おっさん勇者ナガミネの異世界再遊紀 (幕霧 映(マクギリス・バエル) )
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イントロダクション
勇者凱旋:前編


「……やっと、終わったんだな」

 

巨大な城の最奥。激しく破壊された玉座の間。

その中心に、一人の男がぐったりと座り込んでいた。

男は手製の煙草から紫煙を(くゆ)らせ、肺を満たす煙をゆっくりと鼻から吐き出す。

 

「ふう……」

 

年は四十の半ばに見える。

白髪混じりの短髪で、ぞっとするほど冷たい光を放つ剣を持った──しかし『歴戦の戦士』というより『くたびれた敗残兵』と呼ぶ方がしっくり来るような、覇気の無い中年だ。

 

その男はふと思い出したように、懐から一本の腕時計を取り出した。

チープなデジタル表示の、()()()()使()()()()()()()古びた腕時計だ。

太陽電池で時を刻み続ける時計盤は『西暦2020年』を示している。

 

(そうか。もう三十年になるのか)

 

男は首をもたげ、壊れた天井を見上げる。

崩れた石造りの隙間から満点の星空が見えた。

あの空のどこかに地球もあるのかな──とノスタルジーな気分に浸りつつ、深いため息を吐く。

 

「……いってて。(あばら)いってんなこれ。骨折なんていつぶりだ? 最近年のせいか回復薬の効きも悪くなってきたし、参っちまうな」

 

あー、強かった。

脇腹をおさえてそうぼやく男の目の前には、頭を叩き斬られて死んだ巨大な怪物が横たわっている。

今やただの肉塊と化したそれは、男にとって非常に因縁深い相手であった。

 

──千魔の統率者、(ことわり)を喰らう者、あるいは"魔王"。

 

人々からそう恐れられていたこの怪物は、男が()()()()()勇者として日本からこの世界へ召喚された原因でもあるのだから

 

過酷な旅路で何度も血反吐を吐き、大切な仲間たちを何人も失った。

しかし今、たった一人になりながらも魔王の居城へと辿り着き、激戦の末に討伐したのだ。

 

「……勝ったぜ、みんな」

 

今は亡き仲間たちの顔を思いながら、男はそう呟く。

宿敵を倒した直後とは思えない、悲壮と疲労ばかりがにじんだ、達成感など微塵も感じさせない声だった。

 

男は懐から取り出した小瓶をぐびっと煽り、傷の回復を確認しゆっくりと立ち上がる。

三十年ぶりに自分を召喚した国へと帰るために。

 

出発した時はピチピチの十五才だった勇者がこんなくたびれたおっさんになって帰ってきたら、向こうもさぞかし驚くだろう。

敵地へと入り込むにつれ国への近況報告も送りにくくなり、ここ十年は生存の報告すら出来ていなかった。

ここで一発、魔王討伐という大手柄を持ち帰って腰を抜かさせてやろうか。

 

「よっこらせっと」

 

もはや元の世界の親兄弟より遥かに付き合いの長い聖剣を鞘に戻し、男は歩き出した。

魔王との戦闘により刃零れが酷いが、これは単なる鉄の延べ棒にあらず。鞘にしまっておけば自動的に修復される優れものだ。

 

「さあて、凱旋するかね」

 

男の名は長嶺 悟(ながみね さとる)

キャリア三十年のベテラン勇者にして、冴えない見た目だが魔王を討ち取り世界を救った英雄。

これはそんな、ちょっぴりスペシャルな中年の物語である。

 

*

 

「おい止まれ! 貴様どこから来た!? その方角は魔族どもの領域だろう!」

「あれ、もしかして俺に言ってる?」

「貴様以外誰がいる! 即刻武器を捨て投降せよ!」

「いや俺だよ。ナガミネだよ」

「ナガミネだと……? ふざけるな! ぶち殺すぞ貴様!」

「ひどくない!?」

 

あれからナガミネは、人類の生存圏をぐるっと守護する防壁の前まで辿り着いた──のだが、そこで三人の見張り兵たちに取り囲まれていた。

三人とも若いが、練度はそこそこ高そうだ。

油断なく槍を構える兵士たちに、ナガミネは『あれ……おかしいな……』と頬を掻く。

 

(もしかして、俺の存在忘れられてる感じ……? 昔はわりと頻繁に魔王軍の幹部ぶっとばした報告してたんだけどな)

 

魔王軍には、数百年に渡り人類を脅かし続けていた『黙示の四騎士』やら『七大罪』やら『十天魔』やら、大層な肩書きを持った幹部たちがたくさん存在していた。

きっと魔王軍は、社員にぽんぽん役職を与えてモチベを上げさせるタイプの企業だったのだろう。大抵給料は据え置きなあれ。

 

そういう幹部たちを一体倒す度にナガミネと仲間たち、そして僅かばかり居た現地の住民たちは『凄まじい偉業だ』と喜んでいたが、もしやあれは当事者のみに共有される興奮に過ぎず、世間的には二、三十年ぽっちで忘れ去られてしまう程度の功績だったのだろうか?

 

……まさか『田舎の方で暴れてるちょっと凶暴な熊とかを討伐した人たち』程度の認識じゃないだろうな?

なんだよそれ。だとしたら勇者じゃなくてただのマタギのおじさんじゃん俺。

 

もしそうなら中々へこむぞおい。

せめて『あー昔凄かった人ね』ぐらいの認識はされていたい所だ。欲を言えば教科書の端っこに一行で良いから載っけてほしい。

そう思いながら、ナガミネは恐る恐る兵士たちに問いかける。

 

「ごほん……ええっとお前ら。知らないなら知らないで全然大丈夫なんだけどさ。……"勇者ナガミネ"って名前に聞き覚え無い?」

「……はあ? なに馬鹿な事を言っている? 知らないわ──」

「あっ……オッケー了解合点承知! 知らない感じね! 辛いからそれ以上は言わないでくれ! おじさん今、青春を真っ向から否定されてメンタルやべぇんだよ……!」

 

兵士の言葉を遮り、ナガミネは叫んだ。

ああ、なんて儚き青春。俺たちの三十年は一体なんだったのだろう。

ナガミネは虚無感で膝から崩れ落ちそうになったが、若い兵士たちの手前、年長者の意地でなんとか持ちこたえる。

 

「うおおお……マジかぁ……最近の子たち俺のこと知らねぇのか……」

「よく分からんが……とにかく! 馬鹿な事ばかり言ってないで早く背中の剣を捨てろ! これ以上反抗したら連行するぞ!」

「はいはい! どうせ俺は井の中の蛙なご当地ヒーロー野郎ですよー! 捨てれば良いんだろ捨てれば!」

 

兵士が急かす。

ほとんど自暴自棄になったナガミネは、背中の聖剣をぽいっと地面に投げ捨てた。

大精霊が織り成した神域の鋼をドワーフの族長が鍛え、万年を生きるハイエルフにより108もの魔法術式が組み込まれた、勇者ナガミネの持つ唯一にして究極の武装。

それがまるで棒切れのように転がる。

地面に落ちた拍子で鞘がずれ、うっすら青く輝く刃が兵士たちの目に晒された。

──その瞬間、ナガミネ以外の全員が息を呑む。

 

「……………………聖剣?」

 

しばし場を沈黙が支配した後、震えた声で兵士の一人がそう呟いた。

ひどく青ざめた顔に凄まじい量の汗を浮かべ、聖剣とナガミネを交互に見ている。

 

「そんな、まさか、嘘だろう……? この魔力は間違いなく大精霊様の……」

「あん?」

「ぁ、あ、あのっ! もしや……もしや、あなたは……!」

「おい馬鹿者! 十年以上前からナガミネ様の定期報告は途絶えているだろう!? 上層部も生存は絶望的だと!」

「し、しかしっ! これはとても模造品(レプリカ)などには……!」

「こんな事を言いたくはないが……っ、ご遺品かも知れないだろう!? おい貴様どこでこれを手に入れた!? ナガミネ様は……! ナガミネ様はご存命なのか!? ま、まさかっ、死体漁りなどではあるまいな!?」

 

先程までとは打って変わり、兵士たちは何やら仲間割れを起こしている様子だった。

ご存命も何も、俺がナガミネなんですけど。

彼らの言葉を不思議に思いながらも、ナガミネは三十年前に王から授けられた徽章(きしょう)を懐から取り出す。

勇者を選定する聖剣と同じ鉱石を用いて作られたこの徽章は、ナガミネが魔力を流すと青い光を放つのだ。

つまりは簡易的な勇者証明アイテムである。

 

(まだ使えっかな……お、光った)

その性質から人類の領域内では万能の通行証として使えたが、旅に出てからは無用の長物と化していた。

まだ効果を失っていない事に安心しつつ、ナガミネはそれを今にも掴みかからんばかりの兵士に見せつける。

 

「おい、これ分かるか?」

「っ、ナガミネ様の徽章ではないか! 軍学校の教書で見……た……あっ?」

 

ナガミネの手に輝く徽章を見て、兵士は目を見開いたまま暫しフリーズする。

 

「そんな……青の、燐光(りんこう)……!? ナガミネ、様……」

 

自分の目が信じられない、とばかりに何度も(まばた)きをする兵士たちを見て、ナガミネはニヤリと得意気に笑った。

 

「おうよ、俺は長嶺悟。三十年前に別世界から召喚されてここから旅立った、勇者ナガミネだよ。……って、なにしてんの? なんでみんなして土下座──」

「「「申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁっ!!!」」」

「えっ」

 

ジャンピング土下座。

日頃の訓練で鍛え込んだであろう全身のバネを使って、兵士たちは立っていた状態から一瞬で地面に頭を擦り付ける体勢に移行した。

 

「……ああ? どうしたお前ら?」

 

なにやってんだこいつら。ナガミネは困惑した。

そんなナガミネの足元で、兵士は懐から取り出した短刀を自らの首に向ける。

 

「ゆ、勇者様……なにとぞ、なにとぞ私の死でもって無礼をお許しくださいませ……!」

「……いやいやいや! なんで急に自殺しようとしてんのお前ら!? こえぇよ!?」

 

涙を流しながら首に短刀を当て自害しようとする兵士を、ナガミネは必死に止める。

隊長格らしき兵士は、様々な液体で顔をぐしゃぐしゃにしながら震える手をナガミネに差し出してきた。

 

「め、冥土の土産として、握手して頂けませんか……?」

「はあ……? 握手ぐらい幾らでもしてやるから、簡単に死ぬとか言うなよ」

「お、おぉ……伝説に違わず、なんと慈悲深き御方なのだ……!」

 

先程までとは態度が激変した兵士たちに、ナガミネは困惑するばかりだった。これではまるで神の降臨を目の当たりにした信者だ。

 

まだ魔王を討伐したことも言っていないし、勇者だと気が付かれても『おう良く帰ったな』とか『くたばってなかったのかおっさん』程度の反応だと思っていた。

数分後、興奮冷めやらぬ様子ではあるが多少は落ち着きを取り戻した兵士たちに、ナガミネは質問を投げかける。

 

「えぇっと、聞きたいんだけど。お前らの俺に対する認識ってのは、一体どんな感じなわけよ……?」

ナガミネの問いに、兵士たちは各々の答えを返す。

 

「数百年に渡り人類を脅かしてきた魔王軍の幹部どもを、僅か二十年足らずで壊滅させた大英雄です! 今を生きる人類で、ナガミネ様の名を知らぬ者はいません……!」

「えー……?」

「じ、人類の希望です! 魔王軍の侵攻がどれだけ酷くなっても、ナガミネ様から送られてくる凄まじい戦果の数々で我々は奮い立つ事が出来ていました!」

「えぇぇ……?」

「自分の故郷でもないこの世界のため、命をかけて戦って下さった崇高な人格の持ち主であると……ここ十年は戦果の報告も途絶えていましたが、それでも皆心の中で貴方様の生還を心待ちにしておりました」

「おおう……」

 

狭まり続ける生存圏と、苦しくなる一方な日々の暮らし。

そんな暗闇の中、定期的にナガミネから送られてくる戦果の報告だけが人々の光だったのだと。

あの人はまだ戦っている。俺たちはまだ負けていないんだ、と。

三十年前に国を出てからしてから今に至るまで、勇者ナガミネが人類の希望でなかった瞬間など一度たりとも無かったのだと。

 

……兵士たちの話を要約するとこうだった。

ちなみにナガミネが旅に出ている間、王国在留中の彼の言動を記録・伝承することを目的とした『ナガミネ学』なる物が発達したりもしたらしい。

兵士たちがナガミネの武器である聖剣を一目見ただけで見抜けたのもそのためだと。

 

(なにその凄まじい高評価)

 

ナガミネは心の中で密かに引いた。

召喚された当時、15歳の中二病真っ盛りだったナガミネ少年は、苦戦していた高校受験へのストレスと、夢中になって読んでいた少年漫画に影響され備わった無鉄砲な正義感から、二つ返事で魔王討伐の旅へ出ることを了承した。

しかし人類の希望とか光とか、そこまで期待されていたなどとは微塵も思っていなかった。

 

「…………つか、ナガミネ学ってなんだよ! 危ねぇあやうくツッコミ損ねる所だった!」

「自分は学校でナガミネ学Bの単位を取っていました!」

「取らなくていいわそんなの!」

 

それから兵士たちにサインを要求されたりしつつ、ナガミネは防壁の内側へと案内された。

そこは『聖壁の(みやこ)オリンベル』。人類の生存域の最も外側、魔界の矢面となる立地であり、かつて対魔王軍戦の最前線を担った活気溢れる防衛都市──()()()()()

「……あれ」

 

ナガミネは唖然とした。

なにせ壁の向こう側にあったのは、活気溢れる都などではなく、積み上がった槍や矢弾と仮設のテントしか見当たらない無骨な城塞だったからだ。

住民も、武装した兵士たちしか確認できない。

 

「……俺の記憶違いじゃなきゃ、この壁の内側って都市じゃ無かったっけ?」

 

ナガミネがそう聞くと、兵士は沈痛な面持ちで口を開く。

 

「はい……十二年前に魔物の大侵攻によって住民が皆殺しにされ、その後は防壁を補修して砦となりました。大精霊様の力もありなんとか戦線は押し返しましたが、今は我々兵士しか居住していません」

 

最近も魔物の襲撃があったのか、そこら中のテントから怪我人たちの呻き声が聞こえてくる。

ナガミネは数秒の沈黙の後、僅かに目を細めた。

 

「そっか」

「い、いえ! 我らが魔物の軍勢を押し返せたのは、ナガミネ様が当時すでに幹部どもの多くを倒してくれていたお陰です! 最近なぜか急に魔物の数も減りましたし、あなたがお気を病まれる事では……!」

 

ナガミネの声色が曇ったのに気が付き、兵士が慌てた顔で付け足す。

それに気のない返事をし、ナガミネは少し考えてから口を開いた。

 

「怪我してる連中、集めてくれるか?」

 

 

「怪我人には集まって貰いましたが……一体、何を?」

「おいおい、ひでぇな……」

 

ナガミネの前に、百を超える怪我人たちがずらりと並んでいた。

怪我の程度は様々、骨折で済んでいる者はまだマシな方で、中には片目が潰れた兵士や四肢を欠損した兵士も少なくない。

ナガミネに向けられる彼らの視線は半信半疑で、彼が本物の勇者であるかを疑うような声がちらほら聞こえてくる。

それを気に止めず、ナガミネは背中の鞘から聖剣を抜き放った。

 

「うし……久々にやるか」

 

ざくり。と聖剣を地面に突き刺し、ナガミネは手揉みする。

柄に触れたまま目を閉じ、聖剣に籠められた幾多の魔法の中から目的のものに"検索"をかける。

そして数秒後、聖剣の刃がうっすら緑色のオーラを纏い始めた所で目を開けた。

 

(……あったあった。一人になって以来使ってなかったから、探すのに時間かかっちまったぜ)

 

「聖剣起動。術式番号59──"エクスヒール・レギオン"」

「なっ……!」

兵士たちが驚愕の声を上げる。

地面に突き刺さった聖剣を中心として、巨大な魔法陣が発生したからだ。

 

(この規模の魔法を、たった一節の詠唱で……いつか宮廷で見た儀式級回復魔法の三倍はでかいぞ……!?)

 

最前列でそれを見ていた一人の兵士は、後にこう語る──宮廷魔術師が数十人がかりかつ、十日かけて発動させる回復魔法を遥かに凌駕する規模を、その魔法は誇っていたのだと。

しかし、更なる奇跡はそこからだった。

 

「う、腕……っ、俺の、俺の腕がある!」

誰かが、そう叫んだ。

それに続くように、似たような声が次々と伝播(でんぱ)していく

 

「俺の右眼が治ってる……!」「俺の指もだ!」「ひ、左脚が、動く……っ!」「う、うっすらとだが頭に髪が!」「そんな……腕や脚の再生まで出来る回復魔法なんて、伝承でしか……」

 

魔法陣の範囲内にいる兵士たちの傷が、まるで逆再生のように治癒していく。

折れていた腕がくっつき、濁っていた眼が光を取り戻し、欠損した腕や脚までもが緑色の光と共に再生した。

兵士の中には、ずっと前に失われた腕を何度も触ったり握ったりしながら涙を流している者もいる。

 

「こ、この力、まさか本当に……本当に、勇者様が帰ってきたのか……!」

 

もはやナガミネを偽物などと疑う者は誰一人としていなかった。

この場の全員が神話の英雄、あるいは聖典の救世主を見るような目をナガミネに対して向けている。

彼らは自らの心に渦巻く熱い興奮を隠せずにいた。

なにせ自分達が少年の頃から語り聞かされ、胸を焦がすほど憧れた伝説の英雄が目の前に立っているのだから。

 

「……っと、こんなもんかね」

 

全員の治癒を確認し、ナガミネは回復魔法の発動を停止させた。

本来、地球人であるナガミネにはそこまで強力な魔法を使う事は出来ない。ナガミネ自身の力で扱えるのは、初級から中級の入り口まで。

しかし聖剣があれば別だ。魔力が尽きぬ限り、内蔵された108つの強力な魔法群から好きな魔法を行使する事ができる。

 

「……えーっと」

 

ふとナガミネが兵士たちを見渡すと、全員が膝を突き(かしず)くような体勢でナガミネの方を向いていた。

数千を越える兵士たちが、信じられないぐらいキラキラした目でナガミネを見てくる。

『なにかお言葉を』みたいな無言の圧力が凄い。

ナガミネは困ったように頭を掻いた。

 

(なんでこいつらこんな少年みたいな眼差しで俺を見てんだよ。なに言っても期待値を下回りそうで怖ぇ)

 

ナガミネはこう思っているが実際は真逆である。

彼らは、ナガミネの言葉であれば、たとえそれがどんな下ネタや罵詈雑言でも割れんばかりの喝采をあげるだろう。

 

『話の内容より発言者が重要』の典型だ。

彼らにとってのナガミネは地球で言う映画スターやスポーツのスター選手などよりも遥かに憧れの存在なのだから、当然と言えば当然である。

 

そんな事などつゆ知らず、ナガミネはアラフォーの脳細胞を総動員して発言内容を考える。

そして数秒後。結局思い付かず、話しながら考えることにして口を開いた。

 

「……えー、お前ら。こんなボロボロになるまで、本当に良く頑張った」

 

「「「ッッッ……!!!」」」

 

スベる事を恐れ、至極普通の言葉選びをしたナガミネだが、その一言は兵士たちの心をそれ以上無いほど大きく揺さぶった。

 

(俺たちが、"頑張った"だと……!?)

