オペレーターに勝ちたい! (ナメクジとカタツムリは絶対認めない)
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チェン隊長に勝ちたい!

書いてたアークナイツ小説消えてました。虚無感に襲われながらガチャ引いたら水着チェンが「頑張れ」って言いながら出てきたんで書きました。


「チェン隊長に勝ちてえ」

「…ん?」

 

俺のその言葉を聞き、隣り合わせに座った男──ミッドナイトは、困惑した表情を浮かべた。

移動都市龍門の繁華街にあるバー。そこにミッドナイトを呼び出したのは他でもない、この俺の相談に乗ってもらうためである。その呼び出された本人は酒の入ったグラスを置き、上半身だけ俺の方を向く。

 

「チェン…?それって、あのチェン・フェイゼさんの事かい?」

 

その言葉に頷く俺。

チェン・フェイゼ──。龍門の法を取り締まる警備隊、龍門近衛局特別督察隊を率いる人物。そのトップの名は伊達ではなく、剣の実力は他の追随を許さない。さらに頭も良く、的確な指示と相手を追い詰めて行く作戦を思考する能力を持ち合わせており、その容姿も相まってカリスマ性でも一目置かれる──まさに完璧としか言いようがない人物だ。

 

「俺も作戦の時に同じチームになった事あるけど──あの人は強すぎるね。目の前に来た敵が一瞬で散って行く姿を見て、この人が味方で良かったって心から思ったよ」

 

思い出すようにミッドナイトは目線を上げる。こいつはロドスのオペレーターだ。何度かウチの隊長と面識があるらしく、初対面の時に元ホストの癖で隊長を口説いてしまい額に青筋を立てられたらしい。よく生きてたなお前。

 

「というか、なんであの人に勝ちたいんだ?まず勝つってどういう意味だよ?」

「近衛局の訓練に隊長自らが教官になって隊員と組手をするんだ。んで、それに負けた時にどこが悪かったかとか指摘されるんだけどさあ…俺の時だけ異様にキツいんだよ」

「キツい…?」

「他にも書類仕事を急に与えて来たりさ」

「まさか…あの人が?」

 

ミッドナイトは首を傾げる。そう。隊長は何故か俺にめちゃくちゃ厳しいのだ。それでは、その光景をダイジェストでお送りしよう──。

 

 

 

 

 

 

「脇が甘いぞ。それでは詰め寄られた時すぐに対応できない。しっかりと相手との距離感を測るんだ。次!」

「よろしくお願いします!」

「…ほう、貴様か。今日は退屈させてくれるなよ…来い」

 

 

 

「──馬鹿正直にまっすぐ進むな!お前は猪か!?突っ込むだけなら獣でもできる!!」

「大きく振りかぶりすぎだ馬鹿め!だからこうして──距離を詰められ拘束される!」

「苦しいか?…降参?関節を決められて戦場で相手が離してくれるとでも?おめでたい頭をしているな。──拘束は続ける、自力で抜け出せ」

 

「ハァ…ハァ…あ、ありがとう…ございました…」

「ふん。明日も私の所へ来るように」

「…?いえ、…明日はホシグマ副隊長が教官の日では…?」

「いや、私が貴様を教育し直してやる。貴様はまだまだ甘すぎる。ホシグマに取られるわけにはいかんからな…

「えぇ…?」

「なんだ、文句でもあるのか?拒否権は無い。決定事項だ」

「……はい」

 

 

 

 

 

「チェン隊長、書類をお持ちしました」

「ん…ああ、そこに置いておいてくれ」

「はい。では、失礼しました」

「──おい、待て」

「…?」

「上官が苦しみながら書類を片付けているのにも関わらず、貴様は飲み物のひとつも淹れないのか?」

「ええ…?」

「罰として私と一緒に書類仕事をしてもらう。隣に来い」

「ええ!?ちょ、ちょっと、それは──!?」

 

「何か、文句でも?」

「ナイデス…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みたいなのが沢山あるんだよ!だから俺は思った!隊長に勝てば、もうこんなパワハラは受けずに済むと!!」

 

俺は力説する。その声は、物静かなバーの中に哀しく響いて消えていった。その話を聞いたミッドナイトは何とも言えない顔をしていた。それはそうだろう、表向きは完璧なチェン隊長に、俺がパワハラを受けていることを知ったのだから。俺が逆の立場でもそうなる。

 

「え…?嫌、それって…。うん?おかしいな…」

「だから頼むぜミッドナイト!どうすれば隊長に勝てるか一緒に考えてくれ!!」

「勝つって…。──ああそうか、そういや君ってちょっと抜けてる所あるもんな」

 

はっ倒すぞお前。何故急に煽られんにゃいかんのだ。苛つく感情をオレンジジュースと一緒に飲み込む。美味い。

 

「…まあいいか。チェンさんに勝つ方法ね…。──君確か力めちゃくちゃ強かったよね?」

「ん?…まあ人並みにはあるんじゃね?」

「スカジさんの剣押し返して人並みは冗談キツいよ」

 

あー…、あの人なあ。なんであんな華奢な体からえげつない力出んだよ。美少女の皮被った筋肉じゃねーかよふざけんな。

 

「んー、そうだなあ…。──まあ、戦闘訓練はともかく書類のやつだったら、やりようはあるけど」

「──本当か!?教えてくれ!その手法を!俺に!!」

 

俺に一つの光が差し込む。正直期待はしてなかった。隊長に互角ならまだしも勝てる者など、居ないと思っていたからだ。心が弾む。これは奢らないといけない。

 

「…うーん、ま、いいか。面白そうだし」

「え?」

「なんでもないよ、先ずは──」

 

こうして、俺たちの隊長に勝つための作戦会議が始まった。

しかしやけにミッドナイトがニヤニヤしていたな。あれは何だったんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は今、龍門近衛局の廊下を書類を持って歩いている。通り過ぎる同僚たちは俺を見て、違和感を感じているだろう。それもそのはず、今日の俺は一味も二味も違うぜ。

今日の訓練もボッコボコにされたからなぁ…、覚悟してもらおうか隊長。そんな事を考えているうちに遂に隊長の執務室の前まで来た。一息ついて気持ちを落ち着かせる。…ふう…。──行くぜ!

ノックをする。

 

「隊員のイラです!指定された書類をお持ちしました!」

「入れ」

 

くぐもった声がドア越しに聞こえる。手にかけたドアノブが重い。──まさか、怯えているというのか?この俺が?…弱気になるな、ここで負けたらミッドナイトに顔向けできねえ!!

 

(漢イラ──腹を括れ!!)

「失礼します!」

 

ドアを開ける。そこには椅子に座って書類選別をしているチェン隊長と、コーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れているホシグマ副隊長がいた。…クソ!二人いるなんて聞いてねえぞ!?

 

「──おお、イラか。お疲れ様」

「お疲れ様です、副隊長!」

 

此方を向くホシグマ副隊長を見て、しかしこれは逆に好機だと考える。ミッドナイトは、『この技は女の子が喰らうと、相手にもよるが一発KO』と言っていた。お二人は性別は女性。つまりワンチャンまとめて始末できる!

 

「またイラに持って来させたんですか?可哀想に…」

「ふん、暇そうだったんでな」

「小官ならそんなことはしませんけどね」

「…ほう?」

 

何やら空気が重い。誰だ減速スキル使ってんの。エリジウムか?

まあそんな事はいいだろう、チェン隊長の机に近寄り、書類を静かに置く。これで帰れればまあ、良いだろう。作戦を実行するまでもない。しかし──。

 

「──どこへ行こうとしてる?今日も手伝って貰おうか」

「(──来た)…いえ、ホシグマ副隊長が居られたので、仕事効率は自分がやるよりも上がるかと──」

「ホシグマはお前ほど暇じゃない。対してお前は暇だ」

 

確かにホシグマ副隊長はお忙しいからな。それは俺もわかってた。でもな、俺にも用事があるんだよ!部屋戻って、ビーンストークから貰った鉄子(ハガネガニ)と戯れなきゃいけねえんだ!最近忙しくて構ってあげられてねえからな!

 

「…」

 

何も言わない俺に紅い二つの照準が合わさる。『あの一言』を言った瞬間行動だ。さあ来い…!

 

 

「上官の命令に、文句でも?」

「…!」

 

 

作戦、開始。

 

「チェン隊長、それはちょっと横暴では──」

「ええい煩い、お前も早く巡回に行け」

 

そう言って、隊長はいつも通りに椅子を取りに立とうとした──。

頭にミッドナイトの声が過ぎる。

 

[先ずはチェンさんを立たせる。そして壁際に移動してもらうように頼むんだ]

 

「──すいません、隊長。少し壁際に寄っていただけませんか?」

「?何だ急に。遊ぶ暇など…」

「お願いします」

「…これで良いか。全く、何を──」

 

[壁際に立たせたら──頭の横に手をついて、そして距離を詰めるんだ。振り解かれないよう、力も込めて]

 

俺はそっと隊長の頭の横に右手をつき、密着一歩手前まで距離を詰める。そしてその紅の目をじっと見つめる。

 

 

「──!!?!?ちょ…!おまッ!?な、なななな…!なん、なな!?」

 

 

隊長より俺の方が背が高いので、必然的に見下ろすような体制になる。そして顔を真っ赤にした隊長は困惑と羞恥の反応を示していた。

そう。この技は…。

 

[これこそ、女性から正常な判断能力を奪う必殺技…『KA☆BE=DO☆N』]

 

…さすがだぜミッドナイト。俺はお前に心底感謝している。

見てみろよ、隊長のこの顔。何がなんだか分からない顔をしているぞ。

 

「…は?」

「え…えと。その…イ、イラ…?急にな何をして……」

 

 

背後からホシグマ副隊長の戸惑う声が聞こえてくる。ふっ、やはり一網打尽って事か。二兎を追う者は一兎をも得ず?違えな。優秀な猛獣は二兎ともぶんどるんだよ。

そして。まだ俺のバトルフェイズは終了していないぜ。俺は隊長の耳元に口を近づける。

 

[次に耳元で囁くんだ。優しい、甘い声でね。書類仕事をやりたくないってね。でもそのまま伝えちゃダメだ。あくまでも、その人の事をちゃんと想っているという雰囲気を出す事が重要だ]

 

「──隊長。書類は自分でやりましょう」

「──ッ!」

 

それを始めた瞬間に、隊長の体が一つ、大きな震えを出した。

 

「に…にゃに、を」

「──お願いします。自分も用事があって…勿論、隊長の事を蔑ろにしたいわけではありません。ただ、少し──自分を雑に扱いすぎでは無いかと」

 

一言一言、頭に染み込ませるように囁いていく。俺が口を開けば、隊長は体を震わせ此方を潤んだ目で見つめてくる。よし、弱ってきたな。

 

「…だ、だってぇ…んっ!」

「──これからは、一人で書類、できますね?」

 

ここで決める。一旦顔を離して隊長の目をまっすぐ見つめる。先程まであった、鋭い眼光は無く、蕩け切った目端からは少し涙が出ていた。……勝てるッ!!

 

 

 

「……わ、わかっ…た」

 

 

 

しゃあああああああああッッッ!!!!

 

 

「──うん。ありがとうございます」

「──あっ♡」

 

ダメ押しと言わんばかりに、隊長の頭をぽんぽんと二回軽く叩く。普段の隊長にやればぽんぽんと俺の腕が飛ぶだろう。しかぁしッ!今はKA☆BE=DO☆Nの効果により、隊長は抵抗できない。それどころかひ弱な声を上げたではないか。勝ったッ!隊長、完ッ!!

 

「ふーっ…ふぅぅ…っ」

 

そう優越感に浸っていると、隊長の様子がおかしい事に気づいた。何と力が抜けたのか、俺の体に寄りかかり、荒く呼吸をし始めたではないか。そしてその尻尾は、俺の腕に巻き付いてしまう。

…全く、完全勝利とはこの事だな。何だ、簡単じゃないか。最初からこれをすればよかった!今日は祝杯だ。鉄子にも良いご飯を買って帰ろう。

そう思い、俺は壁から手を離──、

 

 

(…ん?)

 

 

──せないんだけど。え?

見ると、その尻尾がギチギチと音を鳴らして俺の腕を固定していた。ちょっと待って。痛い。

 

「あ…あの。隊長?し、尻尾が…痛いなーって…」

「──つぎはなにをするんだ?」

 

顔を上げた隊長は何かを期待するような目で俺を見つめる。…え?次!?次は何をする!?帰るだけなんだけど…?

 

「こんなふうにしておいて…かえるつもりなのか?」

「えっ、はい」

「──そんな訳無いよな」

 

戻ったああああッ!あのとろんとした可愛らしい目が鋭くなったあああッ!!まっずい!なんだ!?どうした!?ミッドナイト!?

 

「お前なら理解してくれると想ってたよ…私の気持ちを…いつも辛く当たって悪かったな?……でもつい、そうなっちゃうんだよ」

 

待って!?どうしよう全く持って分からねえ何だ隊長の気持ちって!?思考が追いつかねえ!ちょっと待てちょっと待て……!一旦集中しよう…!

 

「あの時、お前に出会わなければ、私は潰れていた。…そこからだろうな、私がお前のことを想い始めたのは──」

 

どっから?どっから間違えた?えっと、部屋入って、副隊長と話して、KA☆BE=DO☆Nして、囁いて、頭ポンポンして…何も問題ない!何も問題ないんだけど!?

 

「私が、その…お前に辛くあたってしまうのは、…好意の裏返しなんだ。不器用だから…。つい…。はあ、こんな自分が嫌になるよ、殺したくなる」

 

殺したくなる!?

え!?俺殺されんの!?こんな事したから!?…ちょっと待て、隊長は前衛のオペレーター。武器は前衛らしく剣しか持っていない故遠距離攻撃ができない。しかし間合いを詰めた時の爆発力は尋常ではない。そして俺は隊長の間合いの中。Q.E.D. 証明終了。俺死ぬわ。

 

「ちょ!ちょっと!ごめんなさい隊長!もうこんな事しません!だから離して下さい!」

「…もうしてくれないのか?」

 

どっちなんだよォォォォォ!!何だその悲しい顔はァ!こんな舐めた事したからキレてんじゃねえの!?辞めないと死ぬけど辞めないでくれって事!?何だその手の込んだ自殺は!!

 

「イラ」

 

パニック状態の俺に、背後からホシグマ副隊長の声がかかる。…そ、そうだッ!ホシグマ副隊長!助けて下さい!俺まだ死にたくない!

ホシグマ副隊長が近寄ってきてくれる。姉御…。俺あんたに一生ついてくよ…。ホシグマ副隊長は俺の両肩をしっかりと掴んだ。なるほど、無理な体制で力が出ない俺の代わりに、副隊長の力で引っ張ろうって寸法ですね!

 

 

 

「──どういう、事なんだ?」

 

 

姉御?力強すぎますよ?姉御?いや確かに力は込めないと行けないけどそんないく?肩甲骨根こそぎ行く気じゃないですよね?

 

「──はっ、お前がそんな顔をするとはな、ホシグマ。とてもイラに見せられたものじゃないな」

 

痛い痛い痛い痛い!腕と両肩が痛い!もう何にも考えられない!ミッドナイトォ!お前マジ許さんからな!絶対ぶっ飛ばすからな!

 

「チェン。良かったじゃないか!イラの【気まぐれ】でそんなことをしてもらって!……次は私の番だ。そこをどいてくれ」

「断る。私は一生ここにいるからな。…というか、お前のその身長でやって貰えるのか?身長を誇っていたようだが、こんな所で差がつくとはな」

「…チッ」

 

どんどん部屋の気温が下がってきている。それに反比例するように尻尾と両手の力は上がってきている。ミシミシ行ってきました。…あー、ほんとにもう無理。痛みで意識が朦朧としてきた。ごめんな、鉄子。最後まで面倒見てやらなくてすまんかった…。お前のご主人はここでリタイアだ…達者でやれよ…。

 

「まぁ、お前にも良い人が見つかるさ。応援するよ。二人でな」

「──ふん、チェン。そうやって余裕を見せるのも良いがな、イラの気持ちはどうなんだ?」

「イラの気持ち?そんなの私と同じに決まってる。確かめるまでもない」

「本当にそうかな?さっきから話は聞いていたが、お前への愛の言葉はひとつも聞こえてこなかったぞ」

「……」

「図星だな?」

「…しかし、行動がそれを示してくれた。イラはそういう男だ」

「では、あらためて聞いてみようか。──私とお前、どっちを…」

「ああ、いいさ。おい、イラ」

「なあ、イラ?」

 

 

「「──私とコイツ、どっちを愛しているんだ?」」

「──ごめんな、鉄子……。愛してるよ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「誰だ、その女は」」

 

 

 

 

 

 

俺は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

今回の勝負──イラの負け。



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ペンギン急便に勝ちたい!

ペンギン急便って書いてるけどワッサンとソラちゃんは出てきません。


「あー…、平和だー…」

 

ぽかぽかと日差しが降り注ぐ中。俺は龍門繁華街の巡回をしていた。道行く人に挨拶し、子供たちに纏わりつかれる。そんでたまには買い食いなんかしたりして。

なんて平和なんだ…。それも隊長が書類仕事を俺にさせなくなったから…。あの後隊長と副隊長が謝って来た。なので、しっかりと(書類仕事はやりたく)ないです。って伝えたら隊長は不貞腐れながらそれを了承した。なんで不貞腐れてんだ。自分の責務を全うしろ。

そんな事があって、本来堅苦しい書類と向き合っていた時間は、のほほんとした巡回時間に。いいねー。平和だぁ…──。

 

 

 

 

ドガアァァァァァン!!

 

 

 

 

「う、うわああ!何だ!?」

「ちょっとごめんね!」

「エクシア、早くしろ」

「逃がすな!追え!!」

 

 

 

…スーッ。

 

 

「…こちら繁華街。ペンギン急便のメンバーと指名手配犯のマフィアらしき人物たちが騒ぎを起こしています。人材を要請します。はい。では自分は追跡を。はい。オーバー」

 

 

 

 

こうして、俺の平和は崩れていきましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

路地裏に入ると、黒い服の男たちが気を失って倒れていた。おそらくペンギン急便の仕業だろう。しっかりと一人一人に手錠をかけて行く。縄で縛り、ひとまとめにして場所を近衛局に伝えておく。

さらに路地裏の奥に足を進めて行くと、話し声が聞こえて来た。

 

「こりゃやり過ぎたねー。またボスに怒られちゃう」

「…先に吹っかけて来たのはあっちだろう」

「うーん。この前あそこのグループ壊滅させたのが悪かったかなあ」

「逆恨みか」

「そうそう!…っと、こんな事してる場合じゃ無いや、早く逃げないと近衛局が飛んでくるよ!」

 

「『飛んでくるよ!』じゃねえ!何してんだお前ら!」

 

 

赤い髪をした女、エクシアは目を丸くする。

 

「あれー?イラじゃん。久しぶり!何でこんなところに?」

「近衛局だからだよ…ほんと、お前らいっつもいっつも問題ばっかり起こしやがって…」

「今回は私たちのせいじゃ無いぞ」

「こんな言葉を知ってるか?喧嘩両成敗」

「むう…」

 

 

そう言って口を尖らせたのはループスの女、テキサス。こいつもちゃんとしてるようでちゃんとしてないからな。

 

「というか聞いてよイラ!この前のカーチェイスであたし一人だけ弁償することになったんだよ!?」

「ええ…。アレ物結構壊したろ。なんでそんな事に?」

「んー、分かんない!でもこれって冤罪だよね!?訴えたら勝てるよね!」

「…テキサス」

「エクシアが調子に乗って銃を乱射してた」

「100%お前が悪い」

「ええー?」

 

頭に手を当て不満気にぶーたれるエクシア。サンクタ族の証明であるその天使の輪っかは抗議するように点滅していた。それどうなってんだ。

 

「とりあえず、話の続きは近衛局で聞くから」

「「え…」」

「え…じゃねえよ誤魔化せると思ってんのか。ホラ早く」

「はーい」

 

「──いや、待て」

 

テキサスが立ち止まり、俺にその鋭い目を向ける。エクシアは場の空気が一変した事に、困惑する。

 

「イラ。私たちが今日壊したもの──総額いくらくらいだ?」

「んー、まあそんなかからんだろ。さあ、早く」

「もし私たちがそれを払わなかったらどうなるんだ?」

「…まあ、当人が居ないんなら近衛局が立て替えるしか無いよな。俺たちの監督不行き届けになっちまうから」

「もうひとつ、質問良いか?」

 

 

「私たちが壊した総額──本当にそんなに値段はかからないのか?」

「…お前のような勘の良いガキは嫌いだよ」

 

 

その瞬間、二人は俺に背を向け走り出した。それを俺は追いかける。

 

「あっっぶな!!ナイステキサス!」

「オイコラ待てやお前らァ!」

「──エクシア、さっきのは多分イラが払う。だから私たちをとことん追い詰めるつもりだ」

 

よく分かってますねテキサスさん!その通りだよ!最初は違ったさ!最初はちゃんと経費で落ちてた!けどお前らが問題起こしすぎて俺にも責任が降りかかるようになったんだよ!経費がバカにならないらしくてなあ!

 

二人は路地の角を曲がる。逃がすわけにはいかないと、俺も速度を上げ、二人が曲がった方向を見る。が、そこには誰も居ない。と、なると──。

 

「上か」

 

見上げると、屋外によじ登るエクシアの姿が見えた。…あいつら、壁の凹凸を使って登りやがったな。俺は足に力を込める。隊長のしごきを堪えたこの脚を舐めんなよ──!

少し助走を付け、俺は力強く踏み込み──、飛び上がる。誰も居ない路地裏に爆音が鳴り響いた。

 

「っと…あいつら」

 

あっという間に屋上に着いた俺はあたりを見回す。すると、ギリギリ見えるかどうかくらいに、建物から建物へ飛び移るエクシアとテキサスが見えた。絶対逃さんからな。

確固たる意思を胸に、俺は追跡を再開した。

 

 

 

 

 

「うわあ…追いかけて来てる…」

 

後ろを振り返ってみると、近衛局の制服を着た男が凄い形相で追ってきているのが見えた。

 

「もー、最悪だよー。この後はゆっくりしたかったのにー」

「──とか言ってる割には、エクシア、お前笑ってるぞ」

 

ありゃ、と口元を押さえる。久しぶりに彼との追いかけっこに喜びを隠しきれてなかったみたいだ。二週間も経っていないが、あたしにとっては一年くらいに感じる。

テキサスはジト目でこちらを見ている。しかし、ひとつだけ言わせてほしい。

 

「…相棒、今あたしとおんなじ顔してるよ」

「──ん」

 

尻尾を振りながら、テキサスはそっぽを向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

[イラ、指定されたポイントについた。マフィアたちの身柄を拘束している──…ペンギン急便はどうした?]

「ハァ…!ハァ…!」

 

通信機から声が聞こえてくるが、今通話できる状況じゃない。あいつらめちゃくちゃ早い。なんか動き違うぞ!?必死に追いかけてるけどなんか生き生きとしている。クソ、どうしようか…!

 

「…ん!?」

 

どう捕まえるか悩んでいた時、幸運にもテキサスが段差に躓き転んでしまった。今しかチャンスはない!そう思った俺は再び脚に力を入れる。

だん、という音と共に俺は途中の建物をすっ飛ばしてテキサスの後ろへと着地した。テキサスは目を見開き、逃げようとする。──だがもう遅い。

 

「捕まえたぜ」

 

テキサスの片手に手錠をかけて、もう一つの穴には俺の手を通した。

 

「あーーっ!!」

 

エクシアがこちらに人差し指を向け、悲鳴をあげる。

 

「はーっはっは、もうこれで抵抗はできないな?」

「…」

 

ぬぼーっとした目で俺と自分を繋ぐ手錠を見るテキサス。それを見たエクシアは俺に詰め寄って来た。

 

「何でそんな捕まえ方なの!?普通に手錠すれば良いじゃん!」

「テキサスは身のこなしが凄いからな、両手を捕まえる時点で逃げられる」

 

その言葉を聞き、どこか自慢げな様子でふんす、と鼻を鳴らすテキサス。いやお前焦れよ。捕まってんだぞ。

 

「う…!じゃあ、何でテキサスなの!?テキサスは重いよ!重い女だよ!!」

「テキサスが転んだからに決まってんだろ」

 

あとなんだ重いって。コイツは軽い方だろ。テキサスの首より下を見る。うん。軽装備だ。

 

「イラ?今テキサスのどこ見たの?イラ?」

 

怖い怖い怖い。目に光がなくなってる。真っ暗になってるって。おいちょっと待て詰めんな今バランスが──。

 

「うわッ!」

「…っ」

 

後退りしようとしたら、テキサスとの距離感が掴めずに倒れこんでしまった。側から見れば俺がテキサスを襲っているような光景だろう。俺は焦って体を起こす。

 

「す、すまん…」

「──別に、気にしてない…」

 

そう言うテキサスだが、耳が赤くなっている。それに気づいた俺は何とも言えない気持ちに襲われて、そっぽを向く。

 

「──イラ。今までごめんなさい。今日の事も反省してるから、テキサスだけは解放してあげてくれないかな?代わりにあたしが捕まるから」

「──なっ。おいエクシア──」

 

申し訳ないような表情をするエクシア。…こんな顔もできるんだなコイツ。仲間思いな所もあるのか。…なんか俺が悪い事してる気持ちになってくるじゃないか。

 

「…んまあ、そこまで言うなら…」 

 

「ホント!?」

「イヤ、そんなことしなくて良い。私が捕まろう。この前の弁償代を払っていないのを忘れていた」

「絶対離さんからなテキサス」

「…分かった……ふふ」

「あ"あ"あ"あ"あ"!!」

 

何故か頬を赤らめるテキサス。発狂するエクシア。なかなかカオスな現場になってきた。

──その時、謎の機械音を俺の耳が捉える。

 

「…ん?なんだこの音」

「──これは」

 

隣のテキサスがそう呟いたその時、路地裏から大量のドローンが飛んできた。それらはぱっと見でも五十機以上ある。

 

「テキサス──これって」

「ああ。奴らの本拠地にもあった。…残党か」

 

どうやらこいつらがドンパチしたマフィアの差し金らしい。なあ、俺全く関係ないんだけど?

 

「流石にこれはやばいか──しょうがない、一旦手錠外すぞ」

 

とりあえず、今はこの危機を逃れる事が大事である。俺はため息を吐き、手錠の鍵を入れたポケットに手を入れ──。

 

「…ん?──あれ?」

「…イラ?」

「いや、待ってくれよ。あるある。確かこっちに入れて──」

「……もしかして…」

 

ならばと反対側のポケットに手を入れたが、あるのは空気のみ。うーん。これは…。

 

「失くしましたねこれ」

「なぁにやってんのぉぉぉぉ!?」

 

エクシアの絶叫と共に機関銃を乗せたドローンが突撃して来た。何でだ?何で失くなった!?ポケットの中身は弄ってねえし、過度な運動も──、…あ。

 

(さっきのテキサスと倒れ込んだ時か──!?)

 

「──逃げるしかないか!行くぞテキサス!」

「──ああ」

 

手錠に繋がれたまま走り出す。動きが制限されているので、いつもより走るスピードが遅くなってしまう。そこに数機のドローンが目を付け、発砲してきた。

 

「あっぶな…!──エクシア!頼む!!」

「もう!天使使いが荒いなあ!」

 

いつの間にか手に持っていた銃でドローンを撃ち落としていくエクシア。その間に俺とテキサスはその場を離れる。しかし、ドローンの数はまだまだ多い。

 

「ねぇそれさぁ!あたしの銃で断ち切れるんじゃない!?」

 

名案とばかりに、その目と輪っかを輝かせるエクシア。しかし俺はかぶりを振ってそれを否定した。

 

「いや、これ無理に外したら近衛局に連絡が入ってめちゃくちゃめんどくさい事になるんだよ!だから却下だ!」

「それってイラが怒られたくないだけじゃん!」

 

ああそうだよ悪いか!またチェン隊長が不機嫌になるんだからしょうがないでしょうが!というか元々を辿ればお前らが悪いんだからな!

 

「…まずいな、囲まれた」

 

テキサスのその呟きに俺も周りを見渡す。四方八方からドローンに搭載された銃口が、こちらを無機質に覗いていた。…やばい。──足場ブチ破るか…?いや、出口から出たとしても無関係な市民が巻き込まれる恐れがある…。

 

「イラ、私の腰にある剣を抜いてくれ」

 

テキサスが棒状の菓子を食べ切り、手錠に繋がれていない方の手で剣を指さす。訝しげにしながらも、それに従って俺は柄から剣を引き抜いた。

すらり、と抜けたその刀身はオレンジ色に光っており、普通の材質では無い事が分かる。──源石剣。源石で作られた特殊な武器をテキサスは使用していた。

 

「よし、私と一緒に剣を持て」

「は?いやお前片手ある──」

「一緒に、剣を、持て」

「アッハイ」

 

静かな圧に耐え切れず、俺は大人しく柄に手を添える。そしてその上からテキサスの小さな手が力強く剣を持った。

テキサスはドローン共をまっすぐ見据える。

 

「──一気に蹴散らす」

「…あ!ずるいテキサス!」

「ああもう──!」

 

それを見たエクシアは今日何度目か分からない叫び声を上げた。俺もどこか自棄になって剣を強く握る。どうせテキサスのアレだろう。

少しでも反動を逃すために身構える。そして──!

 

 

「──『剣雨』!!」

「Deo volente!!」

 

 

──あたり一面に、剣と銃弾の豪雨が降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

「あー…クソ、手痛え」

 

源石剣を握った手が、剣雨の反動でビリビリと痺れる。こんな細い腕でよくポンポン撃てるな。

 

「はじめての共同作業というやつだな」

「……ねえ、イラ。こんどあたしとも共同作業しようよ、二人で銃持ってさ」

「アホか、腕千切れるわ」

 

周囲にはドローンであった残骸がそこかしこに散らばっている。はあ…やっぱり報告しなきゃだめか…。そう憂鬱になっていると、エクシアが笑いながら近づいてきた。

 

「でもさ、今日すっごい面白かった!またやろーね!」

「やらねえよ…、まあ、多分次問題起こされたら俺はここの配置から外されるだろうなぁ」

「──え」

「…?」

 

呆然とした顔のエクシアがこちらを見つめる。隣のテキサスもその目を向けて来た。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあ、イラはどこに行くの?」

「んー…。分からん」

「──分からないとかじゃないって。茶化さないで」

 

急に無感情になるのはやめてもらえませんか。怖いです。

 

「…テキサス、ソレ絶対外しちゃだめだよ」

「ああ」

 

テキサスは手錠だけではなく、俺の腕を抱える。その力は凄まじく、どこか執念を感じるものだった。

 

「──イラさぁ、前から思ってたけど面倒見良いよね」

 

エクシアが静かに口を開く。

 

「どんだけあたしらが迷惑かけても、イラはなんだかんだ言って一緒に解決してくれる」

「…仕事だからな」

「じゃあ、他の奴らは?」

 

エクシアは俺の目の前まで歩き出す。

 

「他の警備隊は最後はあたしらには目もくれないで自分の手柄ばっかり。本当に知らないフリして目を背けてる」

 

…そんな事ないけどなぁ。だってサボったらチェン隊長のありがたい肉体言語のお説教だぜ?わざわざ自殺するやつなんかいないだろ。

 

「それに比べてイラはあたし達を見捨てない。本当に優しいよ。実はすごい嬉しかったり?」

「──知ってるか?オオカミは貪欲なんだ。一度腹の中に入れたものは死んでも出さない。お前は自ら手を差し伸べたんだ、お前のせいだからな。お前が責任を持つべきだ。お前は離れてはいけない。お前が生涯かけて償わないといけない罪なんだ」

 

ちょっとちょっと。褒められたかと思いきや急に隣の狼が詰め寄って来たんですけど。罪って何だよ俺が何したんだよそりゃちょっとは悪い事してるかもしんないけどそこまで言われるほどのこと──近い近い近い口に生あったかい息が当たってるから。

 

「ステイステイ、落ち着け。お前らが問題起こさなかったら良いだけなんだから」

「無理だよ、あたしらが問題起こさないと思う?」

 

自信満々に言うなよお前反省してねえな。胸を張るエクシアにため息を吐き、俺は口を開いた。

 

「んー…まあ、さっきはあんな事言ったけど…異動は無いかもなあ。お前らは多分、他の奴らじゃ止められん」

「え?でもイラは普通に追いついてるじゃん」

「…一応、俺ホシグマ副隊長の次に強いんだけど…」

 

それに、と俺は続ける。

 

「お前らと追いかけっこすんのもまあ──楽しいし。ここの雰囲気も好きだから。移動は俺からはしねえよ」

 

ここは一番店が集まってくる所だからなー。ちょっと買い食いするのに丁度いい。しかもミッドナイトの様な顔馴染みにも会えるから、相談相手探すにはうってつけだ。

それを聞いた二人はきょとん、とした顔を見せる。そして、徐々に顔が赤くなっていった。なんで?

 

「──今、あたしのこと好きって…!これ結婚?勝った?勝ったかこれ?

「──嬉しい。嬉しいぞイラ。…やはり最後には私を選んでくれるんだなあの龍の女や鬼のデカブツに言い寄られてないか心配だったがもう問題はないかよしじゃあ盛大にボスに祝って貰おう──

 

ニヤニヤしながらぶつぶつ呟く二人。気味が悪い。

そんな二人を一歩引きながら見ていると、通信機から声が聞こえてきた。チェン隊長の声だ。

 

[──オイ!イラ!?どうした!返事をしろ!]

 

…やっべぇ。俺はすぐさま通信機を手に取り、口を寄せた。

 

「すみません、少し手放せない事が起きまして──。もう解決いたしました」

[…はあ。お前というやつは。いいか、報連相は大事だといつも言っているだろうが!報告、連絡、相だ──]

 

 

 

「イラ…、いつ結婚式挙げる?あたしはいつでも良いよ」

「イラ。今日は私の部屋に来い。夫婦の営みをしよう」

 

 

[──イラ?お前今どこに居る?誰だその声は?]

 

 

ふえええええ…!?急に人殺す声にならないでよぉ!というか──、

 

「てめえら二人は何トチ狂ったこと言ってんだ蹴り飛ばすぞ!」

「そんな事言わないでよイラ。さっきまであんなに激しく求めてたじゃん、あたしの事」

 

お前ら捕まえるために求めてたね!語弊しかないねその言い方はね!

 

「私と繋ぎ合っている仲だろう…?今もしっかりと」

 

手錠ね!手錠のことね!そんな流し目で手錠を見るなお前!

 

 

[──イラ、大至急本部に戻って来い。用事を思い出した]

「え…あ、いやその…?ええ…」

 

 

 

 

[──今すぐに、ここに、戻って来い]

 

「了解いたしましたァ!!」

 

 

 

 

俺はテキサスを横抱きにして近衛局へと全速力で走り出す。腕の中でテキサスがもぞもぞしているがもう関係ない。殺される殺される!あの声はマジでヤバいって!!

 

「ふんふん…これは…癖になる…」

「ねね、それあたしにもやって!お願い!」

 

 

 

「ああもううるせえ!!覚えとけよお前ら────!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後俺とテキサスの繋がれた手錠を見たチェン隊長が、目にも止まらぬ速さで手錠を切断してくれました。ついでにその場で戦闘訓練も行われました。僕は死にました。エクシアとテキサスはこっそり逃げてました。──あいつらほんまに許さん。

 

 

 

 

 

 

 

今回の勝負──イラの負け。



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バウンティハンターに勝ちたい!

評価バーが赤くなっててビビった。コレはうちのロドスにスルトが来るという伏線では…?(クソ雑魚推理)


「…と、言うわけで。これで龍門郊外に出現した感染生物の報告は以上となります」

 

目の前の黒いマスクで顔を包んだ、ロドスの制服を羽織っている、一目で怪しいと分かる男──ドクターが満足気に頷いた。

俺は今、ロドス・アイランドの執務室に来ている。近衛局とロドスのオペレーターとの龍門郊外での合同作戦の報告のためである。

 

「ありがとうございます、イラさん。今回の作戦は龍門近衛局の皆さんのおかげで成功しました」

 

そう嬉しそうに微笑むコータスの少女──アーミヤが、その長い耳をぴこぴこ跳ねさせた。その笑顔を見れただけで俺も作戦に参加した価値がある。…と面と向かって言えれば格好は付くのだが、いかんせんこの少女──ロドスのトップらしい。故に下手な事を口走った瞬間、俺の首はポンだ。いつも気を張ってしまう。

 

「いえ、私達は微力ながらお力添えをしたまでです。今後とも、私達近衛局を宜しくお願い致します」

「むう…何処か距離が遠くありませんか?」

 

ドクターもその言葉に頷く。俺はそれに苦笑いで返した。当たり前だろ。普段の俺で喋ったら、近衛局は多分三回くらい終わるぞ。そんくらい俺は今頑張ってるんだぞ。

 

「──いつかは君と対等に喋りたい──と、ドクターも仰っていますよ」

「…了解しました」

 

いや今声出してなかっただろ。何で言ってること分かってんだ。夫婦か?熟年タイプの夫婦か?

 

「あ、ドクター。肩に書類が付いていましたよ。これ今日までに終わらせて下さいね」

 

違った。新人が仕事終わらしたタイミングを狙って新しい仕事押し付けるタイプの上司の観察眼だった。愛なんか微塵もねえや。というかなんだその仕事の押し付け方。こじつけにも程があんだろ。ああ…ドクターが干からびてる…。

 

「で、では私はこれで。失礼しま──」

 

こちらに手を振るアーミヤさんと、こちらに手を伸ばすドクターに会釈をし、退出しようとしたその時──。

 

 

 

「…入るわ」

 

 

 

銀髪の髪を一つに纏め、自分と同じくらいの大きさの大剣を背負った美女──、スカジさんが執務室に気怠げに入ってきた。すると、彼女はその赤い目をこちらに向ける。

 

「…イラ。貴方も報告?」

「あ、はい!スカジさんも任務お疲れ様でした!」

 

スカジさんと話していると、アーミヤさんが驚いた表情を見せた。

 

「え?イラさんとスカジさんはお知り合いだったんですか?」

「はい、前にちょっと関わることがあって。その時に知り合い──」

 

 

 

「知り合いじゃないわ。友達よ」

 

 

 

……。静まり返った執務室に、ふんす!と鼻息が響く。

 

「──友達になったって感じっすね、はい」

「は、はあ……」

「いえ、もう友達なんていう言葉じゃ語れないわ。ベストオブ友達。友達の中の友達。永遠の友達なの」

 

全部友達じゃねえかよ。…そう、このスカジさん。実は、友達が一人も居なかったらしい。初めて出会った時、ロドスの訓練室で一人で筋トレをしていた。そこに喋りかけてみたら、なんやかんやあって友達に。その時の一言は忘れられない。

 

【私は今まで心を誰にも許さなかった…でも、今は違うわ。貴方だけは特別。私の全てを海のように受け止めてくれる…『友達』よ】

 

それを聞いた俺は涙が出そうになった。

ああ…この人友達居ねえんだなぁ…と。

そこから俺は奮闘した。スカジさんを色んな所へ連れ回し、時には一緒に訓練をし、とにかく普通の友達としての楽しさを教えた。その成果が出たのか、俺の前では花が咲くような笑みを見せてくれるようになり、無事にスカジさんと友達として遊べるまでに至ったのだ。…長かったなあ…。

 

「彼は凄いのよ。色々な食べ物を知っていて、彼とそれを食べると冷たい体がぽかぽかしてくるの」

 

私は食事は栄養が取れれば良いの。とかほざいてたから、無理やりジェイの屋台に連れ回してラーメン食ったなあ…。ラーメン来る前は興味なさげだったのに、いざ目にした瞬間目がキラキラしてた。

 

「そして私と正面からぶつかり合って、互いの心を伝えたりもしたわ」

 

訓練の時に、やけに俺の方を見てくるから、一緒にやりませんか?って誘うと本気で剣振り回してきた。何で善意が殺意で帰ってくるのか分かんないけど、まあこれもコミュニケーションの一環だろう。

 

「満点の夜空を見ながら寄り添ったりもしたわ…。幸せとはこういうものなんだって、思ったわ」

 

その時気温が低かったからかな、隣でスカジさんが可愛らしいくしゃみしたんだよ。だから上着を着せてあげたんだけど、それでも寒かったのか体を寄せてきた。で、そのままスカジさんは寝てた。

まあ、こんくらいかな。俺がやった事といえば。

 

 

 

 

「──スカジさん?それって友達っていうより……」

 

アーミヤさんがドクターに口を塞がれる。何してんだ。アンタ仕事増やされるぞ。

 

「イラ?次はいつ、どこへ遊びに行きましょうか。私は貴方と居ればどこへでも良いわ。一緒の日に休みを取りましょう」

「あー…、そうですねー…。──あ、あの…スカジさん…」

「なあに?」

 

可愛らしく小首を傾げるスカジさんに、俺は()()()()を伝える。

 

「たまにはね、えっと…そう、俺ばっかじゃ飽きるでしょ?」

「…?何を言っているのか分からないわ。もっと遠慮なく言って」

「…えっと。俺以外の人と遊んでみてはどうかなぁ、なんて…」

「…?何を言っているのか分からないわ」

 

ずっとおんなじことしか言わないじゃん、バグかな?

…そう。この人。他に友達が居ないため、俺以外と交流が無いのだ。俺は失念していた。俺がスカジさんと友達になったらオールオッケーだと思っていた。鼠算方式で友達増えるかと思ってた。しかし、あまりにもスカジさんがコミュ障すぎる。

俺と話す時はこんなんだが、他の人と顔を合わせたらあら不思議。物言わぬ美人の完成である。…違えよッ!俺はもっと他の人とも仲良くなって欲しいのッ!

 

「長期休暇を取るのも良いわね。一緒にバウンティハンターやってみましょうか?貴方だからこんな事言うのよ。私に一生ついてきてくれるって、言ったものね」

 

言った。スカジさんに『他の友達ができるまで』ついてくっていった。でも本人が作る気なかったら意味ないじゃん!なんでさ!

じゃあ他の友達作れって言えよって思っただろ?甘いな。

 

「スカジさん──。俺以外の友達もそろそろ作って下さ──」

 

 

「そんなモノ必要ないわ」

 

「ええ…?」

 

こうなるの。急に殺気出してくるの。ああほら、気温が下がってきた。友達できて嬉しいのに、友達要らねえってなんだよそれ。

 

 

「私が必要としているのはイラだけで、イラが必要としているのは私だけ。そうでしょう?友達はそういうものなのよ。私が初めての友達だから分からなかったのね。しょうがないわ、これから私と覚えていけば良いもの」

 

今俺のことディスったよね?自分のこと棚にあげて俺のことディスったよね?泣かすぞお前。

 

 

「…と、とっても仲がよろしいんですね…」

 

 

アーミヤさん?顔が引き攣ってますよ?ドクターも落ち着くために理性回復剤吸おうとしないで。あ、アーミヤさんにシバかれた。

するとスカジさんは手を叩き、こちらに笑いかけた。

 

「そうだ!私と一緒に、海に行きましょう…。私が貴方と出会う前に、よく行ってた落ち着ける海岸があるの。そこで──」

 

「あ、無理です」

 

 

 

 

 

…場が静まる。スカジさんは笑った表情のまま、凍りつく。アーミヤさんは信じられないものを見る目で俺を見る。ドクターは机の下に隠れていた。

 

 

「……むり?」

 

 

ぽつり、と呟く。

 

「むり?むり。むーりー、むり…。むり…」

 

壊れた。スカジさんが壊れた…!おいおいおい、ちょっとヤバい壊れ方してんぞスカジさん!?無理しか言えなくなってる!?

 

「…え、ええ、そうよね。そう。分かってたわ…!そんな事だろうと思った。どうせわたしはひとりきりなの、しってたわ…」

 

「──イラさんっ!なんてひどい事言うんですか!?女の子に──最低ですっ!」

「え!?」

 

壊れたの俺のせい!?普通に断っただけなんですけど!?

 

「しずむか。うん。そうしましょ」

「あああああ早く止めて!理由を説明してあげて下さい!!」

「ちょ、止めるって──」

 

俺はアーミヤさんに言われるがままスカジさんの前に押し通される。ふらふらとおぼつかない足取りで、スカジさんは俺の胸元に頭を預けた。

 

「あれ?いら。いらのにおいだー。あんしんする」

「…あ、あの。す、スカジさん?」

「──けどもう、これはてにいれられない…だって、ともだちじゃないから…。…と、友、だっ……ちじゃああっ!無くなっ、ひぐっ、た!からぁ!!」

「泣いちゃった!?」

 

スカジさんは子供の様に泣き始めた。そこで俺はようやく壊れた原因を知る。スカジさんは俺が即答で否定したから不安になったんだ。「自分は友達じゃなくなった」って。…バカか俺は。

そっと、スカジさんを抱きしめる。

 

「──スカジさん。泣かないで下さい。俺は別にスカジさんの事は嫌いになんかなってませんよ。これからも絶対に嫌いになりません。ずっと、友達です」

「…ぐすっ、でも。すぐに無理って言ったから…」

「あー…それはですね…」

 

俺は少しの羞恥心と共に、その理由を答えた。

 

 

 

 

 

 

「俺、泳げないんです」

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 

俺はカナヅチだ。膝くらいまでの高さの水は何とかなるが、胸まで浸かったら俺は溺れてしまう。だから極力水辺には行かない様にしてるし、海なんかもってのほかだ。海を見た時点で足がすくんで動けなくなる。

だからチェン隊長にも、海辺の作戦には出さないようにお願いをしてもらうほどだ。海岸なんて行った日にゃ俺死ぬんです。マジで。

そう説明する。すると、スカジさんは俺の背中に手を回してきた。

 

「…もう、二度と紛らわしい事しないで」

「…はい。すいませんでした」

「絶対よ?」

「…は、はい…ッ」

 

ぎちぎちぎちぎち。これは俺の胴体から鳴ってる音です。間違いなく鳴ってはいけない音が聞こえますね?助けて下さい。アーミヤさん、そんな、いい話だなあ…的にハンカチで涙を拭いている暇があるんだったら助けて下さい。

ドクターも頷きながら軽く拍手しないで下さい。いいんすか?俺死にますよ?二等分になりますよ俺?

 

 

 

「──そうと決まれば」

 

 

静かに俺から離れるスカジさん。その目には、静かに燃える決意が宿っていた。…ん?

 

「イラ。特訓よ。私が必ず泳げるようにしてあげるわ」

「……ええええっ!?い、いいですいいです!」

「そんな遠慮しないの。これは必要な事よ。もし天災の影響で、津波に巻き込まれたらどうするの?」

「うっ……そ、それは…」

「それに、私と海に行けないままでは困るでしょう?」

「あ、それは大丈夫です」

「──うっ、ぐすっ…!」

「あーー!めちゃくちゃ泳ぎを教えてもらいたくなってきたなーー!どこかに泳げる銀髪美女が居ないかなぁーッ!?」

「!…ぐす、任せなさい…!私が一人前のバウンティハンターにしてあげるわ…!」

「はっはーん!ばっちこーい!(ヤケクソ)」

 

 

…こうして、俺は訓練所でスカジさんに泳ぎを教えてもらう事になった。因みに水に入った瞬間パニクって溺れました。目が覚めたら頬を赤らめたスカジさんが口に手を当てて流し目でこちらを見ていました。

二度と水に入らねえからなボケが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【──えと。もし良かったら…一緒に訓練しませんか?】

 

どれだけ突き放しても食いついてきた。

 

【ち、力つっよ…!嘘だろ…ホシグマ副隊長よりも…?】

 

どれだけ逃げても追いかけてきた。

 

【スカジさーん!昼飯食いましょーう!…え?それゼリーじゃないですか!駄目っすよ固形の美味いもの食べないと!ついてきて下さい!ジェイってやつがめちゃ美味い屋台を──】

 

どれだけ抵抗しても引きずられた。

 

【スカジさん…コミュ力鍛えましょうよ…。せっかく生きてるんだから、人生充実させた方が良いでしょ?】

 

どれだけ隠れても探し出してくれた。

 

 

【──俺は大丈夫です。貴女をひとりになんかさせません。絶対に。だって俺は、貴女の──】

 

 

親しい、愛しい──。

 

 

 

 

 

 

 

【友達ですから!】

 

 

──友達。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の勝負──イラの大負け。




活動報告に書いて欲しいオペレーターとかあったら書いてください。よろしくお願いします。あと濁心スカジください。よろしくお願いします。


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ロスモンティスに勝ちたい!

