敗れざる者 (コングK)
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「一流の証明」

彼女は10度の敗北を超えて血統を証明した。
敗れても、敗れても、敗れても、絶対に首を下げなかった。
緑の勝負服、不屈の塊。そのウマ娘の名は。


彼女に対する報道陣の反応はまたか、だった。

また言っている。自分は一流だと言っている。

自分に注目せよと言っている。

高笑いをしながら、私は一流なんだと強弁している。

 

実際キングヘイローは超一流のお嬢様だ。

彼女の母親は数々のGⅠを総なめにし、世界に名をとどろかせ、引退後も勝負服のデザイナーとして確固たる地位を築いていた。

「お母様と私は関係ないわ!」

事あるごとに彼女がそう主張しようと、周囲はあの偉大なる母親の娘として見る。

それをしなかったのは彼女のトレーナーである福田だけだ。

 

福田は新人トレーナーとしてキングヘイローの担当になる前、散々周囲のトレーナーに止められたと言う。

「母親が偉大でもあの気性じゃあな」

「せいぜいGⅡが関の山だよ」

当時何度か開かれた選抜レースでいい所を見せられず、またキングヘイロー自身が『一流のトレーナーでなければお断り』としたこともあってか、その悪評は留まることを知らなかったという。

 

「あの当時のキングは何としても母親を見返してやるんだと気負ってばかりでしたからね」

あっけらかんと言う福田だが、彼自身何度もトレーナーになることを断られたのを知っている。

 

「覚悟を持った者でなければ共に歩まない」

自ら一流足らんとするキングヘイローがトレーナーにも一流であることを要求するのは当然のことだっただろう。それが例え茨の道だったとしても。

デビューから3戦。面白いように勝っていたキングヘイローだったがその年の暮れのラジオたんぱ杯を落としてから受難の時代が始まる。

 

最強世代と言われる彼女達が立ちはだかったのだ。

 

ジャパンカップを制覇し、日本総大将とも言われたスペシャルウィーク。

ハククラマ以来と言われる大逃げをうち菊花賞を勝った青空の逃亡者セイウンスカイ。

ジャパンカップを制覇、凱旋門賞に挑み、二着。怪鳥エルコンドルパサー。

宝塚記念一勝。有記念二勝。不死鳥グラスワンダー。

 

「彼女達と同世代でなければ」

言葉にせずとも悔しそうに顔を歪ませるキングヘイローの顔からはそんな思いが見て取れた。

自分だけを見て欲しいのに、見てもらえない。邪魔をする憎い連中。そう思っていたこともあるのかもしれない。

 

通常ウマ娘はデビューしてからその脚質によってレースを選んでいく。芝かダートか。

短距離、マイル、中距離、長距離のどれなのか。

トレーナーの決断が全てを決める。脚質に合わないレースに挑まされ続け、ひっそりとターフを去ったウマ娘のいかに多い事か。

 

シニア路線でのキングヘイローの挑んだレースを見れば、いかに福田が悩んでいたか分かる。セイウンスカイの2着に沈んだ皐月賞。その後スペシャルウィークにこだわったダービーではまさかの14着。マイル路線から中長距離路線への転換は上手くいったとは思えなかった。

 

「何でこんな時に繋がるのよ!!」

日本ダービーでのこと。レースを終えて戻って来たキングヘイローに話を聞こうとしていたぼくは、その大声に驚いた。

電話の主である彼女の母親は勝ったスペシャルウィークを褒め称え、自らの娘にはこれ以上無様な姿をさらすなと言い切っていた。

(母が娘にかける言葉じゃないな。)

思わず同情的な言葉を掛けようとして、福田にそれを遮られた。

彼はお疲れ様と言ったきり何も言わなかった。

それ以上の言葉は不必要だと思っていたのだろう。

慰めも激励も叱咤も。今は出番がなかった。

キングヘイローもまた、負けた悔しさを愚痴ることも勝った相手を貶すこともしなかった。

言ったのはそう、次の菊花賞は見ていろという一言。

 

