トムとフラン (AC新作はよ)
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第一部 クイル・レースクラブと栄光のポニーステークス
第一話 いかにして彼は彼女と出会ったか


(正真正銘)初投稿です。よろしくお願いします。
文才は(ないです)


英国、首都ロンドン郊外の片田舎に存在する久居留(くいる)家は、日系英国人の一族である。

 

代々ウマ娘の障害競走のトレーナーを務める家系であり、

走る事が好きなウマ娘のためにアマチュア競走の開催も行っている。地元ではそれなりの名士である。

今年16歳になる智哉はそんな久居留家の長男である。上に姉がいる。

 

そんな智哉は、人生の岐路に立たされていた。

 

ウマ娘の姉が競走バを引退し、家を継ぐと言い、当主である父はそれを快諾したのだ。

 

これには普段脳天気な智哉も頭を抱えた。

人並みの成績で障害競走のトレーナー資格を手に入れ家を継ぎ、人並みの手腕で家を盛り立て、人並みの妻をもらい、人並みに愛する。

思い描いていた人生設計がその基礎から崩壊した。最早粉々である。

 

もちろん智哉は異議を唱えた。俺が家を継ぐから姉貴はどっかに嫁に行けとはっきり伝えた。畜生の物言いであった。

この久居留家のお家騒動はその日の内に沈静化した。昔から智哉はウマ娘の姉の剛腕には敵わなかった。

温厚なウマ娘の母はこの一連の騒動をあらあらうふふと困った顔で見守り、姉の気性難の原因であろう父はお前は好きに生きていい、家の事は心配するなと間違ったエールを息子に送った。

 

そうして現在、自室のソファーで不貞腐れている。

一番楽できそうな人生設計への未練と姉の理不尽で16歳の少年の心がささくれ立っていた。

 

そんな中、自室のドアを何者かが強く叩く。

 

「トム!いい加減出てきな!ちょっと頼みたい事があるのよ」

 

トムは、智哉の渾名である。トモヤだと呼びにくいからと姉が命名した。3文字くらい普通に呼べよと智哉は思った。

この渾名と声色からして姉なのは間違いない。しかし先日あれだけの暴虐ぶりを見せた姉が頼み事とは何事であろうか。

 

「うるせーな開いてるよ。勝手に入って来いよ」

「あんたまだ拗ねてんの?じゃあ入るわよ」

 

がちゃりと自室のドアを開け、部屋に入ってくる姉に智哉は目を向ける。

長身で均整のとれた体型に、鹿毛の美しい髪を後ろにまとめ、その顔に浮かぶ快活そうな輝く瞳。

現役時代G1競走を幾度も勝っただけあり、姉の容姿はウマ娘基準でも優れていた。その気性難ぶりを知る智哉は魅了されないが。

その姉の足元に何かがしがみついていた。ひょこんと耳が見えるから幼いウマ娘であろうか。

 

「ほらフランちゃん、挨拶なさい。このお兄ちゃんは大丈夫だから」

 

智哉は耳を疑った。姉の口から信じられないほどやさしい声が出ている。明日は人参が降るぞ。

 

足元の推定ウマ幼女が控え目に顔を出す。そこで智哉は思わず息を呑んだ。

熊のぬいぐるみを背負った、長い金髪に青い瞳の美しすぎる幼女だった。言語に尽くせないほどであり、将来的には間違いなく姉より美しくなるとさえ思えた。

その幼女がぴょこりと智哉の前に飛び出て、覚えたてのようなカーテシーを見せて智哉に語りかける。

 

「わたし、フラン…おにいさん、おなまえ、なんていいますか?」

 

フランという名前を聞き、智哉はフランス系ウマ娘か、まだ命名を受けていない戸籍上の本名かと推察した。

ウマ娘は戸籍上の本名と、三女神からの啓示により賜る競走バとしての名前の二つが存在する。この年頃の幼女ならば本名の可能性が高い。

 

フランの顔を見て智哉は姉が厄介事を持ってきた事を確信した。目の前の幼女の表情が暗く落ち込んでいる。

明らかに心に傷を負っている様子の幼女を前に、智哉は屈み込み目線を合わせて応えた。

 

「おう、挨拶できてえらいなフラン。俺はとも…トムってんだ。よろしくな」

 

明らかに訳アリのウマ幼女に対し、万が一懐かれる面倒を考慮しあえて渾名で自己紹介する。楽をして生きるがモットーの智哉らしいクズの発想である。

 

「よし、挨拶できたわねーえらいわフランちゃん。じゃあそういう事でトム後はよろしく」

「あ?ちょっと待てや姉貴」

 

そそくさと退室しようとする姉を智哉が呼び止める。押し付ける気満々の姉を打倒すべく智哉は勇気を振り絞った。

 

「は?なんか文句あ…あートムこっち来な、フランちゃん何でもないからねーちょっと待っててね」

 

姉とは思えぬ慈母の如き表情をフランに向けながら、姉は智哉の胸倉を掴んで部屋の外に放り出した。

ドアを後ろ手に閉めた姉が智哉に怒りの視線を向ける。

 

「あんたフランちゃんの前でその汚い言葉遣いやめな。うつったら責任とりなさいよ」

「それよりどういう事か説明しろよ。どっから連れてきたんだよ。てか訳アリだろあの子」

「…理由は今は言えない。あの子はしばらくうちの子になるから、あんたが面倒見てあげてほしいのよ」

「は?なんで俺なんだよ?ガキ同士うちのクラブの子でも紹介すりゃいいだろ。姉貴もガキの相手するの好きだったよな?」

 

久居留家は事業として幼いウマ娘に練習場を提供し、走り方の指導と年齢別のアマチュア競走を行っている。そこに行けばフランと年の近いウマ娘が何人もいるだろう。

目の前の姉も子供好きで、将来はレースが開催できるくらい欲しいと言っていたはずだ。その相手の予定だった自らの専属トレーナーとはその気性難ゆえ破局したが。

 

「…あの子はウマ娘だとだめなの。あたしでもギリギリ懐いてくれてるくらいよ。もうとにかくお願い!あんたしかいないのよ!」

 

姉が珍しく手を合わせ日本的な「お願い」の姿を智哉に見せる。それほどの事情だと智哉も察した。

理不尽な姉だがこういうところが憎めないのだ。姉の情の深さを知っている智哉は、とっとと負けろと言いながら姉の出走するレースをよく観戦していた。この二人こう見えてお互い姉弟思いである。

 

「…わーったよ。その理由ってのはその内話してくれよ。ダメな話題とかあるか?」

「さっすがあたしの弟だわ!ダメな話題は、そうね、レースとか走る事の話はやめといた方がいいわ。理由にも関係あるから。あとは大人しくて賢い子だから本とか読んであげてもいいわよ」

「レースの話題がダメなのかよ。そりゃ深刻だな」

 

誘導尋問だった。まんまと釣られた姉の顔がひきつる。

 

「うっ…じゃ、じゃあとにかく任せたからね。泣かしたらぶっ殺すわよ」

「へーへー。全力を尽くさせていただきますよ、お姉さま」

「よろしい」

 

満足そうにその場を離れる姉を見送り、智哉は自室に戻る。

クラブの手伝いであの年頃の子供のウマ娘の相手には慣れているが、レースの話題がタブーのウマ娘の相手など始めてである。

自室でフランの姿を探すと、先ほどまで智哉が不貞寝していたソファーにちょこんと座っていた。

同じ目線に屈み、フランの目を見て声をかける。

 

「フラン、待たせてごめんな。今日は俺と遊んでくれないか?したいこととかあるか?」

「いいえ、おにいさん。おじゃましてごめんなさい」

 

恐らく先ほどの姉との会話が聞こえていたのだろう。

耳をぺたんと伏せ、俯きながら所在なさそうにするフランを見て智哉は自分の言動を少し後悔した。

 

「しばらくウチの子になるのに邪魔な訳ねえよ。こう見えて俺は遊びのプロだぜ、何でも言ってみな」

「でも、ごめいわくだわ」

「いいんだよ。家族ってのは迷惑かけ合うもんなんだよ」

「…いいの?」

「いいって」

「じゃあごほんをよんでほしいわ。もってきているの」

 

フランはそう言うと、熊のぬいぐるみの背中のジッパーを開いて一冊の本を取り出す。

 

「それリュックだったんだな」

「ハリーはいちばんのおともだちでおなかになんでもはいるのよ。おかあさまにかっていただいたの」

 

フランの手から本を受け取る。題名は「おおぐいのウマ姫とびんぼうないなづま」

表紙と装丁からして絵本なのは間違いないだろう。

 

「よし、じゃあ読むぜ。こっち来な」

 

ソファーに寝転がってフランの入るスペースを空ける。

後はフランが収まれば楽しい朗読会の開始だ。

 

「おにいさん、いけないわ」

 

そこでフランが待ったをかけた。

躊躇しながら智哉を見つめている。

 

「あん?どうした?」

「ねころんでごほんをよむのはいけないことよ。わるいこになってしまうわ」

「いんだよちょっとくらい。たまにやる悪い事は楽しいんだぞ?」

「そうなの?」

「そうなんだよ、バレなきゃ悪い事じゃないしな」

「うふふ、じゃあ、おにいさんとわたしのひみつね」

 

楽しそうに微笑みながら、フランが智哉の横に収まる。

やっと笑ってくれたな、と智哉は安堵した。

四六時中暗い顔の幼女が自宅にいるのは辛気臭すぎて面倒なのだ。

 

「むかしむかし、ある所に芦毛で大喰らいで穀潰しのお姫様が…絵本なのに表現ひどくねえか?」

「だいじょうぶよ、ごくつぶしのいみはわかるわ」

「わかるのかよ、すげえな」

 

姉曰くしばらくうちの子になる、と言っていたが短い間だろう。

聞き分けも良さそうな様子であるし、その間の世話くらいはしてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

この時智哉はそう思ったが、これが終生の付き合いとなる彼女との出会いであった。




アッネは元ネタありますが適当に想像してクレメンス


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第二話 いかにして彼は人生と向き合うか

「ミディおねえさま、トム、ごきげんよう」

「おっすフラン、おはよう」

「おはよーフランちゃん!こっちこっち、あたしの隣おいで!」

 

謎多きウマ幼女、フランを久居留(くいる)家に迎えて一週間後の朝食の団欒。

最初の陰気さはなりを潜め、いつの間にか智哉を呼ぶときはおにいさんから渾名のトムに変わっていた。

構い倒した努力が実り姉とはすっかり打ち解けている。

ちなみにミディはウマ娘名からとられた姉の愛称である。

この一週間フランと接し、遊び相手を務め勉強を教える内に智哉はいくつか彼女について気付いたことがあった。

 

「トム、きょうはきのうとおなじゲームがしたいわ。いなづまのコンボができるようになったの」

 

まず、その上品な物腰と幼いながら自制の効く性格である。

恐らく上流階級の高等な躾を受けている。

 

「おう…いいけど、イナヅマは火力はあるけどリーチ短いから弱キャラって言ったろ。なんでもできるコウテイかリーチの長いワンダーにしとけ」

「でもいなづまがすきだわ。えほんのいなづまみたいだもの」

「あーあたしもやりたい!あたしのコンドルでボコってやるわよトム」

「姉貴はすぐリアルファイトになるからやりたくねえよ」

「ミディおねえさま、けんかはいけないわ」

「ぐぬぬ…」

 

そして、世話をされること、奉仕を受ける事に慣れている。

ここから考えられる事はただ一つである。

 

(絶対いいとこのお嬢様だよなあ…。マジでどっから連れてきたんだよ姉貴)

 

久居留家も地元の名士であり裕福な部類の家ではあるが、流石に住む世界が違う。

フランが来たその日、理由を話せと姉に迫ったが聞かなくて正解だったと智哉は思った。

日本のコトワザで言う「ヤブヘビ」である。

 

「朝ごはんできたわよ。トムくん、配膳手伝ってくれるかしら?」

 

キッチンから智哉を呼ぶ母の声が聞こえる。

我が家の最高権力者の指名である。動かない訳にはいかない。

 

「ちょっと行ってくるわ」

「いってらー。つまみ食いすんなよー」

「しねえよ」

「わたしもおばさまをてつだいたいわ」

「頼むからじっとしてろ」

 

まだ矯正の余地ありだが、フランは家事下手の片鱗があった。

姉はもう終わっている。

 

「母さん、どれ持ってったらいいんだ?」

「キッシュとパンを頼めるかしら?」

「あいよ」

 

母は、英国ウマ娘統括機構、通称BUAで栄えある一勝を挙げたウマ娘である。

父曰く本当はもっと勝てたが、生来の温厚な気質が競走に向いていなかった。

父とは引退後に障害競走の観戦中に出会い、交際を経て結婚。

この出会いは父が母の大ファンで、仕組まれたものだったらしいが。

現在は現役時代の経験を活かし、久居留家の保有するクラブで幼いウマ娘に指導を行っている。

趣味は料理で、久居留家の財政事情なら家事代行を雇う事もできたが母が台所を仕切っている。

 

「親父は今日もフランスか?」

「ええ、昨日電話でまだ帰ってこれないって」

 

父は、欧州を主戦場とする統括機構トレセン学院所属の障害競走トレーナーである。

障害競走においてはなかなかの実績を誇り、一家での立場に反比例して大黒柱を務めている。

欧州全域を管理ウマ娘達と飛び回っているため家に帰る機会が少ない。

 

「トムくん、ちょっと話があるの」

「…なんすか?」

 

母が自分だけを呼んだ際に嫌な予感を感じていたため、思わず敬語で返答してしまう。

 

「進路、ちゃんと考えてる?」

「…ッス」

 

案の定だった。

智哉は現在16歳。英国における義務教育課程を修了し、先日に全国統一学力試験を受け好成績を修めた。

この男、口は悪いしクズだが頭は良いのである。

そして統括機構トレセン学院の障害競走トレーナー試験を受ける予定だった。

本来なら、チームトレーナーに雇用されるサブトレーナーとして3年間の見習経験と、トレーナーを務めるに足るという推薦が必要であったが、これを智哉は父に師事し、推薦を貰う事でクリアしている。

コネを全力活用である。

 

しかしここで、問題が起きた。

 

姉の引退、帰郷、後継宣言である。

 

推薦は一人のトレーナーにつき年に一度しか出せないのだ。統括機構は狭き門なのだ。

この枠を智哉は姉と争い、負けた。完敗である。

姉は専属トレーナーからの推薦も受けれたはずだが、破局したせいで無理だった。

 

「お姉ちゃんの件はショックだったと思うけど、あの子も色々考えての事よ。うちはお金もあるからゆっくり考えていいけど、このまま遊んで暮らすのはトムくんによくないと思うわ」

 

正論である。ぐうの音も出ない。

 

「いやホントマジちゃんと考えてるんすよ、いやマジで…」

 

精一杯の敬語である。何も言い返せない。

 

「一年待つ?」

「それも考えてます。家の手伝いはします」

「うちのクラブに入ってもいいのよ?お給料は出せるわ」

「それもいいと思ってます。ハイ」

「本当に?」

「本当です…」

 

これは本当である。姉の件以降、智哉は真剣にニートになる事も視野に入れたが世間体を考えて断念した。

クズだが家族に迷惑はかけない矜持はギリギリ残っていた。

 

「…平地は?ママの友達にお願いして推薦もらえるかもしれないわよ」

 

平地とは、障害競走以外のウマ娘競走の事である。

本来ならトレーナー職の花形職業で競バに関わる者全ての憧れだった。

 

「いや平地はムリッス」

 

即答である。

 

「…どうして?トムくんくらいの年の男の子ならみんな憧れる職業よ」

「いや…例えばだけどさ」

「何か理由があるのね?」

「ああ…障害はさ、一番危ねえし命かかってるからか、競走バも真剣で大人しいじゃん?いや平地を下に見てるわけじゃねえんだけど」

 

障害競走は10メートルのハードルを飛び、20ミリの壁を蹴破る事もあるハードな競技である。

それゆえに身体能力も大事だが、気性的に大人しい冷静なウマ娘が好まれる傾向にある。

 

「そうね…パパの管理ウマ娘もそういう子が多いわ」

「だろ?で、平地ってさ、速く走るために闘争心が強かったり気性難が多いよな?」

「そうね」

「つまりさ…姉貴みたいなやつ引いたら俺仕事続ける自信ねえんだよ」

「あらまあ」

 

これは本心だった。気性難の世話なんて重労働はいくら高給でも御免である。

 

「なるほどね、わかったわ。でもトム君、大人しい子なら問題ないのね?」

「そんなのがいたらな。でも大人しいウマ娘ってやっぱり勝ちにくいよな。母さんもそうだったみたいだし」

 

「…」

 

ナチュラルに母をディスる畜生である。本人は気付いていない。

 

「いやーマジで姉貴だけは無理だわ。担当さんほんと苦労したんだろうなあ」

 

ついでに姉もディスり始める畜生である。

口は災いの元という日本のコトワザを智哉は知らなかった。

 

「トムくん、やめなさい」

「あいよ。姉貴には内緒で頼むわ」

 

「誰に 内緒 だって ?」

 

「いやだから姉…お姉さまです…」

 

それなりの時間話し込んでいるという事実に気付くべきだった。

空腹の姉のエントリーだ。

 

「いつまで経っても朝ごはん持ってこないしさあ…何してんだろって見に来たらママとあたしをディスってるってどういう了見よこの愚弟…」

 

姉の右手はすでに智哉の頭蓋を掴んでいる。姉必殺のアイアンクローである。

 

「い、いやあそんな事僕言いました?」

「思いっきり言ってたわねえ…あたしの事を彼氏に捨てられた気性難の負けウマだって…」

「いやそれは絶対言ってねえよ!!!いててててマジで痛えって!!!」

 

智哉は母に助けを求めて視線を送る。しかし母は無慈悲であった。

 

「あらあらまあまあ♪」

 

「あらあらじゃねえってマジで死ぬからこれ!!!!たすけて!!」

 

智哉は必死に何か助けになるものを探す。そこに姉についてきたであろうフランが目に付いた。

しかしこの幼女も無慈悲であった。

 

「わるくちをいうのはいけないわ、トム」

 

幼女判定で智哉がアウトであった。この子もこの家に相当染まってきている。

 

「しねええええええええ!!!!!」

 

「ぎゃああああああああ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

久居留 智哉16歳、自分の人生と向き合う時が迫ってきていた。




英国の義務教育事情は現在変わっていますがこの作品は2015年以前の時間軸と考えてクレメンス


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第三話 いかにして彼は彼女に踏み込むか

ようやく幼女の話に入れそうなので初投稿です


『命令だ!行くな!命令だ!!行くなァ!!!』

 

『ヒトミミが泣く気持ちが分かったわ。ウチは泣く事はできへんけど』

 

「いやあああ!やめてちょうだい!いかないで!!ターマネーター!!」

 

「うるせえ…」

 

ある日の久居留(くいる)家の昼下がり、智哉は居候の謎ウマ幼女ことフランと二人で映画鑑賞をしていた。

父のコレクションから適当に選んだウマ娘主演の人気タイトルの二作目を見たところ、それがフランの琴線にドストライクで触れてしまったのである。

大興奮である。いつものおしとやかなお嬢様は見る影も無く、耳はぴこぴこ動き回り尻尾はバッサバッサと智哉にぶつけてきている。ちょっと痛い。

 

…フランのお気に入りだからか、このウマ女優を最近よく見かけるが毎回ひどい目に遭っている気がする。仕事選べ。

 

結局、あの日の母からの進路指導により、智哉は母のクラブ運営を手伝いながら将来について考えることになった。

トレーナー試験も年に二度行われるので、もし両親と親交のあるトレーナーからの推薦が受けられたら挑戦するのもアリだと思っている。トレーナー資格はステータスとしても優秀なので一般企業の就職にも強いのだ。

 

そんな事を考えている内に映画が終わった。

フランは未だ興奮冷めやらぬ様子である。

 

「すてきだわ!すてきだわ!とくにターマネーターがおやゆびをたてながら、ようこうろにはいっていくのがすてきだったわ」

「わかんねえ…お前の素敵の基準わかんねえよ…」

 

智哉はフランに随分懐かれた。そして彼女の事を知る度に考える事も増えた。

この幼女、思ったより癖が強いのである。

まず、独特な「すてき」という基準を持っている。

この「すてき」は恐らく感嘆符に近いものだが、本当に独特なタイミングで使うのだ。

 

「なあ…フラン」

「なにかしら、トム」

「たまには外出ねえ?」

「いやよ、おそとはでたくないわ」

「そっか、嫌か…」

 

そして、超インドア派である、この年にしてひきこもりと言える。

これは恐らく、姉の隠している理由にもあると思うが。

 

「あと、ひこうきはのりたくないわ」

「そっすか…いや乗せる理由がねえけど」

 

さらに事ある毎に飛行機嫌いをアピールしている。

これは理由関係なく嫌いらしい。何故だ。

 

(こいつ、今まで猫被ってたか落ち込んでたからわからなかっただけで、かなり気性難じゃねえか?まあわがままが言えるくらい心を許してくれてるのかもしれねえけど)

 

面倒に思うところもあるが、正直悪い気はしない。

流石にクズの智哉もなんだかんだ情が移ってしまったのである。

 

そして目下気になる事があった。

 

(せめて、駆け足くらいでもいいから走ってる所が見れたらいいんだけどな)

 

どこまでやれるかは実際に見ないとわからないが、恐らくフランには競走バの才能がある。

まずこの金髪に青い瞳に整った顔立ちを揃え、人の目を引く容姿である。

それだけが判断基準ではないが、速いウマ娘は揃ってウマ娘の中でも美しい傾向があるのだ。姉もそうだった。

しかし彼女は頑なに走らないのである。常にとことこ歩くし急ぐ時も早足以上にはならない。

 

そして彼女にレースの話題、走る事の話題はタブーだ。

それを聞くという事は、彼女の事情に踏み込むと言う事だ。

智哉はまだ踏み越える気が起きなかった。

 

「トム、きいてるの?ひこうきはほんとうにいやよ」

 

智哉は聞いていなかった。まだ言っていた。

 

「お、おう…高いところダメなのか?」

「だだだめじゃないわ」

「ほんとか?」

「ほ、ほんとうよ」

 

ダメらしい。高所恐怖症だった。

 

「そういやお前いくつなんだ?」

「むっつよ」

「6つかー。学校は?」

 

単純な好奇心だった。こんな幼女が親元を離れ、我が家で預かっている事実を、智哉はよく考えるべきであった。

 

「がっこう…」

 

途端に明るかったフランの表情が暗くなる。

智哉は地雷を踏んだ事を察し、心の中で天を仰いだ。

 

(ちゃんと言っとけよ姉貴!学校ダメじゃねえか!!!)

 

「あっ!言いたくないならいいんだぜ!おう!言わなくていい!!」

 

ヘタレである。このクズは踏み込んで藪から蛇が出るのを恐れている。

 

「いいえ、だいじょうぶよ」

 

フランは、真剣な目をしていた。初めて見る目だった。

 

「がっこうは、おやすみしてるの。おかあさまにおねがいしたのよ」

「でもちゃんとおべんきょうはしてるわ。トムとミディおねえさまがおしえてくれるもの」

「だから、だいじょうぶよ」

 

智哉はこの瞬間羞恥で顔が真っ赤になりそうだった。

気を使われたのだ。年端もいかない少女に。

その事実に背を向けたくなった。あまりにも恥ずかしすぎる。

 

「そっか、ごめんな。言いたくなかったろ」

「ううん、ぜんぜんへいきよ。おともだちもちゃんといるのよ」

 

智哉はその目を知っていた。友達がいるならそんな目はしない。

 

「…なあ」

 

踏み込もうとした。しかしそこで携帯のアラームが鳴った。

 

「っと…クラブの仕事の時間だ」

「いってらっしゃい、トム。おしごとがんばってね」

「おう…一人で留守番できるか?」

「おてのものよ。ミディおねえさまにごほんとゲームをかりたから」

「おやつは食べたくなったら冷蔵庫に入ってるからな。母さんのニンジンプリンだ」

「まあ!おばさまのプリンはすてきだわ!」

 

お互い、一線を越えない会話をして気を使い合っている。

賢い幼女である。自分が迷惑をかけない事を徹底している。

それが智哉にはとても腹立たしく思えた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

久居留家のウマ娘レースクラブは、自宅の敷地内の練習場に併設されている。

代々続く由緒正しいトレーナーの家は広い土地に専用のレース場を持っている家が多い。

久居留家も有名な名家ほどではないが、地元のウマ娘達を集めて練習指導するには十分なレース場を所有しているのである。

 

クラブは従業員として一線を退いたトレーナーが二人、そしてそれに師事する形でトレーナー資格取得を目指すアマチュアトレーナー数人に現役を退いた競走バ達で運営している。

クラブ加入者は、競走バを目指してはいないが、趣味でレースを楽しむウマ娘や統括機構トレセン学院入りを目指し真剣にレースに取り組む者など分かれており、実際にクラブから学院に入った実績もあるそれなりの名門クラブである。

 

「なー!トムせんせー!」

「んだようっせえぞ。練習しろ練習」

 

声をかけてきたのは趣味コースの練習生の少女だ。資格を持っていない智哉は学院コースを受け持てないのだ。

 

「してんだろー!あのさー!」

「んだよ言いたい事あるなら言え」

 

練習で坂路を駆け上がりながら練習生が答える。

 

「せんせーんちさー!いまおじょうさまいるよなー!?」

「あ?あー…何の事だよ」

 

フランは久居留家に来てから一度も外に出ていない。

この練習生が知っているはずがないのである。

 

「すっげー人形みたいなおじょうさま!いつもせんせーんちの窓から見てんだよー!!」

「は?」

 

初耳である。

 

「あの子さー!いっつもさみしそーでさー!こないだなんて泣いてたんだぜー!」

 

「…」

 

これも初耳である。

 

「ここにつれてこれねーのー!?友達になりてーよー!」

 

智哉は、自宅の窓を見上げた。

そこに、確かに、いた。

 

「!?」

 

智哉に気付かれた瞬間、それは、窓から離れた。

 

泣いていた。フランは、泣いていた。

 

もう我慢の限界だった。

智哉は怒りに震えた。

 

「ガキが我慢してんじゃねえよ…いい加減にしろ」

 

姉に止められていようがヤブヘビだろうが知った事か。

 

 

 

 

 

 

 

智哉は、踏み込む事に決めた。




トッムは友達いないです。
アッネは彼氏がいないです。


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第四話 いかにして彼は彼女に過去を語るか

なんか概要と中身違わない?って友人に指摘されたのでタグとかちょっと変えました。
最強チート系ウマ娘二次名乗っておきながら、まだ誰も走っていないんだから当たり前だよなあ?
概要もそのうちいじります。
ここから二話重めですが許してクレメンス。曇らせ要素あるかもタグが火を噴くぜ。


(こまったわ。トムにみられてしまったわ)

 

フランは、久居留家の自らに与えられた二階の客間で泣いていた。

クラブで楽しそうに練習し、友達とレースを楽しむウマ娘達を見て堪え切れなかったのだ。

見なければよかった。自分には手に入らないと諦めた事だった。

でも、見ずにはいられなかった。

 

(とおいしごまかせばだいじょうぶよ。なみだをふいて、めをひやせばいいわ。おかあさまとサリーはそうしてくれたもの)

 

大好きな母と大好きなメイドを思い返しながら、フランは涙を拭う。

 

「…ぅ、ぅううぅ~!」

 

でも、止まらなかった。

涙は、流れ続けた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「…んにゅ。ふあ?」

 

フランの目が覚める。

 

(ねていたのね、めをひやさないと)

 

状況を理解できず周囲を見渡すと、自分がベッドにいたことに気付く。

泣き疲れて寝ていたらしい。

動こうとしたところに、背後から声がかかる。

 

「起きたか?」

「ふぇっ!?」

 

振り向くと、智哉が椅子に逆座りしながら、フランを眺めていた。

フランをじっと見つめるその目は、どこか悲しそうに見える。

 

「ト、トム…?」

「おはよう」

 

フランは焦っていた。誤魔化す方法と、智哉をここから追い出して目を冷やす方法を幼女なりに必死に考える。

 

「トム、どうしてここにいるの?」

「フランに会いに来たから」

「ノックくらいしてほしいわ。レディのおへやにかってにはいるなんて、しんしのすることじゃないわ」

「ノックしたらお前が寝てたんだよ。ベッドに運んだの俺だぞ」

「そうなの、ありが…でていってちょうだい。いまはおはなししたくないわ」

 

フランが生来の素直さでお礼を言いそうになるが、彼女にとって今は追い出す事が先決だった。

本当はしたくないけど一生懸命、智哉を睨みつける。

 

「俺は話あるんだけどさ。聞いてくれないか?」

「いやよ。でていかないならこのぼうはんブザーをならすわ。サリーがトムをやっつけにくるのよ」

 

大好きなメイドが「いつどこにいても、これを鳴らせばお嬢様の元に駆けつけます」と言いながらくれた、ふわふわがついた宝物の防犯ブザーを取り出す。うさぎのしっぽみたいでかわいいから気に入っている。

 

「オイやめろ。てかサリーって誰…」

「サリーはつよいのよ。トムなんて、すぐにようこうろにおやゆびをたてて、しずむことになるわ」

 

「溶鉱炉気に入りすぎだろ」

 

相当に気に入ったらしい。今度あの作品の続編も持ってきてやるか、と智哉は考えた。

 

「とにかくでていってちょうだい。いそいでいるのよ」

「目、冷やしたいからか?」

「そうよ、めをひやし…あ」

「俺がベッドに運んだって言ったろ?とっくに気付いてるよ」

 

(トム、きょうはなんだかやさしいわ)

 

ぶっきらぼうだがちゃんと話を聞いてくれるし、優しい人だとフランは子供ながらに思っていた。今日は言葉遣いまで優しく気を使ったものになっていた。

 

「トム、あのね」

「泣いた事、誰にも言わなければいいんだろ?いいぜ」

 

気が利きすぎる。まるで別人である。

 

「代わりにさ、ちょっと話さないか?」

「おはなし?」

「俺から話して、その後フランも話す。隠し事は無しだ。いいか?」

 

フランは、智哉が何を話したいか理解した。

言いたくない。自分はきっと泣いてしまう。わがままを言ってしまう。彼に当たってしまう。

でも…。

 

智哉はじっと、フランの目を見つめていた。

フランは、初めて彼と会った日を思い返す。

 

 

(トムはずっと、わたしのめをみてくれていたわ、おなじたかさで)

 

 

きっと受け入れてくれる。きっと嫌わないでくれる。

 

「わかったわ、わたしもトムとおはなししたいわ」

「よし、じゃあ俺から話すぞ」

 

そういうと智哉は一度深呼吸して、椅子を真っすぐ戻してフランに向き直った。

そして…。

 

「…」

 

「…」

 

喋らない。ここにきて折れそうになっている。ヘタレである。

 

「トム、にらめっこはおはなしじゃないわ」

「そうっすね…」

「トム?」

「おう…」

 

「…わたしからおはなしする?」

 

また気を使われた。10歳下の幼女に。

 

「うがああああ!!!」

 

突然、智哉が奇声を上げ頭を掻きむしり始めた。

遂に発狂したのか?否、そうではない。

 

「トム…?」

「いいかフラン!ちょっと見てろ!!」

 

覚悟を決めたのだ。智哉はポケットから50ペンス硬貨を取り出す。

 

「おかね?」

「おう!これをな!」

 

硬貨を人差し指と親指で挟み込み、

 

「こうだ!!!」

 

──易々と折り曲げた。

それを見たフランは、ぽかんとしながら答える。

 

「…すごいわ。トムはちからもちなのね」

「反応それ!?」

「でも、おかねをまげるのはいけないわ。おかねはだいじなものなのよ」

「すいません…」

 

説教された。10歳下の幼女に。

軽く落ち込むが、気を取り直して智哉が語り出す。

 

「えーとまあ、つまりだ。フラン、うちの母さんはウマ娘なのは知ってるな?」

「しっているわ。おばさまはだいすきよ」

「おう、ありがとな。で、俺はそんな母さんの子供な訳だ」

「ええ、トムもだいすきよ」

 

はっきりと言われ、智哉は幼女のストレートな好意に尻込みする。

この男、人に好かれるのに慣れていないのだ。

 

「お、おう…でも、俺は人間だよな?」

「ええ、みればわかるわ」

「でもな、人間でも、ウマ娘とのハーフは普通の人間より力が強かったりするんだ」

「あっ!それでおかねをまげたのね!」

「今気付いたのかよ。それでな、特に俺は血が濃いんだよ。ウマ娘ほど強いわけじゃないけどな」

 

ウマ娘と人間の混血児は、女児はすべてウマ娘として産まれるが、男児も母の影響をわずかながら受けて産まれる。ウマ娘の身体能力の一部を受け継ぐのである。

代々ウマ娘と関わってきた久居留家は、一族から何組ものウマ娘との夫婦関係が成立していた。

智哉は、母の血と祖先の血、両方を色濃く継いでいるのだ。

姉のバ鹿力のアイアンクローを、死ぬほど痛い程度で耐えられた理由がここにある。

 

「…力が強くても、何も良い事なんてなかったけどな」

「…なにか、あったの?」

「…喧嘩で怪我させちまったんだよ。同級生を。12の時だった」

 

「!?」

 

「今思えば、力の加減ができなかったのもあったんだけどさ。それ以上に腹が立ってたんだ。友達が集団でいじめられてたからな。許せなかった」

 

「トム、は、そのおともだちをまもったのね?」

 

そうあってほしかった。智哉は優しい人だから。

智哉の顔が辛そうに歪む。

 

「違う。違うんだよ…俺はその時、こいつらなんて死んでもいいって暴力を振るったんだ。守るならちょっと脅して目の前に立つだけでよかった。人間なんかに殴られても俺は平気だから」

 

泣きそうな、許しを請うような声だった。思わずフランも泣きそうになる。

 

「トム…」

 

「幸い、大けがを負った人間はいなかった。それで俺は警察に連れてかれて、いじめを追及されたくない教師と、俺がぶちのめした奴らが口裏合わせて、俺が突然暴れだしたことになった。結局すぐに全部バレて、教師はクビ、クソ野郎どもは逃げるように転校になったけどな」

「親父、母さん、姉貴は信じてくれた。あの時は泣きそうになったよ」

 

「…おともだちは、どうなったの?」

 

一番、辛い部分だった。しかし、話さない訳にはいかない。

 

「…あいつらに脅されて、いじめの標的から外す代わりに、俺が暴れたという口裏合わせに参加してた。でもそこはよかったんだ。勝手に俺がやった事だしな」

「だから俺は、気にするなよって言いたくて会いに行ったんだ」

 

深呼吸する。こんな話幼女にしてもいいのだろうかと悩む。

 

「そうしたらな、泣いて謝るんだ。助けてくれ。殺さないでくれって」

 

「…」

 

「あいつからすれば、俺の方が怖かったんだと思う。そりゃそうだよな、人間振り回せるんだぜ俺」

「だから、俺は逃げた。親父についていって、短い期間で転校を繰り返して。それなら友達とか作らないで済むから」

「一人で考える時間ができると辛くなるから必死にトレーナーの勉強もしたんだ。俺は16でトレーナー試験受かる能力があるって親父に言われてるんだぜ?すげえだろ」

「それで、去年こっちに戻ってきたんだ。学力試験があったから、その準備をしたくてさ」

 

「…」

 

「…フラン?」

 

フランは、泣いていた。静かに泣いていた。

こんな子供の自分に、辛かった事を真っすぐ向き合って話してくれた。

このひとは、自分と同じだ。心の辛さに耐えきれずに、今もひきずっている人だ。

いや、逃げただけの自分よりもすごい。前を向いて生きている。

 

「トムは、すごいわ」

 

智哉は居た堪れなくなって話題を変えたくなった。自分語りも恥ずかしすぎるしそれで幼女泣かすとか最低すぎると話した事より辛くなった。

 

「すごくねえよ、親父について行って楽しかったしな。親父のチームの管理ウマ娘達にはすげえ世話になってかわいがってもらったし。あ!そうだ、トレセン学院のガリレオ会長知ってるか?俺あの人に直接励ましてもらった事があるんだよ。いやあ不幸ぶってて良かったぜ」

 

フランは、目の前でしどろもどろに捲し立てる智哉を見て微笑む。

やっぱりこの人はやさしい人だ。自分が泣いているのを見て話題を変えたがっている。

フランは、このやさしい人を立ててあげる事にした。

 

「しってるわ、ガリレオおねえさま。すてきでかっこいいおねえさまよ」

「だよな!いやあフランはわかってるな。あの人には頭上がらねえよ」

「トムは、だからトレーナーになりたいのね。ガリレオおねえさまにあこがれて」

「いや平地はむりっす…」

「ええ…」

 

余韻が台無しである。いつもの空気に戻ってしまった。

 

「というわけで、俺の話終わり!終わり!次フランの番な!」

「おはなししづらいわ…」

「…いいんだよこんなんで、辛い気持ちで辛い話なんてするもんじゃねえよ」

「トム…ありがとう」

 

気恥ずかしそうに智哉が眼をそらす。

フランはそれを見て微笑みながら、智哉に向き直る。

 

「わたし、きっとないてしまうわ」

 

「いいんだよ泣いて、ガキんちょが我慢すんな」

 

「きっとわがままをいうわ」

 

「それくらい構わねえよ」

 

「きっと、うまくおはなしできないわ」

 

「フランは聞いてくれたんだ、全部しっかり聞くよ」

 

 

 

 

 

 

 

フランは、ゆっくりと語り出す──




なんか伸び伸びになってるけど明日の午前中に更新するんで許し亭ゆるして


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第五話 いかにして彼は彼女の心に触れたか

なんとかセーフという事で許してください。
ストック作ってから投稿すればよかったと後悔し始めた。
まあなんとかなるやろ!男は冒険や!


「トム、わたしね、ウマむすめのがっこうにいたの」

 

フランは、ぽつぽつと語り出した。

 

「おっ、まさか統括機構のポニースクールか?さっすがお嬢様」

 

智哉が茶化すように合いの手を入れる。辛い思い出をなるべく、楽に語れるように。

 

統括機構ポニースクール──英国ウマ娘統括機構(B U A)が指定し、英国全土の統括機構管理下のレース場に併設される、統括機構トレセン学院の事実上の下部組織である。

優秀なウマ娘を養成する独自のカリキュラムが実施され、間近に先輩達のレースを見学し、6~12歳の六年間を無事に過ごし卒業したウマ娘は、そのままエスカレーター式に統括機構トレセン学院に入学する事になる。

入学できた時点で統括機構所属の競走バへの道が約束されるのだ。学年毎に30人2クラスしかなく、相応に試験も狭き門であり、学費も高額である。

この制度の影響で外部生と内部昇格組の軋轢問題があったりもするが、それはいずれ語るとしよう。

 

フランは智哉の気遣いにうっすらと微笑みながら応える。

 

「ええ、そうよ。わたしはアスコットのポニースクールにいたわ」

「まじかよガチ名門じゃねえか。すげえな…」

 

これには智哉も唸った。英国競バ界において最も由緒正しく、最も栄光あるレース場に併設されるポニースクールだ。人気も高く試験倍率に至っては青天井である。これに次ぐのは恐らくエプソムポニースクールか、トレセン学院の近くにあるニューマーケットポニースクールであろうか。

 

「さいしょのいっかげつはとてもたのしかったわ。せんせいはやさしくて、おともだちもたくさんできたわ」

「できたと、おもったの」

 

「…競走カリキュラムで何かあったんだな?」

 

フランは、何も言えずに頷く。悲しそうな顔で。

 

智哉もトレーナーを志す卵の一人である。ポニースクールのカリキュラムについても学んでいる。ポニースクールに入学した生徒は、最初の一か月は環境に慣れるためと友人関係の構築のために競走カリキュラムを行わないのだ。とある問題のために。

 

「さいしょは、となりのせきの、おともだちと、へいそうしたわ」

「そのこは、もうわたしとはしるのはいやといったわ」

「つぎに、ごにんずつのレースのじゅぎょうをしたわ」

「わたしがいちばんだったわ。15ばしんついていたわ。みんな、わたしをこわがっていたわ」

 

(…そこまでか)

 

智哉もこれは予測していた。そしてこれがその問題である。

時に、ポニースクールに入れる程のエリート候補ですら、相手にならない程の才能が現れるのだ。子供のかけっこの延長すら、満足にできない程に。

そして、各地から集う地元では負けた事のないエリートが、本当の天才とぶつかればどうなるか。

 

「さいごに、せんせいとへいそうしたわ」

「せんせいは、わたしをみてすごいとほめてくれたわ」

「でも、こわがっていたわ」

 

天才を、恐れるのである。本物の天才競走バとは、それ程に非情な現実をエリートに見せつけるのだ。競い合い、勝てるのはただ一人の競走バ人生の最初の一歩で、天才と同級生になってしまったエリート達は、幼い少女には処理できない挫折を押し付けられるのだ。

 

「それでね、つぎのひのおけいこから、わたしはひとりだけのメニューになったわ」

「わたしは、それはしかたないとおもったの。でも、いちばんえらいせんせいが、わたしのクラスのせんせいをしかったのよ」

「せんせいは、わたしにはできませんといって、スクールをやめてしまったわ」

「やさしいせんせいだったのよ、だからみんな、わたしのせいだといったわ」

 

智哉は、明らかに教師のミスだと認識した。入学試験に競走科目は存在し、そのデータを見てフランに特別メニューを課せばよかったのだ。

恐らく、天才を受け持った経験がなかったのだろう。教師が招いた不幸だ。

 

「わたし、いっしょうけんめいはしったのよ。おともだちに、てをぬくなんて、したくなかったの」

 

フランの声が震え、手でスカートの裾をぎゅっと掴んだ。

 

「ああ、フランは間違ってない」

「それで、いっしょうけんめいはしったのに、だれもわたしとおはなししてくれなくて、わたし、つらくなってしまったの」

「それに、はしるのがこわくなってしまったの。ウマむすめのおともだちがちかくにいると、あしがうごかなくなってしまうの」

 

(トラウマによるイップスか…)

 

現役の競走バでも、競走中の事故により怪我が完治しても精神的なダメージで走れなくなるケースがある。

フランはこの年齢で、競走バとしては致命的な心の傷を受けてしまった。

 

「それで…それで…おかあさまに…がっこうにいくのはもういやって…わがままをいって…」

 

フランの青い瞳から、涙がこぼれ、握った手に落ちる。

 

「それで…おいしゃさまにみてもらったら、わたしはこころをおけがしてるから、しずかなところでやすみなさいって」

「だから、おとうさまのべっそうで、サリーとおやすみしてたの。でも…でも…ぜんぜんなおらなくて…」

 

「それで、ウチに来たのか?」

「サリーとおかあさまが、ミディおねえさまにそうだんしたの。そうしたら、ここはしずかだし、こころのおけがによりそってくれる、ひとがいるって、つれてきてくれたの」

 

(姉貴…!!!)

 

智哉は今すぐ姉の顔面を引っ叩きたくなった。

全てを知った上で、智哉が放っておけないと確信して、自分に預けたのだ。

フランと智哉は同じなのだ。普通の人間、普通のウマ娘の枠に入れない身の上なのだ。だから智哉は放っておけないとわかっていたのだ。

その信頼が、今はただ憎くて仕方なかった。

 

「おばさまに、カウンセリング?というのをしていただいたわ。おばさまはウマむすめのこころのおけがにくわしいのよ」

 

知っている。母はウマ娘のカウンセリング資格を持っており、クラブでもイップスを持つウマ娘の治療をしていた。温厚な母の天職である。それが久居留家でフランを預かる決定打になったのだろう。

 

「ああ、知ってるよ。母さんはその道のプロだ」

「トムにあそんでもらって、なおってきているそうなのよ、でも、まだはしるのはよしなさいって」

 

鼻声で、フランが語る、もう涙は止まらない。

 

「…きっと治るさ、俺も力になるよ」

 

「……ふええええええええ!!!」

 

智哉に優しい言葉をかけられて、それが我慢の限界を超えた。

目の前の智哉の胸に飛び込み、肩に頭を押し付けて二の腕を痛いほどに掴んでくる。

智哉はただ黙ってそれを受け入れ、フランの頭を撫でた。

 

「わたし!わたしぃ!こんなはやいあしなんていらなかったわ!!」

「うん」

「ふつうのはやさでよかったの!おともだちときそいあえるあしがよかったの!!」

「うん」

 

唯々、残酷な現実がそこにあった。

この哀れな少女は、本人の気性とは裏腹に、三女神に愛されすぎていた。まるで呪いのようだった。

気性難なら気にしなかっただろう。性格が悪ければ周りを見下して悦に浸っただろう。

しかし、そうはならなかった。フランは優しく、友達が欲しいだけの女の子だった。

 

「そうだよな、普通じゃないのは、辛いよな」

 

フランの頭をゆっくりと撫でながら、智哉が応える。

 

「ふつうのあしをちょうだい!おけがをなおしてちょうだい!」

「ごめんな。すぐには無理だよ、でも、俺も一緒にいるから」

 

「いやよ!!すぐになおして!!!おともだちがほしいの!!!おともだちとはしりたいの!!!!」

「うん、大丈夫。フランは良い子だから、きっとできるよ」

 

「やだああああ!!!いますぐがいいの!!」

 

フランの、渾身の心の叫びであった。

智哉はそれを聞きながら、フランの頭を撫で続けていた。

そしてもう一つ、考えている事があった。

 

 

 

 

 

 

──姉への、落とし前である。




フランの同級生と先生はみんなモブウマ娘と思ってクレメンス。
名門でこんな事件あって大丈夫?って思うかもしれませんが
大丈夫なわけないだろ!!何があったかは追々書いていきます。


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閑話 君臨する大挙行

新鮮なライバル枠よ~。やっとウマ娘ぽい事書けた気がする。


同時刻──アスコットポニースクール、第一練習場

 

「わははははは!!!!やはりAクラスはうぞうむぞうしかおらんなあ!!!!我に挑めるどきょうもないか!!!!!!」

「さっすがエクス~、次の選抜戦はBクラスで決まりだわ~」

「そうであろう!!!そうであろう!!!我はさいきょうであるからな!!!!」

 

軽薄そうな教師に褒められ高笑いを上げる、エクスと呼ばれた幼いウマ娘。

背中まで伸ばした鹿毛の長髪に前髪には小ぶりな白い流星。

幼い身で既に圧倒的強者の如き威風を備えた幼女は、有頂天に達していた。

 

統括機構ポニースクールでは、月に3度、クラス対抗戦を行っている。

そしてその総合成績で上回ったクラスの成績上位者は、ポニースクール、クラブ合同選抜戦──通称ポニーステークスに出場できるのだ。

ポニースクール創設から続く栄えある大会であり、外部の観客、統括機構トレセン学院生徒会、そして未来の名ウマ娘の発掘に来るトレーナー達へ自らを売り込むための競走バの卵達の大レースである。

 

「なにしろ、我はすでになまえをさんめがみよりいただいておるからな!!!Aクラスのうぞうむぞうとはわけがちがうわ!!!!」

「いや~エクスがいれば先生の査定も上がるわ~、エクス様々だわ~」

「そうであろう!!!!そうであろう!!!!!!」

 

さらに高笑いを上げる幼女。

6歳にして三女神より命名を受け、普通のエリートとは一線を画した才能の持ち主である。

それほどに命名の差は大きい。才能の総量が圧倒的に違うのだ。

 

「うう…はやいよお…」

「まけちゃった…」

 

圧倒的な実力差の前に、落ち込むAクラスの生徒達。

少し前に起きた悲しい事件のせいもあって、士気も無く項垂れている。

 

「フランちゃんがいれば…」

 

思わず、いなくなったあの子の事を思い返す、一人のAクラスの生徒。

 

「あっ!だめ!」

 

その呟きを、エクスは聞き逃さなかった。

 

「…なに?なにものだそいつは?」

 

「あ~気にしなくていいよエクス~、ちょっと速かったみたいだけどさ~、いじめられていなくなった子だから」

 

「なんだと?我よりはやいのか?」

「いやそれはないわ~、逃げ足だけは速いかもね~」

「…きにいらんな」

 

最強の自分に勝てるかも、と希望を抱きながら追い出したAクラスの有象無象。逃げたその脆弱なウマ娘。全てが幼い王者の癇に障った。

 

「よし!!きめたぞ!!!のこりすべてのたいこうせん!!我がぜんぶでてやろう!!!!」

「おっマジで?助かるわエクス~」

 

幼き王者は完全に調子に乗っていた。

そして気に入らない奴らを懲らしめてやろうと思い、Aクラスの有象無象を指差し、こう言った。

 

「おい、Aクラスども」

「…なに?」

「きさまらのしょうねが、きにくわん。せんばつせんになど、ぜったいでれんようにしてやる」

 

「…」

 

この最強のウマ娘には、自分達では勝てない。Aクラスの生徒達は自分達が選抜戦に出れない未来を幻視して、涙を流す。

 

「ところで、そのにげたなんじゃくものの、なまえはなんだ?」

 

そんな軟弱者の名前など覚えなくてもいいかもしれない。

だが、自分に少しでも勝てるかも、と思われる奴がいる事実が気に入らない。

そいつと邂逅する時が来たら叩きのめしてやろう。

我ながら名案だ。幼き王者はそう思った。

 

「え~なんだっけかな。フランク?たしかそんなん」

「フランク!?なんだそれはおとこのなまえではないか!!わははは!」

「それよりもさ~、エプソムとの交流戦も考えといてよエクス~、確かそこのナス?なんとかって子が結構やるのよ~」

 

「ナス!!そいつはやさいだな!!おとことやさいか!!!りょうほうたたきのめしてやろう!!我のまえにたてればな!!!」

 

 

 

 

 

 

 

自分は最強であり、神に選ばれし、世代の頂点のウマ娘だ。

そう、自惚れていた。




エクスちゃんめっちゃ書きやすくてすき
チョイ役なんで書かなかったけどこのBクラスの先生は口悪いし性格ドブだけど査定第一で実務面ぐう有能です。
Aの元先生はその逆。
フランはBに入ってたら友達もできたし先生とも上手くやれてました。


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第六話 いかにして彼女は外に出たか

ちょくちょく文章推敲してるけど内容は変化ないから気にしないでクレメンス


「ないてすっきりしたら、おなかがすいたわ」

「切り替え早すぎねえ?」

 

あれからフランは、智哉の胸で言いたい事を叫んだ後に、すっきりした顔でそう呟いた。

沢山泣いたからか晴れやかな表情である。シリアスな空気は溶鉱炉に沈んだ。

 

「サリーにおしえてもらったのよ、げきこうしそうなときはたくさんなけばいいのよ。サリーも、わたしがつらくてないていたら、よくハンカチをかんでいっしょにないてくれたわ」

「絶対その人やばいと思う」

 

主人の心に寄り添いすぎである。

智哉は、脳内に危険人物候補としてフラン付メイドのサリーを記憶した。

 

「…家族やそのサリーさんに会いたくないのか?」

 

以前から気になっていた。この年頃の幼女が一人で親元を離れているのだ。

寂しいと思うのが当然である。

フランは不思議そうに首をかしげた。

 

「…?おかあさまとサリーならたまにあっているし、まいにちおでんわもしているわ」

 

会ってた。

 

「は?いつ?」

「トムがおうちにいないときに、ミディおねえさまがよんでくれるのよ。わたしはトムにおかあさまとサリーとおはなししてほしいのだけど、ミディおねえさまがサリーはまだあぶないっていうのよ」

 

知らない内に姉に助けられていたらしい。姉に思うところはあるがそこは素直に感謝した。

智哉は、脳内に危険人物としてフラン付メイドのサリーを記憶した。

 

「今日の夕飯だけどさ、クラブハウスでみんなで食おうかって話してるんだ」

「クラブハウス?」

 

久居留家の練習場には、クラブハウスが存在する。

従業員や練習生はそちらの施設で着替えや食事をしていた。

 

「ああ、外に出なきゃならねえけど…」

 

フランはあの日以来、外に出るのが怖かった。同年代のウマ娘を見るのが怖かった。だから頑なに外出を拒んでいたのだ。

でも…

 

「嫌ならいいんだぜ?こっちに持ってくるから俺と食おう」

「いくわ」

 

この人となら。

お互いの心の辛さを知り、悲しみを共有したこの人とならきっと外に出れる。

 

「…そっか、ありがとな」

「うふふ、トムにはレディをエスコートするえいよをあたえるわ」

「畏まりましたお嬢様。さあ、お手をこちらへ」

「くるしゅうないわ」

 

冗談を飛ばし合いながら、智哉としっかり手を繋ぐ。

外に出るというのに、不思議と何も怖くなかった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「トム、くらいわ、さむいわ、あるきたくないわ」

「ええ…めっちゃ文句言うじゃん…」

 

台無しである。

久しぶりの外界の空気は寒いし、練習の終わったクラブ設備は照明が切れて真っ暗だった。

おまけにクラブハウスはちょっと遠い。

 

(心を許してくれたんだろうけど、こいつ実はめちゃくちゃワガママじゃねえか?やっぱり気性難だろ)

 

ちなみにフランは甘えたくておんぶしてほしかっただけなのだが、智哉はフランとの話し合いで一日分気を使ったのでもうエネルギー切れであった。クズモードに戻ったのである。

 

「もうちょっとだから我慢してくれよ…」

「…むぅ」

 

ぷくぅとフランのほっぺが膨らむ。

そんな事をしている内にクラブハウスの前に到着した。

 

「ほら、着いたぜ。開けてみな」

「わたしが?」

「ああ、フランに開けてほしいんだ」

 

智哉がなぜかニヤニヤ笑っている。何かを企んでいるらしいとフランは感づいた。

おそるおそる、暗がりの中のクラブハウスのドアを開け、ドアの隙間からゆっくりと光が漏れる。

そして…

 

「フランちゃん!!!ようこそクイル・レースクラブへ!!!!」

 

「ふぇえっ!?」

 

ぱぱぱぱーんと、クラッカーの一斉射撃を浴びる。

音にびっくりしつつも、周囲を見渡す。

 

「わあ…!」

 

クラブハウスのロビーは飾り付けられ、ちょっとしたホームパーティー会場のようになっていた。中央に「G1フランちゃん歓迎記念」と書かれた看板が置かれている。

お嬢様育ちのフランはもっと格式の高いパーティーに参加した事も当然ある。しかし自分のために飾り付けられたという事実が何よりうれしかった。

 

周りを見ると、智哉の母に自分と同年代の少女達、年上の女性と男性、そして知らないおじいさんがこちらを見ている。

女性陣は、簡易な仮装をして耳と尻尾の位置を隠している。ウマ娘かどうかわからなくしているのだ。

 

「フランちゃん!」

 

フランに声がかかる。少し年上の、かぼちゃの帽子を被り花束を持った少女だ。

クラブ練習の時、智哉にフランの事を教えた趣味コースの練習生である。

 

「おれ、アンナって言います!!フランちゃんが窓から見てるのいつも見てました!!さみしそうだから心配してました!!!」

 

元気が取り柄の少女である。家は花屋で、花束も智哉に頼まれて家で用意したものだ。

 

「だから!今日トムせんせーにたのまれて!お花持ってきました!!ウマ娘がこわいってママせんせーに聞いたから!みんなで耳と尻尾をかくしました!!お花受け取ってください!!あと友達になってください!!!」

 

頭を下げて花束を差し出す。全員がそれをじっと見つめる。

フランは振り返り、後ろの智哉を見上げた。

力強く頷き、智哉が応える。

 

「…大丈夫だよ。ここにいる全員、絶対にフランを嫌わない」

 

自分の答えはもう出ていた。そして今勇気をもらった。

フランは、アンナの方に手を伸ばし、花束を取らず…

 

アンナの帽子を、頭から外し、耳を露出させた。

 

「えっ…フランちゃん?」

 

アンナは困惑する、まさか拒まれてしまったのか?

 

「はじめまして、フランといいます。おきづかいうれしいです」

「でも、おともだちをこわがるのはおかしいわ。アンナちゃん」

 

これがフランの答えだった。ここまでされて怖がってはウマ娘が廃る。勇気を振り絞って誠意を返したのである。

 

「…」

 

一同、このフランの行動に静寂した後に

 

「うわあああああああ!!!!」

 

「ふぇえええっ!?」

 

大爆発した。まさに歓喜の渦である。フランはもみくちゃにされた。

 

「フランちゃんかわいい!!!すっごいおじょうさましてる!!!」

「フランちゃんよろしくねえ、あっちでご飯たべよー」

「ちょっと趣味コース!学院コースにも紹介しなさいよ!フランさんよろしくね、私はエスティよ」

 

「あぁぁぁあああああぁあああああお嬢様あああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

 

フランはもみくちゃにされて見えなくなり、周囲からやんややんやと声が上がる。

一人テンションのおかしすぎる異常者がいる気がしたが、智哉はスルーした。

知らない方が良い事もあるのだ。

 

「ようトム坊、フランちゃん連れ出し任務ご苦労」

 

フランはもう大丈夫と思い離れたところに、初老の男性が近づいてきた。

 

「ジェームスのおやっさん、悪いな手伝ってもらって」

「なあに軽い軽い、あんな事情知って動かない奴はトレーナーじゃねえさ」

 

彼、トレーナーのジェームス氏は、父と古くから親交のある統括機構所属のトレーナーである。現在は年齢により一線を引き、父の誘いに乗り、ここクイル・レースクラブの学院コースを担当し、運営の相談役を務めている。

ちなみに、智哉は彼からトレーナー推薦を受けられない。彼の推薦枠は所属アマチュアトレーナーの契約項目に含まれているのだ。現実は非情である。

 

「トム坊、これからやるんだろ?」

 

そして久居留家と親しいという事は、一家の力関係と諸々の事情を知っている。

 

「…ッス」

 

しかし智哉はすでに尻込みしている。やっぱり姉は怖いのだ。

 

「なんだよビビってんじゃねえか。たまにはミディちゃんにビシっとお灸据えてやんな。今回は流石にトム坊に無茶ぶりしすぎだからな」

「…ッス」

「かー!こら駄目だ。俺はフランちゃんにちょっくら挨拶してくらあ」

「いやおやっさん無茶すんな、ウマ娘が集まりすぎて竜巻みたいになってるぜ」

 

真ん中にロングスカートのメイド服を着こなした竜巻が見えるが、智哉は見て見ぬふりをした。あれに関わるのは危ない。

 

「ああん!?俺は障害レースの指導も実演でやってみせてたんだぜ!できらあ!」

 

そういうと腕まくりをしたジェームス氏は竜巻に突っ込んで行って、簡単に弾き飛ばされた。智哉は見て見ぬふりをした。おやっさんが年を考えずに無茶するのはいつもの事なのだ。

 

「トムくん、お疲れ様」

 

今度が母が近付いてきた。今回、フランと練習生を会わせていいかの最終判断を下したのがこの一家の最高権力者である。智哉が相談した時に、母は智哉がフランに事情を聞くことを条件としていた。

 

「母さん、無茶言ってごめん。それとありがとう、助かった」

 

智哉は素直に感謝を伝える。会場の設営から料理の準備まで、母には本当に世話になったのだ。

 

「ふふふ、いいのよ。そろそろ会わせる頃合ではあったのよ。でも、それだとトムくんは蚊帳の外になってしまうから」

 

自分が動く事も全部見透かされていた。母にはやはり敵わない。

 

「ところで姉貴は?」

「…裏口の外で待ってるわ」

「そっか、行ってくるわ」

「トムくん、あまり怒らないであげてね。お姉ちゃん、結構気にしてるのよ」

「努力します…後が怖いし」

 

姉の報復は死ぬほど怖い。あの気性難は根に持つとしつこいのだ。

クラブハウスの裏口からそっと出て、姉を探す。

すぐに姉はいた。

 

「…来たわね」

「…おう」

 

姉は外壁にもたれかかり、腕を組んでなにやら考え事をしている様子で佇んでいた。

 

「話あるんでしょ?」

「姉貴からはねえのか?何もねえのか?」

 

智哉は瞬間的に頭に血が上った。

なんだその態度は。人の触れられたくない過去を利用するような真似をして。

何も言わずにフランを俺に放り出して。

とりあえず一発ぶん殴る。考えるのはそれからだ。

 

 

 

 

 

 

 

智哉は、拳を振り上げた──



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第七話 いかにして彼は姉に挑むか

智哉は振り上げた拳をそのまま姉に向けて振り下ろす。ウマ娘の血を引く智哉の拳の強力な風圧で、姉の髪がさらりと揺れた。

 

「…怒ってるんでしょ?殴ればいいじゃん」

 

──寸止めだった。

智哉はそのまま外壁に身を寄せて、右手で頭を抑えながら姉の横に座り込む。

 

「…姉貴、知ってるか?ムカついて人殴ると、後で気分悪いんだよ」

 

過去の経験、思い出したくも無い記憶が、寸前で家族を殴る行為を踏み止まらせたのだ。

智哉にとっては過去から得た、嫌な教訓だった。

 

「あ~もう!一発くらいはいいかなって覚悟して来たのに」

 

余談だが、姉は覚悟した上で智哉を軽く挑発したが、当然の権利として後で報復するつもりであった。命拾いしていたのである。

姉は、頭を軽く掻いてから智哉の前に立ち、

 

「──本当にごめん。フランちゃんの件はあたしが悪い、あんたに嫌な役回りをさせた」

 

頭を下げて謝罪した。

それをぽかん、と口を開けて智哉が見つめる。

 

「何よその顔」

 

こういう所が憎めない姉なのだ。この気性難の姉は、理不尽だが筋を通す女だった。

完全に毒気を抜かれた智哉が深く息を吐く。

 

「姉貴さあ…マジそういうとこなんだよなあ…」

 

こういう部分を元彼にはちゃんと見せていたんだろうか。姉の交際関係に思いを馳せてしまう。

 

「あんたそれどういう意味よ…」

「何でもねえよ。それよりフランから事情は聞いたし、聞いて納得もした。でもわかんねえ事が一つあるんだよ」

 

フランは、賢い子ではあるがまだ年端もいかない少女である。幼女の視点の話では把握できない事があった。

 

「アスコットポニースクール、今どうなってんだ?名門にそんな教師入れるもんなのか?」

「ああ、気付くわよね…あんたなら」

 

アスコットポニースクールは、ポニースクールの中でも特筆すべき超名門である。

無論、教師陣も優秀な逸材揃いで、いくらフランが天才競走バの才能を持っていようと、他の生徒との線引きをしっかり引いて対処できるはずだった。

だが、今回の一件で未来の名バ候補のフランは、いつ走れるように快復するかもわからない心の傷を負い、本来善良なウマ娘である同級生達も、相応にフランを追い出した罪悪感を負っているはずだ。

 

「簡単に言うとね、コネよ」

「はあ?できんのかそんなこと?」

「…普通は無理ね。でも今回はできてしまった」

 

ポニースクールの教師陣は、未来の名バ達を育成するために高い能力が求められ、厳しい査定評価制度が設けられている。基準を大きく下回った教師は最悪免職すらあり、受け持つ生徒達に負けず劣らずのエリート集団である。

 

「新人だったのよそいつ。裏口採用の。親が資産家らしくてさ、娘に内緒でたんまり積んだらしいわ。当然新人だから査定でひっかからなかった。採用者は当然クビよ」

「採用者は、奥さんが重い病気だった。すぐに手術するのにお金が必要で、積まれて魔が差したそうよ」

「面接で落とせばよかったんだけどね。気持ちだけはあったらしいわよ。面接官が熱意を感じたってね。笑わせるわ」

「新人はね、慣例で一年生の担任になるのよ。Aクラスを受け持ったけど、そこにたまたま入ってきたのがフランちゃん」

 

徹頭徹尾、汚い大人の都合であった。あまりの胸糞の悪さに、智哉は眩暈を覚えるほどだった。

 

「裏口教師は家に引きこもって出てこれないそうよ、ある意味彼女も被害者ね。あたしは同罪と思うけどね…」

 

姉はそこまで話すと、深く、深く、ため息をついた。姉は、筋を通す女である。理不尽ではあるが曲がった事は大嫌いな女だ。自分の話で嫌な気分になった。

 

「聞きたいなら続けるわよ」

「…頼むわ」

 

聞きたくは無い。だがフランの事情に自ら首を突っ込んだのだ。聞く義務があった。

 

「統括機構理事会は今、上から下までひっくり返ってる状態よ。名門でこんな不正起きたから当然ね。アスコットの校長は引責辞任したいと申し出たけど、ウェルズ理事長が慰留してるわ。校長はね、裏口教師を追及したタイミングに責任感じてるから…」

 

「ああ…フランが言ってたよ。先生がいなくなったのは、自分のせいだとみんなに言われたって」

「…ッ!本当はね…フランちゃんのせいじゃないって、あたしも言ってあげたいのよ!でもそれを伝えるのに!あんな良い子にこんな話できないわよ!!」

「わかってるよ。落ち着けって」

 

何もかも、タイミングが悪すぎただけだった。ただ、それだけの話で、一人の無辜の少女が心に傷を負ってしまった。あまりのやるせなさに、姉が声を震わせる。

 

「…今のところ、マスコミには嗅ぎ付けられてはいないわ。校長が迅速に対処したから。理事長もそこを評価したから慰留してる。Aクラスの子達は今カウンセリングを受けさせてケアしながら、一番優秀な教師を担任にしたらしいわ。ああ、ガリレオ会長も慰問したわね」

 

懐かしい名前を聞いて、あの人は変わらないなと、智哉が少し思索に耽る。

 

「校長は、フランちゃんの復学はいつでも受け入れるとフランちゃんのパパに申し出たけど、固辞したわ。このまま転校になるわね」

「…だろうな」

 

未だ走る事ができないのだ。ポニースクールに通えるはずがない。

 

「フランちゃんをうちで預かってるのは、当事者のあの子を万が一嗅ぎ付けたマスコミが、あの子に接触するのを避けるためもあるわ。あたしも思うところがあるけど…統括機構としては、こんな大スキャンダル何としても阻止したいから…」

「…ッおい!!」

 

姉は、拳を握りしめていた。今にも爆発しそうなのを抑えていた。

 

「…あんたも我慢しな。理事長も苦渋の決断よ。それに、ウチじゃなくても他所で治療のためという名目で静養してたと思うわ…」

 

大人の都合を押し付け、傷付いた少女を親元から離すのかと、智哉は当たり散らしたい気持ちを何とか抑えた。

 

「わかった…」

「まあ、こんなとこよ、嫌な話でごめんね…」

 

最悪の気分だった、聞かなければよかったとまで思う。まだ資格すら持っていないトレーナーの卵の自分から見たら、遥か天上で一人の少女の処遇が決められていた。

胸糞の悪さを抑えながら、智哉が姉に訊ねる。

 

「…なあ、フランを連れてきた日にこの話をしなかったのはなんでだ?」

「あんたこれ聞いたらフランちゃんと向き合えた?フランちゃんの境遇も含めて」

「ああ…そうだな…」

 

逃げていた。フラン自身の境遇も自分の過去を想起させて忌避しただろう。傷付いた少女に向き合わなかっただろう。

 

(姉貴が正しいわ。ヤブヘビどころの話じゃねえしな…んん??ヤブヘビ…?)

 

ふと、智哉はこんな話聞いて大丈夫なのだろうか、なぜ姉はここまで知っているのだろうかと気付いた。嫌な予感がする。

 

「な、なあ姉貴…」

「なによ、大体話したけどまだ聞きたい事ある?」

「い、いやさあ…この情報って、どこから…?」

 

姉はその言葉を聞いて、待ってましたとばかりにニヤリと笑った。嫌な予感しかしない。

 

「あーー?聞きたい?聞いちゃう~?」

「い、いや、やっぱり大丈夫っす…」

「えーー?教えるけどーーーー?」

「いや大丈夫っす…すんません勘弁してください…」

 

耳を塞ぎながら背を向け、こっちに回り込もうとする姉から全力で逃げる。聞いてしまったら本当に戻れなくなるのを智哉は察した。

 

「ふん、ヘタレなのは直んないわねえ。まあいいわ、いずれ会うと思うし」

「勘弁してくれよ…」

 

ここまで深い情報を持っている相手となると、統括機構理事の一人なのは間違いないだろう。天上人である。智哉は全力で逃げたくなった。

 

「わかってると思うけど他言は禁止よ。あんたの周りだとうちの家族しか知らないから。ジェームスおじさんもここまでは把握してないわよ」

「親父も関わってるのか?」

「関わってるからフランちゃんをうちに連れてこれたのよ」

 

父は花形の平地ではないが、障害競走においては有力トレーナーである。姉の情報源の人物と二人がかりなら横槍を入れる程度には政治力もあるのだろう。

そう考えていると、姉が手を叩いてから体を伸ばした。

 

「はい!暗い話おわりー!あーお腹へった。フランちゃんとご飯食べよっと」

「あー姉貴、もう一個だけ」

「えーもういいでしょ。なによ」

 

どうしても、気になる事があった。初日にフランを自分に預けた事だ。

いきなり自分に預ける状況が不自然すぎた。

 

「母さんがカウンセリングして、俺がフランの相手するのはついでだろうけど…何でいきなり俺だったんだ?母さんじゃなく」

 

「んー…」

 

姉は言うべきか悩んだ素振りを見せて、

 

 

 

「あんたの事信じてるから」

 

 

 

──爆弾を落として、クラブハウスに戻っていった。

 

 

 

 

 

 

「姉貴さあ…マジそういうとこさあ…」




ウマ娘要素は浜で死にました。
アッネの見た目は身長伸ばしてポニーテールにしたダスカをイメージしてます。
なんでフられたのか書いててもわからなくなってきた…。


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閑話 激昂する大挙行

──とある日のアスコットポニースクール、第一練習場

 

「なんできさまがAクラスにおるのだ!!!!我のれんしゅうメニューをかんがえよ!!!!」

「あ~わりーなエクス~先生辞令でAクラス担任に変わったんだわ~エプソムとの交流戦がんばれよ~選抜戦は先生が引率してやっからな~」

 

先日まで自分達の担任だった、口は悪いし軽薄だが手腕は認めていた教師がAクラスに行ったのに対して、幼き王者は怒りの声を上げた。

 

「じれいとかむずかしいことをいうな!!!きさまがそっちにいったから、きょうのたいこうせんで、いっしあいまけたではないか!!!!」

「しょーがねーだろ辞令なんだから~。先生もエクスの担任じゃなくなったから査定下がるわ~まじつれ~わ」

「むぐぐぐぐ…ああいえばこういいおって!!!!」

 

地団太を踏む幼き王者。優秀な教師は自分にこそふさわしいはずだ。なぜAクラスの有象無象に優秀な教師がつくのだ。理解できない。

 

「こらエクスちゃん!先生にそんな事言っちゃいけません!」

「エクス~、そっちの先生も優秀なんだぞ~。てかアスコットに無能はいないぞ~。ちょっと前いたけど」

 

二人の教師に諭されて、王者はBクラスに新しく赴任した教師に向き直る。

 

「なに、きさまもゆうしゅうなのか?ならなぜまけたのだ?」

 

王者は、下々の声も聴いてやる度量が必要なのだ。怒られそうで怖くなったわけではないのだ。

 

「…Aクラスの子達は、色々あって落ち込んでいたのよ。今は気持ちも持ち直してきたから、こちらが弱くなった訳じゃないわ」

「なに?そうなのか?ではれんしゅうメニューのさではないのか?」

「ちゃんと引き継いでるから大丈夫よ。一緒に良いウマ娘を目指しましょうね」

「ふむ…よかろう!我はきさまをBクラスのきょうしにしめいしてやる!!!!」

「ふふふ…ありがとうね」

 

Bクラスの新教師は、問題児と聞いていたこの幼き王者が案外素直な事に気付いた。これならうまくやっていけそうだ。

 

「ふむ…あとは…おい!!!まけたきさまら!!!」

 

エクスは対抗戦で唯一負けたBクラスのメンバーに声をかける。王者としてするべきことがあるのだ。

 

「ひえっ」

「うわああおうさまこっちきた」

「ヤンスっ!?」

 

エクスは下々の前に立つと、

 

「きさまら!!!まけたからといってきをおとすな!!!!我がそのぶんかてばよいのだ!!!」

「みごとなしょうぶだった!!まけたからこそむねをはるのだ!!ウマむすめとはまえをむいてはしるものだ!!!おちこむひまがあればまえをみろ!!我もともにおなじものをみよう!!!」

 

全力で激励の言葉をかけた。王者だからこそ下々に目をやり、慈しむものだから。

 

「お、おうさま…」

「かっこいいでヤンス!いっしょうついていくでヤンス!」

「すてき…」

「そうであろう!!!そうであろう!!!わはははは!!!」

 

下々の大喝采を受け、王者はやはり自分こそが頂点の存在だと確信した。

そして王者はAクラスの有象無象にも目を向ける。

 

「わたしたち、かてた、いっかいだけど…」

「うん…」

「おい!きさまら!!」

 

エクスは有象無象の前に立つと、真剣な目をして語った。

 

「…なかなかにやるではないか。せんじつのことばはてっかいする」

「しょうじきにいおう。我もいいすぎたとおもっていた。せっさたくましあうおなじアスコットのせいとなのだ。あのようなことばは、はくべきでなかった。みずにながしてもらえるだろうか?」

 

Aクラスの生徒達がぽかんと見つめる。この王者、先日に調子に乗って言い過ぎて、泣かせてしまったのをかなり気にしていたのである。王者は自省できるものだ。

 

「Bのおうさま…」

「つぎはまけないから!」

「うむ!よいへんじだ!そうでなくてははりあいがない!」

 

エクスはちゃんと謝れて満足した。

そこに軽薄な教師が声をかける。

 

「よ~しお前ら~、一回勝ったのを自信にしろ~。エクスは無理だけど他は勝てるってわかったろ~?エクスも流石に全部は出れないからな~。出ない試合に集中して勝てばいいんだぞ~」

「いじめた子の事はしょうがね~から、その子の分まで頑張ると前向きに考えろ~」

 

「せんせい…」

「うん、フランちゃんのぶんまで…」

「あえたら、あやまりたいなあ…」

 

Aクラスの子達が、いなくなったあの子の事を思い返して後悔の表情を浮かべる。

幼き王者は、そんなAクラスの面々を見て触れてはいけない話題だと察した。王は空気を読めるものだ。

 

「…ふむ、我はBクラスにもどるぞ。これいじょうはやぼというやつだな」

「またね!おうさま!」

「うむ!またよいしょうぶをしよう!」

 

そう言い残すと王者は踵を返す。

 

「よしこっちも戻るぞ~、もうそのフランクちゃん?の事はいいだろ~、先生査定下がるだろ早くしろ~」

 

「はーい!」

 

「せんせい!フランちゃんだよ!」

 

「あーそうか?覚えとくわ~、フランちゃんな~」

 

 

 

 

 

 

この会話は聞いておくべきだった。名前を覚えておくべきだった。

幼き王者は、間違いを犯した。




エクスちゃん書く時のIQがゴリゴリ落ちていく感じだいすき


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第八話 いかにして彼は観戦するか

ウマ娘…全然走ってないんスけど、いいんスかこれで…
閑話入れて10話目でまだ走ってないとか…この作品クソっスね
忌憚のない意見ってやつっス


G1フランちゃん歓迎会後の、久居留邸のリビング──

 

「あしこしに、がたがきて、つらいわ」

「おっさんみたいな事言うなよ…」

「フランちゃん、あたしが止めるまでずっともみくちゃにされてたからね…」

 

姉との蟠りを解消した後、ウマ娘竜巻に振り回されるフランの救出作戦、天井に引っかかったまま気絶していたジェームス氏をモップでつついて落とす等のハプニングもあったが、歓迎会自体はつつがなく和やかな雰囲気で終わった。

 

「つらいわ」

 

──フランという尊い犠牲を残して。

もみくちゃにされすぎたフランは、ふらふらになって「つらいわ」と言い続ける機械になってしまったのだ。

この悲劇の際に、フランを一番振り回していたウマ娘メイドが「誰だ!!!お嬢様をこんなお姿にしたのは!!!??誰だ!!!?」と主人を胸に抱き号泣していたので、智哉は声が聞こえた瞬間に全力でその場を離れた。絶対に関わってはいけない。

そして現在、フランはリビングのソファーの上で磔にされた聖人のような体勢で、うつぶせになって顔をソファーに正面からくっつけて寝ていた。横に座った姉が優しくフランを撫でている。これが一番楽らしい。

 

「なあ…フラン」

「つらいわ。なにかしら、トム。つらいわ」

「そのつらいわ絶対言わなきゃなんねえの?その体勢で呼吸できてんの?」

「フランちゃん流石にそれはあたしもツッコミたい」

 

今日の歓迎会で、智哉と姉はずっと気掛かりな事があった。

 

「クラブの子に囲まれてさ、脚、大丈夫だったか?」

 

現在治療中の、同年代のウマ娘に近付かれると脚がすくむイップスが起きないか心配していたのである。

フランへカウンセリングによる治療を行っていた母曰く、競走等のトラウマの根源に近い行為でなければ大丈夫な段階に来ているという太鼓判があった。なので歓迎会を行う流れになったが、やはり確認しておきたい事だった。

 

「つらいわ」

「それ多分俺が聞きたい事と違う」

「あんた達二人でいる時いつもこんな感じなの?面白すぎない?」

 

姉が思わずツッコミを入れる。姉と遊ぶ時はフランはいつも、おしとやかで優しい女の子だった。

 

「あのねフランちゃん、心がつらくなったりとかは無かった?みんな年の近い子だったし」

 

姉が優しい声色で、聞き方を変えて確認する。

 

「ミディおねえさま、だいじょうぶよ。わたし、おともだちにこわくなんてならないわ」

「なんで姉貴には普通に答えてんの?俺なんかした?」

「そう…よかったね、ほんとに…」

 

フランの答えを聞き若干涙目で安堵する姉。今までフランの為にしてきた事が報われる思いだった。智哉の訴えはスルーされた。

 

「…おともだちもできて、やさしいおじさまにもかわいがってもらって、たのしかったわ。でもつらいわ」

 

歓迎会の参加者で、フランにおじさまと認識される人物は一人しかいない。ジェームス氏の事だろう。

 

「おやっさんフランに挨拶できてたのかよ。なんで天井にひっかかってたんだよ」

「あたし達が戻った時にはもうひっかかってたわよね…」

 

歓迎会に大きな謎が残った。たぶん解明されない。

 

 

「トム、ミディおねえさま…わたし、きょうのこと、ぜったいにわすれないわ…ぜったいに…でも…つ…」

 

 

フランはそう言うと、疲労が限界に達したのかそのままの体勢で眠りについた。フランにとっても今日は本当に色々あった日だ。彼女にとって転機と言っていい日になっただろう。このまま、辛い日々が過去になり、今日のこの思い出を糧にすればきっと、この少女は前を向いて生きていける。

 

しかし絵面がひどすぎた。彼女はずっと前述の体勢でこの会話を繰り広げていたのだ。

 

 

 

「その体勢で言われると逆の意味にしか聞こえねえんだけど、てか最後までつらいわ言おうとしただろ」

「流石に絵面がひどすぎてあたしも感動できない」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「寝かせてきたわよ」

「おう、お疲れさん」

 

姉がフランを客間のベッドに寝かせた後、リビングに戻ってきたところに智哉が労いの声をかける。

 

「フランちゃんのリハビリ、うちの練習場使うからあんたも参加すんのよ」

「当たり前だろ。今更放り出したりしねえよ」

「へえー?多少は男らしい事言うようになったじゃん」

 

たまに男を見せるようになった弟を、姉がにやにやと笑いながらからかう。

 

「それよりさ、あんた明日クラブ休みでしょ?予定ある?」

「んー…フランと遊ぶつもりだったんだけどな」

「明日はクラブの子に譲ってやりな。休みだけど来ていいかってママに聞いてたから」

「そっか…じゃあそうするわ」

 

フランに友達ができたのだ。同年代同士初めて遊ぶというのに、そこに混ざるような野暮な真似はしない。

 

「というわけで、フリーのあんたに話があります」

 

姉が、右手をすっと挙げながら智哉に問いかける。

 

「あたしと、レース観に行かない?」

「おっ、行くか。最近行ってねえしなあ。でもこないだダービーフェスティバルやって、ロイヤルアスコットはまだ先だよな…メイドンか?それともクラブマッチ?」

 

智哉は、英国ウマ娘統括機構トレーナーの資格取得を目指すトレーナーの卵である。平地競走のトレーナーになるのは以前語ったとおり抵抗があるが、それはそれとして花形の平地競走観戦と、その後のライブ観覧は趣味の一つと言っていい程に好んでいる。競走の世界に魅せられているし、美しいウマ娘自体も遠くで観るのは好きだ。実情を知っているため近くで観るのは苦手だが。大体姉のせいだ。

メイドンとは、統括機構トレセン学院主催の新バ、未勝利バ達のレースである。彼女達の今後の競走バ人生を決める大事な一戦で、重賞のない時期に条件戦と併せて各レース場で行われている。

そしてクラブマッチとは、年齢層別にグレードを分けて行われるアマチュアレースである。英国全体で地方別に分けられてリーグが存在し、クラブチーム所有のレーストラックで対戦が行われている。クイル・レースクラブも学院コース生がジュニアグレードで参加している。このリーグの対戦結果次第で、ポニースクール、クラブ選抜戦─通称ポニーステークスの参加権も得られるのである。

 

「うーんクラブにしよっか?ジュニアグレードやるならそれで」

「そうすっか。一応他所の子がどんなもんか見ときたいしな。おやっさんに報告するわ」

「って言ってもエスティちゃんに勝てる子いないとは思うけどね。あの子は抜けてる」

 

エスティは歓迎会にも参加していたクイル・レースクラブのエースである。8歳で既に命名を受けている程の才能を持つウマ娘で、気性も大人しく優等生のため、統括機構所属のトレーナーからも注目されている期待株である。

 

「でもなー、あの子は本格化遅いかもって話だから、無理させたくねえんだよ。あの子の場合それでポニースクール落ちてるしな。他の面子で取れるとこは取りたい」

「そうねー、ってか最近嫌になる事ばっかで久しぶりにレースの話したわね…」

「ああ…ほんとにな」

 

ようやく、日常に戻れたのを実感して姉弟はため息をつく。

 

「んじゃ、決まりね。あ、あともう一人ついてくるから」

「ん?誰だ?」

 

「えー…何て言ったらいいんだろ。昔からの知り合いというか、腐れ縁というか…あんたに紹介するってワケでもないんだけど、あんたも会っといた方がいいかなって言うか…あいつはもう大丈夫って言うし…」

 

筋を通す女で、気風のいい姉が言い淀む人物。智哉は嫌な空気を感じた。

そういえば最近よく聞く名前がある。歓迎会に得体のしれない何かがいた。

 

「一応聞くぞ、姉貴。もしそうなら明日俺は行かねえ」

「…言ってみな」

「あのメイドか?」

「あのメイド」

「絶対行かねえ」

 

断固拒否である。あれとは関わらないと決めてあるのである。

 

「いや悪いけどもう確定なのよ…ほんとごめん…」

「ちょ、マジで謝るのやめてくれよ姉貴!!俺どうなんの!?」

 

姉のマジトーンでの謝罪に心底恐怖する。姉がそこまでする相手なのだ。怖い以外の何物でもない。

 

「先に言っとくけど、あたしくらいで気性難と思ってるなら、ちょっと考え直した方がいいわよ。あいつは洒落になってないから。あ、あとあたしがあいつと喧嘩始めたら止めて欲しいのよ」

「できるわけねえだろ!!!!!なんでそんな奴と関係続いてんだよ!!!!!!」

 

魂の叫びを放つ智哉。気性難同士の喧嘩など小型の怪獣の殺し合いも同然である。本当に勘弁してほしい。

 

「だからもー大丈夫だって!あいつの主人にも手出さないって約束してもらってるから!」

「してなかったらされてたのかよ!マジで行かねえ!!」

「いやもーほんとに、明日だけはどうっしてもレース観に行って欲しいのよ!ホントお願い!」

 

そう言うと姉は頭を下げる。姉がここまでしているのだ。本当に大事な何かがあるのだろう。

 

「ああーもう…わかったよ。でもマジで危ないと思ったら助けてくれよ」

 

肩を落としながら、姉のお願いに応える智哉。昔から姉のここぞと言う時のお願いには弱い。

 

「ほんとに!いやあ助かるわ流石あたしの弟!!じゃあ朝にあたしの車の前集合ねーおやすみ!」

 

早口でそういうと、そそくさとフランと寝る為に二階に行く姉。言質をとったので智哉が心変わりする前に逃げたのだ。

 

(あーもう…まあでも死にそうな目に遭ったりとかは流石に無いと思うし…我慢するしかねえか)

 

 

 

 

 

 

 

──翌日の朝、智哉はこの判断を死ぬ程後悔した




久居留家の元ネタはアイルランドですが、この世界ではロンドン郊外の片田舎のどこかと思ってクレメンス(一話に追記しときます)。じゃないと移動が矛盾するじゃねえかえーっ!
アッネとアッネの腐れ縁に関しては設定決める時最後まで悩みました。
まあウマ時空やしええやろの精神。


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第九話 いかにして彼は命の危機を迎えるか

「トム、ごきげんよう」

「フラン、おはよう。よく眠れたか?」

 

翌朝、智哉は身支度をし、朝食を食べに移動するところで、フランとばったりと出くわした。

 

「よくねむれたわ。もうつらくないわ」

 

流石の子供の回復力である。フランは昨夜のつらいわモードから完全に回復し、その場で元気いっぱいの様子でくるりと回る。

 

「そりゃよかった。今日は友達が遊びに来るんだろ?」

「そうなの!アンナちゃんとエスティちゃんがあそびにくるのよ」

 

フランが満面の笑顔で、両手を上げて全身で喜びを表す。

フランにはイップスの克服や、復学先の選定など、まだ問題は山積みだ。それでもこの笑顔に智哉は救いを感じた。

 

「わたし、いままでおともだちはナサちゃんだけだったの」

「ナサちゃん?」

「いとこなのよ。エプソムのポニースクールにかよっているわ」

 

エプソムポニースクール──クラシックの頂点を競う、ダービーとオークスが行われる英国競バの殿堂、エプソムレース場に併設されるポニースクールである。フランの通学していたアスコットポニースクールと人気、実績遜色の無いもう一つの名門だ。

 

「おー、こりゃまた名門だな…その子とは連絡とれてるのか?」

 

智哉の言葉を聞き、フランの耳が力なく垂れさがる。

 

「…とれていないの、サリーにおねがいしたけど、まだいけませんって…」

「ごめん、嫌な事聞いたな…」

 

しゃがんで、フランの頭を撫でる。フランはされるがままに、智哉の手に頭を擦り寄せた。

初めて会った時は、ここまで懐かれるとは思ってもいなかったし、自分がここまで情をかけるとも想像していなかった。

 

(完全に情が移っちまったなあ…)

 

今まで、姉と自分の二人姉弟だったが、そこに妹ができたような心持ちだった。親元に返す時にはひどく寂しく感じるだろう。

 

(そういやフランに名前ちゃんと教えてなかった気がするな…まあトムって呼び慣れてるだろうし、今のままで良いか)

 

初対面時の事を想起した事で、ふと、フランに本名で自己紹介していなかった事を思い出した。いずれ聞かれたら教えればいいだろう。

 

「よし、飯食いに行こうぜ。あ、今日俺は姉貴と出かけるけどさ、俺の部屋は自由に使っていいからな」

「ゲーム、おかりしてもいい?」

「全然いいぜ」

 

フランと手を繋ぎ、ダイニングへ向かう。しかし、フランにここで聞き忘れた事があった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

──そして現在、姉の愛車の車内で死ぬ程後悔していた。

 

(なんでフランにこのメイドの事確認しなかったんだよ朝の俺!!!!姉貴がやばいって言う相手なんだぞ!!!!いっそのことフランに会わせて、俺に何もしないように言わせりゃよかった…)

 

後部座席の自分の隣には、今、件の危険なウマ娘メイドが座っている。自分を、ひたすらに睨むメイドが。

容貌は、ウマ娘の中でもとりわけ美しいメイドであった。鹿毛を短く肩口で切り揃え、ロングスカートのヴィクトリア朝風のメイド服を違和感なく着こなしている。いや、レースを観に行くのにメイド服を着てるのはおかしいのだが、智哉は怖すぎてツッコめなかった。

正直、姉とも遜色ないスタイルと顔貌を持つメイドである。智哉も先入観なく見れば目を奪われただろう。それにどこかで見た事がある顔だった。しっかり見れば思い出せそうだが、怖くて横目にしか見れない。

──目が血走り、顔面に血管が数本浮かんでいた。

 

まず、初対面で挨拶した時から、自分を見るやこうなった。そして、姉の車に乗り込む時にも問題が起きた。

姉の愛車は、ドイツのさる自動車メーカーの高級SUVである。

アウトドア派でちょうどいい足がほしかった姉は、10代後半の身でありながらこれを即金でポン、と購入した。

姉は現役時代G1を6勝し、遠い米国の地でも偉業を成した名バである。成功者なのだ。

智哉は姉のこの愛車を心底うらやましがって、自分も自動車免許をとったら貸してもらえないか考えた。傷付けたら殺されそうなので断念した。

 

そしてこのメイド、姉の愛車を見るやいなや、鼻で笑いながらこう言った。

 

「旦那様のお車の、4分の1程度の値段だな。安物だ」

 

主人の財産でマウントを取ったのである。意味が分からない。姉のこめかみがぴくり、と動き、智哉はこの時点で全力疾走で自宅まで逃げようか検討した。

 

それから、智哉はなんとかしてこのメイドの隣を姉に押し付けたいと考えて、必死に頭を動かした。そこで使用人の乗車の際のルールがあるらしき事を思い出した。後部座席は主人、使用人は前部座席のはずだった。

これだ!と智哉は真っ先に後部座席に座った。

 

──メイドは、自分の動きを見てから、隣に座った。

 

ここで智哉は姉に嵌められた事を疑った。自分は生贄にされており、今日ここで死ぬのではないか?とまで考えている。現在進行形で生きた心地がしない。

 

そして、現在に至るのである。

 

「…」

 

(めっちゃ見てくる…これ目で殺しに来てない?俺目で死ぬの?)

 

智哉は、あまりに隣の何人か殺ってそうなメイドが怖すぎて、ほぼドアに張り付くように座りながら窓から景色を眺めている。窓の反射でメイドの顔が見える。逃げられない。現実は非情である。

 

ここで智哉は姉に助けを求めようと考えた、昨日何かあったら助けてくれ、と頼んでいたのを思い出したのだ。当然の権利だった。そこで「あねき たすけて」と口パクでミラー越しに姉に伝えた。

 

姉はミラーを見てから、目をそらした。見捨てられたのである。

話が違うじゃねえか!と智哉は叫ぼうと思ったが、もう一度思い返したら自分は確かに頼んでいたが、姉はそそくさと二階に上がっていった。最初から助ける気はなかったのである。

 

打ちひしがれながら、景色を見る作業に戻った所で智哉は声を上げそうになった。

──メイドが至近距離まで近付いてきている。具体的には、肩の当たる距離まで来てメンチを切ってきている。

そしてメイドがようやく喋った。

 

「私は、お前に言う事がある」

「な、なんすか…」

 

絞り出すような声に震えあがる。これからお前を殺すと言われた時のために、智哉は窓を破って逃げる準備に入った。

 

「…」

 

しかしメイドは、そこから何も喋らない。代わりに顔の血管の本数が増えた。

 

(この人の血管どうなってんだこれ。切れたりしねえのかな)

 

智哉は恐怖のあまりどうでもいい事を考え出した。現実逃避である。

 

「…」

 

しばらくそのまま沈黙が続き、智哉の気が遠くなり始めた所でようやく救いの手が入った。

 

「サリー、あんた言いたい事あるなら早く言いな。うちの弟睨み殺す気?手出さないって約束したでしょ」

 

運転中の姉である。智哉は姉を信じていてよかったと思った。さっきまで自分は売られたと疑っていた事は忘れた。

 

「…手は元々出す気は無いし、人は睨んだ程度で死なん」

 

俺は今死ぬかと思ったんですけど、と智哉は抗議したかったが胸の内に留めた。

 

「んじゃ早く言えばいいじゃん。そういうとこ昔っからヘタレるわよね」

 

あんまり刺激しないでくれよ姉貴、と智哉は抗議したかったがこれも胸の内に留めた。

 

「そもそもだ。何故お前がいる前で話す事になった?お前は関係ない。失せろ」

「は?関係ないは無いでしょ。あたしにお嬢様を助けて~って、泣きそうな声で電話してきたのどこのどいつよ、サリーちゃ~ん?」

 

姉が嘲るような喋り方で、メイドを挑発し始めたので智哉は頭を抱えて蹲った。死にたくないから身を守る準備に入ったのである。

隣のメイドの血管がまた増えている。

 

「あれはノーカウントだ。それ以前に旦那様とクイル様が動いてくださっていた。お前はお嬢様を連れ出しただけだろう。いや、お嬢様を私の元からさらったと言うべきか」

「ああ?その言い草は流石に無いんじゃね?」

 

マジギレ直前の姉の喋り方に智哉は震え上がった。肉親には向けない声であった。

 

「競走中止二回やらかして学院クビになるような、どうしようも無い奴に人さらい呼ばわりされる筋合いないんだけど」

 

メイドの目が怒りで文字通り真っ赤に染まる。もうこの人なんでもありだな、と智哉はどこか他人事のように思った。

この姉の言葉で、智哉はこのメイドの正体を完全に思い出した。

姉の、現役時代のライバルである。姉との叩き合いを見事勝利しオークスも獲った名バだ。メイド型勝負服の異色のウマ娘として人気だった。そしてとんでもない気性難でも有名であった。

 

「──0勝3敗。知ってるか」

 

「…は?」

 

「お前の、私との戦績だ」

 

開戦の合図であった。

 

「ああ!!?G1あたしの3分の1しか獲れてない奴が調子乗んな!!!統括機構に引きこもっててアメリカで勝った事もないだろ!!!!」

「姉貴前見てくれ!あぶねえよ!!」

 

姉は後ろのメイドに唾を吐く勢いで罵る。前はたまにしか見ていない。

 

「お前が私に負けて統括機構から逃げただけだろうが!!!!!!G1などクビにならなければお前と同じ、いやもっと獲れたはずだ!!!!」

「やっても無いのに言うな!!!!ダッッッッッさっっっ!!!!!」

「だから姉貴前見てくれってええええ!!!」

 

姉が怒りに任せてハンドルを左右に回し、車が蛇行し始めた。対向車がいないのが幸いであった。

 

「お前が私に勝ったことがないのは事実だろうが!!!!お前が格下!!!!私が格上だ!!!!」

 

「あんたそもそもアイリッシュオークスの後は散々じゃん!!!!ナッソー3連覇とかあんたにゃ無理でしょ!!!悔しかったらやってみろよ!!!!もう無理だけどね!!!」

 

「お前!!!表に出ろ!!!!」

 

「あーいくらでもやったろうじゃん!!!」

 

「だから前見ろってええええ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

智哉は争う二人を見ながら、

こいつらとは二度と車に乗らねえと誓った。




トッム「カイエン乗りてえ!」
補足ですがこのメイドの元ネタは連対率で見るとガチです。アッネの元ネタも同じくらいガチなのでそこでマウント取れないのです。


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閑話 神の賜物、星を追い駆けるもの

やっとウマ娘が走るわよー。
なお(主人公じゃ)ないです。


──ある日のエプソムポニースクール、レース競技場

 

「よし、全員集まったな。今日はアスコットのBクラスとの交流戦だ。同じ競走バを目指すポニースクールの仲間だ、仲良くするようにな」

「はーい!せんせー!」

「どんなこがくるんだろうねー」

 

本日、アスコットの生徒達と交流戦を行う、エプソムポニースクールのAクラスの子供達。

その中に、その少女はいた。

 

「ナサー、おまえのいとこのフランちゃんもいるといいな。ん?ナサ?きいてるか?」

「…ん…」

 

ナサと呼ばれた少女は憂鬱そうな表情で、友人の呼びかけに振り向く。

輝く鹿毛の鮮やかな髪を後ろでまとめ、額の上にはハート型の小ぶりな流星。

ウマ娘らしい整った顔立ちの、常に眠たそうな目元の幼い少女だ。

既に三女神の命名を受けており、エプソムポニースクールAクラスの、二大エースの一人である。

 

「ごめん、きいてなかった」

「さいきん、げんきないなあ。だいじょうぶか?」

「…ん…だいじょうぶ」

 

幼女ナサは、現在気掛かりな事があった。

 

(フラン…またでんわしてもいなかった)

 

大好きな従姉妹と、連絡がつかないのだ。

ポニースクールに入った前後は、よく一緒に遊んでいたし、電話でお互いの近況を楽しく話していた。

異変が起きたのは、入学して一か月後の事である。日に日にフランから元気がなくなっていったのだ。

フランは心配をかけまいと、幼女ながら空元気で応対していたが、ナサは物心ついた頃からフランと一緒にいる。ほんの少しの異変でも、従姉妹に何かがあった事に気付くのだ。

そして、ついに連絡すらできなくなってしまった。

両親には心配しなくていい、元気にやっていると言われている。それでもナサはずっと気掛かりだった。

 

(きらわれたのかな。あいたい)

 

ナサは、無口な少女である。必要な事しか喋らない少女だ。ポニースクールの教師陣からはその為に優秀で良い子だが、闘争心にやや欠けるかもしれないという評価を受けている。

アスコットで友達ができて、自分はいらなくなってしまったのか?口下手な自分はフランの負担だったのか?そういう不安を抱いていた。

だから今日の交流戦に、フランが来ていたら会いたいという気持ちと、嫌われていたらどうしようという気持ちが混ざり合って、複雑な気分でこの日を迎えていたのだ。

 

「フランちゃんってすっごいはやいんだろ?たのしみだなあ」

「…フランはすごい。ぼくやゾフやファーよりも、ずっとはやい」

「いっつもいうよなそれー!オレたちよりはやいって、そうぞうつかないぜ」

 

ナサは、エプソムポニースクールに入学してから充実した毎日を送っていた。同じクラスにゾフというライバルができ、Bクラスとの対抗戦ではファーというウマ娘と鎬を削り合っている。

従姉妹とかけっこ遊びをする度に、自分は競走バの才能がないのではないか、と不安になった事もあったが、このゾフやファーとの勝負で従姉妹が規格外である事に気付いた。

 

(ガリレオかいちょうのいうとおりだった。フランはこのせだいのいちばん。フランはやさしいから、いやがるかもしれない。だからぼくがおいかける。フランをひとりにしない)

 

──幼き少女よ、君は自分を諦めるには早すぎる。

 

──あの子は確かにシリウスのように、光り輝く一等星だ。

 

──でも君にも輝きはある。前に進める足がある。「神の賜物」という誇らしき名前がある。

 

──ならば悩む必要はない。星を追い駆けなさい。輝きに身を投じなさい。

 

 

──そうすればきっと、君も輝く星になれる。

 

 

憧れの人に、かけてもらった言葉。これが少女の原動力だ。星を、輝きを追い駆ける心の道標だ。

 

「おっ、きたみたいだぜ。どれがフランちゃんだ?」

 

思索に耽っている内に、アスコットの生徒達が近付いてくるのが見えた。

 

「フランはめだつ、すぐにわかる」

 

フランは輝く金髪の美しい幼女だ、遠くからでも目立つ。

ゾフとともに、大好きな従姉妹を探す。しかし、見当たらない。

 

「…いない」

「えー、そうなのか。あいたかったなあ」

 

ナサは、フランの事を考えるあまり、先生の話も聞いていなかった。今日のアスコットからの遠征組がBクラスだと知らないのだ。

 

目の前にまで近付いたアスコットBクラスの生徒一団から、引率の教師が現れエプソムの教師と挨拶を交わす。

 

「今日はよろしくお願いします」

「ええ、事前に決めた通りの組み合わせで行きましょう」

 

ポニースクール交流戦は、30人の生徒達が3人一組として、10戦の勝数差で勝敗を競う。校内のクラス対抗戦も同じ形式である。勝数が同率だった場合は、双方から勝った組のエースを出しあって雌雄を決するのだ。

教師陣はなるべく子供達が白熱した良い試合ができるように、実力を考慮して組み合わせには細心の注意を払い、事前に協議してマッチメイクされる。

 

「かしんども!!!!みちをあけよ!!!!!!」

 

教師が言葉を交わしている最中に、王者の号令がかかる。

 

「おうさまのおなりでヤンス!ぜんいんみみをかっぽじってよくきくでヤンス!」

「みんなならんでー」

「おうさまのあいさつだよ!」

 

王の忠実な家臣達の統率で、アスコットの生徒達の人垣が割れ一列に整列する。するとそこから鹿毛の長髪、小ぶりの流星、そして覇気を全開にした幼き王者が現れた。

 

「ほこりたかきエプソムのしょくん!我がアスコットのおうである!!きょうはよきしょうぶをしよう!!!」

「こら!エクスちゃん!先生がお話中でしょ!」

「はなしがながいのだ!!我もあいさつしたいって、いったではないか!!」

 

余りにも個性的な王者の登場に、エプソムの教師の表情がひきつる。

 

「こ、個性的な子ですね…」

「これでも良い子なんですよ。よくみんなをまとめてくれる素直な子です」

 

エプソムの生徒達は、唖然とした表情で幼き王者を見つめていた。王者と家臣達のアクが強すぎる。

ゾフが念のため、ナサに確認する。

 

「いちおうきくけど、あれフランちゃんか?」

「…バッド」

 

思わず、口癖が飛び出すナサであった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「ナサ!きをつけろよ!あのおうさま、うしろからいっきにくるぞ!」

「だいじょうぶ、ゾフのかたきはとる」

 

アスコット、エプソム交流戦は、5対5の互角の戦いの末に、互いのエース同士の決定戦で決着を着ける事となった。

ゾフの組が幼き王者と家臣達に敗れたため、もう一人のエースであるナサの組が王者との勝負に臨む。

ポニースクールやクラブマッチのジュニアグレードでは、幼い生徒達に合わせて通常の距離の半分で試合が実施されている。ハーフマイル(800M)、1000m、1200mの3種目である。

今回の決定戦では、くじ引きの結果ハーフマイルが選ばれた。

 

「おうさま!がんばって!とくいなハーフマイルだよ!」

「おうえんしてるでヤンス!ぜったいかってほしいでヤンス!」

「うむ!我がきさまたちに、さいこうのしょうりをやくそくしよう!」

 

家臣達の声援に手を振り答えた後、王は冷静に相手の組を見つめる。

 

(あのハートのりゅうせいのあやつ、ねむそうなかおをしておるが、なかなかにやる。まさかあやつがやさいか?いや、さきほど我がたおしたやつも、なかなかのものだった)

 

Aクラスに異動したあの軽薄な教師が言っていた、ナスというウマ娘。野菜のような名前の割に結構やると聞いていた。

 

(いや、いまはそのようなことをかんがえるべきではあるまい。我は我のはしりをみせるのみ)

 

ゲートに入る準備をする各生徒。先ほどのゾフとエクスの勝負をナサは回想する。

脚質は差し。仕掛けは直線一気。中段に控えて上がるタイプ。バ群を抜けるのが抜群に上手い。そして何より速い。王を自称するだけの実力がある。

 

(…かこまれてもぜったいにでてくる。かならずぼくがさされるかたちになる)

 

ナサは、自分を過信しない。大好きな従姉妹を知っているからだ。

だから相手をよく見て、自分の武器の使いどころを考察する。

 

(まえをとって、ぼくのぶきでおさえこむ。ならばれても、ぼくならそこからのびて、かてる)

 

闘争心を静かに燃やす。無口で闘争心に欠けるとナサは教師に評価されているが、誤解である。この幼女は、内に強い気持ちを持っている。

 

「よし、スタート準備できたな。ゲート開けるぞー」

 

教師の合図とともに、ゲートが開く。

 

(…グッド。ぜっこうのいち)

 

先手を打ったのは、ナサであった。ペースメーカーを買って出てくれたチームメイトの後方に付け、バ群から一段前に出た絶好の位置につけた。そしてそのまま内ラチに身を寄せる。

ペースメーカーとは、チーム戦における醍醐味と言えよう。逃げを適度に打ち、バ群を伸ばしエースが囲まれる事が無いようにサポートする。縁の下の力持ちなのだ。

 

400mを超えたあたりでペースメーカーが垂れ始め、ナサがそれを追い抜いて直線の仕掛けの準備に入る。すれ違い様にハンドサインでチームメイトをねぎらう。

 

(あとはまかせて、ぼくがかつ)

 

先頭に立ったところで後ろを見る、エクスはまだ中段にいた。

こちらの様子を伺っているのが見える。観察しているのだろう。

 

(バぐんをでるのがおそい。ぼくをあまくみたな)

 

300m地点で、ナサが一気にスパートをかけた。

息の長いロングスパート、これが彼女の武器である。

 

(ぼくはもともと、さしだった。でもそれだときっとフランにおいつけない。だからまえにつけてからの、ロングスパートでフランにならびかけるんだ)

 

「おーっ!いけるぞナサ!もうおいつけないぞこれ!」

 

柵外からゾフの声援が飛ぶ。ナサも勝利を確信した。

 

 

ここで、王者が動き出した。

 

 

(なるほど、よくわかった。我がおいつけないとおもったな?)

 

バ群中段、前には垂れてきたナサのペースメーカーと自らの家臣。二人の間にはギリギリ一人分の隙間がある。無理に抜こうとすれば接触するだろう。

 

──そこを、二人に触れる事なく突き抜ける。

 

(うそでしょ!どうやったのいまの!)

 

余りに感触なく真横を突き抜けていかれた、ナサのペースメーカーが驚愕する。

 

(ふん、ふゆかいだ。じつりょくのさをおしえてやろう)

 

自分を普通のウマ娘と同じ物差しで測られた──幼き王者にはこの上ない屈辱であった。

 

(そのロングスパートでは100mあたりから、たれはじめるだろう。そこで我のあしをつかう)

 

エクスは、調子に乗っても油断はしない。相手の武器をしっかり見切った上で、どう仕留めるかを逆算して勝利の方程式を組むのだ。

 

(!…きたな。でもそれはけいさんのうち。あたまをおさえてるぼくが、たたきあいでかつ)

 

ナサがバ群を抜け出てきたエクスを確認する。内ラチに陣取ったナサを抜くには中央に寄る必要があった。スタミナに自信のあるナサは、並びかける際に中央に寄ってスタミナを使ったエクスを、そのままスタミナ勝負で仕留める腹積もりである。

 

そして100m地点。エクスが仕掛ける。王者の末脚が唸った。

 

(…はやい!ゾフのときよりも!)

(我がてふだを、ぜんぶきったとおもっていたか?)

 

ゾフとの対戦で見せた時よりも速い末脚に、一気に並ばれるナサ。

 

(…しかしこやつ、まだいきがつづくのか)

(まけない!そのあしはながくもたないはず!)

 

残り50m。まだナサのロングスパートが続いている事に、エクスは感心していた。そして敬意も抱いた。自分にここまで食らいついてくる相手は初めてだった。

 

(…みとめよう。こやつはつよい。ならば、我も、きりふだをきろう)

 

そして、エクスが一気に抜けた。

 

──本当の切り札、二の足である。

 

 

 

 

そして、決着がついた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「くっそーーーー!ナサ、おしかったなあ…」

「…バッド。ごめんゾフ、まけた」

「いいっていいって!いいしょうぶみれたぜ!」

 

決着は1バ身差、エクスの勝利であった。かっこつけていたが、エクスも限界ギリギリで二の足で抜けた瞬間垂れそうになったのだ。根性でなんとかなった。やはり根性は重要である。

 

「おうさまーーー!かったーーー!」

「かっこいいでヤンス!いっしょうついていくでヤンス!」

「そうであろう!!!!そうであろげふっ、ちょっ、くるしい、いきができぬ」

「エクスちゃん走った後に大声で笑ったらダメでしょ!じっとしてなさい!」

 

教師に介抱されながら、エクスが家臣達に囲まれて祝福を受ける。

王と家臣達は大喜びである。王は高笑いができない程消耗していたが。

 

(しかし、てごわいあいてであった。やさいはあやつか)

 

エクスは、息を整えた後、ようやく好敵手と出会えた、と感慨深い思いに浸っていた。

強敵だった。あのスタミナは、距離が長くなれば自分が不利になる。

 

(このせだいは、おそらく我とあやつのせだいになるだろう。あやついじょうがいるとはおもえぬ)

 

幼き王者は、この好敵手にねぎらいをかけてやろうと思いついた。

終生のライバルになるかもしれない相手だ。しっかりと自分を印象付けておきたい。

そう考え、ナサに近付いて声をかける。

 

「…すこしよいか?しょうしゃがこえをかけるのは、ぶさほうだが…」

「…いいよ」

「ナサがいいならオレもいいぜー」

 

迎え入れてくれたのに安堵する。あの強さで気持ちも快い相手。王者はうれしくなって、あの軽薄な教師が教えてくれた名前で、しっかり話そうと思ってしまった。

 

「うむ、かんしゃするぞ、ナス、よいしょうぶであった」

「…ナス?」

「うむ、きさまがやさいであろう」

「…やさい?」

 

この王者、天然である。ゾフがナサと呼んでいるのに気付いていない。自分はこうだと思ったら軌道修正できないのである。

 

(…バッド。なまえがちがう。でもこいつはつよかった。それに、フランをしってるはずなのにおうさまぶってる。こころもつよい)

 

アスコットの生徒なら、あの規格外の従姉妹を知らないはずがない。

それを知って、王者として君臨しようとしているのだ。その心の強さにナサは感心していた。

 

(こいつもきっと、ほしをおいかけてる。ぼくとおなじだ)

 

同じ星を、輝ける一等星を追い駆ける仲間に出会えた。

しかし、その思いは誤解であった。王者は規格外を知らない。

 

「うむ…しかしきさまはつよいな。アスコットではついぞ、きさまのようなこうてきしゅにはであえなかった。ぜひつぎのこうりゅうせんでも、我としょうぶしてほしい」

「!!であっていない?」

 

ナサは驚愕した。あの従姉妹を知らないという事は、あの従姉妹がアスコットにいないか、何らかの事情で対抗戦に出ていないという事だ。

思わず、ナサがエクスの肩を強く掴んで問い詰める。

 

「うえっ!きゅうにどうしたのだ!」

「フランってこ、しらない?Aクラスの」

「フラン…?おお、フランクか。やめたときいたぞ」

 

間違った名前でしっかり記憶していたエクスが応える。

ナサがショックで眩暈を起こす。エクスから手を離すと、ふらふらとその場を離れようとした。

 

「……やめた…」

「おっ、おい!だいじょうぶか!どうした!ナス!!」

「……うるさい」

「どうしたのだ!我がなにかしたか!」

 

 

 

 

 

 

「───ぼくのなまえは、ナサニエルだ」




六歳児なのにこいつら色々考えすぎちゃうか


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第十話 いかにして彼は訊ねるか

こんな独自捏造設定まみれの自己満作品読んでくれる人には感謝しかないんやで。
八話ちょっと書き直してます。ウマ娘やしメイクデビューやろって思ってたけどやっぱり現実の英国競馬と同じメイドンにしたいなって…したいなって…内容はそれ以外変わってません。
ここで説明すると日本国外の競馬では新馬戦、未勝利馬戦という区切りが存在しないのが主流です。
全部ひっくるめて未勝利戦(メイドン)という名称で行われております。未勝利馬もメイドン。
距離もハロン表記にしたいんだけど、それ毎回説明すんの?ってなるからマイル・メートル表記にしてます。許し亭ゆるして。
あと九話も一文変えてます。アッネとメイドの喧嘩の台詞でこっちのがええなって…。


「トムあんた、喧嘩始めたら止めろって言ったでしょ」

「無茶苦茶言うなよ…」

 

姉とメイドの醜い罵詈雑言の応酬を、車内の片隅で震えながら凌いだ智哉。

姉は途中から身を乗り出してメイドと殴り合っていた気がするが、怖くて直視していない。事故はなぜか起きなかった。

 

姉、メイド、智哉の一行は現在クラブマッチが行われる、ロンドン市内のさる名家のクラブチーム保有のレース場に到着していた。

その名をジュドモント・アリーナ──英国ウマ娘統括機構(B U A)トレーナーの大家であり、女王陛下よりナイトの称号を賜った統括機構理事の一人である"サー"ヘンリー・ジュドモント氏の、保有クラブの本拠地。

3000mの天然芝レーストラックを中心に、円形に観客席を配置した造りの全天候型レース場だ。

ジュドモント家所有であるため統括機構主催のレースは行われないが、クラブチーム同士の白熱した対戦がテレビ中継もされている程の人気ぶりである。

 

レース場が近付くにつれて、姉はサングラスをかけて顔を隠した。引退したばかりの名バである姉は著名人なのだ。

 

「やっぱり大手は違うよなあ。姉貴も誘われてたんだろ?行けばよかったのに」

「もうレースはいいわ。後ろのが出るならあたしも出てもいいけど」

「ふん、私はお嬢様にお仕えする身だ。レースになどうつつを抜かさん」

 

入場チケットを購入し、3人で観客席への道を歩く。

この二人、あれだけ罵詈雑言を飛ばし合っていたというのに、両者ともまるで蟠りを感じさせない様子である。

つまりこれが平常運転と察した智哉は、二人と同行するのは二度と御免だと心に誓った。命がいくつあっても足りない。

 

智哉は後ろを歩くメイドに目をやる。確認したい事があるのだ。

姉との闘争の後に何故かメイドの血管と眼光は元に戻り、いざ会話してみるとメイドはきつい口調ではあるが落ち着いた人物であった。

だからこそ、なぜあれだけの凶相を自分に向けて、何を伝えようとしたのかが気になっているのだ。

 

「あの、サリーさん、さっきも聞きましたけど俺に言いたい事ってなんすか」

「…」

 

しかしこのメイド、この件に関しては絶対に口を割らない。智哉が聞いたのはこれで二度目である。

このメイドの様子に、見かねた姉が口を挟んだ。

 

「サリー、もういいわ。めんどくさいし、あたしが離れてる内に済ませな。その様子だと本当にトムに何かする気はなさそうだし」

「…だから最初からそう言っただろう。早く失せろ」

 

姉が呆れた顔をメイドに向けた後、踵を返してレース場の外に向かう。

ふと、車内での姉とメイドの罵り合いの中で、姉の前で話す事になったと言っていたのを思い出す。

しかし、姉の前では話したくない事とは何であろうか。

レース場の出入り口に目をやり、姉が見えなくなったのを確認した後にメイドが声をかける。

 

「…一度しか言わん…私はお仕えする方々以外に頭を下げるのは、好かんのだ」

 

メイドはそう言うと、綺麗な姿勢で頭を下げた。

 

「──お嬢様の件、感謝する。お嬢様が外にお出でになられたのは、お前のおかげだ」

 

「…はい?」

 

智哉が思わず聞き返す。自分に何かあるのはわかっていた。しかしこのように礼を言われるとは、思ってもみなかったのだ。

気の抜けた返事に、頭を上げたメイドの顔に血管が幾筋か走る。

 

「…一度しか言わんと言ったはずだが?」

「あ、いや違うんすよ!俺なんて何もしてねえし、ただフランと遊んでただけっすよ。母さんのついでで姉貴に預けられてただけだし」

 

フランが久居留家に滞在しているのは、優秀なカウンセラーである母の治療を受けるために、静養先として選ばれたからだ。そこにたまたま自分がいただけだと認識している。

 

「それはお嬢様のお心に寄り添えなかった私への皮肉か?今私に喧嘩を売ったな?」

「いや違うんすよ…殺さないでください…」

 

メイドの目が血走り始めたのを見て、智哉が必死に命乞いをする。

やはりこのメイド、札付きの気性難である。

 

「…お前の母、クイル夫人の治療が確かにクイル家へ逗留する理由だ。だが、最後にお嬢様を外に出したのはお前だ…業腹だが、ミッドデイの言った通りだった」

 

ミッドデイは、姉の正式なウマ娘名である。

 

「最初は、お嬢様に悪い虫を付ける気かと思っていた。一度締めてやろうとクイル家に向かった先で、あいつに阻止されて叶わなかったがな」

 

(俺マジで殺されるとこだったの…)

 

本当に命拾いしていた。智哉は姉に人生で一番感謝した。

 

「だがな、お嬢様はお会いすると、いつも楽しそうにお前の話をされる。今日は稲妻の絵本を読んでもらった、今日は溶鉱炉に親指を立てた、等とな。溶鉱炉の件は後で洗いざらい話してもらうぞ」

 

(どういう説明したんだよ)

 

思わず脳内でフランにツッコミを入れる。大した話では無いので後で説明しようと智哉は考えた。

 

「だから私も考えを改めた。そして礼を言うべきだと思った。それだけだ」

 

そう言うとメイドは、ぷい、とそっぽを向いて腕を組んだ。

つまりこのメイド、車内であれだけ智哉を睨みつけた理由が、ただ感謝を伝えたかっただけなのである。

 

「一つ、聞いていいすか」

「なんだ、言ってみろ」

「車内で何で言ってくれなかったんすか……?」

「…あれの前で頭を下げるのは気に入らん」

 

この返答で智哉は合点がいった。この気性難ぶりかつプライドの高そうな物腰。現役時代のライバルである姉の前でだけは、頭を下げたくなかったと思うのもさもあらん。

 

(…なんつうか、俺の知ってる気性難って筋通す女ばっかだな)

 

車内では死ぬかと思ったし、姉と揃っている時に二度と同行はしたくないと今も思っている。

だがこのメイド個人として見ると智哉は忌避できなくなってしまった。このメイドは不器用だが筋を通す女と知ってしまったからだ。絆されてしまった。

なので、智哉はフランから聞いた話をこのメイドに聞かせてやろうと考えた。フランから感謝されている事を伝えてやりたかった。

 

「…サリーさんの事、フランから聞いてますよ。楽しそうに、うれしそうに、サリーさんの事話すんすよ。防犯ブザーは宝物って言ってました」

 

 

だが、それは間違いであった。

 

 

「…なに?本当かそれは詳しく話せ」

 

物凄い勢いで智哉の肩を掴むメイド。肩がウマ娘の握力で軋む。

 

「ちょっ、痛でででで!!力つええ!!なんすか急に!!」

「だから詳しく話せと言っている!!!」

「いやだからフランが!サリーさんに感謝してるっていでででで!!マジ痛えよ!」

 

更に肩が軋む。メイドの目が血走り血管が浮き始める。

 

「録音は!!!!動画は!!!!!」

「そんなもんあるわけねえだろ!!!あんたメイドなのに主人の盗撮してんのかよ!!!!!」

 

録音と動画の提出を求めるメイド。無茶苦茶である。やはり札付きの気性難であった。

これ以上会話を続けるのはまずいと感じたのか、クールダウンしたメイドがようやく手を離す。

 

「…ふん、次からは用意しておけ。ちなみに私はお嬢様の許可はとっている。盗撮など断じてしていない」

「本当かよ…」

 

呆れた目を智哉が向けているところに、レース場の外で時間を潰していた姉が戻ってくる。

 

「終わったー?うん?なんかあった?」

「何でもない。行くぞ」

 

「…」

 

姉にメイドが盗撮してるかもと伝えようとしたが、メイドが怖すぎるので何も言えない。

このメイドの前でフランの話はやめようと、心に誓う智哉であった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ジュドモント・アリーナで本日行われているクラブマッチは、名家ジュドモントに勝るとも劣らない名家オブリーエン家の保有クラブを迎えての、各グレードの対戦が行われていた。

どちらも統括機構理事を当主とする名家である。

天上人の保有クラブの戦いを眺めて、智哉と姉はそれぞれレースの感想を述べあっていた。

 

「大手のジュニアチームはレベル高いわねー。うちにエスティちゃん入ってくれて助かったわ」

「あの子はうちのクラブが近いからって理由だったしなあ。姉貴は気になる子いるか?」

「オブリーエンの3番。オコナーって呼ばれてた子ね」

「ああ、あの子は速いな」

 

そこまで話した所で姉の携帯から着信音が響く。画面を確認しているあたりウマインというメッセージアプリかメールの様子である。

 

「おいおい切っとけよ」

「ごめーん忘れてた。元ボスからだったわ」

 

姉は現役時代ジュドモント家のチームに入り、そこで専属トレーナー契約を交わしていた。

一線を引いたヘンリー理事に代わり、息子がチーフトレーナーを務めていると聞いている。

恐らく元ボスとはそのチーフの事であろう。

そういえば、姉の専属トレーナーはチームに今もいるのだろうかと智哉はふと思ったが、声には出さなかった。明らかな地雷である。

姉がメイドに何やら目配せをした後に、観客席から立ち上がる。

 

「クラブの子にあたしとサリーで声かけてやってくれだってさ。ちょっと行ってくるわよ」

「ああ、後の試合は俺が見とくわ」

「いいだろう、行ってやる」

 

そのまま、揃って二人は警備ウマ娘のいる通路の方へ歩いて行った。恐らくそこに控室があるのだろう。

一人になった智哉が、残りのレースをしっかり見ておこうと観戦に集中する。

 

「──失礼。若いの、隣空いとるかの?」

 

そこに、何者かの声がかかった。

智哉が声に振り向いた先にいたのは、一見不審者の如き老紳士であった。

いかにも高級そうなフェルトハットを被り、スーツにチェスターコートを羽織った人物である。

不審者と考えたのは、その顔貌だ。

円形のレンズのサングラスとマスクで顔を隠している。老人と判断したのはその声からである。

智哉は一瞬、関わりたくないと思ったが、これも何かの縁と考え了承した。思う所もあったからだ。

 

「ああ、空いてるぜ。じいさん、あんたも観戦か?」

「変わった事を言う坊主じゃな。レース場に来るなら観戦以外あるまい」

「そりゃそうだ」

 

 

 

 

 

 

そうして智哉は、謎の老紳士との観戦を始めたのであった──




この世界はヒトミミのスポーツ文化が終わってるから、英国ではサッカーの代わりに各地にこういうウマ娘クラブチームのスタジアムがあると思ってクレメンス。
上位種族がいるのにヒトミミの球蹴りなんて流行るはずないだろ!


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第十一話 いかにして彼は自らを示すか

トッムのチート回。主人公だしチートあってもええやろ!な!


「おい坊主!5番の子とかどうじゃ!」

「んースタミナがあるのは良いと思うぜ。けどラチ回る時の癖が気になるなあ。あれ直したら1200なら入着は狙えそうだけど、もっと上狙うのはあの子の努力次第だな」

「そういう話は聞いとらんわ!ウマ娘を見てかわいいとか思わんのか!」

「そっちかよ。俺ロリコンじゃねえし…」

 

智哉の隣に座る老紳士は、ひたすらにウマ娘愛を語る人物であった。

彼はレースなどそっちのけで、ジュニアチームの幼いウマ娘達の可憐さを試合毎に熱く語っている。

 

「ロリコンとかそういう話ではないわ。坊主にはまだわからんかのー」

「わかんねえなあ…」

 

老紳士のウマ娘愛に辟易しつつも、智哉には懸念があった。

 

(このじいさん、姉貴がどうしても俺をレースに連れてきたかった理由だよなあ)

 

昨夜から不可解だった。姉がここぞの「お願い」を出してきてまで連れ出す理由がレースだけではあまりにも弱い。

最初はメイドと対面させる為と思っていたが、それなら久居留邸で会っても問題ないのだ。

そして、そこから考察すると、この老紳士がわざわざサングラスとマスクで顔を隠しているのも予測がつく。

 

(…顔見せたら俺が逃げる相手って事か。姉貴の例の情報源かその関係者だろうな)

 

顔を見せないのは、こちらに危害を加える気は無いという意思表示でもあるだろう。

しかし、謎は残る。智哉はただの16歳のトレーナーの卵なのだ。社会的に何の影響力もない人間だ。

天上人、もしくはその関係者がわざわざ対面しに来る相手ではない。

 

「坊主、次は儂は3番の子がええのー。あの芦毛と長い耳がかわいらしいのー」

「じいさん、レースの方も観ようぜ…」

「…ふむ、レースか。そうじゃの。それなら儂とちょっとした遊びをしよう」

 

老紳士が、智哉の眼前に指を3本立てる。

 

「次のレース、3連対の子を当ててみんか?儂と坊主、お互い3人ずつ挙げてな」

 

3連対とは、競走バが3着以内に入着する事である。

 

「…いいけどよ、外れても何も無しだよな?」

「当たり前じゃ、遊びじゃからな。ただの…」

 

老紳士は、言葉を切ってから、サングラス越しでもわかるほどの真摯な目付きで告げる。

 

「──遊びでも、ウマ娘に関わる事じゃ。本気でやるべきじゃな」

 

(!!)

 

ここで智哉は、この老紳士の目的、何を見に来たかを察した。

この老紳士は自らの隠しているものを知っている。智哉の力を聞いている。

 

(こりゃ親父も噛んでるな…マジで何者だよこのじいさん。知りたくねえけど)

 

家族しか知らない秘密のはずである。姉はむやみに言うはずがない。

ならば、この秘密を開示するのは父しかいない。久居留家当主の父だけがこの秘密を開示する権利を持っているのだ。

 

「…わかったよ。本気でやる。ただしじいさん、俺が勝ったら見たもの全部他言禁止で頼むぜ」

「約束しよう。儂は1、3、4じゃ。3番の子に勝ってほしいのう」

 

智哉が準備中の次走のウマ娘達に目をやり、深く息を吐く。

 

(啖呵切っちまったけど、使うの久しぶりなんだよなあ…まあ何とかなるだろ)

 

意識を体の、心の奥に集中させる。そこにわずかにあるウマ娘との混血の証拠、名も無きウマソウルへ──遠い世界の、誰かの意識を引き出す。

そしてそれを掬い上げ──目に宿すのだ。

 

智哉の目が、青き光を帯びる。

 

その様子を、老紳士は、羨望するような、懐古するような目で見つめていた。

 

(相マ眼…この年になってまたお目にかかるとはの。長生きはするもんじゃな…)

 

智哉は、ウマ娘の母の血と、祖先のウマ娘達の血を色濃く継ぐ混血の男である。

強い血は、男であろうとわずかにウマソウルのような何かをその身に宿す。

その何かが、遠きどこかの世界と繋がり、力を貸してくれるのだ。

 

智哉の力は相マ眼と呼ばれるものだ。その力は──

 

「一着1番、二着4番、三着7番だ」

 

──ウマ娘の実力(ステータス)を、完璧に把握する力だ。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「負けるとはのー、しかも着差まで当てられたら完敗じゃん、儂…」

「じいさん、3番の子は贔屓したかっただけだろ…」

「なんのことじゃ?儂は3番の子推したいぞ」

「はいはい…じゃあちょっと行ってくるわ」

 

智哉は立ち上がり、競走を終えたウマ娘達の方に向かう。

 

「まて、どこに行くのじゃ?」

「…その3番の子、多分足首悪くしてるぜ。ほっとくと故障する」

 

相マ眼は実力を把握すると共に、故障個所が赤く光って見えるのだ。

智哉は父と共にいた頃、これを使って父の管理バ達の怪我を知らせていた。

 

「待て、坊主」

「じいさん、俺急いでんだけど…」

「坊主、見たところクラブ関係者じゃろう。対戦するかもしれないチームの子をなぜ助ける?」

 

智哉を、試すような問いかけであった。

 

 

「──敵だろうが、怪我しそうなウマ娘を見捨てる奴なんてトレーナーじゃねえだろ」

 

 

当然のように、智哉はそう答えた。

 

「そうか、そうじゃな」

「門前払いされるかもしれねえけど、言わずに後悔したくねえからな」

「坊主」

「なんだよじいさん。もう行きてえんだけど…」

 

振り向いた智哉に、何かが投げつけられた。それを思わず手で受け止める。

 

「持ってけ、スタッフパスじゃ。それなら控室まで行けるぞ」

「…ちょ、じいさん、それ隠す意味…」

「いいもん見れたからの、見物料じゃな」

 

そう言うと老紳士は、呵々と笑う。

智哉はもう振り向かず、控室に走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうでした?」

「欲しいのう、あの坊主…」




チート使用時はアプリトレと同じ+怪我を感知できると思ってクレメンス
他の客「なんか目光ってる奴いるんだけど…」


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閑話 天より星を眺める

閑話はこれで当分ないかも。


統括機構トレセン学院──首都ロンドンより北北東約100km、英国サフォーク州ニューマーケットに存在する、英国ウマ娘統括機構(B U A)の総本山。

レース場、練習場、校舎、学院寮、治療施設など競走バを育成するためのあらゆる施設をニューマーケット市街全域に集約し、町全体が「競バの故郷」の異名を持つ超巨大学院施設である。

 

運営に関しては理事長を頂点とした理事権を持つ名士、トレーナーの大家、そして生徒会長を生徒代表とした合議制の執行機関「統括機構理事会」の定例会により、予算編成、来期の統括機構主催レースの日程、更には学食のフィッシュ&チップスの値段まで決められている。

 

 

その理事会は今、一つの問題を抱えていた。

 

 

「では、次の議題です。これは前回と引き続きですが、アスコットポニースクールの…」

「ミリィ、仔細はいい、いいんだ…」

「…はい、理事長…」

 

ミリィと呼ばれた、ベレー帽を被った妙齢の美しい秘書。

彼女を制止する、苦悩に満ち溢れた表情の、理事会の中央に座る人物。

 

「…マスコミ対策はどうなっていますか?ジュドモント理事代理」

 

緑のポイントがついたキャペリンを被り、足首まで覆う程のロングスカート姿。美しく、幼い顔貌を持った女性。

統括機構理事会の頂点、理事長サラ・ウェルズその人である。

 

「ロンドン市内のパパラッチについては、父の働きかけにより子飼いのメディアを通じて掌握できたと言っていいと思います。しかし懸念が…」

 

理事長の質問に応じ、席から立ち上がり応える、金髪を後ろに撫でつけたスーツ姿の壮年の男。

統括機構トレーナーの大家、ジュドモント家の次期党首、セシル・ジュドモント。

父であるヘンリー理事からの指名により、理事代理として理事会に出席している。

 

「懸念とは?」

「…情報源が不明瞭です。アスコットの採用担当者の個人情報が、どこから漏れたか判明していません」

 

アスコットポニースクールでの裏口採用問題。

一人の首席入学の生徒がポニースクールを去り、そのクラスメート達にも傷跡を残した痛ましい事件である。

その問題で、採用担当に賄賂を贈った資産家が、採用担当と接触した情報源が判明していないのだ。

 

「…ミリィ、市警の捜査の進捗は?」

 

理事長が秘書に向けて問いかける。

統括機構は、警察組織にも深く根を張っている。

ウマ娘に関わる刑事事件に関しては、司法取引により捜査中の事件でも情報を得ることができるのである。

 

ロンドン市警(スコットランドヤード)が現在、慎重に事情聴取しています。ですが採用担当者が口を割らず難航しています。資産家の方は相手が相手ですので、強引な捜査もできないようで…」

「わかった…後手後手だな。捜査の進捗は随時報告するように。ジュドモント理事代理、娘さんはあれからお元気?」

 

忸怩たる思いを浮かべながら、理事長が話題を変える。

 

「…先日、静養先でやっと外出できるようになりました。友人もでき、笑顔も多くなったと聞いています」

「そう…それは何よりね…今回の件、ジュドモント理事代理には大きな借りができました。統括機構としては、いずれ何かの形であなたに報いねばなりません」

「私から一つ、よろしいでしょうか」

 

話に割り込む形で手を挙げる、オールバックに髪を整え、怜悧な視線の細身で眼鏡を付けた壮年の男。

ジュドモント家に勝るとも劣らないトレーナーの大家オブリーエン家、その当主であり統括機構の重鎮、エイベル・オブリーエンである。

 

「オブリーエン理事、許可します」

「では失礼」

 

エイベルは立ち上がると、セシルに目を向ける。

 

「ジュドモント理事代理、お嬢さんの件ですが本当に痛ましい事です。そこで提案ですが、私どもの保有する施設であなたのお嬢さんを受け入れる準備があります。いかがでしょう?」

 

冷たい視線に若干怯みながら、セシルは言葉を返す。

 

「…いえ、今の静養先で娘は良くしてもらっています。ご提案はありがたいのですが…遠慮させていただきます」

「なるほど、そうですか。それは残念です。私もアスコットに入学したかわいい娘がいます。私は娘の為なら何でもしようとさえ思う。とても自分の手元から離そうという気持ちにはなれません」

 

セシルの顔に若干青筋が浮かぶ。明らかな嫌味である。

 

「オブリーエン理事、その辺りで」

 

エイベルの嫌味が長くなりそうな雰囲気を感じた、理事長が制止する。

 

「…よろしいでしょう。私からは以上です」

「…ミリィ、アスコットのAクラスの子供達は?」

「ガリレオ会長の慰問により笑顔も戻り、新しい教師の元で楽しく授業に取り組めているそうです」

「そうか‥後はジュドモント理事代理の娘さんだな。稀代の天才と聞いている。このまま競走バの道が閉ざされるのは本当に惜しい…」

 

 

「──心配いりませんよ、理事長」

 

 

理事会一同の目が、一点に集まる。黒鹿毛の麗人へ。

 

額から細く伸びた流星の付いた黒鹿毛の艶やかな髪。生徒会長の証である黒い外套を身に纏い、スラックス型のトレセン学院の制服姿。そして中性的な美貌を備えたウマ娘。

 

統括機構トレセン学院、生徒達の頂点、生徒会長ガリレオ──

 

「ガリレオ、手を挙げて立ってから言いなさい」

 

呆れた声の理事長の言葉に肩を竦めて応え、改めて手を挙げてから立ち上がる。

 

「理事長、そして理事会のみなさん。これは私の持論ですが」

 

 

 

「輝ける星の元に生まれたウマ娘は、運命を変えられる」

 

 

 

 

「──だが、レースからは逃げられない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前ら真面目にやれ!!!!!!意味深な事をすぐ言いたがるなガリレオ!!!!嫌味眼鏡はパワハラするな!!!!!!!!!」

 

理事長の、怒号が響いた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

理事会が終わり、セシルは一人学院内の廊下を歩いている。

 

(マスコミはもう大丈夫だろう。後はあの子をいつ迎えるかだな…)

 

娘を守るために、友人の家に預けた判断は間違っていなかったとセシルは確信している。

しかし、家に帰っても娘がいない日々は彼自身辛いものだった。

妻にも心配をかけた。だがもうすぐ、娘が前を向けるようになればその日々も終わる。

そう考え歩いているセシルの前に、巨躯の男が立ち塞がった。

 

「よう、理事会は終わったか?」

「デンゾウ先輩…帰ってきてたんですか」

 

190cmを超える身長に筋肉の詰まった巨躯の肉体、鋭い眼光を持つ男。

久居留家当主、久居留伝蔵──智哉と姉の父である。

セシルの友人であり、学生時代から頭の上がらない先輩でもある。

 

「おう、やっと遠征が終わってな。サッちゃんとこれでイチャイチャできる。で、理事会どうだったんだ?」

 

サッちゃんは、母のウマ娘名から取った愛称である。これで呼ぶのは父だけであるが。

 

「エイベル先輩に、嫌味のような激励を言われましたよ。うちで面倒見てもいいぞ。娘くらい手元で何としても守れよって」

「あいつは変わらんな…昔っからそんな奴だからな」

 

理事であるエイベル・オブリーエンも実はこの二人とは古い仲の友人である。

伝蔵に振り回され、エイベルに嫌味を言われるセシルの立場が一番低い。

 

「そういや、うちの怠け者の息子をじいさまに会わせる件どうなった?済んだか?」

「ええ…父は随分気に入ってましたよ」

「おお、そりゃいい。持ってけ。お前んとこにやるわ」

「えっ、いいんですか?優秀なトレーナーなら大歓迎ですが…」

「あいつはうちじゃ無理だ。あんなもん持ってる奴は、大手で囲っとかねえと食いモンにされちまう。それにあいつは平地向きだ」

 

智哉の予測通り、老紳士と智哉を会わせたのは父の仕業であった。

息子の適正と、息子の持つ相マ眼がもたらす影響について考慮しての判断だった。

 

「そういえば、ミディを後継者に指名したとか」

「ああ~それな。嘘なんだよ」

 

爆弾発言であった。智哉が聞いていたら「クソ親父ぶっ殺すぞ!!!!」と憤怒している発言であった。

 

「そもそも俺があと二十年はやるつもりなのに、後継者は早すぎるだろ」

「…え?」

「あいつを平地に行かせたくてなあ…一芝居打とうとしたら、うちのかわいい娘が協力してくれたって訳よ。ミディもあいつの事平地向きだと思ってるからな」

「推薦枠はどうしたんです?」

「うちのチームのサブトレに指名したよ。あいつ気付いてももう枠ないからな。いつ気付くかねえあのバカ息子!わははははは!!!」

「…なんというか、息子さんに同情しますよ」

 

セシルがため息をつく。会っていない友人の息子に、振り回される同志として親近感を抱いてしまう。

 

「ま、フランちゃんの事は心配すんな。うちの家族はみんな、そんな子供ほっとけないからな」

 

優しげな視線で伝蔵がセシルに声をかける。こういう情の深さがあるからセシルはいくら振り回されても伝蔵を憎めないのである。姉の性格は明らかに父譲りだった。

 

「…久しぶりに飲みにでも行きますか、先輩。今日は時間もあります」

「おっ、いいねえ!遠征で勝ったから今日は俺が奢るか」

「奥さんに怒られますよ」

「だ、大丈夫だろハメ外さなけりゃ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんとかしろ!もう後には退けんのだぞ!」

 

「…何?居場所がわからん?なんとしても探せ!」

 

「あれが口を割れば終わりだ!わかっているな!」




一文入れ忘れた…許し亭ゆるして。
理事会で真面目なのはフランパッパと理事長とミル姐さんくらいでカイチョーはいつも意味深発言を言いたがるし嫌味メガネはすぐパワハラします。こいつら大丈夫か。


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第十二話 いかにして彼女は一歩を踏み出すか

フランチート回。


『さあ、子供を放せ、一対一だ。楽しみを不意にしたくはないだろう…来いよタマ。怖いのか?』

 

『オグリンあかんて。ちゃんと役名で呼ばな…』

『そ、そうなのか?すまないタマ、忘れてしまった』

『なんでやねん!もうええわ!ウチが勢いでなんとかしたる』

 

『……野郎ォ!!!(タマ)とったるわぁぁぁぁ!!!』

『…タマがタマをとる?どういう事だタマ?』

 

「きゃあああああ!!!すてきだわ!!!タマットーーーー!!!!」

 

「そっちかよ、主役応援しろよ」

 

レース観戦に行った二日後の正午。

フランと智哉の二人は、父のコレクションから見繕った映画を鑑賞していた。

今回はフランに選ばせた所、お気に入りのウマ女優が出演している映画を即決で選んだ。

そして御覧の有様である。

 

「NG集みたいになってんだけどおかしくねえ?これで何でOK出たんだよ」

「すてきだわ!すてきだわ!とくにタマットが、オグトリックスにじょうきぬきをされるのがすてきだったわ!!」

「お前の素敵の基準もおかしいよ…」

 

今日観た映画でもフランは大興奮であった。

主役が敵を崖から落とすシーンの再現を、メイドとやりたいと言い出したので智哉が止めた。

フランが落ちる方をやりたいらしい。無茶するな。

 

「んじゃ映画終わりな。昼飯食うぞ」

「ええ、きょうはなにかしら?」

「サリーさんが用意してくれるらしいけどな」

「サリーのおりょうりはすてきなのよ」

「そりゃ楽しみだ」

 

あれからメイドは、久居留家に入り浸るようになった。

フランの身の回りの世話から久居留邸の家事全般のフォロー、更にはクラブの方にも顔を出して練習生達へ助言を行っている。

かつてのオークスウマ娘からの指導という事で、学院コースの生徒達は大喜びであった。

 

(あの人、クラブの子達やフランには優しい対応するんだよな…気性難なの忘れそうになるぜ)

 

姉とも顔を合わす事は当然あるのだが、フランや子供達の前では夢を壊さぬように気を使っている節すらある。

人目が無い所ではいつもの如くなので、智哉はなるべく近寄らないようにしているが。

 

ダイニングに向かう途中で、手を繋いで歩くフランに声をかける。

今日はある意味、彼女の門出の日である。

 

「フラン、今日の事聞いてるよな?怖くないか?」

「だいじょうぶよ、きっと。サリーも、ミディおねえさまも、それにトムもみていてくれるもの」

「そっか…よし、俺が優秀なトレーナーだって事見せてやるよ。まだ資格ねえけどな!」

「うふふ、きたいしているわ」

「おうよ、任せとけ」

 

──フランが、練習場に出るのだ。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

クイル・レースクラブ練習場。

ダートコース、坂路コース、クラブマッチでも使用する芝コースが存在し、クラブハウスの内部には筋力トレーニング用のジムもあり、ウマ娘の基礎トレーニングに必要なものは一通り取り揃えている。

その練習場前に、4人は集まっていた。

 

「クラブの子が集まるまでだから2時間はあるけど…初日だしな。1時間くらいでいいか」

「そうねー。クラブの子やあたしとの併走はママに止められてるしね」

 

ジャージ姿の智哉と姉。

 

「お嬢様、ご無理をなさらず。このサリーが近くにいますからね」

「ありがとうサリー、がんばるわ」

 

長大なレンズを装着したデジカメを携えたいつもの恰好のメイド、そして体操着姿で準備運動中のフラン。

 

「フラン、芝とダートどっちがいい?」

「しばではしりたいわ!きれいなしばだとおもっていたの!」

 

智哉の質問に、元気よく片手を挙げてフランが応える。

 

「なら芝300くらいから慣らしてくか。タイムは計るけど流す程度で良いぞ」

「はーい!」

「フランちゃんがんばってねー!」

 

フランがスタート地点に入るのを確認し、智哉は300m地点でストップウォッチを構える。

智哉は、スタートの準備をするフランを見て気分が高揚するのを感じた。

フランの力になりたい気持ちは当然ある。

だがそれと同じくらい、トレーナー資格すら取れていない自分が、元名門の天才児のタイムを見れる事に対する喜びを禁じ得ない。

 

(姉貴もうちのクラブ出身だけど、俺は練習相手だったからなあ。普通のウマ娘は弟に併走させねえよ)

 

思い出したくもない記憶である。智哉の平地競走バへの苦手意識の原点であった。

 

(俺の予想だと流して30秒ちょい、本気で走らせて25秒ってとこか)

 

300mを30秒前後は、競走バを目指しトレーニングを積む6歳のウマ娘の平均だ。

ちなみに人間の世界記録は30秒81だ。愚かなヒトミミはウマ娘の幼女に絶対に勝てないのである。

 

「いきまーす!」

 

元気なかけ声と共に、フランがスタートを切る。

まず目を引いたのは、首のほぼ動かない綺麗なフォームだった。

そして、流していると思えない異常な加速。

 

靡く金髪がまるで、彗星のようだった。智哉は確かに、その走りに目を奪われたのだ。

 

「ついたー!トム!タイムはどうかしら?」

 

「…」

 

「トム?」

「お、おう…お前すげえんだな」

 

我に返った智哉が、握りしめていたストップウォッチに目を向ける。

タイムは、25秒だった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ラチにもたれ掛り、手をかざして智哉の元に届かんとするフランを眺める姉。

その後ろには、カメラを手に収めたままのメイドがついている。

 

「いやー速いわねフランちゃん」

「ミッドデイ」

「ん?あんた写真撮らなくていいの?」

 

メイドには、少しの懸念があった。

 

「お前の弟だが、感謝はしている。だが奴でいいのか?」

「どういう意味よそれ」

「ここには他にベテランのトレーナーがいるのは知っている。彼らでなくて奴でいいのかという意味だ」

 

メイドの懸念とは、当然の疑問であった。

智哉はまだトレーナー資格すら取得していない立場である。フランが心を許しているのは確かだ。それでも一時的とは言え主人のトレーナーを務めさせるにはやや抵抗があったのだ。

 

「んー大丈夫よそこは。あたしもママも保証する」

 

簡単な事のように、姉が返答する。

 

「クイル夫人もだと?本当か?」

「本当だって。まあ明日にはわかるんじゃない?」

 

「──他のトレーナーにできない、あいつだけできる事があるから」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

その日の夜、智哉は自室でフランの本日のタイムを眺めていた。

 

(…こりゃ天才どころじゃねえな、規格外だ。フランには悪いけど、同級生が折れちまったのもわかるぜ…)

 

フランのタイムは、全て25秒であった。今日は本気で走る事を禁じたのだ。

 

(…体内時計がぶっ飛んでる。全部25秒は普通じゃねえ)

 

おかしいと思ったのは、3本目の時であった。二度は続くだろう。だが三度目からは偶然では済まない可能性を感じた。そこで直にフランに確認したのだ。

 

「300mをながすときは、25びょうよ」

 

返答は、こうであった。意識していたのだ。

 

(加速もいかれてる。本気で走らせたら20秒切るまであるな…)

 

全てが、智哉の想定を上回っていた。一瞬、興味が勝って相マ眼で見てしまおうとまで考えた。

相マ眼を理由なく使う事を智哉は控えている。自分の力の異常性は父に散々教え込まれたからだ。

それに加えて、智哉は過去の教訓から普通でありたいというこだわりがあった。普通の人間、普通のトレーナーはそんな力は持っていない。

 

ああだこうだと、フランの練習メニューを悩んでいると、自室のドアを何者かが叩いた。

 

「開いてるぜ」

「入るわよ。あんたどうせ悩んでるんでしょ?」

 

来客は姉であった。智哉が天才を持て余しかねないと考えての訪問だろう。

 

「ああ…こりゃ学院コースの子と併走はやめさせた方がいいわ。母さんの許可が出てもな」

「趣味コースの子だとフランちゃんが逆に気を使っちゃうしね。エスティちゃんくらいね大丈夫なの」

「あの子には確かに刺激になるな。だけどよ…そうなるともう答えが一つしかないんだよなあ…」

 

智哉がその場に突っ伏して倒れる。自分でもわかっているができれば避けたい事があった。

 

「それ言いに来たんだけどね。わかってるみたいね」

 

ニヤリと姉が笑う。誰のせいだと思ってんだと智哉は叫びたくなったが黙った。

 

「まあ、しょうがねえよな…」

 

 

 

 

 

 

 

「俺が、走るわ……」




なんか行間空きすぎて読みにくいな?って思ったので調整しました。あと内容は変えないけどこっそり地の文は増やしたりしてます。一部の終盤までは更新優先だけど。


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第十三話 いかにして彼は彼女と走るか

ウゲースマホだと読みにくいのに今気付いた。台詞の行間調整します。


翌日、クイル・レースクラブ練習場。

4人は、再び練習場に集まっていた。

 

「んじゃやるか…」

「トム、あさからげんきがないわ」

 

朝から憂鬱そうな智哉に、フランが心配そうな声をかける。

 

「うじうじしてないで覚悟決めな。パパといた頃は色々やってたみたいだし、今更普通の人間のフリしても遅いわよ」

 

フランの横にいる姉の態度は辛辣であった。

弟の事情を知っている上で、持てる力でベストを尽くさないのが気に入らないのだ。

 

「うるせーなわかってるよ。フランには力になるって約束したし…」

「あんたに普通は無理だって散々言ったでしょ」

「…何の話だ?」

 

姉弟の要領の得ない言い合いに、メイドが口を挟む。

 

「今からやる事見てればわかるわ。トム、タイムはあたしが計るわよ。300でいいわよね?」

「ああ、頼む」

「あっ!トム、そういうことなの?」

 

智哉の事情を知っているフランが、これから何が起きるのかに気付いた。

 

「おう、今日は母さん曰く、一本やって大丈夫そうならって事だけどな」

「トムとはしれるのはすてきだわ!」

 

両手を挙げてはしゃぐフランの頭を智哉が軽く撫でてから、スタート地点に着く。

 

「待て、お前は人間だろう。いくら混血でも…」

「まあまあ、見てりゃわかるって」

 

制止しようとするメイドを姉が後ろから押しながら、3人が300m地点を目指し智哉から離れていった。

 

(こうやって走るの久しぶりなんだよなあ。あのじいさんの時といい、姉貴に仕組まれてる気がしてならねえけど…)

 

ゴール地点の姉に目を向ける。

最近何かと裏で動いている気がするが、姉は本当に父の跡を継ぐ為に障害競走のトレーナーになる気があるのかと智哉は疑問に感じていた。

家で試験対策をしている素振りも無い。外出先でしているのかもしれないが。

姉が智哉の視線に気付いたのか、手を振ってくる。

 

「いつでもいいわよー」

 

(いや、フランの力になるのは俺が決めた事だ。今はそれでいいか)

 

考えを振り払うと、智哉はスタートを切った──

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「流して23秒ね。まあまあじゃない?」

「おっ、25秒くらいと思ったんだけどな。これならいけるな」

 

姉の持つストップウォッチを横から眺め、智哉が満足げな顔で応える。

 

「トム!すてきだわ!とってもはやいわ!」

「いやーフランがすげえのは確かだけど、流石に六歳児には負けねえよ」

 

「…いや、ちょっと待て。おかしい」

 

唖然としたメイドの呟きに3人が振り向く。

この人のこんな顔見るの初めてだな、と智哉は思った。

驚愕の表情のメイドが、智哉を指差す。

 

「お前は人間か?」

「ひどくないっすかその言い方…」

「うちの弟はかなり血が濃いらしいのよ。子供の頃はよくあたしの相手させてたし」

 

姉の補足を聞き、メイドが腕を組んで言葉を噛み締める。

 

「…成程。これなら本格化した競走バの、軽い調整の相手程度ならできるな」

「できるわね。でもこいつ、普通でいたいとか言ってやりたがらないのよ。うちのクラブの子達にも隠してる。バカでしょ?」

「バカだな」

 

一刀両断であった。智哉は少しだけ傷付いた。

 

「言いたい放題じゃねえか…」

「ミディおねえさまもサリーも、おばかっていうのはいけないわ」

 

「いえ、お嬢様。これは言わねばなりません」

 

智哉に向き直り、メイドが告げる。

 

「ミッドデイにも言われているだろうが…お前がこれから目指す世界は、使える物であれば全てを使い、全てを擲ち挑まなければならない世界だ。でなければ、競走バの横に立ち、支える資格などない」

 

 

「最終的に、お前のその信条とやらのつけを払うのは、将来のお前の競走バだからだ」

 

 

真剣な表情であった。競走バとしての、競走にかけた先達としての忠告であった。

あんたに何がわかる、と智哉は言う権利も理由もあった。だが言えなかった。

父と共にいた頃は、世話になった父のチームのために協力していた。

恩を返したかったからだ。

しかし前回の老紳士、今回のフランへの助力、最近になって二度も自分の意志で、そうしなくてもいい事で信条を裏切っている。

自分でもわかっているからだ。過去から逃げているだけだとわかっているからだ。

 

(きっついな、ぐうの音も出ないってのはこういう事なんだな…)

 

このメイドの発言は、智哉の心に響いた。

 

「…何も言い返せねえよ、サリーさんの言う通りだ」

「…ふん、少しは自分を客観的に見れるようだな」

 

そう言ったきり、踏み込みすぎたと感じたメイドはそっぽを向く。

 

「すべてをつかい、すべてをなげうつ…」

 

そして、この言葉はフランの心にも響いた。

 

「ほら!湿っぽいの終わり!フランちゃんとトムは併走の準備ね」

 

ぱん、と手を叩いた姉が、ストップウォッチを手に取りメイドの横を通る。

 

 

横切る際に、小声で「ありがと」と言いながら

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「トム!もういっぽん!もういっぽんやりたいわ!」

「ぜえっ、フラン、ちょ、もう、よくね?しぬこれ」

 

結果として、智哉とフランの併走は無事に完了した。

そして大丈夫どころか、互角以上に走ってくれる智哉にはしゃぎ倒して何本も併走を強請った。

智哉は死んだ。

 

「運動不足ねー、明日からあんた早朝ランニングね」

「情けない奴だ」

「これ、まじきついわ…毎日やんのかこれ…」

 

智哉は軽く絶望した、幼女の回復力を侮りすぎていた。

 

「フランちゃん残念だけど時間よ。代わりに朝トムとランニングする?」

「やりたいわミディおねえさま!」

「じゃあ決まりね。あたしも行きたいんだけどね、そのうちね」

 

当人の意思の介在しないところで早朝ランニングが確定した。智哉は絶望した。

 

「…何だかんだ言っておきながら、最後までお嬢様に付き合う、か…」

 

そう呟いたメイドは蹲る智哉の横まで来ると、

 

「おい」

 

脇腹を軽く蹴り上げた。

 

「いてえ!何すかいきなり!」

「認めてやる。今のお嬢様にお前は適任だ」

「…へ?」

 

「お嬢様を任せよう。トム・クイル」

 

渾名呼びではあるが、初めて名前で呼ばれた事に智哉はぽかんと、メイドを見上げた。

その一瞬、メイドの口角が上がっていた。

 

「サリー、ぶつのはいけないのよ」

「あれくらいぶつにも入りませんよお嬢様、さあシャワーを浴びましょうね」

 

フランを伴いメイドは久居留邸に戻っていく。

智哉は今見た物が信じられず、固まっていた。

 

「なあ姉貴…今サリーさん笑ってたか…?」

「あたしもフランちゃん以外に笑ったの初めて見たわ…」

 

姉も、固まっていた。それほど衝撃的な出来事であった。

 

「だよなあ…俺達も戻るか…」

「あ、あんたはまだやる事あるわよ」

 

智哉がようやく起き上がろうとした所を、姉が制止する。

 

「ん?フランの練習はもう終わりだよな?」

 

姉は、親指でクラブハウスを指した。

智哉はその瞬間全てを察した。姉に、やはり昨夜から嵌められていたのだ。

 

クラブハウスの窓に、この時間はまだいないはずの、練習生達がいた。

 

「あ、姉貴てめえ…」

「あっちゃー見られちゃったわねー!これで走らないといけないわねー!」

 

姉は笑っていた。悪魔のような笑みであった。

 

「昨日から!!!こうする!!!!つもりだったろ!!!??」

「みんなー!!!今日からトム先生が併走してくれるわよー!!!」

「やめろ!!!!!!」

 

姉の呼びかけに応じてクラブハウスから歓声が聞こえる。

 

「じゃ、あとがんばって」

 

いつの間にか、確実に逃げ切れる位置にいる姉に智哉が怨嗟の声を上げた。

 

「絶対許さねえからな姉貴!!!!」

「まーまー良い機会じゃん。クラブの子にはあたしも今度付き合ってあげるから」

 

「今日!!!!やれよ!!!!!」

「今日は用事あるのよ。じゃあねー♪」

 

姉はそう言い残すと、久居留邸に脱兎の如く駆けていく。

 

(結局嵌められてたんじゃねえか。良い機会ではあるけど…)

 

 

 

 

 

 

 

 

この後、練習生全員と併走させられた智哉は、やっぱり姉貴許さねえからな、としばらく根に持つのだった。




トッムにイキらせようとしたらいつの間にか説教されてた。


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第十四話 いかにして彼女は再会するか

「フラン、準備できたかー?」

「できたわ!いってきます!」

 

「二人ともいってらっしゃい」

「お嬢様、お気をつけて」

 

母とメイドに見送られ、智哉とフランは日課となった早朝ランニングに出かける。

あれから智哉は、フランのイップス解消の為の練習、そして練習生との地獄の併走の毎日である。

趣味コースの花屋の娘のアンナからは「せんせー人間じゃねー!!」と笑われ、学院コースのエースであるエスティからは「トム先生、次は負けませんから…」と対抗意識を燃やされた。

智哉としてはもう勘弁してほしいと思っている。

 

フランとの併走がお役御免となった訳ではないが、回数は減った。

姉とメイド、二人がフランの練習に参加するようになったのだ。

特にメイドが参加する回数が一番多い。本人の強い希望だった。

智哉とのあの日の併走が無事終わった事で、フラッシュバックが起きる状況を特定できたのが大きかった。

年上の相手、つまり教師との併走の件をフランは乗り越えていたのだ。

 

「あ!トム!ねこちゃんよ!」

「おー野良猫か。撫でるなら手を洗えよー」

「はーい!」

 

フランの復学についての話も進んでいると、智哉はメイドから聞いた。

幾つかリストアップされ、久居留家からも通える位置かロンドン市内にするかを後は決める状態らしい。

フランの学力自体は全く問題なかった。智哉とメイドが教えているが、フランの覚えがよく既に一学年上の科目にまで手を伸ばしている。

 

しかし、まだ問題が残っていた。同年代のウマ娘と併走できないのだ。

 

母観察の元、事情を理解しているエスティとの併走でそれは起きた。

 

300mの併走、その100mも満たない地点でフランが減速し、ついには足を止めたのだ。

青ざめたフランのその顔を、智哉は痛々しくて見ていられなかった。

 

これが難問だった。友達と思っていた相手に拒絶されたのが、最も大きなトラウマの根源であった。

 

(やっぱり無理してたんじゃねえか、辛いって言えよ…)

 

「ねこー、にゃーにゃー」

 

つい先日そんな事があったにも関わらず、フランは楽しそうに野良猫と戯れている。

智哉はそんなフランを見ると、酷く無力感に苛まれてしまう。

力になると約束したが、自分がやっている事は現状姉でも、メイドでも、他のトレーナーでもできる事だ。自分でなくとも良い事なのだ。

そして自分は姉やメイドのように著名な名バでもなければ、何の後ろ盾も無い未成年の少年だ。何か働きかける力すらない。

過去の教訓から普通でありたいと思っていたはずなのに、今はフランを助ける力が欲しくてたまらない。

 

他の誰にもない自分の力、ウマ娘の心までは見れない相マ眼が、今はただ煩わしかった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「…ついた?」

「ああ、着いたよ。でもナサ、急にお邪魔するとフランちゃんに迷惑が…」

「…めいわくはかけない」

 

眠たそうな目のウマ娘の幼女ナサは、彼女の父の車で久居留邸から少し離れた位置に到着した。

目的は一つだった。大好きな従姉妹を救出しに来たのだ。

 

「…パパは、ぼくが3じかんでもどらなかったら、けいさつにでんわして」

「いやしないよ!?だからそれはナサの勘違いだから」

 

ナサは、あのアスコットの王様気取りから聞いた情報を元に、父を強請に強請った。

必殺技、教えないともう口を利かないまで使ってしまった。父は好きなので諸刃の剣だった。

そしてナサは聞いたのだ。

従姉妹は少し遠くにいるけど今は心を癒すのに時間がいる。まだそっとしてやってほしい。

父はそう言ったのだ。

ナサは憤怒した。大好きな従姉妹が遠くで酷い目に遭っている。助けに行かねばならない。

そうして、また父を強請って久居留邸にやってきたのだ。

 

「…パパ、いってくる。フランをつれてきたら、すぐにげるからここにいて」

「ちょっと待ちなさい!ナサ!」

 

そしてナサは久居留邸まで走って行った。普通の人間のナサの父では追いつけない。

ため息を吐いたのち、ナサの父が携帯を取り出した。

 

「…クイルさんのお宅に電話しておくか」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ナサは久居留邸の前までやってきていた。

大好きな従姉妹をいじめている魔の館である。油断は一切できない。

 

(…グッド。だれにもみつかってない)

 

潜入作戦の第一段階が成功し、ナサは小さくガッツポーズをとる。

 

(つぎは、なかにだれがいるか、かくにんする)

 

ナサは年の割に賢い幼女である。無闇にこのまま潜入するリスクを理解していた。

そして、中の人間を確認する方法も考えてあるのだ。

 

(すぐおして、かくれる)

 

伝家の宝刀──ピンポンダッシュである。

 

ナサは幼女とはいえ、名門エプソムポニースクールのエースの一角である。

その脚力を十全に使えば、インターホンを鳴らしてすぐ物陰に隠れるなど造作もないことだった。

インターホンがカメラ付きの場合は考えていなかった。

離れて耳を澄ますと、電話の音と「お客さんはあんたが出て」「おう」という声が聞こえてくる。

 

(…たぶんふたり。フランはいない?)

 

そして、少し開いた玄関の隙間からにっくき久居留邸の住人を見た、見てしまった。

住人は、男であった。年齢は10代半ばから後半、身長170cm以上、顔は整っているが目付きが悪い。

 

男は人がいないのを確認すると、怪訝な顔で玄関を閉めた。

 

(…バッド。ふりょうだ。あのめつきのわるさはふりょうだ)

 

ナサは、こいつは不良だと当たりを付けた。

フランをいじめている首魁に間違いないだろう。

 

(きっと、あいつがフランをいじめてる。うなぎのゼリーをめのまえでつくって、たべたりしてる)

 

ナサの脳内で、「やめてちょうだい!それはうまみをぎょうしゅくしてないのよ!なまぐさいだけなのよ!」と、調理される英国名物ウナギの煮凝りに悲鳴を上げる従姉妹。

そして、「やめてちょうだい!それをおいしくたべるのはしょくへのぼうとくなのよ!いますぐやめてちょうだい!」と目の前でウナギの煮凝りをおいしく食べる男に絶叫する従姉妹の姿も映し出された。

これは許せない。絶対に助けなければならない。

 

(つぎは、うらぐちをみる)

 

男がいなくなったと思ったナサは、物陰から出て裏口に向かおうとする。

その時だった。

 

「おっ、やっぱりいるな」

 

玄関が、もう一度開いた。

卑劣な男は、玄関前でナサが出てくるのを待っていたのだ。

 

(!!しまった…)

 

ナサ、一生の不覚であった。

 

「こら、ピンポンダッシュはだめだろ。見ない顔だけどこの辺に住んでんのか?」

 

男がナサの目線に合わせて、屈みこみ声をかけてくる。

思ったより優しそうなお兄さんだが、ナサは騙されない。

 

(…バッド。ちかよられた。にげれるかもしれないけど、かおをみられた)

 

もうこの男は自分を警戒するだろう。この男を何とかしても中にもう一人いる。

ナサは、覚悟を決めた。

考えていた、最後の手段しかないと覚悟した。

 

(…ぼくを、みがわりにしてフランをかいほうしてもらう)

 

自分は従姉妹の為なら何でもできると、ナサは心から思っていた。

自分はあの一等星に魅せられた最初の一人なのだから。星を追い駆けるものなのだから。

 

「…?どうした?何かあったのか?」

 

男がナサの尋常ではない雰囲気を察し、声をかけてくる。

 

「…ぼくはどうなってもいい。うなぎのゼリーをたべてもいい」

「は?ウナギ??あれはやめとけ」

 

男は真顔で忠告した。姉に食わされた事があるからだ。未だに根に持っている。

 

「だからフランをかいほうしろ」

「お前フランの友達かよ。アクつええな。あと何か誤解してるよな」

 

もうナサには聞こえていない。フランの身代わりになる覚悟はあってもやっぱり怖いのだ。いっぱいいっぱいなのだ。

 

「…ぼくがみがわりになる。すきにしろ」

 

この男、もう言ってしまうと智哉は運が悪かった。何もしていないがタイミングが悪かったのである。

 

「あんたこんな小さい子に何してんの…」

 

このタイミングで、電話の終わった姉が来てしまったのだ。

智哉は、一瞬で姉にコブラツイストの体制に持っていかれ制圧された。

 

「ちょっ、ぐええええ!姉貴、待てよ、俺何もしてねえよ!」

「あんな台詞吐かせて何もしてないは無いでしょ!この馬鹿!!!」

 

ナサは、きょとんとした顔でこの二人、いや姉を見ていた。

ナサは競走バを目指すポニースクールの生徒である。

もちろん競走バの先輩に憧れを持っている。それが名バなら尚更である。

その名バが目の前にいるからだ。

 

「…ミ、ミッドデイさんだ」

「あっ、ナサちゃんでしょ?お父さんから聞いてるわよー」

「姉貴だから俺何もしてぎゃああああ!!」

 

応対のついでとばかりに姉がコブラツイストを拷問式に切り替える。これは本当に痛いからやってはいけない。

 

「…ファンです。ナッソー3れんぱ、げんちでみてました」

「えっ、ほんと?今度一緒に走ろっか?」

「姉貴拷問式はやめろよ!これマジで痛ででででで!!!」

 

弟がうるさいので姉が卍固めに素早く切り替える。拷問式よりは痛くない。

 

「…!おねがいします!あとでサインください」

「もちろんいいわよー」

「とりあえず外してくれねえかな…」

 

智哉はもう誤解を解くのを諦めた。最近なりを潜めていたが姉の理不尽はいつものことである。

 

「…何をやっているのだ。お前達は」

 

そこにメイドが帰ってくる。食材の買い出しに行っていたのだ。

 

「…ナサちゃん?」

 

フランを、連れて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…フラン、あいたかった」




ウナギのゼリーはマジで食い物じゃないです(真顔
好きな人が読んでたら許し亭ゆるして


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第十五話 いかにして彼女達は涙を流すか

この話を区切りに悪い奴が出てきたりトッムがひどい目にあったり嫌な奴が出てきたりトッムがひどい目にあったり重い展開続いたりトッムがひどい目にあったりします。
でもこれはウマ娘(アニメ版)二次なんや。そういう事だから許してクレメンス…。


「いやー!ごめんごめん!あたし達の勘違いだったのねー!」

「…ごめんなさい」

「ちゃんと謝る気ある?特に姉貴」

 

悪びれもせず謝る姉。

そして、俯いているが耳がうれしそうにぴこぴこと動くナサ。あれからすぐに姉からサインを貰い、大事そうに抱えている。

フランとの再会では、二人で手を繋いで回転してウマ娘竜巻を起こしていた。大ハッスルである。こいつ大分図太いな、と智哉は思った。

 

現在、メイドを除く玄関に集まっていた全員が久居留邸のリビングに移動してきている。ナサがここに来た経緯はナサの父からの電話の内容を、姉が説明して確認済みだ。

ナサの父は、後で娘を迎えに来ると姉に電話で伝えていた。自分の前ではできない話もあるだろうとナサに気を使ったのだ。いいお父さんである。

メイドは食材の整理と紅茶の用意をするために厨房に向かった。

 

「しかしよく来たなあ。フランから聞いてるぜ、大事な友達だって」

「…フランとぼくは、だいのしんゆう」

「だいじなおともだちなの!」

 

フランとナサはもうべったりである。ずっと横に座って手を繋いでいる。

智哉はフランと会ったその日に、くまのハリーが一番の友達とフランが言っていた事を思い返したが言わない事にした。ナサはたぶん二番目だ。動く友達の中では一番であろう。言わぬが花である。

 

「ナサちゃんはエプソムのポニースクールにいるのよ。とってもはやいのよ」

 

フランが満面の笑顔でそう言ったのを見て、姉と智哉の顔が一瞬だけ歪む。ナサはフランの詳しい話まで知らない。ナサの父がそう言っていた。

フランは聡い子だ、心配をかけない為に自ら学校の話題を振ったのだ。姉と智哉は目配せして、話を合わせ、フランのこの想いに応えた。

 

「へえー名門よね。ナサちゃんエースだったりするんじゃない?」

「…ゾフってこがはやい。ともだち。でもフランのほうがぼくとゾフよりはやいです」

 

ナサはフランとは物心付く前から一緒にいる関係だ。フランに何かあったのはもう気付いている。しかし、まだ子供であった。六歳の幼女である。走る事が大好きな競走バの卵である。

 

「…フランがアスコットにいないから、おうさまきどりのやつがはばをきかせてる」

「…おうさま?」

 

首をかしげるフランに、ナサが口を尖らせて応える。

 

「…エクスってやつ。たいどがでかい。えらそう。ぜったいきしょうなん。ぼくをやさいっていった。むかつく。きらい」

「無茶苦茶言うなおい」

 

ボロクソである。とある幼き王者が聞いたら「我そんなにきらわれてるの…」とショックを受ける有様であった。

 

「…でもけっこうはやい。なまえのまちがいを、おこったらちゃんとあやまった。いがいときくばりしてる。そこはみとめる」

 

と、思いきや存外評価が高かった。とある幼き王者が聞いたら高笑いしているところである。

なぜエプソムの生徒のナサが、アスコットの生徒を知ってるのかを疑問に感じた智哉が、トレーナーの知識でポニースクールの制度を思い返す。

 

「ん?アスコットの生徒を知ってるって事は、交流戦か?」

「…まけてない。1ばしんしかまけてない。ハーフマイルだし、あいつのどひょうだからノーカン。1000か1200ならぼくがかつ。ぜったいかつ」

 

地雷であった。

ナサは、口下手な幼女ではあるが内に秘めた闘争心はウマ一倍であった。要するに負けず嫌いである。

 

「トム!ナサちゃんにあやまってちょうだい!」

「お、おう、なんかごめんな…」

 

ナサの横でぷんすこと怒るフランに圧されて智哉は謝った。何も悪い事はしていない。

智哉は、この会話で一つ察した事があった。ポニースクールのクラスの割り振りである。

 

(確かクラス対抗戦の戦力均衡の為に、入試の成績上位者のクラスの振り分けはかなり気を使ってるはずだ…問題児を優秀な教師に振ったのか。エクスって子は悪くねえけどやりきれねえな…)

 

ポニースクールのクラス対抗戦は、ポニーステークス出場を賭けた大事な一戦である。競走バを目指す生徒達が切磋琢磨し合えるように、慎重なクラス分けが行われている。例の新人教師には聞き分けが良く扱いやすいフランを割り振り、問題児の傾向があるエクスをベテランに宛がったのだろう。

姉もこの事実に気付いたのか、先ほどから口を噤んでいる。

その子がいなければ、と一瞬でも思ってしまったのだろう。感情を抑え込んでいた。

一方ナサは、フランに元気が戻っているのを確認して安堵していた。フランは確かに、ある一点だけを除けばもう快復したと言っていいのだ。だがナサは、その一点をフランに求めたかったのだ。その為に来たのだ。

 

「…ここの、レースクラブ。フランもはいってる?」

「そうなの!トムやミディおねえさまやサリーとれんしゅうしてるのよ」

「おいフラン…」

 

フランは、嘘をついてしまった。練習はしている。だがそれはリハビリのためだ。心配をかけたくない一心だった。

 

「…ぼくも、フランとはしりたい。たいそうぎならもってきてる」

 

 

「…え?」

一瞬、フランは耳を疑った。

 

「…だめ?」

 

ナサは、エプソムポニースクールに入学してメキメキと実力を伸ばしている。まだフランに敵わなくとも、どれだけ通用するか確認したかったのだ。自分の目指す一等星をもう一度見ておきたかったのだ

 

「う、ううん!いいのよ。わたし、はしれるわ」

「お嬢様、いけません」

 

フランを諫める声がかかる。

紅茶を淹れたメイドが戻ってきていた。

 

「サリー、だいじょうぶよ、あれをつければはしれるわ」

「いけません。お嬢様だけでなく、ナサニエル様にも良くありません」

「…あれ?サリーさん、あれってなに?」

「…お気になさらず。とにかく日を改めましょう」

 

ナサは、二人が何を言っているか全くわからなかった。ナサは勿論メイドの事も知っている。しかし、フランと走るのを止められた事は一度も無かった。自分の大切な一等星が、星々に混じって輝けない事まで、考えが及ぶはずもなかった。

 

「そうだな。なあフラン、また別の日にしようぜ」

メイドの援護をしようと、智哉がフランに声をかけ

 

「ナサちゃん悪いけどまた今度じゃだめかな?」

姉が、ナサを説得しようとした時だった。

 

 

「だいじょうぶなの!!!!」

 

 

フランが、絶叫した。

ナサも、メイドも、智哉も、姉も、初めて聞くフランの叫びであった。

 

「!…びっくりした。フラン、おおごえだしたのはじめてみた」

「だいじょうぶよナサちゃん、きがえましょう」

「…うん、ぼくもいく」

 

ナサは、少しだけここで異変を感じてはいた。だがそれよりもフランと走りたかった。

 

「トム、あれをもってきてほしいの」

「…フラン…なあ、どうしてもか?」

「それでも、それでもはしりたいの。ナサちゃんと」

 

智哉はもう何も言えなかった。確かにフランの言う「あれ」を付ければ同年代と走ってもある程度は大丈夫だ。リハビリ用に母が用意した物だ。

 

「サリー、ミディおねえさま。きょうだけはわがままをきいて」

「お嬢様…」

 

メイドももう何も言えなかった。苦渋の表情で見つめるしかなかった。

姉は、フランの方を見る事ができなかった。情の深い姉は泣いてしまうからだ。

代わりに、ナサに声をかけた。

 

「ナサちゃん」

「…はい」

「絶対にフランちゃんから目を逸らさないであげて。お願いだから」

 

真剣な表情であった。ナサは元々フランから目をそらすつもりはない。

 

「…?わかりました」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「…フラン、なにそれ」

「とくせいメンコなの!」

 

レースクラブの芝コースに全員揃った所で、頭に大きな何かを付けたフランにナサは首をかしげて訊ねた。

元気そうに応えるフランはともかく、そのメンコは異様であった。目を遮るブリンカーと一体化しており、ブリンカーに至っては横どころか足元くらいにしか視界が無い。

特製メンコなどではない。視界と音を極力遮り、自分一人で走っていると錯覚させる為のイップス治療用の医療器具である。

 

「フラン、メンコしてたっけ…」

「さいきんしてるのよ」

「…そんなメンコ、まえがみえないしコーナーもまがれない」

「だいじょうぶよ、いがいとみえるわ」

 

ナサは少しむっとした。いくらフランがすごくても、そんな物を付けてくるとは自分を馬鹿にしているのではないか?と思ったのだ。

 

(…いや、フランはそんなことしない。はしればわかる)

 

ここで、ナサはフランから目を外して智哉の方を見た。

 

(…あのおにいさん、なんであんなにつらそうなんだろ。あ、ひじうちされた)

 

手を握りしめ、辛そうな視線を送る智哉に姉が肘鉄を入れる。

 

(とおくできこえにくいけど、フランがどうとかいってる)

 

フランとの併走は、ナサの希望でフランのペースに合わせて行われる事になった。距離は400m。ナサはもっと走りたかったが、メイドがそれ以上は絶対に駄目だと許可してくれなかった。

 

「いきまーす!」

 

フランの合図で、二人がスタートする。

その瞬間、ぐん、とフランが加速する。

二人のかけっこ遊びではいつもこれにナサは置いてかれていた。

 

(…やっぱりはやい!でもスタートはれんしゅうした。ついていける)

 

ナサは何とか食らいついて、フランの横に並ぶ。異変が起きたのは、ここからだった。

 

(…?のびない。フランはもっとのびるはず)

 

中盤、全くフランが伸びない。自分に合わせているかと思う程に。それでも自分と同じくらいには速いのだ。だがこれは知ってるフランの走りではなかった。

 

(…てをぬかれてる?どうして?)

 

ナサは、混乱していた。フランがそんな事を自分にするとは考えも及ばなかったからだ。気になって、横のフランを眺めた。眺めてしまった。

フランは、俯いていた。前すら見ていない。早く終わってほしいと願うような走り方だった。

 

(…ぼくとはしるのがいや?)

 

「はいゴール!二人ともお疲れ様」

 

そう思った瞬間、併走は終わった。

 

「…フラン、どうしたの」

「ナサちゃんすごいわ!とってもはやいわ!」

 

併走中の疑問をフランに投げかけたナサは、機先を制すようにメンコを外して、こちらを称賛するフランを見て声を上げそうになった。気付いてしまったのだ。

 

(…ちがう!ちがうちがう!フランはてをぬいたりなんてしてない!ぼくがいやだったんじゃない!)

 

フランのその表情は笑顔だった。表情だけは笑顔だった。

しかし、顔色が真っ青だった。目が虚ろになりかけていた。

 

(いまのフランはつらいんだ!はしるのがつらいんだ!ミッドデイさんがいってたのはこれだ!)

 

競走バのイップスについてはポニースクールの授業でも習っていた。しかし自分達には縁のない話だと思っていた。ましてや自分が追い駆けたい相手がそうなっているとは思ってもいなかった。

 

「ナサちゃん、わたし、がんばるから、また、はしってほしいの」

 

区切り区切り、必死に口を動かして、精一杯の笑顔でフランはそう言った。

姉は智哉の背中に回ってひっそりと泣いていた。

メイドは意地で笑顔を作っていた。

智哉は、必死に堪えていた。今すぐフランの近くに行ってやりたかった。

だが、ナサに必死に向き合うフランの気持ちを酌んだ。今は、行けない。

 

(ぼくはじぶんがはしりたくて、はしゃいで、ぜんぶ、ぜんぶ、みおとしてた)

 

ナサは泣きそうになって歯を食い縛った。フランはもっと泣きたいはずだ。自分が先に泣いたらフランの立場がない。そうさせた自分が泣いてはいけない。

 

「…うん、ぼくも、フランとまたはしりたい」

 

堪えて、普段あまり使わない表情筋を使って、笑顔を返した。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「…今日はうちの娘がお世話になりました」

「いえいえーナサちゃんならいつでも大歓迎ですよ!」

 

夕方、ナサの父が迎えに来て、智哉達はナサを見送りに来ていた。

車の窓から顔を覗かせたナサが、フランと言葉を交わす。

 

「フラン、きょうはごめんね」

「ううん、ナサちゃん。またあそびましょう」

 

ナサの謝罪が何に対してだったのかは、お互い言及しなかった。

物心ついた頃には共にいた二人だ。その意味は言わずとも通じていた。

 

「…でんわする。まいにちしたい」

「うん、わたしもナサちゃんにおでんわするわ」

 

そう交わした後、お互い手を振り合って、ナサを乗せた車は遠ざかっていった。

 

「トム、わたしね」

 

車が見えなくなる頃、フランがぽつりと呟いた。

 

「うん、どうした?」

「わたしね、ナサちゃんならね、だいじょうぶかもとおもったの」

「うん、そうだよな。従姉妹同士だもんな」

 

智哉に語り掛けながら、フランが近くに寄ってきてくれたメイドにしがみつく。姉が、フランの背中を優しく撫でる。

 

「でもね、わたしね、となりにナサちゃんがいるのにね、こわくなってしまったの」

「フランは頑張ってたよ。あの子の前で絶対泣かなかった」

「でも、でも、ナサちゃん、ずっと、おともだちなの。ずっとおともだちだったの」

「フラン」

「わたし、ナサちゃんだけはこわがりたくなかったの。たしかめたかったの」

 

「もう泣いていいんだぞ」

 

「ふぇ…ふぇぇぇぇぇええ!!」

 

フランは、泣いた。大声で泣いた。

 

 

帰りの車内。ナサは姉からもらったサインを大事そうに抱えて父と話している。

 

「…パパ、ぼく、きょうはフランにいっぱいめいわくかけた」

「次、気を付ければいいよ。親友なんだから」

 

「…フラン、ずっとむりしてた。ぼくがむりさせた」

 

サインに、ぽつぽつと、雫が落ちる。

 

「フランは、ぼくのいっとうせい」

「ずっとおいかけたい、ぼくの…ほし…」

「ぼくの…ほしが…なくなっちゃう…」

 

「う…うあああああああん!!!」

 

 

 

空は、まだ星の見えない、夕焼けの空だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──見つけました。クイル氏の邸宅です」




めっちゃ読みにくかったんで校正しました。
ユルシテ…ユルシテ…


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第十六話 いかにして彼は彼女を守るか

ウマ娘の内容か…?これが…


ナサの来訪の二日後。

智哉とフランは日課の早朝ランニングに出ていた。

二日前、フランは辛い思いをしたばかりだ。昨日はランニングを休み、今日も寝かせておいてやろうと智哉が一人で行こうとしたら、フランは普段通りについて来た。

 

「トム、おいていこうとするなんてひどいわ!」

「悪かったから機嫌直せよ…」

「しらないわ!」

 

今は智哉の横でぷんぷん怒っている。最近は遠慮せず言いたい事を言うようになったし、こうやって怒る事も増えた。久居留家の全員がその変化を歓迎している。

だからこそ智哉は疑問に感じている事があった。

フランは、弱い子ではない。先日のナサとの併走の一件で見ても、精神的に強いとさえ思える。

辻褄が合わないのだ。そんな子が友人の拒絶のみで、あれ程の心的外傷に陥るだろうか。

最初は競走に向いていない優しい女の子だと思っていた。だが親交を重ねるほどそれだけの子ではないと感じる。芯の強さがある。

姉も、母も、メイドでさえ見落としている何かがある気がしてならない。

あの歓迎会の日、二人でお互いの過去を語り合った時のフランの言葉を思い返す。

 

そこで智哉は、背筋がぞくり、と寒くなるのを感じた。

一つだけ、矛盾があった。フランが知っているはずが無い会話を知っている。

思わず智哉は、足を止めた。

 

「トム?どうしたの?」

「…フラン、今すぐ家に帰るぞ。姉貴と母さん、いやサリーさんもだ。みんなに用ができた」

 

そこまで話した所で、二人の前後に自動車が止まった。

ランニングコースでは一番人影の少ない、森の中の一本道だった。

それぞれ、降りたのは三人。両方の車両の運転席から誰も降りていない事を智哉は確認する。

六人とも、スーツ姿の男だった。智哉とフランをしっかり目に入れて近付いてきている。

フランが首をかしげ、男が智哉に声をかけようとした。

 

 

──その瞬間、智哉はフランを抱き上げて、森へ走った。

 

 

「ふえっ!?」

「舌噛むぞ!黙っといてくれ!」

「でも、あのおじさま、なにかごようが」

「いいから!」

(姉貴に事件の話を聞いた時に何で気付かなかった!フランは何か聞いちまってる!)

 

あの歓迎会の日、フランは言った。

 

『わたしは、それはしかたないとおもったの。でも、いちばんえらいせんせいが、わたしのクラスのせんせいをしかったのよ』

『せんせいは、わたしにはできませんといって、スクールをやめてしまったわ』

 

(裏口採用の追及だろうが授業内容の叱責だろうが生徒の前で絶対やらねえ!できませんと返すのも不自然だ!それにフランの居場所はどこから漏れた!?)

 

久居留家は、ロンドン郊外の片田舎に居を構えている。虱潰しに探すにはあまりにも範囲が広い。

足を動かしながらそこまで考えて、智哉は二日前にやってきた幼女が脳裏に浮かんだ。

 

(名簿だ…名簿から縁戚関係を辿って尾行されたんだ。となると家もバレてる。俺がランニングしてたのも間違いなく見られてるな)

 

あの事件の当事者の中で他校の名簿まで見れる人間など一人しかいない。アスコットの校長である。

ある程度撒いたのを確認した所で、智哉は足を止めてフランを降ろし、木陰に屈みこむ。

この混血の体に初めて感謝した。相手はこれを知らなかったから逃走できたのだ。

 

「トム…どうしたの?おかおがこわいわ」

(フランはきっと、それがヤバい話だったとはわかってない。でもそこにいたのを知られてる)

 

智哉は、16歳で超難関の統括機構トレーナー試験を合格できると保証される頭脳の持ち主だ。普段ほとんど使っていないその明晰な頭脳を今、全力で働かせていた。

 

(ギリギリで気付けたから助かった。とりあえず脱出だ。直接行動に来たって事は向こうもなりふり構ってねえと思う。目的もどういう相手かもわからねえ以上対峙するのは全力で避ける。フランを守るのが最優先だ)

 

一つ一つやるべき事を頭の中で並べてから、不安そうなフランに目を向ける。

先日辛い思いをしたばかりなのだ。絶対に守らなければならないと智哉は心に刻み込んだ。

 

「フラン、いいか?今から警察に行く」

「えっ、おうちにいかないの?」

「ああ、家はダメになったんだ。大丈夫、ちょっとおまわりさんに話するだけだよ」

 

英国は銃規制が厳しい上で警察機関には多数のウマ娘が在籍している。

普通の人間が犯罪を起こそうにもすぐ制圧されるのだ。つまり相手が銃を持っているか余程追い詰められているかの二択だと智哉は推察している。素手や刃物程度なら簡単に制圧できるがフランもいる以上リスクは冒せない。フランは人間よりは当然強いが幼い女の子だ。荒事に巻き込みたくないのもあった。

 

(問題は何人いるかだ。あの六人だけって希望的観測はしない、他にいると思って動く。森を抜けるか、迂回するか。携帯は森だと圏外、迂回して姉貴やサリーさんに連絡するか、それとも…)

 

前後を塞いで包囲された状況だった。フランの誘拐が目的だった場合は、囲みを抜けられる事を想定してルート上に他の人員が配置されている可能性が高い。森は携帯が圏外だが恐らく一番手薄だろう。迂回してルートに戻れば姉やメイドに連絡も警察機関へ通報もできる。

智哉は考えた末に、森を抜けて隣町へ脱出する事にした。

立ち上がり、フランをまた抱き上げる。

 

「よし、また走るぞ。森を抜けるけど大丈夫か?」

「え、ええ…でもトム、わたしもはしれるわ」

「いいんだよ。しっかり掴まってろよ」

 

フランにそう伝えると、智哉は駆け足で走る。早朝ランニングやっててよかったな、と何処か他人事のように思った。そのせいで今孤立しているのは考えないようにした。

隣町までは4km程度の距離だ。森は原生林ではないが、超人の類に当たる智哉はともかく、普通の人間が舗装されていない道を4kmも走破するのはかなり厳しい。

加えて向こうは土地勘もないだろう。有利な状況にあると智哉は考えている。

 

(森に入られた場合を考えて、少数を隣町側に配置している可能性がある。そいつらと遭遇したら厄介だな…)

 

いざとなったら少数の人間程度なんとでもなる。ただ、暴力を振るう自分をフランに見られたくなかった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

(俺の嫌な予感って当たるんだよなあ…)

 

隣町まで残り1kmの時点で、予想通りの状況となった。

先に智哉が追手を確認できたのが不幸中の幸いであった。こちらを察知される前に木陰に隠れられたのだ。

追手は、二人だった。先ほどの六人と同じくスーツ姿で、間違いなく森に入る恰好ではないしハイキング客でもない。ここまで智哉は、自分の思索が全て勘違いの妄想で、本当はあの六人は道を聞きたいだけだったのかも、と考えてはいた。しかし、逃げて正解だった事が今証明された。

 

(隠れてやりすごすのもゆっくり避けるのも無理だ。足音でバレる)

 

地面は、枯葉で埋め尽くされている。原生林では無いから身を隠せる木も少ない。

 

(…やるか。一人一発ずつ。殺さねえ程度に確実に仕留める)

 

智哉が覚悟を決めて、フランを降ろす。

ここまで不安にさせないように何かしら喋りながら移動してきた。

しかしフランは聡い幼女である。何か異変が起き、智哉がそれに対処しているのを察している。

小声で、智哉とフランは言葉を交わす。

 

「…いいかフラン?ここで隠れてるんだぞ」

「トム、あそこのひとたちと、たたかうのね?あぶないことはやめてちょうだい」

「大丈夫だって。俺は結構強いんだぞ?姉貴やサリーさん程じゃねえけどな」

 

涙目のフランを優しく撫でたのち、手ごろな石を拾ってその場をゆっくりと離れる。

距離は60mほどだろうか。手前に一人、そのすぐ奥に一人。二人とも智哉から見て右方向に進んでいる。横から不意打ちを仕掛ける形である。

 

ゆっくり振りかぶって、石を遠くに投げる。当てるのが目的ではない。物音を立てるためだ。

放物線を描き遠くへ飛んだ石が、そのまま枯葉の敷き詰められた地面へ落ちて、強い音を立てる。

追手の首がそちらへ向く。その瞬間、智哉は加速した。

一気に距離を詰めてくる存在に気付き、振り向いて懐に手を入れる追手。智哉は脳内で舌打ちした。

 

(二人とも持ってんのかよ。警察仕事しろよ)

 

しかしもう遅い。智哉は60mなら5秒以内に近付けるのだ。

手前の一人目が手を抜く前に、その顎先を勢いのまま爪先で蹴り上げる。

倒したかは確認しない。確実に顎を砕いた手応えがあった。そのまま崩れ落ちる男を右肩に担いで盾にして、二人目に猛然と突撃する。

二人目はもう抜いていたが混乱し、恐怖していた。突然襲い掛かってきた少年が60mの距離を4~5秒で詰め、相棒を一撃の元に倒して軽々と担いで向かってくるのだ。こんな状況想像していなかっただろう。

 

だから、相棒を盾にされているのに引き金を一度引いてしまった。

 

ここで智哉の間の悪さ、運の悪さが出た。担いでいた男に当たらず、智哉の左肩に命中し、貫通した。

あっ結構痛え、と智哉は脳天気に考えていた。

そして距離を詰めると担いだ一人目ごと、二人目を撥ね飛ばした。

そのまま追手二人は数m吹き飛び、地面を転がって動かなくなる。

動かないかを確認した後、大きく息を吐く。

 

(くっそ一発貰った、結構痛えしフランが泣くかもなあ…)

 

智哉は、自分が痛い事よりもフランの心の方を心配していた。これ以上負担をかけたくなかった。

 

(考えるのは後だな。とりあえず身包み剥いどくか)

 

智哉は倒した二人に近付き、なるべく指紋を付けずに所持品を確認する。

拳銃は小型で、銃身の短いものだった。BBCニュースで密輸拳銃の定番のようなものだと智哉は聞いた事があった。

懐からは警察手帳、恐らく偽造だろう。後は無線機と財布。

それらをランニング中いつも持ち歩いているボディバッグの中身と、入る範囲で入れ替える。フランのお気に入りのスポーツドリンクとはここでお別れとなった。

もう一度追手が生きているか確認した後に、フランの元へ戻る。

 

「ごめん、待たせたな。行こうぜ」

「トム!かたから、ちがでてるわ!」

「ちょっと穴空いただけだよ。こんなん寝れば治るって」

「だめよ!おいしゃさまにいって!いますぐいって!」

 

ジャージの肩口が血で染まる智哉を見て、フランがぽろぽろと涙をこぼす。

 

「あーもう泣くなって、病院は行くから」

「でも…でも…」

 

ぐずぐずと泣くフランを右手で抱える。左手側だと血が付くからだ。

 

「もうちょっとで森は抜けるからさ、そしたら姉貴とサリーさんに連絡するぞ」

「びょういん!」

「お、おう」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「…なんでいるんすか?」

「そんな事よりお前、その肩はどうした!」

「…えっ…あんた、その怪我…何…」

 

森を抜けたそのすぐ先に、姉とメイドが待っていた。

姉の愛車が近くに止まっている。何かしらのこちらの位置を把握する手段で先回りしたのだろう。

 

「…防犯ブザーっすか。フランの」

「ああ、GPSが仕込んである。それよりも病院に行くぞ」

「いや、その前に話があるんすよ」

 

フランはメイドから貰った防犯ブザーをいつも肌身離さず持ち歩いている。

それにGPSが仕込まれていた。どこにいても駆けつけるという話は嘘ではなかった。

智哉はゆっくりとフランを降ろし、ぐずるフランに頭を撫でながら声をかける。

 

「フラン、大事な事なんだ。歓迎会の事覚えてるか?あの時の俺との話」

「…ええ、おぼえているわ」

「あの時の話のさ、校長先生とフランの先生の話、姉貴とサリーさんにしてやってくれないか?辛くてもしてほしいんだ」

「うん…うん…」

「ごめんな」

 

もう一度フランの頭を撫でて、姉とメイドの方へ顔を向ける。

 

「というわけで姉貴とサリーさん、かなりヤバい事になってるみたいっす。詳しくはフランから。あと、俺のボディバッグに色々入ってます」

「トムあんた病院…しんじゃうから…」

 

姉が口を抑えながらわなわなと震え、初めて見る取り乱し方をしている。フランの前だからやめてくれよ、と智哉は思った。

 

「…わかった。ミッドデイはこの様子だ。私が聞こう」

「うす、お願いします。そんじゃ後頼みます」

 

そういうと智哉はその場でぶっ倒れた。限界だったのだ。

 

 

 

 

 

薄れゆく意識の中で智哉は、フランの前で倒れたくなかったけど、カッコつかねえなあ──と考えていた。



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第十七話 いかにして彼女は擲つか

『トム!しっかりして!トモヤ…ともやあぁ…』

 

ミディおねえさまがないてるわ。どうして?

 

『ミッドデイ!落ち着け!息はある。私が応急処置をする。お前は病院まで運転しろ。さあ立て!』

 

サリーもとってもつらそうだわ。どうして?

 

『…』

 

トムが、だいすきな、やさしいひとが、たおれてるわ

どうして、ちを、ながしてるの?

 

ああ、わたしのせいなのね──

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

わたしには、生まれた時から名前が二つあった。

お母様やお父様やお爺様が呼んでくれる名前と、もう一つ。

不思議だった。だからお母様に「わたし、おなまえがふたつあるの」と尋ねた。

 

お母様は、驚いたけれど喜んでくれた。それからわたしの名前はフランになった。

本当はフランじゃないけど、男の子みたいな名前がいやだったからフランと呼んでもらった。

 

でも、もう一つ秘密があった。

わたしの中に、見たことも無い、知らない生き物がいる。

足が四つあって、鹿毛の、大きな生き物。

その生き物は、寝るのと、ご飯を食べるのと、走るのが大好きだった。

そして、とても"悪い子"だった。

その生き物は、わたしに嘶く。

 

 

『私は負けた事がないんだ。だから代わりに走ってあげるよ』

 

 

わたしはその悪い子が大きくて怖くて、泣いた。

怖くて、ウマ娘に詳しいお爺様に打ち明けた。

お爺様は、どこか遠くを見るような、悲しそうな顔でこう言った。

 

『青い目の人を探しなさい。その人がきっと、フランを助けてくれるよ』

 

お爺様は、昔、わたしみたいに悪い子が心にいたウマ娘を知っていると言った。

ダンシングブレーヴ、という名前のウマ娘だとお爺様が教えてくれた。

──その人は、会えたんだろうか。青い目の人に。

 

それから、わたしはウマ娘の学校に入った。

お母様と、わたしのお世話をしてくれるサリーは元競走バで、お父様とお爺様はトレーナー。

わたしも、競走の世界に、大好きな家族の世界に進みたかった。

競い合う友達と、夢を追う世界に行きたかった。

 

『もうフランちゃんとはしりたくない…』

『フランちゃんばっかりいちばん!もういや!』

『フランちゃんはひとりではしってよ!』

 

でも、誰もわたしと競い合ってくれなかった。わたしは速すぎたから。

誰も追いつけないわたしは、学校で一人だった。

この頃から、悪い子がよく話しかけてくるようになった。

 

『だから私が代わってあげると言ったんだ』

『ちょっとで良いからさ、私にも走らせてくれよ』

『はーしーらーせーろー!!!』

 

心が苦しくなったわたしは、先生との併走で悪い子と代わってしまった。

気付いたら家にいた。悪い子に、体をとられていた。わたしは怖くなった。

 

『ありがとう、楽しかったよ。先生はやっつけておいたよ』

『君は速いんだから、もっと傲慢になるべきだよ』

 

次の日から、わたしは一人で練習をこなすことになった。

先生のわたしを見る目が、今も忘れられない。

わたしは悪い子のやったことを謝りたくて、みんなが帰ってから先生の所に向かった。

一番えらい先生のいる部屋を通りかかったら、声が聞こえた。二人の先生の声だった。

 

『…の懇意のトレーナーに口利きをするだけだよ。私も、君も、生徒も得をする。何か悪い事があるかね?』

『私は確かに教師として失格かもしれません。でもフランちゃんにも、生徒の子達にも、そんな事私にはできません!』

『よく考えたまえ。君は私と君のお父さんの力で教師になれたんだ』

『…ッ!そういう事だったのね!それならこっちから辞めてやるわ!!』

 

先生はそう言って部屋を飛び出して行った。わたしは言い合う二人が怖くて、物陰に隠れた。

 

『待て!くそっ……失敗し…こちら…対処…理事…』

 

それから一番えらい先生は、どこかに電話をかけていた。よく聞こえなかった。

次の日から、先生は学校に来なくなった。わたしの話をしていたから、何の話か聞きたかったのに。

先生がいなくなった事で、クラスのみんなは私を責めた。

 

『フランちゃんのせいだよ!せんせいにあんなことするから!』

『せんせいをかえしてよ!』

 

わたしじゃない、悪い子がやった。なんて言えなかった。代わったのはわたしだから。

そしてわたしは、走るのが怖くなった。

誰も追いつけないわたしは、走っても一人だから。

いつか、悪い子に全部とられるかもしれないから。

 

心が耐えられなくなって、走れなくなった私は学校を休んだ。

しばらくお父様の別荘にいたけど、わたしの心は辛くなるばかりだった。

だからお父様の別荘からサリーのお友達のお姉さんに連れられて、わたしはデンおじ様の家にやってきた。

デンおじ様は、お父様のお友達。サリーのお友達のミディお姉様と、あの人のお父様だった。

 

『おう、挨拶できてえらいなフラン。俺はとも…トムってんだ。よろしくな』

 

最初は、目つきが悪くてぶっきらぼうで、怖いお兄さんだと思った。

でも、あの人はずっと私の目を見て話してくれた。こんな子供に向き合って話してくれた。

あの人も、辛い事があって苦しんでいる人だった。わたしと同じ、他の子と違うから悩んでいる人だった。

でも、わたしは、悪い子の話だけはできなかった。悪い子に代わらなければいいだけだから。わたしが我慢するだけでいいから。

それから、あの人とゲームをしたり、映画を見たり、一緒に走った。

走るのが怖いはずだったのに、あの人は大丈夫だった。いつもあの黒くて優しい瞳でわたしを見てくれたから。

 

──あの人の目が、青かったらよかったのに

 

そんな大切な人が、わたしのせいで大怪我を負った。

血が止まらないのに、痛いはずなのに、冷や汗を流しながら、わたしを見て笑ってた。

わたしは、この人が死んでしまうと、腕の中で怖くて泣いてるだけだった。

わたしとあの人が走ったあの日、サリーが言った言葉を思い出す。

 

『お前がこれから目指す世界は、使える物であれば全てを使い、全てを擲ち挑まなければならない世界だ。でなければ、競走バの横に立ち、支える資格などない』

 

あの人は、わたしのために命も擲ってくれた。

わたしは、全てを使っていない。全てを擲っていない。

──あの人に、報いなければならない。わたしは、全てを使わなければならない。

 

『レースの間だけ?いいよ!全然いいとも!私が全部蹴散らしてあげよう!』

 

悪い子は、喜んで代わってくれると言った。わたしが我慢すればいいだけ。

あの人の手術室の前に、デンおじ様もお父様もいる。後は、お願いすればいいだけ。

 

 

 

 

 

 

 

「お父様、デンおじ様、お願いがあるの──」



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閑話 理事長ちゃん、仕事辞めたいってよ

統括機構理事会は現在、混沌の中にあった。

ジュドモント家令嬢の襲撃事件から端を発す、アスコットポニースクールに潜む大きな闇、大規模な汚職が発覚したのだ。

事のあらましは、主犯格の一人であるアスコット校長による、生徒とのタンパリング斡旋であった。

本来、統括機構トレセン学院におけるトレーナーとウマ娘の契約は、入学後に面談もしくは校内レースによる直接スカウトのみが許されている。

対して主犯一味の手口は、生徒の個人情報及び行動範囲をトレーナーに流出、偶然を装う形で生徒に接触させる手法をとっていた。超名門の生徒をスカウト合戦に参加せずにスカウトできるのである。スカウト成功時には莫大な謝礼が主犯一味に支払われていた。

 

加担していたトレーナーには契約の強制解除、資格剥奪等の厳重な処分が課された。

中には慣例としてルール違反と知らず謝礼を払って接触していたトレーナーさえいた。事の規模の大きさが察せられる一例であった。

 

発覚はとある人物による通報であった。アスコットAクラスの元教師である。

彼女はショックでひきこもっていたのではなかった。娘が危険に晒されている事を知った父に軟禁されていたのだ。

彼女は持ち前の熱意と正義感で父にブチ切れて扉を破壊、父をぶっ飛ばしながら脱出した。

その後警察機構に直行。事情聴取で「これくらいやらないとあの子達に、フランちゃんに顔向けできない」と供述していた。

 

この彼女の意気に応えたのが、腕自慢かつ気性難揃いの警察所属の特殊部隊ウマ娘達である。

上官トレーナーの「まだ行っちゃだめだって!お前ら!ステイ!」という半泣きの制止を無視して、高飛びの準備をしていたアスコット校長を緊急逮捕。その場での"尋問"を持って背後関係を精査し、そのまま一味の確保に動いたのだ。発覚から一日足らずのスピード検挙であった。愚かなヒトミミは腕自慢のウマ娘に絶対に敵わないのである。しかし始末書の山に警察ウマ娘達は泣いた。いくら強くても始末書には勝てないのである。上官トレーナーは減俸で泣いた。彼は給料を満額貰える方が珍しいのだ。

 

アスコット校長は、手口の常態化による発覚を避ける為に自らの手駒を用意しようとした。それが件の元教師である。しかし彼女は教師としての適性には欠けていたが熱意と正義感の人物であった。今回の一件の後に警察ウマ娘となる。

そして校長は、高飛び前の最後の一稼ぎとしてジュドモント令嬢の誘拐を企んでいたのである。稀代の天才であり、かの伝説のダンシングブレーヴと並ぶ入試成績であったからだ。彼女の身柄一つで莫大な金額が動くのだ。

 

しかしそれは、とある少年の機転により失敗した。彼は重傷を負ってしまったが。

襲撃者は、森の中にいた二名、最初に接触した六名及び町中に配置されていた五名もまとめて検挙された。

襲撃者の基本装備は誘拐用のスタンガンと手錠で、拳銃を所持していたのは手薄な森側に配置されていた二名のみであった。簡単な仕事だと思っていたと襲撃者は供述した。少年はやはり不運だった。

 

そして統括機構理事会は今、地獄絵図と化していた。

いつもの通り余裕ぶっこいていた我らが生徒会長は、襲撃を受けた二人の名前を聞いて紅茶を噴き出した上でカップが手元で超震動を起こし、全部膝にぶちまけながらも意味深な事を言おうとして失敗。

嫌味眼鏡は眼鏡がずれたのを直さないままアスコット校長を慰留した理事長に嫌味を連発。

たまたま来ていたヘンリー理事は腰が抜けて白目になり天寿を全うしかけた。「死ぬ前にあの娘のブロマイドが欲しいのう。ダメ?儂理事なんじゃけど…」とぬかしていたからまだ生きそうである。

その他理事も阿鼻叫喚である。

そして流石にこれ隠せねーべどうすんのとなり、理事長が矢面に立ち、謝罪会見の運びとなった。

 

 

その理事長は今、

 

「もうやぁぁぁだあああぁぁぁああ!!!!!もう私辞めるぅぅぅぅぅううぅう!!!!!」

 

理事長室で全力で駄々をこねていた。

無理もない事である。彼女はスケープゴートである。

 

「我慢してください、ウェルズちゃん。これも理事長のお仕事ですよ」

 

美貌の秘書が理事長をなだめる。しかし無理筋であった。

この二人、人前とは口調が違うが実は学生時代の先輩後輩の間柄である。理事長が後輩、秘書が先輩であった。

 

「だって慰留した私が馬鹿みたいじゃん!もう私引責辞任していいじゃん!絶対辞めるううぅぅうぅう!!!!」

「仕方ないでしょう。まさかあんなに迅速に動いてたのが自らの火消しだったなんて…」

 

アスコット校長の火消しは本当に迅速であった。汚職にさえ手を染めていなければその手腕は有能だったのだ。

 

「だってさあああ!!嫌味眼鏡は嫌味しか言わないし!!!!ジジイはたまに来ては欲しい娘のグッズせびるだけだし!!!ガリレオはいっつも意味深な事言うだけだし!!!!他の理事は巻き込まれるの嫌がって何も言わないし!!!!セシル君とミル姉と私だけじゃん!!!ちゃんとやってるの!!!!」

 

理事長、魂の叫びであった。ストレスが溜まりすぎている。

ミル姉は二人でいる時だけの秘書の愛称である。

 

「でもガリレオちゃんはしっかり生徒会長のお仕事してますよ。ちょっとかっこつけたがるのが珠に瑕ですけど」

「そういうとこも嫌なんだよあいつうううう!!!私の話ちゃんと聞けよおおおお!!!ニジ姉帰ってきてよおおおお!!!!」

 

ニジ姉とは、先代理事長である。寿退職し、現在日本に在住しているイケイケの娘がいる。

 

「ニジ先輩は無理でしょう?ウェルズちゃんががんばらなきゃ。ね?」

「そう言うならミル姉がやってよおおおおお!!!!もうやだああああ!!!!」

 

ここまでの会話で、理事長は理事長室のソファーに顔を埋めて足をばたつかせながら駄々をこねていた。秘書の顔を見ていないのである。青筋が入っているのを見ていない。

突然、理事長は視界が明るくなるのを感じた。

首を、母猫が子猫を持ち上げるように引っ張りあげられたのだ。

 

「ウェルズちゃん、いい加減にしましょうね?」

「あっ、ミル姉怒ってる…?」

 

ここでようやく理事長は察した。秘書の逆鱗に触れたことに。

秘書の顔は笑っていた。だが顔全体に青筋が浮かんでいた。

理事長は顔面蒼白となった。怒った秘書は怖すぎるのだ。

 

「ウェルズちゃん、理事長が私に内定しかけた時に、やりたいやりたいって駄々をこねたのは誰だったかしら?」

「私です…」

「ニジ先輩が私に秘書をやってほしいと頼まれたのは、誰が心配だからかしら?」

「私です…」

「謝罪会見、やるわね?」

「やります…」

 

 

 

 

 

 

 

この後、理事長は謝罪会見で伝説の号泣会見を行った。動画サイトで散々ネタにされた。




ちらっと書いたけど警察機構にもトレーナーいると思うんですよね。
絶対苦労してると思う。


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第十八話 いかにして彼は目を覚ますか

『誰が理事長になっでも!!!同じだど思っで!!!私がなろうっで!!!どうがづぎごうを!!!変えだいぃぃぃいい!!!』

『会見終わりまーす♡』

 

『ちょっと理事長!質問にまだ答えてませんよ!』

『理事長!!』

『どうすんのこれ』

『とりあえず文字起こしだけするか…』

 

テレビの中の幼女にしか見えないボロ泣きの統括機構理事長を、首を引っ掴んで連行していく秘書らしき人物。

病室の智哉と姉は、唖然としながらその一部始終を眺めていた。

 

「は??何だよこれ?あれ泣いてたの理事長??」

「あー理事長やっちゃったわね」

 

智哉の手術は無事に終わった。執刀医は日本から最新の医療技術の研修に来ていたウマ娘であった。

執刀中に「彼の肉体は正にウマ娘と人間の合いの子だ!ぜひかいぼ…いや調査させてくれないかい!?」といきりたつ場面があったが、彼女の助手兼モルモットを名乗る謎の光を発する人物に制止されて事なきを得た。手術は無事に終わった。マッドだが腕は確かだったのである。軽く智哉を診察した後に主治医を交代して帰っていった。ずっと光彩の無い未練がましい目で見られて智哉は恐怖した。

 

「え?マジで理事長?顔知ってるけどあんなんだっけか?」

「昔っからねー。真面目にやろうとするけどすぐボロ出るのよ。名物理事長よ」

 

手術から丸一日後に智哉は目覚めた。目覚めて最初に見たのは、目元が腫れ酷い隈ができた姉の姿であった。

姉貴ひでえ顔だけど何かあったの?と聞いて智哉はぶっ飛ばされた。怪我人にも平常運航である。

今はそれから一日後である。姉は一度家で寝てから見舞いに果物の詰め合わせを持ってきて、怪我人の弟にリンゴを剥かせて自分で食べている。姉の女子力は終わっているのだ。

両親とメイドは何やらやる事があると言って、ちょっと顔を出してから久居留邸に戻っていった。何をやるかは聞いていない。父とは久しぶりに顔を合わせたが「元気そうじゃねえか」と言いながら肩パンをくれていった。クソ親父ぶっ殺すと智哉は思った。その前に母に殺されていたが。

智哉は、起きてから姉と話した事について思索を巡らせる。

 

「しかし、あの教師がそんな行動力あるとはなあ…」

「あたしも聞いてびっくりしたわ。出会い方が違ったら良い先生だったのかもね」

 

姉からは、恐らく例の情報源から得たであろう事のあらましを聞いた。

自分の推察は多少外れていたが、狙いがフランなのは間違いなかったのを聞いて安堵した。体を張った甲斐があったのだ。

その事について姉が感心しながら言及する。

 

「でもあんたよく咄嗟にそこまで動けたわよね。お手柄よホントに」

「丁度考えてた事と状況がピッタリだったんだよ。久しぶりに頭使ったぜ」

 

全貌の解明にはまだ少しの時間がかかるそうだが、主犯格、襲撃の実行犯共に検挙されており今後もフランの静養先の変更は必要ないという話であった。これに関しては、情報源の更に上の人物が絶対に変えてはならんと言っていたそうだ。智哉としては賛成なので何も思う所は無い。

 

「で、全治どれくらいなの?」

「あー2~3週間らしいぜ。普通は一か月以上らしいけどな。それよりも先生が何度も解剖させてくれって言ってくるわ助手を名乗る人はずっと光ってるわでマジで怖かった…」

 

もう日本行きの飛行機に乗っているはずだが、二度と会いたくないと智哉は思った。腕は確かでもマッドは御免被りたいしずっと光る人間なんて恐怖でしかない。智哉は気付いていないが血液と髪の毛は採取されている。

 

ここまで、智哉はわざと避けている話題があった。しかしどうしても聞かねばならない話であった。意を決して、姉に口を開く。

 

「…フラン、大丈夫だったか?」

「…何とも言えないわね。あたしもフランちゃんの事ちゃんと見れてなかったから…」

 

フランの目の前で倒れてしまった事が、彼女の負担になっていないか気になっていたのだ。

姉も勿論気にしていたが、弟が倒れた事で自らも我を失っていた。その事を弟に伝える事は絶対に無いが。

姉が、メイドから聞いた話を智哉に伝える。

 

「サリーがさ、フランちゃん急に大人びた話し方になったって。何か思う所があったのか無理して背伸びしてるのかはわからないけど」

「そっか…気にしてないと良いんだけどな。俺はこうして無事だし」

 

そこまで話した所で、姉が愛車のキーを取り出しながら立ち上がる。

 

「というわけで様子見に行ってくるわよ。あんたはじっとしてな」

「おう、頼むわ姉貴。俺は無事だってしっかり伝えといてくれよ」

「もちろん、またね。あ、そうだ。例の汚職の影響で今年は多分新規トレーナー枠増えるから、ちゃんと勉強しとくのよ。あんたにもチャンスあるから」

 

そう言うと、姉は病室を出て行った。

 

(姉貴は勉強してんのか…?)

 

姉が勉強している所を智哉は全く見た事が無い。まだ気付いていなかった。

それから数日は、入れ替わり立ち代わり様々な人物が見舞いに訪れた。

 

「トムせんせー肩に穴あいてんの!?みせて!」

「無理に決まってんだろやめろ。花ありがとな」

「トム先生勝ち逃げですか?今から走りませんか?」

「無理に決まってんだろやめろ。見舞いありがとな」

練習生のアンナとエスティ。

 

「おい、来たぞ。今回はお前に本当に感謝している」

「いやこっちこそ応急処置してもらったみたいで。助かったっす」

「気にするな。それよりもお前のジャージの血汚れを落として補修しておいたぞ」

「マジっすか!…何このアップリケ…マジっすか…」

メイド。

 

「トム坊来たぜ」

「おやっさん、わざわざありがとな」

「おう、これ見舞いな」

「おやっさん酒飲めねえから俺」

ジェームス氏。

 

「おう生きてるか息子」

「…親父何で顔ボコボコになってんの?俺より死にそうじゃねえ?」

「奥さんに賞金で豪遊したのがバレたんだよ。初めまして、僕は…」

「あーーーーー聞きたくねえ!!聞きたくねえっす!!!」

父と謎の男。

 

「坊主、息災か」

「じいさん顔隠せよ!!!!!」

「なんじゃ、もうわかっとるじゃろ」

「まだ知りたくねえの!!!」

謎の老紳士。

 

 

そして──

 

「──失礼するよ」

「うっす、どう…ぞ…」

 

目の前に現れたのは、黒鹿毛の麗人だった。

あの日、会った時から全く変わらない容姿。

統括機構トレセン学院、生徒会長ガリレオその人である。

 

「どうしたんだい?ああ、もしかして私は忘れられてしまったかな?」

「えっ、いや、むしろ一回だけ会っただけっすよ俺。まさか来てもらえるとは思ってなくて…」

 

ふわりと微笑む麗人にしどろもどろになる智哉。以前会った時からこのウマ娘には本当に弱い。

苦しかった頃に直接声をかけてもらった恩人なのだ。頭が上がらない。

 

「君のような原始星の如き才能を忘れるはずがないさ、トモヤ君。怪我は大丈夫かい?」

「怪我は全然平気っす。それと買い被りすぎっすよ」

「そんなはずは無い。君は周りと比較する事が苦手なだけだ。君の年でそこまでの輝きを持つトレーナー候補はそうそういないよ」

 

堂々と断言されて智哉が頭を掻く。以前会った時もこうやって褒め殺しにされているのである。

この麗人は人誑しで人材マニアである。狙いは一つであった。

 

「それと今回の件、本当にありがとう。君のおかげで一人の少女が不幸にならずに済んだんだ。トレセン学院の生徒会長としても、いちウマ娘としても、改めて君にお礼がしたい」

「いやあそんな…」

 

照れる少年を見て、麗人はここが勝負所だと確信し、両手を広げ歌うように口上する。

 

「そこでだ、推薦枠は私が用意しよう。是非私の所属チームへ…」

「すんません平地はむりっす」

 

即答である。麗人は手を広げたまま固まった。

固まったまま、眉間に皺を寄せて麗人が問う。

 

「…聞き間違いかな?」

「いや無理って言いました」

「私、君の恩人だと思うんだけど」

「それはそれ、これはこれっす」

「おっかしいなあ…もう一回部屋から入るところからやり直していいかい?」

「いや変わんないっすから…」

 

お互い固まったまま、しばらくしてどちらともなく笑い出した。

 

「ははははは!前もこういうやり取りだったね。心配してたけど元気そうでよかった」

 

この麗人、意味深でかっこいい事をやりたがるだけで本質は気さくないたずら好きである。

そして、ウマ娘やそれに関わる者達のために常に尽力している。

一度しか会わなかった人物ですらしっかり覚えているのだ。

 

「てか本当に俺の事覚えててくれたんですね。トレセン学院大変そうなのに来てもらって恐縮っす」

「まあ何とかなってるよ。理事長は辞めたいってずっと駄々こねてるけど」

 

理事長は、会見以降定期的に辞めたいと言いながら脱走しては、秘書に連行されるのが学院では恒例行事になっていると智哉は聞いた。少し気の毒になった。

 

「それ大丈夫なんすかね…」

「理事長はそれでいいのさ。もう動画サイトにいくつもあの会見を使ったネタ動画が上がっててね。今集めてるから今度の理事会で上映しようと思うんだ」

 

この麗人、筋金入りのいたずら好きである。智哉は理事長が本当に気の毒に感じた。

 

「うん、来てよかった。平地じゃなくとも有望なトレーナーは大歓迎さ。早く怪我を治して学院で会えるのを楽しみにしてるよ」

「いやこっちこそ会えてうれしかったっす」

 

そう言うと麗人は帰って行った。生徒会長は多忙なのだ。その合間に来てくれた事が智哉は何よりうれしかった。

それからも、入れ替わりで何人も智哉の見舞いに訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

──しかし、フランは来なかった。




見舞いシーン大分カットしたけど許し亭ゆるして


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第十九話 いかにして彼女は偽るか

クラブチーム、オブリーエン・レーシングのトレーナーは困惑していた。

今日のジュニアグレードの試合、相手であるクイル・レースクラブはエースのエスティメイトだけを警戒すればいいはずだったのだ。

我がチームはジュドモントと並ぶ中央地区の最大手だ。ロンドンの片田舎の中堅チームとは選手層に大きな差がある。そのはずなのだ。

その前提が、六歳の幼女に覆されていた。

 

「トレーナーさん、あの改造メンコの子、まだ走るですか?」

 

口を開けて目の前の惨状を眺めていたオブリーエンのトレーナーに、近寄るツインテールのウマ娘の幼女。七歳にしてオブリーエン・レーシングのエースを務めるオコナーという幼女である。ポニースクールへ行ける実力があったが家庭の事情により断念し、クラブ側からのスカウトという形で在籍している。

 

「ああ、あの子はまだ二走目だからな…あれだけ手を抜いてるなら余力も十分ありそうだ。次のハーフマイルも出るんじゃないか?お前も出たいか?」

 

クラブマッチにおいては、お互い3人ずつ出しての対戦で行われる12レースに対し、選手一人に付き連闘不可三回というレース参加ルールが存在する。このルールにより強力なエースを持つチームが相当な優位に立つのである。有望な競走バを発掘するために設けられたルールなのだ。

 

「逆です。あの子いやです。はやいし疲れるです」

「うーん嫌かあ…1200でエスティメイトとやるか?」

「エスティパイセンはいやです。パイセン、スタミナおばけだし、すぐムキになるし。あと1200は疲れるです」

「たまには嫌々言わずに走ってほしいなあ…」

 

オブリーエンのトレーナーは頭を抱えた。強力なステイヤーウマ娘を擁していた相手チームに、ハーフマイルのエースが加入したのだ。おまけに我がチームのエースはすぐに楽に勝ちたいと言い出す怠け者である。またオーナーの嫌味眼鏡に嫌味を言われると彼は陰鬱な気分になった。彼は若手トレーナーであるが、安定した給料と子供の相手をしていた方が気性難の相手よりも楽そうだと言う理由で、クラブに残った正規トレーナーなのだ。とある少年と気が合いそうな人物である。

 

「あんな子いたら、きょうの負けはしょうがないです。名前覚えとくです」

「お前、そういう事言えたのか…ええと…名前は…」

 

 

「フラン、か」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

(どうはしったの?)

『注文通り手を抜いて逃げたよ。知ってる子がいるけど出てこなくてね』

 

悪い子と交代したわたしは、みんなと話を合わせるためにいつもこうやって確認をした。

悪い子は、約束を守ってくれた。『私はウマだから走れるだけで満足だよ』と言っていた。ウマってなんだろう。ウマ娘とは違うんだろうか。

 

『それ、外したらだめかな?見え辛いし走りにくいんだけど…私でも本気でスパートできない』

(だめ!)

 

おば様の用意してくださったメンコは、レース用の物を彩色して付けていた。

レースに出ていたという事実で、弱いわたしの心が震えたから。

色はサリーがきれいなピンク色にしてくれた。クラブの水色のユニフォームに合った色で大好きだった。

あいつの色だ、と悪い子からも好評だった。あいつって誰だろう。

ウマとあいつ、この二つは今もわかっていない謎だった。

 

「フランさん!いい走りだったわ!」

 

レースが終わり戻ったわたしを、よくエスティちゃんが迎えてくれた。

併走でわたしが足を止めた時も、たくさん心配してくれた。

彼女にも、わたしは報いなければならない。

わたしは、そう決心していた。

 

「ありがとうエスティちゃん!あんな走り方でよかったの?」

「十分よ。エースは力を温存するのも仕事の一つよ」

 

クラブに入ってから、ジェームスおじ様から手を抜いて走るのも大事だと教えられた。

わたしにとっては驚きの話だった。最初からクラブに行けばよかったのかも、とまで思った。

頑張って、無理をして、喋り方にも気を使っていた。わたしは大丈夫、と周りに示したかったから。

 

「でも次フランさんと走る時は私が勝つから…」

「エスティちゃん、おかおがこわいわ…」

 

わたしが大丈夫と示すための模擬レースの相手は、エスティちゃんに務めてもらった。

お爺様とお父様とおば様とデンおじ様に見てもらった中で、悪い子が勝った。

エスティちゃんは余りにも負けず嫌いで、あの人もよく苦労していた。

わたしもこの時は、元の口調に戻るくらい怖かった。

 

「フランちゃん次のハーフマイル、行けるかい?」

「行けるわジェームスおじ様!」

 

ジェームスおじ様もたくさん心配してくれたけど、わたしの決意を知ってチームに迎えてくれた。

クラブでの走り方を教えてくれた。相手チームの実力を調べて、わたしが勝てるようにいつも考えてくれた。

この人にも、わたしは報いなければならない。

 

「しかしフランちゃんはとんでもねえなあ…今年は行けるかもな、選抜戦」

 

わたしがみんなに返せるもの、それはきっと走る事。

走れない弱いわたしが、負けた事がない悪い子に代わってもらう事。

みんなをポニーステークスに連れて行く事。それしかわたしにはできないと思っていた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「い~や~で~す~!!!!きけんしますぅ~!!!」

「お前が走らないと、あの子がどれだけ走れるかわからないんだよ!頼むから走ってくれよお…」

 

全力でゲートに入るのを拒否する幼女を、後ろから半泣きで押し込む彼女のトレーナー。

愚かなヒトミミにか弱いウマ娘の幼女をゲートに押し込むのは重労働なのである。

相手チームの長距離エースの一走を温存された状態で、敗北を悟った彼は偵察用オーダーに切り替えたのだ。

エース同士での勝負に持ちかけ、相手の新エースの情報を持ち帰るために。

 

「絶対い~や~!!疲れるのいや~!!」

「あああああ!!!俺ももういやあああ!!!」

 

ついにトレーナーが発狂した。この幼女が来るまでは嫌味眼鏡の嫌味さえ聞き流せば楽な仕事だったのだ。

ちなみに嫌味眼鏡ことエイベル氏は、この若手トレーナーに目をかけていて激励のつもりで言っている。この期待株を預けたのも信頼の証である。この若手は実際優秀なのだ。

 

「あとでニンジンパフェ奢ってやるから!な!」

「二個~!!二個じゃないとい~や~で~す~!!!」

「俺のお財布もいやああああ!!!」

 

また発狂した。一度交渉したら味を占められたのだ。強かな幼女である。

 

「わかった!!二個な!!!」

「最初からそういうです」

「こ、このガキ…」

 

交渉成立と共にスッとゲートに入る幼女。完全に幼女に手玉にとられている。

1枠に入った幼女オコナーは、ほぼ顔半分を覆うようなマスク型の改造メンコを付けた、3枠の相手のエースに目を向ける。

その眼光は、幼いながらすでに勝負に臨む競走バのそれであった。強豪クラブのエースのプライドがあった。

 

(実際のとこ、こいつはマークしとかないとやばいです。ぱねえです。かなりの力を隠してるです)

 

彼女自身、この偵察の重要さを理解しているのだ。トレーナーに甘味をせびるのはいつもの事である。

 

(2枠のペースメーカー、最初は斜行に気を付けながら中央にまとまるです。こいつの脚質は私と同じく逃げと見たです。バ群の対応が見たいです)

 

発走前にハンドサインを出し戦術を指示する。エースである彼女は戦術の組み立ても任されているのだ。

そしてゲートが開く。その瞬間オコナーは目を疑った。

3枠を出た相手のエースにじわりと擦り寄るはずだったペースメーカーが、置き去りにされているのだ。

先ほどまでは見せなかった、異常なロケットスタートだった。

 

(は!?あんなの隠してたです?やっべハナとられるです)

 

しかしこれで終わりではなかった。

相手エースは、そのまま先頭を取らなかった。

オコナーの真横に陣取ったのだ。オコナーはこれを挑戦と受け取った。

 

(こ、こいつ…!!上等です。返り討ちにしてやるですよ…!!)

 

先頭を取れたのに、それをせず試合中に併走を持ち掛けられたのだ。明らかな挑発である。

オコナーは憤怒した。この生意気なメンコ野郎をぶちのめしてやると決意した。

怒りに任せたオコナーはペースを上げ先頭をとる。これを見たトレーナーは「挑発に乗るなよぉ…」と半泣きになった。

しかし相手エースはいくらペースを変えようが完全についてくる。どこまでも真横についてくるのだ。

 

(こいつ何がしたいんですか!!併せてくるだけなら流して直線でぶち抜いてやるです!!)

 

オコナーが頭の中でぷんすこと怒っている内に、最終直線に差し掛かる。

さあぶち抜いてやるとオコナーは横のにっくき相手エースを眺めたところで、こいつの意図を悟った。

 

 

──口角が上がっていた。笑っているのだ。

 

 

そのまま、相手エースはオコナーを置き去りにし、先頭で入着した。

 

(あああぁぁぁナメプされたですぅぅぅううう!!!!!)

 

オコナーはブチ切れた。クラブでは相手を委縮させる為にやる常套手段だ。

だが自分はやる側だ。やられる側は初めてだった。

せめてメンコの下くらい拝んでやると意気込んで、二位で入着するとともに突撃した。

 

「おいお前ぇぇえええ!!!ぜってえ許さんですぅぅうう!!!」

「ちょっ、喧嘩はダメ!競走バシップ守って!!!」

 

すかさずトレーナーが捕獲に入るが怒髪天に達したオコナーに引きずり倒される。彼は辞めようか考えた。

オコナーに後ろを向けていた相手エースがメンコを外し、何やら騒いでいるこちらに振り向く。

 

「お前ツラ見せるです!!どうせ性格みたく陰険ウマ顔…あっかわいい…」

 

こちらに振り向いた相手エースは、容姿の良いウマ娘の中でもとりわけ美しい美幼女であった。

手入れの行き届き艶やかな腰まである金髪、短めだが同じ色の輝く耳、綺麗なブルーの瞳、整った顔貌。

オコナーは一瞬怒りを忘れた。この幼女はかわいいウマ娘に目が無いのだ。

しかしナメプしてきた敵だと思い出し、怒りが再燃した。

 

「お前ええぇええ!!ナメプしやがったですねぇぇぇええ!!次ぶっころすです!!あと今度一緒にご飯食べたいです!!」

 

しかしそれはそれとして、挑戦状を送りつけながらナンパしに行った。現金な幼女である。

相手エースは何が起こったのか理解できない様子だったが、その後顔が青くなったり眉間に皺が寄ったりと百面相をオコナーに見せた。どんな表情でもかわいいってあるんですね、とちょっと得した気分になった。

 

「ちょっとオコナー!!!!負けて八つ当たりなんて最低よ!!!」

「げっパイセンです。逃げるです」

 

一番めんどくさいのが来たので、オコナーがすかさず全力で逃げる。

優等生の皮を被った気性難とは事を構えたくないのだ。

そして一つの決意ができた。

 

「トレーナー、メニュー見直すです。ちょっと鍛えなおすです」

「本当か!!??お前が!!!??」

 

トレーナーは驚愕した。この幼女は適当でも勝ててたから、最低限のトレーニングしかしてなかったのだ。

 

「あの子ちょっとぱねえすぎです。流石にまじめにやらないと勝負にならないです。あとあの子とポニステ出たいです」

「選抜戦出たいの!!?お前が!!?」

 

トレーナーはまた驚愕した。この幼女は選抜戦なんてめんどくさいだけだと、枠を他に譲ると言って聞かなかったのだ。

 

 

「──ちょっとだけ、走るのが楽しくなってきたですよ」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

(なんでそんなことしたの!)

『いやあ知ってる子だったから…でもきっと喜んでるよ、あの子』

(そんなひどいことしたらいけないのよ!)

 

わたしはこの時、悪い子がまたやらかした。とすごく悲しい気持ちになった。

そんな事したらわたしはまた一人になる、と不安だった。

わたしがレースに出るのを、最後まで反対していたおば様にも申し訳なかった。

おば様は、悪い子の事を知らない。それなのにわたしがあの人と走れる状態にまで心を癒してくれたすごい人。

おば様にも、わたしは報いなければならない。そう思っていた。

 

でも、この時のわたしは、やっぱり幼稚で、子供で、浅はかだった。

 

 

──十年経った今、この時のあの人と同じ年になった今だからわかる。

 

 

辛くて、いっぱい泣いて、それでも輝く思い出がたくさんあった、優しい日々の記憶。

その中に残る、ただ一つのわたしの後悔。

 

わたしは、思い出すべきだった。あの人はわたしと同じだって。

わたしが進んだ道を、あの人はもう通っていたんだって。

 

 

 

 

 

 

 

こんなわたしを見て、一番苦しむのはあの人だって──



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第二十話 いかにして彼は過去に追われるか

ちょっとお休みしてたけど今日からまた投稿するやで。
(ストックは)ないです。


『いってえ!なにすんだよ親父!』

 

オレが「あれ」を使おうとしたら、親父に拳骨を落とされた。

オレは、「あれ」を使って親父のチームの役に立ちたいんだ。

サブトレさん達も、障害競走バのみんなも、オレが辛い時に親身になってくれたから。

だから恩を返したかったんだ。オレにはこれしかできないから。

 

『おいクソガキ。それ勝手に使うなっつったよな?』

 

親父はいつもそう言ってオレを止めてくる。

なんでだよ、オレは競走バのどこを鍛えたらいいかわかるんだ。

どこを怪我しそうなのかもわかるんだ。

オレしかできないんだ。

 

『誰かがお前にそうしてくれって頼んだか?頼んでねえだろ?』

 

そうじゃねえよ親父。オレがやりたいんだよ。

オレだけができるんだよ。

じゃあオレがやらないと。

 

 

 

──どうせオレは人間じゃないから。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

(あー…くっそ、嫌な夢見たわ)

 

黒歴史とも言うべき時期の夢を見て、智哉が陰鬱な表情で体を起こす。

最も苦しい時期の夢だった。

父のチームに出入りするようになって間もない、心の辛さから目を背けたくて、何かをしようと躍起になっていた頃だった。

今も時折夢で見る、まだ乗り越えていない過去の自分だった。

 

(あの後一年くらいずっとあんな感じだったな。ガリレオ会長と会うまでは)

 

心が落ち着いてからは、父は指定した競走バの怪我を見る事に限り、智哉に相マ眼を使う許可を与えた。

父には、ただ自暴自棄になっていたのを見抜かれていたのだろう。

智哉はもう一度寝転がり、思索に耽る。

 

(こっちに戻ってきたら、結局人間のフリだしな。逃げてるだけだな、俺…)

 

姉の企みもあったが、智哉はクラブの子供達の練習相手を務めるようになった。

同日に聞いたメイドの言葉も心に響いた。そこに不快感は無かった。

だが、相マ眼をクラブの子供達に使う決心がつかない。父も言えば許可を出すだろう。

本当は使うべきなのだ。しかし、智哉の中でここが人と超人の分水嶺だった。

中途半端で、どっちつかずで、自分の都合の良いように使い分けて逃げている自覚があった。

自分は優れた超人と驕り高ぶり、劣ったヒトミミを見下す傲慢な性格になれたらどれだけ楽だろう、と考えた事もあった。

最近、そのような事を智哉はよく考えている。

理由はわかっている。逃げている自分と違い、心の傷と真っ向から、涙を流しながらも懸命に戦っているあの少女と出会ったからだろう。

 

(…フラン、本当に大丈夫なのかよ)

 

智哉は倒れて以来、あの妹のように思っている少女を一度も見ていない。

あれから何度か見舞いに来た姉は、フランがクラブに入ったと言った。

母の許可も条件付きで下り、フランの親族も加えた監視の元でのレースで見事勝利。

智哉の見舞いに連れて来たかったが、彼女が立ち直る大事な時期なのでそちらに集中させた。

そう姉は言っていた。

自分がやりたくてやった事で負った怪我だ。見舞いに来なくても薄情とは思っていない。

ただ、本当に回復しているのか、それだけが気掛かりだった。

 

(ま、これから会えばいいな。姉貴が来るまでに準備しとくか)

 

 

──今日は、退院日である。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

あの頃のわたしは子供だったけど、何となくわかっていたんだと思う。

あの人が見たら、わたしが無理をしているのに気付く。気付かれてしまう。

だから、病院に行けなかった。あの人の元へ行けなかった。

 

気付かれたら、あの人に止められてしまう。

止められたら、わたしは走れなくなる。何も返せなくなってしまう。

あの人にも報いることができなくなってしまう。

本当に残酷で、ひどい事をしてしまっているのに、わたしはそんな事ばかり考えていた。

 

あの頃のわたしは、どうしてわからなかったんだろう。

あの人が、自分が倒れたせいでわたしをそこまで追い詰めて、自分と同じ事をさせている。

自分を、もう一人作ってしまった。

その事実に、あの人が気付かない訳がないのに。

 

 

その事実で、あの人が苦しまない訳がないのに。

 

 

(きょうはトムがくるのよ。だからまじめにはしってちょうだい。げんきになったって、みせたいの)

『いいとも、約束しよう』

 

 

*****

 

 

 

 

 

「着いたわよ」

 

智哉にとって二週間ぶりの我が家の前に、姉の車が停まる。

車を降り、二人でとある場所へ向かう。家に寄る前に見るべきものがあるからだ。

 

「姉貴、本当に大丈夫なんだな?」

「しつこいわねー、あたしから見ても大丈夫だったわよ」

 

智哉がフランの状態を姉に確認するのは、これでもう三度目になる。

不安が拭えないのだ。智哉は二週間前のフランしか知らない。あの泣いている姿しか見ていない。

 

「あんたが倒れて、このままじゃいけないって頑張ったのよフランちゃんは」

「それだけで本当に走れるようになるか?姉貴もあのナサって子と走った時、見てただろ?」

 

従姉妹との併走ですらあの状態になったのだ。自分の意思一つで治るとは智哉には信じられなかった。

 

「あんたが不安になるのもわかるわ。だから自分で確認しな」

 

姉が目的地を顎で指す。レースクラブの芝コースである。

本日は、対戦相手を迎えてのクラブマッチが行われているのだ。

 

「フランちゃんがんばれー!」

「あの子が例の新エースか」

「速いらしいな。オブリーエンのオコナーをものともしなかったそうだ」

 

クラブマッチの試合は一般公開されており、この日だけは近所のレース好きや出場者の縁者、偵察に来た他クラブのトレーナー等でゲート前の小規模な観客席が埋まる。

そこに座り、智哉は見た。

水色のユニフォームと、ピンクに染めた改造メンコを付けた幼女が、ゲートに入っていくのを見た。

 

「あのメンコ、フランだな…マジでレース出てるな…」

「でしょ?あのメンコ付けてるのはママからの条件だけどね」

 

母は、フランがレースに出るのを最後まで反対していた。

フランの祖父から走らせてやってほしいと頼まれ、代わりに条件を出したのがリハビリ用メンコの着用であった。

 

智哉が見守る前で、レースが始まる。

フランが取ったのは先行策であった。

チームメイトのペースメーカーにペース配分を任せ、ぐんぐんと後続を引き離していく。

 

(…バ群を抜ける時、全くペースが落ちなかった。マジで走れてるな)

 

同年代とのレースの際、イップスに苦しんでいたフランは、並ばれると足が震えて本来の天性の加速を使えない状態だった。

それがスタート直後の混雑を力強く抜けている。智哉の目から見ても、確かにイップスを克服していた。

 

「姉貴悪い、本当だわ」

「だから言ったじゃん。あたしはここにいるけど、あんた行ってきたら?試合中だけど一言何か言ってあげなよ」

「そうだな、行ってくる」

 

観客席から離れ、クラブの選手たちが控えるベンチに向かう。

試合は、そのままペースメーカーも追い越したフランの一着で終わった。

 

(そうか、走れるようになったんだな、フラン…)

 

智哉は、嬉しいような寂しいような心持ちであった。

フランの問題が解決して嬉しい思いと、いずれ家族の元に戻るであろう寂しさを感じている。

クラブの子供達や、チームディレクターを務めるジェームス氏に軽く手を振り、近付く。

 

「おっ!トム坊、帰って来たな」

「おやっさん、ただいま。最近調子いいそうだな」

「そりゃもうフランちゃんのおかげよ!今年は選抜戦行けるぜ」

 

チームはフランの加入により連勝中で、選抜戦の出場枠を狙える位置にいるという。

大手の強豪チームにも勝利したと聞いた。智哉は驚いたが、フランがいればさもあらんとも思った。

彼女の天性の才能はリハビリに協力した時によく理解している。

 

「トム先生もういいんですか?今から走れますか?」

「まだ包帯とれてねえし試合中だろやめろ」

 

智哉が来たのを真っ先に察知したエスティが寄ってくる。

彼女は1200mにおいては絶対的な実力者である。

彼女とフランの3走をどう凌ぐかで、他クラブのディレクターは現在頭を抱えている。

それはそれとして智哉はいい加減勘弁してほしいと思った。最近この優等生が気性難だと気付いたのだ。

 

「トム先生おかえり!」

「けが大丈夫?」

「おう、まだ完治はしてねえけどな。みんな心配かけたな」

 

その他クラブの子供達にも次々と挨拶を交わす。

みんな見舞いに来てくれた。自分が思ったよりも慕われている事に気付いた智哉は、少しだけ一人で泣いた。

 

 

「トム!帰って来たのね!」

 

 

二週間前までよく聞いた声に智哉が振り向く。

声の主は予想通りフランであった。

メンコを外しているが、顔色は悪くない。彼女の美しいブルーの瞳も光彩を失っていない。

 

「おう、帰って来たぞ。走れるようになったって聞いたけど、元気そうだな」

「ええ!とっても楽しいわ!でも、お見舞いに行けなくてごめんなさい、トム」

 

 

──だが、違和感が拭えない。

 

 

しゅんとするフランに屈みこんで、頭を撫でる。

妹分の頭を撫でているはずなのに、何故か嫌悪感を感じた。

そんな事があるはずないのだ。しかし智哉はそう感じていた。

 

「気にしなくていいよ。俺がやりたくてやった事だからな」

「でも、わたしのせいでトムが怪我をしたのに」

「いいって。フランに何もなくてよかった」

 

智哉は、混乱していた。フランはイップスを克服したはずであるし、今も走れて楽しいと笑顔で語った。

大人びた口調も、きっと彼女の成長の証だろう。そのはずだ。

自分も先ほどまで、走るフランを見て感慨深かった。

だが、目の前にいるフランに何故か既視感があるのだ。

 

「…わたし、トムに、ミディお姉様に、サリーに、おば様に、みんなに助けてもらったわ。だから」

 

 

 

 

「お返ししたいの。わたしは走る事しかできないから」

『恩を返したかったんだ。オレにはこれしかできないから』

 

 

 

智哉は、言葉を失った。過去の自分が、そこにいた。

動悸が収まらない。舌が震えて何も言えない。

 

「フランちゃん!次のレースどうだい?」

「行けるわ!じゃあトム、わたし、頑張るわ。見ててね」

 

フランがその場を去って行く。智哉は呆然と、立ち尽くしていた。

 

(…親父も気付いていないのか?俺を見てるはずなのに)

 

(俺がそうさせちまったのか?…俺が目の前で倒れたからか?)

 

(あれは…今目の前にいたのは…)

 

 

 

 

 

 

 

(──俺だ)



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第二十一話 いかにして彼は相談するか

「だからオレは今、トレーナー寮の親父の部屋に住んでます。去年まではアイルランド公国にいましたけど。オレが家にいたら、母さんにも迷惑かけるから…」

 

目の前で暗く落ち込む、障害競走のクイルトレーナーの御子息を見て、私は今とても困っている。

私こと統括機構トレセン学院生徒会長ガリレオは、知人から息子に声をかけてやってほしいと頼まれて、学院のトレーナー寮に住んでいる少年と会うことにした。

この少年が私のキングジョージ制覇を現地で見ていてくれて、私のファンというのもあったからだ。

生徒会長である前に私は競走バでもある。

ファンが苦しんでいるならいくらでも助けになるさ。

だから会う事にしたんだが…。

 

この子の半生、重すぎだろう!!?

 

これなんとかしろって無茶ぶりにも程が無いかい!?

安請け合いした私も悪いけども!

 

まずい、まずいぞ…いつもみたいに適当にかっこつけたらダメな奴だこれ…。

シーちゃん、助けて…。

 

『姉者はいつも適当すぎるからな、良い薬だ』

 

私の脳内でもそんな事言うのやめてくれよ!

我が好敵手よ、君ならどうする…。

 

『アメリカでなんでダート走ったの?私と走ってほしかったなあ』

 

行けると思ったんだようるさいなあ!練習では手応えあったんだよ!

もういいよ!脳内とは言え君達に聞いた私が馬鹿だった!

 

…そうだな、誰かの言葉じゃない。

例え不格好でも、私の言葉でしっかり彼に伝えよう。

彼は胸の内を明かしてくれたんだ。私がそれに応えなくてどうする。

 

「…トモヤ君、この話、誰かにした事はあるのかな?」

 

私の質問に、トモヤ少年が顔を上げてこちらを見る。

しかし、顔整ってるなあこの少年。ウマ娘の血が濃いとは聞いたが…。

トレーナー寮でも彼はすごいと評判らしいし、そんな暗い過去が無ければ楽しい人生を送れているだろうに…不憫な子だ。

 

「…母さん以外では、会長が初めてです」

「そうなんだね、ありがとう」

 

…うん、伝える事は決まった。

しっかり、彼の目を見て伝える。

 

「君は、確かに人より力が強い。足が速い。頭も良い」

「でもそんなすごい君は、今苦しみ、悩み、懸命に生きようとしている」

「私はね。人もウマ娘も、体じゃない、心の在り方だと思うんだ」

「君はただの、すごいだけの人間だよ。立派に人間の心がある。人間だからこそ悩むんだ」

「だからね、君はもう、前を向いてもいいんだ。いや、私は君に前を向いてほしい」

「君にはウマ娘の血も流れているんだ。だから、その足で走ってほしい」

「それが、私の望みだよ」

 

トモヤ君は、私の言葉をしっかり聞いた後、俯いて静かに涙をこぼした。

私は精一杯言葉を伝えたと思う。

でも、この少年はまだ苦しみ、悩むだろう。

誰か、この少年が共に歩める、彼の痛みを理解してくれる誰かに出会えた時に、彼はようやく救われるのかもしれない。

私は、この少年の未来に幸多き事を望むのみだ。

 

そうだ、良い事を思いついた。

 

「そういえば、君はトレーナーになりたいんだったね?それなら是非我がチーム・クールモアに──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「母さん、実際にどうなんだ?」

 

智哉は、クラブマッチを見届けた後に、クラブハウスにある母の相談室を訪れていた。

フランの実際の状態を確認するために。

 

「正直に言うわね、無理なはずよ。でも、走った後の脳波の状態を調べたけど、影響はあるけど正常値といえる数値だったわ」

 

カルテや相談記録を纏めた仕事机に座った母が、頬杖をついて応える。

 

「…お手上げよ。ママはこのお仕事をして長いけど、初めてのケースよ。情けないわね…」

「…母さんは、俺が辛い時も助けてくれた。母さんが無理なら他の誰にも無理だ」

 

母は、苦しんでいた智哉の心の治療も行っていた。

ある理由で治療半ばで智哉は家を離れ父についていったが、それでも感謝している。

 

「パパとママは止めたんだけど、ヘンリー理事とセシルさんが、最終的な責任は取るからどうしても、とおっしゃったのよ。良い機会と思ったのかもしれないけど…あら、トム君、名前を聞くのは嫌だったかしら?」

「もういいよ、誰かわかってたし。二人とも有名人だしな…それよりもじいさん何やってんだよ」

 

ため息をついて、母の用意した椅子に智哉が乱暴に座る。

親族の強い意向もあったとは聞いていた。だがその理由が全く読めないのだ。

二人とも、トレーナーの大家として著名人である。イップスにも理解があるはずだ。

しかもフランは孫であり、娘である。不可解な状態の肉親を何故止めなかったのか。

 

「一例だけね、過去に同じケースがあるのよ。とある名バにね」

「…誰なんだ?」

「ダンシングブレーヴ、って言えばわかるかしら?」

 

ダンシングブレーヴ──出走15名中11名までがG1バという、歴代でも屈指のメンバーが集まった凱旋門賞で脅威のレコード勝ちを収めた伝説的名バである。アメリカの地で競走直後に難病であるマリー病を発症し倒れ、日本で静養していると智哉は覚えている。

 

「…伝説の名バじゃねえか。嘘だろ母さん」

「本当なのよ。ママもね、イップスの症例研究で学んだときに驚いたわ」

「詳しく聞かせてくれ、母さん」

 

母は、ゆっくりと語り出す。

 

「ダンシングブレーヴはアメリカで最もウマ娘が多い州、ケンタッキー州に生まれ、幼少期はそこで過ごしたらしいわ。その後、チャーチルダウンズレース場にあるチャーチルポニースクールに入学するはずだったんだけど…トム君、アメリカの競バ組織については勉強しているかしら?」

「ああ…あっち複雑なんだよなあ。国土が広すぎるからなんだけど、トレセン学院のような組織が無いカレッジ制だったよな。トレーナーも字が書けて登録料払えればなれるって聞いた時は耳を疑ったよ。全て本人次第ってのは自由の国らしいとは思うけどな」

 

米国の競バ事情は複雑怪奇である。まず、各レース場が営利団体として独立しており、それぞれが英国から取り入れたポニースクール制度を発展させたカレッジ制度をとっている。内部昇格制は存在するがその門戸は広い。

そして、かつては日本の中央競バ会(U R A)や英国の統括機構(B U A)のような組織としてホースガールクラブが存在したが、現在は実権を失い競走バ登録などを管轄する管理団体となっている。

更にややこしいのが全米ウマ娘競バ協会(N U R A)である。こちら、それっぽい名前であるのに競走バ人気の向上のための広報団体である。

まだある。ライブ関連の事業の振興を目的としたウマ娘ライブ協会(U L A)である。この組織の下部組織として競走のグレード格付けを行う格付け委員会も存在する。

更に近年顕著化したドーピング問題に対応するためにドーピング規制標準委員会まで設立された。

そして上記それぞれが協力関係にあるが上下関係が存在しない。

ここまでがトレーナー試験の競バ史問題に出てくるのだ。受験者は試験対策で怒り狂うのが恒例であった。

 

トレーナーに対しても、アメリカならではの自由の気風を体現した施策がとられている。

資格試験が、存在しないのである。各地のカレッジに登録料を支払い、届け出れば誰でもトレーナー資格を得られるのだ。

ただし、全てが自己責任である。本人の競走バ育成の実力があればどこまででものし上がれるが、実力が無い者は管理バに見切られ自称トレーナーに落ちぶれるのみである。

正にアメリカンドリームを体現した施策であると言えよう。

 

「ごめんね、脱線したわね。トム君がしっかり勉強してるか知りたくて」

「いいって。試験対策はしっかりやってるよ」

 

母が、舌を出しながら智哉にお茶目に謝罪する。

母は、競走のために若さを長く保つウマ娘である。

二児の母なのに、その容貌は姉と並べばまるで姉妹のようだった。

父が溺愛するのもさもあらん。完全に尻に敷かれている。

 

「話を戻すわね。でも、ダンシングブレーヴはチャーチルに入らず両親と英国に渡り、アスコットポニースクールに入学したのよ。そして、渡航の理由がね、イップス治療だったの」

「…マジかよ。なんでポニースクールに入れたんだ」

 

衝撃の事実であった。かの伝説的名バが、イップス治療のために英国に渡航していた。

 

「治療を始めたらすぐに完治したと資料にはあったわ。未だに心理学会では解明不可能の謎とされているわね。一つだけ仮説として…」

「…何だ?」

「ウマソウル具現化症」

「なんすかそれ」

 

ウマソウル具現化症──ウマソウルとは、ウマ娘が別世界の名前を得るため、そして競走中に人知を超えた力を発揮するためにその身に宿る魂の名称である。

それが存在する事は判明しているが、魂などというものを調査する方法など存在せず、未知の領域となっている。

ウマソウル具現化症とは、余りにも大きいウマソウルが、時に意思を持ち宿主に協力しているのではないか、という仮説である。

 

以上の話を智哉は母から聞いた。眉唾物であったが、自身も超常的な力を持つ身だ。

そういう事もあるかもしれない、と思った。

 

「なるほどなあ。でもそれが本当だとしても打つ手がないよなあ」

「…そうね。だからねトム君」

 

母が、真剣な表情で智哉に語り掛ける。

愛する息子に言うのは残酷な話だった。しかし、息子しかいないと思っていた話だ。

 

「…トム君は、辛いと思うわ。でも、フランちゃんを見守ってあげてほしいの。あの子が進む道を」

「母さん、やっぱり気付いてたんだな。今のフランが俺とそっくりだって」

「…ええ、わかるわ。トム君の事だもの。もちろんパパもね」

 

両親は、今のフランの状況を、かつての智哉と重ねて見ていた。

気付いていたのだ。何故急にレースに出たいと言い出したのか。

姉は、その時トレセン学院にいた。だから知らないのだ。

 

「…元からそのつもりだったよ。俺も一年くらいあんな感じだったしな。会長みたいに気の利いた事でも言えりゃいいけど」

「ありがとう、トム君。優しい息子を持ってママうれしいわ」

「やめてくれよ、そういうの…」

 

照れくさくなった智哉が目を逸らす。母のこういう優しさは救いになっていたが、それでも気恥ずかしいのだ。

 

「それでねトム君、話が変わるけどお願いがあるのよ」

「うん?なんだ母さん」

 

母が、仕事机から何かしらの書類を取り出す。

名前を書く欄以外は、色の付いたクリアシートで内容が読めない書類であった。

 

「これにサインしてくれないかしら」

「…なにこれ」

「ママを信じて書いてほしいのよ」

 

智哉は物凄く嫌な予感を感じたが、母を尊敬しているし当然信じている。

訝しく思いながらも書く事にしたのだった。

 

「…これでいいか?」

「ええ、十分よ。ありがとうね」

「いいって」

 

話は終わったと、智哉が立ち上がる。行動指針が決まったのだ。

 

「フランの事、どこまで力になれるかわからないけど…がんばってみるよ。俺が折れるかもしれないけど」

「…ごめんねトム君。明日はフランちゃんとお姉ちゃんがお出かけするそうだけど」

「ああ、ついてくつもりだよ」

 

 

 

 

 

「あのナサって子も来るらしいんだよな」



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第二十二話 いかにして彼女達は街を歩くか

『オグ=リンから聞いたで!あんたがおかんを殺したってな!』

 

『違うわ~。私がタマちゃんのお母さんですよ~』

 

『嫌やあああああああ!!!!!!』

 

「きゃあああ!素敵よ!ターマ・クロスウォーカー!!!」

「映画館だから小声なんだな…」

 

クラブマッチの翌日。

智哉とフランと姉、そしてもう一人を加えた一行は、ロンドン市内ウェストミンスター区にある映画館にて、つい先日封切された新作映画を見に来ていた。

どれを観たいか姉とフランで決めた結果がこれである。

この女優ついに主演かよと智哉は何故か感慨深くなった。相変わらずひどい目に遭っているが。

宿敵からの衝撃の告白シーンは、リアリティ溢れる迫真の演技で智哉も唸ってしまった。

 

「今日も素敵だったわ!特にワン・ソロがカーボン冷凍されるのが素敵だったわ!」

「今日はそっちかよ。素敵の基準おかしいのそろそろ何とかならねえ…?」

 

フランは今日は別の新人ウマ女優がお気に召したらしい。

この出演ウマ女優達は、全員が日本の中央競バ会(U R A)所属のG1バと智哉は今日知ってしまった。

パンフレットに載っていたのだ。嘘だろ何でこんな仕事してんの?と脳内でツッコミを入れた。

 

「面白かったわねー。あたしもそのシーン良かったわ」

「…グッド。ぼくはチヨバッカがかわいくてすき」

「え?俺がおかしいの?俺が間違ってるの?」

 

四面楚歌の現状に智哉は絶望した。愚かなヒトミミにはウマ娘の優れた感性は理解できないのである。

この後は昼食後にフランの蹄鉄などを見る予定である。

智哉はわざと歩調を遅らせ、姉とフランを先に歩かせた。

今日ついてきたもう一人に用があるからだ。向こうも同じらしく、智哉に歩調を併せている。

そのもう一人──眠た目のウマ幼女、ナサに智哉が声をかける。

 

「ナサ、だっけか。あれから大丈夫だったか?」

 

ナサが久居留家を訪れた際の出来事、フランとの併走は二人にとって辛い出来事だったと智哉は認識している。

お互い涙を堪えて笑顔を交わすのを見た時は、当事者でない自分ですら苦しくなったのだ。

 

「…うん、つらかった。それでも、はしれなくてもフランはぼくのともだち」

 

ナサは、あの日の帰りの車内でひとしきり泣いた後、フランを支える事を決意していた。

そう思っていた矢先に、電話越しでも察せるほどにフランが急変していたのだ。しかもレースに出ていると聞いた。

今日は、フランと遊ぶためと共にそれを確かめに来たのだった。

あの日、一番辛そうにフランを見つめていた智哉なら、何かを知っていると思っての行動であった。

 

「…トムさん、フランがきゅうにかわった。なにかしってる?」

「そうだよな、従姉妹だしわかっちまうよなあ…悪い、俺が原因かもしれねえ」

 

あれから智哉は、フランに「俺のせいで無理してるなら走らなくていい」と何度も伝えた。

しかしフランからの返答は全て「無理なんてしていない」だった。

かつての自分をまた幻視した智哉は、自らの精神が削れる感覚を覚えて、その日はフランの顔を見ていられなくなってしまった。

 

(ありゃ根比べだな…俺が原因なら逃げる訳にも行かねえし正直しんどいわ…)

 

老紳士にも聞く事ができた。フランの変化について恐らく何かを知っている。

そうでないと説明が付かないのだ。孫に何が起きているかをあの老紳士とフランの父は知っている。

 

「…どういうこと?」

「あいつの前でちょっと怪我してぶっ倒れちまったんだよ。入院して出てきたらああなってた」

「…けが、だいじょうぶ?」

「おう、出歩ける程度には治ってるぜ」

 

智哉が左腕を軽く回して見せる。

貫通銃創を受けて二週間で退院するまで回復した事に、あのマッドから交代して主治医となった医師は驚愕していた。

「やはりタキオン先生の言う通りかいぼ…ぐべえ!」とマッドの道に行きそうになったところを、ウマ娘の看護師にカルテでぶっ叩かれていた。智哉は命拾いした。

 

「正直に言うと、フランの状態は良くないとは思う。でも本人が走るって言って聞かねえし、フランの家族からも許可が出ちまってる」

「…セシルおじさんが?どうして?」

「わかんねえんだそれが。だからさ、せめて耐えられなくなった時は、近くで助けてやりたいって思ってる」

 

前を歩くフランに目を向ける智哉を、ナサが横から見上げる。

普段の目つきの悪さがどこかに行っている程に、優しい目をしていた。

本当に従姉妹を案じる目をしているとナサは感じた。

 

「…うん、トムさんにきいてよかった」

「ん?そうか?」

「うん、ぼくはずっとちかくにいられないから、フランのこと、よろしくね」

「…ああ、俺に何ができるかはわかんないけどな、やるだけやってみるわ」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

(えいが、とてもすてきだったわ)

『そうだね。私はヒトの営みはよくわからないけど、あれは派手でよかったよ』

 

この頃のわたしは、悪い子が本当は良い子なんじゃないか、と思い始めていた。

悪い子は、人とは違うから。

人の、ウマ娘の心の機微をよく理解していないだけなのでは?と思っていた。

悪い子は、わたしの意をよく汲んでくれた。

代わると言ったのも、弱いわたしを心配するような言い方だった。

 

 

──結局、この子はとても悪い子だったけど。今もまだ許せていない。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「フランちゃんにはカーボン入ってるこれがオススメね。あの加速を活かすなら軽い方がいいでしょ」

「それには俺も同意だけど、不良バ場用のも一応買っておこうぜ。外突っ切ってもフランなら問題ねえけど」

 

ところ変わって一行はフランの蹄鉄を見繕うために、リージェントストリートの競走バ用品店を訪れていた。

高級店である。店に並ぶ商品の値札を見て、庶民的な感性の智哉は気が遠くなった。

 

「ミディお姉様とトムの言う通りにするわ。勝負鉄とトレ鉄両方ほしいの」

「…ミッドデイさんのもってるの、パパのかいしゃのやつだ」

 

ナサの父はセシル氏の弟で、ジュドモント家の営む競走バブランドの社長である。

成功者の姉、社長令嬢、トレーナーの大家の令嬢の中にただ一人庶民の智哉はやや肩身が狭い。

 

「フランちゃん、勝負鉄持ってなかったのねー。子供のうちはトレ鉄と兼用の場合が多いけどね」

 

勝負鉄とは、レース本番用の蹄鉄である。

バ場の状態、競走距離に合わせて調整され、一流競走バは複数所持している事も多い。

トレ鉄は名の通りトレーニング用の蹄鉄である。これは普段使いのため耐久性を重視されたものだ。

両方に名バ監修のプロモデルが存在し、ナサはトレ鉄、勝負鉄両方ともガリレオ会長モデルを愛用している。

父に必殺技を使い強請ったのだ。

智哉が眺めていたら姉仕様のプロモデルを見つけた。姉貴やっぱりすげえんだな、と感心してしまう。

 

「シューズも見とく?」

「その方がいいな。うちの練習用だしな…それであの速さだもんなあ」

 

蹄鉄を付けるシューズも、勿論様々な種類が存在する。

ウマ娘専用の勝負服には劣るが、やはり個人差による走りやすさに影響するのだ。

これらを十分に吟味したのちに、姉は店員に声をかけてどれを購入するか伝えていった。

そして黒いカードを取り出して一括で買った。庶民の智哉は額を怖くて見ていない。

 

「ミディお姉様、お金はわたしが払うわ」

「今日はいいのよ。フランちゃんの快気祝いであたしからのプレゼントね!ナサちゃんにはお近づきの印に」

「…ぼくもかってもらっていいんですか?」

 

姉のこの気前の良さにフランとナサは恐縮しきりであった。

結局払わせてもらえなかったので、素直に笑顔で感謝した。

 

「で、トムは荷物持ちね」

「俺まだ怪我人なんだけど…まあいいか」

 

多量の商品が入った袋を智哉が右手で受け取る。超人とはいえ左手で持つと流石に痛いと思ったからだ。

ふと中身を覗いて、智哉はある事に気付く。

成バ用のトレ鉄が混じっていた。

 

「ん?姉貴、成バ用のトレ鉄入ってっけど。間違いか?」

「あーそれね、あたしの」

「今使ってるのなかったか?たまにしか使ってなさそうだし」

「あれ擦り減っちゃったのよねー。まあそういうことでいいじゃん」

 

何となく姉の言う事に違和感を感じて、智哉が首をかしげる。

確かに姉が家を空けている時がある。

しかしトレーナー試験対策で、外で勉強しているはずでは?と思ったのだ。

家ではフランや練習生とたまに併走程度しかしていない。擦り減るはずがないのだ。

 

そう考えている内に、三人はもう店外に出ていた。

慌てて智哉が追いかけようとした所、客らしい誰かとぶつかってしまう。

お互いの袋から商品が一部、こぼれた。

 

「…っと、すいません」

「…いえ、こちらこそ」

 

会釈し、落ちた商品を拾う。

そこで智哉は、ぶつかった相手の顔を見た。

白髪のウマ娘であった。年は同じくらいだろうか。

だが、違和感がある。耳が異様に小さく、尻尾も見えない。

足も走りそうにない。ウマ耳の生えた人間のようだった。

相手が、智哉の視線に気付き、訝し気な視線を返す。

 

「…何か?」

「…いえ、すいませんでした」

 

智哉は即座に謝罪した。不躾だったのは事実であると共に気性難の空気を感じたのだ。

長年の経験の賜物であった。

もう一度頭を下げてから、三人を追う。

 

 

「失礼な男……」

 

 

そこに、追い打ちが入った。

智哉は一瞬振り返って言い返そうと思ったが我慢した。

ぶつかった自分が悪いし視線も失礼なのは確かだったからだ。

謝ったのになんだてめえ顔覚えたからな、と心で罵倒しておいた。

 

もう二度と会わない相手だと思ったからである──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あねうえ!!ていてつは我がもつといったのに!!」

「いいのよ、これくらい姉さんにもやらせて」

「あねうえはからだがよわいのだ!我がやるべき!」

「あなたのトレーナーになるのに仕事が無くなっちゃうわね。ふふ」



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第二十三話 いかにして彼は苛まれるか

フランキーおじさんモチーフのキャラをTSして出すかで三日くらい悩んでた。


『い、痛い…』

『なんだよこいつぅ…』

『化物だ…』

 

『あ?女一人寄ってたかって裸に剥こうとした、てめえらの方がよっぽど化物だろ』

 

あと一歩遅かったら危なかった。

こいつらの"お遊び"のターゲットは同級生の、女友達だった。

大人しい奴で、ほっとけなくてよく話してたら仲良くなった子だった。

 

『な、なんだ君は…もう許してくれよ…』

『なあ?こいつに手出したらどうなるかわかったよな?』

 

引き起こしたクズを、そのまま持ち上げる。

うちの学校はウマ娘がほとんどいないから、こういう馬鹿が調子に乗りやすい。

ただ、こいつは確か優等生のはずだった。こんな事する奴だったとは思わなかった。

 

『わ、わかったよ。もうしないから…』

『そっか、じゃあもういいわ』

 

持ち上げたクズをそのまま投げ捨てる。

バウンドしてたけどまあ生きてるだろ。死んじまってもどうでもいい。

それよりもあいつだ。

 

『おい、平気か?』

『…ひいっ!』

 

…なんでオレを見て怯えてるんだ?

ああ、さっきまで怖い目にあってたしな。

きっとそうだ。

 

『もう大丈夫だぞ。あいつらはオレがぶちのめしたからな』

 

優しく声をかけたはずなのに、後退りされた…?

わかった、そういう事か。さっきまで男に怖い目に遭わされそうだったからだ。

悪い事したな。離れよう。

 

『先生!あそこです!』

『クイル君、なんて事を…』

 

クラスのみんなも来てくれたみたいだ。ウマ娘の同級生もいる。

来るのが遅えよ。オレが助けた後だぜ。

 

 

──何で、みんなオレを見てるんだ?

 

 

『た、助けてくれ!彼が──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

むくり、と智哉が怠そうに起床する。

最悪の目覚めだった。

フランと過去の自分を重ねて以来、頻繁に過去の記憶に苛まれているのだ。

 

(…首突っこまなけりゃよかったんだよ。今もそうだ)

 

顔を洗おうと自室を出る。

すると、すぐそこにメイドがいた。手にタオルを持ち、智哉を凝視している。

 

「おっ、サリーさん。おはようっす」

「…ああ、おはよう」

 

できるだけ平然として見せて、横を通ろうとする。

そこに、メイドから声が掛けられた。

 

「…ひどい顔だ」

「ちょっとだけ寝不足なんすよ。顔洗って目覚ましてきます」

「嘘をつくな」

 

メイドは一度ある事のためにジュドモント家の邸宅に戻っていたが、それからまた久居留邸に滞在している。

そこから数日、智哉の顔を見て気付いた事があった。

朝だけ、以前見た覚えのある憔悴した顔をしていた。

 

「お嬢様もな、別荘におられた間は今のお前のようだった」

「そうなんすか。でも今は大丈夫だし、よかったじゃないすか」

「…とぼけるのはやめてくれ」

 

メイドが、手に持ったタオルを智哉に差し出す。

その顔は札付きの気性難とは思えない程に、ばつが悪そうな顔をしていた。

 

「…お前が気を配る必要はもう無い。お嬢様は表面上は元気を取り戻されている」

「どもっす。今ああなってるの、たぶん俺のせいなんすよ」

「クイル夫人から話は聞いている。だがもう十分だ。問題があるなら旦那様と大旦那様だ。先日締め上げたが全く口を割らん」

 

タオルを受け取りながら、智哉の顔がひきつる。

しばらく見なかったメイドが主人に反逆していた。

 

「…いいんすか、それ…?」

「私は元々はジュドモント家の養女だ。戸籍上はお嬢様の義叔母にあたる」

「マジで!?」

 

衝撃の告白に智哉が思わず元のテンションに戻る。

 

「勘当されたところを大旦那様に拾っていただいてな。受けた恩を返すために、メイドの真似事をしている」

「それ、フランは…?」

「知らんぞ。言うなよ」

 

驚愕ではあったが、合点のいく話でもあった。

メイドは、オークスを獲った名バである。当然貯蓄もあるだろう。

わざわざ使用人をやっている理由が無かったのだ。

唖然とした顔の智哉を眺めて、メイドが満足げに口角を上げる。

 

「…少しはましな顔になったな。顔を洗ってこい」

 

智哉は、顔が熱を帯びる感覚を覚えた。

世話を焼かれた事に気付いたのだ。弱った心に見事に効いてしまった。

 

(ずるいわ、これは…この人、姉貴と喧嘩する時以外はマジでいい人なんだよな…)

 

心の中で感謝しつつも、智哉にはメイドに訂正せねばならない事があった。

 

「正直、首突っ込んだの少しだけ後悔してるんすけどね。ほっとけないんすよ。あいつを俺みたいにしたくないっつうか…」

「…そうか、そうだな」

 

メイドは智哉の言葉を聞いて、自らの過去を回想する。競走バだった、あの日の痛みを。

 

『あんた舐めてんの!?あたしとは走れないっての!!?』

 

一度目は、あの好敵手は怒り狂っていた。

無理もない。あの日、ヨークシャー州のあの場所でメイドはゲートから一歩も外に出なかった。出れなかったのだ。

 

『なんで何も言わないのよ。何があったか言ってよ…』

 

二度目は泣いていた。失意の中、もう走れないメイドが無駄な努力をし、再起をかけたフランスまで追ってきて。

青ざめたメイドを抱きしめながら、懇願するように泣いていた。

今はもう、二人の喧嘩の煽り文句に使えるまでに乗り越えた過去だった。

フランには、あのような経験をさせたくないという思いをメイドは強く抱いている。

 

(あの時、全てを失った私にはミッドデイがいた。業腹だが…お嬢様にはこの男、か)

 

智哉の過去について、メイドは知らない。

しかし、今こうやって顔色を悪くする程の何かがあったことはわかる。

それでも逃げないと目の前の少年は今、意思表示をしたのだ。

 

(優れた資質がある割に、情けない素振りが目立つ男だが…あと数年もすれば見れた男になるかもしれんな)

 

その時には少しからかってやってもいいかもしれない、と考えながらメイドが智哉に口を開く。

 

「それならもう何も言わん。今日も行くのだろう?」

「そうっすね、今日はオブリーエンとこで3チーム合同でやります」

 

フランの蹄鉄を買ってから一か月、智哉はクラブマッチに帯同していた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

(って、朝サリーさんの前で決意を新たにした訳だが)

「トム!わたしがんばったわ!ほめてちょうだい!ほめて!」

(こいつ、めちゃくちゃ元気なんだよなあ…俺のメンタルが弱いのか?俺の精神力って六歳児以下なの?)

 

あの頃のわたしは、悪い子に代わる当初は決意やある種の悲壮感のような物を持っていた。

しかし、はっきり言うと一か月ほどでわたしは状況に慣れてしまっていた。

この後、仲良くなったオコナーちゃんの言葉を借りると「余裕ぶっこきすぎ」だった。

口調もたまに元に戻ってしまっていた。子供のわたしにずっとシリアスなのは無理だった。

今のあの人には「お前今もそんな感じだからな?」って言われた。

悔しいから併走してもらった。わたしが勝った。

 

(つぎは、もっとトムにほめてもらえるように、つかれないていどにかっこよくすえあしをみせてちょうだい)

『最近注文多いな!?ウマ使い荒すぎないかい?』

 

おまけに、悪い子がわたしの意に沿ってくれるのを良い事に、無茶なお願いをする事も多くなっていた。

わたしはまだ走れないのにこの子は走れてずるい、という気持ちもあった。

わたしは走る事は大好きだったから。今も、昔も。

 

「あーもう、お前見てたら何かどうでもよくなってきたわ」

 

あの人はそう言うと、わたしの頭をくしゃくしゃに撫でてくれた。

幼稚なわたしは全部上手くいっていて、あの人にほめてもらえてうれしいし、みんなをポニーステークスに連れていけると完全に調子に乗っていた。わたし自身はまだ走れないのに。

目の前の人が苦しんでいる事も、わたしの隠し事に気付いている事も全く頭になかった。

 

 

──そのせいで、わたしは手ひどい報いを受ける事になる。あと悪い子は絶対許さない。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「な~ん~で~あの子と走らせないんですか!!!!!」

「しょうがないだろ!お前で勝てるとこ勝たないとポイント取れないんだよ!」

 

オブリーエン・レーシングの若手トレーナー、ライエン・モアは自チームのエースに胸倉を掴まれて必死に弁明していた。愚かなヒトミミはウマ娘の幼女の拘束を解けないのである。

たった一か月では自チームのエースがまだ仕上がっていないと判断し、相手エースとの直接対決を避けたのだ。

前回のデータを元に、フランに3本はとられたが何とか他で引き分けに持ち込んだのである。

嫌味眼鏡の嫌味を聞きたくない一心の徹夜作業であった。

 

「あの子ともう一回やってお近付きになりたいんですよ!!仲良くなってイチャイチャしたいんです!!させろです!!!」

「普通に言えばいいだろ!!!」

「それもそうですね」

 

盲点を突かれた、という顔で納得したオコナーがライエンを解放する。

そしてのしのしとクイル・レースクラブ側のベンチに歩いて行くと、目標を見るや絶句した。

堂々とあの美幼女の頭を撫でているヒトミミがいる。うらやましすぎてその場で転げ回りそうになったのである。

しかしギリギリの所で踏み止まった。

この幼女は競走においてもそれ以外でも計算高いのだ。あの様子だと、あの目付きの悪いヒトミミとあの美幼女は親しい関係だ、糾弾するのは悪印象と判断したのである。

 

「なによオコナー?試合は終わったでしょ?」

「パイセンちょっとどいてほしいです。そっちの子に用があるです」

 

気性難と優等生のニックスがオコナーの目の前に現れたが、今日は退く訳にはいかない。

次対戦するのは更に一月後である。もう待てないのだ。せめて連絡先だけでもオコナーは欲しかった。

 

「あなたまさか、またフランさんに何かする気?それなら通さないわ」

「何もしないです。どいてくれたらパイセンの靴をなめるです。どうしてもあの子と話したいんですお願いするです本当にお願いするです」

 

目が血走り、尋常でない様子のオコナーに流石のエスティも怯んだ。

そしてこの様子に最初に智哉が気付いた。

 

(なんかすげー危ない目した子がいるんだけど…こっち見てる…)

 

ドン引きである。しかも目線がフランに行っている。

 

「?どうしたの、トム?」

「あー、いや、あそこの子がな…」

 

首をかしげるフランに、智哉が目線でオコナーを示す。

フランの反応は劇的であった。

見るや否や、オコナーに突撃していったのである。

 

「おいフラン!あれはやめとけ…あー行っちまった」

 

慌てて智哉も追い駆ける。あの様子だとフランに何か言いに来たのかも、と心配になったのだ。

 

「オコナーあなた目が危なすぎるわ、紹介するの躊躇うんだけど…」

「なんですか!!今パイセンの靴舐めればいいんですか!!あー上等です舐めてやるです!!」

「ちょっとあなた本当に舐める気でしょ!やめなさい!やめろ!!」

 

優等生から気性難が飛び出すギリギリの所でフランが到着し、オコナーに頭を下げつつ謝罪した。

 

「ごめんなさい!」

「へ…?」

 

エスティの前に跪いたオコナーが、気の抜けた声を上げる。

まさか本人が自分に会いに来るとは、思ってもみなかったからだ。

 

「前のレースで、酷い事してごめんなさい。許してほしいとは言いません。でもあやまらせてください」

 

少し涙目で謝罪するフランに対し若干興奮しながら、オコナーは高速で思考を巡らせていた。

 

(あのナメプの事を謝りにきたんですね?好都合ですこれをネタにゆすって連絡先その他もろもろ頂きつつお近付きに…いやパイセンがいるです。悪手です。ここは素直に許して友達になるのが最善!)

 

答えはすぐに出た。前門の気性難を前にしては元々許す以外に無いのだ。

 

「全然気にしてないし、そもそも私も他の子にやってるから許すです!ああいうのはクラブだとよくあるから、そんな気にしなくていいですよ」

「えっ、そうなの…?」

「そうですそうです。それよりも私オコナーって言うです。フランちゃん、お友達になってほしいです」

 

この発言にフランが目を見開く。

今まで、走った後で友達になってほしいと言われた事は無かったからだ。

青天の霹靂であった。

思わず、追いついた智哉にどういうこと?と目で訴える。

 

「…フランと走って、すごかったから友達になりたいって事だよ。よかったな」

 

優しい目で智哉が応える。

しかし誤解である。オコナーはただのウマ娘限定の面食いである。

フランがすごかったのも確かにあるが、それは理由の二割程度だ。

 

「ふわあ…」

 

フランがうれしくて目を輝かせる。

厳密には自分が走った訳ではない。

しかしそれでも、走った相手にこう言われた事はフランの救いとなっていた。

しかし誤解である。オコナーの理由は邪であった。

 

「うん…うん!オコナーちゃん、私もお友達になりたいわ!」

「いよっしゃああああ!!!!じゃあ早速二人でご飯食べに行くですフランちゃん!!!今すぐ!!!」

 

オコナーは歓喜の声とガッツポーズで全力で喜びを表現した。ナンパも忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしこの後、ジェームス氏とライエンの申し出で、全員でオブリーエンのクラブハウス食堂での交流会となった。

オコナーは目付きの悪いヒトミミの横にべったり座るフランを見て心で泣き、ヒトミミいつか殺すですと誓った。

智哉とライエンはお互い通ずる物を感じて意気投合した。



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閑話 幼き王者と、出来損ない

統括機構トレーナーの大家であるオブリーエン家は、偉大なる統括機構三大チームの一つ、チーム・クールモアを率いるトレーナーの一族である。

チーム創設者であり、今も英国競バ界全体に影響力を持つ総帥ジョセフ・マグニアからチームの運営を一任されており、欧州競バ界を牽引する、競バの王たる名家なのだ。

 

その権勢を誇るかのような巨大な邸宅の一室に、オブリーエン・レーシングの若手トレーナーことライエン・モアは呼び出されていた。

──目の前の白毛の令嬢によって

 

「映像はこれで全部です」

「そう…ご苦労様でした」

 

令嬢──ジェシカ・オブリーエンは、ウマ娘であった。

だが、一般的なウマ娘と比べると多少の差異を感じる風貌をしていた。

その容姿は美しく、きめこまやかな白い肌にルビーのような赤い瞳を持っている。

容姿で見れば間違いなくウマ娘である。

だが、彼女にしかない特徴があった。

まず、ウマ耳が異様に小さく、垂らすと髪の中に隠れるほどの大きさしかなかった。

そして、尻尾も細く、短い。

ズボンを履く際に、尻尾穴が開いているウマ娘用の物が必要ない程に。

まるでウマ耳のついた人間のような美しい令嬢であった。

 

「…この男…」

 

ライエンから提出された映像、先日のクラブマッチのレース記録を眺めていたジェシカが、レースの映像に映るとある男を指差す。

映像の中に、知っている顔の男がいた。

整った容姿をしているが目が酷く荒み、目付きの悪さが印象的な男。

先日、大事な妹との楽しい買い物に水を差した男だった。

 

「はあ、トモヤ君が何か?」

 

交流会で意気投合した同好の士が、オーナーの娘に指摘された事に対してライエンが怪訝な声を上げる。

 

「…知り合いかしら?」

「ええ、先日話す機会がありまして。良い奴ですよ、彼」

「あなたの個人的な意見は聞いていません」

 

意見を一刀両断されてライエンが渋い顔を作る。

彼女の父であるエイベル氏とは、また違った性格のキツさを持つこの令嬢をライエンは苦手に思っていた。

オーナーの娘が気性難なんて聞いてない、とクラブに残った時に絶望したのだ。

 

「どういう人物?」

「名前はトモヤ・クイル、障害競走のクイル氏の御子息です。年齢はお嬢さんと同じ16歳。トレーナー資格取得を目指しているそうですが…少し育成論を話した印象ですが優秀ですね。推薦枠さえあればすぐにトレーナーになれますよ、彼は」

「ふぅん…それは私よりも?」

 

試すような質問に、ライエンの顔が更に渋くなる。

ジェシカは、今年父の推薦によりトレーナー試験を受ける事が決まっている。

ライエンも彼女が優秀なのは知っているし、父の明晰な頭脳を受け継いだ彼女は資格を十分に取れる、いや成績一位すら狙える才女なのも理解していた。

しかしライエンから見て、彼女は現場経験に乏しい印象があった。

体が弱く、トレーナーとしての実務面にハンデがあるのだ。

対して最近親交を結んだ友人は、明晰な頭脳を持ち現場経験も豊富な印象がある。

つまり智哉の方が現状上ではないか?と判断していた。

こういう場合、ライエンが取る手段はただ一つであった。

 

「それはもちろん!お嬢さんですよ~~!!お嬢さんに比べたら彼も流石に気の毒になりますよ!!」

 

揉み手で全力で媚びを売る──彼の処世術、おべっかであった。

 

「そう、もういいわ。映像記録の提出、ありがとうございました」

「それでは失礼します!お嬢さんのトレーナー試験合格、この不肖の身でありますが、影ながらお祈りしております!」

 

ため息をつきながら、ジェシカが話を打ち切り退出を促し、待ってましたとばかりにライエンが高速で退出する。

このライエンという優秀な若手トレーナーについて、ジェシカは父から聞いていた癖があった。

 

返答に詰まったら、世辞を言うのだ。

 

(彼は卑屈な男だけれど、トレーナーとしての見立てに間違いはない。つまり、私よりあの男の方が上と見たという事ね…あんな男が…)

 

失礼な男だった。

ぶつかっておいて、不躾にこちらを眺める態度に腹が立つ男だった。

妹と水入らずの買い物のために、使用人を使わず自分が荷物を持ったからちょっとだけ、本当にちょっとだけふらついたのは確かにある。

しかしそんな男が自分より、血の滲む思いで最年少トレーナーになろうという自分より優秀だと言う事実は許せるものではなかった。

 

(…あのような男、どうせろくな契約も取れないでしょう。私達二人の敵にはならない)

 

ジェシカには夢があった。今はもう、叶わないと諦めた夢が。

だが、その夢を託した最愛の妹がいる。

二人なら、どんな障害も越えて、夢に辿り着ける。

そう、信じている。

 

 

一方、退出したライエンは──

 

(あれはお嬢さんに目を付けられたな…トモヤ君、恨まないでくれよ。君も俺と同じ立場なら、同じ事してると思うから…)

 

最近できた友人に、健闘を祈っていた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

私──ジェシカ・オブリーエンは、トレーナーの大家、競バの王オブリーエン家に生まれた「出来損ない」のウマ娘だった。

自分が出来損ないだと知らなかった頃の私には、夢があった。

それは、世代の頂点の競走バになる事。

かのガリレオやロックオブジブラルタル、父の下で私が見てきた名バ達のように。

けれど、三女神は私に残酷な運命を与えていた。

 

私は──どうしようもなく出来損ないだった。

 

力が弱い。足が遅い。命名も受けていない。そして日差しに長く当たっていられない。

頼れるのは、父から受け継いだ頭脳だけだった。

幼い日の私は、それでも諦めなかった。

そんな私を見た父と生前の母は、ある日私をオブリーエン家と懇意の病院に連れて行った。

そこでの診断が、私の夢に止めを刺した。

 

『お気の毒ですが…お嬢様のお体はほぼ人間に近いです。いや、身体的なハンデの分人間よりも…』

 

仮称ウマソウル欠乏症──それが診断結果だった。

全く未知の症状だと医師は言った。それが私の体に起きているという事実と共に。

私の体には、ほんのわずかなウマソウルしか宿っていない。三女神から何も与えられていない。

16歳になった今でも、命名を受けていない事がその事実を物語っていた。

幼い私は苦しみ、泣きながら三女神を呪った。

体の弱い母は、私を抱き締めてくれた。

父は、ただ一言だけこう言った。いつもの無表情なままで。

 

『もう、走るのはよしなさい』

 

それから私は、せめて夢を近くで見たいとトレーナーを志す事にした。

父はそんな私に便宜を図ってくれた。

私は父に愛されているかわからない。ただの跡継ぎとしか見られていないかもしれない。

それでもありがたかった。私は最高の環境でトレーナーを目指せるから。

そんな時だった。

 

母が亡くなった。幼い妹を残して。

 

妹は、母をほとんど知らないまま育った。

私はせめて母代わりとして妹を大事にした。愛していた。

けれど、またしても残酷な現実に私は襲われた。

 

妹は、競走バとしての才能に満ち溢れていた。天才だった。

 

まるで私のウマソウルを全て持って行ったようで、私は妹に嫉妬した。

ウマ娘は、嫉妬という感情をあまり抱かない。

私が人間に近いという事実を更に突き付けられて、私は苦しくてたまらなかった。

そんな時だった。

 

『あねうえのゆめ、我がひきつぐ!あねうえは我のトレーナーになればいいのだ!ともに、ははうえのぼぜんにほうこくすればよい!』

 

妹、エクスはいとも簡単にそう言った。

その時の私は、まるで空が晴れ渡るかのような感覚を覚えた。

私、いや、二人の夢が決まった。

 

私と妹、トレーナーと競走バ、二人で一人、ともに世代の頂点に立つ──

 

それからは、妹の成長を間近に見ながらの楽しい毎日だった。

 

ある日の妹は、Aクラスの子にひどい事を言って泣かしてしまったと落ち込んでいた。

私は悪いと思ってるなら謝りなさいと伝えた。後日、仲直りできたとうれしそうに教えてくれた。

 

別の日には、家臣が出来たと喜びながら教えてくれた。

友達ができたなら家に呼んでもいいのよ、と許可を出した。

妹は、競バの王の家だから堂々とした王者であるべき、という理屈で王様っぽい行動を好む。

少しだけ将来が心配になった。

 

更には、ナサニエルというすごい子と知り合ったと教えてくれた。

将来のライバル候補として私は脳裏に刻み込んだ。

 

そして今、私は先ほど提出されたレース映像を見て苦心していた。

怪物が、そこにはいた。

 

(まず加速が異常に尽きるわね。追込から逃げまで脚質も自在…それに何より底が見えない)

 

片田舎の中堅クラブに突如現れた新エース、改造メンコを付けたフランという少女。

今までどこで、何をやっていたのか。何故これほどの才能がポニースクールに入っていないのか。

謎ばかりの存在。でも本当に厄介なのはそこじゃない。

この子は、ハーフマイルが主戦場だ。つまり妹と選抜戦で当たる事が確実視されている。

妹でも、勝てるかわからない才能を見るのは初めてだった。

私は妹を確実に勝たせなければならない。あの子と共に夢を追う者として。

 

(一つ気になるのは、この改造メンコ。これは確か…)

 

ノートPCを開き、この子の弱点かもしれないこのメンコを調べる。

程なく、メンコの正体は判明した。

 

(…思った通り、イップス治療の医療用ね。クラブでは着用可能だけど…)

 

選抜戦、ポニーステークスでは医療用メンコの着用は認められていない。

報道陣に未来の名バ発掘に来るトレーナー、更には今年はアイルランドの公女殿下も来られたはず。

これらの前で治療中のウマ娘など走らせる訳にはいかないから。

その為に改造しているのだろうけど。

 

──これはきっと、悪い事じゃない。競走ルールは厳正に守るべきだから。

 

 

 

 

 

 

「お父様?少しお伝えしたい事が──」



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第二十四話 いかにして彼は立ち止まるか

何とか誤解が晴れて、家に帰って来れたオレは、あれから家に引きこもっていた。

片田舎のこの町は、噂もすぐに広がる。オレがやった事も。

今日も母さんと、クラブの子の親が話している声が聞こえた。

 

『すいませんが、うちの子は隣町のクラブに移籍させていただきます。やっぱりねえ、お子さんがそんな事されるクラブにうちの子を任せるのは…』

『…わかりました。ですが、息子の婦女暴行未遂の件は冤罪です。そこだけはわかってください』

『でも、暴力を振るったのは事実なんでしょう?奥さんも大変ですね。娘さんはあんなに立派なのに息子さんは…クイル家の恥──

『やめてください!息子はそんな子じゃありません!』

 

オレはもう、限界だった。辛そうな母さんを見ていられなかった。

だから、親父と話をして、親父の遠征についていく事を決めた。

オレがいても迷惑なだけだからさ、母さん、わかってくれよ。

 

だからさ、そんなに泣かないでくれよ。母さん──

 

家を出る前にまだやる事がオレにはあった。

あの助けた女友達。あの子ともう一度話しておきたかった。

あの子はあれから嘘をついてから家に引きこもって、証言してくれるまでオレはひどい目にあったけど。

ウマ娘の刑事さんに締め上げられたのと、仲が良かったウマ娘の友達に殴られたのが、マジで辛かったな。

それでもオレが助けたくて助けたんだ。

気にしていないと伝えたかった。

 

『…はい』

『おっす、元気か?』

 

『ッ!ひいいいい!!いやああああ!!!』

 

『お、おい、待ってくれよ。オレは何も…』

 

『ごめんなさい!ごめんなさい!!嘘ついてごめんなさい!!』

 

『いやだからさ、オレは気にしてな…』

 

『殺さないでください!!!ごめんなさい!!』

 

『おい、待てよ…そんな事、オレはしねえよ!!』

 

『だ、だってトム君、人をあんなに振り回して…ウマ娘の子はあんな風にやらない…』

 

 

 

『そんなの…そんなの──人間じゃない!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「うあああぁぁぁ!!!!!」

 

魘された智哉が飛び起きて、自分の顔が映った窓ガラスを叩き割る。

あれから更に一か月──智哉の精神に限界が来ていた。

母は異変にすぐに気付いた。息子がまだ過去に縛られていた事に。

しかし智哉は逃げなかったのだ。

フランの姿を見て今度こそ、過去を乗り越えると決心して。

しかし、結果は残酷であった。智哉はまた、自分に負けそうになっていた。

 

「ちょっと!どうしたの!」

 

姉がノックもせず部屋に飛び込んでくる。

後ろには母、メイド、フランまで来ていた。

フランにだけは、弱った自分は見せられない。

智哉はそう思い、全力で平静を保った。

 

「ん?おお、寝惚けてたわ。母さんごめん窓割っちまった」

「…トム君…」

 

青褪めた顔で虚勢を張る息子に、母が痛々しい面持ちで声をかける。

姉も、弟の異変に気付きつつあった。

 

「…あんた、顔が真っ青よ。何があったの?」

「ちょっと嫌な夢見ただけだよ。全然なんでもねえし」

 

姉は、情の深い女である。

弟やフランがまだ過去を引きずっている事に気付いたら、余計な心配をかけるだろう。

そう思い姉には黙っていた。メイドも、母もその意を汲んでくれた。

 

「あんたまさか、まだあのヒトミミ女の事件を…」

 

姉も智哉に隠している事があった。姉がヒトミミと言う蔑称を使う女は一人しかいない。

姉が、引退して間もない頃。あの弟に濡れ衣を着せた女友達が、久居留邸を訪れていたのだ。

どこからか智哉が帰ってきていると聞き、一言、謝りたいという目的であった。

姉はそれを聞いて怒り狂った。智哉がいなかったのが幸いであった。

彼女も確かに被害者であろう。だが、弟の人生を滅茶苦茶にした女が、のうのうと自分が楽になりたいだけでそう言った。姉にはそうとしか聞こえなかった。

姉は怒りのままに彼女を追い返した。母に止められなかったら確実に手を挙げていた。

 

「そんな訳ねえだろ、何年前の話だよ。姉貴にウナギの煮凝り食わされた時の夢見て、気分悪くなったんだよ」

 

今回は嘘だがこれは本当に見る悪夢であった。この件はまだ根に持っていた。

姉は真に受けてちょっと悪い事したかな、と反省した。珍しい光景であった。

 

「あー…そういう事。あれはちょっとあたしも悪かったし掃除手伝うわ…」

「姉貴が掃除したら散らかりそうだしいいわ。俺がやる」

「いや、私がやろう。お嬢様は危ないので部屋の外に出ましょうね」

 

智哉が心の中でメイドに感謝する。この二か月、メイドには本当に世話になっていた。

フランが退室を促されつつも、智哉を見て心配そうに声をかける。

 

「トム、本当に大丈夫なの?お顔が真っ青よ…」

「大丈夫だって。大事な時に余計な心配するんじゃねえよ」

 

ポニースクール、クラブ選抜戦。ポニーステークスを間近に控えた出来事であった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「よっしゃ、音頭は取らせてもらうぜ!我がレースクラブの…何年振りだっけか?何でもいいな!明日の選抜戦出場を祝って!!」

 

「「「かんぱーい!!!!!」」」

 

ポニーステークスの前日の夕方。クラブハウスにみんなが集まってささやかなパーティーが開かれた。

ジェームスおじ様の挨拶で、みんなで大騒ぎ。

わたしもまたもみくちゃにされそうになった。今回はあの人とサリーが助けてくれたけど。

 

「全く今年はフランちゃんに感謝しかねえ!でもギリギリでルールを厳正にって、まるでフランちゃんを狙い撃ちされてるみてえだよなあ。あのメンコ無しで本当に大丈夫かい?」

「ええ、心配ないわ、ジェームスおじ様」

 

今年は、日本から帰国されたアイルランドの公女殿下が来賓として観覧されるので、各クラブはルールを厳正に守るように。

そんな案内が、開催の数日前に通達された。

わたしの改造メンコは、本来は医療用のもの。

だから使用は認められないと、統括機構の運営事務局からクラブへ連絡があった。

わたしは少しだけ不安だったけど、走るのは悪い子に任せるつもりだし大丈夫だろうと思っていた。

本当は他の子に枠を譲るつもりだった。わたしはただ恩返しがしたいだけだったから。

でも、一番速い子が出るべきだと、ジェームスおじ様は貴重なハーフマイルの出場枠をわたしにくれた。

これも恩返しになるならと、わたしは了承した。

 

「フランさんの加入で今年は選抜戦に出れるのよ!私、一度でいいから出たかったの!」

「今年はアスコットだしみんなで応援に行くからなー!!エスティ緊張しすぎんなよー!」

「うるさいわねえ!わかってるわよ!…応援、ありがとう」

 

エスティちゃんも1200mで出れるのを感激していた。

エスティちゃんの親友のアンナちゃんも見に来てくれると言ってくれた。

わたしが頑張った証拠。見たかったものがそこにあった。

でも、ここまでだった。わたしがうれしかったのは。

 

「…フラン、ちょっといいか?」

 

あの人が、声をかけてくれた。

きっと、わたしが頑張ったからほめてくれると思って、うれしくてわたしはあの人についていった。

クラブハウスの外、周りに誰もいない芝コース。夕焼けの空だった。今もまだ目に焼き付いている。

 

「なあ、フラン、ここで走った時の事覚えてるか?」

 

もちろんよ、覚えてるわ。

 

「違う…俺と走った時じゃない。あの子だよ。ナサって子とだよ」

 

ええ、とても辛かったわ。でもわたし、ナサちゃんのためにも頑張ったわ。

 

「何でだよ…何で走れてるんだよ…何で…」

 

?どうして?トム、わたし、もう大丈夫よ。みんなのために、走りたいの。

 

「違う!お前、本当は走れないだろ!!明日はメンコもないんだぞ!!どうするんだよ!!」

 

…どうして?わたしは、走ってはいけないの?