「書いたら出る」を信じて。
イベントの最後が勝てなさすぎる。ボートではしゃぐ術師うぜえわ。



「……あ。おにいさん」

 

ロドスをぶらぶら散歩していると、背後から透き通るような声が聞こえる。そこに居たのはフェリーンの耳が特徴的な、ロドスのエリートオペレーター──ロスモンティスがぼーっとした目でこちらを見ていた。

 

「ロスモンティス?今日は任務は無いのか?」

「うん。えーっと、この前ブレイズがお酒飲んで潰れちゃって任務に出れなかったから、今日はそのお休み…らしいよ?」

 

ブレイズ…、こんな年端も行かない子供に替わりに仕事出て貰うって…。お前…。目の前の無表情の少女を同情の視線で見つめる。

 

「ロスモンティスは偉いなぁ」

「──ん…えへへ」

 

サラサラの髪を撫でるとくすぐったそうに目を細めるロスモンティス。あぁ〜心がぴょんぴょんするんじゃあ〜。

 

「…よし。じゃあ俺はこれで」

「──。…おにいさん、私お腹すいた。食堂、行こうよ」

「んー?…そういや、もうそんな時間か…。おっけー」

 

時計を確認すると、昼時の時間であった。それを確認したせいなのか、俺の腹も減ってくる。ちょうどいいか。

 

「よし。じゃあ行くかい」

「…うん。はい」

 

ロスモンティスが手を伸ばす。その手を優しく握り、俺達はロドスの食堂へと足を進めていった。

 

 

 

 

 

 

「えと…どれが美味しいの?」

 

メニューを見ていた時、ロスモンティスは戸惑いながら俺に問いかける。それを聞き、俺は記憶を手探りで引っ張り出した。

 

「んー…。あ、そうだ。確かこれだ。オムライス。これいっつも食べてた」

「ん…。じゃあ、それにするね」

 

そうして今日の料理の当番であるグムに注文しに行く。ロスモンティス──。彼女は重度の記憶障害を患っている。ロスモンティス曰く、大体数日経つと『なにか』を忘れるらしい。例えば、ロドスのどこに何があるか。自分はどんなものが好きだったか。──今自分が話している人は誰なのか。

そんな彼女をロドスのオペレーター達は献身的にサポートした。ロスモンティスに携帯型デバイスを与え、その日あった出来事を記録する様に言った。その手厚いサポート体制があるからこそ、今の彼女は成り立っているし、彼女もまた、ロドスの面々を家族として大切にしている。

最初は俺も忘れられていた。あれはビックリした。ちょっと仲良くなれたかな、なんて思った次に「あなた誰?」と怯えられた時は一回死のうかと思ったくらいだったからな。

そのせいか、一部の人には疎まれていた事もある。しかし、それはドクターとケルシー医師の()()()カウンセリングで無事に仲直りできたらしい。俺は震え上がった。

 

「おまたせ、おにいさん」

 

そんなことをしていると、オムライスが乗ったお盆を小さな手でしっかり持ってロスモンティスがやってきた。俺も頼んだパスタを食べるとしよう。二人で手を合わせ、食事を始めた。

 

「ロスモンティス、そういやタブレットはどうしたんだ?」

「…昨日、不備があって。調整に出したの。代わりのタブレットも無いから、困ってた」

「うわー…。そりゃまた災難な…」

「うん。…はい、あーん」

 

突然オムライスを一口サイズでスプーンにさらい、それを俺に差し出してくる。

 

「…?ロスモンティス?」

「ブレイズに教えて貰ったよ。仲の良い男女がご飯を食べる時は必ずあーんをしないといけないって」

 

あのアル中熱血チェンソー女がァ…!純粋無垢なロスモンティスに何教えてんだ…!

 

「ロスモンティス。そういうのはな、恋人同士──それもアッツアツな人達がやるもんなんだよ。ドクターとケルシーさんみてえな」

「…確かに、ケルシーもドクターにあーんさせて、あっつあつなカップラーメン作ってた気がする…」

「なにそれ超見てえ」

 

どんなカオスだ。アッツアツの意味が違うんだわ、三分で口の中地獄じゃねえかよ。

 

 

「──。おにいさんは私と恋人になるのはいや?」

 

 

不意に、手はそのままでロスモンティスが不安の色を顔に出しながら問いかけてきた。…そんな顔をされちゃ俺が悪いみたいになるじゃねえかよ。

オムライスをぱくりと食べる。うん、美味い。目を丸くするロスモンティスに、俺はお返しとばかりにパスタを差し出した。

 

「あと十年経ったら考えとくわ」

 

その言葉を聞き、数秒固まったロスモンティスは、勢いよくパスタを食べ、笑顔で何度も頷いた。

 

「やくそく…だよ。忘れないでね」

 

あとさっきからスカジさんとエクシアがめちゃくちゃこっち見てくんだけど。やめろやめろ、俺の平穏を脅かすな。

 

 

 

 

 

 

 

「美味かったな」

「うん。また行こうね」

 

そこからは他愛もない話をした。主に俺から話題を振るが、ロスモンティスは時々相槌を打ち、楽しそうな顔をしている。

 

「最近は平和なんだよ。仕事内容がちょっと楽になって、休みの日が増えたんだ」

「じゃあ、また一緒に遊べるね。ブレイズも誘ってみる?」

「勘弁してくれ…」

 

 

「──なあ。ドクターってアーミヤさんとケルシー医師に取り合いされてるのってマジなの?」

「うーん…あまり覚えてないけど、仲が良いのは確かだよ。ドクターを挟んでニコニコ笑ってたり。ブレイズは修羅場って言ってたけど」

「うわぁ…。ドクターってそういう所は鈍いんだなー。女の子の気持ちは分かってあげないといけねえのに…。…?何だよその目」

「べつに」

 

 

そうこう話しているうちに、ロスモンティスの部屋までたどり着く。

 

「──。あがってく?」

「いや、俺は今から仕事入ってるんだ。ごめんな」

 

龍門のお偉いさんのボディーガードだ。クソが。しょんぼりとしたロスモンティスを撫でて慰める。

 

「まあ、また今度な。──痛っ」

「…どうしたの?」

「いや、ちょっと背中と腕が痛かっただけだ」

「大丈夫?簡単な傷薬ならあるけど…やっぱりあがってよ」

「うーん」

 

時計を見る。あと一時間半。ロスモンティスの部屋でダラダラしていると時間を忘れてしまう。なのでここは涙を堪え戻るとしよう。

 

「やっぱりごめんな。ロスモンティスと一緒に居たらずーっとここに住み着いちゃいそうだ」

「私はそれでも良いよ?」

「ヒモにはなりたくねえなあ」

 

俺が譲らないことを理解したのか、ため息を吐くロスモンティス。

 

「じゃあ、かがんで?」

 

突然の要望に戸惑うが、言う通りに屈む。すると、その端正な顔が徐々に近づいて行き──。

 

 

 

「ちゅっ」

 

 

 

「──え」

「…ちゅーは、仲良しのしるし。いつもよくしてくれてありがとう。お仕事行ってらっしゃい。…にゃ」

 

少し赤くなった頬を隠すように、さっさとロスモンティスは自室へと戻っていった。

 

 

 

「うっそお……」

 

 

 

少しの間俺は放心していたが、仕事のことを思い出し、足早にそこを立ち去った。これはやばい。

 

 

 

 

 

 

 

「でへへへへへ…」

「キッショいなお前。何があった」

「んー?秘密さ。できる男のな」

「くたばれ」

 

近衛局の更衣室に戻ると、そこには同僚が隊服に着替えていた。コイツも任務か。鼻歌を歌いながら自分のロッカーから隊服を取り出す。

 

「イラ。今日お前気をつけろよ。お前の雇い主、幽霊に取り憑かれてるらしいからな」

「幽霊ぃ?」

「おう、なんでも急に物が動いたり、誰もいない廊下に女の笑い声が響き渡ったりするらしいぜ」

 

それを俺は鼻で笑う。幽霊なんか居るわけねえだろ。そんなメルヘンなんてもんはありゃしねえのによ。それに、今の俺は女神のキスを受けたからな。マジで何でもできる気がするぜ。

 

「怖かったらついていってあげまちょーか?イラくん」

「いらねえよバカ」

 

その声に笑い、俺は上の服を脱ぐ。

 

 

 

 

 

「───ッ……!?」

 

 

 

 

すると背後から、同僚の押し殺した悲鳴が聞こえる。なにかと思い振り返ると、その厳つい顔を真っ青にした同僚がいた。

 

「──どうしたんだよ。なんかあったのか?」

「お、お前…()()()()()?」

「それってなんだよ。お前おかしいぞ?一体何が──」

 

 

「──お前の背中と腕見てみろ」

 

 

ん?と立てかけられてある鏡を見る。

 

 

 

──手形があった。大少さまざま手形が、俺の背中に張り付いていた。腕も長袖を着て分からなかったが、蛇のような手形が纏わり付いている。さらに何かにしがみつかれたかのように、背中の皮膚が少し捲れていた。

ぞっ、とする。心臓の鼓動がやけに響く中、先程の会話を思い出す。幽霊に取り憑かれた依頼主。幽霊。手形──。

 

 

「今日一緒に行かない?」

「行かない」

 

「誰かああああああ!!今日の任務ついてきてぇぇぇぇ!!」

 

 

俺は駆け出した。因みにホシグマ副隊長が一緒についてきてくれた。惚れるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はロドスのオペレーターになったばかりのことを思い出す。

いつもの記憶障害で一人の友人と名乗る女の人に迷惑をかけていた時。

 

「──なんで私のこと忘れるの!?どうでも良いんでしょ私のことなんか!!本当に大切なら絶対忘れるわけない!!」

「ち、違うよ…!私は──」

「もういい。貴女がそんなひどい人だとは思わなかった」

 

焦って手を伸ばそうとするが、そんな資格は無いと思い直す。忘れた自分が悪いのだ。あの人を傷つけてしまった。辛いのはあの人。そう思い、俯く。

 

「──オイ」

 

その時、男の人の声が聞こえる。…あの人も、多分知り合いなんだろうな。一瞬だけこっちを見た時、目を見開いてた。また新たな罪悪感に襲われた。

 

 

「いいかげんにしろよ。アンタはこの子がわざとアンタのことを忘れたと思ってんのか」

 

 

しかし、男の人が口にしたのは、私への批判ではなく、私への擁護の言葉だった。

 

「…関係ないでしょ、黙っててよ部外者は」

「その部外者から見てもアンタが気に入らねえから関わってんだろうが」

「──じゃあ何?私が全部悪いの!?あんなに会話もしたのに!笑顔も見せてくれたのに!全部勝手に忘れられて怒る私が悪いの!?」

 

女の人が叫び、男の人の胸ぐらを掴む。泣きながら怒るその姿に、私の胸が締め付けられる。

 

「辛いのよ…!この子と一緒に過ごした時間が、無いものになっていくのが…!」

「──確かに、それはそうだ」

 

男の人が静かに口を開く。

 

「最初は最低の人種かと思ったが…アンタはこの子が本当に好きなんだな」

「──っ、そうよ!だから──!」

 

 

 

「──なら。この子の気持ちをどうして理解してあげないんだ」

 

 

 

鋭い目をしていた。

 

「この子の事をこんなに思っているアンタを、この子が嫌いなはずがない。ちょっと冷静になればすぐ分かるだろ」

「あ……」

 

女の人がこちらを見る。一気に怒りの炎が萎んで行く様を、私は見た気がした。

 

 

 

「忘れられるのは辛い。けどな──、忘れてしまう方は、それ以上に辛いんだ」

 

 

 

その言葉を皮切りに、女の人は蹲って泣き始めた。そこに他のオペレーターの人が来て、女の人を連れてどこかに行ってしまった。

その場に残る私と男の人。…少し気まずい。すると、その空気を変えるために、男の人は私に笑顔を見せた。

 

 

 

「えっと、俺の名前はイラ。君は?」

「ロス、モンティス…」

「──良い名前じゃんか。よろしくな」

 

 

 

それを聞いた瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。何故だかわからない。だけど──どこか安心する。泣いているのに、幸せを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──よし。これで──忘れない」

 

私のアーツで、今日あった事のメモを取る。今日は楽しかった。また一緒に遊べるかな。…それに、付き合う約束もしたし…。

 

「にへへ」

 

ニヤニヤが止まらない。ついつい頬が緩むが、それを見るものは誰も居ないので、安心して──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イラ おにいさん わすれるな」

 

 

「十年後 おにいさんと つきあう」

 

 

 

 

 

 

壁に刻んだその文字を、ゆっくりと眺めることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の勝負──イラの負け。



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龍門近衛局の日常

たまには番外編っぽいのも。


「ご機嫌よう皆さん!この私、スワイヤーが手伝いに来てやったわよ!」

「帰れ」

「はああああああ!?」

 

隊長に冷たくいなされたスワイヤーさんが尻尾を逆立て目を釣り上げる。いつもならフォローするのだが、今の俺たちにはそんな事をしている余裕は無い。

 

 

「──隊長、これ終わりました!」

「よし、次はこいつを頼む」

 

 

そうして渡された書類の束。ひとつため息を吐き、俺は机へそれを運び、また書類と向き合った。

今龍門近衛局は事件の報告書、損害賠償の計算、その他etcなどの書類仕事に追われている。職場に来て机の上を見たら書類の束、束、束。チェン隊長とホシグマ副隊長は素早い動きで筆を走らせているが、やはり疲労が溜まっているのか眉間にシワが寄っていた。

 

「嘘でしょ?なんでこんなに仕事溜めてるのよ…?」

 

唖然とした声が聞こえた。ちゃうねん。今日がたまたま色んなことが重なってこうなっただけやねん。いつもはこんな仕事量じゃないねん。

 

「分かっただろ?今私たちは忙しいんだ、お前に構っている時間など無い。さっさと帰れ」

 

スワイヤーさんには目もくれず、チェン隊長は端的に言い放った。いやいや、そんなきつい感じに言ったらまたスワイヤーさんと喧嘩しちゃうじゃ無いですか…。今それを止められる余裕ないですよ…やめて下さい…。

内心ハラハラしながら資料の整理をして行く。えーと、こいつは…。

 

 

「──それ、そっちの部類じゃないわよ、こっちよ」

 

 

いつの間にか俺の背後に立っていたスワイヤーさんが身を乗り出して指摘する。

 

「え…?あ、ほんとだ…」

 

そこを見てみると、たしかに違う資料が積まれていた。…あっぶな、間違えてた…。

 

「あ、ありがとうございます…。凄いですね、一目見ただけで分かるなんて」

「こんなの簡単よ、書かれている内容を要所だけ読み取れば良いもの」

「う…」

 

存外にお前は仕事ができないと言われた気がしてちょっと凹む。

 

「違うわよ、別にアンタを責めてるわけじゃないわ。…ああもう、仕方ないわね、ちょっと寄りなさいな」

 

スワイヤーさんが椅子を持ってきて、俺の隣に腰掛ける。

 

「私が手伝ってあげるわ。私が分別するから、ひとまとめにしてちょうだい」

「あ、はい!」

 

そう言ったスワイヤーさんはてきぱきとした動きで書類を整理して行く。俺が整理する時間の数倍も早く、確認と分別をしているが、どこにも間違いは無い。まるで精密機械のようだ。

 

「……はい、終わり!」

「──は、早…!助かります!スワイヤーさん凄い!!」

「ふ、ふふん!まあ?そんなに凄いことでも無いけど?」

 

スワイヤーさんが輝いて見えるぜ…!なんて仕事ができる人なんだ…!しかも謙虚で面倒見も良いし、理想の上司ってこの人のためにある言葉なのでは!?

俺は尊敬の念を抱きつつ、チェン隊長の元へと向かう。

 

「隊長ー!終わりまし──」

「良かったな早く終わって」

「ヒェッ」

 

人を殺す目で俺を見つめてきた。やめて下さいよ何でそんな顔するんですか。

 

「イラ。手が空いたなら私のやつを手伝ってくれないか?」

「ホシグマ副隊長?ペ、ペンにヒビ入ってますけど…」

「おっと、いけない」

 

ホシグマ副隊長は落ち着くために鬼の意匠が入ったマグカップを持つ。取手が砕けた。壊れたじゃなくて、砕けた。オイオイあいつ(マグカップ)死んだわ。

 

「ホシグマ、それアンタ一人でも出来るでしょ。イラが行っても効率悪いだけよ、イラ!次はこれ終わらすわよ!」

「今夜酒誘う今夜酒誘う今夜酒誘う……」

 

鬼の目の光が消えた。やっべえ今日俺死ぬかもしんねえわ。

 

「おい、イラは私の部下──」

「黙ってなさい、チェン。このままじゃ一生終わらないでしょう?」

「う…」

 

あの隊長を黙らせた!?なんて人なんだスワイヤーさん…!

スワイヤーさんはぱん、と手を叩き──。

 

「それじゃ──仕事に取り掛かるわよ!」

 

 

 

その号令と共に、俺たちは机へと向き合った。

 

 

 

 

 

 

 

「終わっっっったあ〜〜〜!!」

 

日も暮れ、明かりがついた執務室に俺の声が響く。マジで疲れた…!もう無理だ、ペン持てねえ。ぐっ、と背を伸ばすと、ポキポキと小気味良い音が鳴った。

 

「お疲れさま。よく頑張ったじゃない」

「あ、ありがとうございます…」

 

スワイヤーさんがコーヒーを淹れてくれる。あぁ…沁みる…体にカフェインが浸透するぅ……。そんな俺のだらけきった姿を見て、スワイヤーさんは苦笑する。

 

「大袈裟よ。アンタも近衛局ならしゃんとしなさい」

「すいません…今日だけは、何卒…」

 

まったく、と言いながら俺の肩を揉んでくれるスワイヤーさん。凄い気持ちが良いです…。ああ、安心するなあ…。

 

「なっ…!おい!それはずる…、──私もやる!」

「酒」

 

チェン隊長が机を叩いてこちらに近寄ってくる。ホシグマ副隊長はうつ伏せたまま俺の目を真っ直ぐ見て一言そう言った。──ちょっと待って隊長が肩揉む?それはやば──。

 

 

「ふん!」

 

 

ゴキン。

 

 

「い痛ったあああい!!」

 

 

肩外れた!肩外れた!痛えよ揉んでくれるんじゃなかったの!?

 

「はっ!しまった、ついいつもの癖で…!今元に戻すからな!」

 

慌てた隊長が、俺の骨の位置を直す。し、死ぬかと思った……。肩を回して調子を確認する。…よし。問題無し。

 

「アンタ何してんのよ!何地獄見せてんの!?」

「い、いや…私は…ただ疲れを取って貰おうと…」

「肩取ってどうすんのよ!」

「ああ、大丈夫ですよ。チェン隊長が悪気が無いのは分かってますからね」

「…っ、イラ…!」

「酒。イラ」

 

キラキラとした目で俺を見つめる隊長。はは、そんな目で見つめないでくださいよ、恥ずかしい。俺は緑の鬼の言う事は何も聞いてない。

 

「…?チェン、アンタ、もしかして…」

「なんだ、言ってみろ」

 

スワイヤーさんが隊長に耳打ちする。その瞬間、隊長の顔がみるみるうちに真っ赤になった。

 

 

「どっ、どどどどどど、どどどどど!?」

 

 

ドドドド言い過ぎだろ。奇妙な冒険か。

その反応を見たスワイヤーさんがニヤニヤしながら悪戯な目を向ける。

 

「あ〜ら、龍門近衛局の隊長ともあろう人が、まさか一人の隊員を──」

「うわああああっ!赤──」

 

──嘘でしょそれはヤバいって!叫びながら剣の柄に手を添えたチェン隊長を止める。

 

「隊長!ステイ!ステイです落ち着いてください!赤霄はマズイ!」

「離せイラ!こいつ切れない!」

「良かったじゃない、猛烈なバックハグよー」

「"龍門スラング"!!!」

 

ちょっとちょっと本当にまずいから!誰か落ち着かせ──、ッ!そうだ、居るじゃないか適任が!いつも落ち着いて、チェン隊長とタメを張れる心強い上司が!

 

 

「──ホシグマ副隊長!隊長止めて下さい!」

「……」

 

 

その悲痛な声を聞いたホシグマ副隊長は、俺の側へと歩いてくる。よ、良かった…これで一安心──。

 

 

 

 

「お前は、都合の良い時だけ私を頼るんだな?」

 

 

頬を膨らませたホシグマ副隊長がそこに居た。

めんっどくせえなこの人も!?何でこんなに今日はおかしいんだ頭が!?疲れてるからか!?

 

「そうかそうか、つまりイラはそういうやつだったんだな。私の願いを聞き入れずに、自分の願いだけ叶えてもらおうとしたんだな」

「いや、違…!」

「まあ良い。部下の面倒を見るのも上司の役目…はあ。酒、飲みたかったな…」

 

 

 

「────ああ、もう!お酒でも何でも付き合ってあげますから!兎に角チェン隊長を止めて下さい!!」

 

 

 

 

 

「──言ったからな、イラ」

 

 

不貞腐れていたホシグマ副隊長が、突如獰猛な笑みを浮かべる。こ、この人──!

 

 

(演技してやがった──!)

 

 

 

口角を上げたまま、ホシグマ副隊長はチェン隊長の頭めがけて──。

 

 

「せい」

 

 

鬼の膂力で、チェン隊長の後頭部を思いっきり拳でぶっ叩いた。

 

「ええええ!?」

 

 

気を失った隊長。違う!もっと穏便に出来なかったの副隊長!?大丈夫ですか隊長!隊長ォ!?

 

 

 

「──ホシグマ、もしかしてアンタも……」

「ええ。好いてますよ」

「ふうん…面白い事になってきたじゃない」

「因みにお嬢様はどうなんでしょうか?」

「拳を鳴らさないでよ…ラブじゃないわ、ライクの方」

「ああ、それはよかった」

 

お、鬼だ…!上司の頭ぶん殴って、他の上司と楽しそうに会話してる鬼が居る…!

 

「さて」

 

ホシグマ副隊長がこちらに目を向ける。その目は、獲物を狙う狩人の目をしていて──、

 

 

 

 

「約束。守ってもらうぞ?」

 

 

有無を言わせない重圧を放ちながら、笑みを浮かべた。俺は力無く頷くしかなかったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の行きつけのバーがある。そこで飲もう!」

「アンタすごい楽しそうね…」

「ホシグマ副隊長は酒飲む時いっつもこんなですよ。…にしても、隊長どーすっかなあ」

「すぅ…すぅ…」

「大丈夫?そいつ重くない?」

「ええ。軽いくらいです」

「とりあえず飲んでから考えよう!チェンもそのうち起きるだろ!」

「んー、まあそうですね。最悪、俺ん家泊めれば良いし」

「す…すう…すう……」

「起きてるわね」

「起きてるな」

「起きてますね」

「なんでこういう時だけ統率が取れているんだ!!ふざけるなあ!」

 

 

 

 

 

 

龍門の夜に、四人の影が仲睦まじく映っていった。



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ニート達に勝ちたい!

書いてたら出ました。
マドロック二体。書いたら出るの意味が違う。


「俺に人を呼んできて欲しい?」

 

ロドスの執務室に呼ばれた俺が扉を開けると、そこには頭を下げたドクターが居た。アンタここのトップだよな?

慌てて頭を上げさせ、呼ばれた理由を聞くと、どうやら次の作戦は圧倒的な耐久力と、圧倒的な殲滅力が必要になるらしい。そこで白羽の矢が立ったのが──。

 

「ニェンとシーですか」

 

ドクターは力強く頷く。アイツらかぁ…確かに適任であろう二人だ。ニェンで防いで、シーで消す。しかも一人一人の力も凄まじいものだ。それに俺はあの姉妹と顔見知りでもある。でもなぁ……。

 

「あいつらってニートでしょ?そう簡単に働いてくれますかね?」

 

そう、この二人は自称神様兼ニートである。ニェンはブラブラして仕事しないアウトドアニート。シーは自室に四六時中籠って絵を描くインドアニート。どうしようもない社会不適合者姉妹なのだ。

 

「んー、ドクター。今からでも作戦を練り直した方が…」

 

ドクターが俺に縋り付く。最近俺もドクターの心の声が分かる様になって来た。えーと、「これ以上理性を溶かしたくない」か…。

そんな必死に言われたらなぁ…。うーん…。

 

 

 

「……まあ、出来るだけやってみましょうか」

 

 

 

ドクターは一瞬固まった後、抱きつきながら背中を叩いて来た。アンタも苦労してんだなあ…ドクター。

少しだけ、ドクターと仲良くなった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「おう、ニェン」

「んん?おおお!イラじゃねえか!」

 

ロドスの製造所──。そこで目的の人物、ニェンは俺に腕を回す。

 

「最近会いに来てくんねぇからさぁ、寂しかったんだぜ」

「会いに行くって言ってもお前おんなじ所居ねえから見つからねえんだよ」

 

そっかー!と豪快に笑いながら俺の背中をバシバシ叩くニェン。痛えよ。無意識の攻撃から離れようとすると、ニェンが俺の腕をがっしりと掴んだ。

 

「おいおい、どこ行くんだよ。お前から私の所に来たんだ。これは合意の上って事だよな?」

 

何言ってんだこいつ?合意?何をだよ。

 

「はいはい。とりあえず俺の話を聞いてくれ」

 

そう言って、やんわりとニェンの腕を離す。

 

「あっ……。──ひひっ」

 

ニェンは、一瞬呆気に取られた表情をしたかと思いきや、次の瞬間には楽しくてしょうがないかのような、子供っぽい笑みを浮かべた。何がそんなに面白いんだか。

 

「ドクターがお前をご指名だ」

「…戦場に出ろって事かー…。──ま、いいぜ。他ならぬお前の頼みなんだ、久方ぶりに矢面に出てやらんこともない」

 

お、意外な返答だ…。こいつの事だから飄々とした態度で煙に巻いて逃げるのかと思ったが、すんなりと行ったな。

 

「ただ、ちょーっと私のお願い事聞いてくれねえかな」

 

そんな事なかった。すんなり行くわけねえわなこいつな。お願いとか嫌な予感しかしねえよ何だよそれ。

 

「実はな、私には十一の兄妹たちがいるんだよ。個性豊かなやつらなんだぜー」

「十一…すげえな」

 

シーを除くとあと十人か。親御さんはずいぶんと頑張ったんだなあ…。

 

 

 

 

 

「ああ。それでな────お前な、お前の身体。お前の心。他の兄妹達に、絶対に、指一本たりとも、触れさせるな」

 

 

 

そう言った瞬間、ニェンからとてつもない重圧が迸る。

赤。赤い。世界が赤に変わる。ニェンの背後から、灼熱のナニかが顕現した。それは焔を纏っており、俺をその白銀の眼で見つめる。そのナニかは、口から真っ赤な焔を出し、形を象っていった。それは一つの長い舌となり、俺の右腕に巻きついて──────。

 

 

 

 

「……ッ!!」

 

 

 

 

後ろに飛び退いた。うまく受け身を取れず、製造所の器具をめちゃくちゃにしてしまう。

 

(何だ今のは──)

「汗かいてるじゃねえか、どーした?麻婆豆腐食ったか?」

 

その言葉を聞いた俺は目の前の少女を睨みつける。

 

「お前…なあ、何したんだよ」

「ん?何にもしてないけどな。お前が勝手に飛び退いただけだ」

 

あくまでもシラを切るつもりかよ。薄っぺらい笑みを浮かべるニェンは、俺を見下しながら口を開く。

 

 

「さ、約束しろ」

 

「……分かった」

 

 

その言葉を言って何秒経っただろうか。突如ニェンはぷっ、と吹き出す。

 

「ぷっはははは!何本気でビビってんだよ、ジョーダンジョーダン」

「………」

「ほんっと面白えなイラ!お前の顔半端なかったぞ!」

「……」

「汗ダッラダラだしよー!ばっちいなぁ!」

 

 

 

 

「──ドクターに言って麻雀卓全部廃棄してもらうからな、作るのもダメだ」

「そおおおおれは違うよイラァアアアアア!!」

 

しがみついて頬ずりをするニェンを俺は押しのけて、立ち上がる。もう怒ったからな。

腰にへばりついて、「麻雀だけはあ〜」とか抜かしてやがるニートを連れ、俺は次の目的地へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロドスの人通りが少ない所に、不思議な場所がある。普通、部屋には扉が付いているが、そこだけ扉の絵が描かれているのだ。落書きにしては上手すぎる。写真を撮ってそれをネット上に上げれば一晩のうちに有名になるくらいには。

しかし、これはただの絵ではない。これこそが、俺たちが探している人物の部屋の入り口なのだ。俺は扉の絵を軽く二回叩く。

 

「おーい。シー?いるかー?」

 

「──ッ!?い、イラ!?ちょっと待ちなさい!」

 

その言葉が聞こえたと同時に、扉の絵に変化が起こる。絵であるはずのドアノブがガチャリと回り、そこから扉が開いていく。その時、壁からはみ出した部分は『絵』から『物質』へ具現化した。

…いつ見てもすげえ能力だなあ。

 

 

「──ど、どうしたの?急に来るなんて…。人と会う時はまず最初に連絡を取りなさいな。社会人としての基本でしょう?じゃないと焦っちゃうじゃない…!」

 

こいつに社会人の基本って言われた俺は死んだ方が良いのか?他の人に言われるならまだしも、よりにもよって何故こいつに言われにゃならんのだ。働けお前。

 

「とりあえず上がりなさい、茶葉くらいは出してあげるから。お菓子も出すわよ。さ、早──ニェン?」

「おーう、愛しい愛しいお姉ちゃんだぜ?シーちゃん?」

 

シーの目が死んだ。ドアが閉じられる。

 

「あれ?シー?おーい、シー?」

「具合が悪くなったわ。ニェンは帰って」

「どういう症状なの」

 

この姉妹は兎に角合わない。自由奔放、気ままに生きるニェンと、一つの事をやり続ける、引きこもりのシー。アウトドアとインドア。陽と陰。油と水。…ちなみに今のは全部俺が二人から聞いた二人の評価だ。もうそこまでいったら仲良いだろ。

しかしこれは困った。作戦に出てもらうどころか話を聞いてもらえない。しょうがない、ニェンには一回帰ってもらおう。

 

「ニェン。シーがこんなだからさ…一旦戻ってくれないか?多分作戦の具体的な内容はまたドクターから指示されると思うから──」

 

 

「は?」

 

 

「──っていうのは冗談で!!是非ともお姉様にこの引きこもりめを動かす策を考えて頂きたいなと!!」

「しょーがねえなあ」

「誰が引きこもりよ!」

 

すっげえ怖かった今!目が、目が下等種族を見る目をしてた…!ニェンは顎に手を当て、うーんと唸る。少しした後に、意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 

「おーい、出てこい引きこもりー!」

 

 

ニェンは大声で扉に話しかける。何をしているのか聞こうとすると、彼女は俺の口を人差し指で止め、シーの扉を指差し、そして自分自身を指さす。……ははぁん、そういうことね?

俺はニェンの意図を察して、手に口を当てる。

 

「シーちゃーん!出ーておいでー!」

「おーい!引きこもりのシー!?出て来なー!」

 

「五月蝿いわね!早く帰って!」

 

「あーあ!シーは外に出ないのかー!そんなだから社会不適合者なんだぞー!」

「ひっきこーもり!あそーれ、ひっきこーもり!」

 

「…………」

 

引きこもり音頭をニェンと取る。でもニェン、お前も社会不適合者なんだぞ…。

手をパンパン叩き、サイドステップを扉の前で繰り出す。アレなんかちょっと楽しくなって来──。

 

 

 

 

 

「──いい加減にしなさい」

 

 

 

 

突如扉が開き、中から白い手が伸びて──俺は怒りの形相のシーに絵の世界へと引きずり込まれた。

 

「あ」

「やっべぇ煽りすぎたニェン助け──」

 

ぱたん、と扉が閉じられ、あっけに取られた顔のニェンと俺は分断されてしまった。

そこは部屋というよりかは、一つの世界だ。木々が生い茂り、滝が流れる。ただひとつだけ現実と違うことと言えば、色彩が無いだけだろうか。

──さて。

 

 

「シー?しばらく見てない間に綺麗になったな」

「絶対に出さないから」

「ごめんなさい!!!」

 

 

俺は音速にまで至るスピードで土下座した。プライド?ははっ、ワロス。こいつにプライドとか意地とか張ってたらマジで取り返しがつかなくなる事を俺は知っている。

 

「引きこもり引きこもりうるさいのよ、私は引きこもりじゃないし。ただ好きな事をしているだけ。その気になれば外に出れる。でもその気にならないだけ。分かった?」

「ハイ」

 

俺はイエスマン。たとえ相手が超面倒くせえこと言ってても肯定してあげるイエスマン。

 

「アイツもアイツよ。四六時中ブラブラしといて、浮浪者みたいに彷徨って。早く仕事見つけなさいって話よね?」

「おまいう」

「──なぁに?」

「ハイ!その通りです!」

 

あっぶね。つい疑問が口から出たわ。少しの間俺にジト目を向けていたシーは、ため息を吐き、椅子に腰掛けた。

 

「…まあ良いわ。とりあえず、話があるんでしょう?聞いてあげるから言ってごらんなさい」

「お、おう…」

 

やけに落ち着いているシーを不審に思いつつも、俺は要件を話す。

 

「ふぅん…。どうしようかしら。作戦なんか出たら久しぶりの日光に倒れちゃうかも知れないわ。だって私は引きこもりだもの」

 

こ、こいつ…!根に持ってやがる…!日光で倒れる?な訳ないだろ、この世界に太陽あるじゃん。しかもその太陽お前が作ったんじゃん。

俺は頬を引き攣らせながらも、必死に説得する。

 

「そ、そんな事言わずにさあ…頼むよ。あれは俺が悪かったから」

「ほんとにそう思ってるのかしら。早く要件を終わらせたいからとりあえず謝っとく、なんて考えてない?」

「かん、ががかかんか考えてないですよ!?」

「ダウト」

 

何故バレた…!俺の演技は完璧だったはず…!?シーはどこからともなく画布と筆を持ってくる。そして椅子の前にそれを立てかけ、墨を刷り始めた。……やばい。

 

 

 

「ま、罰として──絵のモデルになって貰うわ。…いや、私の絵のモデルになるんだから、逆にご褒美かしらね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一月前。俺はシーに呼び出された。何でも、インスピレーションが湧かないのでとりあえず絵のモデルになってほしいと頼まれたのだ。まあ断る理由もないし、その日は非番であったからそれを了承した。

──それが間違いだった。シーの満足の行く絵ができるまで、シーの世界から解放されなかったのだ。描いては捨て描いては捨ての繰り返し。ちなみに捨てられた俺の絵はシーが大事そうに持ってった。

出ようにもシーがこの世界とあっちの世界をつなぐ扉を描いてくれないから出られなかった。その間まさかの五日間。もう監禁ですよ。

帰りたいって言っても「まだ描き終わってない」で帰らせて貰えなかったし、言ってしまえばこのシーが作った世界に入った時点で、俺は負けが確定しているのだ。

ちなみにその後は異変を聞きつけたニェンが助けてくれた。手法は知らないが、時間をかけたやり方でしかここに入ってこれないらしく、汗を流しながらも俺を元の世界へと引っ張りだしてくれた。あの時は一生ついて行こうって思ったけど普段の生活見てたらその気持ちが無くなったな。

 

 

 

 

 

 

 

「──」

「お、おい…もうそろそろ良くないか」

「五月蝿い、動くな──ああ、もう!また描き直しよ!」

 

いやそれ、どこも変なところ無いじゃんか。めちゃくちゃ上手い俺の絵をどかし、また描き始める。どーしようか。助けてもらうにしても、ニェンの目の前で引きずり込まれたから、前よりは時間はかからないとは思うけど…。

 

 

「…だめね、全然描けないわ…」

 

 

すると、シーが筆を置く。あれ?これもしかして平和に帰れるパターンか?俺に一つの希望が生まれる。

 

 

 

 

 

「やっぱり全貌を見ないと良く分からないわね、イラ。服脱いで」

 

 

 

 

 

逃げた。全力で逃げた。

 

 

 

「ち──」

 

 

 

シーがなんか言ってるが関係ない。ダメだこいつ、イカれてやがる!なんで服脱がないといけねえんだよヌードデッサンは受け付けてねえぞ!!近衛局通してからにしてもらえますかね!

草木を飛び越えシーから離れる。ニェンが来るまでアイツから逃げ切れば勝ち。捕まったらアウト。単純な鬼ごっこだ、捕まったら社会的に死ぬけどな。

しばらく走り、木々が立ち並ぶ林にたどり着いた。これもシーが描いた物だと思うと感嘆を覚えるが、今はそんな事をしている場合ではない。急いで木に登り、周りを見渡す。

シーが直接追いかけてくる確率は低い。しかし、恐るべきなのは奴が描く化物たち。こいつらが集団で追いかけてくる。空を飛ぶやつもいたり、力が異常に強いやつもいたり、なんなら龍みたいな奴もいる。──まあ、中にはクヒツムって言って、可愛いやつも居るんだけど。そいつが一番厄介で、見つかったら仲間と共鳴して俺の居場所を伝えてくるからなるべく姿を消すようにしよう。

 

 

「ぬー」

 

 

そうそう、こんなやつがクヒツムっつって──。

 

 

 

「………あ」

 

 

 

 

「──はい、捕まえた」

 

 

 

 

後ろから白い手が伸びてきた。その手は俺の脇の下を通り、腹のあたりでしっかりと組まれている。一見嫋やかな腕をしているが、今その外見からは思い付かないほどの力が込められていた。

 

「…今日はずいぶんと動き回るんだな。お前から来るとは思わなかった」

「あら?私だってたまには運動したい時だってあるわよ。──どうしようもないお馬鹿さんを捕まえるためにね」

 

まあ、力を込めていると言っても男女の差がある。こんなものすぐに振り解いて──。

 

「クヒツム」

 

シーがクヒツムに何かの指示を出す。でもクヒツムは特殊能力とか持ってねえから、そんな大層なことは出来んだ──。

 

 

 

「イラさん。少々の時間、身体を動かすのは辞めて頂きたい」

 

 

「おぉ前喋れんの!!?」

「えい」

「──あ」

 

シーが体重を預けてくる。普段の俺だったら踏ん張れるが、クヒツムが喋ったことによる動揺が俺の体幹を弱らせた。アイツ声渋すぎだろ。

木の太い枝に立っていた俺たちは当然、重力という決められた法則に則って落ちて行く。

 

 

「う、うわ──!シー!離せ──!」

「男女が一緒に飛び降りるの…こういうのなんていうんだっけ?心中?」

 

 

冗談じゃねえぞマジで!何馬鹿なこと口走ってんだお前!?

どうにかして助かる方法は──!

 

「──そうだ、シー!クッションか何か描いてくれ!」

 

シーの能力だ。こいつは筆で描いたものを具現化できる。この世界の植物や建造物などは全て元々絵なのだ。それがあればどうにか致命傷は避けられるはず──!

 

 

「無理ね。そんなに早く描けるわけないわ。描けたとしても、お粗末なものを生み出すだけ」

 

 

終わった。俺死ぬんだ。ああ…これは走馬灯か…?今までの思い出が一気に押し寄せて来やがる…。チェン隊長にしばかれ、スカジさんにしばかれ…。俺しばかれてばっかじゃん。…もうちょっとなんかあっても良いだろう!?なんだこの仕打ち!?

せめてシーだけでもと思い、背中に引っ付いた彼女の頭を守る。そして地面が迫るその時──。

 

 

 

「…!ふふ、良い気分ね?──来なさい」

 

 

 

目の前に水色の龍が躍り出る。そいつは俺とシーを背中で受け止め、何事もなかったかのように俺を見つめる。

 

「…ジザイ…」

「先に呼んでおいたのよ、私が何も考えずに行動するわけないでしょう?」

 

得意げなシーに、思わず苦笑いしてしまう。いや、お前が突き飛ばさなかったらこんなヒヤヒヤする事なかったんだけど──。

 

(まあ助かったから良いか、終わりよければ全て良しだ)

「じゃ、続き始めるわよ。服脱いで」

「良くねえ!!」

 

忘れてた!?俺こいつに身包み剥がされそうになってたんだった!?シーは俺の服をぐいぐいと脱がしてくる。ヤメロォ!ヤメロォ!!

 

「抵抗するんじゃないわよ…!──そら!」

「キャアアアアア!!」

 

近衛局の上着を剥がされ、俺は生娘のような声をあげる。もうダメだ、お婿に行けない。顔を手で覆い、シクシクと泣く俺。…しかし、おかしい事に、いつまで経ってもシーが動く気配がない。不審に思い、ゆっくりと顔を上げてみると──、

 

 

 

「………あんた、()()は──ッ」

 

 

 

そこには怒りを露わにしたシーがいた。最初の様な軽い怒りではない、まるで、自分の大事なものを他人に盗られたような、驚愕、悲壮、そして──憎悪の感情を、その水晶の様な目に映し出していた。

 

「…なに、コレ」

「…シー?どうした──」

「──コレは何かって聞いてるのよ!!」

 

シーが怒号を発した瞬間、周りの建物や草木、岩、水が全て墨となる。絶景だった周囲は見る影もなく、今や辺り一面昏い、昏い黒で覆われた。俺の下のジザイが怒気を放つ。

 

「だからコレってなんなんだよ!?」

 

「その右腕!!」

 

ついに言語を整える事もしなくなったのか、端的に叫ぶシー。それにつられて右腕を見てみるが、何も無い。普段通りの、俺の腕だ。

 

「…?何も無いじゃねえか」

「──気づいてないの?…いつの間に付けられたんだか…!忌々しい……腹が立つわ!!」

 

発狂しながら髪を掻きむしるシーに、俺は恐れを抱いてしまう。そして無意識に後退りしたその瞬間──。

 

「何処に行こうとしてるの?寄りなさい」

 

ジザイが雄叫びを上げ、身じろぎをする。上にいる俺はつんのめり、シーに抱きすくめられる状態となる。柔らかい感触と共に、墨の匂いが微かに香った。鼓動が速くなるのを感じる。二つの意味で。

 

「ふふ…そう、そうよ…これが本来在るべき形。アイツのものじゃない、私のもの。イラもアイツといるより私のそばにいる方が安心するでしょう?」

 

できるわけねえだろ。と言えれば元々こんなシチュエーションにはならなかったのだろう。こくこくと頷くことしかできない。

シーはそれに満足したのか、何処からともなく筆を取り出した。

 

「自分のものには、ちゃんと名前を書かないといけないわね…」

 

さらさら、と俺の右腕に文字を書こうとするが、筆が腕についた瞬間、水分が蒸発する音と共に、含まれていた墨が霧散していった。それを見たシーは冷ややかな視線で右腕を見下す。

 

 

「ふうん…。他のやつの印を退ける効果込みの印…。あくまでも自分のものって言いたいわけね。──まあいいわ、今日は許してあげる」

 

 

そう言ったシーは、左腕に大きく『夕』と書く。するとその文字は俺の腕に染み込み、そして消えていった。

 

「お、おい…なんだ今の。近衛局は入れ墨入れたら印象悪いんだぞ!」

「入れ墨じゃないわよ。安心しなさい、普通の人には見えないわ」

 

んん…。まあ、それなら良いけど…。

 

「じゃ、服脱ぎましょうか」

「──そうは行くかあ!」

 

可憐な笑みを浮かべたシーを振り解き、俺はジザイから飛び降りる。

 

「まだ逃げるの?往生際が悪いわね、さっさと諦めなさいな」

「誰が女の目の前で裸を晒さねえといけねえんだよ!こういうのはもっと親密な仲になってからだろうが!?」

 

シーがため息を吐いたと同時に、ジザイが吠え、口を開いて襲いかかってくる。それを俺はなんとか横っ飛びで回避した。

 

「勝手に人間の匙加減で計ってんじゃないわよ、私はただ絵を描きたいだけの」

「ワガママ姫だ──なあ!」

 

そしてジザイの尻尾を掴む──というか抱える。突然尻尾を拘束されたジザイは驚き、暴れ回るが、がっちりとホールドしているので俺はびくともせず、まるで打ち上げられた魚の様にビタビタと跳ねるだけだった。

そして、身体を捻り、ジザイを遠心力に任せてぶん投げる。ジザイはそれに抵抗しようと地面に爪を立てたが、悍ましいほどの引っ掻き音だけがその場に響き、スピードは落ちることなく、ジザイは壁に激突した。するとその巨体がどろり、と溶けて、あたりには墨だけが残った。

 

「相変わらずの馬鹿力ね」

「鍛えてるからな」

「鍛えるだけでその力が手に入るんだったら人間たちは苦労してないわよ…」

 

いつの間にかジザイから降りていたシーが呆れた目を向けてくる。龍門近衛局式トレーニングは体に効くぞ。

 

「…大人しく捕まりなさい。ま、そうね…今捕まったら、今日は服を着ててもいいわ。あなたの価値観に合わせてあげる」

「──最初に無理難題を押しつけて、後からちょっと叶えられそうな願いを出すことによって相手に言うことを聞かせる──、お前がよくやる手口だろ」

「…残念、バレちゃった」

 

舌を出し、イタズラな笑みを浮かべ、シーは腕を振るう。すると、彼女の背後に無数の怪物たちが出現する。

 

「無尽蔵に湧いて出る化け物たちに潰されるのが先か、それとも根を上げて降参するのが先か…。おすすめは後者ね、両者とも楽で良いわ」

 

「──あんまり俺を舐めんなよ。ちょいとばかしお灸を据えてやるぜ引きこもり」

 

売り言葉に買い言葉。シーの顔に青筋が浮き上がったと同時に、俺は構えを取り、次の攻撃に備える。そして、シーが筆を振りかざしたその瞬間──。

 

 

 

「明王聖帝、誰か能く兵を去らんや?」

 

 

 

 

その言葉と共に、熱風が辺りを支配する。その余波で、シーの描いた怪物たちが一斉に焼け飛んだ。

 

 

「オイオイ、こそこそ人気のない所でなあにしてんだよ、妹?」

 

「──不法侵入とは感心しないわね、ニェン」

 

 

「ニェーーーーーーーン!!!」

 

 

俺はニェンに駆け寄る。怖かったよおおおおお!!

 

「おーよしよし。怖かったなー?よく頑張ったなー?」

「俺頑張った……!俺頑張った…!!」

 

ニェンが背中をさすってくれる。もう本当安心する。今俺の中で株急上昇中ですよ姉さん。

 

「離れなさいよ、それは私のもの…!」

「お前のものなのになんで今私の手中に収まってんのかな?」

「──ッ!!」

 

 

「イラ、あそこに私が開けた穴がある。そっから出ていきな」

 

ニェンが親指で指し示す方を見ると、空間に穴が開いている。そこからはロドスの廊下の壁が見えた。

 

「お、お前…どうやって…」

「どうでも良いだろ方法なんてー。ほら、早くしないとアレ閉じちまうぞー」 

 

よく見ると、ほんのわずかだが穴が狭まり始めている。俺は慌てて走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで邪魔するのよ…!」

 

ニェンとシー。二人が向かい合い、視線を交わす。ニェンは余裕の表情でシーを見下し、シーは怨嗟の表情でニェンを睨みつけていた。

 

「なんでって言われても、そりゃ自分の物が盗られそうになったからだろ」

「やっぱりあの悪趣味な印はあんただったのね…!」

 

やれやれ、と首を振るニェン。いつの間にかその手には、煌びやかな装飾がされた大きな剣が握られていた。

 

「おいおい、小さい時に学ばなかったのか?自分の物には名前を書きましょうってな」

「私たちに小さい頃なんてないでしょう、適当ばっかり。──それに、私もアイツに名前を刻んだのよ。あんたの言い分だったら、私のものになるって事で良いのよね?」

「───はぁ?」

 

今度はニェンが青筋を額に立てる番であった。瞳孔は蛇の様に開き、ちりちりと炎が背後から迸る。それを見たシーはニェンを鼻でせせら笑った。

 

「ふん、人を散々煽っといていざ自分の番になったら怒るの?ま、そりゃそうか。人には使えないモノばっかり造ってる鍛治職人さんだから他人の事なんて考えないものね」

「…はっ、そうだよ。私の造るモンは並の奴等じゃ扱えねえ。…けどな、出会ったんだ。私の子達の良さを百パーセント引き出してくれる最高傑作に!!」

 

 

血走った目でニェンは空を仰ぐ。ふーっ、ふーっと息を荒げて興奮した様子のニェンに、シーは酷いものを見る目でそれを見るが、構わずニェンは続ける。

 

「あいつの力は異常だ。さっきのジザイを投げ飛ばすなんて芸当、ロドスの奴等にも出来やしねえ!いや、この世界中探してもだ!だから私はあいつが欲しい!私が造って、あいつが使う!最ッ高じゃねえか!!」

「…確かに、あんたのそのガラクタを使うには相当な力がいるけど…」

「──スカしてんなよシー。お前もそのクチだろ?」

「…何?」

 

その言葉にシーは眉を顰める。

 

「私は疑問に思ってたんだ。なぜ風景画を描いていたお前が、いつしか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()イラを描き続けていたのか」

「不法侵入じゃないの」

「お前もイラにゾッコンなんだろ?」

 

白い目を向けるシーにニェンは不敵に笑いかける。

 

「…そんなのじゃないわよ。ただ──まあ、『最高傑作』って所には同意するわ」

「へえ?」

「あいつは身体の造形に無駄がないの。常人は全力を出しても四十しか力を発揮できない。だって身体が崩壊してしまうから。それを遺伝子レベルで理解してるから、脳が判断して本気の力は出ないのよ。

けど、あいつの身体は力の流れを妨げず、その膂力にも耐え切れるほどの柔軟で剛健なのよ。文字通り──、身体中に余り無く、百の力を込める事ができる。あいつは鍛えてるからって言ってるけど、アレは努力なんて言葉の枠組みに入れちゃいけない。神様に御贔屓でもしてもらったのかしらね」

 

筆を回しながらイラの姿を思い出すシー。

 

「だから描きたいの。美しいものをそばに置いておきたいのは当然でしょ?」

「…だからって監禁はやりすぎだろ…」

「失礼ね。絵の資料として働いてもらってただけよ」

「あーいえばこーいうのは相変わらずだなあ」

 

苦笑したニェンを見たシーは筆を振るう。すると、シーの背後に百、千──…目では数え切れないほどの怪物たちが出てきた。

 

 

 

「──だから、私の物に手を出す事は赦さない。イラは私のよ。勝手にマーキングしてんじゃないわよニェン」

 

 

 

「──あん?ああ、アレか。だからさあ──、イラは私のっつってんだろうが。聞き分けの無い妹だな、シー」

 

 

 

 

ニェンが持っていた大剣を地面に突き刺すと、そこから半円形状に、印で結ばれた赤い領域が出来る。

 

 

 

 

 

「久しぶりの姉妹喧嘩と行くか?」

「じゃあこうしましょ、勝った方があいつの主人って事で」

「良いねぇ、手っ取り早くて助かるぜー」

 

シーの墨の軍勢に、ニェンの焔。その二つが交わる時──、この世界は耐え切れるのだろうか。しかしそれは彼女たちにとっては些細な事だ。壊れたなら創り直せば良いのだから。

 

 

 

 

「子の矛を以て、子の盾を陥さば何如──!」

「有形を以て無垠を模し、無形を以て天下を応ず──!」

 

 

 

墨の世界で、二つの神がぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?ニェンとシーが怪我した?アイツら曰く『イラが全部悪い』って言ってたから俺に作戦に参加してもらう?────はあああああああ!!?」

 

 

 

 

…その副産物で、一人の男が不幸になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の勝負──イラの負け。



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ラップランドに勝ちたい!