 

誰もが、知っている。一番頑張ったのはこの人なのだと。

国の必修科目であるナガミネ学Aの教科書には『十五才で異界から召喚された勇者ナガミネは、当代の王の願いを二つ返事で聞き入れ魔王討伐を決意した』と書いてある。

そう。僅か十五才だ。

まだ親も恋しい年頃だろう。そんな少年が見ず知らずの国に召喚され、縁もゆかりも無い自分達のために、三十年間もの間命がけで戦い続けたのだ。

勇者ナガミネの英雄性は、その圧倒的な戦績のみによる物ではない。この精神性(少年漫画の影響)こそが、彼の真髄なのだ。

 

ここまでの自己犠牲を行える人間など、この方以外にいるものか。

にも関わらず、ナガミネは自分たちに『頑張ったな』と言い放ったのだ。

この世界に生まれた人間として、そして戦士として。兵士たちには立つ瀬が無かった。

 

「あー、えー……えぇっと。お前らが、頑張ったからこそだな……ってあれ。なんで泣いてんだお前ら。お、おーい?」

 

兵士たちの様子がおかしいことに気が付き、ナガミネは言葉を止めた。

すすり泣く声が砦に響く。まるで通夜のようなムードだ。

涙を流す兵士たちから、尊敬を通り越して崇拝に片足を踏み込んだ熱い視線が注がれる。それにナガミネは困惑するばかりだった。

 

マジでなんなのこいつら。俺まだ一行しか喋ってないんだけど。今のどこに泣く要素があったんだよ。

 

異様な光景だった。

一人の中年を囲んで、千人以上の武装した男たちが嗚咽混じりで号泣している。むさ苦しいにも程があるだろう。

端から見れば危ない宗教団体にでも見えてしまいそうだ。皆しておっさんを崇拝する宗教とか斬新すぎるし怖すぎる。

マジで一刻も早くこの場から立ち去りたい。

 

「……あの俺、王様に顔見せに行きてぇからさ。王都まで連れて行って貰って良いか?」

 

「は、はい……っ! おいお前ら何やってる! さっさと勇者様にふさわしい馬車を用意しろ!」

 

「「「おおおおおおおおおおおお!!!」」」

「う、うるせえ……」

 

鼓膜が破れそうな怒号に、ナガミネは思わず耳を塞いだ。過剰な善意と尊敬ってのはここまで厄介なのか。

 

(なんか、どっと疲れた……)

 

ただでさえ人と話すのは久しぶりなのだ。こんな熱量の塊みたいな連中と接すれば疲弊するのは当然である。

倉庫から馬車を引っ張りだし、あれじゃないこれじゃないと騒いでいる兵士たちに、ナガミネはため息を吐いた。

 

 

「おぉ……王都は、昔とあんまり変わんねえな」

 

馬車に揺られて三日ほど。ナガミネは付き添いの兵士数人と共に人類生存域の中心である王都エインベリオスへやってきていた。

 

流石は王都と言うべきか。

廃都となったオリンベルと比べて活気があり、出店やチャンバラごっこをしている子供たちの姿もあった。

 

「おっ、あれイバミ鳥の串焼きじゃねぇか。久々に食いてえな」

「な、ナガミネ様……! あなたの正体が周囲にバレればとんでもない騒ぎになります! せめてフードぐらいは被ってください!」

「いや、今の俺を見て三十年前の勇者と結び付けられる奴なんてそうそういないだろ。ほら、あれ見てみろよ」

 

ナガミネの指差す方向には、一体の銅像が建っていた。

凛々しい顔で空に剣を振り上げる少年──在りし日の勇者ナガミネの銅像だ。

多少美化されているが(おおむ)ね当時の実物の特徴を捉えたその姿は、今のくたびれたナガミネとは似ても似付かない。

もし並んでも同一人物だとは思われないだろう。

 

銅像の足元に置かれた無数の真新しい花束からは、人々がナガミネの生存を絶望視しつつ、それでも希望を捨て切れていない事が伝わってきた。

 

「……三十年だぜ、三十年。赤ん坊が一人前の大人になって余りある時間だ。俺も変わるさ」

「し、しかし……」

「お前らだって、初見じゃ俺のこと分かんなかっただろ?」

 

そこを突かれると痛い。兵士は黙ってしまった。

焼き鳥を食べながら、ナガミネは馬車を停めたまま歩きで王城へと向かう。久々に人間の街を見て回るためだ。

その背中を、兵士たちは追いかけた。

 



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勇者凱旋:後編

その頃王城は、数十年ぶりの大騒ぎに見舞われていた。

 

「な、なんですって!? ゆ、勇者様が、帰還なされた……!?」

「は……聖剣の抜剣、"勇者の証"の発光が既に確認されています! 本物の勇者様で、まず間違いないとの事です!」

 

宰相(さいしょう)のバブルスから受けた報告に耳を疑い執務室の椅子から勢い良く立ち上がったのは、金色に煌めくブロンドの髪を編み合わせた少女。

 

彼女の名はアイリーン・イザベラ・エインベリオス。当代の国王だ。

二人いた兄を流行り病で亡くし、数年前に繰り上がりで王位に就いた彼女は、少女特有のあどけなさが残る唇を震わせて「そ、それは本当ですか!?」と叫んだ。

 

「本当ですとも! なんと喜ばしい……! 今現在、陛下に謁見するためこの城へと向かっているらしいですよ! あぁ……! 楽しみです! 三十年前、先王様と共に立ち会った勇者召喚の儀式、私は今でも鮮明に思い出せますぞ!」

「あ、あぁ……そ、そうですかぁ……」

 

(う、嘘でしょ……やばい、頭真っ白になってる)

 

今年で十六歳になったばかりのアイリーンには、当然ナガミネとの面識は無い。

しかし彼女の父である前国王から、彼については何度も語り聞かされてきた。

 

『単体でも国家を滅ぼしうる魔王軍の幹部たち。その大半をアイリーンが物心付く前に壊滅させた大英雄である』と。

そう、物心が付く前。

それゆえ彼女の勇者に対する思い入れは、周りの大人たちほど深くは無い。

彼女は全盛期の魔王軍を知らないのだ。

だから『絶望的』の言葉さえ生温かったという当時の戦況を塗り変えたと言われても、いまいちピンとこない。

 

それに彼女は昔から、教科書で学んだナガミネの行動に違和感を抱いていた。

もしある日突然見ず知らずの大地に呼び出され「自分達のために命をかけて戦え」と言われ、そこから三十年間も人は戦えるものだろうか。

 

否。そんな人間は存在しないか、存在したとしてもどこか壊れた存在だとアイリーンは思ってしまう。

だから彼女は、世間にあふれる英雄譚の類いが苦手だ。英雄と呼ばれる壊れた人々の物語が苦手だ。

 

「え、ええっと、確かここに……」

 

アイリーンは引き出しの中をごそごそし、そこから一冊の本を引き抜いた。タイトルは『勇者ナガミネ伝説』。

著者の欄には彼女の父の名前が書いてある。

 

亡き前国王はナガミネの熱狂的なファンだった。それこそ自分で本まで書いてしまう程に。

たまの休みに二人で食事をしても『先日、勇者様から定期報告が~』みたいな話ばかりされていた記憶がある。

アイリーンは恐る恐る、本のページを開いた。

_____________

【勇者ナガミネのここがすごい!】

・視線だけで魔物をミンチに変えられる!

・魔物の群れを素手で壊滅させられる!

・水魔法で山に風穴を空けられる!

・炎魔法で海を蒸発させられる!

・剣を振り始めて一週間で騎士団長を圧倒する!

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「ひぃぃぃ……!」

ぱたん。一ページ見ただけで背筋がぞっとし、アイリーンは本を閉じた。

嫌だよわたし、こんな災害みたいな人と会いたくないよ。なんなの視線だけで魔物をミンチに変えられるって。

 

溢れそうになる涙を王としての意地でなんとか堪えつつ、アイリーンは震えた。

『この国に人生を台無しにされた復讐として、王である自分はその強大な力でもって殺されてしまうのではないか?』 と。

……実はこの内容、ナガミネをより凄く伝えようとした前国王が盛りに盛った情報なのだが、彼女にそれを知る由は無い。

今はともかく、当時のナガミネ少年にそんな事を出来る力は無かった。

 

「……あ、あの。わたし、殺されたりしませんよね?」

「ははは、陛下は面白い冗談をおっしゃりますな。ナガミネ様は素晴らしい博愛精神の持ち主ですぞ。何をどう間違っても、陛下を殺すなんて事をするはずがないではありませんか」

「あ、あははは……そ、そうですよね! ミンチになんかされるわけありませんよねっ! あは、あははは……!」

 

それから数時間後。

ナガミネの到着を知らされたアイリーンは、このためだけにおろした礼服を身に纏って謁見の間でそわそわしていた。

 

(おうち帰りたい……あっここがおうちだった……)

 

立派な玉座が、今はひどく頼りない。

だってそうだろう。山に穴を空けたり海を蒸発させたりするような男に、権力など通じる筈がないのだから。

とにかく無礼が無いようにしなければ。

 

「どうぞお入りください、勇者様!」

 

宮仕えの声で、ぎぎぎと扉が開く。

部屋の脇に従えている騎士たちは、思わず緊張に身を固めた。彼らのほとんどは実物のナガミネを見たことが無いのだ。

銅像や絵画では知っているが、三十年も前の物だ。あてにはならない。

 

見上げるような巨漢? 隙の無い佇まいの達人? それともギラついた瞳の獰猛な戦士?

一体どんな猛者が姿を表すのかと、アイリーンも扉を見つめて息を呑む。

開いた扉の向こうから、伝説の勇者が姿を表す──

 

「おう王様ー、久しぶりー。すっげぇ良い知らせ持って帰ってき……って。あれ、俺の知ってる王様じゃねぇな」

「……あ、あれ?」

 

──気さくそうなおじさん。第一印象はそれだった。

中年にしては姿勢がよく肩幅があり、袖から見える腕は中々筋肉質だが、あくまで常人の範疇。このぐらい騎士団を探せばごろごろいる。

部屋の脇に控える騎士たちも、拍子抜けたようにポカンとしている。

 

人好きのするへらりとした笑みを浮かべ、ひらひらと手を振って明るい声で話しかけてくるその姿は。

アイリーンや騎士たちの想像していた勇者像とあまりにもかけ離れていた。

 

「な、ナガミネ様ぁぁぁ!!! よくぞ、よくぞお戻りで……!」

「おお、王様の側近の……バブルスさんか! 老けたなぁ……って俺もか。ははは」

 

この中で唯一ナガミネの召喚に立ち会った宰相のバブルスが、老人とは思えない速さでナガミネに駆け寄った。

しわしわの顔を更にしわくちゃにして涙を流すバブルスをなだめつつ、ナガミネは「……マジで懐かしいなぁ」と呟いた。

 

「……んで。この感じからして、そこの嬢ちゃんが今の王様か?」

「っ……」

 

玉座で固まっていたアイリーンにナガミネの視線が注がれた。

アイリーンはびくっと肩を跳ねさせた後、勢い良く立ち上がる。

 

「っ、は、はい! 父から王位を引き継ぎ、僭越ながら王をやらせて頂いております! アイリーンでしゅっ……ですぅっ!」

「別に敬語使わなくて良いよ。そっち王様だし。俺も得意じゃねぇから」

「い、いえ、そういうわけには……っ!」

 

玉座に座る側が震えながら頭を下げるという、なんとも珍妙な光景。

しかし誰もそれを不自然には思わない。相手はあの勇者なのだから。

むしろ若い騎士の中には、自分がこの空間で息を吸って良いのか疑問に思う者もいた。

なにせ、戦いを生業とする彼らにとってナガミネは神同然なのだ。

 

(敬われ過ぎて逆に居心地悪いとかあるんだな。長いこと生きてきて初めての体験だ)

 

ガチガチに緊張している彼らを見て、ナガミネは困ったように頭を掻いた。

それから、唯一まともに受け答え出来そうなバブルスに対して話しかける。

 

「なぁバブルスさん」

「なんでしょうか!」

「皆して誉めてくれるのはすげぇ嬉しいし、頑張って良かったとも思うけど……これはあれだ。やり過ぎだ。かえって居心地が悪い」

「や、やり過ぎ? 何がでしょうか……?」

「もっと気楽に接して欲しいって言うか」

バブルスは、そんなナガミネに対してふるふると首を横に振った。

 

「無理です」

「え?」

 

きっぱりと言い放ったバブルスに、ナガミネはつい呆けた声を出した。

 

「ナガミネ様は実感が薄いようですが……我々にとっての魔王軍とは、遥か先祖の時代から恐れおののいてきた天災そのもの。その天災の脅威から我らを守護して下さったナガミネ様は、どんな英雄よりも崇敬(すうけい)の対象なのです」

「えー……」

「魔王は倒せなかったとしても、我々の世界のため人生を捧げて下さった勇者様の人徳と功績になんら変わりはありません。そんなあなたに対して、気楽に接するなどとても……」

 

バブルスの言葉に、謁見の間にいる全員が肯定の意を示した。

玉座の前で直立しているアイリーンに至っては、示しすぎてもげそうなぐらい首を縦にぶんぶん振っている。

 

「いや、だとしてもよ……ってあれ?」

 

バブルスに反論しかけて、ナガミネは違和感に気がついた。……「魔王は倒せなかったとしても」だって?

 

(そういや、魔王倒したこと言ってなかったな)

 

バブルスたちは、ナガミネが魔王討伐を半ばで諦めて命からがら国に戻ってきたのだと勘違いしていた。

それもそうだ。とっくに死んだと思っていた英雄がひょっこり帰ってきただけでも驚きなのに、そいつが人類最大の敵を討ち取ってきた足でそのままここに来ているなど誰が考えられるだろうか。

 

「んー……魔王ねぇ」

「い、いえ良いのです勇者様! あなたはもう十分過ぎるほど我々のために戦ってくださいました……! これからはどうか、ごゆっくりと……」

 

幹部を討伐してきただけでこの有り様なのだ。魔王まで倒したと言うのは少し気が引けるが、早く安心させてやりたい気持ちが勝った。

 

「あのさ。バブルスさん、アイリーンちゃん」

「はい?」

「は、はいっ!? 」

 

急に名前を呼ばれたアイリーンが、背筋をぴんっと正して一言一句聞き逃すまいと耳を澄ます。

 

「魔王、倒してきたんだけど」

「………………へ?」

 

──瞬間。

(ほこり)の落ちる音でも聞き取れそうな静寂が、場を包み込んだ。

アイリーンも、バブルスも、騎士たちも。瞬きすら忘れて彫刻のように固まる。

 

「へっ、へぁい……?」

「だから、魔王倒してきたって。アタマを失った魔物たちにもう人類を侵略する意思も余力もねぇ。この世界は大丈夫だ」

「あっ……えっ、えぇっ?」

「いやー強かった強かった。俺とした事が、油断してたらあばら二、三本持ってかれちまったよ」

「「「……えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっ!?」」」

 

謁見の間に、数十人の悲鳴に似た叫びが響き渡った。

 

「そ、それは(まこと)ですかナガミネ様!?」

「おう、まことまこと。聖剣で頭カチ割ってやったぜ」

「バブルス様、そう言えば近頃、急激に魔物の目撃情報が減ったと……!」

「な、なんと……」

 

ただ茫然とする者、立っていられず座り込む者、手を合わせ涙を流す者、あまりに呆気ない魔王討伐の報告を聞いた彼らの反応は様々だった。

みな一様に、夢見心地のような脱力感の中で、ぼんやりとその事実を噛み締める。

 

たった今、一つの時代が終わった。

 

四百七十年間、遠い先祖の代から続いた魔王軍との戦争の歴史。当然のように自分たちもこの戦いの終わりを見ぬまま死んでいくのだと思っていた。

しかし。人類の存亡をかけた戦いは、一人の勇者により終わりを迎えたのだ。

 

「ゆ、勇者様……! 本当に、本当になんとお礼を……う、うぅっ」

「ははは、泣くなよバブルスさん」

 

しわくちゃの顔を更にしわしわにして、バブルスが涙を流しながら倒れこむようにナガミネに頭を下げた。ナガミネはそれを支えながら苦笑いする。

 

「バ、バブルスさん……」

 

自分の親代わりと言っても過言ではないバブルスが泣き崩れているのを見て、アイリーンもじわりと視界がにじむ。

気が付けば玉座から足が離れ、ナガミネの元に走っていた。

 

