狩人、百竜狩りの夜をウキウキ徘徊す。 (回転ノコノコ)
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プロローグ
百竜狩りの夜


 竜、列を為す。

 いや、それは竜なのだろうか。

 細長い脚で大地を掻き鳴らしながら蠢く、巨蜘蛛。

 鋭い鎌のような尾を持った、齧歯類を思わせる風貌の影。

 まるで猿のようだが、皮膜や伸びた鼻をもつ異形の獣。

 

 奇々怪々。

 迫る獣の群れは、まさに異形の化物たち。

 

 随分と冷えた月夜に、呻き声を上げながら迫り来る影。

 そう、それは百竜狩りの夜──

 

 

「──今宵の群れは随分と多いですね」

 

 ここは、辺境の隠れ里『カムラの里』付近にある渓谷。

 その事象は、随分と古く、この地に、そしてこの里に根深く絡んでいる。

 

 『百竜夜行』

 カムラの里は、五十年前、この現象により存亡の危機に瀕していた。

 それは、百を思わせる竜が群れを為し、阿鼻叫喚と夜を駆け抜ける悪夢。

 群れを為すは、牙獣、鳥竜、飛竜、獣竜、海竜と多種多様。種族も性質も異なる多種多様の竜が、ただ狂奔するのである。

 原因は不明。数十年に一度起こる、災禍そのもの。

 

 狩人が立つこの場所は、『翡翠の砦』と名付けられている。

 百竜夜行を食い止める、里守たちの前線基地。

 

「狩人さん、随分と機嫌が良さそうですな」

 

 物資を運んでいた里守が、風に当たっては心地よさそうに目を細める狩人を見て、思わずそう話し掛けた。

 一方の狩人は、その声に気付き、にこやかに微笑むのだった。

 

「えぇ、大変心が踊っております。良い香りが、漂ってきてますので」

「香り……?」

 

 その言葉に、里守の男は鼻を忙しなく鳴らすが──狩人の言う香りが何かは、分からなかった。

 破龍砲を充填させる燃石炭の香り。

 配置されるバリスタの、良質な木材の香り。

 狩人や里守たちを支える物資と、柔らかな米の香り。

 

 狩人は、鼻歌を溢しながら歩き出す。

 銅鑼が鳴った。

 群れが、この翡翠の砦になだれ込む。百竜の群れ、第一陣の到達を知らせる響きだった。

 

 狩人は笑う。

 その群れから漂う血の香りを吸い上げて、たまらなさそうに笑みを溢す。

 誰も彼も、血飛沫を上げている。

 誰も彼も、自らの傷を気にしている余裕すらない。ただ、深く甘い血の香りを醸しながら走り続けるのみ。

 その香りを、狩人は存分に吸って──武器を静かに抜き放つのだった。

 

 

 

「うわああぁぁ! 来るなァ!!」

 

 大砲を握る里守の元へ、鋭い刃翼が迫る。

 その砲身には棘が刺さり、もはや使い物にすらならなかった。それでも縋るしかない里守ごと、刃翼は砲身を切り裂いた。

 

「がっ……!」

 

 砲身が盾になったとはいえ、その刃は彼の腹部を易々と引き裂いていた。

 とめどなく、血が零れる。虫の息のように倒れる里守を前に、その刃の主は荒々しく鼻を鳴らした。

 黒く、木々の影を思わせる体毛。両腕から生えた、刃のような翼。長くしなる、鞭のような尾。

 その目は、爛々と赤く輝いていた。まるであの空に浮かんでいた月のように。

 迅竜、ナルガクルガ。肉食性の、危険な飛竜である。

 

「やめ、やめてくれ……」

 

 か細いその声は、もはやただの命乞い。

 しかし、言葉の通じぬ獣には、一切の意味はない。

 傷だらけのその獣は、ただ目の前に餌ができたと思うだけだろう。もはや矜持も余裕も捨て去った彼は、その死にかけの肉を、貪るのみ──

 

 とは、ならなかった。

 股下から腹を引き裂く、狩人の魔の手が伸びたのだから。

 頬にまで飛んだ血飛沫に、里守の男は小さな悲鳴を上げた。

 

「ひっ……!」

 

 背後からの不意打ちに、隙を晒したナルガクルガ。

 その腹部に向けて、狩人は手を伸ばす。皮を超え、肉を裂き、深部を掴んだ。同時に、引き抜く。大量の肉を、肉袋の内側から引きずり出した。

 