ついに初昇進2オペレーターを作れました。
よろしくね真銀斬。


「おお、テキサス」

「…イラか。おはよう」

 

ロドス艦内を歩いていると、ペンギン急便所属のループスの少女、テキサスとばったり出会った。手には棒状のチョコを持っており、相変わらずの無表情でサクサクと食べ進んでいる。

 

「あれ?エクシアは?」

「別の仕事中だ」

 

そう言ってテキサスは俺の隣に静かに寄ってきた。

 

「…食べるか?」

 

チョコを一本手に取り、上目遣いで小首を傾げるテキサス。普通にしてたら物静かで可愛いんだけどなぁ…。

俺はそれを受け取り口に咥える。美味い。

 

「新作のやつだ。美味いだろう」

「美味えなあ。も一本くれよ」

「…しょうがないな」

 

あー…平和だぁ…久々に平和な時間が来たぁ…。こういうので良いんだよ。友達と中身の無い会話をして、それでお互い笑い合う。こんな生活に憧れてたんだぁ…。

そんなことを考えながら欠伸をする。…部屋で寝るか。目を瞑り、眠気と相談した結果、その結論に至った俺はゆっくりと目を開けた。

 

 

 

灰色の目が俺の視界一面に映し出された。

 

 

 

「……ッ!?」

「イラ!」

 

 

テキサスのつんざくような悲鳴が横から聞こえると同時に、その灰色の目の持ち主は手にした剣を振りかぶっていた。

咄嗟に迫り来る剣を両手で挟み込むように捕らえる。しかし、こいつの戦闘スタイルは二刀流。という事はもう一刀来るという事で──。

 

「無理無理無理!テキサス!!」

「──っ!」

「アハハハッ!!」

 

みっともなくテキサスに助けを求め、その剣を受け止めてもらう。そしてテキサスはそいつごと剣を薙ぎ払う。しかしそいつは狂笑を上げながら危なげなしに受け身を取った。

 

「危なかったねえイラ!もうちょっとでイッてたんじゃないかい!?」

「テメェ…」

 

ラップランド。それがこいつの名前だ。そしてまたの名を──、

 

 

 

「ところで──何でテキサスと一緒に居るのかなあァァあ!?」

 

 

 

──クレイジーサイコレズだ。

 

 

 

 

ラップランドはテキサスの事が好きらしい。一にテキサス、二に戦闘。その他はどうでも良いって本人が言ってた。まあ、たしかに恋愛の仕方は人それぞれだ。別に女同士っていうのも悪い事じゃ無いし、お互いの心が繋がっていれば何の問題も無いと思う。

…だけどさあ…!

 

 

「なんっで俺に構うんだよぉ!お前らの邪魔しねえからあっち行けやぁぁ!!」

「酷いこと言うなイラ。私にはお前しかいないと言うのに」

「…どこまでも僕の気を触れさせてくれるねぇ…!」

 

額に青筋を立てたラップランドが迫り来る。テキサスゥ!お前マジでふざけんなよ!痴話喧嘩に巻き込んでくるなよ二人で仲良く百合百合しとけやぁ!!

俺は全力で逃げる。戦ったらワンチャン勝てるくらいの勝率だけど、ここはロドス艦内。施設を滅茶苦茶にするわけにはいかない。ケルシー医師がペット(Mon3tr)と共にやってくる。

 

「うわ…!」

 

あ、あいつ斬撃飛ばしてきやがった!?俺とテキサスの間を引き裂く様に飛ばされた斬撃は、ロドスの壁に抉れたような穴を開ける。あーあ、俺知ーらね。

 

「アハッ!楽しいねえイラ!?テキサスも喜んでくれて何よりだよ!」

「「な訳ないだろ」」

 

こいつ目腐ってんのか眼科行けお前。これのどこが楽しいんだよお前だけだよ。

心の中でツッコミながら走り続ける俺たち。

 

「おいテキサス、あいつどうにかしろよ!お前の恋人だろ!?」

「──次そんなことをぬかしてみろ、本当に殺すぞ」

 

わーい敵が増えたあ。一瞬で間合いを詰めてきて人を殺す目でこちらを覗くテキサス。そんな嫌なの?何したんだよあいつ近い近いごめんごめんごめん。

息がかかるほど接近してきたテキサスを押しのけていると、目の前に左右の分かれ道が見えた。

 

「テキサス、左に行くぞ」

「分かった」

 

そう小さな声で伝えると、テキサスは頷き左へ走る。それを確認した俺は──。

 

 

「…え?」

 

 

右の道へと走った。呆気に取られた表情のテキサスがどんどん離れていく。

ふはははは!!作戦通りだぜ!!ラップランドの目的はテキサス。俺は圧倒的邪魔者。つまり俺たちが分断したということは、目的のテキサスを追いかけていくに違いない…!

後ろを少し見てみると、目を丸くしたのちに、獰猛な笑みを浮かべたラップランドが見えた。やっちゃって下さいよ姉貴。あとはもう何しても良いんで!俺帰るんで!

 

「馬鹿、イラ!奴の狙いは私じゃない──!」

 

そしてさらに走る速度を上げたラップランドは──、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「…えっ!?右!?」

 

 

「──やっと触れ合えるね、イラ」

 

 

そのありえない事実に一瞬体が硬直してしまう。ほんの一瞬だが、それを見逃すほど目の前の狼は悠長にしている訳もなく、俺は首を掴まれ壁に叩きつけられてしまった。

全身に強い衝撃が走る。反射的に息を吸い込もうとするが、首をギリギリと音が鳴るほど絞められているので酸素を取り込めない。

 

「ぐ…!があ…」

「ひひ、ひひひ!ひあはははは!!」

「イラッ!!」

 

テキサスが剣を抜いてこちらに走ってくる。しかし、ラップランドはまた笑いながら銀の斬撃を飛ばしてテキサスを弾き飛ばした。

 

 

「う…っ!──やめろ!やめてくれッ!」

「──期待外れだよ、テキサス。前の君なら即座に僕を殺せたのに…」

 

 

憐憫の表情をテキサスに向けるラップランド。

 

(と…というか、も、もう…!げん、かいだ…!)

 

さっきから視界がチカチカしてきた。頭に酸素が行き渡ってないからロクな思考が出来ない。マジでこのままだと──死ぬ。

俺は震える手でラップランドの腕を掴む。するとラップランドは嬉しそうな表情をした。

 

 

「──イラ、僕と一緒に──」

 

 

 

「い──いいか、げんに、…し、ろ……!!」

 

 

 

思いっきり腕を握る。するとその細い腕から枝が軋む様な音が響いた。

 

 

「……ッ!!」

 

 

ラップランドの顔が大きく歪む。当たり前だ、俺の馬鹿力で腕思いっきり握り潰してんだからな。今の感触からして、多分骨にヒビが入った。でも俺も命の危機で手加減が出来なかったから、…まあおあいこって事で許してくれ。

首の拘束が緩んだその隙を見て──俺はラップランドを思いっきりぶん投げた。

 

 

「──嫌だよ、一人はさァ!!」

 

 

しかしラップランドのその執念は絶えることはなく、投げられた瞬間に俺の服の襟を掴んだ。掴まれる事により、本来彼女一人が吹っ飛ばされる筈だったが俺もその力に逆らう事が出来ずに二人で吹っ飛ばされ、ロドスの一室にもみくちゃになりながら突撃した。

 

 

「か、ひゅー…ひゅー…」

「ッ…やるね、イラ」

 

 

息を整え、ラップランドの方を向く。その目はまだ諦めておらず、貪欲な、鈍い光を放っていた。

 

「お、お前…やりすぎだろうがッ!!死ぬ所だったんだぞ!!」

 

激情と共に声を上げる。これはいくら何でも悪戯の範囲を超えている。どう言うことかと、俺はラップランドを睨みつけた。

 

 

「──テキサスと僕って何が違うのかな」

 

 

俯いたラップランドが呟いた。

 

「おんなじループスで、過去にやってることはほぼ同じ。本質は血生臭い獣なのに──、何故テキサスは独りじゃないんだろうね」

「…?何言ってんだお前」

 

むくり、と起き上がり、倒れたままの俺に跨ったラップランドは嗤いながら俺を見下ろす。

 

「テキサスの隣には人が居て──、僕の隣には誰も居ない。どこでこの差がついたんだろう」

「…」

「しかも、キミまでテキサスのモノになっちゃった。こんな最悪な気分なのは鉱石病に罹った時以来だよ」

「はあ?俺はテキサスのモノになんかなって──」

 

「隠すなよッ…!本人が言ってたんだぞ!『私とイラは将来を約束した』って!!幸せそうに!僕を差し置いて…!僕の気なんか知らないで…!」

 

ええ…?ど、どうなってるんだ…?瞳孔を開いて目尻に涙を浮かべるラップランドは俺の体に寝そべり、また俺の首に手をかけた。

 

 

「だから決めたんだ。奪ってしまおうって」

 

 

ラップランドが耳元で妖しく囁く。

 

「…ねえ、選んで?ここで僕の一生の思い出になるか──僕といつまでも一緒に居るか」

「……ちなみに、前者の思い出って…」

「えへへ」

 

可愛らしい笑みと共に、俺の首にかかった手に力を込める。なるほどね、死ぬってことか。

背筋が凍る。ここからは選択を間違えれば本気で死ぬ。多分、こいつはどんな手を使ってでも、いついかなる時も俺を殺しにかかるだろう。

俺は息を整えた。そして───。

 

 

 

 

「アホか」

 

 

 

 

ラップランドの額にデコピンをした。しかも両手でやる痛いヤツを。

 

 

「〜〜った!」

「お前なあ、テキサスの言うこと鵜呑みにしすぎだ。アイツのことどんだけ好きなんだよ」

 

 

悶絶するラップランドにため息が出る。

そもそも前提がおかしいんだよ。なんだ将来を約束したって。してないわ。

 

「え、で、でも…テキサスが…」

「だからそれが嘘なの。お前は騙されてたの。周りの反応とか見たか?」

「た、確かにちょっと鼻で笑ってた感はあったよ、けど…!」

 

それじゃん、それだよ答え。どんだけ信じてんだよテキサスを。途端にまごまごするラップランドを押しのけて真正面から向き合う。

 

 

 

「お前は独りっつったけどな。その道を選んだのはお前自身だ。人に当たるな。お前が決めたんだから」

「──ッ」

 

 

これは当人の責任だ。俺はラップランドがどんな経緯で独りになったのか分からない。だけどこいつの力があったんならもうちょいマシな未来もあり得た筈だ。だが、それを選ばなかったのはこいつの覚悟だ。自分で決めた未来は自分で後始末をつけるべきだろう。

息を詰まらせたラップランドは俯いて目尻に涙を浮かべる。…あーもう。

 

 

 

「──まあ。それが嫌になって、どうしようもなくなった時は人に頼めば良い」

「…無理さ、僕は嫌われているからね」

「確かになあ」

「酷いよ」

 

 

ジト目を向けるラップランド。だって…ねえ?急に斬りかかってきたり急に嗤ったりするやつなんか近寄りたくないだろ…。

 

 

「じゃあそれまでは俺が隣にいるよ」

「──え?」

 

 

 

「お前に良い人が見つかるまでは、俺がお前を独りにはさせない」

 

 

 

 

俺経由でこいつに友達or恋人を作る。これしかないだろう。幸いそう言う経験は友人関係クソ雑魚シャチのおかげで得てきた。なんなら似たもの同士仲良くなれるかもしれない。

 

 

「…キミは狂ってるね、自分を殺そうとしたヤツにお節介を焼くなんて」

「喧嘩売ってんのかお前」

 

 

「冗談さ。──ありがとう」

 

 

 

 

「…話は終わったか?」

 

 

 

 

突如、俺とラップランドのものではない声が上がる。その声の方を向くと、そこには胡座で座り、こちらを睨みつける褐色肌の青年がいた。

 

「あ?ソーンズじゃん、何してんのこんな所で」

「…こんな所で悪かったな。ここは俺の部屋だ」

 

え?ふと周りを見ると、無惨にも散らばった本棚、研究道具、家具。唯一無事なのは彼の背後にある水槽だけだ。ウニが元気に動いてる。

…おーっと?これは……。

 

「イラ。お前の事だ、また巻き込まれたんだろう。一度だけ許してやる。さっさと帰れ」

「…怒ってる?」

 

「 帰 れ 」

 

お怒りデストレッツァの様ですね。帰りましょう。

急いでラップランドを引きずってドアの様な残骸から出て行く。ごめん。本当にごめん。

 

「イラ!良かった…無事だったんだな…!」

 

外に出ると、テキサスが腕を押さえたまま笑顔を見せる。しかしその笑顔は、隣のラップランドを見た瞬間に憎悪の表情に変わる。

 

「貴様…!よくもイラを…!」

「おい、テキサス」

「少し待っていろイラ。今こいつを──」

 

 

「お前、俺と将来を共にするとか有る事無い事言ってるらしいな?」

 

 

しばし少しの沈黙。その目に灯った暗い炎が弱火になった。

 

「…何のことだ」

「ラップランドに聞いたんだ、なあ?」

「そいつはうそついてる、おいらっぷらんど、おまえやめろ」

 

もはや片言になったテキサスを見て、俺はラップランドに悪戯な目を向ける。すると、ラップランドもその口元を緩めた。

 

「うん、そうだよ。テキサスは確かに言い張ってた。…僕、悲しいよ…」

 

そう言って俺に寄り添うラップランド。それを見たテキサスは口を開こうとする。しかしそうはさせない。

 

「ああ、悲しいよな。信じてた奴の言うことが嘘だったなんて」

「んぅ…」

 

そう言って俺はラップランドの頭を撫でる。気持ちよさそうに目を細めたラップランドを見て、テキサスはぽかんと口を開けた。

 

「な、な…」

 

「さて。何か申し開きは?」

 

 

 

 

 

「──くっ、覚えていろ!」

 

 

 

 

 

「逃がすかァァ!!行くぞラップランドォォ!!」

「──うんっ!」

 

 

 

 

一人は冷や汗をかきながら逃げ、一人は鬼の形相で追いかける。そしてもう一人は花の咲いた笑顔を浮かべながら、それに着いていく。

そこにはもう、『孤独』という邪魔者は何処にも居なかった。

 

 

 

 

 

 

今日の勝負──イラの勝ち。




初白星です。やったね、イラ君


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我ら、マゼラン探検隊!その一

アスベストス新コーデ!?はじめての星5はきみだったんだよ!これは書くしかねえ!!


「せいれーつ!!」

 

「うす!」

「……」

 

その元気な声と共に、俺は気をつけの姿勢をする。隣には目線を逸らしながら気怠げな態度の隊員一名。目の前には活発な笑顔を見せる隊長。

 

「これより、マゼラン探検隊は未開の地開拓作戦の旅に出ます!点呼!」

「いち!」

「……」

 

いつまで経っても点呼が続かない。横を見ると、うんざりした表情でこちらを見ている隊員二番が居た。

 

「おい、次はお前の番だぞ」

「…帰るわ」

 

ハスキーな声で呻くようにそう呟くアスベストスは、いつも装備しているドアを背負う。それを見た隊長──マゼランは、慌ててアスベストスに駆け寄った。

 

「わー!待って待って!帰らないで〜!」

 

 

 

 

 

 

事の発端は数日前。マゼランに探検へ誘われた。以前から何度も誘われていたこともあり、俺はすぐに了承。有給を取り、(チェン隊長がものすごい形相で止めて来た)探索グッズをクロージャの購買部で買い、来たるべき日に備えた。

すると当日、同じ探検家であるアスベストスが待ち合わせ場所に居た。

 

「あ?何でお前が此処に居んだよ」

「いや、俺はマゼランと待ち合わせしてるんだけど…」

「ん…?バカ言え、あいつはアタシと…。──嘘だろ」

 

何かを悟った様子のアスベストス。それに首を傾げていると、マゼランが走ってこちらに向かって来た。

 

「おっまたせー!ごめんごめん、ちょっとドローンの調整に手間取っちゃって──」

「おいマゼラン…!どーなってんだよ、何でこいつが居るんだ!?」

「アレ?言ってなかったっけ?ごめんごめん!」

「言ってねえし聞いてねえぞ!お前ふざけんなよ!」

 

声を荒げるアスベストスの肩に俺は手を置く。

 

「まあ落ち着けアスベストス。安心しろ、お前は俺が足手纏いになるだろうと心配してるんだろ?」

「イヤ、まあそれもあるけど…!」

「杞憂だそれは。俺は今日のために数々の探索グッズ、知識を頭とバッグに詰め込んできた。俺が足を引っ張る事は無いことも無いだろう!」

「あるじゃねえかよふざけん──(以下略)」

 

こうしてギャーギャー騒いでいるアスベストスを落ち着かせ、今に至ると言う訳だ。現在は大型車で大陸を横断している途中だ。ロドスから遠く離れた地で、現地の人にお金を払って運転してもらっている。

 

「此処からちょっと離れたところに地図にまだ載ってない島があるんだ!まずはそこをばーっと捜索しよう!」

「おーう!」

「ハァ…。何でそんな元気なんだよ」

 

荷台に座りながらこれからの予定を話し合う。アスベストスはドアの配線などを弄っていた。

外を見ると広大な平野が広がっている。知らない所に行くというワクワク感が高まる中、俺は一つの疑問を抱く。

 

「そういや、マゼランとアスベストスは何処で知り合ったんだ?」

「覚えてねえ」

「ええ!?酷いよアスちゃん!」

「アスちゃんやめろ」

 

涙目になるマゼラン。それに目を向け、意地悪な笑みを浮かべるアスベストス。

 

「アタシがキャンプしてたらこいつが近寄って来たんだよ、ありゃ驚いた。猛獣かと思ったらまさかの同業者だったからなあ」

「ち、違うよぉ…。たまたま火を持って来てなくて、つい灯りのある方へ…」

 

虫か。頭を掻きながら可愛らしく笑うマゼラン。アスベストスはそれを鼻で笑いながらも口元は優しく緩んでいた。

 

「…んだよ」

 

それを見ていた俺を睨む。俺は慌ててかぶりを振った。

 

「いや、何でもない!それにしても楽しみだな、マジで!」

「…生半可な気持ちで来たんなら死ぬぞ、ピクニックじゃねえんだ」

「う…。分かってるよ、だからちゃんとしてきたんだ」

「ふん、どーだか」

「まあまあ!イーちゃんに足りない部分は私達が補えば良いんだから!」

 

マゼランの笑顔に毒を抜かれたのか、アスベストスはジト目で俺を睨みつけ、窓の外に目を向けた。

 

「アタシは助けてやんねーぞ、置いてくからな」

「おう、頼りにしてるぜアスベストス」

「助けねえっつってんだろ!!」

「あははは!──うわっ!?」

 

そんな話をしていると、突如車が急停止する。何事かと思って窓から体を出すと、スカーフを巻いた男たちに車が取り囲まれていた。どうやら金目のものを置いてけと言われているらしい。運転手は怯えて顔を俯かせていた。

 

「──よっと。これも探検あるあるなのか?」

「『自分に降りかかる火の粉は自分で払え』…!探検家の中で決められてるルールだよ!」

 

俺たちは車から降り、野盗たちを見据える。

 

「いち、に、さん…いっぱい居るな」

「23、居るよ!」

「ハァ、めんどくせぇ。さっさと終わらせるぞ」

 

アスベストスがその言葉を口にした瞬間──野盗たちが動き出した。

一気に九人こちらに向かってくる。一瞬横目で見てみると、アスベストスとマゼラン側に残りの十四人が向かっていた。下卑た笑みを浮かべて行く男たち。…あーあ、一番酷い目に遭う所に行っちまったなぁ。

そんなことを考えていると、一人が剣で切りかかってきた。それを最小限の動作で避け、ガラ空きになった顔面に左のストレートを放つ。男は十メートルほど吹っ飛ばされ、途中にあった岩にぶつかり、ようやく止まった。

 

「──ッ、身体能力上昇のアーツか!?てめぇら注意し──」

「素だよ」

 

そう言って、指示を出そうとしたリーダー格であろう男の腹に肘を入れる。じゃぽ、という音が腹の中から聞こえた。これ内臓イったな、すまん。

気を失ったリーダーを見て狼狽する七人。走り回っていた足を止め、仲間とアイコンタクトを取ろうとした。その隙を見逃さず、一人の顔に向けて踏みつけるように飛び蹴りを入れる。さらにその隣の男の頭を持ち地面に叩きつけた。何かが潰れる音と共にあたりに砂埃が舞い散る。

あと五人。砂埃で男達は視界が遮られて、目元を隠していた。すぐさま地を蹴り、両腕で二人同時にラリアット。白目を向き、倒れ込んだ一人を抱えて、そいつをゴーグルを付けた男にぶん投げる。シーのジザイを投げれる程の膂力で飛ばされた弾丸(男)は、ゴーグルと頭をぶつけ合い二人仲良くダウンした。

 

「ひ──!」

 

残り二人。怯えた表情の眼鏡をかけた男が杖を握りしめる。すると、五つの、二十センチほどの岩の塊が周囲に浮き上がる。

 

(──アーツか)

 

そう判断した瞬間に岩が飛んでくる。俺はステップでそれを避け──ることなく、岩を殴り壊した。

 

「──え」

 

自分の攻撃を回避されず、その場で対処された事がショックだったのか、唖然とした表情で眼鏡をずり下ろす。…なんかごめん。

 

「アーツは無闇矢鱈に使うもんじゃないぜ」

 

その言葉をかけ、俺は眼鏡の首にハイキックを食らわせる。ものすごい勢いで吹っ飛んでいった。…死んでないよね?

 

「さて、あと一人は──」

 

くるりと振り返ると、最後の一人が背中を向けて走る姿が見えた。

 

「…あ!しまった!」

 

俺は足に力を入れ、それを放出させようとしたその時──。

 

「ぎゃ!」

 

逃げていた男は、何処からか飛来したドローンにレーザーを当てられ、そのまま気を失った。ドローンが飛んできた方を見てみると、マゼランが自信満々の顔で腰に手を当てている。

 

「油断大敵だよイーちゃん!」

「ああ、ありが、と…」

 

マゼランの背後には凍えて蹲る男達がいた。所々青紫色になっており、凍傷も多々ある状態だった。うわ…えげつな……。

 

「お巡りさんがそんな暴行しても良いのかよ?」

 

アスベストスの方を向くと、今度は逆。全身火だるまになりながら悲鳴をあげている男達の真ん中で、バカにしたような笑いを浮かべていた。

…いやいやいやいや!!

 

「二人とも!ストップ!死んじゃうそいつら!」

「…え?──うわあ、大丈夫!?」

「あぁ?コイツらがふっかけてきたんだろ?なら良いじゃねえか、自業自得ってやつだ」

「あああ本当に死ぬから早く何とかしろーー!!」

 

 

 

 

 

 

あの後、しっかりと手当てをした俺たちは、男達を拘束してその場に置いてった。まあ、すぐに誰かが見つけてくれるだろう。

そこからは目的地まで何事もなく辿り着いた。ただ運転手が俺たちに向かって必死に「殺さないで下さい…!」って言ってたのが本当に悲しいです。マゼランは困惑していて、アスベストスは大笑いしてた。悪魔どもめ。

そして今、俺たちは──。

 

 

「はわわわわわわ……!」

 

 

船に乗っています。いや、船って言っても四人用のボートなんだけど。島って事は海路を行かなくてはならないわけで。そうすると私のカナヅチがここぞとばかりに活躍するんですよね。

 

「お前海苦手なのかよ!?アッハッハッハ腹いてぇ!!」

「ち、違えよ!泳げないだけだ!!」

「一緒じゃんそれ…大丈夫なの?」

「ば、ばばば馬鹿野郎大丈夫に決まってんだ──」

「どーん!」

「ほわあああ!?」

 

こ、この女…!俺を海に突き落とそうとしやがった…!なんて事しやがるんだトカゲ女が!アスベストスを睨みつけると、彼女は嗜虐的な目をこちらに向けてきた。

 

「あァ?なんだその顔は?文句でもあんのか?じゃあ言ってみろよ、さあ、早く!」

「──お、お前なあ!」

「ほれ」

「ひ──!」

 

ぐい、と顔を海の方へと向かせられる。あやばい、足の力なくなる。俺はへなへなとアスベストスの方へ倒れ込んだ。

 

「おうおう、随分とデッケぇ赤ん坊だなあ?抱っこちてやりまちょーか?よちよち」

「ぐ…クソォ…!」

 

頭をガシャガシャと撫で回され、羞恥心が急激に高まる。すると、目の前でボートを漕いでいたマゼランが頬を膨らませる。

 

「んー、ずるいなあアスちゃん。私もやるー!」

「あ、ちょ!」

「ひいいいい!!」

 

突然マゼランに引っ張られ、バランスを崩してしまう。するとボートは大きく揺れ、アスベストスは戸惑った声を上げ、俺は悲鳴を上げました。

 

「やめろやめろやめろ動かすなってマジで!!」

「マゼラン…お前そこまでするかぁ?」

「ふふーん!アスちゃんには負けないからね!」

「聞いて!?ねぇ聞いて!?」

 

さっきからコイツら頭沸いてんのか。何で怖いから辞めてくれって言ってる奴の神経を逆撫ですることしかしねえんだよ優しくしろよ頼むからお願いします!!

海をざぶざぶと渡るボート。というか、本当に大丈夫なの?なんか変なデカい魚とか来たらど、どうすんべ…?

 

「大丈夫大丈夫!そんな例聞いたことないし、此処の海は至って綺麗で穏やか!海産物もよく取れるんだよ!」

「──ま、たしかにそうだな。面白くねえけど、此処は何も危険はねえ。お前もここでちょっと慣れてみろよ」

 

そう言ったアスベストスは欠伸をして目を閉じる。それに気づいたマゼランが、「もー!ちょっとは手伝ってよー!」なんて小言を言い始めた。…確かに、ここは静かな海だ。よ、よし。耐性を今のうちにつけておこう。頭を少しだけボートから出す。

そこには、透き通るような海があった。小魚達が群れを成し、ヒトデやソーン…ウニなどが岩に引っ付いている。生命の息吹がそこに溢れていた。

 

「…綺麗だ……」

 

…なんだ、よく見たら怖いものなんてないじゃないか。綺麗な海だなあ…。あ、あの魚デカいな、ジェイの所に持ってったらどんな料理にしてくれるんだろうか。アレはイカか?すげえ、俺生のイカ初めて見た!

すごいな、色んなものがある。あ、ほら。赤いドレスだって────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず二度見してしまう。赤いドレス?どういう事だ、海の中だぞ?気のせいか。目を凝らしてよく見てみる。…いや、海藻では無い、確かにドレスだ。しかも…アレは、──手、か?

 

(嘘だろ?)

 

もしかして、人が溺れてるんじゃないのか。だとしたら早く助けに行かないと──!!そう思い、俺は──。

 

 

 

 

 

 

 

「──オイ!!」

 

 

 

「………え?」

 

 

 

 

気づけば、俺はアスベストスにしがみ掴まれていた。はっ、とすると──鼻先に、ちゃぷんと海水が触れた。まるで惜しむかのように。

 

(お、俺、は──)

「死にてえのかお前!!泳げねえ奴がどうしたら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

胸ぐらを掴まれ、絶叫をその身に受ける。俺は知らず知らずのうちに身を乗り出していた。

しかし、ドレスが──。

 

「いや、見てみろ!人が海にいるんだよ!溺れてて──!」

「……イーちゃん、何言ってるの?こんな海の真ん中で、人が居るわけないよ。それに…赤いドレスなんてない」

「──お前マジでイカれてんじゃねえのか」

 

マゼランの声にはっとなる。その部分を注視するが、あるのは魚の群れだけであった。途端に、今まで透明だった海が、真っ黒に見えた。何が、何処に居るのかも分からない海に。

 

「お、ご、ごめん……、俺、俺」

「──大丈夫だよ、もうすぐ着くから。そこで休憩しよう」

 

その言葉を聞き、船の先頭を見てみると、目的の島が見えた。未開拓の地。しかし今は、そこが安らぎをくれるオアシスのように俺は感じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

──海の中。この世の生物の物ではない触手がバラバラになり、あたりを浮遊していた。それに群がる小魚達。しかし、ソレを食べた瞬間に体が弾け飛び、また新たに肉塊の浮遊物を作る。

ドス黒い血海の中で、赤いドレスを着たナニカが海面に顔を向けていた。その手には触手の主であろう、『    』の頭が握られていた。

 

 

「──♪」

 

 

ナニカは口ずさむ。哀しいメロディを。ナニカは嗤う。焦がれた者の来訪を。ナニカは欲す。標的の愛を。

 

 

「──♪」

 

 

 

 

 

 

 

海に、唄が響き渡る────。




イラ 女難の中の女難に取り憑かれた男。でも鈍感だから気づかない。アホの子。
マゼラン ペンギン系女子。イラのことは普通に好き。早くウチにきてください。
アスベストス イラのことは好きって言ったら悔しいので嫌いって言ってる。でも好き。多分この作品の中で一、二を争うほどピュア。
運転手 泣いた。
??? みつけた


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我ら、マゼラン探検隊!その二

公開求人で上級エリートタグに初めてお会いしました。
ナイチンゲールがやってきました。ああ…また昇進素材集めだ…。


「おおお…!美味そうだなあ、この果物食べれんのか!?」

「毒」

「お酒に酔った感覚になって、最終的に脱水症状になるから食べたらダメだよー」

 

思いっきりその赤い果物をぶん投げる。あっぶねえな本当に。

島に上陸した俺たちは、早速探検を始めた。今回の目的は地図を埋め、そこにどんな生物が生息しているか、またどんな環境でどのような建造物があるかなどを調べる事である。

横ではマゼランがタブレットに一生懸命何かを記録していた。少し覗いて見ると、hPaだとか何パーセントだとか難しそうな事が書いてある。さらにアスベストスもいつものふざけた態度ではなく、真剣な目で手にしたノートと植物を交互に見比べていた。

た、探検家っぽい…。よ、よし、俺も…。そばにあった花を重々しい表情で見てみる。青い薔薇のようだが、実は新種の花なのでは?ボブは訝しんだ。一本引っこ抜いてじっくりと観察していく。

 

「ふうむ、これはまさか、まだ図鑑に載っていない──」

「それも毒」

「花の匂いを嗅いだら酩酊状態になるから気をつけてねー」

 

思いっきりその花をぶん投げた。もうやだ。

 

「──ふう、ここ付近には新しいものはなさそうだねー」

「ああ、気温も地質も平均的だ。チッ、面白くねーな」

 

タブレット端末から顔を上げ、アスベストスに呼びかける。アスベストスは首を鳴らしながら持っていた植物を投げ捨てた。

 

「もっと奥に進んでみるか」

「そうだねー。キャンプ地も決めときたいし。イーちゃん、行くよ!」

「あ、ハイ!」

 

強かな女性たちは先へ進む。俺は急いで後を追った。

 

 

 

 

「ここ良いじゃん!ここにしよー!」

「おっしゃー!」

 

鬱蒼と茂った林の中を歩いていると、開けた場所にたどり着いた。近くには湖もあり、確かにキャンプ地とするには充分だろう。俺は三人分のテントを下ろし、息を吐く。

 

「じゃ、テント張ろっか!」

 

マゼランのその声で各自各々のテントを建てていく。俺が買ったのは『デカイ!安い!簡単!クロージャ印のキャンプ用テント』だ。クロージャにオススメされ、更に特典まで付けられたので購入した。お値段130000龍門弊と少し高かったけど。まあどうせなら高くて長く使えるものを買っといたほうが良いからな。

説明書を読みながら組み立てていく。確かに組み立ても簡単で、十五分程度で完成した。

 

「おお…良いねえ」

 

中に入ると、確かに広い。一人で使うには十分なスペースである。そこに荷物を置き、ひとまず俺の寝床はこれで完璧だ。

外に出て二人のテントを見に行く。まずはマゼラン。一人用の黄色いテントを張り、今はアウトドアチェアに座ってドローンの整備をしていた。

 

「──あれ、イーちゃん。もう張り終わったの?」

「おう、見てみろあれ。良いだろ〜」

 

目を丸くするマゼランにドヤ顔で応える。

 

「お、良いの持ってるね。でもちょっと大きいんじゃない?」

「そうなんだよ、明らかに三人分くらいあるんだよなあ…」

「あはは…まあ良いじゃん、のびのびできるって事で!それに、あたしのテントが壊れちゃった時はお邪魔できるし!」

 

悪戯な笑みを浮かべるマゼランに、思わずこちらも苦笑してしまう。いやいや、まさか。そんな急にテントが壊れるわけが無いだろうに。

そうだ、アスベストスのテントはどうなってるんだろうか。ちょっと見に行ってこよう。

 

「じゃ、俺アスベストスのも見てくるわ」

「はーい!」

 

にこやかに手を振られてその場を後にする。あいつは離れたところにテントを建ててたな。一緒に建てりゃいいのに…。性格の問題が出てんなアレ。

少し歩くと、アスベストスの背中が見えた。しかし、そこにはテントの姿が見当たらない。あれ?まだ建ててなかったのか。

 

「おい、アスベストス?お前テント建ててねえじゃん、どうしたんだよ」

「……」

 

その言葉に反応したアスベストスは、ゆっくりと俺の方を振り返る。その表情は、無であった。

な、何だ…?と不審に思っていると、アスベストスが何かを持っていることに気づいた。よく見るとそれは布切れのようなもので、ずたずたに引き裂かれている。…あれぇ?もしかして──。

 

 

 

「──テントぶっ壊れた」

 

「ええええええ!?」

 

 

 

 

話によると、テントを張ろうとしたアスベストスは珍しい生き物を見つけたらしく、少しその場を離れてしまった。そして帰って来たら、現在進行形でテントが野犬に食いちぎられている最中だったのだ。

すぐに野犬は追っ払ったが、テントが壊されてはどうしようもない。さてどうするかと考えていた時、ちょうど俺がやって来た──。これが、今回の騒動の一部始終である。

 

「クソが!!あの犬っころども次見たらマジで殺してやる…!」

「あーあ、だから俺たちと近い所で建てれば良かったのに」

「うるせぇ!」

 

げしげしと細い足で俺の足を蹴る。はっはっは、効かん効かん待て脛は痛い辞めて爪先で蹴らないで。

悶絶しながらも、俺はアスベストスに質問を投げかける。

 

「なあ、お前どうするんだ。このままだと寝場所が無いけど」

「…ハァ。ま、良いさ。アタシゃ木の上でも寝れっから──」

 

そう言ったアスベストスはさっさとランタンなどを持って木に登ろうとする。…マゼランと俺がテントで、アスベストスは木の上って…。なんか可哀想だな。どうにか手は──。

 

 

 

 

「………あ」

「あン?」

 

 

 

 

「あったわ、手」

 

 

 

 

 

 

 

 

「なん、な、ななななな──」

「いらっしゃーい」

 

 

そうだった、俺のテントデカいんだったわ。何で早く気がつかなかったんだ。

中にアスベストスの荷物を入れる。その荷物の持ち主はいつものジト目を見開き、顔は紅潮していた。尻尾もうねうねと波打っている。どうした、あの果物食ったか?

 

「ちょ、ちょっと待て!お前、マジで言ってんのか?アタシにテントに入れって事は──アタシにテントに入れって事か!?」

「何で二回言ったんだよ」

「いやいやいやいや、それはおかしいって。考え直せマジで」

 

首を振るアスベストス。しょうがないだろテント無いんだからお前が。可哀想じゃん。

 

「だからって、あ!そ、そうだ、アタシみたいなろくでもねーヤツと一緒に寝るのなんか嫌だろ?な?だから──」

「いや、俺はアスベストスのこと嫌じゃないし、むしろ好きな方だと思うけど…」

「ははぁぁはあはいぃぃぃ!?」

 

目がぐるぐるしてらぁ。尻尾も赤くなっており、落ち着きなく動き回っている。頼むから爆炎モードは辞めてね?

 

「ま、マジに言ってんのかよぉ…!こんな事ならもうちょい、こ、心の準備ってやつが──!」

「────ふーん、いい御身分ですなぁアスちゃん」

「う…ま、まぜらん…!」

 

入り口には頬を膨らませたマゼランが居た。その姿を見て、よりしどろもどろになるアスベストス。

 

「ま、私のテントは一人用だし、いいんじゃないかな?一人用だけど」

 

だから何でお前ら二回言うんだよ。流行ってんの?それ。

 

「ふん、そろそろご飯の用意するから、二人とも手伝って!」

 

そう言ったマゼランはおたま片手に怒った様子で出て行った。なんで?すると、アスベストスも寝袋をセットして、こちらを睨みつけた。

 

「──言っとくけど、なんかしたらコロス」

「何もしねえよ…」

「は?」

「何で怒ったの!?」

 

ふん!と鼻を鳴らしながら、アスベストスもテントから出て行った。残された俺は、一人呟く。

 

 

 

 

 

 

「よ、よくわからん…」

 

 

 

 

 

 

 

 

少し早い夜飯を食べた後、俺たちは明日どう動くかを話し合っていた。

 

「とりあえず、もう少し奥の方まで行ってみるって感じで良い?」

「ああ。ま、何もねーと思うけどな」

「任せろ!バンバン新しいもの見つけてやるぜ!」

 

腕をぶんぶんと振りながらやる気をアピールする。今日は毒物しか触ってねえからな、明日こそは…!

その姿を見たマゼランは苦笑を浮かべ、アスベストスは鼻で笑った。何だお前ら。

 

「じゃ、そろそろ寝ようか」

「え、早くね?」

「明日何が起こるか分からないからね。早めに休息を取るのが、一流の探検家なんだよ」

「えぇー、せっかくジェンガとか持ってきたのにー」

「お前…。ピクニックかなんかと勘違いしてるだろ…?」

 

リュックからジェンガやトランプを取り出し始める俺を残念な子を見るような目で見下すアスベストス。パーティグッズは基本だろ?やれやれ何言ってんのか。

そう思っていると、アスベストスがぐいっとコーヒーを飲み干した。そして椅子を立ち、テントに向かう。

 

「寝るわ」

「ええ…?」

 

そのマイペースさに困惑してしまう。うそだろ?今からジェンガする流れだったじゃん。そんなにやりたくなかったの?

 

「……イーちゃん。…ジェンガ、やる?」

「…うん」

 

この後めちゃくちゃジェンガした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…まさかドローンを使って同時に八つ取りするなんて…アイツも大胆になったな…」

 

テントの中に入り、寝袋のチャックを開ける。横ではアスベストスが静かに寝息を立てていた。…こいつも疲れてたのか、無理もない。いつもとは違って、素人の俺が居るんだからな。余計に気が張ってしまうだろう。

 

「明日も頼むぜ、アスベストス。おやすみ」

 

そう静かに言って、俺は寝袋に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(…?寒いな…)

 

寒気を感じて目を開ける。今の季節は春が終わる頃。涼しい風はあっても、寒気がするほどの寒さは感じられない筈だ。そんなことを考えているうちに、体温は徐々に低くなっていく。

これはいけないと、寝袋に深く潜り込み、寒さから身を守ろうとする。身を捩った摩擦で、テントからパリパリ、と言う音が鳴った。

 

 

(────嫌、おかしいだろそれは。何で氷が割れた音がしてんだ──!!)

 

 

即座に跳ね起き、テントから顔を出す。

俺たちが滞在している島に、雨、雪、霰が降り注ぐ。強い風が吹いており、木々は揺れ、黒い雨雲はどんよりと島全体を覆っていた。突然起こる異常気象、それは──。

 

 

「天災か──!」

「イーちゃん!」

 

マゼランが焦燥の顔で隣のテントから出てくる。

 

「イーちゃん、テントを捨てて逃げよう。このままだとテントごと凍え死んじゃう!」

「でもどこに逃げるんだよ!?」

「大丈夫。お昼にあたしのドローンで洞窟を見つけといたから、そこに行くよ!」

「さっすが隊長!」

 

言うが早いが、俺たちは荷物をまとめるためにテントに戻る。今も寒いが、耐えられないほどではない。寒さがひどくなる前に急いで整理をしていると、ふと横でまだ眠っているアスベストスに目が行く。

呑気だな全く!今死にそうだって時に──!そう思い、俺はアスベストスの体を揺らし、起こそうとした。

 

「おい、おいアスベストス!起きろ!天災が来た、このままじゃ──」

「はあぁっ……!はっ、はあっ…!」

「──アス、ベストス?」

 

アスベストスの様子がおかしい事に気づく。その小さな体をさらに縮こませ、堪えるように震えている。元々白かった顔は、真っ青になっており、その血色が悪くなった唇からは、カチカチと歯が震えている音が聞こえていた。

 

 

「──おいッ!しっかりしろ!!」

「う、う……」

 

(何でだ…!何でこいつはこんな極端に寒がってるんだ!?何か変なものでも口に──いや、専門家がそんなヘマやらかすわけ無い…)

 

「イーちゃん、準備終わった!?」

 

マゼランが俺のテントを開ける。その服や髪には霜が降りており、先ほどより寒さが強くなっているのが目に見えてわかった。

 

「アスベストスがやばい!何でかは分からねえけど!」

「え──。アスちゃん!?」

 

驚愕の表情でアスベストスを見るマゼラン。しかし今はここで立ち話している暇は無い。俺はアスベストスを抱え、マゼランに指示を促した。

 

「道案内頼む、今頼れるのはアンタしか居ないんだ、隊長!」

「──!まっかせてーっ!!」

 

マゼランに続き、俺たちは極寒の環境へ飛び出した。

 

 

 

 

 

マゼランの案内で、洞窟へたどり着く。しかし、未だ悪天候は止む様子は無く、むしろ更に強くなっていた。

 

「これからどうするか……」

 

アスベストスの容態は悪化していっている。マゼランが診てくれているが、医療道具がない状態で原因が分かるとは考え難い…。

 

「うーん、これは…」

「何か分かったのか?」

 

マゼランに駆け寄る。一つ頷き、彼女は口を開いた。

 

「多分──種族の問題だね」

「…種族?」

「うん。アスちゃんはサヴラだから、爬虫類に似た子なの。爬虫類は変温動物だから、急な温度の変化に弱いんだ」

「な──、大丈夫なのか…?」

 

マゼランは顎に手を当てる。

 

「…どうだろう。とにかく体を温める事くらいしか今の私達にはできない。ランタン持ってきて!その他灯りも!」

「分かった!」

 

慌ただしく音を立てながらも光源をアスベストスの周りに置き、少しでも気温を上げようと試みる。

しかし──。

 

 

「はぁ…!はあ…!」

 

「──ダメだ、全然あったかくならねえ!」

 

 

ちっぽけな灯りでは彼女の体温は上がる事は無く、徐々に下がっていってしまっている。

 

「マゼラン、ドローンでどうにかできないか?」

「あたしのドローンは冷やす専門だから…!」

 

何もできない自分に腹が立つ。

 

(考えろ、考えろ。じゃないと友達がまた死ぬぞ。知恵を絞れ、そのクソみたいな脳みそフル回転させろ…!)

 

勉強した知識を呼び起こす。遭難した時の対処法、寒さ対策、暖かくする方法──!

 

 

「…あった」

「え?」

 

 

マゼランが困惑した声を上げるが、それに構わず俺は──服を脱いだ。

 

「え、え!え!?わわわわわ!何してんのイーちゃん!?頭おかしくなった!?」

「これだマゼラン!人肌だよ人肌!」

 

そう言うや否や、俺はアスベストスに抱きついた。その小さな体は鉄のように固く冷たくなっている。大丈夫だ、今俺が温めてやるからな。

 

「え、ちょ、ちょっと…!」

「うう…?う…」

 

温度を感じたのか、唸りながらアスベストスが俺の胸元に潜り込んでくる。よし、作戦成功だ…!黒いインナーに覆われた背中に手を回し、さすってやる。

 

「マゼラン、お前も来い!一人より二人、二人より三人だ!」

「え!?」

「早くしろ!アスベストスが死んだらどうすんだ!?」

「──っ。ああもう!どうにでもなれーっ!!」

 

 

 

すぽぽぽーん。

 

 

 

 

「…ううう、まさかこんな事になるなんて…!」

「ああ、でも見ろ。アスベストスの顔色がちょっと良くなり始めたぞ」

「いや、そう言う事じゃなくてぇ…!」

 

赤面しながら俺と川の字の状態でアスベストスを挟む下着姿のマゼラン。うむ、赤面って事は体温が高い証拠だな。

 

「う…すぅ…すぅ…」

 

アスベストスの寝息も安定してきた、よし。この調子だ。より温度を上げるため、俺はマゼランの背中に手を回す。

 

「んっひ!ア、アーちゃん…!」

「もうすこし引っ付くぞ」

 

アスベストスは今俺の胸元に頭を埋めており、その背後からマゼランがカバーをしてる状態だ。完璧すぎるなこの陣形。とりあえず現状維持で良いだろう。一息吐き、マゼランと目が合う。

 

「…俺が言うのも何だけど、良かったのか服脱いで。お前も寒いんじゃ…」

「ううん、あたしは寒いのは強いから…」

「そっか…悪いな」

「大丈夫だよ…」

 

静まる場。アスベストスの寝息が洞窟内に染み渡る。

 

 

「…ねね」

「あ?」

「もうちょっと、寄ろうよ。まだ寒いかもしれないから」

「あ、ああ…」

 

そう言われた俺はほんのすこし距離を縮めようとした。

しかし、ちょっと冷静になって考えてみたら俺ヤバいことしてないか?寒さで震え、抵抗できない状態の女性に半裸で抱きついて、その友達も脱がせて抱きしめさせた…。アレこれもしかして豚箱行きでは?

街の秩序を守る警察官が性犯罪紛いの事して逮捕されるとか洒落にならんぞ。つかそんな事してみろ、龍と鬼が殺しにくる。

その最悪な未来を予想してしまった俺は、アスベストスから離れる事にする。あとはマゼランに任せて、俺は外の様子でも見ておこう。そう決断し、そっと距離を取る。

 

 

「──だめだよ、イーちゃん」

 

 

マゼランはそれを許さなかった。俺の首に手を回し、無理やりその頭二個分ほどの距離を更に縮める。視界には黄色の瞳が一面に広がって、他の物は何も見えなくなった。

 

「ま、マゼラン。俺が間違ってた。世間一般的に考えて付き合ってもない男女が裸で抱き合うとかあまりにも不純すぎる。しかも俺はそう言う奴らをしょっぴく側だから余計に不味い。離れよう」

「ばれなかったら大丈夫だよ…」

 

いつからそんな悪い子になったの!お母さんそんな子に育てた覚えないわよ!!

マゼランがとろんとした目で徐々に距離を詰めてくる。その口は最短ルートで俺の口に辿り着こうとしていた。…いやいやいや待て待て落ち着けお前死ぬぞ俺がやめて、ヤメロォ!!

 

「…いやなの?」

「いや、嫌ってわけでは無いんすけどね?立場的に不味いですしこんな状況でムードも何も無いですしマゼランにはもっと良い人が見つかるはずなのでこんな所で乙女の純潔を散らすのは良く無いと思いますし」

 

 

「──じゃあ、しようよ」

 

 

ダメだこいつ無敵だ。どんな言葉でバリケード張ってもその悉くをぶち壊してくるんだけど。

 

「あたし、イーちゃんだったら──いいよ?」

「──うえっ!?え、あ…いや」

 

その一言だけで、マゼランは俺の抵抗する意思を亡き者とした。どうすれば、と視線を辺りに巡らせるがもう遅い。目の前の狩人はその隙を見逃さず、そのまま顔を近づけて────。

 

 

 

 

 

 

「────イッキシィ!!」

 

 

 

 

 

アスベストスの甲高いくしゃみが洞窟内に響き渡った。それで先程までのしっとりとした空気が晴れ、俺は弾かれたように離れる。……あ、危なかった…!マゼランのペースに飲み込まれてた…!もうちょっとで俺は龍門に帰れなくなってた…!お、恐ろしいやつ…!

その張本人は、口に指を当て、困った風にアスベストスを見ていた。

 

「…もう、もうちょっとだったのに」

 

もうちょっとって何すか。俺の人生崩壊計画っすか?

不味い、今俺の中のブラックリストランキングに変動が起こってる。三位ハイビスカス二位シルバーアッシュを抜かして堂々のトップにこいつが躍り出た。お前は無害だって信じてたのにっ!