これが漫画やアニメなら、キングヘイローは勝っていただろう。

それほど福田とキングヘイローは来たる菊花賞に向けて万全を期していた。

 

だが、現実はそう甘くはない。菊花賞で活躍したのはまたもセイウンスカイだ。3,000mの長距離で大逃げをうった彼女の前にキングヘイローは5着。

控室に戻って来た彼女の荒れ様は酷い物だった。セイウンスカイの大逃げと最後まで食らいつこうとしたスペシャルウィークの走りに魅せられた観衆からはキングヘイローの名前は聞かれなかった。

「非難されるのはまだいいわ」

いつだかに彼女が言っていた言葉の意味がようやく理解できた。アンチの方がまだ彼女を意識している。無視されるよりは遥かにマシなのだ。

普段は痛いほど聞こえる、身の程知らずだの、口ほどにもないだのと言った悪口雑言。だが、今や誰も彼女を見ていない。プライドの塊とも言える彼女にとっては耐えがたいものだっただろう。

自らを無様だと言い、それでも一流だと言い続ける福田に対しキングヘイローは初めての表情を見せた。

「現実を見てよ!」

聞きたくない言葉だった。ずっと彼女を取材してきたぼくにとってその先の言葉は容易に想像がついた。記者仲間でも散々言われてきたのだ。いつまであの子に張り付いているんだ。スペシャルウィークやセイウンスカイの方がよっぽどニュースバリューがあるじゃないかと。

けれど、その度にぼくは言ってきたのだ。一流のウマ娘が一流のトレーナーと戦っている。それを余すところなく伝えるのが一流の記者の役目だろうと。

 

思わず目を伏せたぼくだが、キングの口からは決定的な言葉は聞かれなかった。

彼女の前に現れたカワカミプリンセスが、彼女の取り巻き達が彼女の凄さを褒め称えていた。

「本当に諦めが悪すぎる、私のトレーナーだわっ・・・・・・!」

繰り返し君は一流だと言い続ける福田に対し呆れたようにキングヘイローが言ったのを聞いて、ぼくは思わず笑みを零した。

諦めが悪いのは君じゃないか。

どれだけ文句を言われようと陰口を叩かれようと。

決して諦めないその姿勢こそがぼくをここまで惹きつけているんじゃないか。

 

「ちょっとあなた、なんでそこでにやにやしているの!」

目敏いキングに見つけられ、何でもないと誤魔化しながらカワカミプリンセス達と控室を後にした。お邪魔虫は退散すべきだ。ここからは福田と彼女の時間だ。

 

一流のウマ娘と一流のトレーナーが出した結論は中長距離路線からの変更だった。デビューしたてでの3連勝が頭をよぎったのかもしれない。マイル路線こそが適正距離なのではと思わせた東京新聞杯と中山記念の1着。だが、彼女達は満足しない。GⅡに勝っても仕方ない。一流はGⅠを制しなければならない。

「キングが望むように、キングがなりたい自分になれるようにするにはどうしたらいいか。随分と悩みましたね」

福田の言葉は当時の彼女達の苦悩を物語っている。

毎日王冠を挟んでのGⅠの連戦。マイルと中距離を行ったり来たり。だが勝てない。

GⅡの格下相手なら勝てるのに、宝塚記念ではグラスワンダーに、天皇賞秋ではスペシャルウィークにちぎられる。

 

「今までと何も変わらないじゃないか」

「いつまであんな子の追っかけやってんだよ」

記者仲間から失笑が飛ぼうと気にしない。担当のウマ娘とトレーナーが諦めないのだ。

ぼくが諦めたら恰好がつかない。

 

マイルチャンピオンシップ。スプリンターズステークス。

順調に順位を上げてきたキングヘイローに福田は何となくこれだという感触を得たようだった。

念のためにと出走したフェブラリーステークスでの大敗後、控室に戻ったキングヘイローに対し、突然短距離である高松宮記念に出ようと言い出した。

 