「わ、私からも、本当にありがとうございます……! どうか、私たちに出来る最大限のお礼をさせてください!」

「おうアイリーンちゃん。……でも、まあ。俺一人の手柄ってわけじゃねぇからな」

 

勇者ナガミネは、三人の仲間と共に魔王軍討伐の旅をしたとアイリーンは聞いていた。

最初は師団規模で護衛しながら向かっていたのだが、ある程度進軍した段階でその三人以外全滅してしまったらしい。

 

当時の騎士団副長と、あと二人。そこにナガミネを加えた四人で魔王軍の幹部たちと戦ったと、アイリーンは一般教養として知っている。

 

「そ、そうでした……! 勇者様と一緒に魔王を倒したお仲間の方々にも、最大限の富と名誉を──」

「死んだ」

「……ぁっ」

 

空気が、凍った。

「死んだ」。出来るだけ速く言い終わりたいかのように、短く三文字に圧縮されたナガミネの言葉。

戦勝ムードから一転。無感情に放たれたその言葉に、場の全員が息を詰まらせた。

 

「ぅ」

 

特にアイリーンは、気を効かせたつもりがとんだ地雷を踏み抜いてしまったと悟り、萎縮するあまり息が出来なくなるほどだった。

 

城に一人で来た時点で察するべきだったのだ。アイリーン以外の者はみなそれに気が付いていた。

しかしアイリーンは、勇者を前にしてそれを察するには幼なすぎた。

 

「ぁ……あっ」

 

口をぱくぱくさせる。喉が異常に乾いて、一向に言葉が出てこない。

仲間たちの死を告げた一瞬だけ、ナガミネの笑顔が消えたのもアイリーンの恐怖に拍車をかけていた。

ナガミネは、首をもたげ天を仰ぎながら、静かに言葉を続ける。

 

「……みんな、死んじまったよ。全員立派な最後だった。一人残らず俺の誇りだ。その富と名誉とやらは、あいつらの家族にやってくれ」

「ぁ、あの、も、もうしわけ……っ、わ、わたし、想像力が足りず、配慮に欠ける発言を……」

「いーのいーの。こんなおっさんに配慮なんかしなくて。……あれ、もしかして怒ってるように見えた? ごめんな。マジで一ミリたりとも怒ってねぇから、怖がらなくて大丈夫だぜ」

 

半泣きで縮こまるアイリーンの頭をわしゃわしゃと撫でて、明るい笑顔でナガミネは言った。

 

(手、傷跡だらけだ……)

 

ごつごつした大きな手を頭に感じながら、アイリーンは父やバブルスの言っていた通り、この人は本当に優しい人なのだろうと思った。

だって、彼の人生の大半を戦いに費やさせ、心に消えない傷を残した自分達に、こんな明るい笑顔と優しさを向けてくれるのだから。

本来、自分達はその強大な力の矛先を向けられても文句を言えない立場なのに。

 

この人は神でも英雄でもない。

傷付きながらも誰かのために戦い続けた、一人の優しい人間なのだと気が付いた。

 

そして不注意とはいえ、その人の傷を抉るような事をした罪悪感に押し潰されそうになる。

アイリーンは、ぼろぼろと大粒の涙を流しながらひたすら謝罪の言葉を口にするしかなかった。

 

「ごめん、なさい……」

「え、なんで泣くんだよアイリーンちゃん……参ったな。飴とか持ってねーぞ……俺ってそんな顔怖いか……?」

 

今日だけで軽く数百人に泣かれている。もしかして俺の顔は人と会わない内にとんだヤクザフェイスに変貌してしまったのだろうか。

自分では割りかし、ほがらかな顔立ちをしていると思うのだが。

泣き止まないアイリーンを少し休ませるよう言って騎士に引き渡し、ナガミネはバブルスの方に向き直った。

 

「……さて、バブルスさん。さっきアイリーンちゃん……王様が、自分達に出来る礼なら何でもするって言ったよな?」

 

ナガミネの問いに、バブルスは姿勢を正して答える。

「は、はい! もちろんでございます! 伯位でも、領地でも、山のような黄金でも……! その全てでも! 我らの全力をもって、返せる限りの恩をお返しさせて頂く所存です!」

「あー……そういうのはあんまり欲しくねえんだよな……」

 

あ、そうだ。

ナガミネはそう呟き、思い出したかのようにこう言った。

 

「俺のこと、地球に返してくれない?」

「──チキュウ……元の世界、ですか」

 

その言葉は、バブルスにとって全くの予想外というわけではなかった。むしろ自然な流れだろう。誰しも故郷は恋しいものだ。

 

しかし、ナガミネは三十年以上の月日をこちらの世界で過ごしている。

もし自分がナガミネなら元の世界に帰るよりも、英雄として富も名声も思いのままに出来る、こちらの世界に残る事を選ぶだろう。

 

「返せるよな? 三十年前に俺を召喚した時も、『どうしても戦うのが嫌なら元の世界に送還する』って言ってたし」

 

召喚された勇者を元の世界に返すことは、呼び出すよりも遥かに簡単だ。

なぜなら、召喚時のように『勇者の資格を持つ者』に狙いを定める必要が無いのだから。

 

「……良いのですか?」

「ん?」

「こちらの世界にいれば、全てがあなたの思うがままなのですよ。富も、名誉も、何もかもがです」

 

バブルスの質問に、ナガミネは頭を掻きつつ答える。

 

「んー……途中、だったんだよな」

「はい?」

「ボラゴンドール。ブリーザ編の途中だったんだよ、俺が召喚されたの」

「ぶ、ぶりーざ……?」

「おう。魔王の千倍ぐらい強いんだよアイツ」

「せっ……!? ゆ、勇者様の世界には、そんな怪物が存在するのですか!?」

 

まさか、既に次なる敵へ備えていたとは。

『あ、あなたと言う人は……!』と潤んだ目で見てくるバブルスに、ナガミネはぐったりとした様子で返す。

 

「まあ、真面目な話さ。剣だの、魔法だの、ファンタジーだの……そういうの、もう疲れちまったんだよ。なんだこういうの、燃え尽き症候群って言うのかな」

 

三十年という月日は、かつて彼の憧れた非日常をつまらない日常とし、魔法溢れる幻想(ファンタジー)を冷たい現実(リアル)に感じさせるには十分すぎたのだ。

魔王を倒し、仲間たちの仇は取った。もはやナガミネにこちらの世界に残る理由は無かった。

 

尊敬していた人も、守りたかった人も、もういないのだから。

 

 

 

「……かしこまり、ました。宝物庫の最奥にある『異界への門』の起動を準備します」

 

ナガミネの様子から引き止めるのは無理だと悟ったバブルスは、潔くそう言った。

 

「出来るだけ速く頼む。俺が帰って来たって聞き付けたら、すっ飛んできそうな連中がいっぱい居るんだ」

「大精霊様や、ハイエルフの族長殿などですか?」

「ああ。あいつら多分、全力で引き留めるか地球まで付いてこようとするだろ?」

「ははは、確かに。あの方々は勇者様にぞっこんでしたからね」

「いや……あれはぞっこんとか言う次元じゃねぇだろ。あいつら平気な顔して自分の血混ぜた飲み物とか渡してくんだぞ……」

「そ、それは災難でしたね……」

 

話題に出た二人の女を思い出し、ナガミネは身震いした。

現代日本なら間違いなく『ヤンデレ』や『メンヘラ』と呼ばれる部類の彼女たちだが、昭和生まれ異世界育ちのナガミネには知る由も無い。

 

「こちらです、勇者様」

ナガミネはバブルスと共に宝物庫へと歩く。

いくつもの警備を通り抜けて二人は、巨大な扉の前に辿り着いた。

 

バブルスが扉の表面に触れると、重厚な音と共に扉が開く。

長年誰も入らなかったのだろう。埃の積もった宝物庫の中心には、観音開きの鏡が置かれている。

そしてその鏡面には反射像の代わりに、別世界に繋がる混沌の渦が広がっていた。

 

三十年前、ナガミネはここで地球から召喚されたのだ。

「……勇者様。ここまで来て言うのもなんですが、魔王討伐のパレードには参加してから帰還されませんか? きっと国中、いえ世界中を巻き込んで絢爛な宴が……」

「遠慮しとくわ。お祭り騒ぎはあんま好きじゃねえんだ」

「で、ではっ。せめて手土産に貴金属を用意……」

「だからいいって。俺には聖剣(こいつ)だけで十分だ。向こうじゃ使うことはねぇだろうが、思い出が山ほど詰まってんだよ。あ、持って帰って良いか?」

「え、ええ……どうぞ。勇者様にしか抜けませんし……」

 

別れを前に名残惜しくなったバブルスは色々と提案するが、その全てを一蹴されてうなだれる。せめて何かしっかりしたお礼をさせて欲しかった。

ナガミネは、そんなバブルスの肩に手を置いてにかっと笑った。

 

「俺はさ、この世界に来れて良かったと思ってるよ」

「…………」

「苦しい思いは山ほどしたし、人生の時間も大分失った。向こうでそれを取り戻すのは結構大変だろうけどよ……それを差し引いても、俺はこの世界でみんなと過ごした時間は悪くなかったと思ってるぜ」

「ゆ、勇者様……」

 

異界への門に半身を入れたナガミネを前に、バブルスは溢れる涙を堪えることが出来なかった。

しかしその時、背後から響いてきたどたばたとした音に振り向く。

後ろには、息を切らして膝に手をつくアイリーンと、大勢の騎士たちの姿があった。

アイリーンは、荒れた息を整えないままナガミネに向けて叫ぶ。

 

「な、ナガミネさんっ!」

「おお……なんだ? アイリーンちゃん」

「わ、わたしは未熟ですし、あなたみたいな人にはなれないかもしれないけど……っ、それでも一人の為政者として! あなたが平和にしてくれた世界をもっと良く出来るように、全力で頑張り続けます!」

 

アイリーンの叫びに、後ろの騎士たちも続ける。

 

「長い間、俺達のために戦ってくれて本当にありがとうございました!」「自分達っ、勇者様に憧れて騎士を目指しました!」「今度は俺達が勇者様の代わりに死ぬ気で戦います!」「チキュウでも、どうかお元気で!」

雷鳴のように連鎖する幾百の叫び。

ナガミネは一瞬ぽかんとしたが、すぐにぐいっと口角を吊り上げ、片手で力強いガッツポーズを返した。

 

「──おう! 気張ってけよお前ら!」

「「「はい!」」」

 

晴れ晴れとした気持ちで、ナガミネは異界への門に踏み込んだ。

浮遊感と共にアイリーンたちの声が遠退いていくのを感じる。三十年前に召喚された時と同じ感覚だ。

 

心地よい浮遊感が終わり、ナガミネの足元にようやく地面の感覚が戻ってきた。草と土の匂いからしてどうやら野外のようだ。

 

……そう言えば、地球のどこに転移するのだろうか。

出来れば日本が良いが、ピンポイントで送れてはいないかもしれない。

まあ良い。もし南米とかに飛ばされたとしても、異世界で送った三十年の旅に比べれば大した事ないだろう。

ナガミネは、意を決して瞼を開いた──

 

「ブモア"ァ"ァ"ァ"ッッッ!!!」

「……へ?」

「くそ、くそ……っ! ギルドに報告だ! オークがこの規模の群れを為すという事は、確実にキング個体がいる! 最低でも幻想級冒険者チームじゃないと駄目だ!」

 

──ナガミネが、見たものは。

大地を踏み鳴らして進軍する二足歩行の豚の群れと、それを食い止めようとする武装した男たちだった。

 

「……あれ? 地球やばくね?」

 

ナガミネを含め、王都エインベリオスの全員が知らなかった。

三十年という月日を経て"異界への門"で繋がる世界が、地球から『別の異世界』へと変わっていた事を。

 

しかしそんな事知る由もないナガミネは、頭の中身をひっくり返して、なんとか目の前の怪物たちが地球にいた記憶を思い出そうとする。

 

・豚の頭に、人の体。

・皮膚は濃い緑で、腰には簑を巻いている生き物。

・しかも棍棒を持って人を襲う。

 

「いや、ねえな。流石に」

 

無理だった。あんなの知らん。なんだあの進化論とかそういうの置き去りにしてそうなフォルムは。

早々に目の前の存在を(エネミー)認定したナガミネは、背中の聖剣に手をかけた。

 

「とりあえず、ぶっとばすか」

 

──ナガミネの二度目の異世界が今、幕を開ける。

 



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幕間『勇者なきエインベリオス』

勇者による魔王討伐の報は、電撃じみた速度と衝撃で世界中に響き渡った。

曰く、勇者は仲間を失いながらも単騎で魔王を打ち倒した。

曰く、勇者は自らの武勇を驕ることを決してしなかった。

曰く、勇者は何の褒賞も望まず次の戦いへ赴いた。

各地に大小点在する人類の生存域、そこに住まう人々は勇者を輩出したエインベリオス王国を中心とし、超大規模な狂宴を催していた。

戦争の終結。そして最新にして最大の英雄の名を、誰もが讃えている。

 

「……ナガミネさん、帰っちゃいましたね」

「そうですな」

 

王城のバルコニーから街の熱狂を見下ろして、アイリーンがそう呟いた。横に付き添う宰相のバブルスもしみじみと返す。

彼女たちは先程までパレードやセレモニーに引っ張り回されており、今はこうしてくたくたになりながら二人で城下の様子を見ていた。

 

「……わたし今までずっと『なんで自分が』って思ってたんです」

「はい?」

「お兄ちゃん二人が立て続けに死んじゃって、回ってくるはずのない王位がわたしに回ってきて……バブルスさんは助けてくれますけど、わたし頭よくないから政治の事なんか全然分かりませんし」

「ははは。座学の時には、あまりにも頭アイリーンな陛下に心が折れそうになりましたぞ」

「なんですか"頭アイリーン"って! とんでもない罵倒ですねそれ!? ……いや、まあ、実際そんな感じでしたけど」

 

けれど。

アイリーンはそう前置いて口を開く。

 

「あの人は勇者っていう、国王なんかよりよっぽど理不尽で重大な役目をわたしぐらいの年で負わされたわけじゃないですか」

「そうですな。……押し付けた私たちが言うのもアレですが」

 

バブルスは、亡き前王と共にナガミネを召喚した日を思い出して苦笑した。

 

「それなのにあの人は、何十年も諦めずに進み続けて、ついに魔王まで倒しちゃったんですよ。……その姿を見ると、私も自分の境遇に言い訳なんかしないで、ナガミネさんの百分の一ぐらいは頑張らなきゃなって思うんです」

「へ、陛下……」

 

アイリーンの成長に感動し、バブルスは思わず涙を拭った。

 

「それでは明日……いえ今日からまたお勉強ですな!」

「ええ!? 今日ぐらいは休みませんか!?」

「いやいや、思い立ったが吉日といつかナガミネ様も言っていました! ぜひ今日から──」

 

「──ねえ、今ナガミネって言った?」

 

──その時。バブルスの肩に何者かの手が置かれた。ぎしりと骨が僅かに軋む。

白くしなやかな女の手だ。しかし細さに見合わない怪力が、バブルスにその正体を知らせてきた。

 

「だ、大精霊様……!?」

 

バブルスが振り返ると、そこには薄桃色の髪をショートに切り揃えた、十代後半に見える活発そうな少女が笑顔で立っていた。

大きな赤い瞳、白い肌、細いのに出るところはしっかり出た体。

女どころか生物として格の違いを感じるほどの美貌に、アイリーンは唖然とする。

──今最も会いたくない人物に出会った。バブルスは内心眉をひそめた。

 

地球からの漂着品であるワイシャツの首元から豊かな谷間を惜しげなく晒し、大精霊と呼ばれた少女は二人にぐいっと顔を近づけてくる。

腰から生えた堕天使を思わせる黒翼が、身じろぎするようにばさばさっとはためいた。

 

「やっほー! みんなの守護神、大精霊シェミハザさんだよー! バブルス氏とアイリーンたそ、元気してた?」

 

彼女──大精霊シェミハザは、地球文化の熱狂的な信仰者だ。

極まれに時空の海を流れてやってくる地球由来の物品を収集することを生き甲斐としていた彼女は、その地球からやって来たナガミネにすぐさま夢中になった。一目惚れと言っても良い。

王国の守護という義務が無ければ、間違いなく魔王討伐の旅にも同伴しただろう。

 

「だ、大精霊様……北の祠にいらっしゃった筈では」

「うん。お祭り騒ぎを聞き付けて来たんだー。そしたら皆してあの人の名前言いながらお酒飲んでるからさ。……ねえ、ナガミネくん帰ってきたんでしょ?」

 

笑顔を浮かべているのに、目が微塵も笑っていない。

鬼気迫る表情にバブルスは気圧されながらも、なんとか目線を会わせ続ける。

国内でなら、魔王軍の上級幹部すら退ける力を持つ大精霊シェミハザ。その窒息しそうになる程濃密な魔力を全身に受けながら、バブルスは首を横に降ろうとした。

 

「……い、いえ──」

「──嘘。……あれ、バブルス氏ぃ? あたしに嘘つけないの忘れちゃった?」

「っ……」

 

シェミハザの瞳孔がきゅぅっと細まり、猫科の猛獣めいた鋭さでバブルスを睨んだ。

星の使徒たる大精霊に、この星で生まれた自分達の嘘は通じない。

しかしここでナガミネの行き先をシェミハザに明かせば、彼を困らせることになってしまう。それだけは避けねば。

 

「もう、また嘘吐こうとしてる。……じゃあ、こうしよっか」

「ひぇいっ!? だ、大精霊さま!?」

 

シェミハザはアイリーンの首元を掴み、そのままひょいっと持ち上げた。

 

「へ、陛下!」

「──これから君があたしの質問に対して嘘かNOを返す度に、この子の体を少しずつ切り落としていくよ、分かった?」

「ぇ、ぅええぇぇぇっっっ!?」

 

天使のような微笑みで、悪魔がごとき提案をしたシェミハザ。そのとんでもない発言にアイリーンを悲鳴あげた。

 