 

「俺はもうわかんねえ、お前がどうなってるかわかんねえんだよ…ただ、辛いなら一言辛いと言ってくれよ…じゃないと俺は…」

 

やめて、もうやめてあげて。あの頃のわたし。

 

(どうして?トムがつらそうだわ。ないてるわ)

『私にはよくわからないけど、彼は何かあったんだろうね』

(あなたにはしってもらえば、わたしはだいじょうぶなのに)

『そうだね。それより今気付いたんだけど、彼の中には…』

(ほんのり、トムのめがあおいわ。なにかしら。おじいさまのおはなしみたい。でもそれよりも、トムにはっきりいわなきゃ)

 

これがわたしの後悔。ずっと心残りの、あの言葉。

 

 

 

 

「全然平気よ!だから見ててちょうだい!トム!!」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ポニーステークス当日。

姉は、全く起きてこない弟を叩き起こそうと部屋の前まで来ていた。

 

「トム!当日に寝坊してどうすんのよ!開けるわよ!」

 

軽くノックをして、姉が部屋に突入する。

そこには、酷い顔をした、智哉がベッドに座り込んでいた。

 

「あんた、何よその顔…もしかして寝てないの?」

 

 

 

 

 

 

 

「姉貴、悪い──俺はもう無理だよ。動けねえよ…」




あと3話くらいで山場迎えてその後いろいろ解決させて二部(史実レース)なんだけど、その前にどうしても書きたい事があるから1.5部として書かせてクレメンス。読んでる人たちに知ってほしい名馬がおるんや…。


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第二十五話 いかにして姉は理不尽だったか

フランの目の色の設定忘れてて今直したけど、バレてへんやろ…。


「無理だよ。俺はもう見てられねえよ…あいつ、今日絶対走れねえよ…」

 

憔悴しきった弟を前に、姉が呆然と立ち尽くす。

ここまで弱った弟を見たのは、冤罪での拘留から戻ってきた時以来であった。

そして、まるでフランが走れない事を確信したかのような発言。

姉に考えられる事はただ一つだった。弟は、隠している力を使ったのだ。

 

「…あんた、もしかしてフランちゃんの事、視たの?」

「ほんの、一瞬だけな…ほとんど見れてねえけど、一つだけ赤いプレートが目立って目に付いた」

 

智哉が、頭を抱えて蹲る。相マ眼で見た物に、耐えられなかった。

 

「トラウマって、書いてあったよ」

「…嘘でしょ。じゃあフランちゃん、何で走れてるの…?」

「母さんから聞いた話で、フランの中にいる何かに、代わりに走らせてるって仮説があるらしいけどな…他に理由がつかねえ」

「そんな、どうしよう…フランちゃん先行っちゃったわよ!」

 

フランとメイドは、選抜戦出場準備のために、既にアスコットレース場に入場している。

今年は六歳~七歳の部のハーフマイルが最終種目である。今から出場を止めれば可能性はあった。

 

「…止めても無駄だと思うぜ。昨日、あいつと芝コースで話したんだけどな。そんなもん抱えてるのに、平気だから見ててくれって言われたよ」

「…なんでそれを昨日言わないのよこの馬鹿!!」

 

姉が、蹲る智哉の胸倉を掴み引き起こす。

そのまま怒りをぶつけようとしたが、弟の目を見て息を呑んだ。

完全に荒み切って、虚無を称えた目であった。

 

「言える訳ねえだろ。俺が怪我したせいでああなっちまったのに」

「やっぱり、そういう事だったのね」

「…気付いてたのか?」

 

姉が智哉の胸倉から手を離し、そのままベッドに落とす。

 

「何年あんたのお姉ちゃんやってると思ってんの?弟が隠し事してるってくらい何となくわかるわよ」

 

姉は、最近の異変を薄らと察知していた。

その上で、自分が知ってはいけないのだろうと見て見ぬふりをしていたのだ。

 

「それなら尚更行くわよ。そのママの話通りなら、フランちゃん何とも無いかもしれないでしょ」

「…俺は行けねえよ。もう、見てられないんだよ…たまんねえんだよ」

「は?なっさけない事言ってんじゃないわよ。あんたトレーナー目指してるんなら、一度面倒見た子に最後まで付き合いなさいよ」

 

姉は、辛辣であった。弟の心労を全く意に介していない。

 

「どうせ、俺はどう頑張ってもトレーナーになれないだろ。それくらいわかってんだよ」

「試験受けても無い分際で、わかった風な口聞くな。いいから立ちな」

「暴力事件なんて起こしたやつが!!理事会の承認もらえる訳がねえだろ!!!」

 

トレーナー試験合格者は、理事会で資格を与えるに相応しい人物であるかの最終審査が待っている。

素行も当然審査対象である。

智哉は、自らの過去が枷となっている事に気付いていたのだ。

 

「いいから来いっつってんのよ!!!ごちゃごちゃやかましい!!!」

「えっ姉貴?ちょっ俺の話ぎゃあああああ!!!!」

 

しかし姉には関係なかった。ついに四の五の言い訳する弟にブチ切れたのだ。

姉は智哉を持ち上げてベッドにボディスラムで叩きつけた後に、そのまま足を交差させて背中に座り込んだ。

高速で繰り出される、見事なシャープシューターであった。

 

「その起きたばっかの恰好で!!あたしに無理やり連れてかれるか!!!すぐに用意して出るか!!!選べ!!!」

「ぐええええええ!!姉貴マジで絞るのはやめてくれよ!!!背骨折れっぎゃあああ行きます!!!すぐ用意します!!!」

 

姉の見事な交渉術でついに智哉が折れた。背骨は大丈夫だった。

 

「ふん、最初からそう言えばいいのよ。あんたのトレーナー資格はパパが色々動いてるし、いくらでも抜け道なんてあるから」

「マジで?いやそれより姉貴、もうちょっと弟をいたわってくれねえかな…この二か月大分しんどかったんだけど…」

「あんたは自分で思ってる以上にタフだから余計な事考えなくていいのよ。とにかく朝ごはん食べるわよ」

 

そのまま二人でダイニングへ向かう。そこには両親が待っていた。

姉が母とハイタッチし、父が不思議そうに智哉を眺める。

 

「ママー、連れてきた!」

「ミディちゃん、お疲れ様」

 

「おい息子、何で来てんだお前。ミディもサッちゃんも待ってくれよ」

 

父が疑問の声を上げ、家族全員が注目する。

父は必死であった。妻から息子の状態を聞き、父の威厳を見せるチャンスだったのだ。

 

「いや、おかしいだろ?ここはミディが連れてこれなくてよ、サッちゃんとミディが泣いてるのを慰めた俺が、颯爽と息子を説得するとこだろ?サッちゃんが俺に惚れ直すとこだろ?おい息子戻ってもう一回ウジウジしてこい」

 

台無しであった。息子の事よりも娘と妻にかっこいい所を見せたかっただけである。

 

「完全にクソ親父じゃねえか。絶対戻らねえよ」

「パパじゃ無理でしょ」

「デンちゃんは無理ね」

 

デンちゃんは、母が父を呼ぶ時の愛称である。

なんだかんだでこの二人の夫婦仲は、姉弟が砂糖を吐くレベルだった。

そして父の威厳は地に落ちていた。最初から無いものは増やせないのである。

 

「じゃあパパ、父の威厳って事で運転よろしくね。トムはすぐ食べて支度しな」

「おう…」

「ッス…」

 

久居留家は、代々男の立場が弱い一族であった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

アスコットレース場──英国王室が所有し、ロンドンの西58kmに位置するウィンザー城の西南アスコットにあるレース場である。

欧州三大競走の一つであるキングジョージ六世&クイーンエリザベスステークスの開催地としても知られ、英国の数あるレース場の中で最も格式が高いレース場と言われている。

その歴史は1711年、時の女王陛下がウマ娘、ひいては自らが走るに相応しい場所として発見した事から始まる。

競バの発祥の地において二番目に古いレース場であり、本人がかつての名ウマ娘であり大のレース好きである現女王陛下も頻繁に観覧に来る、正しく王家の栄光溢れる競バの聖地なのだ。

芝コースのみ、一周14ハロン(2800m)の角の丸い三角の形のコースはゲートからの長い直線と高低差の激しさが特徴的で、その標高差はなんと約22m。

これは日本のかの中山レース場の標高差の約4倍にあたる。

その由緒正しきレース場にて、競走バを目指す幼いウマ娘達の祭典──ポニーステークスが、いよいよ始まろうとしていた。

 

『──今日出走する子供達は、立派な競走バを目指す未来の名バ達です。ご観覧の皆様も、暖かい目で、楽しく、共に歓声を送りましょう。私のラーメン屋台も後で──え?ダメ?どうして…』

 

来賓の、アイルランドの公女殿下の気の抜けるような祝辞に万雷の拍手が送られる。

SPらしきウマ娘が手で×を作りながら予定にない発言を遮り、その横に立つギザ歯のロジカルな雰囲気のウマ娘が呆れた表情で頭を抑えていた。

 

「えっ、殿下のラーメンってちょっと食べてみたいんだけど」

「日本でハマったらしいな。てかあそこにいるの中央競バ会(U R A)のG1ウマ娘だぜ」

 

到着した久居留家一行は二手に分かれた。現在智哉と姉はグランドスタンドのパドック前で殿下の祝辞を聞き、両親は何やら用事があるとトレーナー席に向かった。

 

「で、あんた大丈夫なの?」

「姉貴、それ聞くの遅くない?無理矢理連れてきてそれは無くねえ?」

「ここまで来て引きこもって逃げたら、あんた本当にダメになってたでしょ。悩むにしても見届けてからにしな」

 

姉のこの発言は的確に智哉の現在の心情を突いていた。最後の最後で逃げようとしたのを阻止したのだ。

 

「そうだな…腹括るわ。逃げても姉貴が連れ戻しに来るなら逃げようがねえし…」

「あったり前でしょ。何の為に引退して帰ってきたと思ってるのよ…

「ん?何か言ったか?」

 

姉が何やら小声で言ったのを聞き取れず、智哉が聞き返す。

 

「何でもないわよ。それよりもフランちゃんはまだ六歳よ。ここで走れなくても、学院の入学までにみんなで力になって走れるようになればいいのよ。あの子が競走バになりたいと望むならね」

「…そうだな。そうだわ」

「あんたもサリーも急ぎすぎだし重く考えすぎよ。最初からあたしに言えばよかったのに」

 

智哉にとって目から鱗の発言であった。姉が思ったよりも色々見れているし考えているのに驚いたが、顔に出すと報復が怖いので堪えた。

フランの出走取消は、間に合わなかった。「あんたがウジウジしてたせいでしょ」と、智哉はそこでもまた姉に折檻された。

そして、この二人の会話をこっそり聞いていた人物が一人存在した。

 

(なんかよくわかんねー話だけど…フランちゃん走れないのか!?みんなにいおう!!)

 

走り去る人影は、クラブの練習生、アンナであった。

 

 

一方──競走バの控え室。

 

 

 

 

 

 

 

「いいわね?このフランって子には要注意よ」

「うーん?あねうえ、フランクではないのか?」

「フランクは今回のハーフマイルにはいないわね…誰から聞いたの?」

「アスコットのきょうしだ!まあだいじょうぶであろう!フランクならはやいってナサニエルからきいたが!」



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閑話 老紳士は何を知るか

読み返したら主人公出てないから閑話になってもうた。


『八歳~九歳の部1200mは6枠エスティメイトが勝利を収め、続いて──出走しました!!ポニーステークス六歳~七歳の部1000m!このレース、注目の未来の名バは一体誰でしょうか!解説のガリレオさん!!』

『──3枠のナサニエル。彼女は素晴らしい輝きを持っていますね。まるで──』

『おおっとお!抜け出したのは4枠ドバウィゴールド!西地区のクラブのエースです!』

『私、まだ喋り終わってないんだけど…』

 

アスコットレース場で開催される今回のポニーステークスは、グランドスタンド前の直線、通称ニューマイルコースのみを使って行われている。

直線のみでカーブの無い楽なコースという印象は間違いである。

1000mは最初に15mもの高低差の坂路からスタートされるのだ。

選抜戦に出れる程の名バの卵達にも過酷なコースだった。

 

──ただ一人を除いて。

 

(グッド。はんろはもんだいない)

 

予定通り先行のバ群につけ、悠々と坂路を上っていく眠た目のウマ娘。

その一人、幼女ナサである。

持ち前のスタミナとパワーで確実に好位置につけ、周囲を伺う。

 

(ためしたいことがあるから、ラチにつける。あの4わくのチームメイトふたりが、かならずあれをやる)

 

『3枠ナサニエル!ここでなんとラチに体を寄せます!これは一体!?直線のみのコースで何故こんな事を!?』

『なるほど…大一番でまさか自分を試すとはね。まるで私の妹のようだ』

『ガリレオさん!解説になってません!』

 

(きた。クラブさっぽう)

 

ラチにつけたナサに対して見計らうかのように、4枠ドバウィゴールドと同じクラブの二人がにじり寄る。

クラブでの常套手段、垂れたペースメーカーによるブロックである。

これが競走バシップを重んじるポニースクールと、選抜戦の枠を争い合う勝利至上主義のクラブの大きな違いであった。

生徒会長ガリレオの妹は、このなんでもありの気風を好んで自らクラブの道を選んでいる。

そして、ナサは試したい事があるために、自らこの状況に飛び込んだのだ。

 

(このままださないよ!)

(おぎょうぎのいいスクールのこには、ぬけれないでしょ!)

 

見事にナサを囲んだ二人が嘲笑う。

しかし、その笑みはすぐに驚愕に変わった。

 

──二人の隙間を、ナサがすり抜けた。

 

(なにいまの!?)

「むりー!」

 

ナサが手応えを感じてふんすと息を吐く。

あの幼き王者との交流戦以来、取り組んでいた事が実を結んだのだ。

 

(できた。おうさまきどりステップ。ちょっとかすったから、ようれんしゅう)

 

控室で中継を見ていた王者が「我のわざをぬすみおって!おのれナサニエル!!でもあっぱれである!」と声を上げた。ナサには聞こえていないが。

 

(ためしたいことはおわった。しかける)

 

ぐん、と残り300mでナサが速度を上げる。

己の最大の武器、長いロングスパートに入ったのである。

 

『おお!!ここで3枠ナサニエルがぐんぐんと上がっていく!!しかしこれは仕掛けるのが早すぎるのでは!?』

『いえ、あの子はこのままゴールまで行けますよ』

『やっと解説いただけました!!確かに勢いが衰えません!!そのまま先頭をとらえにかかる!!』

 

ナサに捕捉された4枠ドバウィゴールドが、必死に逃げ切ろうと根性を見せる。

しかし、無駄なあがきとなった。

 

(この4わく、たぶんほんとうはにげじゃない。ここはクラブのわるいところ。ブロックがあるから、さしやおいこみだとエースになれない)

 

 

 

『そのまま一気に差し切ったああああ!!見事なロングスパートで!!1000mを勝ったのは3枠ナサニエル!!』

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「うわあー!今の子のバ群の抜け方、すごいですねー!見てた?シャカール!」

「今の足捌きは…こんな感じか?ブロックは甘ェけど、バ群を抜けるだけなら十分使える…本場は技術面で進んでるな…」

「…シャカール~~?」

 

一般入場不可のVIP用ラウンジ席から立ち上がり、先ほど見たステップを検証するギザ歯の親友に腹を立てた麗しき公女殿下が、親友の耳を引っ張って抗議する。

こうなった親友は戻ってこないからというのもあった。

 

「何だよいってェな!今いいとこなんだよ」

「そうやってまた私の話を聞かないんだから!もう知らない!」

 

ぷい、と拗ねて可愛くそっぽを向く殿下を見て、ギザ歯のウマ娘──エアシャカールが顔をしかめる。

 

(めんどくせェ、また拗ねやがった…それに何でオレが、こいつの公務にここまで付き合わされてんだよ…SPさんも何も言わねェし…)

 

公女殿下こと友人ファインモーションから「公務で帰国するから一緒に来ない?本場のレースも観れるよ!」と誘われた時は、本場の技術を目の前で観れるとシャカールは喜んで飛び付いた。

先日英国から帰国した、違う視点からウマ娘の限界を追うマッドコンビから「シャカール君!英国で良いものを見たよ!もし行くならこの人物を捕獲して──」と自慢気に話されたのもあったからだ。

なお後半は、またマッドな事言ってやがると聞き流した。

しかし、日本を離れた飛行機の機内から違和感を感じた。

まずSPが公務のスケジュールの相談に来た。

旅費を負担してもらっている負い目から、シャカールはその論理的な思考を用いて時間の削減、無駄を省いた調整案を提案した。何故かそのまま通った。

入国してからも、ここからは別行動かと思いきや、そのままアイルランド大公の居城へと案内された。

大公陛下とその奥方、つまりファインの両親に、謁見の間ではないプライベートな居室で挨拶を受けたのだ。

ここでシャカールはこの友人に嵌められたと悟った。そのままなし崩しに全ての公務に同行している。

ちなみにファインのトレーナーは、仕事が溜まっているから行けないと言って同行していない。

アイツ、逃げやがったんだな…とシャカールが気付いた時にはもう遅かった。

楽しみにしていたレース観戦は、これからやっと観れるという有様であった。

 

「オイ、ファイン、お前何がしてェんだよ」

「…どういう事?」

「どういう事じゃねェよ。オレをここまで付き合わせて、何がしてェんだって聞いてんだよ」

 

シャカールが、ファインのここまでの我儘三昧に抗議の声を上げる。堪忍袋が限界に来ているのだ。

 

「…言わなきゃダメ?」

「ダメに決まってんだろ。お前のワガママならオレはもう帰る」

 

親友が怒っている事に気付いたファインが、耳をしゅんと垂れさせながら俯く。

確かに、我儘を言い過ぎた自覚があった。嬉しくてはしゃぎすぎたのだ。

 

「ごめんね、シャカール…私ね、見て欲しかっただけなの…」

「…何をだよ?」

「大切な私の国、大切な私の国民、みんな大事な私の全部を。ごめんね。はしゃぎすぎてわがままばっかりで」

 

公女殿下ファインの目的は、ただそれだけだった。

大事な親友に、自分の好きなものを知って欲しかった。見て欲しかっただけだったのだ。

本当は自分のトレーナーも連れて来たかった。断られてしまったが。

この気持ちを受け止めたシャカールが、バツが悪そうに頭を掻く。

 

「…帰りの飛行機の便、私が用意するわ。迷惑かけて…」

「あァァァァ!うるせェ!」

「えっ、シャカール…?」

 

シャカールが頭を掻きむしりながらファインの言葉を遮る。

まず自分に腹が立った。そして何故かこの友人の落ち込む姿を見ていたくなかった。

こんな事を言わせた償いをしなければならなかった。

 

「ラーメン!!」

「えっ、どうしたの?」

「食わせてェんだろ!!お前のラーメンを!!お前の国のヤツらに!」

「う、うん、でも時間が…」

 

「一時間だ!一時間だけ屋台を開けるようにSPさんと調整してやる!!お前は今すぐ仕込みに入れ!!それと次来る時はお前のトレーナーも連れてくるぞ!!オレからも言ってやる!!」

 

このウマ娘とは思えない程に男前の発言にファインの頬が紅潮し、うれしさで目が潤む。

この親友を連れてきてよかった。シャカールと友達になれてよかったと、心から思った。

そのまま気持ちを抑えきれずに、ファインがシャカールに抱き着く。

 

「ありがとうシャカール!大好き!!」

「時間ねェって言っただろ!離れろって!!」

 

 

──このやり取りを、VIPラウンジの片隅でレースそっちのけで凝視する老紳士がいた。

 

 

「おお…あれが我が盟友デジたんが常々言っておったシャカファイ…ゴネにゴネてVIP席で観覧できてよかったわい…もう、思い残す事は何もない…」

「じいさま不敬にも程があるだろ。逝ってねえで帰って来い」

 

日本のウマ娘愛好家よりいつも聞いていた、見たくて堪らなかった悲願の光景を遂に拝めた老紳士ことヘンリー理事が涅槃に旅立つのを、久居留家当主こと伝蔵が止める。

両親がトレーナー席を訪れた目的が、このヘンリー理事とその同行者達であった。

トレーナー席に向かったところ、VIP席におるから来いと連絡が入り、理事のゴリ押しで席を取ってここにいるのだ。

 

「父さん、VIP席に行きたがったのはこの為ですか…」

「うふふ、お義父さんは本当に仲の良いウマ娘を見るのがお好きね」

 

ヘンリー理事の同行者は、息子セシルとその妻だった。

つまり、フランの両親である。

フランの母と智哉と姉の母、元々二人は学院時代の友人であった。

先に交際していたセシル夫妻に頼み込んで母を障害競走に連れてきてもらい、交際に至った経緯があるのだった。

 

「俺とサッちゃんの席までわりいなじいさま。カイちゃんとセシルもいるって事は、俺達の目的はわかってんだな?」

「…席は気にせんでええわい、一人二人増えようが変わらん。それよりもエイベル、なんでお主までここにおる?」

 

同行者は、もう一人いた。

オブリーエン家当主、エイベル・オブリーエン──

統括機構の重鎮二人が、VIP席に揃っていた。

 

「…ご老公、セシル君。お二方に苦言、いや非難を言いに来ました」

「エイベル先輩…」

「ほう、言うてみい」

 

常時冷静なエイベル理事が、珍しく端から見てもわかるほどに怒っていた。

娘からの報告で、信じがたい話を聞いたからである。

眼鏡を持ち上げてから、言葉を続ける。

 

「なぜ、お孫さんが選抜戦に出ているのです?なぜ止めていない?」

 

嫌味眼鏡と揶揄されているエイベル氏であるが、その実はウマ娘第一主義を掲げたウマ娘をこよなく愛するトレーナーである。

冷酷なだけの人物に名家の当主、ひいてはチーム・クールモアを率いる事など不可能なのだ。

その自らの主義に重ねて見ても、ヘンリー理事の孫への対応は看過できないものだった。

 

「やっぱりあの通達はお主の横槍か。ようやるもんじゃな」

「ああすれば、出場を取り止めると思ったまでですよ。それよりも質問に答えて頂きたい。答えないのであれば、私が働きかけて彼女を失格にします。例えお孫さんが快復しつつあったとしてもです」

 

有無を言わせない、強い意志を感じる言葉であった。

その言葉を受けて、ただのウマ娘大好きジジイの眼光が、名伯楽と呼ばれたトレーナーのものへと変化する。

 

「のうエイベル、セシルとデンゾウもじゃな。運命を信じた事はあるか?」

「じいさま突然なんだよそりゃ」

「意味がわかりませんが」

 

怪訝な顔をする二人を見て、ヘンリー理事が笑みを深くする。

 

「ウマ娘にはの、あるんじゃよ。運命。儂の孫には少々早すぎたがの…」

 

この言葉を聞いたエイベルが即座に席を立つ。

話にならないと退席しようとしたのだ。

 

「まあ待たんかエイベル。今止めると後悔するぞ」

「話になりませんね。ご老公には引退をお勧めします」

「もうほとんど引退しとるようなもんじゃ。それよりも今回だけは儂を信じてみんか?きっとええもん見れるぞ。滅多に見れんもんがの」

 

一度だけ立ち止まって考え込んだ後に、エイベルはVIPラウンジを後にした。

いなくなったのを確認してから、名伯楽がただのウマ娘狂いのジジイに戻る。

 

「おお怖っ、あの坊主いつの間にあんな覇気出せるようになったんじゃ…娘とちゃんと向き合っておらん癖に」

「言いたい事大体エイベルに言われちまったなあ。セシルも何か知ってるみてえだけど吐かねえしな」

「あはは…すいません…」

 

伝蔵がセシルを睨みつけ、睨まれた当人が肩身を狭くする。

妻とメイドにも散々非難されて最早立つ瀬が無い身であった。

 

「伝蔵さん、サマーちゃん。私は主人を信じる事にしましたわ。この人、フランの事が何よりも大事ですもの」

 

フランの母、カイ夫人が優しい目で夫を見つめながらそう語る。

しかし義父には辛辣な目を向けた。

 

「でも、お義父さんはいまいち信じられないわ。普段が適当すぎます」

「ええー、儂がんばっとるのに…」

 

がっくりとヘンリー理事が肩を落とす。

理事会でのグッズ要求、チーム運営を息子に投げての気に入ったウマ娘のライブ追っかけ、余罪は大量にあった。

気を取り直して、老紳士が言葉を繋ぐ。

 

「儂から言える事は、後はデンゾウんとこの坊主次第じゃな。今はそれだけで許してくれんか」

「うちの息子が、ですか?」

 

母が首をかしげ、ジジイがその首傾げかわいいのうと思ったが、すぐに真顔に戻り頷き返す。

隣の伝蔵がその瞬間すさまじい目で睨んできたからだ。

 

「うむ、儂と知りつつ啖呵を切りよった坊主じゃ。何かあったら動かん訳が無い」

「いやじいさま何言ってるかわからねえけど、俺の息子ヘタレるぞ」

「うちの息子、逃げれる時は逃げる子ですけど…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっまじで?儂信じたらダメじゃった?」




王様ステップ(金レアスキル):バ群から抜けやすくなる(効果大)
サポートカード:「幼き日の王者」エクセ??????ンより獲得。


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第二十六話 いかにして彼女は報いを受けるか

「今年も将来有望な子がいっぱいいるねえ!早く学院で一緒に走りたいなあ」

「ああ、そうだな。私も血が滾る。こんな先輩の世話などせずに学院でトレーニングしたい」

 

アスコットレース場、グランドスタンド前の立ち見エリアの片隅でキャスケット帽とマスクを装着し、現在行われている競走バを目指す少女達の祭典、ポニーステークスを満喫している不審な出で立ちのボブカットの茶髪の少女。

彼女は現在追われている身であった。

その特徴的な大きく、きらきらと輝く瞳も本来は隠すべきである。

しかしサングラスなんて付けたら、折角の大好きなレース観戦の楽しさが半減してしまうと考えて付けなかったのだ。

 

「ふっふっふ~。流石にレオもシーちゃんも私がここにいるなんて思わないでしょ~。灯台下暗しってもんよ」

 

そして特定されそうな友人の名前を独り言で呟き、余裕綽綽であった。

 

「そうだな、私も本当に来るとは思わなかったぞ…」

 

この余裕ぶっこいている人物に、キャップとサングラスを付け、手に捕獲用のロープを持った、手足の長い引き締まった体型のウマ娘が呆れた声をかける。

彼女はずっとこのキャスケット帽の不審者、いや先輩の隣にいたのだが、全く気付かないので痺れを切らせたのである。

 

「でしょでしょ~。シーちゃんもそうおも…あっ…」

 

隣に誰がいたのかに気付いた不審者の顔色が蒼白になり、首がまるで油の切れたゼンマイ仕掛けのようにぎしぎしと動き、声をかけた相手に振り向いた。

不審者が、一番会いたくない追手であった。

 

「シ、シ、シーちゃん…?」

「ライト先輩、あなたは頭がおかしいのか?姉者が絶対に来ると言っていたが、こうして見ても信じられない。脱走しておいて何故ここにいるんだ…?」

 

シーちゃんと呼ばれた追手は、本来は歯に衣を着せない言動の持ち主である。

「お前馬鹿だろ?」と言いたかったが、一応の先輩に配慮し、遠回しに自分の言葉を伝えた。意味は同じであった。

そして姉の言う通りここに網を張っていたら本当に来たので困惑していた。

このライト先輩とは、統括機構トレセン学院所属の競走バである。

しかも名バである。世界を股にかけた活躍をし、ガリレオ会長との二度の激闘は名勝負と語り継がれているのだ。

そして彼女は現在指名手配中であった。彼女の所属するチーム・ゴドルフィンの担当トレーナーが生徒会に泣きついたのだ。

 

「三月にドバイ、その後しばらくは学院で大人しくしていたが六月に日本、これはタカラヅカか?そのまま帰国せずにアメリカのニューヨークで二度の目撃情報…ダービーを観に行っていたな。そして九月に入りここだ」

 

ライトは、放浪癖を持ち、レースに出るのも観るのも大好きな脱走常習者であった。

後輩の説明通り、学院を脱走しては世界各地の大レースを観て回るのだ。

 

「シーちゃん、いつからいたの!?」

「ずっと隣にいたし、相槌を打っていたのは私だ。さあ学院に帰るぞ」

「や、やだなあシーちゃん…日本はリョテイちゃんとオペラオーちゃんに会いに行ってただけだし、ちゃんと自分のレースまでには帰るつもりだったよ。三月にドバイ行った後はちゃんと…とんずらーーーっへぶう!!?」

 

ライトが逃げようとするも、ほんの数歩進んだところで見えない壁にぶつかったかのように立ち止まる。

既に、腰に捕獲用のロープが巻かれていたのだ。

 

「な、なにこれぇ!?いつの間に!!?」

「先輩、お前馬鹿だろ?」

 

ついにシーちゃんが馬鹿と言ってしまった。

先ほど、レースに夢中すぎて気付いていない間に「先輩、はぐれない様にロープで結んでおくぞ」「うんお願いシーちゃん」というやりとりがあったのだ。

こいつマジかとシーちゃんは呆れ果てた。ライトはアホの子であった。

ちなみに、レース中の混雑した中でこんな騒ぎを起こす二人は当然目立っていた。

 

「おい、あれ脱走中のファンタスティック…」

「会長は今解説席だよな、ということはあっちはシーザ…」

「“恒星“が迷子の世話か…」

「おいやめてやれ、気付いてないフリをするんだ」

 

ここは紳士の国、英国である。知らないフリをしてあげる情けがあった。

シーちゃんは心の中で感謝した。

 

「シーちゃんひどい!馬鹿って言う方が馬鹿だもん!」

「あのな先輩。あなたは姉者より年上なんだぞ?一緒に出かけたら必ずフラフラと何処かにいなくなるあなたの為に、迷子案内する私と姉者の身にもなってくれないか?」

「でも、今回の旅行もレオは許可くれたよ!」

「姉者は先輩に甘いからな…それと許可を出したのは日本だけだ」

 

実際、ガリレオ会長の許可は出ていた。

しかし余りにもあちこち飛び回った上で、彼女のトレーナーから泣きつかれて探すことにしたのだ。

ガリレオ会長が、そろそろ顔が見たいし心配だから迎えに行こう、と言い出したのもこの捕り物の理由の一つである。

会長はこのアホの子にダダ甘であった。

 

「やだやだーーっ!せめてポニーステークスだけでも最後まで観たいよーーっ!!」

「子供かあなたは!?ああもう仕方ない、私の近くにいるなら許可しよう。姉者もそれくらいなら許すだろう」

「ホント!?シーちゃん大好き!」

 

そして妹もこのアホの子にダダ甘であった。

姉妹揃って過保護すぎるのだ。

 

(先輩はアホで馬鹿ですぐにいなくなるが、それでも姉者の恩人だからな…)

 

シーちゃんがあの激闘の一戦目の記者会見で、アホの子が天才に向けた言葉を思い返す。

 

『キミさあ、走るのつまらなさそうだよね。私が走る事の楽しさ、教えてあげる!』

『君もどうせ、私に勝てないだろう?勝ってから言ってもらおう』

 

(だが、姉者はレースを楽しめるようになったのと引き換えに、先輩のアホがうつって…いや考えるのはよそう)

 

会長はあのアイリッシュチャンピオンステークス以来、輝きがどうだの言い出したり、競走バとは挑戦するものだとアメリカで未経験のダートに特攻したりと人が変わってしまったのだ。

土を浴びてやる気を無くした会長は、もう二度とダートなんて走らないと誓った。

 

「しかし、あんな事件があったというのに、選抜戦をアスコットでやるとはな…」

「違うよシーちゃん。あんな事件があったからこそだよ?」

 

ライトのこの発言に、シーちゃんが耳を傾ける。

このアホの子は普段アホなのに、時折的を射た発言をするのだ。

 

「先輩、あったからこそ、とは?」

「だってさあ、あんな事件があって子供達が不安になっちゃってるでしょ?特に現地のここはね」

 

ライトが指である一点を指し示す。

そこには、ウマ娘の子供達がいた。アスコットポニースクールの生徒達である。

 

「だからね、問題が解決したよって来場者や報道の人たちに教えてあげるのと同時に、アスコットの生徒の子達を、現地で応援させてあげられるからだよ。開催地の生徒は応援席がもらえるからね」

 

示した指をそのままくるくると回しながら、どや顔を見せるライトの説明を聞き、シーちゃんがぽんと手を打った。

確かに合点の行く話であった。

 

「なるほど…先輩は普段アホの子なのにたまに鋭い事を言う」

「もうシーちゃんひどい!!でもねーそれにね」

「まだ何かあるのか?」

 

 

「今年はね、何か面白い事が起きる気するんだ!私の勘って当たるんだよ」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、ご武運を。サリーはお嬢様の心の平穏を祈っております」

「フランちゃん、無理そうなら棄権してね。記録に残っちゃうけど、別にそんなの気にしなくていいから」

「心配ないわミディお姉様、サリー。わたし、頑張るわ」

 

地下バ道で、ミディお姉様とサリーと話すあの頃のわたし。

この二人にも随分心配をかけたし、助けてもらった。わたしは報いねばならなかった。

 

「トムも連れて来れたらよかったんだけどね。あいつまだ資格もないし今回の帯同者からも外れてるから、ここまで来れないのよね。でも観客席で観てるからね」

「ううん、平気よ。トムの為にも走るわ」

 

二人に手を振って、地下バ道を歩く。

一人になった途端、わたしは酷く不安になった。

あの人を最後に見た姿が、苦しそうな顔だったのが心配でならなかった。

わたしは、あの人に必ず報いなければならない。

あの人はわたしが走れない事を何故か知っていた。

だから、わたしは勇気を出そうと、思ってしまった。

 

(きょうは、わたしがはしるわ)

『…本当かい?無理はしなくていいんだよ』

(ううん、わたしがはしらないと、トムがつらそうなの。だから)

 

例え一着じゃなくても、最後まで走れるとあの人に示さなくてはならない。

心配をかけたくなかったから。

怖くない。わたしは走れる。そう、信じていた。

全部悪い子に任せて、逃げただけなのに。

 

「…フラン、がんばってね」

「ナサちゃん!」

 

地下バ道の途中で、ナサちゃんが待っていた。

ナサちゃんにも悲しい思いをさせてしまった。わたしは、ナサちゃんにも報いたい。

 

「ナサちゃん、一着おめでとう!控室で観てたのよ」

「ありがとう。でもじいじ、ぼくのレースみてなかった」

 

お爺様は、ナサちゃんのレースを観る約束をしていたのに、シャカファイ?というのに夢中でレースを観てなかった。

ひどいと思った。ナサちゃんはお爺様にしばらく口を利かなかった。

 

「ぼくも、かんきゃくせきでフランのおうえんする。でも、むりしないでね」

「ありがとう!うれしいわ、ナサちゃん」

 

「フランちゃん!今日はレース一緒に頑張るです!ところでこっちの眠たそうな目のかわいい子はどちらさまで…?」

 

ナサちゃんと話していたら、オコナーちゃんが来てくれた。

オコナーちゃんは、今も大事なお友達。

たまに鼻息が荒い時があって怖いけど。

 

「オコナーちゃん!従姉妹のナサちゃんなの!」

「…よろしく」

「よろしくです!おおお、美幼女従姉妹…ここは桃源郷ですね…」

 

ぺこりとナサちゃんがお辞儀して、オコナーちゃんに挨拶する。

でもなぜかこの頃から、ナサちゃんはオコナーちゃんの事を警戒していた。

 

「…フラン、このこ、ちょっとあぶない」

「…どうして?オコナーちゃん、とっても良い子なのよ」

「ぼくのかんがいってる。ぜったいあぶない」

 

「ひどいです!危なくないですよ!」

 

このやりとりは、今も続いている。特にナサちゃんは、私とオコナーちゃんが二人でいると必ず現れる。

あの人にもちゃんと見ていろって何度も怒っている。あの人は困った顔をしていた。

オコナーちゃんが落ち着いた所で、ナサちゃんと別れて地下バ道を二人で歩く。わたし達が最後のようだった。

 

地下バ道を抜けるまで、ナサちゃんが応援してくれて、隣にはオコナーちゃんがいて、わたしはまだ走れると思っていた。

辛くても走り切るくらいはできると思っていた。

 

 

──でも、ここが何処かをよく考えるべきだった。

出口の先には、みんなを騙して、あの人を苦しませた報いが待っていた。

 

 

ここは、アスコットレース場。

わたしの、以前の学び舎がある場所。

つまり、それは──

 

「おいお前ら~大人しく見とくんだぞ~」

「はーい!」

「えっ?あれってフランちゃん…?」

「ほんとだ!」

「ポニーステークスにでてるの?すごい!」

「みんなでおうえんしようよ!」

「お、おいお前らやめとけ!」

 

「フランちゃーーん!!がんばって!!」

「ああ~、これ査定下がるなあ…」

 

 

 

 

「どうして…いるの…?どうして…」



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第二十七話 いかにして彼女は舞台に立つか

すまない…ヴァンパイア的なサバイバーで忙しくて…


わたしを応援してくれる、以前のクラスメートのみんな。

あの子達みんな、悪気なんてなかった。

わたしがポニースクールを去ってから四か月が経っていて、あの人と出会ってから三か月と少し。

もう、あの子達には過去の話で、わたしを応援してくれる気持ちに、わたしに謝りたいという気持ちにきっと偽りは無い。

 

でも──

 

「フランちゃん!あんなこといってごめんなさい!」

『もうフランちゃんとはしりたくない…』

 

「なんで…」

 

「みんなでおうえんするわ!フランちゃんにあやまりたいの!」

『フランちゃんばっかりいちばん!もういや!』

 

「やめて…」

 

「ずっとずっといいたかったの!ごめんなさい!」

『フランちゃんはひとりではしってよ!』

 

「どうして、いまさら…」

 

わたしにはまだ、過去じゃなかった──

 

「う…うぅぅ~~…!」

 

わたしは、あの子達、以前の同級生のみんなを見た瞬間、心がぐちゃぐちゃになって立っていられなくなった。

幼く、弱いあの頃のわたしは、心の底から腹が立った事なんて経験した事がなかった。

抑えられない怒りと悔しさ、心の苦しさと悲しさを同時に感じてしまった。

吐き気がひどくて、頭が軋むように痛んで、その場に蹲ってしまう。

 

「フランちゃん!?どうしたんですか!?」

「君!大丈夫かい?」

 

すぐに異変を感じたオコナーちゃんと、整バ係員のお兄さんが駆けつけてくれる。

 

「だ、だいじょうぶ、です」

 

それでもわたしは、立ち上がる。形振り構っていられなかった。

わたしは、報いなければならない。

 

『ちょっと穴空いただけだよ。こんなん寝れば治るって』

 

あの人は、もっと痛かったはず。それなのに平気そうなふりをしていた。私に心配させたくないために。

わたしは、心が辛いくらいで挫けてはならない。

ふらふらと、わたしはゲートに向かおうとする。

なのに、足が途中から竦み、動かない。

 

「フランちゃんがんばって!あともうちょっとだよ!」

 

まだ続くあの子達の歓声が、わたしの足を止めていた。

うるさい、やめろ。

わたしは、走るんだ。

あの人に走れるって見せなければならないんだ。

 

「なんだきさま?そんなかおではしるきか?はしるのはたのしむべきだぞ!」

『おや、この子は…?』

 

なんだこいつは。うるさい。

走るのが苦しいなんて、お前は味わったことがあるのか?

悔しい。走れさえすれば、わたしはきっと一番なのに。あの人に、一番速いのはわたしだって、わかってもらえるのに。誉めてもらえるのに。それならきっと、わたしは一人でも大丈夫なのに。

憎い。悔しい。憎い。悔しい。

 

『ああ、やっぱり。一番しつこかった子だ。私に何度も挑んできてね』

(しらないわ!あとにして!)

 

悔しさに、自分へのふがいなさに、弱さに、わたしは自分でも気付かない内に涙をこぼしていた。

 

「君、無理なら棄権していいんだよ?」

「はしれます!はしれるの!」

 

もう、言葉も変えていられなかった。

わたしは、弱い自分をもう隠すことすらできなかった。

 

「…うん、わかった。君のように緊張して泣いちゃう子もいるんだよ?ゆっくりでいいからね、ゲートに入ろう」

 

係員のお兄さんが、後ろからそっと、少しずつゲートに押してくれる。

このアスコットの整バ係のお兄さんは、この後もよくゲートの担当をしてくれた。

迷惑をかけたのはこの一回だけ…だと思う。 

この時、ナサちゃんのお友達のゾフちゃんも心配してくれていたと、後で知り合った時に教えてもらった。

もうわたしは、心がぐちゃぐちゃになっていて全く気付いていなかった。申し訳ない事をしてしまった。

ゲートに何とか入る。でも、周りにあの人も、サリーも、ミディお姉様もいなくて、不安でわたしは震えて泣いていた。

 

「おうさま!おうえんしてるでヤンス!がんばってほしいでヤンス!」

「おうさま!おうさま!おうさま!」

「うむ!きさまらに、我がアスコットにえいこうをもたらそう!」

 

隣のゲートの子は、アスコットポニースクールの子のようだった。

応援してくれるクラスメートに手を振っていた。

この子はみんなに慕われていた。羨ましくて仕方なかった。

ポニースクールで走ってもわたしは一人だったのに。

ゲートの中にようやく入れたわたしは、自分の脚が震えて上手く動かなくなっていた。

快復していないのに。あのメンコもないのに。当たり前の話だった。

 

(あしが、うごかない…なんで!うごいて!はしりたいの!)

『…見ていられない。やっぱり私が走るよ』

(だめ!ぜったいわたしがはしるの!)

『…一つ、いい方法がある。あまりやりたくない方法だけど』

 

悪い子は、わたしをはっきりとわかるくらい心配してくれていた。

やっぱりこの子は良い子だったと思っていた。

──この時までは。後でこの子はとんでもない事をしてくれた。

 

 

『──全部、私が代わろうか?それなら誰にもわからないよ』

(…できるの?)

 

 

悪魔のささやきだった。心が弱り切ったわたしには、とても魅力的に聞こえた。

 

『ああ…でも君のためにはならない。おすすめはできないよ』

(でも、できるのね?それなら、トムも、みんなにも、しんぱいかけないのね?)

『そうだね。でも、君はずっと一人になるよ』

(がまんするわ。ひとりはつらいけど)

 

わたしの周りにも、たくさんの人がいたはずなのに、わたしは今感じている苦しさから逃げたくて仕方なかった。

悪い子との対話で気付いていなかったけど、この時色々な事が起きていた。

わたしの、走る理由。その全てを決める出来事が。

 

『いや、もう少し待とう。どうやら来たらしい』

(え?)

『いいかい?彼の目をよく見るんだよ。ここからでもきっと見えるから』

 

この悪い子の言葉で、わたしは心の中から外界に注意を向けた。

実況の声が、聞こえた。慌てるような声が。

 

『──乱入者!ゴール前に乱入者です!大変な事になりました!』

「…ふぇ?」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「よう、おうさま!きょうはオレがかたせてもらうぜ!」

「…うむ!そのいきやよし!我もぜんりょくであいてをしよう!」

 

スタート地点に一番乗りし、幼き王者が今日対戦する相手それぞれに挨拶をして回る。

この先も学院で対戦するかもしれない相手達である。

エクスは態度は大きいが、こまめな気配りが利く子だった。

 

「おお!きさまはオコナーだろう!あねうえからきいているぞ!我はエクス!きょうはよろしくたのむ!」

 

王者自らの挨拶を受け、オコナーがエクスの顔をまじまじと見つめる。

 

(随分アクが強い子ですが、こいつ確かオーナーの娘です。私の好みとは違いますが顔も良いですし、ここは媚びるです)

 

計算高いオコナーはここはオーナーの娘に取り入っておこうと判断した。長い物には巻かれる主義であった。

 

「エクスさんですね!私はオコナーって言うですぅ、今後ともごひいきにぃ!」

「うむ!きょうはえんりょはむようだ!ぜんりょくでぶつかりあおう!」

 

しかし単純かつ、いい子なエクスは気付かなかった。細かい事は気にしない主義であった。

エクスはその他の出走バとも挨拶を交わしつつも、気掛かりな事があった。

 

(エプソムにおるというファーとかいうやつ、やつともきそいあってみたかったが…)

 

ナサとゾフの二人と競い合っているという、ファーというエプソムの生徒が怪我をしたと聞いたのだ。エクスに並ぶ程の天才という評価だが、ファーの脚は彼女の全力に耐えられないガラスの脚だった。エプソムBクラスとの交流戦にも出てこなかった。一度会ってみたかったエクスは心配しているのだ。

 

(…きょうそうバのみちをやめなければ、いずれあえるだろう。それよりも、あねうえのおしえてくれたフランだ。やつをみておきたい)

 

信頼する、大好きな姉が最も警戒していた相手を探す。

姉が怪物と評した相手を、一目見ておきたいという興味があった。

 

「フランちゃん!?どうしたんですか!?」

「おいだいじょうぶか?かおまっさおだぞ」

 

先ほど挨拶を交わしたオコナーの叫びとゾフの呼びかけに、エクスがそちらを見る。

そこに、怪物はいた。

這い蹲る、弱々しい姿だった。

 

(なんだこやつ、かおがまっさおだが、はしれるのか?いやそれよりも、こやつははじめてみたはずなのに、なぜかこやつにかちたくてたまらん。こころのおくから、なにかがさけんでおる。いやなかんじがする)

 

エクスは、フランを見て強く不快感を覚えた。

彼女の心の奥底、そこにあるウマソウルが強く訴えてきている。

この怪物を倒せと。今度こそ勝ってくれと。

その感情を、エクスは強い意志で呑み込んだ。王たるものは自分を律するものである。

 

(ふゆかいだ。我のこころは我のものだ。それよりも、こやつになにかことばをかけてやらねば)

 

これからも競い合うかもしれない相手である。エクスは叱咤する事に決めた。

自分の好敵手候補には、強くあってほしいのだ。

 

「なんだきさま?そんなかおではしるきか?はしるのはたのしむべきだぞ!」

 

ふらつきながらゲートに向かう怪物に、エクスは激励をかける。

ふらりと、怪物がこちらを見た。涙に濡れ、蒼白だが、強い怒りを抱えたその目で。

 

(うえっ!にらまれた!?こわい!)

 

エクスはビビり倒して目をそらした。

この王者は彼女の姉ジェシカに純粋培養されてきたので、強い感情を向けられた経験がないのだ。

 

(おそろしいやつだ、これがかいぶつか…しかしこいつは、そんなにつよそうにみえんぞ。はしれるかもわからんやつではないか。それよりもフランクはほんとにおらんのだな)

 

ゲートに入り、忠実な家臣の声援に応える。

自分はアスコットを代表する身であり、急に校長がいなくなって不安なクラスメートを鼓舞する重責がある。

そんな走れるかわからない相手に注意を向ける場合ではないと、エクスが気を引き締める。

 

(かしんも、あねうえも、ちちうえも、それに…ははうえだって、そらからきっとみてくれている。こんなにもひとが、ウマむすめが我のしょうりをしんじてくれている。ぶざまなレースだけはできん)

 

トレーナー用ラウンジで、父の付き添いと言う形でエクスの姉ジェシカは観戦していた。

罪悪感を抑えながら、忸怩たる思いで。

 

『おおっと、注目のフラン嬢ですが、どうやらゲートに入るのに苦労しているようです』

(やはりイップスね…どうして出てきたの?これはルールに従った正当な行為よ…私は悪くない…)

 

隣に座る彼女の父エイベルは、腕を組みこれから何が起きるか注視していた。

結局、フランの出走を理事の強権を使ってまでは止めなかった。

ヘンリー理事は普段はただのウマ娘狂いだが、その手腕と経験は確かである。

その人物がそこまで言うならと見届ける事にしたのだ。

もし何も起きなかったら嫌味の十個くらいは言ってやろうと思っていた。

そして父娘二人が見ている前で、その何かは起きた。

 

『──乱入者!ゴール前に乱入者です!大変な事になりました!』

「っ!あの男じゃない!?ふざけないで!あの子のレースに!」

 

ジェシカが怒りの声を上げる。あの失礼な男が、よりによって妹の大事なレースに乱入していた。

トレーナーを目指す者として許せない行為でもあった。

 

「…そうか、そういう事か。今度は間に合わせたのか。しかし今度は自分の孫か…つくづくご老公は運が無い。いや、運が良いのか…」

「…お父様?」

 

遠くを見るような目でぶつぶつと何かを呟く父を、ジェシカが隣から眺める。

エイベルは、トレーナーの大家の当主である。

ウマ娘が競走中に起こす奇跡を何度も見てきている人物である。

これから何が起きるか、その経験と過去のとある悲劇から気付いたのだ。

 

「ジェシカ、よく見ておきなさい。それとレースが終わったら地下バ道に行き、エクスを待ちなさい」

「は、はい。お父様、それは一体…」

 

 

 

 

 

 

 

「恐らく、あの子には辛い結果になる」



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第二十八話 いかにして彼は乱入させられたか

ごめん切りいいからここで。明日も投稿します。


『さあ!今年のポニーステークスもついに最終レース!6歳~7歳の部ハーフマイルを迎えました!今年は12バの出走となりましたが4枠ロデリックオコナー!6枠7番ゾファニー!そしてクラブとスクール双方の無敗バと才能溢れる未来の名バが目白押しです!誰に注目されますかガリレオさん!』

 

『皆、素晴らしい輝きを持つ幼い才能ですが…私は2枠のフラン嬢を推したいですね』

 

『なるほど!ガリレオさん一押しのフラン嬢、中央地区のクイル・レースクラブ代表で加入からわずか二か月ほどですが…なんとここまで無敗!!1枠、地元アスコットポニースクール代表で交流戦無敗のエクス嬢との無敗対決に注目しましょう!』

 

選抜戦は6~7歳、8~9歳、10~11歳、の年齢別の3種目合計9レースが行われている。

12歳の部は存在しない。学院入りを目指す大事な時期であるからだ。

 

「戻ったぞ」

「ただいまー、会った感じ大丈夫そうだったわよ」

「おじゃまします」

「おう、お帰り。ナサも連れてきたんだな」

 

智哉は、パドックでフランを見守った後にゴール前の立ち見エリアに移動していた。

なるべく近い位置でフランを見てやりたかったのだ。

そこで姉とメイド、更に二人と地下バ道で合流したというナサを迎えて観戦に入る。

ゲート前のスタート地点では、一番乗りしたらしい小ぶりな流星の鹿毛の幼女が、地下バ道から出てくる出走バに一人ずつ挨拶を交わしているのが見えた。

 

「あれがエクスって子か。自信の塊みたいな子だな。ありゃ速そうだ」

「…あいつむかつくけど、たしかにはやい」

「ナサちゃんずっと負けたの根に持ってるわね…」

 

姉貴も似たようなもんだぞ、と言いたかったが智哉は我慢した。

口はワザワイの元という日本のコトワザを覚えた成果である。

 

「お前は大丈夫なのか?ミッドデイが無理矢理連れ出したと聞いたが」

 

メイドが智哉に声をかける。この二か月、智哉が憔悴していくのを見ていたからだ。

 

「結構しんどいっすけどね…悩むのは後でいいっす」

「なるほど、少しはマシな男になったようだ」

「あんたは悩まなくていいのよ!」

「いてえ!なんで今蹴ったの姉貴!?」

 

覚悟を決めた智哉に対して笑みを浮かべるメイドを見て、何となく腹が立った姉が智哉の脛を爪先で軽く蹴る。

智哉は何も悪くない。理不尽な所業であった。

 

「…きたよ」

 

ナサがいち早くフランの登場に気付き、全員が注目する。

 

──全員が見守る中、フランがその場に蹲った。

 

『おっと、スタート地点で誰か蹲っているようですが…』

『がんばれ…がんばれ…』

『ガリレオさん!?』

 

「あれフランちゃんでしょ!何があったの!?」

「お嬢様!!」

 

姉とメイドが叫ぶ中、智哉が原因を探す。

クラブでのレースで、フランが動けなくなる事は一度もなかった。

つまり、何かを見た、聞いたと判断したのである。

 

(応援席…!そういうことかよ…!!)

 

グランドスタンド最前列、智哉がそこに原因を見つける。

アスコットポニースクールの生徒達の応援席、フランへ声援を送る子供達がいた。

智哉が相マ眼で見た、フランのトラウマというバッドステータス。

彼女が立ち直っていない証拠がある。

この声援が劇毒となり、フランを苛んでいるのだ。

 

(やっぱり無理だったんじゃねえか!どうする…あそこにフランはもう置いとけねえ)

 

姉とメイドに目をやり、智哉は数秒間考え込む。

 

(…方法は、ある。俺マジでトレーナーになれねえかもなあ…)

 

覚悟を決めるために目を瞑ると、自然とフランと出会ったあの日を思い出した。

 

『わたし、フラン…おにいさん、おなまえ、なんていいますか?』

(あいつにまだ名前教えてなかったな。この後教えりゃいいか)

 

目を開く。覚悟は、決まった。

介入してでもあの場所からフランを連れ出す必要がある。

その為に何をするか、その覚悟を決めたのだ。

 

「姉貴、サリーさん。今からゲートまで走れるか?あいつが嫌がっても無理矢理でいい。係員に棄権を告げて連れ出してくれ」

「…わかった!あんたは?」

「その時間を稼ぐ」

 

この智哉の覚悟に対し、メイドが声を上げる。

統括機構主催レースの妨害をする、と今智哉は宣言したのだ。

その意味に気付かないはずがなかった。

 

「おい!お前、その行為の意味がわかっているのか!?それなら私たちが時間を…」

「俺が走るより二人の方が速いっすよ。それにそこまで大それた事はしねえっす。ほら、ゴール前のラチのあそこ」

 

智哉が指差した先に、二人の警察ウマ娘がいた。

ゴール前、重要地点の警備をしている二人である。

 

「あの二人にちょっかい出して、詰め所にでも連行されてきます。その間警備の補充入るまでは延期できると思うんで」

「そうか…それ以上の事はするなよ?いいな?」

「絶対乱入はダメだからね!絶対よ!」

「わかってるって。流石にやらねえよ」

 

姉とメイドはそう言い残すと、混雑する立ち見エリアをかき分けていった。

残った智哉が、ナサに目を向ける。

フランを心配し、不安そうな顔をしていた。彼女の為にも何とかしなければならない。

 

「ナサ、折角来てもらったのに悪いな。ちょっと行ってくるわ」

「ううん、ぼくもいく。フランのためになにかしたい」

 

智哉の言葉に対し、ナサが首をふるふると振ってから、智哉を見つめる。

絶対についていくという、強い意志を灯した目であった。

 

「…わかったよ。でも俺がやるからな」

「うん、じいじにすぐにおねがいするから、そこはまかせて」

「そういや、お前もあのじいさんの孫だったな…任せたぜ」

 

二人で、ゴール前に近付く。

途中でナサを待機させ、智哉が警察ウマ娘に声をかけた。

 

「おまわりさん、ちょっといいすか?」

「なんでありますか!?暴漢でありますか!?逮捕でありますか!?」

「えっやべえ何この人」

 

気性難であった。智哉は全力で逃げたくなったが、後ろで幼女ナサが見ていた。

逃げられない。現実は非情である。

 

「ごめんねー、こいつレース場の警備するのはじめてでさー。ところで君結構イケメンだねー。目つき悪めなのもいいじゃん」

「すんませんナンパはちょっと勘弁してほしいっす…」

 

もう一人はまともそうかと思いきや、職務中にナンパをしてくる軽薄さの持ち主だった。

智哉はウマ娘を眺めるのは好きだが、恋愛対象としてはやや守備範囲外であった。姉のせいである。

これどうしようと智哉が悩み始めた、その時だった。

 

「みんないけーー!!!」

「「「わーーーーー!!!!」」」

 

突然、智哉の後ろから、多数のウマ娘の少女達が警察ウマ娘二人に飛びかかった。

智哉が謎の闖入者の顔を見て絶叫する。知っている顔しかいなかったからだ。

 

「お前らなにしてんの!!?」

「せんせー!行って!フランちゃんのためでしょ!?」

「どこにだよ!!?行かねえよ!!そこまではしねえよ!!」

 

警察ウマ娘への襲撃者は、クイル・レースクラブの練習生達であった。

あの時、姉と智哉の会話でフランが走れないと聞いたアンナが、何かあったらみんなで助けになろうと声をかけていたのだ。有難迷惑であった。

 

「私こんなことしていいのかしら!!本当にいいのかしら!!?」

「こら!公務執行妨害であります!首謀者は誰でありますか!?」

「こらこらー、しょっぴくぞガキどもー」

 

智哉は頭を抱えた。

まるで運命が乱入しろとでも言っているように、お膳立てされてしまっている。

もみくちゃにされた警察ウマ娘のうち、気性難の方が智哉を睨みつけた。

 

「まさか首謀者はお前でありますか!!子供達を利用するとは卑劣漢であります!」

「いや違うんすよ!俺じゃないっす!」

「せんせー!はやく!」

「トム先生早くしてください!あと今から走れますか?」

「マジで勘弁してくれよお…」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

智哉に泣きが入った一方で、姉とメイドはスタート地点を目指している。

しかし、混雑する中を進むのに苦戦していた。

 

「あーもう!すいません通して!」

「……ミッドデイ、どいてくれ」

「サリー急いでんだから…あっ」

 

焦る姉がメイドの顔を見て真顔になる。

メイドの顔全体に青筋が浮かんでいる。ここに来て気性難モードに変わっていたのだ。

メイドが背を反らし、息を吸い込む。

 

「どけえええええェェェェェッッッ!!!!!!!」

 

グランドスタンドまで響く、大音量の怒号であった。

一瞬周囲がしん、と静まり、その場の全員がメイドに注目する。

メイドは、オークスウマ娘である。そして、ある事でも有名であった。

 

「おい、あのメイドって…」

「うわああサリスカだあああ!!!」

「道あけろ!!死にたくない!!!」

 

札付きの気性難だったのだ。メイドこと、サリスカの顔を覚えていた競バファン達が、まるで三国志の猛将を見たかのような恐慌ぶりで下がり、スタート地点まで一直線に道ができあがる。

 

「よし。走れるな?復帰に向けてトレーニングはしているんだろう?」

「…あんた、やっぱりすごいわ。今ならあんたも復帰できるんじゃない?」

「もうレースはいいんだ。それよりも急ぐぞ」

 

姉はかつてのライバル、一度も勝てなかった頃のメイドの姿を幻視していた。

二人でそのまま、拓けた道を走る。

この二人を、ゲートとゴールのちょうど中間点の立ち見エリアで見ている二人組がいた。

 

「ふえ~、おっきい声!」

「…あれは、ミッドデイとサリスカか。久しぶりに見るな」

「シーちゃん同級生だもんね~」

 

アホの子ライトと、その後輩シーちゃんであった。

ゴールまでしっかり見れる場所が良いと駄々をこねたライトによって、ここまで移動してきたのだ。

ライトが、ふらふらとゲートに進むフランを心配そうに眺める。

 

「あの子、大丈夫かなあ?」

「…ああ、心配だな」

「…おお~?シーちゃん変わったよね~。昔なら弱いヤツはターフに出てくるな~とか言うとこだよね」

 

後輩の変化を、アホの子がうれしそうにからかう。

突っ張っていた黒歴史を突かれてシーちゃんの顔に青筋が浮かんだ。

 

「ああ、きっと先輩のアホがうつったんだな」

「もうまたアホアホ言って!そこまでアホじゃないもん!それよりもついてく?面白そうだし」

「そうだな、何をやるのか見ておこう」

 

ライトとシーちゃんの前を横切るタイミングで、二人に合流するように横を走る。

二人に気付いた姉が走りながら声をかけた。

 

「あれっ、まさかライト先輩?てことはそっちはシーザ…」

「久しぶりだがやめろミッドデイ。私は今はただのシーちゃんだ」

「…ああ、あんたまた苦労してんのね。ライト先輩あんまりこいつに迷惑かけちゃダメよ」

「かけてないもん!」

 

現在進行形で迷惑をかけられているシーちゃんが抗議しようとした所で、スタート地点に到着する。

道さえ拓けていれば、名バ達にとっては大した距離ではなかった。

その時だった。

 

『──乱入者!ゴール前に乱入者です!大変な事になりました!』

「はあ!?あのバカ何してんのよ!?」

「とにかくお嬢様だ!そっちは任せる!」

 

乱入した智哉に姉が怒りの声を上げ、メイドがすぐさまフランを回収に向かう。

二人の動きを見て、シーちゃんが首を傾げた。

 

「何が起きているんだろうな?」

「…」

「…先輩?」

 

シーちゃんがライトに目を向けた瞬間、猛烈に嫌な予感が走った。

ライトの目が、普段よりもきらきらと輝いていた。

ライトは、アホの子である。時折突拍子も無い事をしでかす。

その予兆が今、現れていたのだ。

ライトが、乱入者とゲートで泣いている幼女を見比べる。

 

「これだ~~~~!!!!」

「おい先輩!?何をする気だ!」

「むぎゅ!これ邪魔!!!」

「手刀でロープを切っただと…!?」

 

手刀で綺麗に腰に巻かれたロープを切断し、ライトが脱走する。

そのまま小柄なライトはラチの上を器用に駆けて行った。目指す先は、ゲートの開放装置であった。

シーちゃんが目的に気付き、必死に追い駆けながら声を張り上げる。

 

「おい!やめろ!!それはダメだろう!!」

「ちがうんだよシーちゃん!!きっとこうなんだよ!!」

「ちょっと何してんの先輩!?」

 

ゲートに飛びつき、係員の制止すら追いつかないまま、ライトが開放装置に到達した。

そして満面の笑みを浮かべ──

 

「えい!!!あと旗!!」

「あ!!ちょっと君!!」

 

ゲートを開放した。そしてすぐさま旗係に飛びついて旗を奪う。

 

「ごー!!」

 

アホの子は、発走させたのだ。集中していた出走バの子供達はフランを除きそのままスタートした。

スタート地点は一気に混沌とした状況になった。地獄絵図である。

 

「あああああこのアホおおおおおおおお!!!!!」

「ひーひゃんいひゃい!いひゃい!!」

 

激怒したシーちゃんがライトのもちもちした饅頭のようなほっぺをひっぱり倒す。

激怒したのはシーちゃんだけではなかった。姉である。

しかし、怒りの矛先はシーちゃんであった。

 

「おい!!!シーザスターズ!!!お前ちゃんと面倒みとけ!!!!」

「あああフルネームはやめろおおお!!!」

 

名前を出されてシーちゃん、いやシーザスターズが悲鳴を上げる。

こんなん私のキャラじゃないと彼女は叫びたくなった。

"空に瞬く恒星"シーザスターズ──敗北は本格化前のメイドンのみ、クラシック二冠を達成し凱旋門賞も制覇した、歴代最強とも噂される欧州競バ界最強候補の一角である。

しかしアホの子当番であった。もう一度言うが最強バ候補なのにアホの子の当番なのだ。

 

「どうすんのよこれ!!!誰が責任とんの!!?」

「わ、私じゃない!!このアホだろ!!!」

「ひーひゃんいひゃいよう」

 

阿鼻叫喚であった。一瞬姉ですらフランの事を忘れてしまった。

そんな中、一つの変化が起きていた──

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢様…その光は…?」



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第二十九話 その日、怪物は産声を上げた

『最終レース開始前ですが…なんですかこの状況は!?色々起こりすぎて実況が追いつきません!立ち見エリアを駆けるのはミッドデイとサリスカでしょうか!?二バとも皆さんご存じの名バです!!ゴール前でも何か起きています!警備に子供達が纏わりついていますが…』

『これ、実況しなくていいのでは…?』

『職業病です!』

 

実況に解説が困惑する中で、智哉も困惑していた。

目の前で警察ウマ娘に纏わりつく練習生達、まるで乱入しろと三女神に言われているようなこの状況。

ゴール前は混沌と化していた。

 

(行ったら理事会のブラックリスト入りだし行けねえ…いや、このままでも警備の応援来るまでは時間稼ぎになるか…?)

 

統括機構主催レースへの乱入なんて真似をしたら、確実に理事会に目を付けられるし最悪前科まで有り得る。

統括機構所属トレーナーを目指す智哉としては、絶対に取ってはいけない選択肢だった。

そう悩む智哉の横を、素早く通り過ぎようとする影があった。

慌てて智哉が肩を掴んで制止する。

 

「待て!乱入はだめだ!」

「…はなして!ぼくならだいじょうぶ」

 

影の正体は、後ろで成り行きを見守っていたナサであった。

従姉妹を救出する時間を稼ぐために、自らがコースに飛び込もうとしたのだ。

 

「いくら子供でも、お前でもどうなるかわかんねえんだぞ!最悪退学になる!」

「それでもいい!フランのためなら!!」

 

ナサは、全てを理解していた。それでもコースに乱入する事を選んでいた。

フランの一番の親友として。星を追い駆けるものとして。

 

『おおっと、注目のフラン嬢ですが、どうやらゲートに入るのに苦労しているようです』

 

時間は、もうない。一枠のフランは一番最初にゲートに入るのだ。

 

「トムさんどいて。ぼくはもう、かくごをきめてる」

「…‥まて、行くな」

 

ナサが怒りを込めて、わからず屋の智哉の顔を見上げた。

智哉は、澄んだ目をしていた。いつもの目付きの悪さが無くなっていた。

フランを見る時の優しい目をしていた。

 

「──俺が行くよ」

「トムさん…」

 

ナサが、智哉の目を見て後ろに下がる。

あの日、街を歩いた時に従姉妹を任せてもいいと思った目だったからだ。

智哉が、警察ウマ娘と練習生達の横を抜けて、ラチの前に立つ。

 

「…」

「…トムさん?」

 

しかしここで足を止めた。ヘタレはまだ覚悟ができていなかった。

 

「トムさん?いかないの?」

「ちょっと心の準備させてくれ…」

「トムさん?フラン、ゲートにはいっちゃうよ?」

「おう…」

「…やっぱりぼくがいく?」

 

気を使われた。十歳下の幼女に。これで三度目であった。

 

「うおおおお!!乱入は許さんであります!!」

「ひえっ!」

 

子供を振り払おうとする警察ウマ娘にビビッて、智哉がラチをまたいで逃げた。

条件反射であった。

 

(あー…やっちまった。じいさんマジで責任とってくれよ…)

『ああっ!これは乱入者!ゴール前に乱入者です!大変な事になりました!』

『おや、彼は…ちょっと失礼』

『ガリレオさん!?どちらへ!?ガリレオさーーーん!?』

 

コースの奥側、内ラチまで歩き智哉は800m先、一枠ゲート内のフランを見た。

フランは、ここからでもわかるほど震えて泣いていた。

それでも前を、智哉を見ていた。

その姿を見た智哉は、今までの悩みがどうでもよくなってしまった。

苦しくても走ろうとしている幼い少女の姿がそこにあった。

 

(そんなになってんのに、そこまでしてでも走りたいのかよ…)

 

智哉は、少しでも力になってやりたい、助けてやりたいと感じた。

自分にできる事の全てを持って。

 

(わかったよ。一人が辛いなら、それでも走りたいなら──)

 

 

(──俺が…お前のゴールになってやる)

 

 

(それなら一人じゃない。俺もまだ、一人じゃ前を向けない。でも二人なら、俺とお前となら、きっと、前を向ける)

 

独りよがりかもしれない。余計なお世話かもしれない。

だが、智哉は心からそう思った。この気持ちを何としてもフランに届けてやりたいと思った。

そう思ったその瞬間、今まで見た事が無い程の強い光を伴いながら、相マ眼が発動した。

智哉の意思ではない。

 

(なんだ!?俺は使ってねえぞ!?)

 

智哉の心の奥、相マ眼を介して異世界に繋がる扉、そこから何かが出てくるのを感じた。

そうして智哉は、今度こそはっきりとフランを、フランの目を相マ眼で見た──

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

この様子を、VIP席で老紳士達は固唾を飲んで見守っている。

智哉が青く輝く姿を見て、不意に、老紳士が言葉を漏らした。

 

「間に合った。間に合ったぞ、ブレーヴ…」

「じいさま?」

 

この呟きに、伝蔵が訝し気に言葉を投げかける。

老紳士、ヘンリー理事が伝蔵に目を向けた。目元に、涙を貯めていた。

伝蔵も、セシルも、初めて見る姿だった。

 

「のう、デンゾウ。お前のせがれの相マ眼、何だと思っとる?」

「あー…怪我がわかったり競走バの能力がわかるんだろ?便利だよな」

「それはの、あくまで副次効果じゃ。あれはの、きっと探すための目じゃよ」

「…一体何をだ?」

 

「運命の、愛バ。すなわち三女神の寵児を探すための目じゃよ。儂はそう思っておる」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

(トムのめが、あおくひかってるわ。おじいさまのおはなしのひとは、トムだったの?)

 

この時の事は、はっきりと今も覚えている。

きっと、ずっと忘れない。わたしの全てを決めた出来事。

あの人、トムが青く輝いて、そうして体の中から青い人影がこちらに向かって飛び出してきた。

飛んできた人影が、私の胸にそのまま入り込む。

わたしは、時間が止まったような感覚を覚えた。

 

『ああ、あいつ、やっぱりそこにいたんだ』

 

悪い子のその声が聞こえた瞬間、わたしは別のどこかにいた。

広い、広い、草原だった。走るのが気持ちよさそうな場所だった。

 

『やあ』

 

そこで、私は悪い子と対面した。初めてはっきりと姿を見た。

大きな、四本足の、鬣を持った顔が長い生き物。その上にさっきの青い人影が跨っていた。

 

『よかったね。彼に見つけてもらえて。私もお迎えが来た』

「トムのこと?なにがおきたの?」

『お別れって事だよ』

 

わたしは、この言葉を聞いてとても悲しくなった。

この子は、不器用だけどわたしをずっと守ってくれていた。

何の恩返しもできていない。

 

「どうして!?わたし、なにもおかえししてないわ!」

『気にしなくていいんだよ。私はもう君に声をかける事はないけど、それでもずっと見てるから』

「あなた!やっぱりわるいこだわ!かってにわたしのこころにいて!かってにいなくなって!」

 

表情はよくわからないけど、悪い子が困ったような仕草をしたのがはっきりわかった。

寂しくなって、わたしは我儘を言ってしまった。

 

『うーん、しょうがないな。じゃあ特別サービスで、こいつが聞いた彼の気持ちを届けるよ』

 

青い人影が頭に手をやり、何かを外す仕草を見せた。帽子を外しているようだった。

その時だった。トムの心を、わたしへの言葉を感じた。

 

(──俺が…お前のゴールになってやる)

 

「トムが…ゴールになってくれるの?ずっと、わたしをまってくれるの?」

『これなら、一人でも大丈夫だろう?』

「ええ…ええ…!すてきだわ!とってもすてきだわ!」

 

わたしは嬉しくなってはしたなく飛び跳ねそうになった。

今でも、わたしの走る理由。それが今決まった。

この言葉、録音とかできなかったのかな。悪い子はサービスが足りないと思う。

 

『じゃあ、私はもう行くけど…その前に』

 

悪い子がわたしの胸元を見つめる。わたしの胸から、赤いプレート状の何かが飛び出した。

悪い子がそれを食べてしまう。

 

『これは、私がもらっておくよ。これがあっても今の君は走れるだろうけどね』

 

不意に、心が軽くなった。今なら何でもできる。私は走れると思った。

でもここからだった。悪い子の最大のお節介、今でも恨んでいる行為。

 

『じゃあ、これお返し。うげえ』

「なにこれえ…」

 

悪い子が口から大量にプレート状の何かを吐き出した。

一つ、金色のものを手に取ってみた。「地固め」と書かれていた。

 

「なにかしら?」

『私の持ってる才能。コピーして君にあげるよ』

「ええええ!?いらないわこんなに!!」

 

わたしは怒った。今でも怒ってる。絶対ゆるさない。

 

『ほら、私も大分こきつかわれたしさ、そのお返しも込めて、ね?』

「ぜったいゆるさないわ!それよりもふつうのあしをちょうだい!」

『君は私だから、普通は絶対無理だよ。それにさ、一人でももう走れるだろう?』

 

力が、脚が、漲る感覚を確かに覚えた。

でもそれとこれとは話が別だった。

ふわりと空に浮かび上がる悪い子にわたしが絶叫する。

 

「いいはなしふうにしないでちょうだい!まちなさい!まって!」

『もう時間だから。じゃあね。君には、君を待つゴールがあるんだよ』

 

『ゴールがあるなら、走るべきだろう?君もウマのはしくれなら』

 

 

 

気付けば、またゲートの中にいた。

悪い子にはまだ怒っていたけど、心が軽い。脚が動く。

そして、もうレースは始まっていた。ひどい出遅れだった。

 

──それでも、ゴールがそこにある。トムがそこで待っている。

 

「お嬢様…その光は…?」

 

後ろにサリーがいたけれど、わたしはしなければならない事がある。

 

──わたしは、走る。

 

わたしの体を、金色の光が包んでいた。

悪い子がいなくなって空いた心の奥に、代わりに強い力を感じる。

光が全身を包みきったその時、わたしの額に輝く星のような流星が現れた。

出遅れでも、一着じゃなくてもいい。トムの所に行きたい。

でも、不思議と負ける気はしなかった。

 

 

 

 

 

 

「いまいくわ!!トム!!!」



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第三十話 いかにして彼と彼女は名乗るか

『なんか光ってる乱入者がいるのにスタートしてしまいました!どうなってるの!??とにかく実況します!大きく出遅れたのは注目の一枠フラン嬢!えっ今度はこちらが光っています!!ガリレオさんどこ行ったんですか!?解説してください!!』

 

フランが、走り出す。驚異的な加速で一気に後続に間合いを詰めながら。

まず追いついたのはオコナーのチームメイトの二人であった。

彼女達は、フランと出会って変わりつつあるオコナーを勝たせてやりたかった。

そのために、後続で待っていたのだ。一番の脅威であるフランを。

 

(フランちゃんきた!ごめんね!)

(オコナーからはやるなといわれたけど!)

 

一枠のフランをブロックする為に体を寄せる。強豪チームの見事な連携であった。

それを察知したフランの目が青く輝く。

智哉から抜け出た相マ眼は、別の形でフランに宿っていた。

どこを走れば抜けれるか、それを教えてくれるのだ。

 

(トムのめがおしえてくれてるわ!でも!)

 

しかし、フランは導きに従わなかった。

そのルートではバ群に飲まれる。大きく出遅れた現状では、先頭に追い付けないからだ。

目から出る青い閃光の軌跡を残しながら、フランが急減速からの急加速でブロックを置き去りにする。稲妻のような直角軌道であった。

技術でもなんでもない、理不尽な才能のみでブロックをかわしてみせたのだ。

 

『なんというブレーキからの加速!まるで稲妻の如しです!!』

「むりー!」

「はやすぎるー!」

 

まず二人、そして一番開けている大外に進路をとる。

 

(このままいっきに!せんとうをめざす!トムのいるところを!)

 

このフランを、出遅れようが全てを蹂躙する怪物を、ジェシカは戦慄しながら眺めていた。

 

(何…何なのこれは…こんな怪物が…あの子と同じ世代だなんて…)

 

思わず、恐怖を抱いた。そしてわずかに絶望の気持ちも。

そして隣のエイベルは、かすかに笑っていた。

娘に勝ってほしい気持ちは当然ある。

だがこれ程の才能を見て心が昂っていた。トレーナーとしての血が騒いだ。

 

(欲しい…我がクールモアに迎えたい。あの少年、彼が恐らくあの少女の運命だ。ならば…)

 

そして悪だくみを始めた。友人の娘であろうと何としてもチームに迎えたくなったのだ。

 

 

目の前でフランが出て行ったメイドは、涙を流して絶叫した。

 

「あああああああお嬢様あああああああああ!!!!!!」

「サリーうるさい。気持ちはわかるけどね」

 

姉も、少し涙をこぼしていた。見た事がある奇跡をフランが起こしていた。

あの日、会長とアホの子の二度目の対決。

領域(ゾーン)に入り、いつも通りのつまらない勝利を確信した会長を破った、"空想的な輝き"(ファンタスティックライト)がそこにあった。

シーザスターズも、思わず口を開けながらアホの子の折檻を中断する。

 

「…先輩、これがわかっていたのか?あの時の先輩と同じだろう、あの現象は」

「シーちゃん痛いよう。私の勘だよう」

 

この奇跡を起こした一人、アホの子はべそをかいていた。しかも勘で行動していた。

しかし、ライトの勘はこういう時、必ずと言っていい程によく働いた。

この怪物を見て、シーザスターズの血が滾る。

彼女は、強者と走る事を何よりも望んでいた。その相手と成り得る相手が、また一人現れたと感じた。

 

(あの子がレジェンドグレードまで来るのに何年だ?私はまだまだ現役のはずだ。楽しみでならない…!早く、早く来い…!)

 

「あー!シーちゃんまた悪い顔してる」

「これは嬉しいだけだ。それよりも実行委員に謝りに行くぞ」

 

そう言ってシーザスターズがライトを担ぎ上げる。

もうレースを観る必要は無い。誰が勝つかはわかっていた。

 

「やだー!怒られるのやだああああ!」

「良い物見せてもらったからな。私も付き合おう」

「ホント!?シーちゃん大好き!」

 

二人はそう話し合いながら、ターフを後にした。

なんだかんだシーちゃんはアホの子にダダ甘であった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「ああ!あなた!あの子が、フランが走ってます。あんなに楽しそうに…」

「そうだね…やっと…やっとあの子が…」

 

セシル夫妻は、娘の走る姿を見て涙を流していた。

その様子を見ながら、老紳士、ヘンリー理事は懺悔をするように語り出す。

 

「…三女神の寵児には、守護者のようなものが宿る。心が傷付いたら、代わってあげられるようにの。前は、ブレーヴの時は、代わってしまって間に合わなかったんじゃ」

「ウマソウル具現化症、ですか?」

 

母が、何が起きていたのかの推論を述べる。それに対し老紳士が頷き返した。

 

「あの論文な、儂が出したんじゃよ。ブレーヴをアメリカから英国に連れて来たのは儂じゃからな」

「…そうだったんですね。じゃあ、ダンシングブレーヴは…?」

「儂が、あの子の運命だった幼馴染の青年から引き離した。イップス治療の為にの…」

 

老紳士が、俯いて頭を抑える。罪を、悔いているようだった。

伝蔵が、愛妻の言葉を繋ぐように尋ねる。

 

「…どうなったんだ?」

「アメリカで、あの子の最後のレース、TCターフで再会できたんじゃ。相マ眼を使って一流のトレーナーになっておった。そして、あの子が別人だと気付いて相マ眼で視た。視てしもうた」

 

老紳士が、自らの罪を告白する。苦渋に濡れた声だった。

 

「…ゴールで倒れて目覚めた時には、幼い無邪気な少女がおったよ。マリー病なんて嘘じゃ。今はヘイロー家と儂の援助を受けて、日本で青年と暮らしておる。幼馴染のあやつとグッちゃん、それとキングちゃんにしか心を開かんからの…」

「でもよ、だから今回は間に合ったんだろ?そんなもんわかりようがねえし、じいさまは悪くねえだろ」

「儂の罪なのは変わらん。すまんの、デンゾウ。お主達一家全員、儂の感傷に付き合わせたようなもんじゃ」

 

老紳士が、伝蔵と母に詫びる。自分の罪を言えなかったのと、智哉から離さなければ大丈夫という確信があった。

伝蔵から、変な目を持ってる息子を任せたいと話が来た時に、強い運命を感じたのだ。

目的は姉と伝蔵とは別だったが、自ら智哉を確かめるためにあの日、アリーナで会ったのだ。

そして、信じるに足る、孫の行く末を任せてもいいと判断した。

 

「おう…まあ言って欲しかったけどよ。特にサッちゃんが」

「そうですね…フランちゃんの治療、苦労したんですよ?」

「それは本当にすまん。この通りじゃ」

 

もう一度、老紳士が謝罪する。母には特に迷惑をかけた自覚があった。

 

「でもよ、うちの息子が逃げたり相マ眼を使わなかったら、どうするつもりだったんだ?そもそも頼めばよかっただろ?」

「先輩、それはですね。ダメだったら父さんと僕で何としてもお願いしていました。頼まなかったのは…」

「役目を終えた相マ眼は、その力を失う。あんな有用なもんを、孫の為に失えと頼むのは最後の手段じゃった」

 

伝蔵の疑問に対し、セシルと老紳士が応える。

智哉とフランは、友人同士の家族であったが会わせる機会が無かった。

智哉が居場所を転々としていたからだ。

友人の息子とはいえ接点すらない相手に、無理を言う事はできなかった。

 

「そうか…なるほどなあ。まああいつ、アレいらなかったし構わないぜ」

「それを知っとったらのう…」

「それよりも、だ。ウチの息子がここまでやったんだ。わかってんだろうな?」

 

伝蔵が有無を言わさぬ目で二人を捉える。

それに、セシルが強く頷いた。

 

「ええ…理事会でエイベル先輩とガリレオがちょっかい出してくると思います。でも全力で庇いますよ。それくらいはしないとトモヤ君に顔向けできない。フランにも嫌われますしね」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

『なんという速さでしょうか!?光り輝くフラン嬢が大外を物凄い速度で突き抜けていきます!まるで…彗星のようです!!』

 

「フランが…フランがはしってる…ぼくのほしが、かえってきた…」

「あいつ…走ってやがる…なんて速さだ…」

 

ナサはゴール前でぽろぽろと涙をこぼす。追い駆けてきたものが、ようやく帰ってきた。

智哉は何が起きたかよくわかっていなかったが、感動していた。

そして現状を省みた。なぜかレースが始まっている。ここにいるのは完全アウトである。

 

(やべえ…戻るか…)

 

とりあえずラチを跨いで戻ろうとしたら、警察ウマ娘が子供達を振りほどいていた。

 

「うりゃあああ!!どうでありますか!!また今度遊んであげるから大人しくしてるであります!!」

「うわー!おまわりさんつえー!かっけー!」

「今のまたやって!」

「また今度ねー。お仕事すっから待ってなー」

 

吹き飛ばされながらも大喜びの練習生達とは対照的に、智哉は顔面蒼白になった。

その時である。目の前に、黒鹿毛の麗人が降り立った。

グランドスタンドから飛び降りて来たのだ。そうするのがかっこいいと思ったからである。

 

「やあ、待たせたね」

「ガリレオ会長…」

「逮捕であります!乱入罪であります!」

 

いきり立つ警察ウマ娘の前に麗人が立ち塞がる。

この為に、麗人はここまで来ていたのだった。

 

「まあ、ちょっと待ってくれたまえ。せめてレースが終わるまでは。それまでの責任はこのガリレオが負うさ」

「そ、そうでありますか…?ならレースまででありますよ」

 

警察ウマ娘はちょろかった。

この気性難は会長のファンで、念願のレース場警備にやっと就けたのだ。

そして麗人が智哉に振り向く。

 

「という訳で、そこにいなさい。特等席で彼女を待つんだ」

「いや俺戻りたいなって…」

「ダメだよ?流石に空気読もうね?」

「ッス…」

 

有無を言わさぬ圧を感じて智哉が外ラチ側、つまりフランが進む大外に残る。

智哉は途端に恥ずかしくなった。

こんな所でレース観戦は未経験の領域であった。

 

「また、あの輝きを見れるとは、ね…」

 

ガリレオが感慨深く言葉を漏らす。

あの限界を超えた好敵手の輝き、自らを魅了した光をフランが放っていた。

 

(ちゅうだんにおいついた!まだあしはある!いけるわ!)

 

残り200m、フランは先頭を捉える事が可能な位置まで到達していた。

先頭は、オコナーであった。それをゾファニーとエクスが虎視眈々と差すタイミングを伺っている。

 

(すげえ!フランちゃんおいついてきたぞ!)

 

ゾファニーが、大外をぶち抜いていくフランに感嘆し、エクスがオコナーに仕掛ける。

 

(オーナーの娘!やっぱり来たですね!)

(ナサニエルとのたいけつで、かだいだったスタミナはきたえた!ここからしかける!)

 

エクスが、バ群を悠々と抜け、天性の末脚でオコナーを抜き去って先頭に立つ。

しかし、先頭に立ったのはほんの一瞬だけだった。

 

──金色の彗星が、エクスの横を突き抜けていく。

 

(うわあああフランちゃん光ってるです!!きれいです!!)

(なんだ…なにがおきたのだ!あやつ、でおくれていたではないか!!?)

 

大外から光り輝くフランが、青い軌跡を残してまとめて抜き去って行った。

エクスは屈辱を覚えた。抜き去る際にこちらを確認すらしなかった。

無敗の自分を、まるで当然のように置き去りにしていったのだ。

 

(ゆるせん!許せん!!また(・・)!我の前を走るのか!!貴様がいなければ!!)

 

エクスが何かに囚われたかのように、怒りを込めてフランを追い駆ける。

最大の切り札、二の足で追いつこうとする。

 

(…なんだいまのは!なにかが我のこころにいた!それよりもこやつだ!なぜこやつがこんなにはやい!?)

 

全く、差が縮まらない。

エクスは短いながらも今までの競走経験から、何か見落としが無かったか必死に探す。

そして、それを見つけた。

 

『え~なんだっけかな。フランク?たしかそんなん』

『いいわね?このフランって子には要注意よ』

 

(フランク…フラン…?いや、そうなのか?)

 

ここに来てようやく、エクスは名前の間違いに気付いた。

 

(なまえがちがうではないか!!!ばかもの!!!!)

 

エクスがあの軽薄な教師に憤怒する。自分が気付かなかっただけである。

全員抜きを達成したフランはもう、智哉しか見えていなかった。自分だけのゴールをひたすらに目指していた。

 

(いっちゃくよ!トム!ほめてちょうだい!うけとめてちょうだい!)

 

智哉は、猛烈に嫌な予感がしていた。

フランが物凄い速度で自分だけを見ながら突っ込んできている。

間違いなく一着だろう。それは嬉しかった。

しかしそのまま飛びついてくる気配を感じた。

 

「あの、会長?アレ、飛びついてきそうなんすけど…」

「受け止めてあげなさい」

「…マジっすか?滅茶苦茶はええよ…」

 

智哉は、その明晰な頭脳を久しぶりにフル稼働した。

何としても、どこに飛んでくるかを予想しなければならない。

 

(上だよな?顔見てるし上だよな?腹はまだいい、よくねえけど。その下はまずい。その下だけはまずいんだよ!上だなフラン!信じるぞ!!!)

 

『一着は、彗星のような末脚でクイル・レースクラブのフラン嬢!未来の名バ!超新星がここに誕生しました!!!二着はエクス嬢!三着にロデリックオコナー!四着にゾファニー!』

 

実況とともに、フランがゴールラインを割り──

 

「トム!!いっちゃくよ!!」

 

──そのままの勢いで智哉に飛びついた。

 

「うおおおおお!!!信じてたぞフラン!!」

「わたし!がんばったわ!しんじてくれたトムにこたえたかったの!」

 

智哉が気合で顔に飛びついてきたフランを受け止めて、そのまま勢いを殺すためにぐるぐると回る。

信じてた意味合いは違ったが会話は成立していた。

 

「やっぱり無理してたんだろ!言葉遣い元に戻ってんじゃねえか!」

「ごめんなさい!でも!わたし!トムがゴールになってくれるならはしれるわ!」

「えっ何で知ってんの…」

 

智哉の説教に、フランがあの時の思いが届いていたと語る。

智哉は困惑したと同時に照れくさくなった。黒歴史が増えたのである。

 

「まあいいか!お前こんなに速いのなら一人なのはしょうがねえよ!俺が見ててやるから気にすんな!」

「ひどいわトム!でもうれしいわ!」

 

勢いを殺し切った智哉が回転を止め、フランを胸に収める。

 

「トム、おろしてちょうだい。ごほうびがほしいの」

「うん?おう、何でも言ってみろ」

 

ぴょん、とフランが飛び降りて、智哉の顔を見上げて言った。

 

「トムのほんとうのおなまえ、おしえてちょうだい」

「なんだ、気付いてたのか?」

「ミディおねえさまがいっていたわ。トムからきかせてほしいの」

 

智哉が倒れた時に、姉が智哉を呼ぶ声をフランははっきりと聞いていた。

知っていたのだ。トムが渾名だと言う事を。

 

「じゃあ言うぞ。トモヤ、トモヤ・クイルだよ」

「わかったわ!トムヤ…トゥモヤ…いいにくいわ、トムでもいいかしら?」

「お前も姉貴と同じなんだな…どっちでもいいって」

 

しゅんとするフランの頭を智哉が優しく撫でつける。

フランが続けて智哉に語り掛けた。

伝えたい事が、まだあるのだ。

 

「あのね、トム。わたしの、ほんとうのおなまえもきいてほしいの」

「フランじゃないのか?」

「ええ、おとこのこみたいではずかしいけど、わるいこのおなまえでもあるから、ちゃんとなのりたいの」

「悪い子って誰…?いいや、言ってみな」

 

 

 

 

 

 

 

「フランケル!わたしのなまえは!フランケルよ!!」




稲妻軌道(金レアスキル):バ群の前で加速アップ(効果大)
サポートカード:「今も忘れない、大切な日々」フランケルより獲得。


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第三十一話 いかにして彼と彼女は約束を交わすか

「フランケルだな…覚えたぜ。普段はフランの方がいいか?」

「ええ、すこしだけはずかしいの」

「わかった。クラブの登録名は変えた方がいいな。おやっさんに言っとくか…」

「そうね。おねがいするわ」

 

智哉とフランが互いの名を呼び交わし、見つめ合う。

そこでフランの頭に疑問が浮かんだ。

なぜ智哉がここ、ゴール前にいたのか急に気になったのだ。

 

「そうだわ、トム、どうしてここにいたの?らんにゅうはいけないのよ」

「お前それ言う…?マジで…?」

「…わたし、なにかいけないこといった?」

 

フランは先ほどのトラウマに苦しむ姿が消え去り、平常運転の天然お嬢様に戻っていた。

智哉は眩暈がした。誰の為に乱入までやらかしたのか、本人がわかっていなかったのだ。

 

「あー…まあいいか、お前が平気そうだし。もう走れるんだろ?」

「ええ!もうへいきよ!いくらでもはしれるわ!はしりたいわ!」

 

満面の笑顔のフラン。それだけで智哉には十分だった。

自分の苦労が報われた実感があった。

智哉には、一つだけ、決心のついた事があった。

フランの姿を見て、あの奇跡的な疾走を見て、やりたい事ができたのだ。

 

「あのさ、フラン…」

「フランケル、おめでとう。良い走りだったよ」

 

話しかけたところで、黒鹿毛の麗人、生徒会長ガリレオが二人の前に現れた。

麗人をフランが笑顔で迎える。

そういえば知ってるって言ってたな、と智哉が思い出した。

 

「ガリレオおねえさま!」

「うん、元気そうだ。たまに電話で声を聞いてはいたが、心配だったよ。トモヤ君もお疲れ様」

「いや、俺は何も…」

 

智哉は結局自分は何もできていないと思っていた。

老紳士から何も聞かされていない智哉には、謎の相マ眼の発動と、光り輝くフランの現象が結びついていないのだ。

 

「それはただの謙遜だよ。この奇跡を起こしたのは君だ」

「ガリレオおねえさまのいうとおりよ、トム。わたしはトムがいたから、はしれたのよ!」

 

智哉の否定を二人がきっぱりと否定する。

智哉が首を傾げるも、まあいいかと素直に受け取った。

 

「そうなんすかね…じゃあ素直に受け取ります。どもっす」

「うん、それでいい。じゃあ、行こうか」

「…ど、どこへ…?」

 

智哉はどこに行くのかすぐに気付いた。

だがせめて最後の抵抗として聞き返してみた。

麗人の後ろに警察ウマ娘のコンビが現れる。智哉の顔が蒼白になった。

 

「乱入、したよね?悪いようにはしないから」

「逮捕であります!」

「はーいキリキリ歩けー」

「ッス…」

 

観念した智哉が連行されていく。

統括機構主催レースへの乱入である。当然の結果であった。

そこにフランが声をかけた。

 

「トム!ガリレオおねえさま、まって!」

「大丈夫だよフランケル、私から擁護するから。約束する」

「マジっすか!お願いします!マジで…」

「…必死過ぎて面白いね。そういう所いいよ君」

 

そのまま智哉は、両隣を警察ウマ娘に囲まれて警備詰め所に向かって消えて行った。

哀れで煤けた背中であった。哀愁があった。

フランが不安そうに智哉の背中を見送っていたところに、後ろからナサが抱きつく。

 

「フラン…!よかった…よかった…!!」

「ナサちゃん!ごめんね、わたし、しんぱいかけて」

「ううん…それよりフランとまたはしりたい」

「それならオレもまぜてほしいぜ!」

 

ゾフが、ナサがいる今が紹介してもらうチャンスと声をかけた。

ゾフは速いウマ娘が大好きで、負けても全く堪えない性格だった。

つまりフランと仲良くしたいのだ。

 

「…ゾフも、おつかれさま。フラン、ゾフ」

「あっ!ゾフちゃん?ナサちゃんからきいているわ」

「ナサ、おまえ…しょうかいがざつすぎるぞ…よろしくなフランちゃん!こんどあそぼうぜ!」

「ええ!」

 

(せ、先手を打たれた…あのゾフってショートカットの子、差されかけたし結構やりますね…)

 

オコナーは出遅れてゾフに先手を打たれて悔しがっていた。

抱き合うナサとフランを見て、このまま眺めるか飛び込むか悩んでいる隙を突かれたのだ。

 

「ファーもこれたらなあ。あいつ、けがだいじょうぶかな?」

「…ファーはぜったいくじけない」

「そうだな!あいつのこんじょうはやべえ」

 

ナサとゾフが、エプソムBクラスのライバルに思いを馳せる。

ファーは怪我さえ意に介さず、前を見続ける根性を持つウマ娘であった。

ガラスの脚の持ち主だが、メンタルで言えばここにいる誰よりも強かった。

 

「あー!もう何でもいいです!私も混ざるです!」

「おっ!3ちゃくのこだな!つぎはまけねえぞ!」

「望むところです!私はオコナーって言うです!」

 

 

そんな中、離れた場所でフランを見つめる幼き王者は、ドス黒い感情に吞まれかけていた。

 

 

(おのれ!おのれおのれ!こやつ!また我に見向きもしなかった!我を!神速のはずの我を!何故貴様は我を見ない!!我は貴様に勝つために!ずっと貴様だけを見ていたというのに!!我を!我を見よ!!憎い!憎い憎い憎い!!)

 

エクスの体に巻き付くように、黒い瘴気の如きオーラが現れる。

初めての敗北の屈辱を、悔しさを受け入れきれなかったエクスに宿るウマソウルの妄執が、悲願が、エクスを取り込もうとしていた。

 

──その寸前の事だった。

 

「おうさま!おしかったよー!」

「おうさま!おつかれさま!2ちゃくでもすごいよ!」

「まけてもかっこよかったでヤンス!いっしょうついてくでヤンス!」

 

不意に、エクスの意識が鮮明に戻る。

家臣が、自らを慕う友が、エクスの最後の心の砦となった。

エクスが、微かに笑みを浮かべる。

 

(…負けたからこそ胸を張る。ウマ娘とは前を向いて走る者。我が家臣共に言ったことだ。我がそれを示さずして何が王者か。我は負けても気高くいたい。姉上と父上、それに母上のためにも)

 

敗北を受け入れたその時、エクスは確かに成長していた。

一つ、ウマ娘として、競走バとして高みに至っていた。

 

(…うむ。先ほどフランケルと名乗っておったな。我も、真名をあやつに名乗ろう。その資格が奴にはある)

 

清々しい面持ちのエクスが、確かな歩みでフランに近付く。正しく王者の行進のように。

近付いてくる王者にゾフが気付いた。

物おじしないゾフはこういう時もすぐに声をかける。

 

「お!おうさまじゃん!2ちゃくすげえな!」

「うむ。ゾファニー、貴様もなかなかに良い走りだった。特にあのバ群の抜け方は我の技だな?よく盗んだ」

「おう!ナサとれんしゅうしたんだぜ!おまえなんかかわったか?」

「すまぬ、後で話そう。我に勝った者と話がしたい」

 

王者が、威風堂々と怪物の前に立つ。

 

「フランケルと言ったな?よい走りであった。だが…次は負けん!そこでだ。貴様に我の名を示しておきたい。聞いてくれるか?」

 

王者は、真剣な表情だった。今ここに、生涯の好敵手を見定めたのだ。

この王者の覇気に、フランも真剣な目で応えた。

 

「ええ…ぜひききたいわ」

「うむ…感謝する。ならば示そう!」

 

 

「──我が名はエクセレブレーション!貴様の生涯の好敵手となる者よ!」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

フランとエクスが邂逅している一方──

 

「いや、違うんすよ…いや乱入は確かに俺なんすけど…うちの練習生が突っ込んだのは俺の指示じゃないっていうか…」

 

奇跡を起こした男は、警備詰め所で必死に言い訳をしていた。

擁護してくれるはずだったガリレオ会長はもうここにいない。

詰め所への移動中、誰かからの電話を受けた後に「シーちゃんがいて何でそうなったの!?」と電話の相手に叫び、その場で卒倒しかけてから急用が出来たと智哉に何度も詫び、顔を青白くして去って行った。

去る途中に二回転んでいた。何があったのか知らないが相当な事態が起きていると智哉は察した。

どこかのアホの子のやらかしのフォローに向かったのである。生徒会長は多忙なのだ。

 

「ふーん、じゃあその練習生の子達に聞こっか?」

「そうでありますね。ここに呼んでくるであります」

「うちの練習生は勘弁してください……」

「じゃあ、誰がやったんだろうねー?」

「………‥俺が指示しました」

 

苦渋の自白であった。

流石にクズの自覚がある智哉でも、子供のせいにはできなかったのだ。

 

「じゃあ、署までご同行してもらうであります」

「反省してるんでそれだけは勘弁してくださいお願いします…」

 

必死であった。許してもらえるなら靴まで舐める覚悟があった。

 

「あ、面会来たみたいよー」

「…面会?」

 

智哉は、冤罪で補導経験がある。

しかしこんな短時間で、しかも詰め所で面会など初めての事だった。

少し疑問に感じるも、相手を待つ。

 

「トム…あんた…」

「姉貴…」

 

来訪者は、姉であった。

姉は、憔悴した様子で智哉を見つめた。

智哉はここでようやく自分がやった事を正しく理解した。

 

「姉貴…すまねえ…」

「あんた…あれだけ言ったのに…」

 

姉が、涙をこぼす。

初めて見る姉の苦しそうな顔に智哉が俯く。

そんな顔を姉にさせてしまった事実が、重く圧し掛かっていた。

 

「あんた…もうだめよ。流石に庇いきれないって言われたわ」

「そっか…まあしょうがねえよな」

 

統括機構トレーナーへの道が今、閉ざされた。

しかし智哉は何故かそれ程辛く感じなかった。

フランの力になれたからだ。その為にやった事だったからだ。

だが、一つだけ心残りがある。

 

「姉貴…姉貴が資格取ったら頼みたい事があるんだ」

「…いいわよ、聞いてあげる」

「フランと、契約してやってくれないか?」

 

智哉は、フランと契約するためなら平地トレーナーになってもいいと決心していたのだ。

あの走りに魅せられたのもある。だが、それ以上に約束したからだ。

フランが走るなら共にいると。ゴールで待っていると。

 

「俺さ、フランと約束したんだ。あいつのゴールになるって」

「え!ほんとに言ったのそれ!?ウマ娘にそれ言う意味わかってんのあんた!?」

「情熱的ー!」

「一度言われてみたいでありますな」

 

茶化すなよこいつらと智哉は腹が立った。

だがそれでも言わなければならない。

智哉が顔を上げ、姉に告げようとする。

 

「だから、俺が契約できないならせめてあね…き…」

 

──顔を上げて見た姉は、「ドッキリ大成功」と書かれた立て札を持っていた。

 

完全に嵌められた智哉の顔が羞恥で真っ赤になり、怒りに震える。

姉の迫真の演技に騙されていた事実に逃げ出したくなった。

 

「ああああああ!!!!そりゃねえだろ!!趣味悪すぎるだろ!!!!」

「ごめんごめん!会長からさー、せめて何か罰を与えたいからこれやっといてって」

「あははははは!おかしー!!」

「面白かったであります!!もう理事長から不問にすると言われているであります!」

 

理事長から直々に無罪判定されている事に違和感を覚えつつも、智哉が胸を撫でおろす。

心臓に悪すぎて二度と乱入なんてしねえと誓った。

 

「ちなみにこれ撮影してるからね。会長こういう古典的なの大好きだから」

「マジかよ…これくらいで許されるならいいか…」

「あんたも許してやりな。会長、今のあんたより心臓に悪い事になってるから」

 

現在会長はアホの子の代わりに謝罪行脚中である。生徒会長は多忙なのだ。

 

「あー、なんか顔真っ青になって行っちまったんだよな」

「あれねー、ライト先輩が乱入して最終レース発走させちゃったのよ。あたし目の前で見てた」

「は?ライト先輩ってファンタスティックライト?なんで?」

「勘でやったらしいわよ。あたし的には結果オーライだけど統括機構としてはそうもいかないしね」

 

姉が苦笑いしながら答え、智哉の顔がひきつる。

スタート地点でも事件が起きていたのだ。

やらかしたアホの子は現在シーちゃんの追加の折檻を受けてべそをかいている。

 

「あとね、フランちゃん無効だって。関係者のあんたが乱入したからしょうがないわよね」

「だなあ…でも失格じゃなくて無効ってどういうことだ?」

「記録に残らないって事よ。理事長からフランちゃんへのせめてものお詫びみたいなものね」

 

フランの一着、あの奇跡的な全員抜きは無かった事にされていた。

繰り上げ一着になった王者は勝利を譲られたと感じて激怒した。

 

「じゃあ先出てな。あたしここでお茶でも飲んでるから」

「おもてなしするであります!」

「うん?姉貴は行かねえの?」

 

「出たらわかるわよ。さっきの話、ちゃんとするのよ」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「ご迷惑おかけしました…」

「もう来るなであります!」

「次は臭い飯食べてもらうからねー」

 

智哉が警察ウマ娘に改めて謝罪し、詰め所を後にする。

廊下のすぐそこに、壁にもたれ、俯き、落ち込むフランがいた。

 

「よう、待っててくれたのか?」

 

姉から事の顛末を聞かされたのだろうと察した智哉が、何もなかったかのように声をかける。

フランが顔を上げた。少し泣いていたのか目元が赤くなっていた。

 

「トム…わたし…」

「いいんだよ、俺がそうしたかったんだ。それにな、理事長が直々に不問にしてくれるってさ。いやー運がよかったぜ」

 

それでも落ち込むフランを見て、智哉は何故か悲しくなった。

そんな顔は見たくないと思った。

ずっと辛い顔、無理をした顔ばかり見ている気がする。

フランには、笑ってほしい。そう本心から思った。

 

「わたし、みんなにめいわくばかりかけてたのね。ぜんぜんなにもしらなくて…」

「笑ってくれよ」

「えっ?」

「それでいいんだよ。みんなフランに笑ってほしくてさ、やりたくてそうしたんだよ。だから笑ってくれ」

 

にこりと、智哉の方から笑って見せる。自然と、優しい笑みがこぼれていた。

初めて見るほどに優しい顔をした智哉を見たフランは、何故か恥ずかしくなって顔を背ける。

 

「あれっ、俺の顔そんなヤバかったか…」

「ううん、なんだかへんなきもちになったの」

「マジで…ごめん…」

「うふふ、トム、おかしいわ、あはははは!」

 

真剣に落ち込む智哉に、フランがおかしくなって笑う。

智哉は幼女に笑われて辛くなってきた。フランが笑ってくれたのは嬉しかった。

 

「それでいいんだよ。笑ってれば…フラン、聞いてほしい事があるんだ。今いいか?」

 

姉に話した自らの決意、それをフランに話す時だと智哉は考えた。

もしかしたら断られるかもしれない。それでも聞いてほしい話だった。

 

「ええ、わたしもおねがいがあったんだけど…トムからいって」

「ああ、わかった。じゃあ聞いてくれ」

 

フランも、智哉に頼みたい事があった。この人しかいないと思っていた。

しかし、この男がヘタレなのは直っていないのである。

一瞬、断られたらどうしよう、資格も持ってない奴がこんな才能の塊に頼むのはおこがましいのではないか?と考えてしまったのだ。

 

「…」

「トム?まだ??」

「いや、うん、言うから」

「早く言って頂戴」

「ちょっと待って…」

「言いなさい」

(えっフラン滅茶苦茶怖え…)

 

フランの圧が増していく。精神的に快復し、成長した今智哉の方が弱い可能性まであった。

 

「じゃ、じゃあ言います…俺さ、どれだけかかっても良いトレーナーになるよ。フランはもうレースが嫌になったかもしれない。でも、もし競走バになりたいなら、学院に入るのなら──」

 

「──俺と、契約してくれないか?」

 

一大決心であった。あれだけ敬遠していた平地トレーナーに、フランの為ならなってもいい、そう考えていた。

そしてこの言葉は、今フランが一番欲しかった言葉だった。

 

「ええ!ええ!わたし、きょうそうバになりたいもの!トムにトレーナーになってほしかったの!」

 

フランがはしたないと思いつつも飛び跳ねて喜ぶ。

情緒面はまだ子供であった。

 

「マジか!断られるかと思ったぜ」

「ことわらないわ!だって、トムはわたしのゴールだもの!」

 

黒歴史を抉られて智哉は恥ずかしくなった。

この先もこれ言われ続けるのか?と辛くなったのだ。

その時、姉が詰め所の扉を開けた。

 

「終わった?」

「ええ!ちゃんといってくれたわ!ミディおねえさま!」

「ほんとに!?フランちゃんやったわね!」

 

身長差があるので姉が屈みこみ、フランとハイタッチを交わす。

フランは事前に姉に相談していたのだ。

姉の目論見もあったため、今日が勝負所とフランに言質を取らせに行った経緯があった。

 

「さっき元クラスメートとも仲直りしてたし、今日はフランちゃん選抜戦出てよかったわね」

「ええ!ほんとうにうれしいわ!」

「へ?仲直りできたのか?」

「あんたがいなくなった後でね」

 

エクスの名前を聞いた後、立ち見エリアまでやってきたアスコットAクラスの元同級生達とフランは会っていた。

フランは少しだけ怒り、その後許した。もう、心の苦しさはあの守護者が持って行ったから。

フランの抱える問題のほとんどが、今日解決したのだ。

つまり、久居留邸での滞在の終わりが近い事を示していた。

 

「そっか…じゃあ、フランが家にいるのもあと少しの間だけか…」

「そうね…ま、今生の別れって訳じゃないしいいでしょ」

「おうちにかえっても、クラブはつづけるしあそびにもいくわ」

「いいのか?ジュドモントの方が設備もいいんだぜ?」

「それでもいまのクラブがいいの」

 

フランは、クラブを離れるつもりは最初から無かった。

全てを取り戻した場所を離れたくなかったのだ。

クラブの友人たち、久居留家の一家全員、フランには既にかけがえの無い物となっていた。

 

「そうだ!そろそろ殿下のラーメン開店する頃よ。食べてから帰らない?」

「おっ、やるのか?行こうぜ」

「たべたいわ!」

 

三人は、長い一日、選抜戦をようやく終えた。

ギザ歯の店員が呼び込みをする殿下のラーメンは家系で美味であった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

エクスは家臣や好敵手達と言葉を交わした後に、一人、地下バ道から帰路についていた。

皆と帰ると困る事があった。見られたくないものがあった。

 

「…エクス、お疲れ様」

「姉上!」

 

地下バ道の途中に、エクスの姉、ジェシカが待ち受けていた。

王者が嬉しそうに姉に駆け寄り、声をかける。

しかし、その顔を姉から逸らしていた。見られたくなかった。

 

「姉上!ごめん!負けてしまった!」

「ええ、速い子だったわね」

 

エクスは、姉の顔を見ずにまくしたてる。

 

「そうだな!速い相手であった!フランケルと言うらしい!我はついに好敵手を見つけた!あんな奴がおるのに、我は我が一番速いと思っておった。これでは裸の王様ではないか!ははは!!」

「ええ、でもエクスは立派だったわ。最後まで堂々としていたわね。自慢の妹よ」

「ほんとかあねうえ!我はそういわれるのが、いちばん、うれしい!」

 

エクスの言葉が、途切れ途切れになっていく。

ジェシカはそっと、そっぽを向いたままの最愛の妹を抱き締めた。

 

「うえっ!どうしたんだ、あねうえ!ちょっと、はずかしいぞ!」

「でもね。ここでは王様にならなくていいのよ?ここには姉さんしかいないわ」

「そうはいかん!我は…われは…つよく…なるって…」

「今は、いいのよ」

 

 

「うえええぇぇぇぇぇん!!くやしいよおおおぉぉぉぉ!!あねうええぇぇぇぇぇ!!!」

 

 

 

 

 

 

(よくも、よくも泣かせてくれたわね…フランケル…トモヤ・クイル……!!)



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第三十二話 いかにして彼は推されるか

「で、あんた、あの話は意味わかってて言ったの?」

「あれって何だよ姉貴?」

「フランちゃんのゴールになるって話よ」

 

選抜戦から数日後、智哉は姉の愛車の中にいた。

フランはもう、久居留家から彼女の家に帰った。

選抜戦の翌日に、母から完治していると太鼓判を押されたのだ。

復学先も決まった。久居留家とジュドモント家の中間地点にある女子校となった。

ウマ娘用の競走カリキュラムも行っている私立のお嬢様学校である。

クラブの練習日には久居留邸に立ち寄り、週に一度は泊まりに行きたいというフラン本人の希望を一名を除き両家が全面的に歓迎した。

こうして、心に傷を負った幼女は、心が癒え前を向いて進む事となった。

智哉にも転機がやってきていた。

その為に、ある場所を目指し姉と移動している。

 

「いや、そのまんまの意味だけど…あいつから走る時一人なのが苦しいって聞いたから、それなら走る時は俺が側で見てるぞって言うか…」

「ああ、わかってないのね…ウマ娘のゴールへの執着とか教えてなかったっけ…あたしとママの教育不足かなぁ…」

 

姉は現在悩んでいる事があった。

弟がフランにした約束、ウマ娘のゴールになるという意味を全くわかっていなかった。

ウマ娘とは、どんな形でも走り続けるのである。そういう存在なのだ。

 

(この馬鹿友達いないし、よくわかってないのもしょうがないかもしれないけどさあ…自分がどれだけすごいのかもいまいち理解してないし…)

 

姉が横目で弟を見る。

ウマ娘の血を色濃く継いでいる弟は、面倒くさがりで野暮ったい髪型と服装だが端正な顔立ちをしている。

姉の贔屓目抜きでも美形である。身長もまだ伸びている。

過去の不幸な事件以来目が荒み、目付きが悪いがそれもフランとの出会いから緩和されつつある。

そして身体能力も人間の域を遥かに超えている。超人と言っていい。

頭脳も普段の怠け癖から、余り使っていないが明晰である。

16歳にして英国の最高学府であるケンブリッジ大学またはオックスフォード大学よりも難しいと言われる、統括機構トレーナー試験を問題なく合格できると父が断言する程である。

どの分野に進んでも何かしらの足跡を残せるスペックを持っているのだ。

事件以来何事も人並みであろうとしているが、姉としてはそんな勿体ない事は許せないと思っている。

弟がトレセン学院の父の借りたトレーナー寮に住んでいた頃は、よく同級生や友人に「ウチの弟イケメンでしょ?」と姉は自慢していた。

それを弟に言う事は絶対に無いが。

 

(ヘタレで逃げ癖があるのが珠に瑕だけど、フランちゃんと約束した以上腹括るだろうし。それよりも心配なのはフランちゃんよね…この馬鹿に男性観壊されてないかな…)

 

手遅れであった。フランは今まで家族と伝蔵以外は異性との交流がなかった。

年の近い異性は、娘かわいさに父であるセシルが全てガードしていたのだ。

ポニースクールも教師はほぼウマ娘であるし、当然生徒はウマ娘しかいない。

そこに、このハイスペックの年上のぶっきらぼうだが優しいお兄さんが突然現れたのである。

しかもそんなお兄さんが自分の為に命懸けで誘拐犯と戦い、レースへの乱入までしたのだ。壊れていないはずがない。

そういう情緒が発達していない六歳児である今はまだいいが、フランが思春期にどうなるか姉は心配でならなかった。

ちなみに姉も弟に少し壊されていた。専属トレーナーとの破局の少なからぬ要因であった。

姉は自分が二人を引き会わせた責任を感じ、少し考え込んだ後に思考を放棄した。

最終的に責任を取るのはこの馬鹿だしいいかと言う結論に至ったのである。

 

「あたししーらない!」

「突然どうしたんだよ…?」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「でけえ…ほとんど城じゃねえかこれ」

「あたしも初めて来た時そう思ったわね。ま、行くわよ」

 

智哉と姉が、目的地のロンドン市内の巨大な邸宅、ジュドモンド家の本宅を見上げる。

姉と智哉が敷地内で車から降りた所、使用人が近付いてきて「お話は伺っております」と言いながら姉の愛車のキーを預かり、運転していったのを見て智哉は住む世界が余りに違うのを実感した。

フラン、そしてナサは超絶お嬢様であった。

 

「ちなみに、遠縁で傍流だけどアラブのとある王族の血筋だからね。そういう事よ?」

「お、おう…何がそういう事かはわかんねえけど…」

(フランちゃんが大きくなって言葉の意味に気付いたら、あんた絶対逃げられないわよって意味で言ったんだけどね…やっぱりわかってなかったわこの馬鹿)

 

姉が遠回しに念のため確認し、改めて弟がわかってなかった事を確認して呆れ顔になる。

中庭の噴水に智哉が気を取られたりしながらも二人で邸宅の玄関を目指し、その前に二人を待つ人物を見つける。

 

「サリーお待たせ」

「来たな。案内しよう」

「うっす。お願いします」

 

待っていたのはメイドであった。

巨大すぎるこの邸宅の案内役を買って出たのである。

邸宅内に入り、智哉はまずロビーの広さに口を開けて見入ってしまったが、そこで姉にいい加減慣れろと肘鉄を喰らい周囲を見ない事にした。

二度肘鉄は受けたくないのだ。

 

「あ、そうだ、ウオッカさんはあれから連絡あった?」

「ああ、今はアイルランドらしい」

「そうなんだ。連絡先聞いとくんだったわね」

「また顔を出しに来るだろう。しばらくは英国内にいるらしいからな」

 

歩きながらのメイドと姉の会話に何やら気になる名前が出ているのに、智哉が口を挟む。

聞いたことのある名前だったからだ。

 

「ん?ウオッカって、中央競バ会(U R A)のダービーウマ娘だよな?」

「よく知ってるわね。去年までここにいたのよ。学院の近くでバイクが壊れて困ってたところを、あたしとサリーが声かけたらチーフが家で預かるって言ってくれてね。フランちゃんの遊び相手もしてたみたいよ」

「そうなのか…会ってみたかったな」

「機会があれば紹介してやろう。さて、着いたぞ」

 

メイドが扉を開き、進んだ先は智哉からすれば無駄に広すぎる応接間であった。

置いてある家具も智哉の感覚ではよくわからない材質をしている。

そこに、二人の人間と、二人のウマ娘が待っていた。

 

「来よったな、坊主」

「やあ、トモヤ君」

 

人間の二人、ヘンリー理事とセシル。

 

「トム、いらっしゃい!」

「よくいらしてくれたわね。さあフランの横に座って」

 

ウマ娘の二人、フランとその母カイ夫人であった。

 

「どうもお邪魔します。今日はお招きいただいて…」

「ええから座らんか。そういう柄じゃないじゃろ坊主は」

 

智哉がなるべく丁寧に挨拶しようとするも、ヘンリー理事に制止された。

少し不満に思ったが確かに柄ではないと納得し、カイ夫人に勧められるままにフランの横に座ろうとするが──

 

「待ちなさい。僕の横に座るんだ。いいね?」

「えっ、はい、じゃあそうします…」

 

フランの父セシルより物言いが入った。

物凄い目で見られ、全く心当たりの無い智哉が首を傾げながら席に着く。

 

「じゃ、あたし達はこれで」

「ミディ、すまないね。連れてきてもらって」

「いいわよ。大事な話だし。来年はよろしくねチーフ」

「ああ、勿論」

 

姉とメイドの退室、来年や大事な話というキーワードに智哉の頭に?マークが大量に浮かんだ。

今日はフランに会いに行くとしか聞いていないのだ。

また嵌められたかと感じたが、セシルの謎の視線以外そういう雰囲気でもない。

 

「えっと…今日はどういうご用件で…?」

「だからいつも通りでええわい」

「そうよトム!」

「…わかったよ。でも自己紹介だけはさせてくれ。トモヤ・クイル。伝蔵の息子で、姉貴…ミッドデイの弟っす。フランのお母さんは初めてまして、あとの二人は…会ってるけど…」

 

そこで智哉が目を逸らす。入院していた頃、病室でのやらかしを思い出したのだ。

セシルが伝蔵と見舞いに来た時、智哉はセシルの挨拶を耳を塞ぎ全力で拒否していた。

その時は笑いながら「じゃあ知らない男でいいよ」とセシルは許してくれたのだった。

 

「怒ってないから大丈夫だよ。あの件も、選抜戦も君に感謝こそすれ怒る事は何も無い」

(怒ってるようにしか見えねえけど…)

 

セシルは未だに強烈に圧を込めた視線を智哉に送っていた。

何か大事な物を奪いに来た敵を見るような眼光であった。

 

「あのけん?おとうさま、トムとおあいしていたの?」

「ああ、会ったよフラン。でもね、トモヤ君が僕の挨拶を聞いてくれなくて…」

「…トム?そんな事したの…?」

「いや!あの時は俺みたいなのと会う機会はもうねえだろうって…すいません…」

 

智哉を詰問しながらフランの眼が青く光る。

選抜戦以来、トラウマにより気弱になっていた部分が無くなり、精神的に大きく成長したフランは時折こうやって眼が光り智哉への当たりがきつくなる事があるのだ。

ほぼ全てにおいて智哉がクズかヘタレだった時なので何も言い返せなかった。十歳下の幼女に。

眼が青く光るのはまるで原理がわからないが、智哉に圧をかける効果は絶大であった。

 

「話が進まんから許してやってくれんか、フラン」

「そこまでおこっていないわ、おじいさま。トム、つぎからはちゃんとおとうさまのおはなしをきいてちょうだい」

「おう…」

 

智哉はヘンリー理事の仲裁に感謝した。

フランは妹のように思っているが、それでも十歳下の幼女に論破されるのは心に堪えるのだ。

 

「坊主、とりあえず相マ眼の件じゃ」

「うん?何の件だよじいさん?」

「だから相マ眼じゃ、使えなくなっとるじゃろ?」

「…へ?あ、ほんとだ使えねえわ。まあいいか」

 

智哉は普段から全く相マ眼を使っていなかった。選抜戦から今日まで気付いていなかったのだ。

まるで携帯の充電が切れていたかのような反応にヘンリー理事が大笑する。

 

「お主全く使っとらんのか!?こりゃ傑作じゃな!知っておったら言うとったわ!!」

「じいさん急に何だよ!?使ってないと何かあんのかこれ?」

 

積年の後悔、悩みが全て馬鹿らしくなったような笑いっぷりであった。

事情を全く知らない智哉は困惑するばかりであった。

 

「なるほどのう、坊主じゃからこそ、かもしれんの」

「いや全く意味わかんねえよじいさん…」

「そうじゃの、説明を…」

「僕がしますよ!父さん!!」

 

大恩ある智哉に筋を通そうとするヘンリー理事に対し、セシルが手を挙げてアピールする。

ヘンリー理事の説明では、どうしても聞かせたくない部分があるからである。

 

「いいかいトモヤ君?君があの最終レースでフランに相マ眼を使った。なんか出た。フランに入った。フランが快復して光ってレースでぶっちぎった。以上だよ」

「説明雑すぎないっすかそれ!?よくわかんねえんすけど!!」

 

セシルの眼の光彩が渦を巻くようにぐるぐると回りながら一口で事情説明がされた。

父は必死であった。運命や愛バというフレーズだけは絶対に省きたかった。

 

「もうあなた!いい加減にして頂戴!」

「カイ!僕は…」

「すぐにそうなると言う訳じゃないのよ?気が早すぎるわ、本当に…ごめんなさいねトモヤさん。私はカインドと言います。フランの母ですわ」

 

智哉がフランの母、カイ夫人に目を向ける。

確かにフランの母だな、とわかる美ウマ娘であった。

面影、物腰の上品さ、どれもフランに通ずるものを智哉は感じた。

 

「あ、これはご丁寧にどもっす。フランとは仲良くさせてもらってます」

「仲良く!?早すぎるだろう!!?君はそういう趣味だったのかい!!??」

「さっきから何なんだよあんた!!!意味わかんねえよ!!!!」

 

暴走するセシルに智哉がいい加減ブチ切れた。

病室で出会った時とは人が変わりすぎである。

 

「だからあなた!やめなさい!」

「…そうだね、すまなかったトモヤ君」

「いや、そんな怒ってはないすけど…フランのお父さんの人が変わりすぎてて何が何だかさっぱりっすよ」

「お義父さん!!?君にそんな風に言われる筋合いはない!!!」

「だから急に切れる意味わかんねえんだよ!!!!情緒不安定すぎるだろうが!!!!!」

 

再び暴走を始めるセシルに智哉が再度ブチ切れた。

セシルはフランが帰ってきたその日に、満面の笑顔で智哉のゴール宣言の話を聞いている。

その瞬間にセシルの抱く智哉の印象は友人の息子で娘の恩人から、娘を自分から奪う怨敵へと変わっているのである。

智哉は自覚もなければ心当たりも無い。暖簾に腕押しのやりとりであった。

 

「あなた!!!!」

「はっ!すまないトモヤ君。どうかしていた」

「あ、はい、気にしてないんで…」

 

何が地雷になっているかわからない智哉はなるべく無難な返事に務めた。

セシルの目がヤバすぎて若干の恐怖を感じているのだ。

 

「ごめんなさいね、トモヤさん。ところで一つお聞きしてもいいかしら?」

「いいっすよ、俺に答えられる事なら…」

「うちの娘の、どこが気に入ったか聞かせてもらえないかしら?」

(えっ何この質問…ああ、契約の話か)

 

地雷が飛んできた。

カイ夫人も気が早かった。

 

「…走る姿に惹かれたとか、苦しいくせに頑張ってる姿をずっと見てきてたからとか、色々あるんすけど…約束したんです。走るなら俺がゴールで待ってるって」

「ええ!ええ!トムはわたしのゴールなのよ!おかあさま!!」

「まあ!まあ!素敵な話ね!よかったわねフラン!」

「ああああああああああああ!!!!!!!あああああああああああ!!!!」

 

セシルが耳を塞ぎ床で転がり回る。現実を拒否し始めたのだ。

統括機構三大チームの一つの実質的なトップが、地雷をモロに踏まれて発狂を始めていた。

智哉は夫、父が発狂しているのにガン無視の母娘にドン引きしつつも、もうセシルを視界に入れない事にした。

この光景が智哉が来るまでに三回ほど起きているので、母娘はもう慣れてしまっていた。

 

「あの、話進まんから…そろそろ本題に入りたいんじゃが…」

 

この地獄絵図にドン引きしていたもう一人、ヘンリー理事がおそるおそるスピードの向こう側に行ってしまった話を引き戻しにかかる。

智哉はやっぱり名伯楽のじいさんは頼りになるぜと心の中で尊敬した。

 

「まあ、その坊主…相マ眼の説明はセシルに免じてまた今度にさせてくれんか…」

「あ、うん、いいぜじいさん…」

 

まだのたうち回っているセシルに目をやりながら、老紳士が申し訳なさそうに智哉に告げる。

年の割に若々しいヘンリー理事が酷く老いているように見えた。

 

「で、じゃの…まあその、世話になったからの、坊主、トレーナーになりたいんじゃろ?」

「ああ…うん、フランと約束したからな…」

 

後ろでセシルの発狂が続く中、ヘンリー理事が話を続ける。

智哉は大事な話とは何かを察しつつあったが、この地獄のような状況で自らの人生の大事な話をするとは思っていなかった。

老紳士もひどく申し訳なさそうであった。もっと堂々と未来の一流トレーナー候補の門出を祝ってやりたかった。

 

「アレはあんなんじゃし…まあ元々、の、儂が推薦しようと思っておったから。受けてくれんか?」

「あ、うん、でも俺なんかでいいのか?じいさんの推薦とか滅多に無い、よな?」

 

お互い落としどころを探るような会話であった。聞きたい事、言いたい事はそれぞれあったがそれよりもこの場を離れたかったのだ。

ヘンリー理事は、統括機構の重鎮であり、名伯楽と呼ばれたトレーナーである。

その推薦枠を受けられるという事は、それだけの期待をかけられた、未来の名トレーナーという証明なのだ。

 

「うむ…相マ眼などなくともお主の力量は十分じゃ。観戦した時の事、覚えておるか?あの五番の子のクセ、あれは中々見切れんよ」

「ああ…覚えてるぜ。あの子クセ直ったか?」

「直ったわい」

 

ジュドモンド家保有のアリーナでの観戦で、智哉は一目でラチを回る時に独特のクセを持つウマ娘を看破していた。

ヘンリー理事はウマ娘に夢中な素振りをしつつも、しっかりと智哉を見定めていたのだ。

なお後ろでセシルはまだ転がっていた。

 

「…じいさんの推薦とか、前までの俺なら注目されてしんどいとか言ってたろうけど…もうフランの為に前を向くって決めたんだ。むしろ俺からお願いします」

「トム…うれしいわ…」

 

智哉が、しっかりとヘンリー理事に頭を下げて頼み込む。

フランとの約束、その為に自分は一流の平地トレーナーを目指すことに決めているのだ。

その決意からは逃げないと、心に決めていた。

フランはそんな智哉を見て感激していた。セシルは動きを止めたが帰ってこない。もう駄目だった。

 

「よくぞ言うた。儂から推薦しよう」

「ありがとう、じいさん。恥かかせねえようにしねえとな」

「そんな気張るもんでもないわい。まずは試験を受かる事じゃな」

 

 

 

 

 

 

 

「──ああ、来月だからな」



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第三十三話 いかにして彼は試験に挑むか

わかる人にはわかるキャラが出るけど、なんでここにおんねん!ってツッコミは許してクレメンス。紹介だけでもしたいんや…二部にもちゃんと出ます。


「大丈夫とは思うけど、マークシートの記入間違いとかするんじゃないわよ」

「しねえって、したら体力測定で本気出すから…」

「どっちにしても本気出さないとぶっ飛ばすわよ。腹括ったんなら自重するのはやめな」

「ッス…」

 

英国ニューマーケット、競バの故郷と呼ばれる地。

英国ウマ娘統括機構(B U A)の総本山、統括機構トレセン学院のあるこの地に智哉はやってきていた。

先日の地獄のようなジュドモント家での、老紳士ことヘンリー理事とのやりとりによって推薦を受けた智哉は、ついに統括機構トレーナー資格試験の日を迎えたのだ。

 

「トム、がんばって!トムならきっとごうかくできるわ!」

「おう!ここで躓いてたらじいさんにも恥かかせるしな。自信はあるぜ」

「お前なら心配ないだろう。行ってこい」

 

付き添いに姉とメイド、そしてフランにもついてきてもらっている。

今日、明日とニューマーケット市内に宿をとってあり、試験後にこちらで観光してから帰る予定になっていた。

 

「まだ早いけどもう会場入るわ。終わったら連絡するよ」

 

三人にそう告げ、学院内の試験会場を目指す。

智哉が学院に来るのは初めてではない。父の借りていたトレーナー寮に住んでいた時期があった。

施設の位置も大体把握している。

 

(久しぶりだな、時間あったらガスデン先生にも挨拶するか…)

 

こちらにいた頃、暇を見つけてはお節介を焼いてくれた、師と仰ぐトレーナーの名前を思い浮かべ、智哉が街を歩く。

 

「そこのお兄さん、道を教えなさい!」

「ん?俺か?」

「あなたに決まってるでしょう!?」

 

そんな智哉の前に、突然ウマ娘の少女が立ち塞がった。

艶やかな黒鹿毛を背中まで伸ばし、左耳にピンクのリボンの耳飾り、そして前髪をぱっつんと切り揃えた勝気な目が特徴的な少女であった。

高級そうな黒いワンピースの上にファーのついたジャケットを着こなし、智哉にその強気な視線を向けてきている。

結構な気性難だぞと智哉のセンサーに反応した。

屈みこみ、視線を合わせて智哉が応対する。

 

「…時間はまだあるしいいか。お前名前は?どこ行きたいんだ?」

「レディに名前を聞くのなら先に名乗りなさい!それがマナーでしょう!?」

「めんどくせえ…トモヤだよ。で、どこ行きてえんだ?」

「トモヤ!いい名前ね!わたくしはヴィアよ!下僕の所に案内しなさい!」

 

おっとこれは厄介なやつだぞと智哉は無視しなかった事を後悔した。

恐らく迷子である。

 

「下僕って誰だよ…迷子なら学院の総合案内所に行って迷子案内だな。連れてってやるよ」

「待ちなさい!迷子はわたくしじゃなくてルークの方よ!下僕のくせにいなくなって許せないわ!」

 

やはり迷子であった。智哉はルークというこの少女ヴィアのお守りであろう人物に同情した。

 

「やっぱり迷子じゃねえか。どこから来たんだ?観光か?」

「迷子じゃないって言ってるでしょう!?観光よ!メルボルンから来たわ」

「ああ、オーストラリアか。遠いとこから来たもんだなあ」

 

オーストラリアは、南半球で随一の競バ大国である。

国民全体が非常に高い競バ熱を持ち、障害競走、平地競走双方で盛んにレースが開催されている。

町中の至る所に応援投票が可能な場外投票発売所が設置されており、国民は常に競バに寄り添って生きていると言っても過言ではない。英国が競バの故郷と呼ばれるならオーストラリアは競バの新天地なのである。

 

「ならそのルークってのを迷子案内で呼べばいいだろ?」

「名案よ!トモヤは中々に切れ者ね。召し上げてもいいわよ?」

「いや結構っす…じゃあ行くか」

「待ちなさい!不安なら手を繋いであげてもいいわよ!」

「それお前がふあ…いや、繋いでくれるか?」

 

それお前が不安なんだろと言いかけるが智哉は踏み止まった。

勝気そうな目とは裏腹に、少女の耳が垂れ下がっていたのだ。

 

「いいわよ!仕方ないわね!」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「すいません!すいません!大事な試験前にこんな事させちゃって…」

「いいって、頭上げてくれよルーク。苦労してんなお前…」

「ルークが迷子になるから悪いのよ!反省しなさい!」

「突然いなくなったのはヴィアの方なのに…」

 

申し訳なさから、しきりに智哉に頭を下げるルーク少年。

ルーク・ノーランと名乗ったこの少年は、金髪碧眼の中性的な美少年であった。

先ほどから衆目の学院生徒のウマ娘達の視線を集めている。

自分も見られていることに智哉は気付いていない。

年齢は13歳。少女ヴィアは八歳らしい。

どことなく他人の気がしない感覚を智哉は覚えた。

ルーク少年は恐らくウマ娘の血が濃いと感じたのだ。

自分の同類である。ルーク少年もそう感じていた。

 

「トモヤさん、変な事聞いていいですか?」

「ああ、何でも言ってくれ」

 

出会ってすぐ、お互いウマ娘に困らされる苦労人の雰囲気を感じた二人は、すぐに意気投合した。

ライエンさんもいたら紹介したんだけどなと智哉は思う程であった。苦労人同盟を築きたくなったのだ。

 

「トモヤさんって、すごく体が強かったりします?」

「聞きたい事はわかってるよ。お前と同じだと思う」

「やっぱり…!僕以外にもいたんだ…!」

「俺も俺以外は初めてだけどな…不思議なもんだな、俺も直感的にそんな感じがしたんだよ」

 

二人の身に宿る、わずかなウマソウルが共鳴しあっているのだ。

ルーク少年は、競走バ専門の医者の息子であった。

ヴィアの父である豪州競バ界の名士とは家族ぐるみでの付き合いで、ヴィアの事は彼女が物心付く前から知っている。

他の人間と違う強靭な肉体に悩みつつも、父の跡を継ぎ、立派な医者を目指そうとしていた。

そんなある日、自らの脚力故に怪我がちな幼馴染のヴィアが一人で泣いているのを見つけた。

 

『どうして…わたくしの脚はこんなに弱いの…わたくしは競走バになれないの…?』

 

ただのわがままお嬢様だと思っていた幼馴染の思いを、涙を見て、自らの道をルークは決意した。

そうしてヴィアの為に医学的な知識も修めたトレーナーになろうと目下勉強中であった。

しかし競バの知識に乏しいルーク少年は、超人の頭脳を持っているが苦労しきりであった。

 

「連絡先交換しようぜ、試験勉強で何か困ったらいつでも聞いてくれ」

「はい!お願いします!トレセン学院、来てよかったなあ…」

「だから言ったでしょう!ルークはわたくしの言う通りにすればいいのよ!」

 

わがままお嬢様に振り回されっぱなしのルークは、ヴィアの両親に付き添いを頼まれた英国旅行も乗り気でなかったし憂鬱であった。

だが頼れそうな兄貴分を得た今、来てよかったと掌を180度返したのである。

 

「悪い、時間だ。まだこっちいるなら俺の試験が終わったら合流しねえか?こっちも連れがいるし終わったら観光して帰るんだよ」

「いいわよ!トモヤはルークと違って気が利くわね!」

「なんでえ…トモヤさんぜひお願いします!」

 

 

 

 

──後に、幾度もの故障と闘いながらも豪州競バ界を席巻するオーストラリアの至宝「黒い宝石」、そして至宝に寄り添う忠実な下僕との邂逅であった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

統括機構トレーナー試験は、筆記試験、実技試験、体力測定の三つを持って実施されている。

筆記は競バの基礎知識、競バ史、競走力学の三つが重視されつつ、語学なども網羅された総合的なトレーナーとしての学力を求められる。

実技に関してはパドック映像を見てからのレース展開の予測、育成論、学院内の模擬レースを見ての所感を論文として提出する形式である。

ここまでが一日目の試験である。

そして二日目──体力測定を智哉は迎えていた。

競走バのトレーナーとは、肉体労働の側面も持っている。

時にトレーニング器具の準備、片付け、更にはトレーニングの相手を務める事すらある。

動けないトレーナーはトレーナーにあらず、という格言を智哉は師と仰ぐ人物から授けられている。

 

(さて、筆記はケアレスミスさえなけりゃいけたと思う。実技もまあ無難じゃねえかな…体力測定どうすっかなあ)

 

智哉は、悩んでいた。本気を出すべきかどうかを。

統括機構トレーナー試験は狭き門である。智哉の組、周りにいる50人の受験者の中でも2~3人が合格すれば上出来であるのだ。

 

(…本気でやるか。手抜いて落ちたらじいさんにもフランにも悪いしな)

 

一流のトレーナーになりフランとの約束を果たす夢が、智哉にはできた。

その為に周りに化物と思われようが気にしない事に今、決めたのだ。

その智哉を見つめる、白毛のウマ娘が同組にいた。

 

(…トモヤ・クイル。まさか同じ組になるとはね…!あの男の前で無様な真似はできない…)

 

トレーナーの大家の娘、ジェシカ・オブリーエンであった。

智哉も視線に気付いているが、あの時の女じゃねえかと関わりたくなくて全力で無視している。

その態度もまたジェシカの癪に触った。眼中に無いと思われていると感じたのだ。

 

(筆記と実技は自信があるわ…問題はここよ。体力測定…体力……)

 

ジェシカは、ウマ娘であるが人間以下の身体能力しか持っていない。更には夢を諦めてから運動嫌いである。

要するにもやしである。

今日の日の為に妹の付き添いで、早朝ランニングを決死の思いで敢行したりと対策はしてきた。

300m走った所で足が生まれたての子鹿のようになり「姉上もうだめなのか!!?姉上!!?」と妹にドン引きされた。

憂鬱であった。自分が人間もどきだと言う事を実感してしまうから運動は嫌いなのだ。

 

(逃げる訳にはいかないわ。せめて奴の前では…)

 

ジェシカは、妹がフランを生涯の好敵手と見定めたように智哉に対抗意識を燃やしている。

フランとの関係性から、彼女と契約するのは智哉だと確信しているのだ。

 

(あの女まだ見てくんだけど…あの時謝ったじゃねえか。こんな睨まれる心当たりねえよ…)

 

背後からガン見してくるジェシカに智哉は戦慄していた。

智哉からしてみれば、フランとエクスの関係性もジェシカがエクスの縁者である事も全く知らない事である。

接点も心当たりも無さ過ぎていたたまれなくなっていた。

 

「では、トレーナー試験二日目、体力測定を行う。ここでの結果次第で筆記と実技を巻き返せる可能性もあるから、各自手を抜かず望むように」

 

試験官の挨拶が終わり、受験者達が準備運動を始める。

体力測定の内容は、実際の競走バのトレーニング項目を流用して行われる。

その中から試験官から指定されたものを三つこなしていくのである。

 

「受験番号666番、こちらへ来るように」

 

受験番号666番は智哉の番号である。なんでこんなん引くんだよと縁起の悪さに智哉は憤り姉は爆笑した。

 

「うっす、来ました」

(彼がサー・ヘンリーの推薦者か…若いな)

 

試験官が智哉の若さに驚き、少し試したくなった。難しい項目を指定しようと思ったのだ。

 

「よし、君は瓦を割りたまえ。日本の由緒正しきトレーニングだ」

「…何枚でもいいすか?」

「好きにしたまえ」

 

智哉が首をコキコキと鳴らし、体調を確かめる。

瓦割は、中央競バ会(U R A)から取り入れられたトレーニング法である。

気合を込めて瓦を割る事で強靭なパワーを身に着けるのだ。

 

「じゃあ30枚で」

 

この智哉の発言に周囲が失笑する。

30枚は空手の有段者でも難しい領域である。パワーのみでこれを達成するのはウマ娘の領域であった。

試験官が呆然として動かないので、智哉が瓦を持ってきて積み上げる。

そして拳を保護するグローブを着け、準備ができた。

 

「…本気かね?」

「始めていいすか」

「…わかった。やりたまえ」

 

 

──全ての瓦が割れる小気味いい音を立てて、智哉の拳が地面に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの試験官ムキになりすぎだろ…競走バ用のタイヤ引かせやがって…」

 

宿への帰路、智哉がトレーナーの血が騒いで無茶振りを始めた試験官への愚痴をこぼす。

残り二つはタイヤ引きとショットガンタッチであった。

どちらも競走バと全く同じ内容でやれと指定され、智哉は気合で何とかこなした。

そうして、智哉のトレーナー試験は終了したのである。

宿泊先のホテルの部屋に戻って荷物を降ろし、ロビーへ向かう。

 

「待たせたな、遊びに行くか!」

「ええ!たのしみだわ!」

「フラン!わたくしと手を繋ぐ事を許すわ!」

「ええ!ヴィアちゃんと、てをつなぎたいわ!」

 

一日目の夜、わがままお嬢様とその下僕を夕食に誘ったところ、フランとヴィアはすぐに仲良くなった。

ヴィアはその性格のためか友達が少ない。しかし基本的に優しい幼女であるフランとの相性は抜群であった。

フランと一緒に寝たいと我儘を言い出したヴィアがルークと共にホテルを移ってきた程である。

わがままお嬢様と天然お嬢様の仲良しコンビを後ろから智哉が眺めていたところ、ルークから声がかかる。

 

「トモヤさん、体力測定どうでした?」

「あー…あんまりはりきると試験官が無茶振りしてくるぞ。加減が大事だな…」

「なるほど…僕はそうします」

「そうするなら筆記と実技はしっかりやれよ。ダメと思ったら体力測定は本気で行った方がいい」

 

ルークへ智哉が試験のアドバイスを行いながら、ホテルから四人が外に出る。

今日は姉とメイドは学院の友人達に顔を出しに行ってしまった。

ルークが来た事で引率を二人に任せる事にしたのだ。後で合流する予定である。

 

「本当に来てよかったわ!ルークもそう思うわね!」

「…そうだね、来てよかったよ。トモヤさんと、フランちゃんに出会えた」

 

ルークがヴィアを見る優しい視線に、智哉も自然と頬が緩んだ。

智哉とフラン、ルークとヴィア、出会った形は違えど、他人とは思えないのだ。

遠い地オーストラリアに住む二人とは、なかなか顔を会わす機会は無いだろうが、連絡は取り合っていきたいと思った。

 

 

 

──一方、とあるホテルの一室

 

「姉上!お帰り!…姉上?」

「エクス、ダメな姉さんでごめんね…トモヤ・クイルは許さないわ…」

 

そう言うとジェシカは妹の前でぶっ倒れた。

智哉のせいで試験のハードルが上がり、もやしの彼女はきつくなった体力測定をこなした後に這う這うの体で何とかホテルに帰って来たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「姉上、姉上ーーーーー!??」



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第三十四話 いかにして彼は恩師に会うか

「ルーク!負けっぱなしだったじゃない!ばか!」

「トモヤさん何でそんなに何でもできるのぉ…」

「ルークはもっと体の動かし方を考えた方がいいな…」

「すごいわトム!すてきだわ!」

 

智哉とフラン、ルークとヴィアの4人はニューマーケット市内の総合スポーツセンターで体を軽く動かした後に、トレセン学院内の競バ博物館前を目指している。

ヴィアがフランに下僕兼幼馴染のルークの身体能力を自慢しようと、あそこで体を動かしたいと我儘を言ったのである。

そして相手を智哉に指名した結果、大惨事が起きた。

智哉も超人である事をヴィアは当然知らず、ルークと智哉に卓球、バスケの1on1、最後に身体能力だけなら勝てるんじゃないかと100m走で勝負をさせたのだ。

ルークは運動とは無縁な医者の息子であり、智哉は障害競走トレーナー、ひいてはクラブ運営者の息子である。

この差と年齢差がモロに出たのだった。

身体能力任せで人間相手に負けた事が無いルークと、理不尽な姉の遊び相手を務めていた智哉との差であった。

智哉は途中から手加減し花を持たせたが、結果としては智哉の大勝となった。

わがままお嬢様は下僕におかんむりである。天然お嬢様は大喜びである。

 

「運動はできた方がトレーナーは有利だぞ?もうちょっと色々やってみると良いぜ」

 

フランと併走するまで、早朝ランニングをやっていない男の言い草ではなかった。

同類の弟分ができた嬉しさで兄貴風を吹かせたくなったのだ。

 

「…そうですね、何かやろうかなあ。ヴィアは何かやりたい事ある?」

「フランとトモヤが早朝ランニングをやっていたそうよ!わたくしもやりたいから朝起こしに来なさい!」

「…はいはい。起こしに行って怒るのはやめてよ」

 

そんな話をしながら4人は競バ博物館前にやってきた。

英国競バ博物館は統括機構の前身、英国ホースガールクラブの事務所を改築して建てられ、競バの歴史、寄贈されたトロフィー、伝統ある名レースの絵画や解説、そして伝説のウマ娘の記念品が展示されている。

ここには、一つのウマ娘の像がある。20世紀の伝説のウマ娘、「高みを行く者」ハイペリオンの像である。

 

「これがハイペリオン像ね!ルーク!写真に残しておきなさい!」

「うん。すごいねこれ、よくできてるなあ」

「すてきだわ!せんそうをとめたってきいたけど、ほんとうなのかしら?」

「らしいぜ。ドイツに一人で行って競走で決着を着けようって言ってな。それが今のレジェンドグレードらしい」

 

当時の生徒会長であったハイペリオンが銅像になる程の偉業──戦争の代わりに欧州各国の名バ達の一大競走を持ち掛けたのだ。

日本のドリームトロフィー、米国のグローリーカップ等のシニアグレードを終えた名バ達のその先の競走の原点、欧州のレジェンドグレードはこの時生まれたのだ。

トレーナー試験にも必ず出る項目である。

近代競バの基礎を作ったと言っても過言ではない、伝説中の伝説の名バである。

ここに来たのは、博物館自体も目的であったが待ち合わせの為でもあった。

 

「お待たせ!じゃあ行こっか」

「お待たせしましたお嬢様。博物館でわからない事があったら何でも聞いてくださいね」

 

姉とメイドとの合流地点である。

学院の友人達に挨拶を済ませて戻ってきたのであった。

 

「んじゃ、今度は俺が行ってくるわ。挨拶だけしたらすぐ戻るから」

「第三ターフにいたわね。教官じゃないのに契約前の子の練習見てたわよ」

「おっ、助かるわ姉貴。変わってねえなあ…」

 

姉貴とメイドと代わるように、智哉が学院内に入っていく。

そんな智哉を見て、フランが首を傾げた。

 

「トム、どこにいくの?」

 

 

 

「顔だけ見せに行くんだよ。俺の先生にな」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

ニューマーケット市内全域が敷地内とも呼べるトレセン学院は広大である。

練習用の芝コースだけでも複数存在し、生徒のウマ娘達が十分なトレーニングができるように設備が充実しているのだ。

そんな学院内の第三ターフに、その男はいた。

 

「はーい君達~おじさんに注目してね~」

 

無精髭を生やし、飄々としたうだつの上がらなさそうな男であった。

サンダル履きで、くたびれた中折れ帽を被るその姿はエリート中のエリートの統括機構トレーナーとはとても思えない風貌である。

要するに見た目はちゃらんぽらんなオヤジである。

そんな男の声に、彼が見ていた未契約の本格化前の生徒達が集まる。

 

「おじさんほんとにトレーナーなの?よく来るけどさ~」

 

率直な意見であった。全くもってその通りである。

この男は自分のチームを持っているが、記者会見等は彼の右腕のトレーナーに任せている。

つまりその右腕のトレーナーがチーフと思っている生徒すらいるのだ。

 

「言うね~。おじさん一応トレーナーだよ?一応ね」

「えー、見えないよ!」

「で、今日はどこ直したらいいの?」

 

しかし、この男の助言は独特であるが的確であった。

彼女達にはよくわかんないけど速くしてくれるオジサンと人気であった。

 

「君はトレ鉄はもっと重いのにするといいかな~っておじさん思うよ。その走り方だとねえ、重いバ場に負けちゃうから蹄鉄で調整するとタイム上がるかな。ついでにトモも鍛えられるしね」

「ほんとー?やってみるね!」

「私も!私も見てよ!」

「いいよ~走ってみなさい」

 

そんな男に、一人の少年が後ろから声をかけた。

集まっていたウマ娘達が自然とその少年の容姿に目をとられる。

少年は何でこっち見んの…と怖くなった。

 

「うっす、先生」

「お?おお!トムくんじゃないか!元気してた?」

「ぼちぼちやってました。試験受けに来たついでに先生に顔見せに来たんすよ」

 

少年は智哉であった。ここに来たのは目の前のちゃらんぽらんなオヤジに用があったのである。

 

「ごめんね~、おじさんにお客さん来たからまたでいいかい?」

「えー!しょうがないなー!絶対だよ!」

 

ウマ娘達が離れていき、男が智哉に振り向く。

 

「試験受けたんだねえ。受かりそうなの?おじさんとこ来てくれない?」

「自信はあるんすけど、チームは多分ジュドモントっすね…ヘンリーのじいさんの推薦受けたんで」

「ええ~!おじさんトムくんなら推薦したのにさあ、水臭いんじゃない?」

 

智哉がこの言葉を聞いて眉間を揉む。

この男──ジョエル・ガスデンは携帯を持っておらず、更にはあちこちをブラブラしている自由人なので連絡がつかないのだ。

それはそれとしてこの男の推薦を貰う選択肢は智哉にはなかった。

 

「契約を約束した子がいるんすけどね、その子がジュドモントの娘なんすよ…だから先生のとこには行けねえっす。あと俺最近まで障害行くつもりだったし」

「えっ、平地来るのトムくん?それなら尚更ウチに来なよ~」

「今理由言ったじゃないすか…」

 

このように適当な中年男であるが、この男は100以上のGI競走を勝利している世界的なトレーナーである。

メディアに出るのを面倒くさがって顔はあまり知られていないが、統括機構においても一目置かれている人物なのだ。

というか理事である。しかし理事会には出た事が無い。理事長の辞めたい理由の一つである。

そして智哉がトレーナー寮にいた頃に、暇を見つけてはちょっかいをかけてきた男であった。

当時ガリレオ会長と出会い、持ち直した智哉は最初は変なオヤジだと取り合わなかった。

しかし、このオヤジは競走に関して言う事はほぼ的中している事にある日気付いたのだ。

それが、師弟関係の始まりであった。

師と言うと智哉にとっては伝蔵もそうではあるのだが、父の威厳は地に落ちているのでそう思われていない。哀れである。

 

「トムくんさあ、前よりマシな顔になったね。険がとれたというか」

「…そうっすかね?自分じゃわかんねえけど」

「いや~おじさんちょっかい出した甲斐があったよ。だからウチ来てくれない?あのおじいさんに狙ってた子獲られておじさん悔しいんだけど」

「いやだから行けねえって言ったじゃないすか!変わんねえなそういうとこ!」

 

オーバーリアクションでジョエルが落ち込んだフリをしてみせる。

どこまでが本気なのかわからない適当ぶりであった。

 

「ああ、そうだ、オブリーエンの娘さんも今年受けたらしいんだよね。じゃあそっちおじさん狙おうかなあ」

「クールモアのとこの娘とか絶対無理じゃねえ…?ってかそんなのまでいたのか。どんな子なんだろうな」

 

後ろから睨んできた女である。

現在妹にマッサージされながらホテルのベッドで死んでいる。

 

「トムくんも平地で、そのオブリーエンの娘さんもいて、いやあ将来楽しみだよおじさん」

「…いや落ちるかもしれねえすけどね。理事会もあるし…」

「…その理事会、おじさん出てあげるよ。適当に引っ掻き回しておくから」

「先生それ逆効果じゃねえかな…」

 

真剣な表情になったオヤジに智哉が呆れ顔で返す。

余計なことしないでくれよと心から思った。

理事長の胃薬が増えるだけである。

 

「んじゃ、連れがいるしもう行きます。受かってたらまた挨拶に来るんで」

「待ってるよ~、フランケルちゃんと仲良くね」

 

 

「知ってるじゃねえか!!!!!!適当な返事してんじゃねえ!!!!!!」

 

 

この後、博物館に戻って遊んだ後に、智哉達は家に帰り、ヴィアとルークはオーストラリアへの帰路へついた。

別れる際にヴィアが帰りたくないと駄々を捏ねる一幕もあったが、フランが今度は遊びに行くと約束した所でうれしそうに帰って行った。

そうして、試験結果を待つ身となった智哉であったが──ここで事件が起きたのである。

 

 

 

 

 

 

 

「──条件付き合格者、トモヤ・クイル」

「──成績優秀、首席合格者であるが素行面に問題あり。よって」

 

 

 

 

 

 

「──六年間、欧州での契約、競走参加を禁止。そして二年間のサブトレーナーとしての奉仕活動を命じる」




次回、一部最終回


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一部最終話 いつかまた、約束のあの日で

「なんか、大事な事を忘れてる気がする…」

 

平地トレーナー試験を終え、学院観光を楽しんだ翌日の朝。

智哉は試験対策に追われる日々から解放され、落ち着いた朝の団欒を迎えていた。

迎えていたのだが。

 

「どしたの?まさか試験やらかしたんじゃないでしょうね…?」

 

姉が好物の母特製ニンジンキッシュにスプーンを刺しながら、智哉に訊ねる。

 

「いや、試験じゃねえんだ。でも何か違和感あるんだよ。なんつうか、ここに居るのがおかしいっつうか…」

 

統括機構トレーナー試験は年に二回行われている。

智哉は一昨日に平地試験の本試験を受けたばかりである。

平地トレーナー試験は、平地競走シーズン終了後、つまり十月に一度、そして予備試験としてシーズン開幕前の三月頭に行われている。

障害競走はほぼその逆である。

障害競走シーズンは冬~春。つまり五月に本試験、そして10月に予備試験がある。

そして、今年は平地本試験の二日後に障害予備試験が行われる日程なのだ。

智哉は五月、フランと出会う少し前に障害本試験を受けようとして姉の横槍で諦めていた。

つまり、智哉の認識では姉は今学院で障害予備試験を受けているはずである。

それを智哉は試験対策に追われる日々でド忘れしていた。まだ気付いていないのだ。

姉は智哉はもう気付いていると思っている。

姉の認識では智哉は切れ者である。

しかしこの男の明晰な頭脳は普段休眠状態なのである。使っていない。宝の持ち腐れであった。

 

「トム君、思い出せないならいいんじゃないかしら?きっと大した事じゃないわ」

 

この齟齬に母がいち早く気付いた。

愛する子二人をよく見ている母である。

 

「いや母さん、これはきっと思い出した方が良いと思うんだよ。特に姉貴を見てると違和感あってさ…」

「なによ気持ち悪いわね。言いたい事あるなら言いな」

 

智哉が眉間を揉みながら思索に耽る。

大事な事を忘れている違和感を解消したくてたまらなかった。

 

(思い出せ…最近の会話で何かあったな、親父も関係ある気がする…)

 

父は、障害競走シーズンに入ったため学院へ行った。

父、そして先日のちゃらんぽらんなオヤジとの会話に大きなヒントがあった。

 

『えっ、平地来るのトムくん?それなら尚更ウチに来なよ~』

(先生に言われたこれ、関係あるな…俺なんで五月に障害本試験受けな…………あ)

 

思い出した。

 

「あ……姉貴?」

「んー?あにお?」

「ミディちゃん、お行儀が悪いわよ」

 

ここにいてはいけない姉が、キッシュを頬張りながら返事を返す。

智哉が震えながら、いてはいけない姉を指差して、言った。

 

「なんでここにいんの!?」

「いちゃいけない訳!?あたし何かした!??」

「いや!!おかしいだろ!!今日って障害競走の予備試験日じゃねえか!!なんで受けてねえの!!?」

 

ぽかん、と姉が智哉を見つめる。弟が何を言っているか呑み込めていないのだ。

母がこの子気付いちゃった、と可愛らしく頭を抑えた。

 

「…何言ってんのあんた?あたし受けないけど」

「はあ!?何で受けねえんだよ!!?俺がおかしいみたいに言うのやめろよ!!!!」

「まあまあトム君、食事中に大声を上げるのはお行儀悪いわよ」

 

母がいきり立つ智哉をなだめにかかる。ここで騒がれたら困る理由が母娘にはあるのだ。

姉が腕を組んで、智哉の言葉を咀嚼する。

 

「………あんたまさかそういう事!?…あはははははは!!!ちょっとごはん食べてる時に笑わせないでよ!!!ひーおかしーーー!!!あはははは!!!」

 

その後に爆笑した。

 

「あああああこのクソ姉貴!!!!!!またハメやがったな!!!!!!!」

 

智哉はその姿を見て、自分が過去最大に姉に嵌められていた事に気付いてブチ切れた。

 

人並みの成績で障害競走のトレーナー資格を手に入れ家を継ぎ、人並みの手腕で家を盛り立て、人並みの妻をもらい、人並みに愛する。

 

この自分の人生設計をぶち壊されていた事にたった今、気付いたのであった。

 

「ちなみに言い出したのはパパよ。あたしは乗っかっただけー」

 

気楽に姉がそう言ってのけるのを見て、智哉は怒りで眩暈がしてきた。

フランの為に平地に行く事を決心した。それは確かだがそれでもこの横槍は怒っていいだろと思っていた。

 

「…ミディちゃん、本当の事言わないとダメよ」

「うっ、ママ…うん、わかった」

 

母に窘められ、姉がバツが悪そうに智哉に向き直る。

母娘の腹案の為にも、ここは白状させる必要があると母は判断していた。

 

「あんたね、こっち帰って来た時、ひっどい顔してたの自分じゃ気付いてなかったでしょ?戻ってきて無意識に昔の事思い出してたんだろうけど…」

「…そうか?わかんねえけど…」

「それでね、パパはあんたに平地行かせたいと思ってたみたいだけど、あたしはこのまま障害行かせてもあんたにも管理バの子にもよくないって思ったのよ」

 

ぷい、と姉がそっぽを向く。

姉は弟に本心を言う事がほとんど無い。大事な弟だと思っている事を知られるのが照れ臭いのである。

面倒臭い女だった。

 

「予備試験までにね、あんたがマシになったならあたしはもう何も言う気なかったわよ。ごめんね」

「姉貴……」

「フランちゃんに会わせるのも最初は悩んだけど、あんたにはきっと良い方向の出会いになるって思ったからここに連れて来たのよ。結果的にあんたは吹っ切れて平地に行きたいとまで言い出したから大成功でよかったわ」

 

姉がここまで自分の事を考えてくれていた事に智哉は衝撃を受けた。

嫌いではない、むしろ家族として好きではあるが、情は深くても理不尽な姉という印象が強かったのだ。

 

「そっか…それなら姉貴には感謝しかねえよ。ありがとう」

 

だから、智哉は素直に感謝を伝えた。

怒りはもう、なかった。

 

「うん…じゃあこの話終わりね。それでさー、ママもう言っていいよね?」

「そうね、言っていいわよミディちゃん」

 

ここまではもう怒ってなかった。ここまでは。

 

「あたし、来年アメリカ行くのよ」

「アメリカ?何でまた?」

「あたしの引退レースさー、あっちで負けて終わったじゃん?悔しくてしょうがないからリベンジしたいのよ」

 

姉は、引退レースでアメリカの大レースTCターフに挑み、6着で負けた。

姉は超が付くほどの負けず嫌いである。

弟とのビデオゲームでの対戦でリアルファイトに発展するほどの負けず嫌いである。

 

「復帰すんの!?レースはもういいって言ってなかったか!?」

「あの時はね。いつまでもウジウジしてる愚弟放り出して行くのも後味悪かったし」

「それはごめん…でも姉貴、グローリーカップに出るのならあっちのG1勝ってないと…姉貴勝ってたなあ…」

 

グローリーカップ──日本のドリームトロフィー、欧州のレジェンドグレードに並ぶ米国の名バ達のその先の競走である。

姉は名バである。

これまたアメリカの大レースTCフィリー&メアターフに二度挑戦し一度目を1着、二度目を2着の好成績を収めている。

つまり出走条件を満たしていた。

途端に智哉は寂しくなった。姉は理不尽だが、なんだかんだ気が合って好きなのだ。

 

「そっか…寂しくなるな。すぐ行くのか?」

「行くのは来年頭くらいかな。確かにちょっと寂しいけど、まあオフにフランちゃんやママやサリーには会いにくればいいしね」

 

一瞬智哉は俺は?と思ったが口には出さなかった。そんな事に口を挟むのは野暮と考えたからだ。

それに気になる事があった。アメリカに行くにしても専属トレーナーを探す必要がある。

 

「トレーナーは?もう見つけてるのか?」

 

 

──姉と母は、満面の笑顔で何故か智哉の方向を指差していた。

 

 

「…………」

 

智哉は、嫌な汗を急にかきながら後ろを一応確認した。誰もいなかった。

もう一度前を見る。こちらを指差す姉と母。

後ろを見る。誰もいなかった。

智哉は全力で嫌な予感を感じた。いや予感ではなく確信であった。

 

「は?………はああああああああああ!!!!!!!????」

 

つまり、姉は自分をアメリカに連れて行くと伝えている事に智哉は気付いてしまった。

人生の岐路に突然引っ張り出されて智哉は絶叫した。

 

「なんで俺!!!??行かねえからな!!!!!!受かってるかもわかんねえだろ!!!!!」

「あんた受かるでしょ。いやほんとフランちゃんには感謝しかないわねー。あたしの判断冴えてるわ」

「そ、そうだ…契約書……契約書にサインしねえからな!!!絶対しねえ!!!」

 

競走バとトレーナーが契約する際、所属チームに提出するための専属契約書にお互いのサインが必要である。

それさえ拒否すれば問題ないと智哉は胸を撫でおろした。

 

「あんたしたじゃん」

 

してた。

 

「いや記憶にねえから!!!!してねえし行かねえ!!!!!」

「トム君、これ何かしら」

 

母が胸元から何やら一枚の紙を取り出す。

専属契約書であった。智哉の名前が確かに書かれていた。

筆跡も智哉のものであった。自分で見て自分の筆跡だと気付いてしまった。

 

「なんで!!?いつ書いたの俺!!!??」

 

ふと、フランの容態を聞きに行った時の、謎のクリアファイルに入った書類を思い出した。

嫌な予感を猛烈に感じた書類だったが、母を信じて書いた覚えがあった。

 

「トム君の様子を見て、もしかしたらと思ってミディちゃんと決めたのよ。ごめんね騙すような形で」

「母さん何でそんな事したんだよお…」

 

智哉に泣きが入った。一家の良心の突然の裏切りであった。

 

「……理事会、資格は取れてもきっと良い結果にはならないわ」

 

智哉には、冤罪とはいえ補導歴と暴力事件を起こした過去がある。

統括機構所属トレーナーとして不適格と理事会に判断される可能性は大いにあるのだ。

とは言え、アスコットポニースクールの事件により学院は多数のトレーナーを懲戒処分としており、今季のトレーナー試験合格者は争奪戦となる事が予測されている。

その為過去にもあった特例措置として、智哉にも何らかのペナルティを加えた形で合格の芽は十分にあるのだ。

問題はそのペナルティの重さである。

過去の一例としては欧州での契約、競走への参加を複数年禁止というものがあった。

上記のペナルティを受け、アメリカからキャリアをスタートさせ十分な実績を残してから、欧州戦線へ殴り込みをかけた人物が過去にいたのだ。

罪名はウマ娘へのセクハラである。レース馬鹿だったその人物はトモを触りすぎたのだ。

 

「前例もあるし、確かにな…でも姉貴、母さん、ここを離れたくはないんだよ」

「どうせフランちゃんの事でしょ?倍にして返すって頼んだら貸してくれたわよ。あんたを」

「なんでまず俺に聞かねえの!!?倍にするって俺どうなんの!!?」

 

自分の与り知らぬところで、自らの身の振りが確定していた事に智哉は絶望した。

久居留家は代々、男の立場が弱いのだ。

 

「それとね、ミディちゃんって家事とかまるでダメだから、トム君がついて行ってくれるとママとしても安心できるの。年頃のミディちゃんを見ず知らずの男のトレーナーに任せるのはママとしては反対だし…」

「あーママひどーい」

 

これは確かにと智哉は納得した。智哉は要領が良く家事も問題なくこなせる。

姉の貞操より、姉の気性難に付き合わされる見ず知らずのトレーナーの方が心配になるが。

 

「色々納得いかねえけど、フランがそう言うなら…わかったよ。でも結果が出るまでは待ってくれよ。研修もあるしな」

「あたしは無理言う側だし、そこはあんたの希望通りでいいわよ」

 

トレーナー試験合格者には、トレセン学院での業務に入る前に一週間の研修期間が設けられる。

英国には競走バ、ひいては統括機構のトレーナー以外にもトレーナーという職業が存在している。

消防ウマ娘のトレーナーやレース場の誘導ウマ娘のトレーナー等と多岐にわたり、それら別分野のトレーナーの下で日々の業務を学び、修め、統括機構所属トレーナーとしての責任感を育む為の研修である。

 

「アメリカかあ……ダートの勉強しとくか……」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

統括機構トレセン学院理事会では現在、平地トレーナー本試験合格者の承認が議題に上がっていた。

今年は16歳の最年少合格者が二人も出ており、そのうち一人はどのチームに行くか察せられるが、もう一人の首席合格者の去就が理事達に注目されていた。

 

「皆様、お手の資料をご覧ください。今年の本試験合格者は678人中21人。成績優秀者は666番トモヤ・クイルが首席、664番ジェシカ・オブリーエンが次席。続いて…」

「発言、よろしいでしょうか」

 

先手を打ち、挙手したのはエイベルであった。

周りの理事達が、あの事件でトレーナー不足なのに首席と次席両取りする気かと殺気立つ。

エイベルに対し、理事長が発言を促す。

 

「…認めます。エイベル理事」

「では失礼して。首席の人物についてですが…」

 

やっぱり両取りする気かこの嫌味眼鏡、と理事達の怒りの視線がエイベルに集まる。

当人はどこ吹く風と言った様子であった。

 

「12歳の時に婦女暴行未遂、更には暴力事件での補導歴があります。更にはこれはご存じの方も多いと思いますが…先日の選抜戦最終レースに乱入したのも彼です。このような人物、いくら首席と言えど統括機構のトレーナーとしては不適格でしょう。理事長、私は彼の合格を否認する事を提案します」

 

このエイベルの発言に、先ほど怒りの視線を向けていた理事達が騒めき立つ。

事実であれば確かにトレーナーとしては不適格である。

この反応を確認したエイベルが着席し、生徒代表の座る席へ視線を送る。

生徒代表、即ち生徒会長である。

 

「──私からも発言、よろしいでしょうか」

「認めます。今日は挙手するのね、ガリレオ…」

 

今日は勝負所の大事な日だからである。普段は挙手しない。

 

「首席の彼、トモヤ・クイル氏ですが、私の友人です」

 

この唐突な発言に理事達が更にどよめく。

そのような人間を生徒会長が友人と言うのはあり得ない。

何か理由があるのだろう、そして丸め込んでやっぱりクールモアで両取りする気じゃねえかと、また怒りの視線を向けた。

 

「まず婦女暴行未遂に関してですが…これは冤罪です。真犯人は彼と同じ学年の人物、そして暴力事件は彼が被害者を守るために行った事です。これは生徒会長ガリレオの名に誓って事実である事を保証します。彼はやや口が悪い所がありますが善良な少年です。選抜戦最終レースの乱入者である事に変わりはありませんが…そこで、この私が責任を持って彼を──」

 

「おじさんも発言したいなあ」

 

首席とその約束の少女を何としても欲したクールモアの連携プレーに、割って入る男がいた。

 

「ガスデン理事…まだガリレオが発言していますが…」

「いやあ理事長ちゃん、だってねえ、おじさんおかしいと思うのよ。これ、理事長ちゃん隠してたよね?首席だよ?素行は一番調べなきゃダメでしょ~、エイベルくんから出てくるのがおかしいよねえ?」

「………何の事やら。発言は認めません」

 

ちびっこ理事長が、変な汗をかきながら目を逸らす。実際に隠していたからだ。

目の前の男、つまり前例がいるからである。

 

「もうこれ言ったらおじさん退出するから言わせてくれない?おじさんも昔試験でさあ、合格したけどペナルティ食らったんだよねえ」

「認めません!発言を認めません!!」

 

形振り構わず理事長が発言を止めにかかる。

それを言わせると、どうにもならなくなるのだ。

 

 

 

 

 

「何かアドバイスしようと声かけてからトモちょっと触っただけで、おじさんは欧州で8年契約とレースできなかったんだよ。誰だったかなあ、あの子。ちっちゃい子だったなあ。首席の子もさあ、冤罪ならそっちは無しでも乱入はそんなもんじゃないかなあ。前例があったらさあ、それに倣うべきだよねえ」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「やだあああぁぁぁぁぁあ!!!!!!もう辞めるうぅぅうううぅうううう!!!!!!」

 

理事会終了後、理事長は何度目かの駄々を捏ねていた。

あの後の空気の重さは耐えかねる物があった。

まず知らずとは言え隠していたものを掘り出したせいで、とんでもない事態になった嫌味眼鏡の眼鏡がずれ、やらかした事を理解したガリレオ会長が紅茶をまた膝にぶちまけた。

この二人はちょくちょくいちゃもんを付けては、クールモアに首席を持って行く常習犯だったので良い薬ではあった。

 

「ウェルズちゃんが過剰に反応したのが元々の原因だから、自分で蒔いた種でしょう?ちゃんと謝ったの?」

「謝ってない……もう何年も前じゃんミル姉……」

「それはジョエル君も怒りますよ、ウェルズちゃん」

 

何やら過去の因縁の話をする秘書と理事長。

こういう時は理事長が悪い事が多かった。

 

「でもさあ!!!!!久しぶりに顔出したと思ったらこれはないでしょ!!!!しかも首席の子の面倒見てたらしいじゃんあのオヤジ!!!!!!意味わかんないんだけど!!!!!!」

「セシル君と目配せしてましたね。何か思惑があっての事でしょうね…」

「何したいんだよあのオヤジィィィィ!!!!!ガリレオと嫌味眼鏡もそれくらい察しろよおおおおおお!!!!!」

 

床の上で理事長が地団太を踏む。乱入も折角不問にしたのに台無しにされたのだ。

 

「これペナルティ決める私が悪者になるじゃん!!!!!私全力で庇う気だったのに!!!!!ジジイもこういう時くらい出て来いよ!!!!!!」

「ブレーヴちゃんやリボーさんと同じでしょうね、あの最終レースの子」

「そうだよミル姉!!!!だからあの乱入はどうしようもないじゃん!!!!!あの首席の子どうあがいても乱入してたよ!!!!!!!!」

 

地団太を踏み疲れたのか、理事長がそのままだらしなく椅子に座り額を抑える。

どうしようも無い事にペナルティを出す事がしんどすぎて嫌になってきていた。

要するに辞めたいのである。

 

「前例通り8年はムリ。入学しちゃう」

「そうねえ」

「6年。それに2年の奉仕活動。期間中に奉仕活動やらせて実質6年」

「無難なところね」

 

秘書がしんどそうな理事長の頭を撫でる。

なんだかんだ頑張る時は頑張る後輩だから、見捨てずに面倒を見ているのだ。

 

「ウェルズちゃん、セシル君とジョエル君の目論見通りなら、きっと首席の子にも悪い事にはなりませんよ」

「そうだと良いけど…」

 

こうして、首席合格者の処遇は決まったのである。

 

 

そんな理事長室とは別室のとある場所──

 

 

「たぶんね、6年だと思うよ、理事長ちゃんなら。大丈夫だよ~理事長ちゃんもよく知ってる事だから。アメリカの方はおじさん詳しいしジュドモントもキーンランドカレッジにチームあるでしょ?なんとでもなるよ」

「そうだといいんですけどね…今回はご協力、ありがとうございました」

「元々首突っ込むつもりだったからいいよいいよ、一年ちょっとくらいの付き合いだったけど教え子のためだしね」

 

セシルとジョエルは、理事会の前に協議していた。今回のジョエルの介入についてである。

目的は、一つであった。

 

「ガリレオに冤罪だと主張させてから介入するとおっしゃったのには驚きました…確かに彼女から理事会でトモヤ君の無実を伝えてもらうのが一番説得力がありますね。えげつないですけど…」

「これでね、トムくんは合格できるし、先に公示して処分しましたよってやれば、こっち戻ってきたら変なやっかみやマスコミの勘繰りで色々ほじくり出されなくて済むだろうしね。フランケルちゃんも納得してるんでしょ?トムくんなーんにも知らないのはおじさんどうかと思うけど」

「…トモヤ君が知ったら、そんな事なら残るって言い出しかねないですから。彼の家族にもそこは口止めさせてもらってます」

 

智哉は、16歳という若さでトレーナーとして大成できる能力を持っている。

名を上げるに連れて、その過去が暴かれ周囲の喧騒に悩まされる懸念を、フランの入学前に解消させるのが目的だったのだ。

智哉の訪問を受けたジョエルがすぐに動き、セシルに協力を申し出たのが今回の経緯である。

 

 

 

「アメリカでさ、顔隠して名前変えさせてもおもしろそうかもねえ。あっちその辺ゆるいから」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

『──六年間、欧州での契約、競走参加を禁止。そして二年間のサブトレーナーとしての奉仕活動を命じる』

 

こうして、智哉の処分は決まった。禁止期間内に奉仕活動をこなす事になり、アメリカで四年のトレーナー生活を行う運びとなったのである。

 

「…じゃあ、行ってくる。オフには帰ってくるからさ」

「おからだにきをつけてね、トム」

「ああ、フランもな」

「ばいになって、かえってきてね」

「えっ、その話マジだったの…」

 

研修で手違いにより地獄を味わうハプニングもあったが、無事に終えた智哉は空港でフランの見送りを受けていた。

フランは、父であるセシルから智哉の処分についての話を受けた時、泣いて嫌がって父を困らせた。

しかし必要な事であると説かれ、悩んだ末に一つの決意を抱いた。

 

「トム、わたしね、つよいこになるわ」

「フランは今でも十分強いよ」

「ううん、もっとよ、うんとつよくなるのよ」

「じゃあ、もう俺じゃ勝てなくなるなあ」

 

久居留邸のあの日々の中、フランは智哉にずっと守られてきた自覚があった。

フラン自身それがうれしくて懐いていたし頼ってしまっていた。

だがそれではいけないと考えた。負担になりたくないと思った。

あの守護者に逃げた時のような独りよがりでなく。

将来、約束を果たした時に支え合いたい。そう、思っていた。

 

「おおきくなって、おとうさまのおゆるしがでたら、おばさまにおりょうりをならうわ」

「うん、頑張れ」

「トムにつくるから、たべてちょうだい」

「おう、楽しみにしてるぜ」

「ヴィアちゃんのおうちにあそびにいくときも、がまんしてひこうきにのるわ」

「ああ、フランならきっとできる」

「レースのおべんきょうもたくさんするのよ、もっとはやいウマむすめになるわ」

「今より速くなったら誰も勝てないぞ…」

 

一生懸命、やりたい事を智哉に語る。

電話で連絡はするが、しばらく会えなくなる。

大好きな優しい目が、見れなくなる。

だから目に焼き付けたいとフランは智哉の目をしっかり見て、語った。

 

「それとね…それとね…」

「うん」

「いいたいこと…いっぱいあるのよ…あるのに…」

 

目が滲んで、大好きな目がよく見えない。

ふと、頭に手が置かれた。

大好きな、撫でてくれる手だった。

 

「…オフには帰ってくるんだからさ、大げさだって」

「でも…さみしい…さみしいわ、トム」

「そうだ、これ…貰ってくれるか?」

 

智哉が、荷物の中から小さな箱を取り出す。

それを、フランの手の上に乗せた。

 

「…なにかしら?」

「開けてみてくれ」

 

ぱかりと、フランが箱を開けると、ピンク色の星のポイントが入った、水色の耳飾りがあった。

ニューマーケットでヴィアと会った時、彼女の耳飾りを見てフランにと考えて買っていた物だった。

 

「わあ…!」

「フランみたいなお嬢様に、こんな安物どうかとは思って渡しそびれてたんだけどな…」

「ううん、うれしいわ!わるいこの、あいつのいろよ!」

「誰それ…」

「つけてみてもいい?」

「もちろんいいぜ、付けてやるよ」

 

右耳に耳飾りを付ける。

綺麗なフランの金髪に、ピンクの星が浮かんだ。

 

「たからものにするわ!うれしいわ!」

「大げさだろ…ありがとな」

 

もう一度フランの頭を撫でる。フランはされるがままに、頭を摺り寄せた。

 

「時間だ。行ってくるよ」

「ええ!いってらっしゃいトム!」

 

フランに手を振り、待っていた姉に合流する。

姉は、何故か苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

苦渋に満ちた、手遅れになった何かを見るような顔であった。

 

「姉貴何だよその顔…?」

「あんた……フランちゃんと二人でいる時いつもこんな感じなの…………?」

「え?おう」

 

 

 

 

「あたししーらない!!」

「だから何だよそれ……」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

こうして、わたしの競走バとしての未来、その全てを決めた六歳のあの日々は終わりを告げた。

それからわたしは、飛行機に乗ってヴィアちゃんとルークさんに会いに行ったり、エクスちゃんがクラブに乗り込んで来たり料理を何度も失敗したりと楽しい日々を送っている。

 

『ミッドデイ勝ちました!!グローリーカップフィリーズターフ、これで3勝目です!突如ここアメリカに現れた謎の覆面トレーナー、天才ジョー・ヴェラス氏とのコンビは目を見張るものがあります!!特にヴェラス氏は最近はクオリティロードとのコンビでもよく知られて…おおっとミッドデイが何やら二着の相手と…あっと中指を立てました。これはいけません!ライブ前に乱闘!乱闘です!ヴェラス氏が止めに…入らず全力で逃げました!この光景もおなじみですね』

 

「何をやっているんだ、あいつらは…」

「うふふ、元気そうね」

 

ちょっとだけ、私より先にあの人と契約している競走バの先輩達をうらやましく感じる。

けど、あの人のあの眼も、あの優しさも知っているのはきっとわたしだけだから。

貸してるだけだし、倍になってわたしの所に帰ってくる。だから悔しくないし…。

あの人は、来年学院に戻ると言っていた。先に行って、わたしを待っていると。

 

「お嬢様、本日の理事会主催の社交会は…」

「行くわ!エクスちゃんは来るかしら」

「彼女は諦めた方が…とにかく支度しましょう」

 

 

 

 

 

 

きっと、約束の日はすぐにやってくる。

わたしのゴールは、わたしを待ってくれているのだから──




これで一部終わりになります。
最後駆け足で新キャラぶっこんだりしたけど許してね。
ストック作らずに書いてたけど矛盾点とか無いかが不安でならない…
二部に行く前に、一部の主要キャラ紹介と1.5部トレーナー研修編、アメリカ編を少し挟みます。
どちらにも紹介したい馬がいるので気になったら調べてくれるとうれしいなって…。
お気に入り、評価、しおりありがとうごさいます。
感謝しかないんやで。


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第一部主要人物紹介
その一 久居留家とその関係者


久居留 智哉(トム)

主人公。第一部では16歳。身長170cm中盤くらい。黒髪に黒目。

日系英国人で、英国ウマ娘統括機構(B U A)所属の障害競走トレーナーの一族である久居留家の長男。

過去の一件により事なかれ主義で人並みの人生を送りたい願望を持っていたが、一人の少女と出会う事でその運命が大きく動いていく。

12歳までは快活で無鉄砲な少年だったが、仲の良かった女友達が過度ないじめの対象になっていたのを助けた所、主犯格の隣のクラスの優等生のその場凌ぎの嘘により冤罪を被せられる。

補導され、誰も信じてくれない状況と助けた相手にすら怪物扱いされた事がその心に大きな影を残している。

母と祖先より受け継いだウマ娘の血を色濃く持ち、優れた容姿にウマ娘に匹敵する高い身体能力と明晰な頭脳を持つ超人。

しかし上記の人並み主義と、生来のヘタレさと逃げ癖によりその超人性を発揮する機会は少ない。追いつめられると本気を出すタイプ。

相マ眼というウマ娘の能力と故障を見通す眼を持っていたが選抜戦での謎の現象により失う。

失った後もその高いスペックは健在で、第一部終盤からは人並み主義を捨てた事でその真価を発揮していく。ウマ娘の男性観破壊マシーン一号「人間ゴール」

三女神の被害者その一。

三女神のアホの子担当のやらかしにより本来の運命+異世界アメリカの平地6000勝騎手の運命も背負わされている。

それが無かったら超人でも無かったし、フランと出会うまでは平凡な普通の人生を送れていた。一生平地でウマ娘と関わる宿業持ち。

気性難担当にはよう踊るヒトミミおるやんけ!といつもちょっかいをかけられている。乱入させたのこいつ。

真面目担当にはこんだけスペック盛ってもうたらバランスとらなと、運や間の悪さに超絶バステを持たされている。肉の壁持ってたのに撃たれたのはこいつのせい。

第一部最終回にてアメリカへ出荷された。背負った運命のせいでどうあがいてもこうなっている。

名前の元ネタはミッドデイとフランケルの主戦を務めたアイルランドの騎手トム・クウィリー。

1.5部アメリカ編で、背負わされた運命と深く繋がる少女と出会う。

ジョー・ヴェラス

年齢不詳。身長170cm後半~180cm台。

第一部最終回より登場。米国競バ界に突如現れた、異彩を放つ謎多き天才覆面トレーナー。

誰なんやろなあ。

元ネタは「ザ・キャプテン」の異名を持つプエルトリコ出身の6000勝騎手ジョン・ヴェラスケス。

 

フランケル(フラン)

ヒロイン。第一部では六歳。金髪に短めの耳。青い目。一部最終話より右耳にピンクの星のポイントが入った水色の耳飾り。身長113cm

統括機構トレーナーの大家にしてアラブのさる王族の遠縁の令嬢。超絶お嬢様。

三女神の寵児であり、天性の競走バの才能を持つ天才少女。

得意距離はマイルだが、中距離も問題なくこなせる。脚質は追込から逃げまで自由自在。

あまりにも三女神から愛されすぎた故に孤独に走る運命を持ち、共に走った相手に拒まれる現実に心を壊し、逃げた先でぶっきらぼうな年上の少年と出会う。

三女神は彼女が大好きなので、何か起きたら大体人間ゴールがひどい目に遭うように調整される。

基本的に聡く、年齢にしては自制の効く優しい少女だがド天然。

そのウマソウルに悪い子と呼ぶ、負けた事の無い怪物を飼っていた。

色々あってこき使った結果、しっぺ返しに一番いらない物を貰っている。

年の近い異性の知り合いゼロの純粋培養されてきた所に、突然男性観破壊マシーン一号を放り込まれたので処置無しの状態。

今はまだ大丈夫。今は。

元ネタはWBRR140ポンドを記録した世界最強馬フランケル。

 

ミッドデイ(姉)

十代後半。鹿毛。身長172cm。B91W57H84

久居留家長女。智哉の姉。気性難。

クイル・レースクラブの黄金期を築き、トレセン学院時代も引退までの23戦中四着以下はたったの四度という連対マシーン。G1通算6勝。

理不尽だが情の深い女。女子力は死んでいる。

弟を家族として大好きで、幼い頃より構いすぎたせいで弟の平地への苦手意識を育んだ事に気付いていない。

引退理由は壊れそうな弟がほっとけなかったから。

まだ続けられるのに辞めようとした為、引退を巡り、付き合い始めの専属トレーナーと揉めて喧嘩別れしている。姉の認識ではフラれた。

トレーナーはその後、新たな契約の為にアスコットのタンパリングに手を出し懲戒されている。

第一部では多分最強の人物。何をしてもひどい目に遭わない。

弟とは相性がぶっちぎりで良い。この世界では三女神により姉にされているが、肉親以外ならどんな形で出会ってもゴールインする。

弟が男性観破壊マシーンに成長しているのに危機感を覚えている。1.5部以降はその割を受けるかもしれない。

固有スキルは日食から陽光が差し、正午の明るい陽射しになる草原の心象風景が現れる。

強力な固有スキルだが姉は滅多に使わない。久居留家の血を引く競走バは皆太陽に関わる固有スキルを持つ。

元ネタは2000年代後半から2010年代前半に活躍した上記の通りの連対マシーン牝馬ミッドデイ。

 

サリスカ(メイド)

姉と同い年。鹿毛。身長168cm。B88W55H82

ジュドモント家の養女にしてフラン付のメイド。札付きの気性難。

11戦5勝。うちG1二勝。オークスウマ娘。

冷静沈着なメイドモードと青筋が浮かぶ気性難モードが存在する。

二度の競走中止を除けば姉に負けず劣らずの連対マシーン。姉とは三度戦い三度とも退けている。

競走中止の理由は、勘当されたはずの実家の男爵家からのオークスウマ娘となった自分への一方的な縁談。走らなければ見限って貰えるとまで思う程に追い込まれていた。

現在はブチ切れた姉と英国王室の縁者である理事長の手回しにより解決している。

姉の自慢を聞いているので智哉には何気に最初からそこまで悪印象は抱いていない。

むしろ周りに今までまともな男がいなかったから、一番マシで成長すれば有りかなと思っていた。

男性観破壊マシーンを締め上げなかったのは失敗。

固有スキルは巨大な時計塔からの身投げ。

時間、過去の象徴からの彼女の逃避を示している。

元ネタは2009年英愛オークス二冠馬サリスカ。

 

ミッドサマー(母)

年齢不詳。鹿毛。身長165cm。B92W58H86

久居留家の良心にして最高権力者。智哉と姉の母。

クラブ運営者にしてウマ娘の心療内科医。イップスに関してはかなりの実績を持つ。

フランの治療に関しては根源がはっきりしていない中である程度まで快復させた。有能マッマ。

現役時代は一勝しかしていないが、その頃よりその気立ての良さと家事スキルでお嫁さんにしたい競走バランキングでは常に上位に君臨していた。

夫は交際前からゴリラみたいな体格の癖に、自分が近寄ると挙動不審になる姿がツボに入ってすぐに結婚まで行っている。

長男をあのような体に産んでしまったせいで苦しませているのを、内心ずっと悲しんでいた。

二人とも自慢の子供だが親離れが早すぎて少し寂しい。

跡取りに三人目が必要なのではないかと真剣に考え始めた。

元ネタはミッドデイの母馬ミッドサマー。

 

久居留 伝蔵(父)

40歳。黒髪に黒目。身長198cm

久居留家当主。自らの障害競走チームのチーフトレーナー。

影は薄いが久居留家の立派な大黒柱。

娘と妻を溺愛している。優秀な息子には久居留家の悲願グランドナショナル制覇を実はかなり期待していたが、平地向きの資質と過去の事件により、しばらくは気楽に生きさせてやりたいと思っていた。

相マ眼の事はよく知らなかったが、その万能性から息子のトレーナーとしての地力が付かないと判断して使用を禁じていた。実際使っていたら智哉は成長していない。

最終話でも実は裏で色々と動いていた。

セシル及び娘と妻へ息子に真相を言わない方が良いと伝えたのは彼の判断。

息子の事は意外としっかり見ている。

名前の元ネタはトム・クウィリーの父デクラン・クウィリー。



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その二 ライバル、そして友人たち

エクセレブレーション(エクス)

第一部では六歳。鹿毛に小ぶりの流星。身長116cm

トレーナーの大家オブリーエン家の次女。

自信家で王様っぽい振る舞いを好む我様幼女。天性の末脚を持つ天才。

フランさえいなければこの世代のトップなのは疑うべくもない才能の持ち主。

脚質は差し。バ群を抜けるセンスに優れ、自ら編み出した独特のステップを持つ。

物心付く前に母を亡くし、姉を母代わりに大事に育てられている。

その振る舞いで誤解を招きやすいが面倒見がよく、空気が読める良い子。思い込みが激しいのが珠に瑕。

父と姉に何かしらの確執があるのを幼いながらも感じており、亡き母と二人の和解のために姉の夢を継ぐ事を決めた。王様ムーブはその頃から。

寵児では無いが、ウマソウルに異世界からの強い執念が宿っており、フランとの対決で表出してくる事がある。

選抜戦での敗北を受け入れ、同世代の好敵手達より一早く成長を遂げた。

フランを生涯の好敵手に見定め、今後も何度も激突していく事になる。

元ネタはフランケルと五度の勝負を演じた名馬エクセレブレーション。

 

ジェシカ・オブリーエン

第一部では16歳。白毛に赤い目。小さすぎる耳。身長161cm。B77W53H78

トレーナーの大家オブリーエン家の長女。エクスの姉。

生まれた時から人間並みかそれ以下の身体能力とアルビノの体を持たされた不運な少女。

夢を諦めたが妹が継いでくれた事により新しい夢を抱いて邁進している。

妹は亡き母の代わりに大事に育てている。妹限定で母性の塊。

常に無表情で接してくる父には複雑な感情を抱いている。真意がわからない。

頭脳は超人の智哉と引けをとらないレベルで明晰。ただし虚弱すぎるもやし。

わかりやすく言うと理子ちゃんよりもやし。

負けず嫌いで智哉に強い対抗意識を燃やしている。ただし本人とはまだまともに話した事すら無い。

極端から極端へ行く性格で、あの体力測定で智哉の超人パワーを見た影響で体を鍛えようと考え、1.5部トレーナー研修編でとんでもない無茶をする。

三女神の被害者その二。

本来は人間として産まれるはずだったが、これまたアホの子担当のやらかしで種族パラメータだけをウマ娘に設定されて、そのまま忘れられていたためこんな形で生まれてしまった。本当に人間もどき。

なんとなくこいつも面白そうやんけと気性難担当にもたまにちょっかい出されている。

真面目担当には流石にやらかしすぎやしちょっとサービスしたるか…とトレーナー関係で金スキルをいくつか貰っている。

元ネタは名調教師エイダン・オブライエンの長男で厩舎の主戦騎手だったジョセフ・オブライエン。彼も騎手としては高身長と言う痛いハンデを背負っている。

 

ナサニエル(ナサ)

第一部では六歳。鹿毛にハートの流星。身長112cm

フランの従姉妹。つまり超絶お嬢様二号。

従姉妹大好き眠た目幼女。口下手だが言いたい事はガンガン言うタイプ。

脚質は先行。スタミナと坂路や重バ場をものともしないパワーに優れ、先団についてからのロングスパートが最大の武器。超絶負けず嫌い。

クラスメートのゾフとの特訓で王様ステップを習得済み。

選抜戦のフランの奇跡の全員抜きに関わった一人。彼女が突っ込まなかったらヘタレが動かなかった。

フランのために久居留家に突撃やレースへの乱入を躊躇いなく行える程に彼女の走りに魅了されており、フランの得意なマイルを走りたいと思っているが適正距離は中~長距離。

学院ではその為に決断を迫られることになる。

じいじとは結局一か月口を利かなかった。

元ネタはフランケルのデビュー戦の相手を務めたG1二勝、稀代の牝馬エネイブルの父ナサニエル。

 

ロデリックオコナー(オコナー)

第一部では七歳。鹿毛のツインテール、両耳に耳飾り。身長118cm

フランのはじめての競走で出来た友達。なお本人は別の理由で近付いた。

脚質は逃げ。適当でもクラブでは負けなしだった程に才能に恵まれている。

フランとの対戦から彼女と走るには実力不足を痛感し、競走に真面目に取り組むようになった。

芸術家の家系で美ウマ娘大好き。美ウマ娘を題材に絵を描くのが趣味。

ポニースクールに行かなかった理由は元々学院に行くつもりがなかったから。

家族のような画家になるつもりだったがフランとの出会いで心境が変化。

学院を目指す事になる。なお理由は邪であった。

ナサが天敵。

元ネタはG1二勝、フランケルのライバルの一角ロデリックオコナー。

 

ゾファニー(ゾフ)

第一部では六歳。鹿毛のショートカット。身長115cm

ナサのクラスメートでエプソムAクラスのもう一人のエース。

物怖じしない性格で、気風のいい元気っ子。誰とでもすぐ仲良くなれる。

その一方で競走と実生活両方で抜け目の無い性格。

それが、フランを追い詰める事もあるかもしれない。

元ネタはG1一勝、フランケルとも対戦したゾファニー。

 

ファー

第一部では六歳。鹿毛のサイドテール。右耳に青い耳飾り。身長114cm

本編には名前だけ登場。

エクスにひけを取らない才能とガラスの脚を持つ覚悟完了している幼女。

競走にすべてをかけている。かけすぎて周りにドン引きされている。

元ネタはG1二勝、一度だけ3着を取った以外は全て二着以上の成績を収めた名馬ファー。

 

ブラックキャビア(ヴィア)

第一部では八歳。黒鹿毛のぱっつんロング。左耳にピンクの耳飾り。身長127cm

一部終盤に登場。もう一人の寵児。わがままお嬢様。

豪州競バ界の名士の一人娘で、はるばるトレセン学院に観光に来たところで智哉とフランと知り合う。

強がりを言っても受け入れてくれるフランにはすぐ懐いた。よく連絡を取り合っている。

天性の爆発力を持つ強烈な末脚を持つがそれ故に怪我がち。

本気で走る場合マイル以上を走るのが難しいため、短距離路線を適正距離としている。

ルークの前で泣いたのは実は噓泣き。それくらいでへこたれない根性の持ち主。

ルークにトレーナーになってほしくて一計を案じた。フランは最初ルークをお兄様呼びしていたがヴィアがすごい顔になるのでやめている。

男性観はルークに壊されている。仕方ないよね。

守護者は物心つく前にいなくなっている。

元ネタはオーストラリアの無敗の最強スプリンターブラックキャビア。

 

ルーク・ノーラン(ルーク)

第一部では13歳。金髪碧眼。165cm

一部終盤に登場。ヴィアの運命。智哉と同類の超人。

ヴィアとは家族ぐるみの付き合いをしているウマ娘の医者の家系の息子。

医者になるべく勉強していたが、幼馴染の涙に男を見せる気概の持ち主。

競バは全くのド素人のため苦戦中。智哉を同じ境遇の兄貴分として慕っている。

智哉と違いこれといってキツい過去も運命も持っていない為、吹っ切れて本気出し始めるのは早い。頭角を現してからはトレーナーとして一気に駆け上がっていく。

男性観破壊マシーン二号「下僕」苦労人3号。

相マ眼は存在に気付く前に役目を終えている。

元ネタはブラックキャビアの主戦でオーストラリアの騎手ルーク・ノレン。

 

ライエン・モア

22歳。茶髪にブラウンの目。身長179cm

苦労人2号。嫌味眼鏡とオコナーとジェシカに悩まされる毎日の男。

18歳でトレーナー資格を取得している優秀な人物。

ただし怠け者で楽して稼ぎたいがモットーの男。智哉と気が合う。

一部終盤の裏で酷い目にあっている。

トレーナー不足の中でこんな人材見逃してもらえるはずがない。

元ネタはエイダン・オブライエン厩舎の主戦騎手ライアン・ムーア。



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その三 トレセン学院関係者

ガリレオ

年齢不詳。黒鹿毛。右耳に星のピアス。身長171cm。B83W54H80

統括機構トレセン学院の現生徒会長。中性的な美貌の麗人。

スラックス型の制服に生徒会長の証の黒い外套がトレードマーク。

常にウマ娘とそれに関わる者たちの幸福を考えている。智哉の恩人。

幼少期より万能の天才で、何をしても簡単に一番をとれてしまう事からあらゆる物に無関心な性格になっていった。

何となくポニースクールに入って何となく無敗のまま学院に行き、学院でも誰も自分に勝てない事からあと一年で辞めて別の面白そうな事を探そうと思っていたところで、アホの子と出会う。

それからは人が変わったように何事にも楽しさを見出すようになり、以前より打診されていた生徒会長に就いた。古典的なギャグといたずらが大好き。かっこいい行動の研究に余念がない。

自分のつまらない競走バ生活を面白くしてくれたアホの子にはダダ甘で、困っていたら必ず助ける。それはそれとして乱入からの発走には流石に怒っている。

天才すぎて何でもできすぎる反面、逆境に弱い一面がある。

人材コレクターかつチーム・クールモアの顔と言うべき人物。中央競バ会(U R A)の生徒会長とは個人的な交流あり。とある大女優のファン。

自分に絶対の自信があり、智哉とフランも自分の手元に置いておく事が二人の一番の幸せと思っていた。実はクールモアに入っていたら実際そうなっている。しかし運命と三女神が絶対にそれを許さない。

最終話のアレは流石にやらかしすぎたとかなり効いている。

元ネタは長年リーディングサイアーを守り続け、数多の名馬を送り出した大種牡馬ガリレオ。登場ウマ娘にもガリレオ産駒がいっぱいいる。

 

ファンタスティックライト(ライト)

ガリレオより年上。鹿毛。きらきらと輝く目。長く落ち着きの無い耳。身長144cm。B74W50H75

アホの子。めっちゃアホ。統括機構三大チームの一つチーム・ゴドルフィン所属。

とんでもない主人公補正の持ち主。寵児ではないが三女神のお気に入り。アニメ二期スペちゃんみたいなポジ。

趣味は各国のレース観戦。特技は脱走。脱走する時だけ身体能力に物凄いバフがかかる。

世界中のレースに挑戦し、ハードな日程でもレース大好きなので平気でこなす。

小柄だがアメリカで三戦して三戦目と同じ月にジャパンカップにも出るくらいタフ。流石に調子を落としていてあえなく世紀末覇王と栗みたいな口をした子に負けた。でもその二人とは仲良しに。アホなのでコミュ強。

会長との対戦では一戦目を負けた後、レースの面白さを伝えたい一心で自分を限界まで研ぎ澄ませて奇跡を起こした。マジ主人公。

すぐいなくなるので彼女の長年のパートナーである専属トレーナーはいつも胃痛と戦っている。

選抜戦でのやらかしでレース以外での学院外への移動禁止令が下された。そのうち脱走するのであまり罰になっていない。

元ネタは2000年~2001年ワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップ総合優勝馬ファンタスティックライト。

 

シーザスターズ(シーちゃん)

上の二人より年下。鹿毛。右耳に太陽のチャームがついた耳飾り。身長175cm。B89W56H85

ガリレオの妹。サリスカとミッドデイの同期。苦労人。上二人が頭痛の種。

三大チームに所属していない。トレセン学園でいうとオグリら平成三強組みたいなポジ。

生徒会にも所属していないが、上二人と一番関係が近いからよくお守りを任されている。

現役最強を語る上で必ず名前が挙がる、生まれついての強者。クラブ出身でミッドデイとはその頃からの顔見知り。

寵児じゃないのに何でこんなに強いんやこの子…と三女神はドン引きしている。

バトルマニアで速い競走バと競い合う事が何よりの生きがい。でも根が真面目なのでライブもちゃんとやる。

姉の行く末を心配していた所に、アホの子が現れて姉を変えてくれたので感謝している。この経緯から姉共々アホの子にはダダ甘。

でも姉までアホになって帰って来たのでやっぱりもどしてと内心思っている。

元ネタはガリレオの半弟でイギリスクラシック二冠、凱旋門賞馬のWBRR136ポンド馬シーザスターズ。

マジで強いですこの馬。個人的には歴代中距離世界最強と思う。

 

サラ・ウェルズ

年齢不詳。茶髪。身長143cm。B71W54H75

統括機構トレセン学院理事長。ちびっこ。ウェルズちゃん。

トレセン学院の為に日夜がんばる我らが理事長。秘書には全く頭が上がらない。

常にキャペリンとロングスカート姿がトレードマーク。

いつも収拾が付かない理事会に頭を痛めて辞めたがっている。

苦労人だが、過去に自らやりたいと駄々を捏ねまくった経緯がある為辞められない。哀れ。

みんなの前では毅然とした態度を取っているつもりだが、すぐボロが出る名物理事長。かわいい。

秘書と二人でいる時はお互い昔の呼び名と口調で話している。なんだかんだ一番長い付き合いで一番頼りにしている。でも怖い。

実は英国王室に連なる王族。めっちゃえらい。

ジョエル理事とは何やら過去に因縁がある。

首席の子を事情を全部知っているのに庇いきれなかったのを気にしている。

帰ってきたら一声かけようと思っている。当の本人は何も知らないのに、いきなり理事長の呼び出しを受けて戦慄しそう。哀れ。

元ネタは今日の欧州競馬の礎である一大種牡馬サドラーズウェルズ。

 

ミリアム・リーフ(ミリィ)

理事長より年上。茶髪。身長167cm B92W58H85

統括機構トレセン学院理事長付秘書。糸目のお姉さん。ミル姉。

過去に理事長に推挙された経緯もある有能秘書。学院でも古株。実は理事長の先輩。

常にベレー帽と学院秘書服姿がトレードマーク。

実は英国公爵位持ち。めっちゃえらい。ある意味学院最強の人。

先代理事長であるイケイケの母から心配だから面倒みてやってと頼まれて秘書をやっている。

辞めたがったりするもがんばる理事長をかわいがっている。でも怖い。

元ネタは20世紀最強馬候補にしてリーディングサイアー経験もある名馬ミルリーフ。

 

サー・ヘンリー・ジュドモント(老紳士)

60歳より上。白髪。身長187cm

見た目のイメージはジョジョ三部ジョセフジョースター。

でかいウマ娘大好きジジイ。やり手で統括機構三大チームの一つチーム・ジュドモントの総帥にしてアラブのとある王族の遠縁のトレーナー大家の当主。

ぶっちゃけまだ現役バリバリでやれるけど、ライブ巡りしたさで息子に運営を任せている。

過去のとある事件をずっと悔やんでおり、自分の孫がそうなるかもしれないという事に恐怖していた。

そんな時に過去に面倒見てた男の息子が孫を助ける鍵と知り、後は運命に任せる事にした。

孫の恩人の少年はぶっちゃけこいつ有能じゃし逃がす手ないじゃろと、将来孫が本気出したらいつでも囲い込めるようにもう動いている。推薦したのも恩返し+その布石。

日本にデジたんという同好の士がいる。

元ネタはフランケルの調教師こと名伯楽ヘンリー・セシルのファーストネームと馬主のハーリド・ビン・アブドゥッラー王子。ジュドモントは王子の所有する生産牧場から。

 

セシル・ジュドモント

30代。金髪碧眼。身長182cm

フランのパパ。妻子大好きお父さん。伝蔵とエイベルの後輩。

フランの金髪と青い目は彼譲り。イケメンかつ実質的なチーム・ジュドモントのトップでフォーヴスの表紙も飾った事がある有名人。

伝蔵には彼の娘こと名バミッドデイを任せてくれた借りや、昔からの関係で頭が上がらない。何かあったら相談し合う仲。

智哉は恩人から怨敵へと評価が変わっている。良識人かつイケメンなのに娘絡みの地雷を踏むと狂う。

最終回はそれでもきっちり智哉の為に動いた。ちょっとだけ娘と離せて安心してる面もある。

実はトレーナーよりジュドモント家のサイドビジネスの方が才能があった。しかし弟よりはトレーナー向きだったので次期当主に指名されている。彼の次の跡取り問題があるが、怨敵が有能なのでもうこいつでいいんじゃないかとはちょっと思ってしまっている。パパは複雑。

元ネタはヘンリー・セシルのファミリーネームと上記と同じジュドモントファーム。

 

エイベル・オブリーエン

40歳。黒髪黒目。身長181cm

統括機構トレセン学院三大チームの一つチーム・クールモア代表で、トレーナーの大家「競バの王」オブリーエン家の当主。ジェシカとエクスの父。眼鏡と怜悧な視線の男。嫌味眼鏡。伝蔵の同期でセシルの先輩。

激励を言っているつもりが全て嫌味になる特殊スキルを持つ男。訳者がいないと伝わらない。娘二人は訳せる。

競バを心から愛しており、ウマ娘第一主義の育成方針を掲げる超有能トレーナー。獲ったトロフィーでジェンガができる。

亡き妻の事を今も引きずっている。長女がよく似てきている。

長年競走に関わってきた中で、怪我で苦しむ管理バ達に自分まで辛い顔をしてはいけないと、無表情を保つ処世術を身に着けた。

最終話のアレはかなり気にしている。知らずとは言え優秀な若者に苦難を浴びせてしまった。

1.5部では長女のとんでもない行動で眼鏡がずれる。

元ネタは現代の世界的調教師の一人エイダン・オブライエン。

 

ジョエル・ガスデン

40代。金髪にブラウンの目。身長196cm

最終盤でちょろっと出てきておいしいところ持って行った人。

サンダル履きにくたびれた中折れ帽、よれっとしたポロシャツ姿のちゃらんぽらんなオヤジ。

しかしその正体は統括機構三大チームの四つ目とも言われるチーム・クレアヘイヴン代表。適当だけど切れ者のおっさん。

G1を100勝している名トレーナー。ジェンガ勢。

智哉は一回だけ学院で相マ眼を使っているが、その時に立ち会っておりこの子ぶっ壊れるとまずいんじゃないのとちょっかいをかけ始めた。色々事情を知ってて適当に見えてちゃんと考えてる智哉の師匠。

ケンブリッジ大学卒でこう見えてインテリ。競走馬鹿で教え魔。教えた子が成長するのが何よりうれしい。

若き日の彼はトレーナー試験の帰りに、芝コースで走法を変えた方がよさそうなちびっこウマ娘を見つけたので声をかけてトモを確認しようとしたら悲鳴を上げられた。しかも運が悪い事にその子が英国において殿下と呼ばれる立場だった。そんな経緯で首席なのにペナルティを受けて、アメリカでキャリアをスタートする羽目になっている。

元ネタは現代競馬の世界的な調教師ジョン・ゴスデン。




これで人物紹介はおわります。
今日か明日にはトレーナー研修編投稿していくやで。


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第1.5部 トレーナー研修編
研修その一 いかにして彼は死地に送られたか


『今日のニュースです。ロンドン近郊を以前から騒がせている怪盗シャルガー・ハーンが昨日、ウェストミンスター区に出没しました。今回の目的は区内のゴミを盗みに来たと言う事で清掃作業を実施…今回も彼女を取り逃がしたロンドン警視庁怪盗対策班の隊長は記者の追求に対し…』

 

BBCニュースがテレビで流れる中、二人の人物が何やら作業中であった。

 

「ああ、このページです。トモヤ君は誘導バ協会(H U A)希望でしたよね?それならここにチェックを入れて…」

「…研修の届け出するの久しぶりじゃけど、最近は進んどるのう…紙で願書出すもんじゃと思っとった」

 

ジュドモント邸、セシルの私室。

ここで老紳士ことヘンリー理事とその息子セシルはある業務を行っている。

トレーナー試験推薦者による、合格者の研修先の指定である。

統括機構トレーナー研修制度──トレーナー試験合格者が他業種のトレーナーの下で一週間の研修を行い、トレーナー業務への理解と責任感を育む重要なトレーナー制度である。

この研修先は、推薦者が合格者と協議の上で、統括機構事務局へ届け出を行うのだ。

ヘンリー理事は久しぶりに研修の届け出を行うに当たって、以前のように願書を郵送ではなく統括機構のHPで登録するように変わった事を知らなかった。

そして現在息子セシル指導の下で、セシルの私室のPCを使い作業中なのだ。

 

「しかし坊主はつまらんのー。こんな楽そうなとこ希望しおってからに…しかも儂のコネ使ってくれって、よう言うわあの坊主」

「ははは…トモヤ君らしいと言えばらしいですね」

 

 

 

きっかけは、智哉からの一本の電話だった──

 

『どうも、ヘンリー理事、今日はお日柄も良く…』

 

開口一番、念願の平地トレーナーになり、アメリカ行きも決まり落ち着いたために平常のクズモードに戻った智哉は慣れない敬語を使った。どうしても頼みたい事があるからである。

 

「誰じゃお前…坊主か?気持ち悪いからやめんか」

『ひでえなじいさん…いやあ、あのですね、ほら、研修期間もうすぐじゃないっすか』

「そういえばそうじゃな。なんじゃ、行きたいとこでもあるんか?」

『えっとですね…誘導バ協会(H U A)がいいなあって…でも人気じゃないっすか、じいさんのお力で何とかならないっすか?へへへ…』

 

頼みたい事とは、レース場の温厚な誘導ウマ娘を一線を引いた老トレーナーがのんびりと管理する、誘導ウマ娘協会(H U A)への研修であった。

最も楽な上に昼食及び昼寝付きに紅茶飲み放題、トレーニングものんびりと柔軟体操などの簡単な体調管理のみ。

その反面最も倍率が高い。3名の定員に対し、今回の合格者21人全員が殺到してもおかしくないのだ。

その人気の誘導ウマ娘協会(H U A)に、ヘンリー理事のコネを使って捻じ込んでくれと言っているのだ。クズである。畜生である。

 

(儂の孫、これに助けられとるんか…儂の孫の運命これ?マジ…?)

 

ヘンリー理事は若干、いやかなり呆れ果てたが智哉は孫の恩人である。これくらいのコネなら叶えてやっても良いと了承したのであった。

そうして現在、登録してから事務局に電話連絡を行い、理事権を濫用するところなのである。

 

「ええと、これにチェックじゃな…」

「だーれだ!」

 

そんな時、不意にセシルとヘンリー理事の視界が塞がれた。

 

「こらこら、二人ともだめだよ。僕と父さんはお仕事中なんだから」

「うふふ、ごめんなさいおとうさま」

「…ごめんねおじさん」

 

目を塞いだのは、セシルの愛娘フランとその従姉妹ナサだった。

今日はナサがジュドモント本宅に遊びに来ていたのだ。二人はある理由でセシルとヘンリー理事にいたずらを敢行したのである。

 

「おお、儂の目を塞いだのはナサか。もう許してくれんかのう…」

「……ぷい」

 

ナサは、先日の選抜戦で約束を破って、祖父がレースを観てくれなかったので口利かない期間中であった。

しかしナサ自身が大好きなじいじと喋れなくて寂しくなってきたため、仲直りのきっかけを作ろうとフランが提案したのがこのいたずらだった。

 

「のう、許しておくれ、この通りじゃ」

 

ヘンリー理事がナサに向き直ってナサの頭を撫でる。

 

──その際、肘がマウスに当たって、一度クリックされた。

 

「……シーザスターズモデルのしょうぶてつがほしいな、じいじ」

 

上目遣いでナサがヘンリー理事を見上げる。必殺技、仲直りのおねだりである。

ヘンリー理事に効果は抜群であった。

 

「いいとも、いいとも、トレ鉄も買ってやるとも」

「…ほんと?じいじだいすき!」

 

仲直り完了である。じいじは孫には絶対に勝てないのだ。

 

「さあ、仲直りしたところで僕たちにお仕事をさせてくれないかな?後で一緒にお出かけしよう」

「はーい!よかったわねナサちゃん!」

「うん。じいじ、あとでね」

 

ナサとフランが退室した所で、ヘンリー理事が一言漏らす。

 

「のうセシル、儂の孫かわいすぎんか?」

「そうですね…かわいいなあ、トモヤ君が憎いなあ…」

「おっと続きを教えてくれんかセシル」

 

セシルの目がヤバくなってきたのでヘンリー理事が真顔で話を変える。

あの智哉の訪問からまだ立ち直っていないのだ。パパは繊細であった。

 

「…そうですね、あれ?登録終わってますよ?」

「ん?そうかの?ちゃんと誘導バ協会(H U A)になっとったじゃろうか?」

「なってたと思いますけど…」

「まあええじゃろ。事務局に連絡するわい」

 

ここで、二人は確認をするべきであった。

しかし、もう遅いのだ。その時はもう過ぎてしまった。

 

「ああもしもし、儂じゃけど…今登録した儂の推薦者の研修、なんとか通らんかのう?」

「コネ使わなくても通る?不思議なもんじゃな…大丈夫かとはどういう事じゃ?そのまま通してくれてええぞい」

 

 

 

 

一方、オブリーエン家の邸宅──

 

「ちちうえ!!なんでこうなったの!!!?」

 

成長して言葉遣いがはっきりしたはずのエクスが、幼児退行する程に慌てふためいていた。

そして彼女の目の前にいる、父エイベルであるが…

 

「……自分で登録したのか。私に見せたら反対されると…」

 

眼鏡がずれすぎて、もう半分落ちていた。

無表情な彼は、眼鏡に感情が現れやすい。つまり狼狽しているのである。

 

「ちちうえ!これとりけせないの!?あねうえなにかんがえてるの!!?」

「…連絡はしてみるが、登録は二日前か…」

 

その登録は、研修受付期間に入ってすぐに届け出が出されていた。

もう先方に連絡が行っているのだ。これをキャンセルとなると理事の力でも難しい話であった。

 

「ていうか!!あねうえあたまいいのになんで!!?あねうえじぶんのことわかってないの!!?あねうえもやしだよ!!!」

 

エクスが最早王様じゃなくてただの幼女に戻っている。母代わりの大好きな姉、ジェシカの一大事であった。

その二人の視線の先には──

 

 

 

 

 

✓UCO19

 

 

✓UCO19

 

 

✓UCO19

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

研修初日──智哉はある場所にやってきていた。

 

「お!研修ってお前か!!よく来たなあ!!」

 

赤毛の筋骨隆々なウマ娘が、何故かサンドバックを熱心に叩きながら智哉を迎える。

彼女の名前はダスティノーブル。好きな物は現行犯逮捕。嫌いな物は始末書。

気性難である。

 

「おお、今年は二人来るとはねえ。さっきの娘といい若いなー」

 

鹿毛のしなやかなバ体のウマ娘が、ダーツで上司らしき写真を穴だらけにしながら言う。

彼女の名前はブラッドウェバー。好きな物は強行突入。嫌いな物は始末書。

気性難である。

 

「ちょっとジャック、射撃場の弾無くなったよー?」

 

芦毛の小柄なウマ娘が智哉の付き添いにそう投げかける。

彼女の名前はアーディーサヴェア。好きな物は銃乱射。嫌いな物は弾切れと始末書。

気性難である。

 

「お前!!今のはイカサマ使っただろ!!!」

「ああ!!?使ってねえよ払うもんとっとと払えや!!」

 

署内での賭けポーカーで罵り合いながら殴り合う黒鹿毛の二人のウマ娘。

二人の名前はシャノンフリゼルとセヴリース。好きな物は署内でのスリルある賭博。

嫌いな物はイカサマと始末書。

気性難である。

 

「シャノンとセヴはポーカーやめろ!!アーディは弾また使い切っちゃったの!!?」

 

それぞれに指示、いや怒号を飛ばす彼女達の上官トレーナー。

哀愁ある背中の金髪の男ジャック・ボウアー小隊長。

好きな物は平和な一日。嫌いな物は減俸。

苦労人である。

ここはロンドン警視庁、ウマ娘中央活動部第19課(U C O 19)、第二小隊の分室である。

智哉の、研修先であった。

 

(ジ……………ジジイイィィィィィィィ!!!!)

 

智哉は、心の中で怨嗟の声を上げた。

二日前、突然「ごめん」と一言だけ文章を添えて、ヘンリー理事から研修内容を記した封筒が届いた。

うきうきしながら開封して中身を見た瞬間智哉はひっくり返った。封筒は地獄への片道切符であった。

ヘンリー理事は何度電話をかけても留守電であった。あのジジイは逃げたのだ。

この封筒を見た姉は爆笑した。

コネなんて使おうとするからバチが当たったのよと智哉は言われ、膝から崩れ落ちた。

そうして智哉は気性難蔓延る死地に送られたのである。

 

「ええっと、クイル君!大丈夫だから!こんな感じだけどみんな真面目な警察ウマ娘だからね!?」

 

ジャック小隊長がこの惨状を必死に弁解する。無理筋の言い訳であった。

智哉が分室の外に出て、もう一度部屋名を確認する。ウマ娘マフィアの鉄火場じゃないかと確認したかったのだ。しっかり第二小隊室と書いてあった。現実は非情である。

 

「あっ出ないで!ほら!奥行こう!!ね!?」

 

慌てて追いかけたジャックに背中を押され智哉が中に捻じ込まれる。ここまで一言も発していない。

 

「奥にね!もう一人来てるから!同期だし話す事もあるでしょ!ね!」

 

ジャックは必死であった。今回の研修は警視庁にとっても十年振りである。

何かあったら減俸が確定する。彼は給料を満額貰える方が珍しいのだ。

 

「えっ、もう一人いるんすか…?」

「そう!そうなんだよ!オブリーエン家のお嬢さんらしくてね!年も近いから!きっと仲良くできるし楽しく研修やれるよ!」

 

奇特すぎる同期がいる事に智哉は多少興味を持った。

しかも先日、師であるジョエルから聞いていたオブリーエン家の令嬢らしい。

 

(…俺みたいな手違いか?ちょっと気の毒だな…)

 

智哉は同情した。ウマ娘でもない女性には厳しすぎる環境である。

そうして奥のパーティションに区切られた一角に案内され、そこに──

 

 

 

 

 

「……トモヤ・クイル…?」

睨んできた女がいた。




気性難どもは全員ラグビー選手の名前からとりました。


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研修その二 いかにしてその女は虚弱だったか

(…すっげえ気まずい…クールモアの娘ってこの女かよ…)

(何でこの男がここに…?同期なら挨拶くらいしなさいよトモヤ・クイル…!)

 

第二小隊室、パーティションの奥の小さな休憩所は今、気まずすぎる空間となっていた。

智哉にとっては二度と会わないと思っていた女が今目の前にいる。

トレーナーの大家の娘、ジェシカ・オブリーエンであった。

この女が例の同期とかそんなんありかと智哉は言いたくて仕方なかった。

そもそもの初対面が、謝ったのに後ろから追い討ちをかけられたのでその印象は最悪である。

向こうは何故か自分を知っていたが、その心当たりもない。一つあるなら合格者の順位公示だろうか。しかしそれも名前だけなのだ。顔と一致しないはずである。

そしてお互い挨拶するタイミングを失ったまま、少し離れた場所で本日の訓練の準備に入ったジャック小隊長を待っているのである。

 

(……首席のあなたは、自分より格下でしかもあんな無様を晒した私など眼中にないってこと?なんて傲慢な男…!!)

(この女、体力測定全部落ちてたのに次席なのかよ…よっぽど筆記と実技の成績がよかったんだな。フランの同期の担当になったら手強いかもな…)

 

お互い、考えている事は正反対であった。智哉は評価を上げ、ジェシカは評価を下げた。

あの試験の日、自分の体力測定を手早く終わらせた智哉は、全員の結果が出るまで見ていたのだ。

智哉の目の前でジェシカは、ダート走で転んで砂まみれになりタイヤを引っ張り切る事もできずサンドバックを叩こうとして手首にダメージを受けていた。全滅である。智哉はこいつ落ちたなと確信していた。それなのにここにいるのだ。

 

ウマ娘中央活動部第19課(U C O 19)の訓練、事前に調べたけど確かトレーナーも訓練参加するんだよな…まあトレーナーと言えど警察官だし当然っちゃ当然か…)

 

懸念があった。

 

(こいつマジで死なねえ?流石に目の前で同期に死なれるの後味わりいんだけど…)

 

ウマ娘中央活動部第19課(U C O 19)とは、英国で銃所持を許された数少ない警察特殊部隊である。つまりあんな気性難揃いでも全員エリートなのだ。

そんなエリート達の訓練を、このもやし少女に一週間やらせたら本当に死にかねない危惧があった。

 

(いや待て…クールモアの娘がここで死んだりしたら、同じ研修来てた同期の俺の立場やばくねえかこれ…いや絶対やべえよ…一応何か言っとくか…)

(この男に勝つために決死の思いでここに来たのよ…!それなのにこの男は…!一言文句でも言ってやらないと気が済まないわ…!)

 

一方は保身、一方は怒りから行動を起こした。

 

「なあ」

「ねえ!」

 

同時であった。

気まずい沈黙が起きる。

 

(なんだよこの女何か言えよ…言いにくくて仕方ねえよ…)

(…この男、今私に声をかけようとしたの?怒りにくいじゃない…!何か言いなさいよ…!)

 

そんな中、沈黙を破る声が上がった。

 

「お待たせ!さあ訓練の準備できたから!二人とも着替えて訓練場に行こうか!」

 

準備のできたジャック小隊長である。

この男、長年腕自慢の気性難どもに悩まされてきた結果として、空気を読む能力に長けている。

この重苦しい気まずさを敏感に感じ取った。

 

「………何かあった?」

 

認識は逆であった。何もなかったのである。

智哉が無言で、ジャックの肩に手をかけて外に連れ出す。相談があるのだ。

 

「クイル君?どうしたのかな…まさかやりたくないとか…?」

「いや、違うんすよ、ジャックさんに相談が…」

「…?わかった、聞こうか」

 

ジャックの認識では、ジェシカはウマ娘のはずである。ジェシカはもやしだが外見はウマ娘なのだ。

ここが問題であった。

智哉がジャックに耳打ちする。

 

「あの、同期のあいつなんすけど…見た目ああだけど体力ないんすよ。人間レベルのでもキツいはずっす」

「ええ!?そうなの!!?参ったなあ…」

「ああ…やっぱりウマ娘用のメニュー組んだんすね…」

 

智哉が、肩を落とす。こうなるともうやる事は一つしかなかった。やりたくない事であった。

 

「くそお…くそお…何でよりによって来てるのがあの女なんだよお…」

「クイル君…?」

 

 

 

「あいつのメニュー、俺がやります………」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

ロンドン警視庁、訓練場──

 

「おりゃあああああああ!!!!!!」

「へー人間なのにすごいね」

「やるじゃねえか!次オレと格闘訓練頼むわ!!」

 

智哉がウマ娘用のタイヤを引っ張りながら、目の前に並んだ杭を一本ずつハンマーで埋めていく。

警察ウマ娘用のパワー訓練である。もやしがやったらタイヤに括りつけた時点で死にかねないメニューであった。

超人の智哉でも死ぬ程きつい内容である。

 

「クイル君、人間なのかあれは…?」

 

ジャックがもやしの訓練相手を務めながら、智哉を見て唖然とした表情になる。

もやしは軽く腹筋を数回行ったら起き上がれなくなったのでクールダウン中である。

ジャックは知らずに本来の訓練メニューをやらせていたら、最悪死亡事故で懲戒免職モノだった事に気付いて智哉に感謝した。

 

「ぜぇー…ぜえぇー…ヒュー…」

 

もやしは過呼吸を起こしていた。もはや死にそうである。

ジャックは何で来たのこの娘と頭を抱えた。幼児用のメニューを1から組む必要があった。

 

(また…!またあの男との差を見せつけられた…!!悔しい……!)

 

ジェシカが、こんな無茶をした理由──それはあの体力測定で、智哉のウマ娘並の超人的な体力を見せつけられたからであった。

出来損ないとは言えウマ娘の自分が、人間であるはずのあの男にそれを見せられる。

屈辱と、強烈な嫉妬をあの日抱いたのだ。

自分が欲しい物を、諦めた物を人間であるはずのあの首席は全部持っていると知らしめられたのだ。

羨ましくて仕方なかった。悔しくて仕方なかった。

そうして、いくら無茶でも、自分でもわかっていてもそうせずにいられなかったのだ。

しかしそんな所にまでこの男が来た。現実に打ちのめされていた。

 

「ジェシカさん、ゆっくりでいいから続けようか」

「は…ヒュー…い……」

 

辛くて、仕方なかった。

 

「これ死ぬ!!!マジで死ぬ!!!警察ウマ娘やべえって!!!」

 

一方智哉は肉体的に辛くて仕方なかった。あの女寝てんじゃねえとブチ切れそうである。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「ダスティさんとの格闘訓練、何で俺にやらせたんすか……?」

「クイル君ならいけそうだなあって、あはは……」

 

訓練終了後、警察ウマ娘達をクールダウンに行かせ、トレーナー組3人は訓練場で訓練の所感を話していた。

最後に智哉は抗議した。エリートウマ娘部隊のフォワード担当とガチの格闘訓練をさせられた怒りがあった。

智哉は全力で逃げに入って粘ったが、ダスティのタックルで5mほど吹っ飛んだ。もう帰りたくなった。

 

「うん、今日は軽く訓練して解散するつもりだったからね。後は待機中に書類や室内訓練を見せたい所だけど…明日からでいいかな…」

「軽く…………?」

 

智哉は絶望した。今日の地獄は序の口であった。

ジャックが今日の研修終了を告げる理由は今二人の横で寝ている。

 

「ジェシカさん、動ける………?」

「………すいません………」

 

もやしは横座りで俯いていた。全く動けないのである。

こいつ本当に死ぬんじゃねえかと智哉は不安になった。寝覚めが悪すぎる。

 

「クイル君…ちょっといいかな…?」

 

ジャックがここで智哉をちょっと離れた所に呼び寄せた。明らかにもやしの件である。

 

「クイル君、帰りはどうするの……?」

「俺に何とかしろって事すか…」

「話が早くて助かるよ…待機任務中は離れられなくてね…」

 

特殊部隊は緊急出動対応の為に待機も重要な任務である。もし勝手にいなくなったら減俸である。

彼は給料を満額貰える方が珍しいのだ。

 

「今日だけっすよ…連れ出してあいつの家から迎えよこさせます」

「助かるよ…明日はクイル君も人間レベルにしたいけど…ウチの連中、止められなかったらごめんね…」

「止めてくださいよ…………」

 

思わず敬語になった。もやしの命の心配以前の話になってきたのだ。

気性難と合同訓練を一週間やるのは超人でもデッドラインをまたぐ恐れがある。

ジャックと別れ、智哉がジェシカに近付く。

 

(そういやこいつとまだまともに喋ったことねえな…プライド高そうだしどうすっかなあ…)

 

姉を始めとして気性難との付き合いが長い智哉は、その習性をよく知っている。

下手に声をかけるとへそを曲げるのは確実である。

 

「今日は終わりらしいぜ。帰るけど動けるか?」

 

悩んだ末に、無難に声をかけた。他に思いつかなかったのもあるが。

 

「……何よ、笑いに来たの?」

 

しかし今の打ちのめされたジェシカは地雷でオセロができる状態である。

踏まずに声をかけるのは無理な話であった。

 

「いや、笑うも何もお前の事よく知らねえし…」

 

更に地雷を踏んだ。お前なんて眼中に無いとジェシカは言われているように聞こえた。

 

「そうでしょうね!首席で何でもできるあなたは!こんな私なんて眼中に無いんでしょう!?」

「いや…だから知らねえから…」

「まだ言うの!?私の…私の欲しい物!!全部持ってるくせに!!!」

「知らねえよお前の欲しい物とか!!立てるかだけ答えろ!!」

 

智哉もブチ切れた。ほぼ面識の無い相手にここまで言われる筋合いは無いのである。

当然の話だった。

 

「立てないからって何よ!!それでまた私を笑うんでしょう!!?」

「ああああめんどくせえこの女!!!!立てねえんだな!?わかったよ!!」

「何するのよ!!離しなさい!!はなせええ!!!」

 

ブチ切れた智哉が怒りのままにジェシカを肩に担いで運ぶ。

めんどくさい女に付き合いきれなくなったのだ。

肩でジェシカが全力で暴れるが、もやしの反撃など超人にはそよ風のようなものだった。

 

「てめえの家はクラブの本拠地の近くだろ!!このまま運んでやる!!荷物は明日にでも取りに来い!!」

「降ろして!!!あなたにだけはそんな事されたくない!!!やめろ!!!」

 

そのまま二人で罵り合いながら、ロンドン警視庁を後にした。

 

 

 

 

──そして歩いて10分ほど、オブリーエンの邸宅前である。

 

(ムカついてやっちまったけど、冷静になって考えたらやべえなこれ…クールモアの娘を肩に担いで運んでるって見ようによっては誘拐じゃねえか…)

 

ジェシカは暴れ疲れ、肩で「なんでこんな奴に…悔しい…」と泣いた後に担がれたまま寝てしまった。

もやしは体力の限界が来たのだ。冷静になった智哉はおんぶに切り替えた。通行人に見られているので既に遅い。

 

(これ、クールモアの代表とか出てきたら俺詰むよな?門の前にでも置いとくか…?いや、この季節にそれはまずいな…何かあったらじいさんに責任取らせるか)

 

季節は11月である。ロンドンは寒い。流石に死にかねないので、智哉は何かあったらこの状況の遠因であるヘンリー理事に投げる事にした。

覚悟を決めて、オブリーエン邸のインターホンを押そうとした所である。

 

「……君、それはうちの娘のようだが……?」

 

後ろから声がかかった。智哉は全身の血の気が引いた。

智哉は新米トレーナーで、勿論競バは趣味としても好んでいる。よく観戦もしている。

その際の記者会見や勝利インタビューで何度も聞いた、獲ったトロフィーでジェンガのできかねない男の声だったからだ。

恐る恐る振り向く。もう言い逃れのできない状況であった。

振り向いたその先には、予想通りクールモアの代表、エイベル・オブリーエンがいた。

いたのだが──

 

(今この人、俺の顔見た途端に眼鏡が勝手に動いてずれたぞ!?どうなってんのこれ!!?)

 

自動で眼鏡が斜めにずれていた。物理法則を無視した感情表現であった。

対して、エイベルは状況を正確に把握した。

もやしの我が娘が、この自分が謝罪する必要がある少年に迷惑をかけた事を察したのだ。

 

「あーえっと…俺、娘さんと同じ研修先で…」

「…いや、把握はできている。すまないな」

「…わかってもらえて助かるっす…任せてもいいっすか?」

 

智哉が背中を向けて、ジェシカを預けようとする。

しかし、エイベルは手で制止した。

 

「…悪いが、そのまま来てもらえないか?」

「えっ、どういう事すか」

 

 

 

 

「家に、上がっていきなさい」



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研修その三 いかにして彼は王の心を知るか

「すまない。待たせたようだ」

「いえ…こっちこそこんな格好で申し訳ないっす」

 

智哉は、オブリーエン邸の応接室に案内されていた。

ジュドモント程ではないが大きな邸宅である。

ジェシカは、玄関で使用人が預かろうとしたがエイベルが自ら横抱きにして、彼女の私室に運んで行った。

何よりも大切な、繊細な宝物を運ぶような扱い方だった。

肩に担いでたのバレたらアメリカから帰って来れねえな、と智哉は覚悟した。

覆水盆に返らずという日本のコトワザを智哉はまだ知らない。

奥から幼女が騒ぐ声も聞こえた。恐らくもやしの妹か何かと察せられた。

とても心配そうな、悲鳴を上げるような声だったからだ。

そうして今、彼女を寝かせてきたエイベルと対面している。

 

「……デンゾウは元気かね?」

 

エイベルは、本題に入る前に軽く雑談を始めた。

目の前の少年が、何やら緊張している雰囲気を感じたからだ。

愛娘を肩に担いだ件をもうここで謝るべきか悩んでいただけである。

 

「え?親父?今はシーズン入って…ってなんで知ってるんすか?」

「同期だ。奴とセシル君と私はよくつるんでいた」

「えっマジっすか?そんなの親父から聞いた事も…」

 

クールモアの代表で、統括機構においてもその名を轟かせる大トレーナーと、父が同期で友人という事実に智哉は驚いた。セシルならまだわかるが、あの父にそんな縁があるなんて考えも及ばなかった。父の威厳は地に落ちているのだ。

 

「はー…そんな縁があの親父に…あ、そうだ、俺からも聞きたい事が…」

「なんだね。言ってみなさい」

「俺の友人で、オブリーエン・レーシングのライエン・モアって人なんすけど…選抜戦後からクラブにいないらしいんすよ。連絡もつかないしどうなってるのかご存じかなって」

 

智哉の聞きたい事、それは友人で苦労人仲間のライエンの行方が知れなくなっている事だった。

きっかけはジェームス氏から、オブリーエンのジュニアの担当が変わっていると聞いた話だった。

連絡も全くつかない状況で智哉は心配していた。

 

「ああ…彼か」

「ご存じっすか?」

「アメリカに行かせた」

「えっ…」

 

飛ばされてた。

 

「…統括機構が現在トレーナー不足だという話は、知っているかね?」

「はあ…まあ…アスコットの件すよね」

「私のチームでもその影響を受けていてね…そこで彼をクラブからの出向という形で、トレーナーを失った競走バと組ませてアメリカのレースに出した」

 

知らない内に友人がとんでもない目に遭っていた。

苦労人の面目躍如である。

当の本人は現在担当の気性難相手に遠い地アメリカで泣かされている。

 

「マジっすか…あの人すげえ優秀っすもんね。それはわかるんすけど…」

「ああ…有能な彼がクラブに残っていてくれたのは感謝していたが、そんな彼に報いたいと思っていた。良い機会とも言えるな…」

 

余計なお世話である。

彼は気性難の担当が嫌すぎて、子供の世話した方が楽だと残っていたのだ。

エイベル理事直々の長々とした激励のつもりの嫌味を受けて、彼は出荷されていった。

不憫すぎて智哉は同情した。

 

「他にはあるかね?」

「いや、これだけっす。答えてもらってありがとうございました」

 

智哉は珍しくしっかり敬語を使った。

エイベルは名トレーナーの一人である。

尊敬すべきであるし、しっかり敬意を表したいと思ったのだ。

 

「…ならば、本題に入りたい」

「……?何すか?」

 

エイベルは、対面する智哉の前で、深々と頭を下げた。

智哉は気が遠くなった。クールモアのトップがこんな新米に頭を下げる心当たりがないのだ。

 

「まずは娘の件だ。連れてきてくれてありがとう。迎えをよこす予定だったが、こんなに早いとは思わなくてね…」

「いや!頭上げてくださいよ!俺ちょっと運んできただけっすよ!」

「これは私のけじめだ。もう一回下げるつもりでいるが…」

「なんで!?俺何かしました!!?」

「その認識は違う。やったのは私だ」

 

ここで智哉はようやく落ち着いて話を聞く準備に入った。

心当たりは無いが、頭を上げたエイベルの真剣な表情でそうすべきと思ったのだ。

 

「下げるのは一回で勘弁してください…心臓に悪いんで…代わりに話聞かせてください」

「……わかった。私の気が済まないが、君の意向に従おう」

 

 

そうして、エイベルは理事会での顛末を語り始めた──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「はあ、そんな事が…」

「…それだけかね?君は怒っていいと思うが…」

「ガスデン理事、俺が世話になった人なんすよ。わざわざ嫌がらせでそんな事する人とは思えないんで…」

「…彼があの前例なのは理事長が記録から抹消していてね…それを知っていればと悔やまれるな」

 

理事会での自分の処分の話を聞いた智哉だが、怒りは湧いてこなかった。

わざわざあの自由人のオヤジが普段出席していない理事会に参加してまで、くだらない嫌がらせをするとは思えなかったからだ。

恐らく何か理由があるだろうと考えた。

それよりも聞きたい事があった。

 

「……俺を、クールモアに迎えるように動いたのって何の為っすか?」

「率直に言おう。君とフランケルがどうしても欲しかった。ガリレオはまた別の理由が何かあったようだが」

「…え?フランはわかるっすけど俺もっすか?」

 

エイベルは、どうしてもあの天才少女と智哉を欲していたのだ。

最初はフランのみの為に動こうとしたが、調べるにつれて智哉も欲しくなってしまっていた。

 

「2~3年程前だ。学院のトレーナー寮にいたのは君だな?」

「ああ、いましたけど…」

「クレアヘイブンで、サブトレーナーをしていたな?」

「してたっすけど…」

「だからだよ。君はその時点で、他のトレーナーと遜色ない能力があると評判だった」

 

智哉がジョエルに師事していた頃、彼のチームである三大チームの四番目とも呼ばれる、大手チームであるクレアヘイブンでサブトレーナーをしていた時期があった。

それを調べていく中でエイベルは知ったのだ。

 

「いや、俺そんなつもりじゃ…普通くらいっすよ」

「ガリレオも言っていたが…君はどうも客観的に自分を見れないようだな。13歳か14歳の子供が周りの大人と同じは普通とは言わない」

「あっ……」

 

友人のいない智哉の致命的な欠点であった。

人並みであろうとして、周囲の大人に合わせた結果だった。

大人と同レベルの子供になってしまっていた。

 

「……やはり欲しいな。我がクールモアに来ないか?」

「返事は勘弁してもらえないっすか…どうなるかわかんないんで…あ、それと会長にも気にしてないと伝えてください。あの人気にしてそうだし…」

「良い返事を期待している。ガリレオには必ず伝えよう」

 

話も終わりかという所で、応接室の扉がゆっくり開いた。

入ってきたのは、悲しそうな様子の、小ぶりな流星の鹿毛の幼女であった。

 

「ちちうえ…ここにいるって……あ」

 

智哉と、目が合った。選抜戦最終レースで二位だった子だとすぐ智哉は思い出した。

バ群の抜け方が抜群に上手く、印象に残っていた。

 

「なんだ父上、客人がいたのか!お客人、よく来てくれたな」

 

目の前の幼女が虚勢を張り、強くあろうとしたのが智哉にもはっきりわかった。

それと共に、ここにいてエイベルを父と呼ぶという事は、この幼女はあのもやしの妹であろうと当たりを付けた。

 

「ああ…ジェシカを連れてきてくれたのは彼だ」

「本当か!?助かったお客人!ゆっくり…お客人、どこかで見た顔だ」

「確かエクスだったよな。選抜戦で乱入したって言えばわかるか?」

 

そう言われてすぐにエクスは思い当たった。

姉が対抗意識を燃やしている相手である。

試験後にもあの乱入男許さないとベッドで唸りながら言っていた。

 

「…ああ!あの時の!という事はまさか貴様がトモヤ・クイルか?」

「……お前の姉ちゃんもそうだけど、何で知ってるんだ?」

「クラブでのフランケルの映像を、うちの娘はモア君から仕入れていた。恐らくそこからだろう」

 

そこでようやく智哉は合点がいった。

そして漏らしたのあの人かよ同情して損したと、現在アメリカで苦しんでいる友人への評価を下げた。

 

「そういう事かよ、あの人は…ところで、これ首突っ込んでいい話かわかんないんすけど…」

 

もやしの話が出た所で、智哉はどうしても確認したい事ができた。

あのもやしがあんな地獄の研修に来た経緯と今後どうするかである。

 

「…………上の娘の事だな?私からも、とても言いにくいのだが…」

 

エイベルも察しがついた。他にするべき話も無い。

そして先ほどから話すべきか悩んでいた事もある。迷惑をかけた上で申し訳ない話だった。

 

「あの、娘さん、なんであの研修にいるんすか…冗談抜きで命に関わると思うんすけど…」

「…私に相談なく自分で登録していた。無茶をする」

「……自分からっすか?マジで…」

 

自ら死地に飛び込むなど、智哉にとっては余りにも謎な行動である。意味が分からない。

 

「…姉上は、トレーナー試験から帰ってきてから何やら思い詰めていた。我にも教えてくれない」

 

堂々と腕を組んでエクスはそう言った。

しかし、その耳は垂れ下がっていた。

客人の前で強くあろうとしているが、今の姉の話になると隠しきれないのだ。

 

「今も疲れ果てて起きる気配が無いし、姉上は泣いていた。何があったのか…」

(やべえそれ俺が担いだからだ……)

 

智哉はここで謝るべきか真剣にもう一度悩んだ。

しかしオブリーエン邸から出れなくなる危険性を考えて、黙っておくことにした。保身に走ったのである。

 

「再研修って、予備試験の後っすよね。それじゃダメっすか?」

 

トレーナー研修制度の再研修は予備試験後に用意されている。

予備試験合格者と同じタイミングなのだ。

その間は、資格は認められるが契約はできない。

 

「……娘は、絶対に行こうとするだろう」

 

珍しく苦渋の表情をエイベルが顔に出した。

娘の心配もあるが、目の前の少年に迷惑をかける事が間違いないからだ。

 

「……トモヤ・クイル。我から頼みたい事がある」

 

口火を切ったのは、幼き王者だった。

姉の為という一心だった。

 

「…あー、うん、言いたい事わかるわ…」

 

智哉も察していた。嫌な話だがそうするしかない気がしていた。

同期に死なれるのは流石に寝覚めが悪すぎるし覚悟していた。

 

「──姉上を、助けてやってください」

 

王者が、自分を曲げて敬語を使い、智哉に頭を下げた。

智哉はそこまでさせる気は当然なかった。目の前の誇り高い幼女がここまでするとは思わなかった。

 

「お、おい、頭上げてくれよ」

「私からも、お願いする。申し訳ない」

 

続いてエイベルも頭を直角に下げた。

娘がここまでしたのだ。父親も続くべきだと考えたからだ。

智哉は気が遠くなった。

 

「姉上は、トモヤ・クイルに負けたくないと言っていた。きっと嫌がるだろう。貴様も腹が立つかもしれない。でも…お願いします」

「すまない。お願いします」

「もういいって!頭上げてくれよ!!わかったよ!!」

 

エイベルまで敬語を使い始めて智哉は居た堪れなくなった。

返事を聞き、父娘が頭を上げる。本当に申し訳なさそうにしていた。

 

「……本当にすまない。君に何かあったら必ず力になると誓おう」

「ありがとう!我も父上にならってそうするぞ!」

「だから心臓に悪いんすよ…じゃあ、やる事やりましょうか、エイベルさん」

「……君は本当に話が早くて助かる。向かうとしよう」

「どこに行くのだ?」

 

智哉とエイベルが、そのまま外に出ようとするのにエクスが疑問を投げる。

二人が出る理由は、一つだけである。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?クイル君……ちょうどよかった。ジェシカさんの事について……えっ!?」

「失礼、私は研修中の娘の父だが……」

「──娘の訓練メニューについて、協力させてもらえないだろうか?」



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研修その四 いかにして小隊は任務に向かうか

「ふんぐぐぐ……!!」

「ジェシカさん良い感じだね!いいよ!」

「行くぞトモヤーーーー!!ちゃんと受けろよ!!!」

「お、俺もあっちでやりたいなって待って!!!ぐええ!!!」

 

研修二日目である。

一方は平和な訓練風景。もう一方は地獄が展開されていた。

智哉は結局、気性難どもから見逃してもらえなかったのである。

ジャックは今とても平和で穏やかな日々を過ごせていた。

研修に来た少年を気性難どもが気に入ったおかげで、彼女たちの訓練相手を彼に務めてもらえるからだ。

警察官にならないか真剣に勧誘するかすら検討していた。

その勧誘相手は腕自慢の気性難どもの対人制圧訓練、タックルからの捕縛を全員分受けてその前に死にそうだが。

 

「ふう……これなら何とか…やれます」

「うん、良い感じだね。ゆっくり慣らしていこう」

 

ジェシカ用の訓練メニューにエイベルと智哉が協力している事を、ジェシカには伝えていない。

エイベルからの希望だった。踏み込んではいけない何かがあると思った智哉は、それに従った。

そしてもやしを使ったメニューの作成は難航を極めた。

まずジャックが考えていた基礎体力作りのメニューは全て破棄された。

「これだと姉上しぬかも」と妹から物言いが入ったのだ。

腹筋腕立てスクワット20回ずつで死ぬってどういう事だよと智哉はドン引きした。

もやしにも程がある。

エイベルも眼鏡がずれた。娘の体力のなさは知っていたが想像を絶していた。

そしてまず筋トレはやらせない方向になった。

そしてスタミナを付けさせるところから入るかと協議を始めたのだが、

「走らせるのも無理だと我は思う。姉上は300mもたずに足が子鹿になる」と更に幼き王者から物言いが入った。

更にエイベルの眼鏡がずれた。

智哉はあの女くしゃみしただけで死ぬんじゃねえかと頭を抱えた。

 

「自分の事はわかっていたつもりでしたけど、私こんなに体力無いのね……」

「ははは……まずは少しずつだよ、少しずつ」

 

結局、体勢を一定に保つだけの体幹トレーニングなら何とかやれそう、という幼き王者の意見を全面的に採用したメニューをトレーナー三人で協議して組んだ。

動かしたら危ないと言う結論に至ったのだ。もやし少女は余りにももやしであった。

 

「ジャックさん!こっちも見てほしいんすけど!ってか代われよ!!聞こえてんだろぎゃああああ!!!」

 

ジェシカには、多少の心境の変化があった。

今、目の前で腕自慢の気性難どもの格闘訓練の相手を務めて、死にそうな同期を見たからである。

第二小隊はウマ娘隊員5人に上官トレーナー1人の編成である。一人あぶれるのだ。

その相手をやらされているのである。

 

(トモヤ・クイル、あの男ここで死ぬんじゃないかしら……嫌な男だけれど、同期が目の前で死ぬのは後味悪いわ………)

 

嫉妬していた相手がその力を持つ故に、ウマ娘の相手が務まる故に死にそうになっているのを見て真顔になったのだ。

今も羨ましいのは変わりないが、良い事ばかりではないと気付いた。

 

(……昨日も冷静になって考えたら、当たり散らして迷惑かけたわよね……運び方に文句は付けたいけど謝るくらいはした方がいいのかしら)

 

昨夜、目覚めたジェシカに待っていたのは、妹の説教であった。

 

『いい加減にしろ姉上!我がどれだけ心配したか!!』

 

涙目の妹に怒られて流石に反省したのだ。

あの首席へのコンプレックスはまだ残っているが、それよりも無事に妹の元に帰る事を優先する事にしたのだった。

そして今日の朝、智哉と顔は会わせたがその時はまだ劣等感から無視していた。

向こうからも特に何もなかったからというのもあった。

 

(訓練後に、こちらから話しかけるしかないわね…癪だけれど)

 

しかし、その時は来なかった。

 

 

──緊急出動である。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「一言!いいっすか!!」

「うん、もう言いたい事はわかるよ…」

「俺達統括機構の!競走バのトレーナーなんすよ!!警察官じゃねえんだよ!!言ってる事わかるか!!?」

「うん、わかる……」

「何で!!ここに連れてこられてるんだよ!!?ふざけんなよマジで!!!!」

 

現在、銃撃戦が行われている真っ只中である。

智哉とジェシカ、そして隊長であるジャックは遮蔽物に隠れて銃撃から身を守っていた。

 

「本当にごめん………減俸だろうなあ………」

「てめえの給料より俺達の命の心配しろよ!!もう一回言うけどふざけんなよマジで!!!」

 

智哉はブチ切れていた。出動と聞いて、まさか連れてこられると思わなかったのだ。

事の発端は、訓練中に出動命令が出た時であった。

 

『おっ!出動か!オレ達のかっこいい所見せてやるよ!!』

 

まずフォワード担当ダスティがそう言い、そこで智哉はなりふり構わず逃げた。

 

『たぶんあいつだろうねー、じゃ、行こっかー』

 

しかしポイントマン担当のブラッドに即確保された。現実は非情である。

ジェシカは適当に摘み上げられて抵抗できなかった。もやしは収穫されたのである。

ジャックは「それだけはやっちゃダメだって!お前ら!ステイ!!」と半泣きで叫んだが本人も摘み上げられていた。愚かなヒトミミは腕自慢の気性難ウマ娘には絶対に敵わないのである。

そして、銃撃戦の只中にいるのだった。

 

「死にたくない…死にたくない……エクス、先立つ姉さんを許して………」

 

もやしは耳を塞いでガクガク震えていた。

荒事とは無縁の令嬢にはキツい環境である。

 

「多分、大丈夫なんだけど……いつものように弾は当たらないように威嚇してるだけだし……」

「信用できるかそんなもん!!じゃあ今すぐあんたここから出てみろよ!!!」

 

ここは、ロンドン市内のとある銀行である。

武装した複数人の人間と一人のウマ娘が銀行を制圧しているのだ。

何故か人質を取らずに銀行員も客も解放されている。

 

「ええっとね……言っちゃダメなんだけどなあ……内緒にできる?クイル君、ジェシカさん」

「…………何かあるんすか」

 

智哉は聞いてはいけない話をしそうな雰囲気のジャックを見て冷静になった。

もやしは耳を塞いでいるので聞いていない。

 

「ほら、あそこの犯人のウマ娘……‥」

「ああ、あれずっと捕まってない怪盗ウマ娘っすよね……確かシャルガー・ハーンとかいう名前の」

 

ジャックが指差した先には、現在一味の部下達に指示を出しながら、両手に持った拳銃で威嚇射撃を行っている派手な見た目のウマ娘がいた。

黒鹿毛で仮面で顔を隠し、緑のシルクハットに同じ色の外套、装飾の散りばめられた黒いタキシードを着た男装のウマ娘であった。

智哉も映像で見た事がある怪盗であった。そして肉眼で一目見て、あれは競走バの勝負服ではないかと感じた。

 

「あれ?……勝負服っぽいんすけど…改造してるけど……」

「わかるの?すごいね。そうだよ……シャーガーって、知ってる?」

「…………何で言うんすか!!?絶対言ったらダメな話だろそれ!!!!」

 

シャーガーとは──英国クラシック路線の大レース、エプソムダービーを史上最高の10バ身差で勝利し、同年のアイリッシュダービーとキングジョージも制覇した伝説の競走バである。

そんな伝説の名バの彼女には、悲劇が待っていた。

 

「もう聞いちまったから聞くけど!!誘拐されて行方不明じゃねえのかよ!!何であそこで元気に銃ぶっぱなしてるんだよ!!?」

 

彼女はある日、アイルランド旅行中に誘拐されたのだ。

そして彼女の所属チームに、誘拐犯から身代金が要求された。

所属チームは即答で拒否し、彼女はそのまま行方不明になっている。

しかし、今目の前でそんな悲劇のウマ娘が元気に銃を乱射していると言うのだ。

 

「あのね……誘拐までは本当らしいんだけど、そこから逆に返り討ちにして全員子分にしてから、身代金は自分で要求したらしいよ」

「…………意味がわかんねえんすけど」

「そうだよね、わからないよね………俺もわからないんだ………」

 

ジャックの長年の苦悩に満ちた表情を見て、智哉はもう怒りが完全に消え去った。

あの気性難の隊員達と、あの怪盗に長年困らされているのが察せられたのだ。気の毒すぎる。

 

「ウチの第二小隊はね、第一小隊のバックアップ兼彼女の対応が主な任務なんだ……うちは、問題児ばかりだから……こないだもね、アスコットの件で…」

「あ、はい、もう怒る気無くなったんで…てかあの件で出動したのここだったんすか…」

 

アスコットの校長は緊急逮捕されたと智哉は聞いていたが、その逮捕を行ったのがこの第二小隊であった。

その件でジャックは減俸され隊員は始末書の山で泣いている。

 

「統括機構理事会とね、英国王室とアイルランド大公とうちのトップからの連名でね……子分は良いけど彼女は絶対逮捕するなって指示が出てるんだ‥…重犯罪はやらせないから遊び相手になってやってくれって……壊したものもちゃんと弁償してるし……」

「それは言うなよ!!!何で俺に聞かせてんだよ!!!?」

「さっきから何を騒いで……」

「てめえは耳塞いでろ!!!いいから!!!」

 

ジェシカが耳から手を離そうとしたので智哉が慌てて塞がせる。

明らかな厄ネタをジャックは聞かせやがったのである。ジャックは苦渋の表情であった。誰かに言いたくて仕方なかったのだ。

 

「俺はねえクイル君!!!王女殿下の遊び相手とあいつらの世話のために警察官になったんじゃないんだよ!!!わかる!!!??」

「だから言うんじゃねえよ!!!洒落にならねえだろ!!!!」

 

ジャックの目がおかしくなり始めた所で、銃声が止んだ。

 

「あ、終わりー?もっと撃ちたかったんだけど」

 

小隊のマークスマン担当のアーディが物陰から平然と出てくる。本当にいつもの事らしかった。

 

「栄光あるウマ娘中央活動部第19課(U C O 19)第二小隊の諸君!!今日はよく来てくれた!私、怪盗シャルガー・ハーンと楽しいゲームをしよう!!!」

 

高らかに声を上げながら、件の怪盗がいつの間にか用意されていた高台に乗って全員を見渡す。

 

「そこの二人は新メンバーか?ジャック、答え給え!!」

「統括機構の研修生です………」

「えっ……連れて来たの?いいの?」

「よくないです……減俸です……」

 

一瞬だけ怪盗が素に戻る。流石にその返答は読めなかったのである。

先ほどの話を聞いていなかったもやしは、普通に話している小隊長と怪盗の意味がわからなくて目をぱちくりとさせた。

 

「……気を取り直して!!!今日はこの近辺に時限爆弾を複数仕掛けさせてもらった!!私を捕まえるか市民に犠牲を出すか!!選び給え!!」

「くっ、なんて卑劣なヤロウだ!」

「おー、爆弾解除するしかないわね~」

「急いで解除にむかお~~」

 

一名を除き棒演技で対応する隊員達。怪盗殿下はこういうシチュエーションが大好きらしかった。

 

「よし!!ならば私はここで君達の活躍を…‥ん?何だ子分Aそんなに慌てて……私の机の上のサンプル?あんな所に置くなと機材置き場に戻したが……えっ」

 

 

 

「本物…………?」

「諸君、ご、ごめん………」

 

 

 

 

 

「一個だけ…本物、仕掛けちゃった……………」




怪盗出すの唐突すぎる気がしてきたんで研修その一冒頭にちょっと描写増やしました。
いつの間にかUA一万行ってた。
ほんま感謝しかないんやで。
会長とアホの子の過去話とかいるやろか…


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研修その五 いかにして彼は巻き込まれるか

短いけど切りがいいから許してクレメンス。明日で終わるかな…。


「どどどどどどうしよう………」

「とととにかく解除!全員で解除しましょう!何個仕掛けたんですか!?時間は!?」

「150個……………60分………もう五分くらい経ってる………」

「終わりだあ………免職だあ…………」

 

もはやキャラを保つ事ができない怪盗とその場に崩れ落ちる宿敵役の小隊長。

一大事である。ロンドン市内に手違いから本物の時限爆弾が仕掛けられているのだ。

 

「何で今回こんな手の込んだ事したんですか!?先日みたいに清掃作業とかでよかったじゃないですか!!」

「いつもジャックと隊員のみんなにはお世話になってるから、お礼に解除した数に応じて豪華景品を贈りたくて…いつもの6人じゃ厳しい数に……」

 

今回の怪盗の犯行理由は日頃の感謝の気持ちであった。

育ちの良い怪盗は律儀に恩返しをしようと考えたのだ。

 

「言ってる場合じゃねえぜ!!怪盗サンの子分含めて全員でやるしかねえ!」

「そうだねー、仕掛けた場所の地図とかどうせ用意してあるんでしょ」

「そそそうだな。子分B!全員に地図を配り給え!!」

 

こんな状況でも平静を保つ腕自慢の第二小隊隊員に発破をかけられ、気を取り直した怪盗が子分に指示を飛ばす。

そして怪盗一味と第二小隊はどこに誰が向かうかの協議に入った。

そんな一大事を、智哉はただ傍観していた。

プロに任せた方が当然いいという判断と、流石に最近おかしいと思い始めたのだ。

 

(………フランが悪いって事は無いし絶対思わねえけど、あいつと出会ってからずっとロクな目に遭わねえのはどうなってんだこれ……?爆弾騒ぎにまで巻き込まれるとかおかしいだろ。何か悪霊でも憑いてんじゃねえのか……)

 

フランと出会う前は、あちこちを転々としつつも智哉は平和に暮らせていた。暮らせていたのだ。

智哉がこの半年間を軽く思い返してもまず姉にアイアンクローをくらいメイドに睨み殺されかけ姉にコブラツイストからの卍固めを受け姉に肘鉄を叩きこまれ誘拐犯に拳銃で肩を撃たれ怪我人なのに姉に起き抜けにぶっとばされた後に林檎を剥かされて父に肩パンをされもやしの罵声を浴び過去の悪夢に悩まされてるのに姉にボディスラムからのシャープシューターをキめられ姉に二度目の肘鉄を受け昨日もやしに二度目の罵声を浴び今日訓練で死にかけた。

ほとんど姉であった。智哉はアメリカに行きたくなくなった。

なお今回の発端はフランである。それを智哉が知る事は絶対に無いが。

 

(今までの流れからして解除に一人足りねえとか言われるんだろ。俺は詳しいんだ)

 

何故かもう肝が据わっていた。短期間で酷い目に遭いすぎて感覚が麻痺しているのだ。

ジェシカはそんな智哉を横目で見ていた。

横の気に入らない男が、急に覚悟を決めた顔をしているのがやけに目につく。

 

(……この男、まさか爆弾探しに参加する気?私達は競走バのトレーナーなのよ?警察官でも爆弾に詳しい訳でもないのよ?でも、この男がそうするなら………!)

 

ジェシカから見て今の智哉は勇敢で正義感のある男に映った。感覚が麻痺しているだけである。

そして無駄に対抗意識がふつふつと沸いてきた。もやしは少ない茹で時間で食べられる発芽野菜である。

そして、手を挙げて言わなくていい事を言ってしまった。このもやしはあの誇り高き王者の姉である。プライドは負けず劣らず高いのだ。

 

「……私も協力できませんか?私もロンドン市民です。道はわかります」

 

この発言に全員が注目した。

発言を元に怪盗とジャックが地図をもう一度睨み、決断する。

 

「警察官としては民間人にこんな危険な事はさせられないんだけど……この近辺だけでもお願いできないかい?ジェシカさん」

「すまない。この怪盗としても国民にそんな事はさせたくないのだが…今の人手でも何とかなりそうだが一刻も早く回収したいんだ」

「…………えっ、足りてるんすか?」

 

人数は足りていた。急に智哉の麻痺した感覚が戻ってきた。

手を挙げずに傍観していてよかったと安堵したのだ。

そして爆弾解除なんて進んでやりたいと言い出すもやしを、尊敬するような目で見た。

もやしはその目を見て自分が嵌められたような感覚に陥った。さっきまでの覚悟を決めた顔が消滅していたのだ。感覚が麻痺していただけである。

 

(この男!!さっきの顔は何なのよ!!?ふざけてるの!!?)

(すげえなこの女、さっきまで死にたくないって怯えてたのに、今は目がやる気に満ちてやがる……)

 

梯子を外されてブチ切れているだけである。

智哉は何とかなるならこのまま傍観してようと考えたが、ここでふと昨日の事を思い出した。

オブリーエン邸での一幕である。

 

『──姉上を、助けてやってください』

 

あのジェシカの妹、幼き王者の自分を曲げてまでの必死の懇願。

 

『私からも、お願いする。申し訳ない』

 

自分のような新米トレーナーに頭を下げてまで頼み込んだ、あの名トレーナーの想い。

 

目の前の女はともかく、この想いを無碍にはできない。

結局こうなるのかよ、と智哉は深いため息をついた。

ジェシカが昨日言った欲しい物の予想もついていたので、刺激せずにいようと今朝は声をかけなかった。

こんな物を持っていた自分がどんな目に遭ったかも知らずに好き放題言われていた事を理解し、こんな物欲しいならくれてやると言う怒りもわずかにあった。

しかしこうなったら、もう話しかけるしかなかった。

 

「……おい、ジェシカ・オブリーエン」

「……急に何?トモヤ・クイル」

 

 

「……一時休戦しねえか?」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「……そこを右。その後大体20m。そこの側溝の中」

「わかった。その次のルートも考えといてくれ」

「言われなくても」

 

ジェシカを背負った智哉が走る。

休戦協定は呑まれた。お互い持っている物を出し合うという案で協力体制を取ったのだ。

ロンドンの地理に詳しいジェシカがその明晰な頭脳で最短ルートを決め、超人の智哉が軽々とジェシカを背負い進む。

最初は肩に担ごうとしたが猛抗議の結果断念した。

目的地に着いた智哉がジェシカを降ろし、爆弾を回収する。

 

「色は?」

「黄色だ」

「連絡するわ。このまま300m移動」

「おう」

 

怪盗の仕掛けた時限爆弾は、裏に貼られたラベルの色が黄色が偽物のアラームが鳴るだけのもの、本物は赤で時計式の破片爆弾であった。10数mに効果を及ぼす危険なものだ。

解除方法は二人とも知らない。本物を見つけたら触らないようにとの指示を受けている。

目下この爆弾の捜索中の二人だが、思っている事があった。

知能指数が近いのか、お互い妙なやりやすさを感じているのだ。

 

(……この女、頭の回転はえーな。ガリ勉じゃなくて地頭がいいな。指示も的確だ)

(何を言っても聞き返してこないし、単語一つでも意思疎通できるのは助かるわね……この男の筆記と実技の成績が気になるところね)

 

ジェシカがジャックに連絡し、その結果を智哉に伝える。

 

「……全体で90個目。こっちが早い。範囲を広げるわよ」

「おう」

 

そして、ジェシカは現在考えている事があった。

 

「……待って、右。そちらに路地があるわ」

「おい!耳とか髪とか引っ張るのはやめろ!いてえんだよ!右だな!」

「………」

 

昨日肩に担がれた際、ジェシカが暴れようが引っ叩こうが全くびくともしなかったこの首席の対策として、次同じ事をされた時の反撃方法を考えてあった。髪や耳などの人体の末端への攻撃である。

そして今、それを使ってルート指示をしているのだが──

 

(……ほんの少し、ほんの少しだけど……不本意だけど……楽しいわね、コレ)

 

もやしは何かに目覚めそうになっていた。

あの強い嫉妬と劣等感を抱いていた首席の男が、自分を背負い背中を晒して自分の指示に服従しているのだ。

不謹慎と思いつつも楽しくなってきていた。

 

(こいつ、息が若干荒いんだけど……まさか背負われてるだけで疲れてきてんのか?もやしすぎねえ?)

 

そんな事を全く知らない智哉はもやしがもやしすぎる可能性に戦慄していた。

背負われているだけで疲れるとか想定外にも程がある。

見た目がウマ娘のジェシカが、それ程に虚弱なのに対して智哉は少し思う所があった。

 

(この見た目でこの体力の無さは、今まで相当苦労してきてるんだろうな……特にあの家に生まれてこれはキツかったかもな)

 

トレーナーの大家に生まれ、競走とも恐らく幼少から関わってきただろう。競走バになりたい夢でもあったのかもしれない。

そう思うと確かに同情するべき部分を智哉は感じた。自分の持っている物が欲しくて欲しくてたまらないのだろう。

 

(……仕方ねえ。俺から折れてやるか。こいつプライド高そうだしな……)

 

そう智哉は思っていたが当のジェシカは──

 

(いや、楽しいわコレ。楽しいわね……)

 

 

 

何かに目覚めそうなだけであった。



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研修その六 いかにして二人は互いを知るか

フランキーおじさんとサイードいつ出せばええんや……ゴドルフィンが史実にあんまり絡んでこないんだよね……ファーすらまだ出せてへん……。


「……あっちは終わったそうよ」

「ああ、やっぱりそうなるよなあ。わかってたんだよ」

「……何?」

 

本物の時限爆弾の捜索は、佳境を迎えていた。

残りは二個。そして、智哉が途中から感じていた謎の確信が当たってしまった。

順調に進んで範囲を広げた研修生ペアの管轄であった。

 

「ロクな話じゃねえけど聞きたいか?自分語りみたいになっちまうけど」

「……言ってみなさい」

「俺な、拳銃で撃たれた事あるんだよ」

「えっ……?」

 

移動しながらの智哉の謎のカミングアウトにジェシカが困惑する。

銃規制の厳しい英国でそんな目に遭うのが信じられないのだ。

 

「しかもな、盾みたいなもん持ってたんだけど、盾で守ってない肩に狙いも付けずに一発だけ撃ったのが当たった」

「そ、そう…」

「まだあるぜ。昔いじめられてる友達助けたらな、その現場に教師とクラスメートが来るタイミングが悪すぎて俺がその犯人にされた。クラスメートのウマ娘に警察に突き出されて補導された」

「そ、そうなのね……」

「他にもな…選抜戦の乱入、あれ俺なんだけど本当は入る気なかったんだよ。理由は言えねえけど俺が入らないとエプソムの生徒が入る状況になって、どうしようもねえから入った」

「…………」

「後はな……」

「もういいわよ!!あなた何なの!!?その運と間の悪さ!!?」

 

ジェシカはこの前振りでこの首席の男が何を言いたいか察してしまった。

何か悟りを開いたかのような喋り方に恐怖も抱いた。

今まで感じていた楽しさも吹っ飛んだ。早くこの疫病神から逃げたくなったのだ。

 

「多分な……爆弾、もう時間ないぜ。あの怪盗、サンプルって言ってたよな?設定時間が違うかもな」

「う……嘘でしょう?そんなに都合悪い事が起きる?あなた悪魔にでも憑かれてるの?」

 

そう話していたら、ジェシカの持っていた連絡用の携帯無線からジャックの声が響いた。

 

『ジェシカさん!大変だ!!本物は設定時間が違う!!全員で向かっているが、もう回収しても間に合わないから離れなさい!残り10分だ!!』

 

ジェシカは怖気が走った。本当にこの疫病神の言った通りになったのだ。

嫌すぎる男と同期になってしまったと戦慄した。

 

「ほらな……だろ……?」

「あなた本当になんなの……?」

 

智哉は悟り切った顔をしていた。

自分の運と間の悪さをもう理解しているのだ。

そしてもう一つ確認したい事があった。爆弾の場所である。

今智哉とジェシカが向かっている場所は、ある邸宅に近いのだ。

設置場所がそこだった場合、絶対に行かなければならなかった。

絶対に守らなければならなかった。

 

「場所、教えてくれ」

「……片方は、そこの路地の先200mのゴミ箱…もう一つは……」

 

 

 

「──ジュドモント邸の、門前ね」

 

 

 

ここで智哉は立ち止まり、ジェシカを降ろした。

やる事は、決まった。しかしこの同期を付き合わせる必要は無いのだ。

頼まれた事もある。危険に晒してはいけない。

 

「ここまででいいぜ。案内助かった」

「…行くつもり?」

「他だとビビって逃げるけどな…そこだけは行かないといけねえんだよなあ……」

 

そう言うと、智哉は全力で走って行った。

その後ろ姿を見送るジェシカは、あの首席への蟠りをあまり感じていない自分に気付いた。

あの優秀で気に入らない男も苦労している事を知ってしまったのだ。

 

(……苦労する事もあるのね、()も……)

 

優秀で、何でもできて、自分の欲しい物を持っていて、あの怪物と契約するであろう男。

何の苦労も苦悩も無い楽な人生を歩む男だと思っていた。自分のようなハンデなどない男だと思っていた。

だが、実際の姿を見てそうは思えなくなった。

ふと、ジェシカがもう一つの爆弾のある路地に目を向ける。

何となく、あの男と張り合いたくなってしまった。劣等感や嫉妬ではない、真っすぐな気持ちで。

 

(一応、確認しておこうかしら…)

 

そうして、路地に入る。残り時間はもう10分を切っている。

確認してすぐ離れればいいだけの事だった。

 

しかしジェシカはまだ自分が虚弱だと言う事を、荒事に無縁な令嬢である事を十分に理解していなかった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

智哉は、走りながら携帯を取り出した。

こういう時、ジュドモント家の縁者で最も頼りになる人物に連絡する為だ。

 

『……どうした?研修中ではないのか?』

 

メイドである。メイドは気性難モードでなければ冷静で話もわかる人物なのだ。

智哉も倒れた時や過去の悪夢に悩まされている間、何度も助けてもらっている。

 

「サリーさん、時間が無いんで一言だけ。ジュドモント邸の門に誰も近寄らないように、全員に伝えてもらえないっすか」

『わかった。何かあったんだな?』

 

ここで智哉は爆弾が仕掛けられている事を言うべきか一瞬悩んだ。

余計な心配をかける事と、もし爆発した場合の危険を天秤にかけて、伝える事にした。

メイドなら話しても冷静に対応してくれるであろうと言う信頼もあった。

 

「サリーさんなら大丈夫そうだし言います。爆弾が仕掛けられちまったみたいで……」

『……ああ、あれか』

「…へ?知ってるんすか?」

 

 

『先ほど解除した』

 

 

この言葉に唖然とした智哉の足が止まる。

メイドが事もなげに時限爆弾を解除したと言ってのけたのだ。

決死の覚悟が全て無駄になった。爆弾の如く木端微塵である。

 

「はあ!?サリーさん解除できるんすか!!?」

『私はメイドだぞ?何故できないと思った?』

「普通メイドはできないんじゃねえかなあ……」

 

智哉のメイドの概念が壊れそうになった。

普通のメイドは爆弾解除はおろか三国志の猛将の如く観客を恐慌させたりはできないはずである。

何とか気を取り直した智哉が、メイドに爆弾が本物かどうかを念のため確認する。

 

「その爆弾、ラベルの色とかわかります?」

『確か…黄色だったな。凝った作りだったがアラームが鳴るだけの玩具だな。なかなか楽しめた』

「……ならあっちが本物か。サリーさん助かったっす。またフランが家に泊まりに来る時にでも」

『ああ、また会おう…大旦那様は私が折檻しておいたぞ』

 

智哉が心の中でメイドに親指を立てつつ、通話を終える。

後は爆破しようが問題ない状態となった。

第二小隊長が免職されようが隊員が始末書の山に泣こうが、自分には関係ない話である。

しかし智哉には一つだけ気掛かりがあった。あのもやし女の動向である。

 

(確認しに行くようなアホな真似する女じゃねえとは思うけど……戻ればギリギリ間に合うな。一応見に行くか…)

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……あれね」

 

ジェシカは3分前にようやく路地の爆弾設置場所にやってきていた。

路地に入って200m程の距離である。

訓練で疲労していたジェシカはここまで休み休みでようやく来たのだ。

目的の爆弾は屋外用ゴミ箱の中だった。

ジェシカは危ない事をしている自覚はあった。だが何故か変な信頼感を持ってしまっていた。

オカルトはあまり信じない方だが、あの疫病神のような同期が行った方が本物な気がするのだ。

 

(不思議なものね……あの男を信用してしまうなんて)

 

しかし、ゴミ箱を開け、中に設置された爆弾をひっくり返した瞬間、ジェシカは飛び跳ねて尻餅をつき、爆弾が地面に転がった。

 

(……本物じゃない!?こっちなの!?)

 

ラベルの色は、赤だったのである。本物の時限爆弾だった。

時間は3分を切っているが、走ればもやし少女でも十分に範囲外に逃げ切れただろう。

だが、荒事に慣れていない令嬢は腰が抜けてしまっていた。

しかも尻餅をついた時に足を挫いていた。

もやし少女はここでも、そのもやしっぷりを発揮したのだ。

 

(に、逃げないと……!腰が抜けて……)

 

尻餅をついたまま、ゆっくりと後退る。ジェシカは間に合わないと悟った。

走マ灯が巡り、最愛の妹が頭に浮かぶ。そこに何者かの声がかかった。

 

「なんで来てんだよてめえ!馬鹿じゃねえのか!?」

 

念のために確認に来た智哉が、100m前方にジェシカを発見したのだ。

全力で走りながら、どう行動するかを脳内で模索する。

 

(たぶん残り15秒くらいか。拾って逃げるか…?破片を食らう。爆弾を投げるか?降り注ぐ破片がどれだけのものかわからねえ。となると……アメリカ行けなくなったら姉貴に殺されるよなあ……)

 

自分なら恐らく死なないだろうという予測と、同期に死なれる気分の悪さ、あの同期の家族にした約束、全てを考えた咄嗟の判断であった。

 

 

爆弾を上空に投げ、智哉はジェシカに覆いかぶさった。

 

 

(この男、私を守ろうと……?)

(くそお……あんな約束しなけりゃよかった……)

 

上空に上がった爆弾が、空中で停滞したその時──

 

 

「──アーディ君、狙いはわかってるね?」

「もちのろんよ」

 

 

銃声が二度響き、上空の最も高い位置で爆弾が炸裂した。

そして、智哉とジェシカを複数の人影が取り囲む。

 

「上空!防御態勢!構え!!」

「イエス!サー!!」

「待たせたなーキミ達」

 

降り注ぐ破片を二人のフォワード担当が、ウマ娘専用の巨大な防弾シールドを掲げて防ぎ切り、ポイントマン担当が要救助者を素早く確保する。

怪盗と第二小隊の見事な連携であった。彼女達は間に合ったのだ。

路地の逆方向から二人を見つけ、咄嗟に的確な指示をジャックが出した結果であった。

普段は減俸に泣かされている情けない人物だが、伊達に腕自慢の気性難達の上官を務めていないのだ。

ジャックが二人を見比べ、怪我が無い事を確認してその場に屈みこむ。

 

「君達近付いたらダメって言ったでしょ……怪我がなくてよかったよ」

 

彼は苦労人だが正義と熱意を持ち警察官を続けている男である。

無事に守りきれた事と、怪我をさせていたらこの天職を失っていた不安から解放されて気が抜けたのだ。

ジャックからの状況終了のサインを受け、周囲の隊員達がわいわいと騒ぎ出す。

普段は問題児の気性難達だが、こういう時は上官に忠実な隊員達なのだ。

信頼関係がしっかりと築かれていた。なお全員ジャックを狙っているのでお互い牽制し合っていた。そのうちジャックは逃げられずに確保される運命にある。

 

「トモヤ!咄嗟に守るたあ男だなあお前!」

「来てるかどうかの賭けはアタシの勝ちだなあオイ!」

「なんで来てるんだよお前ら!後で覚えとけよ!!」

 

周囲の騒ぎ立てる隊員達の前で、智哉はジェシカに覆いかぶさったまま固まっていた。

大怪我を覚悟した状況から、無事に助かった安堵でまだ動けないのだ。

その智哉の顔を、下からジェシカは眺めていた。

その青褪めて、引き攣りきった顔を。

ふと、二人の目が合う。口を開いたのは、智哉の方だった。

 

「──なあ、これでも欲しいか?俺の持ってる物全部」

 

切実な問いであった。

ジェシカの答えは決まっていた。清々しい笑顔で返事をする。

 

「──絶対にいらないわ」

 

その返事を聞いた智哉が、ようやく立ち上がる。

聞きたい言葉が聞けて満足した様子であった。

周囲の隊員達に謝罪と感謝を伝え、ジェシカから離れようとする。

 

その智哉の足を、ジェシカが掴んだ。

 

「……なんだよ?」

「足を挫いてしまったわ。立てないのよ」

 

ジェシカが、初日はまともに言えなかった事を素直に伝えた。

これが、自分なりのけじめのように。

 

「また、運んでくれないかしら?」

 

素直に、智哉に運んでほしいと頼む。

昨日の自分なら、絶対言えない言葉を伝える。

 

 

「は?知るかよ自分で歩け」

 

 

だがこの男はクズであった。安心して気が抜けたのでクズモードに戻ったのだ。

そもそもこうなったのはジェシカのせいである。助ける気はまるでなかったのだ。

予想外の返事を受けたジェシカが、瞬間的に顔を真っ赤にして憤怒する。

自分なりに智哉に気を許したのに恥をかかされたのだ。ブチ切れ案件である。

 

「はあ!?運びなさいよ!!足が痛いのよ!!」

「知らねえっつってんだろ。そもそも自業自得じゃねえか」

「うるさいわね疫病神!!あなたがいたからこうなったんでしょう!!?」

「ああ!!?てめえ疫病神はねえだろ!!いいから歩けもやし女!!!」

「もやし!?もやしですって!!?一番気にしてる事言ったわね!!!?」

 

妹に「姉上もやしすぎる」と言われてからの一番の逆鱗に触れられて、もやしが更にブチ切れる。

その様子を、怪盗と小隊の面々は暖かい目で見ていた。

 

「いいねえ!あの二人!!青春してるし有能だし!!」

「ですね、あの二人のおかげで随分早く済みましたよ」

 

研修生ペアは二人で全体の30%の爆弾を発見している。

本物の捜索と爆破処理はこの二人がいなければ間に合わなかったのだ。

二人を見て、深く頷いていた怪盗が良い事を思いついた、とジャックに耳打ちする。

 

「ジャック、ちょっと………で……を……」

「ええ!!?そんな事できませんよ!!?」

「一回だけ頼むよ!無理だったら諦めるから!」

「……一回だけですよ」

 

 

こうして、地獄の二日目は終わったのであった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

その後は智哉が数回死にかける程度で、日々平穏に研修は過ぎて行った。

もやしは体幹トレーニングだけをひたすらにこなした。慣れてきて調子に乗って妹とランニングを敢行し子鹿になったがそれ以外は平穏である。

 

そして、研修最終日──

 

「本当にお疲れ様!二人ともよく頑張ったね」

「おいこっち見ろよジャックさん。お前今日も俺に小隊の訓練丸投げしたよな?」

「適材適所でしょう。ジャックさんは私の訓練を見るのも仕事よ」

 

あれから、智哉とジェシカは普通に会話するようになった。

そうしてわかった事は、お互いのトレーナーとしての知識量である。

智哉が知らない事もあれば、ジェシカが知らない事もあった。

 

「じゃあ、この修了証明にサインを…あとで統括機構に郵送するからね」

 

ジャックがそう言いつつ、二人の前に書類を出す。

この修了証明にサインし統括機構にそれを届ける事でようやく研修修了となり、一人前の競走バのトレーナーとして認められるのである。

しかしここで智哉は既視感を感じた。ジャックの目が若干泳いでいるのも気になる。

最近似た状況で嵌められているので確かめたくなったのだ。

ぺらりと、書類をめくる。もう一枚出てきた。警察学校の試験申込書であった。

 

「……おい、これなんだよ?」

「……呆れて何も言えないわ」

「………ごめんなさい、殿下が………」

 

怪盗殿下はこの二人を新メンバーとして欲しくなっていたのだ。

そしてジャックに無茶振りをしたのである。

智哉はそれ以上怒らなかった。この男はこれからも怪盗と隊員に悩まされるのだろう、と考えたら哀れに思ったのだ。

黙って書類に記入して、警視庁を後にする。

智哉はようやく地獄から解放されて感慨深い思いになった。

訓練でかなり身体能力が向上した気がするが、二度とやりたくないと思った。

今日はフランが泊まりに来る日でもあった。

帰って研修の話でもしてやるか、と考えていたところ、後ろから声がかかる。

 

「待ちなさい。クイル」

 

声の主は、ジェシカだった。いつの間にかフルネーム呼びはやめていた。

話すうちに面倒臭くなったのだ。

 

「何か用か?オブリーエン」

「……」

 

ジェシカの目的は、初日の件であった。

あの当たり散らした事を結局謝れていなかったのだ。

どう切り出すか悩んでいるジェシカを見て、智哉もある事を思い出した。

 

「ああ、そういや俺もお前に言う事あったわ」

 

そうして、智哉はジェシカにしっかりと頭を下げて、言った。

 

「初日、肩に担いで悪かったな」

 

目の前で頭を下げる首席の男、まだわずかに劣等感を抱く相手を見て、ジェシカは自分の頬がだらしなく緩むのを感じた。

実力を認め、コンプレックスを抱いている相手が自分に頭を下げるのが楽しくてたまらないのだ。もやしは何かに目覚めていた。

 

「……くふっ」

(えっ?今のこいつ?この変な笑い方こいつ??)