「三冠路線を狙ったウマ娘が短距離だって?」

その決定にぼくは思わず唸るしかなかった。定石では中長距離路線を行く。こんな決定は聞いたことがない。

確かに12月のスプリンターズステークスでは3着に入った。だが、それまで一度も経験したことのない距離に戸惑っているようにも見えた。本当にそれでいいのか。デビューの時のようにマイル路線が合っているんじゃないのか。

だが、ぼくの浅はかな反論は、福田もキングヘイローも織り込み済みだったらしい。

 

「そんなことは分かっているわ。それでも敢えて私はそこに行くの。短距離の王を決める高松宮記念にね」

「敗れたらどうするとは考えないんだね」

「そうしたら、また一から出直すだけですよ」

福田の笑いに一流の覚悟を感じ、思わず僕は大きく頷いた。

 

「あの時のキングには驚いたなあ。まさかあの母に啖呵を切るとは思わなかった」

ぼくの率直な感想に福田も苦笑して見せた。

彼本人からしてもキングヘイローの行動は意外だったに違いない。

 

運命の高松宮記念を前にしての偉大なる母からの連絡はキングヘイローの正気を疑うものだった。それはそうだろう。彼女のこれまでの戦績を見れば一度きりしか短距離の舞台に立っていないのだ。中長距離とはそもそも走り方やペース配分が違う。歴戦の猛者である母からすれば何を考えているのだと窘めたくなるのも当然だ。

 

だが、彼女はキングヘイローだった。

叱責する母に対し、こう言い返したのだ。

「誰でもない゛キングヘイロー゛としてのレースを見せてあげるから」と。

 

痺れる場面を目の当たりにし、呆然とするぼくに、彼女は不敵に微笑んで見せた。

「しっかりと見ていなさい。今日この日まで密着取材をして良かったと、そう、あなたには思わせてあげるわ!」

 

有言実行。不屈の塊。あの時のレースのキングヘイローを思い出すたびに、ぼくの脳裏にはその言葉が浮かぶ。

スタートし、後方6番目に位置したキングヘイローは第四コーナーを回って中団へ。一番人気、二番人気のウマ娘たちが粘る中、大外から電撃の末脚を炸裂させた。

GⅠレース、10度の敗北。敗れても敗れても。決して首を下げなかった緑の勝負服が一際輝いて見えた。

 

「さあ、大外から、大外からやはりキングヘイローが飛んできた。キングヘイローが飛んできた!」

実況アナウンサーの言葉に思わずそうだよな、゛やはり゛だよなと拳を握ったのを覚えている。

彼も期待していたのだ。例え大きく差をつけられて4番人気だとしても。

偉大なる母から期待されていなかったとしても。

 

キングヘイローならやってくれるだろうと。

 

「キングヘイローか!? キングヘイローだ! 撫で切った!! キングヘイローがまとめて撫で切った!! 恐ろしい末脚!! 遂にGⅠに手が届いた!!!」

握った拳を天に突き上げた。隣の席では散々ぼくを馬鹿にしていた記者達が呆然としていた。

ざまあみろ。見る目がない連中め。視界の隅で、福田も小さくガッツポーズをするのが見えた。

 

堂々と戻って来る彼女はまさにキングそのものだった。

その日の主役は間違いなく彼女達だった。

負け続けのキングヘイローがようやくGⅠを勝った。日本人好みのこのニュースは格好のネタだった。有名TV局やアナウンサーがこぞって控室に大挙した。

それだと言うのに、一流のウマ娘と一流のトレーナーは、殺到する記者たちを尻目に、一番最初にぼくに時間をくれた。

「一流の記者ですもの当然よ」というのが何とも彼女らしかった。

 

結局キングヘイローが見せた輝きはここまでだった。その後短距離路線に切り替えたが上手くいかず、安田記念を3着で走ったのを最高とし、有記念を最後として4着で走り切った。

 

結果だけ見れば、キングヘイローは大したウマ娘ではないのかも知れない。

他の人間が言うように最強世代に呑まれた引き立て役だったのかもしれない。

 

