日向創は特級呪術師 (鳩胸な鴨)
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言うなれば『超高校級の呪術師』

この創くん強すぎんかね…?
創くんのお陰で地獄してた五条先生の周りはマシになったぞ!そのかわりこの世界そのものが地獄だぞ!!


────大丈夫。『僕たち』、最強だから。

 

日向創は、どこまでも凡人であった。

『超高校級』と呼ばれる、他の人間とは一線を画す程の才覚溢れる人間のみが入学を許された『希望ヶ峰学園』に、届かぬ憧れを抱く、量産品の凡人。幼い頃の憧れを捨て去ることなど到底出来ず、ズルズルとそれを抱きながら、腐り落ちてゆくだけの人生を送る。

そんな、どこにでもいる凡人。人類における九割の劣等生たち。

 

日向創は凡人の中でも、『エラー品』とでも呼ぶべき異常があった。

 

生まれながらにして、グロテスクな怪物…人の負の感情を温床に生まれ出る『呪霊』を視認することが出来たのだ。

普段はただ佇むだけのソレに、嫌悪を覚えることはあれど、恐怖を抱いたことはなかった。日向創にとって、呪霊という存在は極々当たり前のものだったからである。

ソレが当たり前でないと知ったキッカケは、両親がソレを視認していなかったから。日向創は凡人なりの拠り所を無くさぬように、呪霊のことは必要最低限話すことはなかった。

 

そんな彼が本格的に『呪い』を知ることになったのは、五歳の頃だった。

その時のことは、鮮明に覚えている。

 

その日、創は希望ヶ峰学園の一般公開に訪れていた。自分がいつか、今しがた見つめている生徒たちのように煌めくことを夢想し、それが叶わぬことを知りながら。

 

と。そこで彼は巻き込まれてしまったのだ。

創が普段目にする呪霊とは、一線を画す驚異性を有する『特級呪霊』。

それが織りなす『領域展開』と呼ばれる現象に。

 

それを打ち破ったのは、呪霊を従える優男と、サングラスをかけたガラの悪そうな男。

これが、日向創が「呪術師」としての道を歩み出すキッカケだった。

「五条悟」、「夏油傑」と名乗った二人に保護され、呪霊についての説明を、創は五歳と言う幼さでしっかりと理解していた。

 

と、同時に羨望していた。

二人の「最強」が魅せた、あの光景に。

 

五歳ながらに受けさせられた、呪術師専門の教育機関…呪術師高専の「初等部」に属するための試験。

これが、今の「日向創」を作る、大きなきっかけとなった。

 

────俺は…自信がほしい…。自分に誇れる自分になりたい…。何も持たないままは、もう嫌なんだ…!だから、俺は呪術師になって、自分を肯定したい!!

 

何のために呪術師になるか。

日向創の場合は、「アイデンティティの確立」という、均一的な凡人であるがための理由であった。

 

話は変わるが、人にはそれぞれに宿る「魂」があり、そこには「呪術師としての才能」としての要素がいくつか構成要素として含まれている。

そして、日向創の魂の形は、「どうしようもないほどに無形であった」。

 

彼が呪術師として開花した術式。その名も「千変万化」。その能力は、「魂の形を変えることで、自らの憧れを自らに反映する」こと。

要するに、後に彼の親友となる乙骨憂太の膨大な呪力による術式コピーに近い現象を、少ない呪力で再現できる術式であった。

 

しかし。この術式の制御は、あまりにも困難だった。

まず呪力のコントロールを為さねば、碌に術式が起動せず。更に言えば、生み出す術式について完全なる理解がなければ、再現できないと言う、まさに欠陥だらけの宝であった。

乙骨憂太のように、呪力のコントロールを担う折本里香という存在がいるわけでもなく、五条悟の持つ六眼を持つわけでもない、一般家庭生まれの創には、過ぎたるシロモノだったのである。

それに加え、日向創という人間が持つ他者への「憧れ」と「嫉妬」が生み出す呪力。乙骨憂太に匹敵するほどとは言わないが、それでも膨大であることには変わりない。そんな要因が合わさって、呪力のコントロールがうまく出来ないというのも原因であった。

 

しかし。日向創という人間が固執する「自分だけのアイデンティティ」は、そんな困難を軽く乗り越えるほどに凄まじい動機であった。

 

結果、彼は中学生になる頃には「特級呪術師」として、その界隈に名を馳せていた。

そこに至るまでに、星漿体たる天内理子を庇って死にかけたり、離反しかけた夏油傑を全力で止めようとして死にかけたり、ヤケになっていた伏黒甚爾と戦い説得を試みて死にかけたりと、幼いながらにとんでもない無茶苦茶をやらかしたものだが、ソレは置いておこう。

 

そして、迎えた呪術高専東京校の入学日。

自身にとっては久方ぶりとなる「同級生」の存在に胸躍らせていた創は、そんな期待を打ち砕かれるように、教師となった五条悟に呼び出された。

 

「創。キミ、希望ヶ峰学園の予備学科行きね」

「はァーーーーーーッ!?!?!?」

 

後輩たる伏黒恵の持つ切り札を再現してやろうか。本気でそう考えるほどには理不尽な提案に、創は遺憾の叫びをあげた。

 

「何言ってんだよ、五条先生!!

俺がこの日をどんだけ楽しみにしてたか知らないわけじゃないだろ!?もう十年の付き合いだから知ってるだろ!?な!?」

「いや、退学って訳じゃないよ。会社で言えば出向だね。ああ、たまにはこっち戻して、パンダとかの相手させるけど」

「左遷の間違いじゃないか!?」

「キミ、自分がどういう立場か忘れた?」

「………」

 

特級呪術師という立場を、呪術高専がそう易々と手放すわけがない。手綱を引けるうちは全力で引く。

そのことを嫌というほど理解していた創は、諦めたように項垂れた。

 

「で、希望ヶ峰学園に行って何をしろと?」

「お、乗り気だねー?昔は『超高校級』なんて食玩のオマケについてくるガムみたいな称号目指してたもんね」

「そんなこと言えるの、五条先生と夏油先生くらいだろうが。最強と比べるなよ」

「あー…。傑だったら『猿は猿だろ』って言うね。確実に」

 

そんな談笑を交わし、五条は一枚の紙を取り出し、創に差し出す。

ソレを受け取った創は、そこに並ぶ文字を羅列を目で追い、思わずこめかみを抑えた。

 

「…あそこが特級呪霊の温床ってマジ?」

「マジマジ。1ヶ月に一体は生まれてるよ」

「そんなソシャゲのイベントみたいな感覚で!?!?」

 

特級呪霊とは、滅多に現れないから「特級」という称号を冠しているのである。それがこうも…それこそ、スーパーのお得セールの如くポンポンと現れられても、慢性的な人員不足かつ腐り果てた上層部のせいで限界寸前の呪術師界隈では対処しきれない。

創はそんなことを考え、ふと、そこで答えに辿り着いた。

 

「あー…。だから俺にかー…」

「そ。場慣れしてる特級呪術師で手が空いてるのなんて、僕かキミくらいでしょ?」

「ま、そりゃ分かったけどよ。

学費とかどうするんだ?あそこ目ん玉飛び出るくらい学費高かっただろ?」

「創の給金から差し引きされまぁーす♪」

「クソがッ!!」

 

特級呪術師としての給金が六割吹き飛ぶことが確定し、叫ぶ創。

呪術高専もそれなりに財政難らしい。

そんなことを思いつつ、創は渋々と承諾として、呪力を込めて判子を押した。

 

「お、受けるの?」

「受けるよ。どうせ断ったら、あのクソジジイどもがアレやこれやと手を回すだろうし。

だったら、自分の意思で入った方が何億倍もマシだ」

「じゃ、契約成立。健闘を祈るよ、創。

できれば、温床となってる部分をどーにかぶっ潰してくれると助かるなぁ」

「はいはい。夏油先生も五条先生も、とんでもなく面倒臭いことをコンビニにお使い頼むみたいな感覚で言うよな…」

 

これが、日向創が『希望ヶ峰学園予備学科』に入学する経緯であった。

これは、超高校級の幸運として入学した「苗木誠」が、超高校級の絶望を打ち倒す物語ではない。今を生きる呪術師「日向創」が織りなす、『絶望』も『希望』も、まとめて『呪う』物語である。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「1日遅れで入学しました、日向創です」

 

結論から言おう。日向創は、希望ヶ峰の制服を支給されなかった。

五条曰く、「あんな没個性の真似事なんて、創大っ嫌いっしょ?」とのこと。五条家の私財を勝手に使って高い金を払うことで校則の無視を合法化。

そして、五条のイタズラによって、創が愛着していた呪術高専用の制服が、彼の一張羅となってしまっていた。

無論、そんなことをすれば目立つ。それはもうこれ以上ないくらいに目立つ。

前提条件として、ただでさえ1日遅れでの入学という目立つことをやらかしている上に、である。

 

結果。創は皆から「身の程知らずの目立ちたがり屋」として認識されることとなった。

 

一日中針の筵にされるような感覚に陥りながらも、カリキュラムに着いて行き、深くため息を吐く。

彼の呪術高専での制服は、規定のものと白色のパーカーを無理やり合わせたような見た目をしている。そんなパンダのような見た目をしていれば、無論目立つ。

彼がこんな制服になったのは、「パンダと仲良くなれそうですしね!」と五条が余計なことをし、学長となった夜蛾がソレを承諾してしまったからなのだが、それは今は関係ない。

 

問題は、果てしなく目立つということにあるのだ。

そうなれば、無論、面倒なのが絡んでくる。

 

「ねぇ、アンタ。いくら積んだの?」

 

放課後。気の強そうな女子が、疲労で突っ伏する創の机に腰掛ける。

よくよく見れば、これでもかと呪霊に取り憑かれてる。これは近いうちに呪霊に当てられた誰かに殺されるな、と思いながら、創はいたく面倒そうに顔を上げた。

 

「知らねーよ…。保護者もどきの大人子どものクソ野郎が金積んだ挙句、これしか服を寄越さなかったんだからよ…」

「……アンタ、誰に口聞いてんの?落ちこぼれの予備学科の中でも更に問題だらけの落ちこぼれのくせに」

 

どうやら地雷を踏んだようだ。

落ちこぼれと言われても波風立てないくらいには、感情を抑えられる創。

心底面倒なことになったな、と思いつつ、彼は淡々と口を開いた。

 

「俺は無理矢理入れられたんだよ。本当だったら国立の専門学校に入る予定だった」

「はっ。落ちこぼれには変わりないじゃん。超高校級じゃないんだから」

 

(そんなビールのオマケみたいな称号なんて要らねーよ)

 

そんな一言が口をついて出そうになったが、ここは希望ヶ峰学園の最底辺たる予備学科。目指しても届かぬ上を見上げるしかない中で、ソレを貶せば無駄な衝突を生むと知っていた創は、口を閉ざしてまだ見ぬ呪術高専の同級生に想いを馳せた。

 

話は変わるが、希望ヶ峰学園が記録する歴代の才能の中で、「呪術師」というものは存在しない。

理由は単純。研究したところで、超高校級であろうがなんだろうが、人間がどうこう出来るわけがない領域だからである。たとえ脳を弄ろうが、魂の形は変わらないのだ。

 

故に、彼と他の予備学科の生徒では、根本の価値観が丸ごと違った。

 

「ねぇ、聞いてんの!?アタシは『超高校級の妹』だって言ってんの!

アンタみたいな目立ちたがりの落ちこぼれの中の落ちこぼれとはとは違うんだから!」

「本科の身内ってだけで入れるモンでもあるまいに…」

「無論、身内ってだけじゃないわよ!アタシには…」

「すまん、もう帰るから。じゃ」

 

創は何を言っても通じないな、と感じ、さっさと荷物をまとめて二人以外誰もいない教室を出ようとする。

どうやら、とっくに下校時刻を過ぎていたようだ。

少女はそれに腹が立ったのか、「待ちなさいよ!」と怒号を放ち、追いかけてきた。

できれば追いかけてほしくなかったのだが、この際仕方がない。

 

「こんな『帳』を張るなんて、窓や補助監督の人たちじゃ出来ないだろうしな。ごめんだけど、ちょっとだけ、付き合ってもらおうか」

「は?」

 

そんな独り言を告げ、巻き込むことを少女に謝る。

そして、少しばかりの呪力を込め、言葉を紡いだ。

 

「『闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』」

 

瞬間。校舎の一角のみが、夜の闇に包み込まれる。

帳。呪術師が自らの存在を秘匿し、尚且つ呪霊を炙り出すのに使う結界。

今回、少女を巻き込んだのは、希望ヶ峰学園という場所が無人になることは滅多にないためである。故に、帳も校舎の一角のみに展開している。

一人くらいなら知られても大丈夫…というより、特に彼女のように人に恨まれそうな性格をした人間には知ってもらわなくては困るというのが実のところであった。

 

「な、なに…?なんで、夜に…?」

「七海さん、借ります。『千変万化:十劃呪法』」

 

困惑する少女の背後にいる呪霊たちが、帳によって炙り出されたことで、少女を殺そうと迫る。

創は千変万化によって生み出した、布が巻き付く菜切包丁を構え、その呪霊たちの体の「七:三」の割合となる箇所に斬撃を叩き込む。

形容し難い音と共に断末魔の叫びを上げる呪霊を背に、千変万化によって生み出した包丁を消した。

 

「な、なにっ!?なにこのキモいの!?」

「呪いだよ」

「は、はぁ…?アンタ、何言っ…」

「俺から離れない方がいいぞ。

…五条先生、借ります。『千変万化:無下限術式』」

 

創は呪力を込めて、四方八方から襲いくる呪霊たちをまとめて祓う。

正直、特級たる創にとっては雑魚であるものの、いかんせん数が多い。

一級以下…それこそ、京都校に入学しているだろう、先輩であり友人でもある東堂葵でも苦戦するレベルだ。夏油がやらかそうとした百鬼夜行も、こんな感じなのだろうか。

余程、負の感情の温床になっているのだろうな、と思いつつ、雑魚である呪霊らを祓い続ける。

 

「ひっ…!?な、何よぉ…!?ほ、ホントに何ぃ…!?」

「お前、生まれは特殊か?」

 

創の質問に、怯え切った少女はびくり、と肩を震わせる。

が。創の瞳と、今にも殺されそうという状況における恐怖で、恐る恐る口を開いた。

 

「え?…そりゃ、九頭龍組の組長の娘だし、跡取りの妹だし、特殊だけどさ…」

「…成る程、道理で。お前のお父さん…お兄さんか?この際誰でもいいや、考えるのも面倒だ。

身内が極道やってりゃ、そりゃあ呪われるわけだ。相手が呪詛師じゃないだけマシだが」

 

亀裂の走る地面を見て、創は少女を抱えて飛び上がる。

無下限術式の模倣によって、万物の常識たる重力が意味を為さぬ体となった創。宙に浮いているとしか言えぬ状況に、少女は目をパチクリと丸めた。

 

「え!?なに!?なんで浮いて…!?」

「説明すると長くなるから、後にしてくれ。

コレを模倣しないと、ちょっとばかしキツいのが来るからな…!」

 

瞬間。廊下が崩れ、その存在が露わとなる。

あまりにも冒涜的な出立ちにソレに、少女は顔を青くする。

人型には近いものの、身体中から突き出るバドミントンラケットやシャトル、吐き気を催す色彩を持つ身体。

その威圧感と呪力から、特級であることは間違い無いだろう。

 

「成る程。『超高校級のバドミントン部』への嫉妬が積もり積もって生まれたのな。確か、3年の先輩がそんな肩書き持ってたか。

夏油先生が希望ヶ峰学園を最初に潰そうとしてた理由…。たった今、よーくわかったよ」

 

術式反転『赫』。術式そのものを模倣しているが故に、反転術式さえも再現できる。

順転の『蒼』に比べ、周りの被害が少ない攻撃。収束という現象がそのまま指に顕現し、呪霊を抉り取らんと迫る。

が。呪霊はそれを軽いステップで避け、シャトルの形をした呪力の塊を弾幕として打ち出す。

かなりの高密度で放たれた弾幕に、少女が死を覚悟したのか、目を瞑る。

 

「なぁ。超高校級の妹っつーくらいなら、『アキレスと亀』ってのは知ってるか?」

「……、し、知ってるけど…。な、何聞いてんのよ…?もうすぐ死にそうなのに…!?」

「俺が再現してるのは、ソレ…永遠に追いつけない『無限』を『現実に持ってくる力』なんだよ。借り物だけどな」

 

アイデンティティを求めた創の術式は、その実アイデンティティを持たない。

故に「千変万化」。何者でもないから、何者にでもなれる。凡人さえも捨て去った、何者でもないという「アイデンティティ」が、日向創の極地。

再現した「無限」が、着弾する弾幕を全て防いでいた。

 

「な、なにそれ…?え…?あんた、いったいなんなの…?」

「希望ヶ峰学園予備学科一年。あと、呪術高専一年所属、特級呪術師『日向創』。

ソレ以外の何者でもない。だから、何者にでもなれる」

「……は、はぁ?な、何言ってんの…?何者でもって…、頭おかしいの…?」

「事実なんだから仕方ないだろ。あ、お口はチャックな。舌噛むぞ」

 

印を結び、ある技術を発動させようとする呪霊に、創は猛スピードで突っ込み、発生させた『蒼』をその口腔へと放つ。

瞬間。呪霊は断末魔の叫びをあげながら、内部から破裂した。

 

「一件落着!…って呑気に言えたら良かったんだがなー」

 

目的であった呪霊を倒し、帳が解除される最中。

短絡的に行動しすぎたな、と思いつつ、へたり込む少女に、創は口元に指を立てて顔を合わせた。

 

「これ、皆には内緒な?」

 

日向創にとっては、散々な入学初日であった。




呪術高専一年:特級呪術師「日向創」
本作の主人公。言うなれば「超高校級の呪術師」。カムクラプロジェクトの被験体にされたら多分、最強のセコムがやってくる。ついでに東堂もやってくる。原作で「超高校級の相談窓口」とか言われたコミュ力は健在で、幼馴染のような関係の伏黒恵から「乙骨先輩同様に手放しに尊敬できる人ではあるが、無自覚な天然タラシ」と虎杖悠仁らに紹介されるハメになることをまだ知らない。九十九由基に「好きな女のタイプは?」と聞かれたら「胸が大きくて常に眠たげな瞳の同級生!!」と隠し持っていたAV女優の特徴を大声で答えた黒歴史がある。ちなみに2秒でバレた。
呪術師となったことで、自分が「何者でもない」ことに誇りを抱くようになっている。
憧れは超高校級から「五条悟」と「夏油傑」の「最強」に移った。家入硝子と庵歌姫からは会うたびに「あの二人に憧れるのはやめとけ」と言われている。なまじ再現できるだけあって余計に。

術式「千変万化」…魂の形を任意に変えて、他者の術式を再現する。極めればオリジナルの術式も作れるが、日向創の根底には「他者への羨望」があるため、まず無理。
また、生得領域まで変えられるわけではなく、領域展開を模倣することは出来ない。領域展開自体はできるが、数えるほどしか使ったことがない。
魂が輪郭自体定まらぬほどに無形のため無為転変は無効化される。

…あれ?カースメーカーの方も真人無効化してなかったか、俺…?


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散々な顔合わせ

日向創は最強に振り回される


「だーかーらー!呪術師ってのはなんなのよ!!昨日の気持ち悪いナニカ…じゅれーってのも訳わかんないわよ!!」

「…流石は呪術師全員から毛嫌いされる希望ヶ峰学園…。予備学科でさえも頭カチコチなせいで説明が面倒臭いな…」

 

五条悟であれば「正月過ぎた餅かよ」、夏油傑であれば「猿は知能も猿だな」とでも言うのだろうか。

呪術師界隈では嫌な意味で有名な希望ヶ峰学園に来たことへの後悔が湧き上がり、創は酷く辟易したため息を吐いた。

 

「こいつ、めちゃくちゃ半端な術式だけ持ってたタイプか…。見たところ、二級以下はほぼ見えないっぽいな…。

さっきのがハッキリ見えたのは…、ああ。俺が呪霊を惹きつけるために呪力ダダ漏れにしたのに当てられたのか。納得」

「な、何わけのわかんないことばっか…」

 

一人納得する創に、少女は何が何だかわからず、困惑するばかり。

仮にも極道という裏の世界に首を突っ込む身であるのなら、呪いの一つや二つ知っていそうなものだが。

そんな疑問が湧いてきた創は、少女の顔を覗き込むようにして詰めた。

 

「極道の娘なら知っとけよ、呪いのことくらい。それすらも自称ってこたあ無いだろ」

「なっ!?あ、アタシは九頭龍組の…」

「あ、ストップ。九頭龍、九頭龍…」

 

何処かで聞いたことのある名前だな、と思いつつ、記憶を辿る。

少し前に「金の亡者」という言葉が似合う女性呪術師…冥冥から、そんな名前を聞いた記憶がある。その時はなんと言っていたか。

 

────家族を守るための金ってそれっぽく言われても、私にとって金は金だよ。取れるだけ取ってやる腹づもりだ。

 

「ああー…っ!確か、冥冥さんが金ヅルにしてるヤクザだったっけか!成る程なー…。金に糸目つけずに自分達を守らせてたのか。

そりゃあ全く知らないわけだ。あの人、金への執着を抜きにすりゃあ一番雇いやすくて強いもんなぁ…」

「ま、守られてたって何よ!?それに、なんで冥冥のことまで…」

「同業者だからだよ」

 

流石の冥冥も、希望ヶ峰学園に立ち入ることは避けたかったらしい。

それも無理はない。月一で特級呪霊が出るような魔窟なのだ。創とて、憧れを抱いていた頃はまだしも、今では嫌々通うことを決めたようなものなのだ。

せめて月一での出向とかにして欲しかったな、と思いつつ、創は目の前の問題を片付けることにする。

 

「日本の年間行方不明者、または死者数って相当な数なのは知ってるか?」

「そりゃあね。一部関わってるようなモンだしさ」

「極道がやらかすのはその一割にも満たないんだよ。殆どはさっき見た『呪霊』の仕業」

「…ま、なんとなくわかるわ。間違いなく『死ぬ』って思っちゃったし…」

 

順序立てて説明したことで、漸く落ち着いたのだろう。

納得したように頷く彼女を前に、「やっぱり伏黒ほど上手くは言語化できないな」と呟き、言葉を組み立てる。

 

「呪霊をなんとか出来るのは、呪術師だけ。

俺は呪霊の温床になった希望ヶ峰学園に派遣された呪術師ってわけだ」

「……あんなのの巣窟なの、ここ?」

「そりゃそうだろ。人の負の感情が集まって出来るのが呪霊なんだから」

「なっ、なんで希望ヶ峰学園が…!?希望の学園でしょうが、ここは…!!」

 

そうは言われても、実際に温床となってるのだから仕方ないだろう。

それに、希望ヶ峰学園という学園に渦巻くのは、彼女の言うようなキラキラに輝く希望だけではない。寧ろ、逆にドロドロとした負の感情の割合の方が圧倒的に高いのだ。

届かぬ希望に手を伸ばし、イカロスのように落とされる身の程知らずの凡人たちの妬み嫉み。選ばれなかったことへの怒り、絶望。

更に言えば無自覚のものでさえも加算されるため、希望ヶ峰学園は、呪術師たちにとっては「絶望学園」と揶揄されるほどに避けられる場所であった。

ただでさえ学校という場所は、負の感情の受け皿になりやすいと言うのに、迷惑極まりない話である。

 

それゆえに、全ての事態に対応できる柔軟性を持つ創に白羽の矢が立ったのだが。

 

そのことを一から十まで丁寧に告げると、少女は暫し押し黙る。

流石に酷だったか、と思ってると。

彼女はすくりと立ち上がり、鼻で笑って見せた。

 

「はっ。予備学科みたいな凡人どもが、上ばっか見上げてるのが悪いんでしょ?

上ろうとしない奴らが悪いんじゃない」

「それは違うぞ。お前が必死に隠そうとしてる『嫉妬』も呪霊を生み出す理由だよ」

 

コトダマを放ち、自らは違うと言い聞かせるように放つ少女を論破する創。

見透かされたような物言いに思わずカッとなった少女が怒鳴りつけようとするも、創はそれを防ぐように紙袋を差し出した。

 

「………何これ?」

「五条先生と夏油先生オススメの店の草餅。美味いぞ」

「要らないわよ!ふざけてんの!?」

「だーかーらー、そういう感情がダメなんだよ。呪霊生み出したくなきゃ感情なくすか、呪力のコントロールしろって話だ」

 

創のこのような態度は、五条悟と夏油傑が大きく起因している。

「最強」と称される二人に鮮烈に憧れたがゆえに、「最強」を志す創。故に、言葉の端々には唯我独尊、天下無双の傲慢さ…いや、余裕が隠れていた。

日向創が己に課す縛りは、「可能な限りは余裕であること」。

緩い縛りであるが故に、そこまで効果は無いのだが、彼にとっては「初めて課した縛り」と、「憧れに近づけた証」として残していたものであった。

要するに、おまじないという名の「呪い」なのである。

 

「ま、お前にはどっちも無理だけどな。

呪力のコントロールが出来ない魂の形をしてる。脳みそを弄っても無駄だろ。

魂ってのは例外除き、スクイーズみたいなモンだ。引っ張ったりすることで形を変えることは出来るけど、いずれ戻る。

魂そのものの形をまるっと取っ替えるような術式を使わない限りは無理だろ」

 

魂と脳は密接な繋がりをしているようで、実は違う。

魂が宿るのが脳なのではなく、脳があって初めて自分の魂と繋がれると言うべきか。

どこにあるかもわからない、自分を象徴する魂。例え脳をいじられたとて、やがては…それこそ数年で戻る。

創の場合は、『反転術式』によって魂が無形であるというのが「決まって」いるため、脳をいじったとて創という存在は揺らがないという体質をしていた。少しは影響を受けるだろうが、日向創であることには変わりないと言うべきか。

 

「…結局、才能じゃないの」

「与えられたカードに文句ばっか言っても仕方ないだろ。それをどう使うかは配られたヤツにしか決められない。

俺の場合は身の丈に合わないくらい不釣り合いなカードだったが、今やこうしてお前を助けられるくらいにはなってる。

努力して天才になるとか、誰かに認められて幸せになるとか、誰にも見つけられなかった新たな道を見つけたとかってありふれたサクセスストーリー、俺は好きだぞ」

「嫌味のつもり?才能があるくせに」

 

成る程。これは酷く拗らせてる。

希望ヶ峰学園が温床になるわけだ、と思いつつ、創はやれやれと肩をすくめた。

 

「才能才能って、予備学科ってのは全員こんな感じなのか?

…俺、いつになったら呪術高専に帰れるかなぁ…。同級生との顔合わせもしてないし…」

 

この調子では、あと十年は立て篭って呪霊を祓い続ける必要がありそうだ。擬似的に体験した夏油先生の百鬼夜行…彼の領域展開の方が、まだ生きた心地がした気がする。

そんなことを考えながら、彼はふと、あることを思い出した。

 

「…あれ?そういや俺たち、自己紹介してなくないか?」

「今更でしょ、『日向創』」

「……ああ。俺の名前は言ったか。

お前は…九頭龍組の娘だから…安直に考えて九頭龍って苗字か?…で、兄貴が超高校級の極道と」

「っ、なんでわかる!?」

「いや、あんだけに自慢げに言ってりゃフツー気づくだろ…」

 

超高校級の極道あたりは適当だが。

しかし、反応を見るに図星らしい。随分と大きいヤクザなのだな、と思いつつ、創は彼女に促すように顎を向けた。

 

「何?」

「お前の名前は?」

「……は?なんでアンタなんかに言わなくちゃいけないのよ」

「名前ってのは、人間が最初にかけられる、その人そのものを表すための『呪い』だからだ。だから、名前を知ることは人を知る第一歩なんだぞ」

「知らなくていいわよ、アンタなんかが」

「名前を教えない。それも呪いだな。俺が気になっちゃうから呪いだ」

 

人間とは元来、全てに呪いをかけながら生きているようなもの。

恩師からの受け売りを口にしていると、流石に癪に触ったのか、少女は渋々と言ったように口を開いた。

 

「九頭龍菜摘。これでいいでしょ?」

「おう。よろしくな、九頭龍」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「へぇ?つまり、向こうで猿の一匹と仲良くなったんだね、創」

「夏油先生、あの…、えっと、その…。

非術師嫌いなのはわかりますけど、エタノール箱ごと俺にぶっかけますかね?」

 

三日後。呪術高専に呼び出された創は、恩師たる夏油傑の熱烈な歓迎及び消毒に、びしょ濡れになっていた。

鼻の奥までエタノール臭がする。

ますます非術師嫌いが加速してるな、と思っていると、幼馴染の二人が創を責め立てた。

 

「…夏油様の好意、無下にしちゃダメ」

「そーだよハジメ!特級の中でもゲロ弱の弱々のくせにチョー生意気!」

「美々子、菜々子。これ、めちゃくちゃ肌荒れるんだぞ」

「「………………夏油様!私たちにはちょっとで十分です!!」」

「うん。肌荒れは女子の天敵って言うしね」

 

言うなれば、超高校級の夏油ファンか。呪術高専の制服に身を包む彼女らを尻目に、夏油が希望ヶ峰学園に来る未来を想像する。

…なぜだろうか。嬉々として呪霊によって荒廃していく学校を見捨てる姿しか想像できないのだが。

呪術高専独自の見解として、超高校級は生まれながらに縛りを課せられた「天与呪縛」の集まりという考えがあるらしい。

事実、超高校級と呼ばれる人間の大部分は呪力を持たない。要するに、揃って呪霊を認知できないのだ。

わかりやすく言えば、夏油が最も毛嫌いするタイプの人間しか揃っていないのである。もし彼が離反した際には、生徒は三日で皆殺しにされていたことだろう。

そう考えると、あの時止めて正解だったなと思いつつ、本気で同情の涙を流す夏油の抱擁に抵抗する。

 

「しかし、キミも苦痛だね…!

動物園の檻の中に放り投げられた気分はさぞ最悪なことだろう…!!

キミの『千変万化』を他者に適用する術式の開発は急いでるが、それでもあと数年は要することになる…。どうか、『期待』して『来た』る日を待ってておくれ…。……なーんちゃって」

「はぁ…。泣きながらくっだらないダジャレ言わないでくださいよ……。ってか、術式って開発できるモンなんですかね?」

「私はね。呪霊操術の真骨頂とでも言うべき力だけど」

 

日向創の「千変万化」。この術式は、夏油傑にとっては「希望の光そのもの」と言っても差し支えなかった。

呪霊を根絶すべく、呪術師のみが生きる世界を作り出す。そのために非術師を皆殺しにしなければならない。

以上が、以前夏油傑が抱いた理想であった。

だが、今は違う。千変万化によって「非術師を呪術師にする」ことで、呪霊の生まれぬ世界を作り出すというのが、現在の夏油傑の目標であった。

…呪詛師に対してほぼノープランというのが、かなり痛い計画ではあるが。まぁ、夏油傑という人間自体、呪詛師に近い価値観を持つのだから仕方ない。

 

「で、呪術高専に呼び戻した理由はなんですか?特級でも出ました?」

「いや、違うよ?悟が『生徒たちの顔合わせくらいはやっとこう』って思いつきで呼び戻したからね」

「あのダメな大人の金メダリストめ…」

 

振り回されるこっちの身にもなってほしい。

希望ヶ峰学園の予備学科は、本科と違って普通の試験も出席日数も存在すると言うのに。

下手に退学とかになったらどうしてくれるのだ、と心の中で愚痴りつつ、創は案内されるがままに廊下を歩く。

 

「悟が呼んだら入っていいよ」

「あ、はい」

 

扉の奥から、「最後の一年生、カモン!」とヤケにハイテンションな五条の声が響く。創は希望ヶ峰学園でやらかしたように、変に目立つつもりはサラサラなかった。

しかし、そんな願いも木っ端微塵に打ち砕かれるのだろう。相手はあの自由人だ。何かやらかしてるに違いない。

創は覚悟を決めて、扉を開けた。

 

「おっ、創だ」

「何だあの髪?アンテナ?…ってか、エタノール臭っ」

「ツナマヨ」

 

二人くらい変なのいた。

一人…いや、一匹は顔馴染みであるためすっかり慣れているが、もう一人は違う。何故ここでツナマヨと言うのだ。

困惑を噛み殺し、創は使い古された黒板に自らの名前を書く。

 

「ボクと同じ『特級呪術師』の『日向創』くんでぇす!!」

「おいぃっ!!あんま人の等級バラすなこンの自由人っ!!!」

 

特級であることはせめて隠しておこうかなと思った矢先にカミングアウトされ、その胸ぐらを掴む創。

ガクガクと揺すられる五条は、それでも笑みを崩さずにヘラヘラと笑っていた。

 

「特級?ガタイは良いけど、あんな『ザ・普通』の人間が?」

「創は普通の皮被った狂人だからな。あんま気にしてもしゃーない」

「すじこ」

 

酷い言われようだ。

呪術師であることを抜きにすれば、凡人オリンピックに出場して間違いなく金メダルを取れる普通さなのは自覚してるが、初対面の相手にこき下ろされると心にくる。

そんなことを考えながら、先ほどからの疑問を口に出した。

 

「パンダはとにかく、そこの男子はなんでツナマヨとかすじことか、えらく限定的な語彙してんだよ…」

「彼の名前は狗巻棘。限定的な語彙は、呪言を封じるためだね。安全を考慮して語彙絞ってんだよ」

「しゃけしゃけ」

「ツナマヨ、すじこ、しゃけ…、ああ、おにぎりの具か!考えたな…」

「おかか…」

 

創は呪術高専に記録された術式を、度々監視の目を盗んでは閲覧している。

呪術界御三家と呼ばれる界隈の権威。その相伝の術式さえも再現できるほどに術式に理解のある創は、合点がいったのか、ぽん、と手槌を打った。

「考えたな」という言葉に、照れ臭そうに否定の「おかか」と答える彼。

 

「で、こっちの無愛想な女子が禪院真希!

禪院家ぶっ潰そうと画策してる女の子!」

「……ヨロシクする気はねぇ」

「手厳しいな、おい…」

 

禪院家出身でここまで呪力が無ければ、それは性格逞しくなるか。

呪術師としての素養がなければ人として扱われないという、酷く前時代的な価値観を持つ家庭だとは聞いていたが、どうやら真実らしい。

 

「そりゃ勝手に創との見合い話とかセッティングされかけてたしね。おムネは兎に角、性格的には創のタイプとは真逆っしょ?

