嫌われ少年魔術師の憂鬱 (花邑肴(藤宮風音))
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第零章 すべての始まり
禁忌魔法の守護者、闇に堕つ


 そこには奇妙だが、しかし、繊細で美しい文様が直径約三フィール(約三メートル)に渡り描かれていた。

 

 イリシア大陸の最北端に位置する小国アルカサール。

 その王都ファルクに聳え立つ王城・ホワイトファングの地中深くに広がる自然洞窟。

 その自然洞窟の剥き出しの黄味がかった岩肌の地面の上に。

 

 奇妙で美しい文様――[魔法陣]は、細かな砂埃(すなぼこり)(まみ)れながらも、その存在を静かに主張していた。

 

 丸い円の中に、すっぽりと収まるように描かれた逆さの星。

 

 よく見ると、その[魔法陣]の星の中央部分には、円形の台座が据えられており、その上には、一頭(いっとう)の山羊と一人の少女が供えられていた。

 少女は仰向けに、雄山羊はその少女の腹の上に置かれている。

 とはいっても、雄山羊(おやぎ)には首から下の部分が無かった。

 代わりに、赤黒いぬめぬめしたものが雄山羊(おやぎ)の首の根元から少女を介し、更に台座を伝って地面にしたたり落ちている。

 

 魔法陣はその赤黒いしたたりをゆっくりと味わうように啜ると。

 その身をより一層赤く光らせ、更なる犠牲を要求する――。

 

 

 と、そんな明らかに尋常ならざるこの光景を、誰よりも待ち望んでいたと言わんばかりに。

 ひとりの女魔術師が感慨深げにその情景を眺めている。

 

 唇をゆっくりと舐め、妖艶に微笑むその女は、尋常ならざるその力の源の成長と誕生を目の前に、「ほう……」と嘆息した。

 

 それはまるで、愛し焦がれた男とひとつに結ばれる瞬間を迎えた時のように。

 女は恍惚の表情を浮かべると、両手を魔法陣の上に(かざ)し、(よろこ)びに震える声でこう叫んだ。

 

――我の召還に応じよ、[プロスクリスィ]! 

 

 それは、魔術師だけが操れる[古代上級魔法語(ハイ・ロゴス)]。

 しかし、それは厳密にはそうではない。

 彼女が唱えたその言葉――それは魔術の中でも禁忌中の禁忌とされる禁句。

 

 悪魔への挨拶――[悪魔召喚(プロスクリスィ)]。

 

「くそ、遅かったか……」

 

 台座を中心に溢れ出す、何とも禍々(まがまが)しい空気の流れ。

 それは心臓の鼓動のようにドクン、ドクンと脈打つと、生暖かい空気と鉄混じりの生臭さを伴い、辺り一帯をゆっくりと浸食していく。

 

「まずいな」

 

 そう言って、灰青色(アイスブルー)の瞳を細めると。

 蜂蜜色の髪の青年は首元の()(えり)を指で(おもむろ)に緩めた。

 詰襟部(つめえりぶ)には(つるぎ)を軸とした天秤――[正義の天秤]のピンバッジが留まり、さらに金で出来た三つの小さな星が、薄闇の中、頼り無げに辺りを照らす明かり取りの炎の元で、力強く光っている。

 

 アルカサール王国の、法と秩序を守護する治安維持組織――憲兵隊。

 

 その中でも、金の星三つを頂く最上級の憲兵魔術師エフェルローンは、その階級を以てしても尚、渋い顔をした。

 

「状況は?」

 

 天然の地下空洞の入り口の影を背にし、もうひとりの青年がそう声を掛けてくる。

 片手に両手剣(バスタードソード)をひっさげたその青年は、不用心にも洞窟内部を堂々と覗き込んだ。

 

「馬鹿、よせって……」

 

 そう言って、栗色の頭髪をグイと物陰に押しやる蜂蜜色の髪の青年に、両手剣(バスタードソード)の青年――ディーンは薄い茶色の瞳をスッと細めると、不適に笑ってこう言った。

 

「なぁに、百年にひとりの逸材がここには居るんだ。な、そうだろ? 天才魔術師エフェルローン様?」

 

 そう言って茶化すディーンに。

 エフェルローンと呼ばれた青年は、呆れながら両肩を竦める。

 

「馬鹿が。相手はこの国の筆頭魔術師、世界でも指折りの魔術の使い手だぞ? 二十年かそこらの修練如きの俺が、そこまで余裕あると思うか? はっきり言って無い。協力する気がゼロなら一人で仕留めてこい。その力はあるんだろ? なぁ、アルカサールのエース騎士殿?」

 

 素気(すげ)なくそう言い返されたディーンの襟元には、[正義の天秤]のほかに、三つの金の星が光っていた。

 

「ははは」

 

 そう笑ってごまかすと。

 ディーンは今一度、洞窟全体を見渡してこう言った。

 

「で、改めて状況は?」

 

 ディーンの言葉に促され、エフェルローンは意識を五感に集中させる。

 

 洞窟内を流れる活発な魔力に応呼するように。

 手足に感じる空気に若干の抵抗を感じる。

 

 エフェルローンは至極真面目にこう応えた。

 

「[重力魔法(エルクシ)]が掛かってる。おそらく騎士除けだとは思うけど、ありきたりの魔法だからといって気は抜かないほうがいい。高位の術者が使う、ありきたりの術ほど厄介なものはないからね」

 

 その、慎重に慎重を重ねたエフェルローンの言葉に。

 相棒ディーンは、ニヤリと笑ってみせるとこう言った。

 

「分かってるって。それにしても重力魔法(エルクシ)で騎士の利点、スピードを封じ込めるときたか。詠唱時間を稼ぐつもりなんだろうが……軍属のエース騎士に対してならまだしも、格下の憲兵騎士の俺にまでこの対応とか、ほんと容赦なしだよな……っていうか、俺も高く買われたものだ」

 

 そう言って困った様に肩を竦めるディーン。

 それから、ふと神妙な顔をしたかと思うと、ディーンはエフェルローンにこう尋ねる。

 

「でもいいのか、本当に。相手はお前の――」

 

 そう真面目な顔で話を切り出すディーンに。

 エフェルローンは、地下洞窟の中央で禍々しくうごめく黒い炎を見つめながらこう言った。

 

「構わない。人の道を踏み外したんだ。ならばそれを止めるのは[憲兵]である俺たちの役目、だろ?」

 

 どこか躊躇(ためら)いを感じさせるエフェルローンの語尾の疑問符に。

 ディーンは深いため息を吐くとこう言った。

 

「……ま、あのアデラ・クロウリーを俺たちが止められればの話だけどな」

 

 そう言って、ディーンが投げやりな視線を送った先。

 

 そこには、禍々しい気配を一秒ごとに増していく魔法陣の前で恍惚に浸る、白髪交じりの女魔術師――アデラ・クロウリーの姿があった。

 

――アデラ・クロウリー

 

 アルカサール王国魔術師団の(おさ)であり魔法大学の名誉学長。

 そして、呪術魔法の権威で禁忌魔法の守護者でもある、偉大なる女魔術師。

 

 その力と栄光に満ちた彼女は今、[禁忌魔法の無断使用]により[国家反逆罪]で捕らえられようとしている。

 

 その、なんとも後味の悪い捕縛任務に抜擢されたのは、憲兵騎士の中でも五本の指に入る、将来を嘱望されたディーンと、期待の新人ダニー、そして、百年に一度の逸材と言われている憲兵魔術師のエフェルローンであった。

 

「相手が手強いからと言って、こんなところでうだうだしてても埒があかない。エフェル、俺は行くぜ」 

 

 そう言うが早いが、せっかちなディーンは力強く大地を蹴り上げると、重力魔法(エルクシ)などものともせず地下洞窟の中へと跳び込んで行く。

 

 目指すは洞窟の中央、そして、[国家反逆者]アデラ・クロウリーの首――。

 

(くそ、ディーンの奴! 死にたいのか!)

 

 そう心の中で毒付くエフェルローンの真横を、何かが水をかき分けるようにゆっくりと通り過ぎて行く。

 

(……?)

 

 ひょろ長く、いかにも頼りなさそうなその影は、空気に溺れんばかりの体でディーンの後を必死に追っている。

 

「せっ、先輩! ま、待って……」

 

 空気を掻き、息を切らせながらそう言うと。

 ひょろ長い影――新人憲兵魔術師ダニーは、天然のぬめぬめした岩の壁を背に、腰にぶら下げていた革袋の水を激しく煽った。 

 極度の緊張の為とはいえ、その無防備な行動に冷静さは微塵も感じられない。

 

(そうだった……)

 

 エフェルローンは心の中で舌打ちする。

 

(この新人、どうしたものか)

 

 ディーンは、憲兵騎士の中でも五本の指に入る優秀な上級騎士。

 一方、ダニーはというと。

[期待の新人]という触れ込みとは異なり、持ち前の臆病な性格が災いしてその実力の半分も発揮できていないという、かなりかわいそうな状況にあった。

 

(ったく、しょうがないな)

 

 エフェルローンは辺りを警戒しつつ、大きな岩伝いにダニーの側まで一気に近づくと、力尽くでダニーを自分の方に向かせる。

 そして、そのか細い骨張った両肩を力強く掴むと、恐怖に怯える二つの瞳をしっかり捉えてこう言った。

 

「ダニー、緊張するのは分かる。でも馴れろ。生き残れるか否かは[冷静さ]に掛かってる。挑発に乗るな、いつもクールでいる努力を怠るなよ」

「……は、はい」

 

 そうは言ったものの、(すが)るようにエフェルローンを見詰めるダニーの瞳は、どこと無く定まらない。

 

(新人は誰しも始めはこんなものだろうが、でも――)

 

 エフェルローンは心の中で唇を噛む。

 新人だからと言って、この場――事件現場に足を踏み入れたからには犯人に容赦されることは無い。

 

 気を抜けば、(ひつぎ)に眠る未来が待っている。

 

(さて、これからどうやって我が国でも指折りの[大魔術師]と渡り合い、ダニーを守り切るかだが)

 

 エフェルローンは視線を前方、魔法陣の方へと移す。

 そこには、いつになく生き生きと、それは愉快そうに禁忌魔法を操る大魔術師の姿があった。

 

(……あんな姿)

 

 エフェルローンの中に、沸々と怒りが込み上げてくる。

 

(あの人のあんな姿なんか、見たくなんて無かった!)

 

 あまりのやり切れなさに、エフェルローンはさらに下唇を噛む。

 血の味が口の中にじわりと広がり、エフェルローンはその不快さに唾を吐き捨てた。

 

 この女魔術師――アデラ・クロウリーは、エフェルローンの育ての親であり、尚且つ魔術の師でもあったのである。 



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望まぬ戦い

 幼くして両親を失い、たった一人の姉と共に孤児院で途方に暮れていたエフェルローン。

 そんなエフェルローンと姉のリアを。

 当時、弟子を取らない事で有名だったアデラは、何の心境の変化か、姉もろとも養子として受け入れた。

 

 アデラがエフェルローン姉弟(きょうだい)を引き取った理由がなんであるにせよ。

 エフェルローンにとって、自分と姉を引き取ってくれた彼女は何にも代えがたい恩人であり、偉大な師であり、何より大切な家族であった。

 

 何でも話せ、何でも相談できる[家族]。

 それが一体、どういうことであろうか。

 

 家族だと思っていた彼女は、エフェルローンたちに何の相談もなく、突如、悪魔が手招く[禁忌の道]へとその手を染めたのである。

 

(師匠、なぜ――)

 

 考えれば考えるほど心は痛み、訳が分からなくなる。

 

 誰もがうらやむ権力。

 身に余るほどの栄光。

 溢れんばかりの富。

 

 それらをすべて手にしていながら、なぜ。

 

(なぜ[禁忌(きんき)]なんかに手を染めたんです?)

 

 エフェルローンのその心の声に呼応するかのように、女魔術師アデラ・クロウリーはエフェルローンを見た。

 

 その双眸(そうぼう)に宿るのは、狂おしいまでの狂気と狂喜。

 だが、その瞳の奥には恐ろしいまでの冷静さが、二つの狂った感情の狭間に見え隠れしている。

 かつてエフェルローンが()として尊敬し、憧れていた理性と知性と思慮に満ち溢れていた彼女は、もう何処にも居ない。

 

(そこまでして、あなたは……あなたは一体、何を手に入れたかったんです?)

 

 幸せだった幼い頃の記憶が、エフェルローンの脳裏を()ぎる。

 認めたくない現実に、エフェルローンは目頭に熱いものを感じながら口元を歪めた。

 

 そんなエフェルローンとアデラの視線が一瞬絡み合う。

 

 その瞬間。

 

 アデラは口の端でにやりと嗤うと、口先で囁くように呪文を唱える。

 

 と、次の瞬間――。

 

 彼女の短い囁きを合図に、エフェルローンたちの前に立ちはだかっていた大岩が砕け散った。

 

「くっ……!」

 

 破片が四方八方に飛び散り、無防備なエフェルローンとダニーを襲う。

 

 更に、激しい空気の流れが巻き起こり、細かな岩の欠片が宙に舞う。

 それらは強風に煽られ、一粒一粒が石の刃となり腕や顔に細かな傷を刻んでいく。

 それには前方に居たディーンも、堪らず腕を(かざ)した。

 エフェルローンもダニーも、眼前に腕を(かざ)すものの、あまりの風圧に思わず息が出来ず顔を背ける。

 ダニーに至っては、膝を折り、両手を付いて這いつくばるという有り様。

 

 そうやって、地面に踏ん張るだけしかできないこの状況を好機とばかりに。

 

 アデラは更に強力な突風を繰り出した。

 土埃を激しく跳ね上げ、それは足元から突き上げるように激しく吹き上がると、その場で大きな渦を巻き上げる。

 

 激しい空気の流れが更に足元をぐらつかせる。

 

「くそっ、目が!」

 

 体勢はおろか、視界すらも確保できない状態にディーンが焦燥感も顕わに毒付く。

 

(くっ、岩場にさえ隠れられれば……)

 

 そんなエフェルローンの僅かな視界に映るのは、風で押し戻されて来たディーンの背中のみ。

 

 だがその時。

 

(そうか、ディーンの後ろに隠れればもしかして……)

 

 そう思ったが早いが、エフェルローンは一気にディーンの背後に駆け込んだ。

 案の定、空気抵抗の関係で風の干渉が一気に減速する。

 

(いまだ!)

 

 エフェルローンは、短い古代魔法語を歌うように呟く。 

 

 すると、アデラの操る風の流れが減速と加速を繰り返し、不規則になり始める。

 エフェルローンは更に自らの魔力を込め、アデラの魔法を少しづつ追い込んでいく。

 

 (アデラは、召喚に多大な魔力を使い切ってるはず。ならば、俺が最悪の手を打たない限り、勝てる――たぶん) 

 

 そう自分に言い聞かせ、自らの精神力(ヌス)を無制限に削っていくエフェルローン。

 だが、アデラの精神力に合わせて削られていく精神力(ヌス)は、あまりに大きかった。

 

 エフェルローンの脳裏に不安が過ぎる。

 

(……さすがは大魔術師。長年培った精神力(ヌス)は底なしってか……ちっ、甘く見すぎたかな)

 

 そう皮肉な笑みを浮かべた瞬間。

 アデラの精神力に対しての精神力(ヌス)の減りが弱まった。

 

 それは、エフェルローンの精神力(ヌス)がアデラの精神力(ヌス)を上回った証――。

 

 それに呼応するかのように。

 次第に威力を失う空気の流れに、エフェルローンは自らの魔術の勝利を確信する。

 

 それから数秒もしない内に、荒れ狂っていた空気は水を打ったように静まり返った。

 

 エフェルローンの[解呪(ディスペル)]の完成である。

 

(これなら勝てる!)

 

 エフェルローンがそう確信したと同時に。

 ディーンも息を吹き返し、不適に笑うとこう言った。

 

「一気に畳み掛けるぞ!」 

 

 そう言って、アデラ目掛けて突撃していくディーン。

 そんなディーンの援護に[氷の矢]を乱射するエフェルローン。

 

 そんなエフェルローンに。

 魔術戦に敗したアデラは一瞬、なぜか満足そうに微笑んだ。

 

 それはまるで、赤ん坊が立ち上がったことを喜ぶ母親のように。

 

「…………」

 

 しかし、そんなディーンとエフェルローンの強力な連係攻撃も空しく。

 

 アデラの放つ強烈な風圧に(あお)られ過ぎたダニーは、よろよろと立ち上がったものの、身を隠す場所も無くその場に呆然と立ち尽くしていた。

 

 それを目にしたエフェルローンの背筋が一瞬凍る。

 

「ダニー、止まるな! 動け!」

 

 そんなエフェルローンの指示も虚しく。

 今や只の的と化したダニーに対し囁かれる、アデラの抜け目ない魔法攻撃――。

 

「う、あ……」 

 

 その場で凍り付くダニーの顔から、サッと血の気が引く。

 と同時に、アデラの背後で蠢いていた薄青色の光が徐々に複数の矢の形を取り始める。

 

([氷の矢(スフェラ・パゴス)]か、ならば……)

 

 額に吹き出す汗を感じながら、エフェルローンも負けじと呪文を唱える。

 人間には発音の難しい言葉を一字一句間違うこと無く謳い上げていく。

 

 

――火よ、(ほむら)の源よ。我が声を聞け。その身を盾にして我らを守れ。

 

  

 だが、アデラの呪文の方が一瞬早く完成する。

 必死に喰らい付くエフェルローンに、アデラの瞳が無慈悲に笑った。

  

(まだだ!)

 

 勢いよく放たれる[氷の矢(スフェラ・パゴス)]。

 

(まだ終わってない!)

 

――『発動(エピセスィ)!』

 

「うくっ!」

 

 歯を食いしばり、ぎゅっと目を瞑るダニー。

 

「ダニー!」

 

 叫ぶディーン。

 

 アデラの[氷の矢]が勢い良く降り注ぐと同時に。

 ダニーの前に立ち塞がるように現れたのは、エフェルローンの[炎の壁(フロガ・トイコス)]。

 それは、アデラの放った[氷の矢]を瞬時にして蒸発させると、シューシューという蒸気と共に、その場から消え去った。

 

「ふぅ……焦ったぜ、ったく」

 

 ディーンは額の汗を手の甲で軽く拭うと、そう言って剣を構えなおす。

 エフェルローンも硬直するダニーの前に体を入れると、アデラをしっかりと捕捉した。

 

 しばし訪れる、膠着状態――。

 

 その間、ようやく正気を取り戻したダニーは、青白い顔を固くこわばらせながらこう言った。

「す、すみません先輩、こんな……」

 

 そう言って涙ぐむダニーに、エフェルローンは怒鳴って言った。

 

「詫びは後だ、死にたくなければ集中しろ!」

「は、はい!」

 

 ダニーは手の甲で涙を拭うと、体制を整えアデラに焦点を合わせる。

 

(さっきの[解呪(ディスペル)]と、今の[炎の壁(フロガ・トイコス)]で精神力を半分以上削っている。長期戦は無理だ。さて、どうする?)

 

 そう自分に問いかけるエフェルローンに。

 ディーンが冷静な口調でこう言った。

 

「アデラの捕縛は諦める。エフェル、台座を狙え。魔法陣を破壊する!」

「……えっ」

 

 思ってもみなかった提案に、エフェルローンは耳を疑った。

 

 アデラ確保を諦めるのは良いとして。

 台座を破壊する――それは、魔術の施された台座と一体化している少女の命を犠牲にすることを意味している。

 

 ディーンのその、人道を逸した提案に。

 エフェルローンの眉はみるみるつり上がり、その双眸は怒りに燃えた。

 

「無抵抗な庶民ひとりを犠牲に魔法陣を破壊しろって……お前、どうかしてるんじゃないか? それとも、神にでもなったつもりか、おい」 

 

 地を這うような低い声で、エフェルローンはそう皮肉る。

 だが、ディーンは顔色ひとつ変えずこう言い放った。

 

「聞けよ、エフェル。あの少女は[爆弾娘(リズ・ボマー)]。二年前、魔力を暴走させ、街ひとつ跡形も無く消し去った[大量無差別殺人]の[容疑者]だ……!」



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仲間の命、咎人の命

――[爆弾娘(リズ・ボマー)]。

 

 二年前、自身の絶大な魔力を制御できず、村ひとつ消し去ってしまったという、アルカサール王国の歩く無差別大量破壊兵器。

 

「大量殺人者だぞ? 見殺しにしたところで上だって文句は言わないだろうさ」

 

 そんなディーンの人権を無視した言葉に。

 エフェルローンは不快感も(あらわ)にこう怒鳴った。

 

「殺人者だからって、殺して言い理由にはならない! 殺すか殺さないか、それを決めるのは法だ。間違っても俺たちじゃない!」

 

 そう正論を吐くエフェルローンに。

 ディーンは無慈悲にもこう言い切った。

 

「だが、俺たちは無敵じゃない。それに、正論だけじゃ正義は守れはしない。何かを取れば、別の何かを失う。任務成功を取るなら……分かるだろ、エフェル」

「…………」

 

 確かに。

 

 ディーンの体力もダニーの体力も、限界が近付いているのは事実。

 

 それに何より、悪魔召喚の魔法陣の状況は一刻を争っている。

 アルカサールの国民をむざむざと悪魔の餌食にする訳にはいかない。

 

 それはある意味、ディーンの言っていることを暗に裏付けている。

 

――何かを取れば、別の何かを失う。

 

(多くの命には代えられない、か) 

 

 エフェルローンはそう意を決すると、台座に焦点を絞り込む。

 そして、流暢(りゅうちょう)な[古代上級魔法語(ハイ・ロゴス)]で呪文の詠唱を開始した。

 

 それは、息を深く吸って吐くぐらいの短い時間。

 その短い時間の(あいだ)に。 

 

 無意識に少女を目で追っていたエフェルローンの視線は、少女の視線とぶつかる。

 

「…………」

 

 少女の瞳から、涙が一粒零れ落ちる。

 それは、「生きたい」と願う少女の無言の抵抗――。

 

 その瞬間。

 

 エフェルローンの呪文が意図せずに発動した。

 

「しまっ……」

 

[紫電の(いかづち)]は吸い込まれるように、台座目掛けて垂直に落ちていく。

 

 そして、案の定。

 

 雷は台座を外れ、魔法陣の一部を破壊し、消えた。

 

 それを見た瞬間。

 

 女魔術師アデラは舌打ちし、直ぐに呪文を唱え始めた。

 それに呼応するかのように。

 アデラの周りの空間がゆっくりと歪み始める。

 

([瞬間移動(テレポート)]か!)

 

 そんなエフェルローンの予想を肯定するかのように、アデラの姿が次第におぼろげになっていく。

 

「ディーン! [瞬間移動(テレポート)]だ!」

 

 叫ぶエフェルローンにディーンが素早く反応する。

 

「させるかよ!」

 

 彼は、女魔術師の正面に迫ると、その懐に一気に飛び込んだ。

 

「ダニー、アデラに[気絶(スタン)]!」

「は、はい!」

 

 エフェルローンの指示に、ダニーが素早く反応する。

 

 唱えられる呪文。

 そして、懐に飛び込んだディーンがアデラ目掛け長剣を振り下ろしたその瞬間――。

 

 女魔術師の呪文は完成し、アデラは異空間に消えて居なくなった。

 

「逃がしたか……」

 

 周りを注意深く見まわすエフェルローン。

 

「……いないな」

 

 苦々しくそう呟くディーンに、ダニーも辺りをびくびくと見渡しながらこう言った。

 

「け、気配を感じません」

 

 呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす三人の憲兵。

 

 今までの喧騒が嘘のように。

 地下空洞は、まるで水を打ったかのようにしんと静まり返っている。

 

 と、そんな異様な静けさを早々に打ち破ったのは、憲兵騎士のディーンであった。

 彼は、若干疑いを孕んだ瞳でエフェルローンを見遣ると、皮肉混じりにこう言った。

 

「それにしても、台座の破壊の失敗だと? お前にしては珍しいな、エフェル」

 

 ディーンの、意地の悪いその物言いに。

 エフェルローンは素直に頭を下げるとこう言った。

 

「済まない、集中力が乱れた」

「ったく、しょうがないな。それにしても」

 

 そう言って、アデラの消えた空間を見つめながら、ディーンは悔しそうにこう言った。

 

「アデラの奴、上手く逃げやがって……くそが」

 

 正義感の強いディーンは苦々しくそう呟くと、酷く悔しそうに舌打ちする。

 

 アデラがどこに逃げたのかは定かではないが、なぜアデラが逃げたのかは、エフェルローンには分かっていた。

 統制を失いつつある禍々しい気配をじっと見据えながら。

 エフェルローンはディーンに向かってこう言った。

 

「ディーン、今すぐここから撤退しろ」

 

 呪文の破壊の失敗――それは、魔術の暴走を意味する。

 

 爆発するか、呪われるか……何が起こるかわからない非常事態。

 アデラが逃げるもの当然、といったところだろう。

 

 となれば、もうここに留まる理由は無い。

 

「あ? どういうことだ、おい……」

 

 台座の呪文の破壊を失敗させたこともあるだろう。

 ディーンが射殺すような眼差しでエフェルローンを据える。

 腹の底から響くようなその声音は低く、ディーンの並々ならぬ憤りがひしひしと感じられた。

 

 そんな怒り心頭のディーンを前に、エフェルローンは淡々とした口調でこう言う。

 

「魔術が暴走してる。ここに居たら何が起こるか分からない」

 

 その言葉に、ディーンはサッと表情を硬くしながらこう尋ねた。

 

「おい、魔力の暴走って。それはどういう……」

「説明している暇はない。急げ」

 

 目を怒らせ、至極冷静にそう告げるエフェルローンに、さすがのディーンも気圧され気味にこう言った。

 

「……わ、分かった。分かったよエフェル。で、その暴発までの猶予は?」

 

 そう言って、辺りを抜け目無く警戒するディーンに、エフェルローンはきっぱりとこう言い切った。

 

「少なく見積もってあと十分強。急がないと命の保証は出来ない」

 

 まるで他人事のようにそう宣告するエフェルローンに、ディーンは不可解そうにこう言った。

 

「おい、ちょっと待て。逃げろって言ったってお前……俺たちにはお前の[瞬間移動(テレポート)]があるじゃないか! 今ならまだ全然余裕だろう?」

 

 そんなの腑に落ちない、と言わんばかりのディーンの言葉に。

 エフェルローンは意を決したようにこう言った。

 

「俺は、行けない」

「……は、何だって?」

 

 口をぽかんとあけて、呆気にとられるディーン。

 そんなディーンに、エフェルローンは至極真面目な顔でこう言い放った。

 

「俺は、お前たちとは一緒に行かない」

「おいおい、ちょっと待て。まさか、本気じゃないよなぁ、おい」

 

 口元は笑いながらも、エフェルローンの真意を深く探るように、鋭く双眸を光らせるディーン。

 そんなディーンの執拗な視線から逃れようとするかのように。

 エフェルローンはつと視線をそらすと、ディーンの心配を一蹴するように鼻で笑ってこう言った。

 

「本気だよ。どうしても、言われた命令を果たしたくてさ。上からの命令は、確か……アデラの捕獲もしくは殺害、魔法陣の破壊。そしてこの少女の保護、だろ? アデラを取り逃がした今、出来るだけ多くの成果を上げないと次の昇進の査定に響くってね。お前だって行きたいだろ、上に」

 

 そう言って口の端を吊り上げるエフェルローン。

 その(もっと)もらしい答えに。

 ディーンは一瞬、憮然とした顔で口を開きかけるも、すぐに諦めたようにこう言った。

 

「……理解できないとは言わないが、賛同は出来ない。でも、お前がそうと決めたんならしょうがない。ただ……姉君を、リアさんだけは悲しませるようなことはするなよ」

 

 真面目な顔でそう言うディーンに。

 

「ああ、分かってる」

 

 そう言って、エフェルローンはニヤリと笑ってみせる。

 そして、辺りをびくびくと警戒しているダニーを見と、エフェルローンは苦笑気味にこう言った。

 

「それと、ダニーを頼む」

 

 そんなエフェルローンに、ディーンは不敵に笑って見せるとこう言った。

 

「……ああ。任せろ」

 

 そして、無駄にきょろきょろしているダニーの細い肩をぐいと掴むとこう怒鳴る。

 

「ほら、行くぞダニー!」

 

 しかし――。

 

「……で、出来ません! そんなこと……」

 

 何を思ったか、小心者のダニーがこの危機的状況に及んで急に自我を発揮し始めた。

 

「先輩を、クェンビー先輩を置いて行くなんて!」

 

 その言葉に、ディーンの表情がみるみる険しくなっていく。

 

「あのなあ、ダニー。状況を冷静に考えろ。俺たちは今、ここから逃げるのが先決だ。行くぞ」

 

 だが、ダニーは一向にその場を動く気配がない。

 ディーンはチッと舌打ちし、怒鳴って言った。

 

「いいから、行くんだよ!」

 

 そう苛立たしげにダニーの腕を掴み、ぐいと引っ張るディーンに。

 ダニーは必死の抵抗をしながらこう言った。

 

「でも先輩、クェンビー先輩を残していくなんてやっぱり僕には――!」

 

 そう言って、ディーンの手を跳ね除けようとするダニーを、ディーンは鋭く睨むとこう言った。

 

「じゃあ聞くが。お前に何が出来る? 子供みたいな安っぽい正義感なんざ、生きるか死ぬかのこの場にゃ邪魔なだけだ。そんなもの捨てちまえ。俺の言ってることの意味、わかるよな……分かるなら、とっとと()いてこい」

 

 その、凄みの効いたディーンの言葉に。

 ダニーの両肩が病的にびくりと跳ね上がる。

 そして、唇をふるふると震わせると、ダニーはがっくりと肩を落としながらこう言った。

 

「……はい、先輩」

 

 こうして。

 

 ディーンとダニーは、それ以上言葉を交わすことも後ろを振り返ることもなく、無言でこの場を後にするのだった。



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タイムリミット

 こうして。

 

 親友と後輩の背中を見送ると。

 エフェルローンはゆっくりと台座に近付いた。

 そこには、不安そうに事の成り行きを見守る少女が無防備に横たわっている。

 

 エフェルローンは「大丈夫、今助ける」と安心させ、小さく呪文を唱えた。

 

 そうして、台座と少女を縛り付ける魔法――[拘束魔法(バインド)]、それを解く。

 

 相変わらず部屋の空気は生ぬるく、重い。

 その不愉快極まりない感触に。

 

 エフェルローンは形の良い眉を(ひそ)めると、まとわり付く空気を払うような仕草をしながら横たわる少女に手を差し伸べこう言った。

 

「さ、家に帰るよ」

 

 だが、少女はむっくりと起き上がるものの、なぜかその場を動こうとしない。

 

「ほら、急げよ」

 

 元々せっかちな気質のエフェルローンは、若干の苛立ちを隠さずにそう言った。

 タイムリミットは刻一刻と迫っている。

 

 それなのに。

 

 少女はというと、眉を眉間に寄せ、口を一文字に引き結んだまま、やはり一向に動く気配は無い。

 とうとうエフェルローンは、元々短い堪忍袋の緒を自ら切ってこう言った。

 

「何? 君、死にたいの? 死にたいんなら俺は行くけど」

 

 そう殺気立つエフェルローンの投げやりな言葉に。

 少女は(うつ)ろな瞳で(ちゅう)を凝視すると、無表情でこう言った。

 

「死にたい」

 

 エフェルローンは反射的に少女を鋭くにらみつける。

 

「…………」

 

 少女はと云うと、両手をきつく握りしめ、唇を震わせながら虚空の一点をじっと見つめている。

 そんな少女を冷淡な眼差しで見遣ると、エフェルローンは面白くなさそうにこう言った。

 

「君さ、死ぬってことの意味、分かって言ってる?」

 

 冷ややかなエフェルローンの言葉に、少女は唇をグッと引き結ぶと、涙を堪えながら上向き加減にこう言った。

 

「分かってる。わかってるから、死にたい。この世界からいなくなりたい。私みたいな人間、居なくなればいい……!」

 

 その言葉に、エフェルローンの中で何かが切れた。

 

「ふざけるなよ、このガキ!」

 

 エフェルローンの怒声に、少女の肩がビクッと跳ねる。

 それでも気丈に振る舞う少女を前に、エフェルローンは容赦なく捲し立ててこう言った。

 

「世の中にはさ、生きたくても生きられない人間が山ほどいるんだよ! それなのに君は、生きている君は『死にたい』とほざく。なんて罪深い奴だ……!」

 

 そんなエフェルローンの脳裏を()ぎるのは、流行(はや)(やまい)で若くして死んでいった両親の顔。

 

「君の場合、死にたければ法がそう裁きを下したときに死ねばいい。それまでは、誰がなんと言おうが生きているべきなんだ。君にはその義務がある。まあ、本当に君が罪を償いたいと思っているならだけど」

 

 そう冷たく言い放つエフェルローンに。

 少女は涙と鼻水を垂れ流しながら猛反発してこう言った。

 

「でも、私……たくさんの人を殺した! 無抵抗な人たちを、本当にたくさん。殺すつもりは無かったけど。でも、人を殺した事に変わりは無いもの。私の犯した罪は罪。動機なんて関係ない。私は、さっきの男の人が言っていた通り、大量殺人者に変わりはないから。だから……だから私は、今ここですぐにでも死ぬべきなんだ! それに、人を殺した私の居る場所なんて……この世界のどこにも、どこにもないんだから!」

 

 そう言ってぼろぼろと涙をながしながら、偽らざる心の内を吐露する少女に。

 エフェルローンは深いため息をひとつ吐くと、教え諭すようにこう言った。

 

「……過去に何があったにせよ、人間に出来る事はただひとつ、現実を受け止め、生きていくだけだ。間違っても罪から逃げるように死ぬ事じゃない。逃げたって罪は消えやしないからな。それでも、君が何かせずにはいられないっていうんなら、今は生きて……生きて汚名をそそぐ事だ。そうすれば、少しは罪も薄くなるってもんだろ。それが唯一、人間に出来る贖罪(しょくざい)なんだと俺は考えてる」

「でも、みんな私に死ねって……!」

「でももクソもないさ。罪を背負って生き続けるってのはそういうことだろ。辛くて当然。そしてそれこそが、死に代わる贖罪になる」

 

 何かを言いたそうな少女にそう言って釘をさすと、エフェルローンは冷めた口調で更にこう言った。

 

「……で、どうする? 死ぬの? 生きるの? 逃げるの? それとも戦うの? 俺は気が短いんだ。死ぬっていうんならもう止めないけど?」

「…………」

 

 長い沈黙――。

 

(これじゃいくら時間があっても足りない)

 

 そう思ったエフェルローンは少女を追い込むことにする。

 ともかく、今は一秒たりとも惜しい。

 

 エフェルローンは躊躇うこと無く洞窟の出口へと踵を返した。

 そして、後ろを振り返ること無く、颯爽と歩き出す。

 

 一歩、二歩、三歩……。

 

 そして、四歩めを踏み出したその時――。

 

「……待って!」

 

 エフェルローンの背中を少女の声が呼び止めた。

 エフェルローンはというと、「しめた」とばかりに後ろを振り返り、少女をじっと凝視する。

 

「何?」

 

 そんなエフェルローンの素っ気ない言葉に。

 少女は下を向いて口をグッと引き結ぶと、大粒の涙を流しながら嗚咽交じりにこう言った。

 

「私、生きたい。本当は、本当はずっと……生きて……生きて、いたいの。どんなに苦しくても、辛くても、かまわない。だから……助けて」

 

 そう言って、少女は止め処なく流れる涙を両手の甲で何度も拭う。

 

 と、そんな傷ついた心と少しずつ向き合い始めた少女の元へ。

 エフェルローンはゆっくりと引き返すと、少女の前で立ち止まる。

 そして、徐にその紅茶色の髪をくしゃくしゃと二、三回撫で回すと、力強くこう言った。

 

「法の守護者である憲兵として、アルカサールの一国民である君の身柄を命をかけて保護する」

 

 そう誓うと。

 

 エフェルローンは手早く少女を抱え上げ、[瞬間移動(テレポート)]の呪文を唱え始める。

 

(間に合うか――?)

