悩みで俺自身の思考回路を完全に停止させたことがあった。だからこそ、彼女の力になってあげたいと、思っていたのだ。

 

「雄緋さん……」

 

救いを求めるようなその声に、俺はひどく狼狽する。きっと俺はこの子に対して何もしてあげられない。最初こそ俺はその相談に、真正面から向き合って、悩み震える彼女の支えになろうと誓った。しかし……しかし……。

その悩みは、凡そ俺が解決に導くには、手のかかりすぎるものだったのだ。

 

「日菜先輩も、紗夜さんも、……尊いんです!!」

 

「……はぁ。なるほど?」

 

つぐみの心の叫び。それはあまりにくだらないことで、それでいて普段のつぐみのイメージを完全に崩壊させてなおあまりあるものであった。相談を受ける前に抱いていた、『つぐみは真面目で純朴な少女』、そんな風な下馬評めいた偏見は音を立てて崩れ去った。尊いのがどうのだとか、しんどいのがどうかだとか、つぐみが言い出すとは、予想もしていなかったのである。

 

「なるほどって……、雄緋さんは、そうは思わないんですか?」

 

「もうちょっと詳しく」

 

「二人とも、私にとって、とても、とても大事な人なんです……」

 

「……だから?」

 

「尊くてしんどい」

 

ダメだ。俺の頭では何が起きたのか理解できない。熱に浮かされたように、そうだ、夏バテなんだ。ここ最近暑すぎて俺の頭はどうにかなってしまったのだ。正常に動かなくなってしまった。そう考えるのが一番早い。

あの、大いなる普通だとか、常識人であった彼女はもういない。喫茶店の看板娘として純粋を貫いていたあの頃はもう戻らない。そう考えたならばそれで……。

 

「いや待て、まぁ待て。つぐみ、ちょっと落ち着こう」

 

「は、はい。すー……はぁ……。えっと、なんですか?」

 

こうして首を傾げてキョトンとする様子を見れば、そこには普段通りのつぐみがいるのだが、一体何がつぐみをあそこまでキャラ崩壊させてしまったのか。もしかして夏の暑さに狂わされているのはつぐみの方ではないのか? きっとそうだ。俺がおかしいのではなく、つぐみがおかしくなってしまった。そう考える方が自然なのか。

 

「何ですかも何も。いきなり家に来て相談があるからって話し始めて、世間話から豹変するのやめろ。俺が風邪引くわ」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

慌てて頭を下げるつぐみを見て、どこか胸を撫で下ろす俺がいる。さっきまで見ていたつぐみは幻想だなんだと、そう思うことができて安打の息を吐く俺がいる。

 

「よし、それじゃあ相談内容をまとめるぞ?」

 

「はい!」

 

元気いっぱいで返事をするつぐみの表情には何の淀みもない。汚れひとつない、純朴そうな笑み。相談の名前を借りた愚痴なのではないかと疑心暗鬼になるほどの清々しさ。俺はゆっくりと口を開く。

 

「氷川日菜は?」

 

「私たちを導いてくれる天真爛漫な生徒会長です!」

 

「氷川紗夜は?」

 

「学校は違えど、敬愛すべき風紀委員長です!」

 

よしよし。それでいい、それでいいんだ。何も間違ってなどいない。つぐみにとって二人とも尊敬に値する存在、それでいいのだ。

 

「……氷川姉妹は?」

 

「嫉妬と羨望、才覚の差に苛まれた悲劇の姉妹で、幼い頃からすれ違いを重ね続けながらも、遂に本音をぶつけ合い互いの気持ちに触れ、過去の訣別に塗れた悲しい時間を取り返すほどに互いを想い慕い、ごく普通の姉妹が織りなす絆よりも遥かに深く固い絆を結ばんとする、奇跡の姉妹」

 

「氷川日菜は?」

 

「姉を一心に想い続け、冷え切った姉の心を溶かした天使」

 

「氷川紗夜は?」

 

「妹の才能を恨みながらも壁を乗り越え少しずつ妹との絆を深めようとする天使」

 

「推しが尊くて?」

 

「しんどい」

 

あぁ、無情。何があってつぐみはこんなにも人が変わったように、氷川姉妹に歪にも思えるような目を向けるようになってしまったのか。

いや、もしかしたらこれが普通になのかもしれない。誰しも推しの一人や二人はいるだろうし、きっと健全な仲を願うものだろう。その類なのだ、きっと。

 

「日菜先輩も、紗夜さんも、尊すぎて、どうにかなりそうです」

 

「どうにかとは?」

 

「……我慢できません」

 

「ひぇっ……」

 

なんか目が血走ってたよね? 健全な仲を願うものとは無縁の瞳だったよね? 何が彼女をここまで駆り立てるかは分からないけども、もはや霊的な存在すら感じられる。

だが、相談はこれで終わりではない。そりゃそうか。俺からすればこのつぐみの豹変もなんとかすべき事案かもしれないが、本人にとっての相談事とは違う。つぐみの悩み、それは。

 

「日菜先輩、紗夜さん。……私にはどっちかを選ぶなんて出来ません!」

 

「えぇ……」

 

そもそも選ぶ立場にあるのかなんて指摘はナンセンス。事の次第はこうだ。

姉妹で羽沢珈琲店を訪れたその日、接客に当たっていたつぐみは二人のいる席に呼びつけられた。そして今度の休みに日菜から定例ではない生徒会の会議をしようと誘われた。しかし、同時に紗夜からも同じ日に縁結びだとかに深い地まで遠出をしようではないかとつぐみに誘ってしまった。どちらかが潔く引くでもなく、というわけらしい。夏休みでありながら、日菜も紗夜もバンドの活動で多忙を極めており、取り合いになってしまったらしい。

 

「いやな、言わせてもらうけどそんなのつぐみが行きたい方を選べば」

 

「どっちも行きたいんです! いいですか? まず日菜先輩は……」

 

 

──────────

 

 

「つぐちゃんつぐちゃん! 今度学校で鬼ごっこ大会開こうよ!」

 

「え? えっ?! な、なんですか?!」

 

会議室で書類の整理を終えて、椅子に座りため息をついていた私。そんな背中に飛び込んできたのは日菜先輩。びっくりして私の声も上擦った。

 

「鬼ごっこ大会! 全校生徒で捕まった人から脱落する鬼ごっこをしよっかなって!」

 

「全校生徒?!」

 

書類に浮かぶ細かい目を見続けて疲弊した私の体に、元気一杯に飛び込んできた日菜先輩。頭の上がらない元気さはまさに天真爛漫と表現するのがふさわしい。生徒会長に求められる人望の源泉とも言えるその溌剌さに羨ましさを抱く事もあったが、疲れた私にとっては少しだけ煩わしさもあった。

 

「急には無理なんじゃ」

 

「……つぐちゃん、結構疲れてる?」

 

「えっ?」

 

「肩もすっごく凝ってる。ごめんね、あたし、つぐちゃんが疲れてる事とか気付けなくて、おねーちゃんにもいつも言われてるんだけどなぁ……あはは」

 

「えっ、あのっ」

 

それまであまり見たことがなかったような、日菜先輩のしゅんとした姿。紗夜さんに粗雑に扱われる時こそ落ち込んでいるところを見ることもあるものの、そこまで神妙な面持ちを見ることもなかった。その時までは。

 

「つぐちゃん、お仕事が辛くなったらいつでもあたしを頼ってねー? 生徒会長だもんっ、ね?」

 

いつもは振り回されるだけだと思っていた。けど、本当の日菜先輩はこうやって、いつも身近な人のことをしっかりと見ている。そんな優しさに私は……。

 

 

──────────

 

 

「ね? わかりますよね?」

 

「えっ? いい話かなと」

 

「ですよね、尊すぎて無理ですよね」

 

「あっはい」

 

どうやら普段の日菜とのギャップにやられたらしい。つぐみがここまで日菜に入れ込んでいるとは思いもよらなかったから、語彙力が崩壊してしまったつぐみの姿に、俺はあんぐりと口を開けるだけである。

 

「でも、紗夜さんは……」

 

 

──────────

 

 

「羽沢さん。お疲れ様です」

 

「紗夜さんも、お疲れ様です!」

 

お客さんが居なくなってしまった私の家、もとい喫茶店で二人、面と向かって静かにコーヒーを啜る。紗夜さんは今日もクールビューティーなんて表現が似合うほどに優雅な姿で、もの憂いげな瞳を振りまいている。私は既にその視線にノックアウトしそうだった。

 

「羽沢さんは……すごいですね。バンドも、生徒会役員も、こうして家の手伝いまで……」

 

「い、いえ! そんなこと。普通ですから!」

 

「なるほど……。これが普通、ですか」

 

考え事をするように口元に手を添える紗夜さん。その御姿も後光が差して見える。丹念に描かれた芸術から姿を表したような紗夜さんに、私の目は吸い込まれていた。

 

「……うちの日菜は、何か迷惑を」

 

「い、いえいえ! そんなことないです! むしろいつもお世話になりっぱなしで……!」

 

「……ふふ。でも、生徒会の仕事がある日、日菜は家で羽沢さんの話をするんですよ?」

 

「え?」

 

「つぐちゃんがー、と。騒がしい妹ですが、これからもよろしくお願いしますね」

 

「は、はい!」

 

そう言って微笑む紗夜さん。まさに国宝。それですらその尊さを表現できていなかった。

 

「それにしても日菜は本当に楽しそうに話しますから……。私も羽丘の生徒会に入ってみたいぐらいです」

 

「……えっ?!」

 

「そうしたら羽沢さんとも一緒にお仕事が出来ますね」

 

「はうっ。こ、光栄です……」

 

「ふふっ、大袈裟ですよ? 羽沢さん」

 

 

──────────

 

 

「あぁ……尊いです」

 

「あぁ……はい」

 

「紗夜さん、羽丘に来て欲しいです」

 

「えぇ……」

 

「あぁでも、姉妹って良いですよね」

 

「うん。もう、分かった」

 

今日のつぐみは……。今日だけなのかは分からないが、どうやら色々とダメらしい。尊いがどうのとか、語彙力がどうのとか、完全に冷静な思考力を失っている。

 

「とにかく、限界なんです」

 

「限界って何? 相談内容はどっちを選ぶかって話だったと思うんだけど、限界って何?」

 

不穏な相談内容に動揺を隠せないのだが、つぐみは時間をかけて呼吸を何度も整えて、もう一度口を開く。

 

「……日菜先輩か紗夜さん。どっちを襲「よし一回黙ろう」」

 

誰だ純朴がどうのとか言ったやつ。あぁ俺か。過去の俺が見ていた世界は現実ではなかったんだ。それなら仕方がない。

とにかく、熱に浮かされてしまったこのつぐみをなんとかしないことにはどうしようも無い。一体どうやってこれを鎮めるかを考えていた時、ガチャリと音が聞こえる。

 

「雄緋くん遊びにきたよー!」

 

「お邪魔します。って、羽沢さん?」

 

「へ?」

 

音がして空いたドアの方を振り返る。確か鍵は閉めたはずなのだが、そこには件の氷川姉妹の姿。噂をすればとはこのことだった。

 

「ど、どうして日菜先輩と紗夜さんが!」

 

「おねーちゃんと一緒に遊びに行こって話になったんだよ?」

 

「そうしたら導かれるままにここへ。それよりどうして羽沢さんが?」

 

さっきのつぐみの話を聞くと、日菜と紗夜を前に挙動不審を極めるつぐみの姿に何か思うところがあると言わざるを得ない。だが、そんな明らかに変なつぐみは、流石にこの話をするのはまずいと思ったのか、取り繕い始めた。

 

「実はその、バンドのことで相談があったんです!」

 

「Afterglowのことで? それは私たちはあまり聞いてはいけないことですか?」

 

「えー、秘密なの?」

 

「日菜、やめなさい。羽沢さんごめんなさい。あまり詮索はしませんから」

 

宥めすかすような口調の紗夜の言葉を聞いて、つぐみは助かったと言わんばかりの顔を浮かべる。しかし、そんなつぐみにも追い討ちが待っていた。

 

「そういえばつぐちゃん。この前の話、解決したよ!」

 

「この前の話、ですか?」

 

「はい。日菜が羽沢さんを生徒会の会議に連れて行くのか、それとも私と羽沢さんが出かけるのか、という話です」

 

「……あっ」

 

どうやらこの相談事からは逃れられないらしい。一応本人達に相談の内容を大っぴらにはしたくないらしいつぐみは冷や汗をかきながら押し黙るのみだった。

どうしようか、ここは助け舟を出すべきか? とりあえずつぐみが日菜や紗夜に抱いている少々歪んだ感情のことは隠しながら助け舟を出してみようか。

 

「ダブルブッキングか? それなら予定をずらしたりなんなり」

 

「うん、だから解決したんだよ!」

 

「お?」

 

日菜が明朗な声と笑顔でそう返事して、紗夜が懐からスケジュール帳を取り出す。ポップな色味の手帳をスタイリッシュに開いて、紗夜はあるページをこちらに突き出してきた。

 

「雄緋さん。この日は空いていますか?」

 

「え? ……うん、まぁ、空いてるけど」

 

「おおっ、なら四人で出かけたら大丈夫だね!」

 

「はい、羽沢さん。これで万事解決ですよ?」

 

「えっと、どういうことですか?」

 

「その日に全部やっちゃうの! 会議も、お出かけも!」

 

「待って待って、四人って、俺も巻き込まれるの?」

 

とんとん拍子に話が進み、困惑する俺を尻目に、日菜がつぐみに耳打ちをする。そして十秒後、つぐみの顔は一気に晴れやかになり。

 

「そういうことだったんですね!」

 

「うんうん、そういうこと!」

 

「ふふっ、分かってくれたんですね」

 

「いや待て俺が分かってないよ?」

 

俺以外の三人では共通認識が取れたらしいが、生徒会の会議とやらに俺が行く理由も、何かのお出かけに俺が乱入する理由も、それを聞いてつぐみが納得した理由も分からない。

俺の選択肢はきっと、その日この三人と行くか、行かないかの二択なのだ。極限状況で二択にまで追い込まれた時、人は自らの思考回路を停止させる。明確な答えなどないと、自分自身を錯覚させて、堂々巡りを続けるのだ。詳細が何一つ明らかにされないのに、俺がそこへ飛び込むか否か。思考が止まる。

 

「で、でもそれだと三択に……! いやでも協力して」

 

「いやいや、つぐちゃん。チャンスは平等だけど負けないよ?」

 

「三択? 羽沢さん、どういうことですか?」

 

「君たちは一体何の話をしてるの? 俺はこの二択どうしたらいいの? ねぇ、聞いてます?」

 

答えはまだ見つからない。



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幻の占いの館【たえ&透子&ロック】

それは夏の暑い日のこと。街を歩いていると、人気の少ない通りの脇に、紫色のテントが張ってあった。以前ここを通った時にはこんなものはなかったはず、そんな風に違和感を覚えた俺は、自然と導かれるようにそのテントに足を踏み入れていた。

テントの中は不思議と涼しい。外はあんなに汗が噴き出るほど暑かったのに、幕を潜った瞬間、背筋が思わず伸びるほどにひんやりとして、ここの異質さに思わず身震いした。涼しさだけではなく、どこからともなく聞こえてくるエキゾチックな音楽、甲高い何かがぶつかる音。古臭さ漂う内装に、独特な臭い。それら全てがこの空間が、常世とは違う世界なのだということを教えてくれた。

 

「あら、いらっしゃい……」

 

「うわっ、びっくりした」

 

テントの奥は薄暗く、声がするまで人の影に気がつかなかった。吊るされた布で向こうの顔は伺えないが、若い女の人の声が聞こえてきた。その声がした方には今にも壊れてしまいそうな風化した木の椅子がある。背もたれもない質素な椅子に座るように促されて、俺はそこに腰掛ける。

 

「ここは占いの館……、あなたの人生、占っていくかい?」

 

「占いの館?」

 

そうか、この独特な雰囲気は神秘的とも取れそうな、占いの雰囲気だったのか。合点がいって、どういうわけだか俺の頭に断るという選択肢はなかった。俺は猛烈に『占ってもらいたい』、そう思い込んでいた。そして財布を取り出そうと鞄に手を伸ばす。

 

「お代はいいよ、ちょっと休みついでに占われていきなさい」

 

「あれ、いいんですか?」

 

「ああ、特別さ。私の名前はた……、いや、兎尾たえ。巷では『兎星から降臨せしお姫様』って呼ばれてるよ」

 

どうやら占いとやらを生業とする人のネームは独特なようで、神秘的な雰囲気の館にそぐうようなメルヘンチックな占い師がそこにはいた。そこにはいたと言いつつも、分かるのは聞こえてから声だけで、その素顔はやはり覗けない。無理やり屈もうとしたが、狭くてしゃがめないことに加えて、その占い師の顔は仮面で覆われている。

 

「私の素顔を知ろうとしても無駄だよ。この部屋は兎星の最新技術を駆使して、私の顔を隠すような魔法陣が敷かれているからね」

 

最新技術と言うからハイテクだとかそうなのかと思えば、実際は呪術的なものらしい。それでも少年の心をくすぐるような魔法陣なるものはとにかく気になって仕方がない。

 

「熊の毛皮に赤いチョーク、そして特殊ルートで仕入れた雄h……医療用血液に、兎の新鮮な血液、あ、いやそれは兎が可哀想だ」

 

「え?」

 

「兎に角、沢山の魔力を仕込んだ材料で描かれた魔法陣の加護を受けてるから、私の顔は覗けないよ」

 

「うーん、なるほど?」

 

正直この占い師の言っていることのどこまでが真実かどうかなどはわからない。けれど、占いなんてのはまぁそんなものだろう。予言が真実の時もあれば全くの嘘っぱちのこともある。信じるか信じないかも自分次第。

 

「よし、そういうことなら占ってください」

 

「良かろう。ならば、まずは、それっ」

 

「えっ?」

 

ガシャン、という音とともに何かが部屋に雪崩れ込んでくる。それほど広くない部屋に何事かと慌てふためく俺を、この占い師は楽しそうな声で嘲笑う。

 

「さぁ、雄緋さんに最後までくっついてられる子は誰かな?」

 

「へ? ちょっ、なにこれ?!」

 

いきなり足元に感じた生温かさ。そして荒い毛の感触。僅かに部屋の中を妖しく照らし出す篝火の元に映し出されたのは。

 

「う、兎?!」

 

「うん。兎占いだもん」

 

俺の足元にまとわりつく大量の兎。白かったり、茶色かったり、遠目に見ればおっきな毛玉のようにも見える何かが俺の足元で蠢いて、一周回って恐怖すら感じられる。それが兎だと教えてもらうことがなければ、完全に直肌を這いずり回る異物の侵食そのものである。

 

「ちょ、離れて?! うさぎー?!」

 

「ありゃ、失敗しちゃった」

 

「これ本当に占いなのか?!」

 

「全く、なんのために占われに来たのか」

 

「兎と戯れるために来たわけじゃないからな?」

 

戯れがどうのという次元は既に超えていそうだ。それはそうとして、俺が騒ぎ立てたせいか、蜘蛛の子を散らすように俺の足元の兎たちは一斉に俺の足元から飛び跳ねた。この占い師もどきはそれを散々に非難するようだが、薄暗い空間にていきなり兎を足元に解き放たれた身にもなってみて欲しい。少し考えればその状況の恐怖ぐらい……いや、同じ状況になる可能性が限りなく低すぎるか。

 

「兎もみんな元気なのに……」

 

「知らねぇよ……。分かった、もう占い師チェンジしてくれ」

 

「お代」

 

「へ?」

 

部屋の空気がシーンとする。さっきまで狭い部屋を駆け回っていた兎もピタッと止まって、静まり返った部屋で俺は聞き返す。

 

「お代、貰ってないです」

 

「金取るの?!」

 

「兎達と遊んだじゃないですか」

 

「もうそれは『占いの館』じゃなくて『うさぎふれ合い広場』だよね?」

 

「早く、お代ください」

 

「はいはい……って、なんで手の甲?」

 

カウンターみたくなった向こうから差し出されたのは、何故か掌ではなく手の甲。お代と言うぐらいなのだから、金銭だと思って諦めながら財布を取り出した俺は面食らっていた。

 

「お代なので」

 

「お代って?」

 

「手の甲にキスですよ?」

 

「……えぇ」

 

まるでおかしなことを言っていると、後になれば余裕で分かったはずなのに、その場の雰囲気に当てられた俺は何故だか差し出された手の甲に口づけを残す。風情のかけらもなかったが、真っ暗な部屋の中で変なことをしているという自覚もない。恐らく催眠商法で騙される感覚はこんな感じなのだろう。

 

「じゃあ次の占い師呼んできます」

 

「うん、よろしく」

 

その時の俺は帰るという選択肢を取らなかった。振り返ってみても本当に訳がわからないが、次なる占い師を楽しみにしていた節もあったのかもしれない。

それから数分も経たないうちに、閉められていたカウンターに掛かったカーテンが音を立てて開く。そこから先程とは一転、物凄く明るい声が聞こえてきた。

 

「お待たせしました〜」

 

「おっ?」

 

「占い界のインフルエンサーこと、K・TOKOでーす」

 

「こと? とこ?」

 

噛みそうになる名前を名乗ってカウンター奥に現れた占い師。名乗るのと同時にそれまで薄暗い篝火の揺らぎのみだった部屋の明かりが黄色く変わる。その明かりでカウンターの奥の方までしっかりと照らされて、仕切りの下にはみ出した金髪がくっきりと影を作っていた。

 

「それで、雄緋さんは何がお悩みなんですか?」

 

「最近の悩み……か……」

 

改めて問われることで、俺は普段の自分の境遇を思い起こす。敢えて悩んでいることがこれだ、というものがあるわけではないのだが、漠然とした疲労感を思い出した。だが、この感覚は誰かに対して説明ができるかと聞かれればなかなか出来そうにない。

 

「なんか、疲れてるって、感じ、ですかね」

 

「疲れてるって、体のどこかが怠いとか、そんな感じですか?」

 

「うーん、どうなんだろなぁ……」

 

「それならみんなでマッサージ店開いたり……」

 

「え?」

 

「あー、いやいやなんでもないですこっちの話なんで!」

 

マッサージがどうのというのが聞こえてきたことを問い質しても、占いの本筋から逸れると言いくるめられる。さっきの兎狂の占い師みたく、ぱちもの占い師の臭いというか、きな臭さが漂ってきたが、一応まともだと信じて問答を続けるほかなかった。

 

「疲れるってどういうところに疲れてるんですか?」

 

「なんか変な出来事に巻き込まれることですかね」

 

「変な出来事?」

 

ウェーブのかかった髪を垂らしながら首を傾げているであろう占い師の声に、俺はここ最近の自分の身に降りかかったことを片っ端から思い返す。経験してきた奇妙な出来事を数え出せばキリがないが、ここ最近に絞ればどうということはない。

 

「パン泥棒に遭遇して事件を解決に導いたり」

 

「へ?」

 

「変な病院に担ぎ込まれたり、自宅が急に甘味処に改装されてたり、ラーメン店で気絶してしまったりとかですね」

 

「まぁ、……変な出来事なのは否定しないですけど、疲れてるんですか?」

 

訝しげな声色。だが、俺がその奇怪な出来事に振り回されて疲労を覚えているのは確かだった。

 

「知り合いのガールズバンドの娘達から珍事に巻き込まれることが多々あるのが……」

 

「ええっ?! それの何がダメなんですか?!」

 

「え? 振り回されて疲れて」

 

「いやいや、ミクロンって言うかこれ以上何を望むんですか?! 贅沢な悩みも良いところでしょ?!」

 

「そうは言われても疲れてるのはその通り……ですし……」

 

狭い占いの館での叫び声に完全に怖気付いた俺。占い師からの説教に勢いが削がれた俺の反論はみるみるうちに小さくなっていく。贅沢な悩みと言われようが、経験している本人にとっては疲労の原因の一端ではあることには違いないのだが。とはいえ怖気付いた俺にそんな主張が出来るはずもない。

 

「いやいや、絶対雄緋さんの我儘みたいなものですって! 多分SNSのみんなもそう言いますよ?!」

 

「疲れてるのを疲れてるって言うの我儘なんですか? というかSNSのみんなって」

 

「はぁーーー。もう分かりました。SNSでアンケート取りますから、これの結果見てその認識を改めてください!」

 

「アンケート?」

 

カウンターから差し出された掌。その手に握られたスマートフォンの画面にはSNSのタイムラインが映し出されている。多分この占い師が言っているのはアンケート機能のことなのだろう。

 

「なんたって、あたしの専門はSNS占いですから!」

 

「SNS占い?」

 

「マジで今当たるって超人気なんですって! それじゃ、占いますね!」

 

カウンターの中へと引っ込まれた指は忙しなくスワイプされている。そして真剣そうにスマホの画面を眺めたまんまこの占い師はダンマリを決め込み始めた。だが、ものの数分後、余裕そうな声色で俺の方に画面を突き出し、話し始めた。

 

「ほら、見てくださいよ! このアンケートの結果!」

 

「ん?」

 

そして、見せられた画面には。

 

K・TOKO@占い垢 

@toko_koiuranai1216

知り合いのY.H.さんが女の子に慕われて猛アピールされてるのに、振り回されてるだけなんて言ってるんだけど

#恋愛成就 #恋する乙女の味方 #Y_H_LOVE

贅沢な悩みの極み       50%

鈍感すぎ           50%

誇大妄想            0%

100,000票・最終結果

13:46・2022/8/16

  □ 35  ♺ 1216 ♡ 9.5万  ⏏︎  

 

訳の分からないほど反応の早いネットの世界の暴走。曲解されまくった俺の悩み事がネットの海に垂れ流され、そこでボロクソに叩かれているという悲しい事実が映っていた。しかし、俺の悲劇をものともせずに、このリテラシー最弱エセ占い師こと、K・TOKOは誇らしげにスマートフォンを掲げ続けている。

 

「ほら、あたしの占い間違ってないですって!」

 

「なんじゃこりゃ?! しかも対案が誇大妄想って酷すぎだろ!」

 

「酷かろうがなんだろうが、これが雄緋さんの悩み事の正体ですって! SNSのみんなが言ってるんですから! あたしの恋占いが外れる訳ないですし!」

 

「これのどこが占いなんだよ、なぁ?!」

 

「民主主義の勝利です!」

 

「敗北だよ!!」

 

俺の反論を一切認めようとしない占い師の皮を被ったペテン師を前にアホらしくなった俺は、まるで催眠が解けたかのようにこの館から立ち去ろうと踵を返す。

 

「ちょ、どこ行くんですか?!」

 

「もういいから帰るわ! 時間の無駄だから!」

 

「あー! お代だけ、お願いします!」

 

「お代?」

 

「ここに」

 

「そのシステム共通なのかよ……ほら」

 

もはや帰りたいという一心だけで、流れ作業のごとく手の甲に交わされる口づけ。これをお代と言うのも変な文化だな、なんてぼんやりと考える。

 

……突如グルグルと回る視界。それまで僅かに薄暗さを感じていた部屋は更に暗さを増して、自分の体を支えられなくなる。そして瞬く間に足から力が抜けて、床のひんやりとした質感が肌に伝わる。そのまま俺の意識は完全に闇に落ちた。

 

 

 

「……う……ん?」

 