ボクがキツーく断っといたから」

「まぁ、確かに。サイズももうちょっと張りがあって揉み応えがありそうなのが好みだし、常に気怠げな女の子にこそ『夢中にさせてやる』って思って興奮するしな…って、何言わせんだよ!!」

「葵の時とかもそうだけどさ、めちゃくちゃノリがいいのも考えものだね、創」

 

盛大に自爆をかました創を揶揄う男子勢に、ドン引きする真希。何処かの作品で見た、『ファーストコンタクトでありワーストコンタクト』とは、この状況のことを言うのかもしれない。

パンダは顔馴染みのため省略された。

一通り自己紹介を終え、創は「無駄に疲れた」と呟きながら、席に座ろうとする。

が。五条がその肩を掴み、それを阻止した。

 

「…あの、五条先生?肩……」

「さて、顔合わせも終わったことだし、創は仕事に戻って良いよー!

大丈夫、ボクが送ってくし!」

「え?マジで顔合わせのためだけに呼んだのか?今から遅刻して授業に出ろと?」

「そのとーり!」

 

ふざけんなこの野郎。

そんな叫びさえあげられぬまま、創の姿は一瞬にして掻き消えた。




「特級の中でぞんざいに扱っても痛いしっぺ返しこなさそうだから」という理由で禪院扇が縁談を仕組んでいた。尚、セコム二人に3秒でバレてボコられた。
最強セコム二人によくおもちゃにされる創くん。夏油のほうは完全に無自覚だけど、五条の方は確信犯。

実は特級の中で一番弱い。


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無知全能

何も知らぬ。故に、何でも成せる。


「…何が1ヶ月に一体だ。三日に一体ペースの間違いだろ…」

「日向、アンタなに疲れ果ててんのよ」

 

入学からしばらく経って。日向創は疲れ果てていた。

理由は単純。1ヶ月に一体とされていた特級呪霊が、三日で一体の頻度で発生しているからである。

余程、不平不満を抱えた人間が多いらしい。世話になった一級呪術師の七海健人であれば、「そういう絶望と向き合わなければ、一生何もできないままです」と告げるのだろう。

そう考えると、周りの人間らは持たざる自分にも、持って生まれた本科生徒らにも怒りと憎悪を抱いているというのに、なにも現状を打破しようと考えない人間ばかり。

歪んだ手段ではあったものの、本科に入ろうと企てていた菜摘も、呪霊のことを聞いて呪われることが怖くなったのか、なりを潜めている。

 

受け入れて妥協すべきか、許せないからこそ何かしら折り合いをつけるか。

これをするだけで呪霊の数は劇的に減少するというのに。

本当に夏油先生を止めてよかった、と思いつつ、創は話しかけて来た菜摘に、心底面倒そうに答える。

 

「呪霊だよ。言ったろ?負の感情から生まれてくるって」

「…たしかに、ここってなんか息が詰まりそうな変な感じはするけど……」

「お前だけじゃない。予備学科のやつらが後ろ向きなのだって、生まれ出る呪霊たちに当てられてるからなんだよ。

予備学科なんて制度を導入した時点で、呪術的にはこれ以上ないくらい詰んでる」

 

お手上げ、とばかりにヒラヒラと両掌を振る創。創の言葉に、嘘偽りはない。

しかし、それを希望ヶ峰学園側が聞き入れるかどうかは話が別。完全な人間を作ることを目的に動く学園側からすれば、ハッキリ言ってモルモットの戯言など聞くに値しなかった。

そして、創は希望ヶ峰学園の企みを既に予測している。というのも、夏油からの忠告があったからなのだが。

 

────木登りしても猿は猿。価値のない猿を生み出してなんになる。底辺の傲慢もここまでいくと烏滸がましいことこの上ない。

 

希望ヶ峰学園もだが、呪術高専も相当捻じ曲がった価値観を育ててる。

それが間違ってるとは言わない。創もまた、自分が歪みに歪んだ価値観を持っていることは自覚している。

呪術師と超高校級。この二つがどこまでも相容れない存在である以上、希望ヶ峰学園に未来はない。

 

「…それ、予備学科全員に喧嘩売ってるってことでいい?」

「事実なんだから仕方ないだろ。

ま、あと二年もすれば廃校になる学校のことなんて、俺は知ったことじゃないが」

「は!?なんでよ!?」

 

突如放たれた爆弾発言に菜摘は目を剥き、創の胸ぐらを掴んだ。

 

「こんだけ呪霊がいれば、後は廃れてくだけなんだよ。どれだけ栄華を極めようが、どれだけ神に近かろうが、背負いきれないマイナスが全部を奪い去っていく。この世界はそう出来てる」

「………なによ、それ。

呪いなんか、超高校級の前には無力でしょうが。お兄ちゃんも、ペコちゃんも…、その、アイツも…。みんな、みんな普通に生きてるじゃん……」

「だから言ってるだろ。効かない間も『呪い』には変わりないんだよ。存在してるだけで不利益が出るんだ。目に見えなくても、お前が感じてる気分の悪さがソレだ。

長年かけて俺たちのような凡人の集まりが超高校級を羨み、妬み、憎悪し、『呪った』から、超高校級が消える。お前たちも、本科の人間も、上層部も。全員がそこにある『呪い』を見なかった結果なんだよ。

その流れはもう始まってる」

 

そう言う意味では、超高校級も呪いだったのかもな、と思いつつ、恩師の一人たる夏油を思い浮かべる。

思えば、最も希望ヶ峰学園の危うさに気づいていたのは、夏油だったか。呪霊を生み出す火種となる超高校級を毛嫌いする故だろうか。希望ヶ峰学園の話題には嫌悪を示しながらも、逐一忠告してくれていた。

 

「ま、 そうならないための俺なんだけどな」

「…アンタが強そうってのは分かる。分かるけどさ…。本当に、どうにかできるの?」

「『最強』の一番弟子にとっちゃ、飲み物溢したくらいのハプニングだよ」

 

いずれか。今はまだ負けているが、いつの日か、五条悟と夏油傑に打ち勝った時。

その時まで、憧れた称号はまだ名乗らない。

いくら希望ヶ峰学園が理不尽や不条理に塗れていようが、呪霊の巣窟である以上、呪術師として祓うだけ。

最強にとっては、数が多いか少ないかくらいの違いしかないだろう。

日向創という人間は、五条悟らと違い、弱音も吐くが、彼らと同じだけの強がりも吐くような人間だった。

 

「さてと、そろそろ帰った方がいいぞー。

また巻き込まれたくはないだろ」

「……わかったわよ」

 

創が立ち上がり、ストレッチを始めたことで察したのか、菜摘は教室を出ていく。

これで何度目だろうか。数えても仕方ないな、と思いつつ、創は帳を下ろした。

 

その範囲内に、本科の生徒らが入っていたことに気づかず。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「校舎の一部が夜になる…?」

「そう!不思議な体験でしょ!?写真には…残らなかったけどさ」

 

希望ヶ峰学園77期生。誉れある超高校級の称号を授けられた少年少女ら。

その中の一人…「超高校級の写真家」と呼ばれる小泉真昼が巻き込まれたという不可思議現象に、クラスの話題は掻っ攫われていた。

入学から二ヶ月近くが経っている希望ヶ峰学園には、ある「怪談」が流行していた。

 

それは、「昼間であるはずの予備学科校舎が、一部夜に包まれることがある」ということ。

 

場所はまちまちで、廊下であることもあれば、教室であることもあるという。

ただ一律して、夜になった場所には、一部亀裂が走るという現象が見られている。希望ヶ峰学園が誇る卒業生…『超高校級の超自然現象学者』、『超高校級の物理学者』が調査しても、「物理的な破壊だが、原理がさっぱりわからない」らしい。

こんな噂話が立ってしまってる理由として、希望ヶ峰学園にて、呪術師による人払いがまず出来ないという裏事情があるからなのだが、ソレを知るのは呪術師のみだ。

 

創が戦う際、帳に巻き込まれる人間はちらほら居るが、呪霊を見た者は現時点ではいない。創が迅速に祓っているのに加え、呪霊の巣窟たる希望ヶ峰学園に、呪霊を視ることができる人間が入学しているわけがないからである。

 

話を戻せば。小泉真昼は、その「帳に巻き込まれた一人」なのである。

無論、写真家たる彼女は興奮した。純然たる事実のみを現実から切り取る写真。そこに不可思議な現象を写し込む。写真家としての矜持などはさて置き、ごくごく普通の少女としても興味がそそられる現象を収めない手はなかった。

…まぁ、呪力の篭っていないカメラで撮れるわけもなかったのだが。

 

そんなことを知らない彼女は、そのまま話すことでしかクラスメイトに、その鮮烈な体験を表現するほかなかった。

ソレに食いついたのは、彼女と仲のいい西園寺日寄子らを筆頭にした女子数名と、それに追従する男子数名。

一部は興味がないのか、小泉の話を聞き流し、各々のことに没頭していた。

 

「写真はすっごい綺麗な夕方のグラウンドっすよ?ホントに夜になってたんすか?」

「まぁ、物的証拠は…ないけどさ」

「『夕方なのに夜になってる』ってか…。あれ?考えれば普通のことじゃね…?」

「逢魔時を消し去り、宵闇のみを世界に顕現する…。恐らく、田中キングダムの主たる俺の権威が、新たなる眷属を呼び込むべくそうさせたのだろう…!!」

「まぁっ!田中さんにはどんな時間でも夜にしてしまう力があるのですか!?」

「田中のソレは確実にないと思いますよ、ソニアさん…」

 

和気藹々と皆が騒ぐ中で。

ひょんなことから、学級委員長を務める羽目になってしまった『超高校級のゲーマー』たる七海千秋は、一人呟いた。

 

「自由に夜にできるなら、お昼でもぐっすり寝れそうだよね」

「不気味とかじゃなくて!?」

 

帳の真実を知れば、確実にそんな呑気なことは言えないのだが。

どこまでもマイペースな発言にクラスメイトからのツッコミが入るも、七海千秋は我関せずとばかりに寝ぼけ眼でゲーム機との睨めっこを続けた。

 

「でさ、友達から聞いたんだけど、この現象って、『三日に一回のスパン』で、『放課後一時間後』に起きてるんだって!

情報が正しかったら、今日がその日なんだよ!」

「小泉おねぇ、肝試しのお誘い?」

「まぁ、そうなっちゃうかなぁ…?

でも、このクラスでの思い出は残しておきたいからさ」

「そういうことなら、全員で行くってのはどうよ!」

 

皆が予備学科校舎への肝試しに、参加の意を募る。そこそこ団結しつつあるこのクラスにて、「思い出を残しておきたい」と言う小泉の気持ちは、皆を賛同へと導いた。

中には照れ隠しとして「仕方なく参加する」と言い訳する者もいたが、『超高校級のアニメーター』、御手洗亮太のみはふくよかな体型を揺らしながら、「仕事があるから」と去ってしまった。

仕事であるならば仕方あるまい、と納得し、教室を去る。

 

その際。七海千秋はふと、窓の外を見た。

 

「……なにか、嫌な感じ」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

結論から言おう。77期生は、ものの見事に帳に巻き込まれた。

予備学科とはいえ、在籍数はかなりの数に上る。それ故に、本科の校舎に負けず劣らず、校舎は無駄に広かった。

だというのに、何の因果だろうか。帳は彼女らを飲み込んでしまったのだ。

 

「うぉっ…!?マジに夜になったぞ!?」

「…バカな…。覇王たる俺以外に闇を司る者がいたと言うのか…!?」

「ははっ…。これも希望に至るまでの道…ってことでいいのかな?」

 

夜に包まれた校舎を見渡し、感嘆の息を漏らす彼ら。やはり、噂は間違いではなかった。皆がそのことに感心していると。

 

その存在は、姿を現した。

 

『ぅじゅるるるるるる…』

 

准一級呪霊。廊下を圧迫するほどの巨大さを誇る体躯が、廊下の曲がり角から唸り声を上げて現れる。

人とも動物とも取れない、不気味な質感。

顔の七割を占めるほどに巨大な瞳が、彼らを捉える。

 

「うぎゃあああああああっ!?!?何だアレ何だアレ何だアレェェェエエエっ!?!?」

「いやぁあああああああっ!?!?た、食べないでくださいいぃいいいっ!!!」

「闇より出ずる化身か…!?しかし、我が眷属どもとは違う…。そもそも、同じ存在であるかどうかすら曖昧極まりない…!!」

 

彼らが呪霊を視認できているのには、わけがある。というのも、彼らが極端に『呪われやすい』という至極単純な理由なのだが。

超高校級という称号を冠するが故に、他者から呪われる。故に、呪霊たちは彼らを取り巻く濃密な呪いを喰らうことで存在を強め、非術師でも視認できるようになってしまった。

 

「面白ぇ…。食いでありそうな図体してんな…。ぶっ倒して食ってやらぁ!!」

「ボクこんなキモいの調理するの嫌だよー!?いや、シェフとして出来ることはするけどさー!!」

 

『超高校級の体操選手』の終里赤音が呪霊に飛びかかると共に、『超高校級の料理人』の花村輝々が抗議の声をあげる。

因みに、やめておいた方がいい。呪霊操術を扱う夏油曰く、「吐瀉物を吸い取った雑巾を食らってる」ような味がするのだから。

まぁ、大前提として。非術師の攻撃が呪霊に通じることはないが。

 

「…あ?なんか、ゴムを殴ったみてぇな…」

『じゅるっ!!』

「がっ!?」

「赤音ちゃん!?」

「貴様ァアアアアアアっ!!!」

 

剛腕によって引き剥がされ、地面に叩きつけられる赤音。それに激昂した『超高校級のマネージャー』たる弍大猫丸が雄叫びをあげて突っ込む。

が。途中で足を止め、腹を押さえて崩れ落ちた。

 

「ぅぐっ…!?こ、こんな時に…、クソの波が来おってからにぃい…!!」

 

無論、偶然ではない。呪霊の放つ負の気に当てられ、体調の悪化が始まっているのだ。

被呪者の中でも極上とも呼べる存在たる弍大をこのまま放っておくほど、呪霊という存在は節制ができるわけではない。

弍大の体躯さえもズッポリはまるほどの巨腕で彼を抱えると、大口を開けて彼を喰らおうとする呪霊。

と。それを邪魔するように、『超高校級の幸運』たる狛枝凪斗が放った小石のかけらが、どういうわけか、呪霊の立つ地面を崩落させた。

 

「お、ツイてるね。

ボクなんかの幸運が、弍大クンの希望を守れてよかったよ」

『じゅるるるるっ!?!?』

「おっさん!!」

 

落下の際に投げ飛ばされた弍大を、終里が受け止める。

が。事はそう上手く進まない。呪霊は何本もある腕のうちの一つを崩落した地面にひっかけ、体勢を整える。

その際に走った亀裂が、彼らの足元まで届き、廊下を丸々崩落させた。

 

「な、うわぁあっ!?」

「ひゃあ!?み、見ないでくださぁい!!」

「……って、あれ?そこまで落下したわけでも…」

 

襲ってきた衝撃や浮遊感とは違い、すぐに着地したことに、皆が目を丸くする中、舞い散る埃が床に落ちる。

その中で、彼らは一様に息を呑んだ。

 

『ぢょお、ぉおおおっ…』

『ぎゅゆゆゆゆゆ』

『じ、じしししじじっ』

 

満たす限りに異形、異形、異形。

廊下を呪霊たちが埋め尽くすのを見てしまったのだ。

あまりに絶望的な状況に、一部の生徒たちは放心し、泣き、声にすらならない息の振動で助けを呼ぶ。しかして、呪霊がそれを聞き入れるはずもない。

もうダメか。七海千秋が迫る呪霊の顎門に、強く目を瞑った時だった。

 

「借りるぞ、東堂!!『千変万化:不義遊戯』!!」

 

ぱん、と拍手が響き、同時に黒の閃光が煌めく。

『黒閃』。呪力と打撃をほぼ同時に叩き込む事で、通常の打撃の2.5乗の威力を発揮する『現象』。この場にそれを起こせる人間は、たった一人。

 

「だーっ…!!本科の生徒が帳の中に入ったから、俺の方に来なかったのか…!!なんて果てしなく最悪なタイミングで入ってきたんだよ、コイツら…。

呪いを食って存在が増してる…。ほぼ受肉じゃないか…」

 

そう。特級術師、日向創である。

この状況に悪態を吐きながら、自分と相手の位置を入れ替える術式…「不義遊戯」で殲滅していく。絶え間なく響く拍手の音と、打撃の音。

呪霊の群れでほぼ見えないが、本科の生徒たちを守るように、誰かが移動していることだけは、彼らは把握していた。

 

「な、なんて速度…、いや、入れ替わってるような…?」

「何言ってんだ、ペコ………山。超能力でもあるまいに…」

「アイツ、強ぇ…」

「う、うむ…。なんちゅうドえれェ戦い方なんじゃあ…!!黒い光はなんかは分からんが、『ゾーン』に入った選手のような威圧は感じるぞッ……!!」

 

日向創の体術は、夏油傑と東堂葵の仕込みである。千変万化が無くとも、ここに群れている呪霊のみならば一人で相手できる。

例え、守るべき存在が十数人居ようとも。それが出来てしまうのが、「特級呪術師」なのだから。

 

「おい、本科の人たち!祓い終わるまで下手にここを動くなよ!!死ぬぞ!!」

「…キミ、予備学科の人?」

 

全体の6分の1を祓い、少しばかり余裕が出てきた創が、その場を動かぬよう忠告する。

狛枝が嫌悪感を隠そうともせずに問うと、創は叫んだ。

 

「話しかけんな!!お前らの言霊ひとつひとつがコイツらのエサになる!!

コイツらはお前らへの『嫉妬と羨望』が命を持って生まれてきたバケモノなんだ!!原因たるお前たちを今も殺したくて殺したくて堪らないんだよ!!」

 

実はここにいる呪霊の数は、「日向創を除く予備学科全員と同数」である。

予備学科ら一人一人のあまりにも強い妬み嫉みが、准一級の群れを織りなすほどに呪霊を生み出したのだ。

 

「ひぅっ…!?わ、私たち、何かしたんですかぁ…?な、なんでこんな…」

「話しかけんなって言って…、ッ、五条先生、借ります!!『千変万化:無下限術式』!!」

 

────『領域展開』。

 

瞬間、世界は作り変わる。

術式の到達点。決まった時点での勝ちがほぼ確定してしまうような、理不尽の権化。

その名も『領域展開』。閉じ込めることに特化した結界で外界を隔て、現実に自分の生得領域を展開する。

得られる効果は二つ。術式の必中と、環境の最適化。

つまり、非術師であれば、確実に死ぬと言っても過言ではない状況を作り出せるのだ。

 

────『才覚断裁』。

 

彼らを包み込むのは、暗黒。

嫉妬に塗れた予備学科たちの叫びが渦巻く、一分一秒といればいるほどに気が触れるような嫌悪感を感じさせる空間。

創は自身の纏う無下限を「拡張」させ、千秋たちを保護する。

 

「な、なんだ、これは…!?

まさか、田中キングダムとは対をなす死の国の顕現ではあるまいなっ!?」

「……き、気持ち悪い…っ…。ゔ…、ぶっ…」

「だ、大丈夫、日寄子ちゃん!?」

「うぶっ……」

「わ゛っ!?輝々ちゃん、エビみたいに泡ふきながらゲボ吐いてるっす!!」

「ソレを言うなら蟹だと思います…ぅぷっ…」

「そ、ソニアさおぼろろろ…」

「おいコラ左右田!!俺に向けて吐く…ぉえっ…!?」

 

領域内に溢れる負の気に当てられ、一部吐瀉物を吐き出す彼ら。流石に天下の無下限でもこればかりは防げなかったらしい。

比較的冷静かつ、隣でことの成り行きを見ていた千秋に、創は口を開く。

 

「いいか?お前らが見てるのは、呪いだ。

で、ここはその呪いがお前たちを殺すために引き摺り込んだ、絶好の場所。

俺が…まぁ、無敵バリアみたいなの張ってるから平気なだけで、入った瞬間に殺されてもおかしくない場所だ」

「即死ルートに強制突入って感じ?」

「……まぁ、ちょーっと違うが、すんごく俗っぽく言うと…っと、来やがった」

 

迫り来る術式…嫉妬による怨嗟によって出来た裁縫道具たちの強襲に、創は無下限を纏いながら触れる。

瞬間。呪力で構成されたソレは霧散した。

 

「構築術式の領域展開か?…いや、もう少し複雑なんだろうな。

ま、今からやることに変わりはないから、関係ないか」

 

言って、創は両手を祈るように組み合わせる。…否、組み合わせてはいない。指と指の間を交差させ、指は伸ばしたままにしていた。

 

「何?神様にでもお祈りするのかい?

いくら不可思議な力を持っているとはいえ、所詮は…」

「この空間には対処法がある。その一つは壁を破る方法なんだが…まぁ、現実的じゃないからソレは置いとこう」

 

狛枝の憎まれ口を遮るように、創が告げる。

今から成すのは、日向創という存在そのものの顕現。何者でもないが故に、何者にでもなれるという「可能性」を最大限引き出すための「領域展開」。

 

「特別に出血大サービスだぜ、天才ども。

何者でもない『日向創』の『何者にでもなれる可能性』を魅せてやる」

 

────『領域展開』…。

 

瞬間。闇夜に包まれた世界がかき消え、白の空間が埋め尽くす。

街のような、村のような、里のような、国のような、島のような、空のような、海のような…。

あらゆる認識が可能な空間に、皆がパチクリと目を丸くする。

そこに立っていた呪霊も、あまりに圧倒的な領域に狼狽え、創に迫ろうとする。

 

────『無知全能』…!!

 

無知であるが故に、あらゆることが出来る。無知であるが故に、あらゆる可能性を引き出せる。

領域内には、幾万、幾億もの「日向創」が立っていた。

 

「ここは、俺の『可能性』。何者でもない俺が描くだけ描いた妄想を、現実にできる。

俺たちを殺したければ、あらゆる可能性の俺を殺し終えてからにしてもらおうか…!!」

 

無下限が、赤血が、影が、包丁が、拳が…。

あらゆる可能性を成し得た日向創が、一斉に呪霊に襲いかかる。

数秒もしないうちに領域は解かれ、残ったのは呪霊の死骸だけだった。

 

「ふぅ…。終わった……」

「……キミは、何?」

「ん?」

 

呆然とする千秋の問いに、創は手を払いながら答えた。

 

「予備学科生徒。あと呪術高専一年所属、特級呪術師の日向創だ」




領域展開「無知全能」
ざっくり言うと「あらゆる可能性を成し得た日向創」を全て召喚し、タコ殴りにする。尚、召喚する創は、創が一度夢想したものでなくてはならないと言う制約がある。創は五条悟と夏油傑相手にコレを使っても勝ったことがないどころか舐めプされたことがある。相手最強だもんね、仕方ないね。
領域の展開プロセスは、伏黒の真っ白バージョン。

書いてて思ったけど、ここの夏油と五条を狛枝に会わせたら喧嘩ばっかしそう。


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超高校級と呪術師

どこまでも相容れないはずだった。


「ねぇ、建人おじさん」

「千秋さん。私はまだ高校生です。おじさんではありません」

 

七海千秋の古い記憶。少し痩けた顔の少年…相棒を喪ったばかりの七海建人が、親戚としてその日限りの宿を千秋の両親に求めた日のこと。

千秋はあろうことか、七海建人が愛用するナマクラの包丁を、彼の荷物から抜き取っていた。

理由は単純。「好きなゲームの武器っぽかった」から。

刃が包帯のような布でぐるぐる巻きにされているのだから、きっと要らないものなのだろう。であれば、自分にくれるかもしれない。

そんな淡い期待を込めて、千秋は七海建人に問いかけた。

 

「これ、欲しい」

「千秋さん。あなたは死にかけでMPゼロの戦士から装備を取り上げますか?」

「…………ごめんなさい」

 

ゲームでこう例えられては仕方がない。

いくらナマクラの包丁とは言え、呪力を浴び続けている、謂わば「半呪具」とでも言うべきシロモノである。呪いへの耐性はそこそこにあるが、視認できない千秋には毒にしかならない。建人が包丁を取り上げたのは、千秋の身を案ずる優しさからであった。

暫しの沈黙。千秋が黙々とゲームを進めるのを、建人が見つめるだけの時間。

まだ幼いながらに、将来的に「超高校級のゲーマー」と称される才能を遺憾なく発揮する千秋に、建人は独り言のように語り始めた。

 

「……千秋さん。あなたは自分が思っている以上に情に脆く、聡く、強い子です。

だからこそ、引き際を間違える」

「あっ…」

 

画面に映る「GAME OVER」の文字。

まさかミスをするとは思っておらず、コントローラーを手に「むぅ」と不貞腐れる千秋に、建人は続ける。

 

「…私の親友も、君と真逆な性格をしていますが、根底は同じような男『でした』。

私たちが進んだ道は、いつ誰が死体すら残さないほどに残酷な死に様を迎えてもおかしくない道です。

今後、あなたが知らぬうちにこの道に踏み込んでしまい、誰かを庇うことがあるかもしれない。または、誰かに自らの凄惨な最後を見せてしまい、その心を深く傷つけてしまうかもしれない」

 

建人は言うと、自らの足の上に座る彼女の頭を撫で、優しく微笑んだ。

 

「それは君の美徳であり弱点でもあります。親戚として君の無事を祈り続ける私からアドバイスしておきましょう。

自らが何が出来るか、自らの限界が何処なのか。信じることはどういうことか。あらゆる『情』を吐き違えないことです。

……吐き違え、弁えなかった己の未熟のせいで、喪ってしまった私からの忠告です」

 

千秋の顔に、温かく、悲しいものが滴り落ちていた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

七海千秋がこんな古い記憶を掘り起こしたのには、ワケがある。

新作ゲームの発売日が訪れ、手にとって購入する楽しみを味わおうと訪れた、希望ヶ峰学園敷地外にあるショッピングモール。

そこで見かけたのは、先日、クラスメイトたちを助け、颯爽と去っていった日向創。

そして、自らの親戚である七海建人に、ポニーテールに似合わぬ眼鏡が特徴的な少女。

一見すれば、何の集まりだと困惑してしまうようなメンツに、千秋は新作ゲーム片手についつい尾行してしまっていた。

 

「……ん?あれ、確か昨日の本科生徒か…?」

「ストーカーかよ。日向、結構モテんの?」

「日向くんは人柄ではモテますが、容姿はアンテナくらいしか特徴がないので面識があまりなければモテないと思いますよ」

「七海さん俺泣いていい?」

「慰めませんよ」

 

等級で言えば、現時点で五人のみが認められている『特級呪術師』たる日向創が最も権限を持っているのだが、性格的にソレを使って威張り散らすような真似はしない。

キャリア十年のベテラン呪術師でもある創がここまでこき下ろされているのも、最強二人におもちゃにされているのが原因である。

 

この三人がどうしてショッピングモールに集まっているか。一言で言えば、少女…禪院真希が実家からの嫌がらせで割り当てられた、希望ヶ峰学園周辺での仕事がきっかけであった。

呪いの耐性が比較的弱い真希に、呪霊の巣窟たる希望ヶ峰学園近辺の仕事は、かなり荷が重い。そのサポートとして、五条悟より呼び出されたのが、言うまでもない特級呪術師の日向創と、たまたま手の空いていた一級呪術師の七海建人であった。

 

「希望ヶ峰学園は私立だが、お国様とアロンアルファでくっ付いてんのかってくらい、べーったり癒着してるだろ?その癒着してるやつらって、ロクに呪われたこともねーから全員が呪術に懐疑的でさ。

補助監督の人とか、窓の人も呼べないから、人払いが碌にできないんだよ。

だから俺の場合、呪術規定八条『秘密』の違反は、特例で無罪放免になってる」

「で、帳に巻き込んでしまった…と?」

「まさか降りるタイミングでギリ入ってくるとは思わなかったんですよ…」

 

千秋を巻き込んだのは不可抗力だ、と告げるも、「呪術師界隈の大人代表」とまで称される建人相手にそれで許されるはずもなく。

「後で説教です」と言われ、日向はがっくりと肩を落とした。

 

「だから言ったでしょう?『呪術師はクソ』だと」

「俺に言わせれば、『希望ヶ峰学園はクソ』ですけどね」

「それは下手にSNSに上げないことです。炎上しますよ」

「二年もしないうちに廃校になる学校ですし、口で言うくらいならいいでしょ」

「マジか。そんなに呪われてんのな」

 

待て。今何と言った?廃校になる?あの希望ヶ峰学園が?

創の爆弾発言に、思わず手に持っていたゲームを落とし、立ち尽くす千秋。

そんなわけがない。そんなわけがないと必死に否定するが、否定しない建人と真希の態度が、どうしても否定させてくれない。

 

七海千秋は自分が気づかぬ程の心の奥底で、希望ヶ峰学園に愛着を抱いていた。ソレも無理はない。同じく「超高校級」と呼ばれる、個性的なクラスメイトたちと打ち解け、しばらく経っているのだ。そんな思い出の場所がなくなるという想像をするだけで、千秋にとっては耐え難い苦痛となっていた。

 

「……それ、千秋さ…、んんっ。本科の生徒の前で言ってよかったんですか?」

「……………五条先生と夏油先生だったら目の前でゲラゲラ笑いながら更に追い込むから大丈夫だと思いたい!!」

「お前、嫌なとこトコトン悟と傑に似てるよな」

「真希さん。五歳の時からあの二人の一番弟子ですよ、この子」

「あー…。そりゃあ嫌なとこ似るわな」

「心外!!」

 

創が今まで歩んできた人生において、五条悟と夏油傑の存在はあまりにも大きい。それ故に、彼の性格には、多少なりとも二人の嫌な部分が受け継がれてしまっていた。

デリカシー皆無、言葉を選ばない、その癖して悪口のレパートリーが豊富、性癖を隠そうともしないなどと、彼の問題点を挙げればキリがない。

建人が深いため息を吐き、創の背を押した。

 

「君が千秋さんの不安を煽ったんですから、君が何とかしなさい」

「こう言う時に『大人の責務』とかは出さないんですね」

「子供の尻拭いをすることが『大人の責務』ではないことは、君には再三伝えたはずですよ」

「……まったく、冗談通じないな…」

 

建人はそれだけ言うと、真希を連れて依頼の現場へと歩いて行く。

今回の依頼は准一級相当。七海建人が居れば、まず被害は出ないだろう。

二人の背中を見届けながら、残された創は、震える千秋に頭を下げた。

 

「ごめんな。デリカシーのカケラもないこと言っちまって」

 

自分の性格の欠点は自覚していたらしい。

五条と夏油の悪いところを引き継いでいるにしては殊勝な態度だと、彼らを知る人は口々に言うだろう。

無論、そんなことなど知らない千秋は、震えながらも不安をこぼす。

 

「……ねぇ。廃校になるって、本当?

もしかして…、さ…。その、昨日の出来の悪いゾンビゲーの敵キャラみたいなのが関係してるの…かな…?」

「答えはするが…、そうだな。そこのカフェで自己紹介も兼ねて話そうか」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「改めて。予備学科兼呪術高専一年、特級呪術師の日向創だ。そっちは?」

「七海千秋でーす…。…えっと、『超高校級のゲーマー』…らしい…よ?」

 

あまりにパッとしない自己紹介に、創は表情を引き攣らせる。

コーヒーを飲んだことで落ち着いたのだろう。千秋は先程とは違う、眠たげな声音をしていた。

 

「お前の才能だろ…。なんでお前が疑問系なんだよ…」

「ゲームやってたら、いつの間にかこうなってた…ってカンジだから、かな?あんまり、自覚なくって…」

 

自らの才能を知覚していないタイプの天才らしい。酷くマイペースだな、と思いつつ、創は説明のために口を開こうとする。

 

「むぅ…。全然ドロップしない…。確率厳しすぎだと思う…」

「うぉっ…!?」

 

机の上にだらり、と倒れ込むようにしてゲームに熱中する千秋。

無論、目の前に座る創には、その果実が机に挟まれ、強調されるのが見えてしまう。

ここで思い出してほしい。日向創という人間が再三にわたって公言していた性癖を。

 

────お前、どんな女がタイプだァ?ちなみに俺、東堂葵はケツとタッパのデカい女がタイプです!!

 

────俺は日向創!!気だるげで、揉みしだきたい胸のデカさを誇る女の子がドスライクだ!!

 

────日向創!!お前とはブラザーにはなれない…。だが、その性癖に賭ける覚悟は気に入った!!今日からお前はァ!!俺の「永遠のライバル」だァアアアッ!!!