だが、望んでも望んでも一勝もできずターフを去る者の方が圧倒的に多い中で、10度の敗北を乗り超えることが容易にできるのだろうか。偉大なる母と比較され、陰口を叩かれながらもなお諦めずに走り続けることが余人にできるのだろうか。

 

それは彼女だからできたこと。

それこそが一流の証明だ。

 

キングヘイロー。

その偉大なる緑の勝負服。

 

彼女の放ったあの日の輝きは未だにぼくのまぶたに鮮明に焼き付いている。

 




2012JRACM「高松宮記念編」を参考に書きました。
観ていない方はお勧めです。今度のカプリコーン杯ではキングでいきます。
ウマ娘はシナリオがよくて本当にいい。キングシナリオは泣けてきます、本当に。

トレーナー名はキングヘイローの主戦騎手を長く務めたお二人から。


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「最後の奇術」

彼女の仕掛けた一流のトリックに皆が騙された。
常識外れの3,000mの大逃げに、アナウンサーは思わず逃げたと7度叫び、
恐れ入ったと舌を巻いた。
不屈の魂を持った青空の勇者。そのウマ娘の名は。


ウマ娘にとって例外なくその日はやってくる。

どんなに最強を誇った者でも。

どんな記録を打ち立てた者でも。

引退の二文字から逃げられはしない。

 

ベストなパフォーマンスを見せて惜しまれつつ去るのか。

寄る世代の波に揉まれ、寂しく消えていくのか。

 

ラストランで快走を見せたオグリキャップやサクラバクシンオーのような特別な輝きをぼくは彼女に期待していたのかもしれない。

控室での入念なマッサージを終えた彼女は、トレーナーの横西の不安そうな様子とは裏腹に、普段通りの顔をしていた。

「さてと、行きますか」

ぐるぐると肩を廻し、ターフへと向かう彼女に思わず声を掛けた。

「今日はどっちで行くんだい?」

「さーてね。どっちでしょう」

そう言うと、彼女、セイウンスカイは不敵な笑みを浮かべた。

今まで何度も見たことのある、まるでいたずらっ子のような表情。

それを見た時にぼくはまた再び彼女の奇術が観られるのだと大いに期待した。

 

 

 

逃げか先行か、差しか追い込みか。

ウマ娘達の闘い方は要約するとその4つに集約される。

 

先頭で勝負を仕掛ける逃げや先行に対し、後方からぐんぐんとまくってくる差しや追い込み。

どちらの闘い方を好むかは人それぞれだ。

 

週刊「テイテーツ」の記者である依井はごりごりの逃げ派だった。

先頭を走ってぐんぐんと加速し、後続のウマ娘達を引き離して遂に逃げ切る。

 

スーパーカー、マルゼンスキー。

異次元の逃亡者、サイレンススズカ。

砂塵の隼、スマートファルコン。

 

そんな逃げのウマ娘に対し美学を感じている彼からすれば、一度逃げを選択したウマ娘が逃げ以外の戦法をとるのが釈然としないのだという。

 

「本当にろくでもないことをしてくれた。あの臨時トレーナーは!」

彼が大声で怒る所を見たのも、逃げウマ娘が関係していた。

玉砕か大逃げかと言われ人気のあったツインターボが帝王賞でまさかに出遅れ、最下位に沈んだ時だ。

 

最下位自体は珍しい事ではない。ツインターボは常に大勝ちするか、大負けするかのスリルを背負ったウマ娘だ。彼が憤っていたのは、勝敗ではなく、臨時トレーナーとしてついた中央でも有名なトレーナーの『最初から逃げるつもりは無かった』というような主旨の発言だった。

「本当に何もわかっちゃいないんだ。あの子のファンは大逃げが見たいんだよ。一か八かの勝負が見たいんだよ。それなのにあの子の逃げの歴史に終止符をうちやがって」

ぶつくさと文句を並べる彼を心底面倒くさいと思ったのを覚えている。

 

ウマ娘だとて歳をとる。トレーナーは勝つためには様々な戦い方を工夫する。

それが上手くいくこともあればそうでないときもある。

それなのに『逃げ』で戦ってきたウマ娘にはとことん逃げて欲しいと言う。

 

