スペックゴリ押しサッカー ((^q^)!)
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サッカーに興味を抱く編

リハビリ


 その日、 御嵐野(ごらんの) 栄華(えいが)は初めて自分の感情が大きく波打ったのを感じた。瞬きの一瞬でも目を離したくはない。テレビの映像の解像度がもどかしい。もっと鮮明に、ずっと永遠にこの続きを見たいと頭の中で感情がそう叫んでいた。

 

 栄華は御嵐野家の次男坊である。長男とは四つ年が離れており、財閥である御嵐野家の後継者は順当に長子相続のはずであったのだが、栄華はあまりにも優秀だった。三歳のころには敬語を流暢に喋り、四歳になる頃にはおおよその礼儀作法を完璧に覚え、五歳になれば主要国家の言語を日常会話レベルで使いこなせるようになる。習い事は一を聞いて十を知り、勉学は一度聞いたことを忘れない。子供だからというだけでは説明がつかないほどの無尽蔵のスタミナと、有り余る器用さに俊敏性など神に愛された肉体を持つ。

 

 物心ついた時から殆ど感情を見せない不気味さはあるものの、それ以外は完璧であると栄華を知った多くの人は思った。栄華こそが後継者に相応しいと思うほどに。

 

 それを知って、面白くないのは長男である。彼の名前は優雅(ゆうが)。栄華ほどではないものの、同世代では十分に優秀な人物である。十歳になった彼は実技教科がやや苦手という軽い欠点があるものの、習い事は平均以上にできているし、勉強は全国で上位に入るほどにできる。御嵐野家の跡継ぎに十分な努力と成果を今までこなしてきた。

 

 しかし弟ができてからというもの、周りの大人は自分よりもそちらを優先する。全く面白くない状況だった。赤ん坊のころ面倒を見て、こいつは自分が守らなければと感じた兄特有の庇護欲みたいなものもすっかりなくなってしまっている。

 

 今はまだ、栄華に対する優雅の感情は負の方向に向かってはいない。それは家族としての親愛もあるが、何より兄としての矜持が故であり、胎に弟を宿した母が優雅に向けて言った「お兄ちゃん、よろしくね」という言葉を今でもまだ覚えているからだった。

 

 だから、最近煩わしく思っている弟に対して少しでも兄ぶろうと思って得意げにちょっとした映像を見せたのが全ての始まりだった。

 

 時は西暦2002年。この年の日本はワールドカップの開催国であり、サッカーが世間に大きく知れ渡った。テレビでは四六時中サッカーの話題ばかりで、記念硬貨まで発行されていた。優雅の友人であるサッカー部の少年はこの事実を我が事のように喧伝し、小学校にサッカーのブームを巻き起こそうと画策していた。より近くにいた優雅はこの影響をもろに直撃し、御嵐野家の権力を使って海外のスーパープレイ集をビデオにまとめるくらいにハマっていたのだった。

 

 エモーションを分かち合う最初のターゲットが栄華だったのは、自分の成果物によってマウントを取ろうとしたというのもあるのかもしれないが、いまだに理解が及ばないところのある弟との共通の趣味を持ちたいという社交性の表れであったのかもしれない。

 

 ともあれ、優雅は栄華にサッカーのスーパープレイ集を見せたのだ。それによって栄華の感情が大きく揺さぶられ、優雅は初めて弟が笑ったのを見た。

 

「……お前の笑顔ってトラみたいなんだな」

 

「……これの続きは無いんですか?」

 

 上気した顔で眼を限界までギラつかせて口角を釣り上げた弟に、兄の呟きは聞こえていたが無視された。

 

 そんな出来事があってからというもの、弟は兄と顔を合わせる度に続きはまだか続きはまだかと迫るので、当然周りの大人は何のことかと疑問に思った。

 

「優雅、栄華の言う“続き”とはいったい何の話かな?」

 

 父が食事時に聞いてきたので優雅は包み隠さずに詳細を話すと、なるほどと首肯し、何事かを考えたのちに同席していた栄華に一つ提案をした。

 

「なあ栄華、そんなにサッカーのことが気になるんだったらやってみたらいいんじゃないか?」

 

「映像つくりをですか?」

 

「いや、サッカーをやってみてはどうかと思ったんだが」

 

 その時の栄華の様子はまさに青天の霹靂といった具合で、びっくりした猫に似ていた。

 