 

永遠のライバルかつ戦友…その成り立ちは気持ち悪いことこの上ない…である、東堂葵との邂逅が頭をよぎる。

東堂葵が、自らの性癖の化身たるアイドル…高身長アイドル『高田ちゃん』を見つけたように。日向創もまた、自らの性癖の化身たる存在を見つけてしまった。

 

「……ねぇ。話してくれないの?」

「…………はっ!?あ、ぁ、ああ、すまん」

 

急に意識し始めると、どうしても体が硬直してしまう。

先輩特級呪術師の一人、九十九由基の説得力ある教えの中の一つとして、「女性の胸のチラ見は本人にはバレバレ」という、呪術師的には果てしなくどうでもいい知識があったが、まさかここに来て役に立つとは。

ドギマギしながらも、創は説明を始める。

 

「七海…って、呼ぼうとしたけど、七海さんと被っちまうよなぁ…」

「建人おじさんとは親戚…だから」

「…あの捻くれクソ真面目な七海さんの親戚がコレかよ…。

あと、おじさんって呼ぶのやめてやれよ。あの人老け顔気にしてるんだから…」

「もう慣れちゃったし」

 

平凡な若々しさを有する創には、微塵も分からぬ苦悩を抱く建人。

彼にとって、おじさん呼ばわりはそこそこにストレスになるだろうな。

そんなことを考えつつ、創は話を軌道に戻した。

 

「七海さんと被るから、名前で呼ぶぞ。

千秋がこれから知ることは、千秋にとってはとても辛いことかもしれない。聞く覚悟があるなら、頷いてくれ」

「……うん。…男の子に名前呼ばれるって、なんか、恥ずかしいね」

「ん゛っ」

 

助けてくれ、東堂。どうやって性癖ドストライクの子の前で劣情を抑えてるんだ。心の中で何度も叫べど、心の中にいる東堂は助けてくれない。

本人は実は、近場で開催されている握手会に真希の双子の妹…禪院真依を連れてきているのだが、今は関係ない。

 

数十分後。

以前に九頭龍菜摘にした説明を、創は緊張しながらもそのまま告げる。途中でゲームでの例え話を入れたことで、それなりに分かったことだろう。

 

「…つまり、超高校級がいるから、希望ヶ峰学園はなくなりそうなの…かな?」

「ま、そういうこったな。

下手すりゃ、『禁足地』レベルになるぞ」

「…どういう感じでまずいのかな?」

「此間のバケモノより数百倍ヤバいのがポンポン出てくる。生徒全員映像化不可能なレベルでのお陀仏。

…この二言だけで察してくれないか?」

「…………それ、は…ダメだね。うん」

 

五条悟と夏油傑がいる以上、禁足地になるようなことは無いだろうが。

以前の夏油先生であれば、わざと禁足地化させて特級呪霊を量産し、取り込んでいるのだろうな、と思いつつ、続ける。

 

「で、俺はそれを防ぐために、国から命じられて、希望ヶ峰学園の予備学科に入ったわけだ。学園側には、呪術師であることは伏せてな」

「……なんで?」

「希望ヶ峰学園が呪術に否定的なクセして、『特級呪術師』を素体に『人体改造』を企んでたからだよ。

どこから聞きつけたのか、『高校生の特級呪術師』を求めてるらしい。現時点じゃ俺か乙骨かのどっちかなんだが…、アイツには里香っつー制御不能の爆弾がいるしな…」

 

サラッととんでもないことを暴露する創。

情報源は腐ったみかんこと呪術界上層部であり、癪に触る言葉選びで創に忠告していた。

特級呪術師は数が少ない。それこそ、全人類を探し回れど、二桁いるかいないかである。

その中でも「五条悟」と「夏油傑」という特大級の爆弾が懇意にしている「日向創」は、呪術界隈において、前者二人を同時に起爆させる爆弾なのだ。

それこそ、希望ヶ峰学園の思惑通りに人体改造を施されることになれば、セコム二人がそこら一帯を消し飛ばすことを躊躇わない。特に夏油傑は、呪詛師になってでも希望ヶ峰学園を根絶しにかかるだろう。

 

「…なんで呪術師を求めてるの?」

「『カムクライズルプロジェクト』。『超高校級の希望』とかいう、あらゆる才能を収めた人間を、人工的に作り出したいんだと。

……アホくさ。ショッカーの二番煎じかよ。昭和にやれ、昭和に。

…で、貴重な超高校級たちよりも、俺らみたいな頭すっからかんの凡人にロボトミー手術を施して作り出したいわけだ。予備学科はその素体選びって訳だな」

 

たしかに、昭和の特撮ヒーローの悪役みたいな思想だな、と思いつつ、千秋は創の説明に耳を傾ける。

 

「でも、呪術に関しては、脳を弄った程度で習得できない。魂ごと形を整えなきゃ、まず無理…ってことを、五十年くらい前に御三家の恥晒しから聞きつけやがってな。

で、『元から呪術師の人間を素体にしよう』とか考えた訳だ」

 

無論、そんなことを企んでいる連中が牛耳る学園に、無策で飛び込んだわけではない。

日向創が特級呪術師である理由は何か。

最強の二人の弟子だから…いや、違う。強い術式を有しているから…いや、違う。

思い出してほしい。彼は、困難極まりない筈であった夏油傑の説得を成し得ているのだ。

 

それらが導く答えは一つ。「コトダマという呪いを、誰よりも巧く使える」から。

 

日向創の凡人が故に人を引き込む話術は、羂索という千年の時を生きる最古の呪詛師も一目置くほどのもの。

本科の生徒たる千秋にこのことを明かすのも、予備学科の菜摘に話したことも、希望ヶ峰学園を根底から「変える」ための布石であった。

 

「本題だ、七海千秋」

「え?呪いのことが本題じゃないの?」

「それは千秋の本題だ。俺が話したいことは、そっちじゃない」

「むぅ…。日向くんのテキストはちょっと難しいよ…」

 

と、その時だった。ぴりり、と創の懐から着信音が響いたのは。

 

「あ、七海さんだ。ちょっと待ってな。

…はい、もしもし?」

『すみません、「宿儺の指」です。応援お願いします』

 

宿儺の指。その単語を聞いた途端、創の纏う雰囲気が刺々しく変わった。

千秋もそれに気づいたのか、心配そうに二人の会話を見守る。

 

「………あー…。ウチが持ってんのってたしか、まだ三本だっけか。七海さん、そいつ何本分です?」

『一本でしょう。ただ、希望ヶ峰学園に眠る呪いたちに当てられてます。術式の付与はありませんが、生得領域が…』

「うっわ最悪…。呪霊が食ったのか。…受肉したわけじゃなくて良かった。

そうですね…。会計するので、30秒くらい持ち堪えてください」

『わかりました』

 

創は言うと、財布から五条悟名義のクレジットカードを取り出す。保護者がわりでもあるし、使用許可も貰っている。なんら心配はない。

創は「行くぞ」と言い、席を立ち上がった。

 

「行くって、どこに…?」

「呪術師の世界」

「え?」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「ッソ、ノーモーションで生得領域の展開とか、無茶苦茶過ぎんだろ…!!」

「それが『宿儺』です。…呪力での再生があそこまで早い以上、相当周囲の呪いを取り込んでいると見ていいかと」

「希望ヶ峰学園は周辺まで魔窟かよ…!」

 

相手は宿儺の指を取り込み…しかも、濃密な呪いをも取り込んでいるせいで、数倍手強くなっている呪霊。

生得領域内にいることでの強化も合わせれば、真希一人では勝ち目はない。七海建人がいることで、ギリギリ生存できている…と言う状況であった。

いくら呪具や術式で削れど、濃密な外気の呪力を傷口から取り込むことで、即座に回復してしまう。

結果、二人は詰みに近い状況となっていた。

 

「あと10秒ほどで日向くんが来ます。もう少しだけ頑張れますか?」

「ハイになってるアレ相手にあと10秒かよ…!結構な無茶だぞ…!」

『ひゃう!!』

 

甲高い奇声を上げ、姿をかき消す呪霊。

真希たちが背中合わせに周囲を警戒する最中、呪力の弾幕が二人に襲いかかる。

 

「単純な攻撃だが、厄介ですね…」

「受け流すのが精一杯…!」

 

相当量の呪力が込められた弾幕を弾き、急所を避ける二人。体に少しばかり穴が開くも、苦痛に顔は歪めなかった。

これで倒せないことに業を煮やしたのか、呪霊は立ち止まり、掌に呪力を込める。

 

「アレはヤバい…っ!」

「避け…」

 

ずきん。二人が呪霊の直線上から逃げようとするも、走る激痛がそれを阻む。

二人が己の足を見やると。その足を、呪力の棘が貫いていたのが見えた。

 

「い、いつの間に…!?」

「さっきの弾幕か…!!」

 

あと3秒。迫る呪力の塊に、もう無理か、と二人が覚悟を決める。

 

────『千変万化:呪言』。

 

瞬間。迫る呪力と二人の間に、創とその背におぶられた千秋が現れる。

創の口元には、蛇の目の呪印、下には蛇の牙の呪印が浮きでていた。

 

「『弾けろ』」

 

ぱぁん、と呪力が弾け飛び、霧散する。

日向創は普段、『呪言』を使うことはない。自らの『コトダマ』の強さが、周囲に無駄な被害を出すと知っているから。

しかし、この状況下において、話は別。

宿儺の指を、更には周囲の呪いを取り込み、強大になっている呪霊に、展開された生得領域。周囲の被害を心配することも、手加減するメリットもない。

 

「待たせたな、二人とも。『じっとしててくれ』」

 

びたり、と二人の動きが止まる。

創がそれを確認するや否や、呪霊が一瞬にして創に迫り、千秋ごとその肉を裂こうと爪を振り下ろす。

が。その腕はあっという間に創に掴まれた。

 

「『くたばれ』」

 

瞬間。呪霊が丸ごと弾け飛び、宿儺の指だけが地面に転がり落ちる。

目を丸くする千秋に、呪印を消した創が告げた。

 

「言いそびれたな。本題だ。七海千秋」

 

────希望ヶ峰学園を裏切ってくれないか?

 

領域の弾けた空は、曇天だった。




本作の独自設定…高専が持つ六本の宿儺の指を回収したのは、半分が五条と夏油で、もう半分が日向。
日向の呪言は、宿儺の指を一本取り込んだ呪霊相手ならノーリスクで使える。しかし、真人たちクラスになると、喉を潰すことを覚悟しなくてはならない。


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歪んだ呪い

呪いとは、繋がりである。


「………はぁ」

「日向くん、元気ないね?どうかした?」

 

七海千秋に「希望ヶ峰学園を裏切ること」を迫った三日後。創は現在、同じく特級呪術師の名を冠する「乙骨憂太」と、そのお目付役の南アフリカ人…「ミゲル」と共に、ラーメンを啜っていた。

いつもなら五条悟のように軽口を叩くような気さくな人格者のはずが、今日はヤケに元気がない。

乙骨が問うと、創は暫し気まずそうな面持ちを浮かべたのち、顔を逸らした。

 

「………希望ヶ峰の女子に惚れちまった」

「ホォ。夏油傑ト五条悟ノ後ロニ着イテ回ルダケダッタガキガ、漸クカ」

「日向くんの限定的な性癖に刺さる女子って居るの?」

「居たんだよ」

 

あの眠たげな瞳。同年代にしては、張りのある胸。不健康な生活リズムなのに、麗しく艶めく肌。そして、気怠げな態度の奥にある、揺れぬ芯のある心。

魂が無形であるからこそ、人の本質に敏感な創は、七海千秋が自身の好みにピッタリと合致する女性であることに気づいていた。

 

「…お前たちが年がら年中離れない理由が、漸く分かった気分だ。誰かに恋焦がれるって、こう言うことか。

…お前らが両想いなのが羨ましい」

「日向くんの愛も、かなり重たそうだね」

「他でもないお前に言われてちゃ世話ねーよ」

 

ミゲルは知っている。日向創という人間が、自らが想像している以上に、周囲の人間に強く執着することを。

幼い彼の目の前で灰原雄が死んだ時。彼を殺した産土神は、怒り狂った日向創によって、残穢すら残さず『殺された』。

その現場に居合わせていたミゲルが語るに、「爆発力ダケデ言エバ、呪術界隈デモトップクラス」らしい。

 

────存在すら『殺して』やる…!『千変万化:無下限術式』…!!

 

七歳の子供が立てる領域ではなかった。

直前に黒閃を決めていたせいか、六眼がないにも関わらず、五条悟とほぼ変わらない精度の無下限術式を再現できた創。

流石に虚式までは再現できなかったものの、暴力的な斥力の嵐に、粒子の一片も残さぬほどに『殺され』た過程を見て、酷く戦慄したことを、ミゲルは今でも覚えていた。

 

離反しかけた夏油傑を引き戻す際も、創が死に物狂いになって呪霊の渦をかき分け、這々の体で説得した理由。

それは至極単純。「自分を肯定してくれる誰かが、これ以上居なくなるのに耐えられなかった」というエゴが突き動かしたのである。

 

もし日向創が誰かに惚れてしまったのなら。その想いが叶ったら。そして、その想い人が折本里香のように、受け入れ難い死を迎えたら。日向創が何を仕出かすかわからない。が、確実に言えることがある。

 

日向創は、己も女もソレを取り巻く全ても、まとめて『呪っている』。タチが悪いのは、それを『自覚している』ことだ。

 

警戒しておく必要があるな、と思いつつ、ミゲルは創の背を叩いた。

 

「ソレダケ想ッテルナラ、コレカラユックリト時間ヲカケテ、二人ノ関係ヲ深メテイケバイイサ。頑張レヨ、若人」

「ミゲルさん、良い人だよなぁ…。

マジであの二人に振り回されてんのが可哀想になってくる…」

「ソウ思ウナラ、弟子ノオマエカラモ抗議シテクレ」

「言って聞くなら俺も苦労してねーよ…」

「だよね…」

 

言って、ズル、と麺を啜る三人。

と。そこへ、恋バナの雰囲気を吹き飛ばす爆弾…五条悟と夏油傑が現れた。

 

「やー!創の甘ぁい恋バナが聴けるって聞いて来ちゃった!」

「創!悪い事は言わない…!超高校級などというおまけが本体みたいな猿だけはやめておいた方がいい…!!ねっ!?硝子や美々子と菜々子の方が数億倍良い女だよ!!ねっ!?」

「だァアアアッせぇなチクショォオォォォオオオオオッ!!!!!」

「日向くんが一番うるさいよ…」

「…コイツラガ全員特級ッテ、コノ光景ダケ見タラ信ジラレネーヨナ…」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「………むぅ」

 

夕方。本科の教室にて、七海千秋は悩んでいた。

三日前に命の恩人たる日向創が告げた言葉。

 

────希望ヶ峰学園を裏切ってくれないか?

 

希望ヶ峰学園を裏切る。その意味が分からず、真意を問おうとしたが、「必要なことは言った。あとは自分で判断してくれ。四日後、答えを聞く」と煙に巻かれてしまった。

「カムクライズルプロジェクト」、「人体改造」、「研究機関」…。希望ヶ峰学園の闇とも呼べる諸々を聞かされてなお、七海千秋は迷っていた。

希望ヶ峰学園。自らの愛する学舎。いくら闇を抱えていようが、ソレは変わらない。

しかし、日向創曰く、「千秋の選択が、学園の未来を左右する」という。

自らの良心を取るか。それとも、未来のために学園を裏切るか。

ゲームの二択なら、どんな形であれ、取り返しが付くから迷わないのに。そんなことを思いつつ、気晴らしにレアドロップを狙って、三度目の挑戦に挑む。

 

「七海さん、元気がありませんよ…?も、もしかして、何処か怪我しちゃったとか…」

「罪木さん、大丈夫だよ」

 

クラスメイト…『超高校級の保健委員』たる罪木蜜柑の声に、七海は顔を上げて微笑んでみせる。

言えない。「学園を裏切れ」と迫られたなんて。

幸いにも、このクラスにはエスパーのような鋭さをした人間はいない。そのことに感謝しつつ、取り繕うように会話を続ける。

 

「そ、そうですかぁ?が、外傷がないなら、心の問題ですかぁ…?あっ、すみません…。こんなゲロブタが一丁前に心配なんか…」

「心配してくれてありがとう。…ちょっと、ね。自分で解決すべきことだから」

「素晴らしいよ、七海サン!!」

 

耳元で千秋を称賛する狛枝に、いきなりの大声に驚いたのか、罪木は「ふゆぅっ!?」と縮こまって、千秋の背に隠れる。

 

「罪木サンの『超高校級』に頼らず、自身の希望だけを信じて問題に立ち向かう姿…!!これぞ希望のあるべき本来の姿だよ!!

キミを悩ませているのが何か、幸運なこと以外に取り柄のないゴミクズのボクには計り知れないけど…。キミの希望なら簡単に乗り越えられると信じているよ…!!」

「うん…。ありがとう…」

 

あいも変わらずな狛枝の言い回しにも動じることなく、千秋は再び思案に暮れる。

裏切る。言葉に騙されて、何か重要なことは見落としていないだろうか。謎解きゲームのセオリーを引っ張り出して思案するも、呪術に関して何ら知識のない彼女には、その真意は分からない。

結局、まとまらない考えに業を煮やし、千秋は荷物をまとめ、教室を出ることにした。

 

「日向創を追っていたんだけど…。

ラッキーだなぁ…。あの子、綺麗な声だなぁ…。良い声で泣いてくれそうだぁ…!」

 

自身を狙う視線に気づかず。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

運命の日。

七海千秋は、建人伝いに伝えられた待ち合わせ場所…この間の喫茶店にて、気を紛らわせるように、ゲームに熱中していた。

タイトルは「ギャラオメガ」。少々マイナーではあるが、知る人ぞ知る名作。理論上のハイスコアに到達するためという惰性な目的で、スコアを競う相手もいないのに続けているゲーム。

超高校級のゲーマーと認められてからは、共にゲームをする仲間はクラスメイトだけになってしまった。

そのことに寂しさを感じることで、目の前の問題から逃げている自分が嫌になる。

そんなことを考えていると、あいも変わらず呪術高専の制服を着た日向創が訪れた。

 

「待たせたな、千秋。お、ギャラオメガか」

「…知ってるの?」

「おう。思い出深いゲームだよ」

 

思い出すのは、五歳の頃。

呪力のコントロールが壊滅的に下手くそだった創は、夜蛾より与えられたぬいぐるみ…呪力を流し続けなければ攻撃してくる呪骸を抱えたまま、全面をノーミスでクリアするという無茶振りをさせられたことがあった。

後に入学することになる後輩が、創が散々苦しめられた呪骸を相手することになるのだが、それは置いておこう。

そのことも相まって、創には思い出深いゲームだった。

 

「……このゲーム、好きなの?」

「好きか嫌いかで言えば、好きだぞ。単純だからこそ奥が深いっていうか…」

「うんうん!立ち回りとか、フレーム分の当たり判定とか、単純なシューティングゲームだけど、すごく考えることが多いよね!」

「………だ、ダヨナ」

「なんでカタコト?」

 

吐息がかかるほどに迫る千秋に、思わず赤面する創。いくら性癖に命を賭けているとはいえ、女性に対する免疫が皆無の童貞。

増してや、相手は惚れた女である。緊張するなという方が難しい話だった。

 

「……あっ。ごめんね。本題の方、早く答えて欲しいよね?」

「いや、ソレもあるんだが…。まずは謝罪から始めなきゃな」

 

言って、創は深々と頭を下げた。

 

「すまない。俺の特級呪術師としてのしがらみに、無関係の千秋を巻き込んでしまった」

「……どういうこと?」

 

希望ヶ峰学園を裏切れ、という件は、千秋にも少なからず関係することであったはず。

無関係の事とは何なのか、と疑問に思う千秋に答えるように、創が続けた。

 

「…呪術界には、ある程度の規定がある事は言ったよな?」

「うん」

「世の中には、ソレを守らず好き勝手する呪術師もいる。そういう奴らは『呪詛師』って言ってな。

下らない違反なら呪術的な『縛り』でなんとかなるが、罪の重さによっては、呪術師による死刑や封印措置を下さなきゃならない」

 

実は、日向創はこの「死刑措置」を何度か執行したことがある。相手は自分勝手に他者を呪う、同じ穴の狢。ソレが他者を生かすか殺すかだけの違い。

日向創は、自らのアイデンティティの確立のために、何人もの呪詛師の屍を超えてきた。

呪術師というのは、この世の闇そのものを背負う仕事なのだ。いくら上層部が腐り落ちれど、その本質だけは変わる事はない。

これから巻き込む彼女には、知ってもらわなくては、日向創が納得できなかった。

 

「結論から言う。俺を狙っていた『呪詛師』が、お前も狙い始めた。

ソイツは我欲のために術式を使って、呪術師と非術師合わせて35人も殺している。どれも口にするのも悍ましい殺され方だ。

俺は呪術規定に則り、ソイツを『殺さ』なきゃならない。

…お前は、見たくもないものを見る羽目になるだろう」

「っ………」

 

画面の奥での殺人とは訳が違う、本当の殺し合い。

その事実に息を呑む千秋に、創は更に深く頭を下げる。

 

「…俺たち呪術師の勝手を、本来なら無関係のお前に押し付けて、本当に…、ごめん」

 

この謝罪は、何の打算もない本音だった。

呪詛師の件は、創にとってもかなりの誤算だったのだ。その呪詛師が千秋を狙う以上、創は彼女を常に見守る必要がある。

つまり、どう足掻いても、創が人を殺すところを、彼女に見せなくてはならないのだ。

 

「……日向くんが謝ることじゃ…ないよ」

 

千秋には人の本質に触れて、人を見るクセがある。故に、創が人を殺すことに何も感じていない訳ではないことも見抜いていた。

恩人が人を殺す場面を見るのは、確かに怖い。忌避感もある。

それでも、創が背負うものを理解しなくては、日向創を知る事はできない。ソレが出来ないということは、先の選択もきっと、優柔不断なものになってしまう。

 

「……私、ちゃんと、見るよ。

日向くんや建人おじさんが背負ってるもの。私がこれから背負わなくちゃいけないこと」

「…………ありがとう」

 

創は胸に湧き出る『呪い』を隠すように、頭を下げた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

────カフェを出たら、向かい側にある路地裏に出てくれ。帳を張って、呪詛師の逃亡を防ぐ。

 

創の言う通り、千秋はカフェを出て、向かい側にある路地裏へと足を踏み入れる。瞬間。日は出ているはずなのに、世界は夜へと作り変わる。

先日体験した『帳』という結界か、と思っていると。かつん、かつん、となにかが歩く音が響く。

 

「日向く…」

 

合流しにきたのかと思っていたが、違う。

創の靴は、酷使によって擦り切れたスニーカーだった。ならば、こんな革靴で地面を叩くような音は鳴らないはずなのだ。

警戒するように、リュックの紐を強く握る千秋。刹那。その頬に、鋭い痛みが走った。

 

「…ぇ……?」

「く、くくっ…。ぷふふふっ…」

 

千秋を嘲笑う声。ソレと共に、何かが空を切る音が千秋の服を引き裂き、柔肌に赤い線を描いていく。

少し切った程度の痛み。それだけならまだ、少しだけ顔を歪めるだけだった。

しかし、彼女の体を裂くのは『呪術』。傷口から漏れ出た血が、彼女の体を毒のように蝕んだ。

 

「ゔ、あ゛ぁあっ…!?」

「特級呪術師ってのもバカだな…!

『帳の内側に帳を張る』可能性を考えないなんて!!」

 

熱い。痛い。流れ出る血が、マグマのように思えてくるほどに、激痛と熱を伝えてくる。

相手の口ぶりからして、どうやら、策を逆手に取られてしまったらしい。

呪術に関して、呪術師たちに比べればなんら知識はないが、少なくとも創もまた、相手にハメられたことがわかった。

 

「ぁ、あ゛っ…、づ…っ」

「んんー…。いーい声だなぁ…。キミの声は、とてもいいよ…。もっと、泣かせてあげようか!!」

「あ゛ぁあっ!?!?」

 

掌がナイフで貫かれる。骨が削れるような、ごりゅっ、という音が響く。

逃げなきゃ。逃げなきゃ、殺されてしまう。

死にたくない。漸く、打ち解けられたクラスメイトと別れも言えないままで。

相手の術式によって生じた毒の影響で、体が蝕まれる中。

千秋は激痛から逃れるように、声にならない悲鳴をあげた。

 

「ああ、いーいおもちゃだ…!流石は超高校級…。泣き声までも天才的だよ…!!」

「ゔぁ゛っ、あ゛ぁああっ!?!?」

 

直接触れることで発動された術式により、皮膚を渦巻く毒が活性化される。

体の骨ごとぐちゃぐちゃに掻き乱されているような、そんな激痛。

これが人の『呪い』。希望ヶ峰学園を包み込もうとする闇の化身。

恐怖と激痛に歪んだ顔を、呪詛師の男は千秋の頬を掴んでじっくりと見つめる。

 

「ああ、良い顔だ…。どうかその顔のまま、死ん…」

 

────調子に乗るなよ、呪詛師。

 

ドス黒い感情が込められたコトダマ。

霞む視界の奥。そこに立っていたのは、膨大な呪力を隠そうともしない、激昂した日向創だった。

呪詛師が何かを言う暇もなく、創の拳が男を吹き飛ばす。

何処までも吹き飛んでいく男を見やることもなく、創は後悔を顔に浮かべ、傷だらけの千秋の前にしゃがみ込む。

 

「…千秋、ごめんな。俺が間抜けだったせいで、要らない怪我して…。痛かったよな…。

今、治してやる。『千変万化:反転術式』」

「………ぁ、れ?痛くない…?」

 

ただの反転術式ではない。千変万化によって強化された反転術式により、見る見るうちに傷が回復していく。

数秒もしないうちに、元通りに治った千秋は、ぱちくりと目を丸くしながら、体の調子を確認した。

 

「…ケアルガ?ベホマズン?……呪術師って、魔法使いみたいだね」

「こんなの出来るの、俺か硝子さんくらいだよ。『千変万化:無下限術式』」

 

瞬間。目の前の創の姿が掻き消える。千秋のゲーマーの目には、1秒足らずで数メートル前へ移動した姿が視認できた。

創は呪詛師の口を抑え、溢れる激情をそのままにぶつける。

 

「一級呪詛師『軽畑 幸雄』。呪術規定第九条に則り、秘匿死刑を執行する。

…生憎、俺はお前みたいな嗜虐趣味はないんでな。激痛を感じる暇も…、呪いの言葉を吐く暇もなく…。一瞬であの世とやらに送ってやるよッ!!」

「むっ、むーっ!!!」

 

創は呪詛師の顔を掴んだまま、思いっきり振りかぶり、投げ飛ばす。

そして掌を呪詛師へと向け、叫んだ。

 

「…ごめんな。…術式反転『赫』ッ!!」

 

瞬間。高密度の斥力が、呪詛師を存在ごと消し飛ばす。

人一人を殺した創の顔は、酷く疲弊しているように見えた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「…すまなかった。俺が間抜けだったせいで、要らないトラウマを…」

 

少しだけ残った遺体の後始末を終え、すっかり日が暮れた頃。創は補助監督たちにより、新しく服を渡された千秋に、深々と頭を下げていた。

千秋はその謝罪に、首を横に振って答える。

 

「……謝らなくて良い…と、思う。だって、日向くんは悪くないから…。

それに、私、大丈夫だよ。日向くんが、助けてくれたもん。ほら。怪我なんてなかったみたいにピンピンしてるよ、私」

「…それでもだ。すまない」

 

惚れた女を守れなかった。

相手は知らぬこととは言え、日向創自身が決して納得できる結果ではない。

深く頭を下げる創に、千秋はぷすぅ、と頬を膨らませた。

 

「日向くんってば、なんでそんなに謝るの?今日、謝ってばっかりだよ」

「…俺に呪いを課してるだけだよ。『今日、お前は守れなかったんだぞ』ってさ」

 

創は言うと、真っ直ぐな瞳で千秋の目を見た。

 

「だから、お前も呪ってくれ。間抜けだった俺のせいで酷い目に遭ったと、心の底から呪ってくれ。

酷い奴がいたって思って、少しずつ記憶から無くしていって、漠然とした呪いだけ残して、忘れてくれないか?」

 

なんと真っ直ぐで、歪んだ願いだろうか。

しかし、日向創は七海千秋という人間を軽く見過ぎている。

創の言葉に、千秋は彼の頬を両手でぶっ叩いた。

 

「えいっ!」

「ぶっ!?!?」

 

そこそこに強い一撃に、思わず「いふぁい」とこぼしてしまう創。

しかし、千秋はその手を離さず、創に迫った。

 

「今、私は生きてるよ。日向くんが守ってくれたおかげだよ。

…日向くんが、誰かの代わりに『背負って』くれたおかげだよ」

 

七海千秋という存在は、女神の生まれ変わりか何かなのだろうか。

呪いの世界に焦がれ、呪いの世界で生きてきた日向創を、呪いの世界からではなく、普通の世界から肯定する千秋。

 

「…希望ヶ峰学園はさ。闇では、あんな人たちで溢れてるのかな?」

「…可能性は高い。ロボトミー手術なんて思いつく奴らだ。俺たちみたく、人の心は捨ててるだろ」

「捨ててないよ。日向くんは苦しんでいたから…。

呪術師がみんな、日向くんたちみたいな人たちなら…、呪術師の人たちは心を捨ててないよ」

 

そんな問答を交わすと、千秋は創の頬から手を離す。

そして、少しばかり赤くなった手で、創の手を取った。

 

「裏切るよ。君の背負うものを、少しでも軽くするために」

「……お人好し過ぎるよ、お前」

「ギャラオメガが大好きな人に、悪い人はいないと思うしね」

「ぷっ。なんだよ、それ」

 

二人分の笑い声が、夕空に響いた。




ミゲル…呪術高専における特級呪術師たちの保護者でありストッパー。地味に苦労人。好きなタイプはアマゾネス。
乙骨憂太…日向創の親友兼恋愛相談所。里香ちゃんとの甘々な関係を普段から見せつけているリア充。好きなタイプは里香ちゃん。
美々子、菜々子…好きなタイプは夏油様みたいな高身長な優男。ただし創だけは願い下げ。理由は「愛が重そうだから」。
家入硝子…十歳以上年下はタイプじゃない。

七海千秋が狙われていることに気づいたのは、呪力感知によるもの。相手が誘い込むつもりでわざと呪力をほんの少し漏らしていたのも相まって、創はまんまと引っかかってしまった。いくら特級とはいえ、まだまだ子供だからね。未熟はあるよね。

考えると、あらゆる関係って「呪い」になり得るんだなぁ。


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七海千秋、呪術高専入学

踏み入る覚悟はあるか。

今回、舞台も登場キャラもほぼ呪術廻戦だよ。次回から希望ヶ峰学園に本格的に舞台が移るよ。


中学三年生…三級呪術師たる伏黒恵は、いつものように、ビクビクと怯える不良たちが織りなすお辞儀のアーチを潜り抜け、校門へと歩いていた。

姉である伏黒津美紀が呪いによって昏睡状態に陥って、早一年。未だに解呪の目処が立たないことに苛つきながら歩いていると。

猫のようなデザインのパーカーを着た少女を引き連れた創が、自身に手を振っているのが見えた。

 

「恵ー!迎えにきたぞー!」

「……日向先輩。恥ずかしいんで、あんま大声で名前呼ばないでください」

 

日向創と伏黒恵の関係は、そこそこに長い。

五歳から望んで呪いに飛び込み、活動していた創。一方で、様々な策謀に巻き込まれ、呪いの世界に飛び込まざるを得なくなった伏黒。経緯は真逆とは言え、五条悟に関わることになった時期を考えれば、歳の近い二人を巡り会わせないという選択肢を、五条悟がとるわけがなかった。

五条の打算があったとは言え、気の知れた仲である伏黒の素気ない態度に、創は苦笑を浮かべる。

 

「なんだよ、学校終わりに任務なんてハードスケジュールだから、俺が迎えに来てやったのに」

「アンタが来たら、五条先生の『俺の成長のために斡旋してる』って建前が崩れる」

 

伏黒は言って、創の背後に控える高専所持の送迎車に乗り込もうとする。

創は怪訝そうな表情を浮かべ、首を傾げた。

 

「五条先生に聞いてないか?今日の仕事は、俺の一級呪霊案件のサポート。

隣の県まで行くから、腹ごしらえも兼ねていろいろ買ってきたんだぞ?ほら、コレとか新発売のチョコなんだけどよ、結構美味いって評判でさ」

「………は???」

 

手にぶら下げたビニール袋から、菓子パンやファミリーパックのチョコを取り出して見せる創に、伏黒は唖然と口を開ける。

今、なんと言った?一級呪霊案件?漸く三級になったばかりの自分に「死ね」と言いたいのか、この人は。

そんなことを思っていると、ゲームに熱中していた少女が顔を上げ、創に問いかけた。

 

「日向くん。前々から言ってる『一級』とか、『特級』って、呪いの世界におけるレベルでいいのかな?」

「ま、そんな感じだな。

運転してくれる伊地知さんは国語得意だし、俺より分かりやすく説明してくれるぞ」

「待ってください。なんで一般人がアンタに同行してんですか?」

 

ここから、創が長期任務として派遣されている希望ヶ峰学園までは、相当な距離がある。

この眠たげな瞳の少女からは、呪力を微かに感じるが、纏う雰囲気は呪力の使い方を知らない非術師のソレだ。

加えて、一級などの線引きを曖昧どころか、まったく理解していない。

それらが導き出す答えは、少女が呪いになんら関わりのない人間であるということ。

伏黒が訝しげな視線を少女に送ると、少女はゲーム機を持ったまま頭を下げた。

 

「初めまして、七海千秋でーす…。

えっと…、超高校級のゲーマー…兼、呪術高専一年生になりたてでーす…。ゲームはオールジャンルいけまーす…」

「……説明してもらいますよ、日向先輩?」

「もちろんだよ。もとより説明する気で連れてきたからな」

 

伏黒が半目で睨め付けるのを歯牙にも掛けず、創は口を開いた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「希望ヶ峰学園を裏切るってのは、『呪術師側について貰う』ってことだ。

で、お前は俺の推薦で、呪術高専にも入学して貰うことになる」

 

遡ること先日。徒歩で呪術高専東京校の学長室へと向かう最中。

権力と暴力の無駄遣いを、まさか自分がする羽目になるとは。先日、上層部を半殺しにして通した無理に、少しばかりの罪悪感を抱えつつ、創は「裏切り」について話す。

内容は至極単純で、「希望ヶ峰学園内に蔓延る闇を呪う手伝いをするために、呪術高専にも籍を置いてもらう」というだけのことであった。

 

「…『裏切り』なんかじゃないじゃん」

「希望ヶ峰学園にとっては『裏切り』だろ」

「……ばか。日向くんのテキストはいちいちややこしいよ」

 

ぷすぅ、と頬を膨らませ、そっぽを向きながらも、ゲームをする手を止めない千秋。

言い回しがややこしいのは、呪術師の生態のようなものだ。大目に見てほしい、と心の中で許しを乞うていると。

千秋はふと、小首を傾げた。

 

「そもそも、呪いなんて見えないのに、呪術高専に入っていいの?」

「呪術ってのは、超高校級よりも希少な才能を掘り起こして漸く使えるんだが…。千秋の場合、その点はクリアしてるんだよ。俺が保証する。

お前は見えないんじゃなくて、防衛本能的に『見ようとしてない』だけだ。

呪いのことはもう知覚してるだろ?なら、『見よう』と思って、上を見てみろ」

 

創の言うとおり、ゲームをポーズ画面にして目を閉じ、目に意識を向ける。

そして目を開き、上を見上げる。

 

「おめでとう。猿から人へ進化した気分はどうだい?」

 

エイのような呪霊に腰掛けた青年が、優しい声色でなんとも癪に触る言葉を告げる。しっかりと呪霊を視認している千秋は、困惑に顔を染め、創の裾を掴んだ。

 

「何、あの人…?」

「俺とお前の担任…の一人だな」

「え?」

 

上空十数メートルから飛び降り、華麗に着地して見せるボンタンの青年。彼が指を鳴らすと、呪霊は即座に掻き消え、残穢すら残らなかった。

 

「やあやあやあやあ、長旅ご苦労様。

毎度のように聞くけど、エリート動物ばかりの動物園の居心地はどうだった、創?」

「千秋の前じゃ取り繕って下さいって言ったろ…」

 

今日も絶好調なこの男、夏油傑の不遜な態度に、創の背に隠れる千秋。

創は「人の好き嫌いは激しいけど、根はいい人だよ」と、なんとか警戒を解こうとする。

 

「この人は俺らの担任、非術師が世界で一番大嫌いな夏油傑先生。呪霊を取り込んで使役する『呪霊操術』を使いこなす、『呪術界最強』の一人だ。

俺が差し違える覚悟で食らいついても、歯牙にも掛けねーほど強い。あと体術最強」

「いつも言ってるけど、悟に勝てるくらいになってから挑んできなよ。創、弱いんだから」

「いっつも揃って同じような煽りしやがって!!次は絶対に勝ってやっからな!!!」

 

うがーっ!と、叫びを上げる創を、今度は千秋が抑える。

日向創と最強二人の決闘は、一週間に一度、三時間にわたって行われる。殺さなければ何でもあり、という縛りを課し、領域展開や極ノ番など、盛大な大喧嘩をかれこれ十年も続けている。

戦績は…相手側に五条悟と夏油傑の両名がいる時点で、察してほしい。

創の圧倒的な強さに触れてきて、負ける姿が想像できない千秋は、パチクリと目を丸くして夏油の姿をまじまじと見る。

と。その時だった。夏油が二つの箱を持ち上げ、笑みを浮かべたのは。

 

「その前に、猿どもの菌が染み付いて大変だろう?ここで消毒していくといい」

「千秋。ゲーム機はちょっと遠くにやっておくな」

 

言われるがままに目、鼻、口を閉じる。瞬間。液体が体を包み込む感触が襲う。

暫くしてそれが収まると、千秋は目元を拭い、目を開ける。

視界に映るのは、液体を吸った石畳。びしょびしょに濡れた髪や服が肌に張り付き、気分が悪い。

ゲーム機は創が防護していたため、なんとか無事だった。

 

「……エタノールくさい」

「この人、非術師が嫌いすぎて、帰ってくる度にコレやるん……だぁおおうっ!?」

 

今現在、彼女が着ている服は、胸元を開けた黒のパーカーに、白のカッターシャツ。

エタノールによって濡れたことによって、ぴっちり張り付いたそれらは、服としての意味を無くし、その柔肌を天下に晒す。

惚れた女の下着は、刺激が強過ぎる。まずい。このままでは性癖が自身の理性を破壊してしまう。

危機を感じた創は、指に呪力を込めて、目潰しした。

 

「ぐぉおおっ!!!!」

「ひ、日向くん!?どうしたの!?リズム天国のアザラシみたいだよ!?」

 

いきなり自らの目を潰し、リズムゲームのアザラシのように床を転げ回る創に、慌てて駆け寄る千秋。

反転術式で傷を治した創は、よろよろと立ち上がりながら苦しい笑みを浮かべた。

 

「だ、大丈夫…!!目の中に呪霊が居たから祓っただけだ…!!」

「流石にそれは嘘だってわかるよ!?」

「…ああ、ごめん。配慮が足りなかったよ」

 

夏油は千秋の姿を見て、軽い口調で謝罪を述べる。この状況を作り出した張本人なのに、なんら罪悪感を感じてなさそうなあたり、性格の悪さが滲み出ていた。

千秋もまた、ふと、自身の胸元に目をやり、自らの下着が天下に晒されていることに気づいてしまった。

 

「えっと、濡れて下着が見えてるだけだよ?なのに、なんで目を逸らすの…かな?」

「下着が見えてるのは『だけ』とは言いません!!」

 

美々子、菜々子。この子に貞操観念を教えてくれ。俺だと魔が差してやらかしそう。

顔を真っ赤にして目を逸らす創に、千秋が小首を傾げていると。

ふっ、と空間が歪んだような感触がした。

 

「やーっ!創、お疲れサマンサー!