「それはファンの我儘だぞ」

ある時ずばりと言ったぼくに、依井は口をへの字に結び答えたものだ。

「それは分かっている。分かってはいるんだ。でも、期待してしまうんだ・・・・・・。身勝手だって理解はしているんだけどな」

 

そんな依井がことあるごとに推していたのが彼女だ。

青天の奇術師と呼ばれたウマ娘、セイウンスカイ。

 

セイウンスカイを歴史上の人物に当てはめるという他愛のない話だった。

釣り好きの彼女は時折太公望に例えられる。それ以外なら誰か。

 

「三国志で言うと、誰かな。とりあえず孔明じゃないな」

三国志好きの依井は口の中で、いや徐庶よりは龐統の方が似合うと呟いた。

孔明程真面目じゃない。いつものんびりとしているが、腹の中では何を考えているか分からないからだという。

「それならば黒田官兵衛はどうだ?」

戦国時代好きのぼくの提案は却下された。

「ああいう感じじゃないんだよな。抜け目なさは感じるけど」

しばらくああでもないこうでもないと洋の東西を問わずの軍師論に華が咲き、ふと思い立ちぼくは持っていたとあるスペースオペラの文庫本を掲げてみせた。

 

「彼は?」

アニメ版と小説版では似ても似つかぬ容姿のその人物は、物語の主人公の一人。非常にファンが多く、作中でも敵味方問わず多くの人物を惹き付けるカリスマ的存在だ。

ならば立派な人物かと言えばとんでもない。年金のために働いていると平気で言ってのけるし、いつもはぐうたらで被保護者がいなければ満足に生活できはしなかっただろう。

 

「ああ、なんとなく分かる気がする。うん、俺の中のセイウンスカイのイメージに近いかも」

「いつも眠そうな所もぴったりだろ」

 

銀河帝国を率いる常勝の皇帝に対し、数々の知略の泉を見せて不敗を誇った黒髪の魔術師。

居並ぶ歴戦の猛提督の尽くが手玉にとられ、

「またしてもやられたのか、あのペテン師に!」

と慨嘆せざるを得ないトリックを用いる戦場の心理学者。

 

「魔術師かどうかは分からないけど、ペテン師って言葉は妙にしっくりくるんだよな」

「ペテン師ってそりゃ褒め言葉じゃないぞ」

「仕方がないさ。相手陣営からしても、観ている我々からしても、後から嵌められたと思うのだもの」

 

ぼくがセイウンスカイに会ったのは、弥生賞の時が初めてだった。

 

デビュー戦、次走のジュニアカップに5馬身差以上をつけて勝ち、これはすごい子が出てきたものだと思っていた。ところが、レース直後に骨膜炎を発症したという報せ。

足を酷使するウマ娘にとってそれは最悪のニュースだった。

さぞかし陣営は沈んでいるかと思いきや、トレーナー室を覗いたぼくが見たのは。ソファに寝転がり本を読むセイウンスカイの姿と、その彼女の足を丁寧に冷やすトレーナーの横西の姿だった。

 

「怪我人ですよ~。なるようにしかならないってことで」

何事もなかったかのような自然体。やれやれとため息をつく横西とは対照的にセイウンスカイは空に浮かぶ雲のように掴みどころがなかった。

「スぺちゃんとかキングの所に行った方がいいと思いますよー」

「その二人、特にキングが君が要注意だって言うんだよ」

「あれま。練習の時にちょっかいを出し過ぎたかな」

ぽりぽりと頭を掻きながらも普段と変わらぬ表情。

あるいはこの時に彼女の頭の中には勝つためのプランが湧いていたのかもしれない。

 

大した調整もせず、出たとこ勝負で臨んだ弥生賞で驚きの二着。

どういったウマ娘なんだと驚く間もない次走の皐月賞ではスペシャルウィークとキングヘイローという最強世代を抑えての堂々と逃げ切り一着。

大した血統でないとことあるごとに本人は言っていたが、その大した血統でないウマ娘の成し遂げた快挙にダービーへ周りの期待は高まるが、あくまでも人気はスペシャルウィーク、キングヘイローに次ぐもの。