 この二つの出来事によって、御嵐野栄華という化物がサッカー界を蹂躙することになったのだった。

 

⚽⚽⚽

 

 空気の入った球体を手を使わずに相手のゴールまで運ぶ。言ってしまえばこれだけのことである。今まで習ってきた楽器の演奏や各種運動を抽象化すればサッカーとやっていることは同じなはずだ。何らかの行動を何かの道具を用いてルールによって勝敗を付けるだけだ。先達の手本を真似て、より効率的な形にすればよい。今まで習ってきたモノと同じ、同じ、同じ……にはどうしても思えない。

 

 栄華は自分のプレイをビデオカメラで撮影し、それを見てみるのだが全く感情が動くことはなかった。見せてもらったスーパープレイと全く同じ行動をしているはずであるのに、同じ成果が出ないというのは初めての感覚だった。

 

 兄に譲ってもらった(から強奪した)スーパープレイ集をもう一度見る。画面の中ではドレッドヘアの男が楽しそうに笑いながらキレのある動きでフェイントを仕掛け、ボールが敵の股下を抜いてころころと転がってゆく。敵はとっさに股を綴じるが時すでに遅く、彼は踊るように敵を抜いた。

 

 サッカーの用語では彼のような人物をファンタジスタと呼ぶ呼ぶらしい。クリエイティブなプレーで観客を魅了する選手という意味であるらしい。録画した自分のプレーを顧みる。

 

 たしかにキレはある。ボールタッチも軽やかに見える。敵役を頼んだSPの股を抜く。鮮やかに踊って抜き去る……。できの悪い演劇を見ているような気分だった。

 

 彼と自分で何が違うのだろう。身体能力はもちろんまだまだ及ばない。しかし模倣した技術は体の縮尺こそ違えど完璧だ。見栄えが悪いというわけでもない。キレがないわけでもない。何が足りないのかわからない。

 

 身体能力が欠けているから同じような感想を抱かないのだろうか。栄華が悩んでいると、練習している庭に来客があった。

 

「大きくなったなあ、栄華」

 

「──大雅おじい様。お久しぶりです」

 

 髪はやや白髪が混ざりながらもいまだに若い印象を受ける、背筋を伸ばしたこの人物こそが御嵐野家のトップに君臨する御嵐野大雅(たいが)である。彼はぺこりと頭を下げる栄華を興味深そうに見ながらにこやかに笑った。

 

「楽しそうだねえ。サッカー、といったかなたしか」

 

「楽しい? ですか……?」

 

 栄華は不思議だった。楽しい? 楽しいとはどういう事だろう。自分はただあの映像と同じように感情を揺さぶりたいだけなのに。いつもと同じように、ただの作業であるこの行動が楽しいのだろうか。

 

 そうして不思議そうにしている栄華の姿がどこかおかしかったのか、大雅はこらえきれずに大きく笑った。

 

「ふふふ、そうかそうか。栄華は初めてなんだろうな。自分から何かをやりたいって言ったのも初めてだものなあ」

 

 普段は苛烈で知られる大雅の眼は優しく、そして少しうるんでいた。栄華は物心ついた時からその有り余る能力によって何かに苦戦するという事もなく求められる以上の成果を出し続けてきた。栄華からしたら多くの物事はただただ平坦な道を歩くようなもので、そしてそれは人生もまた同じだった。何かに感情が動くようなことも無い、心が全く成長できない環境にいた栄華が自分から何かをやり始めたというのは、おじいちゃんである大雅にとってはとてつもなく大きな出来事だったのだ。

 

 故に、大雅は何でもしてあげようと決意をしてここに来ているのだ。事前準備としてサッカークラブの買収にとりかかり、別荘の一つには二面のサッカーコートを作り、幾人かの著名な選手にコーチを打診している。

 

 客観的に見てあり得ないくらいのジジバカがそこにはいた。大雅の眼には栄華だけではなく、早くしてこの世を去ってしまった一人娘の、栄華の母の姿さえも幻視している。動き回る息子をほほえましく眺める娘の姿に涙腺が緩み、鼻の奥が痛む。

 

(見ているか典雅(てんが)。お前の息子は、今初めて人生を歩いている……。)

 

 この歳になると涙もろくていかんな、などとぶつくさ言う大雅のもとに一人のSPが近寄る。

 