これで第一段階クリアーだね…って、ラッキースケベ楽しんでる途中だった?

ごめんごめん!黙ってるから、続けて?」

 

そう。我らが五条悟が飛んできたのである。

あいも変わらず癪に触る物言いに、創は血管がちぎれんばかりに青筋を浮かべ、関節技を決めた。

 

「あだだだだだだっ!?ギブギブっ、ギブアーップ!?!?」

「でっ、このクソがっ…、最強の片割れ…っでぇ…!!担任の…っ、五条悟だ…っ!!」

「…最強には見えないけど」

「そりゃあ無下限を打ち消されてるからね。呪術に関してはピカイチだけど、体術では私たちが仕込んだ創には劣るよ」

 

創の折檻に苦しむ五条を横目に、千秋は未だにベタつく服の感触に、顔を歪める。

 

「むぅ…。気持ち悪い…」

「校舎に入れば更衣室と、キミ用の着替えがあるよ。制服のカスタマイズは勝手に申請しといた。きっと気に入るよ」

「…そういうのって、本人がやるんじゃ?」

「そういう…っ!人ら…、なんだよ…っ!!」

「はみ出る!!なんかいけないものがはみ出ちゃうから!!」

 

容赦なくキ○肉バスターをかける創に、呆れた視線を向ける夏油。

あまりに混沌とした空間に、千秋がオロオロと困惑していると。

年末によく見る顔…によく似た中年男性が、向こう側から全力で駆けてきて、夏油にドロップキックをかました。

 

「傑ゥゥゥゥゥウウウッ!!!!」

「あ、やっばぶぅっ!?」

「貴様は出迎えでは控えていろと再三にわたって言っていただろうがァァァァァアアアアアアッッッ!!!!!」

 

派手に吹き飛び、立ち並ぶ寺院の中の一つに突き刺さる夏油。

一方で創は、関節を決められて動けなくなった五条を投げ捨て、中年男性に頭を下げた。

 

「お疲れ様です、夜蛾学長」

 

男性…呪術高専東京校学長『夜蛾正道』に、創は深々と頭を下げた。

 

「うむ。良くやってくれた、創。

……そして君が、超高校級のゲーマーだという新入生か」

「あ、はい。七海千秋で…」

「いや、君のことは卒業生…七海建人からよく聞いている。ついてきなさい」

 

言って、夜蛾は踵を返す。

千秋は少し遅れて、その後をついていった。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「改めて、東京校学長の夜蛾正道、一級術師だ。七海千秋くん。輝かしい道を歩んでいた君を、私たちの勝手な都合に巻き込んでしまってすまない」

 

呪術高専の制服に着替えた後。

座敷越しに千秋と向き合う夜蛾は、深々と頭を下げる。

千秋はと言うとそれどころではなく、夜蛾が手元で編んでいるぬいぐるみや、周囲に飾られたぬいぐるみに気が行っていた。

 

(おじさんがキモ可愛いを作ってる…)

「しかし、私たちの勝手をまかり通さねば未来はないというのが、希望ヶ峰学園の現状だ」

 

まるで出来の悪いゲームの終盤みたいなセリフだな、と思いつつ、千秋は思わず反論を口にした。

 

「…ちょっと、オーバーだと思うよ。

確かに、私が本科に通ってる時、楽しい時でもちょっと嫌な感じはしたけど…」

「君も今の状態で帰れば、その危険性が分かるだろう。それ程までに、希望ヶ峰学園は呪術的に『危険な』場所だ」

 

今の状態…と言うと、呪いを知覚している状態のことだろうか。愛着ある学舎に魑魅魍魎が跋扈する光景を想像するも、千秋の脳ではゲームに出てくるような敵キャラしか想像できない。

しかし、それよりも数十倍は醜悪な見た目をしている呪霊が、虎視眈々と獲物を狙っていると思うと、背筋がゾッとした。

 

「その理由は、加茂の…んんっ。希望ヶ峰学園の創設者『神座出流』にあるのだが…、それは置いておこう」

「鴨のネギって言おうとした?」

「いや全然違う。…あまり深く突っ込まないでくれ。いずれ分かる」

 

違うかぁ、と肩を落としつつ、千秋は夜蛾の言葉通り、考えることをやめにする。

知識がない自分が彼の真意を図るなんて、エアプでゲームを語るような愚考だろう。そんな自覚があるからこそ、『神座出流』と『かもの』という二つの名称を結びつけて記憶するだけにとどめる。

 

「このままでは、希望ヶ峰学園を中心に『呪いの世界』が完成してしまう。

君には、それを阻止するために動く創の手伝いをして欲しい」

 

その言葉に即座に答えようとするも。

それを遮るように、夜蛾が「だがぁ!!」と声を張り上げた。

 

「君は曲がりなりにも『呪術師の世界』に足を踏み入れた!!望む望まざるにかかわらず呪術高専東京校の門を叩いた以上、君には私…夜蛾正道が設けた『入学試験』を受けてもらおう!!!」

「……聞いてないよ、日向くん…」

「創には俺から『黙っておけ』と釘を刺しておいた!!彼も五歳の頃に受け、見事合格した程にシンプルな試験だ!!」

 

五歳の子供でもクリア出来るのなら安心…かも知れない。

千秋はそんな思考で無駄な緊張をほぐし、気を引き締めた。

 

「七海千秋。『お前』は何をしにきた?」

「………えっと、呪術高専に入りに?」

「入ってどうするかを聞いている」

 

呪術師全員、テキストがわかりづら過ぎるのはどうにかしてほしい。

そんな軽口を叩くことが出来ないほどに、目の前の夜蛾の纏うプレッシャーは凄まじい。クラスメイト…『超高校級の王女』、ソニア・ネヴァーマインドの纏う気品とはまた違った、有無を言わせぬ威圧。

千秋は慎重に言葉を選び、口を開いた。

 

「日向くんのお手伝いをしに」

「それは『創に言われただけの流された意志』だろ。『お前』は何がしたい?」

「…日向くんに助けられたから、日向くんの助けになりたい。だから、お手伝いがしたいのは、本当…だよ?」

 

創の手伝いはしたい。彼に二度も助けられ、強く頼られたのだから、自分には彼を支える義務がある。

それではダメなのだろうか。そんなことを思っていると、夜蛾は深いため息を吐いた。

 

「一発合格した創が選んだヤツだ。

少しは期待していたんだが…。期待はずれもいいところだァッ!!!」

「ッ…」

 

その怒号に、千秋は思わず目を塞ぎ、体を庇うように縮こまる。

薄らと目を開けて彼を見やると、周りに立つ人形が一人でに動き出していた。アレも呪いの類なのだろうか。

 

「創に助けられたから、創を助けたい。お前がやろうとしているのはそう言うことだな。

七海千秋!!それが貴様の答えなら、現時点では『不合格』だッ!!!」

「…そ、そんなこと、言われても……」

 

不合格の烙印を押された千秋が言葉を紡ごうとした、まさにその時。

ぬいぐるみの一体が千秋の懐に入り、その腹に拳を放つ。千秋は咄嗟にリュックでガードしたが、勢いは殺せずに、そのまま吹き飛ばされた。

 

「うぁっ!?」

「偽った答えを口にしたのだから当然だ。

…ただ、先程言った通り、不合格は現時点での評価だ。試験はまだ続くぞ。

極限状態でのお前の本音を、これから引き出す」

 

リュックの中に入ってるゲーム機が、幾つかやられた感触があった。揃って、最近買ったばかりの新ハードだったのに、と思いつつ、千秋はぬいぐるみの攻撃を避けるべく駆け出す。

しかし、女と健康をドブに投げ捨てたゲーマーである千秋の脚は、ストレッチもなしではロクに機能せず。もつれて転んだ隙を突かれ、その拳が腹に突き刺さった。

 

「っゔぁあっ!?」

「お前が先ほど言った動機は、『日向創に救われたから、日向創を助けたい』だったな。

それは言い方を変えれば、『日向創が原因でここに居る』ということだ」

 

柱に叩きつけられ、肺の空気が抜け出る。

それでも、千秋の耳には、しっかりと夜蛾の言葉が響いていた。

 

「お前は『日向創が原因で呪術師となり』、『日向創が原因で誰かを呪い』、『日向創が原因で母校すらも裏切る』!そして、呪いに相対し、死に瀕した時、お前は思う。『私が死んだのは日向創のせいだ』と!!お前が言ってるのはそう言うことだ!!」

「それは、違う…よ゛…っ!!」

 

それは違う。それだけは絶対に違う。

殴られ続ける中で、千秋は声を絶え絶えにして叫ぶ。しかし、彼女の言い分は、夜蛾によって否定された。

 

「いいや、違わない!!お前はそうやって、創を逃げ道にしている!!!

今ここにいるのは流されただけで、呪術師になりたくないというなら結構!!今すぐそう言って帰られた方がまだマシだ!!!!」

「それは、違う…よ…!

私の、意志で…、ここに居る…の…!だから、がえっ…、ら゛、ないっ…!!」

「なら答えて見せろ!!貴様は何のために呪術師になる!?何のために、死と隣り合わせの世界に足を踏み入れる!?」

 

思い出すのは、クラスメイトたちと共にプロジェクターに映して遊んだ、大人数用対戦ゲームのこと。

あの日以来、彼らとの距離は縮まった。あんな楽しいゲームは、初めてだった。

次に思い出すのは、最近になって出来た習慣。昼休みに創と中庭で合流し、人目のつかない場所でギャラオメガのハイスコアを競う。

そんな、自分が自分であるための憩いの場として佇む希望ヶ峰学園。

その学校を取り巻くのが、友達ではなく呪霊になってしまったら。自分を取り巻く友人が、全員物言わぬ死骸になってしまったら。

恐怖と義憤が突き動かすままに、千秋は口を開いた。

 

「……呪いなんかに、私の『母校』を奪われたくない…。呪いなんかに、私の友達を、一人も殺されたくない…!呪いなんかに、みんなと出会った思い出を穢されたくない…!!呪いなんかに、私の『居場所』を壊されたくないっ!!

私はっ!『私の居場所を守るため』に!!呪術師になりたい!!!!」

 

その叫びに、ぬいぐるみの攻撃が止む。

再び静謐が包む空間に、夜蛾の拍手が響いた。

 

「合格だ。おめでとう」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「…で、制服が結構血で汚れたから、今日は汚れてもいい私服で任務なんだよ」

「………日向くんのばーか」

「いや、本当にごめんって…」

 

お陰で財布すっからかん、と乾いた笑みを浮かべる創。

壊れたゲームは『超高校級のメカニック』である左右田和一すら「オーバーホールしないと無理だろ。オレに頼るまでもなく分かるくらいブッ壊れてんだから買い換えろよ…」と匙を投げたらしい。

結局、壊れたものは全て、泣く泣くゴミに出すことになった。入学試験があることを黙っていた創は、無言かつ真顔で号泣する千秋に全力で土下座し、三ヶ月分の手取り給料を費やしてゲームを購入することで、ようやく機嫌を直してもらった…というのがオチだった。

 

男というのは、惚れた女には弱いらしい。この人すっかり骨抜きにされてるな、と思いつつ、伏黒は呆れたため息を吐いた。

 

「乙骨先輩みたく、呪わないでくださいよ」

「え?なんで乙骨の名前が出るんだ?」




創くん、つくづくベタ惚れしてんなぁ。
神座出流…。その正体は一体何パンなんだ…?(すっとぼけ)

日向創の呪術高専制服…規定のものに白のパーカーをくっつけた感じ。ざっくりいうと虎杖の赤部分を白に変えたバージョン。下は夏油リスペクトボンタンで、胸ポケットには五条お下がりのグラサンと家入硝子お下がりの万年筆、夜蛾とパンダからの誕プレだったパンダストラップが引っかかってる。ザ・ファンシー不良スタイル。

七海千秋の呪術高専制服…一言で言うと釘崎のパーカーバージョン。ネコのパーカーを愛着していると聞いた創の計らいだった。胸元は窮屈なので開けている。


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雪染ちさとの邂逅

こちらも覗いていることを忘れるな。


「七海さん。最近、随分と様子が変わったけど、何かあったの?」

 

雪染ちさには疑問があった。

スカウトマンとしての本業が忙しい…と言う建前で飲んだくれてるせいか、担任を降りた黄桜公一に代わり、赴任一年も経たないうちに副担任から担任になってしまった雪染。

元超高校級の家政婦としての才能を買われ、同級級かつ親友たる元超高校級の生徒会長、宗方京助より依頼された「希望ヶ峰学園の闇の調査」を遂行する傍ら、生徒に寄り添うこの立場を、居心地良く感じていた。

クラスメイトたちも、七海千秋の奮闘(?)によって、それなりに結束してきている。

 

が。そんな矢先。七海千秋が学生寮を出たと言う情報が飛び込んできた。

 

曲がりなりにも希望ヶ峰学園に属する雪染が、その理由を知ることはない。

創の術式による無下限の模倣により、距離の心配が微塵もなくなったため、呪術高専の寮に移ったから、という、至極単純な理由を。

しかもご丁寧に、移動の際はごく小規模の帳を展開してから来るので、非術師である以上、彼らの足取りを掴むのは不可能。

結果。雪染ちさはその性格故か、本来の調査よりも、七海千秋の住処について気になってしまっていた。

 

学校に届けられた七海千秋の新住所は、そこらのアパート…呪術高専が有する空き部屋の一つ…であり、雪染も家庭訪問と称して訪れたことがある。

千秋が在宅していた…呪術高専の貼った網に雪染が引っかかったため、創に送ってもらった…ため、玄関先で世間話に花を咲かせたのは、記憶に新しい。その際にバレないようにこっそり内装を拝見したが、やけに生活感がなかったことが気にかかった。

引っ越したばかりで荷物が来ていない、というなら何ら不思議なことはない。

 

そう。『七海千秋以外』ならば。

 

問題は、そこに暮らしているのが七海千秋であることなのだ。

学生寮で彼女が暮らしていた部屋は、正直なところ、足の踏み場もない程にゲームやらゴミやらが散乱している、混沌とした空間であった。そんな彼女が暮らす部屋が、生活感がないと感じるほどに綺麗なのはおかしい。

更に言えば、ゲーム機の類が千秋が手に持っているもの以外見当たらなかったことが気になる。

何か隠している。直感的にそう感じた雪染は、千秋に接触することにした。

当の本人はと言うと、いつものゲームに熱中している。違いはと言うと、膝にキモ可愛いとしか形容しようのないぬいぐるみを置いていることだろうか。

 

「新しい友達ができたくらい…かな?」

「へぇ?どんなお友達?」

「えぇっと…、いい加減でデリカシー皆無だけど、芯の部分がすごく強い子…かな。

予備学科の日向くん。白黒パーカーとボンタン履いてる、髪型アンテナの子」

「……ああ、聞いたことあるわね」

 

予備学科に属する、金に物を言わせて制服の縛りを破る問題児がいるとは、生徒の一人である狛枝から聞いたことがある。担任になった矢先、酷く相手と自分を卑下する物言いをしていたので、彼を諌めたので、「そんな問題児がいるんだな」程度は覚えていた。

しかし、予備学科の問題児が、希望ヶ峰学園の調査に関わってくるとは思えなかったため、名前や個人情報に関しては全く記憶になかったのである。

それも無理はない。問題児とは言っても服装だけで、素行や学業に関しては可もなく不可もない、まさに「普通」という言葉を体現したような成績なのだから。

 

…まさか、その予備学科の生徒が、彼女が知りたがっている情報の九割を有しているとは思わないだろうが。

 

嬉しそうに創について、「ギャラオメガがそこそこ強い」、「言い回しが難しい」、「保護者に振り回されてる苦労人」、「彼の友達もクセはあるけど、みんないい人」と語る千秋に、建前上の注意としての「関わりをなるべく断った方がいい」と言えるはずもなく。

苦笑しながら、「先生も会ってみたいな〜」と相槌を打つ他なかった。

しかし、相手は冗談の通じない究極のマイペースたる七海千秋である。

 

「会ってみる?」

「え?」

「日向くんなら、今日は一緒にゲーセン回る予定なんだ」

 

その日向という少年は、かなり肝が据わっているらしい。

予備学科の生徒が本科の生徒と居るだけでもかなりの悪印象だと言うのに、それが問題児なら尚更だろう。

どうせもう一人の方も行き詰まってるだろうし、と思い、雪染は自らの知的好奇心を満たすことを選んだ。

 

「ね。先生もご一緒していいかな?」

「うん。いいよ」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「棘、珍しいな。こっちのゲーセン行きたいって言い出すなんて」

「しゃけ。こんぶ、おかか…」

「謝るなよ。俺も好きで付き合うし、千秋との予定と合わせちゃったからな」

 

放課後。珍しく予定の空いた創は、名前で呼ぶほどに近しい仲になった狗巻棘を引き連れて、ゲーセン前で千秋を待っていた。

狗巻の語彙がおにぎりの具に限られている中で、持ち前のコミュニケーション能力を駆使し、なんとかニュアンスは理解できるようになった創。

その隣には、創に誘われた九頭龍菜摘が、頬を膨らませていた。

 

「…日向、アンタ何考えてんの?

本科の生徒とこんな場所で遊ぶなんて、更に白い目で見られるわよ」

 

予備学科内の協力者たる菜摘が言うと、創はひらひらと手のひらを振って答えた。

 

「小泉真昼とサトウが頻繁に予備学科内で昼飯食ったりしてる時点で、今更だろ。

サトウなんて俺より白い目で見られてるし、同じ中学だったお前から注意してやれよ」

「したわよ。したけど聞かなかったの」

 

サトウ。『超高校級の写真家』の小泉真昼の親友であり、菜摘、小泉と同じ中学校で写真部に属していた経緯を持つ。

本人たちからすれば、数少ない交流の機会を作っているだけなのだろう。しかし、周りはそう捉えることはない。特に、呪霊の巣窟たる希望ヶ峰学園では。

 

「近いうちに呪われて死ぬかもな。二人まとめて、予備学科校舎で」

「は!?迷惑極まりないんだけど!!」

 

もしサトウと小泉が、予備学科校舎で呪い殺されたのなら。ただでさえ、あるかどうかもわからない本科への転向が、それこそ夢物語として消えてしまうだろう。

そのことを危惧し、菜摘が創に抗議すると、彼は深いため息を吐き、反論した。

 

「仕方ないだろ。呪いってのは負の気に寄せられてくるモンなんだ。予備学科の校舎は、旧校舎だ。呪いが集まる場所の特徴である、誰かの思い出になる場所っていう条件をクリアしてるのに加えて、特にちょっかいかけなくても負の気を出してくれるんだぞ?

新築の本校舎に、呪いが近寄る訳がないんだよ」

 

知性があるなら兎に角、と付け足し、コーラを呷る創。

菜摘はこめかみを抑え、「それをなんとかするために来たのがアンタでしょうが」とツッコミを入れた。

 

「あと、あんだけ強く互いを『呪い合って』ると、引き剥がすのはまず無理。

…あっ。棘、ホットのが良かったか?あっためてこりゃ良かったな」

「おかか、ツナマヨ。すじこ」

「コイツの語彙何なのよ…」

 

狗巻にビニール袋から取り出した「生姜入りはちみつ」という、いかにも喉によさそうなドリンクを渡す創。

限定的すぎる狗巻の語彙が、先ほどから気になって仕方がなかったのだろう。

菜摘が問うと、創は少し唸ったのち、その疑問に答えた。

 

「例えば、コイツがお前に『死ね』って言うと、お前はマジで死ぬ。棘にはそう言う呪いが、オンオフの切り替えが不可能っつー厄介な状態で付いてるんだよ。

だから、安全を考慮して語彙絞ってんの」

「しゃけ」

「普通に喋るだけで危ないって…。呪術師って、変なのばっかなのね」

 

ざっくりと危険性だけを伝え、菜摘がそれに納得していると。

千秋が一人の女性を引き連れて、こちらへ向かって来ているのが見えた。

 

「よっ、千秋」

「日向くん、今日も早いね。あ、狗巻くんも一緒なんだ」

「高菜ー」

「たかなー」

 

合流した千秋は創と言葉を交わすと、狗巻と「高菜」と声を合わせながら、互いの手のひらを合わせる。マイペースな彼らなりのコミュニケーションらしい。

一通りそのやりとりが終わると。狗巻は見覚えのない雪染に目をやり、首を傾げた。

 

「…明太子?」

「こっちは担任の雪染ちさ先生。日向くんに会いたかったんだって」

 

千秋に紹介された雪染に向けて、創は「どうも」と軽く頭を下げる。

雪染はその挨拶に応えるように、作法もわからぬ創からしても丁寧な仕草で礼をした。

 

「初めまして、雪染ちさです。キミが日向創くんね?」

「はい。『予備学科が本科と遊ぶな』って釘刺しですかね?」

 

相手は本科の教師。その可能性は十二分にあるな、と推測する創。

しかし、雪染は頬を膨らませ、「こらっ」と軽く怒鳴った。

 

「私は希望ヶ峰学園の先生よ?

不躾にそんなこと言わないわよ。それなら、小泉さんの方も止めてるわ」

 

希望ヶ峰学園の教師であることには、誇りを持っているらしい。しかし、その言葉の裏に何が隠れているか、分かったものではない。

創は生まれついての勘からか、雪染の言葉の裏に何かが隠れていることを悟っていた。

狗巻や菜摘もまた、それに気づいたのだろう。創に横目で軽く視線を送った。

 

しかし、これは渡りに船だ。強い呪いを生み出す一因となってしまっている小泉真昼とサトウへの対処を頼めるかもしれない。

建前上は、「予備学科の中には良からぬ考えを持つ人間もいる」と言えばいいだろう。

打算と少しの嘘を込めたコトダマを構築し、創は口を開く。

 

「雪染先生って、千秋の担任なら小泉真昼の担任でもあるんでしょ?

アレ、やめさせた方がいいですよ。予備学科校舎の方じゃなくて、中庭にしとけって言っといてください。見てて危なかっしい。

露骨な差別やら本科への嫉妬やらで、予備学科には不平不満が常に充満してます。いつ誰が凶行に走ってもおかしくない」

 

創の忠告に、雪染は目を瞬かせ、感嘆の声を漏らした。

 

「はぁー…。見た目は兎に角、結構しっかりしてるのね…?」

「服に関しては保護者どもがこれ以外捨てやがったんですよ!!」

「………苦労してるのね。…さっきの忠告は、小泉さんにはしっかり伝えておくわ」

 

問題児かと思ったが、そうでもないらしい。

思えば、七海千秋が予備学科の生徒と仲良くしているという話を聞いたのは、今日が初めてなのだ。余程上手く隠していたのだろう。

千秋が誰かと仲良くなるのに、予備学科と本科の確執やらを気にする可能性は皆無。となれば、彼女との関係を秘匿しているのは、必然的に日向創の方になる。

余計な波風が立たないように気を遣っているのだな、と思いつつ、雪染は千秋にコーラを渡す創を見つめる。

 

「じゃ、千秋も来たことだし入るか。

先生も一緒するんでしょ?入り口で突っ立ってないで、入ったらどうです?」

「え?いや、私は…」

 

日向創を見定めるという目的を終えた今、この場所に用はない。

戻ってもう一人と共に調査を進めるべきか、と思っていると。千秋がこちらを見つめているのが見えた。

 

「…じゃあ、お言葉に甘えましょうか」

 

今日くらいは、少し休んでもいいだろう。

そんなことを思いつつ、雪染はゲームセンターの扉をくぐった。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「いやーっ!遊戯室も楽しーっすけど、やっぱりカラオケルームにはそこしか感じられない『アツさ』があるっすね!」

「お前、殆ど歌ってなかったじゃねーか。超高校級の軽音部のくせに」

「…私は演歌しか歌えなかったが、退屈ではなかったか?」

「俺も似たようなモンだぞ、ペコ…山」

「ボクとしては満足だけど…。澪田サンの演奏が聞けなかったのが残念かな?」

 

その頃、創たちが集うゲーセンの近くにあるカラオケの出入り口にて。

一通り歌って満足した77期生ら数名は、ぞろぞろと店を後にし、各々感想を口にする。

企画した『超高校級の軽音部』、澪田伊吹は満足気に笑みを浮かべながら、次の予定を思案した。

 

「この後、輝々ちゃんに言って皆で鍋パとかどーっすか!?伊吹ちゃんの名案っすよ!」

「飯にはまだ早いだろ。もう少しどこかで遊んでいこうぜ」

「七海はどうするんだ?彼女、学生寮を出てしまっただろう?」

「電話したら来てくれると思うっす!」

「行き当たりばったり過ぎんだろ…」

 

そんなやり取りを交わしていると。ふと、狛枝がある光景を見つける。

 

「あれってさ、七海さんと雪染先生じゃないかな?そばに居るのは…」

「あーっ!こないだの不思議ちゃんっす!」

「な、菜摘…!?なんでアイツと…!?」

 

不思議ちゃん。超高校級の才能を持つ二人を歯牙にも掛けなかった、「呪い」と呼ばれる未知を撃ち倒した予備学科。

アレ以降、数人は接触を図ろうとしたものの、のらりくらりと躱されてしまい、今の今まで77期生の誰一人として、彼と話すことは叶わなかった。

そんな存在が、目の前にいる。接触しない手はない。

 

「あ、ゲーセンに入ってったっすよ!伊吹たちも入るっす!」

「は?なんで…」

「不思議ちゃんのお話って面白そーじゃないっすか!」

 

人一倍好奇心旺盛でいて、強引な性格の澪田に引き摺られるようにして、皆は渋々ゲームセンターへと向かった。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「…こうも惨敗すると凹む気すら失くすな」

「日向くん、初めてとは思えない実力だったよ。もうちょっと練習したら、いいところまで行くんじゃないかな?」

 

格闘ゲームの筐体の前にて。

創は画面に映る、見事なまでの惨敗っぷりをかましたと一眼でわかる結果に、諦めにも似たため息を吐く。

流石は超高校級のゲーマーと褒めるべきか、生粋のゲーマーである千秋に親指一本で負けた事実に、一種の感動を覚えていた。

 

「狗巻もーちょい手前!…ストップ!」

「しゃけ!」

「ナイスタイミング!アンタ日向よりも聞き分けいいじゃん!」

「…この子の語彙、おにぎりの具しかないのはなんでなのかしら?」

 

菜摘と狗巻はすっかり打ち解けたようで、クレーンゲームでポメラニアンのぬいぐるみを熱心に狙っている。

雪染はと言うと、狗巻のおにぎりの具しかない語彙が気になるのか、興味が完全にそちらに向いてしまっていた。

この状況なら、雪染に聞かれることはない。千秋は口元を隠すようにして、創に耳打ちした。

 

「…日向くん。先生を巻き込んじゃって良かったの?」

 

そう。今回、千秋が雪染を連れて来たのは、創の…というよりは、夜蛾の策略だった。

生徒の協力者は手に入れた。今、呪術界が欲しているのは、「教師の協力者」。希望ヶ峰学園上層部と関わりのある人間は、揃って呪術に懐疑的であり、協力は見込めない。

出来ることなら、上層部に反抗的な教師をこちら側に引き込みたい…というのが、呪術高専側の目論みだった。

そして、その条件を満たし、尚且つ呪いに耐性がある人間は、雪染ちさのみであった。

 

「教師側にも協力者は欲しかったしな。

あの人が『希望ヶ峰学園に浸かってる人じゃない』ってのは、ミゲルさんが調査済み。

もう一人も巻き込もうと思ったんだが…アレはダメだ。呪術の才能が皆無なのに加え、恨まれる且つ暴力的なタイプな時点でこっちの世界に引き込むのは危険すぎる。

それに、雪染先生にはお前らを帳に入れちまった時点でバレるのは時間の問題だったろ」

「……もう一人?」

 

それは後でな、と付け足すと。

創はふと違和感を感じ、弾かれたように周りを見渡す。狗巻もそれを感じたようで、同じように周りを見渡した。

 

「…嫌な感じがする」

「千秋も感じたか。覚えとけよ、それが『呪いの気配』だ。…今回はちっとばかし強すぎる気もするが」

 

弱くても准一級、強くて特級上位。気配からして、人間ではなく呪霊か。そんな推測を立てつつ、創はあたりを見渡し、呪いの痕跡たる『残穢』を探す。

これだけ強い気配なのだ。残穢の一つや二つ、あってもおかしくはない。

呪いを感じることにだけ集中力を割くことで、漸くその残穢を捉える。獣のような足跡だというのに、随分と規則的に並んでいる。

その先には、スタッフルームへの扉があった。

 

「……棘!五条先生に連絡!!」

「しゃけ!」

 

創は切羽詰まった声で棘に指示を飛ばすと共に駆け出し、スタッフルームの扉を乱暴に開ける。

充満したのは、鉄の匂い。

いや、鉄ではない。『血液の匂い』だった。

 

「呪霊のクセして随分とやり手だな、おい…!!」

 

そこには、食いちぎられたように引き裂かれた死体が、幾つも転がっていた。




遊んでた77期生メンバーは澪田伊吹、狛枝凪斗、九頭龍冬彦、辺古山ペコ、左右田和一の五人。その他はいろいろ用事があって不参加。九頭龍冬彦、辺古山ペコの二人は澪田によって強引に参加させられた。

創に関する雑用は大体、伊地知さんかミゲルさんがやってる。その分、ご飯奢ってくれるから最強二人の雑用よりは乗り気で丁寧な仕事をする。


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日向創の『狂気』

日向創はイカれてる。


『被呪者はゲームセンター勤務の男女計十二名。解剖してみたけど、どれも動物に噛みちぎられたような痕跡が残っていたよ。ただ無理矢理擦り付けたみたいな残穢だったから、術式ではないんじゃないかな?』

「ありがとうございます、硝子さん。今度なんか奢ります」

『行きつけの店に五十年ものの貴重なボトルが入ったそうでね…』

「……わかりました」

 

相変わらず、彼女に何かを頼むと高く付くな、と思いつつ、通話を切る創。

彼の視線の先には、娯楽空間の職場とは思えぬほどに凄惨な現場と化したゲームセンターのスタッフルームが広がっていた。

訪れていた客たちは警察が軒並み追い出し、ここに立っているのは呪術師側の人間のみ。

無下限によって瞬間移動して来た五条が、六眼で現場を見渡す。

 

「呪霊が理性を持ってしまった…ねぇ。

俄には信じ難いけど、状況証拠からそう判断するほかないね」

「これ…俺の管轄ですかね?」

「そりゃあそうでしょ。ここ希望ヶ峰学園の近所なんだから」

「マジかよ…」

 

余計な仕事が増えたことに、創は強くこめかみを抑える。

知性を持つ呪霊。呪術師界隈でも記録が数える程度しかない程に珍しい類だ。それこそ、平安の世から残る記録でしか聞いたことがないほどには。

知性を持つと言うことは、感情があり、呪力の振れ幅も大きい。加えて、今回の手口から推測できるに、知能はかなりのもの。

狗巻は兎に角、千秋は置いて行った方がいいか、と思っていると。五条がそれを遮るように口を開いた。

 

「創。今回のは千秋にも見せなよ?