どういうわけか床に寝転がっていた俺は、薄らと目を開ける。まだ視界はぼやけている。しかし、音は鮮明に耳が拾ってくれるようで、ふらふらしながら体を起こす俺にかけられた声に、俺は反応することができた。

 

「雄緋さん! 雄緋さん!」

 

「……え? うーん」

 

ほとんど何も見えなかったが、そこには何か人影らしき何かに、少し甲高いふわふわとした声の主。痺れずに動いてくれた右手で目を擦り、僅かに視界が効いたが、そこにはローブ姿の誰かが佇んでいるだけだった。

 

「貴方は……」

 

「私は占い師の、えっと、ライ……ライジングサンフラワーです!」

 

「……上昇するひまわり?」

 

「ほ、放っておいてください!」

 

やけに幼なげな声と神妙なローブ姿のミスマッチが引っかかるが、どうやら俺を起こしてくれたこの人も占い師ということらしい。眠りにつく前のことはあまり定かではないが、どうもこの館の占い師というのは碌なやつがいないらしい。そうとなれば俺は何もかも忘れてここから立ち去るのが一番だろう。

 

「起こしてくれてどうも、それじゃ帰りますんで」

 

「あっ……待ってください!!」

 

「ん?」

 

耳を劈くぐらい大きな声で引き止められ、帰る気満々だった俺も足を止める。そして、そのローブ姿の占い師は俺の目の前に箱を差し出した。

 

「なんだこれ?」

 

「……どうぞ!」

 

可愛らしい声と共に開かれた箱の中には、何故か明かりに照らされたギターが入っている。俺がそれを手に取ってみると、どうやら本物のギターではないらしい。

 

「これ、開運のギタ「帰ります」なんでですか?!」

 

「だって、この館まともじゃないし」

 

「う、うぅ……」

 

「それじゃあ」

 

「私……このギターを買っていただけないときっと私は……」

 

「え、なになに?」

 

立場が逆転したかのように、冷たかった床に膝から崩れ落ちたローブ姿の少女と思しき影。顔こそ見えないものの、床に滴り落ちた涙を見つけてしまった。

 

「きっと私、ギターの神様に怒られるんやぁ……」

 

「え?」

 

「うっ、ううっ……」

 

次第に大きくなる泣き声に、俺は。

 

「買います」

 

「毎度あり!」

 

「えっ、回復早くない?」

 

騙 さ れ た 。

そう思った時には遅かったが、『お代』と言われて俺はまたもはっとする。この手の開運グッズは物凄く値段が高いというのが相場だろう。一体俺は何を要求されるのかと目を瞑る。しかし、何故か目を瞑ったままの俺の左手が取られる。

 

「これは、私からのお礼ですっ♪」

 

ほんのり温かなお代に導かれて館からふらふらと出て行く。背後から囁くように聞こえた妖艶な笑い声に驚いて振り返った俺の眼前には……それまでの占いが嘘であったかのように何もなかったのだった。あれは夢だったのだろうか……。



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3バカ抜き打ちテスト【こころ&はぐみ&薫&美咲】

キーンコーンカーンカーン……。

 

ここ花咲川では猛暑に喘ぐ民衆が納涼を求めて街を彷徨っていたが……。

そんな街中のとあるプレハブ小屋に突如鳴り響くチャイムの音。

 

「そろそろ来る頃かな」

 

俺の呟きに呼応するように、部屋の右前方の横開きのドアがガラガラと音を立てて開く。同時に脳内に鳴り響く、行進曲のギャロップ調。

 

「あれ、ここ、教室?」

 

「はい、おはよう」

 

AM 9:00 登校

北沢はぐみ

 

教室らしく黒板と机が並んだ風景には似つかわしくないドレス姿のはぐみが登場。

 

「えっ、ソフトボールの地区大会優勝パーティーをするってこころんから聞いてたのに」

 

「ほら座って。ソフトボールのパーティーをこころが主宰してるのも変な話だろ?」

 

「あぁそっかぁ!」

 

納得がいったらしいはぐみを席に着かせて、俺は次なる生徒を待ち構える。そしてほとんど間髪入れずに、続け様に入ってきたのは。

 

「あら、とっても笑顔になれるパーティー会場はここなのかしら?」

 

「はい、おはよう」

 

AM 9:01 登校

弦巻こころ

 

さらに現れた笑顔の体現者。やはりパーティーと聞いたからなのか派手なカラーリングのドレスを纏っているが、喩え、この着飾ったお嬢様であろうとこの教室の雰囲気を覆すことはできない。

 

「ほらほら座って。パーティーがなくともみんな笑顔にはなれるでしょ?」

 

「その通りね! みーんな笑顔になれるわ!」

 

こころもしっかりと座席についたタイミング。部屋の外からさらに足音が聞こえてきた。どうやら本日最後の生徒が登校してきたらしい。

 

「おや、『ロミオとジュリエット』の完成披露試写会の会場はここと聞いたのだけどね」

 

「違うぞ、おはよう」

 

AM 9:03 登校

瀬田薫

 

「早く座って。完成披露も何も、この間千聖に共演NGって言われてただろ」

 

「……あぁ。儚い……」

 

時間は掛かってしまったが、ようやく全員揃ったらしい。俺は教室の隅に佇んでいた副担任こと美咲にアイコンタクトを送る。

 

「よし、それじゃあ早速始めるぞ!」

 

敢えて語るまでもない。しかし様式美とばかりに、教室前方にデカデカと据えられた黒板一杯に、文字を書き殴る。

 

「俺がこのクラスの担任の、北条雄緋です!!」

 

「知ってるよー?」

 

「それで、あっちに座ってるのが」

 

「副担任の奥沢……ですって、慣れないんですけど」

 

「美咲と雄緋が今日の先生なのね!」

 

「はい静かに!!」

 

「それで、何をするんだい?」

 

「静かにって聞いてました?」

 

この教室には俺を含めて5人しかいないはずなのに、どうしてこうも騒がしくなるのか理解に苦しむが、そんな愚痴も言っている暇はない。俺はサッと黒板に書いた名前を消して。

 

「今日やるのはこれだ!!」

 

「……夏休み抜き打ちテスト?」

 

「単純な話です。匿名熊さんから相談がありました。このままじゃあ学力ないしそもそもの知能的な問題があるんじゃないかと!」

 

「相談?」

 

「ミッシェルと美咲が同じってことだよ!!」

 

「ちょ」

 

「雄緋も変なことを言い出すのね」

 

「そーだよ! みーくんとミッシェルじゃ全然見た目も違うよー?」

 

「あぁ、あんなに可憐な美咲とあれほどアクロバティックなミッシェルが同じ訳がないじゃないか……」

 

「ああこりゃダメだ」

 

俺は想像以上の状況に頭を抱える。同様に教室の隅でも頭を抱えているやつがいるが、そんな破茶滅茶な現状に一石を投じるべく。

 

「というわけで、純粋に3バカの中から、一番やばいバカを見つけ出します!!」

 

 

そう、説明しよう! 今回は現状を憂う匿名の熊の差金により、ハロハピ内の通称'3バカ'の中でも特に問題児を、この3人のどこがやばいのかを抜き打ちテストという体で洗いざらい調べるという企画なのだー!

 

 

「というわけで、これからテストを始めます! よーい、始め!」

 

俺の掛け声と共に配られたテスト用紙に颯爽と書き込み始める3人組。どうやらテストをちゃんと受けるという気概はあるようで、そこは素直に感心すべきだろう。そして肝心のテストの結果は……。

 

 

 

 

 

ドアを開けて、テストを受け終えた3人が待つ教室へ。俺が部屋に入るなり、先ほどよりも緊張感のある空気に様変わりした。それは俺の小脇に挟まれた、採点済みのテスト用紙のせいだろうか。

 

「それじゃあ、受けてもらったテストの振り返りをしていこうか」

 

「みんながどんな答えを出したか楽しみね!」

 

既にバラエティに染まり切った財閥の御息女に少々ビビりながら、俺は改めてテストの解答用紙を教卓にざっと並べる。

 

「1時間目の国語からするぞ。まずは、ことわざ・慣用句の問題からだが……。特に酷かったのはこころ!」

 

「あら、あたしからかしら?」

 

正しいことわざ・慣用句になるよう空欄を埋めなさい。(2点×5問)

 ✔︎

⑴ 猿も木から  笑顔  

 ✔︎

⑵ 豚に  笑 顔  

 ✔︎

⑶ 二階から  笑顔  

 ✔︎

⑷ 石橋を叩いて  笑 顔  

 ✔︎

⑸ 笑う門には  笑 顔  

 

「全部笑顔でゴリ押しするなぁ?!」

 

「どうして? みんな笑顔だと、もーっと幸せになれるわよ!」

 

「あぁ……。雄緋さん、多分何言ってもダメですよ」

 

なんだこの答案。笑顔に塗れすぎて、一周回って狂気すら感じる。石橋を叩いて笑顔になってるとかも想像したらシュールな光景だし、⑸に至ってはどれだけ笑うのだろうか。

 

「こころん流石だね! はぐみもみんなのこと笑顔にしたいな!」

 

「あぁ……。これを間違いだと言うだなんて、それこそ間違いというものだろう……」

 

「はぁ……。そんなこと言ってるけど、文学史の問題は、薫は酷かったからな?」

 

「おや、まさかそんなことがあるわけ」

 

次の文学作品の著者名を書きなさい。(3点×5問)

 ✔︎

⑴ 羅生門          儚い物語だったよ

 ✔︎

⑵ 源氏物語         源氏だろう   

 △-2

⑶ ロミオとジュリエット  シェイクスピアさ。

 ✔︎

⑷ オデュッセイア     シェイクスピアさ。

 ✔︎

⑸ 車輪の下        シェイクスピアさ。

 

「おや。どうして⑶は丸をくれていないんだい?」

 

「なんでお前は答案用紙で会話しようとしてんの?」

 

「質問に質問で返すだなんて……儚い……」

 

「ダメだこいつ……」

 

「雄緋さん。あきらめましょう。テストなんて最初から無理だったんですよ……多分」

 

著者の名前を書けと言っているのに、どうして出題者と対話しようとしているのだろうか。少なくとも語りかけられてきたところでコミュニケーションツールですらない。

 

「で、まぁそれはいいとして。お前はシェイクスピア以外の作家を知らないのか?」

 

「まさか、そんなことある訳ないじゃないか」

 

「じゃあなんでシェイクスピアで埋めようとしてんだ?」

 

「……ふっ」

 

あ、多分何も考えてないなこいつ。薫なら文学史の問題だとかはよく知っているだろうと思っていたが、お情けの部分点という、文学史の問題では中々見ない得点に終わってしまった。

 

「雄緋さん、このペースで行くと今日中におわんなくなっちゃうので」

 

「分かった、次は2時間目の数学の解答に行こう」

 

「数学ならはぐみ自信あるよ!」

 

「本当か?」

 

「え?」

 

「文章題の問題のはぐみの解答がこちら」

 

次の文章題に答えなさい。(15点×2題)

⑴ 雄緋くんはある日、商店街を訪れました。

最初にやまぶきベーカリーで1個150円のチョココロネを3個、1個120円のあんぱんを2個購入しました。次に北沢精肉店で1個70円のコロッケを5個購入しました。最後に羽沢珈琲店で1杯300円のカフェラテを頼みました。

さて、この買い物で雄緋くんが使った金額の合計はいくらでしょうか?

《以下答案》

   ✔︎

さーやは優しいから雄緋くんには値引きすると思う! 前にはぐみが行った時もチョココロネは1個オマケしてくれたから、買うのは2個でも大丈夫。 それからはぐみもコロッケは3つ以上買ってくれたお客さんにはオマケしてるし、雄緋くんがお客さんならもっと安くできるよ!

だから大体1000円ぐらいかな?

 

「はぐみ計算問題って解いたことある?」

 

「あるよ?」

 

「ならなんで勝手に問題改変した挙句、大体の値段しか出さないかなぁ?!」

 

もはや予想の斜め上のそのまた斜め上を行きすぎて、問題を作った時には想定していないような解答が飛んできた。オマケ云々は問題文には書いていないのだから、あくまでその問題文の設定で解いて欲しいところである。

 

「あっ、コロッケはこの間値下げしたから間違ってるってこと?」

 

「違うそうじゃない」

 

というか値下げ云々の詳しい事情までは流石にこちらでは把握してない。ダメだ……テストをやろうとしても、そのテストを違う方向からぶち壊されてしまっている。このままじゃ埒があかない。

 

「次の教科行くな。次は社会だけど、問題は薫!」

 

「おや、また私のことをお呼びかな?」

 

「お呼びも何も……これだよ! 歴史の問題の!」

 

2 次の歴史上の出来事を指定の語句を全て使って説明しなさい。(5点×2問)

⑴ 関ヶ原の戦い

指定語句:徳川家康・東西・江戸幕府

《以下答案》

   ✔︎

それは遥か昔の出来事だった。悲劇と呼ぶに相応しい、あまりに惨い争いだった。群雄割拠の時代を生き抜いてきた猛者たちが東西両軍に別れ、争う運命にあったのだ。

血で血を洗う残忍な争い。両軍ともに屍をただ積み上げるばかりで、戦況は膠着状態に陥っていた。謂わばそれは、無益な虐殺だった。その屍たちが作った道は、あまりに細く、短く。またその道を作るために費やした死兵はあまりに多すぎた。

今もその地には、過去を生きた亡霊の魂が眠っている。数え切れないほどの散って逝った御霊が嘆き、悲しみの傷を癒そうと静かに眠っているのだ。私はその儚い魂たちに黙祷を捧げよう。

その後、紆余曲折を経て徳川家康は江戸幕府を開いた。

 

「何? 小説かなんかでも書こうとしてんのか?」

 

「まさか。説明しなさいと言われたから説明したまでだよ……」

 

「薫くんすごーい! こんな文章書けるんだ!」

 

「だからそういうことじゃないから!」

 

「ふっ……」

 

褒められて天狗になったらしい薫は、思いっきり誤答扱いなのにも関わらず普段の澄ました表情を崩さないままだ。誇らしげな顔が妙に鼻につくが、俺はなんとか堪えた。

 

「で、指定語句は確かに全部使ってるのは偉いな」

 

「あぁ、そうだろう。もっと褒めてくれないか」

 

「最後何があった? 急に面倒くさくなったの?」

 

「儚い……」

 

「薫さん……」

 

自分に都合が悪くなるとそうやって逃げるのはどうにかしたほうが良いだろう。それはそうとこれ以上、この謎の語りに時間を費やすわけにもいかず、俺は新たな答案用紙を取り出す。

 

「次は理科だけど、これはこころが凄かったな」

 

「あら、あたしかしら?」

 

「その解答の一部がこちらっと」

 

2 次の各問に答えなさい。(5点×3問)

  

⑴ 夏の大三角に含まれる星を全て書きなさい。

 デネブ アルタイル ベガ  

△-3   

哺乳類(ほにゅうるい)に含まれる生き物の種類の名前を2つ挙げなさい。

 ヒト  ミッシェル

 

「こころ、凄いじゃないか……」

 

「ええ! これは自信があったわ! でも、なんでミッシェルはダメなのかしら?」

 

「哺乳類じゃないとか?」

 

「うーん、まぁ哺乳類ではないんだけど哺乳類というか……」

 

「ちょっと雄緋さん、こっち見ないでください」

 

着ぐるみのモチーフも哺乳類だし、中の人も当然哺乳類なのだが、ミッシェル自体を哺乳類と呼んで良いのだろうか。そこが俺からすれば訳がわからなかったので、取り敢えず三角をつけたというところだ。

 

「きっとミッシェルはミッシェルだから哺乳類じゃないんじゃないかな」

 

「でもそれだとヒトだって、はぐみもこころんも、薫くんも、みんな違うヒトだよね?」

 

「ダメだついていけない」

 

「分かった、次行くぞ次。次が最後の、英語だな。英語で問題があったのは、はぐみ!」

 

「え、はぐみの答えたので何かあったっけ?」

 

「大有りなんだよな……。これ」

 

次の英文を日本語にしなさい。(5点×2問)

  ✔︎

⑴ When I was a high school student, I formed a band.

ウェン アイ ワズ ア ハイ スクール スチューデント、アイ フォームド ア バンド。

 

「え、日本語にしろって言葉の意味知ってる?」

 

「え、日本語にしてるよ?」

 

「発音の日本語表記書けなんて言ってないからな?! 日本語に直した時の意味を書くに決まってるだろ?!」

 

「そうだったんだ……」

 

悲壮感漂うはぐみの気付きの声。まさか俺とて、日本語にしなさいと言われて発音を無理やり日本語にして書いて出してくるやつがいるとは想定していなかったのである。

 

「ふふ、個性があって素晴らしい答えじゃないか」

 

「ええ! 笑顔になれたならそれでいいじゃない!」

 

「薫くん、こころん……!」

 

「……美しい友情だな」

 

「なんか毒されてきてますよ、雄緋さん」

 

こうして、全てのテストの返却が終わった。3バカなどと形容されはするが、その3人はみな仲間思いで、個性豊かな者たちだと分かった。

おそらくバカが云々だとか、着ぐるみの中身と外が一致しないことの原因はもっと別のところにあるのだろう。テストをして原因がわかって解決するとか、そういう問題でもないのだ。それはきっとこの副担任の奥沢先生もよく分かってくれるはずだ。俺はそう信じている……。

 

「……これ、あたし、副担任は必要だったのかな」

 

……信じている。



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アットホームな職場の小旅行【まりなさん】

takabe様のリクエストを基にした作品です。リクエストしていただきありがとうございました。







エンジンの音と振動が体の下から伝わってくる。きっと悪路を走行しているのだろう。市街地を走っていた時と比べると、その揺れはより一層激しくなったように思われる。

 

「うーん、結構目的地の近くまで来たと思ったんだけどな〜」

 

「……そっすね」

 

風景は最初こそビルばかりだったのに、今となっては緑が五月蝿いほどである。五月蝿いというばかりか、右を見ても左を見ても、進行方向を見ても、木々が見えない方角がない。植生の変化ぐらいはあれど、殆ど代わり映えのない景色とやたらと長く感じられる移動の時間に辟易としていた。

 

「どうしたの? 酔っちゃった?」

 

「うーん、まぁ。結構長く乗ってるので」

 

「そっかぁ。長旅でも疲れないって、評判はいい会社なんだけどなぁ」

 

「なんて会社なんですか?」

 

「『弦巻ツーリスト』ってところだったかな」

 

「あっ……」

 

俺が今乗っているバスもどうやらあの財閥関係のものらしい。今回の旅行も旅行代理店経由で申し込んだものらしいのだが、多分その代理店も系列のところだったのだろう。

 

「それでもそろそろ着きそうなんですけどね」

 

「そうだね! はぁー、楽しみ!!」

 

俺の隣の座席で、旅行への期待感を全身で表現しているのは我が上司、まりなさんである。恐らく年齢は俺より上だと思われるが、それでもこの若々しさは見習うべきものがあるだろう。

 

「あれ、雄緋くんは楽しみじゃないの?」

 

「楽しみですよ、楽しみですけども」

 

パワハラかな、とも思ったがこういう時でも決して嫌な顔をしないことが人生を生きる上で大切なことらしい。

何故俺がまりなさんと旅行に来ているのか? それは単にリフレッシュという名目で誘われたというだけなのだが、冷静に考えれば今俺は上司と旅行に来ているわけで。多分大半の社会人は休日を上司との旅行で潰されるのはたまったものではないと思うのではないかと、大学生ながらに感じる。まりなさんと仲が良いから旅行に行っても耐えているだけなのだ、多分。

 

「何、なんか文句ある?」

 

「え?」

 

「はぁー、まぁそうだよね? あんな可愛くて若い子達と普段からよくもまぁあんなに仲良さそうにね? 私なんてそりゃー、まぁ若さには勝てませんから?」

 

「ちょ、すみませんすみません」

 

「あ、悪いと思うなら旅行の代金全額よろしくね?」

 

「搾取だ……」

 

とまぁ、こんなやり取りが素で成立するあたり、俺はまりなさんと仲が良いのだ。あー、CiRCLEって本当にアットホームな職場だなぁ、うん、アットホームアットホーム。

 

「まもなく、目的地到着しますので、お忘れ物なきようご準備くださいませ」

 

くだらないやり取りに興じていると、ツアーコンダクターからのアナウンスがかかる。その案内に車内は色めき立って、あちらこちらから歓声が聞こえてくる。俄に車内は賑やかさを取り戻した。やたらとその声は若い女性が多いようにも感じられるが、まぁ多分今回のツアーのコンセプトがそんな感じなのだろう。

 

「雄緋くん、手荷物の準備とか出来た?」

 

「大丈夫ですよー」

 

それから数分もしないうちに駐車場らしい開けたところに出たバスはゆっくりと止まり、前の人に続いてバスから降りる。先程まではバス車内の独特な臭いに少し気分がやられていたが、降りた瞬間に鼻腔に広がったのは自然あふれる緑の香り。

 

「おおー! 生き返る……」

 

「よいしょっ、あー、自然に帰ってきた感じだね〜!」

 

伸びをすればそれだけで全身で感じることのできる自然の豊かさ。どうやら目的地たるこの場所は相当山奥で、高度も高いらしい。遊歩道なんかも見た感じ精美されているらしいが、もう少しで山頂に辿り着くとかで、そこからの絶景とやらが看板で大々的に宣伝されている。バスで行けるのはここまでで、ここから先は曲がりくねった遊歩道を登って山頂まで辿り着くよう地図でも示されていた。

 

「この後は歩いて山頂まで行くんだね」

 

「この暑さで歩いたら疲れるだろうなぁ……」

 

「私より若いんだからそんなこと言ってないで!」

 

「うわっちょ」

 

まりなさんに背中を押されるままに俺は遊歩道に繰り出す。既に前の方では先導の元同じツアー客が談笑しながら木々の隙間を抜けている。俺はそれに遅れを取らないように少し早めに歩き出す。バスを降りた瞬間から汗が噴き出してはいたが、歩き始めるとなお実感する。俺は遊歩道に点在する木陰へと急足で歩き続ける。

 

「ちょっと歩くの早いよ! まりなさんをもっと労りなさい!!」

 

「年寄りですもんね」

 

「今月分は給料無しね?」

 

「ご勘弁を」

 

軽口を叩いている間に俺の懐事情は危機を迎えているが、それでもそれぐらいの心の余裕を持たないと、あの体たらくで全盛期の溌剌さを失ってしまった肉体は悲鳴をあげそうだ。俺よりも元気そうなまりなさんには頭が上がらないほどである。

そんな足取りの軽そうなまりなさんについて行く形で俺たちは遊歩道をズンズンと歩いていく。山頂に向かっている以上、その道はやはり上り坂で、体力は徐々に奪われていく。とはいえ後ろからも他のツアー客がついてきているし、遅れをとるまいと息を荒くしながらも登り続けた。そして。

 

「おっ、もうすぐだって。って、大丈夫?」

 

「……大丈夫、じゃないです……

 

なぜそんなにも元気なのだろうかと疑いたくなるほど声も明るいまりなさんが一段と大きな声を上げた。既に自分の足元を見つつあった俺もどうにか顔を上げると、それまで殆どが木々に覆われていた山道だったのに、青すぎるほどの空が見えるようになっていた。

その遠く高い空に向かうような錯覚に陥りながら少し歩くと、視界が一気にひらけた。影を作ってくれていた木々も姿を消し、そればかりか谷を挟んで向かい側の山々まで姿を現した。向かい側と言っても今いる山の方が標高は高いらしく、その峰の数々を見下ろすような視点に興奮すら覚える。それまでの疲労感や暑さだとか、マイナスな感情を全て吹き飛ばしたと言っても過言ではないほどの快感だった。

 

「お、おおぉ……!」

 

「絶景……!」

 

目の前にあるしっかりと組まれた丸太の柵に乗り出さんと言う勢いで呟くまりなさん。でもその気持ちも痛いほどわかる。ここまでそこそこに長い山道を歩き倒し、駐車場の看板に書かれた『もう少し』というワードに恨みすら感じながらも足を休ませることなく登り続けてきたというのだから感動も一入だ。それまでは色を失っていたようにも感じられた自然の数々も、より繊細な色彩を取り戻して目に飛び込んできていた。

 

「空気も……うーん……美味しい……!」

 

「……これがハイキングかぁ。なかなかいいものだなぁ……」

 

山の中腹まではバスで登ったものだから、多分ハイキングの楽しさのまだほんの少ししか味わえていないのかもしれない。それでもこの達成感は言葉にし難いほどである。

 

「どう? こっちから誘っちゃったけど、良かったでしょ?」

 

「はい、旅行の資金が大学生のちっぽけな懐から出ていなければなお良しだと思います」

 

「心配しなくても大丈夫だよ? 給料から天引きしとくだけだから」

 

やはり俺は上司からパワハラを受けているのかもしれない。でもそれでも良いと思ってしまうほどここの空気は美味しい。リフレッシュ目的で来たのであれば、この小旅行は間違いなく大成功だ。

 

「給料が減るのは見過ごせないですけど。……はぁ、生き返る」

 

この山頂にまで辿り着いた自分を労うように、カバンに入っていたひんやりとしたお水を口にすると、自然の風味が合わさって普段の10倍ぐらい水が美味しい気がする。無味のはずなのに、旨味成分がたっぷり出てる気がしている。俺の味覚や嗅覚がぶっ壊れたのかってぐらい美味しい水を飲んでいる。

 

「その水美味しいでしょ?」

 

「はい、天然水とかですか?」

 

「そうだよ! グルタミン酸ナトリウムもたっぷり入れてみたから美味しいと思う!」

 

「え? グルタミン酸ナトリウムって……」

 

「旨味成分だよ?」

 

まりな、それ天然水やない。水道す……いや水道水でもない。水に似た何かや。水を名乗るのも烏滸がましいぐらい変質した液体や。

 

「こうしたら普通の水も美味しくなるよね!」

 

「えぇ……」

 

まりなさんのシュールすぎる飲料生活を垣間見てしまった俺は気分転換に視線を目の前の山々に戻す。前代未聞の食生活を送るまりなさんの記憶を軽く吹き飛ばしてくれるほどに壮観と言うべき自然はやはり素晴らしい。すっかり見入っていると、隣で美味しく怪しい加工水に舌鼓を打っていたまりなさんも俺の眺める山を前にして立ち尽くしていたらしい。

 

「良いよねこの光景……。私、この光景見たらやってみたいことがあったんだよ」

 

「この光景?」

 

向かいに広がる薄霞の山々を指差しながら。

 

「そりゃあもちろん、やまびこだよ!」

 

「やまびこって、あの山に向かって叫んだら声が反響して返ってくるやまびこ?」

 

「そう! というより私はそれ以外のやまびこ知らないな!」

 

「ごもっともで」

 

たしかに、この高い山から向かい側に聳える山に向かって思い切り叫んだら、大きなやまびこが帰ってきそうだ。多分まりなさんもそんな気分なのだろう。荷物をわざわざ地面に下ろして、思い切り息を吸い込んで、両手を口元に添えてメガホンのように構える。

 

「すぅ……、……やっほーーー!!」

 

その瞬間返ってきたのはやまびこ……ではなく周囲からの目線。そういえばこれツアーで来てたんだったななんて思い返しながらも、大きな声が出せて満足げなまりなさんを見ると多少の注目を集める程度はやむなしか、なんて。そんな思惟が止んだ頃にまりなさんのやまびこが数々の山の斜面を反響して返ってきた。

 

「こんなに返ってくるものなんだな……」

 

「すごいよね、私もびっくりしちゃったよ〜。さ、今度は雄緋くんも思い切り叫んでみてよ!」

 

「え、俺も叫ぶんですかこれ」

 

まりなさんのやまびこですっかり周囲からの生暖かい目線を集めたはずなのに、またもや鋭い目線がこっちに注がれているような気がした。多分自意識過剰だとは思うのだが、それでもここでまた大声で叫べば更なる注目を集めてしまうに違いない。

 

「もっちろんだよ! 普段出さないぐらい大きな声を思い切り出すのって楽しいし爽快だよ?」

 

「い、いやーでも」

 

周囲をチラリと確認すると、やはり相当こっちの方を気にされているような気がする。この状況で叫べるほど俺の精神は残念ながら強くはない。だが、少々冷め気味の俺の反応はまりなさんの不興を買うには十分だったらしい。

 

「えー、上司の言うこと聞けないの?」

 

「まりなさんそれ完全にパワハ「教育的指導だよね?」はい」

 

「ならどうすればいいか……わかるよね?」

 

「はい……」

 

多分第三者がこの光景を見たとしても、まさかやまびこをやるように脅迫されているとは思うまい。もはやそれは親しい人を人質に取られて、凄まじい行為を要求されている時のやりとりのそれである。

どうやら俺がこの大変ありがたい教育的指導から逃れることは出来そうにない。周囲からの注目から逃れる術もないらしい。観念した俺は諦めてやまびこに励もうと、改めて目の前に広がる谷を見下ろす。

 

「すごい、いい風景ですよね」

 

「そうだね!」

 

「こんな素晴らしい自然に囲まれてたら、有象無象のことなんてどうでも良いって思ったりしませんか?」

 

「うん。それならやまびこも出来るよね?」

 

「くっそ逃げらんねぇ」

 

退路を完全に絶たれた俺は普通のやまびこじゃ味気ないと思い、叫ぶべき内容を思い起こす。

 

……そうだ。俺は、俺は虐げられるだけの存在じゃない。これまで沢山の辛いことを経験してきた。その苦しい過去が俺を強くする。俺はもう、権力に屈する、弱い人間じゃないのだ。

俺はこの反撃(やまびこ)を以って、一矢報いるのだ。権力者(雇い主)の横暴に耐えかねた俺は、この反撃で復讐を果たすのだ。

リフレッシュの旅行に連れてきてもらったことは感謝している。普段仕事を提供してもらっていることも大いに感謝している。だが、俺のような雑草の如き存在とて、成し遂げなければならないことがそこにあるのだ。

俺は、もう……負けない。俺はもう……負けないんだ……!