 

智哉はドン引きした。同期に筋を通したら変な笑いで返されたのである。

頭を上げたら見てはいけないものを見てしまいそうで上げられない。

もやしはもやしで自分の口から出た声に衝撃を受けていた。父の眼鏡が吹っ飛ぶ声であった。

そして、ジェシカは困っていた。先に謝られ、謝るタイミングを失ったのだ。それと共に頭を下げる智哉を見て、何故か気分がとても良いので謝りたくなくなった。もやしは何かに目覚めていた。

 

「……し、仕方ないわね。許してあげるわ」

「お、おう……お前はすぐに学院に行くのか?」

 

もやしの許しを得て頭を上げる智哉は、話題を変えたくてこの後の進路を振ってみた。

平地競走は年間通して行われているが、本格的なシーズンインは春先からである。

 

「…そうね。今年中には学院に行って、父の勧めた子と契約する予定よ……その子次第でシーズンインまではアイルランドね」

「バリードイルか?」

「勿論」

 

バリードイル──アイルランド公国、ティペラリー県に存在するトレセン学院の学外施設にして、チーム・クールモアの本拠地である。広大な土地に十分な設備、寮や合宿場も完備されている。こちらで生徒達は授業を受ける事もでき、更にはアイルランドでのポニースクール運営も行っているのだ。クールモアの総帥ジョセフ・マグニアの牙城としても有名であり、かの生徒会長ガリレオはこのバリードイルのポニースクール出身である。

 

「…羨ましいもんだ、やっぱり大手は違うな」

「……?あなたもサーの推薦を受けて、ジュドモントの紐付きのようなものでしょう?来年の重賞、どちらが先に獲るか競うのはどう?」

「ああ、悪い。それ無理なんだよ」

「……どういう事?」

 

試験以降、思い詰めていたジェシカは学院の公示を見ていなかった。

智哉の処分を知らないのである。

 

「俺なあ……六年間こっちで契約もレース参加もできねえんだよ。来年頭にアメリカ行くわ」

「………何よそれ!?聞いてないわよ!?」

「公示出てるんだけどな…お前そういうの見てそうなのに何で見てねえんだよ…」

 

ライバルと思っていた同期が、突然いなくなる事にジェシカは肩透かしを食った。

しかし六年という期間で一つ思い当たる事があった。

自分の妹と、あの怪物が学院に入学するであろう時なのだ。

 

「……そう。ケンタッキー州?」

「多分な。ジュドモントのチームもあるしな」

「で、六年後は……フランケルね」

「……ああ」

「私の妹も、あの子と同じ年なのよ」

「エクスって子だろ?知ってるぜ」

「──そう、なら言う事はこれだけよ」

 

 

 

 

 

「覚えておきなさい。あの子の名前はエクセレブレーション…フランケルを倒す者よ──」




研修編はこれで終わりです。
ウマ娘かこれ?って感じだけどシャーガーをレースに絡めて紹介する方法が思いつかなかったのでこれしかなかった……許し亭ゆるして。
今週中にアメリカ編も投稿していきます。雰囲気は一部に近いかも。
ちゃんとレースの話になる……と思うやで。


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第1.5部 アメリカでの日々
第一話 謎深き、天才


BCを過去話含めてTCに変えました……よう考えたらウマ娘の世界観でブリーダーズカップっておかしいちゃうかなって…。


──空色の、英国海軍服をモチーフにした勝負服を着た、栗毛のウマ娘が疾走する。

最終コーナー、先団好位置。

彼女の、この一年限りのトレーナーのレースプラン通りの展開。

彼のくれた新たな走法。彼と共に鍛え抜いたこの体。あのドバイの悪夢を、忘れさせてくれたこの一年。

抜け出す機会、勝負の時。

彼女が意識を深くウマソウルに集中させ、その瞬間世界が変わる。

遠き競バの故郷へ続く海原を進む、彼女を艦長とした一隻の軍艦がそこにあった。

この一年の集大成、領域(ゾーン)に入り、後は残った脚を振り絞るだけだった。

 

『イングリッシュチャネル、抜け出した!三度目の正直!トレーナーズカップターフ制覇の念願なるか!』

 

彼女、ネルを追い駆けるフランスから来たG1ウマ娘は、もう追いつけないのを悟った。

彼女の、一人旅だった。

 

『イングリッシュチャネル!Run a Way!(楽勝です!)トレーナーズカップターフ、今年の勝者はイングリッシュチャネル!そして突如現れた天才ジョー・ヴェラス!米国競バ一年目にして偉業を成しました!!』

 

レースを終えたネルは、7バ身差と表示された掲示板を呆然と眺めていた。

この一年、彼と組んでの4レースでG1を2勝、そして2着を二回。自信はあった。手応えもあった。

そしてこの5レース目、彼と組む最後のレース。自らの念願、それが最高の形で叶った。

ウィナーズサークルへ向かう最中、ようやく実感が歓喜の涙と共に湧いてくる。

ネルの向かう先には、既に彼女のトレーナーが待っていた。

黒い中折れ帽にベージュ色のトレンチコートがトレードマークで、性別と名前以外は全てが謎の覆面の人物。

その横には彼の公私に渡るパートナーと噂されている、彼とグローリーカップでの専属契約を結ぶ英国から来た名バ。

二人を眺め、彼のパートナーに多少の嫉妬を抱きつつも、ネルはただ一年限りの彼女のトレーナーを見つめていた。

 

「……ジョー、私……」

 

涙をこぼし近付こうとするネルを、彼女のトレーナー、ジョーと呼ばれた人物は手で制止する。

 

<ネル、君が来るのは私の所ではない>

 

その口からは、機械的な合成音声。

噂では変声機を使っているとも、全身火傷で二目と見られない体の、手術の結果とも言われている。

覆面の怪人が、ウィナーズサークルを指差す。

 

<まずは、勝者の義務を果たすべきだ>

 

怪人は、ネルを必要以上に近付けなかった。彼女がどれ程それを望もうと。

彼のパートナーの為か。はたまた、あくまで契約はビジネスと語る彼の主義故か。

 

「……ええ、そうね。行ってくる」

 

その態度に一抹の寂しさを覚え、ネルが少しだけ肩を落とす。

ネルはこの怪人を最初は胡散臭い人物としか思っていなかった。

そのビジネスライクな主義も嫌いだった。

最初はドバイの惨敗で欧州に行くと言い、自分と契約を切ったトレーナーの代わりに急遽組むだけの関係だった。

丁度アメリカに来たばかりでシニア級の専属契約を結んでいなかった彼に、チーフから打診したのがきっかけだった。

だがその実力は、本物だった。的確なメニュー。確実なレースプラン。

そして自ら手本になり、併走相手すら務めるその高い身体能力。

彼女はたちまちにして、ドバイの悪夢を忘れた。

そして彼を信頼していく内に、彼がどんな人物かも理解した。

 

<だがまあ、その、良いレースだった。おめでとう>

 

ネルが、足を止めて振り向く。これが、怪人の特徴だった。

ビジネス主義を標榜する癖に、ドライになり切れない不器用な怪人。

一番欲しい言葉を、一番欲しい時にくれる優しい怪人。

 

<私とはこれで最後だが……君のライブ、君のこれからのレース、ずっと応援しているよ>

 

怪人に手を振りながら、ウィナーズサークルに頬を染めたネルが駆けていく。

彼女の視線の先の怪人の、覆面の奥から微かに見える優しい視線。

そしてその横で、眉間を揉む彼のパートナーが彼女に強く印象に残った。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

智哉のアメリカでのトレーナー生活は、3年目を迎えていた。

結局キーンランドカレッジのジュドモントのチームに彼は入らなかった。

智哉は入るつもりだった。英国とアメリカで差異はあるが姉の元所属チームであったし、契約相手の斡旋や広いアメリカを移動する際のチームの利点を活用すべきと思っていたからだ。

しかし、恩師であるちゃらんぽらんオヤジことジョエルに、研修を終え一人前のトレーナーになれた事を報告しに行った際に、このような打診を受けた。

 

『トムくん、おじさんの友達のやってるチームに入ってみない?フレッチャーって人なんだけど』

 

智哉は開いた口が塞がらなかった。米国競バ界における超有名人である。

ロッド・フレッチャー──米国競バにおける最高のトレーナーの証、エクリプス賞最優秀トレーナーに4度、全米最多獲得賞金トレーナーにも3度輝き、チャンピオントレーナーの称号を長年守り続けている、米国競バ界における最高のトレーナーの一人である。現在はガルフストリームカレッジとパームメドウズトレセン校を主な拠点とし、東海岸全体で200を超える管理バと多数の有能なトレーナーを抱えるチーム・カルメットの代表である。

まず姉に話し、その後筋を通す為にヘンリー理事とセシルに相談した所、「そんな話が来たなら行け」と逆に行くように急かされた。帰って来た時にジュドモントに入ってくれればそれで良いと言う話だった。

そうして、智哉は姉と共に米国での活動をチーム・カルメットで開始する事となった。

そして、ロッド氏と会った時にも智哉は開いた口が塞がらなかった。

 

『君がジョエルの言ってた例の子か、明日から芝でやってる子の面倒見てよ。丁度トレーナーに逃げられた子がいてね。一年で良いから』

 

初年度はダートの勉強をしながら姉のグローリーカップへの帯同に集中するつもりが、いきなりチームのエース格の管理バを任されたのだ。16歳の少年に破格の待遇である。

智哉は必死になってその期待に応えた。クズモードに戻る暇すら無かった。

そして姉とジョエルから謎の条件を出されつつも、怒涛の一年目が終わる。

 

二年目は、姉の四季のグローリーカップとエキシビジョンの帯同に集中した。

何故か姉が契約を許してくれなかったのだ。絶対ダメと言われた。

他の管理バの突き上げを受けた姉は、空いてる時間に短期契約なら、と苦渋の顔をしながら許可をくれた為、そこで幾つか勝ちを拾った。

そして二年目の末に、有力だが手に負えないレベルの札付きの気性難を姉が連れてきて、この子ならいいわよと契約に至ったのである。

本当に札付きの気性難であった。

業務中の智哉に対してはある程度大人しいが、それでも手に負えない時がある程であった。

 

そして三年目。ここで問題が起きた。

札付きの気性難の怪我である。怪我を隠してレースに出やがったのだ。全治三か月という診断であった。

そこから復帰までの調整も考えると、五カ月はレースに出れないと思われる。

そして姉の乱闘騒ぎである。クラブ仕込みのラフプレーが得意な姉は、二着の相手に絶対バレないように肘を入れていたのだ。智哉も幼少期によく喰らった手口である。

そうして札付きの気性難が療養に入り、姉が謹慎中のために二人でケンタッキー州の自宅に戻って来たのであった。

 

自宅は閑静な住宅地の一角である。姉が借りている。

ケンタッキー州は米国においてウマ娘が最も多い地域であるが、姉は慎重に、精査してウマ娘が少ない地域に居を求めた。智哉には意味がわからなかった。

姉は、去年成人しているがその見た目は全く変わっていない。

ウマ娘は本格化を迎えてからは、競走の為に長く若さを保つのである。母もそうだった。

そんな姉は、こちらに来てから意気投合したヤッタと言うウマ娘と今日は呑みに出かけるところであった。姉は今年アメリカでも飲酒できる年になった途端飲み歩きが趣味になった。姉の女子力は終わっているのだ。

 

「んじゃ、行ってくるわよ。わかってるだろうけど、どこに行って誰と会ったかは絶対あたしに報告するのよ」

「あーわかってるよ。めんどくせえんだけど……」

 

一年目から智哉は姉に困っている事がある。

束縛がやけに厳しくなったのだ。特にウマ娘と会う事に厳しい。

時折、「あたしが何とかしなくちゃ」と悲壮な表情で漏らす事がある姉を、智哉は心配していた。

何かあったのか聞いても「あんたがそんなんだからよ」と八つ当たりされるのである。智哉には意味がわからなかった。

「吞まなきゃやってらんないわよ」と智哉につまみを用意させながら宅飲みする事も多い。ヤッタもたまに来て乱痴気騒ぎする日もあり、智哉は料理の腕が上がった。

特にする事も無く、札付きの復帰レースの選定でもするかと言う所で、自宅のインターホンが鳴った。

この時間に訊ねる人物に智哉は心当たりがあったので、すぐに玄関に出向く。

 

「トモ兄、今日もトリック教えて」

「おっ、やっぱりダンか。いいぜ、裏庭行くか」

 

隣のロブレス家の一人息子、ダン少年である。

年齢は10歳。常に深く被っている帽子がトレードマークの、整った綺麗な顔をした少年であった。

大人しく気弱な印象があるが、その丸く大きい黒い目が特徴的である。

この少年との出会いはここに居を構えた翌日である。

一人で道路で寂しくスケボーの練習をするダン少年に智哉が声をかけたのだ。

友達も少ない様子の少年で、過去の自分と被ったのだ。せめて遊び相手になってやりたいと思った。

ダン少年の趣味は先述の通りスケボーである。好きな理由はスケボーは速いから、だそうだった。

この年からスピード狂なのかと智哉は心配になった。

 

「ほっ!と……インポッシブルはこんなもんだけど、ダンはとりあえずフリップやれるようにならないとな」

「トモ兄やっぱりすごいね。ボクは全然下手だ……」

 

ダン少年との交遊は、姉からも問題なく許されている。

姉から見ても友達が少ない少年に見えたのだろう。むしろ相手してやんなさいと言われている。

そんなダン少年が、智哉のトリックを見ながらこう漏らした。

 

「ねえ、トモ兄。ミディ姉の弟なら、ジョー・ヴェラスさんって会った事ある?」

「ん?あー………俺は会った事ねえなあ………」

 

ジョー・ヴェラス──智哉と同じ時期に突如アメリカに現れた、初年度からイングリッシュチャネルとのコンビでアメリカ芝レースの最高峰、TCターフを制覇した現在米国競バ界を騒がせる正体不明の覆面トレーナーである。姉もよく知る仲であるが、智哉は会った事が無い。

 

「そうなんだ……ごめんね変な事聞いて」

「別に変な事じゃねえだろ。何だ、トレーナーになりたいのか?」

 

智哉の返事に気落ちした様子を見せながら、ダンがふるふると首を振る。

 

「……ううん、そういうのじゃないけど……」

「そっか、まあサインくらいなら姉貴に頼んでもらってやるぜ」

 

俯いたダンが、ぽつりと言葉を漏らした。

 

 

 

 

 

「すごい人に見てもらえたら、ボクも変われるのかな、って………」



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第二話 幼き怪物と、幼き王者

ネルの固有描写ちょっとだけ前話に入れました。


理事会より処分を受けた智哉が、渡米して十か月後。

クイル・レースクラブの練習場にて、一人のウマ娘の少女がターフを駆けていた。

練習中は結んでいる艶やかな金髪を靡かせ、宝物のピンクの星のポイントが入った水色の耳飾りを付けた少女。成長し、最近は言葉遣いもしっかりとしてきた少女。

ハーフマイルの怪物と他クラブに恐れられる、クラブの誇るエースのフランである。

フランの加入からクラブは智哉の姉ことミッドデイが肘の殺し屋、エルボーのミッドデイなどと恐れられていた頃以来の黄金期を迎え、ここに入れば選抜戦に出れると加入者も増えた。

クラブの運営者である母は、うれしい悲鳴を可愛らしく上げた。

 

「ジェームスおじ様!タイムはどうかしら?」

「これで5連続で20秒だな。フランちゃんの体内時計はとんでもねえな…」

 

彼女のクラブでのトレーナーを務める、チームディレクターのジェームス氏がその才能に舌を巻く。

フランがクラブにいる間の期間、この才能を育てられる事にジェームス氏の血は騒いだ。

そして、あの渡米した才能溢れる少年と、この天才少女が将来一体それ程の偉業を成すのかに思いを馳せる。

 

「……トム坊とフランちゃんのコンビか。楽しみでならねえなあ」

 

彼が次のタイムを計ろうとした、そんな時である。

久居留邸の方角から、何やら騒がしい声が近付いてくる。

全員、フランに聞き覚えのある友人の声であった。

一人は最近シメノンと言う名前を三女神より賜り、学院を目指す事にした花屋のアンナ。

もう一人はクラブのもう一人のエース、暴走優等生の異名を持つエスティ。

そして最後の一人は──

 

「だから!少し話があるだけだと言っておるではないか!我はフランケルに文句を言いに来ただけで!喧嘩するつもりはないのだ!!」

「その文句を言うなと言っているの!どうしてフランさんに突っかかるのよ!」

「まあまあ二人ともおちつけよー!」

 

アスコットの幼き王者、エクセレブレーションであった。

面倒そうに優等生の詰問をかわしながら進むエクスが、練習場にフランを見つける。

そして指を差して、こう言った。

 

「ようやく見つけたぞフランケル!貴様、なぜ今年の選抜戦に出て来なかったのだ!?」

 

エクスがここクイル・レースクラブまで来た理由、それは今年の選抜戦に好敵手と認めたフランが出てこなかった事への苦情であった。

あの敗北から一年。

エクスは姉であるもやしの培養に付き合いながらも己を磨き、雪辱の日として選抜戦の日を待ち続けていたのだ。

しかしこの好敵手は、選抜戦に出てこなかったのである。

代わりにクラブの別のメンバーが選抜戦に出てきていた。

そしてフランが出場しなかった選抜戦はエクスの一着、記録としては二連覇で幕を閉じたのである。

これにエクスは肩透かしを食らい憤った。

トレーナーとして忙しい日々を送る姉に、今年こそは勝つから見に来てほしいと伝えていたのだ。どちらにせよ妹の為にもやしは見に来ていた。

そうして一言、来年は出ろと言いたくて、良い子のエクスは姉に相談した後にここにやってきたのである。

もやしはもやしでアメリカのレース結果を見ても、とある名前が見つからない事に、また何かに巻き込まれたのあの疫病神と思い偵察も兼ねて許可を出した。似たもの姉妹である。

こんな経緯でやってきたエクスの言葉を聞いたフランは、不思議そうに首を傾げ、こう返した。

 

「……どうして?エクスちゃん、ポニーステークスは大事なレースなのよ」

 

フランとエクスは理事会主催の子供でも参加できる気楽な社交会で、既に選抜戦以来の再会を果たしている。

その時はあの選抜戦を観てコナをかけておこうと、幼女に近付く事案トレーナーやその縁者達に困るフランを、面倒見の良さを発揮したエクスがメイドと協力して助けているのだ。

そして好敵手に懐かれて困っている。面倒見の良さが仇となっていた。この懐いてくる好敵手の発言にエクスはまた憤った。

 

「大事なレースと解っているなら何故出てこんのだ!?我と雌雄を決す気は無いのか!?」

 

この二人の選抜戦への認識には、齟齬があった。

エクスの怒号に、更に首を傾げフランが応える。

 

「エクスちゃん、選抜戦は学院を目指す子が、見に来るトレーナーさんに自分を見てもらう場なのよ。わたしはもう心に決めている、約束している人がいるのよ?」

「知っておるわ!トモヤ・クイルであろう!我だって姉上と………あっ」

 

ここでエクスは気付いた。トレーナーにアピールする必要が無いのに選抜戦に出てしまったと気付いてしまったのだ。

やらかした事実に気付いたエクスの顔が青くなる。慕ってくれている家臣達のアピールの場を奪っていたのである。

ちなみに家臣達はエクスの活躍が見れて大喜びである。王は家臣の気持ちがわからない。

 

「そ……そうであったか。ならば仕方あるまい。来年は我も出場を家臣に譲ろう」

 

幼き王者はすぐに自らの過ちを認めた。王は自らを律するものである。

このエクスの様子を見たフランは、名案を思い付いた。

勝負がしたいならここでいいのだ。フランは友達と思っているエクスと走れるし一石二鳥である。

 

「エクスちゃん、わたしと走りたいなら今ここでどう?」

 

エクスはこの提案を魅力的に感じた。

しかしここはアウェーである。

負ける気は無いが出来れば五分の状況で、もやしが見ている前で雌雄を決したいのだ。

それにこんな場所で勝っても意味は無いと感じた。生涯の好敵手とは最高の舞台で戦いたいのだ。

そこで強い意志を込めた目で、フランに言葉を伝えた。

 

「魅力的な提案だが……断らせてもらおう。次は学院で、お互いのトレーナーの見る前で、そして重賞の舞台でやろうではないか」

 

この強い気持ちに、フランもしっかりと応えるべきだと感じた。

特にトレーナーの見る前、というのにぐっと来ていた。幼女は強く成長するための代償が芽生えつつあった。

 

「ええ……ええ!必ず一緒に走りましょう!エクスちゃん!」

「なんで友達と走るような言い方なのだ!我と貴様は好敵手なのだぞ!?」

 

この後エクスは、突っかかってくるエスティを軽くわからせてやろうとして勝負し、勝った。

しかしその後無尽蔵のスタミナで何度も再戦を要求してくる気性難に恐怖し、二度とこんなクラブに来るかと誓ったのだった。

もやしのお使いは達成できなかった。同期の疫病神が今どうしているか聞きそびれたのである。

 

 

この出来事からおよそ一年と数ヶ月後、その疫病神は、今──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「ああ~~~酒がうめええええええ!!!!」

「トムちゃんナチョス無くなったよ~おかわり~早く持ってこい~~!!」

「うぜえ…………」

 

飲んだくれの相手をしていた。

姉とその飲み友達、ヤッタことゼニヤッタである。

昼から呑みに出かけた姉はヤッタと二軒ハシゴしてから、うちの弟に何か作らせながら呑もうぜという姉の意見が全面的に採用されたため、そのまま酒を買い込んで帰宅し、弟を厨房に立たせている。

名バ二人が酒屋で酒を棚ごと買おうとする所を複数人に見られている。姉とヤッタの女子力は終わっているのだ。

ちなみにアメリカではお酒は21歳になってからである。なった途端にザルのように呑み始めた姉の将来を弟は心配でならない。

智哉が適当にヤッタご所望のニンジン入りナチョスと姉ご所望のバッファローウィングを仕上げ、二人の前に持って行く。

 

ここで智哉はヤッタをとても残念なものを見る目で眺めた。姉は元々残念なので気にしていない。

渡米前に映像で見た、現役最強にして、自らの名前がレースに使われる予定の生きた伝説のウマ娘が、こんな飲んだくれの女子力ゼロウマ娘という現実に幻滅しているのだ。ヤッタの女子力は終わっている。

ちなみにまだグローリーカップには出ておらずシニア級で現役である。一度引退発表し、セレモニーまでやった三週間後に何かいけそうだし続けるわ、とぬかしチームも記者も彼女のトレーナーですらもひっくり返った。

 

見た目は文句なしで美ウマ娘である。黒鹿毛の美しい髪をローテールにまとめ、三角錐のような形の流星を持ち、姉と比べるとスレンダーなモデル体型の人目を惹くウマ娘である。なおこの人目を惹く容姿で酒を買い込んでいた。ヤッタの女子力は終わっているのだ。しかもまだシニア級の現役である。智哉は一応彼女の担当を務める女性トレーナーに連絡を入れたら、電話の向こうから嗚咽が聞こえてきた。記者に彼女の奔放ぶりを制御できない事を追及されるのだ。不憫である。

彼女の奔放ぶりにはホースガールクラブの元代表にして、現在は全米ウマ娘競バ協会(N U R A)の会長を務める米国競バ界の重鎮ミス・スペクターもいつも頭を悩ませている。

しかしこれでいて音楽好きで歌唱力も抜群、ライブ中にギターソロまで行う生粋のパフォーマーとして全米で圧倒的な人気を誇っている。

アメリカのダートにおいて現役最強と言って過言ではない実力、ライブでの圧倒的なパフォーマンス、どちらをとっても現在の米国競バ界のトップウマ娘である。

この名バと智哉の初対面は姉と千鳥足で肩を組んでの来訪であった。三度見してから現実を受け入れられずに扉を閉めたら姉にぶっ飛ばされた。

そんなヤッタに姉が上機嫌で語る。

 

「ヤッちゃん聞いてよ~!あたしやっぱり天才だって~!!」

「聞いてる聞いてる~!トムちゃんがみ~んなダメにしちゃうんでしょ。リッちゃんとか」

 

リッちゃんは智哉が二戦のみの短期契約で担当した事があるウマ娘である。

有力ウマ娘で、楽な仕事だったと覚えている。二戦目で怪我をし、現在はグローリーカップで復帰済みである。

ダメにした覚えは当然ない智哉が抗議の声を上げた。自分は順調にキャリアを積んでいるはずである。

 

「ヤッタさん、俺ダメにした覚えないんすけど……」

 

これを聞いた姉が笑いながら弟を指差し、それにヤッタが続いた。やけくそになったかのような笑いであった。

笑い終えた姉が、指を差したまま智哉に語り掛ける。弟にストレスが溜まってきているのだ。

 

「あんたティアラ路線の子にクラシック勝たせてさ~、次で骨折した時に倒れる前にすっ飛んで抱き上げに行ったでしょ」

 

この件は智哉にも確かに覚えがあった。倒れる所をギリギリで抱え上げて、脚を刺激しないようにそのまま観客を飛び越えつつレース場内の医務室まで運んだのだ。

 

「そりゃするだろ」

「それはあたしもまあよくやったと思うけど、その時何て言ったか覚えてる?あたしとジョエル理事の決めた事破ったでしょ?あたし後ろで聞いてたわよ」

 

智哉が腕を組んで思い返す。必死過ぎてその時の記憶が曖昧だった。

 

「悪い、覚えてねえわ」

「ほらね~!ヤッちゃんこういうとこなのよ!ジョエル理事の話に乗っからないとヤバかったわ~!」

「自覚ないのね~トムちゃん!ぎゃはははは!」

 

クッソ汚い笑い声を上げるヤッタに耐えられなくなった智哉が、仕込みをすると伝えてその場を離れようとする。

残念すぎて耐えられないというのは初めて体験する感覚であった。

一人になった所で、智哉はふと昼間の事を思い出した。

 

あの、隣の家のダン少年の独り言のような呟きを。

 

 

『すごい人に見てもらえたら、ボクも変われるのかな、って………』

 

 

この呟きが気掛かりになっていた。何か、渇望するような、救いを求めるような声色だったのだ。

 

(……来週に日本のオトナシ?とかって記者の取材があるけど、それまでは暇だしな……明日も遊んでやるか)

 

そう思い、智哉は酔っ払いどもの世話にかかるためにそれ以上は深く考えない事にした。

明日聞けばいい話だと思っていた。

 

 

 

 

 

しかし翌日、ダン少年に事件が起きたのである──




残念どもの周りの時空がずれてるけど気にしないでクレメンス。
ヤッタの音楽好きは馬主ネタです。


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第三話 のろまな、ダン

評価赤くなっててびっくりした。ほんまに感謝しかないんやで。
序盤の文章ひどいとこ直したいけど更新優先するやで……でも直したい……。


私、ラグズトゥリッチズには悲願があった。

ティアラ路線からのクラシック三冠の一つ、ベルモントステークスの制覇。

百年、誰も成していない偉業。

誰もが私を笑った。G1三勝、オークス二冠の私でもそれは不可能だと。

ケンタッキーダービー三着にして、アーカンソーダービーウマ娘のカーリンにティアラ路線から来て勝てる訳が無いと、そう言いながら笑った。

チームから派遣されてきた、オークスを共に勝ったトレーナーとの契約も切れていた。

残り一か月で私を勝たせてくれるトレーナーを探すところからのスタート。

周囲の嘲笑に心を苛まれ、自分自身ですら無謀な挑戦だと諦めはじめた中、チーフとネル先輩からの紹介で彼が現れた。

 

<君がラグズトゥリッチズだな。優秀なオークスウマ娘だと聞いている。楽な仕事になりそうだ>

 

黒い中折れ帽を被り、機械的な声色の、覆面の怪人、ジョー・ヴェラス。

横には彼のパートナーと噂される英国から来た名バと、最初は嫌っていたはずなのにすっかりこの胡散臭い男に篭絡されたネル先輩を侍らせ、この男は私の悲願を楽な仕事だと言ってのけた。

ドバイでの惨敗で苦しんでいたネル先輩の次走が丁度私の次走、ベルモントで同日に行われるレースだったのが、彼と契約するきっかけだった。

彼とは二戦のみの短期契約、私からそう希望した。私が彼を信用していなかったからだ。

ネル先輩への義理立てと、チーフからの打診に応えたのが彼しかいなかったから仕方なく、という妥協の契約だった。

今、とても後悔している判断だった。

はねっかえりで気の強い私は、彼のこの楽な仕事という発言にとても腹を立てた。

 

「楽な仕事だと……!私の悲願を笑うな!!」

 

憤る私の前に立ち、ネル先輩はこう言った。

 

「リッちゃん、一か月でいいんだ。彼を信じてあげてほしい」

「ネル先輩……」

 

ネル先輩は困った顔で、小声でこう続ける。

見た事が無い先輩の顔だった。

 

「彼、不器用な人だから」

 

ネル先輩は凛とした栗毛の、勇ましいウマ娘だ。

この男にも最初は随分反発していたはずなのに、彼と契約してからの二か月で人が変わったようにこの男に篭絡されていた。

先輩は騙されている、私はそうなってたまるか、と最初は反発した。

 

そして──

 

『カーリンとの一騎打ちを制し、ベルモントの女神となったのはラグズトゥリッチズ!百年ぶりの偉業!今ここに達成されました!この偉業を成したラグズトゥリッチズとそのトレーナー、ミスターヴェラスに惜しみない拍手が贈られます!!』

 

私は、勝った。ここに悲願は成ったのだ。

彼の、あの覆面の怪人の言った通りだった。

 

<君は、既にベルモントで勝てる力がある。必要なのは確実なレースプランと、それを忠実に行う強い意思だ>

 

彼の不器用さに気付いていた私は、どうすればいい、と素直に彼に教えを乞う。

彼は、まるで予言するかのようにこう言った。

 

<外からカーリンに併せるんだ。彼女は内からバ群を抜けてくるだろう。そこを外から足を温存した君が、彼女との叩き合いに持ち込む>

 

カーリンと心中するような作戦だったが、彼は絶対にカーリンは抜けてくると言った。

一度間を置き、彼が言葉を続ける。

 

 

<後は君次第だが……アタマ差で君が勝つ。私はそう信じている>

 

 

契約はビジネスなどと嘯きながら、私を信じているというこの不器用さ。

思わず私は笑ってしまった。彼の為にも勝とうと言う強い気持ちに溢れていた。

後ろで彼のパートナーが額を抑えていた。彼女はたまにこういう仕草をする。

 

勝利後のインタビューでも彼はひたすら私だけを持ち上げていた。

私は恥ずかしくて、異議を唱えたくなった。

彼の作戦通りに私は走っただけだ。彼あっての勝利だ。

 

 

──そして次戦、問題が起きた。

 

 

『おおっと、直線でラグズトゥリッチズがあまり伸びませんが…アクシデントでしょうか。あっとミスターヴェラスが柵を飛び越えました!アクシデントのようです』

 

レースの途中から足に鈍痛が走り、私は直線で伸びずに二着で敗退した。

ゴールを過ぎ、ゆっくりと足を止めようとするも、そのまま倒れ込みそうになったその時──

 

<リッチズ!しっかりしろ!すぐに医務室に連れてってやる!!>

 

──彼が、来てくれた。初めて聞く、彼の必死な声だった。

 

私を横抱きにしてしっかりと抱え、彼がその高い身体能力で観客を飛び越える。

そのまま医務室を目指す中、彼は怪我をした私を不安にさせないように、ずっと声をかけてくれていた。

 

<大丈夫だ……走れてたんだ。重傷じゃない、すぐに良くなる……俺が保証する。だから心配するな!>

 

彼の、本当の姿を見れた気がした。

私の夢を叶えてくれた、優しくて不器用な怪人。

 

 

また、彼と夢を追いたい。それが私と、ネル先輩の望みだ──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

姉とヤッタの残念コンビの乱痴気騒ぎの翌日である。

酒瓶を抱えたまま寝ていたヤッタは、彼女のトレーナーが迎えに来て回収していった。

何度も智哉に頭を下げてから帰る姿に心底智哉は同情した。

そして姉は現在自室で寝ている。智哉が仕方なく運んだ。恐らく昼までは起きてこないだろう。

今日は学校も休みだろうしダンと朝から遊んでやるか、そう考えていた朝の出来事だった。

 

「返してよ!やめてよ!!」

「取り返してみろよ!弱っちいダンには無理だけどな~~!!」

「走ってもすぐこけるしなあ!のろまな(スチューピッド)ダン!」

「やめてよ!のろまって言わないでよ!」

 

家の前から騒ぐ子供達の声が聞こえる。一人は知っている声だった。

隣の、ダン少年の悲痛な声だった。

すぐさま玄関を開け、現地に智哉が向かう。

そこにいたのは、手を伸ばしてスケボーを取り返そうとするダン少年と、それを囲む年上の少年達だった。

一人は小太りで背が高くダンのスケボーを掲げ、それを取り返そうとするダンを残りの二人が嘲っていた。

智哉を見かけた小太りが、こちらに何やら声をかけてくる。

 

「最近来た、よそ者だろお前!こんな奴に構うなよ!」

 

智哉はこの時点で会話をする事をやめた。知らないクソガキに交遊に口を出される筋合いは無いのだ。

高速で三人の前に立ち、それぞれにデコピンを見舞う。

 

「いでえ!?」

「なんだこいつ速っ…いっだあ!!?」

「や、やめて!いだい!!」

 

デコピンのショックで小太りの手から離れたスケボーを手に収め、智哉がダンに振り向く。

呆然とした様子でダンは智哉を見ていた。余りにも速い出来事だった。

手でしっしとクソガキ共を追い払いながら、智哉がダンに声をかける。

 

「ダン、大丈夫か?お前も男だったら、少しは反撃くらいしろよ。悔しくねえのか?」

 

智哉としては気弱なダンを思っての言葉だった。気弱すぎて心配になっていたのだ。

今もクソガキにいじめられていた。ちょっとは気が強い所を見せないと舐められるぞ、というアドバイスだった。

しかし、ダンはこの言葉を聞いて俯いてしまった。

この言葉に敏感に反応したのは、智哉に追い払われたクソガキ共であった。

 

「なんだよそ者!知らないのか?そいつ、ウマ娘なんだぜ!馬鹿にされたくなくて隠してるんだよ!」

 

俯いたままのダンを、智哉は凝視した。

知らない話だった。考えてもいない事だった。

クソガキ共は、智哉の反応に気をよくして続けて囃し立てた。

 

「そいつ!この辺じゃ有名なんだぞ!のろまな(スチューピッド)ダンってな!」

「学校でもいっつも走ってもこけてさ!人間にも負けるんだぜ!」

「名前もずっと前からあるらしいぜ!でもすっげえ遅いんだよ!」

 

──その時、一陣の風が舞い、ダンの帽子を吹き飛ばした。

綺麗な栗毛の髪が肩まで靡きながら落ち、白い大きな縦長の流星、そしてウマ耳が現れた──

 

ダンは、ウマ娘だった。

 

智哉は黙ってもう一度デコピンをクソガキ共に見舞って追い払った。

これ以上続けさせたくなかったからだ。ダンは俯き、力なく座り込んだまま微動すらしなくなっていた。

智哉が頭を掻いてダンを眺める。事情を知らずに余計な事を言ってしまった事でバツが悪いのだ。

 

「あー…ダン?ごめんな、知らずに余計な事言って」

 

この言葉に、ダンはようやく動き、ぼそり、とか細く返事を返した。

 

「くやしいよ」

「……ダン?」

 

ダンからこぼれた涙の雫が、座ったままのダンの膝に落ちる。

ダンは、ぽつりぽつりと言葉を繋いでいった。

心の底からの、渇望のような声だった。

 

「さっきのトモ兄の、言葉の返事……」

「くやしいよ、すっごく、くやしいよ……」

 

「でも、ボク……遅いんだもん!!のろまなんだもん!!」

「すぐにこけて!人間にも負けて!!ばかにされて!!」

 

 

「ボク、速くなりたいよ!トモ兄!!のろまな(スチューピッド)ダンは、もうやだよ!!」

 

 

「もう、やだよお……」

 

魂の、心からの、ダンの哀れな叫びだった。

そのまま、ダンはもう泣き出してしまった。

その姿に、智哉はあの日の、約束した少女の姿を幻視していた。

 

『わたし!わたしぃ!こんなはやいあしなんていらなかったわ!!』

 

理由は、全くの正反対だった。フランはその速さに、ダンはその遅さに、苦しんでいた。

姉は怒るかもしれない。

だが、ダンのこんな姿を見てしまって、こんな叫びを聞いてしまって、智哉はもう放ってはいられなくなった。

フランとの、あの日のように。

 

(姉貴も止めなかったし、これは不可抗力だろ…もうほっとけねえよ、こんなの見ちまったら……)

 

自分の心がそう望んでいる。この少女の力になりたいと決めている。

智哉が、ダンと目線を合わせて、語り掛ける。

 

「ダン、聞いてくれ。諦める前に、俺に見せてくれないか?」

「トモ兄……?」

 

 

 

 

「お前の、走る姿を──」




三女神「お前なんとかしたれや」


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第四話 巨神の、足跡

ダンの家はモロにキャラ紹介で触れた部分の影響受けてます。


昼に起きた姉は、弟の報告に口をあんぐりと開けて聞き入っていた。

あり得ない事が起きていた。危惧していた事である。

 

「──だから、これからダンを連れて近所のダートコース行って……姉貴、聞いてんのか?」

 

弟の問いに、姉が自分の頬を引っ張って現実か確かめる。

酒が残っていて白昼夢を見ている可能性に賭けたのだ。

痛い。現実だった。

もう一度、弟に聞き返す。

 

「ダン君が、ダンちゃんで……ウマ娘?」

「さっきそう言ったろ……聞いてねえのかよ。おい、姉貴?」

 

ここで姉は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

今ですらチームの管理バの突き上げに苦労しているのだ。

ここに来て、プライベートまで弟の謎の運命じみた縁に悩まされるのかという絶望があった。

 

(あり得ないでしょこの馬鹿……困ってるウマ娘助けて、男性観破壊するために生まれてきたんじゃないの?コイツ……)

 

弟は、過去の経緯での荒んだ心、そして目つきの悪さがもう直っている。

直ってしまっているのだ。そして現役の競走バ達と同年代である。これが問題だった。

だから弟のトレーナーとしての才能を熟知している姉は、あのちゃらんぽらんオヤジの提案に全面的に乗っかったのだ。

下手をしたらウマ娘の執着心を知らない弟が、重バ場に呑まれアメリカから帰れなくなるからだ。

そうなったら連れて行った姉の責任問題である。フランは泣くだろうし、メイドにはブチ切れられる。母も怒るだろう。それだけは避けなければならない。

ヤッタとの付き合いも、この件を愚痴り倒していたら面白い事になってるんだねと向こうが興味を持ったのがきっかけだった。今は飲み仲間で親友である。

 

(トレーナーの仕事には口出さない約束してるせいで何も言えないけど、いっつも余計な一言言うし……いやそれよりもダンちゃんよ。そんなん聞いたらあたし助けるなって言えないじゃん……)

 

姉は、情が深い女である。ダンの経緯を聞いて姉は何も言えなくなった。

そうなると、できる事は、せめてもの抵抗は一つだけであった。

姉が、意を決して弟に伝える。

 

「わかった。ダンちゃんは力になってあげな。その代わり──」

 

 

「──あたしも行く」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

ケンタッキー州は、アメリカで最も人口に対してウマ娘が多い州である。

野良レースも盛んに行われており、夏と冬に二度のアマチュアの一大レースも行われている。

各地区に必ずと言っていいほどにウマ娘が走る為の施設が存在するのだ。

そんな施設の一つのダートコースに、智哉とダンに姉を交えた三人はやってきていた。

移動手段は最近自動車免許を取った智哉が買った、アメリカ製のFシリーズと呼ばれる中古のピックアップトラックである。

トレーナーとしてレースで一年目から実績を残している智哉はかなりの貯金があるが、庶民的な感覚のせいでトレーナー業に関わらない物では高い買い物ができないのだ。

 

「じゃ、じゃあ走るね……」

「ダン、ちょっと待て。お前トレ鉄とか持ってねえのか?」

 

ダートコースの片隅で、ダンが走ろうとするのを智哉が制止する。

普通の運動用のシューズでダンは走ろうとしたのだ。

ウマ娘が本気で走るには蹄鉄が必要である。

普通のシューズではその脚力に耐えられず、踏ん張りが効かないのだ。

智哉の言葉にダンが耳をしゅんとさせる。もう帽子は外せと智哉と姉に言われ外している。

 

「持ってない、うちそんなにお金無いから言えなくて……」

 

ダンの父は、若い頃はトレーナー業を志してサブトレーナーをやっていたが、芽が出ず今は一般企業で働いている。

そんな両親にダンは言い出せなかったのだ。

そう聞いて少し考えてから、智哉は車の後部座席から、置きっぱなしにしていたある物を取り出した。

 

「これ、履けるか?やるよ」

「あんたそれ、フランちゃんとナサちゃんのお土産でしょ?」

 

姉がすかさず口を挟む。智哉は平然とそれに言葉を返した。

 

「もう一個買えばいいだろ」

「そういう問題じゃないけど……あんたわかんないだろうしもういいわ。好きにしな」

 

智哉が取り出したのは、フランとナサへのアメリカ土産として買っておいた米国のプロモデルのトレ鉄とシューズであった。ゼニヤッタモデルである。

残念な本性を知った智哉はフランに渡したくなくなっていた。

それにもう一個買えばいいのだと考えたのだ。

余談だが、最近フランはお嬢様で何でも買えるのに智哉に物を買って欲しがるのだった。耳飾りも同じデザインで幾つも智哉から買ってプレゼントしている。

このシューズと蹄鉄を見て、ダンが驚いて声を上げた。

 

「こんな高い物、もらえないよトモ兄!」

「いいって。サイズ合うかはわかんねえけど。それに蹄鉄が無いと本気で走れねえぞ」

 

智哉はそのまま黙って蹄鉄とシューズを差し出し続けた。

梃子でも履かせるつもりであった。トレーナーとして妥協できない部分だった。

 

「……わかった。履く」

 

そう言ってダンはシューズと蹄鉄を履いた。サイズはフランとぴったり同じであった。

10歳の少女が、である。足が小さいのだ。

ここにすぐにこける、と聞いたダンの問題の一端があると智哉は感じた。

シューズを履いたダンはそのまま、走る準備に入り、そして──

 

「わぷっ!!」

 

土を大きく姉の身長ほどまで(・・・・・・・・)跳ね上げながら、ダンは一歩目でこけた。

ダンは泣きそうになった。

 

(…うう、トモ兄の前でやっちゃった……)

 

隣に住んでいる優しくてかっこいいと思っていた人、それとその姉の名バの目の前で恥をかいたと感じたダンは、この場を逃げ出したくなった。

しかし、姉と智哉は全く逆の感想を抱いた。戦慄していた。

智哉が、ダンの踏み出した一歩目の跡を屈んで、手で触れて確認する。

異常な深さで抉れていた。

たった一歩目、スピードにすら乗っていない状態で、ダンはこの足跡を残していた。

 

 

──まるで、巨神の足跡のようだった。

 

 

姉も智哉の近くに来て、じっくりと目で確認する。

そして智哉に声をかけた。

 

「……トム、これ……」

「……ああ、脚力だけでやってる」

 

ウマ娘の範疇で見ても、異常な脚力であった。

これをこの年齢でできる相手を、姉はあのシーザスターズ以外知らない程である。

しかもダンは遅いと馬鹿にされて走る事はあまり無い様子だった。

つまり、天性の脚力でこれをやったのだ。

 

(あの足の小ささでこれは転ぶはずだ、蹄鉄も無いから今まで誰も気付かなかったのか。しかも、この辺はウマ娘も少ない地域だ。トレーナーの目も届きにくい……それに……)

 

智哉が、俯いたダンを見つめる。

ダンの力になりたいと共に、トレーナーとしての血が騒いだ。

この才能を輝かせてみたいと、そう思った。

俯くダンに、近付いて声をかける。

どうしても確認したい事があった。

 

「なあ、ダン、脚を触ってもいいか?」

「えっ!?恥ずかしいよ……」

 

事案である。姉はこれを聞いて眉間を揉んだ。

弟がトレーナーの顔をしている。

こうなると止められないし、止めない約束をしていた。

頬を染めて恥ずかしがるダンに、智哉が日本的なお願いのポーズをとった。

 

「頼む!どうしても確認してえんだよ!必要な事なんだ!」

「ええ~…じゃ、じゃあいいよ…」

 

許可を貰った智哉が、気が変わる前にとすかさずダンの脚に触れる。

ダンはひえっ、と声を上げてから、真近くで真剣な様子の智哉の顔に見入ってしまった。

 

(……鍛えてなくてこれか。レースのために生まれてきたような脚だな)

(トモ兄、こんな顔するときあるんだ……)

 

姉は顔を抑えて首を振った。またやりやがった、という様子であった。

事案にならないように配慮して少しだけ触れて、智哉はダンから離れた。

そして再び、考えを巡らせる。

 

(……フランが異常な加速の切れ味なら、ダンはこの脚力での強烈な推進力だな。どう走らせても速いだろうが、俺なら差しだな。それと……ダートはすぐには無理だ。脚力が強すぎて足を持ってかれる、矯正が必要だ。そうなると答えは一つしかねえけど……欧州なら今頃神童と呼ばれていたかもな)

 

アメリカでの主流、平地での花形はダートでの競走である。

最も強いウマ娘はダートに集まるとまで言われている。

各地区の施設もダートコースが置かれている事が多い。

しかしダートはダンはすぐには走れないと智哉は判断した。

 

ならば、答えは一つだった。

 

「なあ、ダン」

「な、なにトモ兄…?」

 

 

 

 

「ターフで、走ってみないか?」




トッムがスパダリ化してるけどこっちだと補正かかりまくってるから許してクレメンス。
ちゃんと終盤にひどい目に遭うから……。


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第五話 灰被りの、夢

ダンの見た目は流星がついててウマ耳と尻尾が生えたデレマスの結城晴ちゃんみたいな感じで想像してクレメンス

ファッ!?日刊入ってるやんけ!
細々と続けてたら良いこともあるもんやなって…


「よし、準備いいか?」

「う、うん」

「ダンちゃん、そんな緊張しなくていいのよ」

 

三人は、近所のウマ娘用のダートコースを離れ、少し離れた芝コースへと場所を移していた。

姉はオールウェザーなら近所にあるじゃんと言ったが、どうしても智哉は芝でダンを走らせたかったのだ。師匠譲りのレース馬鹿の素質がトレーナーになり急激に目覚めつつある弟に、姉は匙を投げた。

オールウェザーとは、人工素材を使用した人工バ場である。

表面をならしやすく、水はけがよく砂埃も少ない。

クッション性も高く整備性も良好で競走バの練習用に主に使用され、一部レース場でもトラックに採用されている。

このように良い事ばかりに聞こえるが、競走バの主戦場はやはりダートか芝である。

ダンが競走バになるかは本人次第だ。

だが、どちらかを走れないとダンの問題は解決しないと智哉は判断していた。

遅いと馬鹿にされて、わざわざオールウェザーのある場所まで毎回連れて行くのか?という話である。

 

「タイムはいいか。まずはしっかり走ってからだな」

「その前に、芝抉れる覚悟はしといた方がいいわね……」

「大丈夫とは思うけど、抉れたら管理者に言わないとな……」

 

ダンは、この隣に住む青年とその姉を見て不思議な感覚に陥っていた。

隣に住んでいる、よく遊んでくれる青年の前で近所の嫌なトレーナーの息子にいじめられ、助けられ、泣いたらこんな所で走る事になっている。

ダンは、元々は活発な少女である。

外で遊ぶのが好きだし、遅い自分でも速く走れるスケボーが好きだった。

速く走る事にも憧れがあった。叶わぬ夢と諦めていたが、競走バにも憧れがあった。

だから今話題の謎の怪人トレーナーの事も知っていた。

彼と契約した競走バ達は皆揃ってインタビューで彼のすばらしさを語るのだ。

すごい人で、そんな人に見てもらえたら自分も変われるんじゃないかと思っていた。

 

そして今目の前にいる、隣に住む青年にも少し思う所があった。

ダンはレースの中継を見るのは好きだが、レースに出た事は無いし当然競走自体には詳しくない。

それでもこの青年の知識は逸脱していると感じていた。

最初は青年は付き添いで、彼の姉が自分を見てくれると思っていた。

しかしそれは全くの逆だった。

青年の姉である名バが、彼の発言に何も異を唱えないのだ。

不思議な光景だった。

いつも家にいる暇そうで、よく遊んでくれる働いている姿を見た事が無いお兄さんだった。

子供ながらに、遊んでくれるのはうれしいけど将来が心配になるお兄さんだった。

だが今はまるで、自分を速くしてくれる、シンデレラの前に現れた魔法使いのようにダンには映っていた。

 

(トモ兄、一体何者なんだろ……トレーナーさんなら、シーズン中にいつも家にいていいのかな……?)

 

米国競バの本格的なシーズン開始は、四月からである。

特にここ米国中央部ケンタッキー州では、クラシック及びティアラ路線のレースが既に開幕している。

クラシック路線、いや米国において最高峰のレースであるケンタッキーダービーも来月に行われるのだ。

その出場、そして勝利を目指すのはアメリカで活動するトレーナーの目標の一つである。

現在怪人トレーナーと契約している、フロリダダービーウマ娘の殺人超特急(キラー・エクスプレス)の異名を持つクオリティロードも出場するはずだった。

走ると自分で止まれず、いつも怪人が立ちふさがって止めている超気性難ウマ娘だった。

怪我で欠場する事になってしまい、今年の優勝候補コンビの欠場はメディアを騒がせている。

 

(……まさかトモ兄がヴェラスさん?いや、そんな事ないよね、喋り方とか、雰囲気も違うし……)

「──ダン?おーい、聞こえてるか?」

「……ふえっ!?」

 

ダンがぼうっと考え込んでいたら、気付けば智哉が目の前に来ていた。

目の前に密かに憧れていたお兄さんの顔が近付いて来て、ダンの顔が真っ赤に染まる。

 

「走る準備でき……いでででで!姉貴急に何すんだよ!!」

「顔が近い!っての!!あたしの心労を増やすな!!!」

「言ってる意味わかんねえよ!!いてえって!」

 

姉は流石にカットに入った。弟をすかさずフルネルソンで制圧したのである。

久しぶりの姉の折檻だった。智哉は思い出した、姉の理不尽に晒されていた恐怖を。

ストレスが溜まっている姉はこのままスープレックスに行きたかったが、ダンの前なので堪えた。

弟を殺人風車の荒業で失神させてはダンの育成方針を決められないのだ。

 

(やっぱり違うよね。ヴェラスさんにはミディ姉こんな事しないだろうし……)

 

この様子を見てダンは先ほどの考えを捨てた。例の怪人は冷静でスタイリッシュなトレーナーなのだ。

こんなプロレス技で絶叫を上げる姿など想像もつかない人物である。

ようやく解放された智哉が、肩を回して無事を確認する。手加減抜きの折檻であった。

成長とあの地獄の訓練、そして今も続けている地道なトレーニングで身体能力が16歳の頃より強化されているが、それでも死ぬ程痛いのだ。

姉は頑丈な弟を痛めつける手段を熟知している。

 

「いってえ……久しぶりにくらった…ダン、いいか?」

「うん、走ってみる」

 

準備をし、ダンがスタートを切った。

まず、最初に驚いたのはダン本人であった。

軽く、スタートを切れたのだ。

 

(えっ!走れてる!?ボク走れてる!!)

 

髪を靡かせ、心地良い風がダンの頬を撫でる。

目まぐるしく視界が進み、知らない世界がそこにあった。

ダンは今、走る事に魅せられていた。

 

(た、楽しい!走るの楽しいよ!!…わぷっ!)

 

しかし止まろうとしてこけた。

 

次に驚いたのは、智哉と姉だった。

最初の一歩で芝を抉り込み、そのまま強烈な推進力でダンがみるみる内に遠くなっていく。

 

「……はっやいわね」

「おう……ただやっぱり矯正はいるな。トレーニングもあいつ次第だけどやらせたいな」

 

そのまま、向こう側で止まろうとしてこけたダンに、二人で近付く。

ダンはこけたままだが、その顔から笑みがこぼれていた。

今見た世界、スピードの世界をもう一度見たくて仕方なかった。

 

「ダン。速いな、お前」

 

智哉が優しい目で、ダンに声をかける。

ダンが今一番欲しい言葉だった。初めて言われた言葉だった。

 

「ボク、速かった……トモ兄?」

「おう、メチャクチャ速かった」

 

「ホント?ミディ姉」

「ホントホント。良い競走バになれるわよ、ダンちゃん」

 

ダンの目が、少しずつ滲んでいった。

朝の悔し涙ではなかった。

歓喜の、涙だった。

 

「う……うれしくても、涙って出るんだね……ボク、もっと速くなりたいよ、トモ兄」

「よし!なら色々やってみるか。まずは転ばない走り方だな」

「あたしも当然協力するわよ。ターフの走り方なら任せて!肘も教えよっか?」

「それはやめろ姉貴」

 

この日、灰を被った少女、のろまな(スチューピッド)ダンには、夢が出来た。

憧れの世界へ、進む夢が──

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

素晴らしい!その謙虚な態度!!まず自らの担当を立てる姿勢!!正にトレーナーの鏡ですね!!ミスターヴェラス!!」

<待ちたまえミス・オトナシ。私はそんな事は言っていない>

 

日本から来た熱意ある女性記者に、話題の怪人がしっかりと異議を唱える。

先ほどから言う事全てを逆の意味に取られていた。

怪人は訂正する必要があった。

 

<もう一度言うが……私と私のこれまでの担当、彼女達はあくまでもビジネスの関係だ。私はキャッシュを得て、彼女達は栄光を得る。それだけの関係だ>

「ええ!わかっていますよ!」

 

この記者はわかっていない。怪人は訂正する必要があった。

 

<それが全てだ。私が彼女達が怪我をしたら医務室に連れて行くのも、彼女達の為に長距離を飛び回って直接指導するのも、あくまで私のビジネスであるからだ。ここまではいいかね?>

「ええ!わかっていますよ!」

 

これで三度同じ事を言っている。怪人は訂正する必要があった。

 

<だからリッチズを医務室に運んだのも、インディとザフの為に長距離を移動していたのも、私にとってそれが当然だからだ。ビジネスとは全力で当たるものだからな。それに彼女達は私のおかげと口を揃えて言うが……自らの足で栄光を得たのは彼女達自身だ。私はその手伝いをしたに過ぎない>

「ええ!わかっていますよ!」

 

わかっていないのは怪人の方だった。怪人は訂正する必要がなかった。

 

「確認ができた所で話を変えますが……ミスターヴェラス、日本でトレーナー活動をする予定はおありで?日本でもあなたの事は話題になっていますよ!」

<今の所予定は無いが……日本には私の知己がある。機会があれば、とだけ言わせて頂こう>

「本当ですか!!?天才ジョー・ヴェラス日本に電撃参戦!!!見出しはこれで決まりですね!!今日はありがとうございました!!」

<待ちたまえミス・オトナシ。帰ろうとするな。君はもう一人取材があると聞いたぞ>

 

 

 

 

 

終始、噛み合わない取材であった。




乙名史こんなキャラでよかったっけ……


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第六話 ガラスの、靴

日間20位うれしい記念更新
ほんま感謝しかないんやで


記者の取材を終えた怪人ジョー・ヴェラスは、取材の場であるケンタッキー州ルイビルにあるチャーチルダウンズカレッジの廊下を歩いていた。

アメリカで最もウマ娘の多い州、ケンタッキー州の二つのカレッジの一つであり、その規模は広大である。

練習施設に寮を完備し、アメリカ全土をレースの為に移動する競走バとトレーナー達の拠点の一つである。

平地シーズンが始まった現在は多数の競走バとトレーナーで混雑している状態である。

そんなカレッジの廊下を歩く怪人の前に、一人の栗毛のウマ娘が立ち塞がった。

 

「ジョー、来ていると思ったわ」

 

凛とした美しい顔貌、スレンダーな美しい肢体、そしてスプーン型の特徴的な流星を持ち、耳を通す穴を空けた空色の英国海軍帽を被ったウマ娘。

G1六勝かつアメリカの大レース、TCターフを制覇した実力派ウマ娘イングリッシュチャネルである。

 

<ネル、君か。久しぶりだな>

「ええ……会いたかったわ、ジョー」

 

うっとりとした表情でネルが怪人を見つめ、その周囲を見やる。

いつもの邪魔者がいないかの確認をしているのだ。

 

「今日は、彼女はいないのね」

<ああ、別行動中だ。常に同行している訳ではない>

 

怪人からの朗報を聞いたネルがにこり、と笑う。

美しい笑みを浮かべていたが、その目は獲物を見つけた猛禽のようであった。

この怪人と一対一で話せる機会はそうないのだ。今こそ好機とネルは確信した。

 

「なら、少し付き合ってくれない?人目の無い所で話が──」

「おっ、ヴェラスさんとネルさんじゃないすか。久しぶりっすね」

 

その絶好の好機に、第三者が現れた。

英国から来たというのに常にぶらぶらと遊び惚けていると噂の、名バの姉のすねかじりの青年であった。

 

<……トモヤ君、今日は一人かね?>

「そうっすよ。姉貴はちょっと近所の子の面倒見なきゃいけなくなったんで」

 

この青年の登場にネルが少しだけ嫌な視線を送る。

姉の事も含め、この青年に対して良い印象を持っていないのだ。

その優れた容姿も、その素行故に遊び人のようで好ましくなかった。

 

「トモヤ君、君はこちらに来てもうすぐ三年だろう?遊び惚けて誰とも契約していないのはどうかと思うが」

 

ネルから青年への辛辣な苦言であった。

顔見知りの青年への激励を多分に含んではいるが、追い払いたい意図もあった。

この説教は智哉の心に非常に効いた。

クズだがニートだけは断念した過去を持つ青年である。

遊び人扱いは堪えるのだ。

 

「いやあ、俺なんかと契約したい子なんていないっすよ……チーフも俺には打診してこないし」

「そうやって自分を卑下するのが良くないんだ。君は英国では成績優秀だったと聞いている。ジョー程とは言わないが、自信を持てば結果は出せるはずだよ」

 

ネルが目的そっちのけで智哉への説教を続ける。

凛とした美貌を持ち、品行方正な彼女の数少ない欠点であった。

説教が始まると長いのである。

 

<ネル、その辺で許してやったらどうだ>

 

見かねた怪人が仲裁に入る。

一年限りの付き合いだが、この怪人はかつての相棒の性格をよく聞いているのだ。

廊下で友人が説教され続けるのを哀れに思った行動だった。

この言葉を受けたネルは、再契約を焦がれている怪人の言う事に素直に従った。

 

「ジョーがそう言うなら……そうだジョー、さっきの話の──」

『ミス・イングリッシュチャネル。至急トレーナー室まで来るように』

 

話の続きをしようとしたその時、ネルを呼ぶカレッジ内放送が廊下に響き渡った。

千載一遇のチャンスだったが、品行方正な彼女はこの放送を無視できない。

それに既に遊び人の青年という第三者がいた。

彼からあの邪魔者に伝えられるとまずい話でもあり、今回は諦めるしかなかった。

 

「……仕方ない。行ってくるわ。またねジョー。トモヤ君はもうちょっと真面目に生きなさい」

 

そう言い残して、ネルは去って行く。

そして廊下には、怪人と遊び人の青年だけが残っていた。

 

 

 

「…で、今日取材っすよね?どうでした?」

<……急な話で驚いたがね。私らしく答えられたと思うよ。もう失礼していいかね?>

 

 

「……お疲れ様っす。俺も行くとこあるんで、いいっすよ」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

廊下で二人と別れた怪人は、とある人物を訪ねていた。

カレッジの最上階にあるラウンジの個室。

日本から来た記者の取材と、そこで待つ人物との面会が怪人が今日チャーチルダウンズカレッジに来た目的であった。

 

<チーフ、失礼する>

「ああ、来たね。覆面も喋り方もそのままでいるように」

 

ジャージにチームのサブトレが着けるキャップ姿というラフな姿の、精悍なシルバーブロンドの男。

米国競バ界の超有名人、チーム・カルメットの代表であるロッド・フレッチャーその人である。

 

<……私はこれの意味がよくわからないのだが。担当した者達にも申し訳なくなる。言葉遣いを直す目的ならここまでしなくていいだろう>

「君はまだわかってないのか……外すと帰れなくなるし、色々やっかまれる、とだけ思っておきなさい。ジョエルの過去の経験からのものだよ。君の成績は後日しっかり反映させるから何も気にせずそうしてなさい」

 

呆れた様子のロッドに対し、怪人が首を傾げる。

上司の言っている意味が理解できなかった。

ジョエルとこの上司は若き頃に凌ぎを削り合った好敵手であり、友人であった。

 

<ところで、今回は何の要件だろうか?>

「ああ、君はよく働いてくれているし、今の担当の復帰まではまだ休んでていいよって事と……今年は少し帰国を遅らせてくれないか?」

<……遅らせると、うるさく怒るのがいるからそれだけは困るんだが>

 

冷静な怪人らしくない、心底困った様子の声であった。

余程うるさく怒る相手がいるような様子である。

 

「冬季のシンデレラクレーミングの解説になってほしいんだよね。君を出せって運営委員がうるさいんだよ。夏季は君も忙しいだろうからもう断ってある」

 

シンデレラクレーミング──アメリカで主流なアマチュアレースである、アマチュア出走バをその場でスカウトできるクレーミング競走のケンタッキー州で行われる一大祭典である。

アメリカ全土のトレーナー達が集まり、その中で夢を掴むアマチュア競走バ達のアメリカンドリームを体現したレースなのだ。

アメリカはスカウト自体も中央競バ会(U R A)英国ウマ娘統括機構(B U A)のように厳格なルールがある訳ではなく、その場でお互いが希望すれば契約が成立するケースすらある。

英国のポニーステークスのようなクラブでの大レースが無いアメリカにおいては、ポニースクールへの入学、カレッジへの編入、そして直接トレーナーからのスカウトを受けるこのクレーミング競走が、アマチュアからプロの競走バになるための道筋なのである。

 

「解説になれば優先してスカウトもできるし、悪い話じゃないだろう?君が直接見なくてもスポンサーになる手もある。どうせ貯金は全く使ってないだろ?」

<……そうだが、私が王子様というのは柄ではないな>

「………君は本当に自分がわかっていないな」

 

怪人が腕を組み、思索に耽る。

あまり解説を受ける旨味を怪人は感じていなかった。

彼にとってはスカウトしても自分で見なければ意味は無いのだ。

しかし、ふと思い当たる事があった。

 

 

 

 

 

 

<……返事は待ってもらえないだろうか、確認したい相手がいる>




クレーミング競走は気になったら調べてみてクレメンス。
本当は勝てない馬を売却するために使われる事が多いけどウマ娘世界でそんなんありえんかなって…。
ネルちゃんの元ネタめっちゃ好きだからちゃんと最後に見せ場は用意します。
トッムは酷い目に遭うけど。


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第七話 大国の、現実

ジョエルおじさんのアメリカ競バ事情講座。実際はもっとちゃんとしてるけど、この世界だと人間より強くて知能も人間並かそれ以上の生き物を愚かなヒトミミが管理しきれる訳ないだろ!
ギャグ回的なの入れたかったんです。ゆるして。
アメリカ競馬の歴史は軽くwikiとかで流し読みしても、政府含む各団体の利権や様々な思惑によるパイの取り合いが激しくて面白いです。


統括機構トレセン学院、ニューマーケットと郊外を結ぶ大動脈であるバリーロード沿いにチーム・クレアヘイブンのクラブハウスは存在する。

チームの代表であるジョエル・ガスデンの私費により建設され、三大チームの四つ目と称される大手チームの名に相応しい大きな施設である。

三大チームと比べるとクレアヘイブンはその歴史は当然短い。

普通はこのような大きなクラブハウスは持てないはずである。いくら名トレーナーのジョエルでも土地の使用許可は下りないはずなのだ。

だが理事長自らクラブハウス建設の地としてこの良立地を与え、チーム設立の許可を出している。ジョエルがどんな手を使ったのかは学院における謎の一つである。

そのクラブハウスの片隅、本人の希望で小さく作られ、とてもこの大手チームの代表の部屋とは思えない一室に三人の人物がいた。

 

「トムくんさあ、その喋り方、せめて人前では直せるようにならないと担当の子に恥かかせるとおじさん思うなあ。フランケルちゃんに恥かかせていいの?」

「それは確かにそうなんすけど……ここまでやる意味あるんすか?」

「いいからジョエル理事の言う通りにしなよ。あんたは何も考えなくていいから」

 

この部屋の主であるジョエル、そしてトレーナー研修も終わり、アメリカ行きを報告に来た智哉と付き添いの姉である。

 

「ジョエル理事、ちょっと廊下で話せますか?トムはここで待ってな」

「……ああ~いいよ、ミッドデイちゃん。多分ね、おじさんも同じ用件だから」

 

智哉を部屋に残し、姉とジョエルが廊下に出る。

姉には、確認せねばならない事があった。

ジョエルにも伝えなければならない事があった。

 

「で、あたしが聞きたいのは──」

「あっちの子の事でしょ?アメリカの起源からして肉食系な所もあるし、餓えてるし積極的だよ。良いトレーナーにも、かっこいい男の子にも。おじさんの若い頃だから今は多少は違うかもだけど、制度自体はそのままだからねえ」

「あっちゃ~……」

 

姉が額を抑える。危惧していた事が当たっていた。

姉はアメリカ遠征の経験がある。その時にも感じていた事だった。

ケンブリッジ大学を飛び級で卒業し、若くしてアメリカからキャリアをスタートしたジョエルなら詳しいのではないかと思い、智哉の付き添いで学院まで足を運んできたのだ。

 

「ハリウッドのせいでもあるけど、昔から映画やコミックでよくあるネタだけどさ、あっちの子って、自分を速くしてくれるトレーナーと偶然の出会いから……とかに憧れるんだこれが。これが…………」

 

ちゃらんぽらんオヤジに似合わぬ苦渋と苦い記憶の篭った発言であった。

実感が篭りすぎていた。有能でレース馬鹿で、とあるちびっこウマ娘のせいでペナルティを受けたのに怒っていないお人好しな若き日の彼は、担当に踏み込みすぎる事がよくあったのだ。

 

「ロッドに話は通してあるからそこはフォローしてくれるし、カルメットは他にも良いトレーナーいるから目立たない内はいいけど、顔も険が取れちゃったし、あの子すごいし良い子だからねえ。良い結果残したら群がるんじゃないかな。そういう子のあしらい方とかわかんないでしょトムくん」

「あいつ、昔の件もあるからかクソボケかってくらい鈍いんですよね……痺れを切らして襲われる、とかあると思います?」

「あるよ………ある………」

 

ちゃらんぽらんオヤジがただの中年になっていた。

苦い記憶が余りにも苦すぎたのだ。

 

「トレーナーが担当に手を出すのはこっちだとあんまり良くない行為、とされてるよね?あっちは色々ゆるいせいでそういうのも無いからね、積極的だよ」

 

結局喧嘩別れしているが、姉と元専属トレーナーもこれがあったから正式な交際は引退後と決めていた。

姉はここで疑問を抱いた。米国競バ界が余りにもゆるすぎるのではないか、と思ったのだ。

 

「…なんでそんなに緩いんですか?あっち」

「気になるよねえ、ミッドデイちゃんも知ってるだろうけどあっちはウマ娘がね、とにかく多すぎるんだよ。欧州全体とアメリカ一国でほぼ同じくらいで、世界でもダントツでウマ娘がいる国だからね、アメリカは。管理するにも全部見ていられないってのがまず一つかな」

「それはわかります。でもそれだけだと……」

 

アメリカは世界で最もウマ娘の多い超大国である。ウマ娘の人数=国力とも言えるのだ。

競走バの分野においては欧州、ひいては英国は世界の先端を進んでいるかもしれない。

だがそれ以外はアメリカが全てにおいて、他国に差をつけていると言っていいだろう。

だが、それだけではこのゆるさの理由としては今一つ欠ける。

 

「うーん、長い話になるねえ、あっちの歴史によるものだから。聞きたい?」

「……聞かせてくれますか?」

 

「じゃあトムくんも交えてラウンジで話そうか。あの子も概要は詳しいはずだよ」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

姉とジョエル、そして智哉の三人はクラブハウスのラウンジに場所を変える事となった。

今は生徒は授業中、トレーナーも午後からの練習の準備に入り、遠くにいる一名を含めた四人しかいない状態である。

この遠くにいる人物、チーム・ゴドルフィンにいるはずでは?と智哉と姉は気にしていたが、ジョエル曰くいつものことなので気にするな、という話であった。

 

「さて、今日はね、アメリカのウマ娘の歴史についての勉強をしようか」

「はーい!」

「いや、唐突すぎて何でそうなったのかわかんねえんすけど……」

 

誰の為だと思ってるんだという姉とジョエル共通の意思により、智哉の疑問は無視された。

アメリカは古くより競バ、ひいてはウマ娘に深くまつわる歴史を持つ大国である。

トレーナー試験の出題内容でもあるのだ。智哉が知らないはずがなかった。

 

「さて、トムくん、アメリカの発祥は勿論知っているよね?」

「あー、そうすね。まず、新大陸を目指した英国のウマ娘の船団が、新大陸のウマ娘帝国と接触したのがきっかけっすよね」

 

北アメリカ大陸には先住民族として、巨大な独自の文明を築いたウマ娘が支配する帝国があった。

 

『我がウマテカ帝国の王である!速き者を何より尊び、速いウマ娘こそが美しい男を手に入れるのだ!』

 

速き者を何より至上の存在とした、競走を愛するウマ娘達の帝国であった。

速き者、レースで勝った者は全てを手に入れる。富、名声、そして伴侶までも。

帝国の王は誰よりも速く、美しい男達を侍らせ栄華を極めた。超肉食系ウマ娘の文明であった。

そんな時である。

 

『まあ!すてきなとちだわ!ここにすんでもいいかしら?』

 

ある日、英国からウマ娘達の船団がこの帝国に上陸したのだ。

そして、王に謁見しこの国への入植を希望した。

 

『ならば我と勝負せよ!よい勝負をしたら住まわせてやってもよい』

 

王はいつもの通り競走での勝負を持ち掛けた。無敗の王は善戦すれば土地を分けてやろうと伝えたのだ。

その結果──

 

『わたしのかちね!おうちをたてるわ』

『わ、我が負けただと……!?』

 

王は、敗北した。この時の船団の代表者の名は知られていない。

そして王はこの強者を認め、彼女にあるものを下賜した。

この帝国における最も優れた財産、それは──

 

『このすてきなかたをいただけるかしら?とてもすてきだわ!』

『そやつ、ヘタレだがいいのか?我は好みではないが……』

『えっ俺っすか?マジで?』

 

そう、若く、美しい男である。

この時にこの帝国の超肉食系ウマ娘の血と、英国淑女のウマ娘の血が交わったのだ。

こうして英国から来た入植者と、この帝国は徐々に融和していった。

 

「しっかり勉強しているねえ。続きはおじさんが話そうか。この後王は退位し、英国の一部として帝国は組み込まれた。一番速き者が負けたからね。まあ特に問題はなかったみたいで、融和の結果大陸の名を冠したアメリカという国が生まれた訳だけど……」

 

アメリカが生まれた結果、次に起きた歴史的な動きは独立競走である。

英国淑女な本国のウマ娘達が、ある日この肉食系アメリカウマ娘に苦言を呈したのが始まりであった。

 

『いや、正直がっつきすぎではないか?我、ドン引きなんだが……』

『ドンびきとかいわないでちょうだい!じょうとうよ!』

 

八年にも及ぶ大レース、独立競走がこうして行われた。

その結果──

 

『こやつら、速すぎる……!』

『わたしたちのかちね!おとといきてちょうだい!あと、そこのすてきなかたはおいていってちょうだい』

『いや俺帰ってトレーナーやらなきゃ……うわっ力つええ!ぎゃああ!!』

 

アメリカが勝ち、ここに英国からの独立が成ったのだ。

 

「えっ、そんな理由だったの、独立……」

「文献によるとね、当時の人達は真剣そのものだったらしいよ。こうして、英国とアメリカは袂を分かったんだけど…続きはトムくん、いいかな?」

「了解っす。次はまあ、南北競走っすかね。この頃には近代競バの基礎が築かれて、トレーナーが職業として認知されるようになったんすけど……」

 

独立を勝ち取ったアメリカだったが、ここでまた悲劇に襲われた。

トレーナーとの自由恋愛どんとこい派と、流石に引退してから恋愛の方がいいんじゃないの派で、同胞同士が国を割った大レースが開かれたのだ。

南北競走の始まりである。

 

『いや、流石に引退までは真面目にやるべきではないか?レースは出会いの場では無いぞ?そんな気持ちで走るのは良くないだろう』

『せいろんはやめてちょうだい!レースでしょうぶしなさい!!』

 

こうして四年間、南北に別れたウマ娘達は競走で鎬を削り合った。

どんとこい派は途中で寿引退者が多数出たが、それでも懸命に闘った。

 

『ま、負けてしまった……仕方ない、我も自由に恋愛するとしよう』

『ええ!そうしましょう!というわけでトレーナーこっちにきてちょうだい』

『何がというわけだよ!!?こっちくんなぎゃあああ』

 

その結果、勝ったのは自由恋愛どんとこい派の北軍であった。

 

「……頭痛くなってくるんだけど。あの国…ホントに世界一の大国なの?」

「俺もそう思ったわ……で、この後はこの自由恋愛派が主導したんだけどさ、引退者続出で流石にまずいってんで…」

「おじさんが続けようか、罰則を含めた処分で、乱れた風紀の規律を正そうとホースガールクラブが台頭したんだよねえ、でも、1950年にまた事件が起きた」

 

1950年、ハリウッドからとある名作映画が封切された。

南北競走の北軍勝利の立役者である伝説の名バ、オールドバルディーとそのトレーナーのレースと二人の愛を題材とした映画である。

これが当時のウマ娘達に一大ムーヴメントを起こしたのだ。

このムーヴメントにホースガールクラブは異議を唱えた。

 

『いや、どう考えても風紀乱れすぎだったしこれは必要であろう?1レースで三連単全員寿引退しますって流石におかしいと思わんのか?』

『みずをさすようなこといわないでちょうだい!じゃまをするなら、ほうていでしょうぶよ!』

『……ぼくが、さいばんかん』

 

そして、アメリカ中のウマ娘達は古き良き自由恋愛どんとこいに戻るべきでは?と決起し、ホースガールクラブに集団訴訟を起こしたのだった。

 

『ぼくはいつも、げんこくのみかた』

『出来レースが過ぎるではないか!!?ホースガールクラブの意義についてしっかり述べたのになんで恋愛させてよしか言っていない原告に負けるのだ!?』

『さいばんちょうありがとう!じゃあトレーナーそういうことなのよ』

『何がそういう事なんだよ!!俺はまだトレーナー続けぎゃああ』

 

1951年。勝ったのは、原告側であった。正義はここに為されたのだ。

ホースガールクラブは実権を失い、各カレッジでの自治体制に移り、今日に至るのである。

 

「というのが大体のあの国のあらましかなあ。後は、90年代に有名な事件として、サンデーサイレンスがトレーナー拉致して日本に逃げた事件だねえ。あれが政治的な理由で無罪として前例で残っちゃってるから……」

「ライバルのイージーゴアがブチ切れた事件っすね……有名っすよね、それも」

 

アメリカは、先住民族である超肉食系ウマ娘の血を色濃く継いだ肉食系ウマ娘の国なのである。

姉は、ここで弟を信じられないものを見るような目で見た。

ここまで知っておいて自分に結び付けない弟を、こいつマジかと思ってしまったのである。

 

「──一つ、足りないと思うわよ。チーフ」

 

遠くの席に座る人物から横槍が入り、三人がそちらに目を向ける。

美しい赤毛に白い肌、知的な視線を持つ小柄な女性。

その出で立ちは黒のレディーススーツを着こなし、ゴドルフィン・ブルーと呼ばれる青い腕章を見に付けている。

 

「おじさん今から言おうとしたんだけどねえ、ケッカちゃん」

「……そうですか。ならどうぞ」

 

彼女の名はフランチェスカ・ディ・トーリ。

現役最高峰とも呼ばれるトレーナーの一人であり、チーム・ゴドルフィンで多数の管理バを預かる、チーフトレーナーであるハリード・ビン・スラールの右腕である若き名トレーナーである。

元サーカス団員だったその優れた身体能力と、師匠譲りの優れた知識で既に幾多の勝利を挙げている。

彼女がここにいる理由は単純明快である。

彼女は貧しいサーカスの娘として生まれ、このちゃらんぽらんオヤジに拾われトレーナーとなったのだ。

しかしある日もう巣立ちなさいと突然チーム・ゴドルフィンに放り出されたのである。

ここクレアヘイブンのクラブハウスにいるのは、その意趣返しといつか帰る為の根回しである。

 

「ケッカちゃんさあ、おじさんとこのウィルくんとケッカちゃん交換しようと動いてるよね?やめてほしいんだけどなあ」

「私の方が、優秀です。止めれるなら、どうぞ」

「いやウィルくんも頑張ってるからさあ、おじさんのとこいても、ケッカちゃんはこれ以上伸びないとおじさん思ったから送り出したのに」

「…………レース馬鹿にもほどがありますね」

 

そう言ったきり、ケッカはちゃらんぽらんオヤジからそっぽを向いた。

とほほと頭を掻いたジョエルが智哉と姉に目を向け、話の締めに入る。

 

「じゃあ、続けるけど……こういう歴史の過程があった上で、現在のアメリカ競バ界で一番厄介で功罪あるのが、トレーナー資格とクレーミング競走かな。この二つねえ、アメリカンドリームってのは良いとはおじさん思うんだけどね、間口が広すぎるんだよね」

 

 

 

 

 

 

「登録料を払えば誰でもトレーナーになれる、クレーミング競走でスカウトされたら誰でもプロ競走バになれる。良い響きだよねえ」




ここでは主要国のサラブレッド生産頭数推移を出典としましたが、アメリカがマジ一強です。
あとアルゼンチンも生産頭数は日本とほぼ同じなんですよね。
近年はコロナによる不況で減少傾向ですが。
あっちの競馬がどんなのか気になるんだけどあんまり資料が無い…。


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第八話 魔法使いの、試行錯誤

ほんとはカットしようと思ったけどやっぱこういう試行錯誤するシーンいるよね。
超気性難ゴッド超気性難の登場も控えてるからほんとは巻いてかなあかんけど…。


「今日は何するの、トモ兄?」

「そうだなあ、まずは軽く姉貴と併走、それからゆっくりと流すか。走るの楽しいのはわかるけどペース配分も覚えないとな」

「りょーかい。それじゃ準備体操しよっかダンちゃん」

 

ダンが走る事の楽しさに目覚めてから三日後の昼下がり。

二日ほど家を空けていた智哉は、その間姉に指導を任せていたダンの練習に合流していた。

ダンの走法の矯正に、智哉は現在試行錯誤中である。

小さな足に対して圧倒的な天性の脚力。軽自動車にジェットエンジンを積んでいるようなものだった。

智哉はこの脚力故にダンの怪我を考慮していたが、初日に脚を触った際にその心配は霧散している。

ダンの脚は、生来この脚力に十分に耐えきれる頑丈な脚であった。

正に三女神の寵愛を受けているかのような、天性の競走バだったのだ。

フランに匹敵し得る才能を見つけて、智哉は内心舞い上がっていた。

そして当日から暇を見つけては、夢中になってダンの走法と育成方針を考えに考えている。

当日から既に手配していた物も今日届く。

そんな智哉に、姉に背中を押され準備体操中のダンが声をかけた。

 

「トモ兄、そういえば二日いなかったのは何してたの?」

「ん?ああ、仕事行ってたんだよ」

「えっ……?」

 

この智哉の答えにダンが口をぽかんと開けた。

衝撃の事実であった。隣のお兄さんが勤め人だったのだ。

 

「トモ兄働いてたの!!!?」

「お前俺の事何だと思ってたんだよ!!?」

 

この言葉は智哉に堪えるものがあった。

ただでさえ、ある条件のせいでチームで肩身の狭い身である。

そして姉は爆笑した。確かにダンの視点ではそう思われても仕方ないのだ。

何せこちらに来てから、智哉はダンの事以外でほとんど家から出ていなかった。

 

「あっははははは!!トム、そう思われても仕方ないでしょ」

「笑ってんじゃねえよ姉貴……」

 

傷付いた様子の智哉に、ダンが耳を垂れさせて申し訳なさそうにする。

 

「ご、ごめんねトモ兄」

「怒ってはいねえよ。確かにほとんど家にいたしなあ……」

 

 

そんな一幕がありつつも、本日の指導は平和裏に終わった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

その日の夜である。

智哉と姉は、自宅から離れた場所にあるナイター施設の芝コースに来ていた。

今日から、ダンの為にやる事があるのだ。

 

「よし、姉貴、誰か来ないか見ててくれよ」

「……わかった」

 

現在コースには姉と智哉しかいない、ほぼ貸し切りの状態である。

智哉は現在、その超人の力をある条件下以外では禁じられている。

今回は姉の監視下で人目の付かない場所でなら、という限定的な許可の為にわざわざ夜も更けた時間にここまで足を運んだのだ。

そんな智哉を、姉が呆れた目で見つめる。

 

「あんたさあ、そんなもんまで用意して……そこまでやる?」

「…姉貴もわかってるだろ?ダンはとんでもない才能だ。ここまでやるべきなんだよ」

 

智哉がそう言いながら、この為に用意した蹄鉄シューズを装着する。

チームの備品担当に無理を言ってすぐに用意させた、特注の異形のシューズであった。

その特徴はただ一つである。接地面が従来より少ないのだ。

つまり、人工的にダンの足の小ささを再現したものだった。

 

「よし、走るぜっとぶええ!?」

 

超人の能力を発揮し、走り出した智哉は数歩で地面を転がった。

常人ならともかく、強烈なその脚力に対し踏ん張りが効かないのだ。

当たり前の話であった。

 

「ほら、言わんこっちゃない……」

「いや!今のは初回だから……ぐべえ!?」

 

そう言いながらまた智哉が地面を転がり回る。今度は顔面から行った。

走る事に特化したウマ娘のダンですらその脚力でこけていたのだ。

ウマ娘に匹敵するとはいえ、ベースが人間の智哉では更に厳しい状態であった。

ようやくまともに転がらずに走れるようになったのは、両手の指で足りなくなる程転がってからだった。

しかしここで問題に気付いた。

 

「普通に走ると減速ができねえなこれ」

 

一度加速したら、接地面積の少なさ故に減速が困難なのだ。

一度末脚を切ったら、片道切符である。走法自体を一から考える必要があった。

 

「そうね、やっぱり差し?」

「まずは差しだろうけど、それだけだと勿体ねえんだよなあ。姉貴みたいに先行で末脚を切る作戦もやらせてえんだよ」

 

姉の脚質は先行で、その持ち味は切れ味鋭い末脚である。

それ以外の作戦を姉は知らない。だが不器用な訳ではない。

それが自らの最強のカードであり、洗練されたワンパターンなのだ。

早めの仕掛けで逃げ切り、最後の直線での仕掛けで差し切りとレースプラン次第で柔軟に使い分け、グローリーカップでも三勝を挙げている。

ついでにラフなプレーにも慣れており得意である。試合巧者なのだ。

抜けてきそうな相手をさりげなくブロック、場合によっては腕を大きく振り、横の相手を流させて抜けるコースを作る事までやってのける。肘は反則である。

姉の走る姿を思い浮かべながら、智哉は思考を巡らせた。

ダンの走法についてである。

 

(できるだけ接地面を増やすか、それとも接地回数自体を減らすか。あの脚力ならストライドも行けるだろうが……レース中に着地失敗してあいつが怪我する危険がある……しっかり地面を踏ませる形が理想だな)

 

ストライド走法とは、歩幅を出来るだけ大きく取り、なるべく接地回数を少なくするウマ娘の走法である。

この走法の理想形と言われる日本の英雄と呼ばれるとある名バ、そしてアメリカの飲んだくれは正に飛ぶように走るのだ。両者とも最終直線で最高8m接地無しで飛んだことがある。

 

(地面にしっかり足を付けて、あの脚力と地面との反発で一歩一歩確実に推進力を得させる。踏むというよりは地面を適度に蹴り潰すのが理想か。これだな……なら決まりだ)

 

「決まった?」

「ああ、ミッドフットに手を加える」

 

ミッドフット走法とは、足の中央で着地する走法である。

本来はステイヤーウマ娘の走法だが、智哉はこれに手を加えてダンの走法を編み出す事に思い至ったのだ。

 

「よし、んじゃもう一回走るわ」

「……その前にさ、聞いてもいい?」

 

姉が、真剣な表情で弟へ疑問を投げる。

最初から気になっていた事であった。

 

「どうしてダンちゃんにここまでするの?あんたがここまでするの、あの子の才能だけじゃないでしょ?」

 

姉の気掛かりは、智哉のダンへのこの献身であった。

弟は確かに優しい青年だと姉は思っている。絶対に言わないが自慢の弟である。

だが、ここまではしないはずなのだ。

わざわざ、たまたま隣にいた不憫な少女の為に夜に自らターフを転がる事はしない。

走法に関しても身を以て試す必要は無いはずである。ダン本人にやらせればいいのだ。

姉の危惧はただ一つであった。

 

「……フランの時、さ。俺、最後の最後で逃げようとしたろ。姉貴が連れ出してくれなかったら」

「…やっぱりフランちゃんと重ねて見てたのね。あんたさあ、ダンちゃんはフランちゃんじゃ無いのよ?」

「んな事わかってるよ。でもあの時と違ってダンの悩みは俺が何とかできる。だから何とかしてやりてえってのはおかしいか?」

 

智哉はあの日、自分では何もできない、何も知らない内に快復して走っていたフランとダンを重ねて見ていた。

結局ヘンリー理事が相マ眼の事を伝えていないせいである。

研修でメイドに折檻されてあのジジイはド忘れしているのだ。

フランの力にはなれなかった、ただ側にいただけだったと智哉は思っている。

だが、ダンは自分の力で助けられるのだ。今度こそという強い思いを持っている。

この弟を見て、姉はため息をついた。

きっと、この弟には必要な事だと諦めのついたような、深いため息であった。

 

「ああもう……わかったわよ、好きにやりな」

「姉貴、悪いな。何か知らねえけど最近苦労かけてるっぽいし……」

「そっちは貸し。あんたのそのクソボケが直ったらね」

「クソボケってひでえなおい」

 

智哉はそのままダンの走法の検証を続けた。

何度も転びながら、ダンの為に走ったのだ。

 

 

 

 

 

そうして智哉は、答えを得た。




三女神「知らん……何この子……怖……」

肘の殺し屋(金レアスキル):並んだ相手のスピードを落とす(効果大)確率で発覚して失格。イベントに登場する弟を助ける選択肢を選ぶと得られる金スキル「怪物の???」と二者択一
サポートカード:SSRパワーカード「暴君姉ちゃん」ミッドデイより獲得。


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第九話 巨神の、行進

こっそりと本筋と関係ない所でフランキーおじさんTSさせたけど……バレてへんし、ええか……。
アンケート置いておくのでよかったら投票してくれるとうれしいんやで。
三つ目と四つ目もいるでカウントするやで。


ダンが初めてターフを駆けてから、一か月が経っていた。

今日も智哉と姉に連れられ、ダンは芝コースでその強烈な推進力を発揮している。

持ち前の天性の脚力で無理矢理減速し、芝を削りながらダンが智哉の目前でピタリと停止する。

 

「ねえトモ兄!どうだった!?」

「大分走り方も様になってきたな、タイムも上々だぞ。ただもうちょっとペース配分は意識しようぜ」

「えー!だって走るの楽しいんだもん!」

 

気弱で大人しい少女だったダンは走る事の楽しさに気付いてから、その生来の天真爛漫な快活さを取り戻しつつあった。

この娘の変化に大喜びしたのがダンの両親である。

事情を聞いた両親は智哉と姉の元を訪れ、感謝の気持ちと今後も娘の指導をお願いしたいと伝えに来たのだ。

こうして智哉は両親公認でダンの指導ができるようになったのである。

姉はヤッタが冷蔵庫に入れて行ったギネスビールをがぶ飲みした。

ダンの両親は蹄鉄とシューズの料金を支払おうとしたが、智哉が固辞している。

自分がダンの走る姿が見たかったから、と伝えたのだ。

この青年の誠実な姿勢にダンの両親は感心しきりであった。

 

「トモ兄の教えてくれたこの走り方すごいよ!全然転ばなくなった!ブレーキもできるようになったし!」

「おう……まさかこんなにダンに合うとは思わなかったけどな」

 

智哉が試行錯誤した結果生まれたダンの走法は、元からそうであったのかのように彼女はすぐに習得した。

足の裏の中心で地面を踏み込み、その強烈な脚力での地面との反発で一歩一歩、推進力を得る。

そして下半身はそのままに上半身の姿勢制御で速度調整を行う。

智哉の身を以て試した結論通りに、ダンは自分の為に編み出された走法を完全に自分のものとしていた。

ダンのタイムを眺めた智哉が舌を巻く。

たったの一か月で、彼女が同年代の相手にターフで負ける事は無いと確信する程の数字を示していた。

 

「こりゃマジですげえわ……あと二か月でどこまで伸ばせるかだな」

「二か月?」

 

智哉の独り言にダンが反応する。

 

「ああ、その辺りから仕事が忙しくなるんだよ。こっちには帰ってくるしその時は勿論見てやるけど、今みたく毎日は難しくなるな……ごめんな」

「そうなんだ……ううん、トモ兄はボクの恩人だし、そんなワガママ言えないよ」

 

ダンがこの智哉の返答に耳を垂れさせる。

この一か月で自分を変えてくれた、夢を与えてくれた魔法使いのような隣の青年。

元々優しくて密かに憧れていたのに、のろまと馬鹿にされていた自分を助けて、走る楽しさ、ウマ娘の本能に目覚めさせてくれたこの青年をダンは心から慕っている。

無理は言いたくないが、それでも寂しいという気持ちが耳に出てしまっていた。

そんなダンの頭にそっと智哉の手が置かれた。条件反射である。

フランと重ねて見ているダンの落ち込む姿を見て、フランにしているように頭を撫でようとしたのだ。

 

「……っと、悪い」

 

慌てて智哉が手を引っ込める。

ダンの後ろにいる人物からのとてつもない殺気を感じたからである。

その智哉の手を、ダンが残念そうに眺める。

 

「あっ……」

「そ、そうだ!練習の続きやろうぜ!な!」

 

智哉が嫌な汗をかきながら話を全力で終わらせにかかる。

命の危険を感じているのだ。

これは肘鉄だけでは済まないという危惧があった。

しかし、ダンには以前から気になる事があった。

智哉の職業である。余りにも謎が多すぎるのだ。

本人から仕事の話が出た事もある。聞くには良い機会だった。

 

「……トモ兄のお仕事ってなに?」

「あ、あー………それはな……」

 

智哉が目線をダンの後ろの人物に向ける。

姉弟のアイコンタクトで言ってもいいか?と確認したのだ。

先ほど殺気を送っていたのは姉であった。

そして、現在は手で小さく×印を作りながら顔にメイドの如く青筋を浮かべている。

全身で「言ったら殺す」と語っていた。智哉の顔が蒼白になる。

 

「あ……姉貴の……ま……マネージャー」

「えっ!?そうなの!?マネージャーとかあるんだ」

 

無い。口から出たでまかせである。

しかしこれに姉は乗るべきだと考えた。

 

「そうなのよーダンちゃん!こいつ仕事でよくトレーナーとも関わるから、多少はそういう真似事もできるのよ。本物に比べると全然だけどね」

「え……えーそうかなあミディ姉……トモ兄すごいと思うけど……」

 

ダンの反応は芳しくなかった。近所の嫌なトレーナーを知っているからだった。

この反応を見て、姉は愚弟に参戦しろと弟にだけわかるように睨みつけた。

姉弟のアイコンタクトである。殺気を感じた智哉は、すぐさまその命令に従った。

 

「た!たまたま!たまたまだよ!俺が適当に考えた走り方がダンに合っただけ!そう!きっとそうだ!!」

 

必死である。先日姉の恐怖を思い出した弟は、保身とトレーナーとしてのプライドを天秤にかけるまでもなかった。

ここでダンはある事を思い出した。智哉とスケボーで遊んだときの事である。

 

「でもトモ兄、ヴェラスさんとは会った事ないって……ミディ姉のマネージャーさんなら会ってるんじゃないの?」

 

姉が笑顔のまま、智哉に向けている横顔の部分だけ青筋を浮かばせる。器用である。

「お前どういう事だよ、後でジャーマンな」と視線で射殺しに来ていた。姉弟のアイコンタクトである。

智哉は冷や汗をかいた。このままでは本気で殺される。

「待ってくれよ姉貴、もう一度だけチャンスをくれよ」と視線で命乞いをした。姉弟のアイコンタクトである。

 

「あ、ああそうだ!俺はライブの方のマネージャーだからさ!トレーナーとはあんまり関わらなくて……」

「……ミディ姉の言ってる事とちがうよ?」

 

明晰な頭脳が死の恐怖で全く働いていなかった。墓穴を掘ったのである。

智哉はすかさず「すいません命だけは助けてください。フランとの約束があるんです」と命乞いをした。姉弟のアイコンタクトである。

姉からの返答は「フランちゃんに免じて命だけは助けてやる、命だけはな……」であった。姉弟のアイコンタクトである。

全く当てにならない弟に代わり姉が出陣した。

こういう時は無理矢理話を締めるに限るのだ。ダンの気を引くネタも丁度あった。

 

「まあまあダンちゃん、それよりもさ……明日の事考えようよ」

「う、うん……気になるけど……」

 

 

 

「──ダンちゃんの初めてのレース、頑張らないとね」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

翌日である。三人はいつもの芝コースのある施設で本日行われるアマチュアレースの会場に来ていた。

施設で定期的に行われているレースである。

腕試しに来た者、純粋に競走を楽しみたい者、それぞれの目的を持った地域のウマ娘が集まってきている。

登録は窓口で行い、年齢と競走歴、そしてダートか芝かの希望を伝え、運営側が出場枠を決める形となっていた。

 

「第三レース……16バ……8枠16番……」

 

ダンは絶望していた。初めてのレースで完全な外れ枠である。

レース未経験のダンは同年代と同じレースに組み込まれた。

周りを見ても自分より速い子ばかりに見える。不安であった。

 

「大外か。まあ大丈夫だろ」

「バ群慣れしてないダンちゃんにはむしろ丁度いいかもね」

 

姉と智哉は全く心配していなかった。

むしろバ群に呑まれた方が、ダンにとっては不利だとすら思っている。

不安そうなダンに、智哉が声をかける。

 

「いいかダン?俺がゴール前にいるから、手を挙げたらスパートの合図だ」

「う、うん……」

「心配すんなって。ここにいる中だとお前が一番速いぜ」

 

智哉に背中を押され、ダンがゲート前に向かう。

そんな二人を、会場の観客席から眺める三人組がいた。

ダンをいじめているクソガキ共である。

その内の小太りは地元の数少ないトレーナーの息子だった。

地元のレースで有望株を見に来ていたのだ。

 

「あれっ!あいつのろまな(スチューピッド)ダンじゃないか?」

「あ、ほんとだな。あいつレースに出るのか!?」

「どうせドベだろ。あのよそ者も気に入らねえしゴールで笑ってやろうぜ!」

 

そう言って三人組はゴール前に移動する。

一方、準備が整ったダンがゲートに入る。

近くで姉が見ていてくれて、ゴール前には智哉がいる。

不思議とこれまでの不安がなくなっていた。

いざ走るとなり、自分でも信じられない程に心が落ち着いていた。

 

(何でだろ……?すっごく走りたい。ワクワクする)

 

ダンの天性の素質、競走バとなる為に生まれてきたような気質が、初めてのレースで爆発的に開花しているのだ。

ゲートが開く、その直後ダンは飛び出した。体が自然と動いていた。

 

(あれっ、流してるのに前にいる……?)

 

ダンは智哉より中団で待機という指示を受けており、ペースを落として走っているつもりだった。

しかしその落としたペースで先団にいた。ダンには訳が分からなかった。

 

「いける!」

「いけるー!」

 

ダンより前にはもう二人しかいなかった。

その二人が意気揚々と声を上げ、ゴールを目指しぐんぐんとペースを上げる。

しかしそれでもダンは速いと感じなかった。

智哉の教え通り、体を倒してコーナーを曲がり、最終直線に入る。

ゴール横の智哉に目を向ける。

その手が、上がった。

 

──小さな巨神は、その天性を開放した。

 

まず、異変を感じたのは前の二人であった。

後ろから、ずしん、と何かを踏み潰す音が聞こえ、振り返る。

音の正体はターフを抉り、一歩踏み出す毎に速度を上げる。

二人は恐怖を覚えた。

その気弱そうな印象と、その脚が地面から立てる音がかけ離れていた。

恐ろしいものを見たような表情の二人の横を、地面を踏み鳴らしながらダンが通り過ぎる。

 

「むりー!」

「音が怖いよー!!」

 

観客が歓声を上げる。こんなアマチュアレースでは滅多に見れないぶっちぎりの独走であった。

 

「なんだあの子は!?」

「すごい速さだ!地面を踏む音がここまで聞こえてくる……」

 

ダンの前にはもう誰もいない。そのまま一着でゴールに到達する。

まさに、蹂躙であった。ダンがその脚をもって全てを踏み潰したのだ。

 

「えっ、もう終わり……?」

 

ダンは、レースを夢中で楽しんでいた。

終わって寂しさすら感じている。

そこに、智哉が近付いていく。

 

「なっ、言った通りだろ?一着だぞ、ダン」

「ボクが、一着………」

「おめでとーダンちゃん!すごかったわよ」

 

スタート地点にいた姉も合流し、ダンを祝福した。

ダンにようやく、初レースでの一着の実感が湧いてきた。

涙は流れなかった。終わった寂しさももう無かった。

 

「や………やったあああああああ!!!!」

 

去来したのは、喜び、歓喜であった。

のろまな(スチューピッド)ダンは、初めて自らの脚で一着を勝ち取ったのだ。

隣の青年、謎の魔法使いの手によって──

 

 

 

 

 

 

 

「パパ!聞いてよ!近所のダンってやつ、芝だと速かったんだよ!!」

「今度のクレーミング、何とか連れてくるからパパがスポンサーになってよ!!」

「オレの契約相手にしたいんだ!!頼むよ!!!」



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第十話 救われたのは、誰か

レース上等勢、多すぎへん…?これワイ走らなあかん?あかんか……。
こっそり一部キャラ紹介にアッネとメイドの固有描写を追記してます。


ダンの初めてのレース、初めての一着から一週間後。

今日は智哉と姉は不在である。朝から用事があると出掛けて行ったのだ。

ダンは指導が受けられず残念に思ったが、それならば智哉から与えられた自分だけの走法に磨きをかける為に、近所を走ろうと外に出た。

あれからダート以外では彼女は転ぶ事は無くなった。

不思議な感覚だった。一か月前には想像もしていない変化だった。

 

(ボク、トモ兄にもらってばっかだ。何かボクにできるお返しって無いかな…?)

 

最近、ダンはそう思う事が増えた。

優しくて、物知りで、運動もできて、自分に夢をくれた何か隠し事をしている隣のお兄さん。そんな人に、自分の出来る事で何かを返したいと思っていた。

ダンは智哉が何かを隠している事に気付きつつある。

しかし詮索する事はもうやめた。話してくれるのを待つ事にしたのだ。

 

(料理はトモ兄がボクより上手い。お金もトモ兄あまり働いてなさそうなのに持ってる。何か手作りして送る?ボク不器用だ………お母さんに裁縫習っておけばよかった。トモ兄が何でも出来すぎだよ……)

 

ダンの母は手芸が趣味で、以前被っていた帽子も母の作品である。

ダンは家事をよく手伝うし料理も人並みにはできる。だが智哉の方が上手かった。

自分に何ができるか考え事をしながら歩くダンに、三つの人影が立ち塞がる。

 

「おいダン、ちょっと付き合えよ」

「お前に良い話があるんだよ!」

「もちろん来るよな?お前みたいなやつには勿体ない話だぜ!」

 

人影は、ダンの嫌いな三人組であった。

地元の数少ないトレーナーで、元々は地主の名士の家系、その息子の小太りであった。

後の二人はそのおこぼれに預かる取り巻きである。

小太りの父はG3をようやく勝ち、それをどこに行っても自慢げに語る鼻持ちならない人物である。

地元の有望そうなウマ娘のスポンサーとして用具や練習場所の提供を行い、代わりにプロになる際にチームに入る契約を結んでいるが、問題があった。

必ず狙った相手のクレーミング競走の抽選に勝つのだ。

クレーミング競走は、スカウト交渉が競合した場合抽選で交渉権を獲得する形式である。

件の人物は数回抽選を逃す素振りをするが、必ず地元の最有望との交渉権を勝ち取るのである。露骨だが地元の名士で誰も文句を言えない状況であった。

ダンはこの三人組が普段と違い、しっかりと自らの名前を呼んだ事に嫌悪を覚えた。

 

「……なに?ボク、お前達に用なんて無いよ。どいて」

 

よく目を付けられて、いじめられていた相手である。

ダンは怖くなったが、勇気を出してそう言い横を通り過ぎようとした。

あの日、ちょっとはやり返せと智哉に言われた事もあったからだ。

しかし三人組はしつこく前を塞ぐ。どうしても今日連れて行きたい場所があるのだ。

 

「ダンの癖に何だよその口の利き方!」

「やめろ。ダン、今日のクレーミング競走に出ろ。パパがお前のスポンサーになってやる」

「……え?」

 

取り巻きを制した小太りのこの言葉を、ダンはよく理解できなかった。

今まで馬鹿にしてきた相手である。こんな話を持ってくる理由が読めない。

 

「先週のレース出てただろ。喜べ、オレが契約してやるよ」

「なんだよそれ!お前となんて絶対ヤダよ!!」

 

この発言にダンは全身に鳥肌が立った。

嫌いなデブが突然契約してやるとぬかしたのだ。当然である。

小太りは、ここまでは紳士的に対応しているつもりであった。

先日のレースを間近で見て、ダンの走りに惚れ込んだのは事実だったからだ。

だがプライドだけが肥大した小物である。このダンの返事に顔を真っ赤にして怒り狂った。

 

「ああ!!?ダンの癖にオレの契約断る気かよ!?」

「ひっ……」

 

この剣幕にダンが怯えて竦む。

相手は愚かなヒトミミである。普通のウマ娘なら歯牙にもかけず、気性難ならぶっ飛ばしているだろう。

だが、最近まで自信が無く気弱だったダンには効いてしまった。

そんな様子を見た三人組がニヤリと嫌な笑みを浮かべる。

 

「な、何だよう……大声出さないでよ」

「いいから来いよ!絶対オレの愛バにしてやる!!」

「やめてよ!離してよ!」

 

小太りがダンの手を掴んで引っ張り、取り巻きが後ろからダンを強く押す。

ウマ娘で天性の脚力を持つダンなら振り解けるはずだった。

しかし怖くなったダンはもう動けなくなってしまった。

 

「断っても無駄だからな!契約なんていくらでも裏道があるんだ!」

「ヤダよお……やめてよ……」

 

いつもいじめてくる相手が直接行動に来た恐怖、そして嫌いな相手に無理矢理契約を結ばされる絶望に、ダンがぽろぽろと涙を零す。

考えている事はただ一つであった。

いじめられているのを助けてくれた、走る楽しさを教えてくれた、夢を与えてくれた青年の事をダンは脳裏に思い浮かべた。

今日は出かけている、ここには来ないはずだった。それでもダンは願ったのだ。

 

(トモ兄……助けて──)

 

 

ダンが願った、その時──

 

 

「──おい」

「へ?ぶぎぇっ!!!?」

 

小太りが乱入者に足を払われて一回転する。

頭を強打するところを、ギリギリで冷静さを保った乱入者が足の甲で受ける。ほとんど蹴ったようなものではあった。

乱入者が足が震えて立てなくなったダンを横抱きに抱える。

 

「うわああ!よそ者だ!!今日はいないんじゃないのかよ!」

「デコピンお化けだあああ!!」

「はい、あんたらも寝てな」

 

取り巻きが乱入者を見て恐慌するも、もう一人の乱入者に顔面をぶつけ合わされて昏倒する。

こちらは手加減抜きであった。必要な事だと傍観している間ずっとムカついていたのだ。

突然窮地から助け出されたダンが、自分を横抱きにしている乱入者の顔を見上げる。

 

「え……トモ兄……?」

「おう、大丈夫か?」

「遅くなってごめんねーダンちゃん!」

 

乱入者は、智哉と姉であった。

この状況を物陰で傍観していたのだ。

今週のクレーミング競走が行われるこの日に、ジョエル理事から聞いていた話通りの事が起きると予測しての事であった。この三人組の素性を智哉は既に調べていたのだ。

ギリギリまで待てという智哉の制止に対し姉はいきり立った。待っている間智哉は肘鉄を三回浴びた。

智哉が姉の視線の圧を受け、もう歩けそうな様子のダンを降ろす。

姉は今晩の晩酌の事を既に考えていた。

 

(トモ兄……来てくれた……でもどうしたんだろう?顔が真っ青…)

 

ダンは助けられた安堵、智哉が来てくれた嬉しさよりも、その様子が気掛かりであった。

智哉の顔色が、蒼白になっている。

あの過去の苦い経験と、同じ状況であった。

乗り越えたはずの過去を想起し、苛まれていた。

 

「トムあんた、顔……」

「姉貴、ダンを任せていいか?俺は予定通りに動く」

 

姉にダンを預け、智哉が地面で唸っている小太りの襟首を掴んで壁に押し付ける。

助けて終わりでは、この先ダンがまた狙われる危険もある。

その為に釘を刺す必要があるのだ。

 

「おいデブ、お前の家まで行くぞ。嫌なら良いと言うまでまた地面に寝てもらう」

「わ……わかりました。だから離してくれよ…」

 

軽々と自分を片手で壁に押し付ける智哉に怯え、小太りが素直に従う。

そのまま行こうとする智哉へ、ダンが声をかけた。

 

「トモ兄、大丈夫……?」

「心配いらねえよ。しっかり話付けてきてやるからな」

「違うよ、トモ兄が……」

 

ダンの最後の言葉は届かず、蒼白な顔で笑顔を返した智哉が道の向こう側に消えていく。

姉は、怖い思いをしたはずなのに弟の事ばかり案じてくれているダンを見て、思う所があった。

あの日の、弟の過去のやり直しである。ダンならきっと応えてくれると言う確信があった。

しかし、一つの懸念があった。

 

(ダンちゃん、良い子だわ…フランちゃんごめんね……フランちゃんがやりたい事なんだろうけど、あたしはウチの弟の味方だから……)

 

英国にいる自分とも親しい、智哉がオフに帰るのを待っているあの少女。

きっと、あの子も弟の過去を知っている。その傷を癒したいと思っている。

しかしこの機会は逃せなかった。同じ状況で智哉はしっかりと過去の教訓を活かした。

ならばその先である。あの日拒絶された事が心の傷として残っているなら、姉はそれを塗り替えてやりたかった。

 

「ねえダンちゃん」

「あっミディ姉ごめんね、お礼ちゃんと言ってなかった……」

 

 

「あたしはいいのよ、それよりもさ──」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「ほほう、ウチの息子がそんな事を……」

「ええ、俺が止めなければ、そのまま強制的に契約を結ばせる様子でした」

 

智哉は小太りの家に赴き、その父、地元の名士と対面していた。

息子に似ず細身の男であった。ある程度は体を鍛えている様子だった。

本題に入る前の雑談で、ウマ娘と競走が好きな様子も感じた。

家の規模は久居留家とほぼ同等である。

芝コースとダートコースを持ち、そこで何人かの競走バを目指すウマ娘達が練習に励んでいた。

智哉の調べでは篤志家でもある。虚栄心が強いきらいがあるが、この地域には必要な人材、家であった。

やりすぎない必要があると智哉は考えている。落とし所はもう決めてあるのだ。

 

「証拠は、あるんですかな?ウチの息子がそんな事をするとは思えませんが……それにこれから大事なクレーミング競走があるんですよ。こんな与太話に付き合う暇は……」

 

智哉がこの言葉を聞いた瞬間、男の前にある物を投げつけた。

 

『先週のレース出てただろ。喜べ、オレが契約してやるよ』

『なんだよそれ!お前となんて絶対ヤダよ!!』

 

ICレコーダーである。先程のダンと小太りの会話が男の前で繰り広げられる。

男の眉間が少しだけ歪んだ。長男の粗暴ぶりを知って放置している男である。

まともな次男に家を継がせるつもりだと、智哉は近所の住人からの噂話で聞いていた。

 

「動画もありますよ。州の競バ法違反、契約の強制に当たりますよね?」

 

智哉が男の前でデジカメをちらつかせる。ダンの危機を傍観していたのはこの為であった。

怒りと過去の想起による吐き気を堪え、智哉は撮影していた。

全てはダンの為である。

アメリカはトレーナーになりやすく、競走バの夢も叶いやすい地である。

その代わりにこういう事もあると、あのちゃらんぽらんオヤジと赤毛のトレーナーは言っていた。

そして発覚した際の取り締まりも厳しい事も聞いた。州競バ委員会という組織がその為に設立されている。

罰則は最高でトレーナー資格剥奪、その後の再取得の複数年禁止まである。

そして目の前の男のような名士に効くのは悪評の流布である。そのような事をした人間へウマ娘の目は厳しいのだ。

 

「……この地区に住むなら、もう少し考えた方がよろしいですな。これは私の息子ではない」

 

用意周到な智哉に対し、男が遠回しな恫喝に入る。

しかしそれも智哉は読んでいた。権威には権威を、である。

ICレコーダーの横にそっと、とあるカード状の物を置いた。

それを男が覗き見て、顔色を変える。

 

「統括機構所属…!?チーム・カルメット……」

「あの子はですね、もうウチが目を付けてるんですよ」

 

置いた物は首に下げるパスケースに入った、智哉のトレーナー証であった。

現在の所属のマークも付いている。アメリカでトレーナーを志す者なら、誰でも知っているチーム・カルメットのマークである。

男の遠回しな恫喝に対しての、これ以上ダンにちょっかいをかける長男を放置するなら考えがある、という智哉の返答だった。

 

「……穏便に行きませんか?あんたも後ろ暗い事は多少あるんだろ?長男を遠くに転校させるなりすれば良い話ですよね」

 

男は冷や汗をかきながら、智哉の顔を凝視した。

端正な顔立ちに似合わない、冷たい笑みが浮かんでいた。

 

 

「──ウチはあの子を手に入れて、あなたはこのままトレーナーを続けられる。簡単な話でしょう?」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「もうミディ姉!冷蔵庫にお酒入れすぎだよ!!」

「ごめんねえ……ヤッちゃんの分もあるけど」

 

姉がダンに叱られて肩を縮ませる。

二人は現在、姉の借りている家で智哉の帰りを待っている。

その際に何か少しでも恩を返したいと、ダンが掃除と昼食を作らせてほしいと姉に伝えたのだ。

そして冷蔵庫を開けて、食材よりも場所を取る酒類に憤っていた。姉の身を心配しての事である。

飲みすぎである。姉の女子力は終わっていた。

ヤッタは好物のギネスビールを大量に冷蔵庫に残したまま、レースの為に現在東海岸のカリフォルニア州にいる。

あともう少しは暇な身の智哉と姉は、ヤッタのレースを観戦に行くつもりであった。

11歳下の少女の説教に姉が申し訳なさそうにする中、玄関のドアが開いた。

 

「帰ったぜ」

「お帰りー。どうだった?」

「話はついたぜ。もうダンにちょっかいかける事は無いだろ」

 

智哉の帰宅である。無事に話がついたのだ。

お互いの落とし所として、智哉は録音と動画を破棄し、男は長男を東海岸の親戚の元へ送る。

それを確認するまでは動画と録音は保管する事となった。弁護士を呼び、後日証書を作る予定である。

 

「なるほどねー、お疲れ。ダンちゃん、ほら、言ってあげて」

「う、うん……」

「ん?どうしたんだ?」

 

顛末を聞いた姉が、ダンを智哉の前に立たせる。

ダンは姉から言ってほしい事があると頼まれていた。それが弟には必要だと。

ダンとしてはそんな事でいいのか、という当たり前の言葉であった。

智哉の目を見て、息を吸う。はっきりと言わなければならない。本当にそう思っている事だからだ。

 

 

「トモ兄、ありがとう。助けてくれて──」

 

 

智哉は動揺した。そして姉貴の差し金かと思った。

しかしすぐにその考えは捨てた。ダンの言葉が真に迫っていたからだ。

そして、目が少し滲んだ。あの頃、苦い記憶の正にやり直しであった。

震えそうになる声を抑えて、智哉が言葉を絞り出す。

 

「ずりいよ、それは……」

「え?トモ兄……ひゃわああ!!?」

「あ、こら!……一分だけ許す」

 

智哉は自然と、ダンを抱き締めていた。

そうしたくて仕方なかった。涙が少しだけ流れた。

今ようやく、あの過去と完全に決別できた確信があった。

あの日姉に無理矢理連れ出され、向き合わずに忘れた過去を。

 

(トモ兄、泣いてる……?)

「はい一分終わりー!」

「ぐべえ!!?あっ!悪いダン。訴えるのだけは許してくれ……」

「う、ううん、むしろこのままでも……

 

一分終了と共に、宣言通り姉が智哉にトーキックを入れてダンから引き剝がす。

冷静になった智哉はダンに謝罪した。締まらない男である。

智哉が、姉と目を合わせる。姉は頷いた。以前から考えていた事を確認したのだ。

ダンに、智哉が語り掛ける。

 

「なあ、ダン、親御さんの許可が出たら、だけどさ」

「うん、何トモ兄?」

 

 

 

 

 

「カリフォルニア、行かないか?レースを観に──」



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第十一話 夢への、道標

斤量の設定でかなり悩んだ…ハンデキャップ競走でここはスルーできんし……。
アメリカ競バ界は重要な役職の人物でもウマ娘なの隠してない方向で行くやで(名前は本名だったり多少変えてたりする)ウマ娘の地位が他国と比べても高い設定だから隠すのが逆にないやろって…。


ハリウッドパークレース場──カリフォルニア州イングルウッド、アメリカの映画産業の中心地ハリウッドから約10マイルに位置する、西海岸のアメリカ競バの主要競走を数多く開催しているレース場である。

近年カリフォルニア州の競バ運営ガイドラインに基づき、ダートコースより改装されたオールウェザーコースは1周9ハロン(1811m)、その内側に設けられたターフコースは一周8ハロン(1608m)。

内バ場に短距離競走開催用の6ハロンのシュートコースが設けられている。

歴史の長いレース場である。数年前には日本より招待された男装のスターウマ娘が、アメリカンオークスでレースレコードを叩き出し日本中央競バ会(U R A)勢で初のアメリカG1制覇の悲願を果たしたのも記憶に新しい。

このレース場のオールウェザーコースで、現在レースが開催されていた。

 

『ヴァニティハンデキャップ、スタートしました!注目の現役最強ウマ娘と名高いゼニヤッタですが、今日の負担重量はなんと6.5kg!他の出走バが最高でも1.5kgに対してこれは厳しい展開になるのでは!?解説のミス・スペクター?』

 

アメリカの平地競走においては、出走バの実力に応じて蹄鉄や勝負服へ負担重量を指定するハンデキャップ競走も重要な競走として、G1及びG2クラスの高い格付けがされているレースが複数存在する。

有名なレースとしてはニューヨークハンデキャップ三冠だろう。そして現在行われているヴァニティハンデキャップもG1競走である。

現在このレースで最有力バが背負う重量、競走バのハンデにおいて6.5kgとは非常に重い部類である。

1kgで0.2秒タイムに影響すると言われているのだ。それだけの実力差が、最もハンデを背負った彼女と他の出走バの間に存在すると言う証左であった。

この実況の問いに対し、解説の小柄なウマ娘が応える。

 

『……問題ない。あれはそれでも前に来る。楽をしたくて後方にいるだけでしょう』

 

ミス・スペクターと呼ばれたそのウマ娘──首程までで整えたシャギーカットの鹿毛の髪と眼鏡をかけた鋭い視線を持つが、服装は耳穴のついたウマ娘用野球帽にパーカー姿とまるで野球観戦に来たかのような出で立ちの小柄な女性である。

このような見た目だが、彼女はアメリカ競バ界を語る上で外せない功労者であり、現在も全米ウマ娘競バ協会(N U R A)の会長として辣腕を振るう有名人なのだ。

 

『……というかいい加減負けろ。ケンタッキーで酒を棚ごと買って持ち帰るとかアホな事しておいて平然とレースに出てくるな。広報のトップの私に文句ばかり来るんだぞ。ふざけるな…ふざけるな!!!』

『落ち着いてくださいミス・スペクター!中継してるんですよ!?』

 

この実況と解説の寸劇に観客が苦笑する中、たった今槍玉に挙げられた彼女、女性警察官風の勝負服を着こなし、現在後方を走る──ゼニヤッタは笑みを浮かべていた。

その勝負服は警察官風の装いをしながらも、ジャケットの前を開けホルスター付きのブラを晒し、ニーソックスにショートパンツ姿で彼女の抜群のプロポーションを惜しげなく見せつけた扇情的な出で立ちであった。まるでこのままライブに行けそうな警察官に扮したロックスターのような様相である。なおホルスターの拳銃は実銃だ。日本にもいるからいいじゃんとリアリティに拘る彼女がごり押して携帯している。

 

(楽してるとか、言ってくれるねえスペクターちゃん。今日は結構ハンデきついんだよね)

 

彼女の方が解説より遥かに年下であるが、アメリカ競バ界の重鎮をちゃん付けで呼んでいる。

彼女は誰にでもそう呼ぶのだ。男であろうが年上であろうがお構いなしである。

ハンデがきついと心で思いつつも、ヤッタのその表情は余裕そのものであった。

 

(──負ける気はしないけどね)

 

ヤッタの目が赤く光り、自らと前方の競走バとの距離、速度を正確に分析する。

彼女が幼い頃より持つ異能であった。この力を活用する彼女は自らの得意な脚質、追込において読み間違いを起こす事はまず無い。この為に彼女はわざとスタートを遅らせる事すらあった。

 

(んー、まだ早い。最終コーナーで上がればいいね。2バ身くらいかな)

 

最後方にいながらヤッタは既に勝利を確信し、何バ身差で勝てるのかも予見していた。

これが現役最強たる所以であった。序盤で後方から相手を正確に分析し、ゴールまでの道筋をまるで運命付けるかのように決め、その通りに実行する。

これを破るには本物の奇跡か、彼女と同格の実力が必要だった。

 

──今回の出走バは、誰もそれらを持ち合わせていなかった。

 

『おおっと!ついにゼニヤッタが動き出しました!!彼女の象徴とも言えるその理想的なストライドで前に上がって行きます!!』

『……クソッ、やっぱり勝てるんじゃないか!負けろ!!負けろおお!!!』

『ミス・スペクター!中継してますから!!誰この人呼んだの!!?』

 

解説が怒り狂う中、最終コーナーでヤッタがその長身と長い脚を活かして跳ぶ。

その持ち得る力、アメリカ競バ界、いや世界のダート及びオールウェザーの寵児とも言える競走能力を発揮し始めたのだ。

コーナーでの跳ぶようなストライド走法、普通のウマ娘なら外に膨れる事になるだろう。

しかし、彼女にはまるで問題なかった。

細かい調整で正確にコーナーを曲がりきり、先団にあっさりと追いつく。

余りにも簡単に追いつかれた先行ウマ娘達が戦慄し、怪物を見たかのような表情でヤッタを見やる。

その様子に気付いたヤッタが「ハーイ!」と笑顔で手を振り、そのまま彼女達を突き放す。

これに食らいついたのは二人のウマ娘であった。

先頭に立つ二番人気のヤッタの同期、そしてこの日の為にトレーナーと対策を立て、血の滲む思いでトレーニングを積んできた四番人気の一つ下の後輩。

 

(ヤッタ、やっぱり来たわね…それだけハンデ持たされてこれとか嫌になるわホント……)

(この日の為にトレーナーさんと必死で練習して来たニャ!負けてたまるもんかニャ!!)

 

ヤッタの同期が抜かせないとばかりに末脚を切り、そして猫耳風のメンコを付けた後輩がヤッタに叩き合いを仕掛ける。

 

(おっ、来たねえ!でもゴメンね)

 

ヤッタの体から煙のようなオーラが噴出し、周囲を包む。

その瞬間、ヤッタと競り合い、オーラに巻き込まれた二人は知らない空間にいた。

謎の空間であった。微妙に造りの違う日本家屋のような建物が立ち並び、大きな橋の手前に二人はいた。

二人は知る由は無いが日本の京都にある四条河原である。

周囲のウマ娘を巻き込む程の強力な領域(ゾーン)であった。それを彼女は悪ふざけのために行ったのだ。

領域(ゾーン)──ウマ娘が競走中に起こす代表的な超常現象である。自らの心象風景を展開し、それに見合った恩恵を得る。一流のウマ娘が鍛錬の果てに到達する競走バの必殺技とも言える能力なのだ。

こんな悪ふざけで即興で展開できる代物ではない。彼女の特異性、その実力を如実に表していた。

 

「ニャ………?」

「あの子は、もう………」

 

意味が分からない後輩が呆然とし、領域(ゾーン)を使ったヤッタの悪ふざけだと気付いた同期が頭を抑える。

下手人、この領域(ゾーン)を用いたヤッタは日本語で書かれた旗を立て、小柄な男を従え、勝負服とは違う服装で橋の手前に立っていた。日本の戦国時代にいた傾奇者と呼ばれる人物の姿である。

二人が知る由は無いが旗には「銭やった斎 風流仕候」と書かれている。

完全に日本のコミックに影響された彼女の悪ふざけである。

小判の入った箱を抱えた小男が、傾奇者の恰好をしたヤッタに声をかける。

 

「お、お嬢……」

「やれ!ステちゃ……」

「いい加減にしなさいヤッタ!キャットちゃんが困惑してるでしょう!?いつもの領域(ゾーン)はどうしたのよ!?」

「ええー……いいとこなのにぃ……たまには別の事やりたいなって」

 

同期の一喝により、ヤッタが渋々と領域(ゾーン)の展開を終えた事により空間から二人が開放される。

その瞬間にはヤッタはたったの一跳びで二人を置き去りにしていた。

その一跳びは軽く6mは飛んでいた。6.5kgもの重量を背負っているとは思えない異常な飛距離であった。

 

「ああーもう!何であんな領域(ゾーン)で飛距離が伸びてるのよ!!!!」

「ニャー!意味がわからなすぎるニャ!!先輩とは二度と走らないニャ!!!」

 

無茶苦茶な領域(ゾーン)に呑まれた二人は、ヤッタがゴールに到達するのを見送るしかなかった。

 

『一着はゼニヤッタ!現役最強のその名に相応しい見事な追込、見事なストライド走法でした!!この後の彼女のライブも楽しみですね!ミス・スペクター!』

『クソッ、勝ったか……残念だが良いレースだった。ライブはしっかりやるでしょう。そういう奴ですから…』

 

先着したヤッタが、ゴールで残りの出走バを待ち、一人ずつ健闘を称える。

他のウマ娘がやれば嫌味に映る行為であったが、彼女の人となりをよく知る出走バ達は言葉通りに受け取る。

 

「みんなーお疲れちゃん!」

「あなたさっきの領域(ゾーン)は何よ!?デタラメすぎるでしょ!」

「ドーンちゃんごめんって。その代わりだけどさ……」

 

ヤッタが肩を掴む同期をなだめつつ、集まった出走バ達を眺める。

招待制のヴァニティハンデキャップの今回の出走はわずか六人である。

従来なら三人しかライブに出れない所だが、ヤッタには名案があった。

 

 

「ライブ、全員で出てみない?」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「ヘーイ店員さん!ホットドッグ6つプリーズ!!」

「毎度ありっす、お姉さんこれで三回来てくれてるしおまけしとくっすよ」

「オー!サンキュー店員さん!ワタシのトレーナ……ダーリンの分もお願いしマース!」

「うーす」

 

チェックシャツに細身ジーパンの栗毛のウマ娘の客にホットドッグを2つサービスしながら、レース場内のホットドッグスタンドの店員の青年、智哉は何故自分はこんな事をしているかを思い返す。

きっかけは、レース前のヤッタからの電話であった。

 

『トムちゃん、ホットドッグの売店のおばあちゃんが腰やっちゃって、もう一人の店員も風邪で寝てるからピンチなんだって、助けてあげてくれない?』

『うん、あんたしかいないわ。行ってきな。ダンちゃんはあたしが見とくから』

 

ヤッタのお願いと、それに乗じた姉の鶴の一声であった。

姉としては、ダンにより過去から解放された弟が、まるでフランに接するかのようにダンに接し始めたのを危惧しての事であった。弟はウマ娘が守備範囲よりやや外なのは知っているが、妹分のように接するのはダンへの影響がヤバいと考えていた。手遅れである。

そう言う経緯で観戦に来たのに何故かホットドッグを売っていた。いつもの事なので智哉はもう慣れている。

 

「オーナーとりあえず客はけたっすよ。仕込み俺がやるんで大人しくしててください。マジで……」

「悪いわねえボウヤ。アタシは料理とか本当にダメで……」

「いや、いいんで……こんなんしていい人じゃないでしょ、マジで……」

 

今日のシフトが二人ともダウンになったホットドッグスタンドは、智哉と店のピンチに駆け付けたオーナーの二人で切り盛りされていた。

ホットドッグチェーン「ビッグ・レッド」のオーナーはウマ娘であった。智哉とほぼ同じくらいの180cmを超える長身、一目見て米国産と察しの付く豊満な体型のウマ娘である。丁寧な物腰で聡明そうな人物だが女子力は死んでいる。料理は食う専の彼女は仕込み中の食材をつまみ食いしすぎていた。

 

「今日は同期の子と野球を見に行くつもりだったのよね、その子が急に仕事が入ったから結果的にはよかったわ」

「いや、オーナー本人が来るのはどうかと思うんすよ……」

「休んでる子はそのまま休ませてあげたいじゃない。暇なアタシがヘルプに入るのが合理的よ」

 

彼女はアメリカ競バ界はおろかアメリカの政界においても超有名人である。

競走バを引退後、国際連合事務局よりキャリアを積み政界に進出、次期大統領候補の筆頭とまで言われているのだ。サイドビジネスのホットドッグチェーンのピンチに駆け付けていい人物ではない。

ヤッタからもう一人来ると言われて、本人と会った智哉は三度見くらいした。

名前を確認して本人が確定した時点で、このヤッタのお願いは絶対に断れないと察したのだ。

仕込みに入った智哉がレース場に目を向ける。観客の歓声が響いているのが聞こえてきていた。

 

「レース終わったみたいっすね。ライブ前にもう一回来るだろうし、オーナー接客任せていいっすか?」

「オッケー!そっちは任せて!」

 

こんな有名人に注文を取らせる事に最初は智哉も抵抗を覚えたが、もう慣れてしまっていた。

実際人手は不足しているのである。有名人の手も借りたい状態であった。

客はすぐにやってきた。覆面を付けた怪しげな黒鹿毛のウマ娘と、その友人らしき淑やかな栗毛のウマ娘であった。

 

「店員さん、タピオカニンジンティーを貰えますか?えっ貴方は……」

「あいよータピオカ入りね!……日本中央競バ会(U R A)の子よね、帰郷中?内緒でヨロシクゥ!」

「エルはチリドッグが10個ほしいデース!半分はスペちゃんのお土産にするデス!」

 

冷えたチリドッグなど持ち帰られても普通のウマ娘は困惑するだけである。

無茶を言い出した覆面に対し、淑女のウマ娘が笑顔で圧をかける。

 

「持ち帰れないでしょ?エル~……?」

「じょ、冗談デスよ……」

 

 

 

このやりとりから三十分後、ライブ会場──

 

『UNLIMITED IMPACTでしたー!盛り上がってるねー!もう一曲行く?行きたい?じゃあ行くよー!次は新曲のBLOW my GALE!次も激しい曲だよ!みんなついてきてねー!』

「ヤッタちゃん、アンコール応えすぎぃ……次の予定がぁ……」

「お前全員で出たらレースの意味無いだろ!!!また文句言われるのは私なんだぞ!!!!」

 

ライブ会場は一部を除き大盛況であった。

その一部の一人、ヤッタのトレーナーは次の予定が迫っている事に泣き、もう一人の広報のトップは予定に無い事をやらかしたヤッタにブチ切れていた。出走バ全員でライブ出演など前代未聞である。

ヤッタはライブでのそのカリスマ性、歌唱力を十全に発揮し、観客全員を魅了していた。

時にセンターを譲りバックコーラスに回り、時にギターソロを敢行する。

どこにいても存在感を見せ、現役最強かつ最高の歌姫である事を観客は疑うべくも無かった。

そんなライブに圧倒され、最前列の姉の隣でダンは目を輝かせていた。

 

「うわあ……すごいねミディ姉!」

「ヤッちゃんほんとすごいわねー、あたしもライブやりたくなってきた」

 

現地でのレース観戦、生のライブ視聴、どちらもダンにとって初めての事であった。

憧れの舞台、そして現役で最高の競走バの輝き、そのどちらも直に観れた事により、自分もいつかそこに行きたいと強く心に抱いていた。

姉としては少し気掛かりな事があった。弟がどこまでダンの面倒を見るかがわからないのだ。

 

(あいつ、あと一年で帰るってわかってるわよね……あたしが言った事だから止めはしないけどさあ……ダンちゃん、あの馬鹿が帰るって知ったら大変な事にならない?いやもうなってるかもだけど)

 

ダンをここに連れてくる事、そして智哉がやろうとしている事に対し姉と智哉は少しだけ揉めていた。

流石に首を突っ込みすぎだと姉が苦言を呈したのだ。

しかし、弟の返答で何も言えなくなった。自らのツケによって。

 

『姉貴が言ったんだろ……?トレーナーなら一回面倒見たなら最後まで付き合えって』

 

言っていた。姉はぐうの音も出なくなったのである。

結局苦労するのはあいつだし良いかと諦めたが、姉は姉で最近悩みができた。

最近、嫌な夢を見るのである。

時折金髪に青い瞳の、目を見張る程の美ウマ娘が夢に現れ、こう言うのだ。

 

『ミディお姉様がいながらどうしてこうなったの?納得行く説明をして頂戴』

 

渦を巻く目を青く光らせ、こう詰めてくる会った事の無いウマ娘に姉は圧された。

気性難で慣らした姉がである。何故かそのウマ娘を見ると強く出れないのだ。

圧された姉が正座してごめんなさいと謝っていると、周囲が暗くなり日食と共にもう一人ウマ娘が現れ、仲裁に入ってくれて目が覚めるのがいつもの流れであった。なんとなくそちらは自分の関係者に思えた。

 

(あの夢ほんと嫌になるんだけど……どっちも会った事無いし……絶対あの馬鹿絡みでしょ)

 

嫌な事は忘れようと姉が首を振り、ダンに声をかける。

この後に連れて行きたい場所があるのだ。智哉も合流する予定である。

 

「ねえダンちゃん、この後さ……」

「どうしたの、ミディ姉?」

 

 

「控室、行っちゃおっか?」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「お、お邪魔します……」

「いらっしゃーい!ミッちゃん!あと、キミがダンちゃんね。話は聞いてるよー」

 

ライブ後、ダンと姉はヤッタの控室を訪れていた。

智哉は店の片付けまで手伝う事になり、後で合流する事となっている。

ダンは憧れの舞台に立つウマ娘、更にその頂点と突然会う事になりガッチガチに緊張していた。

相手はテレビでいつも見ていたウマ娘である。まるで心の準備ができていなかった。

 

「そんな固まらなくていいよー!お姉さん結構てきとーだから。ミッちゃんとおんなじだと思っていいよ」

「えっ!?お酒飲むんですか?」

「うん、大好きだよ!ミッちゃんともよく飲むしあの家にも遊びに行ってるよ」

 

このダンのリアクションに姉は少しだけ傷付いた。しかし酒癖を直す発想は全く浮かばなかった。

ダンは更に驚愕していた。こんな人物が隣に遊びに来ている等、想像もつかない話である。

 

「ダンちゃん、競走バになりたいって聞いたけど、誰かに教えてもらってるの?」

「は、はい、トモ兄に……」

「トムちゃんが?直接?へえ……」

 

ヤッタも智哉の秘密を深く知る人物である。そして普段の姿で指導する事はほぼ無い事も知っている。

この発言を受けたヤッタが姉に目を向ける。そこまでやる程の子なのか、と確認したかったのだ。

姉は一度だけ、首肯して返答した。そこまでの天才だと返したのである。

 

「すごいねえ、ダンちゃん」

「えっ?ボク、よくわからないですけど……あの、ゼニヤッタさん!」

 

ダンはこの憧れの場で、憧れの人物にどうしても聞きたい事があった。

夢への道標、それをここで得られるかもしれないという渇望があった。

 

 

「ボクも……なれますか?競走バに……」

 

 

ヤッタはにこりと笑った。

いつかの自分、そして今の競走バの仲間達、それらと同じ想い、願いをダンに感じていた。

ならば、答えは決まっているのである。

 

「なれるよ!」

 

ヤッタらしい言葉を飾らない、たった一言の返事。

それがダンの心に染み渡った。

憧れを、夢に変える道標をたった今得たのだ。

ダンの目が喜びで輝き、口を開こうとしたその時──

 

「うっすヤッタさん、お邪魔するっす」

 

緩い雰囲気で智哉が入ってきた。台無しである。

ヤッタが笑い、姉が睨み、ダンががっかりした顔で智哉を見つめる。

四面楚歌であった。当然である。

 

「………俺、ノックしたよ?えっ何この空気……」

 

居た堪れなくなった智哉が自己弁護に入る。

今ここにおいてはその存在自体が許されないのである。

気を取り直した姉が言葉を繋ぐ。ヤッタの言葉を受け、ダンの気持ちは確認できているのだ。

 

「まあいっか。トム、決まったわよ」

「……ああ、そっか。じゃあ言うか」

 

智哉が、ダンに目線を合わせる。

ダンは今日まで何も聞いていない。ここで自分に焦点を当てられる心当たりが無かった。

 

「なあ、ダン、話があるんだ」

「う、うん、何の話かな……?」

 

 

 

 

「冬季のシンデレラクレーミング、出てみないか?スカウトの話を通してあるんだ」




理想のストライド(金レアスキル):脚質追込専用。ラストスパートで加速アップ(効果大)
SSRスピードカード:「飲んだくれの歌姫」ゼニヤッタより獲得。
デ??プイ???トのサポートカードでも入手可能。

ちょっとだけ触れたけど日本の男装スターウマ娘は出す予定は(ない)です。許して……。
オーナーは店名 馬でググればすぐに出てきます。ここしか出すとこ無いから入れてもうた。まあええやろ!


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第十二話 怪人、再び

やっと超気性難が出せた…現在の世界のダート戦線を語るに避けられない一頭だと思います。
今年(2022年)のサウジカップでは産駒が勝ちました。
wikiで読むだけで引くレベルの気性難だけど……。
主人公の出番はここから一気に減るけど許して…。
代わりにタイトルの人が頑張るから……。
主人公の容姿はその内ちゃんと書きますが気になる方は「剣の街の異邦人 フリーマン」あたりで画像検索してみてクレメンス(完全にこのイメージで書いてる)


サラトガレース場──世界的に有名な避暑地として知られる高級リゾート地、ニューヨーク州サラトガ・スプリングズにある100年以上の歴史を持つ高名なレース場である。

歴史の長さに伴い数々の呼び名を持つが、その中で特筆すべきは「本命ウマ娘の墓場」であろう。

このレース場で大本命ウマ娘が番狂わせで沈んだ事例は数知れず、かの大統領候補も三冠ウマ娘であった現役時代に、この地で大本命の中敗退している。

そのような逸話を持つサラトガレース場に併設されたサラトガカレッジの正門前には現在、ニューヨークの競バ新聞関係者ならびに数多の報道陣が詰め掛けていた。

ここに現在滞在中の、今年のフロリダダービーウマ娘の休養明け初練習が本日行われる。

しかし彼らの目的は彼女ではない。

彼女の担当トレーナーである現在アメリカを騒がせている怪人トレーナーが、数カ月ぶりに公に現れるのを待っているのだ。

 

「あの車か?」

「ああ、彼が乗っている。間違いない」

 

報道陣の前に、チーム・カルメット所有のマークが付いたコンチネンタルと呼ばれるセダンタイプの高級車が停まる。

そこから降りた人物は、一見余りにも不審な覆面の男であった。

トレードマークの黒い中折れ帽に、中央に流星の如きラインが入り、目の部分にメッシュの入った黒い覆面、そして今日は夏の気温を考えてかトレンチコートは着ておらず黒いベストにネクタイ姿であった。

アメリカ競バ界に突如現れ、初年度から偉業を残し続けている怪人トレーナー──ジョー・ヴェラスと呼ばれる男である。

 

<空港からここまでありがとう。これはチップだ>

「いや仕事ですから!キャプテンからは貰えませんよ!」

<もう渡した。受け取りたまえ>

「…いつもありがとうございます」

 

空港からカレッジまでの送迎を受け持ったチームのサブトレーナーに、律儀にチップを渡す怪人。

渡米当初の彼は、その胡散臭すぎる風貌によりチームからも敬遠されていた。

しかし裏方含むチーム全員への気配りや労い、用具の準備や練習場の片付け等のサブトレーナーの仕事も積極的に手伝い、時には勝利インタビュー時に名指しで感謝を述べる等の真摯な態度で信頼を勝ち取ったのだ。

現在の彼はチームの誰からもトレーナーの鑑と尊敬され、親愛を込めてザ・キャプテンとまで呼ばれている立場にある。

サブトレーナー陣からは彼の仕事に関わりたいと熱望する声がチーフに寄せられている。

女性陣のサブトレーナーからも彼に秋波を送る者が多い。

その風貌よりも行動、態度で示す彼を好み、慕う者は多いのだ。

そんな彼に報道陣が詰め寄り、それを怪人が手で制する。

制止に従い、報道陣が怪人を取り囲んだまま距離を保つ。取材を断る訳ではない。

報道陣もそれを知っているのだ。

 

<今日は一社につき一問ずつお答えしよう。すまない、時間は余り用意できなくてね>

 

怪人はこのように、必ず取材に応え真摯に質問に回答するのである。

一社につき一問という返答を受け、報道陣がそれぞれ何を聞くかの協議を始める中、一人が先陣を切った。

 

「デイリーレーシングです。ミスターヴェラス、クオリティロードの復帰初戦についてはお考えですか?」

<今日の練習で調子を確認してからになるが…おそらく来月のアムステルダムステークスになるだろう。故障箇所も考慮すると長い距離はまだ早い>

「ありがとうございました」

 

長い歴史を持つアメリカ屈指の競バ新聞の記者が、怪人の回答をしっかりと記憶する。

アムステルダムステークス──ここサラトガレース場で施行されている、クラシックウマ娘によるダート6ハロン(約1200m)の競走である。

彼の担当である殺人超特急(キラー・エクスプレス)の異名を持つG1ウマ娘クオリティロードは、本来はダート8ハロン(約1600m)を得意とする有力競走バだが、怪人は怪我明けの初戦として短距離を想定していた。

彼女は未勝利戦(メイドン)でも同じ距離で勝利している事を考慮しての判断だった。

この質問に、地元の競バ新聞の記者がメモに斜線を引きつつ手を挙げた。

大手が聞きたい情報を聞いてくれた為、もう一つの質問に切り替えたのだ。

 

「ニューヨークレースタイムズです。ミスターヴェラス、クオリティロードの中距離挑戦のプランは?」

<予定はあるが、まず復帰戦を勝ってからの話になるな。彼女なら距離延長しても問題なく思っている。ただし現在の中距離戦線はサマーバードにブレイムと有力ウマ娘揃いだ。ハードなレースになるだろう>

「ありがとうございました。彼女ならきっと勝てますよ!」

<ありがとう、私もそう信じている>

 

記者の露骨な世辞にも丁寧に応対する怪人に、カメラマンを従えたウマ娘アナウンサーがマイクを向ける。

彼女達は競バ関係者ではない。怪人本人に興味を持つテレビスタッフである。

 

「NY1です。怪人さん!世界的な大女優であるタマティーヌ・モリーとの対談が打診されたとの噂ですが!?」

<本当だが、断らせてもらったよ。私はただのトレーナーだ。住む世界が違う>

「ありがとうございます!残念ですぅ……」

 

怪人と親しい人物にもファンがいる大女優との対談を、怪人は打診されていたが固辞していた。

端役の悪役からキャリアをスタートし、どんな仕事も全力で挑む事にされてしまったその真摯な姿勢で、世界的な名声を得た有名な大ウマ女優である。

そして日本中央競バ会(U R A)で偉大な実績を持つ競走バでもある。

日本のトレセン学園からも強い後押しを受けていた企画であった。

断った事を聞いた怪人と親しい人物も、これについてはとても怒っている。楽しみにしていたのだ。

続いて地元のゴシップ紙の記者が手を挙げた。ウマ娘関連の下世話な話題を得意とするタブロイド紙である。

 

「ウマロイドです。ミスターヴェラス、パートナーはしばらくケンタッキーにいたそうですが、そこにあなたはいませんでしたね?彼女とは深い仲なのは公然の秘密ですが、今は不仲なんでしょう?」

<………………そんな事は無い。私と彼女は良好な関係を築いている>

 

長い沈黙の後に、絞り出すように怪人は回答した。

苦しそうな返答であった。勘弁してくれよと遠回しに言いたい様子であった。

この返答の言葉の裏を読んだ記者が、満足げに引き下がる。今日の一面を決めたのだ。

続いてサブカルチャーを専門とする雑誌の記者が手を挙げる。

 

「ウマタイプUSAです。ミスターヴェラス、ウマーベル社があなたのコミカライズを行いたいという話を聞きましたが……」

<期待に添えなくてすまない。私はヒーローという柄ではないのでね、ありがたい話だが断らせてもらった>

 

この返答に周囲の記者達がナイスジョークとばかりに笑い声を上げた。

怪人はこのヴィランのような風貌とは真逆に、その高い身体能力で人助けを何度も行い、レース場でも幾度もその力で怪我をしたウマ娘の救急対応の姿を見せている。

更にその余りある賞金をウマ娘孤児院に寄付し、自らも慰問している篤志家でもあるのだ。

現在の担当がレース後に自分で止まれないのを受け止める姿は、最早一種のパフォーマンスである。

アメリカのウマ娘達は、そんな力強い男である彼にたちまち夢中になった。

ウマ娘と渡り合える身体能力に紳士的な物腰、今までにいないタイプの男な上に、惚れた男と併走したいというのはアメリカ全土のウマ娘の願望である。

アメリカはその成り立ちによってやや女尊男卑の風潮がある。その中で突如現れた男のヒーローが彼なのである。

男達の希望であり、お茶の間、そしてレース場に足を運ぶウマ娘達を魅了し続ける存在なのだ。

彼の素顔はブックメーカーの賭けの対象となっており、政界でも現大統領ノーザンダンサーが「彼の素顔と大統領の椅子を天秤にかけられたら、迷わず彼の素顔を選ぶだろう」と断言している。

 

 

──そんな事実を全く知らない怪人は、ただ首を傾げるばかりであった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「んしょ、んしょ……」

『クオー、まだか?』

(ロードちゃん、もうちょっと待って)

 

サラトガカレッジのダートコースの端、長い前髪で目が隠れた小柄なウマ娘が一人で瓦を積んでいる。

身長は150cm前後、大きな耳とそれを飾る青が点灯した信号機の耳飾り、その腰まで伸ばし、目を隠すように垂らした艶のある黒髪、鹿毛のふさふさの尻尾が特徴的なウマ娘である。

彼女の名はクオリティロード。そして彼女はクオと呼ばれている。

 

「これで…30枚、できたよロードちゃん!」

 

クオが瓦を綺麗に30枚積み上げたと同時に、彼女の様子が変わっていく。

前髪をかき上げ、その大きな垂れ目がちな目元が鋭く釣り上がり、いつもはへの字を保った不安げな口元がニヤリと弧を描く。そして耳飾りの信号機が赤く点灯する。

彼女はたった今、その様相を大きく変化、いや全く別の人物に代わったのだ。

 

「ッシャアーーー!!待ってたぜェ!!この瞬間(トキ)をよォ!!!!」

 

彼女はもう一人のクオリティロードである。彼女はロードと呼ばれている。

ロードが飛び上がり、瓦を手刀で根こそぎ叩き割っていく。

が、残り一枚でその勢いが衰え、止まった。瓦割りトレーニング失敗である。

 

「アア!?なんで割れねェんだよ!!?ナメてんのか!?コラァ!!!!」

『ロードちゃんが折角割ってくれたのに何で割れないの瓦さん!!!ゆるさない!!!!』

 

彼女は二人で一人のウマ娘なのである。

物心ついた頃から互いを知っており、互いに理解し合う最も近い同居人であり、同じ体を分けた姉妹なのだ。

二人とも方向性は違うが気性難である。一人で二倍おいしい気性難なのだ。

 

「しゃァねえ、次はクオやるか?」

『うん!クオが粉々に叩き割ってみるよ!!』

 

今度はロードが瓦を重ね始める。

対等な関係の二人は片方が練習の準備をし、もう片方がそれを実行するのである。

重ね終わるか、という所でロードに声がかけられた。

 

<……私が来るまで練習は始めるな、と言ったはずだが?>

 

現れたのは彼女の現在の担当である、怪人トレーナーであった。

この信頼する怪人の登場にロードが直立し、頭を90度しっかり下げた。

 

「シャッス!トレーナーサン!!ご無沙汰っス!!」

『あーロードちゃん!頭下げたらトレーナーさんが見えないよ!!見せて!!』

(バーロー!アイサツは大事だろうが!!)

 

脳内で喧嘩を始める姉妹を見て、怪人は現在どちらかを察した。

扱いやすく、よく言う事を聞く方である。

 

<今はロードのようだな?瓦割りはまだ早い、今日は足の様子を見てから軽く併走までだ。それ以上は悪いが認められない>

「ええ~やっと練習っスよ!いても立ってもいられねェっス!」

『ロードちゃん代わって!!トレーナーさんとお話させて!!!!』

 

ロードの脳内でクオが喚き倒す。この怪人と組むために周囲の目を欺き続け、契約が決まるまでロードに体をずっと譲っていたのだ。

初めて見た時から目を奪われたトレーナーと話したくて堪らなかった。

 

「あ~うるせェ!トレーナーサン、クオがずっと代われってうるせェんスけど……」

<……その前に足を確認したい。ロードのままでいてくれ>

「りょっス。右足の裏っスね」

 

ベンチに腰掛けたロードが、シューズと靴下を脱ぎ、足の裏を怪人に見せる。

彼女の故障箇所である。レース中に勝負鉄が割れ、踏み込んだ際に足の裏に大きなダメージを受けていたのだ。

その足の裏をじっくりと怪人が観察する。

一見では完治したように見えるため、触って骨の状態も確認する。

 

「うっひゃ!くすぐったいっスよトレーナーサン!」

『ロードちゃんずるい!!!!!代わってよ!!!!!代われ!!!!!』

(うるせェよ!この後代わるから待ってろ!!!)

 

脳内で更に喧嘩を続ける姉妹であるが、ここでクオの声色が変わった。

姉妹にやらせたい事があるのだ。

 

『ロードちゃん、トレーナーさん今隙だらけだよ?マスク、取ってみない?』

(バーロー、そんな事できっか!!)

『……ロードちゃんも、トレーナーさんの事嫌いじゃないよね?取ってさあ、それをネタにずっと契約を迫れば……その先もあるよ』

 

悪魔の囁きであった。ロードがごくりと唾を呑み込む。

目の前の、真剣な様子で自分の怪我を見てくれる、信頼するトレーナーを凝視する。

今はこちらに注意を向けていない。確かに隙だらけであった。

 

(その先……その先かァ……)

『うん!うん!そうだよロードちゃん!クオと、ロードちゃんだけのトレーナーさんにすればいいんだよ!!』

 

悩んだ末に、ロードはクオの囁きに乗った。乗ってしまった。

ゆっくりと、くすぐったがるように手を覆面へ伸ばす。

もうすぐ、手が触れる。

 

 

「何やってんの?ロードちゃーん?」

 

 

しかし、そこで後ろから肩を強く掴む何者かが現れた。

途端にロードが大量に冷や汗をかき出す。

怪人のパートナーであり、会ったその日に因縁をつけ、締められた一番恐ろしい存在のエントリーであった。

 

「あ、姐御…………ご無沙汰っス………」

『チッ、やっぱりいたか』

 

この様子に怪人のパートナーがため息を付く。

一度締めて舎妹にしたから大丈夫のはずが、その裏でもう一人厄介な相手がいる事を知ってからはこういう攻防が多いのである。

パートナーは若干自分の選択を後悔しつつあった。

このパートナーに怪人がようやく気付く。故障の確認に集中しすぎていた。

 

<…ああ、来ていたのか。まだ謹慎中だろう?>

「練習再開くらいは良いでしょ?ロードちゃんの相手もやってもいいわよ。ね~ロードちゃん?」

「こ、光栄っス姐御!!シャッス!!!」

 

故障の確認が終わり、立ち上がった舎妹がまた90度頭を下げて感謝を述べる。

姐御の命令は絶対という躾が行き届いていた。

 

<……故障は大丈夫のようだ。復帰戦は予定通りだな>

「マジッスか?やったぜ!!」

 

故障は、完治していた。これを聞いたロードが諸手を挙げて歓喜する。

 

 

 

 

<アムステルダムステークス、出走するぞ>




クオリティロードはマジでイケメンなので気になったら画像検索してみてね!
たてがみがかっけえんですよ。


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第十三話 怪人と、怪物

遅くなってごめんよ。回想部分で悩んでたり資料届いたから読んだりしてました。
更新ペースはなるべく最低週三は守っていこうと思ってます。次更新は火~水くらい。
活動報告とか使った方がええんやろか…。


八カ月前──十二月の英国、ロンドン郊外のクラブハウスにて

 

「もういっぺん言ってみろトレーナーサンよォ…姐御の紹介だろうが、アンタがスゲエトレーナーだろうが!!それだけは聞き捨てならねェなァ!?」

 

未勝利戦(メイドン)での勝利後すぐ、ここへ連れて来られたクオリティロードの片割れであるスケバンウマ娘のロードは目の前の怪人と、彼のパートナーに紹介されたこのクラブの経営者でもある心療内科医のウマ娘へ激昂していた。

聞き捨てならない言葉が、怪人から放たれたのだ。

 

「突然英国へ連れて来て何かと思ったらよォ!主人格がどうとかワケのわからねェ事言いやがって!!アタイとクオでクオリティロードだ!!それ以外には何もいねェんだよ!!!」

『……どうしてわかったのかな、トレーナーさん』

(黙ってろクオ!!お前(・・)も出てくンじゃねェぞ!!)

 

ロードは強い決意の元、目の前の二人へ吠える。

知られる訳にはいかない姉妹の秘密、もう一人を守るために。

 

「ジョー君、私が話すわ」

<か……サマー女史、私に任せてほしい>

 

この怪人の言葉に、怪人の隣の人物が頷いて返す。

本来は、ロードの診察をしたウマ娘医師の職分だった。

しかし怪人がロード、そしてその心の中の二人と向き合いたい気持ちを酌んだ。

事情を知る彼女は、彼に必要な事だと知っているのだ。

 

<ロード、クオ、それと仮称になるが…きっと君はリティと言うんだろうな>

 

この言葉に姉妹と比べ、隠し事が苦手なロードの顔が歪む。

本来の体の持ち主の名前まで当たっていた。

 

「うるせえ!そんなヤツはいねェ!!!」

『ねえ、ロードちゃん…トレーナーさんの話だけでも聞こうよ』

(クオは黙ってろって言っただろ!!コイツには、コイツを守ってやれるのはアタイ達しかいないんだぞ!?)

 

怒りを露わにし、怪人にロードが噛みつく中、クラブハウスの扉が開いた。

入ってきたのは、鮮やかな金髪に小ぶりの耳、そしてその耳にピンクの星のポイントがついた、水色の耳飾りが特徴的なウマ娘の少女だった。

 

「トム!おかえり……あら、ジョーなのね。ご機嫌よう、ジョー」

<やあ、フランケル。すまない、今は大事な話をしている>

 

ロードがフランケルと呼ばれたウマ娘の少女、恐らくクラブの関係者に目を向け、一瞬唖然とする。

ウマ娘基準でも美しい、目を引く容姿の少女だった。

 

『ふえ~綺麗な子だねえ』

(だよなァ…どっかのお嬢様だろこれ。本場のガチのお嬢様かァ…)

『本場のお嬢様って何ロードちゃん…』

 

ロードは三人の中で、母性と乙女の部分の担当である。

こういうお嬢様に多少の憧れがあった上での、ピントのずれた感想であった。

 

「…ねえ、ジョー?これだけ聞かせて頂戴。トムは?どこに行ったのかしら??」

<………トモヤ君は、しばらく戻ってこれない。おそらくいつも通り………どこかに遊びに…………行ったのではないかと………>

「そうなの??ふう~~~ん」

<あ、ああ、そうなんだ。彼はそういう所があるからな。仕方ないだろう?>

 

フランが渦を巻く目を怪人に向け、それを見た怪人が言葉をこれでもかと濁しながら、言い訳めいて彼のパートナーの弟、チームのお荷物の行き先を告げる。

 

「仕方ない子ねえ、本当に…ねえ、ジョー君?」

<そ、そうだな!全く彼には困った物だ。フランケル、仕事がある。彼には私からきつく言っておくから……>

 

くすくすと笑いながらサマー女史が怪人に語りかけ、それに怪人がしどろもどろに同意し、フランに退室を促そうとする。

これを聞いてロードは加勢に入った。

勿論お近づきになりたいお嬢様に、である。

 

「そうだ!アイツ急にいなくなりやがって!先にこっちに来てた姐御は、アイサツしたら突然宅飲みするって言い出すしよォ!姐御とチームに迷惑かけてる自覚あんのか?アイツ」

 

ここまでの案内を受け持ったチームのお荷物は、もうここにいない。

怪人が来るまでに診察を受けろとロードに告げ、用事があると出て行ったきりである。

 

「……トムの事を悪く言うのはやめて頂戴」

「えっ…ス、スンマセン…」

 

加勢したつもりが怒られた。八つ下の幼女に。

おっかしいなと頭を掻くロードを見たフランが、首を傾げる。

勢いで叱ってしまったが初対面の相手であった。

 

「…あら、お客様かしら?ごめんなさい、ご挨拶もせずに…」

「こ、これはご丁寧に…ア、アタクシ、クオリティロードと言う者でして…」

『ロードちゃん、無理しなくていいから……』

(うっせェなあ!アタイもこういうアイサツしてみてェの!!)

 

脳内でクオのツッコミに反論しながら、ロードがフランに自己紹介する。

この自己紹介にフランが反応する前に、怪人が注釈を加えた。

 

<彼女は、私が契約している相手だ>

「………………まあ!そうなのね!ロードさん、わたしはフランケルと言います。フランと呼んでいただけるとうれしいわ」

「おう!よろしくなフラン!こんなお淑やかなお嬢が、トレーナーの知り合いにいるとはなァ……」

『…ロードちゃん、今日はロードちゃんのままでいいよ』

 

怪人の発言に一瞬、フランの目の光彩が渦を巻いたのにロードは気付かず、クオは気付いた。

クオは三人の中で打算的な腹黒かつ女の部分担当である。

挨拶までの間の取り方、その後のにこやかな笑みを浮かべながらの自己紹介も、この年齢の幼女とは思えぬ末恐ろしい何かを感じたのだ。

 

(いいのか?クオはトレーナーサンと仲良くしてェんだろ?)

『ロードちゃんもトレーナーさんも、なんでわからないの…この子、すっごくコワいと思うよ…』

(そうかァ?良い子だと思うけどなァ)

 

このクオの発言に疑問しかないロードだったが、このお嬢様と仲良くなるチャンスである。

この英国滞在の間、女子力が高いと自負するロードがさらに自分を磨く良い機会であった。

 

「いやァ、トレーナーサンにいきなり英国に行くぞって言われた時は何だと思ったけどよォ、フランみたいな子がいるなら一ヶ月の合宿も悪くねェなァ」

「…………一ヶ月??」

『ひい!』

「おう!一ヶ月ここに世話になりながらよォ、トレーナーサンの指導で次走の特訓すンだよ」

 

この発言に明らかにフランの様子が変わり、クオがビビり、サマー女史が可愛く苦笑いを浮かべた。

なおロードは気付いていない。

そしてフランがゆっくりと、怪人にしか見えない位置で顔をそちらに向けた。

目が、青い光を帯びながら渦巻いていた。

 

「……ジョー、そうなの?トムは?」

 

言葉と表情は、あくまでもにこやかに、優しく問いかける声色であった。

流石に怪人も事態に気付いた。

二年前のある時から、時折見せるフランの怖い部分が出てきているのである。

こうなると愚かな怪人は勝てない。

 

<…あ、ああ、先程も言ったように、トモヤ君はなかなかこちらには来ないかもしれない。私がここで彼女の指導を行い、次走までの課題をクリアする予定だ。どうしても必要な事だからな…>

「ジョー、わたしは、トムと、会いたいの」

<……私がいるだろう。彼の代わりに君の練習も勿論見るとも>

「一緒に、観たい映画も、たまっているの、タマティーヌの新作よ」

<わ、私が代わりに観よう……>

 

一語ずつ区切りはっきりと強調しながら、聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように語るフランに、怪人が弁解するように返す。

クオとロードには衝撃的な光景であった。

アメリカで早くも名トレーナーの仲間入りをした有名人が、遥かに年下であろう少女に気圧されているのだ。

 

(姐御の弟よォ……こんな子に慕われてンのにどっか行きやがったのかよ。最低のヤローだな)

『………そういう事なんだ………良いね、もっと良い』

(ん?クオ、何がそういう事なんだ?)

『ううん、こっちの話』

 

このやり取りを聞いたクオが何かに気付いた。ロードは何も気付いていない。

フランが怪人の弁解を聞き、耳をしなだれさせた。

怪人、そして約束をした相手が大事な仕事をしているのは知っているし、その中で活躍しているのも誇らしい。

しかしフランはまだ八歳の少女である。要するに寂しいのだ。

特に、去年の事もあった。

 

「……きょねんは、かえってこなくて、ことしはこうなるのね」

<……フラン>

 

去年、一年目のシーズンは怪人にとって正に激務であった。

イングリッシュチャネルとの専属契約、そして並行してラグズトゥリッチズ、オクターヴ、ローヤーロンとの短期契約、その全てで彼女達を勝たせる必要があった。

年末にも彼女達へのアリバイが必要だと言うチーフの謎の提案により、その相手を探すために奔走した。

結局相手はすぐに見つかった。丁度ゆするネタと貸しがあったのだ。

一時期など、ほとんどチームを持っているような状態であった。

彼ならそれくらい余裕という、とある怪人の伝手の酷いアドバイスをチーフが真に受けたのが原因である。

アメリカ競バはクラシック三冠等の主要競走は短い期間で行われ、シーズンの〆としてトレーナーズカップが行われる。しかし一月からも重賞や未勝利戦(メイドン)等は行われており流動性が非常に高い。

管理バの次走予定次第では、複数を受け持つトレーナーは一年中働く羽目になる事もあるのだ。

激務である。一年目の怪人が正にそれであった。そうして、彼は帰国できなかったのである。

フランもその話は聞いていたが、会えなくてショックを受けていた。

そうした経緯で、今年の帰国は契約相手の未勝利戦(メイドン)と次走の為に、一カ月の短い帰国だが楽しみにしていたのだ。

くすん、とフランが少しだけ鼻声になり、その目に涙を貯める。

 

「おしごとが、たいへんなのはしっているわ。でも、わたし、トムのおかおがみたいの」

 

フランのこの様子を見て、怪人の胸が痛み、言葉を詰まらせる。

怪人は、彼女の為に平地トレーナーになったのだ。その彼女を悲しませては、何の意味も無い。

 

<………必ず、時間を作らせよう>

「………うそつき」

<嘘は付かない。私が約束しよう。トモヤ君をここに連れて来る>

「ほんとうに?」

<本当だとも。信じて欲しい>

 

怪人が目線をフランに会わせるように屈み、普段は外さない手袋を外してその目の涙を拭う。

フランはその手をそっと両手で触れた。

サマー女史は「ロードちゃんがいるのに、いいのかしらこの子達……」と可愛く嘆いた。

今日は娘と酒盛りである。

 

「信じるわ、ジョー」

<……ありがとう、フラン。すまないな>

 

この様子、優しい怪人の姿を見たロード、そして心の中の二人は怪人に惹かれる何かを感じた。

自分達にもこんな人がいれば、いやこの人ならば、話してもいいかもしれないと感じていた。

 

『ねえロードちゃん、やっぱり話そうよ?それにクオの予想通りだと、トレーナーさん超優良物件だよ?』

(……優良物件とかはわかんねェけど、考えてもいいかもなァ。でもあくまでリティが望めば、だぜ?)

 

ロードとクオ、そして三人目は喧嘩をする事もあるがあくまで三人目が主人格であり、姉妹は三人目を守る事を徹底している。

その為に三人目から二人は生まれたのだ。

ロードの問いかけに対し、心の奥から声が響いた。

 

『会う、よ……』

(リティ、いいんだな?)

『うん、トレーナーさん、良い人』

 

主人格が、決断を下した。

姉妹は、従うのみである。

 

「トレーナーサン、取り込み中わりィんだけど、さっきの話……」

<……あっ!ああ、先程の話だな、私の話を聞いてもらえるだろうか?>

「いや、もういいぜェ?決まったんだよ」

<……やはり、駄目だろうか>

 

 

 

 

「逆だよ、紹介するぜ?──三人目」




アメリカ編終わってからになるけど、プロット組んでる時点で没にしたIFルートとかも一話だけ書いてええやろか…選抜戦の朝にヘタレが逃げたルートだけど。


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第十四話 超特急、三両編成

遅くなった……明日も投稿するから許してクレメンス……


8月3日のサラトガレース場、全長約9ハロン(1810m)のダートコース、このコースの6.5ハロン(約1300m)を使うレースがクラシック路線限定競走、G2アムステルダムステークスである。

アメリカのスプリント戦線において重要なレースである。

同じくサラトガレース場で今月に行われるG1キングスビショップステークス(ダート約1400m)の前哨戦であり、秋のG1戦線を占う重要な位置付けのレースなのだ。

 

「キャンディ、クオリティロードは要注意だ。ミスターヴェラスは何か必ず仕掛けてくる」

「……わかってますよ、トレーナーさん。スプリントは私の戦場ですから、何も心配いりません」

 

レース場の観客席前、ベレー帽を被った二番人気、キャプテン・キャンディマン・キャンと呼ばれる体操着に短パン姿のウマ娘が、離れた位置の勝気な表情のウマ娘を見やる。

 

「……余裕の表情しやがって。スプリントを舐めんなって所を見せてやれ」

「ええ!頑張ってきます!!」

 

作戦を既に決めてある二人はハイタッチを交わし、ゲートに向かう。

その一方、一番人気のクオリティロード陣営は入念に最終確認を行っていた。

3人と意思の疎通を行う必要と、誰が走るかを決める為である。

 

<中団外から最終直線で仕掛ける>

「オウよ!任せとけ!」

 

ドン、と自信満々に胸を叩く、体操着にスパッツ姿のスケバンウマ娘のロード。

その様子を見て、怪人は溜息をついた。

走る本人が、出てこないのだ。

 

<今日は3人で走ると、伝えたはずだが?>

「へ、へへへ…リティの奴恥ずかしがって出てこねェんだよ」

 

八カ月前、クオリティロードの三人目と出会い、三人目のみが持つその特異性に目を付けた怪人は、一つの走法を提案している。

その為には三人目に出てきてもらう必要があった。

しかし、出てこないのである。三人目はひきこもりの気性難であった。

 

<……もうレースが始まるぞ。出て来なさい、リティ>

 

この呼び声に応え、ロードの様子が大きく変化した。

髪がざわめき、その片目が隠れ、信号機の耳飾りが黄色く点灯する。

クオでも、ロードでもない。

三人目、主人格の顕現である。

 

「……ふ、ふひひ、トレーナーさん、がんばるよ」

 

にちゃり、と無理をした笑みを三人目、リティが浮かべる。

彼女はひきこもりのコミュ障である。この為に練習の時にもほとんど出てこない。

そんなリティの顔を怪人が両手でむにっと押しつぶす。

練習に出てこない事への抗議と、気合を入れたのだ。

 

「むぎゅ!?トレーナーさん怒ってる……?」

<……たまには練習にも出て来なさい。それと固くなりすぎだ。君なら勝てる>

「……トレーナーさん、ありがとう」

 

リティからはにかんだ自然な笑顔がこぼれる。

怪人は満足げに頷いた後、手を離した。

後ろにいる怪人のパートナーは額を抑えた。

八カ月前に内緒でやらかした弟は折檻済みである。

 

<作戦は聞いているな?後は任せよう>

「うん!クオちゃんとロードちゃんもいるから大丈夫!走ってくるね!」

 

リティが怪人に手を振りながらゲートに向かう。

リティはひきこもりかつコミュ障のあがり症、さらには気性難という四重苦のウマ娘である。

この為に彼女は才能がありつつも走れなかった。

普段は姉妹に任せ、表に出てくる事は無いのだ。

そんな彼女が変わりつつあるのは、八ヶ月前のあの日。

あのロンドン郊外の邸宅で、怪人の前に現れてからであった。

 

<君は、確かに本番に弱い。それはよくわかった>

 

怪人の言葉を、リティが回想する。

練習では三人で最も速いが、本番に弱くレースではリティは全く前に出れなかった。

しかし、怪人はこう言った。

 

<だが、君が体を動かす時は三人とも動けるようだな。ならば、答えは既に出ている>

 

 

<三人で、走ればいいだろう?>

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

『さあ秋のG1戦線、そしてスプリント路線を占うG2アムステルダムステークス、まもなく発走します!ケンタッキーダービーで優勝候補と噂されつつも、怪我で離脱したクオリティロードの復帰戦ですね!いかがでしょうか、解説のイージーゴアさん?』

『…此方はキャプテン・キャンディマン・キャンを推していますわ。クオリティロードは気性難でしょう?まともに走れるかが疑問ですわ』

 

実況が気性難へのコメントを求めてきた事に眉を顰めながら、深層の令嬢然としたウマ娘が質問に答えを返す。

現役時代からエリート一族に名を連ね、かのセクレタリアトの再来と呼ばれ、現在はチーム・カルメットにも勝るとも劣らない名門チーム・クレイボーンのオーナーを務めるウマ娘──イージーゴアが今日のサラトガレース場のレース解説を務めている。

栗毛のウェーブのかかった艶やかな長い髪に額に丸い流星、その耳には日輪を象ったチャームのついた耳飾りがついている。

彼女の、もうアメリカにいない好敵手を意識した耳飾りであった。

グローリーカップで決着を付けようと約束したのに、自らのトレーナーと突然日本に逃げやがったライバルである。

最近は日本でお前によく似た根性あるヤツと仲良くなったと、自分を差し置いてマックなんとかと言う奴とツーショット画像を送ってきたライバルである。

連絡は取っているがまだ彼女は許していない。彼女は根に持つタイプだった。

彼女の気性難嫌いの源泉である。

 

『なるほど!確かにミス・キャンディはここまでG3、G2と勝利し、スプリント路線で実績を残している有力バです!彼女は次走をここサラトガレース場のキングスビショップステークスと既に表明していますね!サラトガレース場といえば、イージーゴアさんもG1を二連勝した馴染み深い地だと思いますが……』

『余り印象に無いですわね。此方はほとんど負けた事がありませんもの』

 

出走バへの無自覚なマウントであった。

彼女は現役時代にもこれをやってライバルと乱闘寸前まで行っている。

なお『俺様に三回負けてるしクリーにも負けてるだろ。記憶喪失か?』と言われて先に殴りかかったのは彼女である。

気性難が嫌いな癖に気性難の気があった。

 

『おっと、全員ゲートインしたようです!間もなく出走ですね!』

 

実況がすかさず話題を変え、出走準備ができたゲートに目を向ける。

二枠四番、今回の出走6人の中央寄りのゲートにリティはいた。

 

(途中までは、ひとりで走るよ)

『おう!直線になったらアタイ達も混ざるぜ!』

『クオもトレーナーさんに良い所見せたい!』

 

ゲートの中で、レースへの渇望でリティの心が高揚する。

彼女はその可憐な容姿とは、真逆の気性難である。

その性質がレースを目前に控え、表に出て来ていた。

このリティに、二番人気のキャンディが対抗心を燃やす。

 

「ふひ、ふひひ……走りたい、なあ……!」

(……始まりましたね。これを見て委縮して、何人もペースを崩されたと聞いています。私はそうは行かない……!)

 

リティの髪がざわめき、信号機の耳飾りが点灯を繰り返した。

口元が弧を描き、ゲートに濁った笑い声が響く。

この異様な様子の小柄なウマ娘を見た出走バに、動揺が走った。

 

「な、なにこの子……」

「これがクオリティロード……気性難とは聞いてたけど……」

 

一人を除き誰もがリティに目を向けたその時、ゲートが開いた。

 

「ふひっ!」

(よし!ペースは乱れていない!)

 

一、二番人気の二人が悠々とスタートを切る中、ペースを乱された出走バ達が慌ててスタートを切る。

アメリカ競バの特徴の一つが、激しい先頭争いである。

スプリントからマイル戦線で、その傾向が特に顕著になっている。

出走バ達が脚を消費しながらセオリー通りに先頭争いを行う中、リティはゆっくりとしたペースで中団後方、大外に進路を向けた。作戦通りである。

その後方──

 

(やはり直線勝負ですか、トレーナーの分析通りです。仕掛けたら後ろから私が差す……!)

 

二番人気キャンディは、リティをマークしていた。

彼女とトレーナーのリティ対策である。

気性難の割に抑えの効くリティは先頭争いに参加しないという、彼女のトレーナーの予測通りであった。

スプリントは一度の判断ミスが勝敗に大きく影響する。

スプリント路線では一度の競走経験しかないリティをマークしプレッシャーを与え、仕掛けるタイミングを迷わせ、そこを突いて末脚を切る作戦であった。

しかし、この作戦には見落としがあった。相手は気性難である。

 

「ふひ、ふひひひひ……!」

『マークしてきてるヤツいんなァ、まあ無視でいいだろ』

『プレッシャー与えてるつもりなんだろうねえ』

 

全く堪えていない。リティに至っては、走れる楽しさで全く見えていなかった。

徐々にペースを上げたリティがコーナー大外のまま一番大きく回り、そのまま出走バ中4人が大きく横並びになる。

直線、末脚勝負である。怪人の作戦通りであった。

 

「いつも思うけど、あんたよくここまで読めるわよね……」

<タイムを見れば一目瞭然だろう?>

「そういうもんでもないでしょ……」

<それよりも直線だ。私は準備に入る>

 

呆れた様子のパートナーの言葉に、怪人はそう言うとゴキゴキと両手を鳴らしながら、ラチの前でいつでも飛び出せる準備に入る。

 

『いよいよ直線、この様子だと末脚勝負になるか!?おっと、ミスターヴェラスがいつもの準備に入っていますね』

『一度あれは生で見てみたかったのよね。彼はウマ娘血清を打ち込んだ超人兵士説を、此方は推していますわよ』

 

実況と解説が怪人に目を向ける中、リティが仕掛けに入った。

髪がざわめき、信号機の耳飾りが全て点灯する。

その瞳が金色に染まり、彼女達の前に三つの扉が現れる。

リティが生まれつき持っている領域(ゾーン)である。

 

 

(行くよ、みんな)

『ッシャア!待ちくたびれたぜ!!』

『リティちゃんがそのまま脚、クオが目、ロードちゃんが上半身ね!』

 

それぞれの扉をぶち破り一つの道を、光の差す先を三人で目指していく。

そして、レースに意識が戻った時、殺人超特急(キラー・エクスプレス)は三位一体となった。

 

『おおっと、クオリティロードがここで仕掛けました!随分と様子が変わっていますが……』

領域(ゾーン)ですわ。クラシック路線なら使えてもおかしくないわね』

 

リティの領域(ゾーン)、その効果は──

 

(飛ばす、よ!前、大丈夫?)

『だいじょうぶだよ!そのまま脚動かして!』

『心臓と肺は問題ないぜ!ゴールまでもっとペース上げてけ!!』

 

リティは走る事だけに集中し、あがり症の彼女の代わりに頭の回転が早いクオが周囲の状況を伝え、根性のあるロードが心肺の負担を肩代わりする。

クオリティロードが、最終直線で遂に現れたのだ。

 

(仕掛けが早い!これなら後ろから差せます!)

 

クオリティロードを差して勝つプラン通りの展開になったキャンディが、叩き合いに持ち込もうと併せに行く。

内に回り込み、併せる為に末脚を切る。

 

『後ろ来てるけど、たぶん届かないよー』

『このまま行っちまえ!』

(もっと、突き放す、よ!!)

 

しかし、併せられたのは一瞬のみであった。

クオリティロードが、更に速度を上げたのだ。

 

(届かない!こんなに速い……!)

 

2バ身離された所で、キャンディは負けを悟った。

 

『一着はクオリティロード!タイムはなんと1:13.45!レコードです!見事にカムバック初戦を勝利で飾りました!二着はキャプテン・キャンディマン・キャン!そしてミスターヴェラスがラチを飛び越えました!皆さんお待ちかねの──』

 

ゴールを切ったクオリティロードだったが、そのまま止まれずコースを進む。

脚を動かす本人は前が見えないのである。そして視界担当の望みでもあった。

 

(おわった?終わったよね?)

『もう流石にしんどいぜ!終わっただろ!?』

『まだ!もうちょっと!脚ちょっとずつ緩めていいよ!』

 

クオリティロードが進む前に、人影が立ち塞がる。

 

『よし来た!飛び込んで!』

 

クオの言う通りに、リティが飛ぶ。

それを人影は受け、勢いを殺し、地面を衝撃で削って数m下がりながら止めた。

レース中の競走バを受け止める、生身の人間には不可能な所業であった。

 

<……そろそろ止まり方も覚えて欲しいところだな>

『ふおー!役得ゥー!』

『どうなってんだ今?いつも誰が止めてんだ?』

(なに、なにが起きたの?)

 

止めたのは、怪人であった。

この半ばデモンストレーションのようなお馴染みの行為に観客が喝采を上げ、クオが興奮した。

残りの二人は視界が無いためわかっていない。

 

<見事だった。勝利おめでとう>

「あ、トレーナー、さん?」

 

怪人が領域(ゾーン)を解除したリティを降ろし、その勝利をねぎらう。

そして、ウィナーズサークルを指差した。

 

<行ってきなさい、ライブはいつも通りクオだろう?>

「ふひ、ライブにがて……」

『アタイもそんなに得意じゃねェんだよなァ』

 

三人の中でライブはクオの担当であった。

打算的で女部分担当の彼女は、とにかくあざとい動きが得意なのである。

ウィナーズサークルにリティを送り出した怪人が、空を眺める。

このレースを中継で観ているであろう、とある少女を思い浮かべて。

 

 

 

 

 

<……勝ったぞ、フラン>




最初書いてた時は某SS様の口調はサイヤ人の某下級戦士そのまんまでイージーゴアネキは某エリート王子でした。流石にネタすぎてあかんなって書き直した。


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閑話 ?????

ついでにいつ投稿するか悩んでたやつも置いとくやで。
これとは別にもう一話更新するやで。


ある日の夜である。

智哉は暗闇の中、知らない空間にいた。

天地もわからぬほどの真っ暗闇である。

その中に、智哉に背を向け、光る何かをいじくりまわすウマ娘がいた。

 

『……どうやったらここまでグチャグチャに運命の糸が絡むのよ。ゴドルフィンのアホめ……』

 

後ろ姿しか見えないが、金髪に短めの耳を持ったウマ娘であった。

どこかもわからぬ場所に、そんな人物と二人でいる。

智哉には訳がわからなかった。

 

「どこだここ……?」

『あら、目が覚めたのかしら?』

 

ウマ娘がこちらに振り向く。

目を見張る程に美しい、青い瞳のウマ娘。

智哉はその姿に何故か見覚えがあった。

 

「……フラン?いや、オブリーエンか?」

『ご先祖様に対して随分なご挨拶ね。あんな女神のお気に入りと一緒にしないで頂戴』

「す、すいません」

 

その目が青く光り渦を巻いて智哉を威嚇する。すかさず智哉は謝罪した。

間違いなく気性難である。

そして、やはり見た事のある目であった。

 

「ご先祖様ってどういうことすか?」

『賢い子のはずだけれど……まあ無理もないわね』

 

目の前の先祖を名乗るウマ娘がため息をついた所で、暗闇から扉が現れ、そこから人影が飛び込んでくる。

 

『えく殿!もう無理でござるから!拙者しぬから!!』

 

入ってきたのは端正な顔立ちの、ちょんまげに着流しの浪人風の男であった。

刀を手に持っているがその表情は必死である。着流しの端が焼け焦げていた。

 

『情けないわね、ジョン。女神どもくらい一人で抑えなさい』

『無理でござるから!女神殿達、今回は本気でござるよ!拙者びーむとか穴から無限に出てくる蹄鉄とか撃たれたでござる!!しにたくないでござる!!』

『死んでるでしょう、貴方?もう一回くらい大丈夫よ』

『とにかく早くしてほしいでござる!!拙者もう行きたくなぎえええ!!』

 

必死に先祖と名乗るウマ娘に泣いて縋るちょんまげであったが、ウマ娘から強風が吹き荒れ、ちょんまげが扉に押し戻される。

扉にしがみつくちょんまげが、智哉に向けて言葉を投げる。

 

『いいでござるか我が子孫!この小栗丈之助からのあどばいすでござる!嫁はちゃんと選ぶのだ!!でないと拙者みたいに……』

『あなたはもうクイルでしょう?いい加減旧姓を使うのはやめて頂戴』

 

ウマ娘からの風の勢いが増し、ちょんまげは扉の外へ消えて行った。

智哉は何故か強烈に哀れな気分になった。ちょんまげは明らかに苦労人である。

そしてこの二人の会話で知っている名前が出た。自らの姓である。

 

「えっと、クイルって……」

『あら、話してしまったわね。まあ、そこは記憶に残さなければいいかしら』

 

そうして、しっかりと智哉の目を見ながら、ウマ娘は告げた。

 

『いいわね?こうやって夢に立てるのは多分一度きりよ』

 

『あなたは、これから運命の分岐点に立つ』

 

『わたしから言える事は二つ』

 

 

『巨神の誘いは断りなさい。無理だと思ったらせめて先送りにしなさい』

 

 

『日本にもし行ったら、カナちゃんと名乗る子は助けては駄目よ。運命が決定的に狂う』

 

 

 

『──わかったわね?それと、日本に行くなら分家か、あなたの医者を訪ねなさい』



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第十五話 深まる、疑惑

日付変わってもうた…許して…
アプリ版でモンジューが実名で出てびっくりした


『まずはクオリティロードの復帰戦の見事な勝利、おめでとうございます!』

<ありがとう。だがその言葉は彼女に送ってやってほしい。私は自分の仕事をしただけであり、結果を出したのは彼女だ>

『ええ~!トレーナーさんのおかげですよぉ~!』

<クオ、少し近いと思うんだが……それとライブはどうした?>

 

G2アムステルダムステークス終了後のサラトガレース場にて、勝利トレーナーインタビューが現在行われていた。

ウィナーズサークルでの勝利ウマ娘の表彰後である。

本来ならライブの準備に行っているはずの一着が、ライブ衣装姿で怪人と腕を組みながら何故か一緒にインタビューを受けている。

こういう場面では邪魔者の介入が無いと気付いたクオは、ライブ開始ギリギリまで居座るつもりであった。

 

『いつも通りの管理バをまず立てる姿勢、流石はミスターヴェラスですね。所で、次走は中距離とニューヨークレースタイムズの取材で答えていたそうですが……?』

<そういう訳ではない。私も管理バもそれぞれのベストの仕事をしただけの話だ。中距離挑戦に関しては……そうだな、私よりも彼女次第とだけ話しておこう>

『中距離!はしります!!』

<こら!言うな!!>

 

カメラにアピールしながら予定に無いであろう爆弾発言を飛ばす、前髪で目が隠れた怪人の管理バであるウマ娘。

怪人が慌てて彼女の口を塞ぐ所で勝利インタビューは終了した。

 

「すごいなあ、こんな人のスカウトが受けられるってホントかなあ……」

 

この中継を智哉と姉の自宅の隣に住む少女、ダンは観戦しながら独り言をこぼした。

八月、季節は夏。彼女は夏休み真っ只中である。

インタビューが終わった中継はライブまでCMに入り、ごろんと、ダンが寝転がりながらテレビのチャンネルを回す。

 

『………欧米の人らはタコあかんって言うけどな。今日はそんなタコをおいしく食べれる料理を紹介するで!ウチの故郷のソウルフード、たこ焼きや!は?なんやペイザバトラー?食えへん?ウチのたこ焼きが食えへん?なんややるんか?一回だけウチとオグリンより先着した程度で調子乗ってへんか?表出ろや!!!!』

 

日本語で捲し立てながら、大女優が料理番組で対戦経験のあるゲストに激昂する。

いつもの事である。前回の放送では親友を呼んで食材を全て食われて激昂していた。

ダンは更にチャンネルを変えた。

 

『フィドリングブルさん、ファル子の問題っていうのはですねぇ。疑り深いって言うことなんですよ。ウチのトレ…ヤドロクにもよく言われましてね……』

 

次に映ったのは、日本のアイドルからアメリカのミステリードラマへの進出を果たしたウマ娘主演の刑事ドラマ「刑事ファルコロンボ」であった。

たまにセリフを間違えるが、それも味があるとファンからは好評の長寿シリーズである。

結局、何も観る気になれないダンはテレビの電源を切った。

気になる事があって集中できないのだ。

 

(トモ兄、映ってなかった。ミディ姉はいたけど……)

 

気になる事とは、一カ月前にダンにトレーニングメニューを与え、仕事が忙しくなると言い残していなくなった隣のお兄さんの事であった。

 

(……絶対おかしいよ、これ。トモ兄隠す気あるの…?専門家、いや本物のトレーナーでもここまで書けないよ)

 

ダンが、後で読んでくれと智哉より渡された、トレーニングメニューの書かれたノートを開く。

ダンの体に合ったトレーニングとその必要性、効果が項目毎にイラストも付け加えられて詳細に解説されている。

さらに段階毎に細かく追記もされていた。

プロの競走バでも、ここまで自分に合ったものは用意されていないのではないか?とダンは考えている。

これを読んですぐにダンは智哉に電話で連絡した。

感謝しつつ、誰が書いたの?と聞いたのだ。

智哉の返事は、更に想像の斜め上を行っていた。

 

『いや、俺だけど……そんなに手間かけてないぜ?フラ……故郷の知り合いにも同じ事してるしな』

 

これが今のダンのもやもやした感情の源泉であった。

この手間暇かけた完成度の高いトレーニングメニューと、故郷の知り合いが気になって仕方ないのだ。

 

(故郷の知り合い……トレーニング見てるって事は、ウマ娘だよね……)

 

自分と同じように面倒を見ている、故郷の知り合い。

きっと自分より付き合いの長いウマ娘である。

そう考えると今まで経験の無い、よくわからない感情が収まらないのだ。

 

(どんな子だろ……?きっと速い子なんだろうな、ボクより……トモ兄の事もっと聞いておけばよかった)

 

なお、智哉はその知り合いのトレーニングを本当は見るつもりはなかった。

契約の約束はしているが、それまではクラブのトレーナーの領分を犯すからである。

知り合いがクラブに入った時も、同じ理由で帯同と全体練習の手伝い以上の事はしていなかった。

そう思っていたが、知り合い本人がある日突然怒って問い詰められたのだ。

彼女の怖い部分は、この時からよく出てくるようになったのである。

そんな智哉のやらかしは他所に、ダンはもう一つの疑問も思い浮かべる。

 

(……トモ兄、絶対トレーナーだと思うんだよね。でも図書館でトレーナー名鑑見てもトモ兄いなかった)

 

ダンは智哉の仕事がトレーナーだと確信していた。

トレーナーと競走バに関しては名鑑が存在し、図書館や競バ関連施設で自由に閲覧ができる。

それを思い付いたダンは早速調査したが、智哉の名前はどこにも無かった。

そうして、一つだけ疑惑が残った。

智哉がいなくなった途端、怪人がまた表舞台に登場したのだ。

 

(サブトレーナーだとあんなの書けないと思う。トモ兄、やっぱりヴェラスさんなのかな……でもトモ兄のイメージと違うよね)

 

先程テレビで見た的確な作戦で管理バを勝利させ、レース中の競走バを受け止め、インタビューでも冷静な姿を見せた超人トレーナーの怪人。

一方、隣のお兄さんはダンから見て頭が良いと思うし運動もできる。だが少々三枚目で情けない部分がある印象だった。そういう所も付き合い易くてダンにとっては好きな部分だったが。

疑惑はあるが、この二人がどうしても重ならないのだ。

一月前、憧れの人の控室での、そんな隣のお兄さんとの会話をダンが思い返す。

 

『ヴェラスさんが今年は冬季のシンデレラクレーミングの解説やるんだけどさ、ダンが出るなら推薦するぜ』

『えっ、トモ兄そんな事できるの!?』

『できるんだよ。こう見えてコネはあるんだぜ?』

 

アメリカ競バ界の名門、本人も名バであり引退後父の跡を継いだアリス・ダーウィンオーナー、そして現在はチーム運営に集中し専属の管理バを持つ事は珍しくなったが、全米トップクラスのトレーナーであるロッド・フレッチャーが代表を務める超名門のチーム・カルメット。

このチームに所属し、現在チームトップのトレーナーの名声を得ている怪人、ジョー・ヴェラス。

彼のスポンサー契約を受けられると言う事は、この超名門からプロデビューする事がほぼ確定するのである。

場合によっては、彼と直接契約を結べる事も有り得るかもしれない。

ヤッタとの邂逅で、夢をはっきりと自覚したダンは疑問を覚えつつも、二つ返事で出ると智哉に伝えている。

怪人が解説を務めるなんていう話は、まだ発表すらされていない情報である。

恐らく情報源は智哉の姉なのはわかる。だがいくら専属契約を結んでいようと、そこまで話を通せるものなのか?とダンは考えていた。

ここまで思索を巡らせた所でダンは頭を抱えた。

考えすぎてパンクしたのである。

 

「もおお!!わかんないよトモ兄!!!何がしたいの!!!!」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

一方──サラトガカレッジ、食堂内。

 

「……わかってるだろうけど、あたしはフォローしないわよ」

「おう……怒るだろうなあ」

 

深刻な表情の智哉に対し、姉はニンジン入りのマカロニチーズを頬張りながら呆れ果てた眼差しを向ける。

これから智哉は、とある人物に電話をするのだ。

ある事を、伝える為に。

 

「怒るならまだ良いと思うわよ。泣いたらサリーとあたしに一回ずつ半殺しにされる覚悟はしときな」

「姉貴もかよ!?姉貴は共犯みてえなもんだろ!!あと二人に一回ずつって死んじまうじゃねえか!!」

「うっさいわね!元々はあんたがどこにでも首突っ込むからでしょうが!!!!」

「仕方ねえだろ!!ダンをほっとけねえってのは姉貴も賛成してたじゃねえか!!」

 

ぎゃあぎゃあと姉弟喧嘩を始める二人の前に、茶髪にブラウンの瞳の幸薄そうな男が近寄る。

その人物に姉弟は目を向けた。智哉は既に姉にパロスペシャルを仕掛けられている最中であった。

 

「やあ、トモヤ君、ミッドデイさん……丁度二人ともサラトガにいてよかったよ。話があるんだ……」

「うっすライエンさん、また顔青いっすけど……」

「あら、久しぶりねーライエンさん」

 

訪問者は智哉の友人、元オブリーエンレーシングのジュニア担当にしてチーム・クールモアの新進気鋭の出向トレーナー、ライエン・モアであった。

ここまでグローリーカップで二勝、トレーナーズカップでも勝利を収めている。

怪人に次ぐ実績を持つ若手の有力トレーナーである。

顔も悪くは無いので、よくこちらの肉食ウマ娘にちょっかいをかけられていたりもする。

そして彼はとんでもない激務であった。

 

「また、帰国しろって、チーフに言われたんだ…………」

「……マジ?ライエンさんそろそろ死なねえそれ?」

「ハービーがさ、面倒みろって……」

 

ハービーとは、彼が突然チーフに呼び戻されて英国で契約していた統括機構の大手チームであるチーム・ハイクレアに所属しているウマ娘の愛称である。

例のアスコット・スキャンダルによりトレーナー不足である統括機構は、現在各チームのトレーナーが激務に晒されている。

有能なトレーナーであり、オーナーの子飼いである彼は特に引っ張りだこであった。

彼のオーナー、嫌味眼鏡ことエイベル理事はこう言った。

 

『……アメリカで実績を積んでいるようだが……私の勘違いでなければ、君は英国人ではなかったか?』

訳:アメリカでしっかり実績を積んでいるようだね。こちらでもレースに参加してはどうだろう?

 

『丁度暇そうな君に良い話がある。私の友人のチームが、エース候補のために優秀なトレーナーを探していてね。君を推薦しておいた。働きたまえ』

訳:君の為に良い話があるんだ。私の友人が君にエース候補を預けても良いと言っている。君ならやれるさ、期待しているよ。

 

嫌味節全開である。エイベル理事の娘、ジェシカこともやしは近くで聞いていたが特に通訳をしなかった。

もやしは激務で萎びていたのである。

そして現在ライエンは激務が待っている現実に絶望していた。

こちらでも気苦労が多いのに英国でこき使われるのも確定したのである。

 

「トモヤ君、だからあの件は来年は手伝えなくなるかな……多分あっちだから」

「あ、いる間だけでいいんで……オブリーエンとか止めねえのかよ……」

「お嬢さんはお嬢さんで今大変だからね……」

 

もやしは現在G1戦線にも顔を出す有力トレーナーであり、チーム・クールモアの代表の娘であり、トレーナーの大家の令嬢である。

しかもまだ十代で、何かに目覚めている上に気性難だが外面は良い。そして見た目も美しい令嬢である。

要するに高嶺の花で人気者である。父が止めているが縁談の話が山ほど届くのだ。

更にはお近付きになりたい恐れ知らずの若手男性トレーナー達が、統括機構主催の社交会や業務中に何かと世話を焼きたがるのである。

その対処と普段の激務でもやしは参っていた。そしてアメリカでレースに名前が出てこない同期に楽してるんじゃないわよあの男と何故かブチ切れていた。

奉仕作業の為に帰国したらこき使ってやると考えているのだ。

そんな現状を知らない智哉はライエンに心底同情した。明らかに無茶ぶりされすぎである。

 

「それじゃ、今年までは手伝うからね……お嬢さんに勝手に名前教えた件はそれで許してもらえるかな……?」

「あ、うん、もういいっすから……とりあえず寝てください」

「大変そうね、あっちは……ウチのチーフとか大丈夫かな……」

 

用件が済んだライエンが、ふらつきながら去って行く。

背中に哀愁があった。哀れな男である。

 

「じゃ、さっさと電話しな。ちゃんと言うのよ」

「おう……」

 

気を取り直した姉が、智哉に電話を催促する。

智哉も覚悟を決めた。伝えなければならないのは変わらないのだ。

携帯を手に取り、英国の国番号を入力し、国際電話を始める。

そしてとある人物に代わってもらうように伝える。

程なく、その人物が電話に出た。

 

『トム、お電話うれしいわ。でも昨日お話したばかりだけど……どうしたの?』

「ああ、フラン………話があるんだ。聞いてほしい」

『ええ、何かしら?』

 

 

 

 

「ごめん、今年も帰れないかも…………」




次回、ガチギレ。
フィドリングブルは架空の競走馬です。
元ネタは新・刑事コロンボから。


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第十六話 新大陸の、ファラオ

なんかやけにUA多くてビビってるんやで……何があったの……。
読んでくれる事には感謝しかないんやで。
過去パートに色々盛り込んだら文字数かけすぎたんやで……このネタ大好きだからやりたかっただけなのに……ガチギレ回は次回になってもうたやで…許して…一万字超えてて流石に切りが悪いなって…明日書くから…。


「へへへ……この子の髪型をボブカットにされたくなかったら、まともな貞操観念でお付き合いしてくれるヒトミミの女性と日本行きの飛行機を用意しろ!!おっと動くなよ奥さん。いいのか?この子が草食系ウマ娘になっちまうぞ?」

「美容師さん!一体どうしたんだ!?警察はまだか!?」

「誰かあの子を助けて!立派な肉食ウマ娘に育てたいのよ!!」

 

一年と二カ月前のニューヨーク州エルモントのとある美容室、ここで一人のハサミを持った美容師の男が、ウマ娘の幼女を人質に立てこもっていた。

アメリカのウマ娘にとって、「尻尾を切る」が語源であるボブカットはあまり好まれない髪型である。

勇ましいウマ娘が建国した大国アメリカにおいては、面子や縁起にこだわるウマ娘が多いのだ。

人質の幼女は西海岸の名トレーナーの令嬢で、ここには家族と使用人を連れてレース観戦に来ていた。

大きな金色の瞳と、ブルネットの髪をツインテールにまとめ、濃い色合いの鹿毛の尻尾と耳、そしてエジプトのピラミッドのような三角形の髪飾りが印象的な幼女である。

一見大人しそうな幼女だが、その瞳は図太そうな意志の強さを宿しており、人質にされている状況を楽しんでいる節があった。

警察はまだ到着しておらず、通行人が固唾を飲んで状況を見守っている。

 

「余をたすけるのだビリー、たすけるのだー」

「奥様、ほっといても自分で逃げますよ?アレ」

「ビリー!あなたうちのファラが心配じゃないの?助けてらっしゃい!」

「いや、それ使用人の仕事じゃないですし……それに自分の本業はトレーナーですから」

 

全く感情のこもっていない声で助けを求める人質。

その母らしい貴婦人が泣き崩れたフリをしながら、使用人の少年へ無茶ぶりをかます。

余裕そうであった。そもそも髪くらいまた伸ばせばいいのである。

この様子を物陰から、とある人物の尾行をしていた二人組が眺めていた。

 

「ザフティグ、行ってはいけない。ワタシ達競走バ、警察違う」

「止めないでインディ!せめて私が人質を代わるわ!」

「ダメ!」

 

片方は羽飾りのついたバンダナを付け、長い黒鹿毛を三つ編みにまとめた褐色のウマ娘。

アメリカ大陸にかつて大帝国を築いた原始ウマ娘の血が濃い、ネイティブウマ娘の家柄の娘であるインディアンブレッシングという競走バである。

そしてもう片方はスタイル抜群の豊満な肢体を持ち、ウェーブのかかったブロンドの髪が特徴的なウマ娘。

インディの同期の競走バ、ザフティグと呼ばれるウマ娘である。

彼女達二人はとある人物を尾行中であった。

チーフと尊敬する先輩の紹介で短期契約を結んだ、知名度実績ともに抜群ながらも胡散臭いトレーナーを自らの目で確かめるためである。

 

「……あの男、こういう時動く。確かめるチャンス」

「…なるほどね、見せてもらおうじゃない?」

 

その二人が尾行している人物は、この喧騒から離れた被服店にいた。

 

<オヤジ、これは牧師の服だな?売って貰いたい。小物に十字架もあると助かるが…>

「ヘ、ヘイ、ありますとも」

 

覆面にトレードマークの中折れ帽姿の怪人が、牧師のガウンと十字架を購入し、その場で着込む。

アメリカの宗教事情はダーレー、ゴドルフィン、バイアリーの三女神よりも、実在説もある女神エクリプスが強く信仰されている。年度代表表彰にも名前が使われている程である。

今購入した牧師ガウン、そして十字架もエクリプス教に準じた造りのものであった。

これを尾行中の二人は怪訝な目で見ていた。

 

「牧師の格好…?何故?」

「きっと何か意味ある。あの男、切れ者」

 

怪人が次に向かったのは食料品店であった。

そして店主に声をかける。

 

<店主、バスケット一杯にウマ娘、それも幼い子供の滋養に良いものを見繕ってほしい。バスケットごと買おう>

「え、ええ、ミスターヴェラス」

 

商品を受け取り、怪人はようやく現場に向かった。

 

「何?何がしたいの?」

「牧師のフリするなら、覆面外すべき。あれだとすぐばれる」

 

牧師に変装した怪人であったが、その特徴的すぎる覆面を外していない。

怪人はアメリカを騒がせている著名人である。バレないはずがないのだ。

事実、現場に近付いただけで歓声が起こった。

 

「おお!あれはミスターヴェラス!」

「なんだあの恰好は?何かするつもりなのか?」

 

理容店に近付く怪人に、人質の使用人の少年が立ち塞がる。

ヒスパニック系の浅黒い肌に黒髪黒目の少年であった。

怪人はその容貌に見覚えがあった。

同業で、西海岸の大手チームで若くして実績を積む将来有望な少年と記憶している。

 

「待て、ミスターヴェラス。それ以上ウチのお嬢に近付くことは許さん」

<……君は、ビクトル・エスペランサだな?チーム・ウィンスターの秘蔵っ子、神童ビリーに名前を覚えていてもらえるとは光栄だ>

「こちらこそ貴方に名前を知っていてもらえるとは…いや待て、そんな話は後だ。あの美容師を刺激するのはやめてもらいたい」

 

使用人の少年──ビリーは現在15歳。学生と使用人、そしてトレーナーの三足の草鞋を持つアメリカ競バ界における最年少トレーナーである。

アメリカ競バ界では就業年齢である14歳からトレーナー資格の取得が可能であり、彼は持ち得るその実力により既にG1も勝利しており西海岸の神童として賞賛を浴びている。

英国の最年少トレーナーの栄誉を持つ才女ジェシカ・オブリーエン。

競バの王の懐刀、鬼才ライエン・モア。

若手最高峰の呼び声が高いチーム・ゴドルフィンの天才フランチェスカ・ディ・トーリ。

ジョエル・ガスデンの右腕、チーム・クレアヘイブンの秀才ウィル・ベック。

豪州競バ界で一年目にしてG1コーフィールドギニーズを勝利した麒麟児ルーク・ノーラン。

そして日本の長期トレーナー免許を取得し、相棒の心の叫びに応え、かの英雄と日本最高のトレーナーである豊原武尊のコンビを見事に破ってみせたフランスの俊英クリスティアン・リメイユ。

彼らと並び、世界の競バにおいて若手トレーナー旋風を起こしている一人である。

その彼がお嬢と呼ぶ人質の幼女、怪人は人質の素性に予測がついた。

 

<成程、バフェット家のご令嬢か。警察の到着が遅いわけだ>

「そういう事だ。手出しはしないでもらおうか」

 

バフェット家──アメリカ競バ界における西海岸の雄、トレーナーの一族の名家である。ケンタッキー州に本拠を置く名門チーム・ウィンスターのオーナーに熱望され、現在はチームを率いている。

現当主ボビー・バフェットはアメリカで四度のリーディングトレーナーに輝き、既に殿堂入りも果たしているアメリカ競バ界の重鎮である。

警察機関にも影響力を持つ彼、そしてこの事件の裏にいる事を荒立てたくない人物が、気性難の警察ウマ娘の出動に待ったをかけているのだ。

その理由も怪人は当たりを付けている。あの幼女は美容師の協力者である。

 

<……私はただの牧師だ。ここには食料の差し入れに来た>

「どこからどう見ても、あなたはミスターヴェラスだろう?ヒーロー気取りでお嬢に危害が及ぶ真似は看過できない」

<私に任せてもらえないか?私が助けに来たのは君の主人ではない。彼だ>

 

怪人の視線の先には、人質の幼女、そして彼女にハサミを向ける美容師。

アメリカはウマ娘が建国した大国である。

当然ウマ娘の地位は非常に高く、ややウマ娘尊男卑の傾向があり、そのような中で育ったであろう男の凶行。

ここに来る前にある場所を訪れていた怪人は、男の本当の目的を察している。

 

<刺激はしない事は約束する。彼が拒めばすぐに引き下がろう……話だけでもさせて貰えないだろうか?>

「………奥様、どうされますか?」

「面白そうだからミスターヴェラスにやらせてみましょう。ファラなら飽きたらあの男を引っ叩いて逃げるでしょうし」

 

怪人の提案に考慮の余地を感じたビリーが、主人の母に確認する。

あっさりと許可は出た。そもそも彼女は面白そうだという理由でビリーをけしかけてみたかっただけである。

ちなみに幼女も別の目的で人質になっているだけだった。

愚かなヒトミミはウマ娘の幼女に絶対に勝てないのだ。

 

<ありがとうご夫人、そしてビリー君。お嬢さんの無事は約束しよう。絶対に彼は手出ししないはずだ>

「何だ、その確信は……?」

 

ビリーからの問いには答えず、怪人が美容室の窓から外を伺う美容師の男に近付く。

男はすぐに気付いた。話題の怪人トレーナーが、特徴的すぎる覆面はそのままに牧師のコスプレをしているのだ。気付かないはずが無い。

 

「み、ミスターヴェラス…?近寄らないでくれ!」

<今の私は通りすがりの牧師だ。食料の差し入れに来た。中に入れて貰えないか?>

「だ、駄目だ!それだけは認められない!!腹なんて減ってない!」

<……君は、平気だろうな>

 

この怪人の返答に男の顔が歪む。

この立てこもりの裏を怪人に見透かされている、その苦渋が漏れ出していた。

怪人と、協力している男を見比べ、母親からファラと呼ばれた幼女が声を上げた。

 

「びようしさん。このものをなかにいれよう」

「……!?駄目だ!!絶対に駄目だ!!」

「きっとだいじょうぶだ。ミスターヴェラスはヒーローだとテレビでみた。そうだんにのってくれるさ」

 

ファラの発言は論拠に乏しいものだったが、その声色は男に寄り添う親身な優しい言葉であった。

男の手の中のハサミが震えた後、地面に音を立てて落ちる。

 

「……入ってくれ、ミスターヴェラス」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「ジャスティ、動けるかい?ミスターヴェラスがお見舞に来てくれたよ。食べ物もあるんだ。お腹は減ってないかい?」

「……おにいちゃん、かいじんさんがきてるの?ほんとう?」

「うん、本当だよ。ジャスティはおうちで会った事があったね?」

 

怪人は美容師の男に招かれ、美容室の奥、居住スペースでベッドに横たわるウマ娘の幼女の元へ案内されていた。

薄い栗毛に境目が朧気な縦に流れる流星、そして病的に青白い幼女であった。

怪人はこの幼女に面識があった。渡米一年目、孤児院に慰問した際に出会っているのである。

ジャスティと呼ばれるこの幼女は競走バとしての才能に恵まれている反面、持病を持ち体が弱い幼女だった。

 

<やあ、ジャスティファイ。先生から君がいなくなったと聞いて心配していたよ>

「かいじんさん!せんせいおこってた?」

<怒ってはいないさ。ただ、出かける前に相談するべきだったね>

「うん……」

 

怪人がジャスティの頭を一撫でし、安心させた所で男を伴い部屋の外に出る。

彼女、ジャスティファイは身寄りの無い孤児ウマ娘である。

そんな子供が孤児院を出た理由、それは──

 

<やはり、手の者が追ってくるかね?>

「……ええ、きっと来ると思います。その前に事を荒立てて警察の目に付かせようと思ったんですが……素直に通報しても、正規の手段で契約したと言われては何もできませんからね」

 

美容師の男、マイケル・スマイスと名乗る青年は定期的に孤児院を訪れ、孤児達の髪を無料で整えている地元でも評判の美容師の青年であった。

この情報を孤児院の教師より聞いていた怪人は今回の事件の裏で、青年がジャスティを匿っていると確信していたのだ。

バフェット家の令嬢は朝の散歩中にたまたま青年がジャスティを匿う所に出くわし、誘拐と思い問い詰めて事情を聞き、正義感の強い彼女は協力を申し出ていた。

そして、孤児院でもう一つ聞いていた事実があった。

 

<彼女とスポンサー契約するトレーナーについてだが……あまり評判は良くないようだな?>

「余もしっているのだ。ウィリー・フィクスとかいうおとこだ。ドーピングのぎわくもあるし、マフィアとのかんけいもうわさされている。トレーナーのかざかみにもおけん」

 

男の協力者、ファラと名乗ったバフェット家の令嬢が眉を顰めながらそう語る。

ジャスティのスポンサーとなる男、フィクス氏はニューヨークの富豪で、黒い噂が付きまとうトレーナーであった。

件の富豪がジャスティの才能に目をつけ、子飼いにしたイタリア系マフィアを使った孤児院の地上げにより、ジャスティとのスポンサー契約を強要したのを察知した青年が、彼女を連れ出したのが今回の発端である。

 

「いずれ、あしがついてさばかれるだろうが……そのまえにあのむすめにきがいがおよぶ。余はファラオのなをかんすものとして、そのようなことはみすごせない」

<ところで、君は何故ビリー君にこの事を話していない?彼なら協力してくれるだろう?>

「あれは余のトレーナーにするおとこだ。どうねんだいのウマむすめは、ちかづけたくない」

<……??よくわからない理由だが……>

 

ファラの言うことに怪人は首を傾げるも、そういう事もあるだろう、と無理矢理納得した。

それに彼女の心配は杞憂である。

ここにかつての天才トレーナーがいるのだ。

 

<マイケル・スマイス。名前を聞いた時は驚いたよ>

「……トレーナーはもう辞めたんだ。今はしがない美容師だよ」

「なに!?びようしさんはトレーナーだったのか!?」

<トレーナーも何も、彼はかのゼニヤッタと契約の約束をしていた男だよ。幼馴染らしいな?>

 

マイケル・スマイス──かつてエクリプス賞最優秀専属トレーナー部門を、最年少で獲得した元トレーナーである。

そんな彼はある日突然、デビューを控えた幼馴染の前から姿を消した。

怪人が彼を知っているのは全くの偶然である。当の幼馴染本人から自分がスマイスだと疑われたのだ。

いつもの飄々としたヤッタを知っている怪人の中身は困惑し、仕方なく正体を明かしている。

この怪人の発言に青年が顔を歪める。

何で知ってるの!?と言いたげであった。

彼はある日覚えのないドーピング違反を追求され、失意のまま競バから離れた身の上である。

ヤッタとの約束を果たせずに。

 

<君のコネを使えば、こんな問題簡単に解決できただろう?何故そうしなかったか疑問だが……>

「使えば足がついてヤッタに知られるだろ!?俺の居場所は内緒にしてくれ!!」

<……契約の約束までしておいて、逃げるのはどうかと思うぞ。それに偽名を名乗っていないのは未練があるからだな?>

「うっ……それを言われると……」

 

痛いところを突かれた青年がさらに顔を歪める。実際にトレーナーへの未練は残っていた。

 

<ミス・ヤッタは君を捜し続けている。顔くらいは見せてやりなさい。君の無実も彼女が証明済みだ>

「……どの面下げて会えばいいんだ。それはできない」

<……後悔だけはしないようにな>

 

会った瞬間重バ場確定である。

ヤッタもアメリカの肉食系ウマ娘の端くれなのだ。

この二人の会話の裏で、ファラは電話をかけていた。

幼いながらも名家の令嬢である彼女は、既に頭の中で算盤を叩いている。

かつての天才トレーナーと有力なウマ娘を同時に獲得するチャンスと、悪名高い富豪トレーナーを敵に回す事を天秤にかけ、ある人物へ催促したのだ。

 

「ちちよ、これはチャンスなのだぞ?かのスマイスとゆうりょくなウマむすめをどうじにかくとくできるのだ」

『……助けたいなら素直にそう言え。あの業突く張りはいずれ制裁しようと思っていたから気にしなくていい。それとスマイスには必ず恩を着せろ。是が非でも欲しいな』

「そうか!ならばすきにやるぞ!」

 

電話をかけた相手である彼女の父、ボビー氏は端的にそう述べた。

娘の教育が上手くいっているのに満足している反面、幼い身空で利に聡すぎるのは心配の種であった。

 

「きょかはでた。けいやくしょにはサインしているのか?」

「許可…?いや、今日契約するはずだったんだ。その前に俺が連れ出したんだよ」

「それならばきまりだ!ジャスティはわがいえであずかろう!びょうきのちりょうもわがいえと、こんいのいしゃをしょうかいするのだ」

 

自信満々な様子で、ファラがドンと胸を叩く。

これに怪人が腕を組み、同意した。

 

<電話の相手はボビー氏か。彼が後ろ盾に付くなら大丈夫だろう。後はもうすぐ来るだろう地上げのチンピラと、警察か>

「警察には自首するよ。事情は説明しておきたい」

「そのひつようはないぞ?びようしさん」

 

ファラにはもう一つ名案があった。

青年の犯行とも言い難い行動を、同意の上で実際にやればいいだけである。

恩を売れという父の指令とも合致している。

 

「けいさつは余にふくあんがあるのだ。チンピラは……」

<私が相手しよう。頼りになる二人もいるからな>

「ふたり……?とにかくきをつけるのだ!」

 

ファラの激励に、怪人がエクリプス教の牧師ガウンをひらひらと動かして示す。

 

 

 

 

 

<心配いらないさ。その為にこんな格好をしている>




バフェットさんはクリーンなトレーナーです。いいね?
富豪さんは当然競馬関係者が元ネタではないです。
ニューヨークの富豪ヴィランってこいつしかおらんやろなって……。
エスティちゃんとかアレの話題の伏線は一応用意したけど多分やらん方がええかな……ウマ娘世界でアレやったら人死に出そうだし……。


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第十七話 怒れる、怪物

「出てこないわね……」

「中、気になる。裏口から忍び込む?」

「やめなさい、まだ早いわ。トレーナーに気付かれたら面倒よ」

 

飛び込もうとするインディを制止しつつ、ザフティグが物陰から様子を伺う。

怪人が美容師に招かれてから三十分ほど経っていた。

 

「警察、まだ来ない」

「おかしいわね……ここは街の中心よ。警察署からも近いわ」

 

警察がまだ来ていない事に、二人は不審感を覚えていた。

既にザフティグが通報している。

三十分も遅れるはずが無いのだ。

 

「……ザフティグ、出てきた」

「トレーナー、だけ?二人は?」

「いない」

 

二人、そして見物人が見守る中で、美容室の扉が開く。

出てきたのは、怪人のみであった。

 

「ミスターヴェラス、お嬢は……?」

<ビリー君、お嬢さんは無事だ。立てこもり自体が彼女と店主のちょっとした悪戯だったよ>

「何……?ウチのお嬢ならやりかねないが……」

 

知能犯の主人ならやりかねない、と怪人に声をかけたビリーが納得し、見物人がそうだったのかと安堵する。

スマイス青年は評判も良く、このような事をする人物のはずが無い、というのが見物人の共通の認識であった。

彼の孤児院への奉仕が実を結んでいたのだ。

ところが、この説明に納得がいかない大男と小男の二人組がいた。

 

「ミスターヴェラス、それは本当なんですかね?」

<失礼、君は?>

「おっと、私どもはこういう者でして……」

 

小男が名刺を怪人に渡す。

怪人がそれに軽く目を通してから、口を開いた。

 

<ほう…フィクス氏の代理人か。噂はかねがね聞いているよ>

 

お前等の事は知っているぞ、と言外に悪し様に言われていることに気付いた小男が不快そうに鼻を鳴らし、大男が指を鳴らして威嚇する。

人間の威嚇など怪人には全く効かない。

この二人組は、80年代のサンデーサイレンスを発端とする競バマフィア一斉摘発により、大幅に衰退したニューヨークのイタリア系マフィアの一員である。

かつては東海岸の競バに根を張る大組織だったが、超気性難にトレーナーの身柄を脅迫材料にした八百長を持ち掛けたのが運の尽きであった。

その場で話を持ち掛けた組織のフィクサーと銃で武装したボディーガードを半殺しにした彼女は、フィクサーの頭を掴んで引きずりながら警察に出頭したのだ。

ついでにライバルにもその事を伝えた。

エリート競走バ一族の彼女の耳に入ったのが、マフィアにとっては致命傷であった。

トレーナーは自力で脱出した。

それくらいやれないと超気性難の担当など務まらないのである。

そういう経緯で、ニューヨークのマフィアは現在金持ちの小間使いや用心棒として糊口を凌いでいる身である。

更に近年は執事喫茶の運営や常習性の高いニンジンの闇取引で勢力を広げるウマ娘マフィアにも圧されつつある。

そしてこの二人組、今回は絶対連れてこいと言う指令が雇い主から出ていた。

彼らも必死である。

三食薄いオートミール生活は懲り懲りなのだ。

メンツとかつて栄華を誇ったマフィアの歴史では腹は膨れないのである。

 

「ミスターヴェラス、私どもはですねえ、フィクスさんからの依頼で、ここにいるはずのとある女の子の保護を仰せつかっているんですよ」

「その子は病気でなあ、早く病院に連れてかねえと大変な事になりやすぜ」

 

大仰に手振りを交えながら、見物人の同情を誘うように二人組はそう言ってのけた。

彼らも荒事に関してはプロであり、相手、つまり目の前の怪人との戦力差をしっかり把握している。

噂通りの超人ならウマ娘並に厄介な相手である。

愚かなヒトミミは超人に絶対に勝てないのだ。

更には見物人がおり、警察もいずれ到着する中で強硬手段には出れない。

雇い主の命令でここまで地上げ行為に恐喝紛いの契約の強要と危ない橋も渡っており、出直すと言う選択肢は取れなかった。

彼らは知らないが出直した時点で幼女と孤児院はバフェット家が後ろ盾になるという事実もあった。

要するに既に詰んでいる。哀れである。

そこで彼らは正攻法で攻める事にした。

雇い主から連れて来いと言われている上に、ジャスティは持病持ちである。嘘は言っていないのだ。

怪人が中に入ったなら事情を聞いている可能性は高い。

怪人がここにそんな幼女はいない、と話したらそこに付け込めば良いし、いると言うならそのまま保護すればいいのだ。

 

<ああ、ジャスティファイの事かね?ベッドで寝ていたよ>

 

そして、怪人は事も無げに件の幼女がここにいる事を話した。

これに小男はほくそ笑んだ。面倒な遣り取りで警察の到着まで時間を稼がれる懸念が無くなったのである。

 

「ああ、本当ですか!?なら早くその子を連れて行かないと!入らせてもらいますよ」

<すまないがそれは不可能だ>

「……何ですって?」

 

怪人は、胸元のエクリプス教の十字架を握りしめて、言った。

 

<ジャスティファイの洗礼の準備中だ。私はその為にここに来たからな>

「は……?」

<祭司は私が務める。場所がここになったのは美容師の彼からの提供だ。病院は私が責任を持って連れて行こう>

 

エクリプス教は簡易な儀式で、一般信者でも教会に届け出れば洗礼を授ける事が可能な緩さが売りの宗教である。

聖別された水も水道水や井戸水、更にはコンビニで売っているミネラルウォーターでも代用が可能である。

「めんどくさいからそれでいいわ」と神は仰った、と聖書にも書かれている。

一説には女神エクリプスが三女神に対抗する信仰を得るためにこの方式になったとも言われている。

合理的な思考を好むアメリカで流行った理由もここにあった。

怪人の中身の実家もあちらでは珍しいエクリプス教の信徒である。

中身の父が、自慢げに家宝の折れた日本刀を聖遺物だと嬉しそうに語るのを中身は聞いている。中身は信じていない。

ちなみに中身の洗礼は家族からの池への投げっぱなしジャーマンであった。

 

「おお!ミスターヴェラスの洗礼が受けれるとは幸運な子だなあ」

「ミスターヴェラス、うちの子にも洗礼していただけないかしら」

 

エクリプス教の信仰厚いアメリカでは、洗礼の邪魔や横入りは御法度である。

流石のマフィアもここまでされては手が出せなかった。

怪人はここまで読んでいたのだ。

ジャスティへの追手が来ることも、警察の到着が遅いことも。

 

「あ、兄貴……」

 

大男が不安そうな顔で小男を見つめる。

警察も、来てもおかしくない程に時間は過ぎている。

もう、打つ手は残っていなかった。

 

「……帰るぞ!」

「ま、待ってくれよお兄貴!」

 

小男が踵を返し、肩を怒らせながらその場を去る。

大男は慌てて追い縋り、道の向こうに見えなくなった。

この様子にビリーが首を傾げる。

状況が目まぐるしく変化していたのは理解できたが、その裏まではさっぱり読めなかった。

 

「……何かが、あったようだが……?」

<ああ、君には説明を……>

 

「それは余がせつめいする!!」

 

この声に、怪人とビリーが目をそちらに向ける。

見た瞬間ビリーは口をあんぐりと開けた。

誰の声かはわかっていたが、その様が大きく変わっていた。

 

「お嬢、髪………」

「どうだ!にあうか?」

<よく似合っているよ。ファラ嬢>

「ありがとうミスターヴェラス!ビリーはどうだ!?」

「あ、ああ、似合ってはいるな」

 

声の主は、ビリーの主人であるファラであった。

髪型が、ツインテールからボブカットに変わっていたのだ。

これが彼女の腹案であった。美容師の要求通りにしたのである。

実際、ボブカットは彼女によく似合っていた。

ブルネットの髪がよく映える髪型である。

 

「はしりやすくてわるくないな、ボブカットも」

「ひあってるお、おへえひゃん」

「ジャスティ、口の中の物を飲み込んでから喋りなさい」

 

満足げな表情のファラに続き、差し入れを口いっぱいに頬張ったジャスティとスマイスも現れる。

ジャスティは病弱だが食欲は異常と言う程に旺盛であった。

孤児院のエンゲル係数は高い。

ファラがにやり、と笑みを浮かべスマイスに近寄る。

 

「びようしさん、これでびようしさんはジャスティをまもれて、けいさつにもいかなくてよくなった」

「……ああ、君とミスターヴェラスには感謝しかないよ」

「それに、おんながかみをささげたのだ。これはもう、びようしさんは余にかりがあるな?」

「……そうだね……わかったよ。恩は、返さないとな……」

 

薄々と、スマイスはファラの要求に予測がついている。

ヤッタと会うのはまだ怖いが、そもそも自分も未練はあるのだ。

良い機会ではあった。

 

「復帰するよ。ヤッタに何て言おう………」

<会いたくなったら言いたまえ。私が連絡しよう>

「助かるよ。心の準備だけはしたいな…」

 

スマイスは、競バの世界に戻る覚悟を決めた。

これに反応したのは彼に懐いている食いしん坊である。

 

「おひいひゃんホレーハーひほほるの!?ビャスティほもへいはくひへ!!」

「ジャスティ、飲み込んでから言いなさい」

 

この二人を眺め、うんうんとファラが何度も頷く。

かつての天才トレーナーと有力そうなウマ娘を同時に獲得し、更には善行まで為せた。

自己採点は満点である。

そこに、ファラの母、バフェット夫人が合流した。

 

「電話でボビーから聞いたわ。ジャスティちゃんはその子?」

「おお!ははよ!いだい!?」

 

夫から事情を聞いたバフェット夫人はすかさずお転婆な愛娘に拳骨を落とした。

お説教である。

 

「最初から!言いなさい!あと!まだ問題はあるでしょ!!」

「ええ~、なにがあるのだ?」

「まずちゃんと悪い人は懲らしめないとだめでしょ!それと髪!縁起が悪いわ!」

 

バフェット夫人はお手本のようなアメリカの貴婦人である。

要するに超肉食の武闘派ウマ娘なのだ。その彼女から見て二点の不満点があった。

まず一点、あの二人組を締めずに帰した事。

そしてもう一点が娘の縁起の悪い髪型であった。

 

「かみは、もんだいないぞ」

「……言ってみなさい」

「余は、ジンクスやえんぎなどはねのけてみせよう」

 

真剣な表情でファラが母に誓うように語る。

ファラは生まれついての天才競走バである。

その彼女は、胸に秘めた夢があった。

 

「験担ぎなどくだらぬ。余はこの髪型で三冠ウマ娘になって見せよう」

 

 

「──この、アメリカンファラオの名にかけて」

 

 

米国クラシック三冠──ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスの三つからなる、5月から6月にかけて開催される3歳限定G1競走である。

その開催時期の短さとハードなレース内容から、アメリカでこの三つを獲り三冠ウマ娘となるのは世界で最も難しいウマ娘の栄冠の一つとされている。

それを、ファラ、いやアメリカンファラオは獲って見せると誓ったのだ。

これに母は感激した。親バカである。

 

「よく言ったわファラ!ビリーあなたも何か言いなさい!」

「自分もですか?まあ、そうだな……がんばれお嬢」

「なんだそのいいかたは!もうちょっときのきいたことをいうのだ!」

 

適当な使用人の返事にぷんすことファラが怒る。

このファラのかっこいい誓いにジャスティは感銘を受けていた。

なお口には追加で差し入れが入っている。

 

「びゃあビャスピもはる!はんかんふまふふめ!!!」

「ジャスティ、口に食べ物を放り込みながら喋るのはやめなさい」

 

ファラとは正反対な、締まらない誓いであった。

このやり取りを横目に見ながら、怪人はとある方角を注視していた。

怪人は以前、尾行を受けた経験がある。

その経緯から背後には常に気を配っていた。

その気配が無くなっているのである。

 

<どうやら、行ったようだな>

「ん?そういえばミスターヴェラス、たよりになるふたりはどこにいるのだ?」

 

 

 

<追っていったらしい。これで何の憂いも無いな>

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「クソ!あのヒーロー気取りが!!」

「兄貴ぃ、どうすんだよお?フィクスさんにクビにされたら……」

「まだだ!こうなったら強行手段だ!組に戻って頭数揃えれば……」

 

ジャスティの保護に失敗した二人組は、車で組への帰路についていた。

大失態を犯し、怪人に恥をかかされた。

このままではマフィアとして引き下がれない。メンツで腹は膨れないが大事な商売道具なのだ。

 

「ガキさらうだけの楽な仕事のはずが、何であんなのが出てくるんだ!クソックソッ……」

 

現在は信号で停車中である。

そして、怒りで周囲を見れていない小男と、元々勘が鈍い大男は気付いていなかった。

自分達が、尾行されている事を。

隣の車線の、ウマ娘が二人乗りしているサイドカー付き大型二輪がずっとついてきている事を。

 

 

「聞いちゃった~!」

「うん、聞いた。悪い奴」

 

 

バイクを運転していた、大柄でグラマラスなブロンドの髪のウマ娘が運転席側のドアを横から蹴破り、二人組を死なない程度に助手席側のドアとサンドイッチにする。

 

「ぐぶえええ!!?何しやがる!!?」

「いでででで!兄貴いでえ!!」

 

そしてもう一人、サイドカーに乗っていた褐色のウマ娘がトマホークを取り出して二人の前に突き立てた。

そして二人ともヘルメットを外す。ヘルメットの中身は、怪人を尾行していたザフティグと、インディの二人であった。

 

「ひいいい!!?」

「うわあああ気性難!!?気性難ナンデ!!?」

 

二人組はすかさず腰を抜かして失禁した。

アメリカヒトミミの風土病、気性難リアリティショック(K R S)を起こしたのだ。

 

「子供をさらう奴、足を切って荒野に晒す。ワタシの一族の罰」

「あなた達の顔は覚えたし、こっちの顔も覚えたわよね?ちなみに言うと、この子は本当にやるわよ~?」

 

この言葉に更に二人組は失禁した。

衰退したマフィアは人員不足の為、そういう処刑はやらなくなって久しい。

蛮族ガチ勢には遠く及ばないのだ。

 

「手出したらどうなるか、わかったわね?」

「は、はい……」

「助けて……」

 

二人組は完全に心が折れていた。

気性難の恐ろしさは先代から語り継がれているのである。

絶対に手を出すな、とは今も掟として残っている。

これを見てインディは斧を収めた。

心が折れたヒトミミの顔は見慣れているのだ。

 

「ザフティグ、たぶんもう大丈夫」

「…そ?じゃあ行きましょう」

 

そのままザフティグとインディはその場を離れた。

マフィアの救助はする気はない。

それに、二人ともそれよりも話したい事があった。

あの怪人の話である。

 

「トレーナー……ここまで読んで、あの恰好を選んだって事よね?」

「そうだとワタシ思う。じゃないと牧師、不自然」

「そうよねえ……何て、冷静で的確な判断力なの……」

 

胡散臭いが、その行動は善人そのもの。

そして、優れた判断力と頭脳の持ち主。

トレーナーとしても優秀なのは知っている。

 

「いい男よねえ。あれで顔がよかったらなあ。覆面じゃちょっとね」

 

ザフティグは面食いである。

怪人が良い男とは認めつつも、覆面では食指が動かなかった。

チームにいる穀潰しは顔は良いが頼りにならない。理想が高い女であった。

 

「……ザフティグ、あれ、ワタシの獲物」

「……インディ?」

 

そしてインディは、歓喜していた。

彼女の一族は、アメリカの原始ウマ娘の血が濃い。

つまり、超肉食系で、一族の風習で強い男を好む傾向が強く、そして──

 

 

「ミツケタ、ワタシの、獲物」

 

 

その強い男を、狩って伴侶とするのが一人前の証であった──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

時は戻り、現在──

 

「えーとな……11月に姉貴のウインターカップと、ちょっと仕事が入って……で、えーと、あの、ですね、今の担当の来年の初戦が、一月三日のハルズホープで…そうなると流石に離れられないっつうか…」

 

智哉は必死に、フランへ言い訳をしていた。

今年帰れない理由を説明しているのである。

フランは無言である。

智哉は何故か強烈な圧を電話越しに感じていた。

こりゃ目光ってるだろうな、と震え上がっている。

去年のように合宿で英国に連れて行く、という手段もあるにはあるが、担当の事を考えるなら地元で調整するのがベストな選択である。

もう担当の抱える問題は解決しているのだ。

 

『……トム?よく聞こえなかったわ。もう一度言って頂戴』

 

ようやくフランは口を開いた。

完全にご機嫌ななめの声色であった。

 

「えっと、帰れないんです。ごめん…」

 

智哉は自然と敬語を使った。

普段の練習の賜物ではなく自然に出ていた。

それほどに今のフランからの電話越しの圧は強烈であった。

 

『夏、どうして帰ってこなかったの?担当さん、お怪我でお休みしてたわ』

 

痛い所をモロに突かれて智哉の顔が歪む。

ダンに夢中になっていた時期である。

実際、一度帰るかと姉とも話していたが、ダンを放っておけなくなった智哉は断念した。

 

「えっとな、色々あったんだ。さ、サブトレーナーの手伝いもしてたしな!」

 

ダンのせいにはできない智哉は言葉を濁した。

流石にここで名前を出したらフランの心象が悪すぎる上に、姉からも物言いが入る。

 

『…そうなのね。それとトム、担当さんの事だけど』

「な、なんすか…」

 

フランはもう一つ、我慢ならない事があった。

今の智哉の担当への対応に物申したくてたまらない事があるのだ。

 

『あの、止めるの、やめて頂戴』

「えっ?いや、ああしないと止まれねえんだよ、あいつ」

『絶対ダメ。もうやめて頂戴』

 

智哉が担当を弁護するも、フランは絶対拒否の意向を示した。

そこは譲れなかった。

 

『練習して。絶対ダメ』

「お、おう…やってみる…」

 

結局智哉が折れた。

九歳児とは思えぬ、有無を言わさぬ圧があった。

ここでフランは我慢の限界を超えた。ブチ切れである。

 

『……ううううぅぅぅ!!!もおおおおおお!!!!!』

「フラン……?」

『トムのおばか!とうへんぼく!すかぽんたん!おばか!!』

 

ブチ切れたが、余り怒ったことが無いフランは悪口の語彙が余りにも少なかった。

少なすぎておばかは二回言っている。

 

「あっちゃ~、怒ってるわね……」

 

姉は既に弟から距離を置いている。

自分に飛び火する可能性を考慮しての行動である。

久居留家は母以外全員、保身に関しては長けているのだ。

 

「ごめんって、どうにかしたいんだけどな……」

『どうにかしてちょうだい!おばか!!』

 

フランは収まる気配が無い。ガチギレである。

 

『トムは携帯電話会社と同じね!新規契約の人には優しくて既存の人はそのまま!!!』

「それはひどくねえか!!どこでそんな言葉覚えてくるんだよ!!?」

『サリーからこう言うといいってきいたわ!おばか!!ウマむすめたらし!!!』

「フランやめろ!!!サリーさん何教えてんだよ!!」

 

流石の物言いに智哉も抗議を発した。

メイドの入れ知恵が酷すぎた。どこぞの契約で揉める競走バのような物言いであった。

智哉は悲しくなった。あの良い子だったフランが毒されている。

 

『もうしらない!勝手にしてちょうだい!わたしも勝手にするわ!!』

「ちょっフラン!あっ……」

 

フランは怒りのまま電話を切ってしまった。

智哉は申し訳なさで居た堪れなくなった。

去年も余り時間は作れなかった上で、今年はちゃんと帰るよと言っていたのだ。

このクズは約束を破ったのである。

電話が終わった事を確認した姉が、そんな智哉に近付いた。

 

「怒ってたわね~、ちゃんと埋め合わせはすんのよ?」

「わかってるよ。でもなあ……」

「何よ?」

 

「三年前は、あんな良い子だったのにな、フラン。なんでああなっちまったんだ………」

 

 

姉はマジかこいつ、という目で弟を眺めた。

原因がわかっていなかったのである。

 

 

 

 

 

 

「お前のせいじゃああああああ!!!!!!」



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第十八話 高潔なる、野兎

ずっと悩んでたけど出すわ!欧州競馬を語る上で重要な部分だし。
バッバと妹はお蔵入りさせるつもりだったけど設定は用意してたからそのまま出すやで。


ジュドモント家──英国ウマ娘統括機構(B U A)にその名を刻む、歴史ある大家である。

その歴史は古く、18世紀頃のアラブのとあるウマ娘王朝のマンニカという姫がヨークシャー州に移住し、その地でトレーナーの婿を迎え家を興した事に端を発する。

それ以来、ウマ娘が当主の際は優秀なトレーナーの婿、男が当主の際はウマ娘の嫁をそれぞれ迎えながら、常に英国競バに寄り添い繁栄を謳歌し、英国だけでもヨークシャー州、ロンドン市内、そしてニューマーケット近郊に広大な土地と邸宅を所有する大富豪としての側面も持つ一族である。

アイルランド公国、そしてアメリカにもその根を張り、欧州の財界においてもその影響力は大きい。

これ程の大家であるが、爵位は女王よりあくまで現当主個人へ、という形式での名誉称号であるナイトへの叙爵のみとなっている。

ウマ娘王朝の姫として、女王の臣下とされる事に抵抗があった初代当主と英国王室の間の約定によるものである。

 

このジュドモント家の次期当主には、現在九歳になる長女と、祖母の元でヨークシャー州に住む次女がいる。

ジュドモント家に生まれたウマ娘は、五歳までをヨークシャー州の旧宅で過ごし、五歳になれば旧宅中庭にある三女神の一柱、女神ダーレーの祠で洗礼を受けるというしきたりが存在する。

初代当主から続く伝統であり、ヨークシャー州の旧宅は現在の女主人、つまり現当主の妻である伝説のアメリカウマ娘が仕切っていた。

この女主人は自分の子が二人とも男だったために、次男夫婦の子を含む孫三人の教育をそれはもう張り切った。

英国淑女としてのみならず、自らの競走バ時代の経験と結婚までの経緯も姉妹に叩き込んでいるのだ。

姉妹の母は長女の五歳までを共に過ごし、現在も次女の為にロンドンの本宅と旧宅を行き来している。

次女は現在八歳であるが、おばあちゃん子で離れたくないと駄々を捏ねヨークレース場に隣接されているポニースクールに通っている身である。父は床を転がり回って泣いた。

姉妹とも当然ウマ娘であり、長女の容貌は既にジュドモントの妖精と呼ばれるほどに美しい。

そして競走においても天才である。

ポニースクールには一身上の都合で通っておらず、クラブ所属であるがそのクラブも何故かジュドモント家保有の一流クラブではなく、片田舎の中堅クラブに所属している。

理由は伏せられている。彼女の父、次期当主はその理由を誰に聞かれても固く口を閉ざすのだ。

しかし、この令嬢を語る上でそれは些事であった。

この令嬢は、未だクラブで誰にも負けたことが無い不敗の怪物なのである。

美しく、速く、そして英国に名だたる大家の長女──つまり、彼女の心を射止めた者、彼女と契約した者は、英国競バ界において全てを得ることに等しいのである。

当然、この高嶺の花はオブリーエンの姉妹と並び統括機構トレーナーや英国貴族の注目の的であった。

貴族からの婚約の申し込みから何とかお近づきになり息子をあてがいたいトレーナー、彼女に近づこうとする者は多い。

全て父とその忠実な専属メイドに却下されているが。

その令嬢は、今──

 

「もう!トムったら!本当にもう!!」

 

ぷんすこと怒っていた。激おこである。

アメリカ在住のとある青年が約束を破った事におかんむりであった。

現在彼女は夏休み中で、ヨークシャー州の祖母と妹の住むジュドモント家の旧宅とロンドンの本宅を行き来して過ごしている。

今日は青年を迎えた事もあるロンドンの本宅である。

その廊下を、専属メイドと共に怒りながら歩いていた。

 

「フランお嬢様がお怒りだ…」

「また彼かしら…?お嬢様より優先するものなんて無いでしょうに」

「彼はトレーナーらしいが誰とも契約している形跡が無いぞ。大旦那様に恥をかかせるとは…そんな男お嬢様に相応しくないのでは…?」

 

使用人達からも青年の評判はあまり良くない。

恩人らしい、そしてお嬢様と契約の約束をしているとは聞いているが、詳しい事情を知らない彼らにとって青年がその容姿で大事なお嬢様を誑し込んだようにも見えてしまうのだ。

肩身が狭く感じた青年は、少しジュドモント家に足を運ぶのを避けている節があった。

逃げれるときは逃げる男であった。

 

この件で青年を推薦した現当主は揶揄される事もあったが、事情を知る彼は「あの坊主はモノが違うわい」と笑い飛ばしていた。

老紳士の狙い通りである。ちゃっかり末娘を青年の実家のクラブに入れていた、青年の実家に隠された秘密を知っておりその血、その因子を欲する女王陛下も、ジュドモント家、そして青年の一族の初代当主との約定によりそれ以上の行動はできない。

このまま行けば誰の横槍も入らない確信を持っていた。彼は既に楽して生きたい青年を絶対に逃がさないように動いている。

孫の代まで安泰となれば悠々と当主の座を息子に継がせ、ウマ娘の追っかけをやれるのだ。

今も似たようなものである。

 

「サリー!今日の予定はなにかしら!!」

 

フランが怒りながらも、専属メイドに今日の予定を確認する。

彼女は九歳児だが、父から無理の無い程度に当主教育の一環として家業の手伝いを頼まれている。

それを彼女は嫌に感じたことは無い。

この家は好きだったし、家族の為に役に立ちたいという気持ち、そして名家の娘としての矜持をしっかりと持ち合わせていた。

 

「今日は分家のお嬢様との面会です。半年ぶりですね」

「まあ!レインお姉様がもういらしたのね!」

「リチャード様もいますが…あの方はまあいいでしょう。変に言質を取られないように」

 

そしてこのジュドモント家であるが、アイルランド公国で19世紀に分家を興している。

その家の名は、バンステッド家。

 

そして、その家には次代を担う兄妹がいた。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「まだですの!?早くしてくださいまし!」

「旦那様、ボディチェックはもう十分かと……」

 

淑やかながらも強気な視線のウマ娘の令嬢が、本家の次期当主に怒りをぶつける。

本家の令嬢の従兄弟を彷彿とさせる鹿毛の髪は緩やかなウェーブを帯びており、髪の一端を軽く括り、ハートのチャームが付いた水色のリボンを巻き付けている。

その背は同世代の少女達と比べ高く、耳はまるで兎のように長かった。

 

「まあ、いいだろう…レイン、よく来てくれたね。今日はゆっくりしていきなさい。リチャード、君は早く帰るんだ。面会は五分しか許さん」

「ははは…相変わらず手厳しいですね」

 

今日は目に入れても痛くない長女と分家の兄妹の半年ぶりの対面である。

この為に次期当主、セシルは激務の中ニューマーケットの邸宅よりロンドンまで帰ってきていた。

目的は、目の前の分家の兄の方、長女に付きまとう不届き者への牽制である。

分家の御曹司にボディチェックなど本来は必要ない。

 

「リックお兄様が毎回毎回フランにちょっかい出すからでしょう!?まったくもう……」

「ちょっかいなんて出していないさ、私はただ…」

 

分家の兄の青年は、若き日の次期当主によく似た、貴公子という言葉をそのまま具現化したような青年であった。

整った顔立ちに、艶のある金髪。そして16歳の身であるが、既にバンステッドの貴公子として著名人でもある。

このアイルランドの分家の次期当主の名は、リチャード・バンステッドと言った。

 

「ただも何も、九歳の女の子を口説くなんておかしいと思いなさいな!」

 

そして妹はウマ娘で現在10歳、バレットトレインという名である。

本来は、レインだけがかわいい妹分と会うはずであった。

幼い日にヨークシャー州の旧宅で会って以来、素直でやさしいフランとちょっとひねくれ気味だがしっかり者のその妹、そしてその二人の眠たそうな目の従兄弟。みんなかわいい彼女の妹分である。

その中のフランと今日は会うことを楽しみにしていたのに、フランを狙っている兄が横槍を加えて来たのだ。

 

「もう、早く行きますわよ。五分で帰ってくださいまし。セシルおじ様、今日はお世話になりますわ」

「ああ、フランも楽しみにしていたよ。遊んでやっておくれ。リチャード、君はもう帰るんだ」

「まだ会ってませんが……」

 

少々過保護な面があるが娘を愛する次期当主と挨拶を交わし、兄妹がフランの元へ向かう。

今日はリチャードにとって勝負の日である。

16歳になった彼は、今年から統括機構トレーナー試験を受験できるのだ。

あの日、選抜戦でその走りに魅了されたあの美しい本家の令嬢、彼女と約束を交わすためにここに来たのである。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

そして、中庭の四阿で三人は半年ぶりに出会った。

ロンドンの本邸の中庭は日当たりが良く広い。ここで専属メイドの歓待を受けていた。

大きな花壇があり、フランのお気に入りの場所である。

そこで、フランは──

 

「それでね!トムったら帰ってこれないって言うの!あちらで担当の方を中継で抱きしめたり!ひどくないかしら!レインお姉さま!!」

「そ……そうね、ヒドい方ね」

「トムの事を悪く言わないでちょうだい!」

「どうすればいいの……」

 

帰ってこない、とある青年の事を愚痴り倒していた。

レインは困惑気味である。

兄は五分経っているがまだいた。

 

(おかしいわ……フラン、こんな子だったかしら…というかこのトムという男、クソボケにも程がないかしら?フランが随分入れ込んでいるようだけど……)

 

半年前会った時のフランは、いつもの優しくお淑やかな良い子だった。

それが半年で大きく様変わりしていた。

現在アメリカにいる、とある青年の仕事振りの本質を知ったからである。怒り心頭であった。

そしてレインは、この会ったことが無い青年の事を初めてフランから聞いた。

後に会うことになるが、評価はマイナススタートである。

ここで、話を切り出すタイミングを伺っていたリックがついに動いた。攻め時が来たのだ。

 

「フラン、少しいいかい?」

「なにかしら!?リックお兄様!」

「ああ、落ち着いて…私なら、君にそんな思いはさせない」

 

意中の令嬢の前に跪き、その手をとり、貴公子は囁く。

 

「──君がどこにいようと、私は必ず君の元へ行こう。君の側にいよう」

 

 

「私は、すぐにトレーナーになる。私じゃあ、ダメかい?」

 

 

リックは、そうフランへ誓いを立てて、契約を願った。

リックはその青年の事を知っている。選抜戦でゴールにいたことも見ていた。

アメリカでの調べも付いていた。ろくにレースに出ていない男である。負ける気はしない。

この誓いを聞いたフランは、ぽかんとリックを見ていた。

リックの言葉の、とあるフレーズが耳に残ったのだ。

 

「きみのもとへ、行く」

「ああ、そうだとも」

「そうよ!そうだわ!!わかったわリックお兄様!!」

 

青天の霹靂であった。フランは今、すべき事に気付いたのだ。

この返事に満足したリックは笑みを浮かべながら、立ち上がる。

約束は、為された。次期当主が来る前にスマートに去るつもりである。

 

「さて、私はもう行こう。フラン、入学を楽しみにしてるよ」

「ええ!ありがとうリックお兄様!」

 

フランが笑顔で手を振り見送る。

その後ろで三人に紅茶を配膳していた専属メイドが額を抑える。

話は聞いていなかっただろうが、言質を取られていた懸念が残った。

次期当主の彼は、その裁量で自分がフランと契約すると言いふらすであろう。

リックを見送り、席に戻ったフランは怒りも吹き飛び、うきうきとした表情であった。

 

「そうよ、そうだわ、そうすればいいのね」

「……フラン、そのトムって方、トレーナーなのよね?」

「ええ、そうよ?レインお姉様」

 

レインもフランが兄の話をろくに聞いていない事はわかっている。

そしてここまでフランが一喜一憂する相手に多少の興味が湧き、その青年がどれ程のトレーナーなのか軽い気持ちで聞いてみたくなったのだ。

紅茶で口を湿らせ、言葉を続けた。

 

「…アメリカにいるのよね?G1とか勝ってたりするの?」

「今で確か、12勝よ」

「そう、すごいわねじゅうにブーッ!!!!」

 

そして紅茶を噴いた。

 

「お行儀が悪いわ、レインお姉様」

「お待ちなさいな!何年やって12勝なの!?」

「……二年半くらいよ?」

「嘘おっしゃい!おかしいですわその方!!」

 

フランが首を傾げる。

彼女の認識ではおかしなことは言っていない。

 

「いいこと!?今話題のジェシカ・オブリーエンでも二年半でG1は3勝よ!?12勝はおかしいわ!」

 

もやしは父の契約を代理してG1を勝利しており、既に英国にその名を轟かせている身である。

「私は勝ったけどあなたは?」と同期にマウントするネタが出来て喜んでいた。

フランも統括機構の社交界で、もやしとは既に面識があった。

もやしは妹共々挑戦状を叩きつけようと意気込んでフランに会いに行ったが、エクスの姉と言う事で懐かれ毒気が抜けてしまい、それ以降何かと世話を焼いている。

 

「嘘じゃないのよ?トムは……」

「お嬢様」

 

ここでメイドが堪らず口を挟み、口元に指を当てた。

言ってはいけない話である。この天然お嬢様はたまにそれを忘れるのだ。

 

「あっ!言ってはいけないわ!」

「……よくわからないけど、何かあるようね」

 

ここでふと、レインはアメリカで今話題という怪人トレーナーがそれくらい勝っていた事を思い出し、首を振った。

流石に有り得ないと考えたのだ。

そしてフランはメイドが声をかけてくれた事で、調べて欲しい事を思い付いた。

これからの指針である。

 

「そうだわ、サリー、お願いがあるの」

「何でもお申し付けください、お嬢様」

 

 

 

 

「トムの11月のお仕事、調べて頂戴」




バレットトレイン、実際にフランケルと並ぶと明らかにでかいんですよね。
欧州は馬体の詳細データが出ないからどれくらいかはっきりしてないのが残念…。


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第十九話 大国の、伝統

ワイの三連単、ジャックドールがポタジェって事にならへん?ならんか……。
ちょい短いけど許し亭ゆるして。次は火曜には投稿するやで。
いつもみたく日付変わるかもだけど……。


『アファームド・ファミリー印の糖度満点!スイーツニンジン!!無農薬であなたの食卓にお届けします!生で食べても甘くておやつにぴったり!もちろんお菓子の材料にもどうぞ!子供に大人気のスイーツニンジン、あなたの食のゴッドマザー、アファームドファミリーです!』

『オラのニンジンすっげえうめえぞ!?おめえも食わねえか?』

 

「……なあ、姉貴、これマフィアのフロント企業のCMだよな?アファームド映ってたけど、普通に健康的な農家の人にしか見えねえ……」

「アファームドファミリーって確かオーナーの元ライバルで、ニューヨークのドンとか言われてるマフィアのボスの組織よね……このニンジンすっごくおいしいのよ…」

 

マフィアがかっこいいからという理由で名乗っているだけのクリーンな農業法人のCMに、姉弟が困惑しながら感想を述べる。

このニューヨークを根城に勢力を伸ばす自称泣く子も黙るマフィア、アファームド・ファミリーはその名の通りかつての名ウマ娘、アファームドがボスを務める農業法人である。

アファームド──29戦22勝。うちG1競走14勝、エクリプス賞年度代表ウマ娘に二度輝いた伝説のウマ娘である。

智哉と姉の所属するチーム・カルメットのオーナーであるアリス・ダーウィンことアリダーの現役時代のライバルであり、彼女の怪我とほぼ同時期に競走バを引退、現在は実家の大農場を継いでその商才で規模を大きく広げている。

良質な農産物の卸売からそれらを活用した執事喫茶、競バ観戦バー等の運営まで手広くこなし、かつて栄華を誇ったマフィアのアジトを改築した施設をニューヨーク市内に複数所有している。

農産物の卸に関しては、闇取引と称して夜間に行われていた。何も悪いことはしていない。

彼女はマフィア被れであった。

 

「そうだ、あんた今日はオーナーと会うんだっけ?」

「ああ、こっち来てるらしくてな…ファーディさんから来るように言われたよ」

「ふーん、あとさ、話変わるけど…」

「何だよ姉貴」

 

智哉と姉は現在、サラトガカレッジ内のトレーナー寮で暮らしている。

ここは智哉の部屋である。姉はとある理由でここに転がり込んでいた。

ここのウマ娘寮に今、会いたくない人物がいるからである。

姉は、智哉に聞きたい事があった。以前から思っていた事だった。

弟の地雷を踏む気がして遠慮していたが、最近の弟の行動を見るに聞かずにいられなくなったのだ。

 

「あんたさあ、彼女欲しいとか思わないの?」

「へ?急に何だよそれ……」

 

弟は多感な時期に婦女暴行の冤罪で補導歴があり、この過去に起因して女性を敬遠している節がある。男が好きな訳ではない。

容姿に優れ、頭が良く、ウマ娘並の身体能力に性格もヘタレな所に目を瞑れば優しい好青年。おまけにレースの賞金や各メディアからの取材依頼で稼ぎもいい。弟のスペックは高く自慢の弟と自負している。

そんな弟が平地トレーナーになり、ろくな青春も送れずに仕事漬けなのは姉として不憫に思うこともあるのだ。

なおアメリカに連れてきて仕事漬けにしたのは姉である。

 

智哉はこの姉の唐突な恋バナに困惑した。

姉は交際していたトレーナーと破局している。

その原因が自分にあると薄々気付いている智哉は申し訳なく思い、そういう話は振ったことがなかった。

「あんたのせいでしょ」と焼きを入れられる事にビビっていたのもあった。

 

「うーん……なんつったらいいんだろうな」

「なんかあんの?」

「いや、あるっつうか…まず出会いがねえしな…それに今もしそういう子がいたとしてもさ、俺忙しすぎてまともに相手できねえよ。流石に相手に失礼だろ」

 

姉はぽかん、と口を開けた。

弟は意外と真面目に考えていた。

そして出会いなんていくらでもしている。

 

「あんたさ、自分がモテるとか考えた事ある?」

「俺が?いやねえだろ」

「何で即答すんのよ…あんたホント自分の事わかってないわ」

 

過去の一件に同年代の友人がいない境遇、自分が人の中にいられない怪物という自覚。

そこは姉も理解している部分である。しかし腑に落ちない。

弟は、トレーナーである。担当に手を出すのはともかくとしてもサブトレーナーにウマ娘、出会いは探せばあるはずである。

弟の女性の好みが謎すぎるのだ。

 

「今までの担当の子とか、どうなの?」

「は?そもそもあんな恰好してるんだぜ?相手にすらされねえだろ」

「一年目の子達は?あとネルとか」

「み、みんな名バじゃねえか、高嶺の花にも程があるぜ。ネルさんとか移住してきた英国貴族の家柄だろ。住む世界が違いすぎねえ?」

 

智哉は嫌な汗をかいた。

ウマ娘が嫌いな訳ではないが、そういう対象としては苦手に思っているのだ。

原因は目の前にいる。

 

「二年目の子達は?あの二人」

「あー……片方にはちょっかい出されてたけど、ありゃからかってるだけだろ」

「ああ、あんたの方、にね。あれはまあそうね」

 

二年目に担当した二人のうちの一人に、智哉はよくサブトレーナーの作業中にちょっかいをかけられていた。

この手の対応が苦手な智哉でも、からかわれているのがわかる程だったために、姉が追い払う事がよくあったのだ。

ここで智哉はこのからかってきた方とは違う、もう一人に姉がいない時に変な頼み事をされたのを思い出した。

 

「そういや、一つ思い出したわ。変な頼み事されたんだよな。ハンカチを渡されてさ、一日懐に入れとけって」

「何それ?誰に?」

「もう一人の方だよ、ネイティブの子」

 

腕を組んで、その時言われた言葉を智哉が思い返す。

今思い返しても、よくわからない頼み事であった。

 

「匂いを覚えるって言ってたな」

「……あんた、あたしがいない時にその子と会ったら逃げるのよ」

「…?お、おう」

 

姉はネイティブウマ娘の風習についてある程度調べている。

狙った男を捕らえ、故郷に連れ帰り伴侶とする部族もいると知った姉は開いた口が塞がらなかった。

しかも伝統ある文化的行動としてアメリカ政府に承認されていた。

つまり、男を誘拐しても罪にならないのだ。そこまでの過程で起きた事も賠償すれば問題にならない。

姉は契約終了と共に弟を連れて英国に逃げた。今の担当を英国に弟が連れてきた誤算はあったが、それでもあの行動は間違っていなかったと思っている。

担当に好みがいないとわかった姉は、念のためもう一つ確認する事にした。

もしそうなら弟の性癖を叩きなおす必要がある。

 

「一応聞くけど、フランちゃんやダンちゃんは?」

「姉貴、俺ロリコンじゃねえけど……」

「それ聞いて安心したわ。でもさ、十年後とかは?二人ともきっと美人になるわよ~?」

 

にやにやとからかうつもりの姉に呆れつつも、智哉が即答で返す。

 

「いや、二人とも妹みたいに思ってるし……それにフランなんて俺と十歳も離れてるだろ」

「ふーん、まあいいわ。あんたはまず同い年の友達作るとこからね」

「いや、友達ならいるぜ」

 

姉はまたぽかんと口を開けた。

驚愕の事実である。

 

「は!?あんた友達いたの!?言っとくけどライエンさんとルークくんは同い年じゃないわよ!?」

「ひどくねえか!!?ライエンさんとルーク以外に決まってんだろ!!!!」

 

オーストラリアでデビューした弟分と、オーナーから唐突に日本の短期免許を取りたまえと無理強いされ、目下審査の準備中の苦労人以外に姉は弟の友人を知らない。

智哉は確かに同い年の友人と言える相手がいる自負があったが、考え直して自信がなくなってきた。

 

「で、誰よ?」

「いや、悪い、やっぱ違うかも……」

「何それ?誰かだけでも言いな」

 

その人物とは研修で仲良くなったと思っていたが、思い返せば謝ったら変な笑いで返されていたのだ。

なお当のもやしはこれを聞いたら否定する。

 

「えっとな、オブリーエンの娘なんだけど……」

「えっ、それってジェシカ・オブリーエン?知り合いだったの?」

「おう、研修でちょっとな……でも多分違うわ。連絡先知らねえし……」

 

姉も現在英国で名を上げている、競バの王の長女の事は当然知っている。

レース映像を見て、テレビでしっかりと受け答えしている姿に関心したものだった。

 

「ふーん?なるほどねえ……なるほど、うん、その子は友達じゃなくていいわよ」

「ひどくねえか!!?いや確かに違うけど……」

 

何故か嬉しそうにする姉がそのまま練習に行くのを見送り、智哉は姉に言い忘れていた事があったのを思い出した。

急な短期契約の打診が来て、受けていたのだ。

先程話題に出たネイティブウマ娘である。

 

 

(ああ、契約したら姉貴に言わねえと駄目だっけか……後で言えばいいか)

 

 

 

 

 

この時言わなかった事を3カ月後、智哉は後悔する事になる。




亀進行だけど次回オーナー出たら一気に時間進ませていくやで。
アメリカ編は残り一年はダイジェストで…ええやろか…。


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第二十話 名門の、盟主

遅くなった……許し亭ゆるして。
今度から書けそうな日+一日くらいで予告しよう……。


<オーナー、私はこれから担当のトレーニングがあるのだが…>

「黙れ。キサマはそのままオレの車椅子を押していればいいんだ。全く空気の読めない野郎だぜ」

<…仕方ないな。エスコートさせてもらおう>

「最初からそう言いやがれ」

 

不機嫌そうな態度を示しながらも、ぴこぴこと耳をご機嫌に振り回す、怪人の押す車椅子に乗ったウマ娘。

ここはサラトガカレッジの敷地内である。

オーナーとの面会に訪れた怪人は、そのままオーナー命令で付き合えと言われ、散歩の最中であった。

彼女は怪人の雇い主である。

すなわち彼女は、アメリカ東海岸を本拠地とする東の名門、チーム・カルメットのオーナーなのだ。

アリス・ダーウィン──ウマ娘のエリート一族の生まれで26戦14勝、うちG1を6勝。

そしてなんと三着以下はたったの三度という、輝かしい成績を持つ伝説のウマ娘の一人である。

クラシック制覇の夢を阻んだライバルと比べると、やや小柄ながらも負けん気の強そうな瞳を持ち、ダイヤのような菱形の流星に栗毛の髪を靡かせたその容姿は、口調とは正反対の印象を抱かせる美しいウマ娘であった。

なおその胸囲は平坦であった。

健康的かつ典型的カントリーウマ娘なライバルへの強いコンプレックスの源泉である。

彼女は、足を怪我して後遺症が残っている。

競走中の事故ではない。

彼女は、ある日足を狙撃されたのだ。

マフィアの仕業と言われているが、犯人は未だ見つかっていない。

 

「すいませんね、ヴェラス君。オーナーの我儘に付き合わせて…」

<これくらい我儘にも入らんさ、ミス・ファーディナンド。オーナーには随分世話になっている>

「その通りだファーディ。オレがこいつにどれだけ便宜を図ったと思っている?」

「全くもう……」

 

オーナーに侍るように怪人の斜め後ろを歩く、片眼鏡を付けた執事服姿のウマ娘が雇い主に呆れた視線を向ける。

彼女、オーナー付秘書のファーディナンドも元名バである。

そして彼女は日本とアメリカの競バ界において、交流断絶寸前にまで陥った大事件の渦中の人物であった。

ふんと鼻を鳴らし、オーナーが秘書に予定の確認を行う。

 

「で、ファーディ。日本にいるアレが今年は帰ってくるそうだな?」

「ええ、11月以降と言っていました。ただ、古巣のチーム・ストーンがあの子の受け入れに難色を示したそうです。チーム・クレイボーンも手を挙げていますが…オーナーが構わないのであれば、我がチームで身元引受をしたいのですが……」

「経緯を考えれば仕方がないな。我がチームがあんな問題児を受け入れるのは気に入らんが…好きにしろ」

「……ありがとうございます、オーナー」

 

もう一度鼻を鳴らし、感謝を述べる秘書からオーナーが目をそらす。

その頬はやや紅潮していた。素直に許可を出せない面倒くさいオーナーであった。

この話に怪人が口を挟む。

 

<……アレ…?ミス・ファーディナンドの知り合いかね?>

「ええ、恩人です」

「とんでもない女だがな。法律まで捻じ曲げた奴だ」

 

オーナーと秘書の返答で怪人はその人物を特定した。

秘書の大事件に関わり、全てを引っ掻き回した超気性難であった。

ファーディナンド──ケンタッキーダービー、TCクラシックを勝利し、エクリプス賞年度代表ウマ娘にも選ばれた名バである。

アメリカウマ娘らしからぬ大人しい気性、そして高い実力も相まって圧倒的なアメリカ男子からの支持を得ていた。

引退後も競走に関わりたい彼女はトレーナー資格を取得、その後本場の技術を伝えて欲しいという日本からの熱意ある誘いに答える形で日本に渡ったのだが、そこで苦難に見舞われた。

入ったチームが曰く付きであった。

トレーナー資格を取ってまだ日の浅い彼女は技術面の指導では光る物を見せたが、ダートが主戦場だった彼女は芝のレースの指導で結果が出ず苦戦。

勝てない日々、そしてチーフからのサブトレーナーの如き扱い、彼女は帰ろうかとも考えたが追い詰められながらも懸命に働いた。

そんなある日、チーフがある事を持ち掛けた。

 

『ファーディナンド君、恥ずかしがる事はないよ。ちょっと撮影するだけだからね。逃げようとか考えてはいけないよ。君には随分と借金があるんだ……』

 

全ては彼女を追い詰め、手籠めにする為の罠であった。

チーフは裏社会の人間でウマ娘のいかがわしい映像を撮影し、それを資金源にしていたのである。

そして、アメリカで圧倒的な男達の支持を得ていた彼女に目を付けたのだ。

彼女は立ち向かったがいつの間にか多額の借金を背負わされ、担当を人質に取られ抵抗できなくなった。

しかし、神は、いや超気性難は彼女を見放さなかった。

 

『何、ちょっと水着で浜辺を走るだけなんだ。何も恥ずかしがることはないよ。それに助けなんて誰も……』

 

『いるぜ!ここに一人な!!』

 

『な、なんだお前は……ぶべらあああああ!!?』

『あ、貴方は……』

 

突然ヤクザの事務所の天井をぶち破りながら何者かが現れ、チーフを裏拳一発で半殺しにする。

その見た目はエクリプス教の修道服を着崩し、咥えタバコの見るからに不良シスターといった風貌のウマ娘であった。

そしてこの人物は、ファーディナンドの後輩で、余りにも型破りで、ライバルとの約束をすっぽかし、日本にトレーナーを誘拐し、中央トレセン学園の近所の教会で子供達に競走を教える──

 

『よう先輩、楽しそうな事やってんなあ?俺様も混ぜろよ』

 

──筋金入りの超気性難であった。

 

こうして超気性難は怒りのままに暴れ回った。

ヤクザの組事務所を全壊させた彼女は返す刀で知り合いの記者にこの情報をリーク。

警察に関係者全員を突き出し、ついでにライバルに全部チクった。

それでも怒りが収まらない超気性難は、学園の理事長室にお前何やってんのと直接乗り込んで文句を言った。

時の理事長は「国際問題!!!!」と叫んだ後にぶっ倒れた。気の毒である。

更に超気性難はついでとばかりに中央のトレーナー達とウマ娘の根性を叩き直すと全員呼び出した後にダートで全員と勝負した。

これはただやりたかっただけである。

生徒会長はノリノリでこの気ぶりウマ娘に追随し、ターフは私が相手しようと何故か立候補した。

生徒達と交流したかっただけである。

このやりたい放題の超気性難に、彼女に一方的に絡まれている友人の芦毛の令嬢は「やりすぎですわあああ!!!」と頭を抱え、彼女とよくつるむ芦毛の気性難は「センセー鬼つええ!!このまま気に入らねーヤツ全員ブッ飛ばしてやろうぜ!!!」と興奮しきりであった。

 

そしてこの情報が流れるやアメリカ全土で大問題となった。

アメリカの男達は少しだけ残念な気持ちになったが、口にした瞬間死ぬ危険を考えて同調した。

ケンタッキーダービーを勝った程の元競走バが、日本でそのような苦難に遭っている──ウマ娘の人権団体は怒り狂い、日本との競バ協定を白紙に戻し、現在日本にいるアメリカウマ娘を全て帰国させ、関係を絶つべきだと政府に迫ったのだ。

この動きに日本中央競バ会(U R A)は上から下までひっくり返る騒ぎとなった。

 

ついでに帰国のピンチとなった超気性難は焦りに焦った。

ここまでの騒ぎになるとは考えなしの行動だった。気性難は急に止まれないのだ。

彼女は二児の母である。

普段から娘のイメージトレーニングを「エフッ」と変な笑いでけなしたりと構い倒したせいで嫌われつつある娘と、愛する夫を残してアメリカに帰るとなれば流石に娘に愛想を尽かされる恐れがあった。

なお娘は母を反面教師にして思慮深い性格に育ち、現在は英雄と呼ばれる伝説のウマ娘となっている。

そして超気性難は友人の芦毛の令嬢に「マックちゃんたすけて」と半泣きで泣きついた。

芦毛の令嬢は「何も考えてなかったんですの!!?」ともう一度頭を抱えた。

 

それから、芦毛の令嬢の実家の働きかけと、被害者本人の日本への弁護、そして理事長のアメリカ全土謝罪行脚で何とか事は収まった。

再発の防止、関係者への処罰、何箇条にも及ぶ協定を結び国交は保たれたのだ。

理事長は現在も定期的に訪米している。

理事長不在の際に理事長代理がちょっとした事件を起こした事もあったが、それ以降はアメリカと日本は友好的な関係を続け、今に至るのであった。

 

こうしてファーディナンドは救われたが、流石に日本には居づらくなり帰国した。

そして受け入れ先に手を挙げたのが、彼女の古巣であるチーム・クレイボーンのオーナーと血縁があり、ライバルに苦労した同じ経験を持つ先輩として後輩の為に動いた怪人の雇い主であった。

こうした経緯で彼女は現在、オーナー付秘書としてチーム・カルメットの運営に関わっている。

 

「で、だ。何故帰ってくる?あの馬鹿は自分がしでかしたことがわかっていないのか?」

「それがですね。娘さんと喧嘩したそうで…今回はお忍びという形で帰りたいらしく……」

「……そんな理由でか?やっぱり馬鹿じゃないか?あいつ」

「あの子らしいですけどね。ですので、あの子を本名で呼ばないようにと通達しておきます」

「そうだな。ジョー、キサマは会うかわからんがそのようにしろ」

<了解した>

 

超気性難への対応の話が一段落したところで、オーナーが自分が乗る車椅子を押す怪人を振り向いて眺める。

オーナー、そして秘書は怪人の正体を知っている。

長年の友人であり、チーフトレーナーを務めるフレッチャーからの紹介で彼と会った際はその才能に驚いたものであった。

 

「随分と様になったな。気性難にビビっていた坊主がよくもまあ見違えた」

<……慣れるものだな。この覆面のおかげかもしれないが>

「くくっ、良いじゃないか。キサマの人気ぶりはオレも鼻が高い」

 

上機嫌でお気に入りの怪人をからかいつつも、オーナーはこの怪人の素性、渡米の経緯に思うところがあった。

 

「しかし、統括機構とは阿呆どもしかいないようだな。キサマのような才能を四年も放り出すとはな」

<私としては、トレーナーとして認められただけでも有り難い事だが>

「ふん、オレ達競走民族ウマ娘は速さこそ全てであり、速くしてくれるトレーナーこそ最も大切にすべきものだ。それをメンツだのに囚われてこの仕打ち、お行儀が良すぎてちゃんちゃらおかしいぜ」

 

オーナーが遠い英国、統括機構の重鎮達を鼻で笑う。

オーナーはエリート一族の生まれで、生粋のアメリカウマ娘である。

そんな彼女から見れば、怪人の中身への罰則は全くの愚行にしか見えなかった。

三人はカレッジ内の現在チーム・カルメットのサラトガカレッジ滞在者が練習中のダートコースの前に到着する。

オーナーの姿が見えた途端、練習中の競走バ達が彼女に手を振った。

それに手を振り返しながら、オーナーが怪人に語りかける。

 

「……今、世界で最もキサマを評価しているのは、フレッチャー、ファーディ、キサマの担当ども、そしてこのオレだ」

<ああ、感謝しているよ。オーナー>

「去年も言ったが、ここに残れ。キサマはあっちに戻ってもろくな事にはならんぞ?」

 

オーナーが、有無を言わさぬ圧を放つ。

かつての伝説のウマ娘、アリダーがそこにいた。

怪人は少しだけ、心が揺れた。

アメリカ全土に名を轟かせるチーム・カルメット、その総帥自らが自分を欲したという事実に。

しかし、怪人は首を振った。

 

<ご厚意痛み入る。しかし、すまない>

「チッ、やはり駄目か」

<ああ……約束が、あるんだ>

 

怪人が、遠い目で空を眺める。

目を向けた空のその先、遠い英国を思い浮かべて。

この様子にオーナーがつまらなそうに鼻を鳴らし、秘書が笑みを浮かべた。

 

「振られちゃいましたね、オーナー」

「ふん、わかっていたことだ。だがな、愛想が尽きたら連絡しろ。キサマならいつでも雇ってやる」

<そんな事にはならないと思うが……ありがとう、オーナー>

「キサマはまだまだ坊主だな。予言してやる」

 

 

「──あっちはな、速い事が全てじゃない。アメリカとは違うんだ」

 

 

「キサマは、必ず嫌気が差すだろう。キサマ自身の、その才能によって──」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「なーに話し込んでんのよ。練習見に来なさいよ、アイツ……」

「トレーナーサン、オーナーのお気に入りだからしょうがねーべ、姐御」

 

ダートコースの奥、二人のウマ娘が自らのトレーナーを眺めていた。

怪人のパートナー、そして現在の担当のロードである。

 

「しかし姐御、もう練習するんスね。復帰はウインターカップっスよね?」

「そうなんだけどさ、ちょっとばかし面倒な事になりそうなのよね……」

 

パートナーが深くため息をつく。

彼女は現在、問題を抱えていた。

冬季グローリーカップ、通称ウインターカップのフィリーズターフにて、早くから出走表明している者がいたのだ。

本来、別部門で出走するはずの人物である。

そのニュースを見てすぐ彼女はその目的に気付いた。

 

「──面倒とは、私の事か?ミッドデイ」

 

件の人物が、パートナー、英国から来た名バであるミッドデイに背後から声をかけた。

その人物は、水色の英国海軍帽を被り、凛とした美貌の──

 

「……あんたと会いたくなかったから、こんな奥で練習してたのに……わざわざご足労ね」

「……恥を忍んでフィリーズターフに出ると言ったんだ。宣戦布告くらいはさせてもらおう」

 

 

 

 

 

「……ま、いいわ。相手したげる。イングリッシュチャネル──」



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第二十一話 決戦へ、至る道筋

サマーバード出したかったけど、大幅カットしたやで…回想だけで許してクレメンス。


「シーちゃん、今日は休みだしライトと買い物に…何観てるんだい?」

「お早う、姉者。留守番は引き受けよう」

「シーちゃんも来て欲しいんだけどなあ、観てるのはウインターカップかな。今日だったね」

 

英国サフォーク州ニューマーケット市内。

統括機構トレセン学院の生徒会長ガリレオ、そしてその妹である現役最強との呼び声も高いシーザスターズが住む一軒家の朝のひととき。

姉は友人のアホの子と買い物に行く約束をしており、迷子対策に妹を誘おうと妹の部屋を訪れていた。

妹は、姉に振り向きもせずに留守番を名乗り出た。

これから、テレビの中で起こる事を一目足りとも見逃さないという様子である。

 

「ミッドデイが出るんだったね。シーちゃんが同期を応援してくれる、やさしい子に育って姉として嬉しいよ」

 

麗人が、クラシックの頃は突っ張っていた妹の心の変化に優しい笑みを浮かべる。

妹が姉の行く末を心配していたように、姉も妹の行く末をかつて心配していた頃があった。

強く、気高い自慢の妹。しかし以前の妹は余りにも気高すぎたのだ。

弱き者はターフに立つな、と共に走った相手に言い放つかつての妹の姿を麗人が思い返す。

この姉の言葉に、妹が首を振る。

 

「違う。応援じゃない」

「違うのかい?」

「ああ……恐らく、あいつは領域(ゾーン)を使う。でなければ勝てない」

 

この言葉に麗人が顎に手を掛け思案に耽る。

思案する様も端麗な、絵になる姿であった。日頃自分をどうかっこよく見せるかの研鑽を欠かさない麗人の努力の賜物である。

 

「彼女、そういえばレースで使った素振りを見たことが無いね。ナッソー三連覇の時も」

「ああ、あいつはティアラ路線で一度も領域(ゾーン)を使っていない。私も一度しかその姿を知らない」

「へえ…。その相手はシーちゃん、かな?」

 

負けず嫌いで速き者との対戦を何より好む妹が、ここまでテレビに食いつく程に同期のレースを眺める理由。

幼き日より妹を知る姉は当たりを付けていた。

麗人にも聞こえるほどに、ギリ、と現役最強が歯を食いしばる。

 

クラシック路線を走っていた黒歴史の時代、ちょっとした揉め事が発端の模擬レースでの対戦。

そこでシーザスターズは信じられない体験をしている。

 

『あんたさ、その態度ムカつくわ。ちょっとは空気読んだら?』

『私より遅い奴に口出しされる筋合いは無い。お前は私に勝った事があったか?無かったと思うが…』

 

 

『………ふーーーーん、じゃあ勝ったら言う事聞くんだ?上等じゃん、ゲートに入りな』

 

 

クラブ時代からの知り合いの苦言から始まった1対1の模擬レース。

本格化して以来、負けを知らない現役最強は──

 

『ぜえ…あーーしんどいし気分悪い!あたしの勝ちね!言うこと聞くのよ?』

 

──敗北の味を知った。

 

この一件で起きた現象は自然現象として処理され、理事長からの箝口令が当事者二人に布かれた。

それからシーザスターズは何度も同期を模擬レースに誘った。

しかし、あの現象は一度きりしか起きなかった。

 

『また?勘弁してよ…アレあたしも好きに使える訳じゃないんだけど……使うと気持ち悪いし。何かがあたしの中にいる感じが嫌になるのよ』

 

そう言い、同期は対戦を拒否した。

それから、シーザスターズは同期の要求通りに負けた相手にも目をかけるようになった。

気付かなかった物、見えていなかった事に気付いた彼女は徐々に柔らかい性格になり、今に至るのである。

 

「ふむふむ、面白そうだね。買い物はやめてライトを家に呼んでもいいかな?」

「……構わない。先輩も喜ぶだろう」

「ありがとうシーちゃん、ところで相手は?」

 

携帯を取り出しつつ、観戦の為に飲み物でも用意しようと踵を返しながら麗人が問う。

 

「ティアラ路線のG1一勝クラスばかりだな。ただ一人だけクラシック路線から出走したヤツがいる。そいつが速い」

「なるほどね、クラシック路線からのティアラ路線の出走はあまり良く思われないよね。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」

「コーヒー。シアトル系で頼む」

「シーちゃん、形から入るタイプだよね。美味しいのを淹れてあげよう──おはよう、ライト。買い物は今度にして私の家でレースを見るのはどうかな?ああ、私が迎えに行くから動かなくていい。絶対に」

 

麗人が電話の相手、アホの子と話しながら部屋を出て行き、シーザスターズ一人になる。

“空に瞬く恒星”の異名を持つ、現役最強の口が弧を描く。

 

「くくく…勝ちたいなら、使わずにはいられないぞ?どうする?ミッドデイ」

 

その声は、歓喜に満ちていた。

 

 

「さあ、私に見せろ。お前の太陽を──」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

11月のケンタッキー州ルイビル、チャーチルダウンズレース場。

アメリカ最高峰のレースであるケンタッキーダービーとケンタッキーオークス開催の地であり、一日あたりの観客動員数の上位を軒並み占める、アメリカ最大のレース場といっても過言の無いアメリカ競バ界の聖地である。

コースは楕円形になっており、ダートコースは一周1マイル、芝コースはその内側にあり一周7ハロン(約1408m)、ゴールまでの直線が長いのが特徴である。

2000mのレースレコードは伝説のウマ娘、セクレタリアトが記録した1分59秒40。

これは未だ誰にも破られていない。

 

「姐御!頑張ってくださいっス!」

「オッケー!まあ何とかなるっしょ!!」

 

平地競走の一つの区切りであるトレーナーズカップも終わり、現在ここでシニア級を終えた名バ達の大レースである冬季グローリーカップ、通称ウインターカップ、その中の一種目であるフィリーズターフが開催されていた。

芝10ハロン(約2011m)で競われる、中距離ティアラ路線の名バ達の競走である。

名バ達の決戦を現地で見届けようと集まった観客が席を埋め尽くし、今か今かと発走を待っているそのゲート前──舎妹の激励にハイタッチで応え、英国から来た名バ、ミッドデイは決戦に備えていた。

負けてもいいように対策は打っているが、今日は負けられない戦いである。

今回、彼女は金色の獅子の刺繍が入った、黒い近衛兵の礼服を模した意匠の勝負服を選んだ。

名バである彼女は勝負服を複数持っており、これは絶対に勝ちたい時に着る「ナッソーの女王」となった時の勝負服である。

気合を入れるミッドデイに対し、サブトレーナーが作業時に着るチーム・カルメットのツナギ姿の青年と、中折れ帽にトレンチコート姿の怪人が声をかける。

 

<……やけに気合が入っているようだが>

「姉貴、肘だけはやめてくれよ……」

「今日はやんないわよ。真っ向勝負で勝たないとダメだからね……」

 

うんざりとした表情で、離れた位置で後輩達の激励を受ける今回の優勝候補に目を向ける。

名ウマ娘、イングリッシュチャネル──23戦13勝、うちG1六勝。押しも押されぬクラシック路線の名競走バである。

本来彼女はクラシック路線の競走バであり、ティアラ路線には出場できるがクラシックからティアラへの路線変えは不文律として良く思われていない。

怪人のかつての契約相手、ラグズトゥリッチズがようやく100年振りの偉業を成した例のように、一般的にクラシック路線の方が実力が高いという認識によるものである。

それもそのはずである。ティアラ路線とクラシック路線では練習で重視されるものが違うのだ。

クラシックは競走練習に多く時間を割き、ティアラ路線はライブ練習を比較的多くこなす。

その結果としてティアラ路線はライブ人気が高く、そちらはクラシックを上回っている。

人気のティアラ、実力のクラシックという格言も存在するのだ。

 

「ホントに出てくるし…新聞に色々書かれるの覚悟で来たってんなら、ちゃんと相手してやんないとね」

「ネル先輩何で今回フィリーズなんスかね……」

「まーね、色々あんのよ。それよりもロードちゃん、足もういいの?」

「あ、あー……へへへ、もう大丈夫っス!」

 

今年、クオリティロードはトレーナーズカップクラシックを目指し、八月から中距離路線を連戦していた。

八月のサラトガレース場でのG1トラヴァーズステークスで三着、そして十月はG1ホースガールクラブ金杯で二着と着実に調子を上げた。

 

『ふひ、背中、見えた』

(……着実にアガってるじゃーん?本番はこの子もマジ警戒だわー!)

 

このクオリティロードを二度下した中距離クラシック路線の実力者、栗毛のギャルウマ娘サマーバードも警戒する程の中距離への適応を示しつつあったが──

 

(何で言わなかったの!!!!いつも止めてくれるのトレーナーさんって!!!!!)

『おおおお、おちおち落ち着けよリティ!!!あああトレーナーサンの顔見れねェ!!!!』

『だって~、言ったら二人とも恥ずかしがってクオが楽しめないし』

 

──本番、トレーナーズカップクラシックのゲート発走直前に事件は起きた。

八月、何故か突然レース後に自力で止まる練習を怪人から提案された三人は、クオが猛烈に反対しつつもそれを受けた。

そして十月には自分で止まれるようになった。怪人は何故か酷く疲れた溜息をついた。

その時は知らなかった事実を、本番のレース直前に実況が語り、それが耳に入ったのである。

 

(言ってよおおおおおお!!!!あ痛い!!!!チェンジ!!!!)

「えっ、ここで代わるの!!!?ほんぎゃあああああ!!??痛ってえええええ!!!!」

 

クオ以外の二人はレース所では無くなりクオへ糾弾を始め、そして暴れた結果ゲートを蹴り飛ばした。

怒った気性難は暴れるものである。

そして当てた位置が悪かった。脛をしこたまにぶつけていた。

痛かったリティはすぐさまクオに代わった。主人格は出入り自由である。

 

<あの…………棄権、します………‥>

 

そして怪人は頭を抱えながらも、大事を取って出走停止を申告した。

以前も怪我で長期欠場になった担当の身を案じた結果である。

トレーナーズカップクラシックは、本気モードのヤッタが全員抜いて勝利を収めた。

しかし、この後も一人で三人おいしい気性難は問題を起こした。

西海岸での日程を終え、ケンタッキー州に戻る際に飛行機に乗るのを拒否したのだ。

 

「飛行機やだ……トレーナーさん車だして」

<仕方ないな。大人しくしてるんだぞ>

 

リティは飛行機嫌いである。怪人も予想していた事であった。

九歳児でももう飛行機に乗れたんだぞ、という言葉を飲み込んで怪人は了承した。

この我が儘をパートナーは特に咎めなかった。

その理由は、もう一人への牽制である。

 

「あたし達は飛行機で先に帰ってるからねー。わかったわね?」

 

「──インディちゃん?」

 

同行者は、もう一人いたのだ。

 

「……わかった。ワタシ、先輩と先に帰る」

 

ネイティブウマ娘、15戦10勝という輝かしい成績でスプリント路線のシニア級を終えた名バ、インディアンブレッシングである。

彼女は九月のレースで勝利を飾り、シニア級の終了を宣言した。

そしてその後も、怪人との契約を終えているのにグローリーカップは来年から出ると言い、同行していたのだ。

これに当初、パートナーは戦々恐々とし弟にジャイアントスイングを見舞ったが、当のインディは大人しいものであった。

 

じっくりと、怪人を見定めるように──

 

リティはここぞとばかりに、交代せずに怪人に甘え倒した。

彼女の情緒は子供であった。

そして、現在に至る。

 

「ま、ちょっと当てただけだったみたいだしね。もうあんな事すんじゃないわよ?」

「シャッス!!気を付けます!!」

<応援しているよ、頑張りたまえ>

 

ミッドデイの忠告を受け、ロードが頭をきっちり90度下げる。

その二人と怪人を眺める青年に、後ろで様子を伺っていたインディが近付いた。

 

「トモヤ」

「おう、どうしたインディ?」

 

青年、智哉はチームで肩身が狭い身であったが、インディとは波長が合うのか仲が良かった。

質実剛健なネイティブウマ娘の彼女は噂に惑わされない。

智哉の、本質をよく見ていた。

急にいなくなるのは問題だったが、よく働き気が利く好青年だとインディは認識しているのだ。

 

「ネル先輩、速い。勝てる?」

「……正直、分が悪いな。ってか俺じゃなくてヴェラスさんに聞いた方がいいだろ」

「トモヤでいい。聞かせて」

 

ちらり、と智哉が前の三人に目を向ける。

話し込んでいて姉もこちらに気が向いていない。

少しくらいはいいだろ、と智哉は自分の見解を述べた。

 

「ネルさんは今回の出走バの中ではタイムが段違いだ。姉貴でもちょっと足りない。仕上がりも見る限り抜群で、最も得意な芝の中距離。懸念点は10ハロンだと領域(ゾーン)でスピードに乗り切るには距離が足りないとこだな……あの人は12ハロンが一番速い」

「なるほど、それで?」

「だから、姉貴が勝つなら自由に走らせないのがまず第一条件だけど……マークされるのは多分姉貴なんだよなあ」

 

姉は、前回の出場時に叩き合いに持ち込んできた相手にこっそり肘を入れて勝利し、乱闘で謹慎していた。

つまり今回、他の出走バに包囲網を敷かれていてもおかしくないのだ。

智哉が両手を上げ、インディに降参の意を示した。

 

「はっきり言うぜ。普通に走ったら領域(ゾーン)で全員ぶっちぎられて負け、お手上げだ。普通にやればな」

「でも先輩、肘はやらないって言ってた」

「ああ、でもな、もう一個だけ姉貴はとっておきがあるんだよ」

 

にやり、と智哉が笑みを浮かべる。

事前に智哉は、姉から切り札を切ると聞いていた。

今日は、多分あれが使えると。

 

「とっておき?」

「ま、見てのお楽しみだ。こんなとこだな」

「そう、よくわかった。ありがとう」

「おう、まあ不発かもしれねえけどな……」

 

智哉の見解を聞いたインディは、続けて怪人に目を向けた。

怪人の、足元を注視した。

いつもと違う、厚底の靴を履いている。

 

まるで、背を高く見せるように──

 

 

 

 

 

 

「……本当に、よくわかった(・・・・・・)。トモヤは頼りになる」




この世界は史実世代間が何年か空くのでモブウマ娘もG1勝つチャンスがあったりします。
モブウマ娘やモブトレーナーの中にも世代最強や天才がいたりします。
でも史実勝利の運命持ってるネームドには勝てないです。
悔しいけど仕方ないんだ。


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第二十二話 日蝕、来たる

いつも誤字報告ありがとう…ありがとうやで。
感謝しかないんやで。


「レオー、お砂糖もう一個ちょうだい」

「もう駄目だよ。五個までにしなさい」

「ええー、コーヒー苦い…」

「だから背伸びするのはやめなさいって言ったんだよ。ほら、私の紅茶をあげるから」

 

テレビに食いつかんばかりに貼り付く現役最強の後ろで、麗人がアホの子の世話を焼く。

いつもの光景であった。

この生徒会長とアホの子のほのぼのとした交友はトレセン学院の名物であり、とある老紳士が日本の同好の士によく「レオライ尊いんじゃ」と自慢している程である。

その同好の士はこの光景が見たすぎて、英国旅行を真剣に検討している。

なお世界のウマ娘ちゃんを慈しむ為に英語とフランス語は履修済みである。

 

「もうすぐ発走かな?楽しみだねえ」

「そうだね。シーちゃんがここまで夢中になる程だ。何か起こるだろうね」

 

テレビの中、ウインターカップフィリーズターフはまもなく発走を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

『ねーちゃん、あそんで!』

 

『またはしるのか…?ほかのことであそぼうぜ』

 

『姉ちゃん!ちょっと待てって!これぜったいちがう!姉ちゃん絶対洗礼じゃないからこれ!!池に投げ込む洗礼なんて聞いたことぎゃあああああ!!!!』

 

『姉ちゃん、またオレのおやつ食っただろ!?しかも代わりにウナギのゼリーなんか置いていきやがって!!今日という今日は許さねえぞ!!表出ろ!!』

『お姉様には一生敵いません』

 

『ん?昨日の子?よくわかんねえけど、ゴールになってほしいって言われたから走るの見て…どこ行くんだよ姉ちゃん?話してくる?誰と?』

 

『姉ちゃん、もう学院行っちまうのか……寂しくなんかねえよ。なんだよ頭撫でんなよ』

 

『ごめん、姉ちゃん、母さん、親父…オレ、みんなに、みんなに迷惑かけて……』

 

『なんだよ姉ちゃん?ちゃんと飯食ってるかって?食ってるよ。親父のチームの手伝いあるからもう切るぜ』

 

『あ、姉ちゃ…姉貴。久しぶりだな。しばらくこっちにいる事になったんだよ。今は親父が借りた寮に住んでるぜ。いてえ!蹴るなよ!へ?なんでって…ど、どうでもいいだろ?それよりもさ、ガリレオ会長に…だから蹴るなって!!』

 

『げっ、姉貴…何だよちょっと来いって。あれ…あの人、オークスウマ娘だよな?姉貴の同期の。視ろ?ここでか?…わかったよ。けどよ、離れてるし視れるかわかんねえぞ?近付いた方が…いてえ!何で蹴るんだよ!?』

 

『よう、姉貴。ん?何してるかって?サブトレやってんだよ。ここで』

 

『なんだよ姉貴。これ?何か知らねえけど中等部の子が読んでくれって…おい何すんだよ!持ってくなよ!!!』

 

『学力試験はこっちでも受けれるし、母さんには毎年会ってるだろ。先生のチームの子からも残ってくれって言われてるしさ、だからこっちで…痛でででで!姉貴ヒールホールドはやめろ!それ洒落にならねえから!!わかりました!!帰ります!!』

 

『待てよ!急に帰ってきてそれはねえだろ!?姉貴はどこかに嫁に行けよ!!家は俺が継ぐから!!』

『お姉様には一生敵いません』

 

 

「ン゛ッッ!!」

 

「どうしたんだよ姉貴…急に踏み潰された蛙みてえな声出して……」

 

姉が、何となく弟との思い出を振り返り悶絶する。

 

(あれ…?あたしひょっとして…こいつにろくな事してないんじゃない?ていうかこれ…こいつがクソボケなのあたしのせいかも?ダメお姉ちゃんじゃない?あたし)

 

気付いた。

この姉は、こう見えて過保護である。

 

「姉貴マジで大丈夫か?もうゲート入る時間だぞ?」

「なんかごめん…」

「なんで謝ってんだよ…」

 

困惑する弟を真っ直ぐ姉が見つめる。

心の辛さに耐えられず、12歳で家を出た親不孝な弟。

父と各地を転々とし、再会した時には自分より背が高くなっていた弟。

 

「あんた、大きくなったわね」

「今する話じゃねえだろ…?レースに集中しようぜ」

「昔は姉ちゃんって呼んでくれてたわよね。なんで学院で会った時やめたの?」

「は?いや、しばらく顔合わせてなかったし照れ臭いっつうか……いや待てよ!だからレース!!」

 

トン、と軽く、姉が弟の胸を叩いた。

そのまま握り拳を作り、弟の目線に掲げる。

 

 

「──ま、見てなって。たまにはあんたのお姉ちゃんのかっこいいとこ、見せたげる」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「すいません、ネル先輩」

「何故、謝るんだ?リッちゃん」

 

今回の一番人気、恥を忍んでティアラ路線のレースに出走を決めた名ウマ娘、イングリッシュチャネルが申し訳なさそうにする後輩、ラグズトゥリッチズに言葉の真意を訊ねる。

今日の彼女の勝負服は空色の英国海軍服を模した、悲願を果たした際に着ていたものを用意していた。

どうしても勝ちたい時に着る勝負服である。

 

「……ダートが主戦場の私では、ターフで彼女に勝てない。私がターフで走れるなら、ネル先輩にこんな事をさせなくても……」

「違うよリッちゃん」

 

後輩が謝る理由──クラシック路線のネルは、ティアラ路線への出走を表明したことで批判を浴びていた。

しかも対戦相手があの怪人のパートナーである。質の悪いゴシップ紙からは痴情のもつれと揶揄され、後輩である彼女、リッチズから見ても気分の良いものではなかった。

ティアラ路線の自分が、ターフでミッドデイに勝てる見込みがあれば問題なかったとリッチズは思っている。

しかし、この謝罪に対し清々しい面持ちでネルは首を振った。

 

「リッちゃん、彼女は断ってもよかったし、私なんて相手にする必要なかったんだ。でも今回の話を受けてくれた。その時点でもう、彼女と私の勝負なんだよ。リッちゃんが何も気にすることは無いよ」

「先輩……」

「それにね、私はお節介の世話焼きなんだ。知ってるだろ?」

 

にこり、と何も意に介していないようにネルが微笑む。

ネルはアメリカに移住した英国貴族の家柄の娘である。

誇り高く、淑やかで、そして分け隔てなく後輩達の世話を焼く。

気性難のアメリカウマ娘達も彼女には一目置き、誰もが慕うウマ娘──そんなネルが二年前、挫折を経験した後に出会った、人に頼られてきた彼女が初めて頼りたいと思った怪人に目を向ける。

 

「元々、私が未練たらしくジョーを追いかけただけなんだ。リッちゃんはついでだよ。そう思ってほしい」

 

ミッドデイとの勝負は、彼との契約を賭けている。

希望する後輩達も含め、怪人のチームを作らないかと彼女に持ち掛けたのだ。

どこまでも、自分達後輩を気遣ってくれる優しい先輩。

彼女の気持ちに応えようと、リッチズは柔らかく微笑んだ。

 

「そうですね、忘れてました。お願いしますよ先輩!絶対勝ってくださいね!」

「競バに絶対は無いけどね、でも、今日は自信あるよ」

 

ネルはこの日の為に、何度もレース展開を予測し、十分に調整してきた。

あの悲願を達成した怪人との最後のレース、その時を彷彿とさせる仕上がりだとリッチズは確信している。

ミッドデイは実力者だが、本物のクラシックの名ウマ娘には劣る。

 

そう、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

『さあ、いよいよ各ウマ娘がゲートインする時間です!競バの一年を締めくくる祭典!ウインターカップのティアラ部門、フィリーズターフの時間がやってきました!!今年の出走ウマ娘はなんと!クラシック路線から殴り込みをかけた名ウマ娘イングリッシュチャネル!そしてスプリングカップの大乱闘の謹慎が解かれた、英国の暴れウマ娘ミッドデイに注目が集まっております!!このレースどう見ますか?解説のバックパサーさん。今日は英国から遠路はるばる来ていただきありがとうございます』

 

孫を連れてアメリカに来ている、運営がダメ元で解説を打診した伝説のウマ娘に興奮気味の実況が話を振る。

解説席に座るのは、孫がいるとは思えぬ、魔性と呼ぶほかない淑女然とした美貌のウマ娘であった。

 

枝毛一つない鹿毛のロングヘアーは額に垂れる一房だけが黒鹿毛という特徴を持ち、アメリカウマ娘とは思えない垂れ目がちな穏やかな目と、それとは正反対な納得のアメリカウマ娘的な豊満な肢体。

彼女こそが英国に結婚とともに移住した、キーンランドカレッジのとあるチームのオーナーを務める伝説のウマ娘──バックパサーである。

31戦25勝、競走生活で連対を外れた事はなんと二度のみ。アメリカ競バ界で殿堂入りも果たしている。

ここには下の方の孫を連れて里帰り中である。

その孫は現在、祖母の隣で大人しく解説を眺めている。

 

『いえいえ、孫と遊山のついでといいますか…久しぶりにこちらでレースを観戦しようと思っていましたから。レースの方は…そうですわね。一般的にはクラシック路線の方が実力は上と言われていますが……』

『何か気になることが?』

『ミッドデイさんには、上の孫がお世話になっていますのよ。少し贔屓して見たくなりますわね』

 

この解説の言葉に、思わず姉は実況席に目を向けた。

伝説のウマ娘を祖母に持つ知り合いに心当たりが全く無かった。

この伝説のウマ娘は、英国では戸籍上の名前を名乗っている。

さらには夫を立てる姿勢を徹底しており、英国で表に出てくる事はほぼ無い。

 

(えっ、誰…?そんな知り合いいたっけ…?)

 

既に3枠にゲートインを済ませた姉が、首を振り疑問を頭から振り払う。

気を配る余裕はない。今日の相手は強敵である。

そのゲートイン中の強敵、6枠イングリッシュチャネルを姉が眺める。

 

(……あの馬鹿絡みじゃなかったら、嫌な子じゃないのよね。こっち来たときも色々世話焼いてくれたし…)

 

姉個人としては、ネルに思うところは何も無い。

それどころか世話好きの彼女に、アメリカのターフの特徴からアメリカ生活のアドバイス、更にはケンタッキー州のウマ娘の少ない地域についても教えてもらっている。

嫌味の無い人柄で、あの怪人が絡まなければむしろ気が合う人物だった。

だから今回の勝負も、姉は保険を用意しつつも受諾したのだ。

 

(あいつと契約した子みんな良い子なのよね、嫌な子だったら無視したんだけど…あーもう、あのクソボケのせいでこうなってんだから後でとっちめてやる)

 

姉が殺気を放ち、これに智哉は敏感に反応した。

幼少期から刷り込まれた条件反射であった。

 

「ひえっ……」

<どうしたのかね?>

「いや、なんか寒気が…」

 

智哉、怪人、ロードの三人は関係者として最前列で観戦している。

この怯え、情けない素振りの智哉に対し、ロードの眉間に皺が寄る。

 

「なんだァ、テメェ…?姐御が走るんだから気合入れ……」

『ロードちゃん!!!トモくんにキツい事言っちゃダメって言ってるでしょ!!!!』

(アァ?クオはいっつもコイツの肩持つよなァ?)