優しい創のことだから『君が苦戦するくらい強い特級』は体験させてないでしょ?」

「………俺を見殺しにする気ですか?」

「大丈夫大丈夫。本気で危なくなったら僕と傑が出るよ」

「そりゃ、頼もしいことで…」

 

日向創が苦戦することは、ほとんどない。五条悟と夏油傑相手に喰らいつける程の実力がある時点で、殆どの呪霊を「弱い」と言える程度には、実力も功績もあった。

過程はどうあれ、創は最強を目指し、最強二人の弟子として己を鍛え、他の特級に比べて弱いものの、なんとか特級呪術師に至った男である。そのことを、呪術師を生業とする人間は、誰も不思議には思わないだろう。

 

しかし、その二人以外に苦戦しないかと言われれば、否と答える。

呪術師の世界は、一般社会よりも変化が目まぐるしい。それこそ、五条悟と夏油傑程の揺るがぬ実力を持たねば、いつ死んでもおかしくない程には。

その変化が、「今」まさに起きている。

五条悟が言外に創に告げたことは、そう言うことだった。

 

「あ、あの…。アナタ、何なんですか?」

 

と。置いてけぼりを食らっていた雪染が、おずおずと五条に問いかける。

五条はと言うと、包帯越しに不躾な視線を送り、口を開いた。

 

「誰よ?この果てしなーく服がキツい女」

「はァァーーーーーっっっ!?!?まだ二十代前半よ失礼ね目隠し包帯!!!」

 

デリカシーのカケラもない発言に、思わず声を上げる雪染。

確かに、二十代で教師という立場なのに、生徒の前でエプロンドレスという、字面だけ見ればキツさを感じないこともないが。

それでも、本人を前に言うことか、と思いながら、創は五条に告げた。

 

「教師側の協力者として引き込む予定だった人ですよ」

「……ああ、雪染ちさね。写真よりキッツいカッコしてんねー」

「余計なお世話!!!」

 

こちらは協力を仰ぐ立場だというのに、無駄に煽らないでほしい。

創が心底面倒そうにため息を吐く傍ら、顔を真っ赤にして怒鳴る雪染を、千秋が「まぁまぁ」と宥めた。

 

「端的に言うと、俺とこの人は師弟関係且つ教師と生徒って関係にあります。…希望ヶ峰学園ではありませんが」

「…どういうこと?」

「一から説明しますので、あんまり横槍入れないでくださいよ?」

 

コレで何度目だろうか。呪いの簡単な概要を説明し、希望ヶ峰学園が非常に危うい状況にあることを雪染に伝える創。

とても人の集う場所で起きたとは思えない、凄惨な現場も相まって、雪染はあっさりと呪いについての一切合切を信じた。そういう意味では、この事件はタイミングが良かったのだろう。不謹慎な考えではあるが。

呪術師に染まると、不謹慎な考えが簡単に頭をよぎるのは考え物だな、と思いつつ、創は雪染に告げる。

 

「とまぁ、こんな感じで。何とかしないと、希望ヶ峰学園は確実に呪いによって荒廃しちゃうんですよ」

「これなんて『生優しいモン』じゃないよ?

呪術師のトップが見捨てることをあっさり決めるくらいにヤバい魔窟なんだよね、希望ヶ峰学園ってさ!」

 

その裏にある陰謀については触れず、端的に来るべき結果だけを告げる。

目の前にある、人が引き裂かれた痕跡。愛する母校が、それすらも『生優しい』とまで表現されるほど凄惨な地獄となると言われて、冷静になれる人間がいるだろうか。

雪染が困惑に唇を震わせていると、隣から「それマジっすか!?」と大声で叫ぶ声が聞こえた。

 

「……あーっと。この声…、前に聞いたことあるぞ。誰だっけか…?」

「澪田さん。ほら、あの色彩がすごい子。ドット絵描くの難しそうな」

 

色彩がすごい子、と言われ、思い出すのは、あの活発そうな少女。

ビジュアル系バンドに居そうだな、という感想が真っ先に来そうな彼女のことを思い出し、創は手をぽん、と叩いた。

 

「居たな。色彩が半端なくうるさいヤツ」

「『色彩がうるさい』ってどういう覚え方っすか!?もっと、こう…、伊吹らしい特徴があるはずっすよ!!

例えば!そう!このセットがものすごーく大変なツノとかツノとかツノとか!!」

「思いつく特徴ツノだけかよ…」

 

「色彩が半端なくうるさい」という評価に納得がいかなかったのか、挙動さえもやかましくしながら猛抗議する澪田。

聞いたところ、『軽音部』としての才を認められて希望ヶ峰学園に入ったらしく、かなり耳がいいらしい。

先程の話も聞かれてたな、と思いつつ、創は五条を見やる。

 

「明かしちゃっていいんじゃない?

僕らが危険視してんのは『希望ヶ峰学園の運営側』の方なんだし。

それに、とっくの昔に巻き込んじゃってる時点でアウトっしょ?」

「………ホント、不肖の弟子ですんません」

「いーのいーの。創が呪術以外でそんな器用じゃないのは知ってるし」

「人が気にしてることをずけずけと…!!」

 

創は呪術師としての実力を抜きにすれば、それはもう悲しいくらいに凡人である。

そのコンプレックスを指摘され、創はこめかみを青筋を浮かべた。

 

「ってなわけで、入れちゃって。

どーせ呪霊に目ェ付けられてるだろうし、僕が守っとくからさ」

「すぐにその呪霊が来るって言いたげですね」

「いいや、『こっちから向かう』んだよ。

ご丁寧に誘ってくれてるんだから、乗らなきゃ失礼でしょ?」

 

五条は言うと、「おいでー」と規制テープを持ち上げ、千秋のクラスメイトらを手招きする。

澪田は怖いもの見たさなのか、すぐに潜り、冬彦、辺古山は狗巻と居る菜摘が心配なのか、それに続く。

残る左右田と狛枝も分からないことにモヤモヤしていたのか、同じようにテープをくぐった。

 

「じゃ、行こうか」

「行くって、何処に?」

 

皆がこの場へと踏み入り、五条がスタッフルームの扉を潜ろうとする。

未だに彼の言葉の真意が分からぬ千秋が、こてんと首を傾げると、五条は笑みを浮かべて頭上を指差した。

 

「ここの屋上。帳を張った気配がある」

「帳…?…あっ、確かに。

いや待てよ…。ってことは、呪霊が呪詛師と連んでるのか!?」

「可能性はあるね」

「…果てしなく面倒だな…」

 

創はため息を吐き、スタッフルームへと足を踏み入れる。

77期生の面々は困惑しながらも、創に続く千秋に続き、スタッフルームへと飛び込んだ。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「おっ…と。気づかれたみたいだね」

 

スーツ姿の男が、ゲームセンターの屋上にて、缶コーヒー片手に呟く。その頭部には、特徴的な縫い目が刻まれており、まるで一度頭部を切り離したような痕のように見えた。

その傍らには、哺乳類とも鳥類とも、はたまた魚類とも爬虫類とも両生類とも言えない、特徴的な風貌の人型のバケモノが、死体の一部を噛みちぎり、咀嚼していた。

 

「おい。コイツ、オマエの学校のヒョーギカイなんだろ?食ってよかったのか?」

「あまりにもうるさいからねー。

無駄に肥えた身体を残さないくらい食ってもらえると助かるよ」

「コイツは不味すぎるぞ。残りのも寄越せ。オレ様は空腹なんだぞ」

 

バケモノ…いや、呪霊の言葉に、男は苦笑を浮かべて首を横に振る。

評議会の頭が堅いくせして夢想家という、救いようのない老害たちだが、まだ利用価値がある。まだ殺される訳にはいかない。

男がそう言うと、呪霊は残念そうにため息を吐いた。

 

「ちぇ、なんだよ。真人に言い付けるぞー」

「こっちにも計画があるんだ。

『カムクラプロジェクト』に、『あの小娘の計画』は、呪術も使えないバカが考えたにしては、それだけの利用価値があるんだよ」

 

たん、たん、と階段を登る音が響く。

男は「潮時かな」と言い、ゲームセンターの路地裏へと向けて、身を投げた。

 

「じゃ、約束通り遊んできなよ。出来れば、殺してくれると助かる」

「オマエなんかに言われなくても、ヒナタハジメはオレ様…『魄獣(ひゃくじゅう)』が食うって決めてるぞ!」

 

獣への畏れから生まれた呪いが、その顎門を開く。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

階段を登ると、そこは地獄だった。

屋上一面に広げられた血液の絨毯が、買ったばかりのスニーカーをダメにする。

日向創は黒閃を経験したことにより、五条悟の『無限』をある程度再現できる。しかし、無限の難易度はかなり高く、六眼もない創では、5分もすれば負荷に脳が耐えきれなくなるという欠点がある。

こんなところで無駄遣いは出来ないな、と思いつつ、創は池の池を歩いた。

 

「おっ!キタキタ、ヒナタハジメ!!真人の言う通りウマそうだぞ!!」

「……随分とデカいスペアリブ食ってやがるな」

 

骨だけになった誰かの脚を投げ捨て、呪霊が笑い声を上げる。

創をしっかりと認知している。知性があることは、最早疑いようもない事実だろう。

つま先にかつん、と何か硬いものが当たる感触がする。よくよく見ると、頭蓋骨の目の部分だけが散乱しており、その眼腔が彼の目を睨め付ける。

間に合わなかった自身への赦しを乞うように、「ごめん」とだけ呟き、創はその屍を越えた。

 

「コイツな、キボーガミネのヒョーギインっつー頭でっかちなクソジジイだったんだぞ!

要らねって聞いたから食ったんだ!脂身多すぎて不味かったけどな!」

 

ゲラゲラと嗤う呪霊に、ため息を吐き、隠れてこちらを見守っている彼らを見やる。

あまりにスプラッタな光景に、ガタガタと震える左右田と澪田を守るように、比較的慣れているのか、耐性のある面々と千秋たちが宥める。

千秋はと言うと、呪術師になって、創と対峙する呪霊の恐ろしさが理解できたのだろう。小刻みに震え、創に向けて心配を込めた眼差しを向けていた。

 

「俺を狙ってる理由は分からないし、真人っつーヤツも知らないが…。

お前から聞き出せば良い話だな。借りるぜ、加茂。『千変万化:赤血操術』!」

 

創の右頬に、傷が開いたような赤いアザが走る。

それをゴングに、呪霊の姿が掻き消え、創の胸めがけて鉤爪の備わった剛腕を放つ。明らかに己の速度を超える一撃に、創はなんとか前腕での防御をとり、派手に吹き飛ばされる。

 

「ぐっ…、結構痛いな、オイ…!!」

 

攻撃を受け止めた腕を見ると、ものの見事に折れ、かつ肉が抉れていた。だばだばと抜け出る血に顔を顰めながら、創は反転術式で傷口を塞ぎ、骨折を治す。

しかし、そんな暇もなく、創の体に衝撃が走り、肺の空気が抜け落ちた。

 

「かはっ…!?」

「いやっ、ほうっ!!」

 

速い。投射呪法という、禪院家の当主が扱う、速度の世界では頂点を誇る術式があるが、それに匹敵する程に素早く動く。

五条悟や夏油傑であれば、「弱い」と言って一蹴するような実力だろう。

しかし、特級呪術師最弱の日向創にとっては、苦戦は必須と言える相手であった。

凄まじい連撃によって、肉が削がれ、血液が抜け出る。

ぼちゃ、ぼちゃ、と響く水音に歯噛みしながら、創は意識を集中させた。

 

「攻撃を喰らうのは想定通りだけどよ…、ここまで速いとか聞いてねーぞクソッ!

赤血操術、『苅祓血界』!!」

 

創が叫ぶと共に、血溜まりからいくつもの輪ノコが飛び出し、回転しながら宙を漂う。赤血操術は自身の血液を操る術式。多少混じってるとはいえ、これだけ血を流せば結界を作ることも容易い。

それによって呪霊の血液らしき黒と紫の混じった体液が飛び散るも、攻撃の手は止まなかった。

 

「やるぞやるぞ!!オマエ、結構やる!!

特級呪術師最弱とか言われてるくせに、しっかり強い!!」

「最弱っつーの気にしてんだよ!!」

 

速さに目が慣れて来た。以前相手した禪院直哉よりも多少遅いが、それでも防戦一方ではある。

相手は、苅祓が漂うこの空間で動き回る程に、痛みに無頓着だ。やはり、赤血操術では分が悪いか。しかし、相手の知性を考えると、投射呪法では速度で渡り合えても敗色濃厚だろう。

 

「だぁっ、クソッ…!ここまで怯みもしないと腹立つな…!!」

「俺の術式行くぞー!『血染ノ獣』!!」

「がっ!?」

 

肉が裂かれる痛みが、創を襲う。

一体なんだ、と思って目を凝らすと。苅祓が血で出来たハリネズミへと変貌し、その群れが自身へと襲い掛かっているのが見えた。

 

「俺の術式は『血染ノ獣』!

その名の通り、マーキングした血を動物に変える術式だぞ!」

「ここはお前のホームグラウンドってわけかよ、ちくしょう!!」

 

術式の開示による縛り効果。

これに威力が底上げされたハリネズミたちが、創に突き刺さる度に肉が裂かれ、その上にミキサーでかき混ぜられたような痛みが創を襲う。

傷口から侵入した血液も術式対象らしい。ハリネズミがそのまま血管の中で暴れているような感覚に顔を歪ませる。

 

「畜生はオマエら人間だぞ!

真の人間はオレ様たち呪いなんだって、真人や漏瑚が言ってたぞ!!」

「バカそうな呪いのくせに、随分と立派な思想を持ってるな、オイ!!」

 

赤血操術では勝てない。相手の術式に上書きされてしまう。

創は千変万化を解き、続く術式を模倣する。

 

「『千変万化:呪言』!!『止まれ』!!」

 

ぴたり、と呪霊の動きが止まる。

同時に創の喉にもかなりの負荷がかかり、声帯が擦り切れるような痛みが走った。

 

(察するに、宿儺の指10本分はある…。

俺の馬鹿…っ!『加減してる』とはいえ、ここまでしてやられるなんて、最強の弟子…、いや、特級呪術師の名が泣くぞ…!!

しかし、なんだ、この違和感…?まるで、コイツの元の呪力に、外付けで何かを足したような違和感が…)

 

創が続け様に呪言を放とうとするや否や。

呪霊の拘束が解かれ、その喉元を掴まれた。

 

「かっ!?」

「ふぅ。呪言のことは、こないだの宿儺の指で見てたんだぞ」

「…っ、対処法もバッチリってか…。ふふっ、ふふふ、ふははははっ!!」

 

羨ましい。その術式が『羨ましい』。開示された情報を凄まじい集中力と嫉妬で『考察』し、創はほくそ笑む。

体はズタボロ。喉元を掴まれてる時点で負けは確定したようなもの。

そんな状況下にも関わらず、彼は笑い声を上げた。

 

「……?なんで笑うんだぞ?お前、負けるんだぞ?」

「はははっ、ははっ…。ああ、すまねーな…。

俺の術式に必要なのは、『解析』じゃなくて、そこらの凡人でもできる『考察』と、『自分なりの理解』なんだよ…!!

お前の説明がバカみたいにシンプルで助かったぜ…!!」

 

────『千変万化:血染ノ獣』!!

 

瞬間。二体の血で出来た狼が、呪霊の腕を噛みちぎった。

創は床に溜まった血液にもマーキングを上書きし、何体もの獣を作り出す。

 

「なっ…!?お前、最弱なんじゃ…」

「忘れたか?俺は『特級呪術師の枠組みの中じゃ最弱』なんだよ。

お前『如き』が、本当に特級呪術師の俺を追い詰めてるとか思ってたか?」

 

創は崩れ落ちる腕の中で残った数珠を持ち、苦笑を浮かべる。

 

「なーるほど。特級呪物で呪力を底上げしてやがったのか。

言動の割に賢しい真似してくれるじゃないか。

「ぐ、ぎ……っ!!」

「残念だが、俺はジョジョみたいに正々堂々を好むタイプじゃないんでな。腕を治す前に決めさせてもらうぜ…!!」

 

────『領域展開』!!

 

瞬間。あの時のように、創から放たれた白が世界を包み込む。

創は呪霊を嘲笑うごとく、ゲラゲラと笑い声を上げながら、己の理想を描く。この空間だけは、『最強』の称号は自分のもの。嫉妬に塗れたバケモノの笑い声に呼応し、『理想の日向創』が生まれ出る。

 

────『無知全能』!!!!

 

「殺しはしねーよ。地獄は見るだろうけどな」

 

呪霊に向けて、日向創が殺到する。

その首が血溜まりの床に転がると共に、白は弾け飛ぶ。

 

「やっぱ、強くなるってのは楽しいな…」

 

そこに立っていたのは、嫉妬と『向上心』のバケモノであった。




創が攻撃を受けていたのは、全部『術式を手に入れるため』です。実際に食らうことによってより理解を深めるために、わざと食らってます。創はこうやって特級呪術師になりました。凡人だからこそ嫉妬して夢想するので、彼にこの術式は相性抜群なのです。ドMとか言っちゃダメ。
無限は六眼無しの再現なので、脳への負荷を考えると、5分の時間制限付きになります。強敵相手にはちょっとの時間稼ぎしか出来ないという欠点があります。

魄獣…獣への畏れから生まれた呪霊。自身の身体能力で相手を翻弄し、術式と共にいたぶる、呪いらしい嗜虐思考持ち。知能が低そうな言い回しで見落としがちだが、事前に特級呪物を取り込んだり、人が動揺するような光景且つ、自らの術式に有利な状況を作るために事前に仕込みをしたように、知性、残虐性共に厄介なものになっている。

創の今の強さは、宿儺の指14本分くらいです。渋谷事変の宿儺様に噛み付けはしますが、多分殺されてもおかしくありません。


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縫い目

今もどこかで笑って見ている


「日向創はね、悲しいくらいに凡人なんだよ」

 

決着の光景が広がる中で、五条悟が告げる。

日向創という人間は、呪いの世界の頂点に焦がれるまでは、あるはずもない可能性を夢想するだけの凡人だった。そして、呪いの世界に飛び込んだ今も、呪術以外の事柄は、可も不可もない、まさに凡庸な人間。

夏油傑や五条悟と比べれば、呪術師として飛び抜けた才能があるわけでもない。しかし、彼らには無いものを持っていた。

 

「だから、憧れる。だから、嫉妬する。だから、夢想する。

創の術式は焦がれ、渇望することが日常の凡人と、これ以上ないほどに相性がいいんだ」

 

凡人故に、誰かの猿真似しか出来ないだけじゃないのか。狛枝が五条の言葉に、そんな意見を放とうとする。

が。それは解けた包帯から隠れ見える、冷たい瞳によって、喉の奥に引っ込んだ。

 

「ま、彼の場合は、僕と傑すら怖く感じる『異常なまでの向上心』も合わさって、アレだけ強くなってんだけど…、今回は相手を舐めすぎたね。あそこまで怪我しなくても、術式は習得できたろうに」

 

説教確定だな、と付け足し、ちゃぷ、と血溜まりの中へと足を踏み入れる五条。展開している無限のお陰で、創とは違い、靴や服がダメになることはない。

呪霊の生首をアイアンクローで持ち上げ、血の滴るままで睨め付ける創の頬を、五条は緊張感のかけらもない声と共に突いた。

 

「やっ、お疲れー。油断しすぎだよー?」

「すみません、やっぱり食らわなきゃ理解が進まないんで」

「ソレで死んじゃったらどーすんのって、口酸っぱく言ってるよね?全く、傑の嫌なところばかり似ちゃって…」

「アンタのも入ってますよ」

 

創は手に持った生首を五条に差し出し、皆の元へと歩いていく。

揃って天才であるが故に、あまりに理解不能な狂気を孕む創にたじろぐ面々。しかし、千秋は血だらけの創の元へと歩んでいった。

 

「七海サン、やめた方がいいよ。

予備学科なのに加えて、ここまで狂い果てているゴミクズを君が気にかける必要性が感じられない。

輝かしい希望の道を歩む君が、彼と同じ場所に踏み入っても、なんら得はないと思うな。ほら、日向クン…だっけ?君も曲がりなりにも予備学科なら、君と七海サンの立場の差もわかるでしょ?彼女にも言ってあげたら…」

 

ぱん。狛枝の言葉も無視して、千秋の掌が、創の頬を捉えた。

 

「…日向くんのばか。死んじゃうと思った」

「あー…。ごめんな。俺、こーやって特級呪術師になったんだよ」

 

頬を膨らませ、創に詰め寄る千秋。

命のやり取りの途中で思わず下品に笑ってしまうほどに、闘争が日常と化している創は、「理解してくれ」と言わんばかりに言い訳を並べた。

 

「……五条先生は油断したって言ってた」

「ゔっ…。すみません…」

「………一晩10本クリアマラソン付き合ってもらうから」

「何っだその地獄!?あだっ、だだっ!?

よしわかった!わかった付き合う!付き合うからそこ突かないでくれ!痛い!!」

 

つん、つん、とふくれっ面のまま、千秋は傷だらけの創の体を突く。指先が、創のものかもわからない血液で汚れることも厭わず戯れていると。

血液が飛沫を上げ、何かが風を切るのを感じた。

 

「ありゃ」

 

五条は「やらかしたな」と呟き、摩天楼の中へと消えた影を見やる。

その手からは、、創から受け取った生首が消えていた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「ふざけんな!!冥冥のヤツ、知ってて黙ってやがったな…!!ペコ!!」

「それが、その…。見越していたように、先程『私でさえも危険な領域だからね。追加料金、億は超えるよ?』と、私宛にメールが送られて来ました…」

「お兄ちゃん。冥冥はそう言うヤツなんだって…」

 

場所は変わり。呪術界御用達の定食屋にて、一通り呪いのことを聞いた冬彦が怒鳴り声を上げ、付き人たる辺古山と妹たる菜摘がなんとか宥める。

相変わらず飛ばしてるな、と反転術式によって傷を治した創が思っていると。五条が冥冥の名前を聞いてか、笑い始めた。

 

「ぶははははっ!!君ら冥さんの金ヅルだったヤクザか!!ウ〜ケ〜る〜!!」

「死ねや!!」

「お兄ちゃん、まずその目隠し包帯男の話を聞いてからにして。

私たち九頭龍組だけの問題じゃ無いんだし」

 

ドスを構えて襲い掛かろうとした冬彦を、比較的呪いに慣れている菜摘が止める。

暫し考えた後、頭が冷えたのか、ドスを収めて「煽るようなヤツ寄越すなや、タコ」と悪態を吐く。

 

「き、希望ヶ峰学園って自主退学とか出来たっけ?その、オレ、おっ死ぬ前に逃げ出したいんだけどなー…」

「無理だよ。自主退学は余程の問題を起こさない限りは絶対に受理されないからね」

 

左右田がなんとも情けない態度で、行先のない弱音を吐く。が。隣に座っている狛枝はバッチリ聞き取っており、残酷な現実を突きつけた。

その事実に絶望したのか、左右田は涙目で狛枝に縋りつく。

 

「狛枝ァァァアアっ!!

頼むからオレを退学処分が下るような不幸に巻き込んでくれェェェエエエっ!!」

「あはは…。それは聞けないよ。

だって、こんなに希望が輝けるチャンスがあるんだよ!?左右田クンもきっと絶望を踏み越えられるさ!!希望は絶望に立ち向かってこそ輝くんだから!!」

「うわァァァアアそうだったこう言うヤツだったチクショォォォオオッ!!!」

 

あいも変わらない狛枝の思想に、滂沱の涙を流しながら叫び散らす左右田。

澪田はソレに耳を塞ぎながら、口を開いた。

 

「でもでも、なんで伊吹たちにこの話をするんすか?今の話聞いてると、ぼんやりとしか感じない伊吹たちが呪いと戦う…なーんて伊吹たちにはとても出来ないっすよ?」

 

澪田が言うように、スカウトするわけでもない彼女らに希望ヶ峰学園の呪いのことを明かすメリットがわからない。

創がなんのメリットがあるのか、彼女らもスカウトするのか、と思案していると、五条は笑みを浮かべながら手をひらひらと振った。

 

「そこまで求めてないよ。君ら、呪術高専にスカウト済みの千秋以外、呪術師のセンスが悲しいくらいにまっっっ…たくないから。

呪力が使えない脳みそではあるけど、術式はあるから感じてるだけだね」

「カッチーン!流石の伊吹でも、今のはカチンとくる物言いっすよアンタ!今なら伊吹、頭でポップコーンが沸かせそうっす!!」

「ポップコーンを沸かすって表現するか?」

 

文豪でもしなさそうな表現に、思わずツッコミを入れる創。しかし、澪田は一切気にせずに、五条に向けて遺憾の意を全身全霊で表現する。

五条はと言うと、ソレを黙殺し、話を軌道に戻した。

 

「君らに求めてるのはただ一つ。希望ヶ峰学園内で『頭に縫い目のある人間』を探して欲しいんだよ」

 

こんな風にね、と自らの額で漢数字の一を描くように、指を這わせる五条。

そんな人間が居ただろうか、と生徒や雪染は記憶の海へと潜り、悶々と唸る。と、そんな中、雪染がふと、思い出したように口を開いた。

 

「…神座出流像。ほら、フランケン像ってみんな呼んでる…!!」

 

神座出流。希望ヶ峰学園創立者にして、あらゆる才能を収めていたとされていた男。

神座出流像のトレードマークが頭の縫い目だったことから、別名「フランケン像」というあだ名がついていたはず。

そのあだ名は今もなお健在で、千秋たちも思い出したように各々声を上げる。

 

「………あっ!!たしかに、なんか頭に縫い目っぽいのあったよな!?」

「写真も縫い目があったっす!!」

「えっと…、その人って、創立した翌年に亡くなってるから…、その人と同じ縫い目がある人を探して欲しいんだと…思うよ?」

「「「あっ」」」

 

左右田、澪田、雪染の三人が、千秋の言葉に硬直する。

希望ヶ峰学園創立者たる神座出流は、一人の卒業生も見送ることなく没している。つまり、死後80年近くは経っている人間なのだ。

トンチをやってるわけじゃない、と千秋に諌められてしまい、小さくなる三人。

しかし、そうなれば気になることがある。

 

「その『縫い目のある人間』ってのは、神座出流の信奉者か何かなのかな?」

 

何故、呪術師が探している人間が神座出流と同じような縫い目を頭に刻んでいるのか。

狛枝の問いに、五条は手のひらを彼らに向けた。

 

「おっと。ソレは聞いちゃダメだよ。僕らにも答えられる範囲ってのがあるしね。

ただ、この二つだけは言える」

 

────ソイツは希望ヶ峰学園の上層部にいる。ソイツがいる限り、希望ヶ峰学園に未来はない。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「じゃあね。あ、この話は他言しないほうがいいよ。お相手さんが殺しに来るからね。この場にいる面子は、全員顔が割れてると思っていいよ。

こんな死に方だけはしたく無いでしょ?」

 

五条悟が刺した釘は深過ぎた。

いつの間にか、呪術師側に住処を移した千秋は、創への懲罰で夜通しゲームに付き合わせると息巻き、五条悟と共に去っていった。

希望ヶ峰学園への帰路へ着く数人は、約2名を除いて酷く憔悴していた。

 

「…なぁ、九頭龍。ヤーさんの世界であんな死に方ってあんのか…?」

「見たことねーよ、あんな…、って思い出させんな、気分悪くなんだろ…」

「……私もその端くれではあるが、あんな殺し方が人にできるか、と聞かれれば否と答えるな。即死ではないだろうし、かなり苦しんで死ぬことになる」

 

その感情を名づけるならば、絶望というより『恐怖』だった。

呪いによる人死は、平安の世から今この時まで変わらず、さして珍しくも無い。

しかし、呪いが一般に認知されていた平安とは違い、秘匿されてしまった現代においては、その死は「理解不能な不条理そのもの」であり、受け入れ難い情報だった。

 

「……伊吹はショージキ、あんまり頭良く無いんでわかんないことだらけっすけど…。

それでも、このまま何にもしなかったら、みんなまとめて、あんな風に死んじゃうってことだけは理解できたっす」

「そんな、オーバー過ぎるわよ…。

ほら、あの人の情報がどこかしら間違ってる可能性とかは…」

「ないわよ」

 

珍しく後ろ向きな澪田の言葉に、雪染が気休めにでもなればと口を開く。

が。その言葉は呪いをそれなりに知っている菜摘によって否定された。

 

「日向が対処してくれてるからまだ人死が出てないだけで、予備学科校舎はいつ人が死んでもおかしくない場所らしいわ。

日向がアンタに小泉真昼を止めろって言ったのは、『小泉真昼が明日にでも呪い殺されてもおかしくないから』なのよ」

「えっ…!?小泉さんが、どうして!?」

 

雪染の驚愕に染まった顔に、菜摘は心底呆れたのか、深いため息を吐いた。

 

「アンタら超高校級が、他の誰にも恨まれてないとか声を大にして言える?

予備学科の劣等感も感じないでズカズカ入り込んでくる本科の生徒に対して、アタシ含めた卑屈な予備学科一同が何も感じない訳ないでしょうが。そう言う感情を元にして、あんな殺しが出来る化け物が生まれて来んのよ。

お兄ちゃんやペコちゃん含め、アンタらは誰かから常に呪われてる。謂わば、超高校級って称号は、呪いの親なのよ」

 

全部、日向の受け売りだけどね、と付け足し、自販機で買ったジュースを呷る菜摘。

超高校級の称号に向けられる嫉妬、羨望、劣等感、憤怒、殺意。菜摘はその全てを、創と呪いとの邂逅以降、真剣に見つめてきた。

故に、彼女は五条悟の語った言葉が冗談でもなんでも無いことを悟っていた。

 

「なんだ、予備学科がなくなればいいだけの話じゃないか」

「オイ狛枝…」

「だって、そうでしょ?予備学科なんている意味の分からない連中が、人類の希望たる皆の足を引っ張ってるんだよ?剰えそれを殺そうだなんて…烏滸がましいにも程があるよ」

 

いつものように薄寒い笑みを浮かべながら、ありったけの語彙を振り絞って予備学科を否定する狛枝。

予備学科に通う菜摘がいるにも関わらず、矢継ぎ早に口を開く狛枝を、冬彦が鋭く睨みつける。が、それは他ならぬ菜摘によって諌められた。

 

「そうね。今、こうしてアタシが苛立ってる今も、呪いは生まれてるわ」

「ほらやっぱり!」

「でも、『超高校級だけは被害者』なんて、誰が言ったの?」

 

その言葉に、狛枝の笑みが消える。

呪いは被害者、加害者の括り関係なく、ただ無差別に呪ってるだけなのだ。超高校級は狙われやすくなっているだけ。人に心がある以上、誰が悪いわけでもない。

日向創から散々聞かされた呪いの蘊蓄が、まさかこんなところで役に立つとは。

それすらも織り込み済みだったのかも、と一人思いながら、菜摘は続けた。

 

「呪いは加害者も被害者もない。アタシたちみたいに、呪術を使えない人間が無意識に産み落としてる。アタシも、アンタもね。

超高校級と予備学科なんて区別じゃ無いの。アタシたちみたいな呪いを使えない非術師が生きてる限り、永遠に生まれるんだって」

 

割に合わない仕事してるわアイツら、と呟き、菜摘は創の言葉を想起する。

尊敬する人が非術師の尻拭いで仲間が死んでいくのに耐えきれず、道を踏み外しかけたことがある。それこそ、希望ヶ峰学園を崩壊させることなど容易いまでの実力者が。

日向創が死に物狂いで説得を為さねば、希望ヶ峰学園は十年前に跡形もなく無くなってると話題の一つとして聞かされた時は、生きた心地がしなかった。

 

「だから、出来るだけ呪いが生まれないように、希望ヶ峰学園を変えなくちゃいけない。

設立されてしまった予備学科も含めて、ね。

あの目隠しや日向は言わなかったけど、私たちに託されたのは、『そういう学園に変えるための試練』なのよ。

そのために、頭に縫い目のある人間を探して、希望ヶ峰学園の膿ごと叩き出さなきゃいけないの」

 

頭に縫い目のある人間は、あろうことか希望ヶ峰学園の上層部に居る。

五条悟の話を鵜呑みにする気はないが、呪霊の言葉と足以外食い尽くされた死骸が、根拠としてある以上、信じざるを得ない。

排斥すべきは切るのが簡単な予備学科ではなく、むしろその逆なのだ。

 

「予備学科を嫌って原因扱いするのは勝手だけどね、排除するべき者を見誤らない方がいいわ。

受け皿の予備学科を排斥して、本校舎の方に呪いを移したいんなら止めないけど」

 

菜摘の目は、悲しいまでに現実を見据えていた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「九頭龍は上手く説得してくれたみたいだな。良かった」

 

耳に詰めたワイヤレスイヤホンを外し、ケースにしまう創。

何を隠そう、九頭龍菜摘に彼らのアフターケアを、携帯を使ってバレないように依頼していたのだ。その経過を見るために、菜摘と創の携帯の通話を繋ぎっぱなしにして。

千秋曰く、1番の不安要素であった狛枝も、こう言われては幸運を使った強行策に出ることが出来ないだろう。

呪術高専の寮へと歩く最中、千秋が口を開く。

 

「…さっきの日向くん、怖い顔してた」

「……今さっき話に出た奴じゃないが、縫い目とは、結構深い因縁があってな。五条先生たちが殺したと思ってたんだが」

 

思い出すのは、夏油を説得したあの日。

説得が成功し夏油が脱力した瞬間、頭に縫い目のある女が、彼を殺しにきたのだ。『呪霊操術を貰い受ける』などと宣いながら。

創がなんとか応戦したものの、体力の限界が近かったのか、数分で倒れ伏し。胸を貫かれた夏油を駆けつけた硝子が治し、同行していた五条と二人がかりでようやく渡り合えた程の強敵。

五条が奥義たる虚式「茈」を、夏油が残っていた呪霊とありったけの呪力を注ぎ込んだ極ノ番「うずまき」を同時に放ち、骨すら残さず殺したはずだった。

もしその女が生きていたとしたら。そんな想像をして、創は背筋が凍るような感覚を覚えた。

 

「…多分、一筋縄じゃいかないだろうな」

 

創は言うと、気を引き締めるように拳を固く握った。

 

「……それはそうと、クリアする10本は、一通り持ってるロックマンシリーズからランダムに選んでほしいな」

「…………その、ロックマンって一人用ですよね?俺もやらなきゃダメ?」

「ダメ。ハードとソフトとディスプレイ幾つも持ってるのって、日向くんとそういう競争するためなんだからね?」

「…はい」

 

そうだった。帰ったら嫌すぎる罰ゲームあるんだった。

好きな人と夜を明かすといえば聞こえはいいが、その実苦行としかいえないゲームとの格闘が待ち受けてることに、複雑な感情を込めた返事をする創。

しかし、好きな人がこれだけ自分を想ってくれているのだと思うと、不思議と元気が出てきた。

 

「あ。最初の一本は私でもコントローラー投げそうになるくらいのクソゲーね」

「五条先生助けてェェェエエエっ!!!!」

 

前言撤回。超高校級のゲーマーがコントローラーを投げるようなゲームに耐え切れる自信はない。

半泣きになりながら五条に縋るも、彼は創の顔を見て鼻で笑った。

 

「ははっ。ウケる」

「ウケてんじゃねーぞチクショォォォォォォオオオオオっ!!!!!」




七海千秋ですらもコントローラーを投げ出すクソゲーは原作世界にはない、この作品オリジナルのもの。その名も「クリスタル・ソードゲート」。略してもクソゲー。レビューは散々で「感度がいいのかわるいのかよく分からない判定のくせに細かい操作ばかり要求される」、「コマンドが五百通りもあるのが意味わからん」、「虚無」、「オープニング見るだけで不感症が治るくらいキレそうになる」、「ゲームと名乗ることすらゲームに失礼」とまで言われる始末。
七海千秋は何回かクリアしたが、その度血管はち切れそうなくらいイライラしてる。それでもまたやるあたり、生粋のゲーマー。


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策謀と失策

絡めとられるのはどちらなのか


「随分な姿だね、魄獣」

「オマエ…!ヒナタハジメの術式について黙ってたな!!食ってやる!!今すぐ食い尽くしてやるぞ!!」

 

希望ヶ峰学園の一室…だった場所にて。さざなみの音が心を安らげる場所にて、砂浜に転がった魄獣の生首が怒号を放つ。

怒りを向けられた本人である、頭に縫い目のある男は、薄らと笑みを浮かべながら、口を開く。

 

「仕方がないだろう?彼が術式を習得したのは、全てが呪術高専内の敷地だ。

術式習得を見るのは、私も初めてだったんだよ」

 

日向創の術式『千変万化』は、無限の可能性を秘めている。凡人などという、あまりに空虚でいて普遍的だからこそ相応しい術式。

その気になれば、今の今まで記録のない、全く新しいオリジナルの術式を作り出すことも出来るだろう。

日向創がそのコツを掴む可能性は、ほぼ皆無に近いが、こちらの術式を習得されるのは厄介極まりない。

つくづく邪魔な男だ、と思いつつ、男はジュースをストローで啜った。

 

「おいおい、日向創を警戒するって言ったのはキミでしょ?長年生きてると記憶力の低下が激しいのかな?キミの計画が悉く破綻してるのは全て、日向創が原因だって、自分で言ってたよね?