「むふぅ……」

 

 狩人の纏う帽子もコートも、何もかもが赤く染まる。

 その血の香りに、狩人は満足そうに鼻息を鳴らすのだった。

 

「か、狩人さん……っ!」

 

 何かを必死に伝えようとする里守の声。

 それは、ナルガクルガがまだ息絶えていないことの証。大穴を開けたその体に鞭を打ち、全身を猛回転させる。左から右へ、薙ぎ払うように振るわれた尾。その尾こそが、まるで鞭のようでもあった。

 狩人は、屈むようなステップで尾を躱す。それも、前に踏み出しながら。

 

「ふっ……」

 

 押し殺すような吐息と共に、彼は剣を振るう。

 右手に持ったその剣で、迅竜の体毛を削ぎ落とした。

 しかし、その尾はまだ止まらない。今度は逆方向に、その尾を横薙ぎにするのだった。

 

「狩人さんっ!!」

 

 脇腹を打ち付けられ、軽々と飛ぶ。

 飛んで、砦の石畳へと叩き付けられて。狩人は、マスクの下から、どぼっと血を溢した。

 

「──っふ」

 

 弱々しく倒れ込む。致命傷だ、里守の誰もがそう思った。

 しかし倒れる瞬間に、彼の右脚は、前に踏み込まれた。

 

「っふ、ふふ、ふっふっふ……!」

 

 狩人は、笑う。

 抑え切れなくなったように、笑う。

 

 獣の返り血と、自身から滴る血で、全身を真っ赤に染めるその男。

 かつては黒いコートだったそれも、今や見る影もない。それでもその男は、笑うのだった。楽しくてどうしようもない、そんな幼子のような笑みだった。

 

 ゆらりと歩くその姿は、まるで死者や亡霊の類にさえ見える。

 その不気味な姿にナルガクルガは唸り声を上げ、飛び上がった。所詮は死にかけ、飛び掛かればとどめを刺せるだろう。そんな魂胆だったのだろうか。

 だが、狩人は迫り来る巨体に慌てることも、逃げることすらもせず、ただ静かにポケットに手を伸ばすのだった。

 現れるは、青白い粘糸を放つ小さな虫。カムラの里では、翔蟲と呼ばれている。

 

「さぁ、お行きましょう──」

 

 狩人は、ようやく背中の獲物へ手を掛けた。

 それは、まるで亀の甲羅のような巨大な盾。右手の剣と一対となる、堅牢な壁である。

 その盾に、自身の体に、翔蟲は糸を絡める。彼が吹き飛ばされないように、粘糸で彼と大地を縫いとめるのだった。

 

 カァン! と、盾と牙が擦れ合う。

 甲高い音と共に生まれた衝撃を飲み込むは、剣に備えられた金色のビン。

 中を満たすその液体は、激しく気泡を上げながら膨張し──狩人はそれを全て、盾に注ぎ込むのだった。

 

「さてさて……」

 

 盾に、剣を突き刺して。

 一対の剣と盾は、重なり合わせることで真の姿を現すのだ。

 工房の真髄、堅固と猛追の極致。

 鋭き剣圧を威力に換え、重斧をもってこれを放つ。

 機巧と技巧の粋を集めた、最新鋭の合体武器。

 

「覚悟は──いいですか」

 

 人はそれを、『チャージアックス』と呼ぶ。

 そして狩人は、かつて愛したあの武器(・・・・)を、重ね合わせるのだった。

 

 振り下ろされるは、かつて盾であった重き刃。それが、膨張しかねないビンの出力によって、猛回転する。

 そう、それはまるで、回転する(ノコギリ)のように。

 迅竜の頭から叩き割り、そのまま肉を骨ごと削ぎ落とす。弱り掛けのその獣は、あっさりと脳髄を曝け出すのだった。

 

 巨体が、倒れ伏す。鮮血を撒き散らし、この砦を真っ赤に染めながら、あの黒い悪魔はようやく事切れた。

 見れば、彼が歩いてきた背後にも、同様の血飛沫が転がっている。巨蜘蛛も、獣も、翼を持つ猿でさえ。皆一様に、無残に肉を削ぎ落とされて息絶えていた。

 つまりこの狩人は、これまで迫ってきた竜の群れを、皆仕留めていたのだった。その事実に、里守の男は安堵するものの──

 

「……あ、あぁ……か、狩人さん! まだ、まだきやがる……!」

 