脅しなどではない。バブルスが次に嘘を吐けば、この女は確実にそれを実行するだろう。見た目は可憐な少女だが、彼女の思考回路は人間から大きく逸脱しているのだ。

 

多くの上位種族がそうであるように、シェミハザは自分の興味が無い人間のことを羽虫程度にしか考えていない。

本来精神体である彼女は、国民の信仰からカタチと力を得られるから守ってやってるだけに過ぎないのだ。

 

「問1。ナガミネくんはどこ?」

「だ、大精霊様、どうかご勘弁を……!」

「まずは耳かなー」

「い、いやっ!」

 

シェミハザの指先が、アイリーンの左耳にかかった。

 

「っ──な、ナガミネ、様は」

「うん? もっと大きな声で言ってー?」

 

アイリーンの耳にシェミハザの爪が食い込んだ。少しだけ血が滴る。

 

「っ、あの、お方は……」

 

自分が殺されるだけなら構わない。

しかし赤子の頃からずっと近くで見守ってきて、娘のようにも思っているアイリーンが傷つくのは、バブルスにとってどうしようもなく耐え難かった。

かといって、ナガミネを売る事など絶対に出来る筈が無い。

大恩か、親心か。

二つ並んだ究極の選択に、バブルスは凄まじい量の脂汗を顔に浮かべながら、小刻みに震える。

 

「──やめなさい、シェミハザ」

 

その時、殺伐とした空間に凛とした少女の声が響いた。

シェミハザは途端に不愉快そうな顔になり、声の方へ振り向く。

 

「……ミザリー。エルフの族長さんがあたしに何の用?」

「ぞ、族長どの……!」

 

柔らかそうな空色の髪を腰まで伸ばした、小柄な少女がそこには立っていた。

身の丈より大きい杖を持って、魔法使いのようなつば付き帽子を被っている。

 

唯一普通の少女と違う点と言えば、その耳が常人より細長い事だろうか。

ミザリーと呼ばれたハイエルフの少女は、シェミハザを無視してバブルスに話しかける。

 

ミザリーの精神構造は、ハイエルフという上位種族には珍しくかなり人間寄りだ。

バブルスは救世主の登場に安堵しつつ、ミザリーの言葉に耳を傾けた。

 

「あらましは聞いていました。私はサトルの居場所におおよそ見当がついています」

「はあー!? なにナガミネくんのこと呼び捨てにしてんの!? この万年喪女(もじょ)!」

「うるさいです淫乱ピンク。万年喪女なのはあなたも同じでしょう。ですが淫乱ピンク分マイナスなので私の方が上です」

「ぐっ、ぬぬぬ……」

 

謎理論で軽くあしらわれ、シェミハザは怒りに拳を握りしめた。

そのせいで未だに首を掴まれたままのアイリーンが死にかけている。

 

「あばば……は、はなして、死ぬ、死んじゃいます……」

「あっやば、この子持ったままだった」

「ぶふぇっ」

「陛下ーっ!?」

 

シェミハザが手を離すと、アイリーンは落下した勢いで地面にべちーん! と顔面を強打した。

そのまま痙攣するだけで動けないアイリーンをずるずる引きずって、バブルスは医務室へと向かっていく。

それを見送ってから、シェミハザは口を開いた。

 

「……それでミザリー。ナガミネくんの居場所に見当が付いたって言ってたけど、それ本当?」

「ええ。サトルは恐らく、チキュウに帰ってしまったと思われます」

「だから名前呼びやめろし──……え?」

 

シェミハザは、その言葉を理解できないと言うように無表情で数回まばたきしたあと、絶望したような顔になる。

 

「──え? うそ、いや、え、え? そ、それって、もう、会えないってことじゃん」

 

シェミハザは数百年前から何度も地球への転移魔法に挑戦しては失敗し、他世界への転移がその必要魔力の膨大さから現実的ではない事を知っていた。

たまにある物品の転移は、『世界の身じろぎ』と呼ばれる偶発的な時空の歪みによるものだ。

 

咄嗟に嘘だと思ったが、ミザリーの瞳の色は間違いなく真実を告げている。その事実が、シェミハザをひどく混乱させた。

困惑のまま放った言葉に、ミザリーは首を横にふる。

 

「いいえ、よく考えてみてください。そもそもサトルはどうやってこちらの世界に来たんです?」

「え……知らないよ、そんなの。考えた事もなかった。信じられない確率で『世界の身じろぎ』に巻き込まれたとかじゃないの?」

「……はあ、やはり知らされていないのですね。まあ、あなたが知ったら絶対に使いたがるでしょうから、教えなくて正解でしたか」

 

付いてきてください、と言ってミザリーは王城の中を進んでいく。

そして謁見の間に入り、玉座の後ろにある地下室への扉を開けた。

 

「待ってってば……どこ行くのミザリー?」

「良いですから、黙って付いてきてください」

 

宴で手薄になった警備をすり抜け、二人は易々と地下室の最奥へたどり着いた。

そこに鎮座している物を見て、シェミハザは言葉を失った。

 

「なに、これ」

「"異界門"──文字通り、こことは別の世界へ繋がると言い伝えられている門です。サトルはここを通ってこの世界にやって来ました」

 

──そこには、鏡があった。

シェミハザどころか、この星の全生命から集めても全く足りないであろう馬鹿げた量の魔力を放つ鏡だ。

鏡面には硝子ではなく、宇宙のうねりめいた複雑な紋様が絶え間なく蠢いている。

 

「この世界からはサトルの魔力はおろか、持っているはずの聖剣の反応すら見つかりません。恐らくこれでチキュウへ帰ってしまったのでしょう」

「……一応聞くけど、どうするつもり?」

「無論、追いかけます。あなたもそうでしょうから誘ってあげたんです。シェミハザはチキュウの文化に詳しいですから、向こうでサトルを探すのにも都合が良い」

 

なるほど。こいつが自分と違って妙に落ち着いていたのはそれを知っていたからか。

シェミハザはすっかり希望を取り戻した目で、ミザリーに答える。

 

「もちろん。ナガミネくんが居ない世界なんてつまんないからね」

「……私もです。向こうで必ず探し出して、あの日私に言った言葉の責任を取らせてやるんですから」

「えっなにそれ聞いてない」

「さっさと行きますよ。時間経過でサトルの近くから座標がずれたりすると良くないです」

「待って気になる! ナガミネくんに何言われたの!? ねえー!?」

 

大精霊シェミハザとハイエルフのミザリーは、もつれ合うようにして異界門に踏み込んだ。

──その先が、既に地球などではないとは知らず。

 



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ディルム聖王国編
『ベリーズ村』


ベリーズ村は、ディルム聖王国の東に位置する平凡な村だ。

森の隣という立地から獣皮の加工業や林業はそこそこ盛んだが、野心のある若者はみんな都会に出ていってしまう。

そんな、良く言えば平和だが悪く言えば退屈な村である。

 

「……おい、柵の外側にいくつか足跡があるぞ。二足歩行だが小鬼(ゴブリン)より大きい気がする。何かしら知性のある魔獣たちが昨晩、斥候に来たのかもしれない」

 

村を囲む防護柵の外側。

ベリーズ村で剣術道場を営むエリック・ベリシュは、村の警備隊をしている若者にそう言った。

二十代の半ばまで冒険者稼業をしていた彼は、二足歩行の魔獣の多くが高い知能を持つことと、知能を持つ魔獣は襲う村に目星をつけるとまず人々の寝静まった夜に品定めに来る事を知っていた。

 

「心配しすぎだよエリック。この近辺に二足歩行の魔獣なんて小鬼か骨の動死体(スケルトン)しかいないし、もしヤバイのが来ても元冒険者のエリック様が華麗に倒してくれるんだろ?」

「おい嫌味か? オレは冒険者時代に右脚やっちまって、そのせいで今は娘を(みやこ)に出稼ぎにいかせちまってるんだぞ」

「ごめんごめん! けど最近再婚して綺麗な奥さんが出来たじゃんか! 不幸は続かねーさ!」

「いや……なんかそれも、都で頑張ってるあの子に悪い気がすんだよな」

 

エリックは若者と世間話をしつつ、足跡の件は自分の勘違いだと思うことにした。『もしかしたら』程度の理由で冒険者を呼びつける事もできない。

それからは、いつも通りの平穏な時が流れた。

安い月謝で数人の生徒に剣を教え、井戸で水を汲み、妻の手料理に舌鼓を打つ。

しかし、あくびが出るほど静かな時間は──家の外から聞こえてきた地響きにより、寸断されることになる。

 

「なんだ……!?」

 

エリックが驚いて家から飛び出ると、そこには柵の見回りをしていた若者が必死な顔で防護柵の方向から逃げている姿があった。

 

「おい! この音はなんだ!?」

「え、エリックさんっ! 見たことない魔獣の群れが、物凄い数で村に向かって来てるんです!」

「なんだって!?」

 

案内され、脚を引きずりながらも防護柵の場所まで走る。

そして、エリックは思わず自分の目を疑うことになった。

 

「……っ!?」

 

──牙猪人(ファング・オーク)。そう呼ばれる魔物の姿が確認できた。

猪人(オーク)という種族は、その氏族によって『知性ある亜人』か『討伐すべき魔獣』かが変化する特殊な種族だ。

 

牙の氏族である奴らは完全に後者。

その高い暴力性と大木すら容易に引きちぎる怪力を疎まれた結果、極東の魔人共栄圏から追い出され、今は世界各地を転々と放浪しながら略奪を繰り返す世界の嫌われ者だ。

ギルドに指定されたその脅威ランクは、五段階中で下から二番目の『詩吟譚(バーディジア)級』。少し名のある冒険者なら、一対一でなんとか対処できる程度の強さだ。

──そう。()()()()()()

 

「嘘だろおい……軽く五十体はいるぞ……!?」

 

エリックの目の先には、"軍団"と呼んで差し支えない規模の牙猪人たちがいた。

極めて我の強い彼らは通常、五体を超える群れをなす事が出来ない。しかし目の前の光景はその常識を一瞬にして覆した。

 

「……まさか」

 

この状態を作り出した原因に、エリックは心当たりがあった。

牙猪人には、まれに突然変異で生まれる王者(キング)個体というのがいる。

その個体は通常種に比べ遥かに巨大な体と黒ずんだ体色を持ち、何より特殊なフェロモンにより同族に対してほぼ絶対的な命令権を持つと、冒険者時代に風の噂で聞いた事があった。

 

「そんな……」

 

仮に王者個体がいるなら詩吟譚(バーディジア)級冒険者など何人居ても話にならない。

その上の幻想譚(ファンタジア)級でも危うい。更に一つ上の英雄譚(ヒロイジア)級が来てくれて初めて安心できるレベルだ。

しかし英雄譚級は一国に数チームしか居ない人類の切り札。こんな辺鄙な村へすぐには駆け付けられない。

 

──皆殺し。その言葉がエリックの頭をよぎった。

 

村の男たちは倉庫から剣や槍を引っ張り出して奮い立っているが、エリックの目には愚行にしか映らない。

冒険者経験のない彼らには、あの軍勢がどれだけ強大なのか理解できないのだ。

無論、詩吟譚(バーディジア)級に上がるのが精一杯で冒険者人生を終えた自分にも、正確には分からないのだが。

しかし少なくとも一軍に匹敵する事だけは分かる。

 

「な、何者だお前ら! やる気なら容赦しないぞ!」

 

容易く防護柵を突破した牙猪人たちの前で、血気盛んな若い衆が思い思いの武器を手に叫んだ。

やめろ、やめろ。エリックはそう叫ぼうとしたが、体が震えるばかりで声が出ない。

 

『クカカッ、良ク向カッテキタ。中々食イデノ有リソウナ連中ジャネエカ』

 

ズシン。大地の軋む音。

それと同時に聞こえてきた野太い声。誰かを通すために道を開ける牙猪人たち。

エリックは、絶望を見た。

 

「あ、あああああ……!」

 

通常種の倍近く。地球の単位にして体長四メートルはあるだろうか。分厚い筋肉は鋼のようで、その密度は通常種の比ではない。

──これが、王者個体。

頭に角を生やして分厚い筋肉を纏った黒い牙猪人は、薄ら笑いながらブンッと柱のような剛腕を振った。

 

「ぁでゅ、ば」

 

四人並んで槍を向けていた村人たちの頭が、四つ同時に()()()

否。正確には消えていない。彼らの頭部は黒い牙猪人の手に全て握られている。黒い牙猪人はそれを、一斉に口へ放り込んで咀嚼した。

 

──もがれたのだ。まるで木に実った食べ頃の果物をもぎとるように。奴は腕のたった一振りで四人の首をもいだのだ。

 

『ヤッパリ人ッコロノ脳ハウメェ。次ハ女ダ。俺様ノ軍勢ヲ更ニ増ヤシテヤル』

 

残った体を他の牙猪人たちが食らうのを見て、村人たちはようやく理解した。

目の前の存在が、自分達の理解の遥かに外にいる存在だということを。

 

「ぅ」

 

既に黒い牙猪人の間合いに入ってしまっていた者たちは、より悲惨だった。

今の光景を見て、この場から進もうとしても引こうとしてもその瞬間に自分が殺される事を理解してしまっている。

 

「……ぅ、うおおおおお!!!」

 

ならば。

逃げて死ぬぐらいなら、せめて一矢報いてから死んでやる!

十数人の男たちは、一斉に人生最後の勇気を振り絞り黒い牙猪人に挑んだ。

巨大な牙の生えた黒い顔が、愉悦にくしゃりと歪んだ。

 

「おい……誰か、誰かっ! 走れる脚のあるヤツらぁっ! 都まで逃げて冒険者を呼んでこい! ギルドに群れの規模を伝えろ……! 王者(キング)個体がいると! 最低でも幻想級冒険者チームじゃないとだめだ!!!」

 

男たちの勇気が稼ぐであろう数秒を無駄にしないため、エリックは声の限り叫んだ。

その呼び掛けで我に帰った数人の村人が逃げようとしたが、通常種の牙猪人があっという間に先回りして捕まえてしまう。

 

「……ぁあ」

 

……終わりだ。

エリックは地面にへたりこんで、地上の赤い惨劇に反して真っ青な空を見上げた。

せめてもの救いは、都に出稼ぎに行っている娘は助かることか。

 

俺には金がなく、娘には才能があった。

そのせいで八歳の頃に都の教会に連れて行かれ、向こうから仕送りの金と手紙は来るがもう何年も会えていない。可愛くて気立てのよい自慢の娘だ。

自分の不甲斐なさのもたらした事がかえって最愛の娘の命を救った事実に、渇いた笑いを漏らすしかない。

出来れば最後に、あの子に会いたかった。

 

さあ、奴らに食われる前に舌でも噛み切ってやろうか──エリックは決意し、前歯に舌を挟んだ。

 

「死ぬには早いぜ。まだ三十そこそこだろお前」

 

「……え?」

 

その時。エリックの横を通り過ぎて誰かが黒牙猪人たちの方へと歩いていくのが見えた。

やや大型の直剣を背負った背中だ。村人ではない。全身バラバラの装備からして国軍の人間でもないだろう。

……偶然近場にいた冒険者か? なら首にかけたプレートを確認しなければ。

その色が幻想級の銀。いや一人だから英雄級の金なら、この状況を打破しうる可能性がある。

 

「おい、誰だあんた……!? 冒険者か!?」

「冒険者……? いや確かに冒険はずっとしてたけど。俺はナガミネっつーもんだ」

 

エリックの声に振り向いた男の首には──プレートが、かかっていなかった。

エリックは再び絶望へと叩き落とされる。冒険者じゃない。

誰なんだこのおっさん。なぜ死にに来た?