夏油傑の離反の失敗もそうだけど、それ以前のもので言えば、融合は阻止できたものの、星漿体の暗殺自体は失敗。伏黒甚爾は日向創に足止めを食らって五条悟と夏油傑に殺されているじゃないか」

 

つぎはぎ肌の男が悪戯っぽい笑みを浮かべ、創に阻まれてきた縫い目の男の経歴を並べていく。

男は苛立ちを隠しながらも、冷ややかな怒りを込め、顔を引き攣らせた。

 

「あんな童如きにしてやられたのは業腹だが、ヤツが『カムクラプロジェクト』の被験体に選ばれたのは好都合だ。

評議員のバカどもも、日向創の正体を知っただけで狂喜乱舞していたよ。自分から助かるチャンスをドブに捨てておいてね」

 

後は、どうやって日向創を捕らえるか。

創自身の対処は、正直どうとでもなる。それこそ、魄獣と同程度の強さを誇る呪霊たちがカバーすれば倒せるだろう。

問題は、五条悟と夏油傑だ。日向創にヘタに手を出せば、確実にあの二人が殺しにかかる。最悪、こちら側にいる呪霊全員が夏油に取り込まれてしまうだろう。

そうなれば、自らの企みは全て泡沫へと消えゆくのは目に見えている。

 

「……まぁ、時間は後少しあるんだ。じっくり考えようじゃないか」

 

男の目には、自らの野望のみが見えていた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「そんなの認められません!!」

「ちょっと、小泉さん…っ!」

 

放課後。

失礼します、と乱暴に扉を閉める小泉真昼を引き止めることも出来ず、行き場を無くした雪染の手がだらりと落ちる。

予備学科に行かない方がいい理由を散々説いても、小泉は聞く耳を持たなかった。それも無理はない。昼休みの度に本科校舎を去り、予備学科へと向かっている理由となっているのが、大の親友ともなれば。

雪染とて、宗方京助や逆蔵十三がそちらにいるのであれば、休み時間はそちらに向かっている自信がある。

しかし、受け持った生徒をみすみす死なせるわけにもいけない。それが超高校級の才能を持つ、希望ヶ峰学園本科生徒ともなれば。

 

「つくづく、大変なことに巻き込まれちゃったわね…。これも元・超高校級の家政婦の才能が故かしら?」

 

決定的な瞬間に居合わせてしまうという、役に立つ時もあれば、自身の身を危険に晒してしまうような才能。あの目隠しの男や日向創は、それすらも見越して自分に接触を図ったのではないだろうか。

そんな考えが頭をよぎるも、即座に首を横に振る雪染。

 

「いや、才能ってよりかは絶対に『立場』で選んだっぽいわね、あの子たち…。あんなに嫌な性格してるもん」

 

日向創は取り繕ってはいるが、発言のそこかしこに性格の悪さが出ていた。

しかし、それもあの目隠しに比べればマシな方で、あっちは傲慢不遜な態度を隠そうともしない。「デリカシーも無いし、いい加減」とまで千秋に言われた創が可愛く思えて来るレベルだ。

 

「…宗方くんか逆蔵くんに…報告しても笑われるだけね。呪いなんてスピリチュアル、全然信じないタチだし」

 

これほど友人と恋人の堅物な性格を呪ったことはない。この呆れすらも呪いにカウントされるのだろうか。

つくづく、嫌なことを知ってしまったと思いつつ、雪染は頭を掻きむしった。

 

「私にどうしろってのよ〜…!!」

 

その答えは、誰も知らない。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「先生のばかっ…!サトウのこと、何にも知らないくせに…っ!」

 

小泉真昼は憤っていた。真面目な彼女らしからぬ、かつ、かつ、と廊下をローファーで強く叩いていることから、彼女がかつてないほどに怒り狂っていることがわかる。

それも無理はない。先程、担任教師である雪染に呼び出され、突きつけられた一言は、どうしても受け入れられなかった。

 

────もう、予備学科には行かない方がいいわ。本科のあなたと予備学科では、環境も立場も心も違うのよ。

 

環境が違う。立場が違う。それは認める。希望ヶ峰学園は目に見えて予備学科を差別している。それは変えようのない事実だ。

しかし、心まで違うとは思えない。世界に存在する人たちは自分と同じ人間で、自分と同じように笑い、自分と同じように泣く。

それは、予備学科の人間も変わらない。結局、先生は生徒と心で触れ合ってなかった。

尊敬していた教師からの言葉に心抉られた彼女は、足早に予備学科へと向かっていた。

 

そう。雪染はあろうことか、致命的に言葉選びを間違えてしまっていた。

友人の逆蔵十三も宗方京助もそうなのだが、才能を差し引いても、この三人はコミュニケーションに難がありすぎる。

他人の琴線に不用意に触れてしまう雪染、宗方に無意識に心酔し、言葉を選ばない逆蔵、自らの信ずる物に盲目的な宗方。(琴線に触れる、は良い意味で人の心を動かす・感動させるという意味です。逆鱗に触れるとか地雷を踏むの誤りではないでしょうか)

その弱点を利用されたとすれば、どんな結末が待っているかわかったものではない。呪詛師や呪いは、そこに付け入ることに長けているスペシャリストなのだから。

 

話を戻すと。雪染ちさの軽率さが、小泉真昼の怒りと意地を焚きつけてしまったのだ。

こうなれば、彼女は予備学科に行き来するのを止めることはないだろう。小泉真昼という人間は、根拠がなければテコでも動かないような少女だった。

そして、呪いというモノがどれだけ恐ろしいか、彼女は千秋や九頭龍冬彦たち程深く思い知ってはいない。

 

彼女は向かっていく。自ら、死に向かって。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「だぁーっ!!あンのアマ1番の下手やらかしやがって!!古今東西あらゆる道徳の教科書脳みそに織り交ぜてやろうか!!!」

「…日向って怒る時、完全悪童よね」

 

千変万化で烏を操る黒烏操術を模倣した…習得の際、冥冥にかなりの額を要求された…創は、適当な烏を操り、雪染ちさと小泉真昼を監視していた。

その雪染が下手を打ったことも無論、リアルタイムに伝わり、怒りを爆発させて怒鳴り散らす創。

その傍で菓子を食べる菜摘は、怒り狂う創から目を逸らした。

 

「元・超高校級とはいえ、人間でしょうに。あんまり期待し過ぎるのもダメじゃない?」

「……とは言っても、なぁ。小泉真昼相手にあそこまで見え透いた地雷踏み抜くか?」

「………そんなヘタ打ったの、あの教師?」

「お前も小泉真昼のことを知ってるだろ?そういう人間にとっちゃ、馬鹿としか言いようがない失敗だよ」

 

雪染が小泉に放った言葉を、一言一句そっくりそのまま再現すると、菜摘は非常に渋い顔をした。

 

「あー………。そーりゃキレるわ。あいつホントに小泉の担任してんの?」

「やっぱ心の底から希望ヶ峰学園の関係者だな。いい先生ではあるんだろうけど、無意識に予備学科を下に見てる。

俺からしたら、ビールにおまけが付いてるかどうかくらいの違いなんだが」

「呪術師くらいよ、超高校級の称号にそんなこと言えるの。……ん?待ってアンタ、ビール買うの?」

 

普通ならば、この歳の人間は酒に興味は示せど、実際に購入しようと棚を吟味することは少ない。

言うまでもなく未成年の創が、何故そんなことを知っているのだろうか。

菜摘が問うと、創は軽く肩をすくめた。

 

「まさか。口答えしないからって硝子さんと歌姫さんに注がされてるだけだよ。

…さて、どうしようか。千秋に止めさせるって手も考えてたんだが、雪染先生の打った手が悪手すぎて取り返しつかないし。

逆蔵十三を利用しようにも、あの暴力装置っぷりじゃそれも無理。そもそもあの性格が呪術的にネック過ぎて避けたんだし」

「…呪術師って気持ち悪いくらい情報戦強すぎない?」

「俺じゃなくて、伊地知さんやミゲルさんとかの裏方が優秀なんだよ。俺は戦うくらいしか出来ないからな」

 

言って、自嘲気味に笑みを浮かべる創。

呪術以外はいっそ憐れみを覚えてしまうくらいに凡人な創にとって、元は憧れの希望ヶ峰学園から情報を抜き取るだけの手腕を持つ補助監督や窓の人間は、五条悟と夏油傑とは違った尊敬の対象だった。

 

「……んっ?」

「どうかしたの?」

 

ふと。創は操っている烏越しに、覚えのある違和感を感じる。その答えがなにかを悟る前に、烏の数匹と共有していた視界が二つに割れ、共有が途切れた。

 

「……烏が殺された。この感触…まさか」

 

瞬間。予備学科校舎の一角が作り変わる。

生得領域の展開。この呪いの腹に飛び込んだような、混沌とした空間には覚えがあった。

数日前、千秋の目の前で呪言で祓った『両面宿儺の指』を食らった呪霊。

濃密な気配からして、あの時の呪霊よりも、おそらく数段は強い。

 

「『宿儺の指』…!!誰が持ち込んだ!?」

 

隔離された空間の中に放り込まれたのは、創と菜摘、遠目に見えるサトウと小泉真昼の四人。放課後数時間は経っているが故に、予備学科校舎に留まる人間は少なかったようだ。

それも無理はない。劣等感の象徴のような場所に好き好んでいる様なモノ好きなど、いるわけがないのだから。

 

「…帳ってやつじゃないの、コレ?」

「同じ結界ではあるが、こっちのはちょっと複雑だ。

一言で言えば、そうだな。『呪いの心の中』が現実に出てるって思ってくれればいい」

 

幸いなのは、帳や領域展開などではなく、ただ呪いの生得領域が顕現しているだけということ。

宿儺の指一本くらいであれば、特に苦戦せずに倒せるのだが…、問題は『それを持ち込んだのが誰か』ということだ。大方の予想はつく。先日の呪霊と連んでいる者が持ち込んだと見ていい。

あの呪霊の怪我からして、今回出張ってくる可能性は低いが、他の妨害が来る可能性は高いと見ていい。

 

「…九頭龍、携帯の電波は!?」

「え?…アンテナちゃんと立ってるわよ?」

「俺の携帯貸すから、『伊地知』って人に電話かけてくれ!!

なに言われても『日向創が呼んでるから援軍を即刻連れて来い』って言え!!」

 

あまり気は進まないが。

そんなことを思いつつ、創は携帯を押し付けるように菜摘に渡し、十メートルはある段差を飛び降りる。

菜摘は慌てて携帯を操作し、「伊地知」という名前を見つけて発信した。

 

『はい、こちら伊地知です』

 

数秒もしないうちに、なんとも気の弱そうな男の声が聞こえてきた。

この男が「伊地知」なのだろう。菜摘は威圧を込めて、携帯に向けて叫ぶ。

 

「日向から伝言!『日向創が呼んでるから援軍を即刻連れて来い』だって!!」

『あ、はい…って、乙骨くん!?あっ、ちょっと!?』

 

「待ってくださーい!」と張り上げても覇気のない声が、電話の向こうから聞こえる。

菜摘が一体なんだ、と思っていると。ずしん、と重い音がすぐそばで響いた。

 

「え…?」

 

あまり呪霊がはっきり見えない菜摘にも、ソイツだけは見えた。

創より一回り大きい体躯に、外骨格と言われた方がまだ理解できるほどに硬質な肌。布で覆われた左腕。剥き出しの歯茎に、眼腔から突き出て、天へと向かう樹木。

到底生き物とは思えない出立ちだが、何処か感じる「自然の厳かさ」に、菜摘は息を飲み込んだ。

 

『■■■■■』

 

────ごきげんよう。

 

威圧を込めた言霊が、菜摘の脳を撫ぜた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「『千変万化:呪霊操術』!!」

 

日向創の『千変万化』は、『模倣元である術師が蓄積したものはコピーできない』という特徴を持つ。その代わり、『日向創が蓄積したもの自体は解除しても、永続的に引き継ぎできる』。

夏油傑が二級の呪霊を降伏なしで取り込めるのに対し、創は精々三級の呪霊までしか降伏なしで取り込めない。

更に言えば、夏油傑は特級呪霊含め、五千近い数を取り込んでいるが、創が取り込んでいるのは千程。しかも、強くても一級呪霊という始末だ。

 

菜摘に迫る呪霊相手には、満に一つも勝ち目はないだろう。しかし、肉壁程度にはなる。

百近い数の呪霊を菜摘の元へと送り、呪霊の一匹の口に手を突っ込む。

そこから手を引き抜くと、創の手には短刀が握られていた。

 

「正直、術式と領域展開無しってのはキツいが…、援軍が来るまでの辛抱か…」

 

そんなことを一人ぼやきながら、小泉真昼の前に着地し、構える。瞬間。千秋に希望ヶ峰学園を裏切れと迫った時と、同じ風貌の呪霊の一撃が、激しい音と共に短刀に炸裂した。

呪具『屠坐魔』。禪院真希が所有する、呪いが篭った武器…呪具の一つ。本来であれば、それに宿儺の指を取り込んだ呪霊の攻撃を受けきれる程の強度はない。

しかし、創が取り込んだ呪霊の呪力を上乗せすることで、屠坐魔は特級と渡り合える程の強度となっていた。

 

「きゃっ…!?な、なに…!?」

『きひゃっ、ひひひっ!!』

「ひっ…!?」

 

小泉真昼とサトウが二人して狼狽えていると、呪いの四つの瞳と目が合った。

まるで固定されたように、二人をじっくりと見つめ、不気味な笑みを浮かべる呪霊。

創が受け止めているからこそ無事で済んでるものの、本来であれば四肢を引き裂かれ、なぶり殺されてもなんらおかしくない。

 

「あ、アンタ、この間の…!?」

「暫くぶりだな、小泉真昼…!生憎、あの時みたいに無敵バリアとか張れないから、死に物狂いで逃げてくれ…よっ!!」

 

創の『千変万化』には、「同時に二つ以上の術式を模倣することができない」という、かなり大きい欠点が存在する。

幅広い術式の模倣が真骨頂となる創にとって、術式が固定されてしまう現状はまずいとしか言いようがなかった。

領域展開を発動すれば、現在菜摘を襲っている呪霊が領域内に侵入し、同じく領域展開を繰り出す恐れがある。無限は近くにいる人間にしか付与できないことも、立ち回りからして、相手にバレていると見ていい。

創は力を込めて呪霊を弾き飛ばし、無理矢理に距離を作る。

 

「援軍来るまで守り切れるか、これ…?」

 

珍しく情け無い弱音が、その口から漏れ出た。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「里香ちゃん、ごめんね。運んでもらって。いつもありがとう。大好きだよ」

『里香も憂太が大好きだよ゛ぉお…!!』

 

希望ヶ峰学園上空。白の呪術高専制服に身を包んだ少年が、異形の腕の中で優しげな笑みを浮かべる。異形もまた、その悍ましい見た目とは裏腹に、まるで恋人と戯れる少女のように、少年と戯れあった。

 

「…五条先生の言うとおり、呪いが濃いな」

『……里香、あそこ、嫌゛いぃい!!』

「壊しちゃダメだよ、里香ちゃん。あそこは日向くんの仕事場なんだから」

 

希望ヶ峰学園に宿る呪いの気配に、顔を顰める少年…乙骨憂太。

異形もまた嫌悪感を剥き出しにして、破壊を振り撒くべく口腔を開け、呪力をかき集め始めたのを、少年が諌めた。

 

『や゛だァァァっ!壊゛ずゥゥウウっ!!』

「里香。ダメだよ」

 

乙骨の優しさの裏に隠れた、鋭い眼光とドスの効いた声に、異形…特級過呪怨霊『祈本里香』の動きが止まる。

禪院真希を殺しかけた時程ではないが、少しの怒りを込めた声に、里香は渋々と言いたげな様子で呪力を霧散させた。

 

「ありがとう、里香ちゃん。…もう一つ、お願いできるかな?」

『な゛ぁに?』

 

乙骨は里香の掌から飛び降り、重力に身を任せた。

 

「力を貸して」

『うんっ!!』

 

呪いの女王が今、降り立つ。




乙骨憂太、参戦。別任務の帰りで近くまで来てた。

創は家入硝子と庵歌姫の家飲みに介抱役として無理矢理付き合わされることが多々ある。そのため、一滴も飲んだこともないのに酒に詳しくなってしまった。歌姫の酒癖の悪さに巻き込まれ、トラウマになるようなとんでもない目に遭うのも珍しくない。因みに、硝子は一切止めないどころか、それを囃し立てる始末。
そのため、創は歌姫のように酒癖悪い女が大の苦手。性癖ドストライクが千秋になったのは、酔った歌姫の逞しすぎる言動が九割元凶。

千秋は現在、伊吹たちと縫い目の男捜索中。


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呪い合う世界

常識を当てはめるな


「だーかーらー!!俺はソフト系はあんま詳しくねーんだっつの!!」

「使えねーな」

「ダマらっしゃい!!」

 

千秋が住んでいることになっている、アパートの一室にて。先日、五条に縫い目のある人間の捜索を依頼された五人と千秋が、一つしかない画面と睨めっこしていた。

言い争っていたのは、左右田と冬彦の二人。

事の発端は数分前に遡る。縫い目のある人間を校内中駆け回り探したものの、影一つ見つからなかったのだ。狛枝に至っては、己が幸運をフル活用したと言うのに、「昔のいじめが原因で頭を縫ったことがある」という罪木と遭遇して終わる始末。

超高校級という理不尽としか言い様のない才能相手に、影一つ踏ませないほどに隠密に長けた存在。ともすれば、こちらも全員の才能を活用して探すしかない。そう思い立った六人は、思いつく限りの手を尽くした。が。相手は相当警戒心が強いのか、遂に頭に縫い目のある人間は見つからなかった。

正攻法ではダメだ。希望ヶ峰学園のデータベースに侵入するべきではないか、という意見が辺古山から飛び出し、まず真っ先に目をつけられたのは、メカニックの才を認められて入学した左右田だった。

しかし、左右田はあくまでメカニック。機械工学に長けているだけで、ソフトウェアに関しては、超高校級の才を有しているとは言えなかった。左右田がそのことを正直に話したところ、アテが外れたと皆が落胆を隠そうともしなかったことにキレたのだ。

 

「では、どうする?狛枝の幸運すら、影一つ見つからなかったのだぞ?

相手は、私たち生徒には察知できぬほどに深い闇の中へ隠れている可能性が高い」

「そもそもさ、そんなやついんのか?あの目隠しの間違いとかじゃ…」

「間違いじゃないよ」

 

七海がコントローラー片手に、左右田の言葉を否定する。

懐から五条より預かった一本の指を、これ見よがしに取り出した。

 

「な、なんだそりゃ?指…?」

「あの呪霊が『宿儺の指』って言ってたやつだね。今は指だけど、呪いが取り込んだら無作為に暴れる…らしいよ?」

「…あのバケモノの姿はぼんやりとしか見えなかったけどよ、声はやけにはっきりと聞こえてたよな?」

「……ああ。確か、日向クンを宿儺の指を使って観察してたって言ってたっけ」

 

呪言とかはよく分からなかったけど、と付け足し、まじまじと指を見つめる狛枝。千秋は「食べちゃダメだよ?」と告げ、宿儺の指を懐にしまった。

 

「コレの用途を知ってて、希望ヶ峰学園の上層部を『要らない』って言ってあの呪霊に食べさせてたってことは、敵は呪いの世界にも、希望ヶ峰学園にも深くまで突っ込んでる人間だと…思うよ?

あと二年で廃校になるってのも、冗談でもなんでもないと思う」

 

────あんなバケモノが、同じ学校にいるんだよ?

 

ヒュッ、と左右田と澪田が息を呑む。

あんな惨状を作り出したバケモノが、今も自らの学舎を縄張りにして跋扈している。それを想像するだけで怖気がする。少なくとも、自分達は顔を見られている。それこそ、少し隙を見せるだけで殺される可能性を否定できない。

食いちぎられるのだけはごめんだ、と言わんばかりに、左右田は自身の寮室から持ち運んできた部品とはんだごてやらの機器を置いた。

 

「…しゃーねぇなぁ…。ハッキングとかザ・頭脳派みてーな高等な真似は出来ねーけど、バレねーように監視するドローンとかぐらいだったら作れる」

「それでこそ超高校級のメカニックだよ!!ああ、一瞬でも不安に思ったボクって、本当に終わってるね!!呪いなんて絶望で、ボクたちの希望が潰える訳がなかったんだ!!」

「ンなこと言ってる暇があんなら手伝え!!お前の幸運にも縋りてーくらい不安全開なんだぞこちとらぁ!!」

 

絶好調になった狛枝に、半泣きで怒鳴りつける左右田。怖いことには変わりないらしい。バレたら、確実に相手が自分達を殺しにかかることを理解している分、余計に。

狛枝は嬉々として左右田のアシストをする傍ら、残った四人が話し合いを再開する。

 

「これで見つかるといいが」

「あんまり期待はしない方がいいな。腕は確かな冥冥が『危険だから近寄らない』とか吐かすような学校に潜んでる野郎だ。

警戒心は、俺ら極道の世界に生きる奴なんて目じゃねーだろーな」

 

辺古山と冬彦が後ろ向きな意見を出した途端、左右田が更に情けない表情で二人に怒号を飛ばす。

 

「コラそこっ!オレのやる気が落ち込むよーなこと言うなっ!!」

「そんな情けないこと言うから、ソニアちゃんが眼蛇夢ちゃんに傾くんすよ」

「ぞんな゛ごど言゛ゔな゛よ゛お゛っ!!」

「……なんかごめんっす」

 

左右田和一、渾身の男泣きである。

これまで以上に何が何やらよくわからない液体に顔を濡らし、泣き声混じりの叫びを放つ左右田に、澪田は思わず頭を下げる。

その傍で、千秋は希望ヶ峰学園の方を見つめていた。

 

「むっ?…どうした、七海?」

「……なんでもないよ」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「ひっ、はっ…、はっ…!」

 

逃げろ、逃げろ。逃げなきゃ、殺される。

迫り来る植物を這々の体で避け、逃げ惑う菜摘。十分も走り続けたせいか、足はもつれかけている。

眼下に見える創は、十分にも渡る攻防を息切れひとつなくこなしている。実際には、呪力による身体強化と反転術式による回復で体力の消費を誤魔化しているだけで、もうあと数分もしないうちに体力切れが近づいていた。

創が放った呪霊の肉壁も、七割削り取られた。果てしなく強い。それこそ、菜摘を一瞬で引き裂けるくらいには。

 

「あ、あんた…っ、なんで、アタシを狙うのよ…っ!?狙っても、なんら、得はない…でしょうが…!!」

『真人の個人的興味に付き合ってるだけです。こちらとしても、日向創の爆発力を測りかねているので』

 

真人。先日の呪霊も出していた名前に、思わず眉を動かす菜摘。

呪霊もそのことに気付いたのか、『おっと、失言』と剥き出しの歯を隠すように口を覆い隠す。それでもなお、攻撃は止まず、樹木が菜摘に襲いかかった。

 

「きゃっ!?」

 

足がもつれ、その場に転ぶ。何度目かもわからない転倒に、ただでさえ皮が数度削れた足がさらに擦りむけ、じんじんと熱と痛みが伝わっていく。

だが、痛みに喘いでいる暇はない。更に削り取られた呪霊の肉壁に心配を覚えつつ、菜摘は走り出した。

 

『ふむ。劣化版とはいえ、呪霊操術を模倣されるとこうもやりづらいとは。

非術師の子供一人殺せぬなど、真人や魄獣に笑われてしまいますね』

 

呪霊の言霊が響くたび、表現し難い気持ち悪さが脳を駆け巡る。

それすら気にならないほどに、菜摘には迫る『死の恐怖』が勝っていた。

 

『……では、こういうのは如何でしょう?』

 

瞬間。呪霊が木で出来た鞠が放たれる。それが呪霊に着弾するや否や、呪霊はあっという間に呪力を吸い取られ、樹木と化した。

 

「な、なによ、これ…!?」

『やはり、こちらの方が手っ取り早い。

時間をかけてしまった以上、私も成果を出さなければ』

 

自分を守る壁はもうない。ざっ、ざっ、と呪霊が地面を踏み締めるたび、近づく死に怯える菜摘。

極道の世界に生まれた以上、死は隣にあるものと思っていた。組長の娘である以上、どんな殺され方をしても文句が言えた立場ではないことは分かっていた。

それが、覚悟していたものとは全く違う形を伴って自分に迫るとなれば、話は別。

先日に五条悟に刺された釘のこともあってか、菜摘の目は完全に恐怖に染まっていた。

 

『さぁ、お還りなさ…』

 

────何をしてる?

 

ゾッ。菜摘でも感じるほどのあまりに濃密な殺気に、揃って滝のような冷や汗を流す。ざっ、ざっ、とスニーカーが地面を踏み締める音が響くたび、その気配が二人へと近づく。

呪霊がそちらを振り返った、まさにその時。

人一人簡単に握り潰せそうな剛腕が、呪霊を吹き飛ばした。

 

「ありがとう、里香ちゃん」

『うん!!里香、アイツ、嫌゛いっ!!』

「うん。僕もアイツ、大嫌いだ」

 

そこにいたのは、どんな呪霊より恐ろしい異形と、虫も殺せなさそうな笑みを浮かべる少年。二人して恋人のように戯れ、吹き飛んだ呪霊を睨め付けた。

 

『……特級過呪怨霊と、乙骨憂太…!!』

「五条先生に頼まれたからね。祓わせてもらうよ」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「ッソ、折れてきた…!!」

 

乙骨が現着する少し前。屠坐魔で応戦していた創は、体力の限界が近づいていた。

呪力と反転術式で体力の限界を誤魔化していたが、それでも呪術以外は他者に悲しみを覚えられるほどに凡人の創が、特級相手に術式無しで十分も耐えるなどという無茶をしでかして、傷ひとつできない訳がない。

屠坐魔こそ無事ではあるものの、握った手は硬い感触に何度も晒されたことが原因なのか、三度は折れている。

相手の攻撃も、背後にて逃げ道なく怯えるだけの二人を危険に晒さないため、避けるわけにはいかず、肉が抉れた痕がある。

正直、術式を封印すれば、手の一つや二つ吹き飛んでもおかしくない相手だ。

 

『ひひゃあはっ!!』

「小泉たちばかり狙ってんじゃねぇよ!!」

 

加えて、執拗に抵抗し得る術を持たない小泉たちを付け狙う残虐性。過去に存在した宿儺も、快楽のためならば国規模の鏖殺もやり遂げるような利己主義者だったと聞く。その性質が強く出ているのだろうか。

受肉されるよりかはマシだが、この状況ともなれば、厄介なことこの上ない。

小泉たちに向けて放たれた呪力の塊を、呪霊を組み合わせた防壁で受け止める。ストックは菜摘を守らせているモノ併せて、あと三百程度も残っていない。

創は防壁を操作し、特級呪霊を素早く縛り上げる。が、こんな程度で宿儺の指を取り込んだ呪霊が止まるわけもなく、即座に引きちぎられ、小泉たちに迫った。

 

「な、なんで私たちばかり狙うの…!?攻撃してるのは、そいつじゃない…!!」

「コイツはそういう性格なんだよ!!」

「女を怖がらせるのが趣味なわけ!?そんな理由で襲うとか、最っ低!!」

 

小泉が立ち上がって叫ぶや否や、呪霊が四つの瞳で彼女を睨め付ける。

宿儺の性質が反映されているだけあって、指図に癪に触ったらしい。創の脇を通り抜け、凄まじい勢いで小泉を貫こうとする呪霊を、創が呪霊で編んだ紐で縛り上げた。

 

「正論が全て正しい、正論が全てを救うとか思ってんならやめといた方がいいぞ。

自分の身を危険に晒し、他人を狂気に突き落とすだけだ。正論で全てが救われた試しなんて、歴史上何処を探しても存在しねーよ」

 

先生からの受け売りだけどな、と付け足し、紐を引き、その勢いで拳を叩き込む創。

黒の火花は起こらない。打撃とほぼ同時に呪力をぶつけることで起こる現象…黒閃。コレを狙って出せる術師は存在しないとまで言われている。術式無しでこの呪霊を倒すとなれば、コレを連続して決める他ない。

しかし、菜摘の防壁となっている呪霊の操作に加え、執拗に狙われている小泉たちに気を遣って、中々思うように行かないのが現状だった。

 

「……っと、来たか」

 

が、それも先ほどまでの話。呪霊は大量に消費したが、三人を守ることは出来たようだ。

乙骨憂太と祈本里香が降り立つ高台の方を見やり、創は呪霊操術の模倣を止める。

 

「さぁて、随分と好き勝手してくれたな。

…カッコよくヒーローっぽく決めちゃ、呪いの怖さってのは分からないだろうし……。

……そうだな。此間、手に入れたアレで行こうか。『千変万化:血染ノ獣』!!」

 

創は叫ぶと共に、屠坐魔の刃をぞぶり、と自らの前腕に突き立てる。そのまま傷口を広げるように、ゆっくりと屠坐魔を引き下ろす。

ぼたぼた、と血が溢れる中で、創は笑みを浮かべ、更にもう片方の腕にも同じように屠坐魔を突き立て、傷口を広げた。

 

「なっ、あ、アンタっ、何やって…!?」

「や、いやっ、血、血がっ…!?」

「『血染ノ獣』…『血獣跋扈』!!」

 

創が叫ぶと共に、滴り落ちた血液から、創が思いつく限り、獰猛な性質を持つ獣が生まれ出ずる。

その総数は二十程。致死量に近い血液を流し、フラフラな状態で反転術式を発動して傷口を無理矢理に塞ぐ。そんな状態だというのに、創は高らかに笑い声を上げた。

 

「くは、ははっ、ははははっ!!ははっ、はははははははっ!!!