 

「すぅ……」

 

呼吸を整える。腹腔に寸分の余裕もないぐらいに空気を溜め込んだ。そして。

 

「CiRCLEはーー! 給料を上げろーーー!!」

 

「へっ?!」

 

「従業員へのー! パワハラをやめろー!!」

 

「ちょちょちょ雄緋くん?!」

 

俺の思いの丈が自然あふれる谷へと届いた。そして返ってきたやまびこにその思いの丈はしっかりと載せられていた。

 

『CiRCLEはーー給料を上げろーーー……』

 

『従業員へのーーパワハラをやめろーーー……』

 

俺の叫びに、周囲からはざわざわと声が聞こえてきた。明らかに慌て出したまりなさんに向かって、俺はこれでもかというほどのサムズアップ。

 

「ちょ、雄緋くん何言ってんの?!」

 

「……」

 

ただただ無言で、満面の笑みで、俺はまりなさんに微笑みかける。まりなさんはキョロキョロとして、そして大きく息を吸い込んだ。

 

「CiRCLEはーー親切丁寧な指導が売りのーーアットホームな職場でーーーす!!!!」

 

『CiRCLEはーー親切丁寧な指導が売りのーーアットホームな職場でーーーす……』

 

「賃金未払いもーー給料天引きもないーー、やりがいに満ちた仕事ができまーーーす!!」

 

『賃金未払いもーー給料天引きもないーー、やりがいに満ちた仕事ができまーーーす……』

 

「時給ベースもーーー高く設定されているのでーーーアルバイト募集中でーーーす!! 給料も上げまーーーす!!」

 

『時給ベースもーーー高く設定されているのでーーーアルバイト募集中でーーーす!! 給料も上げまーーーす……』

 

特大の叫び声をあげて、まりなさんは大きく息を吐く。周囲からの温かい拍手に、まりなさんは満足げに後ろ向きに倒れ込んだ。

 

俺は……勝ったんだ……。俺の労働環境は……守られたんだ……! 俺は大切なモノ(お給料)を、守り抜いたんだ……!!

 

 

 

 

 

p.s.今月分と来月分の給料が0円にされてました。マモレナカッタ……。



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ハジメテのブシドー【イヴ】

「モデルの練習?」

 

部屋に響いたのは疑問符たっぷりの俺の声。素っ頓狂な声を上げた俺はと言えば、腰を抜かした状態でなんとも情けないこと極まりない。

 

「はい! ユウヒさんにこそ見てほしいんです!」

 

きっと、そもそも今はどんな状況なのか気になる頃だろう。自分ですら何が起きたのか把握できていないが、端的に今の状況を語ろう。

部屋で寛いでいた折、壁紙が剥がれて突如現れたイヴ。当然俺は心底驚き、心臓が飛び跳ね、腰を抜かしてひっくり返り、ビニール袋か何かの山に頭を突っ込みながらイヴと会話をしている。

大袈裟だと思うかもしれないけど、壁紙が剥がれたんだぞ、それこそ隠れ身の術みたいな感じに。俺としては何故、どうやって隠れていたかにツッコミたい気持ちで一杯だけど、どうせ話が進まないからスルーしてしまった。

 

「モデルって、何の?」

 

「色々ありますよ? 『月刊ブシドー』、『週刊 戦国武将の鎧を作る』や」

 

「待って待って」

 

「なんですか?」

 

そんな可愛らしく首を傾げられても。イヴが挙げてくれた雑誌のタイトルはなんだかんだ聞いたことがないようなものが多かったが、それにしても武士道色の強いこと。モデルって言うぐらいだから、もうちょっとファッション雑誌とかそういう類いのものが来るのだと俺は身構えていた。

 

「モデルって何の写真撮るの?」

 

「色々です!」

 

「その色々を聞いてるんだけど……」

 

「あ、『日刊ジャパニーズニンジャ大全』の撮影もありますね!」

 

「毎日忍者について刊行されてるのか……」

 

すぐにネタ切れしそうな誌面はさておき、イヴが俺の家に突入……もとい不法侵入、身を潜めていたことを考えたら、俺に断るという選択肢はない。断ったら最後暗殺されそうである。そんなビクビクしそうな怯えを努めて明るい笑顔で隠す。

 

「それで、練習に付き合ってくださいますか?」

 

「うん。闇討ちはされたくないし」

 

「ヤミウチ?」

 

「暗殺だよ」

 

「なるほど! ジャパニーズ夜這いというものですね?」

 

「違います」

 

この間千聖や花音、蘭から教え込まれた夜這いの作法とやら含めて誤解が甚だしいらしい。モデルの練習とやらには俺が快諾すると、夜這いの嘘を教えられてしまった哀れなイヴは意気揚々と部屋を出て廊下のドアを閉めた。良かった、流石に俺の前で服を脱ぎ出

 

「ユウヒさんに脱がせてもらった方が良かったでしょうか?」

 

「ダメです」

 

「うぅ」

 

すような愚かな考えはなかったらしい。

イヴが部屋から出て数分。ドアの奥からはガサガサという音がしていたが、それがようやく止んでノックの音がする。

 

『入っても良いでしょうか? まずは忍者の格好からです!』

 

「あー、入ってもいいよー」

 

『失礼します!』

 

ゆっくり、ゆっくりと開くドア。ドアの向こうから飛び出してきたのは、紺色の忍び装束に包まれ

 

「ちょっと待って」

 

ず、クノイチから連想されるような薄ピンクの忍び装束……でもなく、紫がかったピンクのタイツみたいな格好をしたイヴ。一言で言うと非常にアブナイ。

 

「どうしましたか?」

 

「どうしたも何も、え、何その衣装?」

 

「クノイチ、女忍者の格好だそうです!」

 

「クノイチもそんな格好してないと思うよ?!」

 

そのピンクの全身タイツも光沢たっぷりで、テカテカと目にうるさいぐらいである。ボディラインをやたらと強調する服に、清純さなるものは凡そ微塵もない。

 

「そうなのですか? でも、日本にはこういったことを専門に行う忍者があると聞きました!」

 

「へ? どういうこと?」

 

「このコスチュームを着ると、感度が物凄く高くなるそうです!」

 

「ふぁっ?!」

 

「って、この衣装を発注してくださった方が言っておられました!」

 

「待っててなイヴ。そいつを今から成敗しに行くから」

 

「成敗ですか?! お供しましょうか?」

 

「ダメです!!」

 

なんというやつだ……。こんなにも清楚で純朴な……いやまぁ、たまに夜這いがどうのとか言ってたけど、まともな時は清廉さをそのまま具現化したような天使の如きイヴにそんな悪知恵を吹き込むとは。地獄でも生ぬるい。消し炭にしてやる。

と、俺がそんな風に意気込んでいると、それまで成敗のワードに興奮していたイヴが急に大人しくなった。何かあったのかと思って見つめていると、どういうわけかイヴはこちらへと身を寄せてきた。

 

「え? どうしたイヴ?」

 

「……なるほど。感度が高くなるとは、そういうことなのですか……」

 

「え、何が? どこで納得した?」

 

そんな不純極まりないところで納得なんてしないで欲しいのだが、譫言のように呟いたイヴの頬は、しっかり覗き込むと紅潮していた。

 

「って、熱でもあるのか?」

 

「ひゃぁっ! ゆ、ユウヒさん! 不意打ちは卑怯です!」

 

「へ?! 不意打ち?!」

 

イヴの熱そうな額に触れただけで不意打ちと言われる始末。妙に甲高い声を上げたイヴは、やはり速く、荒い呼吸をしているから、一見すると体調が悪そうだというのに、イヴはそんなことはないと否定するばかりだった。

 

「でもそんな具合悪そうで」

 

「今私の体に触れちゃダメです!!」

 

「あ、まぁセクハラだよなこれ……」

 

「いえ、その……もっと……襲われたくなってしまいます……」

 

「襲う? ……夜襲?!」

 

「むぅ……」

 

静まり返ったり、むくれて拗ねたりと感情が忙しいイヴは、俺の胸元に額を埋めたまま動かなくなってしまった。最初はモデルの練習だとか言っていたはずなのに、ポージングとかは一切……いや、今のイヴの格好で変にポージングなんか決められたら俺の理性が即死するわけだが、当初の目的は何も達成できていなかった。

 

「なぁイヴ。モデルの練習するんだよな? 取り敢えずこの衣装を作ったやつはお説教の刑に処するとして、他の衣装で練習しないか?」

 

「……はっ! そうでした! 他にも練習しなければいけないことは山積みですから、着替えてきます!!」

 

「うん、そうしよう、な?」

 

「……ここで、脱いだ方が良いでしょうか?」

 

「ダメに決まってるだろ?!」

 

俺は際どい衣装を纏い、誘惑し続けるイヴを取り敢えず廊下に追い返し、呼吸を落ち着ける。

よし……ふう。心頭滅却すれば火もまた涼し。煩悩退散。うん。これで俺の中の醜い心たちは散り散りになったはずだ。取り敢えず廊下に追いやったイヴが着替え終わったかを声で確認する。良さそうな返事が返ってきて、安心した俺はドアを開いて……。

 

「重た……よいしょ。っと、これでどうでしょうか?」

 

「待って、甲冑ってフル?」

 

「鎧兜です!」

 

「そこの拘り今聞いてないんだわ」

 

現れたのは声が無ければすでに誰かなのかすら分からない塊。顔も兜で隠されているから、本当に図体の大きな飾りが鎮座しているのを見ている気分である。ただ、イヴが着込んだであろうその甲冑も移動の度にガチャガチャと音を立てながら、ブシドーを体現しているらしい。

 

「これは週刊誌の付録特典を全て集めたらこうなるみたいです!」

 

「付録特典……?」

 

「全巻を購入した方はみんなこれが手に入るらしいです!」

 

「デカすぎねぇかなぁ?!」

 

「これは首から下の部分だけで重さが50kgはあるそうです!」

 

「よくそれでイヴも動けるな……って、家の床からやばい音なってるんだけど?!」

 

イヴが歩く時に鎧から鳴る高めの音のほかに、耳を澄ませると鈍く、低い音が聞こえてくる。それは木の軋む音、そのままであり、イヴの足元の床がなんだかものすごい凹んでいる気がする。

 

「ちょ、今すぐ脱いで!! それ!!」

 

「ぬ、脱ぐなんて……大胆です……」

 

「つべこべ言わずに! 壊れるから!!」

 

「理性がですか?!」

 

「床だよ!! 早く脱ぎ捨てろ!!」

 

「そんな、脱ぎ捨てるなんてハレンチです!!」

 

ダメだ、会話が成立しそうにない。イヴは重そうな装備を纏った腕を器用に顔の横ぐらいまで上げて、何やらポージングをしているが、今はそんなモデルの練習とやらをさせている場合ではない。危機だ。崩壊の危機だ。俺の家の。あとそれから、これほど重たい鎧を纏っているイヴの体も心配である。

 

「そんな重たい鎧で、イヴはそもそも大丈夫なのか?」

 

「もう……決壊しそうです」

 

「決壊? よく分からんけど、ヤバいんだな?」

 

「はい! 限界です!!」

 

イヴを見ると、何かを我慢しているかのようにプルプルと震えている。軽快なやり取りも、きっとイヴは無理してしていたのだろう。床が凹むほどの重さの鎧を着込んで、そうそう楽なはずがない。

 

「もう俺が脱がせるからな!」

 

「はい……優しくしてください……!」

 

「痛くないようにはするから!」

 

「その、お恥ずかしいのですが、ハジメテですけど大丈夫ですか……?」

 

「俺だって脱がせるの初めてだから分かんないけども!」

 

「えへへ……。良かったです! 気持ちよくしてください……」

 

「すぐ楽にさせるからな!!」

 

俺は甲冑の重みに苦しんでいるイヴをどうにかしようと、取り敢えず兜の方から紐を解く。乱暴にしてしまっては脱がされるイヴも痛がるだろうから、俺も初めてで分からないなりに足掻く。そりゃそうだろう、これまでの単調な人生の中で、鎧兜を脱がせるような稀有な経験があるわけがない。イヴの呼吸は段々と荒くなっているようで、やはりその異次元の重さに苦しんでいるらしい。

取り敢えず兜が外せるようになり、ゆっくりとその兜を外す。はっきりと露わになったイヴの表情は紅く、力んでいるようで、相当無理をしているようだ。

 

「苦しそうだな……」

 

「はい……胸が苦しいです……!」

 

「今助けるからな!」

 

「はいっ!」

 

そもそもこんな重たい鎧を、どうやって一人で着込んだのだろうか。イヴの全身を包むプレート部分の外し方を試行錯誤しながらふと考える。

 

「ひゃっ……」

 

「イヴ? ごめんな、痛かったか?」

 

「ち、違います! 大丈夫です!」

 

イヴの反応もそろそろ限界そうだから、俺はさらに焦る。繋ぎ目を結ぶ紐を解いて良いのかダメなのか、よく分からないが、取り敢えず脱がせるのに必要そうなところを外した。

 

「これなら、脱げるんじゃないか?」

 

「はいっ。……うんっしょ……。はぁ……」

 

イヴがなんとか上半身を覆っていた鎧を脱ぎ下ろすと、床に置くだけで凄い音がする。これほどのものを着込んで動いていたイヴの怪力はすごいものがあるのかもしれない。

 

「足のやつは自分で脱げるだろ?」

 

「脱がせてくれないのですか?」

 

「多分自分で脱いだ方が脱ぎやすそうだし……。まぁ足の部分だけなら着けたままでも問題ないかもだけど」

 

「ユウヒさんはタイツも履いたままのが好みかも……と……」

 

多分あの姿を見るに、一番重そうなのは胸部周りの部分に見える。両足につけられた、脛当てのようなパーツは多分それほど重くないだろう。

 

「脛当は外しても良いでしょうか?」

 

「ん? 逆に外さないのか?」

 

「そ、そうですよね!」

 

俺の返答を聞くなりいそいそと残りの小具足も全て外してしまうイヴ。それらは大して重くないようにも見えた。けれど、全てを外して一つに纏めると、やはり物凄く重そうにしか見えない。

 

「ふぅ……」

 

「疲れたよな」

 

「はい! その……だから、ベッドの方で」

 

「へ? うわっ」

 

何故かイヴに強い力で引っ張られて、俺はベッドの上へ。そして訳もわからないまま寝転がされる。

 

「どうした? え?」

 

「疲れたので、お休みが必要です」

 

「いや俺は疲れてないからイヴが……」

 

「日本では、こういう時『休憩』をすると聞きました!」

 

「休憩? まぁ、疲れたなら休憩すれば」

 

「……脱がさないのですか?」

 

「はい?」

 

イヴの言わんとすることの意味があまりよくわかっていない。既にイヴは鎧も付属品も全て外したわけだし。

 

「……ハジメテですよ? ユウヒさんも、そうなんですよね?」

 

「え、まぁ脱がせるの初めてだけど」

 

「……えっ?! ということは、脱がせないのは経験があるということでしょうか?!」

 

「いや、着たこともないけど」

 

「着たことがないのですか?!」

 

さっきまでの神妙な空気全てを吹き飛ばしたような壮絶な驚きようを見せるイヴに困惑するしかない俺。どういうわけだかのし掛かりを掛けられながら、妙に距離感の近いイヴの言動に疑問を覚えていた。

 

「いやいや……でも、普段見る時はユウヒさんも着てますからそんなことはないはず……」

 

「いや、人が見てない時に着たことがある訳じゃないぞ?」

 

「そんな趣味があるのですか?!」

 

「は、はぁ?」

 

何故か目元を抑えて、泣くような仕草を見せるイヴ。もうさっきから反応がどれも珍紛漢紛である。

 

「……私は、ユウヒさんが露出癖をお持ちでも、受け入れますから!」

 

「……はぁっ?!」

 

「全てを受け入れる……。日本には据え膳食わぬは……という言葉があるそうですから!」

 

「いやいや、どこから露出癖きたの? あとそれって、男の恥、だよね?」

 

「女性は食べちゃダメなんですか?!」

 

「え、いやー、よく分かんないけど……。そもそも意味知ってる? ご飯の話じゃないよ?」

 

「知ってます!! 小馬鹿にしすぎです!!」

 

耳の奥に響くぐらいの大声に目をパチクリとさせる。すると、怯んだ俺を気にすることもなく、ずっと俺の上にのし掛かっていたイヴがこちらに体を倒してきた。

 

「今みたいな状況を指す……言葉ですよね?」

 

「え、今?」

 

その時、空気が変わった。カーテンの隙間から差し込んでいた日の光が、雲によって遮られ、部屋が暗くなった。

影に隠れたイヴの表情。頬が赤く染まり、口が半開きになっている。

 

「……襲っても、良いんですよね?」

 

「襲う?」

 

「ハジメテ同士……ですから」

 

「イヴ……?」

 

俺を押し倒すような姿勢のまま、イヴの腕が、俺の首の後ろへと回る。

 

「首……弱いんですよね?」

 

「ちょ」

 

「寝るって、そういう意味なんですよね……」

 

「やめ」

 

「プライドとか、誇りとか、捨てちゃいましょう」

 

「イヴ、待って」

 

「これは、男と女、1VS1の戦い、真剣勝負なんですから」

 

「イ……ヴ……」

 

「私も……もう、我慢できません。ずっと、昂って仕方がないんです」

 

「……そう、か」

 

「私のブシドー、ユウヒさんに全て、ぶつけます!」

 

 

 

ブシドー

 

 

 

ブシドー

 

 

ブシドー

 

 

ブシドー

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

この後めちゃくちゃチャンバラした。めちゃくちゃ軽装備で。



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妄想捗る夏の海【彩&千聖】

「高校最後の?」

 

「うん」

 

「夏を楽しみたいから?」

 

「えぇ」

 

「海に行きたい?」

 

今日も俺の部屋は修羅場が起きている。修羅場といっても、居心地が物凄く悪いだとかそういうわけではないのだが、面倒ごとを持ち込まれているのには違いない。ただ、当の本人はそれを面倒ごとだと全く認識していないのが大きな問題であった。

 

「一緒に海に行こうよ!」

 

「イヤだ」

 

「なんで?!」

 

「俺が行きたくないから」

 

「高校最後の夏なんだよ?!」

 

「俺の高校生活はもう終わった」

 

音を立てて膝から崩れ落ちたのは丸山彩。高校最後の夏とやらをエンジョイしたいお年頃なのだろう。だが、非常に残念なことに俺に高校最後の夏なんてものは存在しない。俺の高校生活はとうに終わりを告げているのである。

 

「というか高校最後の夏なんだろ?」

 

「そうだよ!! 高校最後なんだよ!」

 

「だったらパスパレのみんなとか、花女の3年生で行くなりすればいいんじゃ?」

 

「……確かに」

 

論破される。それで納得できるのであれば、なぜここまで赴いたのか小一時間問い詰めたいぐらいだが、生憎俺も暇ではない。

 

「ちょっといいかしら?」

 

だが、そんなチョロいことで有名な彩を制して、話をぶった切ってきたのは白鷺千聖。簡単に言いくるめられてしまった彩の姿を見て、ため息をつきながら割って入ろうとしたらしい。

 

「高校最後の夏なの」

 

「そうだな」

 

「だからこそ雄緋がいなければいけないのよ?」

 

「意味がわかりません」

 

「そう、なら分からなくても結構」

 

そんな強引な、とは思ったけれども、いつにも増して今日の千聖はどこか怖い。彩がポンコツすぎた分、余計に怖い気がする。額にも青筋が浮かんでいるような気がするし、ここは変な口答えは得策ではなさそうだ。

 

「行きたいのは山々なんだけどな」

 

「そう、ならいいじゃない」

 

「やらなきゃいけないことが……」

 

「やらなきゃいけないことって?」

 

「……あっ、CiRCLEの売り上げ帳簿の記入とか」

 

「まりなさんに仕事を押し付けるなと伝えておくわね?」

 

「あっ……」

 

千聖が合図を出すと、彩が後ろで熱心にスマホを覗き込んでいる。多分その様子から見るにメッセージを誰かしらに送っているんだろうが、その相手は間違いなく……。

 

「どうしたの? やることがあるんじゃなかったの?」

 

「他にも、えーっと……えー……」

 

「あるのよね? あったなら言ってくれたら全て根回ししてあげるわよ?」

 

「……すみませんありません」

 

「よろしい」

 

ダメだ勝ち目がない。最初から逃げ道なるものは存在しないらしく、CiRCLEのことは完全に握り潰され、大学のことだって今は夏休み期間中だから秒でバレてしまう。何を言っても言い負かされる自信しかない。ここら辺が諦めどころなのかもしれない。

 

「やることが何もないのなら?」

 

「私たちと一緒に海で?」

 

「……いっぱい遊ばさせていただければ嬉しく思います」

 

「やったぁ! やったよ千聖ちゃん!」

 

「ふふっ、これで準備は整ったわね」

 

目の前でハイタッチをする2人。まぁそこまで喜んでもらえるなら、行く意味もあると言ったものだろう。そんな暢気なことを考えていると、彩が懐から徐に何かを取り出した。それをよくみると。

 

「え、鍵? 車の?」

 

「うん! 雄緋くんの車の鍵だよ!」

 

「なんで持ってんの?」

 

「えっ、みんな持ってるよね?」

 

「え?」

 

「え?」

 

「彩ちゃん、お口チャック」

 

「ん!」

 

……そういうことか察した。そういえば俺にプライベートなるものはなかったことを思い出した。でも車のキーに関してはそんなに大量に存在したら、勝手に動かされたりするのが心配だけれども。

 

「それじゃあ、ドライブで連れて行ってもらってもいいかしら?」

 

「拒否権はないからな」

 

「千聖ちゃん、もう水着になっても大丈夫かな?」

 

「ダメだ、車の中でもちゃんと服を着ろ」

 

「彩ちゃん、その調子よ?」

 

「やめろ、運転中に気が散るから!!」

 

マイペースなのか、わざと揶揄って楽しんでいるかは知らないが、思った以上にテンションが高い2人に困りながらも、俺は足として車を出すのだった。

 

 

 

 

 

そういうわけで唐突に始まった海までのドライブ。助手席がどうのと揉めたが、一旦2人ともを後部座席に無理矢理押し込み、車内でも構わずに肌を曝け出す2人に手を焼きながらも遂に海岸線まで到着した。

車窓から見えるビーチには、夏も終わりに近づいているとはいえ、まだまだ日差しの強い砂浜に、疎らながらも人が集まっている。その多くは仕事を休みにして来ているであろう家族連れだとかだ。夏も盛りを少しすぎた一方で、ビーチは活気にあふれていた。

 

「うわぁ、カモメが飛んでる! 海だよ!!」

 

「彩ちゃん、分かったから乗り出しちゃダメよ? 危ないから」

 

「とても楽しそうだけどお二人さん」

 

「ん? どうかしたの?」

 

子どもさながらにはしゃぎ、車の窓から身を乗り出す勢いだった彩が座席に座り直し、キョトンとした顔を浮かべる。既に海に気持ちが向いたところで水を差すようで本当に申し訳ない気持ちなのだが、この2人は大切な視点を忘れているような気がしてならない。

人の多い砂浜。そこに現れるアイドル2人。もうお分かりだろう。

 

「どうやってこのビーチで遊ぶんだ? 絶対に人集り出来て遊びどころじゃなくなると思うんだけど?」

 

「あっ……」

 

「彩も千聖も、絶対目立つんだからすぐにバレるって」

 

「ど、どうしよう?!」

 

「慌てないで彩ちゃん。彩ちゃんのファンクラブの会員規則、彩ちゃんが変装をしていない時はプライベートだから、話しかけるべからずってね?」

 

そんな規則あるのか、なんて思ったが、それはあくまでファンクラブの会員にしか意味がない気がする。それでも彩は納得がいったようで胸を撫で下ろしている。

 

「でも千聖のファンとかはどうするんだ?」

 

「眼光で追い返そうかしら」

 

「あー確かに、怖いもんな」

 

「あら?」

 

これだよこれ。

 

そんな脅迫の目線に耐えながら車を駐車場らしきところに停める。ビーチは横に相当広がっているらしく、人が疎らだったのはそういう事情もありそうだ。取り敢えずは人に囲まれたりすることは無さそうだが、それでも気が気ではない。

 

「車には偶然たまたまパラソルとかシートも積んであったから、手分けして運びましょうか」

 

「なんで積んであるんだろうな」

 

「え? さっき私と千聖ちゃモゴモゴ……」

 

おしゃべりな彩は黙らされ、一式をビーチまで運び出す。いつの間にやら車に積まれていた荷物をビーチに下ろす。砂浜に敷くシートも、日陰を作るパラソルも差すと、そこは完全に海水浴場にありふれたワンシーンと様変わりしていた。

 

「わぁ、海に来たみたい!」

 