 それらも所詮、百竜のうちの数匹。

 渓谷の影から顔を出すのは、舌を口から溢しながら走る、青熊獣アオアシラ。忙しなく鼻を動かて歩く盲者、フルフル。空を舞っては花火を降らす傘、アケノシルム。そして、大量の泥を撒き散らす巨体、泥翁竜オロミドロ。

 多種多様な獣の群れだった。これまでの猛攻で疲弊していた里守衆は、目の前の群れを前にして悲鳴を上げる。

 だが、彼だけは違った。この狩人だけは、闇に蠢く獣の群れを見て、小さく笑うのだった。

 

「ふふ……」

 

 嗚呼、これが百竜狩りの夜だ。

 回転ノコギリと化した重斧を持って、狩人は笑みを溢しながら歩き出す。

 

 唸り声を上げる。

 それは獣か、ノコギリか。はたまた獣のように笑う、狩人か。

 機械音と共に肉と骨が削ぎ落され、断末魔と引き笑いが木霊する。

 夜が明けた頃、この砦には数多の獣の残骸が残っていた。その屍の山の上で、狩人だけが満足そうに、「むふぅ……」と鼻を鳴らすのだった。

 

 

 

 百竜狩りの夜は、明けた。

 だがいずれ、次の夜が来る。百竜狩りの夜に、終わりはない。

 その原因は分からないのだから。これがいつ始まり、いつ終わるか、それは誰にも分からないのだから。

 だから諸君、気を付けたまえよ。

 

 




獣狩りの狩人が、百竜夜行に加わったことを想定した思考実験
それに付随するように、カムラの里でのやりとりが行われるだろう
しかしそれは所詮、ただの観測者の妄言に過ぎない
深く気に留める必要もないだろう。我々はただ、狩ればいいのだから

みたいな感じでブラボのフレーバーテキスト風に本作品の解説を入れつつ、第一話を締め括らせていただこうと思います。愉快な狩人と里の住民のやりとりが描ければいいな。ついでに狩人の声は、MHRiseのボイス6番、敬語の紳士をイメージしてます。「覚悟はいいですかッ!?」の声とても好きです。


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狩人と、焔の里
眠り、そして目覚め(1)


 ヤーナムの夜風は、いつだって心地の良い香りを運ぶ。

 それはガス灯の燻る煙か。

 蔓延する火の粉の風か。

 はたまた、徘徊する獣の、血の香りだろうか。

 

 狩人は、あの夕暮れからヤーナムを徘徊し続けた。

 

 ──青ざめた血を求めよ。

 

 そんな、意図の掴めない自書の走り書きだけを頼りに。

 

 薄暗い墓地で屍肉を断つ神父。

 焼き棄てられた街。射抜くような水銀の雨霰。

 大聖堂の奥で、獣へと成り果てた聖女。

 迷い込んだ、狩人の悪夢。

 

 何もかもが、走馬灯のように駆け巡る。

 

 夕闇だった街は、輝くような月夜に照らされていた。

 秘匿とされていた森を抜けると、その月を存分に浮かべる湖があり。

 かと思えば、それは赤く染まった。

 いや、おかしい。何故か、月の向こうにも雲がある。

 ではあれは、一体何だ? 

 

 そんな疑問を抱きながらも、彼は走り続けた。

 隠された街の奥で、その月の滲みと相見えて。

 迷い込んだのは、異界に取り込まれたかつての学び舎。

 その二階へと、迷い込んだはずなのに──

 

 彼は、あるはずのないそれを見つけた。

 

「……梯子?」

 

 教室棟、二階。

 狭い廊下の奥に括り付けられた、粗末な梯子。

 上に、伸びている。

 さらに上の階層を示す、その梯子。

 おかしい。この場所にこんなものは、確か無かった筈だ。

 自身の深層の底に刻み込まれた曖昧な記憶が、彼をそう焚き付けるのだが。

 しかし彼は、その梯子に自ら手を伸ばした。

 一体、何があるのか。当てのない好奇心が示した先は、何の変哲もないただの廊下である。

 

「教室棟、三階……」

 

 二階から見上げれば、そこは天井だった。

 だが、彼が立つ三階は、間違いなく吹き抜けの構造である。二階と間取りを同じくした、教室棟の廊下が奥へ奥へと伸びている。

 

 その、奥に。

 

「……扉、ですか」

 

 二階にも、一階にも同様の扉があった。

 異界に取り込まれたこの空間を、さらなる異界に繋げる扉。

 廊下の奥を悠々と埋めるその扉に手を掛けると、霧のような煙が隙間から這い出るのだ。

 