「大旦那様、例の者が到着いたしました」

 

「そうか、ではここまで案内せよ」

 

 首をひねっていた栄華に聞こえないようにこそこそと二人で話すと、SPは静かにその場所を去っていった。

 

 そしてSPに連れられてのしのしと大きな体を興奮させながら歩いてきた男が栄華に声をかけた。その名前はカルロスといった。

 

 カルロスは日系ブラジル人としてサンパウロの郊外にて生まれ育った。生まれつき体の大きかったカルロスは同年代の子供たちの中でひときわ目立つ存在で、だから周りより早くストリートサッカーの場に連れてこられた。年上の子供たちにとってはいち早く戦力が必要であり、カルロスの強靭な肉体はそれを可能にしてしまった。

 

 そうして幼いころから鍛え上げられたサッカーのスキルは国内でも有数の物となり、カルロスはキャリアとして国家代表になったこともあった。彼のサッカー人生は光の中にあり、その栄光は陰ることが無い。そう思われていた。

 

 しかし、カルロスの第二のサッカー人生は散々だった。自身が所属していたチームにコーチとして雇われたものの、選手からはマイナス評価ばかり。それもそうだった。カルロスはカルロスというサッカー選手のプレイスタイルしか知らないのだ。強靭な肉体と幼少期から培われた技術に天性の才覚を持った、高スペックなハードウェアを前提としたプレイスタイルはどんな選手にも扱うことはできなかった。

 

 できない選手になぜできないのかと問う行為も現役選手のプライドを傷つけていく。カルロスはすぐにチーム内で孤立することになり、コーチとして就任したその年には解雇を打診されていた。

 

「テメエらがやってくれって言ったくせに何て言い草だ。クソったれな選手にクソったれなフロントじゃあ、この先チームは低迷していくばかりだな」

 

 不機嫌さを隠そうともせずに威嚇するように笑って言う。

 

「……カルロス、君の偉大な功績は認めるが、それは選手としてであって指導者としての物ではない。良き選手が良き監督になれるというわけではないのだよ」

 

 カルロスの現役時代に監督だった男が諭す。恩のある人物からの言葉にとっさの反論を飲み込むが、胸の内にたまったものが心の中で渦巻いた。

 

(良き選手が居ねえから、良きオレの教えを受け取れやしないんだろうが!)

 

 結局カルロスは解雇され、チームから放り出されて生まれ故郷に帰ろうかと考えていたそんな時、エージェントから連絡があった。

 

 ゴランノとかいう日本の金持ちからの依頼だった。子供がサッカーを始めたので面倒を見てほしいという話だった。馬鹿にしやがって、と思ったが依頼料が破格すぎたのでとりあえず受けておくことにした。金持ちのボンボンを適当に面倒見て貰えるには十分すぎる額で、日本観光を兼ねてちょっと行くかという気分になったのだった。

 

 飛行機から送迎の車とホテルに至るまで、まるで自分が王様になったんじゃないかと錯覚するほどの厚遇を受けているとカルロスの気分はだんだん向上していった。ガキの素質次第ではまともに面倒を見てやってもいいと思える程度には気分がノってきていた。

 

 ゴランノから迎えの車が来たのはそんな時だった。とりあえず今日は件のガキを観察してやろうと思って、胸元の大きく開いたスーツにサングラスをかけてふてぶてしく赴くと、カルロスはそこに光を見た。

 

 まだ体は小さい。しかしその身体能力は二倍の年齢の子供にも迫るものがあるように見えた。

 

 ボールのコントロールが良い。ただ、試合を経験していないことが原因か、上手い使い方はできていないように見える。

 

 原石があった。宝石? いや、カルロスには星の原石に見えた。

 

 ずんずんと歩み寄るたびに真実の光の中に足を踏み入れていく。その興奮にカルロスはプロデビューの瞬間を思い出して、膝の裏が破裂しそうなむずがゆさを覚えた。

 

「オイ、オマエ、ナマエハ?」

 

 カルロスがそう聞くと、御嵐野栄華は不思議そうに振り返って答えた。

 

「無理に日本語で話さなくてもいいですよ。ポルトガル語も日常レベルなら話すことができるので」

 

 せっかくカルロスが勉強した片言の日本語を、無駄な努力してるなあという具合に話しかけるこのガキが、しかしカルロスには自身のキャリアの希望に思えていたのだった。



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