『とにかくダメだって!!!ホントは代わってほしいのにロードちゃんがどうしてもって言うから譲ったんだよ!?』

(へーへー、わーったよ)

 

檄を飛ばそうとするロードに対し、クオが全力で阻止に入った。

ロードから見れば智哉はすぐにいなくなり、何をしているかわからない所が気に入らない男である。

クオがやけに懐いているのも意味がわからない。

ロードが心の中でクオと話している間、怪人は智哉に小声で話しかけていた。

怪人は、来年英国に帰る。もう時間が無い彼はやり残した事があった。

 

<トモヤ君、そろそろ約束を守って欲しいんだけど……>

「あ、あー…今はロードもいるし後にしてもらえないっすか?」

<君、いつもそうやってはぐらかすじゃないか!?俺は来年帰るんだよ!?>

「うるせえな!あんた気性難は無理なはずだろ!?」

<……彼女の当たりが強いの、君だけだよ?>

「あ!ほら!ファンファーレ始まるっすよ!」

<誤魔化すなよ!?>

 

全員がゲートに入り、現役アメリカ海軍のウマ娘音楽隊による長いファンファーレが鳴り響き、出走バを含む来場者全員が起立し、胸に手を当てる。

ウマ娘が建国した大国において、レースは神聖な行事である。

特にG1クラスの大レースの前のファンファーレは、国歌斉唱のような荘厳な雰囲気の元で行われるのだ。

胸に手を当てながら、怪人が隣の智哉に囁きかける。

 

<で、勝てるの……?>

「あんたならわかるよなあ……普通にやれば無理っすね」

<だよね。流石に相手が悪いよ。いいの?>

「いいのって、何がっすか?」

 

想定していなかった智哉の返答に、思わず怪人が智哉を二度見した。

怪人は、今回の勝負の話を姉から聞いている。弟が何も知らないとは思っていなかったのだ。

 

<………何も聞いてないの?>

「えっ、何かあるんすか」

<いや、言ってないなら俺からは言えないかな……がんばってね>

「何だよそれ!!言えよ!!!」

 

二人が揉めている内にファンファーレが終わり、いよいよ発走に入るその時、五枠から怒りを込めた眼光を姉に向ける出走バがいた。

彼女の名は、クライトゥザムーン。

彼女には、姉に怒る理由があった。

 

(ミッドデイ、出てくるとはねえ……仕返しはさせてもらうよ……!)

 

姉の謹慎の理由である大乱闘、そのきっかけとなった姉が肘を当てた二着が彼女である。

グローリーカップ初勝利目前で試合巧者の姉に翻弄され、たまらず体を寄せた所で反撃の肘を浴びたのだ。

彼女も体を寄せた事が問題視され、謹慎処分を受けている。

 

(どうせネル先輩には勝てない……じゃあ、やる事は一つだねえ)

 

暗い笑みを浮かべ姉の隣、二枠にも目を向ける。

そこにいる出走バが、クライトゥザムーンと目を合わせ頷いた。

 

『さあファンファーレも終わり……発走しました!まずはイングリッシュチャネルが抜け出します!バ群に呑まれないようにアタマを取りに行きましたね!そしてミッドデイは…おっとこれは!?』

 

アメリカ競バのセオリー通りの激しい先頭争いをネルが制し、実況席が姉に目を向けたその先で、異変が起きていた。

姉の前方が、二人の出走バによって完全に塞がれている。

 

『ミッドデイ、これは出遅れ……』

『違いますわね。マークされていますわ』

『失礼しました!ミッドデイ、これは厳しい展開になりました!』

 

智哉の懸念していた展開が、そのまま起こっていた。

しかし姉は試合巧者であり、今回の出走バに以前の乱闘相手が出ている事を知っている。

こう来る事は予測済みだった。

 

(ま、そう来るわよね。走行妨害ギリギリの良いブロックするわね)

 

マークされているというのに、姉は平然と相手のブロックを讃えた。

姉は英国で勝利主義のクラブでの競走を幼い頃より嗜んでいる。

この程度は、クラブでのレースで何度も経験している。

特に慌てる事も無く、姉は先団でブロックされたまま脚を溜める作戦に切り替えた。

先行差し切りで、ネルを仕留められる距離さえキープできればそれで良いと判断したのだ。

事前に弟と作戦を話し合う際に決めていた事である。

 

(問題は、コーナーでブロックが崩れた隙間を抜ける時……絶対に何か仕掛けてくるわね)

 

一方、ネルは悠々と一人旅を続けていた。

後ろを見る事はない。来るならばただ一人だけ、そう確信している。

 

(さあ、いつ来る……?)

 

『さあ第一コーナーです。ここまではイングリッシュチャネルが先頭をキープしたままですが、どう見ますか?』

『コーナーでバ群がずれた隙間をミッドデイさんは抜けるつもりでしょう。次のコーナーまでに差せる距離まで寄せなければなりませんわね』

『わかりやすくて助かります!!』

 

この実況は、数カ月前にとある広報のトップの解説に悩まされていた人物である。

気性難揃いのアメリカウマ娘が解説席に座ると脱線する事が多く、まともな解説が貰えて感動していた。

 

(そろそろ抜けなきゃね。流石にネルに好きにやらせすぎだわ。誰かあっちにもちょっかいかけなさいよ……)

 

第一コーナー、二枠と五枠が曲がる際にブロックに隙間ができる。

しかし姉はその隙間には入らず、さりげなく大きくコーナーを回り五枠の外側に進路を取った。

乱闘を行った気性難同士、何を仕掛けてくるのかわかっていた。その対策である。

そして、五枠クライトゥザムーンの横を通りがかる、その瞬間──

 

(ほっ!それくらいお見通しっつの!)

 

腕を大きく振った、五枠の肘を姉は手で軽く払ってみせた。

同じ事をしてくると考えていたのだ。二枠と同時に仕掛けられるのは面倒と考え、外に進路を取っていた。

しかし──

 

(やるねえ、防ぐのはわかってたよ。でもね──)

 

──めきり、と姉の脇腹に、大外から肘が突き刺さった。

 

(もう一人、いたら流石のあんたもわかんないよねえ?)

 

 

 

「あ゛ッ…ぐ………」

 

 

 

マークしていたのは、もう一人いたのだ。

内の二枠、中央の五枠、そして大外で姉を待つ八枠。

どこに逃げても、左右から仕掛ける体制を取っていた。

 

だがここで、マークしていた三人に異変が起こる。

鈍い音が響いた瞬間、五枠クライトゥザムーンの顔が蒼白に染まった。

明らかに骨にダメージが入っている。ここまでやるつもりは無かった。

焦った表情で、大外の八枠を睨みつけた。

 

(バカ!!!!深く入れすぎだよ!!!!!一発軽くお返ししたらそれでチャラでいいんだよ!!!!)

(ご、ごめん!!!わかってたけどタイミングが合いすぎて……)

 

彼女達も気性難ではあるが、歴としたG1を勝利した競走バである。

競走バの誇りに賭けても、対戦相手に意図的に怪我をさせる等もっての外と思っている。

そもそも姉は肘を当てるのが抜群に上手く、以前食らった五枠の彼女もダメージはまるで残っていなかった。

暴れウマ娘として鳴らした彼女達は、英国から来たお行儀が良いと思っている相手にやりこめられた仕返しがしたかったのだ。

一回お返ししたら後は真剣勝負という計画だったのである。

 

(ああ、ごめんよ……後でしっかり詫びは入れるから……)

 

五枠の様子を見て、激痛を堪えながらも姉はある程度の経緯を察した。

 

(くっそ、折れては無いけど、アバラにヒビは入ったかな……肘の入れ方がヘッタクソすぎんのよ。後で教えてやるわ)

 

根性で何とか先団を維持するも、徐々に姉が後ろに下がっていく。

肋骨にヒビが入り、一歩進む度に激痛が走る。

 

『ミッドデイが徐々に下がっていきます!アクシデントでしょうか?』

『少し接触しましたわね。あれは痛いと思いますわ……』

『大変な事になりました!続行できるんでしょうか!?』

 

この実況が、ネル、そして姉の異変をすぐさま気付いた智哉の耳にも入る。

 

(何!?大丈夫なのか……?しかし勝負は勝負だ、勝たせてもらう!)

 

第一コーナーを抜け、ネルがトップを維持したまま直線を進む。

一方、観客席でロードは怒りの声を上げた。

 

「姐御ォ!!!ヤロウ、肘入れやがった!!!トレーナーサン!あの当て方は危ねェ!!止めてくれ!!」

<そ、そうだな。競走中止を伝え……>

 

 

「──待ってくれ」

 

 

怪人とロードが競走中止で意見が一致する中、その後ろから待ったがかけられた。

後ろにいる、智哉から。

 

<トモヤ君、しかし……>

「ヴェラスさん、姉貴の顔、まだ諦めてねえんだよ」

 

「テメエ!!!それでも弟かよ!!!テメエの姉ちゃんが怪我してんだぞ!!!?」

 

この言葉に、瞬間的にロードの頭に血が上った。

身長差で胸倉を掴めない彼女は、素早く智哉を引き倒し顔面に一発入れようとしたのだ。

 

(コ、コイツ……ビクともしねえ……)

 

しかし、引き倒そうとしても智哉はびくともしない。

これに驚愕の表情をロードは浮かべた。

人間相手で手加減しているとは言え、ウマ娘に力で抵抗できる人物をロードは一人しか知らない。

 

「悪い、ロード、ヴェラスさん。姉貴に走らせてやってくれ。無理だと思ったら俺が飛び込んででも止める」

「ア、アンタ………」

「頼む」

 

智哉は、真剣な表情で頭を下げた。

ロードはそれどころでは無くなった。鈍いロードでも流石にこれはわかってしまった。

 

(クオ、テメエ知ってただろ!!?でもどういうコトだ!!?こっちのトレーナーサンは誰だァ!!?)

『トモくんかっこよすぎいいいいいいいいい!!!!』

(答えろォ!!!!ああああコイツの顔見れねェ!!!!!)

『違う人だと思うよ。ちなみにリティちゃんも知ってるよ』

(アタイだけかよ!!!!テメエらァ!!!!)

 

ロードは顔を真っ赤にして智哉から顔を逸らした。

最早姉の事は頭に無かった。薄情な舎妹である。

怪人は、考え込んだ後に答えを出した。

トレーナーとしては見過ごせない怪我を姉は負っているのは確実だった。

しかし、智哉、ひいては姉の意思を尊重するに至った。

 

<……わかった。止めるかは君に任せる>

「ありがとう、ヴェラスさん」

 

もう一度二人に頭を下げた後、智哉が姉を見つめる。

本当は、ここにいる誰よりも一番止めたいと思っている。

今すぐ助けに行きたいと思っている。

だが、姉はまだ走ろうとしている。まだ、諦めていない。

血が滲むほどに拳を握りしめ、歯を食い縛り、姉の走る姿を弟はただ見守った。

 

『さあ最終コーナーに入りました!先頭はずっとイングリッシュチャネルがキープしたままです!これはあのTCターフの再現なるか?一人旅で終わるのか!!?』

 

姉は何とか先団に食らいつき、一度は下がった順位をまた戻していた。

脚は十分に残っているが、踏み込む度に走る激痛が末脚を切らせる大きな障害となっていた。

 

(あー、本当に痛いんだけど!!!でもねえ!!!)

 

(ウチの弟がやっと前を向いて!!!やりたい事を見つけて!!!!)

 

(その為にいっつもしんどい思いをしながら頑張って!!!!なのにさあ!!!!)

 

(あたしがちょっと痛いくらいで!!!止まったら!!!あの馬鹿にもうお姉ちゃんやれないでしょ!!!!)

 

しかし姉は、その最大の武器、自らの持つ最強の手札を痛みを無視して切った。

歯を食い縛り、最終コーナーを抜ける手前で一気にネルに並びかける。

必死の形相であった。勝てるなら肋骨くらい折れてもいいとさえ思っていた。

だが、相手はクラシックの名ウマ娘である。

ただでさえ分が悪い相手に、怪我をした姉が普通の競走で勝てる相手ではない。

この形振り構わぬ姉に、ネルは尊敬の眼差しを向けた。

 

(……怪我をしているはずだ。ここまで来るだけでも、私に並ぶだけでも苦しいはずだ)

 

この好敵手に、全力を、全てを以て応えるべきだとネルは感じた。

あの怪人との集大成、完成した自分の切り札で。

ネルが意識を深く沈め、ウマソウルがそれに反応する。

その瞬間、ネルは軍船の上にいた。

彼女の持つ領域(ゾーン)が発動したのだ。

ネルは、姉を置き去りにした。

あの悲願を果たしたレースの再現である。

 

『叩き合いに持ち込んだミッドデイが置き去りにされました!!これは正にTCターフの再現!!!イングリッシュチャネルの一人旅で……えっ』

 

この時、姉は無我夢中であった。

ただ勝ちたいとだけ、自らのウマソウルに望んだ。

 

そして、ウマソウルの先にいる何かが、それに応えた。

 

(……来た。あの時と、同じ……いや、もっと強い……)

 

学院での、気に入らない同期との模擬レース。

あの時、同期の領域(ゾーン)に呑みこまれた姉は、自分の力を知った。

同期、あの現役最強の領域(ゾーン)は、海の上に浮かぶ恒星が光輝き、周りにいる者全てを照らす。

そして、姉の領域(ゾーン)は──

 

 

 

 

 

 

『これは……太陽が、覆い隠されて……日蝕です!!!レース中に日蝕が──』




「あんたがトレーナー?ふーん、よろしくね。ところでウチのバ…弟知らない?」

○月○日、プリティダービーガチャに★3ミッドデイが期間限定で登場予定!
固有スキル「日輪は、奇跡を描く」はランダム発動の強力スキル!

また、サポートカードガチャにSSRシーザスターズ(クラシック時代) SRサリスカ(引退後)が同じく期間限定で登場予定です!
常設実装はRフランケル!(幼女期、どこかの邸宅の背景)



こういうの書いてみたかった。
クライトゥザムーンはモブウマ娘です。


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第二十三話 日輪は、奇跡を描く

英国サフォーク州ニューマーケット、統括機構トレセン学院の敷地内を、一人の茶髪の青年が歩いている。

身長は170cm台、顔立ちはなかなか整っており、穏やかで優しげな目を持つが、その無気力で面倒くさがりな性格で地元からの評判はすこぶる悪い。

彼は、バークシャー州のトレーナーを生業とするとある家の長男である。

年齢は18歳。下に障害競走トレーナーを目指す弟と、その下に九歳年下のウマ娘の妹がいる。

弟は品行方正で人当たりが良く、近所の評判も高い。

妹はその妖精の如き可憐でカワイイ容姿に加え、外面が良く気性難を隠している。こちらも評判は良い。

そして無気力な兄は三兄妹の一番ダメな子と思われていた。

軽薄な青年である。学校でもその容姿で人間の女子と付き合うもすぐに別れる事を繰り返し、女の敵と後ろ指を差されている。人生に目標を持てない無軌道で、無気力な青年であった。

しかし、彼の真価を家族はよく知っている。

この青年はただ逃げているだけである。

 

(トレーナー、なりたくないなあ……)

 

青年は、現在窮地に立たされていた。

彼は英国の高等教育を今年度で終えた後、大学進学かトレーナーになるかを母に迫られていた。

しかし父の背中を見て育った彼は、気性難の世話を生業とする事など真っ平御免とトレーナーの道を全力で拒否している。家は弟が継げば良いしまだ働きたくないから大学に行くとあっさりと伝えた。畜生の物言いであった。

しかし、ここで異を唱えたのは彼の気性難嫌いの遠因である妹だった。

 

『お兄…?アリーのトレーナーになってって言ったよね……?試験受けて??』

 

この妹は兄が大好きで、近所のハービーという渾名の幼馴染にもよくウチのお兄は本当はすごいんだよと自慢していた。

しかし気性難である。その愛情表現は激しい。

この九歳下の妹の威圧に青年は竦み上がった。愚かなヒトミミの兄は九歳下のウマ娘の妹に絶対に勝てないのだ。

更に、兄の本質を勘違いして尊敬の目を向ける弟も余計なお節介をした。

 

『兄さん、父さんの今年の推薦枠、僕からも兄さんにしてほしいと頼んでおいたよ。アリーとの約束もあるよね?兄さんはもう僕に遠慮しないでほしいんだ』

 

完全な勘違いであった。この青年は全部弟に丸投げして楽して生きたいだけである。

そういった経緯で現在、トレーナー試験を受けることを母と妹に強要され、明日行われる本試験のためにやってきたトレセン学院の敷地内を歩きながら途方に暮れている。

母と妹は自分の才能を熟知しており、わざと落ちたら折檻されるであろう。青年はやりたい事は無いがまだ死にたくもないのだ。

 

(どうしよう…受かったらアリーに外堀埋められるのは確実、わざと落ちたらお袋に殺され……)

 

「そこのお兄さん、ちょっといい?」

 

途方に暮れながら、彼の心のような曇り空の下を適当に散歩していた青年は、いつの間にか来ていた学院のターフ練習場で、一人のウマ娘の少女に話しかけられた。

家族にウマ娘がいる上で父の仕事でもウマ娘をよく見かける青年でも、中々お目にかかれないレベルの顔貌とスタイルを持った、ジャージ姿でも魅力に陰りが見えない鹿毛のポニーテールのウマ娘であった。

快活そうな輝く瞳が特徴的なその少女が、ターフ練習場を指差した。

模擬レース用の小型ゲートがコースに準備されており、その近くに腕を組んだウマ娘が佇んでいる。

 

「今、時間あったりする?知り合いと勝負するんだけど、ゲート開けてほしいのよ」

「あ、ああ……構わないよ」

「ありがと!助かるわ~、今平地はオフシーズンだし障害の子はレース行ってるから誰もいなくて困ってたのよ。みんな里帰りだとかデートだとかさあ…学院は婚活会場じゃないっての」

 

呆れた様子で手を左右に広げ、少女が先導しながら青年に続けて雑談を持ちかける。

 

「お兄さん、こんな時期に学院にいるって事は障害のサブトレ?それとも試験でも受けに来たの?」

「一応、受験者だよ。受けるかは悩んでるけど……」

「そうなんだ。お兄さん見た感じ十代くらいよね?頭良いのね。悩んでるのはどうして?」

 

やけに押しの強い少女にたじろぎつつも、青年が言葉を返す。

トレーナーになったとしても、青年は実家か適当な大手クラブのトレーナーになるつもりでいた。

学院で年頃の少女、しかも気性難と出会う可能性を考えたら自分には荷が重いと考えている。

 

「いやあ…どうも向いてないと思ってるんだ。実家の関係で資格は取らないとダメそうだけどね……」

「ふうん、お兄さん何となく向いてそうな気がするけど」

 

家族以外で、ましてや初対面の相手に初めて言われた言葉であった。

優等生の弟はトレーナーとしての未来を嘱望されているが、自分は世間的には向いていないとはよく言われている。

 

「……どうしてそう思うのかな?」

「うーん、何ていうか…ウチのバ…知ってるすごい子にちょっと似てるかなって。後はあたしの勘かな?」

 

あやふやな理由であった。かなり適当な子だなあ、と青年が少女への感想を浮かべ、練習場を見たところで己の眼を疑った。

青年は、実家の関係でトレーナーの教育を受けてはいるが余りレースは観ていない。

その青年でも知っている顔、つい先日弱いヤツとはもう走らないと記者会見で言い切り、シニア級に行かずにレジェンドグレードへの参戦を表明したクラシック無敗のウマ娘がいた。

 

「えっ、あれ、シーザスターズ…?」

「そうよー、今からあいつと走るのよ」

「ああ、練習かな?胸を貸してもらうとか?」

 

この返答に気を悪くした少女が、青年の前に仁王立ちした。

あんな気に入らない奴に胸を貸してもらう道理は少女には存在しなかった。

 

「お兄さん、あたしこないだアメリカでG1勝ってるんですけど~?」

「えっ!?そうなの!?ごめんね、レースには疎くて……」

「それで試験受けるの?あっきれた」

「さっきも言ったけど、受けるかはまだ悩んでるんだよね」

 

ははは、と乾いた笑いをこぼす青年に眉を顰めた少女だったが、ここで名案が思いついたとにやつく。

この青年はどうせ模擬レースに付き合わせるのだ、どうせなら賭けの一つでもしてやろうと考えた。

 

「じゃあさ、お兄さん?あたしがあいつに勝ったらトレーナー試験受けるってのはどう?負けたらお兄さんの言う事一つ聞いたげる」

「えっ?うーん…」

 

突然の提案に青年が困惑しつつも、目の前の少女を改めて眺める。

押しは強いが気立ての良さはここまでの会話で察せられる。そして容姿も抜群に良い。特にその快活そうな瞳は青年の好みド真ん中である。

G1を勝ったと言っているがどうせ負けるだろう。食事に誘って連絡先くらいは教えてもらおうと青年は考えた。どうせ試験は受ける事にはなるだろうし、損の少ない賭けである。

 

「わかった、いいよ。君が勝ったらトレーナーになろうかな」

「受ける、じゃなくてなるんだ。お兄さん結構自信家ね。じゃあ決まりね。約束守ってよ?」

「いいよ。何をお願いするか考えておくよ」

「あ~!あたしが負けると思ってるでしょ!見てなさいよ!」

 

ぷんぷんと怒る少女に笑いながら、青年が練習場に到着する。

近くで見るシーザスターズの威圧感にたじろぎながらも、青年はゲート役を務め──

 

 

──奇跡の、目撃者となった。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「ぜえ…あーーしんどいし気分悪い!あたしの勝ちね!言うこと聞くのよ?」

 

少女が負けたショックからか俯くシーザスターズに、息も絶え絶えになりながらもそう言ってのけ、青年が先ほど起きた信じがたい光景に立ち尽くす。

青年も不本意ながらもトレーナーを目指す者として、ウマ娘が競走で時折起こす超常現象については理解している。

しかし先程起きた光景は余りにも現実離れしていた。人知を遥かに超えていた。

 

(……今日は曇りだ、自然現象じゃない。ウマ娘の領域(ゾーン)にしてはおかしい…あれは現実に干渉していた。現に、人間の俺が知覚できていた)

 

ウマ娘の持つ超常現象の一つである領域(ゾーン)、強力なウマ娘から発露するその心象風景は時に周囲すらも巻き込み、競走でその猛威を振るう。

しかし、人間の眼にはウマ娘の心象風景は知覚できない。その理由から人間のトレーナーには領域(ゾーン)の開発は非常に難しく、そして何故かウマ娘のトレーナーでは目覚めさせる事が困難であった。オカルトの類になるが人との絆が領域(ゾーン)に目覚めさせると言われている。

そのような理由により、担当ウマ娘のPV撮影を通して領域(ゾーン)への認識を高めさせる手法のトレーニングが行われていた。

 

「良い?これからは負けた子にも多少は気を使いなさいよ。せめて勝ってから追討ちするような真似はやめな……あんた、聞いてる?」

 

少女は、続けて俯いたままのシーザスターズに言葉を投げたが、ここで一瞬震えた後にシーザスターズが顔を上げた。

 

その顔は、恍惚としていた。

 

「やっとだ、やっと、見つけた……」

「な、なによ……ちょっと気持ち悪いんだけど!?寄ってくるのやめなさいよ!!?」

 

負けたはずであったが、にやついた嬉しそうな顔のシーザスターズが少女ににじり寄り、その行動に少女が心底嫌そうな顔を見せる。

レースの序盤で仕掛けた事よりも予想外であった。よく喧嘩していたこの同期がこのような対応をするのは想定していなかったのだ。

 

「お前となら、きっと姉者と先輩のようになれる…お互いを認め、讃え合う好敵手(とも)に……」

「やめてよ!?あんたみたいなのとは二度とやりたくないわよ!!てかなんで肘当てたのにケロッとしてるのよ!!!?」

「私は鍛え方が違うからな。何故効くと思った?」

「何でそこは真顔で返すのよ。もうヤダこいつ……」

 

少女は序盤、ゲートを出た矢先に肘をシーザスターズの鳩尾にぶち込んでいた。しかし明らかに硬い感触とともに弾き返され、更には反動でよろめいた。

こいつの体、何でできてるのよと少女はドン引きした。

 

「さあ!もう一度だ!何度でもやろう!!!」

「嫌っつってんでしょ!!?それよりも約束守りなさいよ!!!あたしの話聞いてた!?」

「負けた相手に何も言うなだろう?私は負けたんだ。お前の言う事を聞くのは当たり前だろう?」

「ホントもうヤダこいつうぅぅぅぅ!!!」

「待て!!もう一度やれ!!!!」

 

少女が再戦をねだるシーザスターズから離れようと脱兎の如く逃走する。

まだ立ち尽くす青年の前を通りがかったところで、少女が声を張り上げた。

 

「お兄さん!!約束守りなさいよ!!トレーナーになるって!!とりあえずさ、なってもいいんじゃない!!?」

「あ、ああ……」 

 

 

「お兄さん、きっと向いてるわよ?」

 

 

この言葉、そして追われながらも快活に笑う奇跡を起こした少女に、青年は目を奪われた。

今、この無気力な青年はやりたい事を見つけたのだ。

 

「待てえええええええ!!!!!」

「来るなっつってんのよおおおお!!!」

 

斯くして、青年は己の進む道を決めた。

この時奇跡を目の当たりにし、惹かれた彼女の名前を知るのはパパラッチに齎されたトレーナーとの熱愛報道だった。

ショックでまた無気力に戻った彼は、暫しの雌伏の時を過ごす事となる。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

『これは……太陽が、覆い隠されて……日蝕です!!!レース中に日蝕が起きています!!』

 

実況が身を乗り出し興奮気味に状況を語る。

エクリプス教が主流であるアメリカにおいて、女神が生まれた日に起きたとされる日蝕は吉兆である。

そのため日蝕が起きる日は正確に予測され、その日には降臨祭として盛大な催しが行われていた。

つまり、アメリカ国民の認識では今日は起きないはずである。周期を知っているのだ。

それが今、ここチャーチルダウンズレース場で起きている。異常な状況だった。

大観衆の前で、奇跡が起ころうとしていた。

 

「……ノーブル、よく見ておきなさい」

 

実況の興奮を余所に、マイクを静かに外した解説の淑女が隣の孫に語りかけた。

 

「…おばあさま?」

 

姉とは違い、母によく似た鹿毛の髪に黒鹿毛のメッシュが入り、真っ直ぐな縦長の流星を持つ、大ぶりな耳の淑女の孫。

淑女は今日は孫を連れてきてよかったと、心から思った。

あの天才の姉と自分との差、そんな姉を追い駆ける従姉妹。そして姉でも心を痛めたという競走バの道に対し、選抜戦にも出たくないと言い、自信を失っていた孫への良い刺激になると考えていた。

 

「大レースというのはね、時に奇跡が起きるのよ」

「奇跡…ですか?」

「ええ、あなたの姉、フランが起こしたようにね」

 

この返答に、ノーブルが俯く。

姉が起こした奇跡、あの選抜戦を中継で妹は見ていた。

そして理解した。姉と自分は違うのだ、自分はああなれないと。

普通の足が欲しい姉と、特別になりたい妹。

祖母が好きなのもあったが、この蟠りが妹をヨークシャー州に縛り付けていた。

 

「わたし、姉さんとは違うわ。ふつうのウマ娘ですもの」

「みんな普通の子よ。普通の子が奇跡を起こすのが、大レースというものよ」

 

祖母の言葉に、俯いていたノーブルが顔を上げる。

まだ不安そうな目をしていた。しかし、その目の奥に僅かな希望を宿しているのが淑女にははっきりと見えた。

にこり、と淑女が笑みを浮かべながら、孫の髪を優しく撫でる。

 

「このレースはきっと、あなたの憧れになるわ。競走バの道を照らす、道標に」

「はい、おばあさま」

 

膝の上でぎゅっと手を握りしめ、これから起きることを一つたりとも見逃さないといった様子でノーブルがレースを凝視する。

その孫の姿に、淑女は優しい微笑みを浮かべた。

 

一方、英国では──

 

「これだ…!これを私は、ずっと待っていた…!!」

「これは…日蝕だね」

「すご~!ミッドデイちゃんがやったの?これ?」

 

姉の起こしたと思われる奇跡、あの日の再現を見てシーザスターズが武者震いを起こす。

彼女の姉である麗人も、妹の領域(ゾーン)はよく知っている。その強さと、特徴も。

お互いが領域(ゾーン)に入った場合、ウマ娘の心象風景のぶつけ合いが時として起こる。

特にシーザスターズの領域(ゾーン)は、相手を自らの心象風景に呑み込む力を持っていた。

 

「シーちゃん、すごく相性悪いね。この領域(ゾーン)。現実にまで影響するものは、私も初めて見るな……」

「ああ……あの日、私の太陽が輝いたその時、勝ちを確信したよ」

 

あの日、シーザスターズは確かに同期を自らの領域(ゾーン)に呑み込み、翻弄した。

だが次の瞬間、自分の世界に暗闇が訪れた。

 

「……呑まれたのは、私の方だった。私の太陽が、ヤツに利用された」

「なるほどね、効果は──領域(ゾーン)の解除かな?」

「それが一つ目だ」

 

シーザスターズが、二人に振り向き、心から誇らしそうに語る。

 

「姉者、先輩。ここからだ。本当に恐ろしいのは──」

 

「全然怖がってるように見えないよ、シーちゃん」

「嬉しそうだよね~」

 

そしてチャーチルダウンズレース場、観客席最前列。

智哉は自分の目を疑った。智哉は祖先の血、そのルーツからか領域(ゾーン)を知覚できる。

姉の領域(ゾーン)も直接本人から見せられた事があった。安定して発動できなくて何度も併走させられた。

だが、現実に影響する程のものでは無かった。これ程の規模ではなかった。

この光景は、見たことがなかった。

 

「なんだ、これ……?姉貴、ここまですげえの隠してたのかよ……」

<まさか、また見れるとは……>

 

隣の怪人の呟きが耳に入り、智哉が振り向く。

怪人は智哉をじっと見つめていた。有無を言わさぬ迫力があった。

 

「……ヴェラスさん?」

<トモヤ君、約束は必ず守ってもらうぞ>

 

しかし怪人の中身を知る智哉にはまるで効かなかった。

この青年は人間には強いのだ。

 

「あー、善処します」

<守る気ないよね?君>

「何言ってんすか、とりあえずレース見ようぜ?」

<こいつ………!>

 

唸る怪人を無視して、智哉が最終直線に差し掛かったネルと姉に目を向ける。

その視線の先のネルは、異常な状況に恐慌していた。

 

(なんだ、何が、起きた…?)

 

勝ちを確信していた。

自分は、領域(ゾーン)に入っていた。

 

(私の領域(ゾーン)が……解除された?何も感じない。心の中が、暗闇に閉ざされたような……)

 

ネルは、初めて後ろを見た。

そこにいる、恐らくこの状況を作った好敵手を。

 

(……何かが、違う。ミッドデイなのか?あれは……)

 

好敵手に、ミッドデイに、変化が訪れ始めていた。

鹿毛の髪の一部が金色に染まり、眼が青く光り輝く。

そして、右足が白い光を帯びていた。

ただ、ネルだけをその眼は見つめ、ひたすらに前へ突き進む。

ネルが恐ろしいものを見たような表情を浮かべるも、更に状況は動く。

日蝕が終わりを告げ、日輪がターフを照らす。

 

 

正午の日差しのような、明るい陽光が輝いた瞬間──ミッドデイは急激に加速した。

 

 

一人旅に入ったネルに、まるで時が止まったかのような異常な加速で近付いてくる。

その走法も大きく変わっていた。極端なまでの前傾姿勢であった。

まるで、前に進むだけに特化した、速く走るためだけの走法。

唯一抜きん出て、並ぶ者無しと証明するためだけの走法──

 

(これは……競走バなのか?何者が、私に迫ってきているんだ……?)

 

ネルは当然、足を止めていない。

だが、まるで自分が抜き去られるのが当然のように感じた。競走バの規格外、神の領域に好敵手はその身を委ねている。そうとしか思えなかった。

 

日蝕と共に訪れた閃光は、たちまちにネルを抜き去った。

 

(勝てない──!これは、勝てない……例え、地の果てまで追い駆けようと──)

 

 

 

 

 

 

『何という奇跡!!何という末脚!!!奇跡を起こし、日蝕を招いて──ウインターカップフィリーズターフの勝者は……奇跡のウマ娘、ミッドデイ!!!』




ウインターカップはあと一話お付き合いくださいやで。
ずっと後ろで見てたあの子とかあるし。


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第二十四話 再会と、邂逅

ウイポやってて遅くなったやで。
ごめんリアル忙しすぎて遅れてるやで……ちょっと待ってね……。


『何という奇跡!!何という末脚!!!奇跡を起こし、日蝕を招いて──ウインターカップフィリーズターフの勝者は……奇跡のウマ娘、ミッドデイ!!!』

 

決着を告げる実況の声が響き、チャーチルダウンズレース場の大観衆が堰を切ったかのように歓声を上げる中、最初にゴールを割った勝者であるミッドデイがその足をゆっくりと止める。

 

(あれ?あたし、勝ってる……?)

 

日蝕が訪れた時、ミッドデイは痛みで朦朧としたまま走っていた。まるで別の誰かが代わりに走ってくれたような感覚を彼女は覚えた。

日蝕と共に彼女に訪れた変化、一部が金髪になった鹿毛の髪、そして青く輝く眼と右足に帯びた白い光も収まり、意識が鮮明に戻ったその時──

 

「痛っだああ!!?何これ全身痛いんだけど!!!」

 

猛烈に全身を痛みが襲った。

急激な加速の反動である。おまけに肋骨にもヒビが入っている。

真っ直ぐ立っていられなくなり、ふらついて倒れ込もうとした所で何者かが彼女に肩を貸す。

 

「ミッドデイ!大丈夫か?」

「ネル…ありがと、助かったわ。もう全身痛くてあいたたたたた!!」

「あんな無茶をするからだ!その相手の私が言える事ではないが……」

 

肩を貸したのは、ネルだった。

彼女は二着で入着した後、すぐさまミッドデイに駆け寄っていた。

怪人との再契約を邪魔する相手であり、つい先程敗北を喫した相手でもあるが、それでもネルは駆け寄ったのだ。

彼女のこの献身と人の良さにミッドデイは目を丸くする。

 

(ホント良い奴だわこの娘…ちょっとアメリカ的なとこあるけど。シーザスターズと気が合いそうね)

 

今回の勝負の発端は、速い方が正しいという先頭民族アメリカウマ娘的な思考によるものだった。

サラトガカレッジで挑戦状を叩きつけられ、「私が勝ったらカルメット内にジョーのチームを作ろう」と切り出された時ミッドデイは二回聞き返している。

彼ほどのトレーナーは共有すべきと当然のように言うネルにミッドデイは戦慄した。怪人のハーレムを結成しようと言っているように聞こえたのだ。

光彩の無い瞳でそう語るネルを見て、これは放っておくと大変な事になると考えた彼女はこの勝負に至る事になった。なお負けたら替え玉を差し出して時間を稼ぎ、英国に逃げるつもりでいた。替え玉は哀れである。

 

そんな事さえなければきっと、良い友人になれた。

ミッドデイは確かにそう思った。

 

「ネル、今度ご飯でもどう?」

「…ああ、付き合おう。後輩達も一緒でもいいか?」

「もちろんいいわよ。あんたとも他の子とも、一回あいつ抜きで話したかったし」

 

ふと、ミッドデイがこちらを心配そうに見つめる観客席のネルの後輩達に目を向ける。

全員競走脳のアメリカウマ娘ではあるが良い子達だと思っていた。

アメリカはさっぱりとした性格のウマ娘が多く気が合うのだ。

 

『あっと、観客席からミスターヴェラスを含む三人が飛び出して…一人はツナギ姿ですね。チームの関係者でしょうか?』

『あら…あの子は…ドレスコードを守っていないから10点減点。すぐに駆けつけたから一億点加点ですわね』

『なんでしょう、その採点…?』

 

怪人と、近くで観戦していた三人のうち二人が飛び出し、ミッドデイとネルに駆け寄る。

一番最初に猛スピードで近付いてくる弟、そしてその後ろに全力疾走の怪人、そして弟に置いていかれたくなくてついてきたクオリティロードの三人目、それぞれがミッドデイとネルを目指して向かってきていた。

姉はコイツ走ってきやがったと唖然として弟を見つめた。

怪人より速く到達している。完全にルール違反である。

 

「姉貴!大丈夫か!?」

「あたしよりも、あんた…」

「ネルさん俺代わります、よっと」

「ちょっと!抱き上げなくていいから!!」

「立てねえのに無理すんなよ。いいからじっとしててくれ」

 

すかさず智哉がネルから姉を預かり、横抱きにして抱える。

姉は脳内で頭を抱えた。弟が心配してくれる事は嬉しく思うが、時と場合を完全に間違えている。ケジメ案件である。

ここでネルは少し違和感を覚えた。

覇気が無く姉のすねかじりと思っていた青年が怪人より真っ先に到着し、二番人気でそれなりの斤量を背負った勝負服フル装備の姉を軽々と横抱きにしたのだ。

しかしネルはそれよりも言わねばならない事ができてしまった。ドレスコード違反の青年の服装である。

 

「トモヤ君!何?その格好は?」

「えっ?あ、あーこれしかなくて……」

「ドレスコードはしっかり守りなさい!君がそんな格好だとミッドデイに恥を掻かせるのよ!ほら、ここに私の勝負服のネクタイがあるからせめてこれを……」

「いやそんな大事なもん付けれないっすから!すぐ姉貴医務室に連れてくんで勘弁してくださいよ!!」

 

競バは紳士淑女の社交の場としての側面があり、レース場にはドレスコードが設けられている。

社交の場として、観戦の際はある程度フォーマルな格好が求められるのだ。しかもウインターカップのグレードはG1相当である。ツナギで観戦など言語道断であった。

姉は、自分の頭上で弟の説教をしながらネクタイを巻いてやろうとするネルと、迷惑そうにする弟の顔を首を傾げながら見比べた。

家族にしかわからない、弟の微妙な心の機微を読みとったのだ。

 

(ンン?こいつ、なんか嬉しそうじゃない……?)

 

何となく、説教されているはずの弟が嬉しそうにしている。

そして少しだけ引いた。弟が年上の女性に説教されて喜ぶ性癖があるとは思わなかった。

 

(ええ……うちの弟そういうの好きなの……ドン引くわ……いや、まさか)

 

そして考え直した。一つだけ思い当たる事がある。

かつて、久居留邸にフランが居候していた日々、自らのライバルであるメイドもよく訪問していた頃こんな顔を見たことがあった。

ケンタッキー州の自宅でダンに料理を振る舞われた時もこんな顔をしていた。

 

(こいつ、世話焼かれるのに弱いのね)

 

姉は何となく合点が行った。

弟は友人も少ない上に、その友人達も弟分やどちらかと言うと気安い友人と呼べる年上の男だ。ウマ娘に至ってはトレーナーという立場から世話を焼くのが仕事である。

姉は女子力が死んでいるし、近年のプライベートで親交のあるウマ娘も最近ようやく捕獲した彼氏を文字通り振り回す飲んだくれのヤッタに年下のダンとフラン、そして普段は気性難のメイド。

つまり、こうやって甲斐甲斐しく世話をされる事に慣れていないのだ。弟の弱点であった。

 

(なるほどねえ…後で聞いてやろ)

 

面白いものを見たと姉が笑みを浮かべた所で、追いついた怪人が智哉に声をかけた。

 

<ぜえ…トモヤ君、ミッドデイは私が預かろう>

 

こっちに渡せ、と両手を差し出し催促する怪人を見て智哉が神妙な顔を見せる。

弟の顔をその腕の中で見た姉は、弟が何故か仏頂面でふて腐れているのに気付いた。しかし何故そんな顔をするのかの理由がまるでわからない。

姉は怪人に肩を借りた方が状況的には正しいと思い、その提案に乗った。

 

「ああ、ジョー、肩貸してくれる?トム、もういいから降ろし…」

「いや、俺がこのまま運ぶ」

<トモヤ君!>

「あんた何でふて腐れてるのよ!?言うとおりにしな!!」

 

智哉は怪人の中身から、協力への見返りにとある話を持ちかけられている。

ずっと誤魔化して先延ばしにしていた話であり、その件から姉について考える事が増えた末に、この行動に至った。

この姉弟は暴君の姉とそれに振り回される弟という関係だが、姉弟仲はすこぶる良好なのだ。

二人に詰め寄られ、智哉は爆発した。どうしても怪人に姉を預けたくない弟はふて腐れていたのである。

 

「あーうるせえ!!俺が!!運ぶ!!!ヴェラスさんはインタビューあるだろ!!!」

「何でそんなに意固地になってんのよ!!おろせーー!!!」

<トモヤ君、いい加減にしたまえ>

 

姉が暴れて肘を入れるも、智哉は微動だにせずに耐える。

怪我をした上で疲労困憊になった姉はいつもの肘鉄のキレが失われていた。これでは弟には効かない。

姉をそのまま運ぼうとした所で、疲れた顔のリティが智哉の前に立った。

 

「トムっち……」

「あ!?…ああ、ひょっとしてリティか?珍しいな、二人は?」

「いま……けんかしてる……」

「喧嘩……?」

 

クオリティロードの三人目にして主人格、コミュ障でひきこもりのリティは基本的には表に出てこない。

特にレース場の混雑した人込みの中で出てくるなど絶対に拒否するはずであった。

しかし代役を務める二人が、今は心の中で怪人の中身について喧嘩中である。

苦手な人込み、心の中で言い争う二人と内外の環境でリティはくたくたになった。

この状況で一人にされたくないリティは、ふらつきながら智哉を追い駆けてきたのだ。

 

「トムっちつかれた。おんぶして」

「今は手が空いてねえから適当にぶらさがってくれ」

「うん……」

「ちょっとあんた!流石にそれはダメでしょ!!!」

「うるせえ!姉貴は大人しくしてろ!!」

 

姉を横抱きにした智哉の首に、背中からリティがぶら下がる。

姉はそこまでやらせたら不味いと暴れたが弟に制圧された。後で折檻案件である。

怪我をしているとは言え暴れるウマ娘を意に介さず、背中からもう一人ぶら下がっているのに平然とした智哉を見てネルは流石に何かおかしいと思い始める。

 

「トモヤ君、力持ちなんだね……?」

 

姉はすかさず怪人に何とかしてと目で訴え、怪人の中身は勘弁してよ…とため息を付くもそれに応えた。

怪人の中身は姉に弱いのだ。

そしてネルの目的も把握し、女性の扱い、あしらい方に慣れている女たらしな中身にとっては造作もないことである。

 

<ネル、良い走りだった。TCターフの時より速かったんじゃないか?>

「あ、ジョー…でも負けてしまったわ。ジョーの目の前で……」

<あれは仕方がない。それに、負けたとしても君の輝きは変わらないさ。あの日のドバイのように>

「ジョー……」

 

ネルの忌まわしい過去、無様を晒したあの日ですら輝いて見えたとは、怪人がネルと契約した際に言った殺し文句である。

覚えのある台詞を誤魔化すネタに使っている怪人を見て、智哉は若干嫌な気持ちになった。

頬を染め怪人を見つめるネルに胸を撫で下ろし、姉は弟に撤収するよう催促する。

 

「ほら、もういいから今のうちに行くわよ。早くしな」

「ああ…行くか」

「トムっちねていい?」

「もうちょっと我慢してくれ」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「打撲と肋骨の亀裂骨折、それに各所の筋肉痛だねぇ。安静にしたまえ。ライブはダメ」

「ええー、やっぱりダメ?先生どうにかならない?」

「ダメだねぇ。競走バとしてはやらせてあげたいけど、医師としては認められないね」

 

所変わって、チャーチルダウンズレース場の医務室。

姉はたまたまアメリカに医学留学に来ていた、日本のウマ娘医師の診察と治療を受けていた。

この医師と目が合った瞬間智哉は逃げようとしたが、外で待っていたまえと言われ助手と名乗る人物と医務室の外にいる。

先手を打たれたのだ。現実は非情である。

なおリティは姉の控室で寝ている。

医務室は姉も一度会い、礼を言ったことがある医師とのまさかの再会の場となった。

栗毛のやや野暮ったい髪型であるが端正な顔立ちの、光彩の無い瞳と袖の余った白衣が特徴的な美しいウマ娘。

智哉が銃で撃たれた際にその手術を行った、日本中央競バ会(U R A)の競走バでもあった異色の経歴の医師であった。

 

「とりあえずの処置はしたが、改めて病院には行きたまえ。ここだと機材が少なくてねぇ、私の見落としがあったら大変だ」

「はーい、先生ありがとね。まさかあたしまでお世話になるとは思わなかったけど……」

「なあに、医師としての本分を果たしただけさ。それに知り合いが渡米するから、先にこっちに来たら今日の出走に君の名前を見かけてねぇ。これも縁だと今日の勤務に立候補したんだよ」

「知り合い?」

「うん、知り合い。本当はもう来てるはずなんだけどねぇ、メジロ家と(やしろ)グループの保安部に追われててまだ出国してないんだ」

 

処置を受けた姉が、服を着ながらやや引き気味に医師の知り合いについて訊ねる。

メジロ家は日本中央競バ会(U R A)にその根を張るウマ娘の名家であり、(やしろ)グループはとあるウマ娘が築き、世界にも名を轟かせる旧財閥系の流れを汲む大企業である。日本中央競バ会(U R A)にも数多の名ウマ娘が所属するチームを所有し、グループの会長はトレセン学園理事長よりも強い権力を持つとすら言われている。

件の医師の知り合いはこの二つの勢力に追われ逃亡中である。

メジロ家の芦毛の令嬢が「国際問題になりますわ!!!絶対に行かせませんわあああ!!!!」とコネと政治力を全力で駆使したのが発端であった。

 

「……どういう人なの?」

「見てて飽きない面白い人だよ。私も色々恩があってねぇ」

 

医師がくすくすと笑い、姉の顔が引き攣った所で医務室のドアを何者かが叩く音が響いた。

 

「外の二人かな?もういいよ、入ってきたまえ」

「失礼します……ミッドデイ、今いいかい?」

「あー、あんたは……」

 

入ってきたのは智哉と助手ではなく、姉にレースでちょっかいをかけたうちの一人、クライトゥザムーンという名のウマ娘だった。

心底申し訳なさそうな表情で、彼女はその場で座り込んで頭を下げた。

 

「言い訳はしないよ、首謀者はあたしだ。あたしが競バ委員会に届け出るから、後の二人は許してくれないかい?」

「……あたしに肘ぶつけた子は?」

「泣いて取り乱しちゃってねえ、ここには連れて来れなかったよ。改めて詫び入れさせるから今日はあたしだけで勘弁しておくれよ」

 

レース中の怪我を伴う意図的な妨害行為、年単位での出走停止もしくは競走バ登録の失効案件である。

それを彼女は一人で全て背負うと、姉に言っているのだ。

彼女は気性難だが面倒見が良く、後の二人は彼女の後輩に当たる。

 

「ふーん……あの子さ、肘の当て方下手すぎない?今度ちゃんと教えてやるわ」

 

この発言を聞いてクライトゥザムーンの顔が真っ青になる。同じ目に遭わせてやると言っているようにしか聞こえなかった。

 

「ま、待っておくれよ!!それならあたしに……」

「ねえ先生?さっきの診断書、競バ委員会に提出するのよね?」

「うん、勿論だとも」

「なんて書いたっけ?怪我の原因」

 

にやりと笑う姉の意図に気付いた医師がくつくつと笑い、もったいつけるように応えた。

 

「ええーと……ああ、確かこうだねえ、偶発的な事故で、事件性は無い」

「………え?」

 

呆然とするクライトゥザムーンに姉がちょっとは仕返しができたと満足げにしながら、言葉を告げる。

 

「そういう事、これ貸し一つね。で、さっそく返して欲しいんだけどさ、あんた三着で、肘当てた子は四着よね?」

「そ、そうだけど……それが何かあるのかい?」

「ネルがセンターになるんだけど、あいつさ、ティアラ路線のライブ舐めてると思うのよね」

 

姉はティアラ路線の名ウマ娘であり、ライブにかなりの拘りを持っている。

そのダンスは英国でも世代で一番との評判を得ており、同期では歌唱力のメイド、ダンスの姉とライブにおいても甲乙付け難いライバル関係であった。

 

「だからさ、ティアラ舐めんなってとこ、あいつに見せて欲しいのよね。四着の子と一緒に」

 

この姉の気風の良さに、クライトゥザムーンは目の端に涙を貯めて震えた。

まさか許されるだけでなく、ライブにも気兼ねなく出ろと言われるとは思ってみなかった。

この意気に全力で応えるべきだと、彼女は飛び上がるように立ち上がった。

 

「ああ!絶対ぎゃふんと言わせてやるさ!!ミッドデイ!!見てておくれ!!」

「オッケー!頑張ってきな!!」

 

二人がハイタッチをして笑い合うのを見て医師の口元が緩む。

それと共に一つ気になる事があった。

ドアが開いた時に、光が漏れていなかった。つまり助手がそこにいなかったのだ。

 

「いいねえ、青春だねぇ!ところでモルモット君、これは逃がしたようだねぇ………」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「どこに行ったんだ、あの子……もうロイヤルビタージュース味の試薬は嫌だ………」

 

チャーチルダウンズレース場の関係者用の通路で、七色に光る人物が肩を落として歩いている。

医師の担当トレーナーである彼はミッションに失敗した。ターゲットの青年に撒かれて途方に暮れているのだ。

担当の試薬により強化された彼は並の人間を凌駕した肉体の持ち主である。それでも追いつけなかったのだ。

このまま成果なく戻ったらお仕置き確定である。担当とは公私に渡るパートナーであるが基本的に彼は尻に敷かれているのだ。

最初は自堕落な担当に彼が世話を焼き、それに担当が依存する関係であったが、彼が他のウマ娘も担当しようとした所で状況が一変した。

突然自立すると言った彼女から料理を振舞われたので喜び、これならもう一人くらい大丈夫と思いながら料理を平らげたのだが、一服盛られていたのである。

盛られた薬は、惚れ薬であった。しかし彼には効かなかった。既に惚れていたからである。

日本中央競バ会(U R A)では、トレーナーと担当との恋愛はご法度である。彼はその為に気持ちを秘していたのだ。

これに気付いた担当は自分のプランを変更した上で引退を表明し、医師資格をあっさりと取ると彼をその助手としてトレセン学園の保健室勤務の身となった。

ちなみに彼も医師資格を持っている。中央のエリートは高学歴なのだ。

 

とぼとぼと歩いている助手の前から覆面の男と茶髪の男性が近付いてくる。

今医師が診察中の競走バの担当である怪人トレーナーだった。

一応聞いておくか、と助手が声をかける。

 

「失礼、この辺りに黒髪の青年が通りがかりませんでしたか?ツナギ姿で身長はあなたぐらいの……」

<…………いや、そんな青年は見なかったな。お役に立てず申し訳ない>

「いえ、こちらこそ不躾で申し訳ない。ありがとうございました……はあ……」

 

礼を述べ、心底気落ちした様子の助手が通り過ぎるのを見送った後に、怪人は安堵のため息を漏らした。

 

<ふう……何とかなったな。助かったよ、ミスターモア>

「トモ……ヴェラス君、それよりもいい加減にしてほしいんだけど」

<……何の事かね?>

 

怪人と同行している茶髪の男性、英国から来た敏腕トレーナーのライエン・モアが青筋を浮かべながら怪人を睨みつけ、怪人は目を逸らしながら答えた。

何の話かは察しがついているが、往生際が悪い怪人はとぼけて見せたのだ。

 

「一回だけでいいんだよ!?一回だけミッドデイさんと二人で会わせてくれってだけなのに!!約束してからもう二年近く経つんだよ!!?」

<……そのうち会わせてやるから待ちたまえ。君は堪え性が無いな>

「それを言うなら君は往生際が悪いよね!!?このシス……」

<ちょっ!!それはやめたまえ!!!>

 

慌てて怪人がライエンの口を塞ぐ。言わせたくない台詞であると同時に素性がバレかねない叫びであった。

 

<わかった!わかったとも!一回だけだぞ?>

「……本当だね?約束は守れよ」

<……そうだな。約束だったな……>

 

そのまま何だかんだと話しながら二人は姉の控室を目指す。各自用事を終え撤収の時間が来たため、姉がライブを観ている間に寝ているリティをチャーチルカレッジに送り届けに来たのだ。

怪人の仕事が近日にあるため、今月中はここに滞在する予定である。

そうして二人が控室に辿り着いた所、ドアの前に一人の少女が色紙を持って立っていた。

黒鹿毛のメッシュが入った鹿毛の髪が特徴的なウマ娘の少女であった。怪人は何となく知り合いの面影を感じた。

 

<君、そこは私の担当の控室だが……何か用かな?>

「あ、ミッドデイさんのトレーナーさん……あの、お怪我は大丈夫ですか?」

<ああ、ライブには出れなかったが……怪我は全治三週間くらいだろう、あのぶつけ方にしては軽い方だよ>

「……よかった。あの、わたし、ミッドデイさんにお会いしたくて……」

 

意を決した様子で、少女が怪人に言葉を告げる。

怪人はその顔に既視感を覚えた。やはり似ている、と思った。

 

<すまない、今はライブ会場に行っている。後で案内してもいいが……>

「……そうですか。お気遣いありがとうございます。でも、帰る時間なので……」

 

祖母と使用人に待ってもらってここまで来た少女だったが、これからキーンランドに向かう彼女にはもう時間が残っていない。

明らかに気落ちし、悲しそうにするその少女を見た怪人は何故かその顔が見たくなくて仕方なかった。

強い既視感に囚われ、そんな顔をさせたくないとまで思った怪人はここで屈みこみ、少女に目線を合わせる。

 

<……代わりと言ってはなんだが、これを君に>

「えっ……」

 

怪人が握り拳を作り、手を回した後に開いたその掌には金の獅子の刺繍が施された、水色の耳飾りが乗せられていた。オーナーから何か芸を覚えろと言われて練習したちょっとした手品である。

耳飾りはミッドデイの今回の勝負服の予備であり、せめて元気付けてあげたいという一心の行動であった。

 

<彼女と同じ物だ。サインよりも貴重だと思うが……>

「……」

 

この怪人の突然の行動に少女は少しだけ頬を紅潮させ、その目がきらきらと輝く。

 

「あ、ありがとうございます!わたし、大事にします!!」

<そう言ってもらえてよかった。帰り道、気を付けるんだよ>

 

そう言って怪人は頭を優しく撫でた。無意識の行動であった。止める人物がいないのでやりたい放題である。

見えなくなるまで怪人と少女は手を振り合い、それを後ろから見ていたライエンが呆れ顔で怪人に声をかける。

 

「ヴェラス君さあ……そういうのホントやめた方がいいよ……」

<…?何か、いけなかったかね?>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩、やっぱり速い。勝負は避ける」

 

 

「怪我した、今がチャンス。先輩動けない」

 

 

「実家から、応援も呼んだ」

 

 

「次、トレーナーが現れた時──」

 

 

 

 

「──仕掛ける。ワタシが、狩る」



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閑話 夢に向けて走る者、そして集う者たち

「ふう…久しぶりに若い子と走ると気分がいいわ。今回の子もなかなかのものね」

「前の子、異能が使えないのに大分粘ったでござるからな…えく殿とまともにやり合える者がいるとは」

「あの子はイレギュラーにも程があったわね。たまにいるのよね、生まれついてデタラメな子が。サイモンもそうだったわね」

 

空の向こう、次元の壁を隔てた先にある光り輝く空間で、えく殿と呼ばれた金髪に青い眼のウマ娘と端正な顔立ちの着流しの男が、地上のとあるレース場の様子を眺めている。

眺める先ではえく殿と呼ばれたウマ娘が力を貸した子孫を横抱きにし、さらには背中にもう一人ウマ娘をぶら下げた青年が医務室を目指している。

この様子に着流しの男が眉を顰めた。

 

「アレ、いいのでござるか?バレてもおかしくないでござるが…」

「……もう大丈夫よ。運命は固定されている」

「ええ~?ホントでござるか~?」

 

着流しの男が疑惑の視線を向けるも、えく殿は余裕の表情であった。

わざわざ自分が出張ってまで力を貸した自負があった。

軽く欠伸をした後に、空間の中にある豪著なベッドに横になると、着流しの男にふりふりと手を振る。

 

「ふああ、地上に干渉して疲れたわ。アメリカだから楽だったけど張り切りすぎたわね」

「いや、やりすぎでござるからな?ウチの娘、教会に狙われたり……」

「あの子ならそれくらい大丈夫よ。本当はウチの嫁にしたかったけどね……私は寝るから監視は任せるわよ」

「本当に大丈夫でござるか?嫌な予感がするでござるが……」

 

心配性の夫にえく殿が軽く微笑む。普段もあの不憫な子孫のような三枚目な所のある男だが、子孫の事になるとそれが顕著になるのがこの生まれた世界を間違えた武芸者の欠点でもあり、惚れた部分でもあった。

 

「大丈夫って言ったでしょう?運命引っくり返せるくらいデタラメな奴なんてそうそういないわよ。アレの動向は止められる子の夢枕に立って教えたし、もう余裕よ余裕」

「そうならいいでござるが……あ、へろ殿がまた勝負したいって言ってたでござるよ。最近加護を与えた子がいるとか…」

「ほっときなさい。じゃあお休み、ジョン」

 

そう言うとえく殿は眠りにつき、すぐにすやすやと寝息を立てる。

その妻の髪を優しく撫でつつも、男は軽くため息をついた。

妻が調子に乗っている時は、大体ろくな事にならないのを彼は長年の経験で知っているのだ。

もう一度、男が地上の様子を眺める。

 

その先には、自家用機の機内で寝込んでいる、子孫の運命と深く繋がる三女神の寵児。

三女神のリーダー格が何度引き剥がそうとしても、強い執着心で子孫が背負った運命から離れようとしない巨神のウマソウルを宿す少女。

追い込まれ後が無くなった大富豪に、狩りの準備を進める原始ウマ娘の姫。

 

そして日本で芦毛のヅラを被り、借りたゴルシちゃん号で追手の包囲を突破する沈黙の名を冠する超気性難。

 

「これ、絶対ろくな事にならないでござるよ……いや、あの若人には良い薬になるやも、か」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「動き無し、か……」

「油断するなよ。シスターサンディは何をするか読めんぞ」

 

日本、東京都府中市にあるトレセン学園。その近所に位置する、女神エクリプスを祀るとある教会。

この教会は現在、周囲に停まるバンや黒塗りのセダンに何人もの黒服の男達やウマ娘が乗り込み、監視されている。

彼らは日本のウマ娘の名家メジロ家と、旧財閥の流れを汲む大企業である社グループの保安部所属の腕自慢達であり、数十人による交代制での監視任務に就いていた。

なお、現場の監視員達はこれでも足りないと増員要請中である。

先日、空港での決死の捕り物でようやく教会にほぼ軟禁状態にできたのだ。素手でビルを解体する超気性難ともう誰も対峙したくないのである。

 

「昨日は?」

「旦那さんと仲良く商店街で買い物ついでに、いつも通りスナックうらかわで昼から一杯やってたな。あそこの看板娘の出すつまみがまた旨いんだよ。監視任務じゃなけりゃなあ」

「おいおい仕事中だぞ……諦めたか?」

「マックイーンお嬢様曰く、それだけは無いそうだ。これくらいで諦めるなら胃薬はいらない、と」

「そうか……おい、あれ」

 

監視員の片割れが何かに気付き、教会の敷地を指差す。

教会の扉から、芦毛のウマ娘が二人出てくるところであった。

 

「あれは……お前の所のお嬢様とゴールドシップか」

「今日は朝から訪問されていたはずだな。今から学園に帰るんだろう」

「そうだな…特に問題なし、と」

「もうすぐ交代だな。うらかわで一杯やるか?」

「ああ、非番ならいいか…付き合おう」

 

くい、と身振りで手酌をしてみせる相棒の誘いに応え、もうすぐ交代というタイミングで事件は起こった。

 

「お待ちくださいまし!今こちらにわたくしが来ませんでしたか!?」

「えっ!マックイーンお嬢様!?先程通り過ぎたのでは…?」

「それがシスターですわ!!追いますわよ!!」

 

教会から学園に戻ったはずの芦毛の令嬢が、もう一度教会から飛び出てきたのである。

必死の形相であった。彼女はシスターの旦那に振る舞われた手作りスイーツに我を忘れていたのだ。自分に変装した超気性難に気付かないほどに。

監視員の車に飛び込みつつ、芦毛の令嬢が頭を抱えながら各所に無線で指示を飛ばす。

 

「あああこんな手の込んだ替え玉をやるなんて……ゴールドシップだけではあの特殊メイクは不可能…オペラオーさんも一枚噛んでますわね。そうなると……まずいですわ!空港、それに港を封鎖してくださいまし!公道で仕掛けるのは禁止しますわ!あのデタラメなパワーでけが人が増えるだけですわよ!ディーにもすぐに連絡を入れなさい!わたくしはこのまま追いますわ!!」

 

体格の近い芦毛の令嬢と超気性難が遠目ではプロでも判別がつかない程の、特殊メイクまで施された手の込んだ変装。警戒すべき協力者が他に存在する証左であった。

そして、その協力者の予測が合っているならば、更に懸念が生まれる。

協力者には友人がいるのだ。

 

神出鬼没の、英国の脱獄王である。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

『シーちゃんと、レオへ

 この手紙を読んでいる頃には、私はもう英国にはいません。

 またなんだ、すまない。

 あんな良い物みちゃったら、現地に行きたくなるよね?

 シーちゃんもそう思うでしょ?

 だからね、いってきます。おみやげ買ってくるね。

 追伸:日本にも寄ります。

              ファンタスティックライト』

 

ぐしゃり、と震える手でシーザスターズが置手紙を握り潰す。

その顔は無表情だが、空間が歪んで見えるほどに怒りに震えていた。

あのアホの先輩がまたやりやがったのである。練習に来ないから見てきてとアホの子当番のシーザスターズに声がかかり、寮の先輩の部屋を訪ねた所脱走が発覚したのだ。

アホの子は、レース以外での学院外への外出禁止令が出ている。

レースを観に行きたいと愚図るアホの子の為に、衛星放送の競バチャンネルへの加入、自分も同行して何とか許可を得てのレース観戦等シーザスターズは尽力してきた。

ここ二年は実際大人しくしており、そろそろ禁止令も解除してやろうかと丁度姉と話していた頃合であった。

しかしやりやがったのである。アホの子は自制ができないからアホの子なのだ。

無表情で固まっていたシーザスターズの口が、弧を描く。

笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である。

 

「先輩…丁度、私もオフシーズンなんだ。地の果てまで追ってやるぞ……」

 

学院の別の場所では──

 

「準備できた?」

「できてるぞ姉上!アメリカ旅行楽しみだな!家臣にも土産を買ってやらねば」

「もう、遊びに行くだけじゃないのよ?向こうのレースも観るんだから」

 

学院の敷地内、オブリーエンの別荘の廊下を笑顔で歩く幼き王者ことエクセレブレーションと、その姉のもやしことジェシカ。

王者は現在二学期の中休み中である。英国の義務教育では、学期ごとに一週間程ハーフタームと呼ばれる中休みが存在する。

普通の学校では十月中だが、十月に選抜戦のあるポニースクールでは十一月に消化するのだ。

その期間は学院にあるオブリーエンの別荘で父と姉と暮らしている。

二人ともエクスを寂しがらせないようになるべくロンドンの自宅に帰るようにしていたが、現在の英国のトレーナーが激務である事を知っている幼き王者は負担をかけぬように自らがこちらに来ていたのだ。王者は空気を読めるものである。

そしてこれから姉のアメリカ行きに同行する。

もやしの目的は、父の名代としての有力な競走バの発掘であった。

 

「スカウト、上手く行くかしら……」

「姉上なら問題なかろう!我もアメリカの強者が見れるのが今から楽しみだぞ!!」

 

妹の頭を優しく撫でながら、ふと、もやしがアメリカにいるはずの音沙汰の無い同期を思い出す。

 

(あの男、何やってるのかしら…?何も実績が無いのはおかしいわ)

 

手に持った、競バ雑誌に目を向ける。

十一月のアメリカのアマチュア大レース、そしてその解説を務める覆面の怪人の特集記事が組まれていた。

 

 

(シンデレラクレーミングに、ミスターヴェラス、ねえ……まさかとは思うけど) 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「あっちゃんやっぱり速いわー!名門チームのスカウトも間違いないぜ!」

「あっちゃんなら絶対すごい競走バになれるよ!!」

 

ケンタッキー州レキシントンのとある野良レース場。

ここで先程行われたアマチュア競走で一着に輝き、取り巻きの称賛を受けながらも我関せずといった様子の一人の黒鹿毛のウマ娘がいた。

常にジト目気味な目元に額を大きく出したセンター分けのロングヘア、同年代の少女達よりも頭一つ大きく、発育の良い凹凸のはっきりした体。

あっちゃんと呼ばれたこの少女は、名門のスカウトというおこぼれに預かりたいがために自分の取り巻きになっている連中に内心うんざりとしていた。

 

(こいつら、うっとうしいなあ)

 

彼女は、統括機構三大チームの一つであるチーム・ゴドルフィンのアメリカ支部の練習生である。

そのままゴドルフィンに入るかは未定だが、スプリントからマイル路線での有力なウマ娘として地域では有名であった。

 

(シンデレラクレーミングの調整のために仕方なく野良レースに出たらこれだよ…夢があるなら自分で走って掴めばいいじゃん)

 

努力家で、自らの足で夢を目指す彼女にとっては取り巻き気取りの考えに理解など及ぶはずがなかった。

この彼女の内心に気付かないまま、取り巻き達が別の話題を話し始める。

 

「あのレース荒らしもあっちゃんには絶対勝てないよ!」

「……レース荒らし?」

「うん、速くてすごい足音でみんな怖がってる子がいるんだよ。のろまな(ステューピッド)ダンって子」

「……速いのに、のろま?」

「よくわかんないけど、その子と同じ学校の子がそう呼んでたよ」

 

このよくわからない評判と名前がちぐはぐなウマ娘に、あっちゃんが首を傾げる。

 

「あの子さ、付き添いでたまにイケメンのお兄さんいるよね?あの人チーム・カルメットのトレーナーらしいよ」

「えっほんと!?超名門じゃん!!」

「でもさー、私のお姉ちゃんの友達がカルメットでサブトレやってるんだけど、その人が言うには誰とも契約してないダメトレーナーなんだって」

「あはは!何それ!あの子速いのにそんなのに目付けられてるの?かわいそー」

 

無自覚な陰口を始める取り巻き達に、辟易としたあっちゃんはすぐに立ち去りたくなった。

自分達がそれ以下だと言うのに気付いていないその見苦しさに耐えられなくなったのだ。

 

「ふう…練習してくる。じゃあね」

「あっちゃんがんばってね!」

「契約取れたら私たちにも紹介してよー」

 

適当に相槌を返しながら去るあっちゃんの後ろ姿を眺める取り巻き達。

彼女に勝って貰わないと自分たちも困るのだ。

あの野良レース荒らしは同年代である。あっちゃんと同じ出走順になる可能性もあった。

 

 

 

 

 

「ねえねえ、ダンって子が出てきたら…」

 

「ちょっかいかけちゃおうよ。そのお兄さんの悪口とか言ったら、ちょっとは動揺してくれるんじゃない?」




あっちゃんは史実馬やで。
二部にも出ます。


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第二十五話 この姉にして、この弟

リアル落ち着いたから徐々に更新ペース戻していくやで。
待たせてごめんねごめんね。
ちょっと改稿したやで。


「じゃあ、先に行ってるぜ。悪いな、本当は明日迎えに来てやりたかったけどな…」

「ううん、仕方ないよ。トモ兄はお仕事なんだし」

 

早朝のケンタッキー州、智哉と姉の住む自宅前で、二人はダンの見送りを受けていた。

今日はシンデレラクレーミングの前日である。

智哉と姉は開催地であるキーンランドレース場で三日に渡って行われる冬季シンデレラクレーミングに前入りし、現地のスタッフと共にコースの整備や打ち合わせ等の業務に就く予定となっていた。

シンデレラクレーミングはアマチュア競走バの大レースであり全米アマチュア競走バ公社、ファシグ・ティプトン社により運営され、キーンランドレース場で行われる本レースは別名キーンランドセールとも呼ばれている。

開催地はケンタッキー州以外にもニューヨーク州、メリーランド州、テキサス州、フロリダ州等で四季毎に行われている。その中でもケンタッキー州の夏季レースは最も重要なアマチュア競バの祭典となっている。

カレッジ入りを目指しアマチュアから競走バへの未来を掴む為に自らを売り込むウマ娘達、そして彼女達の才能をトレーナー達は見定め、その未来に賭けるのだ。

 

「ダンのレースは午後からだったよな?今日はちゃんと寝とけよ」

「うん、ボクよりもお父さんが張り切っちゃってお母さんに怒られてたよ。明日はお父さんの車で行くね」

「着いたら連絡してねダンちゃん!あたしが案内するわよ」

「ありがとミディ姉」

 

ダンは明日、この大レースの子供の部で出走予定である。

子供でもトレーナーやチームの目に留まれば交渉次第でスポンサー契約を受けられ、将来の競走バへの道が拓かれるのだ。

交渉希望が競合した際は抽選制である。この辺りはプロスポーツのドラフトに近い制度が設けられている。

この抽選を無視できる例外が一つ存在し、解説者として呼ばれる実力を認められたトレーナーは、一人だけ競合せず交渉する権利を得る事ができるのである。シンデレラクレーミングというレース名の由来である。

そしてダンはその場で走りさえすれば、どんな結果でもあの怪人から契約を持ち掛けられると智哉から保証されていた。

しかしダンには一つだけ不安要素があった。

 

「……トモ兄、やっぱり無理そう?」

「…ああ、仕事で離れられそうに無いんだよ。でもレース場のどこかでは絶対見てるからさ」

 

自らを導き、競走バへの道を示した隣の青年から当日は近くに居てやれない、とダンは聞いた。

野良レースに参加する時にいない事はこれまでもあった。しかし本番で青年がいない、励ましてもらえない事が不安であった。

ダンは智哉に強く依存しており、ダン自身もそれを自覚しつつあった。

速くしてもらった恩人、憧れの人、理由は多々あったが、野良レースで競走を続ける内にそれ以上に最近感じている事がある。

 

(最近、トモ兄見てるとヘンな気持ちになる。好きとかそういうのじゃなくて…何か、ずっとこの人を待ってたような……)

 

自分の心の奥が、強く智哉を渇望している。

理由はわからない。だがそこにある最近存在を感じるようになったウマソウルが、智哉を強く求めている。

 

まるで、自分にはこの人しかいないような、得体の知れない確信があった。

 

気弱な少女から、野良レース荒らしと呼ばれ恐れられる有力な競走バの卵に変化しつつあるダンの心境に釣られ、ダンの本来の姿、強烈な気性を持つ巨神が覚醒の兆しを見せていた。

だからこそ、ダンは不安を覚えている。

求めてやまない相手が、大事な時に側にいてくれない不安に苛まれていた。

そんなダンの頭に、そっと智哉の手が置かれた。

 

「心配しなくていいぜ。明日の出走バの中ではダンが一番速いよ」

「で、でも、レキシントンのあの子も一緒の出走になって…」

「ああ、ドリームアヘッドって子だな。ダーレーのジュニアチームの子だろうとダンには敵わねえよ。俺が保証する」

 

そう言うと智哉は、ダンの頭を優しく撫でつけた。

ダーレーとは統括機構三大チームの一つであり、世界的な競走バ管理団体でもあるチーム・ゴドルフィンのアメリカ支部となる競走バ育成組織の名称である。

チームのオーナーであるドバイのさる王族の一存で、チーム名には三女神の名が使われている。

世界一のチームであろうとする殿下の強い意志が、このチームには込められているのだ。

そしてこのチームに籍を置いているということは、世界に通用する素質を持つウマ娘であるという証明であった。

それだけの実力を持っているウマ娘、ドリームアヘッドの名を智哉もダンも知っている。

今年怪人が解説を受けたのも、彼女のスカウトの為ではないかと噂されているほどである。

 

しかし、それでもダンの方が速いとはっきり言ってのける智哉に、ダンの不安な気持ちが霧散していく。

不思議な説得力があった。智哉がそう言ってくれるならダンは誰にも負ける気がしないと感じた。

 

「…トモ兄って不思議だね。何だか本当のトレーナーさんみたい」

「お、おう…そうか?」

「うん、たまに思うんだ。トモ兄がトレーナーだったらなって」

 

不安な表情だったダンがはにかんで笑う。

この言葉と笑顔に、智哉は本当の事を伝えたくなった。自分はトレーナーだとダンにはまだ言えていない。

ここまで信頼してくれるダンに隠し続けている事に、この天才と言って憚る事の無い少女に、トレーナーとして向き合いたい。

そう思い、口を開いた。

 

「あのな、ダン……」

「──時間よ、トム。ダンちゃん、また明日ね」

 

しかし、ここにはそれを阻む者がいた。姉である。

智哉が後ろを振り向き、姉の目を見る。

こういう時、姉はいつもは怒るはずだった。だがこの時は違った。

哀れむような、悲しそうな目をしていた。それだけはやめてあげて、と目で訴えていた。

智哉は俯き、口を閉じた。姉の言わんとしている事が智哉にもわかったのだ。

 

「……ああ、行くか。ダン、明日は頑張れよ。応援してるぜ」

「うん!トモ兄もミディ姉もお仕事がんばってね!!」

 

智哉と姉の二人が車に乗り込み、ダンに手を振る。

自宅から離れた所で、助手席の姉が智哉に語り掛けた。

 

「……あんた、言おうとしたでしょ」

「……おう」

「ダメよ。今までのあんたの担当にも言ってないのに、ダンちゃんにだけ教えるのは筋が通ってないでしょ。それに教えてどうすんのよ?フランちゃんとダンちゃんは年も近いしあんたはどっちも面倒見れないでしょ。どっちか泣かしたいのならぶっ殺すわよ」

「ああ、わかってる…姉貴が正しいよ。あ、それと……」

 

智哉はここで、言わねばならない事を思い出した。怖くて言えなかった事である。

かつて担当を西海岸から車で送る最中に起きた事件があった。怪我をした姉がまだ本調子でない今なら、折檻も軽いであろうと言う打算で今言うべきだと思ったのだ。

 

「何よ?」

「ごめん、リティにバレた……西海岸から送る時に、仮眠してたら剝がされて……」

「はあ!?あんた何で今言うのよ!!?」

「い、いや、前のレースで姉貴すげえ気合入ってたし……こう、なんつうか、言い出しにくくて……」

「ああもう……まああの子はいいかな……そういう感じじゃないし」

 

姉のこのあっさりとした対応に智哉は胸を撫でおろした。

そして姉は、この会話で一つ聞きたかった事を思い出す。

あの日、ウインターカップで見た弟とネルのやり取りである。

 

「あんたさ、ネルの事好きだったりする?危なっ!!」

 

車が急停止し、姉がダッシュボードに頭をぶつけそうになる。

姉は脇腹を抑えながらブチ切れた。まだ肋骨が傷むのだ。

 

「急に停まんないでよ!!まだアバラ痛いのよ!!!」

「姉貴こそ何だよ急に!?唐突に聞く話じゃねえだろ!!」

 

姉に言い返す智哉の顔は、真っ赤になっていた。図星を突かれ、動揺しているのだ。

姉は弟の様子でどう思っているのかすぐさま察知し、にやにやと笑みを浮かべた。

 

「あ~?やっぱそうなのね。ああいうのが好みなのね、あんた」

「…そういうんじゃねえよ、ただ……」

 

言葉を濁したまま正面に向き直り、智哉が車を発進させる。

 

「うじうじしてないで言いな。別に言いふらしたりしないから」

「……俺さ、色々あってチームじゃ立場悪いだろ?でもあの人はいつも世話焼いてくれてさ、ちょっといいなとは思ってた。俺とは住む世界も違うけどな。それに……」

 

ここで智哉はまた言葉を濁す。これを言っていいのか?という抵抗があるのだ。

しかし姉は逃すつもりはなかった。謎すぎる弟の好みのタイプが知れるチャンスなのだ。

 

「もうそこまで言ったんだからいいでしょ。言いなよ」

「あー、その、似てるっつうか……ネルさんが」

「似てる?誰と?」

「……」

 

智哉は断固とした態度で口を閉ざす。これは言いたくない事であった。

ヒントは与えたから考えてくれ、と態度で示していた。

それを受けた姉が、腕を組み目を閉じて思索に耽る。

 

(ネルに似てる子……?ネルの勝負服って男装風なのよね、モチーフが海軍だし。ああいう男装の似合って、世話焼きで、凛とした美人…………あっ)

 

一人だけ、該当者がいた。

姉も知っている人物で、智哉の恩人に当たる人物である。

 

「……ガリレオ会長?」

「……………」

 

弟は、口を開かなかった。しかし目が泳いでいた。

図星であった。

姉は納得した。出会いとしても一番苦しい時期に優しい言葉をかけてくれた相手で、しかも元々キングジョージを現地で観戦した会長のファンでもある。

 

「……言うなよ?マジで言うなよ??」

「言わないわよ。しっかし会長かあ……なるほどねえ」

「昔の話だよ。憧れてた時期があったってだけだぜ」

「…一年目、あんたネルの為に毎日夜遅くまで頑張ってたわよね?良いとこ見せたかった?」

 

アメリカでのトレーナー生活の一年目、智哉はドバイでの惨敗で自信を失っていたネルの為に奔走している。

そうした中で、未完成だった彼女の領域(ゾーン)の完成にまで着手し、彼女の悲願を果たさせたのだった。

 

「……ああ、うん、まあ、そういう部分もあるな…姉貴抜きだと初めて担当したのがネルさんだったしさ、なんとかしてやりたいって思うことはおかしくねえだろ?」

「そうね、よくやってたわよ。上出来すぎてぶっ飛ばしたくなるくらい」

「勘弁してくれよ…」

 

照れ臭そうに正面を向いたままの弟に姉が笑みを浮かべる。

あのトレーナーズカップターフ、ネルの悲願を達成したあの時に彼女にかけた言葉は、きっと本心だったのだろう。姉にはそう思えた。

 

「……ふぅん。ねえ、ネルに言ってみたら?オッケー貰えるかもよ?」

「いや、無理だろ…それにさ、いいんだよ。ネルさんの力になれたし、俺はそれで十分だ」

「…そ。あんたも色々あるのね。やっぱり大きくなったわあんた…ンンンンンンン!!!?」

「姉貴どうした!?怪我が傷むのか!!?」

 

姉はここでようやく気付いた。自分が余計なお世話をしていた事実に。

そう、姉はレースで頑張る必要が全くなかったのである。

 

(あれ……?あたしひょっとしてあんなに頑張る必要無かった…?ネルは良い奴だし、あいつの彼氏なら他の子も絶対ちょっかい出さないだろうし……)

 

ネルとはあれから会えば話すし、遊びにも行く良き友人関係を姉は築いている。後輩のリッチズともネルの取りなしにより今は友人である。

怪人についても、彼のパートナーは君だと本人から言われた。

弟の秘密さえ話せば、ネルは間違いなく弟と交際するであろう確信があった。

そして、世話焼きで尽くす女の彼女ならば、英国に来て弟を支えてやってほしいと頼めばついてきてくれるとさえ思える。

姉は完全にやらかしていた。

人の恋路を邪魔する、ウマ娘に蹴られる女であった。

 

「あ………」

「なんだよ姉貴…?」

「あたししーらない!!」

 

そして姉は全てをぶん投げた。こんな事態は想定していなかった。

保身に走る久居留家の血がそうさせたのだ。

 

「なんかわかんねえけど、それ久しぶりに聞いたな…」

「な、なんでも無いわよ。それよりもあたしも彼氏ほしいわ~。ヤッちゃん今幸せそうだしさあ」

「えっ!!?あ、姉貴はまだいいだろそういうの。現役なんだし…」

 

あからさまに話題を変えに入った姉に対し、今度は弟が動揺する。

弟は弟で現在進行形で人の恋路に邪魔をしている最中である。この姉にしてこの弟であった。

そしてヤッタは怪人の通報により彼氏を捕獲済みであった。奔放な幼馴染に振り回され、日に日にやつれていく元美容師の青年に智哉は心底同情した。

ここで姉弟は二人そろって乾いた笑いを上げた。

二人とも誤魔化したくて仕方がないのだ。

この姉にしてこの弟である。

 

 

 

 

 

「あははははは…なんか知らないけどおかしいわね」

「へ、へへへ…おかしいぜ姉貴」



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第二十六話 蠢く、悪意

「着いたなあ!いやあ長いフライトだったぜ!」

「流石に12時間乗りっぱなしはしんどいな……経費削減でビジネスクラスしか用意してくれないってひどすぎない?」

 

ケンタッキー州レキシントンにあるブルーグラス空港。

ここに一組のウマ娘と男が降り立っていた。

赤毛の鍛え上げられた肉体を持つ大柄なウマ娘と、哀愁ある背中の金髪の男。

彼女達は英国からとある目的で、ここケンタッキー州を訪れていた。

 

「まずは銃砲店に行こうぜ!アーディから頼まれたショットガン買わねえとなあ!」

「遊びに来たんじゃないんだぞ……先にFBIの捜査官と接触しよう」

「ええー……折角アメリカくんだりまで来たんだしよぉ、ちょっとくらい寄り道しようぜ」

 

元相棒にして現上司の、彼らの所属する部隊で最も付き合いの長い上官に赤毛のウマ娘が辟易とした態度を示す。

これに対して上司である男は切羽詰まった顔を向けた。彼は給料を満額貰える方が珍しいのだ。

 

「もう減俸は嫌なんだよ!仕事!仕事優先だ!」

「へいへい、しかしオレと隊長だけってのも面倒だなあ。装備込みで全員で来たら一発で終わる話だろ?」

「隊で正規の警察官は俺達だけだからな?それにいつものように暴れたら国際問題だろ!!」

「しゃあねえか。今回は警察官として、だもんな」

 

彼らは英国の警察特殊部隊、ウマ娘中央活動部第19課(U C O 19)の第二小隊の隊長とフォワード担当である。

智哉とジェシカの研修先のジャック小隊長と、腕自慢の気性難ことダスティのコンビであった。

なお小隊はこの二人以外は正規の警察官ではない。一度潰れた第二小隊はこの二人から再始動しているのである。

マークスマン担当のアーディは元傭兵、ポイントマン担当のブラッドはアイルランドのテロ組織の爆弾魔、そしてセブとシャノンはイタリアの元ウマ娘マフィアである。

問題児ばかりなのもさもあらん。元々警察官は二人のみなのだ。彼女らはそれぞれが第二小隊が対応した事件から超法規的措置により小隊入りしている。

第二小隊は問題児ばかりの愚連隊であるがその実力は折り紙付きである。

普段は怪盗殿下のお守りや第一小隊のバックアップが主任務だが、温厚かつ真面目な第一小隊では対応できない大事件へのジョーカーとしてその問題児ぶりを黙認されているのだ。

 

「ま、ツーマンセルってのはチャンスだしな。真面目に警察官といくか!」

「何のチャンスなんだよ……とにかく、目的はわかってるな?」

 

彼らがここアメリカに来た目的は、とある事件により収監中の人物がようやく供述を始めた事に端を発する。

およそ二年半前、彼らが関わった事件の捜査である。

当初は彼らの派遣に対しロンドン警視庁のトップは難色を示したが、少数精鋭でことに当たる必要性に迫られジャックに何かやったら減俸と言い含め派遣に至っている。

 

 

「もちろんわかってるぜ。アスコットの元校長の高飛び先、アメリカのウマ娘売買組織の検挙、だろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポリトラックの整備はじめ!いつもより時間短いんだから連携はしっかりね!!」

「うーす」

「トモヤ君!二日目は抜けるの禁止!ファーディさんからも使っていいって言われてるからこき使ってやるわ!」

「うーす」

 

キーンランドレース場は、ケンタッキー州レキシントンにある平地競走を開催するレース場である。

主な競バ開催は四月と九月。四月、九月共にケンタッキーダービー及びトレーナーズカップへの前哨戦(プレップレース)となる競走が行われる、各路線上の重要な通過地点である。

コースはアメリカの主要なレース場のセオリー通りの左回りの楕円形コース。

外周は一周8.5ハロン(1,709m)のポリトラックコース、内周は7ハロン(1,408m)のハギンコースの通称を持つ芝コースとなっている。

2000年代にはクレーミング競走から成り上がり、伝説のウマ娘となったシービスケットの映画撮影のロケ地にも採用された栄光あるレース場である。

 

シンデレラクレーミングの前日となるここキーンランドレース場では、現在レース場のスタッフと協賛する各チームのサブトレーナー陣によるバ場の整備と連携確認が行われていた。

シンデレラクレーミングは数多のアマチュアウマ娘が参加する大レースである為に、その競走間隔は通常のレースよりも短い。

その為に各チームからも人員を派遣し、人海戦術によりバ場整備に当たるのである。

名門チームであるチーム・カルメットからも当然人員派遣がされており、智哉はその中に混じりバ場整備に参加していた。

智哉は正規のトレーナーである。しかし担当ウマ娘がいないお荷物と思われているために、サブトレ陣から忙しいんだから手伝わせろとオーナー付秘書に物言いが入った。秘書は却下しようとしたが智哉が引き受けた形でここにいるのである。

本人としては英国に帰ってからのサブトレ生活の為に整備くらいはやっとくか、という軽い気持ちであった。

 

「返事ははい!でしょ!キャプテンとよく一緒にいるんだから少しは見習いなさいよ、まったく……」

 

気の抜けた智哉の返事に対し、不満げにサブトレ陣のリーダーがため息をつく。

現在は整備車による地ならしと、細かい部分のトンボがけ中である。

智哉は整備車の免許も取得しているが、自らトンボがけに志願した。

人間ギリギリのラインで作業してとっとと終わらせるか、と考えたためである。

そしてこの青年がサブトレとしてよく働く事を知っているサブトレ陣は、なんだかんだ言いつつも青年を受け入れていた。

 

「……あれだけ手早く仕事されたら文句言いにくいじゃない。初日も使えないかしら……」

 

一方、レース場の搬入口では、協賛企業の出店の準備が進められている。

シンデレラクレーミングには一般のウマ娘も多数観戦に訪れる為、主に飲食系の露店が中心となっている。

その中の一つ、ニューヨークに本拠を置く農業法人に今年入った新入社員の小男と大男が、大量のニンジンを運んでいた。

 

「兄貴、大丈夫か?俺持つか?」

「ぜえ…ほっとけ!お前は先行ってろ」

「わかったよ兄貴」

 

去年までマフィアだった二人組の片割れの大男が兄貴分を心配しながら、両肩にニンジンの入った箱を軽々と担いで進む。

一方兄貴分は息も絶え絶えな様子であった。

マフィア時代から頭脳労働担当だった彼は経理で入社したはずが、こんな力仕事をやらされて不満げである。

ニンジンの箱を怒りで叩きつけそうになるも、寸でのところで手を止めて、小男はその場に座り込んだ。

 

「あああ!重たすぎるんだよ!!なんで俺がこんな仕事……」 

 

「バカな事言ってねえで働け!」

 

座り込み、愚痴をこぼそうとした小男だったが、後ろから檄を飛ばされその場で直立不動になる。

知っている声であった。彼の雇い主である。

 

「ボ、ボス……」

「おめえ自分の立場わかってっか?雇ってやる代わりに知ってる事話してオラの言う事聞くって約束したよな?」

 

両肩に箱を三段重ねながら、小男の前に立つ栗毛を三つ編みにまとめ、健康的な小麦色の肌の豊満で大柄なウマ娘。

大きな瞳と釘のような形の流星が特徴的な、典型的カントリーウマ娘の彼女の名はアファームド──伝説の三冠ウマ娘にして、農業法人アファームドファミリーのオーナーである。

 

小男は過去、とある仕事を大失敗した際に以前の雇い主に見限られ、ウマ娘へのトラウマも相まってマフィアを廃業した際に彼女に拾われた身である。

とある情報と引き替えに。

 

「め、滅相もないですぜボス!見捨てないでくだせえ!!」

「おう!それならしっかり働け!体動かして働いた後に食うメシはうめえんだぞ?オラの奢りで食わしてやっから!」

「ヘイ!」

 

元マフィアの二人は司法取引によりマフィア時代の悪行を精算しているが、元マフィアの二人は行くところが無い身である。

そしてオーナーは怖いが面倒見が良く、以前の雇い主よりかなりマシな人物である。

小男が仕事に戻ったのを満足げに見守るアファームドに、車椅子に乗ったウマ娘が近付く。

 

「やはり来ていたか、アファームド」

「お?おお!アリーダでねえか!?」

「アリダーだ!いい加減そのテキサス訛りをやめろ!キサマはフロリダ生まれだろうが!?」

 

近付いたのは、アファームドの現役時代のライバルにして名門チーム・カルメットのオーナー、アリス・ダーウィンことアリダーであった。

ライバルにして親友の二人がこうして対面するのは久々である。近年は連絡も取れていない。

アリダーは言いたいことがあったが、アファームドが避けていたのだ。

 

「おめえもそりゃ来るよなあ、チームのトレーナーが解説やるし」

「当たり前だろう、あれはオレのお気に入りだからな。それよりも、キサマ……」

「おおっといけねえ、仕事あんだよ。またな!」

 

「待て!!!!」

 

アリダーの怒号に、アファームドが振り返らずにその場に立ち止まる。

アリダーは我慢ならない事があった。

ライバルで親友が、道化のように振る舞うのが耐えられないのだ。

 

「カッペの田舎者の振りまでして、キサマは何を追っている?オレの事なら迷惑だ。今すぐやめろ」

 

「……おめえじゃねえ、オラが落とし前を付けてやりてえだけだ。やっとシッポを掴んだんだ。あとこのしゃべり方はテキサスで農業やってた時に癖になっちまったんだ。直らねえ」

「直せ、バカ者」

 

アファームドがニューヨークに本拠を置いた理由は、親友のとある不幸の黒幕を追っていたからである。

彼女の足を狙撃した犯人と、その指示を出した者を探しているのだ。

なお口調は本当に直らなかった。現役時代はもっと知的な口調のクレバーなウマ娘であった。

 

「……ふん、キサマの隠し事などお見通しだ。何年キサマのライバルをやっていると思っている」

「へへ…アリーダには敵わねえなあ。昔っからレース以外では勝てる気しねえ」

「嫌味かキサマっ!!!!」

 

この無自覚なマウントにアリダーがブチ切れた。

戦績は10戦3勝の完敗である。クラシック三冠を全て持って行かれたのは今でも根に持っていた。

 

「キサマが手を下さずとも、あの男…フィクスはもう終わりだ。我がカルメットと西海岸のバフェット家の働きかけでFBIも重い腰を上げている」

「おめえ、わかってたのか?」

「キサマよりは、な。オレがやられっぱなしで黙っている訳が無いだろう」

 

ぽかん、とアファームドがニヤリと笑うライバルを見やる。

何年も追ってきた自分の目的どころか、その先までライバルは進んでいた。

 

「恐らく、ここに来るぞ。キサマも知っている事を話せ」

「しょうがねえ、どっかで話しすっか」

 

そのまま、笑い合いながら二人は搬入口の外へ向かう。

かつてのライバル、そして親友は久し振りに顔を合わせて旧交を暖める事となったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たぞ、久しぶりの我が故郷!お嬢ちゃん、助かった」

「オペラオーちゃんと会うついでだったしいいよ~。これからね、シンデレラクレーミング見に行くけどシスターさんもどう?」

「そういや明日だな。ゴアの野郎もいそうだし行くか!」



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第二十七話 巨神の、目覚め

舞台整ったから進めて行くやで。
悪い人出てきたりするけど大体主人公が酷い目に遭うだけだから気にしないでクレメンス。


およそ二年十ヶ月前のオーストラリア、メルボルン空港──

 

「つらいわ」

「大丈夫かよ、マジで……」

「お嬢様…」

「フランちゃんずっと寝込んでたわね…」

 

ここに、四人の人物が降り立っていた。

周囲の目を引く四人組である。容姿に優れた二人のうら若きウマ娘に、端正な顔立ちの黒髪の少年、そして少年に背負われた金髪のウマ娘幼女。

智哉とフラン、そして姉とメイドの四人組である。

移動手段はジュドモント家のプライベートジェットであった。大型旅客機を丸ごと私用としているスケールの大きさに庶民の智哉は萎縮し、姉の肘鉄を見舞われている。

なお飛行機を克服していないフランはつらいわと言うだけの機械と化し、智哉に背負われ、肩に顔を押しつけながら目を回していた。精神的に成長した天才少女でも飛行機には勝てないのだ。

たまに無意識に息を深く吸い込むフランに、智哉は何やら悪寒を覚えたが耐えた。ここで放り出したら姉とメイドから折檻が待っている。

 

「フラン、くすぐったいから吸い込むのやめてくれねえかな…」

「つらいわ。こうするとらくなのよ。ゆるしてちょうだい。つらいわ」

 

ここへ来た目的は以前ニューマーケットで出会ったわがままお嬢様のヴィアとその下僕ルークとの再会の為である。

次はこちらから遊びに行くとフランとヴィアが交わした約束によるものだった。

智哉が渡米するという話をフランから聞いたヴィアが「それなら渡米前に来なさい!忙しくなる前によ!」とフランに提案した事により、姉と智哉もグローリーカップの登録〆切の三月までに渡米すれば良いと考え、フランの冬休み中はオーストラリアに観光に行こうと日程をずらして同行する事となった。一度英国に戻り、恩師であるジョエルに挨拶を済ませた後に渡米する予定である。

 

「あ!来たよヴィア。トモヤさーん!」

「待ちかねたわよ!よく来たわね!」

 

四人が目指す空港のゲートの向こう、そこに二人は待っていた。

そして智哉が背負うフランを見て、二人とも目を丸くする。

 

「フランちゃんどうしたんですか、これ…」

「飛行機ダメなんだよ。俺も乗るとこは初めて見たけどな…」

「つらいわ、スゥー、つらいわ」

「だから吸い込むのはやめてくれよ…」

 

ヴィアはこのフランを見て衝撃を覚えた。

智哉が自分のゴールだとニューマーケットで一緒に寝た時にフランから聞かされているこのわがままお嬢様は、六歳にして進んでいる親友に羨望の眼差しを向けている。

そして今も飛行機が苦手なのを利用して背負われていた。

上手くやったわねこの子と感心しきりである。

それはそれとしてやはり心配であった。

自分の我儘で無理をさせたと言う負い目を感じている。

 

「フラン?大丈夫なの?」

「つらいわ、だいじょうぶよヴィアちゃん。つらいわ」

「どっちなの!?そのつらいわ絶対言う必要があるの!?」

「前後のつらいわはお気になさらず」

「そ、そうなのね…?今日はミディとサリーに色々教えて貰うわよ!わたくしの走りを見てもらうわ!」

「おっけー、ヴィアちゃんとフランちゃんの併走も悪くないわね」

 

姉とメイドがヴィアにフォローを入れるのを横目に、智哉がルークに声をかける。今回のオーストラリア訪問に当たり、ルークから色々教えてほしいと頼まれていた。

 

「ルーク、ヴィアの家に着いたら筆記対策からやるか?フランはこの様子だし今日は付き合うぜ」

「お願いします!競走力学が難しくて…」

「ルークはしっかり勉強なさい!一発合格するのよ!!」

「無理ぃ……」

 

こうして四人は一週間オーストラリア観光を満喫した。

なおフランは初日は復活しなかった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「つらいわ」

 

そしてシンデレラクレーミング当日、キーンランドレース場でフランはまたしてもつらいわと言うだけの機械になっていた。

九歳になった今、少々の会話ができる程度には克服できたが、まだ足腰が立たなくなるのである。

高所が苦手なフランは、空の上にいると認識した時点でダメになってしまうのだ。

 

「お嬢様、もうすぐ着きますからね」

「ありがとうサリー、迷惑かけてごめんなさい」

「お嬢様に奉仕することがこのサリーの幸福です。気にしなくていいんですよ」

 

主人を背負うメイドが優しく声をかける。

物心付く前からフランを知っている彼女にとってはこれも役得である。

 

メイドがフランを片手で背負いながら、キーンランドレース場の特別観覧席を目指す。

本日、フランはジュドモント家の代表として、シンデレラクレーミングを観戦する予定である。正式な貴賓として来訪し、とある青年を驚かすつもりだった。

父はついてこようとしたが多忙で動けず床を転げ回った。

祖母と妹は帰国済みである。祖母がまだ姉妹を会わせるべきではないと判断したのだ。

 

「あの、大丈夫ですか?その子…」

 

ここでフランとメイドに、一人のウマ娘の少女が心配そうに声をかける。

メイドは目を向けた所でぴくり、と眉を動かした。栗毛の髪と大きな縦長の流星を持つ、主人とはまた違うタイプの中性的な美しさを持つ少女であった。

 

「ああ、お気遣いありがとう。でも心配は無用だ」

「本当ですか?その子、顔色悪そうだから…」

 

微笑を浮かべてメイドが中性的な少女に応対する。背中の主人は限界が来て寝息を立てていた。

この微笑を浮かべる美しいウマ娘メイドに、少女は頬を軽く染めた。自分の魅力を理解していない少女には雲の上の存在のように思えたのである。

そして、ふとそのメイドの背中の令嬢に目を向け、少女は息を呑んだ。

 

(うわあ、綺麗な子だなあ…絶対どこかのお嬢様だよね。メイドさんに背負われてるし)

 

少女から見てフランは、まるで絵本の中から飛び出してきた姫君のように美しい令嬢であった。

枝毛一つない艶やかな金髪に、顔色が悪くとも全く陰りを感じない気品のある顔立ち。自分には無い魅力を持つ令嬢に羨望を覚えたのである。

 

(こんな綺麗だったら、ボクももっと自信持てるんだろうな…トモ兄はどんな子がいいのかな)

 

「すまない、君は参加者だろうか?」

「ひゃ!?はい、でも緊張しちゃって散歩しようかなって…」

「そうか、なら無理は言えないな。頑張りなさい」

 

微笑み、その場を離れようとするメイドを見て、その中性的な少女、ダンはせめて何か力になりたいと考えた。道を尋ねようとしたと察し、途中まで同行を申し出る事にしたのである。

 

「あの、ボクさっきからウロウロしてたから道わかります。どこに行きたいんですか?」

「…ありがとう。特別観覧席はわかるだろうか?」

「あ、それなら関係者用の通路の先です。待機所も近いから…」

 

そう言い、ダンはメイドを関係者用通路まで案内する。

程なく、通路に到着したところでダンが身振りを交えて観覧席の説明を行い、別れる際にメイドが言葉を発した。

これからレースに挑む少女に、自らの経験談を伝えようと考えたのだ。

 

「ありがとう…まだ緊張しているようだな」

「えへへ…緊張してます」

「……私も昔、競走バだった」

「えっ!?そうなんですか!?」

「ああ…そうだな、緊張しているなら良い方法がある」

 

しかしメイドは現役時代、札付きの気性難として慣らした女だった。

そのアドバイスは当然、気性難特有の無茶苦茶な理論である。

 

「怒りなさい」

「……えっ」

「腹が立つ事を思い出してもいいし、その場で誰かに喧嘩をふっかけてもいい。とにかく怒りなさい」

「ええ……」

 

突然瀟洒な雰囲気のメイドから、緊張するくらいならブチ切れ倒せとアドバイスをされたダンはドン引きした。意味がわからない。

 

「怒れば緊張なんて忘れてしまうだろう。私もよく同期と喧嘩しながらレースに出たものだ」

(その喧嘩売られた人、気の毒すぎるよ…メイドさん怖い…)

 

気弱なダンは、余り怒った経験が無い。怒る前に萎縮してしまうのだ。

メイドのアドバイスに一理はあるかも、と考えたダンは自分が怒る姿を想像してみるが、やはり自分には向いていないと感じた。

 

「う、うーん…ボクあんまり怒ったこと無くて…」

「そうか、なら…」

 

「君の大切な誰かが、中傷を受けるのを想像してみるのはどうだろう?」

 

「大切な、誰か…」

 

メイドのこの言葉を受けて、両親よりも先に自分を速くしてくれた隣の青年がダンの脳裏に浮かんだ。

しかし、ダンの視点では完璧超人の隣の青年は謂われのない中傷を受ける要素が少ない青年である。

考えるも、首を傾げた。

 

「うーん…考えてみます。ありがとうございました」

「ああ…君のレースは見させてもらおう。こちらこそありがとう」

 

そう言うとダンはメイドと別れ、出走バの待機所に歩いていった。

戻る途中で、自分に付いてくれている隣の青年の姉と合流する。

なお既に露店でビールとつまみを仕入れて呑んだくれていた

 

「お、ダンちゃんお帰りー。ちょっとは落ち着いた?」

「あ、ミディ姉。うん、さっきね、すごい綺麗なメイドさんとお姫様みたいな子と会ったよ」

「メイドと、お姫様?」

 

聞いたことのある二人組だったが、姉はまさか来ているはずがないと首を振った。

良い感じに酒が回っている姉はいつもより勘が鈍っているのだ。

 

「ミディ姉、ボク待機所行ってるね。飲み過ぎちゃダメだよ?」

「えー、らいじょぶらって、お酒おいしいわよ」

「あ、ダメだこれ」

 

姉は既に呂律が回らなくなっていた。

まだ午前中である。姉の女子力は底値を割りつつあった。

 

「もう…無理ならトモ兄に連絡してね。じゃあ、行ってくるね」

「ダンちゃんがんばえー」

 

姉とも別れ、ダンは人気の少ない待機所への通路をゆっくりと進む。

シンデレラクレーミングは多数のウマ娘が出走するために、一人ずつ控室が割り振られていない。

レース場内の広いホールを待機所として、レースに備えるのである。

 

その通路の待機所の前で、三人のウマ娘がダンの前に立ちはだかった。

ニコニコと毒気の無い風に装った笑みを浮かべる三人に、ダンは嫌な雰囲気を感じた。

あのよくいじめて来た三人組のような、底意地の悪さを覚えたのだ。

 

ダンは避けて先に進もうとしたが、三人はそこで言葉を発した。

 

「ねえ、あんた、野良レース荒らしののろまな(ステューピッド)ダンでしょ?」

「……荒らした覚えはないよ。どいてよ」

「なあにその態度!ちょっと速いからってチョーシ乗ってるよね?」

「あんたなんかあっちゃんに勝てるわけないじゃん!」

 

ダンは生来の快活さを取り戻していたが、それでもまだいじめられた過去を引きずっている。

このあからさまな敵意に尻込みし、後ろに一歩下がってしまった。

これを見て三人組が嫌な笑みを深くする。マウントを取れる相手だと判断したのだ。マウントのネタはあっちゃんの話である。

虎の威を刈るウマ娘であった。

 

「あっちゃんはさー、ダーレーで普段から良いトレーナーさんの指導を受けてるんだよ?あんたは?」

「ボクにも、すごい人がいる」

 

このマウントに対し、ダンはきっぱりと言い放った。ここだけは、大切な人の話だけは譲れなかった。

しかしこれを聞いて三人組は大声で嘲笑した。

狙い通りの展開となり、笑いが止まらない。

 

「あはははは!すごい人ってあんたと一緒にいるお兄さんでしょ?あんなの全然すごくないよ!」

「知らないなら教えてあげる!あいつチーム・カルメットのお荷物トレーナーなんだよ!!」

 

「……………え?」

 

ダンは、自分の耳を疑った。

大切な人の、自分が知らない事をこの三人は知っている。

嘘だと断ずる事もできた。だがダン自身も疑っていた事だった。

耳を、塞げなかった。

 

「あいつもう三年こっちにいるのに、誰とも契約してないんだよ!カルメットのサブトレから聞いたから間違いないよ!」

 

「それですぐナンパとかして遊んでるんだって!顔だけは良いからって」

 

「昨日もサブトレに混じってトンボがけしてたよ!みじめだよねー、トレーナーなのに」

 

「そんなのに目付けられててかわいそー。あはは!」

 

ダンは俯き、床を眺めていた。

三人組は、効いたとほくそ笑んだ。

これであっちゃんに勝たせて自分達はそのおこぼれに預かれる、と有頂天であった。

 

──ここまでは。

 

ドン、と床が鈍い音を立てる。

 

「…へ?」

 

ダンが、床を全力で踏み鳴らしたのだ。

 

「もう一回、言ってみろ」

 

もう一度、床を踏み込む。

先ほどより、大きな音と共に床にヒビが入った。

このダンの、巨神の足踏みに三人の顔が青くなる。

触れてはいけない事に触れた事実に、ようやく気付いた。

 

「な、なにマジになっちゃってんの?」

 

「トモ兄はさ、女の子にナンパとかできないんだよ」

 

もう一度、床を踏み込んで威嚇する。

床のヒビが深くなり、破片が飛び散った。

 

「あの人はね、女の子にそんな軽い事、できないんだよ。昔、何か辛いことがあったから」

 

「し、しらないわよそんなの、それより床踏むのやめてよ」

 

更に、床を踏み込む。

床板が、粉々に砕けた。

 

真偽は最早、ダンには関係なかった。

ただ、智哉がそういう風に思われている事、それだけが許せなかった。

そしてダンは、この話を聞いて怒りと共に一つの決意を抱いた。

 

「トモ兄がバカにされても、関係ない」

 

「──ボクが、あの人の愛バになる」

 

「──ボクが走って、活躍して、あの人がすごいトレーナーだってみんなに認めさせる」

 

今、ダンは己の道を見出した。

競走バになる、道標を。

 

「ボクはね、本当はのろまな(ステューピッド)ダンなんて名前じゃない。ずっと似合わないと思ってたから、名乗ってなかったけど」

 

ダンのウマソウルが、このダンの決意に呼応し咆哮を上げる。

巨神の魂が目覚め、辺りの空気が振動する。

ダンの体を赤いオーラが包み、そしてダンの周囲の床が、まるで重力が増したかのようにひび割れていった。

 

 

芝の巨神(タイタンオブターフ)が、覚醒する──

 

 

 

 

 

 

 

 

賢者(ワイズ)ダン──それが、ボクの名だ」



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閑話 鉄火場での、邂逅

ちょっと短いけど閑話挟ませてほしいやで。
わかる人にはモロバレな二人が出るやで。
悪い人の名前思いっきり間違えてたやで。
直したやで。


「三番の子、交渉の申し込みを頼む。何?ブッキングした?抽選か……」

「抽選負けた!?三連敗かあ…チーフに怒られるなぁ」

「ケン、五番の子の気性はどうデスカ?」

「いや~キツいでしょ」

「さっきからそればっかデスネ…」

 

キーンランドレース場、トレーナー席は今、多数のトレーナーが集まり満席となっている。

ここは現在、世界各国から集まった競走バチームの鉄火場と化していた。

参加希望を出した各チーム毎に二席ずつ割り振られ、派遣されたトレーナー達が目を付けたアマチュア競走バへの交渉の申し込みを受付前に待機しているサブトレに電話で連絡し、ブッキングした際はその場で素早く抽選が行われ、後日に行われる契約交渉の権利を争うのである。

 

なおチームに参加していない個人トレーナーの席は存在しない。彼らが次走に間に合わせる為に観客席から受付へ毎回全力ダッシュで移動するのが、シンデレラクレーミングの半ば恒例行事となっていた。零細トレーナーは本人の脚力も重要なのだ。

 

「くふっ…交渉権は取れたわ。そちらはどう?ビリー君?」

「クソっ、抽選で負けた……ミス・ジェシカ、自分の顔を見てから確認するのはやめてくれないか」

 

そのトレーナー席の前列中央、偶然隣同士となったチーム・クールモアとチーム・ウィンスターの誇る若手トレーナー二人が明暗を分けていた。

もやしは西海岸の神童と呼ばれる若手トレーナーにマウントが取れて完全に気持ちよくなっていた。

もやしは何かに目覚めている。

その姉を隣の席から妹が困惑した目で見つめる。

 

「姉上、何かおかしいぞ…」

 

もやしは最大限、自分の目覚めた何かを抑え込んでいるがそれでも姉を母のように慕う妹、エクスにわからないはずがない。

大好きな姉、ジェシカの見たこともない姿であった。

 

「ビリー!まけっぱなしじゃないか!どうにかするのだ!!」

「……負けてはいない。抽選は自分は介入できないから仕方ないだろう、お嬢」

「さっきまけたっていってたのだ!このまけずぎらい!」

「……それは言葉の綾だ。ほらお嬢、ニンジンサンドを食べさせてやろう」

「おっ!きがきくな!あーん…もぐもぐ」

 

そしてその幼き王者の隣、ビリー少年の主人であるファラが不甲斐ない従者に憤るも、明らかな誤魔化しの餌付けを受けてご機嫌になる。

ファラをよく知るこの従者は、こうやって主人を手玉に取るのが得意であった。

 

「さて、次で午前の部は終わりか。お嬢、これを見たら一度奥様達と合流して昼食にしよう」

「ああ!余はおなかぺこぺこなのだ!」

「エクス、私達もお昼にしましょうね」

「うむ!どうせなら一緒に食べないか?折角知り合ったのだしな」

 

幼き王者が名案を思い付いたと、隣の二人に声をかける。

本来はスカウトの目的上、他チームのトレーナーと馴れ合うべきではないともやしは考えている。

しかし妹と知り合ったばかりのバフェット家の令嬢は波長が合うのか、お互いお近付きになりたそうな雰囲気があった。

 

「……そうね、そちらが問題なければどうかしら?」

「そうだな、そちらのご令嬢にうちのお嬢は興味津々のようだ。ご相伴に預かるとしよう」

「ほんとかビリー!はやくいこう!」

 

この返答に大喜びでファラが立ち上がり、ビリーを引っ張って催促する。

人間のビリーは無理矢理引き起こされた。神童だろうがウマ娘の幼女に力では絶対に敵わないのだ。

 

「引っ張るなお嬢!本当は旦那様の席だったが、昼からも来れないようだからな。そちらのご令嬢と親交を深めればお嬢も退屈しないだろう」

「あら?うちのトレーナーも来れないみたいだから丁度よかったわね……何してるのかしら、彼は…」

「ミスターモアとは自分も是非話してみたかったが…残念だな」

 

ここはトレーナー席である。

本来、ファラとエクスは観客席から観戦する予定だったが、ファラの父ボビーは何やら用事ができたとスカウトをビリーに任せ、ジェシカのエスコートを行う予定だったライエンは急用があると、どこかに行ってしまった。

そうして空いた席にビリーから離れたくないファラと、姉が近くに置いておきたいエクスが座ることになった。

 

「エクスよ!余のいもうとをあとでしょうかいするのだ!」

「是非会おうではないか!」

 

ファラが去年から正式に義妹となった、とある食いしん坊を紹介する事をエクスに約束する。

このすぐ後にその異常な食欲にドン引きする事となる。

そんな中、トレーナー席の後列の方から大笑する男の声が響いた。

 

「ガハハハ!五番の交渉権はワシのものだ!」

「さすがフィクスさん!いや~私もあやかりたいものですな」

「フィクスさんのスポンサー契約が受けられるとは運が良い子ですね!あの五番は!!」

 

「五番、取られマシタね…ケンが動かないから…」

「いや~キツいでしょ」

「仕事する気ありマスカ?ケン?」

 

大声で周りに抽選の勝利をアピールするように笑うスキンヘッドの大男と、それを賞賛する二人の太鼓持ち。

東海岸に本拠を構える、黒い噂が付きまとう大富豪のトレーナーである。

更にその向こう側では何やら日本人らしき童顔の青年と黒髪のフランス系の美少年が揉めていた。もやしとビリーの位置からではよく聞こえないが、気性難センサーの青年が仕事をしないのが原因であった。

この笑う大男に対し、もやしは眉を顰めた。

 

「……わざわざ抽選勝ちを吹聴するなんて、下品な男ね」

 

さっき同じ事やってただろとビリーはツッコミたくなったが堪えた。それよりもここに例の大富豪、以前自分の主人や怪人が関わった事件の黒幕が来ている事が懸念となっている。

 

(まさか、来るとはな……疑惑があるからこそ、か。長年黒い噂止まりで追求されなかった男だ。見てくれよりも頭は切れる)

 

この大富豪は現在、FBIの捜査と競バ委員会の追求を近日受けるのではないかと噂されている。

ビリーの主人であるボビー氏、そして他の名門チームのオーナー達が連名で、あの怪人の事件をきっかけにかの男に重大な競バ法違反があると訴えたのだ。

その為に大男は普段はスカウトを子飼いのトレーナーに任せていたが、自らここに来て自分はクリーンだとアピールしている。

あのように大笑しているのも演技だろう、とビリーは考えた。

 

(ここには旦那様やミス・ダーウィンが来られている。それにミスターヴェラスもいる。自分の出る幕は無いな)

 

神童とは言えビリーはまだ未成年のトレーナーである。何かあろうと自分の出る幕は無いし大人に任せておけば良いと思っている。それよりも重要なのは大事なお嬢のお守りである。

 

「最終レースは…特に見るべきものもないな。行こう、お嬢。本番は午後の第一レースだ」

「ああ!たのしみだな!」

 

この言葉にもやしがすぐさま反応した。

もやしはスカウトに当たり事前に有力なウマ娘の情報を集めてはいるが、遠い英国では子供の部の原石の情報収集は困難を極めていた。

たまたま神童と隣の席になった際に声をかけたのはもやしからである。ある程度仲良くしておけば何か情報が得られるという打算の行動であった。

 

「あら?そのレースに何かあるのかしら?」

「……見ればわかるし競合は確実だ。教えておこう」

 

 

 

「午後の第一レースには、三人の天才が出走する」

 

「一人はダーレーの天才、ドリームアヘッド」

 

「もう一人はチームバロールの暴れウマ娘、アニマルキングダム」

 

「そして最後は、チームに所属していない。野良レース荒らしの──」



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第二十八話 巨神と、伝道師

キーンランドレース場のターフコースは午後の第一レースを迎え、将来を嘱望される有望なウマ娘の少女達が一人、また一人とターフへ集まってきている。

その集まる少女達の丁度中央に、このレースで注目を集める三人のうちの一人がいた。

 

遠目では金髪に見える薄い栗毛を腰まで伸ばし、左側の一部をサイドテールにまとめた細身の少女である。

快活そうな瞳と、同年代より頭一つ大きな長身、そして彼女の所属するチームバロールのカラーである緑に赤のラインが入った体操服が特徴的な少女だった。

実況席を熱の入った目で見つめるこの少女に、観客席最前列から彼女を応援する声が届く。

 

「アニキちゃーん!がんばってー!!」

「だからアニキはやめろってお前ら!!アタシは女だ!!!」

「わかってるってー!入れ込みすぎだよー!落ちついていこー!」

 

応援するクラスメートやチームの練習生の友人達の言葉を受けて、少女──アニマルキングダムが頭を掻く。

確かに気負いすぎていた自覚があった。

チームに所属し、本来契約するトレーナーを選べる立場である有望株の彼女は、このレースに出走する意味は余り無いのだ。

その選びたいトレーナーが解説者でなければ。

 

(勝って選んでもらう!ミスターヴェラスに!)

 

彼女は今日の解説を務める怪人の大ファンである。

今回の出走も怪人に自分を選んでもらうチャンスと考え、契約がほぼ内定しているチームバロールのオーナーにもし選ばれたら移籍させてほしいと無理を言っての参加である。

気性難でガサツで男嫌いな彼女は、かの怪人が担当を正面から受け止める姿を見て衝撃を受けた。

こんな強い男がいるのか、自分も受け止めてほしい、と思ったのだ。

その為に、彼女はここまで来た。ただ怪人に選ばれたい為に。

しかし懸念があった。出走枠にライバルが多すぎるのだ。

 

(今日は速いヤツ多いんだよなあ、ドリーのヤツもなんか出てるし……それにもう一人ヤベーのもいるし)

 

注目される三人の内の一人──ドリームアヘッドと彼女はお互いよく知る関係である。

ダーレーとはチームでも対戦し、鎬を削り合っていた。

その当人、ドリームアヘッドがアニキに近付く。

 

「アニキ、今日は勝たせてもらうよ」

「お前までアニキかよ!てか何でお前出てんの?」

「……ゴドルフィンとは契約しないからね。単純に就職活動だよ」

「マジで?なんで?」

「マジ。イギリスに行きたいから」

 

このライバルの言葉にアニキが口をあんぐりと開ける。

突然のカミングアウトである。同い年のライバルが英国行きを考えているなど初めて聞く話であった。

 

「えっ、なら尚更ゴドルフィンで良くない?あと何でイギリス?」

「契約したらアメリカでデビューだって。イギリスに行きたいのはこっちより芝のレベルが高いからと、プロ入りしてからも取り巻き気取りに囲まれたらやってらんないからね…」

「はー、お前も色々あんだなあ。アイツら確かに鬱陶しいしムカつくもんな」

 

この返答でようやく納得が行ったアニキがうんうんと頷き、話に出た鬱陶しい取り巻きが観客席にいないか探す。

すぐに取り巻き達は見つかった。しかし、その様子が何やらおかしい。いつもの媚びるような笑みを浮かべていない。

顔が蒼白で、震えていた。

 

「あん?あいつら何かあったのか?」

「……わかんない。午前の最終レースくらいからずっとああだよ。おかげでレースに集中できるから助かったけど」

「ふーん?そういやよ、お前同じ組にヤベーのいるの知ってる?」

「知ってる。見たこと無いけど」

 

ドリームアヘッドは、結局取り巻きから聞いた野良レース荒らしについて何も調べていない。

野良レースでいくら速かろうが、自分や目の前のアニキのように、チームでトレーナーの指導を受ける才能あるウマ娘には及ばないだろうと考えている。

それとは逆に、どうしてもこのレースに勝ちたいアニキはレースの映像を入手し、そして最も警戒すべき相手だと件の野良レース荒らしを評価した。

二人で、スタンド下のパドックに繋がる通路を眺める。

レースまでまだ時間はあるが、他のウマ娘はもう揃っている。野良レース荒らしだけがまだ来ていないのだ。

 

「来ないなあ、欠場か?」

「……それはないんじゃない?」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「登録名変更、間に合ったわよーダンひゃん」

「ミディ姉、お酒抜けてないね…」

 

へらへらと笑いながら姉がダンの登録名の変更申請が間に合った事を話す。

姉はダンに叱られ飲酒を止めたが、時既に遅く出来上がっていた。姉の女子力はストップ安である。

ダンは本来の名前、ワイズダンで出走したいと姉に頼み、姉は名バのコネを用いてそれに応えた。

先日のウインターカップの奇跡で姉は更に名を上げている。その姉が千鳥足で現れたため、登録受付の担当者は酷く幻滅していたが姉は全く気にしていない。

 

(緊張はもうどっか行っちゃった。調子も良いと思う。でも、なんだろ…さっき怒ってから、ずっと胸の奥が焦げ付いてる)

 

ダンは、まだ怒りのような感情が胸の内に残っていた。

自らの名前を名乗り、ウマソウルをはっきりと自覚したダンは、胸に生まれた激しい闘争心を持て余していた。

 

(……ヴェラスさんのスカウトは断ろう。後で、ミディ姉には謝らないと……)

 

智哉の愛バになり、智哉の為に走る事を決めたダンは怪人のスカウトを受けない事に決めた。

先日までの自分にとっては夢のような話だった。

しかし、今のダンには自分で決めた夢があった。道標があった。

欲しいのはヒーローのような名トレーナーのスカウトではない。

自分を速くしてくれた、自分だけの魔法使いがダンは欲しかった。

 

「もう時間いっぱいだし、行ってくるね。ミディ姉お酒はもうダメだからね?」

「えー…わかったー…」

 

がっくりとうなだれる姉に手を振ったダンがスタンド下の通路を潜り、コースに向かおうとしたその時である。

 

「──君ィ、ちょっといいかネ?」

 

何者かに声をかけられ、ダンが振り向く。

 

(えっ??何この人……)

 

その先には、明らかに胡散臭そうな見た目のシルクハットの人物がいた。

首元までが茶髪の髪はそこから先が黒く、大きな三つ編みにまとめられたそれは腰ほどまでの長さになっている。

胡散臭そうと思ったのは顔についた付け髭付きのパーティーメガネである。白い肌は滑らかでシミ一つなく、美しく整った顔立ちにそんな物が付いているから尚更怪しくダンには写った。

 

「な、なんですか?ボク、これからレースが……」

「いやァ失礼、ワタシはこういう者でネ。君がまだ我慢しているように思えて、お節介をしたくなったのサ」

 

胡散臭そうな謎の人物が、ダンに名刺を差し出す。

名刺には「ウマ娘の未来の為に 伝道師ディーン・ヒル」と書かれていた。

この名刺を見てダンは逃げたくなった。胡散臭そうな人物から胡散臭い人物へ格上げである。

 

「ちょっと先生!その子次の出走バでしょ!ちょっかいかけないでください!」

「シリィ君、待ってくれたまえヨ。ワタシはただこの子の為に……」

「だーめーでーすー!フランちゃんとサリスカが来賓席で待ってますよ!デイちゃんは先に行ってるのに、先生はウロウロしてもう…!」

 

この男か女かもわからない謎の人物、ディーン氏の名刺を見て固まるダンの後ろからもう一人現れ、ディーン氏を叱り飛ばす。

こちらの新手の人物はウマ娘であった。

鹿毛の髪を同じく三つ編みにまとめ、フランス国旗のポイントが入った耳飾りを付けている。

この弟子にディーン氏が猫のように首を捕まれて引っ張られながらも、ダンに語りかけた。

 

「いいかネ君!やりたい事があるなら、心に従いなさい!!」

「心…?」

「そうだとも!君は!君のウマソウルはもう答えを知っているはずだヨ!」

 

「先生!早く!」

「あーもう!わかったから引っ張るのはやめてくれたまえヨ!シリィ君!!」

 

弟子に引っ張られディーン氏が見えなくなった頃、ダンはようやくレース場を目指す。

最後にかけられた、自分の心に、ウマソウルに従えという言葉が何故か強くダンの胸に残っている。

 

(心に、従う……ウマソウルに……どうやるのかな)

 

歩きながら、ダンが自分の心に向き合う。

ダンの認識では自分はか弱く、いじめられ、最近やっと自信が持てるようになった普通のウマ娘である。

胸の奥の焦げ付いた何かも、珍しく怒った反動だと思っている。

 

(ウマソウルって、心の奥にあるんだよね、奥…………)

 

自らを、心の奥深く沈めたその時、ダンは──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

『さあ!午後の部の第一レースがいよいよ始まります!ターフコースで行われるこのレースは未来の名バと期待される注目株が目白押しです!気になる子はいますか?解説のミスターヴェラス?』

<三枠五番のダ……?ワイズダン嬢を私は注目している。彼女は天才と言っていいでしょう>

『おおっと!ミスターヴェラスが天才と言い切るとは相当な才能の持ち主のようです!手元の資料によると、チームに所属はしていないようですが、ここケンタッキー州のアマチュアレースでなんと連戦連勝!!期待が高まりますね!!あら?でもまだ来ていないようですが……』

<まだゲートイン前だ、ギリギリまで集中しているんでしょう>

『成程!今日は来賓の方々も著名人が多数来られていますね。ミスターヴェラスの所属するチーム・カルメットのミス・ダーウィン。そしてそのライバルとして有名なミス・アファームド。さらにはあの英国の名家にしてここキーンランドレース場にも縁が深いジュドモント家のご令嬢が来られて……』

<はあ!!?>

 

冷静に解説を続けていた怪人が突然素っ頓狂な声を上げた。全く聞いていない話であった。

 

『ミスターヴェラス……?何かありましたか?』

<い、いや……失礼>

『……?おっと、話題のワイズダン嬢が今コースに到着したようですが、これは……』

<……何が、あった?>

 

ダンがスタンド下の通路から現れた瞬間、観客席が騒めく。

一歩歩く度に地面がずしりと音を立て、そして赤いオーラがダンを包み込んでいる。

あの三人組に怒った時と同じ現象、ウマソウルが激しく咆哮を上げ、ダンは心の奥から湧き出る渇望に飲み込まれていた。

全てを蹂躙し、欲しい物を勝ち取る。ただそれだけを求めていた。

 

(……すごい、頭の奥がすっきりしてる。さっきの変な人、これが言いたかったのかな)

 

(そうだよ。難しく考えなくていいんだ。走るのは楽しいし、勝ってトモ兄もボクのものにする)

 

ゲートインの準備に入っていた出走するウマ娘達が、その手を止めてダンを眺める。

強烈なプレッシャーに、まるで目が離せなかった。

 

(なんだ、これ……この子だ…一番警戒しなきゃいけないのは、この子だった!!)

 

ドリームアヘッドは、自分達には及ばないであろうと思っていたダンへの評価を改めずにはいられなかった。

ウマ娘が時に競走で奇跡を起こす事をドリームアヘッドも知っている。だが、自分と同年代でそれができる相手を見るのは初めての事だった。

 

(うわっ、ヤベー奴、もっとヤベー事になってる……でも負けてられっか!とりあえずカマしとくか!)

 

ダンの事を最も警戒していたアニマルキングダムは、ダンに舐められてたまるかとばかりに正面から立ち向かった。ビビりっぱなしでは気性難は務まらないのだ。

 

「よう、お前ワイズダンだろ?よろしくな!アタシはアニマルキングダム!お前をブッ倒すモンだ!!」

 

このアニキの自己紹介を受けたダンがふと、三人組の言葉を思い返した。

 

『あんたなんかあっちゃんに勝てるわけないじゃん!』

『あっちゃんはさー、ダーレーで普段から良いトレーナーさんの指導を受けてるんだよ?あんたは?』

 

余りケンタッキーのチーム事情に詳しくないダンはバロールのチームカラーを知らない。

アニマルキングダムという名前なら、あっちゃんと呼ばれているかも、と考えた。

誤解である。

 

「…キミ、あっちゃん?」

「あん?あっちゃんってアタシの事か?ああ、あの取り巻きのヤツらがそう呼んでるなァ、あいつの……」

「……どっちでもいいや。キミがそうでも、そうでなくても」

 

 

 

 

 

 

 

「全員、抜くのは変わらないから──」



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第二十九話 運命に、挑む巨神

レース描写毎回悩むやで…。
フランスギャロとシュヴァルフランセに関してはそのうちちゃんと書くやで。
そういや怪人の見た目は某ッチメンの某ルシャッハの白黒反転みたいな感じでイメージしてるやで。


「おい、なんだあれは…!?」

「ウマソウル励起現象か…?まだプロにもなっていない子が…!?」

「これは……アリマの時のハーツと同じ……ケン!あの子は獲得すべきデス!!」

「うぁぁぁ き、気性難がターフを練り歩いて……!」

「ケン!?大丈夫デスカ!!ケン!!!」

 

午後の第一レースを迎えたキーンランドレース場、トレーナー席。

ここは今、最後に現れた注目株の少女──ワイズダンの姿に騒然としていた。

日本から有望なウマ娘の発掘に来たトレーナーであるフランス系の美少年が、日本での初めての担当がかの英雄に土を付けたレースで見せた奇跡と同じ物を感じ、同僚の童顔の青年に獲得を進言する。

なお童顔の青年は気性難センサーが爆発して発狂しかけていた。

トレセン学園の人選ミスである。気性難蔓延るアメリカで、彼が無事なはずが無いのだ。

 

「あっち、何か大変な事になってるわね…」

「彼は…フランスのクリスティアン・リメイユか。フランス競バ統轄機関(クーリエ)から日本中央競バ会(U R A)へ移籍したと聞いたが…」

「……あら、彼には一つクレームを入れておきたかったのよね。その隣にいるのは……日本のトレーナーかしら?」

「状況的に間違いないだろう。ところでクレーム、とは?」

「こっちの話よ。研修の時に彼の元雇い主に、随分お世話になったから……」

 

もやしとビリーが、後列の隅で泡を吹く青年を介抱しているフランス人トレーナーに目を向ける。

 

クリスティアン・リメイユ──フランス競バ統轄機関(クーリエ)にて飛び級でトレーナー免許を取得し、一年目からトレーナーリーディング七位、G1パリ大賞を勝利するという驚異的な記録を残した天才トレーナーである。

現在は一身上の都合によりフランスのトレーナー免許を返上、友人と共に日本中央競バ会(U R A)へ戦場を移し、日本の短期免許を取得していた頃にコンビを組んでいた、かの英雄を破る大仕事を成し遂げたとあるウマ娘を含む多数の管理バを預かる身となっていた。

なお、彼の元雇い主はフランスに自らのチームを持つとある怪盗殿下である。

見た目は穏やかな青い瞳を持った黒髪の美少年である。年齢は二十代に差し掛かっているはずだが、公称163cmの身長と相まって少年にしか見えない。

トレセン学園でも人気者であり、その王子然とした容姿と穏やかで優しい人柄でクリス君と呼ばれ親しまれており、一部のトレセン学園生徒達によるファンクラブまで存在していた。かの英雄を共に破った相棒はファン一号である。

 

「しかし、これは凄まじいな。ウマソウルから湧き出る力が人間にも目視できる程とは…」

「勉強不足ね?ウマソウル励起現象よ。論文も一昨年に出ているわよ?」

「……聞かせて貰えないか?」

 

素直に教えを乞うビリーを、もやしが意外と言った様子で見やる。

先程からの会話で負けず嫌いでプライドの高い少年と思っていた神童が、自分に教えを乞うとは思わなかった。

本質としてそうなのは間違いないが、競バに関してはあくまで真摯な少年だと評価を改めたもやしが、軽くため息をついて語り始める。

 

「……仕方ないわね、概要だけは教えておくわ。後は自分で調べなさい。ウマソウル励起現象、過去より多数の事例が存在するウマ娘の奇跡。論文の著者はヘンリー・ジュドモント氏とディーン・ヒル氏の共著。効果は、ウマ娘の持つ潜在能力の爆発的な開花…」

 

そこまで話したところで、もやしがちらりと妹に目を向ける。

妹、エクスは食い入るようにウマソウルを赤く燃やすワイズダンをただ眺めていた。

あの日の初めての敗北を、思い出しているのだ。

怪物と、生涯の好敵手と出会ったあの日を。

 

「……それで、続きは?」

「……発動条件は、ウマ娘が自らのウマソウルをはっきり自覚すること、そして──」

 

 

「──運命に、立ち向かう時よ」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

『さあ!各ウマ娘が無事ゲートインしました!午後の部第一レース芝1000m、いよいよ出走ですね!ミスターヴェラス…どうしました?』

<…ああ、すまない。何か言っただろうか?>

『…ミスターヴェラス、先程から随分とワイズダン嬢を気にされているようですが…?』

 

<…失礼した、問題ない。注目の三人についてだが…恐らくゆっくりとした展開から、中盤に先行好位置に付けたドリームアヘッドが直線で最初にハナを切る形になると思うが…>

『成程!他にも気になる点が?』

<アニマルキングダムは追込から逃げまでレース展開に応じて自在に使い分ける事が可能だ。彼女がどの位置に付くかがこのレースにおいて一つの鍵となるだろう。対してワイズダンは中団から最終直線で仕掛ける形が最も得意だな。最初に飛び出すドリームアヘッドと、変幻自在のアニマルキングダムに彼女が惑わされずに自分の形に持ち込めるかに注目したい>

『非常にわかりやすいレース展望です!ありがとうございます!さあ、果たしてミスターヴェラスの予想通りの展開となるか!?』

 

ゲートの中で、この解説を聞いた5枠9番のアニマルキングダムが口笛を吹く。

隠しているはずの自らの自在な脚質を、怪人に見抜かれていた。

 

(おお…!ミスターヴェラス、アタシの事よく見てくれてるんだな…!)

 

感激といった様子のアニマルキングダムであったが、何やら視線を感じて外枠に目を向ける。

ライバルのドリームアヘッドが、そのジト目がちな目で何やら抗議の目線を送ってきていた。

 

(……何それ?ずっと隠してたの?)

(お前も一つや二つ隠し玉くらいあんだろ?文句言うなって)

 

彼女はドリームアヘッドとの対戦では今までずっと差しで彼女に仕掛ける形を取っていた。

自在に脚質を使える彼女は先行争いも難なく行えるが、わざと握らせたペースに乗って差し込むのが一番勝率が高いと言う考えと、大一番のとっておきとして隠していたのである。

 

(さて、どこに付けるかねぇ。ドリーと先行争いでもいいけど、アイツに楽させたくないんだよな)

 

まだ睨んできているドリームアヘッドから目を離し、内枠の先程全員抜くと宣言したもう一人のライバルに目を向ける。

赤いオーラに包まれた、ただ前だけを見つめる恐るべき巨神へ。

 

(初めてレース映像観たときは冗談かと思ったぜ。今まで何してたんだコイツってな)

 

ケンタッキー州はウマ娘の大国アメリカにおいて最もウマ娘が多い州であり、野良レースも盛んに行われている。

当然速いウマ娘は幼い内から注目され、頭角を現すのも早い。

そんな中に突然現れた野良レース荒らし。アニキは新たなライバルの登場に奮い立った。

 

(間違いなくプロになるな、コイツ。長い付き合いになりそうだし、仲良くしたいとこだけど…何か知らないけど目の敵にされてる気がすんだよなぁ)

 

アニキはアメリカのスクールカーストの頂点、所謂クイーンビーである。

さっぱりとした性格で人気者であり、なおかつ速い。学校でも常に話題の中心で将来を嘱望されるウマ娘である。

このライバルについても、その広い交友関係ですぐに調べがついた。

レキシントンより少し離れた地区の、人間よりも遅いいじめられっ子(ターゲット)

最初そう聞いたときは何の冗談だと思った。

こんなに速いウマ娘がスクールカーストの最下級など信じられなかった。

 

(ま、考えるのは後だ。誤解があったら解けばいいだけってな)

 

正面に向き直り、集中する。

どこに付けるかは、すぐに答えが出た。

 

(コイツが全員抜くって言うんなら、アタシもそうすっか!ドリーにハナを切らせて、アタシは追込でプレッシャーをかける。ドリーはあの癖が直ってないなら直線ヨーイドンで十分行ける。二人がかりみたいになっちまうけど…それも勝負ってヤツだ)

 

一方、ダンはただ集中するのみだった。

やるべき事は決まっており、作戦は事前に授けられている。自分の最も得意な形でいつも通りに走る。それだけである。

 

(トモ兄の言う事に間違いなんて無い。それをボクは証明するだけ)

 

負ける気はしない。自分にはあの怪人にも負けない最高のトレーナーがついていて、そのトレーナーが自分が一番速いと保証している。

それを、証明しなければならない。

ダンはただ、そう考えていた。

 

そして──ゲートが開く。

 

『さあスタートしました!注目のドリームアヘッドとワイズダンは中団からのスタート!対してアニマルキングダムはゆったりと後方に付けました。全体を見渡せる位置ですね』

<追込を選択したか…今回の出走バにハイペースな逃げウマ娘はいない。悪くない判断です>

 

ドリームアヘッドが中団から上がっていく。

キーンランドレース場の1000mは最終直線が短い。

コーナーまでに先行好位置に付け、コーナーの終わり際から末脚を切る。課題の直線での癖が直っていない彼女は、必ずそう動く。

 

『──だから、ダンはあの子をマークすれば良いんだよ。同じ形で直線で並べば勝てる』

 

(トモ兄の、言った通り!なら!!)

 

ずしん、とダンがその強烈な脚力を発揮し、ペースを上げ、赤いオーラがそれに呼応するように足下から周囲に拡散した。

智哉から貰ったトレーニングメニューと、野良レースでの試行錯誤の日々、そして爆発的な潜在能力の開放により、ダンはその脚力を十全に発揮できるように成長していた。

足跡が残るほどの踏み込みで芝を抉り込み、周囲の中団を形成していたウマ娘達がダンから強烈な圧力を覚え、怯えた顔を見せる。

 

「むりー!」

「ひええっ、怖いよー!」

 

(ゴメンね!でも勝ちたいから!)

 

ダンは共に走った相手から自分が怖がられているのを理解している。

自分は走っても友人が作れないかもしれない。

その事に不安を覚えたこともあった。

それでも、ダンは走ることを止めなかった。

走ることは楽しかったし、自分を速くしてくれたあの人さえいてくれればいい、そう思っている。

中団、ダンを恐れたウマ娘達が左右に逸れ、内ラチ沿いに空いたスペースにダンが身を寄せる。

ドリームアヘッドは、後ろから自分をマークする巨神の重圧を強く感じていた。

 

(コイツ…!私にピッタリとマークして…凄いプレッシャーだ。それにコイツ!コイツは間違いなく私の癖を知っている!つまりコイツには!コイツに作戦を授ける誰かが、優秀なトレーナーがついている!!)

 

(勝ってみせる!トモ兄のために!)

 

コーナーに入ったダンが、右足を強く踏み出したその時──

 

「っ!?ぐうっ!!」

 

 

 

 

 

 

──その蹄鉄が、砕けた。




巨神の重圧(金レアスキル):周囲のウマ娘の加速ダウン(効果大)
サポートカード:「今はまだ、小さな巨神」ワイズダンより獲得。


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第三十話 賢者(ワイズ)、ダン

決着で悩んだやで。
しばらくご飯も一合しか食えない位悩んだやで。


加速しようと右足を強く踏み込んだ瞬間、ダンの体が大きくふらつき、その右足の裏からバラバラに砕けた蹄鉄がこぼれる。

潜在能力の開花により強化された脚力に、蹄鉄が耐えられなかったのだ。

転びそうになりながらも堪えたダンだったが、速度を落とし、中団の底まで下がっていく。

蹄鉄が砕けた心当たりは、確かにあった。

 

(蹄鉄が…砕けた!?まさか、あの時……)

 

思い返すのは、待機所へ続く通路でのあの三人組とのやりとり。

怒りに任せたダンは蹄鉄を付けたまま地面を踏み鳴らし、床を破壊した。

この時、蹄鉄に肉眼では見えないほどに細かい罅が入っていたのだろう。

我に返ったダンは蒼白になりながら姉に報告し、レース場管理者への姉のとりなしにより、智哉のポケットマネーで修繕費を払うことになっている。なお智哉はまだ知らない話である。

 

(トモ兄のくれた、大事な蹄鉄……壊しちゃった)

 

不幸中の幸いか、蹄鉄は完全に粉々に粉砕され、頑丈なダンの足はダメージを受けなかった。

しかし、蹄鉄とはウマ娘が本気で走る為に必須のバ具である。

片足の蹄鉄だけを失い、左右のバランスが崩れたダンは踏ん張りが効かなくなり、その脚力を活かす事が出来ぬまま速度を落としていく。

 

『おおっと!ワイズダンがずるずると順位を落としていきますが……?』

<……ッ!蹄鉄が砕けたか…!>

『どうやらワイズダンにアクシデントのようです!!裂蹄といえば、ミスターヴェラスが専属契約を結ぶクオリティロードの欠場の原因でしたが…これは心配ですね』

<幸い、怪我は無いようだ。だが…蹄鉄が無ければあれ以上速度を上げるのは難しいな…>

 

──巨神は、その脚を捥がれた。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「これは…裂蹄か。あの子には勝って欲しかったが…ここまで、か……」

「あの子、先生がちょっかいかけてた…」

 

キーンランドレース場の特別観覧席。

その前列に座る五人のウマ娘達、その中のメイドが先程世話になった少女のアクシデントに独り言を漏らし、とある人物の弟子に当たるウマソウル研究者が耳を垂れさせながら師匠に目を向ける。

彼女の師匠は著名人である。アメリカにおいてもその名声は止まる事を知らない。

その為に偽名を使い、変装してここ特別観覧席までやってきていた。

今はもう、その変装は解かれている。

気品溢れる白磁の美しい顔立ちに、黒髪と途中から鹿毛に色が変わる大きな三つ編みの、タキシード姿の美ウマ娘。

 

「デインヒル先生、あの子…負けちゃうの?あんなに凄いのに…」

 

その美ウマ娘──デインヒルは、その隣に座るドイツの両親から預かり、養育しているセミロングの鹿毛にまんまるの流星を持った大人しく、同世代より小柄なウマ娘の少女の不安げな言葉に思案を巡らす。

 

「うーん…そうだネェ、デイちゃん。裂蹄して怪我無く走れてるだけで本当に凄いんだけどね。あの子はあの脚力を活かすのに、殊更蹄鉄が必要に見える。厳しいレースになるね」

 

一旦、息を整え、デインヒルは後ろの席に言葉を投げる。

 

「──視えるかい?フラン」

 

後ろの、目を青く輝かせる少女へと。

 

「はい、先生。見えます」

 

「…フランちゃん?何が見えるの?」

 

メイドに介抱されながら寝込んでいたはずの友人の突然の覚醒に、デイちゃんと呼ばれたウマ娘が困惑しながら訊ねる。

フランの青く輝く目、智哉から引き継いだ目は、デインヒルからの薫陶により選抜戦のあの日より進化している。

自分以外のウマ娘の可能性すらも、見通すのだ。

 

「あの子、まだ走れるわ。譲れない何かがあるなら」

 

フランの双眸が元に戻り、友人に目を向け微笑む。

赤く光るダンに、まだ諦めていない巨神に、怪物は呼び起こされていた。

この二人に、デインヒルが満足げに頷きを返した。

 

「うんうん、来てよかったヨ!二人とも良い経験になりそうだし、あの子はウチで面倒見たいモノだネ」

「先生、また教え子を増やすつもりですか…今でもあちこち首突っ込んで世界中飛び回ってるのに」

「こればっかりは止められないネェ。素晴らしい可能性とウマソウルを秘めた子を育てる事以上の娯楽なんて無いよ、シリィ君」

「もう…交渉の打診はしておきます。抽選で負けても駄々捏ねないでくださいね」

 

呆れた様子の弟子が電話で何処かに連絡をする中、フランがうとうとと眠そうに目を擦る。

無理に起きたためにまだ眠いのだ。

 

「つらいわ」

「お嬢様、こちらへ」

「ありがとうサリー。ねむいわ」

 

メイドの膝枕にうつ伏せで潜り込んだフランがすぐに寝息を立て始める。

すこぶる呼吸がしづらそうな体勢だが、これが一番楽なのだ。

 

「フランちゃん、その体勢大丈夫なの……?」

「おやおや、眠り姫はもうおねむかネ」

 

そっと、その頭をデインヒルが優しく撫でた。

 

「この子はきっと、すごいウマ娘になるよ。サリスカ」

「……当然でしょう。お嬢様は天才ですから」

 

かつて敬愛し、生涯の後悔として残り続けるであろう先輩と、同じ運命を持っていた盟友の孫娘。

そして自分がウマソウル研究者を志した悲劇を乗り越えた運命の少女の輝かしい未来に、デインヒルが思いを馳せる。

あのTCターフの後悔からアメリカの地には余り足を運んで来なかったが、今回は彼女を救った青年と会えるなら、と同行をフランに申し出たのだった。

 

「さて!後は見届けよう。それとシリィ君、例の彼と会う時間は……」

「この後フランちゃんと一緒に会いに行きましょう。でもすぐに日本に行きますからね?」

「……何とかならないかネ?彼の家系には、興味深いものが……」

 

その青年と一族について調べた際に、デインヒルは初代当主と一族の特異性に目を付けていた。

とある伝説のウマ娘が姿を眩ませた時期と成り立ちが近く、そして、英国王室直々にロンドン郊外のレース場向きな良立地を下賜されているのだ。

突然現れた平民に、である。どれほどの功績を上げようとも有り得ない事態だった。

 

「だーめーでーすー!トレセン学園で講義の予定があるんですー!それにファイン殿下もお待ちですよ!!」

 

どうしてもその経緯を青年に確認したいデインヒルだったが、弟子は無慈悲に拒否した。

この師匠は知的好奇心を刺激されると飲まず食わずで研究に没頭する悪癖があるのだ。

 

「トホホ……仕方ないネ……ブレーヴ先輩に、会いに行ってもいいかな」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

(プレッシャーが、遠ざかっていく?何かトラブルが起きた?)

 

ドリームアヘッドは、遠ざかる巨神のプレッシャーを肌で感じていた。

予定通り逃げウマ娘を差し込める位置に付け、1バ身ほどラチにスペースを空けてコーナーを曲がる。

彼女の直線の癖までも計算に加えた、ベストの展開に持ち込む。

 

(ここに入られてたら危なかった。斜行取られたらたまんないからね……)

 

彼女の癖を知っているダンは、内を取りプレッシャーをかけようと考えていた。

アメリカのレース場のコースは左回りが主流である。

そしてドリームアヘッドは、幼い頃より左回りで練習する内にとある癖がついていた。

 

「──よお、そこ空いてるよな?」

 

空いた1バ身の内ラチ沿いのスペース、そこに、アニマルキングダムが潜り込む。

ワイズダンが下がった瞬間、好機と見たレース巧者の彼女は密かにペースを上げ、ドリームアヘッドが仕掛けるこの瞬間を待っていたのだ。

 

『ここでアニマルキングダムがドリームアヘッドに並びました!抜け目なく内ラチ沿いの有利な位置に付けています!!』

<これは巧いな…ワイズダンが下がるのに合わせてペースを上げ、ドリームアヘッドに接近を察知させていない。良い展開だ>

『おおっと!ミスターヴェラスも唸らせるレース巧者ぶり!ケンタッキーの暴れウマ娘という異名からは想像も付かないクレバーなレース運びです!』

 

(相変わらず、抜け目がない…でもね)

 

ニヤリと笑ってみせるアニマルキングダムの横顔に、ドリームアヘッドが好戦的な笑みを返す。

 

(──末脚は、私の方が速い)

 

(うげっ!もう仕掛けるのか!?くっそ、遅れた…)

 

ドリームアヘッドが、その天性の末脚を開放し、一瞬仕掛けが遅れたアニキが慌ててペースを上げるも置き去りにされる。

 

『ここでドリームアヘッドが仕掛けたああ!!素晴らしい末脚ですが、内ラチに寄せる独特な動きですね?ミスターヴェラス』

<彼女はスパートの際に左によれる癖がある。今のも斜行ギリギリだが…コーナーから仕掛けた上でアニマルキングダムが一瞬遅れた。不自然な程では無い、な>

『なるほど!的確な解説助かります!ミス・スペクターの時は大変で…

君も、苦労しているんだな……

 

二人が抜け出し、アニマルキングダムがドリームアヘッドを追う中、中団の底でダンは歯を食い縛り、怒りを覚えていた。

不甲斐ない、自分自身へ。

 

右足を、強く踏み込む。

バランスを崩しそうになるが、続けて何度も。

 

(全部、全部ボクの自業自得…怒って、大事な蹄鉄を壊して、今、負けそうになってる)

 

(でも!まだ負けてない!!)

 

(負けてないし!足も動く!!ならもうボクは諦めない!!絶対に!!)

 

強く、心に勝利を願う。

ダンは自らのウマソウルに触れた時、そこに潜む何かを感じた。

ずっと、自分を見ていた何かを。

自分をわざと一人では走れないウマ娘にして、あの青年に助けを求めさせた元凶を。

そこに怒りは無かった。だが、ダンは今心の奥に潜む何かに強い怒りを感じている。

ダンはウマソウルとの繋がりを得た際に、流れ込んだ何かの想いを知った。

こいつはきっと、自分が負けそうな時に出てきて囁く。勝ってやるから代われ、と。

ダンはその渇望を、確かに感じていた。

 

──だからダンは、助けを求めなかった。

 

(ボクの中にいるヤツ!!見てるんだろ!!)

 

(ボク、負けそうだよ!トモ兄の見てる前で!!)

 

(お前もトモ兄が大好きなんだろ!?ボクみたいに!!)

 

(でも!お前の力は借りない!ボクが一人で!ここから勝つ!!)

 

右足を何度も踏み込み、無理矢理にダンが直進する。

中団の底から、徐々にダンが速度を上げていく。

微かに、巨神の足音が響いた。

 

(全部、全部右足に込める!ありったけを、ボクの全部を!!)

 

ダンを包む赤いオーラが、凝縮し、その右足に集まり、そして──

 

『あっと、ここでワイズダンがペースを大きく上げていきます!裂蹄の影響をまるで感じません!』

<これは…!まさかここから勝つつもりか…行け!ダン!!>

『み、ミスターヴェラス…?』

<おっと、失礼…少し昂ってしまったようだ>

 

──巨神の足音が、ターフに響いた。

 

凄まじい轟音と共にターフに大きく足跡を残し、ダンが一気に駆け上がる。

ただ前だけを、勝利だけを求めて。

決意を込めたその横顔には、かつての気弱で自信を失っていたダンはもういなかった。

自分の力を信じ、自分の勝利を疑わない。一人の競走バ、ワイズダンとして完全な覚醒を迎えたのだ。

心の奥に、もう何かの気配は無かった。

ダンに微笑んだかのような意志を感じた後に、彼女の心から去っていった。

この異変と轟音を、前の競り合う二人も強く感じ取り、どちらとも無く目を合わせた。

 

(やっぱり来るか!!もう競り合ってる場合じゃねえ!足止めんなよ!!)

 

(言われなくても!あのプレッシャーをまた感じる…!)

 

二人並んだまま、全力で駆ける。

その横に、ダンはあっさりと追いついた。

 

(並んだ!でもこの二人、やっぱり凄いや!全然引き離せない!)

(スゲー!コイツマジで速えーな!勝っても負けてもアタシのダチにしよっと)

(あーもう、二人とも嗤ってるよ。レースバカばっかりじゃん。私はもうちょっと楽したいよ)

 

笑い合いながら並んで走るアニキとダンを眺めて、ドリームアヘッドは勘弁してよと心の中で呻いた。

彼女はレースも練習も好きだが実戦は楽して勝ちたい派である。

この二人と同期になるなら絶対英国に行こう、と誓いを新たにした。

 

『これは凄まじいデッドヒートです!三人ともまるで譲りません!!誰が勝つんでしょうかミスターヴェラス!?』

<ダン!思い出せ!飛ぶんだ!!>

『ミスターヴェラス!?』

<あっ!失礼…>

 

そして短い直線、三人並んだままゴールという所で、解説の言葉が耳に入ったダンの脳裏にふと、あの日見た憧れの人のレースが過った。

あの、華麗に飛ぶ現役最強の姿を。

 

右足に、力を込める。

 

(一跳びで、いい。今のボクなら!)

 

(きっと、飛べる!!)

 

ゴール前、ドゴン、と強烈な足音を残してダンは大きく飛んだ。

たった一歩だけの、ストライド走法。

その一歩で7メートルを飛んだダンは、最初にゴールラインを割り、着地できずにターフを転がっていく。

 

決着が、着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『一着は…ワイズダン!自分の体ごとゴールに飛び込みました!!素晴らしい逆転劇!おっとミスターヴェラス?どちらへ?』



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閑話 拗らせ貴婦人と、超気性難

ちょっと短いけどキリがいいから閑話にしたやで。
ダンちゃんのレース後は次回やで。


「すごい!すごいすごい!!アメリカ来てよかったあ!!」

「失礼、そちらのレディはミス・ファンタスティックライトでしょうか?娘があなたのファンで……」

「ああ、すまない。今はプライベートで……先輩、こちらの紳士がサインを……」

「書くよシーちゃん!」

 

上機嫌でサインの求めに応えるアホの子に、サングラスにキャップのいつもの変装スタイルのシーザスターズが色紙を手渡す。

そして書いている最中に、シーザスターズは背負った鞄からある物を取り出し、ライトの足に装着してしっかりと鍵をかける。

 

「先輩、動かないように足枷を嵌めておくぞ。興奮してコースに落ちたら大変だからな。それに先輩は落ち着きが無いから私の膝の上で観戦してくれ」

「うんお願いシーちゃん」

 

装着したのは鉄製の足枷である。ロープでは手刀で切られるという反省を活かし、シーザスターズが用意した物だった。

なおアホの子が万が一も怪我をしないようにシーザスターズの手で角は削られ、内側にはスポンジが仕込まれている。

なんだかんだアホの子にはダダ甘である。

 

サインを書き終え、礼を言う紳士に握手で返した後、アホの子ライトはシーザスターズの膝の上にすっぽりと収まった。

そのアホの子を、絶対に逃がしてたまるかとばかりにシーザスターズがしっかりと両手で抱え込む。

アホの子は、アホである。

先程の未来の競走バ達の壮絶な叩き合いに興奮している彼女は、まだ追手に捕まった事に気付いていない。

この様子に、シーザスターズの隣に座る二人のうち一人が呆然とツッコミを加えた。

 

「オイ、いいのか……?」

「しっ、まだ気付いていないんだ。このまま確保しておきたい」

「次のレースも楽しみだねえシーちゃん!!」

「そうだな先輩、せっかくアメリカまで来たんだ。私も楽しませてもらおう」

「シーちゃんくすぐったいよう」

 

アホの子ほどかわいいとはよく言ったものである。にこにこと無邪気に笑みを浮かべるライトに、シーザスターズがその日なたの匂いがする髪に頭を埋めて抱き締める。

過保護な会長と欧州現役最強は、このアホの子がやらかしても基本的にはかわいがるばかりだった。

 

「……すげぇな、ライト嬢ちゃん。オペ子から面白い子って聞いてたけど、ここまでおもしれーとはなァ」

「此方としては、其方がろくに変装もせずにここにいるのが面白くてよ?」

「あン?耳隠してるだろ?」

 

シーザスターズとライトの隣、そこに座るウェーブのかかった栗毛の貴婦人が、更にその隣に座る人物に若干危ない輝きを帯びた目を向ける。

あの日、アメリカを去った時とまるで変わらない姿の超気性難へ。

 

見た目は一見では大人しそうな、小柄で凹凸の無い体型のウマ娘である。

背中を覆い隠す長さの黒鹿毛は光沢を帯び美しく、前髪の中央の一房だけの白毛にヘアピンを通しそこから左右に分けた髪型。そして一目で気性の危うさを感じさせる金色の鋭い眼光。

エクリプス教の修道服を着崩し、申し訳程度にヴェールを頭に被せ耳を一応隠している。

 

日本にて現在目下捜索中のお尋ねウマ娘であり、隣の貴婦人イージーゴアの現役時代の最大のライバルにして、今もその背中を追っているウマ娘である。

 

「其方、それは変装とは言いませんのよ。現にファーディ先輩にもアリス先輩にも呆れられていたではありませんか」

「うるせーなー、ゴアは昔っからこまけえ事ばっか言いやがる。久しぶりに俺様と直接会ったんだし、もっとなんかあるだろ?それによ…」

 

ここで超気性難のシスターは、後ろに座る一般客の中年男性に目を向ける。

男性は超気性難に振り向かれた瞬間に震え上がり、周囲の観客も声を上げそうになるも堪えた。

伝説のウマ娘イージーゴアがこれ程気安く話す相手は限られており、古くからの競バファンなら誰しも忘れるはずが無い伝説の超気性難である。

怖すぎて周囲の観客は見て見ぬ振りをしているのだ。

 

「なぁ、おっちゃん。俺様は誰だ?」

「ひっ……さ、サンデーサ……」

「アァ?それ俺様の聞きたい答えじゃねえな、もういっぺん聞くぜ?俺様は、誰だ?」

「わ、わかりません!ただのシスターさんです!!」

「だよなあ!おっちゃんサンキューな、これでビールでも飲めよ」

 

聞きたい答えが聞けたシスターが気分良く男性にチップを渡し、得意気にゴアを見る。

周囲の観客は当然、彼女が何者かに気付いていた。

 

西海岸のとあるエクリプス教会の前に捨てられていた孤児で、幼い頃に大病を患い死にかけ、小柄で貧相な見た目でバカにされ、事故により孤児の友人達を失う悲劇すらも味わうも、それら全てを持ち前の気性で乗り越え西海岸を代表するウマ娘にまでのし上がった。

そして東海岸のセクレタリアトの再来と言われたエリート中のエリートの貴婦人との死闘を制し、二冠ウマ娘になった正にシンデレラストーリーの体現者である。

 

更には記者の取材に機嫌を悪くしてチーフを蹴り飛ばし、最初に組んだ専属トレーナーからは二度と組みたくないと逃げられ、とある名トレーナーには契約を拒否され、そしてようやく見つけた専属トレーナーである名家の御曹司と組んでからは、マフィア相手にニューヨーク中で大立ち回りをかました後に重バ場を募らせ、トレーナーを日本に拉致し式を挙げたその超気性難ぶりで畏怖をアメリカ国民に植え付けている彼女が、ここアメリカで忘れられているはずがないのだ。

 

「な?俺様はどこにでもいるエクリプス教のシスターのサンディさんだ。ゴアもそういう事で頼むぜ」

「はぁ……此方はそれでよろしくてよ。でも其方、中継に写ってましてよ?」

「マジか。帰ったらマックちゃんにまた小言言われちまうかねぇ」

 

日本の名家の令嬢の名前がシスターの口から出たところで、貴婦人の眉がぴくり、と動いた。

シスターとの電話でよく聞く気に入らない名前であった。

 

「……其方、帰れると思っていまして?」

「あ?そりゃ帰るに決まってんだろ。あっちにゃ旦那と娘がいるんだよ。ちょっと里帰りしたかっただけだしなぁ」

 

俯いた貴婦人の肩が、震える。

 

昔から、この超気性難はそうだった。

敬虔な教会育ちの孤児のくせに自由気儘で、我が強く、常に面白そうな事に首を突っ込む暴れん坊。その割に情が深く、困った誰かを迷わず助けられる女。

エリート一族に生まれ、幼い日より優れた才能で将来を嘱望され、蝶よ花よと大切に育てられた自分とは何もかもが全く逆の人生を歩んできた女。

最初は取るに足らない、自分の華々しい競走生活を彩る添え物程度にしか思っていなかった。

 

『お前が東海岸のイージーゴアか?速ぇらしいじゃねーか?次走はよろしくな。俺様は…』

『あら、おチビちゃん?何処からカレッジに迷い込んだの?』

『……おもしれーなお前。俺様に面と向かってチビ呼ばわりするヤツは久しぶりだぜ』

 

『二度と、呼べねえようにしてやる。覚えとけ、俺様の名は──』

 

この日の出会いから、その背中を追い続ける日々が始まった。

その気性難ぶりからマスコミに叩かれようが、二冠は運が良かっただけのフロックと言われようが、この女は意に介さなかった。

それを聞く度に、自分がどれほど惨めな気持ちになろうと。

 

『其方は悔しくないの!?此方に勝ったというのに誰にも認められなくてよ!!?』

『あー?こまけえ事気にすんなよ。言わせとけ言わせとけ。それよりよー、ダーリンに振り向いてもらうにはどうしたら……』

 

この女に自分を見て欲しい、認めて欲しい一心で、身を削りながらの過酷なトレーニングを重ねて迎えた最後のクラシック三冠、ベルモントステークスの悲願を果たしたあの日。

 

『勝った…此方が、やっと……』

『あっちゃー、ついに負けちまったなぁ』

『其方…』

『ゴア、やるじゃねえか。負けたぜ』

 

この女は、全く悔しそうに見えなかった。

友人の勝利を、心から祝っていた。

気が狂いそうになった。

自分はこの女に負けたとき、屈辱で身を焦がれるかと思っていた。

その背中を追い越し、同じ思いを抱いて欲しいと思っていた。好敵手として。

だが、そうはならなかった。この女は、自分をそう見なかった。

そして、ついにはアメリカからもいなくなった。

捨てられたと、感じた。

 

「また、此方を捨てるのね?」

「はァ?」

「その、新しいお友達のマックちゃんがいいのね?」

「何言ってんだおまえ」

「しらばっくれないで!此方の事なんてどうでもいいと思ってるんでしょう!?此方のような其方に負けっぱなしの癖にプライドだけは高いウマ娘なんて、もう愛想が尽きたんでしょう!!?」

「だから何言ってんだおまえ」

 

この貴婦人、イージーゴアはシスターとグローリーカップで決着を付けようと約束していた。

それをこの超気性難はすっぽかし、日本に逃げたのだ。

その結果──

 

「口では何とでも言えるわ!日本と此方、どちらが大事なの!?」

「まだ何も言ってねぇよ。お前重いんだよ」

 

──貴婦人は、拗らせきっていた。

かつてのライバルに重バ場を形成していたのだ。

 

「おお……先輩、これが日本のヒルドラのシュラバというやつか?」

「夫婦喧嘩じゃないからトレンディドラマじゃない?シーちゃん」

「おい英国コンビ、呑気してんじゃねえ」

 

突然発生した重バ場を呑気に観察するシーザスターズとアホの子に、シスターがツッコミを加える。

先程から貴婦人が観戦の合間に視線や仕草で何処かに指示を出しているのを、超気性難特有の勘でシスターは感じ取っていた。

 

「日本になんて帰さないわ。其方はこのまま東海岸の此方のチームに一緒に行くのよ」

「おっ、ゴアにしてはおもしれー事考えてんなァ。で、どうすんだ?」

 

現役時代からは想像もつかない貴婦人のはっちゃけた発言に、嬉しそうにシスターが問いかける。

 

「……周囲に、此方が雇った腕利きの傭兵ウマ娘が複数潜んでますのよ?いくら其方でもこれを抜けるのは至難の業ですわ」

「へぇ……おもしれーじゃん」

「おお……今度はサスペンス映画の展開だぞ、先輩」

「アクション映画っぽくない?シーちゃん」

 

自分達に関係ない重バ場に英国コンビは呑気なものである。

シーザスターズに至ってはアホの子の気が引ける展開に、むしろもっとやれと内心考えていた。

 

「……申し訳ないけど、通報されたら面倒ですわ。其方達も東海岸までは同行してもらいますわよ?手荒な事はしませんので」

 

しかし、ここで風向きが変わった。

貴婦人はこの二人も連れていくつもりだったのだ。

この言葉に、瞬時にシーザスターズの顔色が変わる。

呑気にアホの子を愛でるシーちゃんから、欧州現役最強へ。

 

「……ほう?私を、か?ミス・イージーゴア」

「そういえば…其方の名前、存じてませんわね」

「それは失礼…では遅くなったが自己紹介とさせてもらおう」

 

キャップとサングラスを外したシーザスターズに周囲からどよめきが起こり、貴婦人は息を飲み、そしてシスターは口笛を吹いた。

こんな大物が、アホの子の迎えとは考えていなかったのだ。

 

「私の名はシーザスターズ。一応、欧州ではそれなりに有名なはずだが、な?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ、シーちゃん?あれ?何これえ!!?足うごかない!!」

「先輩、ここで気付くのはやめてくれないか?私が決める所だろうこれ」



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第三十一話 怪人、その正体は──

前話ちょっと加筆したやで。
こういう温度差というか湿度差好きなんや…イージーゴアに人間的な情緒があったら実際こんな感じだと思うし…。

ところでドバイパイセン出すタイミングに困ってるやで。副会長の予定だから二部には出るけど…。


──ああ、その件はそのまま頼むよ。君には苦労をかける。レーンの次走はチーム・ゴドルフィンの彼に一任している、君はエイダの次走だけ考えていてくれればいい。期待しているよ。

 

──ふう…ああ、来ていたのか。おはようエーネ、良い朝だね。お母さんは元気かね?マダム・ガスデンとランス君の言う事をちゃんと聞いているか?それとまたマジカルと問題を起こしたそうだな?喧嘩ならレースで決着を……

 

──何?仕事モード?私は元々こう……わかったわかった。今日はこの後理事会で、来月のアメリカ出張の準備もあるから相手してる暇なんて無いぞ?じいさんはトシだし現当主殿は孫をかわいがってばかりで働かないからな…俺の事こき使いすぎだろあいつら…。

 

──後悔?急に何だ……後悔、後悔か。

 

──特に無い…いやあったな。後悔という程でもないが…。

 

──あの時なんだろうな、ターニングポイントってやつは。

 

──ま、お前にはまだ早いよ。それよりもお前、今年はついてくるなよ?いつの間にダンと…

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

『一着は…ワイズダン!自分の体ごとゴールに飛び込みました!!素晴らしい逆転劇!おっとミスターヴェラス?どちらへ?』

 

ターフコースのゴールを割りながら、ダンがごろごろと芝の上を転がる。

一心不乱に勝ちたいという気持ちを込めた、一歩だけのストライド走法の着地に失敗した結果である。

ただの全身でゴールに飛び込む不格好なジャンプになっていた。

 

だがその一跳びが、勝敗を分けた。

 

「ひええええ!止まらないよー!わぷっ!」

 

競走中にダンの右足を包んでいた赤いオーラも役目を終えたとばかりに消え去り、潜在能力の一時的な開放も終わりを告げた。

その全身全霊を込めた一跳びを自分では止められないダンを、何者かが前に立ち塞がり受け止める。

その際にダンは芝生で顔を軽く擦った。痛くて少しだけ涙目になったダンが見上げる先には、二人のウマ娘がいた。

 

「おーい、大丈夫か?」

「無茶するね、キミ」

 

受け止めたのは今回の対戦相手、ドリームアヘッドとアニマルキングダムの二人であった。

負けを悟り悔しさを感じる前に、ダンがすごい勢いで転がっていくのを見て真顔になって追い駆け、止めたのである。

この二人にダンが素直にお礼を言う。ウマ娘の友達がいないダンにとっては不思議な感覚だった。

 

「あ、ありがと……えへへ、止まれなくて」

「マジかよ。面白いなお前」

「……キミ、レース前と全然キャラ違わない?」

 

レース前、というドリームアヘッドの言葉にダンが首を傾げ、何があったかを思い返す。

 

「レース前…あっ!!」

 

そして顔がまず真っ青になり、その後すぐに真っ赤に染まる。

この百面相を見て、アニキはコイツおもしれーなと評価を更に上げた。

レース前の小気味の良い啖呵と言い、気性難の彼女の琴線にドストライクである。

 

(え、えええええ!!ボク何考えてたの!?みんなぶっ潰すとか物騒すぎるし、それに、それに……トモ兄をボクのモノにするって……)

 

ウマソウルに触れ、心の奥に潜む巨神の意識に感化されていたダンは、レース前に自分が何を考えていたかを思い出し顔を覆った。恥ずかしい黒歴史が今ここに生まれたのだ。

 

「なんかもうゴメンナサイ……恥ずかしいよ、ボク……」

「あはははは!!勝って謝るとかやっぱり面白いなお前!!」

「なんかもう、悔しい気持ちとかどっか行っちゃったよ……ところで」

 

真剣な表情で、ドリームアヘッドがアニキを指差しながらダンに訊ねる。

この二人のレース前のやりとりが耳に入っていた彼女は、確認したい事があった。

 

「こっちのさ、アニキとレース前に何か話してたよね?何があったの?」

「アニキはやめろって言ってるだろ。あー、そうだな、それ言っとかねーとな」

 

今度はアニキがドリームアヘッドを指差し、言葉を続けた。

 

「あっちゃん、コイツ」

「……え?」

「うん、あっちゃんは私。そう呼んでる子は限られてるけど」

 

そう言い、ドリームアヘッドは観客席の取り巻きにちらり、と目を向ける。

ダンはそこで全てを察した。そしてもう一度顔を覆った。

勘違いである。更に黒歴史が生まれた。

 

「ゴメンナサイ……もう、穴があったら入りたい……」

「あははは!気にすんなって!しょうがねーしアタシは気にしてないから!」

「それより、何かされたの?」

 

ダンは言うべきか悩んだが、ドリームアヘッドの真剣な表情に逡巡した後に答える。

 

「う、うん、ボクのお世話になってる人の事で、ちょっと……」

「バカにされたの?」

「うん、そんな感じ……」

「へえ……」

 

ドリームアヘッドのジト目がちな目が、更に険しくなる。

鬱陶しい取り巻き気取りが裏で余計な真似をしていた事に、堪忍袋の緒が切れたのだ。

有り体に言えば楽しいレースに水を差されブチ切れていた。

 

「そう……ごめんね。私があいつら放置してたから」

「えっ!?ううん、キミが悪いわけじゃないよ」

「いや、これはケジメみたいなものだから。イギリスに行く前にあいつらの根性、叩き直しておくよ」

 

そう言い、ドリームアヘッドが取り巻きを睨みつける。

取り巻き達は自分達に怒っているあっちゃんに震え上がった。

後に根性を叩き直されて、まともな競走バの卵となる。

 

「なー、ドリー?お前やっぱりイギリス行くのか?アタシらとプロになってもやろうぜ!」

「それも悪くないけどね、考えておくよ。就職先が見つからなかったらだけど」

 

仲が良さそうなこの二人を見てダンは羨ましく感じ、この二人なら、自分を怖がらないこの速い二人なら友達になってくれるかもしれない、と期待を抱く。

憧れだった。競走バの先輩達のようなレース後に称え合う友人というものを持ってみたかった。

 

「あ、あのね!」

「おっ、なんだなんだ?」

「どうしたの?」

 

以前のダンなら萎縮して言えなかった言葉を、勇気を出して伝える。

 

「ボ、ボクと友達になってほしいなあ、なんて……」

 

しかしレース外ではまだ少し気弱な部分のあるダンはそう言うのがやっとの有様であった。

最後の方は蚊の泣くような声だった。

この言葉を聞いた二人が目を合わせてから、笑って答えた。

 

「何言ってんの、お前」

「うん、おかしいよね」

 

断られる、と感じたダンが俯く。

しかし、二人には続きがあった。

 

 

「一緒に走ったならもうダチだろ!また走ろうぜ!!」

 

「レースバカっぽい理論だけど……たまにはいい事言うね。そうだよ、もう友達」

 

 

ダンは、呆然と二人を見上げた。

競走バの夢と同じく憧れ、諦めたもう一つが今、手に入ったのだ。

 

「ホント!?よかったあ、断られるかと……」

「断るワケないだろ?アタシから声かけるつもりだったし」

「イギリス行く事になっても、こっちで自主トレする時は声かけるよ。また走ろう」

「うん、うん…やったぁ…よろしくね、ドリーちゃん、アニキちゃん!!」

「お前もアニキかよお!!」

 

アニキが頭を抱え、ドリームアヘッドとダンが声を上げて笑う。レースを通じ、確かな友情が生まれていた。

二人に手を貸してもらい、ダンがようやく立ち上がる。

 

<取り込み中すまない。ワイズダン、少し話があるが…いいかね?>

 

そこに、機械的な声色でダンを呼び止め、怪人が現れた。

実はこの怪人、転がるダンを受け止めようと飛び出していたが、二人の様子を見て任せる事に決め、様子を伺っていたのである。

このコース内への怪人の登場に観客が沸いた。

シンデレラクレーミングの解説は、一人だけ自由に契約交渉を行う権利を持つ。

その権利を今、怪人は使う為にコースに現れたのだ。

 

「ミスターヴェラス…あ~、やっぱりダンかぁ…だよなぁ、速かったし」

「しょうがないよ。どっちにしろアニキはプロ入りできるんだし、譲ってあげなよ」

「ま、しゃーないな。行こうぜ!ダン、後でな。連絡先とか教えろよ!」

 

アニキとドリームアヘッドが空気を読んでターフを去る中、ダンは真っ直ぐに怪人を見つめる。

 

<ワイズダン、素晴らしいレースだった。トモヤ君から仔細は聞いている>

 

懐からガラスの靴の小さなトロフィーを取り出した怪人が、跪き、それをダンに差し出した。

 

<君を、我がチーム・カルメットにスカウトしたい。後日、正式に交渉の場を設け、契約書にサインして貰うことになるが…ひとまず受け取って貰えるだろうか?>

 

こうなると言うことは、自分を導いてくれたあの魔法使いのような青年から聞いていた。

チーム・カルメットはアメリカ屈指の名門チームである。

スポンサー契約によるプロ入りまでのバ具、学費等の資金援助、更には練習場の提供から所属する一流トレーナーの指導まで受けられ、プロ入り後もこの名門所属の競走バとなれる事が約束されるのだ。

この怪人のスカウトを受け入れれば、自分の夢への道が舗装される。

このトロフィーを受け取れば、夢が叶う。憧れの世界へ行ける。

魅力的な話だった。以前までは。

 

(……ボクは、やりたい事が、一緒に走りたい人がいるから、断らないと)

 

ダンはあの三人組より聞かされ、智哉が誰とも契約していない落ちこぼれのトレーナーだと知った。

きっと何か理由がある。そして、叶うなら一緒に夢を追いかけて欲しい、自分のトレーナーになって欲しい。

それが今の、ダンの望みとなっていた。

チーム・カルメット所属らしいが、この怪人の誘いを受けたらそんな彼とは契約できないかもしれない。

自分から、彼に契約を望みたい。

 

夢を叶えるチケットも、お城に連れて行ってくれる王子様もいらない。

導いてくれた魔法使いが欲しい。

それがダンの望みだった。

 

その為に、怪人の誘いは断らなければならない。

しかし大観衆の前で断っては怪人に恥を掻かせる事になる。

ダンは悩み、そして勇気を貰おうと、何処かで見ていると約束してくれた青年を探した。

 

(トモ兄…いない…見ててくれなかった?)

 

しかし、見当たらない。

どこにもあの優しい青年がいない。

本人は知らないが、目立つ青年である。

いつも彼を目で追っていた、ダンに探せないはずはなかった。

 

(トモ兄…いない…どこ…?…トモ兄)

 

途端に、ダンは不安になった。

きょろきょろと、目尻と耳を下げながら、求める魔法使いを探す。

 

(探してるのか…?俺を…)

 

この不安げなダンの様子に、怪人の中身は胸を抉られるような感覚を覚えた。

鈍感な中身ではあるが、自分を慕ってくれているのを知っていた。

信じてくれているのを知っていた。

()には止められている。

 

しかし、我慢の限界だった。

 

周囲には、離れた位置にこちらを伺うウマ娘のサブトレーナーが一人。

恐らく、スカウトに向かった怪人に気を使い、整備の時間を遅らせてくれているのだろう。

時間はもう、無かった。

深く、怪人がため息をつく。

この様子に、ダンは怪人を待たせている事を思い出し、何か言おうとする。

 

<一言だけだぞ?>

「……えっ?」

 

知っている、優しい声色だった。

怪人が、首を抑え、そして言葉を続けた。

 

 

「──頑張ったな、ダン」

 

 

知っている、声だった。

今、一番欲しい言葉だった。

 

「と、トモ兄……?」

<後で、また話そう。今は受け取ってほしい>

「は、はい……」

 

首をもう一度抑えた怪人は、元の機械的な声色に戻っていた。

ダンにトロフィーを手に取らせた後、踵を返し観客席に戻っていく。

しかし、ダンには確かに届いていた。

魔法使いは、確かに自分をずっと見てくれていた。

ずっと、自分の夢を叶えようとしてくれていた。

ダンの顔が紅潮し、目に涙が浮かぶ。

 

(トモ兄が、ヴェラスさん……じゃあ、じゃあ…)

(ずっと、ずっとボクの為に、ここまでしてくれたの?ずっと、ボクを見ててくれたの?)

(ボクの為に、解説も受けてくれたの?全部、ボクの夢を、叶える為に……)

 

喜びの涙が、ダンの頬に流れた。

怪人の後ろ姿から、目が離せなかった。

 

(あの人だ、ボクはあの人の為に、走りたい。全部、全部、あの人に、ボクの全部を…)

 

この日一人の少女は、夢の舞台で走る目的を見つけた。

たった一人の為に、夢へ導いてくれた魔法使いの為に──

 

 

 

 

 

 

 

「キャプテンのスカウト終わったみたいね。整備急ぐわよ!」

「リーダー、すまない、用事できた」

「あっ!ちょっとあなた!………あんな子、いたかしら?」




明日も投稿するやで。
もうアレやで。


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第三十二話 年貢の、納め時

お ま た せ


『くそぉ…なんでや、何でウチがこんな目に…ウチは何も悪い事なんてしてへんで!もう二度と高いビルになんて登らへん……会長ホンマ覚えとけやぁあああああ!!!!!』

 

「きゃああああ!!!素敵だわ!!素敵だわ!!タマレーン刑事!!!」

「すげえな……これがノースタントで現地でロケしたってビル飛び降りシーンか」

 

およそ一年前の久居留邸、智哉の自室。

担当の練習の合間にフランと遊ぶ時間を作った智哉は、フランが持ってきたお気に入りのウマ女優の新作アクション映画のDVDを一緒に鑑賞していた。

いつもの如く大興奮である。普段お淑やかなフランが耳をぴこぴことせわしなく動かし、尻尾をぶんぶんと振り回す。

智哉の腕に巻きつきながらこれを行うので尻尾が智哉に何度も当たっていた。成長したので結構痛い。

スタントマンを使わず、命綱無しで敢行したという消火ホースを使ってのビルからの飛び降りと迫真の演技は、さしもの智哉も流石大女優と感嘆するばかりであった。

 

「ねえ、トム」

「ん?どうした?」

 

映画も見終わり、興奮がやや収まったフランが智哉を横から見上げて言う。

 

「あれ、やりたいわ」

「……何をだよ?」

 

目をきらきらと輝かせたフランが、智哉の疑問にドヤ顔で答えた。

 

「あの飛び降りるの、やりたいわ!」

「……いや無茶だろ。てか高いとこダメだろお前」

「でもやりたいのよ。トムがわたしを抱えてちょうだい」

「それやるの俺だろ!!?勘弁してくれよ……」

「じゃあ、サリーに頼んでみるわ」

「やめろ!サリーさんならやりかねねえだろ!!」

 

無茶を言うフランを智哉が慌てて止める。

高所恐怖症の彼女がビル飛び降りスタントの真似は無茶が過ぎる話であった。

恐らく上った所で腰が抜けるであろう。

一方、智哉はフランに余り英国で時間を作ってやれなくて申し訳なく思っていた。

この願いは無理にしても、なるべく彼女の望みには沿ってやりたい。

そう思い、せめて約束だけでも、と考えたのだ。

 

「仕方ねえな…わかったよ。そういう機会があったらやってやるから」

「…ほんと?」

「ああ、約束するよ」

 

ここで智哉は安請け合いをした。

どうせそんな機会など来ない、と高を括っているのだ。

 

「そんな機会が、来たらな…来ねえと思うけど」

「もう!トムったら!」

 

ぷう、と頬を膨らませるフランの頭を、笑いながら智哉が優しく撫でる。

久居留邸の昼下がりの、穏やかな一時であった。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

<すまない、少し席を外す。次走までには戻ろう>

「ええ、ミスターヴェラス。スカウトお疲れ様でした。良い数字取れてますし来年もどうですか?」

<ああ、考えておくよ。では失礼する>

 

スカウトを終えた後、怪人が実況に断りを入れて控室に向かう。

ダンのレースの後に、とある人物と会う約束をしていた。

 

<失礼する。無理を言ってすまないな>

「構わないよ。後でお嬢さんに文句言われそうだけど……」

<いやマジですいません…あいつしつこそうだもんな…>

 

控室で怪人を待っていた人物──怪人と全く同じ服装のライエンに声をかけ、怪人がマスクを外す。

 

「ふう…じゃあ、後お願いします」

<心得ているさ。約束は本当に守れよ>

「ッス……」

 

控室に入った怪人がマスクを外すと、そこには智哉がいた。

智哉とライエンは、怪人の中身である。

担当のトレーニングなどは智哉が当然受け持っていたが、記者の取材や今回のようなイベントの場合、ライエンに怪人に扮してもらう事があった。

今回は、ダンのレースを見届けた後にライエンと交代する予定となっている。

この後ダンと会うためである。

 

<しかし、ガスデン氏は何故こんな事を提案したんだろうな?予想は付くが、それだけでは理由に乏しい>

「ライエンさんの予想はわかんねえけど…あの人、俺を英国に帰したくない節があるんすよね」

<……何故だね?君達はある種の師弟関係だろう?>

「聞かねえとわかんねえっすね。まあ来年会うし聞いてみます」

<そうかね、では私は行ってくるよ。約束は守れよ??>

「ッス……」

 

ライエン扮する怪人が控室から出ようとした時である。

観客席の方から何やら悲鳴のような歓声が聞こえてきた。

まるで、気性難が大暴れしているのに怯える観衆のような悲鳴である。

 

<……やっぱり行きたくなくなってきたんだけど>

「頑張ってくださいライエンさん!じゃあまた後で!!」

<あっ!押すなよ!おい!!>

 

怪人を無理矢理押し出して、二人で廊下に出る。

一方、この控室にとある人物たちが向かっていた。

 

「この先に、トムがいるのね?」

「ええ、お嬢様」

「フゥム、彼がかの話題の人物とはネ。実に興味深い」

 

フランとメイド、そしてデインヒルの面々である。

レース前、姉に連絡を取ったメイドが居場所を聞き出していた。

姉は現在余裕ぶっこいて待機所でダンに禁じられていた飲酒を続行中である。

弟がダンに正体をバラしたのは当然知らない。肝心な時には必ずいない女であった。

酔っぱらったかつてのライバルにメイドは呆れ果てた。

 

「先生、サリー、先にトムと二人でお話してもいい?どうしてもお話したい事があるの」

「私は構わないヨ」

「……わかりましたお嬢様。あいつが近くにいるなら大丈夫でしょう」

 

フランが同行している二人に、智哉と二人っきりになりたいと頼む。

ここまで来た事を褒めて欲しく、アメリカで頑張っている事を一言ねぎらいたかったのだ。

控室は廊下を二つ曲がった先である。

何も危ない事は無いだろう、とメイドは判断した。

 

メイドの許可を得たフランが、控室に向かって歩く。

角を曲がり、怪人と別れた智哉ともう一人、チーム・カルメットのサブトレーナー姿のウマ娘を見つけ、声をかけようとした時だった。

 

「トレーナー、ワタシ、次走はどうしたらいい?」

「ああ、インディか。君はグローリーカップスプリントがいいだろう。君はスタートが得意だからセオリー通り……あっ」

 

不意打ちであった。いつもの癖で、いつもの変装時の返事が智哉の口から出てしまう。

慌てて振り向いた先には、声で反応した通り、かつての担当であるネイティブウマ娘のインディアンブレッシングがいた。

失態である。ダンのスカウトを終え、交代したばかりの隙を突かれたのだ。

声をかけるタイミングを失ったフランが、角に隠れる。

まだ幼いフランには自分でも何故かわからない行動だった。

しかし隠れるべきだ、という直感に従った結果であった。

 

「げっ、インディ……」

「トモヤ、やっぱりトレーナーだった」

「あー……なあ、この事は……」

「言わない、でも代わりにワタシの話、聞いてほしい」

 

インディが、にこりと笑う。

智哉は頭を掻いた後、話を聞く準備に入った。

フランは角で耳を澄ませ、何が起きるのかを伺っている。

 

「トモヤ、ワタシ、婿探してる。一族の掟」

「……婿?」

「ウン、婿」

 

話の流れが読めない智哉が、首を傾げた。

インディはアメリカ建国にも関わった超肉食ウマ娘の血を色濃く継ぐ身である。

単刀直入に、言葉を投げた。

 

「トモヤ、ワタシと結婚してほしい、ワタシと故郷来て」

 

「……えっ?俺?」

 

この言葉に智哉が耳を疑い、盗み聞きしていたフランが目を見開く。

 

(トムが、結婚……?)

 

フランは自分が原因で、智哉が欧州で六年もトレーナーとして活動できない処分を受けた事をもう知っている。

たまにしか会えない寂しさから甘えて我儘を言ってしまう事もあるが、そこまでして自分を助けてくれた智哉の為に、何かを返したいとずっと考えていた。

アメリカで多忙な生活を送っているのも知っている。

多忙でいつも苦労している智哉に、いつか幸せになってほしいと心から思っている。

相手のウマ娘も美人であるし、気は強そうだが優しそうなお姉さんだった。

きっと、智哉を幸せにしてくれる。

 

(……何故かしら?トムには、幸せになって欲しいのに……)

 

(すごく、嫌だわ。わたし、すごくさみしいわ)

 

しかし、何故かそれがフランには嫌で堪らなかった。

幼い怪物は、まだ自分の気持ちを知らない。

フランは、耳を垂れさせて俯いた。この場を離れようかとも思った。

 

智哉はこのストレートなインディの物言いに、流石に好意を寄せられているのを理解した。

インディは自分の事を以前から差別などしなかったし、元々気が合う相手である。

魅力的な美しいウマ娘でもある。自分には勿体ないとすら思える。

智哉は悩んだ。

悩む理由は、この求婚を受け入れるかではない。

如何に、傷付けずに断るかだった。

 

「……その、インディ、気持ちは嬉しい。すげえ嬉しい」

「…そう、なら結婚」

「ごめん、でもインディの誘いは受けられない。本当にごめん」

 

フランが、角の向こうで頭を上げる。

断るなんて、信じられなかった。

 

「…どうして?」

 

インディの問いかけに智哉は、言葉を選ぼうと悩んでいた。

ウマ娘に求婚される事も、思いを寄せられていると知ったのも始めての事だった。

しかし、結局言葉を選ばなかった。

真っ直ぐ言葉を伝えてくれたインディに、こちらも誠実に本当の事を話そうと思った。

 

「……来年の暮れに、英国に帰るんだ。あっちでさ、契約を約束した子がいるから」

 

「俺、色々あって、あんな怪人に変装してまでこっちでトレーナーやってるけど……」

 

「全部、その子の為なんだ。その子が学院に入った時に、胸張って契約できるトレーナーになりたくて、その為にこっちでトレーナーやってる」

 

「だから、ごめん……一緒に故郷には行けない。俺は、やらなきゃ行けない事が、待ってくれてる子がいるから」

 

心からの、智哉の返答だった。

インディに真っ直ぐ向き合った、嘘偽りない返事だった。

 

(トム……!)

 

フランは、嬉しくて舞い上がりそうになり口を抑えた。

約束を、覚えていてくれていた。その為に、頑張ってくれていた。

口を離すと情けない声が出そうになった。

今すぐ駆け寄って、智哉に飛び付きたくなった。

 

「……そう、残念、フラれた」

「うっ…ごめんなインディ、お前ならきっと俺より良い男くらい……」

「それはない。トモヤは自分の価値をわかっていない」

 

取り付く島も無さそうな智哉の決意を受け、肩を落としたインディが懐から何かを取り出す。

小さな笛のような、何かを。

 

「……なんだそれ」

 

「だから、トモヤ、ここからは狩りになる」

 

インディが、笛を吹く。

智哉には少しだけ聞こえ、フランはその音量で眩暈を覚えた。

本来はウマ娘にだけ聞こえる周波数を発する、ウマ笛という代物である。

それを三回インディは強く吹き、サブトレーナーのツナギとキャップを脱ぎ捨てた。

その下は、勝負服であった。ネイティブウマ娘の装束を模した代物である。

そして、三回吹いた意味は──

 

「今、ここに来ている狩りの介添人30人に、知らせた。みんな腕利きの、狩人」

「……は?」

「目的は、トモヤをワタシが狩って、結婚」

「……は??」

「ルールは、簡単。ワタシ、三分待つ、その間トモヤ逃げる」

「……は???」

「武器は、一族伝統のモノ。銃火器は、使わない」

「……は?はぁあああああああ!!!!?」

「トモヤ、もう三分待つ、はじまってる」

 

智哉は絶叫した。突然元担当のネイティブウマ娘に告白されたと思ったら狩りの対象にされていた。こんな事態想定外できる訳がない。

ふと、姉がこのネイティブウマ娘を酷く警戒していたのを思い出した。

現実逃避である。こんな事態想定できる訳がない。

 

「待てインディ!!!俺の勝利条件は!!!!??」

「……?そういえば、ルールにない。多分、誰も逃げられないから」

 

勝利条件は一族のルールにも存在していなかった。

愚かなヒトミミの男が狩りの達人のウマ娘に狙われたら絶対に逃げられないのだ。

これを聞いた瞬間、智哉は脱兎の如く逃げ出した。

角を曲がる所で、フランと出会う。

 

「トム!」

「……フラン?本当に来てたのか?って悪い今それどこじゃねえ!!」

「わたしも行くわ!!!」

 

フランが智哉に併走しながら、同行を申し出る。

一大事である。流石の天然お嬢様も事の大きさを察した。

 

「危ないから駄目だ!!!」

「なら勝手についていくわ!!!サリーにも連絡しなくちゃ!」

「とりあえずレース場から出るぞ!!どこまで網を広げてるか読めねえのが問題だな……」

「カレッジの、わたしのお家のチームに匿ってもらうのはどうかしら!」

 

智哉とフランが、レース場の外を目指して走る。

近くにはキーンランドカレッジのチーム・ジュドモントのアメリカ支部も存在する。

そこに行けば匿ってもらい、やり過ごせる可能性もある。

智哉は深く考えた後に、答えを出した。

 

「ダメだと思う。俺のチームのオーナーもここに来てるんだよ。カレッジに隠れるのは読まれて多分何人か配置されてるはずだ」

「困ったわ!どうしましょう!!」

「車道に出よう。ウマ娘専用レーンを通って警察に通報するぞ。俺は本当はダメだけど……」

 

世界共通の交通ルールとして、ウマ娘専用レーンが道路には存在する。

ウマ娘以外進入禁止の専用レーンを走る際のみ、ウマ娘は人間が乗る軽車両と同等の扱いを受けるのだ。歩道を走るウマ娘との接触事故が多発した影響である。

このレーンは信号の影響も受けるが、その際は歩道を歩けば更に距離を稼げる。

そのレーンを通れば、逃げ切れると智哉は試算した。

人間の智哉が走ったら警察ウマ娘に捕まる可能性も考慮の上である。捕まり、保護されればいいのだ。

 

「フラン、本当に危ないと思ったら置いてくからな!!」

「絶対についていくわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、三分が過ぎた──

「──時間、来た。狩る」




冒頭のタマちゃんの台詞が野沢那智版なのはワイの趣味です。
またあのハスキーな声が聞きてえなあ……。
もう一話書けそうやで。頑張る…。


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第三十三話 逃走者、追跡者、気性難

「駄目だ。裏口にも張ってやがる」

「塀を越えるのはどう?」

「降りた先で鉢合わせだけは避けたいな…一度上から見渡すか」

 

あのインディの宣言から三分経過後、智哉とフランは結婚を迫るインディ率いるネイティヴウマ娘の狩人達から逃げるべく、脱出ルートを探している。

しかし、既にレース場全域をインディの狩りの介添人の腕利きの狩人ウマ娘達に包囲されている事を智哉は悟り、改めて脱出ルートを選定する事を迫られていた。

 

「サリーさんは?」

「外に出てからの移動手段を用意して貰っているわ。用意が出来たら連絡を貰えるのよ」

「そっか…ありがとな、フラン。お前は危ないからそっちへ…」

「いやよ、トムが浚われるかもしれないもの。わたしは離れないわ」

 

絶対に譲る気は無いと言った様子で自分を見つめるフランの頭を、智哉は軽く撫でた。

もし何か危険が及んだら、絶対に守るという決意を込めて。

 

(…何かあったら、俺が体張るしかねえなあ…さて)

 

一つだけ、智哉には当てがあった。

介添人達は、レース場の周囲に多く配置されている。

恐らく、レース場の中、更に言うと関係者専用の施設にはまだ入ってきていないだろうと考えた。

 

「よし、トレーナー席から周囲の様子を見るぜ。あいつがいるけど……」

 

智哉はレース場の二階席、トレーナー席へ向かうことを決めた。

現在は喧噪の飛び交う鉄火場である。そこならば人混みに紛れ、一時的に隠れる事もできるだろう。

しかし、ライエンからそこにとある人物がいると聞いた事を思い出す。少し苦手意識のある同期である。

 

「誰かしら?」

「あー…知り合いだよ。同期の」

「……同期?ジェシカお姉様?」

「あれっ?知ってんのか?」

 

「知ってるわ!エクスちゃんのお姉様なのよ」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「では、この先にいるフィクス氏に任意同行を願います。もし断られたら……」

「ぶっ飛ばして無理矢理引きずってく、だろ?」

「その通り!Yeah!!!」

「Yeah!!!」

「なんで腕利きの捜査官がそんなノリなの……」

 

所変わってトレーナー席の前である。

ジャックとダスティのウマ娘中央活動部第19課(U C O 19)所属の英国から派遣された警察官二人は、アメリカに巣食う闇、ウマ娘売買組織の担当捜査官であるFBIウマ娘を合流し、これから重要参考人の確保に動くべく突入の準備に入っていた。

売買組織を追うFBIウマ娘は指折りの気性難であった。

ダスティとは出会うや意気投合し、現在は重要参考人をぶっ飛ばすと物騒な事を言いながらハイタッチを交わしている。

ジャックは問題児二人の世話をする事になった現実に絶望した。減俸は既に覚悟している。

捜査官の彼女は元競走バである。しかも伝説のウマ娘である。

今回は上司であるFBI長官の伝説のウマ娘の命令もあり、後輩の為にも動いていた。

 

「マジェ先輩も気合入ってるなあ!オラも混ざっていいか?」

「オウ!やれやれ!!あのハゲはいつかぶっ飛ばすって決めてたからな!!」

「あまりやりすぎるなよ?オレがレイズ先輩に怒られるんだからな?」

 

この警察官三人組には、自称マフィアのボスのアファームドと智哉の雇い主であるチーム・カルメットのオーナーのアリダー、そして名家バフェット家の当主であるボビー氏が同行している。

 

「ウチの期待株と娘が中にいるので、出来れば穏便に済ませて欲しいが……」

「善処します……はあ……」

 

今回の捕り物は彼ら三人にとっても重要な案件であった。

競走バとあくどいやり口で契約し、自らのチームに引き入れる悪徳トレーナーをようやく白日の下に晒し、司法の裁きを受けさせることができるのだ

 

「さて、行くか!なあアリーダ、まだゴアが雇った民間軍事会社(P M C)の社員とは連絡つかねえのか?」

「……そもそもアイツと連絡がつかん。アドミラル先輩に無理を言って派遣してもらったんだが……」

 

今回の捕り物に当たり、アリダー達オーナー組は悪徳トレーナーとその手勢のマフィアの抵抗を考慮し、彼女達の大先輩である伝説のウマ娘が運営する民間軍事会社(P M C)、ブラックウォーUSAの協力と社員の派遣を取り付けていた。

イージーゴアがその手勢へ指示を出し、配置済みの予定である。

しかし、その肝心の貴婦人と連絡が全く付かなかった。

 

「何をしてるんだ、あのバカ者は……」

「まあオレらでなんとかしますぜ!なあマジェさん!!」

「オウ!任せとけ任せとけ!!Yeah!!」

「Yeah!!!」

「ノリ良すぎでしょ君達……」

 

再びハイタッチを交わす気性難の腕自慢二人にジャックが辟易とする中、アファームドがドアを蹴り開ける。

この突然のオーナーと捜査官達の登場に、鉄火場となっていたトレーナー席がしん、と静まり返り、入り口に目が集まる。

 

「キサマ、そんな派手に入る必要ないだろ……」

「わりーわりー!テンション上がっちまってよー」

 

トレーナー席の最前列、抽選で負け続けのビリーにマウントを取り放題で悦に入っていたもやしが入り口に目を向ける。

知っている伝説のウマ娘が数人、そしてそれよりも気になるあのコンビがいる事に眉を顰める。

明らかに異常事態である。妹を守る必要があった。

 

「……アファームド?それにあの二人……」

「どうしたのだ姉上?」

「エクス、隠れていなさい」

 

アリダーに叱られたアファームドが頭を掻いて謝る中、ジャックとマジェ捜査官がアタッシュケースを持った冷たい目の男と明らかに小心者といった風貌の男を侍らせた、巨漢の男の前に立つ。

スキンヘッドに強面の大男だが、ジャックにとって最も怖いのは減俸と気性難である。

そして強気に出て良い理由もあった。

ウマ娘の権利が強いアメリカにおいて、ウマ娘絡みの犯罪による任意同行は強制力が強く、逮捕と事実上同義である。

巨漢はもう詰んでいるのだ。

 

「ミスターフィクス、あなたに脅迫及び契約の強要の嫌疑が出ています。詳しくは署で伺います。同行願えますか?弁護士は正規の手続きを経て……」

「同行?何故私が?」

「話を聞いていなかったのか?キサマはもう終わりだ、と告げたんだ。大人しく縛に付け。オレの件も調べはついている」

 

アリダーに目を向けた巨漢の顔から笑みが消え、冷徹なマフィアの首魁のものへと変わる。

忌々しい、正義面をした名門気取りが鼻について堪らなくなっていた。

 

「……カルメットの小娘が。お前の父親はまだ話がわかる人物だったんだがな」

「やはりキサマの差し金か。おかしいとは思っていた。親父がキサマに有力な競走バを斡旋する理由が他に存在しないからな」

「自分から吐くなんて随分殊勝だなあ?オラにぶっ飛ばされる前にお巡りさんに泣きついた方がいいぜ?」

 

かつて先代のオーナー、アリダーの父の時代にチーム・カルメットとこの巨漢のチームは提携関係にあった。

突然現れた新興チームに、アメリカに名だたる名門が便宜を図っていたのだ。

マフィア全盛の時代、アリダーの父は狙撃された娘の命を守るためにマフィアの要求を呑んでいたのである。

アファームドの額に血管が幾筋か浮かぶ。大切な親友兼ライバルの仇を前に、怒りに震えていた。

 

「フン、キャンベル、始めろ」

 

その言葉と共に、取り巻きの片方がアタッシュケースを開き、そこから取り出したもので天井に複数の穴を開けた。

トレーナー席に悲鳴が上がる。

 

「うあぁぁ 気性難が……えっ銃?なにこれ撮影?」

「何で銃声で冷静になるんデスカ、ケン……」

「えっ、何かあったか?」

 

取り出したのはマフィア御用達のSMG、トミーガンであった。

巨漢は右腕のトレーナーかつ凄腕の狙撃手を、側に控えさせていたのだ。

そして巨漢も懐から大口径の拳銃を抜き、トレーナー席へ向けた。

 

「……全員動かないでもらいたい。この男は出場さえすればオリンピックで金メダルも間違いない男です。無辜のトレーナーの皆さんまで傷つけるつもりは当方ございません」

 

巨漢が得意気に、トレーナー席の来賓達に告げる。

ここには現在世界中から敏腕トレーナー達が集っている。

もし怪我をさせては逃げる準備を整えていた巨漢ですら危ない。担当を傷付けられ怒りに震える気性難達が地の果てまで追ってくるであろう。

本当に怪我をさせる気はなかった。

 

「おいお前、入り口を抑えろ。拳銃を渡しただろう?それも出しておけ」

「フィ、フィクスさん……あれは何かの冗談では……?」

「フン、使えん男だ。番犬代わりにもならんか。キャンベル、お前がやれ」

「畏まりました」

 

右腕の男がトレーナー席に唯一繋がるドアに鍵をかけ、もたれかかりながら全体を見渡せる位置に陣取る。

対してもう一人の取り巻きは突然の凶行に震えていた。

元々小物で、最近とある青年の脅迫紛いの交渉に負けて息子を遠くに移したところである。

このような荒事にはとても対応できなかった。

 

「……チッ、レース場の警備員は何をしている?銃器など持ち込めんだろうが!」

「袖の下も使いようだよ。正義の味方面した小娘にはわからんだろうがな」

「ここまでやって、逃げられると思っているのか?」

「逃げられるさ、ここには数多の名門チームの看板トレーナーやご令嬢が揃っている。人質には困らない」

 

嫌らしい笑みを浮かべる巨漢に、アリダーが舌打ちを打つ。

その横でダスティとマジェ捜査官が隙を伺うも、右腕の男は周囲を見渡せる位置に陣取り手が出せない。

あの程度の口径のSMGなら例え連発されてもダスティは近付いて制圧できるが、人間のトレーナーが密集するここでは無理な確保には動けなかった。

この場を、支配されていた。

 

「まじーな、これ」

「ダスティ、少しでも隙を見せたら……」

「おう」

 

ジャックが小声でダスティに指示を出す中、巨漢は人質に相応しい人物を吟味する。

その中に、一人の幼い少女を見つけた。

 

「そこにいるのはバフェット家の御令嬢ですかな?丁度いい、あなたのお父上には世話になってね…是非ともエスコートしたいところですな。如何かね?」

「……よかろう、代わりに全員解放するのだ」

 

目をつけられたのはバフェット家の令嬢、ファラだった。

覚悟を決めた様子で席から立ち上がり、巨漢に近付こうとする。

その手を、隣の少年が掴んだ。

 

「お嬢、駄目だ」

「離してくれ、ビリー。王たるものが民草の為に身を尽くさず、なんとする」

「……こんな時にまで王様ごっこはやめろ。震えているぞ」

「余がいけば、ビリーが、たすかるから……」

 

ファラはまだ幼い少女である。人質にされるなど怖くて当然だった。

それでも自分が行けばこの大好きな使用人は解放されるなら、と考えたのだ。

ビリーはこの主人の覚悟に、自分の無力さを呪った。

神童と呼ばれようが、荒事には無縁な競走バのトレーナーである。

このような事態に対処できる力はない。

 

「早くしたまえ、時間が押していてね」

「い、いまいくぞ……いくから」

 

ファラが立ち上がり、ビリーの手を振り解いて巨漢の下へ向かおうとするその時──

 

 

「──待ちなさい」

 

 

その隣の白毛の令嬢、要するにもやしが立ち上がった。

美しい、気品のある白毛を靡かせたウマ娘令嬢に巨漢がすぐさま反応する。

巨漢はウマ娘に歪んだ愛情を向けている。

ウマ娘至上主義のアメリカで生まれ育ち、男の権利が低く扱われる中でウマ娘への敵愾心とそれに付随する嗜虐心を持っていた。

美しいウマ娘ほど嬲りたい男であった。

その願いが叶ったことは今まで無かったが。

気性難の多いアメリカで愚かなヒトミミの巨漢はウマ娘に絶対に勝てないのである。

 

「ほう…これは美しいお嬢さんだ。何用ですかな?」

「私の名前はジェシカ・オブリーエン。チーム・クールモア代表、エイベル・オブリーエンの娘です」

「おお…これはまた。お初にお目にかかる」

「連れて行くなら、私にしなさい。そんな子供よりも人質として有効よ」

 

巨漢が舌なめずりを見せる。

チーム・クールモアは英国のみならず世界に名だたる大チームである。人質としては申し分ない。

おまけに自分好みの気の強そうな白毛の令嬢である。

この要求を呑まない手はなかった。

 

「……いいでしょう。お嬢さん、こちらへどうぞ」

「姉上……!」

「ジェシカさん……」

 

エクスとジャックがもやしの身を案じる中、もやしが一歩目を踏み出した時である。

鍵をかけたトレーナー席の扉を、何者かが開こうとがちゃがちゃと捻る音が響いた。

 

「あれ?開かねえぞ?」

「トム!もう来てるわ!」

「マジで!!?」

(……この声……?)

 

もやしが聞き覚えのある声に足を止め、巨漢が振り向き、右腕の男がドアから離れようとしたが時既に遅かった。

 

「オラアアアアアアア!!!!」

「ぶべぎゃああああ!!!!」

 

乱入者──智哉がドアを蹴り飛ばし、吹き飛んだ扉が右腕の男に直撃した。

一瞬で右腕の男は意識を刈り取られ、必死の形相で智哉がトレーナー席へ侵入する。

突然現れた青年に、外から来た警察官だと思った巨漢が銃口を向ける。勘違いである。

智哉はこの時、必死であった。このまま追いつかれては望まぬ婿入りが確定するのだ。

巨漢が、引き金を引く。

 

「わりいどいてくれ!!」

「ぶひいいいいい!!!?」

 

その弾丸を智哉は素手で器用にいなし、そのままの勢いで前列を目指そうと立ち塞がる巨漢に肩をぶつけて吹っ飛ばす。

巨漢は超人の膂力で回転し、天井に激突してから地面に落ちた。

 

「えっ?やっぱり映画……うあぁぁ 弾丸が練り歩いて……」

「ケン!当たってませんカラ!ケン!!」

 

弾丸は不幸な気性難センサーの顔の真横をすり抜け、誰にも当たらず壁に穴を作った。

この突然の状況の終わりに、全員がぽかん、と智哉を見やる。

この視線を受けて、智哉はようやく冷静さを取り戻した。

 

「……えっ?オーナーに、ジャックさんじゃないすか」

「……クイル君、お手柄だね」

「トム!いそいで!!」

「あっ!すんません匿ってください!!!扉は後で弁償します!!」

 

智哉は、揃った面々にかくかくしかじかと、現在の自分の状況を端的に語った。

この説明に対しアメリカ国民の面々は、困った事になったと額を抑える。

 

「アー……マジェ先輩、何とかできるか?」

「してやりたいけど無理だ!すまん!!」

 

このメンバーで一番司法に明るい連邦捜査官が、助けてやれないと断言する。

このインディの部族の行事、通称婿狩りは伝統ある文化的行動としてアメリカ政府に承認されている。

そして問題はその法的重大性である。

合衆国憲法、権利章典にこう記されている。

 

『いかなる州も、アメリカ合衆国の市民の特権あるいは免除権を制限する法を作り、あるいは強制してはならない。また、いかなる州も法の適正手続なしに個人の生命、自由あるいは財産を奪ってはならない。さらに、その管轄内にあるいかなる人に対しても法の平等保護を否定してはならない。なお、偉大なるアメリカ建国に携わる大部族の文化的行動において、この条文は含まれないとする』

 

憲法において、この婿狩りは承認されているのだ。州法はおろか連邦法においても、何一つインディの行動を阻害できるものが存在しないのである。

恐ろしい話である。しかし彼女達は情が深い気性難である。

従来通りではその情の深さに絆された婿が、結局のところ良い思いをする事が多かった。

しかし智哉は英国育ちである。そんな事情は知らないしこんなんありかと絶叫した。

礼を言おうと近付いた所でこの話を聞いたもやしが、この疫病神また酷い目に遭ってる…とドン引きする。

なおこの情報を調べてあった癖に弟に教えていない姉は、現在待機所でダンに怒られて正座していた。肝心な時にいない女である。

 

「はあああぁぁあああ!!??じゃあなんすか!!?俺誰かに助けを求めてもどうにもならないんすか!!」

「そうではあるが、文化的行動に協力しろとも憲法には記されていない!!つまり本官としてはどうにもできないが、個人としては君を助けられると言う事だ!!」

 

「──動くなァ!!!!」

 

どうやってこの哀れな青年を逃がすかの思案を始めた所で、アリダーの乗る車椅子の後ろから、意識を取り戻した巨漢が現れた。

アリダーの首に腕を巻き付け、鼻血にまみれた顔で周囲を牽制する巨漢が憤怒の表情を浮かべる。

ダスティが拳銃を押収しこれから拘束しようとした所で、死んだふりをしていた男が巨漢に似合わぬ機敏な動きでアリダーを取り押さえたのだ。

 

「くくく、そこの青年、アメリカは男には生き辛い国だろう?おっと動くな!!こんな小娘の首一つ、折るぐらい造作も無いぞ!!」

「ワリィ、しくじった…!」

「えっ、さっきのおっさん?すんません体大丈夫っすか?あっ、よく見たらあっちにはこないだのおっさんもいるじゃねえか」

「クイル、あなた急に図太くなってない……?」

 

すっとぼけた発言をする智哉にもやしが思わずツッコミを入れた。

婿狩りのターゲットになった恐怖でそれどころではないのだ。

それに、巨漢だろうと愚かなヒトミミがちょっと絡みついた程度、オーナーの隠している秘密を知っている智哉には問題に感じる事は無かった。

 

「おっさん、とりあえず離れた方がいいぜ?オーナーが怒る前に」

「なぁにぃ?小僧、さっきの事は許してやる。貴様は使えそうだから私に……ぶべええええ!!!?」

 

巨漢が何かを言いかけるも、その顔面に真正面から爪先が突き刺さった。

アリダーの、爪先が。

 

「ふむ、オレもまだまだ捨てたもんじゃないな」

「アリーダ、オメエ、足……」

「……キサマが、ロクにオレの話を聞かんから言えずじまいだった。それに、このハゲは追い詰められたらオレを狙うと思ってな?」

 

ニヤリとアリダーが不敵に笑い、車椅子から立ち上がる。

足は、すでに完治していたのだ。

巨漢は伝説のウマ娘の爪先蹴りをモロに受け、今度こそ気を失った。

アファームドが、立ち上がる親友に涙をこぼす。

ずっと、見たい光景だった。

 

「トム!!もう廊下の向こうに!!」

「おっと、とにかくコイツを匿うぞ!!どうする!!」

 

しかし感動の場面はここまでであった。

インディとその手勢がすぐそこまで迫ってきている事を伝えるフランの声に、全員がどうするべきかと悩む中、もやしが手を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私に、考えがあります」




主人公だし弾丸すべりくらいやってもええやろ!な!!


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第三十四話 策士、策に目覚める

「姫様、追い込み、終わった」

「わかった、行ってくる、手出しはいらない」

「姫様、ご武運を」

 

アメリカ建国にも関わったウマ娘帝国の血を色濃く残す大氏族にして、数多の名バを世に送り出したサーアーチー族の腕利きの狩人達が廊下の壁際に並び、その中央をインディが歩く。

獲物の追い込みは、完了した。

狩りの達人のウマ娘達のその手腕は、智哉の明晰な頭脳を凌駕していたのである。

狙い通りの展開だった。トレーナー席に手勢をわざと配置せず、ここに獲物が逃げ込むように仕向けたのだ。

当の本人達が気付かぬまま、冷静に、確実に。

 

「姫様!あれはすごい婿!大族長様もきっとよろこぶ!」

「ありがとう。結婚式、是非来てほしい」

 

氏族の仲間の片言の祝福にインディが礼を返す。

扉を蹴破る智哉のその力強さは、この肉食系ウマ娘達の心を揺さぶっていた。

氏族の若者達の間では、競走バとして優れた成績を残したウマ娘を姫様と呼び尊敬の眼差しを向ける風潮がある。本来は上下関係の存在しない友人同士である。

なおインディも含め彼女達は普通に喋ることもできる。古き良きネイティブウマ娘の掟として、狩人として動く際は片言を守っているだけなのだ。

 

この氏族の仲間が言う大族長の地位を、偉大なるネイティブダンサーよりつい最近受け継いだ伝説のウマ娘クリミナルタイプは、久しぶりに婿狩りをやると聞いて三回ほど氏族の使者に聞き返していた。

 

『えっ?ほんとにやるの?今、21世紀だよ?それ何か起きた時の処理誰がやるの?大族長?私?嘘でしょ…ば、場所は…?キーンランド、レース場?ちょっとまってその日はダメでしょ!!!!』

 

この大族長の激励を受け、氏族でもないのに婿狩りを成功させた超気性難と、そのライバルの貴婦人相手に勝利を収めた事もある尊敬してやまない大族長に報いるべく、彼女達はいきり立った。

豊猟祈願の儀式の際に大族長を招き、何があろうとこの狩りを完遂してみせると誓ったのだ。

 

大族長は胃痛でしばらく寝込んだ。

 

この若き狩人達と引き継いだばかりの大族長は知らない話だが、いくら憲法で承認されているとは言え、過去の開拓時代はともかく工業化及び近代化が進んだ昨今の町中で大立ち回りを行うのは相当な無茶である。

 

先代の大族長にして、アメリカ競バ史に燦然と輝く『灰色の幻影(グレイゴースト)』、偉大なるネイティブダンサーはこの一族の伝統ある文化的行動にある対策を打っていた。

 

『どうも、突然だがすまない。君はウチの一族のウマ娘に狙われているのだが?婿狩りの準備が進んでいるのだが?』

『えっ、アイツかぁ、良い子だな、とは思ってたし…』

『そこで、だが。一つ芝居を打って欲しいのだが?』

 

そう、出来レースである。

事前に、狙われている対象に申し入れていたのだ。

狙われた対象も相手を憎からず思っている事が多かったため、ほとんどの事例で穏便な形で狩りを成功させていたのだ。

こういった経緯により平和裏に伝統を守ってきた氏族だったが、偉大なるネイティブダンサーがクリミナルタイプに大族長業務の引継を行う際に問題は起きた。

 

『穏便な婿狩りマニュアル、何故かここにあるんだが?引き継いだ、はずだが…ま、まあ、今さらやる奴なんていないんだが?』

 

偉大なるウマ娘は、盛大にやらかしたのである。

そしてやらかした事に気付いた彼女は、何故か強いシンパシーを感じるとあるウマ女優の追っかけを始め、世界各地のロケ地巡りを始めた。要するに逃げたのだ。

親友に瓜二つの伝説のウマ娘がどこに行っても現れる事に、大女優は勘違いを起こした。

 

『なんやオグリンはるばるよう来たなあ。自分撮影どうしたんや?えらい日焼けしとるけど、どこおったんや?』

『オグリン?知らない名前なんだが?それよりもサインが欲しいんだが?』

『いやどう見ても自分オグリンやろ。まあええわ。カントクにカメオ出演出来るか聞いたるわ』

 

こうして偉大なるネイティブダンサーは映画界に殴り込みをかけ、この大女優の親友と双子カンフーウマ娘映画で主演デビューを果たし、良い空気を吸っていた。やらかした事は忘れた。

 

そんな過去がありつつも問題は現在である。

インディは止まるつもりは無い。

元々智哉の事はよく働く青年と好印象であったし、惚れっぽいインディは智哉をよく目で追っていた。だから、あの怪人トレーナーの中身だと気付いたのだ。逃がすつもりは毛頭無かった。

ふと先程、三分の猶予を与える際の智哉の発言を思い出す。

勝利条件と、逃げた前例の事を。

 

(そういえば…一人、逃げた者がいたと母祖達が言っていた気がする)

 

インディが幼い頃に、婿狩りに成功した母祖達より聞いた盛りに盛った武勇伝。

その中に、ただ一人だけ逃げることに成功した者がいると微かに覚えていた。

 

(確か…ガス?とか言う名前。協力者が、いたはず)

 

何か見落としがあったら困ると、インディが記憶を掘り返す。

 

(協力者…名前…)

 

トレーナー席の出入り口の前で、インディがその足を止める。

 

(──ジョー?ジョーと呼ばれた、男がいた?昔にも)

 

過去、母祖達の話の中で耳に挟んだ、ジョーと言う名の男。確かにそんな男がいたと、母祖達は言っていた。

強く、切れ者だったが何故か興味を持てなかった、とも母祖達は言っていた。

トレーナー資格の取得ついでに、ウマ娘にモテたくてアメリカに来たのにモテなさすぎて諦め、故郷で幼馴染の牧場ウマ娘と結婚した、そんな男だと。

 

(何故、同じ名前?トモヤは知っていた?いや、それとも、誰かが教えた?)

 

深まる疑惑に思考の渦に呑まれそうになるも、インディが首を振ってそれを追い出す。

今は考える時ではない。何か秘密があったとしても、後で考えればいい。

そう思い直し、トレーナー席の中へ足を進めた。

その先には──

 

「キリキリ歩けやーてめーらー」

「トレーナーの皆さん!ご協力感謝します!」

 

まず目に入ったのは大柄な赤毛のウマ娘とウマ娘捜査官、そしてその二人に連行される男三人と、敬礼をしながら感謝を述べる金髪の男。

 

「アリーダぁぁぁあ!!!オラは!オラは……!!」

「ええい!暑苦しい!離れろ!!あといい加減そのカッペ言葉をやめろ!!」

 

次に目に入ったのは、自らも尊敬している伝説のウマ娘、アファームドと彼女に抱き上げられて鬱陶しそうにする自らも所属するチーム・カルメットのオーナー、アリダー。

 

「みんなでうまぴょいするから尊いんだ。絆が深まるんだ」

「ケン、もういいデスカラ。帰国したらデュランに怒ってもらいマス」

「それは困る」

「うわっ!急に真顔にならないでクダサイ!」

 

焦点の合わない目でぶつぶつと何かを言う童顔の日本人らしき青年と、彼に呆れた様子のフランス系の美少年。

これは関係ないだろうとインディは目をそらした。

 

「エクスちゃん!アメリカに来てたのね!」

「まさか貴様とここで邂逅するとはな…フランケル!やはり我と貴様は宿命の……こら!我にしがみつくな!」

 

得意気に口上を述べる鹿毛に小ぶりの流星を持った勝気な少女と、彼女に嬉しそうにしがみつく絶世と言っていい美貌の、金髪の少女。

この少女にインディが一瞬目を奪われるも、これも関係なさそうだと判断し、前列を目指す。

 

「父!ビリー!こわがっだぁああぁあ!!」

「全く、かっこつけるからだ、お嬢……」

「二人とも、本当に無事でよかった。あの若者には借りが出来たな……」

 

ブルネットの髪をボブカットに切り揃えた幼女がヒスパニック系の浅黒い肌の少年に泣きつき、その二人を安堵した様子で眺めるボビー・バフェット氏。まさかの大物の姿にインディが足を止めるも、これも関係が無いと判断する。

最前列に、到達する。

 

「あなた、また抽選に負けたんですって?優秀な競走バは我がチーム・クールモアにこそ相応しいのよ。わかっているの?チームの一員という自覚があるのかしら?全く……まだ話は終わっていないわ。そこに立ちなさい」

「………」

 

最前列にいたのは、チーム・クールモアのマークがついた紫色のツナギを着込み、キャップを深く被ったサブトレーナーの男を詰問する白毛の令嬢。確か英国で現在話題の若手トレーナーだとインディは覚えている。

無茶な理由で叱られるサブトレーナーに同情しつつも、そのまま辺りを見回す。

智哉の姿が、どこにもなかった。

 

(…‥‥いない?そんなはず、ない)

 

ここに逃げたはずだった。追跡を任せた仲間は腕利きの狩人である、見落とすはずはない。

もう一度、最前列からインディが全体を見回す。

 

(……あの子?一瞬すごい目、してた)

 

ふと、見回した先であの金髪の美貌の少女が、こちらを渦を巻く目で見た気がした。

 

(見たの、ワタシじゃない)

 

インディは優れた狩人である。狩場では少しの変化も見逃さず、視線の先を読むなどお手の物である。

少女の視線の先らしき方向に、目を向ける。

 

「まるで新人のような仕事振りね?あなた、資格を目指して何年目?才能無いと思うわよ」

「………」

「アマチュア時代の実績は?同い年の私はもうG1を勝っているわよ。恥ずかしくないの?」

「…………」

「…頭が高くないかしら?座りなさい」

「……………」

「何で椅子に座っているの?私が座れと言ったのは……」

「………………」

「床よ」

 

流石のインディもドン引きした。

白毛の令嬢がヒートアップし、頬を紅潮させながら楽しそうにサブトレーナーに追撃を加えていたのである。

パワハラ案件である。令嬢は何かに目覚めていた。

しかも自分で立てと言っておきながら今度は床に座れと言っていた。パワハラ案件である。

サブトレーナーは背中を煤けさせながら素直に床に座った。

この様子に令嬢はくふっ、と微かに変な笑い声を上げる。

 

(姉上……演技なのか?これは…いや姉上嬉しそうなんだが。なんか我おなかいたい)

 

少し離れた場所でこれを見ていたエクスは、恩人でもあるサブトレーナーにノリノリでパワハラをかます姉に胃が痛くなってきていた。何故か姉の肌がつやつやとしているように見えた。

この年にして胃薬が必要である。不憫である。

更にエクスの胃が痛い理由があった。

隣のフランである。先程から目で自分に「アレ、なんとかしてちょうだい」と強く訴えてきている。

エクスの認識ではフランはもやしに懐いていたはずだが、アレ呼ばわりである。現在進行形でもやしの株は暴落していた。

しかし、今姉を止めては恐らくあの狩人に発覚するであろうと思い、エクスは「むちゃをいうな。我もアレはどうかと思うけど……」と目で訴え返した。妹も無意識にアレ呼ばわりである。

フランがこれを受けて頬をぷくっと膨らませた。無言の抗議である。何故かアイコンタクトが成立している。

 

追手が迫る限られた時間の中で、もやしが提案した事はチーム・クールモアのサブトレーナーへの変装であった。

演技としてもやしが智哉へ詰問し、取り込み中を装い、頃合いを伺って退出させる予定である。

しかしもう演技では無くなっていた。もやしは何かに目覚めている。

智哉は「こいつ何か息荒いんだけど……」と困惑しながらも藁にすがる思いでサブトレーナーのフリを続けた。助かるのならプライド程度余裕でドブに捨てられる男である。

 

しかし、フランの視線からインディはこの二人が怪しいと既に感じていた。

 

(……背丈は、トモヤと同じ。顔だけ、確認する)

 

近付いて来るインディを目に留めたもやしが、真顔に戻って智哉に「後ろに来てるわよ」と事前に決めていた合図を送る。

気持ちよくなっていたがギリギリの所で本題を思い出したのである。

これを受けた智哉が、窓に目を向けた。用意しておいたプランBである。

 

「ふう……暑くなってきたわね」

 

詰問により火照ってきたという素振りで、もやしがトレーナー席最前列の窓の一角を開く。

そこで外、つまりコースと観客席を見たもやしは目を疑った。

先程から、もやしを含む全員は悪漢の占拠から婿狩りの大氏族の乱入と目まぐるしく状況が変わり、外へ余り注意を払っていなかった。

つまり、ようやく外に目を向けたのだ。

その、目を疑う光景とは──

 

 

 

 

 

 

 

『な、何でしょうかこれは!?観客席で乱闘です!一体何が!?ってこれ警察呼ばないとダメじゃない!?』




今回遭った酷い目:もやしのパワハラ

このジョーさんは本物やで。
詳しくはキャラ紹介で書くやで。


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第三十五話 過去、現在、超気性難

名前出たしここで過去パート入れるのがベストやな?って…次もなるべく早く書くやで。頑張る…。
フランス競バと2010凱旋門の話が書きたくてプロットまで仕上げたけど、フランが学院入りしてないのにこの話書いたら流石に時間の辻褄が合わへん…まあシーザスターズとかアッネとかがもうキャリア終わってる時点で無茶苦茶じゃねえかえーっ!って言われたらそれまでなんやけど…。


今よりおよそ二十年前、アメリカのとある埠頭の倉庫の中、二人の男が疲労困憊と言った様子で壁にもたれかかり、息を整えていた。

 

「ひぃ…いや~危なかったね~。流石に今回はダメかと思ったよ~」

 

その中の一人、地面に座り込んだ長身のひょろっとした体型の男が、飄々と気楽そうに危機を脱した事を語る。

彼はつい先程まで、追われる身であった。

腕利きの狩人達の追い込みに、降り注ぐ矢と手斧、直接捕らえに来た重バ場を拗らせたかつての担当、その全てを凌ぎきってここに逃げ込んだのだ。

後は朝を待ち、手続きを済ませてあるハワイ行きの船に乗り込み、アメリカ本土から脱出する手筈となっている。

 

「西海岸にいてよかったよ~、ホントに…ケンタッキーにいたら逃げようが無かったね…君も悪いね~、わざわざ東海岸から助けに来てくれて」

 

「──ベラスくん」

 

男が、隣で息を整える男に声をかける。

隣の、端正な顔立ちの青年へと。

 

「……ミーにはわかりマセーン。ガス、クレイジーデース……」

 

端正な顔立ちに似合わない、片言混じりのコメディアンのような口調の青年であった。

無理もない、彼の故郷の母国語は英語ではないのだ。

 

その容姿は耽美な中南米系の伊達男である。

一目見れば忘れない甘いマスクに、涼しげな声。今は乱れているが黒髪を見事に固めたポンパドールが絵になる男。

競走バのトレーナーよりも、ハリウッドスターと言われた方が納得できる程の容姿である。

その身体能力も驚異の一言であった。

狩人達の矢と手斧を素手で弾き返し、男を軽々と担いで走れる彼がいなければ逃げられなかったと男は断言できる程である。

何故か担当を今の今まで見つけられていないが、トレーナーとしても疑いようがなく有能だった。

ようやく、一人だけ決まっただけだった。

 

「クレイジーってひどいな~ベラスくん。ぼかぁねぇ、担当の子には悪いことしたとはこれでも思ってるんだよ~?」

「違いマース…ミーがクレイジーと思うのは…」

 

青年は、我慢がならなかった。

この英国から来た友人を助ける事に不満は無い。

自分から首を突っ込んだからだ。

彼が我慢がならないのは、この友人の平然とした様子だった。

 

「なんで、あんな目に遭ってトレーナー続ける気なんデースカ!?ホワッツ!?」

「ええ!?まいったな~、ぼかぁこれでも結構堪えてるんだよ?あんなに思い詰めてたとは思ってなくてねぇ、ぼかぁ独身主義だから」

「それが!クレイジーデース!あんな目に遭わされた相手に!なんで怒らないデースカ!?」

 

この友人は、襲撃されようが蹴り飛ばされようが、挙げ句の果てには投げ縄をかけられ引きずり回されようが、終ぞかつての担当への恨み言を一言も口にしなかった。

それが青年には異常にしか思えなかった。

それに、友人にはもう一つ気に入らない事もあった。

 

「それにもう一つアリマース!ガスはイギリス競バ界に追い出されたようなもんデース!どうしてそんな場所に帰ろうとするんデースカ!?ミーにはわかりマセーン!!」

「ええ~、そんな事言われても…その件は不躾に殿下のトモを触ったぼくが悪いからねぇ。殿下ってわかっていたらそんな事しなかったよ~」

「おかしいデース!ガスはクレイジーデース!!」

 

青年から見れば理不尽な理由での、八年もの英国からの実質的な追放措置。

それをこの友人は、悪戯を咎められたような軽口で語るのみだった。

青年には、理解できなかった。

一流のトレーナーとは、ここまで常軌を逸した存在なのかと戦慄していた。

 

「わかりマセーン…ミーは、そこまでしてトレーナーなんて…やれる気がしマセーン…」

 

中南米のとある国の、それなりに裕福な牧場の跡取り息子として生まれた彼は、つまらない母国など捨ててテレビの向こうの華やかな世界、アメリカ競バ界で一旗揚げようと渡米した。

寂しげに笑みを浮かべた、幼馴染に別れを告げて。

 

「いやいや、ベラス君は才能もあるしすごいと思うよ?担当の子も見つかったしさぁ。カルメットのお嬢さんでしょ?立派だよ」

「その話、キャンセルシマース。ミーはホームに帰りマース」

「ええ!?本気かい!!?」

 

自分には才能も、ウマ娘達を魅了する容姿も、全て備えているという自負があった。

美しい管理バ達を侍らせ、数多の重賞を勝利し、金、名声、美しい妻、アメリカの全てを手に入れるという野心があった。

しかし、この友人に関わり、重バ場と隣り合わせの現実を知った今、それら全てよりもあの日別れた幼馴染の顔が見たくてたまらなかった。

 

幼馴染はウマ娘の中では特段美人ではなかったが、穏やかで、料理が得意で、笑顔が魅力的な優しい気持ちになれる娘だった。

 

牧場を継ぎ、人並みの手腕で盛り立て、普通のウマ娘の幼馴染を妻に貰い、人並みに愛する。

彼の現在の夢だった。

人並みの幸福が、何物にも代え難い、尊い物だと気付いた。

 

「ミーは、ガスみたいになれマセーン…ミーがこんな目に遭ったら心が折れマース。ガスは本当にクレイジーで、グレートデース…気性難怖いデース…ホームのハニーの顔が見たいデース。あの子のワチョが食べたいデース」

「ええ~…考え直しなよ。ベラス君は絶対大成できるよ」

「もう決めマーシタ。このままホームに帰りマース」

 

友人に背を向け、倉庫の外へ向かう。日の出は近い。後は放っておいてもこの飄々とした友人は大丈夫であろう、と青年は判断した。

恐らく今生の別れになる。

 

「ガス、オタッシャで。もう会うことも無いと思いマース」

「えっ?連絡先教えてよベラス君。折角仲良くなったんだしさ~」

「…ガス、ユルすぎデース。マア、良いけど…」

 

連絡先を交換し、今度こそ別れを告げる。

故郷に帰った青年を、幼馴染は何も言わずに受け入れてくれた。

それからは懸命に、生まれ育った牧場を大きくしようと働いた。幸い、青年には経営の素質があった。

 

そして現在、彼は今や母国でも屈指の大牧場主である。

幼馴染は妻となり、今でも傍らにいる。

あれだけ美ウマ娘を侍らせたいと思っていたはずの彼は、彼女以外は要らなかった。妻だけをただ愛し続けた。

趣味としてトレーナー業は続けている。牧場内にささやかなコースを作り、余暇を見つけては近所のウマ娘や自らの子供達に助言を送ってきた。

そんなある日、あの英国の友人から連絡があった。

 

『やあ。久しぶりだね~ベラス君。ちょっとさ、お願いがあるんだけど』

 

奇妙な、頼み事だった。

優秀な教え子がアメリカでキャリアをスタートするので、自分の名前を使わせて欲しい。そんな頼みだった。

理由を尋ね、納得した彼は快諾した。

気性難への恐怖は過去のものとなっていたし、面白そうだと思ったのだ。他人事なら気楽なものである。

そして、その若者の管理バのレースは現在、彼の楽しみの一つとなっている。

 

「あなた、ここに…あら、また彼のレース?」

「ああ、今日は解説のようだが。シンデレラクレーミングと言ってね、未来の名バを発掘するために世界中が注目しているアマチュアレースなんだ。彼はそんな凄いレースの解説をしているんだよ」

 

自分を探しに来た愛する妻へ、母国語で自分と同じ名の怪人トレーナーの活躍を語る。

妻はいつも、嬉しそうにその話を聞いてくれた。

 

「そう…ヒーローね、彼は」

「そうだね、テレビの向こう側は大変だろうけど、ね…」

 

この怪人トレーナーの中身の若者は、この華やかな舞台でさぞや苦労している事だろう、と彼は確信している。

過ぎた話だが、自分も同じ事ができたかもしれない。

しかし、ヒーローなんてテレビの向こうで十分だ、と彼は隣の妻を引き寄せながら、人並みの幸福を噛みしめた。

 

「上の子、このヒーローさんみたいになりたいって言ってるわ」

「教育する必要があるな…」

「ふふ、お手柔らかにしてあげてね?」

 

妻と、最近反抗期の長男について語っている最中、テレビの向こうで事件が起きた。

 

「あら、大変ね」

 

 

「おっと、さあどうする?ヒーロー君」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

『な、何でしょうかこれは!?観客席で乱闘です!一体何が!?ってこれ警察呼ばないとダメじゃない!?』

 

実況が叫び、観客が出口を目指し逃げ惑う。

その悲鳴飛び交う観客席のぽっかりと人がいなくなった中心部にて、シスターとアホの子を首にぶら下げたシーザスターズが背中合わせに立っていた。

 

『ミスターヴェラス!どこにいるんですか!事件ですよ!!?』

 

怪人は、解説席を立ってから戻ってきていない。

厄ネタの気配を感じて戻れなくなっていた。

 

「クライアント!これは契約にありません!彼女達が相手なら、この装備では…!!」

「……やはり、一筋縄ではいきませんわね」

 

貴婦人は民間軍事会社(P M C)の指揮官からの抗議を受け、忌々しげにライバルを睨みつける。

既に隊員10名の内二名が彼女達に伸され、観客席や外ラチに引っかかって気絶していた。

 

プロ競走バとは、身体能力において普通のウマ娘を遥かに凌駕するフィジカルエリートである。

更にこの目の前の二人は伝説級と言っていい名バ中の名バである。アホの子も名バだが過保護な現役最強は離すつもりが無かった。

訓練を重ね、対人においては無類の強さを誇る腕利きのウマ娘傭兵と言えど、適切な装備でようやく互角に渡り合える程に隔絶した差があるのだ。

同種族のはずの彼女達にこれ程の差が生まれる理由は、彼女達の持つウマソウルにある。

ウマソウルは何も競走中のみ力を発揮するものではない。

普段においてもその力を宿主に与え、危機においては肉体を強化し、その暴威を奮うのだ。

 

「観客は避難していますわ。銃火器類は?」

「まだやるつもりですか!?対人制圧用のゴム弾なら……」

「せめて隙を作りなさい。あのシスターは此方が何とかしますわ」

 

帰りたそうな様子の傭兵達が暴動鎮圧用銃(ライアットガン)の発砲準備に入ったのを目に収め、シスターの口が弧を描く。

 

「おっ、ようやく撃つ気になったか?最初から使っとけって言ったのによォ」

「先輩、私から離れないように」

「シーちゃんレース観たいよう」

 

愚図り出したアホの子を背中に回しながら、シーザスターズが射撃姿勢に入る傭兵達の前に仁王立ちする。

ゴム弾ならば防御する必要性を、現役最強は感じていない。

 

「クロスファイアか。右は任せるぜ」

「了解した」

 

四人ずつの十字砲火、二人がそれぞれ正面に立つ。

 

「構え──Fire!!!」

 

そして、銃火が二人に浴びせられた。

主に暴徒制圧用として使われるライアットガンは、低致死性の弾頭を用いた比較的(・・・)安全なゴム弾等を主に扱う銃火器である。

非致死性ではない、低致死性である。人間が食らえば当たり所や距離により死に至る事すらあるのだ。

そのゴム弾を四人ずつ、都合四発を叩きこまれた二人であったが──

 

「命中!効果は認められません!!」

「やっぱりむりー!かえりたいー!」

 

──まるで、効いていなかった。

 

「全部取れたと思ったんだけどな。おーいもう一回撃てよ!今度は全部取るから!」

「なんだァ?何かしたか?」

 

右手一本で三発を掴み取ったシスターがぼろぼろと弾丸をこぼしながらもう一度撃てと要求し、仁王立ちしたまま全部食らったシーザスターズがまるでどこぞの破壊と殺戮を好む異星人のような感想を述べる。

 

傭兵達にとっては悪夢のような状況である。

適切な装備でも勝てるかわからないのだ。人間用の装備しか持ってきていない今、気絶した二人の後を追うのみである。もう帰りたかった。

 

「おっ?ゴアがいねぇぞ?」

「左からだ、シスター」

 

シーザスターズの助言に、シスターが咄嗟に左腕を頭の位置まで上げる。

その次の瞬間、強烈な衝撃と共にシスターはダートコースまで吹き飛び、ダートの砂が舞い、その姿を覆い隠した。

 

ここにいる最後の伝説級のウマ娘、イージーゴアの強烈な飛び右回し蹴りが炸裂したのだ。

追撃する貴婦人を追い、シーザスターズもダートコースに降りる。

シスターの正体に気付いているシーザスターズは加勢する気はない。特等席で眺める腹積もりである。

 

「……受け止めましたか。当たっていても平然としてそうですが。何をしてるんですの?撃ちなさい!」

「もういやでーす!おうちかえりまーす!!」

「…全く、役に立たない…!」

 

砂埃で見えないままの追撃の危険性を考慮し、足を止めた貴婦人が傭兵達に発砲を命令するも、彼女達は既に撤収準備に入っていた。

無理もない。契約内容と違う上に、相手は正規の依頼だとしても拒否したくなる化け物二人である。

体が資本の彼女達は勝ち目のない戦闘で怪我などしたくないのだ。

 

「やるじゃねーか、ゴア。結構効いたぜ?」

「その割に、随分と楽しそうですわね…!」

「そりゃそーだろ。お前がこんなおもしれー喧嘩の売り方してくれるなんてよォ、楽しいに決まってる」

 

砂埃が晴れ、心底嬉しそうな様子のシスターが貴婦人の前に現れる。

あの堅物のお嬢様が、こんな面白すぎる事をやらかしてくれたのがたまらなく楽しいのだ。

 

「さぁ、次は俺様の……あっ、これまずくねえ?」

 

蹴られて冷静になったシスターが、辺りを見回す。

アマチュアの大レースが行われているこのキーンランドレース場の観客席での乱闘、一般の観客を追い出し、さらにはコースへの進入。役満である。

完全にやらかしている。気性難は急には止まれないのだ。

当然この様子を日本から見ていたトレセン学園理事長はまたも「国際問題!!!」と叫び卒倒し、芦毛の令嬢は頭を抱え芦毛の気性難は腹を抱えて笑っていた。

娘は母の私物をアメリカに送る準備を始めた。

 

「……よく考えたら、私もこれはまずいな。顔を出してしまった……」

 

シーザスターズも同罪だった。過剰防衛である。

遠い英国で「ライトとシーちゃん、写ってるかな?」とうきうきしながら中継を見ていた、我らがトレセン学院生徒会長は紅茶を膝にぶちまけている。

 

「ゴア、ちょっとタンマ、これやべーわ。場所変えねぇ?」

「そんな事言って、また此方を捨てる気なんでしょう!その手には乗りませんわよ!!」

「ちげーって!ちょっと待てよ!俺様お忍びなんだよ!!中継にモロ写ってるだろ!!!」

「問答無用おおおぉぉお!!!!」

「だから話聞けよ!お前重いんだよ!!」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

もやしは、目を疑った。

眼前で怪獣決戦のような伝説の名バ同士の大乱闘が行われている。

しかもその内の一人は統括機構が世界に誇る、欧州現役最強のウマ娘である。

大問題である。一瞬同期の危機を忘れてしまう程であった。

 

「失礼、ワタシ、探している人、いる」

 

だから、同期を狙う刺客、インディへの対応が一瞬遅れてしまった。一歩進めば智哉の顔を覗き込める位置まで近付かれていた。

振り向き、チーム・クールモアのサブトレーナーに変装した智哉の顔を覗こうとする、インディの前に立ち塞がる。

 

「あら、何かご用かしら?」

「その人、顔を見せて欲しい」

「その必要は無いわ。この男はウチのチームのお荷物で、何の変哲も無いただの凡才の男よ」

 

そこまで言うかてめえと言いかけたが、智哉は無言を貫いた。助かるならプライドは余裕でドブに捨てられる男である。

 

「顔、見るだけ。違ったら何もしない」

「悪いわね、この男には反省させないといけないのよ。今から」

「反省?」

 

インディから見れば既にこのサブトレーナーは十分に罰を受けている。むしろパワハラ案件である。

もやしが、得意気にインディの疑問に答える。

 

「日本にね、この座った態勢から最大限の誠意を見せるポーズがあると聞いたわ。確か……」

 

「ドゲザ、ね」

 

てめえふざけんなもやし女と言いかけたが、智哉は無言を貫いた。完全にパワハラ案件である。

確かにその態勢になれば顔を隠せるという利点はあった。利点としては理解できるのだ。

しかしプライドをドブに捨てられる男でも流石に抵抗を感じた。

 

(こいつ、マジでやらせる気かよ…?)

 

智哉は日系人である。日本の風習にも明るい。

土下座だけはその身に流れる日本人の血が、拒否反応を示すのだ。

もやしは顔を隠させるのが主な目的だったが、ちょっと興味もあった。もやしは何かに目覚めている。

 

「というわけであなた、両手を地面に付けて頭を下げなさい。本当は焼いた鉄板の上でやるものだと日本のコミックで読んだけれど……それは許してあげるわ」

 

絶対覚えとけよもやし女と脳内で毒づきながら、智哉が両手をゆっくりと地面に付けようとしたその時、インディが動いた。

インディは現役の競走バであり、スプリント路線では現役でも指折りの名バである。

つまり、もやしとは身体能力において隔絶の差があるのだ。

 

(……体が、ブレて…速い!!)

 

もやしの目に残像を残し、インディが智哉の眼前に立った。

 

 

 

 

 

 

「──ミツケタ、トモヤ」




超人のトッムがビビり倒す気性難の怖さ、ちゃんと書けたやろか…。
このベラス君と怪人ヴェラスは三女神のやらかしで一つでかい勘違いがあったりするやで。イニシャルと名字が一緒だから…


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第三十六話 救いの、光

そういや超気性難はサイヤ人的な読み方やで。伝説の超気性難も過去におったやで。
詳しくは「ダイヤモンドジュビリー 馬」とかでググってみてほしいやで。親もそのまた親もヤバいやで…。
ラスボスちゃんのキャラ固まったからどっかで顔出しさせたい…。


立ち塞がるもやしを一瞬で置き去りにし、インディが智哉の眼前に立つ。

その顔は、喜びに満ちていた。

やはり、獲物はここにいたのだ。

 

「トモヤ、できれば、穏便に済ませたい」

 

ネイティブウマ娘の狩人である前に、競走バであるインディはここで狩りを行うことにわずかな躊躇いがあった。

狩場に選んだここキーンランドレース場では、現在アマチュアウマ娘達がプロ入りを目指す為の大切なレースが行われている。

プロの競走バである彼女は、そんな大切なレースが行われる会場で大立ち回りを行うという意味を当然わかっていた。

だからじっくりと入念に、介添人達と何処に、どのように追い込むかを打ち合わせてここにいるのだ。

そうした理由はもう一つある。

 

「ワタシ、ここで暴れたくない。トモヤも、わかってほしい」

 

インディが、悲しそうな表情で智哉に訴えかける。

演技である。彼女はいざとなれば強硬手段も辞さない。

これがその理由で、獲物を穏便に狩るための彼女の狙いだった。

目の前の青年は、口は悪いが人の良い好青年だとインディは知っている。

直接仕留めるだけが狩りではない。言いくるめ、自発的に抵抗させなくするのもまた狩りである。

婿狩りの武勇伝を聞かせてくれた母祖達のアドバイスだった。

なお彼女達は知らないが全て出来レースである。

 

「インディ……」

 

実際に、この言葉で智哉は悩んだ。

インディには悪いが結婚はできない。

しかし、この場では言う通りにして後で逃げれば良いのではないか?と考えたのだ。

甘い考えである。狩人ウマ娘の恐ろしさをこの男はまだ知らない。

悩む智哉が、ふと目の端にフランを捉える。

不安そうに、首をふるふると振るフランを。

この顔を見て、智哉は悩みを捨てた。

 

「悪いインディ、どうしてもそれはできない。ってかインディ、諦めて…」

「ムリ」

「ば、場所変えるのは…?」

「ムリ」

「ひ、日を変えようぜ…?」

「ムリ」

 

なしのつぶてである。インディは退く気も譲歩する気もない。獲物の命乞いに譲歩する狩人などいないのだ。

インディが腰の狩り道具の一つ、吹き矢に手をかける。矢には昏睡を促す植物由来の即効性の毒が塗られていた。毒への抵抗力が強いウマ娘には効かないが、人間にはこれで十分である。

 

「トモヤ、これが最後通告」

 

吹き矢を構え、インディが告げる。

 

「ワタシと、結婚して」

 

智哉は、ゆっくりと首を振った。

瞬間、その肩に毒を注入する事に特化した細い吹き矢が突き刺さる。

狩人ウマ娘の優れた肺活量により吹き矢は速射が可能である。至近距離では拳銃の抜き撃ちよりも速い。智哉は反応できたが敢えてそれを受けたのだ。

また肩かよ、と微かに漏らした智哉がうつ伏せに崩れ落ち、フランが叫びながら駆け寄る。

 

「トム!やだあ!トム!!」

「あっ!フランケル!行くな!!」

 

エクスの制止も、耳に入らなかった。

必死で、フランが倒れる智哉に縋る。

その体を、涙を目に貯めながら揺さぶる。

三年前のあの日、肩に銃弾を受けた智哉を思い出しているのだ。

 

「トム!起きて!起きてちょうだい!!にゃ!?」

 

揺さぶるフランの尻尾の毛の一本が軽く引っ張られ、フランが驚いて猫のような声を上げた。

後ろを振り向く。こちらを首を傾げて伺うインディと、その後ろに心配そうなもやしがいた。しかし引っ張れそうな者がいない。

倒れた智哉の右手以外(・・・・)は。

フランが、うつ伏せに倒れる智哉の後頭部を見つめる。

 

(トム……?)

 

インディは智哉に縋りつくフランを眺め、この美貌の少女が例の約束の相手だろうと確信した。

きっと智哉に会いに来たのだろう。こんな健気な少女の前で青年を攫う事に一抹の罪悪感が生まれる。

しかし獲物はもう手に落ちたのだ。そもそもこういう時は早い者勝ちだと肉食系ウマ娘の彼女は認識していた。

 

「お嬢さん、すまない、トモヤはもらっていく」

「やめてちょうだい!トムを連れて行かないで!!」

「……じゃあ、ワタシ、子供産んだら貸してもいい」

「……えっ?」

 

突然のインディの申し出に、フランが思わず聞き返す。

肉食系ウマ娘の多いアメリカは、別名重バ場大国である。

かつては刃傷沙汰や集団逆うまぴょい、更には一人の男を取り合い大乱闘等が多発している。

ウマ娘の執着心は恐ろしく強い。運命の相手と信じる者を文字通り地の果てまで追いかけるのだ。

その結果、とある制度が生まれている。

 

「……アメリカ、審査厳しいけど、重婚可能。本当は独り占めしたいけど、お嬢さんかわいそうだから」

「えっ、ええぇ~~~~!!!?」

 

この申し出にフランの顔が真っ赤に染まる。

アメリカ政府は苦渋の決断としてしっかり結婚相手を養える経済力を持ち、人品共に問題無しと審査された場合のみ重婚を許可する判断を下したのだ。この制度があったからこそ過去に寿引退する競走バが多発したのである。

アメリカで主流のエクリプス教の教義でも重婚は厳しく禁止されていない。

なるべくならやらない方がいいわね、と神は仰ったと聖書には書かれている。

現在は当時より厳しい審査になったが、智哉が怪人だと明かせば実績経済力共に審査を通るとインディは思っている。本人の意思は考えていない。

当然だがまだ幼く、自分の気持ちを知らないフランは想像した事も無かった。しかしちょっといいな、とは思ってしまった。

 

「トムと結婚……どうしたらいいのかしら、わたしどうしたらいいのかしら!?」

 

わたわたと、フランが智哉の上で取り乱す。

興奮して尻尾がこれでもかと倒れた智哉にぶち当たった。かなり痛い。

 

「あっ!でもわたし、トムと契約するのよ!やっぱり連れて行かないでちょうだい」

「……お嬢さん、見るにまだまだ先の話。その時には貸す」

「…………あっ、困ったわ!何も言い返せないわ!」

 

フランは論破された。言い返せる事はまだあるはずだが、ここで生来の天然ぶりを発揮したのである。

本人の意思は考えていない。

 

「話、まとまった。トモヤ、連れて行く」

 

獲物の運搬の為に、インディがウマ笛を二度短く鳴らす。廊下で待機している介添人への集合の合図である。

ここまでの様子を日本からスカウトの為に来たフランス系の美少年、クリスは息を潜めて眺めていた。

 

「……今日は、事件ばかりデスネ」

 

錯乱して役に立たない同僚に、突然起きた発砲事件、それが終わったと思ったら乱入してきた青年が吹き矢で撃たれている。

訳がわからなかった。未来の名バの発掘どころではない。

そう考えていたクリスだったが、突然隣の同僚に肩を掴まれる。

 

「うわっ!ケン!何を……どうしマシタ?ケン?」

「騒ぐな、クリス」

 

同僚は、正気に戻っていた。

その表情はいつに無く真剣である。

お調子者で、呑気な同僚らしくない表情であった。

こんな顔はレースの日くらいしかクリスは見たことがない。

 

「いいかクリス?ゆっくりと騒がずにこの部屋の隅に行くぞ」

「え、エエ…でもどうしてデスカ、ケン?」

 

同僚、本名川添謙二、日本中央競バ会(U R A)所属の若手有力トレーナーである彼が、自らの首の裏を抑える。

 

「ここが酷くざわつくんだよ。こういう時はウマ娘絡みで何か起きるぞ」

 

彼、川添トレーナーは若くして日本国内のG1を幾度も勝利している実力者である。

特記すべきは大一番での彼の管理バ達の勝負強さと、彼自身が持つ特異体質──気性難への第六感の如き察知力である。

気性難が近付けばすぐにわかり、更には気性難へトレーニングを課す際に的確なメニューを組めるのだ。

彼はこれを隠していたが実家からの申告により発覚して以来、学園の気性難当番となっている。彼は泣いた。

今回の渡米も死ぬからやめてと懇願したが、本来行く予定の先輩が逃げた為行く事になった。彼は泣いた。

 

「……トヨさんこれ知ってたのかもなあ、勘弁してよ……」

「トヨサン、シスターがこっち来てるかららしいデスヨ」

「ああ、うちの娘貰えやって追いかけ回されてたっけ……ってあの人いるの?」

「今ここに来てるらしいデス」

「それだよきっと……あの人いると何か起きるじゃん」

 

うんざりとした様子で語りながら、二人がトレーナー席の隅に動く。

そこから間を置かず、状況は動いた。

 

「あーっと、被疑者がつっかえちまった!!」

「おっ、大変だな!大丈夫か!?」

「これは困ったぞ~。ダスティ、無理矢理押し出すんだ~」

「ぶひいいいい!!!?つっかえてるんじゃなくてお前等が抑えてぐわあああああ」

 

まず入り口で警察トリオが巨漢を肉の壁にし、介添人の狩人ウマ娘達を中に入れないように三人がかりでブロックする。巨漢が両方から押し込まれ豚のような叫びを上げた。

 

「このハゲ、じゃま!」

「姫様、通れない!」

 

もやしが手を挙げ、智哉を逃がす作戦を即興で練った時からこうする事は決まっていた。

今ブロックしている中の一人、マジェ捜査官はこう言った。

 

『いいか若人!本官達は婿狩りの当事者自身には法律上できる事は少ない!できて足止めかちょっとした妨害くらいだ!!』

『しかしだ!婿狩りには必ず数人から数十人規模の介添人が付く!そちらは本来は当事者ではない!屁理屈になるが……そちらは止めても問題ない!!』

『当事者は君次第だ!!がんばりたまえ!!』

 

この伝統ある文化的行動において、本来の当事者は結婚する二人のみである。

介添人は伝統としては含まれるが、婚姻届には当然記載されない。そこを突いたのだ。

インディが入り口に気をとられた瞬間、昏睡しているはずの智哉が素早くフランを横抱きに抱えて起き上がり──

 

「恩に着ます!フラン、しっかり掴まってろよ!!」

「──ッ!!しまった!!!」

 

──もやしが開いた窓から、飛び降りた。

 

「クッ……何故、毒が効かない!?」

 

インディが飛び降りた智哉に向け、背中の弓を構えようと動く。

そこへ、小さな何かが通り過ぎ、弓の弦を切り裂いた。

 

「おっと、我としたことが~!転んでしまった~!」

「あらエクス、大丈夫?」

 

弦を切ったのは、飛び込んだエクスだった。本来はフランと二人でこけた振りをしてインディの足に纏わりつく予定であった。

しかしフランがいなくなった為、咄嗟に幼き王者は狙いを変えたのだ。

切れ味鋭い末脚を持つ王者の脚は、文字通り強靭な弓の弦を切って見せた。

 

(……やられた!全員グル!!)

 

弓が使えなくなったインディが、舌打ちをしながら迷わずに飛び降り、獲物を追い駆けながらウマ笛を鳴らす。

介添人30人のうち20人を追い込みに使い、10人はレース場の周囲に配置してある。その彼女達に合図を送ったのである。

二人が逃げ、インディが追いかけるのを見届けた後、アファームドとアリダーは拳を打ち合わせた。

伝説のウマ娘であり、荒事などお手の物の彼女達は主戦力の足止め要員である。

ブロックを破った介添人達をここで食い止めるのだ。

 

「上手く行ったな。一人足りとも行かせるなよ?」

「あったりめえだろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「よし、人の少ないとこに降りられて……誰もいねえ」

 

トレーナー席から下の観客席へ飛び降りた智哉は目を疑っていた。

観客席に誰もいないのである。避難は既に終わっていた。

迅速に避難が終わった理由は、貴婦人の雇った傭兵ウマ娘達である。

せめてもう一仕事していこうと避難に協力したのだ。幸いこの協力により群衆が揉みあう事無く避難が終わり、怪我人は出なかった。

智哉は観客席側のラチに二人がかりで一人のウマ娘を抑え込んでいるのも確認したが、それよりも今は自分が逃げる必要があるので見ない振りをした。

 

「ねえ、トム」

「どうしたフラン?あっ、いや、もうわかったわ」

 

横抱きにされたフランが、智哉に語り掛ける。

その顔を見て智哉は全てを察した。

 

「こしがぬけて、つらいわ」

「ばあちゃんみたいな事言うなよ……」

 

トレーナー席から観客席はそれなりに高い。

上にいるだけならフランは大丈夫だったが、そこから飛び降りた事で腰が抜けたのだ。

 

「ごめんなさいトム、置いて行ってちょうだい、つらいわ」

「……フラン一人くらい重りにもならねえよ。このまま連れてくけどいいか?」

 

智哉はなぜ観客がいないのかを想定し、恐らく何かが起きて避難しているのだろう、と考えた。

正解である。ちなみに犯人は目の前にいた。

そしてそんな場所にフランは置いて行けない。そう判断したのだ。

 

「レースも中断してるな……コースを抜けるぞ。掴まってろよ!!」

「ええ、トム。つらいわ」

 

一方、そんな二人の目の前、観客席沿いのラチで揉み合っている三人は言い争っていた。

 

「取り合えずコースから出るんだよ!!言う事聞けよこのアホ!!お前のせいだからな!!俺様は悪くねえ!!!俺様は悪くねえ!!」

「アホですって!!此方を捨てた其方がそんな事を言う資格があって!!?」

「わ、私は正当防衛だからな!!私は関係ないからな!!!」

「シーちゃんレース観たいよう」

 

責任を擦り付け合う、醜い言い争いである。アホの子はまだ愚図っている。

実際、日本の大財閥やトレセン学園とも関係深く、日本中央競バ会(U R A)所属と言っていいシスター、アメリカの名門チームのオーナーである貴婦人、そして英国ウマ娘統括機構(B U A)所属で欧州現役最強と名高いシーザスターズと三つの勢力を代表する三人である。事後処理でそれぞれのトップが頭を抱えるのは確定していた。統括機構理事長は後日辞めたいと叫ぶ事になる。

 

そんな三人の前を、智哉とフランが通り過ぎた。

 

「ん?あの二人は、三年前の……」

「おい英国の!コイツ力つえーから手伝え!!」

「あ、ああ、そうだ先輩も……先輩?」

 

からん、と音を立てて足枷が地面に落ちた。

シーザスターズの背中にぶらさがっているはずの、アホの子の感触が無くなっていた。

 

「……何、だと?」

 

シスターのヘアピンで分けていた髪の一房が、顔に落ちる。

 

「わぷっ……ンだよ、俺様のヘアピン……嘘だろ」

 

ヘアピンは、落ちた足枷に刺さっていた。

瞬時に、アホの子は足枷を外していた。

コースを横切る人影は、二つになっていた。

 

「……時間にでも干渉しているのか?先輩は……私が察知すらできなかった」

「……おもしれーな、ライト嬢ちゃん。おい!追ってみようぜ!!」

「待ちなさいな!!逃がしませんわよ!!!」

 

新しい面白い物を見つけたシスターがすぐさま二人を追い駆ける。

それを、それぞれ違う目的で貴婦人とシーザスターズが追った。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ!キミ達前に選抜戦出てたよね?」

「ん?あれ、もしかしてファンタスティックライトさんすか?」

「うん!逃げてるなら手伝うよ!!」



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第三十七話 その血の、さだめ

バーイード強すぎィ!ノーステッキでこの勝ち方はバケモンやで……。
アメリカ編も終盤に差し掛かってるやで。
このまま流れるように1.5部最後のエピソードに入る事になるやで。突っ込まれそうだけど…。
キャラ紹介貯まってるから繋ぎの部分の切りのいいところでやるやで。
その後は未来ダンちゃん一話と没プロットのバッドエンドを一話書いてから章の繋ぎの閑話を入れて(順番は変わるかも)フランの史実レース編、二部に行くやで。アメリカ編予想外に延びちゃったから次は早く終わらせるつもりやで。頑張る…。


「うえへへへ、良い気持ち~~」

「ミディ姉、ちょっとは反省してるの?」

「してるしてるー。ダンちゃんのふともも柔らかーい」

 

ここはキーンランドレース場の出走バの待機所。

すっかり出来上がった姉をダンが叱った後に、膝枕で介抱している最中である。

姉は、言わずもがな名バである。

先日グローリーカップで四勝目を挙げた。

その名バが、未来の競走バが集まり出走に備えるここキーンランドレース場の待機所で、つい先程まで床に座り込んで露店で買ってきたつまみとダースで買い込んだ缶ビールを広げソロ呑みを敢行していたのである。

もう一度言うが、姉は名バである。

著名人で、プロ競走バを目指すウマ娘達の夢の到達点に至った、憧れの存在である。

 

「ミッドデイ姐さん、こんな人だったのかよぉ…」

「ウインターカップ凄かったし、ダンが紹介してくれるって言うから来たけど……」

 

当然、競走バの卵であるアニキとジト目がちな目を持つウマ娘、ドリームアヘッドには幻滅されていた。ダンは既にそういうものだと思っている。

姉の女子力は地に落ちるどころかそのまま地中にめりこんで帰ってきていない。

そんな姉が手をダンの尻尾の付け根に持って行き、さわさわと撫でた。ここに来て更にセクハラ案件である。姉の女子力はマントルと中心核を抜けて地球の裏側まで到達した。

 

「ひゃん!?もう!ミディ姉!!」

 

姉のセクハラを受けて尻尾の毛を逆立たせたダンが、姉の額をぺちんと叩く。

 

「にゃーん!ダンちゃんいたーい!うえへへー」

 

姉は完全に調子に乗っていた。

先日弟を巡る因縁も片付き、あと一年を無難に過ごして弟を英国にリリースすれば肩の荷も降りる。心残りはダンの事のみである。この優しく、世話を焼いてくれる少女を姉はいたく気に入っている。

しかしダンもプロへの道が拓かれ、友人もできたと今紹介してもらった。

全ての問題がクリアしたのだ。保身に長けた姉は後は自らの腹案通りに動く予定である。

なお弟は現在狩人ウマ娘相手に人生最大の危機の最中である。そもそも姉が婿狩りの事を教えていれば弟は少しは警戒していた。肝心な時にいない女であった。

 

「さっきから外が騒がしくないか?」

「何だろうね…?レースも中継も中断してるみたいだよ。帰ってるお客さんもいるし」

 

待機所は外の喧噪から隔離されていた。

レースに備える出走バ達が自分の出番が遅れていることに首を傾げ、呼び出しの係員すら姿を見せないことにアニキとジト目は違和感を覚えた。

そんな二人を余所に、姉が上機嫌でダンの顔を見上げて言った。

 

「あのねー、ダンちゃん」

「なあに?ミディ姉」

「うへへー、あたしねー、天才だわやっぱり」

 

この時、姉は本当に調子に乗っていた。

久居留家の血を引く女は、肝心な時にいない事が多く、そして調子に乗ると盛大にやらかす悪癖があった。母はその逆だが姉は当主である父の血を色濃く継いでいる。

更に付け加えると、姉は弟がダンに怪人の正体をバラした事も、ダンの決意も知らない。

 

「何が天才なのミディ姉……ボクちょっと恥ずかしいんだけど」

「いやそれがさー、あたしの抱えてた事が全部解決したのよ」

 

酔った勢いもあった。姉は、普段は絶対に犯さないミスを犯した。

 

「後はあのバカを英国に帰らせたらね、あたしも肩の荷が降りるってもんよー!うえへへー」

 

聞き捨てならぬ言葉であった。 

 

 

「………………何、それ」

 

 

ダンの目が光彩を失い、姉のこめかみに拳を当てる。

 

「えっダンちゃん……?痛っだあああ!??ちょっとまってダンちゃんこれホントに痛いんだけど!!!」

 

そのまま、ぐりぐりと拳を埋め込み始めた。

質問ではない。尋問の開始である。

 

「ミディ姉?詳しく、話して?」

 

 

 

智哉、フラン、そしてダン。

三人の運命が、捻じれ、交わり始めた──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

智哉がフランをその手に抱えながらコースを抜けようと観客席側のラチを飛び越え、一気に突き進む。

その際にかの欧州現役最強ウマ娘、シーザスターズとアメリカ競バ界の重鎮であるイージーゴアの顔を確認したが智哉は見て見ぬ振りをした。

観客がいない中でその二人とガラの悪そうな不良シスターがラチ沿いで揉めているということは明らかに厄ネタである。

関わりたく無さ過ぎる三人組であった。関わっている暇も無い。

インディは飛び降りた後にどこかに姿を隠しているが、恐らく先回りされている。

 

(どうする……?コースの先は開けた芝生の広場とカレッジ、手薄な方は恐らく広場だが間違いなく見つかる。インディに見つかったら俺の足じゃ逃げれねえ。インディにはアレがあるからな……)

 

智哉はかつての管理バであるインディの競走能力と特性を当然知っている。

それを鑑みて、直線勝負ではまるで勝ち目が無いことを確信していた。

スプリント路線のウマ娘は闘争心が強く、1000~1200mを対抗バ達と激しく競り合いながら走破する能力を有している。

超人の智哉と言えどその競走能力は脅威の一言である。

1200mを最高時速70kmで疾走するウマ娘に追われるなど悪夢でしかない。

しかもインディはスプリント路線の年度代表ウマ娘、エクリプス賞最優秀スプリンターにも選出された屈指の実力者である。

強い闘争心と先行する獲物を狙い澄まして仕留める冷静さを併せ持つ、才能溢れるハンターなのだ。しかも今は武装している。まともにやっては勝ち目などない。

 

(インディの仲間は何人残ってる?逃げるならカレッジか?だが、どこからカレッジ内に逃げる?カレッジでサリーさんと合流できるか?最初のプランは無しだ。ウマ娘専用レーンを走っても追いつかれる可能性が高いし、警察に捕まったらそのまま引き渡されかねないな……)

 

トレーナーとして実績を残す中で、智哉はその明晰な頭脳を効率的に扱う術を覚えた。

コースを抜けながら、どう動くかを無数に想定し、それを一つずつ論理立てて潰していく。そうして最適解を導き出すのだ。

高速で思考が渦巻く中、ふと何者かが自分に併走し、こちらを伺っているのに気付いた。

 

「じーっ」

(………えっ、この人いつからいたんだ?)

 

鹿毛のボブカットに耳穴の開いたベレー帽を被り、ドレスコードとしては及第点のチェスターコートを羽織ったきらきらと輝く大きな目が特徴的な小柄のウマ娘。

智哉は顔を見てすぐさま何者かに気付いた。

チーム・ゴドルフィンが世界に誇るスターにして、かの生徒会長のライバル兼親友である世界的競走バである。

 

ファンタスティックライト──シニア級までの戦績25戦12勝。世界中の大レースで活躍し、世界中のレースを駆け巡った偉大なるウマ娘に与えられる名誉ある称号、ワールドシリーズ・レーシングチャンピオンに二年連続輝き、二年目には欧州年度代表ウマ娘の賞であるカルティエ賞の年度代表ウマ娘と最優秀シニアウマ娘、更にエクリプス賞最優秀芝シニアウマ娘も同時受賞した伝説のウマ娘である。

特にガリレオ会長との二度の死闘は今も語り継がれる名勝負となっている。

現在も欧州のレジェンドグレード並びにアメリカのグローリーカップに精力的に参戦している。姉の先輩でもある。

 

そんな伝説のウマ娘がいつの間にか自分と併走しているのだ。智哉には併走される心当たりが無い。

そんな彼女が、智哉と目が合うや口を開いた。

 

「ねえねえ!キミ達前に選抜戦出てたよね?」

「ん?あれ、もしかしてファンタスティックライトさんすか?」

 

智哉は念の為に本人かどうかを確認した。もし本人ならば助力を請う事も想定の上だった。

かのファンスタティックライトの脱走癖は有名であり、その手口は多彩である。

 

「うん!逃げてるなら手伝うよ!!」

 

そう言うとぐん、とアホの子は速度を上げ、智哉の前に立った。

先導してくれる様子である。智哉はそれに従い、その背中を追う中でやけにフランが静かな事に気付き、腕の中のフランを見た。

 

「むにゃむにゃ……トム、先生を愚弄したらいけないのよ。シリィ先生とピル殿下を放たれるのよ」

「この状況で寝るのかよ。しかも何だよその寝言。誰だよ先生って」

 

フランは寝ていた。つらいわモードに入ったフランはすぐ電源が落ちるのだ。

しかも意味不明な寝言も言っている。智哉はまだフランが先生と呼ぶ人物を知らない。

 

「おっ、綺麗な嬢ちゃんだなぁ?お前の妹か?人間なのに足はえーなあんちゃん」

「ふむ、大きくなったな。まだ収穫するには早いが……」

「……へ?」

 

そんなフランを、後ろからあっという間に追いつき、左右から覗き込む二人のウマ娘が現れた。

言うまでも無く、ラチ沿いで揉めていた三人のうちのシーザスターズと不良シスターである。

伝説のウマ娘二人にとって、フランを抱えたままの智哉に追いつくなど容易い事である。

 

「いや、妹みたいには思ってるんすけど、俺の妹って訳じゃ……って何で俺についてくるんすか!?俺何かしました!!?」

 

明らかに厄ネタを抱えた三人のうちの二人である。よく見れば不貞腐れた表情で少し後ろに貴婦人もいた。

関わりたくない厄ネタに併走されている。貴婦人と同行しているこのシスターの正体にも察しが付いた。渡米してくると聞いていた超気性難である。嫌な予感を智哉は猛烈に感じた。

 

「いや、何か面白そうだからよー。なんで逃げてんだ、あんちゃん?」

「私は先輩のお守り役だ。断じて責任から逃げた訳ではない。いいな?」

「はあ、よくわかんねえっすけど……実は……」

 

智哉は内ラチを飛び越えつつも、簡潔に三人に説明した。結婚を迫られて狩人ウマ娘30人と知人に襲われており、しかも警察に助けを求められないと伝えたのだ。怪人の中身という事は隠しているので元担当という部分は濁している。

この説明をする際に三度シーザスターズに聞き返された。気持ちはわかるので智哉も丁寧に返答している。

 

「…………なんだそれは。アメリカという国は馬鹿じゃないのか?」

 

シーザスターズは智哉の言葉を咀嚼した後に、呆れ果ててそう言った。歯に衣着せぬ物言いであった。

 

「ぶわははははは!!走ってんのに笑わせんなよ!!!今時婿狩りのターゲットにされるとかお前よっぽどついてねぇんだな!!」

 

アメリカ出身でアメリカの風習も当然知っているシスターは爆笑した。こちらも歯に衣着せぬ物言いであった。

 

「……言いたい放題じゃねえか、あんたら野次ウマならどっか行ってくれよ……」

 

げんなりとした表情を智哉が見せるも、シスターは意に介さない様子である。彼女にとってこんな面白そうな事を見逃さない手は無いのだ。

 

「ふん、ふん、お前を狙ってるっつうヤツの名前は?」

「……スプリント路線のインディアンブレッシングって子っすね。短距離の年度代表ウマ娘にもなってます」

 

ぎらりと、シスターの眼光が鋭さを帯びる。

 

「……ほー、そんなんに狙われる、か……お前相当なモンだな」

 

シスターは当然だがアメリカ出身であり、何度か婿狩りの現場に居合わせた事もある。そもそも自分が夫を拉致する発想に至った原点である。

そしてターゲットの傾向が、ほとんどが優秀な何かしらの実績を残したトレーナーだと言う事を知っている。

目の前の青年が恐らく優秀なトレーナーだと察せたが、婿狩りのルールも知っているシスターは手出しするべきではないと考えた。

ただの重バ場なら当人同士の問題である。

 

「成程なぁ、わりーなあんちゃん、俺様は手出しできねぇ。道案内ならライト嬢ちゃんが適任だしな。見ててやるから頑張れや!」

「見るのは確定なんすか……」

 

しかしそれはそれとしてこんな面白い事を見逃す気は無かった。ついて行ってどうなるかを見届けて帰国後の土産話にでもしようと思っている。完全に野次ウマ娘である。

 

「ふむ……先輩が興味を持つ相手、か」

 

そしてシーザスターズは思案していた。青年は初対面であるし、所詮他人事である。

しかしアホの子がレース観戦よりも、この青年を助ける事を優先しているのが気がかりとなっていた。

アホの子の直感は鋭い。それに乗るべきだろうか、と考えている。

 

「……一回だけ、助けてやろう。これも何かの縁だ」

「マジっすか!?助かります!」

 

思案の結果、シーザスターズは助ける事に決めた。

智哉はシーザスターズが姉の肘鉄を弾き返した事を姉本人から聞いている。姉の肘は、日本で古武術の師範を務める祖父仕込みである。腰を入れて本気で打ち込めば大木もへし折る。

それを受けて平然としている欧州現役最強のウマ娘。戦力としては格別である。

 

「こっち!この道からあっち!!」

 

話している内にコースを抜け、広場とカレッジに繋がる小道に一行は入った。

アホの子は、迷う様子も見せずカレッジ方面を目指す。不思議とインディもその仲間も現れなかった。

 

「ここから入って、上を目指して!屋上!」

「り、了解っす。階段上ったらいいんすか?」

「行けたらなんでもいいよ!シーちゃんはここで待ってて!」

「門番か?了解した」

 

カレッジの裏手の窓、そこを指差しながらてきぱきとアホの子が指示を飛ばし、シーザスターズが窓の前に立つ。

智哉が窓に触ると、がらりと何の抵抗も無く窓は開いた。鍵がかかっていなかった。

 

(どうなってんだ、この人の勘……?)

 

智哉は、思わずアホの子を眺めた。ここまでの行動にまるで迷いが無かった。窓が開いているのを確信しているかのように、ここに到達したのだ。

 

「いそいで!もう来ちゃうよ!」

「早く入れよあんちゃん。ゴア、俺様達も行こうぜ」

「この足の速さ…それにインディアンブレッシングの関係者…なるほど、そういう事ですのね」

 

貴婦人は、喧嘩相手に梯子を外された事に機嫌を悪くしつつも、黙って青年を観察していた。

そして答えを導き出していた。青年があの怪人に関係する人物だと気付いたのだ。

 

「……よろしくてよ。此方は其方から離れる気はありませんもの」

「よし、あんちゃん脱出手段とかあんのか?」

「ああ、こいつの使用人の人が……」

 

窓を越え、カレッジの廊下に立った智哉がそう言いかけた所で、まるでタイミングを計ったかのように智哉の携帯が着信を知らせる。

 

 

 

 

 

 

 

『今どこにいる?お嬢様はそこにいるのか?』

「あ、サリーさん……今はカレッジっす。フランもいます」

『そうか。丁度良い』

 

 

『屋上のヘリポートを目指せ。カレッジの屋上だぞ』




もうちょっと書き足したかったけど一旦ここで切るやで。
平日は書く時間なかなか取れなくてすまんやで……。


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第三十八話 逃げた、その先には

あかん四十話超えてまう。アッネのデート回考えてたけど、章の合間でええかな…ええな!
次のエピソードのプロットまとめてたけど、シングレで出た海外ウマ娘は出さんでええかな…。


「この人、強い!!」

「闘争に、慣れてる…ただの、速いだけの競走バじゃない」

 

「ふん、こんなモノか?この程度のパワーで私を倒せると思っているのか?」

 

右手に掴んだ狩人ウマ娘を投げ捨て、左手で受け止めたトマホークをシーザスターズが握り砕く。

またしても伝説の異星人のような台詞を吐きながら、シーザスターズはつまらなさげに自らを取り囲むアメリカの狩人ウマ娘達を眺めた。

ここはキーンランドカレッジの裏手、智哉達が内部へ侵入した窓の前である。

アホの子の指示により、門番として窓の前にシーザスターズが立った矢先にインディ含む狩人ウマ娘達の追手が現れ、「通りたくば私を倒してみろ」というシーザスターズの挑発に見事に彼女達は乗ってしまった。

迂回してカレッジの正面玄関から侵入する手もあったが、武闘派として鳴らした彼女達はそう言われて退く訳にはいかないのだ。

 

今回参加した介添人達のうち、最も若く向こう見ずな狩人ウマ娘が「ワタシが、やる。お遊びはいい加減にしろってところ、見せる」と一人で立ち向かったがトマホークを素手で受け止められ、頭突きで返り討ちに遭った。シーザスターズの鍛え上げられた肉体は正に全身凶器である。

この欧州現役最強の競走バが、闘争においても規格外の強さを持っていることを知った彼女達は攻め倦ね、一つの結論に至った。

 

「…………姫様、みんな、行って」

 

介添人の一人が悲壮な決意を込めた声でそう言い、それに併せて二人がそれぞれ得物を構える。

三人で勝ち目の薄い足止めをするという意図に気付いたインディが、首を振って止めに入った。

彼女達は同年代の大切な友人である。

 

「ダメ!ワタシ以外、勝ち目はない」

「いいから、行って!きっと向こうにも、狩人いる」

 

不可解な追跡だった。インディが先回りし、張った追跡の網をまるで針を通すかのように抜けられた。

カレッジの中まで入れるつもりはなかったのだ。

静かに、周りに悟られずに対象だけを仕留める予定だったインディは、カレッジの裏手に誘導し、追い込む予定だった。

しかし、普段開いていないはずの窓が開いていた。想定外の事態により取り逃がし、狩人ウマ娘達にも焦りが生まれているのだ。

予定外の獲物の粘り強い逃走、何者か狩人の追い込みに造形深い協力者がいるという証左だった。

ただのアホの子の勘である。

 

「……すまない、捕まえたら、助けに戻る!」

「心配いらない、故郷の彼に、帰ると約束してる」

「アレ、倒しても構わないんでしょ?」

 

死亡フラグを乱立させながらインディを送り出そうとする彼女達を眺め、シーザスターズは猛烈に違和感を覚えた。

自分の、立場にである。

 

(………おかしいぞ?私が、まるで悪役みたいじゃないか)

 

シーザスターズは、欧州競バ界におけるトップスターである。当然ファンも多く、レースでは大きな歓声を送られている。

しかし、彼女はクラシック時代の誰も近づけぬ振る舞いと、その言動、そしてその強さによって敬遠されている節があった。そこは本人も自覚しているし過去を省みれば仕方のない事だとわかっている。

しかし、ミッドデイとの一件以来自分は更正したという自負があったし現在は後輩達や同期からも慕われていると思っている。何故かいつも数歩距離を離されるが。

それに狼藉者は初対面である。自分はどちらかというと悪ウマ娘から青年を守るヒーローのはずだ。こんなに恐れられる謂われはない。

こういう時、シーザスターズは彼女の姉であるトレセン学院生徒会長ガリレオと同じく、ある思索に耽る事があった。

脳内会議である。

 

(おかしい……私はそんなに怖いのか?姉者、どう思う?)

 

『いやシーちゃんすごく怖いよ?まだわかってなかったの……?そもそもだよ、普通のウマ娘はトレーニングでダンプカーとぶつかり稽古なんてしないよ?私もそんな事やらない……』

 

(私の脳内で引くのはやめてくれ!おかしい、そんな事は……先輩、先輩はどう思う?)

 

『えとね、シーちゃんと初めて会った時ね、目がギラギラしててこわかった!レース観たいから行くね!』

 

(そんな!先輩、待ってくれ!先輩!!)

 

結果は散々であった。打ちひしがれるシーザスターズを前に、好機と見たインディが窓を目指して走り込む。

 

「む?行かせんぞ」

 

しかしそれに気付かないシーザスターズではない。

インディを捕まえようと手を伸ばす。

 

──その瞬間、インディは眼前から消えた。

 

「………ッ!なるほど、やるじゃないか。それがお前の領域(ゾーン)か?」

 

一瞬、インディの姿が左右に別れ、シーザスターズが振り向いた時には窓に手をかけたインディがいた。

シーザスターズの目を持ってしても、捉えきれなかったのだ。

 

「初見で、見切られかけたの、初めて…アナタ、すごい」

 

もやしの目を欺いた残像の正体、インディの持つ領域(ゾーン)である。

周囲のウマ娘の目に残像を残し、瞬間的に加速するインディの切り札。発動も一瞬で燃費も非常に良い特徴を持ち、正にスプリント路線に打ってつけのこの領域(ゾーン)を怪人の指導により好位置のキープ、直線の最後の締めと使いこなし、短距離年度代表ウマ娘にまで上り詰めたのだ。

シーザスターズはインディの評価を上方修正した。今すぐにでもレース場に連れて行きたいところである。

 

「ふむ、そうだな、行くといい。足止めはこの程度で良いだろう」

「……アナタ、強い。興味があるなら、故郷、招待したい」

「考えておこう」

 

インディは振り返らず、カレッジの中に入っていった。それに六人の介添人達が続き、残ると宣言した三人が更に侵入しようとした所で、シーザスターズが手を広げて止める。

 

「おっと、お前達は残ると言っていただろう?ここまでにしておけ」

「ッ!来るなら来い!」

「いや、もうやらんぞ?それよりもそっちのヤツだ。手加減はしてあるから直に目が覚める」

 

最初に頭突きを食らわせ、意識を奪った狩人ウマ娘を指差しながらシーザスターズがカレッジの壁にもたれかかる。

 

(四人間引いた。一回助けるという約束ならこんなものだろう)

 

残った三人は介抱という名目で残らせる。もう戦う必要も無かった。

気絶した若いウマ娘を三人で介抱する様子を眺めながら、シーザスターズは先ほどのインディとの攻防を思い返す。

 

(ふむ…あれは別格だ、かなりやるな)

 

シーザスターズから見てもあの青年はなかなかの身体能力という評価である。普通のウマ娘なら何とかなるだろう、と考えている。

しかし、それでもインディから逃げるには足りない。自分の目から一度は逃げれる程の実力者である。

逃げ切るには、決定的な何かが必要だった。

 

(まあ、彼女次第だろうな、動くかはわからんが)

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「どんどん上るよ!たぶん七人は来るから!」

「……なんでわかるんすか?」

「なんとなく!!」

 

一行が、カレッジの階段を数段飛ばしで駆け上がる。

本日は休校である。滞在中の競走バ達も練習中か休日を満喫中のため人はまばらで、一部の生徒達が上の階からレースを眺めている。

キーンランドカレッジは近年、レース場の改修に併せて建て直されている。限られた敷地内のほとんどを練習場と寮に割り振り、校舎は縦長の近代建築様式の五階建ての新校舎と、アール・デコ様式の三階建ての旧校舎を改築し、渡り廊下で繋げた形となっていた。

その新校舎の屋上には、来賓用のヘリポートが存在する。

エレベーターも当然あるが一行は階段を選択した。

ウマ娘と超人の一行である。急ぐ際は走った方が早いのだ。校則で廊下での駆け足は禁止されているが緊急事態である事と休校が功を奏した。

階段を駆け上がりながら、アホの子が窓から見える渡り廊下を指差す。

 

「三階からはあっち!渡り廊下は気をつけて!」

 

一行が入ったのは旧校舎裏手の窓である。ここから三階まで上った後は長い渡り廊下から新校舎に入る必要があった。一番、危険なタイミングである。

ふと、二人を後ろから眺めるシスターが智哉へ気になっている事を問いかけた。

 

「……なぁあんちゃん、ヘリで逃げんのか?」

「そうっすね、ヘリを用意したって聞いてます」

「ふんふん、ヘリか。そこからどうすんだ?」

「空港で、一旦国外へ逃げる手筈を整えてくれたそうっす」

「………ふーん、国外、か」

 

シスターは超気性難かつ好奇心旺盛なトラブルメーカーであるが、反面その知能は高く直感も鋭い。

トレーナー業務に就いたことは無いが、自宅で子供達に競走を教える立場上、必要に駆られて日本中央競バ会(U R A)のトレーナー資格も取得している。

つまり、現状を正しく認識しているのだ。

彼女はアマチュアの大レースの会場での乱闘騒ぎの片棒を担いでいる。このままアメリカに残れば目も当てられない事態になる。

当局からの拘束は免れないだろうし、担当の遊び人との関係にお節介を焼いたら激怒された娘には縁を切られかねない。今でも新婚当時の関係そのままの愛する夫も流石に怒るかもしれない。

それに渡米を反対していた日本の親友も、今回ばかりは助けてくれないだろう。

先程から携帯の着信が鳴り止まないので電源は切った。

よくつるむ気性難は笑いながら助けに来るかもしれないが、あの愉快犯はどうにもならなくなってからしか来ない女である。

かつての夫を伴った駆け落ちの時のように、自力で逃げる必要があった。

 

そこでこの青年である。

話を聞いた時は助けるつもりは無かったが、その後の青年と何者かの会話を盗み聞きし、シスターは方針を変えた。

狡猾なシスターは、この青年に恩を売り逃走手段に相乗りする事を企んでいるのである。

助ける事はもう確定事項である。

後は恩を押し売りするタイミングと、青年の逃亡先にシスターは注視している。

 

「国外ってどこだ?決めてんのか?」

 

智哉はやけに自分の動向に注目しているシスターに違和感を覚える。

しかし彼女の正体が予想通りなら、マフィアと大立ち回りをして壊滅させた事もある格別の戦力である。何かのきっかけで気が変わって助けてくれないかと考え、この質問に答えた。

 

「……日本っすかね。アメリカには戻って来なきゃなんねえし、それにあっちには俺のつてがあるんで…」

「ほう、ほう…成程なァ、俺様好みの展開になってきたって訳だ」

 

満足げに頷いた後に、シスターは後ろの貴婦人に目を向ける。

そもそもがこうなった原因は後ろの貴婦人である。それと共にシスターには言わなくてはならない事があった。

 

「ゴア、お前はどうすんだ?」

「さっきも申しましたが、此方は其方から離れる気はありませんわ」

「ふーん…ならお前、俺様が日本に戻るならついてくるか?」

 

この唐突な物言いに、貴婦人は目を瞬かせた。

 

「……は?いいんですの?」

「好きにすりゃいいだろ?お前ダチだし、そもそも何のために俺様が帰ってきたと思ってんだよ」

「……何の、ため?」

 

心底不思議そうな顔をする貴婦人に、シスターは笑いながら言葉を返す。

 

「お前と走りに来たんだよ。引退したから適当な野良レースか併走になるけどな」

 

貴婦人が目を見開き、かつてのライバルの言葉に耳を疑う。

捨てられたと思っていた相手が、約束を覚えていたのだ。

 

(その顔、釣れたな?)

 

シスターは貴婦人のこの様子に、手応え有りと内心ほくそ笑む。

これは事実として、シスターの渡米の理由の一つだった。そもそもが娘との親子喧嘩が原因であったが。

ある日、担当との関係に過度に干渉する母に、ブチ切れた娘からの一言が発端である。

 

『母さん、いつもいつも引っかき回しては逃げてばかりね。ライバルさんにも本当は負けそうだから逃げたんじゃないの?』

『……ア?お前今なんつった?上等じゃねぇか、やってきてやんよ』

 

こうして、この超気性難は突如渡米するとぶち上げたのである。無茶である。いくら知能が高くとも、吐いた唾を飲み込めないのが気性難という生き物なのだ。

そしてここで理由を述べたのは、その狡猾さに寄る物だった。

ライバルも利用し、何としても日本へ逃亡する為である。

 

「其方…何故最初から言わなかったの……?」

「いやァ…なんつうかよ。照れ臭くね?それによ、お前が喧嘩売ってくるモンだから楽しくなっちまってなぁ」

 

貴婦人が、呆れた顔をしながら額を抑える。

そんな貴婦人にシスターが近付き、小声で耳打ちを始めた。

 

「ゴア、俺様もお前も今マズい立場なのはわかってんよな?」

「……そうですわね。レースの遅延による損害の穴埋めをしなければ……」

「そこで、だ。ちょっと耳貸せ」

 

貴婦人の耳に口を寄せ、シスターが何やらごにょごにょと腹案を語る。

 

「……なるほど。乗りますわ、その話」

「よし!決まりだ。次は任せるぜ?」

 

貴婦人から離れたシスターが、顔を背けた瞬間凶悪な笑みを浮かべた。

計画通りに事は運んでいる。後は上手く自分を売り込み、何食わぬ顔で帰国するのみである。

内心、笑いが止まらなかった。

 

(いいぜぇ、良い感じだ。俺様さえ助かりゃ後はどうでもいいが……)

 

前の青年に目を向ける。今回の逃亡手段(アシ)として、狡猾だが義理堅いシスターは借り一つだな、と心の中に留めた。

ふと、青年が来ているチーム・クールモアのツナギに目を止める。

 

(……このあんちゃん、サブトレかねぇ。それならヤヨイに口利いてやっか!)

 

シスターがそう思った所で、一行は渡り廊下に進む。

先導するアホの子が急停止し、渡り廊下の中心付近を指差した。

 

「いるよ!気を付けて!!」

「……へ?どこにっすか?」

 

辺りを見回すも、誰もいない。

智哉が首を傾げ、疑問を伝えようとした瞬間、渡り廊下の窓が割れた。

下の階の渡り廊下の窓から、追手は直接上へ登ってきたのだ。

遂に、一行は先回りされた。

 

「トモヤ、もう逃げられない」

「婿!あきらめて!」

 

先手を打たれ、窮地に陥った智哉の前に貴婦人が立つ。

 

「……お行きなさい、ここは引き受けるわ」

「……えっ、いいんすか?」

「貸しですわよ?」

 

ふわりと貴婦人は笑い、狩人ウマ娘達に踊りかかった。

投げられた手斧を弾き飛ばしながら貴婦人は懐に飛び込み、大乱闘が始まる。

思わぬ助けが入った智哉が心で貴婦人に頭を下げつつ、渡り廊下の窓を開く。

唯一の道は乱闘により閉ざされた。ならばする事は一つである。

アホの子も続いて隣の窓を開き、シスターが殿を務める。

 

「窓から…」

「上っすね!?」

「うん!!飛んで!!」

「フラン!起きるなよ!!」

 

腕の中のフランに呼びかけながら智哉は窓の縁を掴んで渡り廊下の屋根に飛びつき、空中で回転して着地する。

膝を沈め、衝撃を殺して着地した智哉がフランを起こしていないかとその顔を覗き込む。

 

「ぐうぐう……ミディお姉様、どうしてこんな事になったの?」

「よく寝てられんなおい。てか姉貴何かしたのかよ」

 

フランはこんな状況でも寝ていた。

しかも不穏な寝言付きである。智哉は待機所にいるであろう姉を想像するも、そんな時間は無いと首を振った。

なお姉は現在本日二回目の正座をしながら、ダンに弁明している最中である。肝心な時にやらかす女であった。

貴婦人を残し、一行は駆ける。

それを最上階から見ている者が、一人いた。

ここに滞在していた、とある競走バである。

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ、トムっち?」

『レース中断してっけど、何でこっち来てんだ?』

『えっトモ君いるの?代わって!!』




たぶん次の次くらいで終わるやで。頑張る…。
次は明日か月曜やで。


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第三十九話 計画、頓挫

仕事ハメで遅れたけど、こっそり投稿しとけば…バレへんか!

前から気になってたから用語統一して修正したやで。
競バ場→レース場
○○バ→○○ウマ娘
競バって単語、アプリやアニメではあんまり使わないのよね…編集画面から文章検索できるのマジ便利。
代替が無さそうな部分は残したやで。
ウマ娘が色んな職業に就いてる設定だからウマ娘=種族名称って事で競走バはそのままやで。


『トムっち、トレーナーさん、だったんだ』

 

『ん…?どうしたリティ、君とは部屋を分けたはずだが……あれ、げっ!!』

 

『ごめん、剥がしちゃった』

 

『マジか~…なあリティ、今は全員起きてるのか?』

 

『ううん、私だけ』

 

『そっか…仕方ねえ、か。話があるんだけどさ、今いいか?』

 

『うん…いい、よ。私も、言いたいことあるから』

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

シンデレラクレーミング当日、クオリティロードの主人格であるリティは、滞在中のキーンランドカレッジの校舎内を散策して遊んでいた。

主人格の彼女はコミュ障の気性難である。

普段はウマ娘が多く苦手なカレッジだが、休校日で誰もいない時は学生生活に多少の憧れがある彼女が出てきて、散策するのがいつもの休日の使い方であった。

隣のキーンランドレース場では何やら異変が起きているのにリティは気付いたが、こちらは静かなものである。気にせず散策を楽しんでいた。

五階に上り、ラウンジにでも行こうかと考えていた時だった。

 

「……あれ、トムっち?」

『レース中断してっけど、何でこっち来てんだ?』

『えっトモ君いるの?代わって!!』

 

彼女の担当である怪人トレーナーの中身である智哉が、新校舎目指して渡り廊下の屋根を走っていた。

その腕の中には以前英国で会った智哉の実家のクラブのエースである少女、そして後ろには二人のウマ娘。

更に、渡り廊下の屋根に飛び移ろうとする数人の狩り装束姿のネイティブウマ娘達。

リティは首を傾げつつも、クオに交代した。こういう時は頭が切れ、博学な彼女の出番である。

 

(リティちゃんありがとー!……うーん、これあれかなあ、トモ君やっちゃったかなー)

『お?なんだなんだ?』

(クオも初めて見るけど…婿狩りだねこれ。サーアーチー族の装束だからインディ先輩だろうね)

 

博学で、カレッジの学力試験では常にトップ争いをしているクオはアメリカの歴史やその風俗にも詳しい。なおロードはその逆で、リティに至っては競走以外は全て苦手である。

クオは一目で現状を看破した。打算的な彼女は既に脳内で算盤を叩き、一番リティが得するであろう選択肢を提示する準備に入っている。

 

『婿狩りとか今時よくやるなぁ、インディ先輩。レース場が騒いでたのはこれか?ま、早く助けに行こうぜ』

(それなんだけど、クオは反対)

『……どうして?』

 

クオの出した答えは、この場は智哉を見捨てる事だった。インディに捕らえられた方が、リティにとって最も良い方向に事が運ぶのだ。

ロードとリティが寝ている間にクオは智哉について調べ、ある答えに辿り着いている。

 

(クオ達とトモ君の契約期間、来年までだよね?)