一瞬だけ希望を持たされたせいで余計に辛くなってしまった。

 

「でかいの含めて、五十四匹って所か」

「……お、おいあんた、奴らの注意が向いてない内に速く逃げた方が良い。多分知らんと思うから言っとくが、あの連中は……」

「了解了解。ご忠告痛み入る。けど大丈夫だ」

 

駄目だこいつ、聞いてない。

まるで散歩するかのように黒牙猪人──ファングオーク・キングへ向かっていくナガミネを、エリックは哀れなものを見る目で見ていた。

 

「……ナンダ? アイツハ。オイオ前ラ、アノ男ヲ殺セ。一番早カッタ奴ハ特別ニ脳ヲ食ッテ良イゾ」

 

余裕に満ちたナガミネの表情が癪に障ったのか、オークキングは部下にそう命令した。

お預けを食らっていた部下たちは大喜びでナガミネに襲いかかり──最も速かった者が、ナガミネの頭蓋をカチ割らんと棍棒を振りかぶって叩きつけた。

 

「──水龍脈・第一鱗。"水蛇(ミナヘビ)"」

 

──頭に叩き付けられる寸前の棍棒に、ナガミネの指先が触れた。

その瞬間。真っ直ぐ振り下ろされた棍棒の軌道が、蛇がうねるように急激に逸れ、ナガミネではなく地面に直撃した。

棍棒は頭に激突する筈だったそのままの威力で、地面に大きなひび割れを作る。

 

「これ俺がさっきまで居た世界の技術なんだけど、知ってるか? 色んな軍隊の訓練にも導入されてるから、流派としてはかなり有名なんだが」

「……!?……!?」

 

牙猪人は困惑した。おれはこいつの頭目掛けて武器を振り下ろした筈なのに、なぜか頭ではなく地面を叩き割っている。

不思議だった。途中までは良かったのに、こいつの手に触れた途端すべってしまったのだ。

 

「……あー、お前、喋れないタイプか? なるほど、喋れんのはあのデカイ奴だけか」

 

ナガミネはオークキングの方を見た。

ここが地球ではないことは、目の前の怪物どもを見れば嫌と言うほど分かる。

だからナガミネは、ここが元いた世界の中の別の場所なのか、それとも──()()()()()()()()()()()()。それを確かめようとしていた。

 

「これは龍脈術って武術の中にある、水龍脈って流派でさ。さっきのは一番基本の型で、相手の力の流れに別方向の力を加えることで軌道をまるっきり逸らしちまう技なんだ──こんな風に」

 

二番目、三番目の牙猪人たちが雪崩れ込むようにナガミネに突進し、その勢いのまま棍棒を振り下ろす──が、全て軌道を変えられて互いの顔面を粉砕する結果に終わる。

 

龍脈術。その武術の成り立ちは地球における象形拳(しょうけいけん)と同じだ。

古来中国の拳法家は熊や虎など強者の動きを模倣して戦闘に取り入れようとしたが、異世界には最強種たる(ドラゴン)たちがいた。

その動きを真似て体系化されたのが"龍脈術"。

火龍、水龍、地龍など龍の種類だけ流派が存在し、ナガミネが最も得意とするのは、小さな体格をカバーするため相手の力を利用する戦闘スタイルを取る水龍種たちの動きを模倣した、"水龍脈"である。

 

「おいデカイの。今の動きに見覚えあるか? あとエインベリオス王国って名前に聞き覚えは?」

 

実演を終え、ナガミネはオークキングに対してそう質問した。

そんなナガミネの背後で、エリックが目玉が飛び出んばかりに目を見開いて、口をぱくぱくと開閉させていた。

 

「──な、なにが、どうなって……」

数十匹の牙猪人たちが、あっという間に(むくろ)の山と化してしまった。

エリックだけではない。民家の中で怯えていた村人たちも外の様子の変化を感じたのか窓からナガミネを見ている。

 

──幻想譚(ファンタジア)級の最上位? いや、もしかすれば英雄譚(ヒロイジア)級の領域に踏み込んでいるのかもしれない。

幻想譚級より上の冒険者を生で見た事のないエリックは、ナガミネの戦力を推し量ることが出来なかった。

そしてなぜ英雄級の人間がこの村にいるのか理解できなかった。

 

この数の怪物を圧倒して、息一つ荒げていないその余裕ぶり。

住民たちは僅かに絶望の淵から立ち直りつつあった。

そんな村人たちとは対称的に、オークキングは仲間たちの死体を前にして、砕けんばかりに歯を食い縛り顔を憤怒に歪めている。

 

『オ、オ……!』

「お?」

『オ、俺ノ軍勢ヲ、牙ノ氏族ノ同胞タチヲ良クモッ……! 貴様ハ、タダデハ殺サネェ!!!』

「いや先に襲ってきたのお前らだろ」

『ユルサンッッッ!!!』

「あっ駄目だ。こいつはこいつで会話が成立しねぇ」

 

オークキングの筋肉がボコリと隆起し、太い筋繊維の一本一本が視認できるまでになる。

心拍数が増え体温が上昇し、黒い肉体から水蒸気が立ち上る。

これが彼の戦闘モードだ。「俺が本気でぶん殴って死なない奴はいない。だから俺が一番強くて偉い」。それがオークキングの精神の絶対的支柱だった。

 

『ブモ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ッッッ!!!』

「まあ良いぜ。付き合ってやるよ。お前がくたばるまでな」

 

ナガミネとオークキングの戦いは一方的なものだった。

オークキングが突進すれば地面に叩き付けられ、拳を打ち込む度に関節を破壊され、蹴りは脚を捕まえられて放り投げられる。

ナガミネが背中の大層な剣を使おうとしないのも、オークキングのプライドを酷く傷付けた。

 

『フーッ、フーッ……! 貴様、ナゼ剣ヲ使ワン!』

「武器使って欲しいの? 変わってんなお前」

 

数分後。使い物にならない両腕がぶらりと垂れ下がり、顎の骨と肋骨を砕かれた瀕死のオークキングがそこに立っていた。

 

「ほら。お望み通り使ってやるよ」

 

ナガミネは背中から鞘ごと聖剣を手に取り、鞘に入ったまま構えた。

オークキングはそれに目を丸くしたあと、わなわなと震えて顔を赤くする。

 

『何ノツモリダ……ナゼ抜カン!? コレ以上ノ侮辱ハユルサンゾ!』

「いや、この鞘ってすげー頑丈でな。付けたまま戦えばこういう形状の鈍器(メイス)としても機能するわけよ。便利だろ? これ聖剣豆知識」

『ナ、ナ……ッ、舐メ"ルナァ"ァ"ァ"! 俺ガ最強ナンダァッ!!!』

 

壊れた両腕を振り回しながら、オークキングが突進する。

ナガミネはそれを回避しつつ、聖剣(鞘付き)のフルスイングでオークキングをぶっ飛ばした。

鈍器特有の重たい衝撃が全身に駆け巡り、体中の骨格がひび割れる。

 

『ォ、オ"ォ"ォ"ォ"ッ!? シ、シ、死ニタクネェ! オ俺ニハ、ユメガッ! 軍勢ヲ増ヤシマクッテ、俺タチ牙ノ氏族ヲ劣等種ト追放シヤガッタ共栄圏の連中ニ、復讐ヲ……ッ!!!』

「夢を持つのは結構だけど、それで他人に迷惑かけちゃ駄目だな。いつか仕返しされちまうぞ」

 

そこら中に散らばる村人たちの死体を見てから、ナガミネは倒れて動けないオークキングの頭上で聖剣を振りかぶった。

それが今日初めて壊せない存在に出会った彼の、最後に見た光景だった。

 

『マ、待──ッ』

「あばよ」

 

鞘により鈍器と化した聖剣が振り下ろされる。

頭を砕かれ、数回ビクンと痙攣したあとオークキングは完全に動きを止めた。

それを確認し、ナガミネは隠れている村人たちに声をかける。

 

「おーい、終わったぞお前ら」

 

あまりの圧勝に唖然としていた村人たち。

しかしその言葉により、ようやく自分達が助かったのだと理解した彼らは安心感からか、あるいは村の仲間を多く失った悲しみからか、泣き崩れながらナガミネに感謝の言葉を述べた。

 

……さて、聞き込みといくか

ここがどこで、一体どんな場所なのか。

彼らに聞いてハッキリさせるとしよう。



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『聖都へ』

ベリーズ村の脅威は去った。

生き残った村人たちは、オークに殺された村人の死体に布をかけて丁寧に運んでいる。

沈痛な空気の村の中心で、ナガミネはこの村の村長と話していた。

 

「剣士様。私たちを助けてくださり、本当にありがとうございます……!」

「いいよこのぐらい」

「いえ! このお礼は必ず、必ずさせて頂きます!」

「別に礼は要らねえからさ、いくつか質問していいか?」

 

村長の老人が深々と頭を下げてくるのを横目に、ナガミネは聖剣に付いたオークキングの血を拭き取って背中に装備し直した。

 

「質問……ですか?」

「ああ。ここはなんていう国だ?」

 

村長は不思議そうな顔をしながらその問いに答える。

 

「ディルム聖王国、ですが」

「ディルム、ディルム……駄目だ、知らねぇ」

 

ディルム聖王国、などという国名をナガミネは聞いたことすら無かった。

分かるのは名前からして宗教色の強い国なのだろうと言うことぐらいのもの。

だが、まだここがエインベリオス王国のある世界と別世界だとは限らない。単にナガミネの知らない国の可能性もある。

 

「……世界地図ってあるか?」

 

ナガミネは少し考えた後、村長にそう聞いた。

世界地図を見てナガミネの知っている国名や地名が一つも無ければ答えが出る。

 

それに、ここがもし別世界だとしたら地図は最重要項目だ。

まともにマッピングされていない魔王軍の領域を数十年歩き回ったナガミネは、地図の重要性を身に染みて知っている。

地図が無かったから行きは何十年もかかったし、逆に帰る時は行きで徹底的にマッピングを済ませていたお陰でスッと帰れた。

地図、大事。これは人生の教訓にすべきだ。

 

「世界地図……ですか。おいエリック! お前、冒険者時代に使っていた地図はまだ残しているか?」

「えぇっと……はい村長。家を探せば出てくると思います」

「剣士様に見せて差し上げてくれ。どうやらご入り用らしいのだ」

「わ、分かりました! ナガミネさん、こっちに来てください!」

 

エリックと呼ばれた男に着いていき、ナガミネは民家に入った。

エリックは酷く緊張した様子で、そわそわしながら家財道具をあちこちひっくり返して地図を探している。

 

「おいエリック。別に急がなくても大丈夫だぞ」

「は、はいっ!? い、いいや別に、そういうわけでは……」

 

力=序列だった元冒険者の(サガ)か、エリックは圧倒的強者であるナガミネに対して非常に萎縮してしまっていた。

目の前の御仁は間違いなく、自分が今までに出会ってきた人間の中でぶっちぎりの最強なのだ。そんな人物を待たせてしまっている事に、どうしても焦りが募る。

 

「……あった! ありました!」

「見せてくれるか?」

 

冒険者時代に使っていた地図は机の一番下の引き出しの、更に奥に丸まって入っていた。それを急いで広げてナガミネに見せる。

しかし、地図を見た途端ナガミネは怪訝な顔になった。

 

(文字が読めねぇ)

 

聖剣には言語と文字のフルオート翻訳魔法が搭載されているが、ナガミネは普段魔力の節約のために文字の翻訳機能を切っている。

それを思い出し、自動翻訳をオンにしてからもう一度地図を見た。

 

・ディルム聖王国。

・メタリスカ機械工国。

・アジルス帝国。

・ニーベルング魔人共栄圏。

・古龍連邦。

 

「……読めても、何一つわかんねぇな」

 

一つたりとも聞き覚えのある国が存在しなかった。

やはりここは地球でもなければ、魔王に支配されていたあの世界でもないらしい。

言うなれば『第三の世界』なのだろう。

 

「ちなみに、この五国の勢力図って分かるか?」

「えー……一番強大なのは間違いなく古龍連邦で、次点で魔人共栄圏と機械工国。そしてその下に人間の国である帝国と聖王国が付く……という具合の筈です。無学なもんで、イメージでしかありませんが」

「ふーん……」

 

なるほど。この世界でも龍は最強種なのか。

元の世界でドラゴンには散々苦しめられた。古龍連邦の方面には迂闊に近付かないようにしよう。

そう決めたナガミネだが、ある違和感に気がついた。

 

「……あれ。メタリスカは人間の国じゃないのか? 名前からして工業が盛んなんだろ?」

「メタリスカ機械工国は少し前までドワーフの国でしたが、彼らは自分達が作り出した機械生命体たちに革命を起こされて国を追われました。今は機械たちが支配しています」

「へ、へー……」

 

(なんかその国だけSF映画みたいな事になってんな。この村は中世ヨーロッパっぽいが、いよいよ文明レベルが分からねえぞ。科学文明と魔法文明が完全に別れてんのか?)

 

ドワーフは技術力が高いことで名高いが、この世界のドワーフたちは流石にちょっとやり過ぎてしまったのだろう。機械生命体ってなんぞ。

過ぎた技術は身を滅ぼすと誰かが言っていたが、どうやら本当らしい。

ナガミネは古龍連邦とメタリスカ機械工国を、行きたくない国リストの筆頭に加えた。

 

「それじゃ、次は……」

「──エリックさん! 無事っすか!?」

 

その時。エリックの家の扉が物凄い勢いで開いて誰かが入ってきた。

ぜぇはぁと肩で息をしながらこちらを見ているのは、中学生ぐらいの銀髪の少女だ。

紫色のパッチリした瞳と癖のあるくるくるした髪質から、なんとなく猫っぽい印象を覚える可愛らしい女の子。

 

青いノースリーブの衣装の胸には紋章の入ったバッジが付いており、どこかの組織の制服であることが推察できる。

その少女はエリックの顔を見るなり、安心し切ったように座り込んでしまった。

 

「よかった、生きてた……」

「ゆ、ユースティティアさん」

 

エリックにユースティティアと呼ばれた銀髪の少女は、壁に手を付きながら何とか立ち上がる。

 

「む、娘さんから預かった今月分の仕送りを届けにきたら、村が大変な事になってて……ほんとに、心配したっすよ……」

「エリック、誰だこの子?」

 

ナガミネの質問にエリックが答える。

 

「私の娘はディルム聖教会に所属していて、ユースティティアさんは娘の同僚の方です。忙しい中、わざわざ毎月娘の近況報告と仕送りのお金を持ってきてくださるんですよ」

 

エリックの言葉で初めてナガミネの存在に気が付いたのか、ユースティティアは肩をぴくっとさせてこちらに振り向いた。

 

「誰っすか? このおじさん」

「ナガミネさんです。村を襲ったファングオークの群れをたった一人で全滅させてしまった、とんでもない英雄ですよ」

「ご紹介預かった。どうも英雄です」

「はあ? 外にあった魔獣の死体、全部この人が!?」

 

得意気に自己紹介したナガミネの顔を、ユースティティアはまじまじと見つめる。

くしゃりとした笑顔の似合う、人の良さそうなおじさんだ。だけどあまり強そうには見えない。

八百屋の店先にでも置いておくのが適材適所だろう。

 

「……ええー? ほんとっすかぁ?」

「おい今顔見て判断しただろ」

「八百屋のおっちゃんが似合いそうな顔だと思ったっす」

「正直だなお前。悪い気はしねぇ」

 

ユースティティアはしばらく怪しむような目でナガミネを見ていたが「とりあえず信じるっす」と言った。

 

「それじゃ、エリックさんの無事も確認したんで私は聖都に帰るっす。この村の被害も報告しなきゃいけないし」

「せいと?」

「この国の首都っすよ。……え、知らないんすか?」

「……いや、あー、うん、もちろん知ってるぜ。かの有名な聖都だろ? 俺聖都マニアなんだよ。週末はよく仲間と集まって聖都ダンスしてんだ」

「と、とんでもない趣味してるっすねナガミネさん。流石に引くっすよ……」

 

全力で知ったかぶりしながら、ナガミネはこれからどうするかを考える。

ナガミネの目的は、地球に帰還すること。そのためには情報が必要だ。この村に居たってそんな情報が転がり込んで来るとは思えない。

なら、ユースティティアに付いて聖都に行くべきではないだろうか。

都と言うからにはきっと色々な情報が集まる筈だ。

 

「なあ。そんな聖都マニアの俺からお願いがあるんだが」

「なんすか? その聖都ダンスとやらを一緒に踊って欲しいとかなら嫌っす」

「俺の事、聖都に連れて行ってくれ」

 

そう頼んだナガミネに、ユースティティアは少し考える素振りをした後『良いっすよ』と言った。

 

「馬車にもまだ空きがあるっすし、エリックさんの恩人なら大歓迎っす」

「おお、ありがとな」

 

エリックに別れを告げ、ナガミネとユースティティアは家から出た。

村の端にさっきまで無かった馬車が停まっている。あれがユースティティアが乗ってきた馬車だろう。

 

「剣士様!」

 

その時、ナガミネの方に村長と村人たちが走ってきた。

なんだと思って見ると、その手にはそこそこ大きい布袋が握られている。

ジャラジャラという金属音がするから、恐らく中身は貨幣だろう。

 

「なんだそれ?」

「む、村の皆で金を集めて、剣士様にお礼をと……」

「だからいらねーって。男衆が何人も死んでこれから大変だろ。お前らで使いな」

「ですが……」

「それじゃあ俺はもう行くから。またな」

「あ……け、剣士様!」

 

村長の声を無視して、ナガミネは馬車に乗り込んだ。

先に乗っていたユースティティアが不思議そうな顔でそのやり取りを見ていた。

 

「……受け取らなくて良いんすか?」

「何を」

「お金っすよ。貰えるもんは病気以外なんでも貰った方が良いっす」

「ばーか。ああいうのは受け取らない方がカッコいいって相場が決まってんだよ。ブラックジャック先生から学んだんだ俺は」

「ふーん……良くわかんないっすねぇ」

 

馬車が動き出す。後ろから聞こえてくる村人たちの感謝の叫びに目を向けないまま、ナガミネは背中から聖剣を手元に持ってきた。

 

「聖剣起動。術式番号4、"ポケット・ディメンション"」

 

聖剣の鞘を僅かにずらし、そう呟く。すると聖剣の刃に真っ黒なもやが発生した。

"ポケット・ディメンション"。聖剣の刀身に小規模な異空間を発生させる魔法だ。

聖剣の刃渡りより小さい物品ならほぼ無制限に突っ込める便利な魔法。

ナガミネはそこから煙草とマッチを取り出し、火を付けた。

 

「ふう……」

「なんすかそれ。煙草にしてはなんか煙から薬物的(ケミカル)な匂いがするんすけど」

「ナガミネ特製、薬草葉巻(ハーブシガレット)だ。健康にも良いと俺の中でされている」

「へー……って、あんたの中ですか」

 

魔王城近辺に生えている薬草数種をブレンドし、それを葉っぱで巻いたお手製煙草。原材料が魔力を豊富に含んでいるため、戦闘後に吸うと回復が早まる。

ちなみにニコチンは入っていないので、もしかすると本当に健康に良いのかもしれない。

 

聖都に向け、馬車は走り続ける。

慣れたらちょっと癖になる匂いの充満する車内で、ナガミネは鼻から煙を吐いた。



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『ギルドと初依頼』

「着いたっすよーナガミネさん。起きてください」

「んあ……やべ、寝てた。もう着いたのか」

 

ユースティティアに肩を揺すられ、ナガミネは目を覚ました。馬車の振動は止まっている。どうやら到着したようだ。

硬い席の上で眠ったせいでバキバキになった体を伸ばしながら、ナガミネは馬車から降りた。

 

「ここが聖都スルヴ・ソルンっす」

「おお……凄い活気だな」

 

聖都グラン・ソルン。

びっしり立ち並んだ店に賑やかな人々の声。そこにはナガミネが久しく見ていない、平和な都会の喧騒があった。

武器を背負った荒事を生業にしていそうな連中も多く街を行き交っている。

ああいう手合いが食っていける街なら、俺が路頭に迷う事も無いだろう。

そう分析しながらナガミネはユースティティアに問いかける。

 

「なぁティティ。この辺で何か良い感じの働き口は無いか?」

「……? なんすか、その『ティティ』って?」

「ユースティティアじゃ長いだろ。あんなの一々言ってたら噛んじまう」

「あー、そういう事っすか。好きに呼べば良いっす。名前なんて単なる符号っすからね」

 