 

 迫る、タイムリミット。

  

 そして、[瞬間移動(テレポート)]の呪文が完成しようという、まさにその時――。

 

 部屋全体に、目も眩むような閃光が複数、音も無く走った。

 その閃光に集中力を乱されたエフェルローンの呪文は一瞬で散霧する。

 

(おい、嘘だろ……)

 

 魔法発動の失敗。

 

 その事実に、目の前がブラックアウトしそうになるエフェルローン。

 それに呼応するかのように、腕の中の少女が不安げな声を上げる。

 

「何?」

 

 と、同時に、磁気を帯びた空気が辺り一面をみるみる覆いつくしていく。

 それは、バチバチと音を立てては、小さな(いかづち)をあちらこちらで発生させ、至る所で空間を歪める。

 

 それは、[魔術暴走]への加速の始まり――。

 

(くそっ、どうする――?)

 

 もう一度[瞬間移動(テレポート)]を発動させるには、もう時間が足りない。

 とはいえ、何もしなければこの不穏な[気配]に飲み込まれ、エフェルローンと少女の存在は消えてしまうだろう。

 唯一有効な魔法は[反射魔法(ミラー)]だろうが、残された時間で唱えられるのはたぶん一度きり。

 

 そして、腕の中には不安そうにエフェルローンを見上げる少女が一人。

 

(ちっ、ついてないな……)

 

 皮肉な笑みを浮かべ、そう心の中でひとりごちると。

 エフェルローンは意を決し、再び呪文を唱え始める。

 

 不気味な地鳴りが洞窟全体に反響し、地面と空気が細かく振動し始める。

 

(諦めたくは無い、でも――) 

 

 エフェルローンの脳裏を、気丈な姉リアの泣き出しそうな顔が()ぎる。

 

(ごめん姉さん。でも、俺にはこうすることしか……)

 

 そして、エフェルローンの最後の呪文が完成したと同時に。

 

 地下洞窟の空間を、複数の閃光が(くう)を引き裂くように縦断し、無数の雷が地面を蜂の巣のように(えぐ)るのであった。

 

 

 こうして。

  

 

 百年に一度の天才魔術師と謳われたエフェルローンは、この魔力の暴走により、その身に解呪困難な[呪い]を受ける事になるのであった。



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第一章 呪われし者
法の番人の迷い


 そして、時は流れ――。

 アデラの事件から四年が過ぎた、秋も中頃のこと。

 

 イリシア大陸極北の国――アルカサール王国・王都ファルクの王城内の会議室からは、落胆にも似たため息が幾度となく漏れ聞こえていた。

 

 会議室に篭るは、若い国王を始めとした国の要人――執政官が一人、国の権力を預かる上級貴族三名。

 そして、騎士副団長と魔術師団長が一名ずつ。

 さらに、[爆弾娘(リズ・ボマー)]を知る参考人が二人。

 

 彼らのため息の理由。

 

 それは、六年越しの事件案件――[ベトフォード大量殺害事件]の犯人とされる[爆弾娘(リズ・ボマー)]の処刑に関し、未だその執行をどうするのかということで意見が真っ二つに分かれていたからであった。

 

 

「……という訳でして、[爆弾娘(リズ・ボマー)]の一件は、以前から決まっているように[執行猶予無しの有罪]という事で宜しいでしょうか」

 

 上等な紫の布に見事な金の刺繍(ししゅう)が施された上着を身に纏った小太りの中年男――マーロー侯爵は、相手の機嫌を伺うようにそう言った。

 彼が機嫌を伺っているのは、同席している国王でも執政官でも、はたまたこの国の屋台骨である三大貴族の当主たちでも、ましてや魔術師団長や騎士副団長でもない。

 侯爵であるマーロー侯爵にしてみれば、本来なら何ら恐るるに足りない人物であるはずなのだが。

 それでも、その人物に機嫌を伺うマーロー侯爵の額には、病的なほどの玉の汗が浮かんでいる。

 そんな彼の目の前には、赤み掛かった紫色の瞳と煉瓦色の髪色が印象的な青年が一人。

 彼は、異様な威圧感を漂わせながらマーロー侯爵をねめつけていた。

 

(レオン・フォン・カーレンリース伯爵――またの名を[紫眼(しがん)の貴公子]、[悪魔の権化]か)

 

 エフェルローンはそんな事を思いながら、この不毛なやり取りをぼんやり眺めていた。

 

――レオン・フォン・カーレンリース。

 

 通称[紫眼の貴公子]、[紫の悪魔]と呼ばれるこの[悪魔の瞳(パープルアイ)]を持つレオンは、その目で人を射殺すと恐れられる大陸最凶の魔術師である。

 実際、彼のことを悪く言った者は、ほぼ何らかの死を遂げていた。

 

(そんな恐ろしい男に目を付けられたら、堪ったもんじゃないな)

 

 そう心の中で小さく呟くと。

 エフェルローンはいつも通り、この茶番劇の静観を決め込む。

 そもそも、一憲兵でしかないエフェルローンがこの場に居ること自体、場違いとしか言い様がない。

 

――[爆弾娘(リズ・ボマー)]事件の参考人として、陛下がお前とお前の相棒の意見をご所望だ。 

 

 そんな話を上がごり押ししてきたのは、もう三年以上前のことである。

 それから三年以上が過ぎているというのに。

 

 目の前で繰り広げられるのは、カーレンリース卿がマーロー卿を脅しつけてやり込める、というおきまりの展開であった。

 

(そういえば、この会議に参加して、一度も意見なんて聞かれたことが無いな)

 

 意見を乞われていたはずなのに、気づけば一度も発言したことが無いことに気づく。

 

(つまり、王侯貴族様方は、この事件を法に則って裁く気は毛頭無いってことか)

 

 あらかた予想していたことではあったが、あまり気持ちの良いものではない。

 

 

 ――どんな罪も、金と権力があれば解決できる。

 

 

 暗に、そう言われているようなものなのであった。

 

 どんなに命を賭けて極悪人を捕らえても、決して報われない。

 法の番人たる憲兵にとって、それはある意味、屈辱でしかない。 

 

 だが。

 

 今のエフェルローンにとって、そんな憲兵の誇りなど只の無用の長物でしか無かった。

 そんなものを大事に守るくらいなら、一日一日を何事も無く平穏無事に過ごしたい。

 それがエフェルローンの、偽らざる今の本音であった。

 

 実際、[爆弾娘(リズ・ボマー)]がどうなろうが、エフェルローンの知ったことでは無い。

 

(あー、執務室に戻りたい……)

 

 いつもの如く、マーロー卿をこれでもかと追い込むカーレンリース卿から目を逸らすと。

 エフェルローンは自分の両手と両足をじっと見つめながら、心の中でこう呟く。

 

(早く戻って、これを……この状況をどうにかしないと)

 

 りんご一個掴めるかという小さな手。

 そして、大人の掌にも満たないかもしれない小さな足。

 

 四年前に受けた[呪い]のせいで、子供化してしまった身体と極度に目減りした魔力。

 

 幼くなった容姿を揶揄されるぐらいならまだいい。

 だが、それによって出来なくなったこと、失ったものの多さにエフェルローンは悔しさを覚えずにはいられなかった。

 

 同年代の男たちがいとも簡単に出来ることが出来ない、という苛立ちと自己嫌悪。

 鏡に映る力の無い自分を見る度に、吐き気を覚える毎日。

 

 そんな生活を送るにつれ、「あの時の自分の選択は本当に正しかったのか」と問いかける自分がいる。

 

 果たして、この現実は[名誉]なのか[不名誉]なのかと。

 

(納得しているのか、俺は。いや、きっと俺は……)

 

「……納得できない、とそう言ったら?」

 

 苛立ちを含んだレオンのその言葉に、エフェルローンの思考は一気に現実に引き戻された。

 

 いつもの会議室、いつもの面子。

 

 それを確認し終えると。

 エフェルローンは隣に座っているディーンにそっと状況を確認する。

 ディーンは正面を向いたまま、面白くもなさそうに小声でこう答えた。

 

「いつもの如く、カーレンリース卿がマーロー卿に詰め寄っているところだ」

「なるほど……」

 

 エフェルローンは視線をレオンに移す。

 

 その表情(かお)には、噂に聞くいい加減さは微塵も無い。

 それどころか、紫の双眸には理知的な光が宿り、発する言葉には隙という隙が無かった。

 それだけ、この男にとって妹――[爆弾娘(リズ・ボマー)]はかけがえのない大事な存在なのだろう。

 

(悪魔と言われる男でも、血の繋がった家族は大切ってことか)

 

 まじまじと、エフェルローンはレオンを見る。

 

「答えをお聞きしたい、マーロー卿?」

 

 美しい顔立ちにしては存外低い声で威圧するレオンに、マーロー卿は思わず腰を浮かせた。

 

「で、ですがこれは決定事項でして、変更には国王陛下の許可が……」

 

 そう言って国王カーレルに視線を投げかけると、全力で助けを求めるマーロー卿。

 国王であるカーレルも、この件に関しては困ったように笑みを返すのみである。

 

(国王も、叔父に当たるカーレンリース卿には甘いからな。この場を押さえられるとすれば、ジュノバ公のみ、か)

 

 エフェルローンの読みどおり、三大貴族のひとつ、ジュノバ公爵家のカーライルが、眉間に眉を顰めつつ、レオンを諫めてこう言った。

 

「止めないか、カーレンリース卿」

「始まったな」

 

 呆れたようにディーンがそう呟く。

 

「止めませんよ、ジュノバ公。いくら私の義兄上(あにうえ)とはいえ、この件に関して、私は一歩も譲る気はありません!」

 

 腹違いの義兄(あに)であるカーライルにぴしゃりとそう言い放つと、レオンは更に言葉を続ける。

 

「私の妹の将来が懸かっているんです。ジュノバ公、貴方もご自分の実の姉君である王太后が同じような立場に立たされたなら、持てる(ちから)全てを尽くして状況を(くつがえ)そうとするでしょう? それと同じですよ」

「…………」

 

 明らかに、気まずい空気が室内を漂う。

 

(これは、カーレンリース卿のひとり勝ちだな)

 

 と、そんなことをぼんやりと考えていると。

 

 次の瞬間――。

 

「ちょっといいですか」

 

 怒気を孕んだ聞き慣れた声が会議室に響き渡る。

 

「ディーン?」

 

 そう言って、呆気に取られるエフェルローンを完璧に無視し。

 ディーンは徐に椅子から立ち上がると、辺りをゆっくり一瞥してこう言った。

 

「憲兵隊所属のディーン・コールリッジです。この件に関して私なりの意見があります。発言してもよろしいでしょうか」

 

 アルカサールを支える三本柱の一柱、ジュノバ公爵と、最凶の魔術師カーレンリース伯爵の兄弟げんかに水を差したディーン。

 その恐れを知らぬ勇敢さに。 

 

 会議室は、しん……と静まり返った。

 

 それを確認すると。

 ディーンは、正義感の強い彼らしい持論を展開しつつこう言った。

 

「この国の法律に則れば、数え切れないほどの人を殺した[爆弾娘(リズ・ボマー)]は執行猶予無しの有罪でしょう。本人にその気が無かったとしても、人を殺してしまったからにはそれは殺人。そして殺人はこの国では死刑が適用される。もしこの国が立憲国家であるならば、[爆弾娘(リズ・ボマー)]は執行猶予無しの死刑に処するべきと私は考えます」

 

 言葉の端々から憲兵としての苛立ちを滲ませつつ、ディーンはきっぱりとそう言い放った。

 確かに、ディーンの言うことは正論であろう。

 だが、こうなると事態はそう簡単にはいかなくなる。

 

(忖度が当たり前の王侯貴族共に正論を投下するか。はぁ、長引きそうだな……)

 

 エフェルローンは心の中でため息を吐いた。

 

爆弾娘(リズ・ボマー)]は、アルカサールの三大貴族、国家の屋台骨のひとつであるジュノバ公爵家の当主カーライル・フォン・ジュノバの義妹であり、義弟カーレンリース伯レオンの実の妹なのだ。

 

 さらに面倒なことに、この三大貴族、仲が良いとは到底言えない。

 互いに互いの足を引っ張るために、スキャンダルを掘り出しては突き合う仲である。

 つまり、この案件はさまざまな人間の不埒な政治的思惑か深く関わり合っているのであった。

 

 そこに、ディーンは無謀にも正論をぶつけたのだから質が悪い。

 これで話は更にややこしくなり、事は平穏無事に収まるはずもない。

 

(ほんと、無茶苦茶な奴だよな、こいつ……)

 

 エフェルローンは呆れた顔でディーンを見る。

 だが、ディーンの顔には一切の怯えはない。

 それどころか、今までにないほど怒りに満ちた顔で国王カーレルを()め付けている。

 睨め付けられたカーレル国王はと言うと。

 いつになく真面目な表情(かお)で腕を組み、なにやら思案し始めているようであった。

 

 そんな王を筆頭に。

 

 ずしり……と、重苦しい空気が会議室内にのし掛かる。

 

「…………」

 

 この、あまりに意外な展開に。

 エフェルローンは事の成り行きが少し気になり始めてくる。

 

(ディーンの言ったことはたぶん正論だろう。そんな正論を、カーレンリース伯はどう論破するつもりだ――?) 

 

 興味津々の体で、エフェルローンはカーレンリース卿の表情を盗み見る。

 

 少し困ったように顎に片手を当てるカーレンリース伯。

 その顔色は少し冴えないようにエフェルローンには見えた。

 

 とはいえ。

 

(あの口達者のカーレンリース卿が、まさか手詰まり……なんてある訳ないよな)

 

 そんなエフェルローン読み通り、カーレンリース卿はすぐに口火を開くと、ターゲットをディーンに変えてこう言った。

 

「ならば、君に聞きたい。ディーン・コールリッジ。その[爆弾娘(リズ・ボマー)]が自分の妹なら……君はどうする? その子に本当に殺意は無く、不幸な魔力の暴走が招いた事故だとしたら。それでも君は、自分の妹に罪を償えと、そう言うつもりなのか?」

 

([事故]か。カーレンリース卿め、上手い事言うな)

 

 エフェルローンはそう心の中で感心すると、そう問いかけられたディーンを見る。

 ディーンは、(もっと)もらしく聞こえるカーレンリース伯レオンの言葉にも、全く動じるどころか、むしろ吐き出される言葉の至るところに苛立ちを隠す事無くこう言った。

 

「では、反対にお聞きしますが。その[爆弾娘(リズ・ボマー)]による事故のせいで亡くなった者たちの無念は、残された者たちの悲しみは、一体どうなるのです? まさか、金で解決するだなんて仰る訳ではないですよね? カーレンリース卿?」

 

「…………」

 

 これにはさすがのカーレンリース伯レオンも閉口せざるを得ないようであった。

 彼は、苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべると、参りましたとばかりに諸手を挙げる。

 

 そんな二人のやり取りを見ていた三大貴族のひとつ、ノリス公ウォレスは面倒くさそうにこう言った。

 

「……さて、答えは出ましたかな、カーレル陛下?」

「この討論で決着がついたと思われますが、如何に?」

 

 やはり、三大貴族のひとつ、タリス公爵家の当主・レスターも、厳しい口調で国王カーレルに決断を迫る。

 騎士副団長と魔術師団長も、その決断の行方を興味深そうに見守っている。

 

 すると突然。

 

 今まで腕を組み、思考を巡らしていた国王が、何を思ったか突然エフェルローンにこう尋ねた。

 

「憲兵であるディーン・コールリッジ準男爵の意見は聞いた。確かに一理あると思う。同じく、憲兵であり、しかも相手が大量殺人者であると知りながら、[爆弾娘(リズ・ボマー)]を命がけで助けたエフェルローン・フォン・クェンビー伯爵。君はどう思う? 彼女は死刑にすべき? それとも生かして罪を償わせるべきだろうか?」

 

(陛下が俺に意見を求める? 嘘だろ……)

 

 突然の国王の質問に、エフェルローンは目を丸くした。

 と同時に、心が急速にざわつき始める。

 

「私は……」

 

 四年前に比べたら、格段に小さくなっている手に視線を落とす。

 

 そして、脳裏に浮かぶのは、四年前のあの地下空洞。

 自分の罪に傷つき、生きたくても死を選ぼうとしていた健気な少女の涙。

 

 その少女こそが、街をひとつ破壊した張本人――大量殺人者[爆弾娘《リズ・ボマー》]。

 

(……四年前、俺はあの子の涙に自分が(たす)ける理由(いみ)を見た気がした。だから、俺はあの子を助けた)

 

 でも、その決断は本当に正しかったのだろうか――?

 

 本当に。

 本当に――?

 

「私は……」

 

 こうして、[爆弾娘《リズ・ボマー》]の一件は、多数決の結果も踏まえ、[執行猶予百年の永久封印]で落ち着くこととなる。

 それは、三大貴族の筆頭であるジュノバ公爵家の面子と、国王の母である王太后がジュノバ家(ゆかり)の者であることを踏まえた、国王最大の配慮の結果でもあった。



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正義と信念の果て

「よう。お疲れ、エフェル」

 

 そう声を掛けてきたのはかつての相棒ディーンだった。

 

――会議室・外回廊。

 

「……おう、お疲れ」

 

 エフェルと呼ばれた少年――エフェルローンは、神妙な面持ちでそう言った。

 

「なんだ? ひとつ厄介ごとが解決したってのに浮かない顔だな」

 

 眉間に小じわでも寄せ始めそうなエフェルローンに、ディーンは片方の眉を吊り上げながらこう言った。

 

「なんだ、気にしてるのか。さっきの国王への回答」

「ふん、さあね」

 

 エフェルローンは面白くなさそうにそう鼻を鳴らすと、フイッとそっぽを向いた。

 

 

――『分かりません』。

 

 

 なんであんな答えを出したのか、実際自分でも驚いている。

 

 そんな煮え切らない様子のエフェルローンがあまりに珍しかったのだろう。

 ディーンは、「ほぉー」っと感心したような声を上げるとこうのたまった。

 

「なんか、らしくないな」

「うるせーよ」

 

(知るかよ、そんなの)

 

 自分でも分かっている。

 その理由は、自分の中に生まれた[正義]に対する疑念、そして――。

 

「まいったな……」

 

 エフェルローンは心の中で項垂(うなだ)れた。

 確かにいつもなら、頭の中に叩き込んだ刑法やら経験に照らし合わせてはっきりとした答えを出しているはずなのに。

 

 なのに、今回と来たら――。

 

(俺は、何をそんなに悩んでいる?)

 

 [正義]に対する懐疑心だけなら、こんなに悩んだりはしない。

 自分の信念にそぐわなければ、そこから離れれば良いだけだ。

 

 だが。

 

 自分が[正義]だと信じて行った事が、全て[間違って]いたとしたら?

 

 子供化の呪いも、それに伴う魔力の減退も、地位や名誉の喪失も。

 自分の選択が全て[間違って]いたことに対する何らかの罰だとしたら?

 

 もしそう考えるならば、[爆弾娘(リズ・ボマー)]を助けたことは間違っていたことになる。

 

 ならば、あの時。

 

爆弾娘(リズ・ボマー)]は見殺しにするべきだったのだろうか?

 

 エフェルローンはそう自分に問いかけ、心の中で横に首を振る。

 

――刑を下すのは、俺じゃない。司法だ。どんな容疑者もすべて法律に則り裁かれなくてはいけない。そうでなければそれはただの[私刑]だ。

 

(じゃあ、なんで俺は……[正しいこと]をしているはずの俺はこんな事になってる――?)

 

 

 呪いによる子供化、魔力の減退、地位と名誉の喪失。

 

 

 それを考える(たび)、脳裏を(よぎ)るのは四年前の[爆弾娘(リズ・ボマー)]の一件。

 そして、何度と繰り返される自分への問いかけ。

 

「もしあのとき、[爆弾娘(リズ・ボマー)]を見殺しにしていれば、そうすれば俺は――」

 

――[正しい]選択をして、尚且つ、全てを失わずに済んだのだろうか。

 

 

(わからない……)

 

 

 エフェルローンは、こうなってしまった事に対する自らが納得できる理由がどうしても欲しかったのだった。

 

 と、そんな悩めるエフェルローンをは傍から見ていたディーンは、突然、ニヤリと笑うとあろうことかこんなことを口にした。

 

「なあ、エフェルローン。お前さ、まさか[爆弾娘(リズ・ボマー)]に惚れたとか言わないよな?」

 

 さすがにこれには、エフェルローンの堪忍袋の尾は容易(たやす)く切れた。

 元々切れ長の目を更に細く鋭くし、エフェルローンは噛み付くようにこう言った。

 

「……お前、馬鹿か? 身体鍛える事ばっかりに夢中で、脳みそ鍛えてないだろ」

「ははは、確かに。それに、子供のお前には色恋沙汰は縁遠い話だったな、いや申し訳ない」

 

 悪びれもなくそう言うディーンに、エフェルローンは面白くもなさそうにこう言った。

 

「なーにが、『申し訳ない』だよ。そんなの微塵も思ってないくせにさ。ほんと、いけ好かない奴だよ、お前って」

 

 そう不貞腐れるエフェルローンにディーンは取って付けたかのように深々と頭を下げて見せるとこう言った。

 

「お褒め頂き光栄です、伯爵。で、そんないけ好かない奴からひとつ提案なのですが……?」

 

 そう言うと、ディーンは片手で酒杯を掴む仕草をすると、片目を(つぶ)ってこう言った。

 

「久々に、飲みに行かないか? 積もる話もあるしさ。どうだ? 小さくても飲めるんだろ?」

 

 ディーンの勢いに押され、エフェルローンは気づけばこう答えていた。

 

「……まぁ、な。場所によってはね」

 

 実際、まんざらでもない。

 外見のせいで断られる事も多いが、事情を話し身分証を見せれば飲ませてくれるところもある。

 

 まあ、問題ないだろう。

 

「じゃあ、決まりだな」

 

 ディーンがいつになく楽しそうに笑う。

 

「了解。夕の六刻に大通り脇の[蜂と女王(ビーアンドクイーン)]で……どうだ?」

「[蜂と女王(ビーアンドクイーン)]か。懐かしいな」

 

 

蜂と女王(ビーアンドクイーン)]――エフェルローンとディーンが大学時代からよく世話になっていた酒場である。

 

 だが、最近……というか、この身体が小さくなった四年前から、もう一度も通っていない。

 通わなくなった理由は、この身体のこともあるが、実際、一言では言い表せない。

 

「なんだ、最近行ってないのか?」

「まあね、ちっさくなったこともあるし。それに、姉貴も心配するから」

 

 それらしい理由を適当にこじ付ける。

 

「それなら、今夜は大丈夫なのか? 姉君が心配されるんじゃ……」

 

 なぜか酷く動揺するディーンに。

 エフェルローンは首をひねりながらこう答える。

 

「う~ん、特に問題はないかな。大丈夫。それとも何か問題でも?」

 

 実際、魔法で家まで瞬間移動するので何ら問題はない。

 

「そ、そうか。ならいいんだ。じゃあ、その……後でな」

「ああ」

 

 そう言って互いに背を向け合った瞬間。

 ディーンは思い切ったように後ろを振り返ると、裏返る声をものともせず、エフェルローンに向かってこう言った。

 

「……と、あと、その……姉君のリアさんによろしく伝えておいてくれ」

 

 突然出てきた姉の名前に、エフェルローンは「ははーん」と心の中でつぶやく。

 そして、意地悪く目を眇めるとニヤ付きながらこう言った。

 

「なんで?」

 

 そんなエフェルローンに、ディーンは怯んだように後ろに一歩下がる。

 

「な、なんでって、お前……長年お世話になった相棒の姉君でいらっしゃってだな……」

 

 しどろもどろのディーンに対し、エフェルローンは更に追い打ちをかけるようにこう言った。

 

「だーから?」

 

 そんなエフェルローンの意地悪い対応にもめげず、ディーンは頭を二、三度かき回すとやけくそ交じりにこう言う。

 

「あ~、もうなんでもいい! とにかく! とにかくだ。リアさんによろしく伝えてくれよ! いいか、必ずだからな!」

 

 そう言って、若干顔を赤らめながら逃げるように立ち去るディーン。

 そんな彼の背中に向かい、エフェルローンはぼそりと一言呟いた。

 

「相変わらず初心(うぶ)な奴……」

 

 そう言って一人ほくそ笑むと。

 

 エフェルローンは足取りも軽く、憲兵庁の自室へと向かうのであった。

 

 

 こうして時は過ぎ、夜の帳が幾重にも折り重なろうという頃――。

 時刻は午後の六刻を刻もうとしていた。



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血の連鎖

「じゃ、一杯だけ引っ掛けて行こう」

 

 そう言って入った店の中は、懐かしい活気と熱気で溢れていた。

 

 若者たちの社交場のひとつ――安酒場[蜂と女王(ビー・アンド・クイーン)

 

 今この瞬間も、麦酒(エール)片手に皆で国歌を大合唱している者たちも居れば、仲間どうしで国政に関してのタブーを熱く戦わせている者たちもいる。

 

 そんな若者たちの一切の無礼講が許される場所。

 それが[蜂と女王(ビー・アンド・クイーン)]という場所であった。

 

「おーおー、やってる、やってる」

 

 辺りを見回しながら、ディーンが楽しそうにそう言った。

 確かに、昔は彼らのように話題にする事がタブーとされている話で、良く意見を戦わせていたものである。

 それが、今では腫れ物を触るようにタブーを扱っているのだから、皮肉なものだ。

 

(俺も、すっかり役人だな……)

 

 そんなことを、ぼんやりと考えていると。

 

「おい、聞いたか?」

「何を」

 

 通りがかった客席から、何気ない会話が聞こえてくる。

 紺を基調にした軍服に身を包んでいることから、大学の学生たちだと分かる。

 

(ほんと、懐かしいな)

 

 挫折や失敗を恐れず、将来への夢や希望を「ああでもない」「こうでもない」と語り合っていたあの頃。

 

 彼らも、そうやって意見を交換したり話し合ったりしてるのかもしれない。

 と、そんなことを思いながら、ぼんやり彼らの話に耳をそばだてていると。

 話を振った男――体格の良い男子学生は、神妙な顔で辺りを注意深く見回すと、声を潜めてこう言った。

 

「何って……[爆弾娘(リズ・ボマー)]の判決の話だよ」

「ああ、執行猶予付いたな」

 

 大皿の上に盛られた鶏肉の蒸し焼きに手を伸ばしながら、もう一人の眼鏡をした学生が驚いた風も無くそう言った。

 

(もう(ちまた)に広まってるのか、早いな……)

 

 そう心の中で苦笑するエフェルローンをよそに。

 二人の男子学生の会話は進んでいく。

 

「なんだ、知ってたのか?」

 

 つまらなそうにそう漏らす体格の良い男に。

 眼鏡の学生は、酒を一口飲み下すと、今度はサラダを皿に取り分けながらこう言った。

 

「知ってたも何も、こうなることは予想してたよ」

 

 それから手元のナプキンで指を拭くと、人差し指を一本立てて、体格のいい男の前に突き出すようにしてこう言った。

 

「いいか、考えてもみろ。事件を起こしたのは上級貴族のご令嬢だぞ? それも、本人に殺意は無かったという。本人が故意じゃないという以上、何の証拠も無いんなら、どんなに重い刑でも、法に則れば無期懲役、事情を汲んでも残念ながら死刑になんてならんだろう。よく言うだろう? 『疑わしきは罰せず』ってね」

 

(なるほど、こいつはカーレンリース卿と同じ考えか……確かに、感情を省けはこれが法の指し示すところだな。俺も、こっちに近いが)

 

 そんなエフェルローンの心の声に反発するように。

 体格の良い学生は、腑に落ちないという風にこう言った。 

 

「それって、おかしくないか? 実際に、[爆弾娘(リズ・ボマー)]は人を殺してるんだろ? 俺は死刑相当で良いと思うけどな」

 

 判決に納得いかないのだろう。

 体格の良い学生は、そう言って腕を組んだ。

 そんな男に、眼鏡の男はフォークとナイフを握ると、肉の蒸し焼きを起用に切り分けながらこう言った。

 

「動機が不明なんだ。そうなると、事件は至って灰色(グレー)になる。その場合は、えん罪を懸念して『疑わしきは罰せず』が適用される。しかも、今回の容疑者は貴族の令嬢、それも三大貴族のひとつ、ジュノバ公爵家のご令嬢だ。慎重に慎重を喫するのは当然だろう。それに今回、憲兵の参考人のひとりが意見することを放棄したらしいから、それも無罪相当の判決を決定付けた大きな要因のひとつかもな」

 

 そう言って、取り分けた皿の肉を頬張る眼鏡の男子学生に。

 体格の良い男はイライラと酒を煽ると、酒杯を空にしてこう言った。

 

「意見を放棄? ってことは、そいつがちゃんと意見を言っていたら、[爆弾娘(リズ・ボマー)]は死刑になったかもしれないのか。憲兵のくせに、なんでちゃんと仕事しない……!」

 

 その、無念が滲む学生の言葉に。

 エフェルローンの心臓は、ぎゅっと萎縮する。

 

(ベトフォードの人たちの気持ちは分からなくは無い。でも法は、両者に公正でなければならない。だがその公正がなんなのか、[爆弾娘(リズ・ボマー)]を無罪相当にすることなのか、それとも有罪とすることなのか、俺には――)

 

――その時。

 

「俺は、俺は認めねぇぞ! [爆弾娘(リズ・ボマー)が、あの[大量殺人者]が無罪放免だなんてな!」

 

 そう言って、一人のがたいの良い大男が立ち上がった。

 濃紺の制服を着ているので、この男も大学の学生なのだろう。

 男は、ドスの効いた野太い声でそういうと、立ち上がったまま豪快に酒を煽る。

 と同時に、酒杯が床に叩き付けられる音――。

 

「なんだ、揉め事か?」

 

 ディーンが、愉快そうに目の前のカウンター席に腰掛ける。

 

「血が騒ぐなぁ、おい」

 