皐月賞をとったというのにこの評価はどうなんだと尋ねると、当の本人は飄々としていた。

「そりゃ、あんなすごい同期たちと比べられたらねえ」

たまの休日に海釣りに出掛けた彼女と横西にくっついてぼくも釣り糸を垂らした。

「大した血統じゃないし、みんながそう思うのは当然なんじゃない?」

「俺はそう思わないけどな」

横西の言葉にセイウンスカイはぽりぽりと頬をかき、言った。

「まあ、常に大物は狙っていくけどね」

 

その言葉通り。彼女は大物を釣り上げた。

ダービーでスペシャルウィークに敗れて4着だった彼女に対し、長距離は合わないのではないかと不安視する周囲の声もどこ吹く風。セイウンスカイと横西はあくまでも菊花賞にこだわった。夏場を故郷で過ごし英気を養った彼女は、GⅡ京都大賞典でメジロブライトらを芸術的とも思える逃げでかわし切り勝利を収めると、菊花賞ではそれを再現するどころかさらに巧妙にしてのけた。

 

3000mの長距離をどう攻略するのか。

一番人気に推されたダービーウマ娘、スペシャルウィークに対し、セイウンスカイは二番人気。

差し・追い込み有利の長丁場の戦いで彼女が見せたトリックに、京都競馬場に集った者達は皆騙された。

「ちょっと待て、おい。どういうことだ」

序盤の59秒6というハイペースに驚いていた依井だが、中盤の1000mのタイムを見て、戸惑いの声を上げた。64秒3。一気にペースを落としているにも関わらず、後ろのウマ娘たちは一向にペースを上げてこない。

「やりやがった・・・・・・」

他のウマ娘からすればしてやられたと杯を叩き割りたくもなっただろう。

気づかれぬようペースを落としたセイウンスカイはまんまと一息入れることに成功。騙されたとスペシャルウィーク等他のウマ娘達が必死に追撃するが時すでに遅し。二週目坂の下りから早めのスパートを仕掛けた彼女は、己の仕掛けたトリックに呆然とする者達を尻目に悠々と3000mの長丁場を逃げ切ってみせた。

 

「冗談じゃない。3000mだぜ」

騒然とする場内。

依井の興奮は尋常なものではなかった。

それは当然だろう。歴史に名を残す逃げウマ娘達の多くが短距離から中距離路線で名を馳せている。スーパーカーマルゼンスキー然り。逃亡者サイレンススズカ然り。

あのサイボーグと呼ばれたミホノブルボンさえ、鬼気迫るライスシャワーの前に逃げ切れず菊花賞では二着に敗れたのだ。長距離では逃げが不利なのはぼくらにとっては常識で、それを如何に克服するかと思われていたのに、

 

「これはとんでもないウマ娘が出てきたな」

伝説に名を残すハククラマ以来の快挙に思わずぼくはうなった。

多くのウマ娘が菊の栄冠を手にしてきたが、長丁場のこのレースで逃げ切ったのはこれまで彼女しかいなかった。二人目に名を連ねたセイウンスカイは今後どんな奇術を見せてくれるのだろう。

 

ぼく等の期待はしかし、その後大いに外れることになる。

 

生まれた時代が悪すぎた。同期が強すぎた。

これは彼女達皆に言えることだ。

最強世代などともてはやされていても、走る彼女達からしたら溜まったものではなかっただろう。

菊花賞での活躍からようやく一番人気となった有記念ではグラスワンダーに、その年のURA最優秀ウマ娘はエルコンドルパサーに奪われる。

開けて翌年。日経賞に勝利するも、天皇賞春ではセイウンスカイの逃げ戦法を徹底的に研究してきたスペシャルウィーク陣営の前にその動きを封じられ、前年の覇者メジロブライトにも敗れて三着に沈む。

 