ユースティティアはそれから「働き口っすか……」と顎に手を当てて考える。

 

「なら、冒険者組合に行けば良いんじゃないっすか?」

「……さっきエリックにも言われたけど、冒険者ってなんだ?」

 

その言葉を聞いて、ユースティティアは怪訝そうな顔になる。

冒険者ギルドは世界中に数千支部存在し、それを知らない者など普通は居ない筈だからだ。

 

「ナガミネさん……聖都はおろか冒険者まで知らないって、マジでどんな山奥から来たんすか?」

「常識を知らないことに関しては自信を持ってるぜ」

「そんなん持たなくて良いっす。……そうっすね。冒険者組合は、平たく言えば登録者に単発の仕事を仲介・斡旋する所っす」

「単発の仕事斡旋所?」

 

聞き覚えのない言葉にオウム返ししたナガミネに対し、ユースティティアは答える。

 

「依頼者が申し込んだ仕事を、その依頼の難易度に適した冒険者が受けられるっす。簡単なのもいっぱいあるんで、仕事さえ選ばなきゃ食いっぱぐれないっすよー」

「……あー、なんとなく分かった」

 

つまり日雇い版のハローワークみたいなもんか。

ナガミネはユースティティアの言葉を頭の中で噛み砕いて理解した。今の自分にはもってこいだ。

 

「組合の建物は……ほら。西の方にでっかい木製の建物が見えるっすよね。あれっす」

「あそこか。道に迷う心配は無さそうだ。それじゃ早速行ってみるな」

「あ……ちょっと待って欲しいっす」

 

冒険者組合の方に歩こうとしたナガミネを、ユースティティアが引き留める。

ユースティティアは自分のポーチの中をごそごそして何かを取り出し、ナガミネの手に握らせてきた。

丸い銀色の金属だ。表面に剣のような模様が書いており、貨幣のように見える。

 

「これどうぞ。冒険者組合の登録費に使えるんで」

「良いのか?」

「私は守銭奴なので、あげるわけじゃないっすよ。次会う時までにきっちり稼いでおいて、耳揃えて返して欲しいっす。ナガミネさん強いんでしょ?」

「まあな。剣一本で世界だって救えちまうんだぜ」

「あはは、なんすかそれ。それじゃ、いつかまた会いましょー」

 

ナガミネの言葉を冗談だと思ったユースティティアは、ひとしきり笑った後去っていった。

それを見送ってから、ナガミネは冒険者組合の方向に歩き出す。

 

 

「新規ご登録の方はこちらへどうぞー!」

「新規登録だ。頼む」

 

冒険者組合の建物に足を踏み入れると、ナガミネの首にプレートが無い事から新規登録者と踏んだ受付嬢が、元気よくそう叫んだ。

ギルドの内部は酒場を併設しており、冒険者たちが飲み食いしながらばか騒ぎしている姿があった。

ナガミネは窓口に行き、ユースティティアから借りた銀貨一枚を差し出す。

 

受付嬢は営業スマイルのままそれを計りに乗せ、偽貨でないと判断すると手元に書類を用意し始めた。

 

「それではこれから、登録のために幾つか簡単な質問をさせて頂きますね」

 

質問はシンプルなものばかりだった

名前は何か。使える武器は何か、読み書きはできるか、などの簡易的な個人情報(パーソナルデータ)

質問を終えると受付嬢は、窓口の奥から小さな一枚の黒い板を持ってきた。

 

「お疲れ様ですナガミネさん。これであなたは今日から無名(ノービス)級冒険者です」

「のーびす級?」

「ええ。冒険者の方々には、その実績・実力を総合した"信頼度指数"として五段階の階級が割り振られます」

 

そこらへんマニュアル化されているのか、受付嬢は手元の書類を見せながら手慣れた様子で冒険者の階級についての説明を始める。

 

無名(ノービス)級』

最下級。全体の七割を占める。

詩吟譚(バーディジア)級』

そこそこ名の知れた冒険者。指名依頼が入り始める。

幻想譚(ファンタジア)級』

基本的に在野冒険者の最高位となり、準英雄とも呼ばれる。

英雄譚(ヒロイジア)級』

この階級から、不当な侵略への防衛目的以外で国家間の戦争に介入する事を禁じられる。

局所戦の勝敗を大きく左右する力を持つ冒険者たち。

神話(ミソロジー)級』

七人しか現存しない。

世界の切り札と呼ばれ、冒険者ギルドが存在する国家への自由出入国権が与えられる。

 

という具合らしい。

無名(ノービス)から始まり、活躍を吟遊詩人(バード)(ぎん)じられ、やがて超常(ファンタジー)の領域に踏み込み、いつしか誰もが知る英雄(ヒーロー)となり、そして神話(ミソロジー)へ……な感じだろう。分かりやすくて結構。

向こう見ずな若者の英雄願望を煽るには十分過ぎるほどロマン溢れるネーミングだ。

神話級の特権である『他国への自由出入国権』というのにはナガミネも惹かれる。地球に帰る方法を探すには非常に有効だろう。

 

「神話級冒険者ってどうすればなれるんだ?」

 

ナガミネがそう聞くと、受付嬢はまるで面白いジョークでも聞いたかのようにクスクスと笑った。

 

「ナガミネさん。神話級というのは、いわば『世界の功労者』なんです。文明を著しく発展させたり、世界の破滅を防いだり……そういう本物の偉人たちが名を連ねる称号なんですよ。まずは詩吟譚(バーディジア)級を目指しましょうね」

「あー、なるほど。世界の破滅を防げば良いわけね」

 

どっかに丁度良い世界の危機転がってねぇかな。と凄まじく不謹慎な事を考えつつ、ナガミネは窓口から離れた。

説明を受けた通り依頼が貼り出されている掲示板へと向かい、そこから当面の活動資金を稼ぐための仕事を吟味する。

 

「さて、無名(ノービス)級が受けられる依頼はっと……」

 

【ニャーコを見つけて!】難度:無名級 報酬:銅貨一枚

『ペットのニャーコが居なくなっちゃった! 家族のように可愛がっていた子なんです! 探してください!』

達成条件:ニャーコ(小型砂上蟲(リトル・サンドワーム))の納品。

 

「名前からして猫じゃないのかよ。次」

 

【新時代の幕開け】難度:無名級 報酬:銅貨五枚

『ケツの穴に地獄辛子(チリヘイム)を入れると全身の毛穴から汗が吹き出し、頭が真っ白になり、得も言われぬ多幸感に包まれる事を発見した。

のだが、友人たちに言っても信じて貰えぬ。誰か、共に新時代の幕開けを見ないか?』

達成条件:肛門へ地獄辛子(チリヘイム)の納品。

 

「依頼者は既に頭にまで唐辛子が回っちまってるみたいだな。次」

 

【最高のカツラを探して】難度:無名級 報酬:銅貨一枚

『私は至高のカツラを作るため、二十年間に渡り人々から髪の毛を集め続けているヘア・ヘァ・ヘアー博士だ。髪質に自信がある冒険者求む。

気に入れば一本につき銅貨一枚を支払うが、もし気に入られなかったら我が毛根伐採マシーン3号で頭皮ごと引きちぎられる覚悟をしておいてくれ』

達成条件:髪の毛の納品(歩合制)。

 

「まともな依頼が一つもねぇよ!」

「おいおっさん。この時間帯の無名級にはロクな仕事が残ってねえんだ。薬草採集とかそういうのは朝の内に無くなっちまうからな。今日の所はこっちで一緒に飲もうぜ」

 

ナガミネの様子を見かねた冒険者たちからの誘いを丁寧に断り、目を皿にして依頼掲示板を探す。

その時。隅っこにある依頼を見つけた。

 

【子供たちの様子を見ていて欲しい】難度:無名級 報酬:銅貨二枚

『貧民街で孤児院をやっている者なのだが、少し用事があって遠出することになってしまった。私が留守の間子供たちの様子を見ていて欲しい』

達成条件:孤児院の留守番

 

「お、おぉぉ……ちゃんとしてる……!」

 

文章も内容もまともだ。砂漠から見つけた一粒のダイヤにナガミネは感動してしまった。

依頼書を掲示板から剥がし取り、いそいそと受付窓口へと持っていく。

 

「この依頼受けられるか?」

「ちょっと確認させて頂きます……あー、アシュリー先生の依頼ですか。人気無いんですよねーこの人の依頼」

「え、もしかしてこいつもヤバい奴なの?」

 

ナガミネの問いに、受付嬢は少し目を伏せながら首を横に振った

 

「彼女自身は素晴らしい人格者なんですけど……いや、何でもないです。受注します」

 

何か含むところはありそうだったが、受付嬢は依頼の受注手続きをした。

アシュリー先生、とやらが経営している孤児院までの簡易的な地図を渡されて、ナガミネは冒険者組合を後にした。

 

 

「受付嬢が書いてくれた地図によると……ここだな」

 

聖都は大きく三つの区画に分けられており、それは富裕街、平民街、貧民街からなる。

平民街の外れから貧民街に入ったナガミネは、目的地の孤児院の前までやって来た。

貧民街には建築基準法もクソも無いので凄まじく道が入り込んでおり、辿り着いた時にはすっかり夜になってしまっている。

木製の質素なドアの前に立って、とりあえずノックしようとする。

 

「おーい、俺は依頼で来た冒険者──」

「うわぁぁぁぁん! アシュリー先生のばかー! 先生なんてスライムの角に頭ぶつけて死んじゃえばいいんだからー!」

 

──バンッ!

ナガミネがドアをノックしようとしたその時、内側から勢いよくドアが開き、ナガミネの鼻っ面を強打した。

 

「ぐふっ!?」

 

ドアを開けた幼女は、あまりに急な衝撃で倒れこんだナガミネに気が付きもせず、涙を拭いながら走り去っていく。

 

「ま、待ちなさいジェシカ! 夜は人さらいどもが危な──ってひわぁぁぁぁ!? ひっひっ人が死んでる!?」

「死んでねえよ……」

 

出ていった幼女を追いかけるようにして扉から出てきたもう一人の誰かが、玄関口に倒れたナガミネを見て腰を抜かした。

服に着いた汚れを払いながら立ち上がったナガミネは、地面に座り込んだそいつの姿を初めてしっかりと見る。

 

十七才ぐらいの少女だ。白髪だが毛先だけはグラデーションのように金色で、血のように赤い瞳からは年齢以上に深い知性を感じる。

非常に整っているが生真面目そうな顔つきだと思った。

その顔立ちを見てかつての仲間の一人を思い出したナガミネは、その幻影を振り払うため二回ほど強めの瞬きをしてから少女に手を差し伸べた。

 

「……おい嬢ちゃん、立てるか? 俺は冒険者で、ナガミネっていう者だ。ここにアシュリー先生はいるか?」

 

おそらく孤児院の児童であろう少女にプレートを見せながらナガミネがそう聞くと、少女は平静を取り戻してナガミネの顔を見た。

その後、納得したように手を叩く。

 

「おお、来てくれたのか……! どうせまた一週間は放置されると思って早めに依頼を出したのだが、まさか初日に来るとは思わなかった!」

「嬢ちゃん、だからここの孤児院の院長を──」

「──アシュリーは私だ。この孤児院の経営者で、君の雇い主と言うことになる」

「へ?」

 

ナガミネは思わず唖然としてしまった。

受付嬢の言っていた『アシュリー先生』。勝手に老いたシスターみたいなのを想像していたのだが、目の前の少女はあまりに若々しい。

これでは先生と言うより生徒の方が似合う。

しかしナガミネの思惑とは反対に、『先生』の称号に見合う理知的な言葉使いで少女──アシュリーは続ける。

 

「……ナガミネ。早速で悪いのだが、追加依頼を頼みたい。さっき出ていったあの女の子……ジェシカを探して連れ戻すのを、手伝って欲しいんだ」

「あの子か……? いや別に良いけど、それ俺が手伝う必要あるか?」

「近頃貧民街では、嘆かわしい事に人さらいが横行していてな。奴らは武装している。見ての通り私は女の身だ。奴らに出くわせばどうしようも無い。……報酬は、その、この孤児院も結構カツカツだから、あんまり出せないんだが」

 

苦々しく顔を歪めながら、アシュリーはごにょごにょと報酬の話をする。ナガミネはその細い肩に力強く手を置いた。

 

「よし分かった、任せろ。最強の無名(ノービス)級である俺が責任を持ってあんたの依頼を達成してやる」

「ほ、本当かっ!? ありがとう……! 頼り甲斐のある冒険者が来てくれて良かった……」

 

最強の無名(ノービス)級。その言葉に全くもって誇張が含まれていない事など知らずに、アシュリーは顔をぱあっと明るくしてナガミネが依頼を受けてくれた事を喜んだ。

さっきの子供が走っていった方向を確かめてから、ナガミネとアシュリーは共に夜の貧民街を踏み出した。



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『アシュリー先生』

ナガミネとアシュリーが迷路のように入り組んだ貧民街を早足で歩いている。

居なくなった子供を呼ぶアシュリーの声が、夜の闇に響き渡った。

 

「ジェシカー! さっきのは私が悪かった! 頼むから早く出てきてくれ!」

「ここは地形が複雑で隠れられる場所が多いから、路地にでも入り込まれたらかなり骨だな」

「……その通りだ。この街は弱者を不当な弾圧から守ってくれるが、同時に犯罪者の温床にもなりやすい」

 

子供が見つからない心配と焦燥からか、少し泣きそうな顔でアシュリーがそう言った。

夜の貧民街は、その入り組んだ地形に暗闇が加わってさながら迷宮の様相を呈している。

目の前に落ちた誰かの吐瀉物が月明かりを反射しているのを見ながら、ナガミネは頭を掻いた。

 

「……そう言えばアシュリー先生。なんであの子と……ジェシカと喧嘩してたんだ?」

「喧嘩と言うか……私が悪いんだ。さっきあの子が私の誕生日プレゼントに、ずっと前からお金を貯めて買ったブローチをくれたんだが、私の誕生日は来月なんだよ」

「あー……」

「けど私は嬉しくて嬉しくて……つい嘘をつくのも忘れてそれを伝えてしまったんだ。……そしたらあの子は、みるみる顔を真っ赤にして出ていってしまった」

 

アシュリーはポケットから小さな青いブローチを取り出して、潤んだ瞳でそれを見た。

確かに毎日コツコツ貯金して買ったプレゼントを贈る日を一ヶ月も間違えたら、逃げ出したくもなるだろう。しかし場所と時間帯が最悪だった。

 

あんな小さな子がそうまでして贈り物をするアシュリーはきっと良い先生なのだろうなと思いながら、ナガミネは目の前に広がる無数の暗い分岐路を睨んだ。

聖剣の柄に手をかけ、人探しの魔法を発動させる準備を始める。

 

「アシュリー先生、あの子の髪の毛って探せるか?」

「な、なんでだ……? いや、院内を探せば落ちてる思うが、孤児院には他に何人も子供たちがいるんだ。ジェシカの物を探し出すのにはきっとかなり時間がかかる」

「そうか。……なら、地道に足で探し回るしか無いな」

 

対象の体の一部が無ければ人探しの魔法は使えない。ナガミネは聖剣に手を触れさせたまま、別の手段を考える。

 

「足で探すしか無いなら、数を増やすか」

「か、数を増やす……? 何を言って──」

「聖剣起動。術式番号40──下位精(サモン・ロ)霊召喚(ウスピリッツ)

 

──暗い貧民街に、白い羽根が舞い散った。

地面に発生した十二の魔法陣から、腰から翼を生やした少女たちが姿を現す。

ガラス玉のように無機質な目をした彼女たちは、指示を待つように膝を着いてナガミネの方を見た。

 

「て……天使……!?」

「人を探せ。野外にいる八歳ぐらいの金髪の女の子だ。あと襲ってきた奴とその仲間たち以外には攻撃するな。誰も殺すなよー」

 

十二の下位精霊たちは、こくりと頷いてそれぞれの方向に走り出した。

"精霊召喚(サモン・スピリッツ)"。大精霊シェミハザの権能であり、聖剣に搭載された機能の一つ。

下位、中位、上位、超位、それぞれの階級の精霊を呼び出せる魔法だ。

上位になればなる程一度に召喚できる数が減る代わりに性能が上昇するが、今は数を揃えるために下位を召喚した。

この世のものとは思えない光景に、アシュリーは目を見開く。

 

「あ、あの子たちっ、ナガミネが召喚したのか!?」

「ああ。下位精霊は戦いには向かないけど忠実で数が多い。シェミハザの顔がちらつくから、あんまり使いたくないが」

「そうじゃない……! あの数の知性体を呼び出すなんて──」

「今そういう話は無しだ。……あ、東の方に行った奴らが交戦し始めたっぽいな。ちょっと走るぞ」

「ぇあっ、待っ、速っ……!?」

 

東の方角へ走り出したナガミネを、アシュリーが追いかける。

宙に舞う実体の無い羽根が、地面に触れて雪解けのように消えた。

 

 

「おいなんなんだこいつら!? こんな亜人、見たこと……!」

「一体につき四人以上でかかれ! 囲めば倒せない訳じゃねぇ!」

「ぐああああっ!?」

 

聖都の貧民街を根城とする犯罪組織『黒曜の仮面団』のアジトは、突如として現れた六体の下位精霊たちにより混迷の中にあった。

彼らの多くは、元々正規軍の兵士だった者たちだ。

しかし数年前に帝国との和平条約が結ばれたことで軍縮が行われ、軍人の大量解雇が行われた。

それにより職を失い、裏社会に落ちたのが彼らである。

かつて国を守った彼らは国に捨てられ、今や人身売買や盗品取引をしきる社会の(ガン)になっていた。

 

『────』

「ひっ、ひぃぃぃっ……!」

 

下位精霊の持つ炎の剣が、団員の一人の背中を切り裂いた。

傷は炎熱で即座に焼き塞がれ出血は無い、ただ激烈な痛みだけが彼らを襲う。

『殺すな』。という命令を忠実に守ろうとした結果だ。行動不能になった団員を見てから、下位精霊は次の標的へと走る。

 