 そう言ってカウンターに肘を付き、ニヤニヤと大男を眺めるディーンに。

 エフェルローンは同じく目の前のカウンター席に向かうと、それによじ登りながらこう言った。

 

「その年で『参戦する』とか言うなよ? まあ、止めはしないけど」

 

 そう言って、荒い息をしながら席に着いたエフェルローンに。

 ディーンは、ニヤリと笑うとこう言った。

 

「参戦はしないが仲裁には入るかもな? 俺、憲兵だし。制止を聞かなければ法の下やりたい放題ってな」

 

 嘘とも本気とも付かないディーンの言葉に。

 エフェルローンはうんざりしながらこう言った。

 

「ま、椅子と机だけは壊すなよ」

「はいはい」

 

(この話の主要人物として係わっている以上、触らぬ神にたたり無しだな)

 

 そう心に決めると。

 エフェルローンは傍観者を決め込み、静かに事の成り行きを見守る事にする。

 

 と、そんなエフェルローンの心を知ってか知らずか。

 大男は、周りに聞こえるような大声でこう(のたま)い始めた。

 

「俺はな、ベトフォードの出身だ! [爆弾娘(リズ・ボマー)]のせいで、家族を全員失った。全員だ……! 俺には、[爆弾娘(リズ・ボマー)]と同じ年の妹がいた。その妹はもう居ない。それなのにあの女、[爆弾娘(リズ・ボマー)]は、柔らかいベッドに寝て、美味い者を食って、家族と笑い合ってるんだ。そんなの、許せるか? そんなの、平等だって言えるか? だが、お偉いさん方はそれが平等だと言う。だが俺は、俺はそんなの認めねぇ!」

 

 そう言って、拳を片手に涙を流す男。

 そんな男の無念さの滲む訴えに。

 酒場は、まるで葬式のようにシンと静まり返った。

 

 無言のまま、互いに顔を見合わせる若者たち。

 

 だがそんな中、一人の若者が徐に立ち上がってこう言った。

 

「俺も、お前の気持ち分かるぜ。ベトフォード出身なんだ。俺も、家族を亡くした。全員……」

 

 髪の先端を赤く染めた、見るからに軽そうな男子学生は、そう言うと自分の酒杯を一気に煽った。

 そして、もう一人。

 

「僕も……君たちと同じ。悔しくて今、やけ酒中」

 

 そう言って、顔を赤くして苦笑う小柄な男子学生。

 彼の机の上には、既に葡萄酒のボトルが二本、空になって置いてある。

 

「おやおや」

 

 ディーンがそう言って肩を竦める。

 

 と、その時――。 

 

「その女を、四年前助けた奴が今ここに居るって言ったら?」

 

 その言葉に。

 

 酒場に居る全員の視線が酒場の入口の方に向けられる。

 

「誰だ?」

「さぁ……」

 

 一部の学生からそう声が上がり、酒場がにわかにざわめき始めるのを確認すると。

 酒場の入口に立っている男――銀髪黒眼の男は、黒い瞳を満足げに細めながらこう言った。

 

「君たちが憎む[爆弾娘(リズ・ボマー)]を命がけで救った男だ。そいつが今、ここに居るとしたら……君らはどうする? いや、どうしたい?」

 

 ざわめきが、一気にどよめきに変わる。

 無論、大男は大きな身体を震わせ宙に吠えた。

 

「そんな奴は私刑(リンチ)だ、死刑(リンチ)してやる!」

 

 それに賛同する者が拍手を送り、不賛成の者は机の上に代金を乗せると無言で席を立って行く。

 

 エフェルローンはというと。

 大男では無く、入口の横に陣取る男を凝視する。

 

 心臓を鷲掴みされたような恐怖感におののきながら。

 エフェルローンは、その男の名を苦々しく絞り出す。

 

「キースリー……」

 

 そんなエフェルローンの、恐怖に歪む青白い顔を満足げに眺め遣ると。

 

 キースリーは新しい玩具を見つけた子供のように、残酷な笑みを浮かべるのであった。



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嵐を呼び込む男

 キースリーの(あお)るような言葉に。

 大男は、感情も(あら)わにこう言った。

 

「もちろん、俺の前に引きずり出して問い質す! それで(らち)が明かなければ、殴る! そいつが人の心ってのを理解するまでな!」

 

 そう言って、両の指をバキバキと鳴らす大男。

 その男に賛同するように、赤いメッシュの入った男は拍手で賛同の意を表する。

 やけ酒していた小柄な学生も、酒の手を止め、熱心に手を叩いていた。

 

 他の学生たちの中にも、手を叩き賛同の意を示す者もあれば、傍観を決め込む者もいたりと、反応は別れてはいたものの、どちらの生徒も事の成り行きに興味津々といった体である。

 

 

 だがその時――。

 

 

「なにが、[私刑(リンチ)]だ。馬鹿な事言ってるんじゃないよ!」

 

 そう言って話に割ってきたのは、波打つ長い黒髪に浅黒い肌の、エキゾチックな女性。

 彼女は戸口に寄り掛かり佇む黒髪の青年を一瞥すると、目を細めてこう言った。

 

「……キースリーか、懐かしいね」

 

 そう言って、青年の名を感慨深げに呟くものの、その瞳の奥は笑ってはいない。

 

「あんたも知っての通り、ここは酒場だ。皆で楽しくやろうって場所で、言い争いや喧嘩をする場所じゃない。喧嘩するなら外でやりな。あと、[私刑(しけい)]とか言ってる奴らも……今夜は頭を冷やして明日出直してくるんだね!」

 

 そう言って、エキゾチックな女性――この店の女主人アイーダは、そう啖呵(たんか)を切った。

 その、ドスの聞いた声に。

 女主人の本気を感じた一部の過激な若者は、そそくさと立ち去っていく。

 それを確認すると、アイーダは、薄ら笑いを浮かべて戸口に佇むキースリーに(おもむろ)に向き直ると、呆れた視線を送りながらこう言った。

 

「あんたもだよ、キースリー。揉め事を好んで運んでくる奴は、今後一切出入り禁止だ。とっとと帰っておくれ」

 

 そんなアイーダの視線を皮肉な笑みで受け流すと、キースリーは悪びれもせずにこう言った。

 

「あーあ、これからが面白くなるところだったのに。残念……」

 

 その言葉に、ディーンが馬鹿らしいとでも言うように鼻を鳴らした。

 そんなディーンの嘲笑(ちょうしょう)を笑顔で受け止めると、キースリーは店の卓上に金貨を五枚ほど放り投げる。

 

「何の真似だい?」

 

 ムッとするアイーダに、キースリーは意地悪くこう言った。

「迷惑料だよ。お客、いくらか帰っちゃったみたいだし。こんな薄利多売のお店じゃ商売上がったりでしょ? 色々とお世話になってきたこともあるし……そんなわけで、僕からのちょっとした餞別(せんべつ)。じゃ、さよなら、アイーダ」

 

 そう言って去っていくキースリーの背を、アイーダは複雑な表情で見送る。

 そして、深いため息とともにこう言った。

 

「あの子、元々嫌味な子だったけど、また随分性格が歪んじまったねぇ……」

 

 そう素直な感想を漏らすアイーダに、ディーンはため息交じりにこう言った。

 

「昔からいけ好かない奴だったけど、今はそれに磨きががかかった感じさ。おかげで仕事がやり(づら)いったらない」

 

 そう言って銅貨三枚差し出すディーンに、アイーダは躊躇(ためら)うことなく麦酒(エール)を差し出す。

 

「はいよ。確かあんたは、一杯目はいつも麦酒(エール)だったはずだ」

 

 そう自信満々に言い切るアイーダに、ディーンは目を丸くしてこう言った。

 

「へぇ、覚えていてくれたんだ。嬉しいねぇ」

 

 そう言って、調子よく振る舞うディーンに。

 アイーダはうんざりしたようにこう言った。

 

「はっ、お世辞なんか要らないよ。それより……」

 

 アイーダはエフェルローンからに目を逸らさすにこう言った。

 

「ディーン、この子は?」

 

 (いぶか)しむように。

 アイーダはエフェルローンとディーンを交互に見つめる。

 そして、ふつと黙り込むと、(あご)に手を当てこう言った。

 

「まさか、あんたの子だとか言うんじゃ無いだろうね、ディーン」

 

 そんなアイーダの疑惑の視線に。

 エフェルローンは、身体の端々(はしばし)から苛立(いらだ)ちを(ほとばし)らせながらこう言った。

 

「こいつが父親? はっ、やなこった」

 

 苦々しくそう言ってむくれるエフェルローンに。

 ディーンは、腹を抱えて笑いながらこう言った。

 

「アイーダ、こいつはエフェルローン。キースリーと同類の、鼻持ちならない高飛車な男さ」

「エフェルローン……エフェルローンだって? でも、あの子は確かあんたと同い年……」

 

 そう言って、言葉に詰まるアイーダに。

 ディーンは、肩を(すく)めながらこう言った。

 

「四年前、任務に失敗しましてね。奇跡的に命は助かったんですが、妙な呪いを受けちまったみたいで。それでこんな姿に……」

 

 そう言って、大げさな哀れみの視線を向けるディーン。

 そんなディーンに、アイーダは気の毒そうにこう言った。

 

「そんなことが……そりゃ、災難だったねぇ」

 

 そう言って、再度まじまじとエフェルローンを見る。

 

「あたしはさ、憲兵ってのは、こそ泥とかそういう奴らを捕まえるのが仕事だと思っていたけど、そんな危険なこともあるんだねぇ」

 

 そう言うと、アイーダは酒の棚から高そうな酒瓶を取り出すと、それを酒杯(ゴブレット)になみなみと(そそ)いでこう言った。

 

「はら、お飲み。これはあたしの(おご)りだ。薄めていない純な酒だよ。あんた、好きだったろ?」

 

 そう言って差し出されたのは、芳醇(ほうじゅん)な香りと紅玉(ルビー)色が美しい上等な葡萄酒。

 

「ありがとう、アイーダ」

 

 そう言って、酒杯を掲げるエフェルローンを見届けると。 

 アイーダは、何事も無かったかのように他の席の客と話し始める。

 

 そして、エフェルローンがその上質なワインに口を付けようとしたまさにその時。

 

「うくっ!」

 

 エフェルローンを予期しない衝撃(しょうげき)が襲う。

 

「エフェル!」

 

 ディーンの切迫した声音を背に。

 エフェルローンは勢いよく椅子から床に投げ出されるのであった。



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鋼の気位、硝子の心

 複数のカウンター席と机を巻き込み。

 エフェルローンを突如襲った衝撃(しょうげき)の元は、ごろんと床に転がった。

 

「ジュード!」

 

 誰かが、悲壮な声でそう叫ぶ。

  

 エフェルローンを跳ね飛ばし、床にごろんと転がったのは、どうやらジュードという若者らしい。

 

 エフェルローンは床に這いつくばると、頭を二、三回振る。

 そして徐に顔を上げたその視線の先には、先ほど啖呵(たんか)を切っていた野太い声の男が、ジュードという青年の襟首(えりくび)を掴んでいるところであった。

 

(止めないと)

 

 そうは思っても、先ほどの衝撃で脳震盪(のうしんとう)を起こしたのか、意識が朦朧(もうろう)として立ち上がることが出来ない。

 

 その間にも、ジュードに対しての野太い男の執拗(しつよう)な口撃と喧嘩を(あお)野次(やじ)は続いていた。

 

「同じ故郷を失った同志だと思っていたが……違っていたようだな。全く、お前には失望したぜ、ジュード」

「でも私刑は良くないよ、ゲイル。それに、さっきも言ったけれど、僕は爆弾娘(リス・ボマー)には、情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地はあると思うんだ。彼女は故意に|殺(や)ったわけじゃないんだから」

「それは、お前が運良く家族をひとりも失わなかったから言える言葉だ。おれは……」

 

 そう言って、言葉を詰まらせるゲイル。

 

「おれは、全てを失ったんだ。家も家族も思い出も、何もかもすべて……それでもお前は、俺に[爆弾娘(リズ・ボマー)]を私刑にするなと言うのか? なあ、ジュード」

 

 そう言って握り拳を震わせるゲイルに、ジュードは申し訳なさそうに頭をもたげた。

 

「ゲイル……」

 

 野次(やじ)がぴたりと止まる。

 皆、何か思うところがあるのだろう。

 まるで母親に叱られた子供のように、ふつと黙り込んでしまう。

 

 しばし訪れる沈黙。

 

 それから、時を見計らったように。

 店の女主人アイーダは、若者たちに大号令を発してこう言った。

 

「さ、あんたら今日はここまでにしときな。あとは静かに飲み直すか帰るか、自分たちで決めな」

 

 アイーダの大号令で、半分の若者たちが白けた様子で店を出て行く。 

 常連客を除いた最後の若者が店を去ると、アイーダは倒れた机と椅子を元の場所に片付け始める。

 

 と、そんな様子をぼんやりと眺めていたエフェルローンに、ディーンが不意にこう尋ねてこう言った。

 

「あのとき。国王に尋ねられたあの時。何でお前、あんな事を言ったんだ?」

「あんなこと……そうだな」

 

 そう言って、エフェルローンはそれきり言葉を濁す。

 

(分かってたら、こんなに悩みはしない、よな……)

 

 そんなエフェルローンのはっきりしないあやふやな態度に、ディーンがイライラとこう言った。

 

「『わからない』……って、どういうことなんだ?」

 

――分からない。

 

 今も、よく分からない。

 

 エフェルは答える代わりに酒を一口飲み下した。

 

「何にでも白黒付けたがるお前が、なんであんな中途半端な回答……らしくない」

 

 そう指摘するディーンに、エフェルローンは机に片肘を突くと、頭をもたげながらこう言った。

 

「本当に分からなかったんだよ。正直、今もわからない。何が正しくて、何が間違っているのか」

 

 そう言うと、エフェルローンは更に酒を一口飲む。

 

「更に言えば、俺が今までしてきたこと……俺が正しいと思って決断してきたこと自体、本当に正しかったのかってことまで考えてる」

「……おいおい、そりゃ重症だな」

「まあね」

 

 エフェルは困ったように眉を(ひぞ)めて苦笑う。

 そんなエフェルローンをやっぱり苦笑しつつ眺め遣ると、ディーンは今までとは違う真面目な表情(かお)でこう言った。

 

「俺は、思うんだ。今日の会議で……お前があの[爆弾娘(リズ・ボマー)]を執行猶予無しの有罪と言っていたなら、きっとそうなったんじゃないかってな」

「かもね」

 

 気の乗らない返事をエフェルローンはする。

 

 そんな予感は自分の中にも薄々あった。

 だからこそ、自分に自信を持てない状態ではっきりとした立場を明言できなかった、ということはある。

 

(俺の一言で、一人の人間の生死が決まる……そんなの、可笑しいだろう)

 

 アルカサール王国が法治国家である以上、法に則り全てを決める。

 そうなると、[爆弾娘(リズ・ボマー)]は故殺を証明出来ない理由から[推定無罪]となるだろう。

 

 だがそうなると、残された遺族の感情が収まらない。

 

――死んでしまった多くの人々の無念は誰が晴らしてくれるのか。

 

と、そういうことになる。

 

 しかも、加害者は庶民の敵とも言える貴族で、国の三大柱のひとつ、ジュノバ家の血統ときてる。

 貴族側としては、殺意がなかったのがだから当然、[推定無罪]主張してくるだろうが、そうなると庶民側としては、貴族の権力乱用を疑い、最悪、貴族対庶民という国家の分裂を招きかねない。

 

(国の安定を担う執政官たちは、すぐにでも[爆弾娘(リズ・ボマー)]を処刑して国民の気持ちを(なだ)めたいところだろうが――)

 

――人の命はそう簡単に扱われるべきじゃない。

 

「お前も知ってるだろう、ディーン。法に則れば、殺意を証明できない場合、それは[推定無罪]。命は軽々しくやり取りされるべきじゃない。それに結果はもう出た。今更なんだっていうんだ……」

 

 そんなエフェルローンのうんざりした様子など気にする風もなく、ディーンは更に話を進める。

 

「じゃあ聞くが。あのとき、あの六年前の事件で、多くの人たちが罪もなく死んだ。その中には、[爆弾娘(リズ・ボマー)]と同じぐらいの娘も多くいたはずだ……それなのに、だ。あの[爆弾娘(リズ・ボマー)]は今、ジュノバ公とカーレンリース伯爵の庇護の元、何不自由なく生きている。生きているんだぞ、エフェル! ジュノバ公の義妹だというだけで、人をたくさん殺しておきながらのうのうとな……! それは、果たして公正と言えるか? なあ、エフェル」

 

 そう言って、酒杯(ゴブレット)を握るディーンの手が震える。

 

「お前だって、多くを失っただろう? 身体の変化、魔力の減退、役職の解雇、それに、ずっと付き合ってきた婚約者だって……!」

「そうだね」

 

 ディーンの言っている事は本当の事だ。

 呪いに掛かり、多くを失い、そして傷ついた。

 

 今も時々思う。

 

――あの時の選択は、本当に正しかったのだろうか、と。

 

「知っているか、エフェル。お前の元婚約者……」

「ああ、結婚して幸せに暮らしてるさ」

 投げやりにそう答えるエフェルローンに、ディーンはため息交じりにこう言った。

「それが、郊外の館に逃げ込んでいるそうだ。なんでも、キースリーとの結婚を未だに受け入れていないらしい」

「そう。だから、何? 俺にはもう関係ない」

 

 そうは言ったものの。

 彼女の事を思うと、胸の奥が微かに痛んだ。

 

 愛していなかった、といえば嘘になる。

 それは、相手も同じはずだ。

 利害関係があったとはいえ、互いに好意を持っていた。

 

 友人以上の好意を。

 

 その愛した女性《ひと》が今、愛してもいない男の支配の下で苦しみ続けている。

 

「なんでそんなことに?」

 

 自分のせいだと薄々感じながらも、エフェルローンはそう尋ねる。

 そんなエフェルローンに。

 ディーンは眉間にしわを寄せると、呆れたようにこう言った。

 

「なんでって……原因はお前だろうよ、エフェル。お前ら、凄く仲良さそうだったしな」

「……そう、か」

 

 エフェルローンの脳裏に苦い思い出が蘇る。

 

 縁談が破棄になった後。

 彼女の新たな婚約者が毎晩違う女と派手に遊び回っていると聞いて、エフェルローンはその男に事の真実を詰め寄った。

 そんなエフェルローンに男は勝ち誇ったようにこう言ったものだ。

 

 

――彼女はもう君のものじゃない。第一、君が彼女と一緒になったところで、一体その小さな体で何を守れるって言うんだ? どう彼女を幸せにする? はっきり言わせてもらうが、君には無理だ。地位も名誉も魔力も持たない、元天才魔術師のエフェルローン・フォン・クェンビー様?

 

 そう言ってせせら笑うその男の下卑た声音(こわね)を思い出し、エフェルローンは頭を振る。

 そんなエフェルローンを気の毒そうに見やると、ディーンは酒杯を手の中で回しながらこう問いかけた。

 

「本当に、お前はこれで良いと思うのか? お前の人生を、多くの人の人生を破壊した[爆弾娘(リズ・ボマー)]を生かしたままで、本当に良いと思うのか……?」

 

「…………」

 

 そういうと、ディーンは酒杯を空にして机の上にコトリと置いた。

 

「まあ、これは俺の愚痴だがな。悪かったな、エフェル。嫌な思いさせちまって……今日の話は全部聞き流してくれ。今日は俺の(おご)りだ」

 

 そう言って、銀貨一枚をテーブルの上に投げるように置くと、ディーンは一度も振り返ることなく店を後にした。

 残されたエフェルローンは、酒杯の中の残った酒を見つめると、そこに映る自分の歪んだ顔を一気に飲み干す。

 

(まるで、俺の心そのものだな……)

 

 今にも泣きだしそうな心に、エフェルローンは苦笑した。

 

 力がないことの、なんと惨めなことか。

 力がないことの、なんと情けないことか。

 

 自信がないことの、なんと頼りないことか。

 

 心の奥底から怒りや悲しみ、憎しみや後悔といった負の感情が次々と沸き上がってくる。

 

――あのとき。

 

[子供化の呪い]をこの身に受けた、あの時、あの瞬間――。

 

 脳裏を過ぎるのは、過去の忌まわしい記憶。

 

(なんで俺は、あの[大量殺人者]を助けた――?)

 

 [爆弾娘(リズ・ボマー)]――街ひとつ壊滅させた、無差別殺人者。

 本来なら、死して然るべき存在の少女。

 

(それなのに、どうして俺はあの少女を助けたんだ――?)

 

 これでもかと込み上げてくるのは、決して消えない後悔の念。 

 

(もしあの時、あの場所に戻れるなら、俺は……俺の正義を、信念を捨ててもいい!)

 

 守りたいものも守れない信念ならば――。

 

「クローディア、君の幸せが守れるなら、俺は……」

 

(そう出来るなら俺は……俺はこの手で、[爆弾娘(リズ・ボマー)]を――)

 

 空の酒杯(ゴブレット)を握る手に力がこもる。

 悔やんでも悔やみきれない、過去に対する後悔の念。

 

 それに。

 

子供化(こんなこと)にならなければ、俺は[あいつ]なんかに……)

 

 かつて、魔術師としての頂点を競い合ったキースリー。

 だが今は、地位も名誉も、魔術師としても、その足元には及ばない。

 

「くそっ」

 

 滲む涙を手の甲で拭うと、エフェルローンはアイーダに追加の酒を注文する。

 

 外は、闇。

 

 目の前に差し出された酒杯(ゴブレット)を一瞥すると、エフェルローンはそれを一気に煽るのであった。



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新しい相棒

 突如、背中全体に大きな衝撃が走る。

 

「……うっ」

 

 その衝撃で目を覚ましたエフェルローンの瞳に映るのは、見慣れた石造の天井と、この執務室に移動してきた時からしこたま溜まっている埃が、まるでスノードームをひっくり返した時の様に舞い上がる様子であった。

 そんな埃まみれの床の上には、[呪い]を解くために集めた魔術書と、書き溜めた資料の書き写しのファイル、そして、理論構築の為に書き起こした紙の山が、やはり埃に塗れ、渦高く乱雑に積み上がっている。

 

 と、そんな煮詰まった魔術研究室の様相を呈した執務室の床の上で。

 エフェルローンは、空間にきらきらと舞う埃をぼんやり眺めていた。

 

 まるで雨上がりの虹の様に、陽の光でくるくると色を変えて舞う埃。

 そんな埃たちをひとしきり眺め遣ると。

 

 エフェルローンは、微かに痛み始めた背中に意識を集中させた。

 

 背中が感じる石の硬さと冷たい感触から。

 

 エフェルローンは、自分が寝ていたソファーから床の上に転げ落ちたのだと悟り、思わず小さく舌打ちする。

 

 それから、気合を入れる様に大きなため息をひとつ吐くと。

 エフェルローンは額に片手を当て、恨めし気にこう言った。

 

「……はぁ、朝っぱらからこれかよ。付いてないな」

 

 昨晩はしこたま酒を飲んだこともあり、家には帰らず執務室のソファーで眠ることにしたエフェルローンであったが、ソファーで眠たせいなのだろうか。

 なかなか寝付けないわ、ようやく眠れたと思ったら悪夢を見るわで、はっきり言って殆ど眠れていない。

 しかも気付けば、身体も頭も、そして背中も若干……いや、かなり痛い。

 

 エフェルローンは、踏んだり蹴ったりのこの状況に、吐き捨てるようにこう言った。

 

「ったく、今日は厄日か?」

 

 そう、いちいち毒付きながら。

 エフェルローンは、半覚醒状態でむっくり床の上に起き上がると、掛け布団代わりに腹に掛けていた上着を無造作に背中に羽織(はお)った。

 

「…………」 

 

 柔らかな朝の陽射しと小鳥の優しいさえずりの声が、エフェルローンの意識を少しずつ覚醒させていく。

 

(確か昨夜は、防犯も兼ねて窓もカーテンも閉めて寝たはずなのに。なんで俺の目はこんなに眩しがっているんだ……?)

 

 その疑問に目を細め、開け放たれた窓の外で燦々(さんさん)と輝く太陽をじっと見つめる。

 

「……やっぱりおかしい、よな?」

 

 そう腕と胡座を組み、その場で唸るエフェルローンを尻目に。

 開け放たれた窓に吹き込む柔らかな風。

 

 白いレースのカーテンを控えめに揺らすその風は、エフェルローンの蜂蜜色のショートボブの前髪を優しくなぶると、部屋の背後の壁に当たり、霧散した。

 

「窓、閉め忘れたか……?」

 

 顎に片手を添え、エフェルローンは昨晩の記憶を引き出そうと頭を捻る。

 

 と、そのとき。

 

「あ、おはようございます!」

 

 やる気に満ち満ちた元気な娘の声が、部屋全体に響き渡る。

 

「大丈夫ですか? なんかソファーから落ちてたみたいですけど」

 

 そう言って、エフェルローンを気遣う娘の声は、甲高いわけでも低すぎるわけでもなかったが、二日酔いも(はなは)だしいエフェルローンにとって、今はどんな声も殺人レベルの凶器であった。

 

「悪い……その声のトーン、少し落としてくれる?」

 

 たまらずエフェルローンはそう注文をつける。

 そして、ズキズキ痛み始めた頭を抱えながら、声のする方を向いてこう言った。

 

「君、誰……?」

 

 徐にソファーに座りなおし、エフェルローンは声のした方――ソファーの後ろに立つ人影を眇め見る。

 

 と、そこには。

 年の頃は二十歳前後の、緩くウェーブの掛かった紅茶色のショートヘアに、栗色の瞳の娘がなぜか嬉しそうに立っていた。

 片手に雑巾を、もう片方の手には鉄製のバケツを持ったその娘は、バケツを埃っぽい床の上に勢いよく置くと、臙脂色(えんじいろ)の上着の腕を捲り、雑巾を喜々と絞りながらこう言った。

 

「私は、ルイーズです。ルイーズ・ジュペリって言います。ルイーズって呼んで下さい! この度、今日付けで伯爵の下(した)に配属されました! 新人ですが、一応憲兵魔術師です。以後、よろしくお願いします!」

 

――新人?

 

(おいおい……聞いてないぞ、そんなこと)

 

 寝耳に水の話に、エフェルローンは思わずげんなりした。

 

 憲兵の仕事はピンきりとはいえ、場合によっては自分の生死を左右する危険な案件が回ってくることもある。

 そんな中で新人のフォローをしつつ、任務を成功させるのは至難の業と言っていい。

 しかも、信頼の置ける相棒もなく、体力もそこそこ、魔力も減退してしまっているエフェルローンに、新人の命を預かる余裕など全くなかった。

 

(適任者は俺以外にもたくさんいるだろうに……それとも何か訳ありなのか?)

 

 エフェルローンはまじまじとその娘――ルイーズを見る。

 普通の子より少し可愛いという程度で、別段気になる要素はない。

 

(訳ありってことでもなさそうか。なら、新手の嫌がらせってところか。ったく、上層部(うえ)は一体、何を考えてるんだか)

 

 「無駄なことを」とばかりに、しばし寝ぼけ顔で沈黙するエフェルローンを、ルイーズは不安そうに見詰めている。

 そんなルイーズに気づいたエフェルローンは、困ったように寝癖の付いた頭を掻くと、詳しい説明をすっ飛ばしてこう言った。

 

「俺の下に配属ってのは、きっと何かの間違いだろうね。俺はそんな話上から聞かされていないし。もう一度、人事課に行って確認してくるといいよ」

 

 素っ気無くそう言うと。

 エフェルローンはズキズキする頭を片手で抑えながら、部屋の隅に置いてある魔法を動力とした簡易冷却装置の中から、硝子瓶(がらすびん)に入った水を一本取り出してがぶ飲みする。

 

 一瞬、頭の痛みが消え、ため息を吐くエフェルローン。

 

 しかし――。

 

「ま、間違いじゃありません!」 

 

 ルイーズはそう慌てた様子で叫ぶと。

 ポケットから何やらくしゃくしゃの紙を取り出し、その皺を懸命に引き伸ばすと、これでもかと言わんばかりにエフェルローンの眼前に突きだした。

 

「…………」

 

 一瞬の安らぎをルイーズの大声で奪われたエフェルローンは、剣呑な瞳でその突き出されたくしゃくしゃの紙を見ると、不快感も露わにこう言った。

 

「……なにこれ」

 

 そして眉間に縦皺を刻むと、深いため息と共に呆れ果てた様にこう言った。

 

「これ、点数の悪かったテストの答案か何か? よく机の奥の方に入ってるやつ」

「…………!」

 

 さすがに恥ずかしかったのだろう。

 ルイーズは顔を真っ赤にし、声を裏返しながら早口でこう言った。

 

「じ、辞令書……です! い、急いでいたので、ちょっと……しわ寄っちゃいましたけど! 間違いなく、今日発行された出来立てほやほやの辞令書です! 憲兵庁長官の名前もちゃんと入ってますよ、ほら!」

 

 そう言って、長官のサインをこれでもかと見せ付けてくるルイーズ。

 その一際甲高い声に。

 エフェルローンは堂々と片耳を指で塞ぐと、徐にルイーズに向かって手のひらを突き出した。

 

「な、なんですか? もしかして、袖の下……」

 

 そう言って顔を強張らせ、動揺するルイーズに。

 エフェルローンは、ため息交じりにルイーズの顔を見上げるとこう言った。

 

「悪いが、俺はそんな物分かりのいい憲兵じゃないんでね。賄賂は不要だ。その代わり、君の言っている話の事実確認がしたい。ほら、その辞令書とやら……取り敢えず見せてみな」

 

 そういうと、エフェルはルイーズのほうへと更に手を伸ばす。

 そのとき、背中に引っ掛けていた上着が床にバサリと落ちる。

 

「あっと、悪い」

 

 そう言って、上着を拾い上げるエフェルローンのその姿に。

 

「あ……」

 

 ルイーズは、そう小さく呟くと。

 淡い栗色の瞳を大きく見開き、弾かれたようにこう言った。

 

「その傷……」

 

 (おもむろ)に上着を拾い上げようとするエフェルローンの身体には、様々な種類の無数の傷が痛々しく刻み込まれているのであった。



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夢と希望、そして現実

「ああ、これね」

 

 その場でしばし固まるルイーズをよそに。

 エフェルローンは(おもむろ)に上着を拾い上げると、それを背中に羽織ってこう言った。

 

「俺、任務でドジる事が多くてさ。魔力が弱過ぎて、魔魂石(まこんせき)精神(ヌス)を底上げしてるんだけど、直に魔法で攻撃しないと思うような効果がなくってね。だから体も鍛えてる訳なんだけど、それでもこの有様でさ。おかげで陰では[戦う魔術師]なんて、面白おかしく呼ばれてるよ」

 

 自嘲めいたエフェルローンの物言いに、ルイーズはむすっとした顔をするとこう言った。

 

「でもそれは、与えられる任務に危険なものが多いからだって……そう噂で聞いたことがあります。伯爵の実力を知っていながら、魔術師団の上層部が伯爵に能力以上の任務を与えるなんて、そんなのまるで……まるで、伯爵に死んでほしいみたいに見えるじゃないですか! そんなのおかしい。そんなの、間違ってる!」

 

 ルイーズは義憤に満ちた口調でそう言った。

 

「ま、恨みも妬みも抱えた人間が作った世界だからね。色々あるのさ、大人の事情ってのが」

 

 そう言って、エフェルローンは皮肉な笑みを浮かべて見せる。

 それでも、ルイーズは納得しないというようにこう反論した。

 

「でも、それって[故殺]になりますよね? 国王はそのことを知っているんですか?」

「知っているも何も、そこに辿り着くまでの間に大金やら権力やらが動いて揉み消されて終わりだよ」

 

「金と権力、ですか……」

 

 顎に片手を当て、神妙に視線を落とすルイーズにエフェルは畳み掛けるようにこう言った。

 

「そうだよ、世の中全て金と権力。俺みたいな名ばかりの貴族や平民は死ぬまでお偉い方の食い物にされて終わりってね」

「死ぬまで食い物って……そんな言い方、そんなの良くありません!」

 

 雑巾をきつく握り締め、ルイーズはエフェルローンにそう言い放った。

 

「きっと、論理的に話し合えば分かって貰えます! 伯爵、長官に掛け合いに行きましょう!」

「掛け合うってねぇ。ま、たぶん君の場合、言いくるめられるか論破されるかで終わりだと思うよ。下手すれば、強制的に自主退職なんてのもあり得る。俺はそんなのごめんだ。定年まで平穏無事に勤めさせてくれるなら、俺は今のままで一向に構わない」

 

 自分の命が懸かっているにも係わらず、まるで他人事のようにそう言い切るエフェルローンに。

 ルイーズはキリキリと眉を吊り上げると、「臆病者」と言わんばかりにこう言った。

 

「伯爵は憲兵ですよね? 公正な裁きを遂行する責任があるんですよね? それなのに、伯爵には自分の身に起きている[不公正]を正す勇気と信念はないんですか!」

 

 ルイーズの怒鳴り声が遠くに聞こえる。

 