『うん』

『おう、そうだったなあ。更新してもらおうぜってこないだ話し合ったばっかだし』

(それ、無理だから。トモ君、クオ達との契約終わったら英国に帰るよ)

 

『……』

『ハァ!!!?そりゃどういう事だ!!?』

 

統括機構の過去の公示、そこに答えはあった。

智哉の、処分についての公示である。

 

(トモ君、統括機構からレースに乱入したという名目で処分受けてて、英国で二年サブトレやるから。理由はあの子)

『……フランか?』

(うん、あの子が入学するまでにあっちでトレーナーやれる準備に入るんじゃないかな。あの子と契約するだろうし。だから、クオは反対。助けたらトモ君いなくなっちゃうよ?)

『…………』

 

調査の結果、クオは来年で智哉が帰国する事、そしてその後の予定から智哉が何のためにそうするかを推測し、答えに至った。

あの英国で出会った強烈な圧を放つ少女、彼女と自分達の担当トレーナーは仲睦まじく、あの必要以上に担当を近寄らせない怪人があの少女には気を許していた。

クオの女の勘が働いたのだ。間違いなくあの少女の為に怪人は動くと。

ならば、そうさせない事こそが主人格の利益になる。あの怪人、いや智哉は帰らせる訳にはいかない。

ようやく見つけた主人格の理解者だ。

 

(よく考えて、二人とも。リティちゃんがレースで走れるようになったのは誰のおかげ?)

 

今まで出会ったトレーナー達の中にも、主人格に気付いた者はいた。

だが、全員口を揃えて言うのだ。

それは君のためにはならない。それは歴とした精神疾患だと。

三人で一人と言ってくれたのは、怪人が、智哉が初めてだった。三人を認めてくれた、大事な担当トレーナー。

だからこそ、この状況を利用するべきだとクオは判断した。

そして、もう一つ打算もあった。

 

(それに、ね。インディ先輩って優しいよね?)

『優しいよなあ、最初会ったときはおっかねえって思ったけど』

(その優しいインディ先輩ならね、たぶんトモ君貸してくれるよ?クオは別に二号さんでも良いし~)

『えっ……ちょっ、おま、ハァアアア!???』

(ロードちゃんうるさい。だからねリティちゃん、ここは……)

 

『………………助けて、あげて』

 

主人格のリティはクオの提案を聞いた上で、智哉を助けるように懇願した。

彼女は怪人と西海岸からケンタッキー州へ陸路で帰る際、クオとロードが寝ている間に仮眠中の怪人の覆面を剥ぎ取り、その正体を知っている。

その時、リティを守る二人ですら知らない、智哉とのあるやりとりがあったのだ。

 

(……リティちゃん、やっぱり知ってた?更新の話の時も、何も言わなかったから気になってた)

『うん』

 

リティは既に、智哉から来年帰る事を直接知らされていた。

リティは契約の更新を願ったが、智哉から申し訳なさそうに、しかし強い意志を持って断られている。

とても大切な約束があるから、どうしても帰りたいと。

悩んだ末に、リティは送り出す事を決めた。

 

『……リティ、いいのか?』

『うん……トムっちね、あの子の為に、トレーナーさんになったって言ってた』

(リティちゃん、トモ君だけなんだよ?クオ達を受け入れてくれたのは)

『うん…寂しいけど…きっと、私にとってのクオちゃんやロードちゃんと同じだから。トムっちの、約束……』

 

クオが、額を抑える。主人格の決意は堅く、説得は失敗した。

ならば、彼女を守る二人はただ従うのみである。

 

『ごめんね、二人とも………お願い』

(うー……もう!わかった!ロードちゃんいける?)

 

 

『ッシャア!!任せとけ!!!!』

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「逃がさない!」

「狙うなら、足!子供当てたらダメ!」

 

貴婦人から逃れ屋根に飛び移った三人の追手から、雨のように矢が放たれる。

狩人ウマ娘の短弓の狙いは正確かつ、ウマ娘の膂力ならば連射が可能である。

 

「げっ!!マジで撃って来やがった!!」

 

放物線を描き、寸分違わず自らの足へ降り注ぐ矢から智哉は加速して逃れる。

一歩後ろで屋根に次々と矢が突き刺さる音が聞こえ、生きた心地がしなかった。

智哉は何で俺ただのトレーナーなのに矢で撃たれてんの?と一瞬真顔になって考えたが、すぐに頭から追い出した。考えている余裕も時間も無い。

 

「わはははは!!楽しいなぁあんちゃん!!!」

 

追手の狙いが逸れて智哉の胴体に当たりそうな矢を、殿を務めるシスターがさりげなく目視困難な速度のジャブを放って弾き飛ばす。

銃弾すら手で掴むシスターならば造作も無いことである。

 

「窓割るよ!飛び込んで!!」

 

アホの子が一瞬で窓を綺麗に破り、そこへ智哉が飛び込んだ。

内部は静かなものである。観戦していた生徒達もレース場の異変により、カレッジから離れレース場の様子を見に行ったので誰もいない。

内部に入った智哉が廊下に着地するも、ふらついて膝をつく。

ほんの少しの違和感と眩暈により、着地の際に目測を誤ったのだ。

シスターが目敏く智哉の異変に気付いた。この青年に何かあったら脱出手段を失う彼女は青年をよく観察している。

 

「………っと」

「オイオイ大丈夫かあんちゃん?」

「いや、なんかふらついて……って吹き矢刺さりっぱなしだったわ。抜いとこ……」

「わははは!!あんちゃん何か肩についてんなって思ったら吹き矢かよ!!毒ついてんじゃねぇのかそれ」

 

姿勢を整え、肩に刺さったままの吹き矢を抜いた智哉は階段を目指す。

智哉はウマ娘の母を持ち、祖先の血を色濃く引く身である。毒への耐性も強い。

しかしインディが用意していた毒は、人間なら即昏睡する程に強力な代物である。

智哉はまだ気付いていないが、ゆっくりとその毒が体を蝕んでいるのだ。

 

(後ろ来てんな。五階の階段まで引きつけてちょっと蹴散らしたらドサクサにヘリに飛び込む、これだな)

 

シスターは狡猾である。確実に逃走するために、自分はトリを務める計算であった。その為に貴婦人を先に行かせたのだ。

屋根をこちらに駆けてくる追手はすぐに追いつくであろう。その時こそ満を持して自分が助けてやろう、と手を挙げるつもりである。

何もかも、上手く行っている。シスターはほくそ笑んでいた。

階段を上り、踊り場で予定通り手を挙げようとしたその時である。

 

「あんちゃん、ここは俺様が……」

「トモヤァ!助けに来たぜェ!!!」

 

階段の上からスケ番ウマ娘が現れ、シスターの言葉を遮って立候補した。

全員がシスターではなく階段の上のスケ番ウマ娘ことロードに目を向ける。誰もシスターを見ていない。

 

「ロード、ここにいたのか?ってダメだ!お前は年明けすぐにレースがあるだろ!!」

「そんな事言ってる場合かテメェ!!良いからアタイに任せて行けよ!!」

「ダメだ!!お前にだって大勢のファンがいるんだぞ!!お前が出れなくなったら悲しむ人が!!」

「うっ………いやでもテメェを守ってくれってリティが……」

 

ロードを危険に晒すことを担当として絶対認められない智哉が、足を止めてロードと言い合う。

シスターは後ろで手を挙げたまま固まっていた。誰も見ていない。

ここで様子を伺っていたアホの子の頭に名案が浮かんだ。それなら自分が行けばいいと考え、やる気たっぷりのシャドーボクシングを見せつけながら二人の間に立つ。

 

「ねえねえ!それなら私が……」

「ダメに決まってるだろう先輩」

「みゅ!?シーちゃん!!」

 

しかし過保護なシーザスターズによって遮られた。

彼女は気絶させた相手が目を覚ますと、新校舎の玄関から入って悠々とここまで追いついてきたのだ。

そして何やら揉めているのを目で見るや、やる気まんまんのアホの子の首根っこをひっつかんで確保したのだった。

 

「ふむ、ヘリはまだ来てませんわね」

 

更には貴婦人も追いついてきた。三人程軽めに伸してこちらも悠々と階段を上ってきたのである。

天井に目をやりながら、貴婦人は耳を澄ますもヘリのローター音は聞こえなかった。

 

「……取り込み中?」

 

そして狩人ウマ娘達も追いついてきた。

踊り場で揉めているのを見て流石に空気を読んだのだ。元々は善良な彼女達は、インディの為に足止めさえできればそれで良いのである。

 

「おっ!オメーら!アタイが相手だ!」

「だからダメだっつってんだろ!!話聞けよ!!」

 

言い合っていたロードがこの追手に気付き、智哉を背中に回しつつ腕を鳴らす。スケ番ウマ娘の彼女は荒事担当である。喧嘩は得意分野なのだ。

しかし狩人ウマ娘達は、手を挙げてそんなロードを制止した。

 

「なんだァ!?やんねぇのか!!?」

「待った。クオリティロード、有名、ワタシ達、闘いたくない。アナタが言うなら、ここで止まる」

 

彼女達には氏族の有力競走バを姫様と呼び、尊敬の目を向けるならわしがある。

そして、アメリカ出身の競走バならば全て尊敬する存在である。闘い等理由がなければもっての外だった。

そして、もう彼女達に闘う理由はないのだ。

 

「ワタシ達、もう追わない。それよりサインください」

「お……?アンタら、アタイのファンか?ファンとは喧嘩できねぇな……」

 

色紙を取り出した狩人ウマ娘達を見て、毒気を抜かれたロードがサインに応じる。

それを見た智哉が、担当が無茶な事をせずに済みそうで軽く息を吐いた。

シスターはまだ手を挙げたまま下ろすタイミングを見失い、固まっていた。誰も見ていない。

 

「ふむ、踊り場で話し込むのも何だ。時間までラウンジにでも行くか?先輩」

「たぶん、もう大丈夫かなあ。行こ!!キミ達もどう?」

「おっ、ならお邪魔するッス!」

「ワタシ達も、行く」

 

シーザサターズと担がれたアホの子、そしてロードと狩人ウマ娘達はぞろぞろとラウンジに入って行った。追手は、既に役目を終えているのだ。これ以上無駄に争う意味は無い。

 

「………あれっ?俺様の出番………」

「………其方、何かしまして?此方はちゃんと貸しを作りましたが??」

 

ようやく我に返ったシスターが、挙げた手をわきわきと握っては開きながら呆然と言葉を漏らした。

隣の貴婦人は呆れた様子である。結局このライバルは勿体ぶったあげく何もしていない。

策士は策に溺れていた。このままではタダ乗りでバックレるだけのダメ気性難である。

シスターの沽券に関わる話であった。

 

「………終わった、のか?インディはどこに行ったんだ?」

「…………あの子達、もう追わない、と言っていましたわね。となると…」

「上、っすかね」

 

頭を抱えだしたシスターを無視し、首を傾げる智哉に貴婦人が助言を送る。

狩人ウマ娘達は、役目を終えたと言っていた。

つまり目的地にかつての担当、インディが既に待っているのだ。

外から壁を上って、ヘリポートで。

 

「……行かなきゃ、ダメっすよね?」

「別に降りて逃げても良いでしょうけど、其方はあの子の元担当でしょう?向き合ってあげるべきかと」

 

今度は下に、カレッジの外に逃げる手もあった。

しかし、襲われようとインディは元担当である。

かつて組んだトレーナーとして、向き合うべきだという貴婦人の忠告が智哉の胸に刺さった。

なおヘリで逃げる必要がある貴婦人は逃げようとしたら無理矢理行かせる腹積もりであった。

どちらにせよ逃げられない。現実は非情である。

 

智哉は深く息を吐き、階段を上る覚悟を決めた。

狩人ウマ娘は恐ろしいし強制結婚も御免だが、そう言われて引き下がる訳にはいかないのだ。

腕の中の、フランに智哉が目を向ける。

フランまでは連れていけないと智哉は考えている。

インディがフランに手を上げるとは考えられないが、何かしらの事故で怪我をさせるかもしれない。

根は善良なインディもそうなったら傷付くだろう。

ここでフランは置いて行く。そう思い、フランを貴婦人に差し出した。

 

「そう、っすね…行ってきます。あ、こいつ預けても………」

 

「わたしも、行くわ」

 

フランは、起きていた。

ようやく目が覚め、静かに話を聞いていたのだ。

智哉の腕からひょいと飛び降り、向き合う。

 

「フラン、起きてたのか?ついてくるのはダメだ。ここにいてくれ」

「いやよ、わたしも連れて行って頂戴。トムの役に立ちたいの」

 

フランは智哉の為に何かをしたい一心だった。

例え、怪我してもいい。この人は自分の為に大怪我まで負ってくれたから。

例え、インディに連れて行かれたとしても絶対に助けに行く。

そう、フランは目を蒼く輝かせながら、智哉に訴えた。

貴婦人はフランのその目に見覚えがあった。

アメリカが誇る現役最強ウマ娘と、よく似た輝きを発する少女。

並のウマ娘ではないと、確信していた。

 

「……その目、まるでヤッタみたいですわね。なるほど……其方、この子を連れて行く事を薦めますわ」

 

この青年に勝って貰わないと困る貴婦人は、同行を薦めた。

少しでも勝率を上げるためである。アメリカ国民かつ伝説のウマ娘である自分やシスターはともかく、子供一人ついてきてもインディは憲法での不干渉を持ち出さないだろうと考えた上での提案であった。

智哉は、悩んだ。こうなったフランは絶対譲らないだろうと経験則からわかっている。

しばらく見つめ合い、軽く息をつく。根負けしたのだ。

 

「………わかった。ついてくるだけだぞ?どこかに隠れててくれ」

「わかったわ!ありがとう!きれいなお姉様!」

「あら、お上手ね。頑張ってきなさい」

 

フランは援護してくれた貴婦人に感謝を述べつつ、智哉と階段を上って行った。

微笑みながら二人を見送った後、貴婦人は後ろに目を向ける。

後ろにいる策に溺れ、何もしていないライバルは何処かへ電話していた。

このままではタダ乗り確定の彼女は、超気性難としての沽券にかけて借りを必ず返すつもりである。

その為の、根回しの最中であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからよぉタヅナ。サブトレやってるけど相当デキそうな奴だぜ。あ、ヤヨイにも話通せるか?」




遅れた分週末で一気に書くやで。
アメリカ編終わりまでは持って行きたい……。


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閑話 北欧から来た男

短いけどライバル登場回だし分けるやで。
最初からキャラ決めてたけどやっと出せてよかった…。


「ダンちゃん、あたしはね、あいつの事止めたのよ?ダンちゃん置いて英国に帰るのか~~って…でもね、あいつの意志がすんごく固いのよ。そ、そう、あいつが全部悪いのよ!だからね、あたしはその、ダンちゃんの味方って言うか……ひどいわよねあいつ!今晩にでもあいつはあたしがとっちめて……」

 

「トモ兄が、帰る理由は?」

 

「え、え~~っと……何だったかなあ、あたしも詳しく知らないけどね、きっと大した用事じゃないわよ!あはは!あはははは……」

 

「ふうん……」

 

外の喧騒から隔離されたキーンランドレース場の待機所は、現在尋問室と化していた。

調子に乗りすぎて言ってはならない一言を漏らした姉が、正座でしどろもどろにダンに弁明する。

目が据わり、明らかにヤバい空気を纏ったダンの圧は、気性難で鳴らした姉から見ても異様であった。

姉は自分が助かる事だけを考えている。弟はとっくに売った。

帰る理由を伏せたのは保身のためである。

このタイミングでこのやらかし、将来に禍根を残すと姉はその勘の良さで確信していた。

数年後か更にその後かはわからないが、成長し、この事を知ったフランは必ず姉を詰問するであろう。それを弟に押し付けるつもりである。肝心な時は逃げる女であった。

 

「ミディ姉、ボクの味方って言ってくれたよね?」

「そ、そうよ!あたしはダンちゃんの味方!!何でも……は困るけどダンちゃんの力になるわよ?」

「じゃあ、早速お願いがあるんだ。聞いて?」

 

ダンが姉の耳をつまみ、小声で耳打ちを始める。

 

「えっ、うーん?まあそれくらいならいいかな……」

「約束だよ、ミディ姉?」

 

突然レース前よりも明らかに危うい雰囲気を纏い出した友人、そして友人の折檻を受けて半泣きで正座して言い訳を始めた尊敬する名ウマ娘、この二人をアニマルキングダムとドリームアヘッドは顔を引きつらせながら眺めていた。

 

「ダン、無茶苦茶こえぇ……こいつ怒らせるのやめとこ……」

「同感だね……」

「ところでドリー、お前の抽選結果ってもうわかってんのか?」

 

アニキが今度はドリームアヘッドに向き直り、気になっていた事を確認する。

レースは中断しているが彼女の交渉権の抽選は既に行われていた。

その結果について、本人に聞いておきたかったのだ。

 

「うーん……実はね、さっき連絡があって、ここに……」

 

「──ドリームアヘッド君!遅なってすんません!」

 

ドリームアヘッドが結果について語ろうとしたその時、後ろからキツい北欧訛りの男の声がかけられる。

二人が振り向いたその先にいたのは、銀髪の北欧系の青年であった。

細長くひょろっとした、師匠に似てどこか胡散臭そうな体躯。

その体躯とは裏腹に、糸のように細いその目と常に困っているように下がった目尻の、人の好さそうな青年である。

 

「あっ、取り込み中やった?ごめんなぁ、外がえらいことなっとるから、君ら迎えに来なあかんって思ったんやけど……あっ、そっちにおるのミッドデイの姐さんやんか。あのボケもおるんかいな?」

「……あれっ、ウィル君?あいつはここにはいないわよ」

「ホンマですか?なんや、アメリカでろくにトレーナーやってへんから煽ったろ思とったのに」

 

突然現れたこの青年を見て、姉が目をぱちくりとさせた。この二人、そして智哉は知り合いである。

それもそのはず、この青年はチーム・クレアヘイブン所属のトレーナーであり、一年程の付き合いだが智哉とはサブトレとして下積み期間を共にした仲である。

しかし彼と智哉は友人というには程遠い関係だった。犬猿の仲である。

 

「あんた達、相変わらず仲悪いわねー」

「あのボケが人並みとか舐めた事抜かしよるからですわ。姐さんもわかってはりますやろ?おっと、それよりも……」

 

糸目の青年が懐から名刺を取り出し、ドリームアヘッドに差し出す。

 

「ドリームアヘッド君、僕とイギリスでレースやらへん?センセがどっか行ってもうて、僕個人で来とるからチーム選びはこれからになるけど、どうやろか?」

 

名刺を受け取ったドリームアヘッドの口元が弧を描く。

希望通りの相手である。しかも、名前を競バ雑誌で見た覚えもある、有能なトレーナーだった。

これ以上に無い相手だ。

だが気になることがあった。

目の前の糸目の青年は、競バ雑誌で見た姿とはまるで別人である。訛りもキツくないし目も開いていた。

 

「へえ……当たりを引いたかな?よろしくね、お兄さん。でも、雑誌で見た姿と違わない?」

 

「おっ、こら丁寧におおきに。名刺見せたとこやけど、そういう事ならしっかり自己紹介させてもらおかな」

 

青年が髪をかき上げ、目を見開く。

胡散臭さがなりを潜め、眉目秀麗で人気を集める若手トレーナーへと青年が姿を変えた。

彼は普段の姿と外面を切り替えている。

師匠にあたる人物、マスコミ嫌いでよくいなくなるちゃらんぽらんオヤジのせいである。

ナンバーツーまで胡散臭いのは不味いのではないか?という苦渋から生まれたものだった。

 

 

 

 

「──僕の名前は、ウィル・ベック。これからよろしく頼むよ」



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第四十話 ツケの、支払い日

智哉とフラン、二人が手を繋ぎ屋上への階段をゆっくりと上る。

逃げないと決めた今、もう急ぐ必要はない。

フランの歩幅に合わせ、手を引く智哉がふと考えた。

新校舎の屋上は高い。フランにとっては鬼門である。

 

「フラン、屋上は高いぞ?大丈夫か?」

「だ、だだだだだいじょうぶよ」

「声震えてるぞ」

「へ、へっちゃらなのよ」

「無理してるだろ……そこまでしてついて来なくても……んん??」

 

屋上へと繋がるドアノブに触れた所で、フランにかけた自らの言葉がひっかかって智哉が足を止めた。

貴婦人に乗せられここまで来てしまったが、わざわざ死地に向かう必要ないんじゃね…?と気付いたのだ。

その通りである。いくら元担当だろうが籍まで賭けて向き合う必要はない。

そして智哉は久々に生来のヘタレを発揮し、立ち止まった。

 

「………」

「トム?行かないの?」

「お、おう……」

「トム??」

「いや、よく考えたら行かなくてよくね……?」

「だめ」

「いやでもさ、俺フランの為にも英国帰りてえし……」

「それでもだめ」

 

フランが智哉の心変わりを咎め、その手をぎゅっと握る。

智哉が振り向き、フランの顔をじっと見つめた。

フランはインディのここまでの行動をよく見ていた。そして気付いたのだ。

 

「ねえトム、よく考えて。あの人、誰も傷付けてないわ。きっとそうしたら、すぐにトムを捕まえられたのに」

 

インディはここまで、慎重に事を運んでいた。誰も傷付けず、智哉だけを穏便に確保するために。

この場を選んだのも怪人の正体について確証を得るためだった。

トレーナー室で弓を構えたのも威嚇である。足止めすれば自身のその足で捕まえるつもりだった。

弓で狙われたのも介添人相手であった。フランの言い分に心当たりのあった智哉が、吹き矢で撃たれた肩を抑える。

痛みは、まるでなかった。だから刺さりっぱなしでも気付かなかったのだ。

 

「……そうだな、そうだわ」

 

誰かを人質にされていたら、自分は従っていただろう。

誰かが巻き添えになっていたら、見捨てて逃げられなかっただろう。

智哉はインディの優しさに、狩人ウマ娘の矜持に、トレーナーとして向き合うべきだと確かに思った。

なお現在トレーナー室では、テンションの上がったダスティの不用意な挑発により大乱闘中である。とある不運な気性難センサーは巻き添えを食らい、吹っ飛んできたハゲが激突して失神していた。ジャックは減俸が確定して泣いた。

 

「わかった、行くか……」

 

意を決し、扉を──

 

「トモヤ、早く」

 

──開こうとしたら痺れを切らせたインディが出てきた。台無しである。

 

「げっ!インディ……」

「早く、入って、トモヤ。そっちのお嬢さんも、来ていいから」

「トム!行きましょう!」

 

インディに促され、二人が屋上に入る。

キーンランドカレッジ新校舎の屋上は広い間取りに空調施設が立ち並び、その中心部分にドクターヘリの受け入れや要人訪問の為に設けられたヘリポートが存在する。火災用の消火設備も用意されている。

その中心、ヘリポートの前でインディが足を止め、二人に振り向いた。

 

「……トモヤ、ヘリを呼んだ?」

「……ああ」

「そう、それならトモヤ、一つ勝負を受けてほしい」

 

インディが腰から、あるものを取り出す。

トレーナー室でも使用した吹き矢だった。

 

「トモヤ、この吹き矢、毒が仕込んである。体は大丈夫?」

「……大丈夫だぜ。少し目眩がするけどな。それだけだ」

「これ、人間なら、即座に気絶する。婿狩り用の、特別製」

「マジで!!?」

 

毒を仕込まれていると予測し、トレーナー室では自らの毒への耐性任せに死んだふりでやりすごしていた智哉だったが、そこまで強力な毒だとは考えていなかった。思わず受けた部分をさする。

 

「命には、別状ない。気を失うだけ。勝負は簡単。ワタシ、トモヤが気絶するまでこれ撃つ。トモヤ、ヘリが来るまで逃げ切ってヘリに乗ったら、勝ち。吹き矢以外の攻撃は、しない」

「そっか、それなら……ってそうじゃねえ!洒落にならねえだろ!?」

「………槍とか、斧の方がよかった?」

 

智哉の抗議を受けて、インディがどこからか巨大な槍や手斧を取り出し、智哉の前に並べる。

 

「……………吹き矢でお願いします」

 

智哉はドン引きして妥協した。武装した年度代表ウマ娘など、三国志の武将の如き一騎当千の怪物である。洒落になっていない。

智哉の了承を受け、インディがその横のフランを見る。

 

「お嬢さん、トモヤの介添人として、手助けを認める。ワタシも、ここまで仲間がいたから」

「わかったわ!トム、どうしたらいいかしら?」

 

フランに聞かれ、智哉が周辺を観察する。

空調施設が立ち並び、遮蔽物が多い屋上。

一見智哉が有利そうに見えるが、インディの競走能力をよく知る智哉は不利だと考えた。

ここはインディの狩場で、自分は誘い込まれている。そう感じた。

フランからは助言がほしい。そう考え、全体を見渡せる高所であるヘリポートを指差す。

 

「フラン、ヘリポートに上がってくれ。そこからインディの居場所を教えてほしい」

「わかったわ!がんばってトム!」

 

指示を受け、フランがすかさずヘリポートに上る。

そこで智哉は一つ付け加えようと、フランを呼び止めた。

ヘリポートは屋上で一番高い場所にある。フランの鬼門である。

 

「あ、まてフラン、遠くは観るなよ?」

「こしがぬけて、つらいわ」

「マジで頼むよぉ……」

 

即落ちである。へリポートに上ったフランが、振り向いた瞬間へにゃっとその場に崩れ落ちる。

智哉に泣きが入った。流石に上った瞬間即落ちは想定していない。

 

「……大丈夫?」

「だいじょうぶよ!つらいわ」

「……どっち?」

「あーインディ、気にしなくていいから」

 

これから決戦だというのに気の抜けた会話である。

しかしこれで智哉は肩の力が抜けた。

ゆっくりと息を整え、インディに告げる。

 

「いつでもいいぜ」

 

その瞬間、七本の吹き矢が智哉に殺到した。

インディの速射である。一息に七回撃ち出したのだ。

超人の智哉が一発で目眩を覚える程の強力な毒である。数本も受ければ足が動かなくなる。

 

ヘリが来るまで一発も喰らわないつもりの智哉が、それを目でしっかり捉え、射線を掻い潜る。

掴みとる事も弾く事もできるがなるべくは触らない。回避に専念する。

そのまま智哉は空調施設の立ち並ぶ空間に入り、遮蔽に身を隠した。

 

「……やはり正面では無理、なら……」

 

インディはそれを追わずに、ゆっくりと足音を立てずに空調施設に入って行った。

ウマ娘の五感、とりわけ聴覚は鋭敏である。

集中すれば隠形の訓練を受けていない智哉が、いくら足音を消そうと察知できる。

それを知っている智哉は身を隠し、息を潜めた。

この為にフランをヘリポートに上げたのだ。いくら隠形に優れた狩人ウマ娘であるインディであろうと、上からは丸見えである。

 

「トム、後ろよ!」

 

フランの助言を受け、智哉は室外機を飛び越えてインディの射線から逃れる。

その刹那、智哉がいた場所に吹き矢が殺到し──

 

「……マジか」

 

跳ね返った一本が、智哉の靴に浅く刺さった。

跳弾である。インディはどう逃げるかすら予測し、命中させたのだ。

吹き矢を靴から抜く。運が良かったが、跳弾までは避けきれない。

空調施設での絶対的な不利を打開すべく、智哉が思考を巡らせる。

 

(どうする?広い場所に出たら領域(ゾーン)で後ろを取られて撃たれる。遮蔽は必須だ。跳弾をどう予測する?いや、あえて予測しない、か?)

 

「……浅かった」

 

インディの呟きを聞きながら、考えがまとまった智哉はおもむろに室外機のカバーの一部をはぎとった。

 

「トム、今度は上!」

 

フランの助言通り、空中のインディから吹き矢が放たれる。

 

「よっ、と!」

 

それを智哉が避け、跳弾で更に吹き矢が襲いかかるが、それをはぎとったカバーで弾き返す。

即席の盾である。跳弾は威力、速度共に格段に落ちる。薄い板一枚でも見てから防げると判断した。

 

「なるほど、トモヤ、かしこい」

「こんな時に褒められてもなあ……」

 

心底感心したインディの声に、気が抜けた智哉が思わず独り言を漏らした。

失態である。その声で居場所を察知したインディがその速度を開放し、智哉の前に立った。

 

「………あっ」

「トム!!逃げて!!」

 

インディの体が、二つに分裂する。領域(ゾーン)を必殺の間合いでついに使ったのだ。

そして智哉を取り囲むように、吹き矢が都合十四本殺到した。

即席の盾を振り、回転して射線をずらして智哉が対応するも、膝から崩れ落ちる。

四本、盾を持つ手に刺さっていた。防ぎきれなかったのだ。

 

(やべえ、モロに食らった。けど、な!!)

「……ッ!!」

 

膝から崩れ落ちる瞬間、智哉はインディの眼前に盾を投げ付け、視界を奪っていた。

インディの領域(ゾーン)の唯一の弱点である。余りにも速すぎる故に、使用後は視界が狭くなるのだ。

その隙をついて、気力を振り絞ってインディから離れる。

しかし致命的な被弾である。このまま毒が回れば動けなくなるであろう。万策尽きていた。

 

「トム!しっかりして!どうしましょう!どうしたら……」

 

フランがよろめきながらも逃げる智哉をはらはらと見つめ、何かできないかと探す。

どんな方法でも、ここから智哉が助かる方法を探し出す。

そう決意し、フランが目を蒼く輝かせた。

 

(………あそこ、強く輝いてるわ、あれって……)

 

そして、あるものを見つけた。良い事を思い付いたフランが携帯を取り出し、メイドへ連絡する。

 

『お嬢様、今どちらへ?』

「ヘリポートよ!サリー、今から伝える場所へ……」

 

高所で足が竦む。それでもフランは立ち上がり、その場所へ全力で駆けた。

 

「トモヤ、もうあきらめて」

(こりゃ不味いな……捕まってからどう逃げるか考えとくか……)

 

インディが、身を隠しながら降伏を促す。

遮蔽に身を預けた智哉は既に毒が回りつつあった。

目眩と強い眠気に襲われ、最早逃げようもない。

智哉はもう諦めつつあった。そんな時である。

 

「トム!!!こっち!!!!あれ、やりたいわ!!!」

(フラン……?は?マジかお前、マジか……………)

 

元気いっぱいの声に智哉が振り向いた先には、あるものを持ったドヤ顔のフランがいた。

消火ホースを、持ったフランが。

智哉は口を塞いで声を抑え、天を仰いだ。

もう何をやりたいのかわかってしまった。あの時安請け合いをしたツケを払えとフランは言っているのだ。

 

「……なに?お嬢さん」

(ああああああああくそお、畜生……何でいつもいつもこんな目に合うんだよぉ………」

 

最後の方はもう口から出てしまっていたが、智哉は最後の力を振り絞って駆けた。その背中に、インディの吹き矢が向かう。

 

「……避けた!!?見えていない、のに!?」

 

何故か後ろに目がついているように、智哉がそれを避ける。

最後の最後で、運が、三女神が微笑んだのだ。

そしてフランを抱き抱え、消火ホースを腕に巻き付け──

 

「もう屋上なんて来ねえからな!!!!!」

「すてきだわ!!!すてきだわきゅう」

 

──二人は屋上から、消火ホースバンジーを敢行した。

 

フランはハイテンションで目を輝かせたが、下を見た瞬間気絶した。即落ちである。

消火ホースの長さの限界に達し、三階付近で止まったところに、メイドが操縦するヘリが近寄る。

フランの指示で、ここに来ていたのだ。

ヘリのハッチが開き、鹿毛に黒い三つ編みのウマ娘が二人に手を伸ばした。

 

「無茶するねェ君達、さァこっちへ!がんばれ!」

「あっ、手、空いてねえ!!どうしたらいいすかこれ!!?」

 

しかし片手は命綱の消火ホース、そしてもう片手は即落ちしたフラン。

両手が塞がっていた。万事休すである。しかしここには状況を伺っていたある人物がいた。

 

「あらよっとぉ!!!!!!!!」

「へ?ぐべええ!!!!!?」

 

何もしていないシスターである。飛び蹴りを智哉にぶちこみ、無理矢理ヘリに押し込んだ。

そして更に数人、ヘリに飛び込む。

 

「邪魔するぞ」

「おじゃましまーす!」

「あら。ジュドモントのヘリですのね?関係者かしら?」

 

当然、シーザスターズとアホの子、そして貴婦人のトリオであった。

フランを庇いながらヘリの座席に背中をしこたまにぶつけた智哉の視界がかすんで、ぼやける。

シスターの強烈な蹴りを食らい、一気に毒が回っていた。

 

(やべえ、意識が……いやでも助かったし、もういいか……)

「よしあんちゃん!これ貸し一つな!……なんでここにいんだよ?ディーン?」

「それはこっちのセリフだよ君ィ、アメリカ来ていいの?」

「……毒を受けてるみたいだね。私に任せてくれたまえ!」

「さて、このまま空港までお願いしますわ」

「……何だ、あなた達は」

 

がやがやと周りが騒ぎ立てる声を聞きながら、智哉は意識を失った。

 

一方、屋上では──

 

「……逃げられちゃった、かな」

「助けに来たぞ!…?インディだけ、か?」

「インディちゃん待った!もうダメ!これ大族長命令!!!」

 

ヘリを見送るインディが佇む中、屋上の扉からがやがやとトレーナー室の大乱闘を潜り抜けたアリダー達が現れる。

その中にはトレーナー室の大乱闘を介入して止めた大族長もいた。胃痛から回復してすぐにここまで来ていたのだ。

 

「あ、大族長」

「インディちゃん!……あれ?婿の人は?」

 

インディは負けを悟り、狩人ウマ娘としてではなく普段の姿に戻っていた。

はにかんで、大族長の言葉に答える。

 

「行っちゃいました。フラれちゃいました、私」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ん……?ここは?」

 

智哉が目を覚ますと、知らない天井があった。

ベッドに寝かされていたようである。

辺りを見回すと、何処かの学校の保健室のようであった。テレビがついており、時刻は昼下がりを示している。

カレッジの保健室か、と智哉が考えるも、このテレビで流れる番組に違和感があった。

 

『このようにオグリキャップさんは有記念を制し、今も語り継がれる伝説のレースとなったんですね!』

『そうやなあ、この時はウチも現地で見てたけど思わず泣いてもうて……』

『タマ姐さん、元競走バでオグリさんとも走ったらしいやないですか、やっぱりオグリさんにボッコボコにされとったんですか?』

『ははは、おもろい事いうやん!ウチも色々あったんやで?』

『お前何言うとんねん!タマ姐さんはすごかったんやぞ!!今こんなんやけど!!』

『何がこんなんやねん!!そっちの方が失礼やろ!!!』

 

番組の内容が日本語で、出演者も日本人のようである。

テレビの中では大女優としても知られるウマ娘をコメンテーターに迎え、若手芸人が司会の大御所芸人に説教されていた。大女優のツッコミはキレキレであった。

 

(……日本、か?ここ)

 

「失礼ッ!!目を覚ましたと聞いたが!!!!」

 

突然保健室の扉が開き、首を傾げる智哉に何者かが大声で呼びかけた。

青い上着に帽子の上に猫を乗せ、白髪のメッシュが入った茶髪の少女。

智哉はその少女に見覚えがあった。というか有名人である。

日本中央競バ会(U R A)理事長、秋川やよいその人であった。

その後ろにはシスターもいた。何やらニヤニヤとしてやったりの表情である。

 

「あんちゃん、二日寝てたんだぜ?大丈夫か?」

「あ、ああ……大丈夫っすけど……ここ、日本すよね?」

「同意ッ!ここからは私が話をしよう!!!」

「ヤヨイ、任せたぜ」

 

熱烈歓迎と書かれた扇子を広げ、秋川理事長が誇らしげな顔で智哉を眺め、言った。

 

「久居留 智哉君ッ!事後承諾になってしまったが!!君に良い話がある!!!」

「へ?はあ……」

 

何がなんだかわからない智哉が、気の抜けた返事を返し、秋川理事長が更に畳み掛けた。

 

「君については調べさせてもらった!統括機構トレーナー試験を首席で合格するという優秀な成績を残しながら!!!ペナルティにより渡米!!しかしそこでも契約に恵まれずサブトレーナー生活!!!」

「はあ」

「悲嘆ッ!!君のように優秀な人物がこのままくすぶり続けるのは余りにも不憫ッ!!!そこで!!!」

「はあ」

 

「君を、我がトレセン学園でサブトレーナーとして雇用することになった!!!君が寝ている間に来季のサブトレーナー契約締切であった為に!!先に契約を進めさせてもらったが!!!君なら最初の半年ですぐにでもトレーナー資格も取得……」

 

「はああああああああぁぁぁあああ!!!!!!!!???????」

 

智哉は絶叫した。寝ている間に日本でサブトレーナーになっていた。一大事である。

 

「驚愕ッ!どうしたんだね!!!?」

「いやまずいっすよそれ!!!!俺の所属してるチーム・カルメットには連絡したんすか!!!!???」

「心配無用ッ!!!先程連絡した!!!」

「統括機構理事会には!!!???」

「それも先程連絡済だ!!!!」

「さっきって、ついさっき!!!???あと俺今担当いるんすよ!!!!!!アメリカ帰らねえと!!!!!」

「その通り!!!!!そんな経歴は無かったが!???」

「あんちゃん、どうしたんだ?顔青くなってっけど」

 

智哉は天を仰いだ。これは大変なことになると確信した。

これはもう言うしかない。大事に既になっている。

智哉が手を挙げ言葉を発したのと、血相を変えた理事長付秘書が入室したのは同時であった。

 

「理事長!!大変です!!統括機構理事会とチーム・カルメットから猛抗議が……!」

「俺、ジョー・ヴェラスの中身っす…………」

 

 

 

 

 

トレセン学園保健室に、悲鳴が響いた。




次回でアメリカ編最終話の予定やで。終わらなかったらごめん……。
ワイが理事長ちゃん分補充したいから理事長ちゃんパートいれるやで。
当然辞めたくなってるやで。


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第四十一話 大統領、来る

ごめん1万時超えるからここで切るやで。
構成変えたやで。未来ダンちゃんのエピソードでアメリカ編最終話になります。
そっちの方がきれいに終わるから…。

ちょっと活動報告にタグについて書いたからご意見くださいやで。お待ちしてますやで。


「ああああああああ!!!!!!辞める!!!!今度こそ辞めるうううぅううぅううう!!!!!!!」

「困ったわねえ……辞めるのはダメよ〜」

 

英国ニューマーケット、統括機構トレセン学院理事長室。

我らが理事長ことサラ・ウェルズは床の上を転がり回っていた。ストレスが限界を迎えたのだ。

きっかけは、頭痛の種の一人である生徒会長からの電話だった。

 

『理事長、シンデレラクレーミングの中継、観れる……?観たらわかるから』

 

この唐突な連絡に怪訝としつつも、理事長は中継を観た瞬間にひっくり返った。

統括機構が誇る世界最強の一角が大乱闘中であった。しかもその背中には無断外出禁止令を出していたアホの子がぶらさがっている。

プロ競走バを目指すウマ娘達が夢を賭けた大レースでの蛮行、当然大問題である。

理事長はこの後の謝罪行脚に関係各所との調整と山積みの問題に絶望していた。更には理事会で嫌味眼鏡にまた嫌味を言われるであろう。

要するに辞めたいのだ。

 

「なんでこうなってるの!!?ガリレオ何してんの!!??あいつの妹だろ!!!!!!自分で何とかしろよ!!!!!!」

「こういう時に頭を下げるのがウェルズちゃんのお仕事ですよ。アメリカ行きの準備しましょうね」

「やだああああああ!!!!!大統領とか出てくるでしょこれ!!!!!あのおばさん怖いんだもん!!!!!」

「ヤヨイちゃんのお母様に、そんな事言っちゃだめでしょウェルズちゃん。めっ!」

 

仇敵(とも)である日本中央競バ会(U R A)理事長、秋川やよいの母と会う事になると予測した理事長が、全力でアメリカ行きを拒否しようと駄々っ子のように手足を振り回す。

英国淑女(ブリカス)である理事長は以前、遠い縁戚でもある秋川理事長にマウントを取りすぎて泣かせてしまい、ウチの愛娘泣かすなと合衆国大統領が乗り込んできた過去があった。理事長は大統領に何故か頭が上がらない。それに怒った大統領は怖すぎるのだ。

 

「ミル姉たすけてよおおおおお!!!!!何かいい方法無い!!!!?」

「そうねえ……シーザスターズちゃんと一緒にいた子、イージーゴアちゃんとあの問題児ちゃんね。でもこれだけだと責任の所在を有耶無耶にするには材料が足りないわねえ」

「見た感じだとシーザスターズは巻き込まれてるんじゃない?この方向で全部ヤヨイのせいにできないかなあ」

 

この二人は由緒正しき英国淑女(ブリカス)である。

二枚舌でこういう時の責任から上手く逃げるのは十八番の得意技であった。

 

「そうねえ、その方向で考えてみましょうか。でも飛行機の準備はしますね」

「やだあああああああ!!!!!!!!」

 

そしてこの二日後、秘書と理事長の二人は英国から飛び立った。

向かう先は──

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「理事長、統括機構のお二人が只今……」

「通してくれッ!!」

 

日本、東京都府中市のトレセン学園理事長室は現在お通夜の如き様相である。

怪人の正体に関する智哉のカミングアウトから、一日が経過している。

あの後すぐに秋川理事長は瞬時にやらかした事を悟って「国際問題ッ!!!!!!」と叫びながら卒倒し、超気性難のシスターは窓を破って逃げた。

そしてまたしても高飛びしようとするシスターをメジロ家及び社グループの精鋭達、そしてシスター自身の娘による壮絶な捕物劇により確保され、現在憮然とした態度で「しらねーんだからしょうがねーだろ」と言わんばかりに腕を組んで座っている。実際に言った。

その隣に智哉はいた。しかし目の前の人物が怖すぎて床をただ見つめている。

 

──眼前に、顔全体に血管を浮かべながらシスターにガンを飛ばす合衆国大統領がいた。

 

合衆国大統領、ノーザンダンサー──18戦14勝。生涯において連対を外したことは無く、ケンタッキーダービー、プリークネスステークスと二冠に輝いた伝説のウマ娘である。

その輝かしい競走生活も勿論の事、彼女については引退後も素晴らしい実績を残している。

引退後はNPOのウマ娘指導員として世界を巡り、様々な理由でトレーナーの指導を受けられない子供達の為に尽力。

世界中に彼女の教え子が存在し、かの統括機構先代理事長も彼女の教え子の一人である。

その後政界に進出、圧倒的なアメリカウマ娘達の支持を受け合衆国大統領に就任した。満期を迎えているが二大政党双方からの懇願を受け現在三期目である。

見た目はシスターや秋川理事長のような小柄なウマ娘である。鹿毛の髪をゆるく纏め、秋川理事長のように白く長い一本線のような流星。二人並ぶとまるで母娘のようであった。智哉は知らないが実際母娘である。

そして目力が強く、目を合わせると小柄な体がまるで大きく見えるような圧力があった。

 

智哉は彼女が理事長室に来た時に状況を理解出来なさすぎて三度見した。大問題ではあるが大統領が来るとは考えてもいなかった。

テーブルに身を乗り出し、舐めるようにシスターを下から睨みつける大統領が口を開いた。

 

「おうワレ、何か言うことあるじゃろ?」

 

たまに見ていた国会中継では一度も使っていない強烈なカナダ訛りである。智哉は自分が言われていないのに震え上がった。

瞑目し、腕を組んでいたシスターが鬱陶しそうに目を開き、この恫喝に反応する。

 

「だからしらねーからしょうがねーだろっつっただろババア。わざわざ日本まで来んじゃねえよ」

 

智哉は更に震え上がった。シスターは明らかに喧嘩を売っている。

この返答を聞いた大統領の目が血走り、部屋の空気がまるで重力が増したように重くなる。

 

「誰が今その話じゃ言うた?シンデレラクレーミングで暴れた落とし前どうつけるちゅうたんじゃ」

「そっちはゴアが喧嘩売ってきたからっつったじゃねーか。正当防衛だろ」

 

「ワレなんじゃさっきからその不貞腐れた態度ォ!!!!!喧嘩売っとるなら表出んか!!!!!!!!!」

「ア!!!!???上等じゃねーかババア!!!!!!三期目で大統領引退すっかコラァ!!!!!???」

 

ヒートアップした大統領とシスターが立ち上がり、お互いの胸倉を掴み合う。

智哉は足が震えて動けない。嵐が過ぎ去るのをビビり倒しながら祈っていた。

 

「す、ストップ!閣下もサンディも落ち着けッ!!!!」

「なんじゃヤヨイ!!!!ワレがこのがんぼうたれに唆されてこうなっとんじゃろが!!!!口挟むな!!!!!」

「よくわかんねえスラング使ってんじゃねえぞババア!!!!!!テメエやるならとっとと表出ろや!!!!!!」

「喧嘩やめてぇ………」

 

二人の剣幕に圧され、秋川理事長が涙目になる。哀れである。

昨日の朝、秋川理事長は将来有望だが不遇な青年がいる事をシスターに教えられ、青年をサブトレーナーとして採用するかを思案していた。

この時、シスターは言った。

 

『ヤヨイ、よく考えろよ?あのあんちゃん、このままアメリカに帰ったら芽が出ないぜ』

『し、しかし本人の希望も聞かずに契約をするのは………』

『お前ほどの女が何を悩む必要がある?ただのサブトレだぜ?奪い取れ!今は気性難がほほえむ時代なんだ!!』

 

こうして良いようにシスターに掌で転がされ、秋川理事長は智哉とのサブトレ契約を強行したのだ。

運が良かったのは、まだ公示前であった。内々に連絡を済ませ、承認を得てから公示するつもりだったのだ。

シスターの動機は有能であろう青年を学園に迎え、青年への借りを返すと同時に学園にも恩を売り、娘や夫に見直してもらおうと考えての行動であった。

なお娘に捕まったときにゴミを見るような目で見られている。母の威厳は地に落ちていた。

この後理事長は卒倒したのであるが、起きてからも事件があった。

 

学園では現在、保健室で寝たまま起きない端正な顔立ちの青年について離れない、姫君のように美しいウマ娘の少女が話題となっていた。

メイド姿のウマ娘と共に朝にやってきては、甲斐甲斐しく青年の世話をするのだ。

健気な姫君と眠ったままの王子、学園の生徒達は二人を遠くから見守り、どういう関係かの予想は専らの話の種であった。

とあるウマ娘狂いは鼻血を流しながら倒れた。

その姫君がどこからか今回の一件を聞きつけ、蒼く光る目を渦巻かせながら理事長室に来訪し、こう言った。

 

『わたしは、フランシス・ジュドモントと申します。ジュドモント家当主の名代として、我がチーム・ジュドモントの英才、トモヤ・クイルとトレセン学園との本人の意向無く結んだサブトレーナー契約に、遺憾の意と強い抗議を表します』

 

これを聞いた瞬間秋川理事長はもう一度卒倒した。

統括機構の誇る世界でも指折りのトップチームの後ろ盾を持つ人物に、捨扶持を与えて強奪するような対応を知らずに行っていたのである。

大問題である。秋川理事長は胃薬を飲み、それとは反対にこの事を当主から聞いて知ったウェルズ理事長は強請るいいネタができてほくそ笑んだ。

チーム・カルメットからも抗議の電話と今すぐ返せという電話が鳴り止まない。

これは手に負えないと悟った秋川理事長は、怒られるのを覚悟で母に連絡した。

そして、現在に至るのである。

 

「失礼します。ヤヨイ、大変な事をしてくれたわね」

「たづなさんお久しぶり、後でね」

「ええ、ミリィさん」

 

外面モードの淑女然としたウェルズ理事長と、その秘書であるミリィが入室する。

その際に秘書は小声で秋川理事長の秘書である駿川たづなと日本語で挨拶を交わしていた。

同じ立場の二人は友人である。

ウェルズ理事長が秋川理事長の隣に座り、智哉に外面モード全開の涼し気な微笑みを浮かべて声をかけた。

 

「トモヤ・クイル君。今回は災難だったわね」

「いえ、それよりも理事長自らご足労頂き恐縮です……」

「気にしないで?君とはペナルティを与えた件も含めて一度話してみたかった。あの件、私は庇いたかったが……」

「……ありがとうございます。でも、やった事の責任を取るのは当然ですから。それよりも試験を合格させてもらった事を感謝しています」

 

智哉が、ここ数年の練習の成果とばかりに敬語を使い、ウェルズ理事長に感謝を述べる。

この言葉に嘘偽りはない。過去を省みてもトレーナーになれた事は奇跡に近いのだ。

ウェルズ理事長は首席の子マジ良い子じゃんと感心し、それから隣の秋川理事長に嫌らしい笑みを浮かべ、告げた。

 

「こーんな良い子で、ジュドモントの唾がついてる子にあんな真似するとは酷いわねぇ、ヤヨイ?」

「うっ……し、しかしッ!経歴を見た限りでは彼は不遇そのものッ!私は彼を推挙すべきと……」

「余計なお世話よねぇ。ねえクイル君?」

「……へ?ははは………」

 

俺に振らないでくださいよと智哉の顔が引きつり、苦笑いで返す。

実際、事情を知らずに状況だけを見れば智哉は不遇な立場であり、秋川理事長の行動は好意からによるものだった。

だから責めにくいのだ。智哉としてはアメリカに帰れるなら不満はない。

 

「えっ、と……公示はまだでしたよね?延ばせますか?俺のチーム・カルメットとの契約、あと一年で終わるんで……奉仕活動がありますけど」

 

契約に関しては既に結ばれており、そこに関しては最早遡及しようが無い状態である。

しかし公示はまだなのだ。つまりは、来季からではなく延期し、智哉との契約は一年後とする事は可能である。

しかし問題があった。智哉はトレセン学院で奉仕活動を二年行う事を統括機構主催レースに乱入したペナルティとして公示されている。

 

「名案ッ!勿論その方向で調整中だ!!しかしそれでは君に不利益がある!なので、サラ、言いにくいが………」

「そうね、どうしようかしらねえ?まさかクイル君があのジョー・ヴェラスと聞いて驚いたけど……そんな優秀な子を、ヤヨイに貸すのはねえ?ジュドモントのご当主もカンカンに怒ってるわよ?」

 

怒っていない。「なんかうちの坊主、えらいことになっとるんじゃが……サラちゃんなんとかならんか?」とジジイは心底困った様子で相談していた。

 

「そこを何とか!!!頼むッ!!!!!」

 

形振り構わず頭を下げる秋川理事長に、ウェルズ理事長が瞠目する。

二人はマウントを取り合う仇敵(とも)である。ここまで素直に懇願するとは予想外であった。

 

「ヤヨイ、貴方………」

「ヤヨイが頼んどるじゃろうが!!!何とかせんか!!!!」

「ひえっ!ひゃい、閣下!!!!」

 

シスターと胸倉を掴み合いメンチを切っていた大統領が口を挟み、ウェルズ理事長が条件反射で直立しながらビビりきった情けない声を上げた。

大統領はモンペである。これ以上マウントを取ったら殺されると察したのだ。

 

「最初からもったいつけずにそうせんか!!!それと若いのあとでサイン頼むけえ!!!」

「う、うす!!!」

 

今度は智哉が大統領の剣幕にビビり倒し、直立して言葉を返す。

大統領は怪人のファンである。前から知りたかった素顔が見れて実はこれでも機嫌がいいのだ。

 

「でも、条件がありますわ、大統領?まず、シーザスターズは正当防衛よ。内々では罰を与えるけどあの件とは無関係」

「それでええ!実際そうじゃろ!!!!ゴアにはワシから灸据えとくけえの!!!」

 

勇気を振り絞り、大統領にシーザスターズの蛮行を有耶無耶にしてくれという条件を出したウェルズ理事長が胸を撫で下ろす。

過剰防衛気味ではあったが実際にそうなのだ。

 

「それと……お、怒らないでくださいね?今回の件、仔細を発表して貰いますわ。そうしないとジョー・ヴェラスとしてのクイル君の実績を統括機構で発表できませんから……」

「む?それは………ううむ、ヤヨイとこのがんぼうたれが責任を取ることになるが……」

「覚悟の上ッ!!!!」

 

そしてもう一つは今回の件である。

このまま怪人の正体が智哉と発表した場合、事情を省みずに状況だけ見ると凄惨な事になるのは明白であった。

アメリカで輝かしい実績を持つ怪人トレーナーが日本に拉致された上で本人の確認無くサブトレーナーにされ、飼い殺しを受ける事になる。

当然世界中からトレセン学園は非難を浴びるであろう。理事長の進退問題にも関わる話である。

主犯の一人であるシスターは奇しくも過去にも同じ事を仕出かしており、その際には事情を知る大統領と日本の社グループの働きかけでアメリカと日本の二国間でのトレーナー移籍に関する制度が設けられ、アメリカ─日本間では一方のトレーナー資格を返上さえすれば試験を免除の上でトレーナー活動を行えるようになっている。拉致に関しても担当ごと移籍という形式でなんとかしている。

しかし今回はサブトレーナー契約が既に結ばれている。これに当てはめられないのだ。

今度こそシスターは責任を取らなければならない。

 

「………まあ、しゃーねぇか。ババア、連れてけよ」

 

シスターは、既に覚悟を決めていた。だから憮然としていたのだ。

怪人トレーナーの活躍は、シスターも当然知っている。この二年半の実績も。

 

「む……ワレにしては潔い事を言いよる」

「ババア、このあんちゃん、担当に重賞いくつ勝たせてると思うよ?二十はくだらねぇぜ。流石にそれ捨てろとは言えねぇだろ……言いてぇけど」

 

シスターの生業はウマ娘の競走指導であり、そして自身も元競走バである。

重賞を勝つことの難しさと、勝たせることの難しさも当然知っていた。

最後まで足掻くつもりだったが、借りのある相手である。借りたままでは気性難がすたる。

大統領がシスターの胸倉から手を離し、あの暴れん坊も成長したな、と感慨深い目で見つめた。

 

「いや、俺公表する気ないっすよ?」

 

しんみりとした空気が一気に凍った。台無しである。

 

「テメエ最初からそれ言えや!!!!!!」

「言う前にあんた逃げたじゃねえか!!!!!!」

「理由は?クイル君、君はその意味がわかっているの?」

 

ブチ切れたシスター相手に、振り回され続けた智哉が流石に言い返した。

そしてウェルズ理事長に向き直り、理由を語った。

 

「俺、婿狩りってやつのターゲットにされてて……自意識過剰かもしれないですけど、もし公表したら素顔でもそういうのに襲われるかもしれないじゃないですか。そう考えると公表するのはちょっと……」

 

智哉は今回の一件で、アメリカの気性難の恐ろしさを知った。

もう二度とあんな思いは御免である。それに実績が無くとも、この二年半で自分はフランと契約してもいい実力はあるという自信はついた。

それだけで、智哉には十分だった。実績などこれからまた積めば良い。そう考えたのだ。

シスターが智哉を見て、借りっぱなしの現状に頭を掻いて不貞腐れた。

大きな借りを作ってしまった。いずれ必ず返さなければならない。

 

「クッソ、結局あんちゃんには借りっぱなしかよ……」

「私もだッ!!必ず、何かで君に報いよう!!」

「……話はまとまったわね。クイル君、本当に良いのね?」

「はい…理事長、お願いします」

 

ウェルズ理事長が、息を大きく吸い込み、智哉に告げた。

 

 

 

 

 

「──トモヤ・クイル君!我が統括機構より公示による奉仕期間中に!!日本のトレセン学園への出向を命じる!!」



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第四十二話 いつか、はじまりのゲートで

お仕事忙しくてちょっとペース落ちるやで………ゆるしてゆるして。

いつの間にか総合評価2000超えてた。
感謝しかないんやで。


「あんた何であたしに連絡しなかったのよ?」

「姉貴はまだ怪我が完治してねえし近くにダンがいただろ。巻き込みたくなかったんだよ」

「水臭いわねー。インディちゃんはともかくそこらの子相手なら、おじいちゃんの技使えば何とでもなったのに」

「尚更じゃねえか!怪我人増やすなよ!!」

 

ここはフロリダ州ガルフストリームカレッジ近くの高級ホテルのロビー。

レース観戦に訪れた富裕層が主な客層である。

海岸線沿いに建設され、窓の外には美しい砂浜が広がっている。

時刻は夜である。日本での一件から一週間が経ち、智哉はアメリカに戻ってきていた。

 

「でもまさかシーザスターズとライト先輩があんた助けるとはねー、今度会ったらお礼言っとくわね」

「頼むわ。日本で会ったときに言ってるけどな」

「で、すぐに帰っちゃったんでしょあの二人」

「あー……秘書さんがブチ切れてたな……」

 

シーザスターズとアホの子のコンビはジュドモント所有のプライベートジェットで日本まで同行し、トレセン学園に滞在していた。

学園は上から下までひっくり返る大騒ぎである。英国が誇る欧州現役最強ウマ娘とチーム・ゴドルフィンのトップスターが突然のアポ無し訪問、生徒会は対応に追われたが現在地方視察で出向中の生徒会長の鶴の一声により、彼女達の受け入れが決まった。

そしてシーザスターズは来日早々にターフコースに立ち、アホの子の通訳で校舎に向けこう言った。

 

『日本の誇り高きウマ娘の諸君!私の名前はシーザスターズ!!』

『みんなー!私はシーちゃんだよー!!』

 

『私は!!私より強く!私より速い者を探している!!』

『えーと……私レース大好き!!!』

 

『我こそはと思う者はここまで来い!!!私と走ろうじゃないか!!!』

『みんないっしょに走ろうよー!!!』

 

授業中の日本のウマ娘達はこの欧州最強と走れるチャンスに沸き立ち、みんな授業をほっぽり出してターフコースに集合した。

教師陣は頭を抱えたが確かにこんなチャンスは滅多に無い。

特別授業として許可を出し、熾烈なくじ引きの末にフルゲートでの模擬レースが行われたのだ。

タフでレース狂いのシーザスターズは何度も走り、学園の生徒達の期待に応えた。何故かアイルランド大公家の姉妹殿下も混ざっていた。

シーザスターズは見て見ぬ振りをし、出向中の生徒会長の代理として辣腕を振るっていた副会長は、小言をマシンガンのように飛ばして姉殿下を説教した。姉殿下は何故かうれしそうであった。

そして参加した強者達をねぎらった後に、どうしても走っておきたい相手を求めたのだ。

 

『日本の諸君は強者揃いだな!だがここにはあの二人がいないじゃないか!』

『みんな速くてすごいねー!でもあの二人がいないよー!』

 

『諸君!私はあの二人と走りたい!!皇帝シンボリルドルフ!そして英雄ディー……』

『おいたが過ぎないかしら?シーザスターズちゃん?』

『あっミリィさん……………』

 

こうしてやりたい放題やり倒した後に、シーザスターズとアホの子は英国へ送還された。

ウェルズ理事長よりレース禁止令を出されたシーザスターズは泣いた。

ついでに外出禁止令を延長されてアホの子も泣いた。しょっちゅう脱走しては延長されているので恒例行事となりつつあった。

 

「あいつバカじゃないの?」

「俺はあの人に助けてもらったから何も言えねえ……」

「それからイージーゴアさんもいたのよね?こないだ記者会見やったけど」

「ああ、てかそんな事になってたのかよ……」

 

貴婦人は日本へ脱出した後、気に入らないシスターの親友気取りをわからせておこうと行動した。

 

『……お待ちなさい。其方、メジロマックイーンですわね?』

『確かにわたくしはメジロマックイーンですが……えっあなた、イージーゴアさん?どうしてここに?サンディと喧嘩していたようですがまたあの子が何か………』

『……上から目線で気に入りませんわね。サンディなんて愛称で呼んで……!まるで、あの女の一番の親友のような振る舞い……!!』

 

誤解である。この芦毛の令嬢はいつもあの超気性難に振り回されて参りきっていた。

 

『……は?待ってくださいまし!!わたくしがアレの親友!!!??』

『その態度!!まるで親友と呼ばれるのが当然のように……!!!!』

『いやほんとに待ってくださいまし!!!訂正を要求しますわ!!!!!』

『……………何ですって、まさか、そういう、関係………!!!?』

 

貴婦人は衝撃を受けてよろめき、打ちのめされた。

誤解である。シスターはそもそも既婚である。

芦毛の令嬢は全身に鳥肌が立ち、なんですのこの方とばかりに絶叫した。

彼女は昔から気性難に絡まれやすいのだ。

 

『えええええええ!!!?誤解ですわ!!!!ウマ娘権の侵害ですわ!!!!弁護士を呼びますわ!!!!!』

『問答無用ぉぉぉおおお!!!!レースで勝負しなさい!!!此方がわからせて差し上げ………』

 

『おいワレ、そんな暇あると思うとるのか?』

『あっ大統領……………』

 

こうして因縁を残しつつ、貴婦人はアメリカに送還された。

貴婦人は大統領に散々締められた後に謝罪会見を行い、シンデレラクレーミングは費用を貴婦人持ちで一日延長され無事日程を終えている。

富豪の貴婦人には些事である。それよりも日本に戻ろうとしたが大統領に渡航禁止例を出された。貴婦人は泣いた。

 

「無茶苦茶でしょ。もうやだこの国……」

「まあ、シンデレラクレーミングは無事に終わってよかったよな……」

「そうねー、インディちゃんはやったことはともかくとして良い子よね。あんた以外手を出してないし」

「そうだなあ、トレーナー席は大変だったみたいだけど……」

 

インディは婿狩りに失敗したものの、何も壊さず、誰も傷付けずに成功寸前まで進めたことで氏族内で名を上げた。現在は親友のザフと失恋旅行中である。そしてトレーナー席ではあの日、智哉とフランが去った後大乱闘が起きていた。

きっかけは被疑者の肉の盾を構えて介添人達を遮った、ウマ娘中央活動部第19課(U C O 19)隊員のダスティの発言であった。

 

『コイツ!力、強い!』

『ヘイヘイ!どうしたアメリカウマ娘!!強そうなのは見た目だけかァ!?』

『………上等!我が氏族、売られた喧嘩、買う!!』

 

肉の盾を、いきりたった狩人ウマ娘達が全力で押し返す。

 

『おっ、何だよやるじゃねえか!!!』

『ダスティ、ステイ!挑発するな!!あっ……』

『ぶっひいいぃぃいいいい!!!?』

 

人数差で押し返され、その反動で肉の盾がぶっ飛んだ。

肉の盾が天井に当たってバウンドし、飛ぶその先には──

 

『クリス、いいか!?ここで大人しくしてれば……うぁぁぁぁ』

『ケン!!?いや角度がおかしいデス!!ケンだけ狙うようにぶっ飛んでくるのオカシイ!!!』

 

まるで三女神の導きを受けたかのように、哀れな気性難センサーに肉の盾が狙い澄まして激突した。

クリスが余りにも異常な当たり方をしたのに思わずツッコミを入れる中、何故かきりもみ回転しながら気性難センサーが吹っ飛び、地面に落ちる。

 

『う、ウソだろ……こ、こんな事が、こんな事が許されていいのか……』

『ケン!?ケーーーーン!!!??』

 

そして狩人ウマ娘達が乱入し、暫し大乱闘を繰り広げた後に更に来訪者が現れる。

 

『ストーーーップ!!!!そこまで!!!!お願いだからもうやめて!!!!』

『間に合いましたか!!?』

『来たか!!よくやったぞファーディ!!』

『あー、終わりか?暴れたりねえなあ』

 

大族長クリミナルタイプと、彼女をここまで連れてきたアリダーの秘書、ファーディナンドの二人である。

こうして大族長の号令により、一人の尊い犠牲を出しつつも介添人達は矛を収めたのだ。

なお彼女達はお咎めなしとなった。気性難センサーは哀れである。

ジャックは無事減俸となり泣いた。ダスティは始末書の山に泣いた。

 

「そうだ、ウィル君来てたわよ。待機所で会ったわ」

 

姉が待機所での一件をふと思い出しそれを告げると、智哉は心底嫌そうな顔をした。

 

「………あ?クレアヘイブンは今年参加してなかったぜ?」

「うわ嫌そーな顔。あんたら仲直りしたら?」

「先に縁切ったのはあいつだぜ?俺から言う事は何もねえよ」

 

クレアヘイブンのウィル・ベックと智哉はかつて共にサブトレーナーとして過ごした間柄である。

年も近く、最初は険悪ではなかった。しかし、あるきっかけからこの二人は犬猿の仲となっている。

 

「それはあんたが原因でしょ。今のあんた見たらウィル君も見直してくれるわよ」

「……どうだかな。ま、どうでもいいわ」

「……そ。フランちゃんとサリーとは日本で会ってるのよね?こっち来てたとはねー」

「おう、何かばあちゃんとこそこそやってたけど……」

 

智哉は日本で目覚めた後、トレセン学園から一駅の距離にある祖父宅で過ごしていた。そこにフランとメイドも招いたのだ。

そこで数日過ごし、フランは智哉と東京観光を満喫した後、英国へ帰って行った。

 

「おじいちゃん元気だった?」

「元気すぎてまいった………次来たら鍛え直すって……」

「あははは!まあいいじゃん、あんた自分くらい守れるようになっときな」

「ッス………」

 

姉弟の祖父は当主の座を息子の伝蔵に譲った後に、日本で小栗心当流という古武術の道場を開いている。

分家に相伝されていた由緒正しき流派である。智哉は幼い頃、祖父にしごかれ姉に技の実験台にされ良い思い出はない。

智哉がトレーナー席で無意識に使った銃弾を逸らした技は、ウマ娘の門下生に伝授される奥義だった。

姉は会得しており、祖父は人間の身でこれを行う達人である。超人の智哉より遥かに強い。

祖父は智哉の身体能力に可能性を見出し、会う度に立ち会おうとするので苦手意識があった。天敵である。

 

「フランちゃんカンカンだったらしいわね?日本で」

「ジュドモントの名前まで出して怒ってたなあ……俺が止めないとヤバかった……」

 

フランは理事長室でジュドモントの名まで使い、智哉とのサブトレーナー契約に猛抗議した。

更にはこの事をジュドモントより正式に抗議の声明を発し、世間に知らしめてでも返してもらうと秋川理事長に迫ったのだ。

このフランの暴走を英国のヘンリー理事から知らされた智哉は、理事長室に急行しフランを後ろから抱きしめて止めた。

 

『国際問題ッッ!!!!!!!』

『フランストップ!なんとかなるから!!な!?秋川理事長ぶっ倒れただろ!?』

 

『………離しなさい、トム。わたしは今はジュドモントの名代としてここにいます』

『……フラン?ほら、もういいから落ち着けって』

 

智哉が見たことがない、冷たい雰囲気のフランがいた。

フランが意図して智哉に見せたことがない、ジュドモント当主の名代、いずれジュドモント家の当主となるフランシス・ジュドモントとしての一面である。

智哉は知らないフランの姿に一瞬衝撃を受けたが、それ故にフランを何とか止めようと耳を撫で回した。

 

『にゃ!!?もうトム!耳はやめてちょうだい!!』

『おっ、戻ったか。帰るぞ。東京案内してやるから』

『ほんと!?いくわ!!』

『その前に秋川理事長なんとかしねえとだけど……』

 

こうして秋川理事長を介抱した後、フランは東京で遊んでから英国へ帰った。

現在ジュドモント家では家族会議中である。フランのとある要望を父セシルが全面反対していた。

フランの祖母の説得によりセシルは泣いた。

 

「色々あったみたいだけど、あんた損したわけじゃないんでしょ?日本で滞在中はジョーとしてならトレーナー活動していいんだっけ?アメリカでもそのままだし」

「ああ、もう二重生活はしんどいから御免だけどな……」

 

あの場にいた面々の協議により、怪人の正体については各々で箝口令が敷かれた。

そして智哉だけが不利益を被る現状の折衷案として、怪人との二重トレーナー資格の所持が許可されたのだ。

ウェルズ理事長の要請で英国では智哉本人としてトレーナー業に就き、アメリカではそのまま怪人でいてほしいという大統領の希望に沿う形となった。これなら怪人の実績として智哉の実績は残るのだ。

そして日本への出向も本人の希望する時期で、希望する期間滞在できるように調整すると英国および日本双方の理事長より確約されている。秋川理事長はその上で滞在中は特例として、試験無しで怪人の短期免許を出しておくとまで言ってくれている。

ここまでの好待遇を受け、智哉としてはむしろ恐縮しきりであった。

 

「よかったじゃん。ところでいつ行くか決めてるの?」

「奉仕期間中のどっかでとりあえず半年くらいで……それ以上いたらじいちゃんに殺される……」

「そ。決まったら言いな。あたしも行くから」

「は?姉貴までなんでだよ」

 

姉はさも当然のように、さっぱりとした表情で言った。

 

「あたし、来年あんたのカルメットとの契約が終わったら引退するし暇なのよ」

 

「……へ?」

 

智哉は耳を疑った。担当の自分が全く知らない話である。

 

「何で!!!?いつ決めたんだよ!!!?もう言ってるのか!??」

「ネルにも勝てたしアメリカで負けたリベンジって意味ならもういいかなって。決めたのはさっき。オーナーとチーフには言ったわよ」

「………マジかよ。欧州でやると思ってたわ」

 

姉はこの弟の言葉に顔を青くしてかぶりを振った。

欧州の競走バ達のその先の競走、レジェンドグレードにだけは絶対出たくない理由が姉にはあるのだ。

自分が参戦したら嬉々としてあのレース狂いの欧州最強が、掟破りのティアラ路線への殴り込みをしてくるだろうと言う確信を持っていた。

 

「レジェンドグレードは嫌なのよ!!!!あいつが絶対来るから!!!!!」

「あいつ……?よくわかんねえけど……やりたい事とかあるのか?」

「うーん……やりたい事っていうか、責任取らないといけない事は一つだけあるわね。今言えるのはそれだけかな……」

 

そこまで話したところで姉が席を立つ。ここにはとある一家が同行しており、姉はその一家の一人娘の為に時間稼ぎとして弟と雑談していたのだ。そして今が頃合いである。

 

「さて、あたしは部屋戻るから。あんたはもうちょっとゆっくりしてなよ」

「ああ、明日から練習再開するからな?」

「りょーかい。ま、あたしはしばらくレース無いからロードちゃん見てやりな。あ、それと」

「どうした?」

 

「全部あんたに任せるから」

 

姉は真剣な顔でそう言った後、ロビーから去って行った。

智哉が首を傾げ、言葉の真意を探ろうとしたが後ろから声がかけられる。

智哉はトレーナーであり、カレッジの施設も利用できる。

わざわざ高級ホテルにチェックインせずともカレッジのトレーナー寮に泊まればいいはずである。

ここに宿泊している理由は、この人物にあった。

 

「トモ兄、ちょっといいかな……?」

「おっ、ダ……ン?」

 

智哉が声をかけた人物、ダンに振り向いたところで目を見開き、声を失う。

その姿を見て、一瞬ダンなのかわからなかったのだ。

 

「ど、どうかな…?こういう格好、するの初めてだけど……」

 

ダンは、普段は短パンにスカジャン姿のボーイッシュな服装の少女である。

それが今は薄い黄色のワンピースドレスに身を包み、鮮やかな栗毛の髪を横でシュシュでまとめ、上から下までどこから見ても少女と言った様相となっていた。

ダンは元々はウマ娘基準でも整った綺麗な顔立ちの、中性的な美少女である。

智哉と会うまではウマ娘である事を隠していたし、その陰気な雰囲気からその魅力に気付く者は少なかった。

あのダンをいじめていた三人組はダンの魅力に気付いていた。だから良からぬ考えを持ち、ちょっかいをかけていたのだ。

その隠された魅力が、智哉の前で露になっていた。

 

「お、おう……一瞬誰かわからなかったぜ。似合ってるぞ、ダン。髪は自分でやったのか?」

「お母さんがやってくれたんだよ。ミディ姉がこの服、選んでくれて……」

 

もじもじと恥ずかしげにしつつも、ダンは智哉の返事に少しだけ眉を顰める。

褒めてもらったのはうれしいが、言い慣れていると感じたのだ。

 

(……トモ兄、女の子褒めるの慣れてる。やっぱりそういう子いるんだ……)

 

実際智哉はフランによく感想を求められる事があり、言い慣れていた。

しかも似合っているだけではフランが怒るので一つコメントを加えるようにしている。

いつものダンならこのままもやもやした感情を抱えているところだったが、今日は勇気を出す日だった。

そのためにこんな格好までしたのだ。勝負をかけるために。

勇気を出して、ダンが口を開く。

 

 

「トモ兄、ちょっと歩かない?」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「さ、寒いよぉ……」

「そりゃ寒いだろ……」

 

ホテルの外、砂浜の前の遊歩道でダンは震えていた。

季節は冬、ワンピースドレスだけでは寒さを防げないのは当然である。

 

「ほら、着とけ」

「えっ、でもトモ兄が」

「俺は平気だからいいって。厚着してるからな」

 

震えるダンの肩に、智哉が着ていたファー付きのジャケットが被せられる。

智哉はその下にハイネックのセーターを着込んでいた。実際そこまで寒くはない。

平気そうな智哉を確認してから、ダンはジャケットに袖を通す。

180cmを超える智哉の着ていたジャケットはダンにとってはかなり大きい。

袖が大きく余り、智哉の体温で暖かいジャケットの袖をダンがすんすんと条件反射で嗅いだ。

 

(ふわあ、トモ兄のやさしい匂いがする……)

「ダン、嗅ぐのはやめてくれねえかな……」

「えっ!?あ、えへへ、ごめんね」

 

オーストラリア旅行の際に、フランに吸われた事を思い出した智哉が少し嫌な気分になりながら嗅ぐのを咎め、ダンは笑って誤魔化した。

そのまま少し歩いた後、二人は砂浜の前のベンチに座る。

 

「……寒くないか?」

「うん、大丈夫」

 

ダンが、智哉の目をしっかりと見ながら、言葉を紡ぐ。

どうしても、伝えたいことがあった。

二人きりで、願いたいことがあった。

 

「……ありがとう、トモ兄」

「ん?何の話だ?」

 

智哉は一度、とぼけてみせた。あの時気付いていなかったなら、それでいいと。

ダンにしたことについて恩を売りたい訳でも、見返りを求める訳でもない。

ただそうしたかったのだ。

何かを求める為でなく、ただ、ダンの為に。

 

「トモ兄、あの時の言葉……ちゃんと届いてたよ。だから誤魔化さないでほしいな」

 

ダンはとぼけた智哉の真意、夢へと連れ出してくれた優しい魔法使いの思いを、すぐ様汲み取った。

ずっと憧れ、見ていた人だった。ダンにわからないはずはなかった。

 

「……そっか、聞こえてたんだな」

「うん……」

 

二人で、砂浜を眺める。冬の砂浜の遊歩道には、二人以外誰もいない。

静かに波の音が響き、頭上には月が輝いていた。

ぽつりと、智哉が言葉をこぼす。

 

「……よかったな、チーフが見てくれるんだろ?」

「……うん、びっくりしちゃった」

 

フロリダ州にダンを連れてきたのは、ここを本拠地とするチーム・カルメットとの交渉とダンのメディカルチェック、そして形式上の契約テストの為である。

弱冠十歳の少女とは思えないその脚力とラップタイム、チーフトレーナーであるロッド・フレッチャーはダンの才能に惚れ込み、そして面談の後に正式に契約した暁には自分が担当すると宣言したのだ。

その際に、ロッドは意味深な言葉を智哉に残している。

 

『とりあえず、私が見るよ。それが最もあの子の為になると思ったからね。とりあえず、だけどね?』

 

智哉は怪訝に思ったが、ロッドはアメリカにおける最高峰のトレーナーの一人である。

弱冠十歳の少女に対しての最高の待遇に智哉は頭を下げ、ダンをお願いしますとロッドに感謝を伝えた。

 

「でも、トモ兄……よかったの?こんな高いホテル……」

「気にすんなって。これでも稼ぎはいいんだぜ?それにダンの晴れ舞台だろ。これくらいどうってことないよ」

 

優しく微笑みながら、智哉がダンに平然と言ってのける。

お互い、本当に伝えたいことを避けている。

言わなければならない。伝えなければならない。

それでも少しだけ、このままでいたかった。

ふと、智哉が片手を握り、ダンの前に差し出した。

 

「……どうしたの?」

 

不思議そうにその手を見るダンに見せびらかすように智哉が手を振り、そして開くと、その中には黒い中折れ帽が現れた。

怪人のコスチュームとして使っている中折れ帽である。

それを智哉は、ダンの手に乗せた。

 

「やるよ、それ」

「わあ……!すごいトモ兄!どうやったの?」

「ちょっとした手品だよ。練習したんだぜ?」

 

ダンが、手に置かれた怪人の中折れ帽を見つめ、そっと胸に抱く。

一つ、目標が生まれた。

 

「……これ、ボクの勝負服にする。お母さんに耳穴開けてもらわなきゃ」

 

贈り物を勝負服にするという行為は、競走バにとって最大限の好意の表れである。

 

「……いいのか?それ、ダンには大きいぞ?」

「ううん、これがいいんだ。それとねトモ兄、後でさっきの手品、教えて?」

「ああ、いいぜ。ちょっと難しいぞ?」

「うん、頑張る」

 

帽子を大切にそうに胸に収め、口火を切ったのはダンからだった。

 

「トモ兄、英国に……帰るんだよね?」

「……ああ、姉貴からか?」

「うん、ミディ姉から、聞いた……」

 

智哉は、姉のあの時の言葉の真意は、この事であったと気付いた。

姉は弟に、これからの事を任せると言っていたのだ。

勘違いである。姉は意味深な言葉で煙に巻き、やらかした事を弟に丸投げしているだけである。

 

「そっ、か………まだ一年契約はあるから、帰るのは来年の暮れだけどな」

「何のために、帰るの?」

「まずは、あっちでサブトレやる為だな。試験の時に色々あってさ、二年奉仕作業しないとあっちで契約できないんだよ」

「……………誰かと、契約するの?」

 

俯き、スカートをぎゅっと握ったダンが、一番聞きたくないことを聞いた。

この憧れの人の影に誰かがいることはわかっていた。それでも聞きたくないことだった。

 

「ああ……あっちでな、契約を約束した子がいるんだ」

「そう……なんだ。どんな子?」

「あー、どんな子っつうか……」

 

何となく、智哉は普段働かない勘が働き、言葉を濁した。

 

「えーーっと……まずは、色々世話になった人の娘で……入院費とか払ってもらってさ」

「入院!?お金!!?」

「いや、あと、なんつうか……その子のじいちゃんが顔が利く人でさ、推薦とかしてもらって……」

「推薦!?権力!?権力なの!!!?」

 

ダンは戦慄した。憧れの人が外堀を埋められ雁字搦めにされている。

目が光彩を失い、ダンの脳裏に良からぬ想像が浮かんだ。

 

『トム、お父様に入院費払ってもらってるわね、わたしに恩があるわね?』

『ッス……お嬢様』

『お爺様にも推薦してもらったわね』

『はい……』

『契約してちょうだい。今すぐでいいわ。あと溶鉱炉で親指を立ててちょうだい』

『はい……いや待てよ!それは死ぬだろ!!!』

 

(お金だ……お金と権力で、やさしいトモ兄を逆らえなくしたんだ……!許せない……!!)

 

智哉は前を向いて話していたが、ここでダンの様子を見て慌てた。

明らかにヤバい方向にダンの目の色が変わっている。

 

「ダンちょっと待て!!たぶん違うから!!!」

「えっ、でもトモ兄…溶鉱炉……」

「なんだよそれ!!ちゃんと話すから!!!フランはそんな子じゃないんだよ」

 

ダンの目が少しずつ元に戻っていく。説得が通じたのだ。

 

「……わかった。ちゃんと聞くから話してね?そのフランちゃんと、トモ兄の事」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「………色々ありすぎて何から言えばいいかわかんないよ………」

「だよなあ……」

 

長い話だった。

智哉は自分の生い立ちからフランとの出会い、そして今に至るまでをダンにしっかりと語った。

途中、拳銃で撃たれた所や爆弾騒ぎでダンはツッコミを入れた。

「なんでそうなるの!!?おかしいよトモ兄!!!」と言いながら頭を抱えるダンに、智哉は自分の生い立ちながら同じ思いを抱いた。

 

「その、トモ兄が助けた同級生の人、今は……?」

「……わかんねえ、遠くに引っ越したらしいけどな」

「そう、なんだ……」

 

ダンはフランについて聞き、この二人に割っては入れない絆を感じていた。

しかし、自分も譲るつもりはなかった。

それならば、聞くことは一つである。

 

「トモ兄、フランちゃんとの契約、何年か決まってるの?」

 

智哉はダンの言葉には応えず、立ち上がり、砂浜を眺めた。

 

「……トモ兄?」

「なあ、ダン?ジュドモントって、知ってるか?」

 

ジュドモント家は、世界的にも著名なトレーナーの大家である。ダンも当然知っている。

この質問に首を傾げながらも、ダンは答えた。

 

「うん、知ってるよ。すっごい有名だよね」

「……フラン、さ。そこの娘なんだよ。しかもいずれは当主になる」

「え!!?そうなの!!!?」

 

智哉はフランに契約を願い、そして承諾を貰ってからジュドモント家について調べ、余りにも自分とは住む世界が違う現実と、ある事実に行き着いている。

ジュドモントは今や有名なトレーナーの大家とされているが、本来はウマ娘の家系である事に。

そして、ウマ娘の当主についても。

 

「……シニア級が終わるまでの三年と思ってる。それ以上は俺は一緒にいられなくなるからな」

「……どうして?」

「……ジュドモントのウマ娘の当主はな、結婚が早いんだよ」

 

ヘンリー理事の先代から、ジュドモント家は男が当主を務めている。

ウマ娘の当主については古い文献しか残っておらず、仔細までは調べきれなかったが当主を務めたウマ娘全てが、若くして伴侶を得ているのだ。

 

「……だからさ、俺は三年だ。それ以上はフランの近くを例え十個も歳が離れてても、男のトレーナーがうろちょろしてたらフランの風聞に関わるだろ?俺はフランの負担には、なりたくねえからな……」

 

絞り出すような、苦渋に満ちた智哉の声だった。

ずっと、悩んでいた事だった。しかしフランの近くにはそれ以上はいられない。

これが、智哉の答えだった。

この智哉の出した結論にダンは違和感を覚えた。

この人何言ってるの??と全力で首を傾げたのだ。

 

「えっ…?トモ兄?」

「ん?」

「その、フランちゃんを、誘拐犯から命がけで助けたんだよね?拳銃で撃たれてまで」

「おう、あれは痛かった……」

「そ、それで、レースに乱入したんだよね??フランちゃんを助けるために」

「おう、警察ウマ娘がめちゃくちゃ怖かった……」

「???それから、フランちゃんの家の前の爆弾解除しにいったんだよね??危ないのに??」

「おう、あれは死ぬかと思った……」

「??????」

「さっきからどうしたんだ、ダン……?」

 

ダンは眉間を揉んだ。この人おかしいよ……と頭を抱えたかった。

 

(フランちゃん、絶対トモ兄以外の男の人見えてないと思うんだけど……黙っておこう)

 

智哉の顔を見る。きっとこうなったのは過去の心の傷によるものだろう、とダンは確信した。

この優しい人は、わざとそういう事を考えないようにしている。そう思えた。

 

「そう……なんだ。じゃあ、契約終わったらどうするの?」

「……何も考えてねえんだよなあ。俺の先生がさ、英国帰る前に世界中ぶらぶらしてたらしいんだよな。それも悪くねえかな。自分探しってガラでもねえけどな」

 

ダンの目がぎらり、と輝く。

糸口、抜け出すスペースをようやく見つけたのだ。

後は上手く、例え卑怯な言い方でも、この魔法使いの言質を取りに行く。

巨神は遂に、その足跡を残すべく動いた。

 

「トモ兄、ボク、決めたよ」

「……何をだよ?」

 

「──ボク、フランちゃんより長く競走バ続けるつもりだけど、芝は走らない。トモ兄と、契約する日まで」

 

砂浜を眺めていた智哉が、驚いて振り向く。

それは止めさせなければならない。ダンは芝において天才である。

 

「何言ってんだよ!!?それは駄目だ!!!数年後なんてどうなってるか……」

「えー?トモ兄、迎えに来てくれないの?だからさ……」

 

ダンは、フランとの出会いについて智哉から聞いた時に、激しく嫉妬を覚えた部分があった。

ゴールになる、という言葉が羨ましくて仕方なかった。

しかし考えをここで転換した。向こうがゴールなら──

 

 

「──トモ兄が、ボクのゲートになってよ。ずっと、待ってるから」

 

 

──自分はこの人をゲートにしてやる、と考えたのだ。

 

「えっ……いやでもダン、考え直す気ねえか?勿体なくて……」

 

強烈な地響きが、遊歩道に響いた。

最後の、ダンの詰めである。

全身から赤いオーラが立ち上り、ダンは智哉の前でその目覚めた気性を発揮した。

 

「トモ兄、ボクが、ここまで頼んでるんだよ……?うんって言って??」

「ダ、ダン……?」

 

もう一度、地面を踏み鳴らす、衝撃で智哉の体が一瞬浮いた。

 

「ダンちょっと待て!!落ち着け!!」

「うんって言うまで、やめないから」

 

更に地面を踏む。遊歩道にヒビが走った。

智哉は、アメリカの気性難の恐ろしさを知った。

つまり、目の前のダンに一瞬恐怖を覚えたのだ。

声を上ずらせながら、智哉が答える。

決定的な、一言を──

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、フランの許可が出たら…………………」

 




次回、アメリカ編最終回。

ゴアネキはこの後また来日してマックちゃんに喧嘩売るけど、主戦場と適正距離の違いからレース勝負は断念して、チビ使という年末特番でスイーツ大食い対決とかチュロスしばき合い対決とか熱々チョコフォンデュかけあい対決とかで勝負する事になるやで。
日本編で隙あらば書きます。


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アメリカ編最終話 ゲートの、その先へ──

「うーん……そんなとこダメだよ、トモ兄……」

「へへっ……トレーナー、アタシのここ、そんなに気になる……?」

 

ここはペンシルベニア州パークスレーシングカレッジ、プロ競走バ達が暮らす生徒寮。

生徒寮は二人で一部屋の相部屋制である。

その一室で二人の少女が何やら寝言を言いながら、爆睡していた。

この二人はプロになる以前からの付き合いの親友同士である。

片やアメリカを主戦場とするプロ競走バ、そしてもう一方もケンタッキーダービーを制した名ウマ娘として、アメリカで名を馳せていた。

そんな二人だが、現在窮地であった。

寝過ぎである。二人は今日は早朝よりトレーニングの予定があったのだ。

既に時間を過ぎている。すっぽかされたトレーナーは、彼の公私に渡る付き合いのサブトレと二人で眉間を揉んでいた。

しかもこの二人、片方の寝相が悪すぎる為に一つのベッドで寝入り、抱き合っていた。

目覚まし時計は片方が叩き壊していた。鳴った瞬間に寝たまま破壊したのだ。

これがある為に、彼女が親友を起こすのが常であった。しかし哀れな目覚まし時計は粉々に破壊されていた。

 

「トモ兄…ボク、あの子よりもトモ兄の事……」

「トレーナー……まだるっこしいなあ、こっち来いよ」

 

抱き合った二人が、夢の中のそれぞれの相手に口づけをしようと顔を近付ける。

そこで、携帯電話がけたたましく鳴った。怒った二人のサブトレが電話をかけたのだ。

 

「ふえ……?ひゃあああああ!!?アニ何してんの!!?」

「うん……?ぎええええええ!!?ダン何でアタシのベッ……ダンのベッドじゃねえか!!!」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「またボクの目覚まし壊したでしょ!アニ!!」

「わりーって!!それより急ぐぞ!!」

 

目覚めた二人はトレーナーに慌てて連絡し、「もういいからちゃんと食べてから来るように」との返事を受けて朝食を摂ってから出発した。

その際にダンとサブトレが口喧嘩を始めそうになったが、電話の向こうのトレーナーとアニと呼ばれた少女、アニマルキングダムが仲裁して事なきを得た。二人は顔を合わせる度にどちらが上か張り合うのが常であった。

 

「ほっ!いえーい!!」

 

パークスレーシングカレッジは市と一体化した構造をしており、寮から練習場までが遠く市内を経由して行く必要があった。

ダンはその練習場までの近道である公園をスケボーで疾走中である。ここ数年で上達したスケボーのトリックを階段で決め、上機嫌で鼻歌を歌う。

成長し、背は160cm後半まで伸びた。

中性的な魅力はそのままに体は女性的な丸みを帯び、首元まで伸ばした栗毛の髪を一本に結び、カレッジの制服を着崩しその下にパーカーを着ている。

成長してもボーイッシュな服装を好むのは変わらなかった。

 

「お前それズルいぞ!アタシにも貸せよ!!」

 

この気楽にスケボーを乗り回すダンに対して、自分の足で走っているアニキは抗議の声を上げた。

こちらは髪型は少女の頃より変わらず、制服は着崩して今どきのギャル風の格好をしている。

トレーナーが持っているとある写真を見て以来、トレーナーはこっちの方が好みなんじゃ?と考えての服装である。

 

「アニは乗れないじゃーん?走りなよー!……あれ?」

 

ダンが振り向いて親友をからかった際に視線の先にある物を捉え、スケボーをフリップで回した後に方向転換した。

 

「おいダンどこ行くんだよ!!」

「ちょっと、ねっ!!」

 

身を屈め、素早くコーナーを曲がり切ったダンがそのまま目的地を目指す。

最近知り合った少女と、それを取り囲む少年達の場所へ。

 

「やめてよぉぉ!!うえぇえぇえん!!」

「やーい!!また弱虫モルが泣いたー!!」

「ウマ娘のくせにー!!」

「お前が競走バなんて、なれるわけ……あっ」

 

飛び上がり、スケボーを手に収めたダンがそんな中に降り立つ。

 

「ほい、ほいほいっと」

 

そして唖然とする少年たちに、そのまま軽くデコピンを見舞った。

 

「いでえ!」

「うわあデコピン女……いだい!!」

「ひえええぎゃああ!!」

 

少年達が最近よく現れる謎のデコピン女の襲撃を受け、恐慌しながら脱兎のごとく逃げる。

それをダンは手でしっしと追い払うジェスチャーを見せながら、いじめられていた少女の前に立った。

ダンにもアニキにも負けず劣らずの美しい少女であった。黒鹿毛のロングヘアーにその中心に長く大きな流星。

気弱そうだが優しげな瞳は今は涙で濡れている。そんな少女がダンを見るや抱きついて、泣いた。

 

「モルちゃん、大丈夫?」

「ダンおねえちゃああああん!!!うえええええん!!!」

「なんだ、モルか。またいじめられてたのか?」

 

そこにアニキも追い付き、モルに気付いて声をかける。

えづきながらも、ダンにしがみついたモルが叫んだ。

 

「ダンおねえちゃん、アニおねえちゃん……モル、きょうそうバになりたいの!!」

 

ダンはあの日の自分のような、魂からの叫びに心が揺れる。

モルというこの少女はここに滞在している間の短い付き合いである。

今日のようにいじめられているところを助けてから懐かれ、関係を続けていたがこのような叫びを上げたのは初めての事だった。

きゅっと口を結んだダンが屈み、あの日大切な人にそうしてもらったように、優しく接する。

 

「うん、モルちゃんならなれるよ。だから、ボクに話してくれる?」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「なるほどなぁ。あのガキどもタチ悪いなぁ、今度会ったらシメるか?」

「あはは……程々にね?」

 

ダンとアニが、モルからこれまでの経緯を聞き、ため息を付く。

きっかけはモルのとある行動だった。

 

「モルね、ワイズダンさんのまねしてただけなの、それなのに……」

 

ワイズダン──現在、アメリカにおいて最速と名高い生きた伝説のウマ娘である。

現在19戦12勝うちG1三勝、特筆すべきはダート、芝両方のG1を勝利している事である。

このままエクリプス賞に手をかければ、伝説のウマ娘ジョンヘンリーに並ぶ偉業となることは間違いないと言われている。

 

そのワイズダンに憧れるモルは、彼女がレースで見せるパフォーマンスを真似して遊んでいた所で、あの少年達にからかわれたのだ。

お前がワイズダンさんの真似なんてやめろ、お前なんてあんなすごいウマ娘になんてなれない、と。

 

「えー、そんな、照れちゃうなぁ……」

 

この話を聞いたダンは頭を掻いて照れた。面と向かって憧れている、と言われた事は初めてであった。

しかしモルはこのダンを見て首を傾げる。

 

「……なんでダンおねえちゃんがてれるの?」

「……えっ」

 

ダンが絶句し、隣のアニキが腹を抱えて爆笑する。

いつもの事である。ダンは普段とレース時が別人過ぎて同一人物と思われていないのだ。

知っているのは彼女のトレーナーとそのサブトレ、そしてごく少ない友人のみである。

 

「あっはははははははは!!!!お前別人すぎるもんな!!!腹いってええええ!!!!」

「アニ、笑いすぎでしょ……ボクは別に隠してないのになぁ」

 

落ち込むダンを前に、更にモルが首を傾げた。

そんなモルを見て、ダンはどうすべきかを考える。

こういう場合、彼女のトレーナーに相談するのが最善だが、どうしてもそれはやりたく無い事である。

 

「で……どうすんだ?トレーナーに言うか?」

「……ダメ」

 

ダンの目が光彩を失い、どんよりと曇った雰囲気を発する。

 

「いつも、いつも……いつもだよ?あの人は困った子を見つけて助けては、迫られて、そんなつもりはなかったとか言って……それであの子とボクがどれだけ苦労してるか……何年経ってもあのクソボケっぷりは治らないし一回死んだ方がいいんじゃない?いや死なれたらボク泣いちゃう」

 

「ダンおねえちゃん……?」

「モルほっとけ、いつもの発作だから。おーいダン戻ってこい」

 

アニに肩を揺さぶられ、ダンの目が徐々に光を帯びる。戻ってきたのだ。

 

「はっ!?アニ、どうしたの?」

「どうしたじゃねーよ、モルどうすんのって話だよ」

 

冷静に戻ったダンが、モルを見つめる内にある事を思い付いた。

あの思い出の日々の中で、良い方法を見つけたのだ。

 

「ねえ、モルちゃん?」

「なあに、ダンおねえちゃん」

 

 

「レース、見に来ない?」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

『さあ!サンタアニタパークレース場は今!大一番!!トレーナーズカップマイルを迎え最高の熱気に包まれています!!現役最強と名高いワイズダンか!?はたまた英国から来たマイルの王者か!?それとも昨年のケンタッキーダービーウマ娘の戴冠なるか!!?さあどうでしょう解説のジョンヘンリーさん?』

『そうですな、私としてはワイズダンが一押しですが……あの世界最強ウマ娘フランケルとのデッドヒートのような走りをエクセレブレーションができれば十分勝機はあると思いますよ!』

 

サンタアニタパークレース場は現在、大観衆に包まれていた。

かの神出鬼没、アメリカ全土の話題を独占しておきながらそのプライベートは謎に包まれている現役最強ワイズダンが、この大一番に挑むのだ。

この大一番を控えた出走ウマ娘の一人、鹿毛のウマ娘オブヴィアスリーは腕を組み、入場してくるライバル達を怒りを呑み込んだ目で見つめていた。

 

(……先輩は、このレースに出ると言っていた。しかし出走表にはあのいけ好かないヤツの名前があった)

 

尊敬している模擬レースで一度も勝ったことがない先輩がこのレースに出ると聞き、共に走ろうと出走を表明した。

彼女は実力者である。その彼女が勝てない先輩は、一度も公式レースで走っているところを見たことがない。

応援しようと中継を見る度に、あのいけ好かないトリックスター気取りが出走しているのだ。

 

(……先輩は、きっとあの女に脅迫されている。絶対に許さん…!!)

 

怒りに燃える視線、その先に、現役最強はいた。

 

「諸君、今日はよろしく頼むよ。お客さんが盛り上がるような良いレースをしよう」

 

耳穴の開いた、サイズの大きな黒い中折れ帽で目元が隠れ、裾が膝下までの長さの装飾された黒いトレンチコート、そして黄色いラインの入った黒いスカートの黒尽くめの勝負服に、小道具のステッキ。

現役最強ウマ娘、芝の巨神(タイタンオブターフ)ワイズダンその人である。

もう一人の尊敬する人物、先輩の親友であるアニキと仲よさげにレース前に談笑するワイズダンを忌々しげにアスリーが見つめる。

 

(……何故だ、アニ先輩は…?何故、ダン先輩の居場所を奪ったヤツとあのように親しげに……)

 

ギリ、と唇を噛み締め、こちらに挨拶に来るワイズダンをアスリーが睨みつける。

 

「やあ、アスリー、君と公式戦で走るのは初めてだったね?この日を楽しみにしていたよ」

 

まるで以前より自分を知っていたかのように振る舞う気に入らない相手を前に、アスリーは叫んだ。

 

「キサマ!!!ダン先輩をどこにやった!!!!?」

「え…ええええええ!!!?」

「うひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!!アスリーマジか!!!!!」

「なんですかアニ先輩!!コイツは!!!」

 

最近かわいがっていた後輩のまさかの発言にワイズダンが絶叫し、アニキが腹を抱えて芝に蹲る。

ワイズダンは余りのショックにその場に屈み込んで落ち込んだ。想定外にも程がある。

 

「ウソでしょぉ……」

「だからお前別人すぎるんだよ」

「もういいよ……さて、アスリー……私は少し用事があるのでね、失礼するよ」

「待てキサマ!先輩の居場所を……」

「アスリー後にしとけって、説明してやっから」

 

いきりたちこちらを指差すアスリーをアニキが制止する中、ワイズダンは観客席を目指した。

最前列の、少女の元へ。

 

「やあ、お嬢さん。少しいいだろうか?」

「わあ、ワイズダンさん!!」

 

ここへ招待した少女、モルの前へ立つと、ワイズダンは握り拳を作るとそれを数回振って、目の前で開いて見せた。

 

「えっ…わあ、すごい……!」

 

開いた手の中には、一輪の空色のネモフィラが握られていた。

 

「お近付きの印さ。君に、今日の勝利を捧げよう」

 

花を少女の髪にそっと飾る。

その時モルは中折れ帽で隠れた目元、ワイズダンの素顔を覗く。

 

「えっ、ダンおねえちゃん……?」

 

ダンはその声には答えず離れると、トレードマークの中折れ帽を気障に構え、仰々しくお辞儀をしてみせた。

この現役最強のパフォーマンスに、女性客から黄色い声援が上がる。

中性的な男装ウマ娘の彼女は女性人気がすこぶる高い。

モルに手を振り、踵を返す。

途中サブトレと英国から来た出走ウマ娘が何やら話しているのが目につくが、既にゲートインは始まっている。最後に目指すべき場所へ向かうのだ。

 

 

彼女の目指すべき、ゲートへ──

 

 

 

 

 

 

 

「──勝ってくるよ、トレーナー」

<ああ、行ってきなさい>




これでアメリカ編終わりになります。最後のトレーナーはまあ、うん……写真のギャルウマ娘は二部で出るやで。突っ込まれる出し方やけど……アメリカ編のとある部分の聞き手として出てます。
あれもこれもって書きたいこと書いてったら一部より話数増えてしまった…。
次からは研修〜アメリカ編のキャラ紹介しますやで。
設定とその後をちょっと書くだけだからパパッと書くやで。
怪人の項目ではちょっと重要な事書きます。主人公二人が立ち向かう運命について。

その後は章間のエピソードとIFルートを挟んで日本編に行くやで。
日本編登場予定ウマ娘
テ????イ
テ????ー
ロ?????ア
グ?????ス
デ???????ト
ヘ??ー
グ??????ー
ダ???????ヴ

あとこの時代設定なら暴君ちゃんも出したい……出したいやで……。
この子どう!?とかあったら感想で教えてくれたら検討しますやで。


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第1.5部研修編〜アメリカ編主要人物紹介
その一 怪人と、芝の巨神


というわけでキャラ紹介書いてくやで。
まずは主要の二人とあの人から。


ジョー・ヴェラス

年齢不詳 身長170cm後半~180cm台 黒い中折れ帽にベージュのトレンチコート。流星のようなラインが入った黒い覆面。

アメリカに突如現れた正体不明の覆面トレーナー。

主人公の久居留智哉が変装した姿。身長170cm台の時は代理のライエンが変装している。

アメリカでのトレーナー生活を始めるにあたり、恩師であるジョエルからの提案によりこの姿となった。

理由は過去のジョエル自らの苦い経験による教訓と、旧友への一種の意趣返しによるもの。

ジョエル本人は知らない話だが、三女神と女神エクリプスからもそうなるように誘導されている。

実はかなりのファインプレイ。素顔でトレーナー活動をしていたら運命が固定され英国へ帰れなかった。理由は下記の本物ベラス氏の項目にて。

この姿になる、もしくは自分は久居留智哉ではなくジョー・ヴェラスだと認識すると、冷静かつ的確な判断力が得られた上で普段のヘタレぶりがなりを潜め、本来の超人パワーと優れた知性を全力で発揮できる。

この姿の時は三女神謹製デバフも解除され、運も味方するので作中最強クラスのトレーナーとなる。

トレーナーとしての能力で太刀打ちできるのはエイベルに師であるジョエルと姉弟子にあたるケッカ、あとはフランス、日本それぞれの最高峰のトレーナーくらい。

英国、日本、アメリカ三ヵ国よりその存在を承認されているので今後もたまに登場する。

この姿の時は大体はちゃんと主人公します。

 

三女神の被害者その三。

三女神のアホの子担当ゴドルフィンが、何度やり直しても智哉がミッドデイを選ぶループから逃れるために変化を加えた結果、超絶なやらかしにより誕生した怪人。

本来は冴えない平凡な二流トレーナーだが人並みの幸せを得られる智哉が、超人のスペックと過酷な運命を与えられてしまっている。ご先祖様激おこ。

本人がいまいち自分の力を過小評価しているのはこの影響。魂的には一般人。

勘違いにより実は三人分の異世界の騎手の運命を背負っており、余分な運命はなんとアメリカ12000勝分の因果。神様達も気付いていない、この世界のアメリカがこうなった原因。

寵児であるフランとの縁があろうが、平凡な冴えない二流トレーナー本来の運命が呑み込まれ、徐々にそちらの運命に置き換わろうとしている。

まだマシな状態だが酷くなると飛行機に乗るだけで高確率でアメリカ行きのハイジャックに巻き込まれ船に乗れば遭難してアメリカに漂着し道を歩くだけで運命が回り回って気付けばアメリカにいた、となるくらいアメリカに引き寄せられる。婿狩りもこれが悪さをした結果。

某シスターは運命を超越した規格外なのでこれを無視して行動できる。何気にファインプレイ。本人は知らないけど。もう一人未来の人物もこの時代に運命が無いから無視できる。まだ出てない。

フランでもどうしようもない、二人を引き離そうとするこの呪いのようなアメリカとの縁と因果が、立ち向かわなければならない運命そのものの正体である。

でもこれを知っているのは神様達だけなので本人達はいっつも酷い目に遭うんだけどくらいの認識。智哉が知ることは無いがこれを知ったら流石に頭を抱えて転がる。仕方ないよね。

名前の元ネタはプエルトリコ出身の6000勝騎手「ザ・キャプテン」ジョン・ヴェラスケス。

 

 

ワイズダン(ダン)

十歳→十七歳(最終話) 身長143cm→168cm(最終話)栗毛。縦長の流星。B85W56H84(最終話)

もう一人のヒロイン。トモ兄ガチ勢。

走る度に転び、その姿からのろまな(スチューピッド)ダンと呼ばれいじめられていたが、ある日自宅の隣にやってきた青年との出会いをきっかけにアメリカ最速のウマ娘へと成長していく。

天性の脚力の持ち主で、ウマソウル励起現象と呼ばれるウマ娘がレースで起こす奇跡をある程度自由に発動できる。

寵児の目が与えられなかった代わりに得た能力で、基本スペックの高さも合わせて実はとある世界最強ウマ娘へのカウンターと成り得る。

実はメンタル面は登場ウマ娘でも最強クラス。エクスちゃんくらい強い。なので智哉と縁が作れなくともその内ド根性で自ら覚醒していた。

アメリカと英国という国の違いと頭角を現す時期の違いからフランとレースで走る事は無いが、それ以外の部分においてフランの人生最大の宿敵。しかしまだお互い相手を知らない。クソボケがクソボケすぎるのでそのうち共闘する事になる。しょうがないよね。

男性観はアメリカ編三十一話で粉々に破壊された。幼気な少女にやることじゃない。

成長後はレース時のキャラ作りとオンオフの切り替えをはっきりしすぎた結果、身近な友人にも競走バとしての自分とは別人と思われているのが悩みの種。アスリーにはアメリカ最終話後に謝られたがしばらく根に持った。未来の彼女は湿気が強い。

スケボーと手品はかなり上達している。ダンスは責任を取らせたとある人物の指導により世代トップクラスの腕前。歌唱力は日夜ボイトレ中。

 

三女神の被害者その四。

最新の神である芝の巨神(タイタンオブターフ)のウマソウルの持ち主。寵児のフランとは別の経緯で誕生し、異世界からの繋がりを持つトレーナーへの執着が異常に強い。

しかしアホの子担当の超絶やらかしにより、本来の運命の相手は歴史から姿を消している。

この為に目を得られなかったが、スパルタな守護者の荒療治により別の能力を取得した。

守護者は本当は入れ替わるつもりは無く、こうすればこいつならやる気出すやろの精神で発破をかけただけ。上手く行ったのでニッコリ笑って消えた。

守護者はスパルタだが徹頭徹尾ダンが幸せになれるように行動している。哀れなクソボケがその割を受けるけど仕方ないよね。

元ネタは2012年、2013年エクリプス賞年度代表馬、同最優秀古牡馬、同最優秀芝牡馬の芝の巨神(タイタンオブターフ)の異名を持ち、アメリカ競馬史にその名を刻む殿堂馬ワイズダン。彼の功績に報いファイヤークラッカーハンデはワイズダンステークスに改名されている。

アメリカの芝マイルならマジでめちゃくちゃ強いです。自分の土俵ならフランケルにも勝てるんじゃないかなって思ってます。

 

 

ジョー・ベラス(本物)

ジョエルと同年代 身長187cm 黒髪黒目 褐色の肌

ジョエルとロッドのアメリカ時代の友人にして天性のトレーナーの才覚を持った男。

耽美系の伊達男にして知能、身体能力共に優れた超人。

変装時の智哉のスペックと同等以上で、ジョエルとロッドをして自分が知る中でもトップクラスのトレーナーと断言できる程の天才。

でもジョエルの婿狩りを見た結果折れて母国に帰ってしまった。今は母国でも指折りの牧場主の資産家として、悠々自適な生活の合間の余暇にトレーナー業を嗜んでいる。妻一筋の愛妻家。

反抗期の息子は父の教育を受けて改心した。有能なので子育てもうまい。

 

三女神に助けられた人。

三女神のアホの子担当の超絶やらかしの結果、アメリカ12000勝の運命を背負わされてからその全部を智哉に移されている。そのおかげで幼馴染の元へ無事に帰れた。

本来の運命ではアメリカを代表するトレーナーになり、スーパースターとしてアメリカンドリームの体現者となっていた。その反面アリダーに外堀を埋められ担当の気性難どもには悩まされ死ぬほど苦労する運命が待ち構えていた。

でも全部智哉が背負った。仕方ないよね。

ジョー・ヴェラスを名乗って智哉が活動している間は、彼がアメリカにいると世界のシステムが判定するため運命が智哉に襲いかかるのを緩和できている。実は日本でのシスターのやらかしの際に怪人の正体を公表していたらアメリカから帰れなくなっていた。

三女神の最大のやらかしはこの人の出自の勘違いから始まっている。

彼はパナマ出身の異世界6000勝騎手である。そんな彼にプエルトリコ出身の異世界6000勝騎手の運命を設定したからおかしくなった。理由はイニシャルとファミリーネームが同じだから。ケアレスミスである。

元ネタは1970年代から活躍した、アリダーの主戦騎手であるパナマの天才ホルヘ・ベラスケス。



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その二 アメリカの現役ウマ娘達

その二は現役勢やで。
登場ウマ娘多いから伝説組とは分けるやで。


イングリッシュチャネル(ネル)

姉と同い年 身長169cm 栗毛のシャギーショート 青い目 空色の海軍帽 B83W56H87

アメリカ芝路線の現役最強クラスのウマ娘。怪人ガチ勢。

凛とした美貌の、アメリカウマ娘とは思えない物腰柔らかな美人。

アメリカへ移住した英国貴族の流れを汲む名門シアトリカル家の生まれ。

ドバイでの大敗により自信を失い、契約トレーナーにも捨てられ引退を考え始めたところで怪人と出会い、彼の献身的な対応で復活し、アメリカを代表するウマ娘となる。契約トレーナーは彼女の実力で勝てていたのを勘違いして欧州に行ったため鳴かず飛ばず。

何気にアメリカの原始ウマ娘の血も入っているので本質的にはやはりアメリカウマ娘。

溜めてから爆発するタイプなので実は結構危なかった。

世話焼きで優しい、現在のアメリカのプロ競走バ達のまとめ役のお姉さん。

智哉の事は邪魔者と思いつつもその小言は彼の為を思ってのもの。英国の首席合格者が不遇な立場で不貞腐れているのを勿体なく思っていた。

ヤッタとも実は気安い友人関係。お互い一目置いている。

智哉の好みドンピシャかつ、お節介な彼女はヘタレを放っておけないので交際していたら好相性でお互い幸せになれていた。

でもそれは三女神が絶対に許さない。でも姉とご先祖様のせいでもある。

実は婿狩りの時に公道に逃げていたら彼女と出くわし、時間稼ぎに一役買ってくれた。

キーンランドレース場での大乱闘の際には避難誘導に協力している。

この後はしばらく現役を続けるも、若いウマ娘の指導の為にトレーナー資格を取得。

その際に出会ったぶっきらぼうだが優しい青年と駆け落ち寸前の大恋愛の末にゴールインしている。

固有スキルは英国を目指す軍船の上に立ち、彼女の号令の元に出港するもの。

自らのルーツ、英国競バへの一種の憧れを示している。

元ネタは23戦13勝、G1競走6勝。2007年エクリプス賞最優秀芝牡馬イングリッシュチャネル。

BCターフ制覇時の一人旅は印象的な実況含め圧巻。

 

 

ゼニヤッタ(ヤッタ)

姉と同い年 黒鹿毛のローテール 三角錐のような流星 身長181cm B86W54H90

現在のアメリカにおける現役最強ウマ娘。超奔放な問題児。

スレンダーだが出るところは出ている体型で手足がとても長い。正に競走バをやるために生まれてきたような恵まれた体の持ち主。

この恵まれた体でストライド走法を十全に使いこなし、調子のいい時は一歩で悠に8mの飛距離を叩き出す。

ライブにおいても楽器を複数使いこなしダンス、歌唱力も超一級。あらゆる意味で現役競走バの到達点。

その反面私生活は残念そのもの。家事ダメ炊事ダメ飲んだくれで大食らい。好物はギネスビール。女子力は姉と同じくらい死んでいる。

誰でもちゃん付けで呼ぶお気楽なトラブルメーカーで、彼女に関わる者は気苦労が絶えない。

レース自体には実はそこまでこだわりがない。事実折れかけて一度辞めようとしたが、続けていれば幼馴染の目に留まると現役を続行した。

こう見えて超重バ場持ち。幼馴染大好き。美容師くんが逃げた原因の一端。

とある勘違いにより怪人の正体を知ってしまった、数少ない理解者の一人。

実は三女神の寵児。その目は見た者を正確に分析し、確実に勝てる方法を試算する。

これを使うためにスタートはわざと遅らせることもある程に強力な能力。基本スペックも合わせてダート又はAWなら神様組でも負けかねない。

現在は幼馴染とも再会できて幸せそのもの。次のTCクラシックのレース後に爆弾発言を繰り出し、関係者全員が引っくり返る。

姉のデート回では親友のために色々世話を焼こうと暗躍する。しかし彼女は奔放である。

固有スキルは自分で自由に設定可能だが、本気モードの時は巨大化し宇宙から地球を手中に収める女王としての彼女の姿が現れる。

周囲も巻き込まれるので空を見上げると巨大なヤッタの顔が見え、初見のウマ娘は走るどころではなくなる。

本編には出せなかったけど、彼女と勝負させられるのを勝手に担当の熱血トレーナーに進められていた哀れな悪役令嬢風の後輩がいた。

「適当コイてんじゃねーですわ!!無理に決まってんですわ!!ぶち殺しますわよ!!!」とブチ切れていたがお互いに陣営の都合が合わず助かっている。

元ネタは20戦19勝で19連勝のおまけつき、G1競走13勝で2008年2009年2010年の三年連続エクリプス賞最優秀古牝馬、2010年エクリプス賞年度代表馬に輝いた押しも押されぬアメリカ競馬殿堂馬ゼニヤッタ。馬主は音楽プロデューサーで実馬もギネスビール大好きという異色の経歴の持ち主。

彼女のその偉大な足跡に対し、レディーズシークレットステークスはゼニヤッタステークスに改名された。

この馬の真骨頂、最終直線の理不尽なぶち抜きはホント気持ちいいから興味あったらレース見てね。

 

 

クオリティロード(クオ、リティ、ロード)

十六歳 顔全体を隠す黒髪のロングヘア 鹿毛の尻尾 大きな耳 右耳に信号機の耳飾り 身長151cm B87W54H83

現在の怪人こと智哉の担当するウマ娘。強烈なインパクトを持つジェットストリーム気性難。

一つの体に三人の人格が同居しており、髪型の変化と信号機の耳飾りの色で誰が出てきているか判断できる。

メカクレ青信号は女部分と頭脳労働、ライブ担当のクオ。腹黒気性難。

前髪をかき上げて赤信号は乙女部分と肉体労働、家事担当のロード。スケ番気性難だけど一番マシ。

片目隠れ黄信号は三人で最速、コミュ障で無垢な主人格のリティ。突拍子の無い気性難。レアキャラ。一番扱いにくい。

得意距離、適正はダート短距離〜マイル。中距離も走れる。

ロリ巨乳。姉のグローリーカップ後の一件ではこれが智哉に押し付けられていた。書いててムカついてきたからもっと酷い目に遭わせればよかった。

智哉の事は三人とも好意的。本気なのはクオでウブなロードはかなりいいなと思っている。リティはそういう情緒がまだ発達していない。

英国での一件で、引退後の自分の進路を見出している。心療内科医兼教師として自分のような境遇の子供の力になりたいと考え始めた。

生まれついた時はリティ一人だったが、幼い頃より気性難ゆえに友達ができず、自分の中に友達を求めた結果クオとロードが生まれた。

だから二人はリティにとって大切な存在。受け入れて三人で走る方法を探してくれた怪人の事は心より信頼している。

しかしリティにとっては対等な友達なので喧嘩をする事もある。彼女のシニア級ラストランでもやらかすかもしれない。

固有スキルは暗い部屋の中の三人の前に三つの扉が現れ、それを蹴破った先の光り輝く道を三人で突き進むもの。

三人同時に表に出てこられる状態になるもので、地味なようだがそれぞれの得意分野を活かせるためかなり強力。

元ネタは13戦8勝、G1競走4勝のダートマイル路線で主に活躍し、幾つも気性難エピソードを残しているクオリティロード。種牡馬としても活躍馬をコンスタントに送り出している。

2022年サウジカップの覇者も彼の産駒。

 

 

ラグズトゥリッチズ(リッチズ)

姉の一つ下 栗毛のロングヘア 左耳にコインの形の耳飾り 身長164cm B79W53H88

ネルを尊敬する後輩。怪人ガチ勢。

百年振りとなるティアラ路線からのクラシック三冠を成した実力者。

怪人の事は当初よく思ってなかったが言動とは裏腹な行動に絆され、アドバイスによるカーリンをマークする作戦が見事にハマり悲願を達成している。その後は骨折をし競走生命の危機に陥るが、怪人の素早い対応で大事に至らず復帰できた。

ネルと同行していた為、公道に出ていたら彼女も協力してくれていた。

実はチーム・クールモアとも関係のある名家の一人娘。かなりお嬢様。母も名ウマ娘。

この後もネルと共に現役を続け、ネルの引退に合わせて実家の当主になっている。

元ネタは7戦5勝、牝馬の身でベルモントステークスを制覇した女傑ラグズトゥリッチズ。

負けても良い内容だったし怪我さえ無ければ……。

 

 

ザフティグ(ザフ)

18歳 ブロンドのロングヘア 青い瞳 身長174cm B93W61H86

大柄なアメリカ的美人ウマ娘。インディの親友。怪人の過去の担当。

実はビッグレッドの姪っ子。叔母さんとは仲がいい。

アメリカ的な肉食ウマ娘かつ武闘派。自由な気風の性格で、競走バはG1一個勝てたしもういっかとすっぱり引退している。

理想が高い女。

元ネタはG1競走1勝、ヴェラスケスを背にG1エイコーンSを勝利したザフティグ。

 

 

インディアンブレッシング(インディ)

18歳 黒鹿毛 黒目 褐色の肌 羽飾りのついたバンダナ B80W55H81

怪人の過去の担当。エクリプス賞短距離ウマ娘に選出されるほどの実力者。

ジュニア級の時点で、一度のミスが命取りの短距離戦で既にG1を2勝している。

超肉食原始ウマ娘にして武闘派の流れを汲む、アメリカ建国に深く関わる大氏族サーアーチー族の一員。

その狩りの技術は超一流で、周囲の被害を省みなければ智哉は手足の数本へし折られてあっさり捕まっていた。

シーザスターズが認めるほどの戦闘力の持ち主だがその反面自分の強さをよく知っており、無闇にその力を振るわない良識的で優しい性格。

惚れっぽい性格で智哉は怪人と知る前から好青年と見込んでよく目で追っていた。

怪人には自分の固有スキルの有効的な使い方を自ら併走までして教えてもらい、その成果を持って重賞を荒らし回った。

この一件と怪人の冷静かつ的確な判断力に惚れ込み、一族の文化的行動のターゲットにすべく行動している。

実は世界の修正力も働いて影響されていた。彼女が暴れなかったのは無意識の抵抗。

智哉に逃げられた後は大族長に慰められ、親友のザフとの失恋旅行の先で好みの若者と知り合い、狩りたいと持ちかけたら相手からいいよと言われ円満に故郷に連れ去っている。

固有スキルは身体強化の一種で、残像を残して瞬間的に加速する短距離路線にうってつけの超強力な代物。応用性も高く燃費もいいチート級のスキル。

元ネタは16戦10勝、G1競走5勝の2007年度エクリプス賞最優秀2歳牝馬、2008年度エクリプス賞最優秀スプリンター牝馬に輝いた名馬インディアンブレッシング。短距離で三年間ずっと強かったのは本当に立派。




次は伝説組書くやで。
シスターはワイも書きたいです。


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その三 偉大なる伝説のウマ娘達①

というわけで伝説組その一やで。シスターとその関係者と蛮族やで。
この次はその二、その後は未来の名ウマ娘達、最後に人間組書くやで。
絞っても多すぎるから今日中に全部書くの無理やで……ゆるしてゆるして。


シスター・サンディ

年齢不詳 黒鹿毛 危うさを宿した金色の瞳 中央に一筋の流星 着崩したエクリプス教の修道服 流星を左右に分けるヘアピン 身長155cm B73W54H78

東京都府中市にある中央トレセン学園の近所で子供達に競走を教えている日本エクリプス教団府中教会所属のシスター。娘もシスターで、夫は同教会の神父。日本中央競バ会(U R A)のトレーナー資格も持っている。

超気性難。ウマ娘名はめっきり名乗らなくなったが、かのイージーゴアと死闘を繰り広げた末にクラシック二冠をその手に掴んだ伝説のウマ娘。戸籍名はサンドラ。

西海岸のエクリプス教会の前に捨てられていた孤児で、大病で死にかけ、孤児の友人達を乗せたバス事故で自分一人だけ生き残る等、過酷で悲しみに満ちた幼少期を送っている。それでも持ち前の気性と天性の競走バの才能で大成した。今でも生家の教会への寄付は欠かさず、友人達の墓にも花を贈っている。実はこの墓参りが渡米の理由の一つ。

娘にナメられると今でもトレーニングは続けており、その実力はそこらのG1ウマ娘ではまるで相手にならない。

頭脳明晰で戦闘力も兼ね備え、銃弾を素手で掴み取れる常識外れの化け物ウマ娘。シーザスターズは内心勝負してみたかった。

競走の指導能力も超一流。こう見えて子供好きで面倒見が良く、彼女に娘を預けたがる親は多い。

彼女に育てられ中央トレセン学園に入学する生徒も数多く、本人が知らない間に理事会も無視できないほどの一大派閥が形成された。

なので智哉がもし怪人の正体を公表する事を選択し、彼女が責任を取ることになれば更に一悶着あった。そのせいでアメリカから帰れなくなっていた。

困っている誰かを見過ごせない情の深さを持ち合わせており、その為に現役時代にニューヨークで全盛期のマフィア相手にたった一人の最終決戦を挑み、日本ではヤクザの事務所を全壊させる。

ここまでのチートスペック持ちであるが超気性難かつ超トラブルメーカー。

狡猾で保身に走る一面も持っており、行動指針は気性難そのものなので一度こうと決めたら止まれず関係者はいつも胃を痛める羽目になる。

夫は今でもダーリンと呼び夫婦仲はバカップルそのもの。

夫は彼女が日本に拉致したという事になっているが、本当は相思相愛の駆け落ち。

有力トレーナーでイケメンの夫への実家からの強引な縁談を聞き及び、別れを告げられた所で迷わず彼を連れて逃げた。これを知っているから秋川理事長と情の深い大統領は穏便に済ませてやろうと奔走した。

大統領とは付き合いが長く、会う度に悪態を吐いているが照れ隠し。お互いにそれはわかっている上で喧嘩している。

幼い頃に競走を教えてもらい、グランマと呼び慕って頭の上がらない超気性難がいる。その娘、孫と居候とも良好な関係。

娘は彼女なりに愛しているが、愛情表現が迂遠かつどこぞの地上最強生物並のダメっぷりなのでいまいち伝わっていない。娘とは母娘というよりは喧嘩友達のような関係。娘は自分と張り合ってくれるので内心うれしい。

メジロ家の芦毛の令嬢は絡んだ時にかつてのライバルのような塩対応をされ、そこをおもしれー女と気に入りよくちょっかいをかけている。困った時に頼る相手でもあり、お互いなんだかんだ言いながら相性はいい。

教え子にした覚えが無い芦毛の気性難にセンセーと呼ばれ懐かれており、首を傾げながらもその破天荒ぶりが好ましくてよくつるんでいる。このコンビが揃うとトレセン学園でしょうもない悪戯を始めるので理事長は胃が痛い。

面倒見の良さと気風の良さで府中商店街でも人気者で、商店街にあるスナック「うらかわ」の常連。

うらかわを切り盛りするウマ娘母娘とも仲が良く、たまにやってくる娘の元担当とは出くわしても店内では追い回すのを店主のミユキより禁止されている。

娘と元担当のじれったさに苛ついており、無理矢理くっつけようと元担当を追い回している。

この超気性難から逃げ切る元担当もさるものである。この件で娘と大喧嘩した事が渡米のきっかけ。

アメリカから脱出後のお節介により智哉に大きな借りができた。彼女の助力はとある分岐点で大きな助けとなる。

 

三女神に助けられた人その二。

実は本来の運命では既に故人。

幼い頃の大病の際に十分な治療が受けられなかった為に、その強さとは裏腹に体が弱く、娘を残して早逝している。

この世界ではバタフライエフェクトで十分な治療が受けられ健康そのもの。

死んでいる場合、とある自分に瓜二つのウマ娘に憑依し、娘は母のようなウマ娘になるべく競走の道に進んでいる。この世界では母への反発から。現実知っちゃったからね、仕方ないよね。

自分に瓜二つのウマ娘はどこか放っておけなくてよく面倒を見ている。

ここまでの経緯がある為、運命を超越した特異点。やりたい放題できる。本当にコ〇ラ。

彼女がめちゃくちゃして少なからず歴史を変えてしまうので三女神の真面目担当の頭痛の種。気性難担当はもっとやれと言っている。女神エクリプスへの信仰心は本物なので、祈りが届いて来るのを女神は迷惑がっている。

元ネタは1989年エクリプス賞最優秀3歳牡馬、同年度代表馬、1996年選出アメリカ殿堂馬かつ日本競馬の血統図を塗り替え、日本競馬をたった一頭で新たなステージに進めた偉大なるサンデーサイレンス。

彼の血は今も日本競馬を支え、彼の子孫達は今も日本のターフで競い合っている。

それはそれとしてとんでもない気性難で種付け大好きマン。喋れたら絶対範馬勇次郎(CV大塚明夫)みたいな感じだったと思う。しかもコイツの気性難めっちゃ遺伝する。やめてクレメンス。

 

 

イージーゴア

サンディの同期 栗毛のウェーブのかかったロングヘア 額に丸い流星 右耳に日輪を象ったチャームの付いた耳飾り 身長170cm B88W57H84

現役時代のシスターの最大のライバルにして、全く逆の人生を歩んできた鏡合わせのような女。

かのセクレタリアトの再来と謳われ、エリート競走バ一族の令嬢として蝶よ花よと大切に育てられている。

東海岸の名門チーム・クレイボーンのオーナーで、実はアリダーの親類縁者。

自信家で世代の主役は自分だと確信していたが、自らの華々しい競走生活の添え物程度に思っていたちんちくりんのウマ娘に三冠の一つを奪われる。彼女の苦難と重バ場のはじまり。

シスターとは現役時代から色々拗らせつつも親友兼ライバルだった。

上記の駆け落ち事件では蚊帳の外で事情を知らなかった為にシスターに逃げられ、捨てられたと感じた事がシンデレラクレーミングでの凶行に繋がっている。大体教えていないシスターが悪い。

三冠目のベルモントステークスでのシスターの対応は全く悪気が無いし親友の勝利を心から喜んでいた。

これに関してはシスターは悪くない。拗らせすぎ。

なんだかんだシスターと再会してからは生き生きしている。チョロい。

日本に脱走後は大統領に捕まり連行されているが全く懲りていない。

渡航禁止令の解除後は、シスターとの再戦そっちのけで拗らせの新たな対象である芦毛の令嬢に喧嘩を売りに行く毎日を過ごす。マックちゃんかわいそう。

芦毛の令嬢は塩対応で無視していたが、ある日聞き捨てならない一言で火がついてその喧嘩を買ってしまい、トレセン学園も一枚噛んでの決戦に挑むことになる。

元ネタは20戦14勝、G1競走8勝のサンデーサイレンス最大のライバル、当時のアメリカ良血馬の結晶イージーゴア。奇しくも二頭ともほぼ同じタイミングで引退しており、正に鏡合わせのような関係。種牡馬としては早逝するも、ライバルはその無念を晴らすかの如く上記の通りの大種牡馬となっている。

 

 

クリミナルタイプ

サンディの一つ上 栃栗毛に右分けの前髪 額に小さな流星 身長176cm B89W58H86

シスターとゴアの先輩にして彼女達両方に唯一勝った事のある伝説のウマ娘。

サーアーチー族の有力者の娘で期待されフランスでキャリアを開始するも、シニア級二年目まではその穏やかな気性も災いして平凡そのものの成績だったが、三年目に一族の狩りに参加した所で固有スキルに突如覚醒。

そこからは破竹の勢いで勝利を重ね、引退後はこの偉業から大族長に就任している。

見た目は大柄で威厳を感じる佇まいだが温厚で小心者。

一族の蛮族ぶりについていけないし、後輩二人は怖いからどこかで遭遇していたら涙目になっていた。かわいそう。

インディが強硬手段に出なかった事に胸を撫でおろしている。先代は指名手配中。

元ネタは24戦10勝、G1競走4勝で上記の通りのサンデーサイレンス、イージーゴアの双方に唯一勝利した1990年エクリプス賞年度代表馬、同最優秀古牡馬の名馬クリミナルタイプ。

 

 

ネイティブダンサー

年齢不詳 芦毛のロングヘア グレーの瞳 褐色の肌 身長167cm B82W57H82

アメリカ競バ界に燦然と輝く偉大なる灰色の幻影(グレイゴースト)

伝説中の伝説のウマ娘であり、大氏族サーアーチー族の大族長の地位に長年君臨していた合衆国で最も影響力のある人物の一人。

というのは世間からの評価でその正体は大食らいのド天然ウマ娘。語尾に「~~だが」が口癖。

自分の代の間の婿狩りは裏から手を回して穏便に狩らせていたが、クリミナルタイプへの引継ぎの際にうっかりが発動してこれを引き継ぐのを忘れてしまい、今回の事件に繋がっている。

その際にアメリカからバックれ、前から気になっていたとある女優のおっかけからカメオ出演し、今は某女優の一派の一員と化している。

見た目はオグリの2Pカラーそのもの。オグリとはお互いにシンパシーを感じ合っており姉さんと呼ばれている。

今回の一件は後で知って何となくそれをタマに伝えたら「何してんねん!責任とってこいや!!」と怒られた。

責任は取っていない。

元ネタは22戦21勝、唯一の敗戦はケンタッキーダービー二着のみという圧倒的な戦績を残し、「タイム」の表紙を飾った元祖アイドル馬にして1952年、1954年アメリカ年度代表馬ネイティブダンサー。

テレビ中継が盛んになった時期に最盛期を迎えていたため、彼が最初のメディアを通して人気を博した馬と言っても過言ではない。



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その四 偉大なる伝説のウマ娘達②

というわけで伝説その二やで。アメリカ残りの面子〜怪盗やで。
先生一派は日本でも出るからその時にやるやで。


アリダー

年齢不詳 栗毛のミディアムロング グリーンの瞳 ダイヤのような流星 身長160cm B72W55H81

智哉及び怪人が所属しているアメリカ東海岸の超名門チーム・カルメットのオーナー。

戸籍名アリス・ダーウィン。

アメリカ競バ界の至宝にして元合衆国大統領マンノウォー、歴代最強ウマ娘の一角サイテーションを始めとした伝説のウマ娘を多数排出しているエリート一族の一員。

現役時代は同期ながら姪という複雑な血縁関係でもあるライバルのアファームドと名勝負を繰り広げ、三冠はライバルの後塵を拝すも26戦14勝という好成績とライバルとの名勝負を高く評価されアメリカ殿堂ウマ娘に選ばれている。

アファームドは竹馬の友でもあるが、ライバルの驚異的な胸囲がコンプレックスのオレっ娘。

現役生活の終盤に、当時のチームオーナーだった父の黒い噂の元を自ら調査しようとした際に脚を撃たれ、その怪我の後遺症が元で引退。

その後は父からオーナー職を引き継ぎ、現役時代の人脈を最大限活用して優秀なトレーナーを集めカルメットを立て直した。有能オーナー。

長年の付き合いである運営を一任しているチーフトレーナーから、友人に紹介された将来有望な若者がいると聞き、会ってみるや一目で気に入りチームに迎えている。

怪人の件も自分との契約をキャンセルして逃げた男への意趣返しとして、二つ返事で許可を出した。

後遺症で車椅子に乗っているが、怪我はリハビリと日本から呼び寄せたトレセン学園所属の名医の手で完治している。因縁ある人物を油断させる為に完治したことを公表せず、歩けないフリをしていた。

キーンランドレース場での一件の後は長年の因縁に終止符が打たれたため怪我の完治を公表、たまにチームの現役ウマ娘に混じったりライバルと走ったりと模擬レースを楽しんでいる。

 

三女神に助けられた人その三。

本来の運命ではカルメットの立て直しができず既に故人。

原因は外堀を埋め、強引に自分のものにしようとした本物ベラスに逃げられた為。

他チームに移籍された結果チームのトレーナー陣が弱体化、更にロッドも友人への義理でチーフを辞退するので所属ウマ娘が結果を出せず徐々に没落していく。

失意の中で狙撃され、当たり所が悪くそのまま亡くなった。

この世界線だとアファームドが完全な復讐鬼になり、更にはシスターも助太刀してニューヨークが地獄絵図と化す。

この別世界の記憶を何となく覚えているのか智哉には結構な執着がある。

有能オーナーで各国の競バの裏事情にも明るい彼女は智哉がいつか英国にいられなくなる事を予見し、どうしようもなくなった時に手を差し伸べる絶好のタイミングを伺っている。

フランの事も知っているが、大家の生まれながら何も知らない純朴かつ覚悟の無い小娘とその評価は辛辣。

ダンの事はその才能を高く評価しており、色々と割り切った打算的な思考を気に入っている。

見かけ以上にオーナーとしてやり手で非情な面も持っている人物。

元ネタは26戦14勝、G1競走6勝で生涯で連対を外したことはたったの二度という、引退後に謎の非業の死を遂げた悲運の殿堂馬アリダー。

 

 

アファームド

アリダーの同期 栗毛の短い三編み 大きなグリーンの瞳 釘のような形の流星 小麦色の肌 身長178cm B98W62H90

アリダーのライバルにして伝説のウマ娘ケルソの当時の収得賞金レコードを更新した三冠ウマ娘。

色々とでかい。ライバルのコンプレックス源。

現役時代は知的でクレバーな物腰の文武両道ウマ娘だったが、引退後に以前からやりたかった農業の習得のためにテキサスで生活している内に、テキサス訛のカッペ口調になってしまっている。結局直っていない。

現役時代の賞金と実家の援助により農業法人を起業。

シスターの大暴れで弱体化したニューヨークマフィアを正攻法で切り崩し、マフィアかぶれのフリをしながらアリダー狙撃犯の情報を集めていた。

全ては親友の復讐の為だった。キーンランドレース場の一件で捕えた富豪の側近が犯人だった為、彼女の長い因縁も解決されている。

農業法人はやり手の経営者である親友の助言を受け、更にシェアを伸ばしている。

 

三女神に助けられた人その四。

本来の運命ではアリダーの非業の死により逆上。

復讐鬼と化しニューヨークをマフィアの血で染め上げ、流石に看過できなかった大統領自らの手により逮捕され収監されている。

刑期満了後はアリダーの墓の近くに隠棲し、誰にも看取られずひっそりと亡くなってしまう。

智哉にはトレーナー室の一件で恩を感じており、親友の悪いところが出ているのも何となく察しているので横槍を入れてやろうと考えている。

 

 

セクレタリアト

年齢不詳 前髪だけ白のメッシュの栗毛のシニヨン 知的な青い瞳 身長186cm B96W60H92

ホットドッグチェーン「ビッグ・レッド」のオーナーにして次期大統領候補のアメリカ上院議員。

色々とでかい。メイドインアメリカ。

アメリカ競バ界において「歴代最強は誰か?」という話題で必ず最初に名前が上がる歴代最強候補の筆頭ウマ娘。

伝説のマンノウォーと並ぶアメリカの至宝。国際連合から引退後のキャリアをスタートしているが大統領秘書を務めていた事もある。

全米ウマ娘競バ協会(N U R A)の会長とは同期で今も友人関係。よくヤッタの愚痴を聞いてやっている。

ヤッタが唯一逆らえない相手で、シスターも彼女相手だとやや尻込みする。喧嘩もデタラメに強いアメリカの対気性難リーサルウェポン。

元ネタは21戦16勝、アメリカ三冠馬にして1972年エクリプス賞最優秀二歳牡馬、同年度代表馬、1973年エクリプス賞最優秀三歳牡馬、同最優秀芝牡馬、同年度代表馬にして殿堂馬セクレタリアト。ウイポだと彼を超えるレーティングの馬を生み出すのが最終目標の一つ。無理ゲー。

 

 

ミス・スペクター

セクレタリアトの同期 首まで伸ばした鹿毛のシャギーカット ヘイゼルの瞳に眼鏡 身長157cm B76W54H75

全米ウマ娘競バ協会(N U R A)の会長にしてセクレタリアトの同期。

アメリカ競バ界の広報組織のトップの苦労人。ヤッタにはいつも悩まされている。よくつるむ姉にも実は困らされつつある。

解説の時のラフな格好は本当に野球観戦に来ていた。解説役が来れなくなった為に代理で出たがほとんど解説していない。

ヤッタには頭痛の種としてよく怒っているが、個人としては応援して見守っている。

現役時代は重賞未勝利だったが競走の指導力は超一級品。特に子供の癖を直しスピードをつけるのが上手い。

その教え子は世界中に多数存在し、ヤッタも実は教え子の一人。

政界に進めば大統領の椅子も望めると言われているが、本人は広報ですらキツイのにやるわけ無いだろと一蹴した。

元ネタはノーザンダンサー系と並ぶ一大系図を築いて世界の血統勢力を二分し、日本でも多数の名馬を輩出している20世紀末でもっとも成功した大種牡馬ミスタープロスペクター。

 

 

ノーザンダンサー

年齢不詳 ゆるく纏めた鹿毛 眼光鋭い青い瞳 身長スリーサイズはやよいちゃんと同じ(不明)

合衆国大統領。この世界のやよいちゃんマッマ。超気性難のモンペ。

武闘派ウマ娘国家アメリカのトップにして、少数精鋭の893ウマ娘国家カナダ出身の作中トップクラスにヤバい人。もっとヤバいのもいるからトップではない。

興奮したり機嫌が悪い時は強烈なカナダ訛が飛び出す。広島弁と言ってはいけない。

現役時代はアメリカクラシック二冠。引退後はNPOのウマ娘指導員として活躍し、世界中に彼女の教え子がいる。

教え子の統括機構先代理事長に日本で理事長を務める娘と、世界中に強い影響力を持つ。

彼女くらい顔が広く強い人物でないと大統領は務まらないので、任期延長を二大政党から懇願されている立場。

めちゃくちゃ気性は荒いしすぐ手は出るし広島893だし銃弾掴む勢だけど本質的には人情派で情が深い人物。

シスターについては幼少期の過酷で悲しい過去を含め色々知っているので、喧嘩しながらも暖かく見守っている。

彼女が日本に来たのは愛娘の窮地を助けるためと、ゴアを確保し場合によってはシスターをアメリカに連行する為だった。

相手が相手なので人を使うより大統領本人が行った方が早い。あと怪人の素顔も覗いてみたかったのもあった。

日本での会談の後、シスターと娘に頭から煙が立ち上る程の強烈な拳骨を落とした。それを見て理事長ちゃんは半泣きになり智哉はビビり倒した。

元ネタは18戦14勝、アメリカクラシック二冠にして世界に一大系図を築いた大種牡馬ノーザンダンサー。

サドラーズウェルズの父で、現在の欧州で活躍する馬の大半の祖でもある。

 

 

シャーガー

年齢不詳 黒鹿毛の外ハネショート 仮面 身長165cm B81W56H79

ロンドン近郊をお騒がせ中の怪盗ウマ娘シャルガー・ハーン。

その正体はアイルランド旅行中に誘拐された悲劇のダービーウマ娘。

と見せかけて誘拐犯を返り討ちにして子分にした後、自ら身代金を所属チームに要求している。

筆跡と本人からの手紙送ったから読んでねという連絡があった為チームには看破されている。

その後は競走バよりも怪盗ごっこの方が楽しかった為にロンドンを根城に活動中。ジャックの苦労のはじまり。

実は英国王室殿下。めっちゃえらい。殿下の時は戸籍名を名乗っている。

フランスに競走バチームを所有しており、名ウマ娘を多数抱えたオーナーとしての顔の方が有名。

爆弾騒ぎは流石に女王陛下に怒られ、しばらくは罰として公務漬けにされた。

爆弾騒ぎの際に協力してくれた研修生二人は気に入っており、片方は英国での活躍を追って楽しんでいる。

もう片方は女王陛下に何故か詮索も手出しも禁止とキツく言い付けられたので、子分を使い秘密裏に調査した結果、自分には禁止しておいて末の妹は件の若者の実家のクラブに入れているのを知って不満を覚えている。でも女王は怖いから手は出さない。

元ネタは8戦6勝、英愛ダービー馬に輝いた同年にキングジョージ覇者になったものの、種牡馬として繋養中に誘拐され、行方不明となった悲劇の名馬シャーガー。怪盗名は馬主のアーガーハーンⅣ世から。

英国ではシャーガーが見つかったというジョークがエイプリルフールの定番ネタになっていた。

エスプリ効きすぎだろ。もうやだこのブリカス。



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その五 未来の名ウマ娘達

というわけで未来のウマ娘組やで。
最後のはまだ早いけどとりあえず出しておくやで。


アメリカンファラオ(ファラ)

幼女 身長108cm ブルネットのボブカット 濃い色合いの鹿毛の尻尾 金色の瞳 ピラミッドを象った髪飾り

西海岸のトレーナーの名家バフェット家の令嬢。一人称が余の王様幼女。

王様ごっこは名前に相応しくあろうという幼女思考から。

後に黒歴史になりかけるが、レースではこのキャラを維持する。

お気に入りの使用人であるビリーは彼女が拾っており、それ以来強い絆で結ばれた。

優れた競走の素質を持つ天才少女。総合力が高く、更に滑らかで鋭いストライドの脚を持っており、ダートにおいてはどんな条件で走っても圧倒的なポテンシャルを持つ。

トレーナー室での一件からはしばらくビリーから離れなかった。

エクスとは仲良しになり、競走バになったらアメリカにも走りに来てほしいとおねだりしている。

エクスちゃんは高笑いしながら応じた。チョロい。

元ネタは11戦9勝、G1競走8勝の2014年エクリプス賞最優秀二歳牡馬、2015年最優秀三歳牡馬、同年度代表馬。

三冠達成の同年にBCクラシックも制覇し、アメリカ競馬史上唯一のグランドスラムを達成した前人未到の四冠馬アメリカンファラオ。

 

 

ジャスティファイ(ジャスティ)

ファラより年下 身長101cm 薄い色合いの栗毛のセミロング 境目が朧気な縦に流れる流星 青白い肌

バフェット家に引き取られた孤児の少女。ファラの義妹。

病弱で体が弱い反面それを全く気にしていない脳天気さを持つ大食漢ウマ娘。食べながら喋る悪癖がある。美容師のお兄ちゃん大好き。でもその人もうヤッタの唾がついてる。

天賦の才の持ち主。ファラに負けず劣らずの総合力の高さを持ち、体の弱さもバフェット家のお抱え医師の手により改善しつつある。ファラがかっこよかったので何となく自分も三冠ウマ娘になると決めた。

成長後も医師処方の治療薬を定期的に飲んでいたが、それが原因でトラブルに見舞われる。しかし脳天気なので気にしていない。

元ネタは6戦6勝、その短い競走生活で無敗のアメリカ三冠馬の栄冠を得た名馬ジャスティファイ。

引退した翌年にドーピング疑惑が報じられたが、州競馬委員会は精査の末に異議申立てを却下している。

 

 

アニマルキングダム(アニキ)

九歳→十六歳(最終話) 腰まで伸ばした薄い栗毛のサイドテール 青い瞳 身長150cm→173cm(最終話) B84W54H83(最終話)

チーム・バロールの下部チーム所属のガサツで男嫌いな気性難少女。とんでもなく寝相が悪い。

芝とダート、逃げから追込まで問わずの稀有な脚質の持ち主で、物腰に似合わずレースにおいてはクレバーな試合巧者。後にダンの紹介で出会ったとある名ウマ娘の指導でレースでの悪い裏技の数々も習得する。肘は教えられて引いた。

怪人の大ファンで彼と契約できるなら移籍も辞さなかったが、結局ダンに譲っている。

ダンとはシンデレラクレーミング後に交友を始め、気が合い親友と呼べる関係になった。

怪人の正体は知らない。よくちょっかいをかけてはダンとサブトレに怒られ、あの兄ちゃん目当てのお前らが何で文句言うんだよと首を傾げる毎日を送る。

元ネタは12戦5勝。芝ダート問わず活躍し、ケンタッキーダービーと当時の最高賞金額のドバイワールドカップを制した名馬アニマルキングダム。陣営の意向に沿った変幻自在のレース運びは彼の適応力の高さを示している。

 

 

ドリームアヘッド(ドリー、ジト目)

九歳 黒鹿毛の額を大きく出したロングヘア ジト目気味の黒い瞳 身長145cm

統括機構三大チームの一つチーム・ゴドルフィンのアメリカ支部の育成組織、ダーレージュニア出身のウマ娘。

圧倒的な末脚を持つ有力ウマ娘。スタミナ面とコーナーで左に流れる癖という課題を持つがそこらのウマ娘ではまるで相手にならない天才。

ダンとは友達になり、取り巻き気取りはシンデレラクレーミング後にしっかりシメた。

努力は惜しまないがレースは楽して勝ちたい派。さっさと抜け出して速攻で勝つのが好みのスタイル。

ダンとアニキみたいなレース馬鹿と走るの疲れるしやだなあと考え、レベルの高い芝で走りたい思いもありウィルの誘いを二つ返事で受けたが、遠い英国にとんでもない怪物がいることをまだ知らない。かわいそう。

本人はまだ気付いていないが気質的に短距離向き。彼女を見出したトレーナーの手腕にかかっている。

元ネタは9戦6勝、G1競走5勝の2011年カルティエ賞最優秀スプリンターの名馬ドリームアヘッド。

1200mでは当時の英国最強クラスなのは間違いない。個人的にはブラックキャビアと走ってほしかった。

 

 

ブリックスアンドモルタル(モル)

幼女 黒鹿毛のロングヘア 長く大きな流星 優しげな垂れ気味の赤い瞳 細長い耳 

最終話に登場。近所の悪ガキ達にいじめられているところをダンに助けられたウマ娘の少女。

大人しく、レースではその優れた脚を発揮できない為に弱虫モルと呼ばれていたが、ダンに招待されたTCマイルをきっかけに覚醒。

その天賦の競走バの才を存分に発揮し、後にアメリカ芝路線を席巻するウマ娘に成長する。

怪人はモルを一目見るやその天賦の才を看破しアドバイスを送ろうと声をかけるも、ダンとサブトレの謎パワーからのクロスボンバーを受けマスクを剥がされかけている。

元ネタは13戦11勝、G1競走5勝を含む怒涛の七連勝でBCターフを制覇し2019年エクリプス賞最優秀芝牡馬、同年度代表馬の栄光を得た名馬ブリックスアンドモルタル。

引退後は社台スタリオンステーションに種牡馬として迎えられ2020年より供用開始。

第二のサンデーサイレンスとして大きな期待がかけられる。来年産駒が走るよ!

 

 

エーネと呼ばれたウマ娘

年齢等のデータ不明

遠い未来で、誰かに後悔はしていないか問いかけたウマ娘。

マジカルという名のライバルがいるらしい。

<<システム異常。世代別ウマ娘データベースに障害発生>>

元ネタは歴代最強にも挙げられる、アブドゥッラー王子とジュドモントファームが世界に誇る欧州最強牝馬エ????




次のトレ組紹介でキャラ紹介は終わりますやで。
ケッカちゃんとか間男とかやで。


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その六 各国のトレーナー達

というわけでトレ組やで。
KWZEくんとクリスは今回顔出しだけだから日本編の後にやるやで。


フランチェスカ・ディ・トーリ(ケッカ)

姉より年上 赤毛のショートボブ ブラウンの瞳 身長163cm B81W55H78

統括機構三大チームの一つ、世界にその名を轟かせるチーム・ゴドルフィン所属。

名トレーナージョエル・ガスデンの最高傑作にして、世界最高のトレーナーとの呼び声も高い若き天才。ちゃらんぽらんオヤジガチ勢。

人間だけど作中屈指の重バ場持ち。大体オヤジが悪い。

アメリカでのキャリアを終えたジョエルがローマで拾ったサーカス育ちの孤児で、出会いはマフィア主催の違法なレース賭博場だった。

マフィアの秘蔵っ子で、胴元に勝たせるために誰が一位になるかを彼女が事前に知らせていた。その的中率はほぼ100%。

人間の限界値に限りなく近い身体能力に天性のレース勘を持ってしても余りにも詰んでいる生い立ち、成り上がってもマフィアの情婦兼ボディガードが関の山と言った現状に絶望し、あらゆる感情を失いつつあったそんな時にちゃらんぽらんで適当で胡散臭い風貌のアラサーの男と出会う。

アメリカ時代の賞金含む全財産を賭けた彼女とのレース賭博で勝ってみせ、配当はいらないから彼女を欲しいとの言葉で彼女は解放された。

父のようであり、師のようであり、そして愛しい人のようであるこのアラサーの男はこのときより彼女の人生の全てとなっている。

でも育ったらゴドルフィンにリリースされた。このオヤジは良かれと思ってこういうことする。もちろん病んだ。

いつの日かクレアヘイブンに戻ろうと策謀を巡らせている。現所属チームのチーフの悩みの種で何でこの子出したの…?とオヤジにクレームを入れることも多い。

トレーナーに求められる才能を全て持っていると言っても過言ではない、チートレベルの最強トレーナー。名ウマ娘との縁も数多く、生い立ちが詰んでいてもSSRオヤジ引くくらいの豪運持ち。

ミラノ出身の彼女の愛称は本来ならフランカだが、ジョエルと出会った場がローマの為に、勘違いからローマ式の愛称のケッカと呼ばれた事がこの愛称になったきっかけ。それ以来愛称はケッカで通している。

弟弟子のウィルの心を無自覚に折っている。この師にしてこの弟子。

日本にも遠征経験あり。その頃に受け入れ先になってもらった館山家というトレーナーの一族とは今も親交が続いている。

その家の二人の兄弟とは滞在時よく遊び相手を務めていた。

 

三女神の被害者その五。

本来はもっと早く生まれている。

ジョエルとも年の近い友人関係になっていたはずが、この世界のフランケル世代の戦力均衡の為に全盛期を合わせようと出生とその生い立ちを調整されている。

二流トレーナーと組んでも世代最強クラスのフランが、この世界では二年半でアメリカG1競走を12勝する程のデタラメなトレーナーと組む運命にあるために起きたバタフライエフェクト。つまり智哉のせい。他にも強化されている陣営、ウマ娘が存在する。

彼女の出生がズレた分は、三女神がモブトレーナーや他の名トレーナーを酷使して何とかしている。キ○ーンさんかわいそう。

余談だが未来には息子がいる。相手は言わずもがな。

息子はとあるウマ娘と欧州を席巻することとなる。

元ネタは穫ったトロフィーは数知れず、フライングディスマウントでお馴染みの世界一の騎乗技術の持ち主「フランキー」ランフランコ・デットーリ。

ゴスデン厩舎との蜜月が終わっちゃってかなしい。

 

 

ウィル・ベック

智哉より一つ年上 銀髪のセンター分け 糸目(開くとシルバーの瞳) 身長186cm

ジョエル・ガスデンの現在の秘蔵っ子にしてチーム・クレアヘイブン所属の若きホープ。北欧訛のキツい口調が特徴。関西弁。

父は北欧を代表するトップトレーナーにして北欧随一の平地トレーナー家の当主、母はウマ娘競技のトレーナーという正にトレーナーのエリート血統に生まれ、なるべくして平地トレーナーの道に進む。

北欧では常に成績トップを維持し、勝ち続けるだけの人生に「なんや、こんなモンか」とつまらなく感じていたが、その鼻っ柱は父のコネで英国に留学して加入したチーム・クレアヘイブンで見事に叩き折られた。

姉弟子という自分の完全上位互換、努力しても追いつけそうに無い才能の塊と出会って以来、圧倒的才能の前にあらゆる努力は無用の長物と断じ、才能信者と言うべき思考に至っている。

それでも完全には折れておらず、いつか姉弟子や師をキャンと言わせたると、その負けん気の強さで食らいつく毎日を過ごす。

智哉と出会ったのはそんな日々のサブトレ生活の中。最初は一コ下やしええヤツやし友達になれそうやな、と考えていた。

しかし智哉が一度だけ学院で相マ眼を使った際に、師と共に立ち会ってしまったがために袂を分かつこととなる。

才能信者の彼にとって、優れた才能を持つものがそれを使わないのは許容できるものではなかった。

いつか師と姉弟子を出し抜いてみせるという野心を持っている。単身アメリカに向かったのもその野心ゆえ。

その一方でトレーナーとしての姿勢は真摯そのもの。本質的にはレースバカ。

でも最近姉弟子が代わりにゴドルフィン行けと圧をかけてきて怖い。師から学べることはまだあるから出たくない。でも姉弟子は目がヤバくて怖い。

トップがすぐいなくなるマスコミ嫌いの為にマスコミ対応は彼の仕事。

悩んだ末に外面を作り込んだために、北欧の貴公子などと呼ばれてしまっている。

優れたウマ娘には優れたトレーナーが担当になるべきだという持論を有しており、努力や根性といったものを冷笑している。

そんな彼を変えるのは、とある諍いの結果として契約することになるぼくっ子かもしれない。

元ネタは見習騎手時代からリーディングに名を連ね、常に欧州のトップジョッキーの座を維持し続けている北欧の天才ウィリアム・ビュイック。

頭突き騒動は酷い事件だったね…。

 

 

ビクトル・エスペランサ(ビリー)

15歳 黒髪の天然パーマ 黒目 浅黒い肌 身長169cm

アメリカのチーム・ウィンスター所属にしてトレーナーの名家バフェット家の住み込み使用人。

14歳でトレーナー資格を取得し、既に担当ウマ娘にG1を勝利させている才気溢れる西海岸の神童。

本編には出ていないが、東海岸に同年代のライバルの天才少女がいる。

元々はスラム出身で浮浪児寸前の生活を送っていたが、とある一件でファラにバフェット家に迎えられて以来強い絆で結ばれている。

これだけの少年ならアメリカウマ娘のターゲットにされそうではあるが、チーム所属のウマ娘達はビリー君はお嬢様のモノだからと手を出さない。

トレーナー席の一件以来護身術を習い始めた。トレーナーなのに。

元ネタは通算3100勝、アメリカ最大の激戦区の西海岸でリーディングに君臨し、アメリカンファラオと共にグランドスラムを達成したメキシコ出身のビクター・エスピノーザ。元バス運転手という異色の経歴持ち。

この世界では違うけど、とあるロリコン事案ウマ娘の主戦でもある。

 

 

ロッド・フレッチャー

ジョエルと同年代 シルバーブロンドの短髪 青い瞳 身長180cm

東海岸の雄、名門チーム・カルメットを率いるチーフトレーナー。アメリカ競バ界のトップトレーナーの一人。

以前は別チームに所属していたが、アリダーの好条件の引き抜きに応じチーフになることを受諾している。

本編では出番が少なかったが、彼はガルフストリームカレッジにあるチーム本部で指揮を執る立場のため。

現在は担当を持つことも少なくなっていたが、ダンとの面談で自分が見ることが最善と考えて彼女の担当になる事を提案した。

妻子持ち。嫁は当然ウマ娘で、仕事を離れれば子煩悩のパパ。

過去のよくつるんだ三人の中で唯一独身のジョエルも身を固めればいいのにと思っている。

元ネタはアメリカを代表する名調教師トッド・プレッチャー。

 

 

リチャード・バンステッド(リック)

16歳 金髪のハーフバック 青い瞳 身長176cm

アイルランドのジュドモント分家、バンステッド家嫡男。

バンステッドの貴公子として既に社交界でその名は有名であり、本家の天才少女フランケルと契約するであろうトレーナーと目されている。

あのフランの全員抜きを現地で観戦しており、それ以来フランに並々ならぬ感情を抱く。

その時にフランを受け止めた男を一方的に敵視している。なお本人は知らない。

トレーナー試験は二回落ちた。

三女神が用意した、智哉と契約しない場合の保険。この世界だと彼と組むとフランはどこかで負ける。

元ネタはフランケルを繋養している種牡馬牧場バンステッドマナースタッド。




これでキャラ紹介は終わります。ファーディさんは知っておいた方が良い話だけど、あんまりいい気分のする話じゃないから気になったらググって見てください。
個人的には経済動物だからしゃーなしとは思うけど、それでもやっぱり悲しいわね、悲しい……。

この後は章間のエピソード書いていくやで。
予定してるのは
「姉、デートに行く」
「フランチェスカという女」
「結ばれなかった、約束」(IFルート、バッドエンド)
「伝説の、超気性難」(カットするかも)
の予定やで。時間取れたからなるべく早くお出ししますやで。頑張る……。
いつの間にか100話超えてたやで。誤字報告ニキいつもほんまありがとう……。
評価お気に入りしおりここすきもほんと感謝しかないんやで。



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インターミッション
その一 姉、デートに行く


ちょっと難産でした。マイアミのデート事情とか調べるの大変だった……。


アメリカ競バ界にその名を轟かせる名門チーム・カルメットの本部は、フロリダ州ハランデール、ガルスストリームパークレース場の近辺に存在する。

ケンタッキー州レキシントンにある旧本部より現オーナーであるアリス・ダーウィンの就任の際に移転されており、オーナーの邸宅を中心として練習場、所属するウマ娘やチームスタッフが滞在時に使用するチーム寮に、下部チームのクラブハウスまで網羅された大きな施設である。希望者はオーナー所有の住宅地の空家を格安で借りることもできる。

 

その住宅地の一件──

 

「んじゃ行ってくるから。あんた達今日はどうすんの?トムは留守番ね」

「まあいいけど……姉貴、日付変わる前に帰ってこいよ?」

「アタイは今日は下部の子見に行くッス!姐御、お気をつけて!」

 

七分丈のスキニージーンズとキャミソールの上に着込んだジャケットというラフな出で立ちで外出の準備を整え、ちょうど出かけるところと言った様子の姉を同居人の二人、智哉とロードがリビングで見送る。

 

この家は担当ウマ娘のロードの次走である、1月のガルフストリームパークレース場でのG3ハルズホープステークス、そしてその次の本番とも言うべき同レース場の2月開催であるG1ドンハンデキャップの為に智哉がオーナーから借りている。

同居している理由は簡単である。シンデレラクレーミングの騒動から帰国後すぐに、ロードより三人とも怪人の正体をもう知っていると告白された為だった。

バレているならもう隠す必要もないと考え、現在担当している二人と話し合った結果、トレーナーとして生活面のフォローも行うことに至ったのである。

 

同居して気付いたこともある。ロードは家事能力が高く、そして三人で一番常識的な性格の持ち主だった。

姉の女子力は生誕時に既に死んでおりもうすぐ22年忌である。ロードもあの様子では死んでいるであろうと考えた智哉が、家事を受け持つつもりで三人分の洗濯をしようとした時に事件は起きた。

 

『お、オイ!!!トレーナー!!洗濯はアタイがやっから!!!』

『……へ?できるのか?洗濯だぜ?』

『あああ当たり前だろォ!!いいからよこせよ!!』

『え?マジでできんの!?姉貴できねえぞ!!!』

『できるに決まってンだろ!!!姐御できねぇの!!?』

 

こうしてこの共同生活中はロードが洗濯を受け持ち、可能な限り厨房にも立つと立候補したのである。

家事をロードに任せっぱなしのクオは脳内でハンカチを噛んで暴れた。

智哉はこのロードの家事能力に感動した。女子力リビングデッドの姉の世話は一人では大変すぎるのだ。

 

そんなロードが、窓から姉の後ろ姿を見届け、智哉に報告する。

本日、姉の外出に当たり智哉はロードともう一人に協力を要請している。

理由は今日の姉の外出、その目的のためだった。

 

「トレーナー、行ったぜ」

 

 

 

「よし、連絡するぞ………ヤッタさん、姉貴が今出ました」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

ハランデールより南に30km、フロリダ州の主要都市マイアミは全米でもトップクラスの港湾都市である。

市の東端、ビスケーン湾を挟んだ先はマイアミビーチ市と呼ばれ、全米でも屈指の観光都市として知られている。

そのマイアミビーチ市を東西に分ける大動脈、リンカーンロードの待ち合わせ場所で姉は途方に暮れていた。

この原因は、姉が到着したタイミングでの親友からの連絡だった。

 

『ごめーんミッちゃん!急にマイキーが離れたくないって〜も〜マイキーったらあ』

『ヤッタ、その理由はちょっと……ぐへえ!?ヤッタ折れる!折れるから!!』

『だから行けなくなっちゃった!ごめんねーじゃあね!!』

 

久しぶりに会える親友と飲み明かせるのを楽しみにしていた姉は、電話の向こうでの親友の惚気と哀れな恋人のうめき声を聞いて少しだけ荒れた。

親友がずっと探していた意中の人物と再会できたのは喜ぶべきことである。しかしそれでも自分の現状と比べて寂しく感じたのだ。

 

(あーもう、ヤッちゃんにのろけられるなんてねえ、あたしはあいつの世話で彼氏も作る暇ないってのに)

 

逆である。姉はむしろ弟に世話を焼き倒されている。

待ち合わせ場所の繁華街の、ヤシの木の噴水の縁に座りながら、姉がため息を吐く。

 

(ヤッちゃんのせいじゃないけど、何か思い出しちゃったわ。帰ろっかな……)

 

親友にのろけられた際に、過去の元担当トレーナーとのやりとりを思い出してしまっていた。

姉は英国で一度、弟のトレーナー試験を阻止するために競走バを引退している。しかも元担当に相談せずに、である。

交際を約束していた二人だったが、当然この件は喧嘩の火種となった。

決裂は、元担当の一言だった。

 

『そんなに弟が大事なら弟と付き合ってろよ!!いつもいつも比べやがって!!』

 

この言葉に動揺した姉は去りゆく元担当を追いかけられず、それ以来会っていない。

言われて気付いたのだ。自分が常に弟と担当を比べていたことに。

姉は幼い頃より弟を身近に見ていたために、無意識ではあるがその理想は高い。

姉と契約してようやく芽が出た元担当にとっては残酷な話である。

弟を無理矢理アメリカに連れてきて自らの担当に据えたのは、それを確かめるためでもあった。

 

(……やっぱりあいつのせいじゃん。あんなの身近にいたらそりゃ比べちゃうわよ)

 

弟には絶対言えない、捻くれた確信。

容姿、知能を兼ね揃え、超人の身体能力まで有した弟は実際に優秀なトレーナーで、既にアメリカで重賞のトロフィーを荒稼ぎしている。

アメリカで怪人として多大な名声を得ており、もし素顔を晒せばアメリカ競バ界のトップスターとしてその名声は更に増すだろう。

そんな弟にお節介を焼こうと帰郷した際に起きた、一度だけの本気の姉弟喧嘩も姉の心に影を落としていた。

あの時、弟に言われた言葉が耳から離れない。

 

(あーあ、帰ろう。家で飲もっと)

 

「あれ…?ミッドデイさん?」

 

嫌な事は忘れようと首を振り、姉が立ち上がった時である。

目の前に、茶髪をいつもと違いオールバックにまとめ、品のいいレザージャケットにスラックス姿の弟の友人が立っていた。

姉はこの姿にピン、と来た。

この弟の友人、チーム・クールモア所属トレーナーのライエン・モアは、世界にもその名を広めつつある有能なトレーナーである。

容姿もなかなか整っており、なおかつ有望な若手。彼に想いを寄せるウマ娘や女性は多い。

そんな男が身なりを整えてこんな繁華街にいる。デートの待ち合わせで間違いないだろう。

 

「ライエンさんじゃない。奇遇ねー、マイアミまでどうしたの?」

「英国に帰る前にちょっと友人と会っておこうと思ったんだけどね。すっぽかされちゃったみたいで……」

「友人ってまたまたー、デートでしょ?ライエンさんすっぽかす子なんているのねえ」

「ははは……そういうミッドデイさんは?」

「んー?あたしもね、友達にドタキャンされたのよね。こっちは何にも色気が無い話だけどねー」

 

親友は自分より彼氏を選び、目の前の弟の友人は袖にされたらしいが逢い引き。

姉は少し惨めな気持ちになり、けらけらと笑ってそれを隠した。

どいつもこいつも色気かと、若干理不尽な怒りも覚えていた。

このまま帰ったら弟は八つ当たりの被害に遭うであろう。

しかし、次のライエンの発言で状況は変わった。

 

「……それなら、ミッドデイさん。すっぽかされた同士でどこか行かない?」

「……え?あたしと?」

「そう、ミッドデイさんとだよ」

 

姉がぽかんと口を開け、ライエンの言葉を咀嚼する。

そして、思い当たった事を思わず口に出した。

 

「えっ!?あたし今ナンパされてる!?ライエンさんに!!?」

「ああ…そうなっちゃう、かな?」

(……あっ、この人かなり遊んでるわね)

 

ナンパ呼ばわりされても意に介さず、爽やかに笑ってみせる弟の友人。

姉はこの対応に女性の扱いの上手さと自信、そして場慣れした雰囲気を感じた。

実際にライエンは無名時代から人間の女性限定で遊び慣れており、女の敵と呼ばれた時期もあった程である。

競走一筋の女子力ノーライフキングの姉とはその戦力に過大な差があるのだ。

 

「えっ、ええー……参っちゃったなあ、ライエンさんにはお世話になってるし……」

「予約してた店があるんだけど、このままキャンセルするのも勿体ないからね。今日は俺が色々手伝ったご褒美って事で、どうかな?」

「ご褒美……あたしが?やだライエンさん上手いこと言うー!」

「ッ!!!!は、ははは……」

 

照れた姉がぺちんと軽く目の前の相手の肩を叩き、それを受けたライエンが衝撃でよろめきかけるも、気合で耐えて笑う。

怪人の代理を務める内に、取り繕って平静を装うのが上手くなっていた。言葉に窮しても笑って誤魔化せる、大人の男に成長したのだ。

 

姉が世話になったと言う通り、弟の怪人に扮した二重生活は彼の協力無くしては、どこかで破綻していた可能性があった。

ちょうど暇になった姉は、そんなここ二年間の協力者の顔を立ててやろうと、ニヤリと笑って言葉に応じる。

それに弟の友人と思って意識はしていなかったが、これ程の才能溢れる話題のトレーナーに言外に興味があると言われているのも悪い気はしない。

 

「うーん、まあいっか。G1六勝の名ウマ娘のエスコートは安くないわよ、ライエンさん?」

「ああ、勿論。決まりだね」

 

二人で待ち合わせ場所から離れる。

そんな二人を、遠くから監視する一団。

 

ウマ娘二人に、男が二人。全員サングラスにマスク姿の異様な集団である。

ウマ娘二人は有名なプロ競走バ、そして男の片割れは近年復帰したかつての天才トレーナーであるために顔を隠していた。顔を晒せば監視どころではない。

そして男のもう片割れは、監視している二人の肉親であるために顔を隠している。

なおウマ娘の片割れは、その身長と黒鹿毛により既に周囲の通行者にバレていた。彼女の奔放振りは全米に知れ渡っているのでまた何か始めたのかと見て見ぬ振りをされている。

その大きい方のウマ娘が、満足気に同行している男に感想を訊ねる。

 

「出だしはいいんじゃない?マイキー?」

「そうだねヤッタ。何というか、その気にさせるのが上手いね、彼……」

「ねー!上手だよねぇ。トムちゃん、ああいうのお手本にした方がいいよ?」

 

同行者の返事を聞いた長身のウマ娘、アメリカ現役最強ウマ娘のゼニヤッタが今度はもう一人の男の同行者、智哉に矛先を向けた。

当の本人は全力で眉間に皺を寄せた。こういったやりとりは苦手分野である。

 

「いや、俺はああいうのはちょっと……」

「ヤッタ姐さんの言う通り、トレーナーはもうちょっとそのクソボケなんとかしろよ……そのうち刺されるぜ?マジで。インディ先輩にもやられかけてるしよォ」

「んだよクソボケって……ロードまで姉貴みたいな事言うなよ」

「実際クソボケでしょ、トムちゃん」

 

同行している小さい方のウマ娘、ロードにまで非難を浴びる四面楚歌の状況に智哉が頭を掻き、もう一人の同行者に助けを求めるように目を向ける。

かつて、怪人の姿で会ったことがある男だった。

やや強面だが人好きのする笑みをたたえた、ブロンドの髪の男、マイケル・スマイス。

ヤッタの幼馴染兼恋人にして、近年復帰したかつての最年少エクリプス賞最優秀専属トレーナーである。

現在はチーム・ウィンスター所属として復帰。既に重賞も勝利している。

彼の加入にチーム・ウィンスターの面々は沸き立ち、立役者であるファラの株は鰻登りである。

ビリーも先達として慕い、彼にトレーナーとしての在り方を相談する機会も多い。

そんな西海岸の大物トレーナーがデートの出歯亀である。ヤッタに振り回され続ける毎日の彼は体重が数キロ落ちた。

 

「トモヤ君は確かにその様子だと苦労しそうだね。いやあ、あの完璧超人にしか見えない彼にこんな一面があるなんてね」

「マイケルさんまでそんな事言うんすか……ジャスティ、元気にしてますか?」

「元気だよ。最近は外で遊ぶことも増えた」

 

怪人の正体を彼も知っている。信頼できる人物としてヤッタから教えていいか聞かれ、快諾したのだ。

あの美容院での一件そのままの、穏やかで優しい人柄の人物である。ヤッタが追いかけ続けた人物だけある、と智哉は考えた。

そして少しだけ負い目もあった。異様に勘の鋭いヤッタに問い詰められて彼の居所をバラしたのは智哉である。

 

「……ところで、何でヤッタにすぐ言ったの?あれから数日で言うのは酷くない?」

「ああ〜、いや、ヤッタさんかわいそうだなって……」

 

少しやつれた様子でのマイケルの耳打ちに、智哉が目を逸らしながら弁明する。

チーフに全幅の信頼を寄せられ、多数の管理ウマ娘を預かる彼は多忙な身である。

こんなところで出歯亀する時間ははっきり言って無いが、ヤッタのおねだりで何とか時間を捻出してここに来ている。

「これが終わったらすぐ帰ってレース資料集めて、それから徹夜で担当数人分のレースプラン仕上げてみんなとミーティングかな。飛行機で寝れるからまだ大丈夫、大丈夫……」と頬を痩けさせながら語るマイケルに智哉は心底同情した。一年目の怪人より多忙だった。

 

「さ、追うよー?どうしたの?」

「い、行こうぜ?マイケルさん」

「そうだね、うん、行こう……」

 

出歯亀カルテットが、距離を一定に保ちながら尾行を開始する。

今回の一件の発端は、ライエンが智哉と結んだ、姉と二人で会わせてほしいという約束によるものだった。

上手く姉を引き合わせる方法が思いつかなかった智哉は、ヤッタに協力を依頼したのだった。

 

『え?あのライエン・モアちゃん?なにそれ面白そう。手伝うから見物させて!』

 

こうしてロードとマイケルも巻き込み、この出歯亀カルテットは組まれたのだ。

デートは、始まったばかりである。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「よっ!よし、一本もらいっ!」

「やるねミッドデイさん。今のはやられたよ」

「でしょー?コツは掴んだわよ」

 

二人がやってきたのは市内の射撃場である。ここでスコアを競い合い、負けた方が夜の飲み代を持つというちょっとした勝負を行っている。

体が動かせるか勝負事のできる場所がいい、というヤッタと智哉の提案によりこの場所が選ばれた。

今回のデートプランは姉とよく遊ぶヤッタと姉の嗜好をよく知る智哉の全面協力で組まれている。

その際に智哉は、一つアドバイスを送った。

姉のその勝負事好きかつ、負けず嫌いな性格についてである。

 

『あー……ライエンさん、上手く負けてやるってできます?姉貴、すげえ負けず嫌いなんで負けが込むと機嫌悪くなるんすよね……』

『ああ、それなら得意だよ』

 

難しい要求だったが、ライエンはあっさりと出来ると言ってのけた。

実際にライエンは相手に花を持たせるのが抜群に上手く、姉の相手をよく務める智哉ですら唸るほどであった。

智哉は知らない事だが、ライエンも気性難の身内を持つ身である。その境遇はよく似ている。

その身内と勘違いしたチーフの好意に嵌められ、ライエンは本格化した身内の担当になる事が内定していた。

日本の短期免許の審査を受けたのもその為である。日本贔屓の身内はいつか日本で走りたいと希望をチーフに伝えたのだ。

 

「ライエンさん、構え方が様になっててすごいわねー、撃ったことあるの?」

「英国でクレー射撃を少し、ね。所持免許も取ってるよ」

 

ライエンはこの射撃場で一番古い型のライフルを得物に選んだ。無名時代にストレス解消にクレー射撃に没頭していた頃に使用していた、ロシア製の狙撃銃である。

対して姉はアメリカ軍で制式採用されていたアサルトライフルの民間用モデルを使用している。伝説の殺し屋が使っている小銃の兄弟に当たる。

高精度の狙撃銃とアサルトライフル、命中精度には差があるはずだがそこはウマ娘。強靭な足腰で銃身をしっかり固定し、照準器で狙った通りの位置に姉が当てていく。

姉がある程度確実にスコアを重ねるので、ライエンとしては逆算して上手く負けるのは楽な仕事だった。

 

「よっし!次もいただき!ライエンさん、お金下ろしてきたらー?」

「大丈夫だよ。それよりミッドデイさん、随分上手くなったね」

 

にこやかに笑うライエンを見て、何故か姉は動悸が早くなるのを感じた。

 

(ん……あれー?いや、流石に気のせいでしょ……あたしそんな惚れっぽくないはずだし)

 

姉は、姉である。弟を引っ張り、競走バとしても先輩の立場である事が多い。

つまり、こうやって包容力を向けられる事が少ないのだ。ダンを気に入っているのも世話を焼いてくれるからである。

本人も気付かない内に、身内に妹を持つライエンの兄気質を好ましく思っていた。

和気藹々といい雰囲気の二人、その一方──

 

「俺が撃つと毎回ジャムるんだけど……どうなってんだよ……」

「トモ君、おかしくない?まともに撃ててないじゃん……」

 

まず智哉は撃つ度に弾詰まりを起こして唸っていた。

ここに来ていつもの謎の運の無さを発揮していた。銃に良い思い出も無いので、二度と銃なんて持たねえと心に誓っている。

ロードはクオに代わった。射撃はクオの得意分野である。

 

「射撃は10%の才能と20%の努力、そして30%の臆病さ。残る40%は、運だろう……な」

「ヤッタ、様子おかしくない?」

「背後に立つな!」

「ぶへえ!!?」

 

そしてヤッタは姉と同じモデルの小銃を握るやその様子を大きく変え、背後に立ったマイケルに手刀を叩き込んでいた。

大惨事である。片やまともに撃てず、片やのめりこみすぎて人格まで変えていた。

 

「いてて……あ、あっち終わりみたいだよ」

「行こう……」

「そのキャラまだ続けるの……」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「というわけで!後はここで様子を監視しまーす!音声はライエンちゃんに持たせたマイクで聞けるよー!」

「いいんすかこれ……なんで警備室に通してもらえるんだよ……」

 

その後も二人はデートを楽しみ、一行の出歯亀は続いた。

そして最後の地、マイアミビーチ市の高級ホテルのシックな雰囲気のスカイラウンジに到着した。

ヤッタの根回しにより何故か警備室の監視カメラを使い、一行は監視している。

 

そんな映像の向こう、姉は腕を組んで何やら考え事をしていた。

競走一筋で色恋には疎い姉だが、そんな姉でも感じる違和感があった。今日のデートが楽しすぎたのだ。

本来の相手に袖にされたライエンとの同行、本来はその相手用に組まれたデートプランだったと姉は思っている。

自分は代役のはずなのだ、しかし時間を忘れるほどに楽しく、ライエンの気合を感じるデートだった。

 

(……これ、本当の相手の子、ライエンさんの本命だったのかなあ)

 

鈍い姉はまだ気付いていない。弟の事を言えない鈍さである。あの弟にしてこの姉である。

 

「ねえ、ライエンさん」

「どうしたの?今日は俺が払うから好きに頼んでいいよ」

 

にこやかに楽しそうにする弟の友人、一本気で駆け引きが嫌いな姉は直球で聞いてみることにした。

 

「今日の本当のデートの相手の子ってさ、本命だった?」

 

ライエンは、にこりと笑って一言だけ返す。

 

「……ああ、本命だよ」

 

返答は過去形ではなく、現在形だった。言外に目の前の君だよ、と伝えたのだ。

この返事に警備室は大盛りあがりである。

行ったー!とヤッタが叫び、マイケルは拍手し、ロードがガッツポーズを決め、智哉は全力で顔を顰める。

 

「ふーん、そっかあ、ライエンさんそれなのにすっぽかされちゃったのねー、かわいそー!うりうり」

「……へ?はは、ははは!そうなんだよ!すっぽかされたからね……はあ」

 

しかしこの姉はあの弟の姉である。自分の色恋にはてんで疎いのだ。

警備室の面々は全力でずっこけ、ブーイングの嵐を姉に送った。

姉に肘で突付かれながら、ライエンが小さくため息を溢す。

彼の姉さんだったなこの娘と内心考えていた。

 

(……ンン??いや、あたし??いや無いわ、無い無い。それは自意識過剰ってやつでしょ)

 

姉は一瞬言葉の意味を考えたがすぐに頭の片隅にその考えを追いやった。

元担当に振られて以来色恋沙汰から身を置いていた弊害があった。

 

「いよっし!飲むわよ!!ライエンさんも何か頼んだら?」

「そうだね、飲もうか……」

 

悩んでもわからない事は忘れようと、姉が次々と注文を出しては、次々にグラスを空にしていく。

ウマ娘は毒に強い耐性がある種族である。勿論アルコールにもその効果を発揮する。

つまりザルである。ウマ娘を家族に持ち、ウマ娘の専門家とも言えるトレーナーであるライエンは当然その事を知っていた。

それでも姉のペースは異常であった。慣れないデートで完全に普段のペースを忘れて飲み倒したのだ。

その結果──

 

「あははは!!たのしーわねー!ライエンさん飲んでるー!!?」

「ははは…飲み過ぎじゃないかな?」

 

完全に出来上がってしまっていた。飲み過ぎである。ダンに折檻されてもまだ懲りていない女子力ゾンビがそこにいた。

姉が突っ伏して顔をテーブルに付けながら、ふとライエンに問いかける。

 

「ねー?ライエンさん?」

「何かな?」

 

姉は、今日ライエンと同行して気になっていたことがあった。

酔った勢いで、それを聞いておきたくなったのだ。

もしそうだったら、相談したいこともあった。

 

「ライエンさん、弟か妹っている?」

「………ああ、いるよ。弟も妹も」

「やっぱりそうだったのねー。お兄ちゃんなのね、ライエンさん」

「情けない兄貴だけどね。弟には随分心配されたよ」

 

ライエンは敢えて妹には言及しなかった。ここで妹の話になると自然と愚痴が溢れるからだった。

英国で障害競走トレーナーの資格を取った、優等生の弟の事だけに留める。

姉がその様子には気付かず、言葉を続ける。

 

「ライエンさんちはさ、喧嘩したことある?弟と妹、どっちでもいいから」

「うーん、無いかな?弟は優等生だし、妹は俺が折れてるからね……」

 

姉が突っ伏したまま、声のトーンを落とす。

今のテンションだと愚痴になってしまうかもしれない。

しかし、どうしても弟を持つ身同士で聞いてほしい話があった。

 

「うちはね、あるの。一回だけ」

「……そうなの?仲良いよね、トモヤ君と」

「うん、でもねー、あたしがお節介焼きすぎてね……その時……」

 

警備室で、智哉はライエンのマイクを切る。

 

「……トムちゃん?」

「すいません、ヤッタさん、ここから先は……」

 

ここから先は、聞きたくない話、そして周囲にも聞かせるべきではない話だった。

過去の姉との大喧嘩。お互いのエゴをぶつけ合い、今も少しだけ心のしこりとして後悔している言葉。

智哉は立ち上がり、警備室の扉に手をかけた。

 

「今日はここまでっすね。姉貴迎えに行ってきます」

「……いってらっしゃい。でもね、トムちゃん」

「……なんすか?」

 

そんな智哉をヤッタが止めた。

いつもの奔放で陽気なヤッタとは違う、真剣な表情だった。

 

「よく考えてね?今日見て思ったけど、ミッちゃんにあれ以上の相手、絶対に現れないよ?」

「……わかってるんすよ。俺も」

 

そう言い、智哉は警備室を後にした。

今日一日を監視して、智哉もライエンの真摯な気持ちはわかっていた。

最初はプレイボーイの火遊びに姉を巻き込むなと憤った。

俺と仲良くなったのもそれが狙いかよ、とも思っていた。

しかし、今日一日ライエンは姉を楽しませる為に尽力していた。

そこに下心は無かった。ただ姉と楽しむための行動だった、そう色恋に疎い智哉にも実感できていた。

 

一方、ラウンジでは姉が相談を終え、すっきりとした表情をしていた。

ライエンは真摯に相談に答えてくれた。話を聞いてくれた。

姉はこの人いいな、と何となく感じていた。しかし自分は本命ではない、と首を振ってその考えは捨てていたが。鈍いにも程がある女である。

 

「ライエンさん、ありがとね。うん、すっきりした」

「役に立ててよかったよ。きっとトモヤ君も本心じゃないから」

「うん……」

 

ライエンは姉を見ながら、これは長い戦いになるな、と感じていた。

あの日、目を奪われた時の思いは色褪せていない。諦めるつもりはない。

しかし相手はこの女子力アンデッド、そして手強い弟もいる。

 

(俺の事も覚えてないだろうなあ……何年も前だし)

 

じっくり行こうと誓ったその時、姉がふと何かを思い出したように、何気なく言った。

 

「あ、そーだ、ライエンさん?」

「ああ、何かな?」

 

 

「──トレーナー、向いてたでしょ?お兄さん」

 

 

ライエンの目が見開き、肩が震える。

完全な不意打ちだった。

 

「……覚えてたの?」

「えー?そりゃー覚えてるでしょ。あんな事あったんだし」

 

手で口を抑える。今にも叫び出してしまいそうだった。

ライエンは無名時代にやけになった結果として、彼女をとっかえひっかえしていた百戦錬磨のプレイボーイである。

そんな彼は、当然女性の扱いに長けており心を取り繕うのも上手い。

だが、これは効いた。女子力リッチキングの何気ない一言が、クリティカルヒットしてしまっていた。

 

「………ミッドデイさん!」

「え?どうしたのライエンさん?」

「聞いてほしいことがあるんだ!!今すぐ!!!」

「えっ、なになに?」

 

じっくり攻めるプランをかなぐり捨てたライエンが、決定的な一言を言おうと意を決する。

すぐにでも彼女に想いを伝えたい、その一心だった。

 

「俺は!君が──」

 

「姉貴、帰るぜ」

「おー我が弟!出迎えご苦労!!おぶってー」

「おう」

 

しかしここで邪魔者が乱入する。当然最も警戒すべき弟である。

やり場を無くしたライエンの手が震え、邪魔者を呆然と見つめる。

 

「……………トモヤ君?」

「おっ、ライエンさん、奇遇っすね。姉貴の相手させてすいません」

「お前……お前ぇ………!!!!」

 

怒りのあまり口をぱくぱくとさせながら、ライエンは怒りの形相で智哉を睨みつけた。

約束が違う、と言いたげであった。智哉はその視線を平然と受け止め、姉を背負う。

 

「じゃ、俺達帰るんで。支払い任せていいっすか?」

「ああ!良いとも……やっぱり君が一番の敵だよ」

「……何の事っすかね?じゃ、そういうことで」

 

警備室でこの様子を眺めるヤッタが、頬杖をついて呆れた声を上げた。

 

「トムちゃん、ほんとにお姉ちゃん離れできないねえ」

「トレーナー、このタイミングはねえよ……」

「まあ、いいんじゃないかな」

 

マイケルの言葉に、ヤッタが頷く。

 

 

 

 

「そうだねえ、時間の問題だと思うよ?トムちゃん」

 

酔っ払い、良い気分の背中の姉にチョークスリーパーをかけられるその弟。

それを見つめ、敵認定をするライエン。

攻防は、始まったばかりである──




割とマジで美容師さんの紹介するの忘れてた(これ書いてて気付いた)から後で追記しますやで…。
トッムがアッネになんて言ったかは日本編で明らかになるやで。
ライエン妹は日本で出ます。つまりあのレースを書くやで。
次はケッカちゃん回やで。名前だけは一部から出てるあの子の初登場になります。
神様回はとあるキャラの紹介回にできるから書くやで。その時にちょっとタグ増やします。


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その二 たとえ、燃え尽きたとしても

というわけでケッカちゃんとあの子の回やで。
日本編でブロー〇〇ピール出したいけどええ方法無いやろか……。
アプリで本当にモンジュー出てきてうれしいんやで。
勝負服もしっかりテイバーの青と橙縞になっててかっけえ!あとでっか。


『セントニコラスアビー!抜け出したまま勝利!!レーシングポストトロフィーを圧勝です!!!来年のクラシックは彼女の独壇場となるでしょう!!おっと、彼女とコンビを組むジョータロウ・ムラタトレーナーが近付いて抱き上げて……吹き飛ばされました!!これはいけません!!』

 

英国サウス・ヨークシャー州、ドンカスターレース場。

競バの故郷英国においても歴史の長いレース場であり、広大な西洋梨のような形のコースは一周約15.5ハロンで直線は5ハロン。

世界最古の競走であるドンカスターカップ、そして世界最古のクラシック競走であるセントレジャーステークスの開催地として有名である。

そしてこの地では現在英国平地シーズンの締めくくり、ジュニアグレードの若きウマ娘達にとって最も重要なレースとされるG1レーシングポストトロフィーが開催され、決着がついたところだった。

勝者である、赤い十字架の装飾されたテンプル騎士風の白いタバードの勝負服を着込んだウマ娘が、相棒である日系アイルランド人のトレーナーからの祝福に手荒い返礼を見舞う。

それを見つめ、項垂れる一人のウマ娘。

 

(勝てなかった……トレーナー、ごめんなさい……)

 

手応えはあった。自信もあった。しかし届かず、三着に終わった。強敵だった。

ポニースクールを卒業して学院に入学、世界に名だたるチーム・ゴドルフィンに所属し、世界でも屈指、いや直に世界一となるトレーナーを担当に迎える幸運にも恵まれた。

エリート競走バとして栄光が待っているはずだった。だが圧倒的な才能と実力差の前に、彼女の努力、トレーナーの献身は吹き飛ばされた。

不甲斐なさが、才能という理不尽への絶望が、彼女の心に去来する。

 

「──アル、お疲れ様」

「トレー……ナー………」

 

アルと呼ばれたウマ娘が、虚ろな目で自らのトレーナーを見つめる。

艷やかな赤毛を首までで切り揃え、レディススーツに身を包み、知的で怜悧な視線とその腕に巻かれたゴドルフィン・ブルーの腕章が特徴的な、世界にもその名を轟かせる天才トレーナー、フランチェスカ・ディ・トーリ。

ジョエル・ガスデンの最高傑作とも言われる彼女が、自らの担当に感情の籠もっていない声で語りかける。

 

「三着、良いレースだった。私のプラン通りに走ってもくれた。俯くことは何もない」

「でも、でも、私……負けて……」

「ライブの準備をしなさい。負けてもライブでは笑顔。競走バとして当たり前の事」

 

そう言うと、ケッカはライブ会場の方向を指差す。

まるで事務的なねぎらいに、有無を言わさぬ物言い。

アルは曇った表情で、ケッカに背を向けた。

その手腕は疑う部分は何一つ無い。言っていることも間違っていない。

それでも今のアルには、酷くその正論が刺さった。

どこまでも冷たい人、それがアルの自らのトレーナーへの印象だった。

 

「そう、ですよね……行ってきます」

「待ちなさい。一つ、忘れていた」

「大丈夫です……ちゃんと、笑え……トレーナー!?」

 

ケッカの声に振り向いた瞬間、アルは抱き締められていた。

 

「と、トレーナー!!何してるんですか!!?」

「よくやったわ。あなたは何も気を落とす事はないのよ」

「わ、私レース終わったばかりで汗かいて……スーツが汚れます!!」

「何も、汚れているものなんてない。真剣に、夢を追ったあなたは美しい」

「ふえ……」

 

耳元でケッカに囁かれ、アルの頬が真っ赤に染まる。

こんなトレーナーの姿は知らない。初めて見る姿に混乱していた。

そして、ケッカが最後にもう一度囁く。

 

Sei il mio orgoglio(あなたは私の誇り)

 

最後の一言は、彼女の母国語だった。

アルはイタリア語をよく知らない。それでも、トレーナーの気持ちが籠もった言葉だった。

ケッカが離れ、アルの頬を軽く撫でる。

 

「……大丈夫ね?行ってきなさい」

「は、はい………」

 

踵を返し、ケッカが去っていく。

その背中を、アルは頬に手をやりただ眺めていた。

一言、口から言葉が溢れる。

 

「………お姉様………」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ケッカが、レース場の関係者用通路を一人で歩く。

彼女は、幼少期の経験によりあまり表情筋が働かない。

感情を表に出すのは苦手分野である。だから本当に伝えたい思いがある時はボディランゲージを使うことにしている。

 

(上手く慰められてよかった。アルは私を怖がっていたから、これで打ち解けてほしい)

 

ふんすと鼻息を一つ吹いて、小さくガッツポーズを決める。

やりすぎである。アルの女性観は破壊された。

 

(……課題は見つかった。次はアルを勝たせてあげたい。それと、観客席のあの子)

 

冷血なクールビューティと思われがちなケッカだが、その実トレーナーとしてレースへの情熱、ウマ娘への献身の思いは強い。

育ての親であり、愛する人の教えを彼女は守り続けている。

そのオヤジには唐突に放り出されたが。今も怒っている出来事である。

 

(あの目、まるで自分が走っているようだった。危うい子)

 

今日のレース、観客席にいた一人のウマ娘の少女がケッカには気がかりだった。

思い詰めたようにレースを観戦する、サイドテールの少女。

まるで、そのまま燃え尽きてしまいそうなレースへの情熱、そして破滅願望のような何かを孕んだ目。

声をかけたかったが、アルのメンタルケアを優先した間にいなくなっていた。

ケッカは一目でその才能も看破した。間違いなく、競走バの道へ進めばG1も穫れるほどの天性の持ち主だった。

どう探し出すか悩むケッカの前に、通路の角から一人の男が現れる。

 

「姉弟子、ようやりますなあ」

「……ウィルか」

 

糸目の銀髪の青年、弟弟子であるチーム・クレアヘイブン所属トレーナーであるウィル・ベックが、にこにこと笑いながらケッカに近づく。

このレースに彼の担当は出走していない。それでも、この姉弟子のレースはなるべく現地で見るようにしているのだ。何か少しでも彼女から得るために。

 

「あれあかんでしょ。アル君きっと壊れてもうたで?」

「……何?」

 

ケッカの眉がぴくりと動く。聞き捨てならない言葉だった。

自分の見立てではどこも故障していないはずだった。

勘違いである。

 

「どこも故障はしていないはず。私の見立ては間違いない」

「いや、わかってへんのかい!!あれあかんて姉弟子!!普段そんなんな姉弟子にいきなりハグされて優しくされたら壊れてまうから!!!」

「だからどこも壊れていない。お前は何を言っている?」

「だからちゃいますって!!壊れたのは心!!!」

「……………心、だと?」

 

ケッカがよろめき、珍しく打ちのめされたような表情を浮かべた。

自分は師の教えを守り、トレーナーとしても優秀だという自負がある。

しかし、体の故障は見通せても心まではわからない。

どうすればいい、と衝撃を受けていた。

原因は自分である。アルは粉々に壊れている。

 

「心まではわからない………アルにはもっと優しくしよう」

「いや、逆効果………もうええわ。好きにしたってや、姉弟子」

 

ツッコミに疲れたウィルが、辟易としながら匙を投げた。

天才トレーナーであるケッカであるが、その反面その生い立ちからか世間知らずで浮世離れした一面があった。

クレアヘイブン時代から、この漫才のような弟弟子との関係は変わっていない。

ふと、ケッカが思い出したように口を開く。

 

「そうだウィル、早くゴドルフィンに行け」

「会う度それやな姉弟子!!だから僕まだクレアヘイブン出る気ないっちゅうねん!!!!」

「私はジョエルの傍に居たい。ウィルはゴドルフィンのトレーナーになれる。ハリードは私が言い包める。何が不満?」

「いやそれはほんまに、ほんまにセンセが悪いと思うけど!僕まだ姉弟子みたくやるんは無理ですわ、いつかはやりたいと思っとるけど。あとハリードはんハゲてまうであんまり追い込むのやめたって」

 

チーム・ゴドルフィンのチーフトレーナーであるハリード・ビン・スラールは、このジョエル・ガスデンの最高傑作の加入に当初は手放しで喜んだ。実際に彼女の手腕で幾度も大レースで結果を出している。

しかし喜んだのは最初だけであった。彼女は顔を合わせる度に辞めてクレアヘイブンに戻ると言うのだ。

いつもそれをなだめすかし、管理してる子放り出すの?とまで言って引き止めるのは彼の役目である。要するに頭痛の種だった。

 

ケッカが、いつも首を縦に振らない弟弟子に痺れを切らし、その額に人差し指を当てた。

彼女はそのトレーナーとしての才能も去ることながら、その身体能力も驚異の一言である。

短距離ならウマ娘との併走まで可能である。人間の限界に近い数値を叩き出す、超人に片足を突っ込んだ存在なのだ。

指をそのまま、ウィルの額に捻り込む。

 

「お前の事情より、私の事情」

「あいだだだだーーーー!!?姉弟子なにすんねん!!絶対行かんからな!!あっでもホンマ痛い!!やめてや!!」

 

ウィルが抵抗するもびくともしないケッカが、ふと思い付いた事を口にする。

どうせこの弟弟子が首を縦に振ることはないだろう。だがその代わりに使い道を思い付いたのだ。

 

 

 

「……行かないなら、代わりに頼みたいことがある」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

二ヶ月後。エプソムポニースクール、Bクラスの教室。

 

「このように、女神エクリプスはアメリカでの主教と呼ばれる程に規模を広げましたが、その出自は英国と言われており……」

 

ぎゅちっ、と教室に何かを握りしめる音が響く。

 

「エクリプス教の以前はヘロド教が広く信仰されていましたが、今はその規模を………」

 

ぎゅちっ、ともう一度教室に音が響く。

 

「ヘロド教は現在はフランスの一地方までその規模を……ファーちゃん!!!!やめなさい!!!」

 

痺れを切らせた教師が、音の発生源に怒声を投げる。

発生源──ファーと呼ばれたウマ娘は、その手に握ったハンドグリップをぎゅちっ、ともう一度握り締めた。

鹿毛のサイドテールに右耳に青いサファイアの耳飾り。そして強い意志が籠もり、爛々と輝く火が灯ったかのような目。

エプソムBクラスのエースを務める彼女は、悪びれもせずに教師の怒声に応える。

 

「先生、すまない、トレーニング中だ」

「今は!!!授業中でしょ!!やめなさい!!!」

「しかし、今日は1000回握る予定なんだ。脚が万全でないから、他の部分を鍛えておきたい」

「後に!!!!しなさい!!!没収します!!!……あっ空気椅子もしてるわね!?座りなさい!!!」

「すまない、今日はずっと空気椅子の予定だ、すまない」

「座れ!!!っての!!!あっ力強い!!びくともしないわね!!!!」

「先生、そのまま頼む。良い負荷だ」

「あああああ!!!!もおおおおおおお!!!!!」

 

ハンドグリップを没収しようと近付いた教師が、問題児が空気椅子を敢行していることにも気付いて座らせようとするも、微動だにしないファーに発狂した。いつものやりとりである。授業中にトレーニングを始める常習犯だった。

 

「せんせーあきらめなよー、ファーはやめないって」

「トレーニングのおばけだもんね、ファーちゃん。最初はドン引きしたけど……」

「すまないみんな、うるさくしてすまない。先生はそのまま頼む」

「もうやだああああ!!!校長来てええええ!!!!」

 

この問題児と先生との攻防は、隣のAクラスにも届いていた。

 

「おっ?またファーがやってんなー!!」

「……ファー、やりすぎ」

 

Aクラスの二大エースであるフランの従兄弟のナサと、その友人のゾフ。

ファーは、二人から見ても際立った才能と弛まぬ努力と根性を兼ね備えたウマ娘である。

ライバルとして認めているし、万全ならばこのエプソムでも一番速いかもしれない、と考えている程のウマ娘だった。

しかし、彼女にはどうしようもない欠点があった。

 

「また怪我が長引くわよ!!お願いだから言う通りにして!!」

「………ッ!わかった。すまない、先生」

「焦る気持ちはわかるわ、ファーちゃん。でも、自分のことをもっと労ってほしいの」

 

その競走能力に反して、彼女の脚は極端に脆い。

ガラスの脚だった。常に怪我が付き纏い、万全に走れる事はほぼない。

それでも強い競走へのこだわり、そして折れる事がない鋼の如きメンタルで彼女はここにいる。

競走バの夢のためなら、いつか脚が無くなってもいい。

この歳にして強い決意と覚悟を持っている、まるで燃え尽きるまで天を駆ける流れ星のようなウマ娘。

それが、ファーという少女だった。

そんなファーを、エプソムポニースクールの敷地外から双眼鏡で眺める一人の人物がいた。

彼女を弟弟子に少ない特徴から捜索させ、ここに辿り着いた一人のトレーナーである。

 

「見つけた」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

授業が終わり、下校時間である。

ファーは今日は競走の授業を見学で過ごした。

走りたくて堪らないファーだったが、教師が参加を頑として認めなかったのだ。

友人達は既に帰宅し、先程ライバル二人にも励ましの言葉をかけられた。

ファーはポニースクールの近所に住んでおり、徒歩で通学する身である。

しかし、今日は何故かまだ帰りたくなかった。

怪我で練習できない事はよくある。それで焦ることや辛い気持ちはあったが、それはもう慣れていた。

何故かはわからない。だが帰るべきではないと思ったのだ。虫の知らせのような物を感じていた。

 

(……何故かはわからない、でも、胸の奥が強くざわめく)

 

教室で、一人で下校時間を過ごす。

胸に手を当て、そこから感じる何かを探る。

そんな時である。

何物かが、開いた窓から音を立てずにファーの前に飛びこんだ。

 

「失礼。忍び込むのに苦労した」

「……ッ!?あなたは……」

 

ファーが何者かを見やり、目を見開く。

競走バに憧れるファーは、レースをよく観戦している。先日は現地でレーシングポストトロフィーも観戦した。

万全な脚で思うがままに走る先輩達を羨ましく思い、食い入るようにレースを眺めた。

その地で見た、英国でも屈指の天才トレーナーが自分の目の前にいた。

 

「フランチェスカ・ディ・トーリだ……!!サインください」

「後で書こう。それよりも君、ドンカスターにいたわね?」

「二ヶ月前なら、レース見てました。それより、ここ二階ですが」

「飛んだ」

「すごい」

 

二人共天然気質な面があるため、ツッコミ不在のゆるい会話となっていた。

ファーと会うためにポニースクールへ侵入したケッカだったが、これは統括機構のトレーナーとして当然やってはいけない事である。

警察案件であると共に、アスコットの事件以来ポニースクール側はトレーナーと生徒の接触に神経質になっている。

もし発覚すれば大問題になるのは間違いない。理事長がまた辞めたくなる状況である。

そして、ケッカは更にやらかしていた。

胸元から、先程仕入れた書類を取り出す。

 

「君の事は調べさせてもらった。脚の怪我の具合は?」

 

Bクラスの教師が記したファーの生徒所感だった。忍び込んだついでにちょろまかしたのだ。

幼少期はアウトロー育ちで更には超人に片脚を突っ込んでいる彼女にとっては、潜入からの教師の机を漁るなど造作もないことだった。書類は後で戻すつもりでいる。

 

「あまり、良くないです……何故、私に?」

「燃え尽きるような目、思い詰めた覚悟」

「ッ!!」

「心当たりが、あるようね?」

 

ファーが、拳を握り締める。

目の前の天才トレーナーの目的はまだわからない。

しかし、訴えたくて仕方なかった。目の前の天才に、自分の覚悟と想いを。

 

「思い詰めては、いません」

「……そうは見えない。このまま続ければオーバーワークで君は壊れる」

「壊れても、いい」

「……続けなさい」

 

「それでも、私は走りたい。脚が無くなってもいい」

 

ファーが、ケッカを強く意思を込めて見つめる。

その目に、火が灯った。

 

(破滅願望……?いや、これは)

 

 

「私は、私であることを示したい。たとえ、燃え尽きたとしても──」

 

 

(強い憧れ………そう、そこまで走りたい……のか)

 

この強い意志、そして溢れる才能。

ケッカは逸材に出会ったと確信した。

しかし壊れさえしなければ、の注釈付きだった。

どれほどの覚悟があろうと、ファーの脚がガラスで出来ているのは変わらない。

それを克服する必要があった。

そして、ポニースクールの生徒への過度な干渉は現在は許されない行為である。

 

(……危ない橋を、渡る価値はある)

 

たった今、見出した才能をケッカは見捨てる気は毛頭なかった。

ならばやる事は一つである。

その優れた知能を、師より受け継いだ知識を、記憶を、全力で稼働させる。

 

(……恐らく、この子の脚は先天的な疾患。確かこの分野の専門家がいたはず。名は確か……アグネス……)

 

天才は、すぐに彼女を救う道を見出した。

行くべき場所を、思い付いたのだ。

 

「………走りたい?」

「走ります」

「そう……なら、やる事は一つ。短期免許の準備をするから、それまでは私の言う通りにするように」

「走れるなら、何でもやります」

 

 

 

「──日本へ、一緒に来なさい」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

同時刻、フランス。

片田舎の小さな教会に、一人のウマ娘の少女がいた。

ここはかつては隆盛を極め、世界中で信仰されていたヘロド教の教会である。

現在はその厳しい戒律故に信仰をエクリプス教に取って代わられ、各地に寂れた教会と少ない信徒を残すのみだった。

今年12歳になる少女は、ヘロド教のシスター見習である。

遠目では金髪にも見える薄い鹿毛に、前髪の一房だけが黒いメッシュのロングヘアをヘロド教のヴェールで包んでいる。

そしてその目は閉ざされていた。もう、開くことはない。

かつては競走バを志し、フランスで野良レースに励み、将来有望なトレーナーに見出された才能に恵まれた少女だった。

しかし、その夢は破れた。彼女の受けた残酷な運命のいたずらによって。

一人でヘロド教の女神像に祈りを捧げる中、教会の扉が開いた。

 

「やあ、マイガール。元気にしてたか?」

「あら……シメオンさん」

 

陽気で飄々とした雰囲気の、黒髪をオールバックに固めた男が少女に声をかける。

彼はベルギー人だが、ここフランスでトレーナーリーディングに名を連ねる有名人である。

そして、少女を見出したトレーナーでもあった。

少女が来訪者に嬉しそうに近寄る。

 

「こんな遠くまで毎週来てくださらなくてもいいのに……ありがとう」

「マイガール、俺こっち、こっちだから」

 

しかし彼女が近寄った先は教会の柱であった。

眼鏡でも矯正できない、原因不明の極度の近視である彼女はよくこうやって目的地を間違える事があった。

そして、この目が原因で夢を諦め、静かに祈りを捧げる日々を送っている。

 

「マイガール、毎日こんな辛気臭いとこいちゃいけねぇよ?おいらと食事でもどうだい?」

「シメオンさん、神様にそんな事言っちゃいけません!」

「あー怒んなって。折角のかわいい顔が台無しだ。ほら、行こうぜ?」

「あ!もう……」

 

男が、少女の肩に手を回しながら、横目で女神像を見やる。

その目には、怒りが込められていた。

 

(原因不明の視力低下……神さんよぉ、ほんとにいるんならこんな良い子にご利益の一つでもよこせよ。聞こえてるんなら、な……)

 

男と少女が去り、教会に静寂が広がる。

男の心の中での悪態、それが届いた故か、女神像が涙を流した。

この世界には、ウマ娘には、まるで奇跡のような現象が起きることがあった。

 

 

それは、つまり神が──

 

 

 

 

 

 

 

 

『聞こえてる!ずっと!!ずっと見てたの!!私の……私の大切な愛し子』

『待っていて……私が必ず助けに行くわ』

『どんな手を、使ってでも──』




バタフライエフェクト:ファーが早い段階でケッカと出会う。ファーの能力アップ。

冒頭の子、最初ここで名前出していいか悩んだけど……休養期間伸ばせばええやんけ!!ということでよろしくやで。
ちょっと書き方変えて次回予告的な引きにしてみたやで。最後のベルギー人で二人が誰かわかっちゃうかもだけど……。
というわけで次回は神様回やで。
ここからタグ増やしますやで。


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その三 ただ、愛しき我が子のために

というわけで神様回やで。
あ、えく殿のかっこいいターンはもう終わってるやで。
だってこの人、あの一族の大元だし……。


フランスの片田舎。小さなレストランの一つのテーブルで、トレーナーの男とヘロド教のシスター見習の少女が向き合う。

その目から光は失われつつあるが、美しい少女だった。

ゆるくウェーブのかかった輝く鹿毛の髪に、透き通った白い肌。

この容姿とその穏やかな気性、信心深さにより地元では評判の少女である。

そんな評判の少女に付き纏う飄々とした、口を開けば口説き文句ばかりの陽気な男。当然地元の者からはよく思われていない。

 

「はい、ご注文!食べたら帰ってね!!」

 

男の前に、がちゃんと音を立てて食事が配膳される。

 

「おっとお、厳しいこと言うねえウェイトレスちゃん!今日は髪を上げてるんだね、似合ってるよ。綺麗だ」

「またそんな事言って……シリュスちゃん、この女たらしに何かされたら言ってね?ぶちのめしちゃうから!」

「いえ、大丈夫ですよ?シメオンさんはそんな事する人じゃありませんから」

「またそうやってシリュスちゃんが甘いから調子に乗るのよ?この男は……」

「ウェイトレスさんは褒めても、私にはあまりそんな事言ってくれませんもの、シメオンさんは。ねえ、シメオンさん?」

 

目を薄く開き、圧を込めた目をシリュスと呼ばれた少女がシメオンに向ける。

この男は本命や入れ込んだ相手にはなぜか素直に言葉が出てこない癖があった。要するにヘタレである。

 

「へ、へへへ……まあいいじゃねえか、マイガール。話があるんだ、聞いてくれよ」

 

目を逸らしてその追求を回避しながら、シメオンが本題に入ろうと話を変える。

逃げたいだけである。とある男によく似たヘタレぶりだった。

 

「話……ですか?シメオンさん、私はもう走ることは……」

「違うんだ、マイガール。走ることじゃねえ」

 

シメオンが少女の顔を真っ直ぐ見つめる。

この二人の付き合いは長い。その出会いは少女シリュスが六歳の時に遡る。

トレーナーを目指しフランス留学中の10代のシメオンが、ある日片田舎の野良レースで彼女を見たのが始まりだった。

 

『嬢ちゃん、速えーなあ。名前、聞いてもいいかい?』

『わたし、シリュスです!おにいさん、どこからきたんですか?』

 

フランスでは、ポニースクール制度が無い代わりにアマチュアのクラブマッチや野良レースが非常に盛んに行われている。

フランス革命以来、トレーナーとの接触も自由である。

決起した気性難達により監獄とも呼ばれた旧バスティーユウマ娘管理委員会本部が全壊し、王族が気性難の恫喝に折れて以来トレーナーとウマ娘の自主性を重んじる気風が育まれてきた。

このシステムを取り入れ、発展させたのがアメリカのクレーミング競走である。

 

こうして出会い、いつか二人で夢の舞台を走ろうと約束して、シメオンはシリュスを常に見守ってきた。

その先に、悲劇が待っていると知らずに。

 

『目が、目が見えないのシメオンさん!私、私の目が………』

『なんでだよ、どうしてマイガールが…俺の夢が……神様、こんなのってねえよ……!!』

 

10歳の誕生日にシリュスは視力を、夢を失った。

原因不明の極端な、矯正不可の視力低下。敬虔なシリュスは聖書すらまともに読めなくなるほどの近視に陥った。

シメオンは彼女の目を治そうと名医を訪ねて回り、そして絶望した。誰も、彼女の目を治せなかった。

神を呪った。誕生日のプレゼントがこれかよ、と。

それから二年が経ち、夢を諦めたシリュスは立ち直った。今はシスター見習として神に縋る日々を過ごしている。

シメオンはせめて、少しでも見れるようにしてやりたいと今も彼女を治す方法を探した。

そして、ようやく手がかりを得たのだ。

 

「……審査がようやく通った。再来年、短期免許がようやく取れるんだ」

「まあ、日本の?おめでとう!シメオンさん」

「……だからよ、マイガール。俺と来ないか?」

「え?私も……?」

「ああ、順番もその頃に回ってくる」

「順番……?」

 

自らの目を指差し、意を決してシメオンは言った。

 

「日本のトレセン学園の医者……そいつなら、君の目を少しは見れるようにできるかもしれないんだ」

「私の目が……?でもシメオンさん、どんなお医者様でも、私の目は……」

「もう一人、ウマソウルの著名な学者にも依頼してある。アイルランド大公の姉とかいうすげえ人だぜ?医学的に無理でも、何か手がかりが得られるかもしれない」

「でも、シメオンさん……」

「マイガール、もう一度勇気を出してくれ。例え走れなくても、俺は君の傍にいるから」

 

身を乗り出し、不安そうなシリュスの手に、自らの手を乗せる。

ずっと守ってくれて、頭を撫でてくれた優しい手。シリュスは、その上にもう片方の自分の手を乗せた。

勇気が湧いてくる。この手が触れてくれるなら、きっとまた自分は頑張れる。

この様子を見て、ウェイトレスはため息をついた。何故か苦いコーヒーが飲みたくて堪らない。

 

(この男、シリュスちゃんへの想いは本物なのよね……文句言えないじゃない)

 

「わかりました、シメオンさん……日本へ、あなたと行きます」

「っし!決まりだなマイガール!……大丈夫さ、今度こそは」

 

微笑み合う二人、それを天から眺める一つの視線。

 

『ダメ、それじゃ治らない……私の、せいだから』

『待っていて、すぐにでもそっちに行くから』

『そのためには、あの女から──』

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

空の向こう、次元を更に超えた場所──

光り輝く空間がそこにあった。いくつもの城が立ち並び、そこでは地上で偉業を成して神に至ったウマ娘達が暮らし、地上を見守っている。

そんな城の中の一つ、最高神である三女神にも匹敵するその神威に見合わぬ、居城と呼ぶには小さな、いや小さすぎる民家。

1LDKの狭く、みすぼらしい家である。ベッドだけはダブルベッドで大きい。貧乏性のこの家に住む女神は大きな城だと落ち着かないのだ。

女神の夫の手製である立て札には、手書きでこう書かれている。

 

──クイルじょうのすけ えく殿 愛の巣──

 

クイルと愛の巣は明らかに筆跡が違い、別の者によって追加で書かれたものだった。

ぶっちゃけ書いたのは女神である。そしてこの等の女神はと言うと──

 

「だる……ジョン、何か面白い事無いかしら?」

 

床に寝転がり、全力でだらけていた。

普段気を張って威厳を持った姿の彼女であるが、こちらが本当の姿である。

怠け者で、守銭奴で、楽して暮らしたい女である。おまけにすぐに保身に走るし肝心な時に役に立たないし調子に乗るとすぐやらかす女である。更に言うと超気性難だった。どうしようもない女である。

しかしそんな彼女だが、世界中で信仰される一大宗教の主神として、全米を含む世界各地で篤く信仰を集める偉大な女神なのだ。

光り輝くその神体。金髪の美しい髪。そして整った美しい顔に青い目。

──女神エクリプス。

かつては世界最強のウマ娘として欧州に名を轟かせ、現在も彼女の影を追うものは多い。

 

「えく殿……天使殿達が来たらズボラがバレるから、せめて寝転がるのはやめてほしいでござる。地上の件も落ち着いたでござるからなあ、サイモンでも呼んで茶でも飲むでござるか?」

「この間来た時、壁に穴開けて帰ったじゃない。またジョンが直すことになるわよ?」

「……やっぱりやめるでござる。あの者、上手く引き伸ばせたようでござるな。巨神殿はしつこいでござるから……」

 

女神の夫、ジョンと呼ばれた男が女神と縁が深い友人の来訪を思い出して眉間に皺を作る。伝説の超気性難であるその女神は、常に何かを破壊して帰るのだ。地上ではエクリプス教の従属神ならびに破壊神として、古くからセントサイモン教というカルト集団より信仰を集めている。

 

しかめっ面も絵になる端正な顔立ちの美丈夫で、黒髪のちょんまげと、着流しがトレードマークの男。

女神エクリプスの唯一の執行官、久居留丈之助。旧姓は小栗。現在も名乗る時は旧姓を使っていた。

生前、彼女のトレーナー施設の開業に伴い所属トレーナーとしての契約書にサインしたつもりが、婚姻届だった過去によるものである。

今は諦め、妻をなんだかんだ言いながら愛している。

女神は各自、配下として天使ウマ娘と地上から連れてきた縁者を執行官に選び、その手足として天界での他の女神との折衝及び、自分達が出張る必要がない程度の事件の対応を任せている。

以前彼は本気モードの三女神の相手をさせられた事がある。彼は荒ウマ娘馴らしと呼ばれた地上最強の超人で、同時に三つの斬撃を放つ武の極みに到達した達人だがいくらなんでも無理があった。その時には一つ一つが聖遺物に匹敵する蹄鉄で蜂の巣にされ、人間チーズと化している。哀れである。

 

「そう、それよ。その件で言うことがあったわ」

「……なんでござるか?」

 

女神が、抗議の視線を夫に送る。

 

「なんでうちの子孫!!日本に行く事になってるのよ!!!?ジョンあなた、見てたのに何もしなかったの!!?」

「仕方ないでござる!!えく殿肝心な時に寝てたでござろう!!?」

 

女神の戸籍上の名前は、エリス・クイルという。

すなわち、久居留家の開祖であり智哉の遠い先祖に当たる。

三女神の寵児のために女神ゴドルフィンが行ったある行為によりめちゃくちゃになった世界だったが、それでも二人は子孫を守るために行動していた。全ては久居留家を繋ぎ、可愛い自分達の子孫を後世にまで残すために。

女神が立ち上がり、夫のちょんまげを握って引っ張った。折檻の時によくやる行為だった。

 

「いだだだだ!?やめるでござるえく殿!!殿中でござる!!!」

「この年代の日本に行ったら!!カナちゃんと会っちゃうでしょ!!!助けたらどうするのよ!!!運命がこんがらがってウチが断絶するじゃない!!?姉弟どっちかは家を継がせたいのよ!!」

「だから拙者は地上に何もできないでござるから!!起こしてもえく殿起きないから!!」

 

女神が怒りの声を上げる。なお原因は当の本神が寝ていたからである。肝心な時にいない女だった。

仕方なく三女神が手を貸して、最悪の事態だけは回避させている。

貸し一つとニヤニヤ笑いながら三女神のリーダー格に言われたのにも、女神は腹が立っていた。要するに八つ当たりである。

 

「大丈夫でござるよきっと!!あの者、どうしようもない時ほど本気出すでござるから!えく殿に似なくてよかったでござる!!!」

「誰が肝心な時に役に立たないですって!!?気にしてることを!!!」

「言葉の綾でござる!!ちぎれる!!拙者の髷がちぎれる!!!」

「ゴドルフィンがやらかしたおかげであなたに似てよかったわねえ!!一言多い所とかあのクソボケな所とかほんとにそっくり!!!!!」

「ぎゃああああ!!!ちぎれるうううううう!!!!」

 

ちょんまげが限界まで引っ張られ、いよいよ千切れようとした所で、女神が手を放した。

許したわけではない。入り口に何者かが近づく気配を感じたのだ。

 

「誰か来たわ。応対の準備をして頂戴」

「いててて……畏まりましてござる。とほほ……」

 

ちょんまげを撫でながら、丈之助が扉を開く。そこにいたのは小さな幼女だった。

鹿毛のツインテールに、綺麗な紫色の目。女神エクリプスと比べたらやや光量の少ない神体。

かつて栄華を誇ったヘロド教、その名を冠す女神ヘロド。

現在は権勢を失いつつあるが、天界で暴れ封印刑という一種の懲役を課された超気性難の管理など、重責を担う立場である。

天界を代表する女神の一柱は、にこりと神好きのする笑顔を丈之助に向けた。

 

「お邪魔するわよ、ジョン君。エクリプス、お茶でもどう?」

「おお、へろ殿」

「……お茶?あなたが?」

 

このヘロドの申し出に女神が疑惑の視線を向けた。

この二人、犬猿の仲である。同じテーブルで茶を飲み談笑するような関係ではない。

かつて、神として駆け出し中の時期にはよくヘロドにマウントを取られ、根に持っていた。根に持つとしつこい女である。

この意趣返しとして、戒律を適当にした自らの宗派でヘロドの宗派から信徒を奪いその力を削いでいる。やり口が陰湿な女である。

 

「たまにはね、まあいいじゃない?あなたと喧嘩ばっかりもと思ったワケよ」

「……ふうん。いいわ、入りなさい。ジョン、お茶の支度をして頂戴」

「はっ。茶菓子も出すでござる。へろ殿、ささ、お座りくだされ」

「ありがとう、ジョン君。あ、紅茶はお砂糖とミルク入れてね?」

「畏まりましてござる」

 

接待の準備に入ろうと、丈之助がキッチンに向かうその時、備え付けのダイヤル式天界電話がけたたましく鳴った。

それをすかさず丈之助が手に取る。

 

「はいはい、こちら女神エクリ……何?封印牢に異常?へろ殿はここに……拙者でござるか?ふうむ、面妖でござるが……承ったでござる」

 

がちゃんと電話を戻すと、丈之助は愛刀を手に取る。

生前に愛用していた備前物の古刀を、女神が再現した業物。

オリジナルは現在、久居留邸で家宝として保存されている。

 

「……何?仕事?」

「どうも封印牢がおかしいようでござる。拙者が指名されたので見てくるでござるよ。へろ殿、お茶も出せず申し訳ないが……」

「ううん、気にしないで?いってらっしゃい」

「何ですって?私の許可なくジョンを呼ぶなんて……ダーレーの仕業かしら」

「まあまあエクリプス、少しお話しましょうよ」

 

苛つく女神をヘロドがなだめながら、丈乃助の外出を見送る。

丈乃助がいなくなった途端にヘロドは腕を組んでその顔を歪めながら、忌々しげに女神を見やった。

 

「相変わらず貧相なせっまい小屋ねえ、ジョン君がかわいそうと思うワケよ。ウチのお城に引っ越してきたら?アンタは犬小屋だけど」

「あ?ジョンにちょっかい出したら殺すって言っただろお前?」

 

夫の前では絶対に出さない声色だった。超気性難の彼女は普段あれでも猫を被っている。

この女神の怒りの反応に気を良くし、更にヘロドが追い打ちをかけるように言葉を続けた。

 

「アンタさあ、この世界まだ見捨ててないの?ゴドルフィンがやった事で世代も運命もめっちゃくちゃ。アンタの子孫がその原因でしょ?ほんとに迷惑な一族よねえ?アンタもそのダメな子孫も」

 

そして、気付かずに逆鱗に触れた。

 

「……死ね」

 

女神の指先から、透明な光線が音を立てずに放たれる。

強烈な殺意を感じたヘロドは、寸での所でそれを避けた。

光線が家の壁を吹き飛ばし、そのまま遠くの城の尖塔に当たり、崩壊させる。

 

「えっ、危な!!ちょっとアンタ!!今のは本気で殺す気だったでしょ!!!」

「……ウチの一族には重い運命を課さない約定を破って、よりによって私に似せた寵児をあてがったのはダーレーよ。だから私がその妨害をしているのは正当な報復」

「アンタ邪魔してたの!?なんてことすんのよ!!!」

「好き放題やられて黙ってるわけないでしょう?それよりもあなた、随分と小さくなったわねえ?」

 

反撃とばかりに、女神がヘロドのその幼女の如き見目に皮肉めいた笑みを浮かべながら言及した。

彼女、女神ヘロドは本来はもっと背が高く、競走バとして全盛期の頃の姿で神として君臨していた身である。

そのはずだった。しかし現在は幼い頃の姿となっていた。

ある理由によって神の力を使いすぎたために、幼い頃の姿しか保てないのだ。

 

「ずいぶん無理したようね?お気に入りの子に奮発した加護を与えて、それであの結果。笑えるわよねえ?寵児の目なんて背伸びして与えるから」

「ッ!!!アンタ……!!」

「あの子、走れないわよ?可哀想ね、ふふふ」

「う……うるさい!!うるさい!!!うるさいいぃぃ!!!」

 

耳を塞ぎ、その場で地団駄を踏む幼きヘロド。

シリュスの視力低下は、自らの末裔である彼女へのヘロドからの誕生日プレゼントが原因だった。

運命が大きく狂った世界。神の介入する余地のある世界での、愛しい我が子への純粋なる好意。そして自らの力を大きく削がれようと、彼女の競走生活が本来の運命よりも素晴らしいものになってほしいという献身。それが、不幸を招いた。

 

「アンタには!!力を使わずに貯め込んで、自分の一族ばっかり贔屓してるアンタにはわからないわよ!!愛し子が、どれほど大切かなんて!私はあの子のためなら何でもするわ!!何もしないで邪魔ばっかりのアンタなんかと違ってね!!」

「そう……何でもするのね?じゃあこれはどうかしら?」

 

その紫の目に涙を目一杯に貯め、切実な叫びを上げるヘロドを見て女神は悦に入った。

完全に調子に乗っている。気に入らない、駆け出し時代に随分とマウントを取ってきた女をやりこめて気持ちよくなっていた。

部屋に備え付けたタンスを開く。

開けた途端、床に大量の光り輝くギニー金貨が散らばった。

貯めに貯め込んだ信仰の力を変換したものである。守銭奴の女神はこれをたまに眺めるのが趣味の一つだった。

ヘロドがそれを見て、唾を飲み込む。

これだけあれば、きっとあの子を助けられる。欲しくて堪らない物が目の前にあった。

 

「……あら、散らばっちゃったわね。誰か拾ってくれないかしら?」

「………ッ!!」

「困ったわねえ。拾ってくれたらあげてもいいのだけれど」

 

言外に這い蹲って拾え、と女神は言っている。最低の女である。

一つの宗派の主神を務めるヘロドにとって、このライバルと思っている相手の前で這い蹲り、おこぼれに預かるなど屈辱以外の何物でもない。

ゆっくりと、その身を震わせながらヘロドが床に膝をつく。

屈辱だった。落ちぶれた自分でも主神で、今も重責を担う身なのだ。

それを見て女神は口をだらしなく開き、顔に満面の笑みが浮かんだ。

 

(あああああ〜〜気持ちいいわ〜!!あのヘロドが!!私の前で膝をついて!!最高の気分ねえ!!!)

 

完全に調子に乗って気持ちよくなっていた。最低の女である。駄女神である。まるでどこかの何かに目覚めた女のようだった。

そもそもヘロドのマウントを根に持ち、適当で合理的な自らの宗派でヘロドから信仰を奪い力を削いだのもこの日の為だった。

根に持つと蛇のようにしつこい女である。

震えながら金貨をかき集めるその惨めな姿に、女神は少しだけ罪悪感が湧いた。やりすぎである。最低の女である。

 

(……この女、ダーレーから一番信頼されているというのに。あいつに相談したらあの子くらい助けてくれるでしょうに)

 

力を大きく削がれたヘロドであったが、それでも世界への影響力は強い。

そしてマウントを取る悪癖はあったが、引きこもりで一族ばかりにかまける女神よりも天界でよく働いている。

問題児ばかりの神の中でも話がわかる存在である。だから三女神のリーダー格、最高神ダーレーは封印中の神の管理など重責を信頼し、任せているのだ。

もういいわよ、と女神が制止しようとしたところで、先程空いた壁の穴から天使ウマ娘が現れた。

 

「エクリプス様!……えっ何ですかこの状況」

「あら、いらっしゃい。気にしなくていいわよ」

 

息も絶え絶えに入ってきた天使ウマ娘がきょとんと、ヘロドが這い蹲り女神がそれを眺めるという状況を飲み込めずに呆然とした。

甲冑姿の看守役の天使だった。その甲冑は一部がへこみ、先程まで何かと闘っていたような様子である。

 

「……あなた、看守ね?何があったの?」

「そうでした!大変です!!封印牢のジュビリー様が!!!」

「……すぐに案内しなさい」

 

夫の危機を察した女神が、すぐさま家を飛び出す。

這い蹲るヘロドが、静かに昏い笑みを浮かべた。

 

 

 

「……上手く行ったわ。ごめんねジョン君」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

時は少し戻り──

 

「さて、封印牢で異常と聞いたでござるが」

「ええ、ジョン様。奥のジュビリー様の封印がどうもおかしくて……」

 

天界の奥に、封印牢は存在する。

静謐な空間に、三女神がジュエルと呼ぶ水晶のような物質の中に天界で乱闘騒ぎを起こした神、地上にちょっかいを出しすぎた神、更にはとんでもないやらかしをした神等がその罪に応じた期間封印され、反省を促す施設である。

いくつか浮かぶ水晶を眺めながら、看守と丈之助が奥に進む。

暴れすぎ、長期の封印を施された最も危険な神の閉じ込められた水晶を目指している道程の途中、鳥かごのような檻に閉じ込められ、がちゃがちゃとそれを揺さぶる小柄な女神と二人が出くわす。

黒鹿毛をボブカットにした、きらきらと輝く大きな目が特徴的な神々しく光り輝く女神だった。

彼女は世界への影響力が強すぎ、そして運命を管理し世界をやり直すその権能により封印できない為に、ダーレーより代わりに悪さをしないようにここでお仕置きとして鳥かごに入れられている。

この世界を作り上げた張本人で下手人、三女神のアホの子ゴドルフィンである。

 

「だして〜!だして〜〜!!」

「わがまま言ったらめっ!ですよゴドルフィン様。あとでおやつを持ってきますから」

「おやつ食べる〜!でもだして〜!!」

「めっ!大人しくしなさい!あとで遊んであげますし地上のレースも見せてあげますから」

「ホント!?看守ちゃんありがとー!!」

 

実情としては余りお仕置きになっていない。看守は甘やかすし、罰を与えた当のダーレーもよく様子を見に来てはかわいがっている。

ゴドルフィンが機嫌を直したところで、看守の隣の丈之助に気付いた。

 

「あ、ジョン君だ!まだえくちゃん怒ってる?」

「もう怒っていないでござるよ、ごどるふぃん殿。拙者も尽力する故、今しばしお待ちくだされ」

「はーい!ごめんねえ、アメリカとえくちゃんちの子がたいへんだよね?」

「何も心配ござらぬ。何がどうなってあそこまで面妖な事になったのかはわからぬが…まあ何とかなるでござるよ」

 

子供のような外見と性格の女神ゴドルフィンだが、世界とウマ娘を慈しむ気持ちは強く、今回の自分の失態も悔やんでいる。

アメリカ競バ界に大きく関わるトレーナーの運命を、うっかりの操作ミスにより消してしまい更にその運命をとある女神の子孫に被せてしまった。

ついでに言うと男として生まれるはずだったとある名門の子孫は、ウマ娘として生まれさせてしまっている。

うっかりしすぎである。アホの子はやらかすからアホの子なのだ。

自分で何とかするために解放を願っているが、頼むからもう何もするなという最高神ダーレーの懇願によりここに入れられていた。頭痛の種である。

 

そんな女神と手を振り合い、二人は奥へ進む。

程なく、目的に到着した。

最強にして、伝説の超気性難の蛮神の元に──

 

「これはまた……いつ見ても恐ろしい気を発しておられるでござるな」

「ジュビリー様はダーレー様御自ら封印されています。その封印はヘロド様の手で厳重に管理されているはずですが……」

 

悪魔の気性を持ち、世界最悪の気性難として知られ、その暴虐な振る舞いと圧倒的な競走能力、そしてどんなトレーナーにも制御しきれなかったという逸話を持つ伝説の超気性難。

血でも被ったかのように赤い鹿毛の髪を腰まで伸ばし、額には楕円の流星。

その背は高く、全身は強靭かつしなやかな筋肉に包まれている。

そして、まるで血が吹き出すかのような瘴気の如きオーラが体から吹き出し、周囲を赤黒く染めている。

その口から覗く歯はまるで肉食獣の牙のようである。それとは裏腹に、その顔は整い、絵画で描かれた美女のように美しい。

世界広しと言えど、彼女以上の超気性難はいないと言われた悪魔のウマ娘。

──その名は、ダイヤモンドジュビリーと言った。

 

彼女がここに封印されている理由──それは三女神への反逆、そして自らが天界を支配した後に地上に返り咲き、地上を気性難の楽園にしようとした野望のためである。

ジュビリーの乱と呼ばれるこの大事件は天界を揺らがせた。

彼女を捕えようとする数多の神相手に、この伝説の超気性難はたった一人で渡り合ったのだ。

彼女と互角に渡り合えるであろう破壊神が、封印刑を執行中だったという間の悪さもあった。

そんな中、とある引きこもりの女神とその執行官が重い腰を上げ、彼女と闘い封印する事に成功して現在に至るのである。

 

丈之助が、封印をその超人の視力で慎重に観察する。

砕けぬはずの封印水晶の端に、わずかな亀裂が入っていた。

 

「これは……まずいでござるな」

「……えっ?まさか!?」

「割れるでござるよ、コレ。拙者が時間を稼ぐのでえく殿かサイモンを呼んでほしいでござる」

「いえ!私も闘います!」

「いや、無理でござるから!早く呼びに行ってほしいでござる!!」

 

看守も腕自慢で鳴らした天使ウマ娘である。

人間一人に任せて自分が逃げてはウマ娘がすたるとばかりに加勢を申し出るも、丈之助がそれを止めに入る。

彼女は超気性難の恐ろしさを、悪魔の強さを知らないのだ。

二人が揉めているその前で、水晶に大きく亀裂が走る。

 

「あっ!ほら、早く行くでござる!!拙者もそんなには……」

「先手必勝!!!!」

「こら!!ならぬ!!」

 

看守が愛用のメイスを取り出して亀裂ごと悪魔の頭を叩き割ろうと迫り、裂帛の気合で振り下ろす。

メイスが激突し、封印の力を失った水晶と悪魔の頭を砕いた。

──はずだった。

 

「何、この手応え………あぐぅ!!?」

 

異様な手応えに戦慄した看守だったが、次の瞬間には首を水晶の中から飛び出た腕に掴まれる。

悪魔が、目を覚ましたのだ。

 

はんはァ?ひまのは(何だァ?今のは)

 

看守のメイスは悪魔の口に捕えられていた。そのまま、バキバキと咀嚼して噛み砕く。

 

「ふぁあ、よう寝た……で、何じゃコイツ。ワシを殴ろうとしたか?お前」

「ぐうううぅう!!?」

 

悪魔が軽く、掴んだ首を締め上げる。

自分の感覚での軽く、である。相手の事は何も配慮していない。

看守の首が軋み、みしみしと音をたてる。

このままへし折れるかという所で、看守が悪魔の手から吹き飛んだ。

 

「看守殿、手荒ですまぬ!早くえく殿かサイモンを!!」

 

横から、丈之助が蹴ったのだ。看守の甲冑の一部にへこんだ跡が残る。

看守は痛みでふらつくもその背中の羽根を伸ばし、言われたとおりに飛び立った。

 

「逃がすと思うかァ?ワシを殴っておいて」

「させぬ!!」

 

一呼吸と共に、悪魔の背中目がけて丈之助の愛刀が同時に三つの斬撃を放つ。

手加減抜きの全力である。この悪魔に手加減をする余裕は、最強の超人であろうと全く無い。

この斬撃を、そちらを振り向きもせずに二つをその身で受け、最後の一太刀を指で挟んで止めた。

 

「……効かぬかあ、武の頂は遠いでござるなあ」

「おお?お前、ジョーノスケだな?結構強かった人間!」

「久しぶりでござるな、ジュビリー殿。起き抜けですまぬが手合わせ願いたい」

 

ようやく丈之助に振り向いた悪魔が、凶悪な笑みを浮かべる。

人間にしてはやる、と覚えていた男が目の前にいて、喧嘩を売ってきた。

そして報復すべきと覚えていた相手でもある。この悪魔は執念深く、用心深く、そしてずる賢い。

 

返事を返さずに、地面を強く踏み込んだ。

 

岩盤が砕け、衝撃で丈之助の体が浮き上がる。

この男の攻略法は既に知っている。玩具を使っている内に仕留めるのだ。

そして、地に足を着けさせてもいけない。狡猾な悪魔は、かつての痛い教訓を対策に変えていた。

拳に赤黒いオーラを集め、落ちてくる男に備える。

 

「おおっと!いきなりでござるか」

「こうしたらジュードーは無理じゃろ?死ね!!!」

 

「──それが、出来るんでござるなあ」

 

拳を振り上げ、にっくき男の顔面を潰したと思ったその瞬間、悪魔は手首に痛みを覚えた。

自らの拳を眺める。振り上げた腕の反動を最大限利用され、手首の関節を外されていた。

ごきりとそれを戻しつつも、悪魔は屈辱で顔を赤く燃え上がらせた。

 

「人間の分際で!ワシの手を外すか!!!」

「まあ落ち着くでござるよ、痛み分けでござるから」

 

着地した丈之助にもダメージがあった。衝撃を逃し切れず、肩が外れていた。

それを軽く握って戻し、再度向かい合う。

ここで丈之助は生来のヘタレを発揮した。

先程の攻防も薄氷の上で何とか痛み分けに持ち込んでいる。

そもそも攻撃力に圧倒的な差があった。あっちの攻撃は当たったらただでは済まない。

対してこちらの攻撃はろくに効かないのだ。神と人の圧倒的な差があった。技術で誤魔化しているだけである。

 

「あの……一応聞きたいでござる。封印に戻るか大人しくする気は……?」

「ない!!!ダーレーとエクリプスは倒すしお前もぎゃふんと言わせる!!!」

「いや、拙者達ほら、一応サイモンとも血縁あるし、お主のご先祖にも当たるわけでござるから……どうか穏便に……」

「知らん!続きをやるぞ!!!」

「あ!ぎゃふん!!ぎゃふんと言ったでござる!!ほら拙者の負け!!もう終わりでござる!!!」

「ワシをバカにしてるのか!!殺す!!!!」

 

ヘタレに命乞いをする丈之助だったが、どこかの子孫とは一味違った。

このやりとりも時間稼ぎの為なのだ。天使が飛んでいけばすぐにここから程近い目的地に到着する。

そうなれば、すっ飛んであの女神は来るだろう、という信頼があった。

すっ飛んでくる女神、すなわち──

 

「隙ありぃいいいぃい!!!!!!」

「お?グワーーーーーー!!!!?」

 

自らの妻、女神エクリプスである。

女神は卑劣にも、後ろから前傾姿勢の全力疾走から飛び蹴りを叩き込んだ。最低の女である。

頭から地面に突っ込んで滑る悪魔を追いかけ、すかさずマウントポジションを取る。

そして拳を振りかぶり──

 

「女神パンチ!」

「グワー!」

「女神チョップ!!」

「グワー!!」

「女神サミング!!!」

「グワー!!!」

「女神頭突き!!女神ビンタ!!!女神地獄突き!!!!」

「グワー!!グワー!!!グワー!!!!」

 

そのまま有無を言わせずタコ殴りにした。最低の女である。

目の前で不意打ちからボコボコにされていく悪魔を見て丈之助はドン引きした。

自分も不意打ちはしたが、ここまではやらないし武道家として真っ向から相手をしたつもりだった。最低の女である。

ぴくぴくと痙攣しだす悪魔を見て、丈之助が焦って止めに入る。

 

「トドメ!女神アームロッ………」

「えく殿!!ステイ!!!もう白目向いてるでござる!!」

「ふん、もう終わり?起き抜けでろくに力も戻ってないのに調子に乗るからよ。ぺっ」

 

夫に止められようやくマウントから悪魔を解放した女神が、その顔に唾を吐きかけた。最低の女である。

そのまま悪魔を肩に担ぎ、のしのしと歩いていく。

 

「戻るわよ。しばらくは起きないし良い機会だからもう何回かシメとくわ」

「いや、やりすぎでござるから!!一応拙者達の子孫でござるよ!!?」

「だからこそよ?一族の先祖としてどっちが上かわからせないと」

「ええー……そういうもんでござるかあ?」

 

この後、丈之助は看守と健闘を称え合い、それに嫉妬した女神に折檻される等の事件がありつつも、夫婦は家路に着いた。

しかし、そこでももう一つ事件が起きたのである。

 

「戻ったわよ、ヘロド……あっ」

「どうしたでござるか、壁に穴が空いて……タンス、空っぽでござるな」

 

壁の穴から中に入り、悪魔を適当に放り投げて転がした所で女神は言葉を失った。

タンスの金貨が全て持ち出され、そしてヘロドは姿を消していた。完全に、やられていた。

思えばこの封印牢の事件も違和感があった。最高神の厳重な封印がそうそう解けるはずがない。

それをヘロドに問い質すつもりでの帰宅だったのだ。

女神がわなわなと震え、全身から滝のような汗をかく。

女神は守銭奴だが、この貯金には目的があった。

 

(やっっっば……全部やられた。ゴドルフィンの権能を奪って、この世界の原因探る為に貯めてた信仰全部……)

 

女神は子孫の為にゴドルフィンの権能の一部を奪い、世界の混乱の原因を探るつもりでずっと力を貯めていたのだった。

それを全部、根こそぎ、ヘロドに持っていかれていた。調子に乗った結果である。

この有様を見て、女神は全て仕組まれ、嵌められた事を悟った。

怒りのままに地上を観れるテレビの電源を付け、ある地点を示す。

そこにヘロドはいた。彼女の愛し子と、そのトレーナーと共に。

 

『……べーーーーだ』

『あら、神様……?』

『えへへ、何でもなーい。行こ!』

『なあお前、本当に神さんなのか…?ちみっこすぎるぜ』

『シメオンさん!神様にそんな事言ったら……』

 

見られている事に気付いたヘロドが、こちらに舌を出してみせた。

この画面を見て、丈之助がうんうんとしたり顔で頷く。

 

「へろ殿、受肉したんでござるか。なるほどえく殿、このために力を貯めていたんでござるなあ」

「へ……?」

「いやこの丈之助、感服いたした。なんだかんだ言いつつ、へろ殿とその愛し子の事を気にかけておられるとは。さすがえく殿でござる」

「え、えーーーーと……そう!そうよ!!そのためよ!!!しょうがないヤツよねえ、自分の従属神も責任も何もかも捨てて地上に行くなんて!!」

 

自分の威厳を守るため、女神はこの話に乗った。調子に乗っただけである。

 

「さて、これから忙しくなるでござるなあ、へろ殿の業務の代行をせねば」

「なんでそうなるのよ!!?」

「いや、そうなるでござろう?送り出したのはえく殿でござるから。留守を守るのは当然にござる。ポテイトーズとサイモンにも連絡いたそう」

 

更に仕事も増えることになった。引きこもりの女神にはいい薬である。

頭を抱える妻を眺めて、丈之助はにこりと笑った。

妻の考えていること等この夫はお見通しだった。どうせ調子に乗った結果だと確信していた。

働かない妻を働かせる良い機会だから上手く乗せたのだ。

 

地上のチャンネルを変え、子孫の青年とその運命の相手をそれぞれ映す。

アメリカと英国、遠く離れている二人は、次は日本でまた共に歩むのだろう。

 

 

 

いつか、共に走れるその日まで──

 

 

 

 

 

「へろ殿とその愛し子、きっと手強いでござるが……まあ心配いらぬだろう」

「いやああああああ!!!!働きたくないいいいい!!!!!」



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バッドエンド 世界再構築
結ばれなかった、約束


というわけでIFルートやで。
各神様組の動向とかこれで開示できるかなって……。


ケンタッキー州のとある地区。

アメリカ随一のウマ娘の人口を誇るこの州において最もウマ娘が少ない住宅街の道路に、一台の黒塗りのセダンが停まる。

脛に疵持つ者が好む車種のその車から、長年切っていないであろう野暮ったい黒髪の青年が降りた。

顔のパーツがバランス良く絶妙に配置された、異性の気を引くであろう端正の顔立ちの青年である。

特にウマ娘受けが良さそうなその顔貌に、180cmを超える長身。しかし目元が隠れるほどの長さの前髪がその魅力を隠している。

──その垂れ下がった前髪の隙間から覗く目は、どうしようもなく虚無を孕んでいた。

久居留 智哉19歳。選抜戦の当日、心に傷を抱えた少女から逃げて三年が経とうとしていた。

 

「トム、今回も助かったぜ。見たか?あのオヤジの顔」

「俺もういらないんじゃねえかなあ兄貴?トムがいりゃあ地上げなんて余裕だぜ」

 

仕事仲間の小男と大男のコンビが、青年の仕事振りを称える。

今回も、青年にとっては簡単な仕事だった。ニューヨーク州エルモントでの青果店の店主に対する恐喝。

目の前で律儀に買った商品の西瓜を握り潰して見せれば、たちまち店主は契約書にサインを書いた。

着の身着のまま渡米し、在留期間が過ぎた青年はとある富豪に拾われた。ウマ娘に匹敵するその身体能力は商売道具として高く評価されている。

ニューヨークでの仕事も一段落し、成果を上げた者への金払いが良い富豪の報酬でまとまった貯蓄を得た青年は、しばらく休みたいと伝えた。

ケンタッキー州を選んだ理由は自分でもわからない。何故かここに来るべきだ、という直感によるものだった。

そして、この地に仕事仲間からの好意ではるばる送迎され、たった今新居に到着したところである。

 

「……すんません、めちゃくちゃ遠かったっすね」

「気にすんな!俺たちも当分仕事はねえからな」

「どうせならケンタッキーでレースでも見るかい?兄貴」

「お!いいねえ!トム、お前もどうだ?」

 

「俺は、いいっす。苦手なんすよ、ウマ娘」

 

小男が煙草を取り出し、舎弟の大男に火を点けさせる。

この男は青年を高く評価すると共に、気に入らない部分があった。

 

「苦手ならそんな顔しねえよ。なあトム」

「……なんすか?荷物解きたいんすけど」

「まあ聞け。お前、足洗え。ここまででかいヤマばかり任せてたけどよ」

 

青年は見るからに一廉の人物である。ここまで堕ちてきては行けない人材だと思っている。

特に、孤児院のウマ娘の幼女を確保する仕事を青年は断固として拒否したのが気になっていた。

たまにアジトで流れるレース中継も必ず横目で見ていた。

英国から弟を探しに来ているという名ウマ娘の勝利インタビューには、明らかに動揺していた。

 

「まだ酒も飲めねえガキがよ、そんなもう人生終わったみてえな顔してんのが気に入らねえんだよ。お前もういいわ」

「あ、兄貴!勝手にそんな事言ったらフィクスさんが……」

「お前は黙ってろ。なあ、やりたい事あるんだろ?お前」

 

煙草をくゆらせながら返事を待つ小男に、青年が言葉に詰まる。

マフィアの幹部の癖に情けなく、頼りない男だと思っていた。

 

「……いいんすか?マフィアがそんな事言って」

「お前をウチの組に入れた覚えはねえ。ガキ使ってイキがってたなんてマフィアの面汚しもいいとこだぜ。足洗ってケジメ付けさせたら恥の上塗りだ」

 

吸い終わった煙草を指で弾いて、男が車のハンドルを手に取る。

 

「ま、考えとけ。携帯は捨てんなよ?」

 

そう言い残すと車を発進させ、道路の向こうに消えていった。

青年、智哉が頭を掻く。富豪の太鼓持ちの、小人物と思っていた相手に見透かされていた。

 

「やりたい事、か。逃げた奴にそんな資格ねえよ……」

 

新居へ歩きながら、物思いに耽る。

苦しんでも、涙を流しても、それでも前を向いて走ろうとする少女から逃げたあの日、自分は過去に縛られたどうしようもない人間だと確信した。

夢を持つ資格など無いと思っている。

それでもまだ、燻る何かが心に残っていた。自分を探し続けている姉の事も気がかりだった。

母には、年に一度だけ一方的な生存報告の連絡を入れている。親不孝者なりの誠意だった。

 

「……裏庭、何かいるのか?」

 

ふと、我に返る。裏庭から何やら地面を踏み鳴らす音と、子供の声が聞こえた。

新居に入らず、裏庭へ向かう。不法侵入者がいるなら対処する必要があった。

そして、異常な光景を見た。

 

「なんだこれ……」

 

裏庭の地面にくっきりとした足跡がいくつも残り、その中心に栗毛のウマ娘の少女が座り込んでいる。

何度も転んだのか擦り傷だらけで、悔しさからか涙を流し、それでも立ち上がり走ろうとする少女だった。

逃げたあの日が智哉の脳裏に浮かぶ。少女から目を離せない。

 

「見てろ……!絶対見返してやる……!絶対……!!」

 

少女が再び、走り出す。

 

「わぷっ!くそ……なんで、なんで走れないの……ボクの足、なんで!!」

 

強烈な一歩目の踏み込みで足跡を残して数歩で転び、また立ち上がる。

 

(これをずっとやってんのか?こいつ……蹄鉄も着けずに、かよ)

 

智哉が周囲を見渡す。無数の足跡が残っていた。

足跡に蹄鉄の跡が無いのを目ざとく見つける。トレーナーとしての本能がそうさせていた。

途轍もない脚力、圧倒的な才能の片鱗を残す足跡。燻る心に火が灯る感覚があった。

それはそれとして不法侵入の裏庭荒らしを咎める必要もあった。流石にこれを続けさせては荷解きどころではない。

少女に近付く。無我夢中の少女は、まるでこちらに気付いていなかった。

 

「おい」

「ひゃわあ!!?あっ、えっ、ごめんなさい!!ここ、誰も住んでないから……」

「住んでなくてもダメだろ……どうすんだよこれ………それよりも、お前」

「な、なに?」

 

「──走り方、全然ダメだわ。足見せてみろ」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

『トレーナーズカップマイル勝者はワイズダン!!これで20戦20勝!!アメリカ芝マイル路線において金字塔を打ち立てました!!来シーズンはこの戦績を引っさげてのダート路線挑戦が陣営の誇る天才、ミスターヴェラスより既に発表されています!来年もこのコンビがアメリカのレースシーンを大いに沸かせてくれる事でしょう!!』

 

「諸君!来年はダートで会おう!さらばだ!!」

 

神出鬼没、正体不明のアメリカ現役最強ウマ娘が観客の声援に応え、素早く踵を返す。

一番に勝利を伝えたい相手、彼女の最も信頼し、慕うトレーナーの元へ。

 

「待て、キサマ!!ダン先輩を……」

「アスリー、待て待て、今はダメだから」

「何故ですかアニ先輩!?アイツ、ダン先輩のトレーナーまで……!!」

「お前、まだ気付いてないの逆にすげーよ……」

 

出走していた後輩がそれを追うも、現役最強の親友が羽交い締めにして止める。

後輩はまだ気付いていなかった。鈍いにも程がある後輩である。

 

「トモに……トレーナー、勝ったよ!」

 

ワイズダンが、彼女のトレーナーである怪人に抱きつく。

それを怪人は、当然のように受け止めた。

二人が公私に渡るパートナーであるのは、公然の事実としてアメリカ全土で受け止められている。

 

<おめでとう。キャラが崩れているぞ>

「おっと!失礼、流石に取り乱してしまった。後で紹介したい子もいるんだ、いいかな?」

<ああ、モルという子だったな。会おう>

 

ウィナーズサークルでちょっとしたファンサービスをした後に、二人で控室に戻る。

怪人のパートナーは独占欲が非常に強い。信頼関係の構築に必要だ、アメリカでは当たり前だ等と言い包め、勝ったご褒美を要求するのだ。

 

「トモ兄、ほら、早く早く」

「毎回やんのかこれ?お前負けないからこれで20回目だぞ……」

「トモ兄、ボクが負けてもいいの?」

 

ダンの目が瞬時に光彩を失い、詰問モードに切り替わった。怪人もとい智哉はこれに非常に弱い。

哀れなヒトミミは現役最強ウマ娘に詰められたら絶対に勝てないのだ。

 

「そうは言ってねえだろ……わかったよ」

「えへへ〜〜〜〜」

 

智哉が腕を開いて待つと、ダンはすぐさまそこに飛び込んだ。

そして匂いをすんすんと嗅ぐ。これが智哉は苦手で堪らなかった。

何で嗅ぐんだよと聞いたら詰められたので、それからは黙って受け入れている。

 

「はい終わり、ライブ行って来い」

「え〜〜!もう!後でね!!」

<もうやらねえよ、いいから行って来い>

 

マスクを被り直し、ダンと別れて外に出る。

これから勝利トレーナーインタビューである。チームに所属していない二人はレースへの登録から取材対応、更には各用具の準備まで各自で行っていた。現在は専属契約したサブトレ二人に任せている。

 

(こうなる、とはなあ……わからねえもんだな)

 

あの日の裏庭での出会い、それから数年が経っている。

痛みは過去に消え、自分なりにやってきた事へのけじめも付けた。

マフィアと戦う怪人とその相棒の謎のウマ娘は一時期ニューヨークを騒がせ、話を聞きつけた大統領まで参戦しての大捕物、そして司法取引によりその罪は見逃されている。顔を出さないという条件付きでトレーナー資格の取得も許された。

たまにやってきてはサインを強請る大統領は頭痛の種である。

自分なりの恩返しとして刑期を終えたとある二人をサブトレとして迎え、充実した毎日を送っている。

 

(……姉貴にも、そろそろ連絡していいかもな)

 

きっと殴られるだろう。きっと泣かれるだろう。しかし、けじめは付けるべきだと智哉は考えている。

姉は現在、引退してチーム・ジュドモントのダンスインストラクターとして活動していると風の噂で聞いた。

あの少女も、教え子だと言うことも。

引きずっていた過去、自分は立ち直れた。

しかし、あの少女はどうなっているのかと最近考えることが増えた。

彼女のレースはいつも追っていた。それをダンに咎められようと。

最新のニュースで見た、彼女の姿が気がかりだった。

 

通路を歩く。その曲がり角に杖を持ち、ワイシャツとロングスカート姿の上にコートを羽織ったウマ娘がいた。

その顔を見て、智哉は動きを止める。

美しい少女だった。枝毛一つ無い、サイドを残し首までで切り揃えた輝く金髪に、整った優しげな青い瞳。小ぶりな耳。

レース中継で見た姿のまま、逃げたあの日から成長した姿の少女が、そこにいた。

 

<……君は>

「ジョー・ヴェラスさん、少しお話してもいいかしら?」

<…………ああ、いいとも。初めまして、ミス・フランケル>

「…………ええ、はじめまして、よね。ミスターヴェラス」

 

欧州屈指の名ウマ娘にして、ジュドモント家の次期当主、フランケル。

14戦11勝、その競走生活の終盤は勝ちに恵まれなかったが、それでも押しに押されぬ英国を代表するウマ娘である。

英国の若き天才と呼ばれるリチャード・バンステッドとは公私に渡るパートナーと言われている。

怪人が、少女の足元を見る。包帯の巻かれた痛々しい傷跡。ラストランの相手との、苦手な重バ場での激戦の末の敗北の結果だった。

 

<……脚は、大丈夫だろうか?よければどこか座れる場所で……>

「ここで大丈夫よ。時間は取らせないわ」

 

沈黙が流れる。何を言えば、何から言えばいいのか、怪人にはわからなかった。

フランケルが口火を切る。怪人が彼女のレースを追っていたように、彼女も怪人のパートナーのレースを欠かさず観ていた。

 

「……今日も勝ったのね。ワイズダンさん、凄いわ」

<ああ、ありがとう。しかし君も素晴らしいレースばかりだった。ここへは観戦かね?>

「ええ、友達も出てたから」

 

他愛もない話。お互い、伝えたい事を避けた会話。

フランケルは、怪人の正体に確信があった。何故か、そうとしか思えないという直感によって。

怪人が、言葉を繋ぐ。

 

<……怪我が治ったら、次走はレジェンドグレードだろうか?次も楽しみに……>

「引退するの。もう走れないから」

<ッ!!?本当、か?>

 

あっさりと言ってのけるフランケルに、怪人の言葉が詰まる。

怪人である事を一瞬忘れた返事だった。

 

「ええ、リハビリしたらまた走れるかもしれないけど……良い事無かったから。もういいの」

<……そう、か。では家を継ぐのだろうか?君は……>

「継がないわ。妹に任せるつもり」

<……何故だ?君は確かミスターバンステッドと……>

「それ、リックお兄様が流したデマよ。怒ってもやめないから……」

 

矢継ぎ早に、フランケルが怪人の質問を潰していく。

自分も躊躇していたが、時間が無いのに何を聞くんだろうこの人という不満が溢れかけていた。

 

 

「わたしね、六歳の頃からずっと好きな人がいたの。気付いたのは最近だけど」

 

 

そして、言いたい事をさっさと伝えた。これだけを言うために、アメリカまで来たのだった。

怪人が首を傾げる。自分だとは考えていなかった。

 

<そうかね。ではその人と?>

「もおおおおおお!!!マスクを取ってちょうだい!!!!」

「あっ!!ちょっ、いきなり何だよ!!?」

 

無理矢理素顔を晒させ、にこりとフランが笑う。予想通りの人物がそこにはいた。

 

「ほら、やっぱりトムだった」

「……何でわかるんだよ。久しぶり、だな、フラン。よく覚えてたな?」

「忘れる訳無いわ。それよりもね、トム。お願いがあるの」

「……いや、マジで何だよ……逃げた事は謝るから」

「あっ!そういえばトム、逃げてたわね!!もう!!!ミディお姉様にも謝って!!」

「姉貴は勘弁してくれねえかな……」

 

辟易とした智哉に対し、フランが笑みを深めた。

本人の自白により、強請るネタが出来た。ならば言うことは一つである。

 

「トム、ミディお姉様に言うわ」

「………その、心の準備ができたら俺から言うんで待ってください」

「じゃあ、雇ってちょうだい」

「……へ?」

「トムの、サブトレにしてちょうだい」

「は?いや待てフラン。何でそうなんの?」

 

意味のわからない要求に、智哉の頭に無数の疑問が浮かぶ。

フランの目が、渦巻いて圧を深めた。

 

「何でわからないの?いいから雇ってちょうだい」

「いや、ダメだろ……家には言ってんのか?」

「言ってないわ。お父様は絶対反対するから」

「言えよ!!!俺あんなでかい家敵に回したくねえよ!!!!」

「いいから!雇って!!!!」

 

フランが目を渦巻かせ、智哉に返答を迫る。

この剣幕に智哉は圧され、思わず返答を返す。

情けない、禍根を残すであろうその場しのぎの答えを──

 

 

 

「だ、ダンの許可が出たら…………………」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

<<英国世代移行フェーズ 実績の確認を行います>>

 

フランケル

戦績 14戦11勝 未達成

所在地 終生をアメリカで過ごす 未達成

ジュドモント当主 ノーブルミッション 未達成

 

<<続いて、フランケルの子孫の誕生フラグを確認します>>

 

クラックスマン……誕生せず

アダイヤー……誕生せず

ハリケーンレーン……誕生せず

インスパイラル……誕生せず

 

<<最後に、各地の移行フラグの確認を行います>>

 

日本……移行可能

アメリカ……移行可能

フランス……条件付きで移行可能

オーストラリア……移行可能

英国……移行不可

 

<<移行不可を確認しました・・・・・・・・・世界を、フランケル六歳時より再構築します>>

<<エラー発生、時空間に干渉する存在あり。ブラックリストに対象を登録>>

<<対象名 エネイブル>>

 

 

<<再構築完了https://syosetu.org/novel/277700/1.html>>

 

 

 

 

 

『これで、わかっただろう?彼の力と、その血が必要なんだ』

『いや、君に聞かなかったのは悪かったと思っているよ。でもね、こうするしかないんだ……』

『ゴドルフィンは大丈夫だよ。権能を使うときだけこうなるから……ヘロドにも、これは見せていないんだ。君に見せる意味を理解してくれ……いやホント、頼むから……』

 

 

 

『次は、協力してほしい。その、良縁は保証する……うん、本当に。だからこの通りだ───エクリプス』




バッドエンドルートはまたそのうち生えるかもやで。
とりあえず正史的なルートはそのうち書きてえなあ……。

これで章間エピソードは終わりで次から日本編書いてきますやで。
開幕からトッムは酷い目に遭うけど……いつもの事やし、ええな!


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第1.5部 日本と、姉と、妹と
第一話 姉妹の来日


というわけで日本編やで。
平和な日本やで。あんまり危ない目には遭わないし日常回多めになると思いますやで。


「ハア……!ハア……!!クッソ………」

 

東京都、早朝の高尾山。

古くから修験道の霊山とされる山の中腹、木々が鬱蒼とする獣道を一人の青年が疾走する。

切れ長の整った目は恐怖と焦燥で歪み、その身に着込んだとある府中市に道場を持つ古武術の流派の道着と袴はところどころが破れている。

争った痕跡、そしてその恐怖に歪む表情、青年は明らかに追われる身だった。

 

青年が走りながら、遠くの展望台に目を向ける。

青年には懸念があった。ここから見えると言うことは、展望台からも見えている。

きらりと、展望台の一角が光る。

その瞬間、衝撃音が一つ、早朝の誰もいない山に響いた。

 

「ふざけんなよ!!!!実弾じゃねえか!!!!!!」

 

青年が射線を予測して身を捩り、がさがさと音を立てながら林に飛び込んで狙撃を掻い潜る。

林に入るも速度を落とさず逃げる青年、その足が一本の張り詰めた糸に触れた。

 

「あっ……」

 

木々の隙間からロープで吊られた丸太が青年を襲う。

ブービートラップである。狙撃手は、ここへ哀れな獲物を追い込むために撃ったのだ。

絶体絶命の青年。しかし彼は焦らず、丸太を正面に捉える。

腰を落とし、右手は前で差し出すようにしながら刀印と呼ばれる修験道の形へ、左手は脇を締めて脱力し、体の近くへ。

彼の流派の基本的な守りの型に入り、丸太を迎え撃つ。

 

「絶対覚えとけよ!!ばあちゃん!!!」

 

狙撃手、彼の祖母に怒りを込めながら、青年は丸太を右手と体捌きで逸らし──

 

「シッ!!!!」

 

そのまま逸らした反動を利用して回転し、左肘で丸太を真っ二つに叩き折った。

破片が飛び散り、一瞬青年の視界を塞ぐ。

その間隙を突き、低い体勢で青年に何者かが迫った。

襲撃者は、鹿毛のウマ娘。同じ流派の道着を着込み、輝く快活な瞳がぎらりと光る。

 

「げっ……」

「気、抜きすぎでしょ!」

 

襲撃者は、手練であった。

一瞬の青年の油断、その好機を逃さず袖を掴み、そのウマ娘の膂力で青年の態勢を崩しにかかる。

襲撃者の必殺の型、懐に引き込まれた後に待っているのは寸分違わず急所を抉る肘。

それを知っている青年は、引き込まれた勢いを利用して跳んだ。

そのまま地上の襲撃者に対し、延髄への手刀で意識を奪おうと上空から躍りかかる。

 

「お見通し、っつの!!」

 

青年の起死回生の策だったが、襲撃者はそれを読んでいた。

掴んだままの袖をそのまま横に振り、青年を投げ飛ばす。

 

(よし、このまま逃げ……)

 

ウマ娘の膂力で投げられ水平に飛行する青年だったが、これも計算の内だった。

これで追手と距離は取れる。あとはこのまま走って展望台を目指す。

しかし、そうはならなかった。

襲撃者が投げた方向に、問題があったのだ。

 

「ガビーおばさん、行ったわよー」

「……へ?」

 

青年の飛ぶ先、そこにいたのはウマ娘がもう一人。

青毛の振り分け髪、大和撫子の体現と言うべき凛とした美貌。

両耳にはピンクのメンコを付け、姿勢正しく山道に正座したウマ娘が哀れな青年を待っていた。

 

「トム坊、ここまでね」

「おばさん何で来てんだよ!!病院………ぎゃあああああ!!!!」

 

水平に飛んでいた青年が、錐揉みしながら上空へ吹き飛ぶ。

すれ違い様に、軽く触れただけだった。

それだけで青年は受け身が取れない程の回転を加えられ、そして落下し、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「ジジイ!!!ふざけんなよ!!!!!!!」

「いやあ、トムがよう頑張るから、これぐらい大丈夫かなって」

「殺す気だろこれ!!!!孫がはるばるやってきた二日後に殺しに来る実のジジイがいるかよ!!!?ここにいるじゃねえか!!!!!」

 

高尾山、展望台。

先程叔母にぶっ飛ばされて気絶した青年、智哉が起きるやいなや祖父にブチ切れていた。

目の前の祖父、久居留家の日本の分家である小栗家に伝わる小栗心当流師範、久居留斗日哉が悪びれもせずに笑って見せる。

御年七十になるとは思えない、黒々とした黒髪の精悍な偉丈夫である。

父と並ぶとまるで兄弟のようだった。久居留家の男はそのウマ娘の血ゆえ老化が遅いのだ。

統括機構の障害競走トレーナーとして、その古武術の腕前を活かした独自のトレーニング方針で実績を挙げたが、トレーナーである前に武道家だった彼は息子である伝蔵が資格を取るやすぐに家督を譲って日本へ移り住んでいる。

 

「てかなんで!!!ガビーおばさん連れてきてんだよ!!!!病院いないとダメだろ!!!!!」

「……いやあ、ガビーも来たいって言うから、いいかなって………」

「いいかなじゃねえよ!!!!なんでいつもいつも適当なんだよジジイ!!!!!こっち見ろよ!!!!!」

 

バツが悪そうに目をそらす祖父に、追求の手を緩めない孫。

いつもの事である。適当が過ぎる祖父は稽古の匙加減も適当すぎるのだ。

その割に孫と会う度に稽古を付けたがるので、孫としてはいい迷惑だった。

 

「やかましい!!!あたしのトビーに細かい事言うな孫!!!!」

「ぐべえ!!!?」

 

怒り狂う孫を、後ろから何者かが銃床で小突く。

頭を抑えながら孫、智哉が振り向いた先にいたのは、黒鹿毛をシニヨンにまとめ、ウマ娘競技の正装を着込んだウマ娘だった。

姉の面影のある輝く快活な瞳、姉との血縁を感じさせる均整の取れたスタイルの、勝ち気なウマ娘。

智哉と姉の祖母、久居留照須子・オーエンその人である。

 

元競走バであり、帰化前の名前はテレサ・オーエン。実家は英国で大手スーパーマーケットチェーンを営んでいる。

現役時代は英国で走り11戦5勝、G1クイーンアンステークスを制し、引退後に日本で最もウマ娘がいる地方、北海道にある国有機関のウマ娘トレーナー組合である日本ウマ娘トレーナー協会(J U T A)からの招致を受け来日、かのTTGと呼ばれる三人の伝説のウマ娘の一人を幼少期より育て上げてトレセン学園へ送り出す等、多大な実績を上げた。

夫である二人の祖父と出会ったのはその頃だった。

ある日、北海道で散策中にヒグマに襲われた祖母を、修行で山籠り中の祖父がヒグマを一撃の元に倒して助けたのが二人の馴れ初めである。

なお祖母は猟銃資格を持っており、狩猟は英国時代からの趣味である。猟友会にも籍を置いている。

現在はトレーナー業も引退し、夫と分家に身を寄せて悠々自適の身である。

 

「全く……相変わらずグチグチうるさい孫だねえ、もっとトビーみたいに堂々としな」

「そうだばあちゃん、それ実弾入ってるだろ!!!マジでやめろよ!!!!」

「プラスチックの芯のゴム弾だよ、あんたなら当たっても痛いだけさ」

「そうなのか?それなら……いや!その前におばさん連れてくるの止めろよ!!!」

「何言ってんだい、走ってもないしこれくらいどうってことないよ」

 

「トム坊、おばさんは大丈夫だから気にしないで」

 

件の叔母、先程甥を錐揉み回転させた青毛の大和撫子が甥をなだめる。

父である伝蔵の姉、久居留ガブリエラ・オーエン。小栗心当流の達人である彼女も祖母、姉と同じく元競走バである。

それも、現在でもティアラ路線史上最強と呼ばれるほどの伝説的な活躍をしたウマ娘だった。

10戦7勝、桜花賞とオークスの二冠に輝き、その圧倒的なスピードは当時の競バファン達に衝撃を与えた。

その身に太陽を宿したかのような光を纏い、急激に速度を上げる領域(ゾーン)は今でも当時のライバル達に語り継がれている。

しかし競走生活の終盤、彼女は重い心臓病にかかり現在も病院生活の身だった。

こんなところで甥を投げ飛ばして良い訳はない。

 

「……なあおばさん、外出たかっただけだろ?」

「そ、そんな事はないのよ?トム坊の稽古の為に、おばさん一肌脱ごうかなって……」

 

叔母が、目を逸らして誤魔化す。

その仕草は祖父そっくりだった。

 

「俺の目、見てくれよおばさん」

「あっ!げほげほ、持病が!!!」

 

更に甥の追求を受けた叔母は、手を変え仮病を装った。

なお肺は悪くない。現役時代そのままで健康そのものである。

 

「おばさん肺は悪くねえだろ!!!」

「やかましい!受け身くらい取りなさい!未熟者!!未熟者!!!」

「いてえ!いてえから!なんだよマジで!!!」

 

結局誤魔化せなかった叔母は、手刀で甥を黙らせにかかった。

この叔母が病院を抜け出して家で茶をすする姿を智哉はこの二日で二回見ている。

ほぼ家にいた。病人かどうかを甥は疑問視している。

叔母の鋭い手刀から逃げる智哉に、携帯を持った姉が近付く。

最初の襲撃者は姉である。この二日で智哉はその肘を軽くダース単位で受けた。

その姉が、弟を見て口を開く。

 

「連絡来たわよ。今日の昼過ぎだって」

「おっ、来たのか。なら迎えに行こうぜ」

 

 

「そうね、ボスちゃん、二人と仲良くしてくれるといいけど……」

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「テスおばあ様!」

「よく来たねえフラン。ゆっくりしてきな」

 

所変わって羽田空港。

輝く金髪のウマ娘の少女、フランがゲートを潜り、祖母に飛びつく。

二人は一年と少し前、日本滞在時より親交があった。

祖母は素直なフランを気に入り、それはもう猫かわいがりしている。

 

「テス奥様、半年間お世話になります。これは大奥様からの贈り物で……」

「サリーもよく来たねえ、パスからかい?相変わらずこういうところはしっかりしてるよ」

 

メイドが祖母に挨拶し、フランの祖母、ジュドモントの女主人からの差し入れを差し出す。

智哉は知らない事だが、祖母同士は知り合いである。

以前のアメリカでの騒動後の日本滞在時、フランの出自を聞いた祖母はすぐさまジュドモントに嫁いだ知り合いに連絡を入れた。

それから数度の協議の末、今回のフランの来日に協力関係を築くことになったのだ。

祖母に抱きつくフランに、智哉が手を上げて近付いた。

 

「ようフラン、日本語勉強してきたか?」

「むずかしいわ!お家で教えてちょうだい」

「だろうなあ、いいぜ、何でも聞いてくれ」

 

ジュドモントの女主人はもう一つ目論見があった。

アメリカでのレース観戦での一件を省みて現在手元で養育している孫の抱える心の闇、それを解決する機会だと考えたのだ。

その孫が、姉に遅れてゲートを潜る。

腰まで伸ばした鹿毛に、黒鹿毛のメッシュが入った髪。

姉によく似た顔立ちの、ウマ娘の少女。

 

「おっ、そっちが妹の……」

「ノーブルちゃん!お話したトムよ!!」

 

 

 

 

「初めまして………フラン姉さんの妹、ノーブルミッションと言います……ノーブルと呼んでください」

「トモヤ・クイルさん」



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第二話 ジュドモント家、その女主人

というわけで二話目やで。
回想シーンやで。
この後はとりあえず分家親族の紹介に入りますやで。Tさんとボスちゃんやで。


「つらいわ」

「我慢してただけかよ……」

「フランちゃん、結局飛行機ダメなままなのね…」

 

空港から分家、小栗邸へ向かい移動中の車中。

一度高尾山から小栗邸へ戻り嫌がる叔母を病院に返した一行は、ジュドモントの姉妹と世話役のメイドを加えた七人となっている。

車は祖母所有のドイツの有名メーカーのX5と呼ばれる高級SUVである。

その三列シートの二列目、中央に座ったフランがぐでんと窓際に座る智哉にもたれかかる。

フランの飛行機嫌いは治っていなかった。

妹の前でやせ我慢し、機内でも姉らしいところを見せようと張り切った結果、妹の挨拶中にへにゃっと崩れ落ちた。

その姉を、心配そうに妹ノーブルミッションが背中を撫でて介抱する。

 

「姉さん、大丈夫……?飛行機苦手なのに無理するから」

「無理はしてないのよノーブルちゃん。つらいわ」

「説得力が無さすぎて逆にすげえよ……」

「トムは黙っててちょうだい。スゥー」

「だから吸うのはやめてくれよ……」

 

智哉が、しがみついて息を大きく吸い込むフランに辟易としつつも、妹を眺める。

 

(ヨークシャーに離れて住んでる妹とばあちゃんがいるとは聞いてたけど……仲は悪くなさそうだよな。まさかあの子とはなあ……)

 

フランの妹、ノーブルミッションの挨拶を受けた智哉はすぐに怪人として彼女と会っていることを思い出した。

二年前、姉のウィンターカップでの奇跡の後に、控室前で会った姉のファンらしき少女。

当時は落ち込む少女の機嫌を取ろうと手品まで見せたが、関係者エリアにまで来た少女を怪訝に思っていた。

だがそれも合点がいった。ジュドモントの娘ならばあそこまで入り込むことも可能だろう。

 

(……それよりも、だ。この子を預かる事になった経緯が読めねえ。姉貴のファンってだけで日本にまで来るか?俺に任せる、って言うあの人の話も……)

 

智哉はアメリカでのトレーナー生活を終えた後、今回の日本への出向について話があると呼び出され、ロンドンのジュドモント家を訪れている。

その際のジュドモント家の面々、特に家内一切を取り仕切る女主人との会話を智哉は振り返った。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

英国ロンドン、ジュドモント本邸。その応接室。

数年前にも、当主であるヘンリー理事のトレーナー試験の推薦を受けるために訪れた際に、案内された一室である。

そこには現在、当主であるヘンリー理事、フランの父である次期当主セシル、そして──

 

「困りますわね、むこど……けほん、トモヤさん」

 

智哉の対面に座る、魔性の美貌を持った貴婦人がいた。

額に垂れる一房だけが黒鹿毛という特徴的なロングヘア、垂れ目がちな穏やかな視線の淑女。

ジュドモント家当主夫人、パトリス・フィリップス・ジュドモント。

アメリカのトレーナーの大家フィリップス家より嫁いできた英国社交界の魔女は、扇で口元を隠して軽く咳払いをした後に、智哉をそのアメリカウマ娘らしくない穏やかな視線で見つめた。

 

「いいですわね、トモヤさん?貴方はこれからフランと契約する身、我が家にとっても大事なむ……けほん、大事なお抱えトレーナーとしての自覚はお有りなのかしら?」

「いえ、すいません……今回の件に関しましては……不可抗力というか……」

 

智哉が淑女の視線を真っ直ぐ受け止め、弁明を始める。

今回のジュドモント家の呼び出しを受け、案内された応接室にいた女主人を見た途端智哉は息を呑んだ。

アメリカの誇る伝説のウマ娘である。思わずその名で問いかけようとした所、女主人は口に指を当て、戸籍名を名乗った。

ここではその名を使っていないという意図を察した智哉は、その挨拶を受けて着席し、現在日本への出向についての詰問を受けている。

 

「不可抗力と言いますが……トモヤさん、これからフランと契約するまでの二年、貴方には我がチームの所属ウマ娘の指導もしていただく予定でしたのよ?それを横槍を入れられ、日本へ持っていかれるとは……あなた、何をされてましたの?」

「儂が知った時には全部終わっておってのう……事後承諾で連絡を入れられるとはの。やられたわい」

 

矛先を変えた女主人に、夫であるヘンリー理事が腕を組んでしたり顔で頷いて返す。

実際、事件のあらましを聞いた時には全て事は終わっていた。

フランの暴走を止めることが精一杯であった。

しかし、この名伯楽もさるものである。

その後、穏便に済ませた事で大きな貸しを作ったトレセン学園側へとある要求を通している。

今回はその話もあって智哉をここへ呼んだのだ。

その当人の智哉が、女主人の言葉に疑問を投げる。

 

「……あれ?指導するって俺、奉仕期間中は……」

「六年間、欧州での契約、競走参加を禁止。そして二年間のサブトレーナーとしての奉仕活動を命じる。でしたわね?」

「ああ、それです、だから俺は……」

「どこにも指導を禁止する、と公示されてませんわね」

「………あ!」

 

智哉に罰則を与える際に、ヘンリー理事と協議を重ねた統括機構理事長は抜け道を用意していた。

智哉が禁じられたのは欧州での競走バとの契約とトレーナーとしてのレース参加のみ、つまり指導自体は問題なく行えるのだ。

アメリカで期待の新人に実績を積ませて箔をつけた後に、奉仕期間中は実質チーム所属のトレーナーとして活動させる予定だった。

 

「ああ、そういう事だったんすか……理事長には頭上がらないですね、これは……」

「ウェルズ理事長のご厚意ですわね、それもお気づきになられていないとは……それに、実績を公表できないとは本当に……」

 

扇を広げて口元を隠し、智哉に嘆かわしい、と言った様子で視線を送る女主人。

日本での一件により、智哉が怪人の中身であることは箝口令が敷かれている。

もし公表できていたら、チーム・ジュドモントの所属ウマ娘達にG1競走を幾度も勝利させた敏腕トレーナーとして迎え入れられただろう。

その事実に気付いていなかった智哉が、女主人の視線を受けて思わず頭を掻く。

声も荒らげず、穏やかな語り口調だがぐうの音も出ないほどにやりこめられている。苦手意識が芽生え始めていた。

 

「いや、でも、おやっさ……デイルトレーナーの息子が入ったじゃないですか。あいつ……彼は優秀ですよ」

「確かにヨシュアトレーナーは新人としては抜けた存在ですわ。しかし経験不足。彼とも親交のあるトモヤさんにその足りない部分を補佐していただければ更に盤石と言えましたのに」

 

クイルレースクラブのチームディレクターを務めるジェームス氏の姓はデイルといい、妻、長女もトレーナーを生業とするトレーナー一家である。

智哉が抜けた後、クラブで経験を積んだ末っ子の息子はすぐさまトレーナー資格を取り、期待の若手としてチーム・ジュドモントで売出中だった。

智哉とも当然面識があり、ジェームス氏より紹介されて帰郷の際はよく面倒を見ていた。推薦したのも智哉である。

そのせいで試験官より無茶振りをされた彼はその事を根に持っていたりもする。

 

「母さん、僕からも言うことが……トモヤ君……少し不味いことになってるんだ」

「セシルさん……どういう事です?」

 

神妙な顔つきのセシルが口を挟む。

先日、統括機構理事会にて、とある理事代理より上がった議題があった。

智哉の、奉仕活動についてである。

 

「先日の理事会でね……その日はエイベル先輩が不在で、代わりに……」

「……………あいつっすか」

「ああ、彼女……ジェシカさんがちょっと、ね」

 

智哉の同期であるもやしは、オブリーエン家の当主の名代として理事会にも代理で出席する事がある。

若手トレーナーとしては異例だったが、彼女は代役を十分に果たし、理事長からも嫌味眼鏡より全然マシじゃんと好評だった。

しかし、その日はオブリーエン理事は代役を立てず欠席の予定だったが、智哉の帰国を知るやいなや父にも内緒で理事会に参加し、こう言ったのだ。

 

『トモヤ・クイルトレーナーの奉仕作業について、理事長にご確認したい事があります』

『何かしら、ジェシカさん』

『二年間のサブトレーナーとしての奉仕活動を命じる。と公示にはありますが……これは統括機構トレセン学院において、どのチームで奉仕作業に就くかの指定がありません。彼はチーム・ジュドモント所属ですが、つまり……』

 

もやしは、息を吸い込んだ後、その目を妖しく輝かせながら言った。

 

『我がチーム・クールモアでも彼に奉仕作業をさせる事は、可能ですね??』

『………………か、可能ね』

 

盲点であった。理事長そしてヘンリー理事、一生の不覚である。

当の何かに目覚めたもやし、そして首席合格者をこき使えると知った零細チームに、智哉の実力を知っているガスデン理事率いるチーム・クレアヘイブン。

彼らによって智哉はサブトレとして酷使される事が、ここに確定したのだ。

勿論セシルは抗議したが、公示を盾にしたジェシカの反論を前に、所属しているチーム・ジュドモントを優先するという条件しか引き出せなかった。嫌味眼鏡は後で顛末を知って眼鏡が飛んだ。

 

「マジっすか……?いや、マジっすか??」

 

これをセシルから聞かされた智哉の顔が引きつる。

あのもやし女冗談じゃねえぞと叫びたくて仕方なかった。

 

「だからね、今年中、いやすぐに日本へ行った方がいいね。すぐに行きなさい!!」

 

すぐに智哉を日本へ行かせたいセシルの目が急激に渦巻く。

彼にはそうしたい理由があるのだ。ジュドモント家の家族会議で決まった事項についての最後の抵抗である。

 

「そ、そうっすね……セシルさんの様子がおかしいけど。じゃあ予定を変えて……」

「なりません」

 

セシルの話に乗ろうとする智哉を、女主人が強く制止する。

 

「母さん!!!!」

「セシル、口出しは無用、と申しましたわね」

「うっ……し、しかしですね、こんな、他国で同じ屋根の下なんて……しかも二人共なんて!!!」

「……何の話っすか?」

 

話の要点が掴めず、急に言い争いを始める二人に智哉が首を傾げた。

その智哉に渦巻く目を向けて、セシルが叫ぶ。父は必死である。

 

「君は黙っていてくれトモヤ君!!僕は認めないぞ!!!フランだけにしなさい!!!!!!」

「なんなんだよ急に!!!?フランだけって何の話っすか!!!??」

「とぼけないでくれないか!!!!フランと契約する君は我が家の……ぎゃふん」

 

何かを言おうとしたセシルだったが、急に糸が切れた繰り人形のようにその場に崩れ落ちた。

智哉にも見えない程の恐ろしく速い延髄への手刀により、その意識が断ち切られたのだ。

 

「セシルさん!!?急に倒れて大丈夫っすか!!?」

「バカじゃのうセシル、パスを怒らせたらダメじゃってわかっとったじゃろ」

「あらあなた、何かありまして?」

「なんでもないわーい」

 

扇を広げて流し目を向ける女主人に、ヘンリー理事が投げやりな返事を返す。

今回の智哉の呼び出しについて、ヘンリー理事とセシルは口出し無用と厳命されていたのだ。

この女主人は夫を立てて表に出てこないが、家政においては実質的なジュドモントのトップである。

今回の一件、智哉を上手く丸め込んでとある要求を通す腹づもりだった。

 

「トモヤさん、予定では半年間の出向は今年の六月からでしたわね?それは予定通りに進めてくださるかしら」

「えっ、まあダービー終わってからにするつもりではあったんですけど、そういう事情があるなら……」

「どちらにせよ結果は変わりませんわ。それに半年後には出向すると公示すれば、そこまで無茶な使い方もされませんわよ」

「ああ、確かにいなくなる人間にチームの指導まではさせないっすよね。なるほど……」

 

女主人の言い分に一理あると智哉が頷く。

納得の行く話だった。公示だけ先にしておけば、いなくなる人間に無理強いはしないだろう。

この話を受けて、答えを決めた。

 

「わかりました。予定通り六月からにします」

「よろしくてよ。それにつきまして、お願いが……」

 

こうして、智哉はとある条件を出されつつも、日本への出向の時期を決めた。

そこまでの半年は思い出したくもなかった。しばらくもやしは見たくもないと思える日々であった。

 

そして、現在に至る──

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

『いいわね、ノーブル。あなたの姉、フラン。そしてトレーナーのトモヤ・クイルさんをよく見ておきなさい』

『きっと、あなたには良い経験になるわ』

 

祖母との来日前に交わした会話を思い返しながら、ノーブルが智哉と姉を見る。

 

(この人、姉さんと契約すると聞いたけど………)

 

ノーブルは、ジュドモントの娘として祖母より英才教育を受けている。

ジュドモントの次女として長女を支え、時にはその身代わりとなり、次期当主に奉仕する者として。

そのノーブルから見て、この姉と契約するであろう青年は、警戒するべき男だと写っていた。

 

(破廉恥だわ、この人。姉さんをあんなにしがみつかせて、匂いまで嗅がせて……きっとそういう趣味の男なのね)

 

どう見ても誤解である。むしろ勝手にフランが貼り付いている。

この誤解についてはジュドモントの使用人から聞いた、智哉がその容姿でお嬢様を誑かしているという噂話にも起因している。

 

「トム、頭をなでてちょうだい」

「またか?しょうがねえな……ほら」

 

(!!!?頭まで、撫でて……なんて破廉恥な男!!!)

 

誤解である。むしろフランが要求している。

ノーブルは姉に対して思うところはあるが、基本的には姉想いでジュドモントの次女としても姉を庇護しなければという気持ちが強い。

 

守護(まも)らなきゃ……わたしが、姉さんを!!この男の色香から、私が身代わりになっても!!!)

 

ノーブルの心に、ジュドモントの娘としての使命感が芽生えた。

誤解である。

きゅっ、といつも肌見放さず持ち歩いている、宝物の耳飾りを握る。

 

(怪人さん、私に力を……)

 

今回の来日について、ノーブルはあのウィンターカップ以来ファンになっているミッドデイの指導を受けられると聞いて二つ返事で飛びついた。

姉に対しても逃げ続けてはいけない、という気持ちもあった。姉は嫌いではないからだ。

それと共にアメリカでのキャリアを終了して以来、その行方が杳として知られていない怪人トレーナーについてミッドデイに聞きたい事も目的だった。

あの時見せてもらった手品、夢のかけらの耳飾り。

その感謝をもう一度伝えたいが為に。なお怪人は目の前にいる。

悲壮な想いを込めて、ノーブルが智哉を睨む。

 

 

 

 

 

 

(負けないわ、破廉恥な男……!!!)

(何か睨んでくるんだけどこの子……俺何もしてねえよ……)




ヨシュア君アメリカ編で出番作れなくてすまんやで……(カットしたエピソードで出す予定だった。
ちゃんと出すのは日本編〜二部の章間になるやで。


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第三話 誉れ高き武門の一族と、世界に誇る天才

というわけでTさんやで。
基本的に日本の引退ウマ娘は戸籍名表記にするやで。
それと日本の年代はかなり適当な感じにするやで。とりあえず暴君カナちゃん世代前後(2007~2009生まれ、ゴルシは例外)はまだ入学してない感じで……原作がそもそもサザエさん時空なとこあるから無理に修正すると破綻しそうなのよね……。
元々適当だからええな!