 

「──イーちゃん、こっち来てよー」

 

マゼランが手招きをしてくる。俺にはそれが死神の誘いに見えた。

 

「だ、誰が行くもんか!」

「今みたいな事もうやらないから!アスちゃんがまた震えてるの」

 

目を凝らしてみると、確かにアスベストスが震え始めている。急に俺が離れたせいで温度が下がったのだろう。しかし……。

 

「ほらほら、早く早く」

「…なにもしない?」

「なんにもしないからー」

「……」

 

背に腹はかえられないか…。俺はアスベストスに近づいて、背中を向けて寝転がった。

 

「あれ?そっち向いちゃうの?」

「ああ。誰かさんのワナにハマらないようにな」

「罠って酷いよー!」

 

なんとでも言え。生き残った者が正義だ。

ふん、と鼻を鳴らし、俺は目を閉じる。しがみつくアスベストスの体温を感じながら、眠りの体制に入っていく。元々寝付きが良い俺は、すぐにまどろみに陥りかけていた。

 

「──イーちゃん」

「…なんだよ、お前も早く寝ろ」

 

マゼランが話しかけてくる。

 

「こんな状況に聞くのもなんだけど…あたしの知的探究心なだけでこの質問するから、答えてくれるかはイーちゃんが決めて。不快に思ったなら怒っていいから」

「あぁ?」

「イーちゃんってさ──種族は何なの?」

「俺か?俺はヴァルポだよ」

 

 

 

 

 

「何で────、()()()()()()()()?」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

『──本当にあの人達を見逃してくれるんだよな』

 

『ああ、約束するよぉ。ささ、早く』

 

『────っッッ!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…無くした」

 

 

「──。そっか、ごめんね変なこと聞いて」

「…いや、大丈夫だ。それよりほら、寝るぞー。明日朝早いんだろ?」

「──うん!それじゃ、おやすみ!」

「おやすみ」

 

 

 

 

 

あのクソみてぇな記憶を思い返すたびに、俺の心の中の何かが蠢いて、身体の中に染み消える。──もう済んだ事だ、やめろ。

疑問、悲壮、喜色、歓楽。それら全てがひとつの感情になり、いつもそれがぐるぐると渦巻いている。──今ここでソレを起こすな。二人がいるんだぞ。

理性の指摘は、熱を帯びた俺の頭を冷ますのに効果的であった。一度深い深呼吸をし、次に心を落ち着かせる。そして目を閉じた。

 

(…今は、寝よう)

 

俺は逃げるように眠気へと向かっていく。

 

雨雪はまだ、止む事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「止んだーーーー!!!」

「煩えよ!黙って手伝え!」

 

俺は両腕を上げ、叫ぶ。晴天。昨夜の悪天候からは一転、とても良い天気になった。後ろではマゼランとすっかり元気になったアスベストスが荷造りをしていた。

天災が起こった後は源石が落ちている。アスベストスは重度の感染者であるため、これ以上の探検は危険とみなし、即刻帰ることとなった。倒れたしな。

 

「というか、どう帰ろう…海凍っちゃってるよー…」

「そりゃ、ボート押すしか無いだろ。コイツが」

「お、俺ぇ!?」

「ああ?か弱い女の子に押させようってのかぁ?ひっでぇ野郎だな」

「か弱い…?…分かった、押すよ押す」

「それでいーんだよ」

 

ニカッと笑いながらテキパキと荷物をまとめて行く二人。俺はテントぶっ壊れました。なのでフリーハンドです。ああ…130000龍門幣が…。

気を取り直して海を見てみる。一面が凍っており、大規模なスケート場になっていた。これならなんとか俺も怯える事なく押すことができる。良かった。

 

「おい」

 

そう胸を撫で下ろしていると、俺の横にアスベストスが立った。顔を向けると、アスベストスは海の方を向きながら、かろうじて聞こえる声で呟いた。

 

 

「一応礼は言っといてやる。…ありがと」

「────え」

「…な、なんだよ」

 

 

驚愕の表情を浮かべてしまう。だ、だって今、アスベストスが──!

 

「マゼランン!!今の聞いたかぁ!?アスベストスがデレたぞぉ!」

「ばっちり記録済みだよ!!」

「はあ!?オイ、デレてなんか──!てめコラ小娘ぇ!タブレット寄越せぶっ壊してやる!!」

 

わーきゃー騒ぎながら俺がボコボコにされるなんてトラブルもありながら、ボートに乗った俺たちは氷の上を滑っていく。

 

 

「そーいえばここら辺じゃ無かったっけ、アーちゃんが可笑しくなっちゃったの」

「オイ、やめてくれよマゼラン。折角気にしないようにしてたのに」

「赤いドレス──だったか?マジに居るのかもな、そういうヤツが」

「──♪」

「な訳ねえだろ、あーもう、怖くなってきた!スピード上げるぞ!」

「わわっ!」

「オイオイ…ガキじゃねえんだから…」

 

猛スピードで走るボートの上で、マゼランはアスベストスに笑いかける。

 

「えへへ、アスちゃん!」

「ああ?」

 

 

 

「また、この三人で探検しようね!」

 

 

その言葉に、一瞬呆気に取られた顔をしたアスベストスだったが、すぐに鼻でそれを笑い──。

 

 

 

 

「予定が合えばな」

 

 

 

 

こうして、俺たちの探検は幕を閉じた。でもみんな、落胆すんなよ?俺とアスベストスとマゼランの探検記は、始まったばかりだ!!

 

 

 

 

 

 

「──という休暇内容でありました!」

「──ずいぶん楽しんできたな?イラ」

 

龍門に帰ってきた俺は、執務室で怖い顔をしたチェン隊長とホシグマ副隊長に尋問されていた。何で?何で俺自分の有給を上司に報告しなきゃならないの?プライベートって知ってるのかな、隊長ズ…。

 

「こちらは暴動が起こってな、中々抑えるのが大変だった」

「小官も傷だらけだよ。まったく…誰かがいないおかげでな」

 

ダウト。チェン隊長が本気出せば暴動なんてすぐ終わります。なんなら名前だけで投降する奴らも居るんだぞ。どんだけ恐れられてんだよ。

あとホシグマ副隊長の傷は古傷でしょう。アンタの守りが突破できるのチェン隊長レベルじゃないと無理だって。

 

「それに、マゼラン、アスベストス…と洞窟で泊まったんだな?」

「──は、はい。しかし、やましい事は何もしていません!」

「…本当に?」

「……本当です」

「ま、良いだろう。イラ、すぐに仕事に取り掛かれ」

「──はいッ!」

 

あっぶねえええええ!!良かった!何とかこの危機を乗り越えられた!やっぱ瀬戸際で生きるのがイラなんですわぁ…。

ホクホクとしながら書類に向き合う。よーし!頑張るぞ!

 

「時にイラ、二人はどんな感触だった?」

「とても柔らかく、良い匂いがしました!嘘だろやっちまった」

「ふざけるなよイラァァ!!」

「小官も限界というものがあってだな…!イラ!!」

 

執務室から飛び出た二秒後、ドアが弾け飛び中から青の龍と緑の鬼が目を光らせながら追いかけてきた。

…ああもう!

 

 

 

 

「何でこうなるんだあああああ!!」



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グレースロートに勝ちたい!

ストーリーが間に合わん(遺言)


「……こんにちは」

 

その鈴を転がした様な声に振り向くと、そこにはロドスの狙撃手オペレーター、グレースロートが立っていた。しかしその顔はどこか険しい。何か俺はしでかしたのだろうか。

 

「…何でそんな顔してんだよ、まだ俺何もしてねえぞ」

「………」

 

理由を問えば無言の圧力が返ってくる。何でだ。ロドスの廊下の空気が徐々に重くなってきている。すると、グレースロートはその細い指を俺の身体に向け、震える声で呟いた。

 

「……感染ってない、よね」

 

その言葉に俺は頭の隅で納得する。グレースロートはロドスの中でも珍しく感染者を嫌っている。その嫌悪は異常と呼べるものでもあり、最初の頃は、間違って源石機械に触れた部位を血塗れになるまで研磨剤で擦り取ろうとしたほどだ。今はその症状もマシになってきてはいるが、完全に治ったとは言い切れない。

つまり、目の前の少女は確認したいのだ。俺が感染者になったかどうか。俺は近衛局の制服のポケットから折り畳まれた紙をグレースロートに投げ渡す。

 

「っ…」

「まだ罹ってねえよ」

 

俺が渡したのは俺の健康診断書だ。口で言うより見てもらったほうが早い。因みに俺は生まれてこの方一回も風邪を引いた事が無い。何でも体内に病気やらウイルスやらを死滅させる細胞が異常にあるらしいんだとか。まあ、それは鉱石病とは関係ないのだろうが。

 

「…本当っぽいね。はい」

 

用心深く健康診断書に目を走らせていたグレースロートは、満足したのか俺に近づいて紙を返してきた。

 

「──あーあ」

「…ごめん」

 

思わず声が出る。何故なら俺の診断書がしわくちゃになっていたから。多分無意識のうちに力を込めていたのだろう。グレースロートはばつの悪そうな顔をしながら目線を逸らした。

 

「怖かったから。貴方がもし、感染者になってたらって思うと──わた、私は──、私のせいに──」

「落ち着け」

 

過呼吸気味になるグレースロートの背中をさする。その小さな背中が震えるのを見ながら、俺は先程の作戦を思い返す──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺とグレースロート、そしてドーベルマンさんを含めた行動予備隊A6の面々は龍門郊外の地を歩いていた。

ロドスの情報員によると、この辺りに感染者で結成されたグループがあるとの情報があった。幸いまだレユニオンとは接触していないので、本格的な戦場に参加される前に捕縛するという作戦だ。

 

「なあ、イラ。最近彼女とはどんな調子なんだい?」

「彼女…?」

「とぼけんなって、チェンさんの事だよ」

 

ウインクしながら笑うミッドナイトに俺はジト目を向ける。お前のせいで俺は重症を負ったの忘れてねえからな。

 

「無駄口を叩くな、ミッドナイト。ピクニックに来たわけじゃ無いんだぞ」

「おっと、これは失礼しましたドーベルマン教官。しかし貴方達の様な美しい女性方に囲まれてはどうも落ち着かないもので…」

「うわでた、すーぐ女の人口説く癖。それ辞めた方が良いよー?」

 

カタパルトが呆れた表情で腕を組む。それにポプカルとスポットも頷いた。ほれみろオーキッドさんも額に青筋立ててんぞ。あ、気付いた。

 

「あんたねえ…!」

「あ、いや、その違うんです!」

 

色男の慌てようは見苦しいのう。ケケケーと笑いながらそれを見ていると、今まで何も言わなかったグレースロートが突如立ち止まり、獲物のクロスボウに手を掛けた。

 

「みんなで楽しくおしゃべりしてるのは良いけど──囲まれてる」

 

その言葉と同時に、前方から無数の人影が現れる。外見的特徴から、今回の目標である事は間違いない。しかし待ち伏せされていた様で、後ろを振り返るとまたそこにも人影があった。

 

「どうやら楽しい時間はまた後のようだね」

 

そう言い放ち、ミッドナイトは剣を抜く。それに続き、俺たちも各々の武器を構えた。張り詰めていく静寂。

 

「──各員、配置に付け────!!」

 

ドーベルマンさんのその力強い声と共に、暴動者たちが押し寄せて来て──、交戦が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう…」

 

戦闘が終わり、俺たちは暴動者達を捕縛する作業に入る。やはり戦場に慣れていなかったのか動きがぎこちなく、少し殺気を見せれば脚がすくんだやつも少なくなかったため、比較的早く鎮圧できた。

ミッドナイト達は疲れた様子で水分補給をしている。戦闘経験はほぼ無いにしては良く動けていた。ドーベルマンさんの訓練の賜物だな。そして敵の存在を真っ先に感知したグレースロートは、少し離れたところで暴動者達を見ていた。

 

「おつかれ」

「…貴方もね。…いつもあんな戦い方をしてるの?」

 

その言葉に首を傾げる。何か可笑しい所があっただろうか。普通にいつも通りに戦ったのだが…。

 

「貴方に殴られた人はみんな数十メートルは吹っ飛んでいったよね。持ってた盾も正面から文字通りひねり潰して、まるで飲み終わった後の空き缶みたいになってるのを見たときは、流石に敵に同情したわ」

「人を化け物みたいに言うなよ」

「化け物みたい、じゃなくて化け物なの。高台にいる敵もそこら辺の岩ぶん投げて無力化するし…私の仕事取って何が楽しいわけ?」

「あ、いや…ま、まあ良いじゃん!終わり良ければなんとかって言葉あるだろ?」

 

ため息を吐いたグレースロートは、無線機を取り出し通信を始める。作戦の完了の報告と暴動者の輸送を要請するためにロドスに連絡を入れているようだ。

 

 

 

「…クソ、なんでこうなるんだよ…」

 

 

その時、捕縛した一人の男が呻く。その目は力のない、無機質な目をしていた。

 

「いつだってそうだ、俺たちはいつも外れくじばっか引いてきた。いいや、引かされてきた。陥れられてきたんだ、『感染者』ってだけで!!」

「そうだ…!お前らにはわからないだろうな、この悲惨さが!住む家も、食べるものも!──愛する人も失った。そんな地獄のような毎日が!」

「俺達からまた奪うのか…?もう、やめてくれよ……!解放してくれよぉッ!!」

 

まさに阿鼻叫喚。一人を皮切りに、一人、また一人と叫び続ける。すると、一人の男が俺の顔をじっと見つめる。

 

「アンタ…近衛局だろ。一般市民を助けるのが仕事じゃねえのかよ。なら助けてくれよ、今!早く!!」

「…アンタらは、既に住宅地やそこに住んでいた人達に危害を加えている。だから、ダメだ」

「…何だよそれ。結局は俺達が悪いってか?」

「違う、ただアンタらはやり方を間違えただけだ、まだやり直せるから。だから──」

 

「うるせえよ…。──もう、どうでも良い…」

「──」

 

諦めないでくれ。その言葉は空虚な目をした男の弱々しい声にかき消された。

もう俺がこの人達に何を言っても無駄なのだろう。そんな事を言ったとしても何の意味も無い。迫害は止まらないし、迫害を受けた過去も消えない。残酷だが、こんな過去を持った人なんて星の数ほど居る。今ここでどうにかできるものではない。

ギチギチ、と何か布を引き裂く音が聞こえる。それは俺の手から出ていた。無意識に握りしめたそこからは、真っ赤な血が滴り落ちている。それは、彼らが流したものと同じ色をしていた。

 

 

 

 

 

「馬鹿みたい」

 

 

 

凛とした声がそこら一帯に響く。それはいつの間にか俺の隣に立っていたグレースロートから発せられたものだった。彼女は腕を組み、暴動者達を見下しながら額に青筋を立てていた。

 

「…馬鹿みたい?今、俺達の事を『馬鹿』って言ったのか?」

「ええ。言った。聞こえなかった?ならもう一回言ってあげる。馬鹿だわ貴方達」

「──貴様ァァァ!!!」

 

憤慨した男が鬼の形相で詰め寄ろうとする。しかし、拘束されているので身体は動かず、前のめりに倒れてしまった。だがその目からは黒い執念は消えない。

 

「お前みたいな奴がいるから俺達が生まれるのが分かってないのか!?人でなしが!」

「………」

「良いよなお前は!職にありつけて食べ物は食べれて!!俺達は感染者だからろくに──!!」

「貴方達、さっきから差別がどーだこーだ言ってるけど──一番貴方達自身を差別してるのは貴方達じゃないの?」

 

その言葉で当たりが鎮まる。

 

「最初から自分が感染者だって諦めて、それでやけになって間違った道に這って行って、人がそれを善意で止めたら逆ギレして…子供なの?」

「な、な──」

「良いね、感染者は。暴れられる理由があって。──周りの人達がどんな気持ちになるのか分からないの?それだったら貴方、本当に人間以下よ」

 

グレースロートは止まらない。口を開けたままにする暴動者達をそのままに、彼女はまた言葉の矢を放つ。

 

「感染者の気持ちは分からない?当たり前でしょう、分かるつもりも無いんだから。感染してない私は、見て、聴いて、感じた事しか受け入れない。貴方達のその言動で、より一層感染者が嫌いになったわ」

「おいグレースロート」

 

「けどね──鉱石病を患った人達でも、その事実を受け止めて誰かを守ろうとしている人は居る」

 

チラッと彼女は、遠くからこちらを見守っている仲間を見る。

 

「そう言う人は私は別に嫌ってないわ、むしろ尊敬してる。けど貴方達は何?すぐに諦めて、周りに当たって──。貴方達が嫌っている奴らと同じことしてるじゃない」

「──っ」

 

「少しは考えて行動しなさいよ」

 

 

 

そう冷たく言い切ったグレースロートは、静まった周りに臆する事なくつかつかと俺の方に足を進める。そして俺の真っ赤に染まった手のひらを見た。

 

「貴方も。自分を傷つけちゃダメ」

「あ、ああ…」

 

まったく、とため息を吐きながら俺の手を包帯でぐるぐると巻いていくグレースロート。そこには先程の威圧感は無く、ただ怪我の心配をする年頃の少女が居た。

本当はこの子は優しい心の持ち主だ。ただ言い方が分からないだけで、そこを除けばもっと世渡り上手になるんだが…。

 

「お前…もうちょっと言い方ってもんが」

「あれくらい言わないと聞かないよああいうのは。貴方も優しすぎるからこんな怪我する──の!」

「あ痛っったあ!!」

 

ぺしんと手のひらを叩かれ、悶絶する俺。誰だこのクソガキを優しいとか言った奴。俺だわ。そんな事をしているうちに、ロドスの輸送車がこちらにやって来た。

縛った暴徒達を車に連れて行く。グレースロートにこっぴどく言われたおかげか、随分と大人しい様子で、俯いたまま指示に従っていた。

俺の担当する列が終わり、他の奴らの様子を見てみる。ミッドナイトはその持ち前のトーク力で空気をフレンドリーにしているし、ポプカルは小動物のような外見や言動で、周りを癒していた。…俺もああいう巧みな話術とかあれば隊長やスカジさん達の無茶振りもどうにかできるかもしんないのになあ。

そんな事を考えていると、ふと一人の男が気になった。グレースロートの列──。

 

(あいつ…)

 

何か嫌な予感がする。嫌な目だ。ジロジロとグレースロートを睨んでいるが、冷や汗を出して、落ち着いていない様子でソワソワしている。そのアンバランスな状態が、どこか腑に落ちなかった。

グレースロートがその男に近づいていく。…駄目だ、ちょっと俺も行こう。そう思い、足を踏み出そうとした時──男がグレースロートに向かって口を開いた。

俺には読唇術は無い。けど、その言葉はそんなスキルが無くても分かるシンプルなものだった。

 

 

 

『しね』

 

 

 

「──グレースロート飛べぇぇッッ!!!」

 

 

 

間違いなく奴は何かをする。何か、取り返しのつかない事を。俺は絶叫しながら──地面を力任せに踏み付ける。ばがん、という音と共に俺の足元から地面に亀裂が走り、それはクレバスの様に深くなり、地割れとなっていった。

 

「っ!?」

 

グレースロートは自分に向けられた怒声に反射的に反応し、背後に飛び下がる。男が地割れに落ちて行く。まだだ。俺はグレースロートへ向かって全速力で駆ける。その瞬間──。

 

 

爆音と共に地面が爆ぜた。赤い肉片と鮮血がまるで火山の様に噴出される。野郎──!

 

(自爆しやがった──!!)

 

元々精度は高くないのだろう、戦闘ではあの男はアーツを使用していなかった。だから近づく必要があったんだ。

破砕された岩がグレースロートに襲い掛かる。オーキッドさんもアーツで打ち払おうとしているが間に合わない。一番近いのは俺だ。なら、やるしかない。俺はグレースロートの側に到着し、彼女に覆い被さった。

 

「──!!」

 

どど、と重い衝撃が背中に来る。痛い。痛いが──チェン隊長のデコピンよりかは痛くない。訓練の成果が実感できた。全然嬉しくねえ。そんな関係のない事を考えながら、俺はグレースロートと共に吹っ飛ばされた。

 

「イラ!」

「けほっ、…大丈夫だ!」

 

ミッドナイトの叫びに応答する。岩が背中に二回着撃したがそんな重傷ではない。軽い打撲程度で済んで良かった。グレースロートも怪我はない様に見える。しかし、何処か様子がおかしい。俺の服を掴み、青ざめた表情で震えている。

 

「ごめんなさい…ごめんなさい……」

 

そう呟く彼女の唇は死んだ様に白かった。彼女は何に対して謝罪をしたのだろうか。俺に対して?はたまた──。

頭がかっと熱くなる。何でこの子が自責の念に駆られなきゃなんねえんだ。しかし今ここでそれを吐き出すわけにはいかない。感情を堪え、俺は噴火した地面を睨む。

 

(まだ14の子供だぞ…んなモン見せんじゃねえよ…!)

 

地面は、もう音一つ立てることは無かった。

 

 

 

 

 

 

とまあ、これが今回の作戦だった。結構重めに話したが、作戦は十分に達成。他の奴らも怪我は無いし、唯一懸念があるとすれば、グレースロートのメンタル面だ。

 

「あー…グレースロート。さっきの奴は──」

「……大丈夫。戦場に立つって決めた時から、こういう場面を見るのは覚悟してたから」

「…そっか」

 

どうやら懸念のままで終わりそうだ。そのグレースロートのしっかりとした目からはもう怯えなどは見えない。

 

「…やさしいね」

「ん?」

 

突然そう言ったグレースロートは俺に顔を向ける。

 

「さっきの作戦でも、暴徒を抑える時には全然力込めてなかったでしょ。自分が殺されるかもしれないのに、どうしてそんな事ができるの?」

 

グレースロートは本当に分からないと言った表情でこちらを見つめていた。どうして──か。

 

 

 

 

『もうそんな事だめだよ?次やったら許さないからね!わたしと約束!』

 

 

 

 

「…約束があるんだよ。本気で拳を振るうなって約束がな」

 

自然と声が低くなってしまう。俺は今どんな顔をしているのだろう。上手く笑えてれば良いのだが。

グレースロートは俺の顔を見て、息を呑む。そして──。

 

「…そ」

 

そう小さく呟いた。

 

「──アーミヤの言ってる意味がちょっと分かった」

「ん?」

「私が貴方と会えば、私はちょっと前進できるって言われたの。…貴方のその底なしの優しさは短所」

「うぐ」

「──でも、そうじゃないと救えない命もある。ほんの少しだけ、そこは見習っても良いかもね」

 

その微笑みは、彼女のクールな一面を知っている者からは考えられない程の、優しい表情をしていた。思わず呆気に取られていると、グレースロートが訝しげに睨んで来る。

 

「…何?」

「いや…なんか、意外だなって」

「何言ってるのか分からないんだけど。…それより、お昼。一緒に食べない?まだ私は食べてないし、ついでに今日のお礼も済ませときたいから」

「あ、ちょっと待てよ、強引だなお前!あと『ついでに』は余計だ!」

「ふふっ」

 

ふふじゃねえよ。…まあ、いいか。たまにはこういうのも悪くない。

ため息を吐いた俺は、軽やかな足取りのグレースロートの後を追って食堂へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の勝負──無し。



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モスティマに勝ちたい!

紙にペンを走らせる音、クリップを止める音、ブラックコーヒーを入れたカップをデスクに置く音が龍門近衛局執務室に響く。

 

「──ふう」

 

チェン隊長が短くため息を吐いた。それと同時に俺も背中を伸ばす。ぱきぱき、と小気味良い音が鳴り、何とも言えない爽快感が過ぎていった。

 

「一先ず今日の書類は終わりか。中々手こずったな」

「最近はレユニオンの活動が活発になって来てますしね、それ関連の書類が多かったです」

 

ホシグマ副隊長がコーヒーを飲みながらチェン隊長に反応する。本当あいつら数多くなったよなあ。今までは感染者が集まった暴徒集団って印象だったけど、今じゃ軍隊みたいにその力を使って侵攻しに来てる。装備も充実してきてるし、そろそろ本腰入れて迫ってきてもおかしくはない。

 

「まあ、大丈夫ですよ。隊長と副隊長が居てくれれば」

「…あのなあ、楽観視はするなよ、油断が一番の敵になる」

 

「いえ、絶対大丈夫です。だってお二人とも、強いんですから」

 

俺はそう断言する。どっちか一人でも悪党どもが震えて尻尾巻いて逃げるのに、さらに二人揃った時にはもう龍門襲撃の作戦なんか二度と口に出せねえよ。巷では青い龍と緑の鬼っていう怪談が酒の肴として語り継がれてるからな。バレたら殺されるぞ。

 

「──っそ、そうか……そうか…!えへへ…

「……」

 

その言葉を聞いたチェン隊長は顔を赤面させた後、挙動不審に目を動かし、何度か小さく頷いた。そしてホシグマ副隊長は、俺から顔を背けながら口に手を当てる。急に顔を背けられたら普通に傷つくんですけど。

何とも言えない表情で二人を見ていると、チェン隊長が咳払いをする。

 

「──よし、今日は私の奢りで飲みに行くぞ」

「…ふう。ええ、それは良い提案ですね」

「え゛」

 

ちょっと待て。何故そうなるんですか隊長。正直言ってアンタらと飲むと休息の為の飲み会が自分の限界を超える挑戦になるんですよ。隊長はまだ良いけど副隊長がナチュラルアルハラだからな。頑張って頑張ってグラス空にしてもめざとくそれを見つけて、

 

『何だ、空じゃないかイラ。ようし、私が注いでやろう』

 

って笑いながらどぽどぽお酒入れてくる。断ろうとしてもニコニコしながら俺が飲む姿を見つめてるから断りづらいのだ。普段がめちゃくちゃ良い人だからより一層断れない。それで頑張って飲む。で、また注がれる…の無間地獄になってしまう。死んじゃうかも〜。

だからなるべくそれを避けたいんだけど…。

 

「何処で飲みましょうか?いつもより少し豪勢に行きますか?」

「そうだな、たまには良いだろう」

「では、小官が良い店をピックアップしておきますね」

 

おいおいおいおい。不味いぞ話がまとまってきてる。しかも良い店って確実に朝まで飲みましょうコースじゃん。明日も仕事なんだぞ全員。酔い潰れてしまっては緊急事態の時は即座に動けない。あと俺はそんなに飲めない。その意を伝えるべく、俺は口を開く。

 

「あの──」

「よし、ではさっさと仕事を片付けるぞ!」

「ははっ、そんなに急がなくても酒は逃げませんよ隊長」 

 

言えねえええええ!!言えねえよこんなキラキラした二人を見ちゃったら!チェン隊長は足をパタパタさせてるし、ホシグマ副隊長はいつもより数倍笑みを零してる!無理だ!俺もう潰れるわ!

俺は笑いながら(多分泣いてる)それを見つめ、コーヒーを飲もうとしたその時、執務室の扉がノックされる。

 

「ん…そういえば、配達物が今日届くと聞いていたな。よっと…」

「ああ、大丈夫ですよ。自分が出ます」

 

椅子から立ち上がろうとした隊長を制し、俺は扉の取手に手を掛け、そして開いた。

 

「お届けものでーす」

「あ、お仕事ご苦労様で…す………」

 

そこには、青い髪のトランスポーターがいた。頭の上にはサンクタ特有の光っている輪がある。しかし、その頭にはサルカズのような黒い角も生えていた。そしてその端正な顔付きの持ち主は、俺の目を捉える様に見て、口を開いた。

 

「本日は、ペンギン急便をご利用頂き、ありがとうございます。依頼されていた御荷物と、私をお届けしに来ました。イラ」

「……」

「おや?どうしてそんなに静かなんだい?…あ!分かった!声も出せない程嬉しいんだね?いやあ、それは私としても嬉しい限りだ」

「………え、モ、モスティ、マさん…?」

「さんはつけないでよ、イラ。いつから私たちはそんな他人行儀になったの?」

 

そのトランスポーター──モスティマは、頬を膨らませながら、俺の胸を人差し指でつん、と突いた。

 

「はい、ここに印鑑かサインしてね」

「あ、はい」

 

さらさらとサインをし、荷物を受け取る。これで手続きは終わった筈なのだが、モスティマはにこにこ笑いながら動こうとしない。

 

「…?あの、他になんか、あん…すか?」

「んー?そうだね、あると言えばあるね。あと敬語使うな」

 

最後の一言だけ異様に声色が低かった。怖い。

怯える俺の手を握り、モスティマはにこやかに声を上げた。

 

 

「私とデートしようよ、イラ」

「あ?」

「は?」

「ピ」

 

 

俺の背後から地獄の様な声が聞こえる。ヤバい。今振り向いたら俺はおそらく何かを失ってしまう。人間として生きる為の必要な部分とか。

 

「──オイ、私の部下に何の用だ。無関係なやつは自分の仕事が終わったならさっさと帰れ」

「龍門近衛局の隊長さんかあ、初めてお目にかかるね。こんにちは、私はモスティマ。こう見えてもイラとは深い関係なんだよ?」

「何?」

 

訝しむチェン隊長の反応に、モスティマは一つ頷き、俺を引っ張って腕を組んだ。

 

 

「私は、イラの恋人でーす」

 

「あ゛?」

 

 

振り向かされた事で強制的に隊長たちの顔を見てしまう。その整った顔を歪め、究極まで研ぎ澄まさせた鋭い目で此方を睨むチェン隊長。そしてホシグマ副隊長の様子を恐る恐る見てみると、翠の髪で目元は隠されているが、組んだ両手からはギチギチと音が鳴っていた。もしかしてぇ…俺、死ぬ感じ…すかね?

 

「──じゃなくて!……お前、そういうのはやめろよ。()()()()()()だろうが。さもないと俺が死ぬぞ」

「大丈夫。何があっても私が守るから」

 

じゃあ何故お前は守るべきものを崖から突き落とそうとしてるのかな?やめろぎゅっと腕を抱くな俺の心臓がギュッてなる。

 

「…もう過ぎた?どういう事だ…!」

 

チェン隊長が険しい顔つきのまま唸る。常人なら意識を飛ばしているほどの殺気を浴びながらも、モスティマは涼しい顔をしていた。

俺は慌ててチェン隊長に説明をする。この導火線を最後まで燃やしちゃだめだ。死人(俺)が出るぞマジで!!

 

「チェン隊長!違うんです!俺とコイツは『元恋人』だっただけで、そんな近衛局の風紀を乱す様な関係では──!」

「────」

 

チェン隊長が固まる。いつの間にか放たれていたプレッシャーも霧散し、執務室に静寂が戻った。アレ?どうにかなった?俺はそーっとチェン隊長の様子を伺う。なんとか分かってくれたら──、

 

 

「あばばばばばば」

 

「隊長!?」

 

 

白くなって震え始めた!?

 

「ねえねえ、デートしようよぅ」

「今それどころじゃねえ見てみろアレ!」

「ん?ああ、アレは正常だから早く行こ?」

「嘘つけええええ!!」

 

どこが正常なんだよどこが!初めて見たぞあんな隊長!?辟易としていると、ホシグマ副隊長が震えている隊長を押しのけて此方に来た。

 

「…こんにちは。小官はホシグマと言います。以後お見知り置きを」

「ああ、丁寧にどうも。モスティマです」

 

にこやかに挨拶をする二人。しかし俺はホシグマ副隊長の額に青筋が走っているのを見逃さなかった。見逃さなかった所でどうにかなるわけでは無いのだが。

 

「まさか『小官の』可愛い後輩にこんな美しい恋人が居らっしゃったなんて思いもしませんでしたよ」

「…いやあ、こんなに綺麗で礼儀正しい上官さんが付いてるなんて、『私の』イラは幸せ者だね」

「あ、あの──」

「ちょっとイラは黙っててね」

 

そういうや否や、モスティマはいつの間にか手にしていた杖で俺を指す。その瞬間、俺の体に異変が起こった。

 

「────ぁ」

 

俺の口が動かない。いや、違う。動いてはいるが、ほんの少しずつしか動いていないのだ。口に手を当てようとしても、その動作もロクにできなかった。──俺の動きが、格段に遅くなっている。俺はその現象に心当たりがあった。

 

(モスティマのアーツかよ──!)

 

「ねえ、ホシグマさん。ちょっとイラに休暇をあげて欲しいんだ。具体的には今日一日ね」

「残念ながらイラはこの前有給を取ったばかりですので、それは認められません。ご了承の程を」

「そんなつれない事言わないでさ、ちょっとだけ!」

「駄目です」

 

巷では女の子を魅了すると言われているモスティマのウインクにも一切動じず、ホシグマ副隊長はキッパリと断る。流石龍門の盾。そのイケメン達に挟まれている俺。何がどこで可笑しくなったらこうなるんだ。

 

「うーん…しょうがない、か」

 

さりげなく絶望していると、モスティマが小さく声を漏らす。ついに折れたか。まあ仕方ない、ホシグマ副隊長は基本真面目だし、理不尽な事に関しては許可は出さない人だからな。

ゆっくりとした動作で頷く俺。さ、そろそろこのアーツを解除して欲しい所なんだが。そう思っていると、モスティマが再び笑顔で口を開いた。

 

「じゃ、イラに決めてもらおっか」

「──…は?あ、喋れる」

 

アーツの影響が無くなった俺はモスティマの言葉に反応する。その顔を見るといかにも俺がモスティマに賛同するのが当たり前だという様な表情を浮かべていた。

しかしモスティマ、俺は仕事に忠実な人間なんだよ。ホシグマ副隊長の目を見てみると、断れとの命令が出てる。上司の命令は絶対だ。決して副隊長が怖いわけでは無い。無いったら無い。

 

「イラ、私とデートしたいよね?」

「嫌、俺は行かな──」

 

「今日一日付き合ってくれたら、()()()チャラにしてあげるけど?」

「何処でも行こうかモスティマ。財布は仕舞っときな、俺が全て出すぜ」

 

さあてどこに行こうか。繁華街で飯でも食ってから軽く街をぶらつくのもありだな。まあモスティマが行きたい所で全然良いのだが。

 

「お、おい、イラ?」

「すみません、ホシグマ副隊長…。俺はこいつに付き合わなくちゃ行けないんです…!」

「付き合わなくちゃ?ふーん…そんなイヤイヤだったら良いよ」

「俺が付いて行きたいです」

「良くできました」

「イラ!駄目だ!帰ってこい!!」

 

ホシグマ副隊長が吼える。しかし、モスティマは俺の手を引き、颯爽と執務室を飛び出た。

 

「うわ…!ちょ、お前なあ!」

「食べログに書いてあるのはこことここか…。うーん、こっちの方が美味しかったからこっちにしよっか。良し、行こう」

 

文句を言おうとしても当の本人は龍門パンフレットを片手に計画を立てている。本当にマイペースだなお前は!

 

 

 

 

 

「へい、いらっしゃ…──旦那?」

「……おつかれ、ジェイ」

「…疲れてるのは旦那の方じゃ…?」

 

モスティマに引きずられる事五分。俺たちがたどり着いたのは、B級グルメランキングトップの店、ジェイの屋台である。

店主であるジェイは、その凶悪な顔を困惑の色に染めていた。

 

「どうしてそんなに疲れ──ああ、奥方でしたか」

「どうも〜」

「え?奥…え?お、え?」

「魚団子スープひとつ」

「あい、かしこまりやした。旦那はいつもので良いですかい?」

「あ、うん…。え、奥方?」

 

待て。何だ奥方って。あのジェイからそんな言葉が出るとか聞いてないぞ。しかもモスティマも何で当たり前の様にそれを受け入れてるんだおかしいだろ。

 

「ジ…ジェイ?奥方ってのは、どういう…?」

「?何いってんですかい、イラの旦那と、モスティマの奥方の事ですよ」

「…改めて言われると照れるね」

 

何いってんですかいこいつら。いや、これは間違いなくモスティマのせいだな。昔もそうだったわ。なんか知らんうちに周りに付き合ってる噂が広まっててなんやかんやで付き合ったんだった。嘘ばっか吐きやがって…!まあ良い、ここで俺が誤解を解けば済む話よ──!

 

「最近龍門の話題になってやすよ、『龍門近衛局の遊撃隊長がついに身を固めた』って」

「ジィーーーーーーー」

 

ジーザス。手遅れだった。俺は思わず天を仰いでしまう。するとモスティマが楽しそうに微笑んだ。

 

「良いじゃないか、本当の事にすれば」

「……」

「そもそもあの時私は別れる事認めてなかったし」

「……今は、駄目だ。隊長達に恩があるから…」

「その恩ってやつを返したら、私とまた一緒になってくれる?」

「…善処します」

「絶対じゃないとダメ」

 

その苦しそうに絞り出す声に構わず、モスティマはマシンガンの様に口を開く。…確かにコイツは良い女性だ。容姿はトップクラスに良いし、旅の事なら何でも知ってる。ただ、ただ──。

 

 

「というかイラは優しすぎるんだよ私言ってたよね?あんまり他の女の子に優しくしすぎるなってだから女性関係のトラブルに巻き込まれるんだよやっぱり私がいないとダメじゃないか勘違い女がいっぱい君に寄り付くからあの頃はボディーガードの意味を込めて付き合ってたのにまあそれ抜きで君の事が好きだったけどねでもやっぱり周りの関係を一旦リセットする為にも私と今すぐ付き合った方が良いってほら早く付き合うって言いなよ知ってるでしょ私が諦めない性格ってだから早く言ってそしたら何でもしてあげるからドロドロに溶け合おうよ早く言え言え言え言え言え付き合って付き合って付き合って付き合って」

 

 

重い。コイツ、重すぎるのだ。軽い愛じゃないだけマシだろって?重さにも限度があるだろボケが。でもね、まだこれは軽い方なの。口で言われるだけなら良いけど最終的にアーツ使うからな。過去に俺は自分の時を遅くされて一週間外に出れなかった。そこからかな、俺の苦手なタイプに愛が重い奴ってなったの。

 

「……さ、魚団子スープお待ちどお…」

「──ん、ありがとう」

「旦那も、海鮮丼です…」

「…おう」

 

震えた声で、ジェイが品を出す。ごめんな、ジェイ。巻き込んじまって。俺は心の中で謝り、隣のモスティマを覗き見る。そこには先程までの雰囲気は無く、美味しそうにスープを飲む彼女が居た。

 

 

(…そういや、久しぶりに会った時もこんな感じだったな)

 

 

俺は思い出す。祭りの夜の喧騒を──。



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喧騒の掟 1

ブレミシャインと結婚したのでニアールお姉様もロドスに来てくれるはずです。因みにブレミシャイン持ってません。
フレイムテイルは義妹としてウチに引き入れます。


「よう、みんな。元気にしてるか?」

 

夕方の龍門のスラム街──。細々と暮らす身寄りのない子供達のもとに、大きな袋を持った男が現れる。

 

「あ!イラ兄ちゃん!!」

「わあああ!おっきなふくろ!何が入ってるの?」

「これか?それはな──」

 

目を輝かせながら袋に夢中になる子供達に笑いながら、イラはその結び目を解く。すると中に入っていたのは──。

 

「キャンディーだ!」

「マシュマロもあるよ!マシュマロも!」

 

キャンディー、マシュマロ、チョコレート。様々なお菓子がこれでもかと詰まっているその光景に、子供達は歓喜の声を上げる。

 

「今日は安魂祭だからな。ヴィクトリアの菓子が特売で売ってたから買ってきたんだ」

「これ食べて良いの!?」

「当たり前だろ?みんなが食べてくれないと俺困るぞ…」

 

その言葉を皮切りに、一斉に群がる子供達を見ながらイラは優しげな笑みを見せる。すると、一人の少女が申し訳なさそうにイラに問いかけて来た。

 

「でもイラお兄さん、これだけのお菓子だったら、その、お金が…」

 

その言葉に目を丸くしたイラは、眉を少し上げながらその少女の頭に手を置く。そして、くしゃくしゃと撫で回した。

 

「子供がそう言うこと気にするもんじゃないんだぞー。俺はそんな気難しい顔されるためにコレ買ってきたわけじゃないんだけどなー」

「あう、あう!ごめんなさい」

「わー!それ楽しそう!おれもやってー!」

「あ!ずるーい!わたしもー!」

 

今までお菓子に夢中だったのが、標的を少女の頭を撫で回しているイラに変えて子供達は突撃する。そしてイラはそれに応じて彼等を抱き上げる。とてもスラム街に流れる雰囲気とは思えない、穏やかな時間が流れていた。

すると、そこに一つの足音が響く。イラがその方向に目を向けると、紫の着物を着た、ザラック族の老人が袋を持って歩いて来ていた。

 

「ありゃ、これは先手を取られたの。この年になると足腰がままならんものよ」

「…その年でそんな重い荷物持ってよく言うぜ、お爺ちゃん」

 

その言葉に口元の笑みを数段深くして、老人は袋の中の菓子を、イラに差し出した。

 

「今日は安魂祭。子供も大人も関係なく盛り上がる日だのに、お前さんが手ぶらというのは、ちと寂しいからの」

「おお、ありがとうお爺ちゃん!」

 

また子供達と同様に目を光らせ、菓子を受け取るイラを見て老人は笑う。

 

「いつも感謝しておるよ、お前さん。スラム街の子達は前より笑顔になっている。今日の様にな」

「…なんだよ急に、よせやい照れるだろ!」

 

唐突な賛辞の言葉に照れ臭そうに頭を掻くイラ。

 

「俺は龍門を守る仕事に就いてるんだ。そこにゃ繁華街もスラム街も関係無いからな!」

「ふふ…おや、そうだ。今日は近衛局の仕事はお休みかい?」

「ああ、なんか分からんが非番になった。『今日は問題が起こらないから』って。絶対起きると思うんだけどなあ…」

「そうか、そうか…。まあ今日だけでもゆっくり楽しむと良い。この子達の相手はこのおいぼれに任せてくれんかの?」

「え、でも…」

 

目の前の老人に全て任せて良いものか。イラは少し渋った様子を見せる。ただでさえ子供の人数が多いのに、老人一人で捌くのはきついのでは…?そう考えていると、子供の一人がイラに笑顔を見せる。

 

「大丈夫だよイラ兄ちゃん!いっぱいあそんでおいで!」

「な、あ、遊んでおいで…?俺、一応年上なんだけど…」

「ほっほっほ。どうやらこの子達の方が安魂祭の楽しみ方が上手い様じゃの」

 

子供の大人びた発言に虚を突かれるイラは頭を掻く。その様子を見た老人は低い声で笑った。

 

「……じゃあ、任せても良いかい?お爺ちゃん」

「最初からそう言ったろうに。さ、お行き」

「──ありがとな!じゃあ、良い夜を!お前等も楽しめよ!」

「ばいばーい!」

 

そう言ったイラは、手を振りながらスラム街を走り去って行った。それに両手を大きく振って応える子供達を横目で見て、老人は思考に耽る。

 

(……近衛局は我関せずか。ちゃんと約束は守るようになったようじゃの。──それにしても…まだ、あの子は振り切れておらんのか)

 

「──おじいちゃん?どうしたの?」

「ああいや、何でもないよ。ほら、ビスケットなんてどうだい?」

「わーい!」

 

子供達は歓声を上げた。老人はその様子を見ながら、密かに獰猛な笑みを浮かべる。

 

 

(どれ…ちと荒療治と行くかの…)

 

 

安魂祭。その裏にて、何者かの陰謀が蠢き始めた。

 

 

 

 

 

 

「ういーす、ジェイ。やってるか?…あれ、ワイフーさん?」

 

スラム街を出たイラが向かった先は、ジェイの屋台。ぶらぶらする前に、腹ごしらえでもしようとその暖簾を潜ると、顔馴染みであるフェリーンの女性、ワイフーが席に座っていた。

 

「お疲れ様です、イラさん。今日は近衛局のお仕事は無いのですか?」

「そうなんだよ、今日は非番。あ、ジェイ俺いつもの」

「かしこまりやした」

 

ラーメンを啜りながら問いかけてきたワイフーに答えながら席に着く。ジェイはイラが注文する前からその内容を分かっていたのか手を動かしていた。

 

「二人はどうしたんだ?屋台デート?」

「ブッハァ!?」

「あっちぃ!!」

 

イラがその言葉を発した瞬間、ワイフーがラーメンを吹き散らす。そしてそれが対面にいたジェイの顔にぶちまけられた。

 

「あ、あ、あ、あのですね!誰がこんな目付きも悪くてぶっきらぼうで口下手な人とデートなんぞするんですか!!不純異性行為ですっ!」

「そんな言う?なあ、アンタ俺のこと実は嫌いだろ」

「あ、イヤ、そういうことではなくて。ちゃんと優しいところもありますし、料理も美味しいですし…。嫌いではありません」

「お、おう…」

 

(あ〜青春だわ。今俺の目の前で青春が起こっておられる)

 

テーブルに肘を付き、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべるイラ。それに気づかず痴話喧嘩を繰り広げている二人を眺めていると、イラの背後の暖簾が捲られる。

 

「あの、注文いいかな?」

「あ、ああ…すいやせん。どうぞ」

(……ん?)

 

その女の声を聞いた瞬間、イラの背筋が凍える様な感覚に襲われた。二の腕を見てみると鳥肌が立っている。

首を傾げながらもひとまず寒気を止めるために、イラは温かいお茶をひと啜りした。

 

「魚団子スープひとつ」

「へい、まいど。少々お待ちを」

「大丈夫だよ、急ぎじゃ、な────」

 

その時、女の声が急に途切れる。ジェイとワイフーは何事かとその女の方を向く。

──そこには、街を歩けば皆が振り返るほどの容姿を持った女が立ちすくんでいた。その目…というか、瞳孔は開かれており、二人は(ああ、またイラの女関係か)と納得していた。

 

「──ごん?」

「…っ。お、おう。久しぶり、ですね」

 

その会話に、またもや二人は首を傾げる。

 

()()?旦那の事か?)

「ほ、本当にごん──なの?」

「………はい」

 

その女はゆっくりとイラの顔に手を伸ばす。それは、長年待ち望んでいたものがようやく手に入るかのような表情であった。

恍惚の笑みを浮かべた女は、イラの頬に手を添えて、その顔を徐々に近づけていく。

 

「ごん、ごん!会いたかった──」

「…やめろください」

「──え」

 

あと数センチでお互いの唇が触れるといったところで、イラがその手を払い、女との距離を置く。それを受けた女は、信じられないといった様子でイラを見つめた。

 

「な、なんで──?わ、私だよ!モスティマだって!君の彼女の──!」

 

 

((彼女ォォ!?))

 

 

ジェイとワイフーは同時に白目を剥く。今何といったこの女性は。この唐変木で鈍感で天然女キラーで悪意の無い悪意で病み女量産機のイラに、彼女?

そんなはずは無い、と二人は頭を振った。どうせまたイラがこの人に何か勘違いをさせたのだろう。そうに違いない。

 

「……俺達の関係はあの時から何も無くなったですよね。もう恋人じゃねえです」

「な、何言ってるのか分かんないよ!それに、あの時は私は別れないって拒否したでしょ!?…あ、分かった!私達の帰宅してからのルーティーンをすれば思い出すかも!ほら、早く舌出して?ごん、早く!」

「──後。今の俺の名前は『イラ』だから」

 

必死の形相で青い舌を出し、またもや顔を近づけようとする女に対し、その顎を掴んで動きを止めるイラ。

 

「……おい、ワイフー。これもしかしてマズイんじゃねえのか」

「マズイです…。もしイラさんを好んでいる他の方がこれを聞けば──」

 

こそこそ話をしていた二人は揃って背筋を震わせた。

龍門近衛局のトップ2に加え、凄腕バウンティハンター。さらにはロドスのオペレーターも攻略していると噂がある彼に交際していた女性が居たという情報は、もしや龍門の命運を分けるものなのでは──?