 エフェルローンは、こめかみの辺りを人差し指で押さえながら不機嫌極まりない口調でこう言った。

 

「……だーかーら! 勇気も信念も何も、初めから負けるって分かっている戦はしないって、そう言っているだけだって! 俺は無駄な争いは嫌いだ。出来れば賢くスマートに、願わくば穏便に定年を迎えたい」

 

 そうささやかな理想を口にするエフェルローンに、ルイーズは容赦なくこう言い放った。

 

「そんなの、伯爵の自己満です! 間違ってると分かっているなら、どんな事をしてでも命がけでそれを正すべきです! だって憲兵って、そういうものじゃないんですか! それとも、伯爵はこのまま上層部の人たちに間接的に殺されても構わないって、そう言うんですか!」

 

 新人の新人たる所以なのか。

 そう言って、眉を(いか)らせ、エフェルローンを睨むルイーズの目は本気である。

 

(まいったな……)

 

 エフェルローンは心の中で頭を抱えた。

 

 若いうちは、理想に燃えるのもいいだろう。

 だが、現実は夢や理想だけでは生きていけない汚い世界だ。

 その汚い世界を制して、初めて人は理想を現実にする事がで出来る。

 

 それも、多くの人の血と汗と涙をその(いしずえ)として――。

 

 まあ、それが良いことなのか悪いことなのかは別として。

 

 これが、不完全な人間の成せる最大の正義。

 大義という名の下に作り上げられる、妥協に(まみ)れた見せかけの正義。

 

 ――そんな正義を貫くぐらいなら、俺は躊躇うことなく死を選ぶ。

 

(この子はまず、現実の汚さを知らなきゃいけない)

 

 エフェルローンは、水の入っていた空瓶を床の隅に置くと、大きなため息と共にこう言った。

 

「丁度今日、十三の刻に長官から新しい任務のことで呼ばれてるから、一緒に来るといい。そのとき、交渉でも何でもしてみたら?」

「えっ、良いんですか?」

 

 目を大きく見開き、驚いたようにそう答えるルイーズに。

 エフェルローンは、受け取った辞令書にさっと目を通しながらこう言った。

 

「良いも何も……君の理論でいくと『憲兵は、間違っていることは命がけで正す』んでしょ?」

 

 その言葉に、ルイーズの顔がぱっと明るくなる。

 

「お任せて下さい、伯爵。伯爵に対する[不公正]の数々、必ず改善して見せますよ!」

 

 そう言って片手で拳を作って見せると、ルイーズは鼻息も荒くそう言った。

 その両の頬は、桃色の花びらのように薄く紅潮している。

 

 そんな、青臭い信念に燃えるルイーズに、若かりし頃の自分を重ねながら。

 エフェルローンは、諦めにも似た笑みを浮かべてこう言った。

 

「不公正、ね」

 

 弱肉強食のこの世界で。

 弱いものが正義を振り翳したところで、一体何の意味があるだろう。

 それがどんなに正しい事だったとしても、強い者に力で抑え込まれてしまえばそれは悪になってしまう。

 

 頂点から底辺に転げ落ちた今だからこそ、はっきり言えることがある。

 

――力あってこそ[正義]は成される。たとえそれが、間違った[正義]だったとしても。

 

(だから、ルイーズの言っている事が[正義]だったとしても、俺に対する長官の[正義]は変わらないだろう。それが間違った[正義]だったとしても、長官にはそれを真の[正義]に変える[力]がある)

 

「だから、俺への[不公正]は奴にとっては[公正]。それは決して、正されることはない。あいつが[力]を持っている限り……」

 

――[力]。

 

 そう心の中で呟き、エフェルローンは自分の小さな手足をじっと見つめる。

 

 かつて、国内で誇った数々の[力]。

 その、失った[力]の大きさに一抹の未練を覚えながら。

 

 エフェルローンはこの変えようのない現実に、諦めにも似た笑みをそっと漏らすのであった。



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水と油

 時刻は午後の一刻を回ろうかという頃。

 

 エフェルローンとルイーズは、軽い昼食を済ますと、王城の敷地内にある魔術師団・団舎内の憲兵庁に足を運んでいた。

 理由は、憲兵長官から新たな任務を直接拝命する為であったが、エフェルローンとしては、出来る限り書面でのやり取りで済ませたい、というのが本音であった。

 

(イライアス・フォン・キースリー。憲兵庁の長官、か……)

 

 長官室に近づくにつれ、エフェルローンの表情は硬く、その口数も明らかに少なくなっていく。

 

「伯爵、なんか顔色が悪く見えるんですけど。大丈夫ですか?」

 

 異変に気付いたルイーズが、心配そうな面持ちでエフェルローンの顔を控えめに伺う。

 だが、エフェルローンはそんなルイーズの気遣いもよそに、イライラと舌打ちすると、「構うな」とばかりに眉間にしわを寄せ、そっぽを向いた。

 

 そんな不機嫌極まりないエフェルローンに。

 

 ルイーズはというと、文句の代わりに目を眇め、何かを推測するようにこう言った。

 

「ははーん、ひょっとして伯爵、長官のこと……嫌いなんじゃないですか? もしくは苦手とか……?」

 

 茶化すようなルイーズの口調に。

 エフェルローンはキッと、鋭い眼光を飛ばす。

 

 さすがにやり過ぎたと思ったのだろう。

 ルイーズはバツが悪そうに口元を引きつらせると、申し訳なさそうにこう言った。

 

「ご……めん、なさい……」

 

 そう言ってしょんぼりと肩を落とすルイーズを呆れたように見上げると。

 フェルローンは大きなため息をひとつ吐き、苦々しい口調でこう言った。

 

「キースリー……いや、長官は、俺の大学時代の同期でね。憲兵隊に所属してからは、魔法の技術や出世のスピードを競う好敵手(ライバル)同士だったんだけど……君も見ての通り、俺は任務の失敗でこの(ざま)。一方、奴はというと、アルカサールのエース級魔術師としての立場を確立し、好きでもない貴族の女性を妻にして、平民から貴族にまで成り上がった。しかも、性格は嫉妬深くて粘着質で陰険で、おまけにサディスティックときてる。大学で出会った瞬間から全くそりが合わなくてさ、いつも衝突してた。あー、思い出すだけでムカムカする」

 

 そう言って深いため息を吐くエフェルローンに、ルイーズは気の毒そうにこう言った。

 

「伯爵もですけど、長官もかなり気位高いんですね。きっとお互い、自分を保つためには(けな)し合うしかなかったんでしょうね。あ、それって同族嫌悪……?」

 

そう言って、一人納得するルイーズをムッとした表情で見上げると。

エフェルローンは、イライラと頭を掻きむしりながらこう言った。

 

「あー、うるさい、うるさい! 分かったような口をきくな」

 

腹立たし気にそうがなるエフェルローンを半ば無視し、ルイーズはふと立ち止まる。

 そして、先導するエフェルローンの肩をむんずと掴むと、慌てたようにこう言った。

 

「伯爵、ちょっとまって!」

 

 いきなり、しかも女性にがっちりと肩を掴まれたエフェルローンは、その反動で後ろに仰け反る。

 

「うっ」

 

 危うく尻もちを付きそうになったエフェルローンは、ゆっくりと振り返ると、恨みがましく斜め下からルイーズを睨みつけた。

 

「君さ、俺になんか恨みでもあるわけ……?」

 

 小さな体から漂う異様な殺気。

 ルイーズは、困ったように眉を顰めると、右手の人差し指で頬をかきかきこう言った。

 

「長官室、ここです」

「あ」

 

 そう言って見上げた視線の先には、見慣れた両開きのドア。

 その戸口の上の壁に、[長官室]と書かれたプレートが無造作に張り付けられている。

 

「……ちっ」 

 

 ばつが悪そうにそう舌打ちすると。

 エフェルローンは気持ちを切り替えるためか、咳ばらいをひとつする。

 

 そしてもう一度、[長官室]の文字を見上げる。

 

「…………」

 

 それから、エフェルローンは大きく息を吸い込むと、意を決したようにドアをノックするのであった。



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残酷な遊び

 控えめなノック音に続き。

 エフェルローンはスッと息を吸い込むと、両手を後ろ組み、姿勢を正してこう言った。

 

「エフェルローン・フォン・クェンビー、長官の命により参りました」

 

エフェルローンに続いてルイーズも、見よう見まねでこう言う。

 

「あ、お……同じく、ルイーズ・ジュペリ、参りました!」

 

その声に。

 

「入って」

 

 室内から、男性にしては少し高めの声がドア越しに響く。

 

「失礼します」

 

 そう言って、扉をゆっくりと開くと。

 エフェルローンはつかつかと長靴(ちょうか)(かかと)を鳴らし、部屋の中央で立ち止まる。

 そして、両足の(かかと)同士をぴたりと付けると、長官に向かい短く敬礼をした。

 

 ルイーズも。

 

 エフェルローンの動作を盗み見ながら、同じように部屋の中央に立つと、ぎこちない仕草で敬礼する。

 

 机に向かっていたキースリーが顔を上げ、椅子の後ろにゆっくりと反り返ると。

 狭い室内は、ピンと張り詰めた空気で覆われる。

 

 と、そんな息の詰まりそうな雰囲気にかなり満足したのだろうか。

 肩口より長めの黒髪と、切れ長の黒い瞳が印象的な憲兵庁長官は、肘付きの椅子に両肘を乗せて腕を組むと、上機嫌でこう言った。

 

「僕が上司で君が部下。毎度の事だけど、実に気分がいいね、この瞬間は。そうは思わない? ねぇ、クェンビー?」

 

 エフェルローンはつり目気味の双眸に怒りを灯らせると、長官――キースリーを鋭く睨み上げる。

 

 と、そんなエフェルローンの一挙手一投足を楽しそうに見下ろすと。

 キースリーは、その切れ長の目に人を見下すような笑みを湛え、心底嬉しそうにこう言った。

 

「ふふ、その目だ……その怒りと憎しみと、屈辱に満ちたその瞳。いいねぇ……実に愉快だ」

 

 そう言って、満足そうにエフェルローンを嘲笑するキースリー。

 そんな鬼畜とも思えるキースリーの言動に。

 

 正義感の強いルイーズはというと、両の肩と拳をふるふると振るわせながら、怒りと驚きが入り混じった視線をキースリーに向けていた。

 

 見ると、その顔はあまりの衝撃に色を無くしている。

 

 しかし、そんなルイーズの心情などお構いなく。

 自分の欲望を大方達し終えたキースリーは、何事もなかったかのようにこう言った。

 

「さて、お遊びはこれくらいにして。早速、本題に入ろうか」

 

 そう言って卓上のファイルに手を伸ばすキースリーに。

 

「待ってください」

 

 エフェルローンは、そう言ってキースリーの動きを遮った。

 キースリーはというと。

「自分に指図するのか」とでも言いたげにエフェルローンを睨みつけると、低く、威圧的な口調でこう言う。

 

「……なんだ」

 

 そんな、有無を言わせぬ強い語調に臆することもなく。

 エフェルローンは、キースリーの双眸をまっすぐに見据えてこう言った。

 

「任務の前に……ひとつお願いしたい事があります、長官」

 

 その嘆願に。

 キースリーは改めてエフェルローンに向き合うと、興味津々といった体でこう言った。

 

「へぇ……プライド高い君が、最も毛嫌いするこの僕に願い事? ふん、実に面白い。いいだろう、内容によっては叶えてやらなくもない」

 

 そう言って話を促すキースリーの黒い瞳は意地悪く、隙あらばエフェルローンを(おとし)めてやろうという並々ならぬ決意に満ちみちていた。

 

 それでも。

 

 エフェルローンは、臆することなく一歩前に足を踏み出すと、その場から一歩も引かぬ覚悟でこう言った。

 

「ルイーズ・ジュペリの教育係の件ですが、お断りさせて頂きます」



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最凶魔術師の思惑

 その請願、というより決意表明に近いその言葉に。

 

 キースリーは面白くなさそうなため息を吐き、この話の当事者であるルイーズは大きく目を見広くと、声を大にしてこう言った。

 

「そ、そんな! そんなのダメです! 絶対認めません!」 

 

 色白の顔をこれでもかといわんばかりに真っ赤に染め、必死の形相でそう否定するルイーズ。

 だが、そんなルイーズの反応などお構いなく、エフェルローンはさらに言葉を続けてこう言った。

 

「長官も知ってのとおり、今の私は自分で自分の命を守るのが精いっぱいの状態。こんなことを願い出られる身分ではないことも重々承知してはいるのですが。それでも、私に新人の命を守り切る自信はありません。他の人に回して下さい。私より適した教育係は大勢いるはずですから」

 

 そう言って、言葉を切るエフェルローンに。

 

 キースリーは顎を上げ、片手でその(あご)をゆっくりと(しご)くと、ふんと鼻を鳴らし、面白くもなさそうにこう言った。

 

「僕もさ、魔術師団最低ランクの君は『適任じゃない』と意見したんだよ。だけど、その子の後見人――カーレンリース伯が、『クェンビー伯爵にお願いしたい』との一点張りでね。だから君を[教育係]に任命するしかなかったってわけ。決して僕の一存じゃない。ま、僕が決められる立場だったなら、君には決して頼まなかっただろうけど」

 

 嫌味交じりにそう話を締めくくると。

 キースリーは「この話は終わりだ」、とばかりにファイルの中身を机の上にバサッと広げた。

 

(カーレンリース卿がこの俺を指名?)

 

 カーレンリース伯レオン――悪魔の瞳を持つ、大陸最凶の大魔術師。

 

(そんな大魔術師が、なんで俺なんかを――)

 

 エフェルローンは魔術師の中でも底辺に限りなく近い下級魔術師である。

 そんなエフェルローンに、なぜ自分が後見人を務める大切な女性(ひと)の命を預けようとするのか。

 預けようと思えば、もっと有能な魔術師を指名することは出来たはずである。

 

 それなのに――。

 

 ――この辞令、何か裏がある。

 

 そうピンときたものの。

 その辞令の裏に一体どんな秘密が隠されているのか、エフェルローンには全く想像がつかない。

 

(あまりいい気はしないが、今はカーレンリース卿の手の中で踊るしかない、か)

 

 と、そんなことを目まぐるしく思い巡らせていると。

 

「……クェンビー。ねえ、聞いてる?」

 

 そう問いかけてくるキースリーの声が遠くに聞こえ、エフェルローンの意識は瞬時に現実へと引き戻される。

 

 顔を上げ、視線を正面に合わせるエフェルローン。

 

 エフェルローンの注意が自分の方に向いたことを確認すると。

 キースリーは不愉快そうに片肘を突き、ため息交じりにこう言った。

 

「まあ、そんな訳でさ。君には悪いけど、この辞令……嫌でも受けてもらうよ、クェンビー。さもなくば、君の憲兵証は憲兵庁へ返してもらう」

 

 そんな、有無を言わせぬキースリーの物言いに、エフェルローンは内心ムッとしながらこう答える。

 

「ですが、万が一この新人が命を落としてしまったら? 私への処分は当然として、誰がこの一連の任命責任を取るんですか。あなたですか、それともカーレンリース卿ですか」

 

 ある種、脅しともとれるエフェルローンのその脅迫めいた言葉に。

 キースリーは、怯むことなくきっぱりとこう言い放った。

 

「文句があるなら憲兵証を出せ。[憲兵隊のお荷物]で[血税泥棒]のクェンビー。過去の功績のおかげで首の皮一枚繋がっているだけの君に、元々選択権なんてものはない。憲兵隊に所属してられるだけありがたく思うことだ」

 

 にべもなくそう言い放つと、キースリーは口元に人の悪い笑みを浮かべこう言った。

 

「それに、君を指名した相手は大陸でも知らぬ者はいない最凶・最悪の大魔術師。自らの目的の為ならば、手段を択ばない冷血漢。君も、そんなカーレンリース伯爵を敵に回したくはないだろう?」

 

 飴と鞭を巧みに使い分け、そう同意を求めてくるキースリーに。

 エフェルローンは頑として首を縦には振らず、それどころかむすっと押し黙る。

 

 と、そんな無言の抵抗を続けるエフェルローンに。

 キースリーは呆れたようなため息をひとつ吐くと、「無駄だ」と言わんばかりにこう言った。

 

「僕はね、クェンビー。このジュペリ君の辞令は、君にとっても憲兵隊にとってもかなり幸運な話だと思っているんだ。なにせその子は王立大学魔法学部・魔術科を主席で卒業した今期卒業生の期待の新人だからね。それに、魔術の実技に関しても申し分ない実績がある。きっと、上手いこと君の尻拭いをして憲兵隊への損害を減らしてくれるだろう。ま、そんな訳でだ」

 

 そう言うと、キースリーは机のふちに手を掛け、前のめりになりながらこう凄んだ。

 

「エフェルローン・フォン・クェンビー、これは命令だ。ルイーズ・ジュペリを上手く使え。でも殺すなよ。君の命と、僕の出世の為にもね……」

 

 そう言って、意地悪くにやりと笑うキースリーに。

 エフェルローンはもはや怒りを通り越し、悲しみすら覚え始めるのだった。



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青銅の魔魂石

「これが、捜査資料だ。受け取れ」

 

 そう言って、キースリーは自分の卓上に資料を滑らすと、肘掛け付きの椅子にゆっくりと背中を預けた。

 

「失礼します」

 

 そう言って、目の前に差し出された資料を両手で受け取るエフェルローン。

 それを確認すると、キースリーは(おもむろ)に口を開いてこう言った。

 

「今回の任務だけど、君たちには巷で起こっている[殺人事件]のひとつを担当してもらう。被疑者や現場の状況、遺留品などの資料はこのファイルに全て入ってる。それと……」

 

 キースリーは、慣れた手つきで胸のポケットから鈍く輝く石をいくつか取り出すと、酷く投げやりな態度でこう言った。

 

「クェンビー、国から君への支給品だ。[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]……上限の五つだ。持っていけ」

 

 そう言うと、キースリーはまるで野良犬に餌でも恵んでやるかのように、それをひとつずつ床に放り投げた。

 

「……えっ」

 

 ルイーズは目の前で起きていることに驚き、思わず口元を手で押さえる。

 その[魔魂石(まこんせき)]のひとつが、資料を持つエフェルローンの手の甲を掠め、床に転がった。

 

「…………」

 

 顔色ひとつ変えずにキースリーを見据えるエフェルローン。

 それを愉快そうに見下すキースリー。

 

 両者の間に緊張した空気が走る。

 

「こ、こんな……こんな失礼なことって……」

 

 ルイーズはそう言って絶句すると、キースリーとエフェルローンの顔を交互に見る。

 そんなルイーズの抗議の声など気にも留める様子もなく。

 キースリーは意地の悪い笑みを口元に浮かべながら、更にエフェルローンに向かってこう言った。

 

「拾えよ、クェンビー。君の安月給なんかじゃ到底手に入らない[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]だよ。いつものように、床に這いつくばって拾ったらどう?」

 

 そう言って、エフェルローンの神経を逆なでするような言葉をつらつらと連ねると、キースリーは瞳の奥で意地悪く笑いながらこう言った。

 

「君の命綱だもんね、それ」

 

 そう言ってキースリーが視線を落とした先。

 そこには、鈍い光を放つ青い[魔魂石(まこんせき)]がひとつ。

 

「やっぱり心配だろう? 姉君のこと。リアさんだっけ? すごく綺麗な人だよね」「何が言いたい……」

 

 エフェルローンは苛立たし気にそう答えた。

 その声には、少なからず殺気がこもっている。

 

「何って、僕も心配してるのさ。身寄りも親族もない君たち姉弟(きょうだい)をさ」

「はっ、笑わせるな。お前はそんな玉じゃない」

 

(うそぶ)くキースリーを、エフェルローンはそう鼻であしらう。

 そんなエフェルローンの冷たい反応に。

 キースリーは「傷ついた」とでも云うように大仰に肩を竦めて見せると、今度は、「いかにも心配している」といった体でこう言った。

 

「でも、君は不死身じゃないだろ? 君が死んだら……君の姉君はどうなってしまうんだろうねぇ」

 

 意味ありげにそう言うと、キースリーは悪意に満ちた非情な笑みをうっすらと浮かべ、唇をひと舐めする。

そしてあろうことか、何の躊躇いも無くこう言い放った。

 

「まあ、君の姉君ぐらいの器量があれば、男に体売って生きてくことも不可能じゃ無いか。まぁ、そのときは僕も微力ながらお手伝いするよ? 一応僕は、君の上官だからね」

 

 その、恥も外聞も厭わぬ不埒な物言いに。

 エフェルローン中で、怒りを抑え込んでいた(たが)が外れる。

 

「お前……」

 

 胸の前で拳を作り、今にもキースリーに飛び掛かっていきそうなエフェルローン。      

 そんなエフェルローンを、ルイーズが渾身の力を込めて制止する。

 

「伯爵、駄目です!」

 

 エフェルローンの小さな両肩が、ルイーズの両手でがっちりと掴まれる。

 

「離せ……」

 

 全身から殺気を漂わせ、ルイーズを鋭く睨みつけるエフェルローン。

 殺意だけで人を殺せそうな、その殺気を帯びた瞳に。

 ルイーズは気圧されながらも、一歩も引かずにこう言った。

 

「伯爵。伯爵は憲兵です。人を守るのが仕事です。その憲兵が人を傷つけてしまったら、それはもう……憲兵ではなく、ただの犯罪者です、だから――」

「離せ……」

 

 そう言って、ルイーズの手の甲に爪を立て、それを引きはがそうとするエフェルローン。

 ルイーズは、手の甲に滲む血と痛みをグッと堪えると、その両手に更なる力を込め、必死の形相でこう言った。

 

「この手は絶対に放しません! 伯爵を刑務所に行かせるわけにはいきません! もしそんなことになってしまったら……」

 

 そう言って涙ぐむと、ルイーズは声を震わせこう言い放った。

 

「それこそ、伯爵のたった一人のお姉さまはどうなるんですかぁ!」

 

[姉]という言葉に。

 エフェルローンの肩がピクリと跳ねる。 

 

「くそっ……」

 

 そう捨て台詞を吐くと。

 エフェルローンの殺気は、潮が引くかのようにさっと消えた。

 

「伯爵……」

 

 不安そうに肩を掴み続けるルイーズに。

 エフェルローンは大きなため息と共にこう言った。

 

「もう、大丈夫だ」

 

 その冷静な口調に安心したのか、ルイーズの目じりから涙が一粒伝って落ちる。

 そして、その様子を面白そうに眺めていたキースリーは、口惜しそうにこう言った。

 

「あーあ、怒りは収まっちゃったか。君が[犯罪者]になるまで、あともう少しだったのに……ねぇ、クェンビー?」

 

 そう言って、エフェルローンの気をまた逆なでしようと試みるキースリーに。

 エフェルローンは無言で抵抗する。

 

 理性を取り戻したエフェルローンに。

 

 キースリーはつまらなそうに鼻を鳴らすと、今度は権力をちらつかせながらこう言った。

 

「さ、床の上に転がっている[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]。今回はどうするつもり? 拾う? それとも諦める? まあ、僕はどちらでも構わないけどね」

「…………」

「あっと、そうだった」

 

 わざとらしくそう声を上げると。

 

 キースリーはおもむろに上着の内ポケットに手を入れる。

 そして、その内ポケットから鈍く光る[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]を摘まみ出すと、面倒くさそうにこう言った。

 

「ほら、あとひとつ。持っていきな」

 

 そしてまた、[魔魂石(まこんせき)]を床に放り投げるキースリー。

 

その[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]は、コロコロと床を転がり、ルイーズの長靴(ちょうか)の先で止まった。

 

 長靴の先で青鈍く光る[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]。

 

 ルイーズは思わず顔を強張らせた。

 

 更に、義憤のせいもあるだろう。

 その両の拳は、酷くわなわなと震えている。

 

 そして、とうとう我慢できなくなったルイーズが、キースリーに向かって何かを言いかけたそのとき。

 

 エフェルローンは無言で床にしゃがむと、[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]を黙々と拾い始めた。

 

「伯爵、う……うそ、でしょ?」

 

 そんなルイーズの驚きなどものともせず、床に這いつくばると。

 エフェルローンは、飢えた獣のように床の上に転がる[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]を、舐めるように探すのであった。



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壊われゆく心

 そんなそんな風に、恥も外聞もなく[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]を拾い続けるエフェルローンを直視できず、ルイーズはその視線をキースリーに向けると怒りに声を震わせながらこう言った。

 

「なんで……何で伯爵! 何でこんなことを……!」

 

 ルイーズの目に、薄っすらと涙が浮かぶ。

 そんなルイーズを鼻で笑うと、キースリーは汚いものでも見るようにこう言った。

 

「善人面した傲慢な偽善者。それが、このエフェルローン・フォン・クェンビーって男の正体さ。そんな彼が、僕には鼻持ちならないってわけ」

「……クェンビー伯爵は、傲慢な偽善者なんかじゃありません!」

 

 きっぱりとそう言い切るルイーズを鼻で笑うと、キースリーは苦々しい表情でこう言った。

 

「そうかな?」

 

 そういうと、キースリーは口元に皮肉な笑みを浮かべながらこう話し始めた。

 

「彼はね、学生の頃、平民出身の僕にも貴族出身者たちと同じように接してくれたんだよ。普通は無視されるんだけどね。普通の平民なら泣いて喜ぶんだろうけど、僕にとっては屈辱だった……そう、まるで金を恵んでもらっている浮浪者(ホームレス)の気分さ。最悪だったよ」

 

「…………」

 

 凝視するルイーズを軽く一瞥すると、キースリーは皮肉った口調でこう言った。

 

「最終的には金と身分がものをいう。どんなに能力があっても平民は平民どまりってね。僕が今の立場を得られた理由も、貴族っていう身分と結婚したおかげさ。毛嫌いしていた権力だけど、今は感謝しているよ。なんたって、かつてこの国の未来の担うと目され、比較され続けていたクェンビー伯爵とこうして今、逆の立場で相まみえることが出来るんだからね。それにしても」

 

 呆れたように床に目を落とすと、キースリーは無言で床を這いずるエフェルローンをまじまじ見ながらこう言った。

 

「それにしても……本当に拾うとはね、クェンビー。君にはプライドってものがないのかい?」

 

 信じられないというように肩を上げるキースリー。

 

 そんなキースリーを、ルイーズは歯を食いしばりながら睨みつけると激しくまくし立てこう言った。

 

「プライドがないのは、キースリー伯爵! あなたよ! あたなこそ傲慢の極みだわ! 私利私欲でこんな権力の乱用……決して許される訳がない! 国王だって、それにカーレンリース卿だってきっと許さないわ! 貴方は必ず裁きにかけられる……!」

 

 だが、そんなルイーズの正当論など怖くないとでも云う様に、キースリーは不機嫌そうにこう言った。

 

「甘いな、新人。世の中はそう簡単にはいかないんだよ。いざとなれば、僕にはこいつを今の役職から更迭させるだけの力があるからね。場合によっては罪を着せて牢獄にぶち込む事も出来る」

 

「……それって、[犯罪]じゃないですか!」

 

 食って掛かるルイーズ。

 だが、キースリーはゆるりとかわしながらこう言った。

 

「でも、僕は捕まっていない。これがどういうことか分かるかい?」

「…………」

 

 ルイーズはただじっとキースリーを睨み続ける。

 キースリーは至極真面目な顔でこう言った。

 

「皆、[結果を出す]僕を必要としているってことさ、善きにしろ悪しきにしろ、ね……」

 

「ま、そういうことだ。ルイーズ、もう止めておけ」

 

魔魂石(まこんせき)]を拾い終えたのだろう。

 立ち上がったエフェルローンは、そう言って膝の埃を払う仕草をする。

 その片手には[青銅(ブルゾス)魔魂石(まこんせき)]がしっかり握られていた。

 

「伯爵……」

 

 ルイーズが心配そうにエフェルローンを見る。

 エフェルローンは、「どうとでもない」と言う風に鼻を鳴らした。

 

 ホッとしたルイーズは、再度キースリーに視線を移すと、やはり納得できないという風にこう言い放つ。

 

「でもやっぱり、そんなの間違ってます!」

 

「間違い、ね……まあ、いいだろう。だが、君の言うその[間違い]とやらこそが、君の居るこの現実世界では[正しい]のだということ……しっかり覚えておくことだな、ルイーズ・ジュペリ。今後僕と仕事していくに当たってもね?」

 

 そう言って、ルイーズに凄むキースリー。 

 そんな、脅しとも取れる物言いに身を固くするルイーズに、キースリーは更にこう言った。

 

「憶えておくよ、ジュペリ君。次に会うときが楽しみだよ……ふふふ、あははは……!」

 

 こうして。

 

 悪夢のようなこのひとときは、一時的に終わりを迎えるのであった。



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現実からの洗礼

「やっぱり、納得できません!」

 

 執務室に戻ってくるなり、ルイーズは鼻息も荒くそう言った。

 床を蹴り上げる長靴の激しい靴音が、ルイーズの苛立ちを大いに物語っている。

 

 だが。

 

 エフェルローンは自らの椅子に深く腰かけると、深いため息と共にこう言い切った。

 

「でも、あれが現実。素直に受け止めるんだな」

 

 まるで他人事のようにそういうと、手元の資料に目を通し始めるエフェルローン。

 

 ――確かに、間違ってはいるのだろうが、それがこの国の現状だ。

 

 エフェルローンはそう自分に言い聞かせ、手元の資料に集中する。

 

 しかし―—。

 

「でも、伯爵!」

「…………」

「伯爵ってば! ねえ、聞いてます? もう、伯爵~!」

 

 ルイーズが、納得できないと駄々をこね始め、集中力を乱されたエフェルローンは、深いため息と共に資料からゆっくりと目を上げる。

 

「…………」

 

 大きな机を挟んだ目の前で、ルイーズが口をへの字に曲げてエフェルローンを恨みがましそうに睨んでいる。

 

(……ったく、俺が何したっていうんだ)

 

「はぁ……」

 エフェルローンは面倒くさそうにため息を吐くと、頭をかきかきこう言った。

「良いんだよ、あれはあれで。下手を打てば俺の首が飛ぶ。そしたら俺と俺の家族は飢え死にだ。ともかく、何事もなくて良かったよ」

 

 そう言ってまた、何事もなかったかのように資料に目を落とすエフェルローンに、業を煮やしたルイーズは眉をキリキリと吊り上げこう怒鳴った。

 

「良くなんかありません! あんなの……あれは恐喝です。立派な犯罪です! 伯爵は魔術師団本部に訴えるべきです!」

 

 そう言って、執務机に勢いよく両手を突くルイーズ。

 

 魔術師団本部とは、簡単に言うと憲兵庁の上に当たる機関のことであり、実際、憲兵庁に対して大きな発言権を持っている機関である。

 ルイーズは、そこへ訴えろと言っているのだ。

 

 だが―—。

 

(まったく、単純というか純粋というのか……)

 

 エフェルローンはのろのろと視線を上げ、怒れるルイーズをため息交じりに一瞥すると、椅子の背に背中をもたれ掛けながらこう言った。

 

「いいか、ルイーズ。それは、無理……いや、無駄だ」

「はぁ? そんなの、やってみないとわからないじゃないですか! 伯爵は自分に対して横着過ぎます! もっと人としての権利をしっかり主張すべきです! だから、キースリーみたいな奴に良いように使われるんです!」

 

(まあ、それは一理ある……だが)

 

 根本的な理由は別のところにある。

 

 エフェルローンは資料を机の上に投げ置くと、更に椅子に深く寄りかかり、腹の前で両手を組みながらこう言った。

 

「いいか、そういった身内のごたごたってのは、表に出ないだけでかなり多くの案件が上に上がっているはずだ。だがな、俺はそれが表沙汰になって目に見える形で解決されたのを見たことがない。権力で更迭され、金で懐柔された奴は何人か見たことはあるが、俺はそんな結末はごめんだ」

 

 吐き捨てるようにそう言うエフェルローンに、ルイーズの怒りは更に度を増した。

 ルイーズは、怒りに歯をカチカチと鳴らすと声を震わせこう怒鳴った。

 

「だから、黙っているんですか? だから涙を飲むんですか? 先輩は正義を守る憲兵ですよね? 先輩にはそういった間違いを正そうっていう、そういう気概のようなものはないんですか!」

 

 その問いに、エフェルローンは即答してこう言った。

 

「ない」

「な……」

 

 そう言って押し黙るルイーズに、エフェルローンはおどけた口調でこう言った。

 

「汝、平和を求めよ、だ。平和が一番。只でさえ魔術師団のお荷物状態なのに、今更波風立てるつもりはない。分かったら、さっさと仕事しろ」

 

 きっぱりそう言い放つと、エフェルローンは机に放り出した資料に手を伸ばす。

 

「でも……誰しも基本的人権は尊重されるべきなんです。だから、そんな基本も出来ていないキースリーは上司として失格なんです。彼は更迭されるべきなんです……」

 

 エフェルローンの言い分に一理を見出したのだであろうか。

 そう不服そうに語るルイーズの語調は勢いを無くし、もはやそれは風前の灯火のようである。

 しかも、自身の正義を語るその顔は、半分泣き出しそうであった。

 

 執務室の中に重苦しい沈黙が()し掛かる。

 

 エフェルローンはおもむろに腕を組むと、心の中で大きなため息を一つ吐いた。

 

(キースリーをあいつ呼ばわりか。しかも更迭とか……末恐ろしい奴。けど……)

 

 この世界で生きていくのに、その純粋さは致命的だ――。

 

(嫌がるだろうが、一応釘は刺しておくか)

 

 エフェルローンは咳払いをひとつすると、ルイーズにファイルを突き出しながらこう言った。

「事件の資料だ、良く目を通しておけよ。それと、人前でキースリー伯爵の悪口は言わないように。呼び捨ても駄目だ」

 

「……嫌です」

 

 案の定、反発するルイーズに、エフェルローンは容赦なくこう言い放った。

 

「なら、出ていきな。元々、俺は誰かと仕事する気は毛頭ないから」

 

 有無を言わせぬ口調でそう突き放すと、エフェルローンは差し出した資料を自らに引き寄せながらそう言った。

 ルイーズはというと、怒りと口惜しさとで顔を歪めながら、エフェルローンを恨めしそうに睨んでいる。

 

「で、どうするの? 出て行くの? 残るの?」

「く……」

 

 急き立てながら言葉で詰め寄るエフェルローンに、ルイーズは思わず後ろに仰け反る。

 その表情からは、相反する感情のせめぎ合い――心の葛藤が見て取れた。

 

 しばしの沈黙――そして。

 

「……残ります」

 

 やっとの事でそう言ったルイーズの顔は真っ赤で、口はへの字に引き結ばれている。

 その顔には、やっぱり……というべきか、はっきりと『納得できない』と書かれていた。

 

(予想通り、だな)

 

 エフェルローンは思わず心の中で苦笑する。

 そんな、ルイーズのエフェルローンを見る目は、案の定、恐ろしいほど据わっていた。

 

(それにしても……こんなんで本当に約束、守れるのか?)