 それはまるで、火薬のような。

 火が燃える香り。耳を澄ませば、燃えて割れる音さえ聞こえる。

 

 狩人は、ただその取っ手に両手を掛けるのだ。

 この先の奥へ。狩りを全うするために。

 

「鬼が出るか、蛇が出るか……」

 

 重いその扉を、全体重で押し開ける。

 軋むような音と共に、暗い煙が一層舞い上がった。

 

「楽しみじゃあ、ありませんか」

 

 開き切ったその先に広がる、深い闇。

 それはまるで皆既月食のような。暗く紫色を含んだ闇が、奥の奥まで広がっている。

 踏み込めば、柔らかい感触が脚に届いた。

 なんだ、まるで雲のようだ。狩人は思った。

 

 右手に、ノコギリ鉈を。

 左に、獣狩りの散弾銃を。

 手に馴染む二つの武器を構えながら、彼は闇を歩く。

 

 歩いた先で、何かに握られる感触が、彼を支配した。

 

「────ッッ!!??」

 

 醜悪な指の一つ一つが、彼の体を握り締める。

 姿は見えない。顔も分からない。

 しかし、闇が自らを見定めている感覚だけは、朦朧とする彼の意識に確かに煉り込まれていた。

 それが何かが分かる前に、彼は発狂する。

 血飛沫を咲かせながら、彼の呼吸はまた止まるのだった。

 闇が、彼を包み込む。

 異界の入り口が、大口を開けて、彼を飲み込んだ。

 

 

 ○

 

 

 大社跡の夜は、体の芯から冷えるほどの冷気に包まれていた。

 いや、それは気温の問題ではない。

 自身がいつ、何に襲われるか分からない恐怖。それが、幼い男女を支配していたのだった。

 

「せ、セイハクくん……大丈夫、大丈夫だからね……」

「う、ううぅぅ……コミツ……っ」

 

 繁みが揺れる。

 それは風か、それとも獣か。

 ただの風だと知って、二人は安堵する。

 彼女らの出で立ちはあまりにも軽装で、まさに里の子どもたちといったところか。武装もしておらず、これでは「食ってくれ」と言っているようなものだろう。

 コミツと呼ばれた少女は、喉を震わせながら少年を胸に抱いていた。彼の頭を撫でて、必死に元気付ける姿。その健気な彼女の心がけも、怯える少年には届かなかった。セイハク少年は、震えながら、その歯の根を打ち合わせるのみ。

 

「きっと誰かが、私たちがいないのに気付いてくれるから、だから、元気出して……」

「そんな、そんなのいるわけねぇよ! 俺たち、俺たちここで……!」

 

 少年が声を張り上げる。

 絶望を孕んだその声に、少女が顔を歪ませると、少年もまた崩れるように彼女の胸に身を寄せるのだが──

 背後の繁みが音を立て、二人はその体勢のまま固まってしまう。

 

 鼻息が、忙しなく奏でられる。

 響く足音は多い。恐らく、四つ足の獣である。

 荒い鼻息は二人が隠れる岩の隙間の歩き、そのまま通り過ぎた。

 岩の端から見えたのは、木の幹のようにくすんだ毛並み。頭部はまさに狸といったところで、その正体は二人の知識にも当たるところがあった。

 ブンブジナ。小型の草食種だが、引火液という発火性の体液を持つ。

 とはいえ、基本的には気性は大人しい。静かに去っていく足音を聞いて、二人は安堵する。

 

「……ブンブジナだったのか。良かったぁ……」

「うん、きっと、きっと大丈夫。このまま、夜が明けるのを、待とう……?」

「うん……。ごめんな、さっきは」

 

 去った一難に安堵して、改めて希望を抱くのだが。

 しかしその足音を、コミツは少し気がかりに感じた。

 それはまるで、速足のようだ。

 慌ててその場を立ち去るような、そんな足音。

 

 旋毛風が、舞う。

 いや、そんな優しいものではない。

 それはまるで、鎌鼬だ。

 獣の悲鳴が舞い、鮮血が木々を染める。

 そのブンブジナが一瞬で両断され、血飛沫の一部が少年少女へと降り掛かった。

 頬を染める赤色に。

 内臓を溢す遺骸を前に、二人は叫ばずにいられなかった。

 