「どうにも悩みましたね。スカイ自身の性格もあるので」

横西はぼやきながらコーヒーを口にした。

自由奔放な性格のセイウンスカイにとって他のウマ娘からの徹底マークは予想外だったらしい。

自分を一段低く見ていた彼女にとって、まさか自分が追われる立場になるとは思ってもいなかったのだろう。追う立場の時は強いが追われると弱い。弱点を露呈した彼女をどう支えるのか。

 

横西の出した結論は、依井が最も嫌うものだった。

 

「逃げるからマークされる。だったら逃げなければいい」

横西の提案にセイウンスカイは頷いた。

大胆とも思える逃げから差しへの脚質転換は見事に成功。

ぼくは喜んだが、依井はそこからセイウンスカイ推しを辞めた。

逃げを選択したウマ娘が他の戦法をとるのが耐えられないのだという。

陣営にとっての窮余の一策なのにそれを認めない。

逃げウマ娘は逃げウマ娘でいて欲しい。

ファン心理というものが如何に因果なものか、ぼくは彼から学んだ。

 

札幌記念で勝利を収めると、因縁の相手スペシャルウィークとの最後の勝負に挑む。

京都大賞典で惨敗したスペシャルウィークに対し、上り調子と判断され一番人気。

しかし、勝負に勝ったのはまたもスペシャルウィークだった。

差し戦法で臨んだ天皇賞秋、本来の差しとはこうやるんだとばかりの末脚を炸裂させた彼女の前に、セイウンスカイは何とかついていくのがやっとで、結果は五着。

 

悪い時には悪いことが重なる。レース後足を痛めたことが分かったセイウンスカイは長期の休養が発表された。

この間エルコンドルパサーは凱旋門賞を二着。スペシャルウィークはジャパンカップを制覇し、グラスワンダーはそのスペシャルウィークとの激闘を制し、有記念を一着。

死闘を繰り広げるライバルたちを目の当たりにし、治らぬ足を抱えた彼女は明らかに口数が少なくなっていった。

元々あまりお喋りな方ではない。自らの心の内を明かすのはトレーナである横西と彼女の親族ぐらいなものだった。

 

「ああ、世間話をするぐらいですよ。ぽつぽつとね」

そう言ったのは、彼女の祖父だ。帰郷し、共に釣り糸を垂らしながら一日を過ごす。

トレーナーの横西が混ざることもある。そうして、彼らは無言のうちに会話を重ねていった。

 

「春先に一釣りといきますか」

一年が過ぎたある日。ぽつんと洩らしたセイウンスカイの言葉に、横西はああと頷くことしかできなかったと述懐する。

ウマ娘にも衰えはある。ピークを過ぎた彼女にとって天皇賞という釣り場は明らかに大き過ぎる。

既に同期のグラスワンダーもキングヘイローも引退し、相手となるのは上り調子の今をときめくウマ娘達ばかり。

「今だったらあんまり注目されないしね」

それでも彼女はそこを選択した。

 

 

 

「まさか来ているとはな」

好きから反転し、一気にセイウンスカイ陣営の批判ばかりを繰り出すようになった依井とは久しぶりの再会だった。大嫌いなセイウンスカイが出るからまさか会いはすまいと思っていたのだが、意外にも声を掛けてきたのは彼の方からだった。

「もう来ないものとばかり思っていたがね」

「取材だよ、取材。オペラオーにドトウ、トップロード。最強世代に続く連中がどう戦うのかをさ」

「セイウンスカイも出るんだが」

「知ってるよ。どうせまた差しで戦うんだろ。GⅡならイケると思うが、連中相手じゃ無理だぜ」

冷ややかに言ってのけた依井に対し、ぼくは反論しなかった。

彼の言う事は事実だ。ローカルシリーズでもない限り、峠を過ぎたウマ娘が今を盛りのウマ娘に対し抗う術はない。

 

だが、あのセイウンスカイならどうだろう。

稀代の奇術師ならばこの日のためにとっておきの秘策があるのではないか。

あのキングヘイローやスペシャルウィークを唖然とさせ、観衆をあっと言わせた彼女ならば。

 

12人が揃ってのスタート。ぼくと依井が観たのは、あの日のセイウンスカイだった

 