「海に来ているのよ、彩ちゃん」

 

「それじゃあ早速……」

 

「お披露目ね」

 

「お披露目?」

 

そういうと2人は自ら服に手をかけて、ラッシュガードのような羽織を取り、履いていたスカートも脱ぎ下ろした。そこにはパステルカラーの水着を着こなすアイドルが2人。

 

「どうかな? ……千聖ちゃんとどっちが似合ってる?」

 

「待って待って圧力がすごいから」

 

「慌てないで彩ちゃん。勝負は後でと言っていたでしょう?」

 

緊張をしているのか、日焼けをしているだけなのか、顔を真っ赤にさせた彩に詰め寄られるが、幸いにもそれを抑えてくれる千聖。

 

「2人とも似合ってると思うぞ、ビキニで明るさを出してる彩もパレオでミステリアスな感じの千聖も」

 

「えっへへ……そうかなぁ……」

 

「ありがとう、もっと舐め回すような目で見ていいのよ?」

 

「見ません。えっ、俺の目からそんな下心みたいなの溢れ出てる?」

 

「いえ? 出てないから言っているのよ?」

 

いくら肌成分多めだとは言え、知り合いの女子高校生に発情し出したら愈々終わりである。その辺りの尊厳は流石に保ちたい。

 

「えっと、それじゃあ」

 

「彩ちゃん、先手はずるいわよ?」

 

どう言うわけか手を掴まれ、パラソルの下へと引き込まれる。そしてどういうわけか、2人が水着を脱ぎ出そうとしていたから慌てて止めた。

 

「ちょっと待って何してんの?!」

 

「え、綺麗に焼きたいからサンオイル塗らないとと思って!」

 

「びっくりした……」

 

「まだこれからよ、ねえ?」

 

「え?」

 

砂の上に敷いたシートに2人並んでうつ伏せで寝転がっている。既に紐を解いた水着は力なくシートに落ち、辛うじて2人の胸部を隠している程度。そこで向けられる2人からの意味深な目線。

 

「言わなくても分かるでしょう?」

 

「雄緋くんに……塗ってもらいたいな、なんて」

 

「……は?」

 

「雄緋に体のあちこちを愛を込めて撫でられながらドロドロのオイルを塗りたくられたいのって言ってるのよ?」

 

「変な言い方しなくていいんだよ! 2人で塗り合えばそれでいいだろ?!」

 

否応なく変な妄想が掻き立てられてしまうような物言いに反駁するが、千聖からはクスクスと、まるで小悪魔のような笑いが聴こえてくる。俺の反応を見て揶揄っているわけだ。

 

「雄緋は女の子同士の方が好みなのかしら?」

 

「性癖みたいな話してないから!」

 

「わ、私千聖ちゃんとなら……」

 

「彩ちゃん……、当初の目的を見失ってるわね……。あ、彩ちゃんに塗ってあげるのはいいけれど、私は雄緋に塗ってもらうわね、何があろうと絶対に」

 

「そんな固い意思持たなくていいからさ……」

 

俺は諦めて、ご丁寧に開封状態で置かれたサンオイルの容器を手に取る。液体をたらりと手に取ると少し冷たい。

何も変なことはしていないと頭の中では理解しているが、なんだか後ろめたいことをしている気がしてならない。

 

「最初は彩ちゃんからでいいわよ?」

 

「雄緋くん……その、ゆっくり……ね?」

 

「ゆっくりな、ゆっくり……」

 

覚悟を決めて、掌にたっぷり溜めておいたのをまずは彩の肩周りに触れる。しかしその瞬間。

 

「ひゃっ、んっ……」

 

「ちょ、変な声出すなって」

 

「だって冷たくて……あっ……」

 

「彩ちゃんの声、官能的ね」

 

「千聖も変な実況しなくていいから! もう一気に塗るから!」

 

変な気を起こさないうちに塗ろうと、一気に背中の広い範囲を塗ってしまう。彩はやはり変な声を出してしまっているが、やがて馴染んできたのか、反応しないようになってきた。その頃には既に手足辺りも塗り終わっていた。

 

「それじゃ……」

 

「おい、なぜ仰向けになろうとしてるんだ」

 

「だって胸も塗らなきゃ」

 

「……自分でできるよな?」

 

「……日焼けしやすいんだよ?」

 

「……見てもいいんだよ?」

 

俺は瞬時に反対を向く。ここから先はあれだ、多分大人の領域とか言うやつなんだろう。少なくともこの2人よりはよっぽど先の人生を歩んでいるつもりだが、それでも公にしていい人生とダメな人生がある。これは後者なんだ。そう言い聞かせて俺は後ろ手でサンオイルの容器を投げる。

 

「2人でやれ、な?」

 

「むぅ……」

 

「仕方ないわ。雄緋はチキンだもの」

 

「知ってるけど……」

 

「おい、聞こえてるからな」

 

「文句があるなら振り向いてみたら? ま、どのみち塗り直すことにはなるでしょうから、その時は諦めて隅々まで塗るのを覚悟することね」

 

「くっそ……」

 

俺はそう遠くない将来の自らの犠牲と引き換えに、健全さを貫くことを決めた。まぁどうせその時が来たらまたのらりくらり逃げようとかいう、かなり楽観的な思考回路で。

それからものの10分強で声がかかりサンオイルは塗り終わったらしい。俺が抵抗しながらやるよりも明らかに早そうに見えるし、最初から俺がやる意味がなかったと問い詰めても、浪漫なんじゃないのかどうたらとか言われ、散々な目にあった俺は諦めてビーチに繰り出すことにする。

 

「って、どうした2人とも」

 

2人を誘って砂浜の方に出ようとしたのはいいものの、2人がパラソルの下から出てこずに慌てて急ブレーキをかける。

 

「海に来たんだぞ? 遊ばないのか? ビーチバレーとかでもいいし」

 

「……ボールとか持ってくるの忘れちゃった」

 

「あっ、でもまぁ泳ぐとか」

 

「私、日に焼けたくないのよね」

 

「なんで海来たの? というかサンオイル塗った意味は?」

 

「野暮よ、聞かないでもそれぐらい分かってくれないかしら」

 

「えぇ……」

 

せっかく海にまでわざわざ来たと言うのに、全ての時間をこのパラソルの下で過ごすだなんて、海の楽しさの半分も味わえていないような気がする。

 

「でもそれじゃあ何して過ごすんだよ?」

 

「わ、私たちの水着姿の鑑賞会……とか?」

 

「鑑賞会って言い方……」

 

「でも、雄緋なら好きなだけ見ていいわよ? 恥ずかしがらないでも」

 

「そんなこと言われても」

 

「私たちのじゃ……物足りないかな?」

 

「まさか、その可愛いと思うし……魅力的だとも思うし、ただその」

 

「確かにじっと見られていると思うと恥ずかしいわね」

 

どうあがいたって目を逸らしてしまう。単純に恥ずかしいし、それ以上に十分過ぎるほど魅力的であると思ってしまうが故に見られない。自分のトリガーを外すと言えば聞こえはいいものの、それは憚られる。何より、ずっとジロジロ見られるのだなんて気分が良いものではないだろうし、ただの知り合いに過ぎない俺にとなれば尚のことだ。

 

「うん……見られたくはないな」

 

「そうだろ?」

 

「もしもビーチの方で遊んだりしたら見られちゃうし……、やっぱりパラソルの下で雄緋くんと一緒がいいな……」

 

「それは同感よ、彩ちゃん。だからやっぱり、ここで穏やかな休日を過ごしましょう?」

 

「まぁ見られたくはないよな……。目立つのも嫌だろうし」

 

「……そうではないけれど、はぁ」

 

意味もわからないままため息をつかれたが、そうとなればレジャーに来ながら疲れを癒すこともできそうだ。幸い熱気を冷やしてくれそうな冷たい飲み物も拵えていたので、ここでゆっくりするのも一興だろう。ここから見える、波の押し寄せる風景も味がある。

 

「そうだ! じゃあ夏にしたいことの話とかみんなでしようよ!」

 

「夏にしたいこと、ね。海ももっと行きたいけれど、他にも花火だとかいっぱいやりたいことはあるわね」

 

「夏祭りとかも楽しそうだな」

 

「浴衣着て遊びたいなぁ……。雄緋くんも勿論来てくれるよね?」

 

「都合が合えばな?」

 

「大丈夫よ? 雄緋の予定は全て調整できるから」

 

「本当に?!」

 

「あぁ、謎の圧力がかかるらしい」

 

どういうわけだか、俺に入れられていた予定は簡単に消えてしまうことが判明したからな。あぁ、儚い、そんな声が海の向こうから聞こえてくる気がする。海の向こうは太陽の光の乱反射で煌めいている。眺めているととにかくもの思いに耽りたくなって仕方がない。

 

「えっとえっと、じゃあ夏祭りと、花火と、で、で、デー……トと」

 

「良いわね。雄緋とデー……、2人で……夜まで……。一杯甘えて……ふふっ」

 

「あ! 夏休みの宿題もみんなで……」

 

「宿題は自分でやるのよ? というよりまだ終わっていないの?」

 

「え? 宿題? ……彩」

 

俺よりも芸能人である彼女たちの方がやはり忙しいだろうか。忙しい身であるからこそ、今日のような、お出かけでリフレッシュするというのも大事なのだろう。そんなリフレッシュの一助となれれば俺は嬉しい。

まだまだ終わりの見えなそうな、高校最後の夏に作る思い出を語り合う2人を見ながら、少々センチメンタルな気分にも浸る1日となるのだった。



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NFO勝者の休日【Roselia】

こちらはとあるP様からのリクエストを基にした作品です。2部構成のこちらは2部となっております。前回の1部は以下のURLからお読みください。

https://syosetu.org/novel/277231/65.html



リクエストしていただきありがとうございました。








外は快晴。まさに夏の暑さそのものと言った感じで、照りつける太陽は眩しい。出歩くのは億劫だが、約束だから仕方がない。

 

「さ、準備するか……」

 

ベッドから体を起こす。今日で8月も終わりか。そんな呟きも部屋に消える。準備を終えると、いつもの部屋を飛び出した。

 

 

──────────

 

 

呼び鈴を鳴らす。表札に書かれた苗字はそれほど見ることのない珍しさだが、俺からすれば目について仕方がないほどか。暫くして、ドアが開く。

 

「雄緋、待っていたわ」

 

「あぁ。出掛ける準備は出来てるんだろ?」

 

「準備? 何を言っているか分からないけれど。入りなさい」

 

意味がわからないまま俺は目の前で平静を装う銀髪の少女の後を追う。聞いていた話では、NFOのバトルロワイヤルで一位になったご褒美だなんだで、俺を1日好きにして良い権利だなんだを行使できるとあったはず。そんなものだから俺はてっきりどこか振り回されるのではないかと想定していたのだ。どこへ出掛けるのかとそこそこ期待はしていたはずが、俺の予想は意外な形で裏切られる。

 

「お邪魔しま……ん?」

 

案内された友希那の部屋。ローテーブルに積み上げられた本の山、プリントの束。散乱したノートに筆記用具。

 

「えっと、友希那? ……何これ?」

 

「宿題よ。終わらないの」

 

「いやまぁ宿題は見れば分かるけど。……まさかお前?」

 

「えぇ、何も終わっていないから、手伝ってちょうだい」

 

「はぁっ?!」

 

「早く、今日が最終日よ」

 

「夏休みに勉強なんてしたくないんだよぉっ?!」

 

……俺の断末魔がこだました。

 

逃げられないことを悟った俺は友希那の隣に座り、昔懐かしいワークブックを解かされていた。既に俺は大学生。故に高校の範囲の勉強だなんて、専門科目と関連がなければ記憶の隅に追いやられている。そんな俺が役に立つはずがなかった。

 

「……なんだこれ。見覚え無いんだけど」

 

「見せなさい。……頑張りなさい」

 

ところがどっこい。このポンコツ歌姫。俺より使えない。暗記科目なんて、年単位で思い出すことがなければ、全てを思い出すのなんて不可能に近い。俺はそんな状況に絶望していたわけだが、現役高校生の彼女はさらに酷い具合らしい。

 

「大変ね、終わる未来が見えないわね」

 

「お前のせいだよな? なんで夏休み最終日まで溜め込んでたんだよ? なぁ?」

 

「……Roseliaが忙しくて」

 

「今度紗夜に言っとくわ」

 

「やめなさい」

 

無駄口を叩く暇すらまるでなさそうで、一向に机の上の山の高さは減りそうに無い。俺はその現実を直視するのを拒み、空を仰いだ。

 

「ちょっと。サボっている暇はないわ」

 

「お前だけには言われたくないからな」

 

「失礼ね」

 

「この状況お前のせいってことわかってる?」

 

元々は楽しいお出かけみたいなものを想像していただけに、予想だにしない勉強会など強制される謂れもない。なんだって他人の宿題に8月の末日を費やさねばならないのか。暑さにもイライラしていたせいか、多分俺の口も悪くなっているのだろう。

 

「……私だって、こんなつもりは」

 

「宿題を溜めるやつはみんなそう言うんだよ……」

 

半ば諦めの境地に達しながら、隣でカリカリとシャーペンを滑らせている友希那を力なく見つめる。多分本人としては必死にはやっているのだろう。こんな状況に追い込まれる前になんとかしてほしかったと言う気持ちは否めないが。

そんな友希那の姿を見てほっぽりだすわけにもいかなかった。俺も乗りかかった船と自分を無理やり納得させて、空欄を埋め続ける。そして、何度目か分からない無意識の溜息が吐き出された途端。

 

「……ひぐっ」

 

「えっ?」

 

どういうわけだか、隣で静かに宿題をこなし続けていたはずの友希那の方から、さめざめと泣く声が聞こえてきて、驚いた俺はペンを置いた。いつもは澄ました姿を見せることが多い友希那はプルプルと震えながら、小さな声とともに涙を流している。

 

「えっ、友希那? どうした?」

 

「……なんでもないわ」

 

俺が何も言い返せないまま黙っていると、友希那は静かに語り始めた。

 

「私も……こんなことをするつもりじゃ。雄緋を、無理に……勉強に付き合わせたりなんて……」

 

「お、おぉ……」

 

「……自分が情けないの。本当は貴方と、……いっぱいゆっくりと過ごすつもりが」

 

俯いたままの友希那。その目から零れ落ちた涙が床のカーペットを濡らした。

 

「……ごめんなさい。こんなことに、巻き込んで、ごめんなさい……」

 

どうやら、俺も大人気なかったらしい。勉強を疎かにしていた友希那を諌める程度は歳上の立場、必要かもしれないが、それでも友希那のフォローアップもせずに呆れた態度を取るのは愚かだった。

 

「友希那、俺の方こそ、済まなかった」

 

「……抱きしめなさい」

 

「えっ? あぁ……」

 

「そう……もっと」

 

突然要求されたハグでも、それを拒絶することなど俺にはできない。友希那は力を込めて、涙を俺の胸元で拭いながら、泣き続けている。泣いているせいか呼吸も荒い。

 

「もっと、強く抱きしめなさい」

 

「こうか?」

 

「そう……」

 

友希那はそう言ったっきり、話しかけてくることはなかったが、俺の声には強い抱擁で返してくれていた。手に降りかかるシルバーの髪も撫でながら、俺は長い時間友希那のことを抱きしめ続けていた。

どれぐらいの時間が経っただろうか。俺の腕の中で友希那はすやすやと寝息を立てている。その姿を見ていると、俺もだんだんと心が安らいできた。

 

「ん……眠気が……くっ」

 

「……ゆう、ひ……」

 

小さな寝言が聞こえた気がした。

 

 

 

──────────

 

 

 

外は快晴。まさに夏の暑さそのものと言った感じで、照りつける太陽は眩しい。出歩くのは億劫だが、約束だから仕方がない。

 

「さ、準備するか……」

 

ベッドから体を起こす。今日で8月も終わりか。そんな呟きも部屋に消える。準備を終えると、いつもの部屋を飛び出した。

 

 

──────────

 

 

俺が待ち合わせをしていたのは駅前だった。駅前の噴水横のベンチ。指定されたそこに腰掛けて、意外にも姿を見せるのが遅い待ち人を待っていた。

 

「つめたっ。って、紗夜?」

 

「お待たせしてすみません」

 

首筋に感じた冷たい感覚。紗夜の手には水滴のついたペットボトルが握られている。普段の様子からはあまり想像のつかない茶目っけのある振る舞いに心臓が飛び跳ねる。

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、なんでも」

 

「……少し、やってみたかったもので」

 

俺からの視線に耐えきれなかったのか、紗夜が自白する。そんな風に赤面して答えられてしまっては、俺としても恥ずかしさが募るばかりだ。

 

「は、早く行きましょうか」

 

「そうだな。うんうん」

 

そんな恥ずかしさから目を背けて歩き出す。目的地は聞いてはいないが、街中の方へと紗夜に手を引かれて赴く。さりげなく繋がれていた手の震えと緊張のせいか会話があまりに少なく、俺の視線は右往左往するばかり。紗夜もそれを察したらしい。

 

「その、遅刻して本当にすみません」

 

「え、いやいや、本当に良いんだよ。何かあったのか?」

 

「その……日菜が」

 

「あぁ……」

 

多分出掛けようとする姉を無理やり引き止めたのだろう。最近忙しそうで、家で一緒にいられる時間も少なくなったのだろうか。それで日菜も紗夜を必死に、流石あの妹と言うべきか。

 

「紗夜と一緒に居たいってか……」

 

「いえ、『雄緋くんと出掛けるのずるい!』と」

 

「あ、そっち?」

 

日菜の予想外の言いがかり。この程度ももしかすると氷川家ではありふれたやりとりなのかもしれない。

 

「なので日菜を鎮めてから来たもので」

 

「日菜を鎮めるのか……流石だな」

 

「まぁ。今日はその……雄緋さんとデートだと言うと、日菜が白目を剥いて倒れたので」

 

「えっそれ大丈夫?」

 

「平常運転です」

 

普段の氷川家では殺伐としたやり取りが繰り広げられているのかもしれない。日菜はそんなにも頻繁に卒倒じみたことになっているのだろうか。

 

「と、着きましたね」

 

「……旅行代理店?」

 

「えぇ、旅行雑誌を見るのが意外と楽しいと聞いたので」

 

店の前に設けられたラックには様々な旅先のマップが並べられている。どこも誰でも一度は聞いたことのあるような有名な観光地ばかりだ。色とりどりな表紙はつい手に取りたくなりそうだ。

 

「先日京都に行ってから、こうして旅先に想いを馳せるのも楽しそうだと思ったんですよ」

 

「へぇ、花女の修学旅行か。またあのメンバーで行くのか?」

 

「いえ、今度は2人で行くプランを探そうかと」

 

「あぁ、日菜とか? 姉妹仲も良くなったなぁ……」

 

「……はぁ。まぁいいです」

 

何故かため息をつかれる。あまり触れてはいけない部分に立ち入ってしまったのだろうか。

 

「……それより、今日はデートですから。折角なので行きたいところを探しましょう」

 

「あ、紗夜が探すんじゃなくて、俺のってこと?」

 

「はい。私は……どこでも良いですから」

 

観光云々のことはあまり考えていなかったものだから、何か行きたいところがありそうな冊子を斜め読みしてみる。旅行も、この間まりなさんとハイキングに行ったばっかりで、お金が飛んだりなんてのもあるのだが、探すだけならタダだろう。

 

「夏の観光地もまだまだ行き先があるんだな……。

 

「気になるところなどはありましたか?」

 

「うーん、海とかも良いなぁ。また行くことになるけど」

 

「……ちょっと待ってください。()()、ということは既に行ったということですか?」

 

「え?」

 

隣で雑誌を読んでいたはずの紗夜の鋭い眼光がこちらを見つめている。俺としてはそこまで意識した発言ではなかっただけにその勢いに気圧される。

 

「まぁ、彩や千聖と……」

 

「……今度行きましょう」

 

「え?」

 

「行きましょう、今度。海でも山でも良いですから」

 

「え、まぁ良いけど。でも山もこの間」

 

「誰とですか?!」

 

「まりなさん?」

 

「ぐはっ……」

 

「ちょ、紗夜ー?!」

 

俺が言い終わるとほぼ同時に意識を失ったかのように後ろに倒れる紗夜。それをなんとか支えようと、俺も紗夜の下に腕を滑り込ませる。しかし、思いの外紗夜の倒れる勢いが良すぎた。

 

「がっ……うっ……」

 

情けなくも支えきれずに倒れる俺と紗夜。俺の意識は遠のいていく……。

 

 

 

──────────

 

 

 

外は快晴。まさに夏の暑さそのものと言った感じで、照りつける太陽は眩しい。出歩くのは億劫だが、約束だから仕方がない。

 

「さ、準備するか……」

 

ベッドから体を起こす。今日で8月も終わりか。そんな呟きも部屋に消える。準備を終えると、いつもの部屋を飛び出した。

 

 

──────────

 

 

俺は呼び出された家の前にいた。何をするのかはまだ何も聞いていないが、家に呼び出されたということは何か家の中で出来ることであろうか。見覚えのある家の並びを抜けて、俺は目的地たる家のインターホンを鳴らす。

 

「おっ、来た来た☆ 上がって!」

 

「お邪魔します」

 

1日デートと称して呼び出されたのはリサの家。連れられるがままに部屋の方に通されて、リサは本棚の辺りを見てうんうんと唸っている。

 

「なぁ、何をするんだ?」

 

「んー、ちょっと待ってね」

 

「てっきり外に出掛けるとかそんな感じかと」

 

「あれ、どこか出掛けたいところとかあった?」

 

「特にそういうわけじゃないけど、リサが出掛けたいかなとか」

 

「アハハ、それ以上にやりたいことがあるんだよねぇ」

 

丁度目的のものを見つけたらしいリサは棚から一冊の本を持ってベッドに腰掛ける。そしてちょいちょいと手招きして俺を呼び寄せ、俺はリサの隣に座った。

 

「それなんだ?」

 

「これね、アタシが最近読んでハマってる小説なんだけど」

 

「小説とか読んでるのか……意外だな」

 

「ちょっとそれどういう意味ー? ま、それはさておき、この小説、ちょっとハマりすぎて、雄緋とこの中身を再現したいなって思ったんだよねぇ」

 

「再現? ファンの鑑だな……」

 

聞いたことのない小説と作者だったが、リサがそこまで入れ込むということはかなり作り込まれた小説なのだろうか。小説の内容を再現するだなんてあまり聞いたこともない。そんなわけでリサに見せられたページは。

 

「ここなんだけどね。女の子の彼氏が浮気したと思ってたらそれは女の子の勘違いで、2人の誤解が解けたシーン!」

 

「なるほ……って、恋愛小説なのか?」

 

「そうだよ?」

 

「ってことはまさか……」

 

俺はニヤニヤするリサに見守られながら、その小説を読み進める。男の子の弁明で女の子の誤解が解けた後は、女の子の家で2人……。

 

「おい待て、めちゃくちゃ官能的なシーン入ってない?!」

 

「えー? そんなことなかったと思うけどなー?」

 

「くっ……。……よし、なら帰るわ」

 

「えっ? 今日はアタシが雄緋のこと一日中好きにしても良い日なんだよね?」

 

「常識の範囲内だからな? これをするのは倫理的に問題があるよな?」

 

俺が逃げようとしたが、すかさずリサは俺の手首をしっかりと握っている。痛さすら感じるレベルの力の込め方で、絶対に逃さないという強い意志を感じる。

 

「倫理的に? 別に女の子の上に男の子が乗り掛かってるだけでしょ?」

 

「裸、半裸なんだよ!」

 

「あっ、脱ごうか? 見たいよね?」

 

「脱がなくていいから! それが問題だって言ってんの!!」

 

「……見たいのは否定しないんだ?」

 

心に宿りし108を退散させるべく俺は頬を叩く。さっき目を通した小説には描写こそ遠回しであれど、どうにもこうにもR-15に指定されそうな、いやそれよりも高い年齢にレーティング指定されそうな状況が描かれている。リサが言わんとしているのはそれを今ここで実践しようだなんていう、一歩間違えれば大事故の行為である。

 

「とにかく、ロールプレイはしないからな?」

 

「えー、ベッドの上でアタシが寝転がるから、その上に雄緋が乗り掛かってくれるだけでいいんだよ?」

 

()()、じゃないんだよ。だけじゃ」

 

「あっ……。満足できないんだ?」

 

「違います!!」

 

俺を揶揄って笑う姿はさながら小悪魔、サキュバスと言ったところか。さりげなくリサも距離を詰めてきているし、いくら俺が理性を保たせるだけとはいえ、暴走されたらたまったものじゃない。

 

「逆でもいいよ? 雄緋が寝転んで、アタシが馬乗りになるとか」

 

「もう小説から離れてるよな?」

 

「えー……。じゃあ壁ドン! 壁ドンされたいなぁ! ダメ?」

 

「う、まぁ、それぐらいなら」

 

明らかにアダルティックな連想を催す危険なあそびに比べたらそれの方がよっぽどマシか。そんな風に考えた俺は諦めてリサの要求に従うことにする。壁ドン程度なら恥ずかしさにさえ目を瞑ればどうってことはない。どういうわけか喜んでいるリサはスキップ気味にドアまで駆け寄って背中をドアに預けた。

 

「雄緋からの壁ドンちょー楽しみ! もちろん小説の通りカッコよく決めてくれるよね?」

 

「そんな期待されてもな……」

 

顔に揶揄いの余裕が浮かぶリサをそのままにしておくのは癪だったからか、思ったよりも強めにリサが背中を預けたドアを叩く。その音にビックリしたのかリサは押し黙り、小さく縮こまった。

 

「『……俺から、離れようとすんなよ』」

 

呼吸が止まり、時間すら止まったみたいに静かになる。リサは紅潮させたまま固まっていたが、しおらしい笑みを浮かべる。

 

「……うん。絶対にずっと、雄緋の隣にいさせてね?」

 

数秒間見つめあって、俺は完全に自分が何をしたかを理解する。リサは口を一つに結んで、目を閉じた。その瞬間、一気に顔が熱くなって。

 

「う、うぅ……」

 

「……え? ちょ、雄緋?! どーしたの?!」

 

視界が暗くなっていく……。

 

 

 

──────────

 

 

 

外は快晴。まさに夏の暑さそのものと言った感じで、照りつける太陽は眩しい。出歩くのは億劫だが、約束だから仕方がない。

 

「さ、準備するか……」

 

ベッドから体を起こす。今日で8月も終わりか。そんな呟きも部屋に消える。準備を終えると、いつもの部屋を飛び出した。

 

 

──────────

 

 

俺が呼び出されたのは商店街の近くだった。目的地や何をするかなんかは知らされてもいないし、時間通りに着いただけ。そしてそこに辿り着くと、こちらに向かって大きく手を振っている姿が見えた。

 

「おーい、遅いよー!」

 

「時間通りだから、許せ」

 

「それじゃ、早速いこー!」

 

「うぉっ」

 

あこの元気さには頭が上がらない。どうやら大学生になってしまった俺の元気は完全に失われたらしい。俺の手を握りしめて意気揚々と駆け出すあこに遅れを取らぬよう走り出す。

 

「はぁっ、はぁっ……、どこ行こうと、してる?」

 

「もうちょっとだよ! 早く行かなきゃ売り切れちゃう!」

 

「売り切れっ……?」

 

あこがここまで必死になって買い求めるということは、NFO関連のグッズとかだろうか。それともそれ以外のネットゲームの新発売のソフトとか、そんな感じだろうか。それなら向かう場所は家電量販店だとかそんな感じかと思ったが、ここは商店街の近くでそういう大型のお店はあまりない。

 

「すぐそこだから!」

 

「すぐ、そこ?」

 

住宅街を駆け抜けて、いつか見たような街並みを抜けるとそこには古めかしい家屋が。

 

「って、流星堂じゃないか」

 

「うんっ!」

 

磨りガラスの引き戸を開けて入った建物の中のニオイは独特。いわゆる骨董品とかが置いてあるであろうこの流星堂。古めかしいものもたくさん置いてあり、雰囲気をそのままにしたようなニオイだった。

 

「ここにそんな売り切れそうな商品とかあるのか……?」

 

「あるもん! 絶対レアだよ!!」

 

そりゃあ骨董品となればそれなりに希少価値が高いものが紛れているとは思うが、だからこそすぐに売り切れるというようにはならない気がする。少なくとも今ここには俺たち以外のお客さんはいない。

 

「で、何を買いに来たんだ?」

 

「これだよ! この杖!」

 

「は、杖?」

 

あこが取り出してきたもの。それは杖だった。しかも持ち手の部分には暗い店内の中で怪しく光る紫の親指大の石が埋め込まれていて、杖として使うには些か不安そうなように一部が曲がりくねっている。

 

「この杖、ものすごくカッコいいでしょ?! 魔法の杖みたい!!」

 

「まぁ雰囲気は……。というよりロッドみたいな……」

 

「でっしょー? これが欲しいなと思ってきたんだ!」

 

「へぇ……。まあ売れてなくて、買えて良かったな?」

 

「……その、それでゆーひにお願いがあって……」

 

「ん?」

 

「……ちょっとだけお金貸してください!!」

 

「え?」

 

俺はあこから杖を受け取り、一応申し訳程度につけられたタグを見る。

 

「ちょ、これ万単位するのか?!」

 

「お小遣いだけじゃ買えなくて……」

 

「なるほど……」

 

財布であることに一抹の寂しさを覚えつつも、さっきの目をキラキラと輝かせたあこの姿がリフレインする。たしかに俺も小さい頃にこんな杖を見れば、間違いなく自分のものにして振りかざしたいとか、そんなふうに考えたはずだ。この杖はそんな厨二心をくすぐる魅力がある。だが、大学生になってみればまず間違いなく無駄遣いをしたと後悔をする代物であるともわかる。それを教えてやるのは歳上の務めか……!