 闇に浮かぶ三丁の鎌が、月明かりを映す。

 その姿は、まるで鳥の姿をした齧歯類。尾に並ぶ鋭い鎌で、血肉を荒らす。

 新たな餌の存在に気付いて、一際大きな個体が、吠える。

 その声は、この大社跡に深く深く、響いたという────

 




続きはすぐ更新します。


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眠り、そして目覚め(2)

 狩人は、目を覚ました。

 それは風の囁きか。それとも、月明かりの微笑みか。

 

「ここは……」

 

 眼前に広がるのは、澄んだ空気と、どこまでも広がるような星空だった。

 あの、ヤーナムの狭く重い空とは違う。

 

「森、でしょうか」

 

 曖昧な意識のまま、彼は身を起こす。

 一番最初に浮かんだのは、医療教会が禁忌とした深い森だった。聖堂街の片隅を抜けた先にあるあの森は、薄暗く、湿っていた。

 しかしこの森は、木々の背が高く、川のせせらぎが耳を撫でる。

 心地の良い空気だった。

 狩人は静かに深呼吸する。口元を覆うマスク越しだったが、その空気は驚くほど新鮮だ。

 

「むふぅ……」

 

 思わず、鼻息が漏れる。満足そうな鼻息だった。

 

 辺りを見渡すと、ところどころに奇妙な物体が陳列されていた。

 明らかに自然物ではない、人の手で彫られたもの。しかし、ヤーナムに立ち並んでいた石像とは異なり、その様相はどこか家や祠のようだ。

 小さな祠は、その内に淡い光を宿している。それはロウソクの火とも、ガス灯とも違う。近づいてよく見てみれば、小さな生物が胴体から発する光だった。

 

「虫、でしょうかこれは」

 

 狩人の指先に乗ってしまうほど、小さな虫。

 危害を加えてくる様子もない。拍子抜けするほど大人しいその性質に、狩人はどこか肩透かしを食らったような居心地を味わう。

 

 改めて、自身が立っているこの森を、事細かに見る。

 深い森。見上げるほど高い崖に、そこから滴る太い滝。

 木々を縫うように建てられた壁があれば、明らかに文化圏の異なる門も聳え立つ。しかし人工物と思しきそれらは皆、打ち棄てられたかのように朽ちている。

 人の気配はない。しかし、そこら中から、何者かの息遣いは聞こえた。

 

「……獣」

 

 小さな気配は、白い毛並みの小動物。

 丘の上の林の中には、色とりどりの鳥が舞っている。

 そして、忙しなく走る小さな虫。白い毛が絡んだ泥の塊を、せっせと運ぶ奇妙な生物だった。

 

 どれもこれも、見覚えがない。

 ヤーナムでは見かけたことすらない生き物の数々に、狩人は困惑するばかりだ。

 

「……ここは、どの悪夢なのでしょう」

 

 悪夢というには和やかな世界だったが、彼にはそれしか呼称する方法がなかった。

 それでも、ここは恐らくヤーナムとは壁を隔てた異界である。警戒の念を込めて、改めて武器を握ろうとするのだが──

 

「な、なんと!? こ、壊れている……」

 

 あのノコギリ鉈も、獣狩りの散弾銃も。

 まるで経年劣化を重ねて寿命が尽きたかのように、砕けて割れていた。

 ノコギリ鉈は変形部位が割れて折れ、刃も錆び付いたように黒ずんでいる。とても使い物にならないだろう。鈍器の代わりに使おうにも、衝撃に負けて粉砕するのが目に見えている。

 散弾銃は、銃身がひしゃげたように曲がっていた。引き金も折れ、銃床も腐食している。射撃どころではない。破損寸前だ。

 

「参りましたね、どうしたものか」

 

 一度、夢を見たい。

 夢の中の、あの工房なら、この武器たちを何とか修理できるだろう。そう思う狩人だったが、いくら周囲を見渡しても、灯りが目に映ることはなかった。いっそ、自ら眠るしかないのかもしれないが――。

 そう考えた矢先、悲鳴が耳に届く。まるで幼子のような、甲高い悲鳴だった。

 

「……人? それとも、獣か?」

 

 朽ちているとはいえ、置いていく訳にもいかない。

 破損した武器を懐にしまいつつ、彼は歩き出す。

 今の彼には、素手しか頼るものはない。だが、獣の存在を察知した以上、彼は歩みを止めることはできなかった。

 何故なら彼は、狩人なのだから。

 

 

 ○

 

 