 

 一抹の不安を覚えながらも、ともかく毅然とした態度でこう釘を刺す。

 

「なら、約束は守ってくれよ。俺と俺の家族の生活が掛かってるんだからさ」

「……はぃ」

 

 視線の定まらないルイーズの反応が、薄い。

 エフェルローンはイラッとした。

 

(……ったく、だから子供ってのは)

 

 大きなため息と共に、エフェルローンは身を乗り出してこう言った。

 

「ほんと、頼むよ!」

「……はぃ」

「聞いてる?」

「はぃ……」

「…………」

「…………」

 

 そんなやり取りがしばし続いた(のち)――。

 

 二人が本題である事件の検証に入ったのは、辺りも赤く染まり始めた夕刻であった。



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事件の始まり

「[魔魂石(まこんせき)]を取り出す、か……」

 

 そう言って、エフェルローンが資料から目を離したのは、夜の八刻半頃のことであった。

 窓ガラスの外に静かに降り注ぐ月の光が、薄いヴェールのように地上に降り注いでいる。

  とはいえ、夜の庁舎内は月の光もあまり届かず、かなり暗い。

 

 そんな中。

 

 ガラス製のオイルランプだけを頼りに、エフェルローンとルイーズは事件の概要の把握に努めていた。

 

 ――[魔魂石殺人事件]。

 

 概要はこうである。

 

 数日前、城下の空家から死体が発見される。

 被疑者の名前は、グラハム・エイブリー。

 職業はジャーナリスト。

 護身術として魔術を嗜んでいたようで、腕はそれなりのものだったという。

 死体は死後半日ぐらい経っていて、外傷は特になく、凶器による殺人ではないらしい。

 その代わり、精神(ヌス)生命力(ゾイ)を同時に抜き取られた痕跡があり、検死課は「極度の衰弱による死亡」と断定。

 被疑者の遺留品と思われる日記に挟まれていた紙のメモ類から、被疑者は魔術・[精神石化(ヌス・ペトラ)]を使い、標的の精神(ヌス)生命力(ゾイ)を同時に抜き取り[魔魂石(まこんせき)]を作ろうとしていたものと推測される。

 被疑者が行なっていたのと同じ手法で被疑者が殺されていることから、容疑者は被疑者の共犯者、もしくは被疑者の手口を十分知りつくしている者の可能性が高い。

 

(被疑者が殺害された理由は、[魔魂石(まこんせき)]の売買による分け前争いってところか。[魔魂石(まこんせき)]は闇で流せば金になるからな。それより――)

 

「[精神石化(ヌス・ペトラ)]か。」

 

 エフェルローンの知識と経験が、危険を告げる。

 徐に顎に片手を当てると、エフェルローンは椅子の背もたれに背を預け、資料を持ったまま小さく唸った。

 

精神石化(ヌス・ペトラ)]――魔力を結晶化させ、[魔魂石(まこんせき)]を作る補助魔法のひとつ。上位・中位・下位と三段階に魔術の強さが分かれており、魔術の強ければ強いほど、より純度の高い[魔魂石(まこんせき)]を作ることができるとされていた。

 ただし、上位魔術は[禁忌]扱いであり、もしその術に手を出したならその者は極刑は免れない。

 なぜならそれは――。

 

「犠牲者の命と引き換えだから」

 

(ちっ、新人抱えてこの事件……少し厄介だな)

 

 そうひとりごちると。

 エフェルローンは制服の胸ポケットから月明かりに鈍く光る、青銅が混じったような青い水晶の塊を取り出す。

 

 魔術師の必需品と言っても過言ではない[青銅(せいどう)魔魂石(まこんせき)]。

 

 それを生み出す[精神石化(ヌス・ペトラ)]は、大陸でもポピュラーな部類の魔術に入るが、使い方を間違えれば自他ともに死を招きかねない。

 そのため、比較的命の危険が少ない[下級魔術]は[青銅(せいどう)魔魂石(まこんせき)]を作る呪文として巷に流通している。

 しかし、一部条件付きの[中級魔術]は[下級魔術]に比べ、命の危険度が格段に跳ね上がるため、上級魔術師以上の実力を持つ魔術師が各国の国主の許可を得なければ、呪文自体に触れることが出来ない仕組みになっている。

[上級魔術]に至っては[禁忌扱い]であるため、アルカサール王国では国主の許可だけではなく、魔術の専門家(エリート)で構成される魔術師団・禁忌魔法管理部の(おさ)の許可も必要であった。

 

 それらを鑑みると、この被疑者は相当な腕を持つ魔術師の手にかかったものと思われた。

 なぜなら、被疑者の死因は[極度の衰弱]だったからである。

 

(ということは、犯人は[精神石化(ヌス・ペトラ)]の[中級魔術]を扱えるレベルの技量の持ち主――かなりの凄腕ってわけか。ま、かつての俺ならなんてことのない案件だが……)

 

「ちょっときついな」

 

 そう呟くと、エフェルローンは卓上の冷めたコーヒーに手を伸ばし、それを一口口に含む。

 

([精神石化(ヌス・ペトラ)]の[中級魔術]は、昔、何度か使ったことはある。かなり複雑で時間も掛かる魔術だった。何より精神力を半端なく使う。それを考えると、被疑者をただ殺すだけならもっと簡単で、時間の掛からない魔法の方が犯人にとって危険が少なく、扱いやすいはずだ。それなのに、こんな手のかかる方法で被疑者を殺害するっていうのは――)

 

「この魔術を使って被疑者を殺さなくてはいけない理由があった……?」

 

 こうなると、事件は一筋縄ではいかない。

 

 エフェルローンは、頭をもたげて前髪を書き上げると、椅子の背もたれに体を投げ出した。

 

(新人もいる事だし、できればマニュアル通りの基本に沿った案件が欲しかったところなんだけど)

 

 昼間のキースリーとのやり取りを思い出し、首を横に振る。

 

(ま、それは無理、か……)

 

 そう心の中で呟くと、エフェルローンは手元の資料を指で弾き、机の上にバサッと放り投げた。



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負け惜しみ

「何か見えてきましたか、伯爵?」

 

 資料を食い入るように見ていたルイーズが、そう言ってふと顔を上げる。

 一字一句見落とすまいと資料を見ていたせいだろう。

 ルイーズの目は、ランプの薄明りの中でも酷く充血して見える。

 

(こいつは今日が初出勤だしな。今夜はこの辺で解放してやるか……) 

 

「目星は大体ついたからな、だから今夜は――」

 

 その言葉の終わらぬうちに。

 ルイーズは目をまん丸くしてこう言った。 

 

「えっ、この資料だけで目星がついちゃうんですか? 私なんか、いくら資料を読み返しても何も閃かなかったのに」

 

 そう言って、不甲斐なさそうに資料に目を落とすルイーズ。

 

 エフェルローンはそれを軽く鼻で笑い飛ばすと、両腕を頭の後ろに回し、机の上に足を組みながらこう言った。

 

「ま、大体だけどな。それに、もう六年この仕事に関わってるんだ。ある程度は分からないほうがおかしいって」

 

「伯爵、六年って……」

 

 エフェルローンをじっと見ながら、ルイーズが奇妙な顔をする。

 その視線が意味することは、ただひとつ。

 それを鋭く察したエフェルローンは、憮然とした表情でこう言った。

 

「……こう見えても俺は二十六だ。お前より遥かに年上で知識も経験もある立派な大人だ。もっと敬え」

「ああ! そうだ、そうでした!」

 

 大人アピールするエフェルローンを完全に無視し、ルイーズは、ポンと手を叩くと申し訳なさそうにこう言った。

 

「そういえば伯爵って、見た目はお子様ですけど本当は立派なおじさんなんですよね。そのこと……つい失念してました、すみません」

 

 はははと困ったように笑いながら、ルイーズはそう言って頭を掻く。

 それから、再度―—今度はしげしげとエフェルローンを見ると、次の瞬間、感慨深そうにこう言った。

 

「それにしても、お子様な先輩の中におじさんが住んでいるなんて……やっぱり信じられません。伯爵、本当に二十六才なんですか?」

 

 ルイーズのその問いに、エフェルローンはイラっと来る。

 

(あれだけ「敬え」と言った矢先にこの反応かよ……ったく、こいつの頭の中は一体どうなってるんだ?)

 

 エフェルローンは、苛立たしげなため息をひとつ吐くと、手元の紙くずを両手で丸めてルイーズに投げつけた。

 

「なっ、伯爵! なにするんですか! 失礼なっ!」

 

 そう言って腹を立てるルイーズに、憮然とした表情でエフェルローンはこう答える。

 

「失礼なのはお前のほうだろうが。俺をお子様呼ばわりとは、良い度胸だなぁ、おい」

 

 そう言って凄むエフェルローンに、ルイーズはムッとした表情でこうやり返す。

 

「あー、ほら! そういうところ! やっぱり二十六歳には見えません!」 

「なっ……」

 

 そう言って言葉を詰まらせるエフェルローンに、ルイーズはここぞとばかりにこうのたまった。

 

「精神年齢と実年齢はイコールで必ず結ばれるって訳じゃないんですよ、伯爵。年相応に見られる為には、それなりに人間性を磨く努力をしないと。伯爵みたいに子供の外見に頼ってばかりいると、大人は子供の我がままは我慢できるから、伯爵はどんどん甘やかされて、最後には[最低最悪の大人]になっちゃいますよ?」

 

(あいつ……俺が、人間性を磨く努力をしてないって、そう言いたい訳か……ったく、馬鹿馬鹿しい。憲兵の基本は人間性だぞ。それが出来てなきゃ、俺は今ここにはいないんだよ!)

 

 分かったような口ぶりでそういうルイーズに、エフェルローンはイラっとしながらこう言った。

 

「だったら聞くが。俺がいつお子様風吹かしてるって? 言えるもんなら言ってみな」

 

 けんか腰のその言葉に、ルイーズは目をぱちくりさせてこう言った。

 

「えっ……良いんですか、言っても」

 

 そんなルイーズの言葉に、エフェルローンは鼻を鳴らしてこう言う。

 

「ああ、かまわないぜ、言ってみな」

 

 勝ち誇ったようにそう言うエフェルローン。

 

「じゃあ、遠慮なく言いますけど」

 

 そんな自信満々のエフェルローンに、ルイーズは、改まってそう前置きすると、咳ばらいをひとつしてからこう言った。

 

「今この場でやってますよ、伯爵」

「はぁ?」

「ほら! 今の言い方。私を見下した感まる出しで、『俺様が世界の法律だー』っていう立派なお子様風吹かせてるじゃないですか!」

「ぐっ……」

 

 確信を抉る見事な口撃に、エフェルローンは思わずたじろいだ。

 その機を逃さすかといわんばかりに、ルイーズも更に畳みかけてこう言う。

 

「そんなお子様な精神の伯爵を、大人な私が心から許しているという、これはそういう最悪の構図です。伯爵が如何にお子様かってこと……納得いきましたか、伯爵」

「…………」

 

 押し黙るエフェルローンに、ルイーズは今までになく真面目な顔でこう言った。

 

「伯爵……プライドが高いから非を認めたくないっていうのは良く分かりますけど。でも、このままいったら伯爵は、本当に只プライドだけが高い[ダメな大人]になっちゃいますよ?」

 

 ルイーズの言葉が、面白いほどエフェルローンの怒りのツボを突いてくる。

 

(これ以上何か言われたら、俺は本当に感情を制御できないお子様になっちまう……)

 

 エフェルローンは、頭に血が(のぼ)るのを感じながらも(つと)めて冷静にこう言った。

 

「……分かった、もういい。これ以上何も言うなよ。それから、お前はさっさと仕事に戻れ。その間、俺に話しかけるなよ、いいか……絶対だからな」

 

 そう一方的に命令すると、エフェルローンはごうごうと煮えたぎる怒りの感情に身悶えしながらも、手元の資料に目を落とした。

 

 だが、その間。

 ルイーズの言葉のある一節が、浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。

 

 『俺様が世界の法律』

 『プライドが高い』

 

(図星過ぎて耳が痛いな)

 

 エフェルローンは思わず苦笑いする。

 

(他人からそう見えてるってことは、俺もまだまだ人間を磨く必要アリってことか)

 

 そう自ら腑に落ちると、さっきまでの怒りが嘘のように引いていく。

 

(ルイーズ・ジュペリ……イラっとさせられることが多いけど、まあ……使えなくはない、か。だが、俺を馬鹿にした罪はきちんと償ってもらおう) 

 

 そんな負け惜しみのような言葉を心の中で呟くと。

 エフェルローンは、半泣きになりながら資料と格闘するルイーズを盗みながら、「今夜はとことん付き合ってもらうぞ」と、心の中で舌を出すのであった。



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人間らしさ

 薄暗い執務室に、豪快な腹の音が響いた。

 

「…………」

 

 思考の海底(みなそこ)に深く沈んでいたエフェルローンは、容赦なく現実に引き戻され、チッと舌打ちする。

 

(くそっ、ペース崩されまくりだな……)

 

 そう心の中でぼやくと、のろのろと報告書から視線を上げるエフェルローン。

 そんな、「邪魔だ」と言わんばかりのエフェルローンの視線に、ルイーズが申し訳なさそうにこう言った。

 

「す、すみません、伯爵。私、お腹が空いてしまったみたいで……」

 

 そう言って、自分の腹をしょんぼりと見つめるルイーズ。

 せめて、事件の概要を頭に叩き込もうと務めていたようではあったが、さすがに人としての生理現象――空腹には耐えられなかったようである。

 

 エフェルローンは卓上の時計を手に取る。

 

(夜の八刻過ぎ、か)

 

「ん……」

 

 肘付き椅子の上で思いっきり背伸びすると、エフェルローンは机の上に組んでいた足を床に下ろした。

 ルイーズが空腹と疲労に憔悴した顔でこう尋ねる。

 

「伯爵、夕食ですか!」

 

 パッと顔を輝かせ、席から勢いよく立ち上がるルイーズを半ば無視し、エフェルローンは面倒くさそうに椅子から立ち上がった。

 

(確か、あれが冷却装置(れいきゃくそうち)の中に……)

 

 そう心の中で呟くと。

 腰を掻き掻き、エフェルローンは部屋の隅にある年季の入った冷却装置(れいきゃくそうち)の方へと歩を進めた。

 それを見ていたルイーズは、ハッとした表情をするとおずおずとこう尋ねる。

 

「まさか、この時間に「水を飲んで(しの)げ」とか、そんな拷問みたいなこと言いませんよね、伯爵?」

 

 引きつった笑みを浮かべるルイーズに、エフェルローンは、冷却装置(れいきゃくそうち)の扉をおもむろに開きながらこう言った。

 

「悪いが大正解だ。良かったな、水獲得だ」

 

 そう言うと、瓶に入った水をルイーズに向かってひょいと投げる。

 ルイーズは、その瓶を危なげに手に取ると、一際(ひときわ)不服そうに顔を(しか)めた。

 

「もう、夜の八刻ですよ? 夕食の時間、とっくに過ぎてますからぁ!」

 

 そう言って机の上に突っ伏すルイーズ。

 そんな気力も根気も足りないルイーズを呆れ顔で見遣ると、エフェルローンはため息交じりにこう言った。

 

「ったく、これだから学生気分の抜けない奴は……」

 

 そう親父臭い文句を言うと、エフェルローンは更に装置の中を漁る。

 そして目的のものを見つけると、「お。これだこれだ」と言って嬉しそうに取り出した。

 

「なんです、二日前のサンドウィッチでも出てきましたか?」

 

 ルイーズが卓上に突っ伏しながら、面白くもなさそうにそう尋ねる。

 すっかりふて腐れているルイーズを完璧に無視し、エフェルローンは冷蔵庫から取り出したそれを半分に割ると、その片方をルイーズの机に置くとこう言った。

 

「チョコレートだよ。頭を使った後には丁度いい糖分補給になる。まだ先は長いからな、食べておけ」

 

 そう言うと、自身も手元に残った板チョコの半分をを一口(かじ)る。

 ルイーズはというと、机の上の板チョコの半分をじっと見つめながら不満も(あらわ)にこう言った。

 

「遠慮します」

「あ?」

 

 きっぱりと、そう拒絶するルイーズに。

 エフェルローンは思いっきりムッとした。

 

「お前、俺のチョコが食えないってのか……?」

 

 典型的な俺様上司のようにそう凄むエフェルローンに、ルイーズは「譲れない」とばかりにこう言った。

 

「だって! 良く見ると、なんか食べかけみたいだし……もしそうなら、変な菌とか沸いてそうで、凄く不愉快です!」

 

 ―—カチン。

 

 エフェルローンは釣り目をスッと細めると、その両の目を不穏に光らせながらこう言った。

 

「……変な菌? 不愉快? お前なぁ……いいか、よく聞けよ? 俺はわりと、いやかなり綺麗好きだ。それにチョコは紙の上から手で割って食ってる! だから、変な菌なんて沸かない!」

 

 そう向きになって反論するエフェルローンに、ルイーズも負けじと応戦する。

 

「そんなの、全然理由になってません! 考えても見て下さい! 手からだってばい菌は増殖するんです! 伯爵はトイレに行った後、ちゃんと手を洗っているって言い切れますか!」

 

 その言葉に。

 一瞬、エフェルローンが固まる。

 

「…………」

 

 言葉に詰まるエフェルローンに、ルイーズは追い打ちを掛けるようにこう言った。

 

「このチョコの生死にかかわる大事なことです! で、どうなんです、伯爵? 洗っているのかいないのか、どっちなんです!」

 

 ルイーズは疑惑のチョコを手元の紙でつまみ上げると、それをエフェルローンの目の前に突き出す。

 

(お願いだ。誰かこいつを止めてくれ……)

 

 溜らず、エフェルローンはそう心の中で項垂れる。

 

「…………」

 

 そんなエフェルローンの無言の反応を答えと見たルイーズは、満足そうにこう言った。

 

「ははーん、まあいいですよ。でもこれで、このチョコレートの生死が判明しました」

 

 そう言うと、ルイーズはチョコを紙で包み上げる。

 そして、それを机の上にことり置くと、祈る真似をしながらこう言った。

 

「残念ですが、あなたはもう死んでいます。さあ、ゴミ箱にお逝きなさい!」

 

 そう言うと、ルイーズは手早くチョコをつまみ上げると、それをゴミ箱に躊躇うことなく放り込んだ。

 年季の入った鉄製のごみ箱が、ごとりと音を立てて揺れる。

 

「…………」

 

 王室御用達のチョコレート専門店[ヴァン・ピエール]。

 仕事中の夜食にと奮発した、少し値の張る高級チョコレート。

 

 それを、まるで使用済みの鼻紙をポイ捨てするかのようにゴミ箱に放り込むルイーズ。

 

 その血も涙もない対応に。

 

 エフェルローンの(はらわた)は、ぐつぐつと煮えくり始めていた。

 

「菌だかなんか知らないが、俺の厚意を(あだ)で返しやがって……」

 

 だが―—。

 

 そんな怒り心頭のエフェルローンに対し、ルイーズはひるむどころか冷めた視線を向け、更にこう言い放った。

 

「私は別にいいんですよ? 伯爵が菌の繁殖したチョコを食べようが食べまいが。ただ、私は大事をとって遠慮しただけです。配属されたばかりで食中毒とか、恥ずかしいですし」

「食中毒って……」

 

(いくら何でもそりゃないだろう)

 

 内心そう呟いてみるものの。

 そう言われると、なんだか不安に思えてくる。

 

 エフェルローンは自分の掌を見つめた。

 何万という菌が生息しているであろう手のひら。

 それから、手に持っていたチョコレートをじっと見つめること数秒。

 

 エフェルローンは、迷うことなくチョコレートをゴミ箱に投げ入れた。

 

 ルイーズがホッとしたように肩の力を抜く。

 

 エフェルローンは、降参とばかりに両手を軽く上げると、首を横に振りながらこう言った。

 

「お前の勝ちだ、ルイーズ。チョコレートは捨てた。これでいいだろ?」

 

 そう言って肩を落とすエフェルローンに、さすがに言い過ぎたと思ったのだろう。

 ルイーズは、今までとは打って変わって少し控えめな口調でこう言った。

 

「……別に、私は伯爵のモラルとか、チョコレートのことなんかは、本当はどうでも良かったんです。ごめんなさい。ただ、伯爵みたいに水とかチョコレートとか、そんな魔法装置の燃料補給みたいな仕方で食事するんじゃなくて、もっと人間らしい、楽しいくて美味しい燃料補給がしたかっただけなんです」

 

 ルイーズはそういうと、しょんぼりと下を向いた。

 と、同時に、ルイーズの腹が大きな音を立てて鳴く。

 

「…………」

 

 拍子抜けしたエフェルローンは無言で頭を掻き回すと、諦めたようにこう言った。

 

「……ほら、行くぞ」

「えっ? 捜査ですか?」

 

 ルイーズがきょとんとした顔でそう問う。

 ルイーズのその問いに、エフェルローンはムスッとした表情でこう言った。

 

「腹、減ったんだろ? この時間なら酒場しか空いてないけど。ま、何かあるだろ」

 

 ルイーズの顔がみるみる明るくなる。

 

「酒場って……い、良いんですか!」

 

 そう言って目を輝かせるルイーズに、エフェルローンは皮肉交じりにこう言った。

 

「……良いも何も、非常食はあの中だしな」

 

 そう言って、ゴミ箱に視線を送るエフェルローン。

 ルイーズが申し訳なさそうに肩を竦める。

 

「それと……」

 

 そう前置きをすると、エフェルローンは改まった口調でこう言った。

 

「ようこそ憲兵庁へ。今日が初登庁ってことで、今夜は俺のおごりだ。好きにしな」

 

 その言葉に、ルイーズは目を丸くしながら、嬉しそうにこう言った。

 

「はい! ありがとうございます! うわぁ~、なに頼もう……へへ」

 

 そう言って軽い足取りで執務室を後にするルイーズの背中を目で追いながら、エフェルローンは思わず苦笑する。

 

「……ったく、マイペースというかなんというか」

 

(まぁ、今日は大目に見てやるとしよう、今日だけはな……)

 

 

 こうして、エフェルローンとルイーズは、空腹を満たす為に夜の城下町に繰り出すのであった。



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安酒場と悪友と

 エフェルローンとルイーズが向かったのは、安酒場[蜂と女王(ビーアンドクイーン)]であった。

 

 扉を開け、中に入る。

 

 威勢のよい歌に熱い会話、そしていたるところで湧き上がる大きな笑い声。

 学生御用達の酒場は、今夜も独特の熱気に包まれていた。

 

「…………」

 

 不慣れなのだろうか、ルイーズが居心地悪そうに辺りを気にしている。

 

(しょうがない、端の方に行くか)

 

 エフェルローンが選んだのは、喧騒から少し離れた四人がけの席だった。

 

「ほら、立ってないで座りなよ」

 

 先に席に腰掛けると、エフェルローンは足をぶらつかせながら卓上に乱雑に置いてあるメニューを手に取った。

 

「これが、俗にいう[酒場]というやつですか、伯爵?」

 

 ルイーズが、辺りを警戒しながらコソコソとそう聞いてくる。

 

「酒場は酒場だけど、学生御用達の[安酒場]だよ。君だってこの手の酒場、友達や同期と行った事ぐらいあるだろ?」

 

 不思議そうにそう尋ねるエフェルローンに、ルイーズは恥ずかしそうにこう言った。

 

「すみません、私ってば、勉強ばかりしていて友達とかあんまり、いなくて……」

 

 最後は消え入るようにそう言うと、ルイーズはしょんぼりと肩を落とした。

 

「なんだ、仲間はずれにでもされてたのか?」

 

 そうさりげなく尋ねるエフェルローンに、ルイーズは「うーん」唸ると、言葉を選びながらこう言った。

 

「仲間はずれというか、人付き合いを疎かにしていたと言うか、気付いたら誰も居なかったというか。でも、主席で大学を卒業できたので問題ありません!」

 

 そう言ってウインクし、親指を立てて見せるルイーズ。

 

(……違うだろ)

 

 萎えるエフェルローンの脳裏に、先ほどの会話の情景が蘇る。

 妙によく回る舌、そして無遠慮な物言い、(しゃく)に障る話題。

 

(まあ、普通の奴らになら避けられて当然、か)

 

 エフェルローンは一人納得する。

 

「で、君は何食べるの? そこから適当に選んで……」

 

 エフェルローンがそう言い終える前に、ルイーズはぼそりとこう言った。

 

「[白身魚のフライとポテト(フィッシュ・アンド・チップス)]を」

「は?」

 

 エフェルローンは思わず身を乗り出して聞き返した。

 

(ステーキとか、サーモンのマリネとか、パスタとか、アヒージョとかじゃなくて?)

 

「[白身魚のフライとポテト(フィッシュ・アンド・チップス)]?」

「はい、是非!」

 そう言うと、ルイーズは顔を紅潮させながら嬉しそうにそう言った。

 

 その安さと腹持ちのよさから、貧乏学生の昼の友と呼ばれる[白身魚のフライとポテトの大皿盛り――フィッシュ・アンド・チップス]。

 

(こいつ、味覚に障害ありだな)

 

 自分のことを棚に上げそんな事を思っていると、店のウェイターがのっそりと注文を取りにやって来る。

 明日の任務のことも考慮に入れ、エフェルローンは手早く注文した。

 

「[白身魚のフライとポテト(フィッシュ・アンド・チップス)]一つと、[豚肉の(ポーク・アンド・)生姜焼き(ジンジャーロースト)]に、ライスとサラダ付けたのを頼むよ」

「[白身魚のフライとポテト(フィッシュ・アンド・チップス)]に[豚肉の(ポーク・アンド・)生姜焼き(ジンジャーロースト)]のサラダ・ライス付きですね、畏まりました」

「あと、赤葡萄酒(ワイン)をグラスで一杯」

「畏まりました」

 

 そう言うと、ウェイターはのっそのっそとカウンターに去っていった。

 

([白身魚のフライとポテト(フィッシュ・アンド・チップス)])ねえ)

 

 エフェルローンはまじまじとルイーズを見る。

 その視線に気付いたのだろう。

 ルイーズは、恥ずかしそうにこう言った。

 

「私、今まで一度も[白身魚のフライとポテト(フィッシュ・アンド・チップス)]を食べたことなくて。あ……カーレンリース伯爵から美味しいって聞いてもいたし、一度食べてみたくて、それで思い切って頼ませて頂きました」

「食べた事がない? あれを一度も?」

「……はい」

「じゃあ、学生時代の昼は、何食べてたの?」

 

 驚くエフェルローンにルイーズは顎に人差し指を当てながら神妙な顔でこう言った。

 

「えっと……フォアグラとキャビアのサンドイッチとか、サーモンとチーズにキャビアを挟んだサンドイッチとかですかね」

 

 フォアグラにキャビア――料理好きの姉、リアにプレゼントしたくても出来ない、それはそれは高価な食材の名が並ぶ。

 

「あ、そう」

 

 エフェルローンは面白くなさそうにそう言った。

 

(なんだ……金持ちのお嬢様かよ、馬鹿馬鹿しい)

 

「どうかしましたか?」

 

 不思議そうにエフェルローンを見るルイーズ。

 

「べつに」

 

 素っ気無くそう言うと、エフェルローンは先に運ばれてきた赤葡萄酒をがぶ飲みする。

 

(チッ、金持ちは嫌いなんだよ)

 

 心の中でそう毒つくとエフェルローンはイライラと机を中指で叩く。

 

「あの私、なにか……」

 

 ルイーズが不安そうにそう言いかけたとき。

 

「よう、エフェルじゃないか! 奇遇だなぁ!」

 

 つい最近聞いたばかりの、面倒くさそうな男の声がエフェルローンの背中越しから聞こえてくる。

 嫌な予感と共に後ろを振り返るエフェルローン。

 

 その視線の先には―—。

 

「……ディーン。それに、ギル……?」

 

 エフェルローンの声に、ギルと呼ばれた若者は陽気に答えてこう言った。

 

「は~い、エフェル元気? 相変わらず小っさいね!」

 

 そばかすの青年魔術師――ギルはそう言うと、軽く手を左右に振った。

 そしてディーンはというと。

 

 エフェルローンと同席するルイーズの姿に、なぜかニヤニヤと笑うのであった。



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腐れ縁

 さすがに憲兵騎士というべきか。

 ディーンはルイーズを目聡(めざと)く見つけつけるや否や、エフェルローンに向かってこう言った。

 

「なんだ、今日は女連れか? ったく、隅に置けないなぁ、お子様の癖に……って、精神(なかみ)はおっさんだったっけか? ああ、わりぃ、わりい」

 

 そう言ってわざとらしく頭を掻くディーンをエフェルローンは鼻で笑うとこう言った。

 

「悪いなんて一ミル(一ミリ)程も思ってないくせに……ったく」

 

 面白くも無さそうにそう毒吐(どくつ)くエフェルローンに、ディーンはニッと笑ってこう言った。

 

「ま、それはそうと……折角だし、一緒に飲まないか?」

「あ、それいいねぇ! 飲もう、飲もう!」

 

 元々宴会好きなギルはそう言うと、早速ルイーズの肩に手を回してそのまま隣に居座ってしまう。

 

「あ、あれ~?」

 

 ルイーズが困ったように視線を泳がせた。

 その様子を目を細めながら凝視すると、エフェルローンはこの嫌な流れに内心眉を顰める。

 

(このままいけば、唯の[食事]が盛大な[宴会]になっちまう……ったく、犯人の手がかりがまだ見つかっていないってのに)

 

 ルイーズは勤務初日ということを考慮して、このあとすぐに(うち)に帰すとして。

 エフェルローンはというと、このまま執務室に戻って資料の読み込みをしたいところである。

 

 それに何より、今日は宴会という気分ではない。

 

「なんだ、なんか問題アリか?」

 

 眉間にしわを寄せ、ふつと黙り込むエフェルローンに、ディーンは窺うようにそう尋ねて来た。

 

(ディーンやギルには悪いが、今日はこのまま辞退させてもらおう)

 

 そう心に決めると、エフェルローンは申し訳なさそうにこう言った。

 

「悪い、今日は止めておくよ。厄介な仕事(あんけん)も抱えてるし、ルイーズも今日が初出勤だ。初日から無理はさせたくない。それに、出来れば今夜中に資料の読み込みを……」

 

 と、話しているその隙から。

 ルイーズが要らぬ気を回してこう言った。

 

「私は大丈夫ですよ、伯爵。せっかくのお友達との交流です! 私のことは気になさらず楽しんで下さい!」

「と、彼女は申しておりますが、伯爵?」

 ディーンはニヤリとそう言うと、わざとらしくエフェルローンにお伺いを立てる。

「あー」

 

(ルイーズよ。俺にも俺なりの考えや計画、気分ていうのがあるんだけど)

 

 エフェルローンはげんなりとそう心の中で呟く。

 

 とはいえ、もうそれらしい言い訳も思い当たらない今、陽気で前向きで我が道を行く彼らに何を言っても無駄である。

 

(逃げられない、か)

 

 案の定、視線の先にはエフェルローンたちの木机(テーブル)の空いている席に、遠慮無く腰を下ろすディーンとギルがいる。

 

「まあ、いいじぁないかエフェル。お前の連れも『楽しんで』って、そう言ってくれてることだし?」

 