 

「買って?」

 

「買うわ」

 

負けた。いやもう、妹とか欲しいなってそう思ったもんな。めちゃくちゃ申し訳なさそうに上目遣いされたらそりゃ買っちゃうよ。借金してでも買っちゃうよ。借金せずとも買えるけども。

 

「すいません! お勘定お願いします!!」

 

「……え?! いいの?!」

 

「欲しいだろ?」

 

「でも高いし……」

 

「大学生にとったらこんなの誤差みたいなもんだ、気にするな」

 

「……ありがとう!」

 

多少の出費とはいえ、これほど輝かしい笑顔が見れたならまぁよしとしよう。その笑顔、プライスレス。

 

「ね、ねぇ! ゆーひにお礼がしたい!」

 

「お礼? 別にそんなの良いんだぞ?」

 

「あこがしなきゃ気が済まないもん!」

 

あこの目はなんだかうるうるとしている。そうともなれば、俺も無視することはできないだろう。俺はあこに言われるがままにしゃがんだ。

 

「……ありがと! ゆーひ!」

 

「えっ?」

 

ほっぺたに柔らかい感触。ぽかんとした俺をよそに、あこは顔を赤らめながらも笑っている。俺はそんな温かな光景が暗くなっていくのをぽかんと見ながら、ゆっくりと倒れていった。

 

 

 

──────────

 

 

 

外は快晴。まさに夏の暑さそのものと言った感じで、照りつける太陽は眩しい。出歩くのは億劫だが、約束だから仕方がない。

 

「さ、準備するか……」

 

ベッドから体を起こす。今日で8月も終わりか。そんな呟きも部屋に消える。準備を終えると、いつもの部屋を飛び出した。

 

 

──────────

 

 

「お邪魔します……」

 

「はい……、上がって、ください」

 

さっきから萎縮してばかりである。部屋に招き入れてくれたのは、まだ少しおどおどとした様子が見て取れる燐子。1日好きにしていい権利とやらで、まさかの家に呼び出されたというわけだ。

そして、何故萎縮してしまっているのか。単純に部屋の装飾が荘厳なのだ。グランドピアノがあるとは聞いていたが、それだけでも部屋の雰囲気はガラリと変わる。良くある子供部屋のイメージは皆無で、鎮座するピアノの隣にある3面モニターはピアノが織りなす部屋の空気とミスマッチすぎて、異空間のようにすら感じられる。

 

「あの、どうか、しましたか?」

 

「……いや、すごい広い部屋だな、と」

 

「落ち着かないですよね……! ごめんなさい」

 

そう言ってものすごい勢いで頭を下げた燐子に大慌てで顔を上げさせ、今日はどういう経緯で家に招かれたのかを尋ねる。

 

「今日は……一緒にこれをしようと」

 

「これ? ってまさかのモニターがもう一台?」

 

机の上にデカデカと設置されていたモニターに加えて、さらに新しいモニターが現れる。そういえばノートpcを持ってくるようには言われていたので、どうやら今日はそういうのをするということらしい。

 

「その……、2人で……NFOしませんか?」

 

「え? あぁ勿論いいけど」

 

一応NFO自体は俺もやったことはあるからアカウントはある。燐子やあこのようにやり込んでいるわけではないから、装備なども適当であるし、技術や戦術もまだまだだ。それでも一通りはプレイできるから、レクチャーとかは大丈夫だろう。

 

「でもNFOやるなら2人で集まらなくっても良かったんじゃ」

 

「……一緒に、隣でプレイしたいですから……!」

 

「な、なるほど?」

 

オンラインゲームなのだから遠隔プレイできるというのに、敢えて隣でプレイをしようとするのはそれなりの意図があるらしい。俺は自分のpcの電源を立ち上げながら、その意図とやらに探りを入れることにした。

 

「NFOを隣でプレイしたら邪魔にならないのか?」

 

「いえ……! むしろ雄緋さんが隣にいれば……、それだけで……すごく」

 

「すごく?」

 

「その……、ドキドキして……、もっと……くっつきたくなります」

 

「お、おお? それだともっとプレイしづらくなる気が」

 

「気持ちの、問題です……!」

 

現にゲーミングのチェアを2つ横に並べ、机の上に無理やりノートpcを置いているせいか、スペースはかなり狭い。何だったらお互いの腕は触れ合いそうな距離だし、燐子はそもそも頭を俺の肩に預け始めている。

 

「というよりなんで2人でNFOなんだ?」

 

「その……2人でプレイするイベントが今開催、されていて……」

 

「2人プレイ? それならあこでいいんじゃ」

 

「雄緋さんが……いいんです……!」

 

「な、なるほど。ありがとう……な?」

 

普段はあまり見ることもない燐子の気迫の困った声に困惑しながらも、取り敢えずNFOを立ち上げた俺。燐子とゲーム上で合流して、イベントが開催されているとかいうダンジョンに潜る。

 

「ちょっ、敵のレベルが圧倒的に俺より高いんだけど!」

 

「全部……わたしが……倒します……!」

 

燐子の魔法でバタバタと倒れていく敵モンスター。情けないことに俺が何も手も出さないまま経験値だけがやたらと溜まる。嬉しいのか嬉しくないのやら。

 

「雄緋さんは……着いてきてください……!」

 

「あっ、うん」

 

「暇だったらその……、ずっとわたしの背中を……」

 

「背中? 背後警戒?」

 

「いや……その……。と、とにかくいいです」

 

後ろからモンスターなんかが迫ってくる様子はない。どうやら本当に目の前で燐子が倒した以外の敵はリスポーンする前に突き進んでいるらしい。

そしてダンジョンもそこそこ進み、いよいよ部屋の雰囲気も変わってきた。燭台に灯された炎の揺らぎや重厚そうな扉。おそらくこの先にあるであろうボスにも臆さずに燐子は突き進んだ。

 

「……勝ちます!」

 

そこから先も、燐子の独壇場だった。まさかまさかの、ボス戦でありながらスキルか呪文か何かで完封し、10秒も数えないほどにすぐに終わってしまった。

そして部屋の中央に現れたのはいかにもな宝箱だった。

 

「このリングが……欲しかったんです……!」

 

「おお……?」

 

「能力強化もすごくて、それに婚約指輪みたいで……!」

 

「確かにめっちゃグラフィックのこだわりも」

 

画面に映る装備とはいえ、拡大できるモードではものすごく細かな凹凸までデザインされている。

 

「これで能力強化して……。第2回のNFOバトル企画をやれば雄緋さんが……!」

 

「え? どうかしたか?」

 

「なんでも、ありません……! 雄緋さん……もっとやりましょう」

 

そうして俺は数時間ダンジョンに潜り続けた。時には敵に追われ、その度に燐子から飛んできた火球が敵を包み、俺は何もせずとも経験値が振られていた。そのうち、目が疲れてきたからか伸びをしても瞼が重くなってきた。

 

「雄緋さん、眠たいんですか……?」

 

「……うん」

 

「わたしの……膝でよければ……!」

 

「ありがた……や……」

 

そして俺の意識は薄れていった……。

 

 

──────────

 

 

「……はっ」

 

なんだかものすごく長い夢を見ていたような気がする。目を覚ました俺がまず目にしたカレンダーには8月の文字が辛うじて残っているのが見える。

 

「今日は、デート(仮)の日だっけな……」

 

NFOのバトルロワイヤルの優勝景品とやらで俺の休日がまるまる費やされることになったこの企画。その企画を祝福せんとばかりに夏が盛りを見せている。

外は快晴。まさに夏の暑さそのものと言った感じで、照りつける太陽は眩しい。出歩くのは億劫だが、約束だから仕方がない。

 

「さ、準備するか……」

 

ベッドから体を起こす。今日で8月も終わりか。そんな呟きも部屋に消える。準備を終えると、いつもの部屋を飛び出した。

目指すは、バトルロワイヤルの優勝者の元へ。



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ドキドキダイエット【ひまり】

日差しの強さはまだまだ弱まらない9月上旬。そんな酷暑の中でもやがて訪れる食欲の秋を前に、恐怖に打ち震える女がいた……!

 

「うっ……」

 

体重計が導き出した数値、それは……!

 

 計 測 不 能 

 

「いやあぁぁぁぁ?!」

 

うら若き少女の悲鳴がこだました……ッ!

 

 

 

 

 

「と、いうわけだから助けてぇぇぇっっ?!」

 

「いやいきなり来て泣きつくな!!」

 

俺の家に来るなり、見るも無惨な体重計の写し出した現実を見せつけるひまり。なんの連絡もなしに家に来られたことで既に俺は大迷惑を被っているわけだが、さらなる迷惑に付き合わされそうな予感がしてならない。

 

「今から秋なんですよね? てことは私はこれからどうなるのぉ?!」

 

「食欲ぐらい自重すればどうとでもなるだろ! コンビニスイーツとか!」

 

「うぅぅ」

 

きっとこれだけじゃ今何が起きてるのか分からない人が大半だろう。俺もさっきひまりと会ったばかりでさっぱりだが、分からないなりに説明をすると、ひまりはどうも体重の増加を気にしているらしい。まぁ思春期であればそういう悩みを持つのだって当然なのだろう。気にしすぎは良くないわけだが。

 

「ただでさえ秋が控えてるのに……、このままの体重で、行ったら……あ、あ……」

 

悩みを持つどころか完全に絶望を抱えてしまった哀れなひまり。普段の食に関するところを見ればまぁ多少の体重の増加は仕方がないと思う部分も大きい。

 

「でもひまり、そんなに気にするほどなのか?」

 

「絶対太ってますもんこれ!」

 

「でも計測不能ってことは増えてない可能性もあるし、あ、いや、計測不能になったってことは計測可能な体重以上に……」

 

「え、違いますよね?! 私そんなに太ってませんよね?!」

 

「いやまぁ……うーん」

 

「その反応1番怖いですって!!」

 

揶揄っている時の反応が面白いのは確かだが、あまりに揶揄いすぎるのも性格が悪い。流石にひまりのこの見た目で計測不能になるほど体重が増えたということもないだろうから、恐らくこの体重計の調子が悪かった、ないしどこか壊れているとか大方そんなところだろう。じゃなければ、多分俺が乗ったって計測不能になんてなりはしない。

 

「ま、だから杞憂なんだし気にしすぎたら負けだぞって俺は思うけど」

 

「それでも気になるんですってぇ」

 

「じゃあ結局ひまりはどうしたいんだ?」

 

そう問われた瞬間、ひまりの表情が曇る。多分、ひまりもそれなりに覚悟を決めたものの、あと一歩のところが踏み出せずにここまで渋っているのだろう。

痩せたいという願望はかなり多くの人が持っている。体型を維持したいと考える人や、しなやかなスタイルになりたいと考える人は多い。そんな人がどんな道を通ってその身体を手に入れているのか?

 

「だ、ダイエットしたいなぁ……なんて」

 

「本当に?」

 

「……ダイエットを」

 

「本当に?」

 

「雄緋さん……! ダイエットがしたいです……!!」

 

ひまりは言い切った。その表情は完全に背水の陣とやらだろう。高く険しい道のりを踏破しなければならない、そんな覚悟だったはずだ。

 

「よし、それなら俺も協力しよう」

 

「雄緋さぁん……!」

 

まるで救いを求めるような目で俺を見上げるひまり。ここまでお願いされて、俺が突っぱねるなんてできよう筈もない。ひまりが自信を持って体重計に乗れるようにしっかりとサポートをしてあげるのが筋というものだろう。

 

「というわけだ、外出ようか」

 

「……いやです!」

 

「は?」

 

さっきまでダイエットをする空気満々だったひまり。しかし、どういうわけか外に出るのを拒む。俺もわけが分からないという顔をしていると、ひまりは相当に顔を強張らせて。

 

「外に出たら走り込みですよね? ぜっっったい嫌です!!」

 

「えぇ……」

 

まぁ走り込ませようとしてたけども。痩せるのに手っ取り早く思いつくのはランニングやジョギングの有酸素運動だし、俺は自転車でひまりと伴走しながら走り込ませるつもりだった。

 

「だってまだ外暑いですよね? 絶対に熱中症で倒れますよこんなの!」

 

「じゃあどこでダイエットするんだよ」

 

「空調の効いた涼しい屋内があるじゃないですか!!」

 

「お前本当に痩せる気あんの?」

 

ここは天国だ、と言わんばかりに胸を張って、この部屋でダイエットに勤しもうという魂胆らしい。秋に向けてダイエットをしようという気概は買うが、暑いから外に出て運動はしたくないとかいうワガママっぷりを見て、ひまりが痩せられそうという未来は見えない。

一方のひまりは俺がどう思おうがどう考えようが、屋内で痩せるという考えを曲げるつもりはないらしい。一朝一夕でそもそも痩せられないというのはさておき、少なくとも今日のところはこの部屋でダイエットを押し通すようだ。

 

「痩せるつもりでここに来たんですから当たり前じゃないですか! ちゃんとジャージも持ってきましたもん!」

 

「あのなひまり。持ってくるだけじゃ痩せないんだぞ」

 

「分かってますって! 運動するのに着替えますから!!」

 

たった1人だというのにこの騒ぎっぷりには感嘆するしかないが、元気そうで何よりだ。流石にこの家に来るまではジャージではなく普段着で来たひまりだったが、羽丘の名前が胸元に刻まれたジャージを抱えたまま思案に耽っている。

 

「って、どうした? 早くダイエットするんだろ?」

 

「……着替えるんですよ?」

 

「見ないぞ」

 

「なんでぇっ?!」

 

「俺がおかしいのか?」

 

ひまりの言うことが予測できてしまったのも悲しいが、なんだかこいつはそういうことを言いそうな気がしたのだ。反応を見るに図星だったらしい。

 

「女子高校生の生着替えシーンですよ?!」

 

「自分で言ってて恥ずかしくないのか?」

 

「無料で見放題ですよ?!」

 

「有料配信の宣伝文句じゃないんだから」

 

「見たくないんですか?!」

 

「犯罪って知ってる? というか早く着替えてこい。俺も暇じゃない」

 

「はーい……」

 

適当に冷たくあしらうと、とぼとぼと肩を落として廊下の方に消えていくひまり。衣ずれの音が聞こえては来るが、さっきまでの騒ぎっぷりのせいか、全く思うところはない。それにしても何を思って自らの着替えシーンを人に見せたがるのだろうか。そういう性癖ということであれば納得は行くのだが、せめて社会で生きていく上で人に迷惑をかけないようにはして欲しいものである。

 

「着替えましたぁ……」

 

「よし、じゃあ始めるか。屋内で出来ることなんかたかが知れてるけど」

 

「でも何をやるかは自分で考えてきましたよ!」

 

「珍しく段取りがいいな」

 

最初に泣きついてきた時点でノープランだと思っていたが、どうもそこそこ本気で痩せたいとは思っているようだ。ひまりが持ってきたポーチの中に入っていた手帳のようなものを取り出して何かを確認している。それなりに長い時間目を通しているからちゃんと計画は立てているらしい。

 

「まずは筋トレをしようかと!」

 

「まぁそれぐらいしか出来ないだろうけど」

 

「この余分な脂肪を全部筋肉にしちゃえばダイエットなんて余裕だと思うんですよ!」

 

きっと今の発言を聞いて筋トレに一度でも励もうとしたことがある人は可哀想なものを見る目でひまりのことを見そうだ。家庭でも出来るような筋トレですぐに筋肉がつくのであれば、あんなにスポーツジムなるものは普及していないだろうし、世の人は困らないだろう。そもそも筋肉の方が質量としては重くなることを言うのも野暮というものか。

 

「まずはお腹周りの脂肪を落としたいから……、腹筋からですよね!」

 

「うーん……まぁ、いっか。頑張れ」

 

いそいそと床の上に仰向けになって寝転がるひまり。それを上からぼーっと眺めていると、ひまりが抗議の目線を向けてきた。

 

「ちょっと! 手伝ってくださいよ!」

 

「え? 何を?」

 

「腹筋やるんですから膝のところ押さえといてください!」

 

「あー。頑張ってる姿を見届けるだけかと」

 

「もうちょっと近くで見届けてくださいよ〜!」

 

仕方がないと重い腰を上げ、ひまりが立てた膝を抱え込む俺。あまり体を触るのも良くないかと思い控えめに押さえていると、体重をかけてもいいから強く握れと叱られる、そんなやり取りを交わしながらようやくひまりは覚悟を決めたらしかった。

 

「それじゃ、行きますからね……」

 

「回数は数えてやるから頑張れ」

 

「ふっ……ふぅ〜……」

 

歯を食いしばりながら最初の一回、体を起こしたひまり。しかし、しっかりと体を起こしたにも関わらず、何故かひまりはもう一度床に体を倒そうとはしなかった。

 

「って、どうした?」

 

「いや、ここでもう一度寝ちゃったらまた体を起こさないといけないのかって思うと……」

 

「腹筋の最初の最初で悟らないでくれる? いいからもう一回」

 

「はぁい……」

 

渋々といった様子で寝転がったひまりだったが、やはり体を起こそうとはしない。筋トレに対してやる気が起こらないのはまぁ理解は出来るとして、人を巻き込んでいるわけなので流石に始めて5秒で飽きるなんてのはやめてほしい。

 

「あの……ちょっと提案いいですか!」

 

「なんだ? どうぞ」

 

「その、かなり苦しくって」

 

「はい」

 

「……ご褒美が欲しいなぁ、なんて」

 

「まだ2回目なんだけど?」

 

さぞかし疲れたみたいな顔をしているが、忘れてはならないのがまだひまりはダイエットと言いつつ腹筋を1回しただけである。1セットとかそういうのでもない。本当にたった1回体を起こしただけだ。

 

「そのぉ……もう少し体と顔をこっちの方にグッて近づけて欲しいなぁ……なんて」

 

「それは良いけど……。それのどこがご褒美なんだ?」

 

「それで、私が体を起こすのに合わせて、キスとかぁ……」

 

「うん、却下」

 

「なんでぇっ?!」

 

「黙ってろ煩悩」

 

ダイエットが云々と言っているが、その溜めてしまった脂肪たちも煩悩の行き着いた先と考えれば納得がいってしまう。種類の違う煩悩とはいえ、どうやらこのピンク髪のダイエット少女は頭の中までピンクになっているらしい。

 

「それなら私も頑張れるんです!!」

 

「そこまでしなきゃ頑張れないんなら多分ダイエットは無理だから諦めたほうがいいと思うぞ」

 

「くっ……正論……!」

 

これが正論という認識は出来るらしい。しかし、やはり煩悩まみれなのは事実らしく、ひまりは一歩も引こうとせず、そして。

 

「……分かりました」

 

「何が?」

 

「……私! 雄緋さんがそのつもりならジャージ脱ぎます!! 良いんですか、脱ぎますよ?!」

 

とんでもない脅しを吹っかけてくるひまりを前に、逃げの体制を取ろうとする。ひまりが1人で露出するのは勝手にして貰えば良いとして、それを目撃するというのは非常にまずい。

 

「……実はですね、雄緋さん。私、さっきブラもシャツも、脱いじゃったんですよね」

 

「……は?」

 

「つまりこのファスナーを下ろすと……」

 

「ちょ、下ろすな下ろすな」

 

ひまりは先ほどまでのかしましさすら感じさせるテンションから急激にムーディーな声色で囁いてくる。それだけに留まらずひまりはファスナーに手をかけ、数cm下ろしてみせた。少し暗く見える素肌を辿れば谷間が写り。

 

「ちょ……本当に」

 

「……見たいですよね?」

 

「よし、分かった。腰のところちゃんと押さえて、前屈みになるから」

 

「ありがとうございます!!」

 

俺が宣言したまま目を瞑り、ぐっと顔と体を前に倒すと、ファスナーを閉める音が聞こえてくる。俺がゆっくり目を開き、事故が発生していないことを確認すると、ひまりも息を整えて、しっかりと腹筋で体を起こす動作に入る。

 

「……私、頑張りますから!」

 

「分かったよ……」

 

目のやり場には困るが、どうにか覚悟を決めて俺もひまりと相対する。ひまりはグッと力んで、体を起こし……、体を起こし……。

 

「……あっ、やっぱり無理ぃ……」

 

「えっ?」

 

「この状態から……体起こすの無理ですぅ……」

 

「え、えぇ……」

 

まさかの2回目でノックアウト。まさかひまりがここまで貧弱だとは思ってもいなかったから困惑するが、何はともあれ変なことにならなくて良かったと胸を撫で下ろした。それも束の間。

 

「雄緋さん……」

 

「ん? って」

 

先程までひまり自身の頭の後ろに添えていたひまりの両腕が、突然視界の端で動く。そして俺の背中を掴むと、グイと急に体がひまりの方へと引き寄せられる。気が抜けて反応できなかった俺はそのまま。

 

「んっ……ふぅ……」

 

「……はぁ、おい」

 

まんまとひまりの策略にハマったらしかった。俺の反応を見たひまりはしてやってりと微笑んではいるが、その表情はなかなかに読めない。ただ、物凄く近くまでひまりの顔が迫り、薄らと頬が赤いのは確認できた。

 

「……雄緋さん。ごちそうさまです……」

 

「食べ物じゃないんだが?」

 

「分かってますよぉ……。えっへへぇ……」

 

やたらと上機嫌なひまりに俺は呆れるしかなく。触れ合った体への名残惜しさなどが薄れながら、沸々と別の感情が湧き上がってきた。そして体を起こした俺は、ひまりの手を握ったまま体を引き上げる。

 

「きゃっ、もう、雄緋さんも我慢できないんですよね? ダ・イ・タ・ンっ、なんて、きゃぁぁ〜!」

 

「おいひまり」

 

「えっ?」

 

「外、行くぞ」

 

「そ、外って。あっ、そ、そういうのが趣味……とかぁ……」

 

どうやら俺が言わんとしていることの意味を薄々理解したらしい。だが、俺はそんな冷や汗だらけの表情を見たところで手を緩めるほど優しくはないし、むしろ鬼畜なのだろう。

 

「はっはっ。そうだな、趣味だからな? ひまり」

 

「は、はいっ」

 

「……ランニング、行こっか?」

 

「い、いやぁぁぁっ?!」

 

断末魔が響き渡ったという……。

 

 

 

 

 

そして、必死のダイエットから数日が経ったある日のこと。ひまりは満ち溢れる自信と共に忌まわしき体重計と相対した。今なら絶対にこいつを打ち負かせると。その自信は雄緋と共にダイエットに励んだ苦しくも充実した日々が作り上げたものだった。

 

「よ、よぉし……。私なら、絶対に……行けるっ……!」

 

結果は。

 

「行けるんだからぁっ!」

 

 888.88kg 

 

「いっ」

 

勘違いが生んだ、悲劇。

 

「いやああぁぁぁぁっっっっ?!」



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兎追いし月見【たえ&有咲】

中秋の名月。秋に空に浮かぶ極上の月、それも惚れ惚れするほど明るい満月。風情あふれる秋の光景を楽しむ文化である。今宵の満月もその名に恥じないほどに輝きを放っている。少し眠い中呼び出されて、どこか複雑な俺の心を晴らすぐらいの清々しさを持っている。

 

「ようやく着いた……」

 

バイト帰りに訪れたのは有咲の家。月見がしたいというなんとも風流な誘いを受けたから足を運んだのだ。門扉を通り、少し古めかしい家屋を通り過ぎて離れの方に向かう。その先からは声が聞こえてくる。

 

「あっ、雄緋さんだ」

 

「たえか。有咲はいないのか?」

 

「お団子作ってます」

 

縁側に腰掛けて、どこかを見つめるでもなくぼーっとその辺りを眺めていたのはたえだった。俺の足音に気づいてようやくこちらの世界に帰ってきたらしく、あからさまにピクッと体を跳ね上げた後、ぺたぺた自分の頬を触っていた。

 

「というか浴衣着てるのか」

 

「雰囲気出るかなと思ったので」

 

兎を大量に飼い、大切に育て上げているたえは流石というべきか、その浴衣の柄にまで兎が描かれている。なかなか絵柄で兎をチョイスしたものは見たことはないが、きっと本人も探し続けて見つけたものとかなのだろう。

中秋とは言ったってまだまだ暑さは残る。夜こそ少し涼しくなって来ていて、風が吹けば肌を滑る感覚が心地よく感じることもあったが、今夜は風も吹かずにじんわりと暑さが漂う空気だった。縁側の付近も涼しいというほどのことはない。その証拠にたえの襟元、浴衣の合わせが少し開いたところから見える皮膚は汗ばんでいる。

 

「どこ見てるんですか?」

 

「あぁ、悪い」

 

あまりにセンシティブな部分を見続けてしまっていたらしく、たえから怪訝そうな目線が飛んできて慌てて目を逸らす。だが、思いの外たえは怒ってもいないらしく、普段と変わらない淡々とした声色のままだった。

 

「というより、座らないんですか?」

 

「座る?」

 

「ここ」

 

「あぁ」

 