「はぁ、はぁ……セイハクくん! 走って!」

「うわああぁぁ!! 母ちゃんっ!」

 

 暗い森を、幼い男女が走り抜ける。

 その服はほつれ、腕や頬には擦り傷が走っていた。

 しかし、そんなことも露知らずと、二人は走り続ける。

 ──背後から迫る三つの影から、何とか逃げ延びることだけを考えて。

 

 迫るのは、橙色の鱗と白い体毛を湛えた獣。いや、鳥のような姿をした竜。

 尾に鎌のような鋭い角質を備えたその生き物は、ここ近辺のカムラの里では『オサイズチ』と呼称されている。群れを為し、一際大きい個体がそれを統率する。狡猾で獰猛な狩人だ。

 

「ダメだぁ! 追い付かれる……!」

「こっち!」

 

 少女に手を引かれるまま、少年は走る。

 しかし追っ手の速さに顔を引き攣らせた頃、少女に横へと引き寄せられた。

 竹林の奥へ、小さな崖を登って。

 とにかく、この獣の魔の手から逃れなければならない。少女は必死に、少年を守ろうとしていた。

 だが、逃げる獲物を追うことなど、獣にとっては手慣れたもの。ましてや自然の道理に獣ほど浸っていない人間の幼子など、彼らにとっては朝飯以前の問題だろう。

 

「あ……!」

 

 竹林に何とか身を顰めたい。

 そんな少女の淡い願いは、回り込んだ長によってあっさりと打ち砕かれることとなる。

 

「こ、コミツ……」

「あ……あっ……」

 

 正面、長に塞がれて。

 後方左右、小さな個体のそれぞれ阻まれる。

 三頭の獣に囲まれ、少女らは退路を失った。

 

「嫌だ、嫌だよこんなとこで……」

「だ、誰か……」

 

 へたり込む少年を、抱きかかえるように。

 いや、縋るものが、それしかないというように。

 少女もまた腰が落ち、ただ震えることしかできなかった。

 血走った眼に見つめられ、叫ぶ。獣しかいないこの森で、しかし誰かを求める言葉を、叫ばずにはいられなかった。

 

「誰かーっ!!」

 

 その声にそそられたかのように、オサイズチは歓喜の声を上げる。

 群れの個体らも同様に喉を震わせ、その尾で草を薙いだ。

 あぁ、いよいよ食べられてしまう。その事実を感じながら、瞳からは涙を溢し、二人は強く目を閉じた。

 自らの終末を、受け入れるように──

 

「ふっ────」

 

 それはまるで、小さな鼻息のような。

 聞こえるか聞こえないか、それほどか細い声だったが、確かに、体の芯に力を込める気合の掛け声だった。

 オサイズチの背後に、黒い影がゆらりと立っていることに、少女だけは気付いた。

 

「――っあ……」

 

 悲鳴。

 

 幼子ではない。

 群れの長が、子どものように悲鳴を上げる。

 

 背後から臀部を強打され、その鳥竜は怯んだ。

 腰が抜け、大きな隙を晒す。

 その隙を逃さず、黒い影は右肘を高く持ち上げる。指先を、爪を、一振りの刃のように揃えながら。

 

 続く悲鳴は、先ほどのものとは比べ物にならなかった。

 深く肉の奥まで食い込んだ腕が、その内側の肉を引きずり出したのだから。

 

「むふぅ……」

 

 血肉が森を染め、黒い影を鮮血を浴びる。

 返り血を纏ったそれが、黒いコートと帽子を纏った人間であることに、コミツはようやく気付いた。

 狩人は、満足そうに鼻を鳴らす。手に残った肉の感触が、彼に恍惚とした笑みを与えていた。

 

「さぁ、今宵も一狩りと行きましょうか」

 

 臀部から腿にかけての肉を抉られ、オサイズチは覚束ない足取りで振り向いた。

 突然、群れの長が襲われたのだ。取り巻きのイズチたちは、激昂して狩人へと襲い掛かる。

 それを、彼は軽快なステップで躱すのだった。

 

「ふむ」

 

 噛み付き、尾の薙ぎ払い。

 動きは直線的で、シンプルだ。

 彼が子どもをあやすように二匹を弾き、その脳髄を叩き割ることなど、造作もないことだった。

 

「随分と、脆い獣ですな」

 

 両掌を握り固めたその槌は、簡単に二匹を沈黙させた。

 一方の大柄な長については、拳だけでは、簡単にいなすことは難しそうだ。

 