 

「俺たちはとんでもねぇもの背負っちまったのかもしれねえ…」

「──何でこんなことに…!」

 

「──ねえ。私達もう本当に別れたの?何で!?何処がいけなかったの?私直すから!だからより戻そ?ね!?」

「そこ…。そこなんだよモスティマ…。あのね、あのですね?重いんだ君は」

「──分かった!じゃあお腹の肉削いで軽くしてくるね!それならまた前みたいに付き合ってくれるんだよねっ!!」

「もうヤダこの女」

 

なんで物理的な話になるんだ…と頭を抱えるイラ。その女──モスティマは、魚団子スープを飲み干し、イラの元へと擦り寄っていく。

 

「実はね、今日ここに来たのは偶然だったんだ。仕事が入って、その腹ごしらえとしてここを選んだんだよ。そしたら、君が居た。これってもう運命じゃない!」

「…仕事?安魂祭の為じゃないのか、ですか?──それって」

「──敬語やめて。怒るよ」

「すません」

「うん。で、その仕事が終わったら…一緒に会おうよ」

「え」

「良いでしょ?沢山褒めてよ。仕事の話とかするからさ」

「いやお前の仕事内容って最重要機密が多──」

「じゃ、そう言うことで!仕事が終わったら迎えに行くから、…そうだな、中央広場で待ち合わせね!」

 

モスティマはそう言うと、代金を置いて颯爽と屋台を出て行った。後に残ったのはぽかんとした屋台の店主と大学生、そして疲れ果て、項垂れた様子の青年だけであった。

 

「…旦那。あの方は──」

「言うな」

「旦那…!」

 

ジェイは静かに涙を流した。憧れの恩人がこんな縮こまった背中になるなんて。

 

「スカジさんの事はどうするんですか?」

「え…スカジさん?何でスカジさんが出てくるんだ?」

「はあ……」

「え?え?」

「旦那ぁ……」

「え?」

 

龍門B級グルメトップの屋台。安魂祭という祭りで街が賑わう中、そこだけは溜息が鳴り止む事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…だから貴方はもう少し女性の気持ちを汲み取って下さい!」

「いや、でも俺も頑張ってて……」

「じゃあ何ですかこの結果は!?」

「はい……すみません……」

(こわ……)

 

夜の闇が深くなり、ジェイも店じまいをしている頃、イラはまだワイフーに叱られていた。その鬼のような剣幕は大の大人を萎縮させるほどで、イラは肩を落としながら有難い説教を聞いていた。

 

「なあ聞いたか?さっき橋の方で交通事故が起きたらしいぜ!」

「しかもちょっと前には高速道路でガス爆発もあったんでしょ?怖いわね…」

 

ふと、ワイフーの耳にその会話が入る。

 

「…高速道路でガスが原因の爆発?おかしいですね…」

「はい…おかしいです……」

「……オイ、アンタ。近々テストがあるんだろ?」

「適度な息抜きも必要だとは思いませんか?」

「はい…思います…。──え?」

「まさか……」

 

男二人は顔色を悪くする。目の前の少女、ワイフーは非常に正義感の強い大学生だ。強きを挫き、弱きを助ける。それが自分の信じるただ一つの道であるから。

故に、ワイフーは騒乱に飛び込んで行く。これはもうどうしようもなく、彼女の性分なのだ。だから仕方が無い。人々を悩ませる事件を聞けば、彼女がその腰を上げるのは、当然の事であった。

 

「いやいやいや!危ねえからやめとけ!俺が代わりに見に行くから!」

「危ない?ただ事故の現場を野次馬しに行くことの何処が危ないんですか?それにもしもの事があっても自衛の手段はありますから」

「…旦那。諦めた方がいいですぜ。こうなったコイツは梃子でも動きゃしねえ」

「…流石私の事をよく分かってますね。じゃあ行きますよ!」

「あ、おい!ワイフーさん!ああもう…!」

「はあ…。そりゃあ息抜きって言えんのか……?」

 

意気揚々と駆け出したワイフーに慌ててついて行くイラ。その後を気だるげに歩くジェイ。今ここに、即席の警備隊が誕生した。

 

 

 

 

 

「ほら、もうちょっとで合流地点に着くよ!」

「はい…!」

 

廃れた路地裏。その場に似つかわしく無い可憐な衣装を纏った少女と、巨大な盾を持った少年が走り抜けていく。

 

「それでね、酷いんだよテキサスさん!私と喋ってたのに、イラさんが来た瞬間にしっぽ振って目がキラキラして生返事なんか返して!」

「えと、その…イラさんって人は、ペンギン急便の方なんですか?」

 

可愛らしく頬を膨らませるアイドル──ソラに、フォルテの少年、バイソンが問いかける。先ほどから会話に出てくる『イラ』という人物に、彼は少し興味が出ていた。

 

「ううん、あの人は龍門近衛局で働いているの。強いし、性格もめちゃくちゃ優しい!良い人なんだけど…」

「…?」

 

何処か奥歯に物を挟んだような物言いのソラ。普段キッパリとものを言う彼女からは珍しいその反応に、バイソンは嫌な予感がする。

 

(ソラさんがこんなに渋るって…よほどの事なんじゃ──)

「彼はね──女性関係が物凄く爛れてるの」

 

 

「……はい?」

 

 

目を伏せたソラに目を丸くするバイソン。

 

「まずウチのエクシア。彼と会った時はずぼらで銃しか見えてないって感じだったのに、最近じゃ彼のパトロールの日をメモってて、その日は今までしてなかったメイクとかし始めたりしてるの。百パーセント恋してるね」

「え、あの人がですか?」

 

バイソンから驚愕の声が上がる。

先ほど会ったエクシアは荒々しい表情で銃を乱射するトリガーハッピーな女という印象だった。まさかそんな乙女な部分があるとは。

ソラの口はまだ閉じられない。

 

「テキサスさんも。多分一番独占欲が強いんじゃ無いかな。イラさんと二人でいる時、他の女の人がイラさんに近づくだけで殺気出すくらいだから。…ずるい!私も独占欲剥き出しにして欲しい!」

「は、はあ……」

「まあ、他にも龍門近衛局のトップの人とかロドスのエリートオペレーターとかいっぱいオトしてるらしいけど。あ、バイソンくんはイラさんみたいになっちゃダメだよ!ちゃんと一人の女の人を一生懸命愛する事!」

「は、はい」

 

その有無を言わせない剣幕に頷くことしかできない。まあバイソンは自分にそんな異性を寄せつける力などないと思っているので、その心配はないだろう。

 

(……何か、多分その人も苦労してるんだろうな…)

「あ、居た!おーい!テキサスさーん!エクシアー!クロワッサンー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スラム街にて──。肉を叩く重い音と、悲鳴が路地に響く。

 

「チッ!命が惜しければ吐け!鼠王は何処にいる!?」

 

そのイラついた声を上げる黒服に身を包んだマフィアは、数人で何かを囲んでいる。よく見てみると、そこには腹部を押さえた男が蹲っていた。

 

「し、しらない…。鼠王ってなんなんだよ、本当に聞いたこともないんだ!」

「テメェ…逆らうと痛い目見るぞ!」

「おい、カポネさんはカタギには手を出すなと…」

 

また拳を振り上げた黒服に、別の黒服が口を挟む。しかし、拳を振り上げた方はそれを鼻で笑う。

 

「こんな汚ねえ奴がカタギだと?コソコソしやがって、ゴミみてえな感染者に決まってる!その化けの皮剥がしてやろうか?アア!?」

「ぐ…ま、待ってくれ!もう殴らないで──」

「口が固え野郎だなあ!?」

「がああ!!」

 

その懇願を無視して、マフィアは男の腹を殴る。そして何かが折れる生理的嫌悪を催す音と共に、男は崩れ落ちた。

それを見たもう一人のマフィアは何事も無かったかのように通信端末の画面を見る。

 

「おい、そろそろ行くぞ。名簿によると、次のジジイがいる所はそう遠くない。魚団子を売ってるってよ。生鮮売り場の所だ」

「チッ、あーあ。時間の無駄だったぜ」

 

マフィア達は路地を後にする。残ったのはえずいている男のみ。男は骨折の痛みに耐えながらも、よろよろと立ち上がろうとする。しかし上手くいかず崩れ落ちてしまった。

 

 

「ぐ……骨まで折りやがって…!し、しかし…まずい…。彼らに伝えねば…!」

 

 

 

 

次にマフィア達が目をつけたのは、男二人女一人の三人グループであった。

 

「そこの奴ら、止まれ」

「……何か御用ですか?」

 

訝しげな表情のフェリーンの女性に、ヘラヘラと笑いながらマフィアは近づいていく。その連れの男達もこちらを目を細めて身構える。

マフィアは自分の威圧感に相手が臆している事を知り、よりその笑みを深くする。

 

(…待て、隣の男に気をつけろ、あの顔は地元のマフィアかも知れん)

(安心しろ、カポネさんの情報によるとここいらの奴らは全員雑魚だ)

 

「おい、ちょっと聞きたい事があってな。誰も面倒事にはなりたく無い、そうだろ?素直に俺らの質問に答えてくれりゃ、俺達もすぐに帰るさ」

 

そこで凶悪な顔の青年が、あることに気づく。

 

「……あんたの手、血がついてやすが」

「なに、大したことじゃない。話を聞かねえゴミがね」

「………」

 

ニヤリとマフィアは暴力をチラつかせる。大抵の奴らはこれで何でも言う通りになって来た。これからもそうだ。答えなければぶん殴ればいいのだから、気分が良い。

自分が圧倒的有利に立っている事から、マフィアはより圧をかけていく。

 

「でもお前らみたいな善良な市民なら、当然協力してくれるよな?」

「…脅しですか」

「分かってるだろ?」

「ならお断りします」

 

何?今、この女は何と言った?予想の返事と真逆の声を聞き、マフィアの思考が止まってしまう。ワンテンポ遅れて、その言葉の意味を理解したマフィアは、苛立ちを感じた。

 

「……お断りだとぉ?お嬢ちゃん、何か勘違いしているようだな…」

 

そして拳をチラつかせ、男は凶悪に嗤った。

 

 

 

「それともお前も──あそこの路地裏のゴミみてえに半殺しにされてえのか?」

「…ワイフー、さっき聞こえた悲鳴は……」

 

(そうだ、怯えろ、跪け。俺がここではルールなんだ!)

(まあ、警戒すべきは地元のマフィアだけ。女は取り囲んでボコりゃいい。そもそももう一人の男は手がプルプル震えてやがる)

 

「……念の為、質問します。貴方達、今『ゴミ』と言いましたね?ここの住民の事を言ったのですか?」

 

静かに女が問いかける。それに苛立ちが限界を迎えたマフィアは、唾を吐き散らしながら激昂した。

 

「お前の無駄話に付き合ってる暇はねえんだよ!さっさと──」

 

 

 

 

 

「ワイフー、ジェイ」

 

 

 

その時、今まで何も喋っていなかったくすんだ白髪の男が口を開いた。

 

 

「…何です?」

「近衛局は、原則逮捕状が出ないとこいつらみたいなでかい組織には手出しできねえ」

「旦那?それは──」

 

俯いたままその言葉を口に出す。すると、ジェイとワイフーは信じられないようにその男を見た。

しかし、男は続ける。

 

 

 

「でも俺、さっき言った通りさ。今日は近衛局非番なんだ。だから──。…()()()()()()()は、近衛局には一切関係無い、ただのイラがした事だから、近衛局に報告するのはやめてな?」

「良い加減その口──ギッッッ」

 

 

 

 

突然、それまで三人に尋問していたマフィアがくの字に折れ曲がる。男──イラがいつの間にか懐に入り、そしてその肋にブローを叩き込んだという行動は、拳法の達人ワイフーでも気付かないうちに行われていた。

 

「!?」

(は、速──)

 

二人は目を見開く。その時マフィアの体から無数の破砕音と、水がかき混ぜられる音が鳴る。悲鳴を上げることも出来ず、痛みと衝撃のショックでマフィアは血を吐き散らしながら20メートル程飛んでいき、そして気を失った。

 

 

「…!て、てめえ!!──お前ら、やれ!!」

 

 

一瞬の出来事で呆然としていたが、別のマフィアの号令で、一斉に数十人がイラに襲いかかってくる。

額に青筋をくっきりと立たせ、首を鳴らしながらイラはそれらを見据えた。

 

 

 

 

 

 

「──ゴミ掃除の時間だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

安魂祭はまだ、始まったばかり──。

 

 

 

 

 




イラ 激おこ
ワイフー The正義。ジェイの事が気になってる。可愛いね
ジェイ ご飯が美味い。ワイフーの事が少し気になって来てる。付き合えよ公式で
マフィア かわいそうに
モスティマ 未練タラタラ激重ヤンデレ女。なまじ一度イラの恋人になったのでイラをもう手放したく無い。あとうちのロドスに来い
バイソンくん ショタに主導権を握らせるな


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喧騒の掟 2

無料十連でニアール姉さん来ました。まあ贅沢はいいやと思い、フレイムテイルは諦めてたのですが、一日一回無料単発で出ました。その後に公開求人でイフリータ来ました。
俺死ぬの?


「テメェ──!」

 

イラのその言葉に激昂したマフィア達はナイフやクロスボウを取り出し、目の前の脅威を取り囲む。その黒い壁に囲まれた本人達は、多対少数であるにも関わらず、平然としていた。

 

「…あ、やべ。加減し忘れた…」

「……『やべ』で済むんですかい?アレ。見てませんが絶対骨ぐちゃぐちゃですぜ」

「だよなあ…」

「悪党には相応しい末路です。…まあアレはやりすぎですが」

「だよなあ………」

「な、舐めてんのかこの──」

 

呑気に会話している三人に、ナイフを持ったマフィアが突貫していく。その標的はワイフーだ。

 

(あの男はバケモンだ、勝負を挑んじゃいけねえ。隣の地元マフィアもなかなかの手練れだろう、あの顔つきを見ればわかる。つまり、俺たちが狙うべきはこの女──!)

「む──」

 

それに気づいたワイフーは静かに構える。その様子を見て、マフィア達はほくそ笑んだ。女一人が武器を持った男に勝てるはずが無い。ましてやこっちは武装してるんだ。

そう思った次の瞬間──、マフィアの意識は刈り取られた。

 

「古今東西、悪の栄えた試し無し。罪なき人に狼藉を働く、あなた達のような卑劣な三下など、取るに足りません」

「な、なんだこの動き──!?」

「見せてあげましょう、双刀八斬法の真髄を──!」

 

そう言い放つと同時にマフィア達が紙のように吹き飛ばされる。その怒涛の勢いに押された別のマフィアが、慌ててクロスボウに手を掛け──、その手を抑えられた。

 

「え──」

「…待ちな」

 

唖然として振り向くと、自身を見つめる、柄の悪い男が立っていた。

 

「ぐ…手を離せ、クソ野郎が!」

「あー、アレだ。おめぇらなんぞ、停電して三日経った冷蔵庫の中のウニと同じなんだってえの」

「は、はぁ…?」

 

戸惑うマフィアを見て、少し目を逸らしながらぽりぽりと鼻を搔くジェイ。少しの羞恥心に駆られた彼は自分の行動に少し後悔した。

 

「…やめやめ、俺がワイフーの真似して口上並べようとしても締まらねえ。手だけ動かすのが一番だわな」

「て、てめ、いい加減離──」

「……なぁ」

 

その只ならぬ凄みを利かせながら、ジェイは手に力を込める。と、同時にミシミシと異音がそこから鳴り響いた。

 

「い、痛ぇ、ち、ちぎれる!ちぎれる!!」

「こんなんで騒ぐんじゃねえよ…。旦那のよりかはマシだぜ」

 

 

 

「な、何だこいつら──!」

「武器捨ててさっさとこっから失せろ、じゃないと…」

「……チッ、一先ず引くぞ」

 

イラが拳を振り上げるジェスチャーを見せる。先程のふっ飛ばされた者の末路を思い出したのか、マフィア達は慌ただしく去って行った。

再び訪れる静寂。ワイフーは服についた埃を払い、そしてマフィアに暴行を受けていた人の元へと駆け寄る。

 

「大丈夫ですか!?」

「…骨が折れてやがる。野郎…!しっかりしろ、今医者を呼んで来るからな!ジェイ、ワイフーさん。この人頼むぞ!」

 

イラはそう言うや否や、路地を駆け出して行った。

 

「ジ…ジェイ坊か?」

「ええ、俺です。大丈夫、今俺の知り合いが医者を連れてきやすから。そう遠く無いはずなんで──」

「ジェイ坊!俺の事は良い!急いで菫の親父さんのところへ!奴らの次の狙いは──菫の親父さんだ!!」

「──」

 

その言葉を聞いたジェイは、目を見開く。そして弾かれるように走り出した。

 

「あ!ちょっと!」

「嬢ちゃんも着いてってやってくれ…!頼む…!」

「…ああもう!──すみません、失礼します!」

 

ワイフーは一瞬逡巡したが、その男の懇願にため息を吐きながらもその後を追いかけて行った。

それを見た男は、心配そうに二人が向かった方に目を向ける。

 

「ってて…!」

 

ズキン、とした痛みが腹部を襲い、慌ててそこを押さえてゆっくりと息を吐く。少しでも痛みが和らぐように、男は静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「急げイラ!!手遅れになる前に!」

「手遅れとか言うなよ縁起でもねえ!!ほら着いたぞ!手当頼む!」

「…随分騒がしいじゃねえかよ…」

 

数分後、イラが妙齢の医者を背負って路地裏に辿り着く。医者は即座にその男の体を触診する。

 

「…内臓に異常はない。骨は折れておるが、それでもすぐにくっつくじゃろうて」

「──はあ〜〜!」

 

その言葉に、思わず腰を落とすイラ。一先ずは安心だというところで、彼は自分の知り合いが居なくなっていることに気づいた。

 

「あれ…?なあ、あんた。二人──ジェイとワイフーは何処に行ったんだ?」

「──あ…!そうだ!二人は────」

 

 

 

 

 

 

「──嘘だろ…!?」

 

男から事の顛末を聞いたイラは驚愕する。いくら二人が腕が利くとはいえ、まだ子供。マフィアなど裏の世界に関わる必要なんて無い。危険すぎる。

イラは冷や汗を流しながら、二人を探しに夜の街へと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(クソ…ダメだ、見つからねえ!)

 

捜索すること十分──、現在イラは、建物の上で頭を抱えていた。普通に探しても見つからなかったので、高所から見下ろせば或いは──と思ったのだが、その策は失敗に終わる。

そもそも安魂祭で人が賑わう街中で、特定の人物を探すという細かい芸当は、イラには向いていなかった。

 

「あ…あの人に菫って人の場所教えて貰えば良かった…!」

 

思わずぼやくイラ。しかし過ぎた事はしょうがない。地道に探す方法しか自分には無いのだから。そう納得し、建物から建物へ移動を開始しようとしたその時──。

 

 

(──?この音は)

 

 

喧騒の中、イラの耳は微かな異音を捉える。それはサプレッサーを付けた銃声。その方角に振り返って見てみると、何の変哲もないバーの前に大量の車が止まっているのが確認できる。

 

「そこか──!!」

 

水を得た魚の様に、勢いよく跳びながら移動して、あっという間にイラはそのバーの屋上に到着する。そして───!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンセット通りに佇むバー『大地の果て』。そこではその店本来の用途に相応しく無い音が鳴り響いていた。

 

「たああーー!」

「ぐあああ!!」

 

ばりん!と小気味良い音とともに、マフィアが倒れる。そのエクシアの投げた酒瓶は、見事ストライクを取った。

 

「ねえねえ、見た見た!?今曲がった!将来メジャーリーガーになれるかも!」

「それはその容器が曲がってるからだろう。やろうと思えば私もできる」

「曲がった容器…?ち、ちょい待ち!それって超お高いウイスキー──」

「ギャアア!!」

「あー、あかんわ。もうあかん」

 

七桁もする年代物のウイスキーの容器と同時に、クロワッサンの守護銭の心が割れる音がする。

心なしか胸を張るテキサスを見て、バイソンは内心ドン引いていた。

 

(あ、相手は武装したマフィアの銃弾だぞ…?どうして平気でお酒で戦えてるんだ、この人等!)

 

自分が知っているトランスポーターはこんな事しない。こんなのいくら命があっても足りない。

バイソンは、必死に自身の理想のトランスポーター像を崩さないよう自我を保っていた。

 

「あ〜あ!俺の店がめちゃくちゃになってやがるぜ!最高にロックじゃねえか、くそったれ!」

 

ペンギン急便を率いるその男。見た目はペンギン、しかしその裏は常に時代の最先端を行くトップミュージシャン、人呼んで音楽界のドン──エンペラーは、銃弾が飛び交うバーの中、椅子に座って酒を口に含んでいた。

自分の店がこんな惨状になっても、この男はそんな小さな事は気にしない。男が気にするべきなのは、自分の見栄えと女の容姿の変化だけだ。

 

「安酒しか残ってねえのか!?俺言ったよな高い酒は一人一本までだって!?」

 

物凄く酒を気にしていた。するとエクシアがエンペラーに猛抗議を浴びせる。

 

「だからそうしたじゃーん!()()()()()()()()()ってさー!」

「オーケー、俺の伝え方が悪かった。今からでも遅くねえ、その手に持った酒を下ろせ。それ結構良いやつだから。無くなったら俺が凹むか──」

「とりゃー!」

「『龍門スラング』!!!!!」

 

(うわあ…)

 

バイソンの目の前で哀れなペンギンが絶叫する。それを見た彼は可哀想半分、哀れみ半分の目を向けていた。龍門の中でもトップクラスのミュージシャンに、自分がこんな視線を向ける事になるなんて思いもしなかった。

 

「あああああもうこの際だ!オイお前等!この場所ぶっ壊しても良い、奴らに俺に喧嘩を売ったことを後悔させてやれ!!」

「ラジャー!」

 

半ば半狂乱になりながらも、エンペラーはその羽をマフィア達に指し示す。ボスからのお許しが出たペンギン急便の各々は、また酒瓶や椅子、皿などを構えた。マフィアも慌てて弾をリロードする。

 

「落ち着け!奴らはガラクタを投げてくるだけだ!慎重に──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、ペンギン急便とマフィア達の間の天井が破砕音と共に落ちて来た。かろうじて生き残っていた照明は全て消え、辺りは朧げな月の光が照らすだけである。

砂埃を払いながら、両グループはその中心にいる人影に意識を集中させる。いつでも反応ができる様に、各自の武器を持って。

 

 

 

「……?ペンギン急便?何で……」

 

 

 

ぶち抜かれた天井により、空気が換気され、その人影の全貌が露わになる。白色──くすんでいるが──の髪を適当にまとめ、ポロシャツにジーパンを着た男。

彼は、この場にいる人物を見て困惑の表情を浮かべる。

 

「イ……イラ!?」

「お、おう…アレ?ジェイとワイフーさんは?」

「な、何言ってやがんだコイツ?」

 

三者がお互いに首を傾げると言った不思議な空間が生まれる。ペンギン急便はなぜイラがその様な登場の仕方でここに現れたのか。マフィア達は誰だコイツと言った純粋な疑問が。そして当の本人は目当ての人物が居ない事への困惑が。

 

「……この場所ぶっ壊しても良いって言ったけどよお……流石に限度ってもんがあるだろうが!イラァ!!」

「え!?え?あ、ご無沙汰してますエンペラーさん!今日もお元気そうで何よりです!」

「〜〜〜〜〜!!!!!!!」

「イラ。辞めてくれ、それ以上煽ったら本当にボスが死ぬ」

「え?」

 

羽をブンブン振り回して悶えるエンペラーをソラとクロワッサンが撫でながら宥める。

 

「──良い加減にしろやテメェ等!!」

「ん…?」

 

その怒号に穏やか(一名を除く)だった雰囲気がまた元に戻される。イラが振り向くと、そこにはオオカミの顔をしたマフィア──ガンビーノが憤慨した様子でこちらを睨みつけていた。

 

「折角ペンギン急便を始末できるって所によくも邪魔を入れてくれたな?テメェ、それはうちのファミリーに楯突いたって事で良いんだよな?」

「始末?ペンギン急便を?…いやいや、無理無理。絶対無理」

 

小声でそれを否定するイラ。しかしガンビーノはそれに気づかず喋り続ける。

 

「よく見ればペンギン急便と仲が良い雰囲気じゃねえか。まとめて感染生物のエサにしてやらぁ」

「仲がいいってもんじゃ無いよ!」

「あ、こらエクシア。抜け駆けするな」

「あの…話聞いてあげましょうよ。あの人顔真っ赤ですよ」

 

イラの腕を抱くエクシアとテキサスにため息をつくバイソン。それを見たガンビーノはプルプルと震え、そして吼えようとしたその時、イラが口を開いた。

 

「あっと。そうだ、なあ、あんた。ちょっと質問があるんだけど」

「あ?テメェにそんな権利はねえ──」

 

 

 

 

「──スラムの人達を部下に襲わせたのはお前か?」

 

 

 

「────ッ!?」

「ひ…!」

「っ」

 

 

ガンビーノの全身の毛が逆立つ。それは命の危険を感じた時の、生命が発する防衛反応。本能が警告している。コイツには近づくなと。

更に、抱きついていた事でゼロ距離からモロにその威圧を貰ったのか、エクシアは腰を抜かし、テキサスは目を見開いて耳を震わせていた。

 

 

 

 

(何だ…?この俺様が怖気付いてるって言うのか…?バカ言うな、俺はガンビーノだ。誇り高きシチリアの戦士だ!こんなガキにビビるなんてザマは──)

 

 

 

「──なあ?」

 

「………知らねえさ。大方俺の仲間が勝手にしたんだろ。悪知恵が働く姑息な奴だからな」

 

吐き捨てる様に言ったガンビーノを見て、イラはふむ、と顎に手を当てる。

 

「どうしようか……。エンペラーさん、俺何すればいいすかね?」

「あ?決まってんだろ、そいつ等全員ぶちのめせば良いんだよ!そしたらお前の目当てのヤツの場所も聞けるだろ!」

(完全に私情だ…!)

 

バイソンの考えの通り、エンペラーは自分の店を荒らされた事に腹を立てている。割合で言えば正義感一、私情九だ。ペンギン急便だけでも事足りるが、イラにも相手をさせれば相手は綺麗に吹っ飛んでいく。その爽快感を味わう為、エンペラーはイラに指示を出した。

勿論イラはそれに気づく事無く、目を輝かせながらエンペラーを見つめた。

 

「おおお…!天才ですねエンペラーさん!」

「え?嘘でしょ?信じるのこの人?」

「──ハッ、俺だぜ?当たり前だ。…さあ、思い切りやっちまえ!」

「了解…!」

 

しかし、イラに自由にさせた事こそが、エンペラーにとって一番の不運であった。

気合を入れたイラは、バーに設置されたカウンターに手をかける。そして──。

 

 

「──ふんっ!!」

 

 

その瞬間、爆音が『大地の果て』の内部で奏でられる。それは何か、重機で建物を壊すかの様な、はたまた大木が嵐に見舞われへし折られる様な──そんな音が。

イラが少し顔を顰め、筋肉を膨張させる。その様子に比例して、その破砕音は徐々に大きくなっていく。

 

「え、ちょ、ちょちょちょちょ!?」

「──ソラ!バイソン!カウンターから離れろ!」

 

「…嘘だろ、オイ」

「ば、化け物…!」

 

 

「よい、しょっ、と……!!」

 

 

バガン、という音と共に、バーカウンターが持ち上げられる。床と接合していた面は、補強用のニスごと剥ぎ取られており、木材が露出していた。

あまりに現実離れしたその行動に、マフィアが拳銃を構えるのも忘れたその時、イラが動く。持ち上げたバーカウンターを、ゆっくりと構えて───。

 

 

「うりゃああああッ!!」

「テメェ等引くぞッ!撤退だ!!」

 

 

バーカウンターが凄まじい速度で投擲された。それと同時にガンビーノ達はバーの外へと転がる様に脱出をする。

出入り口とバーカウンターが接触し、耳を塞ぎたくなる様な音が鳴り響くと同時に、事前にガンビーノ達が設置しておいた爆弾が起爆。

『大地の果て』は、見るも無惨な姿になり、後に残された更地には唖然としたペンギン急便とその元凶だけが残った。

 

「あ!逃げんなお前ら!」

「──アンタじゃボケェェェェェ!!」

「へぶっ」

 

ガンビーノ達が逃げたのを見たイラは、慌てて走り出す。それを背後からクロワッサンの渾身のドロップキックが襲った。地面にキスをするイラ。

 

「い、痛…!な、なにすんだよクロワッサ──」

「アンタ!ホンマに何なん!?これ見ぃ、誰かが店に戦車でも持って来たんか!?ええ!?」

「い、いやそれはエンペラーさんが思い切りやれって…」

「限度!限度って言葉知っとるか!?誰が店全壊させ言うとんねん!酒も備品も何もかんも残っとらん!!」

「ご、ごめん」

「ごめんで済めば警察はいらんねん!!」

 

クロワッサンに捲し立てられ、小さく身を縮こまさせるイラを見て、バイソンは不思議な感覚になる。

先程まで人外の力を見せた得体の知れない人物が、今や親に叱られる子供のような印象を受けた。

 

「ボス?大丈夫?おーい、ボスー…。あー、ダメだ。テキサスさーん、ボスが放心してますー」

「…放っておいたらいずれ治る」

「というか、イラは何でここに来たの?」

「…あ!そうだ!こんな事──いえこんな事という訳では無いのですが今は優先するべき事があるのです」

 

『こんな事』と言った瞬間クロワッサンからゴミの様な目で見られたイラは敬語を使いながら、これまでの経緯を話す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うええ…!?そりゃちょいやばいね」

「ああ。いくらあいつらがそこ等のやつより強いとはいえ、まだ子供だ。だから、早く見つけないと」

「……決めた」

 

イラが焦った様にそう言ったその時、エンペラーが静かに呟いた。その場の人物が一斉に彼を見る。

 

 

 

 

 

「奴らがここまで頑なに安魂祭の日に喧嘩を売ってくる以上──いっそ奴らを永遠に安息させてやろうじゃねえか……!!」

 

 

 

 

 

ブチギレ状態のエンペラー。その怒りの矛先は、哀れなマフィア達に向けられていた。



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喧騒の掟 3

『大地の果て』での一悶着の後。怒りに怒ったエンペラーの指示を受け、ペンギン急便とイラ達はそれぞれ二人に分かれてマフィアの情報を集めていた。

チーム分けの際、想いを寄せている男と行動したい二人──エクシアはかつてないほど真剣な表情で拳に祈りを捧げ、テキサスは目を閉じて相方との決着を待ち望んでいた。奪われる運命のイラは呑気にバイソンと喋っていたが。そしてその聖戦(じゃんけん)を制したのは──。

 

 

「──ん。イラ、エクシアからの通信だ」

「お、来たか」

 

テキサスの呼び掛けに反応し、気を失ったマフィアの胸ぐらを離しイラがテキサスに近寄る。

 

[もしもしテキサス、聞こえる〜?]

「…おいテキサス、これもっと音量大きくできねえの?」

 

通信機から聞こえるエクシアの声は確かに聞き取り辛い音量であった。近くに移動しても充分にその声が聞けないイラは、テキサスに音量を上げて欲しいと頼む。

 

「ああ、上げ──られない。すまない」

 

テキサスは首を振り、その考案を却下した。親指で音量調整スイッチを隠しながら。

 

「そっかー…。じゃあ後で教えてくれ、俺は見張りしてるから」

「いや、それは手間だ。エクシアの情報を一字一句私が伝えるのは難しい」

「…はあ」

「だからイラ、もっと近くに来い」

「近くっつったって…これ以上近づくと…」

「いいから。屋台の青年達の情報もあるかも知れん」

 

渋るイラに、テキサスはたたみかけるように口を開く。探し人の名を出されては、イラもそう簡単に首を横には触れなかった。

 

「…じゃあ、お邪魔します」

「ああ、隙間を作るなよ。聞き取りづらいからな……」

「いや、隙間は別に──」

「エクシア、どうだった?」

 

イラの言葉を無視しつつ、テキサスはエクシアの返事に応答する。

 

[うん。0時からのイベントに紛れて、こっそりあたし達をやっつけちゃおー!って作戦だって!だよね?]

[……ああ、──俺の事は殺さないんだよな?]

[もちろ〜ん!ありがとねおにーさん!そんじゃおやすみ〜]

[え、うわ!]

 

殴打音と共に男の悲鳴が聞こえる。どうやらエクシアが男を殴って気絶させた様だ。その乱暴な手口に思わずため息が出る。

 

「はあ…まあいいや。俺たちの方も同じだ。あいつら、チームを分散してやがる」

「すんすん…。ああ、ただリーダー自らが戦闘に参加するからには、必ずもう一人が司令塔になり、部隊の配置を指揮しているはず…だ。すん、すんすん…ふぅ……」

「じゃあ、俺たちはそいつを探し出してぶっ飛ばせば勝ちって事か。シンプルでいいや」

[うんうん!まどろっこしいのは面倒だからねー!…テキサス?さっきから鼻息凄いんだけど何してんの?]

 

エクシアの指摘にイラはテキサスの方を向く。すると彼の鼻頭を、ループスの耳が覆った。

 

「んぶ」

「んんっ!?」

「…お前何やってんの」

 

突然耳に異物が入ったテキサスは体を震わせ、顔を赤らめながらイラの首筋を嗅ぐ行為を中断する。

 

「──い、いきなり入れるな…!ビックリするだろう…!」

[──は?]

「違う待てエクシア。俺は何もしてない」

[なにしてんの、ほんとに]

「穴に突っ込まれた」

[────は???]

「頼みがある。テキサスお前は黙っててくれ」

 

イラは絶望しながらテキサスの口を手で押さえた。ふがふがと手元の狼が暴れる中、必死に弁解を試みる。

 

「あのな?ただ俺が間違えてテキサスの耳に顔突っ込んだだけだ。それだけだから機嫌なおして?」

[……]

 

途中から及び腰になるイラだったが、どうにか真実を伝える。通信機はしばらく無音のままだったが、しばらくして不満気な声が聞こえてきた。

 

[…まあ良いや、許したげる。でもあたしも同じ事してもらうから]

「は?おいちょっと──]

[ちなみに私は許しませんからねテキサスさんは渡しませんよこの〇〇〇〇が]

「ソラちゃん?君アイドルだよね?ソラちゃん?」

[乙女の戦いにアイドルなんて関係な──ボス?あ、あれ?フロート登っちゃうの!?ち、ちょっと待って──!]

 

慌てた様子で声を上げるソラとの通信が切れた。多少危険はあったとしてもペンギン急便の一員。それにエンペラーも付いているのでそこまで絶対的な危機には至らないだろうと、イラは密かに胸を撫でおろす。

 

「……クロワッサン、バイソン。聞こえるか?」

 

まだ仄かに赤面したテキサスは、次に守銭奴と哀れな新入りへ呼びかけた。すると少しのノイズ音と共に、少年の少し高い声が聞こえる。

 

[はい。テキサスさんが仰っていた、その司令塔に関して少し意外な発見が──]

 

 

その時、突如通信機から銃声が聞こえた。

 

 

「──大丈夫か!?」

[すみません、また後で──]

 

 

イラが思わず声を上げる。バイソンの声は最期まで続く事無く途切れていった。

 

「向こうはトラブルが発生したようだ。エクシア、マフィアのルートの確認が終わったらクロワッサンと合流して」

[了解〜]

 

「ソラ、そちらはどうだ?」

[えっと…彼らの動きは複雑ですが、二つのチームに分かれて移動してるみたいです。多分、罠かと──]

 

 

[そんなに複雑な事はありませんよ。敵の内側に問題が発生した様です。これはチャンスです]

[うわぁ!?]

「──誰だ、こいつ?」

 

ソラの報告に被せるように、落ち着いた低い男性の声が聞こえてくる。ソラは驚き、イラは聞いた事のない声に眉を顰める。すると、テキサスがため息を吐きながらその声の主を咎めるように口を開いた。

 

「…なぜ仲間内のチャンネルをハッキングしているんだ。普通に通信をすれば良いだろう…。あと、戻ってきていたなら連絡のひとつくらい寄越せ」

「知り合いなのか…?」

[ああ、ごんさんとは初めましてですね。改めまして、私はイースと呼びます。ペンギン急便のメンバーです。以後、お見知り置きを]

 

イラはその言葉に目を少し開く。自分の昔の名前をなぜこの男が知っているのか、問い詰めようと口を開こうとするが、それを見越した様にイースは再び喋り出す。

 

[クロワッサンさんとあの新人くんの座標については皆さんにもう送ってありますよ。いや龍門ネットの通信速度は本当に気持ち良いものですねえ]

「…?わかった。各自の任務を遂行したら、それぞれ彼らのサポートに向かってくれ。──これは反撃の絶好の機会だ」

 

そう言いきり、テキサスとイラは移動を開始した。

 

 

 

 

[イース〜?]

[はい。何でしょうかエクシアさん]

 

テキサスの通信機からまだ会話が聞こえる。想い人と密着するために音量を最小限にしていたので、後ろを走るイラには聞こえていない様子だ。

 

(……ふふ。駄目だな、自然と顔が緩んでしまう)

 

元マフィアのテキサスもひとりの女である。普段の鉄面皮な表情は、彼と行動するだけでドロドロに溶けていく。彼の顔を見るだけで、今咥えているチョコレート菓子のように心が甘い気持ちになる。

 

(…それに甘いだけじゃない。ごく稀に見せる、先程の様な殺気──)

 

バーでのイラが発した威圧を思い出すたび、下腹部が疼いて仕方ない。ガンビーノと同様、その身体に圧倒的な恐れと威圧を叩き込まれた彼女の中では、『イラに征服されたい』というおぞましい欲が渦巻いていた。

 

[あのさ、さっき言ってた“ごん”って、イラの事?]

[ああ、今の彼の名前はそうでしたね。イラさんです]

[なんでイラの昔の名前知ってるのー?]

 

その話題に若干トリップしかけていた意識が戻ってくる。テキサスも気にはなっていた。イースとイラは初対面のはずである。昔ながらの仲であれば納得はできるが、先程のイラの反応からしてその説は否定される。では何故なのか。テキサスは静かに耳を傾けた。

 

 

 

[教えてもらったんですよ、彼女さんに]

 

 

 

(…………え?)

 

 

 

 

 

[──か、彼女ぉ!?…なーんてな!そんなどぎつい冗談誰もウケへんって!]

[そ、そうですよイースさん。あの人に彼女は居ないって──]

 

[?いえ、居られますよ。本人からそれはもうアツアツなカップルと聞いておりますが…]

 

その言葉を最後に、通信機は無音となる。クロワッサン、ソラ、バイソンは絶句していた。エクシアとテキサスがイラに恋心を抱いているのは当然周知の事実。今日ペンギン急便に来たバイソンでも理解しているほどその好意は見え見えだった。では、今その事実を聞かされた二人は──。

 

 

 

 

[…あはは〜……────嘘つき]

「……そん、な……」

 

 

[イース。嘘は良くないよ。イラに恋人?いるわけないって、だって本人が言ってたんだから]

[え?いや──]

[だから嘘だっつってんの。と言うか誰?そんなクソみたいな嘘ついた女。教えてよ。ねえ、早く。早く。早く]

[アッ…クロワッサンさん、これ、不味いやつですか?]

[うちに聞くな。触らぬ神に祟りなしや]

「………」

「?おい、テキサス?何かあったのか?ここからでも声が聞こえてくるんだが…?」

 

歩みを止め、唇を震わせ、落ち着かない様子のテキサスを見たイラは心配そうに駆け寄る。

 

[…あ、そうだ。本人に聞けば良いだけじゃん…。テキサス、イラに確認とってよ。彼女居ないよねって]

「あ、ああ…分かっ──」

 

 

(それで──それで、確かめて…それがもし、事実だったら…どうするんだ?)

 

 

テキサスの思考がぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。確証が持ててない今でもこの有様なのだ。真実を知ってしまったら──自分は、何をするのか分からない。

ただ──今の、心の半分を無理矢理削り取られた様な感覚は確実に悪化する。壊される。いや、壊されれば、あるいは楽なのかも知れない。

 

 

 

 

「嫌…だ…!」

 

 

だが、テキサスは大人にはなれなかった。一人取り残される恐怖心に勝てなかった。

 

 

 

[──テキサス?]

「私は聞かない。聞いてしまえば、それが事実になる。それなら、私は夢の中のままでいい…!」

[…テキサスさん…]

[……じゃあいいよ、あたしが聞くから…!イラと変わって]

「ダメだ!絶対に…!!」

[テキサス!!]

 

「おい、マジで何話してんだよ…?大丈夫か?」

 

 

いつの間にかすぐ横にイラの顔があった。テキサスは目を見開くと同時に通信機の電源を切ろうと手を伸ばす。しかしそれよりも早く、イラが通信機を取り去った。

 

「あ…っ!!」

「もしもし?何かあったのか?」

[──イラ、あのさ。聞きたい事があるんだけど…]

 

聞きたい事?と首を傾げるイラを見て、血相を変えたテキサスがイラから通信機を取ろうと手を伸ばす。しかし、体制を変える事でそれをセーブするイラ。

 

「やだ、やめろ!頼む!エクシア!エクシアっ!!」

 

テキサスの懇願も虚しくエクシアは、通信機越しからでも分かる様な震えた声で──イラに問う。

 

 

[あ、あの、さ──イラって、か、彼女…い、居ないよね…?]

「え?居ねえよ」

 

 

 

 

「……え?」

 

[……え?]

 

 

あまりにも早い返答に思わず呆気に取られる一同。しばしの沈黙の後、全員から間の抜けた声が出た。

 

「い、居ないのか…?」

「居ねえよ…?つーかどっからその情報が出てきてんだ…」

 

イラは呆れた表情でテキサスを見る。

 

[──ご、ごめんごめん!いや〜!そうだよね!イラに恋人なんか居るわけないよねー!]

「おいコラどう言うことだぶっ飛ばすぞ」

「…良かった」

[イースはん、けったいなこと言うもんやないでー!]

[ああ、すみませんでした。…おかしいですねえ…?]

 

イースの困惑の声は、普段より数段明るくなったエクシアの声にかき消されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…イラ。止まれ」

「あ?どうした」

 

突如テキサスが立ち止まる。イラが彼女を見ると、キョロキョロとあたりを見回している。しかしそのループス特有の両耳は、一方向へと向いていた。

 

「…この壁の向こう側から、金属音が聞こえた。多分、奴らだろう」

「……あ〜、そういうことか。分かった、離れてな」

 

納得したイラは、手首を回しながら壁の前に立つ。腰を低くし、右腕を引く。そして、その力一杯握られた拳を──壁に叩きつけた。

その凶悪な暴力を受けた石の壁は、破砕音と共にボロボロと砕ける。やがて土煙が晴れ、壁の向こう側が見えてくると、そこには──。

 

「──ビンゴだテキサス」

「ああ。全員揃った様だな」

 

ペンギン急便の面々、そして黒服達を率いた、狼の顔と、眼鏡をかけた目つきの悪いマフィア。

 

「うーん、この感じは最終決戦ってやつかな?ちょっと早くない?」

「問題ない。こんな茶番は早く解決するに限るからな」

 

ソラとテキサスの会話をよそに、イラは周囲を見渡す。

 

(…ジェイとワイフーが居ねえな…。まさか…)

「おい」

「あん?」

 

イラは最悪の結末を予想し、冷や汗を流しながら眼鏡のマフィア──カポネに話しかける。

 

「お前らここに来るまでに…あーっと、可愛らしいフェリーンの子と、目つきがアンタみてーな兄ちゃん見てねえか?」

「……?何言ってやがる?」

「ああいや、何でもねえや。もう分かった」

 

訳がわからないといったそのカポネの態度に、イラはまだ二人がマフィアと接触していないことを知り、密かに安堵のため息を吐く。

 

「ま、ジェイには悪いが──ここで潰す」

 

拳を合わせながら、イラは構える。それに続き、テキサスも源石剣をすらりと引き抜いた。

 

 

「潰すだぁ?──舐めてんじゃねえぞ…クソガキどもがァ!!」

 

 

ガンビーノの咆哮と共に、マフィアがナイフを構えて押し寄せて来る。安魂祭の裏。誰も寄り付かない路地裏にて、ペンギン急便とマフィアの、最後の全面抗争が始まった。

 

 

 

イラの拳がマフィアの一人に突き刺さる。吹っ飛ばされたマフィアは、仲間を巻き添えにして倒れ込んだ。しかしそれを見る暇もなく、イラの眼前に追加の黒服たちが立ち塞がる。

 

(ちょっと多い、けど…──隊長一人よりかはマシだな)

 

脳裏によぎる、赤い刀を下げた女性を思い出し、苦笑しながらイラは新たな黒い波へ突っ込んで行った。

 

(あいつ…近衛局のナンバー3…!?何故こんな所に…!)

 

カポネは本来居るはずのない脅威に歯噛みする。今日の作戦を成功させるために、入念に龍門の状態を自分のファミリーに調べさせた。情報によれば近衛局は安魂祭の為一斉休日の筈。

そして要注意人物の動向も確認済みと報告があった。何故──?

 

「おいしょー!」

 

カポネが思考の波に流されかけた時、戦場とは思えない程の気の抜けた声と共に、無数のゴム弾が降り注いできた。咄嗟に横に転がる事でこれを回避。すぐさまその方向を見ると、快活な笑みを浮かべた赤髪のサンクタがスコープ越しにこちらを覗いていた。

 

「ありゃ?外れちゃった!」

「クソガキが…!」

 

悪態を吐きながらクロスボウを発射。しかしその矢はエクシアの目の前に横入りしてきた盾に阻まれた。

 

「ナイス、クロワッサン!」

「エクシアはん、いきなり大将は取れへんって〜」

「さっさと終わらせてイラと安魂祭回りたいの!」

 

銃をブンブン振り回してそう言い放つエクシア。子供じみた行動だが、その視線は、いつでも反応できる様にカポネの手元を向いていた。

 

(…俺一人では不味いな──ガンビーノの野郎は…!)

 

「オラァァァァ!!」

「………」

 

分が悪いと見て、カポネは慌てて周りを見る。目的のガンビーノは、目にも留まらぬ速さでテキサスと斬り合っていた。しかし、裂帛の気合で斬りかかるガンビーノに対し、テキサスは涼しい顔でそれをいなしている。誰がどう見ても、ガンビーノの劣勢。

 

(アイツはもう駄目だ、ここは一旦体制を立て直して──)

 

「よう」

「──ッ!?」

 

背後からその低い声が聞こえた瞬間、カポネは反射的に前方へ飛び退いた。続けて破壊音。そこを見ると、カポネが立っていた位置に小さな隕石が落ちてきた様なクレーターが出来ていた。

 

(…もしあのまま動けなかったら……)

 

ぞっとするカポネを、イラは見据える。

 

「お前がスラムの人達を襲わせたらしいな」

「…悪いとは思っている、だがそれは必要な犠牲だ。俺たちがここでの地位を得る為に」

「何…?」

「あとで金でも送らせておくさ、慰謝料は払う。だからもう関わって来んのはやめにしねえか。この件はアンタには関係のないはずだろ?」

「……」

「それに、裏の世界に関しては裏の住人が一番良く知ってる。ご贔屓にしてくれりゃ、今後アンタにその情報を──」

 

 

「──この街にな。『必要な犠牲』なんて人間、誰一人存在しねえんだよ」

 

 

突如噴き上がる殺気。数々の修羅場をくぐり抜けてきたカポネさえも、その重圧に指一つ動かすことが出来なかった。

 

「お前らの地位だとかファミリーだとか知らねえ。身内で片付けりゃ良かっただろうな。だが──お前らは関係の無い人達を巻き込んだ」

「ぐ……!」

 

言うや否やイラは距離を詰め、足払いをカポネに仕掛ける。何とかカポネはそれを躱したが、更にイラはその勢いのまま裏拳を放った。

クロスボウでガードするも、まるで大砲かと思うような威力に目を向きながら吹っ飛ばされるカポネ。混戦状態のこの場も、決着が着こうとしていた。

 

「おっと!お前、何で俺をぶった斬ろうとしてんだ!?」

「悪い、俺やっぱボスに従うべきだと思って!」

「馬鹿野郎、俺もだよ!」

「アレ?」

「…おたくのファミリーもなかなか混乱してきたな。──終わりにしようぜ」

 

 

「──何だか本当にごちゃごちゃになってるね?」

 

 

その時、戦場に一つの声が響く。その声を聞き、目を見開く者。訝しげに睨む者。そして──尋常じゃない冷や汗を流し、顔色を悪くする者。三者三様の反応の先には、青い髪のサンクタの女が微笑を浮かべて立っていた。

 

「モ…モスティマさん!?」

「君たちも元気そうで何よりだ」

 

声を上げたバイソンに、モスティマは微笑む。同じく驚きの表情を浮かべたテキサスは、一時的に剣を下ろした。

 

「…なぜここに?」

「ボスに来るよう言われてさ」

 

「…あの妙なサンクタ人か!」

「チッ、そこをどけ!!」

 

ガンビーノはテキサスを放置し、モスティマに切りかかる。その獣のような勢いは並大抵の者では捌けないだろう。しかし──、

 

「…何…!?」

「少しは冷静になろうよ。ここで意地張っても、お互いに得るものは何もないでしょ?」

 

そのナイフを、モスティマは視界にも入れずに止めた。ガンビーノは更に力を込めるが、その黒い錫杖はびくともしない。

 

「あ、あいつ、ボスの攻撃を受け止めた…!?」

「違う!アレはアーツユニットだ!ボス、気をつけてください!そいつは術師です!」

 

「…お前のようなサンクタは見たことねえ。いや、サルカズか?お前は一体何なんだ?」

「みんな、変わりないようでよかったよ。前にあった時からだいぶ経つよね?」

「ナメてんのかテメェ!?」

 

ガンビーノの問いかけに答えることなく、懐かしむモスティマ。それに激怒したガンビーノは滅多矢鱈にナイフを振り回す。

 

「ほんまにいつ以来なんやろ?一ヶ月?一年?」

「毎日が充実してるからね〜。時が流れるのは早いや」

「……四年と三ヶ月だよ、モスティマ」

 

憂いを帯びた表情で、モスティマを見るエクシア。久々の友との再会に、懐かしさと共にじんわりと心に染み渡る嬉しさを、彼女は確かに感じていた。

 

「おや、じゃあ本当に久しぶりだ」

「──っ」

「その顔はやめて。君がそんなシリアスな表情をしていたら病気かと思ってしまうからね」

「ちょっと!これ感動の再会じゃ──危ないッ!モスティマ!!」

「死ね!」

 

自分の行動に茶々を入れるモスティマに抗議をしようとしたエクシアは、モスティマの背後から迫るカポネに気付いた。しかしその手に持った矢は、何なくモスティマの首筋に──。

 

「大丈夫。私には頼りになるナイト様がいるからね?」

「──誰がだ」

 

その時、カポネの腹部に強烈な衝撃が走る。イラの勢い任せの蹴りが、何の抵抗もなく突き刺さった。声を上げることも出来ずに吹っ飛ばされるカポネ。

 

「お前わざと反応しなかったろ。心臓に悪いから止めろ」

「ありがと。…やっぱりごんも私の事好きじゃないか。さっきは人目がつくから嘘ついただけだったんだね、いじわる」

「はぁ?いや待て、俺は──っと」

 

顔を赤らめたモスティマに眉を顰めて反論しようとしたイラであったが、マフィア達に囲まれその口を噤む。

その様子を見たペンギン急便の面々には戸惑いが流れていた。

 

「あの二人、知り合いだったの?」

「いや、知り合いにしては仲良しすぎやない?何か距離が近いと言うか…嫌、モスティマはんが一方的に近づいてると言うか…」

 

ソラとクロワッサンは揃って首を傾げ、二人の関係を探ろうとする。

 

「…確かに気になるが、まあ良い。後で聞けば済む。とりあえず私達は敵の数を減らすぞ。エクシア──エクシア?」

「…………」

 

テキサスは、エクシアの様子に異変を感じる。いつも騒がしいエクシアが、神妙な顔で虚空を見つめていた。その眼は、どこか、濁っていて──。

 

(何で、あの二人は知り合いなの?仕事先でたまたま会った?いや、それにしては関係が親密すぎ…。というかモスティマのあの顔、どう考えてもあたしと──)

 

 

 

『ああ、ごんさんとは初めましてですね』

『教えてもらったんですよ、彼女さんに』

『──やっぱりごんも私の事好きじゃないか』

 

 

 

(──まさか)

 

 

 

「──い、おい!エクシア!!」

「あ…」

 

はっとその声の方を向くと、そこには心配そうにこちらを見る相棒の姿があった。

 

「大丈夫か?」

「う…うん!大丈夫!ぱっぱと片付けちゃおっか!」

 

慌てて銃に弾を込め、にこやかに笑う。しかし、その笑いは仲が良い者からすれば、とても歪なもので──。テキサスは、まるでつぎはぎのような笑顔から、つい目を逸らした。

 

 

 

 

「大丈夫…大丈夫…。ぜったい、そんな事ない…大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──あっぶね!?おいモスティマてめえどこ見てアーツ出してんだ!掠ったんだけ──ぶっ!?」

「あー、てがすべったー」

 

あたしはモスティマの胸元に引きずり込まれたイラを見る。…イラの力なら簡単に離れれるのに、それをしないのはどうして?銃身がブレた。

 

「どうやら私のアーツは君のことが大好きで仕方ないみたいだね。ほら、アーツは主に似るってよく言うし」

「造語やめろ!あと離れろ苦しい!」

「振り解けば?前みたいに泣く私にしたみたいにさ…?」

「ちょ、お前それは反則──」

 

あたしの時より言葉使いが荒くなってる。あたしにも全然砕けた感じで良いのに。照れ屋さんだなぁ、イラは。あたしの重心がブレた。

 

「クソ、舐めてんじゃねえぞガキども──ガッ」

「…煩いな。邪魔だ消えろ、今本当に本当に良いところなんだ。何年待ち侘びたか、この幸せな時を──もう、絶対離さないからね?ごん。一生私と旅しよ?お願い」

「ちょっともうヤダこいつ!!だ、だれか、誰でも良い!!…そ、そうだ!テ、テキサス!ソラ!クロワッサン!バイソン君!エ、エクシ──、……おい。エクシア…?」

 

あれ。呼ばれた?イラが呼んでくれたのかな!よしよし、あたしもここで頑張らないと!いつもやってるみたいに、笑顔で──元気よく!!