庭に面した床面をたえが叩くと静かな辺りに低く鈍い音が響く。ここに座れと言われてるみたいで、促されるままにたえの隣に腰をかけた。俺が腰を下ろすとほぼ同時に、しゅっと音を立てながら右隣にスライドしてくるたえ。

 

「……近くない?」

 

「近いですか?」

 

「うん」

 

「私はそうは思わないです」

 

「俺はそう思うかな」

 

「なるほど、じゃあ平行線ということでこのままで」

 

言いくるめられた。日中労働をした疲れのせいだろうか。俺もそれ以上反論する気力も起こらない。まぁこれぐらい静かなのであればこういう穏やかな時間でも構わないか、なんて自分で納得する。なんだかたえの体の柔らかさみたいなのが直に伝わってきて恥ずかしいが、本人が近くないって言っているなら気にしても仕方ない。

 

「団子できたぞー……って雄緋さん?! おたえ近えって!!」

 

「あっ、有咲だ」

 

「お邪魔してるぞ」

 

「あっどうも……。じゃ、なーくーてー! おたえと雄緋さん近くないですか?!」

 

「近いとは言ったけど……なぁ」

 

「心の距離が近いなら体の距離も近くないと」

 

訳の分からない論理が展開されているが、そもそも俺とたえの心の距離はそんなにも近かったのだろうか。まぁそんな些細な疑問はどこへやらと追いやって、カンカンに騒ぎ立てる家主の怒りをどう鎮めようかと思案する。呼ばれたとはいえいきなり上がり込んでダラダラと過ごしているわけだから、有咲がイライラとするのはご尤もで。

 

「たえはいいとして……、確かに招かれたとは言いつつ何もしないのは気がひけるな。準備手伝うよ」

 

「そーじゃなくて……ってはぁ。準備できることもうないんですけど」

 

「あれ、そうなのか?」

 

団子を用意することのほかにお月見で何を準備すればいいのかは俺も詳しく知らないが、それでも座布団を出したりとか色々することはあるだろう。そう考えて俺も立ち上がろうとするが、たえが俺の右腕を引っ張ったまま離そうとしなかった。

 

「有咲、何時間も前から準備するぞーって張り切ってたもんね」

 

「あー!! おたえも余計なことは言わなくていいからな!」

 

「あれ、そうなのか。なら余計に何の手土産もなかったのは申し訳ないな……」

 

「今から一緒に買いに行きます? 私も何もしないのはどうかとは思ったので」

 

「行かなくていい!! おたえも変なことはせずにそこにいろ!」

 

「やったー」

 

……今までの会話の流れから察するに、もしかしてたえは準備段階から何もしていないのだろうか。2人の性格からすれば有咲が相当ケツ叩きをしなければたえは梃子でも動かなさそうではある。

 

「というか準備はもう粗方全部終わりましたから。ほら、雄緋さんもおたえも立てって」

 

「座布団か。ありがとうな」

 

硬い板張りの廊下の上にずっと座っていて、そろそろお尻が痛くなってくるかもしれない頃合いだったのでありがたく座布団に尻を乗せる。そして座ると同時に今度は反対側に有咲が陣取った。

 

「……有咲も近くない?」

 

「近いってなんですか?」

 

「……まぁいっか」

 

そんなわけで思考を放棄して、遂に今日呼ばれたメインの、月見を始めるに至ったのである。ここまで短いようで長かった。

……なんて振り返りたかったのだが、生憎にも先ほどまであまりなかった雲が今は空に見えている。月の周りに薄い雲が引いているだけだったのが、いつのまにか空を覆うような形で広がっていた。

 

「……月見えませんね」

 

「いや本当にな」

 

「有咲が叫んだりしてるから」

 

「私のせいなのかよっ?!」

 

「ちょ、暴れんなって」

 

俺を挟んで、有咲が普段通りのマイペースなたえに振り回されているのだが、俺の腕を抱え込んだまま急に振り向いたり体を捻るのは本当にやめてほしい。俺の腕、そんな方向に曲がるようには出来てないんだ。

 

「有咲そうだよ。アピールも大概にしなきゃ」

 

「アピール?」

 

「さっきまでおたえだってしてただろ?! ……うぅ、えいやっ」

 

「え?」

 

いきなり抱え込まれていた腕をさらに強く巻き取られる。有咲が前に体重をかけるようにして俺の腕は有咲の胸と両腕に沈む。

 

「えっと、……ど、どうですか雄緋さん……!」

 

「どうって……何が?」

 

「えっ、そりゃ」

 

「あっ、有咲の浴衣も似合ってると思うぞ」

 

「あっじゃねー! そういうことじゃねーー!」

 

「ぐっはぁ……」

 

その時パッと思った感想を口にした瞬間、俺の腹にすごい衝撃が走る。決して心にもないことを言ったわけでもないし、有咲が召している紫の花柄の浴衣は本当に似合っていると感じたのにどういうわけか俺は鉄拳を浴びたのである。続いて頬に走る凄まじい風圧と痛み。

 

「この朴念仁が!!」

 

「だから色仕掛けはダメだって言ったのに」

 

「そんなつもり……! なんで分かんねーんだよ!!」

 

あぁ……確か俺は月を見に来ていたはずなのに……。俺の視界には星が見える。お星様が見える。子どもの頃にクレヨンで描いた黄色よりも明るいお星様の周りでぴよぴよとひよこが鳴いている。

 

「有咲が強く叩いちゃうから雄緋さんの意識飛んじゃった」

 

「私か?! 私が悪いのか?!」

 

「いや、雄緋さんが鈍感なのが悪いと思う」

 

「……そ、それなら、仕方ない……よな?」

 

掠れていく視界。失われていくお星様の色。消えていく2人の声。薄れていく感触。俺の意識はみるみるうちに薄くなっていった。

 

 

 

 

 

次に目を覚ましたのは、変わらず空に月が浮かんでいる時だった。いや、最初に道すがら眺めた月なんかよりももっと明るい月だ。

そして、そんな明るさの月に目が眩まされながらも、やたらと柔らかい感触に困惑していると、俺の後頭部はどうやら柔らかく厚みのある何かに乗っているようだった。

 

「……ん、って、たえ……?」

 

「あっ、雄緋さん目が覚めました?」

 

「さっきはすみません! 私が雄緋さんビンタして気絶させちゃって! あとその……色々と変なことを」

 

「変なこと? あぁ、まぁ気にしてないけど」

 

俺が起きるのを見てやたらとあわあわする2人。どうやら俺が気絶するレベルだったことを相当気に病んでいるらしい。まぁ当たり前か、ただのビンタだと思ったらその人が気絶するだなんてのを目の当たりにすれば気が気ではないだろう。

 

「ほら、それよりあれ、見ろよ」

 

「えっ? ……あっ」

 

「あれ、さっきまで曇りだったのに」

 

俺が指差した先には下半分は少し雲に隠れつつも光を放つ月が。それに気がついたのか2人も俺の指差す方向を見て言葉を失ったように黙り込んでいる。

 

「すごい光景だな……」

 

まさに圧巻という表現がぴったりの、思わず見惚れてしまうほどに大きく、神々しい光を放つ月。こんなに綺麗な月を目の前にしては、このまま止まっているのももったいない気がしてならない。

 

「それじゃ早速」

 

「月も見えたことですし」

 

「月見をするか」

「兎を探そう」

 

「え?」

「え?」

 

よし、一旦落ち着こう、俺。今何を言われたのか、それから整理しよう。考えはさっぱり分からないが、今俺は兎を探そうと聞かれたらしい。何故兎。

 

「えっ、お月見って兎を探すんですよね?」

 

「お月見? 兎……? ……あっ、満月にいる兎を探すってこと?」

 

「はい。餅つきをする兎がいるらしいんです」

 

どうやら俺の隣で空を一生懸命に指差している少女はどこまでもピュアらしい。俺が見習わなくてはならないほど純粋な存在らしい。だって、満月の頃に餅つきをしている兎が月面にはいるんだってことを信じ切っている訳なのだから。煩悩なんてかけらもない、純真無垢を体現しているのだろう。

 

「いやいや流石にそれは」

 

「満月になったら餅つきをして、できた餅を食べたら美味しいらしいです。早く食べたいですよね。お腹すいたなぁ」

 

前言撤回。どうやらこの子は兎を追いつつ、その兎が作る餅を目当てで、その食欲で動いているらしい。完全に食欲で動いていたらしい。ただの煩悩の塊だった。

 

「いやいやおたえ……。月に兎はいねえって……」

 

「流石有咲」

 

「絶対いるよ」

 

有咲に諭されても頑なに指をあっちにこっちに伸ばして探そうとするたえ。そこまでの兎への執念には敵わないが、まぁ月を見るという当初の目的が達成できているならよしとしよう。

 

「……月って綺麗だよな」

 

「えっ」

 

「ん?」

 

俺がふとぼやいた月の綺麗さに途端に声をあげたのは隣にいた有咲だった。有咲は急にあわあわと辺りを見回したり、口をパクパクとさせたりして、明らかに様子がおかしい。

 

「大丈夫? 有咲」

 

「あ、え、いや、え、え、綺麗ってつまり」

 

「ん? いやだから、月って綺麗だなぁって」

 

「やっぱりだつまりこれってそういうことなんだよなきっとそうだ間違いない」

 

有咲はレスポンスするなりぶつぶつと何かを言うだけだし、いつのまにか抱え込まれていた俺の左腕も解放されている。

 

「わかります。ものすごく綺麗ですよね」

 

「おたえ?!」

 

「……? 月って綺麗ですよね?」

 

「あぁ、別にたえは変なこと言ってないと思うぞ?」

 

「ですよね」

 

たえと顔を見合わせてうんうんと頷き合う。どうして有咲がここまで取り乱すのか訳がわからないが、訳がわからないなりにたえと2人、うーんと首を傾げる。

 

「そうじゃなくて! おい! おたえ!」

 

「ずっと見てても飽きないもんな」

 

「分かります」

 

「はぁっ?! ちょい! おたえ待てって!!」

 

「もっと近くで見たいですよね」

 

「わかる」

 

「いやいや待てって!!」

 

「変な有咲。有咲は思わないの?」

 

「思うけど!! それってつまり!! 月が近くで見たいってことは!!」

 

「近くでもっと綺麗な月を見たいってことだよな」

「近くでもっと兎を探したいってことですよね」

 

「え?」

「え?」

「え?」

 

辺りを包む沈黙。兎というワードが出てきて思わず俺も思考回路が止まってしまったが、完全に意識が飛んでしまったらしい有咲はさておいて、俺はその兎を追い続けている花園の方に振り向く。

 

「兎?」

 

「はい。あっ、兎が見えた」

 

「えっ、いやいや見えない見えない」

 

「兎、見えないんですか?」

 

そんな顔で見られたところで見えないものは見えないし、月面に兎がいるわけでもない。兎が月でぺったんぺったんと餅をついているわけはないし、けれどもたえを納得させるのは俺にはできる気がしない。月の綺麗さ云々が興醒めしてしまうほどの苦労を要するだろう。

 

「私には兎が見えるんだけどなぁ」

 

「だから月面には絶対に兎なんかいないって……な、有咲。……有咲?」

 

「綺麗な……月……見たい……あぁ」

 

「どうしたの有咲?」

 

「……あう」

 

「有咲ー?!」

 

力が抜けてふらふらと後ろ向きに倒れた有咲。結局風流な月見など殆ど出来ないままに、兎を探し続ける月見は終わりを告げたのだった。



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アネトーーク【香澄&沙綾&巴&紗夜】

アネトーーク

 

「さて、今週も始まりました、『アネトーーク』。今日もガールズバンド界を代表する魅力的な姉の皆さんに来ていただいています」

 

突然呼び出されたCiRCLEのラウンジ。そこに赴いた俺はいかにもな衣装に着替えさせられ、使ったこともないようなピンマイクをつけられ、黒服が気になるカメラマンの方を向きながらハキハキと喋らされている。俺は適応力だけは無駄に高いが故に、何の抵抗もなくMCをしている、そういうわけだ。

 

「あっちゃん見てる〜? 戸山香澄ですっ!」

 

「あはは、恥ずかしいなぁ。あっ、山吹沙綾、3人姉弟の長女です」

 

「Roseliaの宇田川あこの姉こと、宇田川巴だ! よろしくなっ!」

 

「……氷川紗夜です。よろしくお願いします」

 

「えー、それでは今日も姉ならではの話をこの4人に語り尽くしてもらいましょう」

 

カンペ通りを読み上げるだけで良いなんて楽が出来て良い仕事だ、なんてどうでもいいことをつい考ええざるをえなくなっていた。

 

「それじゃ。最初のトークテーマは!」

 

 

『年下の可愛いところ』

 

 

「うーん全部かな?」

 

「惚気が来たな、いきなり」

 

「だってあっちゃんだもんねぇ」

 

「理由になってないよ、香澄」

 

ドラムロールに続く怒涛の惚気。香澄の妹愛は大したものだが、その語彙力の無さによって周囲からすれば何が何だかさっぱりである。

 

「じゃあさーやは語れるの?」

 

「え、純と紗南の可愛いところ?」

 

「うん」

 

香澄に問われて考え込んだ沙綾。顎に手を置いて何やら表情がコロコロと変わっている。

 

「巴はどう?」

 

「逃げたな沙綾……」

 

その表情の豊かさから推測するに、多分歳下たちの可愛いところは大量に思いついたのだろうが、それを全て語るにはあまりに多過ぎたのだろう。そういう自重であると信じたい。

 

「えっ、あこか? あこはとにかくアタシのことをカッコいいって思ってくれるところが可愛いんだよなぁ」

 

「まぁあこってカッコいいものへの憧れみたいなの強いもんな」

 

「そうなんですよ! いやぁ、あこのアタシが和太鼓を叩いてる時の目ときたら……」

 

そこまで言い切るなり、巴は目を閉じた。そして満足げに口から大きな息を吐き、恍惚と表現するのが相応しい顔色を見せている。

商店街なんかのお祭りで、法被を着込んだ凛々しい姿で和太鼓を叩いている巴。実はその裏で自分の妹に対してあまり表には出しづらい、劣情に似た感情を抱いているらしい。

 

「あはは……。紗夜はどうだ? 日菜の可愛いところとか」

 

「そうですね、日菜の可愛いところですか」

 

「……あっ、もしも思い出すのが辛いこととかあったら言わなくても」

 

刹那、先ほどまで俯き加減だった紗夜が面を上げた。

 

「まず日菜の可愛いところは皆さんが指摘している通り私のことを姉として慕ってくれていることでしょうか。私は日菜の才能を羨み、妬み、姉でありながら日菜を冷たくあしらったにも関わらず、日菜は小さな頃から常に私のことを慕い続けてくれています。勿論姉としてはそろそろ姉離れをして欲しくもありますが、正直に言えばそれはそれで寂しいという感情が拭いきれません。なぜならやはり日菜の思慕は普通の姉妹のそれを超えているような気がするほど大きなものだからです。私の心を溶かし切るほど温かく私を受け入れてくれた日菜の器の広さにはなんとも言えない離れ難さが。これは依存というものに近い感情かもしれません。何より日菜はたった1人の私の妹なわけでして、喩え日菜がいつか私のことを目障りに思うことがあったとしても日菜を守ることが私の責務なのであって、何処の馬の骨であろうと日菜に危害を加えるような輩がいるのであれば私はそれを潰しにかかります。それこそが実の妹を邪険にした愚かな姉が出来る唯一の贖罪だとすら考えています。あ、言うまでもないですが雄緋さんが日菜を娶ってくれるということであれば私は大賛成です。ただその時は私も日菜と一緒に可愛がってくだされば、それだけが条件です。雄緋さんの人柄が他の方々と比較しても群を抜いて素晴らしいことは他の誰でもない私が知っていますし、むしろ生涯の伴侶としては私には雄緋さん以外考えられません。ですから私のかけがえのない妹である日菜と一緒に私の人生を歩んでほしいのであって、あっ、これだと話の本筋からズレてしまいましたね、話を戻すと日菜が可愛いところは」

 

「長い長い長い、本当に長い。途中から聞き飽きたからあんまり聞いてなかったけど長過ぎ」

 

もはや息をする暇もなく日菜への愛を語る紗夜。いつのまにそこまで日菜に対する心情が改善したのかはさっぱりだが、ここまで一息で語れるあたり、日菜のことを思う姉としての気持ちはきっと本物なのだろう。

聞いている身としては長過ぎて呆れるばかりだった。だから雛壇的ポジションに座る他の姉たちの姿を確認しようと振り返ったが。

 

「流石紗夜先輩だ……!」

 

「日菜さんへの思いがここまで溢れるなんて凄いなぁ……」

 

「紗夜先輩の向き合い方、すごくアツイなぁ……!」

 

「どうしてこうなってんだろうなぁ……」

 

大好評。俺が途中から耳を傾けるのを放棄し始めた一方で、全てに聞き入って涙まで流しそうな勢いのこのオーディエンスは一体どうしたものか。スルーでいいのだろうか。そうしようか。

 

「よし、じゃあ次のトークテーマで」

 

 

『姉故の辛さ』

 

 

カンペとして出されたものは所謂あるあるのようなものだった。姉だからこそ抱える辛さとか大変さとかそういうのを引き出したいのだろう。

 

「姉として辛いこととかあるのか? じゃあさっきは最後だった紗夜に聞くか」

 

「辛いことですか……。やはり私の場合は自分と比較してしまうのは辛いですね、何事においても、双子の姉妹ってこともあるからか、どうしても比較されてしまいますから」

 

「なるほどな……。確かに紗夜はそれで悩んだ期間も長かったわけだし、多分他の人と比」

 

「ですが、それも日菜がいるから比較されるのであって、比較されるということはそれだけ日菜が尊い存在であることの裏返しでもあります。日菜が居てくれたおかげで私もモチベーションを保っている部分がありますから、そういう意味でもあまり辛いことではないのかもしれません。ただこれは私特有の問題ですから、姉故の辛さというテーマには」

 

「分かった分かった、話を振った俺が悪かった」

 

どうやら今日の紗夜は妹愛が強すぎる日の紗夜らしい。先程から凄い勢いで捲し立てることもあって俺もついていけないし他の姉たちも……、紗夜のことをまるで神様とか、師匠を見るような目で見つめている。そのカリスマ性には俺も勝てる気がしない。

 

「よし、じゃあ次のテーマいくから……って、ん?」

 

俺はこの大暴走紗夜をそこそこにあしらい、こちら側から見えるカンペらしきものに目を向けた。しかし、そこに書かれていたのはこれまでとは違うフォントで書かれている。少々不穏な文字。

 

 

『甘えたいこと 〜雄緋お兄ちゃんに甘えよう〜』

 

 

アナウンスをしてから俺はびっくりする。何より4人の反応があまりに鋭く、スタジオ全体の空気もなんだか一段と引き締まった気がする。俺は恐る恐る、その4人の有識者らしき人にさりげなくヘルプの目線を送った。だが、巴が俺からマイクを奪い取り、ノリノリで話し始めた。

 

「ここでお待ちかねのコーナー! 雄緋お兄ちゃんに全力で甘えるコーナーです」

 

「さて、今回こそは負けませんよ〜! 絶対にゆーひさんにいっぱい甘えます!!」

 

「いやいや待って、初耳なんだけど」

 

なんでも、ルール説明とかそういうのは一切なく、基本的に順番に俺に対して甘えたいことをこの場で告知して実践していくコーナーだそうだ。間違いなく俺は聞いたことがない。というか今日そんなことをやるなんて心つもりはしていなかった。

 

「えっ、てかお兄ちゃんって何?」

 

「だって雄緋さんはお兄ちゃんじゃないですか? 歳的に」

 

「それはそうだけども」

 

「姉という存在は、得てして甘えることができずに悩む存在なんです。だからいっぱい甘えさせてください!!」

 

「ちょ、分かったから顔上げろ」

 

そこまで頭を深々と下げてお願いされたら断れることなんて出来ない。俺は諦めて、表情がさらに輝きを増した4人と改めて向き合う。

 

「それじゃ、トップバッターは香澄! 頼んだぞ!!」

 

「はーい! ゆーひさんにはー」

 

「なんだ?」

 

「あっちゃんみたいにツンツンしなくてもいいから、ハグする私も受け止めてナデナデして欲しいです!」

 

「お、おお?」

 

明日香はツンツンとしているのか、なんてことに考えが及ぶ間もなく、香澄は俺から少し距離をとった。そして助走の勢いのまま飛び込んでくる。

 

「うおっ」

 

「えーい! ……おぉ、……ナデナデしてください!」

 

「こうか?」

 

思わず後ろにのけぞってしまいそうになるほどの香澄の飛び込みを、足を踏ん張って受け止める。そして俺の胸元にすっぽり収まった香澄の星のような、はたまた角にも猫耳にも見える髪型を形作るヘアを撫で回す。香澄の方からは小さく鼻で呼吸をする音が聞こえてくるから、これでいいのだろうか。

 

「……はい! 香澄はこれで終しまいだな!」

 

「ええっ! まだちょっとしか堪能できてない!!」

 

「今度またやるから!」

 

「うぅ……」

 

「次は沙綾かな?」

 

「わ、私?」

 

抱きしめている間は満足そうだったが、離れた途端に暗くなる香澄に頭を抱える。けれども心を鬼にして香澄と離れ、隣でモゾモゾとしている。そして次なる沙綾へと移る。

 

「その……頑張りを褒めて欲しいです」

 

「褒めて欲しい?」

 

香澄の時とは違い、力なくしなだれかかってくる様を見ると、沙綾は少し姉として力が入り過ぎて疲れが溜まっているのではないかと感じた。だから、片手で沙綾の背中を包みながら俺は答えるようにする。

 

「沙綾は小さい弟や妹を抱えて、家事から家の手伝い、バイト、学校も頑張ってるって本当にすごいよな」

 

「そう……ですかね」

 

「きっと甘える機会がないから、こういうところでしか発散できないんだよな」

 

「……その通り、かも」

 

「俺でよければいつでも相談に乗るし、協力もするから……」

 

「……ふふっ」

 

沙綾は柔和な笑みを浮かべると目を閉じた。そして小さく例の言葉を述べると、そのまま足音も立てないままに自分の席へと帰っていった。その表情は相当な達成感を得たようだった。

 

「よし、なら次はアタシだな」

 

「巴か。巴の甘えたいことってなんなんだ?」

 

「それはだな……」

 

巴は何を言うでもなく、ソファに腰掛けていた俺の隣に腰を下ろして、頭を俺の肩に乗せた。そのまま何も言わないまま、巴は目を閉じているし、時間だけが経つ。

 

「えっと、巴。これでいいのか?」

 

「……はい。こうするだけで……」

 

続きを言わないからこそ、巴がはっきりと何を考えているかは分からない。ただ、巴にとって甘える時間やタイミングがないのは気にしていたようで、この無言の空間というのがきっと落ち着くのだろう。

 

「……雄緋さん。ありがとうございます」

 

「……礼で言われるほど大したことはしてないよ」

 

十分弱ぐらい経っただろうか。ようやく巴が体を起こして立ち上がる。そして。

 

「じゃあ後は紗夜さんだけですね!」

 

「あぁ、紗夜。よろしくな」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

何故かよそよそしく頭を下げられたような気がするが、俺は気にせず、例に漏れずに身体を密着させてくる紗夜の方を見つめる。

 

「甘えるというのはどうも苦手なので」

 

「まぁ、だからこそ今日は俺に甘えるって話だもんな」

 

「……その、まずは雄緋兄さんと呼んでいいでしょうか……?」

 

「……めっちゃくちゃ恥ずかしいけど、とりあえずどうぞ」

 

「雄緋兄さん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

はっ。思わず俺の意識が飛ぶところだった。だってそうだろう。普段はクールを貫く紗夜がいきなり上目遣いで兄さん呼びだなんて。俺も末っ子であるからこそ年上になることに対する憧れのようなものはある。そこにグッと刺さったのだ。

 

「雄緋さん! 大丈夫ですか?!」

 

「ああいや。紗夜」

 

「は、はい」

 

「もう一回、兄さんと」

 

「……いえ、それだけじゃ」

 

「え?」

 

紗夜は一旦俯いて気持ちを整理しているらしい。そりゃあまぁ、かなり恥ずかしいことをしている自覚はあるし、覚悟のようなものも必要か。少しして紗夜が顔を上げる。

 

「……お兄ちゃん」

 

「ぐはっ」

 

「……その、大好き……というと陳腐ですが、日菜の言葉を借りるなら、おにーちゃん、だーいすき……なんて」

 

この世界は、実に興味深い。嗚呼、神は何を考えてこの可憐な双子の姉を産み落とし給うか。

 

「……雄緋さん?」

 

「紗夜、……今日はお兄ちゃんに甘えていいからな」

 

「えっ。……うん」

 

紗夜は俺のお腹のあたりに顔を埋めたまま、なんの返事もせずにじっとしていた。

 

「これは紗夜先輩……」

 

「すごいなぁ、これぐらい私も甘えられるようになったら……」

 

「……あこにもこんな甘え方、されたことないかもな」

 

そのうち、俺の膝の上からは小さな寝息が聞こえてきた。そこには凛々しく風紀を取り締まったり、妹に躾を加える優しく厳しい姉の姿はなく。ただ1人の少女の姿があった。

 

「……えっと、アネトーーク、今週はこの辺で!!」

 



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演劇部にも新しい風を【薫&麻弥】

「時に雄緋……。芸術の秋という言葉を聞いたことはあるだろうか」

 

「まぁ、聞いたこともあるし、知ってもいるけど」

 

昔懐かしい高校の部室。ありふれた木製の椅子に座らされ、自分の世界に没頭した羽丘の王子様からご高説を受けている最中である。最中とは言ってもつい15分ほど前に始まったばかりだが、すでに俺の心持ちとしては帰りたい気持ちでいっぱいである。集会なんかで校長先生の話をずっと聞くのは苦痛に感じると思う人はそこそこいるだろう。つまりそういうことである。

 

「それで、我が演劇部にも新しい風を吹き込みたいんだ」

 

「新しい風?」

 

「そう。この芸術の秋に相応しいような、舞台芸術の真骨頂を作り上げたいのさ」

 

さっきまでは座ったまま語り出したかと思えば、急に立ち上がってポージングを決めるあたりえらく元気な王子様なこと。俺が呆れ気味なことに気づいたのだろうか、王子様こと薫はこちらに手を伸ばす。

 

「さぁ雄緋。私と共に新しい芸術の秋を探しに行こうじゃないか」

 

「お断りします」

 

「……儚い」

 

何が起きてどうなっているのか状況が掴めない人もいるだろう。それはある夕方のことだった。家で暇をしていた俺の元への来訪者。麻弥しかいないと思ってドアを開けたのがミスだった。

何も言わずに羽丘まで来てくれと言われ、着いてきたらいきなり部室に拉致されて、今はこんな状況である。そして俺を連れ出した肝心の麻弥は部室の隅にある椅子に深く腰掛けている。その顔はどこか虚空を見つめており、相当な疲れが目に見えて分かった。

 

「何故ダメなんだい? 芸術の秋、普段関わることの少ない世界に造詣を深めるのにはもってこいだ」

 

「生憎暇じゃないし、どうせ俺を演劇に呼んでどうこうって話なんだろ? そんな経験ほとんどないぞ」

 

「流石、鋭いじゃないか。その通りだよ」

 

俺は隠すこともなく大きなため息をつく。壁掛けのシンプルな時計を見ればもう本当なら家で早めのご飯を食べて、のんびりと夜の時間を過ごすつもりだった頃。俺は徐に立ち上がり部屋を後にしようとする。そこですかさず、それまでは部屋の隅にいた麻弥が俺を止めに入る。

 

「お願いします雄緋さん! もう少しだけ話だけでも聞いてください!」

 

「話聞くって言っても……。この話ずっと聞き続けるのある意味相当辛いんだけど」

 

「それはジブンも……、ってとにかく! どうかお願いします!」

 

必死になって頭を下げる麻弥。どうしてそこまでして必死になって俺を舞台に出させようとしているのだろうか。どうやら麻弥だけでなく薫も、澄ました表情ながら顔はキョロキョロとあちこちを見つめ、少々落ち着きがないようだ。

 

「何か俺が出ないと後ろめたいことでもあるのか?」

 

「そそそそそんなことあるわけないじゃないか。だろう、麻弥?」

 

「そっそっそっ、そーですよ! まさか千聖さんに怒られたりは……あっ」

 

「は? 千聖?」

 

どういうわけか演劇部の部員ですらない名前が飛び出てきて、俺は薫の方に振り返る。俺と目があったはずの薫は分かりやすく目を逸らす。そして右往左往していた目線は最終的に薫が握りしめていたスマホの画面に向いていた。

 

「……なんだ薫。そのスマホの画面は」

 

「何もないよ、雄緋の気のせいさ。そう、シェイクスピアも言っている。気にしたら負けと」

 

またチラリとスマホを表に向ける薫。怪しい、そう踏んだ俺はつかつかと薫の方ににじり寄る。

 

「薫、画面を見せてくれたら考えないこともないぞ」

 

「ほ、本当かい? なら——」

 

「あっ、ダメですって薫さん!」

 

麻弥が止める声も虚しく、薫がこちらにスマートフォンの画面を向けてくる。その画面には何やらメッセージアプリが表示されていて。

 

 < 12   ちーちゃん

既読
実は今度羽丘演劇部で舞台をやるんだ

 

既読
千聖、君も出てくれないだろうか

 

昨日

嫌よ。観には行くからそれでいいでしょう

 

既読
千聖がヒロインの脚本なんだ

 

今日

また貴方が主役かしら? 嫌なものは嫌よ

 

既読
相手役は雄緋さ。悪くないだろう?