東京は府中市、東府中駅からほど近い場所に居を構える旧家、小栗家。

常陸小栗氏の流れを汲み源平合走、南北朝の走乱にも出走し、源平の大競走においてはかの平氏最強のウマ娘である平教経麾下で一ノ谷記念にて義経公と鎬を削り、その武名を遺す由緒正しき武門の一族である。

系譜としては藤正小栗氏と呼ばれ、代々のウマ娘の当主はその速さから天翔けるウマ娘を意味する天という二つ名を時の帝より授かり、襲名する仕来りとなっていた。

 

久居留家との関係は当時の天の兄が、武者修行も兼ねた英国での遊歴中に出会った超気性難との結婚騒動に端を発す。

大事な兄様を取り返したくば遠い英国まで来いという超気性難の挑発に乗り、当主自ら郎党を率いてのヒートレース勝負で怨敵たる超気性難が仕掛けた落とし穴を用いた罠により不覚を取って以来、立場としては久居留家の下に置かれ分家とされている。

当時の天は卑怯者と超気性難を誹り、再戦を要求したが「一ノ谷記念の逆落としで義経公と渡り合った誉れを持つ当家が、落とし穴で遅れを取るとは何事か」という先代の大喝により負けを認めた。超気性難はこれを夫から聞き及んで罠を仕掛けるに至ったのだ。最低の女である。

 

その小栗家の現当主、第16代天が到着した英国からの食客一行を屋敷の奥の間に招き、上機嫌で歓待の挨拶を交わした。

 

「うむ!よく来られた、本家のお歴々に英国の大家の姉妹よ!この小栗藤花並びに小栗家一同、逗留中は不自由なきよう取り計らおう!!」

 

奥の間の高座にて、黒紋付の羽織姿という正装で呵呵と笑う小栗家当主、小栗藤花。

武門の棟梁たるに相応しい、威風堂々とした気骨のウマ娘である。

鹿毛の髪を短めのポニーテールにまとめ、中心に一本線の細い流星。

その体躯は日本のウマ娘離れした大柄かつ、肩幅が広い。

手足も長く、走れば正に天の二つ名通りに長いストライドで飛ぶように走る。

かつては彼女も競走バとして、かの永世三強と呼ばれた伝説の三ウマ娘の一角だった。

「闘将」の名を冠し、藤正菱と呼ばれる家紋をあしらえた紫色の陣羽織の勝負服を着込み、日本競バ界に天下布武を謳った現役時代の彼女と流星の貴公子、緑の刺客、犯罪皇帝といったライバル達との激戦は現在も語り草となっている。

 

「エート……この度は、お招きいただきありがとうございマス、わたしはフランシス……」

 

日本語で当主名代としての名を使い挨拶しようとするフランを、藤花が手を挙げて止めた後に英語で語りかける。

 

「フランよ、堅苦しいのはよい。知らぬ仲でもないんだ。我が家と思って過ごしてくれ」

「でもトウカお姉様、ちゃんと日本語でご挨拶したいのよ」

「で、あるか!日本語も随分と話せるようだな。勉強してきてえらいぞ」

 

挨拶は終わりとばかりに当主は高座を降り、フランの横にどかっと座って頭を撫でる。

その尊大な態度に似合わず、人好きのする笑みを浮かべる彼女は子供好きで人懐っこい人物である。

現役時代もそのレース中の姿とこの人の良さのギャップで老若男女問わない人気を得ていた。

この当主とフランの交流を見て、ノーブルがきゅっと唇を噛む。

 

(姉さん……もうあんなに日本語話せるのね…わたしは……)

 

天才肌の姉は、要点を掴むのが上手く勉強も苦にしない。対して自分はまだ片言すらおぼつかないし、ヒアリングも苦労している。

両親から姉と比べられた事はない。それでも姉といると、自分は不出来だと自覚してしまう。

姉との差が、ノーブルの心を苛んでいた。

 

「お主がフランの妹君か。名は何と言う?」

「エット……ワタシ、ノーブルミッション…言いマス」

「で、あるか!お主もよく話せるものだ。誉めてつかわす。陽子と智哉によく学び、良いウマ娘になるのだぞ」

「すごいわノーブルちゃん!」

 

藤花が今度はノーブルに目を向け、日本語での挨拶に目を細めてその頭を撫でる。

その際に姉の言葉に一瞬眉を顰めるノーブルに気付くも、あえてそれを見過ごした。

それを解決するのは本家の役目だと聞いている。

陽子は姉の戸籍名である。

 

「うむ、うむ……二人は是非とも我が姪御の友となってくれると嬉しい。今は学校だが…夕餉の時にでも紹介しよう」

 

満足気に頷いた後、藤花は今度は本家の姉弟に目を向ける。

 

「智哉よ、陽子としっかり鍛錬しているようだな?今朝もお主が無傷で帰ってきて門下生が驚いていたぞ」

「無傷じゃないっすけどね……ばあちゃんに撃たれたしおばさんにも投げられたんで……」

「で、ある……えっ撃たれたの?師匠、やりすぎでは?」

 

智哉の返事に笑って相槌を返そうとした藤花だったが、その内容に絶句し、古武術の師である祖父に目を向ける。

彼女は貴重な常識人である。

その言葉を受けて、祖父は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

 

「いやー、行けると思ってなあ。トムは頑丈だし……」

「………次の早稽古は同行しよう。陽子も不味いと思ったら止めてやってくれ」

「はーい、トウカ姉さん」

「叔母貴も叔母貴だ。孫は猪でも熊でもないぞ」

「まあいいじゃないか。しっかり避けてたしねえ、これくらい出来ないとウチの男じゃないよ」

 

悪びれもしない祖母に呆れた顔で、藤花が眉間を揉んだ。

 

「全く……そろそろ内弟子の稽古の時間だ。他にも我が家に出入りする者を紹介したいところだが……一人は学園、もう一人は今どこにいるかもわからんからな」

「バクシンとシービーかい?いないのはシービーだろうねえ」

「ああ……あの風来坊の事だ。そのうちふらっと現れるだろう。それと……レムには立ち寄らないように伝えておく。大事な客人に手を出されては敵わん」

「ああ、そうしておくれ。どうせ嗅ぎ付けて来るだろうけどねえ」

 

短距離路線にて圧倒的な強さを誇るとあるウマ娘と、かつての三冠ウマ娘の二人は藤花と祖母が育て上げ、トレセン学園に送り出した経緯があった。

片やペースを知らないバクシン教、片や練習はよく取り組んだがすぐにいなくなる自由人と問題児揃いである。

そしてレムという、トレセン学園で教官を務める人物にも藤花は言及している。はっきり言って教官を務めていられるのが不思議な程の事案ウマ娘である。

その手腕は疑うべくもないが、その人物は幼いウマ娘にしか本気を出して指導しないのだ。理事長の頭痛の種だった。

言うべきことは言ったとばかりに、藤花が立ち上がる。

そして、ふと思い出しかのように智哉に振り向き、口を開いた。

 

「ふむ……智哉、これから二人の指導はお主がやるのだろう?しっかり務めるように」

「了解っす、トウカさん。よろしくな、二人共」

「ええ、やっとトムと練習できるのね」

「……よろしくお願いします」

 

水を向けられた智哉が、姉妹に声をかける。

それを見た藤花は満足気に頷いた。

今回のジュドモント家の姉妹の逗留にあたり、小栗家一同は英国の大家と繋ぎを得るチャンスと意気込み、全身全霊をもって持て成す準備を進めている。当主自らも家伝の古流走法まで持ち出し、二人の指導に参加する予定である。

 

「うむ、本当にしっかりやるのだぞ?あのご夫人の眼鏡に適えば立派にむ……」

「トウカ!!やめな!!」

 

何かを言いかけた藤花を、祖母がすかさず止めた。

絶対に言うな、とその目で藤花に訴えかけていた。

 

「おっと!そうだった、何でもない。気にするな」

「えっ、何か言いかけたっすよね?」

「何でもない!わははは!!気にするな!!それよりもこの後は理事長に挨拶に伺うのだろう?今の学園は当代の武豊様もおられる。変わった御仁だが得る物は多いだろう」

「ああ、そういや代替わりしてたっすね」

 

知らない単語が出てきて、好奇心旺盛なフランが興味を示した。

 

「ブホウさま?何かしら、トム」

「後で教えるよ、ちょっと長い話になるからな」

「うむ!仲良くするのだぞ!!わはははは!!!」

 

明らかに笑って誤魔化す当主、首を傾げて疑問符を浮かべる智哉。

つられて姉妹も首を傾げ、それを見て姉が笑う。

こうして、終始和やかな様子で姉妹は小栗家に迎え入れられたのである。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「歓迎ッ!!よく来てくれた久居留君ッ!!!!」

「どうもっす理事長、それにたづなさん。明日からお世話になります」

「ようこそ、トレセン学園へ!ご紹介したい方がいるのでこのままお待ちくださいね」

 

トレセン学園、理事長室。

ぺこりと頭を下げ、秘書と理事長に智哉が着任の挨拶を交わす。

今回の統括機構からの出向に対し、理事長と秘書にはとある案件で意見の対立があった。

 

「たづな、やはり私は反対だ!!英国からはるばる来てくれた久居留君をアレに付けるなどッ!!!」

「理事長、大丈夫ですから。ああ見えて豊原トレーナーはしっかりしてますよ」

 

断固反対と書かれた扇子を振り回すちびっこ理事長を、妙齢の美人秘書がなだめにかかる。

智哉は奉仕作業としてトレセン学園でサブトレを務める予定だが、どのトレーナーに付けるかで二人は揉めている。

理事長は新進気鋭で品行方正なフランス人トレーナーを推し、秘書はトレセン学園において最も有能なトレーナーであり、そして最大の問題児を推したのだ。

結局両方、ついでにあの気性難センサーの面倒も見てもらおうと言う折衝案となったが、理事長は今も反対している。

アレが何かやらかしたらまた国際問題だと、戦々恐々としていた。

 

智哉が秘書が出した名前を聞き、耳を疑う。

トレセン学園のみならず、世界にもその名を知られる有名人の名前が出ていた。

 

「えっ、豊原トレーナーって、まさか……」

 

「──たづなさん!!あなたの豊原武尊が!!ただいま到着しました!!」

 

智哉が口を開いたその時、理事長室の扉が開いた。

誰かを確認しようと振り向くも──

 

「豊原トレーナー、お呼び出ししてすみません」

「お気になさらず、この豊原!たづなさんの為なら例え火の中水の中!!気性難の中であろうと飛び込んでみせますよ!!!」

「こら!たづなの手を取るなッ!!このッ!!このッ!!」

「あーちびっこ、十年後くらいに出直してこい」

 

(──速い!!何だ、この人……)

 

超人の智哉の反応よりも速く、その男は入室していた。

 

理事長に扇子で背中を叩かれるも微動もせず、秘書の手を取り口説く日本が世界に誇る天才トレーナー、豊原武尊。

智哉にも引けを取らない長身に、無造作に撫でつけ寝癖が残る黒髪。その顔は整っているが、どこか三枚目を思わせる雰囲気を持っていた。

そして明らかに女好きである。入って即秘書を口説いている。しかし彼のナンパはなぜか一度も成功した事がない。

守備範囲も非常に狭い。トレセン学園の生徒は当然外れているし、妙齢の美女しか興味のない男である。

 

「豊原トレーナー、ディーさんに言いますよ?」

 

口説かれていた秘書だったが、その目が据わり、目の前の男の天敵の名前を挙げて牽制する。

いつもの事である。この男はかつての担当の名前を出されると尻込みするのだ。

 

「えっ、あ、あー……あいつは今関係ないじゃないですか、たづなさん!!今日こそは返事を……」

「それよりもあっちですよ〜明日から豊原トレーナーに付くサブトレーナーの久居留くんですよ」

「ぐぎぇっ!!?首を無理矢理回すのは……なんだお前、いつからいたの?」

 

首をへし折る勢いで回され、ようやく豊原が智哉を認識した。

 

「気付いてなかったのかよ、あんた……えっと、久居留智哉です。統括機構から……」

「男の自己紹介なんてやめろよ〜、聞きたくねえ」

「うぜえ……」

 

智哉の自己紹介を途中で止め、そのまま上から下まで全体を見てから、豊原は理事長に抗議を発する。

 

「おいちびっこ〜、こいつ無理。俺より顔が良いやつの面倒なんて見たくねえのよ、俺」

「ほら言っただろたづなッ!このすけこましは男の面倒なんて……」

 

「──それにこいつ、すぐにトレーナーになれるだろ〜?サブトレなんてやらせても無駄なだけだぜ?」

 

豊原の入室から流れていた理事長室のゆるい空気が、一気に引き締まる。

一目で、この男は智哉の才能を看破していた。

 

「理事長、だから言ったでしょう?豊原トレーナーに任せましょう」

「う、ううむ……仕方ないッ!!」

「ええ〜!?勝手に決めないでくれよ〜!!男はいいから美人のサブトレ回してよ〜!!いっつもクリスにばっか回してさ〜!!」

 

駄々を捏ねるすけこましトレーナーを無視して、理事長が決断する。

何故か決定事項と文字が変わっている扇子を開き、声を張り上げた。

 

 

 

 

 

 

「辞令ッ!!豊原トレーナーッ!!明日から久居留君と共にトレーナー業務に就くようにッ!!!!」

「嫌だ〜!!!!女の子にしろよ〜!!!!」

「えっ、俺もこの人嫌なんすけど…………」




次回は武豊様の話から入るやで。


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第四話 日本神話、武豊尊

年代考察くっそ悩んだけど当初の予定通りのプロットで行きますやで。
この世界の世代はバラバラという事で2009帝王賞と2010エリ女が同じ年に起きるという事でよろしくお願いしますやで…ファル子ウオダスはもう史実レースは終わってるという事で…原作組はアプリとかで語られてるしワイが書くまでもないかなって…チョイ役で出る子はいたりします。
という訳で現役日本ウマ娘の登場一人目はあの子になります。
雷神も出したい……。


武豊尊(ぶほうのみこと)とは古事記および日本書紀に記される、ウマ娘を導く唯一の男神である。

古事記によると高ウマヶ原の三女神の国産みが終わった際、生まれた大地を試しに走ってやろうと気性難の神である恵久居留尊(えくいるのみこと)が降り立った。

 

『終わった?じゃあ誰の縄張りかは速いもの勝ちね。オラァ!!』

『待ちたまえエクリプス!まだ手を出したら……』

 

自分は協力せず、完成のタイミングで領有権を主張しようとスタートダッシュをかます恵久居留尊(えくいるのみこと)。最低の女である。古事記にもそう書かれている。

この時、恵久居留尊(えくいるのみこと)の足跡がついた大地が隆起し、一人の男の姿を形取った。

 

『強いウマ娘が、強い勝ち方をすることに、レースの真の面白さがある』

 

男は、三本の指を天に示して口上を述べた。神の誕生である。

 

『あっ、何か生まれた……』

『ああああああまだ不安定なのにいいいいいいい!!!!縁が強い神が生まれちゃったじゃないか!!!!!』

『わ、私しーらない』

 

こうして過失という形で生まれたこの男神だったが、那霊大神(だれいのおおみかみ)により高ウマヶ原に迎え入れられた。

男神は、その特異な力によりすぐに頭角を現した。

 

『この子は強い運命を持っているね。歴史に名を残す存在になる』

『そうか、成程……この子には私の力を少し与えるよ。しかし、いつ見てもすごい眼だね……』

 

ウマ娘の潜在能力、そして運命までも見通す神眼。

この力で大神の世界の運営に大きく寄与し、その貢献に報いるべく大神は武豊尊という名を与えた。

古代においてウマ娘とは武力と農業力の象徴である。ウマ娘の運命を見通し、正しく導く男神に相応しい名前と言えよう。

ウマ娘を正しく導き、世界をあるべき形に進める日々。

そんな日々の中、男神はある話を大神に持ちかけた。

 

『地上に降りて、人として生きようと思う』

『何だって!?待ってくれ、何か不満でもあるのかい!?君がいないと大変なんだけど……』

『いや、不満は無いよ。ただ……僕の眼、僕の魂は、本来この世界に帰すべきものだ。そうなんだろう?』

『……君は、不安定な存在だ。人としての寿命を迎えたら……きっとここには戻ってこれない』

『元々、偶然生まれた身だよ。使命を見つけた、その為に生きたい』

 

『血を継ぎ、命を繋げて──いつかまた、僕が現れる。その時には──』

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「そして、現在……豊原神宮、奈瀬大社、藤森神社に武豊尊は分祀され、日本に住まう人々はいつかまた武豊様がお戻りになられるのを待ち続けている……こんなとこだな」

「悲しいお話ね……」

「あの、ブホウ様のその後は……?」

「それがわからねえんだよなあ。どの文献にも記されてないんだよ。一説では日本で最も高貴な一族の始祖となったと言われてるな」

 

夕方の小栗家、手入れの行き届いた日本庭園を見渡せる客間の縁側。

智哉はトレセン学園で着任の挨拶を済ませて帰宅した後、フランにせがまれて日本神話の武豊尊について講義していた。

智哉の横にフランが座り、姉の隣に日本文化に興味のあるノーブルが座り、話に耳を傾ける。

フランが、ふと思い付いた事を口に出した。

 

「トム、そのえくいるのみことさま、お名前にクイルって付いてるのね」

「ん?ああ、漢字も一緒なんだよな。この神様は女神エクリプスと共通点が多くて、古神道での女神エクリプスの姿って説があるな」

「そうなのね!不思議だわ!漢字はどう書くのかしら?」

「おう、ちょっと待ってくれ、久居留……と、こうだな」

 

智哉がスマートフォンを取り出し、メモ帳に入力した文字をフランに示す。

フランはそれを眺めた後、優しく微笑む。

 

「久しく、居て、留まる……素敵なお名前ね」

「おお、意味までわかるのか……ありがとな」

 

智哉も微笑み返し、フランの頭を撫でた。

この二人に、唖然とした表情をノーブルが浮かべる。

 

(…………この二人、放っておくとすぐ自分達の世界に入っている気がするわ)

 

先程から、何となく感じていた疎外感にノーブルはようやく気付いた。

姉とこの破廉恥な男、二人の世界に入りすぎである。

 

(それと………後ろの人達、誰………?)

 

後ろを振り向く。

そこには血走ったヤバすぎる目をしたウマ娘と、エクリプス教の修道服姿のギラついた目をしたシスターがいるのが気になって仕方なかった。

智哉はもうヤバい方を視界に入れないように務めている。目が合ったら因縁を付けられそうでビビリ倒していた。

 

「やっべ両方ともマジ好み……どう声かけよう?いや、それよりもこのまま見ている方がいいか?ああ、良い微笑みだ。おっとお嬢さん、視線はこっちに向けないでくれたまえ。辛抱できなくなる」

「レム、手出したら退場ってテスばあちゃんに言われてっだろ?大人しくしとけ」

 

ヤバい方のウマ娘が恍惚とした表情でそわそわと手を伸ばしては引っ込め、それをアメリカで智哉と知り合ったシスターが茶を啜りながら咎める。

シスターもトレセン学園の近所に住んでおり、智哉の着任の話を理事長より聞き及んで顔くらい見せとくかと小栗家を訪ねている。

レムと呼ばれたもう一人はおまけで付いてきた。事案ウマ娘は好みの子の気配を感じると、その事案めいた勘の鋭さでシスターに同行した。フランとノーブルが小栗家に来たのは今日の昼過ぎである。嗅ぎつける速さが異常にも程がある。

シスターはコイツ連れてっていいのかと悩んだが、そのうち忍び込みかねないと危惧して同行を許可した。

 

「わかっているさ、サンディさん。ああっ、でもかわいいなあ!私もあの綺麗な髪を撫でたいなあ!!!」

「わりーなあんちゃん、気にしないで話続けてくれ」

「気になって仕方ねえよ……」

 

容姿は優れており、首まで伸ばして左右非対称で分け、細長い流星の一房が右目にかかる青鹿毛の髪。

そして普段は理知的なその目は現在、爛々と輝き血走っていた。明らかに狂気を孕んでいる。

現役時代はケンタッキーダービー、プリークネスステークスのアメリカクラシック二冠に輝き、エクリプス賞も獲得した名ウマ娘である。

現在は日本の社グループより勧誘を受け、トレセン学園で教官を務めている。

アメリカのトップ競走バの来日、そして教官就任は当時一大ニュースとして報じられ、大きな期待を持って迎えられた。

しかし彼女には大きな問題があった。

 

『うーん、好みの子じゃないな、パス』

『これで何回目だッ!!?仕事してくれッ……頼むッ……』

『仕方ないじゃないかー、私は幼い子供を私色に染め上げて送り出したいんだ』

 

彼女は、幼いウマ娘にしかまともな指導を行わなかった。とんでもない事案ウマ娘だったのだ。

手腕に関しては確かだったのが、更にこの事案ウマ娘を厄介な存在にした。

指導さえすれば結果を出し、オープンまで勝ち上がるウマ娘を何人も育て上げ、本格化と共にチームや専属トレーナーに送り出している。

だからこそ理事長の頭痛の種となった。まともならば勝ち上がれず、学園を去るウマ娘の助けになれる。

そう思い、理事長はトレセン学園理事の一人であり、彼女の身元引受人でもある社グループの総帥に相談した。

 

『そうだなあ……試しに、こういうのはどうかな?』

『名案ッ!!!!』

 

こうして理事長は一計を案じた。名付けて「当てウマ娘作戦」である。

トレセン学園には、附属小学校が存在する。

形式としては英国のポニースクールに当たり、卒業者はエスカレーター式でトレセン学園に入学できるエリート校である。

フランとノーブルは、この附属小学校内のインターナショナル・スクールへ半年間の留学が決まっている。

この附属小学校の授業の一環として、事案ウマ娘の業務を見学対象にしたのだ。

 

『見ててくれよポニーちゃん達!!!私の姿を!!!!』

『せんせーかっこいい!!でもちょっと目が怖い………』

 

効果は覿面であった。見学の少女達の前では事案ウマ娘は張り切って指導を行った。

しかし、やはり問題が起きた。

 

『あの子と、あの子。卒業したら私の教え子にする話はどうなった??』

『いや、それがだなッ………親御さんが、君に預けるのはちょっと怖いと……』

 

事案ウマ娘は好みの子の顔を全て覚えており、入学を指折り数えて待っていた。

蛇足だがこの時に好みのタイプもわかった。教え子にしたいと指定したのは栗毛か金髪の大人しく幼いウマ娘ばかりだった。

しかし親が事案ウマ娘に預けるのに抵抗を示した。当たり前の話である。

こうして事案ウマ娘はやる気を無くし、理事長は他に名案が無いか相談するも社グループ総帥は「もう疲れた」と言い残して逃げた。

そして現在、仕事を同僚にぶん投げて小栗家に来たのである。

 

「あんちゃん、しゃべり上手えなあ。聞き入っちまったぜ」

「そうすか?わかりやすく説明したつもりではあるっすけど……」

 

シスターが智哉に感心したように頷きながら、一つ注釈を入れた。

 

「でも一個足りねえな。ブホウ様の代替わりの話してねえだろ?」

「あー……そうすね。何て説明するか……」

 

ここで話に入る好機とばかりに事案ウマ娘が手を上げた。お近付きになりたい二人に良い所を見せたいのだ。

 

「待ちたまえ!この私、ウォーエンブレムが説明しよう!!」

 

事案ウマ娘がのしのしと縁側まで歩き、ノーブルの隣に座ろうとするも、そこにすかさずシスターが割って入る。

アメリカでの一件の後、シスターは智哉が来日時世話になった人物の孫と知った。

家族ぐるみで借りだらけである。今回の事案ウマ娘の襲来も自分がコントロールした方がいいだろうと祖母に伝え、連れてきている。

 

「なっ!サンディさん……!!」

「おっと、お前は俺様の横だ。ようお嬢ちゃん、フラン嬢ちゃんの妹なんだってな。名前はなんて言うんだ?」

「ノーブルミッションです。よろしくお願いします。えっと……」

「おっと悪ぃな。俺様はシスターサンディ、気安くサンディとでも呼んでくれ」

 

子供好きのシスターが、優しげに笑いながらノーブルに語りかける。

こう見えて幼いウマ娘に指導する身である。面倒見は良いし子供からの人望も厚い。

 

「私は!ウォーエンブレムだ!!よろしくノーブルた……げふぅ!!?」

「顔がこえーんだよ、早く説明しろ」

「は、はい………」

 

子供好きの事案ウマ娘が、目を血走らせながらノーブルに叫ぶ。

こう見えてトレセン学園の教官である。面倒見は良くないし子供には怖がられている。

ノーブルに顔を近づけようとしたが間にいたシスターの肘鉄を浴び、腹を抑えながら元の位置に戻った。

息を整え、事案ウマ娘が一息ついた後に口を開く。

 

「うん、説明しよう。先程の青年の説明にあるようにブホウ様はご自身がまた現れる、と言い残されたが……それについてだ」

「あの、先程サンディさんが代替わりと言っていましたが……今ブホウ様はいるんですか?」

「目の付け所がいいね、ノーブルたん。その通り、ブホウ様というのは歴史ある名跡として現存している」

 

中世戦国時代、ウマ娘の競走による抗争が頻繁に起きた時代に、時の天下ウマ娘、織田信長はウマ娘を効率的に鍛え管理する場所として、ウマ子屋という一種のトレセン学園のような施設を設営した。

それまでは各武家が育てていたウマ娘達を、身分にこだわらず効率的に育てる為の施設である。戦国の異端児と呼ばれる彼女らしい先進的な発想と言えよう。

広い競走に向いた芝生の草原、十分な食事に効率的な鍛錬。ここで育ったウマ娘達から幾人もの武将ウマ娘が世に送り出され、各戦国大名家も織田家に倣ってウマ子屋を創立した。一部は地方トレセン学園の元となっている。

そんな未来の武将ウマ娘を育てる者達は牧士と呼ばれ、これが現在の日本のトレーナーにあたる。

 

「そんな歴史が……勉強になります」

「これ多分学校のテストに出るからな。フラン嬢ちゃんも覚えとけよ?」

「わかったわ!」

「うんうん、勉強熱心で二人共素晴らしいよ。話を続けよう」

 

やがて織田信長は配下でペースメーカーのはずの明智光秀の裏切りにより本能寺杯で破れ、その後を継いだ羽柴秀吉も引退し、天下は徳川家康の元で統一される。江戸幕府の誕生である。

その時に牧士を司り、ウマ娘を育てる奉行として武豊奉行という役職が生まれた。

全国の牧士の頂点として、武豊尊の名を借りたのだ。

この武豊奉行を拝命したのが武豊尊の血を色濃く引くと言われ、豊原神宮、奈瀬大社から分かれて武家になった豊原家、そして奈瀬家である。

どちらも優れた牧士を長年に渡り輩出している名家であり、信仰する武豊尊の名を持つ役職、当然この二家はどちらが拝命するかで揉めた。一時は刃傷沙汰にまでなりかけている。

そこで将軍の一声により持ち回り制となった。当代が豊原家なら次代は奈瀬家、こうすれば文句はあるまい、と。

この後、明治維新により江戸幕府はその長い歴史に終止符が打たれるが、現在も武豊という称号はこの二家により維持され、日本におけるトレーナーの一大名跡として残されている。

その当代となる第18代武豊が、先日智哉が出会ったすけこましトレーナーである。

 

「こんな所か。タケル君は先代のフミノさんに負けず劣らずの才能の持ち主だな」

「トムはそんなすごいブホウ様のところでお仕事するのね!」

「歴史ある名を継ぐトレーナー……確かにすごいですね……」

 

説明が終わりフランが尊敬の眼差しを、そしてノーブルは仕方なく認める、といった風の表情を智哉に向ける。

智哉としては不本意である。あの目通しの後、すぐにすけこましは帰って行ったし理事長は辞令を取り下げてくれなかった。

 

「あー……すごいはずなんだけどなあ」

「まーな、わかるぜ……あの野郎は見たまんまだと素行悪ぃからなァ」

 

シスターがそんな智哉に同情の視線を送る。

優秀なのは認めるが癖が強すぎる人物である。智哉は明日の打ち合わせすら出来ていない。

少し、助け舟を出してやろうとシスターが智哉に声をかける。

 

「どうせすぐ帰ったんだろ?アイツ」

「そうなんすよ。明日は広い学園のどこに行けばいいんすかね、俺……」

「タヅナに放送させてもいいけどよォ、とりあえずは第二ダート練習場だな」

「そこにいるんすか?」

 

 

 

 

「さーな、アイツはいねぇかも知れねえけど……アイツの今の担当はそこにいるはずだぜ。ヴァーって言うヤツだけどな」



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第五話 小さなボスと、砂塵の彗星

というわけでボスちゃんとヴァーやで。
主要キャラの紹介は終わったし次からようやく学園の様子に入れるかなって…進行遅めでごめんやで。


気に入らない。自分にまず挨拶に来るべきなのに。

気に入らない。陽子姉さんも智哉兄さんもちやほやして。

気に入らない。この家の次のボスは自分のはずなのに。

 

(気に入らない!何よ、こいつら!!)

 

鹿毛をお団子にまとめた少女、グランプリボスは怒りに震えていた。

かの邪智暴虐の侵略者達を除かねばならない、と心に誓っていた。

まだ子供のボスには大切な客人等という事情はわからぬ。

ボスは、トレセン学園附属小学校に通う小学生である。ターフを駆け、子分を侍らせて暮らしてきた。

けれども自分の縄張りには、人一倍敏感であった。

 

「さあ!今日は英国よりはるばる来てくれた客人を迎えた宴だ!!存分に楽しんでいってくれ!!今日より半年間家族になるのだ!遠慮はいらんぞ!!乾杯!!」

「かんぱーい!!トム、あんたもお酒飲めるんだから付き合いな」

「今日は無礼講と言われているからな、私も付き合おう」

「へいへい。二人共、箸の使い方わかるか?」

「使えるわ!練習してきたのよ」

「……私も大丈夫です」

「サンディ、ほら飲みな。レムの事はよくやったよ」

「いやあ、わりぃなテスばあちゃん。ディーのヤツとダーリンも連れてくればよかったなぁ」

 

小栗家の広間は現在、英国よりの客人を持て成す宴が開かれていた。

当主である藤花の乾杯の合図により、がやがやと談笑の声が広間に響く。

姉がメイド、弟の二人とジョッキを合わせ、その横で姉妹が供された和食に舌鼓を打つ。

そこから少し離れた座卓の隅では、シスターが祖母の酌を受けている。

今回の事案ウマ娘来襲に際し、上手くやればタダ酒を飲ませてやるという約束によるものである。

事案ウマ娘も参加したがったが、藤花の無慈悲な学園への通報によりすでに連行されている。

現在は泣きながらサボった業務をこなしていた。哀れである。

 

「ぐぬぬぬぬ……」

「ボス、あの姉妹の姉、フランはお主と同い年だ。仲良くしてやってくれ」

 

当主の座る上座、その隣にボスはいた。

尊敬している名ウマ娘のお姉さんに、よく面倒を見てくれる優しいお兄さんの姉弟。

その横に座る姉妹を眺め、悔しそうに唸り声を上げる。

藤花がその様子を見て苦笑いを浮かべた。縄張り意識が強く、子分と内弟子にちやほやされている姪である。予想していた反応ではあった。

 

「こらこら、二人とも良い子なんだ。きっとお主にも良い友になる」

「…………それを決めるのはボスよ、藤花」

「全く……まあいい、話せばわかる」

 

憮然としながら、ボスがそっぽを向いて返事を返す。

藤花は何も心配していない。姪は縄張り意識は強いし態度も大きいが、それだけの姪では無いと知っている。

去年、フランが小栗家に逗留していた一週間の間、ボスは冬休みで帰省していた。

去年から次期当主として小栗家に住んでいるが、まだ小学生である。長期休暇の間は藤花が気を使って親元に帰している。

 

「トム、これ美味しいわ」

「鯛のあら炊きとかまた渋いもん食ってるな……どれどれ」

「はい、あーん」

「おっ、悪いな……うん、美味いな。後でレシピ聞いとくか……」

 

智哉が、フランに直接箸で食事の世話を受ける。ボスのこめかみに血管が走る。

その隣でノーブルが破廉恥と小声で言った後に、ジョッキを傾ける姉を見て意を決す。

 

「あの、ミッドデイさん、お聞きしたいことがあるんです!」

「えっ、なになに?何でも言ってノーブルちゃん」

「怪人さん、ジョー・ヴェラスさんは今どちらにいるんですか?」

 

ノーブルの発言に、姉が静かにジョッキを下ろした。聞き捨てならない発言である。

 

「……あー、あいつね、あたしも今どこにいるかはわからないのよね〜……ノーブルちゃん、どこかで会った?」

「チャーチルダウンズレース場の、ミッドデイさんのウィンターカップの後で……あの、わたし、この髪飾りを貰って……」

 

胸元から、宝物の獅子の刺繍のついた髪飾りを取り出す。ボスのこめかみに更に血管が走る。

姉は一瞬だけ眉を顰め、弟を横目で見た。

お前失くしたって言ってただろ、どういう事だよとその目は語っていた。姉弟のアイコンタクトである。

弟はやべえ言ってなかったと即座に顔を青くした。何故かフランの眼も渦を巻き始めている。

 

「あ、あー!そうなのねー、いいわよ、そのまま持ってて」

「ありがとうございます!それとミッドデイさん、私、あのレースからファンです!レースの事、教えてください!!」

「そうなの!?いやー照れちゃうわね。もう引退したけど何でも聞いてね!それにしても、ジョーのヤツは今どこにいるのやら。ねえ、トム??」

「お、おう、俺もわからねえんだよ、なあ……ははは……」

 

ノーブルの話を聞いた姉が笑みを深くする。智哉は恐怖で手に持ったジョッキが震えた。

 

「これはアイツを見つけたらとっちめないとねえ?フランちゃん」

「そうね、ミディお姉様。サリーも手伝ってちょうだい」

「お任せください、お嬢様」

「い、いやあどこにいるかもわからねえしさ、それは無理じゃねえかなあ……と、思うんすよ…………」

 

智哉が目を逸らしながら全力で言い訳のような怪人への擁護を始める。命乞いのようにも聞こえた。

それを見て、話の流れが読めないノーブルが首を傾げた。

仲良さそうに交流を深める五人。ついに、ボスの堪忍袋の緒が切れた。

立ち上がり、のしのしと五人を目指す。

それを見て、内弟子の一人が制止しようと声を上げた。

 

「あっ、お嬢!」

「いいんだ、行かせてやりなさい」

 

それを、藤花が止める。姪が何をするかはお見通しである。

ボスが近づき、五人の目の前で足を止める。

五人がボスに気付き、注目を浴びたボスが高らかに第一声を上げた。

 

「混ぜて!!!!このグランプリボスの子分にしてやるから!!!!」

 

この一声にフランとノーブルがきょとん、とした顔でボスを見上げる。

ボスは意地っ張りで、縄張り意識が強く、そして寂しがり屋な少女である。

この小栗家には同年代の友達がいない。子供はボスだけだった。つまり姉妹と友達になりたいのである。

自分を差し置いて姉妹と仲良さげにする姉弟に怒っていたのだ。まず紹介してよ、と。

フランがにこりと笑い、ボスの言葉に優しく返事を返した。

 

「ボスちゃんね!ワタシはフランケルよ。子分よりもお友達になりたいわ」

「えっと……ノーブルミッションデス。よろしく」

「よろしく!!!……座っていい?」

 

遠慮しがちにボスが姉弟に確認を取る。藤花の教育が行き届いており、こういうところはしっかりしていた。

姉弟がボスを見て優しく笑い、場所を空ける。智哉としては怪人の話を有耶無耶にできて命拾いである。

 

「ああ、俺が動くからここに座っていいぜ、ボス」

「ボスちゃん、おいでおいで!」

 

おずおずとボスが座り、楽しげに姉妹と微笑み合う。

日本語での交流となったが、智哉と姉が間を取り持ち、つつがなく穏やかに姉妹と当主の姪、グランプリボスは交流を深めたのである。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「トレセーン!!!ファイオー!!!!」

「ファイオー!!!!」

 

「久しぶりに来たけどなんやろなあ、会長が用事あるっちゅうて」

「私は呼ばれてないんだが?」

「私もだ、タマだけのはず」

「オグリンもネイはんもほっとくとどっか行くやろがい!ええからついてきてや、学食おごるで」

 

翌日、トレセン学園。早朝ランニング中の生徒達のかけ声が響き、とある一派が何やら話しながら校門の先の並木道を歩く。

その少し後、大きな校門を智哉が通り、秘書と挨拶を交わした。

 

「おはようございます、久居留くん」

「おはようっす、たづなさん、第二ダートってどこですかね?」

「それでしたら、噴水まで抜けて右に行けば第一ターフがあって、その奥ですね」

「ありがとうございます」

 

秘書に礼を述べ、言われた通り噴水を目指す。

噴水の前、何やらフランス人の美少年が生徒達に囲まれているのを智哉は見かけた。

 

「クリスくーんおはよー!ねえねえ次のレース担当してよ!」

「あー抜け駆け!!それなら私も!!!」

「皆さんおはようございマス、契約はチームを通してお願いシマス」

「そんな事言わずにー!」

 

生徒達に言い寄られ、困った顔の美少年。

そんな様子を見かけ、智哉の後ろからやってきたウマ娘が速度を上げてそこに突入する。

 

「こら!お前達!!クリスが困ってるだろ!!」

「わーハーツさんだ!逃げろー!!」

「あっ待て!全く……」

「ハーツ、助かりマシタ」

「そ、そうか?いやあクリスの為ならこれくらい……」

 

にこりと微笑む美少年に、照れた風に頭を掻くウマ娘。

それを横目に見ながら、智哉は噴水を過ぎて右の小道に入る。

 

「おい川添ェ、テメーウチの妹の面倒も見ろよ。再来年?には学園来っから」

「な……なんで俺なの?いや、トヨさんとかで良くない?」

「アア!?テメーウチの妹の面倒見ねぇってか?」

 

校舎に壁ドンされ、明らかに気性難らしき鹿毛でギザ歯の気合の入ったウマ娘に恫喝される哀れなトレーナーがいた。

智哉は見て見ぬフリをした。世界一嫌な壁ドンである。壁に気合が入りすぎてヒビ割れ始めている。

 

「だ、だってドリジャ……さんの妹って絶対……」

「アア!?絶対がなんだってんだテメー!!!気合入れろや!!!はいって言え!!!!!」

「は、はい!!!」

 

言質まで取られていた。智哉は哀れに思ったが見て見ぬフリをした。触らぬ気性難に祟りなし、である。

 

「ヨシ!!!!!決まりだな」

「いや、今のはちが……」

「アア!!!!?」

「何でもないです!はい!!!!」

「ヨシ!!!!!」

 

直立不動ではいと返すだけの機械となる哀れな青年に同情しつつ、第一ターフに入る。

 

「うん、調子は上がってるな、スク。宝塚までこの調子で行こう」

「はい!館山トレーナー!!ドリジャさん怖いけど……」

「ははは……走ればみんな同じだからね、落ち着いていこう」

 

ベテラントレーナーが付きっきりで一人のウマ娘の朝練に付き添い、言葉を交わす。

それを微笑ましい様子で眺めながら、第二ダートに到着する。

ダートコースを一望できる丘の上から、シスターから聞いた目的のウマ娘を探す。

すぐに、見つかった。朝練中のウマ娘は一人しかいなかった。

奇妙な、ウマ娘だった。

 

初夏だと言うのに赤いマフラーを巻き、白いマスクを付けた黒鹿毛の三編みのウマ娘。

日本に来る前に予習を兼ねて見た、とある年の凱旋門賞に出走した怪鳥の異名を持つウマ娘のようだった。

赤いマフラーが靡き、尾を引くそれは、まるで赤い彗星のように智哉には見えた。

ゴールを走り抜け、徐々にスピードを緩める彗星。そこに智哉は近付いていった。

 

「ちょっといいか?」

 

シスターから、同い年だと聞いている。彼女は学園の大学コースに進学し、現役を続けていると。

彗星が、息を整え智哉に振り向く。

口元はマフラーに隠れ、白いマスク。表情は伺えなかった。

 

「うん……ああ、すまない。練習中でね、悪いが後で……」

「ああ、その話なんだ。今日から豊原トレーナー付きのサブトレになった久居留智哉だ……あの人来てないのか?」

「何!!!?」

 

今度ははっきりと、その表情が読めた。明らかに驚愕した声だった。

 

「あ、あの人が男のサブトレを……!!!?」

「あー、すげえ嫌がってたぜ。辞令でな……」

「そうか、そうか……それ以外ありえないからな」

 

うんうんと頷き、納得した様子の彗星が智哉を上から下まで見つめる。

 

「成程……悪いが早速手伝って貰おう。ゲート役を任せる」

「タイムも測るか?距離は?」

「2000!……と言いたいが、もうすぐ講義なんだ、軽く1000mにしておこう」

「わかった。じゃあ準備するぜ」

「おっと、待ってくれ」

 

ゲート地点に向かう智哉を、彗星は制止し、息を軽く吐いた。

自己紹介を返していない。見るからに担当と比べてまともそうな相手だ。名前をしっかり伝えておこう、と考えた。

彗星が、しっかりと目を見て口を開く。

智哉が初めてその眼に注目する。

朱色の、綺麗な色をした眼だった。

 

 

 

 

 

 

「──私は、ヴァーミリアン。人呼んで、砂塵の彗星……ヴァアと呼んでくれ」



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第六話 英国から来た怪物

というわけでフランパートやで。


中央トレセン学園附属小学校は、学園の敷地内、西端に存在している。

2000人以上収容可能なマンモス校であるトレセン学園と比べてその規模は小さく、その門は狭い。

この小学校の入学試験に合格さえすれば、中央の競走バへの道が約束されるのだ。倍率は天井知らずである。

未来の競走バ達が集う、由緒正しきエリート校──その校内の教室の一つ。

 

「おはよー!みんな!!大ニュース大ニュース!!!」

 

朝の授業前の教室に、一人の芦毛のウマ娘が息を切らしながら飛び込む。

天真爛漫と言った様子の、左耳に鯨のチャームがついた緑色のリボンと、揺れるおさげ髪が特徴的な少女。

この少女に、教室内で談笑していた二人が反応した。

 

「今日は何?ホエちゃん」

「いっつも大ニュースって言って何も無いやんけ!こないだの本物の仮面ボーイはどないしたんや?」

 

片や懐中時計を首からぶら下げた鹿毛のウマ娘、片やターゲットマークのポイントが付いた野球帽に関西弁が特徴的な栗毛のウマ娘。

この二人が、いつも大ニュースと言ってはろくな事を言わない同級生に呆れ気味の反応を示す。

仮面ボーイとは、日曜朝に放映されている国民的人気を誇る特撮ヒーローである。

華麗な変身バンク、ボーイキックを始めとした数々の必殺技、各仮面ボーイ達による群像劇が高い評価を得ている。

元競走バも出演している長寿シリーズとして、現在は仮面ボーイディスゲートが放映中である。

 

「今度は本当なんだって!テックちゃんもヒットちゃんも信じてよー!」

「まず言わんかい。なんやねん」

「ふふん、よく聞いてくれました!」

「ええからはよ言えや」

 

十分に勿体つけた後に、ホエは得意げに語った。

 

「なんと!今日!!マル外教室の方に!!!」

「留学生が来るんやろ?かいさーん」

「いつものホエちゃんだったねえ」

 

ホエの言葉をぶった斬って二人が元の位置に戻る。既出の情報だった。

 

「ほええぇえぇええ!!!?何で知ってるの!!?」

「昨日先生が言っとったやろ。自分寝とったで知らんやろけど」

「ホームルームはいつも寝るもんねえ、ホエちゃん」

 

ほっぺを抑えてショックを受けた声をホエが上げ、それを二人が笑ってなだめる。

ムードメーカーの起こす一騒動、ここまでがいつもの朝の教室の様子である。

ホエをなだめた後、野球帽の少女、ヒットが拳をぺちん、と胸の前で打ち付けた。

 

「マル外教室との対抗戦も最近ワイらが勝ちっ放しで、張り合いなかったもんなあ、速いヤツやと楽しめるんやけどな」

「あー、出た!ヒットちゃんのレースバカ!!」

「誰がレースバカやねん!」

「むぎゅー!?やめてー!!」

「ヒットちゃん落ち着いて〜」

 

余計な一言に怒ったヒットがホエの饅頭のようなほっぺを引っ張り、それをのんびり屋のテックがなだめて落ち着かせる。

これも朝のいつもの流れである。

 

「ふふん、ボスはもう知ってるわよ。友達なんだから」

「さすが親分!」

「さすボス!さすボス!」

 

わちゃわちゃと騒ぐ三人組に、子分と会議中のボスが遠くから得意げに語る。

太鼓持ちの子分たちはすかさず定番のさすボスコールで親分を鼓舞した。これもいつもの流れである。

 

「なんやボス、知っとるんか?」

「ほすひゃんおひえて」

「えー?どうしようかなあ?二人が子分になるなら……」

「ほなええわ」

「ちょっ!せめて最後まで聞きなさいよ!!」

 

ボスの言葉を遮ったヒットがホエを解放し、窓際に座るウマ娘に目を向ける。

鹿毛の真っ直ぐに切り揃えたボブカット、右耳に黒いXのマークがついた赤い耳飾りを付け、冷めた目で外を眺めるウマ娘。

この教室、いやトレセン学園附属小学校のこの学年において、最もクラシック三冠に近いと言われている天才ウマ娘である。

 

「ま、ウチにはシオンにボスもおるしな、負ける気せーへん地元やし。せや、カナはまだ出てこれへんのか?」

「まだおやすみだって〜、カナちゃん心配だねえ」

「そうやなあ、今度見舞いに行こか」

「さんせー!」

 

ヒットの提案にホエが元気に手を上げ、それをにこにことテックが眺める。

同級生の話し声を聞きながら、窓際の少女、シオンは小さく息を吐いた。

 

(……くだらない。折れた子は放っておけばいいのよ)

 

天才という自負、七人目の三冠ウマ娘になるという使命、少女は自分こそが、次代を担う競走バになるという確信を持っている。

あの英雄に勝ったウマ娘に競走を学び、師の成せなかった偉業を成すという大きな夢。それ以外少女には見えていない。

競走バの世界は、華やかな反面厳しく、シビアな世界である。

勝ち上がれなければ学園を去ることになる。その前に折れる者等その程度の存在だと思っている。

 

(……カナは、競走に向いてない。早めに諦めさせてあげた方がいいでしょう)

 

同級生として多少の情はある。だからこそシオンは早く他の道へ進ませた方がいいと思っていた。

ふう、ともう一度息を吐く。

 

(しかし、留学生……ね。どうせ大した事ないでしょうけど……こんなものなのかしらね、レースって)

 

マル外教室との対抗戦もここ数回は負け知らずである。余りにも張り合いがない。

憧れの先輩達のような心を、魂を燃やし合うようなライバル関係となれる相手をシオンは求めている。

 

(ピサ先輩とカレン先輩だけだった。もう一年、早く生まれたかった)

 

しかし、これまでのシオンには、そんな相手は一学年上の先輩達だけだった。

張り合いの無い日々、勝ち続けるだけの競走バへの道。少女は冷めた目で、レースとは最後に自分が勝つだけのものだと認識していた。

少女は、まだ知らない。

 

 

天を裂く龍王を。

 

地を砕く暴君を。

 

そして──真なる怪物を。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

トレセン学園附属小学校インターナショナルスクール。通称マル外教室。

各国からスカウトを受けたウマ娘並びに、家庭の事情で日本に住むウマ娘の学び舎。

彼女達も当然、学園への入学を約束されている競走バの卵のエリートである。

その教室で朝のホームルームを、憂鬱そうに眺める芦毛の少女。

大人しそうな目尻の下がった大きな目に、ぴょこんと一本だけ飛び出たアホ毛、耳に付けられた黒いメンコ。

マル外教室五年生エースのこの少女の名は、タールタンと言った。

 

(対抗戦、ヤダなぁ……)

 

憂鬱な対抗戦の事を思い返し、タールタンの耳が垂れ下がる。

トレセン学園附属小学校では、同学年の別クラスの生徒達との対抗戦が月に一度行われている。

マル外教室も当然、対抗戦に参加している。しかし最近は負け続けで、クラスの士気も落ちつつあった。

一学年上の先輩達は、エースのロンという名のウマ娘を中心として、同学年のライバル達と激しいレースを繰り広げている。

そんな栄光の先輩達と比べ、彼女達は勝ちきれないジレンマを抱えていた。

 

(ロン先輩はもっとしっかりしろって言うけどさ……オイラはただの消去法エースだよ。オイラなんかよりエリーをエースにした方がいいのに)

 

ちらり、と斜め前の席に座る友人に、タールは目を向ける。

黒鹿毛のショートカットを首の位置でまとめ、左耳に宝石のイミテーションがついた耳飾りのウマ娘は、タールの視線に気付くや振り向いて小さく手を振った。

 

(ほら、エリーは気にしてない。オイラなんかよりエース向きだよ……ん?)

 

エリーに気を取られていたタールが、いつもと違うホームルームの雰囲気を感じる。

 

(あれ、みんなそわそわしてる?ああ、今日って留学生が来るんだっけ)

 

昨日の帰りのホームルームで、教師から留学生がやってくるとタール達マル外教室の生徒達は聞いている。

季節外れの留学生である。不思議に思いつつも、生徒達は新たな友人、そして対抗戦の救世主となる事を留学生に期待しているのだ。

 

(えっ、と……確か留学生って)

「じゃあ紹介するぞ、入りなさい」

 

タールが昨日の記憶を掘り起こす作業に入る中、教師が廊下で待機していた留学生に入室を促す。

扉が開き、そこには──

 

(三人……来るんだっけ)

 

ぎちぃ、と音を立てて一人目が入室する。

 

(えっ、何、この音……?)

 

歩く度に、奇妙な音を立てる一人目の留学生。

鹿毛をサイドテールにまとめ、青い耳飾りと爛々と燃える目が特徴的な少女だった。

音の原因は、彼女の脚にあった。

バネ仕掛けの何かの器具が取り付けられており、歩く彼女の脚の力により負荷を受けたその器具が、音を立てていた。

ゆっくりと、黒板の前に立った少女はチョークで簡潔に自分の名を書いた。

 

「ファーだ」

 

そして簡潔に自己紹介を述べた。名前しか言っていない。

教師が名前を言った切り、黙りこくるファーに続きを促す。続きはない。

 

「ファーちゃん、もっと何か……」

「…………以上だ。あと私は走れない。すまない」

 

ぺこりとファーが生徒達に頭を下げ、走れない、という言葉にやや落胆した空気が流れる。

気を取り直して、教師は次の生徒を呼ぶ。

 

「え、えっと……次の子、どうぞ」

 

がらり、ともう一度教室の扉が開く。

現れたのは、褐色のウマ娘だった。

丁寧に編み込まれたコーンロウと、サイドに流した栗毛という左右対称な髪型。

そして同年代とは思えない長身と手足の長さは明らかにこのウマ娘の特異性を示していた。

間違いなく速いと思わせる体格、そして堂々と歩くその姿は頼りがいを生徒達に感じさせるには十分であった。

褐色のウマ娘がファーの横に立ち、先程の流れをなぞるように黒板に名前を示す。

 

「──ヴァラエティクラブ。アフリカから来た。ヴァラでいい」

 

堂々と、生徒達を見下ろしながら伝えるその姿に、ほう、と生徒達からため息が漏れる。

そのままヴァラも黙り込んだ。自己紹介は終わりである。

 

「ヴァラちゃん、何かもうちょっと……」

「……………しゃべるの、苦手」

 

か細い声でそう答えたヴァラはそのままそっぽを向いた。見かけによらず目立つのが苦手な少女である。

教師は間の持たなさに絶望した。扱いにくそうにも程がある二人である。

 

「じゃ、じゃあ次、どうぞ………」

 

諦めた教師が、最後の生徒に入室を促した。

最後の一人は、立っているだけでぎちぎちと音を立てるファーと、対人が苦手なヴァラに気を使いトリに立候補していた。

 

「入ります!!!」

 

澄んだ声が教室に響き、扉が開かれる。

その瞬間、生徒達は息を呑んだ。

 

(うわあ、綺麗な子……)

 

現れたのは、滑らかな腰までの長さの金髪を靡かせ、宝石のような青い目を輝かせた美しい少女だった。

小振りな耳には宝物でもあるピンクの星が輝く水色の耳飾り、そして透き通った白い肌に、整った顔貌。

少女はそのまま堂々と黒板まで歩いている、つもりだった。

 

(綺麗な子だけど……手と足が同時に出てる……)

 

待っている間に緊張したその少女は、ぎくしゃくとした様子で歩いていた。ここに来て天然を発揮したのだ。

なんとなく、生徒達に少女を応援するような微笑ましい空気が流れる。

ようやく黒板についた少女は、力の入った手で何度か不協和音を奏でながら自分の名を書き、声を上げた。

 

「──フランケルよ!よろしくね!!」

 

そのまま黙り込んだ。頭の中が真っ白になり、何を言えばいいか浮かんでこなくなっていた。

教師は天を仰いだ。全員ダメだった。

 

「フランちゃん、何か他に言ってもいいのよ……?」

「えっ?……えっと、えっと」

 

教師の催促に、天然お嬢様は頭を必死に動かし、浮かんだ言葉をそのまま言った。

 

 

 

 

 

 

「ないわ!!!」




フランパートなのにフランほとんど出てへんやんけ!
次回はまたトッム回に戻りますやで。

8/11追記
タールタンとアポロンパイセンの一人称ちょっと変えました。タンだとダンと被るしアポロンは近い世代にもう一頭いるから混同しやすいかなって…。


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第七話 黄金船、来航

ゴルシ、アプリ再現無理やこれ(しばらくトライしたけど諦めた)
このゴルシはアニメ寄りって事でよろしくやで……二次でゴルシ再現できる人すげーわマジで。


「一人だとタイムも測れなくて困ってたんだ。助かったよ、智哉」

「成り行きでこうなっちまったけど、俺はあの人付きのサブトレだからな。気にする事ねえよ」

 

1000mを走りきり、練習を切り上げたヴァーと智哉が並んで歩く。

結局、豊原は現れなかった。

ヴァーは今月末の大井レース場で開催されるG1帝王賞への出走を控えた、大事な仕上げの時期である。

担当トレーナーならば朝練に付き合うのは本来ならば当たり前の話だった。しかし、あのすけこましは姿すら見せていない。

智哉はすけこましの評価を一段落とした。

 

「朝練はいつもやってるのか?普段どうしてんだ?」

「二日に一回ってところだな。普段はもう一人のサブトレに付き合ってもらっているんだが……今朝急用で来れないと言われてね」

「そっか……あの人は?」

「たまーに来るよ、まあ、忙しい人だからな」

 

くすくすと笑い、ヴァーが不満げな智哉を楽しそうに見やる。

彼女と豊原はもう一人のサブトレと並んで長い付き合いである。

豊原の事情もよく知っているからこそ、朝練に来なくても怒っていない。

 

「なるほど、な……朝練は誰かと一緒にやったりとかはしねえのか?」

 

智哉が続いて質問を投げた。

ヴァーが実力者ということを智哉は見抜いている。

雷神という異名を持つウマ娘を始めとした、中央、地方の実力者が入り乱れる群雄割拠の日本ダート路線において、既にG1競走を6勝している屈指のウマ娘である事も。

それ程の実力者だからこそ、智哉は一人寂しく朝練に励むヴァーが不思議でならないのだ。

 

「ああ、いつもはサブトレとね。彼女、元競走バなんだ。大学も同期だよ」

「あー、そういう事か……どういう人なんだ?」

「会えばわかるさ。驚くと思うよ」

 

もう一度楽しそうにヴァーが笑う。そのサブトレを心から信頼していると智哉は感じた。

サブトレが練習相手まで務めているなら納得の行く話だった。急用で代わりの相手も用意できなかったのだろう。

しかし、会ったら驚くというヴァーの発言に智哉が首を傾げる。会っただけで驚くウマ娘というものに想像が付かなかった。

 

そんな智哉を見て、ヴァーがうんうんと一人で頷いた。

ここまでの会話でぶっきらぼうだが根は真面目なのは窺える。

早朝からツナギ姿に帽子を深く被り、恐らく着替えずそのまま出勤してきたのはいただけないがその程度は些事である。それよりも自分の覆面とマフラーにも動じていないのにヴァーは好感を持った。なお服装は姉の指示である。

まともで、信頼のおける人物だとヴァーは智哉を評価し、親交を深めておこうとある提案を考える。

 

「そうだ智哉、昼は?」

「食堂で食う予定だけど……どうかしたのか?」

「ふむ、ふむ……よければ一緒にどうだ?」

「おっ、いいぜ。こっちには知り合いもいないからな、一人で飯食うのもどうかと思ってたんだよ」

「決まりだな、楽しみにしてるよ」

「おう」

 

こうして智哉は、砂塵の彗星、ヴァーミリアンと出会ったのである。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「まだ、来てない?マジっすか……」

「遅くなると連絡があってねえ…申し訳ない、久居留君」

「いや、相談役が謝る事じゃないんで……まいったな、どうすっかな……」

 

ヴァーとの出会いからすぐ後、智哉はトレーナー室のとある人物を訪ねていた。

眉間を抑える智哉に申し訳無さそうにする、白髪交じりの髪をオールバックにした穏やかな初老の男。

彼は現在の中央トレセン学園のトレーナー達のまとめ役にあたる人物である。

現役最年長トレーナーにして理事、更にはトレーナー相談役という役職を務める中央の重鎮、柴野善行相談役。

幾度と優秀トレーナー賞にも輝いた有能なトレーナーであり、彼の薫陶を受けた担当ウマ娘はフェアプレーに定評がある。

勿論トレーナー達の信頼も厚い。彼ならばあのすけこましの居場所も知っているだろうと智哉は彼の元を訪ねていた。

 

しかし、すけこましはまだ学園に来ていなかった。ヴァーのトレーニングの打ち合わせすらできず、智哉は途方に暮れる。

相談役が、ふと思い付いた事を口に出す。

 

「トヨも色々あるからねえ……久居留君、空いてるなら午前中は私に付き合ってくれないかい?」

「空いてますけど……相談役、その格好で何するんすか?」

「ちょっと設備の見回りをね。ダービーが終わったこの時期は私達トレーナーは暇な反面、メイクデビュー前でサブトレや保守は忙しいからね、その手伝いだよ。私の管理ウマ娘に今年の宝塚に出走する子はいないしね」

 

相談役の格好はツナギにトレセン学園の校章がついた帽子というサブトレの作業姿だった。

裏方にも感謝を忘れず、多忙な身の相談役は余暇を見つけてはこのように雑務のフォローに入る事も多い。

トレーナー達の信頼を集めている理由はここにあった。

相談役の助け舟に智哉が思案し、答えを出す。

どちらにせよ他に選択肢は無い、この誘いに乗るしか無いのだ。

 

「じゃあ……お世話になります。どこに行くんです?」

「メイクデビュー前の子達が今日は予約してるから、まずは第一ターフかな。芝の具合を見ておきたい」

 

相談役が立ち上がってトレーナー室を出て、智哉がそれに続く。

トレセン学園のみならず、世界中の類似施設においても生徒達は担当トレーナーとの打ち合わせにより練習場の予約を入れる。

授業時間でも大事なレースが控えている場合は、練習を優先する事も当然あった。

チーム毎の全体練習は各チーム別に練習場を分けて行っている。同じ練習場の場合は合同練習になることもよくある。

この練習場の振り分けは秘書の仕事である。理事長付秘書は事務方のトップでもあるのだ。

歩きながら、相談役が智哉に雑談を振った。

 

「トヨはねえ、あれでもしっかりしてるから。今日は本当に急用のようだからね」

「そうなんすかね……ヴァーから聞いたけど、もう一人のサブトレも急用って言ってたんすけど」

「ああ、彼女は相棒みたいなものだから、一緒にいるんだろう」

「そういう事っすか。まあ、会ったら流石に放置は勘弁してくれってだけは言います」

「ああ、それは言ってもいいよ。たづな君と理事長に久居留君の事は何度も念押しされてたからね。丁重に扱いなさい、とね」

 

相談役がそう言い、笑ったところで二人が第一ターフ練習場に到着する。

日本中央競バ会(U R A)において、ダービー並びにオークスが終わった六月からはメイクデビューシーズンである。

季節は六月、間もなく梅雨入りを迎えるこの時期は、練習場の状態やゲート等の設備管理に学園スタッフは非常に気を使う時期でもある。

メイクデビューを控えるウマ娘が万が一にも練習中に怪我をしないように、スタッフ一丸となり昼夜を問わず多忙な業務をこなしている。

 

「まずはゲートを見ようか。先日錆止めは業者に委託したけど、細かい歪みが無いか見ておこう」

「了解っす。あの倉庫の中っすね」

 

相談役に促され、練習場の脇に設けられている設備倉庫の扉を開ける。

閉所に閉じ込められるのを嫌う習性があるウマ娘の練習において、ゲート入りと発走の練習は重要な練習の一つである。

ゲート入りを忌避するウマ娘も多く、スタートで不利を背負わない為にもレースを控えた時期には、必ずゲート入りも含めた本格的な模擬レースが行われている。

智哉がその模擬レースで使用される小型ゲートの扉の立て付けを、一枠から確認していく。

三枠目で、その足が止まった。

 

「相談役、三枠の立て付け悪いっすね」

「見せてみなさい……あちゃあ、こりゃ駄目だ。可動部を蹴ってるねえ」

 

三枠ゲート開閉の可動部、そこに大きな蹄鉄の跡が付いて潰れていた。

ゲート難のウマ娘が蹴ったのだろうと、相談役が判断して携帯を取り出す。

 

「保守に連絡するよ。これは今日はゲート練習は……」

「よっ、と」

「…………おお?」

 

潰れた可動部を、智哉が素手で元に戻す。

もう一度立て付けを確認し、少し軋んだ音を残しつつもゲートは問題なく開いた。

 

「よし、とりあえず応急処置しときました。今日の練習終わったらバラシて部品交換した方がいいっすね」

「………久居留君?」

「えっ、なんすか?」

 

唖然とした様子の相談役が、ツナギの工具ポケットから少し捻じれたスパナを取り出す。

 

「これ、真っ直ぐにできる?」

「ああ、捻じれてますね。いいっすよ」

 

それを智哉は、軽々と真っ直ぐに戻す。

目を丸くした相談役が、その目の色を変え、設備倉庫を漁り始めた。

 

「……相談役?」

「久居留君、これは?」

 

立てかけてあったハロン棒を示す。

何故か両足で蹴ったような蹄鉄の跡が付き、へし曲がっていた。

 

「……ドロップキックでもしたんすか、これ。まず戻して……と。こんなもんでいいすか?」

 

曲がった箇所を戻した後、へこんだ部分をハンマーで軽く叩いて直す。

超人の身体能力とアメリカからの長年のサブトレ生活の賜物の、丁寧かつ早い修繕の手際である。

近くで注視しなければ、へこんだ部分もわからない程の綺麗な仕上がりとなっていた。

相談役の目がぎらりと光った。

 

「久居留君!次これ頼むよ!」

「柵っすよねこれ?こんなん蹴る奴いるんすか……」

「次はこれ!」

「ゴール板になんか顔の跡ついてる……頭突きでもしたのかよ……」

「次!」

「いや何で光ってるんすかこのモップ!何拭いたんすか!!?」

 

次々と渡される整備不良備品を智哉が次々と手早く処理していく。

相談役の目の色は明らかにおかしくなっていた。多趣味な彼はこういった設備の修繕もライフワークの一つである。

 

「なあ、次これ頼めるかー?センセーが曲げちまってよー」

「いいっすよ……ってなんだこれ何かのハンドル……か?」

 

矢継ぎ早に渡される備品の合間を突き、後ろからドサクサ紛れに渡されたハンドルのような何かを智哉が条件反射で直した後、渡して来た人物を見て固まる。

 

「おっサンキュー!兄ちゃん力加減が抜群にうめーな!アタシがやったら捻れちまってよー!これでゴルシちゃん号完全復活!!」

 

要注意人物と理事長から聞かされていたウマ娘がそこにいた。

頭には菱形のマークの入った茶色の舟形帽、切り揃えた銀髪をブリンカーで横に流し、170cmを超えた長身のウマ娘。容姿は優れ、黙っていれば誰もが目を奪われる抜群の美貌の持ち主である。

トレセン学園きっての名家メジロ家の関係者にして「指定気性難ウマ娘サンディ会直系リョテイ組」の一員と囁かれるトレセン学園きっての問題児、ゴールドシップが智哉の目の前に立っていた。

 

「久居留君、次……おや、ゴールドシップ」

「おいーっす柴野のおっちゃん!この兄ちゃん新人かー?」

「統括機構からの出向者の久居留智哉君だよ、今は授業中じゃないのかい?」

「気にすんなっておっちゃんよー!なんたってアタシは学園二周目だからよ、授業なんて受けなくてもテストとかヨユーだぜ?」

 

智哉に次の備品を渡そうと振り向いた相談役がゴルシに気付き、言葉を交わす。

自信満々と言った様子で意味不明な言葉を並べるゴルシに、智哉はこういう人物だと理事長から聞いていたのを思い返した。変な事を言う時は煙に巻きたい時だと。

授業をサボったのを咎められたのを煙に巻いているのだろうと考え、ゴルシを呆れた様子で眺めた。

 

「よろしくなー、兄ちゃん!また何かあったら頼むぜ!」

「お、おう……まあ空いてる時なら、な」

 

ゴルシが智哉と目を合わせた瞬間、不思議そうな表情を浮かべる。

智哉に、何となく既視感を覚えていた。

 

「ん……?んーーー?」

「……な、何か用か?」

「クイル……クイル!?兄ちゃんちょっと顔見せろよ」

「危ねえ!?言ったら取るからジャブ撃つのはやめろ!!!」

 

目にも止まらぬ速度で智哉の帽子を剥ぎ取り、ゴルシが顔をまじまじと見つめ、驚愕の声を上げた。

 

「なんでオメー日本にいんだよ!!?アメリカは!?英国は!!?」

「何だよ急に!?成り行きで出向になったんだよ!!……俺の事知ってんのか?」

「成り行きィ?オメー国際指名手配されてんだろォ?デッケエ家の娘を誘拐したとかで」

「はあ!?そんな事してねえししねえよ!!!!」

 

ゴルシの意味不明な中傷に智哉が全力で言い返す。

初対面の相手に誘拐犯呼ばわりされる謂れは無い。

 

「んーーーーーー………ん?変わってる……のかァ?アタシのしらねー何か……

「お前なんなんだよ、話聞けよ……」

 

ゴルシが腕を組み、智哉を無視して思索に耽る。

ぼそぼそと何かを口ずさんだ後に、智哉を見てにやりと笑った。

面白い物を見つけたと言った笑いだった。気性難特有の興味を向けられたと感じた智哉の顔が引き攣り、歪む。

 

「考えてもわかんねーしいいか!邪魔したなー兄ちゃん!次は未来で幻のちくわでも探しにいこーぜ!エーネも呼んでよー!!」

「おい!エーネって誰だよ!?…………何だよちくわって……」

「ゴールドシップ、ちゃんと授業に行くんだよー!」

「おっちゃんもじゃーなー!パクとじいちゃん連れて無人島で合宿してくるぜー!」

「外井君、ノイローゼになりかけてるからやめ……行ったか……」

 

なぜかよくちょっかいをかける新人トレーナーと、よく懐いており唯一ゴルシを制御できると言われる用務員の名前を出しつつ問題児は去って行った。授業はサボるつもりである。

少し会話しただけで異様に消耗した二人が目を合わせ、ため息をつく。

 

 

 

 

 

 

 

「続き、やりますか……」

「そうだねえ……芝の具合を見ようか」



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第八話 襲い来る衝撃

というわけでもう一人のサブトレと急用の話やで。
ついでにトッムのダート講座やで。たまには主人公にイキらせてもええやろ?な!!


「ははははは!そうか!ゴルシと会ったか!!面白いだろう、あの子は」

「笑い事じゃねえよ、何言ってるかさっぱりだったぜ……」

 

「タマ、全部食べていいのか?」

「ええで、遠慮せず食べや……」

「私も食べたいんだが?」

「おかわりもあるで!」

 

時刻は昼。智哉は朝練後に交わした約束通りにヴァーと合流していた。

トレセン学園に三つある食堂の一つである中央大食堂は戦場の様相を示し、大食漢揃いのウマ娘生徒達と、それを迎え撃つ調理スタッフの激しい攻防が繰り広げられている。

 

「主任!!手が足りません!!」

「手が足りないなら止めんじゃないよ!!!」

「おかしいな、オグリさんが二人いるぞ………」

「現実逃避する暇があるなら手を動かしな!!本当に二人いるのさ!!!」

 

厨房では料理主任の怒号が響き、スタッフが高速で料理を仕上げていくがそれでも手が足りない状況である。

現在、スタッフ側が劣勢である。智哉とヴァーの位置から遠いテーブル席に、平らげた皿が天を衝くほどに大量に積まれ、誰がその惨状を作っているかも確認できないほどだった。

 

「あっち、すげー事になってっけど……いつもこうなのか?」

「今日は特別だな、偉大な先輩方が来ているのさ。それよりも智哉、君も中々の健啖家だな」

「ん?ああ、俺はどうもウマ娘の血が濃いらしくてさ、これくらい食わねえと腹減るんだよなあ」

 

中央トレセン学園の食堂は生徒は無料、トレーナーやスタッフ、関係者も料金さえ支払えば利用可能である。

ヴァーは好物のニンジンスープカレーとクロワッサンのセットを注文し、智哉はアメリカ生活で気に入ったジャンバラヤとガンボのケイジャンセットを選んだ。

 

「で、智哉、君から見て私の走りはどうだった?」

「さっき、いくつかレースを観させて貰ったけど………末脚はずば抜けてるな、特に長く保つのが良い。溜めるのも切るタイミングも上手い。ただ……」

「ただ?」

「二度目のドバイのような上がりが速い展開とアタマの取り合いは苦手、か?」

「……耳が痛いね、その通りだ」

 

智哉の朝練の感想を聞き、ヴァーが肩を竦める。

彼女、ヴァーミリアンは世界のダートウマ娘の頂点を決めると言っても過言ではない大レース、ドバイWCに二度挑戦し、一度目は四着、二度目に至っては十二着と惨敗を喫している。

そしてこの惨敗を智哉は正確に分析していた。

 

「アメリカ勢の得意な激しい先頭争いのハイペース展開、それに……日本のダートは砂だよな?ドバイの土はシルトだからな……アメリカに近い。ヴァーにとって合わない土に苦手な展開、対して土、展開、全てがカーリンに向いてた。トドメに領域(ゾーン)も使ってたな……ヴァーが遅い訳じゃない、カーリン程の実力者にあれだけ得意な形に持ち込まれたら誰だろうとお手上げだ」

 

ターフが欧州のクッション性が高く地下茎の多いパワー重視の洋芝、日本の硬く短いスピード重視の野芝と国毎に特色があるように、ダートも日本と海外では大きく質が違う。

日本は砂を多く含んだダートコースが主流であり、アメリカを含む海外のダートコースはシルトと呼ばれる泥を多く含む。

踏み込むと足が沈む砂浜のような日本のダートと、踏み入れると足を取られ粘り着く泥のような海外のダート、この違いは大きい。

同じダートと言えどこれ程に質が違えば、普段通りの走法では日本のダートウマ娘は実力を発揮しづらいという実情を智哉は語り、ヴァーの惨敗に対して軽く擁護を加える。

ヴァーはぽかん、と口を開けて智哉を見た。

 

「………詳しいな、智哉?分析も間違いないと思う。何でサブトレやってるんだ?」

「あー……気悪くしたらごめん。色々あってな……前はアメリカにいたんだよ」

「そうか……気にしてないさ、事実だからな。私がドバイで恥を掻いたのは……」

「恥は掻いてねえだろ?ドバイに出走できるだけで超一流のダートウマ娘だと思うぜ」

 

ドバイWCは賞金も世界最高額であり、世界中のダートウマ娘が一度は出走を夢見る大レースである。

レースに出走できるだけでも世界の一流ダートウマ娘なのは間違いない。それにヴァーは二度も出走している。

更に付け加えると今月末のG1帝王賞に勝てば、かの世紀末覇王にも並ぶ日本記録のG1競走七勝目を挙げることになる。文句なしの超一流ダートウマ娘だと智哉は思っている。

しかし、ヴァーは納得のいかない様子でため息を付いた。

 

「私は、超一流じゃない。他の誰がそう言ってくれようと……私自身がそう思っていない」

「………何か、理由があるのか?」

「ああ………復帰するかもわからない相手を待ち続けている……未練たらしく、な」

「だから、シニア級で続けてるのか……」

 

ヴァーはドリームトロフィーにも進まず、引退もせずシニア級に残り続けている。

ただ一人、あるウマ娘を待つ為に。

羨望、嫉妬、矜持、期待──様々な感情の入り混じった目で遠くを見つめた後、ヴァーは悪戯めいた笑みを浮かべた。

 

「他に走る方法を知らんからさ。だから未だに彼氏も作れん」

「おいおい、茶化すなよ……」

「ははは!湿っぽいのは苦手なんだ。まあ私は彼女よりはマシさ。あんな難物に惚れるよりは、な」

「彼女?」

 

智哉がヴァーの言葉を聞き返そうとしたその時、後ろに何者かが立った。

その人物を目に収め、ヴァーがにこやかに微笑む。

 

「おや……噂をすれば、だな?」

「よーう、ヴァー!わりーわりー!朝練見に行こうとしたらなあ、ばったりサンディさんと会うわディーは暴れるわでそりゃもう大変でさー!おまけにたづなさんは俺を離してくれなくて……おいお前ちょっと寄せろよ」

「うぜえ……俺にも言うことあるだろ、あんた」

「俺は男に謝る舌は持ってねえ」

 

現れた背後の人物、ヴァーの担当トレーナーである豊原が智哉を横にずらさせ、明太子スパゲティに寿司、更には酢豚と好物だけを集めたトレイをテーブルに音を立てて置いて正面に座る。

遅刻した癖にこの態度である。智哉は更に評価を落とした。

 

「ふふ、相変わらず嘘が下手だな。もう用事は済んだのか?」

「嘘じゃないって!昼は何コマよ?」

「2コマだな、その後は空いてる。ところでディーは?」

「ちょっとヤボ用。じゃあその時間から練習場の予約入れるわ、あ、それとお前はこの後俺に付き合えよ?」

 

ようやく、豊原が智哉に目を向けた。

何故か目だけが真剣なその姿に智哉が疑問を覚えるも、頷いて返す。

 

 

「ああ、いいけど……打ち合わせか?」

「そんなもんだ」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

昼食後、ヴァーと別れ、豊原と智哉は授業中で誰もいない校舎の二階廊下を歩いている。

トレセン学園は生徒数2000人を超えるマンモス校である。その敷地は広く、授業によっては使われていない校舎も存在する。

その中の一つ、部室棟を二人は歩いていた。

智哉は、豊原の後ろを歩く内に何故か首の後ろがざわつくのを感じた。虫の知らせのような感覚だった。

嫌な感じである。豊原は誰もいない方向へ自分を誘っている。ヴァーの練習方針の打ち合わせならこんな所へ連れてくる必要はない。

 

「……こっちに何かあるんすか?」

「まー、ついて来いって……ここだ」

 

豊原が到着した先を示す。智哉が表札を見ると写真部と書かれていた。

 

「…写真部?」

「いいから、先入れよ」

 

怪訝としつつも、中へ入る。

室内は、暗幕とカーテンで真っ暗だった。人の気配を、智哉が探る。

先程から、警報のようなざわつきを感じていた智哉は既に警戒態勢に入っている。

 

(……誰かいる、なッ!!?)

 

何者かの気配を感じた、その時──目の前に足の裏が広がった。

十分に警戒していた智哉が、それを躱して小栗流の防御の構えをとる。

 

「ッッ!!危ねえ!!!誰だ!!?」

 

「──躱し、た?なら……」

 

飛び蹴りを躱され、数メートル先で着地した襲撃者は、ゆらりと脱力した後──翔んだ。

一瞬で智哉との距離を潰し、間合いを詰めてその首を掴もうと手を伸ばす。

 

(速え!?ヤッタさんのストライド並だ……只者じゃねえな)

 

その手を智哉が右手でいなし、回転する。丸太を砕いた肘のカウンターである。

 

「……!!!!?小栗流!!?あっごめん」

「ぐうッ!!?」

 

驚いた声を上げ、襲撃者は咄嗟に智哉を後ろ蹴りで蹴り飛ばした。

腕で防いだ智哉だったが、部室の壁に叩きつけられ短く息を吐く。

 

(不味い……な。ガード越しでこれかよ。コイツ姉貴より強いまで、あるぞ……)

 

ふらついた智哉が脱出手段を模索しようとしたその瞬間、もう一人の襲撃者にその手を取られていた。

 

「ほっ、と!!」

「がっ……」

 

そのまま投げ飛ばされ、受け身を取れずに背中から落ちて腕を極められる。

完全に、制圧されていた。

 

「お前の事は調べさせて貰ったぜ……よくも堂々と学園に来たもんだなあ?人攫いの分際でよー」

「何の事だよ、てめえ……!ぐああ!!」

 

もう一人の襲撃者は、豊原だった。

智哉が超人の膂力で抜けようとするもびくともしない。容赦なく力を入れ、智哉の腕は折れる寸前まで曲げられ、痛みに声を上げる。

 

「たづなさんの話でピン、と来たぜ。理由は言えない、どこの誰かも伏せる、でも丁重にもてなしてやれってな?」

「誤解だろそれ!!ぐうう!」

「おっと、お前が喋るのはこっちが聞いた時だけだ。こっちは頭に来てんだよ、あのジョー・ヴェラスのチームにこんな野郎がいるなんてな」

「………は?」

「久居留智哉、統括機構のはみ出し者。実力はあるが素行最悪。見下げた野郎だな、カルメットにいながらウマ娘誘拐組織にも出入りするなんてな」

「…………」

「……やっと掴んだ尻尾だ、ぜーんぶ話してもら……おいディー、なんで電気つけんだよ?」

 

ここで、部室の電気をもう一人の襲撃者が点けた。

ウマ娘の襲撃者が、こちらを振り向く。

黒鹿毛の、目を見張る程に美しいウマ娘だった。右耳に白いラインの入った青いリボンが巻かれ、母の面影を残して整った顔貌に、母とは違い女性らしい体型。

智哉はその姿に見覚えがあった。日本の、英雄と呼ばれる伝説のウマ娘にして、豊原と共に日本競バに神話を作った歴代最強と名高いウマ娘である。

そのウマ娘の顔は真っ青になっていた。完全にやらかした顔をしている。

 

「……………タケル、彼、小栗流、使った……………」

「………マジで?」

 

この英雄、幼少期に母の紹介で小栗家の当主である藤花にストライド走法を教わった事がある。

つまり、小栗家とも親しく、小栗流についてもよく知っている。小栗流の理念についても。

豊原もその事を知っていた。それを使った時点で悪人ではないのだ。

 

「ま、まずいよタケル……たづなさん、本当に丁重に……」

「い、いや待てよディー。暗いし見間違い……」

「いや絶対そうだったよ!!タケルのせい!!!」

「はあ!?どうしても今日捕まえるって乗り気だったのはお前だろ!!俺のせいにすんな!!!」

「タケルだってやる気だったじゃん!!!タケルのせい!!!!」

「いや俺じゃないし!!!たづなさんに謝れよディー!!!」

 

誤解から制圧した相手をそっちのけで二人が責任の擦り付け合いを始める中、静かに笑い声が響いた。

 

「………くっ、くくくく……」

「……お、おーい、だ、大丈夫か……?」

「ご、ごめん、とりあえず保健室……」

 

智哉は過去の経緯や姉の理不尽により、気の長い方である。

大体の無茶振りは仕方ないと我慢してきたし、フランや姉のちょっとした我儘はやれやれとしながらも許している。

しかし、これは流石に堪忍袋の限界を超えていた。

勝手に日本のサブトレにされ、豊原には初対面から邪険に扱われ、極めつけは誤解から襲撃され、蹴られて腕を折られかけた。

要するに、ブチ切れたのだ。

 

「てめえら、好き勝手やりやがって………」

「わ、悪かったから落ち着けよ、な?話合おうぜ……」

「タケル、離してあげて……本当にごめんね……」

 

この時智哉は本当に何もかもがどうでもよくなっていた。

全部ぶち撒けて、ぶっ壊してやると捨て鉢になりつつあった。

全身から薄っすらと青い霞のようなオーラが立ち上り、静かに力を込めていた部室の床が、軋み始める。

そんな智哉の次の発言で、空気が凍った。

 

「ジョー・ヴェラスだァ……?それなあ、俺なんだよ」

「…………ディー!耳塞げ!!!!」

「えっ、何?何で?」

「何逃げようとしてんだよ?全部聞いてもらうぜ……ジョー・ヴェラスらしい、やり方でな!!!!」

 

智哉の一言で、豊原は全てを察した。完全に厄ネタである。

怒りの赴くままに智哉は床を強く叩き、そして──

 

「マジかこいつ……うおおおお!!?」

「床、抜けてええええ!!?」

 

──部室の、床が抜けた。明らかに超人の範疇を超えた怒りの一撃であった。

轟音を立て、床や部室の備品とともに三人が一階に落ちる。

豊原とディーが驚きつつも綺麗に着地し、土煙が晴れたその先に智哉が仁王立ちしていた。

 

「……座れ」

「お、おい……生徒達も来るだろうし、場所を……」

「ぶ、部室壊れちゃった……」

 

「す、わ、れ」

 

なだめようとする豊原を無視して、智哉は自分の要求だけを告げる。

許すつもりはない。全部聞かせてこの厄ネタに巻き込んでやろうと考えている。

 

 

 

 

 

 

「てめえら……洗いざらい喋って欲しいんだろ……?ぜーんぶ、聞かせてやるからなァ……」




補足すると日本でも洋芝を主に使ってる競馬場がありますやで。函館と札幌やで。
それと冬競馬も見据えてオーバーシードというシステムをJRAは採用しているので夏は野芝、冬は洋芝と年中レースを行えるような工夫がされてますやで。野芝は寒さに弱いんやで。
ダートも地方と中央のコースで質が違ったりしますやで。地方無双して中央ダメなパターンはこの辺にもあったりするかも。
日本編のどこかで日本競馬の特色、高速馬場についても触れたいやで、触れたい……語らせるならシスターかなあと思ってますやで。教会行く回は考えてるからそこでええか!
どっかでヴァーの閑話は入れますやで。ライバルの彼女が出したいから……。


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第九話 お詫びのしるし

「……で、俺はここでサブトレやるハメになったんだよ。それは済んだ話だし気にしてねえけど。それよりもてめえらろくに挨拶はしねえ、朝練には来ねえ、トドメは闇討ちってどうなってんだよ日本のトレーナーは?おい、話聞いてたか?腕いてえよ。なあ?」

「……………は、母がご迷惑を…………母さんそんな事してたの………」

「だからそれは済んだ話だっつってんだろ。お前の母さんには世話にもなってるからな……で、その娘は挨拶も無しに闇討ちか?内偵だか知らねえけど裏取る前に直接聞けよ。いきなり蹴るのがこっちのやり方か??ああ??」

「返す言葉もないです…………」

 

崩壊した部室棟の一階。

正座する豊原とそのパートナー、ディーに対して智哉はブチ切れ倒していた。

今までの鬱憤をすべて吐き出す勢いである。

正座させられ、母と理事長のやらかした顛末を聞かされたディーは顔面蒼白でぷるぷると震えながら俯き、目の前の誤解から闇討ちを仕掛けてしまった青年の剣幕に圧され、ただごめんなさいと繰り返す機械と化していた。

 

(……冗談じゃねー、よりによってこのタイミングで……コイツ、下手したら学園が吹っ飛ぶ爆弾じゃねーか……こういう奴はケンジに預けてくれよ、ねーちゃん……)

 

謝罪マシーンと化した相棒とは反対に、豊原は冷静に状況の不味さと現状の打開策を検討している。

そして自分と相棒の裏の顔の上司でもある秘書へ、少しばかりの不満も抱えていた。

こういう手合は適任が他におり、その人物ならば踏んではならない地雷をその独特の嗅覚で回避するだろうという確信を持っている。

 

(こりゃ、俺が悪いな……昨日の件にコイツの経歴の不審点、初対面から色眼鏡で見てまともに面倒も見てないと来た。ついでに闇討ち、そりゃ怒るわな……)

 

彼は本来、面倒見は悪くはない人物である。

男だろうと口ではなんだかんだ言いつつも放置などしない。

こうなった理由は、独自に入手した智哉の経歴にあった。

 

(英国では珍しいエクリプス教の信徒、ジュドモント令嬢誘拐事件、キーンランドでのカルトどもの暗躍の二件の事件両方に関与し、経歴にも不審点あり……こんなお人好しのアホいる訳ねー、と思ってたが……いるんだな、こんな奴…さて、どう弁解したもんかね……)

 

以前から豊原は智哉の事をマークしていた。

とある組織を追う内に、国外で起きた事件の二例どちらにも関与している事を突き止め、伝手と学園所属の特派員を使い情報を集めていたのだった。

そして足りないピースを推測し、繋ぎ合わせ、とある神をこの世に呼び戻そうと本気で考えている危険な狂信者達の一員だと判断していた。

 

(確かにジョー・ヴェラスの中身ならアメリカでのコイツの動向全部に理由が付くが……こんなに若いとはな。ねーちゃんの紹介で目の前に来た時点でそうだと思うのも仕方ねー、と言いたい所だが……そんな事情コイツには関係ねーよな……焦って確保を急いだ俺のミスだわ。はあ……)

 

こちらの事情も腹を割って話して、誠心誠意詫びれば恐らくこのお人好しは許してくれるだろう、と豊原は考えている。

しかしそれはできない話だった。話せばこの青年を巻き込む事になる。それは本意ではないし、情報漏洩は上司からも禁じられている。

 

(言えりゃ苦労はしねーよ。ディーの顔色がやべーから矛先だけでも俺に向けとくか……)

 

相棒の顔色が青を通り越して白くなり始めたのを見て、豊原は口を開いた。

 

「えーと、久居留、だったか?お前ひょっとして小栗家の親族か?」

「それ今関係あるか?てめえやっと口開いたら世間話とか舐めてんのか?」

「おいおい、落ち着けよ……こっちが全面的に悪いのは認めるししっかり詫びもする。だから今は場所変えようぜ?」

「場所変えるのはてめえの都合だろうが、俺は別に困らねえんだよ。全部公表してもアメリカに行かねえなら何の不都合もねえのに、理事長とこいつの母親の顔立ててやったらこの仕打ちかよ。贔屓しろとは言わねえけどせめてまともに応対くらいしろよ」

「返す言葉もねーわ………」

 

徹頭徹尾、正論であった。

部室への破壊行為以外、怒りで学園への配慮も何もかも投げ捨てた智哉には実際に何の不都合も無かった。

豊原の意図した通りに智哉が矛先を変える。既に怒りの余り目眩まで覚えていた。

一旦落ち着こうと、床が抜けて吹き抜けとなった二階の部室の天井を見上げる。

 

(は??何か天井にいるんだけど………)

 

その視線の先で、ピンク色の髪に大きなリボンを乗せた小柄なウマ娘が、怯えた顔で二階窓のカーテンにしがみ付いていた。思わず真顔になる。

何で?と口にしようとしたら、ピンク髪は全力で首を振った。言わないでと言いたげな様子に智哉は口を噤む。

持ち前の陰キャオーラ(ステルス迷彩)で気配を消し、巻き込まないでくださいと全身全霊で訴えてきていた。

このウマ娘は、闇討ちの時からとある写真の現像作業の為に部室の中にいた。つまり一部始終を見ていたのである。

カーテンに必死にしがみ付きながらピンク髪のウマ娘は半泣きになり、はわわわと口を小刻みに震えさせた。

 

(あばばばばばばあああああ!!!何でこんなヤベー事に巻き込まれてるんですかあたしいいいいい!!!!同志カナの盗撮写真を現像しようとしたバチかあああああ!!!??あっでも怒られてしょんぼりしてるディーさんはレアですね、いいですね、いい……)

 

意外と大丈夫そうだった。このウマ娘はウマ娘オタクである。普段は冷静沈着な推しウマ娘ちゃんの英雄が怒られてしょぼくれる姿に少しだけ興奮までしていた。時と場合を考慮せず尊死するのが癖になっている女である。

 

(それにこの人!あたしの記憶が正しければ一昨年の暮れに保健室で寝てた人!つまり保健室の姫の関係者!!あああああ聞きたい!!あの超絶美少女ウマ娘ちゃんとこの人の関係!!!たまにはNLもたべたいんですよね)

 

もう大丈夫そうだった。このウマ娘は推しウマ娘ちゃんで妄想さえ出来れば極限状態でも生きていける女である。部室の床が抜け、学園が吹っ飛びかねない爆弾を背負わされる程度些事である。オタクはスイッチが入ると無敵だった。

一昨年、フランが起きない智哉の為に保健室に通い詰めていた時にこのウマ娘は数回尊死しており、その度に保険医の世話となっていた。いい迷惑だった。

 

(えっ何これやべえ。こいついきなりニヤつき出したけど俺のせいか、これ??)

 

ビビって半泣きのピンク髪のウマ娘が、唐突に笑みを浮かべてトリップを始めたのを見た智哉はスン、と怒りがしぼんでいくのを感じた。人は自分よりヤバい物を見たら冷静になれるものである。

そして、現状の不味さを省みた。

 

(………あっ、やべえなこれ。ブチ切れすぎて後先考えてねえ)

 

部室の破壊、世界の警察とまで呼ばれる超大国の大統領まで関わり、箝口令が敷かれた怪人の正体への言及、被害者とは言え、自分もただでは済まない事態である。下手すればアメリカにまた行く羽目になり、フランとの約束も果たせなくなる恐れがあった。

 

「──一体、何が………あっ、久居留君と、豊原トレーナーにディーさん?」

「………直に生徒か教師陣が様子を見に来るだろう、人払いをしておくッ!たづなは事態の収拾を頼む!!」

「………お願いします、理事長」

 

智哉が途方に暮れつつある中、秋川理事長と秘書のコンビが現場に到着した。

仁王立ちする統括機構からの客員、その前で正座するその客員を任せたはずの二人、そして天井が崩壊し、荒れ果てた部室。

何か問題が起き、大事な客人を怒らせた事は明白だった。すぐさま理事長は人払いの為に部室の外に出て、秘書の顔が真剣なものに変わる。

 

「…………タケルちゃん?お姉ちゃん、丁重にって言ったわよね?」

 

理事長が去った後、秘書は昏い顔でそう言って微笑んだ。学園では見せない顔で、豊原を詰問しようと近付く。

 

「………いや、ねーちゃん、これは仕方な………ぐええ!!?」

「言い訳しない」

 

そして近付くや否や、言い訳を始める豊原の頭をヒールで踏みつけ、地面にめりこませた。

 

「いやっ、ちょっ、話、聞いて…………」

「どうせちゃんと謝ってないんでしょう?まず久居留くんに謝りなさい……謝れ」

「ぶべえ!!?いや、だからっ、それならちゃんと説明……ごめんなさい!!すいませんでした!!!!」

 

言い訳しようとする度に何度も頭を踏みつけられ、ついに豊原が折れた。智哉は突然起きた目の前の惨劇にビビって血の気が引いた。

まるで自分と姉のような有無を言わさぬ力関係である。闇討ちを受けた相手ながら豊原に少しだけ同情する。

この二人は幼少期からの付き合いであり、学園外では姉弟のような関係性となっている。

ディーは隣で相棒がズタボロにされていくのを見てぷるぷると震えた。いつもながらの苛烈な折檻である。普通の人間なら数回死んでもお釣りが来る手加減の無さだった。

ピンク髪のウマ娘は天井からこの様子を眺めて最初は震えていたが、折檻する秘書のお姉様というシチュエーションに途中から萌え始めていた。もう駄目だった。

 

(こいつ、やっぱり俺と同じか……しかも相当強いな。いやそれ以前にやりすぎだろこれ……姉貴でもここまでやらねえよ)

 

智哉はもう完全に冷静に戻っていた。姉よりも強烈な折檻にドン引きし、ズタボロにされる襲撃者に溜飲を下げつつあった。

秘書の客人の目の前での折檻はこの狙いもあった。落ち着かせ、交渉のテーブルについてもらう為に豊原を犠牲にするのが一番速いとの咄嗟の判断だった。

 

「ディーちゃん、この子が暴走したら止めるのがあなたの役割でしょう?一緒に暴れたわね?」

「……ごめんなさい」

「はあ……元はと言えば私の責任ですから、不問にします。とりあえず場所を変えて話しましょう。久居留くん、まず謝罪の場を設けたいのですが……」

「あ、ああ、いいっすよ。それよりもそいつ、死ぬんじゃないすかね……」

「これくらいで死ぬような柔な子じゃありませんから。では……デジタルさんも来てくれますね?」

 

わかりやすくびくっと驚いた声が天井から響き、全員の目がそちらに集まる。

 

「ほわっ!!?い、行きますとも!!!!」

「……デジたん先輩?」

「え、えへへ……ディーさん、どうも〜……」

 

秘書は天井に潜むピンク髪の存在にも気付いていた。気配を正確に察知するその様子に只者ではない何かを智哉が感じる。

 

「では、行きましょう……理事長室へ」

 

 

 

 

 

こうして、一行は場所を変え、理事長室で今回の顛末について話し合いの場を設ける事となった。



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第十話 歴史の裏に潜むもの

トレセン学園、理事長室。

あの部室棟での一件の後に一行はここに集まり、顛末が智哉の口から語られた。

部屋全体に重苦しい空気が漂い、秘書が額を抑え、理事長がわなわなと震える。

 

「………ば、馬鹿者ぉッ!!!!何故動く前にたづなか私に言わなかったッ!!!!」

 

大惨事と書かれた扇子を振り回した理事長の怒号が、部屋に響く。

その怒号を向けられた騒動の原因の二人、ディーは肩を縮こまらせ、豊原は頭を掻いて憮然とした表情を見せた。

 

「………久居留にはわりーと思ってるよ。でもよ、そうならそうと言えよ。こっちは横須賀くんだりまで行って大立ち回りした後だぜ?マークしてた奴が目の前にいて、あんな計画まで見ちまったらそう動くのも仕方ねーよ」

 

不貞腐れた顔を見せながら、豊原が不満を隠そうともせず理事長と秘書に異議を発する。

この豊原の言葉に、智哉は首を傾げる。気になる言葉があった。

 

「……マーク?俺をか?」

「……わりー、口が滑った。聞かないでくれ」

 

豊原は智哉にそう言うと、秘書を詰問するような目で見つめた。

 

「たづ……もういいか、ねーちゃん一体何がしてーんだ?これも上の意向ってヤツか?久居留を俺に紹介した理由はなんだ?」

「タケル、ここでその話は……」

「納得いかねーのはお前もだろ、ディー。話せよ、ねーちゃん」

 

有無を言わさぬ目で、秘書を見つめる。

秘書は、悩んでいた。ここには干渉を上から禁じられている最重要人物がいる。

この人物に聞かせてはならない情報、事情があった。

しかし何も言わないわけにもいかない。当事者は智哉を預けた二人だが、その責任は自分にある。

何も言わずにいれば不義理に当たる。どう話を組み立てるか悩み、少しの間を置いて、秘書は口を開いた。

 

「……まずは、謝罪を。久居留くん、申し訳ありませんでした。今回、全ての責任は豊原トレーナーにあなたを預けた私にあります」

「………色々と納得いかないけど…謝罪は受け入れます。たづなさんは良くしてくれてるし……」

「私からも謝罪しようッ!!すまないッ!!!部室の件はこちらで適当に処理しておくッ!!」

 

智哉としては理事長と秘書には何の蟠りも無かった。

実際、出向の手続きから就労ビザの申請、怪人の短期免許の取得に学園の案内と、日本で不便なく滞在できるように秘書と理事長は尽力してくれている。

 

「あー、その、部室壊したの、俺なんすよ…………すいません」

「気にしないでくれッ!!!むしろ不問にするからそれで手打ちにしてもらえると……今、何と?」

 

智哉が申し訳無さそうに部室の床を抜いた事を話し、理事長は水に流そうとしたところで聞き返した。

トレセン学園とは日本のウマ娘達の頂点、プロアスリート達が集う学び舎である。

その校舎は耐衝撃性を重視した構造になっており、並のウマ娘の力では床を崩壊させる程の破壊は難しい。

怪人の正体だと理事長は知っていたが、智哉はあくまで人間である。ウマ娘の規格外にして、超気性難の母相手に互角に渡り合えるディーの犯行だと思っていた。

 

「なんか、勢い余っちまって……本当にすいません」

「………豊原、できるか?」

「普通の建造物ならともかく、学園の床をコイツみたいに一発でやれって話なら無理だな」

 

肩を竦めつつ、豊原が理事長の疑問に答える。

 

「……うむッ!不問にしようッ!!どちらにせよ君が破壊したと言っても誰も信じないからなッ!!!」

 

理事長は少し考えた後に、万事落着と書かれた扇子をぱちんと開いた。

 

「いいんすか?助かりますけど……」

「老朽化での崩落という事にしておくッ!写真部は空いている部室を回すように手配しようッ!」

 

理事長が智哉の処分を決め、続いて豊原とディーに目を向けた。

この二人の処分について話す必要があった。

二人の事情は知っている。しかし統括機構からの出向者への暴行は看過できるものではない。

 

「続いて豊原とディーだが……たづな」

「…………そうですね……私から、お話します」

 

理事長に促された秘書は二人に目を向け、言葉を繋いだ。

 

「豊原トレーナー、ディーさん、三週間の謹慎を申し付けます」

「……ッ!!わかり、ました……」

 

ディーが俯き、秘書の言葉に渋々と承諾する。

その瞬間、テーブルが吹き飛び、壁に当たって砕ける。

豊原が、蹴り上げたのだ。

 

「……落ち着きなさい、タケルちゃん」

「納得いくわけねーだろ?俺の質問にも答えてねーぞ」

 

豊原が怒りに満ちた表情で秘書を睨みつける。

納得いかない事だらけだった。理由の説明も無しにマークしていた人物を預け、更には一方的な謹慎処分。

秘書は、トレセン学園の事務方のトップにしてやり手の人物である。理由も無しにこのような理不尽な処分を行う人物ではない。

 

「あの、ちょっと待ってもらえませんか?」

 

重い空気が漂う中、智哉が口を挟んだ。

全員の視線が集まる。

 

「久居留くん、どうしました?」

「部室が老朽化なら、後は俺が黙ってれば良い話ですよね?」

「おい、お前………」

 

困惑する豊原を、智哉がうんざりとしながら見る。

闇討ちされた事はまだ怒ってはいる。しかし、智哉には二人の謹慎を避けたい理由があった。

 

「はっきり言うぜ。いきなり蹴られて、腕も折られかけて正直すげームカついてるよ……でもあんたはヴァーの担当だろ?謹慎なんて食らったら一番困るのはあいつだろ……」

 

二人の担当、ヴァーの事を智哉は気にかけていた。

ヴァーは今月末にG1帝王賞の出走を控えている大事な時期である。

担当が三週間も謹慎を受けて、一番不利益を被り、途方に暮れるのは彼女だった。

初対面からまともに対応してくれて、昼食にも誘ってくれたヴァーの事を智哉は既に友人と思っている。

友人ならば力になるべきだ、ヴァーに免じてこの二人を許してやってもいい、そう思っていた。

豊原とディーははっきりと、この智哉の厚意を感じた。しっかりと相手を見てから動くべきだったと、改めて後悔していた。

 

「……あ〜〜、くそ、男に世話になっちまうとはな……わりーな、久居留、借りはいつか……」

「ごめんね、母さんじゃないけどきっとお返しは……」

 

 

「──でも謹慎です」

 

 

しかし秘書はそれでも謹慎を告げた。台無しである。

呆れた目で、二人が秘書を見つめる。

 

「ねーちゃん、そりゃねーだろ!!?」

「たづなさん!!?なんで!!?」

「謹慎ったら謹慎です!決定事項です!!」

 

にこにこと笑いながら、秘書が有無を言わさぬ態度で迫る。

どうしても謹慎させたい理由があるのだ。そして巻き込みたい相手もいる。

その青年の性格を秘書はよく知っている(・・・・・・)。上手く食いつかせるために、このタイミングでゴリ押す姿勢を見せた。

 

「いや、ほんと俺はいいんで……なんか、理由でもあるんすか?」

「気になりますか!?久居留くん!?気になりますよね!!?」

「ねーちゃん、待てよ!……言うのか?」

「ええ、久居留くんは知っておいた方がいいでしょう」

「あっやっぱりいいっす!大丈夫っす!!」

 

食いついたのは秘書の方だった。何気ない疑問にやけに食いついてくる秘書に、嫌な予感を覚えた智哉が前言を撤回する。

 

「聞いてもいいんですよ!?言いますね!!昨日、横須賀港で……」

「いや聞きたくないっす!!!あー!!ああーーーー!!!」

「ウマ娘の子供達を乗せ、アメリカに出港しようとした船舶を、タケルちゃんとディーちゃんが……」

「あーーーーー!!!!聞きたくねーーーーーー!!!!!!……子供?」

 

耳を塞ぎ、秘書の言葉を大声で遮る智哉だったが、一つだけ聞き逃がせない単語にその耳を開いた。

豊原に制圧された時に聞いた人攫いという発言、そして秘書の言葉、全てが繋がった予感があった。

そして、子供が拐われるということなら一大事である。

自分の身内にも子供が三人いる。ボス、ノーブル、そしてフラン。

彼女達に危害が及ぶのなら、放ってはおけなかった。

 

「………聞いてくれますか?久居留くん」

「すげえ不本意なんすけど、すげえ納得いかねえしたづなさん、最初からこうするつもりな気がするんすけど!」

「何の事でしょう?……すいません」

 

秘書が言外にそのつもりだったと言っているのを聞いて、智哉はソファーに深く沈み込んでため息をつく。

どこに行っても厄介事に巻き込まれている気がしていた。気がしなくとも事実である。

 

「……聞きます。ここにはフラン、えっと、俺の身内の子供達もいるんです。もし何かあるならほっとけねえし……」

 

そうして智哉は覚悟を決めた。急に巻き込まれるくらいなら聞いておいた方が良いという、経験則から来る妥協の産物だった。

 

「ありがとうございます。では説明しますが……久居留くん、アメリカの男性解放運動については知っていますか?」

「名前くらいなら……MLMって運動っよね。メンズ・ライブス・マターの略称とかで……」

 

誘拐事件との関係性を感じない質問に、智哉が不思議に思いつつも応える。

アメリカはウマ娘至上主義にして、ウマ娘の権利が強い武闘派ウマ娘国家である。

逆説的には男性の権利はやや低いのが現状であり、一部の男性達は権利回復の為にとある運動を起こした。

SNSによる抗議運動、ウマ娘達の逆ぴょいや文化的行動へのデモ、そしてレース等のウマ娘のアスリート活動への異議を唱え、男性プロスポーツの発足が主な活動内容とされている。

一部に過激な活動が見受けられるが、そういう手合はすぐにウマ娘スワットに制圧されている。智哉としては余り脅威には思えなかった。

 

「そのMLMには、男性血盟(MKC)という秘密結社が存在しています。ご存知ですか?」

「いや、全然……なんすか、その、メンズクラックスクランって」

 

そのMLMであるが、ウマ娘からアメリカを取り戻すというスローガンの元で一部が先鋭化し、秘密結社を結成した。

その名もメンズ・クラックス・クラン(男 性 血 盟)。活動内容には非合法な手段も含まれ、アメリカを裏から支配しようと日夜活動している。政財界にも太いパイプを持ち、男性上院議員やニューヨークの大富豪といった人物もその名を連ねていた。

 

「久居留くんが関わったジュドモント令嬢誘拐事件、そしてキーンランドレース場のトレーナー席での発砲事件、これらは彼らの活動によるものです」

「………フランが、狙われてた?じゃあ俺がマークされてた、ってのは」

「そういう事だよ。お前は重要参考人としてウチや国際ウマ娘警察機構(I C U O)にマークされてる。疑わしい、とな。タイミングが良すぎ、いや悪すぎるんだよ、お前」

「マジで!!!!!?」

 

豊原の補足に智哉が絶叫を上げた。国際ウマ娘警察機構(I C U O)は泣く子も土下座する世界的な気性難警察ウマ娘集団である。

そんな集団にマークされているという事は首に死神の鎌が触れているのも同然だった。唐突に命の危機に晒されて智哉は絶望した。

 

「大丈夫です、久居留くん。マークはされていますがジュドモント家と統括機構、並びに英国王室の働きかけでそちらから追手が来ることはありません」

「へ?そうなんすか……いや、英国王室ってどういう事すか!!?」

「英国王室は俺も初耳だぜ、ねーちゃん……」

「あら?聞きますか?」

「あっ大丈夫っす……」

「俺もいいわ……」

 

くすくすと笑う秘書に、豊原と智哉が同時に辟易とした様子で明らかな地雷を避ける。やけに息が合っていた。

 

「話を戻しますね、そして、昨日……横須賀港にある船が停泊しました。逮捕された男性血盟(MKC)の一員が所有していたはずの大きな客船です」

「さっき、言いかけた話っすね……それで?」

「その客船には……日本中から集められたウマ娘の子供達が乗せられていました。失踪届の出された、子供達が」

「ッ!!!?」

 

智哉が、息を呑む。子供達の大規模な誘拐事件、大事である。

しかし疑問が残った。ウマ娘は、子供と言えど人知を超えた怪力と俊足を持つ。

男性血盟(MKC)の仕業にしても、ただの男がウマ娘の子供には絶対に勝てないのである。

 

「待ってください。おかしくないっすか?その秘密結社の仕業にしても………」

「実行犯は、ウマ娘です」

「………はい?」

 

耳を疑った智哉が、聞き返す。男性至上主義団体に所属するウマ娘。矛盾の塊である。

 

「……男性血盟(MKC)ですが、それは隠れ蓑です。その上に、男性血盟(MKC)の財力と政治力を利用し、暗躍するカルトが存在します」

「……それは?」

「セントサイモンという名前はご存知ですね、久居留くん」

「ええ、知ってますけど……とんでもない気性難の神様っすよね」

 

セントサイモン──「煮えたぎる蒸気機関」の異名を持つ、神話においてかの悪魔将軍ダイヤモンドジュビリーと並び立つ最強の破壊神である。

かつて中世暗黒時代に最も信仰された神であり、現在はその気性難が過ぎる教義により邪教認定され、権勢を失いエクリプス教の従属神として信仰されるに留まっている。

 

「……まさか、そのカルトって」

「そのまさかです。セントサイモン教の中でも最も苛烈な教義を持つカルト教団……聖なる気性難の黄昏(トワイライト・サン・シモン)、彼女達はそう名乗っています」

 

しかし、現在もその邪教は歴史の裏で信仰され続けていた。歴史の裏に、潜み続けて。

智哉はもう一つ、疑問を覚えた。カルト集団の動機である。

 

「……で、そのカルトが誘拐に手を出す理由はなんすか?」

「彼女達は有力な競走バの卵の少女達を集め、信者として迎えた後に競走バとしてデビューさせています。信仰するセントサイモンへ、レースの勝利を捧げる為に」

「……は?それだけすか?」

「ええ……レースの勝利を奉納し、セントサイモンそしてダイヤモンドジュビリーを現世に降臨させ、気性難の楽園を作り出す事がその目的です」

「………はあ、そうなんすか、傍迷惑っすね……」

 

智哉は深刻な表情で語る秘書に空返事で返した。

神様を本気で呼ぼうとしているカルト集団、誘拐は大事だがそれ自体は眉唾な話である。傍迷惑な集団にしか思えなかった。

この反応は秘書にとっては好都合だった。上からの禁止事項に触れる為に本気で信じられては困る。

 

「幸い、事前にその計画を察知できた為に、タケルちゃんとディーちゃんの活躍で誘拐は阻止できています。子供達もみんな無事に親元へ返せていますよ」

「ああ、急用って」

「そういう事だ。わりーな久居留」

「……そんな理由聞かされたらもう怒れねえよ。闇討ちはなんでだ?もうここまで聞いたらそっちも聞かせてくれ」

 

豊原の言葉に、智哉が納得した様子で頷く。

そしてどうせなら闇討ちの理由も聞いておこうと考えた。予想はできつつあったが本人の口から聞きたいのだ。

豊原が、秘書に目を向け、秘書はそれに頷いて返した。

 

「……客船の中で、とある物が見つかった。とんでもないモンが、な」

「聞かせてくれ」

「……トレセン学園附属小学校、その生徒名簿だ」

「はあ!?おい待てよ!!それって、つまり………」

 

「──ああ、次のターゲットは附属小学校の生徒……そして、教師に協力者がいる」

 

大きく息を吐き、智哉が眉間を揉む。

聞きたくない、事実だった。だが聞いてしまった、踏み込んでしまった。

附属小学校には、現在フランとノーブルもいる。そしてボスも生徒である。

絶対に、阻止しなければならない。守らなければならないと心に誓う。

姉、メイド、そして祖母と祖父に叔母、小栗家の面々。協力者は多い。

しかし、教室内には踏み込めない。フランとノーブルを帰国させる事も智哉は視野に入れた。

 

「なんてこった、聞いちまった……警察には?」

「……それは私が説明しようッ!現在、私のコネを使って上から働きかけ、周辺のパトロールに警備の増員はしてもらっているッ!だが……捜査の進捗が芳しくない。政財界から横槍が、入るんだッ……」

 

苦渋の表情を見せる理事長に、智哉は苦悩を察した。

恐らく、日本の政界にもカルトは根を張っている。そうとしか思えなかった。

 

「で、どうしようもねー時に、マークしてるお前が目の前に現れた……わりーな、焦ってて、な……」

「ごめんね、本当に……」

「そういう、事か……怒れねえじゃねえか、もういいわ……」

 

ふと、隣に座る豊原とディーに目を向ける。

この二人、ただのトレーナーではない。ただのトレーナーが誘拐事件に関われるはずがない。

 

「あんたら、いつもこんな事してんのか?」

「まー、そこは追々って事で頼むぜ、学園所属の探偵みたいなモンだ」

 

ニヤリと笑ってみせた豊原は、続いて秘書に目を向けた。

彼の話は終わっていない、謹慎だけは納得行っていなかった。

 

「ねーちゃん、謹慎は納得いかねーよ。ヴァーの帝王賞が控えてるんだぜ?」

「あら?まだわかりませんか?久居留くんに危ない事はさせられませんから、タケルちゃんとディーちゃんは表向き謹慎してもらって、捜査を……」

「それはまあ……でも俺はトレーナーでもあるんだぜ?担当はほっとけ、ってか?」

 

秘書は、智哉を指差して見せた。

 

「ここに居るじゃないですか、ダートの本場アメリカで、いくつもの重賞を勝っている優秀なトレーナーさんが」

「おー、そういう事か。最初から言えよねーちゃん!って訳で任せた、久居留」

「……へ?」

 

秘書、そして豊原に突然に話を振られ、智哉が素っ頓狂な返事を返す。

豊原が捜査から戻るまで、ヴァーの練習を自分に任せると言っている事はわかる。

しかし唐突な話だった。ヴァー程のウマ娘を自分に預ける話になるとは考えていなかった。

 

「………あ、あー……いいのか?」

「むしろお前しかいねーだろ?連絡先教えるから練習の進捗は毎日頼む、打ち合わせは……ねーちゃん、俺の謹慎は?」

「明後日からにしましょう。準備もありますから」

「了解、なら明日だな。今日は帰っとけ」

 

豊原が立ち上がり、智哉へ退室を促す。

この男、先程から秘書にアイコンタクトで指示を受けていた。

頃合いを見て、智哉を帰らせるように、と。

智哉には言えない話があると察した豊原は了承を目で伝え、秘書の意に沿うように動いている。

 

「へ?いや練習あるんじゃ……」

「いいから!詫びに今日は早退させてやるって話だよ!お前いたらアリバイ作れねーし!」

「……わかった。明日は?」

「朝練からだ!じゃあな!」

 

智哉を追い出し、豊原が席に戻る。

そして、秘書に智哉の前で言えない話をするように促す。

秘書には、まだ秘密があった。

彼女の、その本当の姿について──

 

 

「──ヘロド様が、降臨しました」

 

 

(あたし、まだいるんですけどおおおおおお!!!!!!!)

 

オタクはまだ部屋に残っていた。哀れである。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

学園の門を潜り、智哉が帰路につく。

出向初日にして、密度の濃い一日だった。

覆面のウマ娘ヴァーとの出会い、そして豊原とディーの闇討ち、更には小学生を狙う事案カルト教団。

どこに行ってもこんな事に巻き込まれている気がする。智哉は軽くため息をついた。

 

(……下校時刻、か。サリーさんが迎えに行ってるだろうけど……見に行ってみるか)

 

ふと、智哉は学園の敷地内、西端にある附属小学校に行ってみようと考えた。

現在は丁度生徒達が下校しているはずである。なんとなく、フランの顔が見たくなった。

そして、少し歩き、校門が見える曲がり角からフランを探す。

 

(おっ、いるな……友達、か?)

「ハア、ハア」

 

すぐに、フランは見つかった。ノーブルにボスとメイド、そして友達らしき背の高い褐色のウマ娘と、青い耳飾りのウマ娘にアホ毛が目立つ芦毛のウマ娘。

笑顔で楽しそうに、フランは話しながら歩いていた。

 

(そっか、友達、ちゃんと作れたんだな……邪魔しちゃ悪いな、帰るか)

「ハア、ハア」

 

智哉がフランを見て、微笑みを浮かべる。

六歳の頃の心の傷、ポニースクールでのエリート生徒達の拒絶、それを智哉は心配していた。

しかし、それは杞憂だと悟り、踵を返そうとする。と、そこで嫌な何かを覚える。

智哉は現在、曲がり角からフランを眺めていた。その少し先、電柱の影に自分以外の何かがいる。

 

「ハアハアハアハアハア」

「えっ何こいつやべえ」

 

それを見た途端智哉は逃げたくなった。何かに興奮しながら、カメラのシャッターを一心不乱に切り続ける変質ウマ娘がいた。

牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を付けた、ボサボサの鹿毛のウマ娘だった。

年齢はフラン程だろうか。耳は大きく、その右耳に付けられた龍を象った青白の耳飾りが特徴的である。

撮影しているらしき方向を確認する。そこには、友人らしきウマ娘と下校する芦毛の際立ってカワイイウマ娘がいた。盗撮だった。

智哉が慌てて距離を離す。余りにも関わり合いになりたくない相手である。

 

「ああああああカレン先輩今日もカワイイですねえ!カナのカワイイコレクションが捗りますよこれぇ〜あぁ〜たまらねえ……あ?」

 

興奮していたウマ娘が、不意にこちらに振り向いた。

智哉が天を仰ぐ、関わってしまった。

 

「………何ですか、お前。カナに何か用ですか?」

 

警戒するカナと名乗るウマ娘。智哉は警戒するのはこっちだと言いたくて仕方なかった。

しかし、先程のカルト教団の話を智哉は思い返し、生徒なら注意喚起くらいしておこうと考え、口を開いた。

 

「あー、学園のモンだけど……お前ここの生徒か?盗撮はダメだろ」

「……………」

「おいやめろ!!防犯ブザーはやめろ!!!」

 

カナが無言で防犯ブザーを取り出した為に、智哉は慌てて止めに入った。

そして、にちゃあ、と嫌すぎる笑みをカナが浮かべる。思わずうわっと智哉は声に出した。

 

「盗撮ゥ〜?カナ、小学生。お前、大人。不審者、お前」

「なんで片言なんだよ………わかったわかった。そっちは文句言わねえから」

「で、何か用ですか?カナは忙しいんですけど」

「一人で何かやってるから声かけただけだよ。ここの生徒か?」

「お前にはカンケーないです」

 

そう言うとカナは、智哉を無視して盗撮に戻る。

智哉はため息をついて、その場を後にしようと踵を返した。

 

「あ!お前、待ってください」

「……んだよ?早く帰れよ」

 

 

 

 

 

 

「ちょうどいいです、この角度からの写真が欲しいからシャッター押してください」

「やらねえよ!!!!帰れ!!!!!!」




会っちゃった。


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閑話 気性難には気性難ぶつけんだよ

というわけでディーの閑話やで。


日本エクリプス教団府中教会とは、東京都府中市中央トレセン学園の近隣に存在する、日本におけるエクリプス教の総本山とも言える宗教施設である。

 

その規模は当然大きく、日本の大財閥である社グループの寄進という名目の全面的な支援により、芝とダートの練習コースに坂路コース、更には屋内練習施設まで建設されており、実質的には中央の大チームを率いる社グループ傘下の巨大練習施設として全国的にその名を知られる。

信徒でなくともその門戸は開かれており、かの伝説のウマ娘シスターとその夫である神父の指導を受ける未来のスター競走バ達が日夜練習に励むこの教会は、中央トレセン学園の下部組織である附属小学校と並び国内屈指のエリート競走バ育成施設と言われている。

 

そう言われている理由はただ一つ。

 

数多のG1ウマ娘をこの教会が輩出し、その中でも特筆すべき日本が誇る英雄と呼ばれる歴代最強の呼び声も高いウマ娘が、この教会で生まれ育ったからである。

 

「はあ………ただいま」

 

練習施設と比べたらやや小さな教会、その居住部分にこの教会を生家とするウマ娘が憂鬱気味に入る。

耳はしなだれ全身で陰鬱な様子を示したウマ娘、豊原付きのサブトレーナーであるディーは本日の大失態に落ち込んでいた。

 

「おかえりディー、夕飯できてるよ」

「うん、お父さん……」

 

ディーを迎える教会の神父である父フィリップ。

アメリカのトレーナー一族に生まれ、サンタアニタダービーの最年少勝利記録も持つ才気溢れるトレーナーである彼は、諸事情により妻と日本へ渡り教会を切り盛りしている。家事は彼の仕事である。

 

「元気ないけど、何かあったかい?」

「ちょっと仕事で大失敗して……」

「そういう日もあるよ、タケル君と喧嘩でもした?」

「ううん、タケルと二人でやっちゃった、から……」

「ははは……彼もまだ若いからね。取り戻せばいい、レースと同じさ。追込がディーの脚質だろう?」

 

穏やかに笑う父に励まされたディーが、父に鞄を預ける。

そこに一人の少女が猛然と飛び込み、それをディーは咄嗟に受け止めた。

少女の正体には心当たりがあった。こうしてタックルのように飛びついてくる少女は一人しかいない。

 

「ディー先生!おかえりなさい!」

「ドンナ……来てたのね。いらっしゃい」

「いらっしゃいました!えへへ……」

 

ディーに飛びつき、はにかんで笑うドンナと呼ばれた少女。

切り揃えた赤毛のように濃い色合いの鹿毛のロングヘア、耳にトレードマークの小さなファシネーターを引っ掛け、将来は貴婦人のような美しさを宿すと思わせる整った顔立ち。ウマ娘である彼女はこの教会の練習生である。

 

幼い日に英雄のレースを見た彼女は自分もああなりたいと競走バの道を志し、シーナという同い年の練習生とこの教会で日々練習に励んでいる。

普段は育ちの良さと気品を感じさせる立ち振舞の彼女だったが、大好きな先生の前では年相応の少女となる一面もあった。

ドンナの頭を撫でて、ディーが優しく微笑む。

 

「今日はどうしたの?」

「神父様にお泊まりしたいってお願いしたんです。先生のお許しがあれば、と……ご迷惑でしたか?」

「大歓迎よ。お風呂、いっしょに入る?」

「はい!やったあ!!」

 

諸手を挙げて喜ぶドンナを降ろし、手を繋いでリビングに向かう。

 

「はあ……」

「先生、元気がないです」

「うん、少しね……憂鬱な事があるから」

 

今日の一件、ディーは焦りから判断を誤った。

彼女は休日や余暇を見つけては、シスター見習として家業の手伝いや競走指導を行う立場である。

母に似て子供好きで、敬虔なエクリプス教徒で正義感の強い彼女はその気質故に、母を反面教師にして冷静沈着な彼女らしからぬ失敗を犯した。

 

(久居留君が良い人でよかった、本当に……ちょっとタケルに似てるけど)

 

今日迷惑をかけた同僚に、ディーは思うところがあった。

 

(タケルみたいに気が多いとかはなさそうだけど……絶対女の子を泣かすタイプ。気を引いておいて、そんなつもりはなかったとか言いそう。それに……タケルに似てるなら)

 

あのぶっきらぼうだが人の良さそうな青年に、ディーは自分の相棒と通ずるものを感じていた。

そして通ずるものを感じる程のトレーナーならば、運命のように繋がる相手がきっといる。そう考えている。

 

(絶対いる。その子の為にも仲良くなったら釘くらい刺しておこう)

 

決意と共に、ディーがリビングの扉を開く。

もう一つの憂鬱の原因、智哉が去った後に決まった事項の為に、ここにいるであろう相手にディーは用があった。

 

「母さんただいま、話が……何してるの?」

「おー帰ったかディー!取り込んでるから後でな!!」

 

扉を開くと、そこは鉄火場と化していた。

四人の札付きの気性難が向かい合って額にトランプを翳し、空間が捻じれる程に互いを威圧し合いながら睨み合っている。

アメリカの気性難達に度胸試しの余興として楽しまれているゲーム、インディアンポーカーである。

 

「オイオイ、お前らそんな手札で俺様とやる気かァ?とっとと尻尾巻いて逃げた方がいいんじゃね?なァ……!?」

 

この教会の事実上のトップである、超気性難シスターが三人に強烈な圧を放つ。トランプの数字は2である。

 

「アネさん、これくらいで退くようなヤワなヤツはここにはいねェっしょ。なァ?ドリジャ……!?」

 

空間に「!?」の文字が浮かびそうな程に気合の入った睨みを入れる、教会でシスターと共に競走指導を受け持つ黒鹿毛の修道服姿の凶悪なウマ娘、シスター・ステイ。トランプの数字は2である。

現役時代はキンイロリョテイという名で走り、G1香港ヴァーズを勝利した札付きの気性難だった。

彼女の教え子はリョテイ組とも呼ばれる、腕自慢の気性難揃いとして学園で恐れられている。

 

「ッ!!?……センセーもアネさんも気合入りすぎてたまんねェッス。でも負けてらんねェよなァ?中山ァ……!?」

 

二人にやや圧されながらも負けじと睨み返し、空間を歪ませる程に気合の入った改造制服にロングスカート姿のウマ娘、ドリームジャーニー。トランプの数字は2である。

リョテイ組特攻隊長とも呼ばれる現役のウマ娘であり、今朝哀れな担当に気合を入れていたのは彼女だった。

 

「んーー………あたしゃ降りるわ」

 

ドリジャに睨みつけられた最後の一人、中山と呼ばれたニット帽を被ったウマ娘はあっさりと退いた。トランプの数字は2である。

 

「アア!?テメーそりゃねぇだろ!!?」

「オイオイ、今日の夕飯は俺様の総取りかァ?」

「中山ァ!オメーそれでもウチのモンか!!?」

 

この中で最も年若い少女、中山は三人のブーイングを聞き流しながら自分の額のトランプを裏返して確認する。

予想通りであった。スリルある勝負を好む彼女は冷徹な勝負師の側面も持っている。

 

「っぶねー、そりゃこうなるわ……センセーとアネさん、両方シャッフルの時に積み込んでりゃなァ」

「は?ンな事してたのかよ!!?」

 

この勝負師中山は、シャッフルの際に目敏く二人の不正を見抜いていた。

超気性難二人の超高速の積み込みを看破していたのだ。

そして二人の積み込みは互いに最低の手札を回していた。ドリジャと中山はそのとばっちりである。

 

「アー………まぁこまけー事は気にすんなよ!飯は仲良く食おうぜ!!」

「そうだなアネさん!!へへへ……」

「ったく、しょうがねーセンセー達だなオイ」

 

呆れるドリジャに対し、シスターが口を開く。

ドリジャがここを訪れているのは、とある用件によるものである。

 

「で、ドリジャ?お前の……なんだっけ、オルなんたらって妹をウチに預けてェって話だけどよ」

「シャッス!今年中にはアイサツに伺うんで是非気合入れてやってほしいッス!!はえー癖に気合のねーヤツで……」

「おう!連れてこい!!気合がたりねーならステイが適任かァ?」

真剣有難(マジアザ)ッス!!ステイセンセーなら気合入れられると思うッス!!」

「任せとけ!!オメーがはえーって言うなら相当なモンだなァ?」

 

しっかりと頭を90度下げて礼を述べるドリジャに、笑って快諾する二人。

気性難の会合はまるでどこぞのヤクザの挨拶回りのようだった。この教会ではよくある出来事である。

この様子にディーが眉間を揉む。この日常茶飯事のせいで、学園の関係者からはこの教会は気性難蔓延る魔境と恐れられている。事実である。

 

「ドンナ、こうなったらダメよ?絶対に……」

「は、はい先生」

 

このやり取りにシスターが振り向き、娘が何かを言いかけていたのを思い出す。

そしてもう一つ言うことを思い出した。あの青年と娘は今日会っているはずである。サプライズにと今日まで黙っていた。

 

「おっ、そういやディー、アイツと会ったか?」

「あいつ……母さん、まさか……」

「おう!あのトモヤってあんちゃんだよ?デキるヤツだろ?お前も仕事やりやすく………ンだよその顔」

 

母が重要な情報を知っていた、そしてあの青年に迷惑をかけ倒していたのを思い出したディーが瞬時に母の前に立つ。

現役時代を彷彿とさせる、瞬間移動のようなストライドであった。

 

「オイ急に何だよ!?その飛んでくるのコエーからやめろ!!」

「母さん……なんで言わなかったのおおおおおお!!!!」

「あン?何の話だ?」

 

そしてディーは母の頭を掴む。八つ当たりである。この娘は本質的には母の血を継いでいる。

 

「いでぇ!!?テメェいきなり何しやがる!!!?」

「久居留君にあんなに迷惑かけて!!!今日と言う日は………!!!!」

「アア!?聞いたのか!!!しょうがねーだろ知らなかったんだよ!!!!」

 

自分も迷惑をかけたのを一旦棚に上げて、ディーが母を詰問する。

今回の事件にあたり、上司からディーはとある集団へ協力を取り付けるように依頼されている。

目の前に丁度中心人物がおり、そして先程のドンナとのやりとりでディーはもう形振り構わず行動する事に決めている。

恐らくこの札付き達を解き放てば大惨事になるのは予測できる。

 

 

それでも、絶対に子供達を守るために──覚悟を決めたのだ。

 

 

「母さん!!!」

「ンだよ!!?悪りぃと思ってっから!!離せって!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「助けて、母さん…………みんな」



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第十一話 熱狂、地方の雄

というわけで作戦回やで。


翌日の早朝、智哉はヴァーの朝練の為に身支度を整え、学園へ出発した。

小栗家の武家屋敷は、トレセン学園より一駅の東府中駅からほど近い位置の大きな邸宅が立ち並ぶ住宅街にその居を構える。

この近辺には有名なウマ娘一族の邸宅が多数存在し、小栗家はその中の一つである。

当主の藤花曰く、親友の先代トレセン学園生徒会長、そしてアメリカの有名な一族、更には附属小学校の校長もこの近辺に住んでいると智哉は聞いている。

邸宅立ち並ぶ住宅街を歩きながら、智哉は首を軽く回して独り言を漏らした。

 

「朝練あるっつったのに、姉貴もじいちゃんも思いっきりぶん投げやがって……」

 

昨日の帰宅後、智哉は親族並びに関係者の面々にトレセン学園で聞いた話について相談した。

フラン達子供組は除いている。狙われているとは言え、余計な心配を与えたくない智哉の配慮によるものである。

まず智哉は、メイドに姉妹を帰すべきではないかと意見した。二人は英国に帰れば危険に晒される心配はないし、智哉としても安心できる。

しかし、メイドは首を横に振った。

 

『それは大奥様から禁じられている。それに、フランお嬢様は絶対に帰らないだろう……お前がここにいる限りは』

 

あのジュドモント邸で会った女主人より、メイドは半年間の留学を必ず遂行するように言い含められていた。

理由は伏せられていた。メイドは何やら心当たりがある様子だったが、結局それを口に出すことはなかった。

そして藤花及び祖父、祖母の面々は何やら怪しい反応を示した。

 

『で、あるか……叔母貴、師匠……これは出番か?』

『まだ動くのは早いさ。トビー、一応蔵から出しておいてくれるかい?』

『そうだなあ、ガビーの分も出そう』

 

何やらこそこそと三人で話し込み、そうした後で藤花は内弟子の面々に小学校の周囲の見回りをさせると約束してくれた。

そして姉であるが、腕を組んで考えた後にこう言った。

 

『あたし、しばらく学園で働くわ。トム手続きよろしく』

 

悩むくらいなら近くで見守ればいい。姉らしい単純明快な回答である。

アメリカ、そして英国のG1を勝ち、ティアラ路線屈指のダンスの腕前を持つ姉が学園の職員になると言えば、理事長は快諾してくれるだろう。

ヴァーの朝練の後、智哉は秘書にこの話を持ちかける事に決めた。

元競走バであり、小栗流の達人の姉はそこらのウマ娘より遥かに強く、頼りになる存在である。なお肝心な時にいない事が多い。

 

そして、もう一つ決まったことがあった。智哉の稽古である。

 

『そういう事なら、なおさらあんた鍛えといた方がいいわよ。今までの事考えたら絶対あんた何かあるでしょ』

『私も付き合おう。CQCなら一通り修めている』

 

そうして智哉は、早朝から朝練があろうと地獄の朝稽古を行うことになった。

喜び勇んだ祖父に投げられ、低血圧の癖に起きてきた不機嫌な姉に八つ当たりの肘を入れられ、止めにメイドの配慮の無い正中線への当身で智哉は朝から這う這うの体で出勤する羽目になっている。

 

(鍛える必要があるのはわかるけど、流石にやりすぎだろあいつら……)

 

心の中でぼやきつつ、住宅街を歩く智哉の耳に何やら騒ぎ声が届く。

声の方向に振り向いたら、電柱にしがみつくウマ娘を数人で取り囲む光景があった。

 

「やだあああああああ!!!お仕事やだああああああ!!!!!」

「ちゃんと働くって言ったのはお姉様でしょうが!!超一流のウマ娘ならシャンとしなさい!!!!」

「やっぱりやだああああああ!!!!!」

 

一瞬、智哉が事件かと身構えるも、しがみつくウマ娘の第一声で杞憂だったと悟る。

しがみつくウマ娘を取り囲む中の一人、緩いウェーブのかかった鹿毛と青いメンコが特徴的なウマ娘が電柱から引き剥がそうと引っ張っていた。

話から推測するにニートの姉とそれを社会復帰させようと努力する妹の姉妹喧嘩のようである。智哉は妹らしき人物に心の中でエールを送った。

姉らしきウマ娘は小豆色のジャージに身を包み、電柱に貼り付いている為に顔は伺えない。

智哉は余り見るのも悪いと考えて目を逸らし、やや速歩きで通り過ぎた。

 

「まあまあ、キング君……先輩の世話ならワタシも手伝うから」

「そう言って先生やお兄様やお母様が甘やかすから調子に乗るんです!!いい加減自立しないとずっとこのままよ!!」

「今日はもういいんじゃないかな、着替えてもないしさ」

「お兄様!!!!!」

 

引っ張る妹らしきウマ娘を周囲の人物がなだめる。ニートを自立させようとするこのウマ娘は孤立無援であった。

旗色が優勢と見たニートが振り向き、その整った美貌を歪めて嗤った。

 

「…………フッ」

「!!!!!!笑ったわね!!!このアラフォーニート!!!!!」

「それ禁止カードでしょおおおおお!!!?」

 

 

 

閑静な早朝の住宅街に、ニートの悲鳴が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「…………げっ」

「あっ、昨日の陽キャ」

 

所変わって学園の近辺である。

智哉は学園へ向かうルートを変更し、附属小学校の生徒が通る西門から入ろうと少し遠回りをした先で、変質ウマ娘のカナとばったり出会う。

初対面から苦手意識を持った智哉が、カメラを手に何かの出待ちの為か電柱の影に潜むカナに、呆れた顔で言葉を発した。

 

「カナだっけか?お前何してんだよ……また盗撮か?」

「……………」

「だから防犯ブザーはやめろ!!もう言わねえから!!!」

 

またしても無言で防犯ブザーを取り出すカナを慌てて止める。

そして昨日のやりとりをなぞるように、カナはにちゃあと嗤った。

 

「カレン先輩のカワイさをこうして後世に遺すのはカナの崇高な使命です。陽キャのお前にはわからんで結構」

「んだよその口調……てか陽キャってなんだよ」

「お前どう見ても陽キャです。陰に生きるカナとは相容れない存在……」

「意味がわからねえ……カレンって昨日お前が撮ってた子か。確かにカワイイ子だったな」

 

げんなりとしながらも、昨日カナが盗撮していた附属小学校の生徒を智哉は思い返した。

確かにウマ娘の中でも仕草、容姿共に際立ってカワイイ生徒だった。

 

「!!!!!???お前!!!!!!!!」

 

これを聞いたカナが身を乗り出して智哉に迫る。鬼気迫る表情である。

近寄られた分、智哉が思わず後退る。

 

「急にどうした!?顔がこええよ!!!」

「お前……お前…………陽キャのくせに……」

「………何だよ?」

 

わなわなと震えた後に、カナは叫んだ。

 

「そうなんですよ!!!カレン先輩はカワイイんです!!!お前陽キャのくせに話がわかりますね!!!!」

 

同志を見つけたとばかりに、カナが歓喜の叫びを上げる。早朝である。

そしてポケットからスマートフォンを取り出し、画面を智哉に見せた。

 

「これ!!!ほら!!!」

「ん……?ああやっぱりこの子か。ウマッターだっけか、これ」

 

画面に写っていたのは、確かに昨日の芦毛のカワイイウマ娘だった。

「お兄ちゃんと朝ごはん♡」という文章と共に、童顔の青年を背景にして件のウマ娘がカワイイポーズを決めている。

智哉が目を少し滑らせると、@DragonLordKanaというアカウントがリプライを送っていたのが目に付いた。

 

『カレンチャン、オッハー カレンチャンと一緒に今度ランチ、したいなァ カナチャンはカレンチャンの味方だからネ 』

 

完璧なおじさん構文だった。こいつ絶対おっさんじゃねえかと智哉が思いつつも、その他のリプライを眺めるとやけに縦読みで「かわぞえしね」と書かれていた。智哉は知らない川添という人物に少しだけ同情した。

 

「カレン先輩はですねえ!小学生でウマッター、ウマスタ並びに様々なSNSで何百万人ものフォロワーを抱える人気読モかつ学校でも人気者でおまけに速くてとにかくカワイクてすごい人なんですよ!!」

「なるほどなあ……そういうのわかんねえけど数字ですげえのはわかった」

「ところでお前、陽キャのくせにウマッターも知らないんですか?プークスクス」

「うぜえ…………ウマインなら連絡用にやってるんだけどな」

 

カナに煽られ、げんなりとした智哉がふと姉がウマッターをやっていると言っていたのを思い出す。

智哉はアメリカ生活の間、SNSの使用をオーナーより禁止されていた。怪人との二重生活の秘匿によるものである。

今は使っても問題ないだろう。智哉は姉にどういうものか聞いてみようと考えた。

ウマインと聞いて、カナが手を差し出した。

 

「……なんだよ?」

「カナは見せたから、お前もウマイン見せてください」

「……は?」

「陽キャがどんなやりとりしてるか勉強したいです。カレン先輩と話すのにカナは経験値がたりませんので」

「んだよ経験値って……ちょっと待て」

 

智哉がスマートフォンを取り出し、何を見せるべきか考える。

業務に関わる連絡は避けるべきなので姉はアウトである。ついでに言うと大家の娘であるフランとのやり取りも避けるべきだ。

悩んだ末、智哉はある人物との定期連絡ならいいだろう、とその画面を開いてカナに示した。

 

「……これでいいか?」

「なんですかこれ、ヤバい」

 

内容はこうである。

 

ー二日前ー

『トモ兄、約束』

『おう』

ー昨日ー

『トモ兄、約束』

『おう』

ー今日ー

『トモ兄、約束』

『おう』

 

ダンとの定期連絡だった。とある約束をすっぽかされないように毎日ダンからの確認が届くのだ。

英語の会話ながら、同じ文面がずらっと並ぶやりとりにカナは若干引いた。

 

「お前頭大丈夫ですか?これ毎日やってるんですか?」

「いや、俺じゃねえよ……こいつ毎日マジで送ってくるんだよ……」

「なんか知らないですけど、お前苦労してるんですね……」

 

しみじみと、カナが智哉に同情する。

智哉がスマートフォンをしまうと同時に時間を見る。

朝練が近い。カナとの会話で長居をしすぎていた。

 

「おっと悪い。朝練あるから行くわ」

「次はまともなやつ見せてください。あと今度撮影手伝え」

「やらねえっつってんだろ……お前もちゃんと学校行けよ」

「お前にはカンケーないです」

 

出待ちに戻るカナを尻目に、智哉は学園の門を潜った。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

朝練が滞り無く終了し、学園のトレーナー室にヴァーと担当の豊原、そしてサブトレ二人が集まっている。

 

「という訳で……わりーな。俺達はしばらく謹慎になる」

「そうか……困ったな」

「ごめん、ヴァー……久居留君は元々は正規のトレーナーさんだから」

 

ヴァーに対して豊原とディーが仔細を省いた事情を説明し、謝罪を述べる。

表向きの謹慎の理由は秘書への豊原のセクハラという事になっている。ディーはその際に暴れたとされていた。

いつものやつじゃんと関係者からは噂されており、豊原は何かに付けてこういう理由で学園を離れていた。三回に一回は本当にやっている。

 

「ふむ………智哉がなかなかやるというのはわかるが……本格的な併走相手がいないのが問題だな」

 

椅子にもたれかかり、ヴァーが懸念を漏らす。

芝を主戦場にしていたとはいえ、ディーはトップクラスの実力者である。ダートでも併走相手として破格の存在だった。

智哉や豊原でもある程度は務められるが、帝王賞まで一ヶ月を切ったこの時期にはやや不足である。

中央でヴァーの併走相手になれるウマ娘はかなり限定される。

ダートの実力者が、必要だった。

 

「………そっちは俺に考えがある」

 

智哉の発言に、全員が注目する。

 

「本当か?」

「ああ、アメリカの知り合いだけどな……2週間なら来てくれる事になってる」

「助かるぜ、久居留……どれくらいのヤツだ?」

「知ってる中で一番速い人だよ」

 

豊原が怪人の管理していたウマ娘を頭に浮かべ、最後の契約相手であるクオリティロードかと予想した。

確かに実力者である。先行が苦手なヴァーの弱点を補える相手でもあった。

 

「なるほど、お誂え向きだな。久居留……ちょっとだけ試させてくれ。出走ウマ娘の特徴は頭に入れてるな?」

「ああ……何をだ?」

 

豊原がトレーナー室に備えられたテレビの電源を入れ、とあるDVDを差し込んだ。

その際に何やらピンクなタイトルのDVDを取り出していたが見てみぬフリをした。ディーの目が曇っているがそれも全員がスルーしている。

 

「先月のかしわ記念だ。一人を除いて帝王賞に出走する有力なウマ娘が揃ってる……誰を警戒すべきかわかるか?」

「……すまない、席を外す」

「っと、わりー、ヴァーは見たくねーよな……ディー、ついてやってくれ」

「……うん」

 

映像が始まると共に、ヴァーが席を立った。それにディーが付き添い、二人で部屋を出る。

次走に関わる大事なレースだが、ヴァーにはどうしても見たくないものがあった。

 

「……三着までは出走しないんだったな……なら五着だ」

 

智哉が映像の中、ルネッサンス期のイタリアの民族衣装を模した、白黒の格子柄の勝負服に身を包むウマ娘を指で示す。

 

そのウマ娘の名は──フリオーソ。

 

地方ウマ娘全国協会(N A U)年度代表ウマ娘に二度選出された、イタリア語で「熱狂」を意味する名を持つ地方きっての実力者である。

 

「即答かよ。理由は?」

「まだ直接見てねえから印象の話になるけど…2000mが一番得意な距離だな、何かやらかさない限り勝ち負けできる力がある……それとアタマも取れるし控えて脚も溜められる。ヴァーとは正反対だ。苦手な相手じゃねえかな……たぶん、担当が優秀だと思う」

「正解だ。担当は間崎ってヤツだな、これがまた曲者でよー」

 

椅子にもたれかかり、豊原が地方の雄と呼ばれる厄介な有力トレーナーに思いを馳せた。

手違いで地方からキャリアをスタートしているが、中央でも一線を張れる実力者である。

もたれたまま豊原はメモ帳を取り出し、二枚破って片方を智哉に渡した。

 

「……なんだこれ」

「ヴァーにどう走らせるか、俺はもう決めてる」

「今月だしな、そりゃそうだろ」

 

にやりと、豊原が笑ってみせた。

豊原は基本的にチームに属さずフリーの一匹狼である。こうやって有力なトレーナー同士で作戦会議を行う機会は少ない。

そういう機会が来た時に、やってみたい事があった。

 

「三国志って知ってるか?漫画の赤壁の戦いで、孔明と周瑜がお互いの策を当てたやつあるだろ。あれやってみてーのよ、俺」

「……いいけど、違っても文句言うなよ?」

 

二人でそれぞれ、紙に書いて示す。

お互いに見せ合い、豊原は笑った。

 

「おお!これこれ!!かっけー!!」

「くそ、ちょっとだけテンション上がっちまった……」

 

不本意な智哉に、笑う豊原。

二人が示した紙には──

 

「これで安心して謹慎できるぜー、任せた!」

 

 

 

 

 

 

 

──「先行」と書かれていた。




おじさん構文に絵文字使えなくてワイは泣きました。


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第十二話 アフリカン・シャイガール

というわけで小学校の様子やで。


「みんなーおはよー!」

「おーおはようさん」

「ホエちゃんおはよー」

 

始業前の五年生教室に、いつもの三人組が揃う。

今日は週に一度の楽しみがある為に、教室は和やかな雰囲気である。

そんな教室の中で、ホエに対してヒットはある重要な調査の結果を訊ねる。

 

「ホエ、首尾はどないや?」

「ふふん、よくぞ聞いてくれました!」

「ええからはよ言えや」

 

いつもの如く得意げに勿体つけるホエ。

今日に関しては彼女は確かな情報を持っている。自分で直接調べているのだ。

 

「えーとね!ちゃんと三人いた!」

「それは知っとるっちゅーねん。速そうなんおったか?」

 

調べてはいるが、ただマル外教室の外から中の様子を伺っただけである。

しかし今日のホエは一味違った。証拠もあるのだ。

 

「ふふん、これをごらんください!」

「おっ、撮ってきたんか。ホエにしては気が利くやん!」

「ホントはダメだよ?ホエちゃん」

「今回だけー!」

 

三人のウマ娘が映る、デフォルメされたクジラのカバーに入ったスマホをホエが二人の目の前に翳す。

それを眺め、金髪のウマ娘を見たテックがほう、と息を吐いた。

 

「うわあ、綺麗な子だねえ」

「べっぴんさんやなあ、この子は何ていうんや?」

「えーとね、フランちゃん!英国のおじょーさまだって!!」

「ふんふん、本場のコかいな、なかなかやりそうやな。で、このワイ好みの根性ありそうなコは?」

 

次にヒットが脚に何やら器具を付けたウマ娘を指差す。

根性を感じる爛々とした瞳の、ヒット好みのウマ娘である。

 

「その子はねー、ファーちゃん!でも脚が悪くて走れないんだって……」

「なんや、そうなんか……それならそっとしといたろか」

「うん、仲良くしたいねえ」

 

ファーが走れないと聞いたヒットが残念そうにしながら、最後の一人に目を向ける。

明らかに只者ではない雰囲気を放つ、長身のウマ娘。

こいつはやるで、とヒットは武者震いを覚えた。

 

「で、本命や。コイツは?」

「その子はヴァラちゃん!もうね、みんな慕っててマル外のボスちゃんみたいだったよ!!」

「このガタイや。そうなれば、そうなるわな。こら一発カマシたるか」

 

ぺちんとヒットが拳を打ち鳴らす。

マル外教室との対抗戦を控え、彼女は新戦力も入ったこのタイミングでマル外の面々に発破をかけてやろうと考えていた。

最近は余りにも張り合いが無い為に、少し悪役を引き受けてやろうという彼女なりの好意である。

 

「ヒットちゃん、ほどほどにねえ」

「わかっとるがな。今日は食堂使える日やしな、丁度ええわ」

 

この三人組の会話に、耳を傾ける二人のウマ娘。

 

(ふうん、面白い事やるわねアイツ。でも間違ってるのよね)

 

マル外で誰が一番速いかを既に知っているボス。

度肝を抜かれる三人組の顔を想像し、にやにやと笑う。

 

(……なるほど、ね……楽しめるといいけど)

 

いつもの窓際で、外を眺めながら耳だけを三人組に向けていたシオン。

楽しめそうなライバルの登場の予感に、静かに闘志を燃やす。

 

 

 

「で、なんや、今日もカナは欠席かいな……」

「うん……お見舞い行く?」

「そうやなあ、土曜とかどうや?」

「さんせー!」

 

 

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

 

「みなさん、ごきげんよう」

「フランちゃんおはよー」

「すっごいお嬢様してるー!」

 

楚々とした挨拶を交わしながら、フランがマル外教室の表札を潜る。

浮世離れした美貌と普段は令嬢然とした物腰のフランであったが、初日の自己紹介の天然ぶりが功を奏したのかマル外教室の面々に無事に受け入れられ、良好な関係を築けている。

 

「フランちゃん、おはよー!ねえねえ!今度お家に遊びに行ってもいい?」

「おはようエリーちゃん。返事は下宿先に伺ってからでもいいかしら?」

「うん!楽しみにしてるね!」

 

友人の一人、アイルランド公国生まれ日本育ちのウマ娘エリーと言葉を交わし、フランは席に着いたところでぬっと現れた大きな影に包まれた。

 

「フランちゃん、おはよう」

「ごきげんよう、ヴァラちゃん」

 

影の主は留学生の一人、アフリカから来たヴァラエティクラブだった。

か細い声で挨拶を交わし、何か言いたげな表情のままフランを見つめる。

その顔を見て、フランは優しげに笑って続きを促した。

 

「……うふふ、どうしたの?」

「お昼……一緒にどう?」

「ええ!一緒に食べましょう」

 

笑顔で応じるフランに、恥ずかしげに頬を染めるヴァラ。

初日、その大きな体と纏う雰囲気に似合わず、恥ずかしがり屋なヴァラにフランは気を使って以来とても懐かれていた。

二人に、留学生の最後の一人のファーが音を立てながら近付く。昨日から器具は付けっぱなしである。

 

「おはようフランケル、それにヴァラ」

「ごきげんようファーちゃん。今お昼をヴァラちゃんと食べる約束をしていたのよ。一緒にどう?」

「ああ、乗った」

「フランちゃん、ファーちゃん、今日の体育も……」

「ええ、一緒の組になりましょう」

「そうだな」

 

ヴァラはどこに行くにもついてくる勢いである。物怖じせずに付き合ってくれるファーにもよく懐いている。

昨日の自己紹介も、勇気を振り絞った結果あのように強者の雰囲気を纏ったように見えていた。

実際に交流した生徒達は、見かけによらず付き合いやすく日本語がまだ不自由なヴァラを歓迎し、世話をよく焼いていた。

ホエがマル外教室の新しいボスと勘違いしたのは丁度世話を焼かれているのを見たからである。何も知らずに見れば、圧倒的な強者が配下を引き連れているように見えていた。

 

「三人ともおはよう!オイラも一緒にお昼食べてもいい?」

「ごきげんようタールちゃん。もちろんよ!」

 

フランの席周辺に集まる留学生組に、マル外の現エースであるタールタンが近付き、フランの返事に大げさに喜びを現す。

 

「やったあ!今日は食堂使える日だからね!楽しみなんだあ」

「……食堂?」

「うん、学園の食堂だよ!毎週一日だけ先輩達とご飯が食べれるんだよ」

 

トレセン学園では学園入りが内定している生徒達の為に、憧れの先輩達との交流の場として曜日毎に学年を変えて、食堂を附属小学校の生徒にも開放している。勿論無料である。

今日は五年生に開放される日だった。生徒達はこれを楽しみにしていたのだ。

これを聞いたヴァラが、不安げにフランの後ろに隠れながらタールにある事を訊ねる。

大勢のウマ娘がいる言葉もわからない、知らない場所での昼食。人見知りな彼女にはやや敷居が高い。

 

 

 

 

「こわい人、いる?」

「いないよ!オイラの知ってる先輩、紹介するからね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

そして授業は進み、昼である。

附属小学校の五年生達がトレセン学園の誇る中央大食堂に集まり、知り合いの学園生やトレーナーと相席する者、レースを見て憧れを抱いた先輩に勇気を出して声をかける者などそれぞれ先輩達と交友を深めていた。

その食堂の丁度中央、フラン達一行がタールの既知である一人の先輩を招き、楽しげに言葉を交わしている。

 

「うん、タールもしっかりやっているようで何よりだ!自分は休養中だがこれは負けてられないな」

「ブロッケン先輩、今度またダートの練習見てね!」

「ああ、その前にちゃんと前を見て走りなさい」

「てへへ、オイラ走るといつもよそ見しちゃうから……」

 

タールと仲よさげに話す、ドイツの軍帽を被った軍人気質のウマ娘──サクセスブロッケン。

群雄割拠のダート路線の一角を担う実力者である。彼女がJPN1ジャパンダートダービーを勝利したのを現地で観戦したタールが出待ちしてサインをねだり、後にこの食堂で再会した時から二人の交流は続いている。

和気藹々とした雰囲気の中、フランがきょろきょろと首を回してある人物を探した。

 

「………トム、いないわ」

「フランちゃん?」

「あっ、ううん、何でもないのよ」

 

フランは食堂で会えるかも、と智哉を探していたがどこにも見当たらなかった。

当人は豊原に連れられ殿下監修のラーメン屋で食事中である。ウマ娘向きの二郎系で美味だった。

 

「あれが、留学生……」

「どうした?シオン」

「あっ、いえ……ハーツ先生」

 

少し離れたテーブルで、師と仰ぐウマ娘と食事を共にするシオンが噂の留学生を眺める。

長身に褐色の、見るからに速そうなウマ娘。

現在も配下の金髪の美少女を侍らせ、まるで帝王の如き覇気を放っている。

勘違いである。人見知りのヴァラは不安でたまらないからフランにべったり貼り付いていた。

 

(ヴァラ、だったわね。確かに速そうだわ……相当にやるわね)

 

沸々と、シオンの闘志が燃え滾る。

その眼前で、クラスメートのいつもの三人組が留学生達に近付く。

 

「アンタら昨日からの留学生やろ?ちょっとええか?」

「ヒット……何か用?」

 

タールの言葉には応えず、全員を見渡した後に腰に手を当て、ヒットはニヤリと笑って声を上げた。

 

「ワイはヒットザターゲットっちゅうモンや!そんでこっちがサダムパテックにホエや」

「よろしくねえ」

「ヒットちゃん、ちゃんと紹介してよね!」

 

にこにこと笑みを浮かべるテック、そしてぷんすこと抗議の声を上げるホエ。

二人に何しに来たんやこいつらと呆れつつも、ヒットが言葉を続ける。

 

「ワイらは五年生クラスや。ちょっと速いコが入ったって聞いて軽くアイサツしとこか思てな。次の対抗戦、流石にもうちょっと頑張ってくれんとワイらの練習にならへんからなあ………」

 

一旦言葉を切り、ヒットはタールに向けて嫌らしい笑みを浮かべる。

渾身の悪役ムーブである。昼休み前に練習した成果が見事に出ていた。

 

「せやろ?タール」

「ッ!!今度こそオイラ達が勝つよ!!」

「言うてマル外は今年負けっぱなしやん?笑わせるでホンマ、口ばっかやなあ?ひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 

そう言いつつ、ヒットが悪役っぽく笑う。

練習では三人で笑う場面である。

 

「ヒットちゃんひどーい!」

「ヒットちゃん、そんな事言ったらだめでしょ」

「なんでやねん!自分らも笑わんかい!!」

 

しかし天然二人はすっかり忘れていた。

ヒット以外の二人、テックは社グループの役員の娘でホエは北海道の名家生まれとお嬢様育ちである。悪役ムーブは敷居が高いのだ。

 

「あっそうだった!あははは!!」

「うふふ」

「なんやその笑い方!!やる気あるんか!もうええわ!!」

 

凸凹トリオの仲間割れにより疲れた顔のヒットは気を取り直し、留学生三人をそれぞれ眺める。

意に介さず野菜スティックを小動物のように細かく齧る爛々とした目のウマ娘、ヒットを見てきょとんとする金髪美少女、そして本命の圧倒的強者の威風を持つ長身のウマ娘に目を留め、楽しそうに笑った。

 

「それでも次は期待してるんやで?とんでもなく速そうなんが入ったって聞いてなあ……」

「速そうなの……?」

 

更に近付き、本命の前にヒットが立つ。

その顔には好戦的な笑みが貼り付いていた。

これは演技ではない。強力なライバルの出現に対してレースバカの血が騒いでいるのだ。

 

 

 

「──アンタに、言うてるんやで?」

 

 

 

決まった、とヒットは心の中でガッツポーズを決める。

期待している大物に間違いなく自分を強く印象付けられたという確信があった。

しかし、ヴァラの反応は芳しいものではなかった。

 

「……………………」

「ふえっ?ヴァラちゃん?」

 

全く、ヒットの方を見ていない。

そして、椅子にふんぞり返るようにもたれ、フランを引っ張った。

 

(コイツ、今ワイの事シカトしよった……眼中にない、ってか、コイツ………ッ!!)

 

改心の口上を無視され、ヒットが怒りに震える。

自分を無視し、お気に入りの配下を侍らせるその行動全てが「お前など眼中にない、失せろ」という風に受け取れた。こめかみがぴくりと動き、険しい顔でヴァラを睨みつける。

そしてヴァラは、フランにか細い声で耳打ちを始めた。

 

「フランちゃん……この人なんて言ってるの?顔が怖いわ」

「えっと……ヴァラちゃんが速いから走りたいって言ってるのよ」

「そうなの?急に言われても恥ずかしいわ。私、日本の子より速いかわからないし…そういうのは友達になってからで………」

「わたしが伝えるわ。待ってね」

 

ヴァラは初対面の相手に人見知りを発揮していただけである。しかも顔が怖いから少しでも離れたくてふんぞり返っていた。フランを引っ張ったのは相談と通訳のためである。

 

「………オイ、何無視してんねん?こっち見んかい!!!」

 

怒りに震え、声を荒げるヒットにフランが目を向ける。

ヴァラは怖くてそっぽを向いた。

ヒットは目もくれないヴァラに更にいきり立つ。

 

「エット…わたし、フランケルよ」

「自分とは話してへんやろ!用があるのはそっちや!!!」

「アノ……えーと、わたしが代わりにお話するわ」

「…………ア?」

 

ヒットの顔全体に血管が走る。

「お前如きと話す舌は持たん。失せろ」と態度で示されているとヒットは感じた。勘違いである。

ヴァラが声を荒げるヒットに怖がってふんぞり返るので更に誤解を加速させた。

 

「…………ここまでコケにされたのは初めてやで」

「えーと、あのね………ヴァラちゃん、速くないから走りたくないって言ってるわ」

「アア!!!?ワイが速くないって言うたんか今!!!?上等やないか!!!!」

「そういう意味じゃないのよ?まず仲良くなってから……」

「仲良く!!?こんな真似しといてか!?舎妹になれって事やな!!!舐めとんかワレェ!!!!」

 

フランが話す度にヒットの沸点が高まる。勘違いである。

ヴァラはふんぞり返りすぎて椅子から落ちそうになっていた。怖くて離れたいのだ。

間に立ったフランは困ってしまったが、一つ名案を思いついた。

ヴァラは怖がっている。そして怒っているヒット。ならば解決策は一つしかない。

 

「じゃ、じゃあわたしが走るわ!」

「……はーん、そういう事かいな。自分に勝ったら走ったってもええってか?舐め腐りよって!上等やんけ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──放課後、練習場に来いや!!!!」



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第十三話 無敗の怪物

放課後のトレセン学園附属小学校の校庭を、二人のウマ娘が歩いている。

小学校の生徒ではない、二人共威風溢れる堂々とした出で立ちのウマ娘である。

一人は右目が隠れるように左右非対称に分けた栗毛に雷光のような流星が付いた、貴公子の如き男装のスーツ姿のウマ娘。

その人物が隣のトレセン学園の制服を着こなした鹿毛と黒鹿毛のメッシュ、そして三日月を象った流星を持つウマ娘に楽しげに笑いかけた。

 

「久しぶりだね、こうやってここをのんびり歩くのも」

「そうですね、先輩」

 

二人はこの附属小学校の卒業生である。

そして、カルトにこの学び舎の子供達が狙われている事も知っている。

小学校を訪れ、校庭を散歩してるのはその為である。

学園の重鎮である私達が目を光らせているぞ、というカルトの協力者への威嚇という意味合いを持っていた。

 

「あー会長さんだー!」

「会長さんおさんぽしてるの?」

「ああ、ちょっと気晴らしにね。寄り道せずに帰るんだぞ?」

「はーい!ばいばい会長さん!」

 

下校中の生徒達に囲まれ、会長と呼ばれたウマ娘──中央トレセン学園生徒会長シンボリルドルフは、生徒達に優しく語りかけながら手を振る。

それを眺め、貴公子はくすくすと笑った。

 

「……先輩、何か?」

「いや、あのルドルフがそんなに優しい顔をするなんて、ね」

「現役時代の話はやめてくれませんか。何年経ってると思ってるんですか……」

「ははは、ゴメンね。でも会長になっても中央を無礼(なめ)るなよ、とかすぐに凄んでたよね?あの子のおかげかな」

「そうですね……そのテイオーがまだ継いでくれないから辞めれませんが……」

「君はまだまだこの学園に必要な人材だよ。私の目に狂いは無かったね」

 

楽しげに、誇らしげに笑みを浮かべる貴公子と、ジト目で抗議の目を向けるルドルフが二人並んで歩きながら、言葉を交わす。

 

「先輩、藤花さんは何と?」

「あっちは独自に動くと言っていたよ。藤花は強いからね、心配いらないだろう。ところで、校長は思い切った事をやるみたいだね?」

「母の呼んだ助っ人の件ですね。大丈夫でしょう、ああ見えて頼りになる人物です」

「私から見れば毒を持って毒を制す、と言う風にしか見えないけどね……」

 

ルドルフの母、附属小学校の校長の秘策の話になるや、貴公子はため息をついた。

校長はウマ娘の教育に情熱をかけるやり手だが、気性難である。

とある超気性難一派を学園内に迎える事を、彼女は全く意に介さず快諾している。

更にどんな事になっても責任は取ってやるから好きにやれ、とまで言ってしまった。

どれ程の大惨事になるかもわからない緊急事態である。覚悟を決めた理事長は胃薬を買い込んで備えている。

 

「えっ!それどこでやるの?」

「練習場だって!行ってみようよ!」

 

二人の前を、数人の生徒が何やら話しながら急ぎ足で通り過ぎていく。

 

 

 

 

「……何か、あったのかな?」

「行ってみましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「逃げずに来たようやな!まずは褒めたるわ!!」

「二人ともがんばってね!」

「がんばって〜」

 

腕組みをして、にっくき留学生を待つヒットの前に、体操着姿のフランが立つ。

何故か走る事になってしまったフランだったが、その表情は気負いも無く落ち着いている。

クラブで他チームと鎬を削り合っているフランは、こうやって気性難に勝負を吹っかけられる事も何度か経験しているからである。

もう走ることに後ろ向きだったあの頃は、過去になっていた。

 

「エット……どういう勝負をするの?」

「ダート、坂路、そしてターフでの併走三本や!ワイが勝ったらそっちのヤツと走らせろや!そっちが勝ったら何でも言うこと聞いたる」

 

ヴァラを指差しながら、ヒットは野次ウマ娘も含めた観衆の前で堂々と言い放つ。

指を差されたヴァラはスッとファーの後ろに隠れてそっぽを向いた。怖いのだ。

附属小学校の練習場は、学園には劣るが十分な施設を有している。

坂路、ダート並びにターフコースを完備し、時間割に沿って各クラスで練習が行われていた。

 

「姉さん、何してるの……」

「面白いことしてるじゃない!……シオン、珍しいわね?こんな勝負を見に来るなんて」

「……ただの気紛れよ」

 

野次ウマ娘の中に混ざり、ノーブルと共にフランの勝負を見に来たボスが、その隣に佇むシオンに怪訝な目を向ける。

 

(……どれくらいのモノか、見せてもらうわ)

 

他のウマ娘に興味を抱かず、普段は自分の練習に没頭するシオンであったが何かの予感を感じてここまで来ている。

あの金髪の美少女はともかく、ヒットが次に勝負するであろうあの長身のウマ娘がどこまでやれるか期待していた。

 

「じゃあ……ヒットちゃんとお話したいわ」

「話、やて?」

 

何でも言うことを聞く、と言われたフランはすかさず自分の希望を伝える。

今回の件、明らかに勘違いから始まっているとフランは察していた。天然のフランらしくない勘の鋭さである。

感受性が高く、気持ちの機微に敏感なフランの長所によるものだった。

 

「ええ、きっと行き違いがあるわ、だからお話しましょう?」

「……ようわからんけど、ええわ!何でも話したる!!じゃあダートからやるで!来いや!!」

 

のしのしと歩くヒットに着いていくフラン。

それを、後ろからタールがはらはらと心配そうに見ていた。

 

「フランちゃん、大丈夫かなあ……ヒット、かなり速いよ」

 

ヒットはエリート校である附属小学校に合格し、対抗戦でも必ずオーダーに入る実力者である。

タールも何度か勝負しているが負け越していた。得意のダートならまだ勝負になるが、芝では勝ったことがない。

 

「……しんはいいらんほ」

「ファーちゃん、食べてから言おうよ」

 

好物の野菜スティックをこりこりと齧り、完全に野次ウマモードで観戦するファーが咀嚼を終えてから言葉を続ける。

 

「あのヒットというヤツ、速いと言うがどれくらいだ?」

「えっと……オイラ芝じゃ勝ったことない」

「その勝ったことない、とは他の誰も勝ったことがないのか?」

「えっ、ううん、エリーは勝ったことあるよ」

「そうか、ならしんはいないほ」

 

話しながら呑気に次の野菜スティックをこりこり齧るファーに、タールが抗議の視線を向けた。

留学生が入ってから、マル外教室ではまだ本格的な競走の練習は行われていない。

今週は環境に慣れてもらおうと言う教師の判断である。だからタール並びにマル外の生徒達はフランがどれだけ走れるかを知らない。

痺れを切らしたタールが、ファーから野菜スティックを取り上げる。

 

「あっ……私のニンジン」

「ファーちゃん!ちゃんと答えて!」

「すまない、答えるから返してほしい、すまない」

 

謝るファーに、タールが野菜スティックを返す。

ほっとしたファーが、タールの疑問に答えた。

 

「私はエプソムのポニースクールに通っていたが、そこにはライバルが二人いた」

「えっすごいねファーちゃん、それで?」

「そのライバルだが、一人がフランケルの従姉妹だった。そしてよくフランケルの話をした」

「うんうん」

 

野菜スティックをぐっと握り、最後までとっておいたニンジンがぽきりと折れて地面に落ちる。

友人兼ライバルのナサから、ファーはフランの話をよく聞いていた。

ファーはレースバカである。そして速いウマ娘を何より好む気質の持ち主である。

野次ウマ娘モードに入っていたのは自分の昂りを抑える為だった。

治療中で、走るのを禁じられているからだ。

 

「フランケルは諸事情あってポニースクールには通っていない。だからクラブでレースの練習をしている。そこで、だ……フランケルの戦績と、その結果付けられた異名がある」

「……何て、呼ばれてるの?」

 

話す二人の前で、ダートでの併走の準備が整った二人が並ぶ。

ゴール役はこの勝負を面白がったブロッケンが引き受けている。休養中で暇なのもあった。

 

「いつでも来い!」

 

ゴール役の手が上がり、いよいよ走るその時、フランはヒットの足元が青く光るのを見た。

 

(……砂、ね)

 

クラブで経験済のあの洗礼が来ると感知したフランは、その対策の準備に入る。

それを眺めながら、ファーは一言、こう漏らした。

 

「無敗の怪物、フランケル……あれは、見てくれ通りの優しいお嬢様じゃないぞ」

 

(悪う思わんといてや。英国のお嬢様はこういうの知らん、やろ!?)

 

ファーの言葉と、ヒットの奇襲は同時であった。

 

「あっ!砂!ずるいよヒット!」

 

ヒットが深く踏み込み、砂をフランに巻き上げた。

ダートの洗礼である。見るからに楚々としたフランは、芝でお上品な練習ばかりだと判断したヒットは砂にまみれさせ、やる気を削いでやろうと考えていた。

ヒットは入学後もフリースタイル等の様々な野良レースに飛び込み、場数を踏んだ試合巧者である。

こういう裏技もよく知っており、お高いお嬢様の心の折り方を熟知しているのだ。

 

「ばーか、効くわけないじゃん」

「…………嘘」

 

野次ウマ娘達の歓声が上がる中、ニヤニヤ笑うボスと、呆然と見つめるシオンの言葉が重なる。

確実に、砂を浴びるタイミングだった。

 

(ッ!!!?なんやねんコイツ!?加速おかしいやろ!!!)

 

 

砂を浴びせたその瞬間には──フランは消えていた。

 

 

瞬時にギアを上げ、その天性の加速で砂の範囲外に逃れたのだ。

事前に砂が来ると感知していたからこそ出来た、フランだけが可能な対策である。

 

智哉が渡米したあの日の誓い通り、フランは本当の意味で強くなろうとクラブで走り続け、勝ち続けた。

その日々の中で、今日のような手荒い洗礼を受ける事もあった。

相手チームのウマ娘達の、自分への畏怖の視線に泣いた夜もあった。

智哉にもまだ言えていない苦悩を抱え、日々を重ねる内に少女は答えを得た。

技術も、努力も、秘めた決意も、全てを押し潰し、それでも前に進む。

ただの圧倒的な才能による蹂躙──悩んだ末に、フランが到達した答えだった。

 

熱い勝負も、競い合う相手も、自分には望めない。

でも自分にはゴールがある。待ってくれている人がいる。

 

だから、フランは走る。いつも、ゴールまでの一人旅を。

 

(クッソ……なんや今の!?あんな避け方ありえへん!!)

 

スタートの時点で決着はついていた。

深く踏み込んだ分、ヒットはスタートが少し遅れていたが、それだけではない差を感じていた。

金髪を靡かせ、目の前を走る相手の背中が遠ざかっていく。

 

(全然、差が縮まらへん……こんなヤツが、おるんか……)

 

ヒットが見送る中、フランはゴールラインを割った。

 

「…………う、うむ!フラン嬢の勝ちだな!良いスタートだったぞ!」

「ありがとうございます、ブロッケンさん」

 

息を整え、唖然とした表情のブロッケンにフランが礼を言ってから、ようやくゴールに到達したヒットを見た。

食堂での騒動でも見た、優しい笑みをフランが浮かべる。

しかし、ヒットにはそれが恐ろしい何かに見えた。

 

 

「……次の勝負、しましょう?」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「次は坂路や!ちょっとはやるみたいやけど今度はそうは行かんで!!」

「ヒットちゃん、もう復活した!」

「ド根性だねえ」

 

次にヒットが選んだのは、坂路だった。

ヒットの得意な根性比べである。あの加速はターフでも分が悪いという打算の産物だった。

フランが傾斜を確認し、軽く頷く。

 

「フランちゃん、すっごく速いんだね……びっくりしたあ」

「私のニンジン、無くなってる……ニンジン……」

「さっき自分で落としてたよ」

 

先程の勝負の興奮冷めやらぬ様子のタールが、自分で落としたニンジンを探して狼狽えるファーを呆れた目で見た。

そして、この優秀な解説役に思い付いた質問を告げる。

 

「ねえファーちゃん、ヒットね、坂路はすごく得意だよ」

「ひほんほはんほはふふいは」

「何言ってるかわかんないよ」

 

もごもごと野菜スティックを飲み込み、ファーがようやくまともに返事を返す。

 

「日本の坂は緩い、と言ったんだ。ナカヤマ、だったか?そこくらいだな。これはアメリカもそうだが」

「……そうなの?」

「ああ、どちらが優れている、という話ではないが。自然をそのまま活かしたコースの欧州に対し、日本とアメリカは人工的なトラックコースが多いからな」

 

近代のウマ娘のレースは、欧州の王侯貴族や有力な資産家の所有する屋敷の、広い庭での御前レースが発祥と言われている。

自然そのままの丘や野原に柵を立て、整備すること無くそのままコースとしていたのである。

そして、現在も欧州各地のレース場はその名残を残し、起伏の激しいコースが多い。

対して、欧州からアメリカ並びに日本に近代レースが広まった結果、それぞれが独自のコース作りに至っている。

アメリカは重いダートを主流としたパワー重視のコース。

日本は浅い国産の芝を多用したスピード重視の高速バ場。

そして伝統を遺す欧州の勾配が激しく、ハードな緩急を求められるコース。

求められる能力が、それぞれ違うのである。

これが日本のウマ娘達が、悲願の凱旋門制覇を未だ成せていない理由の一つとされている。

 

「なるほど……ファーちゃん詳しいね」

「ああ、ここに来る前にケッ……マスターに教えてもらった」

 

関係を秘されている恩師の名前を伏せつつ、ファーが解説の締めに入る。

 

「つまり……フランケルは、坂路は得意分野ということだ。私もそうだ」

「という、事は……」

 

ファーの解説に聞き入っていたタールが、ようやく坂路勝負に目を向ける。

坂路の真ん中で、ヒットがぶっ倒れていた。

 

「なんで平然と登ってくねん………」

「あー!ヒットちゃんがんばりすぎ!」

「張り合いすぎたねえ」

 

ド根性で食らいついたヒットはガス欠を起こしていた。完敗である。

それを見て、ボスがけらけらと笑う。

 

「あははは!あー面白かった」

「……ボス、あなた、あの子を知ってるわね?」

「うん?あー……うん、そうね、知ってるわ。ウチに住んでるし」

 

シオンの問いかけに対し、居心地悪そうにボスが応える。

ボスは既にフランの実力を知っている。

つまり、これと同じ事が小栗邸の庭先で起きているのだ。

 

「勝負、したのね?」

「………………した。良いとこ見せようと思ってね。ボッコボコにされたわよ。アイツみたいに」

 

口を尖らせ、ボスが負けた事を白状し、シオンは眉を顰めた。

ボスは五年生クラスでもトップクラスの実力者で、マイルにおいてはクラスの第一人者である。

シオンですら、ボスの土俵では負けるかもと思っている。それ程の存在なのだ。

 

「そう…………そうなのね」

 

シオンは、戦慄を覚えた。

異常なまでの才能の片鱗、総合力の高さ、そのどれもが自らの上を行っていると確信した。

 

(知らない……あんなウマ娘、知らない……あれが、世界だというの?それに……)

 

フランの後ろについて回る、長身のウマ娘。

食堂での騒動を終始見ていたシオンは、その時のヒットの言葉を思い返す。

 

『……はーん、そういう事かいな。自分に勝ったら走ったってもええってか?舐め腐りよって!上等やんけ!!!』

 

(……つまり、あの子は、あれほどの子が、前座……!!!)

 

覇気を放つ、ヴァラエティクラブというウマ娘の常識外れの更に上を行く怪物。

シオンにはもう、化物にしか見えなかった。勘違いである。

ライバルが、熱い勝負ができる相手が欲しいと思っていた。しかし目の前に現れたのは二人の怪物。

何かに追われるように、シオンは踵を返した。

 

「あれ?アンタ帰るの?」

「……練習の時間よ」

 

ぐっと、血が滲む程に拳を握り、シオンは言葉を絞り出した。

 

「負けて……負けてたまるもんですか……!!!」

 

そのまま遠ざかるシオンの背中を見送り、ボスは呆れてため息を付く。

 

「アンタは一回、負けといた方がいいと思うけどね……あれ?ノーブル?どこ行ったの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、二連勝でフラン嬢の勝ちだ!ヒットもよく食らいついていたぞ!!」

「二人ともおつかれさまー!」

「ヒットちゃんがんばったねえ」

 

勝負は最後のターフ勝負を残し、フランの勝利となった。

野次ウマ娘達の歓声も止み、しん、と辺りが静まり返る。

その中心でヒットは座り込んで俯き、震えていた。

フランはその姿を見て、ずきり、と心に痛みを覚えた。

こうなるとわかっていた事だった。自分と走った相手のほとんどはその差に絶望し、項垂れる。

 

(……トムに、会いたい)

 

フランはこういう時、智哉の顔をよく思い出す。アスコットレース場で約束を交わしたあの日、優しく微笑んでくれた智哉を。

そうやって、心の痛みを遠ざけていた。

フランも俯きかけたその時、笑い声が辺りに響く。

 

「わはははははは!!あー負けた負けた!!自分やるやん!!!ホンマ速くてチビりかけたで!!!」

「……ふえ?」

 

ヒットはまるで堪えていなかった。そもそもがレースバカの彼女は速いウマ娘が大好きなのだ。震えていたのは武者震いである。

そして何者かがフランの肩を掴み、持ち上げた。

 

「ふええっ!?」

「フランちゃんすごい、すごい……!!!」

「あ!お前独り占めすんなや!!このっこのっ!」

 

持ち上げたのは、フランの速さに興奮したヴァラだった。人見知りだがレースは大好きである。

ヒットが独り占めされたと怒って、ヴァラにローキックを浴びせるがびくともしない。体は見た目通り頑丈だった。

更に、周囲から歓声が上がる。

 

「すごーい!ヒットちゃんがごめいわくおかけしました」

「すごかったねえ、対抗戦よろしくねえ」

 

ホエとテックも近付き、フランを祝福する。

続いて少し離れた位置にいたタールも駆け寄ろうとして、動かないファーに振り向いた。

 

「あれ?ファーちゃんは行かないの?」

「ああ………遠慮しておく」

 

野菜スティックを食べ終えたファーが、腕を組みフランの方へ近付くタールを見送る。

その組んだ腕の中の拳は、強く握り締められていた。

レースへの渇望、昂りを抑えているのだ。

 

「……ナサの言った通り、か」

 

眉唾のようなクラブの怪物、それが本物だった。その事実に、ファーのレースへの執念が燃え上がる。

しかし、まだその時ではない。抑える為に、一歩も動けなかった。

 

そして、この様子を遠くから終始見ていた二人がいた。

 

「とんでもない子がいるものだ……あの子は?」

「ガリレオが言っていた子ですね。ウチに入学する天才が行くからよろしく、と」

「彼女がそこまで言う子か。これは納得だ」

 

生徒会長ルドルフと、貴公子の二人。

統括機構の麗人と個人的な交友のあるルドルフが、いつもの生徒達と交友を深める為の会議にて言われた言葉を思い返す。

なおお互いやり手だが笑いのセンスは良くないと思っている。五十歩百歩である。

 

「……よし、あの子達も帰るようだし私達もそろそろお暇しようか?」

「そうですね、先輩。明日は?」

「明日も来るよ。君は仕事が溜まっているだろう?」

「……助かります。最近は殿下に追われてエアグルーヴが生徒会室に来れないので……」

 

現在学園に滞在中のアイルランド公国の要人と、副会長の攻防の余波で我らが生徒会長は激務である。

副会長の作業までこなしていた。貴公子が同行を願い出たのはそのフォローである。

二人が話しながら去り、練習場から一人、また一人と下校していく。

 

 

それを眺めていた、何者かを残して──

 

 

 

 

 

 

 

 

「スゲーのいるわ!あの子は絶対入信させようぜ!!」



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第十四話 叫びは、誰にも届かない

「ハア……ハア……ッ」

 

思わず、逃げてしまった。

解っていたことなのに。

 

姉さんは、特別だって。

 

姉さんは、わたしみたいな普通のウマ娘とは違うって。

 

わたしには絶対に手に入らないもの全部──姉さんは生まれた時から持ってるって。

 

(ッ!!……どうして……)

 

解っていたのに、わたしはまた姉さんから逃げた。

耐えられなかった。

同じ血を引いて、同じ家で育ったはずなのに。

 

姉さんは速くて、頭が良くて。

 

それなのに綺麗で、優しくて。

 

あの脚が欲しい。誰よりも速くて、特別なウマ娘の脚。

 

あの輝く金髪が欲しい。綺麗で、滑らかで、お父様と同じ色。

 

あの賢い頭が欲しい。姉さんは、もう日本語で不自由なく会話ができる。

 

あの優しい心が欲しい。わたしにあの心があれば、こんなに惨めな気持ちにならないのに。

 

…………わたしは、わたしは…………ナサ姉さんみたいに姉さんを見れない。

 

わたしは、心が弱いから。

 

わたしは、いらないものばかり。

 

普通の脚。普通の髪。普通の頭。

姉さんのものを欲しがる、醜い心。

 

姉さんは、嫌いじゃない。わたしの事を、大切な妹と思ってくれている。

だから、きっと、わたしが醜いんだろう。

なんて弱いんだろう。この心は。

 

わたしは、わたしが嫌いでたまらない。逃げてばかりの、弱いウマ娘。

姉さんを見て凄いと思う前に、わたしは嫉妬していた。大切な姉さんに。

 

きっと、それが、わたしというウマ娘の本性。

 

「……どうして、どうして姉さんなの」

 

姉さんが、肉親じゃなければ。わたしの姉さんが、特別なウマ娘じゃなければ。

弱いわたしは、最近そう思う事が増えた。

ボスさんも、速いウマ娘だった。わたしは敵わなかった。

 

でも、姉さんにはまるで歯が立たなかった。

 

どうして、どうして姉さんはあんなに速いの?

 

どうして、あんなに特別なの?

 

わたしは、わたしはああなりたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おい、ノーブル?どうしたんだ、一人で」

 

逃げた先で、わたしに不意にかけられた声。

気付けばわたしは、学園の方にまで走っていた。

 

「……トモヤさん」

 

振り向けば、お祖母様から監視を申し付けられた、姉さんに付き纏う破廉恥な男、トモヤ・クイルがいた。

でもこの人は、姉さんがとても懐いている。わたしも見たことがない顔で心を許している。

この人の前では、姉さんはまるで小さい子供のように振る舞う。きっと、それだけ大切な人。

 

特別な姉さんがそこまで入れ込むこの人も、きっと特別。

 

わたしとは、違う。

 

わたしの気持ちなんて、理解できない人。

 

「君、迷子かな?小学校の生徒だろうか?」

「ああ、俺の身内なんだよ。学園に何か用か?フラン達は一緒じゃないのか?」

 

トモヤさんの隣には、覆面を付けたウマ娘のお姉さんがいた。

ちょっと怪しいけど、優しそうに声をかけてくれた。

心を、落ち着けないと。わたしは、醜いわたしを誰にも見せたくないから。

 

「ごめんなさい、ちょっと学園の中を見てみたくて……失礼します」

「あっ……おい!もう帰れよ!」

 

わたしは、また走って逃げる。吐き出せない気持ちを抱えながら。

後ろで何か話していたけど、わたしにはもう聞こえなかった。

 

 

 

 

「……あの顔。智哉!」

「うおっ!急にどうしたんだよ、ヴァー」

「忠告だ。あの子から目を離すな………いいな?」

「………わかった。心当たりでもあるのか?」

 

 

 

 

「ああ………情けない話だがね、私の……」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

智哉が、家路を急ぐ。

ヴァーからの忠告、様子のおかしいノーブルの姿。懸念を抱えて走る。

玄関を勢いよく開け、客間を目指す。

 

「帰ったぜ!ノーブルいるか!?」

「あーおかえり、そこにいるわよ」

 

客間の襖を開けたその先、姉の指差す縁側にノーブルはボスと並んで座っていた。

 

「……何ですか?」

「へ?いんの?」

「智哉兄さん、女の子の部屋を確認もせずに開けるなんてダメよ?」

「すいません………」

 

ボスに窘められ、素直に智哉が謝る。

こういう時は折れておくのが無難である。姉の教育の賜物だった。

首を傾げてこちらを見るノーブルは、まるで平気そうだった。智哉が胸を撫で下ろし、その場に座り込む。

 

「てかさ、ノーブルちゃんに用事あるなら電話すりゃよかったじゃん」

「……そうだわ、慌てて頭に無かったな。ああ悪いなノーブル、何でもない……」

「……?はい」

 

落ち着いた智哉がスマートフォンを取り出し、それを眺めてふと朝の出来事を思い出した。

ここには姉もいる。聞くには良いタイミングである。

 

「そうだ姉貴、ウマッターやってたよな?」

「やってるけど……それよりも後ろ」

「……後ろ?」

 

後ろを振り向く。気づいて貰えず拗ねた表情のフランがいた。

 

「……フラン、いつからいたんだ?」

「ず〜〜っと、玄関からトムの後ろにいたわ」

「マジで?ごめん……」

「もう!」

 

ぷくう、と頬を膨らませ、フランが縮こまる智哉に抗議する。

フランをなだめる弟に、姉が先程の話の続きを促した。

 

「で、ウマッターがどうしたのよ?」

「ん?おう……ちょっとな、どういう物かと気になっただけだよ」

「ウマッター?トム、知らないの?」

「ああ……触ったことないんだよ、SNSは」

 

智哉は諸事情により、アメリカではSNSの使用を禁止されていた。

興味がないわけではないが、別に始めなくてもいいだろうと考えていたし、スマートフォンもほぼ連絡以外には使っていない。

しかし今日カナと話し、あまりにも自分が同年代と共通の話題が無いことを実感したのである。

レース三昧で青春を浪費した弊害があった。だから姉に聞いてみようと思ったのだ。

 

「ふーん、まあ今なら別にいいんじゃない?登録とかはわかるんでしょ?」

「ああ、登録はしたんだけどさ、これフォローとか勝手にしていいのか?」

「むしろ勝手にするもんでしょ。あたしフォローするからアカウント教えな」

 

アカウントを姉に伝え、姉からのフォロー通知が届く。

これで智哉のフォロワーは二人になった。二人である。

 

「………あれ?作ったばっかなのに一人フォロワーいるのね、あんた」

「おう、よく知らねえけど30分くらいしたら一人増えたんだよな」

 

姉がもう一人のフォロワーを確認したところ、@Tom'SDANというアカウント名だった。

姉は血の気が引いた。アカウント名から誰かを把握したのだ。あまりにも速すぎるスタートダッシュである。

 

「姉貴すげえな……フォロワー万超えてるじゃねえか」

「えっ、あっ、うん、そうね、凄いでしょ。これでも名ウマ娘だからね!」

「なんだよ、しどろもどろに……」

 

狼狽えながらも胸を張って威張る姉に怪訝としながらも、智哉が姉のウマッターを見ていく。

ダンスのターンのコツから練習風景の撮影、更にはヤッタとの飲み会が特に大きくウマいねを受けていた。

日本語も話せるマルチリンガルの姉は日本人のフォロワーも多い。

ふとメディア欄を見たら一昨年の11月に、キーンランドレース場の待機所で山のようにならぶ酒類とともにピースサインを決める姉が目に入った。

「い つ も の」「飲んだくれいい加減にしろ」「嘘みたいだろ?これ……ウインターカップの伝説のウマ娘なんだぜ?」「呑んでないで私と走れ」「うちに入信しませんか?今ならビールをダースで……」などと散々な言われようである。どうしようもない姉だった。

俺が酷い目に遭ってる時にこんな事してたのかよ、とひきつりながらそれを見る智哉の脇から、ひょこんとフランが顔を出す。

 

「ミディお姉様、練習風景とかダンスのコツとか動画で教えてくれるから競走バのフォロワーが多いのよ」

「なるほどなあ、こうやって発信すればいいのか」

「そーそー、あんたはトレーナーの守秘義務とかあるからちゃんと守んのよ」

「わかってるって。まあたまには呟いてみるか……」

 

トレーナーには守秘義務が存在する。

担当のプライベートや練習についての口外はご法度である。ウマ娘本人の裁量のみ練習の公開は許されている。

続いて智哉は、カナに教えられたカレンチャンというウマ娘のアカウントを検索し、覗いてみた。

 

「あーこの子、人気よね。フランちゃんの一個上の子だけどフォロワー凄いのよ」

「…………トム、この人が気になるの?」

「い、いや、ちょっと知る機会があったから見ただけだよ」

 

フランが何故か目を渦巻かせ始めたので智哉が弁解しながら、メディア欄を適当に見ていく。

気になったのは童顔の青年とのツーショットである。

この青年、よく見れば見覚えがあった。初日に気性難に絡まれていた青年に似ている。

ツーショットは「お兄ちゃんと練習♡」と書かれた体操着姿のカレンチャンと青年が写っているものだった。

どうやら実兄のようである。何故かひきつった顔の青年に智哉は少しだけ親近感を覚えた。

そして、リプライを確認するとまたもや@DragonLordKanaがいた。

 

『愛しいカレンチャン!おはよー!チュッ(笑)もうカナとカレンチャンは既に運命共同体となっておりますので、どうか最後までお付き合いください(笑)』

 

こいつ絶対おっさんだろと智哉が引きつつも、このリプライに更にツリーが形成されていたのでそちらも見ていく。

「龍 王 定 期」「王 の 帰 還」「おじさんきもいよ!」「今年はビクトリーズ勝てるとええね」「流石にそれはあたしも引く」「デジたんからマジレスされる前代未聞のおっさん」「うちに入信しませんか?今ならカレンチャンのブロマイドを……」などと散々な言われようである。当然の帰結だった。

 

「何見てるのあんた……うわっ、すごいのいるわね」

「カレン先輩じゃない。智哉兄さん、知ってたの?」

「おう……今日、カナっていう奴から教えられたんだよ」

「ウマッターですか、いろんな人がいますね」

 

ボスとノーブルも話に加わり、智哉が今朝の出来事を話す。

それを聞いて、ボスは額に手を当てた。病欠のはずの同級生である。

 

「アイツ、学校にも来ないで何してるのよ…………」

「やっぱりあそこの生徒か。来てないのか?」

「もう一週間は休んでるわ。智哉兄さん、次見たら学校に来るように言っておいて」

「そっか、わかった……近くまで来てるなら出る気はあるのかもな」

 

不登校児だと確定したカナに、智哉が考えを巡らせながらボスに質問する。

カナがどういうウマ娘か気になっていた。附属小学校の生徒ならエリート候補である。

そして、カルトから狙われている対象でもある。辺りをうろついているのは危険だと考えていた。

 

「どういう奴なんだ?」

「速いわ。真面目に走ればね」

「真面目に?」

「ええ、でもやる気が全く無いのよ。何でかは知らないけどね……」

 

頬杖をついて、ボスがお手上げと言った様子でため息をつく。

カナは小学校では目立たない存在である。

ボスも本気で走ったところは偶然、練習場で眼鏡を外したカナが一人で走っているのを見ただけだった。

それを問い詰めても、人違いだとカナは取り合わなかった。

理由はわからないが、走らない理由がある。

そして問い詰めて以来、カナは学校に来なくなった。ボスは責任を感じている。

 

「ボスのせいかもしれないから、お願い……智哉兄さん」

「……気にすんなよ、任せとけって。明日もいるだろうしな」

 

ふと、ボスがあの日のカナについて、気になった事を思い出す。

まるで別人のようなカナは、走ってから足を抑えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………アイツ、足を故障してるかも」



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第十五話 早すぎる、その病

というわけでカナちゃんの掘り下げ回やで。


トレセン学園附属小学校、夕暮れの練習場を一人のウマ娘が疾走する。

生徒達が下校したのを確認した後、少女は一人練習場で走るのを日課としていた。

その理由は、少女が抱える悩み──誰にも言えない持病にあった。

 

「フッ…………!!」

 

少女は走る。その秘めたる才能、全てを発揮して。

ベテランのトレーナーでも唸る驚異的な加速、臆病な陰キャ故に普段は誰にも気付かれない競り合いの強さから来る高い先行力、練習不足の為かスタミナに課題が残るが、短距離ならば今でもクラスで一番の実力者といえるだろう。

トレードマークの眼鏡を外し、髪を掻き上げ、猫背がちな背中をピン、と反らせたその姿はまるで別人のようだった。

少女の視線の先には、ゴールに見立てた憧れの芦毛のウマ娘が暴漢にあわや襲われる危機に陥っている。

 

『きゃあああ!!誰かーーーーー!!!』

『へへへ……こんな所に誰も来るわけないだろ!さあカレンチャン、このTシャツにサインを……』

 

追い詰められ、窮地の芦毛のウマ娘。救いは無いのか?

否、そのために少女がここにいるのだ。

 

「いるさっ!ここに一人な!!」

 

『な、何者……ぶべらあああああ!!!?』

『あ、あなたは……?』

 

悪漢を加速を加えた飛び蹴りで吹き飛ばし、颯爽と少女が芦毛のウマ娘の前に降り立つ。

まるで映画やアニメの1シーンのように、二人の間に光が差した。

 

「何、大した者じゃないさ……お嬢さん、お怪我は?」

『だ、大丈夫です。あの、せめてお名前を……』

 

頬を染め、窮地を救ってくれた恩人の名前を訊ねる芦毛のウマ娘。

そして、少女は高々と指を天に掲げ、名乗る。

 

「天を裂き、悪を断ち……そして、ターフを支配する」

 

 

「──人呼んで、我が名は龍王!龍王カナ!!!」

 

 

掲げた指の先から稲妻が発し、文字通り天を裂く。

それを呆然と、憧れ、恋情を浮かべた瞳で芦毛のウマ娘が見つめる。

ここに、出会いは成った。日本の短距離路線を席巻する龍王と、芦毛のウマ娘の運命的な出会いである。

 

しかし少女は蹲り、痛みが走る脚を抑えた。

 

「………ぐうっ!?」

『あっ!カナさま!?大丈夫ですか!!?』

「いや、心配いらないよ……静まれ、我がドラゴン・フット……!!」

 

龍王はその驚異的な速度の代償として、脚に宿る龍の魂に苛まれている。ただの成長痛である。

この脚との主導権争いに、幼気な芦毛のウマ娘を巻き込むわけにはいかない。

そう思い、龍王は踵を返す。芦毛のウマ娘の心に、強い恋慕の気持ちを残して。

 

「また会おう、カレン」

『あっ!カナ様!!待ってください!!……カナ様』

 

遠ざかる龍王に手を伸ばし、カレンは涙を一雫溢す。

運命的な出会いと別れ。

 

しかし、また二人の道が交わったその時、二人はまた出会い、今度こそ共に歩むのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

と、カナは心の中でモノローグを浮かべた。ここまで全て妄想である。

 

「き、決まったぁあああああああ!!!!これならカレン先輩もカナにイチコロですよ!!!!」

 

カナがガッツポーズを決め、その場で笑い転げる。

彼女は誰にも言えない持病──早すぎる中二病により、こうやって誰もいない練習場で憧れの先輩との出会いのシミュレーションを行っていた。

実力を隠しているのはそっちの方がかっこいいという考えによる物である。冴えないウマ娘が実は凄いというよくある創作ネタがカナの性癖だからだ。どうしようもない少女である。そもそも誰とも分け隔てなく接するカレンチャンは声をかけたらすぐ友人になれるはずだった。

しかし陰キャの彼女にはあまりにもそのハードルが高かった。カレンチャン本人とその友人達の陽の気でその身を焼かれるのだ。

龍王と言うよりは西洋の吸血鬼である。どうしようもない中二病のウマ娘だった。

しかも出会いのシミュレーションの癖に出会ってすぐに別れている。ちょっと曇らせ要素があった方がカナの性癖だからだ。どうしようもない少女である。

 

「よし!!!次はレース中にピンチのカレン先輩に救いの龍王が現れるシーンを………」

 

 

 

 

「カナ、よね……?何してるの?」

「あっ……ボス……?」

 

次の妄想に移ろうとするカナに、後ろから声がかけられた。

一生の不覚である。妄想に耽りすぎてクラスメートの接近を許していた。

 

 

 

 

 

 

「ぎえええええ!!!カナじゃないですカナじゃないです人違い……あっ」

 

早朝、カナが叫びながら飛び起きる。あの日の黒歴史の悪夢に苛まれていた。自業自得である。

周囲を確認し、自室のベッドの上にいる事を確認したカナは強くため息を吐き、頭を抑えた。

 

 

 

 

「ガッコー…………行けねぇええぇええええ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

翌日の朝である。

今日は朝練は無いが、昨日のカナの話を聞いた智哉はいつも通り早めに支度を整え、玄関を開こうとする。

 

「トムー、まってー」

 

そこに眠た目を擦りながら、フランがやってきた。

智哉と一緒に登校したいが為の早起きである。

普段よく寝る子であるフランは、慣れない早起きにより眠気に襲われている。

 

「フラン、どうした?まだ寝てる時間だろ」

「わたしもいくー、ねむいわ」

「いいけど、大丈夫かよ……サリーさんは?」

「トムといっしょならいいって、きょかをくれたわ。ねむいわ」

 

姉妹の送迎役はメイドの役目である。

メイドがそう言うなら、と智哉は息を吐き、フランと手を繋いだ。

 

「それならいいか……学校で居眠りすんなよ?」

「だいじょうぶよ、ねむいわ」

「全然大丈夫そうに見えねえ……」

 

二人で玄関から出て、早朝の閑静な住宅街を歩く。

梅雨を控えた初夏の早朝の朝陽が心地よく二人を包み、フランが船を漕ぎそうになりながらも爽やかな陽気に機嫌よく声を上げた。

 

「あさひがきもちいいわ……ねむいわ」

「もうちょっとしたら暑くなるけどな……日本の夏は暑いぞ」

「あついのはやめてちょうだい、ねむいわ」

 

二人並んで歩くその先、住宅街のゴミ置き場の前を通りがかったところで、一人の小豆色のジャージを羽織ったウマ娘と出会う。

智哉はすぐに誰かを思い出した。昨日電柱にしがみついていたニートウマ娘である。

社会復帰の第一歩としてゴミ捨て当番にでも割り振られたのだろう。智哉は心の中でエールを送った。

 

「キングちゃん、ひどい……あ、おはよーございますー」

「ああ、どうも……おはようございます。ほらフラン、挨拶しとけ」

「ごきげんようお姉様……ねむいわ」

 

フランが挨拶する間に、昨日見ていないウマ娘の顔を智哉が見る。

髪はボサボサ、更にはサングラスとマスクを付け、羽織ったジャージの下は働きたくないと達筆で書かれたTシャツ姿。

一見どころでなく不審者丸出しである。万が一ニートのまま正体がバレたら大事だと考えた、彼女の家族からの配慮だった。

 

「あらかわいー。ご丁寧にどうもーお嬢ちゃん、名前は何ていうのかなー?」

「フランケルよ、お姉様。ねむいわ」

「フランケルちゃんねー、覚えたー。私はねー……えーと、レーヴって言うのよー」

 

本名で名乗るの禁止、と妹分から厳しく言い付けられているのを思い出した不審者がレーヴと名乗る。

そのままフランの顔を見つめ、レーヴは首を傾げる。

その時、レーヴのかけたサングラスの隙間から、淡い紫色の光が溢れたのを智哉は見た。

 

「んー………?フランケルちゃんてさー、目が光ったりする?」

「するわ、トムから貰ったのよ。ねむいわ」

「………ふーん、そのトムさんは?」

「この人よ、ねむいわ」

 

うとうとしながらも、フランが隣の智哉を示す。

ようやく、レーヴが智哉を見た。

何となく問い詰めるかのような視線を感じた智哉が一歩だけ下がった。そんな目で見られる心当たりは当然無い。

 

「ふむふむ……あ、ごめんなさい、はじめましてー、レーヴって言いまーす」

「あ、ああ……どうも、久居留智哉って言います」

「トモヤくんだねー、ふんふん……目、あげたの?」

「い、いや……そんな覚えはないんすけど」

 

ふと、およそ四年前に使えなくなった智哉の持つ能力、相マ眼について思い出したが智哉は頭の中でその考えを捨てた。そんな漫画みたいな事起きないだろ、と考えている。

まだ仔細をジジイから聞かされていなかった。父セシルの抵抗と黙っておいた方が逃さなくて済むという女主人の判断によるものである。

 

「ウマ娘の子の怪我とか見れる眼、持ってたでしょ?それねー、この子の物になってるから」

「…………なんで、そうわかるんすか?」

「んー……おねーさんもねー、そういう人から貰ったから」

 

レーヴに捨てた可能性についてずばり言い当てて見せられ、智哉は息を呑む。

自分が知らないあの眼の謎、フランの持つ青く光る眼の秘密、それを知っている相手が目の前にいる。

この話は聞いておいた方がいいと思い、レーヴの話に耳を傾けた。

 

「だからねー……フランケルちゃんを大事に……」

「お姉様!!!!!!」

「げえっ、キングちゃん!?」

 

その時、後ろから昨日も居たレーヴの妹分が現れる。

レーヴの反応は劇的だった。まるで三国志の武将に会ったかのように飛び上がり、その場を離れる。

しかし逃げられなかった。すかさず抱え上げられ、キングと呼ばれたウマ娘が怒りの声を上げた。

 

「ゴミ捨てに行っただけで遅いと思ったら!!何してますの!!?」

「ご近所付き合いは大事でしょおおおお!!?」

「働いてからにしなさい!!あ、失礼しますわ、おほほ……」

「降ろしてええええええ!!!」

 

担いだまま智哉とフランに愛想笑いを振りまき、二人は去っていった。

嵐のような出来事である。

智哉は、サングラスとマスクで隠されているが見覚えのあるレーヴの風貌に首を傾げた。

かつてとあるウマ娘について調べた時に知った、伝説の欧州歴代最強ウマ娘の面影があった。

しかし有り得ない話だと首を振る。

そんな伝説のウマ娘が、こんなところでゴミ捨て当番の自宅警備員などやっているはずがない。

 

「いや、無いだろ……フラン、行くか」

「ぐうぐう」

「立ったまま寝るなよ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

学園の門の前、いつも通りの曲がり角の前の電柱にカナは身を潜めている。いつもの出待ちである。

しかし、その表情はいつにも増して浮かない様子である。悪夢を見たせいで寝不足だった。

それに今日は何やら周囲が騒がしい。目の前を先程からウマ娘二人を乗せたバイクが爆音で学園周辺を周回している。

 

「オメーらァ!!ガッコちゃんと行けよなァ!!!!!」

「…………ガッコーは、いいぞ」

「あー!ドリジャ先輩とメジャーさんだ!!」

「サインください!!」

「………いいぞ」

 

暴走ウマ娘仕様に改造され、「夢想の旅路」と書かれたドリジャの愛車に跨る二人のウマ娘。

片方は当然持ち主のドリジャである。

その後ろに跨るウマ娘──釘バットを肩に担ぎ、縦縞のレプリカユニフォームと野球帽姿のダイワメジャーが、サインをねだる生徒達に快く応え、ガムを噛みながら釘バットを振り回す。

その先端が見えない程に高速で翻り、音速に到達した音と共に生徒達の色紙が八つに寸断された。彼女なりのサインである。

彼女もかつては競走バであり、引退後はウマ娘野球チームでエースで四番を務める名選手として知られている。

 

「わーすごい!!ありがとうございます!!」

「メジャーパイセンまじパネェッス!!!!!気合入りすぎッス!!!」

「ドリジャ先輩もサインください!!」

「お!!?いいぜェ!!並びな!!!」

 

この様子を遠くから眺めていたカナの顔がひきつった。

手荒すぎるサインもそれを貰って喜ぶ生徒も、全く理解の範疇の外である。

 

「なんなんですかこれ、ヤバい」

 

いつもと違う朝、周囲を徘徊する気性難、違和感を覚えるカナに、人影が一つ近付いた。

 

「おっ、やっぱりいたな」

「ぐうぐう」

「そろそろ起きてくれねえかな……」

 

智哉とフランの二人である。なおフランが起きない為に智哉が背負ってここまで来ていた。

寝ている少女を背負って歩いていたせいで、智哉はここまでの道中で警戒中のウマ娘巡査に二回職質を受けている。

サブトレのツナギ姿とトレーナー証で命拾いしていた。

 

「お前、なんですかその子?誘拐ですか?」

「ちげえよ……身内なんだけど、早起きしたら立ったまま寝たんだよ」

「なんですかそれ、お前の身内そんな子ばっかなんですか?」

「いや、そんな事は………あるかも………」

 

カナに言われて否定するも、智哉が身内のウマ娘達を頭に浮かべて若干憂鬱になる。

姉、メイド、フラン、ダン。どれもそれぞれ個性的に過ぎる。ヤッタとロードを身内に含めても更に個性が増えるだけである。

 

「で、なんですか?カナは忙しいんですけど」

「あー……そうだな、ウマイン見せるわ」

 

本題、不登校の話に移る前に、智哉は昨日の話の続きをカナに持ちかける。

昨日のボスの相談の後、メイドにフランとのウマインを見せていいか確認したところ、了解を貰っているのだ。

スマホを取り出した智哉が、そのフランとのウマインでのやりとりをカナに見せる。

 

内容はこうである。

 

〜一月前〜

『トム、いい感じの棒があったわ』

『何で棒探してんの?それで何すんの??』

『ウオッカお姉様に教えてもらったのよ。いい感じの棒があればテンションが上がるのよ』

〜一週間前〜

『トム、見てちょうだい』

『おう……フランの尻尾だよな、これ?』

『かっこいいのよ』

『何が???』

『かっこいい揺らし方を研究しているのよ。ウオッカお姉様に教わったのよ』

〜昨日〜

『トム、仮面ボーイのDVDを見たいわ』

『ああ……日本で人気のヒーローだっけか?色々あるけど、どれが見たいんだ?』

『タマティーヌがでてるやつよ。仮面ボーイ稲妻が見たいわ』

『それ滑舌悪くてネタになってるやつだぞ?いいのか??』

 

全く陽キャの参考にならない内容である。フランの天然ぶりが全開で出ていた。

変な事ばっかり教えないでくれよと、智哉は会ったことの無いウオッカというウマ娘に少しだけ抗議したくなった。

週末の休日には智哉はフランと仮面ボーイを視聴する予定である。

駆け出し時代の大女優の滑舌が悪くてネタになっている作品だった。ストーリー自体は熱いらしいのでちょっとだけ楽しみにしている。

 

「………この子天然すぎませんか??なんですかこれ」

「ああ……後ろのヤツなんだけどな。天然だよなあ」

 

カナの警戒が解けたと見るや、本題に入る。

 

「で……お前、ここの生徒なんだってな。俺の身内にボスって子がいてさ、聞いたよ」

「ぎゃああああああ!!!!?お前ボスの身内ですか!!!!!!」

「ちょっ、どうした急に!?」

 

カナの反応は劇的であった。黒歴史の目撃者である。当然の反応だった。

後退り、防犯ブザーを構えたカナが叫ぶ。

 

「なんですか!!?脅迫ですか!!!?カナに何をさせる気ですかこの陽キャ!!!!!」

「何もしねえよ!!!?防犯ブザーはやめろ!!!!学校行けって言いたいだけだよ!!!!」

 

慌てて弁解する智哉に、カナがきょとんとした顔を向ける。

 

「……それだけですか?行かないですけど」

 

しかし登校する気は毛頭なかった。もし黒歴史が広まっていたらと考えたら行けるはずがなかった。

智哉がカナの意思を確認し、頷く。

 

「そっか、じゃあいいわ……ボスは心配してたけどな」

「……いいんですか?」

「あー……言いにくいけど、俺も不登校の時期があったからな……そこまで強くは言えねえかな」

 

智哉はある一件により不登校になり、転校を繰り返した過去があった。

カナの事情は知る由もない。しかしこの過去により、自分は強く言える立場ではないと思っている。

ただ、同じ経験のある先輩として伝えたい言葉があった。

 

「ただなあ……俺は後悔してるよ。色々あったけど、当時の同級生ともう一回話しとけばよかったな、ってさ」

「お前………」

「だからお前は後悔しないようにしとけ。それだけだな……俺が言いたいのは」

 

同じ思いを抱えてほしくない。後悔はしてほしくない。

カナとは知り合ったばかりでその事情も知らない。

不登校となるまでに追い詰められているという事実に、智哉は過去の自分と重ね、お節介を焼きたくなっていた。

自分と同じ道を進ませたくないと思っていた。

なお原因はただの中二病である。

 

「ま、よく考えて……シスターさん何してんすか」

「お、オウ……あんちゃん見かけたから声かけようとしたらよぉ……何か重い話してっから……」

 

ふと、気配を感じて智哉が振り向いたら、後ろにバツが悪そうにしたシスターがいた。

彼女は今日より小学校の臨時講師として勤める事になっている。校長のカルト対策のためである。

そして智哉を校門前で見かけ、近付いた所盗み聞きをした形になってしまっていた。

気まずそうなシスターが、手を智哉に差し出す。

 

「……なんすか?」

「俺様よぉ、小学校に用事あっからフラン嬢ちゃん預かってもいいぜ」

「あ、助かります……フラン、そろそろ起きろよ」

「ぐうぐう」

 

渡りに船とばかりに、寝たままのフランをシスターに預ける。

シスターは、話を盗み聞きした詫びとばかりにフランを預かるや──眼前から消えた。

 

「……へ?」

「うっし、確保っと」

 

慌てて振り向くと、両肩にフランとカナを抱えたシスターが小学校に向かって歩いている姿があった。

話を聞いていたシスターはカナを小学校へ連行するつもりである。

 

「ぎえええ!!!降ろしてくださいいいぃい!!!!」

「不登校はダメだろ?お前は学校に連行だ」

「ぎゃああああ!!行きたくないいいいぃぃぃ!!!あ、この子顔がすっごく良い」

 

暴れたカナだったがシスターはびくともしない。そして隣のフランの顔を見てほう、と息を呑んだ。

推しのカレンチャン程ではないが顔が良いウマ娘は好みである。

 

「じゃーなーあんちゃん。ヴァーの事ちゃんと見てやれよ」

「うっす……まあいいか、良い機会だから学校行っとけ」

「いやあああああああ!!!!!」

 

最後の抵抗を始めるカナ、まだ寝ているフラン、それを見て笑う智哉に、のしのしと歩くシスター。

周辺を爆走する暴走ウマ娘に、用務員として登校する二人組。

 

──その全てを見ていた何者かが、泣きそうな声で何処かに電話をかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………あの、無理です。帰っていいですか?駄目?そんなぁ…………」



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第十六話 協力者は、何処に





プロ競走バのトレーナーの業務は多岐にわたる。

ただ、担当にトレーニングを課し、レースに出走させれば良いというものでは無い。

練習場の予約、出走手続に担当のスケジュール管理と食事面のサポート、更には他トレーナーとの打ち合わせに併走相手の交渉、マスコミの取材応対から用具の手入れまで、大小様々な雑務に常に追われる職業である。

一人、二人ならまだ問題は無いが、多数の管理ウマ娘を預かる身となれば激務となる。

だから資格取得して間もないトレーナーはチームに入ることを奨励されている。チームならば全体を見るチーフや多数のサブトレのサポートを受けられ、担当のトレーニングに集中できるからだ。

智哉もこの為にカルメットに所属していた。結局サブトレと怪人の二足の草鞋で激務ではあった。

 

そして、智哉は今問題に直面していた。

 

豊原は、フリーの一匹狼である。そして武豊の称号を持ち日本最高のトレーナーと呼ばれる存在である。

つまり、担当はヴァーだけではないのだ。

 

「………あの野郎、全部押し付けて行きやがった」

 

トレーナー室でわなわなと、智哉が目の前の名簿を眺めて震える。

豊原の、管理ウマ娘名簿である。

 

その数、十六人。

 

サブトレーナーのディーも豊原と共に名目上の謹慎を言い渡されている。つまり一人で十六人の管理を行わねばならない。

一人でこなせる業務ではない。明らかにキャパオーバーである。

 

「これがあるから、たづなさん俺に全部投げたな…………絶対覚えとけよ」

 

名簿を机に投げ出し、眉間を揉んで思慮に耽る。

豊原から引き継いだトレーニングメニューがある事と、一部の管理ウマ娘は休養中で週一の全体練習への参加のみとなっていたのが救いである。トレーニングメニューは智哉から見ても全く理に適ったものだった。

ああ見えてやっぱりすげえんだなあいつ、と智哉は少しだけ豊原を見直している。

今日は何とかするとして、今後の為に業務の補助が出来る人材が必要だった。

 

「まず姉貴だな、それとサリーさんに……じいちゃんと藤花さんは道場があるから無理として……後は、あの人かあ……ハネムーンで悪いけど、巻き込むしかねえよなあ」

 

当てはあった。だが頼むのに気が引ける人物である。ようやく休暇が取れたアメリカの友人が日本に来る事になっていた。

椅子で軽く伸びた後、頬を叩いて気合を入れたところで、トレーナー室を誰かがノックする音が智哉の耳に届く。

 

「開いてる……開いてます、どうぞ」

 

いつも通りのぶっきらぼうな口調で返そうとした智哉が、言い直して入室を許可する。

今日、ヴァーから聞いていた話を思い出しての行動である。

 

「入るぞ、サブトレーナー。業務は大丈夫だろうか?」

「……大丈夫です、何とかしてみせます」

 

殊更深刻そうに入室したヴァーに、思い詰めた顔で応対する智哉。

その後ろから、カメラを構えたテレビ局のカメラマンとディレクターが続いて入室する。

人気ドキュメンタリー番組「ウマ娘大陸」のスタッフである。帝王賞を控え、G1競走勝利数記録がかかっているヴァーは次の題材に選ばれていた。

帝王賞後に放映する予定である。今回の豊原とディーの謹慎にあたり、良い画が撮れると喜んだディレクターの依頼により智哉も出演する運びとなっていた。

多少やらせにはなるが、着任したばかりのサブトレが多数の担当を受け持ってしまい、豊原の担当の中でも現エースに当たるヴァーと途方に暮れるシーンが撮りたいと言われ、智哉は新人のように振る舞う事になってしまっている。

無理のない話ではあった。智哉の年齢で正規のトレーナー資格を取得しているのは、ごく一部の優秀なトレーナーに限られる。

 

「本当に大丈夫なんだろうな?メニューは用意してあるのか?」

 

新人の手腕を疑問視しているヴァーが手を差し出し、智哉にトレーニングメニューを見せろと要求する。演技である。

 

「……これです」

「…………ダメだな」

 

智哉から差し出されたスタッフが適当に書いた小道具のメニューを、ヴァーは一瞥するやくしゃりと握りつぶした。

演技である。本放送では「サブトレーナーが徹夜で仕上げたメニューを握りつぶすヴァーミリアン。彼女に妥協という言葉は存在しない」とナレーションが加えられる予定となっている。

 

「ふう……いいか?この時期にこんなメニューで仕上がるはずがないだろう。私が書こう」

「すいません、ヴァーミリアンさん……」

 

智哉の謝罪には反応せず、ヴァーが机に向かう。ここでディレクターが手を叩き、撮影終了の合図を伝えた。

 

「はいカット!良い感じだよ〜これで行こう」

「……こんなんでいいんすかね」

「うんいいよーサブトレ君!演技上手いねー君、何処かで劇団員でもやってた?」

「いや、そういうのはやってないっすけど、以前ちょっとだけ……」

 

良い画が撮れて機嫌良さげなウマ娘ディレクターとは反対に、智哉はげんなりと椅子に沈み込む。

それを見てヴァーが、申し訳なさそうに声をかけた。

 

「これでは道化だよ……本当にすまないな、智哉……トレーナー、名簿は隠してたのか」

「ああ………まあ、何とかはなると思う。明日から応援が……おっと、席外してもらっていいすか」

「えー!密着取材はまだ続くんだし教えてよ!応援って相談役とか?それとも館山トレーナー?」

 

多数の管理ウマ娘を擁すベテラン二人の名前を挙げつつ、ディレクターが智哉に対して粘る。

図々しいなこの人、と思いつつも智哉は首を横に振った。

 

「いや、どちらも違うっすね……来てのお楽しみってやつで」

「私にも教えてくれないんだよ。困ったものだ」

「漏れると困る人なんだよ……察してくれ」

 

この智哉の話を聞いて、マスコミの端くれであるディレクターは首を傾げた。

ふと、アメリカから来日する大物の事を思い出したのだ。

 

 

 

「……まさかね、あ!次は練習風景撮りたいんだけど!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おはよう………ございます」

 

おそるおそる、カナが教室の扉を開く。

結局シスターから逃げられなかったカナは学校まで連行され、心配していた教師に声をかけられた後に五年生クラスの教室まで来ていた。

病欠していた同級生を見るや、三人のウマ娘がカナに殺到する。いつもの三人組である。

 

「おお!カナやんけ!!もうええんか?」

「カナちゃんだー!ひさしぶりー!!」

「もう大丈夫〜?」

 

元気一杯な三人娘の陽の気に当てられ、カナは蒸発しそうになるも踏み止まった。どうしようもない陰キャである。

 

「ぐえっ………大丈夫です大丈夫です!だからカナに注目するのはやめてくださいぃ………」

「わはは!いつものカナやんけ!元気そうやな!」

「出た!照れるカナちゃん!」

「いつものカナちゃんだねえ」

 

誤解である。この陰キャはリア充オーラに当てられると耐えきれずに灰と化すのだ。

見舞になど来られたらその場で失神する可能性もあった。命拾いしていた。

この様子をシオンは見つめ、ぴくりと眉間が動いた。

しかしそれ以上の反応は示さず、窓から外を見る作業に戻る。

あの怪物二人との勝負が控えている今、戦力にもならないウマ娘に構っている余裕はない。

 

「カナ!来たの!?」

「ぎええ!!!!ボス!!!!?」

 

一番会いたくない相手、ボスにまで近寄られてカナは絶叫して教室の入口まで逃げる。

中二病を拗らせていた自分の自業自得である。

 

「………そんなに後退りされると流石に傷付くんだけど」

「なんや?何かあったんか?」

「あーもう!何もしてないわよ!!」

 

ボスが腕を組み、逃げたカナに近付いてからその耳をぐっと掴む。

 

「ぎゃああ!!なんですか!!?」

 

怯えるカナを無視し、ボスは伝えたい事を耳打ちした。

 

「…………誰にも、言ってないから」

「………えっ」

「だからアンタの秘密の練習、誰にも言ってないから」

 

あの日のいつもと違う様子のカナの事を、これまでボスは誰にも言っていなかった。

来なくなったカナの事を思い、言ってはならない事だと気を使っていたのである。

なおただの中二病である。ボスはぶつぶつと妄想に耽るカナの声までは聞こえていなかった。

 

「…………ほんと、ですか?」

「ホントよ。でも…………」

 

ぎゅっ、とボスがカナの耳を抓った。

 

「これからは、本気で走りなさいよ。走らないとバラすわよ」

「!!!!!!!????」

 

言う事は言ったばかりに、ボスが耳を離す。

その顔は、愉悦に満ちていた。カナの弱みを掴んでいる事を反応から察していたのである。

カナの顔が蒼白に染まり、ぶんぶんと首を縦に振った。

そこに教師が入室する。ホームルームの時間である。

 

「みんないるわね、席に着きなさーい。今日から来てくれる臨時講師の先生を紹介するわ」

 

 

 

 

同時刻、マル外教室。

こちらも現在、朝のホームルームの時間を迎えている。

まだ眠た目を擦るフランを余所に、顔が引き攣る教師に、唖然とした生徒達。

その前に立つのは──

 

「よおポニー共!俺様、シスターサンディが今日からビシバシ指導してやるからな!!」

 

──小学校に、嵐がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「………ハズレだ。ディー、そっちは?」

「………こっちもダメ。何もないよ」

 

附属小学校の新人用務員二人が、教師のロッカールームの前で成果を報告し合う。

潜入捜査中の豊原とディーのコンビである。名目上は謹慎中の奉仕作業という形で、理事長から罰を与えられた事になっている。

二人で、授業開始と共にロッカールームの清掃という名目で教師達のロッカーの物色を行っていた。

女子ロッカールームへ入りたがる豊原をディーが踵落としで撃退する一幕があったものの、捜索は滞りなく終わった。

成果は無かった。空振りである。

 

「まーわかってたけどな、念の為だ。気性難ってのは突拍子がねーからな」

「うん……母さんもそういうとこ、あるから」

「サンディさんと言えばよー、お前もちびっ子も思い切った事やったな……」

 

豊原が呆れた様子で相棒を眺める。今朝、校門でばったりと相棒の母であるシスターと会った時は開いた口が塞がらなかった。

相棒と理事長は超絶トラブルメーカーとその一派を、小学校に引き込んだのだ。

以前、相棒との関係を邪推したシスターに追いかけ回され、高尾山まで走って逃げる羽目に陥ったのも記憶に新しい。

その後の唐突に渡米をぶち上げた件も痛恨の出来事である。嫌な予感を覚え、楽しみにしていたアメリカ美女見物を諦める事になってしまった。

アメリカから帰国した後輩が何を聞いても「いやーきついでしょ」しか言わない機械になっていたのを見て、断念して良かったとも思っている。

 

「向こうが手段を選ばないなら、こっちも選ばないだけ。そうでしょ?」

「……まーな。後は古浪さんの結果待ちか」

「……あのおじいさん、何者なの?」

「俺もよく知らねーよ。タダ者じゃねーって事以外はな」

 

奉仕作業の監督という名目で、二人には学園から派遣された協力者がいた。

学園でも古株のベテラン用務員である。気さくな好々爺といった雰囲気の人物だが学園で唯一ゴルシを制御できる上に、気性難の乱闘の仲裁まで行える学園においても稀有な人材である。

今回の件においても職員室の調査を買って出てくれている。現在調査中である。

腕を組み考えに耽る豊原に、ディーが不安げに疑問を投げた。

 

「職員室、ダメだったらどうしよう」

「あっちが空振りでも問題はねーよ。絞り込めるからな」

「……どういう事?」

 

競走バを目指すウマ娘達のエリート校である附属小学校であるが、現在は府中エクリプス教会出身のウマ娘にレースの結果において押され気味である。

シスター一派の指導力が高いというのも理由の一つである。しかし豊原はもう一つの理由に心当たりがあった。

 

「気分の良い話じゃねーけどな、紐付きの教師が多すぎんだよ、この小学校はな」

「紐付き?」

「コネってこったよ。どっかのチーム、古臭い名家、そんなとこから送り込まれてくる教師が多いんだぜ」

 

これがその理由である。実際の指導力よりも、縁故での採用が多いのだ。

とある事案ウマ娘も本来は小学校勤務を希望していたが、教師陣とその後ろ盾の猛抗議により断念している過去があった。これは仕方ない面もあった。事案ウマ娘は実際危ない。

伝説のウマ娘であり、夫もアメリカで一流のトレーナーだったシスター一派とは当然指導力に雲泥の差がある。

 

「……子供達がかわいそう」

「ま、そう思うよな。だからよー、あのちびっ子と校長は今回の件を上手く利用するんじゃねーかな」

「利用?」

「あのちびっ子、あー見えて相当な狸だぜ?サンディさん一派を今回引き込んだだろ、あれ多分実際の指導力の差を教師達に思い知らせるつもりだと思うぜ」

 

理事長と校長は、今回の件において一点だけ共通している部分がある。

この機に乗じて、コネ採用の教師陣を一掃するつもりである。

シスター一派を当てた後、英国のポニースクールのように厳しい査定制度を設けるつもりなのだ。

豊原の説明を聞き、合点が行ったディーが続けて豊原の心当たりを訊ねる。

絞り込んだ結果についてである。

 

「………誰が怪しいの?」

「……どこにも紐がついてねーのは、この二人だな」

 

豊原が二枚の写真を示す。

片や、神経質そうな細身の人間の女。

片や、人の良さそうなウマ娘。

その片方にディーは見覚えがあった。着任直後に随分と嫌味を言われた教頭である。

 

「……タケル、この人」

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、石畑教頭と……マル外の新人教師だ」



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第十七話 初手王手

「校長!!私は反対と言いました!!!」

 

附属小学校の校長室に怒号が響き渡り、校長の前に立つ女性が力いっぱい机を叩く。

この人物の名は石畑康子。附属小学校の教頭である。

教頭がこのような剣幕で校長に迫る理由は唯一つ。

今日から急遽臨時講師となったとあるシスターと、その一派の採用を決めた件について抗議の為だった。

 

「まあ落ち着きなさいよ、康子くん……これにはちゃんとした理由があって、だね……」

「……それも聞いた上で、私は反対しましたよね?子供達にどんな悪影響があるか!!」

「うん、言ってたねえ……でも、最近は我が校の卒業生が、学園で結果が出ずに去ることになる事も多い。だから私は……」

「それでもです!あんな型破りに敷居を跨がせては、伝統ある我が校の醜聞になりますわ!!」

「うーん、弱ったな……とにかく、もう決まった事だから」

 

黒髪を後ろでまとめ、細長い眼鏡をかけた面長の神経質な教頭の剣幕に、校長がたじろいで苦笑いを浮かべる。

校長はウマ娘である。生徒会長である娘によく似た鹿毛の髪を短く切り揃え、モノクルを付けた切れ長の瞳。

トレセン学園附属小学校の長にして、シンボリ家の当主でもある学園の重鎮──パーソロン校長。

校長を前に、教頭はもう一つの懸念も追求するつもりでここに来ていた。

あの新人用務員二人である。

 

「それに!豊原トレーナーと彼女についてもです!彼女はいいでしょう。憧れる子も多く、みんな喜んでいますから」

「そうだろうね。あの件ね、私が引っ張ったんだよ?よくやったと褒めてくれても……」

「それが問題なんです!豊原トレーナーの素行はご存知でしょう?子供達にちょっかいをかけたら困ります!」

「あ、そっち……?彼は大丈夫だよ。子供に興味はないから……」

 

事実である。豊原の守備範囲は狭い。

眉間に皺を寄せ、まだ小言を続けようとする教頭に対し、校長が先手を打って言葉を発した。

 

「とにかく!もう決まった以上は仕方ない!責任は私にあるから!ね!?」

「………いいでしょう、校長。でも私は反対ですからね!」

 

そう言うと、肩を怒らせながら教頭は退出した。

出ていく教頭を見送った校長がため息をつき、天井を見上げる。

 

「もういいよ、出てきなさい」

 

校長の声と共に天井の一部がずらされ、そこから三人が降り立った。

調査も兼ねて天井から様子を眺めていた用務員達である。

その一人、豊原が頭を掻きながら教頭が出ていったばかりの扉を見つめ、言葉をこぼした。

 

「……キッツイおばちゃんだな。小学生には興味ねーっての」

「タケル、先生ナンパする気でしょ?」

「し……しねーよ?そんな暇ねーだろ……うん」

 

昏い目で追求する相棒から豊原が目を逸らす。図星である。

追求から逃れたいすけこましは、逸らした目をそのまま校長に向ける。

今回の件について、校長からは全面的な協力を取り付けている。

この天井での監視も、カルトの協力者疑惑のある教頭を直接その目で見るためである。

 

「で、校長はどう思ってんだ?」

「さっきも言ったけどね、私は康子くんだけは無いと思ってるよ。ああ見えて誰よりも生徒思いだから」

「猛反対してる理由も納得行く範囲だしなー、一応身辺は洗うけど……」

 

校長は浮上した容疑者達についての話を聞くや、教頭だけは絶対に有り得ないと断言している。

今回の一件で校長は豊原の予測通り、コネ採用の教師陣を一掃しようと考えている。

その中で、例外として残したく思っているのが先程小言を山ほどもらった教頭である。

校長の話を聞きながら、豊原が何となく聞き覚えのある名前だと考えに耽る。

 

「石畑、石畑ねえ………」

「タケル、どうしたの?」

「ディーも知ってるだろ?園田のあいつ」

「あ!石畑!でも偶然じゃないの?」

 

豊原とディーの二人は、教頭の名字に聞き覚えがあった。

地方トレセン学園の一つ、園田学園に籍を置くトレーナーに同姓の人物がいるのだ。

気性難顔負けの破天荒さを持った問題児トレーナーである。

現在はオーストラリアに武者修行中で、地方においても大井の間崎圭佑と並び称されて頭角を現している。

この二人の会話にもう一人の用務員、初老の白髪の男が口を挟む。

 

「甥っ子ですな。公表はされていないようですがな」

「んだよー、知ってたんなら言ってくれよー古浪さん」

 

常に微笑を浮かべ、好々爺と言った様子のトレセン学園の古株用務員、古浪。

いつからいるかもわからない、会長の現役の頃からおじいちゃんだった等と生徒に噂され、学園の七不思議の一つとまで言われている人物である。

超人の豊原や伝説のウマ娘のディーから見ても只者ではない雰囲気を纏い、職員室の調査においても一人で書類や教師陣の私物など一つ漏らさず調べ上げて来たのには豊原も唸った。

 

「一旦あのおばちゃんは外すか。身辺は……」

「やりましょう」

「すんません、任せるぜー」

 

教頭の調査については立候補した古浪に任せ、もう一人の容疑者については豊原とディーで調査する運びとなった。

もう一人の容疑者の写真を取り出し、豊原が校長に示す。

にこやかに笑う芦毛の三編みに地味な服装の、優しそうなウマ娘。

一昨年から採用されているマル外教室担当の新人である。

コネ抜きで教頭が推して採用されており、実際に指導力については問題ないレベルだった。生徒の評判も高い。

 

「で、こいつ……履歴ではアメリカから来た新人ってなってるけど、実際どうなんだ?」

「それは間違いないと思うよ。英語で話すと自然とアメリカ訛りが出るから」

「なるほどなー、横須賀でやり合ったヤツらもそうだったぜ」

 

横須賀港でのカルトの構成員との乱闘において、豊原は構成員がアメリカ訛りで会話する場面を目撃していた。

気性難カルト聖なる気性難の黄昏(トワイライト・サン・シモン)はアメリカを根城にするカルト教団である。アメリカ訛りを使うのは出自からしてもおかしいところはない。

豊原の後ろからディーが顔を出し、並んで写真を眺める。

 

「……あやしいね」

「まーな……とりあえず調べてから、だな。久居留の時みたいな早とちりはナシだ」

「うん……久居留くんと言えば、管理名簿って渡した?」

 

 

 

 

 

「…………渡してねーわ。ま、まあ、あいつなら何とかするだろ……………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

(まずい!まずいまずいまずい!!なんでこんな連中がここに………!!!)

 

彼女は焦っていた。追い詰められていた。

今日の五年生マル外教室は体育の授業だったが、予定を強引に変更されて競走指導の授業となった。

練習場ではない体育用のグラウンドを使っての競走指導である。

予定を強引に変更した臨時講師を前に、彼女は恐怖に囚われている。

彼女は、アメリカ出身のウマ娘である。当然アメリカの伝説のウマ娘についてもよく知っている。

その為に、彼女は焦っていた。

 

「よーし!大体はわかった!そこの!タールだったか?」

「は、はい!」

 

その焦燥の原因、超気性難として知られるシスターがタールを名指しして呼び出す。

今回の競走指導において、彼女は「本気で走らなくていいからグラウンド一周してみろ」と注文をつけている。

一通り生徒達の癖を眺めた後に、矯正すべき部分と育成方針をその明晰な頭脳で組み立て、改めて練習場を使った指導の際に実践する予定である。

これは教会においても同じく、教え子を初日から走らせるのがシスターのやり方だった。

ウマ娘は走らせてナンボだろという持論によるものである。

 

「ダートなら結構やりそうだけどよぉ、お前よそ見する癖あるな?」

「ごめんなさい……オイラ走ると気が散りやすくて……」

「ああ、責めてねぇよ。何か集中する方法が必要かもな、一緒に考えていこうぜ?」

 

にこりと、優しく微笑みながら不安げなタールの頭を撫でる。

普段の超気性難ぶりはなりを潜めていた。その気性とは裏腹に、指導は合理的かつ教え子の無理なく行うのが彼女の育成方針である。

第一印象と打って変わって優しげなシスターに、タールの目が輝く。その目は期待に溢れていた。

 

「はい!お願いします!」

「よーし、良い返事だ!後は……フラン嬢ちゃんは言うことねぇなあ。あのあんちゃん良い仕事して……いや」

 

次に、シスターはフランを見た。

智哉とフランの関係性も知っているシスターは、フランの天賦の才だけではない完成度の高さに智哉の指導によるものだと当たりを付けている。

しかし、一つだけ気になる部分があった。フランは本当に楽しそうに走る。それが気になるのだ。

 

「………レースだと行きたがりすぎるかもな。行きたがりは矯正難しいんだよなぁ」

 

フランは走るのが大好きである。傷付くこともあるがレース自体も好んでいるし、だからこそ競走バの道を諦めずに進んでいる。

それが問題になるかもしれない、とシスターは睨んでいた。

行き過ぎたレース好きはペースを考えずに行きたがり、トレーナーの示したレースプランに背く事すら有り得る。

この矯正は一朝一夕で可能なものではなかった。シスターも矯正した経験があるが、学園に送り出すギリギリまで苦戦した記憶がある。

 

「ま、あのあんちゃんと仲良いし大丈夫か。アフリカのヤツもかなりやるし、こりゃ教えがいが……」

「あの!サンディ先生!!」

「あん?何だデイソン先生」

 

意を決してシスターの前に立つマル外の担任、ホワイトデイソン。

元競走バである。アメリカでダート重賞も勝ったことがある人物で、その人柄と指導力を買われ教頭の推薦で教師を務めている。

 

「あ、あの!グラウンドでの競走指導は……」

「あー、大丈夫だって!無理しない範囲は抑えてっから!」

「で、でも……今日は顔合わせだけだと」

 

言い淀む教師に対し、シスターは笑みを深めた。

なんとなく先程から自分の勘が働いており、カマをかけてみようと思ったのだ。

 

「………何か、俺様がいたら困ることでもあんのか?」

「い、いや……そういう事じゃあ」

 

子供に背を向け、ぎしりと凶悪な笑みをシスターは浮かべた。

それを見て教師の足が竦む。アメリカで嫌というほど様々な伝説を残した超気性難である。アメリカ出身の彼女にとっては恐怖以外の何者でもない。

 

「ヨコスカだったっけか、子供が攫われそうになったらしいぜ?物騒だよなあ?そんな事するヤツ、許せねぇよなあ?」

「ひっ…………そ、そう、ですね……許せません、ね」

 

震えながら、ぱくぱくと呼吸をするように必死に返事を返す。

その肩をシスターは強く掴み、笑みをにこやかな物に戻す。最後の詰めである。

 

「ま、センセーはそんな事、しねぇよな?」

「えっ……は、はい!絶対にしません!!」

「それを聞いて安心したぜ!じゃーな、俺様子供の様子見てくっから」

 

機嫌良さそうに、シスターが肩を離して遠ざかる。

勘に従い釘を刺してみたが、狡猾なシスターは世間話の体で留まる所で抑えた。

これなら後で発覚してもいくらでも娘に言い訳が聞く範囲である。

 

 

しかし効果が覿面すぎた。

 

 

(………嘘、もう、知られてる……?なんとかしないと……せめて、ジュドモントの娘だけでも)

 

教師は焦っていた。何故かはわからないが自分の素性をあの恐ろしい超気性難に知られている。

計画を急がなければならない。そう、焦っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「えー!トレーナーもディー先輩もいないの?」

「練習どうするのー!」

「困るんだけどー!!」

 

同時刻のトレセン学園の練習場である。

レースを間近に控えたウマ娘達が集まり、担当の謹慎についての不満を智哉にぶつける。

詰め寄られ、両手でどうどうとなだめながら智哉は弁解を始めた。

 

「とにかく落ち着いてくれ、メニューは預かってるし、今日は俺が見るから………」

「信用できなーい!トレーナーを出せー!」

「ディーさんも出せー!サブトレ君、若いし免許もないんでしょー!」

 

しかし、説得は失敗した。

更に詰め寄られ、智哉が一歩下がる。これまでの経験でも無かった事である。

仕方ない、とばかりに智哉が統括機構のトレーナーバッジを取り出した。

 

「ほら、俺も一応トレーナーだから。明日からは別の人が見てくれるから今日だけだよ、な!?」

「……これ、イギリスのバッジじゃん!!」

「マジで~?偽物じゃないの?」

「バッジの偽造は捕まるんだよ!」

 

しかし、更にドツボにはまった。

仕方がない部分はあった。統括機構のトレーナーと言えば本場のエリートである。

帽子と髪で目元は隠れ、サブトレのツナギ姿の野暮ったい青年が持っているとは到底信じられない代物だった。

詰め寄るウマ娘達と智哉の間に、ヴァーが割って入る。

 

「まあ、待ちなさい。智哉はこれでしっかりしてるから」

「ヴァー先輩がそう言うなら……」

「でもやっぱり信じられないよー!」

 

一部は納得するも、まだ信じられないと様子のウマ娘達を前にヴァーは困った顔を智哉に向ける。

智哉の風貌を見ても、後輩達の言う通りただの冴えないサブトレにしか見えない。

せめて、帽子だけでも外せば様になるかもしれないと考え、智哉の帽子を掴む。

 

「智哉、せめて帽子は取ってみないか?」

「いや、帽子は取るなと身内から……」

「いいから!取るぞ!!………えっ」

「あっ、おい!」

 

智哉の返事を無視し、ヴァーが帽子を取ったと共に、ウマ娘達の目線が智哉の顔に集中する。

冴えないサブトレと思っていた人物だが、ここにいる全員見覚えがある顔だった。

 

「あー、何で取る……えっ、何?俺何かした……?」

「…………この人、保健室の」

「えっ、何でサブトレやってるの?」

 

先程まで騒いでいたウマ娘達が静まり返り、全員から見られる智哉が後退る。

原因を作ったヴァーを見たら、帽子を握ったまま固まっていた。

 

「ヴァー、とりあえず帽子返してくれねえかな……」

「………はっ!ああ!そうだな!!被っていてくれ!!」

「えー!ヴァー先輩ダメだよー!」

「そのままがいいー!そのままなら言う事聞くからー!」

 

ぎゃんぎゃんとわめく後輩達を余所に、ヴァーが智哉に帽子を返し、改めて被り直す。

ヴァーは胸を押さえてほっと息を吐いた後に、後輩達をしっしと手で追い払った。

 

「ほら!練習!行ってこい!!」

「えー!横暴ー!!」

「ヴァー先輩ひどいー!」

 

抗議しながらも、先程とは打って変わって後輩達は練習に向かう。

それを見届け、智哉はヴァーに感謝を述べた。

 

「よくわかんねえけど……助かったわ」

「あ、ああ!これくらい何とも無いとも!!」

「何か様子変だけど……ま、いいか」

「気にするな!!ところで補充人員は明日からというが、もうこちらにいるのか?」

 

明らかに話題を変えたそうなヴァーに怪訝としつつも、智哉が頷く。

ヴァーの併走相手を頼んでいた友人は、本日来日している予定である。

 

「ああ……そろそろ空港に着いた頃だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、羽田空港──

 

「ようこそ日本へ!!ミセス、ここへは何を?」

「──闘いに」

「違うでしょ……新婚旅行でしょ」




担任はモブやで。名前にちょっとだけ元ネタあるけど……。


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第十八話 アメリカの至宝、そしてダートの雷神

すまない、ちょっとディスコ的なエリジウムしてて……。


昼下がりの学園を、一人のピンク髪のウマ娘が鼻歌を口ずさみながら歩いている。

彼女は先日に写真部の床抜け事件に巻き込まれ、更には聞いては行けない話を聞かされるという酷いとばっちりを受けた身である。

しかしそんな事は忘れたと言わんばかりに、今日も日課の推しウマ娘ちゃん達の練習見学に精を出している。

推しウマ娘ちゃんを眺めての尊死からの復活という臨死体験を長年繰り返すその身は、本人も気付かぬ内に強固な修羅場への耐性を備えていた。逞しいオタクである。

彼女がご機嫌な理由はもう一つあった。

 

「ふふん♪ふふふふふーんふふーん♪同志カナも登校してきたみたいですし、これで何の憂いも無く推せるってなもんですよ!今日はどこから見ようかな~っと♪」

 

最近、不登校で心配していた同好の士がついに登校したのだ。

年は離れているが同じウマ娘ちゃんを愛する者同士、オタクはその同好の士を対等な友人として扱い、時には見守っていた。

なおウマッターの立ち回りについてはツッコミを入れている。小学生の身空でおじさん構文を使いこなす、その少女の行く末には不安しかなかった。

 

そんなオタクに、ぬっと大きな人影が差した。

 

「ハロー!ねえキミ、ダートの練習場ってこっちで合ってる?」

「……ほえ?あたしですか?」

 

人影の声、英語での質問に反応してオタクが振り向く。このオタクは世界中のウマ娘ちゃんを愛でる為に、複数の言語を履修済みのマルチリンガルである。オタクの執念は言葉の壁を越えるのだ。

 

オタクが振り向いた先、そこにいたのは黒鹿毛をローテールにまとめた長身のウマ娘だった。

見た目は文句なしで美ウマ娘である。美しい黒鹿毛に三角錐のような流星が映え、オタクが見上げる程の長身を包むのは白赤のジャージ。そのジャージの模様には見覚えがあった。アメリカウマ娘の練習用ジャージである。

 

「あ、英語わかる?やっと話せる子がいたー!ねえねえ、時間あったら道案内お願いしてもいいかなー?お礼はするよ!」

 

 

 

「スヤァ………」

 

 

 

オタクはその声を聞き、目線を上げた所で死んだ。刺激が強すぎたのだ。

 

「えええええええ!!!?なんで!!?キミ大丈夫!!!?」

 

目の前で声をかけた相手に唐突に昇天され、長身のウマ娘は珍しく狼狽した。

奔放な彼女には珍しい姿である。流石に目の前で死なれる経験はなかった。

 

「ヤッタ、迎えに……何この状況」

「あ!マイキー、この子が急に倒れて……」

 

 

 

 

「……気絶してるだけみたいだ。トモヤくん達も待ってるし…このまま連れて行こうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

豊原の管理ウマ娘達は合同練習の為に集まり、そこで見た光景にぽかんと口を開けた。

彼女達はプロの競走バである。自分が走る以外にもレース観戦を好む者も多い。

そんな彼女達がよく知っているウマ娘、アメリカの至宝とも呼ばれる元競走バが目の前に立っている。

その両サイドに並ぶのは二人のウマ娘。両者とも只者ではない雰囲気を纏い、現役の生徒達から見てもかなりの実力者だと窺える。

 

「トムちゃんの担当の子達ね、ハロー!ヤッタと言いまーす!!元競走バだよ!!」

「ヤッちゃん知らない子いないでしょー、あたしはミッドデイ!芝の併走は任せてねー」

「………私は流石に誰も知らんだろうな。サリスカだ、よろしく。坂路は私が見よう」

 

唖然とする生徒達の中から、眉間を揉むヴァーが前に出る。

目標は冴えないサブトレのはずなのに、この状況を作った当人である。

 

「……智哉、どういう事だ?」

「どういう事って……用意したヴァーの併走相手だけど」

「はーい!併走やりまーす!」

 

ヴァーの質問の意味がわからず間の抜けた返事をする智哉に、その横から手を挙げて自分をアピールする黒鹿毛に長身の、アメリカ元最強ウマ娘であるゼニヤッタ。

ヴァーは頭痛を感じた。まるで言いたい事が伝わっていない。

 

「………いや、感謝はしているんだ。あのゼニヤッタさんと併走できるなど滅多にない機会だ……私が聞きたいのはだな、どうやって連れてきたんだ?あとの二人も私は知っているぞ。英国の名ウマ娘だろう」

「ああ、俺の家族だから。紹介するわ、うちの姉貴」

「……………は?」

 

聞き返すヴァーに姉が近付き、投げやりな様子で手を挙げる。

 

「はーい、このバカのお姉ちゃんでーす。気持ちはわかるわ……突拍子無いことたまにやるのよこいつ」

「なんだよ、それ……使えるコネ使っただけだよ。あ、ヤッタさんは姉貴の友達な。サリーさんもその繋がり」

「はーい!ミッちゃんのマブダチでーす!」

「………私は、これの腐れ縁のようなものだ」

「いい加減友達って言ってほしいわねー」

 

がやがやと仲良さげに話し込む四人を見て、ヴァーは更に頭痛を覚えた。

アメリカの伝説のウマ娘と英国の二人の名ウマ娘の来日、ついでにその一人は着任したばかりのサブトレの姉、この話はすぐに広まり学園中の注目を集めることになるだろう。

 

「……理事長とたづなさんには?」

「今朝に言ってあるぜ、許可も出てる。なんか引きつってたけど」

「そうか………そうなるだろうな」

 

智哉は理事長と秘書の顔がなぜ引きつっていたのかに気付いているが、あえて知らない振りをした。

厄介な事件に巻き込まれた今までの意趣返しである。智哉は溜まったフラストレーションを無茶苦茶やる事で解消しようとしている。

特に秘書には上手く使われている為、今回の件の対応でチャラにしてもらおうと思っている。やられた分は返す男だった。

この様子を遠くから眺めるウマ娘大陸のディレクターが、何処かに電話をかける。

昨日の撮影の件について、局で編集中のADに伝える事があった。

 

「……ADくん、昨日の映像全部ボツね」

『ええっ!?もう編集しちゃいましたよ!!』

「いいから!あんなの放映したら大恥もいいとこよ!あんなコネある子を新人扱いだなんて!!」

 

離れた位置で指示を飛ばすディレクターに同情の視線を投げつつ、ヴァーはもう一つ気になることを智哉に確認した。

ダート練習場のベンチで、先程から先輩が気持ちよさそうに寝ている。気絶したオタクである。

 

「……デジタル先輩、どうして気絶してるんだ?」

「いや、わかんねえ……そもそも何でここにいんの?この人……って先輩?」

「先輩だぞ。私の二つ上だ」

「姉貴と同い年じゃねえか!!!マジで!!?」

 

ヴァーが発した驚愕の事実に智哉は絶叫した。オタクが姉やメイド、ヤッタと同期だった。

オタクはどう見ても中等部の生徒にしか見えない。ウマ娘の神秘である。

戦慄した智哉が眺めるその最中、オタクが目を覚ました。

辺りをきょろきょろと見回し、ウマ娘ちゃん達に囲まれている現状に首を傾げる。

 

「……はっ!ここはまさか、尊死したウマ娘オタクだけが来れるというウマ娘ちゃん推し放題天国……!?」

「地獄みてえな名前だ……」

 

オタクに思わずツッコミを入れる智哉の横から、ヤッタが顔を出して心配そうにオタクに声をかけた。

ここまで連れてきたのはヤッタである。

 

「キミ、大丈夫?さっき急に倒れ……」

 

オタクはヤッタの顔を見るや再びその場にぶっ倒れた。刺激が強すぎたのである。

 

「ええええええ!!!?なんでえ!?」

「おい!しっかりしろ!おい!」

 

ヤッタがまたも珍しい声を出し、慌てて智哉がオタクを抱き起こす。

死に顔は安らかだった。脈をとった智哉が、悲しげに首を振る。

 

「……ダメだ、脈がねえ。くそっ」

「どうして……私の、せいなの?」

 

悔しそうに拳を握り締める智哉と、その目から光彩が失われつつあるヤッタ。

その二人の姿に、ヴァーは心底申し訳無さそうに手を上げた。

 

「あの……デジタル先輩が死ぬのはいつもの事だから大丈夫だ。一日数回は死んでいる」

「……いや、ヴァー……そんなウマ娘いるわけ無いだろ。気休めでもやめてくれ」

「本当なんだ。みんな知っている」

 

智哉が辺りを見回し、こちらを伺う生徒達を見る。

みんな頷いていた。よくある事だった。

 

「……マジで?そんな事あるのかよ……」

「本当にすまない。ゼニヤッタさんが目の前にいる刺激が強すぎたんだろう。学園の、名物なんだ……」

 

遠い目でヴァーが語るその姿に、智哉は本当にいつもの事だと察した。

なおオタクのトレーナーには既に連絡されている。

ヴァーが咳払いをして気を取り直し、二人に向き直る。

その目は、これからの練習が楽しみで仕方ないと言いたげに、ギラギラと輝いていた。

 

「デジタル先輩はそのうち復活するとして……智哉、早く練習したいのだが」

「ああ……その前にヴァー、言うことがある」

「聞こう」

 

 

 

「帝王賞、先行で行くぞ。厳しいレースになる」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!!?」

 

二度目の尊死から、オタクが復活する。

辺りを改めて見回すと、先程と同じダート練習場のベンチの上だった。

しかし、先程とは様子が違う。既に練習が始まっていた。

 

「くっ………食らいつくしかできない、とはな……!!」

「ヴァーちゃんやるねー!でもこれはどうかなー?」

「また領域(ゾーン)か!冗談ではない……なんだここは、宇宙……白いロボット?」

 

目の前では、ヤッタにアメリカの激しい先行争いを併走で叩き込まれ、ヴァーが必死の形相で食らいつく。

なおヤッタの得意技の即興領域(ゾーン)を毎回お見舞いされていた。今回は宇宙空間でのロボットを使った戦争のようである。

自らが駆る、足の無い機体の操縦法がわからないままヴァーは撃墜された。白いロボットが強すぎた。

 

「ふふ、ふふふ、たまに走るのも悪くない、な……!!」

「このメイドさんすごい、坂路で笑ってる……!」

「誰かブルボン先輩連れてきてー!むりー!!」

 

目線を練習場に併設された坂路に変えると、そこにいたのはメイドのブリムを身に着け、笑いながら坂を登っていく明らかに気性難のウマ娘。

生徒達が食らいつこうとするも一人、また一人と脱落していく。元英愛オークス二冠ウマ娘にとって坂路コースはお手の物である。

 

「あー!いいなー!私達もゼニヤッタさんと練習したーい!」

「オイ川添ェ!なんとかしろォ!!」

「いや、ちょっと待って……あ、たづなさん?トヨさんとこと合同練習……まだ待って?落ち着いてから?そうですよね……」

 

練習場を見渡せる丘の上にはヤッタとヴァーの併走を観戦する他チームの生徒達。

とある気性難に詰められ、一人のトレーナーが秘書に合同練習の電話で打診をするも却下されていた。

アメリカの至宝の学園訪問への対応に秘書と理事長は追われていた。合同練習は日を置いてから、という事になっている。

 

「………ほえ?」

「あ、起きたかい?」

「デジたん起きたか?もう尊死しないでくれよ……」

 

尊死する前とは大きく変わった状況に首を傾げるオタクの横には、強面のアメリカ人トレーナーと自らの担当。

智哉は姉に連れられターフ練習場に移動している。こちらの指導は友人に任せる事となった。

信頼している人物の快諾を受け、今日はヴァーを任せる事にしたのである。

 

「あ、トレーナーと……アメリカのスマイストレーナー!?」

 

オタクは強面のアメリカ人の顔を見るや驚愕した。

マイケル・スマイス──昨年アメリカ競バ界殿堂入りも果たした、アメリカに留まらず世界にもその名を轟かせる名トレーナーである。

そして、昨年よりは別の理由でも有名だった。

昨年のTCクラシックでは、圧倒的一番人気のゼニヤッタがまさかの敗北を喫す番狂わせが起きた。

三番人気のウマ娘ブレイムが、奇跡を起こしてアタマ差で勝利を収めたのである。

 

『か……勝った?私が、ヤッタさんに……』

『……アタマ差で勝つはずが引っくり返されちゃった。おめでとう!ブレイムちゃん!』

『や、ヤッタさん……ありがとうございます、ありがとう……!』

『ほら、泣かないで?お客さんに笑顔見せなきゃ』

 

ここまでは感動的なやりとりだった。

なおこの後ろでは、怪人が大喧嘩で強烈な出遅れを起こしたリティに追いかけ回されていた。

やっぱり契約延長してと、最後の最後で重バ場に晒されていたのである。姉の介入で事なきを得ている。

リティは現在、英国の久居留家に滞在中である。自らの進む道を見定め、母の元で充実した毎日を送っている。

そしてヤッタはと言うと負けた後のインタビューで、殿堂入りの挨拶の為にレース場を訪れていたマイケルを連れてくるや、こう言った。

 

『ミス・ゼニヤッタ……惜しいレースでした。この後はグローリーカップへ?』

 

 

『行かないよ!この人と結婚しまーす!!』

 

 

『ええええええええ!!!?』

 

爆弾発言にインタビュアーのウマ娘は驚愕の声を上げた。インタビューで結婚宣言は前代未聞である。

 

『ええええええ!!!!?』

 

ヤッタの担当も絶叫した。寝耳に水である。

 

『ヤッタああああ!!!本当に負けるヤツが……ええええええええ!!!?』

 

ヤッタにいい加減負けろと口癖のように言っていたミス・スペクターは、まさかの敗戦に号泣していたがこの発言に絶叫した。

既に胃が痛い。この苦情が彼女に競走を仕込んだ自分に来るのは確実である。

 

『えええええええええ!!!!?』

 

ついでにマイケルも絶叫した。結婚相手なのに寝耳に水である。

 

『……もらって、くれないの?マイキー』

『……わかった、わかったよヤッタ、結婚します……』

 

こうして、ヤッタは最後までアメリカ競バ界を騒がせながら引退した。

しかし、結婚生活において問題は山積みだった。ヤッタの女子力は死んでいるし、そもそも旦那の激務が過ぎた。

管理ウマ娘を同僚に任せ、チームメイトのビリーも複数の担当を持てるほどに成長し、ようやく新婚旅行の為の長期休暇を確保できたのである。

そして、新婚旅行の計画を立てている最中に、日本にいる智哉から連絡が入った。

 

『マイケルさん、お久しぶりっす。ちょっとお願いが……』

 

日本での滞在費や旅費は全て持つから、ひょんな事から担当することになったウマ娘の併走相手をヤッタに任せたいという話だった。

これを二人揃って快諾した。二人とも智哉には恩がある。返す良い機会だと思ったのだ。

そして小栗邸に滞在する運びとなったのである。二週間後には北海道観光に向かう予定となっている。

マイケルはトレーナーとして指導するフリだけしてほしいという話だった。メニューは豊原が用意したものがあるし、実務面は智哉が行う。

必要なのは、マイケルのネームバリューである。怪人との二重生活は懲り懲りで、封印している智哉はいまいち生徒達の信頼に欠ける。

同じ事でもマイケルの言う事ならば、みんな疑問に思わず従ってくれるという打算によるものだった。実際に上手く行っている。

そして、現在に至っている。

 

「でも良いんですか?うちのデジたんが走っても……」

「いえ、是非お願いします。今のヴァーさんに必要なのは実戦的な併走と、それを務めるに足る相手です。ミツイさん」

「ありがとうございます!よかったなあ、デジたん!」

「ほえ?どういう事ですか?」

 

三位と呼ばれたオタクの担当が、得意気に胸を張る。

合同練習は禁じられている中で、本人達の了承を得たことによりオタクだけ例外とする事に成功していたのだ。

これは智哉とヴァーの申し出でもあった。あの子そんなすげえの、と智哉は耳を疑っている。

 

「ヴァーとの三人併走の形だけど、ゼニヤッタさんと走っていいんだよ!行って来い!!」

「ほえ!!?スヤ………」

「デジたん!!?死ぬな!!!」

「ふおお、持ち堪えたあ!!行ってきます!!!!」

 

三度目の尊死をすんでの所で堪え、制服姿のままでオタクがダートに向けて爆走する。

その顔はよだれにまみれていた。アメリカの至宝と走るチャンス、近くで見れるチャンスに完全にダメになっている。

オタクはダートに到着するとスタミナ度外視で末脚を切り、競り合う二人に並びかける。オタクモードのオタクは疲れ知らずである。

 

「お邪魔しまああああす!!!!デジたん吶喊します!!!!」

「あ!きたねー、もう大丈夫?」

「大丈夫です!ヴァーさんも行きますよ!!!」

「これは厳しいな、二人共よろしく頼む!!」

 

激しく競り合う三人、そして再び発動するヤッタの領域(ゾーン)に引き込まれる瞬間、ヴァーは併走を眺めるギャラリーに一瞬目をやった。

 

(……!?そうか、もう……来ていたのか)

 

一瞬視界に入った、栗毛のウマ娘。

ヴァーにはそれだけで十分だった。

その靡く栗毛も、雷を模した耳飾りも、ヴァーは絶対に見逃さない。

ずっと、後ろから見ていた。ずっと、追いかけていた。

そのウマ娘が自分の併走を見に来ていた事実に、心が震える。

 

 

──ダートの雷神、ずっと追いかけていたウマ娘。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(会いに行くよ……カネヒキリ)




次は閑話になりますやで。
地方のライバルと雷神さんが出るやで。


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閑話 雷神の行方

というわけで閑話やで。ここからやっと話動かせる…話の組立が余りにも下手やで。


『なんという壮絶な追込!!叩き合いを制したのはエスポワールシチー!!綺羅星の如きダート戦線に新星が誕生しました!!!砂の英雄まさかの敗北……おっと、足を止めて……様子が──』

 

『キリ!?しっかりしろ!!』

 

『大丈夫です……このくらい……ライブ、行かなきゃ』

 

『ダメだ!!ゴルシ、頼む』

 

『あいよーッと!ムチャすんなよ、折れてるだろ?』

 

 

『離して!!私は──』

 

 

第21回かしわ記念。

 

──その日、雷神は地に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

中央トレセン学園の、夕焼けに照らされる廊下を一人のウマ娘が歩く。

右分けの背中にかかる長さの栗毛の髪を靡かせ、額には一本線の流星。その右耳には黄色の雷を模した耳飾りが輝く。

170cm近い長身に、一目で力強さを感じさせる下半身の肉付きが特徴的な、快活そうな美しいウマ娘である。

しかし往時は夢を追い、輝いていたその瞳は自らの苦難、絶望を前に濁っていた。

 

砂の英雄、またの名を雷神──カネヒキリ。

 

かしわ記念での敗北、そして骨折により入院していた彼女は今日が一ヶ月ぶりの登校である。

左第3指骨々折と診断されたその強靭な左足にはギプスが巻かれ、松葉杖をつくその姿は地に落ちた雷神を想起させる。

彼女は、絶望していた。

 

(…………いくら鍛えても、怪我から逃げられない)

 

常に、故障との戦いの日々だった。

ウマ娘にとって不治の病と言われる屈腱炎を、右脚に二度も発症。

長期休養、厳しいリハビリを不屈の精神力で乗り越えた。

乗り越えたと思っていた。

 

(左脚に……変わっただけ)

 

右脚が治れば、左脚の怪我が待っていた事実に──彼女の心はついに折れた。

 

前回の怪我では一年半の長期休養、そして今回は医師から一年の休養が必要と診断された。

その際に引退も勧められている。

折れるには、十分だった。

 

そうして彼女は現在、あてもなく学園を彷徨っている。

本当は理事長と秘書に引退の届け出をするつもりだった。

しかし生徒達がダート練習場で何やら騒いでいるのを聞き、何気なく足を運んだ先──アメリカの至宝と競り合う同期を見た瞬間、彼女は今まで知らない感情を覚えた。

 

 

強烈な嫉妬、羨望、そして絶望。

 

 

自分を心配する生徒達の声も、愛車で寮まで送ると申し出てくれた気性難の声も、耳には入らなかった。

ふらふらとその場を離れ、誰もいない場所を選んでいる内に、いつしか校舎の中を歩いている。

行く宛も無くただ歩くその先に、一人のウマ娘が壁にもたれかかってこちらを見ていた。

 

「探したよ、カネヒキリ」

 

今、一番会いたくない同期、ヴァーミリアン。

同じダート路線で自分と並び称されるライバルを前に、雷神はその濁った目を向けた。

 

「……何か用?ヴァーミリアン」

 

「君を笑いに来た。そういえば君の気が済むのだろう?」

 

身も蓋もない、抜き身の言葉が雷神に刺さる。

血走った目で松葉杖を振りかざし、同期に向かって振り回す。

それをヴァーは悠々と避けた。

 

「好きでこうなったんじゃないわよ!あなただってわかるでしょ!?」

 

力無く歩いていた先程までとは打って変わった、魂の叫び。

目尻に涙を溜めながらの絶叫に、ヴァーが肩を竦める。

 

「なんで、なんで私だけ!!こんな目にあうの!?」

 

「鍛えて!リハビリして!乗り越えて!!それなのにこのザマよ!!!」

 

涙を溜めた目尻が決壊し、頬にこぼれる。

 

「あなたはいいわよ!怪我なんてしたことない!私の、私の気持ちなんてわかるわけない!!」

 

「医者に、引退を勧められたわ!そうするつもりよ!!よかったわね、自分より速い相手がいなくなって!!」

 

ぐすぐすとしゃくりあげ、湧き出る感情を堪えきれず、雷神は顔を手で覆った。

 

「……もう、無理よ。無理なの、もう私、頑張れない……」

 

黙って雷神の叫びを聞いていたヴァーが、ようやく口を開く。

 

「……気は済んだかね?」

 

「……うん、ごめん。酷い事言っちゃった」

 

「いいさ。君の心が少しでも晴れるなら」

 

お互い認め合うライバル同士、ヴァーが今の雷神の絶望に気付かないはずがなかった。

だからこそ、自分が憎まれ役を買って出たのだ。雷神の心の膿の吐き出し先として。

このヴァーの心遣いに雷神も気付いていた。切磋琢磨し合う友人として。

ややすっきりとした顔色で、雷神がぎこちなく微笑む。

 

「すごいね、ヴァーミリアン。ゼニヤッタさんと併走してた」

「ああ……良い経験をさせてもらったよ。新しいサブトレのコネなんだ」

「へえ……すごい人が入ったんだね。アメリカ人?」

「イギリス人らしいが……私もよくわからないんだ。一つ気になる事があるが……」

「何それ?ふふふ」

 

ゼニヤッタとコネを持ち、英国の名ウマ娘ミッドデイの弟というサブトレの青年について、ヴァーは思うところがあった。

記者会見でアメリカでのキャリアを終えると述べた後、行方知れずのとある凄腕トレーナーがかつてアメリカにいた。

そして現在、彼には日本の短期免許が発行されている。一時期学園でも話題になっていたが、一度も学園でその姿を見られていない。

そんな中で学園に現れたサブトレの青年、状況証拠が揃いすぎていた。

 

「それは追々調べるとして……カネヒキリ」

「……何?」

 

ヴァーは雷神に近付き、その顎を軽く持ち上げる。

 

「帝王賞、見に来てくれないか?」

「この態勢でそれ、言う……?」

「言うさ、口説いているからな」

 

雷神は、ヴァーの口説き文句に首を横に振った。

 

「ごめん、行きたくない……もうあなたとも、走れないし」

 

行けばきっと、未練が残る。また、走りたくなる。

雷神はそれを恐れている。

 

そして、それこそがヴァーの望みだった。

 

「一つ…賭けをしないか?」

「……賭け?」

 

首を傾げる雷神に対し、ヴァーは堂々と告げる。

 

「帝王賞で負けたら、私も引退しよう」

 

「ッ!!?嘘でしょ!?」

 

驚愕する雷神に、ヴァーは微笑む。

以前から決めていた事だった。賭けの舞台に、雷神を上げるために。

 

「私は君のファンだからな。君がいないならもう走る意味も無い」

「ヴァーミリアン、まさか……」

 

実際にヴァーは雷神のファンクラブの会員だった。しかも会員ナンバーは一桁である。

同期で、一度も勝ったことがないライバル。

ずっと追いかけ、自らの理想とするウマ娘。

 

自分の進退すら賭ける価値のあるもの、それは──

 

「ああ……私が勝ったら、もう一度──私と走ろう」

 

──雷神の復帰、ただ一つだった。

 

この言葉に雷神は堪えきれず、また涙を流す。

 

「……なんで、そこまで……」

「君だからさ」

「復帰しても……もう前みたいに走れないかも」

「君がまた走ってくれるなら、それだけで十分だ」

「フリオーソ、きっと仕上げてくるよ」

「勝ってみせる、君の為に」

「私、行かないかも」

「それでも待つさ、君だけを」

 

溢れる涙を拭い、雷神は笑う。

 

「ふふふ……言ってて恥ずかしくない?」

「実は結構恥ずかしい。茶化すのはよしてくれ……」

 

 

 

「仕方ないなあ、うん、わかった……気が向いたら、行く」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

地方トレセン学園、その一つである船橋学園。

正式名称、神奈川ウマ娘船橋トレーニングセンター学園の練習場にて、異様な練習が行われていた。

 

「おらおらおらァ!!!!どんどん来い!!」

「むりー!次おねがい!」

「次いきまーす!」

 

耳だけ出した格子柄のバンダナで頭を覆い、切れ長の勝気な目付きと八重歯が特徴的な栗毛のウマ娘がダートを爆走し、次々と併走相手を抜き去っていく。

併走相手の船橋学園所属のウマ娘達は400m間隔で五人用意され、それぞれが自らの持つ全力で400m走り切ったら次のウマ娘に交代する形式で、勝気なウマ娘の相手を務めていた。

地方で抜きん出た実力者である彼女のために、担当が考案した練習法である。

それ程に、平均的な地方ウマ娘とこの勝気なウマ娘には実力に隔たりがあるのだ。

 

「フリオさん、いつもよりすごい……!」

「そりゃそうでしょ、帝王賞の連覇がかかってるし」

 

練習を見学する船橋の生徒達がこの荒業に息を呑む中、フリオと呼ばれた勝気なウマ娘が2000mの併走を終え、足を止める。

 

船橋学園所属、地方ウマ娘全国協会(N A U)が主催するローカルシリーズを代表するウマ娘の一人、フリオーソ。

 

地方ウマ娘全国協会(N A U)年度代表ウマ娘にも選出された事もある彼女はゴール地点で息を整えると、ハロン棒にもたれかかり、座り込んでメモ帳になにやらびっしりと書き込む自らの担当に言葉を投げた。

 

「ケイスケ!次は!?」

「……クールダウン、10分休憩」

「あいよォ!」

 

素っ気ない担当の言葉に異論を唱えず、そのままどかっと隣に座る。

担当との間に、確かな信頼が築かれているのが窺える一幕である。

そのままフリオは、担当のメモ帳を横から覗いた。

 

「んで、やっぱりヴァーさんか?」

「間違いないですね」

「ふーん、で?」

「トヨさんが、謹慎になりました」

「マジ?やっちまったなあアイツ」

 

お互い要点だけを伝え合い、傍から見れば何を言っているか掴みにくい会話だったが二人には確かに伝わっていた。

思考を巡らせ、策を練っている時、この担当の男はこのように言葉足らずで会話をする事が多い。

長年、苦楽を共にした間柄であるフリオは、いつしか何を言っているか理解できるようになったのである。

 

フリオの担当は、モジャモジャの頭にやる気の無さそうな目付きの一見うだつの上がらない男である。

しかし、ここにいるウマ娘達、いや日本全国においても彼をその見た目で侮る者はいない。

 

地方の雄の異名を持つ敏腕トレーナー、間崎圭佑。

 

そのトレーナーとしての手腕は疑うべくもなく有能で、フリオーソとのコンビは地方最強とも噂されている。

フリオーソの練習の為に大井学園より頻繁にここ船橋へ顔を出す彼であるが、中央でも十分に活躍できる彼が何故地方にいるのかには理由があった。

 

単純な話である。学生時代の彼は中央の存在を知らなかったのだ。

 

中央トレーナー資格の存在を知らないまま、何となくトレーナーになろうと思った彼は地方競バ教養センターを受験。

トレーナー課程において優秀な成績を修めた後に大井学園に所属し、担当を持った所でようやく「えっ?中央って別にあるんです?」と気付くも、別にいいかとそのまま地方でトレーナーとして活躍している。

中央資格は取りたくなったらそのうち取ろうと思っている。レース以外は適当な性格だった。

思考の渦から戻ってきた間崎が、ゼリー飲料を吸いながらフリオを見る。

本日の夕食である。自分の食事にも頓着しない男だった。

 

「調整不足になると思いますが……気になることが」

「何かあったか?」

「トヨさんが、このタイミングでサブトレを補充してます……名前は、久居留智哉」

「おお?アイツ男とか取るのか?」

「だから、気になってます」

 

メモ帳をぺらぺらとめくり、新規加入のサブトレについて調べたページを開いた間崎が続ける。

 

「日系英国人、年齢は今年で21……そして、英国ウマ娘統括機構(B U A)のトレーナー試験合格者です」

「はあ?本場のエリートじゃん、何でサブトレやってんの?」

「理由は……レース場の乱入と、素行不良によるペナルティで六年間の欧州での契約並びにレース参加の禁止、そして二年間のサブトレーナーとしての奉仕作業とありますが……」

「ほうほう、で?」

「イギリスで奉仕作業に就いて半年で、日本に出向しています」

「……飛ばされた、って事か?相当ヤバいヤツなんじゃね?」

 

フリオの呆れ気味の言葉を聞いた後、間崎はずずっ、とゼリー飲料を啜った。

確かに公示の表面だけを受け取れば半ば追放のように日本に来た人物に聞こえる。

だが、それだけではない何かを感じていた。

 

「……それがですね、首席なんですよ、彼」

「首席って、トレーナー試験、だよ、な?それこそおかしくね?」

「おかしいです。日本に来る前はアメリカで活動していたようですが……レースに参加した記録がありません」

「わっかんねえな……直接見に行くか?」

「僕が行ってきます。フリオは練習」

「ま、そうなるか……で、それは良いとして、だ」

 

方針が決まった所で、フリオは間崎のゼリー飲料を取り上げた。

フリオの繰り出した高速のジャブのような奪取に抗えず夕食を奪われた間崎が、空いた手をわきわきと握る。

 

「……夕食なんですが」

「いっつもこんな物ばっかで済ませて、もう……メシ、作ってやるから来いよ!」

 

そのままフリオは、座ったままの間崎をずるずると引っ張っていった。

彼女はその勝気な風貌に似合わず家庭的で料理が得意なウマ娘だった。特にパスタは絶品である。

 

「練習してください」

「ナイターでやりゃいいだろ!船橋魂なめんなよ!」

 

地元愛、船橋魂を掲げるフリオは、自らの足で地方を盛り上げようという強い決意を持っている。

その為にも、自らの連覇がかかった帝王賞に対する思い入れはウマ一倍強い。

それはそれとして長年の相棒のルーズな私生活には物申したいところがあった。

自分の事には無頓着が過ぎる相棒の世話をこうやって焼くことは彼女の日課である。

 

ずるずると引きずられながら、間崎は再び物思いに耽った。

 

 

 

 

 

 

 

(……あるいは、一番の要注意人物、か)



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第十九話 正義のヒーロー、仮面ボーイ

というわけで仮面ボーイ回やで。


『ルド花さん…!大丈夫か!?ルド花さ…ちゃうわ……ウチはアンタに話があったんや!アンタなんか?ホントにUMARDを襲ったのは!?そしてアンタなんやろ!?丸善所長を誘拐したのは!!』

 

雪山での鹿型不死生物との戦いは、終わった。

ウマ娘基盤史研究所(U M A R D)の一員にして、研究所の切り札であるボーイシステム第二号「ライトニングアーマー」適合者であるタマ崎が、不死生物の封印を終えた後、目の前のウマ娘に尋問を始める。

 

『……何とでも思えばいい……。私は言い訳はしない……』

 

雪山に蹲り、消耗した体を引きずりながらその場を後にしようと立ち上がるウマ娘──ボーイシステム第一号「エンペラーアーマー」の適合者であり、仮面ボーイエンペラーその人であるルド花。

本来はこの二人は同じUMARD所属、同じボーイシステム適合者として協力し、不死生物と共に戦う間柄だった。

しかしその関係は破綻した。ルド花の裏切り──ウマ娘基盤史研究所(U M A R D)のトップである丸善所長の誘拐疑惑によって。

去ろうとする彼女を、タマ崎がその肩を掴んで止める。

揉み合い、ルド花は再び雪原に倒れ込んだ。

 

『待てや!返せや丸善所長を!所長はどこなんや!?返せや!!……アンタと戦いたくない!ウチも…丸善所長を返さないというなら───』

 

かつて共に戦った戦友を前に、タマ崎が躊躇いながらも強硬手段を示唆したのを聞いたルド花は、怒りの叫びを放つ。

 

『丸善……!アンナルバヴズベナデカャール(あんなウマ娘何故庇う)!!!』

 

アグルバヴズベハアンダャド(悪ウマ娘はアンタやろ)!!アンタが許せへんからや!アンタなんやろ!?ウマンデッドの封印を解いたのは!!』

 

人類、そしてウマ娘の敵、ウマンデッドとは生物の始祖とも言われる不死生物である。

UMARDにより発見され、厳重に管理されていたがある日開放され、その封印の為にこの二人は日夜闘っている。

その封印を解いた真犯人がルド花だと、タマ崎は疑っている。

しかし、これを聞いたルド花は嘲笑してみせた。

 

『封印を解いたのはなぁ…私じゃない。丸善達だ』

 

衝撃の告白に呼応してか、雪山の木々から積もった雪が落ちた。

 

『嘘や!そんな話信じられへんわ!!!』

 

『ヤツらは大慌てでボーイシステムを作った……封印を解いたウマンデッドを再び封印する為にな……私とお前は、ヤツらの尻尾拭いをさせられていただけなんだ!!!ヤツらの犯したミスの為にな!!!!』

 

衝撃の事実に、タマ崎の心が揺らぐ。

信じたくない、聞きたくない事実を前に、今度はタマ崎が声を荒げる。

 

『……証拠は!?ナニヲショーコニズンドコドーン(何を証拠にそんな事)!!!!』

 

雪原に倒れ込んだまま、ルド花は言葉を返す。

 

『証拠は……私の体だ……急遽作られたボーイシステムの所為で』

 

痛む体を抑え、ルド花は魂の叫びを放った。

 

 

ワダシノカラダハボドボドダ(私の体はボロボロだ)!!!!!』

 

 

叫びに呼応するかのように、再び木々から積もった雪が落ちる。

 

『本来なら今のような無様な戦い方はしない!……お前もいずれそうなる。覚悟しておくんだな』

 

絶句し、固まったままのタマ崎にそう言い残すと、ふらふらとよろめきながらルド花は去っていった。

 

『嘘や……そんな……』

 

衝撃の事実、そしてそれを裏付けるようなルド花の体の不調と、先の精彩を欠いた戦い。

タマ崎の脳裏に、思わず崩れていく体を抱え、叫びを上げる自分の姿が映った。

叫ばずには、いられなかった。

 

絶望の、悲鳴を──

 

 

 

 

ウゾヤドンドコドーン(嘘やそんな事)!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「いやあああ!!しっかりしてちょうだい!!!仮面ボーイ!!!!」

「お、面白いですね……この後どうなるんでしょうか」

 

今日は休日である。智哉とフランはウマインで約束した通りに、平成ボーイ作品である「仮面ボーイ稲妻」の鑑賞会を行っていた。

 

「すてきだわ!すてきだわ!特にタマ崎が、すぐに無職になったのがすてきだったわ」

「そこはやめてやれよ!会社いきなり無くなったのはかわいそうだろ!」

 

いつも通りフランは大興奮である。例の如く尻尾をこれでもかと隣の智哉にぶつけてきていた。

学院に入学間近のフランの尻尾は流石に痛いので手でガードしている。

 

「グダグダしすぎな気もすっけど……まだ三話だしな、これからか」

「いや、面白かったけど……あんたセンスないわねー」

「この面白さがわからないのは智哉兄さんに問題があると思うわ」

「え?俺がおかしいの……?」

 

上映を始めたところ、まずフランから話を聞いたノーブルがついてきて、その後楽しそうな声を聞いたボスと姉が現れ、いつの間にやら大所帯での鑑賞会となった。なお智哉からすれば脚本が微妙に見えたが姉とボスに否定された。愚かなヒトミミにはこの面白さは絶対に理解できないのである。

ヤッタとマイケルは二人水入らずで浅草観光に行っている。姉は流石についていくのも野暮だと空気を読み、暇を持て余した結果ここに来ている。

 

「しかし、滑舌悪いな……あの女優にもこんな時期があったんだなあ」

「英語字幕版にしてよかったわねー、ノーブルちゃんにはちょっと聞き取るのキツイわ」

「はい、助かります……」

 

事前に智哉が調べていた通り、ウマ娘女優達は熱の入った演技を見せるも滑舌に問題があった。

特に第一話から「ボンバディルラギッタンカー(ホンマに裏切ったんか)!!」と言い出したのを聞いた智哉は口に含んだコーヒーを吹きかけた。

どう聞いてもこう言っているようにしか聞こえないこの台詞から、ネットではボンバディ語と呼ばれている。

 

「何やら騒いでるようだけど、何してるの?」

「おお!仮面ボーイではないか!私も好きなシリーズだ!!」

 

がやがやと楽しげに感想を話し合う声を聞きつけ、今度は叔母と藤花が現れた。

叔母は昨日から一時退院し、自宅療養に切り替えている。

実状としてはよく抜け出してくるのであまり変わっていない。見舞いに来た祖母からカルトの話を聞いた叔母は、それならば自分もいた方がいいだろうと自ら主治医を説得し、大手を振って帰ってきていた。

叔母は合気を修め、柔の型においては道場でも並ぶ者がいない程の達人である。

柔も使うが当て身と派手な攻めの型を得意とする、道場主の藤花にも病んでさえいなければ互角と言われている。

今朝方も智哉は叔母に触れる事も出来ずに、錐揉み回転しながら庭の池に落とされていた。叔母は手加減を知らない。

その叔母が上映中の仮面ボーイ稲妻を見るや、智哉の隣に座る。

 

「あら……叔母さんは昭和ボーイ作品がおすすめよ、トム坊」

「昭和かあ……初代からV3までは実在してるんだっけか、叔母さん」

「そうなの!?」

「おう、ちょっと待ってろよ……これだよ」

 

フランの驚きの声に、智哉がスマートフォンで検索した画面を示す。

「仮面ボーイまたもお手柄!その正体は如何に」という見出しの新聞記事である。

三人の仮面ボーイの扮装をしたウマ娘と一人の男が銀行強盗を制圧し、ポーズを決めて写っている。

男の方は口だけ出した仮面ボーイ風の服装である。ボーイマンと呼ばれているが、智哉はボーイ男っておかしくねえ?と思っている。

 

長い青毛のウマ娘、技の1号とも呼ばれる仮面ボーイ1号。

黒鹿毛を纏めたウマ娘、銃の名手であり、力の2号と呼ばれる仮面ボーイ2号。

そして鹿毛の髪を靡かせた力と技を兼ね備える仮面ボーイV3。三冠は獲っていない。

 

ふと、智哉はそれぞれの仮面ボーイに既視感を覚えたが、目を輝かせるフランとノーブルの言葉に思考をかき消された。

 

「まあ!すてきだわ!本当にいたのね!」

「すごい、実在するヒーローさんなんですね……」

「色々活躍してたみたいだな……でも2号、銃刀法とか大丈夫なのかよこれ」

「きっとそれが力よ、トム坊」

「あ、そういうこと……」

 

叔母の補足により判明した2号の力は公権力だった。嫌な力じゃねえかと智哉の顔がひきつる。

藤花は誇らしげに胸を張り、補足に更に付け加えた。

 

「うむ!正義の為に日夜戦っていた真のヒーローだ!特にV3がかっこよかったんだぞ?」

「すてきだわ!今もどこかにいるのかしら?」

「さあ、な……案外、近くにいるのかもしれんぞ?」

 

意味深な笑みを浮かべた藤花を、叔母が引っ張って廊下に連れ出す。

何やらボソボソと話し込む音が、部屋に響いた。

 

「トウカ……言い過ぎじゃない?」

「フランとノーブルがいい反応をするから、つい……」

「もう……バレたらダメってテンちゃんに言われてるでしょ?」

「すまぬ……」

 

何やら叔母に怒られているらしい藤花に目をやりながら、智哉が鑑賞会の参加者に声をかける。

 

「とりあえず十話までにしとくか?昼飯食ったら俺は用事あるし」

「そうねー、フランちゃんも昼から友達来るんだっけ?」

「ええ、エリーちゃんって言うのよ、ミディお姉様。トムはおでかけするのね?」

 

 

「ああ……なんか呼び出されてなあ、今の一応の上司に……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

学園通り、府中市商店街にあるスナックうらかわ。

地域に密着し、ここに来れば非合法な物以外なんでも手に入ると言われる府中市商店街における憩いの場である。

ここを訪れるトレセン学園関係者も多く、夜にふらっとやってきては静かにグラスを傾けるベテラントレーナーに、昼から飲みに来るエクリプス教のシスター、更にはくだをまく理事長にレースの打ち上げで騒ぎ倒す若手トレーナー達と様々な人々に愛されている。

そのスナックを、智哉は訪れていた。

 

「いらっしゃーい!お一人様?」

「いえ、連れに呼ばれて来たんですけど……豊原っていますか?」

「あートヨちゃん?来てるよートヨちゃんお連れ様ー!」

 

スナックを切り盛りしているのはウマ娘の母娘である。

その母の方が智哉をここに呼び出した人物に声をかけ、呼ばれた人物、豊原が智哉に向けて手を上げた。

 

「おーう、来たか。まあ座ってくれ」

「あんた、こんな時間から飲んでるのかよ……あ、どうも」

 

智哉が近付き、豊原が示した席に座った所で相席していた人物に気付く。

見覚えがある、童顔の青年だった。

 

「こちらこそ、どうも…………君どっかで会ってない?」

 

会釈を返した青年、川添が智哉の顔をまじまじと見つめるや、首を傾げた。

見た覚えのある風貌である。実際にキーンランドレース場で見ている。

 

「初対面だけど、初日に見てるっすね、何か絡まれてたけど……」

「ああ、あの時通りがかったサブトレ君か……なんで助けてくれなかったの……?」

「無茶言うなよ!無理に決まってんだろ!!」

 

しかしお互いアメリカでの一件には気付かなかった。

智哉は焦っていたし、川添は我を失っていた事によるものである。

席に座ると、智哉は豊原に呼び出した理由を訊ねる。

 

「で、なんだよ?呼び出して」

「とりあえずお前も飲んどけ、ミユキちゃーん!生ひとつー!」

「あいよー!」

 

生ビールを目の前に置かれ、智哉は眉を顰めた。

 

「お前……まあいいか、一杯だけなら」

「そうそう、付き合っとけ。紹介するぜー、コイツケンジな。んでケンジ、コイツ久居留」

「トヨさん、紹介適当すぎるでしょ……よろしく、久居留くん」

「よろしくっす。コイツいつもこうなんすか……?」

「うん………」

 

自己紹介を済ませた所で、川添と智哉はお互い親近感を覚えた。

先輩に振り回され、気性難に悩まされる同志の匂いを感じ取っていた。

 

「うるせーなー、男の紹介とか適当でいーだろ。で、本題に入るぜ」

 

豊原が二人を呼び出したのは、まずこの二人を引き合わせる事が目的だった。

智哉への詫びも兼ねて飲み代を持ち、後の業務を円滑に行わせる為に後任を会わせておこうと思っている。

 

「俺とのサブトレ契約が2ヶ月だろ?その後たぶんクリスかコイツだから」

「あ、そうなのか?それなら尚更よろしくっす」

「うん、こちらこそ。トヨさんから色々聞いてるよ」

 

二人が乾杯し、意気投合した所で豊原がジョッキを掲げた。

 

「よし!じゃあ飲むぜー!親睦を兼ねて、な」

「ま、仕方ねえか……」

「何カッコつけてんだよ、飲め飲め!」

 

豊原が、川添へアイコンタクトを送る。

それに川添が、苦笑いを浮かべて頷いた。

ここへ智哉を呼び出した豊原だったが、もう一つ目的があった。

このすけこましは野性的な感性により、智哉から美女の匂いがすると嗅ぎ付けていたのである。

姉とメイドである。このすけこましは気性難でもいけるクチだった。

智哉を酔わせ、それを吐かせるのが本当の目的だった。

川添はとあるネタで丸め込まれ、智哉を乗せて飲ませる役割を持っていた。この男、ウェイ系で飲ませるのは特技である。

 

そうして、智哉は──

 

「ウェーイ!久居留くん良い飲みっぷりィ!!ほらもう一杯!ミユキさーん!」

「そ、そうすか?ならもう一杯……」

 

「久居留くん……智哉って呼んでいい?もう俺たち友達だろー?」

「友達…………いいっすよ、あ、もう一杯……」

 

「智哉ー!カラオケ歌おうぜー!うまぴょい!」

「うっす!付き合います!!」

 

友達という弱点まで無意識に突かれた智哉は、それはもう散々に飲まされた。

智哉はウマ娘の血が濃いために酒には強い。しかし成人を迎えたばかりで自分の限界を知らない。

つまり、それはもうベロベロに酔わされたのである。

 

「………あれ、何か目が回ってきた」

「めっちゃ飲むじゃん、智哉……」

「よーし、よくやったケンジ。おーい、久居留」

 

頃合いと見た豊原が、智哉に尋問を始める。

 

「お前んちよー、今美人のねーちゃんいるだろ?紹介しろよー」

「ん……?姉貴か?」

 

ふらふらと目を回しながらも、智哉が応える。

 

「姉貴……そうだな、姉貴、美人ではある、な……」

「ほーう?お前のねーちゃんか、そうそう、紹介してくれよー」

 

酔っ払い、前後不覚となった智哉が、テーブルに突っ伏して語り出す。

 

「……姉貴は、美人で、足も速くて」

「おーう、だから紹介しろよ」

「んで、なんだかんだ面倒見は良くて……俺があんな事言っても、許してくれた」

「おう、そうか、だから紹介………ん?」

「どうしようもねえヤツだよ、俺は……分不相応に、フランにも…………」

 

雲行きがおかしくなってきているのを感じた豊原の顔が歪む。

聞いてはいけない話を智哉がしようとしている。それを感じ取ったのだ。

本人も酔った事が無いから気付いていないが、智哉は酔うと愚痴りだす悪癖があった。

 

「お、おい………?」

「俺みたいな、脛に傷あるヤツがさ……あんな天才と契約を、大事な青春の三年間をくれって言っちまったんだよ」

「ちょ、ちょっと待てよお前………」

 

「どんな顔して、あいつの担当すればいいんだよ……俺は、きっとあいつに、あいつの大事な、大事な三年間に水を差しちまう」

 

川添が、思わず豊原を見た。

聞いてはいけない、心の奥の葛藤だと気付いていた。

 

「と、トヨさんこれダメでしょ……トヨさん?」

 

豊原は、真剣な顔をしていた。

 

「まさか、こんなトコまで同じとはな………」

 

同じ超人、同じ境遇として、豊原は智哉に親近感を覚えている。

かつての自分の葛藤、いまだ本当の意味で向き合えていない相棒の事を思い、豊原が言葉を溢す。

 

「でもまー、俺の言葉は聞かねーだろうし……よし、ケンジ」

「な、何です……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「リューイチ、呼んでくれ」



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第二十話 きっと、忘れられない日々

長くなっちゃった……。


「はいはいただいまーっと……ありゃ、今日はお客さんいっぱいだねー」

「おかえりー!ごめーんお店入れる?」

「あいよー!母さんご飯食べてきなよー」

 

夕方のスナックうらかわ。

看板娘であるスナックの長女が帰宅し、母と交代してカウンターに入る。

それを見るや、カウンターに並ぶ商店街の常連達が囃し立てた。

 

「おっ!おかえりネイチャちゃん!デートどうだった?」

「ちょっとは進展したかい!?」

「あははーセクハラー!もー現役時代の名前はやめてってば」

 

それぞれが商店街で店を持つ常連達の情報網は広い。

商店街の星、かつて競走バだった看板娘の予定を把握し、戦果を期待していた。

この質問に対し、満更でもないといった様子で看板娘はそのモフモフとしたサイドの髪で顔を隠し、恥ずかしげに答える。

 

「え、えーとね……手、繋いじゃった……」

「……それだけかい?」

「う、うん………」

 

常連達からため息が漏れ、残念なものを見るような視線が看板娘に集中する。

 

「……ミユキちゃん、まだ孫の顔見れねーなあこりゃ」

「可哀想に……楽しみにしてんのになあ」

「こりゃあ、駄目だ…………」

 

「みんなして何それー!答えたんだから注文しなよ!」

 

残念な看板娘がこの反応にいきり立ち、抗議を発する。

その剣幕に圧されてか常連達がそれぞれ適当に注文し、人心地ついた所で一人がしみじみと語る。

 

「しかしまー、シスター様々だよな、ネイチャちゃん」

「そだねー……一歩遅かったら死んでたかもってお医者さんに言われた時は、血の気が引いたってもんですよ」

「彼氏くんの命の恩人だもんなあ」

 

この看板娘の恋人は、彼女の幼馴染かつ担当トレーナーでもあった人物である。

現役時代より親しい間柄でファンクラブの会員第一号でもあったその人物は、ファンクラブの集いをきっかけに交際をはじめたカップルの結婚式の帰りに不幸に見舞われた。

 

帰路の途中、対向車線より飛び出した乗用車と正面衝突。

生死の境を彷徨う彼だったが、そこへ偶然通りがかった者がいた。

 

その人物が、彼の生死を分けた。

 

『オイ!しっかりしろ!!……こいつはやべえな、走るぜ!死ぬなよ!!』

 

とあるシスターが現場に現れるや、ひしゃげた車体を素手で引き剥がして救出。

そのまま彼を抱え、最短距離を全速力で走破して病院に到達、その甲斐あって一命を取り留めている。

この一件で後遺症が残ったため彼はトレーナーを引退する事となったが、看板娘はこの時に自分の気持ちに気付き、交際に至っているのである。

なお進展は非常に遅い。なんだかんだ言いながらも競走一筋だった彼女は恋愛においてクソ雑魚である。

 

「そうだネイチャちゃん、今年のドネーションの動画観たよ!」

「いやあかわいかったねえ、思わず募金しちまったよ」

「あははー、やめてよー恥ずかしい…………ホントに」

 

看板娘は競走バを引退しているが、生徒会長の打診により実家の手伝いの合間にある事業に関わっている。

競走バの引退後のキャリアを支援する団体であるNPO法人、引退ウマ娘協会の広報部長である。

誕生日から一ヶ月の間に人気動画サイトであるウマチューブに動画を投稿し、募金を募っている。

今年は昔のライブ衣装を引っ張り出し「引退したけどうまぴょい踊るよ!」というタイトルの動画を投稿した所、大好評で募金額も鰻登りである。

看板娘は役目を終えたライブ衣装を押し入れの最奥に封印した。

そんな看板娘が、カラオケ設備の方を眺める。

 

 

 

「あっち、凄い盛り上がってるねー、トレーナーさん一行って感じで」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「イエーイ!ご清聴あざーっす!不肖八田竜一のユメヲカケル!でしたー!」

「ウェーイ!!リューさん現代のカート・コバーン!!!」

「相変わらず歌うめーな」

 

マイクを掲げ、ポーズを決める先程まで歌声を披露していた男に、それぞれが拍手を送る。

染めた茶髪を軽く撫でつけ、トレーナーの正装でもあるスーツのジャケットの前を開け、ワイシャツのボタンを二つほど外してチョーカーを付けた一見ホストのような、整った顔立ちのチャラい風貌の男。

彼は豊原の指示により、川添が呼んだ中央のトレーナーである。

その名は八田竜一。

天才トレーナー幸永祐二をはじめとした逸材揃いの「競バ学校花の十二期生」と呼ばれた中の一人であり、中央トレセン学園においても色々な意味で有名なトレーナーとして知られている。

 

「オレばっかマイク持ってるのも違うっしょ。次川添チャン歌う?」

「んじゃ歌います!」

 

川添にマイクを渡し、八田は頭を抑える智哉の隣に座った。

 

「久居留チャン楽しんでるー?飲みすぎっしょー」

「うっす、まだ行けます」

「……それ何杯目よ?トヨー、この子大丈夫?」

「まあいいんじゃねー、俺くらい飲めるならまだいけっから」

 

やや時間が経っているが、智哉は未だに酩酊状態にあった。

テンションは戻ったががぶがぶと水のように生ビールを消化していく。思わず八田は真顔になった。

智哉を見ないようにしながら、八田は豊原へ目を向ける。

 

「トヨ、久居留チャン紹介してくれるのはいいけど何の用だったのよ?オレお前と違ってモテるからいそがしーのよ、今日もデートで………」

「トレーナーの格好でか?」

「…………そーよ!たまにはそういう趣向もいいんじゃね?って思ってさー」

「休日返上で仕事してるのくらい、みんな知ってるから隠すんじゃねーよ。お前も今日くらい遊んどけ」

 

軽薄そうな八田であるが、その風貌に似合わずウマ娘とレースへの想いは強い。

今日も休日ではあるが担当の次走、G1安田記念の出走ウマ娘について学園で調べている。

それを豊原に見透かされていた八田は、頭を掻きながら言葉をこぼす。

 

「オレは凡人だから人一倍やらねーと勝たせてやれねーのよ、ユージやお前や川添チャンと違ってさ」

「そうでもねーだろ、お前は評判いいし自分の事卑下しすぎじゃねー?」

「オレの事はもういーだろ、久居留チャンは休みとかどうしてんの?」

 

矛先を変えるべく、八田が智哉へ話を振る。

ぐびぐびと生ビールを飲みながら、智哉がそれに答えた。

 

「………身内に誘われたら遊ぶこともあるっすけど、暇があればレースのチェックと予想、それとトレーニングの研究っすね」

「……それトレーナーの仕事じゃない?他は?」

「えーと、論文書いてます」

「論文」

「今書いてるのは領域(ゾーン)の発現に関する所感と実地指導について、っすね。俺の名前で出せないっすけど」

 

ぽかん、と口を開けた八田が豊原を見た。

 

「……トヨ、この子何?」

「リューイチ、論文の話は誰にも言うんじゃねーぞ。ったく、ワーカホリックがここにもいやがった」

 

流石に豊原も頭を抱えた。働きすぎである。

20代の前半、大学生とも変わらない年齢の智哉を少し哀れに思った豊原が、ある提案をする。

 

「久居留、俺の後クリスにしとけ。アイツは夏は仕事すくねーから」

「そうなのか?んじゃ論文書けるな」

「ちげーよ、ちょっとは遊んどけ。余裕のねーヤツはトレーナー続かねーぞ」

「いや、俺はそれくらいやらねえと駄目なんだよ」

 

ジョッキを置いた智哉が、俯いてぽつぽつと語る。愚痴のスイッチが入っている。

豊原はまた始まったと眉間を揉み、もうコイツとは飲まねーと誓った。

 

「俺みたいなどうしようもねえヤツは、それくらいやらねえとあいつの隣に立てねえんだよ」

「しんどいと思うこともあるけど……もしあいつが俺のせいで負けたら、なんて思ったら止まれねえ」

「まだ学院にも入ってねえ、まだ11の女の子が無敗の怪物とか呼ばれてんだぜ?知った時はなんて約束しちまったんだと頭を抱えたよ」

 

智哉のトレーナーとしての原動力は、フランと交わした約束である。

しかし年月が経ち、フランの成長、そして無敗の怪物という名声と共に、約束は重圧になりつつあった。

家を出て、トレーナーとして世間を知る中で自分のような過去に瑕疵を持つ人間が、そんな天才と契約をするなど大それた事だと気付いてしまった。

フランが智哉に言えない苦悩を抱えているように、智哉も苦悩を抱えている。

姉にすら言えていない苦悩、胸の内を、酒の勢いで語る。

 

(……こりゃー重症だわ、あん時のオレみたく)

 

その想いを一言一句逃さず、八田はその耳に収めた。

そして何故自分が呼ばれたのかに気付いた。

かつて新人の身で「競バ学校花の十二期生」と呼ばれ、トレーナーなんて楽勝っしょと奢っていた時に契約した一人の天才、世紀末覇王と呼ばれた稀代のウマ娘。

彼女との苦しく、もがき、時には涙を流し、周囲の喧騒に悩まされた過去。それでも輝かしい栄光の日々の中で交わした約束。

それを、これからこの青年も味わう事になる。

 

八田が自らに貼り付けた、軽薄なチャラ男の仮面が剥がれていく。

 

「……トヨ、この為に呼んだっしょ?人が悪いわ」

「わりーな、コイツとは色々あってよー、俺の話は聞かねーだろうしな」

 

豊原も、身につまされる話であった。

過去の英雄との日々。曰く付きの次代の武豊として出会い、もがいた日々。

競バ学校に入らず直接トレーナー試験を受けた豊原は、十二期生達と同期である。

その中でも八田とは特段仲がいい。もがいている豊原に八田が声をかけ、先達として話を聞いたのが交友の始まりだった。

豊原と言葉を交わした八田が、智哉の肩を掴む。

 

「久居留チャン、すげーわかる、わかるよ」

「八田さん……」

 

智哉の目を真っ直ぐ見つめるその目から、既に貼り付けた軽薄さは消え失せていた。

 

「どんな子なん?写真とかある?」

「……こいつっす」

 

スマートフォンの画面を示し、英国の競バニュースの記事を八田に見せる。

英語で書かれたその記事は「クラブの無敗の怪物フランケル、その連勝記録を伸ばす」とあった。

美しい金髪の少女がトロフィーを掲げ微笑み、カメラのフラッシュを堂々と浴びている写真が添えられている。

 

「英国のクラブで無敗……スゲー子だね」

「ほー……この子だったのか。十年後に期待だな」

「トヨ、真面目な話してんのよ」

 

ピントのずれた感想を述べるすけこましにツッコミを入れつつ、八田が語りだす。

 

「オレもね、スゲー子と組んでたのよ、新人の分際で。知ってる?テイエムオペラオー」

「……知ってます。ファンタスティックライトにも勝ってる、伝説のウマ娘」

「そうそう、まーマジでスゲーウマ娘だったのよ、オレが組んじゃいけないくらい。オレ実際ね、何回かタチの悪い記者に有る事無い事書かれて担当降ろされかけたし」

 

世紀末覇王、テイエムオペラオー。

日本競バ界に燦然と輝く偉業、年間無敗のグランドスラムを達成した伝説のウマ娘である。

かのファンタスティックライトをジャパンカップで粉砕した伝説と、八田は契約を結んでいた。

 

「コネで組んだとかさ、色々言われてね。まー実際コネっちゃコネなんだけど」

「……そうなんすか?」

「うん、本人とコネがあったから。小さい時にちょっと面倒見てたのよ。将来、競走バになるから契約しようとも約束してね」

「!!?」

 

どこか遠くを見つめる八田の言葉に、智哉が動揺する。

フランと自分の過去と全く同じだった。

 

「んでさ、そん時はそんなスゲーとは思ってなくて、安請け合いした訳よ」

 

目線を智哉に戻し、ぽつりと溢した。

 

 

「……すんげーー、後悔した。オレみたいなぺーぺーが組んじゃいけないって」

 

「クラシックの時ね、皐月賞は取れたけど……そこのトヨとかさ、ユージってやつとかと組んでたら正直もっと勝ててたと思う」

 

「だからさ、オレ必死になって頑張ったけど、それでもね、記者に覇王のお気に入りのリュックとか書かれてさ」

 

「誰もいないとこで何回吐いたかわかんないよ、ゲーゲーって」

 

 

苦しい日々を、何処か懐かしそうに八田が語る。

智哉はその顔から目を離せなかった。誇らしげな、男の顔だった。

 

 

「でさ、有の時だったかな?三着でさ、来年勝てなかったら担当降りろって観客に言われたんだよ。オレ苦しすぎてうんって言っちゃった」

 

「そしたらね、あいつ、こう言ったのよ」

 

「ボクのトレーナーをバカにするな、全部勝てばいいんだろう?って」

 

「で、実際全部勝っちゃった。スゲーよ、オレとか関係なく強かったもん」

 

 

一度言葉を切って、八田はまた遠くを見つめた。

きっとその先は、覇王の居る場所なのだろうと智哉には思えた。

 

 

「その言葉だけで、オレは救われたよ。あいつはさ、オレの事ちゃんとトレーナーとして見てくれてた。昔の約束とか関係なくね」

 

「次の一年間はもうガムシャラにね、ただ駆け抜けたよ。夢のような一年だった。オレの愛バはさ、その一年世界の誰と走っても負けないウマ娘だったよ」

 

 

嬉しそうに、自慢げに八田は視線を智哉に戻す。

まるで、智哉を挑発しているような、見定めているような目だった。

 

「……久居留チャンと約束してる子はさ、結果が出なかったりしたら、久居留チャンと組みたくないって言ったりする?」

「……あいつは、そんな事言わねえ」

 

その目に反抗心を抱いた智哉が、強い目で見返す。

にこりと、八田は笑い、智哉の肩から手を離した。

 

 

「じゃー悩まなくてもいいっしょ!まだ契約もしてないのに必死すぎだと思うのよ、久居留チャン」

 

 

軽薄なチャラ男に戻った、適当な言葉だった。

しかし、先達のこの言葉は、智哉の心の隙間に何の抵抗もなく入った。

 

「………八田さん、俺」

「よし!久居留チャン飲もう飲もう!今日はオレも飲んじゃうよー!」

「まー、リューイチはG1勝つまで会わないって約束してまだ勝ててねー、ってオチがあんだけどな」

「トヨ、それを言うのはねえっしょ!」

 

世紀末覇王は引退し、現在は劇作家兼オペラ歌手として活躍している。

そして八田は引退のその日、いつかG1を勝ったら会いにいくと伝えたがまだ勝てていない。

たまに覇王より電話で「早く勝てよ、ナメてんのかい?」と催促され圧をかけられていた。幼い頃よりこのチャラ男は覇王に勝てない。

 

再び騒ぎ出すトレーナー達に常連達は暖かい目を向け、看板娘はため息をついた。

 

 

 

「男の子って感じねー、遅くなりそうだしお迎え連絡しますよっと」

「あの一番若い子、小栗さんとこに住んでる子じゃないかねえ」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「閉店まであざっしたー」

「ういー、飲んだ飲んだ!明日もがんばっちゃうかねー!」

「みんな俺のカラオケ聞いてなかったよね?」

「こまけー事気にすんな、ケンジ」

 

日付が変わろうとする時間帯、トレーナー達は結局閉店まで飲み明かした。

智哉の口から、愚痴はもう出なかった。しかし、代わりに勢いで飲み明かした智哉はその代償を受けた。

飲みすぎて完全に前後不覚となっていた。自分の限界を知らない智哉だけが死んでいる。

豊原に肩を預け、智哉がふらつきながら外に出る。

このすけこましが男に肩を貸すなどまず有り得ない話である。

しかし、今だけは違った。とある目的によるものである。

 

「おーい久居留、お前の迎えどこよ?」

「ん……迎え?」

 

そう、迎えを呼んだことを看板娘から聞き、美女が来るなら自分を売り込むチャンスだと思っているのである。

完全な打算である。

そんな二人に、近付く人影が現れる。

 

「あー……それウチの弟なんですけど」

 

(引退したミッドデイじゃねーか!!!?こりゃ高得点間違いねー!!!)