 エフェルローンの肩に腕を回し、ディーンは嬉しそうにそう言った。

 

「そうそう、適度な息抜きは大事だからね。という訳で……さ、食べよう、食べよう!」

 

 そう言ってルイーズの腰に手を回しながら、もう片方の手でメニューを開き始めるギル。

 彼は、それなりに可愛らしいルイーズの隣に陣取って大層ご機嫌のようであった。

 

 そんなギルの不埒な様子をげんなりと眺めながら、エフェルローンは不満そうにこう言った。

 

「ったく、誰がおっさんだって?」

 

 あきれ顔でそう呟くエフェルローンに、ルイーズが必死の形相でこう囁く。

 

「は、伯爵……た、助けて……」

 

 この事態を招いた現況であるルイーズをあからさまに無視すると、エフェルローンは片肘を突いてその上に顎を乗せる。

 それから、何を注文するかで意見を戦わせているディーンやギルをぼんやり眺めながら、一人、ため息交じりにこう言った。

 

「……結局この二人(こいつら)、俺の意見(はなし)は無視かよ……」

 

 こうして、エフェルローンとルイーズは、ディーンやギルと共に食事をすることとなるのであった。



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狂った未来

「それにしても大学の時以来じゃない? エフェルと酒飲むなんてさ」

 

 注文が一息ついたところで、ギルは当時を懐かしむようにそう言った。

 

「そういえば、(ねえ)さんと二人で住むようになってから、『姉貴(あねき)が夕食を用意して待ってるから』って、家に帰ること多くなったもんな。それが今日はここにいるなんて。お前まさか、ほんとにデートだとか言わないよな?」

 

 ディーンが疑いの眼差(まなざ)しでエフェルローンを見る。

 エフェルローンは眉間に立皺(たてじわ)を刻むと、不機嫌そうにこう言った。

 

「歓迎会だよ。新人のね」

 

 その言葉に、ギルが即座に反応する。

 

「おっ、君。新人なの? 可愛いね~、いくつ?」

 

 そう言って、ルイーズにズイズイと押し迫るギル。

 彼は、憲兵庁の中でも無類の女好きで有名であった。

 

「あ、ありがとうございます。い、一応今年で二十一歳です……」

 

 後ろにずり下がりながら、困ったような顔でそう答えるルイーズ。

 栗色の瞳がおろおろと、左右を行ったり来たりしている。

 

(ったく、いわんこっちゃない……)

 

 先に運ばれてきた葡萄酒(ワイン)をちびちびやりながら、エフェルローンは冷めた目でじりじりとルイーズに迫るギルを見る。

 

「なんだ、気になるのか?」

 

 耳元で、ディーンがからかうようにそう言う。

 

「まさか」

「だろうな、どうせお前の頭ん中はクローディアの事で一杯なんだろうし……だろ?」

 

 そう言って、ディーンは同じく食事より先に運ばれてきた麦酒(エール)(あお)る。

 

クローディア――かつて将来を誓い合った、元婚約者。そして、今は――。

 

「しらねーよ、馬鹿」

 

 ディーンに心を読まれたことにイラっとしながら、エフェルローンも赤葡萄酒(ワイン)(あお)る。

 

 と、そのとき。

 

「あのお、伯爵。質問です」

 

 ギルの質問攻めで壁際に追い詰められていたはずのルイーズが、胸元で小さく手を上げた。

 

「はいルイーズさん、質問どうぞ~」

 

 ギルがノリも良くそう言って質問を促す。

 

「クローディアって、誰デスか?」

 

 ルイーズの、その質問に。

 

「お?」

「おお~?」

 

 ディーンとギルの目がパッと輝く。

 そして、二人同時にエフェルローンを見た。

 

 目の前に座っているルイーズはというと、なぜか酷く落ち着かない様子でエフェルローンを見ている。

 

(なんなんだ、一体……)

 

 訳が分からず、エフェルローンは取り敢えず葡萄酒を一口飲み下す。

 そして、きっぱりとこう言い放った。

 

「ノーコメント」

 

 その答えに、ギルが鼻を鳴らした。

 

「なーにが、『ノーコメント』だよ。色々と未練たらしい男だなぁ、まったくもう」

 

 茶化しながらそう言うギル。

 

「元彼女で婚約者だよ、こいつがまだ大きかった頃のね。今じゃ父親の強い意向で彼女はキースリー伯爵夫人だ。本人の意志ってのもあるだろうに、全く……(むご)い話さ」

 

 そう言って麦酒(エール)を流しのみ、口元を手の甲で拭うディーン。

 その目は若干の哀愁を帯びる。

 

「元婚約者、ですか」

 

 ルイーズは複雑そうな面持ちでそう言うと、水を一口(ひとくち)口に含む。

 両手で水のグラスを持ち、伏目がちに下を向くルイーズの瞳の奥には、安堵の中にも不安が同居しているようにも見えた。

 

 と、そんなルイーズを気の毒そうに眺め遣ると。

 ディーンは椅子の背もたれに深くもたれ掛かりながら、しみじみとこう言った。

 

「もし、あのときさ。任務が上手くいっていたら、エフェルの人生も変っていたのかもな」

 

 腕を組み、そう過去を惜しみながら、ディーンは酒を(あお)る。

 それに続くように、ギルも手元の酒杯(ゴブレット)の中身を見つめながら、何かに当て付けるかのようにこう言った。

 

「それに、ダニーの人生もね。彼ってば、今、王立図書館で司書やってるって。かつては未来の憲兵庁長官か、なーんて期待されてたのに。どこで何がどう狂っちゃったんだろうねぇ……」

 

 皮肉めいた口調でそう言うと、ギルは言葉に言い表せない不満や鬱憤を、手元の酒と共に飲み下すのであった。



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許されぬ償い

――ダニー・ガスリー。

 

 エフェルローンたちの後輩で、当時、最も期待されていた新人憲兵。

 

「そうか、あいつ司書やってるのか」

 

 感慨深げにそう言うエフェルローンに、ギルは面白くなさそうにこう言った。

 

「まあ、本人は好きな本に囲まれて楽しく仕事してるみたいだけどね」

 

 そう言って、空の酒杯(ゴブレット)を指で弾くギル。

 その言葉からは、彼の「納得いかない」という思いがありありと感じ取れる。

 

「せめて、一人前になるまでは鍛えてやりたかったけど……申し訳ないことをしたな」

 

 底が見えそうな酒杯をぼんやり眺めながら、エフェルローンはそう言って酒杯を煽った。

 

 難しい案件でフォローが行き届かず、初任務は失敗。

 自身の至らなさにも少なからずショックを受けていたのだろう。

 

 しばらくの休養の後、ダニーは人知れず憲兵庁を去っていた。

 

「憲兵になるのが夢だった」と、嬉しそうに語っていたダニーの姿が脳裏を過ぎる。

 

(俺がもっとしっかりしていれば、今頃あいつは……)

 

 任務の失敗が奪ったもの―—それは、一人の若者の可能性に満ちた未来。

 

 自らの選択の愚かさに、改めて悔しさが込み上げてくる。

 そして、そんなエフェルローンの脳裏をよぎるのは――。

 

 

――何であの時、[爆弾娘(リズ・ボマー)]を見殺しにしなかった?

 

 と、その言葉をなぞる様に。

 

「なあ、なんであの時、[爆弾娘(リズ・ボマー)]に(こだわ)ったんだ? もしそうしていなければ……」

 

 そう言って悔しそうに言葉を飲むディーンに、エフェルローンは何も言えずただ黙り込んだ。

 

 [爆弾娘(リズ・ボマー)]が大量殺人者だということは誰もが知る事実である。

 だが、それが意図しない殺害(もの)であった場合、それは[故意による殺人]と言えるのか。

 

 今のエフェルローンには即答できない。

 

 だが、刑法には『故意では無い場合、原則処罰しない』と明記されている。

 たとえそれが、多くの人の人生を狂わせ、破壊していたとしても。

 

 だが、果たしてそれは、大切なものを突然失った者たちにとって、公平な裁きといえるのだろうか―—?

 

 エフェルローンには分からない。

 

 そんなエフェルローンの胸中を知ってか知らずか。

 ギルは、黙り込むエフェルローンに代わってこう言った。

 

「エフェルは刑法を遵守(じゅんしゅ)しだけだろ? そりゃ、感情を重視すればディーンの言う[極刑(きょっけい)]っていうのもありなんだろうけど。でも、残念ながらこの国の法律では[爆弾娘(リズ・ボマー)]の犯行は[故意では無い]って事になっているから、晴れて彼女は推定無罪。自由の身ってね?」

 

 含むところが多々あるのだろう、ギルは皮肉めいた口調でそう言った。

 

「法律でも裁けない[悪]ってのは、やっぱり存在するもんなんだな」

 

 そう神妙に呟くディーンに、ギルが言った。

 

「人間の作り上げた社会だからね。悪人に都合のいい抜け道なんて五万とあるさ。今回の[爆弾娘(リズ・ボマー)]の(くだん)みたいにね」

 

「違いない」

 

 そう言って、苦笑するディーン。

 

爆弾娘(リズ・ボマー)]=[悪]

 

 そんな持論を展開するディーンやギルに、今まで静かに話を聞いていたルイーズが、難しい顔をしながらこう言った。

 

「でも、もし[爆弾娘(リズ・ボマー)]が自分の犯した罪を後悔していたら?」

 

 そんなルイーズの質問を鼻で笑い飛ばすと、ディーンは吐き捨てるようにこう言った。

 

「後悔? 大罪を犯していながら兄たちの権力の庇護(ひご)の元、のうのうと生きている女が? そんな人間が後悔なんてしてるかな?」

 

 暗に『してるわけがない』とそう言いながら、ディーンは嫌悪感も(あらわ)にそう(わら)った。

 そんなディーンの物言いに、ルイーズは釈然としない表情をしながら更にこう質問する。

 

「[爆弾娘(リズ・ボマー)]は罪の意識から、『死にたい』って思うことだってあるかもしれません。もしそうだとしたら?」

 

 その問いに、今度はギルが答えて言った。 

 

「さあ、どうだろうね。でも、少なくとも死んだって話は聞かないから、そう思った事なんてないんじゃないの? 話にならないね」

 

 馬鹿にしたようにそういうと、軽蔑するような冷たい笑みを浮かべるギル。

 

「じゃあ、どうすればお二人は[爆弾娘(リズ・ボマー)]を許せるんですか?」

 

「…………」

 

 その問いに、ディーンとギルは、一瞬固まった。

 

 そんな二人の反応を、エフェルローンは面白そうに見詰める。

 

 ディーンとギルはというと、互いに顔を見合わせ、驚いた表情でルイーズを見た。

 

「『許す』ねぇ……君ってほんと、妙なことを言うね」

 

 そういうと、ギルは真面目な表情でこう言った。

 

「正直言って、何をしても許せないかな。あれは……あの事件はね、そんなに簡単に割り切れる出来事じゃ無いからさ」

 

 過去に思いを馳せるかのように、ギルは遠い目をしてそう言った。

 ディーンも、言葉に悔しさを滲ませながらこう言う。

 

「そう、たとえ[爆弾娘(リズ・ボマー)]が死んだとしても、俺の……俺たちの無念は晴れないってね」

 

 そう言って、ディーンは寂しそうに手首を(さす)った。

 

「あ、まだ付けてたんだ……ってか、俺も付けてるんだけどね」

 

 そう言うと、ギルは腕に巻いてある腕輪(ブレスレット)のようなものを皆に見せる。

 

(ひも)(がら)になるように編みこんだ、これは確か、フィタでしたっけ?」

 

 ルイーズはそう言うと、興味深そうにギルの腕を覗き込んだ。

 

「そう。良く知ってるね、ルイーズ」

 

 ルイーズがフィタを知っていたことが意外だったのだろう。

 ギルは少し驚いたような表情を浮かべると、ルイーズにさらにこう説明する。

 

「これはね、身に着けている者の命が危険にさらされたとき、身代わりになってくれるっていうお守りでね、ベトフォードって呼ばれていた都市の民芸品なんだよ」

「ベトフォード、ですか」

 

 ルイーズが一瞬、身を固くした。

 

「そう、爆殺(ばくさつ)された廃墟都市(はいきょとし)・ベトフォード。俺と、このギルはそこの出身なんだ」

 

 そういうと、ディーンも腕をまくってフィタを見せた。

 

 白に黒の波模様のフィタ――。

 

「妹の手作りなんだ。俺の仕事柄、付けろ付けろって(うるさ)くてね。そのおかげで、俺は一人、あの爆発の中を生き延びる事ができたってね。ギルも似たようなもんだ。だから、許せないのさ。[爆弾娘(やつ)]にどんな(つぐな)いをされたとしてもね」

 

「そう、なんですね……」

 

 そう言うと、ルイーズは視線を下に落とし、ふつと黙り込むのだった。



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許されぬ償い

――ダニー・ガスリー。

 

 エフェルローンたちの後輩で、当時、最も期待されていた新人憲兵。

 

「そうか、あいつ司書やってるのか」

 

 感慨深げにそう言うエフェルローンに、ギルは面白くなさそうにこう言った。

 

「まあ、本人は好きな本に囲まれて楽しく仕事してるみたいだけどね」

 

 そう言って、空の酒杯(ゴブレット)を指で弾くギル。

 その言葉からは、彼の「納得いかない」という思いがありありと感じ取れる。

 

「せめて、一人前になるまでは鍛えてやりたかったけど……申し訳ないことをしたな」

 

 底が見えそうな酒杯をぼんやり眺めながら、エフェルローンはそう言って酒杯を煽った。

 

 難しい案件でフォローが行き届かず、初任務は失敗。

 自身の至らなさにも少なからずショックを受けていたのだろう。

 

 しばらくの休養の後、ダニーは人知れず憲兵庁を去っていた。

 

「憲兵になるのが夢だった」と、嬉しそうに語っていたダニーの姿が脳裏を過ぎる。

 

(俺がもっとしっかりしていれば、今頃あいつは……)

 

 任務の失敗が奪ったもの―—それは、一人の若者の可能性に満ちた未来。

 

 自らの選択の愚かさに、改めて悔しさが込み上げてくる。

 そして、そんなエフェルローンの脳裏をよぎるのは――。

 

 

――何であの時、[爆弾娘(リズ・ボマー)]を見殺しにしなかった?

 

 と、その言葉をなぞる様に。

 

「なあ、なんであの時、[爆弾娘(リズ・ボマー)]に(こだわ)ったんだ? もしそうしていなければ……」

 

 そう言って悔しそうに言葉を飲むディーンに、エフェルローンは何も言えずただ黙り込んだ。

 

 [爆弾娘(リズ・ボマー)]が大量殺人者だということは誰もが知る事実である。

 だが、それが意図しない殺害(もの)であった場合、それは[故意による殺人]と言えるのか。

 

 今のエフェルローンには即答できない。

 

 だが、刑法には『故意では無い場合、原則処罰しない』と明記されている。

 たとえそれが、多くの人の人生を狂わせ、破壊していたとしても。

 

 だが、果たしてそれは、大切なものを突然失った者たちにとって、公平な裁きといえるのだろうか―—?

 

 エフェルローンには分からない。

 

 そんなエフェルローンの胸中を知ってか知らずか。

 ギルは、黙り込むエフェルローンに代わってこう言った。

 

「エフェルは刑法を遵守(じゅんしゅ)しだけだろ? そりゃ、感情を重視すればディーンの言う[極刑(きょっけい)]っていうのもありなんだろうけど。でも、残念ながらこの国の法律では[爆弾娘(リズ・ボマー)]の犯行は[故意では無い]って事になっているから、晴れて彼女は推定無罪。自由の身ってね?」

 

 含むところが多々あるのだろう、ギルは皮肉めいた口調でそう言った。

 

「法律でも裁けない[悪]ってのは、やっぱり存在するもんなんだな」

 

 そう神妙に呟くディーンに、ギルが言った。

 

「人間の作り上げた社会だからね。悪人に都合のいい抜け道なんて五万とあるさ。今回の[爆弾娘(リズ・ボマー)]の(くだん)みたいにね」

 

「違いない」

 

 そう言って、苦笑するディーン。

 

爆弾娘(リズ・ボマー)]=[悪]

 

 そんな持論を展開するディーンやギルに、今まで静かに話を聞いていたルイーズが、難しい顔をしながらこう言った。

 

「でも、もし[爆弾娘(リズ・ボマー)]が自分の犯した罪を後悔していたら?」

 

 そんなルイーズの質問を鼻で笑い飛ばすと、ディーンは吐き捨てるようにこう言った。

 

「後悔? 大罪を犯していながら兄たちの権力の庇護(ひご)の元、のうのうと生きている女が? そんな人間が後悔なんてしてるかな?」

 

 暗に『してるわけがない』とそう言いながら、ディーンは嫌悪感も(あらわ)にそう(わら)った。

 そんなディーンの物言いに、ルイーズは釈然としない表情をしながら更にこう質問する。

 

「[爆弾娘(リズ・ボマー)]は罪の意識から、『死にたい』って思うことだってあるかもしれません。もしそうだとしたら?」

 

 その問いに、今度はギルが答えて言った。 

 

「さあ、どうだろうね。でも、少なくとも死んだって話は聞かないから、そう思った事なんてないんじゃないの? 話にならないね」

 

 馬鹿にしたようにそういうと、軽蔑するような冷たい笑みを浮かべるギル。

 

「じゃあ、どうすればお二人は[爆弾娘(リズ・ボマー)]を許せるんですか?」

 

「…………」

 

 その問いに、ディーンとギルは、一瞬固まった。

 

 そんな二人の反応を、エフェルローンは面白そうに見詰める。

 

 ディーンとギルはというと、互いに顔を見合わせ、驚いた表情でルイーズを見た。

 

「『許す』ねぇ……君ってほんと、妙なことを言うね」

 

 そういうと、ギルは真面目な表情でこう言った。

 

「正直言って、何をしても許せないかな。あれは……あの事件はね、そんなに簡単に割り切れる出来事じゃ無いからさ」

 

 過去に思いを馳せるかのように、ギルは遠い目をしてそう言った。

 ディーンも、言葉に悔しさを滲ませながらこう言う。

 

「そう、たとえ[爆弾娘(リズ・ボマー)]が死んだとしても、俺の……俺たちの無念は晴れないってね」

 

 そう言って、ディーンは寂しそうに手首を(さす)った。

 

「あ、まだ付けてたんだ……ってか、俺も付けてるんだけどね」

 

 そう言うと、ギルは腕に巻いてある腕輪(ブレスレット)のようなものを皆に見せる。

 

(ひも)(がら)になるように編みこんだ、これは確か、フィタでしたっけ?」

 

 ルイーズはそう言うと、興味深そうにギルの腕を覗き込んだ。

 

「そう。良く知ってるね、ルイーズ」

 

 ルイーズがフィタを知っていたことが意外だったのだろう。

 ギルは少し驚いたような表情を浮かべると、ルイーズにさらにこう説明する。

 

「これはね、身に着けている者の命が危険にさらされたとき、身代わりになってくれるっていうお守りでね、ベトフォードって呼ばれていた都市の民芸品なんだよ」

「ベトフォード、ですか」

 

 ルイーズが一瞬、身を固くした。

 

「そう、爆殺(ばくさつ)された廃墟都市(はいきょとし)・ベトフォード。俺と、このギルはそこの出身なんだ」

 

 そういうと、ディーンも腕をまくってフィタを見せた。

 

 白に黒の波模様のフィタ――。

 

「妹の手作りなんだ。俺の仕事柄、付けろ付けろって(うるさ)くてね。そのおかげで、俺は一人、あの爆発の中を生き延びる事ができたってね。ギルも似たようなもんだ。だから、許せないのさ。[爆弾娘(やつ)]にどんな(つぐな)いをされたとしてもね」

 

「そう、なんですね……」

 

 そう言うと、ルイーズは視線を下に落とし、ふつと黙り込むのだった。



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でかい山

 [爆弾娘(リズ・ボマー)]の話題のせいなのだろう。 

 

 四人の若者はふつと黙り込み、妙な沈黙が彼らの間を支配する。

 と、その気まずい沈黙を破るように。

 

 エフェルローンは咳払いを一つすると、話題を切り替えてこう言った。

 

「それにしても、お前らやけに暇そうだな。今日は非番か?」

 

 そう問いかけるエフェルローンに、ギルは麦酒(エール)を追加注文しながらこう言った。

 

「いいや、ばっちりでかい山の真っ最中だけど? それがどうかしたの?」

 

 あっけらかんとそう言うギルに、ディーンが苦笑しながらこう言った。

 

「調査に時間がかかってな、夕飯食べ損ねたんだよ。で、ここに来たって訳。別に、暇って訳じゃない」

 

 そう説明するディーンにエフェルローンは相槌を打ちながらこう言った。

 

「ああ、なるほどね。俺たちも歓迎会とはいえ似たような状況でね」

「そうなんです! 下手したら今夜の食事はチョコレートと水になるところだったんですよ!」

 

 ルイーズが不満も顕にそう言う。

 そんなルイーズに、ディーンは笑いながらこう言った。

 

「はは、そりゃ危なかったな。ま、俺は何度もこいつに付き合わされてたけどね」

 

 そう言うと、ディーンはウェイターに追加の麦酒(エール)を注文しながら更に付け加えてこう言った。

 

「こいつ、捜査となると寝食忘れて熱中するからな。悪いが、こいつが倒れる前に一発殴ってやってくれ」

「えー、殴ったら気を失って倒れるんじゃない?」

 

 ギルが、本末転倒とばかりにそう言って眉を(ひそ)める。

 だが、ディーンは「甘いな」と言わんばかりにこう言った。

 

「いいんだよ。こいつの場合、殴られたほうがいい薬になるのさ」

 その答えに、ルイーズが納得したようにポンと片手(こぶし)(てのひら)に打ち付けるとこう言った。

 

「あ、なるほど! 気を失うと無条件で睡眠取れますもんね!」

「あほくさ……」

 

 エフェルローンはうんざりした表情でそう吐き捨てると、不機嫌そうに片肘を突く。

 と、そんなエフェルローンを申し訳なさそうに横目で見ながら、ルイーズがふと思い出したようにこう言った。

 

「そう言えば、ディーンさんたちが追いかけているでかい山って、一体どのくらい大きな山なんです? ひょっとして、何人か偉い人が失脚しちゃったりとかして?」

 

 冗談めかしてそう言うルイーズに、ディーンは悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべながらこう尋ねる。

 

「それ、聞きたい?」

「はい、是非!」

 

 無邪気にそう言うルイーズ。

 

「ギル、よせ」

 

 なぜか、そう制止するディーンを無視し、ギルはニヤリと笑うとこう宣った。

 

「なんと、聞いて驚け! 俺たちは今、大魔術師アデラ・クロウリーの足取りを追ってる」

 

「なんだって!」

 

 その答えにエフェルローンは勢いよく席から立ちあがると、食卓(テーブル)に両手を突き、前のめった。

 

「ギル……」

 

 ディーンが、片手で目頭を押さえながら首を横に振った。

 そんなディーンに、ギルは舌をちょろっと出しておどけて見せる。

 

 そんなギルを軽く睨むと、ディーンは今にもアデラを追いかけていきいそうなエフェルローンの首根っこを片手で押さえつけながら、苦笑交じりにこう言った。

 

「ある事件を追いかけていたら、アデラの影がちらついて来てね。で、俺たちは奴を……アデラを事件の主要人物の一人と睨んで追っているって、そういう訳だ」

 

 ディーンのその答えに、エフェルローンは恨み交じりにこう言った。

 

「くそっ、あれだけ師匠絡みの案件は俺に回せって言っていたのに、キースリーの奴!」

 

(何処まで俺を目の敵にすれば気が済むんだ、あいつは――!)

 

 そんな怒り心頭のエフェルローンに、ディーンは容赦なくこう言い放った。

 

「馬鹿かお前は。魔力も背も目減りしているお前に、あんな手強い魔女を相手させるなんて……あいつがそんな自分の評価落とすような下手打つかよ。俺たちでさえ危ないってのに……って、そんなことよりさ」

 

 そう言って話を変えると、ディーンはエフェルローンに尋ねてこう言った。

 

「お前の扱ってる案件てのは、一体、どんな感じのものなんだ?」

「あー、それ! 俺も気になる~!」

 

 ギルが興味津々の顔でエフェルローンを見る。

 話題を変えられたエフェルローンは不機嫌極まりない口調でこう言った。

 

「魔術……[魔魂石(まこんせき)]がらみの連続殺人事件だと思う。今のところは、ね」

「[魔魂石(まこんせき)]ねぇ。嫌な感じだな……で、証拠品とか、遺留品はあったのか?」

 

 ディーンの質問に、今まで黙り込んでいたルイーズがおずおずと答える。

 

「日記らしきものとメモがあるみたいです」

「日記とメモか。それで手帳にはなんて書いてあったんだ?」

 

 そう尋ねるディーンに、ルイーズは素直にこう言った。

 

「日記の概要はまだ未検証なんですけど、挟まっていたメモの内容は分かりますよ」

「で、なんて書いてあったの? そのメモ」

 

 ギルの問いにはエフェルローンが答えて言った。

 

「何でも、『青銅も銀も駄目だ』とか、『確実にやるなら金だ』書いてあったらしい」

「[青銅]に[銀]、それに[金]ねぇ……」

 

 ギルが意味ありげに(あご)をさする。

 

「[青銅][銀][金]って、単純に考えれば[魔魂石(まこんせき)]のことだよね? ってことは、この犯人の目的って、金の[魔魂石(まこんせき)]を手に入れる事? でもそうなると、これって連続殺人事件ってことにならない?」

「金の[魔魂石(まこんせき)]を作るには、精神(ヌス)の高い人間の[命]が必要らしいからな。それが出るまで()り続けるとしたら、まあ、そういうことになるだろうな」

 

 ディーンが深刻そうな顔でそう言う。

 

「ちょっと、君らには荷が重いんじぁないかなぁ?」

 

 心配そうに眉を(ひそ)めるギルに、エフェルローンはどうにでもなるという風にこう言った。

 

「まあ、危なくなったら逃げるよ。そうすれば上が動くだろうしね。ま、大丈夫だろうさ」

「そっか……あっと!」

 

 そう言うと、ギルがしまった、というような顔をした。

 

「どうしたんだ?」

 

 エフェルローンの問いかけに、ギルは顎をしごきながらディーンに向かってこう言った。

 

「九刻半に会う約束してる人がいたのを忘れてたよ。ほら、今回の事件の目撃者の……」

「あ? ああ、そうだった……あの若者な」

 

 ディーンも「困ったな……」というように頭を掻く。

 そんな二人をエフェルローンはここぞとばかりに追い立てる。

 

「ここはもういいから、お前ら早く行けよ。仕事なんだろ?」

 

(これで、明日も朝からみっちり仕事に打ち込めな)

 

 心の中でほっと胸を撫で下ろすエフェルローン。

 

「そうか? 悪いな」

 

 そんなエフェルローンの心情など知ってか知らずか。

 ディーンは申し訳なさそうに渋い顔をすると、おもむろに椅子から立ち上がってこう言った。

 

「この埋め合わせは、近いうちに必ずするよ」

「あ、あと注文したポテトフライとか、食べちゃっていいからね!」

 

 ギルも、木机《テーブル》に大銀貨(だいぎんか)六枚を置いて(せわ)しく立ち上がる。

 

「いくぞ、ギル」

「じぁやね、ルイーズ。またね!」

 

 そう言うと、二人はそそくさと店を出て行くのであった。

 

 

 

 それからしばらくして。

 

 運ばれてくる[大盛りのポテト]を始めとした大量のつまみ類に、[豚肉の(ポーク・アンド・)生姜焼き(ジンジャーロースト)]と、[白身魚のフライ(フィッシュ・アンド・)とポテト(チップス)]がやってくる。

 

「食べ切れませんね。捨てるのも勿体無いですし、どうします、伯爵?」

 

 ルイーズのその問いに、エフェルローンは指で木机(テーブル)をトントンと叩くと、ウェイターを呼んでこう言った。

 

「このポテトフライと大量のつまみだけど、学生のグループに差し入れて貰える? 俺からだって言ってさ」

 

(かしこ)まりました」

 

 そういうと、ウェイターは学生たちに事情を話し、ポテトフライを始めとした料理を次々と学生たちの木机(テーブル)に運んでいく。

 

 すると――。

 

「先輩、差し入れありがとうございます!」

 

 学生の中心人物らしい若者がそう言ってエフェルローンに礼を言った。

 他の学生たちもそれに追随(ついじゅう)する。

 

「あんまり夜更かしするなよ」

 

 エフェルローンはそう言って片手を軽く挙げると、残り少ない葡萄酒(ワイン)(すす)る。

 その様子の一部始終を見ていたルイーズは、何を思ったか突然こう言った。

 

「あのお、伯爵。伯爵の事、先輩て呼んでもいいですか?」

「はぁ?」

 

(なにがどうしてそうなる?)