 

詳しく

 

早く

 

教えなさい

 

はよ

 

既読
すまない。先生と話していてね

 

既読
君と雄緋の恋愛ものだ、出てくれるかい?

 

当然よ。プロだもの、どんな舞台でも

喜んで全力を尽くすわ

 

暫くお仕事はキャンセルするから

 

キスシーンなんかもあるのかしら?

 

既読
沢山用意しているよ

 

最高

 

「おい、なんで勝手に俺の名前出してんの? というか俺が既に出る予定で演者を集めてんの?」

 

ものの見事に千聖を勧誘する餌として俺を使っている光景が。まさかとは思ったが本当に俺を出汁に人を集めているとは。そもそも俺とて演技がそう上手いわけでもないのに千聖がここまで食いつくのも謎な話だが。

 

「もう俺出なくてもいいよな?」

 

「そ、そこをなんとか! 雄緋さんに出てもらえないと……」

 

「出てもらえないと?」

 

「……千聖さんから、二度と口を聞かないと」

 

「Oh……」

 

仮にも同じグループであるというのに。それにもう片割れも幼馴染のはずが。流石に俺が渋り続けることで友情崩壊というわけにはいかない。千聖もそこまで本気で言っているわけではないだろうが、光栄だと思ってやるしかあるまい。

 

「……分かった、やるよ」

 

「本当ですか?! ありがとうございます!!」

 

「助かるよ、雄緋」

 

「まぁ今回はな。でもこれからはせめてちゃんと俺に確認をとってからやれよ」

 

こうしてなんの気もなしに主役として舞台に上がることが決定してしまったわけだが、残念なことに俺に演劇の才は殆どないと言ってもいいだろう。学んだことも、演じた経験もまるでないわけで。強いて言うなら以前に時代劇擬きをさせられたことぐらいだろうか。

 

「でも、俺は演劇とかほぼやってないし、稽古とかも分からないぞ」

 

「そのために今日呼んだんだよ。さぁ、私たちと一緒に練習しよう」

 

そうやっていきなり手渡されたのはそこそこの厚さの台本。既に主役の欄には俺の名前が記されていて、俺がこの舞台に出ることは確定事項であったらしい。

 

「練習って言ったって、台本も読まずにいきなりやるのか……」

 

「大丈夫だ。私がリードしよう」

 

「監督と脚本はジブンが務めてるので大丈夫ですよ!」

 

俺を惑わす甘言。そんな風に言われてしまうとなんだか根拠のない自信が溢れてきて、何でも出来るような気がしてくる。台本を読まなかったとしても、普通に指示された通りに動くことぐらい俺にだって出来るだろう。そうだ、なんだって、どんな無茶な台本だろうがアドリブで。

 

「それじゃあまずは『姫を前に抱えたまま燃え盛るお城の窓から10m下の地面に飛び降りて、姫に怪我がないことを確認した後、姫から深い愛情の籠った口づけを与えられるシーン』からだ」

 

「待って待って待って、アクションとラブコメが入り混じりすぎじゃない?」

 

情報が停滞していて、1発で完全に理解できた気がしないが、整理をするとこういうことだろう? お城炎上、俺が姫を助けて飛び降りる。無傷の2人は幸せなキスをして終了。

 

「ここのシーン結構手の込んだ演出なんです! 実際に体育館を燃やすんですよ!!」

 

「俺とか観客を仕留めにかかってる? 絶対千聖もそんな舞台やりたがらないと思うけど」

 

「千聖なら、『雄緋と一緒に心中……。ふふ、私と雄緋が永遠に赤い口づけで結ばれるなんて素敵ね……』って、理解してくれたよ」

 

「怖すぎない? というか俺はまだ死ぬつもりないからな?!」

 

千聖も何を縁起でもない冗談を言っているのだろうか。薫にそんな冗談を言ってしまえば真に受けて実行してしまいそうだろうに。いや、薫の相手をするのが面倒になってしまったのかもしれない。それならば俺が全力で止めなければ。

 

「体育館燃やすとか普通に考えて無理だからな?」

 

「えー……。でもスケールの大きなことをして、演劇界に新しい風を吹き込ませようと……」

 

「新しい風が吹き込んで燃えるんだけど?」

 

どうやらこの演劇部は芸術の秋とやらを履き違えまくった結果、トンデモな思考回路になってしまったらしい。それに乗っかる千聖も大概だが、俺は極めて常識的な考えを持っているわけで、流石にこの案に賛同はできない。

 

「助け出すシーンが大事ならもっと他にもシチュエーションあるよな? 燃えるにしても他に演出のやりようはあるよな? 照明落として赤黒い光を当てるとか」

 

「その発想はなかったです!」

 

「えぇ……」

 

少なくとも学校の施設を燃やすという発想よりは陳腐であり常識的な発想だと思う。だが、このイカれた演劇部員たちにとってはそれじゃあまだまだ生ぬるいということらしい。

 

「それよりも雄緋。体育館炎上はさておき、ヒロインを抱えながら飛び降りるなんて出来るのかい?」

 

「忘れてた。流石に10m飛び降りるのは生身じゃ無理だよ?」

 

体育館炎上はさておき、なんてパワーワードをスルーするのも心苦しいが、それより俺の生命の危機がもう一点。そうだ、俺は人を抱えたまま、10m下に飛び降りるということを強いられそうになっているのである。

 

「そもそも体育館の天井の高さを見積もっても10mなんて取れないだろ?」

 

「あぁ、今のところは体育館の天井を開閉できるように改造するつもりなんですよ!」

 

天井が開閉? 体育館の天井が開閉されるってどういうこと? ドームとかの天井が開いて空が見えるような状態になるってことだよね、私立高校の体育館の天井が。えっ、しかもその改造を施して最後は燃やすの?

 

「お前ら倫理観どこに置いてきたの? 流石に現実味がなさすぎだろ!」

 

「ダメですかね……」

 

「ダメだよ絶対!!」

 

「でもそうすると、演劇部に新しい風を吹き込ませる夢が……」

 

「演劇部に魂売りすぎだろ!!」

 

打ち込むのはいいとして巻き込まれる学校施設が可哀想すぎる。流石にこの計画を学校に通した時点で即却下されそうだが、あの生徒会長ならOKを出してしまいそうで恐ろしい。

俺にバッサリと計画を斬り捨てられたからか麻弥はガッカリと項垂れ、薫も頭に手を当てて悩んでいるようだ。

 

「だが、姫を連れ出すと言うプロットを変更なんて出来ないよ」

 

「千聖さんにはもうその条件で伝えてありますからね……」

 

「本当に段取りから計画まで無謀が過ぎるな……」

 

「だからと言ってはだが雄緋、折角だからお姫様抱っこの状態から飛び降りる練習だけはしておこう」

 

「どういう練習?」

 

さっきのシーンはどうやら筋書きからして中々変えることは渋いらしく、俺の膝がピンチなことには違いないらしい。流石に自分1人の体重なら2m弱ぐらいであれば大きな負傷なく飛び降りれそうだが。人を1人抱えたままとなると、間違いなく俺の膝は再起不能になるだろう。

 

「だから、雄緋。今日は私を抱えて飛び降りてくれないだろうか」

 

「澄ました顔して何言ってんの? 俺の膝が確実に昇天するんだけど?」

 

「か、薫さん。やっぱり」

 

薫よりは常識を持ち合わせていたのか、麻弥が薫の手を引いて距離を取り、コソコソと2人で話し合っている。何を話しているかは少し聞こえそうにないが、多分、無理はさせられないという常識的な意見を進言してくれるのだろう。

 

「薫さん、ここはジブンが」

 

「麻弥。君は以前花嫁姿で雄緋と写真を撮ったそうじゃないか」

 

「でも! ジブンの方が身長も低いですよ!」

 

「だ、だがしかし……」

 

「ここはジブンがお姫様抱っこされるべきです!」

 

「……いや! いくら麻弥でもここは譲れない!」

 

「お前ら何話してんだ?」

 

その瞬間、ガラガラガラと部室のドアがスライドして開く。勢いよく開かれたドアはバーンという大きな音を立てて、部屋中の視線を集めた。そして、そんな騒がしい来訪者の正体は。

 

「あっ、やっぱり雄緋くんここにいたんだ! るんっ♪ってしたんだよね、一緒に帰ろーよー!!」

 

「えっちょ、引っ張」

 

「ま、待ってください日菜さん!」

 

「それじゃあ貰ってくね!! えへへー、今日は雄緋くんとおねーちゃんとでお家デートだね!!」

 

「おわぁっ?!」

 

あっという間に演劇部の部室が遠くに消えていく。そのまま廊下をものすごい力で引き摺られた俺は氷川家へと連行されるのであった……。

 

「……儚い」



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合コンの乱【千聖&リサ&花音&瑠唯&レイヤ&マスキング】

こちらは大鉄人ワンセブン様のリクエストを元にした作品です。リクエストしていただきありがとうございました!








「よう雄緋、飲まないか?」

 

「は? 今日?」

 

大学での講義を終え、帰路に着こうとする俺に声をかけたのは大学の友人。当然だが俺だってどこぞのバンドをしている女子高校生たちとだけ絡んでいるわけではない。同年代、それも同性の友達だっている。だから奇怪なものを見るような目で見ないで欲しい。

それはそれとして、俺はその友人の誘い方が気になって仕方がない。普段飲みに誘う時とは違いその手に握られているのは。

 

「そりゃ、この誘い方なら今日に決まってるだろ?」

 

「……空いてるはいるけど。……その手の、どうした?」

 

握られていたのは、札束でした。

まるで見せびらかすかのように札束で扇を作り、贅沢にも成金の扇で涼んでいる。普段は俺と一緒に金欠がどうのと言っている友達だったものだから、一体どこからその資金が出てきたのかが気になって仕方がない。

 

「実はだな……、当てちゃったんだよな」

 

「宝くじ?」

 

「馬券」

 

「あぁ……」

 

どうやらそれが泡銭であることは違いないらしい。きっと一瞬でその扇は消えてしまうのだろうが、普段金欠に喘いでいる手前、見栄を張るために消えるのだろう。

 

「で、奢るから来ない? 飲み会はいいぞー」

 

「大人数の飲み会なら勘弁したいけどな。そういうの苦手だし」

 

「だーいじょうぶだって。どうせ男しか来ないしさ」

 

「そういう問題じゃ……。まぁ誘われて断るのもなんだし、行くから」

 

「やりぃ」

 

やんわりと断ろうとしたつもりだったが、逃げ道は尽く潰される。こいつの中で俺を誘うことはマストになっていたらしく、俺はそのまま連行される。どうせ大学近くの学生街の居酒屋さんだろうと思っていたが、意外にも連れられるがままに電車に揺られて数駅。駅前に降り立つと大学生だけでなく、高校生ぐらいに見える若者からサラリーマンまで、多くの人が行き交っている。

 

「約束してるお店がちょっと大学から離れてんだよな」

 

「約束?」

 

「こっちの話だから、気にすんな」

 

俺が詳細を多少詰めようとしてものらりくらりとかわされる。約束とやらも、何人が来るかとか、店のことすら教えてくれない。一体何のサプライズか何かかと思って店に着いた俺は、後悔することになった。

 

「おっこの店の奥の席……。おっ、いたいた! 初めまして!」

 

「初めまして? おいこれ」

 

オレンジ色に照らされたテーブルに座っていたのは俺たちと同年代ぐらいの女性が3名。どうやらその3人も互いに知り合いらしく、俺たちが席に現れるまでは仲睦まじそうに話しているようだった。

俺は混乱して、ここに連れてきた元凶を問いただすべく、その服を無理矢理引っ張り耳打ちした。

 

「これか? 合コンに決まってるだろ。いやぁ、今日の子マジで綺麗な子ばっかっしょ?」

 

「いやいや綺麗が云々とかじゃなくて、俺何も聞いてないんだけど?」

 

「言ってないからな。言ったら来ねぇじゃん、『俺は誠実だから一夜の過ちはしない!』とか叫んでさ」

 

「そんなの言った覚えないんだけど?」

 

「お二人とも、座らないんですか?」

 

「えっ?」

 

席にもつかずに話し合う俺たちを見て疑問に思ったのだろう。この合コンとやらの参加者らしき茶髪のロングの女性が明るいトーンのまま手をこまねきしていた。

 

「もちろん! 座ります!」

 

「あっ、ワタシはその後ろの男の子の隣が良いかなぁ〜」

 

「え、俺?」

 

「くっ、ご指名入り……ました……」

 

キャバクラみたいな遺言を残して生気を失ってしまった友を拝みながら、俺は指名の通りにその子の隣の椅子に座る。席順が思い通りに行ってご満悦らしい彼女はメニューをこちらに見せながら、ぐるりとこのテーブルを見回していた。

 

「取り敢えず生でいいかな?」

 

「あ、うん。それでお願いします」

 

「緊張してるの? 可愛い〜!」

 

初対面でここまで距離を詰められるとも想定していない俺はどうにか平静を保つ。揶揄いながらも首を傾げる仕草なんかを見ていると、整った顔立ちに隠れた愛らしさのようなところを感じで思わず気後れしそうになっていた。そんな女性慣れしていないような俺を見て優越感に浸ったような顔のかつての友の腿をこっそりつねっておく。

ドリンクはすぐにオーダーが通り、机の上には泡が溢れんばかりの生ビールジョッキが並ぶ。

 

「それじゃ、かんぱーい!」

 

音頭と一緒にグラスのぶつかり合う音が響く。俺は慣れない合コンなどという環境でどう立ち回るかを定石の知識もなしに考えたが、口数がただただ少なくなる。そこ、コミュ障とか言わない。

女性慣れというか、このような場の空気感に慣れない俺がどんな失態を晒したか、そういうところがきっと気になるだろう。何をして空気を盛り下げてしまったのか、気になる頃だろう。

俺は……。

 

「それじゃ今日最初の王様だーれだ!」

 

「ワタシだ! えっと〜、じゃーあ、王様にキスを……3番の人!」

 

「あー、俺だ」

 

「……どこでもいーよ?」

 

ノリノリだった。いやだってお酒入ったんだもん。最初こそ自己紹介したりで会話を繋いでたけど、途中からアルコール入って訳わかんなくなっちゃった。今だってどういうわけか俺は隣の子の肩を持っているわけだし。距離としては30cmも離れてないし、その子も目を閉じていた。

 

「雄緋のやつ……!」

 

隣から今日の場をセッティングしたことが判明した馬鹿の声が聞こえてきたが、手拍子に乗せられた俺はそのまま。肩を強く握って……。

 

「あれ? 雄緋じゃん☆ ナニ、してんの?」

 

「……えっ?」

 

時が止まった。

キンキンに冷えたビールよりもガチガチに冷えた場の空気。俺が目を開くと、困惑する女の子の姿。そりゃあそうか、俺も状況がよく分かっていない。声がしたのは後ろから。恐る恐る振り向くと。

 

「……雄緋さん。見損ないました」

 

「酒に酔って乱暴、最悪ね。普通のお説教だけじゃ足りないかしら?」

 

「あ、え、え?」

 

およそ、飲み屋には似つかわしくない高校生の影。しかもその姿は俺がよく見知った。

 

「えっと、雄緋くん? この子たちは」

 

「あら、申し遅れました。私、北条雄緋の恋人の千聖と申します」

 

「……はぁ。アタシ、北条雄緋の伴侶の、リサです」

 

「ふぇぇ?! えっと、雄緋くんのう、運命の人の花音です」

 

「八潮瑠唯です。北条雄緋の婚約者です」

 

「あっ、私。雄緋さんのつ、妻のレイです」

 

「私はますき。雄緋の女だけど」

 

沈黙が訪れる。

 

「なーんで雄緋に手出してるの?」

 

6人の鋭い眼光がこの場を支配した。千聖も、リサも、花音も、瑠唯も、レイヤもマスキも。全てを軽蔑するかのような冷たい目線が合コン会場を突き刺していった。俺も例外ではなく。

 

「え、いや、そんな。え、雄緋くん? のお知り合い?」

 

「雄緋さんのこと、馴れ馴れしく呼ばないでもらえませんか?」

 

「ひっ」

 

レイヤの低い声が合コンに参加していた女の子たちを黙らせた。俺は比較的落ち着いていそうな花音に連れ出されて店を後にする。少し後ろを振り返ると、さっき俺の隣にいた子の近くを囲んでいる影がすぐそこに見える。

 

「雄緋は私たちの大切な人なんです。貴女みたいな色目を使う泥棒猫、金輪際近づかないでくれるかしら?」

 

「白鷺さんは優しいですね。こういうものはもっと直接的に伝えた方が効率的ですから。消えなさい、目障りよ」

 

何やら話し合いが行われていそうな空気感であったが、その内容を俺が知る術はなく、俺はそのまま花音に背中を押されるように店を後にする。あとの5人は置いてけぼりなのだが、良いのだろうか。階段を上って地上に出たところで花音が足を止めた。

 

「ふぅ。良かったぁ」

 

「ちょ花音。なんでいるの?」

 

「こっちのセリフだよ? どうして雄緋くんは合コンなんかに参加してたのかなぁ?」

 

「それは……騙されたというか」

 

「……そっか、悪い女狐に誑かされちゃったんだよね? 可哀想……よしよし」

 

「わぶっ」

 

訳もわからないままヘッドロックの要領で花音の胸元に顔が埋まる。プルプルと腕が震えているあたり相当心配されていたのだろうか。確かに今日が初対面とはいえ、合コン程度、そこまで警戒をするほどではないと思うのだが。

 

「雄緋くんは合コンで女の子を探そうとしなくても、私たちがいるんだよ?」

 

「いやいやそんな乗り気じゃなかったっていうか、ってああ」

 

俺が弁明しようと言い訳を探していると、背後の入り口のドアから残りの5人が出てくる。その表情は安堵もあれば真剣な顔色もあり、まだ怒りのようなものを露わにしているものもある。俺の酔いを覚ましてしまうほどにヤバさみたいなものを感じさせる空気感だった。

 

「雄緋さん、大丈夫でした? あの不届きものどもには説教加えてきたんで、もう安心っすよ」

 

「あ、ありがとう……それよりなんでここにみんないるの?」

 

アルコールの提供されるお店にみんなが現れるなんてことはそれほど考えにくい。別段隠れてコソコソと飲もうとしていたわけではないが、なんだかバツの悪さのようなものを感じた。

 

「雄緋さん、知らない方が良いこともあるんですよ」

 

「え?」

 

「そんなことよりも、どうしてこんな場に赴いていたんでしょう?」

 

形勢逆転。悪い方に。完全に詰問される流れになり俺は思わず後退りしそうになるが、6人に囲まれているようなそんな状態。どこに目線を晒しても誰かと目が合ってしまう。

 

「えっと、と、友達に騙されて合コンに」

 

「……ふふ、そっかぁ、そんな悪いお友達が居たんだね。私もお話聞きたかったなぁ」

 

「花音、お店に戻ろうとしなくていいのよ?」

 

「合コンですか。それなら仕方ない」

 

「そ、そうだよな? 仕方ないよな」

 

「と、言うとでも思いましたか?」

 

「ひぃっ」

 

尋常ではない冷気を纏った尋問に完全に俺は意気消沈する。瑠唯の静かな追及から目を背けようとした俺は足の力が抜けて、道路脇にへなへなと座り込んだ。情けないことだが、酔いでフラフラなのに加えて過度なプレッシャーに押し潰されてしまったのだから仕方がない。だが、リサがそんな蹲る俺の目の前に座り込んだ。

 

「きっと雄緋のことだからそのオトモダチに騙されて合コン来ちゃっただけなんだよね?」

 

「そ、そうです!」

 

「大丈夫ですよ雄緋さん。私たちもそんなことは分かってますから」

 

「でもさぁ」

 

俺の顎の方に伸びてくるリサの細い指がやけに震えて見える。振り払ったりの抵抗もまるでできず、蛇に睨まれたように体は硬直した。

 

「その合コンで雄緋、女の子にキス、しようとしてたよね?」

 

「そ、それはゲームの流れというか場の雰囲気的に仕方がなかったと言いますか……」

 

「……雄緋くんは雰囲気に流されて、好きでもない女の子にキスしちゃうような人だったんだ」

 

「ぐっ」

 

恐ろしさを纏っている面々の中でまだ辛うじて威圧的な雰囲気が乏しい花音にそんなことを言われてしまえば俺の心にダメージがいく。むしろ怒鳴られたりするよりも心理的ダメージがでかい。

 

「えっと……そんな軽い気持ちで、キスしたりしない! た、多分」

 

「……へぇ? そうなんすか?」

 

「決まりだね」

 

「え?」

 

まるで袋小路に追い込まれて問い詰められていたような状況だったのに、気がつけば手が伸びてきていて俺はゆっくりと立ち上がる。両脇はみんなに固められて、店の前から駅の方へと連れられて歩き始める。

 

「ちょ、これどこ行こうとしてんの?」

 

「一旦雄緋くんの家に帰るんだよ?」

 

「そっちの方が効率的ですから」

 

「効率的って?! 何が?!」

 

先程までの光景を踏まえたら拉致みたいな連行をされて歩道を歩く。既にさっきまで飲んでいたはずのお店の姿は遠くに消えた。そういえばあの5人に詰められた合コンの他の参加者は大丈夫だったのだろうか、なんて人の心配をしているような余裕もない。人のことよりまず自分のこと、かなりの危機的状況であるのは間違いない。

 

「雄緋はゲームの結果でキスしそうになったんだよね?」

 

「え、あー、まぁ、その通りです……」

 

「それでいて軽い気持ちでキスしたりもしないんだよね?」

 

「も、もちろん!!」

 

俺の情けない全力の訴え。その反応にみんなはかなりご満悦らしく、ちゃんと俺は正解を当てることが出来たらしい。

 

「それなら今から雄緋の家にみんなで帰って、王様ゲームの続きをしましょうか?」

 

「……えっ?」

 

「雄緋の私たちへの気持ちがどれほど真剣なものか確かめないといけないもの。勿論、軽い気持ちではないのよね?」

 

「えっ、いやそれとこれとは話が別というか」

 

「雄緋くんがこれまで私たちと過ごしてくれた日々ってその程度のものだったんだ……」

 

「ちょ」

 

「どうするレイ? 教え込まないとダメかもな」

 

「だね。きっと何か悪いことを吹き込まれて……」

 

不穏な空気がさらに募ってきたが、逃げることなんてのは叶わない。だって両腕をガッチリとロックされている上に前後左右、どこを向いても逃げられないようにしっかりと服だとか腰だとか、腕だとかを掴まれている。

 

「6人で教育すれば、直ぐに分かるようになりそうですね」

 

「分かるようになるって何?!」

 

「雄緋。王様ゲームでどんな命令が来たとしても、受け入れてくれるよね?」

 

「えっ」

 

「うんって言って」

 

「うん」

 

屈しました。

いやだって、こんなの勝てるわけがない。リサさん半端ないって。リサだけのせいじゃないんだけど、今この場において俺に拒否権なるものは存在していないも同義である。俺は頷く他なかった。

 

「今のうちにどんな命令をするか考えておきましょうか」

 

「ま、キスは絶対だよな。普通のじゃダメだけどさ」

 

「キスだけじゃ生ぬるいよね。もっと一杯命令しなくちゃ」

 

「ふえぇ、みんな過激すぎるよぉ……。でも、キス以上のことも……」

 

「ふふ、今日は一晩中……。まだまだ夜は長くなりそうね」

 

「雄緋、2度と合コン行く必要がなくなるぐらいのこと、みんなでしよっか?」

 

「あ、あ……」

 

どうして俺は騙されたとはいえ、誘いに乗ってあのお店に行ってしまったのか……。淡い後悔を抱きながら、長い夜の舞台となる自宅への帰路に着くことになるのだった。



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羽沢珈琲店観察日誌【蘭&つぐみ】

お久しぶりです。誕生日編やらリアルの忙しさの諸々やらで投稿が完全に滞っておりました。しばらくはリハビリかな……。








ガラスが埋め込まれたドアを開く。ドアベルの音に耳を澄ませるよりも先に、鼻を包み込むような挽きたてのコーヒーの匂いに気を取られる。やはり喫茶店に来た時の楽しみの一つとしてこういうものがないと、そんな風に考えて目を徐に開けると、目の前に看板娘が立っていた。

 

「雄緋さん! いらっしゃいませ!」

 

「どうも。蘭は来てる?」

 

「はい! あちらの席にどうぞ!」

 

お客さんまで元気にしてくれそうな溌剌さに老いを覚える。まだ大学生だろうという指摘は御免被る。大学生だろうと、まず間違いなく目の前の看板娘よりおじさんであることには違いないからだ。そんな言い訳を脳内で並べながら、窓際でもの思いに耽っていそうな赤メッシュの対面のソファに腰を下ろした。

 

「来たぞ、蘭」

 

「えっ? うわぁぁっ?!」

 

「そんな大袈裟な……」

 