「ならば──」

 

 動かなくなった子分の尾を、握る。

 握り、それを瞬時に振り回した。

 

「ほほう、まるでゲールマン殿のよう……。ふふっ、悪くありませんな」

 

 薙いだ尾を、長は躱す。

 しかし、その臀部は血に塗れており。

 着地の衝撃を押し殺すことはできず、体勢を大きく崩してしまうのだった。

 それを逃す、狩人ではない。

 

「さぁ」

 

 振り下ろした尾。

 その鎌が、長の頭蓋から左眼孔を磨り潰す。

 

「これで終わりです」

 

 視界の半分が消え、大きく仰け反ったその首元に。

 狩人は跨り、両腕に力を込めるのだった。

 まるで獣のように、膨れ上がった筋肉。細身のように見えるが、服越しでもそれは分かった。その筋力は、常人とは比較にならないだろう。

 人間が鳥竜の首を絞めている光景を見て、幼い二人でもそのことは感じ取っていた。

 

 呻くような声。そして、口から零れる泡。

 次第に、長は動かなくなった。尾が落ち、腕が力なく垂れ、最後は頭がゆっくり下る。

 

「……むふぅ」

 

 狩人は、その手をゆっくりと放した。

 巨体は、沈黙している。狩猟完了の、何よりの証明だ。

 

「……さ、お嬢さん方。お怪我は、ありませんか?」

 

 全身を、黒く染まった衣服で包み込み。

 その衣服を鮮血で真っ赤に染めながら、狩人は微笑んで手を差し伸べた。

 マスクで覆われ、目元しか見えないその男を前にして。幼子二人は、再び悲鳴を上げるしかなかった。

 

「おやおや……」

 

 助けた二人に恐怖され、狩人はただ困ったように頬を掻く。

 ただ濃厚な血の香りだけが、この大社跡を静かに撫でるのだった。

 




狩人とカムラの里の住民の接触編。
正直、子どもからしたらこんな男が急に現れたら、モンスターより怖いかもしれない。
ついでにこの狩人、もりもりの筋力ビルドです。血質も神秘も知らねぇ!筋肉は全てを解決するスタイル。


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怪しい男

「どうしたものでしょう……」

 

 狩人は、悩んでいた。

 眼前にあるのは、三頭の獣の亡骸。

 皆温かな血を溢しながら、静かに息絶えている。

 

 これはいい。ヤーナムでは、よくあることだ。市民が獣を吊し上げて、丸焼きにすることさえある。故に彼にとっては、別段珍しいことでも何でもないのだが。

 問題は、二人の子ども。

 彼が助けた二人は、どうやら獣の病の感染者ではないらしい。瞳は蕩けておらず、感情もはっきりしている。

 だが、彼が既に麻痺してしまっているこの凄惨な光景を前にしてか、それとも、獣よりももっと恐ろしい存在を感じてか。

 カムラの里の住民である、コミツという少女と、セイハクという少年。

 二人は抑えきれなくなったように、ただ泣くしかなかった。

 

 狩人は、人と交流を図る経験が、あまりにも乏しい。

 目が覚めた時には、自筆の走り書きがあっただけ。それ以前の記憶は、まるでない。

 投げ出されたヤーナムでは、一方的に話す女医や、容赦なくガトリング砲を撃つ者、会話もなく斬りかかる狩人など、むしろ会話が成立することはほとんどなかった。

 辛うじて会話をするといえば、夢の人形や老ゲールマン師、そして情報交換を提案してくれた若き処刑隊の青年くらいであろうか。

 

「あの……」

 

 手を伸ばすが、二人の子どもはお互いに縋りつくように余計に泣いてしまう。

 見れば、黒地の手袋は鮮血に塗れている。

 これが原因か、と狩人は懐から取り出した布で手袋を拭う。

 が、見れば全身も血塗れだった。

 ヤーナムを駆けることを決めたことには、返り血を気にする心も失っていたのだ。

 こんな布きれでは、全身を拭いきることはできない。そもそも、拭おうと思ったことすら、ないのだから。

 狩人は悩んだ。

 

「うわああぁん!」

 

 泣いている子どもには、どうすればいいのだろうか。

 狩人は、分からなかった。

 

 月夜は、静かに彼らを照らす。

 どこからか赤子の鳴き声が聞こえてくると、そう錯覚しかけるほどの見事な月だ。

 そうだ、と彼は思う。

 あの月夜の見える回廊で、白い霧を出す狩人がいた。これが一体いつの記憶だったかは定かではないが、あの霧の美しさには、目を奪われたものだ。

 