 

 エフェルローンは思わず心の中で聞き返した。

 話の脈絡が見えない。

 

「伯爵って、なんかお堅いというか……呼び辛くて。だから、先輩って呼んでいいですか?」

「君の言ってること、良く分からないんだけど。まあ、呼び方なんて、分かれば何だっていいよ」

 

 面倒くさそうにそう言うと、エフェルローンはウェイターに追加の葡萄酒(ワイン)を頼む。

 

「良いんですか! うわぁ、ありがとうございます、先輩!」

 

 ルイーズは嬉しそうにそう言った。

 

(何がそんなに嬉しいんだか……)

 

 生姜焼きを口に放り込みながら、エフェルローンは心の中で首を(ひね)るのであった。



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第二章 秘められた悪意
再会


「日記がない? そんな事あるわけないだろ!」

 

 エフェルローンは、鑑識官(かんしきかん)を頭ごなしに怒鳴りつけた。

 

 ――翌朝。

 

 エフェルローンとルイーズは、王宮内の一角にある憲兵庁内の証拠品保管室に来ていた。

 

 だが――。

 

「本当です! 我々が受け取った証拠品の中に、日記らしき物はありませんでした。本当です、信じて下さい!」

 

 必死の形相でそう説明する青年鑑識官(かんしきかん)をエフェルローンは信じるどころか、更に問い詰めるとこう言った。

 

「お前が盗んだんじゃないだろうな?」

「そ、そんな……」

 

 そう言って狼狽(ろうばい)する年若い鑑識官(かんしきかん)を哀れに思ったのだろう、ルイーズが止めに入ろうと口を開きかけたそのとき。

 

「彼には日記を盗む動機はありませんよ。ちなみに僕もですけど」

 

 細身で長身の男が、そう言って証拠品のリストをエフェルローンに差し出した。

 

「証拠品を受け取ったのは、僕です。そのとき、日記らしき物は何処にもありませんでした。本当です。だから、どうか彼を責めないで下さい」

 

 そう青年鑑識官を見事にフォローすると、長身痩躯(ちょうしんそうく)の黒髪碧眼の男はエフェルローンに向かい、深く頭を下げた。

 

 長身痩躯(ちょうしんそうく)で、黒髪碧眼の男―—。

 

「ひょっとして、お前……」

 

 軽く目を見張り、エフェルローンは驚いた表情(かお)をする。

 そんなエフェルローンに、長身痩躯(ちょうしんそうく)の青年は軽く笑みを浮かべながらこう言った。

 

「お久し振りです、クェンビー先輩。ダニーです、ダニー・ガスリーです。何年振りでしょうか?」

 

 ダニー・ガスリー――四年前、禁忌(きんき)魔法事件で共に捜査に臨んだ新人魔術師。

 

(確か、今は図書館の司書をしてるんじゃ……)

 

 そんな事を考えていると、ダニーが苦笑しながらこう言った。

 

「何でこんなところに……って、そんな顔してますね」

「だってお前、確か……」

 

 そう言って言葉を詰まらせるエフェルローンに、ダニーはばつが悪そうにこう言った。

 

「はい、ついこの間までは大学の図書館で司書をしていました。ですが最近、移動願いを出しまして。そして、一週間ほど前からここで勤務を。あまり人気のない仕事なので、直ぐに申請許可が下りました」

 

 気持ち嬉しそうに語るダニー。

 

「それにしても、何でまたこの仕事に? お前ほどの実力があればもう一度、捜査官として働けるだろう?」

 

 不思議そうに尋ねるエフェルローンに、ダニーは頭を掻きながらこう言った。

 

「捜査官の仕事には、正直未練はあります。でも、向いてないんです、僕には。あの時それを実感しました。もし僕がもう少しまともに動けていれば、先輩は……」

「ダニー……」

 

 エフェルローンは言葉に詰まる。

 

 ダニーが捜査官を退いた理由――その理由を薄々感じていたとはいえ、実際に口に出されると、申し訳ない気持ちで一杯になる。

 ダニーではないが、「あのとき、もっと自分がしっかりしていれば」と思わずにはいられない。

 

「馬鹿言うな、ダニー。悪いのは俺だ。全部俺の選択が招いた結果だ。お前が気負う事なんかないって」

「ありがとうございます、先輩。でも、やっぱり自分自身が許せなくて。結局、自分の問題なんですよね、困ったもんです」

 

 眉をハの字に寄せ、ダニーは自らを恥じるように頬を掻き、そして唇を引き結ぶと下を向いた。

 

「ダニー……」

 

 エフェルローンはかける言葉が見つからず、口を閉じる。

 

「それでも」

 

 ダニーは、もう一度顔を上げると自嘲しながらこう言った。

 

「やっぱり憲兵の仕事に関わっていたい自分がいて。そのことに気付いたのは、コールリッジ先輩に会ったときでした」

「ディーンに? いつ会ったんだ?」

 

 ダニーは思案するような表情でこう言った。

 

「一週間、いえ……十日ぐらい前でしょうか? 図書館でたまたま会いました。先輩は、禁忌魔法管理部の方のみが閲覧することを許されている禁忌図書の閲覧許可証を持って来られたんです。その時、ディーン先輩がこう言ったんです。『アデラを追いかけている、戻ってこい』って」

「あいつ、そんなに早くからアデラを追ってたのか。ディーンといいギルといい……くそっ、皆《みな》して俺を!」

 

 憤りのオーラを発するエフェルローンに、ダニーが苦笑しながらこう言う。

 

「ディーン先輩、こう言ってました。『エフェルには言うなよ、言ったら最後。単身命がけでアデラを捕獲しに行きかねないからな』って。僕もそう思います」

「先輩、愛されているんですね」

 

 今まで、口を閉ざしていたルイーズが感慨深げにそう言った。

 

「黙れ」

 

 エフェルローンはそう言ってルイーズの言葉をねじ伏せる。

 ルイーズは、渋い笑みを浮かべながら半歩後ろに下がった。

 その様子に、ダニーは懐かしそうな笑みを浮かべると、こう話を続ける。

 

「それで、少しでも先輩たちのお手伝いがしたくて、今こうしてここに」

「そう、だったのか。その……何もしてやれなくて、悪かったな」

 

 ダニーの心遣いを思うと、自分のことだけでいっぱいいっぱいになっていた自分自身が恥ずかしい。

 ダニーはとんでもないとばかり頭を横に振ると、吹っ切れたような顔でこう言った。

 

「気にしないで下さい。この仕事、結構気に入ってるんです。と、そんな訳で」

 

 そう話を切り替えると、ダニーは真面目な口調でこう言った。

 

「改めまして、先輩。日記の件ですが、僕は担当の方《かた》から預かってはいません。どうしますか? 遺留品と遺留品リスト、ご自身の目で確認してみますか?」

 

「いや」

 

 エフェルローンはそう言うと、ふつりと黙り込む。

 

 調査資料には、被害者の遺留品として日記と、確かにあった。

 だが、鑑識に確認に来て見れば、それは無いという。

 

 ――あるはずのものが無い。

 

 盗まれたか、紛失したか、あるいは――隠蔽されたか。

 

「ダニー、ありがとな。一応、このリスト、貰ってくぞ」

 

 そう言ってリストを頭上に掲げるエフェルローン。

 ダニーは申し訳なさそうに笑うとこう言った。

 

「もっと力になれれば良かったんですけれど、すみません」

 

 そんなダニーに、エフェルローンは「大事ない」というように笑って見せるとこう言った。

 

「このリストだけで十分だ。ありがとう、ダニー。仕事……頑張れよ」

 

 その言葉に、ダニーは感極まったような顔をすると、嬉しそうにこう言った。

 

「はい、ありがとうございます! これからもよろしくお願いします、先輩!」

 

 そう言って満々の笑みを浮かべるダニー。

 そんなダニーに、エフェルローンは苦笑気味にこういった。

 

「おう、頼りにしてるぞ、新人(ルーキー)?」

「は、はは……」

 

 そう言って、引きつった笑みを浮かべるダニーを背に。

 エフェルローンはボーっと突っ立っていたルイーズの腰を小さな手で叩くとこう言った。

 

「ルイーズ、戻るぞ」

 

 カッと、ルイーズの顔が赤く染まる。

 

「なっ! 先輩ひどいっ! 何処触ってるんですか!」

 

 腰を叩かれたルイーズは、顔を真っ赤にしながら抗議の声を上げると、先を行くエフェルローンの後をズカズカと追う。

 

「しょうがないだろ、肩を叩きたくても手が届かないんだから」

 

 しれっとそう言うエフェルローに、ルイーズは呆れたように声を荒げてこう言った。

 

「はぁ? そんなの! 言い訳になりません!」

「何なら今度から太腿でも触るか?」

 

 そう意地悪く笑うエフェルローンに。

 ルイーズは目を怒らせると、頬を膨らませてこう怒鳴る。

 

「あー、もう! 信じられないっ! このセクハラ上司!」

「あ? なんだって?」

「もう! 知りません!」

 

 そう言い合いながら去っていくエフェルローンとルイーズの背中を見送ると。

 ダニーはまた、資料の整理を再開する。

 

 そして、昔の出来事に想いを馳せたダニーは、手元の資料を整理の手を止めると、寂し気にこう呟いた。

 

「憲兵、か」

 

 そう呟いたダニーの弓形(ゆみなり)背中は、なんとなく寂しそうであった。



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消えた証拠/べトフォードの涙

[消えた証拠]

 

 

 執務室に戻ったエフェルローンは、すぐさま手元の資料に目を通した。

ダニーから受け取った遺留品リストと予めキースリーから渡されていた捜査資料を見比べる。

 

「…………」

「先輩、どうしたんです? そんな怖い顔をして……」

 

 ルイーズが訝しそうにエフェルローンを見る。

 

「無い……」

 

 何処を探してみても。

 キースリーから渡されていた資料に、[日記]というフレーズが何処にも見当たらない。

 

「何が無いんです?」

 

 同じように、ルイーズも資料に目を通しながらそう尋ねる。

 エフェルローンは神妙な面持ちで腕を組むと、机に両足を乗せてため息を一つ吐いた。

 

「[日記]だよ、[日記]って単語がどこにもない」

「えっ、本当ですか? でも、昨日までは確かにありましたよね?」

 

 驚いたようにそう言うと、ルイーズは自分の机から立ち上がる。

 そして、エフェルローンの前まで来ると、その手からリストの資料を引き抜いた。

 

「これがダニーさんが持っていたリストですか……」

 

 そう呟きながら自らの席に戻ると、ルイーズはエフェルローンから奪った資料と手元の捜査資料とを見比べ始める。

 

 そして、数分後――。

 

「確かに、見当たりませんね。でも昨日までありましたよね、[日記]っていう単語」

 

 ルイーズはそう言って眉を(しか)めると、資料を机の上に置いた。

 

「…………」

 

 消された証拠品。

 差し替えられた捜査資料。

 

 嫌な結論がエフェルローンの脳裏に過ぎる。

 

 ――内部の人間の犯行、か。

 

 考えたくは無かったが、その可能性は十分高い。

 

(それも、唯の内部犯って訳じゃない。これだけ用意周到となれば、かなり上の人間、それも上層部の人間が絡んでいる犯行と見るべきだろう)

 

 もしそうだとするならば、この事件―—只の殺人事件から、かなり危険な案件に跳ね上がる。

 下手をすれば、()される可能性も出て来るだろう。

 

「なるほど。キースリーの奴、それを分かっていて俺に振ったって訳か」

 

 エフェルローンは苦々しくそう言い放つと、手元の資料を机の上に乱雑に放り投げた。

 

(あいつ、どれだけ俺のこと殺したいんだ……)

 

 おもむろに腕を組み、じっと宙を凝視するエフェルローンなのであった。

 

 

 

 

     ※     ※     ※

 

 

 

 

[べトフォードの涙]

 

 

 エフェルローンが宙を凝視すること数秒。

 ルイーズが突如、何かを思い出したかのようにポンと手を合わせると、乱雑に重ねられた資料の中から()れた茶封筒をエフェルローンに差し出してこう言った。

 

「あのう、遅くなっちゃったんですけど。今日、遺留品管理室から帰る途中でキースリー……さんの秘書の(かた)から渡されたものです」

 

 おずおずと茶封筒を差し出すルイーズに、エフェルローンは剣呑な視線を向けるとこう言った。

 

「お前、そんな大事なものを今まで放置していたのか?」

「ご、ごめんなさい……」

「貸せ!」

 

 そう言って、差し出された茶封筒を怒りに任せ取り上げると。

 エフェルローンは、乱暴に中身を取り出し内容を確認する。

 

 中には、追加の捜査資料が一枚。

 

「被害者の詳しい背景か……」

 

 エフェルローンはそう言って片手を顎に添えると、資料の内容を読み上げていく。

 

「被疑者、グラハム・エイブリー。性別男。年齢四十四歳。出身地ベトフォード。[爆弾娘(リズ・ボマー)]処刑賛成派組織[べトフォードの涙]に所属する熱心な活動家であり、腕の立つジャーナリスト。つい最近まで追っていたネタは―—[爆弾娘(リズ・ボマー)事件]?」

 

 べトフォードに[爆弾娘(リズ・ボマー)事件]――事件の点が繋がり始める。

 

 ルイーズが、ふと思い出したようにこう言った。

 

「[爆弾娘(リズ・ボマー)事件]って、確か、数日前に解決しましたよね? 事件の判決内容に何か思うところでもあったのでしょうか。ベトフォード出身の(かた)のようですし……」

 

 そう語尾を濁すと、ルイーズは複雑な表情で顎に手をやり、そのまま視線を手元の捜査資料に落とす。

 

「ベトフォード出身のジャーナリストか……」

 

 エフェルローンは深いため息を吐くと、椅子に深くもたれ掛かった。

 

 ベトフォード出身のジャーナリストで、しかも[べトフォードの涙]に所属し、個人的に[爆弾娘(リズ・ボマー)事件]を追っていたということは、この男、ルイーズの言っている通り、つい最近判決が出た[爆弾娘(リズ・ボマー)事件]に何かしら思うところがあったのだろうと推測できる。

 

 そうなると、今回出た[爆弾娘(リズ・ボマー)]の判決――[推定無罪]は、彼にとって相当腹立たしい内容だったに違いない。

 そこで、腕の立つジャーナリストの彼は思い立つ。

 

爆弾娘(リズ・ボマー)]を確実に有罪にできる新たな証拠を見つけようと。

 

 そして彼は、見つけたのかもしれない。

 [爆弾娘(リズ・ボマー)]を有罪に出来るネタを。

 

 しかし彼は、そのネタを世に流布する前に殺されてしまう。

 

 殺された彼の下には一枚のメモ紙。

 

――青銅も銀も駄目だ。確実にやるなら金だ。

 

 「『確実にやるなら[金]だ』……[金]か、きん……カネ」

 

――カネ?

 

 そうなると、この文章の意味も変わってくる。

 

――確実にやるなら、(カネ)だ。

 

 [爆弾娘(リズ・ボマー)]を殺す暗殺者でも雇うつもりだったのだろうか。

 

 だが、その推理には限界がある。

 メモにあったもうひとつの文章――『[青銅]と[銀]も駄目だ』の意味に繋がらない。

 

 やはり、[(きん)]は[(フリソス)の魔痕跡]のことなのだろう。

 

 ということは、『確実にやるなら[金]』とはどういう意味なのだろうか。

 

「金の魔魂石で何かをするつもりだったのは確かだ、ただ――」

 

  ――一体、何を?

 

 被疑者が[べトフォード出身]で、[べトフォードの涙]に所属していることが分かった時点で、金目当ての殺害の線は薄くなった。

 その代わり、新たな線がひとつ見えてくる。

 

――[べトフォードの涙]内の抗争。

 

 被疑者グラハム・エイブリーが調べていた[爆弾娘(リズ・ボマー)事件]で、何か不都合な真実が発覚した。

 それで、被疑者グラハム・エイブリーは自分の仲間から殺されることになってしまった。

 それに[べトフォードの涙]には、血生臭い噂が後を絶たないのも事実である。

 実際、人権擁護団体[爆弾娘(リズ・ボマー)の罪を晴らす会]の会長を襲撃、殺人未遂を起こしたという経歴もある。

 

――あり得なくはない、か。

 

「…………」

 

 虚空(きょくう)(にら)みつけ、むっつりと黙り込むエフェルローンに、ルイーズは心配そうな眼差(まなざ)しを向けるのであった。



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不都合な真実

 もし、グラハム・エイブリーを殺したのがこの組織なら。

 それは、この組織が自分たちの信念の為ならば殺人も厭わない凶悪な組織と位置付けれられる。

 ということは、この事件を追っているエフェルローンたちのことも放っておくはずはない。

 

 それは、危険以外の何物でもない。

 

「先輩、何か問題アリなんですか?」

 

 不安げにそう尋ねてくるルイーズに、エフェルローンは冴えない表情でこう言った。

 

「事件そのものは順序良く調べて行けば問題ない。けど……」

「けど?」

 

 そう問いかけるルイーズに、エフェルローンは表情も硬くこう言った。

 

「ちょっと、危険……いや、かなり危ないかもしれない」

「危ない?」

 

 怪訝そうに眉を顰めるルイーズに。

 エフェルローンは、渋い顔をしながらこう言った。

 

「この殺人事件、[べトフォードの涙]が関わっている可能性がある」

「はい、でも……それがどう[危険]に繋がるんです?」

 

 小首をかしげ、そう尋ねるルイーズに。

 エフェルローンは簡潔にこう言った。

 

「考えてもみろ、[爆弾娘(リズ・ボマー)]事件を調べていた[べトフォードの涙]のジャーナリストが殺されたんだ。[べトフォードの涙]にとっては自分たちの信念を貫くために必要なネタを持ってきてくれる大切な仲間だ。殺す理由はまずないだろう。それが、この殺人事件だ。しかも、彼らはかつて[爆弾娘(リズ・ボマー)の罪を晴らす会]の会長を襲撃したりしていて、他にも血生臭い余罪は十分にある。もし、グラハム・エイブリーが、彼らにとって[不都合な真実]を運んできたなら?」

「それは……」

 

 考えが及ばないのか、そう言葉に詰まるルイーズに。 

 エフェルローンは、さらに嚙み砕いてこう言う。

 

「[不都合な真実]――例えば、[爆弾娘(リズ・ボマー)]の無罪の証拠とか」

「あ」

 

 エフェルローンのその言葉に。

 ルイーズは、「合点がいった」とばかりに目を大きく見開く。

 

「[べトフォードの涙]――きっと、何かある」

 

 エフェルローンはそう結論を下すと難しい顔で(あご)をさすった。

 

 それに、気がかりなことがもうひとつ。

 

 ――存在を消された被害者の日記。

 

 気になるのはその殺害方法の特殊性と魔魂石(まこんせき)の関わり。

 そして一番不可解なのは、この庁内で日記がなくなったということだろう。

 

 エフェルローンは更に思考を深く沈めていく。

 

 日記の消失―—そこから導き出される結論、それは[証拠の隠滅(いんめつ)]だろう。

 

 ならば、その消失した日記に書いてあったこととは、一体何だったのだろうか?

 

 グラハム・エイブリーが突き止めた、[爆弾娘(リズ・ボマー)]に関しての新たな事実だろうか。

 それとも、[(フリソス)の魔魂石]の使い道に関してだろうか。

 

 まあ、事実がどうであれ。

 証拠の隠滅(いんめつ)はこの庁内、しかも、鍵のかかっていたはずの部屋で起こっている。

 ということは、それは憲兵庁ないしその上の機関の意向という事にならないか。

 

 それはつまり―—。

 

 国家機密に関わる何か重要なことが書かれていた、もしくは―—。

 

(どこかの[痛い腹を探られたくない]有力貴族から、憲兵庁に圧力が掛かったか……)

 

 まあ、どちらにしても。

 

 この[憲兵庁]が、日記の内容に書かれていた[何か]を隠そうとしていることに間違いはないだろう。

 

 ならば―—。

 

(その不正……俺が全部、()(もと)(さら)してやるさ)

 

 手元の資料を(つか)み、握り潰すと、エフェルローンはまだ見もしない黒幕に向かい、不敵に笑って見せるのだった。



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監視

「ルイーズ、今から大切なことを話す。いいか、よく聞いとけよ」

 

 そう言うと、エフェルローンは肘掛椅子から前のめりに机に乗り出すと、真顔でルイーズの顔をじっと見つめる。

 

「せ、先輩? どうしたんです、そんな改まって……って、まさか!」

 

 何を勘違いしたのか、ルイーズは顔をほんのり赤らめ、もじもじし始める。

 そんな能天気なルイーズを鋭く睨みつけると、エフェルローンは改めてこう言った。

 

「いいか、お前の命に係わることだ。よく聞け。今回の事件だが……多分、何かしらの権力が絡んでると俺は見ている」

 

「……権力、ですか」

 

 背筋を伸ばし、きょとんとした顔でそう呟くルイーズ。

 いまいちピンとこないのだろう、不思議そうに首をかしげている。

 

 そんなルイーズに一抹の苦々しさを覚えながら、エフェルローンは危機感を煽るように更に続けてこう言った。

 

「残念なことに、俺たちはその権力を有する何者かに監視されている」

 

 その言葉に、ルイーズの目が大きく見開く。

 

 そして―—。

 

「か、監視って……一体、誰なんです? そんな厭いやらしいことする失礼な人は!」

 

 ルイーズは、眉を吊り上げてエフェルローンにそう詰め寄った。

 何を思ったか、その顔は怒りと恥ずかしさとで薄っすらと赤く染まっている。

 

 エフェルローンは椅子の背もたれにゆっくり寄り掛かると、握りつぶした資料を片手に叩きつけながらこう言った。

 

「お前の言うその[失礼な人]は、今のところ誰なのかは分からない。でも、その[失礼な人]の手先はこの庁舎の中にいる、たぶんね」

 

 日記が消えたのは庁舎内。

 資料もこの庁舎内で差し替えられている。

 実行犯は内部の人間とみて、まず間違いはないだろう。

 

「そんな、何かの冗談ですよね?」

 

 ルイーズが、信じられないという表情でエフェルローンを見つめた。

 その表情かおには笑みが浮かんでいるものの、その瞳の奥は不安で揺らめいている。

 

 とはいえ、それを理由に捜査を打ち切る権利はエフェルローンにはない。

 着任早々気の毒だとは思ったが、エフェルローンは心を鬼にしてこう言い放った。

 

「そんなわけで、この事件割り当てられた以上、俺たちの意思がどうであれ、俺たちはこれからその黒幕が誰なのか探っていかなくてはいけない。命の危険に晒されてもな。俺たちの行動は何者かに逐一監視されてるはずだ。少しでも奴らにとって有害と見なされれば……俺たちは確実に殺けされるだろう。それでも、俺たちは捜査の手を止めたり、緩めることはしない。この意味、分かるな?」

 

「命がけ……そう言うことですか?」 

「そうだ。現に、資料も差し替えられてる。鍵を掛けていたにも関わらずね。いつ寝首を掻かれるかわからない、それが現状だ。だから、その隙を掻い潜りながら捜査に当たる」

「……じょ、冗談じゃ……ないんですよね?」

 

 ルイーズの顔が青くなり、青を通り越して青白くなる。

 

「まあ、普通の捜査範囲を超えなければ大丈夫だろう。だから、お前には普通以上のことをさせるつもりはない、安心しな」

 

 そう言うと、エフェルローンは腕を組みながら不敵に笑う。

 

 だが――。

 

「でもそれって―—先輩は、普通を超える捜査をして、事件の真相を追うって事ですよね? そんなの、フェアじゃありません! 私も追います!」

 

「納得できない」とばかりに、ルイーズがエフェルローンにそう噛み付く。

 

(やっぱり、そう来るか……)

 

 エフェルローンは深いため息をひとつ吐くと、イライラと面倒くさそうにこう言った。

 

「俺はいいんだ、慣れてるから。だが、お前はダメだ。カーレンリース卿の手前もある。悪いが事務作業に精を出してもらう、いいな」

 

(危険な案件に新人の存在は、正直、完全に足手まといだ。今の俺に、こいつを守って事件を解決まで導く余裕や手腕はない。もしこいつに何かあったら、カーレンリース卿が何をしてくるかわからないしな。下手すれば殺されかねない。そう考えると、こいつには悪いが、今回は嫌でも執務室でやり過ごしてもらう)

 

 

 そう心の中で固く決意するエフェルローンに。

 ルイーズは、フルフルと唇を震わせながら、怒鳴って言った。

 

「慣れてるって言ったって、危険なことには変わりないじゃないですか! 納得できません!」

 

 エフェルローンは、舌打ちしながらこう言った。

 

「ともかく、いいんだよこれで。分かったなら返事しな」

「分かりません!」

 

 即そう言い放つと、ルイーズは不服そうに口をへの字に曲げ、恨めしそうにエフェルローンを睨む。

 そんなルイーズに、エフェルローンはため息交じりにこう言った。

 

「……死にたくないだろ?」

 

 そう言うエフェルローンに、ルイーズは眉をひくつかせながらこう言った。

 

「死にたくは、ないですけど……納得はいきません。全然!」

 

 聞き分けの悪いルイーズに、とうとうエフェルローンの堪忍袋の緒が切れる。

 眉と目じりを吊り上げ、エフェルローンは凄みながらこう言った。

 

「なら、お前に何が出来るっていうんだ? ああ? 俺の足を引っ張らない! 自分のケツは自分で拭く! そこまでの自信と覚悟はお前にあるのか!」

 

 そう怒鳴るエフェルローンに、ルイーズは言葉を詰まらせ、後ろに仰のけ反ぞる。

 

「どうなんだ、言ってみろ!」

 

 そう矢継やつぎ早に攻め立てるエフェルローン。

 そんなエフェルローンの猛口撃(もうこうげき)に、ルイーズの顔は更に歪ゆがみ、口はへの字に曲がっていく。

 

 答えに窮するルイーズに、エフェルローンはとどめとばかりにこう言った。

 

「何も出来ないくせに、俺に意見するな!」

「う……」

 

 噛み付くようなエフェルローンの物言いに、ルイーズは半ば気圧けおされ、更に半歩後ろに下がる。

 

 そして。

 

 ルイーズの瞳に薄っすらと何かが滲にじんだ。

 

(マジかよ……)

 

 エフェルローンはげんなりする。

 

 と、そのとき――。

 

 エフェルローンの執務室のドアが数回鳴った。

 

「なんだ」

 

 威厳に満ちた声でそう答えるエフェルローン。

 すると、ドアの外から若い男の声がこう言った。

 

「クェンビー卿、事件に関係すると思われる死体が出ました。直ぐに現場へ向かって下さい」

「被害者は?」

「男性、十八歳。王立大学の学生です」

「ちっ、若いな。分かった、すぐに行く」

 

 そう言うが早いが、猛スピードで執務室の入り口に消えていくエフェルローン。

 その後を、必死の形相で追いかけるルイーズ。

 

 こうして。

 

 互いに納得することなく、二人は無言で現場に向かうのであった。



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上に立つ者、その器

「確か、このあたりのはずなんだけど……」

 

 太陽の光が真上から降り注ぐ、午後十二刻。

 

 エフェルローンは城下町を取り囲むように建てられた幕壁(カーテンウォール)を見上げながらそう言った。

 眼前に反り立つ分厚い石作りの壁の幕――大陸に誇る、アルカサール王国・最強で最大の城を守る盾。

 

「いつ見ても荘厳(そうごん)な眺めですよね、この幕壁(カーテンウォール)って……」

 

 ルイーズが感嘆の声を漏らす。

 

「アルカサールは天然資源の宝庫だ。いつ何時、隣国が攻めてくるか分からない。このぐらいの防備は当然だろうさ。さして驚く事でもないよ」

 

 ルイーズの感動を軽く流すと、エフェルローンは辺りを見渡した。

 

 幕壁(カーテンウォール)の間に挟まれるように立っている側防(ディフェンシヴ・)(タワー)――その辺りに忙しく動く人影が見える。 

 

「あそこか?」

 

 青を基調とした憲兵の制服に身を包んだ者が、ファイルやらバインダーを片手に何かを熱心に調査している。

 

「なんか、それらしい感じですね。行ってみます?」

 

 ルイーズに促されるまでもなく、エフェルローンはズカズカと彼らのテリトリーに入っていくと、こう言った。

 

「クェンビー捜査官だ。この捜査の監察責任者は?」

 

 すると、壮年の無精髭の男が頭を掻きながらのろのろとやって来た。

 

「お呼びですかな、クェンビー伯爵殿?」

 

 人を小馬鹿にしたような物言いと視線に、エフェルローンはやれやれと心の中でため息を吐く。

 

 (はた)から見ると、チビが粋がっているように見えるのだろう。

 だが、中身は二十六歳の立派な成年である。

 馬鹿にされるような筋合いはない。

 

 エフェルローンは、男の挑発を無視して本題に入る。

 

「死人が出たと聞いた。現場を確認したいんだけど」

「ああ、そうでしたか。どうぞどうぞ、ご自由に……でも」

 

 そう言うと、鑑識官らしい男はこうのたまった。

 

「現場、荒らさないで下さいよ。ここは[子供の遊び場]じゃないんですから」

 

 その言葉に、周りの監察官や憲兵が一斉に(さげす)むような笑みを浮かべる。

 そして、微かに聞こえる失笑の声――。

 

 ――カチン。

 

 エフェルローンの肩がぴくりと跳ねる。

 

「おや? 何か気に障りましたかな?」

 

 意地悪く、男はエフェルローンの気持ちを上手く逆撫でしてくる。

 

「悪いな、今、お前らの相手をしている暇はない。俺は現場が見たいんだ」

 

 そう言って、エフェルローンは白い布が見える側防塔(そくぼうとう)の中に入ろうと足を進める。

 

 だが――。

 

「おっと、ここは通行禁止だよ、坊や」 

「他を当たりな……」

 

 その行く手を、二名の憲兵が(さえぎ)った。

 その顔には、ニヤニヤとえげつない笑みが浮かんでいる。

 

 そんな男たちを、エフェルローンはキッと見上げる。

 

「お前らさぁ、仕事……する気あるの? ないの?」

 

 鋭い眼光(がんこう)を飛ばすエフェルローン。

 男たちとの間に火花が散る。

 

 そのとき。

 

 今まで黙っていたルイーズが、への字に結んだ口を大きく開いてこう言い放った。

 

「いい大人が[坊や]ごときに、何向きにになってるんですか! 人が一人亡くなっているんですよ? 私怨よりも、事件を解決するほうが先じゃないですか!」

 

 ルイーズの言葉に、憲兵の男の一人――小太りのがたいの良い男はニヤリと笑ってこう言った。

 

「……言うねぇ、嬢ちゃん。だがな、俺たちにも自尊心(プライド)ってもんがあるんだ。尊敬できる相手ならまだしも、任務に失敗して落ちぶれた人間に、あれこれ指図されたくないんだよ」

 

 正論とは言え、耳に痛い。

 エフェルローンは、心の中で苦笑った。

 

 だが――。

 

「先輩は……クェンビー伯爵は落ちぶれてなんかいません!」

 

 男たちの無礼な物言いに、ルイーズが声を荒げて反論した。

 その顔は、薄っすらと赤く上気している。

 

「じゃあ聞くが、なんでこいつは今現場にいる? そいつのライバルと目されていたキースリー伯爵は、今や憲兵庁長官様だ。この差を、一体どう説明する?」

「そ、それは……!」

 

 言葉に詰まるルイーズに、背の高い骨太の男は「ほら見ろ」とばかりにこう(たた)みかける。

 

「俺が思うに、そいつは人の上に立てる(うつわ)じゃなかったんだろうよ。考えてもみな。知力・体力・魔力―—どれをとっても平均以下。こんな奴が、数百人っていう部下の命と生活を守れると思うか?」

 

 その言葉に、ルイーズの両目がスッと細められた。

 栗色の双眸(そうぼう)に、静かな(いきどお)りの炎が(とも)る。

 

「……上に立つ人の器は人間性です! 技術や能力じぁやりません! それに、伯爵の検挙率は九割弱。同じ憲兵職でこれだけの検挙率を誇る人が他にいますか? 失礼にも程があります。伯爵に謝ってください!」

 

 憤怒(ふんど)形相(ぎょうそう)で一歩前に踏み出したルイーズを、背の高い骨太の男は鼻で笑い飛ばすとこう言った。

 

「謝る? そんな必要ないだろう。力がなきゃ、守るものも守れやしない。それがこの世界の現実だ。それとも、そこの小さい伯爵様は守り切れるとでもいうのかい? 数百人っていう部下の生活と命を、あんたが言う人間性とやらでさ!」

 

 そう言うと、男はルイーズの片腕を掴んでそれを後ろに(ひね)り上げる。

 そして、ルイーズの首に腕を回し、ルイーズを後ろ手に押さえ込んだ。

 

「はっ、放しなさい! 公務執行妨害で捕獲しますよ……!」

 

 身をよじりながら、そう言って男を睨みつけるルイーズ。

 

「…………」

 

 その光景を鋭く見据えるエフェルローンに、小太りのがたいの良い男はせせら笑いながらこう言った。

 

「ほら、よく見ろ! お前は自分の部下一人すら守れやしない、出来損ないの憲兵なんだよ!」

 

 そう言って、(あざけ)り笑う男たち。

 その言葉を無言で聞いていたエフェルローンは、男たちを下から睨み上げると、子供にしては低めの、凄みを利かせた声音でこう言った。

 

「……公務執行妨害だ。覚悟はいいな?」

 

 エフェルローンはそう言うと、蜂蜜色(はちみついろ)の前髪の間から覗く灰青色(せいかいしょく)の瞳に静かな怒りを湛えながら、両手の指をバキバキと鳴らすのであった。



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私念

――公務執行妨害。

 

 エフェルローンの脅しともとれるその言葉に。

 

 憲兵の一人――背の高い骨太の男は別段気にする様子もなく、それどころか、敵意剥き出しといった体でこう言った。

 

「実力の伴わない奴が何をほざいてやがる。まあいい、俺がお前に教えてやるさ。あんたが置かれている現実ってやつをな」

 

 そう言って指をバキバキと鳴らすと、男は更に首を左右に動かし肩を回した。

 それを横目で見ていた小太りのがたいの良い男は、好都合とばかりに唇を舐める。

 

「へっ、丁度いい。自分の立場ってのも分からせてやるか」

 

 そう言うと、憲兵たちはエフェルローンの前に壁のように立ちはだかった。

 憲兵といえども、人を殴り傷つければそれは立派な[暴行罪]である。

 

 驚いたルイーズは怒りも露にこう怒鳴った。

 

「あなたたち! それでも本当に憲兵なの? 仕事も差し置いて[私闘(リンチ)]? 死者を愚弄(ぐろう)するにも程があるってものよ!」

 

 そして、続けざまに鑑識責任者の男をきつく睨むと、噛み付くようにこう言い放った。

 

「それに責任者の貴方も! 何でこの憲兵たちを止めないんですか! 下手したら皆[暴行罪]で牢獄(ろうごく)行きですよ! それなのに、何もしないでただ傍観(ぼうかん)しているなんて……間違ってます!」

 

 怒りに肩を震わせそう叫ぶルイーズを鼻で笑うと、鑑識責任者の男は無精髭をさすりながらこう言い切った。

 

「これが[暴行罪]だって? 馬鹿言っちゃいけないぜ。こいつらにとっちゃあ、こんなの日常茶飯事、唯のじゃれあい、挨拶さ。上に報告するほどのものじゃない」

「貴方、自分が何を言っているかわかっているの?」

 

 憲兵の規律を無視した行動に、ルイーズは憤りを感じながらもそこはぐっと堪え、努めて冷静にそう言う。

 そのルイーズの言葉に、鑑識責任者の男は凄みの利いた低い声でこう言い放った。

 

「ここは俺たちの縄張りだ。俺たちのルールに従えないなら、ここから即、出ていきな」

 

 男の言葉に気圧されながらも、ルイーズは負けじとこう言い放つ。

 

「そんなこと、まかり通ると思っているの? 上に報告します!」

 

 そんなルイーズの脅し文句にも怯むどころか、鑑識責任者の男は小馬鹿にしたように鼻で笑うとこう言った。

 

「はっ、勝手にしな。まあ、上からの指示がある頃には、死体にゃウジが湧いてるだろうよ。さ、どうする? 伯爵さんよ」

「そんな、そんな言い分……!」

 

 怒りで唇を震わせながら更に食って掛かろうとするルイーズを小さな片手で制すると、エフェルローンは眉間に(しわ)を寄せ、ため息を吐きながらこう言った。

 

「分かった……もういい、ルイーズ」

 

 ある種の(あきら)めと(さげす)みを(はら)んだ言葉に、鑑識責任者の男は敏感に反応する。

 

「何が分かったって? なあ、小さな伯爵さんよ?」

 

 エフェルローンの言葉から少なからず悪意を感じ取った男は、そう言ってエフェルローンに詰め寄った。

 

「呪われる前ならいざ知らず、今のあんたに俺たちが馬鹿にできるのかい? なあ、プライドのお高い下級魔術師さんよ?」

 

 そう言って、冷たい目で見降ろす鑑識責任者の男を、エフェルローンはじっと見つめる。

 

(プライドのお高い、か)

 

 そう心の中で呟き苦笑(にがわら)うと、エフェルローンは男たちから目を逸らさすに、一歩、また一歩と近づきながらこう言った。

 

「プライドが高いが低かろうが、そんなの俺はどうだっていい。とにかく、死体を見せろ、今すぐにだ」

 

 そう言って男たちの目の前で立ち止まると、エフェルローンは不敵な笑みを浮かべながら男たちを下から睨みつける。

 だが、男たちにとって子供の姿のエフェルローンの脅しなど、子供だましでしかないのだろう。

 彼らはそんなエフェルローンに失笑の笑みを浮かべると、微動だにせずこう言った。

 

「家に帰りな、坊や」

 

 そのやり取りに嫌気が差し始めたエフェルローンは、呆れたようなため息をひとつ吐くと、何を思ったか、姿勢を正してこう言った。

 

「悪かった。俺が間違っていた。申し訳ない」

「えっ、先輩? 何言って……」

 

 ルイーズが呆然(あぜん)とした顔でそう呟く。

 そんなルイーズを尻目に、エフェルローンは頭を下げたまま男たちにこう言った。

 

「俺は確かに、あなた方の言うように使えない人材だ。本来なら、憲兵をやめるべきなんだろう。それが、未だに過去の実績を盾に憲兵隊に居座っている。しかも、任務のたびに国民の血税から[青銅の魔魂石]を支給してもらっている有様。それでいて憲兵としての特権を振り翳している俺を許せないというのは良く分かる」

 

 真摯な口調でそう言うと、エフェルローンは更に話を続けてこう言った。

 

「堅実な仕事を誇りとするあなた方に、俺はもっと敬意をもって接するべきだった。俺はあなた方と比べたら取るに足りない人間なのに……本当に申し訳ない」

 

 そう言って深々と頭を下げたエフェルローンは、そのままの姿勢でこう言葉を続ける。

 

「今更許される事とは思わないが、俺は事件解決のために、どうしても現場を確認する必要がある。だからどうか、無理を承知でお願いしたい。ここを通してくれ」

 

 そんな愁傷(しゅうしょう)なエフェルローンに、背の高い骨太の憲兵は吐き捨てるようにこう言った。

 

「ふん、初めからそうしてれば良いんだよ、出来損ないのチビが」

 

 だが、もう一人の小太りのがたいの良い憲兵は怒り収まらぬといった体で、こうのたまった。

 

「だがな、今更遅いってもんよ、伯爵さん。あんたのせいで、俺たちの自尊心はボロボロさ。あんた、一体どうやってこれを癒してくれるっていうんだ? あぁ?」

 

 エフェルローンの襟首を掴み、男はそう凄む。

 

「俺に、どうしろと?」

 

 努めて殊勝にそう尋ねるエフェルローンに、小太りのがたいの良い憲兵はえげつない笑みを浮かべてこう言った。

 

「そうだなぁ。とりあえず、靴でも舐めて貰おうか」

「ふ、ふざけないで下さい!」

 

 それにいち早く反応したのはルイーズであった。

 ルイーズは必死の形相で憲兵の男に詰め寄る。

 

「うるさいな、あんたは黙ってな!」

 

 憲兵の男はそう言ってルイーズを突き飛ばした。

 

「きゃっ」

 

 そのまま尻餅を付くルイーズ。

 その顔には信じられないという表情が浮かんでいる。

 

 ルイーズの無事を確認すると、エフェルローンは視線を憲兵の男――小太りのがたいの良い男――に向け、至極真面目な顔で尋ねて言った。

 

「靴を舐めればいいんだな」

 

 その言葉に、小太りの男はニヤニヤしながら頷く。

 

「ああ」

「ヤーヴェ神に懸けて誓うか?」

「いいぜ、誓ってやるとも。何度でもな」

 

(これ以上、この男たちの私念に振り回されたくはない。それに――)

 

 今こうしている間にも、上層部による証拠品の隠滅(いんめつ)が図られているかもしれないのである。

 エフェルローンは、自分の怒りの感情を押し殺すと、意を決してこう言った。

 

「分かった、いいだろう」

 

 ルイーズが目を見開いて猛抗議する。

 

「先輩! 何考えてるんですか! そんなの無視すればいいんです! 先輩? 聞いてます? 先輩ってば!」

「うるさい、黙ってろ!」

「うっ……」

 

 そう涙目で言葉を飲み込むルイーズを横目に。

 エフェルローンは小さなため息をひとつ吐く。

 

(一人の若者の死が、事件解決の糸口が、こんなことで有耶無耶(うやむや)にされてしまう……そんなのは、許せない。いや、許さない!)