ちょっと声をかけたぐらいでまるでお化けでも出たかのような反応をされる。テーブルの上に広げてあった冊子らしい何かを、蘭はバッと焦った勢いで閉じてしまった。どうやらそれなりに見せたくないものがあったらしい。仮にも呼び出した張本人だと言うのに、どうして俺が来店したタイミングに一切気がついていなかったのであろうか。

 

「って、まだ何も頼んでないのか?」

 

「まぁ、その。雄緋さんが来たら一緒に頼もうって」

 

壁際の窓ガラスにもたれかかれそうになっていたメニューをばっと開くと、定番のコーヒーなどだけでなく、秋を意識したような栗などを取り入れたスイーツが並んでいる。ご丁寧に貼り付けられたイメージの上で踊る『期間限定』の誘惑に負けないようにメニューをパラパラとめくっていると、不意に視界が薄暗くなる。

 

「あぁ、メニュー、見えなかったか? 蘭」

 

「……そういうわけじゃないですけど」

 

蘭が頭を突き出すようにメニューを覗き込んできたものだから俺はふとページをめくる手を止める。だが、当の蘭はテーブルに大きく乗り出したままメニューに視線を向けるでもなく、むしろこちらをジロリと睨みつける勢いだった。

 

「何か機嫌悪いのか?」

 

「なんで分かんないんですか?」

 

「えぇ……」

 

むっとした表情に口を出そうものならこちらが余計に詰られるのでたちが悪い。触らぬ神に祟りなしってことか。桑原桑原。

俺からの反応がないことにさらに不満を持ったのか、既にテーブルの半分を越えて身を乗り出している蘭はさらにジリジリと近づいている気がする。若干俺が引き気味に背もたれの方に逃げるように体を倒し、それを見た蘭は大きなため息を吐きながらソファに座り直した。ぼすん、という音とともに緊張が一気に緩んだ。

 

「あ、あのー……」

 

「え? あぁ、注文か」

 

そのタイミングを狙っていたのかつぐみが伝票片手に声をかけてきた。蘭はと言えば、声をかけられてこれ以上ないほどにわかりやすく体が跳ね上がり、背筋をピンと伸ばしている。

 

「あっ」

 

そして、小さな声を漏らして、すぐさまテーブルの端に置いてあった、最初に蘭が隠すように閉じた冊子を引っ掴み、見られたくないかのように背中の方に隠していた。どうやら相当に見られたらまずいものをここで開いていたらしい。

 

「じゃあ俺は取り敢えずブレンドコーヒーと、栗のモンブランで」

 

「あ、あたっ、あたしもそれでっ」

 

「はーい! 少々お待ちくださいっ!」

 

ニコッ、と輝くような笑顔を振りまいて、くるりと翻りカウンターへと駆けるつぐみ。看板娘のその真骨頂に少々惚けてしまっていたが、すぐに向き直る。それはもちろん、先ほどからやたらとカクカクとぎこちない受け答えをしている蘭を追求するため。

 

「なぁ、蘭さんよぉ」

 

「な、何っ?! 日記ならっ」

 

「その背中に隠してる……って、日記?」

 

「……あっ」

 

いくらなんでもここまでわかりやすく失言をすることもないだろう。だが、やましくてやましくて仕方がないだろう蘭はポロリと真実を漏らしてしまった。消えいるような蘭の反応からして、必死に隠そうとしていた冊子の正体は蘭の日記らしい。でも、日記なら確かに人に見られるのは恥ずかしいだろうし、深く追求するのも申し訳なさが募る、なんて思っていたのだが。

 

「……これです」

 

なんと、観念したかのように天を仰いだ蘭はスッとテーブルの上にその冊子を差し出した。蘭が自分から店に来なければあまり深入りしないように、なんて思ったのに、とことん今日の蘭は間が悪いらしい。

 

「えーなになに。……『羽沢珈琲店観察日記』?」

 

厚めの焦げ茶の表紙。その上に書かれていたのは今まさに俺たちがいるこのお店の観察日記が正体だと言わんばかりのタイトルだった。俺がそれを読み上げてびっくりしたのか、蘭はキョロキョロと辺りを見回した。そして、つぐみがカウンターの方で何かの作業しているのを認めると安堵の息をつき、そのまま俺と内緒話をするかのように先ほどのように身を乗り出してきた。

 

「ちょっと、あんまり大きい声で言わないでくださいよ!」

 

「言わないでも何も、まだタイトル読み上げただけなんだけど……」

 

「だからこそダメなんですって!」

 

蘭的には他の人には聴かれたくないような体勢で話そうとしているらしい。が、その声自体がそこそこ大きくて、全く筒抜けである。

 

「タイトルに名前がガンガン出てるからこそダ「お待たせしました!」あー?! あぁああぁ?!」

 

蘭の抗議の最中、割り込むようにしてつぐみがトレイを片手にテーブルまでやってきた。内緒話風な話し方の途中で蘭が発狂のごとく騒ぐ。近くで大声を出されたことで耳がキーンとして、思わず耳を塞ぎそうになったが、どうにか堪える。

俺は蘭に騒ぎ立てたことへの非難を込めた目線を向けたが、張本人としてはそれどころじゃないらしい。テーブルに注文のドリンクを持ち運んできてくれたつぐみの方を見て口をパカパカとさせている。

それだけじゃない。つぐみの方を見て慌てるだけじゃなく、突然テーブルに両手をつけて立ち上がり、そのまま仁王立ちのようにしてフリーズしてしまっている。

 

「えっと、蘭ちゃん? どうかした?」

 

「今度のライブ、いつも通りのあたしたちらしさをフルパワーで出し切るために立ち姿を考えてた」

 

「わぁ、それすっごく素敵だね!」

 

「落ち着け蘭。既に今日のお前は『いつも通り』からかけ離れて変な挙動してるから」

 

少なくとも今の顔が強張って、ピクピクと仏頂面を展開する蘭は今までそうそう見たことがない。『いつも通り』の蘭はここまで取り乱さないはずだろう。

 

「あ、もしかしてそのノートが今度のライ「あー?! ケーキ食べたくなってきたなー?!」あっ、ごめんね先にコーヒーだけどうぞ!」

 

件の日記とやらにつぐみが気づいたと見るや、店内全ての注目が余裕でこちらに集まってしまうぐらいの話の逸らしっぷりを見せる。まだ店内に他の客がいないから良かったものの、普通なら完全に目の前の人とは関わりが一切ない立ち回りをするような事態である。

コーヒーだけでなくモンブランまで不意に要求してきた蘭に、慌ててカウンターの方につぐみは舞い戻っていく。焦った様子ながらも、そのターンの瞬間なんてのも、身につけたエプロンが少しふわりとするのが、中々に乙なものだった。

 

「で、蘭」

 

「……何ですか」

 

「その、観察日記とやらにはどんなつぐみには見せられないものが書いてあるんだ?」

 

「べ、別につぐみに見せられないわけじゃ」

 

「じゃあ、今からカウンターにいるつぐみに「すみませんでした。言うので勘弁してください……」よろしい」

 

完全に降伏の白旗を揚げた蘭はやけに重そうな指先でそっと日記とやらを開く。俺も俺とてここまで引っ張られるパンドラの箱こと観察日記に興味津々だった。心境だけで言うなら目の前に餌を出されたが、意地悪で食べわさせてもらえない犬のような……って、もっとわかりにくくなっている気がする。

それはそうと、俺の目を釘付けにして仕方がなかった冊子がいよいよ姿を晒すこととなる。

 

10月16日(日)

     天気 晴れ

 

今日もつぐみは頑張ってた。生徒会室をこっそり覗きに行くと、日菜さんが何かのプリントを見ながらあーだこーだ言ってて、それをつぐみが急いでホワイトボードに書き込んでいるらしかった。

いつ見ても生徒会の仕事は大変そうだけど、頑張ってるつぐみは本当に偉いと思う。

 

出てきたのは10月半ばぐらいのことが書かれた日記。そういえばつぐみは生徒会で日菜の横暴な独裁政治……というほど過酷ではないとは思うが、思いつきに振り回される哀れな書記だったか。そんなつぐみの日常の一幕を切り抜いたような蘭の観察日記。敢えて必死になって隠そうとするまでの意味は分からない。

 

「なんだ、普通の日記じゃないのか?」

 

「ま、まぁ」

 

「そんなに頑なに見せるのを拒むような日記って訳でもなくないか? まぁ人に日記を読まれるって恥ずかしいことだとは」

 

10月18日(火)

     天気 晴れ時々曇り

 

秋晴れの放課後、あたしは桃源郷を発見した。歌詞を考えるために屋上に向かったら、つぐみも同じく屋上の奥のベンチの近くにいた。声をかけようと一歩屋上に踏み出した瞬間、冷気を纏った風が屋上を駆け抜け、瞬く間につぐみのスカートを捲り上げた。その布地の靡く姿と慌ててスカートを抑えるつぐみの姿に思わずあたしは

 

「あ、いやちょっと待って待って待って」

 

当然現れたポエム調の日記。日記なので人のスタイルにケチをつけるようなものではないとは頭の中では分かっている。だとしても、不意打ちの如きつぐみの恥ずかしい姿を桃源郷と表現してしまう蘭の狂い始めた『いつも通り』。流石に理解が追いつかなかった俺は蘭の方を見た。

 

「どうした蘭。疲れてるのか? そうだよな? そうなんだよな?」

 

「いや……あの……違うんで「お待たせしました! モンブランです!」ああぁぁっ?!

 

「おわぁつぐみ?!」

 

ベストタイミング、いや、ワーストの方のタイミングすぎたつぐみの来訪に二人して大声を出してしまう。つぐみは不思議そうな顔をしていたが、やがて視線が下に、テーブルの上にあるその狂気的な日記の方に向いた。それを察した俺の頭は急激にクリアになった。

いくら蘭が書いた日記だとはいえ、つぐみのスカートが捲れる姿をやたらと情景描写豊かに書いたページを本人に読まれるというのはあんまりだ。正直蘭がそれでつぐみに猜疑心を持たれたとしても自業自得以外の何物でもないが、俺にとってみたらただのとばっちりである。

慌てて俺は辛うじて届いた右手の人差し指でページをさっとまくる。

 

つぐみのパンツを凝視した。可愛らしい淡いピンクの布地。えっ、つぐみのその仕草、本当に可愛すぎるんだけど、あたしのことを誘っているの? あたしがここでつぐみのキュートな振る舞いを目に焼き付けるのは簡単だ。だけど、この尊いつぐみを決して壊してはいけない。Yes つぐみ No タッチ。尊い。尊い。尊い。これが本当のつぐってるなんだ。つぐみを食べちゃいたいぐらい可愛いって思った、そんな1日。

 

「ほわぁっ?! なんじゃこりゃぁ?!」

 

捲られたページ、それはまさに変態の極みというべき文草の残骸だった。もはや一種の芸術に昇華しても良いのではないかなどと言わんばかりのかなり頭を抱えたくなる文章が一瞬にして飛び込んできた。

何かを考えるまでもなく、俺はテーブルの方に倒れ込みながらも、片手でどうにかその日記を引っ掴んだ。そしてまるでフリスビーを投げるかのようにサイドスローで日記を明後日の方向に放り投げた。店内であるなどお構いなしである。

 

「あぁっ何してるんですか雄緋さん?!」

 

「お前の頭の方がどうなってんだよ蘭っ?!」

 

不毛な罪のなすりつけ合いを片手間に、俺はゆっくりとスローモーションのようにはるか向こうへ飛んでいく日記を眺めていた。席から勢いよく立ち上がった蘭が、これまで見たこともないような俊敏な動きでテーブルをいくつも飛び越えていく日記を追いかける。

しかも運の悪いことに丁度そのタイミングで新しいお客さんが入店してきたこもを告げるドアベルの音。時が止まったかのような地獄の雰囲気の中、クルクルと飛んでいた日記に飛びつくようにして蘭の姿がテーブルの林の中へと霧散した。

 

「観察日記がぁっ?!」

 

断末魔のような答え合わせを残して。突然その声も、蘭の体が床や店内の装飾品へと叩きつけられる轟音と共に薄くなって消えていくのだが。

一方の俺はといえば、仕事を全うして注文のケーキをテーブルに持ってきてくれただけだったはずのつぐみの様子を確認しようと恐る恐る振り返る。既に俺が倒れた衝撃で皿の上にケーキは崩れてしまっているのだが、その上にあるつぐみの表情は。

 

「ぱ、ぱ……パンツ……ですか……?」

 

「ほぁっ?!」

 

パンツ。日常で頻繁に飛び交うのは憚られるその3文字。

間違いなくあのページはつぐみによってしっかりと見られていた。何だったら多分少しぐらいは読まれていた。となると、それを蘭と一緒になって読んでいた俺は絶対につぐみに勘違いされ。

 

「雄緋さん……、私の下着の観察日記なんかつけてたんですか……?!」

 

「いやちょ、違う! あれは蘭……」

 

そこまで言って、俺はハッとする。蘭がつけた日記だという真実を告げて誰が幸せになるのか。Afterglowの風紀が世も末なのはそれとして、仲が良かったはずの幼馴染たちがこんなすれ違いで仲違いしてしまって良いものなのか。俺はその関係を崩壊に導こうとしているのではないか。

 

「……まぁ、その」

 

「……変態」

 

「がはっ」

 

清純の塊と言えるようなつぐみからの罵倒。効果は抜群だった。心にくるものがある。そうか……俺は、俺自身の評価と尊厳を犠牲にして1組の幼馴染を守ったのだ。そう考えたら俺の犠牲も尊いものだと無理やり自分を理解させることが出来るかもしれない。

顔を赤らめて両手で隠すつぐみへの罪悪感に涙を飲みながら、心の中で謝罪に努めた。だが。

 

「……見たいんですか?」

 

「……えっ?」

 

「雄緋さんなら、いいですよ? ……いっぱい見ていただいても」

 

「……はぁっ?!」

 

もうこのグループの風紀は、ダメかもしれない。

 

「もしもし警察ですか?! 若い男が喫茶店内で店員の女の子に下着を見せろと迫って……」

 

「通報はやめて?!」

 

俺の未来も、ダメかもしれない。

 

なんとか誤解は解けたのだった。



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超超超季節外れのハロウィン【りみ&七深】

お久しぶりです。ハロウィン会自体かなり前に用意していたはずがまさかこんな投稿が遅くなるとは……。
流石にここまで開くのは問題なので、もう少し頻度を上げたいと思います。投稿が遅れてしまい申し訳ありません。
それでは本編をどうぞ!











「「Trick or Treat!」」

 

「今日何日か知ってる?」

 

俺の快適すぎる朝が、今日も今日とてどこかへ飛んでいってしまった。ここのところ急に外も冷え込むようになり、木々も赤く染まり始めるような秋の朝。当然こんな寒い日の朝というのは誰だって布団が恋しいものだ。だってそうだろう?

そんな布団との戯れの邪魔をされ、泣く泣くインターホンのために這い出て、表に出たらこれである。魔女のコスプレをしたりみとジャック・オー・ランタンのコスプレに身を包む七深が現れたのだ。

 

「雄緋さん、Trick or Treatです」

 

きっとハロウィンという行事はみんな知っているだろう。10月31日に、近所の子どもたちがお化けに仮装し、家々を回ってお菓子を集めるというあれである。俺も小さい頃は前日ぐらいに布っきれを買って、切り抜いたりした衣装を纏い、バスケット片手にお菓子を貰いにいったものだ。そんな懐かしさも思い起こしたのだが、問題は今日の日付である。

 

「お菓子くれないとイタズラしますよ〜」

 

「ハロウィンってそこそこ前に終わったよね?」

 

そう、ハロウィンの時期はとっくのとうに終わりを迎え、むしろ世間ではクリスマス色のムードにすらなりつつあるというのだ。煌びやかなショップの並ぶ通りを歩いても、近所の商店街を歩いても、徐々に年末の足音が聞こえるようになっている。そんな最中に現れた魔女とかぼちゃというわけで、俺の頭の中としては、はてなで一杯というわけである。

 

「ハロウィンが終わったからと言って仮装をしてはいけないってわけじゃないですよね?」

 

「早朝からその格好で外歩いてたんだとしたら、下手したら通報ものだと思うけどな……」

 

暗い色の外套を羽織り、恐らく仮装以外で見ることは少ないだろうとんがった帽子や、頭部にかぼちゃをくり抜いたような何かを被ったやつ。ハロウィンのイベント会場ならまだしも、早朝の住宅街にいたら間違いなく事案発生である。

その中身が誰だったとしても、かぼちゃを被ってる状態じゃ誰なのかなんてぱっと見じゃ分からないし。玄関の扉を開けてすぐ叫ばなかった俺の胆力を褒めて欲しいぐらいだ。

 

「雄緋さん、その……部屋にだけでも入れて欲しいです……」

 

「ん? どうしたりみ」

 

「……寒い」

 

「へ? 寒いってぶふっ?!」

 

申し訳程度に肩あたりに掛けられていた外套なのかマントなのかよくわからない黒い布を、りみが自ら取る。すると、りみの纏っていた洋服はオフショル、風通りの良さそうなほどに素肌が見えている腕周り。凡そ11月とかいう冬の時期で外を出歩く格好ではない。しかも朝、このクソ寒い時間にである。

 

「素肌見えすぎだろ! そりゃ寒いって!!」

 

「というわけでお邪魔します〜」

 

「あぁ……部屋の中あったかぁ……」

 

さっきまでは玄関のドアのところで通せんぼするみたいに出迎えていた俺だったが、ガタガタと震えそうになっているりみと、割と余裕そうな七深も部屋に迎え入れることにする。こんな朝早くからの来訪で追い返そうとも思ったが、流石にこの状態でもう一度外に追いやるのは鬼畜の所業かと思い出来なかったのだ。

とりあえずは凍えそうになっているりみのために暖房のスイッチを入れ、まだ少しだけ寝ぼけた頭を覚まそうと眠気覚ましのコーヒーを入れる準備に取り掛かった。……いやまぁ、朝から衝撃的なものを見たおかげで眠気はかなり飛んだんだけども。

 

「それでも寒い……」

 

「やっぱりその格好で外に出るのは無理があったんですって」

 

「暖房もそんなすぐには効かないからな、取り敢えずなんか上着羽織っとけ。掛かってるやつ使って良いから」

 

ポッドで沸かしたお湯を三つのマグカップに注ぎながら部屋の方に振り向いた。……と、俺の言葉よりも先にりみは上着の存在に気がついて、羽織ろうとはしていたらしい。

 

「めっちゃええ匂い……」

 

「あー、私も寒いので借りて良いですか?」

 

「ダメ」

 

生憎俺とて自分の上着が嗅覚的な欲望を満たすためのものとして使われることは望んでいない。凍えて震え上がっているりみに貸すのならまだしも、明らかに別用途を求める七深に貸す、もとい与える上着はないというわけである。

りみに比べたら、七深はよっぽど暖かそうな格好をしている。少なくとも素肌が見えてるなんてことはないし、たった今ローテーブルの上に出した、湯気の立ち上るココアでも十分だろう。

 

「ほら、熱いから火傷するなよ。何杯でも飲んでいいから」

 

「わぁ、ありがとうございます」

 

震える指先でマグカップの取っ手に触れようとしたりみは、予想以上に熱くなっていたマグに触れたようですぐに手を離した。だが、すぐに口元まで恐る恐る運ぶと、生き返ると言わんばかりに美味しそうに飲み干している。多分、雪中遭難をした人間が辛うじて温かい食事を得るときはこんな反応なんだろう。

 

「あ〜、……天国」

 

「そりゃあ良かった。次はもう少し常識的な格好で来てくれ」

 

「りみりん先輩、ここまでくる道中でも寒そうにしてましたもんね」

 

だったら止めろよ、と言いたくなるぐらいだが、そういう常人の判断が出来ていればこうはなっていない。ガールズバンドの彼女たちに普通のことを求めても、皮肉なことに無意味ということらしい。

 

「なんでその格好で来ようってなったんだ?」

 

「そういえば雄緋さんにハロウィンの仮装で迫ったことってなかったなと思ったんです」

 

「思い立った辺りが既におかしいけど」

 

「迫られたくないんですか〜?」

 

「そういうことじゃなくてだな」

 

いの一番に仮装して誰かに迫ろう! ってなるのがまぁ色々と問題だし、おまけにこの格好でまだ目覚めてもない街中を練り歩いて男の家に来ようとするのが最高にクレイジーである。俺とて多少誘惑をされたりすれば靡くかもしれないが、流石にこの状況で誘惑に負けてしまうほどではない。というより先に良心の呵責が働いてしまう。

朝、突然に鳴ったインターホンに呼ばれて扉を開いて、凍え死にそうな知り合いのか弱い女子高生が佇んでいて、どうしてそういう発想に至るだろうか。そうなるやつは別の扉を開いているに違いない。

 

「そういうわけでりみりん先輩と相談して、迫るついでに脅かして、一緒にのんびりお菓子を食べようかなって」

 

「何がそういうわけだが分かんないけども。こんな朝っぱらから無謀な仮装に臨んだと」

 

「朝5時前から着替えてって準備したんですよ?」

 

「んー、無駄な努力」

 

そんな時間ともなれば街は確実に真っ暗だろうし、その時間に家に集まってとなればもはや危ないぐらいの時間帯ですらある。

超早起きもしなければいけないだろうし、彼女たちの努力を認めてあげたくもなるが、俺がもしもその場にいれば、間違いなくそんな馬鹿な真似はやめておけと叱りつけてることだろう。

 

「うーん、可愛くなかったんですかね……」

 

「そんなことないよ、七深ちゃん。七深ちゃんのカボチャの衣装、丸っこいところが可愛いもん」

 

「だな。可愛いとは思うぞ、普段とは違う突飛さも相まって」

 

「ということは普通じゃないのかなぁ……」

 

一体全体、『可愛い』なのか『普通であること』なのか、成功の基準はどっちなのかと聞きたいぐらいだが、折角頑張ってくれたことだし、彼女たちが工夫、努力したところぐらいは褒めてあげたいものだ。

見たところでは、魔女のコスプレも、カボチャを象ったような衣装とそのくり抜きのカボチャも、当人たちの手が加わった様子はある。それがどの程度なのかは分からずとも、おそらくではあるが市販品ではないのだろう。

 

「にしてもちゃんとコスプレのクオリティもあるって、凄い頑張ったんだな」

 

「それはもう、私たちといえばやっぱりホラー好きですから。細部までこだわり抜いてるんですよ? 例えばこのカボチャだったら、電気もない暗い空間なら……」

 

「ん? 電気消して……ってうわ」

 

こだわり抜いたと豪語することを証明しようとしているらしい七深は立ち上がり、扉のすぐそばにある電気のスイッチに手をかける。カチッという音と共にまだ太陽が差し込もうとしていない部屋の中は暗くなり、僅かにスイッチがオンの家電製品から漏れる小さなランプぐらいが部屋の中で存在を主張していた、はずだった。

七深の声がする方をジッと見ていると、あらまびっくり、七深が深く被っていたジャック・オー・ランタンのくり抜かれた目のあたりから紫の光が。妖しく光る紫の光はどこか不気味で、しかもそんな不気味な雰囲気を助長するかのように、不定期に光源が揺れ動いて、暗く光る紫色の輪っかの形も変化している。まるで、人魂が風に靡いて揺れるようなホラー要素がご丁寧にも出されているのである。本当にどうやってこんな仕掛けを作っているのだろうか。

 

「これ、凄いですよね」

 

「マジでどうやってんだ?」

 

「くり抜いた部分の内側に小さい紫のランプをいくつか仕込んであるんです」

 

「はぁ……」

 

「七深ちゃん、何日も前から頑張って準備してたもんね」

 

もう一度部屋の電気をつけると、怪しげに光っていた紫の光は目立たないようにすうっと溶けて消えていった。スイッチのカチッという音に合わせて頭のカボチャを脱ぎ捨てた七深からそれを受け取り、裏を見る。電池とそれに繋がれたコード、紐に下げられた小さなランプは布か何かに包まれている。これを被った人間が少し動けば紐自体が揺れるおかげでこのランプまで揺れるということらしい。

個人で作る分ということを考えれば、凝りすぎなぐらいに作り上げられたジャック・オー・ランタンだったらしい。先程までランプがついていたせいでほんのり温かいカボチャを部屋の隅に戻しながら、感心の大きな息を漏らした。

 

「まぁ、目元の近くで光るので、予想以上に眩しくてこれを被ったらただでさえ狭い視界がほぼゼロになるんですけどね」

 

「とんでもない欠陥カボチャだな……」

 

中々に目に悪そうな仕様だったらしい。まぁあんなライトを目の近くで複数照らすなんて、色がどうこうとかの話を抜きにして目には悪影響しかなさそうである。

 

「でもりみりん先輩の仮装とか小道具も凄く凝ってて可愛いですよね」

 

「え、そうかなぁ……。えへへ」

 

「まぁ、可愛さってのは勿論そうだよな。って、小道具?」

 

俺が疑問を口にすると、小さく声を漏らしたりみが体の横に置いていた杖らしき何かを手に取る。それは少々形が不規則だが、30〜40cmぐらいの棒の先にプラスチックか何かの球体がひっついている。いかにも、という感じで、多分あれも電池か何かで光りそうな雰囲気を醸し出している。

 

「魔法使いの杖みたいだな」

 

「そうなんですよね」

 

「しかもこうして振ると……」

 

「……おぉ」

 

りみが杖の上の方にあったボタンか何かを押すと、その球体の先は小さく光る。そしてその杖を少し高く掲げたりみは素早く1回それを横に振った。すると、ただ弱々しく白い光を放つだけだったその杖の放つ光の色は急に緑や、赤みたいな暖色の色も混ざるようになっていた。

振るたびにその色はパッとすぐに切り替わるようで、そのクオリティの高さはもはや、子ども向けのホビーを製造するような会社が出す、戦隊モノのおもちゃとしてよくある何かに匹敵しそうだ。少なくとも一回こっきりの仮装に持ってくる技術力ではない。

 

「すごいな、これを自分で作ったのか?」

 

「そうですよ。しかもこうやって光らせている間とか、そのちょっと後ぐらいはほんのり温かいので……」

 

「温かいので?」

 

「こうやって首の後ろからマントの中に差し入れて、冷えた肌を温めたりとか」

 

「あっ、だめだもう孫の手にしか見えない」

 

少しだけ真っ直ぐに伸びた、ほんの少し太めの木の棒を握りしめたりみは首の後ろから背中の方にその棒を差し入れている。完全に孫の手を使って背中をかいている人の図である。先程まで子ども心をくすぐるような光るおもちゃの魔法使いの杖だったはずが、一瞬にして孫の手の少し便利なやつ、ぐらいにしか見えなくなってしまった。

かといって必死になって仮装のために用意した小道具を孫の手と一蹴してしまったのは少々言い過ぎだったかもしれない。自分の失言を反省して、2人の努力を讃えようとした。

 

「ま、まぁとにかく2人ともがこの仮装に全力を出してくれたのはそうなんだな、お疲れ様。何かして欲しいことはあるか?」

 

そこまで言って、冒頭でハロウィンのあの決め台詞を言われたことを思い出した。そういえば一応はお菓子をあげれば良いのだろうか。迫る云々はダメとして、お菓子をあげるぐらいならば、この努力に見合うお菓子と言わずともあげられるだろう。俺は重い腰を上げてキッチンの方に行こうとすると、後ろから手を引かれて振り返った。

 

「「Trick or Trickで!!」」

 

イタズラをされたのだった。



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