 

現れたのは鹿毛をポニーテールにまとめ、キャミソールにジーパンというラフな出で立ちの、スタイル抜群の快活そうなウマ娘だった。

要するに姉である。巨乳好みのすけこましの好みにピンズドだった。

豊原が即座に顔を整え、きらきらとエフェクトが付きそうな爽やかな笑みを浮かべる。

 

「ああ、どうも……久居留君のお姉さんでしょうか?」

「はーい、ウチの弟がすいません。こんなになるまで飲んじゃって、このバカ………」

「いえいえ、久居留君にはお世話になってますから!これぐらい何ともありませんよ!ところでお嬢さん、今お付き合いしている人は!?」

 

取り繕い、二枚目を装う豊原だったが瞬時にがっついて本題に入った。

こういう所があるからこのすけこましはまるでモテない。

 

「へ?……いませんけど……」

「それなら良かった!!ではこの私、豊原はいかが………」

 

「タ、ケ、ル?」

 

智哉をその場に放り出しそうな勢いで姉ににじり寄る豊原の背後から、情念の篭った言葉が響く。

瞬時に豊原は固まった。本人は知らないことだが、看板娘は豊原にも迎えをよこしている。

ガチガチと油の切れたゼンマイ仕掛けのように、青褪めた豊原が振り向く。

そこには当然のように、相棒であるディーが立っていた。

 

「ディ、ディー……何でここに……」

「ネイチャ先輩から迎えに来てって、言われた」

「へ、へー………誰を?」

 

その言葉には答えず、ディーは瞬時に豊原の前の立つ。

 

「……久居留君、お迎えの人に渡して」

「ちょ、ちょっと待てよ?俺は別に……」

 

「渡せ」

 

「はい!ただいま!!」

 

曇りきった目で有無を言わさぬディーに恐れ慄き、豊原が姉に智哉を預ける。

その瞬間、ディーは相棒の首根っこを掴んでずるずると引きずっていった。

弟を預かった姉が、よくわからないままこの修羅場に頭を掻く。

 

「ま、いっか……帰るわよー、トム」

 

智哉が顔を上げ、傍らの姉に気付くや爆弾を落とした。

 

 

「ああ、姉ちゃん」

 

 

 

「ン゛ッッッッッッッッッ!!!!!!?」

 

 

 

およそ十年振りの姉ちゃん呼びである。

酔っ払い、前後不覚の智哉は普段は絶対に出さない部分が出てきていた。

衝撃で姉が舌を噛みそうになり、ふらつく。効果は抜群だった。

 

「ちょ!あんた急になんなの!?」

「ん……?なんだ姉ちゃん?迎えに来てくれたんだろ?いつもありがとな」

 

 

「ン゛ッッッッッ!!!????」

 

 

いつもの弟なら絶対に言わない日頃の感謝の言葉である。効果は抜群だった。

ふらつきながらも姉は堪え、これは危険だと感じながらも歩けそうにない弟を背負った。

 

「あー!調子狂うわ!もうあんた寝てな!!」

「おう……悪いな姉ちゃん」

「ン゛!!!?」

 

寝息を立てる弟を背負い、その180cmを超える大きい体に姉がしみじみと独り言を漏らす。

 

「……本当に、大きくなっちゃって。なんか顔もすっきりしてるし、良い事あったのかもね」

 

弟がワーカホリック気味な事を、姉は心配していた。

自分にも責任があると感じていた。だから理不尽な姉を装い気晴らしに連れ出す事もあった。

何か悩んでいることにも気付いている。抱えた悩みも、そのうち吐かせようと思っていた。

 

そして姉も、弟に伝えていない事があった。

今後の自分の身の振り方を姉はもう決めている。それを、まだ弟に切り出せていない。

眠る弟の顔を見ながら、ぽつりと姉が言葉をこぼした。

 

 

 

 

 

 

 

「──あんたと居てあげられるのは、今年までだからね」




ネイチャの彼氏は基本アプリトレだけど元ネタありますやで。
加筆してない方上げてたから上げ直しましたやで。
許し亭ゆるして……。


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第二十一話 特別任務「スパイを欺け」

また長くなっちゃった……キャラ一杯動かそうとすると文字数増えるわね、増える……。


翌日の朝。

頭を抑えながら、気怠そうに智哉が目覚める。

本日は日曜日。各地の日本中央競バ会(U R A)傘下のレース場でレースが開催される日であるが、豊原の管理ウマ娘達はレースの予定が無く、各々自主トレやオフに充てている。

しかし、智哉はヴァーと希望者の練習のために今日は出勤日である。中央のトレーナー及びサブトレは多忙なのだ。

 

「頭いてえ……今何時……やべえ!!!!」

 

二日酔いに襲われ、痛む頭を抑えながら時間を確認した智哉は血の気が引いた。

ヴァーとの約束の時間はとうに過ぎている。

慌てて寝間着からいつものツナギ姿に着替え、割り当てられた小栗家の客間から外に飛び出す。

 

「あら…?トム、ごきげんよう」

「おう!おはよう!!」

「……ふぇ?ふにゃあ!!!?」

 

のんびりと縁側を歩くフランの横を、智哉が高速で突っ切る。

風圧でフランがくるくると回り、それをどこからともなく現れたメイドが抱えて止めた。

 

「おい!顔くらい洗っていけ!それと……」

「きゅう」

「学園で洗います!ごめんなフラン!!」

 

目を回したフランに謝罪しながら塀を飛び越え、視界から智哉が消えるのを呆れた目でメイドが見送る。

 

「はあ……あのバカめ。通知くらい確認しろ」

 

 

一方、道路に着地した智哉は再び駆け抜けていた。

トレセン学園は一駅の距離だが、急いでいる時は走る方が速い。

 

「あらー、おはようございますー」

「どもっす!」

「あらー?」

 

散歩中らしき近所の自宅警備員と挨拶を交わして、その横を抜ける。

 

「どうしたのー?そんなに急いで?」

「えっ、足めちゃくちゃ速いっすね……予定あるのに寝坊しちまって急いでるんすよ!!」

 

横を抜けたつもりだったが、ぴったりとニートは智哉の横に貼り付いていた。

全速力の智哉に対し、歩いていたニートが即応して全く遅れること無く横に並んでいる。ウマ娘にしても異常な加速である。

ニートはマスク越しに頬に手を当て、先程見た光景を思い返した。

 

「キミ、小栗さんとこよねー?今朝に三人くらい先に行ったと思うよー?」

「……はい?」

 

ニートの発言に、智哉が思わず足を止める。

ここでようやく智哉はスマホの通知を確認する事に気付いた。

スマホを取り出し、ウマインを開いたところでニートが羨ましそうに智哉のスマホを眺める。

 

「あー!UPhoneの新型ー!いいなー、おねーさんも欲しー」

 

UPhoneとはアメリカの多国籍テクノロジー企業、Carrot inc.社がリリースしているスマートフォンである。

智哉が愛用しているのは去年アメリカで先行販売された最新機種で、怪人として発表会に招待された際に寄贈されたものをそのまま使っている。

なおニートは過去の伝説のウマ娘や神々をモチーフにしたゲーム「UMAte-GrandRace-」通称UGRという大作RPGのガチャを回しすぎた為に、妹分よりスマホを解約されていた。とある欧州最強ウマ娘をモチーフにしたキャラがガチャに登場したために出るまで回したのだ。ダメニートは金遣いも荒い。

 

智哉がウマインを確認すると、姉から通知があった。

 

『おはよー、朝の練習、あたしとヤッちゃんとマイケルさんで見とくからあんたは寝ときな。昼からでいいわよ』

 

『あ、そーだ、ごはんはちゃんと食べてから来んのよ?二日酔いでしんどいだろうけど、何か食べといた方がいいから』

 

姉とは思えない程に優しい物言いである。智哉は一度トークルームから戻って本当に姉かどうか確認した。姉だった。

頭を掻いて、智哉がニートを見る。この人物に教えてもらわなければ自分は慌てて学園まで走っていただろう。

 

「……身内が先に行ってくれてるみたいっす。教えてくれて助かりました」

「いいえー、ご近所さんだしねー、助け合いは大事よー」

 

感謝を伝え、謙遜するニートと言葉を交わしている所に二人の人物が近付いた。

 

「ヤア先輩。散歩ならワタシも……オヤ、君は」

「あれ、確かアメリカで……って、もしかしてデイン──」

「待ってくれたまえヨ、今はお忍びでね、ワタシはこういう者だヨ」

 

そのうちの一人、鹿毛が途中から黒鹿毛に変わる大きな三編みのウマ娘に、智哉は既視感を覚える。

複数のウマ娘に関する論文を学会で発表し、数多のG1ウマ娘を育て上げ世に送り出している超有名人のウマ娘研究者である。

しかも、智哉の記憶が正しければアイルランド公国の正統な継承者のはずだった。彼女は戴冠するやその場で弟に禅譲し、ウマ娘の育成と研究の為に世界中を飛び回っている。

アメリカで、ヘリに乗り込む際に智哉に手を差し出してくれた人物でもあった。

 

その超有名人から差し出された名刺を智哉が受け取る。

「ウマ娘の未来の為に 伝道師ディーン・ヒル」と書かれていた。論文を読んだことのある智哉はこちらの名前の方をよく知っている。

 

「ああ、やっぱり、その節はどうも……論文、読んでます。特に幼少期のウマ娘の発育に伴うトレーニング法については勉強に……」

「イエイエ、無事でよかったヨ。おお、アレ読んでくれた?自信作なんだヨ。そうだデイちゃん、挨拶しておきなさい」

 

伝道師に促され、後ろに隠れていた人見知り気味なウマ娘の少女がぴょこりと顔を出す。

セミロングの鹿毛にまんまるの流星を持った小柄なウマ娘である。

その少女がおずおずと遠慮気味に智哉に会釈をし、口を開いた。

 

「は、はじめまして……デインドリームです」

「デインドリーム……ひょっとしてフランの友達か?よろしくな」

 

目線を合わせ、デインドリームと名乗ったウマ娘に智哉が笑顔で応対する。

フランより、ドイツの友人だと聞いていた名前だった。

 

「フランちゃんの知り合い……お兄さん、もしかしてトモヤ・クイルさんですか?」

「ああ……フランから聞いてたか?フランもこっち来てるけど会うか?」

「実は今日、お邪魔するつもりで……今からいいですか?」

「よし、ならウチはすぐそこだから……お二人もよければどうっすか?お茶くらいなら出せますけど…」

 

智哉の申し出にニートとその後輩、伝道師が目を合わせる。

どちらともなく頷き合い、了承の意を示した。

 

「じゃあご相伴に預かろうかなー、フランケルちゃんとも話してみたかったし」

「ウンウン、ワタシは君にも興味があってネ、特に君の生家について……」

 

 

こうして、智哉は三人を招いて一度小栗家に戻った。

戻った智哉を見て「目が回ったわトム。とても目が回ったわ」とフランはぷんすこと怒ったが、恩師と友人がいる事に気付いてすぐに機嫌を直している。

和やかに談笑し、論文のアドバイスを伝道師から得られた智哉であったが、ある一報により学園に早めに向かう事になった。

 

 

その一報とは──

 

『よーう、今日だけどよー、間崎のヤツがたぶん偵察に来るぜ。目ぇ付けられたらめんどくせーぞ』

 

──豊原からもたらされた、スパイの潜入である。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

(さて、着きましたが……)

 

京王電鉄京王線府中駅のホームに、その特徴的なモジャモジャ頭をチューリップハットで隠し、伊達眼鏡を付けた間崎が降り立つ。

その手にはカメラが握られており、首からはローカル競バ雑誌の記者であることを示す取材パスが提げられている。

これは本物の取材パスであり、懇意の記者から変装用に譲り受けた物だった。

学園への入場許可もその記者を通して通達済みで、変装し、偽名を使えば堂々と偵察に赴けるのである。

 

(取り越し苦労だといいんですがね……事前に仕入れた情報からして、こちらに不利な材料が揃っている)

 

先週、かのアメリカの至宝ゼニヤッタが来日し、学園を訪れていると間崎は突き止めている。

しかし、知り得た情報はこれだけである。

学園所属のウマ娘のSNSから匿名掲示板、そして自らの伝手を使った調査全てが空振りに終わり、その後の動向については追えずにいる。

 

(……おそらく、箝口令が敷かれていますね。と、なると……ヴァーミリアンの併走相手である可能性は非常に高い。問題は……)

 

ゼニヤッタの学園訪問の報を聞いた時、間崎は耳を疑った。

来日だけならば、引退した身のゼニヤッタの新婚旅行という事ならおかしいところは無い。

問題は学園への訪問だった。あれ程のウマ娘の場合、学園側から招待するのであれば事前に告知しているはずである。

それが急な訪問となり、事後に学園から告知されているのを間崎は疑問に思っている。

事後の告知、そして引退したとは言えダート世界最強と言っても過言ではないウマ娘の訪問だと言うのに、学園では何のイベントも行われていない。矛盾している。

この些細な矛盾に、見逃せない何かがあると感じていた。

 

(誰が、呼んだか……トヨさんはそんなコネは無いはず。例の彼が呼んだとするなら、一体何者なんでしょうかね)

 

謎多き新人のサブトレに、間崎の勘が警鐘を鳴らしている。

本場英国で首席という輝かしい成績でトレーナーになりながら、五年間も誰とも契約していない人物。

思索を巡らせながら、学園の門を潜って噴水のある並木道を通り、校舎入ってすぐの事務室で取材パスを示す。

ふと我に返り、パスを示した相手を見た間崎は硬直した。一番会いたくない、やり手の秘書が自分を応対している。

 

「ようこそ、トレセン学園へ!……あら、間崎トレーナー?」

「………………何のことでしょう………たづなさん、事務方のトップが何故事務員の真似事を………」

「ふふ……今日は事務員さんがお休みですので。いい加減中央の資格も取ってくださいね、資格があれば変装しなくても入れますよ?」

「気が、向いたら…………まだ、やる事があるので」

 

笑いながら、秘書が間崎の取材パスに承認の判子を押して返す。

見逃してもらえてほっとした間崎は礼を述べ、ダート練習場を目指した。

 

(フリオが引退するまでは、大井を離れたくありませんからね……併走相手もまともに用意できない出来の悪いトレーナーですが)

 

相棒、フリオーソに対して間崎は負い目があった。

地方において傑出した実力者であるフリオは、その速さ故に練習相手すら満足に見つけられない。

自分の至らなさだと間崎は思っている。フリオに実力で釣り合う相手さえ都合が付けば、あんな変則形式の併走も本来はやる必要はない。

ウマ娘にとって、優れた、速いウマ娘は走った時に本能で意識できると言われている。

お互い意識し、鎬を削る併走とは、ウマ娘にとって力比べ、そして闘争本能を刺激する練習である。

その本来の意味での併走を、フリオはずっと行えていない。それが間崎にとって心残りだった。

フリオは地方のシルバーコレクターとも言われている。その二着の回数は現在でなんと七回。

最後の直線で、ギリギリのところで勝ち切れない原因が、この練習相手の不足による物だと間崎は確信している。

 

そのような事を考えていた間崎が、ダート練習場に到着する。

まず目に入ったのは、予想通りヴァーと併走するゼニヤッタだった。

そして、予想外の光景もあった。

 

(………アグネスデジタル、ですか。それに……成程、やはりトヨさんではない)

 

カメラを構えて、望遠レンズで併走する面々をズームで目に収め、一度だけシャッターを切った。

笑顔のゼニヤッタ、歯を食いしばり食い下がるヴァー、そしてよだれを垂らしながら走るオタク。

よだれを垂らすオタクには見てみぬふりをした。実力者だが併走相手としてはおかしいところはない。

どうせいつものようにオタクがオタクムーブで混ざっているのだろうと間崎は考えている。当たっていた。

それよりも、気になっているのは三人に片言の日本語で指示を飛ばすトレーナーらしき人物である。

 

「グッド!イイですよー!休憩したらもう一本行きマショウ!!」

 

強面のアメリカで名を馳せるトレーナー、マイケル・スマイス。

ゼニヤッタの夫である。しかし、そういう関係性だったとしてもこの人物がトレーナーとして指導するのは異常な光景だった。

アメリカのトップトレーナーは多忙な存在である。何のコネも無い人物の管理ウマ娘の為に、貴重なバカンスを日本で指導のために消化するはずがない。

少し探りを入れようと、間崎はマイケルに近付いて英語で声をかけた。

 

「……失礼、マイケル・スマイス氏ですね?私はこういう者で……」

 

偽名の名刺をマイケルに渡す。それを受け取り、マイケルは笑顔で握手を交わした。

 

「日本の記者さんですね、はじめまして」

「こちらこそ。今日は学園にミス・ゼニヤッタが訪問されていると聞いて取材に来たのですが……あなたが指導しているのですね?」

「そうですね……私としましては妻の併走の付き添いのつもりだったのですが……友人に泣きつかれましてね」

 

ははは、と乾いた声で笑うマイケルに、間崎が目の色を変えた。

友人、恐らく例のサブトレであろうと当たりを付け、その旨を尋ねる。

 

「トモヤ・クイル。彼でしょうか?」

「おお、ご存知でしたか。恥ずかしながら、彼の協力無くして妻とは結婚できていないんですよ、その恩を返せと言われましてね」

「……成程、ところで、彼に関しては経歴に不審点が……」

 

続けて間崎が疑問を尋ね、それにマイケルは苦笑いを返した。

 

「ああ……彼ですね、ウマ娘が怖くて誰とも契約できないんですよ。資格を取ったのも就職に役立つから、という理由で」

「……は?いや、しかし彼は英国で首席……」

「優秀ではあるんですけどね、彼の場合やる気がまるで無くて……困ったものですね。お陰で私も日本に来てまでこき使われていますよ」

「……やる気が無いのに、首席ですか」

「そうですね……その辺りは実際に見ればわかるでしょう。今は第二ターフ練習場にいますから、見に行かれてみては?」

 

そこまで言うと、マイケルは話を切り上げて指導に戻る。

これ以上は話さない、と態度で示された間崎がダートで併走する三人を眺める。

 

(………ヴァーミリアンのペースが速すぎる。あの仕上げ方では彼女の脚は残らない)

 

ヴァーの脚質は追込である。

ギリギリまで脚を溜め込み、爆発させ、領域(ゾーン)に至ってゴール前でまとめて抜き去るのを唯一かつ必勝の型としている。

だからこそ間崎はヴァーから逃げ切れるように、フリオにあの併走練習を課している。

以前、東京大賞典でフリオとヴァーは対戦し、その時は最終コーナー好位置からヴァーの末脚が爆発し、敗北している。

 

その時のヴァーのタイム、二分三秒。これが今回の帝王賞で超えるべき壁だと間崎はフリオへ伝えた。

 

先行するフリオがしっかりとタイムを刻み、並びかけられずに逃げ切れれば勝てる。

そう思っていたが、目の前のヴァーは明らかにオーバーペースでゼニヤッタに食らいついている。これでは彼女本来の走り方はできない。

その姿に何か引っかかりを覚えながら、間崎は踵を返した。

 

 

(……まさか、いや……例の人物を見てからにしましょう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

そして場所を変えて第二ターフ練習場である。

間崎はまたしても予想外の光景に対面していた。

余りにも有り得ない光景である。

 

「うわー、サブトレくんはやーい!」

「次私ね!」

「あ、私もー!!」

 

人間が、ウマ娘と併走していた。

これを出来る人間を間崎は一人知っている。豊原である。

しかしあんなデタラメな人間が二人もいるはずがない、と思っていた。

そのデタラメが、目の前で必死の形相で走っている。

 

「ぜえ……ぜえ……なあ姉ちゃん、もういいだろ?そろそろ代わってくれよ」

「ン゛……あんたこれしか能が無いんだからナマ言ってないで走りな!ほら次いくわよー」

「いやもういいだろ!勘弁してくれよ……」

「いいから!行け!」

「いてえ!蹴るなよ!!」

 

走らされていたサブトレが姉らしき人物に抗議するも、蹴り出されて再びターフを走る。

そこに近付いた所で、練習を仕切っているらしきウマ娘の正体に間崎は気付いた。

 

(……ミッドデイ、ですか。引退したと聞きましたが)

 

英国の名ウマ娘、ミッドデイ。ゼニヤッタと友人で飲み仲間なのは有名である。

その人物を姉と呼ぶ例のサブトレ。間崎はある程度のバックボーンに当たりを付けつつ、姉の前に立ち名刺を差し出した。

 

「どうも……週刊ウマ娘ブックの戸山です。ミス・ミッドデイですね?まさか日本に来られているとは」

「あ、どうもー、恥ずかしい所見せたわねー。ここへはウチの愚弟のお守りついでってところね」

「……今走っている彼でしょうか?随分と速いですね」

「それしか能が無いんですよねー、全く……勉強はしてないしサボって統括機構追い出されて、ホントにもう」

 

名刺を受け取り、姉が走る弟を呆れ気味に眺めた。

間崎はメモを取り出し、この話をサブトレの経歴に付け足す。

 

この間崎の偵察への対策を話し合った際、姉弟の間でこのような会話があった。

 

『取り繕ってボロが出るよりも、そのまま見せて適当に理由つけたほうが多分バレないわよ。あんたはいつも通りでいいから』

 

『は?いや……いつも通りってどうすんだよ姉貴』

 

『だからさあ、あんたこっちで指導はマイケルさんに任せてるし、見かけは普通のサブトレじゃん。それで良くない?ヤッちゃんが学園いるのはバレてるだろうし』

 

『なるほど……そうかもな、それで行くか』

 

『あ、でもちょっとキャラは作っとこうか、あんた情けない感じで。いつもよりもね?』

 

こうしてある程度見せ、智哉の経歴を少し脚色する事になった。

そのはずだったが智哉はなぜか走らされている。二日酔いなのに。

姉ちゃん呼びは姉の強い要望、いや強要で言わされていた。何故か目が怖かったので智哉は二つ返事で従っている。

 

「しかし、彼は首席で優秀な人物のようですが……」

「あー、それね、ヤマが当たって後はほとんど体力測定で取ったようなもんよ。同期にジェシカ・オブリーエンがいたけど、あっちは体力無いみたいだし」

 

英国の若き有力トレーナー、もやしの体力の無さは世界的に有名である。

チーム・クールモアの公式ウマッターで、指導中のトレーナー陣の姿を写した動画投稿において、もやしは走法指導の実演の一歩目ですっ転び、ゲートの指導で足が攣る姿を世界中に晒されている。

クールな美貌のウマ娘トレーナーのまさかの姿にこの投稿は万バズした。数十分後に動画は消された。

間崎もこの動画にウマいねを送っているのでよく知っていた。思わず納得気味に頷く。

 

「成程……では、ミス・ゼニヤッタはあなたが?」

「そーそー、日本来るならついでに寄ってかない?って。まさか併走までしてくれるとは思わなかったけどねー、持つべきものは友達よね」

 

もう一度メモを開き、智哉の経歴について追記する。

そうしている所で、智哉が息を切らせながら間崎の前に到着した。

 

「一周したしもういいだろ!次姉ちゃんな!?」

「……………しょ、しょーがないわねー、行ってくるから記者さんに粗相しないようにね」

「わかってっから、あ、どうもっす」

 

間崎が、智哉を見る。

帽子で目元を隠し、土汚れの目立つツナギ。伸びたままにして、襟足を後ろで括った黒髪。

身長は間崎より頭一つ分高いが、どことなく冴えない印象の青年だった。

見かけ通りに見れば、どこにでもいる普通のサブトレである。

間崎は一度だけ試そうと、智哉を見て口を開いた。

 

「どうも……随分、足が速いようですが」

「ああ……こんなんだからこき使われてたまんねえっすよ、人使い荒いんすよね、うちの姉貴……」

 

これは本心である。朝のあの優しい言葉はなんだったんだよと智哉は抗議したくなっている。

 

「そうですか……ところで併走していた、彼女ですが」

 

姉と話しながらも間崎は先程の併走を見逃さず目に収め、併走したウマ娘の一人の癖を目敏く見つけている。

そのウマ娘を、指で示す。右回りのコーナーが苦手そうに、コーナーの度にペースを落としていた。

 

「彼女、何やら問題があるように見えるのですが……次走はいつ頃をお考えで?」

「へ?癖あるんすか?まいったな、そんなのわかんねえぞ……」

 

面倒そうに、智哉が頭を掻く。

それを見て、間崎はこの要注意人物の評価を確定した。

 

(凡骨……骨折り損でしたね。帰りますか……)

 

ヴァーの併走相手の撮影に、要注意人物の調査も終わり、もう見るべきものは無い。

 

「どうやらお気づきでないようで……おっと、次の取材の時間です。これにて失礼」

「あ、お疲れ様っす。癖とか教えてくれないんすか?」

「それを考えるのは君の仕事です。では」

 

間崎は智哉に帰ることを告げて、その場を離れた。

その後は問題無く事務室で帰社を告げ、学園の門を再び通る。

歩きながら、間崎は今日の調査結果を頭で精査する。

 

(ヴァーミリアンは、あの様子では仕上がらない。少し気掛かりはありますが……)

 

ヴァーは恐らく、前回の対戦よりも遅くなると間崎は予測している。

ただ一つの懸念はあったが、それもあのサブトレを見て霧散した。

 

(それに……あの凡骨具合ではトヨさんの予定通りには動けないでしょう。あの質問も、癖……!!?)

 

間崎が、足を止める。

あの質問を思い返し、一つだけ矛盾があった。

 

『へ?癖あるんすか?まいったな、そんなのわかんねえぞ……』

 

(……僕は、癖があるとは言っていない!成程……成程、これは一芝居、打たれましたか)

 

メモを取り出し、今日追記したページをまとめて破り、胸元にしまう。

必要のない情報を掴まされていた事に、気付いたのである。

たった一言、それだけで間崎は今回の偵察がヴァー陣営に察知され、一芝居打たれていた事に気付いた。

口角を歪め、智哉のページに一文、追記した。

 

 

「要注意人物。切れ者」と──

 

 

メモに書き込む間崎の横を、芦毛のウマ娘が通り過ぎる。

どこか悲壮な顔で歩くウマ娘。

マル外教室の、ウマ娘教師である。

 

 

 

 

 

 

 

 

(………増援は、呼べない。みんなやられる。私が、私がなんとかしないと………)




というわけで次は小学校パートやで。カナちゃんとかやで。


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第二十二話 領域(ゾーン)の発現について 講師:久居留智哉

遅くなってごめんやで…ちょっと書く時間なかった…。
というわけで伏線回やで。
カナちゃんの特異性について。


月曜日の朝、トレセン学園附属小学校。

生徒達が校門を潜り、次々と登校していく朝の風景の中、芦毛のカワイイウマ娘が上履きに履き替えながら、同級生の友人と挨拶を交わす。

 

「ピサちゃんおはよ〜!今日はメンコ付けてるんだね」

「おはようカレン、たまにはね」

 

左耳に赤いリボンを巻いた芦毛のウマ娘、カレンチャン。

そして彼女の友人である黒鹿毛をポニーテールにまとめ、黒いメンコを両耳に付けたウマ娘、ヴィクトワールピサ。

学園への入学を控えた六年生の中でも特筆すべき実力者である。

 

「臨時講師の先生、今日はウチのクラスにも来てくれるそうよ。楽しみね」

「あのシスターさん?カワイイ走り方とか知ってるかな〜?」

「………それは無理じゃない?それよりもカレン、また撮られてるわよ?」

 

両手を体の前で握ってカワイイポーズを決めるカレンに、ピサが顎で校外の電柱を示す。

電柱の影、興奮気味に鼻息荒くカメラを連写する下級生がいた。不審者丸出しである。

ピサの忠告に対し、カレンは笑って首を振った。

 

「いいの、カレンのファンの子だから」

「……本当に?まあウチの生徒みたいだし、悪い子じゃないとは思うけど」

「ウマッターとかウマスタでもね、カレンが投稿したらすぐ反応してくれるんだよ♪ちょっと癖が強いけど」

 

カレンはこの不審な下級生の存在を既に把握済みである。

個人情報についても既に兄をこき使って調査済みで、害は無いと判断して接触せずそのままにしていた。

なお下級生はバレているのに気付いたらまた不登校になるのは確実だった。自業自得である。

バレている事など露知らず、件の下級生であるカナは電柱から恍惚とした声を上げた。

 

「はああ〜!今日もカレン先輩はカワイイですねえ!!」

 

休日の間は撮影も出来ず、同志であるオタク先輩に託したブロマイド作成もトラブルにより滞り、カナは悶々とした休日を過ごした。

なおカナは知らない事だが、トラブルの原因は最近知り合った陽キャである。

二日振りの日課に興奮気味にカレンが見えなくなるまでシャッターを切り続けるカナ。

その後ろに、一人の人物が近付いた。

 

「こら!何をしてるの!!」

「ひえっ!?バ……教頭先生」

 

声に驚き、思わず直立するカナが振り向いた先には、校則にうるさく苦手なイメージを持っている石畑教頭が仁王立ちしていた。

カナの顔と手に持ったカメラを確認し、教頭が眉をぴくりと持ち上げる。

 

「あなた、先週休んでいた子ね?そのカメラであの子を撮っていたでしょう」

「な、ななな何の事やら、カナは学校を……」

「誤魔化すのはよしなさい!後ろから見ていたのよ?」

 

学校では目立たないはずの生徒が休んでいた事を知っていた教頭が、カナの盗撮を目敏く咎める。

そして手を差し出し、カナに絶望の一言を宣告した。

 

「盗撮はいけません!カメラは没収します」

「え、ええ〜〜!!後生ですからそれだけは許してください!!!」

「ダメよ、渡しなさい」

 

有無を言わさず仁王立ちしたまま手を差し出し続け、教頭がカナを威圧する。

根負けし、耳をしゅんと垂れさせてカナは教頭の手にカメラを置いた。

 

「よろしい、週末までは預かります。栄えある我が校の生徒なら、こんな盗撮よりも打ち込める物を見つけなさい」

「う……うぅ〜……はい」

 

とぼとぼと、カナが校門を潜り登校するのを眺め、教頭は息を吐いた。

 

 

 

 

 

「全く、盗撮なんて……このカメラ、ろくに手入れもしてないわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「よーし!イイぞ!このクラスは逸材揃いだな」

 

その日の三限目、五年生クラスは臨時講師のシスターの指導の元で模擬レース形式の授業を行っていた。

シスターは今日はマル外の授業はもう一人の講師に任せ、マル外との対抗戦を今週末に迎えた五年生の指導に入った。

理由は単純である。対抗戦を見物するつもりでいるシスターは両方の実力者を把握し、楽しく観戦するためであった。

なんだかんだでこの超気性難はレースを愛している。

そしてもう一つ、理由はあった。

 

「さて、ウチの連中のライバルになりそうなのは……と」

 

狡猾な超気性難は生徒を指導できる臨時講師の立場を利用し、教会の教え子達のライバル候補をマークしておく腹積もりである。

校長からもこの行為について「指導に手を抜かなければ好きにしていい」と許可をもらっていた。

エクリプス教のシスターとして、レースは神聖視されるべきものだとシスターは考えている。指導の手を抜くつもりは当然無い。

こう見えて敬虔な信者である。とある神は、将来傘下に押し付けられるのが確定しているこの超気性難の祈りが届くのを迷惑がっていた。

 

「ハーツの弟子、アイツは抜けてんなぁ」

 

シスターがかつての教え子、娘に唯一日本で勝利したウマ娘の弟子であるシオンに注目する。

 

「フッ…!!」

「シオンちゃんきたー!」

「むりー!!」

 

模擬レース形式の練習でターフを駆け、最終直線で後方からクラスメート達をごぼう抜きしていく姿にシスターは口笛を吹いた。

 

「ヒュー!良い脚してるぜ!ウチのだとシャークとラーに……ドリジャの妹が同い年か」

 

自らの娘を始めとした数多の天才を育て上げたシスターから見ても、頭一つ抜けた才能の持ち主である。

現在の教え子達のクラシック路線の強力なライバルになるとシスターは考え、シオンと同期になる教え子達を指折り数える中でふと、今年中に教会に連れてくると元教え子が言っていた妹の存在を思い返した。

 

「ドリジャがはえーって言うなら相当なモンだろうな、良い感じに競い合ってくれたら楽しみが増えるってもんだ……お?」

 

模擬レースが終わり、出走していた生徒達にアドバイスを送ろうとシスターが動いたところで何やら言い合う声が聞こえる。

 

「カナ!ちゃんとやるって約束したじゃない!!何よあの体たらくは!!」

「そ、そんな事言いましてもぉ……カナは陽キャに囲まれると灰になるので……」

「何よそれ……もう、次はちゃんとやりなさいよ!!」

「無理ですぅ……」

 

ほうぼうの体でゴールについて座り込むカナに、ボスが腰に手を当てて説教していた。言い合うというよりは一方的に言われているが正解である。

カナとボスも模擬レースに参加していたが、ボスはシオンに次いで二着、そしてカナは早々とバ群から脱落し先程ようやくゴールと結果は天と地の差があった。

この臆病な陰キャは、闘争心剥き出しの陽キャで形成されたバ群が大の苦手としており、実力を隠している以前に根本的な問題を抱えていたのである。

そこへシスターが近付き、以前より知っているボスの肩を掴んでなだめる。

 

「まぁ落ち着けよボス。バ群が苦手なのはすぐには治んねぇからな」

「でもシスターさん、こいつほんとは速いのよ!勿体ないわよこんなの」

「ふんふん、速い、ねえ……逃げ足ははえーな」

「あ!アイツ逃げたわね!!」

 

二人が視線をカナに戻すも、もうそこにカナはいなかった。

陰キャは気配を消し、視線が外れた瞬間に逃げたのである。こういう時だけその実力が発揮されていた。

シスターが逃げたカナを探す。今度は仲良し三人組に囲まれて灰になりかけていた。

 

「……おぉ?コイツは……」

「シスターさんから見て、どう?」

 

シスターがカナに注目し、ボスがその見立てを尋ねた。

 

「速いなんてモンじゃねえぞ、アイツ。キッカケがありゃたぶん使える」

「使える……何を?」

 

 

 

 

「そうだなぁ、俺様から言うのもな……今日帰ったらお前んちのあんちゃんにでも聞いてみな」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

「トム、仮面ボーイの続きを……あら、お仕事中なのね」

「よう、フラン。仕事じゃないけど……ちょっとな」

 

その日の夜、フランが智哉の部屋を訪ね、ちゃぶ台のラップトップに向かって何やら腕を組んで考え込む智哉がそれに応える。

昨日の伝道師からのアドバイスで得たアイデアを忘れない内に書き止めておこうと、智哉は現在取り組んでいる領域(ゾーン)に関する論文を執筆中である。

胡座をかいて座る智哉にとことことフランが近付き、智哉の組んだ胡座にちょこんと腰掛けてラップトップの画面を眺める。

六歳の頃より親しい間柄であるフランは智哉に対するパーソナルスペースが非常に狭く、人目の無いところでこのようにくっつく事が多い。智哉としては間もなく思春期を迎えるフランを心配に思うこともあった。

 

領域(ゾーン)の発現についての所感と実地指導について……トムが書いているの?」

「いや、お前……まあいいか……俺が今書いてる論文だよ。アメリカで色々あったからな、何かの役に立てばと思ってさ」

 

智哉は、アメリカでのトレーナー生活において担当したウマ娘達の領域(ゾーン)の発現に協力し、そしてその特性について幾つかの事例を確認している。

その日々の中で教訓として得た、効率的な領域(ゾーン)の開発についての所感をまとめ、怪人の名前を使い論文として発表しようと考えていた。

怪人の名を使うのは未だ完全に解明されていないウマ娘の未知の力、領域(ゾーン)に関する論文に説得力を持たせる為と、文中の事例について智哉の名で出すと問題があるためである。

フランにその事例を見せるべく、智哉が画面をクリックし、あるウマ娘を映す。

 

「この人……トムの担当だった方ね」

「ああ……領域(ゾーン)についてはわかるよな?この人はネルさんだな、まあ見ててくれ」

 

アメリカ芝路線の実力者イングリッシュチャネル。智哉がアメリカ一年目に担当したウマ娘が画面の中で模擬レース形式で走り、コーナーを曲がった先の最終直線で異変が起きる。

 

「……すごいわ」

 

フランが画面で起きた異変に息を呑む。

他のウマ娘を置き去りにし、正しく一人旅と形容すべき速度でネルが先着した。

フランも競走バを目指すウマ娘として、全てのウマ娘が目指す到達点である領域(ゾーン)については当然知っている。

模擬レースはネルが常に先行する展開で、フランの見立てではこれ程の末脚はネルに残っていないはずだった。

しかし、結果は圧倒的な大差でのネルの圧勝である。明らかにウマ娘の限界を超えている走りだった。

画面の向こうでは領域(ゾーン)が完成した事に感激したネルがカメラマンに飛び付こうとし、その前に姉が立ち塞がったところで映像を一旦止めて智哉が口を開いた。

 

「だろ?これはネルさんの領域(ゾーン)が完成した時の映像だな。効果は最終直線での末脚の強化……俺が知ってる中で一番シンプルで、だからこそ強い」

「……トム?これ撮ってるの、だれかしら」

「俺だけど……何かあったか?」

「この後、どうなったの?」

「あー…姉貴とネルさんが急に喧嘩始めてさ、止めるのが大変だったな……いやマジで怖かった」

 

アメリカ一年目、練習中に突然起きた大乱闘を思い返して智哉が背筋を伸ばす。

頭を振り、気を取り直して別のウマ娘を映した。

 

「次は……短期契約を結んでたリッチズだな」

「これは……実際のレースね」

「ああ……アメリカのクラシック三冠の一つ、ベルモントステークスのぶっつけ本番でリッチズは領域(ゾーン)に目覚めた。映像見直さないと気付かなかったんだけどな」

 

アメリカクラシック三冠の一つ、ベルモントステークスにティアラ路線から参戦しての勝利というアメリカ競バ史において百年振りの偉業を成したウマ娘、ラグズトゥリッチズ。

フランが固唾を呑んで見守る中、最終コーナーでアメリカ屈指のウマ娘カーリンが動いた瞬間に、リッチズが呼応するように速度を上げた。

 

「わかったか?」

「これ……両方、領域(ゾーン)に入ってる?」

「その通りだ。カーリンの領域(ゾーン)はネルさんに近いタイプだと思う。シンプルな強さの領域(ゾーン)だな…でもな、リッチズは更にその上を行った」

 

カーリンが歯を食いしばり、壮絶な叩き合いを仕掛けるもリッチズを抜き返すには至らず、そのまま決着は付いた。

脚を止め、呆然と掲示板の結果を眺めるリッチズが感動の涙をこぼし、カーリンと握手を交わした後に担当トレーナーの怪人に近付く。

そこへ姉が立ち塞がり、険悪な雰囲気でウィナーズサークルを指差したところで映像を止めた。

 

「リッチズが領域(ゾーン)を使ったのはこのレースだけだ。その後はグローリーカップでも使ってないな。本人に聞いたらどうしても勝ちたくて無我夢中だったそうだ」

「……なんだかとてもむしゃくしゃするわ、トム」

「なんだよ急に!?耳引っ張るなよ!いててて!」

 

何故かこの映像に腹を立てたフランが振り向き、智哉の耳を引っ張る。

よくわからないが、何か智哉に八つ当たりしたくてたまらなかった。

耳を離し、解放された智哉は次の映像を流した。

 

「で、次なんだけど……こいつはまあ、知ってるよな」

「この人、あの時の……」

「うん、インディだな……まあ色々あったけど良い奴なんだよ、ホントに」

 

あのキーンランドレース場での騒動の発端となった一人でアメリカの大氏族の血を引くウマ娘、インディアンブレッシング。

映像の中のインディはフランの目でも追えない程の速度で先頭に立ち、そのまま一着でゴールした。

 

「……速いわ、すごい」

「だろ?実は二回使ってる。スタートとゴールの駄目押しでな……インディはかなり特殊なケースだ。競走バになる前から領域(ゾーン)に目覚めてたらしい」

 

ゴールしたインディがスッと音も無く怪人の横に立ち、そこへ素知らぬ顔で姉が割り込む。

インディは何も言わず、ウィナーズサークルへ歩いていった。

 

「…………もう!トム!もう!!ミディお姉様にあやまってちょうだい!!」

「だからなんなんだよ!いてえって!!」

 

何故か姉の心労を感じたフランがまたぷんすこと怒り、智哉の胡座の上で暴れる。

暴れた拍子に肘が当たった顎をさすりながら、智哉は最後の映像を見せた。

 

「で、最後だけど……まあ知ってるよな」

「ロードさん…じゃなくてリティちゃん?」

「ああ、レースの時はリティだな、まあ見ててくれ」

 

最後に映るのはフランとも親しい間柄である、智哉がアメリカで最も長く担当したウマ娘、クオリティロード。

にちゃりと笑いながら走るリティが終盤、その雰囲気を大きく変えた。

 

「信号が全部、点灯してるわ」

「よく気付いたな、これがリティの領域(ゾーン)だ」

 

信号機を模した耳飾りが全て点灯するや、リティは大きく後続に差を付け、ゴールを割った。

 

「……これは、どうなってるの?」

「三人出てきてるんだよ。脚はリティ、心肺はロード、進路の指示はクオが出してるらしい。リティのはインディより更に特殊なケースだな、小さい頃から使えたそうだぜ」

 

智哉が解説する中、画面の中のリティはゴールを割っても足を止めず、前で待ち受ける怪人の胸に飛び込んだ。

 

「えい」

「ぐへえ!!?お前今のはわざとやったろ!?鳩尾に肘はやめろ!!!」

 

スン、と目を据わらせたフランがかけ声と共に肘を後ろの智哉にぶち込む。何故かわからないがそうしたくて仕方なかった。

鳩尾を抑えながら、智哉は自らの所見を述べた。

 

「というわけで、領域(ゾーン)はウマ娘の未知の力と言われてるけど……その効果すら様々だな、こればっかりは発現しないとわからない。それに……」

 

「それに?」

 

フランではない声で後ろから合いの手が入れられ、二人が振り向く。

 

「……ボスとノーブル、いつからいたんだ?」

「ずっといたけど、興味深かったから聞かせてもらってたわ、智哉兄さん」

「私もです。それよりも……」

 

声の主であるボスと、その横にノーブルが座っていた。

フランを探してここを訪ね、競走バを目指す二人は智哉の見せる映像と解説に見入っていたのである。

 

「ノーブルちゃん?」

「姉さんは、こっち」

 

ノーブルがおもむろに立ち上がり、フランを立たせて自らの横に座らせた。

首を傾げるフランを余所に、ノーブルが智哉をジト目で睨みつける。姉をこの男の毒牙から守らねばならない使命感に溢れていた。誤解である。

身に覚えのないノーブルの眼光に頭を掻きながら、智哉が話を続ける。

 

「ま、まあ話を続けるか……領域(ゾーン)の発現についてだけど、正直に言うと正解はない」

「……どうしてですか?」

「うーん、そうだな、例えばだけど……ノーブル、なりたいものとか、やりたい事とかあるか?理想でも何でも良い」

 

智哉の例え話にノーブルの顔が一瞬歪むが、平静を保って言葉を返す。

 

「…………あります。言いたくないですけど」

「…そっか、無理して言わなくても大丈夫だからな。じゃあフランはどうだ?」

「あるけど、内緒よ」

「…………ああ、うん……ボスは?」

「あるわ、トウカやバクシン先輩みたいなウマ娘になりたいわね」

 

ボスが尊敬する二人の伝説のウマ娘の名を上げ、胸を張る。

それを聞いて頷き、智哉は話を繋ぐ。

 

「なるほどな……ひょっとしたら、その二人に関係する領域(ゾーン)にボスは目覚めるかもな」

「えっ、ホントに?」

「まあこればっかりはわかんねえんだけど、一つだけはっきりしてるのは……」

 

 

領域(ゾーン)は、心に宿る」

 

 

智哉の言葉に、三人が胸に手を当てる。

 

領域(ゾーン)は発現と共に、ウマ娘に自らの心象風景を見せるんだよ。例えばさっき見せた例の中だと、ネルさんは大海原で船に乗ってたらしい」

「二人目の、人は?」

「この時一回だったし、本人もよく覚えてないからわかんねえかな……ひょっとしたら、ベルモントで勝つ為だけに発現したのかもな、リッチズの悲願だったし」

 

領域(ゾーン)の発現について、智哉はネルに協力した中で確信を得た事があった。

 

「俺の所見になるけど……領域(ゾーン)はな、きっとウマ娘の心の鏡だ」

「鏡?」

「ああ、ネルさんはな、ある日の練習でうっすらとビジョンが見えたそうだ、英国育ちの姉貴との併走だった。ネルさんは元々はアメリカに移った英国の貴族の生まれだからな、英国のレースに憧れがあったからだと思う」

 

領域(ゾーン)とは、ウマ娘が持つ願望、憧れ、理想。

それらを力に変え、心象風景を伴って発現するのである。

 

「インディは、もっと速く獲物を狩りたいと思ったらできるようになってたらしい。リティは三人で走りたいと思ったらできたそうだ」

「……ヤッタお姉様は?」

「………………あの人は規格外と思ってくれ。何で周りも巻き込む強力なヤツが適当に使えるんだよ」

 

強い思いを持って発現した領域(ゾーン)は、時に周囲のウマ娘にも自らの心象風景を見せる。

ヤッタの即興領域(ゾーン)は世界的にも有名である。

余りにも簡単に使うので、智哉はヤッタの事を特異なケースとして論文に記している。

 

「じゃあ、話を締めるぞ?俺が思うに、領域(ゾーン)とはイメージの力だ。自らの理想や願望、憧れを燃料にしてウマ娘が欲する力を与える。だから大切なのはイメージ力と、自分の本当に欲しい物を理解することだな」

「……簡単そうに聞こえるけど」

「勿論それだけじゃない。俺が知ってるケースはどれも肉体や精神を限界まで追い込み、極限状態で発現できて……いや、姉貴はまだわかんねえわ、どうやってんだ姉貴」

 

話の締めに入った智哉だったが、ここで現在悩んでいた姉の領域(ゾーン)のケースを思い返す。

姉の領域(ゾーン)は折り紙付きの強力な代物である。

相手の領域(ゾーン)を解除し、更には自らを強化して相手を抜き去る。

上記どれにも収まらない特殊ケースである。他者の領域(ゾーン)にまで干渉するその効果を智哉はまるで解明できていない。

眉間を揉む智哉に、ふとボスが声をかけた。

 

「ねえ、智哉兄さん?」

「ん?どうした?」

「例えばだけど……ずっと自分の理想を理解して、ずっとその姿を想像してた子がいたとしたら、どう?」

「……そうだな、それだけじゃ多分無理だけど……」

 

ボスの質問に智哉は顎に手を当て考えた後に、答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きっかけがあれば、使えるようになる……かもな」




カーリン、何度か名前出てるしどっかで出してえなあ……。


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閑話 駄女神、やらかす

というわけで天界の様子やで。
この後史実モデルのウマ娘がちょっと悪役になるけど許してクレメンス……。
凱旋門賞、タイホでも無理かあ…五歳牝馬が勝つとは驚きやで。


空の向こう、次元を更に超えた場所。

光り輝く空間の一角にある女神エクリプスの居城、と呼ぶには不釣り合いなみすぼらしさの先日開いた穴を申し訳程度に補修したあばら家。

ここは現在、天使や神々が入れ替わりで訪れ、それぞれの用件のためにこのあばら家の主を訪ねていた。

 

その主、女神エクリプスは今──

 

 

「もういやああああああ!!!!働きたくなーーーーーーーいいいいいいいい!!!!!!!」

 

 

床の上で全力で駄々をこねていた。自分で蒔いた種である。

彼女は現在、地上に降りたヘロド傘下の優等生の従属神達を一旦自らの派閥に預かり、天界でのヘロドの業務の引継および実務を行っている。

これについては三女神のリーダー格、ダーレーからも満面の笑顔で「たまには働きなよ。あと協力してくれないかい?ホントに……」と言われ承認されている。逃げ場はない。

ちなみに以前ヘロドに撃った、暗殺特化透明女神ビームが当たったのはダーレーの居城である。

現在幽閉中の女神ゴドルフィンに代わり、地上の人々の運命の管理も自分の業務として預かっていたダーレーは久々のまとまった睡眠時間にこれを受けて叩き起こされ、流石にブチ切れた彼女と駄女神の間で天界を揺るがす大乱闘が起きかけている。

とあるちょんまげの体に幾つか穴が空いた程度で無事平和裏に和解に至った。

 

「まあ落ち着くでござるよ、えく殿。ポテイトーズが預かった案件が終われば一旦暇が出来るでござるから」

 

床で幼児退行する駄女神に夫である執行官、丈之助がなだめながら駄女神の体を脇に手を入れ起こす。

丈之助は各方面の調整役として十全にその超人の頭脳を駆使して働き、円滑な業務信仰に一役買っている。

余りにも有能なのでダーレーに真顔で宗旨変えを勧められたが、丈之助は聞かなかった事にした。

 

「……ねえジョン、トキノ呼び戻してやらせたらよくない?」

「だめでござる」

「なんでえ!!サイモンもダーレーに呼ばれて戻ってこないし人手足りないでしょ!!!」

「……だ、だめでござる」

 

駄女神が無理矢理自分の縄張りにした日本に派遣している傘下の女神を呼び戻そうと提案するも、丈之助は断固として拒否した。

まだ年若いが「女神エクリプスに過ぎたるものあり、トキノとジョン君だね……どっちか貸してくれないかな?駄目かあ……」と疲れ果てた顔で女神ダーレーが太鼓判を押すほどに有能な調整役である。ダーレーは結局貸してもらえず、件の女神は現地の監査役として日本へ送り出されている。

 

「……なんでよ?日本でそうそうあいつが出張る事件なんて無いでしょ?」

 

この駄女神は業務に追われまだ地上の動きを把握していない。

そう、地上で子孫がまた事件に巻き込まれているのを知らないのである。現地に派遣した女神が関わっている事も当然知らない。

ギリギリまで黙っておこうというダーレーの判断によるものである。

これから起きる事をゴドルフィンより預かった権能で知っているダーレーは、子孫には悪いがこのまま巻き込まれてもらおうと考えていた。そうしないと本当の意味で大惨事が起きる為に、コラテラルダメージとして子孫の受ける被害を容認しているのである。

これは事情を聞いた丈之助も了承している。しかしこの駄女神は暴れるであろうと考え、口を噤んでいた。

 

(……そう言えば、地上の様子を見ていないわね。ダーレーがやけに仕事振ってくるから、あいつの誘い蹴った事を根に持ってと思ってたけど…まさか……)

 

以前この駄女神はダーレーより、とある重要案件への協力を打診されていたが固辞している。

これは駄女神の打算によるものだった。自らは別の思惑で動きつつ、どうしようも無くなった頃合を見て颯爽と現れて貸しを作るつもりである。

 

(貸しを作ったらもう一回ループさせて、元に戻す事は絶対条件よね。そもそもあの寵児がウチの子とくっつかないと子孫残さないのがダメなんじゃない……世界のルールとか正史とか知ったこっちゃないわよ)

 

駄女神は自らの子孫の事を第一に考えており、だからこそ丈之助とダーレーは地上の様子を伏せている。

丈之助の危惧を余所に、駄女神はおもむろに地上の様子が見れるテレビのスイッチを押す。

 

「あっ!えく殿!」

「………フツーに、日本で生活してるだけじゃない?でもジョン、その反応は何かあるわね?」

「……い、いや、何でもないでござるよ?」

 

テレビの画面に、子孫が三人の少女と何やら話している姿が映る。寵児がいる以外は駄女神に気になるところはない。

しかし、この丈之助の反応があからさまに何かがあると思わせた。

 

「いいから喋りなさい。じゃないと………」

「…………」

 

折檻をしようとわきわきと手を動かすも、丈之助は覚悟を決めた顔で迎え撃つ構えを見せる。

久々に見る夫のシリアスな顔である。駄女神は一瞬惚れ直しかけるも、これ程の顔をする何かがあると察して手の動きを止めた。

これは相当な何かが起こっていると確信した女神はなんとしても喋らせようと、先程の会話で得たヒントから一枚の紙を取り出す。

その紙を見た丈之助の顔が一瞬歪んだのを見逃さなかった駄女神は、それをひらひらと動かしてみせた。

 

「これ、破るわよ?トキノの地上派遣許可」

「えく殿!!!それだけはならぬ!!!!」

 

駄女神が手に持つのはエクリプス教の印が押された、傘下の女神の派遣許可証。

破れば効力を失い、その瞬間に派遣された者は天界に強制送還される事になる代物である。

真剣な顔で何かを隠している事を決定付ける一言を放った丈之助が、咄嗟に手で口を塞ぐ。

 

駄女神は駄女神ではあるが女神のはしくれである。

というか一大宗教の主神であり、何だかんだ言いつつもこの世界を駄女神なりに愛している。

しかし、これまでの自分が観測している地上の状況とは違う点がある事に、その原因の一端を担っている立場ながらまだ気付いていなかった。

 

 

つまり、この時点では脳天気に楽観視しており──だからこそ取り返しの付かない行動を取った。

 

 

「ふーーーん、じゃあ破ろっと。トキノに聞くわ」

 

 

「ああああああ!!?えく殿おおおおおお!!!??」

 

 

夫の反応に気分を害した駄女神は、あっさりと許可証を破り捨てた。最低の女である。

途端に周囲に激しく光が満ち、収まった時には一人の女神が立っていた。

 

「えっ……これは、強制送還……?」

「トキノー、久しぶりー」

「え、エクリプス様………ッ!!」

 

困惑した後に自らに起きた事象を理解したその女神、日本の現地監査役を担うトキノミノルはいけしゃあしゃあと手を振る主神を見てわなわなと震えた。

緑の袴の巫女装束を身に纏い、黒鹿毛を黄色い結紐でローテールに括り付けた、控えめな短い耳の美しい女神である。

しかしその顔は完全に蒼白に染まり、肝心な時にやらかす自らの派閥の主に怒りとも絶望とも取れる表情を向けて震えていた。

 

「ああ……これは拙者の失態にござる。どう責任を取ればいいやら………」

 

丈之助も同じく顔を真っ青にしながら、大慌てでどこかに電話をかけようとダイヤルを回している。

何も知らない駄女神はあれ、これ本当にやっちゃった?と言った様子で首を傾げる。

 

「……えーーと、とりあえずお帰り」

「…………エクリプス様」

「んー?」

 

呑気に空返事を返す主神に対して女神トキノは虚ろな眼を向け、どこからともなく匕首を取り出した。

 

「………彼を巻き込んだ事にお怒りなのは、重々承知しております」

「ちょっと何よ急に!?そんな物騒な物しまって……なんですって?」

「今ここで腹を掻っ捌いてお詫びしますので、今は何卒、地上にお戻し下さい」

「だから待ちなさいよ!!!!そんなのしなくていいから!!!!あ、えーと、それと……今ちょっと手持ちが無くて……一週間くらいで戻せるから、ね?」

 

今にも割腹しそうな勢いの女神トキノを必死に止める駄女神は、ここでようやくそれ程の事態が起きていると気付いた。

この必死の制止に女神トキノはきょとんとした顔を見せ、それから百面相の如く顔色を変えてから何も知らない主神が、最悪のタイミングで自分を呼び戻した事を理解した。

 

一番大事な一週間に、なんとなく呼び戻されていた。

肝心な時にやらかす女である。

 

先程とは別の理由で、トキノはわなわなと震えた。

そして事態の深刻さを簡潔に伝えるべく、口を開く。

 

 

 

「……エクリプス様、詳細は省きますが結論だけ言うと、このままではあるウマ娘が死ぬ運命にあります。重軽傷者も多数出ます」

「………………うそでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

「嘘ではありません。相手は堕天した神ですから」




ちょっと最後の方の台詞いじったやで。
ウマ娘なのに人はなんかおかしいな?って…。


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第二十三話 カルトの聖母、その切り札

しゃあっ スミヨン・エルボー!!

いかんでしょ。


梅雨を控えた初夏の朝。

やや日差しが強くなりつつある朝陽を浴び、智哉は姉と並んでトレセン学園への道を歩いている。

 

「あんた隙だらけすぎるのよ。あたしがフォローしなかったら……」

「ああ、悪かったって……でも別にあの二人なら問題ないだろ?」

「ボスちゃんは良いけどノーブルちゃんには内緒にしときな」

 

姉の小言に、智哉がうんざりとした様子で返事をする。

昨日の夜、智哉が小栗家の小学生組のウマ娘達に領域(ゾーン)についてのちょっとした講義を行っていた終盤、なんとなく嫌な予感を感じた姉が部屋に飛び込んで来るや智哉のラップトップをおもむろに閉じた。

アメリカの怪人と担当ウマ娘達のレースが映っていたためである。

そして姉は独り言のように、怪人付きのサブトレとして智哉がチームカルメットに所属していたと早口でまくし立てた。

姉は自己保身の際には勘がよく働く。その身に流れる血がそうさせていた。

その後は姉が弟を夜稽古と適当に理由を付けて道場に引っ張り出し、講義はお開きとなっている。

 

「ノーブルはなんかあるのか……?フランの妹だぜ?」

「あんたが中身だって知ったら幻滅しちゃうでしょ。夢壊すような真似すんじゃないわよ」

「ひどくねえか、その言い方……おっ」

 

姉に向けていた視線を戻したところで、智哉が前から歩いてくる知った顔に気付く。

とぼとぼと、豊原の相棒でサブトレの同僚であるディーが歩いてきていた。

 

「あ、久居留くん。おはよう」

「おはよう、あいつは?」

「ちょっと別件で今日はお休み……あの、そちらは?」

 

何やら物憂げな表情のディーが、挨拶を済ませた後に姉に目を向ける。

ディーも姉も、お互い元競走バとして知っている顔ではあった。

この質問はどういう関係か?という意味合いである。

 

「ああ、ウチの姉貴」

「お姉さん……はじめまして」

「こちらこそよろしくね、噂はかねがね。このバカが迷惑かけたりしてない?」

 

姉は、闇討ちの件を知らない。姉がどう動くか読めない智哉はその話を伏せている。

姉という言葉を聞いたディーは一瞬悲しそうな表情を浮かべた後に、頭をしっかりと下げて応えた。

 

「えっ!?ちょっと、頭下げてもらうような事あたし言ってないけど!?」

「いえ、久居留くんには大変ご迷惑を……」

「いやそんなのいくらでも迷惑かけていいから!コイツなんてこき使っちゃっていいんだから!!」

「ぐべえ!姉貴肘はやめろ!!!」

 

ディーのこの言葉は、謹慎で仕事ができない件の事だと勘違いした姉が、弟に強めに肘を入れる。

仲睦まじげな姉弟の様子に、頭を上げたディーが寂しげに微笑んだ。

 

「仲いいんだね、久居留くんとミッドデイさん」

「あー、まあそうかな、あたしがいっつも面倒見ててうんざりしちゃうけど」

「いや逆……ぐへえ!!?だから肘はやめろよ!!」

 

もう一度肘を受けた智哉が咳き込んでから、ディーの顔を真っ直ぐ見つめる。

思えばあの一件以来、しっかり話していなかった相手である。闇討ちされた当時は確かに怒っていたが、そう動いた事情も知っている。

もう怒ってはいないし、こっちは任せてほしいと伝えるべきだと考えていた。

 

「………まあ色々あったけどさ、もう怒ってねえから気にしないでくれ……あいつには言いたいことがたっぷりあるけどな」

「タケルは、うん……お酒飲ませた件もほんとにごめんね。ミッドデイさんにも言い寄って………」

 

 

「は?」

 

 

聞き捨てならぬ言葉であった。

 

「く、久居留くん?」

「あれやっぱりナンパされてた?あたしも捨てたもんじゃないわねー」

「……やっぱりあいつタダじゃおかねえ」

「ま、まあまあ久居留くん、私の方でおしおきはしたから……」

 

苦笑いを浮かべながら、地雷を踏んだ事を察したディーが智哉を眺める。

仲のいい姉弟、少しだけ羨ましくも感じていた。

 

(……たづなさんの失踪、久居留くんには言えない)

 

昨日の夜、容疑者のマル外教室担任を尾行して辿り着いたカルトのアジトらしき一軒家へ、秘書と豊原そしてディーの三人は踏み込んだ。

その最中に秘書が光に包まれて突然二人の前から消え、更には現れた手強い増援に時間を稼がれて構成員を取り逃がし、撤退する羽目となっている。

学園は今朝から事務方のトップが突如行方不明になり大騒ぎである。理事長により秘書は有休消化のため急遽休ませたという理由付けがされている。

マル外教室の担任も行方を眩ませている。豊原は別の当てを調査すると言い、都内のある場所へ向かった。

 

「仲良いね、ほんとに」

 

この仲の良い姉弟、自分には手に入らないものをこれ以上巻き込みたくない。

そう考え、ディーは微笑みながら平静を装う。

 

「……お前んとこも兄弟とかいるのか?」

 

先程から見せるディーの表情に、自分達のような肉親の存在を感じた智哉が話を振った。

ディーが、悲しげに頷いた。

 

 

 

「うん……ウチは、仲悪いけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

東京都文京区、日本ヘロド教会東京本部。

日本におけるヘロド教の総本山である。

エクリプス教と比べると規模が小さいながらも、手入れの行き届いた清廉な教会の庭先で一人のウマ娘が信徒達に優しげに微笑む。

美しい栗毛をヴェールで包み、きめ細やかな白磁の肌を修道服で包んだ聖母の如き容貌のウマ娘である。

聖母は、信徒達に聖書の読み聞かせを行っていた。

 

「並み居るクラシックウマ娘達を破り、地上の覇者であることをお示しになったサ……ヘロド様は次は天界の覇者となるべく天に拳を突き上げ、我がウマ娘生に一片の悔い無しと仰いました。澄み渡る空をお作りになられた後に天に昇られ、今も私達を見守ってくださっています」

 

「ヘロド様すごーい!」

「すてきー!」

 

読み聞かせに歓声を上げる子供達の一人が、もじもじと聖母の前に立つ。

 

「あら……どうしましたか?かわいい子羊ちゃん」

「聖子せんせー、あのね」

「ええ、何でしょう?」

 

「私もなりたい!ヘロド様みたいなすてきな気性難に!!」

 

子供が爛々と目を輝かせ、それに釣られて他の子供達も血走った目を聖母に向ける。

聖母は感激で口を抑え、涙を一雫溢した。

 

「まあ、まあ………!!なんてかわいらしい子羊ちゃん達でしょう!きっとみんななれるわ!素敵な気性難に!!」

 

子供達を一人ずつ抱き締め、聖子と呼ばれたこの教会の聖母は立ち上がる。

読み聞かせは今日も盛況のうちに終わった。子供達の憧れと強い信仰心を受けた聖母に力が漲り、歓喜に一瞬だけ凶相を浮かべた後に子供達に手を振って教会の中へ入る。

中に入った聖母を、一人の幼女が迎えた。

 

「………終わったワケ?読み聞かせ」

「はい………ヘロド様」

 

教会の礼拝堂の奥には右手を天に突き上げ昇天する女神像が鎮座し、その前に女神ヘロドが気怠げに顎に手を当て座り込む。

幼女の見た目であるヘロドだが、祈りを捧げられる女神像とは成長しようとも似ても似つかない容姿である。

 

「……そ!元気な声が聞こえてきたし感心するワケよ!アンタがウチに宗旨替えしてるとはね」

 

降臨する以前より気掛かりとなっていた、この厄介な状況への思索に耽っていたヘロドが聖母に満面の笑みを浮かべる。

本音を隠し、何も気付いていないという事にして見逃してやるという意思表示である。衰えたとは言え主神であるヘロドがこの事態に気付いていないはずはない。

 

ここ、日本ヘロド教会東京本部は、カルトの巣窟と化していた。

 

「ええ、もちろんですわ……私ども一同、ヘロド様へ永遠の信仰を──」

「そういう堅苦しいのはいらないワケよ。それよりもこないだの話の続きをしてあげるわ」

「まあ!是非お聞かせください!」

「うん、前回は私がエクリプスをボコボコにして、詫び代わりに信仰を差し出させたまで話したわよね?今日はその後の……」

 

 

「いえ、そちらよりも──ジュビリー様の封印が解かれたのは本当なのですね?」

 

 

カルトの聖母は、かつて天界でとある伝説の超気性難に仕えていた女神である。

派閥においても高い地位にあり、中世暗黒時代に絶頂にあった主がある駄女神に敗北したその時、何人かの仲間と地上に逃走した。

そして地上に堕ちた気性難の女神達は各地に散らばり身を潜め、政財界に根を張り、不幸な境遇のウマ娘達に救いを与え懐柔し、歴史の裏側で現地監査役の女神及び神の代行者達と戦い続けている。

 

全ては天界に残してきてしまった主を地上に迎え、気性難の楽園を作るために。

 

しかし今年に入って事態は大きく動いた。

降臨した女神ヘロドの突然の訪問、そして齎された情報によって。

 

「解かれたのは間違いないワケ。今頃エクリプスに囚われているんじゃないかしら」

「そう……ですか」

 

ギリ、と聖母が拳を握り締める。

堕天して以来、天界の状況を知らない彼女をはじめとするカルトの女神達は、時折届く主からの帰還要請を拒み続けている。

 

『もういいからうぬらも帰ってこい。エクリプスの所に世話になってるから』

 

主はこう言い、帰還を促す。

 

『うぬらは帰ってくるな!エクリプスは吾が抑えておる!』

 

それがこう聞こえていた。勘違いである。

数百年地上に潜伏し続けている女神達は、かつての主の姿に拗らせきっていた。

私達の主はそんなこと言わないという先入観と、今も天界で戦い続けているという理想の主の姿から、これは駄女神の姑息な罠だと決めつけている。

そしてヘロドの訪問によって、一匹狼なれど同じ理想を抱くもう一人の伝説の気性難が封印を解かれたと聞いた聖母は、大きく勝負に出た。

ジュビリーも封印が解かれているならば、地上に呼び寄せる事が出来る。

大きな信仰心を集めるために、今回の暴挙に出たのである。

 

「……他のシスターは姿が見えないようだけど、今日は何かあるワケ?」

「はい、今日は奥の間で礼拝を捧げる日ですので」

「そ。じゃあ邪魔しないうちに帰るわ、またね」

「申し訳ありません。お茶も出せず……」

 

申し訳なさそうなフリをする聖母に手を振り、ヘロドが教会から出る。

 

(ま、種は蒔いたワケよ……私が直接やってもいいけど)

 

この教会へのヘロドの最初の訪問は、現在同行している愛し子の付き添いという偶発的なものだった。

日本からの信仰心がいくらなんでも少なすぎるという原因を直接確かめる為という目的もあり、教会で祈りを捧げたいという愛し子の希望を聞いて訪れた先で、ヘロドは瞬時に異変に気付いた。

当たり前の話である、自分じゃない女神像に信徒達が祈りを捧げていたのだ。

 

(エクリプスの嫌がらせと思ったけど、カルトの隠れ蓑にされてたとはねえ……サイモンには後で不足分を耳揃えて返してもらうわ)

 

自分の教会を乗っ取られていることに内心怒り狂い、その場でカルトの構成員を叩きのめそうと考えたが、それよりもこの状況を利用すべきだと思い付いたヘロドは然りげ無く世間話を装って聖母に情報を提供した。

 

(アイツが負けたら教会は元通り、勝ったらエクリプスは管理不行き届きで縄張りを没収……どっちに転んでも私は損しないワケ)

 

駄女神は働かない女である。日本の管理も監査役に任せっきりで、力だけ貸して自分はぐうたらと過ごしている。

この状況を利用し、堕天した神が後ろ盾にいるカルトの蜂起を許したとなればそんな駄女神も流石に責任を問われ、縄張りを手放す羽目になるだろうとヘロドは考えた。憎き駄女神へのいやがらせである。

しかしそんな事にはならないだろう、ともヘロドは考えている。

どの道、自分は動けない理由もあった。

 

(最初の訪問でシリュスを見られたからね。あの子は巻き込めない。それにアイツの縄張りで動いたらトキノに気付かれる)

 

油断していた為に、愛し子を聖母に見られている。

そして駄女神はともかく現地の監査役は有能で抜け目がない。自らの姿を見られたらダーレーに通報される恐れもある。

 

(ま、トキノには勝てないだろうし……そんな大ゴトにはならないワケよ)

 

有能な監査役が、エクリプスから借り受けた力を存分に使えばカルトには勝ち目はない。

その確信がある為に、ちょっとしたいやがらせのつもりでヘロドは行動していた。

 

 

 

 

(………トキノが強制送還されたらヤバいけど。エクリプスも流石に監査役戻すなんてアホやらないでしょ)

 

 

(いや、ホントに大丈夫よね?不安になってきたから学園の様子だけ覗こうかな……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

日本ヘロド教会東京本部、その地下施設。

気性難カルト『聖なる気性難の黄昏(トワイライト・サン・シモン)』の日本における本部である。

幾つかのチューブに繋がれ、電子音を発する機械的な人型の何かが立ち並ぶ施設の前で、数人の修道服姿のウマ娘がそれを眺めている。

 

「スーツの調整、終わったか?」

 

眼帯姿の隻眼のウマ娘が、施設の前で作業中の仲間に声をかける。

カルト構成員の一人、コードネーム「エナメル」。気性難である。

 

「もうちょっとまってねー、計算ではセクレタリアトの40%の出力が出せるはずだよ」

 

眼鏡姿の、耳が片方欠けているウマ娘がその声に応えた。

カルト構成員の一人、コードネーム「プルカジュール」。気性難である。

 

「くっそ、あのアマ……ちょっと凱旋門の時に一服盛ったくらいで根に持ちやがって」

 

片腕をギプスで補強し包帯で首から吊った、脚がやや曲がったウマ娘が先日の襲撃に怒りを現す。

カルト構成員の一人、コードネーム「ギローシェ」。気性難である。

 

「でもさー、秘書が消えた時のアイツの顔見た?笑えたよねー」

 

けらけらと笑い、ギローシェをなだめる尻尾の無いウマ娘。

カルト構成員の一人、コードネーム「リモージュ」。気性難である。

 

彼女達こそ気性難カルトの構成員であり、先日秘書達と一戦交えたウマ娘達である。

包帯を巻いたギローシェが、後ろに控えるもう一人に振り向く。

 

「よう、あん時は助かったぜ!新入り。お前もこっち来いよ」

「……………」

 

無言を通し、言われるがままに横に並ぶカルトの新入り構成員。

長い黒鹿毛を靡かせた大柄な、渦のような耳飾りを右耳に付けたウマ娘。

その顔には中心に一本の白い線が入った、黒い仮面が取り付けられていた。

 

「相変わらず喋んねーのなオマエ。あんなつえーのに」

「その子は口を利けないって聖母様が言ってたじゃん?やめなよ」

「あーそうだっけか。悪いな新入り」

 

先日の襲撃の際、応援として現れたこの新入りにより構成員達は窮地を脱している。

彼女達から見ても喧嘩慣れしており、その実力はあの英雄とも引けを取らないと認めている存在である。

新入りを歓迎すべく構成員達が肩に手を回して談笑する中、地下に通じるエレベータが開いた。

 

「集まっていますわね?」

「聖母様!チュース!!」

「スーツの準備は順調です聖母様!」

「次は何をすれば?」

 

地下には、地上の礼拝堂の女神像の裏手からつながる隠しエレベータで出入りしており、そこから聖母は現れた。

各々が自分達を救ってくれた敬愛する聖母に近付き、矢継ぎ早に言葉を飛ばす。

聖母は手を広げ、今後の展望を語った。

 

「……スーツを稼働できるタイミングで動きましょう。秘書がいない今が好機です」

「ッシャア!!待ってたぜ聖母様!!」

「はやく暴れたいねー」

「エリート共に一泡吹かせてやろうよ!」

 

決起に沸き立つ構成員達、その中で一番冷静な眼帯ウマ娘エナメルが手を上げた。

 

「エナメル……何かしら?」

「聖母様、フォイルバックは?それに現在の学園はあのシスター達がいます。一筋縄では……」

「そうね……答えましょう」

 

エナメルは常に前線を張る構成員達の中でも屈指の実力者である。臆病風に吹かれたと思う者はいない。

この危惧、あの超気性難シスターとその娘、そしてマル外教室担任として潜入中の同志についての言及に対し、聖母は息を整えて答えた。

 

「まず、フォイルバックはもう一度あるタイミングで小学校へ入るように伝えています。そして、あのシスター達ですが……」

 

ここで聖母は、新入りを指差す。

 

「この子が抑え込みます。彼女達はこの子に傷一つ付けることはできません」

「本当ですか?しかしあのシスターは………」

 

 

 

 

 

 

 

「心配いりません、絶対に手を出せませんから」




聖母様の正体は色々ヒント仕込んであるやで。


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閑話 黄金船に秘められた謎

キリが良いから短いけど許してクレメンス……次は水曜日に上げたいやで。


『姉さん!しっかりして!!姉さん……!!いや!いやぁ、姉さん………』

 

血溜まりの中、次女が長女に縋り付く。

辺りに血が広がり、自らの足元にもそれが届いた時、ようやく事態を理解したシスターはただ呆然と傍観するのみだった。

 

『あ……?なんで、お前が』

 

ごぽりと、口から血の泡を溢しながらも、長女は笑って母を見た。

命の灯が今にも消えそうな目で、はっきりと母を見ていた。

 

『オフクロ……?そこにいるか?』

『姉さん!もう喋らないで!!』

『プイ……お前にも悪いこと、したな……』

 

昔、仲が良かった頃の呼び方で妹を呼び、血に濡れた手でその涙を拭う。

 

 

そして、長女は涙を一筋溢し、母に最期の言葉を贈った。

 

 

 

『……こんなバカな娘でも、アンタの役に、立てたかな………?』

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

日本エクリプス教団府中教会、その寝室のベッドからシスターが飛び起きる。

悪夢に魘されたその顔は超気性難の彼女らしからぬ程に青褪め、気持ち悪くなるほどの冷や汗をかいていた。

頭を抑え、シスターが唸る。

 

(ンだよ、今の夢………?)

 

最悪の寝起きだった。

母と妹へのコンプレックスを拗らせきった母娘喧嘩の末に、家出中の長女が死ぬ夢。

レースでは結果が出なかったが母譲りの腕っぷしの持ち主で、母も認める札付きの気性難の長女。

自分は連絡は取っていないが、夫には定期的に連絡しているのは知っている。

元気にしているだろうと何も心配はしていなかった。

 

(………起きるか、ダーリンに確認だけでも………)

 

ベッドから飛び降り、修道服に着替えて寝室を出る。

夫は次女の為に早起きして朝食と弁当の支度をしているはずだと、シスターはキッチンに向かう。

 

「おはよう、サンドラ」

「おはよーダーリン!ねーちょっとイヤな夢見たー」

 

心配をかけぬよう、普段通りのやりとりを心がけようと夫に縋り付いてシスターが甘える。

夫と二人っきりの時のルーチンワークで、新婚当時からこの二人は変わらずノリノリでイチャついている。バカップルである。

しかし、やはり普段のシスターとは違った。ここにはもう一人いるのである。

 

「アー、センセー……おアツいとこワリーんだけど、アタシもいるんだよな」

 

ぎくり、と見られたくない部分を見られたシスターが振り向くと、よくつるんで遊ぶ年の離れた友人のような関係の芦毛のウマ娘がいた。

 

「げ、ゴルシ……いたのかよ」

「流石のゴルシちゃんもメチャクチャ気まずいぜ……センセーらしくねえなあ?」

「さっき外で会ってね。朝食はまだだと聞いたから誘ったんだ」

「ンで、アタシも何か一品手伝うかってな、焼きそばでも作ろうかとよ」

 

朝から焼きそばを焼くゴルシであるが、この教会ではたまに起きる事で健啖家の多い教会のウマ娘には好評である。

ゴルシが焼き上がった山盛りの焼きそばを皿に移し、シスターを見た。

問題児かつ気分屋で何をするかわからないゴルシだが、意外にも親しい友人には彼女なりに気配りを欠かさない人物でもあった。

そのゴルシから見て明らかに今日のシスターは調子が悪そうに見えたため、思わず彼女らしくない言葉を投げた。

 

「元気ねーな?センセー」

「ンー……オウ、ちょっとな」

「なんだよセンセー、アタシとセンセーの仲だろー?言えよー」

 

うりうりと肘で押して催促するゴルシに、ため息をついたシスターが応える。

 

「スゲー嫌な夢見たんだよ。なんつーか……人が死ぬ夢っつーかな」

 

 

 

「…………なあセンセー、それ、タイ姉か?」

 

 

 

 

長女の名を出したゴルシを思わずシスターが凝視する。

その顔は普段の問題児とはかけ離れた、真剣な表情だった。

コイツこういう顔したら美人だよな、と一瞬シスターが見入ってしまう程だった。

シスターから目を離し、何やら考え込んだ後にゴルシは今度は夫を見た。

 

「なあフィリップさん?ドリジャんとこの妹ってもうすぐ来たりするか?」

「え?ああ、話が決まったらすぐ来ることになってね、実は今日私が迎える事に………」

「んじゃ、マックちゃんからの連絡は?」

「……どこから聞いたんだい?確かに連絡はあったよ。後でサンドラにも話そうと……」

 

「そっか……もうそういう時期、か」

 

もう一度、ゴルシはシスターを見た。

決意を込めた、何かを誓うような視線だった。

そしていつもの顔に戻り、にかっと笑って見せる。

 

「センセー、大丈夫だぜ。そんな事にはアタシが絶対させねーから」

「…………お前、何か知ってンのか?」

「それは言えねーんだ。それにアタシは関わっちまってる(・・・・・・・・)から直接助けにいけねー」

 

ゴルシがブリンカーに触れると、球体部分がせり上がって機械的な部品が現れ、点滅しながら数字を映す。

 

「センセー、マジで楽しかったぜ?こっちのアタシとも遊んでやってくれよな!」

 

そして強い輝きを放り、ゴルシは宙に浮かんだ。夫婦としては訳がわからない状況である。

 

 

「代わりに助けに来れるヤツ、連れてくるぜ!!」

 

 

そう言った瞬間、光は吸い込まれるようにゴルシと共に消えていった。

狐につままれたような顔で、ぽかんとゴルシがいなくなった空間を夫婦が眺める。

 

「……いつもの、にしては真剣な顔だったね?」

「……てかどうやって消えたんだよアイツ?どこ行ったんだよ?オーイ!ゴルシー!メシ食わねーのか!?」

 

シスターがゴルシを呼び、その声が教会に木霊すも返事はなかった。

そこで来客を知らせるチャイムが鳴り、同時にシスターの携帯が着信を知らせる。

シスターが携帯を見る。何か大問題が起きたと言い北海道のメジロ本家に行ったきり帰ってこない、友人の芦毛の令嬢の着信であった。

 

「……おっ、マックちゃんだ?ダーリンの話かな?」

「そうだろうね、お客さんは私が対応するから電話してていいよ」

「サンキューダーリン、おっすマックちゃん!久しぶりだなァ?」

 

『あなた達は近隣の調査を!いつ出ていったか逆算すると……ああもう、サンディ!伝えたい事が!!』

 

機嫌よく気に入っている芦毛の令嬢に挨拶をするも、電話の向こうは何やら騒いでおり、芦毛の令嬢は切羽詰まった声を上げた。

 

「ン?何かあったのか?」

 

「サンドラ!ちょっと来てくれ!!」

 

首を傾げるシスターを、今度は夫が呼んだ。こちらも切羽詰まった様子である。

電話を耳に当てたまま、シスターが夫の声が聞こえた玄関に向かう。

 

『いいですわね、サンディ?まず、我がメジロ家の遠縁に当たる鹿毛のウマ娘が、最近名前を得ました』

「おっ、めでてーなぁ?で、ウチで見ろってか?」

 

『いえ、それはまだ決めていませんが……問題があったのは、その名前ですわ』

 

ウマ娘が名前を啓示される事は吉兆である。

そこに問題などは無いはずであり、名前を得た日をもう一つの誕生日として毎年祝う程である。

しかしその名前に問題があると言う友人の言葉に疑問を懐きつつも、シスターは玄関に到着した。

まず目に付いたのは、姉の面影のある長いやや乱れた栗毛の、マスクとブリンカーを装着した鋭い目付きのウマ娘だった。

ドリジャの妹と確信したシスターがそこに近づく。

そこで友人の言葉の続きが耳に入った。

 

『その子は……名前を得ると同時に、芦毛になりました。そして……その名前は──』

「……………は?」

 

その名を聞いて、シスターが思わず携帯を落とした。

呆然とするシスターを前に、ドリジャの妹がぺこりと頭を下げる。

 

「えっと……どもッス。ねーちん……ドリジャの妹の、オルフェッス」

「お、おう……よろしくな。そっちは?」

 

来訪者は、もう一人いた。

 

「さっき会って……目的地ここだと言うから連れてきたッス」

 

オルフェと名乗った少女の後ろから、ぴょこりと芦毛の幼女が飛び出す。

長い芦毛に、小さな赤い帽子。そしていつもの(・・・・)ブリンカー。

 

 

まるであの問題児がそのまま小さくなったような姿の幼女は、堂々と腕を組んで名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっす!せんせー!アタシはゴールドシップ!!ゴルシちゃんってよんでくれ!!!」



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第二十四話 警視庁ウマ娘隊

ちくしょう!だいなしにしやがった!お前はいつもそうだ。
この投稿遅れはお前の人生そのものだ。お前はいつも失敗ばかりだ。
お前はいろんなことに手を付けるが、ひとつだってやり遂げられない。
誰もお前を愛さない。


遅くなってごめんねごめんね……いつもの事と許してクレメンス。
というわけで前半はトヨさんパートやで。


東京都目黒区、警視庁第三方面本部。

警視庁交通部第三方面交通機動隊の本拠地であり、所轄として世田谷区、目黒区、渋谷区を担当している。

その本部庁舎を、一人の男が訪れていた。

 

「……あら、トヨちゃん?」

「よーうハヤテさん、新志さんいるかい?」

「いつもの所よ」

「どーも」

 

その男、豊原は庁舎に入ると見かけた知己のウマ娘警官に声をかけ、目当ての人物の居所を尋ねた。

なお既婚者なのでナンパはしない。このすけこましは人のものには手を出さない信条を持っている。

そのままいつもの場所、目当ての人物が隊長を務める機動隊の分隊室へ向かう。

分退室の扉を開け、並んだ隊員のデスクの奥、パーティションで区切られた簡素な休憩所に件の人物はいた。

 

「新志さん、来たぜー」

「うむむ………来い……来い!!」

「またいつものヤツかよ」

 

休憩所のくたびれたソファーチェアに座り、競バ新聞片手にラジオに繋げた両耳のイヤホンを抑え、何やら興奮気味の件の人物。

警視庁第三方面所属、警視庁ウマ娘隊の新志隊長である。

黒鹿毛を短く切り揃え中央から流れる流星を持つ彼女は、率いる隊の名前通りにウマ娘の警察官である。

 

「………来たァ!大穴いただきィ!!!」

「そろそろ気付けよー」

「……ん?何だい良いとこなのに……おお、トヨじゃないか」

 

競バ中継を聞いてガッツポーズを決める彼女の前のソファーチェアに豊原が座り、手を振ったところでようやく新志は来客に気付いた。

イヤホンを外して話を聞く準備ができた不良警官を、豊原は呆れた様子で見やった。

 

「あんた、金賭けてんじゃねーだろうな?」

「ななな何を言ってんだい?あたしゃ警官の前に元競走バだよ?そんな事するわけないじゃないか!」

 

狼狽えながら弁明する新志であるが、彼女含む警視庁ウマ娘隊は所属する隊員すべてが元競走バである。

現役時代の彼女は障害競走も経験し、G2日経賞で最低人気からの逆転勝利を果たした事で天皇賞・春の切符を勝ち取った実力者だった。

今も伝説の超大穴ウマ娘と語り継がれているが、この逆転勝利が原因でウマ娘闇賭博を仕切るヤクザ組織に目を付けられ、その一件がきっかけで引退後は警察官を志している。

現在は警視庁ウマ娘隊のやり手の隊長として知られるベテラン警察官である。

 

「で、どんな感じなんだ?まだ捜査に横槍入ってんのか?」

「今は第八のトップが公安を締め上げてるんだけど……まー首を縦に振らなくてねえ、総監も口を挟んでようやく来週に初動ってとこさ」

「公安の理由は?アイツらキャリア組のウマ娘だろ?」

「まだ泳がせろ、だとさ。バックについてる連中まで根こそぎ引っこ抜きたいとかでねえ……悠長な事ぬかすよ、全く」

 

元競走バ達で構成されている警視庁ウマ娘隊の業務は交通整理や交通安全教育、更には式典のパレード行進や各国の大使の警護と華やかなものになっているが、一つ裏の顔があった。

警視総監直属の対ウマ娘犯罪即応機動隊。これが元競走バのフィジカルエリート達を集めたこの隊の、もう一つの設立事由となっている。

その裏の顔故に隊長である彼女は上の事情にも明るく、キャリア組にも顔の利く人物である。

豊原とも密接な協力関係にあり、重要な情報源となっていた。

 

「後手後手って事か……わりーな、忙しいのに巡回に隊員回してくれてるよな?」

「それくらいお安い御用だよ。ウチのは普段はタダ飯食らいだからねえ」

「で、あんたの見立ては?」

 

豊原の言葉を受けた新志が自らのデスクに移動し、ファイリングされた書類を持ってきて豊原に渡す。

 

「これは……キーンランドレース場の事件の捜査記録、か。どっから引っ張ってきたんだよ?」

「FBIにちょっと知り合いがいてねえ……あたしとは比べ物にならない雲の上のウマ娘だけど、ちょうどその時現地にいたのさ」

「相変わらず顔が広いな、何々……当時、トレーナー室の暴漢を一人で制圧した後に、窓から逃走した人物……ねえ」

「その知り合い曰く完全なシロだって話さね、別件で逃げたとかでね」

 

およそ二年前のキーンランドレース場で起きた、武装した暴漢によるトレーナー室の占拠事件。

その重要参考人として、最近知り合った青年が顔写真付きで記録として残っていた。

アイツFBIにもマークされてやんの、と豊原が笑いながらページをめくる。

そこで手が止まった。

 

「犯人一味は占拠に対して概ね事実と認めるも、その理由に矛盾点あり、か」

「ま、おかしい話さ。目当てが未来の名ウマ娘の誘拐だってんならあそこにいる理由も、あそこで暴れる必要もないからねえ」

「まーな、当時からおかしいとは思ってたが……犯人はそれ以外は弁護士を通して黙秘を貫き実刑確定、と」

 

キーンランドレース場の占拠事件には、一つだけ矛盾点があると捜査記録には書かれていた。

犯人一味の首魁は、黒い噂が付き纏うニューヨークの大富豪である。

潤沢な資産で保釈金を支払い、疑惑に関しても弁護団を組織して法定で争えば実刑を免れる可能性があった。

しかし、実際には捜査官が現れるや一味は銃を取り出して蜂起している。豊原と新志はここに矛盾を感じていた。

 

「裏にカルトがいるにしても、どんな指示が出てたのやら……あたしの予想になるけど、いいかい?」

 

「多分、俺も同じ事考えてるけど……言ってくれよ」

 

新志は息を整えてから、自らの所見を語った。

 

「どうしてもあそこで暴れる必要があったってコトさね」

「だよなー、で、何のためって事だけどよ」

 

豊原が相槌を打った後、二人で同時に口を開く。

 

「未来の名ウマ娘よりも、優秀なトレーナーが目当てだった」

 

「各国の有力トレーナーを捕まえて、信者にしてカルトのチームを作る」

 

二人の結論が、一致した。

あの事件の犯人一味の真意──本当の目的に答えを得た豊原が、ソファーチェアから立ち上がる。

 

「おや、もう行くのかい?」

「あー、ちょっとな……ところでよー、この目的……変わってねーと思うか?」

 

「………横須賀での大規模拉致も、諦めて逃げるのがやけに早かったね。生徒の名簿を残したのが、わざとなら……」

 

新志が自らも捕物に参加していた横須賀港での事件での、当時のカルトの行動を思い返し、答え合わせのように思索を巡らしていく。

全てが、本来の狙いを隠すための行動だったと新志は予測している。

初動捜査を遅らせた上で、わざと残した名簿を隠れ蓑に、本来の目的を達成する時間稼ぎであると。

 

「もう一個聞くぜ……二回も邪魔したヤツがいるとして、覚えてると思うか?」

「当たり前さ。気性難ってのは根に持つとしつこいもんだよ」

 

そこまで聞いた豊原は歩き出し、分隊室の扉に手をかける。

 

「邪魔したなー新志さん、またな」

「あいよ、また何かあったら教えてやるさ」

 

背中越しに手を振って分隊室の外へ出た豊原は、得た情報から出した結論を思案し、頭を掻いた。

 

 

 

(狙われてんの、アイツじゃねー……?)

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕暮れ、第一ダート練習場。

三人のウマ娘が激しく競り合い、熾烈な先行争いを繰り広げる。

その後ろには虎視眈々と勝機を窺い、脚を溜めて控えるウマ娘が一人。

最初に仕掛けたのは競り合う三人の一人、マフラーを靡かせて走る覆面のウマ娘。

 

「くうっ……!!」

 

苦しげに、隣の規格外のウマ娘のプレッシャーから逃れるように、一歩早く末脚を切る。

 

──切らされていた。

 

「それは駄目だね…ヴァーちゃん」

「あたしもそう思います」

 

規格外の隣にはピンク髪のオタクが並び、ぼそりとこぼした独り言に同意して頷く。

一歩早く前に抜け出すヴァーを見送り、規格外は後ろをちらりと見た。

 

真剣半端無い(マジパネェ)プレッシャーだなあオイ!ヴァーパイセンが末脚切らされるとはなァ!!」

 

(この子は次のコーナーから来るかな……そこで私も本気出しちゃうよ)

 

目を妖しく輝かせ、規格外のウマ娘ゼニヤッタはその特異な力で自らの勝ち筋を構築していく。

続けて隣を眺める。この本気の模擬レースにおいての唯一の懸念である。

 

「ひょあっ!?そんな見つめないでくださいよ〜ヤッタさん!尊死しますから!!」

 

(デジたんちゃん、ホントに見えない………ずっとついてくるってだけしかわかんない………)

 

その特異な、正確に相手を分析し、自らが仕留めるタイミングを示す眼を持ってしてもオタクの底が見えなかった。

オタクモードのオタクは変態である。わかることはそれだけだった。

 

 

(ま、いいかな……本気の勝負って話だし──久しぶりに使っちゃうよ)

 

「ッシャア!!行くぜェ!!気合特攻爆走(ブリバリ)だァ!!!!」

 

後ろから迫るレディースウマ娘の領域(ゾーン)の発動を感知したヤッタが、呼応するように自らの最高の手札を切ろうと意識を集中する。

 

「ッ!!何だこりゃァ!!真剣半端無い(マジパネェ)にも程があンぞ!!?」

「ふぎゃあああああ!!?スゥ………」

(何だ、後ろで何が………)

 

三者三様の反応を示す中、ヤッタの本気の領域(ゾーン)が世界を覆い、そして決着がついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「えへへ〜、おっきいヤッタさんがぁ……」

「デジたん!?死ぬなァ!!!」

「今日は真剣有難(マジアザ)っした!!勉強になったッス!!ダートもいいもんッスね!!!」

「うんうん、こっちも楽しかったよ〜」

 

模擬レースはヤッタの1バ身差の勝利で終わった。

コース上で尊死してトレーナーに介抱されるオタクの隣で、頭を90度下げた丁寧なお辞儀で飛び入り参加のドリジャがヤッタに感謝を伝える。

 

「ハア……ハア……やはり、強いな」

 

ギリギリまで迫り来るヤッタへの粘りを見せたヴァーが、ゴール地点で蹲って息を整えた。

ヴァーの帝王賞に向けてのトレーニングは、ヤッタとの併走での先行争いから模擬レース形式の実践的な物に移行している。

ヤッタの滞在期間の折り返しで仕上げの段階に入り、そこに智哉と話を付けた川添の提案によりドリジャも加えての模擬レースを行う運びとなったのである。

 

「智哉、スマイスさん、今日はありがとうございました!」

「ケンジさん、こっちも助かったっす。実戦を想定したかったんで後ろからのプレッシャーも欲しかったんすよ」

「仕上げのタイミングでグッドな提案デシタ」

 

ゴール地点でヴァーにタオルを渡す智哉とその横に立つマイケルに、川添が頭を下げる。

今回の模擬レースは宝塚記念を控えたドリジャにとっても良い刺激となり、川添としても手応えを感じる結果となった。

この二人も仕上げの大事な時期である。ダートを走らせるべきか川添は悩んだがドリジャの希望に沿い、今回の話を先日知り合った智哉に持ち掛けている。

 

「よしドリジャ、引き上げるよ」

「オウ!んじゃまた機会があったらお願いしたいッス!なんなら明日でも!!」

「明日はターフだから駄目だって!」

 

学園に引き上げようとする川添の肩を、ドリジャが掴んで引っ張る。

川添の顔が蒼白に染まった。意向に沿った模擬レースを組んで機嫌は良いはずである。

 

「な………何?」

「テメー、今日は仕事上がれよ、アネさんとこ行くぞ」

「なんで!?あんなと……あそこに俺連れてく用とかないでしょ!!?」

 

全力で拒否の姿勢に入る。学園においても有名な気性難蔓延る魔窟である。

川添が足を運べばアメリカの時のように我を忘れる恐れすらあった。

しかしレディースウマ娘は、無慈悲に笑みを浮かべて言った。

 

「テメーが面倒見るっつったウチの妹、来てんだよ。紹介してやるよ!!!」

「……えっ、ホントに俺が見るの?いや、他の人に……」

「来いっつってんだよテメー!!!気合入れろや!!!!!」

「いやああああああ!!!智哉!!!助けて!!!!!」

 

ずるずるとドリジャに引きずられた川添が、智哉に手を伸ばし助けを求める。

智哉は見て見ぬ振りをした。触らぬ気性難に祟りなし、である。

そのまま悲鳴を残しながら川添は消えていった。哀れである。

無視を決め込み、横に立つ智哉にヴァーがぽかんとした顔を向ける。

 

「………いいのか?」

「俺にどうしろってんだよ……無理だろ……」

「そうか……ところで」

 

ヴァーが立ち上がり、智哉に向かい合う。

先週の併走練習、今回の模擬レース、ヴァーとしては手応えはあった。

しかし、まだ足りないものを感じている。

 

「先行争いにも慣れてきた、ヤッタさんにあそこまで粘れたなら勝機は十分にあると思う……しかし、決め手に欠ける気がするんだが」

 

ヴァーが足りないと思っているもの、それは領域(ゾーン)である。

本来の脚質、追込ならば自在に使えている自らの切り札を、アタマを取った状態から発動できていない。

その為に、ヴァーは今回の模擬レースでも三人の後塵を拝する事となった。

勿論勝敗を決するのが領域(ゾーン)だけではないとヴァーも理解している。

しかし、自らの力を全て出し切れていないという懸念が残っていた。

 

「そうだな……そろそろ、話すか」

 

智哉がヴァーの不安を感じ取り、頃合だろうと口火を切った。

 

「ヴァー……追込にこだわるのは何でだ?」

「何でって……私はそれが一番得意だから」

「違う。お前はもっと器用に走れるはずだ」

 

まるでそうだと確信しているかのように、智哉がヴァーの返答を切って落とす。

続けて、智哉は語った。

 

「確かに好走してるレースは後方一気の展開が多い……でもな、スタート苦手な訳じゃないだろ?お前」

「いや、私は…………」

「昔のレースも全部観させてもらった。後ろに控えるレースを覚えたのは、誰かの対策だな?」

「ッ!!」

 

 

「──レースの時、いつも誰を見てるんだ?誰を、抜こうとしてるんだ?」

 

 

言い訳をしようと口を開いたヴァーが、そのまま力無く俯く。

見透かされていた。

俯くヴァーを見て、智哉が頭を掻く。

伝えたい言葉が上手く伝わっていない。ターフの練習を任せた姉がいたら肘鉄案件である。

 

「ああ……悪い、責めてる訳じゃない。その……殻を破るべきって言うか……そうしないと今度はお前がマークされるぞって言うか」

 

しどろもどろに言い訳のような言葉を続ける智哉を見上げ、ヴァーがくすくすと笑った。

智哉とは付き合いの短いヴァーではあったが、この青年が真摯に自分に向き合ってくれているのはわかっていた。

触れられたくない自らの想いはあったが、それを調べ上げてまで伝えようとしてくれている。

ならば怒るべきではないと、悪戯めいた笑みを浮かべた。

 

「ふふふ……当たってるよ、智哉」

「へ……そうか?」

「ああ、今度紹介するよ。私の雷神を……」

 

にこりと微笑むヴァーに、気を取り直した智哉も笑い返す。

 

「そっか……領域(ゾーン)の事は心配しなくていい。先行でも、乗り越えればきっと使える。そういうもんだ」

「……随分と気楽に言ってくれるな?」

「そっちは色々経験があってさ……だから保証する」

「そうか……わかった、信じよう」

「ありがとな」

 

向かい合い微笑むヴァーに、照れ臭くなった智哉が頭を掻いて目を逸らす。

こういう雰囲気は苦手だ、と話題を変えに入った。

 

「ああ、そうだ……週末の練習、ちょっと抜けてもいいか?」

「構わんが、何かあるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……小学校の対抗戦、見に行くんだよ」



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第二十五話 運命の暴君

ファッ!!?バーイード負けてるやん!負けるの、あの生き物……?


「よく来たなァ、ケン坊?ま、ゆっくりしてけや!」

「お、おおおお邪魔します……」

「ンだよキンチョーしなくていいって!オフクロさん元気か?」

「げ、元気です……」

 

合同練習の模擬レースを終えた直後に担当に連行された哀れなトレーナー、川添は震え上がりながら超気性難シスターの歓待を受けていた。

噂に違わぬ気性難蔓延る魔窟である。夕暮れの練習生が引き上げるタイミングだったが、それでも彼の特異体質である気性難への鋭い嗅覚が警鐘を鳴らし続けていた。

特に先程すれ違った縦縞の野球のユニフォームを着たウマ娘と修道服のウマ娘のコンビには、見た瞬間気が遠くなった程である。

 

「さっきはワリーな?ウチのドンナがぶつかっちまってよ」

「だ、大丈夫です……」

 

しかももう被害を受けていた。

教会の玄関に入るや、大好きな先生の帰宅と勘違いしたとあるウマ娘の少女のタックルを受け地面を転げ回っている。

緊張しているように見える青年に、シスターが緊張をほぐしてやろうとニヤリと笑って言った。

 

「しかし、大きくなったなあ。お前、中学の時に手術した事あるだろ?あの時輸血したの俺様なんだぜ」

「えっ?そうなんですか…?」

「オウ、あっこれ内緒だったわ!まーいいか!!」

 

わはは、と笑うシスターを前に、川添が過去に手術した部分を抑える。

川添トレーナーは中学生の頃、丁度ウマ娘が学園に入学する時期に突然原因不明の全身の激痛に襲われ、倒れた。

そんな時に、とある研修中の医学生とシスターが現れ、家族の同意の元で緊急手術を行ったのである。

 

『病源自体は単純な疝痛だけど…彼の場合、ウマ娘の血が悪さをしてるねぇ……荒療治になるけど、助かる方法は二つ』

『俺様、難しい医療はわかんねえけど……どうすりゃいいんだ?』

『簡単さ、どっちかに寄せれば良いんだ……ウマ娘か、人間にねぇ』

 

こうして、シスターの超気性難の血でウマ娘に寄せられた川添少年は命を救われた。

今も当時と変わらない童顔の原因で、特異体質に目覚めたのもこの時である。

まだ研修中の医学生の非合法な手術は病院側と学園により関係者以外に秘され、だからこそ川添は今日この日まで知らなかった。

 

「そうだったんですか……俺、そんな事知らずに」

「気にすんな!トレーナーとして活躍してるそうじゃねぇか、俺様としても鼻が高いぜ」

 

怯えてばかりで向き合えていない川添が、ようやくしっかり前を向いてシスターを見る。

いくら超気性難でも命の恩人である。礼を言うべきだと考え、伝える言葉を頭に浮かべる。

 

「あの……俺、色々あるけど……シスターさんのおかげで助かって、毎日楽しいです。ありが………」

 

「連れて来たぜェ!!!オイ、早く来いって!!!」

「ねーちん、何………」

「なんだ?アタシもつれてけよー」

 

礼を述べようとしたその時、がやがやと話しながら担当のレディースウマ娘が二人のウマ娘を連れて現れた。

話を遮られ、ジト目でそちらを見た川添が固まる。

 

始めて見る、マスクで顔を隠したウマ娘の少女。

川添と少女の目が合う。

その瞬間、二人は強い既視感を覚えた。

 

(ッ!!?なんだ、この感覚……?)

 

(このお兄さん、何かわかんないけど知ってるッス。遠いどこかで……)

 

不思議な感覚だった。

二人同時に、何故か一緒にターフを駆けている幻覚を垣間見て、見つめ合う。

お互い、強い運命を感じていた。

 

「……俺……川添謙二って言うんだ。君は?」

 

「………オルフェーヴル、って言うッス。ねーちんとかは、オルとかオルフェって呼ぶッス」

 

きっと、一緒に夢を追う相手。

何故かはわからないが、そういう確信をお互い感じていた。

もじもじと、恥ずかしげに姉の後ろにオルフェが隠れる。

やや人見知りの面のある彼女には強烈な出会いとなっていた。

 

「オイオイ……ま、アイサツはしたし、テメーにしては上出来だなァ?」

 

後ろに隠れる妹に、ドリジャが珍しく優しげな微笑みを浮かべながらその頭を撫でる。

引っ込み思案な少女を見ながら川添が首の後ろを抑える。

いつも気性難を見るとざわつく箇所が全く、この少女には反応しない。

 

(………この子、全然首が疼かない………やっと、やっとマトモな子が俺の担当に!!!)

 

心の中でガッツポーズを決めて、川添は爽やかな笑みを浮かべてオルフェを見る。

ようやく出会えた運命を感じ、しかもあのドリジャの妹というのにまともなウマ娘。

逃がす手は川添には無かった。

 

「オルフェ……君が良かったらだけど、将来、俺と契約しないか?」

「…………ねーちん」

「思ったコト言え」

 

姉の後ろから出てきたオルフェが、もじもじとしながらも川添に向き合う。

会ったその瞬間、この人しかいないという奇妙な感覚と、胸の内の強いざわめきがあった。

その事を伝えるべく、しっかりと川添の目を見る。

 

「……あたい、こんなんッスけど……」

 

「ねーちんみたいな……速い競走バ、なりたいッス。よろしくお願いします」

 

ぺこりと、川添に頭を下げる。

姉みたく、という言葉だけは勘弁してほしかった川添だが、期待通りの返答を得られてもう一度心でガッツポーズを決めた。

 

「本当に!!?やったああああああああ!!!!!」

「うるせー!!アタシをむしすんな!!!!」

「ぶべらぁ!!!?ちょっ、何……えっゴルシ??」

 

両手を挙げて喜ぶ川添に、もう一人のウマ娘が後ろからドロップキックを入れる。

吹っ飛びつつも振り向いた川添は、もう一度別の意味で固まった。

知っている問題児がそのまま小さくなっているような幼女がいた。

頭を掻いて、気付いちまったかとぼやきながらシスターが間に立つ。

 

「アー、ケン坊、これ内緒にできっか?」

「え、ええ……えっどういう事なんです、これ?」

「ゆびさすな!!」

「あべし!!?」

 

思わず幼女を指差した川添がもう一度ドロップキックを受けて吹っ飛び、その上に幼女が馬乗りになる。

そのままキャメルクラッチに入るのを、オルフェはなぜかざわめく胸を抑えながら見ていた。

 

「おりゃーーー!!ゴルシちゃんホールド!!!!」

「ぐええええええ!!!!?ギブ!!ギブ!!!!」

 

胸の奥、今まで何も感じなかった心の奥が、この光景を見て燃え上がっていた。

 

(なんなんスかね、これ……お兄さんがゴルシにいじめられてるの見てると……)

 

 

 

(すっげえ気分いいッス。あたいも………)

 

 

 

(──めちゃくちゃいじめたくなるッス。なんなんスかね、これ)

 

 

 

黄金の暴君、その目覚めは近い──

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

練習が終わり、姉にヤッタ夫妻と一杯ひっかけてから帰ると言われた智哉は一人で家路についていた。

間もなく夜が訪れる夕暮れ、綺麗な夕陽を眺め、智哉はおもむろにスマートフォンを取り出す。

 

(なんか投稿しろって言われたし、綺麗な夕陽でも撮っとくか……)

 

夕陽の写真を撮り、それを添付してから『夕陽』と一言添えて投稿する。

しばらく歩いてから見ると、いくつか反応があった。

 

『綺麗ね、素敵だわトム』

『あんた第一声がそれ???もうちょっと考えなさいよ』

『私もそう思うわ智哉兄さん』

『今度カメラ取り返すの手伝ってください』

『くっせえ。ロマンティストぶってんじゃねーぞ』

『とても素敵な夕陽ですね!今アメリカは早朝です。ボクは朝練中です。約束』

『呑気なものね?暇ならまたウチで働いてもらうわよ?』

『姉上がごめんなさい』

『坊主、儂が今から言うウマ娘ちゃん撮ってきてくれんか?後生じゃ、頼む』

『ウチに入信しませんか?今なら聖母様のありがたいお話が……』

 

散々な言われようである。智哉は返信せずにウマッターを閉じた。

この時に複数の著名人からのリプライがあった為に、一時期この人物は何者かと競バ関係者を騒がせる事となった。謎の夕陽アカウントの誕生である。

 

「もし、そこの方」

 

もう二度と夕陽なんて撮らねえ、と誓う智哉に、何者かの声がかかる。

 

「……俺っすか?」

「ええ、あなた様です、素敵な方」

 

智哉が振り返ると、電柱の影に一人の修道服姿のウマ娘がいた。

余り見ない修道服についた聖印を眺め、考えた後に智哉は口を開く。

 

「えっと……ヘロド教のシスターさんっすかね」

「ええ……日本ヘロド教東京本部の聖母を務めております、小岩井聖子と申しますわ」

「はあ……どうもっす。俺が何か……?」

 

話を聞く素振りを見せる智哉に、聖母はゆっくりと近付く。

にこりと穏やかな微笑みを見せる聖母に智哉は殺気を感じず、接近を許す。

 

「あなた様、ヘロド教にご興味はありませんか?もしよろしければ是非教会にご招待を……」

「あー、勧誘はすいません……ウチ、エクリプス教なんで……」

 

聖母の勧誘に、智哉が申し訳なさげに首を振る。

更に笑みを深める聖母。智哉はぞくり、と首筋が寒くなる感覚を覚える。

 

「あら……残念ですわ」

「申し訳ないっす。ウチ、宗旨変えだけはすんなって家訓があって……」

「そうですか、では──」

 

全く殺気を感じさせない動きで、聖母が智哉の首を掴もうとしたその時──

 

 

「あああああああ!!!!働くのいやあああああ!!!!!!」

 

 

──全力で走ってきたニートが、眼にも止まらぬ速さで間に立った。

 

「えっ、ご近所さん?」

「あー、小栗さんとこの!助けてえええええ!!!!!」

「えっ、ちょっ、なんすか力つええ!!!」

 

そのまま智哉の手を掴み、引っ張りながら走る。

 

「いやなんすか!?俺帰るとこなんすけど!!!」

「いいから!黙ってついてきて!!!」

 

訳がわからない智哉だったが、有無を言わさぬ速度と力でそのまま連れ去られていった。

それを見送り、聖母が笑みを浮かべたまま立ち尽くす。

 

「邪魔が入りましたわね……いいでしょう、計画通りに動くのみ」

 

一瞬、凶悪な笑みを浮かべた聖母が、そのまま影に消える。

 

一部始終を見ていた、ウマ娘を残して──

 

 

 

 

 

 

 

 

(嘘でしょ?なんでエクリプスのトコの特異点が日本にいるワケ??)

(あ、これヤバい。アレが絡んでるなら……)

(エクリプス、余計なコトしてそうなワケよ……)



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閑話 駄女神、本気出す

日常回どっかで挟みたいやで。
やきう回(商店街の草野球の助っ人に呼ばれたまたしても何も知らないトッムが酷い目に遭う話)とか書きたいなあって……。


空の向こう、次元を越えた先にある貧相な家。

地上を映すテレビの向こう側で起きた一連の出来事を見守っていた女神と一人の男が、ひとまず危機を回避した青年を見て息を吐く。

 

「ふう……何とかなりましたね。彼女が近くにいてくれて助かりました」

「かの女神………何者でござるか?」

「申し訳ありません、あの方の正体については私の口からは……」

 

不審者にしか見えないニートウマ娘の自宅へ、避難先として招かれる青年を眺めながら話し込む二人の後ろで、珍しく真剣な顔で腕を組み考え込む駄女神。

 

「………トキノ」

「はい、エクリプス様」

 

事情を傘下の女神より聞かされた中で、駄女神にはどうしても気に入らない事があった。

 

「あなた、この未来は見えていなかったのね?」

「……はい、彼が巻き込まれるのは対抗戦の当日、決起の日のはずでした」

「そう………やっぱりあいつ、関わってると思う?」

「間違いありません。ヘロド様が関わっているかと……」

 

駄女神の傘下である女神トキノミノルの権能とは、未来を垣間見る力である。

この権能が危険な未来を時折彼女に示し、そして事前に手を打って日本を影から見守るのが彼女の監査役としての使命だが、この未来予知が外れる条件が存在する。

一つは、運命を超越した存在である神の干渉。

 

「あのシスターは?アレは運命とか関係ない存在でしょ?」

「もし会えば、あの子は即座に喧嘩を売るはずです。勘が恐ろしく鋭い子ですから……」

 

そしてもう一つは地上の特異点とされる、運命を超えた先を生きるウマ娘である。

先程も聞いた話をもう一度確認した後、駄女神は傘下の女神を見て深くため息を吐いた。

 

「で、死ぬと日本の未来がめちゃくちゃになる子がいて、ウチの子に身代わりになってもらおうって事だけど」

「エクリプス様、ですので……彼に因果が集まった後は何としても私がお守りするつもりで……」

 

駄女神の末裔のとある青年は、女神ゴドルフィンのやらかしで背負わされた運命により強い因果と運命の修正力を持っている。

強い運命を持つウマ娘が死ぬような事件が発生した場合、青年が関われば世界の抑止力が働き、バキュームのようにその運命を自分に引き寄せるのである。本人が聞けば頭を抱えて転げ回る程に厄介な呪いである。

この青年の特異点の如き習性を利用し、女神トキノはこの事件を回避するべく動いていた。

 

「そんな話はしてないのよトキノ、それにジョンも」

 

しかし、駄女神が気に入らない部分はそこではなかった。

 

「まず、先に言うけど……別にあなた達には怒ってないのよ?でもね……」

「……えく殿?」

 

「あなた達………いつからダーレーの使い走りになったの?」

 

駄女神の気に入らない事とは、主神である自分の頭を飛び越えて自らの側近とも言える二人が最高神ダーレーと通じ、裏で動いていた事自体に対してだった。

ダーレーの行いは紛れもない越権行為である。最高神と言えど、許される事ではない。

 

「エクリプス様……それは……申し訳ありません」

「えく殿、確かにそれはすまぬと思うが……トキノ殿もこの事を知らされて必死で」

「さっきも言ったけど、あなた達には怒ってないのよ?まあ事情はわかった。それなら仕方ない、と思うけど……まだ腑に落ちないわね」

 

すっと立ち上がり、駄女神があばら家の扉を開き、外に出る。

 

「エクリプス様、どちらへ…?」

「だから呼ぶわ、裏でこそこそしてる奴」

 

そう言うと駄女神、いや珍しく本気になった女神エクリプスは、遠くに見える荘厳な尖塔を讃える城の方角を向いた。

 

宙に浮かび、上昇する。

全身が太陽の如き輝きを帯び、天界を照らす。

 

そして、息を吸い込み──

 

 

「三女神の長、ダーレーに告ぐ!!!!!」

 

「一分以内に出頭せよ!!!!もし来なければ!!!我が郎党を率い!!!!!」

 

「貴様の越権行為と約定違反の是非を問うための!!!!闘争を仕掛ける!!!!!」

 

「これは!!!女神エクリプスの名における!!!宣戦布告である!!!!」

 

 

──大音声の、宣戦布告を行った。

 

「ポテイトーズ!!!」

「お呼びだべか?おっ母」

 

宣戦布告の後、地に降りた女神エクリプスが指をぱちんと鳴らすと、傘下の女神がその場に現れる。

自らの娘でもある、エクリプス傘下筆頭の女神ポテイトーズ。

麦わら帽子姿の農耕ウマ娘のような立ち振舞の女神である。

 

「ジュビリー!!!」

「なんじゃ!ワシを気安く呼ぶな!!」

 

続けて現れたのは、先日ボコって無理矢理傘下に引き入れた女神ダイヤモンドジュビリー。

今も反目しており、実務においては言う事を聞かないが傘下でも屈指の暴力装置である。

その力も往時に戻りつつあり、戦力としては申し分ない。

 

「戦争よ!ダーレーと!!!」

「……おお?面白い!!乗ったぞ!!!」

「ホントだべか?戦は久しぶりだべなー」

 

女神エクリプスの傘下はそれぞれが一騎当千の気性難揃いである。

天界でもその名を轟かせる武闘派集団であり、最高神と一戦交える事態となっても狼狽える者はいない。

なお良識派の二人を除いての話である。

 

「え、エクリプス様!!!お待ちを!!!」

「えく殿!!喧嘩してる場合じゃないでござるよ!!」

「うるさいわねー、そんな事あいつもわかってるわよ。来なかったらホントにやるけど」

 

 

「すぐに行く!!!少し待ってくれないか!!!!」

 

 

慌てた様子で、制止の声が天界に響いた。

 

ここにいる誰もが知っている声、三女神の長である最高神ダーレーの声を聞き、エクリプスはドヤ顔で笑ってみせた。

 

「ほらね?じゃー戦争は無しで。二人とも帰っていいわよ」

「了解だべー。畑の世話の続きやるべさ」

「やらんのか、つまらん」

 

もう一度指を鳴らし、呼んだ二人を元の場所へ帰す。

現在ジュビリーは、釈放と引き換えにポテイトーズ監視の元で奉仕作業中である。

農耕神ポテイトーズの権能によりすくすくと育った神のニンジンにより胃袋を掴まれつつあり、文句を言いつつも粛々と作業に就いている。かつて破壊神セントサイモンの更生にも使った手口だった。

 

「……来たわね」

 

あばら家の中、エクリプスが目を向けた一角の空間が歪み、光と共に青年にも美女にも見える中性的な麗しい美貌の女神が顕現する。

膝までの長さの濡れ羽色の黒鹿毛の髪を靡かせ、その光り輝く神体が辺りを照らした。

地上の誰もが、その姿を見たら自然と膝を付いて祈りを捧げる威厳を備えた女神であるが、その目元にはくっきりと深く隈が刻まれていた。

三徹明けに叩き起こされた最高神ダーレーである。

 

「……話は聞いたよ、エクリプス」

「そう。じゃあ何が聞きたいかはわかるわね?」

 

先程、トキノを呼び戻した際に丈之助が連絡していた相手はダーレーの側近の女神である。

叩き起こされたダーレーはまず側近より現状の確認をし、ある覚悟をした上でエクリプスの元へ赴いた。

 

「その前に……まず言う事がある。越権行為については私の独断だ。謝罪しよう……すまない」

「謝罪は受け取るわ。で、何故そんな独断をしたか……聞かせなさい」

 

ダーレーの謝罪に手を振っておざなりに対応する。

お互い争う場面ではないと理解した上での社交辞令である。

しかし、真意を問われたダーレーは口を噤んだ。

 

「……………そうだね、話しても良いが……その前に、聞いても暴れないと約束してほしい」

「内容によるわね」

「約束しないと話せないな」

「内容によるって言ってるじゃない。話せ」

「無理だね」

「あ?」

「は?」

 

平行線である。

顔を寄せ合い、メンチを切り合う二人の女神のこめかみに血管が浮き出る。

お互い争う場面ではない事は忘れた。

 

「ちょ、ちょっと待つでござる!!ダーレー殿が内密にしたのは……」

「違うわよジョン、トキノが気付かないのは仕方ないけど……」

「……何が違うのですか?エクリプス様」

 

慌てて間に立つ丈之助と、首を傾げるトキノをそれぞれ見た後に、エクリプスが口火を切る。

エクリプスは、このダーレーの行動に一つの一貫性を見出している。

何が何でもエクリプスだけを遠ざけており、越権行為を行ってまでこの事件を知られないように徹底している。

傘下のサイモンが呼び出されたのもこの件だと推定した上で、何を隠しているかの予測を立てたのである。

 

 

「言わないなら私から言うわよ………ゴドルフィンの権能──何か欠陥があるわね?」

 

 

「………流石だね、普段からそれくらい頭が切れると私も助かるんだけどね………」

 

 

秘匿していた本当の理由を当てられた最高神が、お手上げとばかりに肩を竦める。

 

「まず、このダーレーの名に誓って言うよ。この事実に気付いたのは二年前だ」

「そんな事はどうでもいいわよ。何があったのか言いなさい」

「……恐らく、君もおかしいとは思ってるんだろう?前回の彼に起きたことを覚えてるかい?」

「……銃で撃たれて、アメリカであの厄介な巨神と出会って……それからあの寵児が押し掛けたせいで誘拐犯にされたわね」

 

顎に手を当て、指折り数えながら子孫が受けた被害を思い出すエクリプスに、ダーレーが頷く。

前回の子孫は、英国のとある大家の令嬢誘拐犯として国際指名手配を受けていた。

このせいで後の半生は顔を隠し名前を変え、二人のウマ娘に連れられての逃亡生活の末に、アメリカの田舎で二人の妻と大勢の子供達に看取られて人生を終えた。

つまり建前上は誘拐犯だが実情として誘拐されているのは彼だった。哀れである。

 

「それで、今回は?」

「まあ前回よりはマシ……いや、そうでもないわね。ウチの子が関わらなければ、爆弾はあなたの寵児が拾ってたんでしょう?」

「そうだね、あれは焦ったけど……それよりも」

「何よ?」

「今回も、彼は肩を撃たれているよね?しかも二回も」

「……それがどうしたのよ?私が介入しようとしたけど、何故か当たって……はあ!!!?」

 

何かに気付いたエクリプスの顔が急激に蒼白になり、ぱくぱくと何かを言おうとしながらダーレーを見る。

エクリプスは、子孫が同じ目に遭わないように陰ながら助けようとして失敗している。

三女神にも匹敵する力を持つエクリプスが、である。しかもこの件はダーレーも自らの地上での代行者に知らせて動いていた。

しかし間に合わなかったのである。この時、ダーレーは何が起きたか調べ、恐るべき結論に至っている。

最高神は、引きつった顔でもう一度頷いた。

 

「気付いたかい?うん、そうなんだ。恐らくだけど……エラーが残ったまま繰り返しすぎた」

「待ちなさい!!?そうなのね!!?」

 

 

「うん………前回の受けた被害を引き継いだまま、悪化してる。これは彼だけじゃない」

 

「今回誰かが死んでループしたら、次回も命の危機が訪れることになるんだ」

 

「重要な誰かが死んだり、世代交代に失敗したら永久に世界をやり直し続けて……いつか、崩壊するだろう」

 

 

室内に重苦しい沈黙が訪れる中、エクリプスが頭を抱える。

恐ろしい事実である。ループしたら子孫はもっと酷い目に遭うことが確定し、子孫の運命を正常に戻し、もう一度やり直す自らの計画がほぼ不可能という事実に気付いてしまった。

 

「いや、待ちなさいよ……じゃあつまり、ウチの子……次もひっどい冤罪で青春をふいにして」

「次は冤罪だと証明できないかも……」

「……次も、銃で撃たれて」

「もっと、当たり所が悪くなるかも……」

「………次も、爆弾に巻き込まれそうになって」

「次は本当に巻き込まれるかも……」

「そ…それで、アメリカウマ娘に狩られそうになって」

「前回も、最終的に狩られたんだよね………」

「ねえ、これ……運命を元に戻したら……?」

「普通の人間じゃあ、命が幾つあっても足りないね……」

 

目の前のエクリプスがぷるぷると震え出し、ダーレーがこれは不味いと咄嗟に羽交い締めに抑えた。

この二柱、いがみ合う関係だが付き合いはかなり長い。

やけを起こし、無茶苦茶を始める兆候を感じ取ったのである。

 

「待つんだエクリプス!!!まだそうなる訳じゃない!!!」

「離しなさいよ!!こうなったら私が地上に降りて………!!」

「それだけは避けたかったから隠してたんだよ!!今回余計な事をしたら私でもどうなるかわからないんだ!!!今回だけは、何としても再構築を回避しなければならない!!!」

 

暴れる駄女神と、必死に説得を続ける最高神。

この様子を眺めた後、トキノは頭の中で今聞いた情報の精査を始める。

 

「………そういう、事ですか。なら……」

 

女神トキノミノルは、地上での監査役であるために再構築の影響内にあった。

天界への帰還も久しぶりの出来事で、世界がループしている事を知らないのである。

それを知り得た情報から推察したトキノは、ふらりと歩いた後──懐の匕首を投げつけた。

 

「だから離しなさいよ!!あなたと一戦交えても……ひえっ」

「上等じゃないか!!かかって……うわっ」

 

匕首は言い争う二人の目の前を横切り、びいんと音を立てて壁に突き刺さる。

途端に二柱の顔が蒼く染まる。トップの都合で振り回されすぎた監査役の、怒りの一撃であった。

 

「お二方……喧嘩をしている場合でしょうか?」

「と、トキノ……?」

「これは、怒っているね………?」

「まあ、怒るでござるよな……トキノ殿」

 

昏い微笑みを浮かべる監査役を見た二柱がようやく冷静に戻り、丈之助は気持ちはわかるとばかりにうんうんと頷いた。

真意を伏せたまま自分に接触したダーレー、肝心な時に呼び戻しやがった駄女神、どちらも怒りの対象としては十分である。

 

「今は、争う場面ではありません……エクリプス様」

「う……うーーーー………!!!」

「……協力してくれたら、なるべく君の意に沿うように誓おう。本当だ」

 

憤怒したトキノであったが、誰を説得すべきかを理解していた。

この場面、事態の収拾に子孫を巻き込むことに反対しているのは駄女神のみである。

傘下の監査役と最高神に迫られた駄女神は唸り声を上げた後、肩を落とした。観念すべきだとは理解していた。

 

「……わかった、わかったわよ。協力するわ……」

 

ほっ、と協力を取り付けられた事へそれぞれが安堵の息を吐く。

しかし、この駄女神は駄女神である。

肝心な時にはやらかす女であり、肝心な時に本気を出すと、加減を知らない女だった。

急に顔を上げ、ダーレーを指差し駄女神は言った。

 

「ただし!!やり方はある程度好きにさせてもらうわよ?」

「あ、ああ……でもあまり無茶は」

「地上にいる奴にちょっと連絡するだけよ……丁度今、日本にいるから」

 

そう言うと、駄女神は電話の受話器を手に取る。

ダイヤルを回しながら、もう一度ダーレーに目を向けた。

 

「どうせ、あなたの方でも手は打ってるんでしょうけど……時間がかかるんでしょう?」

「彼女は多忙でね、その間をどうしようかと」

「なら適任がいるわよ、どうなるかは知らないけど」

「……エクリプス、嫌な予感がするんだけど……その人物って、電車が好きだったりするかい?」

 

一人だけ、駄女神の当てに思うところがあったダーレーの顔が歪む。

エクリプス傘下の女神でも超大物ながら、自由人で行動が読めない人物である。

 

 

「うん、鉄ヲタ」

 

 

あっさりと、駄女神はそれを認めた。

 

「駄目だ!!!あの子は加減とかそういう次元じゃ……!!」

「もう電話繋がったから遅いわよ。まあなんとかなるでしょ」

「ちょっ!駄目!!ホントに!!!!」

 

 

 

 

 

「もしもしキンちゃん?久しぶりねー、ちょっと助けてくれない?」



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第二十六話 幸運の疫病神

何か書けない期間(たまにくる)で一週間お休みしてたやで。今週からバリバリ書いてくからな~。
対抗戦と帝王賞終わったらクリス君と社グループにスポットライト当てていきたいやで。
この時代で日本編書くならノーザン開場はやっぱり触れないとね……ワイのバイアスかかってるから間違ってるなら指摘してクレメンス。


ヘロド教の聖母と名乗るウマ娘と話す最中に、近所のニートウマ娘に引っ張られた智哉は訳がわからないまま、彼女の自宅らしき邸宅に連れ込まれていた。学園関係者の名士やかつての名ウマ娘の邸宅が立ち並ぶ、府中市の高級住宅街においても一際大きな邸宅である。

追ってきていないか確認した後に、ニートは扉を閉めながらへなへなとその場に崩れ落ちる。

 

「あーーー怖かったぁ………キミなんであんなのに絡まれてたの……?」

「いや、普通のヘロド教の人だと思ったんすけど…」

「あれは普通じゃないからぁ……あんな得体の知れないの始めて見たよ……」

 

立ち上がり、ニートは玄関で立ち尽くす青年を眺める。

 

(……そういえば、この子は視てなかったね。フランケルちゃんと縁があるようだけど)

 

先日知り合った、ニートから見ても希代の天才である少女と縁のある青年。トレーナーを志す、ちょっと変わった眼を持っているだけの普通の若者だと思っていた。

しかしその印象は小栗邸に招かれ、自らが知る中で最も知恵者である後輩と難解な論文についての話を始めた事で大きく変化している。

しかも、かつての所属チームの関係者だった。少女に至っては自らの所属チームのチーフトレーナーの孫である。

 

(チーフの孫だったんだねー、フランケルちゃん……ディーンは私の事黙ってくれてるみたいだけど、その内ちゃんと話さないとね)

 

ニートの正体は、英国を主戦場に幾多の大レースを制した伝説の名ウマ娘である。

幼きある日、ニートは自らの心の中から語りかけてくる存在に気付いた。

 

『なあ君、代わりに走らせてくれない?勝ってあげるから』

(えっホント?じゃあお願い)

 

ニートは、幼少期より筋金入りの穀潰しである。毎日幼馴染二人を侍らせ、楽して怠けて生きる事を夢見ていた。

この心の中の存在の申し出は渡りに船とばかりに、イップスを患った少女を装い英国の大チームのチーフに近づき才能を見せ、ちょっと幼馴染達と離れるのは寂しいが英国で一稼ぎしてその財で暮らそうと企んだのである。

 

(じゃあ次は練習よろしくー!あ、後は先輩とのお茶会もねー!)

『私は走りたいだけなのに……こき使いすぎでしょ…』

 

そうしてニートは、これでもかと心の中の存在をこき使った。きつい練習に本番のレース、それに面倒なライブに厄介な先輩達の相手、あらゆる場面で心の中の存在に働かせ、自らは楽して稼いで笑いが止まらなかった。どうしようもない女である。

ダービーはうっかり交代し忘れたせいで出遅れて負けたが、それ以外は圧倒的な勝利を得て名声までついてきたニートであったが、最後のレースで盛大にやらかした。

このニート、幼馴染達にうっかり出ていった理由を伝え忘れていたのである。どうしようもない女である。

 

『お迎え来たからもう行くよ!!後がんばってね!!!』

(あ!ちょっとまだレース始まってないでしょ!!行かないで!!行くな!!!)

 

幼馴染と目が合った瞬間、心の中の存在はようやく解放されたとばかりに逃げて行き、突然出番が回ってきたニートはあっさりと四着で負けた。

しかもその後もニートは問題を起こした。

 

『何てこった……俺が、全部悪かったのか……?』

(えっ、しんだふりしてたらチーフが落ち込んでるんだけど……このまましんだふりしとこうかな……)

 

イップスを装った件や本来のニートっぷりの発覚を恐れたニートはその場しのぎに死んだふりをして誤魔化し、そのまま何も知らない少女の演技をしたところ、トントン拍子に話が進み、気付けば日本で療養という名目で滞在することになった。

ニートとしては十分に稼いだし引退したら英国を離れるつもりだったので問題は無かった。新しい家族も口うるさい妹分もみんな好きだし良くしてもらっている。問題は、誤解をしているであろうかつてのチーフである。

 

(チーフとはそのうち会うべきなんだろうけど、英国は行きたくないなあ……ジェラール卿とかロビンパイセンとか面倒なんだよねー……っと、それよりもこの子視てみよっと)

 

面倒な先輩、英国陸軍近衛師団(ロイヤルガード)の准将を務める貴族と、これまた面倒な英国ウマ娘統括機構(B U A)の上位組織である諮問委員会の委員長を務める先輩の顔を思い浮かべ、苦い顔を浮かべたニートは気を取り直し、青年を視る。

ニートのサングラスから、微かに紫の光が溢れる。

その瞬間ニートは全身に鳥肌が立ち、強烈な悪寒に襲われた。

 

(……なにこれ?この子、別の何かが二つも入ってる……?それが悪さして……)

 

ニートの眼は、見えない物を視る力を持っている。その眼で視た青年の魂は余りにも歪で、異常な形をしていた。

 

 

『助けてくれたのは有り難いけれど、覗き見は駄目よ?』

 

 

「ひぃええっ!!?」

 

一瞬、玄関の照明に照らされた青年の影がウマ娘の形に変わり、脳内に何者かの声が響く。

はっきりと警告を聞き、ごりごりと正気を削られる感覚を覚えたニートは、狼狽えて飛び上がった。

目の前で自宅に押し込んできたニートが突然飛び上がり、訳のわからない智哉が首を傾げる。

そこに、もう一人ウマ娘が現れた。

 

「先輩、散歩に行ったのでは……オヤ、トモヤクンじゃないか」

「あ、ディーン博士……」

 

先日、既知を得たウマ娘学の権威に智哉が軽く会釈を交わす。

頼りになる後輩を見るや、ニートはその後ろに隠れて智哉を指差した。

 

「ディーン〜、この子おかしいよ」

「いきなり酷くないっすか……」

 

「フンフン、トモヤクン、何かあったのかネ?まあ立ち話もアレだ、入りたまえヨ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナルホド……トモヤクン、その聖母殿に会ったことは?」

「いや、初対面でしたけど……」

「初対面じゃあんな悪意は向けないと思うよー、ホントに危なかったんだから!」

「そう、なんすかね……俺、本当に心当たりなくて……」

 

ニート宅の応接間に智哉は招かれ、伝道師より事情聴取を受けていた。

一部を除き、品のいい調度品が並ぶ一流の応接間である。

その一部が気になって仕方がない智哉が、話の区切りにちらりと見る。

 

(アレ、口枷だよな……?とんでもねえ気性難が付けるヤツじゃねえか……)

 

一流の調度品の中に鎮座する、台座に置かれたウマ娘用の特注品の口枷。

超気性難の中には、凶暴すぎて興奮した際に噛み癖を発揮するウマ娘も存在する。その為に用意されるのが口枷である。しかも智哉が知る限りでは最も大きく、頑丈な特注品だった。

 

台座に書かれた英語を読む。『ユナイテッドネイションズハンデキャップ勝者、偉大なる光輪を讃えて』と書かれていた。

その言葉に心当たりがあった智哉は猛烈に嫌な予感を覚えた。ここは超気性難の魔窟である。

 

「あ、あの……お宅の方々は……?」

「アア、今は不在だヨ。教会にデイちゃんと出掛けて行ってね、ワタシは留守番」

「キングちゃんとグッちゃんはお仕事だねー」

「そ、そうすか……あっ俺帰らねえとならないんすよね!!そろそろお暇したいなって……」

 

「その前に!」

 

超気性難とエンカウントしてしまう前に帰ろうとする智哉を、伝道師が呼び止める。

 

「君ィ、何か心当たりがあるネ?」

 

図星を突かれた智哉の眉が一瞬、ぴくりと動く。

その一瞬の動揺を、伝道師は目敏く気付いた。

 

「やはり、何か隠してるね?言ってほしいな」

 

飄々とした伝道師らしからぬ優しく、言い聞かせるような物言い。

智哉は自らの巻き込まれている事件について言うべきか悩んだ末に、首を振った。

この伝道師はフランの恩師であり、自らも尊敬する人物である。

ウマ娘の為に一国の元首の地位すら投げ捨てた人格者でもある。相談すれば助けてくれるだろう。

 

「すいません……言えないっす」

 

だからこそ、智哉は言えなかった。

自分のような人間の為に危険に晒すわけにはいかない人物であり、彼女に何かあればフランも悲しむ。

そう考えたら、言えるはずがなかった。

この覚悟を決めた智哉の視線に、伝道師がやれやれとため息を付いた。

 

「フウン、ワタシは頼りがいが無いかネ、悲しいなァ……」

「いや、そんな事はないっす」

「六月の間は、学園にあまり来るなとヤヨイクンに言われてるんだけどネ?何か関係は?」

「………あります。今言えるのはそれだけって事で」

 

智哉の話を聞いた伝道師は何やら考え込んだ後に、取り出した紙袋を智哉に投げた。

それを智哉が片手で受ける。中に布のような物が入ったような軽い感触だった。

 

「なんすか?コレ……」

「君に必要な物だヨ。フランから君の話を聞いた時にインスピレーションが湧いてネ?手慰みに作った物サ」

「そう、すか……貰います、ありがとうございます」

「ウンウン、困った時に使いたまえ」

 

頭を下げた後に、智哉が退室する。

それを見送った伝道師は、その明晰な頭脳で思い至った事案に思いを馳せる。

 

「ヤレヤレ……彼、何か巻き込まれやすい体質なのかネ?それに小岩井、小岩井ねェ……」

 

智哉から聞いた聖母の名前に、伝道師は聞き覚えがあった。

かつて、日本競バ界の創成期に名を馳せ、GHQの介入により離散した一族の名である。

それがヘロド教の聖母を務めているウマ娘の名と言うのに、何やら関連性を感じていた。

 

「ねえ、ディーン?」

 

黙って成り行きを見守っていたニートが、マスクとサングラスを外して口を開く。

久しぶりに真剣な表情をしている先輩へ、伝道師がにこりと微笑んだ。

 

「先輩、考えてる事は同じかな?」

 

「うん、ちょっと動いてみようか。ヘイローおば様にも声かけてみる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

ニート宅を出て、智哉が帰路に着く。

伝道師に相談しなかった選択は間違っていないと確信していた。彼女のような重要人物を危険には巻き込めない。

ふと、その伝道師から受け取った紙袋が目に付き、道端で立ち止まった智哉は開いて中を覗いた。

 

(あれ、これって……使う機会来るか?コレ)

 

見覚えのある模様に、智哉が首を傾げる。

伝道師から渡された物はダッフルバッグに放り込んだまま封印してあった、とある道具の一部だった。

現在は使う予定の無い代物である。一応貰っておくか、と智哉が紙袋を閉じたところでスマートフォンに着信があった。

着信名を見てから応対する。

 

「……おう、どうした?」

『あんた今どこいんの?うろついてないで早く帰ってきな』

「ああ、悪い。ご近所さんに呼ばれてさ」

『そ。今日はフランちゃんが厨房に立ったから。あんたに……』

 

着信は姉だった。帰宅が遅れた智哉への連絡に、応対している途中で智哉の耳にがらがらと何かが大量にこぼれ落ちる音が響く。

 

「ええええ!!何これ!!!?当たった!!?」

 

音の方向を見ると、自販機から大量にこぼれる飲料をわたわたと拾うウマ娘がいた。

スマートフォンを耳に当てながら、壊れてるんじゃね?と思いつつ智哉が拾うのを手伝おうと近付く。

一本だけ、缶ジュースがころころと転がってきた。

 

それを智哉が拾おうとするも──

 

 

「……へ?ぶげえ!!!?」

 

 

──物理法則を無視したように、智哉の足の裏に吸い付いた。

 

もんどり打って智哉がひっくり返り、手に持ったスマートフォンがばきりと音を立てる。

明らかに壊れた音である。余りにも理不尽な状況に戦慄としながらも、智哉が顔を抑えながら立ち上がる。

ふと前を見たところで智哉は固まった。

 

「だ、大丈夫ですかー……?」

 

目の前に、目を瞠るほどに美しいウマ娘が立っている。

栗毛を一本に纏めて肩に掛け、猫耳を象ったメンコが特徴的なウマ娘である。

その顔は異常と言うほどに整っており、フランにも負けず劣らずの美貌の持ち主だった。

美貌のウマ娘は、穏やかな垂れ目がちな目を智哉に向けるや、キラキラと輝かせて言った。

 

「いたあ!!見つけたよエっちゃん様!!!」

「え?俺に何か用か……?」

「おっと、おほん、わたくし、さる方のご命令により、あなたの庇護に参りましたの」

「……無理してないか?いや、さる方って……そもそも誰なんだ、あんた」

 

 

 

 

 

 

 

「誰かは内緒!よろしくね!!」




面倒な先輩はちゃんと出しますやで。二人共ウマ娘名は別にあります。
結構先になるけど……。


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第二十七話 聖母の誤算

夜の小栗邸、手入れの行き届いた日本庭園を一望できる客間の縁側で、智哉は画面がひび割れたスマートフォンを困った顔で眺めていた。

 

「完全に壊れてるな……」

 

智哉は現在、豊原の代理として管理ウマ娘を預かる立場として毎日の進捗報告を欠かさず行っている。

いつもなら連絡する時間であり報告に入る前にふとした雑談を続ける内に、智哉はあのすけこましに不本意ながら親しみを覚えてしまっていた。

なお姉の連絡先を教えろという再三の要求は固辞し続けている。

 

「家の電話借りて報告するか。聞きたいこともあるし、な」

 

独り言をこぼしながら立ち上がり、先程から騒がしいウマ娘の一団を眺めた。

 

「うむ!良い飲みっぷりだお客人!ささ、もう一献」

「お酒!おいしいの!!」

「いえーいミッちゃん!かんぱーい!!」

「ウェーイ!!あはははははは」

 

完全に出来上がった酔っ払い共である。子供の教育に悪すぎるので小学生組はボスの部屋でお泊まり会を開催した。

帰宅時に出会った謎の美ウマ娘は、そのまま小栗邸までついて来て藤花の鶴の一言で小栗邸にしばらく滞在する運びとなった。今行われている酒宴はその歓迎会である。

 

「お客人……そうだ、名を聞いていなかったな。何と申す?」

「あ、言ってなかったの!えーと、チェムでいいの。趣味は電車に乗る事と猫!」

「で、あるか!ではチェム殿と呼ぼう!!」

 

謎ウマ娘チェムは酔っ払い、もはや素が丸出しである。

日本競バ界にその名を知られる伝説のウマ娘であり、武道家としても数多の修羅場を潜り抜けたやり手の当主である藤花が一目見るや気に入り、このような酒宴を行うなど異例の事態だった。チェムが只者ではない証左であり、智哉はそんなウマ娘が自分を庇護しに来たと言っていたのが気掛かりとなっていた。

 

(アイツの協力者、か?いや、それよりも……)

 

チェムの正体よりも、智哉には懸念すべき事案があった。

進捗報告の為に小栗邸備え付けの電話を借りようと、智哉が酒宴の前を通りがかる。

 

「あ!トモヤくん!!どこ行くの?」

「ちょっと電話するだけだよ。どこも行かねえから」

 

智哉を見かけて酒瓶片手に近付くチェムに嫌な予感を感じた智哉が、足早にその場を離れようとする。

 

「待つの!私も行くの!!あっ……」

 

それを追いかけようとしたチェムが座布団に足を取られて猛烈にずっこけ、手に持った酒瓶がすっぽ抜けて智哉の後頭部に直撃した。

 

「いってええ!!?酒瓶は洒落にならねえぶっ!?」

 

ずっこけたはずのチェムは勢いよく一回転して綺麗に着地し、頭を抑えて振り向いた智哉の顔に宙を舞った座布団が被さる。

 

「ご、ごめんなの!大丈夫!!?」

「まあこれくらいは平気だけど!!この距離!!この距離保ってくれ!!頼むから!!!」

 

心配そうに近づこうとするチェムを制止し、智哉が指で畳に線を引く。

先程からこのような事が起き続ける内に、その身で突き止めた大丈夫な距離である。

申し訳無さそうなチェムに、智哉がバツが悪そうに頭を掻く。

 

(これで六回目だぞ……?マジでなんだこれ)

 

これが懸念すべき事案である。

一定の距離にチェムが近付くと何か事故が発生し、最終的に智哉が酷い目に遭う。

なお毎回チェムは無傷で済んでいる。智哉には訳が分からなかったが流石に身の危険を感じ、チェムにソーシャルディスタンスを保つように提案したのである。

最初は帰宅時の転倒、次は小栗邸の門前で瓦が落ちてきて、更にはチェムと会ったフランが突然水平に飛び、それを慌てて受け止めた智哉はぶっ飛んで庭の池に落ちた。このような現象が他に三回起きている。一番死を意識したのは池から這い上がる際に追撃で飛んできた姉のエルボースイシーダである。必死に横抱きで受け止めたら顎先への掌底で脳を揺らされてまた池に落ちた。

この謎の現象にチェムは「おかしいの、使ってないのに……」と何やらぶつぶつと言った後に、智哉の提案を受け入れている。

 

謝るチェムをなだめた後、廊下に備え付けられたアンティーク調の黒電話の前に立つ。

控えておいた連絡先を記したメモを取り出し、受話器を肩に挟んでダイヤルを回す。数回のコールの後に目当ての人物は着信に応えた。

 

『よーう、今日は遅かったな?』

「悪い、スマホがぶっ壊れた……何の音だ、これ?」

『気にすんなー!右のヤツ頼む!!』

 

進捗報告の為に連絡した豊原が、電話の向こうにいるであろう何者かに指示を飛ばす。

騒がしく、取り込み中のようである。何やら乾いた破烈音が響き、何かの金属音が智哉の耳に入ってくる。

以前、聞いた覚えがあるような音だった。

 

『進捗は今度でいいぜー!それよりも言う事があってなー!』

「こっちもだ。俺の庇護に来たってウマ娘が今ウチにいるんだけど、あんたの仲間か?」

『お、もう会ったか。いちおー仲間みてーなモンだ!ねーちゃんのツテっつーか、その上からの指示でなー!

 

返事をする豊原の声が遠くなり、足音が智哉の耳に入る。走っているようである。

 

「おい?取り込んでるならまた後で……」

 

『この男、弾避けよるで!?』

『な、なんでただのトレーナーがこんなに……うぎゃあ!!』

『はい、逮捕ね』

 

『わりー!待たせたな!ハヤテさん確保頼むぜー!!』

 

電話の向こう側が静まり、ようやく電話を耳に当てたらしい豊原の声が届く。

 

「もういいのか?」

『おう、いいか?そのウマ娘から離れるなよ?それと、ヤツらの狙いは……』

 

そこで、電話が突然途切れた。智哉が首を傾げ、もう一度ダイヤルを回す。

もう、電話は繋がらなかった。

眉間を揉みながら、受話器を戻す。

 

 

 

 

「離れるなって……近付くとあんな目に遭うのに、かよ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「トヨちゃん!!大丈夫!!?」

「俺は、な……」

 

一発の銃弾が豊原の手をかすめ、粉々に砕けたスマートフォンが地面に落ちる。

一瞬の油断である。確保したはずの被疑者、男性血盟(MKC)の一員である暴力団幹部が隠し持ったデリンジャーによる一発が、豊原のスマートフォンを打ち砕いていた。

 

「やってくれるじゃねーか…?一番肝心な事が言えなかったぜ」

「せめて一矢と思ったが……貴様のような優れた男が何故ウマ娘どもの餌やりなど!!……へぶぅ!?」

「全く………連れて行って」

 

豊原に怒りの表情を向ける被疑者が、警視庁ウマ娘隊の隊員に黙らされて連行されていく。

それを見届け、豊原はため息をついた。

 

「餌やりとか言ってくれるぜ……好きでやってる訳じゃねーんだよ」

「それ、ディーちゃんの前で言ってないでしょうね?」

「言う訳ねーだろ。悪いのはウチのクソオヤジとねーちゃんだぜ?」

 

別行動中の相棒が後ろめたく思っている、豊原の過去についての言及をハヤテ副隊長が咎めた。

豊原はかつて、武豊の名跡の継承争いにおいて早々と脱落を宣言した身である。

他にやりたい事、夢を持っていたからであり、それを秘書と父の推薦、そして幼き頃の相棒の「この人がいい」という発言によって覆され、武豊の名とこのような裏稼業を継いでしまっていた。

 

「ハヤテさん、小栗家に連絡できるか?」

「…………ダメね、繋がらないわ」

 

ハヤテ副隊長が小栗家に連絡しようと何度もコールするも、誰も出なかった。

内弟子達は寝静まりウマ娘共は酒宴の真っ只中である。智哉は戻る際にもう一度チェムの前を通った所、うっかり近付きすぎて天井に突き刺さっている。それを見て完全に出来上がった姉はバカ笑いをした。肝心な時に役に立たない姉である。

連絡手段を失い、腕を組んで思案する二人だったが、切り替えるべくパンとハヤテ副隊長が手を打った。

 

「トヨちゃん、今日は助かったわ。人手が足りなくてね……」

「いいぜー、これくらい。それよりも急に出動したな?」

「隊長がね、随分無茶をしたのよ……」

 

今回の逮捕劇において、警視庁ウマ娘隊は公安や関係各所の制止を無視しての出動を敢行している。

外部の人間である豊原へ内密に協力を要請し、以前から公安がマークしていたカルトと関係のある都内の反社会的集団へ強襲を行ったのである。無事全員逮捕に成功しているが、帰還すれば始末書の山が待っている身だった。

 

「しかしまー、どこからのタレコミなんだよ?公安の堅物からリークでもあったか?」

「公安の上の方が、隊長に随分レースのツケが溜まっててね。くすねてきたのよね………」

「…………俺は何も聞いてねーぞ」

「そう言ってくれると助かるわ………」

 

警視庁の闇に触れた豊原の顔が歪む。レースでの直接的な金銭のやりとりは法の番人がやってはならない行為である。

ため息をつくハヤテ副隊長へ、一人の隊員が近付いた。

 

「副隊長殿!!失礼するであります!」

「ご苦労様、何か見つかった?」

「これを!!」

 

隊員が差し出した紙束をハヤテ副隊長が受け取り、その後ろから豊原が覗き込む。

レースの枠順が記された番組表、そこにいくつかの名前に印が付けられていた。

 

「……これは」

「小学校の対抗戦の出走表、だな」

「そうね……でも、狙いは生徒じゃないって」

「あー、だからこの印だ」

 

印を付けられた生徒の名前の幾つかを、豊原が指でトントンと叩く。

 

「例えば、このカレンって子」

「ええ」

「ケンジの妹だ、で、こっちは……」

 

次に、Frankelと記されたマル外教室の五年生の番組表を指差した。

重要なターゲットらしく、二重に印が付けられている。

 

「間違いねー、本命だな。この子の身内がかなり優秀なヤツだ」

「なるほどね……さっきの電話の?」

「あー……時間勝負だな、対抗戦は金曜だ」

「……今回の被疑者が、アジトを知っているといいけど」

「何とか吐かせてくれよー。俺はちょっくら行ってくる」

 

ポケットからキーを取り出した豊原が、ちゃりちゃりとそれを回しながら愛車へ向かう。

忍者の名を冠す、とある国内メーカーの1000ccの大型バイクである。

豊原の趣味であり、数多くのバイクを所有して休日にはツーリングとチューンアップを楽しんでいる。

かつての、夢でもあった。

 

「トヨちゃん、どこへ?」

「今面倒見てるヤツでよー、直接忠告になー」

 

そう言うとキーを回し、重厚なエンジン音と共に豊原は走り出す。

 

(首都高使って30分ってトコか。ついでにアイツのねーちゃんにも挨拶できるしなあ!!)

 

ヘルメットの中で鼻の下を伸ばしきった豊原がにやにやと笑う。こちらが本当の目的である。

連絡手段が無いことにかこつけ、姉のナンパに勤しむ腹積もりだった。

なお姉はバカ笑いしながら弟を肩車の態勢で天井から引っこ抜いたが、勢い余ってそのままジャパニーズオーシャンサイクロンを見舞った。3カウントはヤッタが取っている。

 

(待ってろよー!!ミッドデイちゃーん!!!へへへへへ……)

 

恍惚とした表情で首都高の照明に照らされながらかっ飛ばす豊原に、急に影が差した。

同時に強烈な警鐘のような悪寒が走る。

 

(……なんかやべーのが来たな。こりゃねーちゃん並……だ?)

 

おそるおそる、上を見る。

 

 

「捕らえましたわよ──エクリプスの尖兵めが」

 

 

真上にいたのは、水平に空を飛び、自らに併走するヘロド教の修道服を着たウマ娘。

冷静に状況を確認すべく、豊原が聖母の様子を眺める。

 

(こいつは……飛んでるんじゃねー、影から出てきたのか)

 

しっかりと状況を把握すると、聖母の下半身は豊原の影と繋がり、一体化していた。

豊原は、ある程度の秘書の事情を知る身である。このような存在は最も警戒するようにとも言い付けられている。

アクセルを吹かし、速度を上げるも自らの影から現れた聖母はまるで引き離せない。

 

「こりゃー、まいったぜ。夜のドライブならまた今度どうだい?あんた用のサイドカーを用意するぜ」

「結構ですわ……わたくし、犬は嫌いですのよ」

「犬とか言ってくれるねぇ!!あんたみてーな美人ならそれも悪く……がっ!?」

 

ずぶずぶ、と聖母の手が豊原の背中に埋め込まれる。

痛みは無かった。しかし、その代わりのように体の自由を少しずつ奪われていく感覚が豊原を襲う。

 

「減らず口を叩くな。見ているのでしょう?トキノ、ダーレー?」

 

「わたくし、争うつもりはありませんのよ?ただ、エクリプスの子孫が欲しいだけ」

 

「この犬と、あのウマ娘は我が手中にありますわ。交換というのはどうかしら?」

 

「当代の武豊と未来の名ウマ娘の母、ただの寵児のトレーナーとは比べるべくも無いでしょう?」

 

宙空に目を向け、聖母は語りかけるように独り言をこぼす。

それを聞きながら、豊原はまだ動く手を懐にやると、一本のピンのついた筒を取り出す。

対ウマ娘用の切り札として有事には持ち歩いている代物である。

 

 

「持ち物検査は……先にするんだったな!!!」

 

 

そのピンを迷わず豊原が抜くと──辺りに閃光と共に轟音が轟いた。

 

 

「ぐううっ!!?犬がああああ!!!!」

 

 

それを聖母はまともに受け、影が一瞬途切れて豊原は解放されると、迷わず高速で走るバイクから飛び降りた。

ウマ娘にとって閃光発音筒(フラッシュバン)は弱点の一つである。

その優れた聴力故に人間よりも効果が大きく及び、聖母も当然ウマ娘である為に強く影響を受けた。

 

「くそ!!!逃さんぞ犬が!!!」

 

怒り狂った聖母は、形振り構わずに自らの影を伸ばして首都高のフェンスや路面を破壊していく。

 

「……逃げられたか」

 

ようやく視界を取り戻し、聖母は辺りを見回すが血痕を残しつつも、豊原はもういなかった。

血痕は先程破壊したフェンスの前で途切れている。

 

 

 

 

 

 

 

「………飛び降りましたか。タダでは済まないでしょう」



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第二十八話 対抗戦、前夜

フライトライン強すぎて吹いた。これレーティング変わるんちゃうか……?
コーディーズウィッシュも泣けるでこれ……。


木曜日。府中トレセン学園前駅の改札を抜け、智哉は学園を目指す。

今日は朝練は休みのため、いつもより遅い時間の通勤である。

普段は一人での通勤だったが、今日は時間が合うために小学生組や姉、メイドと言った面々が同行していた。

智哉は小学生組に足並みを揃え、ノーブル、フラン、ボスの順で横に並んでいた。フランが横に並ぼうとしたところノーブルがカットした形である。一瞬だけ姉より速かった為に智哉は目を見開いて驚愕した。

 

「今日は模擬レース一本やって終わるから、夕方ちょっと練習するか?」

「したいわ!ノーブルちゃんも一緒にどう?」

「………行きます」

「私も行くわ」

 

智哉は余暇があればノーブルとフランの練習も見てもらいたい、とジュドモントの女主人に依頼されている。

しかし今回の騒動でなしくずしに豊原の管理ウマ娘を預かる立場となった為に、十分な時間を用意できず二人の面倒を見れていない事を申し訳なく思っていた。

 

「悪いな、本当はもっと見てやれたんだけどな」

「ううん、トムはお仕事があるもの。それよりも覚えててくれてうれしいわ」

「……ありがとな」

 

ノーブルを挟んだまま、智哉とフランが微笑み合う。

そんな時である、こつん、と脛が何者かに蹴られた。

あいて、と智哉が小さく唸り、一番近くにいたノーブルを見た。

 

「……な、なあ、今蹴った?」

「……蹴ってませんけど?」

「いや、今たしかに……」

「蹴ってません」

「そ、そっか……」

 

ぷい、とそっぽを向くノーブルに、首を傾げた智哉が後ろを見る。

 

「京王8000系は外装も素敵だけど内装のこだわりが素晴らしいの!!特に扉の内面と鴨居部の大理石模様がきれいなの!!」

「チェムちゃん、ほんとに電車好きねー」

「アメリカはあまり電車は発達してないから、私もたのしいよ」

 

後ろでは謎ウマ娘チェムが、電車愛を姉とヤッタに熱弁していた。智哉が電車通勤を選んだのもチェムの懇願によるものである。

あの智哉にとっては地獄のような歓迎会の酒宴ですっかり意気投合していた。ヤッタ曰く只者じゃないらしく、智哉は同行を渋々認めている。

そして初日と水曜の二日チェムと交流する内に彼女の人となりも理解できた。基本的には無害な善ウマ娘であり、子供の相手が得意でよく小学生組の遊び相手にも立候補している。

この件については、今は同行していないが英国で面倒を見ているノーブルと同い年のウマ娘がいるらしい。夏休みにこちらで遊ぶ予定だと智哉は聞いた。

 

学園の正門前に到着したところで、智哉はここ二日必ず顔を合わせている人物と遭遇する。

 

「おはよう、久居留くん」

「ああ、おはよう」

 

サブトレの同僚でもあり、現在用務員として奉仕作業と言う名目で潜入中のディーと顔を合わせた智哉は会釈を交わし、正門前で足を止めた。

昨日、彼女から聞いた話を確認するためである。

 

「……あいつ、連絡あったか?」

「……ううん、久居留くんの方は?」

「昨日も連絡は付かなかったな……俺もスマホぶっ壊れてて、家からしか電話できなくてな……」

 

一昨日の夜から、豊原と連絡がつかなくなっていた。

更に、ディーは情報源は明かさなかったが今回の事件の本当の狙いを智哉へ告げている。

彼女曰く、本当の狙いは優秀なトレーナーだと。そして智哉もその対象であると。

智哉は頭を抱えたが、子供達が本命ではないと聞いて胸を撫で下ろしている。

豊原の話題に、心配そうにするディーへ智哉が口を開く。

 

「こういう事、どうせたまにあるんだろ?」

「……うん、急にふらっといなくなる事は、あるけど……」

「じゃあ心配しなくてもいいんじゃね?どうせ美人局に無一文にされて帰れねえとかだろ」

 

「……は?」

 

「あっ、すいません………」

 

気休めに投げた言葉で重バ場が発生したことを察した智哉が即座に謝罪する。

豊原とその相棒と交流する内に、二人に何やら並々ならぬ感情がある事を智哉は鈍いながらも勘付いていた。

きょとん、とそんな二人を見つめるフランに、ディーの視線が不意に交差し、目線を合わせて応対した。

 

「はじめまして、ね。久居留くんの知り合い?」

「フランと言うわ、お姉さま。はじめまして」

「そう、よろしくねフランちゃん。そちらの子はボスちゃんのお友達?」

「エット、ノーブルと言います。フラン姉さんの妹です」

「……妹。そう、はじめまして」

 

ノーブルに一瞬寂しげな顔を見せたディーが、続けて以前からの知り合いであるボスとも挨拶を交わす。

ディーを見て、フランは驚愕していた。そのフランの些細な変化に気付いた智哉が、フランに小声で声をかける。

 

「わかるか?すごいだろ」

「ええ……すごいわ、このお姉様」

「だろ?日本の歴史上で多分一番速いウマ娘だ。英雄って異名を持っててさ、なんでサブトレやってるのかはわかんねえけど……」

 

ディーは、天才児であるフランから見ても驚異の才能の持ち主である。

その競走能力を一目で看破したフランが、うずうずとしながらディーを見る。

一目でいいから走っているところを見てみたい。そういう感情を込めて見ていた。

 

「現役時代のレースなら見れるぜ。今晩見るか?」

「ええ、見せてちょうだい」

「よし、特にストライドがすげえんだよ。ヤッタさん並だ」

 

少し離れた所を歩いていた姉達三人が、追いついてくる。

そこへ顔を向けたディーは、一瞬固まってから姉へ会釈を交わした。

 

「あ、ディーちゃんおはよー」

「おはようございます、ミッドデイさん。そちらは……」

「紹介するわ。ヤッちゃんとチェムちゃん」

 

姉が手を向けた先、並んで歩く二人をディーが見る。

その内の長身のウマ娘、ヤッタはぎらり、と珍しく爛々と輝かせた瞳をディーに向けた。

 

「………いつか会うかなって思ってたけど、ばったり会っちゃうとはねえ」

「はじめまして、今ウチの子達がお世話になってます……ゼニヤッタさん」

「全然いいよ!それよりも一回話してみたかったんだよね、英雄さん」

「ええ、私もです。お昼ご一緒にどうですか?」

「うんうん、連絡先交換しよっか?」

 

ディーとヤッタは、世界的なストライド走法の第一人者である。

お互い現役時代からその走法を参考にし合っている関係で、SNSでは相互フォローしていたが会うのは初対面だった。

アメリカの至宝と、日本の英雄の邂逅がトレセン学園の正門前で行われている。当然周囲の注目を集めた。

 

「あっ、ディー先輩とゼニヤッタさんが……」

「うわ、写真撮りたい……ウマッターに上げたら怒られるかな?」

「やめときなって、それはやっちゃダメ」

「スヤァ……」

「デジたん先輩がまた死んでおられるぞ!!」

 

ざわざわと周囲が騒ぎ出す様子に、智哉が潮時を感じて二人に声をかけた。

 

「こりゃ通学してくる子の邪魔になるな……そろそろ行こうぜ」

「うん……フランちゃん、ノーブルちゃん、今度家に遊びに来ない?年の近い練習生の子もいるから」

「お邪魔にならなければ……行きたいです」

「ええ、わたしも」

 

言質を取ったディーは、そのまま間髪入れずに智哉に振り向く。

 

「……久居留くんも、来るよね?」

「えっ俺?そうだな……挨拶くらいは」

 

 

 

「うん……絶対来てね、絶対に」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「えええ〜〜!!明日の朝にカメラ返してくださいぃぃ!!」

「ダメです!絶対盗撮するでしょう!!」

「し、しませんからぁぁぁ……お願いしますぅぅ!!」

 

教頭の机の前で、カナが這いつくばってカメラの返還を懇願する。

カナは、どうしても金曜朝にカメラを取り返したい理由があった。勿論推しの勇姿を撮るためである。

石畑教頭は当然その行動を読んでいる為に、頑として受け付けないが少し哀れに思い、優しく声をかける。

 

「……あのね、大事な対抗戦なのよ?貴方も参加するのよ?」

「カナは人前で走るの苦手なんですぅう!!小学校も師匠の推薦で入れられただけですのでぇ……」

「貴方は確か、彼女の弟子だったわね……彼女が推薦するくらいならあなたはそれ程の才能があるのよ?もっと自信を持ちなさい」

「そんな事言われてもぉ……」

 

絶望するカナは気付いていないが、地味で目立たないカナの出自をしっかりと石畑教頭は把握していた。

全生徒の情報を頭に入れているのである。教頭として当然の行為だと石畑教頭は考えている。

 

「とにかく!カメラは返しません!話は終わりよ、いいわね?」

「そんなぁ……」

 

とぼとぼと、カナが職員室を後にするのを眺めた後、教頭は空いたままのマル外教室の担任の机を眺めた。

自分が推薦した優秀な教師である。先週から行方知れずになり、心配していた。

 

(デイソン先生、何処に行ったのかしら……それに、彼女の持ち出したままの書類も)

 

一方、職員室のドアを閉めたカナは、深くため息をついた。

 

(正攻法じゃダメですね、あのババア絶対返してくれないです)

 

カナは絶対にカメラを取り返すつもりである。一応泣き落としを試みたが、失敗に終わった。

最終手段を実行するしかない、と思ったカナが拳を握り締める。

 

(サボって忍び込みます。当日ならみんな校舎にはいないです)

 

(戻ってくる可能性もあるし、あの陽キャに見張らせたらいいです)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

『圧勝ゴールイン!!二着はインティライミ!!三着はシックスセンスか!?これで二冠目!!母の偉業を超えるか!?ここに日本の英雄が自らを証明しました!!おっと豊原トレーナーは観客のウマ娘と何やら話してレースを見ていません!!英雄が近付いて……踵落としで豊原トレーナーが地面にめりこみました!!あっ観客席のシスターが大興奮で乱入しています!!これはいけません!!我らが生徒会長は拍手を送っています!!今そんな場面ではありません!!』

 

「素敵だわ!!ディーお姉様!!」

「俺は何回か見たけど、追い出したら一気にぶち抜いてるんだよな……ホントにすげえよ」

「当たり前じゃない。ディー先輩は日本のウマ娘の誇りよ」

「……あの、最後のはいいんですか?」

「……お咎めなしだったそうだぜ、うん、気にすんな」

 

その日の夜、軽く小学生組の練習を見た後に、智哉は三人を伴い現役時代のディーのレースの鑑賞会を行っていた。

日本ダービー、同世代の一番を決める大一番での圧勝劇にフランが興奮し、ボスは得意げに胸を張る。

ノーブルは至極常識的な疑問を呈したが、智哉はしかめっ面で回答した。日本競バ界の頂点の大レースにおける大惨事である。

 

「よし、一旦終わりな。寝る支度しろよー」

「二人とも、お風呂入りましょう」

「はい、ボスさん」

「わたしは夜風に当たってから行くわ」

「んじゃ俺は続きの用意しとくぜ」

 

興奮冷めやらぬフランが、落ち着こうと一人客間から縁側に出る。

心地よい夜風が身体を包み、胸を抑えて心を鎮めようとする中、優しい音色が耳に届く。

知っている曲に釣られ、フランはとことこと音の方向に向かった。

 

「……ヤッタお姉様?」

「あ、フランちゃん」

 

縁側に座りギターを奏でるヤッタが、指を止めて振り向く。

二人は小栗邸で知り合った仲である。奔放だが優しいヤッタにフランは懐き、ヤッタも小学生組の前では競走バを目指す少女達の夢を壊さないように務めていた。

 

「ディーちゃんのレースどうだった?」

「素敵だったわ!ヤッタお姉様みたいで……今の曲、ヤッタお姉様が?」

「うん、日本のウマ娘の曲でね、ちょっと弾いてみようかなって」

 

ヤッタは引退後も音楽活動を続けており、アメリカ全米チャートで常に上位を争うアーティストとして知られている。

フランが釣られた理由はヤッタの奏でる優しい音色、知っている日本のウマ娘の曲だったからである。

 

「知ってるわ。わたしが大好きな、絵本作家のお姉様の曲」

「うん、今は絵本作家らしいねー、フランちゃん、歌の練習はしてる?」

「ええ、サリーに教わって」

 

その言葉を聞いたヤッタはもう一度指を動かし、辺りにイントロが流れた。

 

「フランちゃん、さあ歌って?」

「えっ?」

「聞いてみたいな、フランちゃんの歌」

 

優しく微笑むヤッタに頷いたフランが立ち上がり、息を吸い込む。

 

 

 

「……へえ、やっぱり」

 

 

 

優しい歌声が、夜空に響いた。

釣られて、姉やチェムが客間から顔を出し、鑑賞会の続きを準備していた智哉の耳にフランの歌が届く。

 

 

(フランの声だ、歌ってるんだな)

 

 

縁側に顔を出す。いつの間にかフランとヤッタの隣にウマ娘達が集まり、フランの歌に静かに耳を傾けていた。

 

静かな夜の、穏やかな、優しい一幕。

 

智哉は邪魔をしないように客間に戻り、一つの決心を抱いた。

 

 

(フランや、ノーブルや、ボスも……みんな、良い子達だ)

 

(サリーさんやヤッタさん……姉貴だって。いくら強くても危ない事はさせたくねえ、な)

 

 

自室の押入れを開け、そこに封印したはずの物を引っ張り出す。

アメリカ生活が終わり、もうその必要も無いと思っていた自らの秘密。何故か、力が湧いてくるあの姿。

 

 

 

 

 

 

(一応、持ち歩いておくか……)



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閑話 疾走入魂亀覇女流走法最高指導者亀覇女十段

というわけでカナちゃんの過去話やで。
サブタイはやりたかっただけやで。


「ふんぎゃああああああ!!!!死ぬぅうぅううう!!!!」

 

北海道日高郡新ひだか町の霊峰カムイエクウチカウシ山の中腹、一人の少女が必死の形相で叫びながら整備されていない山道を駆け下りる。

彼女は追われる身である。彼女の後ろからは多数の丸太が滑り落ちながら迫り、その上には高笑いをしながら追手が鎮座していた。

 

「それは悪手だぞカナ!こういう時はどうするか教えただろう!!?」

 

少女をカナと呼んだ追手は、褐色の美貌のウマ娘であった。

スタイル抜群の肢体は着崩した黒のラインが入った青い着流しに包まれ、鹿毛の髪には特徴的な大きなアホ毛、そして右耳に青いリボンと金色の髪飾りが着けられている。彼女は少女カナの競走の師である。

追手の言葉に、逃げているカナのこめかみに青筋が走る。スパルタが過ぎる師匠についに堪忍袋の尾が切れた。

 

カナは振り向いて怒りの形相を師に向けると、急ブレーキで進行方向を変えて師の下、襲い来る丸太へ走り込んだ。

 

「この児童虐待ウマ娘ぇぇぇぇええええ!!!!今日こそぶっ殺してやるぅぅうううう!!!!!」

 

カナが急激に加速し、血走った怒りの目をただ師だけに向けた。

そのカナの様子に、師は破顔して胡座を組んだ足をパンと叩く。

 

「うむ!!それでいい!!死中にこそ活あり!!!」

 

カナへ丸太が迫る。

 

「おりゃあああああ!!!」

 

身体を半身にし、足を一瞬交差させる。

タタン、とそのまま小刻みに独特なステップを踏み、カナは襲い来る丸太をするりとかわし──跳んだ。

 

「死ねええぇええぇええ!!!!!」

 

怒号と共にカナは師へ飛び蹴りを見舞った。

小学生の飛び蹴りとは思えぬ強烈な破壊力を前に、師は破顔したままもう一度足をパンと叩き、弟子に称賛の言葉を贈った。

 

「素晴らしいぞ、カナ!!これぞ亀覇女流52のステップが一つ、いなす時は柳の如く!……だが」

 

飛び蹴りを頭を下げて避けると、師はそのままカナを両肩に捕える。

 

「蹴りはダメだな、狙いがわかりやすい」

 

愛弟子にダメ出しをしつつ、バックブリーカーの体勢で軽く絞り上げた。

 

 

 

 

 

「あんぎゃああああ!!ギブ!!ギブアップ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうやだぁああああああ!!!おうち帰るぅうううううぅ!!!!」

 

頂上の師匠手製の丸太小屋に連れてこられたカナは、師匠に降ろされるやその場で寝転がって駄々をこね倒す。

夏休み中に師より「山籠りに行くぞ!」と唐突にここに連れてこられて既に一週間。スパルタが過ぎる師のマンツーマン指導はあまりにも過酷である。

このカナに、食事の支度をしながら師は大笑して返した。

 

「何を言う!貴様がそんなヤワなはずはないだろう!!明日はヒグマ狩りに行くぞ!!」

「師匠の鬼ぃ!悪魔ぁ!!変態ローテぇ!!!!」

「わははは!!それだけ無駄口が叩けるなら大丈夫だ!!今日も本当は泣いたり笑ったりできないくらいはしごくつもりだったからな!!!」

「いやぁああああああ!!!!!」

 

地べたに寝転がったまま暴れるカナに、そっと目を向けた師は小さく嘆息した。

 

(惜しい……本当に惜しい)

 

師は、愛弟子の天賦の才に魅了されていた。そして、弟子の両親に自ら赴き、彼女の指導を是非させてほしいと頭を下げて懇願した過去があった。

彼女は風来坊の競走指導者である。その指導力はスパルタが過ぎるが確実で、弟子それぞれの限界を見極めて厳しい練習を課し、数多の名ウマ娘を学園に送り出している。学園にも顔が利く有力指導者である。

そのような有力指導者である師が、今日の練習で泣いたり笑ったりできなくするまでしごくつもりだったのは本心である。

つまり、この愛弟子の限界を師は見誤っていた。手に余る程の天賦の才。だからこそ、惜しく思っている。

 

(48の殺人走法に、52のステップ……我が奥義、亀覇女流走法100手をこのような幼子が全て修めている……だというのにレースではまるで走れん。本当に惜しい………)

 

そう、カナは人前で走ると頭が真っ白になって自滅する、限界陰キャだったのである。

師はカナのこの弱点をなんとか克服させるべく様々な試行錯誤を行った。今日の無茶な丸太追いもその一環である。

暴れ疲れてふて寝モードに入ったカナを見たまま、師は顎に手をやって思考に耽る。

 

(……ショック療法だけでは駄目……か。ならば他に何がある?)

 

カナの普段の様子を思い返した師は、一つの事案に思い至った。

 

(……友がいないな、こやつ)

 

カナは陰キャで対人関係に大きな問題を持つ少女である。おまけに性格もすれている。これは師のせいである。師は気付いていない。

 

(普通の友では駄目だな、こやつが走れるようになったら溝が出来るかもしれん)

 

カナは限界陰キャではあるが天才である。

友人が出来ても、カナの才能が知れ渡れば普通のウマ娘では萎縮し、疎遠になる懸念があった。

 

(速いウマ娘や、信頼できる人間……うむ、そうだ。良いかもしれんな)

 

考えがまとまり手をぽんと打った師がカナに近付き、母猫が子猫を運ぶように持ち上げて目線を合わせた。

 

「……なんですか師匠?」

「うむ、カナ……山を下りるぞ」

「マジですか!!!下ります下ります!!!!」

 

カナがガッツポーズを決めて、うきうきと喜んだ返事を返す。

それにうんうんと頷いて返しつつ、師は高らかに叫んだ。

 

「カナ!!!転校しろ!!!!!」

「意味がわかりませんけどぉ!!何ですか急に!!!!」

 

師はたまに言葉が足りなすぎるウマ娘である。カナはいつもの事ながらツッコミを入れた。

 

「東京の小学校だ!!!一筆書いてやる!!!」

「都会じゃないですかぁ!!!行きます行きますぅ!!!」

 

次の言葉を聞いてカナは飛びついた。現金な陰キャである。

北海道は日本で最もウマ娘が多い地域であり、開発の進んだ都市も多いがそれでも日本の首都である東京には劣る。

カナは都会に憧れがあったし、自らが走るのは好きではないが限界陰キャとして綺羅びやかなウマ娘のライブを見るのは大好きである。要するにオタクである。

両親も週に数度は入れ替わりで東京に滞在している。カナとしては何も問題がない提案だと思っていた。

 

「決まりだな!!だが条件があるぞ!!」

「……な、なんですか」

 

 

 

「うむ!それはだな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

夏休み明け、とある巨大な学園の正門の前でカナはだらだらと冷や汗をかいていた。

うきうきと歩いての転校先の小学校への初登校で、行き着いた先がここだった。

 

──トレセン学園附属小学校である。

 

カナは師の書いた紹介状と共に預かった転校先の住所を調べ、一人でここに来ていた。

最初はあっ、家の近所だラッキー程度の考えだったが、歩いている途中で雲行きの怪しさを感じ何度も住所を見直している。ここだった。

カナは、競走バになるつもりはない少女である。むしろ推しを推したい陰キャである。

そう、師から何も聞かされていないのである。カナは心で怨嗟の叫びを上げた。

師はもうここにはいない。卒業の時にまた来ると言ってそのままどこかへ旅に出た。

 

(あのクソ師匠ぉおおおお!!!!マジでカナを競走バにする気ですかぁぁあああ!!!?てか一筆で入れる小学校じゃないんですけどぉぉぉおお!!!)

 

カナは陰キャである。競走バを目指すキラキラしたウマ娘とは真逆の存在という自覚があったし、そのような中へ放り込まれたら灰になって消滅する恐れすら持っている。

そしてカナは師匠の謎すぎる顔の広さにも無駄に怒った。カナは師匠の出自を全く知らない。

怒りで頭を掻きむしるカナの後ろを、生徒達が通りかかる。

 

「ねーみんなー!今日から……」

「転校生やろ?知っとるがな」

「ほえええぇえ!!?なんでぇええ!!」

「ホエちゃん寝てたもんねえ」

 

関西弁のウマ娘、そしてムードメーカーとおっとりお嬢様。

 

「今日からの転校生!子分にするわよ!!」

「さすが親分!!」

「さすボス!!さすボス!!!」

 

お団子頭の勝気な親分と、さすボスコールを上げる子分達。

 

「………はっ、寝てたわ。誰も見てない……わよね?」

 

目を開けたまま寝る特技を持つ、クラス屈指の実力者。

それぞれがカナに目を一瞬向けた後、小学校へ登校していく。

キラキラした陽キャ揃いである。カナは絶望した。

 

そんな時である。

 

「ねー、どうしたのかな?」

 

一人だけ、カナに声をかけるウマ娘がいた。

思わずカナは振り向き、そして息を呑んだ。

 

「……ほ、ホアッ!?ななななな何かようでですか!?」

 

目の前にいたのは、芦毛のすこぶるカワイイウマ娘であった。

シャギーの入ったボブカットに、大きな輝く瞳。黒いメンコに、左耳に赤いリボン。

今まで見たこともない、カワイイウマ娘に赤面し、その限界ぶりを遺憾なく発揮したカナはどもり倒した。まともに会話できない陰キャっぷりである。

そんなカナを全く気にせず、カワイイ少女は首を傾げた。

 

「んー……四年生?」

「は、はははははい、てててて転校してきました!!」

「あ!そうなんだ?どうりで知らない子だなあって、教室わかる?」

「わわわわわかりませんです!!!はい!!!」

「あはは!落ち着いて?じゃあ、行こ?」

 

カワイイウマ娘はカナの手を握り、正門を指差した。

突然現れた自分に親切なカワイイウマ娘に、カナはこの時点で完全に心を奪われた。陰キャなのでちょっと優しくされるとちょろい。

 

「教室、案内してあげる。ね?」

「よよよよろろしくお願いしますぅぅぅ!!!」

 

こうして、少女カナはトレセン学園付属小学校に入学した。

限界陰キャから、限界盗撮カレン先輩激推し陰キャへ華麗に転身したのである。

 

 

 

 

 

 

 

駄目だった。




カレンパイセンのリボン、右耳になってたから直したやで…こういうミスはダメゼッタイ。


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第二十九話 ボスの企み

ジェラルディーナちゃんなんで折り合いついてるの?どうして……。


息を吸い込み、一歩一歩、踏み出す度に鋭く吐く。

規則的なペースを保ち、焦りを心から追い出す。

この模擬レースにおいて、これ以上は無いと言い切れる練習相手との勝負を重ねる中で、彼女は答えを得た。

 

(一番の敵は……私の心だ)

 

世界が、切り替わる。何度も味わった異様な圧迫感。

隣で走るもう一人の練習相手は、恍惚としながら空を眺める。

 

「キタキタキタァァァァァ!!!!スヤァ……」

 

(デジタル先輩は、どうして自分から死にに行くんだ………)

 

空からこちらを見下ろす、圧迫感の正体。

恐るべき存在を心から追い出すように、ただ前を向いて足を動かす。

 

(私は、ただ一筋の彗星だ)

 

(それ以上は求めない。彗星は、ただ流れ行くもの)

 

相手が誰であろうと、苦境の中であろうと、ただひたすら前へ突き進む。

この勝負の中で得た答え。迷いなく突き進む一条の彗星へと彼女は変化を迎えていた。

 

その眼が、朱く燃え上がる。

その足が、火花を散らす。

 

 

その時、彼女は朱い彗星へと、確かに変貌していた──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハア……ハア……勝った、のか?」

 

渾身の、これ以上は無い程の会心のレースだった。

厳しい先行争い、後方から迫る強烈なプレッシャー、全てを跳ね除けて領域(ゾーン)へ到達した。

自らの全身全霊を賭した模擬レースたった一本で、消耗しきったヴァーが結果を隣の青年へ訊ねる。

 

「同着だな。ヤッタさんが、最後の一歩で追い付いた」

「そうか……」

 

隣の青年、智哉から渡されたタオルで汗を拭い、ぽかんとこちらを見る練習相手に目を向ける。

 

「ヴァーちゃん、今のはホントに凄かった……私、半バ身差で勝つ予定だったから」

「成程……ようやく、一矢報いることができたかな?」

 

まるで予言のように着差まで言い当て、実行するヤッタの予測を上回った会心の結果。

勝つまでは至らなかったがヴァーとしても満足の行く内容に、にやりと笑ってみせる。

今まで使えていなかった先行での領域(ゾーン)への到達、そして世界最強ダートウマ娘にも引けを取らない仕上がり。

ここに、ヴァーの帝王賞へのトレーニングは完成を迎えた。

ヴァーは、智哉へ目を戻す。

自分でもこれ以上無いと言っていい仕上がりは、この青年の協力無くしては有り得ない。

 

「智哉、ありがとう」

 

その感謝の言葉を、素直に伝えた。

この言葉を聞き、智哉は照れ臭そうに目を背け、頭を掻く。

ぶっきらぼうな態度に、ヴァーがくすくすと笑う。

 

「あー……俺よりもヤッタさんやマイケルさんに……」

「ふふ、まず君だよ。全部、君が動かなければ始まっていない事だ」

「お、おう……それよりも今日は終わりな」

「ああ……この感覚は覚えておく」

「よし、来週は最終追い切りが終わったら休養だからな?自主トレも禁止な」

「わかっているさ」

 

言葉を交わすと、ヴァーはヤッタとマイケルの元へ向かう。

その途中で足を止め、言い忘れた事を思い出し、智哉へ振り向く。

 

「そうだ、智哉。対抗戦を見に行くんだったな?」

「ん?おう、何か私服で来いってフラ……出走する子に言われててな、着替えてからになるけど」

「……そうか、それなら」

 

 

「午後は私も暇なんだ。一緒に観ないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

トレセン学園附属小学校のクラス対抗戦は、毎月の定期対抗戦の他、前期と後期に全学年参加の上で大々的に行われている。

その前期は六月の梅雨前、運動会と被らないこの時期に、一般公開の下で開催される。

未来の名ウマ娘の発掘に来るトレーナー、家族の応援に訪れる生徒の親族、そして熱心なウマ娘ファンと訪れる者は様々である。

対抗戦のチームは四つに分けられ、それぞれが離れた位置に集まる。

その中の一つであるマル外チームの上級生達の待機場所で、一人のウマ娘が視線を集めていた。

 

「皆の者、静聴すべし!!」

 

威厳のある声と共に、体操着の上に着込んだ赤地に黒のラインが入ったマントをばさりと翻す、太陽のように輝く栗毛の耳に、黒いメンコを付けたウマ娘。

マル外教室六年生にしてチームリーダーを務めるエイシンアポロンは、静かに耳を傾けるチームメンバーに、握った手を頭上に掲げて叫ぶ。

 

「我がマル外チームの前年度の結果は!前期最下位!後期三位!!」

 

「まことに嘆かわしい!!凱旋門二着のエル先輩、グランプリ覇者のグラス先輩等々……偉大なる先輩方にも申し訳ない!!」

 

掲げた拳を今度は胸に当て、熱の入った演説で悔しさを現わす。

 

「低学年のかわいい後輩達の前でもある!!情けない姿ではなく、我らの勇姿を焼き付けてもらおうじゃないか!!レースの楽しさを、勝利の美酒を是非味わってもらおうじゃないか!!」

 

「そうだそうだ!ロン先輩の言う通りだ!!」

「今年こそは勝とう!!みんな!!」

 

演説の呼びかけに対し、絶妙のタイミングで合いの手を入れる生徒が二人。

無論、チームリーダーの仕込みである。鼓舞の為にこっそりと演説の練習をしていた成果が出ていた。

 

「みんな……ありがとう。かわいい後輩達にはまずはレースの醍醐味を知ってもらいたい。勝利主義は私達上級生だけでいい」

 

感動するように仕込みの二人に頷いて見せたリーダーが、一人の褐色の威圧感溢れる生徒を指差す。

 

「そこで、だ!オープニングの五年生マイルは君に任せよう!!出し惜しみは無しだ!!」

 

「……………えぇ?私?」

 

指を差された褐色のウマ娘、五年生の番格と思われているヴァラが困惑げに首を傾げる。

リーダーの耳には「五年生にとんでもなく速い天才がいる」と言う噂が届いていた。一目でそのウマ娘がヴァラだと確信している。

対抗戦のオーダーに関しては生徒達の相談の元で、登録した距離に応じて選出される形式であり、リーダーは必勝を期すために最初から最高戦力をぶつけ、他チームの戦意を挫く腹積もりだった。

 

しかしヴァラはそっぽを向き、すかさず隣に立つフランの後ろに回った。

 

「ふえ?ヴァラちゃん?」

「フランちゃん、助けて……私、心の準備が……」

 

こそこそとフランに耳打ちして助けを求めるヴァラに対し、リーダーは眉を顰める。

この五年生の新たな番長は、強者としか走らないという噂も聞いている。大事な対抗戦でも協力の意志を見せない不良ウマ娘へ、平静を保ちながら説得を試みた。

 

「君の事は噂で聞いている!大事なオープニングには他チームもエース格をぶつけてくるだろう!君もきっと、満足する相手がいるさ…だから出走すべし!!」

 

髪を撫でつけ、気障なポーズを決めたリーダーの口上を無視してヴァラはふんぞり返った。ただリーダーの台詞に驚いただけである。

そんな大事なレース任せないでと不安げな心とは裏腹に、ふてぶてしい威圧感が辺りに満ちる。

重苦しいプレッシャーを一部を除いた面々が感じる中、フランが一歩前に出た。

 

「ふむ……君は?」

「五年生クラスのフランケルです。わたしが……走ります」

「ほう!良い心がけだ。しかし……」

 

必勝を期したいリーダーが言い淀む所へ、タールが近付いて声をかける。

 

「ロン先輩、オイラもフランちゃんで良いと思うよ」

「ほう……速いのかね?」

「すっっごく速いから。今すぐ学園で走っても勝てるくらい」

「ははは…バカを言っちゃいけないな、タール。流石にそれは先輩方に失礼だろう……ふむ、任せてみるのも悪くないか」

 

信頼する後輩であるタールの進言を汲み、ロンはマントを翻して決断を下す。

 

「では任せよう!!勝利を期待する!!!」

 

続けてオーダーを決めるマル外チームより少し離れた場所の植木の影で、聞き耳を立てる二人のウマ娘がいた。

 

「やっぱりフランちゃんだ」

「よし、親分に報告……」

 

フランの出番を調べてこいと厳命された、ボスの子分達である。対抗戦においてスパイ行為は伝統の一つとされている。

任務を果たし、植木から離れようとしたその時、後ろからぎちぎちと金属が擦れ合う音が響いた。

ぎくりと、二人が目を合わせる。

知っている音だった。

 

「ふむ、スパイか」

 

後ろから現れたのは、対抗戦にリザーバー登録されているファーだった。リハビリの主治医に無理を言い、リザーバーとしてならと許可を勝ち取った結果である。

ファー本人としても無理を押して出走するつもりはなく、レースを間近で観戦するために選手枠を必要としていた。

なおここにいた理由は決起演説をサボってのおやつタイムである。

ぽりぽりと呑気に野菜スティックをかじるファーに、子分達はほっと息を吐く。ボスやフランと共に下校する間柄である。この友人ならきっと見逃してくれる。

 

「よかった、ファーちゃんで……」

「うん、行こう……あれ?」

 

訳知り顔で頷いて咀嚼を終え、野菜スティックを置いたファーは二人の体操着の裾をむんずと掴んだ。

 

「フランケルの出走順だな?よくわかってるじゃないか、お前達の親分は」

「ふぁ、ファーちゃん……?」

「う、嘘だよね……?」

 

青ざめる子分達に、無慈悲に首を振る。

 

「すまない、今は敵同士だ。すまない」

 

ファーはがさがさと植木から頭を出すと、オーダーを話し合うチームメイトへ声を上げた。

 

「おーいみんな、ここにスパイがいるぞ」

「何!!?生かして帰すな!!」

「他チームの者、丁重に扱うべし!!!」

「我がチームでな!!!」

 

ファーの呼びかけに、すぐさま六年生の数名が「私はスパイ行為をしました。三回休み」と書かれた立て札を持って現場に走る。

 

「ワッワアッ!!!ヤダーーーーー!!!」

「ファーちゃん離してええええ!!あっ、力強い!!!」

 

対抗戦の伝統、スパイ行為には幾つか生徒間で決められたルールが存在する。

まず、スパイは選手であることが条件である。そして、発覚した際にもペナルティが定められていた。

 

「3レース、オーダーから外れるが……これもルールだ。すまない」

 

レースへの出走が制限されるのである。

晴れ舞台での大事な出番が失われるのは生徒にとって死活問題であり、オーダーを制限されるチームにも大きな痛手となる。

前方からは血走った目で伊達にすべく迫るマル外チームメンバー、後方には自分達を掴んで離さないファー。

万事休すの子分コンビだったが、ふと足下のファーのおやつの野菜スティックが目に入る。

一か八か、その中の数本を掴んだ。

 

「な、何とかなれーッ!!!」

 

そして、空高く投げる。

 

「あっ……私のニンジン……!!」

 

最後の楽しみにとっておいたニンジンが空を舞い、ファーは手を離して落下点に急ぐ。

解放された二人は頷き合い、自陣へ逃げようと走った。

 

「逃がすかァーーーーッ!!!!ファントムタックル!!!!」

「ギャーーーーーーーッ!!!!」

 

しかし子分の片割れ、通称子分Aは目を血走らせる鹿毛の髪をリーゼントのように纏めた六年生ウマ娘の、遠間からの飛距離の長く、異様に横滑りするタックルに捕らえられた。

思わず、相棒の方を振り向くもう一人の子分へ、捕らえられた片割れは叫ぶ。

 

「行って!!!私は良いから!!親分のところへ!!!」

「で!!でも!!!」

 

二人は、内気で引っ込み事案なウマ娘だったが、ある日ボスに声をかけられクラスの中心に引っ張られた過去があった。それ以来、同じ親分を慕う親友同士だった。

そんな親友を置いていけないと、躊躇する相棒へ子分Aは儚く笑う。

 

「私は、もうダメだから……親分に、よろしくね」

「そんな……そんな……」

 

「はいこっち来て、持ってなさい」

「はーい!」

 

今生の別れのような雰囲気だが、ただのルールに則ったペナルティである。

何事も無かったかのようにリーゼントのウマ娘に優しく起こされ、立て札を手に取った子分Aは元気よく返事する。先程の感動の別れは忘れた。

 

「もう一人も逃がすなァ!丁重に我がチームに連れて行くのだ!!」

「ワ……!ワァ!!」

 

地面に落ちたニンジンの前で跪き頭を垂れるファーを追い越して追手が殺到し、もう一人の子分、通称子分Bは必死で逃げる。

 

(親分……もうちょっとで……!!)

 

親分が待つ自陣、こちらも中心で六年生のチームリーダーが決起演説の最中だった。

勝負時には必ず付ける黒いメンコが特徴的なリーダー、ヴィクトワールピサが友人のカレンチャンと並び、集まる上級生達の前で胸を張り高らかに叫ぶ。

 

「今年は間違いなくこのチームが最強よ!!普段通りにやれば絶対に……負けない!!」

 

「うん!みんながんばってこー!!」

 

カワイイウマ娘、カレンチャンの鼓舞に熱狂するチームメイト達。それを見届けてから、ピサはカレンへ目配せを送った。

 

(ありがとう、カレン)

(気にしないで、ピサちゃん)

 

今回、チームリーダーを任されたピサは士気向上の為に、人気者のカレンへ決起演説の付き添いを頼んでいた。

カレンとしても応援に来る兄へ良いところを見せたいと快諾している。なお兄はまだ来ていない。

レースに備え、チームの実力者達がオーダーを話し合おうとする中、ボスは憂鬱そうにきょろきょろと辺りを見回す。

 

(子分達……大丈夫かな?それにあのバカ、去年みたいにサボったわね……!!)

 

憂鬱の理由は偵察を任せた子分二人への心配であり、更には二年連続で対抗戦をサボった陰キャにも呆れていた。

陰キャは逃げたのである。

 

(対抗戦サボるなんて…ホントに学園入れないわよ、アイツ……)

 

エスカレーター式にトレセン学園への入学が許される附属小学校だが、素行や競走意識の低さを理由に許されないケースも存在する。

限界陰キャはサボり魔で不登校児でおまけにレースで走れば常にビリである。その条件を十分に満たしていた。

ふん、と鼻を鳴らしたボスの耳に、自らを呼ぶ声が届く。

 

「お………おやぶ~~ん!!たすけてぇ!!!」

「あっ!来たわね!!……あの子は?」

「つ、捕まって……これを」

 

悲しげに耳を垂れさせ、潜入して入手した五年生の出走申請のプリントをボスへ差し出す子分。

 

「………ッ!!無理しないでって、言ったのに……!!」

 

受け取ったプリントを握りしめ、ボスは帰らなかった大事な子分の犠牲に心を痛めた。

なお現在捕らわれ中の子分はチームリーダーから貰ったおやつをファーと分け合って仲良く食べている。本当に丁重に扱われていた。

 

「くそっ、自陣に逃げられたか!!」

「次は捕まえるからな!!」

「丁重に扱ってやる!!」

「ほら帰りなさいよ!!ここからもうウチの自陣だから!!」

 

指でラインを引きつつ、しっしと子分の追手を遠ざけたボスは、預かった出走申請を開く。

 

「ふんふん……フランはマイルと2000、ヴァラは1200とマイル…あれ、ファーも2000のリザーバーで登録してるじゃない?」

「うん、ファーちゃん出るのかなあ?」

「無理しない方がいいと思うけど……で、オープニングはやっぱりフラン?」

「うん、フランちゃんが立候補してたよ!!」

 

子分の報告に、ボスはにやりと笑う。

間違いなくフランが出てくると予想していたし、今その確証も得た。

 

「たぶん、立候補させられたんでしょ……あの子、優しいから」

 

ボスはフランと寝食を共にし、その実力と性格をよく知っている。恐らく懐かれているヴァラを庇ったのだろう、と推測した上で、最も警戒すべき相手への対策を伝えるべくオーダーを話し合うチームメイトの下へ向かった。

 

「ピサ先輩、みんな、ちょっといい?」

「……ボス?ちょうど良かった、オープニングのマイル……」

「はいこれ」

 

ボスが差し出したプリントを受け取ったピサは、ぽかんと口を開けてボスを眺めた。

 

「これ、マル外チームの出走申請?どこで手に入れたの?」

「私の子分が行ってくれたわ、それよりも」

 

 

 

 

 

 

 

 

「オープニング、私が出るから」



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第三十話 恐るべき怪物

府中トレセン学園前駅、一人の青年が電車から降り、改札を抜ける。

長身の、目鼻立ち整った端正な顔立ちの青年である。

特に切れ長の一見眼光鋭く見えるその眼は穏やかで理知的な光を宿し、ウマ娘好きする優しげな眼をしている。

服装は青いコーチジャケットの下に薄手のパーカーという簡素で野暮ったい出で立ちであるが、この青年が着ればどんな格好でも様になると思わせるものがあった。その肩には大きめのダッフルバッグが背負われている。

青年は友人との待ち合わせ場所に向かう最中にあり、道行く人々はその姿を見るや足を止めてほう、と息を吐いた。

先程から青年はやたら人やウマ娘に見られて困惑している。

道行く人々の中には警察ウマ娘も多く、厳重な警戒が敷かれる中を青年は歩き、目的地へ向かう。

 

「こっちだ!」

「えっ……ちょっとヴァーミリアン、あの人?」

 

目的地、待ち合わせ場所で手を振る薄い緑のサファリシャツにスカート姿の覆面ウマ娘に、青年は手を振り返す。

覆面のウマ娘の隣、ジャケットにジーンズというラフな服装の杖をついた栗毛のウマ娘が困惑げに二人を見比べる。

 

「悪い、待たせた」

「私も今来たところさ」

 

栗毛のウマ娘は、困惑の坩堝に呑まれていた。

 

(ヴァ………ヴァ……)

 

隣に立つ覆面のウマ娘は、自分と同じく競走一筋の男とは無縁のウマ娘のはずだった。

 

「ってか、お前普段からその覆面なの?外さねえの??」

「………こ、細かい事は気にするな。それよりも紹介しよう……どうした?カネヒキリ?」

 

栗毛のウマ娘、カネヒキリは何かを言おうとしては言葉にならず、ぱくぱくと口を開けては閉じる。

今日は友人を紹介したい、と言われていただけだった。

だからこそ困惑していた。

 

 

(ヴァ………ヴァーミリアンがやたら顔の良い男の人連れて来たーーーーーーーー!!!!!?)

 

 

自分と同じく、色恋とは無縁と思っていたライバルの突然の裏切りである。カネヒキリは足の怪我も忘れて地団駄を踏みたくなった。

しかも文句なしに顔の良い男である。

 

(え?え??これひょっとして私への当てつけ???いやそれよりもまだシニア級なんだから彼氏作ったらだめでしょなんなのちくしょう私にも紹介してよ)

 

青春の大半を競走に捧げたカネヒキリの心がささくれ立った。誤解である。

カネヒキリの意識がどっかに行っている間に、青年とヴァーは言葉を交わす。

 

「ところで、身体はどこか痛いとかは無いか?しばらくハードな事させてたしな」

「平気さ、あれくらいいくらでも構わない」

 

「ハード!!?いくらでも!!!?」

 

会話の中のフレーズですぐに戻ってきた。練習の事である。

 

「二週間、三人でやってたけど……来週は合同も増やしていいか?」

「そうだな、私一人だけで毎日君を独り占めするのもみんなに悪い」

 

「三人!!!?合同!!!!!?毎日!!!!!!?独り占め!!!!!!!?」

 

いつの間にか爛れていたライバルにカネヒキリは戦慄した。模擬レースと合同練習の事である。

突然叫びだすカネヒキリに、ヴァーは怪訝そうにその顔を覗く。

 

「……カネヒキリ、さっきからどうした?」

「ヴァーミリアン……いつからなの?」

「うん……?ああ、先週からだな」

 

「先週!!!!!??」

 

お互い、主語を欠いたために意味合いが違った。トレーナーの事である。

先週からの付き合いで行くところまで行ったライバルを、カネヒキリは信じられないものを見るような目で見た。

しかし気を取り直し、ライバルの肩を掴んで必死に訴える。抜け駆けされた怒りもあった。

 

「ヴァーミリアン!!もっと自分を大事にしてよ!!!そんな事しちゃダメだよ!!!!」

「……確かに、ここ二週間は厳しい毎日だったが」

「うん!!!そうだよ!!!」

 

「それでも君との約束の為だ、やめられんよ」

 

「えええええええええ!!!!私のせいなの!!!!?」

 

予想外の返答にカネヒキリは絶叫した。誤解である。

私との約束にかこつけてそんな事しないでよちくしょううらやましいとカネヒキリは叫びかけるも、約束というフレーズで思い止まり、ふと青年を見た。

 

「……あれ?すけこましのとこの、サブトレさん?」

 

気付いた。

 

一時期は豊原ともカネヒキリは組んでいたが、その手腕に反比例して評価は著しく低い。

目の前でいつも相棒とのラブコメのような関係を見せられ、二度と組みたくないと思っている。

ようやく紹介ができそうなカネヒキリに、ヴァーが青年、智哉を示して口を開く。

 

「ああ、紹介しよう。トレーナーが謹慎中の間、私の担当をしてくれている智哉だ。そして智哉、こちらがカネヒキリ……私の雷神だよ」

「よろしくな、ヴァーから話は聞いてる」

「……はい、私もヴァーミリアンから……聞いて……ンン??」

 

先程の勘違いを思い返し、主語が足りないのよちくしょうと思いつつ顔を真っ赤にしたカネヒキリだったが、別の事実に気付いた。

 

(いや!!!?全然勘違いじゃないじゃん!!!私が怪我して苦しんでる間ヴァーミリアンは突然現れたゼニヤッタさんも呼べるくらいコネがある超イケメントレーナーとくんずほぐれつ二人三脚してたんじゃんちくしょう!!!少女漫画の世界じゃん!!!ウマやふるみたいじゃん!!!私はいっっつも地方の子に喧嘩売られるわでTURFみたいな目に遭ってるのに!!!!うらやましい!!ちくしょう!!!)

 

自分が怪我している間に、ライバルが憧れの少女漫画の世界のような良い思いをしている事実に気付いたカネヒキリは叫びながら走り出したくなった。怪我の事は忘れた。

 

ウマやふるとは、現在ウマ娘の間で大人気のスポ根少女漫画である。

競走バを目指す少女が、一人のトレーナーを目指す青年と運命的な出会いを果たして二人三脚で夢を追うと言う内容で、古典的ながらも競走バや学園関係者も唸るほどのリアリティ溢れる描写で人気を博している。

作者は独房(どぼう)めじお氏。表に全く出てこない謎多き漫画家だが、一部ではとあるウマ娘名家の関係者ではないかと噂されていた。

 

一方TURFは一子相伝の古武術の使い手のウマ娘が、ライバルや家族達と激しいバトルとレースを繰り広げるリアル格闘レース漫画の金字塔と呼ばれる作品の続編である。

原作者は金剛八重垣流の現役師範であり、こちらもリアリティ溢れる描写と圧倒的な画力、そして独特な台詞回しや突然訪れる素っ頓狂な展開で一部に熱狂的な信者を集めていた。現在ハイパー・レース編が絶賛連載中である。

 

なおどちらもトレセン学園に有害図書指定されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ理事長の開会の挨拶も終わりまして……附属小学校名物、対抗戦の開幕となります!!今回も実況はこの私、赤坂美聡が担当させていただきます!解説はお馴染み、大江純香さん!大江さん、よろしくお願いします』

『よろしくお願いします。楽しみですね』

 

対抗戦の開幕を告げる実況の言葉と共に、少女達がゲートに集う。

 

『さあ今年の前期オープニングは五年生マイル!大江さん、気になる子はいますか?』

『そうですねえ、まずはチームカペラのグランプリボスちゃんですね。それとチームベガ……通称マル外チームのフランケルちゃん。彼女はすごいですよ!』

 

対抗戦のチーム名はボスが所属するカペラ、フランが所属するベガと、それぞれ一等星の名前が付けられている。

ここまでの実況と解説のやりとりは事前に打ち合わせした通りである。

参加する少女達を紹介すべく資料を集めている内にとんでもない怪物が存在する事を知り、言及しておこうと話し合っていた。

 

『と、言いますと?』

『英国からの留学生ですが……英国クラブ選手権の個人の部を七歳から無敗のまま四連覇、更にはチームでも二度栄冠に輝いていますね』

『なんと!本場の無敗ウマ娘です!これは注目しましょう!!』

 

観衆の注目を集める中、フランは髪を一本に纏め、蹄鉄を軽く叩いて静かにゲートに入る準備を整える。

注目を集める事も、マークされる事も何度も経験したその身は揺るがず、ただレースを勝つために心を落ち着ける。

落ち着き払ったフランを、ボスは腕を組み、どう攻略するか思案していた。

 

(……普通の子なら萎縮してもおかしくないけど、フランはこれくらい慣れっこよね)

 

藤花より競走を学び、自らは才能溢れるウマ娘だと確信していたボスは、この二週間で上には上がいると思い知らされた。

良いところを見せようと誘った、模擬レースですらないちょっとした駆けっこ遊び。

ただのお遊びでも理解できる才能の違いと、底の知れない怪物の存在を知った。

観戦していたノーブルがフランの後ろで一瞬顔を曇らせていたのも、気掛かりだった。

 

(フランはなんにも悪くないけど、あの子はウマ娘にとって毒よ……ノーブルの気持ちもわかるわ)

 

あの姉妹は離れて暮らしていると聞いたボスは、さもあらんと納得している。

姉妹間の問題は踏み込むべきではない。しかし、出来ることはあるだろう、と考えていた。

 

(智哉兄さんも、あの様子だと知らなそうだし……ってまだ来てないのかな)

 

フランの動揺を誘う糸口は、あの本家の青年だとボスは確信していた。

智哉への執着の強さはこの二週間で十分知っている。なんで気付かないの……と智哉にドン引きもしている。

糸口を探すべく、観客席を見る。

 

「ボスちゃーん!フランちゃーん!がんばえー!!」

「お前、昼から呑むのか……」

「がんばるのー!」

 

まず目に入ったのは、こちらへ手を振る小栗邸の一行。姉はもう出来上がっている。

メイドは「こいつが私のライバルだった女か……」と呆れ果てた。

 

「オル達も連れてきてやりたかったんだがなァ」

「ガッコーだから仕方ない(シャーネ)っしょ、アネさん」

「お前はいいのかよ……」

 

次に目に入ったのは、シスター率いるエクリプス教会御一行。この周囲はぽっかりと穴が空いたようにスペースが出来ていた。

そして、そこから目を右にずらす。

 

(いた。今ちょうど来たとこ………っぽいけど)

 

そこに糸口はいた。仲よさげな学園の先輩二人を連れて、である。

 

(ええ……ヴァーミリアン先輩とカネヒキリ先輩じゃない?智哉兄さんそれはダメでしょ……)

 

人混みの中で、杖をついて歩き難そうなカネヒキリとヴァーの前に立ち、智哉は先導してラチを目指していた。小栗家とジュドモント家の裏の事情を知るボスは「百点のエスコートだけど今それは0点よ」と頭を抱える。

これは見られたらただでは済まない。なお本人は何も知らない。

 

(陽子姉さん、気付いて………!!)

 

放っておけなくなったボスが、姉へうしろうしろとジェスチャーで示した。

出来上がった姉は心底楽しそうに同じポーズをしてみせた。肝心な時に役に立たない女である。

レース前なのになんでこんな事気にしなくちゃいけないの、と腹が立ったボスは逆転の発想へ至った。

 

(………これ、利用しちゃおう)

 

集中しているフランへ近付き、その肩をとんとんと叩く。

 

「……ボスちゃん?どうしたの?」

「フラン、智哉兄さん来たわよ」

「ホント!?どこかしら」

「ほら、あそこ」

 

巻き添えを避けるために一歩下がりつつ、智哉の方向を指差す。

フランはその指先の行方を追い、すぐに見つけた。

 

 

──人混みに押されるヴァーを、受け止める智哉を。

 

 

「っと、大丈夫か?」

「あ……あっああ!大丈夫だとも!」

「なんなのちくしょう!!」

「カネヒキリ?」

 

あちゃあとボスが眉間を揉み、おそるおそるフランの様子を伺う。

一言も喋らず、ただその方向を見つめるフランから、青い炎のようなオーラが沸き立っていた。

 

「ふ、フラン……?」

「ボスちゃん、レース……頑張りましょうね」

 

優しいフランの口から出たとは信じられない程に冷たい声に、ボスは震え上がった。

フランがボスへ振り向く。蒼く輝き、渦巻いた目を向けて。

 

「わたし、本気で走るわ……だから、ボスちゃんも」

「う、うん!!そうね!!!頑張るわ!!」

 

こくこくと何度も頷いて見せるボスが後退ったところでゲートインの合図が下され、出走する少女達がそれぞれのゲートを目指す。

ボスは逃げるようにすかさずゲートに収まった。

 

『さあ、選手達がゲートに収まりました!!』

『フランケルちゃん、気合が違いますね』

 

ゲートインが終わり、ボスはぱちんと頬を叩いて意識を切り替える。

 

(さて……あれは本気の本気で来るわね、なら……)

 

参加するウマ娘は各チーム四人ずつ、小学校におけるフルゲートでレースは行われる。

対抗戦は、チーム戦である。全員一回ずつ参加する事が義務付けられているが、それ以上の出走は状況と本人の希望に応じてオーダーが組まれる。

勝敗は着順に応じたポイントにより競われ、一着20P、二着8P、三着5P、四着3P、五着2Pがチームに加算される。これは前期グランプリ、宝塚記念の賞金額を参考に決められていた。

 

ボスはチームメイトの三人、マイルを得意とするウマ娘達へ見えるように指を一本掲げた。

 

『おっと……これは勝利宣言でしょうか!?』

『何かの作戦かもしれませんね』

 

ボスの指を見たチームメイト達が、返答とばかりにゲートの外へ手を出して振ってみせる。

合図が通じてほっと息を吐いたボスは、ゆっくりと腰を落とし、前に出した右足の爪先を真っ直ぐ前に向け、後ろに下げた左足の踵を上げる。

 

(アレ……試してみよう)

 

師である藤花より小栗流古流走法を学ぶボスは、師譲りのストライド走法の使い手である。

源平合走よりその名を残す由緒正しきウマ娘の武門には、その脚力を十全に使うための技法が多数存在していた。

 

「踵を下ろして……同時に右足を前に……その右足を……」

 

ぶつぶつと師の教えを反芻してボスが集中する中、ゲートは開いた。

 

 

『さあついにスタートです!おおっと、これは!?』

『注目の二人、素晴らしいスタートですね!』

 

 

開閉と同時に、二人のウマ娘が他とは一線を画した速度で飛び出す。

 

片や歴史を重ね、脈々と受け継がれてきた技術。

片や圧倒的な才能が齎す、そうすれば速く走れるという直感による理不尽な加速。

 

(できたっ!!トウカの膝居合!!!)

 

ボスがスタートで使った技法は、古流武術の足捌きを応用した一種の縮地法である。

前傾姿勢のまま、ウマ娘の脚力で踵を地面に押し込んだ勢いを利用して右足の膝抜きを行い、前に出した右足の二歩目でスピードに乗る。

藤花のものは膝での居合抜きと呼ばれる程の切れ味を誇り、この奥義を決死の猛特訓で流星の貴公子に盗まれてからの二人の勝負は今も伝説のレースとして語り継がれていた。ディーの瞬間移動のような加速もこの技によるものである。

なお姉も使えるが感覚派かつ体を動かすことにおいては天才肌の姉は教えるのが物凄く下手だった。「こう踏んでからガーッと行けばできるわよ」と教えられてボスは匙を投げている。

 

『これはフランケル選手が前に、その後ろへグランプリボス選手がつく形となりました。しかしフランケル選手、これはハイペースなのでは?』

『少し掛かっている気がしますね。直線が持つか心配です』

 

スタート勝負は、フランに軍配が上がった。

先頭に立ったフランは、蒼い軌跡を残しながら速度を一定に保ち、ぐんぐんと後続を引き離していく。

その後ろ姿へ、ボスは呆れた目を向ける。

 

(会心のスタート決めてこれとか、ほんと嫌になるわ………しかもこれ)

 

コーナーへ差しかかり、フランとボスの後塵を拝す他チームのウマ娘達が直線に備えてペースを上げ始め、ボスを追い抜いて行った(・・・・・・・・・・・)

 

「追いつくよー!」

「あの足は持たないでしょ!いける!」

 

ボスが中団から更に後ろにまで下がり、後ろには三人のウマ娘が続く。

 

『おっと、グランプリボス選手、ずるずると下がっていきます。ペースダウンでしょうか……?』

『………まさか、これは』

 

そして、コーナーを抜けて直線に入り、各ウマ娘がフランを捕捉すべく末脚を切ろうとしたその時──

 

 

『こ、これは……まさか!?フランケル選手……まだ速度を上げていきます!!』

 

 

──蒼い奔流が、ターフを突き抜けた。

 

(掛かってなくて、これなのよね…………ホント、ウマ娘には毒よ……コレ)

 

ボスは心底呆れ果てた顔で、遠ざかり、小さくなっていくフランを眺めながらゆっくりペースを上げ、必要最小限の速度で知らず知らずの内に掛からされていた他チームのウマ娘を抜いていく。

 

「むりー!!」

「なんで足が前に出ないの……?」

 

『今度はフランケル選手を追いかけたウマ娘が下がっていきます!!これはどういう事ですか大江さん!?』

『こんなの、なかなか見れない事ですよ……彼女のハイペースに引っ張られ、ついていった子はみんなつぶされちゃいました……いや、最後に速度を上げてますし、あの子にはハイペースでも無いのかしら……』

 

すでにゴールラインを越えたフランに追いつくように、ボス、そしてその後ろの後続三人がゴールを越える。

更に遅れて他の出走ウマ娘もゴールにようやく到着し、着順が決定した。

本気で走り、息を整えようとするフランに対し、ボスは悠々と汗を払って後続三人とハイタッチを交わす。

 

『着順が決まりました!一着フランケル!二着にグランプリボス!!更に……ああっ!?』

『どうしました?』

 

 

『これは二着から五着までチームカペラの選手です!!こんな事あるんでしょうか!?』

『ハイペースについていかなかった子達ですね……これはカペラの作戦でしょう』

 

息を整え、冷静になったフランがはっとしたようにボスを見る。

視線の先のボスはフランへ合掌し、ごめんねと小声で囁いた。

その様子に、ぷくうとフランが頬を膨らませる。

 

(ごめんねフラン、今日は敵同士だから)

 

フランは、勝利の為なら何でもありの英国クラブ選手権に出場していた身である。

これくらいの駆け引きは至極当然のように行われているし、厳しいマークに何度も晒されてきている。

更にはエースは三回走るために必要最小限のペースで勝つことも求められる。

長年慣れ親しんだチーム戦において、フランはレースには勝ったがエースとしてやってはならないミスを犯していた。

自分の胸を抑え、疲労具合を確認する。

 

(しばらく……休憩が必要ね)

 

悔しさを滲ませ、フランは拳を握る。

ボスの企みでも、ミスへの後悔でもない。智哉を見た瞬間、訳のわからない怒りに囚われた自分への悔しさだった。

それはそれとして、フランは智哉へとりあえず非難の目を送ろうと観客席を見る。

下手人は姉にジャーマンスープレックスの体勢でフォールされていた。カウントはヤッタに取られている。

それでも怒り冷めやらぬフランは、心の中で叫びを上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(トムの……おばか!!!!!!)



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閑話 黄金コンビと、謎ウマ娘

短いけど切りが良いから閑話にしますやで。


日本中央競バ会(U R A)の総本山である日本ウマ娘トレーニングセンター学園は、学院都市とも呼ばれる統括機構トレセン学院を規範として何度も増改築が行われた結果、その規模は府中市の四分の一にまで及んでいる。

附属小学校と学園の境界には共用施設として競技場が設けられ、前期後期の二度の全校生徒対抗戦はこの競技場を使って開催されていた。

 

その競技場に向けて、並木道を二人の少女が歩いている。

 

「ゴルシ、やっぱり帰らないッスか?ガッコー行かないとセンセーが怒るッスよ……」

「センセーはおこんねーだろ、いーから行こーぜ」

 

マスクを付けた目つきの悪いウマ娘の少女が、自分の手を引っ張ってのしのしと歩く芦毛のウマ娘へ不安げに訴える。

府中エクリプス教会の居候コンビ、オルフェとゴルシの二人である。

今日は金曜日、当然二人は小学校の登校日だったがゴルシの思いつきにより学校をサボって対抗戦の観戦に向かっている。

この二人、気弱なオルフェがゴルシに振り回されるのが常であったが、お互いウマが合うのかよく同行している事が多い。

言葉もたどたどしく、元気一杯ながらも小さなゴルシを見てオルフェはやれやれと息を吐いた。

 

(これで、あたいと一個しか違わないんスよね……ほんとに小さいッス)

 

初対面の際、オルフェはこの幼女ゴルシをかなり年下と思っていたが、たった一歳しか違わないと聞いて驚愕した。

彼女達の師曰く、たぶん一気に大きくなる、と言う事だった。命名と共に本格化の準備に入ったウマ娘は、急激に発育が進むケースもあるとウマ娘学会のとある博士の論文でも示されている。

 

 

「おっ、いたじゃーん。ねー!アンタ達!」

 

 

ねーちんには怒られるッスと憂鬱そうにするオルフェと、うきうきと元気よく歩くゴルシへ、どこかから声がかけられる。

 

「んー?だれだ?」

「あたい達の事ッスかね?」

 

きょろきょろと、二人は辺りを見回すもそれらしき人物も見当たらない。

 

「とー!」

 

がさがさと並木道の木々から一つの影が飛び出し、くるくると回転した後に二人の前へ降り立った。

ウマ娘らしき人影は片膝をついた所謂スーパーヒーロー着地を決めると、びしっと指を一本空に立てる。

 

「あーし、参上!!!」

 

しん、と辺りに静寂が漂った。完全に滑っている。

ゴルシは目を輝かせ、オルフェは不審者としか思えないウマ娘にしかめっ面で応対した。

オルフェが不審者と思った理由は、その出で立ちにあった。

綺羅びやかな光沢を宿す腰までの長さの銀髪に、鹿毛の尻尾。そしてメリハリのはっきりしたスタイル抜群の体型に、170を少し超えた長身。

どこかの学園の制服に紺色のベストを重ね着したその胸には、二人が見たことがないどこかの学園の校章が輝き、スカートは校則違反間違いなしなくらいに短い。こういうのは確かギャルってヤツッスとオルフェは考えた。

下から上まで見た時に、目立つのは左耳に付けられたピンクの星のポイントがついた水色の耳飾りと、その顔を覆うどこかの縁日で適当に買ったような仮面ボーイのお面だった。

このお面を付けたウマ娘が目の前に飛び降りてきてポーズを決めたのである。不審者以外の何者でもない。

 

その不審者は滑ったことも全く気にせず、屈み込んで二人に声をかけた。

 

ちっちゃいゴルシちゃんかわいい……おほん、アンタ達さー、小学校のタイコーセン?っての見に行くんでしょ?」

「そ、そうッスけど……」

「あーしも行くんだけど、案内してくんない?このガッコー広くてさー、あーし土地勘無いし困ってんの」

「それよりねーちゃん、さっきのどうやったんだ?」

「おっ?教えたげっから案内よろしくゥ!!」

「おっけー!いえーい!!」

 

意気投合したとばかりにノリノリでハイタッチを決める謎ウマ娘とゴルシに、あたいは嫌なんスけどと言いたげにオルフェはため息をつく。

こうなったゴルシは連れて行くと言って聞かないだろうし、この謎ウマ娘はかなり押しが強そうである。

オルフェは諦めて、謎ウマ娘を見た。

 

「……連れてくッス、えーと、あたいは」

「オルフェちゃんとゴルシちゃんっしょ?知ってる知ってる」

「アタシら、じこしょーかいしたっけか?」

 

まるで会ったことがあるように、気安く名前を呼ぶ謎ウマ娘にゴルシが首を傾げる。

やらかしたとばかりに、謎ウマ娘はしどろもどろに口を動かす。

 

「アッ、うん、言ってた言ってた!!!」

「ほんとかー?まあいっか!ねーちゃんはなんてーの?」

「あーしは、うーん……そーだ、ナスニエル!ナスって呼んでいーよ」

「ナス?やさいみてーななまえだなー」

「でしょー?じゃー案内よろしくゥ!」

 

明らかに偽名と言った雰囲気でナスと名乗ったウマ娘とゴルシは手を繋ぎ、ぶんぶんと元気よく振り回しながら歩く。

その後ろへオルフェは続き、ふと思った事を口に出した。

 

「そのお面、なんで付けてるんスか?」

「ちーっと顔出すと困るジジョーがあんのよこれが。あーしも外したいけど知ってる人に見られるとねー」

「知ってる人?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、あーしが大好きなおば様と、大っ嫌いなオジさん」



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閑話 来賓の皆様と、陰キャの潜入

というわけで閑話もう一回入れるやで。ここから交互にレースパートと書いてくやで。
やっとカナちゃんターン書けるやで……。


トレセン学園競技場を見渡せる観覧席から、オープニングレースを見届けた来賓の歓声が上がる。

来賓は理事長を含め数名と小規模だったが、その顔ぶれは多彩である。

その中の一人、アイルランドの公女殿下が隣のギザ歯のウマ娘の袖を引っ張りながらはしゃぐ。

 

「見てましたか!?シャカール!!」

「見てッから引っ張ンなよ……あの子だな、間違いねェ」

「ねえ、やっぱりあの子ですよね!!伯母様!!」

 

およそ五年前、二人が英国訪問の際に見た選抜戦の奇跡の全員抜き。

その奇跡を起こした少女が日本のトレセン学園附属小学校に入学している事に、シャカールは目敏く気付いていた。

 

「英国クラブ選手権四連覇……公式、非公式問わず無敗でついた異名が怪物令嬢フランケル・シュタイン。なんで日本にいるかはわかんねェけど……このまま学園入りするならとんでもねェ事になるな」

 

 

「──いや、それは無いよ。シャカール君」

 

 

シャカールの言葉を否定しながら紅茶に口を付ける公女の伯母、先代アイルランド大公デインヒル。この場へは先代アイルランド大公としての公的な立場で訪問している。SP達は仕事が増えて泣いた。

その隣には居心地悪そうに、マスクとサングラスを付けたニートが座っていた。

 

「ディーン博士……っと、今は陛下とお呼びすればいいか……いいですかね?」

「いつも通りでいいよ、シャカール君。私はもう退位してるからね、在位期間10秒だから、私」

 

敬語を使おうとするシャカールをくくく、と笑いながらデインヒルは窘めた。

なお普段の胡散臭さはなりを潜めていた。かわいい姪の前ではかっこつけたがりの伯母である。この辺りはどこぞの生徒会長とよく似ていた。

伯母の言葉に、公女殿下は首を傾げる。

 

「伯母様、あの子の事はご存知でした?」

「ああ、あの子が小さい頃にちょっとカウンセリングの真似事をね。それからの付き合いかな」

 

かつてフランが六歳の頃、心を病んだ際に診察を行ったのは他ならぬデインヒルである。

ジュドモント当主の依頼によるフランの診察の際に、彼女のトラウマの深層にあるものを突き止めたデインヒルは静養を勧め、その後とある邸宅へフランが赴く形となった。

敬愛する伯母の返答に、公女殿下はジト目を向ける。

 

「伯母様、知ってるなら教えて下さい!もう!!」

「はは、ごめんごめん。ピルサドスキーとは会わせる機会があったんだけどね…話を戻そうか」

 

もう一度紅茶を傾けた後に、デインヒルは語る。

 

「あの子はね、英国で学院に入るのは間違いないよ。ここにいるのはあの子の個人的な理由さ」

「理由ッつーのは?」

「簡潔に言うと、意中の相手がここにいるから」

 

意中の相手という言葉にパンと手を叩き、興味津々に公女殿下が口を挟む。

 

「まあ!あの殿方かしら!!」

「アー……あのゴールに乱入したヤツか。ファインのラーメン食いに来てたなァ」

 

シャカールは五年前、公女殿下のアスコットレース場での突発ラーメン屋台にて店員を買って出ていた。

その中で、ゴールに乱入していた少年が普通に注文に現れて二度見している。忙しすぎて呼び止めることはできなかった。

なお少年の付き添い達は見ていない。一人でウマ娘サイズ三人前を器用に運ぶ少年に更に二度見している。

そんな事があったとは知らなかった公女殿下は、頬を膨らませて隣の親友を見た。

 

「………シャカール〜?私は初耳だよ?」

「……お前はそんなヒマ無かっただろうが。どんだけ客来てたと思ってンだよ」

「後で話してくれてもいいじゃない。もう知らない!」

 

ぷい、とそっぽを向いて拗ねてみせる腐れ縁と言うには長い付き合いの友人に、シャカールはやれやれとため息をつく。

 

(めんどくせェ……拗ねやがった。ッてか、間近で来季の新入生のレースを見て記事仕上げるつもりだったのに、何でこんなトコでレース見る事になってンだよ)

 

彼女、エアシャカールは現在、ウマ娘学において日本の最高学府であるトレセン学園附属大学で大学院生の身である。

自身の学位取得を目指した研究の合間に現役時代の伝手により競バ誌に自身のコーナーを受け持ち、鋭い観察眼によるレース展望や期待のウマ娘の注目記事は好評を博している。

今日はその為に来季の新入生の対抗戦を見に来たはずだった。

 

(一緒に観ようって誘われるのは別にいいンだけどよォ……何で観覧席でディーン博士と一緒なンだよ。契約切れるタイミングで絶対ハメる気だろ、コイツ……)

 

シャカールにはもう一つ、肩書きがあった。

アイルランド公女殿下付の侍女である。いつの間にかそうなっていた。

きっかけはアイルランド公国での、大公夫妻とのプライベートな挨拶の際に「娘をよろしく」と言われ了承した事である。

完全に型に嵌められていた。翌年には公女殿下の専属トレーナーが突然アイルランド旅行に行って一年ほど帰ってこなかった。

アイツ、覚悟を決めたんだな……と思っていたらほうほうの体で帰ってきた。

そして契約と共に、いつも通りの友人付き合いをしているだけで莫大な給金が入ってくるのにシャカールは戦慄した。研究費として有意義に使わせてもらっており、後に返すつもりである。名ウマ娘のシャカールは金銭には困っていない。

侍女としての契約は、五年契約となっていた。つまり今年で切れる予定である。

そのタイミングで、研究者として尊敬しているデインヒルが目の前にいる。完全に友人は嵌めるつもりだとシャカールは確信している。

 

「相変わらず、仲が良いね」

 

拗ねる姪とそれを見て頭を掻くシャカールに、デインヒルは微笑む。

 

「ディーン博士ェ……コイツすぐ拗ねンのって昔からか?」

「そうだね、ピルサドスキーと喧嘩してはよく拗ねて困らせていたよ」

「もう!伯母様まで!」

 

にこにこと笑うデインヒルが、姪に目を向けてから、シャカールの顔を正面に捉えた。

 

「でもね……拗ねるのは気を許した相手だけだよ。だからね、シャカール君」

 

ついに来た、とシャカールは身構えた。

この後の言葉が読めたからである。どう返すかも既に決めている。

 

「これからも、ファインと仲良くしてあげてほしい」

 

真剣な目で、デインヒルはシャカールを見つめた。

予想通りである。この場で言質をとるつもりだとシャカールは予測していた。

拗ねていたはずが固唾を飲んで様子を伺う公女殿下に目をやり、シャカールは頭を掻いて答えた。

 

「ファイン、侍女契約の延長はしねェからな」

 

「……どうして?シャカール」

 

「わかんねェか?お前とは長い付き合いのハズだけどなァ?」

 

ぎしりと凶悪な笑みを浮かべ、シャカールは答えた。

 

 

「──ダチだからだよ。そんなモン無くても」

 

 

最初から、そんな肩書きは必要なかった。ただそれだけを、親友へ伝えたかった。

今度は途端に恥ずかしくなったシャカールがそっぽを向く。耳が赤く染まっていた。

この親友の姿に公女殿下は感激で涙を溜め、デインヒルはにこりと微笑む。

 

「ほら、言っただろう?ファイン」

「ええ……!ええ……!!伯母様!」

「……やっぱりグルだったのかよ」

「ごめんね、シャカール君。私は一応反対したんだけどね?」

 

そっぽを向いたままのシャカールへ、デインヒルが詫びる。

デインヒルは親友の侍女契約を延長するために協力して欲しいという姪のおねだりの為に、わざわざ来賓としてここに来ていたのである。

しかし必要ないとも確信していた。そんな肩書きが無くてもこの二人は強い絆で結ばれている。

感極まった公女殿下が、シャカールに腕を巻きつける。

 

「ねえシャカール!もう一回!もう一回言って?」

「ンな恥ずかしい事二度も言わせンな!離れろよ!!」

 

この大事な親友は、例え肩書きが無くても一緒にいてくれる。ずっと親友でいてくれる。

喜びを込めて、公女殿下は親友の腕に顔を押し付けた。

 

その時である。

 

「スヤァ………」

 

天井から昇天したオタクが落ちてきた。台無しである。

どうしてもこの光景が見たくて天井裏に忍び込んでいた。しかし過剰な尊み摂取により死んだ。台無しである。

 

「デジタルゥ!?どっから出てくンだよ!?」

「あー……SP君、つまみだしといて」

 

学園にも講義の為に頻繁に来ているデインヒルにとってもお馴染みの光景に、呆れつつもSPに指示を出す。

なおニートはここまでの流れで一言も発していない。先程からシャカールに「どっかで見たことある」と言った視線を向けられて黙り込んでいた。

 

この様子を、離れた位置で眺める二人がいた。

 

「成程……殿下のおねだりだった訳かい」

 

高級な背広姿の、髪を後ろに撫でつけ、勝負師然としたギラギラとした眼光の壮年の男。

 

「納得ッ!彼女が来賓で来るとは珍しいからなッ!」

 

言葉通り、「納得」と書かれた扇子を広げてみせるトレセン学園理事長、秋川やよい。

二人も対抗戦の来賓であり、先程のオープニングレースの少女の素性を知るために壮年の男は静かに聞き耳を立てていた。

彼は速いウマ娘に目がなく、彼女達に十分な援助をする事を至上の喜びとしている人物である。

男がずるりとだらしなく椅子からずれ落ち、心底残念そうな声を上げる。

 

「学園入りはしないのかい、残念だねえこりゃ」

「最初からそういう話だと言っただろうッ!勝生殿ッ!」

 

男の名は社勝生と言い、日本の社グループの総裁の弟であり、学園が誇る大チーム「チーム・ノーザン」のオーナーを務める人物である。かつては日本が誇る英雄もこのチームに所属していた。

その影響力は学園だけに留まらず政財界に強い影響力を持ち、世界においても日本にヤシロの三兄弟ありと呼ばれる人物だった。

しかしウマ娘狂いの一面もあった。これは兄弟全員が共通している。

諦めきれない勝生氏が、秋川理事長へ希望を込めて問う。

 

「ジュドモントの娘さんって言うのも知ってるけど……知ってるけどなんとかならん?やよいちゃん」

「無理ッ!ジュドモントと喧嘩はしたくないッ!彼にも借りがありすぎるからなッ!!」

「……そうかぁ……惜しいなぁ。彼?さっきの話の?」

 

「不可能」と書かれた扇子を広げ、理事長が懇願を跳ね除ける。

しかし勝生氏の興味はすぐに別のことに移っていた。先程デインヒルの話にもあった人物が気になっていた。

 

「説明ッ!現在サブトレとして学園で活動している青年がいるッ!統括機構の首席の優秀な青年だッ!」

「ほう!首席とな?」

「うむッ!そちらでアポを取った彼女の代の首席だッ!」

「ほう!?ほう……ふんふん、その彼、面談できる?」

 

現在、勝生氏はとある一大事業のアドバイザーとして英国のとあるチームと出向人員について交渉中である。

その一大事業にはチームのトップトレーナーも参加する予定で、他にもウマ娘の造詣深い人材を求めていた。

 

「七月で豊原との契約が切れるからその後なら可能ッ!……例の件か?」

「そうそう、やっぱり少しでも良い施設にしたいじゃない?」

「了解ッ!彼にも良い話だと思うッ!」

 

余計なお世話である。件の人物は英国から来るアドバイザーの名前を知れば全力で逃げ出す。

しかしそんな事は知らない二人は、良い話だと頷いた。

話がまとまった勝生氏は、続けて外の様子を眺めながら理事長へ気掛かりを告げる。

 

「しかしねえ、延期もなしに思い切った事するね、やよいちゃん?」

「問題無いッ!警備は社グループの保安部も出してもらっているッ!万全ッ!」

 

「余裕」と書かれた扇子をぱっと広げ、自信満々にドヤ顔で理事長は笑う。

今回の対抗戦については、カルトの暗躍についての危惧により延期の案も出ていたが、理事長はテロには屈せずの精神で強行している。

万全の警備体制に、観客席にも何人も警備や協力者のウマ娘達もいる。何も問題は無いと確信していた。

 

「いや、でも……たづな君もいないしさ、どうせシスターちゃんになんか言われたでしょ?」

 

理事長のこの決心の裏には、とあるシスターのアドバイスがあった。

 

『ヤヨイ……ここでヒヨったらアイツらの思う壺だぜ?よく考えろよ?」

『し、しかしッ……子供達を危険に晒すのは……』

『その為に俺様がいるんじゃねぇか。決心しろ!今は気性難が笑う時代なんだ!!』

 

こうして、理事長は万全の体制の元で対抗戦を開催にするに至った。

テロに屈せずの意思表示ができてちょっと気持ちよくもなっている。

高笑いと共に、「無敵」と書かれた扇子を理事長は広げた。

 

 

「心配無しッ!不審者は人っ子一人入れんともッ!姿を消せるかッ!空からでも無ければなッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

トレセン学園附属小学校、一階の窓から、一人の少女が侵入する。

その手法は昨日仕込んでおいた紐を引っ張り、ロックを外していた。空き巣同然の所業である。

 

(さて、入れましたけど……予定通り誰もいませんね、へへへ……)

 

にちゃあ、と笑いながら少女は余裕綽々で廊下を歩く。

彼女はある物の回収のために対抗戦をサボったダメ陰キャである。というかカナだった。

 

(職員室のババアの席に向かいましょう。たぶんそこです。あの陽キャがいなくて困りましたけど……)

 

カナは本来、最近知り合った陽キャも巻き込むつもりだった。

しかし陽キャはいつもの場所で張り込んでも現れなかった。代わりにやけに顔の良い青年が通りがかった為にカナは灰になりかけた。

 

(あのイケメン、競走バを二人も侍らせてたしスーパーリア充です。危なかった……)

 

先程の光り輝くリア充達を思い出してカナはぶるっ、と震える。

なお探していた陽キャである。

 

そうこうしている内に、目的地についたカナは職員室の扉を開き、教頭の机を漁る。

カメラは、すぐに見つかった。

 

(あったあった!これでカレン先輩を撮れますね………あれ?)

 

喜び勇んでカメラを取り出したカナが、違和感を覚えた。

 

(カメラ……綺麗になってます)

 

カナは、写真に関しては初心者である。ピントを合わせるのにも苦労するし手入れの仕方もよく知らない。

愛用のカメラも自己流で手入れをしているだけだった。

そのカメラが、自分の物では無いと思う程に丁寧に手入れを施されている。

首を傾げるカナだったが、教頭の机の中のとあるファイルが目に付いた。

見たことのある物を見つけ、開いてみる。

 

(あ……これ……)

 

去年の対抗戦で総合優勝を果たし、集合写真の中で輝く笑顔で浮かべるカワイイ芦毛のウマ娘。

盗撮を始めたきっかけ、去年掲示されていたのを見て以来、こんな先輩が撮りたいと思わされた一枚が何故かここにある。

答えは、ただ一つだった。

 

(……あの、ババアが撮ったんです?まさか……)

 

いつも小言を言われ、口うるさいだけだと思っていた教頭の意外な一面。

訳がわからなくなった時、職員室の扉が開いた。

慌てて机の下に隠れる。

 

どかどかと、慌ただしい複数の足音が職員室の中央で止まる。

 

「ここよ」

「早く回収しろよォ」

「了解」

 

がさがさと何かを漁る音が響く。

そこへ、廊下から足音を響かせ、もう一人近付く気配があった。

 

「誰か来た。迷彩」

「ンだよ、メンドクセー」

「早く!」

 

ブゥンと機械音が鳴り、同時に扉が開いた。

 

「誰!?」

 

最初に入った人物が、誰何の声を上げ、もう一人の人物が答える。

 

 

 

 

 

 

 

「捜し物は、これかしら……?デイソン先生」



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第三十一話 アフリカのウマ娘大国

グエー仕事忙しいンゴ……。
ヴァラちゃんの掘り下げしてたらレースで二話使いそうやで……。


南アフリカ共和国はアフリカ大陸におけるウマ娘の大国であり、国際的なレース格付けにおいても国際ウマ娘名簿基準委員会(I U S C)によりパート1国として認定されている。これは英国やフランス、更にアメリカ、日本とも同格という格付けである。

アフリカ大陸にその名を轟かせるレースの最先端であり、各地のウマ娘部族や欧州から入植した白系ウマ娘達は南アフリカ最大のレース、ダーバンジュライで走ろうと夢を抱き、集う。

 

ジュニア及びクラシック路線は各地で体系化され、便宜上として中央州、西ケープ、東ケープ、ナタールの四地区に分けられ、ティアラ、マイル、スプリント路線は各地域毎で競争体系を構築し、円滑な運営が行われている。

 

運営に関しては全国ウマ娘機構(N U A)が全体を統括し、レース運営企業のヒューメレラ社とゴールドサークル社の両社によりレース場は経営され、企業系列の学校法人として二つのトレセン校と付随するレーシング・プライマリスクールが設置されていた。

 

その二つのトレセン校の片割れである、大航海時代の偉ウマ娘ヴァスコ・ダ・ウマが発見した欧印航路の橋頭堡として開発された港湾都市ケープタウンのゴールドサークル・トレーニングスクール理事長室に、二人の人物が訪れている。

 

「理事長……娘の転校届にサインしたのはあなたですね?」

 

怒りを抑え、目の前のウマ娘に落ち着いて語りかける一人の男。

彼はウマ娘部族の民芸品や家具を取り扱う南アフリカの家具メーカーの社長であり、飛行機で11時間かけて頻繁に欧州支社と南アフリカを往復し、経済誌ではアフリカで最も飛行機に乗っている男とも紹介されたことがあった。トレセン校においても有力な出資者である。

今回の理事長室への訪問は、彼が家を空けていた間に起きた愛娘の留学についての話だった。

 

「あなた、落ち着いて。あの子の渡航の手配をしたのは私」

 

男の傍らに立つ妻は、長身に褐色の美しいウマ娘だった。

夫に内緒で娘の留学を手配したのは彼女である。

内心の焦燥を察した妻に、男は顔を歪ませて泣きそうな顔で叫ぶ。

 

「それは知っているし、欧州なら私も許可したとも……でも大人しいあの子があの国へ留学は無理だろう!?あの国だよ!!?」

「ええ、あの国ね」

「あの子に気性難が感染ったらどうするんだ!?私のかわいいヴァラが凶暴になるなんてイヤだ!!!」

 

男の焦燥の理由は愛娘の留学先にあった。

筋金入りの気性難が幅を利かせる極東の島国。恐ろしいサムライウマ娘と、アメリカ屈指の超気性難の国。

そんな国へかわいい愛娘を向かわせる愛する妻の神経も疑っている。

なお同じやりとりが英国のとある名家でも起きていた。父は孤独である。

頭を抱え、今にも男が暴れ出しそうなタイミングで、二人の前に座るウマ娘理事長はようやく口を開いた。

 

「まあ落ち着きナサーイ、ミスター」

 

片言の英語に、褐色の肌にアロハシャツを着こなしたファンキーな風貌の名物理事長。

このような胡散臭い風貌の彼女だが南アフリカ競バ界における重鎮であり、かつてはゴールデンマイル三冠の栄光の後に渡米し、エクリプス賞にも選出された伝説のウマ娘である。

 

「ヴァラちゃんならキット、ダイジョーブ。啓示がありましたカラ」

「啓示……?」

「我が部族のシャーマンの占いによれば、サムライの国であの子は大きく成長できるとアリマシタ……キット、ストロングなウマ娘になって帰ってキマース!」

 

アフリカンウマ娘の部族には明日の天気からウマ娘の行く末まで多くの事象を占う、古くより伝わる呪いが存在する。なおレースの展開を占う事は神の天罰が下ると堅く禁じられている。

この占いにより、ヴァラの留学先は日本に決まっていた。

 

「シャーマニズムは信じていませんが……理事長、あの子が競走バになるのは私は反対です。あの子は大人しすぎる」

 

もう一つの懸念を、男は述べた。

ヴァラは母譲りの恵まれた体格と容貌に似合わず、大人しい少女である。

娘を愛するが故、例え才能があっても今のままでは過酷なレースの世界には行ってほしくないと考え、トレセン校入学までに性格に改善が見られなければ入学を認めない、とまで娘に伝えている。泣かれそうになって数週間落ち込んだ。

この父の愛情を、理事長は笑い飛ばす。

 

「HAHAHA!!それこそダイジョーブデース!あの子はわかりにくいデスが……強いスピリッツを持っていますよ、ミスター」

 

胡散臭い風貌の理事長が、不意に優しげに微笑んだ後、窓の外を眺める。

視線の先では、白系ウマ娘と部族ウマ娘の生徒達が仲良く練習をしていた。

 

「それにね、あの子は現状を変えてくれると私は信じています」

「現状とは?」

「我が校は改善の兆しがありますが……古くより続く対立問題を、あの子はきっと変えてくれるような気がするんですよ。ヒューメレラのナット生徒会長も、同じ想いです」

 

かねてより、二つのトレセン校は片や白系ウマ娘が仕切り、片や部族ウマ娘が根城としての深い対立が存在する。

同じウマ娘同士がいがみあい、レースでも敵意剥き出しにして争い合う。この悲しい現状を打開すべく理事長と生徒会長は尽力していた。

そのきっかけとして、理事長はヴァラの才能とその出自に大きく期待している。

 

「あの子は、白系ウマ娘の母を持つあなたと、部族ウマ娘である奥様の間に生まれた子です。きっと、分かたれた二つの間を取り持つウマ娘になれる……全部をあの子に背負わせる気はありませんが、ね」

「だからこそ……私は反対しているんですよ。あの子は、どちらの生徒にも受け入れてもらえないかもしれない」

 

強い意思を込めた父の眼に、理事長は頷いて応えた。

 

「そうですね……ですから、今回の留学なんです」

「……サインした理由を、聞いていませんでしたね」

「答えましょう……占いには、こうありました」

 

 

 

 

 

「アフリカの明星は、遠いサムライの国で──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

「タール!ナイスランだったぞ!!」

「で、でもオイラ、一着にならないと……」

「気にするな!まだ巻き返せる!!」

 

ダートの部で三着と好走したタールが息を切らせながら、チームリーダーのねぎらいに落ち込んだ様子を見せる。

全校生徒対抗戦は中盤を迎え、じわじわとチームカペラがその差を広げつつあった。

 

「そうだぞタール、良いレースだった。よそ見癖も改善しているな」

「ファーちゃん、ありがと……おやつ食べ過ぎじゃない?」

「すまない、何故かみんな分けてくれるんだ。すまない」

 

リザーバーの身であるファーが、呑気に野菜スティックをかじりながらタールに近付く。

そして一本のニンジンを掲げて、タールに示してみせた。

 

「いいか、タール?私達のチームは現在三位、タールの三着で一位のカペラに届く圏内をまだ保てている」

「いや、ファーちゃん……40P差だよ?一着二連続で取って向こうはポイント無しじゃないと届かないよ」

 

タールが、競技場の掲示板に目をやる。

現在チームベガは209P、対する一位のカペラは249Pである。

ファーはきょとんとした後に、ふんすと鼻息荒くニンジンを振り回してタールに語る。

 

「……簡単だろう?取れば良い。壁を作って向こうの有力ウマ娘を抑えて、ペースメーカーを上手く使えば問題ない」

「…………あの、ファーちゃん?わざとブロックしちゃダメだからね?」

 

信じられないタールの返答に、ニンジンが地面に落ちた。

 

「………ダメなのか?」

「ダメだよ?少なくとも小学校では禁止されてるからね?」

「じゃ、じゃあ……マイルはフランケルに任せれば」

「フランちゃん、ずっとあの様子だよ?」

 

タールが件のウマ娘、オープニングで味方もまとめてつぶしたフランへ目を向ける。

 

「もらったご祝儀の中身が図書券だった感じなのよ!トムのおばか!!きらい!!!」

「意味わかんねえ…どこで覚えてきたんだよそんな言葉……」

「サリーから教えてもらったわ!!おばか!!!」

 

頼みのマイルのエースは、身内らしき観客の青年にぷんすこと怒っていた。まるで契約で揉めるプロ競走バのような物言いである。

余裕ぶっこいていた理由が論破され、ファーの手がわなわなと震える。

 

「……まさか、ウチのチームは負けそうなのか?フランケルがいて、か?」

「チーム戦だからね、フランちゃんがあと二回走ったとしてもボスちゃんが必ず出てくるだろうし……絶対二着狙いで来ると思うよ」

 

タールがため息をついた後ろから、大きな人影が近付いてフランを持ち上げた。

 

「ふえっ!?……ヴァラちゃん?」

「フランちゃん、落ち着いて」

 

大きな人影、ヴァラはぼそりとフランに耳打ちし、優しく抱きしめる。

毒気を抜かれたフランは、いつもと様子が違うヴァラを不思議そうに見つめる。

 

「ヴァラちゃん、どうしたの?」

「フランちゃん、いつも庇ってくれてありがとう」

「ううん、お友達だから当たり前なのよ、ヴァラちゃん」

 

ヴァラはその大人しい性格とは裏腹に、南アフリカの伝説のウマ娘からもその才能を嘱望されるウマ娘である。

恵まれた才能が、強大な力を秘めたウマソウルが、強く心に訴えてきていた。

 

『お前の友は走ったぞ。お前はこのままでいいのか?』と。

 

大人しく、臆病なヴァラはその心の奥底からの声に耳を背け続けていた。

しかし、遠い異国で得た友のためなら、怖くはなかった。

 

「次は五年生ターフ1200mだ!我こそはという者はいないか!?」

「はーい!行きまーす!!」

「良い返事だエリンコート!他には!!」

 

フランを抱いたまま、ヴァラはチームリーダーへ近づいて手を上げた。

 

「おお!?ついに走ってくれるか!!頼んだぞ!!」

「がんばります」

「お……おお、君、随分声が小さいな」

 

イメージとは違うヴァラの返事に呆気にとられたチームリーダーを他所に、ヴァラはフランを降ろして微笑む。

 

「見ててね、フランちゃん」

 

はっきりと、周囲にも聞こえる声だった。

フランが返事をする間もなく、ゲートへヴァラは向かう。

 

「エリーちゃん」

「ヴァラちゃん、がんばろうね!」

「うん……作戦があるの、聞いてくれる?」

 

途中でチームメイトのエリーに近付き、軽く耳打ちする。

ぴくぴくと耳を動かしながらヴァラの作戦を聞いたエリーは、作戦と言うべきかもわからない提案に首を傾げた。

 

「えっ?それだけでいいの?」

 

 

「ダイジョーブ、ワタシが全部、お膳立てシマース」

 

 

間の抜けた片言の日本語で返事をしながら、ヴァラは歯を見せて笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

観客席前列で、ようやく落ち着いたフランを見て智哉は安堵のため息をこぼす。

 

「やっと落ち着いたか……レース中にああなるなんてフランらしくねえな」

「原因あんた……まあいいわ」

「……私が原因だろうか?」

「ヴァーちゃんは全く気にしなくていいから、悪いのはこのバカ」

 

弟の隣に陣取る姉が、呆れつつもヴァーの危惧にフォローを入れる。

なお既にシラフに戻っている。やらかした弟を放っておけない姉である。

混み合っている観客席最前列だったが、一行の周囲はぽっかりと大きくスペースが開けていた。

その理由は、一行が合流したとある一団によるものである。

 

「まぁいいじゃねぇか!フラン嬢ちゃんのいるチームには良いハンデだ」

「あの子真剣半端ない(マジパネー)ッスね!オルにも見せてやりてーなァオイ!!」

「試合も面白い展開だしなァ!アネさん!」

 

合流したのはエクリプス教会御一行だった。気性難の群れに近付く人間などいない。

一人を除いて、である。

 

「さっき来たばっかなんですけど、俺あっちで見たいなあ……」

「アア!?テメーアネさんと一緒に観戦できねェってか?」

 

遅刻して妹の出走を見逃したためにお話が確定している川添トレーナーは、シスターと目を合わせた途端に一行に引き込まれていた。哀れである。

 

「おい、あれ川添トレーナーだよな?」

「やっぱり気性難ウマ娘が……」

「気性難マスター川添……流石だな、今度ウチの子も任せるか」

 

周辺のトレーナーや関係者からは、堂々と気性難の群れに混ざる彼の度胸に賞賛の声が上がっている。誤解である。

姉が、良い事を思いついたと弟と川添を見てにやりと笑う。

 

「そーだ、現役トレーナー二人いるんだしさー、ちょっと解説してみてよ」

「お!いいねぇ!ケン坊とあんちゃんの見立て、聞かせてもらおうじゃねぇか」

 

姉の提案にシスターも乗り、智哉と川添は目を合わせる。

 

「んー……そうだな、ケンジさんはどうっすか?」

「気が紛れるし……やってみようか、俺はあの子かな」

 

川添が、一際大きな褐色のウマ娘を指差す。

それを見て、智哉は頷いた。

 

「ああ、やっぱりあの子っすよね。アフリカウマ娘であの体格はよく走ると思う」

「あれ?知ってるの?」

「身内の友達なんすよ。南アフリカから来たとか」

「へえ……アフリカ唯一のパート1国の留学生、か」

 

二人の会話に、ヴァーが手を上げた。

 

「失礼、勉強不足で申し訳ないが……アフリカウマ娘とは、どのようなウマ娘なのだろうか?」

 

ヴァーは大学で将来の為にトレーナー学を学ぶ身である。

主に学んでいる幼いウマ娘への競走指導法と、育成方針の為にも海外のウマ娘の特徴に興味を持っている。

このヴァーの問いに、川添は答える。

 

「歴史から説明すると長い話になるかな……要約すると、国策で今は短距離からマイル、それと2200mに力を入れてる」

「2200m?非根幹距離だが……?」

「ダーバンジュライってレースがあってね、こっちで言うグランプリみたいなものなんだけど、それが2200mなんだよ。だからみんなダーバンジュライで勝つ為のトレーニングを積んでる、あとは……」

 

川添の話を継いで、智哉が答えた。

 

「大まかに、二つのタイプがある」

「タイプ、か?」

「ああ……これも歴史の話になるんだけどな。恵まれた体格と競走本能を持った現地の部族ウマ娘と、洗練された走法と戦略を持った入植者の子孫の白系ウマ娘がいる。双方は仲が悪かったりするんだけど……そこは後で調べてみてくれ」

「わかった。それで彼女は見る限り部族ウマ娘になるのか?」

「うーん、そこなんだよな。正直わかんねえ」

 

頭を掻く智哉を見て、ヴァーの後ろで聞いていたカネヒキリが口を挟む。

 

「何がわからないの?」

「身内……フランから聞く話だと、かなり大人しい子っぽいんだよ。部族ウマ娘にも色々いるんだろうけど……いや、まさか、そうなのか?」

 

顎に手を置き、一人で何やら考え出した智哉へ姉が不満げに声を上げた。

 

「何一人で納得してんのよ?解説しな」

「姉貴、これは解説抜きで観た方が面白いぜ。絶対にな」

「なによそれ」

 

 

 

 

 

「さっき言った二つのタイプ、両方持ってるかもしれねえって事だよ」




部族ウマ娘と白系ウマ娘はアーシアンとスペーシアンくらい仲悪いやで。


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第三十二話 アフリカの明星

『さあ続いて五年生1200m!大江さん、スプリントとなりますが注目のウマ娘はいますか?』

『カペラの出走ウマ娘三人、それに……ベガのエリンコートちゃんと逸材揃いですが……私はヴァラエティクラブちゃんが良いと思いますよ!』

『確かに一際異彩を放つ子ですね!注目しましょう!!』

 

大柄で一際目立つヴァラが注目を集め、腰に手を当てふんぞり返りながら悠然とゲートへ向かう。

なお注目を集めた為に緊張しているだけである。走ることは決めたが根本的には変わっていない。

そのヴァラの様子を見る、カペラの三人娘。

 

「ついに出てきよったな、この時の為に全部登録しといてよかったで」

 

楽しげに口元に弧を描く、五年生クラスの関西弁ウマ娘のヒット。

彼女は以前から目を付けたヴァラの動向を伺い、手を挙げた瞬間に自分も同レースの枠に滑り込んでいた。

 

「ヒットちゃん、どっちにせよ全部走る気だったよね!」

「レース大好きだもんねえ」

 

そしてセットでいることが多いホエとテックも付き添いで参加していた。

二人とも有力ウマ娘の為にチームリーダーのピサはやや難色を示したが、ここが引き離す勝負所と見定め、出走を認めている。

 

「でもいいの〜?フランちゃんと走るんじゃなくて」

「アホ言えや、フランにはボスを被せるって決まりやし、いつでも走ってくれるやん。あいつはワイらの勝負横で見とるだけやし一回走ってみたいやん?」

「フランちゃん、いつも付き合ってくれて感謝だねえ」

「せやせや、ホンマええ子やで。アドバイスもくれるしなあ」

 

フランとヒットの勝負は定期的に行われ、恒例となりつつあった。

独り占めしたいヒットがこっそりと紙飛行機をフランの席に飛ばし、それを合図に夕方に練習場に集う。

ボスやホエもたまに参加しており、シオンも何故か遠巻きにしつつも毎回観戦に来ている。

走った後はフランを中心にああだこうだと反省会を始め、談笑してからみんなで帰る流れが出来ていた。

ヴァラへの誤解も既に解けている。「なんや自分!そのナリで内気なんかい!?」とヒットは切れ味鋭いツッコミを入れた。

 

「ワイの勘やけど、あいつはかなりやるハズやで。この状況で手を抜くハズあらへんし」

「で、どうするのー?」

「テックとワイはあいつの後ろで控えるで。ホエは外や」

「なんでー!?」

「自分の枠は外やろがい!内は混むやろから一人か二人は外におるのがチーム戦のセオリーやって言うたやん!!ほらもう行けや」

「ぶー!!」

 

ヒットがしっしと追い払うように手を振り、もちもちのほっぺを膨らませたホエが自分の枠に向かう。

ホエがゲートに入るのを見届けた後、ヒットはテックに振り向いた。

 

「……テック、わかっとるやろけど」

「うん、ホエちゃんには聞かせたくないもんねえ」

「そんなんちゃうわ。ホエがおったらうるさくてかなわんだけや」

 

にこにこと笑うテックから目を逸らし、ヒットが照れ臭そうに鼻を掻く。

いつもにこやかに笑って目を細めがちなテックがその目を開き、ヒットに怜悧な視線を送る。

 

「ヒットちゃん、あの子がフランちゃんくらい速かったならどうするかの話よね?」

「もちろんや……真剣勝負やからな、バ群のどさくさに挟み込むで」

 

ヒットの本来の適正距離は中長距離であり、テックはその反対に短距離からマイルではクラスでボスに次ぐ実力者とされている。

性格も得意距離も正反対だが二人は不思議とウマが合い、よくつるむ内に後からホエが混ざるようになった。

今回のレースでは内で自分が粘る内に、脚を溜めた二人が内と外から仕掛けてどちらかが一着を獲る作戦をヒットは立て、それを二人に伝えている。

そしてもう一つ、ヴァラがフランのような規格外だった場合の対応も考えていた。

末脚勝負をさせないように、バ群のどさくさに紛れてヴァラを挟み込んでホエを勝たせる。

ホエが外枠になった時から決めていた事である。

 

「対抗戦のルールでアカン言うても、プロになったら進路取られとるなんて何度も起きる事や。ハイペースにされても困るでハナっから抑えるで」

「そうだねえ、了解」

 

打ち合わせを済ませて、二人がそれぞれ内枠に入る。

ヴァラは腕を組み、ふんぞり返ったまま二人の丁度中央、三枠で耳をぴくぴくと動かした。

 

「エリーちゃんよろしくね!」

「うん!楽しく走ろうね!」

「今日は敵同士やろがい!ちゃんとやれや!」

「ヒットちゃんはレースに真面目だねえ」

 

周囲の音を聞き、昂る心を落ち着かせる。

ふんぞり返った姿勢を戻し、前を向く。

どう走るか、どう勝つか、その心算は既に出来ている。

後は、自分との戦いだった。

 

『さあゲートが開いて……ヴァラエティクラブ、すかさず前に出ましたが……』

『これは……ピッチ走法?あの脚の長さで珍しいですね』

『先頭は外からエリンコート、続けて外枠のウマ娘が続きます。内枠はちょっと団子になってしまいましたね』

『あの子は大きいですからね、ちょっと内からかわすのは大変かもしれません』

『これは意外な展開になりました!』

 

ゲートが開き、ヴァラが飛び出す。

しかしその様子に観客、そして徹底マークする予定だった二人がぽかん、と口を開けた。

 

(なんやコイツ……随分ちみっこい走り方やな。そんな歩幅余計に疲れるやろ)

(ピッチ走法……?この体格であんなに歩幅が短いの?)

 

どたどたと、不器用な走り方に観客から失笑が漏れる。

ヒットが期待していた、ようやくヴェールを脱いだマル外五年生クラスの番長の走法は、腕を横に振り、脚ともあまり連動していない。その脚も小刻みに何度も踏み込んでいた。競走バを目指すウマ娘としてはやや雑な走り方である。

スタートだけは勢いが良かったが、内ラチを進む姿にヒットは驚異を感じない。

持ち味を全く活かせていない走法に、観客席の智哉が首を傾げる。

 

「……シスターさん、あの子の授業参加してたんすよね?練習もあんな感じなんすか?」

「実はまともに走ってねえんだよ、アイツ。相当やるとは思ったんだがなぁ……ピッチ走法にしては……」

 

智哉から水を向けられたシスターが、後ろを向く。

 

「どうよ?ピッチの専門家」

 

シスターの後ろにいたドリジャが、顎に手を置き首を小さく傾げる。

ピッチ走法とは、ウマ娘の走法の一つである。歩幅を比較的狭くし、その分脚の回転を速くする為にコーナリングで大きく効果を発揮する。

ドリジャは日本競バ界屈指のピッチ走法の使い手であり、競走バになる前は天性のピッチ走法を武器に伝説のウマ娘暴走族「亜荒吐(アート)」の二代目総長として、暴走ウマ娘達が群雄割拠する群マ県の峠を荒らして回っている。勝負服も当時の特攻服を改造したものである。

 

「アリャピッチと言わねェな、アネさん。雑とかの次元じゃねェ」

「ま、お前から見りゃそうか。そうなると……」

 

智哉の横の姉が、口を開いた。

 

「あの子、上手いわ。内を完全に抑えてる」

「姉貴から見てそうなら、やっぱそうなんだろうな。自分だけ勝ってもポイント差があるからな」

「そうッスね。作戦なら上手いモンッス。でもこっからどうするんスかね?」

 

試合巧者でレースの裏技に詳しい姉から見て、ヴァラが今行っている行為は自らの大きな体を駆使してのバ群の整理である。

先頭に立ちつつもわざとペースを落とし、腕を大きく横に振り後続を近付けない。

しかし、それだけでは自分の周囲しか抑え込めない、そして悠々と走る外枠のウマ娘に追いつけない懸念があった。

 

コーナーを迎え、バ群が崩れる。

 

「前行けないよー!」

「外に出よう!」

(どうする?ヒットちゃん)

(挟むにもあんな腕振り回されたらかなわんわ、前が開けたタイミングで抜けるで。期待外れや、付き合ってられんわ)

 

内ラチ沿いを進んでいたヴァラはよろりと、ほんの少しだけ斜めに逸れる。

斜行には程遠いほんの少しの挙動で内ラチ沿いが開き、そこへ先団のウマ娘達が殺到する。

 

(ッ!アタマもろたで!テック、ワイが進路開けるから脚溜めときや!!)

(……何か、おかしい。ヒットちゃん、待って!!)

 

内ラチ沿い、好位置の先頭を取ったのはヒットだった。コーナーを抜けるタイミングでまだ先頭に食らいつくヴァラが、ふらふらと並ぶ。

 

(なんやねん、コイツ……まだ、前に、おるやと………!!?)

 

ヒットが違和感を覚え、ヴァラの顔を見たその瞬間──

 

 

Gereed.Gaan(ヨーイ、ドン)

 

 

──ヴァラは口に弧を描き、急激に加速した。

 

『おおおお!!?これは!?ヴァラエティクラブ、先程と打って変わって、ぐんぐんと加速していきます!!』

『これはフォームも素晴らしいですね!それにしても……』

『先程のはなんだったんでしょうか?』

『あの子の作戦でしょう。外で悠々と味方を先行させ、バ群をコントロールしています』

 

ヴァラの後ろに続くウマ娘達が、遠ざかっていく後ろ姿をぽかんと見つめる。

その走法は、先程とは大きく変わっていた。

 

『安定した飛距離のストライドで直線を駆け抜けていきます!これは先頭に追いつくか!?』

 

その長い脚を十全に活かした、飛距離の安定したストライド走法。

先程の完成度の低いピッチ走法とは打って変わった高い完成度のフォームで、ヴァラが突き進む。

 

「おお、こりゃすげぇな!どうよディー……ここにはいねぇんだったな」

「ストライドの専門家ならいるわよ。ヤッちゃん、どう?」

 

思わずストライドの第一人者の娘に呼びかけたシスターだったが、ある目的のためにここにはいない。

代わりに姉が、隣に立つヤッタへ声をかける。

 

「一歩一歩の飛距離は短い代わりに抜群に安定感のあるタイプだね。さっきのピッチ、多分このストライドの練習でやってたんだと思うよ」

「なるほどなぁ。歩幅の安定の為に細かく足踏みで練習してたってか?」

「そうだよシスターちゃん先輩!」

「先輩は恥ずかしいからカンベンな!何年前だよって話だからなぁ」

 

ヤッタの先輩呼びに、昔の事を思い出したのか恥ずかしそうにするシスターの前を、ヴァラが駆ける。

それをただ、ヒットは見送っていた。

 

(完全にやられたやんけ!!いやそれよりも!あいつやっぱり速いやん!!!)

 

ゴール前、エリーとホエが競り合う中、ヴァラが横から突き抜けていく。

 

(ほええええええ!!?来たああああ!!?)

(ヴァラちゃんすっごい……)

 

二人がヴァラを見送り、まだ誰も辿り着いていないゴールラインをアフリカから来た旋風は切り裂いてみせた。

 

『一着ヴァラエティクラブ!二着ホエールキャプチャ!!三着はエリンコート!!おっとこれは……四着五着もチームベガです!これは大量得点となりました!一気に二位に上がります!!』

『良い作戦、良い末脚でした!次も走るなら楽しみですね』

 

ゴールを割ったヴァラがそのままチームメイトを待ち、それぞれとハイタッチを交わす。

何故かホエも混ざって、ご機嫌に手を打ち合わせた。

 

「すごーい!速かったねー!!」

「ありがとう、ごめんね」

「ううんー!ヒットちゃんが策に溺れるのはいつものことだから!!」

「一言余計やねん!!今は敵や言うたやろがい!!」

「むぎゅー!やめてー!!」

 

ようやくゴールに到達したヒットが、一言多いホエのほっぺを引っ張り回す。

ヴァラを睨みつけて、ホエを引っ張ったまま、叫んだ。

 

「自分やっぱり速いやん!!次のフランとの勝負の時は走れや!!!」

「ええ……でも、怖いし」

「なんでやねん!!あんな三味線弾くタマあったら怖ないやろがい!!!」

「ひゃ〜め〜へ〜」

「ヒットちゃん、ホエちゃんの目が回ってるよ」

 

引っ張ったままホエを振り回し、ツッコミを入れるヒットに一同が笑う。

そこへフランが混ざり、ヴァラへ飛びつくのを見届けた智哉は、ふと先程から気になっている事の思索を始める。

 

(カナってやつ……いねえな。来てないのか?)

 

やっと登校して来たとボスから聞いている。陰キャの不登校児カナ。

限界陰キャ故に逆に目立つという異様な存在のカナが、見渡してもどこにもいない。

この件に、智哉は一つだけ思うところがあった。

 

(ウマッターのあのおっさんみたいなやつ、あれカナって名前に付いてるんだよな、まさかとは思うけど……な)

 

ウマッターの名物おじさん、カレンちゃん強火推しの@DragonlordKanaというアカウントが智哉の印象に強く残っている。

当然おっさん構文がひどすぎるからである。その中身がカナではないかと考えていた。

思い至ったところで、隣の姉に智哉は手を差し出す。

 

「ん?なによ?」

「姉貴、ちょっとスマホ貸してくれ」

「あんた壊れてるんだったわね。まだ交換してないの?」

「最新機種だから取り寄せに時間かかってんだよ。すぐ終わるから」

 

智哉の破壊されたスマートフォンは、現在取り寄せ中である。

一週間くらいで戻ってくるという話だった。代替機の申請も出来たが一週間くらいは良いかと智哉は断っている。

姉が仕方ないとばかりに、智哉に自らの携帯を差し出す。

 

「しょーがないわねー、ウマイン見たら殺すから」

「助かる。ウマインは見ねえよ」

 

姉のスマートフォンの待ち受け画面から、ウマッターを選択する。

@DragonlordKanaのアカウントを覗こうとする途中で、姉がとある人物に何やら返信を返しているのが目に入る。

 

『今日はコレ』

『日本酒だね、俺も好きだよ。シーズンオフには日本に遠征するからスシでもどうかな?』

『お!いいわねー、こっちの友達も連れてくわよ!』

『あ、うん……友達ね、うん、いいよ、行こう』

 

姉は毎日の晩酌のつまみと酒を投稿しているが、それに対してのとある男の反応だった。

それ以外の返信は『そういうとこだよミッちゃん……』『このウマ娘絶対結婚できないだろ』『呑んでないで私と走れ』『英国のトップトレーナーなのにこの塩対応』『ミディちゃん、今度お家に連れてきなさい』『俺は認めねえからな!!!!!』などと散々な言われようである。

智哉は眉間に皺を寄せながらスルーして、件のアカウントを開く。

そこで手を止め、スマートフォンを姉に返した。

 

「姉貴、返すわ……悪い、ちょっと急用できた」

「んー?そ、すぐ戻んのよ」

「わかってるよ、すぐ戻る」

 

ダッフルバッグを背負い、智哉が足早に競技場を後にする。

この行動は、ある物を見たからだった。

智哉が見た物、それは──

 

 

 

 

『たすけてください』

 

 

 

 

 

──ウマ娘に首を掴まれ、苦しそうにする女性を写したとある投稿だった。



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第三十三話 龍王の棲むところ

トレセン学園競技場の入場門前に、幼女ゴルシとオルフェの居候コンビとナスと名乗った謎のウマ娘が並ぶ。

 

「二人とも、案内ありがと!さーて、どう忍び込もっかなー」

「……忍び込むんスか?」

「ナスねーちゃん、アタシたちといこうぜー」

 

首を傾げるオルフェと、自分の手を引っ張るゴルシに、謎ウマ娘は首を振って返す。

 

「ごめーん、あーしはフツーには入場できないと思うんだよねー……このお面にこの制服はねー」

 

謎ウマ娘が制服についた校章を引っ張って見せる。

二人は知らない校章である。

 

「自分で言うのもアレだけどさー、バリバリ不審者じゃーん?さっすがに正規の手続きでは入れないっしょ」

「アタシらのホゴシャってことにしたらどうだー?」

「そうッスね。お姉さん良い人だしあたいから言ってもいいッス」

 

名案だと二人が頷くも、ナスはもう一度首を振った。

 

「いやー、それがねー……用事が済むまでにあーしのガッコーに問い合わせられたらどーしようも無いのよ。慌てて出てきちゃったから服装ミスった」

「用事ッスか?」

「そーそー、友達からの頼まれ事」

 

ナスとオルフェの会話を他所に、ゴルシは何とかナスを連れて行けないかとあどけなさに似合わぬ明晰な頭脳を働かせる。

幼女の中では既に、このウマの合うお姉さんを連れて行くことは確定事項になっていた。

そしてすぐに良い事を思いついた。自分達も忍び込めばいいのだ。

 

「ならよー!アタシたちもいっしょにしのびこむぜー!」

「えっ!?いやダメッスよ!ねーちんに怒られ……」

「おっ!名案じゃーん!ゴルシちゃんかしこーい!!」

「だろー!へへへー!」

 

ゴルシの思い付きに対してオルフェが異論を唱えるも、二人のハイタッチにかき消された。

バレたら曲がったことが嫌いな姉に怒られるのは確定である。しかしゴルシを放ってもおけず、オルフェは深いため息をつく。

 

「じゃー探してみよっか!ゴルシちゃんどこから行く?」

「まずはやっぱりうらぐちだろー!カギあいてたらラッキー!!」

「りょ!!」

「仕方ないッスね……はあ」

 

三人が、入場門とは反対側の競技場の裏手に向かう。

 

「じゃーいこーぜ!アタシについて……わあ!?」

 

ゴルシが元気一杯に先導して円形の競技場の半径まで進んだところで、何かにぶつかってぺたんと尻もちをついた。

出会い頭にぶつかったゴルシが、頭を上げる。

 

 

<すまない、大丈夫かね?>

 

 

そこにいたのは、明らかに不審者と言わざるを得ない覆面の怪人だった。

白い流星が中央に走る覆面と黒い中折れ帽に、初夏だと言うのにベージュ色のトレンチコート。

アメリカのコミックの中から出てきたようなその姿に、抱き起こされたゴルシが目を輝かせる。

対してオルフェは、ナスと出会った時のようにしかめっ面で応対した。今日は不審者とよく遭遇するである。

 

「か……かっけーーーーー!!!!なあなあそれ、なんのコスプレ!?」

<これはコスプレではないのだが……怪我は無いようで何より……待て、君の身内にゴールドシップというウマ娘はいないか?>

 

怪人が、見覚えのある幼女の姿に、腕を組み疑問符を浮かべる。

 

「……?ゴルシはアタシだけど?」

<……本当かね?いやそんな場合ではない。急いでいるんだ>

「えー!なんだよー!きになるんだけど!」

<すまないが、本当に急いでいる。裏口なら私が開けたから入れるぞ>

 

怪人がここに二人のウマ娘がいる理由を推察し、目の前の好奇心旺盛な幼女の気を逸らす為に一言付け加える。

 

「ほんとか!たすかるぜおっちゃん!」

<私はおっちゃんでは……入ったら鍵をかけておいてくれると助かる。失礼する>

 

一瞬おっちゃん呼びに反論しようとした怪人だったが、堪えて腕を組んだまま全速力で去っていった。

上体はそのままに、足が目にも見えない速度で回転する。人間には到底不可能なウマ娘並のスピードである。ゴルシはもう一度目を輝かせる。

対してオルフェは突然現れた不審者が、異様な走法で走り去るのを辟易とした顔で見送った。

 

「おー!はえー!!おっちゃんまたなー!!」

「不審者こんなにいていいんスか、この学園……」

 

怪人に手を振って見送った後、ゴルシがきょろきょろと辺りを見回す。

謎の怪人に気を取られていたが、気付けば近くに居たはずのナスがいなくなっていた。

 

 

 

「あれー?ナスねーちゃんは?」

「……?どこ行ったんスかね?」

 

 

一方、走る怪人の隣に、一人の老人が並ぶ。

怪人は老人を思わず二度見した。腰に手を当て、自分とよく似た走法で隣に並ぶ老人に心当たりがない。

 

<……ご老人、何か用だろうか?>

 

怪人の問いに、並走する老人が応える。

 

「これは失礼、ジョー・ヴェラス氏ですな?私はこの学園の用務員を務める古浪と言う者です」

 

怪人の中身ならば驚いて足を止める場面だったが、怪人は気にも留めず、豪脚を見せる用務員に目礼を返した。

 

<おっと、これはご丁寧に……ご明察の通りです、ミスター古浪。走りながらで名刺も無く、申し訳ないが……>

「お気になさらず。目的地は同じようですから、同行しようと思いまして」

<気配り痛み入る。あなたもあの投稿を?>

 

「ええ、小学校までなら近道があります……私が案内しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

時は、少し戻る──

 

「捜し物は、これかしら……?デイソン先生」

 

侵入者、失踪していたはずのマル外教室の担任へ、現れた女が手に持った書類をひらひらと示す。

マル外教室の担任、ホワイトデイソンは女の姿を見て、その目を曇らせた。

 

「石畑……先生」

 

現れた女、附属小学校の教頭を務める石畑女史が近付き、デイソンの手を取る。

 

「……心配したのよ?今までどこにいたの?」

「先生、私は……!」

「対抗戦の番組表を持ち出したわね?何のため?」

「私は、私は………!!!」

 

石畑教頭に取られた手を振り払い、デイソンが叫ぶ。

 

「良い教師ぶるんじゃないわよ!!反吐が出る!!」

 

「他の教師とあなたもどうせ同じだわ!!保身のために私を丸め込もうとしてるだけ!!」

 

「ねえ知ってる!?もうすぐここに生徒達と来賓のトレーナーを狙って何人も私の仲間が来るわ!!みんな気性難の凶暴なウマ娘!!」

 

「私を採用したあなたの責任よ!!いい気味ね、あははは!!」

 

頭を抑え、苦しそうに叫ぶその姿に、石畑教頭は悲しげに首を振った。

 

「……そう、だったのね。なら……この、留学生の推薦書は?」

 

附属小学校の留学生には、身元の保証人の推薦が必要である。

今年の留学生三人はそれぞれが各地の著名人の推薦を受けており、カルトとしては重要な情報源である。これがデイソンの目的だった。

 

「その推薦書……あのジュドモントの当主にフランチェスカ・ディ・トーリの個人情報が記されているでしょう?聖母様が接触できれば世界屈指のトップチームとトレーナーを、聖母様の……手駒に……違う、違う!」

「デイソン先生……大丈夫かしら?」

「……私に触るな!!」

 

心配そうに手を差し伸べる石畑教頭を振り払い、酷い頭痛を覚えたデイソンが一歩下がる。

目の前の尊敬していたはずの教師の顔を見てから、謎の頭痛に苛まれていた。

手を振り払われた石畑教頭は、意に介さずデイソンに一歩踏み出した。

 

「あなたの事は最初から知っていたわ。カレッジ時代に、無実のドーピングで退学処分を受けている事も」

「……どうして」

「だから、採用したのよ。あなたを」

 

デイソンは現役時代にドーピングの疑惑を受け、弁解のチャンスも与えられずに追放処分を受けていた。

彼女がカルトに入信したきっかけである。

推薦書を机に置き、教頭はデイソンの手を取る。

 

「警察に、行きましょう?私が口添えします」

「なぜ、あなたまで……」

「……私は教頭よ?教師を導くのも私の職分です」

 

微笑む教頭に、デイソンの心が揺れる。

アメリカ競バ界を追放された過去で、彼女を弁護する者は誰一人としていなかった。

しかし、この教頭はあの時の教師達とも違う。そう思ってしまったデイソンはまたしても頭痛に襲われ、頭を抱える。

 

「なんで、なんでもっと早く、あなたみたいな人に……うぐぅうう!!」

「先生!?しっかりなさい!!」

 

頭を抱え、蹲るデイソンを介抱しようと教頭が近づいたその時──

 

 

「丸め込まれてんじゃねーよ、フォイルバック」

「やっぱり駄目だねこの子」

「聖母様が言ってた通りだなァ?」

 

 

三人の修道服を着たウマ娘が何もない空間から現れ、その中の一人が教頭の首を掴み、持ち上げた。

 

「う……」

「探偵ゴッコは終わりだぜ?キョートー先生」

「推薦書はこれねー」

「用事は終わりだな、暴れに行こうぜ!!」

 

この一部始終を、教頭の机に隠れ、息を潜めてカナは眺めていた。

 

(なんかえらいことになってるんですけどおおおぉ!!!?)