「さあ、スタートしました。ナリタトップロードも外から行こうというところでありますが、やはりセイウンスカイが行きました。セイウンスカイが行っています!」

アナウンサーの声と共に居合わせた観衆からはどよめきと歓声が上がる。

 

あの時と同じ場所でまた観られるのか。

『今日の京都競場と同じ、青空』

『京都の競場、今日は青空だ!』

そう実況されたあの伝説の大逃げが。

 

「何やってんだよ・・・・・・」

第四コーナーのカーブを回って先頭をひた走るセイウンスカイの姿に、依井は思わず立ち上がった。

「無茶だろ、おい。何を考えているんだよ!」

どうしたんだと問うぼくに、彼が指し示したのはストップウォッチ。

1000mのタイム、何と驚異の58秒3。

それはあの当時の世界レコードを叩きだした菊花賞よりも速いペース。

とても休養明けのウマ娘が出すタイムではない。

 

ハイペースからスローペースへ。あの日の奇術がまた炸裂するのかと息を呑むぼくたちが目にしたのは残酷な現実だった。

 

二週目三コーナーを回った所でセイウンスカイは失速。二番手のウマ娘に突き放されると、スピードを上げる他のウマ娘についていけず、まるで後退するかのようにずるずると順位を落とした。

 

「故障か?」

スタンドの観衆の中から声が飛んだ。

故障ならば彼女は止まり、そこでレースを止める。

 

故障ではなく、あれが精一杯なのだ。

 

彼女は止まらず走り続けた。

ボロボロの両足を引きずりながら、それでもゴールを目指し続けた。

 

気付けば、ぼくと依井は肩を並べてセイウンスカイに声援を送っていた。

 

 

トップのテイエムオペラオーから遅れること16秒。大差での負け。

勝負の世界は非情だ。最下位のウマ娘には手酷い罵声が飛ぶことも少なくない。

だが、ゴールを駆け抜けた彼女を待っていたのは、罵倒ではなくファンからの大きな拍手と歓声だった。

先ほどまでのアンチぶりは何処へ行ったのか。ぼくの隣で依井は顔をくしゃくしゃにしながらありがとうを連呼した。

盛り上がるスタンドに小さく手を振りながら、セイウンスカイは地下道へと引っ込んだ。

 

感動を伝えようと控室に向かったぼくと依井を待っていたのは、閉ざされた扉から聞こえてくる深い嗚咽と彼女が左足を痛めたと言う報せ。

 

ごん、と依井が壁を叩いた。続けて二度三度。言葉にならぬ呻き声をあげながら、その目は真っ赤だった。

 

奇術の種は尽きていた。いや、奇術師の体力が限界だったのだろう。

往年の速球投手に速球勝負を期待するように。

大打者にホームランを期待するように。

残酷で身勝手なファンの期待とやらに、彼女は己の身を省みずに応え、見せてくれたのだ。

 

最後の奇術を。

 

静まり返った扉の向こう側に何としても感謝を伝えたかったぼくたちを制したのはテイエムオペラオーだ。

後に世紀末覇王と呼ばれる彼女もセイウンスカイに挨拶に来たのだろう。いや、彼女だけではない。メイショウドトウやナリタトップロード、物陰にはエアシャカールの姿もあった。

 

言葉なく、静かにオペラオーは首を振った。

あの扉の向こう側にいていいのはセイウンスカイと横西だけだ。

言葉を掛けることも今はならない。

その目は雄弁にそう語っていた。

 

誇り高き覇王と、最強世代の意志を継ぐ者達は、扉に向かって静かに頭を下げ、去って行った。

 

 

セイウンスカイと横西は最後までもがき続けた。

その後、懸命なリハビリを続けるもついぞ調子は戻らなかった。

宝塚記念を回避した後、足首を痛め引退。

 

札幌で行われた引退式は抜けるような青空の下で行われた。

 




セイウンスカイが大好きで書きました。
トレーナーの名前は騎手とオーナーの方から一字ずついただきました。
いつかお墓参りに行きたいと思います。


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