 

「どしたの、イラ!こっちはもう終わりそうだよ!」

 

「………?」

 

あれ。なんでそんな顔してるの?そんな──怖い顔しないでよ。あたしどこかへんかな?

 

「──モスティマ。離れろ」

「…いや」

「──今それどころじゃねえんだよ…!!見ろ!」

「わかってるよ。エクシアも多分──。でも嫌だ。私を優先してよ、私だけを見てよ、お願い…」

「え、エクシア…?」

 

テキサスの声が聞こえてくる。あれ?どうしたの?テキサスのそんな顔、初めて見たよ。怯えちゃってるけど何かあった?マフィアのみなさんも、どーしたのー?

 

道の端で砕けたガラスにひとつの顔が映り込む。そこには、無表情の人間の口を無理やり引き上げたような笑みで、黒い目から液体を流している、かわいそうな女の子がいた。

 

 

…あ。これってあたしか。

 

 

 

 

「エクシアッ!!」

 

 

低い声につられて、その方向を向くと、こっちに向かってくるあたしの好きなひと。なんとなく、両腕を広げて待ってみる。後ろのモスティマの顔は、まるで小さい子供が親と別れるような表情をしていた。おそろいだね。

 

そして──その力強い腕に抱かれたその時──砂嵐が、あたし達を襲った。




イラ そろそろ殺されねえかなコイツ
モスティマ 友達の異変にいち早く気づきながらも抱きしめるのを辞めなかったマジ病みキチ。でも好きなんだからしょうがないね
エクシア 明るい子はその分影が濃い
テキサス 相棒の見たことない顔に鳥肌が立ってしまったことに罪悪感を覚えてる。良い子だね
ソラ、ワッサン、バイソン ひぇぇ
マフィアの方々 ふぇぇ


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喧騒の掟 4

ローグライクの進め方分からなくて結局画中人に逃げてるやついる…?画中人も「ゴリ押しでいけるやろ」って慢心してボロボロになってるドクター、居る!?
居ねえよなぁ!!(涙)


「うおわあ!?」

 

突如発現した砂嵐に巻き込まれたイラとエクシアは路地裏から吹き飛ばされる。エクシアを抱きしめながら転がるイラは、もう片方の腕で、地面に指を突き立てた。ずん、と重い音が響き、その五本の強靭な指は勢いを止めるブレーキとなる。しかし流石に二人分の体重は辛かったのか、鈍い痛みが彼の指を襲った。

 

「痛っ……!」

(す、砂嵐が急に足元に現れやがった…!どうなってんだ!?)

 

イラはその現象に驚愕する。間一髪で気がついたから良かったものの、あの砂嵐に巻き込まれていたらと思うとぞっとする。局所的な現象、これは間違いなくアーツだ。じゃあ、誰の──?

 

「エクシア、大丈夫か?」

 

ひとまずイラはそれを考えない事にした。腕の中に居る赤髪の少女へ声をかける。

 

「……うん」

 

しかし明らかにエクシアの様子がおかしい。いつもより数段声のトーンが低くなっている。心ここに在らずといった表情で、イラを見つめていた。

 

「エクシア…?どうしたんだお前?何か変だぞ」

「変?そうかなぁ…そうかもねー」

 

へらへらと笑うエクシアに、どこか寒気を覚えるイラ。お互いの密着した体温は高いはずであるが、ひとつ何か行動を間違えれば絶対零度に襲われる。そんな予感が彼の脳裏によぎっていた。

 

「ぁ…いや、俺の勘違いだったら、良いんだ。うん」

「モスティマと恋人だったんだね」

「…え?」

 

突然のその言葉を聞き呆気に取られる。何を急に言っているのか。

 

「いや、恋人じゃねえよ」

「嘘つかなくていいんだってー。もうばれてんだから」

「本当に違──」

「ダイジョーブ!あたしから見てもモスティマとイラはほんとにお似合いだと思うからさ!だから──」

 

その時、イラはエクシアの瞳を覗いてしまう。その真っ黒な瞳は見るもの全てを呑み込むかのようだった。それは、まるで、昔の蒼い堕天使のような──。

 

「お、お前──」

 

「だから、もう、あたしは──」

 

 

「てい」

「あった!」

 

 

その口が開かれようとしたその時、いつの間にかエクシアの背後に立っていたモスティマが、赤い頭頂部に手刀を繰り出した。

 

「君のその人の話を最後まで聞かない所は、長所でもあり短所でもあるね」

「モ…モスティマ…」

「……」

 

エクシアは目を見開き、彼女を見上げる。そしてすぐさま、ばつが悪そうな顔をして、未だ抱きついていたイラと距離を置く。

 

「ご…ごめん、モスティマ!今離れたから…」

「エクシア、ちょっとだけ──話そうか」

「あ…!」

 

怯えた表情のエクシアの手を引っ張って、モスティマは少し離れた所へ歩く。それを見たイラは、思わず手を伸ばすが──。

 

「…」

「──っ」

 

モスティマの視線を受け、その手を力無く下ろしてしまった。それを見てモスティマは満足げに笑み、二人は近くの建物へと入っていった。

 

 

「…どうやらテキサスさん達とはぐれちゃったみたいですね…」

「──ああ…」

「イラさん。今は落ち込む時じゃないです。大丈夫ですよ、さっき会ったばかりですけど、モスティマさんは仲間に危害を加える様な人じゃないと思いますから……」

「──うん…。ごめんね、心配かけて…。──バイソン君はしっかりしてるなぁ…。今何歳?」

「え?あっと…十六です」

「十六!?凄いなあ!十六でそんなしっかりしてんのか!?俺が十六の時はまだ責任感のせの字も無くて──」

 

 

 

 

 

薄暗い建物に入った二人は、対照的な態度を見せていた。モスティマは、微笑を浮かべエクシアを見つめており、対してエクシアは、体を震わせながら必死に目を合わせまいと俯き、落ち着かない様子だ。安魂祭の淡い光が、彼女らを照らす。

 

「──ふう。困ったものだね?今日は安魂祭だっていうのに、楽しめる時間も無い。あ、でもキミたちは慣れてるか。龍門は毎日が刺激的だもんね?」

「……」

「…うーん、キミがそんなに静かだと、こっちが調子狂っちゃうなあ…。どうしたの?」

 

未だに目を合わせないエクシアに困った様子で問いかけるモスティマ。どうしたものかと頭を捻り出したその時、エクシアの口が開いた。

 

「…モスティマ、心配しなくても大丈夫だよ」

「…」

「あたしがイラの事狙ってるとか思ってるでしょー?なわけないない。あ、でもイラの事を悪く言ってるわけじゃないよ?誤解しないでー!」

 

わたわたと冗談っぽく手を振り、エクシアは弁明をする。

 

「そもそも親友の恋人さんを狙うとか人としてどーなのって話!…あ、あたし天使だった!あはは!まあ恋のキューピット的なね!」

「……」

「何かイラとデートしたいとかあったらあたしに言ってよ!セッティングは任せて!!」

 

忙しなくそこらを歩き回り、捲し立てるように話す。まるでそれは自分を勢い任せに振り回しているかのようだ。からっぽな足音が建物内に響いた。

 

「ちゃっちゃとあのマフィアさん達を懲らしめないとねー!そんじゃ、早く行こ──」

 

「エクシアはイラの事が好きなんでしょ?」

 

数刻、時が止まったと錯覚するほど、辺りは無音に包まれた。

 

「…だから、違うって──」

 

 

 

 

「──本当にエクシアはそれで良いの?」

 

 

 

いつの間にか、モスティマの顔から笑みは消えていた。無感情な目がエクシアを中心に捉える。蛇に睨まれた蛙のように、エクシアの動きは止まった。

 

「……それで良いも何も、それが正しい事の在り方なんだから、しょうがないでしょ」

「………ふぅん。──そっか。まあ、じゃあ、応援しててよ、私たちのこと」

「──」

「さ、戻ろっか。あんまり待たせるのもアレだしね」

 

モスティマが踵を返す。その振り返る直前の目は──どこか、失望の色が混じっていた。それにどこか心が反応する。しかしエクシアは必死にそれを否定しようとした。

 

(──大丈夫。これが一番良いの。モスティマとイラが幸せで、あたしはそれが幸せ。うん、それで、それだけで──)

 

 

 

【オイコラ待てや破茶滅茶天使ィ!!今日という今日はひっとらえてやっからなぁぁぁ!!】

 

【お前さあ…危ねえ事あんまりすんなって。お前が怪我したら他の人が心配するんだからな?…俺?俺もするよ、当たり前だろ】

 

【何かあったらすぐ言えよ。俺が絶対駆けつけてやるから。…あ!でも飯奢れとかは無しだからな!?この前みたいには行かねえからな!!】

 

【エクシア。お前が何を考えてんのか分かんねえ。けど──俺はお前を信じるから。だからまあ…あんまり溜め込みすぎんなよ】

 

 

 

 

 

 

「────やだ」

 

「うん?」

 

その小さな呟きに、モスティマが振り向く。彼女が目の当たりにしたのは、涙を大量に流しながらも、苦しそうにこちらを見つめる、赤い天使であった。

 

「──あたし、イラの事好きなの」

「……」

「ごめん、ごめんなさい…だけど、だけど、これだけは譲れない…!」

 

謝りながらも、その目はモスティマを見据えたままだった。エクシアは拳を握りしめ、想いを吐露する。

 

「あたしの初恋、なんだ。だから、別にイラに付き合ってる人が居ようがどうでもいいの。あたしが塗り替えば良いんだから。イラがモスティマよりあたしを見るように頑張る。それで万事解決じゃん…!だから、だからさあ──モスティマ。

 

イラ、ちょーだい?」

 

 

その心の底から楽しそうな笑みを浮かべたエクシアに、モスティマは自分の額に冷たいものが伝う感覚を覚える。

 

(昔から変な所で我慢するタイプだったけど──今になって爆発する?厄介だなあ…)

 

ラテラーノでも、普段は他人に甘えたがりで自分の欲求任せに動いていた。しかしムードメーカーである彼女は、人一倍人の顔色を見る。あまり友好関係を結んでいない人物にはわざと自由奔放に振る舞うが、気の知れた友人には、その友人が一番幸せになる行動を進んでする性格の持ち主であった。

そんな彼女が、初めて自分に牙を向いた。その事実に、モスティマの口角も知らずと上がっていく。

 

 

「でも──あげるわけには行かないな」

 

「だよねー……。──でも、もうあたしは止まらないよ。火をつけたのはモスティマ、キミなんだから」

 

苦笑を浮かべながらも、エクシアは先程までの空虚な表情ではなく、力強くモスティマを見つめる。それに応じるかのように、モスティマも再び不敵な笑みを浮かべた。

両者が一歩ずつ進む。二人を邪魔する者は何も無い。今、天使と堕天使が、誰も知らぬ廃墟の中で、ぶつかろうとしていた。二人の距離が拳二個分までに縮まった。その場の緊張が限界を迎えたその時──。

 

 

「────だからさ、共有しようよ」

 

 

モスティマが、あっけらかんとした声色でエクシアに笑いかけた。

 

「……共有…?」

「そ。私とエクシアでイラを囲もうって話」

 

共有という言葉に眉を顰めるエクシア。解き放たれた独占欲は、イラを自分以外に触れさせるという行動に抵抗があった。

 

「どういう事?モスティマだってイラを渡したく無いんでしょ?何でそういう話になるのさ」

「まあね、確かにそうさ。本当だったら彼の髪の毛一本も他の女に触れさせたく無いし見せたくも無い。けど、今ここで争ったとしたら私にメリットが無さすぎる」

 

モスティマは、その場を歩き回りながら語りかける。

 

「まず、私とキミが戦ったら、どちらかが必ず致命傷を負うよね。それに勝った方もタダでは済まないはず。──まあ、戦ったとしても私は絶対に負けないけどね」

「………」

「でも、それを彼は望まない。自分より他人を優先する彼にとって、私たちが争ったなんてことがあれば、大きなショックを受ける」

 

ぴたり、とモスティマはそこで止まり、エクシアの方を向いた。

 

「──つまり、距離を置かれるのさ。『ああ、こいつは俺がいるからこんな事をしたのか。なら、俺が離れれば済む話だ』ってね」

「──っ」

「分かってくれたようで何よりだよ」

 

モスティマはにんまりと笑う。それとは対照的に、エクシアの顔は苦虫を噛み潰したような表情だった。確かにイラはそうするだろう。自分達の気持ちを分かってない癖に、彼はさもこれが正しいだろうと言った顔で最悪の道を選んでしまう。簡単に言えばアホなのだ。

 

「……でも」

「それに」

 

しかしまだ完全には納得していない様子のエクシアに、モスティマは畳み掛けるように声を被せた。

 

 

 

「私たちは親友でしょ?喧嘩したくないな、私は」

 

「…………」

 

 

 

その真っ直ぐな感情をぶつけられたエクシアの心からは、今度こそ抵抗という二文字が無くなった。はあ〜、とエクシアは大きなため息をつく。

 

「…ずるいよ、モスティマは」

「ずるいよ、私は。知ってるでしょ?」

 

そう言って、モスティマはエクシアに手を差し出した。一瞬何の事か戸惑ったエクシアだったが、すぐにその意図を察して差し出された手を握った。

 

「…あ、追加でテキサスも入れても良い?あいつもイラの事好きなの」

「…………………………まあ、良いよ」

「すっごい悩んだね!?」

「いや、別にテキサスのことは嫌いとかじゃなくて、ただ人が増えるのはなあ…って」

「ああ、だいじょぶだいじょぶ!──三人で頭打ちだよ。もうこれ以上増やさせないから」

「あははは、それもそうか」

 

薄暗い建物の中を、二つの光輪が照らしていく。それは神秘的で、どこか妖しい雰囲気を醸し出していた。

 

 

 

「モスティマ」

「ん?」

「ありがとう」

「──キミがそんな雰囲気だと、やっぱり調子狂っちゃうね…」

「ちょっと!それ酷くない!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でな?ただ俺が通り過ぎた女の人の落とし物を拾って届けただけでアイツはどうしたと思う?」

「ごくり…」

「『勝手に他の女の物を拾う手は要らないよね』って言いながら追いかけてきたんだよ…。そこから文字通り地獄の鬼ごっこが始まってさ…」

「ええ……」

 

ゲンナリとした表情で肩を落としたイラの話を聞きながら、バイソンはそのエピソードにドン引きする。ボーイズトークは割と盛り上がっていた。

 

「でも、本当に意外でした。あんな飄々としたモスティマさんと、恋人だっただなんて……」

「私は『だった』なんて思ってないけどね」

「──いいっ!?」

 

いつの間にか戻ってきたモスティマの顎がイラの頭に乗る。悪戯が成功した子供の様に微笑む彼女にイラは鳥肌が立った。

 

「おい、エクシアは?」

「あたしならここだよ、っと!」

「うわ…!?」

 

その声と同時に、イラの腕が突然柔らかいものに包まれた。それを見ると、エクシアがこちらを見上げながら抱きついているではないか。イラはひとまず彼女が帰ってきた事に安堵の息を吐く。

 

「お、おう、大丈夫だったかエクシア?コイツになんかされたらすぐ言えよ」

「ひどいなあ。ごんは私の事何だと思ってるの?」

「悪魔。あと今の俺の名前はイラ。ごんはやめてくれ」

「はーい」

 

心外だと言うように目を丸くするモスティマを一言で切り捨てるイラ。その流れを見たエクシアはくすりと笑った。

 

「ふふ、大丈夫だよ。むしろあたし的にすっごい良い話だったから!」

「え?あ、そうなの…?」

「うん。とっても」

「何でそんなに疑うのさ。恋人失格だよ?」

「元をつけろ元を。もう監禁されるのは懲り懲りなんだよ。…えっと、じゃあそろそろ離してくれねえかエクシア?」

「え?何を?」

「腕だよ。くっついてたらなんか、その、不味いだろ。風紀的に」

「…!ふーん?なーんにも悪くないと思うけどなぁあたしは!ほら、まだまだイケるって!」

「あ、ずるいエクシア」

「あ、おい……!?」

 

やんわりと腕を離そうとするも、それに比例して抱きついている力を益々上げていくエクシアを見たモスティマは、負けじとイラの後ろから首に腕を回す。

 

「ち、ちょっと…!ば、バイソン君!助けてくれ!」

「モスティマさんは、このテラという大地にある国全てに行ったことがあるんですか?」

「まあ、大体はね。羨ましい?」

「ええ。まあ…普通のトランスポーターには、そんな機会はありませんから」

「え?急に無視?」

 

「あはは──ん?」

 

だんだん自分の扱いが雑になってきていることに辟易としていると、突然モスティマがイラから離れる。

 

「…──じゃあ、みんな。申し訳ないんだけど、私は先に──」

『ええ?また?』

「……私は自分の行方をくらますタイミングをよく把握できてると思うんだけど?」

「……お前それ本気で言ってんの?」

「キミにとっては、ただの数時間だったかもしれないけど、あたしにとっては──…まあ、良いや!帰ってきたらご飯奢ってよ!絶対ね!」

「──はいはい」

 

子供の様に声を上げるエクシアに苦笑しながら、モスティマはその場から離れて行く。

 

「……おい」

「──んっ!?どうしたのご…イラ!」

 

その時、イラがモスティマを呼び止めた。先程まで邪険に扱われていたのもあり、それに過剰に反応してしまう。爛々とした眼光を見たイラは一瞬たじろいだが、ため息を吐きながら口を開いた。

 

 

 

「……気をつけろよ」

「────」

(あ、無理)

 

 

 

その瞬間、モスティマはアーツを使用。強化された肉体は、空気を切り裂きながらイラの懐へ入り込み──。

 

 

「──んんんんん!?」

「ん…ふっ……!」

 

 

その唇へ、己の唇を重ね合わせた。何かもがいている様だがまあ、気のせいだろう。それより自分のこの胸の疼きを鎮めてもらわなくては。あっちがその気にさせたのだ、責任は果たして貰わねばならないだろう。モスティマはお互いの足を擦り合わせ、より絡みつく。ふと、二人の観客を横目に見る。

 

「う…!」

 

まだ女の『お』の字も知らない少年は、顔を赤面させながらもじっとこちらを見続けている。少し恥ずかしいが、ここは大人として未来ある若者の教科書になってあげなくては。そう思い口内に送り込む唾液の量を増やして行く。…さっきからじたばた、じたばた、鬱陶しい。今最高の時を過ごしているのだ。大人しくしろ。そう思うと自然に手がイラの首に届く。そしてそれを万力の様な力で締め上げた。すぐに大人しくなってくれた事で、より疼きを感じてしまう。

 

「………………」

 

そしてもう一人の観客は、何やらご立腹の様だ。眼光だけで人を殺せそうなほど、鋭い目をしてこちらを瞬き一つもなく見つめている。その口端からは少し涎が滲んでおり、今自分が喰べている極上のディナーを狙っているのだろうか。

 

(でもごめんね、彼からのご指名なんだ)

 

その事実で思わず優越感に浸ってしまう。名前を呼ばれて、身を案じてくれる。どこからどう見ても仕事に行く伴侶を誘っているじゃないか。回りくどいのは相変わらずだ。だから親友よ、そんなに手を握り締めては行けない。ほら、血が出てる。君の柔肌に傷が付くなんて、悲しくなるではないか。

しかし仕事は仕事。メリハリをちゃんとつけるのが、良い女というもの。そう思い、十数秒イラの口内で舌を暴れさせた後──名残惜しいが、ちゅぽん、と言う音と共にその口を離した。

 

「がっがぁ──!!」

「……あ」

 

思わず喜色に塗れた声が出る。見ると、お互いの口に、透明な銀の糸の掛け橋が出来ているではないか。なるほど、そう言う事か。

 

「おかわりって事?んもう、私は今から仕事なんだけど…しょうがないなあ、じゃあ、後、一分…いや、十分…だと、ちょっと足りないか。一時間ヤろっか?我儘だなあイラはじゃあ行くよ早く目閉じてよ」

「──モスティマ」

 

また青の天使が、哀れな狐を捕らえようとしたその時、エクシアが声を発する。

 

「イラ、すごい苦しんでるから。やめて。今すぐ」

「はあ?そんな事な──」

「げっっほッ!が、がひゅー…!ひゅー…!」

「──あ…あれ?」

 

喉を抑え苦しむイラを見て、首を傾げる。

 

「大袈裟だってー。まあ久しぶりだからしょうがないか」

「ひゅ…て、テメエ…マジで、ぶ、ぶん殴っほっげっほ」

「……ま、まあ。これで私の言いたいことは分かったでしょ?私は大丈夫。すぐに皆の元に帰ってくるさ。それじゃ!」

 

 

言うや否やモスティマは風の様に闇へと消えていった。残されたのは恨めしげに消えていった方を睨むエクシアと、頬を赤くしたままのバイソン、そして呼吸を必死に整える不憫な男であった。




イラ ただ心配しただけなのに殺されかけた男。因みにこれをどこぞの隊長と副隊長が見たら本当に話が終わる。
エクシア 闇堕ちしたと思いきや堕天使に救われてまた闇堕ちした。
モスティマ 久しぶりにできてご満悦。ヒロインに対するイラの好感度ワースト一位。理由?見ればわかるやん。
バイソン あーおぼっちゃま!困りますおぼっちゃま!あーおぼっちゃま!おぼっちゃまおぼっちゃま!!


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カドヤさんに勝ちたい!(コラボ回)

『ヤンデレって怖いね(小並感)』の作者様である、狼黒様とのコラボ回です!!時間をかけてしまって本当に申し訳ございません…。キャラの性格があってるかめちゃくちゃ心配で何度も書き直してしまってこの様です。こんな私とコラボしてくださり、本当にありがとうございました!!
アークナイツの世界観に合ったクソデカ愛情たっぷりの傑作小説は、コチラ↓
https://syosetu.org/novel/278549/


「ロドスが女の子を保護した…?」

 

快晴が広がる昼。龍門近衛局にて、俺はチェン隊長からその情報を聞かされる。まあ、前職関係無しに誰でも迎えるロドスなら保護しても疑問には思わないんだが…。

 

「記憶喪失?その子がですか?」

「…ああ。何でもその少女を見つけたオペレーターによれば、全身傷だらけで死んだような目を向けていたらしい。まるで感情を抜き取られたように」

 

チェン隊長は疲れたように目頭を揉む。レユニオン関連でこっちも手一杯なのに、また新たな問題が起こったことに疲れているのだろう。

 

「今ホシグマが身元を調査している。…しかし、彼女にとっては身元受取人は現れない方が良いかもな」

「……虐待って事ですか」

「──落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない」

 

思わず拳に力が入る。傷だらけって言うのが、そこらを彷徨いてできた傷ならまだ良い。だが、それが身内で引き起こされる、頻繁に起こる暴力によるものであれば──。

 

「彼女は感染者では無いからな。その可能性は低いだろう」

「──そう、ですかね」

 

隊長はそう言うが、一回気になってしまえばどんどん気になるタイプの俺の頭の中は、すぐにその少女の事でいっぱいになる。すると隊長が、深々とため息を吐いた。

 

「はぁー……だから言いたくなかったんだお前には。何をさせようとしてもその事で頭が回らなくなるだろう」

「あぁ、いや…すみません」

「はぁ…」

 

とは言われたものの、それが俺のサガのようなものなのだから仕方がない。どうしてくれよう、この気持ちは…。

そう頭を捻っていると、執務室のドアが開かれる。そこに居たのは、書類を持ったホシグマ副隊長であった。

 

「失礼します、隊長。龍門での聞き込みの情報を纏めました」

「分かった。あー…そうだな、おい、イラ」

 

突然の指名に驚く俺をよそに、チェン隊長はホシグマ副隊長から受け取った書類を俺に押し付けた。

 

「お前がロドスに渡して来い。そしてその心のわだかまりを消して来るんだな。お前がそんなだと、こちらも仕事が手につかん」

 

 

 

 

 

 

 

と、言うわけで来ました。ロドス。ドクターに書類を手渡して、俺は案内された部屋の前で深呼吸をする。そして、静かにドアを三回叩いた。

 

「──どーぞー」

「失礼します」

 

そこに居たのは、病的に白い肌をした可憐なサンクタの少女であった。その子は俺を見るときょとん、とした目でこちらを見つめる。

 

「ありゃ?健診じゃないの?」

「あ、失礼しました。自分は、龍門近衛局遊撃隊隊長の、イラと申します。本日は少し──カウンセリングというか、そんな感じで…」

 

肩書きが長いなー、と笑いながら、少女は座っていたベットから立ち上がり、俺の目の前までしっかりとした足取りで歩いてきた。そしておもむろに俺に手を差し出す。

 

「私はカドヤ。それしか分からんけど、まあよろしく」

 

差し出された手を握る。その手は、鉄のように冷え切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…倒れていたところをロドスの職員が保護。そこから今に至る…か」

「おーん」

 

そんな謎の返事を発した彼女──カドヤさんは、ロドス艦内にて発見されたという。もちろんロドスに所属しているわけでもなく、ロドス関係者でもなかった。

部外者の彼女が何故、厳重な警備をされているロドスのど真ん中で見つかったのか。ドクターはそれを調べているようだ。

 

「それに加えて、正体不明のアーツユニット…?」

 

カドヤさんが倒れていた側には、腰に巻くような形状のアーツユニットが落ちていたという。解析班に回しているが、未だ結果は出ていない。ロドスの技術を持ってしても解析できないアーツユニット。一体何なのか。色々と気になる事はあるが、俺が今一番聞きたいのはそれじゃない。

 

「…カドヤさん、えと…体、痛みますか?」

「あー…大丈夫かな?うん、大丈夫大丈夫」

 

不器用に笑うカドヤさんに、俺は詰め寄っていく。絶対嘘だもん。

 

「嘘でしょ?その顔は絶対に嘘でしょう?流石の俺でもわかりますよさあ話してくださいどこが悪いのかさあさあさあ」

「お、落ち着けぃ…わかったよ、話すから」

 

そう言いながら俺を足で押し返す。咳払いをし、カドヤさんは口を開いた。

 

「──といっても、わかんないんだよね。私痛み感じないんだから」

「……え?」

 

その言葉に、俺の思考が停止する。

 

「何か医者によれば、細胞が再生と破壊を繰り返しすぎてなんたらかんたら〜みたいな感じなんだってさ。だからどこが傷ついてんのか自分でもよく分かってないんだよねー」

 

彼女が何を言っているのか、理解できなかった。細胞が再生と破壊を繰り返すだって?じゃあ、それじゃあ、保護される前の彼女は、誰に何を──。

 

「……い、おーい、大丈夫?」

 

はっと思考の渦から意識を取り戻すと、そこには怪訝そうな顔をしながらもこちらを心配するカドヤさんの姿があった。

 

「すっごい怖い顔してるんだけど…え、私なんかした?」

「いや、すいません。少し──考え事を」

「ふーん…。あのさ、そんな気にしなくていいからね?私も気にしてないし。生きてるだけでも幸せモンなんだからさ」

「は、はい……」

「やっぱそういうの考えてたのね」

「あ、いや…その…」

 

けらけらと笑うカドヤさんだが、俺はあまり上手く笑えない。そんな俺をよそに、カドヤさんは差し入れの果物の皮を剥く。

 

「気にしすぎだよ、気にしすぎ。たかが痛み感じないだけで」

「たかがなんて…!」

 

まるで他人事のようにそう呟くカドヤさんに、思わず声を荒げてしまった。何でこの人はこんなに平気でいられるんだ…!

 

「『たかが』さ。どんな怪我、病気、感染症、性病。それらだって源石病よりかはマシって世間も言うし。ひどいもんだよねぇ。自分達に脅威があるものだけメディアで取り扱って、それら以外は全部無視。そりゃ源石病で切羽詰まった状況なのは分かるけど、ちょっとは目を向けてくれても良くない?」

「それは──」

「ん、ああ、別にキミを責めてるわけじゃないよ。そりゃお巡りさんだって情報社会は取り締まれないさ」

 

俺が言い淀んでいると、カドヤさんはベットから跳ね起き、部屋にあった椅子に座って果物を食べ始めた。

 

「うわ、味無いグミみたい。…まあ良いや、ビタミンビタミン」

「──味覚も、無いんですか」

「うん。それよりさ、色々世間話しようよ。私の記憶障害って、全部が全部忘れてるわけじゃ無いタイプのやつだからさ。情報を擦り合わせとこうぜ」

 

自分の身に異変があっても、それを気にせず普段通りに話す。ある人から見ればそれは、他人に心配をかけないための美しい自己犠牲だと言う人もいるだろう。だが、俺が感じたものは──底知れぬ恐怖と、それを上回る哀しみだった。

 

 

 

 

 

 

 

「んー…私が知ってる常識と世間の常識はほぼあってるみたいだねー。やっぱ私自身の記憶かぁ…」

「ま、まあ、日常の中で急に思い出す事もあるかもしれませんし…」

「そやねー、気楽に待とう」

 

そうやって伸びをするカドヤさんは、満足げに頷いた。…見た目は可愛い少女なんだけど、なぜか話せばそうは思えないというか…割と男っぽいというか…なんなんだろうか。

 

「イラはさー、なんで近衛局に入ったん?」

「なんで…ですか。──俺は最初は入る気は無かったんです。けど、俺の夢を叶えるのに一番近衛局が適していたって感じですね」

「夢?」

「はい。世界平和です」

 

間髪入れずにその答えを口に出す。すると、カドヤさんは何かを言いたそうに顔を顰めた。

 

「それは──」

「無理、ですか?」

 

その言葉に、苦い顔をしながら頷くカドヤさん。まあそれはそうだろう。源石。これがもたらしてきた弊害は数知れず、そして永く続いている。領土の取り合い、難病の発見、そして源石病による差別。これら全てに共通する事といえば、戦争だった。

 

「色んなものを見てきました。源石病に罹った子が乱暴され、その親が乱暴した親の子を殺す。そしてまたその親族が殺しに行くなんて無間地獄。源石が与える恩恵欲しさに、強欲な権力者は次々と領土を拡大していきました。──その地にいた先住民を殺して。そんな時、俺は何も出来なかった。何も、知らないままだった」

「………」

「俺はね、正直源石病とかどうでも良いんです。病人か病人じゃないかとか関係無く、ただ子供が泣いているのが本当に嫌なんだ。未来ある彼らが、腐った大人たちの手にかかって、それを見た子供が何も知らないまま腐っていく。そんなの──あんまりじゃないか」

 

自然に手に力が入る。

 

「…でもさ、絶対にそれら全部は救えない。そんなの、理想なんじゃないの?」

「理想でも、それを言わないと始まらないじゃないですか。だから俺は笑われてもこの夢を大事にしていきたいんです」

 

そう言い切ると、俺は一息つく。…少し喋りすぎて、喉が渇いた。そばにあった飲料水を一飲みして喉を潤す。

 

「…キミは──」

 

 

カドヤさんが何かを言おうとしたその時、俺の携帯が鳴り響く。画面を見ると、チェン隊長からの着信であった。

 

「はい、もしもし──」

[出動だ。3番街の倉庫で凶悪犯グループが居るとの通報があった]

「──分かりました、すぐ行きます!」

 

通話を切り、すぐに荷物をまとめて出て行こうとする。

 

「じゃあ、俺はこれで!」

「…待って!」

 

ドアの取っ手に手をかけようとしたその時、カドヤさんが俺を呼び止めた。

 

「キミの夢は叶わないかも知れない、それでも行くのかい?」

「はい!!」

「──」

「いってきます!」

 

俺の返事にまだ何か言いたそうにしていたが、それに構わず俺はドアを一息に開け、勢いのまま飛び出した。

 

 

 

 

 

「…即答ねえ」

 

部屋に残されたカドヤは嘆息する。自分は記憶を無くした人間だ。今まで会ってきた人を忘れていたとしても、あれだけ素直な人物は他にいないだろう。

 

「まっすぐだねえ。今のご時世、風変わりというか…」

 

あれだけ一直線な性格では、この先苦労が絶えないだろう。しかし──。

 

(……でもまあ、世界を変えてくのは、あーいうやつなのかも知れんなぁ…)

 

カドヤはベッドに戻り、再び横になった。

 

 

 

 

 

 

「急に何だコイツ…!?ぐああっ!!」

「近衛局のナンバースリーだ!遠距離から──ぎゃあ!」

「大人しく捕まっとけ!痛い目見たくねえならな!」

 

現地到着した俺は、応援を待たずにすぐさま突撃。倉庫には無数の暴漢どもが居た。左から来るやつの顔をぶん殴り、右からくる奴らをまとめて吹っ飛ばす。だが道が開けたのは一瞬で、すぐに人の黒い波が目の前を塞ぐ。

 

(クソ、数が多いな…!やっぱ隊長達待てば良かったか…?)

 

内心で舌打ちしながら敵を捌いていく。あまりにも数が多い。隊長みたいに大勢を一網打尽にできる術を俺は持ってない、タイマンなら余裕なんだけど──!

さらに、俺を焦らせる要因──そして、俺が隊長達を待たずに突入した最大の理由。それが──。

 

 

「んー!んーーー!!」

 

 

人質であった。

年はまだ12くらいだろうか。口に布を噛ませられ、瞳を潤ませながらこちらに叫びを上げている。

 

「──どけ!」

 

それを見た瞬間、体中の血液が熱くなる。怒りと共に、俺は人海の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

場所は変わり、ロドス艦内。医務室で眠りから覚めたカドヤは喉の渇きを覚え、机の上のペットボトルに手を伸ばした。

 

「…ありゃ、空か」

 

しかしペットボトルの内側には水滴がちらほらとついているだけ。カドヤはベッドからのそりと起き、備え付けのスリッパを履く。

 

「確か──自販機はっと…」

 

医務室のドアを開け、ふらふらと歩いていく。…因みに彼女は、自身が一銭も持っていない事に気づいていない。

 

「お、あったあった…」

 

廊下の突き当たりにお目当ての自販機がある事に息を吐き、そこに向かっていく。と、その時。

 

 

「──イラー?おーい、イーラー!…あっれー?居ないのかなぁ」

「来てるって情報はあったんだけどね…っと、ごめん、大丈夫?」

 

 

横から現れた女性二人組の一人とぶつかってしまった。不幸だなー、と鼻を押さえて、自分も謝るためにその人物を見上げる。

 

「あー、ごめんごめん。私の注意不足だ、った………」

「…?どうしたの、君。そんなに痛かったかな」

「モスティマ〜、注意しなってば。ごめんねウチの連れが!ほら、立てる?」

 

バチン、とどこか頭の中で何かがはまる音が聞こえた。私はこのサンクタとサルカズに見覚えがある。青と赤、大切な、幼なじみ。私は──。

 

 

「……思い出した」

「え?」

「ん?」

 

 

ぽつりと呟いたその言葉は、二人には聞こえなかったようだ。未だに心配する二人の顔を見て、くしゃっとした笑顔で笑いかける。

 

「ごめんね、モスティマ、エクシア」

「…?うん、こっちこそ」

「じゃ、私は行くわー。お二人も気をつけてーい」

 

カドヤは来た時より足早に歩き去っていった。その背中を見て、エクシアは首をかしげる。

 

 

「あれ?あたしたちの名前、なんであの子知ってるんだろ」

「…さあ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉらぁ!!」

 

迫り来る暴漢を殴り飛ばす。吹き飛んでいった暴漢は奇怪なオブジェとなって壁にめり込んだ。

 

「…ふう」

 

残りの敵は──二人。一人は人質の子を盾にしてオドオドしてるが、問題はもう一人。さっき倒した奴らとは服装が違う。どこか豪華な衣装に身を包んで、俺を笑いながら見つめていた。

 

「──流石だな、龍門近衛局ナンバースリーさんよ」

「あ?」

「俺の名はディアー。レユニオン共より優れた感染者反乱軍のトップに立つ男だ」

 

そいつ──ディアーは、訳のわからんことを言ってのけた。何を言っとるんだこいつは。そんな考えはすぐに隅に置き、この現状を打破する対策を練っていく。

 

(距離はおよそ五メートル…全力ダッシュしてあの子回収できるか…?)

「…まーた面倒臭いやつが出たな。近衛局は今そのレユニオンで手一杯なんだけど」

 

とりあえず今は、人質に危害が及ばないように──。

 

「レ、レ、レ!レユニオン、と!オレたちを!一緒に、するなよ!!」

「んん゛っ!!」

 

その時突然、オロオロしていた男が何の脈絡もなく人質の子の髪の毛を引っ張り、癇癪を起こした様に振り回す。

 

「ジェクト。そこまでにしとけ──」

 

 

 

 

 

「やめろ」

 

 

 

 

 

溢れ出る衝動が思わず口に出ていた。見ると、ジェクトと呼ばれた男は青く顔を染め、滝の様に汗を流している。ディアーも引き攣った笑みを浮かべているが、額には冷や汗が滲んでいた。

 

「その子を解放しろ」

「…そいつぁ出来ねえ相談だな。解放したらアンタ、俺たちの事どうする気だ?」

「………」

「ひ、ひ、ひっ…!」

 

その質問に沈黙で返す。その俺の顔を見て、ジェクトは微かに悲鳴を上げた。…こいつらは何が目的なんだ。人質を取ったのなら、俺が突入した時点でそれを盾にしても良かったはずだ。俺はそれを予想して、奪取するつもりだった。しかし、なぜこいつらは人質を見せびらかすように…?

 

「本題に入ろうか、近衛局のイラ。お前──俺たちの仲間になれ」

「……………は?」

 

目の前の男は本当に何を言ってるんだ。脳味噌に源石でも生えてんのか?

 

「お前のその人外じみた力はこの龍門の中でも頭一つ抜き出ている。お前が俺たちの仲間になれば、レユニオンにも、近衛局にだって負けるこたぁねえ」

「…まず聞きたい事がある。感染者反乱軍団とか言ってたが、なぜ似たようなレユニオンに入らなかった?」

 

そっちの方がメリットが多いだろう。装備も、仲間も、一から作るより、元々集められてある軍団の方が合理的に効率的に活動できるはずだ。

その俺の質問にディアーは拳を握り締めながら、口を開いた。

 

「…俺のアーツは、物体を圧縮するアーツだ。元々は俺もレユニオンに居た。親にも疎まれてきた俺は、仲間が出来て喜んださ。…最初はな」

「……」

「だが、奴らは俺を仲間だとは思っていなかった。来る日も来る日も、俺に炭素を握らせ、俺のアーツでダイヤモンドを作らせる…俺は、奴らの資金源だった」

 

…だからちょっと前の奴らの装備が潤沢になってたのか。こいつがダイヤ売って、それで装備を調達する…。今のご時世宝石なんか欲しがるやつもいんのかよ。

 

「だからレユニオンを抜けた。そこにいるジェクトも、不満がある風だから連れてきた」

「…なるほどな」

「さあ、無駄話が過ぎたな。そろそろ返事を聞こうか」

 

その言葉に俺は内心舌打ちをする。まだ来ねえのか応援は。時間稼ぎはもう限界だぞ…!

 

「ちなみに、断ったら…?」

「そのガキを殺す」

 

ジェクトは人質の首に手をかけ、俺をじろじろ試すように見ていた。…仕方ないか。

 

「──分かった。お前らの仲間になるよ。だからその子を離せ」

「いや、それもダメだ。どうせお前、人質を解放した瞬間に俺たちを殺る気だろ?」

「だ、だ、から。こい、こいつは、一生!お前の、枷にす、、る!仲間に、なって、も!妙な、うご、動き!をした瞬、間に。こ、この、が、ガキを殺す殺す殺す殺す殺す」

「んんーっ!!」

「ゲス野郎が……!!」

「ああ、因みに応援とかは期待しないほうが良いぜ。今頃残りの連中かが近衛局を足止めしてっからなぁ」

(用意周到じゃねえかよクソが…!)

 

どっちにしてもあの子の未来は無いに等しいじゃねえか…!…もう、やるしか無い。全力で、突っ走って彼を回収する。それしか道はない…!

 

「…分かったからそうカッカすんな。今そっちに行く…」

「へっ、交渉成立だな?」

 

気づかれないよう、足に力を込めていく。一直線で駆け抜ける、一直線で駆け抜ける、一直線で──!

 

 

「──よ!!」

「まあそうくるだろうなぁ!ジェクトォ!」

「あーーーーー」

 

 

ドン!と地を踏み鳴らし、飛ぶように距離を詰める。しかしそれを見越していたのか、ディアーの指示でジェクトは不気味な声を上げながら俺に手を向けた。

しかしもう遅い。俺の伸ばした手は、人質にたどり着く──。

 

「ーーぁあ!」

 

その時、俺は見た。ジェクトの空いた手のひらから何かが超スピードで飛んでくるのを。その何かが、無防備な俺の身に着弾するのは、当然のことで──。

 

「ぐあ、あああ!!」

 

俺は情けない声を上げながら、人質の側に転がり込んでしまった。

 

(な…なんだ…何が、飛んできた!?)

 

脂汗を滲ませながら痛みの走る太ももに目を向ける。そこには、およそ一センチ弱ほどの穴が、八個ほど生まれていた。

 

「なんっ……!?」

「ああ、そういや紹介してなかったな。こいつのアーツは無機物を超高速で射出する能力。まあ、念能力みてえなもんだな」

「あひゃ、ひゃひゃひゃひゃ!」

「今こいつが飛ばしたのは、俺が作ったダイヤだ。それが相手の体めがけて、ズドン!お前は貴重な戦力になるからな、チマチマやらねえとうっかり壊しちまう」

 

そう言って、ディアーは俺の太ももを踏みつけた。

 

「ぐああああっ!!」

「愚かだな。大人しく俺たちの仲間になっていれば、こんな目には合わなかった…。──ジェクト」

 

突如ディアーは、ジェクトに顔を向け、その凶悪な顔を歪めさせた。

 

 

「そのガキの腕、へし折れ。そうすりゃあ、こいつも大人しくなるだろ」

 

「な……!?」

「んんーっ!んーーー!!」

「あぁあーい……」

 

泣き叫ぶ人質の腕を持ち、ジェクトは徐々に力をこめていく。

 

「おいやめろ!!」

「てめぇには教えといてやらねえとな。未来の上司はやると言ったらやる男だっつー事を」

 

止めようとするも、足に力を込められ痛みで思うように動けない。そして、ジェクトは笑いながら人質の腕を──。

 

「んん゛ーーっ」

「やめ──!」

 

 

 

 

「ほいっと」

 

「ギャアアア!!」

 

腕が折られるその瞬間、何者かが猛スピードでジェクトの横腹を蹴り飛ばした。きりもみ回転しながら勢い良く吹っ飛ぶジェクト。

 

「な…なんだ!?」

「あ、貴女は…!」

 

ディアーと俺は驚きの表情で乱入者を見る。ディアーはまだしも、俺にとってその人物は、ここにいる事があり得ない人物だったのだ。

 

「──カドヤさん!?」

「おいっすー」

 

その人物──カドヤさんは、この戦場に似つかわしくない呑気な声をあげて俺に手を振った。

 

「チッ、応援がもう来やがったのか…!…いや、お前近衛局じゃねえな?どこのモンだ!」

「な、何でここに…。危険だから、その子連れて下がって!」

「うーむ、二人一気に言われてもどう答えれば良いのか分からんな」

 

何を呑気な事を…!その場の雰囲気とミスマッチした物言いに、思わず歯噛みしてしまう。

 

「イラ、大丈夫?無事…じゃなさそうか」

「あ、はい…じゃなくて!早く逃げて──」

「…オイ、俺を無視してんじゃねえぞクソアマが…!ジェクトォ!いつまで寝てんだ起きろ!」

「あ、あ、あ!」

 

その怒号で意識が飛んでいたジェクトも慌てて起き上がる。その様子を、カドヤさんは目を細めて見つめていた。

 

「その身のこなしは只者じゃねえ。態度は悪いがな。どうだ、俺の仲間にならねえか?」

「…仲間?何、何すんの」

「レユニオンより優れた反乱軍を作るのさ。今はまだ規模は少ねえが、これからでかくなる」

「ふーん……」

 

両手を広げ、自分の思想を高らかに宣言するディアー。そんな彼を、カドヤさんは、無機質な目でじっと見る。

 

「で?」

「…あ?」

「で?レユニオンを追い抜いたら、どうすんの?」

 

その言葉に、場が静まり返る。

 

「どういう意味だ…」

「レユニオン潰して、感染者の指示もレユニオンより集めて。で、どうすんの」

「決まってんだろ!感染者の同胞達を増やして、いずれ世界に俺たちの名を轟かすんだ!」

「あのさ」

 

「さっきから聞いてたら、それさ。レユニオンの真似してるだけじゃん」

「………は?」

 

言ってる意味がわからないというように、ディアーは口をぽかんと開けた。

 

「お前はレユニオンを敵視してるみたいだけど──事情を知らない私から見ても、お前のやってることはレユニオンとてんで変わらない」

「……てめえ」

「いや、レユニオンより酷いね。あっちは感染者を救うって名目で戦ってるけど、お前はレユニオンより優れたいっていう何とも無価値な目的でこんな事してるんだから」

「──黙れッ!俺の夢を笑うなぁッ!!」

 

顔を真っ赤にして、ディアーはその太い腕を振り上げ、カドヤさんに向かって走る。不味い──!

 

「カドヤさん!避けて──」

「よっ…と」

 

俺は、いや、カドヤさん以外の奴等が全員目を見開く。それは、小柄な体格のカドヤさんが、突進してきたディアーの攻撃を手に持った剣で防いでいたからだった。

 

「何…!?」

「俺の夢を笑うな、か。そんなんで怒るなんて、さぞ自信が無いんだ──ねっと!」

「うっ…!」

 

その剣を振り払い、ディアーとの距離を取らせたカドヤさんは、人質の子の縄を切り捨てた。そして、横たわる俺の姿を見て──気さくな笑みを浮かべた。

な、なんだ…?

 

「──これは知り合いの話なんだけどさぁ…そいつは、まあ街を守る警察官なのさ」

「…?てめぇ、一体何の話しやがる?」

 

ディアーとジェクトが首を傾げる中、俺はその人物に心当たりがあった。

 

「そいつの夢──『世界平和』なんだって」

「──ハァ?」

(俺だーーーーー!!!)

 

俺じゃん、それ。さっき話したことじゃん。何でさぞ知り合いじゃ無い感じで喋ってんのさカドヤさん!

 

「ハッ、何を言うかと思えば──無理に決まってんだろ、そんな馬鹿な事。源石があるかぎり、この世に平和なんぞ訪れねえ、あるのはただ──死のみだ」

「──っ」

 

思わず声を上げようとしても、痛みで大きな声が出せない。……カドヤさん、多分こいつらを説得するつもりなんですよね!お願いしますよ、俺の夢で、こいつらを改心させてやってください! 

 

 

 

「だよねぇ…」

 

 

 

(嘘だろ!?)