「くそっ……! ヴェルジストの野郎はどこだ!? 折角高い金払って用心棒を雇ったんだ! ──おいヴェルジスト! 給料分ぐらいは働きやがれぇッ!!!」

 

そう叫んだ最後の団員の肩を焼き切り、下位精霊はアジトの建物を見た。

先ほど、あそこに『野外にいた八歳ぐらいの金髪の女の子』が男に担がれて入っていったのだ。

六体いた下位精霊は、四十人を超える元軍人たちを相手にしたことで三体にまで数を減らしている。

──問題ない。我々はまだ十分に奴らを殲滅可能な戦力を維持している。

下位精霊たちは、建物に向かって走った。

 

「──ったく。おちおち晩酌も出来ねぇのかよ」

 

その時、三体の下位精霊たちの前に一人の男が現れた。

長槍を担いだ二十代に見える緑髪の男が、あくび混じりに歩いてくる。顔に赤みがさし酒臭がしているから、酔っているのだろう。

ヴェルジストと呼ばれたその男は、下位精霊たちを薄目で見て鼻で笑った。

 

「ハッ……んだよ、一体一体の強さは精々詩吟譚(バーディジア)級の上位ってとこか? こんなの相手に全滅しかける組織に雇われるたぁ、元幻想譚(ファンタジア)級冒険者の俺も落ちぶれたもんだぜ……」

 

下位精霊たちは三体でヴェルジストを囲み、炎の剣で襲いかかる。

ヴェルジストは、槍を無造作に振る。

 

「──山貫三連(ヤマヌキサンレン)

 

──下位精霊たちの胸に、ほぼ同時に三つの風穴が空いた。

いつ突かれたのか目で追えぬ程の速度。下位精霊たちが地面に崩れ落ちる。

 

『────』

 

致命傷を負った下位精霊たちは、肉体を構成している魔力を散らしながら光の粒子になって消えた。

団員たちは、自分達を苦しめていた存在たちが一瞬で消え去ったことに対して歓声をあげる。

 

「……はぁーあ。お仕事終わりっと」

 

槍を背中に戻し、ヴェルジストは満足げに建物内へ戻ろうとする。

しかしその時、背後から知らない声が聞こえて立ち止まった。

 

「おい酔っぱらい」

「あん?」

 

ヴェルジストが振り向くと、そこには一人の男が佇んでいた。

四十半ば程の男で、背中に直剣を背負っている。首にかけられた黒いプレートがこの男が最下級冒険者であることを物語っている。

──こいつ、強い。

直感だった。一気に酔いが吹き飛び、ヴェルジストは臨戦態勢に移る。

 

「……おいてめぇ。何者だ? 無名(ノービス)級が放って良い闘気じゃねぇぞ」

「ナガミネだ。ここに連れて来られてるジェシカって子を取り返しに来た」

 

ヴェルジストは身震いしていた。恐怖からではない。武者震いである。

半年前にパーティ内で暴力沙汰を起こし冒険者組合から追放されて以来、ずっと安酒に溺れながらつまらない犯罪者どもの用心棒に甘んじてきていた。

そんな中現れた久々の、いや初めてかもしれないレベルの強敵。

 

かつては毎日が楽しかった。日々成長し、前に進んでいる実感があった。

しかし今の自分はじわじわと腐っていっているだけだ。人としても、武人としても。

 

「やってやるよ……!」

「え、なにを?」

「俺はまだ、終わってねえんだ……!」

「さてはキャッチボールが出来ないタイプだなお前」

 

ガキの頃から人の強さを見極める"眼"だけは確かだった。だが目の前のこいつはとても数値化など出来そうに無い。

高山を(ふもと)から見上げても中腹までしか見えないように、力量差のあまりその全貌が見えないのだ。

──相手は暫定英雄級(ヒロイジア)。不足は絶無。

 

「うおおおおおお!!!」

 

全力で踏み込む。石造りの地面が軽く陥没する程の力。

腰を捻り、手首を回し、槍に螺旋回転を加えながら全体重を乗せて突き出す。

──"崩山(ホウザン)"。

技なんて名ばかりの、全身全霊で突きを繰り出すだけの力(わざ)

山とまでは行かないが巨岩程度なら易々と粉砕するであろう、英雄すら殺しうるヴェルジストの人生最高の一撃。

それが、無防備なナガミネに撃ち込まれる──

 

「うるせえから叫ぶな。近所迷惑だろうが」

「ぶべらっ」

 

槍が到達する前に、ナガミネの拳がヴェルジストの顔面にクリーンヒットした。

ヴェルジスト自身の突進の勢いで顔面にぶつかった拳は、彼の鼻っ面を粉々に砕く。

きりもみ回転しながらぶっ飛んだヴェルジストは、十数メートル先に落下して倒れた。

 

「うう、うぅおおお……! お、俺はっ、こんな人間のまま終わる筈じゃ……」

「知らねえよ。通るぞ」

「ま、待ってくれ……! 頼む。もう一回、もう一回だけやらせてくれ!」

「なんだよ『もう一回やらせてくれ』って。こういうゲームじゃねぇんだぞ」

 

膝をガクガク震わせながら立ち上がり、ヴェルジストは再び槍を構えた。

ナガミネが呆れながらそれを見ていると、後ろから息を切らしたアシュリーの声が聞こえてきた。

 

 

「はぁっ、はひっ……な、ナガミネ、足、速すぎっ……ちょっと、休ませて、くれっ」

 

フルマラソンを終えた後のように汗だくのアシュリーは、ナガミネの横に辿り着くなり限界を迎えて座り込んでしまった。

 

「……あ、アシュリー先生?」

「へ……? 私?」

 

満身創痍のヴェルジストは、アシュリーを見て驚きに顔を歪めた。それからわなわなと震え、顔を見せないようにするためか地面にしゃがんでしまう。

さっきから何やってんだあいつ、とナガミネがその様子を見ていると、アシュリーが何かに気が付いたように顔をばっと上げてヴェルジストの方を見た。

 

「も、もしかしてヴェルか!? 少し前に幻想譚級冒険者になったと自慢しに来て以来顔を見せないから心配してたんだぞ! こんな所で何してるんだ!?」

「アシュリー先生……お、俺は……」

「まさか、人さらいどもに対する義憤で単身アジトへ突入したのか!? り、立派だぞヴェル! 先生は嬉しい……! だが一人で行くのは危険だ。ヴェルは小さい頃から本当に正義感が強くて──」

「ち……違うんだアシュリー先生……俺は、俺はっ……ほんとに、最近は何をやっても全然駄目で……!」

 

どうやらアシュリーとヴェルジストは面識があるらしい。それも恐らくは孤児院の先生と元児童という間柄。

どうみても十代のアシュリーが良い年した男であるヴェルジストの先生というのは酷く違和感があるが、涙で顔をくしゃくしゃにしながらアシュリーの足元に(うずくま)るその姿は、まるで幼子のようだった。

 

ヴェルジストは震える声でアシュリーに語り始めた。

暴力沙汰を起こして冒険者組合を追放されたこと。それでヤケクソになってしまったこと。今は犯罪組織を用心棒として渡り歩き食い繋いでいること。

嗚咽混じりの告白を終えたヴェルジストを、アシュリーは口をきゅっとつぐんで涙を堪えるように目元をしかめながら見下ろしている。

 

「この、 馬鹿……! 私は犯罪の片棒を担がせるためにお前を育てたんじゃない!」

「ご……ごめんなさい……」

「ごめんで済むわけないだろう!? もう子供じゃないんだぞ! この組織が一体何をしているか理解してるのか!? ヴェルがこんな連中に味方するような奴だったなんて知らなかった……! 私は、本当に悲しい……」

「う、うぅ……」

 

がみがみがみがみ。

雨あられのように降ってくるアシュリーの説教に、ヴェルジストは頭を項垂れて号泣している。

ナガミネから受けた攻撃よりこちらの方が余程ダメージが大きそうだ。主に精神的な。

 

「あ、アシュリー先生っ、俺、こいつらと一緒に詰め所に自首するよ……そして罪を償ったらもう一回、一からやり直してみる。……その時は、また先生の孤児院に顔出しに行っても良い?」

「……ああ、良く言った。罪を償ったらまた会いに来い。たとえ何年かかってもだ。私は信じてるぞ。なんたってヴェルは天才だからな」

「せ、先生……」

 

なんか感動的な感じになってきた展開を、ナガミネは蚊屋の外から眺めていた。

こういうのドラマで見たことあるな。熱血教師が不良生徒を更正させるやつ。中々面白くて毎週見ていた記憶がある。

やはりアシュリーのことは先生と呼ぼう。ナガミネはなんとなくそう思った。

 

「おいてめぇらいつまで寝てんだ! 皆で自首するぞ! 一人でも逃げたら俺が風穴開けてやるからな!」

「ひぃぃぃっ……!」

 

ヴェルジストは、数十人の団員を無理やり引き連れて詰め所の方向へと去っていった。

それを見送りながら、ナガミネは小さな声で先程からずっと疑問に思っていた事を呟く。

 

「アシュリー先生、何歳だ……?」

 

 

 

 

「うわぁぁぁん! アジュリーぜんぜぇぇぇ! 怖かったのー!!!」

「よしよし……もう大丈夫だからな」

 

アジトから連れ戻したジェシカを、アシュリーが抱き締めている。

あの犯罪組織のアジトには他にも数人さらわれた子供たちがおり、その子達はしっかりとそれぞれの家に送り届けた。

そのせいで夜は更に深まり、四十代のナガミネが起きているには少ししんどい時間だ。

 

「ジェシカ、そこにいるナガミネが助けてくれたんだ」

「おじさんありがとうなの!」

「ふぁぁ……気にすんな嬢ちゃん。こちとら勇者だからな。老いても枯れても、人助けは至上命題なわけよ」

 

得意気にそう言ったナガミネに「だんでぃーなのー!」と興奮するジェシカをアシュリーは孤児院の中に押し込んだ。

そして夜の闇の中、ナガミネと二人切りになったところで気まずそうに話を切り出す。

 

「……ナガミネ。報酬の件なんだが」

「貧乏人から必要以上に金巻き上げるのは流儀じゃねぇんだ。いらねぇ」

「し、しかし、あれだけやってもらって無報酬と言うのは」

 

見るからに律儀なアシュリーは、相応しい報酬を払えない自分を不甲斐なく思っているようだった。

ナガミネは少し考えた後、良いことを思い付く。

 

「じゃあこうしようぜ。俺はこの街に宿が無いんだよ。しばらくここに居候させてくれ。その家賃分でチャラってことで」

「……え、そんなので良いのか? ぼろっちいし、子供たちは騒がしい、宿としては最低だぞ」

「俺は基本野宿だったからな。雨風しのげる屋根さえあればハッピーなんだよ」

 

アシュリーはしばらく『うむむむ……』と唸っていたが、やがてこくりと頷いた。

 

「……分かった。今日からよろしく頼むナガミネ」

「おう。よろしくなアシュリー先生」

 

当面の宿を確保できたことに喜びつつ、ナガミネはアシュリーと共に孤児院の中に入った。



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『"剱の聖者"』

「ナガミネー! また冒険の話してー」

「夜な」

「ナガミネー、煙草は体に悪いから吸っちゃいけないってアシュリー先生が言ってたよー?」

「俺のは特別製だから良いんだよ」

「なんか面白いことやってナガミネ!」

「ほら見ろ、リンゴ潰し」

「「「すげー!!!」」」

「こらナガミネ! 食べ物を粗末にするな! あと煙草を吸うなら外でだ!」

「はいはいアシュリー先生……」

 

アシュリーの孤児院に居候し初めてから二日目の朝。ナガミネはすっかり子供たちの人気者になっていた。

孤児院の子供たちからすればナガミネは突然現れた面白いおじさんであり、人生の大半を旅に費やした彼の臨場感溢れる体験談は子供たちをこの上なくワクワクさせた。

潰した果物を子供たちに渡し、孤児院の外に出てからナガミネは煙草の煙を吐き出す。

 

「ふう……」

 

孤児院での生活は穏やかだ。

アシュリーの作ったご飯を食べて、そこら辺をぶらぶらして、夜になったら寝る。そんな生活。

アシュリーは家事をしたり子供たちに授業をしたり凄まじく忙しそうだが、ナガミネは非常に悠々自適な暮らしを送っている。

 

(一日しっかり休んだし、今日からまた冒険者組合に行くか)

 

ここに来た目的である孤児院の留守番依頼は一週間後だ。それまでは別の仕事を受けても問題ないだろう。

朝日を浴びながらラジオ体操でじっくりと体をほぐし、ナガネミは院内に置いてある聖剣を取りに行くため中に入った。

 

 

「あれ……? 何やってんだアシュリー先生」

 

院内では十数人の子供たちが列を作っている。その列の先には手に注射器に似た器具を持ったアシュリーが椅子に座っていた。

ナガミネが疑問に思い近付くと、アシュリーが気が付いて振り向く。

 

「……おお、ナガミネ。これが終わったら朝ご飯にするから少し待っててくれ」

「注射器なんか持って何やってるんだ?」

 

アシュリーは子供から抜いた30CC程の血液を、器具から別容器に移しながら答える。

 

「そう、だな……ええと。貧民街はあまり衛生的じゃないから、危ない病原菌が多いんだ。それに子供は抵抗力も弱いからな。月に一度はこうして子供たちの血液を調べている」

「へー、医学の心得があるんだなアシュリー先生は」

「……うん、そうだ。私には、医学の心得があるんだ」

 

少し目線を逸らしながら、アシュリーはそう言った。

この孤児院は子供たちの健康管理もバッチリなようだ。子供達も注射には慣れっこで、嫌がったりはせず朝ご飯の話などをしている。

それからナガミネは朝飯を食べ、聖剣を背負って冒険者組合の方に出発しようと外に出た。

前回と違って今日は朝だから、きっとまともな依頼があるだろう。

 

「それじゃ、行ってくる」

「ああ、行ってらっしゃいナガミネ。夕飯までには帰って来るんだぞ」

「「「行ってらっしゃーい!」」」

 

アシュリーと子供たちに見送られながらナガミネは冒険者組合に出発する。まるで世帯持ちのようだ。思わず苦笑いしてしまう。

 

朝の貧民街は意外とせわしない。

せっせと屑鉄を集めている者、二日酔いで道端に嘔吐している者、何かを言った言わないで口論している者などがそれぞれの生活を送っている。

ナガミネは、その街並みを見て昔住んでいた下町を思い出した。

 

「…………ん?」

 

ナガミネは唐突に足を止めた。

──前方から、何者かの強い気配を感じる。

理屈ではない。長年の戦いで培った予知に近い勘だ。

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「──ディルム聖教会、(つるぎ)の聖者が通る。者ども道を開け平伏せよ」

 

──騒がしかった貧民街が、その一声で静まり返った。

……つるぎのせいじゃ? なんの事だ。

住民たちは顔を真っ青にして道の脇まで走り、そこで縮こまるように平伏の姿勢になる。 ナガミネも一応そうしておいた。

ディルム聖教会。確か、ユースティティアが所属している組織だ。貧民街へ何の用だろうか。

 

「……あいつらか」

 

声の発信源はすぐ見つかった。

十メートル程前方から、白い外套を纏った聖職者らしき連中が五人歩いてくる。

ナガミネが感じた強い気配の正体は、その中心に居る仮面の人物だ。恐らくあいつが"(つるぎ)の聖者"だろう。

大きなフード付きの服を着ているせいで、顔と体格どころか髪色すら分からない。左手には細剣を握っている。

剱の聖者は、仮面の中から電子音めいた男の声で話し始めた。

 

「近頃、この近辺で危険な亜人種を目撃したとの証言があった」

 

ナガミネと住人たちは、地面に頭を付けたままその声を聞く。

ナガミネはほんの少しだけ首をもたげ、剱の聖者の様子を確認してみた。

剣を持つ指の力の入り方、体重移動、呼吸のリズム。様々な要素を総合し、その実力を推察する。

 

(おお、やっぱり強いな。こいつ)

 

ナガミネは驚いた。

普通の人間の強さを1、ベリーズ村を襲ったオークキングの強さを85とすれば──目の前のこいつ、剱の聖者は恐らくオーバー300といった所か。

これは『三百人が一つの生き物のように動けた場合』の理論値だ。軍隊だって葬れるだろう。

 

「諸君らも知っての通り、我々ディルム聖教は亜人どもの粛清という天命を帯びている。我々の邪魔をした者や亜人を(かくま)ったりする者も同罪だ」

 

貧民街の空気が更に重たくなる。過去に亜人をかくまって"粛清"された者でも居たのだろうか。

剱の聖者は「心当たりがある者は即刻我々に報告するように」と言い残し、仲間と共に踵を返して去っていった。

しばらくしてその背中が見えなくなってから、貧民街はようやく徐々に活気を取り戻す。

 

(次ティティに会ったら、あいつの事聞いてみるか。少し興味が湧いた)

 

ユースティティアはディルム聖教会の人間だ。内情にも詳しいだろう。どちらにせよ金を返すためにまた会わなければならない。

そう思いながら、ナガミネは再び冒険者組合の方に歩き出した。

 

 

「指名依頼? 俺に?」

「ええそうです。ナガミネさんに指名のご依頼が入っています」

 

冒険者組合に入ったナガミネは、依頼掲示板に向かおうとした所で受付嬢に呼び止められた。どうやら指名依頼とやらが入っているらしい。

まだ一つも依頼を達成していない自分に指命など入るわけが無いと不思議に思いながらも、受付嬢の話を聞く。

 

「誰からだ?」

「ベリーズ村の方々からですよ。報酬は銀貨三枚。ナガミネさんに剣術の指南を頼みたいそうで。無名級に指名依頼が入るなんて珍しいです」

 