 

カメラを回収しに来ただけなのに、対抗戦に気性難が侵入して暴れる計画を聞く羽目になった陰キャはぷるぷると震えた。

陰キャは陰キャである。学校にテロリストが侵入し、それを自分が撃退する妄想を何度もしたことがある身である。

しかし、本当に起きるのは想定外だった。

 

(いや、カナが出ていく義理は無いし……ガッコー、来年で転校しますし)

 

カナは、競走バになる気は無いし学校も転校するつもりだった。既に転校届も提出してある。

出来ることは無いし、五月蝿い教頭を助ける義理もない。そう考えたカナだったが、せめて助けを求める事ぐらいはしてやろうとスマホを取り出す。

 

(といってもカナは友達いないし……ウマッターに上げておきますか……たすけてください、と)

 

そっと、スマホのカメラ部分だけを机から出し、シャッター音を消して撮影する。

自分の役目はもう無い。カナは静かに机の下に入り込んだ。

教頭を持ち上げた侵入者、カルトの一員であるギローシェがふと思いついたように二人に問いかける。

 

「おいプルカジュールとシードパール?このババアどうするよ?」

「どうするもこうするも、連れてけばいいんじゃない?」

「聞かれちゃったからなァ、潜入とフォイルバックの監視、コイツのせいで苦労したんだぜ?」

「うっ!?あなた、達は……?」

 

軽くシードパールと呼ばれたウマ娘に押され、地面を転がった教頭が息を整え、侵入者を見る。

この問いに、シードパールは凶悪に口元を歪めた。

 

「コイツの言ってたお仲間だよォ、センセー?」

「と言っても、この子も監視してたんだけどね」

 

「監、視……?」

 

頭を抑え、蹲るデイソンが、信じられないものを見るように三人を見上げる。

 

「オマエが裏切るかもって聖母様から話があったんだよ?だから新装備のテストも兼ねてシードパールを付けたんだよ」

「テメーがこの先公に絆されそう、ってなァ!」

「新装備のテストも上々だし、聖母様の仰ることに間違いは無いよねー。作ったヤツは気に入らないけどー」

「ま、何でもいーだろ?コイツ連れてこうぜ」

 

地面に転がったままの教頭の肩を掴み、シードパールが無理矢理引き起こす。

それを阻止しようと、頭痛に苛まれながらデイソンは立ち上がった。

 

「その人には、手を出さない……約束でしょう?」

「あ?オマエはもう裏切り者なんだよ。そんな約束しらねェっての」

 

デイソンがふらつきながらも、その脚に力を込める。

彼女は元競走バである。トレーニングを積み、エリート競走バ候補である生徒達の併走相手も務める身である。

つまり、ただの気性難ウマ娘とは鍛え方が違う──はずだった。

 

「先生を、はな……」

 

一歩を踏み出したデイソンは強烈な轟音と共に、壁に叩きつけられた。

侵入者は誰も彼女に触れていない。遠方から、光線で彼女は撃ち抜かれていた。

 

「うん、ブラスターの発射テストも良好だねー、これも気に入らないけどー」

「すげーなこれ!早く撃ちてぇモンだ」

「光学迷彩?だったかァ?コイツのせいでフル装備できねーのが不満だな」

 

侵入者の一人、プルカジュールの右掌から煙が立ち込め、修道服の袖が破れていた。

袖が破れた先は肘までが金属製の黒いガントレットに覆われている。

とあるウマ娘がアメリカ政府の依頼により開発した代物である。

 

「デ……デイソン先生!?あなた達、乱暴はやめなさい!」

「アア?状況考えてモノ言えよババア!!」

「うぐっ……」

 

壁に叩きつけられ、物言わぬデイソンに駆け寄ろうとした教頭が、腕を捻り上げられる。

その時である、ドン、と教頭の机から音が響いた。

轟音に驚いた陰キャが飛び上がったのである。頭をしこたまにぶつけてカナは半泣きで頭を抑えた。

 

「アア……?誰か、いんのか?」

 

シードパールが教頭を抑えつけたまま近付き、机を蹴り飛ばす。

突然周囲が明るくなり、カナは情けない叫びを上げた。

 

「ぎにゃああ!!?」

「小学校のガキ……か?オイ、聞いてたな?」

「あなた、何故ここに……?」

 

教頭とカナの目が合い、カナは咄嗟に目を逸らした。

シードパールが後ろを向き、仲間に盗み聞きをしていたカナをどうするか問う。

 

「コイツも連れてくかァ?」

「そうなるねー、お嬢ちゃん、大人しくするならちょっと聖母様のお話聞くだけでいいからねー」

「は、はははぃい……大人しくしますぅ……」

 

カナが怯え、言う通りにしようとしたその時、事態が動いた。

 

「あなた、逃げなさい!!早く!!!」

 

教頭が、意を決して拘束を振り解き、シードパールにしがみつく。

ウマ娘に、生身の人間が素手で立ち向かうのは無謀である。勿論ウマ娘の通う小学校の教頭を務める彼女もよく知っている事である。

だが、彼女はそれでも立ち向かった。ただ生徒を守る一心だった。

 

「アア?状況考えろ、つっただろババア!!」

 

「ああっ!!」

 

しかし、現実は無情だった。手を払っただけで教頭は壁に吹き飛び、叩きつけられる。

カナは、言葉を失った。自分は転校する身であり、目の前の教頭はその事を知っている。

助ける義理はないはずだった。

 

「あ………」

「ちょっとー、怪我させないでよ?」

「ちょっと払っただけじゃねーか、人間っつーのは脆いなァ?」

 

頭から血を流した教頭が、よろめきながらも立ち上がる。

 

「オイ、寝とけよババア。何度も言わせんな。ウゼーんだよ」

「私は、教師よ………」

 

教頭はカナの前に立ち、手を広げて侵入者に立ち塞がった。

 

 

「生徒に手を出すなんて……絶対に許すものですか!!!」

 

 

カナは、ただ呆然とその教頭の姿を見ていた。

広げた手は、震えている。暴威を奮う気性難達に、確かに恐怖していた。

それでも立ち上がったのだ。ただ、いなくなる予定の生徒のために。

 

 

「愛するもの、守りたい、もの………」

 

 

カナはふと、言葉を漏らした。

その脳裏に、あの時交わした師との約束が、師の言葉が、思い起こされていた。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「決まりだな!!だが条件があるぞ!!」

 

「……な、なんですか」

 

あの地獄の山籠り、丸太小屋の中で師は言った。

 

「よいかカナ?愛するもの、守りたい誰かを見つけろ!それが条件だ!!」

 

よくわからない師の出した条件に、カナは首を傾げる。

 

「……は?今時熱血とか流行らないですよ、師匠」

「そうではない!貴様に足りないものだ!!それが見つかりさえすれば!!……きっと、なりたいウマ娘になれるとも、カナ」

 

優しげに微笑む師匠に、カナは更に首を傾げた。

なりたいウマ娘の話など、師に話した覚えは無かった。

疑問符を浮かべるカナが、ある思い当たる事に気付き、その顔が真っ赤に染まる。

言った覚えは無いが、この山籠りに持ってきていた物があった。

 

「…………師匠、読みましたね?カナの、秘密ノート…………」

「うむ!なかなか面白かったぞ!!技名もかっこいいじゃないか!師としては我が流派の名を使ってほしいが!!」

 

処分に困り、肌見放さず持ち歩いている黒歴史ノート。

情報源は他に無い事に思い至ったカナが、頭を掻きむしり、血走った目を師に向ける。

見られた以上は消す以外に無い。刺し違える覚悟を決めたカナが残像を残し、高速で動き回って師を囲んだ。

 

「ぶっ殺すぅぅぅうううう!!!!ここでカナと死ねこのクソ師匠ぉおおおおおおおお!!!!!」

 

「おお!!これは48の殺人走法、ウマ娘絞殺刑と52のステップ、グローバルヒールスピンの合わせ技だな!!!」

 

愛弟子より殺意を向けられているというのに、心底嬉しそうに師は叫ぶ。

この師弟は常日頃このような関係である。原因は当然師のスパルタである。

 

 

 

「そうだ!名は確か、龍王魔走(ドラゴン・マジック)、壱の型……」

 

「それ以上言うなああああぁああああ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「……ア?ガキとババアが、消え……」

 

シードパールが呆然と、手を前に出したまま硬直する。

しつこい教頭をその手に掴んだはずだった。

目の前の相手が、突然消えた。

 

「シードパール、後ろ!!」

 

遠くから見ていた為に一部始終を見ていたプルカジュールが、叫ぶ。

残像を残すほどの規格外のスピードに警戒し、ガントレットを構える。

シードパールはゆっくりと、後ろを振り向いた。

 

「あ、あなた……」

「……………壱の型、龍王縮地」

 

頭を打った教頭は、意識を失いつつある中、ぼんやりと自分を抱き上げたカナを見ていた。

あまりのスピードにカナのボサボサの髪は風圧に靡き、底の厚い眼鏡は遠くに吹き飛んでいた。

 

整ったアーモンドのような形の目は強い意思を宿し、カナの周囲がバチバチと放電のような現象を起こす。

 

「放電、現象……?みんな気をつけて!!」

「速いガキだな、絶対に連れてくぞ」

 

気性難達がカナに最大の警戒を向ける中、カナはぶつぶつと何かを呟いていた。

 

「この人は……誰にも……」

「アア?何言ってんだコイツ」

 

思い浮かべるのは、理想の自分。

 

「教師の無償の……が……こんなにも……美しいもの……」

 

無敵の龍王、ヒーローになった自分。

 

「明け渡せと迫る声は、全て撃ち払ってやる」

 

その体を、稲妻のようにスパークするオーラが包む。

 

「眼前に居並ぶ敵も、いっそ征服してやろう」

 

オーラが全身に周り、職員室の蛍光灯が点滅を繰り返す。

 

 

「──我が名は、ロードカナロア」

 

 

高らかに自らの名を名乗り、ロードカナロアが叫ぶと同時に、蛍光灯は破裂した。

 

 

 

 

 

 

「聴け、我が咆哮を!!ここは龍王の学び舎なのだ!!!」



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第三十四話 怪人の怒り

わたしは、わたしにできる事をやる。

 

それだけでいい。

 

『おおっと、四年生マイル、ノーブルミッション選手が強気に仕掛けていきますが……掛かっているのでしょうか?』

『いえ、先行しているウマ娘達のペースを乱すのが狙いですね。ペースメーカーを買って出たのでしょう』

 

姉さんのように速くない。ヴァラさんのように器用じゃない。ボスさんのような技術もない。

 

無骨で、不器用で、そしてどうしようもなく遅いウマ娘。

 

そんなわたしでも、やれる事ならある。

 

「………っ!」

 

息を吐き、目一杯脚を振り絞る。

 

わたしの取り柄は、三つ。

 

スタミナには自信がある。わたしは脚を長く使える。

 

坂路も得意だ。ナサ姉さんにも坂なら負けない。すぐに抜かれるけど。

 

そしておばあ様が教えてくれた。ラップの刻み方。

 

『ノーブルミッション、粘りますが徐々に下がっていきます!これはもう一杯一杯か!?』

『周りのペースが上がってきましたね、良いペースメーカーでした』

 

その武器を使って、わたしはペースメーカーを買って出た。

 

わたしに居場所があるなら、脇役でもいい。

 

「ノーブルちゃん!後は任せて!!」

「絶対勝つよ!!」

 

バ群に呑まれつつある私の横を、温存した末脚を切ったチームメイトが抜けていく。

 

その先頭を行くのは、チーム・ゴドルフィンの日本支部からスカウトを受けたクラスメート。

 

わたしよりも、才能に溢れた子。

 

『先頭集団に、一気呵成にディサイファ率いるチームベガのウマ娘達が襲いかかっていきます!これは差し切れるか!?』

『差せますね!ノーブルミッションちゃんの献身に応えるべく士気も高いですよ!!』

 

わたしは、脇役でいい。英国で競走バになったら、姉さんのペースメーカーを務めるから。

 

おばあ様がわたしにラップの刻み方を教えてくれたのは、きっとその時の為だから。

 

それでいい。わたしは、星を掴めない。もう諦めている。

 

『一着はディサイファ!見事な末脚でした!』

 

 

 

 

でも、少しだけ心が傷んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「おお!良い脚持ってンじゃねーか!あの子はどう……アネさん?」

「ん?ワリィ、考え事してたわ」

 

歓声を上げるドリジャの隣で、ノーブルのレースを見ていたシスターが気の抜けた返事を返す。

顎に手を置き、先程のレースを振り返るシスターに、大きな疑問が残った。

明らかに適正距離ではないマイルを走り、わざわざペースメーカーを務めたノーブル。

シスターには不思議でしかなかった。

 

「気付いてネェのか?あの嬢ちゃん……」

「一体何がッスか?アネさん、レース見てたかァ?」

「ま、あんちゃんに任せればいいか……オウ、まあ一着の子は2000以上は走らねぇだろ」

 

余計なお節介だと疑問を振り払い、シスターはドリジャに己の見立てを語る。

 

「末脚の切れ味はなかなかのモンだが、根幹距離は苦手なタイプだな。クラシックにもティアラにも出てこねーよ、たぶんな」

「一目でわかるんスか、アネさんやっぱ真剣半端ない(マジパネー)ッス!」

「ウチのドンナやお前の妹とは違う路線になると思うぜ」

 

根幹距離とは、ウマ娘のレースの中でも400mで割り切れる距離のことである。日本中央競バ会(U R A)主催の平地G1競走24レース中19レースがこの根幹距離により行われており、「G1を勝ちたければ根幹距離を極めろ」とはかの生徒会長の格言として残っている。

 

不良ウマ娘だった自分を競走バの道に引き込んだ尊敬する超気性難が、自分の妹に言及したところで、ドリジャは恥ずかしげに気になっていた事を訊ねた。

 

「アー、アネさん?ウチの妹どうッスか?」

「初日にドンナと走らせてみたら勝ちやがったぜ。順調に育てばクラシックのどれかは穫れる」

「マジッスか!!?」

「オウ、ありゃ天才だ。気弱なのが気になるがなァ……ドンナに目ェ付けられたしな」

「マジッスか……あのお嬢、気性ヤベーからなァ」

「お前、他人の事言えねぇだろ……ドンナは隠してるつもりだけど、隠せてねぇんだよな」

 

自分の事を棚に上げつつ、シスターはドリジャの言葉に息を吐いた。

府中エクリプス教会で競走を学ぶ、天才少女にして英雄の最高傑作の呼び声高いドンナは憧れの先生の前以外では負けん気の強い気性難である。

先日、新たに教会の練習生となったオルフェに初日から上下関係を教え込もうと模擬レースを仕掛け、ハナ差で負けてから根に持ってよくちょっかいをかけていた。オルフェは翌日の併走でレースの裏技の一つ、進路の取り合いに見せかけたタックルを受けて吹き飛び、お返しとばかりに幼女ゴルシが背後からドロップキックをお見舞いして大喧嘩になっている。憧れの先生にはバレていない。

 

「一つ年上とはいえ、ドンナに勝てるヤツがいるとはなァ……ステイ、気性の矯正はできそうか?」

 

たまたまオルフェを見に来ていた川添が巻き込まれた大喧嘩を思い返しながら、シスターは自らの右腕と言っても過言ではない、腕利きの競走指導者のシスターステイに水を向ける。

 

「問題は無ぇ、と言いてぇトコだが……取り敢えずマスクは取らせてーな、アネさん」

 

ステイの気性矯正の手練手管は超一流である。やりすぎて気性難を量産するほどである。

その彼女から見て、オルフェが頑なに外さないマスクが気に入らなかった。レースでも支障を来す恐れがあり、まるで自分に枷を付けているようにすら見えている。

 

「わははは!そりゃ気になるよなぁ。まぁそっちは大丈夫だろ、グランマの口枷みてぇなモンだ」

 

師として仰ぎ、頭が上がらないとある伝説のウマ娘を例として出し、シスターは笑い飛ばして返した。

口枷を付けた凶悪な超気性難である。居候に今回の件の話を聞いた彼女はシスターへ協力を打診し、グランマが来てくれるなら百ウマ娘力だとシスターは喜んで理事長に対抗戦の開催を強行するようにけしかけている。なお理事長は何も知らない。

 

「ヘイローセンセー、そういや今どこにいるンスか?」

「ディーと別行動だ。この競技場内にはいるけどな」

「ってかアネさん、ホントに来るンスか?」

 

ドリジャの疑問に、シスターが答える。

 

「なぁドリジャ、昔のお前になって考えてみろよ?気に入らねぇ喧嘩売った相手がよぉ、こっち無視してレースしてたらどう思うよ?」

 

「絶対ブッ潰しに行くッスね。タダじゃおかねェッス」

 

ドリジャの返事は即答であった。売られた喧嘩は必ず買い、買った喧嘩は最後までやり遂げるのが気性難という生き物である。

 

「だろ?そういうこった。延期したらどう動くかわかんねぇからな、俺様が出張ってブッ潰すのが一番安全ってワケよ」

 

だからこそ、シスターは理事長を焚き付けた。自らの眼前へ、カルトの構成員をおびき寄せるために。

殺気をむき出しにした凶悪な笑みを浮かべ、シスターは合流した小栗家一行に目を向ける。

 

「ノーブルちゃんがんばったの!すごいの!」

「うーん、2000走ってもよかったんじゃない?」

「……ノーブルお嬢様が決めた事だ。私が進言するべきではない」

 

里帰りで知り合った青年の姉と、その腐れ縁の気性難メイド。どちらも戦力として破格である。

そしてもう一人。お気楽そうだが、あの秘書のような異様な雰囲気を纏ったウマ娘。

それに別行動中の腕自慢の助っ人達もいる。シスターはもう一度ぎしりと凶相を浮かべた。

 

「……子供達を守って、ワリー奴を叩きのめす。わかりやすくてイイじゃねぇか」

「アネさん、気合入ってるッスね!こりゃアタイも腕が……」

「お前は子供守る役だ。レース控えてんのに喧嘩させるワケねぇだろ」

「ハア!?そりゃネェッスよ!アネさん!!」

 

戦力に入っていないことにドリジャが抗議するも、シスターはウマ耳に念仏とばかりに取り合わず、空を見上げた。

 

 

 

 

「来ねぇはずはねぇよなぁ?どこから来てもブッ飛ばすが、なぁ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

砕けた蛍光灯が侵入者達に降り注ぐ中、龍王は精神を研ぎ澄ませる。

すべき事は、決まっている。

 

(闘わない。それよりも病院)

 

自らの手の内にある、人間の身で気性難へ立ち向かい、気を失った教頭の顔を見る。

顔色は悪くないが、頭を打っていた。万が一があってはならない。

眼前の侵入者達への怒りを抑え、龍王はただ一点、侵入者の背後にある職員室の扉を見てどう動くかを決めた。

自分一人なら闘うという選択肢もあった。例え武装していても、あの悪辣な師より侵入者が強いとは思えない。

侵入者の一人、シードパールと呼ばれていた教頭を傷付けた気性難が、龍王を捕らえようと近付く。

 

「オイガキ、怪我したくねェならこっちへ……」

「シードパール!迂闊に近付かないで!!」

「ア?速いッつってもタダのガキだろ?」

 

シードパールが目を離したその一瞬、それだけで龍王には十分だった。

ゆっくりと、秘かに重心を変えていた脚を開放し、龍王は瞬時に加速した。

ボスがフランとの勝負で使った膝抜きを、中腰に構えず脚の移動と細やかな体重移動でのみ行う。

亀覇女流52のステップの一つ、カンガルーステップ。師が古流走法よりヒントを得て、現代のウマ娘のレース用に改良を加えた技術である。

 

「オイ、そのガキ動いたぞ!!」

「なっ!?コイツ、動くんじゃ……」

 

シードパールが振り向いた時には、龍王は既に目の前にいた。

息を吐き、師の技に更にアレンジを加える。

 

龍王魔走(ドラゴン・マジック)、弐の型……」

 

膝抜きで移動した一歩目で、龍王は爪先のみで跳躍した。ウマ娘の脚力とそれに見合わぬ軽い体重が為せる荒業である。

亀覇女流48の殺人走法の一つ、宇宙走行。本来は重バ場でのバ群を抜ける際に使う技術で、龍王がシードパールの頭上よりも高く飛び、脚を高く掲げる。

 

「──龍王雷霆」

 

強烈な踵落としが来ると錯覚したシードパールは、腕を高く掲げて交差させた。

 

「チィ!!このガキ!!!」

「シードパール!受けちゃダメ!避けて!!」

 

侵入者達の頭脳担当のプルカジュールが、龍王の狙いにいち早く気付いてガントレットを構える。

そして、龍王の脚力を込めた踵は──振り下ろされなかった。

 

「な!?このガキ!!オレを踏み台に……!?」

「だから言ったのに!!もう!!!」

 

龍王が交差した腕に脚を付け、シードパールを飛び越える。

交差したシードパールの腕が漏れ出るオーラに触れた瞬間、装着されたガントレットがバチバチと漏電を起こした。

フェイントである。わざわざ技名を言ってみせたのも、全てはシードパールを踏み台にし、出口を目指すためだった。

後ろから追手の光線が数発撃たれるが、それをジグザグに避けて龍王が廊下に飛び出す。

 

(上手く行った!!このまま……)

 

「待てこのガキィ!!舐めやがって……!!」

「絶対捕まえて!!逃げられたら面倒だから!!」

「多少なら怪我させても仕方ネェ!やるぞ!!」

 

後ろから追手が迫るが、龍王の方が速く、そして小学校の間取りにも明るい。

光線が幾度も撃たれ、教頭の身体を庇いながら龍王が廊下を走り抜け、階段を飛び降りる。

侵入者達は焦っていた。このままでは逃げられ、侵入が発覚する。対抗戦の参加者や、観戦に来ているターゲットにも逃げられる。

 

 

「オイ!プルカジュール!もっと撃てよ!!……オイ?」

 

 

だからこそ、異変に気付かなかった。

気付けば、シードパールは一人で走っていた。後ろを振り向けば、同行していた仲間達がいない。

足を止め、教室と廊下を隔てる壁によりかかり、息を潜める。

 

(……声もなくやられた、だとォ……?誰にだ!?あり得ねェ!)

 

襲撃者は自分達のはずだった。だが、ここに自分達を狙う何者かがいると確信し、シードパールはガントレットを構える。

その時だった。

 

 

──教室の薄い壁を突き破り、顔の真横から手が飛び出した。

 

 

「!!!?うおおおお!!?誰だテメェ!!!!」

 

思わず後ずさり、壁から離れようとするシードパールへ、突き出された手がそのまま壁を砕きながら迫る。

シードパールは恐怖を覚えた。人間の所業ではなく、ウマ娘もこれ程の無茶はしない。

ウマ娘は、ウマソウルにより行動にある程度のブレーキがかかる存在である。気性難はそのブレーキが緩いために危険だと言われている。

その気性難であるシードパールをしても、壁を突き破って襲いかかる方法は取らない。

 

<外したか……まだ調整が甘いな>

 

突き破れ、砕けた壁から一人の怪人が現れる。

奇妙な覆面を付けた黒い中折れ帽のその姿に、シードパールは声を上げた。

 

「テメェ……アメリカのジョー・ヴェラスだな!?なんでココにいやがる!!!」

 

怪人は問いに答えず、窓の向こう、グラウンドを駆け抜ける龍王を眺めて口を開いた。

 

<……君、一つ聞きたい>

「アア?質問してんのはこっちだろうが!!!」

<君の質問など、どうでもよい>

 

怪人が、ゆらりとシードパールに振り向く。

その眼は蒼く燃え盛り、全身から蒼いオーラが漏れる。

 

<一部始終を見させて貰った。私はすぐに助けに入りたかったが、同行した者に止められてね>

 

怪人は、明らかに怒りを抱えていた。

先程の一部始終、生徒の為に命を賭けてみせた教師の献身を、手を出さずに見ていたことによって。

ついてきた謎のウマ娘の強引な制止により、全てを見る羽目になった。なおそのウマ娘も歯を食いしばって見ていた。怪人は何故か八つ当たりされている。

 

<……あの女史を傷付けたのは、君の本意によるものかね?>

 

怒りを堪え、怪人はただそれだけを訊ねる。もし本意で無いなら、手心を加える準備もあった。

しかし、シードパールは鼻で笑ってみせた。

 

「ハッ!!何言いやがると思ったらヨォ!邪魔したババアぶっ飛ばしただけだろうが!!」

 

肯定してみせた狂信者に、怪人は深くため息をつく。

 

「予定とは違うけどナァ!テメェを連れてったら聖母様もお喜びになるぜェ!!」

 

対してシードパールは、予定外のアメリカの元トップトレーナーを捕えるチャンスに歓喜し、ガントレットを構えた。

いくら超人的な身体能力を持とうと、相手は人間である。負ける気はしない。

 

<聞くべきことは、聞いた>

 

怪人が、狂信者へ向き合う。

右手を前に差し出し、挑発するように手招きする。

 

 

 

 

 

 

<君に、調教(レクチャー)しよう……ウマ娘の弱点を>



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第三十五話 ウマ娘の弱点

ワイは虹夏ちゃん派です(唐突な告白
ユーイチおじさんに加えてフランキーおじさんも引退とか寂しいですね、寂しい……。


対抗戦は、終盤を迎えていた。

附属小学校の最上級生である六年生による2000mのレースで、大逃げを決めるリーゼントのウマ娘をチームカペラのリーダー、ヴィクトワールピサが追走する。

 

『ヴィクトワールピサ!ここで来ました!!これは凄まじい追い上げ!!その名のごとく勝利の頂まで登り詰めるか!?』

 

黒鹿毛のポニーテールを靡かせて最終直線、粘る先頭のウマ娘を完全に捉える。

なおも逃げる相手、先頭のコスモファントムの背中に猛然と迫る中、ピサは焦りを覚えていた。

 

(ファントム……随分粘るわね……!!)

 

予想外のオーダーだった。花形の中距離に他チームがチームリーダー自ら出走する中、チームベガのリーダーは出走を避けた。

更には代役として出たリーゼントのウマ娘、コスモファントムの本来の脚質とは違う大逃げにより場を引っ掻き回され、温存するはずだった末脚を切らされようとしている。

末脚を切る理由は、ピサの背後から迫りつつあった。

 

『ヴィクトワールピサに呼応するように!!ついに動いた!!レースの支配者がやってきました!!ルーラーシップが動いたああああ!!!』

 

右目にかかった右分けの鹿毛の髪の隙間から覗く、狂気を孕んだ眼光のウマ娘がピサの横に並んだ。

ニヤニヤと楽しげに笑うそのウマ娘とは対象的に、ピサは心底納得行かない様子で心の中で絶叫する。

 

(私も混ぜろよピサ公!!!)

(来るなああ!!何で今日に限ってやる気なのよこの出遅れウマ娘ぇええええ!!!!)

(なんか走りたくなった!!!)

 

何故か心の中で会話が成立していた。

普段はのほほんと学園で道草を食って遊ぶ、附属小学校一の気分屋にしてとある名家のたわけ者、ルーラーシップ。

やる気が無い時はわざと出遅れ、ゲートから出ない事もある程の気分屋である。彼女の出走レースは彼女次第で展開が大きく変わり、パルプンテウマ娘の異名すら持っている。

トレセン学園の副会長の縁者でもあり、頭痛の種でもあった。たわけ者の異名は副会長の命名である。

過去には『ルーラーシップの親族です。この度はうちのたわけがご迷惑をおかけしました』と副会長は気分屋が迷惑をかけたクラスの担任に、謝罪文を一筆したためた事もあった。哀れである。

しかし、とあるウマ娘指導者の弟子でもあり、師より直伝された走法を駆使した彼女はやる気になりさえすれば小学校でも屈指の実力者だった。

 

(ああもう……六年生は無差別までにろくにインターバルも無いのに……もおおおおおおお!!!!)

 

予測不可能な気分屋の、やる気モードを引いてしまったピサは天を仰いだ。

対抗戦では六年生は必ず終盤にレースが組まれ、その後に学年の縛りの無い無差別レースが最終レースとして用意されている。

この最終レースの為に、ピサはなるべく脚を温存して勝つつもりであった。しかしその青写真は隣の気分屋が唱えたパルプンテにズタズタに引き裂かれた。哀れである。

くすんと鼻を鳴らしたピサが、いじけた顔で前を向く。もうヤケになりつつあった。

 

(……もういいもん。本気出すもん)

 

クラスメートの芦毛のウマ娘曰く「ピサちゃんのカワイイところ」が出てきていた。普段は優等生で大人びた彼女だが年相応に拗ねるところがありそのギャップがたまらないと、とあるオタクは昇天しながら語っている。

 

『コスモファントムが脱落し、二人の叩き合いになりました!!勝つのは支配者か!?それとも……いや、これは』

 

ピサの目が血走り、額に血管が浮かぶ。

黒鹿毛のポニーテールが異様にうねり、螺旋を描くように靡く。

 

『これはヴィクトワールピサだ!じわじわとヴィクトワールピサがルーラーシップを突き離していきます!!』

 

隠していた強烈な競走本能と共に、本気を出したピサの豪脚がゴールに向けて解き放たれた。

加速する視界、ゴールを見据えるピサの脳裏に、育ててくれた恩師と、いつも見守ってくれるイタリア人トレーナーの姿が過る。

 

(ネオ先生、マルコさん……私が勝ちます!!)

 

ピサには一つだけ、附属小学校の生徒達とは一線を画す秘密があった。

彼女はトレセン学園附属小学校の生徒であると同時に、府中エクリプス教会の練習生である。

附属小学校のエリートウマ娘養成課程を修め、放課後はエクリプス教会で伝説のウマ娘達の競走指導を受ける。

なお英雄の強い意向により、周囲には気性難蔓延る魔境の関係者だとは伏せていた。優等生の彼女の内申に響くという英雄の判断である。

競走バの夢に邁進する、才能と努力を両立した天才。それがヴィクトワールピサというウマ娘だった。

 

(あっ、なんか走るのめんどくさい)

 

それはそれとして気分屋は急にやる気を失くしてスン、と下がっていった。

せっかく本気を出したのに、梯子を外されたピサが嘘でしょと言いたげに下がっていく気分屋に目を向ける。

恨めしげな目であった。当然である。

 

(もうこの子と走るのやだあ……)

 

『一着はヴィクトワールピサ!!勝利の頂を登り詰めた、素晴らしい末脚でした!!』

 

半泣きでピサはゴールラインを割った。勝ったのに勝った気がしない。哀れである。

芦毛のウマ娘がすねたチームリーダーの介護に向かい、賢者モードの気分屋がふらふらとピサに近付く。

 

「良し!!これでもうピサは走れん!!!よくやったぞファントム!!」

 

それをチームベガの自陣から見届け、リーダーのエイシンアポロンはしてやったりと快哉を上げた。自らの策通りの展開に、笑いが止まらない。

一着は取られたが、ヴァラの活躍により巻き返したチームベガは現在二位。一位のカペラにも僅差にまで迫っている。

 

「ピサ先輩、あれはちょっとかわいそう……」

「チームリーダー、ウマ娘の心がないな」

「何とでも言いたまえ!過程や方法など、どうでも良いのだ!!」

 

ふぁさっ、と前髪を撫でつけ、タールとファーの発言をリーダーは受け流してみせる。

全ては、一番の強敵を最終レースに出走させない為だった。気分屋がやる気になったのも嬉しい誤算である。

 

「良し、良し……これで最終レースは誰が走るかも予測できる。ならば……フラン嬢!!」

「フランちゃん、呼んでるよ」

「……ふえ?あっ!はい!」

 

ヴァラに肩車され、きょろきょろと観客席を眺めていたフランが慌てて返事を返す。

今年の最終レースは2000mで行われる事が決まっており、リーダーは誰を出すかを既に決めている。

各チームの出し得る最高戦力のぶつけ合いになる。その為に、オープニングで規格外の実力を示したフランをここまで温存していた。

 

「最終レースは君に託す……私はその露払いをしよう!!次の六年生マイルでな!!」

 

リーダーが耳の黒いメンコに手を触れると、周囲のウマ娘から歓声が上がる。

 

「出たあああ!アポロン先輩の十八番!!」

「みんな目を瞑れーー!!!」

太陽の恵み(ドーノ・デル・ソル)の時間だあああああ!!!!」

 

何も知らない転校生組が首を傾げる中、エイシンアポロンがメンコを外す。

その瞬間、アポロンの耳が強い光を発した。

 

「まぶしい」

「まぶしくて、つらいわ」

「目が!!私の目があああああ!!?」

 

転校生組が強烈な光に晒され、離れていたフランとヴァラはちょっと眩しい程度で済んだが、至近距離でモロに光を浴びたファーが目を抑えて転がり回った。

この耳、人呼んで太陽の恵み(ドーノ・デル・ソル)はチームリーダー、エイシンアポロンが生まれつき持つ特技である。

光をよく反射する金色の耳に鏡のように磨いたイヤリングを付け、晴天の日には歩く光害と化す。傍迷惑な特技である。

この耳で有利に先行争いを行うのが彼女の競走スタイルだった。卑劣である。しかし勝てばよかろうの持論を持つ彼女はどこ吹く風である。

 

「良し!今日は耳の調子も良い!では行ってくる!!」

「先輩!ご武運を!!」

「絶対勝ってください!!」

「目があああああ!!!」

 

チームメンバーの激励を受け、颯爽とリーダーはゲートへ向かう。

なおファーはまだ転がっていた。

眩しげに目を擦り、フランはリーダーを見送ってからもう一度観客席を見つめた。

 

「フランちゃん、いた?」

「……ありがとうヴァラちゃん、降りるわ」

 

ヴァラに感謝を伝え、肩車から降りる。

フランが観客席を見ている理由は、先程まで観戦していたはずのある人物を探していたからだった。

最終レースで、もう一度走る事が決まった。

それをただ見てほしい、見守ってほしいだけだった。

 

 

 

 

(どこに行ったの?トム……)

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

附属小学校、教室前の廊下。

怪人の手招き、あからさまな挑発を受けたカルトの狂信者が怒りに震え、その目が血走る。

 

「オイ、そこまでやっといてタダで済むと思ってネェだろうな?」

 

ここで怪人は初めてしっかりと侵入者を見た。

凶相の、頬に十字の傷が残ったヘロド教の修道服姿のウマ娘。シードパールと呼ばれていた事を怪人が思い出す。

その体格は大きい。180cm近い長身に、鍛えられ引き締まった体躯。

怒りに震えていたシードパールの目が急激に冷め、代わりとばかりに殺意を含んだものに変化し、両手を目の前に掲げて堂に入った構えを見せる。

ボクシングを主体にした用心棒(バウンサー)仕込みの喧嘩殺法と怪人は予測した。

ウマ娘の格闘技経験者は足技主体のスタイルが多いが、脚力とバネを活かしたフットワークによる手技主体のスタイルも侮れない破壊力を持つ。

姉も肘や一本拳、関節技を使ったスタイルを得意とする。プロレス技は弟への手加減である。

 

調教(レクチャー)…だァ?テメエ、ちょっと力が強いくらいで人間が素手でウマ娘に勝てるワケ……」

<いいから来たまえ、君に講義をしよう>

 

口上を遮られ、もう一度挑発されたシードパールは怪人の顔面を砕く事を即決した。

瞬時にウマ娘の脚力を用いたフットワークで近付き、鋭くジャブを放つ。

普通の人間ではガードの上からでも吹き飛ぶ威力の拳が迫るも、怪人はその場から動かず首を捻って避けてみせた。

 

<ウマ娘の強さの一つは、その強靭な肉体だ>

 

怪人が受けずに回避を選択した事で、力でこちらが勝ると判断したシードパールは本命の右ストレートを振り抜く準備に入る。

この狂信者はボクシングを主体としているが、本質は何でもありの喧嘩殺法である。

獲物を逃さないよう、踏み込む左足で怪人の右足を狙う。

 

<骨格、筋肉ともに人間を遥かに凌駕する強度を持っている。筋量に至っては同じサイズとするなら猫科の大型肉食獣すら上回る>

 

しかし、その企みは徒労に終わった。

怪人が右足を上げ、踏み付けが空を切る。

そして、振り抜いた右ストレートを左手で軽く手首に触れて逸らすと、懐に踏み込んだ怪人はそっと右掌を狂信者の鳩尾に当て、上げた右足を強く踏み込んだ後、足首を対手と並行に捻って踏鳴を起こした。

 

踏鳴とは、中国武術では震脚とも呼ばれる日本の古武術の技法である。足で地面を強く踏み込んでから足首を捻り、大地より生まれた運動エネルギーを上半身に伝える。ウマ娘が使えば鉄板すら貫き、怪人の修める流派の師範はもっと少ない動作ながら、人間の身でヒグマすら倒す。

その一撃を、狂信者は正面からまともに受けた。

 

「ガハッ!?」

 

床を砕く音が、誰もいない廊下に響く。

中国拳法に伝わる発勁法をアレンジした、流派の奥義の一つを受けた狂信者が吹き飛び、廊下を転がる。

しゅう、と怪人の右掌から白煙が漂った。

 

<例えるならば、人間サイズの象か恐竜と言ったところだろうか。正しく人間とは身体の作りが違う>

 

右手を振り、白煙を振り払った怪人が、続ける。

 

<そして、もう一つがまだ未解明の領域、ウマソウルだろう>

 

狂信者、シードパールは混乱していた。

人間のはずの怪人が自らの全力の右ストレートを逸らし、手痛い反撃を加えられた。

コツコツと、足音を鳴らしながら怪人が廊下を歩き、近付いてくる。

 

<軽自動車くらいはスクラップになる力を込めたが……立てるだろう?>

「……なん……なんだよ?テメェ……!!」

 

立ち上がり、目の前の怪人が人間ではない何かだと認める。

形振りは構っていられない。シードパールは武器を使うことに決めた。

 

<ウマソウルについての仮説と考察、という論文がある。著者はディーン・ヒル博士、ウマ明書房から書籍としても刊行されている名著だが……知っているかね?>

「知らネェよ!!死ね!!!」

 

腕のガントレットから光線が放たれるも、怪人はゆらりと左右にぶれるように動き、回避する。

シードパールは目を疑った。光線をかわすなど本当に化け物にしか思えない。

 

「来るな……来るんじゃネェ!!!!」

<論文には、こうある>

 

恐怖に顔が歪む狂信者の放つ光線は、視線で狙いが読みやすく、怪人がかわすのは容易いものだった。

光線を幾度も放ち、それを怪人が平然と回避し、それを繰り返す内にガントレットが煙を上げる。

 

「なっ!?故障……?あのガキか!!」

<ウマソウルとは、競走に臨むウマ娘に神秘的な力を与える他に、ウマ娘が危機を感知した際にその力を発揮する。これをウマソウル防御反応と呼ぶ>

 

ガントレットが光を失い、光線を発射する機構が動作を停止する。

狂信者はふと、龍王が自らを踏み台にした時に、ガントレットに触れたことを思い出した。

あの時、漏電した際に故障が発生していたのである。

 

「クソ……!ならこっちだ!見えネェだろ!!」

<衝撃への強い耐久力、高い自己治癒力、一時的に精神も昂揚させる>

 

狂信者は攻め手を変え、修道服に仕込んだ潜入に使った装置を使用する。

廊下に溶け込むように、狂信者の姿が消えた。

 

<言い方を変えると……日本のコトワザにある、火事場のウマ力、というものだろうか>

「知らネェってんだよ!!スカしてんじゃネェ!!!」

 

形振り構わぬ狂信者が、廊下を縦横無尽に飛び回った。

見えないまま、ボクシング仕込みのインステップで背後に回り、後頭部への打撃を狙う。

 

<これが非常に厄介な代物でね……私は、恐らく何度正面から打撃を打ち込んでも君を倒せないだろう。人がウマ娘に絶対に勝てないという一般論は、このウマソウル防御反応によるところが大きい>

「そうかよ!!死ね!!!」

 

大きく振りかぶり、ロシアンフックを打ち込むはずだった狂信者は腕を掴まれて宙を舞い、怪人の前に叩きつけられた。

狂信者は再度混乱した。アメリカの対気性難国防計画局(U M A R P A)より強奪した光学迷彩は、確かに自分の姿を隠していたはずだった。

 

「な……なんで……?」

<ああ、すまない。見えているんだ。この覆面は特別製でね>

 

怪人は、狂信者の姿を確実に捉えていた。

怪人の現在の覆面は製作者が凝りに凝った逸品であり、暗視機能にサーモグラフィー、更にはウマソウル感知機能まで備わっている。

 

<立てるだろう?仕切り直しても構わない>

 

呆然としたまま、狂信者が立ち上がろうとする。

そこで右腕に痛みが走り、だらりと腕が垂れ下がった。

肩が、外されていた。

 

<ここまで、ウマ娘の強さについて語ったが……本題に入ろう>

 

「う………うわああああああ!!!!!」

 

まるで自分を実験台に、大学で講義を行うような怪人の様相に、ついに恐怖に耐えきれなくなった狂信者は逃げ出した。

それを怪人が、腕を組んだ姿勢で追う。

 

<まず先述した、ウマソウル防御反応の弱点についてだ。これはウマ娘本人が感知している危機でなければ効力を発揮しない。例としてはアメリカで起きたチーム・カルメットのオーナー狙撃事件、そして二年前のウィンターカップでもミッドデイが外から肘を受けて肋骨にヒビが入っているな。どちらも痛ましい事件だった>

「来るなあ!!ついて来るんじゃネェ!!!」

 

腕を組んだまま併走する怪人に、肩を庇いながら、更には走るのは苦手な狂信者は叫びながら逃げる。

 

<付け加えると、ウマ娘同士の闘争においては、ウマソウル防御反応を貫通してダメージを与える事が可能だ。これにより、各国のウマ娘犯罪の初動はウマ娘が当たるケースが多い>

「なんなんだよ!?なんなんだよオマェええ!!」

 

突如現れた謎の怪人に正面から返り討ちに遭い、頼みの秘密兵器も不発に終わった狂信者の心は、完全に折られていた。迫り来る人の形をした人間ではない何かに、ウマ娘のアイデンティティを崩されつつあった。

 

<もう一つの弱点、こちらはウマ娘の強靭な肉体が持つ欠陥にある>

「ひっ……‥!」

 

逃げる狂信者の背後へ、怪人が回り込む。

 

<ウマ娘は確かに筋肉、骨格ともに人間の比ではない強度を持つが、その構造は人体と酷似している。つまり急所も人体とほぼ同じだ。私が外した君の肩のように、関節技が有効だな。人間の武道の達人が、ウマ娘を制圧したケースも過去に存在する>

「テメェは人間じゃネェだろ!!来るナァ!!」

<心外だな……私は人間だ……話を戻そう。ウマ娘の肉体における最大の弱点は、ウマ娘がウマ娘たる証にこそある。それが……>

 

怪人が跳躍し、狂信者の頭上で右手の人差し指を立てた。

 

 

<──ここだ>

 

 

狂信者の両耳の裏面、付け根の部分を指先で二度突いた。

ガクン、とまるで糸の切れた操り人形のように狂信者は力を失い、廊下に倒れる。

 

「がっ……!?動け、ネェ……!!?」

<無理に動かない方が良い>

 

怪人は倒れた狂信者の上半身を起こすと、外れた右肩を戻した。

 

<ウマ娘がウマ娘たる証、ウマ耳の裏はその構造により、ウマ娘にとって決定的な弱点となっている。耳の裏は人体にとっても致命的な急所だが……ウマ娘の場合、聴覚器と平衡覚器の先にあるのは前頭葉だ。衝撃を受ければ平衡感覚を失い、姿勢制御に支障を来すと同時に脳震盪も起こす。おまけにここを打たれる場合、多くはウマ娘の感知外への攻撃となる。ウマソウル防御反応も発生し難い>

「クソ……が……!!」

<以上で、講義は終わりだ。しばらく動けないだろう>

 

もう一度狂信者を寝かせると、怪人は蒼く輝く目をその顔に向けた。

 

<さて、ヘロド教の修道服を着ているが……君達は聖なる気性難の黄昏(トワイライト・サン・シモン)の構成員だろう?他に何人いるか教えてもらえると、助かるのだが>

「言う訳……ネェだろうが!!聖母様が到着されたらテメェなんて八つ裂きだ!!」

<ほう?聖母様、という人物がいるのか。首魁のようだな>

「あっ………」

 

自らカルトのボスが来る事を自白した狂信者の顔が青ざめた。自爆である。

 

<どうせなら、もう全部言ってみないかね?そうしてもらえると有り難いが……>

「…………」

 

狂信者シードパールはカルトの聖母に救われ、心酔している。

カルトの構成員は、それぞれがアメリカで強奪した試作品の兵器で武装しており、この狂信者も最後の切り札を持っている。

目の前の怪人は脅威であり、このまま行かせては聖母の身も危ない。その切り札をここで使おうと狂信者は決意した。

 

「オイテメェ、強えーな。認めてやるよ」

<そうか。では話してくれないだろうか>

「アア、イイぜ……だからここで……」

 

最後の切り札、それは修道服の裏地に仕込んだ自決用の小型爆弾である。

奥歯に仕込んだ装置を、狂信者が嚙み砕こうと動かぬ体に力を込める。

 

「オレと、死───」

 

 

「しゃあっ!!!!!」

「ごばあっ!!!!?」

 

装置を噛み砕こうとした瞬間、仮面ボーイのお面を被ったウマ娘が廊下の向こう側から猛スピードで現れ、狂信者を蹴り上げた。

天井に叩きつけられた狂信者は即座に失神した。怪人がぽかん、と現れた協力者を見つめる。

全力で走ってきたらしい謎ウマ娘は残心の後に、ごそごそと狂信者の懐を漁り、息を吐いてから怪人へ振り向いた。何故か既視感のある、怒った時の姉のような強い圧力を感じた怪人が一歩下がる。蒼く輝く目とオーラも引っ込んでしまった。

 

「……ねー、あーしさっき言ったじゃん?すぐ気絶させろって」

 

仮面ボーイのお面越しでもわかる、怒りの雰囲気を感じた怪人は更に後退りした。何故かこのウマ娘に勝てる気がしない。

 

<い、いや、待ってくれないか?私は情報を得ようと……>

「うっさい、言い訳すんなし。コイツ爆弾持ってんの気付いてた?ホラこれ」

 

謎ウマ娘が、狂信者の懐から取り出した小型の爆弾を怪人に見せつける。

 

<……まさか、自爆しようとしたのか?>

「そーいうコト。アンタ詰め甘すぎー。昔っからウマ娘には余計な手加減してホントに……

 

この協力者とは、用務員の古浪氏と向かった小学校への移動中に合流した。

見るからに不審者丸出しの謎ウマ娘の同行の申し出に怪人は難色を示したが、「アンタも不審者じゃん?ヒトの事言えんの?」とぐうの音も出ない正論を受けて渋々了承している。

しかし、この謎ウマ娘は戦力として破格であった。

 

<どうやら助けられたようだな……君がここにいると言う事は、そちらは終わったのかね?>

「当たり前っしょ。古浪のおじい様と軽くのして来たから」

 

職員室に潜入した構成員三人のうち、二人を受け持ったのは彼女と古浪氏である。

先回りし、二人が同時に襲い掛かって即座に構成員の意識を奪い、拘束と武装解除を古浪氏に任せてから自爆を防ぐために、彼女はここへ急行していた。

 

<ところで、君に聞きたい事がある。先程の……>

「そちらも、終わったようですな」

「おじい様おかえりー!こっちもラクショーよ!」

 

怪人が謎ウマ娘について質問しようとした所で、拘束した構成員を引きずった用務員が合流した。

彼もウマ娘の感知外からの不意打ちで、一人を仕留めている。やはり只者ではない、と怪人は確信した。

謎ウマ娘は用務員とハイタッチを交わした後に、手を合わせた。

 

「古浪のおじい様、ごめーん!先にコイツら連れてってくれる?」

「引き受けましょう。警戒中の警察官に預けてきますので」

「マジサンキュー!……じゃー、そーいう事で」

 

構成員三人を同時に引きずり、廊下を去る用務員に手を振った後、謎ウマ娘は怪人に振り向く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「聞きたいコトあるんでしょ?あーしも話があんのよ、アンタに」



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第三十六話 不審者×不審者

正体不明の、仮面ボーイのお面で顔を隠した銀髪のウマ娘が、怪人と向き合う。

真っ直ぐ彼女を見つめた怪人が、小さく息を呑んだ。

 

(………こいつ、とんでもなく速いぞ。G1級……いや、中距離ならどの路線でも世代のトップになれる)

 

稀代の天才ウマ娘にして未だ無敗のフランを間近で見てきた怪人の中身、智哉ですら脱帽するほどの才能を、この不審者丸出しのウマ娘から感じていた。

 

(……それだけじゃねえ、トレーナーも相当に切れ者だな。現役でここまで仕上げられるのは……先生か、エイベルさん……それにシュタウト候か、もしくはあの人……)

 

稀代の才能を、限界まで磨き上げた芸術品。

才知に満ちたトレーナーの影を感じた智哉が、恩師、同期のもやしの父、そしてジュドモント家と懇意で、女王陛下の信任厚い貴族と、自らの知る中で最高峰のトレーナーを頭に思い浮かべる。

英国のトレーナーに絞られているのは、彼女の校章にあった。

 

「……ジロジロ見んのやめてくんない?セクハラで訴えるよ?」

<はっ!いや、待ってくれ……君は、トレセン学院の生徒だろう?これからG1戦線が始まるというのに何故ここにいる?担当トレーナーはどうした?>

「今はレースお休み中ー。オタク君……担当はここにはいなーい」

 

謎ウマ娘の制服の校章は、統括機構トレセン学院のものだった。

英国ウマ娘統括機構(B U A)のイニシャルが混ざり合い、王冠を戴くデザインを怪人はよく知っている。

謎ウマ娘の返答に怪人は首を傾げた。英国でオタク君と呼ばれそうなトレーナーは知っている限り存在しない。

 

<オタク君……誰だろうか?君ほどのウマ娘をそこまで仕上げられるトレーナーは限られるが……>

「もーすっごいレースオタクだからオタク君だよー、名前は言ってもわかんないだろーから言わない。アンタの教え子だし

 

担当は何者かと思案し、顎に手を置く怪人に謎ウマ娘がおもむろに近付く。

そして、伸ばしたその手を我に返った怪人が掴んだ。

 

<……急に何をする?>

「それ、もーいいっしょ?外しなよ」

<何故君の前で外さなければならない?>

「うっさい!いーから外せっての!!そのままだと察しが良すぎてメンドーだし!!あと仕事モードみたいでムカつく!!」

<なんだ君は!?やめたまえ!!!>

 

謎ウマ娘の目標は、怪人の覆面だった。力比べの形になり、じわじわと怪人が押されていく。

埒が明かない状態で、謎ウマ娘は耳を絞って叫んだ。

 

「アンタの正体くらい知ってるし!!トモヤ・クイル!!統括機構所属トレーナー!!」

<ちょっと待て!!大声で言うのはやめろ!!!>

「趣味はツーリングとバイクいじり!特徴はクソボケ!特技はウマ娘たらし!!天敵はお姉様!!!ここにいるって聞いて慌てて飛んできたっつーの!!!」

<なんだよそれ!!そんな趣味も特徴も特技も持ってねえよ!!!……天敵は合ってるけど>

「あっ、趣味まだだっけ?あのスケベオヤジと会ってないの?」

<誰だそれは…?>

 

覚えのない非難と散々な言われように、思わず素の智哉に戻る。

なお天敵には覚えがありすぎていた。先程も友人を連れてきただけでジャーマンスープレックスを食らっている。

言いたい放題の謎ウマ娘が、ふと何かを思い出して手を離し、胸元から一枚の便箋を取り出した。

 

「そーだ、これ」

<……何だね、それは>

「アンタが抵抗した時用に持ってけって。天敵から」

<……………………マジで?>

 

もう一度素に戻り、便箋を開く。

 

『愚弟へ 黙ってこの娘の言う通りにしな、あんたの味方だから。この娘への詮索もナシね?言う通りにしないとぶっ殺す お姉ちゃんより』

 

確かに姉の筆跡で、姉らしい事が書かれていた。思わず便箋と謎ウマ娘を見比べ、背筋が伸びる。

 

<…………何処かで会っているのか?君のようなウマ娘なら、一度見たら忘れないんだが>

「詮索ナシって書いてあるけど?」

<わかったわかった……外せばいいんだろ?」

 

姉からの便りと謎ウマ娘の押しの強さに根負けし、智哉は覆面を外した。

その顔を見て、謎ウマ娘が呆れた様子でぶつぶつと小声で呟く。

 

「マジ老けてなさすぎっしょ……トムオジ」

「……何だよ?」

「なんでもないしー、あ、それ返して」

 

用の済んだ便箋をひったくり、胸元に戻す謎ウマ娘を眺める智哉が、不思議そうに首を傾げる。

自分の事をよく知っているらしい、この謎ウマ娘と会った覚えが全く無かった。

不思議なウマ娘である。銀髪に鹿毛の尻尾という特徴も珍しい。

 

(フランの金髪もセシルさん譲りなんだよな。フランは尻尾も金色だけど……)

 

ウマ娘は時に、父の遺伝により髪色を受け継ぐケースもある。

それを思い返し、せめて顔を見れば思い出すかも、と智哉は考えて口を開いた。

 

「なあ」

「はいはい、何から聞きたい?」

「その前に、俺は顔見せたんだからお前もそのお面取るのが筋じゃねえか?」

 

姉の理不尽に長年晒されてきた智哉らしい、情が深く筋を通す気性難の特徴をよく知っている物言いであった。

こう言われると気性難は弱い。案の定、謎ウマ娘は言い淀む様子を見せる。

 

「んーーーー…………ゴメン、見せれない」

「……何でだよ?ここにいるのが関係……詮索はダメだったな。わかったよ、そのままでいいぜ」

「ゴメン、でも一つだけ言っとく」

 

智哉を指差し、謎ウマ娘が語る。

 

「アンタはこの先、英国であーしと会うから」

「そりゃ学院の生徒ならどっかで会うだろ。それだけか?」

「それだけじゃないから言うのよ。あーし、その時アンタ見て訳ワカんない事言うけどさー、助けてやって」

「……なんだそれ、記憶でも失ってんのか?いやその前に……」

「ハイそこ詮索禁止!それともう一つ!!」

 

思索に耽ろうとする智哉を制止した後、謎ウマ娘は真剣な様子でもう一つ付け加えた。

 

「担当の子の二年目の八月六日、絶対にロンドンから離れて」

「……担当ってフランの事か?いやそれよりもお前、まるで……いっでえ!!?」

 

もう一度詮索しようしたところを謎ウマ娘に脛を蹴り上げられ、智哉は声を上げた。

更にげしげしと追撃しながら、謎ウマ娘は我慢の限界とばかりに叫ぶ。

 

「詮索禁止っつの!結構ギリギリの事言ってっから!!誰の為に危ない橋渡ってると思ってんのよ!?ホントムカつく!!大っ嫌い!!!」

「いてえから!蹴るなよ!!」

「いっつもいっつも無茶して!!心配かけて!!!おば様いるのにアメリカで二股かけて!!!ホント死ね!!!最っ低!!!オタク君にまでそのクソボケうつすな!!!」

「そんな事した覚えねえよ!!!やめろ!!!!」

「うっさい!!いいから約束しろっつの!!あーしを助けて!!ロンドンから離れろ!!!」

「わかった!わかりました!!約束します!!!」

 

蹴られている為、智哉には一部しか聞こえなかったが、余程鬱憤が溜まっていたらしい謎ウマ娘が折檻の蹴りを繰り出す。

姉の如き容赦なき折檻である。音を上げた智哉が全面降伏した所で、息を整えた謎ウマ娘が満足げに頷く。

 

「最初からそう言うし、約束だかんね?」

「はあ……わかったよ。二年目の八月だかにロンドンに行かなきゃいいんだな?」

「そーそー、あーしを助けるのも忘れないで」

「へいへい………」

 

納得のいかない話であるが、ここで拒否したらまた蹴られると考えた智哉はため息をつきながら了承する。

そして謎ウマ娘を見て、聞きたい事を思い出し、声をかけた。

 

「……さっき、あの先生を助けなかったのは何でだ?」

 

カナを庇い、怪我を負った石畑教頭。

智哉扮した怪人、謎ウマ娘、用務員の三名はそれをただ、眺めていた。

助けに入れるタイミングは十分にあった。しかし、謎ウマ娘が絶対に入ったらダメと言い、止めた本人は歯ぎしりをしながら見つめていた。

智哉から見て謎ウマ娘は押しが強く気性難だが、善良なウマ娘である。出会ってから短い間だが、筋を通し情が深い姉にも通ずる部分を感じていた。だからこその疑問である。何か理由があるはずだと思っている。

 

耳をぴくりと動かし、謎ウマ娘が答える。

 

「あの子、ああしないと自分から走らないから。見ててわかったっしょ?本気出すとすごいし、あの子」

「……そうだな、怪我した先生が心配だけどな」

「良い先生だよねー、あーしもホントは助けたかったし。でもあそこで助けたらあの子の為に、なんないし………」

 

耳をしゅんと垂れさせ、不本意だったとその身で示す謎ウマ娘。

智哉はその姿を見て、思わず慰めてやりたくなって頭を撫でる。

自分でも何故そうしたかわからない、条件反射の行動だった。

 

「……まあ、顔色も悪くなかったし大丈夫だろ。ちょっと払われただけだし大怪我じゃねえよ、きっとな」

「………うん、ありがと……トムオ……っしゃあ!!!!」

「ぐべえ!!!!?」

 

しばらく大人しく頭を撫でられていた謎ウマ娘が、我に返って智哉の顎に掌底をぶちこんだ。

先日ずっこけてエルボースイシーダを繰り出した姉を、横抱きで受け止めた時と同じ箇所である。意識を一瞬飛ばされるもギリギリで踏ん張って耐える。文句は言えなかった。よく知らないウマ娘の頭を撫でるなどセクハラ案件であり、むしろ掌底一発で許されるなら安いものだった。

対して突然掌底をぶちこみやがった謎ウマ娘は、顔を手で扇いで智哉を突き放す。

 

「危なー……油断もスキもないっしょこのクソボケ。そうやってすーぐウマ娘たらしこむし!!」

「いや、そんなつもりはねえよ……何で頭なんて撫でたんだよ、俺……」

「それ以上考えるのやめるし。もー行くよ」

 

親指で、下りの階段の方向を謎ウマ娘が示し、智哉が首を傾げる。

 

「……どこに行くんだ?」

「これくらいで終わるワケないっしょ。残りのヤツら、競技場に来るし」

 

智哉が息を呑む。競技場にはフランや姉、自分の関係者達がいる。

絶対に阻止しなければならないと考えた智哉がもう一度覆面を被ろうとしたところで、謎ウマ娘が制止する。

 

「待つし!アンタはそのままでいーから」

「は?いや、こっちの方が……」

「確かにアンタそっちの方が強いけど、この事件はアンタが強いだけじゃダメだし」

 

覆面を取り上げ、謎ウマ娘は教室を指さした。

 

「まだ時間あるし、着替えてきなよ。なるはやでよろしく」

「待てよ、俺は……」

 

 

 

「信じて、お願い」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

競技場に、深いため息が満ちる。

チームベガのチームリーダーが満を持して出走した、六年生マイルの結果に対してである。

 

『え、エイシンアポロン、急激に斜行から失速して二着に終わりました……何があったんでしょうか?』

『……たぶん、自分の耳が眩しかったんでしょう』

 

策士は策に溺れていた。今日は天気が良すぎた為、自分の輝く耳で視界を遮られていた。

最終直線は出走ウマ娘全員が視界を遮られ、ヤマカンで真っ直ぐ走れたカペラの六年生が一着に収まった。

その当人は、ゴールで転がりまわっている。

 

「目が!!私の目があああああ!!!!」

「誰かメンコを付けてやってくれ、眩しくて近寄れん」

「……とりあえず頭隠すね、ロン先輩」

 

リザーバーのファーと自分の出走が終わっているタールが介護に向かうが、転がりまわる光害に二人とも近寄れていない。

呆れたタールが、持ってきたタオルでチームリーダーの頭を覆う。

今度は視界が真っ暗になったチームリーダーが混乱して騒いだ。このウマ娘、暗所は苦手である。

 

「あっ暗い!!暗いよおおおおお!!怖いよおおおお!!!」

「ロン先輩うるさい……ファーちゃん、行こう?」

「ああ……タール、これでかなり離されてしまったな」

「もっと光を!!もっと灯りをおおおおおお!!!!」

「うん……フランちゃんが最終レースで一着を取っても厳しいね、二着も取らないと」

「暗いよおおおおお!!!!!」

 

何やら考え込むファーと、タールが自陣に帰りながら言葉を交わすがチームリーダーがうるさくてよく聞き取れない。

そこでファーはタールの背中に回り込み、背負われたチームリーダーの延髄に手刀を見舞った。

 

「当て身」

「あっ……」

「静かになったな、よし」

「いや、ファーちゃん……もういっか」

 

ちーん、と気絶するチームリーダーを背負い、ファーの唐突な行動にタールはツッコミを入れようとしたが黙って受け入れた。

このノリに適応しつつあった。転校生組はそれぞれアクが強すぎるのである。

ファーが、最終レースに臨むチームカペラの円陣を見やる。

 

「いよいよ最終レース!流れはこっちに来てるわ!!」

「みんなーもう一息!がんばろー!!」

 

友人の介護により復活したピサが、芦毛のカワイイウマ娘と並んで檄を飛ばしていた。

そして、一人のウマ娘を指差す。自分が走れない場合の代役を、ピサは以前から決めていた。

 

「シオン!!最終レース!!あなたに託す!!」

「……はい、ピサ先輩」

 

五年生のエース、ウインバリアシオン。

既に五年生2000mを走り、一着で見事勝利している。

対抗戦の勝敗を決める大一番での指名、本来なら意気に感じる場面だったが、憂鬱そうにシオンは返事を返す。

その表情は、昏く落ち込み、思い詰めていた。

 

「……大丈夫、シオン?無理なら……」

「大丈夫です、走れます」

 

尊敬する先輩の言葉を他所に、踵を返したシオンは出走の準備に入った。

シオンはこれから走るであろう相手との対決に、怯えていた。

 

(きっと、私は負ける……)

 

日々のヒットとの勝負、そしてオープニングの五年生マイルで実力を示し続ける、明らかに自分の手に負えない怪物。

訪れるであろう始めての敗北と、もう一つの懸念。

 

(痛っ……こんな時に!!二着でいいのよ!!それで、それで……)

 

蹄鉄を軽く叩こうとした所で、シオンの足に痛みが走った。

シオンが誰にも言えない秘密、師であるウマ娘だけが知っている脚部の不安がここに来て彼女の身に降りかかる。

 

(……そうか、私と同じか)

 

それを、つぶさにファーは見ていた。

思索に耽りながら、自陣に戻る。

ファーはリザーバー登録の際に、主治医に一つだけ言い含められていた事項があった。

 

『医師としては無理は禁物だけどねえ、どうしても走りたくなる時もあるねえ』

 

『だから、こう言おう』

 

『──末脚は十秒まで。それくらいなら、今の君の脚なら耐えられるとも!ところでこの血清、興味ない?とある人物の血で作った……』

 

主治医の話を思い返す。マッドには付き合っていられないので最後の方は聞き流した。

自陣に到着し、リーダーの代わりにオーダーを話し合う上級生の元へファーは向かう。

 

「次、どうする?フランちゃんだけでは……」

「ファントム先輩」

「おお、ファーちゃんか。ロンの回収ご苦労……?」

 

ばちん、と音を立て、ファーの足に取り付けられていた器具が辺りに散らばる。

その眼は、燃え上がっていた。

まるで、燃え尽きる流星のように。

 

 

 

 

 

 

「最終レース、私が走ろう」



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第三十七話 対抗戦、最終レース

引っ越しとか生活環境激変する出来事がいろいろあってお休みしてたやで。
一ヶ月も休んでごめんねごめんね。また更新してくから……。


競技場の観客席最前列、ゴール前。

エクリプス教会御一行とは離れた位置で、二人のウマ娘がかぶりつくように観戦している。

最終レースのお目当てを見届ける為にゴール前に陣取った、異様な風体の二人組である。

その片割れのピンク髪の小柄なウマ娘が、隣に立つ青鹿毛の恍惚とした表情のウマ娘を見上げて、声をかけた。

 

「やっぱりフランケルちゃんみたいですよ!!レムさん!!!」

「フランたん!!!!フランたあああああん!!!!!」

「流石にそれはあたしも引く」

 

突然サイリウムを構えて号泣する、トレセン学園の不良教官ウォーエンブレムにピンク髪のオタク、アグネスデジタルは冷静にマジレスを加えた。

今日は一度尊死しており、更には自分より危ない存在が身近にいるために平静を保っている。

観覧席からつまみだされたオタクは観戦の為に観客席に向かい、そこで事案ウマ娘と遭遇した。

元々の知り合いであり、ジャンルは違うがウマ娘を愛でる同志である。今回は推しも同じだと言うことで同行する流れとなっている。

 

「レムさんレムさん、折角なんだし解説してくれません?」

「ああ、いいとも!とは言え、普通にやればフランたんだろうな」

「ですよねえ、フランケルちゃんが速すぎますね。学園でも走れますよ、あの子」

「だがな、今回は二着も同チームじゃないとポイントが届かない。エースならチームを導くのも役割だからな……どういう展開で走るかが見せ場だろう」

 

うんうん、と頷きながら後方トレーナー面でレースの展開を語る不良教官。

ここでオタクは疑問を覚えた。この不良教官、好き嫌いは激しいがその手腕は有能である。

小さい子供が好きならば、小学校の教師になればいいのでは?と考えたのである。

 

「レムさん、なんで教官続けてるんです?小学校の先生とか……」

「………附属小学校の採用試験なら、三回受けている」

 

受けてた。

 

「えっ」

「………全部、落ちたんだ………面接で熱く小学校教育と好みのポニーちゃんについて語ったんだがな。せめて近くでポニーちゃん達を眺めたくて、教官を続けている」

「たぶんそれが悪いと思う」

 

不良教官は採用担当の教頭含む教師陣の前で好みの幼いウマ娘について熱く語り、無事不採用通知のお祈りを受けていた。

当然である。事案ウマ娘を小学生に近付けてはいけない。

ピンク髪のオタクは呆れた目で不良教官を見た後に、ふとゴール付近の整備を行う附属小学校のスタッフを眺めた。

オタクが首を傾げる。対抗戦は毎年観戦しているオタクは小学校の教員やスタッフの顔もある程度知っている。

そのオタクが見たこともない、深く帽子を被ったウマ娘が目につく。

不思議なウマ娘である。超気性難の証である口枷を装着し、周囲のスタッフは顔を蒼白にしながら距離を置いて作業していた。

 

「……ん?レムさん、あんな人いましたっけ?さっきと違うスタッフさんみたいですけど」

「何?交代でもしたんじゃ………!!?」

 

オタクに促され、スタッフに目を向けた不良教官は言葉を失い、急に背筋を正した。

アメリカウマ娘の脳裏に刻まれた、条件反射だった。

 

「あ………あの方は…………!!?」

「……どうしたんですか、レムさん?でもホントに知らないスタッフさんですね、今時口枷つけてる人って珍しいし」

 

口枷が超気性難の証とされているのは、それをトレードマークとしていたとあるアメリカの伝説のウマ娘の逸話によるものである。

彼女にあやかろうと一部のウマ娘の間ではファッションとして好まれ、ウマ娘暴走族も口枷を真似てマスクをつける事が多い。

オタクとしては自分は着けないが推しウマ娘の口枷スタイルは結構好みだった。オタクは雑食なものである。

 

「いや……こんな所でスタッフなんてやるはずがない。だが、この寒気はなんだ……?」

「知っている人だったりします?」

「き、気のせいだろう、うん……それよりもフランたんまだかなあ!?早く観たいなあ!!」

 

恐怖を誤魔化すように笑う不良教官を、不思議そうに見つめるオタク。

 

 

それを、にやにやと笑みを浮かべながらシスターは見ていた。

 

「おっ、レムのヤツ気付いたな?そりゃビビるよなあ」

「アネさん、いいんスか?あの人にあんな事させて……」

「やらせたのは俺様じゃねぇよ、グランマがやりたいって言い出したんだぜ?近くで観たいってよぉ」

 

辟易とした目を向けるドリジャに、シスターが大仰に手を広げてお手上げのポーズを見せる。

ゴールにいるスタッフはシスターの恩師であり、日本とアメリカの競バ界における重鎮である。

現在も家族の住む日本とアメリカを往復している多忙な身であり、今回の一件を居候から聞き及ぶや、シスターへ協力を申し出ている。

 

「まっ、そんな事より最終レースだな。ハーツの弟子はなかなかやるヤツだぜ。アイツを抑えねぇとフラン嬢ちゃんのチームに逆転のチャンスは無ぇな」

「五年生のあの子ッスよね?ハーツ先輩、来てねーんスか?」

「誘ったら忙しくて来れねぇってよ。観に来てやれよな、ったく」

 

チームカペラより最終レースに出走するシオンを指導しているウマ娘は、シスターとも旧知の仲である。

今回は観戦を誘ってみたところ、引退した彼女はサブトレとして所属しているチームでの活動と幼いウマ娘達の指導、更には大学の単位獲得の為に多忙すぎて来れない、と申し訳無さそうに断られていた。現在はとあるフランス人トレーナーと滋賀県甲賀市に足を運んでいる。

アイツ弟子より男取りやがった、と呆れた顔を浮かべた後に、シスターはここまでの対抗戦の内容を思い返す。

 

「おじょーちゃんガッコーと思ってたけどよ、レベル高ぇし観てて面白ぇな」

「そうッスね、正直舐めてたッス」

「だよなぁ、来年はウチのヤツらも混ざれねぇかヤヨイとカツキに聞いてみっか。面白そうじゃね?」

「ソレいいなアネさん!オルとドンナで度肝抜いてやろうぜ!!」

「よし!終わったら言いに行くか!!」

 

シスターが名案を思い付いたとばかりに、ドリジャへ楽しげに語り、聞いていたステイがそれに乗る。

なお理事長の新たな胃痛案件である。

 

どうやってごり押すかの計画を語り合う気性難三名を他所に、姉とメイドはゲートに並ぶウマ娘達を眺めていた。

姉が、出走の準備に入るウマ娘の中に、フランから友人だと聞いていたファーの姿を見つける。

 

「あれ?あの子走るんだ?」

「ああ、ファーという子だったか。お嬢様とナサニエル様のご友人だな」

「足悪いって聞いたけどねー、無理しなくていいのに」

 

メイドは眉を顰めた後に、ふと気付いたことを口に出す。

 

「ナサニエル様が、速いと言っていたな」

「あーそうね、ウチ来た時言ってたわ……フランちゃんの将来のライバルになるかもね」

「そうだな……ところで、肝心のお嬢様の将来のトレーナーがまだ帰ってきていないが?」

「言われてみれば帰ってきてないわね。あのバカ………」

 

フランの将来のライバル候補が走るのを見れるチャンスだと言うのに、フランの将来のトレーナーはまだ帰ってきていなかった。

姉の額に青筋が浮かび、フランが走るというのにほったらかして道草を食っている弟に折檻すべく踵を返す。

 

「ちょっと探してくる。どうせ近くでウマ娘に絡まれたりとかしてるんでしょ」

「……そうか、なら私はお嬢様の勇姿を撮影しておく」

 

現在、弟は実際に謎のウマ娘に絡まれている最中である。

姉の言葉を受けて、メイドはカメラを携えてフランを撮影する準備に入った。

 

 

 

「あんたは相変わらずねー、すぐ戻るわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

『附属小学校対抗戦はいよいよ最終レース!大江さん、注目はやはりチームベガのフランケル選手でしょうか?』

『そうですね、オープニングのような圧倒的なレース展開に期待したいですね。それとカペラのウインバリアシオンちゃんも注目ですよ!あのハーツクライから指導を受けている期待のウマ娘ですから』

『なるほど!注目しましょう!おっと、それと……ベガはどうやらリザーバー登録の選手が出走するようです。資料によると……なんと英国の名門、エプソムポニースクールからの留学生です!』

 

実況と解説の掛け合いに、靴紐を結びながら集中していたフランが頭を上げる。

フランが知っている限り、同チームでリザーバー登録しているエプソムの留学生は一人しかいない。

その留学生、ファーは堂々と腕を組み、頭を上げたフランの前に立っていた。

 

「……ファーちゃん?」

「集中しているところすまない、フランケル」

「ううん、いいのよ。走って大丈夫なの?」

「少し、気が変わった。ドクターからも条件付きで許可は貰っている」

 

腕組みを解き、ファーは目敏くフランを観察する。

同年代にして、留学先の同級生。性格も好ましく、そして速い。

自らの将来、憧れの競走生活における良き友人、良きライバルとなるであろう相手を見つめ、ふとその足下に目をやる。

観戦、自らの出走問わずレースを愛するファーは用具への造詣も深い。

 

「……Adictus(アディクタス)のマイル中距離兼用モデルか?しかも准将モデルだな。練習の時はジュドモントのモデルだったはずだが」

 

Adictus(アディクタス)とは欧州最大にして、アメリカの大企業Neaike(ネアイキ)に次ぐ世界第二位のレースウェアメーカーである。

日本で指導経験のあるウマ娘が会長を務め、同社と契約を結びプロモデルを発表する日本のウマ娘も多く、会長の特徴的な三白眼をモチーフとした三本線のロゴと機能的かつデザインに優れたシューズ、蹄鉄は競走バを目指すウマ娘達の憧れとなっている。

フランの使っているシューズと蹄鉄はファーの見立て通り三本線のロゴと、ある伝説のウマ娘のサインが入った同社製の最高級プロモデルである。

 

「……ええ、准将閣下のモデルよ。直接贈られたから、使わない訳にはいかなくて」

 

フランはファーの反応に深くため息をついた。

智哉との約束のため、強く速いウマ娘となるべくフランは英国クラブ選手権で活躍し、そしてその活躍はとある高名なウマ娘貴族の目に留まっている。彼女のフランへの期待と好意はすこぶる重く、現在使っている蹄鉄とシューズも統括機構主催の社交界の折に、ジュドモント家の分家であるバンステッド家の次期当主と談笑中に「是非レースで使ってほしい」と衆人環視の下で贈られた物だった。そういう手段で贈られては、彼女に恥をかかせることになると察したフランに断る手はない。なお本人は迷惑をかけた事に気付いておらず、後に友人の諮問委員長に注意を受けている。

 

「そうか、注目を集めるというのも色々あるものだな。閣下としては、フランケルに余計なちょっかいを出されないように釘を刺す意図もあったんだろう」

「ええ、悪気は無いと思うし、良い方ではあるから……タイミングが悪かっただけで……」

「それに准将モデルはフランケルの脚質にも合っているだろう?閣下は英国で最も速いとまで言われたウマ娘だ、合わない蹄鉄とシューズをわざわざ贈るような真似はするまい」

「怖いくらいにぴったりなのよ……怖いくらいに……ファーちゃんは何を使っているの?」

 

准将の、執念を感じる好意にぶるりと震えたフランは、話を変えようとファーの足下、使用しているシューズに目を向ける。

ファーは機嫌よく、よく聞いてくれたとばかりに足を踏み鳴らしてみせた。

 

「ああ、こちらで買った日本のメーカーの瞬脚シリーズだ。なかなか使い心地が良い」

 

瞬脚とは、日本のとあるウマ娘用品メーカーが販売しているウマ娘ブランドである。

「ウマ娘シューズの大本命!」というキャッチコピーでお馴染みで、使い捨てながら長持ちする蹄鉄と一体化した独自設計により、廉価かつそれなりの高品質を売りとしている。

プロモデルや本格的な競走バ用品は高価であり、瞬脚シリーズは子供のおこづかいでも届く範囲の値段設定により高い支持を受けていた。

 

「英国で使っていた用具も持って来てはいるが……日本ではゴウに入ればゴウに従え、というコトワザがあると聞いた。こちらの芝に合った用具も悪くない」

「瞬脚……普段履くのにもよさそうなシューズね」

「ああ、普段履きにも良いしデザインも色々あるぞ。今度買いに行くか?」

「ファーちゃんとお出かけ?行くわ!」

 

遠い異国で出来た同郷の友人の誘いに、うれしそうにフランが頷く。

その様子にファーは、満足気に頷き返す。

 

「……うん、リラックスできたようだな。少し表情が堅かったぞ」

 

ファーの言葉に、フランは頬を抑える。

英国クラブ選手権の無敗の絶対王者にして、怪物令嬢の異名を持つフランは同世代で最も大舞台に強いウマ娘と言っても過言ではない。

しかし、今回は状況が違った。応援することを約束していた智哉が観客席から姿を消し、確かに動揺していた。

フランを観察したファーはその動揺を感じ取り、雑談を持ち掛けたのだった。

このファーの好意にフランは微笑み、感謝を述べた。

 

「ありがとう、ファーちゃん」

「気にするな、エースに活躍してもらわなければ困るからな」

「……ファーちゃん、キングちゃんみたい」

「……キング?ああ、フランケルのクラブのもう一人のエースか」

「ええ。とっても速くて、やさしい子なのよ」

 

フランが英国で所属するクイル・レースクラブは智哉が渡米した後、チームの活躍により多くの練習生を集め、フランにも匹敵する才能を秘めたハーフマイルの天才が加入していた。同時期にアマチュアトレーナーとして加入したジェームス氏の長男を引っ張り回し、憧れの先輩のフランによく懐いている。

プロアマ問わずレースをよく観戦するファーも知っているウマ娘である。

しかしファーは小首を傾げた。フランの言うそのウマ娘と自分が知る姿が一致していない。

 

「フランケル、この間のクラブ選手権のインタビュー記事は読んだか?」

「ううん、まだ読んでないのよ」

「今年のテーマは下剋上、と言っていたぞ。先輩の時代は終わった、とな」

「相変わらずね、キングちゃん」

 

自分がインタビューで終わったウマ娘呼ばわりされていると言うのに、楽しげにフランは微笑んでみせた。

クラブで別格の存在としてレースにおいては勝って当たり前と思われている自分に、唯一勝負を挑んでくる後輩はフランにとって好ましく映っている。目立ちたがりの自信家でもあるのでインタビューはフランを差し置いて応えることも多く、この為にフランは表に出てこないストイックな怪物という誤解も生まれていた。本人は知らない。

 

「ファーちゃん、もう大丈夫よ。走れるわ」

 

雑談の中でチームの面々とレースの日々を思い返し、フランは今するべき事、雑念を取り払ってチームの為に勝つ事を心に決めた。なお雑念の原因には後でケジメを付けさせる事も決めた。

ファーはもう一度満足げに頷き、本題に入る。

 

「よし、なら作戦の話をしよう。と言っても、単純な話だ」

「どう走ればいいかしら?」

 

 

 

「フランケルは何も気にしなくて良い。私が二着に入ってみせよう」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

『さあ各ウマ娘がゲートインし、まもなく最終レースのスタートです!』

 

三枠のゲートに入ったシオンが瞑目し、静かに息を整える。

 

(……あの子は、外枠だけど……それでも、必ずアタマを取る)

 

シオンは、スタートは苦手なウマ娘である。

本来は昼寝が趣味の、歩きながら寝る特技を持つのんびり屋で、レースでの闘争心にやや欠ける。

師より指摘された唯一の弱点により、バ群を避けての追込を信条としていた。

 

(オープニングのように、あの子……フランケルがペースを握る展開になる。それに付き合わずに自分のペースを保ち、二着なら私達のチームの勝ち)

 

(そう、勝ちなのよ……私は、負ける訳じゃ、無い)

 

自分に言い聞かせるようにシオンが心を落ち着かせる中、隣の四枠のゲートから声がかけられる。

 

「随分、辛そうな顔で走るんだな」

「あなた、は………」

 

目を開け、隣のゲートをシオンは眺める。知っている顔だった。

マル外クラスの留学生ファー。フランやヴァラとよく一緒にいて、恒例のヒット達との放課後練習にも見学に来てはうずうずと走りたそうに眺めている。脚部不安を抱えていると聞き、勝手に親近感を覚えていた相手だった。

 

「……あなた、脚が悪いんじゃないの?」

「気が変わった。私も走りたい」

 

まるで駄々をこねる子供のように、むすっとした顔で言ってのけるファーに、シオンは呆れた目を向けた。

視線を受け、ファーはにやりと笑ってみせる。悪意を向けられているとシオンは感じた。

 

「脚は痛い。周りのウマ娘はそんな事知らないとばかりに楽しそうに走る。焦り、自分も走らないと置いていかれると考える」

「ッ!!?」

「でも脚は良くならない。そして、無理をして走ろうとする。更にはチームの勝利を賭けたレースを任される……辛い顔にもなるな?」

 

明らかな自分への挑発。

動揺を誘われている、と考えたシオンは耳を絞り、ファーの話を聞き流そうとそっぽを向く。

 

「……挑発には乗らないわよ」

「違う、勿体ないじゃないか」

「何、が……!?」

 

得体の知れないファーの雰囲気を感じたシオンは、もう一度目を向けて息を呑んだ。

 

 

「脚が痛い?期待への重圧?そんな物どうでもいい」

 

「友に、観客に、トレーナーに……信頼され、期待され、応援されて──私達は走れるんだ」

 

「なら、壊れてもいいだろう?脚なんてものは」

 

 

レースを目前にして、ファーの瞳から昏く、破滅を抱えた炎が燃えていた。

まるで、燃え尽きるかのように、煌々と狂気を帯びた瞳が輝く。

 

「おかしいわ、あなた……プロにも、なっていないのに」

 

「そうか?レースとは常にそういう気持ちで走るものだろう。私は特に、いつ壊れるかわからんからな」

 

「何を……何を言っているの?」

 

「わからないか?もっと解りやすく言おう」

 

 

 

 

 

 

「私は、お前に勝つ」



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閑話 英国より、日本へ

色々書いてたら8000字近くなったからここで切るやで。
次話はすぐ書くから許して……。
次のアプリのイベントで三女神出るみたいで書き直すか検討したけど元々捏造とオリ設定てんこもりだしこのまま行きますやで。
ちょっとキャラ違ってもええやろ!な!


英国サフォーク州ニューマーケット、統括機構トレセン学院。

英国ウマ娘統括機構(B U A)の総本山にして「競バの故郷」の異名を持ち、約2500エーカーのニューマーケット市街全域、東京ドームに換算して約220個分が学院の敷地内という、通常のウマ娘学園施設を遥かに凌駕した規模の巨大学院都市である。

東西は要所として整備され、比較的平坦な練習場が点在する西のレース場沿いのレースコース・サイド、そして英国特有の広大なヒースが広がり、天然の起伏を活かした坂路練習が行われている東のバリー・サイドに分かれる。

学院の中心部、そして東西の要所には三つの女神像が建立され、練習に励むウマ娘達を見守っている。

 

東のバリー・サイドにはウマ娘を正しき未来へ導く、異世界の扉の管理人にして「運命」の女神ゴドルフィン像。

 

西のレースコース・サイドには競走という概念を生み出した、気性難の調停者にして「愛」の女神バイアリー像。

 

そして学院中心部にはウマ娘に強き心と運命に抗う力を与えた、英国の守護女神にして最高神、「勝利」の女神ダーレー像。

 

この三柱を以て、ウマ娘の神話において最も重要な三女神と呼ばれている。

アメリカの各カレッジではこの三女神像に変わり、国教である「自由」の女神エクリプスの像が建立されていた。

ニューヨークの巨大女神像は観光名所として有名であり、天界のとある女神はアメリカから集まる信仰心の左団扇ぶりに笑いが止まらなかった。最低の女である。

 

閑話休題。英国は現在早朝である。

ニューマーケットレース場より南、郊外に繋がり東西どちらのサイドにも近いバリーロード沿いの良立地にあるチーム・クレアヘイブンのクラブハウスにて、まだ朝練にも早い時間に、ラウンジで二人の男が目の前に広げられた資料と睨み合っていた。

一人は銀髪に糸目、ひょろりとした体躯の胡散臭さが際立つ青年だった。

銀髪の青年、自他ともに認めるチーム・クレアヘイブンのナンバー2、ウィル・ベックは、対面で資料と睨み合う少年に目を向ける。

 

「ヨシュア君、ほんま悪いなあ。こんな朝早くから来てもろて……」

 

視線の先にはまだ幼さの残る少年が、スクランブルエッグとベーコン、ソーセージ等の肉類、そしてトマトとよく茹でられたベイクドビーンズが一皿に収められたフル・ブレックファストを頬張りながら、言葉ほどは申し訳無さそうには見えないウィルへ憮然とした顔を見せた。

 

「……別に構いませんよ。何故ここなのか、という不満はありますが」

 

母のくせ毛を受け継いでやや外に跳ねた父譲りのブラウンの髪を、左右に分けて大きく額を出した髪型の中背の少年ヨシュア・デイルは、実直な性格を感じさせるグレーの瞳を眠たそうに擦り、ソーセージをフォークで刺して口に運んだ。

口車に乗せられてわざわざ足を運んだ先で振る舞われたのは、学院内のどこでも食べられる典型的な英国の朝食だった。口では構わないと言っているがその様子は明らかに不満気である。

 

「そうは言うても、クラブハウスのラウンジ以外はこの時間どこもやってへんしなあ……僕もヨシュア君もこの後は練習見に行ったりとか色々あるやん?今度ちゃんとしたもん奢るで今日はこれで堪忍してや」

「いや、自分が言いたいのはそういう事ではなく……」

 

ヨシュアの不満は、ウィルから振る舞われた朝食とは別にあった。

 

「自分の所属はチーム・ジュドモントで、出向先であるカールトン先生の下でトレーナーとして研鑽している身です」

「せやな」

「対して、ウィル氏はチーム・クレアヘイブン所属で、ここはクレアヘイブンのクラブハウスです」

「せやせや」

 

ヨシュアは深くため息をついた。言いたい事が伝わっていない。

諦めずに、最近よく絡んでくる先輩トレーナーの目を真っ直ぐ見て、続ける。

 

「よく、考えてください」

「……………あっ、ホンマや。僕がヨシュア君の部屋行けばよかったやん!!」

 

これがヨシュアの不満である。

 

ヨシュア少年は現在17歳。

クイル・レースクラブにて父の指導の下アマチュアトレーナーとして実績を積み、昨年統括機構トレーナー資格試験を一発合格。

二人の天才エースを擁するクラブ選手権の強豪チーム出身の期待の若手として、推薦者の紹介により三大チームの一つチーム・ジュドモントへ加入し、現在はジュドモントと提携関係にあるやり手のチーフトレーナーの下へ出向している身である。

あるウマ娘に強請られた結果として、チーム・ジュドモントのエース格を任される主戦級のトップトレーナーとなるべく研鑽している日々の中で、目の前の胡散臭げな銀髪の青年、ウィル・ベックと知己を得てここにいる。

 

しかし彼はチーム・ジュドモント所属の部外者であり、チームに所属しているウマ娘の担当依頼無く他チームのクラブハウスに入るべきではない。ましてやナンバー2が連れてくるのも問題である。

この事実に、自分は常識人だという自負があったウィルはあちゃあと言葉を漏らしつつ手で顔を覆った。

 

「あかんわ……なんでここに来たんや、僕……これあれや、姉弟子のせいや……」

「ウィル氏らしくない行動と思いましたが……疲れていませんか?目の隈もひどい」

「ああ、せやな……うん、まあ姉弟子だけやなくて今やっとる事もあるんやけど……」

 

このクラブハウスのラウンジには、立場上は部外者なのに何かとウィルに文句をつけ、チーフトレーナーのジョエルに面倒な絡み方を繰り返す問題児が常日頃入り浸っている。その対応に追われる日々に疲れ果てたウィルは「ラウンジまでなら部外者を入れてもいい」といつの間にか認識を変えられていた。哀れである。

 

手で顔を拭うように動かした後、頬をぱちんと叩いたウィルは本題に入るべく、手元の資料の内の一枚をヨシュアに示した。

 

「まあそれは置いといて、やな。ヨシュア君、この子とアポとれへん?」

「…………不可能では、ないですが」

 

ウィルが示した資料には、来たる将来の為に未来の名ウマ娘候補の自らの所感と分析を示してあった。

ヨシュアに見せたその内の一枚には、金髪の美しいウマ娘が笑顔でトロフィーを掲げている画像と共に、びっしりとウィルの評価が書かれている。

 

「クラブ選手権四連覇、怪物令嬢フランケル……この子は本物や。G1いくつ獲るか想像もつかんわ」

「……目的は?調べていなくとも、フラン嬢の事はよくご存知でしょう?」

「そら知っとるで、ジュドモントの娘さんやろ?ちょっと契約の話したいんやけど」

 

ヨシュアはそこまで聞くと、空にした皿を置いて席を立った。

 

「ウィル氏は、そういう手合とは違うと思っていましたが」

 

示した資料に写る少女、フランとヨシュアは同じクラブに所属していた縁もあり、お互いよく知っている仲である。

ロンドンの片田舎の中堅クラブを強豪に躍進させた立役者として、この二人にもう一人のエースを含めた三名はアマチュアレース界において有名であり、この関係性から正規のスカウトではない方法で二人の天才との知己を得たい不埒なトレーナーに、ヨシュアは口利きを迫られる事が幾度もあった。当然、全て固辞している。

ヨシュアから滲み出る、自分への失望を感じたウィルは慌てて目の前で手を振って弁解に入る。

 

「待ってや!ちゃうねん!僕が契約したいとかそういうのとちゃうから!!」

「……違うのですか?」

 

話を聞く余地を見せるヨシュアへ、息を吐いてからウィルは続ける。

 

「ヨシュア君、僕はな……才能あるウマ娘は、才能あるトレーナーに任せるべきやと思ってるんや」

「ウィル氏では、無いと?」

「僕の手には余るな。ヨシュア君には悪いけど君もまだ早いで。このレベルの子やと、ジュドモントの関係ならヘンリー理事か仲のええシュタウト侯くらいやろか」

「お二人共、近年は個人の担当はしていませんね」

「せやね。まあ理事はええお年やし、シュタウト侯はお忙しい身や」

 

フランを任せられるトレーナーはジュドモントには存在しない、という言葉の裏側を読み取ったヨシュアの眉がぴくりと動く。

ジュドモント家の令嬢という出自を知っている上での、明らかな他チームのトレーナー批判である。

ヨシュアの内心の怒りを感じ取りながらも、悪びれもせずにウィルはお手上げと言った風に手を広げ、続けた。

 

「せやから、ヨシュア君……あんな二流もええとこのボンボンにこの子を任せるなんて僕は許せへん」

「ボンボン、ですか」

「聞いてるで。あのバンステッドのおぼっちゃんが契約するんやろ?跡取りの箔付けなんやろけど」

「はあ……?」

 

北欧で古くより続くトレーナー一族出身のウィルは、ウマ娘とレースをこよなく愛しており、過去にとある人物にプライドをへし折られてからは才能信者とも言うべき持論の持ち主である。

そんな彼にとって二度もトレーナー試験に落ち、管理ウマ娘の才能のおかげで重賞を勝てているだけと認識している二流トレーナーが稀代の天才を担当するなど到底許せるものではない。

例え、横紙破りの干渉であろうとそれだけは回避させてみせると意思を込めた強い目で、ヨシュアを見つめる。

対してヨシュアの首は右に30度ほど傾いた。目の前の胡散臭い青年は明らかに勘違いをしている。

 

「……ウィル氏、その情報はどこから?」

「ボンボン本人が暗に認めとるし、社交界でもその話題で持ちきりやで。准将閣下公認ちゅうて」

「ああ、その件ですか………」

 

「せやから!この通りやヨシュア君!この子を説得するチャンスを僕にくれへんか!?」

 

がばり、と机に頭をつける勢いでウィルが頭を下げる。

優れた才能の為であれば、何の躊躇いも無い行為だった。

勘違いはしているが、ウィルのこの形振り構わぬ姿にヨシュアは好感を覚え、だからこそため息をついた。

 

「ウィル氏、それは事実ではありません。彼がフラン嬢と契約する事は無い」

「えっ、ホンマに?僕頭下げ損やん!!じゃあ誰と契約するか決まってたりするん?」

「それはチームの内情ですから言えませんが。そもそもです、自分のトレーナー試験の推薦者はご存知ですか?」

「知ってるで、あのボケやろ」

 

ヨシュアはもう一度ため息をつく。知っておいてこの言い草のウィルに呆れつつあった。

 

「トモヤ先輩は、自分の恩師ですが」

「それも知ってるで、でもあいつは敵やな」

「先輩に対してだけは、本当に頭が固い……」

 

頭痛を覚えたヨシュアが頭を抱える。

切れ者のウィルならばフランのクラブ加入時期、そして恩師の実家のクラブである事実を省みれば、誰と契約するかは推察できるはずである。

この様子なら気付けば恐らく全力で阻止しようとするだろう、と考えたヨシュアは言及することを避けた。

さりげなく話題を変えようと、以前からの疑問を口に出す。

 

「ウィル氏、自分はトモヤ先輩と親交がありますが」

「せやな」

「何故、自分に接触したのですか」

 

この二人の親交は、ヨシュアがトレーナー試験に合格して間もない頃にウィルが何かと目にかけ、世話を焼いた事から始まっている。その事にヨシュアは感謝しているし良い先輩だとも認めていた。

しかし恩師を敵視していると本人から聞かされ、何故恩師と親交のある自分に目をかけてくれるのか、というのが以前からの疑問である。

これを聞いたウィルは、不思議そうに首を傾げた。

 

「それ、関係あるん?」

「言うなれば自分は、ウィル氏の敵の友人です」

「せやな、それで?」

 

何を言っているのかわからない、と言った様子のウィルにヨシュアはもう一度頭痛を覚えた。

 

「……おかしく、ないでしょうか?自分はチームも違いますし、ウィル氏が良くしてくれる理由がありません」

「いやおかしくはないやろ。そこは別でええやんか」

 

納得の行っていない様子のヨシュアを見かね、言うべきか悩んだ後、腕を組んで気恥ずかしげにウィルは答えた。

 

「あーヨシュア君、去年一発で試験合格したやろ?」

「はい」

「しかも次席合格やろ?なんや、体力測定があかんかったらしいけど」

 

自らのトレーナー試験の話を持ち出され、嫌な記憶が蘇ったヨシュアの顔が歪む。

ヨシュアは筆記、実技ともに文句なしの優秀な成績を収めたが、とある試験官の無茶振りにより体力測定で大きく評価を落とし、次席合格と相成った。恩師が無茶をやったせいで、ウマ娘基準のタイヤ引きと瓦割りをやれと言われたのは今も苦い思い出である。

 

「それは、先輩が……」

「あのボケなんかやったんか?まあそれは後で聞くわ。それでやな、試験が受けられる16になってすぐに正規のトレーナーになって、しかも次席合格や。そんなん普通調子に乗るで」

「そうでしょうか?」

 

もう一度、ヨシュアの首が30度傾いた。

恩師が首席かつ、現在も腐らず奉仕活動を続ける姿を見ているヨシュアとしては、調子に乗る理由が無い。

 

「そうや、そこがええねん、ヨシュア君。恥ずかしながら僕はかなり調子乗っとったからな……」

「ウィル氏が、ですか?」

 

英国で実績を積み、今や著名なトレーナーの一人となった先輩の意外な一面にヨシュアが思わず聞き返し、突っ込まれたくない部分に触れられたウィルが嫌そうに顔を背ける。言いたくない黒歴史である。

 

「そこはええやん!せやからあのボケとか関係なくヨシュア君を僕は買って……」

 

追求から逃れる為に、ウィルが話をまとめようとしたその時だった。

 

 

「──ウィルは、確かに調子に乗っていた。レースとか余裕、私くらいすぐ追い抜ける、と」

 

 

横から、いつの間にやら相席していた姉弟子ことフランチェスカ・ディ・トーリが補足した。現実は非情である。

 

「ホアアっ!?姉弟子!!?」

「……ディ・トーリ氏、何故ここに」

「ここは、私の生家のようなものだから。居て当然。それにこの時間に張り込めばジョエルが来る」

 

弟弟子の驚愕を無視し、ヨシュアの質問にだけケッカは答えた。件の問題児である。

勝手知ったる我が家のように優雅にコーヒーを啜り、ウィルの作成した資料を一枚手に取って眺める。

 

「姉弟子、心臓に悪いから急に出てくるのやめてや!気配消しとったやろ!!?」

「これくらい気付け。ウィルは本当に未熟」

「やかましいわ!そんな技術トレーナーにいらへんやろがい!!」

 

ツッコミを右から左へ聞き流し、ケッカは資料をぺらぺらとめくっていく。

無視され、寝る間も惜しんで作成した資料を勝手に読まれたウィルの額に青筋が浮かぶも、良い機会だと考え直して話を持ちかけた。

 

「……ちょうどええわ、姉弟子。話は聞いとったやろ?」

「何?」

 

「フランケル君、姉弟子が担当してくれへんか?話は僕がつけるで」

 

ヨシュアにフランへの口利きを頼むと考えた時から、決めていた事だった。

アマチュアレースで才能を示し続ける稀代の天才ウマ娘に、自らが知る中で最も優れた、世界一と断言できるトレーナーとの契約を勧める。

それ以外のトレーナーとの契約など、自らの持論では絶対に認められない。

 

「悪い話ちゃうやろ?姉弟子は今ゴドルフィンやけど、別に他チームの個人一人くらい担当しても問題ないで。その時だけ出向って形でもええし」

 

自分ができる最善を成せる、何を考えているか読めない姉弟子もあれ程のウマ娘には興味を示さないはずがない、と考えたウィルが得意気に笑みを浮かべる。

 

 

「やらん」

 

 

即答であった。ウィルの顔が引きつる。

 

「は?いや待ってや!姉弟子とあの子のコンビならいくらでも……」

「わからないか?ウィルは本当に未熟」

 

軽く嘆息し、未熟な弟弟子を黙らせる為にコーヒーをわざと音を立てて啜りながら、ケッカは事も無げに返した。

 

「あの子は、確かに素晴らしい」

「せやろ!?なら……」

 

「違う。確かにあの子の才能自体も素晴らしいが……それよりもあの子の育成方針を決めた人物だ」

 

ケッカの優れたトレーナーとしての感性は、アマチュアレース界の怪物の裏にいるであろう有能なトレーナーの手腕を感じ取っていた。

 

「クラブ選手権のレースは私も見たが、同世代の子と比して完成度が違いすぎる。あれは誰かがそう仕上げた」

 

この見解に、ウィルは自分の耳を疑った。考えてもいない事だった。

プロにもなっていないアマチュアのウマ娘が、正規トレーナー顔負けの育成方針により育てられている。

まだ本格化も迎えていないウマ娘にとって、過度なトレーニングはオーバーワークに繋がる。将来に向けて、ウマ娘指導員による走法やレースでの展開を重視した練習を積ませることが常識である。

 

「……なんや、それ。あんな年からそんなんやったらオーバーワークで壊れ……」

「それはない、よく考えられている。恐らくディーン博士の育成理論をよく研究している。誰かが気になるところだが……」

 

ここでケッカはちらり、と件の人物を知っているであろうヨシュアを見た。

その視線に、ヨシュアはただ首を振る。

 

「父では、ありません。言えるのはそれだけです」

「……そう、わかった」

 

それだけ返すと、改めてケッカはウィルを見た。

 

「だから、私はやらない。完成品を愛でる趣味はない。ジョエルも教え甲斐のある子が好みだとよく言っている」

「姉弟子、それでもや。姉弟子なら更に仕上げて……」

「やらんと言った。それにあの子の世代は先約がいる」

 

食い下がる弟弟子を切って捨て、ケッカはもう一度ウィルの作成した資料をぺらぺらとめくっていく。

これ以上この話をする気はない、と言った様子の姉弟子にウィルは歯軋りを起こしかけるも、肩を落として白旗を上げた。

 

「わかったわ、姉弟子……もうええわ」

「そう……あった。ウィル、これ」

 

ウィルの資料から一枚を抜き取り、目の前に見せる。

 

「なんや姉弟子」

「よく書けている。ウィルにしては上出来」

「ホンマか!?で、この子がどうしたん?」

 

ケッカが抜き取った資料には、姉弟子の無茶振りによりウィルが調査した、とあるポニースクールの生徒の所感が書き込まれている。

鹿毛を後ろにまとめた髪型の、眠たそうな目をした少女だった。

 

「この子、入学したらウィルがスカウトするべき」

「なんでやねん姉弟子。僕もこの世代はアメリカでスカウトした先約おるで。他にも……」

「それでも、だ。もう一人くらい担当してもウィルなら出来る」

 

姉弟子の要領を掴めない薦めに、ウィルが首を傾げながら資料を受け取る。

思考の読めない姉弟子は唐突にこのような事を言い出すことがあり、その度に意図を考えさせられ、後に言っている事に間違いは無いことに気付く事がよくあった。だから基本的には言う通りにしている。

しかし、担当ウマ娘の推薦まで受けたのは初めての事だった。

 

「今のウィルには、絶対に必要な子。諦めの悪い、強い子」

 

「なんやそれ……トレーナーはウマ娘に必要とされるもんやろ。そんな理由で……」

「いいからスカウトしろ。ウィルは本当に未熟」

 

そう言うと、ケッカは席を立つ。

 

「なんやどこ行くねん姉弟子」

「この時間に顔を出さないなら、ジョエルはもう来ない。ハリードに短期免許の文句を言ってくる」

 

ふんすと鼻息強く、ケッカが現在の上司に当たるチーフトレーナーの下へ向かうと宣言し、それを聞いたウィルは心底気の毒そうな顔を見せた。

 

「いや、今年は無理やろ姉弟子……急に日本行きたい言うても担当の子の出走で予定埋まっとるやん」

「担当させたのはハリード。奴のせいで、このままでは私は嘘つきになる。責任は取ってもらう」

「夏の出向で手打ったんちゃうんか?なんや、ジェシカ君と帯同するちゅうて」

 

ケッカは今年の六月から日本への短期遠征を企図し、チームに申請していたが「クラシック期間は本当にやめてくれよ……」と青褪めた顔でチーフに却下されていた。その代案として、日本でのとある事業のアドバイザーとして出向する事が決まっている。

 

「本当は、今すぐ行きたかった。アレは無茶をするから」

「アレ……?」

 

ラウンジの窓から、遠い日本の方角をケッカは眺める。

 

 

 

 

 

 

(あれだけは使うな、と言ったけど……やるだろうな、アレは)



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第三十八話 空より来たる、一条の流星

「私に、勝つ……?」

 

「ああ、宣戦布告というヤツだ。日本で読んだTURFという漫画でこういう掛け合いがあった。こちらのウマ娘はレース前によくやるんだろう?」

 

双眸に炎をたたえたファーが、堂々と胸を張る。一度言ってみたかったセリフを言えて満足気である。

レースとそれを題材とした漫画や映画を愛するファーは、こういうバチバチとしたレース前の掛け合いを観てはいつか自分も言ってみたいとチャンスを伺っていた。

TURFは最近ドハマリした漫画であり、一子相伝の古武術伝承者である主人公、通称ター坊が地元の関西から中央トレセン学園に上京し、ライバル達と繰り広げる熱いバトル・レースを毎週目を輝かせながら読み耽っている。お気に入りキャラは原作者をモデルにしたと思われるライバル古武術使いである。

主人公のモデルになったとある大女優は、友人でもある原作者からの打診に「ウチらのレースを題材にした漫画?オグリンも許可してるんか……ならええで!」と軽く快諾しているが、後に後悔した。哀れである。

 

これを聞いたシオンは頭痛を感じて軽く眉間を揉んだ。

そんな事実は存在しない。目の前の英国の留学生は有害指定図書に毒されていた。

 

「あのね……気性難でもない限り日本のウマ娘はそんな事、しないから」

「……何?いやしかし、こういう時ター坊はよく」

「しゃあっ!とかタマ神影流ウマすべり!とかそんな事言わないから……ボスの家くらいかしら」

「なんだ、知ってるじゃないか」

 

作中のセリフが思わずシオンから飛び出す。有害指定図書だがこっそりと読んでいた。

 

「ッ……と、とにかく!そんな事言わないの!!全く……」

「そうなのか……どうやら的外れな事を言ったようだ、すまない」

 

意気消沈し、耳の垂れ下がったファーの瞳の炎が鎮火する。

それを見兼ねて、シオンは軽く息を吐いた。

 

(危ない考え方だけど、話してると気の抜けてくる子ね……悩んでたのがバカバカしくなってきたわ)

 

最初はファーの放つ強烈なプレッシャーに圧されていたシオンだったが、話す内にその天然で邪気のない人柄に触れ、絆されてきていた。

あの規格外の留学生の友人でもある。前から考えていた事を言うチャンスだと考え、口を開いた。

 

「……勝負、というなら受けてもいいわよ。条件があるけど」

「条件、か。聞こう」

 

「あのフランケルって子の放課後練習、私も混ぜなさい」

 

シオンは、フランとクラスメート達の放課後の練習会をよく観戦していたが、本来は自分も混ざりたいと考えていた。

負けたことがない自分のプライドと、同級生に教えを乞うことに抵抗を感じていた為に遠くから見るだけに留めていたのである。

ファーと話す内にその悩みがどうでもよく思えてきたシオンは開き直りつつあった。

この条件を聞いたファーの頭にいくつも疑問符が浮かんだ。フランの性格を省みると快諾するだろうし、自分がわざわざ仲介する理由がない。

 

「……そんな事か?自分から言えばいいんじゃないか?」

 

「……………は、恥ずかしい、から」

 

耳を赤く染め、シオンがそっぽを向く。

それを見てファーは合点がいったとばかりにうんうんと頷く。

 

「そういう事か。いいだろう、私が勝っても紹介してやろう」

「………よろしく」

 

話がまとまった所で、ゲートの係員を務めるウマ娘スタッフが私語を続ける二人に近付いた。

 

「君達、私語はそこまで」

「すまない係員さん、すまない」

「あっ、ごめんなさ……えっ、嘘」

 

係員の姿を見たシオンが、何かに気付いて息を呑む。

それを、外枠のゲートから首を傾げてフランが見ていた。

 

(ファーちゃん、何かあったのかしら?)

「怒られちゃったじゃない!もう!」

「すまない、本当にすまない」

 

「君も、よそ見はダメ」

 

ちらちらと身を乗り出して内枠を見るフランのよそ見を注意するべく、先程のスタッフが近付く。

慌ててゲートの中にフランが戻り、係員に謝罪するべく姿を確認した。

 

「あら、ごめんなさ……」

 

その姿に、フランは見覚えがあった。

目立たぬよう帽子を深く被っているがそれでも目立つ、黒鹿毛の美貌のウマ娘。

先日知己を得た英雄の異名を持つウマ娘が何故かゲートの係員を務めていた。

 

「……ディーお姉様?」

 

フランの言葉に、口元に指を一本立てた係員が返す。

 

「ふふ、内緒……頑張ってね、フランちゃん」

 

そう言うと、ゲートの最終確認を終えた係員が台の上で旗を持つ発走委員に手を上げ、出走の準備が整った合図を出す。

発走委員、所謂スターターは、レースにおいて表の花形であるトレーナー職に対しての裏の花形であると言える。

事務職もしくは医師としてレース組織に入会し、その中でも選ばれた一部の適正を持つ者だけが台の上に立ち、旗を振る事を許される。

出走前の最終確認役としての重責を担い、出走ウマ娘達の体調を確認し、場合によっては競走中止を申し渡す権利も与えられている。

 

『おや、スターターを務めるのはトレセン学園の保険医さんですね!レースにおいて素晴らしい戦績の持ち主です』

『彼女が旗を振るのは珍しいですね……子供達もこれは嬉しいでしょう』

 

小学校の対抗戦は正規の資格を持つ発走委員達が子供達の為に持ち回りで請け負い、今日の最終レースのスターターを務めるのはトレセン学園の保険医である。

 

「さあて……旗を振るのも久しぶりだねぇ。怪我のないように良いレースをしたまえ!」

 

光彩のない瞳で出走する子供達を見渡した後、保険医は内枠の一人、ファーを真っ直ぐ見つめて言葉を投げた。

明らかにただ一人に言い聞かせるような素振りである。

 

(ドクターじゃないか、旗は振らないと言っていたのに)

 

保険医は、とある人物の依頼によりファーの脚部不安の主治医を務めている。

今回の件については以前より親交のあるエクリプス教会のシスターと研究者仲間に別々に相談され、それなら競技中の医事担当を引き受けようと快諾してここにいた。スターターはやるつもりは無かったがファーが出走準備に入ったのを確認し、一言言い含める為に代わってもらっている。

 

(ちょっとくらい長めに末脚を切っても問題ないと思っていたが……困ったな、マスターに告げ口されてしまう)

 

保険医はマッドが過ぎるきらいがあるが、患者に対しての姿勢は真摯そのものである。十秒だけの末脚は本当にその通りの意味だろうし、もし破ればキツイお仕置きと恩師への告げ口が待っているのをファーは確信した。恩師もすぐに無茶をするファーには手を焼いている。

言いつけ通りに走って二着に入り、隣の実力者にもファーは勝たなければならない。難題である。

そして、更にファーは自らの身に問題が起きているのにも気付いた。

 

(しまった、おやつを食べすぎている)

 

直前まで出走するつもりが無かったファーは、何故かみんなが分けてくれるおやつを大量に胃に納めていた。食べ過ぎである。

スタミナに影響があり、このまま走ればちょっとお腹が痛くなる恐れがあった。

 

(………これは本当に、十秒で仕留めなければならない、か)

 

言いつけ通りに走り、慎重なペース配分を行い、そしてフランとワンツーフィニッシュでチームに優勝トロフィーを齎す。

この逆境にファーの双眸がもう一度燃えた。

 

(良いじゃないか。走り甲斐がある……!!)

 

闘志が、瞳が、先程よりも強く燃え上がる。

 

(いつだって、そうだ……私は、まともに走れたことがない)

 

名門エプソムポニースクールでの、ナサとゾフという二人のライバルと出会い、怪我に苦しみ、あがいた日々。

苦しいと思わなかったと言えば嘘になる。しかし、それでもレースを愛し続けた。

 

(だからこそだ。苦境こそ私を成長させ、私が私である事を証明してくれる)

 

なお今回の苦境はおやつを食べすぎただけで、自分が蒔いた種である。

 

「さあ、発走だ!約束は守りたまえ

 

保険医が旗を振り、ゲートが開く。

すぐさまフランが飛び出し、激しい先頭争いを物ともせずに加速していく。

 

『ゲートが開き、先頭に立ったのは事前の予測通りフランケルです!ウインバリアシオンは後方からのスタート!!これはオープニングで見せた時と同じハイペースになりますか?大江さん』

『スタートから飛び出していきましたね。対してウインバリアシオンちゃんは落ち着いて自分のペースを守るつもりのようです』

『なるほど!ところでリザーバーのファー選手はというと……なんとウインバリアシオンと同じく後方からのレースになりました!』

 

ファーが、シオンに併走を仕掛けるかのように横に並ぶ。

本来のファーの脚質は先行だが、レース展開や作戦に合わせてある程度自在に脚を溜めることも逃げに入る事もできる。

常に怪我がついて回るガラスの脚と向き合った結果、後天的に身に着けた柔軟さだった。

 

(……併せてきたわね、英国の名門のウマ娘の力、見せてもらうわよ)

(すまない、お腹がいっぱいで余りハイペースになるとつらいんだ。すまない)

 

露骨に併せてきた好敵手に対し、シオンが好戦的な視線を向ける。

視線の先のファーは何故かちょっと申し訳無さそうにしていた。シオンは少し首を傾げた。

 

一方、先団では大外を一直線に駆け上がるフランを、他チームのウマ娘達がどう抑えるかに苦慮していた。

 

(あの子、やっぱりはやいー!)

(どうしよう!?一着にならないと)

(内ラチを取りに来るなら……コーナーで壁を作るよ!!)

 

視線を一瞬交わし合い、対抗戦の掟破りを行ってでもこの怪物を封じ込めようと頷き合う。

内ラチ沿いの絶好のコースをヴァラが行ったようにさりげなく空け、怪物を誘き寄せようと企む。

彼女達も最終レースを任されるエリート揃いである。悪いと思いつつも、レースの裏技も場合によっては行う強かさと確かな技術があった。

 

(そこに、壁を作るのね……)

 

──しかし、怪物には通用しない。

 

元々持ち合わせる天性のレース勘に、幼きあの日より培った経験、そして可能性を見通す異能の眼。

その全てが、エリート達の企みを看破していた。

普段は優しい少女のフランがレースでだけ見せる、冷静かつ氷のような瞳が青い軌跡を残す。

 

『フランケル!コーナーでも構わず大外を抜けていきます!これは速い!!しかし内ラチが空いているように見えますが……?』

『バ群にまぎれるのを嫌ったのでしょう。良い判断だと思います。今日は外の芝もよく走れますから』

 

冷たく、的確に、ただ勝つ為のレース運び。

そしてマスコミ対応を後輩に任せ、社交界でも次期当主の意向により余り表に出てこない、謎多きジュドモントの令嬢。

英国ではいつからか、レースを、観客を、そしてウマ娘を、圧倒的な実力による畏怖で凍りつかせ、ただ勝利を貪り尽くす──怪物令嬢と呼ばれていた。

 

なお本人は怪物と呼ばれていることもマスコミ対応の事も全く知らない。父セシルが全部ガードしていた。過保護である。

 

(なんで来ないのー!)

(バレてる?嘘でしょ……)

(これが、これが英国のウマ娘……!!)

 

内ラチに誘い込むべく、待ち受けていたエリート達はその理不尽な才能に畏怖を覚え、その背中を見送る。

一人旅に入り、期待に応えてくれたエースにチームベガの各々が声を上げた。

 

「これは一位は貰ったな!いいぞフランちゃん!!」

「良し、良し!いいぞ!後は二着だな!!」

「ファーちゃーん!がんばって!!」

「いけるよー!!」

「がんばれー」

 

声援が耳に届き、エースの一位を確信したファーが、怪物を追うのを諦め、バ群を形成した先団を眺める。

 

(ふむ、フランケルのペースには付き合わない、か。やりにくくなったな)

 

シオンと同じ追込を選択したファーは、バ群の隙間を縫って行く必要がある。

慎重に進路を見定め、どう勝つかを脳内で構築していく。

しかし、先に動いたのはシオンだった。

 

(動かないなら、先に行くわよ!!)

(むっ!まいったな、先に進路を取りに来たか)

 

先に、直線で先団を仕留めようとシオンがコーナーから脚を伸ばし、上がっていく。

自分も考えていた理想的な進路である。ファーはシオンの評価を一段上げた。

 

(やるな……良い判断だ、脚の伸びも良い。手強いな)

 

『ここでウインバリアシオンが仕掛けます!これは素晴らしいコース取り!』

『ええ!脚の伸びもいいですね』

 

シオンが駆け上がるのを見て、チームカペラからも声援が上がった。

 

「いいわよシオン!そのまま行って!!」

「ええでシオン!!それでええ!チームが勝ったらワイらの勝ちや!!」

「がんばれーシオンちゃん!!」

「行きなさいシオン!これでフランにちょっとだけ自慢できるわ!!」

 

声援がシオンに届き、その脚が勢いを増した。

 

(不本意だけど……確かに、あの子の言ってる事もわかるわね……)

 

ゲートでファーから聞いた、期待され、応援されて走るという言葉を思い返す。

 

(こんな気持ちで走れるなら……脚なんて、無くなっても良い!)

 

溜め込んだ末脚を開放し、迷いの無い顔で先団を切り裂く。

その眼は、喜びに輝いていた。

 

『ウインバリアシオン!直線でも勢いは衰えません!これは……チームカペラに栄冠を齎せるか!?』

『気持ちのこもった良い末脚です。これは二着まで決まったかもしれませんね』

 

会心の末脚を見せるシオンを見て、ファーは軽く息を吐いた。

先程の思い詰めていた相手なら易々と勝てる自信があったが、最早別人である。

ウマ娘はたった一つのきっかけで大きく殻を破る事がある。そのたった一つのきっかけが今シオンに訪れ、大きく成長させていた。

 

(強い、な……脱帽だ)

 

シオンに心で称賛を贈る。

 

(良いウマ娘だ。素晴らしい、認めよう)

 

シオンを改めて、強いウマ娘と認める。

敗北を認めたからではない。

 

(だから、私も──本気で相手しよう)

 

──強者と認め、全てを擲って相手をする為である。

 

直線に入ったファーが、その走法を大きく変化させていく。

瞳が煌々と炎をたたえ、その脚が火花を散らす。

 

『おおっと!ここでファーが動き出しました!しかし、これは届かないのでは?』

『………この、フォームは……!?』

 

大きく身体を前に倒し、脚の回転を限界まで高める。

ここで、固唾を飲んでレースを見ていたノーブルが、驚きの声を上げた。

 

「えっ、これは……」

 

あの日、憧れを、道標を得たキーンランドレース場での伝説のレース。

その場で見た、一つの奇跡。

 

「ミッドデイさんの、あの時の、走法……?」

 

姉が見せた奇跡、クラシック路線の強豪を仕留めた、驚異の猛追、神の領域。

 

(すまないマスター、使うぞ)

 

ファーの走法が極端な前傾姿勢に変貌を遂げ──一瞬、時が止まったかのようにファーは加速した。

脳裏に、恩師ケッカの言葉が浮かぶ。

 

『この映像の最終直線、ミッドデイの加速をよく見ておくように』

『ミッドデイには世話になったからこのレースは観ていた。弟への接し方を教えてもらったから』

『これは、異常だ。普通のウマ娘には不可能。ミッドデイも酷く消耗していた』

『この走法を、覚えてもらう。ただし、学院に入るまでレースで使うのは禁止する』

 

『まだ治っていない脚で使った場合──どうなるかは保証できない。絶対に使わないように』

 

たった十秒だけ許された末脚で追い付き仕留める為に、ファーは禁を破り、ケッカから授けられた走法、ただ速きことを証明し、唯一抜きん出るための神の領域に手を伸ばした。

 

(どんなレースでも、全力であるべき……例え、壊れても!!)

 

それが、自分を証明する為であり、レースと好敵手に対する自分なりの誠意だからだ。

たかが小学校のかけっこ、と笑う者もいるだろう。そこまでしなくても、と悲しむ者もいるだろう。

 

(それがどうした……このような好敵手との出会いが、競走生活で何度あることか)

 

(ならば……いつ何時も、燃え尽きても、走るのがウマ娘だろう!!!)

 

しかしそれこそが全てを賭ける価値があると、ファーは考えている。

 

『これは……速すぎます。なんという……』

『速い……!でも、この走法は身体の負担が……!!』

 

実況が言葉に詰まり、解説が危惧の声を上げる中、ファーが圧倒的な速度で突き進み、シオンに並ぶ。

 

(……速い!?何、この走法は……)

(追い付いたぞ!!残り五秒!!このままフランケルまで行かせてもらう!!!!)

 

ファーがそのままシオンを抜き去り、その先にいるフランの背中に視線を送る。

軋む脚の回転を更に上げ、燃え尽きるかのように瞳が火を上げる。

 

後ろから迫る、始めて感じるプレッシャーにフランの背筋がぞくりと震えた。

 

(………何、これは?ファーちゃん……なの?目の前が、赤い……!?)

 

フランの可能性を見通す眼が、抜かれる危険性を強烈に訴えていた。

どこの進路にも危険が漂い、いくつもの赤い線が目の前に広がる。

 

始めての感覚だった。フランは今、自分が負けるかも知れない相手に始めて遭遇した。

 

『これは……ゴール間近のフランケルにまで迫るか!?なんて、なんていう末脚……!?』

『……待ってください!上から何か……!?』

 

我に返った実況が無我夢中でレースの展開を語り、対して解説は上空に目を向けた。

ゴール間際、何かが雲の隙間からこちらに向かってきている。

 

 

その何かは、ゴール直前のフランの前に降り立った。

 

 

機械的な赤い金属製のスーツに身を包み、ウマ娘らしき金属の塊が急ブレーキをかけたフランに迫る。

 

『かけっこは終わりだ。お嬢さ……ぐふう!?』

 

そこに、横から飛び蹴りが入った。

乱入者に蹴りを入れたもう一人の乱入者は、口枷を付けた眼光鋭い係員であった。

手応えに違和感を感じたのか油断せず、吹き飛んだ金属の塊に向けて強い視線を向ける。

 

「気をつけい。まだじゃ」

「……えっと、ありがとう、かしら?」

「おう、気にせんでいいから離れな、お嬢ちゃん」

 

状況が理解できず、きょとんとしたフランが礼を言いつつも首を傾げ、そこへ競技場へようやく辿り着いた智哉と謎のウマ娘が駆けつける。

 

「だいじょーぶ!?こっち来て!」

 

謎ウマ娘がフランを抱き上げ、大事そうに抱える。

対して智哉は二人を守るように間に立った。

 

「フラン!逃げ……ぶげえ!?」

「おお!?ぶつかってしまった。すまない」

 

そこへ前を見ていなかったファーが激突した。智哉が猛烈な加速を込めたタックルを受けて吹き飛び、競技場の芝を転がりまわる。

智哉がクッションになったファーに怪我はなかった。

雲の隙間から一つ、また一つと金属の塊が降り立ち、吹き飛んだ最初の乱入者が起き上がる。

 

『これは……乱入者です!大変なことになりました!!』

『はやく子供達の避難を!私もそちらに行きます!!』

 

実況が慌てた様子で状況を説明し、得体のしれない乱入者に危険を感じた解説が避難に協力すべく席を立つ。

そして、観覧席でも変化が起こっていた。

 

「なんか、来ちゃったねえ……」

「……国際もんだ……いや!倒れている場合ではないッ!!職員は子供達の避難を!!ヤツらはサンディに任せてみんなすぐに逃げるんだ!!」

 

呆然と勝己氏が状況を見つめ、卒倒しかけた理事長がギリギリで踏ん張って関係者に指示を飛ばす。

その向こう側、観覧席の別席では公女殿下が口を覆い、その親友が驚愕の表情で競技場を眺める。

 

「オイ、なンだよアイツら……!?タダゴトじゃねェ」

「大変!叔母様!どうしましょう!!……叔母様?」

 

こういう時、公女殿下は叔母に指示を仰ぐ事が多い。

叔母の頭脳は明晰であり、一国の元首に相応しい的確な判断力の持ち主である。

その叔母に公女殿下が目を向けると──その眼は全力で泳いでいた。

 

「叔母様………どうしたの?」

「いっ……いやァ、ちょっと、ネ……」

 

訝しげな視線をかわいい姪に送られ、大量の冷や汗をかきながら叔母は目を逸らした。

既にかっこいい叔母の仮面は外れている。いつもの胡散臭い博士の様相である。

公女殿下が首を少し傾げる中、何かを察した親友、エアシャカールは呆れた目を博士に向ける。

 

「なァ……博士、アレ、アンタ関わってンのか?」

「いいいいいいいやァ、そんな事実はないヨ、シャカールクン」

 

びくりと一度腰から飛び上がった後、目を逸らしながら博士は応えた。全身で図星だと語っている。

状況を見て、勘付いた公女殿下は頬を膨らませ、叔母の顎を掴んで無理矢理目の前に運んだ。

 

「お〜ば〜さ〜ま〜?何を、したの?」

 

据わった目のかわいい姪に博士は背筋を正した。姪は怒らせるととても怖いのである。

観念した博士は、顔を青褪めさせながら、自分のやらかしを白状した。

 

 

 

 

 

 

 

「……………あの、アレ、ワタシが作ったかも……………」



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第三十九話 超兵器vs超気性難

この後の展開、小倉開催にトッムを行かせて地元のウマ娘と絡ませつつ薩英戦争と九州の馬産に触れようと思ったんですがプロットの中でチェストされたりひえもん取られたり肝練りの体験講習でアッネにやらかされたりしたのでやめました。薩摩のウマ娘(ぼっけもん)がまともなわけないだろ!!


一年と半年ほど前のアメリカ、バージニア州アーリントン郡。

アメリカの中枢、ワシントンD.C.からポトマック川を西に渡った対岸に位置するワシントン首都圏の、最新設備が揃うラボの一室にて笑い声が木霊する。

 

「ハハハハハハハ!!!完成だ!!完成したヨ!!!!シリィ君!!!!!」

 

「先生、笑う必要は無いでしょ……」

 

昂る気持ちのまま両手を広げ、ウマ耳を象った頭部にややずんぐりとして各部にチューブが接続された鋼鉄のボディ、そして先程起動実験を終えたばかりの為か双眸を強く光り輝かせる金属の塊の前で、狂気の笑い声を上げるウマ娘学の博士と呆れた顔で見つめる助手。

二人は欧州から別件で渡米した際に大統領の依頼を受け、ここ対気性難国防計画局(U M A R P A)へ難航中のプロジェクトの支援に赴いていた。

 

対気性難国防計画局(U M A R P A)とは──アメリカで多発する気性難犯罪対策を目的とした大統領と国防長官の直轄組織である。

アメリカの歴史は、建国よりウマ娘と気性難の歴史である。気性難の後先考えない行動は時に大惨事を引き起こし、当然法に抵触する事例も存在する。過去にはとあるアメリカ二冠ウマ娘がニューヨークでマフィアの構成員をシメて回り、泣く子も黙ると言われたマフィアのドンが泣きながら市警に保護を懇願する事例もあった。

開拓時代ならともかく、世界の裁決委員の異名を持ち、超大国となった現在も気性難が暴れ続けてるのは流石に問題じゃね?という議題が議会で上がった結果として、アメリカの科学力、技術力、そして頭脳を結集して気性難に対抗するべく対気性難国防計画局(U M A R P A)は発足したのである。大統領直轄になったのは誰も矢面に立ちたくないからだった。巻き込まれたワシントン州の大都市の名を持つ国防長官は、持病の熱発を起こして寝込んだ。

 

「シリィ君はこのロマンの塊の価値がわからないのかネ!?この対気性難パワードスーツ、メタルウーマンMk.1の素晴らしさが!!!」

「色々盛り込みすぎて問題点も山盛りじゃないですか、もう……依頼は終わったんですし、早く帰りましょう」

 

アメリカ生まれフランス育ちの助手が博士の話を切って捨て、首根っこをひっつかむやずるずると引きずる。

興奮した博士は話が長い。こうやって有無を言わさず連れて行くのは助手の業務の一つだった。

 

「引っ張るのはやめてくれたまえヨ!あっ、息ができない。シリィ君!苦しい!!」

「はいはい、デイちゃん待たせてるんですから。フランちゃんももうすぐこちらに来るんですよ」

 

訴えを無視し、ラボの入り口を助手が目指す。

博士の顔が白くなり始めた頃、入り口から二つの人影が現れた。

 

「起動実験は成功したようじゃのう!!」

「おお!美しい……!!」

 

「あ、大統領閣下、と……」

 

興奮気味にカナダ訛を飛ばす、合衆国大統領ノーザンダンサー。

そしてもう一人、鹿毛を雑に切り揃えて後ろにまとめ、ゴーグル面が繋がった一つ目の保護バイザーを装着した小柄なウマ娘は完成した対気性難パワードスーツを見るや、猛スピードで近寄ってまだ塗装されていない金属面のボディを撫で回した。

助手が博士を放り出し、慌てて止めに入る。

 

「フェイガー局長!起動実験が終わったばかりです!まだシステムが……!!」

 

大統領と同行していた人物とは、対気性難国防計画局(U M A R P A)局長を務めるアメリカの工学とウマ娘学の権威、ドクターフェイガーである。

主にスプリントからマイル路線を主戦場に22戦18勝という圧倒的な戦績を残し、現在は英国に嫁いだバックパサー、そして終生のライバルである二冠ウマ娘ダマスカスと、当時のアメリカ競バ界に三強体制を築き年度代表ウマ娘の栄冠を分け合った伝説のウマ娘である。特にこの三強が揃い踏みしたウッドワートステークスは世紀の一戦として、現在もアメリカのレース史に記されている。

特筆すべきはワシントンパークハンデキャップにて記録した、斤量62kgを背負ってのダート1マイル1分32秒20という驚異のレコードタイムである。

同条件で達成した者はいまだ存在せず、破られぬ世界記録として全てのアメリカウマ娘の目指す理想のタイムとして残っている。

引退後は研究者の道を選び、対気性難国防計画局(U M A R P A)の前身組織よりアメリカに多大なる貢献を示して、現在も超大国の科学力の礎にして第一人者として著名な人物である。

 

「ダイジョーブダイジョーブ!吾輩がそんなヘマを……」

 

口癖はダイジョーブであるこの権威には、一つだけ欠点が存在する。

 

<センサーが異常を検知しました。自動操縦モードに移行します>

「あっ……」

 

この口癖が飛び出す時ほど、やらかす女であった。

 

対気性難パワードスーツ、メタルウーマンMk.1から機械的なシステム音声が発せられ、頭部インターフェイスのサイバーアイが光を帯びると同時に駆動音が響く。

Mk.1アーマーは試作機として、機体の拡張能力の限界まで二人の権威の意欲的な機能が盛り込まれている。

その中の一つが自動操縦機能である。ソフト面を担当するディーン・ヒル博士の設計した自律型AIであるU.M.A.R.V.I.S(ウマーヴィス)の独自判断により、搭乗者が意識を失う、もしくは不在時に外部からの異常を感知した際に、アーマーが自動操縦モードに移行して脱出を行うのである。

 

「あーーーー!!だから言ったのに!!!」

「ぎゃあああああ!!!止めてええええええ!!!!」

 

アーマーの背中から鋭角な翼が広がると共に、腕部兵装ブラスター・レイの膨大なエネルギーを転用した脚部フロートシステムが稼働し、飛び立つ準備に入った。

ラボの内部には高価な最新鋭設備が並び、人間の研究員も存在する。

その中を重量のあるアーマーが飛び回れば設備の損失のみならず人命の危機すらある。一大事である。

 

「ああああああ!!!吾輩のラボがあああああああ!!!!」

 

局長が必死で抑えようと踏ん張るも、研究漬けで鈍りに鈍った彼女の力では完全に止めるに至らず、アーマーは水平に発進した。

 

「た、大変……止めます!!」

 

「のけい」

 

研究室の出口へ直進するアーマーの前に、助手が回り込むよりも速く大統領が立ち塞がった。

手をごきりと鳴らした後、その身に潜む膨大なウマソウルを全身より放出させる。

 

「ウチのモンの不始末じゃ。ワシが止めるのがスジじゃけえ」

 

そう言うと、大統領は真っ向からアーマーを受け止めた。

激しい衝撃音が鳴り響き、床を砕きながら摩擦音を残して数メートル押される。

 

「おお!?なかなかやるけえの!!」

 

テロリストの蜂起や気性難犯罪などのアメリカで起きる大事件で、軍や警察を動かすより本人が行った方が早いとまで言われる大統領がこれほどに押されるのは、某シスターとの喧嘩や元大統領秘書との腕試しなど、伝説のウマ娘を相手する時以来である。

Mk.1アーマーは予算度外視で製造されており、動力源は元大統領秘書の身体能力を可能な限り再現した胸部疑似ウマソウル・リアクターにあった。

その胸部リアクターからボディ各部にエネルギーを送り込むチューブを、博士が指差す。

 

「大統領!リアクターの接続チューブを切るんだ!!」

 

声に頷いて返した大統領は、上から床に押し潰すようにアーマーを片手で抑えつけ、空いた右手で手刀を作る。

強烈な威圧感を放つ眼が更にその圧を増し、ゆっくりと手刀を掲げ──

 

大統領チョップ(ノーザン・ソード)!!!」

 

──一閃された手刀で大気が切り裂かれ、遅れて高音の破裂音が響いた。

 

大統領の本気の手刀は先端部分が音速に到達し、発生した衝撃波は丈夫さがウリの米国産車すら切り裂くデタラメな代物である。これくらいの事はやれないと超大国のトップは務まらないのだ。なお某シスターと欧州現役最強も同じ事ができる。

 

大統領の手刀の前に、チタン合金製のチューブはあっさりと両断された。

バチバチとリアクターが火花を上げ、システム音声が異常を告げる。

 

<アラート。オーバーロードの危険性があります・・・・・・緊急停止します>

 

リアクターの暴走を抑えるべく機体各部から冷却剤が噴出し、ようやくMK.1アーマーは動きを止めた。

冷却材が作り出したスモークが晴れ、アーマーが完全に停止したのを見届けた一同がほっと息を吐く。

 

「フェイガー局長!!安全確認はしっかりやってください!!」

「ごめんなさぁい、ありがとうノーザンちゃん……」

「気にすな先輩!!ええ肩慣らしになったわ!!」

 

シリィ女史に叱られ、しゅんと耳を垂れさせる局長に大統領が呵呵と笑って返す。

久しぶりに暴れられてご機嫌である。最近は大統領に恐れをなして全米の犯罪率は下がる一方だった。

なおこの後にキーンランドレース場で大騒動が起きる。

 

「ふむ……センサーが過敏すぎる、か。チューブに関してはリアクターのエネルギー効率を改善できれば内蔵式……いや、動力源を考えれば搭乗者自体を通り道に……」

 

三人を他所に、博士は停止したアーマーに近付き、顎に手を置いて思案に耽っていた。

AIの自動操縦による無人機運用で大統領を押し込むパワーは、性能試験用の試作機としては上々の仕上がりと言える。

しかし偶発的な暴走により、過剰なセキュリティ面と剥き出しの弱点であるエネルギー・チューブと課題も浮き彫りの結果となった。

 

「そちらはダイジョーブ!量産機では無人操縦機能はオミットする予定である!!MK.2は搭乗者にインナースーツを着せて、表面に回路を施そう!」

 

思案を続けるディーン博士の脇から、にゅっと局長が顔を出す。アーマーの基本設計は彼女の担当である。

 

「いいネ!!後はAIの搭乗者認証と……」

「それよりもコレ、ワシは着れんのんか?」

 

二人の権威の語り合いに、目を輝かせて大統領が口を挟んだ。

彼女はサブカルにも理解があり、コミック収集は趣味の一つだった。

アメリカで活躍しているとある怪人トレーナーのファンを公言しているのも、これが理由である。

 

「あの、それがですね、大統領……」

「ノーザンちゃんごめん、Mk.1は着れないのである」

「なんでじゃ、ワシこれ着てみたい」

 

「着たら脱げないんだヨ、システムが誤動作を起こすから」

 

あっさりとMk.1アーマー最大にして本末転倒の欠点を博士が口にし、辺りがしん、と静まり返る。

眉間を揉みながら、助手が博士の言葉を補足した。

 

「あのですね、拡張機能の限界ギリギリまで色々盛り込んだ結果、搭乗者のバイタル管理でエラーが出るんです。先生がヘルメットを被ったら取れなくなって大変でした……」

「あの時は死ぬかと思ったヨ!シリィ君が無理矢理引っ張るから!!」

「ノーザンちゃん、本当に申し訳ないのである。たぶん光学迷彩が容量を食いすぎてるから、そこをオミットすれば……」

 

残念そうに首を振り、耳を絞った後に大統領は笑ってみせた。

やらかしは多いが、現役時代の先輩でもある局長には全幅の信頼を置いている。

既に解決策も考えているだろうと言う確信と信頼があった。

 

「ええじゃろ!ワシのオモチャにする訳にもいかんしの!!でもワシ用のもほしいけえの!!」

「それはしっかり用意するのである!ガトリングガンとか付けるのである!!」

「おお!レッツパーリーとか言ってブッ放してええのか!!?」

「モチロンである!!!」

 

腕を組み合い、仲よさげに大統領と局長は回転してみせた。

なお大統領の回転が速すぎて二周目で振り回され始めている。

それを眺め、今度こそ依頼の終了を感じた助手は博士の首根っこを再度ひっつかみ、出口へ歩き出した。

 

「じゃ!帰りますよ!先生!!」

「待ってくれたまえヨ!シリィ君!まだ調べることが……」

「もう一つのプロジェクトは打ち切られたし関係ありませーん!!先生が首突っ込んだらロクな事になりませんから!!」

「イヤでも!神の降臨実験なんて興味深くて……」

 

対気性難国防計画局(U M A R P A)では常時、荒唐無稽としか言いようのないプロジェクトが立案され実現が検討されている。

今回博士が関わり、二人の権威の手によって最初の一歩を踏み出すことに成功した対気性難パワードスーツもその一つである。

そして今回、競い合うようにもう一つ、神話の女神達を現実に降臨させるプロジェクトが進行していた。

プロジェクトは難航した末に、一人の研究員が研究資料を持ち出し行方を眩ました結果を残して失敗に終わっている。

 

博士と助手が去り、落ち着いた大統領から解放された局長は、うきうきとアーマーを撫で回し始めた。

 

「ああ!やはり美しいのである!!この無骨な無塗装のボディ……!剥き出しの動力源……!!」

「ワシもちっとはわかるけえの!!これはいいモンじゃ!!」

「だよねえノーザンちゃん!!そこで一つ名案があるのである!!」

「なんじゃ?」

 

 

 

 

「テストが終わったら!!搭乗者を公募するのである!!普通のウマ娘が実は鋼のヒーロー、メタルウーマン!かっこいいのである!!!」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「たぶん、局長と大統領の事だから……普通のウマ娘が偶然アーマーの搭乗者になって、とか考えたんだろうけど……それがこの結果に…………」

「バカじゃねェのか?アメリカって国」

 

所変わって、日本の現在のトレセン学園競技場、観覧席である。

博士が顔を青褪めさせて経緯と予測を語り、シャカールは呆れ果てた顔で一刀両断してみせた。

向こう側の席では盗み聞きしていた理事長が卒倒している。母のやらかしで胃が限界を超えていた。

 

「叔母様、まだ隠してますよね?」

「な、ななな何の事かネ?ファイン」

 

一方、公女殿下は経緯を話す叔母の顔をつぶさに見ていた。

幼い頃から大好きな叔母は、堂々とした一国の元首の大器を持つ人物だが、よくやらかして殿下の父、すなわち現アイルランド大公に叱られる時は眼をそらして誤魔化す癖があった。

今それが出ていた。叔母は何かをまだ話していないと公女殿下は確信している。

 

「その公募の件、叔母様も知ってましたよね??たぶん、それいいね、とか言ったんでしょうけど」

「そ、そそそそんなバカな………」

「叔 母 様?」

「……………知ってました、ハイ……………」

 

姪の眼が妖しく輝き、進退窮まった博士はついに白状した。公募の件も開発者の一人として連絡を受けていたのである。

しかもノリノリで賛成している。この博士もかっこいいシチュエーションには弱い。

 

「あの、選定はしっかりしてたし、それに防犯対策もちゃんとしてたハズなんだヨ……だから、ここにあのアーマーがあるのはおかしいんだよネ……製造者責任として、ここはワタシが何とかしたいところだけど……」

「博士よォ、あれはどんなモンなんだ?」

「……たぶん、局長とプロジェクトチームの手によるMk.4アーマーかな。光学迷彩をオミットし、リアクターのエネルギー供給も解決されてたはず。武装面は簡略化して腕部ブラスター・レイとマイクロミサイル……いや、軍用の重装仕様もいるな。それと数機は無人機だね。ブレードアンテナ……ウマ耳の長いのがいるよね?そちらで遠隔制御していると思う」

「つまりは、かなり厄介なシロモノってワケか」

 

窓の外、競技場の中心に陣取り、赤く塗装されウマ耳を象った頭部にスリムな女性型のボディを持った対気性難パワードスーツを眺め、シャカールは辟易とした表情を見せた。

博士とは公女殿下との繋がりからその付き合いは長いが、このやらかしは過去最大である。

こりゃあの助手サン頭抱えてんな、とここにはいない博士の助手に心で同情する。

 

 

「──止める方法はあるの?ディーン」

 

 

一瞬、一同が黙り込んだタイミングで、凛とした涼やかな声が観覧席に響いた。

全員がその声の主を見る。一度も口を開いていない、博士の同行者だった。

 

「先輩……」

 

(博士が先輩と呼んで、この声……なるほどなァ)

 

聞いたことのある声、そして博士が先輩と呼んだ事によりシャカールはその人物の正体を即座に特定した。

公女殿下はまあ素敵な声と感心して気付いていない。

ニートに身を堕としても敬愛している先輩の言葉に、即座に真剣な表情で博士は解決策を模索する。

 

「………Mk.3までは、私の組み込んだ緊急停止コマンドが使えたはず。Mk.4からは私の手から離れているから、同じ方法が通用するかは賭けになるが……外部からハッキングか、それとも直接システムに書き込むか……ああ、シリィ君がここにいれば……」

 

「助手サンほどじゃねェけどよォ、ハッキングの手伝いはオレじゃできねェか?」

「直接書き込むなら私が行く」

 

シャカールが立ち上がり、それにニートも続く。

更に二人を眺めた後に、うきうきと公女殿下も手を上げた。

 

「じゃあ私も何か手伝うわ!叔母様!!」

「お前はダメに決まってンだろ!!国際問題になッから!!!」

「シャカールのケチ!!」

「こんな時に拗ねんじゃねェ!!!」

 

こんな時にもいつも通りの二人に博士は笑い、立ち上がった。

するべき事は、決まった。後は持ち得た頭脳の全てを駆使し、あの平和の為に生み出したパワードスーツを止めるのみである。

 

 

 

「ファインはSP達と協力して観客と子供達の避難を。私達は競技場へ向かおう」

 

 

 

一方、競技場では──

 

「やっぱり強い、この人……!!」

 

 

 

カルトの中で唯一生身の、黒き仮面のウマ娘の前に英雄が膝を付いていた──



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第四十話 ある姉妹の過去と現在

日本の首都、東京は府中市にあるエクリプス教会。

ここに一人のウマ娘が生まれた。

伝説のウマ娘である母の面影を強く残した容姿。

そして母とは違い恵まれた、日本のウマ娘らしからぬ大柄な身体。

 

誰もが、その将来に期待を抱かずにはいられないウマ娘だった。

 

『タイ、良い脚だ!!もう一本いっとくか?』

『おう!かーちゃん!見ててくれよ!!』

 

生家はウマ娘の競走指導を生業としており、そこで少女はすくすくと育った。

優れたトレーナーだった父の愛情、型破りながらも的確な母の指導を一身に受け、速く、強いウマ娘へと成長していった。

 

『お前が最近ここらで速いってウワサのカメハ……なんだっけ、まあいーや!オレ様と走ろうぜ!!』

『うむ!相手にとって不足なし!!』

 

少女には、妹がいた。

 

『おねーちゃん、まって、まって』

『どこにも行かねーって、ねーちゃんが手繋いでやるから』

 

『ほら、行くぜ。プイ』

 

幼い頃より母譲りの負けん気と無鉄砲さを誇った姉と比べて、幼い妹は大人しく、競走には向いていない。

いつも姉の後ろをとことことついて回り、身体も同年代のウマ娘と比べて小さく、あまり走りそうにも見えない。

あの有望な姉と比べるのはかわいそう、あの家に生まれて才能に恵まれなかった、というのが幼い妹への周囲の評価だった。

 

しかし、少女にそんな評価は関係なかった。

 

『えへへ、おねーちゃん、だいすき』

『うん、ねーちゃんもお前が大好きだぞ』

 

同じ血を分けた、守るべき大切な妹。

たとえ速くなくとも、自分が代わりに夢の舞台に連れて行く。

たとえ小さく弱くとも、大きく強い自分があらゆる危険から守ってやる。

 

かけがえのない、最愛の妹。

 

 

 

──夢へ、まっすぐ走っていたあの頃。

 

──母の背中を追いながら、妹の手を引いていた頃。

 

──少女は、確かにそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

競技場の中央に集結する、赤きカルトの尖兵。

金属の光沢を放つ赤く塗装されたボディに長いウマ耳、掌と足の裏から光の奔流を放ち宙に浮くその姿は、正しく鋼で作られた異形のウマ娘であった。

その中の一体は黒く塗装され、肩や腕には明らかに重火器と思われる金属の筒が幾つも取り付けられており、更には一人、中央に一本の白い流星が流れる黒い仮面を着けた大柄なウマ娘が、彼女を抱えていたウマ耳の短い異形のウマ娘により地上に降ろされ、ゆっくりと立ち上がる。

 

何者かと接触して吹き飛んだ智哉は頭を上げ、その姿を呆然と見つめた。

 

「……こんなんアリかよ」

 

武装して宙に浮くパワードスーツが相手など、明らかに一介のトレーナーの手には負えない事態である。

例え覆面を着けていてもあんな物と戦う気にはならない。それに腕付近のパーツの形には見覚えがあった。

 

(……さっきの、カルトの構成員が使ってた武器だ。こんな所で撃たれたら最悪怪我人どころじゃねえ……どうする……!?)

 

「すまない、大丈夫か?」

 

糸口を掴むための思考が、中断される。

振り向くと、ふらふらと出走していたウマ娘の少女が近付いてきていた。

 

「お、おう……怪我はないぜ。そっちは大丈夫か?」

「けがはない、大丈夫だ……と言いたいところだが」

 

言葉の途中で少女、ファーはへなへなと崩れ落ちた。

慌てて智哉がその肩を掴み、支える。

 

「おい!?どこか痛めたか!!?」

「全身が、いたい。あとおなかもいたい」

 

最後まで走り抜けてはいないが、それでも神の領域に手を伸ばした代償がファーを襲っていた。

腹痛はおやつを食べ過ぎてから走っただけである。

 

「すいません!その子、私が預かります!!」

 

シオンがゴールを走り抜け、ファーを支える智哉に近付く。

非常事態をすぐさま察知した彼女は、他の出走ウマ娘にレースの中断を提案した後にファーが心配でゴールまで走ってきていた。

 

「っと、悪い、頼めるか?」

「はい!ほら、肩に捕まって!レースどころじゃないわ!!」

「すまない。あっ、あまり速く走らないでくれ。色々と出そうだ」

「ああもう!これならいい!!?」

 

シオンがファーを背負い、自陣のチームメンバーが集まる先を目指して走る。

その先、チームカペラの集合場所でポニーテールのウマ娘を中心に上級生が下級生を集め、先に逃げるように指示を飛ばしているのを確認した後、智哉はフランに振り返った。

 

「フラン、大丈夫……じゃねえなこれ」

 

「きゃーーーー可愛いぃぃいいいぃ!!ちっちゃい!!来てよかったああああああぁぁあ!!!」

「くるしくて、つらいわ」

「肝据わっとるな、お面の嬢ちゃん」

 

フランは謎ウマ娘にお面が外れそうな勢いで頬ずりされ、もみくちゃにされていた。

その目は死んでいた。智哉がファーと話している間ずっとこの状態である。

その隣では口枷を着けた係員が、この緊張感の無い姿に感心した様子で頷いている。

 

更にスッ、といつの間にか主人の危機にメイドが現れ、謎ウマ娘の背後に立つ。

 

「そこのお前、保護してくれたのは感謝するしお嬢様が可愛いのにも同意するが、ぬいぐるみのような扱いは……」

 

そこでメイドの言葉が止まる。不可解な違和感を目の前のよくわからないウマ娘に覚え、何故か仕えるべき主人の一人だという奇妙な錯覚があった。

対して、謎ウマ娘はメイドの姿を見るや飛び上がり、震えながらフランを差し出す。

顔色は伺えないが明らかに目の前のメイドに怯えていた。

 

「あっ!ごめんなさい!返します!!ごめんなさい!!メイド長いるじゃん怖ぁ……

「もみくちゃで、つらいわ」

「あ、ああ……お嬢様は私が、いや」

 

メイドがくたくたになったフランを受け取り、そのまま智哉を見る。

 

「お前に預ける。ここから早く離れろ」

「えっ、いやサリーさん、俺は……」

「アレはお前の手には負えんだろう。ああいう手合は──」

 

そこまで話した所で、メイドの背後から二体のパワードスーツが迫ってきていた。

ウマ耳が短く、長いタイプと比べるとのっぺりとした顔の輪郭。競技場を急襲した中で最も多いモデルである。

智哉が知る由もないが量産型の無人機だった。

 

「サリーさん後ろだ!あぶねえ!」

「何、心配いらん」

 

智哉の危惧に、メイドは後ろを振り返ることすらせず平然と返す。

無人機二体の進行方向に、二人のウマ娘が立ち塞がった。

 

「しゃあっ!」

 

「オモチャが!壊れろ!!」

 

謎ウマ娘と、口枷の係員の二人である。

カウンターの形で頭部を蹴り飛ばし、二体が吹き飛び競技場の地面に砂埃を上げながら墜落した。

拳を合わせて労い合う二人の中央にメイドが立ち、好戦的な笑みを智哉に向ける。

 

「──私達の出番だ。さっさと逃げろ」

「……すげえな、みんな」

「さあ行け、お嬢様を頼む」

 

メイドの言葉に頷いて返し、フランを横抱きにして去ろうとした智哉だったが、ここで一つ聞いておきたい事に気付いてもう一度メイドの顔を見る。

こういう時、真っ先に飛び出して来そうな姉がどこにもいない。

 

「あ、サリーさん一つだけ。姉貴は……?」

「いないぞ」

「は?」

「お前を探してくる、と言って出ていったきりだ。アイツの事だから酒の補充にでも行ったのだろう」

「姉貴、こういう時いっつもいねえ気がするんだよなあ……」

 

メイドの予想は当たっていた。姉はぶらぶらと弟を探す内に武装した男達と黒服の集団が何やら騒ぎを起こしている場面に遭遇し、喧嘩両成敗とばかりに双方に拳骨を一発ずつ入れて鎮圧してから、学園の門まで来てしまったついでにコンビニに立ち寄っている。肝心な時にいない女である。

 

「避難するなら、これよろしく!」

 

二人がため息をついた所で、謎ウマ娘が智哉へ何かを投げつける。

咄嗟に受け止め、手の中を見る。何の変哲もない、USBドライブだった。

 

「それ持ってお……その子と観覧席に行って。途中でディーン博士と会うはずだから」

「博士来てんのかよ……よくわかんねえけど、わかった。博士に渡せばいいのか?」

「もち!ハカセに渡せば何とかしてくれるよ!観覧席はその子なら顔パスで行けるっしょ!」

 

ジュドモント家は過去の一件で理事長に大きな貸しがあり、更にはカルトの襲撃でジュドモントの令嬢の身に何かあったら今度こそ理事長の進退問題になりかねない。智哉としても一理ある話で、観覧席にフランを預けるのには賛成である。

 

「そうだな、行ってくる。みんな気をつけて……そっちの係員さん?も……」

 

智哉が軽く頭を下げ、口枷の係員に一度目を向けるもすぐに目を逸らして観覧席へ向けて走る。

どこからどう見てもとんでもない気性難にしか見えない。着けている口枷も最近同じ物を見た気がした。

メイドが智哉を見送り、口枷の係員の横に並ぶ。

 

「先程の助勢、感謝します。マダム」

「おうおう、気にするな。イギリスもんも中々どうして、やるもんじゃないか」

「でしょー?おば様!」

 

初対面の三人だったが、互いにその身に秘めた苛烈な気性を感じ取り、敬意を示し合う。

メイドがマダムと呼んだのは、係員の特徴をつぶさに見ての対応である。左手の薬指に指輪を着けている。

口枷の係員はこの異常事態でも冷静に周囲の確認を怠らないメイドと、平然と自分達に並ぶ謎のウマ娘の姿に感心したように、ひゅうと息を吐いた。

 

「ううむ、二人とも肝が据わった良いウマ娘じゃないか。ウチの娘っ子どもはダンナが一流のウマ娘にするなんて大事に育てるもんだから、喧嘩はからっきしダメでねえ」

「おや、既にお子様もおられましたか」

「気分の良い事を言ってくれる。あたしゃ孫もおるばばあじゃよ」

「うそでしょー、おば様若いしキレーじゃん!」

 

非常事態でも楽しげに談笑する三人の後ろでは、不良教官が加勢の為に外ラチを越えようとしてオタクに止められていた。

 

「レムさん!ダメですって!!」

「ええい離せデジたん!!私もポニーちゃん達を守るんだ!!」

 

不良教官は子供達に良い所を見せるチャンスと意気込み、更には係員にここにいる事がバレたら後で加勢しなかった事を問われて殺されると必死であった。

 

「ほら!レムさんあっち見て!!」

 

オタクが止めた理由を示すべく、チームカペラの集合場所を指差す。

 

「こわいよー!おかーさーん!」

「せんせーどこー!?うええええん!!」

「大丈夫だから!私達が守るから!点呼取れた!?先生はどこ!?」

「こ、こんな事、業務内容に入ってない!どいてくれ!私が先だ!!」

「ちょっとお話しよっか?」

 

真っ先に逃げようとする教師に、青筋を浮かべながらその肩を掴むカワイイウマ娘、そして泣いている低学年の子供達。

不良教官はゆっくりと、観客席に戻った。

 

「まずあの子達を避難させてあげないと!レムさんなら避難マニュアルとか暗記してますよね!?」

 

オタクはこの非常事態に対し通常時のすぐ尊死するだらしないオタクから、レース時の真剣な表情の勇者へとフォームチェンジを遂げ、冷静に状況と優先事項を把握していた。肝心な時に本気を出す女だった。この程度できなければダート芝両方のG1は勝てないのである。

そして不良教官は普段は働かないがその手腕は有能であり、避難マニュアルは当然暗記している。

ポニーちゃんを守る為には努力を惜しまない女であった。

 

 

 

 

「ああ……わかるとも!!今行くぞポニーちゃん!!」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

『エナメル、蹴られてやんの!ぶっ放したらいいんじゃねーの?』

『重火器はまだ撃つな。未来の信徒である子供達に当たる』

『あ、ターゲットいるよー。さっきの係員のトコ』

『あの係員は手強いぞ。まずは無人機で仕掛ける』

『了解ーっと、あ、追い払われたじゃん』

 

パワードスーツの通信装置により、会話を交わすカルトの構成員達。

彼女達としても子供を撃つのは本意ではない。気性難は筋を通す生き物である。

 

『混乱している間に一人は確保する。新入りはゲートに向かわせろ。私は……』

 

構成員の一人、リーダー格のエナメルがパワードスーツのインターフェイスが示すターゲットから、一人を絞り込む。

童顔の青年、若くして有力トレーナーとして名を馳せている男の顔を拡大し、フロートユニットで飛び立つ。

 

『ケンジ・カワゾエ。我らが身許へ来てもらうぞ!』

 

一方、川添はチームカペラの集合場所に向かおうとしてドリジャから羽交い締めを受けていた。

 

「カレン!今行くから……」

「テメーが行っても仕方ない(シャーネェ)だろうが!!あの子はパネェから心配いらねーよ……ってオイ!こっち来てんぞ!!!」

「えっ?何でこっち来んの!!?」

 

ドリジャがウマ娘の聴覚で真っ先にエナメルの接近を察知し、川添の顔が蒼白に染まる。

最近は事ある毎に気性難の被害を受けている気がしてきたと、どうでもいい事が頭に過ぎった。気がしなくても事実である。

気性難絡みでは夏レースの一つである小倉レース場開催も彼にとっては良い思い出がない。レースで二度負傷し、レース外でも必ず九州ウマ娘(ぼっけもん)の被害に遭っていた。哀れである。

 

エナメルが川添に手を広げ、捕らえようとしたその瞬間──

 

「あらよっと!!」

「ほげえ!?」

「アネさん!!?」

 

──横からシスターが飛び出し、川添を突き飛ばしてエナメルを止めた。

 

『……貴様……!!』

「俺様の目の前でこんな真似するとはいい度胸じゃねーか?おもしれーよ、お前ら……!?」

 

駆動音を響かせながら手四つの形に入ったエナメルと顔を突き合わせ、シスターが凶悪な笑みを浮かべる。

 

『フン、ならば貴様から……仕留めるのみ!!』

「おお?それもおもしれーな、やってみ……おおおおお!!?」

 

掴み合いながらもパワードスーツのサイバーアイが光り、上空にシスターもろとも飛び上がる。

 

「すげぇな!飛ぶってこんな感じか!!」

『チッ、その余裕、どこまで持つかな!?』

 

そのまま、楽しそうに笑うシスターを連れてエナメルが加速する。

向かう先は、観覧席だった。

 

「ドリジャ!!お前はケン坊連れて避難だ!!ステイはグランマと合流!!あのやりそうなヤツはディーに任せろ!!」

 

そう言い残し、二人は強烈な激突音と共に観覧席へ消えた。

煙が上がり、卒倒している理事長がぶらん、と半壊した観覧席の瓦礫にぶら下がっているのを眺めて、ゲート係員に扮したディーが眉間を揉む。

 

「母さん……は大丈夫かな、あれくらい」

 

それよりも問題は観覧席の被害である。今日はかつてのチームのオーナーに、先輩でもある公女殿下が来ている。

そちらに何かあったら確実に理事長の首が飛ぶ。

首を振り、懸念を追いやったディーは顔を上げ、目の前に着地した黒い仮面のウマ娘を見た。

 

(……前は不覚を取ったけど)

 

以前、カルトのアジトの一つを急襲した際に、この黒仮面とは一戦交えている。

秘書が突然消えたトラブルもあったが、それを差し引いてもこのウマ娘は恐ろしく強靭かつ場慣れした強いウマ娘だった。

 

(こんな強い人、有名でもおかしくないはず……どうしてカルトの手先になんて)

 

ゆっくりとこちらへ歩いてくる、明らかに只者ではない風格を持ったウマ娘を前にして、ディーは雑念を捨てて息を整える。

 

(考えるのは後。タケルもいないし、ここは私がなんとかしないと)

 

目の前に黒仮面が立ち、ディーより頭二つ大きな身体が威圧するように見下ろしてくる。

その姿にディーが既視感を覚えた瞬間──黒仮面は強烈な頭突きを放った。

 

(それは!前に食らった!!)

 

それを横に瞬時に跳んで交わす。小栗流の縮地法である。

ディーの後ろにあったゲートが轟音と共にへし曲がり、平然と黒仮面は振り向いた。

しかし、その先にもうディーはいない。もう一度縮地法を使い、必殺の飛び蹴りの体勢に入っている。

 

(スピードは、こっちが上……!!)

 

既に対策、攻略法は練っており、相手はその通りに動いた。

後は英雄の脚力で顎先を蹴ればディーの勝利だった。

 

──しかし、ディーの脚は黒仮面の目前で止まった。

 

(……やっぱりこうなる。なんで蹴りたくないの……!!)

 

何故か、自分の本能、ウマソウルがこの黒仮面を蹴るのを全力で拒んでいた。

次の瞬間、ディーの目前に黒仮面の拳が広がる。

 

「ッ!!?」

 

それを、身体を捻って既のところで回避した。

脚を上げたままの無理な体勢が祟り、転がって膝をつく。

カウンターのタイミングであった。蹴られるのを承知の上での相打ちを黒仮面は選択したのだ。

 

「やっぱり強い、この人……!!」

 

以前の一戦でも、ディーは黒仮面へ一切攻撃できなかった。何故か、そうしたくないと感じるのである。

 

(………次は、当てる。子供達も、みんなも、守らないと……!)

 

立ち上がり、もう一度縮地法で接近する。

先程の再現、まるで機械のように、黒仮面は射程距離に入ったディーへ頭突きを見舞った。

 

(この人は、必ず頭突きから入る。もっと動けそうなのに)

 

来るのがわかっているならば、当然回避も容易である。

するりと避けて、ディーは上段蹴りを放った。

 

(うっ……嫌な感じ……だけど!!)

 

脚が止まりかけるも、振り抜いた脚が仮面を擦る。

 

続けて来る拳を避け、ディーは黒仮面の背後に回った。

背中合わせになり、振り向く。

そこで、ディーの脚が止まった。

 

 

黒仮面、いや、そこにいる人物が、信じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「…………ねえ、さん?」



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第四十一話 それぞれのすべき事

パンサラッサほんまおめでとう。マジで偉業やこれは……。


『いいか、タイ?お前はでけぇから、まず図体で見下ろしてビビらせろ!それから頭突きだ!お前の上背ならめちゃくちゃ痛ぇぞ!!手加減はしろよ?』

 

『それでも向かってくるヤツ?一発もらってもお前なら平気だろ?相打ち上等でブッ飛ばせ!!』

 

気高く、強く、そして速い。

 

憧れの、理想のウマ娘の母の教えを忠実に守る。

 

 

 

「い、いたた……」

 

「こいつ、すっげえ強い……」

 

 

近所のちびっこウマ娘用のコースが併設された公園を独占し、近付く子供を追い払ういじめっ子ウマ娘達に少女は一人立ち向かった。

年上の上級生達に囲まれて少し怖かった。それでも、少女には胸を張らねばならない理由があった。

 

『おねーちゃん……おようふく、よごしちゃった……』

 

ケンカのきっかけは、公園に遊びに行った妹が泥だらけで泣いて帰ってきた事だった。

母に頼めば、悪ガキ達に軽くお灸を据えるくらいはしてくれただろう。

しかし、それは望まなかった。代わりにケンカのコツだけ訊ねた。

これは自分の闘いだったからだ。妹を守る、姉の闘いだったからだ。

母は大声で笑ってから娘の意気に応えてくれた。心底嬉しそうな笑い方だった。

そして今、決着はついた。反撃は貰ったが少女の完勝である。

 

「いいかお前ら!ここはみんなの公園だ!!独り占めしてんじゃねーぞ!!!」

 

堂々と胸を張り、強くあろうとする少女は高らかに宣言する。

囲んでは来たが相手も気性難である。負けた以上、筋を通して言う通りにするだろうという確信があった。

 

「……わかったよ、大勢で寄ってたかって負けたんじゃ立つ瀬がねぇ、言う通りにするよ」

「おう!じゃーケンカは終わりだな!!走ろうぜ!!」

「……は?アタシら追い出そうって話じゃねぇの?」

「オレ様はみんなで使えって言いに来ただけだぜ。あとは追い払ったヤツに謝ったらそれでいーだろ!!」

 

気分良く少女が笑い、後ろにいた付き添いのウマ娘が横に並ぶ。

 

「うむ!これで手打ちだな!この私とも走ろうぞ!!」

 

泣いている妹と偶然会って家まで連れて来てくれた、最近知り合ったウマ娘。名前はまだ覚えていない。

よく野良レースでも顔を合わせており、何度か対戦している内にライバルと認めている相手だった。やや負け越している。

今回のケンカには助太刀を申し出てくれたが、少女は強く固辞した。自分の闘いに首を突っ込ませたくなかった。

 

「ううむ、我が奥義の一つでも披露したかったが……お主がこれほど腕が立つとは」

 

ライバルは、よくわからない古流走法の使い手だった。

技は日夜増えており、変な技名と思いつつも少女はそのレースへのストイックな姿勢を良き手本としている。

 

「手ぇ出すなっつっただろ?これはオレ様のケンカ……」

 

言いかけた所で、少女の背中に小さな何かが飛び付いてきた。

 

「おねーちゃん!!」

「おう、プイ。ねーちゃんがカタキはとったからな」

 

ライバルと同じく、付き添いでついてきた妹を振り向いて抱き上げ、ぽろぽろとこぼす涙を手で軽く拭う。

 

「なんで泣いてんだ?どっか痛いのか?」

「いたいのは、おねーちゃん!おめめはれてる!!」

 

少女はようやくそこで自分の状態を確認し、少し視界が狭い事に気付いた。右目の上にたんこぶができている。

 

「目?ほんとだ腫れてるじゃねーか、あっ、ちょっといてぇぞ!!」

「なんだお主、気付いていなかったのか?わはは!!」

「パパに怒られるじゃねーか!冷やしてごまかさねぇと……今日は帰るか、プイ」

「うん……」

 

もう一度いじめっ子達に言い含め、走る気満々のライバルにも別れを告げて、妹と手を繋いで少女は公園を出た。

家路の途中、俯いていた妹がふと、こちらを見上げた。

 

「おねーちゃん」

「おう、なんだプイ?」

 

 

「わたし、つよくなりたい」

 

 

強く決意を込めた目で、少女を見つめる妹。

目の前で自分の為に闘う姉を見て、何か思う所があったのだろう。

少し寂しく思ったが、姉としてその背中を押してやるべきだと考えた少女は笑い、妹の頭を撫でた。

 

「そうか!ねーちゃんがケンカのコツ教えてやるよ!」

「うん、あとね……おうちのちかくのどうじょうにもかよいたい」

「トウカねーちゃんの家か?かーちゃんに頼んどいてやる」

「うん!おねーちゃんありがとう!」

 

ようやく笑みをこぼし、少女に抱き着く妹。

それを優しく抱き留め、妹の門出を少女は祝福した。

 

 

 

遠い日々、幼い妹との毎日。

 

少女は、幸せだった。

 

この妹の為なら、何でも出来る。

 

 

──そのはずだった少女、少女のように強くなりたい妹。

 

──姉妹は、この日分かたれた。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

目の前にいる人物が信じられず、ディーは一瞬我を忘れた。

黒鹿毛の中心に浮かぶ、母によく似てやや長い流星、そして最後に見た時は濁り切っていたが、本来は母のような強さをたたえた金色の瞳。

その眼が輝きを失い、自分ではなく何か遠くを見ているような眼差しだと気付いたその時、その顔が高速でこちらに迫る。

我を忘れて姉の顔を眺めた一瞬、心の隙間を縫うように、もう一度頭突きが迫っていた。

 

「ッ!うぐっ………!」

 

咄嗟に両手を交差して受け止め、衝撃で足がターフに沈む。

続けて先程と全く同じ流れで迫る拳を、後ろに飛んで威力を殺しながら受けた。

芝生を削りながら着地し、痺れる腕を抑えて前を見る。

追撃はなかった。襲撃者はゆっくりと仮面を拾い、顔に戻している。

 

(姉さん、手加減してる……母さんの教え通りに。それに、さっきの目……横須賀でも見た)

 

母や、目の前の姉には無いディーの美点、反面教師にした結果生まれた冷静な判断力で状況の分析を行う。

垣間見た黒仮面の素顔、家出中のはずの姉の眼差しには見覚えがあった。

横須賀港でカルトの大規模なウマ娘誘拐事件を阻止した時の、何故か構成員の言いなりになって船に乗り込む子供達の目もあのように虚ろな眼をしていた。

誘拐されていたのを覚えていないらしい、と相棒が警察の協力者から得た情報で言っていたのも知っている。

不可解な黒仮面の闘い方、そしてあの仮面の下の虚ろな、明らかに正気ではない眼。

結論に至ったディーの額に青筋が浮かび、ギリギリと歯を噛み締めた。怒りの形相であった。

 

(……絶対、許さない……!!どんな方法かは知らないけど、姉さんは洗脳されてる………!!!)

 

(姉さんは……姉さんは子供が大好きで、私が……私の事が嫌いでも……こんな曲がった事は絶対しない!!こんな事に利用するなんて!!!!)

 

裏にいるであろう、秘書が警戒していた相手への復讐を誓い、ディーは立ち上がる。

強い決意を込めた眼差しで、ずっと背中を追っていた姉が扮する黒仮面を見る。

 

(姉さんは絶対助ける。その為に……)

 

続けて、七色に光る助手を目印として避難に協力している保険医に目を向ける。

こちらを見て、口を開けて立ち止まっていた。恐らく黒仮面の素顔を見たのだろう。

ここに来てくれて良かったとディーは安堵した。マッドな保険医だが、今の状況でこれ以上頼りになる存在はいない。

 

「タキオン先輩!!!」

「おっと!ディー君、あれはタイ君だよねぇ?」

「はい……恐らく洗脳されてます。横須賀の時の子供達のように」

「なるほどねぇ……横須賀の件から対策は立ててある!ディー君!」

「どうすれば?」

 

 

「殴りたまえ!!」

 

 

ひゅう、と風が二人の間に吹いた。思わずディーが保険医に聞き返す。

 

「えっ……?」

「ショック療法だねぇ、これが一番効いたんだ。子供達には大きい音を聞かせたくらいだけど、私の見立てではタイ君は随分念入りな処置を受けている」

「で、でも姉さんに手を上げるのは……」

「今回は仕方がないからやりたまえ。それに……君もお姉さんに一つか二つくらい、言いたい事があるんじゃないかい?」

 

保険医の言葉に、ディーが言い淀む。

凱旋門賞に挑む為の渡仏の前日、姉にかけたあの言葉以来、二人の間に残った蟠り。

不仲の原因であるという自覚から、姉に背を向けていた過去。

それらを思い返し、頷いたディーは黒仮面に向き合った。

 

(こうなったのは、きっと私が姉さんに向き合ってなかったせい……)

 

手に力を込め、脚を踏み込む。

 

(伝えないと……姉さんは……私の憧れ……ずっと──)

 

 

 

 

 

(──私の、英雄だって!!)

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

トレセン学園競技場の避難経路は、観客席は最寄りの通路、出走するウマ娘は入場口からとその位置により異なる。

分散させることにより、群衆事故の二次災害を防ぐと共に迅速に避難を完了させる為である。

しかし観客と出走する子供達、それぞれの群衆を管理する為に多数の職員や教師の協力が必要だった。

 

「はいはーい!こっちだよー!焦らずゆっくりと急いでねー!!」

「ゆっくりと急ぐのー!」

 

その中の一つであるチームベガ、通称マル外チームの子供達を二人のウマ娘が大きく手を振り、出口に導く。

特に背の高いウマ娘、ヤッタはよく目立ち、更には子供達もよく知っている憧れの競走バである。素直に言う事を聞き、落ち着いて誘導に従っている。

 

「わああゼニヤッタさんだー!」

「あとでサインください!」

「いいよ!良い子で避難した子には全員あげちゃう!」

「みんな言う通りに動くんだ!私もサインほしいです!!」

 

リーダーの整列の指示の下、パニックを起こす事もなく静かに出口から避難する子供達を見送りつつ、ヤッタは観客席、そして反対側の入場口と目を動かす。

 

「うん、観客席は職員さんとドリジャちゃん、あっちの入場口はデジたんちゃんとレム先輩かな?誘導してくれてるねー」

「これで安心なの!」

 

ヤッタの隣のチェムが嬉しそうに手を振り、それをにこやかに眺めるヤッタは、この後の動きをチェムに訊ねた。

 

「チェムちゃんはこの後どうするの?あのロボットやっつけにいく?」

 

チェムはヤッタが生来持った異能の眼で見ても得体のしれない、底が見えないウマ娘だった。

ここに来たのは何か理由があるはずだと考えている。

チェムはえっへんと胸を張り、得意げに返答した。

 

「ホントはやっつけたいけど、まだその時ではないの」

「その時じゃない?」

「あっ!言っちゃダメだったの!」

「えー、教えてよー。一緒にお酒飲んだ仲でしょチェムちゃーん!」

「うう~!だめなのー!エっちゃん様に怒られるのー!」

 

耳を絞って顔を背けるチェムを抱き上げ、うりうりとその頬をヤッタがつつく。

その横から、入場口近くで誘導に協力していたヴァーとカネヒキリが近付いてきていた。

 

「学園の職員が応援に来てくれた。ここはもう大丈夫だ」

「オッケー!ならヴァーちゃん達も避難してね!」

「いや、私も加勢に……」

「ヴァーミリアン、ダメだよ!もうすぐ帝王賞でしょ!?」

 

絶対に行かせないと言った様子で、カネヒキリは杖を放り出してヴァーの腕を強く掴んだ。

 

「し、しかし……みんな子供達を守ろうと動いているのに、私だけ逃げる訳には……」

「あのサブトレさんも絶対怒るよ!あんな優良物件逃がしたらダメ!!!」

「は?いや智哉は……そういえば彼はどこに?」

 

カネヒキリの謎の勘違いに首を傾げつつ、ヴァーは話題に上った智哉を首を回して探した。

疑問に、ヤッタが答える。

 

「フランちゃん連れて観覧席かなあ、進路的にはそっち方面に行ったよ」

「……観覧席はあの様子だが、大丈夫なのか……?」

 

ヴァーが半壊した観覧席を指で示す。理事長はまだぶら下がっており、落ちないように勝生氏が引っ張り上げていた。

一同がぽかんと観覧席を眺め、そんな中で突然にゃあと猫の鳴き声が響く。

 

「あ、電話なの」

 

チェムの持つスマホの着信音だった。少し離れて電話の人物と話し込み始める。

 

「もしもしエっちゃ、あ、トキちゃ…………?観覧……インちゃ…‥来る?ホント……」

 

何やら深刻な様子のチェムを他所に、ヤッタは少し考えた後に自分がどう動くかを決めた。

 

「ん……外はマイキーがいるし、トムちゃんの様子見て来ようかな」

 

夫であるマイケルは、非常時に備えて競技場の外の避難誘導の為に待機していた。

いざと言う時のために学園所有のバスの運転手も引き受けている。ウマ娘の子供達は走って逃げられるが観客や職員には人間も多い。彼らを安全な場所まで連れて行く為の準備だった。

 

「……頼む。私は」

「ヴァーちゃんは、カネヒキリちゃん守ってあげないと。ケガしてるんでしょ?」

 

ヴァーがはっとしてカネヒキリを見つめる。彼女は先月のかしわ記念で骨折し療養の身である。当然走れない。

 

「そうだな、わかった……智哉は任せよう」

「うん!任せて!」

 

「あの!わたしも連れて行ってください!!」

 

避難する子供達の列から、ノーブルがヤッタの前に飛び出した。

先程から聞き耳を立て、姉の行方を追っていたのである。

ヤッタは屈みこんでノーブルに目線を合わせ、首を振って言い聞かせる。

 

「ノーブルちゃん、ダメ。大人しく避難してね」

「でも!姉さんに何かあったら、わたしは……!!」

 

思い詰めた表情のノーブルを前に、ヤッタは困ったように笑みを浮かべた。

このまま避難させてもこっそりと戻ってきそうな様子である。下手に一人にするよりは目の届くところで守った方が安全にも思えた。

 

「そう……うーん、サリーちゃんに怒られそうだけど、いこっか?」

 

「ちょっと待つの!私が連れてくの!!」

 

許可を出そうとしたところで、チェムが待ったをかける。

話が終わったのかスマホをポケットにしまい、手を上げノーブルの護衛に立候補する。

 

「チェムちゃん?動いていいの?」

「出番なの!!観覧席で!!」

 

待ちに待った、とばかりにうきうきと足踏みを繰り返すチェムを見てヤッタは頷く。

 

「じゃあ、お願いしようかなー。ノーブルちゃん、チェムちゃんの言う事をちゃんと聞いてね?」

「はい!お願いします!」

「うん!大船に乗った気でいるの!!」

「えっ、あの、なんで抱き上げてえぇええええぇ!!?」

 

チェムはノーブルを抱き上げるや、観客席に飛び移って猛スピードで駆け抜けていった。

ノーブルの悲鳴が山彦のように残り、三人が唖然としながら見送る。

 

「彼女は、何者なんだ……?あの速さは普通じゃないぞ」

「速いねえ、チェムちゃん……」

「よくわかんないけど、あれ大丈夫なの……?」

 

チェムが半壊した観覧席に飛び移り、見えなくなったところでヤッタは我に返って二人に声をかける。

 

「じゃあ、二人はこのまま避難ね!外に出たらマイキーが誘導してくれると思うよ!」

「ああ……ヤッタさん、あなたは?」

「うーん……手も空いてるし」

 

ヤッタがきょろきょろと周囲を見回し、目を赤く光らせる。

 

「避難は順調……ディーちゃんは手を出したらダメそう……なら」

 

一か所、赤く光る箇所に気付いたヤッタが目を凝らし、見定める。

もう片方の入場口、ゴール側の観客席で飛び出そうとする芦毛の幼女を、マスクを着けたウマ娘が必死に引き留めていた。

 

 

 

 

 

 

 

「あそこ……危なそうかなー」



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第四十二話 観覧席の惨状

「もみくちゃで、つらいわ」

 

「そろそろ復活してくれねえかな……?」

 

謎のウマ娘の苛烈な甘やかしに晒され、死んだ目でぐったりとしたフランを抱えた智哉は、観覧席を目指して関係者用通路を進んでいた。

通路には他に誰の姿も見えず、職員達は避難誘導の為に移動しているようである。二人にとっては幸運だった。

誰に止められることも無く階段を上る智哉が、フランを観覧席に預けた後に自分が何をすべきかを考え、思考を巡らせる。

 

(フランを預けたら、まずはノーブルとボス、それからヴァーとその友達もここに連れてくるか。特にヴァーは責任感強いからな、無茶だけはしないでくれよ……ケンジさんは、別にいいか……あの人、こういう時に強運発揮しそうだし……)

 

超人とは言え智哉はただのトレーナーである。自分の手の届く範囲をよく理解した上でまずは身内の二人、そして代理とは言え現在の担当の安全確保を優先順位として動く指針を固めた。なお最近友人になったトレーナー仲間はスルーされた。運は実際に滅法強い。こういう時にしか働かないが。

ふと、智哉が腕の中のフランを見ると、こちらを死んだ目で見ていた。何か言いたげである。

 

「トム、さっきまでどこにいたの?つらいわ」

「悪い、ちょっと野暮用みたいなもんだ。レース観れなくて……」

 

フランの質問に智哉が返答しようとしたその時、ずしんと大きな衝撃音と共に通路が大きく揺れた。

超人の智哉にとっては大したものではないが、人ならばふらつく程度には大きな衝撃に思わず音がした方向、上を眺める。

 

「なんだよ、今の音……?上は観覧席だぞ」

「ゆれて、つらいわ。トム、おぶってちょうだい」

「ああ、これでいいか?」

 

フランのおねだりに答えて横抱きから背負う形に体勢を変える。

こちらの方がいざと言う時に自分が盾にもなれる、と智哉が考えたところでフランは肩に顔を埋めた。

 

「スゥー」

「速攻で吸うのか……」

「さいこうにきまるのよ、つらいわ」

「小学生がそんな事言うなよ…………」

 

智哉は心底フランの将来が心配になった。小学生かつお嬢様のウマ娘が使っていい言葉ではない。

この騒動が終わったら、フランの情操教育についてメイドとしっかり話し合うべきだと決意もした。

智哉の肩が怪物の犠牲になる中、ようやく二人は観覧席の扉の前に到着し、扉を開く。

 

そこには──

 

「オモチャと思ってたが、まあまあやるじゃねぇか!!ロボット野郎!!」

『調子に乗るな!!貴様では聖母様には勝てん!!』

 

大きく穴が空き、半壊した観覧席の瓦礫の中で取っ組み合うシスターとカルトの構成員。

この惨状の元凶である。

 

「叔母様!しっかりして!!」

「うーん……母上、私は大公の器では……本音?しがらみなく好き放題やりた……あっぶたないでジグ母様」

 

頭に大きなたんこぶを作り、何かがぶつかって昏倒したらしいディーン博士と、介抱する公女殿下。

周囲はSPが堅め、取っ組み合う二人を警戒している。

なお事態の対応のために立ち上がった瞬間にシスターがぶっ飛んできたのが原因である。

 

「ディーン倒れちゃったけど……どうすんのこれぇ……」

「センセー何してんだよォ!!!!」

 

途方に暮れるニートと、ギザ歯のウマ娘。

なおギザ歯のウマ娘はシスターの弟子の一人である。観戦も誘われていたが公女殿下との約束を優先し、今回は断っていた。

 

「誰か手を貸してくれないかなあ!!?やよいちゃん落ちるんだけど!!!!」

 

卒倒したまま吹き飛ばされ、観覧席に空いた穴にぶら下がる理事長と、それを支える勝生氏。

地獄絵図である。智哉は一瞬口を開けて固まるも、何から対処すべきかを考えて即座に中に踏み込んだ。

まずフランを横抱きに戻し、ニートに近付く。

 

「ご近所さん!フラン預かって下さい!!」

「あっ、トモヤ君じゃない」

「おッ?フランケルじゃねェか。それにアンタは……」

「ごきげんようお姉様。つらいわ」

 

フランをニートに預け、間髪入れずに理事長に急行した。

 

「代わります!よっ、と」

「おお!助かったよ……力、強いねえ君」

 

理事長を引っ張り上げ、無事な席に寝かせた所で智哉は更にディーン博士の下へ向かう。

謎ウマ娘の話によれば、この現状を解決できるらしい重要人物である。無理にでも起きてもらう必要があった。

 

「あの、ディーン博士に届け物……なんですけど……」

 

そこで足が止まった。警戒した腕自慢のウマ娘SPに阻まれたのである。明らかに強そうなSPにビビるいつものヘタレだった。

智哉がゆっくりと手を広げ、危害を加えるつもりはないとジェスチャーで示したところで、その奥の公女殿下が声を上げた。

数年前に公務で見た英国の選抜戦で、まるで最近流行しているウマ娘向け少女漫画のようにゴールで待っていた少年だと即座に気付いていた。

 

「あら、キミ!あの時の男の子!!来ていいよ!」

 

智哉は日系ではあるが歴とした英国臣民である。無論英国王室ならびにアイルランド大公家の事はよく知っているし、人並みに女王陛下への忠誠心も持っている。当然大公家や王室の一員の顔も知っていた。つまり自分が何故か公女殿下に顔を覚えられている事にビビり倒した。ヘタレである。

主の声に瞬時に反応したSPが左右に分かれ、公女殿下までの道が形成される。これで更にビビり倒した。ヘタレである。

 

「お招き感謝します、殿下……あ……あの、私はしがない臣民でございます。殿下の覚えが良い心当たりなど……」

 

そして変装もしていないのに、必死で父から伝染した普段の下町英語(コックニー)ではなく標準英語(クイーンズイングリッシュ)を使った。殿下は日本語で話しているので逆に不敬である。ヘタレすぎて頭が動いていない。

 

「いいから速く来て!ほら!」

 

殿下は意にも介さずぽんぽん、と自分の隣を優しく叩いた。そこまで近付くのはヘタレには難易度が高い。

しかし殿下の好意を無碍にするのは不敬に過ぎる。結局言われるがまま、智哉は公女殿下の傍まで近付いた。

 

「ようこそー♪へぇ~、かっこいい殿方だねえ。あの子とはどんな…‥あ、ごめんね叔母様に届け物だよね?」

 

何故かにこやかに微笑み、フレンドリーな対応の公女殿下に全く身の覚えが無い智哉が首を傾げかけるも、背筋を伸ばして踏み止まる。

そんな事を気にする場合ではない。跪き、謎ウマ娘から渡されたUSBドライブを公女殿下に差し出す。

 

「殿下、こちらを」

「USBドライブ?どなたから?」

「とあるウマ娘から、これをディーン博士にお渡しすれば事態の解決に繋がる、と言われ預かって参りました」

 

智哉は不敬にならぬよう全身全霊をかけて覚えている限りの敬語と王室作法を使い、公女殿下に応対した。先程の構成員との格闘よりも疲労していた。

しかしこの対応は公女殿下の不興を買った。彼女にとっては、誰もが気安く接してくれる日本のトレセン学園内でこんな対応をされる筋合いは無いのだ。智哉にとっては無理筋の話である。

 

「ここは日本だから、もっと気安く話してくれていいんだよ?」

「……いや、あの私としましては……」

「貴様~!私のお願いが聞けないと申すのかっ!?」

 

可愛らしく眉を上げた公女殿下が、自らの専属トレーナーに無理を通す際のお願いという名目の命令を口にした瞬間、背後に並ぶSP一同が足を一度踏み鳴らして智哉を囲んだ。囲まれたヘタレの顔が蒼白に染まる。フランはニートの腕の中ですやすやと寝息を立てていた。天国と地獄である。

智哉が弁解を口にしようとするも、それよりも早く救いの手が公女殿下の後ろからひょいと現れた。

 

「オイファイン、やめてやれよ……コイツ顔真っ青じゃねェか」

「あっごめんね!いつもの冗談のつもりだったの!!」

 

公女殿下の親友、エアシャカールが見かねて割り込んだことにより智哉は命拾いした。

王室ジョーク、タチが悪すぎねえかと言いそうになったが今度こそ不敬罪に当たるので心の中に留め、殿下の膝の上で酷い悪夢を見ているらしい博士の顔を眺める。

 

「で、あの、博士は起きそうっすか?」

「ううん、全然起きないんだよね。叔母様」

「うーんうーん……ロック、君はまだ小さいからタイヤ引きはやめるように言ったが、代わりに私を引っ張るのはちが………あっ走らないで」

 

博士は時折寝言でジグ母様やロックなどと縁者らしき人物の名を口にしては、顔色を多彩に変化させていた。駄目そうである。

公女殿下がため息をつき、隣のシャカールが顎に手を置いて思案した後に智哉の掌中のUSBドライブを見やる。

 

「なァ?ソイツの中身、オレが見てもイイか?」

「……ああ、ただ博士の所へ持ってけって言われただけだから構わない、と思う」

「よし、そンじゃ借りるぜ」

 

ステッカーがところどころに貼られた私物のノートPCを開いたシャカールがUSBドライブを差し込み、中身を検めようとしたところで声を上げた。

何やら動画ファイルが添付されており、そのファイル名が自分を名指ししている。

 

「シャカール君へ……だァ?オレ宛の動画ファイル入ッてンぞ」

「あら、何かしら?見てみて!シャカール!」

「気味が悪ィけど……まァ、見てみッか」

 

多少の気味悪さを感じつつも、傍らで画面を覗き込む公女殿下のおねだりに応えてシャカールが動画を再生する。

仄かに暗く、いくつかの機材が光を放つ部屋が映し出され、その中心に一人の人物が立っていた。顔は画面から切れており、よく見えない。

尻尾が付いているその人物はウマ娘のようである。白衣を纏い、長く黒い三つ編みの髪が揺れている。

その後ろでは四本の足が付いた球体が光を放ち、駆動する機械音が小さく響いていた。

映像が始まると共に、人物は手を広げて画面越しにこちらに語り掛けてくる。

 

『ヤア!シャカール君!!』

 

「博士じゃねェか」

「博士だな」

「叔母様ね」

 

博士だった。

 

『君がこの映像を見ているという事は、私はきっと悪漢の凶弾に倒れたんだろう』

 

「ヤッたのセンセーだよな」

「突っ込んできたときに、叔母様を踏み台にしてたよね」

「えっまじで?」

 

先代アイルランド大公襲撃犯の正体に、智哉が思わず聞き返した。

なお犯人は後ろで取っ組み合っている。自分が蹴ったのには気付いていない。

 

『だがネ!心配いらないヨ!こんな事もあろうかと!!ワタシが事態解決の為に用意したプログラムを君に託す!!!』

 

「叔母様なんだかうれしそうね」

「コレ、絶対言いたかったんだろうなァ」

「すげえ尻尾振ってる……」

 

一度言ってみたかったフレーズが言えて、感無量の博士の尻尾が風車のように回っていた。

尻尾風車が止まり、気を取り直した博士が更に言葉を続ける。

 

『このドライブの中にある、もう一つのファイルがそのプログラムだヨ。Mk4アーマーを緊急停止する方法は主に二つ』

『まず一つ目、直接リアクターを破壊する事』

『こちらはオススメしない。リアクターにダメージが入ったタイミングでAIによる自立制御モードに移行し、リミッターを解除して脅威を排除しようとする。暴走モードとでも言うべきかネ、傍迷惑だけどロマンだよねえ暴走!!………脱線したネ、話を戻すヨ』

 

「暴走ってロマンなの?シャカール?」

「知らねェよ、マッドの考える事とか」

 

公女殿下の純粋な疑問を、シャカールは一刀両断した。マッドの心は真面目な研究者にはわからない。

 

『そして二つ目、Mk4アーマーの通信回線をクラックし、回線経由で緊急停止コマンドを実行する事』

『こちらをワタシは推奨するヨ。ただし、Mk4アーマーの通信回線は軍用の高度な暗号化が施された非常に強固なものだ。これを正攻法で突破するのはワタシと言えどなかなか困難……そこで!!!』

『ワタシが用意したプログラムを使うんだ!!局長に当時の……こほん、このプログラムはシャカール君のParcaeから通信回線のクラックを自動で実行できる優れモノだ!!君ならすぐに使い方もわかるだろう!!あ、緊急停止コマンドは添付のファイルを見てほしい、君ならきっとできるヨ』

 

映像の中の博士が部屋をうろうろと歩き回り、椅子を持ってくると大股で座って軍隊式の敬礼をして見せた。尻尾が回っている。

 

『これでお別れだ。じゃあなシャカール君、元気に暮らせよ!ファインによろしくな!!』

 

「なンだよ最後のセリフ」

「叔母様、急に変な事言いたがるとこあるよね」

「よくわかんねえけど、多分言いたかったんだろうな……」

 

映像が間もなく終わり、シャカールが動画ファイルを閉じようとした所で博士がふと、何かを思い出したかのようにもう一度口を開いた。

 

『あ、言い忘れた。このドライブは緊急停止コマンド実行後の10秒後に爆発するから』

 

「ソレ先に言えよ」

「なんで爆発させるの??」

「いや、わかんないっす…………」

 

今度こそ映像が止まり、シャカールは動画ファイルを閉じると、独自に構築したParcaeを開いた。

Parcaeは彼女がレース分析を追及するために創り出した高精度のデータ分析プログラムである。

さながら物理演算コンピュータのようにレースに誰が出走するのか、誰が一着になるのかを正確に予測することができる彼女の研究の相棒であり、学園時代より進化を遂げた現在は更に多彩な機能を持つに至っている。ハッキングもその一つである。

博士から託されたプログラムを開き、Parcaeと連動させたシャカールがにやりと笑う。

 

「チッ………ファイン、やッぱスゲェな、お前の叔母サマは」

「どうシャカール?やれそう?」

「こンだけお膳立てされて、やれねェワケねェよ。任せとけ」

「本当!?すごいわシャカール!!」

「くっつくなッつッてんだろ!集中させろォ!!」

 

公女殿下が親友に抱き着くのを見届けてから、智哉はその場を離れた。ハッキングは門外漢であるし、専門家の邪魔をしないようにという配慮によるものである。公女殿下の目が離れた内に逃げたいのもあった。

フランを預けたニートに近付き、感謝を述べる。

 

「ご近所さん、フラン預かってもらって助かりました」

「いいよー、なんとかなりそうでよかったね」

「そうっすね、専門家がいてくれて……えっ何でこの状況で寝れるのこいつ、嘘だろ………?」

 

ニートからフランを受け取って背中に回した所で、この状況で気持ちよさそうに寝ているフランに智哉は戦慄した。隣でシスターとカルトの構成員が暴れている最中である。

ここで先程理事長を引っ張り上げた際に話しかけた人物、勝生氏が二人に近付いた。

 

「今いいかい?さっきはありがとうね」

「ああ、さっきの……理事長は?」

「やよいちゃんなら怪我はないよ。ストレスで倒れただけだから」

「それはそれで大丈夫なんすかね………」

 

勝生氏が苦笑いを浮かべ、それから困ったように手に持ったスマホを見やると、智哉に懸念を語った。

 

「君、外の状況とかわかったりする?」

「競技場の外っすか?外は俺もどうなってるか気になってて……」

「そうかい……ウチの保安部がね、どうも外で武装した集団と出くわしたらしいんだけど」

「ッ!?」

 

競技場の外にも安全な場所は無いと告げる勝生氏の言葉に、智哉の言葉が詰まる。

更に、勝生氏は驚愕の事実を告げる。

 

「しかもね……その武装集団とウチの保安部、両方共あっという間に倒したウマ娘がいたらしいんだ。顔すら見れなかったって」

「なんすか、それ………まだそんな奴が……」

 

 

 

姉である。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

トレセン学園内、付属小学校に程近い並木道。

その並木の陰に、カナは石畑教頭を抱えたまま身を隠していた。

 

(………今日は、一体どうなってるんですか)

 

焦燥し、青褪めた表情のカナが木陰から辺りを伺う。

テレビの中でしか本物を見た事が無い、周囲に散らばる拳銃をはじめとした銃火器に、ナイフや日本刀などの刃物類。

そして正面に装甲が施された、小型の改造バス。

病院を目指すカナは追手を振り切り、この並木道を警戒していた黒いスーツ姿の集団を不審がって木陰に隠れたところ、この改造バスが乗り込んできた。

そしてバスの中から武装した男達が降りるや、突然日本ではほぼお目にかかれない銃撃戦が発生した。カナには訳が分からなかった。

 

(驚きましたし流れ弾が怖かったですけど、そっちは終わった事でいいとして……問題は……)

 

数発の銃声を残し、銃撃戦は既に終わっている。

周辺は現在静まり返っており、現場には黒服と武装集団双方が物言わず横たわっていた。

銃撃戦の結果ではない。

 

 

「帰りにもなんか物騒なのいるし……どこ行ったのよ、あのバカ」

 

(あのウマ娘ヤバすぎるんですけどおおぉぉおおおおお!!!??)

 

 

鹿毛をポニーテールにまとめた、快活そうな瞳を持つウマ娘がコンビニ袋をぶら下げ、倒れた一団の中心にただ一人立っていた。

姉である。

 

(アレ、絶対ヤバいです……師匠並に強いかも……)

 

一部始終を木陰で見ていたカナが、目の前のウマ娘による鮮やかな殺陣のような襲撃を思い返してぶるりと震える。

銃撃戦を繰り広げる只中に飛び込むや、有無を言わさず双方を気絶させていた。あっという間の出来事だった。

 

(手で弾を逸らしてたように見えましたけど……いや、無いですよね。そんな漫画みたいな……)

 

「ねえ、出てきたら?」

「ほぎゃあ!?」

 

何者かの気配を感じ、未だ周囲を警戒している姉の問いかけにカナは思わず声を上げた。

対して姉は突然聞こえたカナの叫びに首を傾げた。警戒していた気配ではない。陰キャオーラ(ステルス迷彩)は確かに機能していたのである。

 

「えっ、あれっ?そっち?」

「ご、ごごごめんなさい、命だけは助けてくださぁい……」

「怖がらせてごめんね、何もしないわ……って」

 

カナが震えながら木陰から姿を現すのを見て、姉は目の色を変えた。

怪我人らしき女性を抱えている。

 

「ちょっと、その人大丈夫なの!?」

「その、ウマ娘に、突き飛ばされて……」

 

姉は気性難かつ女子力も死んでいるが、筋を通し情が深い女である。

目の前の怪我人の女性、そして彼女を抱えて耳を垂れさせる少女を放っておける筈がなかった。

 

「大変!病院行かなきゃ!場所わかる?」

「わ、わかりますぅ……」

「オッケー!あたしが抱えるから案内よろしく!あっ、お酒持ってて」

 

教頭をカナから預かり、二人が勢いよく学園の外を目指す。

カナの先導で走る姉が、一瞬だけ後ろへ目を向けた。

先程感じた気配は、確かにカナではなかった。その危惧と、弟の行方が気掛かりだった。

 

 

(この子と怪我人はほっとけないけど……これ、なんか起きてるわよね)

 

(それにさっき絶対何かいた気がする……うーん)

 

(まあいっか、サリーとヤッちゃんもいるし大丈夫でしょ)

 

 

(もし、何かあったら──あたしが倍にして返す)

 

 

姉とカナが去り、並木道に静寂が訪れる。

 

静寂の中、木々から伸びた影が集まり──一人のウマ娘が浮かび上がった。

 

鮮やかな栗毛の髪に、白磁の肌を包むはヘロド教の修道服。

その首には敬愛する神の聖印、逆十字の中心にSと刻まれたロザリオ。

 

カルトの首魁、聖母と名乗るウマ娘である。

 

 

 

 

 

「ようやく去りましたわね……これで、邪魔をする者はいない」




社のオーナーの名前ふつうに間違えてた(間違えてない)から直しましたやで…(めちゃくちゃ焦った

3/11 次の閑話の冒頭に持ってくるつもりだった部分を加筆しましたやで。こっちのが収まりええな?って……。


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閑話 あるウマ娘の半生

前話にこの閑話の冒頭に持ってくるつもりだった部分加筆したやで。あんまり本筋には関係ないけど……。


広く、暗い。一筋の光が差し込む空間。

その中に、一人のウマ娘が浮かんでいる。

180cm近い大柄な体格、肩まで伸ばした黒鹿毛の中央には大きな縦長の流星、そして母譲りの金色の瞳。

そのウマ娘はただぼんやりと、暗闇の中から光の方向を眺めている。

 

(……ここは、どこだ?あれは…‥)

 

光の向こうには、こちらを強く見つめる彼女の妹。

姉を追い越して行った、英雄。

 

(……プイ、か。喧嘩でもしてんのか?……なんか辛そうなツラ、してんなぁ……)

 

歯を食い縛り、痛みを堪える様な顔で何者かと闘っている妹を見て、自然と幼い頃の呼び名が頭に浮かぶ。

妹に背を向けたあの日から、プイと呼んだ事は無い。だが自然とそう呼ぶべきだと思えた。

 

(思えば、ずっとそんなツラさせちまってたな)

 

「オレ様の、せいで……ん?おお?」

 

挫折した時から使っていない一人称が自然と口から出た瞬間、少しだけ意識が明瞭としたウマ娘は自分の喉を抑えた。

 

「なんだこりゃ……オレ様どうなってんだ?」

 

辺りを見回すも、全く覚えのない空間である。

しかし彼女は英雄の姉であると言う事はかの超気性難の娘であり、その気性を強く受け継いだ札付きの気性難である。

自らの身に起きている異変に動じず、腕を組んで思案を始めた。

 

(ま、ビビるもんでもねぇし、ゆっくり思い返してみっか)

 

 

 

 

(なんでオレ様が、こんなトコにいるのか──)

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

妹が強くなりたいと誓った日より、暫しの月日が過ぎた。

少女は小学校の高学年になり、間もなく中央トレセン学園への入学を控えたある日の事だった。

 

「あの、困ります……」

 

生家である教会の前で、数人の男達に囲まれて困惑する妹。

優れた才能を秘めるウマ娘が集うこの教会においても、同世代では敵無しと謳われる府中エクリプス教会の天才姉妹。

その名声は留まる事を知らず、だからこそ厄介な客を招く。

その厄介な客の一人が、妹に訴える。

 

「どうか考え直してほしい!君のような優秀なウマ娘は、岳部さんのようなトレーナーと契約するべきだ」

「そうだ、あんな素行の悪い男が当代の武豊など何かの間違いに違いない」

「豊原家の御当主は何故、あのような若造を……武幸君が資格を取るまで待てなかったのか」

 

自ら契約を願い、信頼する人物を悪し様に言う男達に妹は眉を顰めた。

男達は、トレセン学園の中堅トレーナーである。

ここへ赴いた理由は、件の人物が素行不良にも拘らず父親のコネで武豊を襲名したと思い込み、決め付け、再来年の入学を控えた今、既に契約相手は決めていると宣言した妹への説得が目的だった。

 

「あの人は、誤解されがちですが……」

 

とある一件で出会い、慕う人物を庇うべく妹が意を決して口を開こうとするも、男達は矢継ぎ早に言葉を返す。

 

「誤解なものか!この間も遅刻するからとバイクで練習場内まで侵入して来たぞ!」

「先日はたづなさんにセクハラしてたぞ」

「その前は小学校の指導員にナンパを」

 

「そんな事してるの……タケル……」

 

件の人物ならやりかねない罪状に思わず妹は信じてしまった。なお全て事実だった。

擁護しようがない状況に、妹が困った顔で耳を伏せた時である。男達の後ろから、一人のウマ娘が現れた。

 

「よう、どうした?揉め事か?」

「あ、姉さん……」

 

もうすぐ入学を控えた少女が、さりげなく男達の前に立ち、妹の頭を軽く撫でた。

間もなく本格化を迎えるであろう少女の上背は高く、上から被されば母や妹をすっぽりと覆える程である。

その背に、安心しきった顔で妹は身を預けた。

 

「ウチの妹に何か用か?アンタら中央のトレーナーだよな?」

「あ、ああ……そうだ、君からも妹さんに言ってくれないか?」

「んん?何をだ?」

 

「豊原武尊!あの男は中央のトレーナーとして相応しくない!ましてや彼女の担当など、不釣り合いにも程がある!!」

 

男の訴えにさもあらんと頷いた後、少女は頭を掻いた。

妹と何かと縁があり、その繋がりから自分もよく知っている人物である。

確かにトレーナーとしては破天荒な男であり、その理由を知っている身としては擁護してやりたいが説得する手段が無い。

少女が返答に窮する中、背中の妹が少しだけ震えた。

その瞬間、少女はどう妹を守るか、何をすべきかをすぐに思い付き、にやりと不敵に笑う。

 

「んーー……ならよ、こうしようぜ」

「……何だね?」

 

「ソイツ、オレ様も契約するわ……んで、ウチの妹と契約するまでにちょっとはマシにしてやるよ」

 

姉の出した回答に、妹が驚いて体を離す。

前方の男達も驚愕し、周囲の視線が少女に集まった。

 

「な、何を言うんだ!?君も素晴らしい才能の持ち主で……」

「姉さん!?」

「ウチの妹が認めた野郎だぜ?色眼鏡抜きでアンタらも見てみろよ。それと、だ……」

 

ずん、と鈍い音を響かせ、少女は教会の塀に足をめりこませて見せた。

 

「ウチの敷居でよぉ、これだけ騒いでタダで済むと思ってんのか……!?」

 

少女が目を血走らせ、男達を睨みつける。

小学生とは思えない強烈な圧力に男達の顔は蒼白となった。勢い余ってここまで来てしまったが、ここは気性難蔓延る魔窟である。

 

「す、すいませんでしたァァァーーーーッ!!!」

「ま、待ってくれ、腰が抜けて……」

「わ、私は認めないからなあああああああ!!!!」

 

捨て台詞を残し、脱兎の如く男達は逃走していった。

根性ねえな、と少女が呟いた後、妹に振り向く。

 

「その場のノリで言っちまったが……そういうコトで頼むわ、プイ」

 

悪戯をした子供のように笑う姉に、妹は仕方ない、とばかりに軽く息をついた。

自分を庇うための発言なのはわかっている。それでも、一度口にした事は絶対に曲げないのが尊敬する姉の矜持だった。

 

「うん、わかった……今度、連れてくるね。それよりも、姉さん……」

 

妹が、足の形にめりこんだ塀を指差す。先程姉が付けた傷である。

 

 

 

 

 

「塀、どうしよう………」

「あっ………やべえ、パパに怒られる……」

 

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

 

更に月日が過ぎ、少女はトレセン学園へ無事入学した。

 

「これで今週の練習は終わりだ。来週は自主トレも禁止だからなー?」

「おうよ!」

 

宣言通りに豊原と契約した少女は、メイクデビューで前評判通りの圧勝を収めた後、ライバルの一角で「道営のエース」の異名を持つウマ娘に敗れつつもここまで五戦三勝と順調に戦績を重ねた。

そしてクラシックの一冠目のトライアルであるG2スプリングSで、母を彷彿とさせる豪脚を活かした後方待機からの直線一気という自らのレーススタイルを確立し、見事勝利を収めて皐月賞への切符を掴んでいる。

 

「もう一度言うけどよー、自主トレはすんなよ?」

「わかってるっつの!!……でもよー、バルクの野郎に借りも返してえし、メジャーはオレ様にリベンジするって言いやがる。居ても立ってもいられねーよ」

 

豊原とは妹と言う共通の話題があり、お互いに波長も合うのか良好な関係を築けている。

走りたがりでオーバーワークがちな少女を豊原が諫め、破天荒で軽薄な豊原を少女が咎める。

少女の努力という名の威圧の甲斐もあり、豊原は業務中の問題行動も鳴りを潜めつつあった。

あの妹の前に現れた男達も、最近は渋々ながら豊原の実力を認めている。

 

 

全てが、順調だった。

 

 

豊原と別れ、足を踏み出した少女がふと、自分の足元を眺めた。

ほんの少しの違和感を左足に感じる。得体の知れない不安が少女を襲う。

 

(……?なんだ、この感じ……)

 

振り返り、豊原に伝えるべきか考えた後、少女は首を振って歩き始めた。

 

(きっと、何ともねーだろ……オレ様の競走生活はまだ、始まったばかりなんだ)

 

歩きながら、学園の最高の舞台で決着を付けようと約束したライバルの姿を思い浮かべる。

 

(アイツとも約束したしな……ダービーで、ケリ付けるって)

 

 

 

 

皐月賞、当日──

 

 

 

 

『残り200を切った!メイショウボーラー粘っている!コスモバルクが凄い脚で伸びてきます!しかし二番手まで!!先頭とは差があります!今ダイワメジャー、先頭でゴールイン!!』

『何故だ、トヨ?気付かなかったのか……?』

『岳部さん?ブラックタイドは来ませんでしたが……』

『レース展開もハイペースでしたがそれ以上に………止めるべきです。彼女は、走れる状態に無い‥‥…』

 

少女、ブラックタイドは懸命に足を前に出す。

 

(何で、だ……?足が、全然、前に出ねえ………)

 

しかし、全く前に進まない。

母譲りの豪脚も、見出した自分の走法も、何も応えてくれない。

誤算は、スタート直後から始まっていた。

良好な芝状態による高速バ場で、前が全く止まらないハイペース展開。

それでも少女は直線でライバル達を仕留めればいいと、好戦的な笑みを浮かべ、走った。

違和感はその瞬間、少女の左足に激痛となって襲い掛かったのだった。

 

(何だよ、トレーナーに、プイに、オフクロまで……何言ってっか、わかんねーよ)

 

観客席で豊原が叫び、妹は口を抑えている。母に至っては乱入しようとまでしていた。

ふらふらとよろめきながらも、少女は諦めず走った。

 

 

(プイに見せるんだ………オレ様が、G1ウマ娘になるところを)

 

(そうしたらきっと、アイツは……)

 

 

それが、自分に止めを刺す行動だと知らずに──

 

必死に足を前に出す少女だったが、入着を示す掲示板が目に入る。

既に決着はついていた。

 

(よくわかんねえけど、今日はダメだな。仕方ねーや)

 

激痛に意識を朦朧とさせつつも、少女は自重するように笑った。

負けは既に経験している。レースでダメな日なんてあると母も言っていた。

 

(今日はその日、ってコトだな。まあ、次……頑張れば………)

 

薄れる意識の中、ゴールまで少女は根性で走り切った。

それが曲げない自分の矜持だったからだ。

少女が最後に見たのは、倒れる自分を乱入してまで受け止める、ダービーでの対決を約束したライバルの姿だった。

 

 

 

 

誇り高く、強いウマ娘のライバルらしくない、今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

回想の合間、ブラックタイドの意識が浮上する。

最も思い出したくない、苦い記憶に呼び起されていた。

 

(今思い出してもイヤな気分になるぜ……ったく)

 

暗闇に浮かんだまま器用に胡坐を組んだブラックタイドは、ガシガシと頭を掻いた。

 

(バカじゃねーかオレ様!!いてーのに走り切ってんじゃねーよ!!!)

 

融通の利かない過去の自分への怨嗟の言葉であった。

痛いと思った時点で止まっていれば、結果は違ったかもしれないという後悔があった。

 

(で、結果は屈腱炎……二年も休養して、おまけにスピードは戻らねーと来た。最悪だなオイ)

 

ため息をつき、腕を組む。

もう一度意識を深く沈め、ブラックタイドは自らの過去を振り返った。

 

 

(んで、それから……オレ様は──)

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

『圧勝ゴールイン!!二着はインティライミ!!三着はシックスセンスか!?これで二冠目!!母の偉業を超えるか!?ここに日本の英雄が自らを証明しました!!おっと豊原トレーナーは観客のウマ娘と何やら話してレースを見ていません!!英雄が近付いて……踵落としで豊原トレーナーが地面にめりこみました!!あっ観客席のシスターが大興奮で乱入して──』

 

「ダービーだってのに、何バカやってんだよウチの家族どもは……」

 

観客席の出口の影から、少女は呆れた顔で場内の様子を眺めていた。

皐月賞の悪夢から一年、屈腱炎で休養中の少女は人目を忍んで妹の応援に来ていた。

母から直接誘われたが、どこかで一人で見たいと伝えると母は何も言わず、ただ送り出してくれた。

 

「遠いトコに行っちまったモンだなあ?今やあのプイが、英雄サマか……」

 

完全に自分の手から巣立って行った、自慢の妹。

それに対し、期待されながらも重賞一つ勝っただけの自分。

 

「アイツもいっぱしのトレーナーヅラするようになっちまったし、アタシのお役も御免ってワケだな」

 

挫折したあの日、自分を曲げてしまったあの日から、少女は一人称を変えた。

母のようなウマ娘を目指す資格を失った自分には相応しくない、と考えた結果だった。

 

豊原とはあの日に契約を解消し、怪我は自分が隠していたとマスコミの前で少女は言い放った。

豊原は怒り、契約解消を強く拒んだが、怪我は隠していた自分の責任であると彼女は頑として通した。

ようやく認められてきた豊原へのバッシングを避ける為であり、彼女なりの筋の通し方だった。

 

「──やはり、来ていたか。方々捜し歩いたぞ」

 

見るべきものは見届け、帰ろうとする少女の後ろから一人のウマ娘が現れる。

その声には聞き覚えがあった。意図して避けていた、かつてのライバルである。

 

「おお、去年のダービーウマ娘じゃねーか?久しぶりだな」

「確かに久しぶりだな、お主が避けていたからな」

 

ライバルはNHKマイルカップ、そして日本ダービーという過酷な連闘を見事制し、史上初の変則二冠の偉業を成し遂げている。

その後に秋初戦の重賞を勝った後、屈腱炎を発症して現在は少女と同じく休養している。

このライバル、そして自慢の、最愛のはずの妹。

 

(そうなんだ、そんなハズ、ねえ)

 

この二人と共にいる事に、少女は何故か今までの人生で全く知らない感情を覚えた。

それが何かすら、自分にはわからない。だが避けるべきだと本能で感じ、少女は二人から少しだけ距離を取っていた。

 

「なあ、お主………」

「ワリィ、今度にしてくれ」

 

自分の感情に蓋をするように、少女はライバル、そしてターフで観客の祝福を受ける妹に背を向けた。

もうここにはいたくないという一心だった。

 

「最近マスコミがしつけーんだよ。あの英雄サマのお姉さんとして何か一言、ってよ」

「おい、その言い方は………」

「ここにいたら見つかっちまう。じゃあな」

 

一度も振り返ることなく、少女は去って行く。

その後ろ姿を、なすすべなくライバルはただ見送った。

 

 

 

 

 

「私の言葉は、届かんか……ままならんものだ」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

一年後、少女はレースに復帰した。

何かを残すために、妹とライバルに向き合える何かを得るために。

母の血を引く自分ならばと、ダートも一度試した。

 

──しかし、成果は得られなかった。

 

「ハア……ハア……ッ…クソッ……こんなモンじゃなかったはずだろ」

 

休養以前とは比べるべくもない、錆び付いた末脚。

必死にトレーニングをこなし、万全の状態でもオープンやG3での入着がやっとという見る影も無い有様。

それでも諦めない少女を応援する者もいた。

 

だが、それ以上に世間の声は残酷だった。

 

「もうダメだな、ブラックタイド……」

「あの無茶な練習だとまた壊れるぞ。誰か止められないのか……?」

「あの先輩、いつも怖い顔して走ってて雰囲気悪いよね」

「私この前睨まれちゃった。レースだと遅いのにガラだけは悪いんだから」

「お母さんの悪いとこだけ受け継いじゃったよね」

 

 

 

「──出来の悪い姉を持って、英雄も大変だな」

 

 

 

少女は姉として強くあろうとはしているが、まだ十代の少女である。

世間の心無い言葉は挫折した心に容易く響き、少しずつ擦り減らせていった。

 

『今日は来月、ついにフランスの凱旋門賞へ遠征する日本の英雄をスタジオに迎えています』

 

少女は生家を出て、トレセン学園の寮へ居を移していた。

認めたくない感情を抱えた今、妹を傷付けぬよう少しでも離れたいが為だった。

そんな想いでやって来た寮ですら、ロビーのテレビで妹の姿を見る日は多い。

姉の周囲の状況を知らぬまま妹は順調に勝ち続け、日本中のウマ娘の誇りとまで呼ばれるウマ娘へ成長していた。

 

『凱旋門賞制覇、日本の全てのウマ娘の悲願を背負った今、どんなお気持ちですか?』

『はい……私としては、どんな結果でも胸を張って帰ってきたいと思っています。姉のように………』

『お姉さん、ですか?しかし彼女は………』

 

舌打ちを一つ打って、テレビの電源を切る。

見ていた寮生達の非難めいた目が自分に集まるが、睨みつけて黙らせた後、少女は自らの部屋へ向かった。

同室はいない。誰もが少女と同じ部屋にいる事を拒んだからだった。

 

(……明かりが、ついてやがる)

 

誰もいないはずの自室に、光が灯っている。

警戒しながら少女が扉を開くと──

 

 

「あ、姉さん。お帰りなさい」

 

 

一番会いたくない相手、妹が目の前に立っていた。

ここ数年、まともに顔を見ていない妹を前にひゅう、と息を吐いて少女は必死に平静を装う。

 

「おお?プイ、よく来たな」

「うん、ここ暫く、姉さんとちゃんと話せてなかったから」

 

電話越しでは頻繁に連絡を取ってはいる。しかし直接妹の顔を見て、少女は自分の中に淀みのような何かがある事を酷く意識した。

これ以上顔を見てはいけない。大事な時期の妹をすぐに帰すべきだと判断し、扉を指差し帰宅を促す。

 

「お前、こんな大事な時期に来てんじゃねーよ!ほら帰っとけ。電話ならフランスからでもできっだろ?」

「待って姉さん、一言だけ、一言だけだから!」

 

大柄な自分に背中を押されても、踏ん張って耐える妹に少女は少し寂しさを覚える。

昔はこんなに力強くなかった。自分に異論を唱える事は無かった。

酷く頭が痛み、手を離す。

 

許しを得たと思った妹は、振り向いて微笑んだ。

頭痛が収まらない。妹の顔が、見れない。

 

「姉さんの先日のレース、惜しかった。いつも姉さんのレースは見てたけど、最後の追込は……」

 

お前ならぶち抜いてただろ、と言いかけて口を抑える。

 

「次はきっと、姉さんなら……」

 

嫌味か?早く帰れよと抑えた口が勝手に動く。

これ以上、妹を見てはいけない。どうしても帰らせないといけない。

その一心で、少女は気力を振り絞った。

 

「お前、オレ様のレースなんて見に来てんじゃねーよ!お前の方がすげーし、自慢の妹だ!!だから今日は帰っとけ。な!?」

 

姉としての敗北宣言。気付いてしまった感情を口に出したその瞬間、少女は自分の中から何かが抜け出る様な感覚を覚えた。

数度目を瞬きさせた後、妹は首を振った。

 

数年の時間、この姉妹には大きな認識の齟齬があった。

 

いつまでも目標の、尊敬する姉。

 

自分の先を行った、日本の英雄。

 

取り戻しようが無い、過去の二人。

 

それに気付いていない妹は、決定的な言葉を放ってしまう。

母と相談した話を姉に打ち明けるための、簡単な前口上のつもりだった。

 

 

「あのね、姉さん」

「……なんだ、よ?」

 

 

「私は、それほど大そうなウマ娘じゃないわ」

 

「長い長い、日本のレースの歴史のほんの一欠片」

 

「今もきっと、私を超える才能を持つ子が、何処かに生まれてる」

 

少女は、妹が何を言っているかわからなかった。

日本の英雄、かの生徒会長を超える程の逸材。

少女から見て、いや、日本中のウマ娘がそう見ている。

 

「その子達がきっと、また同じ場所に辿り着く……それに、姉さんも………」

 

 

 

「──なんだ、そりゃ」

 

 

もう、抑えられなかった。

食い止めていた感情が、堰を切って溢れ出す。

 

「姉さん……?」

 

「お前が大そうなウマ娘じゃねーだと?ハッ」

 

「じゃあ、アタシはなんなんだ?ウマ娘ですらねぇってか?」

 

困惑する、不安気な妹の顔を見た少女の頭が、また酷く痛み出す。

だが、やけに気分が良かった。少女は、自分が抱えていた感情にようやく気付いた。

 

最愛のはずの妹へ抱いた、嫉妬。

 

心の淀みを受け入れた少女は、ギラついた眼で妹を睨みつける。

 

「姉さん、違うの!私が、伝えたいのは……」

「違わねぇだろ?お前、わざわざそんな事言いに来たのかよ?日本の誇りの英雄サマがこんなしょうもねぇウマ娘に、お前はウマ娘以下だって直接言うなんてなぁ?ひでーコト言いやがるぜ」

「待って、姉さん、違うの、違う………姉さんは、姉さんは私の………」

「もう帰ってくれよ。英雄サマはお忙しいんだろ?こんなウマ娘以下にお時間なんて割いてる暇ないよな?」

 

妹を部屋の外へ強く押し出し、音を立てて扉を閉める。

 

「姉さん、ごめんなさい……私、姉さんがそんなに思い詰めてたなんて、知らなかった………」

 

力無く押し出された妹は、廊下で立ち竦み、一言だけ言い残して去って行った。

 

 

 

 

この一件より数日後、妹はフランスへ旅立った。

 

 

 

メンタル面に不調の兆しがあり、明らかに調子を崩していた妹はそれでもフランスの地で立て直し、凱旋門賞へ臨んだ。

 

その結果──

 

『まずこの場で……皆さんに不甲斐ない結果をお詫びします』

 

──妹は、遠い地で挫折を味わった。

 

ウマ娘としてはこれ以上ない不名誉、ドーピングによる失格と言う最悪の結果によって。

日本が世界に誇る英雄のまさかのドーピング疑惑は、日本のみならず世界でも大スキャンダルとなった。

そして今、妹は多数の記者の前で頭を下げている。

テレビで見た少女は酷く動揺し、同時に不思議な昏い喜びを覚えていた。

あの英雄が、日本の誇りとまで謳われるウマ娘が、自分と同じところまで落ちてきたと思ってしまっていた。

 

しかし、テレビの中の妹は堂々と胸を張り、記者たちの質問に答えていく。

 

『……日本国民みんなあなたがドーピングに手を出したなんて思っていません。何か手違いがあったのでは?』

『ありがとうございます……私としても潔白だと強く主張したいですが……結果は変えられません』

『責任を取られると……?』

 

『はい……一つ目として、ルドルフ会長から打診されていた次期生徒会長をお断りさせていただきました。会長には申し訳ないですが……』

 

記者達にどよめきが起こる。

トレセン学園の生徒会長は由緒正しき、偉業を成した者のみがその座を継げる名誉ある地位である。

英雄の生徒会長就任は既に大々的に報じられており、継げるのは帝王の異名を持つウマ娘か彼女しかいないとして誰も異論を挟む余地が無く、理事会でも満場一致で承認されていた。

それを断る。それだけで彼女の今回の一件への責任の取り方としては十分に思えた。

しかし彼女は一つ目、と言っている。

 

『そして、二つ目ですが……既に出走登録がされている有記念を最後に………競走バを引退します』

 

記者達が頭を抱え、悲痛な呻きを漏らした。

日本の誇り、輝かしき英雄がドーピングという不名誉により引退する。ここにいる記者全てが、考えたくも無い結末だった。

 

「ッ…………あああああああぁぁぁあぁあああ!!!!!!!」

 

少女は耐え切れず、テレビを破壊してから頭を抱えた。

文句のつけようが無い、完璧な筋の通し方。

妹は、落ちては来なかった。

 

誇り高く、胸を張っていた。

 

 

 

 

もう、あの妹を見ていられない。

このままでは、自分は壊れてしまう。

 

「なんなん、だよ……なんでこんなに、アタシと違う………!?」

 

少女は嗚咽を漏らし、蹲った。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

あの凱旋門賞の一件を境に、少女の心は荒み切っていた。

生家にも立ち寄らず、何の為かも最早わからぬままレースに出走し、何もかも失った少女はただ出走数だけを重ねた。

立ち止まれば、自分は本当にダメになる。そんな恐怖を抱えたまま走る少女に、勝利が訪れるはずもなかった。

 

そんなある日、少女の心を折る決定的な事件が起きた。

 

「テメェ!もう一回言ってみろよ!!アア!?」

「ひっ、い、痛い……!」

「大変だ!誰か教会に連絡を──」

 

とある生徒が口にした言葉が発端となった、練習場での諍い。

少女を激昂させる言葉を、その生徒は言ってしまった。

 

 

『ディー先輩がドーピングしたのさー、あの人が原因じゃないの?あんなのがお姉さんだし、強めの胃薬でも飲んで……』

 

 

聞き捨てならぬ言葉だった。

ウマ娘以下とまで言い放った自分の為に、あの英雄が胃を痛める訳がない。

激昂しながらも、少女は一線だけは越えぬように努めた。軽く襟首をつまんだだけだった。

しかし過剰に少女を恐れ、管理ウマ娘を守ろうとしたトレーナーの通報により、事態は良くない方向に進んだ。

 

「やっちまったなぁ!ま、そりゃ怒ってもしょうがねぇよ」

 

寮の自室にて、少女は久方ぶりに家族と対面した。

母は少女をその場では取り押さえたが、その後にウチの娘が理由なくこんな事はしないと強く主張し、調査の結果被害者にも責任があると判断した理事長は、ただの喧嘩の延長だと双方を諫めた。

母は娘のやった事を笑い飛ばした。俺様はもっとやらかしてるからな、と軽く言ってのけた。

その間一応の加害者である少女は、寮にて謹慎を言い渡されていた。

 

その結果、最も会いたくない相手が目の前で今にも泣きそうな顔をしている。

 

「姉さん………」

「なんだよ、英雄サマがわざわざこんなデキのワリィ姉貴の様子を見に……‥」

 

妹は、強く姉を抱き締めた。

少女がそうであったように、妹も姉をもう見ていられなかった。

 

 

「姉さん、もう……走らないで……」

 

 

少女の眉間に皺が寄り、英雄を突き飛ばす。

英雄の言葉は、最早少女には届かなかった。

ただ、また侮辱された、と少女は感じていた。

 

「ア……?出来損ないは家の恥だから、走んなって──」

 

言葉は言い切れず、途切れた。

母が、横から少女に蹴りを放っていた。

 

「ッテェな、オイ……娘蹴るたァどういう了見だコラ?クソオフクロ」

「頭もその内冷えるかと思ったがよぉ……しばらく放っといた俺様にも責任があるな、こりゃ……」

 

母は娘の前に立ち、親指で部屋の外を指した。

 

 

 

「──根性叩き直してやる。表出ろ」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

「ちったぁやるようになったなぁ?流石俺様の娘じゃねぇか」

 

教会の近所の空き地で、母と娘は大の字で倒れている。

一対一の母娘喧嘩である。少女は母の強さに舌を巻いた。

母はやけに嬉しそうだった。

 

「おーい、生きてるか?タイ?」

「ッせぇよ、クソオフクロ……!!」

「おっ生きてんなぁ?じゃ、これやるから行ってこい」

 

母が大の字のまま、懐から何かを取り出す。

受け取り、空に透かすようにそれを眺めた少女は、首を傾げた。

 

「紹介状……だ?」

「おう、北海道にちょっと俺様のツテがあってよ、どうせ引退は決めてたんだろ?お前」

 

母に手渡された物は、とあるウマ娘の指導を行っている施設の紹介状だった。

指導員として滞在を認める、と書いてある。

少女は鼻で笑い、紹介状をくしゃりと握り締めた。

 

「家の恥は、北海道にトバす………いってぇ!?」

 

言いかけた所で、母の拳骨が頭に落とされた。

痛めたのか母が左右に手を振りながら、言葉を告げる。

 

「おーいってぇ、マジで石頭だなお前……んなひねくれた考え方してんじゃねぇよ、初心に帰れってこった」

「初心……だあ?」

 

母はにかっと笑い、立ち上がって娘を見下ろす。

 

「昔のお前みてぇによ、夢に溢れたガキんちょが一杯いるとこだぜ?そこでよ……色々見て、聞いて、んでやりたい事見つけて来いよ」

 

純粋な母の好意。自分は見放されていなかった。

少し涙ぐみながら、少女は母を見る。

 

「……アタシに、そんな資格ねーだろ。こんな……」

「それを決めんのはお前じゃなくて、お前を見てるガキんちょ共だよ。指導員ってのはな、そういうモンなんだぜ?心配ねぇよ、俺様でもやれてっからな!!」

 

ガハハと豪快に笑う母に、少女は立ち上がり、向き合った。

強いと思っていた母は、いつの間にか自分より小さかった。

 

「ま、ディーがうるせぇかもしれねぇし、俺様が喧嘩して追い出したって事にしとくからよ!行ってこい!!」

 

 

 

この数日後、少女は北海道に旅立った。

見送る両親は、ややすっきりとした顔の娘に嬉しそうに笑顔を見せていた。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

そして更に数年。

ここは北海道日高郡新ひだか町、カムイエクウチカウシ山の頂上にある丸太小屋である。

少女から大人の女性へと成長したブラックタイドは、ここへ一人の人物を訪ねていた。

 

「おい、差し入れ持ってきたぜ……ってカナがいねーじゃねーか?どこ行ったんだよ?」

 

丸太小屋の中に、師のスパルタに晒されていた哀れな弟子の姿が見えず、タイは辺りを見回す。

この一週間、少女カナへの行き過ぎたスパルタ指導を見かねたタイは、目的の人物と会った後に時折様子を見に来ていた。

彼女に注意されると師が少しだけ優しくなるので、カナには女神様だと勝手に思われている。

目的の人物、カナの師でありタイのかつてのライバルは、呵々と笑って膝を打った。

 

「帰らせて、転校させた!!」

「いや、意味わかんねーよ。なんでそうなったんだよ?」

 

思わずタイがツッコミを入れる。

このライバルは現役時代から時折言葉が足りなすぎる部分があった。口下手にも程がある女である。

 

「うむ……まあいいではないか。ところで、頼んだ物は?」

「おう……お前は日本酒だったよな?」

 

頼まれていた差し入れをライバルの前に差し出し、どかりとタイがその場に座る。

そのまま、自分用に買ってきたビールを片手で開け、つまみを床に広げた。

今日の目的は、お互い成人しているのだし吞み交わそう、というライバルの誘いに答えた結果である。

軽く乾杯し、他愛もない会話を繰り返す内、ライバルは嬉しそうに微笑んだ。

 

「……随分と良い顔になった。指導員も悪くないだろう?」

「まあ……否定はできねーな」

 

不承不承と言った様子で、タイは返事を返す。

北海道に渡っての数年、タイはかつての苦悩が嘘のような毎日を送っていた。

幼い日の妹のような自分を頼りにする子供達の目を前にし、タイは無様な真似はできないと決意し、奮起した。

悩む暇も無い毎日だった。自分を慕う子供達に、彼女はその生来の真っ直ぐな気性を取り戻していた。

そして同時に、妹について考える事も増えた。あの日以来、会っていない妹の心の内を。

 

「元々お主はこちら向きだったのやもしれんな……」

「ま、重賞一個しか勝ってねーセンセーでもよ、ガキどもにあんな目で見られたら必死になるぜ」

「そう、卑下するものでもあるまい。お主の苦悩も、いつかお主の弟子の誰かが悩んだ時、助けになろう」

 

酒杯を傾けつつ、ライバルはそう言った。

自分のような醜い感情を、子供達には持ってほしくない。

そう思い、タイは首を振った。

 

「アタシはろくでもねーからよ……ガキどもにはそういう所は伝えたくねーかな」

「ふむ……弟子ではダメか……ならば、そうだな」

 

 

「お主の娘ではどうだ?将来、私の娘と走らせるのも楽しそうだな」

 

 

唐突なライバルの物言いに、タイは顔を赤面させた。

荒んだ青春時代を送ったタイには刺激の強い話である。そして目の前のライバルにそんな願望があるのも初耳だった。

 

「は……はああああ!?アタシの娘だぁ!?そ、それにお前、そういう願望あったのかよ!!?」

「何を言う、私だって年頃の娘だぞ?相手はいないがな!!!!」

 

お互い、競走に全てを捧げてきた寂しい身の上にため息をついた後、大声で笑い合う。

楽しい酒宴だった。気の合うかつてのライバル同士、腹を割った話の中でぽつりとライバルが言葉をこぼす。

 

「そうだお主、そろそろ妹御と仲直りしろ。もう見てられん」

 

これまた唐突な物言いである。タイが固まり、言葉を濁す。

 

「あ……あーーーー……だよなあ」

「大方お主が悪いのだろう?妹御はあれ程お主を慕っておったのに」

「だよなあ…………」

 

楽しい酒宴が急に説教の現場となった。

タイの耳が力を無くし、垂れさがる。

確かに、非は自分にあるとタイは考えていた。

あの妹が、自分を見下すはずは無い。

 

「まあ、妹御も悪くない訳ではないが……お主を随分と高く見積もりすぎているからな。あれはきつかろう」

「だよなあ!!!!アイツおかしーんだよマジで!!!!」

 

意気消沈していたタイが急激に息を吹き返した。

この件については妹に言いたい事が山ほどあった。

思い出したら腹が立ってきた、とばかりにタイは立ち上がり、山を下りる準備を始める。

 

「おお?思い立ったが吉日、か」

「おう!行ってくるぜ!!言いてぇコトが山ほどあんだよ!!アイツにはよ!!!」

 

 

 

肩を怒らせ、タイは山を下りると共に、施設にしばらく休むと伝えて東京へ向かった。

向かう先は──

 

「ひ、ひぃいいいい!!お助けぇえぇえ!!!」

「おとといきやがれぃ!!ヤクザもんどもがぁ!!!」

「おいじーさん、落ち着けって」

 

──生家ではなかった。ここは東京の某所、下町のとある一角である。

 

タイは生まれ持った気性に従うまま、東京行きの飛行機に乗ったがそこで急に意気がしぼんでいくのを感じた。

どんな顔で妹に会うべきか、何を伝えるべきかが全く思い浮かばない。

そうして悩みながら東京を歩き回っていたところ、老人がガラの悪い男達に絡まれているのを見かけ、かるく男達を懲らしめた所だった。

 

「へぇ……へぇ……姐さん、助かりました。あいつらぁこの辺で最近悪さしやがる連中で……」

「気にすんなってじーさん、アタシゃこういうのは得意だからよ」

 

老人は上等な羽織に身を包んだ和装の江戸っ子気質な人物だった。

先程男達に切っていた啖呵も見事な物であり、タイから見ても一廉の人物に思えた。

それにどこかで見た覚えがある人物だった。

 

「んー?なあじーさん、何か見た気がするんだよな?」

「へぇ、左様で?あたしゃ一応、唄で食ってる身なんですがね」

「お?おお、それだ!じーさん歌手じゃねーか!!しかも大御所!!」

 

老人の既視感に合点が行ったタイがぽん、と手を打つ。

日本の伝統芸能の大御所である。確かこの辺で弟子と住んでいる、とタイは思い返した。

 

対して、老人もタイに好感を覚えていた。

腕っぷしに気風の良さ、更には威勢も良い。江戸っ子の好みど真ん中である。

何としても恩を返したいと思い、ある提案を始めた。

 

「姐さん、見た感じ旅の途中の様子ですが、宿の当てはお有りですかい?」

「あー、まだ決めてねーんだよな、実家に帰るつもりだったけど、ワケありでよ」

「それなら是非、ウチに泊まって行ってくだせぇ」

「マジで!?じゃー世話になろっかな」

 

タイは首を何度も縦に振って返した。渡りに船の話である。

老人の眼光が一瞬鋭く煌めいたが、タイは気付かなかった。

 

 

「へぇ!ぜひ来ておくんなせぇ!ウチの孫も紹介しやす!四郎ってんですがね………」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

更に二週間ほど過ぎ、タイはようやく教会に行く事を決めた。

 

「姐さん!絶対帰ってきておくんなせぇ!!!」

「タイさんの飯じゃねぇともう生きてけねぇんですよ俺達!!」

「絶対帰ってきてくださいよ!!」

 

「大げさだろテメーら!すぐ戻ってくっから!!」

 

タイは大御所の屋敷に大歓迎で迎えられ、一家の中心となっていた。

まず、教会で父の料理を手伝っており、寮での生活でも頻繁に手の込んだ料理を作っていた彼女は世話になった代わりとばかりに食事当番を受け持った。

大食らいのウマ娘の家に生まれたタイは量を作る事にも慣れている。弟子達はタイに完全に胃を掴まれた。

そして、大御所の孫はタイよりいくつか年上の、伝統芸能の跡取りとして修行中の青年であった。

タイは仲良くなろうと何度か声をかけたが、いつも仏頂面のその青年は何故かタイに一定の距離以上近寄ってこない。

大御所に根性無しとはたかれているのもたまに見かけた。タイにはよくわからない事だった。

 

そして、二週間の日々の中、青年とも多少話すようになった頃、タイは自分のけじめを付けるべきだと思い至り、今日生家に向かおうとしている。

 

(……ケジメはつけねーとな、アイツと……)

 

妹を守っていた幼い日々、背を向けていた現役時代、そして向き合うべき今。

何を言われても、彼女にはもう覚悟ができていた。もう一つ、帰れる場所を見つけたから。

タイが朝焼けの下町を歩く。

 

 

その顔は希望に満ち溢れ、その瞳は、かつての輝きを取り戻していた──

 

 

 

 

 

 

 

「もし、そこの方」



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第四十三話 姉妹の再会

「思い出したぁぁぁぁーーーーー!!!!」

 

過去への旅、これまでの半生への回帰から、突如タイは覚醒した。

この一筋の光が差す空間にいるきっかけを思い出し、空間に怒号が響く。

 

「あのヘロド教の聖母とか言ってたヤツ!!明らかにヤベェ奴だったぞ!!なんで気付かなかったんだよオレ様は!!?」

 

タイは妹と向き合うために生家へ向かう途中で、ヘロド教の聖母と名乗るウマ娘と出会っていた。

出会った時には浮かれて気付いていなかったが、思い返せば異様な雰囲気を纏ったウマ娘だった。母ならば最大限に警戒したであろう相手の姿を思い返し、タイは怒りに震えた。

 

「アイツだ、間違いねー……!!」

 

記憶を掘り返し、タイは聖母の顔を思い出そうとして一つ違和感を覚えた。

自分をこの暗闇に閉じ込めた憎きウマ娘の顔が、よく見えなかった。

 

「……太陽だ、アイツ、常に太陽を背にしてやがった。逆光で、やけに影が伸びると……痛ぅッ!?」

 

なんとか聖母の顔と、自分が何をされたかを思い出そうとした所で酷い頭痛を覚える。

まるでこれ以上の詮索を禁ずると、あの異様な聖母から言い渡されているようだった。

 

「上等じゃねーか……借りは返すぜ、あの野郎……!!」

 

聖母への報復を誓い、タイは顔を上げた。

上げた先は、光の差す方角。そこに映る、何者かと闘っているらしい日本の英雄。

 

背を向けた、妹。

 

「……ひっでえ顔だ。何と闘ってるか知らねーが……」

 

苦しそうな、今にも泣きだしそうな顔の妹。

タイの心に、かつての誓いが甦る。

 

「あんなコト言っちまったんだ、合わせる顔なんてねえ」

 

決意と共に空間がゆらめき、小さな渦を作る。

タイは現役時代、屈腱炎により失った末脚を取り戻す為に、領域(ゾーン)の開発を行っていた。

自らの願望、かつての速さを取り戻したいという想いを込めて。

 

しかし、未完成に終わっている。

 

「でもよ……それでも、それでもだ」

 

渦が大きく広がり、暗闇を吸い込んでいく。

心の淀み、かつての苦悩、妹との確執、全てを吞み込むように。

 

「英雄とか、日本の誇りだとか……きっと、お前にも、オレ様にも、どうでもよかったんだ」

 

あの寮での会話、確執のきっかけの妹の言葉は、きっとそう伝えたかったのだろう。

そう振り返り、光の先の妹を真っすぐ見つめるタイの眼が、強く光を帯びる。

 

「お前はオレ様の妹で……オレ様は……」

 

渦が全てを呑み込み、空間が光り輝く。

本当の願望、かつての想いを取り戻した今、領域(ゾーン)は完成しようとしていた。

その名に相応しき、怒り、苦悩、嫉妬、後悔、絶望、全てを呑み込む黒き巨大な渦として。

 

心の闇を呑み込んだ、タイが光に向かって駆け出す。

 

 

「──お前の、姉ちゃんだからへぶぅ!!??」

 

 

しかし光の手前で、タイは見えない壁に顔から激突した。台無しである。

しかも全速力だったので結構なダメージを受けていた。もんどり打って地べたで悶える。

 

「いっでえええええ!!?なんで出れねーんだよ!!!コラァ!!!」

 

怒りのままにタイは見えない壁にヤクザキックを加えた。母譲りのガラの悪さである。

しかし壁はびくともしない。その場にどかりと座り込んだタイは腕を組み、辺りを見回した。

 

「ん……?なんか明るくなってんな……つーかここマジでなんなんだよ、どうすりゃ出れんだぁ?」

 

出るヒントさえ無い、得体の知れない空間にタイは途方に暮れた。

見えない壁の目の前で、その先に映るものを見つめる。

そこでタイは唖然と口を開けた。先程とは違う人物が映り、妹に羽交い絞めにされながらも嬉々として何者かに追撃を加えていた。

 

母だった。

 

 

 

 

「オフクロォ!?何してんだよ!!?」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

黒仮面、その中身である姉と向き合い、ディーは駆け出す。

現役時代から変わらぬ、まるで空中を滑空するかのような飛距離の長いストライドである。

 

(この走り方は!姉さんに追いつきたくて、藤花先生に教わった!)

 

日本の誇り、英雄と呼ばれるまでの名声を得た稀代のウマ娘。

その才能は疑うべくも無いが、ディーの競走生活の第一歩は文字通り血の滲む努力から始まった。

小柄で非力、天性のストライド走法の素質を秘めるも柔軟すぎる故に関節に不安を抱え、足の裏の皮も薄く、踏み込めば蹄鉄に負ける程傷みやすい。

食べる事も才能の一つとされるプロ競走バを目指すには小食すぎ、胃も小さい。

その秘めたるスピードとは裏腹に、激しいレースには耐えられない体質だった。

それでも彼女は強くなろうと走り続けた。

痛みに泣きそうになりながら野良レースで先頭に食らいつき、血だらけの足を引きずって家路に着く毎日を過ごし、姉に見せると心配をかけると思い両親にだけ相談した。

母は娘の決意に誇らしく微笑み、父は何も言わず優しく包帯を巻いてくれた。

 

守られているだけの妹に甘んじたくはない、いつか姉の隣に立ちたいという一心だった。

 

(足に負担をかけない踏み込み方は、タケルが考えてくれた!姉さんみたいに、走りたかったから!)

 

幼き日、姉を手本とし力強く地面を踏み込み走り、血だらけになっていたディーはとある少年から声をかけられた。

バイクに跨り、面倒そうに頭を掻く少年は、たまたま見かけた野良レースで血まみれの足を引きずるディーにこう言った。

 

トレーナーの真似事なんてゴメンだけどよー……お前、その走り方やめた方がいいぜ?ストライドは合ってるけど、地面の踏み方な?』

 

少年は余程ディーの様子を見かねたのか、それから野良レースに様子を見に来るようになり、何度かディーにアドバイスを送った。

不思議な少年だった。不本意だと嫌そうにしながらも、いつも的確な助言を送ってくれた。

柔軟性を活かし、がっちりと足全体でストライドの衝撃を受け止めるという少年の考え出した踏み込みは強烈な推進力を生み出し、ディーは野良レースで初めて一着を獲れた。

少年とは秘書の引き合わせにより後に豊原家の屋敷で出会い、その際にディーは即決で将来のトレーナーとして望んだ。

秘書に凄まれ、顔を青くさせながら了承した少年に当時ディーは何も知らないまま喜んでいたが、今は少し悪く思っている。

彼はプロライダーとして活躍する夢を諦める事となった。

 

(追込を選んだのは、姉さんがそうだったから!姉さんは速いって、証明したかった!)

 

あの日、皐月賞で倒れたまま目を覚まさない姉の病室で、豊原と二人で誓った。

姉の走法は間違っていない、自らを持って証明すると。

胃の小ささを誤魔化すために、食べ方にまで気を使った。三角食べを守り続けたら、食は少しずつ太くなった。英雄は食べ方も上品で丁寧だと何故か誤解された。

ダービーを前にし、ボロボロになった足の裏を守るために豊原の提案で装蹄を変えた。接着剤を使った装蹄は、自分の足にぴったりと合った。

レースでは勝ち続けたが、苦労は絶えなかった。ライブでは痛みを堪えて笑みを浮かべる日もあった。

豊原と共に活躍し続ける事が、競走バとして致命的な怪我を負った姉の支えになる。そう思っていた。

 

(全部、全部……姉さんのため!そう思ってたのに!!)

 

必死に走り続ける日々で、見落としていた姉の心の内。

周囲の友人達は活躍を続けるディーに気を使って姉の話題を避け、そして姉と共通の友人である、姉のライバルだった人物は「今は会わない方が良い」と薦めた。

 

そうして、あの日、挫折した。

 

姉の言葉に動揺したまま挑んだ凱旋門賞で仕組まれていた、歴史の裏側に潜む者達を知るきっかけとなった事件と不名誉な疑惑。

心が折れたのを感じた。もう走れなかった。だから引退し、教会で指導をしながら豊原の下でサブトレーナーを務めている。

 

今はもう、ただの元競走バだったウマ娘。

姉と同じ、走るのを止めたウマ娘。

それが、英雄の現在の姿だった。

 

(今は……姉さんと同じ、もう英雄なんかじゃない……だって、私の英雄は……)

 

全速力で姉の眼前に駆け込んだディーが、間合いに入ったのを感知し、機械的に繰り出される姉の頭突きを搔い潜り、拳を掲げる。

 

(──姉さんだから!!)

 

顔を覆う黒仮面を殴りつける。しかし、その威力は弱い。

決意はしている。だが、それでも姉を殴るという行為にディーの体は応えなかった。

ディーの顔が、苦悩に歪む。

 

(……やっぱり、やっぱり無理……だって、姉さんなんだもん!!)

 

嫌な感覚を残した拳をディーは抑える。

限界だった。姉を殴ると言う行為に、妹の心は耐えられなかった。

黒仮面が迫り、もう一度繰り出される頭突きを下がって躱したディーは涙を一筋流した。

 

(ずっと守ってくれてた!ずっと……大きな背中で、私の前に立って……)

 

幼い日々の中、自分を守り続けてくれた姉。

尊敬し、敬愛し、その背を追い続けていた姉。

手が出せるはずも無かった。

 

見かねた保険医は、ディーに叫ぶ。

 

「ディー君!辛いのはわかるけど、ここは……」

「ごめんなさい、タキオン先輩……わかってるんです。必要な事だって」

 

「でも、無理です……私が強くなったのは、姉さんを殴る為じゃ、無いから……」

 

この返答を聞いた保険医は、迷わず携帯を取り出し、素早く操作するとどこかに連絡を取り始めた。

ディーに嫌な予感がよぎる。

 

「じゃあ仕方ないねぇ、お母さん呼ぶから」

「えっ」

「あ、先生かい?今取り込み中?いやそれがねぇ、タイ君が来てるんだけど……」

 

 

 

「ちょ、ちょっと待って!タキオン先輩!!!」

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

「ンだよ、このコード。ワザと複雑な手順踏ませやがッて……センセー!ウッセェから他所でやってくれェ!!」

 

半壊した観覧席にて、カルトの尖兵達の装備であるパワードスーツ、メタルウーマンMk4の強制停止コードを入力中のシャカールは頭を掻きむしり、気が散る騒音を起こす原因に叫んだ。

原因であるカルトの構成員と取っ組み合いの只中にいるシスターは、笑って大声で答える。

 

「まぁそう言うなよシャカール!お前ならやれっから!!ほらがんばれ!!」

「ロジカルじゃねェ!アンタ昔ッからそうだよなァ!!」

 

口喧嘩の応酬をしながらも、シャカールの手は高速でコードを打ち込んでいた。

教え子として教会にいた頃から変わらない関係性である。文句を言いつつもウマが合い、よくこのようなやり取りをしていた。

蚊帳の外で眺めていた一行の内、智哉はこの状況で平然と寝息を立てるフランを座席に寝かせ、その横で思索を巡らせている。

 

(……寝てるフランはご近所さんに預けて、一度競技場に戻るか……)

 

まだ競技場内に残る自らの身内の安全を確認しなければならない。特に、矢面に立っているメイド達と残してきた小学生組の身が心配だった。

そんな時である、シスターとカルトの構成員エナメルが突っ込んできて空いた穴から、小柄なウマ娘がくるくると回転して飛び込んできた。

 

「ついたの!!」

 

着地し、くるりとその場で回った人物に智哉は見覚えがあった。小栗家に滞在しているチェムである。

その腕の中ではノーブルがぐったりとしている。智哉は何処か怪我したのかと考え、慌てて駆け寄る。

 

「ッおい!!ノーブル怪我してんのか!!?」

「えっそうなの!?ノーブルちゃん大丈夫!!?」

「いやお前に聞いてんだけど……」

 

チェムの天然ボケに智哉が呆れる中、ノーブルはゆっくりとチェムに降ろされ、へなへなと崩れ落ちた。

完全に腰が抜けていた。

 

「だ、だいじょうぶです……酔いそうなだけで……うっ」

「大丈夫そうに見えねえけど……とりあえず座るか?」

「はい……ってなんですかこの状況」

 

智哉に助け起こされて顔を上げたノーブルは観覧先の惨状を見て真顔になった。

荒事の最中のシスターに、一心不乱にキーボードを打ち続けるギザ歯のウマ娘、しがみついてその邪魔をする公女殿下、寝込んでいる理事長と博士。

そして座席で横になっている姉、フランを見てノーブルは腰が抜けたのも忘れて駆け寄った。

 

「姉さん!?大丈夫!!?」

「むにゃむにゃ、きょかなんてだすわけないのよ、トムはおばかなの?」

 

何やらよくわからない寝言をほざいて寝ている姉に気付き、ノーブルの顔が再び真顔になる。

姉はどう考えてもすやすやと気持ちよさげに寝ていた。背後からついてきた智哉が、申し訳なさそうにノーブルへ声をかける。

 

「……あー、信じられねえだろうけど、寝てんだよ、ソレ」

「……はい??」

 

ぽかんと口を開けて、ノーブルは智哉に振り返った。

信じられないといった表情である。智哉も同じ気持ちなので頷いて返した。

 

「あの、嘘ですよね?こんな状況で?こんな場所で??」

「本当なんだよ、なんかごめん………」

「いえ、こちらこそ、姉がすいません………」

「謝らないでくれよ………」

 

「ぐうぐう、きょかがほしければ、このしょるいにサインしてちょうだい。いますぐでいいのよ」

 

居た堪れない雰囲気の中、フランのよくわからない寝言が二人の間に流れる。

智哉は何故か謝り合う微妙な空気の中で、ここまで姉の為に来たであろうノーブルを見て思う事があった。

離れて暮らしているという姉妹、蟠りを感じているはずでも、姉を想う妹。

 

(本当に、仲は悪くねえんだよな……俺に何かできればいいんだけどな……)

 

特にする事も無いノーブルがフランの横の座席に座り、智哉がチェムとニートに二人を任せて動こうとした時、騒音の中に電子音が混じった。

 

「俺様のスマホだ。おーい、誰か取ってくれ!!」

『貴様ァ!私を無視して電話に出るだと!?ふざけるな!!!』

 

取っ組み合っているシスターのスマホの着信音だった。荒事の最中に電話に応えるつもりの豪気なシスターに全員が唖然とし、それから何故か智哉に視線が集まる。

誰も近付きたくないのである。智哉は一応ニートを見た。マスクとサングラス越しでもわかる程に、にこやかにこちらを見ている。智哉に押し付ける気満々である。

智哉は深くため息を吐いてから、ゆっくりとシスターの背後に近付いた。その瞬間にパワードスーツの目が光る。生きた心地がしない。

 

「あの、抑えててくださいよ……これっすか?」

「おっ悪ぃなあんちゃん!耳に当ててくれ!」

 

着信音がする修道服のポケットに手を入れると、すぐにスマホは取り出せた。

シスターのスマホは一つ型落ちのUPhoneだったが、セキュリティ機能が何も施されていない。隠すモンとか別に無ぇしとは持ち主の弁である。

智哉が通話を押して恐る恐るウマ耳に当て、シスターは喧嘩中だと言うのに機嫌良く電話の相手に応えた。

 

「もしもし俺様!なんか用か!?」

『あ、先生かい?今取り込み中?』

「喧嘩してっけど別にいいぜ!」

『いやそれがねぇ、タイ君が来てるんだけど』

「お!?アイツ帰ってきてたのか?いいじゃねぇか、アイツにも手伝わせ……」

 

『あの仮面のウマ娘……あれがタイ君だった』

 

シスターは電話の相手、保険医の言葉に耳を疑った。

家出という事にして北海道に送り出した、誰にも憚らずはっきりと自慢の娘と呼べる長女。

その娘がカルトの手先になっている。あり得ない話だった。

 

「なんだそりゃ、アイツがそんな事する訳ねぇだろ!?」

『私の見立てでは、洗脳されてるみたいでねぇ。ショック療法をディー君に任せようと思ったけど、お姉さんに手を上げるのがどうしても無理なようだ』

『ちょっと待って先輩!母さんに任せるなら私が……ふみゅ!?姉さん痛い!』

 

電話の向こう側、保険医の説明の後ろでごちんと大きな音が響いた。よそ見をしたディーが頭突きをモロに受けた音である。

 

『聞いての通り、苦戦中でねぇ……先生、どうにか選手交代できないかい?』

「すぐ行く!!あんちゃん悪ぃな、もういいぜ」

「うっす!スマホ返します!」

 

智哉は素早くスマホを修道服に戻し、その場を離れた。脱兎の如き逃げっぷりである。

話を終えたシスターはその金色の瞳を血走らせ、凶悪な笑みを浮かべる。

長女がカルトの手に落ち、競技場を襲う道具にされている。怒るには十分な理由だった。

 

「オイ、お前ら……随分と筋の通ってねぇ真似してくれるじゃねぇか?ウチの娘を盾にするたぁな……!?」

『何の、話だ……?』

「知らねぇんならそれでいいぜ、もうお前と遊んでる場合じゃねぇしな」

 

遊んでいた、と言われたエナメルの額に青筋が浮かぶ。

パワードスーツを使ってはいるが、最も警戒すべき超気性難と互角に渡り合っているはずである。

ここでこのウマ娘を仕留めるという決意を込め、Mk4アーマーが決意に応えるかのように、全身の各部位が光を帯びる。

 

『遊ぶ……だと?ならばそれが、貴様の敗因だ!!!』

 

エナメルの装備するMk4アーマーは、同型機の中でも格闘戦に特化したカスタム機である。

必要最低限の武装の他はパワーとスピード双方にエネルギーを割り振られており、怪力とスピードを併せ持つ超気性難との格闘にも耐えられる性能を誇っている。

その真骨頂は背中に取り付けられた推進装置も併用した正面からの突撃であり、その秘めた暴威を今、開放したのだった。

 

「……おお!?結構粘るじゃねぇか!」

『粘るだと?違うな……この機体の性能を侮ったな!!』

 

背中の推進装置にコアからエネルギーが送られ、強烈な推進力を得たエナメルはシスターを押し込む。

エナメルは、メンテナンスを担当していた同志からMk4アーマーの機能について説明を受けており、この機体ならばあの恐るべき超気性難にも勝てると言う確信を持っていた。

 

『このF型Mk4アーマーは!貴様らのような化物を真っ向から仕留める為に、あるウマ娘のデータを元に製造されている!貴様もよく知っているウマ娘だ!!』

「おっそうか、誰だよ?」

『聞いて驚くな!かのビッグレッド二世!セクレタリアトの40%の出力をこの機体は発揮できるのだ!!』

「……あの、秘書かよ……」

 

じりじりとシスターが押され、徐々に体が沈み込んでいく。

ちょうどかの有名人が大統領秘書を務めていた当時、現役時代だったシスターはよく問題を起こしては説教されており、頭の上がらない先輩である。

喧嘩したら敵わないかもと唯一思わされた相手であり、その名前を聞いたシスターは意気を挫かれたかのように顔を俯けた。

この反応に気を良くしたエナメルの口が弧を描き、追撃を加えようと更にアーマーの出力を増した。

 

『更に!このF型は固有装備である背部推進ユニットにより!最大出力は60%まで伸びる!!つまり……貴様には元々一分の勝ちの目も無いのだ!!!』

「そう、か………」

『ようやく負けを認めたか!ははははは!怯えろ!!』

 

勝利を確信したエナメルの笑い声が響いたその時、シスターは顔を上げた。

 

──その顔は、嗤っていた。

 

 

「なんだ、そんなモンかよ」

『は……?』

 

 

一気にエナメルが押し返され、床に背を付ける程に押し込まれる。

その眼前に顔を近付けると、シスターは凶悪な笑みを見せた。

 

「お前らよぉ……俺様をナメすぎじゃねぇ?」

『ば、バカな………!?』

「確かにあの先輩は強ぇよ?でもよぉ……40%だの60%だの、数字で出せるモンじゃねぇんだこれが。データ取ったって話なら、テストでもしたんだろうけどよ……それじゃあの先輩やババアの強さは再現できねぇぜ」

 

超気性難、強力なウマソウルを持つ者同士の闘争を侮っていると、まるで子供に言い聞かせるようにシスターはエナメルに語った。

エナメル及びカルトの構成員達は、この襲撃に当たって前提から間違えていたのである。気性難を、強いウマ娘を常識に押し込み、数字で計ってはいけない。

 

「俺様の予想だけど、その立派なオモチャ全然未完成だぜ?俺様達との喧嘩に使うなら足止めや時間稼ぎがやっとってトコだろ。空飛べるし人助けには便利かもな?」

『な、何……!?』

「そうだ、良い事教えてやるよ……俺様の名前、知ってんだろ?」

 

恐るべき、超気性難の金色の瞳がぎらりと輝く。エナメルは恐怖を感じるも目を逸らせなかった。

 

 

「俺様の前に立ったヤツはな……どいつもこいつもビビッて静かになっちまうんだよ。ご機嫌な日曜日だろうと、なぁ……!?」

 

 

エナメルは歯が浮くような感覚を覚えた。カルトの構成員として修羅場を潜り抜けてきたはずの自分が、恐怖で歯を鳴らしている。

その事に思い至った瞬間、Mk4アーマーの脚部が火を噴き、シスターとの組み合う状況から逃れて飛び立とうする。

それをシスターは抑え込み、観覧席の外へ走り出した。

 

『は、離せぇ!貴様ァ!!』

「あらよっと!それはさっき見たからな!こうすりゃ飛べねぇんだろ?」

 

シスターは先の観覧席へ突入した際のMk4アーマーの挙動を見て、既に厄介な飛行能力への対策を立てていた。

手でバランスを取り、足で推進力を得る飛行方法ならば、どちらかを出来なくすれば良いのである。

腕を掴み、バランスを取る手段を奪ったシスターは、そのまま観覧席の穴から外へ大きく飛び出す。

シスターの脚力による跳躍は観客席を越え、更に競技場のコースまで迫った。

 

『この高さ、貴様もタダでは済まんぞ!?』

「俺様は大丈夫だぜ?普通に落ちてもいいけどよ……こうするからなぁ!!」

 

上空でもろともに回転し、背中に回り込んだシスターはエナメルの両手を広げて固め、右足を後頭部に当て、左足一本で両足を交差させて自由を奪った。

 

『な……まさか、貴様ァァァァァ!!!?』

「こういう時って、技の名前叫んだ方がそれっぽいよなぁ!?いくぜ!!」

 

エナメルを完全に捕らえ、変形のカーフブランディングの体勢に持ち込んだシスターは高らかに叫び、そして──

 

 

 

「サイレンス・ブランディング!!!!!!」

 

 

 

──競技場のターフに落下した。

 

『ぐわああああああああ!!!?』

 

強烈な轟音と共に砂埃が舞い上がり、芝が剥がれて飛び散る。

そして砂埃が止むと、エナメルは大の字に地面にめりこんでいた。

アーマーが煙を上げ、中のエナメルは気絶したのかピクリとも動かない。

 

「っし!次はタイだな!」

 

それぞれ構成員を食い止めている面々の視線が集まる中、シスターはすかさず娘の元へ向かった。

ぽかんと口を開けてこちらを見る次女が、また頭突きを食らって涙目で額を抑えている。

保険医はあっ来たねぇと言った様子でにこやかに手を振っていた。

 

それに手を振り返しつつ、シスターは全力で走り込む。

 

「サイレンス飛び蹴りィ!!!!!!」

「ね、姉さあああああん!!!?」

 

そのまま長女へ、手加減抜きの全力の飛び蹴りをお見舞いした。

 

「更に!サイレンスストンピング!オラァ!!目ぇ覚ませよタイ!!!」

「母さんやめて!!姉さん死んじゃう!!やめろ!!!」

 

吹き飛び、頭からもろに芝を削って滑るタイを更に追い駆け、容赦なくストンピングを入れる。これも手加減していない。

ディーが血相を変えてすっ飛んできて、羽交い絞めにして止めようとするもその勢いは抑えられなかった。大技を決めてテンションの上がった超気性難は止められないし止まらないのである。

仮面が割れ、ボコボコになっていく大好きな姉を見てディーが叫んだ。

 

「だ、誰か!!姉さんを助けて!!!姉さんが死んじゃううぅうう!!!」

 

悲鳴のような声に競技場内の何人かが振り向き、そのまま見て見ぬふりをした。誰が悪人かわからない状況である。

保険医はぱちぱちと拍手を送っていた。これくらいやらないと洗脳は解けないという見立てによるものである。

 

この様子を見ている人物、よくわからない空間に閉じ込められていたタイは異常を覚えていた。

目の前の母の動きにリンクするように、自分の体のあちこちが痛い。

 

「ンだよコレ!?ちょっ、痛ぇ!?なんか知らねーけどあちこち蹴られてるみてーに痛ぇぞ!!?」

 

痛みにたまらず声を上げ、首を傾げたタイはまじまじと光の先の母を見た。

 

「これ、まさか……オフクロがオレ様蹴ってんのか!?なんでだよ!!?」

 

見えない壁がひび割れ始める中、タイは何故か自分を蹴っているらしい母を見てブチ切れた。

母に蹴られる筋合いは無いはずである。

 

「ざけんじゃねーぞ!!久しぶりに顔見たと思ったら蹴るとか上等じゃねーかクソオフクロ!!!!」

 

力を込めたタイの拳に、先ほど呑み込んだ感情の一つ、怒りが黒いオーラとなって宿る。

よくわからない空間越しでも母へ一発くらい返してやるという気概を込め、拳を振り上げた。

 

「死ねや!!クソオフクロォオオオォオ!!!!」

 

拳が黒い奔流を放ち、見えない壁を破壊した瞬間──タイの意識は浮上し、目の前に母と妹が現れた。

 

「母さんやめて!!もう十分だから!!!」

「いやまだ目ぇ覚ましてねぇだろ?もうちょっとやっとこうぜ!」

「その前に気絶するでしょ!!!」

 

一瞬状況が掴めず呆然とするも、全身に感じる痛みにタイはまずやる事を思い出した。

立ち上がり、母の前に無言で立つ。

 

「……姉さん?」

「……お?目ぇ覚めたか?タいってぇ!!?」

 

にこやかに微笑む母に頭突きを見舞った。蹴られた仕返しである。

 

「よくわかんねーけど散々蹴りくれやがって!!ざけんなよクソオフクロ!!!」

「この反応……間違いねぇ、タイだな」

「ハァ?何だよ?」

「後で説明してやんよ……それよりも帰って来たなら、一言なんかあんだろ?」

 

トレセン学園の競技場、更には何か問題が起きているらしいと気付くも、タイは何故自分がここにいるのかわからない状況だった。

しかし、一つだけ確信している事があった。

目の前の、自分を見て嬉しそうに涙をこぼす妹と今、向き合っている。

まだ、何を言うべきかの答えは出ていない。

 

それでも、最初に言う事だけは、決めていた。

 

 

 

 

 

 

「よ、よう……プイ……ただいま」

「うん……おかえりなさい、姉さん」



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第四十四話 影なる聖母

観客と生徒達の避難が進み、少しずつ喧騒が治まる競技場のターフ。

そのゲートの前で、数年ぶりの再会を果たした姉妹が向き合う。

妹は真っ直ぐ姉を見つめ、姉は妹の輝く瞳にやや居心地悪そうにしながらも、しっかりと視線を受け止めて応えた。

 

「姉さん……あの、私」

 

口火を切ったのは、妹だった。

あの日の謝罪と、自分の本当に伝えたかった言葉。

紡ぐべき言葉、伝えたい想い、全てを姉に話すために。

 

「……待ってくれ、プイ」

 

姉は、それに待ったをかけた。

妹が幼い頃と変わっていないのなら、何を言うかはわかっている。

だからこそ、大切な妹にそのような言葉を言わせたくなかった。

 

「きっと、オレ様も、お前も……言葉が足りなすぎたんだよ」

 

数年間の空白、背を向けていた日々。

お互いが抱えた挫折と苦悩を埋めるためには、長い時間が必要かもしれない。

それでも、今ここで姉妹は向き合っている。

タイは筋を通す為に自分から謝ろうとも考えたが、その想いを心に押し込めた。

それは自分が楽になる為の行為だ。妹の救いにはならない。

 

「だからよ……話そうぜ」

 

「お前が楽しかった事、嬉しかった事、悲しかった事、辛かった事……全部、聞かせてくれ」

 

「全部、オレ様が受け止めるから、よ………」

 

最後の方はか細く、照れ臭そうに語り、タイは顔を赤くして妹から視線を逸らした。

妹の言葉に耳を傾けなかった自分に言えた言葉ではないが、苦悩があるなら少しでも取り払ってやりたい、その一心で出た言葉だった。

あの幼い日々のような妹を気遣う姉の姿にディーは感極まり、その身を寄せる。

 

「うん……!私も、姉さんと話したい……姉さんの話も、聞きたい」

「おう……これから、時間なんていくらでも作れるんだ。話そうぜ、色々と……な?」

 

縋りつき、肩を震わせて喜びの涙をこぼす妹を、タイはそっと両手で覆った。

一部始終を見届けた姉妹の母、シスターは数歩前へ出て、姉妹へ背を向ける。

 

「よし!仲直りは……終わったな!!」

 

その声は震え、耳は全力で絞られていた。

情の深い女であるシスターはこういう場面にすこぶる弱い。特に肉親ならば尚更だった。

しかし、現在は非常事態である。もらい泣きをしている場面ではない。

 

「ディー!いつまでも泣いてんじゃねぇぞ!!まだグランマの方のヤツらが残ってるからな」

「ふふ……母さん、声震えてる」

「うるせぇ!これは武者震いってヤツだよ!!!」

 

姉から離れ、ディーは母の横に並んだ。

二人に続こうとタイが動くも、全身に痛みが走り地面に膝をつく。

先程の妹と母から受けたダメージが大きく残っていた。なお全部シスターのせいである。

 

「待てよ、オレ様も……いててて!」

「タイ、お前はさっきまでマトモじゃなかったんだ、大人しくしとけ」

「うん、姉さんは休んでて」

 

二人が振り向き、タイに笑って見せる。

いつも通りの不敵な笑みを浮かべる母、そして優しく微笑む妹。

母が強いのはタイもよく知っている。しかし、妹の姿がやけに輝いて映る。

今まで見た事も無い、知らない妹の姿に、目が離せない。

 

「見てて、姉さん……」

 

 

日本競バ史に深い衝撃を残した伝説のウマ娘──誇らしき日本の英雄。

 

 

 

 

 

「私、ちょっとだけ強くなれたから」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

競技場、上空──

 

『オイ、エナメルと新入りがやられちまったぞ!!』

『どうしよ?助ける?』

『そんなヒマあるか!!!』

 

コースに激突して動かない同志の姿に狼狽する、二人のカルトの構成員。

構成員のまとめ役にして、元民間軍事会社(P M C)兵士として最も経験豊富なエナメルの敗北は強い動揺を二人に与えていた。

生身ならば、まだ納得の行く結果だっただろう。しかし切り札と言える強奪したアメリカの超兵器を用いての敗北である。

 

『クソが……オレが仕掛ける!リモージュは無人機で援護しろ!!』

『りょーかーい!』

 

重火器で武装したタイプのパワードスーツを着込んだ構成員、クロワゾネが同志に援護を依頼した後に地上の三人組に突撃する。

彼女のMk4アーマーは軍用の強力な火器を搭載した重装型である。小回りは効かないが従来の機体より一回り大きく、更に重い。

ただ飛んでぶつかるだけでも強烈な破壊力を持っていた。

 

「ようやく動いたか……二人とも、手筈通りに」

「いいともさ、メイドの嬢ちゃん」

「あーしもいつでもオッケー!」

 

メイドの言葉に係員と謎ウマ娘の二人が頷いて返し、それぞれが三方に分散する。

正面から迎え撃たず、逃げる素振りを見せる相手の姿にクロワゾネは口に弧を描いた。

 

『逃がさねえよ!!まずはメイドの恰好のヤツ!テメーからだ!!!』

『無人機は他のヤツに飛ばすよー、ソイツやっちゃって』

 

空中で軌道を変え、クロワゾネはメイドに進路を取る。

更に二体の無人機が謎ウマ娘と係員に迫った。

無人機で時間稼ぎを行い、重装型の強力な体当たりで確実に一人を仕留める。

ここまでは狙い通りの展開だった。

 

「ふん……この程度の相手に逃げるフリは性に合わんな」

 

しかし、メイドは迫るクロワゾネに対し足を止め、両手を広げた。

 

『立ち止まるとはイカレたか!!くたば………』

 

言葉を言い終える間もなく、メイドに触れようとしたクロワゾネはその勢いを利用され、地面に縫い付けられた。

メイドはフランの専属メイド兼護衛として紅茶の淹れ方からヘリの操縦、更には様々な護身術まで修めている。

特に得意とするのは軍隊式のCQCと英国の由緒あるレスリングスタイル、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン(C A C C)である。

肘を始めとした打撃を得意とする姉とは正反対のスタイルだった。余談だが智哉はこの二週間でメイドに散々サブミッションを受けている。

 

『がああ!?何しやがった!!!』

「やはり玩具だな、力の流れが読みやすい」

 

背中に回り込み、両手をロックしてしっかりとクロワゾネを抑え込んだメイドは、心底つまらなさそうに鼻を鳴らす。

残る二人にも変化が訪れていた。無人機が迫るも、メイドのように立ち止まって迎え撃つ。

 

「ほっ!捕まえた!!」

「こっちもじゃ!!いくぞ!!」

 

メイドを中央に、左右に分かれた二人がそれぞれ無人機の足を掴んで捕らえた。

すかさず二人は無人機を逃がさぬように振り回し、中央のメイドの元へ走る。

三人は、分散しつつも常に一定の距離を保って行動していた。

最初から作戦通りに動いていたのである。その狙いはただ一つ。

 

「どりゃあああ!!!」

「どっこい、しょ!!!!」

『がはああ!!!?』

 

空中に逃げる相手を、確実に仕留める為であった。

メイドがタイミングを合わせて飛び退き、捕らえた無人機をしこたまに叩きつけられたクロワゾネの絶叫と、金属をぶつけ合う轟音が辺りに響く。

無人機が火花を上げて沈黙し、三人が拳を打ち合わせて労い合う。

 

「作戦どーり!さっすがメイドのおねー様!!」

「いいえ、あなた……お前も良い働きぶりだった。そちらの奥様も」

「おうおう!若いもんと暴れると若返った気がするねえ」

 

和気藹々とお互いの健闘を三人が称える中、空中のリモージュは慌ててクロワゾネに通信を送る。

 

『ちょっとー!?やられちゃったの?』

『………やる………』

『えっ?聞こえないよー、クロワゾネ』

 

ぼそぼそと何かを呟く同志にリモージュが聞き返したその時、無人機を吹き飛ばしてもう一度巨体が宙に翔んだ。

 

『ブッ殺してやるゥウウゥゥゥウ!!!!!』

 

その全身に内蔵した重火器の、砲口を開いて──

 

 

 

 

 

『もう未来の信徒もターゲットも関係ネェ!!!テメーら全員、ここで死ね!!!!』

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

同時刻、観覧席──

シスターが飛び出して行った観覧席の穴を、残された一同が口を開けて見つめる。

ここは競技場で最も高い観覧席であり、そこからの相手をクッションに利用したダイブに空いた口が塞がらなかった。余りにもデタラメな所業である。

 

「マジかよ、無茶苦茶だな、あの人………」

「センセーはあれくらい平気でやるぜ。ああ、アンタ」

「ん?俺か?」

「オウ、アンタだよ」

 

難所を超えたのか余裕の表情を見せるシャカールが、タイピングのスピードを保ちながらも智哉に問いかける。

 

「アンタ、その子……フランケルの身内だよな?取材させてくれねェか?」

「ああ、フランか。あんたはマスコミ関係か?」

「ちょっとレース雑誌にコラム持ってる程度だけど、そうッちゃそうだな。まァオレのは個人的な興味だけどな」

 

すやすやと寝言をこぼしながら寝ているフランにちらりと視線をやりながら、シャカールはにやりと笑って見せた。

まだプロにはなっていないが英国のアマチュアレースにおいて無敗のウマ娘のフランに、シャカールは研究対象として強い興味を抱いていた。

彼女と縁のありそうな青年もここにいる。二度とないチャンスを逃がさぬよう、ここで言質を取っておこうという考えによる申し出である。

智哉は腕を組み少し思案するも、頷いて返した。相手は公女殿下の友人であり、断っては不興を買う。

 

「わかった。本人が受けてもいいって言ったら、だけどな」

「それでいいぜ。時間もそッちに合わせる」

 

「まあ!私もお話したいわシャカール!」

 

話がまとまった所で、公女殿下が手をぽんと合わせて話に割り込んだ。途端に智哉の顔が蒼白に染まり、シャカールの顔が歪む。

 

「ハァ!?お前はカンケーねェだろ!!!」

「どうして!?私もこの子と話したいよ!!」

「お前はレース以外の事聞くからだろうが!!!!」

「気になるじゃない!この子と彼がどうやって会ったかとか!!」

「そういうのはよくねェだろ!!勘繰りしてンじゃねェ!!」

「シャカールのケチ!!」

 

ぎゃあぎゃあと口喧嘩を始める二人を、SP達がほっこりとした顔で囲んだ。白米があればこの光景を見ながらがっつきそうな表情である。

智哉は内心でシャカールの勝利を願った。この二人はいつも最後にシャカールが折れるので無理筋の願いだった。

ゆっくりとその場を離れてフランの元へ戻る智哉に、次に勝生氏が近付く。

 

「そうだ君、英国から来たサブトレ君かな?」

「えっ、ああ、そうっすけど……あ、そうだ、自己紹介……久居留智哉って言います」

「ああ、丁寧にどうも。私は一応こういう者だよ」

 

勝生氏から名刺を渡され、肩書と名前を読んだ智哉はその場で固まった。

日本の巨大企業グループの代表の一人であり、トレセン学園にも名門チームを所有する日本の要人である。

当然知らないはずもない名前であり、よく見たら何度もレース関連のニュースで見た事のある顔だった。

 

「えっ、社の………トップの………」

「いやトップは陽兄だから、私はただのウマ娘好きおじさんでいいよ」

「あの、ボディガードとかはどうしたんすか?早く避難した方が……」

「私よりウマ娘ちゃん達が先でしょ?ウチの保安部は全員避難や巡回に回したからねえ」

 

ははは、と事も無げに笑う勝生氏に智哉は苦笑いで返した。

世界に誇る一大グループのトップとして、心は一般人のヘタレとは肝の据わり方がまるで違うのである。

 

「俺に何か………?」

「トヨとの契約終わったら、ちょっと面談させてくれない?」

「は、はい……?」

「八月にね、今やってる事業のアドバイザーを募集してるんだけど、君もどうかと思ってね」

「俺、っすか?」

 

智哉が首を傾げる。自分は世間的には何の実績も無い奉仕作業中の曰く付きトレーナーである。

このような誘いを受ける理由が思いつかなかった。

 

「うん、君。その時にウチのクリスも同行させるから」

「クリスって……あのクリスティアン・リメイユっすか?」

「その通り、やよいちゃんは君をクリスに付けたいみたいだから」

 

フランスから日本に主戦場を変え、活躍中の若き天才トレーナーの名は智哉もよく知っているし、学園で生徒達に囲まれているのをよく見ていた。話してはいないが、目が合うと軽く会釈をする程度にはお互い顔見知りである。

人が良さそうなクリスに智哉は既に好感を覚えているし、次のサブトレの赴任先とも聞いている。渡りに船の話だった。

 

「あ、それなら……お願いします。こういう状況ですし、日取りはまた別の日にたづなさんに伝えてもらえたら……」

「わかった、決まりだね。じゃあたづな君に伝えるから」

 

そう言うと、手を振りながら勝生氏は理事長の近くの席に座り、どこかへ電話をかけ始めた。

今日は有名人とよく会う日である。智哉は息を吐き、気疲れした表情でフランとノーブルの近くに座り込む。

ノーブルはぴくりと耳を動かし、智哉に振り向いた。

 

「あ、戻ったんですね」

「ああ……なんか今日は疲れたな。あっちも何とかなりそうだし、安全になるまでここに………」

 

「──ダメ」

 

智哉の気が抜けようとした時──突然、フランが起き上がった。

蒼く光る眼でただ、智哉だけを見つめて。

 

「おっ、起きたかフラン。こんなとこで寝るなよマジで……」

「ダメ、ダメなの、トム」

「どうしたの?姉さん?」

 

何かに急かされるかのように、焦燥しながらフランは訴える。

まるで、どうしようもない災厄が間近に迫っているような、ただ事ではない気配を感じた智哉はフランの手を握り、落ち着かせようと優しく問いかけた。

 

「よしよし、まず落ち着けフラン。何がダメなんだ?ゆっくりでいいから」

「ゆっくりじゃダメなの!何か、来る……トム、すぐ逃げて!トムが……しんじゃ」

 

言葉は、最後まで続かなかった。

 

急に、胸に熱さを覚えた智哉が自分の胸元を見ると、黒い何かが突き刺さっていた。

 

 

「あ………?なんだ、これ」

 

 

呆然と、信じられない様子で、智哉が胸に突き刺さった何かを眺める。

自分の影から出ているそれは、目の前で人の形に変化していった。

咄嗟に我に返り、その腕を無我夢中で智哉は抑えた。

抜く為ではない、フランにこの手の持ち主が危害を加えないように。逃がさぬために。

 

「ト………ム………?」

 

それをただ、感情を失った目でフランは見ている。

全ての感情が抜け落ちた、何もかもを失った目で。

 

「ついに、この手に……お久しぶりですわね」

 

後ろから耳元にささやくウマ娘の声に、智哉は誰が自分を襲ったのかを察した。

ニートが異常に警戒していた、ヘロド教の聖母と名乗るウマ娘。

しかし誰かが観覧席に入室した気配は無かった。何かが自分の中に入ってくる嫌な感覚を覚えるも、指先一つ動かせない。

超常的な何かが起きているとしか思えなかった。

突如起きた凶行に、観覧席の面々が何が起きたか理解するまでに一瞬の時間を要した。

 

 

──その一瞬に、即座に動いた者がいた。

 

 

「インちゃん!!やめるの!!!」

 

「………何故、その名を……貴方は!?」

 

すぐさま行動に移ったその人物は、得体の知れない気配を持ったもう一人のウマ娘。

チェムは目にも止まらぬ速度で聖母の背後に迫り、回し蹴りを繰り出す。

聖母は腕を突き刺した智哉ごと影に沈み込み、すぐさま回避を試みた。

しかし、蹴りは途中で止まった。フェイントである。

チェムは智哉に手を伸ばした。

 

「てやぁ!!」

「チッ……キンチェム、邪魔を……!!」

 

影に沈み込み、連れ去られようとした智哉を、寸での所でチェムは引き上げる事に成功した。

動けない智哉を床に寝かせ、チェムは庇うようにその前に立つ。

対して、聖母は困惑の坩堝にいた。

この人物が、ここに来ているとは()()()()()()

わなわなと震えながら、チェムを指差す。

常に笑顔をたたえている普段とは、かけ離れた顔だった。

 

「なんでここにいますの!?貴方!!?」

 

二人はかつてからの顔見知りであり、利害関係も無いためにそれなりの友人関係を築いていた。

特にチェムはある理由により、こんな事件に首を突っ込む身の上ではない。

それを聞きたいがための聖母の質問に対して、チェムはえへんと胸を張り、いつもの天然を発揮した。

 

 

 

 

 

 

「電車で来たの!!!」



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第四十五話 魔女か、女神か

恥ずかしながら戻ってきましたやで。
半年も待たせてほんまごめん……。
アンケートもあるから回答してもらえるとうれしいやで。


19世紀から20世紀初頭、欧州に繁栄を謳歌した大帝国があった。

数多のウマ娘民族が代々名トレーナーを輩出する皇家の下に結集し、気性難の火薬庫とも揶揄される民族間の問題を残しつつもレースでは無類の強さを発揮した。

正にウマ娘の帝国であった。

皇太子トレーナーとその担当の痴情の縺れ、世界史ではサラエヴォ重バ場事件として知られる大事件を発端とした第一次世界競走により国が割れ、現在はその名を歴史に残すのみとなった大帝国。

 

その帝国史において綺羅星の如き輝きを残し、現在は女神として祀られるウマ娘達が存在する。

 

英ダービー覇者、キシュベル。

 

四戦全勝の帝国ダービーウマ娘、サフィール。

 

九戦九勝の女傑、ペイシェンス。

 

これら帝国の伝説の中でも、最も偉大なウマ娘とは誰か?と聞かれれば、誰もが口を揃えて一人のウマ娘の名を挙げた。

 

 

──54戦54勝、無敗にして最速、「幸運」の女神キンチェム。

 

 

最古の三冠ウマ娘「ザ・ウェスト」、ロンシャンの守護女神「エクリプス二世」、そして世紀末覇者、蹴王セントサイモンら神話の世界の住人達と並び称される偉大なウマ娘の生涯は正に幸運と栄光に彩られたものであったが、その栄光にたった一つ影を落とす逸話がある。

 

口さがない歴史家達は、彼女をこう呼んでいた。

 

 

──帝国崩壊の遠因、「傾国」の魔女と。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

えへんと胸を張るチェムに対し、聖母は頭痛を感じて眉間を揉んだ。

この激しい天然ボケをかます厄介極まりない友人に現在の状況も省みず、対話を試みる。

 

「そういう意味ではなくてよ……貴方、自分のやらかした事を忘れて?」

「あっ、そういう意味なの?今回はエっちゃん様とダーちゃん様から許可をもらってるの!!」

「あの女ァ………!!!」

 

許可を出し、恐らく現状を見ているであろう宿敵に聖母は怨嗟の声を上げた。なおもう一人の人物は許可を出していない。

聖母は何とかチェムを退かせるべく、更に説得を試みた。彼女にとっては相性の悪い相手が二人ともいない今こそ悲願成就の好機である。

 

「貴方、ここは退いてもらえないかしら?そこの彼は用件が済めば返しますわ」

「ダメなの!インちゃん、もうこんな事はやめて一緒に帰るの!せんちゃんも心配してるから!」

「………それはできませんわね、我が主をようやく地上にお迎えする準備が整いましたのよ。貴方もこちらに付けば、今なら山手線のフリーパスを進呈しますわよ?」

「マジなの!!?」

 

聖母の勧誘に靡きかけたところで、チェムの胸元からにゃあと猫の鳴き声が響いた。

 

「あ、電話なの」

「貴方、普通この状況で電話には出ませんわよ!!?」

 

平然と電話に応対するチェムに聖母は思わずツッコミを入れた。緊迫した状況に緩い空気が流れる。

 

「あ、ジョン君……釣られたらダメ?わかったの!!え、代わるの?インちゃん、はい」

「私は出ませんわよ!?」

「ジョン君、インちゃん出たくないって!どうしても?インちゃん、はい」

「だから出ませんわよ!!!!」

 

聖母の気を引くチェムが後ろ手に観覧席の出口を指差す。

その合図を見たノーブルは、倒れ伏す智哉を凝視しながら呆然と立ち尽くすフランの肩を叩いた。

 

「姉さん、しっかりして……トモヤさんを運ばないと」

「……」

 

ノーブルが呼びかけても、フランは光彩を失った目でぴくりとも動かない。

幼きあの日、自分を守り銃で撃たれ、目の前で倒れる智哉と今の智哉がフランの目に重なって映る。

アメリカに向かう智哉との空港での一時の別れの際、支え合うために強くなると誓ったはずだった。この光景を、フランの眼は見通していた。

しかし、為すすべなく智哉は倒れていた。どうしようも無い自分の弱さに、フランはただ立ち尽くしている。

 

「姉さん!」

「あ、ノーブル、ちゃん……?」

 

ノーブルに肩を揺さぶられ、フランはようやく反応を示した。

途端に目から涙がこぼれ、倒れる智哉に縋り付く。

見たこともない、憔悴しきった姉の姿にノーブルは耳と目尻を下げた。

 

「姉さん、そこまでトモヤさんが……」

「トム、やだ……置いていかないで。約束、守ってちょうだい。お願い、目を開けて……」

 

フランの悲壮な想いを聞きながら、ノーブルは智哉の顔を眺める。

そこで何やら違和感を感じた。眉が先程より下がっている気がする。首を傾げつつ思わず凝視すると、眉間に皺が寄り始めた。

ノーブルが違和感を解消するために顔を近付けたところで、横からひょっこりとニートが現れる。

 

「トモヤ君、死んだふりしてないで起きたら?」

「えっと、あなたは……?」

「トモヤ君ちの近所に住んでる者だよー。こういうのはお姉さんわかっちゃうから」

 

ニートのサングラスの隙間から、紫の光が漏れる。

持ち得る異能、見えないものを見る眼で確認しても、智哉の体には何の異常も無い。

ニートの言った通りに智哉はゆっくりと体を起こし、フランの頭を撫でた。

 

「いやマジで死んだかと思ったっすけどね……心配かけたな、フラン」

 

縋りついていたフランが顔を上げ、智哉と目を合わせる。

頬を伝う涙を、智哉は優しく指で拭った。

 

「ごめんな。下手に動くとお前やノーブルを巻き込むと思ったんだけど……」

 

智哉は一度言葉を区切り、聖母に目を向ける。

 

「仕方ありませんわね……もしもし。あら、あの女の側近ですわね……騙されている?私が?有り得ませんわ。情報源?敵に言うと思って?」

 

聖母はチェムのペースに乗せられて電話に出ていた。推定カルトの首魁とは思えぬ緩さに、智哉は呆れてため息を吐く。

 

「あの様子だから、な……」

 

ただ智哉の顔を見つめていたフランが、ようやく口を開く。

 

「トム……ほんとうに、大丈夫なの?」

「おう。どうやったかわかんねえけど、どこも怪我してないだろ?」

 

少し体を離した智哉はフランの手を取り、刺されたはずの胸を触れさせる。

確かめるようにぺたぺたと何度も触れた後、フランはその胸に飛び込んだ。

 

「勝手に死なないでちょうだい。心臓にわるいのよ」

「いや、死んでねえから……悪かったよ」

「レースも、観に来てくれなかったし……埋め合わせをしてほしいわ」

「ああ、そうだな。どっか行くか?」

「来月、東京レース場で花火大会があるのよ。エスコートしなさい」

「畏まりました、お嬢様。姉貴も誘ってみるか……」

「どうしてミディお姉様の名前が出るの??」

「えっ、ダメっすか……?」

 

フランの頭を優しく撫でながら、落ち着かせるように要求に応えていく智哉だったが、一瞬だけフランから蒼いオーラが漏れ出して思わず敬語で返した。小学生相手にまるで頭の上がらないヘタレぶりである。

この二人の会話に、様子を伺っていた公女殿下は場違いな歓声を上げた。

 

「わあっ!聞いたシャカール?ドーベルの漫画みたい!」

「耳元で大声出すンじゃねェ!それよりもファイン、わかッてンな?」

 

英国王室にも連なる、アイルランド大公家の一員としての義務を果たせと訴える親友の真剣な眼差しに、公女殿下は頷いて返した。

臣民である智哉への突然の襲撃、ノブレス・オブリージュを範とする貴族の頂点として見過ごせない狼藉の下手人を捕らえるべく、指を一つ鳴らしてSP達に指示を送る。

公女殿下の合図一つで、腕自慢のウマ娘SP達は聖母を逃がさぬように取り囲んだ。

 

「我が臣民に手を出す狼藉者!神妙に縄につくべし!これはアイルランド公女、ファインモーションの勅令である!!」

 

英国及びアイルランド公国は、民主主義に政体を変えつつも未だに封建主義の名残を色濃く残すウマ娘の連合王国である。

王侯貴族に連なる者の権利と社会的地位は当然高く、英国王室とその外戚である大公家に至っては独自裁量により司法権と行政権を行使できる王室大権を有している。立法権は20世紀初頭に王室の外戚にして当時のホースガールクラブ会長が布告した悪名高き規則を発端に、議会に返還していた。

これを今、臣民を守るという大義名分の下に公女殿下は行使したのだった。智哉がビビリ倒していた理由でもあった。

 

しかし、SP達に囲まれようと聖母は平然と電話に応対していた。

 

「……話になりませんわね。トキノに代わる?……結構ですわ。あの子とは袂を分かちましたので、今更……あら、公女殿下の護衛ですわね。お客が来たので失礼しますわ」

 

一方的に電話を切った後、聖母は公女殿下に優雅にカーテシーを行う。

王族への最上の敬意を示した、寸分違わぬ美しい所作だった。

 

「本来なら正装にて、奏上から入るのが作法ですが……平服にて失礼致します、殿下」

「構いません、直答を許します」

「格別のご配慮、恐悦至極にございます。私はヘロド教の聖母を務めております、小岩井聖子と申します。ウマ娘としての名はどうかご容赦を」

「許します。其の方、先の勅令の通りに我が手の者の縛につきなさい。抵抗しなければ無体な扱いはしないと大公家に誓って約束しましょう」

 

王室作法を忠実に守った聖母の所作に感心した公女殿下は、手心を加えようと最後通告を行った。

もし決裂すれば公女殿下の忠実なSP達が四方から殺到し、拘束する手筈である。SPは各々が屈強な気性難でも制圧する実力を有する腕利き揃いであり、万に一つも聖母がこの状況を脱する手段は無い。

 

聖母は首を振り、悲しそうに顔を覆った。

 

「ああ……殿下、私もかつては王室に忠誠を誓う英国臣民だった身ですわ。どうして殿下の大切な臣民を傷付ける事ができましょう?」

「弁明は後で聞きましょう。大人しく言う通りに……」

「できかねますわね。私、まだ何もしておりませんもの」

 

聖母が顔から手を離す。その顔は、貼り付けたような笑みを浮かべていた。

交渉決裂と判断し、公女殿下は指を打ち鳴らす。

 

──瞬間、SP達はその場に倒れ伏した。

 

「…‥隊長?」

 

幼少より側仕えとして共に過ごしてきた、最も信頼するSP隊長が物言わず倒れる姿に公女殿下は呆然と呟いた。

公女殿下の疑問に対し、倒れ伏す隊長に代わり聖母が応える。

 

「ああ、何という事でしょう……殿下の忠実な臣下達は神の怒りに触れましたわ」

「……あなた、何をしたの?」

「殿下、これはきっと哀れな私めに、我が神が救いを与えてくださったのですわ」

 

のらりくらりと追及を躱し、わざとらしく祈りをささげる聖母に怒りを覚えた公女殿下が立ち上がろうとするのを、隣の親友が肩を掴んで留める。

 

「シャカール、離して!隊長を助けに……」

「何をしたかもわかンねェのに動くンじゃねェ。アレはヤベェぞ」

 

止めたシャカールの額に青筋が浮かんでいるのを見て、公女殿下は歯を食い縛って堪えた。

シャカールもSP隊長とは付き合いが長く、友人と言ってもいい関係である。

 

「こういう時、博士かセンセーがいりゃァ何とかしてくれンだけどな……センセーは飛び出しちまって、博士はこのザマだ」

「うーんうーん……私を副会長に推薦するように謀ったそうだな?おのれナシュワン!……不安だから入って欲しい?しょうがないなあ……」

 

博士は相変わらず起きる気配が無く、寝言を漏らしながら嬉しそうにニヤついていた。どうやら学院時代の夢を見ているようである。

変化した状況を伺いながら、智哉はフランを立たせて自分の背中に回した。

フランは眼を蒼く輝かせ、智哉の裾を引っ張りながら言う。

 

「トム……あのひとの影、おかしいわ」

「影、か?」

「ええ……こんなの、初めて見るわ」

 

フランの異能の目を通して見た聖母の影は、SP達全員の足下にまで伸びていた。

逆光で異様に伸びた、まるで六本足の怪物のような歪な形をした影だった。

一瞬、フランの視線に反応した聖母はくすりと笑い、智哉に目を向けた後に公女殿下に向き直った。

 

「殿下、英国臣民として約束します。殿下とその忠臣、そしてご友人には一切危害を加えるつもりは私、ございませんのよ?彼女達も事が終われば解放しますわ」

「……あなたの、目的は?」

 

聖母が智哉を指差し、全員の視線が集中する。

やっぱり俺かよ、と智哉は天を仰ぎため息をついた。

日本に来て以来、家族の地獄のシゴキに殺されかけ豊原には闇討ちされ、更には現在テロ組織の首魁らしき人物に標的にされている。

まだ来日して一月足らずでこの有様である。アメリカに残ってダンの面倒見とけばよかった、とあの日の決断を後悔しつつあった。手遅れである。

智哉のそんな手遅れの後悔を他所に、聖母が口を開いた。

 

「そこの彼、しばしの間身柄を預かりたいのです」

「我が臣民に仇なす行為は……」

「少し、血を分けて貰いたいだけですのよ。我が神に誓いましょう、彼も必ず無事にお返ししますわ」

 

聖職者が神に誓うという行為は、必ず約束を履行するという強い意味を持つ。

聖母の顔も真剣そのものであり、積年の悲願を前に、まるで殿下に懇願するかのような言葉だった。

彼女が首を縦に振れば、それはこの場において英国王室としての回答となる。大義名分を持って臣民の身柄を預かる事ができるのである。

公女殿下は状況を省みて言い淀み、智哉の顔をちらりと見た。

この場には日本および英国の要人が集い、叔母も親友も動けない。そして頼みのSP達も返り討ちに遭っている。

為政者としてテロに屈するつもりは無いが、聖母への対抗手段が無い現在、自らの責任として一度取引に応じる事も考えていた。

 

「えっ?そんな程度でいいんすか?」

 

そんな公女殿下の苦悩を他所に、智哉は呑気な声をあげた。

この場を収め、フランとノーブルを安全な場所に逃がす為に脳天気なふりをしてこの取引を吞もうと言う考えによるものである。

それに自爆しようとした構成員や姉より話がわかりそうな相手にも見える。先程胸を貫かれた事は頭の隅から追いやった。

なお姉は現在病院に到着し、もう用事は終わったしいいでしょと待合室で軽く飲んでカナにドン引きされていた。肝心な時にいない女である。

 

「えっ、キミ……?」

「いやあ……それくらいならこんな事しなくても相談してくれりゃよかったじゃないすか。で、献血ってどこで受けたらいいんすか?」

「少し、事情がありましてこうする他無かったのですわ…‥それよりも話が早くて助かりますわね。ここでは何ですので、私の教会で……」

 

 

「だーめーーーーなーーーのーーーー!!!!!」

 

 

話がまとまりかけたその時、蚊帳の外に置かれていたチェムが大声で取引を遮った。

地団太を踏み、全身でぷんすこと怒りを示すチェムに対して、聖母が呆れた顔を見せる。

 

「いや、貴方……この場は私の勝ちではなくて?不本意ですが人質もおりますのよ?」

「でもだめなのー!!インちゃんそんな事したらだめなのーー!!!!」

「聞き分け悪すぎますわね!?穏便に済ませて何が不満ですの!?それにこの状況から貴方がひっくり返せる手段など……」

 

 

「──あるの」

 

 

瞬間、チェムの周囲が光を帯びる。

聖母はその光を見た瞬間、全身が総毛立つのを感じた。

この観覧席は、既に聖母の手中にあるはずだった。

それを、チェムは力技で引っくり返そうとしている。

 

 

──かつて、帝国を滅亡に導いた力を持って。

 

 

「あらゆる因果を、インちゃんに集めるの」

「ちょっと貴方!!?それだけはダメですのよ!!!」

 

光が広がり、聖母の影が霧散する。

 

「あーあー、チェム特急、発車するの。全車指定席、各駅停車はしませんなの」

「その呑気な詠唱をおやめなさい!!!みなさん!!!早くここから脱出を!!!」

「行先はインちゃん駅~~」

 

聖母が心底焦り切った様子で、観覧席の全員に向かって避難を促す。先程とは立場が逆転していた。

チェムが光り輝く中、フランは眩しさに目を閉じる瞬間、線路のような物が周囲から聖母に集まるのを見た。

 

「え?トム……?」

「なんだよこの光……?どうした、フラン?」

 

その線路が瞬時に、智哉に集まる。

 

「は?なんですのこれ??」

「発車10秒前~~」

「お待ちなさい!!何かおかしいですわ!!!」

 

標的が自分ではない異常に気付いた聖母が声を上げるも、目を閉じて集中しているチェムは気付かず、光が観覧席全体を包み込み──

 

 

「チェム特急──発車なのーーーー!!!!」

 

 

 

 

 

──そして、観覧席は爆発した。

 



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