 

まさかのそっち側!?俺は思わず目を見開いてカドヤさんの顔を見る。その表情は、純粋な笑顔一色であった。

 

「私もその時、無理だって言ったんだよ。そんなのただの理想だって。でもね──。そいつはそれを、笑って受け入れて、それでも意見を曲げなかった」

「──」

「本気の目をしてるんだよ。そいつはその理想のために、今自分の目の前の不幸を幸せにするんだって、本気で言ってた。馬鹿って思うでしょ?もうちょっと他にいい案あったろーに」

 

カドヤさんは腹を押さえながら爆笑する。…そ、そんなに笑わなくても…。

 

「──けどさ。私はそいつの夢を聞き終わって、『出来ない』って思わなかったんだ。ああ、こいつならやれる──そう感じちゃったんだよねえ…」

「──何が言いたいんだ、ガキ」

 

 

 

 

「いんや?ただ、お前の夢よりかは素敵で──叶えられそうだなって、思っただけだよ」

 

「──!」

 

その表情は、とても哀しく、それでいてどこか強かなものであった。

 

「おかしいよね…お前の夢の方が断然簡単なのに、どーも私はそっちの夢が先に叶うと思うんだよね」

「──てめぇ、何なんだ…!散々俺様をコケにして……!!何処のモンだ!!お前はァ!?」

 

その言葉を聞き、それに答えるように──または、自分の存在を確かに感じる為のように。静かに、カドヤさんは呟いた。

 

 

 

「通りすがりのサンクタさ、覚えておけ」

 

 

 

「あ゛ーーーーッ」

「うわっと!」

 

その言葉と共にジェクトが周囲の木材をカドヤさんに飛ばす。それをステップでかわしたカドヤさんは、俺の横にやってくる。

 

「おまたせ〜」

「ちょっとカドヤさん…!いくらなんでも笑いすぎですってぇ…!」

「ごめんごめん、ちょっとあいつに格の違いを見せつけたかっただけなの。夢の格の違いを」

「ああもう…!」

 

そんな会話をしていると、不意にカドヤさんが辺りを見回す。

 

「…ねえ、もしかしてさ。倒れてる人たち、殺してないの?」

「当たり前でしょ…!世界平和が夢なのに殺人なんかできませんって…」

「…起き上がってきてんだけど」

「え゛」

 

そう言われて俺も周囲を見渡すと、確かにチラホラ立ちあがろうとする奴らが現れていた。…さっきの木材が壁に激突した音で起きたか…!?

慌てて俺も起きあがろうとする。

 

「──っとと…!」

 

しかし、ダメージがまだ残っており、カドヤさんに寄りかかってしまった。カドヤさんは俺の足を見てため息を吐く。

 

「あのさぁ…その足で戦うつもり?」

「あー…まあ、そこは気合いで。根性だけが俺の取り柄なんで!」

「お前さんは一直線というか、馬鹿というか…はあ」

 

そう言ったカドヤさんは、腰に巻いた謎のアーツユニットを操作する。

 

『アーツライド パフューマー』

 

「ちょっとくすぐったいよ」

「え?」

「おら、足こっちに向けい」

「あ、はい…?」

 

言われるがまま、足を差し出す俺。すると、どこか嗅いだことのある花の優しい香りと共に、徐々に俺の足にできていた傷が塞がって行く。こ、これって…?

 

「パ、パフューマーさんの治癒アーツ…!?」

「お、正解」

「な、何で使えるんですか…!?」

「まあそれはあとあと。今はやる事があるからね」

 

そう困ったような笑みを浮かべたカドヤさんは、再び剣を構え周囲に目を配って行く。そ、そうだった、俺もやらないと──!勢いよく立ち上がり、俺はカドヤさんの横にならんで構えを取った。

 

「私がデカブツとキモいやつやるから、残り頼める?」

「──おっす!!」

 

「舐めんじゃねえぞ──!てめえら!ぐちゃぐちゃにひねり潰せぇ!」

「お、おお。お、女、殺す、殺す殺」

 

そのディアーの怒号と共に、反乱軍団たちが一斉に襲いかかってくる。それと同時に走り出す俺たち。俺は無数の暴漢達に。そしてカドヤさんはディアーとジェクトに。

 

といったものの、隊長の訓練を日々耐えている俺にこいつら相手に苦戦する事は恐らく無いだろう。だから早々に片付けて、カドヤさんの加勢に行きたいんだけど──。

 

「よっと、はっ、やっと」

「う、うぅ…?」

「クソ、ちょこまかしやがってこの女!」

 

ディアーの突進を交わしその横腹に軽く蹴りを入れ、その勢いで前転してジェクトが発射した物体を回避する。そのしなやかな身のこなしに奴らは手をこまねいている様子だった。その光景に思わず目を奪われてしまう。

 

(あの動き…少なくとも俺より場数は超えてる気がする…。何者なんだ、カドヤさんは…?)

「何余所見してんだよ!」

「ん?」

「グヘェ!」

 

振り向きざま裏拳を放ち、向かって来た男を吹き飛ばす。…とりあえず俺はこっちに集中だな。再び気を引き締め、俺は残りの暴漢たちに構えをとった。

 

 

 

(意外とやるなあ、イラ。…いや、さっきは人質がいたからあのパワーを出せなかったのか…?)

「テメェ、どこ見てやがる!」

「おっと」

 

カドヤは迫り来る両の手を回避し、その勢いでディアーの腹に強烈な回し蹴りを叩き込む。その衝撃を受けたディアーは、数メートルほど後退しそこで膝をつく。

 

「掴まれたら圧縮されて腕が使い物にならなくなるからね、そりゃ当たらんようにするさ」

「ゲハ…ッ!──ハァ、ハァ…ちっ、ジェクトォ!」

「…あ あ あ!」

 

その呼びかけに、ジェクトがポケットから取り出したのは、大量のダイヤ。じゃらり、とこぼれ落ちるほど存在するダイヤを見て、カドヤは口を大きく開けた。

 

「え、それ全部使っちゃうの?もったいな…」

「すばしっこいテメェを殺るなら、こんくらいしねえとな…!?」

「こ、殺す…!引きずり、殺す!」

「ふーん…でも良いの?今私にそれ撃っちゃうと、お仲間さんに当たるんだけど…」

「必要な犠牲だ、奴らも本望だろうよ」

「……」

 

カドヤは目を細め、何かを口にしようとして──やめた。何かを言ったとしても、この仲間の命を何とも思わないゲス共にはどうせ聞こえないだろうからだった。

ゆっくりと腰を落とし、前屈みの姿勢になる。その脚には並々ならぬ力が迸り、今か今かとその放出を待ち構えていた。そして──。

 

「やれ、ジェクトォォ!!」

「ぁぁぁあーー!!!!」

「────」

 

両者が動き出す。ジェクトが放つ無数の煌びやかなダイヤモンドは、凄まじい速度で発射される事で凶悪な殺傷能力を得る。広範囲にばら撒かれた事でカドヤに起こせるアクションは少ないはず。ディアーはカドヤが回避するだろうエリアに向けて、走り出す。

 

(上に飛んでも移動手段は無い。ここに逃げ込むことは確実──。そこを俺のアーツで押し潰してやる)

 

ニヤリと勝利を確信し、ディアーは掌を構える。…確かに、彼の作戦は的を得ていた。だが、それは敵の前提が通常の人間であることがまず求められる。彼女は──カドヤは、それに当てはまらなかった。

 

 

「──ふっ」

「な…!?」

 

 

迫り来るダイヤモンドを一瞥し──、そのまま加速。思わぬ展開に、ディアーの足が止まる。

 

(と、トチ狂ってんのかこいつ!?普通は回避するだろ、避けようとするだろ!?)

「ま、こーゆーのはもう慣れっこだし」

 

困惑するディアーの表情を見て、一人ごちるカドヤ。痛覚が感じないその身体で、被弾覚悟の特攻。彼女の思考が叩き出した、極めて有効な戦術がそれだった。カドヤは心臓と頭を腕でカバーし、そのダイヤモンドの弾幕と衝突する──。

 

 

 

 

「あっ──ぶねぇぇぇ!!」

 

「──は!?」

 

 

 

その直前、横から猛烈な勢いで跳んできたイラがカドヤを突き飛ばした。二人の慣性は止まることなく、地面へとダイブする。砂埃を上げて転がったカドヤは、手に持った剣を地面に突き刺してその勢いを殺し、自身の服を汚した本人を睨みつけた。

 

「……ちょいちょい、どういうつもり?何で私の邪魔してんの」

 

その鋭い威圧感をものともせず、イラは腰に手を当てながら立ち上がった。

 

「…あ痛ってえ…!じ、邪魔って、そんな…」

「お前さんが横槍入れなかったら、今頃あいつらはやれてた。お前さんもそんな痛い目見なくて済んだのに…何がしたいのさ」

「う…た、確かに、そうかも知れません…。けど、けどカドヤさんが傷つくじゃないですか…」

「──え?」

 

その言葉に呆気に取られるカドヤ。そんな彼女を、イラは決意を込めた目で見つめた。

 

 

「俺の夢は世界平和です。そんなこと言ってる奴が、目の前で人が傷つくのを黙って見るなんてあり得ない。…か、勝手な事してすみません。だけど、これだけは嫌だというか、なんというか…」

 

 

しかしすぐに申し訳なさそうにするイラを見て、カドヤの心の中の苛立ちが消え──。

 

「──ぷっ、はははは!!」

「え、えぇ…?」 

 

突然大笑いするカドヤを逆に呆気に取られながら見るイラ。ひとしきり笑った後、カドヤは涙を拭いながら頷く。

 

「ふー…。…あー、そうだよね…。お前さんはそういうやつだもんね…」

「あ、はい…すみません」

 

 

「──悠長にお話なんていい度胸だなぁ!?」

 

 

その言葉にイラとカドヤが振り向くと、自分達に向かって飛んでくる木材らが目に入った。お互い別方向に転がり込み、それを回避する。

 

「…あれだけいた部下がこの短時間で全滅か…。ますます欲しくなるぜ、イラ」

「……やめてくんねえかな、気味が悪い。愛が重てえ奴は俺はノーセンキューなんだ」

「……え?でも君…いや何でもない」

 

記憶が戻るきっかけの彼女らを思い出し、カドヤは口に出かけた言葉を飲み込んだ。そして、不敵な笑みを浮かべる。

 

「イラ、今から大技出すからさぁ!──時間稼ぎ頼むわ♡」

[アーツライド エンシオ]

「え、あ、ちょっ!」

「──ッさせるか!」

 

その言葉を聞いたディアーは走り出す。二人でも手に余る実力の持ち主に、大技を出させるわけにはいかない。その華奢な体を圧縮させようと、両手を突き出すが──、間に入り込んだイラが、その手首を掴み取った。途端に鳴り響く何かが軋む音。その異音は、ディアーの手首から発されていた。

 

「──ぐぅう……っ!!」

(な、何だこの馬鹿力…!?さ、さっきまでとは、比べ物にならねえ…!)

「あーーーーっ!!!あ、あ、!」

「──!?ば、バカ、ジェクト!今射出するな!俺に当たっちまう──!」

 

汗をかきながらジェクトが放った石や木材などが、取っ組み合いをしている二人の元に吸い込まれていき──。

 

「…よっと」

「がぁあ!!」

 

ディアーの巨体を、イラは軽く持ち上げ盾とした。背中を襲う激しい痛みに、ディアーは悲鳴を上げた。

 

「チームワークがなってねえな!フレンドリーファイアなんて三下がする事だ!!」

「イラ、行ける!」

 

その時、カドヤの声が背後から聞こえたイラは、獰猛にディアーに笑いかけ、声を張り上げた。

 

「お願いします!カドヤさん──!!」

「──そぅら!!」

 

 

[ファイナルアタックアーツライド 真銀斬]

 

 

(………ん?)

 

 

そんな音声が流れたと同時に、辺りの空気が冷たく、鋭くなっていく。そしてイラの耳が捉えたのは、何かが高速で空を斬ってこちらに飛んでくる音。恐る恐る背後を振り返ると──10センチほど。眼前に銀色の斬撃波が迫って来ていた。

 

 

「うわあああ危なああああ!!!」

 

 

命の危険を感じたイラの体は、反射的にしゃがみ込み、それを回避する事に成功。しかし、突然の事にディアーがついて来れるはずもなく──。

 

「ぎゃあああああ!!」

 

その斬撃をモロに浴びてしまい、吹き飛ばされ、壁に激突して意識を失った。それを遠く離れた場所から見ていたジェクトはすぐに背を向け、逃げ去ろうとした。

 

「は、ひひはひ、はっ!?」

「逃すか…!」

 

それを見ていたイラが、しゃがみながらも地面に拳を打ち付けた。すると床は紙のように裂け、逃げの第一歩を踏み込もうとしたジェクトの足のバランスを乱していく。

 

 

「──────あ」

 

 

 

ジェクトが最後に見た景色は、鮮やかで、なおかつ非情な程の銀色一色だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、ありがとうございました。本当にカドヤさんが来てくれなかったら、あの子は…」

「まあまあ、気にしんさんな。たらればの話はやめよーぜ」

 

頭を下げるイラに、苦笑しながらも手を振るカドヤ。それを受け、イラは倉庫の隅に目を向ける。そこには、縄で縛られ今もなお気を失っているディアー達一味の姿があった。

 

「…殺さないでくれたんですね」

「加減しなかったらすぐ打てたんだけどねぇ、もし殺したらお前さんになんて言われるか心配で心配で」

 

その言葉に思わず笑みが漏れる二人。しばらく笑った後、イラがふと、疑問を口に出す。

 

「そういえばカドヤさん。どうやって記憶が治ったんですか?」

「え?あ、ああ…なんて言えばいいのか…ショック療法というか」

「?」

 

その言葉に首を傾げるイラ。更なる追求をしようとしたその時だった。

 

 

「「──っ!?」」

 

 

突如カドヤの背後の空間が歪んだと思いきや、それが展開していき、カドヤを待ち構えるようにゆらゆらと揺れ始めた。まるで、それは銀色のカーテンのようで──。イラは警戒体制をとったが、カドヤはそのカーテンをじっと見つめていた。

 

「……あー…。イラ、これ大丈夫なやつ」

「だ、大丈夫なやつ?」

 

「うん。私、ここに帰らないといけない」

 

「──そう、ですか」

 

突然のその言葉に、イラも構えを解いてカドヤを見つめる。帰る、という言葉の意味がいまいち納得できなかったが。

 

(まあ、色々規格外なこの人の言う事だし…問題はない…と思いたいけど)

 

ゆっくりと歩き出すカドヤに、イラはもう一度だけ声を掛けた。

 

「カドヤさん!」

「…ん?」

 

「──ありがとうございました!!」

「……うん。頑張れよ、夢のために」

 

悪戯な声色とは裏腹に、その表情は──とても爽やかな笑顔だった。カドヤはカーテンの手前でこちらに向き直り、新たな言葉を紡ごうとする。

 

 

「お前さんなら────」

「み つ け た」

「え」

「え?」

 

 

その時、イラは見た。カドヤの背後──銀色のカーテンから、無数の手が生えてくるのを。その腕が、カドヤを二度と離さないように抱きしめたのを。

 

 

「い、いやちょっと待って今本当感動のシーンっぽい感じだったぁぁぁぁぁぁ────」

 

 

そんな情けない声を上げながら、カドヤはカーテンの奥に引き摺られて行った。イラはあまりの突然の事に、ぽかん、としていたが、徐々に顔を真っ青に染め上げ、尻餅をついた。

 

「ゆ、幽霊…!?」

「突入!!」

「ヒィッ!!」

 

ぽそり、と呟いた直後に入口から力強い声が聞こえ、悲鳴を上げるイラ。そこに声の主であるチェンが駆け寄って来た。

 

「──すまない、イラ!時間をかけてしまって──イラ?」

「た、た、隊長!!カ、カドヤさんが!幽霊に!!」

「な、何をいきなり…!いやまあ離さなくていいが、一生。どうした。まずは落ち着け!カドヤとは誰だ!」

 

イラがチェンの手を握り締め、震えながらも口を開ける。

 

「今朝の話の少女ですって!あ、あの子が──!」

「…?待て、今朝?今朝は私とお前は会えなかっただろう」

「…………え?」

 

その言葉に、イラは自分の耳を疑った。

 

「──とりあえず、話は後だ。落ち着いて、ゆっくり話せ。カドヤという者について。お前と、どんな、関係なのか」

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お互い苦労するね、イラ」



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喧騒の掟 5

モスティマと別れた後。エクシア達はテキサスを探しに、そしてイラはジェイ達を探しに別行動を始めた。エクシアは離れることに異議を申し立てたが、イラの必死の説得で事なきを得た。

 

「──つっても、やっぱり上から探すしかないよな…」

 

先ほどの様に建物を飛び越えながら辺りを散策する。しかし今度こそ手がかりは無く、しらみつぶしに探すしかない。路地裏の細部まで目を凝らす。

 

 

(もう、失いたく無いんだ──早くしねえと)

 

 

イラは静かな決意と共に、その足に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

「ああ、ここに居た。やっと見つけたよ」

「お主は…」

 

街の端の路地裏。モスティマがそこで見たのは、紫色の服を着た身なりの良い老人が、砂に囲まれながら歩いていく姿だった。老人はモスティマの声に反応してそちらに振り向く。

 

「さっきの、どういう事?」

「なあに、ちょっとした思いつきじゃよ」

「思いつきの割には随分と派手だったけどね。ペンギン急便もあの場にいたし。無理して力振り絞っても待ち構えているのは腰痛だけだよ」

「ほっほ。お主はワシがそれほどまでに力を使ったとでも思うのかね?」

 

にこやかに笑う老人に、モスティマは目線を逸らして頬をかいた。

 

「そ…。なら──少なくともその殺気をしまってくれないかな?面と向かって話すのが怖いよ」

「おや、すまんの」

「…何かあったの?」

「──何、少し言う事を聞かない操り人形がおってな。責務に忠実な魚団子屋を誤って傷つけてしまった。ただそれだけじゃよ」

 

(それだけ、ねぇ…?)

 

それだけ、というのであればその顔を歪ませる必要なんてないだろうに。モスティマは心の中で深く息を吐く。

 

「…これらの状況って、貴方の想定内ではないの?例えば──ペンギン急便とマフィアの衝突の収束が付かなくなるのを防ぐため、自分の手で彼らを懲らしめられる口実を探した、とか」

「……このお嬢さんがあのアホペンギンの元におるなんて、本当勿体無いのう…」

 

惜しむように頭を振る老人に、苦笑で答えるモスティマ。

 

「──だが、惜しいな。もう一つあるんじゃよ」

「もう一つ…?」

「…『壊し屋』の矯正といった所…かのう」

「──ッ!」

 

その言葉を聞いた瞬間、モスティマは目の前の老人の首元にアーツユニットを当てる。いつも掴み所のない笑顔を浮かべている筈の彼女は、温度のない無表情でその老人を睨みつけていた。

 

「ごんに何するつもり?」

「…悪い事はせんよ、ただ少し力の振るい方を教えるだけじゃ」

「……」

 

モスティマは歯噛みする。目の前の老人は自分の考えを最初から全て教えはしない。今教えられた情報も、それが全てなのか、はたまた他の意味があるのか──。モスティマにはまだわからない。

 

「──お主は知っているか。三年前に起こった事件を?」

「…」

「龍門の街や建物を滅茶苦茶に破壊していき、その惨状はまるで、小さな天災が通り過ぎていったようじゃった。しかし──その跡を見ると、()()()()()()()()()()()が多々残っておった。故に、この事件は後に歴史にも残る、『人災』と呼ばれるようになった…」

 

老人は息を吐く。

 

「あの馬鹿龍の元にその身一つで乗り込み、五体満足で捕らえられたというのは、褒めるべきか恐れるべきか……」

「──ちょっと待って、ごんはそんな事してたの?」

「おや、知らなかったのか。何事をも掌握しておるお嬢さんが、珍しい」

 

驚きの表情を浮かべるモスティマに、くっくと喉を鳴らす老人。その姿を見て、モスティマはアーツユニットをゆっくりと引っ込めた。

 

「──知らないよ。知らないのが一番嫌なんだ。彼の苦しみを、知らないで終わらせたくなかった。だけど──はーあ、何でこんな風になっちゃったんだろ」

「…?」

「…実はね。私はその事件が起こる直前に、彼の龍門襲撃を止めようとしたんだ」

 

足元の小石を蹴りながら呟くモスティマ。先程とは正反対に、老人がその言葉を受けて驚愕の表情を浮かべていた。

 

「でもダメだった。どれだけ彼の時を遅くしても、彼の時間を止めても、彼は一つの『感情』だけでそれらを背負い込んで龍門に向かったのさ。しかも私に酷い言葉を向けてね。ほんと、踏んだり蹴ったりだったよ」

「──待て、つまり──あやつは、お主のアーツで自身の時を遅くされたその状態で、龍門をあそこまで陥れたということか──!?」

 

目を見開き、冷や汗を垂らす老人。それに力無く笑い、モスティマはその場から足を進ませる。数歩ほど歩き、そこで思い出したかのように立ち止まった。

 

 

 

「そうそう、彼を試すのは良いけど──あまりやりすぎない方がいい。じゃないと、またこの街が終わっちゃうよ」

 

 

 

彼の『憤怒』という感情でね、とモスティマは付け加え、今度こそ闇に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁーっ!!」

「ぐあああ!!」

 

気合の入った掛け声と共に、数人が一気に吹き飛ばされる。その中心では、炎国のカンフーの構えをする、フェリーンの少女──ワイフーが、鋭い目で周囲のマフィアを見渡していた。

 

「チッ、何だあのガキ…!おいお前ら!ガキ一人にビビってんじゃねえ!さっさと全員で──!」

「──おい、よそを見てても良いのかい」

「──グッ!?」

 

攻めあぐねているマフィアに、カポネが指示を出そうとする。しかしそれは下方から突き出された包丁に止められた。

 

「お前──魚屋に偽装してた同業者か。しくじったぜ、お前の事は気にかけておく必要は無いと思ってたのによ」

「…それは誤解なんじゃ…まあ、良いか。今はそういうことにしといてやらぁ」

 

そう言ったジェイは、いつもよりドスが効いた顔つきで、カポネにその獲物を向けた。

一方で、ワイフーはガンビーノと肉弾戦を繰り広げていた。迫り来る剣を受け流し、さらにその勢いで裏拳を放つ。ガンビーノはしっかりと腕でそれを受けるが、勢いが殺しきれずに少し後退りをした。

 

「…お前とあの狼の腕は同等だな。あの鼠王がお前のような隠し玉を持っていたとはな!」

「…何が隠し玉なのか、貴方が何の事を言っているのか、全く分かりませんが。大人しく降伏して私と警察に同行なさい──!」

「ぐおっ!」

 

ワイフーの飛び蹴りが、再びガンビーノを襲った。それを横目で見たカポネが、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「小娘ひとりにひどいやられようだなあ!ガンビーノ!」

「…チッ、お前を殺すのは後回しだ。だが喜ぶのはまだ早い」

 

その時、ジェイの膝にクロスボウの矢が飛ぶ。しかしそれを足を上げる事で回避したジェイは、じっとカポネを見つめた。

 

「…アンタ、隙を狙って不意打ちしようとしやがったな…。ゲス野郎が」

「不義の拳を振るう者に勝機なし。あなた方が傍若無人に暴行を働いた代償、払ってもらいます…!」

 

背中合わせの状態で、ジェイはカポネを、そしてワイフーはガンビーノを睨みつけた。それを受け──ガンビーノは突如、笑い始める。

 

「…ハッ、随分と格好いいこと言うが…。──すまねえな、お前ら二人と、それとあそこの裏切り者。みんなここで死んでもらうぜ…!──野郎ども!ハジキ構えろ!!」

 

その言葉と同時に、ガンビーノの手下が拳銃を構えた。

 

「人海戦術ってわけですか…」

「おいワイフー、こっちもだぜ……」

 

冷や汗を垂らすワイフーに、同じく冷や汗を垂らしているジェイが呼びかける。体術のスペシャリストのワイフーだが、流石に大量の飛び道具には手も足も出せない状況であった。

 

「聞け。お前らの言うボスが引き金を引いた瞬間、正式に決裂となる。お前らも今後ガンビーノファミリーとは一切のつながりは絶たれる。だから手加減はするなよ」

「了解…!」

 

「私たち、完全に板挟みになってますね…!」

「拙いんじゃねえの、これ…。──来るぞ」

 

固まって動くのはまずい。そう思い、二人は一斉に動こうとする。しかしここは狭い裏路地。遮蔽物など存在しなく、まさに袋のネズミであった。万事休す──二人の頭に、その言葉が過ぎった。

 

「死ね──!」

「撃て!!」

 

二つのマフィアファミリーが激突しようとしたその時──。

 

 

 

「……な、何だ!?」

「──板…?いや、ありゃ…車のボンネットか!?」

 

 

 

ジェイとワイフーを遮るように、鋼鉄の板が二枚、音を切り裂いて路地裏の荒れた地面に突き刺さった。そして次に、人影が降り立つ。

 

 

「──旦那!?」

「イラさん!?」

 

「──二人とも、無事か!?」

 

その人影は、イラ。全身汗だくで、シャツは肌に張り付いており、息も荒く二人の肩を掴んだ。

 

「──どうしてここが」

「かけずり回ったんだよ…!心配かけさせやがって…!」

「──すいやせん、だけど──」

「話は後だ、とりあえず今はここから離れよう」

「させると思ってんのか!?あァ!?」

 

吼えるガンビーノに同調し、カポネらも各々武器を構える。先程の相対から、カポネが学んだ事はひとつ。

 

(──真正面からじゃ駄目だ。絶対に勝てねえ。となると、残る手段は……!)

「テメェらあのガキどもを──」

 

人質だ。あの恐るべき力を、こちらに向けないようにすれば──そう思ったカポネは、部下に指示を出した。

 

 

「させるか」

 

 

それを見たイラは、力を爆発させる。二対のボンネットを力任せに地面から引き抜き、カポネとガンビーノ──二つのファミリーに向けて、強引に投げつけた。

 

「うわあああ!!?」

「二人とも、飛ぶぞ!」

「えっ…?」

「飛ぶって旦那、おわ──!」

 

ボンネットが見事命中したのを確認し、イラはすぐさま二人を抱え──飛び上がった。爆音と砂煙が上がり、混乱の渦に巻き込まれる周囲。

 

「落ち着け!先ずは奴らを仕留めるぞ!」

「構えろ!」

 

各々のボスが怒号を浴びせ、ようやくマフィアは混乱から立ち直り、再び銃を構えた。しかし、先ほどまでいた標的の姿は無く、辺りを見回してしまう。

 

「何…?」

「野郎…!逃げ切りやがった…!」

 

この狭い裏路地で、この圧倒的な人数で、圧倒的有利な状況で、逃げられた。その事実が、二つのファミリーのボス達に敗北感を与える。

 

 

(──やりおるな)

 

 

そしてそれを陰から見ていたザラックの老人も、髭を撫でながらほくそ笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「なあ。良くないよ勝手に行動すんのは。分かるでしょワイフーさん?」

「はい…」

「すごい心配したんだからな、本当に。ジェイの気持ちもわかるけどさ、それでお前が怪我したら元も子もないだろ」

「すいやせん…」

 

戦線を離脱した三人は、街路を歩きながら反省会を行っていた。イラの説教を二人が聞きながらとぼとぼ歩く。イラの説教は、怒ると言うよりかは叱ると言ったほうが正しく、そこには自分達に対しての思いやりがあり、二人はより申し訳ない気持ちになっていた。

 

「……反省したか?」

「はい…すみませんでした」

「旦那の言う通りです。俺らが勝手な行動したから、危険な目にあっちまいやした」

 

素直に頭を下げるジェイとワイフーを見て、バツが悪そうに目を逸らして頷くイラ。

 

「……まあ、俺が言えた事じゃないんだけどな」

「え?」

「いや、俺さ。いっつも隊長に勝手な行動すんなって怒られてんだよね…。だから、叱るって事ができないって言うか…。こうやって、君らの行動を頭ごなしに否定するのもなあって……ちょっと情けなく感じて」

「──そんな事ないです!」

「お、おお…!?」

「確かに自分との境遇を合わせた時、その気持ちになるのは仕方ないです。しかし、それでもイラさんは私たちを案じてくれているではありませんか!」

「…本当に情けねえやつぁその情けねぇ部分を隠そうとするもんです。でも旦那はそれを俺らの教訓にしてくれてるんです。それは尊敬すべき所でしょう」

「お、おう…。あ、ありがと…」

 

鼻息荒く詰め寄る二人に、戸惑いながらも礼を言うイラ。年下の子にこんな熱いフォローを受けた事はなかったので、少し嬉しさを感じてしまうイラ。

 

「…でも、もうこれ以上はダメだ。あとは俺に任せてくれ。ワイフーさんも、テスト近いんだろ?ジェイだって仕込みとかあるんじゃないのか?」

「む……」

「そいつぁ…そうですが」

「俺がきっちり奴らをしょっ引いてやるからさ。頼む」

 

そう言って頭を下げるイラを、二人はしばし見つめ──肩をすくめて、ため息をついた。

 

「……分かりました。今回は引き下がる事にします。そんな顔を見せられては何も言えません」

「…俺も。旦那に任せる事にしやす。もともと俺ぁ料理人ですから、荒事は領分じゃねえし」

「お前ら…ありがとな」

 

自分の思いを汲み取ってくれた二人に、心からの感謝を告げるイラ。照れ臭そうにしていた二人だったが、そこでワイフーが手を叩き、ひとつの提案をする。

 

「…でも、今日は安魂祭です。もうそういうことには関わらないので、少しだけ歩いていきませんか?」

「ん…」

 

その言葉に、イラは口に手を当て思考を始める。本音を言えば、すぐに帰ってほしい。マフィアがそこかしこを彷徨いていて、またいつ出会ってしまう可能性は無きにしも非ずだろう。だが、二人はまだ若い。この安魂祭を楽しまずに帰らせるのは、少しイラの良心が痛んだ。

 

「……おっけい、分かった。そこら辺ぶらつこうか」

「!やった」

「いいんですかい?」

 

控えめに喜ぶワイフーとは対照的に、ジェイは目を丸くして訪ねる。それにイラは一つ頷いた。

 

「せっかくの祭りなんだ、今の今まで楽しめてなかっただろ?幸い明日は日曜日でワイフーさんは学校は休みだし、ジェイの屋台も午後からだから…と思ったんだが…」

「ええ、私は構いませんし、この人も構わないと思います」

「なんで俺の意見を代弁すんだよ…」

「…ダメ、ですか?」

「………いいけど」

 

突然始まった青春物語にイラは口角を額まで吊り上げながら考える。

 

(…マフィアのやつらも、流石に一般人が大勢いる広場には居ねえだろ。それに、この二人も率先して騒ぎを起こすような性格じゃねえし…)

 

「もう!じゃあ早く行きますよ!ね、イラさ…うわぁ」

「旦那もコイツにどーにか言ってやってくださうわぁ」

「うんうん、じゃあ行こうか。どうした?そんな顔して」

「「い、いや…別に……」」

 

自分の顔が化け物の様な笑みを作っているとは知らず、イラは二人にドン引きされながらも広場へと向かっていくのであった。



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喧騒の掟 6

エタったと思った?俺も。


「切り尽くす……!」

「はあぁっ!!」

 

a.m.0:38 天候/砂嵐。

龍門市街広場の屋外パーティ会場で、拳と剣が交差する。テキサスの源石剣をワイフーが紙一重で躱し、テキサスがワイフーの拳を受け流すその様を、周囲の野次馬たちは歓声と共に見届けていた。

 

 

 

「………なんでこんなことに…」

 

 

 

その中で唯一、近衛局のナンバー3だけが憂鬱げにそれを眺めていたのだが。

 

 

 

a.m.0:14 天候/砂嵐。

広場に着いたイラたちは思わぬ人物たちと遭遇していた。

 

「あっ」

「お?」

「あ、イラ!」

 

パーティハットを各々被ったペンギン急便のメンバーを見て怪訝そうにするイラ。それとは対照的に笑顔になって駆け寄って来たエクシアに、イラは問いかける。

 

「何でお前らがここに…?」

「んー?わかんない。ボスからの指示だからさ!」

「そのボスは?」

「わかんない!」

「ええ…?」

 

「……イラ」

 

まさか今回の騒動の当事者であろう者からひとつも情報を得る事ができないことに絶望していると、静かな声がエクシアの後ろから聞こえて来た。

その声の主であるテキサスは、スタスタとイラに歩み寄り──。

 

「そい」

 

がばっ、とイラのシャツの中に潜り込んだ。

 

「キャーーーーーッ!!?」

 

生娘の様な声を上げ、イラは不埒な変質者を引き剥がそうとする。しかしいくら力を込めてもびくともせず、さらにシャツ深部までテキサスは入り込んできた。

 

「何してんの!何してんのお前!?」

「甘ったるい匂いで気分が悪いんだ。他ので紛らわせないと吐いてしまう」

「俺のシャツの中で紛らわす意味ねえだろ!てめえ離れろ…!離、力強……」

「ああ、いいぞ。暴れればより濃くなる……ふぅ」

「おまわりさーーん!!ここでーーす!」

 

必死の形相で叫ぶイラをよそに、ワイフーはクロワッサン達へ目を向ける。

 

「今夜の事、知らないとは言わせませんよ──。どうせあなた達が主な原因なのでしょう?」

「一応、主な原因じゃないんやけどね…」

「だとしても、他の人を巻き込んだことは変わりない事実。さらには公共の財産に損失を負わせるなんて、あなた達には龍門市民としての自覚はないんですか?……そこ!聞いてます?」

 

ひと息にその文句を言い放ったワイフーは、未だイラのシャツに住み着いた狼に指を向ける。指し示されたテキサスは首元から顔を出し、それをじっと睨んだ。

 

「何ですか、それ。それが人の話を聞く態度なんですか?」

「オイ、睨まれてる。睨まれてるから離れて」

「…ちゃんと話は聞いている。すまなかったな」

「……本当に人の事をコケにして…!」

 

イラは濡羽色の後頭部越しから見た。怒髪天を衝いたワイフーの表情を。本格的に焦り出すイラは、二頭となった自分の相方に懇願を始めた。

 

「テ…テキサスマジで頼む、ワイフーさんやべえよ。あれ本気で怒ってるやつ」

「ところでイラ──お前はモスティマと言う名前に心当たりはあるか?」

「えっ」

「──あるのか」

 

ぐりん、と体の向きを変えられ、テキサスの真っ黒な目が視界いっぱいに広がる。

 

「えっ」

「さっきは嘘をついていたのか?後ろめたいから隠していたんだよな?」

「えっえっ」

「エクシアから全部聞いたよ。どれだけ私が気が狂いそうになったか分かっているのか?私に相談もせずに共有の道を選択するなんて、随分偉くなったな」

「えっえっえっ」

 

「──いい加減にしてくださいイラさん。私は今冷静さを欠こうとしています」

 

その言葉になんで俺?と宇宙フェリーンになるイラを睨みつけ、ワイフーは声を荒げた。

 

「大体なんですか、貴方にはスカジさんという人がいると言うのにその体たらくは。男ならすっぱりきっぱり断りなさい!」

「イラ、説明してくれ。私は今冷静さを欠こうとしている」

 

「…お、なんだ?痴話喧嘩か?」

「見ろよアレ!ペンギン急便と女の子がイラさんを取り合ってるぜ!」

「また巻き込まれてんのかよイラー!いい加減覚悟決めろー!」

 

 

 

「…めんどくさいことになってきたな。──もういい、キミがそこまで私たちに絡みに来るのなら、実力でかかってこい」

 

そう言ったテキサスはイラのシャツから離脱し、気怠げに源石剣を鞘から抜き放ち、ワイフーに向けた。

 

「…望むところです。私が勝ったら、しばらくは大人しくしててもらいますよ。そしてイラさんも解放してもらいます」

(しばらくなんだ…)

 

静かに構えをとったワイフーの言葉に、バイソンは心の中で突っ込みを入れる。そんな事は梅雨知らず、両者の間の空気が張り詰めて──。

 

「──切り尽くす」

「はああぁっ!!」

 

剣と拳が交差する。

 

 

 

 

「──旦那、大丈夫ですかい?」

「なんでいっつもこうなるんだ…?」

 

体操座りをするイラの背中をジェイは優しくさする。実のところアンタが原因なんですけどね、などと心優しい彼が言えるはずもなく苦笑いで返すことしかできなかった。

 

(…んまぁ、こればっかりは当人が気付く事だからなぁ…気張ってくだせぇ)

 

するとそこにペンギン急便の面々が集まってくる。

 

「…なんかいっつもイラはんのそのちっさい背中見とる気がするわ」

「ふん、まあ当然ですよ。日々日々女の子を取っ替え引っ替えしてるんですから当然の報いです」

「まあまあ!…ジェイさん疲れてるでしょ?私が変わるよ、楽にしてて!」

「はあ…?いや、俺ぁ疲れては…」

「疲れてる、よね?任せて」

「アッハイ」

(怖…)

 

エクシアが嬉々としてイラの背中に取り憑き、頭を撫でていく。

 

「よーしよし、怖かったねー?でも大丈夫だよ、アタシが居るからね。アタシだけが味方なんだからね?」

「エクシア…──お前ってやつぁ、なんて」

「うん。────スカジさんとは何もない?」

「はい」

「よし!信じるよー!ほら、抱きしめてあげる!嬉しい?」

「はい」

 

イラは年下の少女にあやされる事に何も羞恥心など無かった。今彼の心には生き残りたいと言う願望──そのためであれば一時の恥など軽い傷。彼は必死だった。

 

 

[──…イ、…オーイ!安魂夜のパーティにお越しの善良な市民たちー!聞こえてるか〜い?]

「…あ?なんだ?」

 

 

その突然の声は、エクシアの行動を止めるのには最適なものだった。

 

「あれ、ボスじゃん」

「…ああ、エンペラーさんね。…何してんの?」

「さあ?ボスはミュージシャン気取ってるから」

「ミュージシャンなんだけどね…」

 

ソラが呆れたようにそう呟くと同時に、周囲の人々はざわめき出す。

 

「おい、アレエンペラーじゃねえか?」

「嘘だろ!?クルビアにいるんじゃなかったのか!?」

「キャーーッ!エンペラー!!」

 

黄色い声援が集まる中心を見る。かすかに見えたその光景──それは、車の上をステージとし、国民的スターがその小さい羽でマイクを握っていたものだった。

 

「派手だなぁ…それよりこっちをどうにかして欲しいんだけど」

「ボスは放任主義なんだよねー。それに比べてあたしって結構面倒見良いんだよ。子供も好きだしね!」

「ほえー…」

「子供も好きだしね」

「なんで二回言ったの?」

 

能面の様に笑いながら見つめてくるエクシアに怯えながら後退りするイラだったが──。

 

「………ん?」

 

突如その時、イラはどこか違和感を覚えた。

 

「んん?エクシア、なんかおかしくねえか?」

「ええ、ひどいなあ。急にそんな悪口言わないでよぅ」

「違う、流れが…人の流れが、均一すぎる」

 

その時、スピーカーからまたもや声が聞こえてきた。

 

 

 

 

[……やかましいのう、エンペラーさんや。お主の騒音は死人さえも煩くて目を覚ましてしまうぞ]

 

 

 

その声は、エンペラーのものではなく、年季の入った嗄れた声だった。

 

[な──!]

[お主はもう眠る時間じゃな。──良い安魂祭を]

 

声と共に、何かが倒れる音をマイクは拾う。それを聞いたエクシアとイラは、同時に顔を見合わせた。

 

「…オイ、何かの演出か?」

「ううん、違うと思う…!」

 

雰囲気が変わった事を察知したイラは低い声でエクシアに尋ねるも、その返答は首を横に振るものだった。

そして、異変は伝染する──。

 

「はっ」

「おい、ワイフー?相手を間違えて──!」

「違わない。私たちは囲まれてるんだ」

「な──」

 

ジェイは周りを見回す。人が多く見つめる中、確かに敵意を持った視線が見えた。問題なのは、その量。360度安全な視線は感じられない。

 

「スラムからここまで追ってきたの?」

「嘘でしょ、この量──!」

「周りはほぼ敵です!これは、罠──エンペラーさんは──!」

 

バイソンが盾を構えながら周囲を睨みつけていると、スピーカーから声が聞こえ始めた。

 

[あー、あー、ゴホン。龍門市民の諸君、こんばんは。慌てないでくだされ。今死んだのは取るに足らないペンギン一羽のみ。安魂祭の式典は継続されよう。もちろん目障りの死体は専門の業者に処理させる]

 

「……エクシア。ここ、頼んだ」

「え…イラ?」

 

イラはスピーカーを睨み、ある店へ足を運んだ。

 

[諸君を突然驚かせてすまない。そして今宵のイベントに臨時の項目を一つ追加しておいた。シラクーザからの友人が、ワシらのために特別なプレゼントを持ってきてくれたのじゃ。今はこのパーティー会場のどこかに隠してある」

 

「…悪い、適当なもん、一枚くんねえか?」

「おお、イラ。まいどあり!」

「──ありがとう。お釣りはいいや」

 

その受け取った、仮装用のお面。その面を見て、イラは少し固まった。何故なら今、心に沸々と湧き出ている感情と同じ顔をしていたから。

イラはそれを装着し、足に力を込める。

 

[残り時間は多く無いぞ、諸君。ああ、もし誰もこのプレゼントを見つけられぬ時は、残念ながら──]

 

 

[お主らの人生で最後のサプライズになるのじゃ]

 

 

 

その言葉と共に、轟音が響き渡る。車の上でスピーチをしていた鼠王は、上空から降って来る人影を見て、ニヤリと笑った。

即座に自身のアーツである砂を展開──。自身の上方を覆い守る様にしたその砂は、次の瞬間、凄まじい音を立てて爆散した。

 

「突っ込んできおったな?若者は大胆で良いのう…同じ事をしようとすると腰をいわしてしまうわい」

「……」

 

その衝撃を放った人影。握った右拳には砂が纏わりついており、上体を低くしてこちらを見据えている。

 

安魂祭の明かりに照らされたその顔は──憤怒の表情を浮かべていた。

 

 

 

「かかってくるか?若造が」

「………!!」

 

 

──安魂祭は終わりに近づく。

 



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喧騒の掟 7

オペレーター
昇進素材が
間に合わん



──なぜなんだ、と疑問を抱く。レユニオンによって罪無き弱者が淘汰され、互いに傷を付け合う地獄のような現状──。奪われたものは皆、絶望と諦めを胸の奥に燻らせている。しかしそんな彼等も、安魂祭では笑顔を見せていた。洋菓子を楽しみ、活気に満ち溢れた龍門を練り歩いて、少しでも前に進んでいるのだ。

罪無き者には、子供らも勿論入っている。イラはスラムの子供達に、少しでもそんな辛さを忘れられるよう菓子などを買って分け与えていた。彼等は自身の境遇に何一つ文句も口にせず、感謝を口にした。そんな彼等を、守っていたいと思っていた──、なのに、なのに──!

 

 

「──どうしてあんたがこんな事をしているんだ、お爺ちゃん」

 

イラは、目の前の老いぼれたザラックを見て、絞り出すように声を出した。

 

「おや?ワシに面をつけた知り合いなんぞおったかのう?」

「……」

「おお怖い怖い、まるで鬼のようじゃよ。今夜は楽しい安魂祭。お前さんもそう気を張らずに──」

 

「──茶化さないでくれ、お爺ちゃん」

 

その声色に、鼠王は深くため息をついて口を紡ぐ。イラの心の中は今、濁流のように感情が渦巻いていた。

 

「…いつも優しかったじゃないか」

 

会う度に、目の前の老人はしわくちゃの笑顔で自分を労ってくれていた。

 

「あの子達の面倒も見てくれていた」

 

近衛局の勤務があるが故、完全に子供達を見ることはできない。その時世話役を買って出てくれたのが、目の前の老人だった。

 

「そんなあなたが、どうしてこんなテロリスト紛いの事をしてるんだ…!」

「……」

 

イラの悲痛な叫びを聞いて、鼠王は目を伏せた。しばらく何か言葉を選ぶように逡巡しているその様に、イラの心に苛立ちが募った。

 

「…おい──」

「ふむ…確かにお主の疑問は分からんでもない。だがまあ、今日の件はお主には関係なかろう」

「……は?」

 

顎髭を摩りながら、鼠王はそう言った。

 

「本来の思惑ではお主の存在など何処にも無かった。この舞台に必要な役者は、騒がしいペンギン急便と、哀れなマフィアの方々。お主がなぜこの場に居るのか分からなんだ」

 

まるで、出来の悪い孫を見るかのような目でイラを見る鼠王はやれやれと首を振る。彼の心に呼応するように、辺りの砂は力無く散っていた。

 

「巻き込んだ諸君には申し訳ないと感じておるよ。だがワシの目的とそれらを天秤にかけた時、()()()()()だと判断したのじゃ」

「──」

 

 

「エンペラー!嘘だよな!?」

「演出でもこれはしつこすぎるぞー!早くネタバラシしろよー!」

「誰だあの面を被ったやつ?なんか、どっかから飛んできたけど…」

「エンペラーが雇ったスタントマンだろ」

 

 

周りでは今起きている出来事を理解できていない観衆が各々に叫んでいる。それを見た鼠王は被りを振って、わざとらしくため息を吐いた。

 

「…ペンギン急便の周囲以外のものは皆、善良な市民。これらを奪うなど心が痛むが…まあ、許してもらおう。…さあ、今ならまだ何事もないように帰れる。さっさと舞台から消えてもらおうか?仮面の乱入者殿」

 

その何の気無しに放たれた言葉に、イラは自分の中にあった何かが崩れ去っていく感覚を覚えた。そしてその崩れ去ったものがドロドロとドス黒いものとなり、彼の頭を支配していく。

 

 

(……来るか)

 

 

数々の修羅場を潜って来た鼠王の眼が、イラの下半身に注目する。血管が浮き出るほど力を込められた太ももは、今にも破裂しそうな水風船のように膨張していた。

 

「……俺が一番嫌いなやつを教えてやろうか」

 

砂が鼠王を守るように展開されていく。ミルフィーユのように何層も重なった防壁は、たとえ至近距離で銃火器をフルバーストさせてもその主に届く事すら敵わないだろう。

 

 

「自分のやってる事が、いつも正しいって勘違いしてる──」

 

 

卓越したアーツ技術で作られた砂城。その完璧な外壁に守られて尚──鼠王の額から、冷や汗が途切れる事は無かった。

 

 

「──テメェみてぇなやつだよ、クソジジィ!!」

 

 

──爆音。それが聞こえたと同時に、鼠王の目の前の砂壁から腕が勢いよく突き出てくる。形が崩れ、血液の様に流れる砂を薙ぎ払いながら、力任せにイラは砂城を突破した。

怒れる狐は上段蹴りを躊躇なく行う。砂が這う様にその軌道上を遮り、暴力的な勢いで衝突。砂が弾け飛び散るが、すぐにまた凝固し、イラの足を蹴りを放ったままの体制で固定した。

 

(……早い…が、対応できないわけでもない。当時の近衛局のレベルでも十分鎮圧できる程度のもの…。これで龍門が落とされかけたとは思えん)

「おお怖い。怖いが…恐れるにはまだ足らんな」

「う…るせぇ……!!」

 

怒声を放ち、足を固定されたまま無理やり殴りかかるイラに疑問を抱きつつ、鼠王はアーツを操作する。ぐいん、と身体が後方に引っ張られていき、そのままの勢いでイラは投げ飛ばされた。

 

「ぐ──!」

 

観衆の頭上を一直線に飛び、イラは受け身も取らずに冷たい地面へ転がり落ちた。

 

「イラ!大丈夫──っ」

 

マフィア達と戦闘を繰り広げていたペンギン急便とジェイ、ワイフー達は、転がり込んできたイラに安否を取る。エクシアが駆け寄り、イラの顔を覗き込むが──、そこで彼女は固まってしまった。

受け身を取らずうつ伏せに力無く倒れ、猛スピードで地面に叩きつけられた節々の痛みは無視できないものだろう。しかしそれでもなお、面の隙間から覗くギラついたその眼光は鼠王を捉えていた。

 

「…」

 

エクシアは普段の能天気さを忘れるほど、その気迫に飲み込まれた。そして初めて、目の前の男の──怒りを感じた。

その間にもゆっくりとイラは立ち上がり、膝を曲げる。力を貯め始めたと分かったその時には、もうその姿は遠方へあった。

 

「あ…!」

 

声を上げることしかできないエクシア。それに気づかないクロワッサンは、攻撃を受けながら感嘆の声を出した。

 

「ひゃ〜!とんでもない勢いや!」

「…」

「──エクシアはん?どしたん?」

「…なんか、やな感じ」

「ええ?」

 

 

 

「一直線に向かってくるか。本当は狐じゃなく猪では無いじゃろうな?」

「うる、せえっつってんだろ…!!」

 

既に車から降りた鼠王の懐に潜り込み、次なる暴力を振るおうとするイラは、地面を力強く踏み締め──、そして大きく体制を崩した。

 

「あ゛ぁ!?」

「おや、よろけおった」

 

その機を逃さず鼠王は、無防備なイラの腹目掛け横殴りに流砂をぶち当てる。砂は一粒一粒は小さいが、それらが密集すれば人の体など容易に壊せる凶器となりうる。イラは気が遠くなるような圧迫感と、自身の肋が軋む音を覚えながら、再び吹き飛ばされていった。

 

 

「──っっ」

 

しかし今度は無防備に地面へ投げ出される事はなく、途中で電信柱を掴み減速。そのまま柱を伝い、安全に着地した。

 

「ゲホッ…ガハッ。クソが…!!」

「イラ!大丈夫か?」

 

腹を押さえ、片膝をつくイラを見たテキサスは、早々にマフィアを切り伏せ彼の元へ駆け寄った。

 

「イラ、落ち着け。明らかにアレは一人じゃ手に負えない、まずはこいつらを先に片付けよう」

「…嫌、次はいける…!絶対…!」

「…いつものお前らしくない。どうした?」

 

(頭に血が上り()()()()()──のか?いずれにせよ、今のイラはまずい。危険だ──!)