 

 身を焦がすような屈辱感を覚えない訳ではない。

 

 だが、真実が闇に(ほうむ)り去られるぐらいなら、こんな茶番……さっさと終わらせるに越した事はない。

 

 エフェルローンは意を決するとツカツカと小太りの男の前まで歩み寄り、そして身を(かが)めた。

 その光景に、残りの憲兵や監察官たちの好奇(こうき)の視線が集まる。

 

 そして、漏れる下卑た笑い。

 

「先輩……」

 

 ルイーズが目に涙をためてその光景を凝視する。

 そして、エフェルローンが憲兵の男の薄汚れた靴の前に屈み、それに口を近づけようとした、そのとき。

 

「さっきから見ていれば……これってあれだよね、パワハラの反対の―—」

「逆ハラです」

 

 煉瓦色(れんがいろ)の髪の青年の言葉に、灰黒色(アッシュ・グレー)の髪を軽く固めた男がそうフォローする。

 

「誰だ、お前……」

 

 いい所を邪魔されたと言わんばかりの不機嫌な表情(かお)で、小太りのがたいの良い憲兵は煉瓦色(れんがいろ)の髪の男を(にら)んだ。

 他の憲兵や監察官たちも一斉にその男を見る。

 

 皆の視線を一身に受け、煉瓦色(れんがいろ)の髪の男はなぜか嬉しそうに微笑(ほほえ)むと、赤味(あかみ)掛かった紫の瞳を鋭く光らせるとこう言った。

 

「私かい? 私はレオン。レオン・フォン・カーレンリース。[紫眼の(プリンス・オブ・)貴公子(イビル)]とは、私の事さ」

 

「――――!」

 

 憲兵と鑑識官たちの顔は、面白いほど一斉に青ざめるのであった。



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マゾヒスト

「紫眼の……[悪魔の瞳(イビル・アイ)]のレオンだと? まさか!」

 

 引きつった笑みを浮かべながらそう言う小太りの男に、レオンはゆっくりと間を詰めるように歩み寄る。

 

「なんなら、試してみるかい? (もっと)も、試した後に生きている保障はないけれど?」

 

 その言葉に、憲兵も鑑識官たちも、一歩また一歩と後ろに下がっていく。

 

「逆ハラとはねぇ。見ちゃったからには放って置く訳にもいかないし。さて、どうしようかな?」

 

 ()らすように。

 

 レオンはそう言って考える仕草をする。

 

 逆ハラやパワハラは、アルカサールでは下手をすれば、[懲戒免職(ちょうかいめんしょく)処分(しょぶん)]に値する重罪であった。

 ただ、それを[指導]とか[教育]などとごまかしたり、コミュニケーションの一環だと言って、ぬるぬると言い逃れするものも多い。

 

 

 レオンの無言の圧力に、憲兵や監察官たちは青白い顔に浮かぶ汗を、強張(こわば)った表情のまま拭っている。

 

 そんな中、監察責任者の男が口元を引きつらせ、レオンのご機嫌を伺うようにこう言った。

 

「とんだところをお見せして申し訳ありません、伯爵。これは部下たちのちょっとした衝突、意見の行き違いってやつでして。この件に関しては私から彼らにきつく申し渡しておきますんで、ここはひとつご容赦のほどを……」

 そう言って、胸ポケットから革の財布を引き出すと、その中から金貨を数枚抜き出す男。

 そして、下卑た笑みを浮かべながらレオンのズボンのポケットに無理やり押し込もうとする男に。

 レオンは冷たい視線を落とすと、その手を強く払いのけてこう言った。

 

賄賂(わいろ)のつもりかい? 私はそんなのいらないよ。お金は腐るほどあるからね。それに、この一連の出来事を[部下のじゃれ合い]とか、[教育の一環だ]とか色々理由をつけて言い逃れしようとするのも無しだ。逆ハラは逆ハラ、それ以上それ以下でもない」

 

 容赦ないレオンのその言葉に、憲兵や監察官たちの顔は完全に血の気を失っていく。

 それからレオンは、地面に四つん()いになっているエフェルローンを冷たい目で見下すと、強い語調でこう言った。

 

「それにしても、クェンビー伯爵。一体君は何をしているんだい? 全く、プライドの固まりみたいな君がまた妙なことを……全くをもって不健全だ、止めたまえ」

 

 その顔は、レオンにしては至極真面目で、並々ならぬ嫌悪感に満ち満ちていた。

 

「まあ、元々自分を(いじ)めるのが好きなマゾヒストだっていうのなら、止めはしないけれど」

 

(マゾヒスト、か)

 

 エフェルローンは心の中で(わら)う。

 四年前のあの事件以来、その()はあるかもしれない。

 

「…………」

 

 口元を拭い、エフェルローンはすくっと立ち上がった。

 そして、うつむき加減で灰青色(はいせいしょく)の瞳レオンに向ける。

 

 それを見届けると、レオンは鼻を鳴らして実行犯の男たちを見た。

 そして、彼らを高圧的に見下すと、有無を言わせぬ強い口調でこう言った。

 

「そこの憲兵二人。君らは直接手を下した現行犯だ、憲兵棟に戻れ。処遇については追って沙汰する。そして、監察班長、君も部下の管理指導不行き届きということで、追って沙汰する」

 

 その言葉に、事態を見守っていた憲兵や鑑識官たちの間から小さな悲鳴が起こる。

 

 レオンの言う[処遇(しょぐう)]―—それはつまり[懲戒免職(ちょうかいめんしょく)]を意味していたからであった。

 

 憲兵班長、そして、憲兵の男たちの顔が瞬時に青ざめる。

 だが、すぐに骨太の男はレオンの前にひざまずくと、額を地面に擦り付けながら涙ながらにこう言った。

 

「ま、待ってください伯爵! どうか[懲戒免職(ちょうかいめんしょく)]だけはご勘弁を! 職務停止でも、減給でも、何でも受けますから!」

 

 骨太の男がそう取り乱したように叫ぶと、小太りの男も必死の形相でこう訴える。

 

「かっ、家族がいるんです、妻も子供も両親も! 今回の件は謝ります。どんな刑罰も(いと)いません! ですから、どうか[懲戒免職(ちょうかいめんしょく)]だけは!」

 

 だが、レオンはそれを一笑に付すとこう言った。

 

「私はアルカサール王国の貴族だ。アルカサールの法律を率先して守る義務がある。どんな理由があるにせよ、それを曲げる訳にはいかない……()ね」

 

 レオンの無慈悲(むじひ)容赦(ようしゃ)のない一言を背に、憲兵の男たちは後ろを振り返ることなく、肩を丸め、よろよろとその場を去っていくのであった。



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法の穴

 去っていく男たちの背中を見送りながら、レオンは他の憲兵や鑑識官たちにこう言った。

 

「他の者は仕事に戻るように。見て見ぬ振りをしていた者も同罪としたいところだが、まあ見逃してやろう。以上だ、()れ」

 

 戦々恐々とと云った体で、そそくさと持ち場に戻る憲兵や鑑識官たち。

 それを冷めた目で追っていたレオンは、視線をエフェルローンに移すとこう言った。

 

「悪いね、クェンビー伯爵。私に出来るのはここまでだ。直接手を下していない者を罰する法律はアルカサールにはないからさ。法律も万能では無いってね」

 

 そう言って、皮肉な笑みを浮かべて見せるレオン。

 

「でも、そんなの不平等だろ? だからちょっとこうするのさ……」

 

 そう言うと、レオンは周りに聞こえるような声音でわざとらしくこう(のたま)った。

 

「まあ、私刑(しけい)にするってのもありだが、国王の叔父である手前、軽率な行動は(つつし)まなくてはいけなくてね。義兄(あに)のジュノバ公がうるさいんだ。でも、バレなければいいかな、なんて、ね?」

 

 現場の空気が一気に凍りつく。

 

「まあ、冗談だけどさ。でもそのくらい、私もこの件……特に、傍観者(ぼうかんしゃ)を決め込んでいた小賢(こざか)しい奴らに関しては、並々ならぬ(いきどお)りを感じているってことだよ」

 

 冗談とも本気とも付かない口調でそう言うと、レオンは改めてエフェルローンにこう忠告した。

 

「それにしてもだ、クェンビー伯爵。あれはやめておけ。今回はあのぐらいの要求で済んでいるが、物事とはエスカレートするものだ。最後には収拾(しゅうしゅう)が付かなくなって、死人が出るぞ」

「分かってますよ、今回はちょっと訳ありだったので」

 

(余計なお世話だ。俺には俺なりの考えってのがあるんだっての)

 

 憮然(ぶぜん)とした表情で、エフェルローンはそう心の中で言い訳をする。

 そんなエフェルローンに、レオンは困ったような笑みを浮かべながらこう言った。

 

「頼むよ、伯爵。そうでないと、この子が悲しむ」

 

 そう言って、レオンが示した視線の先、その先には――。

 

「…………」

 

 目に涙を浮かべたルイーズの姿がそこにはあった。

 エフェルローンはあまりの気まずさに、視線を()らし頭を()きながらこう言った。

 

「その……済まなかったな、ルイーズ」

 

 その謝罪の言葉に、ルイーズは涙を人差し指で拭いながら笑顔でこう言った。

 

「いえ、先輩が嫌な思いせずに済んで良かったです」

 

 それにしても、とエフェルローンは思う。

 レオンとルイーズ、一体どんな関係があるのだろうか?

 

 エフェルローンは個人的な興味もあり、こう尋ねた。

 

「それはそうと伯爵。さっきの『この子が悲しむ』っていうのは、いったいどういう意味なんです? この子と伯爵にはどんな関係が?」

 

 そう言って困惑するエフェルローンにレオンは笑いながらこう言った。

 

「気になるかい?」

 

 からかい交じりにそう言うレオンに、エフェルローンはため息を吐きながらこう言った。

 

「ええ、まあ……伯爵から預かっている大事な部下ですし」

 

 真面目な口調でそう問うエフェルローンをなぜか残念そうに眺めると、レオンはくすりと笑いながらこう言った。

 

「この子はね、私の知り合いの妹でね。もう六年ぐらいかな、後見人(こうけんにん)を務めているんだ」

「そう、だったんですか」

 

紫眼の(プリンス・オブ・)貴公子(イビル)]――人を呪い殺せる危険な男に友人がいるということに、エフェルローンは軽い驚きを覚えた。

 

(こんな危ない男と(きずな)を結ぶなんて、一体どんな物好きなんだ?)

 

 そんなエフェルローンの心中など知ってか知らずか、レオンは念を押すようにこう言った。

 

「そんな訳で、出来るだけこの子が悲しむような事はしないようにしてくれたまえ、頼むよ」

 

(そんなこと言われても)

 

 未来の事なんて分かるわけがない。

 この後、何が起こるのかだって分からないのだ。

 

 ただひとつ、言えることがあるとすれば。

 

「……善処します」

 

 無表情の下に釈然(しゃくぜん)としない思いを隠しながら、エフェルローンはそう言った。

 

「よろしい」

 

 そう満足げに頷くレオンに、遠慮がちに声を掛けたのはルイーズであった。

 彼女は、一瞬言葉を発するのを躊躇(ためら)うものの、意を決したようにこう言った。

 

「あの……カーレンリース伯爵」

「うん?」

「ありがとう、ございました」

 

 その言葉に、いつになく穏やかな笑みを浮かべると、レオンは深く頷いてこう言った。

 

「何事も無くて良かったよ。と、さて」

 

 そう言うと、レオンは手もみしながらこう言った。

 

「では、行くとするかな」

「は?」

 

 嫌な予感にエフェルローンは身を堅くする。

 

「事件なんだろう? 解決しなくていいのかい?」

「はぁ……」

 

(付いて来るつもりなのか、この人たち)

 

「まいったな」という言葉を飲み込み、エフェルローンは意を取り直して捜査を再開するのであった。



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過去の栄光

「……残魔(ざんま)があるな」

 

 幕壁(カーテンウォール)に挟まれるように立つ側防塔(そくぼうとう)の入口部分。

 その入口に足を踏み入れたレオンは、そう言って辺りを見渡した。

 

 こう見えても、彼はこの国で最も力のある魔術師である。

 ほんの小さな魔力の残片(ざんぺん)や空間の(ゆが)みでさえ、彼には手に取るように見えるのだった。

 

「あ、確かに……微かにですが、感じます」

 

 大学を首席で卒業した経歴を持つルイーズも、そう言って辺りをきょろきょろ見回す。

 

「…………」

 

 悲しいかな、魔力が格段に落ちているエフェルローンには残魔(ざんま)の気配はほとんど察知(さっち)できない。

 こんなとき、昔の自分の事が脳裏を(よぎ)る。

 

 魔力と自信に満ち溢れていたあの時――栄光と誉れを一身に浴びていたあの頃。

 自分が失敗することなど無いと、信じて疑わなかった過去の自分―—。

 

「先輩?」

 

 ルイーズが不思議そうな顔をしながら、エフェルローンの顔の前で手を握ったり、開いたりを繰り返している。

 

 ―—戻りたい、でも、戻れない。

 

 過去に想いを馳せ、過去の栄光に縋ろうと未だに藻掻く自分自身に、エフェルローンは苦々しく舌打ちした。

 

「チッ」

 

 エフェルローンは目障りなルイーズの手を不機嫌そうに払い()けた。

 払われた手を擦りながら、ルイーズが不服そうに(ほお)(ふく)らませる。

 そんなルイーズを横目に、エフェルローンは側防塔(そくぼうとう)の中に足を踏み入れた。

 

 ひんやりとした空気を肌に感じながら、光の届かない奥へと足を進めていく。

 と、そこにはいつの間に奥まで入ったのだろう、レオンが顎に手をやり[何か]をじっと眺めている。

 その横には、灰黒色(アッシュ・グレー)の髪の壮年の男性が、どこから手に入れたのか、ランタンを頭上に(かか)げながら同じように何かをじっと見つめていた。

 彼は、レオンの側近で名をヨハン・ヘイムと言った。

 かなりの剣の使い手であるらしいのだが、しょっちゅう胃を(わずら)っていることから、[胃炎のヨハン]としてその名が知れ渡っている。

 

 まあ、主が主である。

 それもある意味、仕方のないことなのかもしれない。

 

(ったく、ここは俺の持ち場だってのに)

 

 エフェルローンは面白くなさそうに、二人の背後の隙間から[何か]を(うかが)う。

 

 すると、そこには――。

 

「死体だな、しかもまだ若い」

「残念ですね」

 

 被害者が若い事に心を痛めている様子のレオンに、側近ヨハンは額に片手を当て、数秒黙祷する。

 

「これが、残魔(ざんま)大元(おおもと)か」

 

 そんな二人の間を強引にすり抜けると、エフェルローンは死体の前に片膝をついた。

 

「まったく、強引だねぇ」

 

 レオンが呆れたようにそう言って苦笑う。

 そんなレオンの言葉など気にも留めず、エフェルローンは黙々と目の前のするべき事をこなしていった。

 

 (たる)(たる)の間に、(はさ)まるように死体がひとつ。

 投げ出されている訳でも、傷つけられている訳でもない。

 それは、まるで、大切なものでも扱うかのように丁寧(ていねい)に布に包まれ、(すわ)らされている。

 首筋に絞められたような跡や目の充血はないことから、窒息死は除外できる。

 それに、目立った外傷も無い事から、失血死(しっけつし)も除外できる。

 

 あと、気になる点とすれば。

 

「……残魔(ざんま)、か」

 

 魔力の劣るエフェルローンにも分かるぐらいの強烈な残魔痕(ざんまこん)

 

生命力(ゾイ)精神(ヌス)も、根こそぎ搾り取られているな。悪意というか執念というか、そんなものを感じるな」

 

 レオンが不愉快そうに、そう率直な感想を述べる。

 

「悪意、執念。犯人が抱いている感情なんて、皆そんなもんですよ。まともな感情なんかありゃしない」

 

 エフェルローンは吐き捨てるようにそう言うと、他に何か手がかりはないかと死体の周辺を捜し始める。

 死体の下には死体を包んでいたのだろうか、膝掛けのようなものが敷かれている。

 

「それにしても……膝掛けで死体を包む、か。犯人は知り合いか? ということは、顔見知りの犯行……」

 

 と、そのとき――。

 

「先輩、これ……」

 

 そう言ってルイーズが指差したその先には、細い(ひも)で編み込まれた細い折紐(おりひも)が一本。

 

「腕輪、ですか?」

 

 側近のヨハンがそう言って首を傾げる。

 死体の片腕には、何色かの色で幾何学的(きかがくてき)に編み込まれた腕輪があった。

 ルイーズが、思い出したようにこう言う。

 

「先輩! それ……フィタですよ、きっと! 昨日の夜、先輩のお友達がみせてくれた……」

「フィタか。確かに、似ているな」

 

 昨日、ディーンとギルがしていたあの腕輪(フィタ)

 モチーフは違えど、編み方は全く同じである。

 

「ルイーズ、前の案件の遺留品の中に、フィタってのはあったか覚えているか?」

「すみません、先輩。そこまでは」

「…………」

 

(大体の事は暗記してるんだが……くそっ、自惚(うぬぼ)れたな)

 

 エフェルローンは下唇を噛んだ。

 そんなエフェルローンを横目に、突然レオンはこんな事を言ってきた。

 

「そうだ、知っているかい? フィタってさ、ベトフォードっていう都市の民芸品だったんだよ。なんでも、(ひも)が切れると願いが叶うってそりゃもう、馬鹿売れでね」

 

 エフェルローンは死体の腕を見た。

 フィタは、引きちぎられたように切れている。

 

「彼の願い、叶ったのかねぇ」

 

 しみじみとそう呟くレオンの言葉に、エフェルローンは思う。

 

 この男の願いは一体、どんな願いだったのだろうか、と。

 

 と、そのとき――。

 

 一人の憲兵が、息を切らしながら側防塔(そくぼうとう)の中に飛び込んできた。

 

「何事だ?」

 

 エフェルローンは鋭い眼光を憲兵に飛ばす。

 続けて、レオンやレオンの側近の男、そしてルイーズも緊張した面持ちで憲兵を見つめる。

 憲兵は、エフェルローンに敬礼をすると、早口にこう言った。

 

「死体が、また死体が出ました!」

「被害者は?」

 

 畳み掛けるようにそう尋ねるエフェルローンに、なぜか憲兵は動揺したようにこう言った。

 

「そ、それが」

「それが、なんだ?」

 

 イライラと、言葉少なに問い詰めるエフェルローン。

 そんなエフェルローンに恐れをなしたのだろう、憲兵はしどろもどろになりながらこう言った。

 

「その、それが我々の同僚でして……」

「憲兵が狙われたのか?」

 

 おどおどする憲兵に、レオンが驚いたようにそう言った。

 

「はい。その、被害者というのが憲兵魔術師のノーランド捜査官でして」

「えっ」

 

 エフェルローンの心臓が一瞬、凍り付く。

 

「ノーランド捜査官?」

 

 ルイーズはそう言うと、「誰?」というような顔をして首を傾げる。

 憲兵は、気を取り直したように背筋を正すと、今度はハキハキとこう言った。

 

「はい。残念ながら我々の同僚、ギル・ノーランド捜査官が何者かによって、殺害されました」

「そんな、ギルさんが!」

 

 ()を見開き、ルイーズが両手で口元を押さえる。

 

「知り合いかい?」

 

 レオンの問いに、ルイーズは頷きながら答える。

 

「はい。昨日の夜、夕食をご一緒して、それで別れて……」

 

 ルイーズの動揺する声を背に、エフェルローンは両手をグッと握り締める。

 

 度胸と愛嬌のある、気遣いの男――ギル。

 魔術の腕も、戦闘の勘も悪くない、そんな男が一体どうして――。

 

「ギル……嘘だろ、おい」

 

 エフェルローンは頭を殴られたかのような衝撃に、思わず頭を抱えるのであった。



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娼婦の涙

 それから数日後――。

 

 日の光の届かない、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした日の午後。

 ギル・ノーランド捜査官の葬儀が行われようとしていた。

 

 ギルの死因は、生命力(ゾイ)精神力(ヌス)を極度に抜かれた事によるショック死。

 鑑識によると[魔魂石]にされた可能性は高い、という事であった。

 

 葬儀の参列者は、十数人。

 その中には、エフェルローンの直属の上司であるキースリーや魔術師団の顧問を務めるレオン、そして、ギルの相棒ディーンの姿もある。

 皆、黒い服に身を包み、神妙な顔をして目の前の光景をじっと見つめていた。

 

 芝の敷き詰められた小奇麗な墓地の、深く掘られた縦長の穴の底に、ギルの眠る棺がひっそりと置かれている。

 神父の祈りの言葉が終わると同時に、ディーンが赤い薔薇の花を一輪投げ入れた。

 それに続いて参列者がひとり、またひとりと、一輪の花を投げ入れていく。

 それでも、棺を覆うにはあまりに少な過ぎる花たちに、エフェルローンは心に痛みを覚えた。

 

(ギル……俺は、お前が苦しい時や辛い時、何か役に立てていただろうか)

 

 過ぎ去った時間(とき)を思い返し、エフェルローンは唇を強く噛む。

 何か出来たかもしれない、そう思うと、本当に悔やんでも悔やみきれない。

 神妙な顔で下を向くエフェルローンに、ふとルイーズが小声でこう尋ねてきた。

 

「あの、先輩? ギルさんて、ご家族やお友達の方はいらっしゃらないんですか?」

 

 あまりの人の少なさに、ルイーズが不思議そうにエフェルローンに尋ねる。

 しかし、その質問に答えたのはエフェルローンではなく、監察所属のダニーであった。

 彼もエフェルローンやディーンと同様、ギルとは大学時代からの知り合いであり、数少ない友人の一人である。

 ギルの死を知って、さぞ動揺したことだろう。

 現に、その顔色はいつにも増して青白い。

 

「家族は全員、六年前の[爆弾娘(リズ・ボマー)]事件の大爆発で亡くしたそうです。友人は……同僚とか仲間内(なかまうち)とかで騒がしい付き合いは結構あったみたいですけれど、腹を割って打ち解けた話が出来る友人らしい友人は、あんまりいなかったみたいですね」

 

 ギルは、元々面倒見の良い社交的な男である。

 だが、[大爆発]事件――[爆弾娘(リズ・ボマー)]事件があって以来、人との間に少し距離を置くようになった気がしないでもない。

 昔なじみのエフェルローンやディーン以外には。

 いや、もしかしたら……エフェルローンやディーンにさえ、密かに距離を置いていたのかもしれない。

 

(まさか、な)

 

 若干の不安も覚えながらそう心の中で呟くエフェルローン。

 

 と、そのとき――。

 

 突然、見知らぬ女がエフェルローンの隣で立ち止まった。

 

(誰だ?)

 

 そう鋭い眼光を飛ばすエフェルローンを、全く意に介することなく。

 栗色の波打つ長い髪をそのままに、女はじっと棺を見つめながらこう言った。

 

「彼、事あるごとに言っていたわ」

 

 そう言うと、見知らぬ女はウェーブの掛かった長い髪の毛を気だるそうに掻き揚げる。

 そして、花がまばらに散っている棺を悲しそうに眺めると、言葉に憤りを滲ませながらこう言った。

 

「[大爆発]事件の犯人――[爆弾娘(リズ・ボマー)]が許せない……って。それは、私も同じ」

 

そう言って、栗色の髪の女は涙も流すことなく棺を感情の灯らぬ瞳でじっと見つめるのであった。

 



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ギルの秘密

「許せない、ですか」

 

 その言葉に、ルイーズの顔色が少し青ざめる。

 そんな他人の様子など気に留める風もなく、女は棺を見つめながら自嘲気味にこう言葉を続けた。

 

「あたしの仕事、なんだと思う? 売春婦よ。街が破壊されるまでは、普通の町娘だったのにね。でも、あの焼け野原の中で生きてく為にはこの仕事しかなかった。それもこれも、皆あの[爆弾娘(リズ・ボマー)]のせい。あの女のせいで、人生めちゃくちゃ……でもね、人生を破壊されたのは何も、あたしだけじゃない。ギルもその内の一人」

 

 苦々しくそう言い放つ女に、ダニーが不審そうにこう尋ねた。

 

「失礼ですが、貴方とギル先輩のご関係は?」

 

 女は目を閉じ、鼻で笑うとダニーの顎を上向かせてこう言った。

 

「あたし? そうね……何かしら。ギルはね、あたしのお客だったの。でも、あたしたちの間には奇妙な絆があって……友人? 恋人? まあ、そんなようなものかしら。だからかしらね、ギルが亡くなったって聞いて、あたし……いても立ってもいられなくて、ね」

 

 しんみりと、女はそう言って、ダニーの顎を指で弾いて一瞥した。

 

「つまり、お知り合い……と、そういう訳ですね」

 

 顎を擦るダニー。

 

「さあ、どうかしら」

 

 女は伏し目がちにそう笑うと更に続けてこう言った。

 

「あとギルはね、こんなことも言っていたわ。『やっと、[爆弾娘(リズ・ボマー)]に罪を償わせる道具が揃う』ってね」

「道具が揃う、ですか。それって、どんな道具なんでしょう?」

 

 ルイーズがおずおずとそう尋ねる。

 

「さあ。分からないわ。ただ、そう言っていたのは確かよ」

 

 女の言葉に、ルイーズは何かを考えるように下を向く。

 

「『罪を償わせる道具』、か」

 

 そう言うと、エフェルローンは顎に手を当て思考の世界に沈む。

 

(ということは、ギルは自らの手で[爆弾娘(リズ・ボマー)]を私刑にするつもりだったということなのだろうか。ならば、犯人はそれを良しとしない人物……)

 

 エフェルローンはレオンを見る。

 

爆弾娘(リズ・ボマー)]を殺されたくない人物―—その筆頭は、[爆弾娘(リズ・ボマー)]の実の兄、大陸で最も力あるとされる大魔術師レオンだろう。

 だが、彼が本気で動けば、こんな小さな事件など事件にすらならないで闇に葬られていただろう。

 ならば、あと考えられるとすれば。

 

([爆弾娘(リズ・ボマー)]本人か)

 

 だが彼女は今、レオンの監視下の元、彼の館に幽閉されていると聞く。

 ただ、本当に幽閉されているのか否かは全く定かではない。

 

(やっぱり、彼女がギルを殺した犯人なのか)

 

 エフェルローンは更に自分に問いかける。

 

爆弾娘(リズ・ボマー)]の魔力は確かに甚大だが、それを自在に操れるかと問われれば、否だろう。

 ギルと対峙し魔法を発動させたところで、魔力が暴発し、また街がひとつ消し飛ぶだけだとエフェルローンは推測する。

 そうなれば、[爆弾娘(リズ・ボマー)]にもう未来は無い。

 待つのは、死のみである。

 

(そんなリスク、犯すはずが無い、か)

 

 エフェルローンがそんな思考の世界に沈んでいると、娼婦の女はエフェルローンに視線を落としてこう言った。

 

「あなたがエフェルね?」

 

 その問いに、エフェルローンは返事をする代わりに頷いて見せた。

 女は口元に微笑を湛えながらこう言った。

 

「ギルが言ってたわ、『あいつは唯の魔術の天才じゃない、物事に懸ける執念が半端無い。だから、何かあったときはあいつに頼むのが正解だ』ってね」

「そう。あいつ、そんな事……」

 

 エフェルローンはそう言葉を濁した。

 

(そこまで俺のことを信頼していたのか。あいつ、そんなこと一言も……)

 

 悔しさがじわじわと込み上げ、エフェルローンは口元を片手で覆うと、瞳を涙で滲ませた。

 そんなエフェルローンの様子に、娼婦の女は切ない笑みを浮かべると、人目を憚ることなく涙ながらにこう言った。

 

「お願い。ギルの(かたき)を討って、エフェル。ベトフォードにいた家族も友人も仲間もみんな失って。人並みの幸せも知らない内に、自分の命までも失ったのよ、あいつは! あんまりよ、ほんと……あんまりだわ! だから、あなただけが頼りなの。犯人を捕まえて! そして、受けるべき罰を与えて! お願いよ……」

 

 エフェルローンの肩を両の手で揺すると、女は流れる涙もそのままに、声を震わせながらそう言った。 

 女の涙が、エフェルローンの肩を濡らす。

 

(そうか、この人はギルのこと)

 

 そう認識すると、エフェルローンは栗色の髪の女をまっすぐに見つめ、力強くこう言った。

 

「分かった、俺の出来る限りの事はしてみるよ」

 

 エフェルローンはそう言うと、肩に乗せられた女の手を片手で軽く叩いた。

 

 その言葉に安心したのだろう。

 女は目頭を片手で拭うと口元に儚く笑みを浮かべてこう言った。

 

「ありがとう、エフェル……」

 

 そして女は、その後、一度も振り返ることなくそのまま去って行くのだった――。 



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