ようこそォ!!互いの全存在をかけて呪い合い、殺し合う世界の裏側へッ!!!」

 

血液で出来たタカ三匹が天を駆け、弾丸のように呪霊の体を削り取る。その穴に楔を打ち込むように、蛇二匹の呪力で固められた尾が深々と突き刺さった。

血液故に変幻自在。突き刺さった尾は鏃のような形となり、蛇の頭は創の手に収まる。創は蛇を思いっきり引っ張り、天高く放り投げた。

 

『ひひゃっ、きひゃははぁっ!?』

「ミンチになる覚悟は出来たな?」

 

天高く飛んだ呪霊に、突き刺さったままの蛇が巻きつき、身動きできないように体の一部を新たな蛇に変え、磔にする。

ある程度は定型で、数も限られてくる呪霊よりも、自分の思い通りに形を変えられる分、使い勝手はいい。

そんなことを考えながら、創は指を鳴らした。

 

「『贄』」

 

瞬間。獣が殺到し、呪霊の肉を引き裂く。黒と紫が混じる血飛沫が降り注ぐ下で、創は戯けるように親指を立てた。

 

「一件落着!……なーんて、まだまだ言えないんだけどな」

 

「取り敢えず、説明しないとか」と、呆然とする二人の前で、すっかり日常の一部となったため息を吐いた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「里香ちゃん、もういいよ。ありがとう」

 

あまりに圧倒的だった。怪我一つない乙骨の足下には、怪物によって四肢を裂かれ、猛攻撃を受けた瀕死の状態の呪霊が仰向けに倒れている。

がっ、と喉元を踏みつけ、乙骨は抜き身の刀の鋒を呪霊へと向ける。

 

「こういうの、慣れてないけど…。答えろ。お前たちは何故、希望ヶ峰学園に潜む?」

『……』

 

乙骨は事前に五条悟から、先日取り逃した呪霊を運んでいたのが、目から樹木が突き出た呪霊だと聞かされていた。

となれば、敵は組織を作っているとしか思えない。祓うのは少し後回しにして、できる限りの情報を引き出さなければ。

せめてもの抵抗なのか、樹木を操り、乙骨の体を貫こうとする呪霊。が、里香の剛腕がそれを握り潰し、その顎門が眼前まで迫った。

 

『憂太をいじめる゛な゛あぁぁあっ!!』

「里香ちゃん。抑えて」

『やだっ!!コイツ殺すぅゔっ!!』

「里香ちゃん」

 

乙骨が優しげながら冷たい声で抑えることで、里香は渋々と彼の影へと隠れる。それに「ごめんね」と付け足すと、呪霊を踏みつける足に力を込め、乙骨は呪霊に迫った。

 

「早く答えた方がいいよ。君を前に我慢してる里香ちゃんが可愛そうじゃないか」

『……っ、このっ…!!』

 

呪霊が更なる抵抗を試みた、まさにその時。

轟音と共に何処からか放たれた業火が、乙骨を焼かんと襲いかかる。

乙骨は舌打ちをすると共にその場を離れ、即座に迎撃体制を取った。

しかし、後には焼けた地面が残るのみ。去り行く影を見送りながら、乙骨はため息を吐いた。

 

「…逃しちゃったか」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

菜摘は呆然とするほか無かった。

日向創が『特級呪術師』と呼ばれる、規格外の一人だということは以前聞いた。無論、その枠組みの中でも最弱格であることも。

今の今まで、希望ヶ峰学園予備学科の中で日向創という、身近でいて圧倒的な存在を見てきたからこそ、信じられなかった。日向創が最弱であることなど。

 

しかし、目の前の光景は、日向創が『特級呪術師の枠組みの中で最弱である』という事実を残酷なまでに映していた。

 

────俺以外の特級は、逆立ちしても勝てないようなバケモノ揃いだ。俺が特級の称号もらってんのは、これまでの功績と術式の可能性を見込んで…っていう老害どものお情けなんだよ。

 

「……日向」

 

予備学科と同じ…或いはそれ以上の劣等感に苛まれながらも、そこに立つ未来を諦めず、血みどろになりながら足掻いている。

菜摘はこの時、初めて日向創に『親近感』を抱いた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「日向創をカムクライズルとやらの素体にする計画が上がっているだと…!?」

 

襖が立ち並ぶ空間にて。夜蛾の報告に、呪術界上層部がざわめき始める。

日向創。かつて、呪術界でこれほどまでに扱いに困った人間はいないだろう。事実上、あらゆる術式を再現でき、突き詰めればこれまでに無い全く新しい術式すら生み出せる『千変万化』。それだけならまだ利用価値があるというだけで済んだのだが、問題は彼を保護している特級呪術師2名の存在。「創を軟禁して術式を量産させ、子を産ませる」という企みを木っ端微塵にされた挙句、口に出すのも悍ましい目に遭わされた過去を持つ上層部ら一同は、一斉に震え始める。

 

ここまで見え透いた地雷を踏み抜くバカは、いくら脳が腐り落ち、学習能力がないと評される上層部でも存在しない。本気になった五条悟と夏油傑を止める手立てなど、この国に…否、この世界にあるわけがないことを知っているからである。

故に、「日向創を使って人体実験を試みているとんでもないバカがいる」という情報は、上層部がてんてこまいになっても何らおかしく無いものであった。

 

「日向創の術式を根絶する気か、呪術も知らぬ痴れ者どもめ…!」

「いや、何よりまずいのは五条悟、夏油傑の二人だ!あの二人に知られてみろ!!何が起こるかわからんぞ!?」

「しかし、あの二人の情報網を考えれば、近いうちに漏れてもおかしくないのではないか…?」

「徹底的に秘匿すれば何とかなるだろう!!まずは五条悟と夏油傑を抑える案を考えるべきではないか!?」

「いや、日向創の保護と術式の保全を考えるべき…」

 

保身に走る上層部らの苦悩は、まだ始まったばかりである。




希望ヶ峰学園と通じてる国の上層部と、呪術高専に通じてる国の上層部は滅茶苦茶仲が悪いです。もはや習性なのではと疑うレベルで互いに足の引っ張り合いしてます。
因みに、五条悟と夏油傑はどっちも皆殺しを視野に入れるくらいには大っ嫌いです。

ウラ話…牽制のために五条悟が根回しして、日向創は七海千秋と婚約している状況にある。無論、根回ししたのがあの五条悟であるため、創と千秋は1ミリも知らない。何故か七海建人は把握しており、創らは会うたびに気まずそうにされるのを不思議に思っている。


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素敵な呪い

ソレを結べるのは一人だけ


「…サトウ、退学して国公立に転校だって」

「ま、あんな目に遭って『これからも狙われる』とか言われたら、な」

 

放課後。仕事を終えた創は、菜摘と共に校門へと向かう最中、言葉を交わす。

サトウは退学を決意し、即座に行動に移したらしい。正直、希望ヶ峰学園のブランドは『超高校級』とセットで機能するので、退学したところで大した痛手ではない。

サトウが転校先の試験も受かったという話を何処からか聞きつけた菜摘が創にそれを報告すると、創は「無理もねーな」と返した。

 

「……もう普通に全員にバラした方が良いんじゃない?そっちのが安全な気がするけど」

「無理だろ。まず、『見える』素質がカケラもないヤツが九割だ。そういうやつは言っても聞かないし、死に際にも何が起きたかわからず死ぬよ」

 

実際に見たしな、と付け足し、駄菓子の封を開け、さくさく、と音を立てながら食う創。菜摘は「はしたないわよ」と呆れつつ、創に差し出されたココアシガレットを咥えた。

 

「…そういえばさ。サトウのこと探った時に聞いたけどね、希望ヶ峰学園中で噂になってるらしいわよ」

「何がだ?」

 

暗い話題に耐えきれなかったのだろう。菜摘がふと思い出したように、話題を変える。

一方、校内の噂になど何ら興味を示さず、菜摘と本科生徒数名を除けば、ほぼ校内の交流が皆無な創は何のことやら分からず、首を傾げた。

 

「本科の七海千秋に男が出来たって話よ。アンテナ白黒パーカーボンタンの」

「……もしかしなくても俺か。道理で周りから妙に視線を感じるって思ったら…」

 

未だに服装のお陰で奇怪なものを見る目を向けられる創だが、ここ最近は何やら別の視線も感じていた。一体なんだ、と思っていたが、そういうことかと一人納得し頷く。

菜摘はというと、深いため息を吐き、二本目のココアシガレットを箱から取り出した。

 

「アタシまで侍らせてるとか思われてると迷惑なんだけど」

「無理無理!俺お前みたいなタイプ無理だし性的に見れない。例えエッ…グい下着見ても勃たないと思うぞ」

「思ってても本人の前で言ってんじゃないわよ!!へし折って男色家の同業者に売り飛ばすわよ!?」

 

殴りたくなるような笑顔を浮かべて暴露する創に、菜摘が怒鳴りつけ、極道らしい脅し文句を放つ。

しかし、へし折るという言葉を聞いてか、創はやけに遠い目で虚空を見つめた。

 

「一回歌姫さんが酔った時に折られて硝子さんの反転術式で治してもらったことがある。お前、性格が歌姫さんソックリで若干苦手意識あるから、そういう目で見れないってのが本音なんだよ」

「その歌姫って人が苦手なのは分かったわ」

 

創の性癖が酷く限定的になったのは、庵歌姫の酒癖が原因である。他の特級に比べれば押しに弱く、御し易い上に自炊出来るということから、歌姫が硝子と酒盛りをする際に、十歳を超えたあたりからしょっちゅう強引に参加させられている創。

二年ほど前に、上のご機嫌取りを終えた歌姫がストレスを爆発させ、酒盛りで悪ノリをかました時のことだった。創が思春期を迎えたこともあってか、話が下ネタ方向に飛び、完全に酒の勢いに呑まれていた歌姫が創をひん剥いたのだ。その際に二人とも派手にすっ転び、歌姫のエルボーが創の弱点にクリーンヒット。その様を気の毒に思った硝子が、創を治療したという過去があった。

そのことを思い出してか、創は腕で目元を隠し、さめざめと泣き始めた。

 

「だから千秋みたいに怒っても暴れないタイプがいいんだよぉ…。あんな酷い目に遭わないって安心できるからぁ…」

「……苦労してんのね」

 

徹夜でゲームは確かに堪えるが、歌姫の数々の前科に比べれば遥かにマシだ。

そんな会話を交わしていると、待ち合わせ場所にてゲームに熱中している千秋を見つける。その傍らには、ガタイの大きい男が立っていた。

 

「…逆蔵十三か、面倒なヤツに目ェ付けられた。『千変万化:無下限術式』」

「なんで無限張るのよ、アンタ?」

「非術師に殴られたら夏油先生が大暴走するからだよ」

 

逆蔵十三。希望ヶ峰学園74期生で、『元・超高校級のボクサー』として世界チャンピオンに輝いた経歴を持つ男。現在は親友である宗方京助の頼みで希望ヶ峰学園の警備員を務め、その裏を詮索している。…希望ヶ峰学園相手はとにかく、五条悟や夏油傑にはバレバレだったが。

当初は彼も引き込む予定だったのだが、プライドの高さや宗方への態度など、致命的なまでに呪いの世界と性格が噛み合っておらず、更には呪いがカケラも見えないだろうと五条悟に評され、巻き込んでも足手まといになるだけと判断して諦めたのだ。

 

千秋にこちらに気づいてもらうという手は、あそこまで熱中されてると使えない。一方でこちらから歩み寄ると、確実に変な絡まれ方をされる。

絡まれても適当に流せるように、無限を張っておくことにする創。創は千秋に駆け寄ると、「よっ」と軽く肩に手を置いた。

 

「あ、日向くん。思ったより早かったね」

「おーう。駄菓子を適当に買い漁って来たけど、何が良い?」

 

駄菓子にしては重量のあるビニール袋の中に手を突っ込み、千秋に問う創。傍で訝しげに創を睨め付けてくる逆蔵を完全に無視し、千秋は暫し考えた後、口を開いた。

 

「10円チョコ。あーん」

「良いところなのか。ほら、俺の指まで食うなよ?」

 

創が千秋の口へ10円チョコを入れると、千秋は暫し咀嚼する。チョコを飲み込んで数秒もしないうちに、「レコード更新」と呟き、データを保存し、ゲームの電源を落とした。

そのままゲーム機をリュックに仕舞おうとして、眉間に皺を寄せる逆蔵と目が合う。

千秋は暫し彼を見つめた後、口を開いた。

 

「……この人、誰?」

「希望ヶ峰学園のOB。今警備員」

「ふーん。…何でいるの?」

「何でだろうな?」

 

創と千秋は二人して、一方は心の底から、一方は揶揄うように首をかしげる。

逆蔵はその態度に腹が立ったのか、こめかみに青筋を浮かべ、創に詰め寄った。

 

「テメェが金払いまくって合法的に制服の規定を無視してる問題児ボンボンの日向創か」

「家業が特殊なもんで」

「はっ。希望ヶ峰学園にスカウトされないんなら、家業とやらもたかが知れてるな」

 

希望ヶ峰学園にスカウトされない職業なんで、と心の中で反論し、愛想笑いを浮かべる創。夏油傑監修、「心底気に食わない猿の前でも笑みを絶やさないための講義」という、どこに需要があるのかよく分からない講義を十年近く受けさせられた賜物である。

しかし、日向創は最強二人の悪影響をガッツリ受けたせいで自身が思うより遥かに短気だ。このまま逆蔵と話していると、うっかりボロが出るかもしれない。創は即座に去ろうと、千秋に声をかけようとする。

 

「希望ヶ峰学園に金払うだけの虚しい存在が、本科の生徒と付き合ってるっつー噂が立ってたが、どうやら本当だったみたいだな。

お前、本気で釣り合うとか思ってんのか?」

「付き合ってないですけど」

「じゃ、金魚のフンみてーにこびりついてるわけか、みっともねーな。こいつも災難だろうぜ?お前みたいな重い足枷がいるとよ」

 

これは重傷だ。心の底から希望ヶ峰学園に染まり切っている。

創が心の底から面倒だと思っていると。この場に居たら確実に面倒を起こす人間の呪力を感知した。

 

────猿が。誰を愚弄している?

 

鏖殺を成し遂げてしまう程に濃密な殺気。逆蔵は感じたソレに滝のように冷や汗をかき、思わず構えを取る。

そこに立っていたのは、美々子と菜々子を引き連れて近辺を散策していた夏油傑だった。これでもかと青筋を浮かべ、加えて特級呪霊を二匹ほど解き放っている。

創は深いため息を吐き、その脳天にチョップした。

 

「夏油先生、ストップ。死人出ますよ。本気でやらないでください」

「……分かったよ」

 

周辺を凍り付かせるほどに放っていた殺気を霧散させ、笑みを浮かべる夏油。

しかし、目だけは笑っていない。相変わらず過保護だな、と思いつつ、創は怒り心頭な千秋と菜摘を、美々子たちに任せた。

 

「夏油…!?お前、希望ヶ峰学園のスカウトを蹴ったっつーあの夏油か!?」

「私の名を呼ぶなら治療費を払ってくれよ。お前のような猿に名を呼ばれるだけで脳が腐り落ちそうなんだ」

 

実は、夏油傑は希望ヶ峰学園にスカウトされたことがある。入学を決める前に一度、希望ヶ峰学園に見学に来たが、当時から数えるのも馬鹿らしくなるほどに呪霊が跋扈しており、心象が果てしなく悪くなったためにスカウトを蹴ったのだ。

ボクサーたる逆蔵十三はそのことを、スカウトの際に黄桜公一から聞きつけていた。

 

「…一度蹴ったとはいえ、超高校級の才能を有してると言われたアンタだ。予備学科なんて虚しい存在が才能に金魚の糞のように群がる。その行為がソイツにとって迷惑だってことを教えてやったらどうだ?」

「ポテチのおまけみたいなちっぽけなことに拘ることはまだ辞めてないんだな。

驚いた。ここまで猿に一切の進歩がないとはね…。お前を見てると、猿のその低脳さをつくづく痛感するよ。皺一つなさそうなおめでたい脳みそに生まれてさぞ幸せだろうね」

 

この言い争いを見ていると、どっちもどっちな気がしてくる。

互いに青筋を浮かべ、火花を散らす二人。間に入って止める気力もない創は、即座に携帯を取り出し、五条悟を呼び出した。

 

『もしもし?どったの創?』

「逆蔵十三があろうことか非術師嫌いなアンタの親友の目の前で俺をこき下ろしたせいで、夏油先生ガチギレしました。2秒でこっち来てください」

『は!?すぐ行く!!』

 

どんがらがっしゃん。携帯の向こう側から聞こえてくる喧騒に顔を顰めながら、通話を切る創。先程創が指示した通り、2秒で飛んできたのだろう、五条悟が息を切らしながら駆けつけた。

 

「傑は!?」

「あれ。逆蔵が呪霊のちゅ○るになる前に止めてください」

 

創が指差す先には、構えを取り、今にも殺しにかかりそうな夏油がいた。

五条がソレを認識した瞬間、夏油を羽交締めにし、無理矢理に引き剥がした。

 

「傑!ほら、帰るよ!!

穴開いちゃった美々子と菜々子の新しいジャージ見に行くんでしょ!?」

「悟。コイツに呪物飲ませて受肉させたり出来ないかな?個人ならいくらでももみ消し効くしよくない?」

「心の底から殺したいのは分かったから!!抑えて!!」

 

ここまで慌てる五条悟も珍しい。

ソレもそのはず、一度離反しかけたせいか、夏油が呪術規定を破りかけるたびに少し過保護な母親のように止めるようになってしまったのだ。

流石に洒落にならないと全力で夏油を抑え、引き摺っていく五条。

その様を唖然と見つめていた逆蔵に、創は軽く頭を下げた。

 

「すみません、俺の師匠が…。あ、そうだ。お高く止まるのは勝手ですけど、繕う努力をした方がいいですよ。今回みたく要らないトラブル巻き起こしますんで。嫌でしょ?『世界チャンピオンが選民思想な上に暴行罪にやらかすような人間だった』ってゴシップ誌にすっぱ抜かれるの。業界的にも大打撃でしょうし、それこそ希望ヶ峰学園の名に泥がつくのでは?自分の身の為にも、もうちょい立ち振る舞い気をつけた方がいいですよ。デジタルタトゥーって消えないんですから」

「………え?あ、お、おう」

 

普段なら余計な世話だと跳ね除けていただろうが、あまりに困惑しすぎたのに加え、創の有無を言わさぬマシンガントークについ頷いてしまう逆蔵。

今にも逆蔵に迫ろうと暴れる夏油を抑えながら、創たちは希望ヶ峰学園を後にした。

 

「……なんだったんだ、あのメンツ」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「日向くんは怒るってことを知らないの?」

「え?しょっちゅうキレてるけど?」

「……なんであそこまで言われて怒らないのって聞いてるんだよ?」

「あー…」

 

呪術高専の寮室にて。

ぷすぅ、と頬を膨らませ、怒りをあらわにした千秋が創に詰め寄る。創は頻繁に怒っているつもりだが、千秋からすれば、あそこまでこき下ろされて怒りの一つも滲ませなかったことに疑問と不服を覚えたようだ。

不機嫌な千秋に、創は言い聞かせるように諭した。

 

「呪術師って仕事は、理解されないことが大半だ。それでも、この業は誰かが背負わなくちゃならない。

その道を選んだのは、他でもない俺自身だ。誰にケチつけられようが、知ったことかと笑って歩いてく。そういう生き方が最高にカッコいいって、俺は全部をかけて自分に酔う。全身全霊で『俺であること』を謳歌する。それだけは誰にも譲らせないって決めてるからさ。アイツに怒る気も起きなかったんだよ」

 

ま、面倒だとは思うけどさ、と付け足し、コントローラーを用意する創。千秋愛用のプロ仕様コントローラーを手渡し、ゲームの電源を入れる。

二人してソファに腰掛け、暫しの間、ゲームのローディングを待った。

 

「…羨ましいな。私は、好きに生きてたらこうなってただけだから」

「何バカ言ってんだ。呪術師になることはお前が選んだことだろ。入学試験通ったってことは、お前がきちんと選んだってことだ」

「………それ、まだ許してないから」

「ホントにすみませんでした!!」

 

入学試験で持っていたゲームが殆どダメになったのが、相当に業腹だったらしい。

半目で睨め付ける彼女に、それはそれは見事な土下座をかます創。飯の恨みならぬ、ゲームの恨みは相当に根強いようだ。

そんな創の様子を見て、千秋はふくれっ面から一転、優しげな笑みを浮かべた。

 

「…冗談だよ。壊されたことは、まぁ、許せないと思ったけど。日向くんに近づけたのは、嬉しいなって…そう思う」

「ん゛っ」

 

彼女は女神か。タイトル画面が進み、キャラクターセレクト画面が映る前で、あまりの愛らしさに天を仰ぐ創。

千秋はそれに首を傾げながらも、操作キャラクターを選んだ。

と。そこへ水を差すように、五条悟が寮室の扉を開ける。

 

「やっほ、創ー!相変わらず千秋とラブラブしてるね!」

「だァァァっせぇぞチクショォオッ!!」

 

YESとNOが表裏にプリントされた枕を創に投げ渡し、これでもかと揶揄う五条に創は勢いよく怒鳴りつける。

両隣の乙骨とパンダはすっかり慣れているのか、うるさいと文句を言うこともなく、またかと呆れているが、創は知らない。

 

「まだ付き合ってねーっつの!!」

「まだってことはこれから告白とかして夜明けのコーヒーでも一緒に飲む予定が…」

「あー!!あーーっ!!あーーーっ!!!」

「コーヒーなら毎朝飲んでるよ?」

「そういう直球な意味じゃなくて、ソレはソレはもうどっぷりやらしい意味…」

「だぁらっしゃァァァアアッ!!!!」

「へっぶぅ!?!?」

 

五条が口を滑らせそうになった瞬間、創は素早くコントローラーを置き、五条の体を掴み、ジャイアントスイングを決めた。

廊下の壁に突き刺さった五条を放置して勢いよく扉を閉め、創はコントローラーを握る。

 

「……さて、やろうか」

「ホント、流れるように決めるよね」

「このアホの制裁するためだけに覚えたようなモンだしな」

 

言って、少し不機嫌そうにキャラクターを選ぶ創。

少しのロード画面の後、演出を経て、対戦が開始する合図が響く。数分のうちに決着の着く、ゲームの中での戦闘。

創のキャラクターがお手玉のように遊ばれ、KOの文字がデカデカと映し出される。そんな、いつもの光景。夕陽が差し込む中で、千秋が口を開く。

 

「……日向くん、あのさ。私、恋愛ゲームとかもするんだよね」

「まぁ、ゲーマーって称号もらうくらいだし、普通だよな」

「それで…まぁ、攻略対象って言うか。乙女ゲームだとさ、彼氏のお部屋にお邪魔するってイベントがあるわけだよ」

「あるな」

「ごちゃごちゃと言葉を並べたけど、結論言うね。ソレみたいだよね、今」

 

言わないで欲しかった。ただでさえ意識してるのに、さらに体が強張る。

次のキャラクターを選び、先ほどの光景の焼き増しのようにひたすらお手玉にされる。そんな中、ふと隣を見ると、はにかんだ様子でゲームに熱中する千秋が見えた。

 

「…ねぇ。日向くんは、関係が深くなることも、『呪い』って呼んでるんだよね?」

 

誰かと関係を築くことは呪いだ。それは、この十年で悟った、創の自論。

祈本里香を失い、乙骨憂太が自信を喪失したように。灰原雄を失い、七海建人が一度呪術界を離れたように。その呪いは、失って初めて効果を表す。

その呪いが、自分の存在証明になる。甘美で残酷な、誰もが誰かに与える呪い。

創は千秋の言葉に首肯し、リザルト画面を閉じた。

 

「私も日向くんのこと、呪うよ」

 

千秋の言葉に、目を丸くする創。彼女は創の膝に頭を預け、彼の頬に手を添えた。

 

「私の隣から居なくならないで。皺くちゃになっても、寝たきりになっても、ずっと一緒にゲームして欲しいな。

…ね?素敵な呪いでしょ?」

「……ああ。とびっきり素敵な呪いだよ」

 

二人は小指を結ばせて、呪いを結ぶ。

そんな中で、創はふと呟いた。

 

「…なぁ、千秋。これって告白か?」

 

ぴしり。千秋の動きが固まり、信じられないとばかりに目をかっ開く。数秒もしないうちに顔を真っ赤にし、創の脇腹を突き回し始めた。

 

「日向くんのばかっ!あほっ!ぼくねんじんっ!あんぽんたんっ!うすらとんかちっ!すごく恥ずかしかったのに!!」

「うぉうっ!?ご、ごめっ、あの、脇腹をぅっ!?突くのはぁっ!?やめてっ、ほしいん、ですがっ!?」

 

女心への理解の無さが仇となった創であった。

その後、創は罰として「千秋のレコードを超えるまでリアルタイムアタックぶっ続け」という、クリアの「ク」の字も見えない試練を与えられ、二人とも寝落ちして丸一日寝こけることを、彼らはまだ知らない。




五条先生ガッツリ廊下で盗み聞きしてます。あと硝子さんと夏油先生もガッツリ聴いてます。

逆蔵さんが創を千秋から引き剥がそうとしたのは、調査に無用なトラブルの元になりそうだから、なる早で排除しておきたかったのと、無闇に無関係な予備学科を巻き込みたくなかったからです。ソレを差し引いても言葉選びが致命的に下手くそなのは逆蔵クオリティ。原作でもそうだったから仕方ないね。ここの創くんは逆蔵さんの言葉選びの壊滅的な下手さを事前の調査で知ってるので、右から左に聞き流してます。

ウラ話…この作品の菜摘の好きなタイプは高身長童顔のアイドル系。お兄ちゃんは大好きだけど性的には見れないタイプ。創は気心知れた友人と認識しており、互いに愚痴を聞いてもらうような仲。極道の娘と聞いて全く萎縮しない創のことは「初めてできた友達」と思ってる。因みに「コイツとだけは絶対に付き合わん」と思うタイプは日向創。


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好奇心は猫をも殺す

王女とて同じこと


「七海さん!お願いです!あの不思議さんに会わせてもらえないでしょうか!?」

 

日向創と付き合うことになった翌日。いつもより上機嫌に帰宅の準備をする千秋に、クラスメイトであり、『ノヴォセリック王国』という小国の王族たる『超高校級の王女』ことソニア・ネヴァーマインドが迫る。

彼女は「13日の金曜日と聞けば興奮するタイプ」を自称する程に、オカルトに興味が傾倒している。

 

日本という国は、裏で呪術国家と呼ばれるほどに、呪いに事欠かない魔窟である。夏油がスカウトしたミゲルやラルゥなどの外国人術師が「スカウトされてなきゃ近寄りさえしない」と豪語するまでに、日本という国には呪いが渦巻いている。

無類のオカルト好きなソニアが呪いと出会うのは、必然だったのかも知れない。

千秋はそこそこに任務に同行し、その危険性を理解しているからこそ、やんわりとその興味を宥めようとする。

 

「彼が生きる世界にはあまり突っ込まない方がいい…と、思うよ?

ほら、結構危ないことだらけだったし…」

「危ないとは分かってます。でも!だからこそ、惹かれるものがあるのです!」

 

こちらに引き込むべきだろうか。そう考えるも、千秋はその思考を払うように首を横に振る。

千秋は四級術師である。呪術規定違反をある程度見逃してもらえる立場の創とは違い、迂闊なことは口にできない。

会わせるだけなら大丈夫かな、と思っていると。動物の世話を終えた『超高校級の飼育委員』の田中眼蛇夢が教室へ入り、千秋に一直線に向かって行った。

 

「奇しくも俺様と同じ命運を与えられし同士という、天上の栄誉を与えられし遊戯者よ!

生と対を成す禍々しい獣を打ち倒し、俺様が盟約を交わした魔獣を治癒せし者について語る誉れを貴様に与えようではないか!!」

「田中さんも不思議さんのことを知りたいと言ってます!」

「あー…っと、聞いてみるね。はじ…あ、えっと、彼にも都合があるだろうし」

 

芝居がかった口調で千秋に迫る田中に、ソレに追従するように迫るソニア。

この場に左右田が居れば、ソニアの隣に立つ田中に怨嗟の声を送っていたのだろうが。生憎というべきか、幸いというべきか、現在狛枝たちと縫い目の人間を捜索しているため、この場には居なかった。

千秋は携帯を取り出し、校門で待っているだろう創に連絡する。

 

『どうした、千秋?新田さんとパンダならもう来てるぞ』

 

本日、千秋には放課後に任務が割り当てられていた。五条悟曰く「遊ばせとくほど人手に余裕無いんだよね!」とのことで、今回はパンダの任務に同行する予定だった。

少し遅れていることに申し訳なさを感じつつ、千秋は創に現状を報告する。

 

「クラスメイトが創くんに会いたいって聞かなくて」

『あー…。……そいつ、全身を動物の居住区にしてる包帯男か?』

 

創らしい捻くれた物言いだが、名を知らなければそう表現するしかないだろう。電話越しに頷き、千秋は自身に迫る二人を紹介する。

 

「田中くんのことだね。そっちもいるけど、あとソニアさんもいるよ」

『ノヴォセリック王国の王女様か。んー…。ヨーロッパ周りは昔に呪力使える人間が軒並み処刑されまくったからほぼ存在しないし…多少バレても問題ないか…?』

「物騒すぎる歴史だね」

『実際そうなんだから仕方ないだろ』

 

神の御技として扱っていた人間も居るには居るが、と付けたす創。

暫し考えるように唸ったのち、創は「よし」と呟いた。

 

『千秋、連れてきてくれ。田中ってヤツに関しては不可抗力だったけど、王女様は興味が勝って下手に動き回るだろうからな。

ある程度怖がらせて、「本当に触っちゃダメ」って知らせるべきだ』

 

興味本位で呪物を触られると困る、と付け足す創。小泉もサトウが退学して以降、あまり他者を刺激しないように慎重に行動しているため、効果はあるだろう。

正直、気は進まないが、百聞は一見にしかずという諺もある。千秋は二人に聞こえるように、少しばかり声を張り上げた。

 

「分かった。連れてくね」

『おーう。二人くらいなら追加で乗れるぞ。一人はパンダのお膝元になるが』

『全てを堕落させるアタイの毛並みに酔いしれるが良いわ…』

『パンダ、お前そのキャラキツいぞ。じゃ、待ってるからな』

 

創とパンダのやり取りに笑いをこぼしながら、「またあとで」と付け足す千秋。

通話を終えると、期待を込めた眼差しでこちらを見つめる二人に、ついて来るように促した。

 

「じゃ、校門に行こっか」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「おお…!闇と光が混じり合う魔獣の中に、斯様な奇々怪界極まりない姿をし、あまつさえ我らと同じ言霊を放つ者は、この俺様を以ってしても知見なき存在と言わざるを得ない…!!この魔獣を手懐けているとは、やはり貴様は闇を以て光を齎す、正に『混沌の覇者』というわけか!!圧倒せし氷の覇王たる俺様…この田中眼蛇夢と同じように、只者では無いようだな…!!」

 

情報量が多い。創の心情を一言で表すのならば、この言葉が相応しいだろう。

じっくりと紐解いていけば、そう難しくも無い言葉の羅列だが、いかんせん芝居がかった口調のせいで頭に入りにくい。

が。こちらも回りくどい言い回しには慣れているため、コミュニケーションが困難極まりない訳では無い。

パンダも言いたいことはなんとなく分かったらしく、田中に口を開く。

 

「ま、只者では無いわな。特に創なんて、日本に五人しかいない特級だし」

「パンダ、それやめろって言ってるだろ。お情けの称号を自慢げに名乗るほど、俺は驕ってねーよ。夜蛾学長もお前らのために昇格蹴ってるし」

 

創は言うと、隣でゲームに熱中する千秋にドリンクを差し出す。

それに呆れたように、パンダは小さくため息を吐いた。

 

「創は呪術で自己肯定したいのに自己を過小評価し過ぎだよな」

「五条先生らにお手玉にされてりゃ、低くもなるさ。あの二人は互角なのに」

「規格外二人と比べても仕方ないだろ」

 

パンダから見た五条悟と夏油傑の存在は、その根本からして全く違う。

天上天下唯我独尊、世界の中心に俺が居ると謳うばかりの振る舞いが赦された五条悟に、この十年で「一国を鏖殺できる」とまで称される程に呪霊を取り込み、手持ちの術式を増やし続けた夏油傑。

足元にも及ばないとは言え、この二人の教えを十年間もの間熟し、その再現が出来る創もまた、特級の名を冠するに相応しい人材であることは紛れもない事実だ。

しかし、創が思う特級呪術師はあの二人のような「不条理」。その域に達しない限りは、創は自らを真の意味で「特級呪術師」と認めることはないだろう。

 

「あ、そうだ。田中。あのチンチラ、大丈夫だったか?」

「貴様は己が力を過小に見ているそうだが…それは真のようだな。

我が四天王の眷属が一人、ルモTの傷は貴様が完治させた。この邪眼が映した真実は、その他にはない。

故に、俺は貴様に礼を言わねばとここに馳せ損じたのだ。ただ一言、ありがとうございます、とな!!」

 

言い回しに騙されがちだが、心優しい少年なのだろう。創はなんとも言えない恥ずかしさにポリポリと頭を掻き、「気持ちは受け取っとくよ」と笑みを浮かべた。

 

「創くん。田中くんの言葉、よくわかるね」

「そりゃ、日向さんの反転術式は家入さん仕込みっすからね。教え方がどんなに壊滅的でも持ち前のコミュ力でなんとか出来てしまうキングオブコミュ力っすから!」

「新田さん。俺のことそう呼ぶのやめてくださいって」

 

補助監督の新田明が自分のことでもないのに鼻高々と創を持ち上げるのに、創は呆れを込めたため息を吐く。

彼がここまでコミュニケーション能力に長けているのは、五条悟、夏油傑、家入硝子の三名が原因である。現在でこそナリを潜めたものの、傍若無人が服を着て歩いているような人間である五条悟に、取り繕うのは上手いが、流れるように他者を罵倒し相手を引き込む話術を使う夏油傑。そして、反転術式のプロフェッショナルではあるが、他者への説明が壊滅的に下手だった家入硝子。

こんな問題しかない人間の巣窟に五歳の頃から放り込まれ、十年の時を過ごした結果。ある程度の良識とコミュニケーション能力が自然と備わってしまったのだ。

 

「…って、田中が俺に会いたかったのってそれだけか?」

「ああ。貴様の生きる世界は俺様には理解できん。だが、貴様が戦うことで救われる命があることは理解しているつもりだ。それはあの時、貴様が魑魅魍魎を引き裂いた姿から安易に想像できる。

俺様は軈て全てを支配する存在にはなるが、誰かの足枷になろうとは思わん。

信ずる道を突き進む者への冒涜に他なら…おい貴様ッ!!いくら肉を食らう魔獣とはいえ、何故よりにもよって斯様な激毒まみれの肉を食らうッ!?」

「へ!?いやあのオレ動物じゃないから!」

 

田中は創への言葉を切り上げると、憤怒の表情を浮かべ、香辛料や添加物たっぷりのカルパスを食らうパンダへと詰め寄る。

このような心優しい人間が多く居れば、呪術師の負担も減るのだが。そんなことを思いながら、創はソニアに目を向けた。

 

「で。次はアンタか、王女様。呪いの世界が知りたいのか?」

「はいっ!是非!」

 

興味津々なのを隠しきれない様子で迫るソニア。息がかかるほどに迫る彼女に、少しばかり後退りながらも、創は話を逸らすように問いかけた。

 

「…あーっと、オカルト大好きなタイプ?