 『ロスマリヌス』。

 

 その左手武器を、彼は懐から取り出した。

 

「あー……」

 

 しかし彼には、神秘に見える力が足りなかった。

 これを扱いきれない代物だ。無念に思いながら、取り出した狩道具を仕舞う。

 そもそも、これもまた壊れていたのだが──使い慣れていない彼は、そのことにすら気付いていないようだ。

 しかしこれが功を奏したのか、彼は鞄を探ってみることにした。

 何か、子どもらの気を落ちつける何かがあるかもしれない。そんな一縷の望みを抱きながら。

 

 火炎瓶。

 獣を燃やす、魔法の水だ。

 これは違う。狩人は仕舞った。

 

 匂い立つ血の酒。

 子どもには、これは早いだろう。

 むしろ獣が寄ってきそうだと、彼は早々に懐に戻した。

 

 黄色い背骨。

 これを出したら、火に油を注いでしまうのではないか。

 鞄から取り出す前に留まったのを、彼は自分自身を褒めた。

 

 いっそ、鎮静剤でも押し付けてしまおうか。

 そう考えかけていたところに──何か固いものが、彼の指に触れる。

 それは、布を纏った小さな木箱だった。確か、ヤーナム市街で窓越しに話した少女が、「母親を探してほしい」と手渡してくれたものだ。

 

「……これは」

 

 小さなオルゴール。

 少女の両親の、思い出の品。

 皆、もう既に、彼にとっての思い出の中の人となってしまったが──確かにオルゴールだけは、ここにあった。

 

 ああ、そういえばあの少女も、目の前の子たちほどの齢だったな……。

 

 狩人の独白は、心の中でのみ流れ、溶けた。

 感傷に浸っている場合ではない。彼はゆっくりとその木箱を開け、中に仕込まれた発条(ゼンマイ)を回すのだった。

 

 ポロン、ポロン……。

 まるで子守唄のようなメロディーが、この闇深い森を彩っていく。

 その音に、少女は思わず泣き止んだ。

 

「……きれ、い」

 

 小さなオルゴールが奏でる音色に、彼女はそう呟く。

 思いがけない音色だったのだろう。聴き慣れないものだったのかもしれない。

 恐怖より、興味が勝った。その表情は、その一言に尽きる。

 

「お嬢さん方……驚かせたのなら、申し訳ありません」

「い、いえ……私の方こそ、泣いちゃったりして、ごめんなさい」

 

 ようやく、彼の言葉に応えてくれた。

 それだけで、狩人の心は舞い上がる。マスク越しに、歓喜の表情をしているのだろう。

 

「ね、セイハクくん、大丈夫みたいだよ……」

 

 コミツは、オルゴールを受け取って表情を綻ばせた。

 獣よりも、怖い男が現れた──その事実に、辛うじて繋いでいた最後の糸が切れてしまっていたが、彼の意外なコミュニケーションの手段に、彼女の心の氷は融けたようだった。

 オルゴールを手に乗せて、もう一度彼の方に目をやると、狩人はにこっと微笑みながら頷いた。

 マスク越しではあったが、意外に柔和な表情をしているらしい。少女もまた、うんと頷いて発条を回す。あの音色が、再び歩み出した。

 

「セイハクくん、泣かないで……」

「ち、ちげーし! 泣いて、ねーし……」

 

 二人のやり取りを前にした少年は、涙を拭う。が、その弁明は無意味なものだろう。きっと彼も気付いているのだろうが。

 セイハク少年は、改めて目の前の男を見る。

 黒く尖った帽子。目元しか見せないマスク。

 血塗れのコートに、薄汚れたズボン。

 誰がどう見ても、妖しい男だろう。やはり油断ならない、そんな思いを抱くのだが。

 

「ね、これ凄く綺麗な音だよ。セイハクくんも聴いてみて」

「え、あ、う、うん……」

 

 柔らかに笑うコミツを見ていると、彼の真面目な思考も音色に溶けていくのだった。

 月夜は、続く。

 オルゴールの音色だけが、静かに大社跡の風を撫でるのだった。

 




エルデンリングまであと5日…
楽しみだなぁ…ヒヒッ…ヒヒヒッ…

おそらく次の更新は、夜明けまでないだろう
(エルデンリングやるので更新のペースが大幅に落ちます)


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