ベリーズ村、ナガミネがオークキングから守った村だ。冒険者になったとユースティティアからでも聞いたか。

銀貨三枚と言うのはピンと来ないが、アシュリーの依頼報酬が銅貨二枚なのを考えると結構な額なのだろう。

護身術の指南をして欲しいと言うのは、恐らく件の事件で村人たちの防衛意識が強まった結果だ。正式な仕事という形でナガミネに金銭的な礼をしたいと言うのもあるだろうが。

ユースティティアから借りた登録費は銀貨一枚。三枚もあれば十分に借金は返せる。

 

「よし、受ける」

「了解しました。手続きしますね。…………それで、あの。これは個人的な質問なのですが、一つよろしいでしょうか」

 

受付嬢は何やら言いにくそうに、そう聞いてきた。

 

「なんだ?」

「……アシュリー先生、どうでした?」

 

恐る恐る、という声色だった。

少し疑問に思いつつもナガミネは答える。

 

「どうでしたって……別にどうもしてないな。凄い良い人だったぞ。珍しいぐらいの」

「そ、そうですか! そうですよね……ああ良かった。やっぱり噂なんて信じるもんじゃありませんね」

「噂?」

 

そう質問したナガミネに受付嬢は、『根も葉もない馬鹿げた噂ですよ』と言った。

 

「『孤児院のアシュリーが夜な夜な血を(すす)っているのを見た。あの人の異常な若さと美しさはそのせいだ』……みたいな噂が冒険者の間に昔からあるんです。あの人の依頼が不人気なのはそのせいですよ」

「ほんとに馬鹿げた噂だな。デマだろ」

「私もそう思います! 私の同僚にも何人かあの人の孤児院出身の子がいるんですけど、みんなアシュリー先生が拾ってくれてなきゃ今の自分は無いって言ってるんです。そんな良い人にこんな噂があるなんて……」

 

ナガミネはつい呆れてしまった。

多分アシュリーが毎月やっている血液検査を見た者が、尾ひれを付けてそんな噂を流したのだろう。

そこから『孤児院で夜な夜な血を啜ってる女』なんて、口裂け女レベルに馬鹿げた噂だ。

真面目な善人を気に食わない奴というのは、どこの世界にでも居る。

 

「とにかくアシュリー先生は良い人だ。俺が保証する」

「ですね。変なこと聞いてすみませんでした……よし、手続き完了です」

 

ナガミネは冒険者組合から出てベリーズ村へ向かう。

馬車は無いが、少し本気で走れば夕飯までには帰れるだろう。

 

 

「ふう……着いた」

 

二時間に及ぶマラソンの末、ナガミネはベリーズ村の前まで辿り着いた。体感だが馬車を使った時より速い。

まだ俺のスタミナも捨てたもんじゃないなと思いながら、ナガミネはベリーズ村に足を踏み入れた。

 

「あっ! な、ナガミネさん! 来てくださったんですね! ユースティティアさんから冒険者になったと聞きまして!」

 

村に入ってすぐ、若い男たちが数人ナガミネに駆け寄ってきた。その目はまるでヒーローでも見るようにキラキラしている。

彼らは、ナガミネが剣も抜かずにオークキングを圧倒する姿を間近で見ていた者たちだ。

 

「おう、剣術を教えて欲しいんだって?」

「はい! こっちにエリックさんの道場があるので来てください!」

 

若者たちに連れられて、ナガミネはエリックの剣術道場にやってきた。

 

「エリックさん! ナガミネさんがいらっしゃいました!」

 

若者の一人が道場の扉を開けると、その中では数十人の男たちが怒号を上げながら木刀を打ち合っていた。

その全員が、玄関に立つナガミネを見て一斉に頭を下げた。

体育会系のノリだ。ナガミネは暑苦しさに溜め息を吐く。

 

「ナガミネさん、来てくれてありがとうございます!」

「おおエリック。大繁盛だな、お前の道場」

「ははは……ナガミネさんの戦いを見て、村の男たちの心に火が着いてしまったようで。この前までは二、三人しか門下生が居なかったんですよ」

 

足を引きずりながら歩いてきたエリックと少し話してから、ナガミネは道場の中心に立った。

オークの群れを単騎で壊滅させた英雄が、一体どんな指導をするのか。門下生たちは唾を飲み込みながらナガミネに視線を注ぐ。

 

「この中で一番強い奴、前に出ろ」

 

ナガミネは、少し考えた後にそう言った。

門下生たちが顔を見合わせる。視線で相談しているようだ。恐らくまだ皆入門したてで、そこまでずば抜けている者は居ないのだろう。

数秒後、一人の青年が恐る恐る名乗り出た。

 

「じ、自分です」

「お前か。……1.7って所だな」

「は、はい……?」

「テストだ。どこからでも良い。この木剣を使って全力で打ち込んで来い」

 

ナガミネは壁に立て掛けてあった木刀を青年に投げ渡した。

青年は戸惑いながらも木刀を大上段に構え、叫びながら振り下ろす。

 

「せやぁぁぁっ!!!」

 

──振り下ろされた木刀は、()()()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

道場が騒然とする。ナガミネは一見動いていないのに、木刀は空を斬って床に叩きつけられたのだ。

当然、実際はすり抜けてなどいない。

回避の動作があまりに最小限かつ素早かったせいで、常人の目にはあたかも()()()()()ようにしか見えないのだ。

 

「うん、悪くない」

 

"すり抜け"の仕組みが分からず混乱している門下生たちを他所に、ナガミネは小さくそう呟いた。

 

「おいお前。もう一度さっきの構えをしろ」

「え……?」

 

ナガミネに命令された青年は、混乱のまま言われた通りに先程と同じように構えた。

ナガミネはその構えを見ながら指示をする。

 

「右肩をもう少し内側に、左足を拳半分前に、腰はもうちょっと落とせ」

「は、はい。……こうですか?」

「それでもう一度振ってみろ」

 

青年はナガミネに直された構えでもう一度木刀を振った。

すると、明らかに音が違う事に気が付く。空を裂く音が先程よりずっと鋭くなったのだ。

無駄な力みが減り、剣速が遥かに上がっている。

 

「お、おおぉぉぉぉっ! す、凄い……! まるで自分の体じゃないみたいです!」

「今の感覚を思い出しながら、毎日素振り千本だ。才能あるぜお前」

「っ……! は、はいっ!」

 

その様子を見ていた他の門下生たちが『じ、自分もお願いします!』とナガミネに殺到した。

 



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『ディルム聖教会』

「よし、こんなもんだな」

 

ナガミネの周りに、剣術道場の門下生たちが疲れ果てて座り込んでいる。

あれからナガミネは数十人を超える門下生全員の素振りを見てはフォーム改善をし、その感覚を生きたものとするために実践稽古を行った。

 

実践稽古と言っても内容は至極単純であり、全員でナガミネに打ち込むだけ。

しかし、三十分続けでやっても結局一太刀も浴びせられず終わってしまった。

極度の疲労で足腰が立たなくなっている彼らとは対照的に、ナガミネは道場の中心に悠然と立っている。

 

「これにて依頼達成、で良いよな? あいつらもう動けねえぞ」

 

ナガミネは、その様子を見て唖然としていたエリックにそう声をかけた。

エリックはその声で我に返る。

 

「は、はい。……しかし、やっぱり凄まじいですね。ナガミネさんならきっと英雄譚(ヒロイジア)級冒険者にだってなれますよ」

「ヒロイジア、ねえ……俺はさっさと神話(ミソロジー)級に上がって万能パスポート欲しいんだよな。全部の国に自由出入国出来るんだろ?」

 

ナガミネが真面目な顔でそう言うと、エリックは困ったように笑った。

前に受付嬢にもこういう反応をされた覚えがある。

 

神話(ミソロジー)級は……彼らは、文字通り神の領域ですから。まともな人間が踏み込めるのは英雄までですよ」

「確か、世界に7人しか居ないんだったよな」

「ええ。田舎から都に出て行く夢見がちな若者たちが目指すのだって、大半が英雄譚級です。けど現実は、その下の幻想譚級になれる奴でさえほんの一握りの大天才たちなんです」

 

「神話級たちが壊れているのは、誰だって知っていますから」。エリックは遠くを見ながらそう言った。

この世界に来てから度々名前が出てくるが、そいつらは果たして魔王と比べても強いのだろうかとナガミネは考えてみる。

 

確か"英雄譚(ヒロイジア)級"の定義が『局所戦の勝敗を大きく左右する冒険者』だったから、その上となると『国家間の戦争の勝敗を左右する』とかになるのだろうか。

 

いや、仮にその定義だとしたら、ナガミネが十代の頃から殺して回っていた魔王軍の幹部たちは軒並み神話級になってしまう。

前の世界とは国々の戦力も違うだろうし、これに関しては考えても無駄だ。

いつか出くわしてから考えれば良いか。ナガミネはそう結論付けて思考を放棄した。

 

「エリックさーん、こんにちわっすー……ってうわ汗臭っ!?」

 

その時、道場の扉ががらりと開いて誰かの声が聞こえた。

ナガミネが振り向くと、そこには銀髪紫眼の猫っぽい印象を与える少女が立っている。ユースティティアだ。

ナガミネは手を上げて挨拶する。

 

「おおティティ。二日振りだな」

「あ、ナガミネさんこんにちは。……なんですかこの状況? むさ苦しいにも程があるんですけど」

「ああ。中学校の格技室みてぇな臭いがするぜ。開校六十周年ぐらいの」

「良く分かんないけど、多分すごい的確な例えだろうなってのは伝わるっす」

 

道場に充満する門下生たちの汗臭さに顔をしかめながら、ユースティティアは靴を脱ぎ裸足で板の間に踏み入った。

女っ気の無い道場の中、その白く整った少女らしい素足を見て、若い門下生たちは生唾を呑みこんだ。

彼らなりに見ているのを気づかれないようにか、視界の端で凝視するという器用な事をやっている。

 

生まれた村から出たことが無いため美しい女性への免疫が無い彼らは、まだ未成熟な少女とは言えユースティティアの素肌の誘惑に抗うのは難しかった。

そんな門下生たちの視線に居心地悪そうにしつつも、ユースティティアは懐から一つの袋を取り出す。

 

「エリックさんこれ、前回色々ごたごたしてて渡せてなかった娘さんからの仕送りっす」

「ああ……いつもありがとうございます。……その、娘は元気ですか?」

 

確かユースティティアは、エリックの娘とディルム聖教会の同僚で、娘の代わりに毎月仕送りを届けに来ているんだった。

娘の近況を聞かれたユースティティアは「……そうっすね」と少し悩んでから再び口を開く。

 

「元気っすよ。仕事もあんまり辛くないし、ご飯もしっかり食べてるし」

「そ、そうですか! ああ、良かった……! それで、あの、そろそろ帰って来れたりはしませんか? もう七年も会ってないんです……せめて、せめて顔を見せに来てくれるだけでも!」

 

その質問に、ユースティティアは一瞬だけ辛そうな顔をした。

 

「……ごめんなさい。無理っす」

「そう……ですか」

「娘さんは、忙しいので」

 

断る時の常套句なのだろう。『娘さんは忙しいので』の声は事務的だった。

娘との面会を却下されたエリックは、ナガミネが気の毒に思ってしまうほど意気消沈している。

子供など居ないナガミネにエリックの気持ちは分からないが、この年になれば想像する事ぐらいは出来た。

 

「……なあティティ。部外者の俺が口出しする事じゃないんだろうけどさ。娘の顔ぐらい見せてやれば良いんじゃないか?」

 

ナガミネが肩に手を置いてそう言うと、ユースティティアはその宝石じみた紫色の目を細めてナガミネを見た。

髪と同色の長い銀の睫毛が、目元に影を作っている。

 

「無理、なんです」

 

ユースティティアは吐き捨てるように言った。

努めて平静を保とうとしているが、その声は僅かに震えている。

 

「そうか」

 

エリックの娘に関して何か事情があるのだと悟ったナガミネは、それ以上の追及をやめた。

 

「みなさーん! 冷たいお水とジャロ芋の塩茹でを差し入れに来ましたー!」

 

その時、道場の奥の扉から鍋と水差しを乗せた荷台を押して一人の女性が現れた。倒れていた門下生たちがそれに歓喜の声をあげる。

三十代の半ばほどだろうか。少し皺が目立ち始めているが美人だ。

エリックは少し照れ臭そうにしながら、ナガミネに『妻です』と紹介した。

 

「美人だな」

「最近再婚したんです。自分なんかには勿体無いぐらい、出来た妻ですよ」

「いやー、俺もそろそろ結婚し……って、ティティどうした? もう帰るのか?」

 

まるでエリックの妻から逃げるように、ユースティティアは道場の玄関口でいそいそと靴を履き直していた。

ナガミネの声にびくっと肩を跳ねさせて、首だけで振り向く。

 

「はい、帰るっす」

「今日も馬車で来たんだろ? 帰るならついでに俺も乗せてってくれない?」

「良いっすよ。けど今度は禁煙でお願いしますね。この前は臭い染み付いてて私が怒られたんすから」

「分かったよ。全くこの世界は喫煙者に厳しいな。日本ならどこでも吸えたのに」

 

ナガミネはエリックから依頼の達成証を貰い、ユースティティアと共に村の外縁に停めてあった馬車に乗り込む。

硬い木製の座席に座り、ナガミネは溜め息を吐いた。

 

「ふう……いやー、助かった。帰りも聖都までマラソンする羽目になる所だったぜ」

「ナガミネさん、まさか都からこの村まで走って来たんすか……?」

「昔から足は速かったんでね。徒競走も常にクラスで一番だった」

「いや、そういう次元の問題じゃない気が……」

 

ドン引きしているユースティティアを余所に、ナガミネはある事を思い出し「あ、そうだ。聞きたいことがあるんだけど」と言った。

今日聖都で見かけた仮面の男──"剱の聖者"についてだ。奴もユースティティアもディルム聖教会の所属。何かしら情報を知っているだろう。

 

「ティティ。お前、"剱の聖者"について知ってるか?」

 

ナガミネの問いに、ユースティティアは視線を向けず答える。

 

「もちろん知ってるっすよ。自分の所属してる組織の最高戦力の一人っすから」

「やっぱりあいつが一番強いのか」

「いや、教会には四人の"聖者"たちが所属してて、それぞれに『剱』とか『神秘』とか特性を表す名前が付いてるんす。なので厳密には最強格の一人っすね」

 

ユースティティアの説明を聞きながらナガミネは頷いた。確かにあいつは剣を持っていた。だから"(つるぎ)"の聖者なのか。

 

「こっちに来てからあんなに強そうなの初めて見たぜ。あれクラスが四人もいれば、ティティの職場は安泰だな」

「……いや、どうなんすかね」

「ん?」

「ディルム聖教会は、けして褒められた組織じゃないっすよ。亜人への過剰な弾圧以外にも裏で相当酷いことやってるっす」

 

顔を少し伏せながらユースティティアがそう言う。

剱の聖者が亜人を粛清するとかどうたら言っていた事を思い出した。

しかしナガミネはその"亜人"とやらが何なのか良くわかっていない。

 

「亜人……?」

「亜人は、人間以外の"言葉ある者"と定義されているっすね。教会の神話では『神が地上に溢れていた獣から今の人類を拾い上げて言葉と知性を与えた』とされているんで、亜人の存在を認めるわけにはいかないんすよ」

 

どうやらこの世界の亜人とやらはかなり広義の存在らしい。

ユースティティアはそれに「さっき言った"聖者"だって、どういう作り方をしてるか知ってるっすか?」と付け足す。

 

「聖者の作り方?」

「国中からかき集めた才能のある子供達に長期間とある薬物を投与し続けて、体を戦闘用に作り変えるんすよ」

「なんかヤバそうだな」

「五、六年もすれば肉体は完全に以前とは別物になって、記憶のほとんども戦闘技術に置き換わるっす。千人以上いた子供達はみんな自分の名前すら忘れて精神を崩壊させて、最後まで自我を保っていた一人だけが"聖者"になるんす」

 

なら、あの剱の聖者も体と記憶を作り変えられた子供たちの一人と言うことか。ユースティティアの話を聞く限り、ディルム聖教会とやらはかなり非人道的な組織のようだ。

ナガミネは不愉快そうに眉をひそめ、指先でトントンと窓際の溝を叩いた。

 

(……潰すか?)

 

ナガミネはしかし、ふつりと水泡のように浮き上がったその思惑を、頭を小さく振ることで霧散させた。

物事の悪い面だけを見聞きして悪と断ずるのは、何よりも愚かな行為だ。善悪の彼我というのが極めて曖昧であることをナガミネは良く知っている。

悪い側面しか無いものなど存在しない。自分はこの組織の事を知って間もないのだから尚更だ。

 

「……というか、どうしてティティはそんな組織に所属してんだ? 今の口ぶりからして、あんま良く思ってないんだろ?」

「お金っす」

 

ユースティティアは即答した。

 

「あん?」

「わけあって、お金がたくさん必要なんす。……まあ、金銭目的でこんな組織に入ってる私もクズの仲間っすよ。さっきの言葉は自嘲と受け取ってくれて結構っす」

 

無表情でユースティティアは言った。

ナガミネは少し考える素振りをしてから、それに対して返す。

 

「理由があっても、人を傷付けるような事はあんまりしない方が良いぜ。これは善悪じゃなくて損得からの教訓だ。因果応報の代行者ってのは、とんでもなく強大な上どこにでも居る」

「……説教っすか?」

「おう。まあ、お前が一線を越えそうになった時には俺が止めてやるよ。銀貨一枚の礼だ」

「なんすか……それ」

 

それっきり、ユースティティアは黙りこんでしまった。

沈黙に包まれた馬車が、聖都に向けて走り続ける。

 

 




明日も更新するので今回ボリューム少なめなのはユルシテ…ユルシテ…

あ、次回から毎回Twitterでこの作品の更新通知出すようするので良かったらどうぞ。(作者Twitter)
https://twitter.com/FPMuZi0VwrvzfhZ?t=aDu4X4EIqOwMgKl4nXfCdw&s=09
普段から極力作品の事以外ツイートしないようにしてるので、通知オンにしてもあんまり迷惑かからないと思います。


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