王女様、ネットの洒落怖とか見てにやけ止まらないだろ?」

「しゃれこわ…は、知りませんけど、オカルトは大好きですよ!恐怖劇場ア○バランスなんて、もう六週は見てますわ!」

「古っ…」

 

チョイスが驚くほどに古い。昭和に放映されていた全十三話のドラマを六回も見るとは、余程オカルトが好きらしい。

まるで、1970年代からタイプリープしてきたようなソニアの言動に面食らいながらも、創はあっけらかんと告げる。

 

「いいぞ」

「へ?」

「職場体験ってわけじゃねーが、見学くらいならさせてやるよ。

パンダ、お前やっぱトランクな」

「なんで!?え!?オレの膝に座らせるんじゃなかったの!?」

「冗談だよ」

「だとしてもショック!覚悟しろよ!動物愛護団体が黙ってないぞ!!」

「お前呪骸だから対象外だろ」

 

流れるように幼馴染から荷物扱いを食らったパンダが、猛烈にショックを受ける傍ら。

新田が慌てて創に耳打ちした。

 

「だ、大丈夫なんすか?ノヴォセリック王国の王女サマなんでしょ?」

「今回はモグリの呪詛師相手ですし、そこまで警戒する必要もないでしょ。それに、王族なら呪詛師に狙われる可能性もゼロじゃないし、いい機会だと思いますけど」

 

曲がりなりにもこの道十年のベテラン呪術師であり、特級の称号を冠する創の言葉に、「それもそっすね!」と手のひらをひっくり返す新田。

彼女は急いで荷物を退けると、戸を開けてソニアに座るよう促した。

 

「どうぞ、お座りくださいっす!あんまいいシートじゃないっすけど!」

「おかまいなく。だいじょうVですわ!」

 

死語に部類される言葉を放ち、助手席に腰掛けるソニア。創も千秋を連れて後部座席に座り、パンダがそれに続いて乗り込む。

残された田中はというと、ソニアに目を向け、後部座席の扉を開いた。

 

「あれ、結局来るのか?」

「そこの雌猫の監視だ。俺様と違い、貴様らが見据えているモノの本質を理解していないように見えたからな。貴様らとて、自らの預かり知らぬところで、共に同じ空間で現世を学んだ盟友とも呼べる存在が闇に飲まれるのは我慢ならんだろう」

「じゃ、パンダの上に座ってくれ」

 

田中は言われるがままにパンダに腰掛け、皆に檄を飛ばすように叫んだ。

 

「では、向かおうではないか!人の闇が蠢くアビスへと!!」

「なんでお前が仕切ってんだよ」

「当たらずしも遠からずってのが腹立つっすね」

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

到着したのは、希望ヶ峰学園前駅。

前とは言うものの、車で7、8分ほどの距離が空いており、有料の駐輪場に停めた自転車で通学する生徒もちらほら見られる。しかし、天下の希望ヶ峰学園の最寄駅だけあってか、かなり大規模なショッピングモールも設けられており、予備学科、本科関わらず、授業帰りの生徒の溜まり場にもなっている。

その中にて、創は任務についての説明を始める。

 

「今回は千秋とパンダへの任務だ。

ざっくり言うと、呪詛師の確保。モグリっぽいから、お前ら二人でも大丈夫だろ」

 

ショッピングモールを吟味するように見渡し、感嘆の息を吐く創。

希望ヶ峰学園前にあるというだけで、こうも活気に満ち溢れているものか。観光スポットとして、確立した人気もあるのは明白だ。パンフレットを見ると、「元・超高校級の企画者」が、この駅を観光スポットに仕立て上げたらしい。

それだけに、良くないものまで渦巻いてしまっている。面倒だな、とため息を吐く創に、パンダが問いかけた。

 

「じゃ、創はなんでついてきたんだ?」

「五条先生が押し付けてきた」

「うん。その一言でよく分かった」

 

本来ならば同行しているのは五条悟なのだが、急に「今日、期間限定数量限定のチーズスフレ食べに行くから、創よろしく」と、創に無理矢理に押し付けてきたのだ。

思い出しても腹が立つ。そんなことを考えながら、田中とソニアに目を向けた。

 

「今回の任務は…ハッキリ言うと、飼育委員の田中にはキツいモンがあると思う。今なら引き返せるぞ?」

「愚問だな。俺様が引き下がれど、闇の聖母はその好奇心で自らをも殺してしまうだろう。それをみすみす見逃すほど、この田中眼蛇夢、覇王としての資格を捨ててはおらんぞ!」

 

ソニアが心配なら、素直に「心配だ」とでも言えばいい気もするが、これが田中なりの心配の仕方なのだろう。

しかし、今回の任務は田中の地雷を踏み抜くことは確実。激昂して相手に詰め寄らないといいが、と思いつつ、説明を続ける。

 

「モグリとは言ったが、その被害はバカにならない。

動物の死体を処理せずに放置して初めて発生するような伝染病が、ここらで蔓延し始めてる…って噂、保健委員のクラスメイトと薬剤師の先輩から聞いたことないか?」

「ありますわ。患者の方は、普通にペットを飼っていただけと仰っていたそうですが」

「そのペットが曲者なんだよ」

 

グロ注意な、と付け足し、ポケットから写真を取り出し、千秋に渡す創。

千秋はゲームの傍らでそれを覗き込み、思わず顔を顰めた。

 

「…その、田中くんはこれ、本当に見ない方がいい…と、思うよ?」

「二度も言わせるな。覚悟は出来ている」

「………わかった。どうぞ」

 

田中の圧に押され、写真を手渡す千秋。

ソニアと田中がそれを覗き込むと。ソニアは驚愕に目を剥き、田中は怒りを滲ませながら強く歯を噛み締めた。

 

「な、なんですか、これ…?」

「ペットの死骸だよ。それも、ただ呪いで無理矢理動かされてる…正真正銘、希望ヶ峰学園に担ぎ込まれた患者サマのペットの成れの果てだ」

 

写真に写っていたのは、あまりにも腐食が進み、骨や内臓が露出していると言うのに、まるで生きてるかのようにボールを加え、駆け寄る姿の子犬だった。

田中はあまりの怒りからか、血が出るほどに拳を強く握り締める。

 

「許せん…ッ!!生を愚弄するかのごとき斯様な真似、この田中眼蛇夢が裁きの鉄槌を下してくれようぞッ!!」

「下手に手を出せば、お前の育てた動物…今も服の中にいる魔獣までこうなるかも知れねーんだぞ。怒るのはいいが、手を出すのはやめといたほうがいい」

「………ッ」

 

田中はその言葉に、悔しそうに歯噛みした。

ソニアがそれを心配そうに見つめる傍らで、創は淡々と言葉を続けた。

 

「改めて、特殊ツール使った裏サイトで、ペットの反魂を商品にしてる呪詛師が、今回のターゲットだ。

反魂とは名ばかりで、ただ呪いで死骸を動かしてるだけのお粗末なモンだが…。幻惑の類も呪いに含まれてるのか、死骸のことを誰も不思議に思わねーんだよ。その結果、伝染病が蔓延してるから、俺たちに対処するように上が命令したわけだ」

 

それだけ言うと、創は再びモールに並ぶ店へと視線を移し、手土産を吟味する客のように辺りを見渡す。

その実、創は残穢を追ってるのだが、一眼見れば観光客が店を吟味しているようにしか見えない。こう言ったスキルも、呪術師には必要となってくる。

 

「ちょうどいいことに、近くに購入してそこそこ経ってるヤツが居そうだ。手がかりも欲しいし、ちょっとご挨拶に行こうか」

「手がかり?その、犯人は分かってるのでしょう?」

「居場所までは突き止めてないんだよ。下手に突っつき回すとかえって危険だからな」

 

創は言うと、人混みをかき分けて歩いていく。千秋とそこそこ大きいダンボールに入り、ぬいぐるみのフリをして台車に乗っているパンダがそれに躊躇いもなく続いていく。

残された二人もまた、好奇心と義憤が突き動かすままに三人について行った。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「…急に雰囲気が変わりましたね」

 

観光客が賑わうモールとは一点、寂れた雰囲気の区画が彼らを出迎える。ある程度使われる通路故に残されているだけで、店を出す程のメリットもなく、整備すらされずにさびれている、そんな場所。

ヒシヒシと伝わる不気味な雰囲気に、ソニアは少しの怯えと、それすら打ち消す好奇心を込めて辺りを見渡した。

 

「この先の出口は、希望ヶ峰学園とは真逆に出る。出たところで娯楽施設とかもない、なんの変哲もない街並みが広がってるからか、整備に金もかけないし、店も出さない。

活気に乗ってきた負の感情がここに集約してるせいで、良くないものも溜まってる。希望ヶ峰学園ほどじゃないけどな。

……っと、猛烈に臭ってきたぞ」

 

創は説明を切り上げ、足を止める。

皆がなんだ、と思っていると。鼻につく腐臭に顔を歪め、あたりを見渡した。

 

「何、この臭い…?」

「アレだ」

 

創が指差す先に沿うように、視線を向ける。

そこに居たのは、一人の女性。リードをつけた犬が前を歩き、尻尾を揺らす。

それだけならありふれた光景だろう。問題は、リードをつけた犬にあった。

 

「ひっ…!?」

「やはり、命への冒涜に他ならん…!」

 

その犬は、四肢はちぎれかけ、顎は腐り落ち、脇腹に至っては臓物と骨が飛び出ているという、あまりに悲惨な姿だった。

確実に死んでいる。だというのに、生きているように動いている。

生と死に携わる才能を有する田中だからこそ、いたずらにその境界を弄る真似を許せないのだろう。ましてや、自身が愛を注ぐ者たちの同胞ともなれば、それも無理はない。

創は田中を抑え、その女性へと歩み寄る。

 

「やぁ、こんにちは。随分と個性的なワンちゃんですね。少し見せてもらっても?」

「えっ…?な、なんですか、あなた…?ウチのペロに何か用ですか…?」

 

にっこりと、夏油譲りの胡散臭い笑みを浮かべ、女性に詰め寄る。

瞬間。その笑みを消し、創は女性の腕を掴んだ。

 

「借りるぞ、ミゲルさん。『千変万化:黒縄』」

 

創の術式は、何も他人ばかりを模倣するわけではない。理解を深めれば、呪具に宿した術式さえも模倣できる。

とは言っても、黒縄に関してはオリジナルに比べれば、弱い術式のみしか解除できない相当な劣化版ではあるが。

しかし、今回女性にかかっていた術式は、かなり雑なもの。創が模倣した黒縄でも、十分に解除できた。

 

「……あれっ?私は、何を?」

「足元は見ない方がいいですよ」

「えっ…?ひっ!?!?」

 

自分が握っていたリードに繋がれた動く死骸を見て、思わず腰を抜かす女性。

創はそれに向けて掌を向け、術式を解除した。元の死骸に戻ったそれは、電池の切れた機械のように動かなくなり、そのままバランスを崩す。

 

「……そんな…、だって、蘇るって…、ペロが生き返るって…っ!」

「生き返るわけがないでしょう。

それに、昭和のおもちゃみたいな応答しかしない、そのグロテスクなガワのお人形さんが、アンタのペロって言えます?」

「……………」

「受け入れてあげましょうよ。この子が可哀想だ」

 

創の言葉に、女性はその場に泣き崩れる。

犬の亡骸に合掌し、創はその残穢を追うように目を凝らした。

その景色を呆然と見つめるソニアに、千秋はゆっくりと語りかける。

 

「ソニアさん。これが呪いなんだよ」

「な、七海さん?」

「ソニアさんが憧れるような不可思議なんてなくて。純粋な絆も、キラキラ輝く思い出も、ただ相手を想う愛さえも、後悔だらけの形に歪めてしまうだけの、ドロドロの呪いだけが渦巻く世界。

もう一度言うね。これが、呪いなんだよ」

 

犬の死骸をペットロボのように加工し、飼い主の『別れ際』の思い出さえも塗りつぶす。

その狙いは金儲けでも、人助けでも、自己満足でも関係ない。ただ、その二人を無作為に呪ったと言う事実だけが残る。

ソニアは自らの期待していたものより、遥かに狂気と悪意に塗れたソレに、ひゅっ、と息を呑んだ。

 

「…手がかりは揃った。今からその呪詛師ん所行くぞ」

 

未だに泣き叫ぶ女性を新田に任せ、創らは駅の出口へと向かう。

ソニアは躊躇いがちな、田中はしっかりとした足取りで、三人に続いた。




夏油先生が創くんに説得された影響か、原作の数倍くらいパワーアップしてる件について。五条悟と双璧を成す存在にしてあげたかっただけなんです。
術式無効化の術式も抽出済み。文字通り、五条悟と渡り合える特級になってます。乙骨が三ヶ月で返り咲いたなら、ここの夏油さんは多分、四級から特級まで二日あれば十分だと思います。
この最強二人の教えをこなしても、特級最弱止まりな創くん。術式以外に恵まれてなさすぎる気がしてくる。特級って時点で素養はあるけど、それを活かす才能が凡人なのが悲しい。それでも挫けないので、ここの創くんはメンタル最強。

パンダって肉食なんだって。だからカルパス香辛料と添加物たっぷりにしておいた。香辛料と添加物は流石に無理だろ。パンダの消化器官何がダメか知らんけど。
…パンダ先輩、どーやって消化してるん?飯はツミレ食べてたから食うんだろうけど、消化器官がさっぱりわからん。呪力に変換されてるってことでいーや。


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呪術師≠ヒーロー

その役目は、呪術師ではない。


「さて、問題です!呪詛師はこの町のどこにいるでしょうか!?」

「唐突に話振るノリは悟譲りだよな、お前」

 

町に出てしばらくして。

重苦しい空気に耐えかねてか、創が底抜けに明るい声を張り上げる。

希望ヶ峰学園からそこそこ離れた住宅街。産業のかけらもないような、それこそスーパーとコンビニが近場にあるだけの、文字通り、ただ住宅が固まっただけの街。

その中を闊歩する創は、五条悟がそうするように、明るい声で混沌渦巻く世界を謳う。

 

「千秋。教えた通りに残穢は見てたろ?大雑把でいいから、答えてみろ」

「……あそこ、かな?ちょっと、自信はないけど」

 

千秋の指す先に沿うように、皆が視線を向ける。雑多に並ぶ住宅の中に、やけに古く、劣化の激しい屋根が見られる。

パンダもまた、そちらの家を見つめており、呪術のことがなんら分からない二人も、あの場所に呪詛師と呼ばれる人間が居ることを悟った。

 

「42点。自信を持って言えたら、あと5点はやったかな」

「むぅ…。採点厳しいよ。お絵描きゲームの三倍は厳しいと思う」

「どこの家かって特定しなかったのもマイナスだな。こんだけ雑な残穢なら、満点欲しかったら、どの家のどの部屋にどの位置でいるかまで答えなきゃな」

「創くんのいじわる」

「七海さんは俺の十倍は厳しい」

 

もし七海建人が千秋の採点をしたならば、確実に一桁の点数になっていた。言外にそう言われると、千秋はふくれっ面で「どっちもいじわる」と文句を垂れる。

 

「まぁ、悪いことするにはちょうどよさそうな物件ではあるな。

殺人鬼の『ジェノサイダー翔』があそこで何人か殺してるって噂だし」

「そういう殺人鬼も呪いなの?」

「いんや、アレはフッツーに殺人鬼なだけだな。五条先生が絡まれたって言ってるし、間違い無いだろ」

 

返り討ちにしたらしいけど、と付け足し、ため息をつく。

暫く歩いて行くのち、微かな腐臭が、鼻腔をくすぐった。特に臭いに敏感な動物たちはより強くそれを感じるのか、田中の服の中で激しく暴れ回る。

 

「感じるか…!流石は我が暗黒破壊神四天王だ…。遊戯者よ、貴様の感知は見事だったと俺様は褒めておこう」

「…創くんも、このくらい素直に褒めてくれたらいいのに」

「帰りにアキバ寄ってやるから、それで勘弁してくれ」

「わーい」

 

そんなやり取りを交わしながら、歩くこと数分。やけに劣化の進んだ建造物を前に、扉に貼り付けられた『テナント募集』の看板に顔を顰める。

 

「ンなとこ誰も来ねーだろ。

後ろ暗い連中の溜まり場だろうな、確実に。

しかも雑とは言え、隠蔽の術式までかかってやがるとは、ホントに知ったばかりのモグリの犯行だな」

「…日向さんはなんというか、イケナイことに詳しいですね」

「師匠二人に叩き込まれたんだよ。パンダ」

「あいよっ!!」

 

創に指示され、パンダが扉を拳で破壊する。

田中とソニアが目をパチクリと丸くする傍らで、千秋はすっかり慣れたのか、そのまま壊れた扉を踏み越えた。

ここまで大きな音が鳴ったのに、誰一人として騒ぎ立てない。そのことに違和感を感じながらも、進んでいく五人。

と。ここで先導していたパンダが歩みを止めた。

 

「お姫さん方、失礼!」

「きゃっ…!?」

「ぬぉっ!?」

 

パンダがソニアと田中を抱え、その場を飛び退く。すると、そこへ腐食した大型犬らしき影が、その顎門を開いて飛びかかった。

同時に狙われた千秋もまた、咄嗟に下がり、その姿を視認する。

 

「なっ、この骸…、日の本にのみ出ずる神殺しの獣ではないかッ!?」

「ニホンオオカミな。神殺しは北欧神話のフェンリルからか?」

「……嘘。田中さんがやっとの思いで繁殖に成功した絶滅種ではありませんか…?こんな、なんて酷い…」

 

唸り声を上げる死骸を前に、口元を押さえて涙を溜めるソニア。一方で、動物に注いだ愛情さえも踏み躙られた田中の形相が、鬼の如く鋭くなる。

創はそれを抑えるように、手で田中を制し、千秋に告げた。

 

「千秋、こういうタイプの相手は初めてだろうが、行けるか?」

「……うん、大丈夫。……すぅー…。よしっ」

 

千秋は深く息を吸い込むと、床を蹴って二匹のニホンオオカミへと向かう。

二匹が千秋を迎え撃つべく飛び上がり、その顎門から腐臭を撒き散らしながら、千秋の柔肌へと向かって行く。

その牙が腕に突き刺さる前に、千秋は素早く飛び上がり、二匹の骨が露出した脇腹に蹴りを入れ、壁へと激突させた。

その際、ぐちゃり、と音が鳴り、壁一面に塗りたくるように、肉片が広がる。

半身を失って尚、動こうとする死骸に黙祷し、千秋は奥へと向かう。

 

「…七海さん、あんな身のこなしできましたっけ?」

「呪力の影響と術式、あとは俺らが仕込んだヤツだ。蹴りが主体なのは、俺の影響」

「俺と千秋への依頼じゃなくて、ホントは千秋への依頼だったんじゃねーの?」

「お前は保険だよ。千秋には経験が足りないからな」

 

希望ヶ峰学園は、千秋のように呪術師になったばかりの四級が単身放り込まれて生きて帰れるほど、生ぬるい場所ではない。

少なくとも準一級クラスの実力を持たねば、まず死ぬ。それも原型が残っていたらマシなレベルという、呪術師界隈でも他に類を見ない魔窟である。

その闇を暴いて叩く以上、千秋にもそれ相応の実力が求められる。それ故に、特級三人がかりで扱かれているのだ。

…七海建人に「彼女が死んだら承知しませんよ」と詰め寄られたのもあるが。

 

「千秋。蹴り技を主体にするのはいいが、さっきのは普通に顎掴んだ方が早かったぞ」

「噛まれたらどうしようって思って…」

「切り落とされるよりかマシだと思っとけ。家入さんか俺が治してやっから」

「切り…っ!?」

 

千秋へのアドバイスの途中で飛び出た物騒な単語に、ソニアが口に手を当てる。

パンダは彼女らを抱えたまま、口を開いた。

 

「呪術師の世界じゃ珍しくもねーよ。お嬢さん方抱いてるオレのこの手も、実は五回くらい取れてるしな」

「だーから、お前呪骸だろうが。修繕にそこまで手間暇かからんだろ」

「その、さっきから言ってる『じゅがい』とは…?」

 

ソニアの問いに、創は「ソイツの肉つねってみろ」と促す。

恐る恐る、優しく肉を摘む。本来感じる肉の感触はカケラもなく、代わりに、綿を摘んだような感触が指に伝わった。

 

「ぬいぐるみなんだよ、コイツ。ただし、俺らと変わんない魂入りのな。

普通のはただプログラム通りに動く呪いの人形なんだが、コイツに関してはパンダに転生したノリのいいヤツって思ってくれりゃあいい」

 

突然変異呪骸。夜蛾正道が創り出した自我を持つ呪いの人形。最高傑作とも呼べる存在がパンダというわけである。

パンダはその紹介に満足したのか、胸を張り、ふふん、と鼻を鳴らした。

 

「擬人化したら確実にキ○ヌ・リーブス並みのイケメンだぞ」

「パンダの説明に無駄な時間割いちまったな。千秋、先導よろしく」

「分かった」

「……あれ?スルー?」

「お前みたいなツッコミどころの塊にいちいちツッコむの面倒くさいんだよ」

 

そんなやりとりを交わしながら、彼らは呪力を感じる階段の向こうへと進んでいった。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「あーらら。相手、相当強いね」

 

創らが目指す部屋の一角にて。呪力を悟らせないように隠したつぎはぎの男が、ニマニマと軽薄な笑みを浮かべ、告げる。

その声音には愉悦が混じっており、これから来る来訪者を楽しみにしているように見えた。

 

「準二級と四級のコンビ程度ならなんとかなると思ったけど、実力は違うのかも」

「なんでもいい、真人さん。

ニホンオオカミの仇はとるさ」

 

その側には、動物の死骸を操り、それを愛でる女性が椅子に腰掛け、佇む。

数えるのも馬鹿らしくなる死骸から放たれる腐臭に、つぎはぎの男は笑みを崩さず、鼻を摘んだ。

 

「臭っ。もうちょっと臭いに気を遣った方がいいんじゃない?」

「そうか?この子たちの匂いなんだから、愛おしいものだと思うが」

 

女性の顔には嫌悪はカケラもなく、ただ愛しいものを目にした、恍惚とした笑みだけが浮かんでいる。

狂気を孕んだソレを目にして、つぎはぎの男は笑みに隠れた目の奥に、軽蔑を込めた。

 

(…ま、いい当て馬ではあるよね。バカだけどさ)

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

骸を踏み越え、階段を登る。呪術師になってからというものの、ダメになった靴や衣類は数え切れない。

肉片が付着した感触が伝わる靴に顔を顰め、創はたどり着いた扉の先を見やった。

 

「この先、嫌な感じがする」

「千秋、正解。これ終わって三級に上がったら、欲しがってた筐体買ってやるよ」

「アレ、プレミア付いてて結構するけど」

「……大丈夫。特級になったら価値観バグるレベルでお金入ってくるから…」

 

給料の六割がカットされているとはいえ、ゲームの筐体一つなら買える。

特級呪術師は、対応する呪いが軒並み土地神やら怪異やら祟り神やらと、なにかと規模が大きい相手ばかりである。呪術師の給料は、こなす依頼の危険度に比例する歩合給。必然的に、対応する相手が規格外ばかりの特級ともなれば、金は数値化するのもバカらしくなるほどに支払われる。

…再三言うが、創はその任務のために、その給料が六割カットされている。この事実だけで、どれだけ希望ヶ峰学園が予備学科から金を搾取しているかがわかるだろう。

 

「田中、動物たちは服の中にしまっとけよ」

「…癪だが、我が眷属らも斯様な目に遭わせるわけにはいかぬ。今は貴様の指示を聞いてやろうではないか」

 

創は気持ちを切り替え、手のひらの上でハムスターを遊ばせていた田中に告げる。流石に数多くの骸を目の当たりにして危険性に気付いたのか、田中はマフラーの中へとハムスターを入れた。

瞬間。パンダの拳が扉に炸裂する。蝶番ごと派手に吹き飛ぶ扉に巻き込まれ、腐肉が撒き散らされ、待ち伏せされていたことが窺える。

扉の直線上の死骸が全滅すれど、所狭しと並ぶ死骸が殺到する。

 

「わっ…!?」

 

千秋はソレに面食らったものの、咄嗟に呪力を放つことで無理矢理に弾き飛ばした。

パンダは特に慌てることもなく、腕を振るうだけで、鎧袖一触に幾つもの死骸を壁に叩きつける。

 

「いたた…」

「千秋、想定できることにあんま動じるな。呪いの視点と、現実の視点。どちらの視点も同時に見てこその呪術師だぞ」

 

かなりの勢いで呪力を放った反動により、壁に叩きつけられた千秋を起こし、部屋へと踏み入る創。

あたりを見渡すも、呪詛師の影は見当たらない。しかし、呪力を隠すのは下手で、潜んでいる場所は完全に見えていた。

 

「おいおい、机の下とか何の工夫もない隠れ方してんじゃねーよ。

あまりに滑稽すぎて笑えてくるわ」

 

歯を見せて、不敵な笑みを浮かべる創。

その姿を横目に、千秋は呆れたようにパンダに耳打ちした。

 

「……創くん、こういう時、五条先生とか夏油先生そっくりだよね」

「五歳の時からあの二人の悪影響ガッツリ受けてるからな」

 

史上類を見ないレベルの悪童らに育てられて、まともに育つわけがない。反面教師にした部分も多々あるが、それによって構成されたのは多少の真面目さだけで、一つタガが外れると完全に悪童と化す。

机の中を覗き込み、余裕たっぷりに振る舞う創にイラついたのか、その奥に潜んでいた呪詛師が指を鳴らした。

 

「そうか。じゃあ、笑ったまま死ね」

 

両脇に控えたクローゼットや収納から、コンパクトに折り畳まれていたのだろう、明らかに変な折れ方をしている手足で駆け、死骸らが創に迫る。

創はそれを流し目で睨め付け、手を合わせた。

 

「『千変万化:無下限術式』」

 

無限を展開することで、その顎門を防ぐ。腐食し、腐り落ちた目玉が飛び出る顔面を躊躇なく掴み、そのまま壁に叩きつけた。

 

「……うげ。やっぱ無限越しでも気色悪い。

その上、下手な結界張って机の下に籠城とか、お前本当にモグリすぎるだろ」

 

帳などが一例としてあげられるように、結界を張ること自体は、実はそこまで難しいわけではない。領域展開が呪術の到達点とされているのは、余計なオプションがこれでもかと引っ付いているせいであり、結界の展開だけならば、術師になりたての三歳児でもその気になれば出来る。

とはいえ、呪力を扱えない人間にとっては、まさに超えられない壁。呪術師をよく知らぬ人間にとっては、絶対の城と言えるだろう。

実際は、呪術師にとって障子紙程度の強度があればいいところなのだが。

創は呪力を込めて結界を破壊し、女性の顔面を掴んで引っ張り出した。

 

「は、はなっ、離せっ…!!動物たちの仇め!穢れた手を離せと言ってる!!」

「俺からも何か言ってやりたいが…俺以上に腹に据え兼ねてる奴が待ってるからな。俺がやるのは、お前を罰する場を整えるくらいだ。ほーら、よっ!!」

 

創は女性を乱雑に投げ捨て、机の上に腰掛ける。その顔に浮かぶ笑みは、少したりとも崩れていなかった。

 

「生憎、お前を罰するのは俺じゃない。お前の後ろにいる、七海千秋とパンダだよ」

「ふ、ふざっ、ふざけているのか、お前…!私を罰するだと!?私の何を罰するというんだ!?私はただ、動物と人を救って…」

「…はぁ。もう俺からは何も言わねーよ」

 

心底面倒そうにため息を吐き、真っ直ぐに千秋を見やる。

この女は、呪術規定を違反しただけでない。動物とその飼い主の思い出すら、自らのエゴでぐちゃぐちゃに踏み荒らし、挙句それをさも正しいことのように主張する。

呪術師をしていれば、このような人間に出くわすことなどしょっちゅうだ。

創も最初こそは正論で立ち向かっていたが、意味がないと悟ってからは流れ作業のように処理している。千秋にも「話を聞かない類の人間」の対処を覚えてもらわなくては、希望ヶ峰学園での仕事はまずこなせない。

創は机に座ったまま、千秋に告げた。

 

「千秋。腹は立つだろうが、問答はするなよ。俺らが何言っても、コイツは聞かない。正論を垂れ流すだけで解決するなら、呪術師なんざ要らないからな」

「………」

「溜飲が下がらないことなんて、呪術師やってりゃしょっちゅうだ。

言いたくはないが、お前よりもっ…とキレてるヤツが、すぐ後ろにいるぞ」

 

千秋はふと、背後を見やる。

そこに立っていたのは、髪を整え天へと突き出し、かつてないほどに険しい表情を浮かべる田中が居た。

 

「田中がこれだけ我慢してるんだ。まずは、あいつが思う存分、溜め込んでるモン吐き出せる場を整えてやれ」

「………わかった」

 

投げ飛ばされた痛みに動けないのか、へたり込んだままの女性。

千秋はそれに歩み寄ると、息を整え、意識を臍のあたりに集中させる。はらわたが煮えくり返る、腹が立つ。さまざまな表現があるように、腹から呪力を流す感覚。その応用の上で、体の中にある型に呪力を流し込むような感覚で、術式を発動させる。

 

「『入力呪法』」

 

入力呪法。コンマ五秒の間に、必要な動きのプロセスを構築し、術式に出力することで、その動きの完全再現をする術式。

早い話、『ゲームのコマンドの完全再現』である。生粋のゲーマーたる千秋との相性は、抜群に良い。

部屋中から隠れていた死骸らが飛び出し、女性を守るように飛び出す。

千秋は恐るべきことに、コンマ二秒で死骸を弾く動きを構築し、術式に出力した。

 

「再現式…、薙ぎ払いっ!」

 

再現するのは、無双ゲームの通常攻撃。呪力を放出することで、広範囲を薙ぎ払う呪力の嵐を巻き起こす。術式を応用すれば、放った呪力のコントロールすらできる。これが五条と夏油が導き出した、千秋の強みだった。

呪力の奔流に巻き込まれ、千秋に近かった死骸がまとめて吹き飛ぶも、続け様に死骸の中から湧き出た虫…恐らくは死骸…が、千秋へと迫った。

 

「おっ…と!」

 

しかし、それは飛び込むような前転回避によって、あっさりと回避された。

続け様に襲いくる死骸に蹴りをお見舞いし、女性の位置を確認する。

逃げの算段があったのか、窓に足をかけているのが見えた。千秋は死骸を退けながら、田中たちを守るパンダに叫ぶ。

 

「パンダくん、屠坐魔!」

「あいよ」

 

パンダが背負っていた袋から、真希に無断でパクってきた屠坐魔を取り出し、千秋に投げ渡す。

逆手にそれを受け取った千秋は、流れるような動きでそれを投げ、窓枠にかけた女性の手を窓枠ごと貫く。

 

「がぁっ!?…んのっ、ガキがぁ!!」

 

女性の叫びと共に、死骸が防壁となって女性を覆い隠そうとする。

パンダや創にも死骸が殺到し、女性の余裕が完全に無くなっていることがうかがえる。

そんな中で、千秋は冷静に呪力を込めた足で高く、遠く飛び上がり、鎌のように足を振りかぶった。

 

「再現式…飛びっ、蹴り!!」

 

女性が手から屠坐魔を引き抜いたと同時に、その顔に蹴りが放たれる。

華奢ではあるが、呪力で底上げされた上に、術式によっても強化されたその一撃が、女性の意識を奪うのには十分だった。

足が頭から越しに地面につくと共に、死骸がぴたりと動きを止め、その場で力尽きる。

千秋が足を退けると、気絶した女性の頭部には、くっきりと彼女の靴跡が残っていた。

 

♦︎♦︎♦︎♦︎

 

「あらら、負けちゃったね」

 

つぎはぎの男は、ビルの屋上から覗き込み、薄く笑みを浮かべる。

本来であれば、日向創の魂を見極めたかったのだが、その真価を見る前に、千秋が対処してしまった。

あれほど分かりにくいものが、人類史上存在しただろうか。

どこまでも無個性。故に、どこまでも変わり続ける。正に千変万化。日向創の術式は、日向創を象徴するコトダマでもある。

頭では理解するが、心では理解できないという、使い古された表現が正しいのだろう。

つぎはぎの男…人から生まれた呪霊、真人はその感覚に一層歪んだ笑みを浮かべて、ビルから飛び降りた。

 

「さぁ、日向創。俺と遊ぼうか」

 

呪力の隠蔽をやめ、空を駆ける。

真人は一直線に、日向創へと向かって行った。




入力呪法…簡潔にいえば、作中でも言った通り、「ゲームのコマンドの再現」。コンマ五秒に細部に渡るまで動きを脳内で構築して、術式に入力する必要があるため、常人ではまず使えない。超高校級のゲーマーという才能ありきの術式となっている。投射呪法とは違い、加速することも他者に隙を作ることもできない。単純にゲームの主人公っぽいことができるだけの術式。

「投射呪法でいいのでは」とコメントがきたので、解説をもう少し付け足しました。

ウラ話…千秋の術式について老害どもが大層喚いたが、特級三人がかりの肉体言語で押し黙った。暫くは流動食しか食べられなかったらしい。特に創のキレっぷりは、五条悟が「ひぇっ」と声を漏らし、夏油傑がドン引きするレベルだったとか。
そんなことを1ミリも知らない千秋は、今日も元気にクソゲーに耽る。


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