 

テキサスは今まで見たことのない彼の様子に困惑しながら、兎も角落ち着かせようと肩に手を当てようとし──。

 

「おおおおっ!!」

 

叫び、駆けていくイラにそれを振り払われた。

 

 

 

「…は?」

 

 

 

その様子を見る鼠王は、失望の色をその目に灯す。そして、またもや無慈悲にアーツを使用──流砂が再びイラを打ちのめさんとした時、横から青い影が割り込んだ。

 

「あなたがこんな事をするなんて考えもしなかったよ」

 

青い影──モスティマは杖状アーツユニットから火球を放つ。生み出されたそれらはイラに衝突しようとしていた流砂に命中し、砂は意思を失う様に散っていった。

一瞬のその隙を見逃すことはせず、イラは高速で鼠王の目の前まで移動──そのままの勢いのまま、拳を振りかぶった。

 

「ぅあっ…!?──クソ、またかぁ!!」

 

しかしまたもやイラは突然体制を崩してあらぬ方向に拳を空振りさせる。悪態を吐きながら無理やり追撃を行おうとするが、それは背後から襟首を掴んで後退するモスティマに阻止された。

 

「う゛っ、…オイ──!」

「落ち着いて。頭に血が昇ってる時に勝てる相手じゃないよ」

「やれやれ、ようやく止まりおったか。いつ死ぬかとヒヤヒヤしたわい」

 

そう口を開いた鼠王に、モスティマはどこか探る様な視線を向けた。

 

「私の忠告は聞いてもらえなかったのかな?」

「歳を取るとどうも人の話だけでは満足できなくての。ワシ自ら確かめようと思ったのだが──どうも、ワシは過大評価をしすぎたらしい」

「過大評価?」

 

そして鼠王は、杖で怒る狐を指し示す。

 

「力はあるが、頭がない。…いや、これは…覚悟か?」

「…あぁ?テメェ、人をおちょくるのも大概にしろよ…!」

 

怒鳴るイラを、鼠王は憐憫の眼差しで見つめる。それはまるで出来の悪い息子を蔑むかのようなものだった。

 

 

「お主は一人でワシを始末することに固執しておる。だから勝てないのだよ。先の動きもペンギン急便らと協力すればまだその可能性は高くなる筈だのに、一人で突っ走るからそんな無様な姿を晒す羽目になるのじゃ」

「…」

「怖いのじゃろう?巻き込み、彼らを危険に晒す事が」

「──!」

 

一瞬──、ほんの一瞬。イラの肩が震えたのを鼠王は見逃さなかった。

 

「だから一人で片付けようとする。後先考えず、滅多矢鱈と行動し──解決しようとする。…ふむ、確かにワシと戦わせないのであれば殆ど雑魚狩りをするだけで、怪我は負わないだろうな。だが──残った彼らはどうなる?」

「何もさせてもらえず、ただ身に傷を負うお主を見ていることしかできない彼らはどう思う?──お主のそれは優しさではない。『不信』じゃよ。彼らを信じていないから、一人で何とかしようとする。そしてそういう者の末路はたいてい犬死にじゃ」

 

「………」

 

「何か間違った事を言っているのなら言ってくれよ?老人は頓珍漢なことを言う時があるからの」

 

その言葉を受け、イラは静かに立ち上がった。その顔は、仮面越しからでも分かる、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 

 

「──そうだよ、その通りだ」

「…自覚があるならなぜ前に進もうとしない?彼らはお主を助けたいと思っておるぞ」

「……わかってるさ」

 

投げやりに聞こえるその声には、微かに自虐の色が混じっている。

 

「悪いとは思ってる。けど…でも、守りたいんだよ。後からめちゃくちゃ言われても良いし、嫌われても良い。ただ、みんなに笑顔でいてほしいんだ」

 

──全て図星だった。一人で背負う理由も、人を信じきれてない理由も。全て丸裸にされたイラは、それでも拳を握った。

 

「全部俺のわがままだけどな」

「……はあ…。重症、じゃな」

「あ?」

「──お主が甘やかすからこうなるんじゃぞ」

「…」

 

その叱咤をモスティマは、静かに受け入れた。

 

「彼にどんな事があったのか知りはしない。知りはせんが──ずっと一緒に居たのであろう。なぜお主とあろうものが、そこまで考えるに至らなんだ」

「…何も言えないね。完全に私のミス」

「──深い癒着が故の甘え…か」

「甘え…。うん。私は彼に何かを説く事ができない。彼のことが好きだから。もしそれを指摘して──完全に拒絶されるのが怖かった。だから何も言えなかった」

「…お前、そんなこと思ってたのか」

 

新事実に思わず顔を向ける。その表情は、激しい後悔の顔だった。その顔をさせたと言うことに、イラはまた歯噛みする。

そしてそのまま、モスティマは口を開いた。

 

 

 

「だから────任せることにした」

「は?」

 

 

 

その飄々とした口ぶりを見せるや否や、モスティマは自身の強化されたアーツでイラを背後に投擲──。突然のことに、イラも鼠王も反応できずにいた。

 

「──私じゃ無理なら、信頼できる妹分たちに引っ叩いてもらう」

 

癪だけどね。と呟きながら、モスティマはアーツユニットを手に持つ。体内から伝導するアーツがユニットを介し、無数の火球を発現させた。

目を丸くしていた鼠王はその意図に気づき、ニヤリと口角を上げる。

 

「成長したのう。昔のお主であれば手放さずに腐らせていたものを」

「手放してないよ。預けてるの。返してもらうから──それに、お互い、前に進まないといけないしね」

 

 

 

 

 

 

 

「あ痛ってえ…!!」

 

思い切り飛ばされたイラは、今日何度目か分からない地面へのダイブを成功させた。緊張した場から急に離脱させられた温度差で、しばし呆然とさせていたが、すぐにイラは立ち直り、鼠王の元へ向かおうとする。

 

「何してんだよアイツは…!?」

 

 

 

 

「何してんの、はコッチの台詞なんだけどね〜」

 

瞬間、突如イラの背中に重力がかかり、倒れ込む。その原因である声の主──エクシアは、イラを尻に敷きながらもマフィアたちの頭部を正確に撃ち抜いていった。

 

「エクシアか!?どいてくれ!」

「ふーん?あたしの事信頼してないイラさんは勝算あるんですかー?」

「…え」

 

誰かを確認するため首を回し、そこで初めて、イラはエクシアの無感情な顔を見る。如何に鈍感な彼でも分かるほど──エクシアは不機嫌になっていた。

 

「──あ、あの」

「とか言っても教えてくんないよねー。だって信頼してないんだもんねー」

「も、もしかして…聞こえてた?」

「うん!バッチリ!モスティマから無線が繋がれてたからもう一言一句!」

「え」

「──あのさあ。あたし達のことあんまり舐めないほうがいいよ」

「い、いや、舐めてなんか──」

 

その冷たい声に、イラは反論しようとするが──。

 

 

「あたしは仕事の合間にロドスで射撃訓練してる。いっつもふざけてるように見えるけどクロワッサンも筋トレして、あの盾を使いこなせてる。テキサスが剣の手入れを欠かしたところなんて見たこと無いし、ソラだって戦闘訓練じゃないけどアイドルだから表情管理の練習やボイストレーニングとか毎日してんの。生半可な気持ちでやってないのこっちは」

 

ごり、とイラの額に銃が突きつけられた。間違いなく、エクシアは本気で銃を押し付けている。それに気づいたイラは悲鳴の様に弁明を上げた。

 

「わ、悪い!で、でもお前らを馬鹿にしてるわけじゃ」

 

 

「してるじゃん!!さっきも遠ざけて無視してさあ!あれって『お前じゃ怪我するだけだから引っ込んでろ』って事なんでしょ!?良い加減にしてよ!あたし達は自分の身は自分で守れる!逆にキミが傷付けばそっちに気がいって目の前のことに集中できないの!なんでそんな所まで鈍いんだよ、このバカーーーー!!!」

 

大声で喚く様に放たれたその言葉にイラは空いた口が塞がらない。ふー、ふー、と獣の様に息を切らせていたエクシアは、髪をかきあげ、額に滲んだ汗を拭った。

 

「…ふぅ。言っとくけどあたしはまだ優しい方だからね。相棒、マジで怒ってるから」

 

相棒…?まて、まさか。その絶望感がイラを襲う。すると突然、被っていた面を勢い良く剥がされる。そしてそのまま仰向けにさせられたイラが初めに見た光景──。それは迫り来る拳だった。

 

「ブぐっ!!?」

 

勢い良く放たれたそれに、イラは蛙の潰れたような声を出す。しかしそれでも拳は止まる事なく、二回、三回と続けて殴打が繰り出された。

 

「がっっ!?」

 

周囲のマフィアも突如行われた凄惨な行動に動きを止め、固唾を飲み込む。そしてその暴力を振るった張本人がゆっくりとイラの顔から拳を離すと、しんと静まり返ったその場にはねちゃり、と粘度のある音だけが響いた。

 

「……一度しか言わない」

 

イラは見た。鼻血の線のその向かい側に、睨んだだけで生命を奪い取るかの様な眼光をしたオオカミがこちらを覗き込んでいる姿を。

 

 

「私を侮るな」

 

「……ぶぁい」

 

 

頷く以外の行動を取れば、恐らく殺される。そう思ったイラは考えるよりも先に行動していた。

 

「……それで?」

「…え、え?」

「………」

 

突然、イラの脳内危機感知アラームがけたたましく鳴り響いた。

 

「そ、それ、で……?」

「………」

「ヒェッ」

 

腹に跨り、周囲のマフィアを一掃するエクシアから極寒の視線を浴び、イラはようやく悟る。

 

(ま…まずい、()()()。次に何か言葉を間違えれば、本当に終わる…!)

 

その予想は正しいと言うかの様に、時間が経つごとに二人の機嫌は益々悪くなって行く。青褪めたイラは即座に謝罪をしようとした。

 

「ご、ごめ──」

 

しかし、謝罪の言葉を言おうとした途端──イラの動物的本能がそれを止めた。

 

(──いや、違う…のか)

 

彼女らがなぜここまで怒っているのか。自分はそれを履き違えているんじゃないのか?イラの脳内に過ぎるのは、怒りながらも真っ直ぐに自分を見つめる二人。

 

『あたしのこと舐めない方が良いよ』

『私を侮るな…!』

 

(二人は、俺が一人で戦う事に怒ってる。…だとしたら。俺がすべきなのは──)

 

逡巡するイラは、口を開き、また閉じるを数回繰り返し──静かに声を発した。

 

 

 

「───助けてくれ」

 

 

びく、と二つの肩が動いた。

 

「俺一人じゃ、お爺ちゃんには多分勝てない。……散々遠ざけて、無視して、都合が良いのは分かってる。でも、頼む。──力を貸してくれ」

 

「……」

「……」

 

イラは考えた。信用せず、遠ざけた事を謝罪するのは、その意見をイラ自身が否定していない事になる。恥をかいても、どれだけ情けなくても、助けを求める事こそが優先されるべき事なのだと、そう思った。

 

(…違ってたら、まあ──しょうがない)

 

恐らく二人は一生イラを許す事はないだろう。博打を打って出たイラは、その結末を目を閉じて待った。

 

「…はぁ〜〜〜」

「……」

 

それを受けた天使は大きく息を吐き、狼は手を拭いて菓子を咥えた。

 

(…だめか)

 

諦めの感情が、イラの心を覆い尽くそうとしたその時──。

 

「──うおっ!?」

 

ぐい、とイラは手を引っ張られその勢いで立たされる。その引き寄せた張本人は、屈託の無い笑顔をこちらに見せていた。

 

「もち!」

「…え」

 

呆気に取られていると、後ろから服を軽く数回叩かれる。砂を払ったテキサスは普段通りの、落ち着いた視線をイラに向けた。

 

「何か策はあるのか?」

「え…あ、いや…?」

「何だ」

「え、あの…助けて、くれんの?」

 

「当たり前だろう」

 

そう言ったイラに、テキサスは首を傾げながらそう返した。

 

「今の私は何でもできる。安心して命令してくれ」

「あたしも〜!助けてなんて言われちゃあ、ご期待に応えないとね!」

「殴って悪かったな。あとで必ず借りは返す」

「ほんとに痛そう…。よしよししたげよっか!」

「それは私の責任だ。エクシアの出る幕はない」

「ん?」

「…」

「──あ、あははっ…!」

 

いつも通りの流れが見せる二人に、イラはいつしか乾いた笑いを上げていた。そして、ひとしきり笑った後にゆっくりと頭を下げる。

 

「ごめん。二人とも」

「──謝罪じゃない、そこは感謝だ」

「…ありがとな」

「えへへ」

 

[コラーーー!!]

 

照れる様に笑うエクシア。すると彼女の腰からいきなり怒号が聞こえて来た。

 

「うおっ」

[急にブチギレたと思ったら二人してイラはんの所行って!んで静かになったから何があったんやって思ったらイラはんボコボコに殴っとるやんけ!どーいう事や!?説明しぃ!?]

「クロワッサンか!えっと…何やかんやで、俺が悪かった!」

[分かっとるわ!んで!?なんか無いんか──っと危な!──あのネズミのオッサンしばくんやろ!?]

 

その問いかけにイラはニヤリと笑い、拳を握った。見据える先は砂と堕天使のアーツが飛び交う街路。力が身体に漲るのを感じながら、イラは吠えた。

 

 

 

「あぁ……!ぶっ飛ばしてやろうぜ、みんなで!」




次か次の次で終わりかな?いや、もう終わろう。シリアスはもう良い。ほのぼのしたい。


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喧騒の掟 8

ハーモニーエッッッ
ハーモニーエッッッ
ハーモニーエッッッ


【……モスティマ。──俺は、もう……無理だ】

 

目を閉じれば、あの光景はいつも瞼の裏で上映される。土砂降りの中、そう言い放った彼の瞳には光は無く、ただまっくろな怒りだけがあった。

 

【──別れよう。お前は、俺と居ちゃダメだ】

 

あの時、どういう顔をすれば、どういう言葉をかければ──キミは止まってくれたんだろうか。分からない、分からないが──。

 

 

 

【──ぜんぶ、ぶっ壊す】

 

 

悲しんでるキミを放って、ただ泣いて蹲っていた私の行為が、最低な物だった事は確かだった。

 

 

モスティマは後悔の渦に囚われた。気の向くままに旅をする、風来坊の彼女らしくないその様は、鼠王が隙を突くには十分過ぎるほどの時間だった。

モスティマの視界の端で砂が踊り、襲い来る。アーツを操作し、それを封じようとするが──不安定な精神状態ではアーツは満足に扱えない。

 

(──ここまでかな)

 

モスティマは砂に覆われながら、静かに息を吐く。そして、ゆっくりと目を閉じた。

 

(もう少し粘れるって思ったんだけど…。弱くなっちゃってるなぁ)

 

彼には悪いことをした、と心の中で懺悔する。彼に我儘を通し、自分の好き放題にして、後輩を使って過去と向き合わせた。

嫌われるだろうか。嫌われるに違いない、でも嫌われたくない──。そんなあべこべな感情が、モスティマを弱くさせていた。

 

(あとはエル達がなんとかしてくれるはず。ここで、お役御免って事で)

 

ぎり、と奥歯を噛み締める。それは時間稼ぎができないことへの無力感から起こった行動──ではなく。

 

 

(あぁ────私が、したかったな)

 

 

イラを叱咤激励し、感謝され、笑顔を向けられ、背中を合わせて戦い、信頼を築き笑い合って手を取り合って体を合わせて心を通わせて全てが混ざり合って、私とイラが、重なって。

それを、()()()()()()

 

最後の最後までモスティマは、自分ではイラを救えないと、助けを求めた筈のエクシアとテキサスにどろりとした感情を向けた。そしてそんな恥知らずの自分に、嫌悪を抱いた。

逆恨みというのは分かっている。だからもう、何も抵抗しない。これは自分がしてきた罪の、ほんの一部の償いだから──。

 

 

「ごめんね、イラ」

 

 

そう小さく呟き、青い堕天使は砂のカーテンに飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ダァァァアァッシュ!!!」

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 

 

砂が覆うその不快感。それと裏腹に、モスティマを襲ったものは、重力が横になる感覚と、体全体に感じる仄かな温かさだった。

間の抜けた声を上げ、閉じていた目を開ける。そこに居たのは、汗だくになり、目を見開きながら足を動かす灰色のヴァルポだった。

 

「──イラ」

「あぶねぇぇぇ!!マジあぶねえ!!エクシア達に砂のリソース割いてくれて助かったぜ…!」

「どう、して」

「あぁ!?」

「…なんで私を。エクシア達がいるじゃん、キミには。私の力が無くても鼠王に勝てるはずだし、何より私のこと嫌いなんでしょ?もうほっといてよ。これ以上私が私を嫌いになりたくないの。だから…」

「──あああああ!もう!!」

 

イラは砂から飛び出し、路上に着地する。その勢いのまま横抱きにしていたモスティマに顔を近づけた。

 

「良いか!?俺が知ってるモスティマはな!いくら人がやめろっつったって平気でキスしてくる酷いやつだ!いくら人が距離置いたって我が物顔で家に侵入してきて俺の時間を止めて好き放題するような最低の女だ!!そんなお前が今更しおらしくなるんじゃねえ!!もっとこう、堂々としてろ!!」

「──」

 

その怒涛の文句に空いた口が塞がらないモスティマ。それを見たイラはふん、と鼻を鳴らした。

 

「そもそも俺がお前の事嫌いって言ったかよ。…言ったっけ?あれ?言ってない…よね?──まあいいや。別にお前が俺に嫌われるような事…して…るか。してたわ。え、えっと、でも俺は気にしてない!!四捨五入したら俺はお前の事が好きだ!!」

 

ずきゅーーん。とどこかで音がした。だんだん体温が上がってきた胸の中の女に気づく事がないまま、イラは砂嵐から姿を見せた鼠王に視線を向ける。

 

「だから力を貸してくれ、モスティマ。俺一人じゃムリだ。一緒に、お爺ちゃんぶっとばそうぜ」

「……」

「おい、モスティマ…」

「………ゅーは?」

「あ?」

 

項垂れたままのモスティマが、何かを呟いた。上手く聞き取れなかったイラは耳を寄せ、そしてはっきりとそれを耳にした。

 

 

 

「──おねがいの、ちゅーは?」

「…………………」

「しょ、しょうがないな。ごんってば、ほんとにわたしのことすきなんだから。よし、わたしがんばるよ。だから、ほら…ちゅー…」

 

 

赤面し、くねくねと身を捩らせ、そのぷるんとした口を突き出すモスティマに、イラは白い目を向け、深い、深いため息を吐いた。

 

「はあ〜〜〜…」

「ねぇーイラ?早くしないと力、貸してあげないよ?ほーら、ん!」

「ばいそんくーーーんたすけてくれーーー」

 

「ねえ」

 

脳死で天を仰ぐイラの鼻先を、ゴム弾が掠り通過していく。アッツァ‼︎と喘ぎ倒れ込むイラを、赤い天使は残酷に見下ろしていた。

 

「不快。見てて。さっさと起きて」

「はい」

 

のたうっていたイラはいつの間にか敬礼のポーズでエクシアと向かい合っていた。彼に人権は無かった。

そこにしゃがれた笑い声が割り込んでくる。

 

「ほっほっほ。夫婦漫才は終わったかな?」

「「夫婦漫才……!」」

「夫婦じゃねえ!」

「「は?」」

「すいません」

 

フクロウのように180度回り、こちらを睨む二人に萎縮するイラ。しかし次の瞬間、弾かれたように彼は二人の胸ぐらを掴んだ。

 

「な──!」

「わわ!」

 

驚く二人をよそに、イラは足に力を込め、飛び上がる。空からその場所をみると、そこを砂の波が飲み込んでいた。

 

「不意打ちかよ」

「そうしないと勝てないものでな、それ!」

「ッば」

 

無防備となったイラ達を、四方から砂が取り囲む。焦るイラは拳を握り締め──、

 

 

「エクシア、おねがいね」

「オッケー!」

 

 

モスティマは火球を駆使して砂を迎撃し、エクシアが精密な射撃で鼠王を狙撃する。しかしそれはまた砂の外壁に絡め取られ、鼠王の足元へ落ちていった。

 

「私を忘れるな──!」

 

さらに背後からテキサスが源石剣を振るう。鼠王の首に目掛けて放たれた一撃。しかし、彼は振り向くことすらせずそれを砂で止めてみせた。

 

「怖い怖い」

「チッ」

 

バックステップでその場から離れたテキサスは舌打ちをした。

 

「イラ。闇雲に攻撃してもダメだ。堅すぎる」

「もうあと三マガしかないんだけど!」

 

そのエクシアの嘆きを聞いたイラは、鼠王の部下を投げ飛ばすバイソンとクロワッサンをちらりと見た。唾をごくりと飲み込み、口を開く。

 

「…俺に、作戦がある」

「ほんと!?」

「あぁ。けど、クロワッサンとバイソンくんにものすごい負担掛けさせちまう。そんで成功するかもわからねえ…」

 

その弱々しい呟きを、高性能の無線機は確かに拾っていた。

 

「──イラはん!んな事気にしたらあかんで!!」

「え、あ!無線…」

「盾がいるんやろ!?そんならウチに任せといてや!お代はたんまりもらいますけど、なぁ!!」

「僕も…!出来ます!ここまでめちゃくちゃになってるんだ、僕だって…!暴れたい!!」

 

「二人とも…!」

 

「──あいつらは任せてくだせえ、旦那」

「クロワッサンさんとバイソンさんの穴は私たちが埋めます。即座に、あのご老体を無力化なさってください!」

 

「ジェイ、ワイフー…!」

 

ジェイは気怠げに、ワイフーは快活に。しかしその目には共通して信念の炎が灯っていた。二人にバトンタッチをし、イラの元に駆け寄ってきたクロワッサン達は、その作戦内容を促した。

 

「作戦って、どんなのですか?」

「ああ、まずは──」

 

鼠王から視線を外す事なく、イラは口を開き、起死回生の策を伝え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

龍門のスラム街を牛耳る鼠王は、杖を突きながら彼らの様子を見守っていた。

 

(前に進むことを決めたか)

 

彼の当初の目的は、龍門内に蔓延っているマフィアの一掃──。しかしそこにイレギュラーが出現した。それがイラだった。近衛局の長であり、なおかつ旧知の仲──、本人らは『仲』という言葉は否定するが──。ウェンと連携を取り、マフィア一掃に邪魔が入らぬよう近衛局を一日だけ機能停止させた。だと言うのに、イラはいつの間にか喧騒のど真ん中へ巻き込まれていた。

 

鼠王はスラムで子供達に菓子を配るイラを見て、ウェンと交わした会話を思い出していた。

 

『憤怒には気をつけろ』

 

実際に対峙してこの意味がようやく理解できた。いや、理解できたのもほんの一部分だろう。イラは数年前に龍門を襲撃した。生まれ持ったその怪力と、そして、目に映るもの全てに憎悪を抱くほどの怒り。その二つだけを持ち合わせた人ひとりに、龍門は落とされる寸前だった。

先ほどの口調が荒くなるほどの感情の昂り。砂を何層も重ねたにも関わらず突破するほどの無鉄砲さ。しかし周りの声は彼には届いていた。

 

だからここで留めなくては、と鼠王は決意した。怒りを振り回し、数年前の人災をまた引き起こすわけにはいかない。守るべき者達を巻き込ませるわけにはいかない。それがスラムを治める王としての矜持であった。

そしてもう一つ。鼠王は個人的に、イラの事を気にかけていた。本来の彼は心優しい唯の青年である。誰かのために拳を握り、誰かのために戦える青年だ。そんな彼に、怒りという一抹の感情でこの先の人生をふいにさせたくは無かったのだ。

故に、荒療治を施した。あえて彼の奥底にあるモノを呼び起こし、ソレと対峙させた。人を頼る事をしなかった彼に、半ば強引にそれを教えた。

今では憑き物が取れた様に、純粋な眼でこちらを睨むイラを見て──鼠王は静かに笑った。

 

「カカカッ──無理をしてみるものじゃのう」

 

この先永くない。老いたこの身にできるのは、若き者を導き、自身を踏み台にさせてでも前に進ませる事。それが、人生の先輩としての仕事だと、鼠王は悟った。

 

「──さぁ、そろそろ再開するぞ。待ちくたびれて寝そうじゃわい」

「……あぁ、待たせたな爺ちゃん。──行くぞ」

 

全てを受け止めるかのように両手を広げ、鼠王が笑う。それに応えるように、ペンギン急便の面々は身構え──、イラは軽く拳を握った。

 

動いたのは、モスティマとエクシアだった。左右から同時に遠距離攻撃を仕掛けていく。

 

『まずは遠距離持ちのエクシアとモスティマが左右から攻撃する。ありったけを撃ち込んでくれ。砂を満遍なく使わないと防げない程にな』

 

「む──」

 

堪らず鼠王は両サイドに砂壁を作った。それを見たエクシアはほくそ笑みながら射撃を続けて行く。またモスティマもそのアーツユニットを振るい、次々と火球を生み出していった。

 

『そして次にテキサスが、鼠王の背後から攻撃を仕掛けたその時──、バイソンくんとクロワッサンの出番だ』

 

「──抜刀」

 

背後から剣の雨が鼠王を襲う。だがやはり、それは砂に阻まれてしまうが、テキサスはお構いなしに二度、三度──次々と技を繰り出していく。

前方を除いた240度を砂で覆った鼠王が、杖を払い砂嵐を巻き起こさんとした次の瞬間──。

 

『今、右、左、後ろ…多分鼠王は前方だけを開けたまま砂のドームで身を守るはずだ。だから──』

 

 

 

「うぉおおりゃああ!!」

「おおおおおおお!!!」

 

 

 

目の前から、二匹の猛牛が突貫して迫り来た。

 

「ぬうっ!?」

 

 

『タフネスが売りのふたりに、前方を塞いでほしい』

 

流石のその迫力に肝を冷やしたのか、鼠王は砂の波を猛り狂う二人にぶつける。鉄と鉄がぶつかり、ひしゃげるような激しい音を立て、クロワッサンとバイソンは突進の勢いを殺された。盾を持って尚その破壊力は凄まじく、荒事に慣れているはずのクロワッサンも苦悶の表情を浮かべた。

ふと彼女が隣を見ると、頭から血を流しているバイソンが見えた。強打して軽い脳震盪を起こしたのだろうか。盾を持つ腕に力は入っておらず、盾に体を寄りかからせてようやく踏ん張る彼にクロワッサンは叫ぶ。

 

「…バイソンくん!無理せんときや!!」

「うあ──」

「良いとこのお坊ちゃんは…!ぐ……!こう、いうのは向いてないやろ…!?」

「──」

 

その言葉に、バイソンの体がピクリと動いた。お坊ちゃん。その彼を表す敬称は、時として彼の無力さを突きつける蔑称でもあった。

 

(…この龍門に来て…ぼくは何かしただろうか?ペンギン急便の皆さんに、おんぶに抱っこ。ましてやイラさんがくれたチャンスも、こうしてふいにして、守られて…!)

 

ようやくわかった気がする。今自分がすべき事が。勇敢に立ち向かって倒れるのではなく、クロワッサンに託して名誉の負傷を負うのではない。

 

 

 

 

「──ゔゔゔあああああああああッッッッ!!!!」

 

 

 

白目を剥いても、情けない声を張り上げても、倒れない事だった。それを実感した瞬間、バイソンの全身の筋肉が盛り上がる。押されていた盾が、少しづつ動き始める。フォルテの本能が、彼の体に限界以上の力を授けていた。

 

「──ははァっ!ま、け、て、ら、れ、ん、わァァァッ!!!」

 

それを見たクロワッサンは獰猛な笑みを浮かべ、自身も更に力を込めた。じわじわと砂が押し戻されていき、遂には鼠王の懐へ辿り着いたふたりは更に力を込めて砂を押し返さんとする。

 

しかし、そこで鼠王はアーツを操作。足元に散らばらせてあった、二人の靴と地面の間にある砂。それを動かした。

踏ん張りが効かなくなった二人は勢い良く滑り転んだ。

 

「──ぐぁっ!?」

「な──んやそれ…!!」

 

「力は凄まじい。だが、誰かに似た猪突猛進。それが良くなかったの」

 

そう言って、鼠王は前方を塞いでいた砂を退ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ぶっとべ」

 

 

 

 

 

瞬間、鼠王の頬に拳が突き刺さった。

 

 

『安心したところの隙。そこを俺が狙う。ワンパンで仕留めれりゃ良いんだが…。自信ない』

『大丈夫だよ』

『え…?』

 

 

『あたしらのチームワークで仕留めれないやつなんか居ないって!自信持って、頑張ろう!』

『イラ。失敗した時のことを考えるな。お前はただ全力で拳を振えば良い』

『ま、イラはんなら行けるやろ!ちなみに、うちらそんな長くは持たんからそこよろしゅうにな、ほんまに…』

『頑張りましょう、イラさん。ぼくも──頑張ります!』

『私は戦えないですけど…頑張ってください、イラさん!』

 

 

いつもより拳が重い。託された想いの強さが、そのまま重力となってイラの拳に伝わっていく。

今まで、頼るなんて事をしたくなかった。自分が償わなければならない責任を押し付けたくなかったから。だが、それは違った。頼るという行為は、押し付けるんじゃなく、支えてもらうだけだったのだ。

一人で戦うより、二人で、三人で──個人の力を合わせれば、無限の可能性が浮かんでくる。

 

 

(ありがとう)

 

 

そしてイラは──思い切り拳を振り抜いた。

 

水風船が割れるような音と共に、砂のドームから鼠王が勢い良く放出される。その老体は紙のように吹き飛ばされ、あわやビルに激突するといったその瞬間──くるりと体勢を変え、壁に足をつけて勢いを殺し、ふわりと着地した。しかしその身に受けた衝撃は凄まじく、鼠王は膝をつき、息を荒げた。

 

「──首回して勢い殺しやがって」

「…コレは、ちとまずいか…」

 

仕留めきれなかったことに歯噛みするイラと、冷や汗を流し不的な笑みを浮かべ後ずさる鼠王。その表情とは裏腹に、両者の状況はまるで正反対だった。

 

「そろそろここでお開きと行こうか──」

「っ待──」

 

その言葉と共に、鼠王は体を翻す。それを見たイラは手を伸ばし、追いつこうとした次の瞬間──銃撃音と共に、鼠王は脱力して倒れた。

 

「──は?おい!」

「う、撃たれた…?」

「あのスナイパーだな。さっきからずっと此方を見ていた」

 

テキサスは、龍門に聳え立つビルの一つを見る。きらりと光るものが確認でき、その推測が間違っていない事が判明した。

 

「お前、どうして…!」

 

バイソンはすぐに端末を操作。この一連を作り出した張本人を問い詰める。それを端に、イラは悲しそうに鼠王の背中を見ていた。

 

「…大丈夫?」

 

隣にモスティマが並び立ち、イラの顔を覗く。イラは少しの間目を伏せていたが、頭を横に振った後に静かに頷いた。

 

「──ああ」

「…また一人で背負い込もうとしてるの?」

「いや、違うさ。本当に大丈夫」

 

「──イラ、まだ終わっていない。鼠王の『プレゼント』だ」

 

そのテキサスの声を聞き、イラは目を見開く。鼠王はプレゼントに対してこう言っていた。

 

『もし見つけられなかった場合──それはお主らの人生で最後のサプライズになるのじゃ』

 

「おいおいマズイぞ…!!」

「爆弾かもしれないね。あのシラクーザ人は爆弾大好きでしょう」

「それちょっとまずくない?」

 

途端に嫌な汗が流れてくる。安魂祭に参加している人数は龍門の大半。それが、どこにあるかも、いつ爆発するかもわからない危険地域に密集している。その悍ましい事実が、イラを焦らせた。

 

(避難させるか…?いや、間に合わない)

 

「敵もおかしいです。鼠王はやられたのに、奴らはそれに全く反応していないなんて…。むしろ、僕らを待ち構えているような…」

 

そう言われて周りを見渡すと、確かに主がやられたのにも関わらず、平然と此方ににじり寄ってくる黒服や鼠王の部下達。それを見たテキサスは、考え込むかのように顎に手を当て──やがて口を開いた。

 

「二手に分かれよう。ソラ、クロワッサン、エクシア、イラ。我々は残った敵を制圧する」

「なるほど、私たちはプレゼントを処理すれば良いんだね」

「っ分かりました!」

「よし。頼んだぞバイソンくん!」

 

そしてイラ達は、鼠王の残党たちに向かって走り始めた。

 

 

 

 

 

 

「うおらっ!…ふう。まだか!?」

 

数分経ち。マフィアを吹き飛ばし、モスティマとバイソンが走って行った方向を見る。しかしそこにいるのはこの荒事を楽しむ観衆だけで、音沙汰も得られなかった。

 

「焦ったらダメだよイラ!信じないと!」

「…っ、ああ、そうだな」

 

弾が無くなったエクシアはマフィアを落ちていた石で殴り、昏倒させる。

 

「というかイラさん大丈夫なの!?お面外れてるけど!」

「え?…あ、マジか!やっべ…!」

「もう今更だろう…気にするな」

「…だよなぁ…でも怒られるよなぁ…」

 

 

そうげんなりするイラを見て、ペンギン急便の面々は、いつもの彼が帰ってきたことに安堵した。

 

「──まあ良いや。今はコイツらをぶちのめして──いたっ」

 

その時、イラの頭にコツっと何かが落ちる。頭を抑えながら、自身の頭と接触したそれを拾い上げる。

 

「……キャンディ?」

「うわ──!!」

「ッ!?バイソンくん!?」

 

キャンディに気を取られていると、空からなぜかバイソンが落下してきた。急いでイラは受け止め、彼の安否を確認する。

 

「大丈夫か?──あとコレ、なに?」

 

そう言ってイラは、空から大量に落ちてくる菓子たちを見上げながらバイソンに問いかける。腕の中の少年は、静かに首を振った。

 

「はぁ──お前ら、そろそろ良いだろう」

「──ああ」

 

テキサスが鼻を不快そうに鳴らし、相対していたマフィアにそう促す。すると先程までの様子とは違い、素直にマフィア達は応じて武器をしまった。

 

「テ、テキサス?何か知ってるのか?」

「知らないよ。ただ、予想はできる」

 

男二人に首を傾げられ、彼女は静かに飴を拾った。そこにモスティマが、金属の箱を持ってやってくる。

 

「仲良さそうだね」

「あ、モスティマさん」

「これは…」

「イラ、コレ開けてくれないかな?」

「お、おう…」

 

金属製の箱は硬く、厳重に閉じられていたが──イラの怪力の前にはなす術なく、無惨な姿となった。その中に入っていたものとは──。

 

「一握りの、飴……」

「と、手紙だね」

 

モスティマがそう付け加える。イラは手紙をそっと取り、中身を開く。横からバイソンが覗き込んで、手紙の内容を確認した。

 

 

[良い安魂祭を!]

 

 

 

「………」

「………」

 

 

 

 

 

 

 

「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷かったなぁ、マジで」

 

ジェイの屋台から場を移し、二人で入ったバーの席で俺はそう呟く。鼠王はもともと龍門の人達を危険に晒すつもりなど無かった。ただ、安魂祭という楽しいショーの裏で、自身の目に余る奴らを始末しようとしていたのだ。そこに俺たちが乱入し、事態をややこしくしてしまったわけだ。

 

そして俺は見事暴れたことがバレ、次の週は隊長と副隊長監修の下で業務を行わさせられた。もう二度とやりたくないです。あの抗争に巻き込まれて得るものより失うものの方が大きかったのはなんでなんだろうか。

 

「イラ、もう飲まないの?」

「……モスティマ。お前は飲み過ぎなんだよ」

「いいじゃん、久しぶりにこういう風に遊んだんだからさ」

 

…コイツも丸くなった気がする。久しぶりに会った時はキスやら何やらされたが、やりたい放題やって満足したのか今は落ち着いて(当社比)俺と会話できている。

そこで俺はふと、この飲みでの目的を思い出し、顔が赤くなっている目の前の女へ問いかけた。

 

「…なあ、モスティマ。今日、結構お前と出かけたよな?楽しかったか?」

「うんうん、すごく楽しかったよ」

「そっか!じゃあさ、()()()チャラにするってヤツ…」

「あぁ、そうだったね。うん、良いよ」

(よぉしっっ!!)

 

そのふにゃ、とした笑いと共に放たれた言葉に思わず内心ガッツポーズをしてしまう。勝ちを確信した俺は優雅に酒を飲む。これでもう、コイツに付き纏われることも──。

 

 

「安魂祭の打ち上げ『俺仕事あるから』って帰った事、無しにしてあげる」

「ああー、良かっ──え?」

 

思わずその顔を見ると、にやりと意地悪い笑みを浮かべた堕天使がそこに居た。

 

「いや…あの、それじゃなくて。いやまあ、その事も反省してるんだけど」

「…あぁ、あの村で交わした誓いの事言ってる?」

「そうそう!それだよ!将来結婚しようみたいな荒唐無稽な──」

 

「無理」

 

無理だよな!やっぱり無理………。

 

「え?」

「私飲みすぎちゃったのかな、君の口からそんな冗談聞くなんて…。それも、タチの悪い、ものすごく不快な冗談を」

「嫌、冗談じゃな──」

「……」

「いこともないんですけども」

 

にっこりと純真無垢な笑みを浮かべるモスティマを見て俺はすぐに口を紡ぐ。笑顔って威嚇みたいな事聞いたことあるんですけどこういう事を言うんですね。

そんな俺にしなだれかかる様に、モスティマは体を寄せてきた。アルコールが入った体は暑く、嫌でもその存在を確認できた。酒の匂いに混じって、柑橘系の香水の匂い。それは過去にも嗅いだことのある、懐かしい匂いだった。

 

「ダメだよ」

「え?」

 

「ずっといっしょに、いるの」

 

そう言って、モスティマは潤んだ瞳で俺の瞳を覗く。そこにはいつもの威圧感は無く、ただ一人の、女性としての本心が──。

 

 

「………お前、酔いすぎだ」

「そんな事ないよー。ほら、触ってみて。全然暑くないでしょ」

「そりゃあツノはね!」

 

マスターに言って代金を払う。車を手配するかと問いかけられたのだが、モスティマがそれを拒否した。お礼を言って、外に出る。夜の街の風が火照った体を冷ましてくれる感覚は心地よかった。

 

「ごめんねー、お金払ってもらって」

「…まあ、良いよ。奢るって言ったしな」

「えへへ。そう言うところも好き。…おとと」

 

ふらふらと千鳥足になるモスティマの腕を掴み、支えてやる。…コイツこんなに弱かったのか?無理に飲んでたんじゃないだろうな。俺は副隊長みたいになりたくないぞ。

 

「歩けそうか?」

「んー…無理かな、厳しいかも」

「わかった。乗れ」

「え?」

「背負ってやるよ。どこまでだ?ペンギン急便か、お前の今住んでるとこか」

 

背中を向け、しゃがむ。しかしいつまで経っても体重がかからないので、不思議に思い振り返ると──。

 

「…!」

「むぐっ!?」

 

キスをされた。甘いカクテルを飲んだのかと錯覚するほど、その味は甘かった。数秒してモスティマが口を離す。

 

「…聞かせて欲しい」

「…あ、ああ……」

「やっぱり、むり、かな…結婚、とか」

「………ああ」

「どうして?私、魅力的な女性に思えない?」

「──充分、魅力的さ」

「……」

「…俺は、ヤケになってた俺を助けてくれた人に、まだ何も恩を返せてないんだ。そんな状態でお前と一緒になったら、俺はお前の事よりそっちを優先しちまう」

「……そっか」

 

そう言い、モスティマは体を離して笑顔を見せた。その笑顔は先ほどの様なものではなく、純粋に笑っている、そんなものだった。

 

 

「──じゃ、待ってる」

「…俺がそのうち違うヤツの事好きになっちまったらどうするんだ?」

「取り返すに決まってるでしょ?私は割と強欲なんだよ」

「──あぁ。知ってる」

 

その俺の言葉にはみかみながら、モスティマは俺とは反対方向の道へ歩き始めた。…ん?

 

「あ、オイお前…!」

「またね、イラ。配達の時よろしく〜」

 

しっかりとした足取りで歩き去ったモスティマをぽかんと見送る。しばし思考停止していたが、大きくため息を吐き──俺も歩き始めた。

 

明日の仕事中に配達が来ることを思い出しながら、俺は深く伸びをした。




これで喧騒の掟は終わりですね。長かったな。他のネタ描きたくてウズウズしてたぜほんと。とりあえずここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました!


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ホシグマ副隊長に勝ちたい!

俺がアークナイツをやるきっかけになった人です。
誕生日に出せて良かった。


「──そういえば、私の有給が貯まっていてな」

 

近衛局のオフィスにて。休憩の時間にコーヒーを飲んでいたチェン隊長が話しかけてくる。俺の向かい側に座って前に行われた作戦の始末書を作成していたホシグマ副隊長は、首をこきり、と鳴らしながら隊長に目を向けた。

 

「隊長はいつもお忙しいご様子ですからね。貯まるのもまあ、妥当かと…」

「そういうお前も使ってないだろ、ホシグマ」

「え、お二人ともそんなに使ってないんですか?」

 

思わず口を挟んでしまうと、二人は息を合わせて頷いた。…マジか。確かに近衛局のトップだから、気楽に休む訳にはいかないんだろうけど一つも入れてないは…どうなんだろうか。

 

「ああ。最近はレユニオンも大人しくしている。だからな…ここらで一気に使おうかと思っているんだ」

「おお、良いじゃないですか!」

 

その俺の賛同の言葉に気を良くしたのか、満足気に笑みを見せた隊長は自分のデスクに戻り、タブレット端末を見せてきた。俺と副隊長は同時にそれを覗き込んだ。

 

「『今年も夏がやって来た![オブシディアンフェスティバル]!』…?」

「シエスタという観光都市で行われる祭だ。各分野のアーティストが集まり、パフォーマンスを披露する。ほぼノンストップでライブがある事から、その期間は眠らない都市と評されているらしい」

「ほえー…楽しそうですねぇ!」

「隊長がこのような場所に行くとは、思いもよりませんでした」

「私を何だと思っているんだ。私にだって楽しみたいと言う感情はある」

 

携帯をぽちぽちと操作し、こっちでも調べてみる。おお、すげえな。めちゃくちゃ賑わってるじゃん。…え、今年のゲストエンペラーさんなの?あの人どこにでも居るな…。

そんな風に驚いていると、今までの力強い声が嘘だったかの様に、隊長が声を窄めて俺に視線を向けて来た。

 

「そ…それでな、イラ。もし良かったら──一緒に行かないか?」

「あ、え?俺っすか?」

 

その突然の提案に惚けた声を上げてしまう。こういうのって大体同性の友達とかと行くんじゃないのか?それこそ副隊長とかと行けば良いのに。

そんな事を思っていると、俺の思考を読んでいたのか隊長は頬に手をつきながらじとっとした目を向けてきた。

 

「…じゃあ聞くが、お前は私とホシグマが居なくても一人で満足に仕事ができるのか?」

「……いや、でも最近は書類にもミスは無くなってきましたし、余程の事が無い限り──」

「──できないんだお前は。いいな?」

「ハイ」

 

泣いちゃうぞマジで。そんな凄まれながら『お前は仕事ができねえだろ』って言われたら人ってすぐギャン泣きできる事を実例を見せながら小一時間説明してやろうか?

 

「だから、まあ、何だ──。日頃お前には世話になっているし、その礼というのも込めてだな。…その、どうだ?」

 

た、隊長が優しい……。目を逸らしながら頬を赤くしてる隊長を見て、思わず胸を押さえてしまう。…久しぶりにこんなこと言われたな。飴と鞭の飴がようやく貰えた気分だ。

そんな事を考えながら俺は少し思案する。…行っても良いんならそりゃ行くけど…でも俺って──。

 

「──お言葉ですが、隊長」

 

その時、向かい側から声が上がる。キーボードを叩きながら、ホシグマ副隊長は冷静にこう言った。

 

「イラはもう、有給を使い果たしていますよ」

「あ、ですよね」

 

そう。俺の有給は、この前のマゼラン探検隊の時に全て消費していたのである。計画性が無い?うるせえよ黙れよ。

 

「それに、レユニオンの活動が最近静まっていると言っても何があるかはわかりません。その『何か』があった時に、小官一人では対処し切れない可能性も…」

「む──」

 

その一切の反論も許さない正論に、隊長も口を噤む。…まあ、そりゃそうだ。いくら副隊長が強いからと言って、人手は増える事は無い。指揮をしながら皆の盾になるってのも色々な面でキツいだろうな。

ま、隊長もそこは理解してくれると思うが俺もフォロー入れとくか。

 

「隊長、誘って下さったのはありがたいんですけどすみません。やっぱり副隊長の負担が大きいかなと。…後俺、海嫌いですし」

 

さっき調べた時に綺麗な湖が見えた。泳げない俺からすれば、近くにそれがあるだけで脚がすくむ。心から楽しめないと思うからやめとこっかなって言うのが六割程度であった。

 

「──分かった。まあ私は行くことにするよ。土産を期待しているんだな」

「お、やった!ありがとうございます!」

 

お土産って何だろ。黒曜石とかか?食べ物とかあったら良いなぁ。

そんな事を考えていた俺は、すっかり聴き逃していた。

 

 

「ホシグマ。私が留守の間──可笑しな真似はするなよ」

「可笑しな真似──。はて、小官には見当もつきませんね?」

 

 

冷たい視線を交わし合う、龍と鬼がそう呟き合っていたのを。

 

 

 

 

「そんな訳で、本日から三日の間隊長はご不在だ。その期間は私が隊長を務める。よろしく頼む」

 

朝の朝礼にて、そう締め括ったホシグマ副隊長に近衛局の職員は敬礼を返す。いつも隊長の扱きを受けている影響か、その動きには一切のズレはなく、気の緩みはどこにも見受けられなかった。それを見た副隊長は苦笑して、軽く手を振る。

 

「…ああ、そんなに硬くならなくていい、リラックスしてくれよ。鬼の居ぬ間に、と言う言葉があるだろう?私はオニだがな」

 

その軽いジョークに何処からか微かに笑い声が上がる。それを皮切りに、何処か張り詰めた空気が緩んでいくのを感じた。

 

「だが訓練はきちんとするぞ。休む時は休む、やる時はやる。メリハリを付けて行こう。20分後に組み手を行う。各々準備をして訓練所に集合だ。──では、解散」

 

 

 

 

「お前はすぐに攻撃を受け止めるクセがある。盾を持つ者としてその心根は正しいが、攻撃を受けると当然、盾も、身体も消耗する。受け止めなくても良い攻撃を見極めろ。守るべきものがあるならば、先ずは自分の無事を優先しろ。盾が早々に倒れては意味がないぞ」

「…はい!ありがとうございました」

「タフさはある。自信を持て。よし、次!」

 

そう評された隊員は、汗を流しながら何処か嬉しそうに去って行った。

副隊長は、問題点を指摘するだけではなく、その解決策や理由を丁寧に分かりやすく説明してくれる。

普段の訓練でも、副隊長に教わりたいと言う奴らが大半で、隊長が訓練の当番の時はグロッキーになるやつが大半である。まあそのおかげで俺は何回もリベンジできるんだけどね。

 

「はぁ…はぁ…!イラさん!今の、どうでしたか…!?」

「ん?ああ…」

 

副隊長に気を取られていると、新人の女性訓練兵が膝に手をつきながら俺を見上げてくる。そう、訓練の人手が足りないとのことで俺も臨時で教官役に任命されていたのだ。

 

「あー…こう、君のはガッ!って感じじゃん?だからもっと、ズガッ!って勢い付けたら相手もビビると思うぜ!」

「──ずがっ…ですか…?」

「そうそう、…イヤ、シュドッ!かな…?」

「あ、あの……少し、イメージが…」

 

おや。割と噛み砕いて説明したつもりだったんだけど。

それならばと、俺はその子の背後に立ち、腕を掴んでイメージ通りの動きをさせる。

 

「こうして、こう!…どう?分かった?」

「──は、はい…。あ、あの…ちょっと、私…汗が…」

「──あ、待ってごめん」

「え…」

 

顔を赤く染め上げ、汗で髪が額にへばりついた彼女は小さな声でそう呟く。その様子を見て、俺は即座に距離をとった。何処か唖然とした表情を浮かべる彼女に、土下座をせんばかりの勢いで頭を下げた。

 

「セクハラだったよねごめんね、いつも野郎共とばっかしてっから気が回らなかったお願いだから通報だけは」

「──そ、そんな!気にしてないですよ!」

「本当…?全然言ってくれればホシグマ副隊長と変わるよ…?」

「そんな事しなくていいです!イラさんに教えてもらいたくて、私はここにいるんですから!」

 

かーっ!見んねこの子いい子ばい!感動でお兄さん泣いちゃいそうだよ。あとでジュース奢ってあげよ。

 

「じゃあ、このままで行くよ」

「…はい、ご指導、よろしくお願いします…!」

 

そうか細い声を出した彼女の腕を再度掴み、俺は訓練を再開した。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

戦闘訓練が終わり、俺たち幹部は書類仕事に勤しんでいた。いつもとは違い、隊長が居ないので回ってくる書類が多く、俺は割と激務に襲われていた。

そんな中でもホシグマ副隊長はすらすらと仕事を片付けて行く。もう俺の四分の一ほどの割合になっている書類を見た俺はため息をついてしまう。

 

「早いですねぇ…」

「まぁな。お前は……」

「……すみません」

「はは、謝らなくていい。一人減るのはなかなか辛いからな」

「いやぁ…申し訳ないです」

「だから謝るなって。…それにな、私は実はすこし嬉しいんだ」

 

嬉しい?どう言う事だろうかと首を捻っていると、副隊長は作業を辞め、俺の目をじっと見つめて来た。

 

「お前と二人きりで、誰からの邪魔もされる事なく、お前と過ごせる事が、私は嬉しい」

「ふ…副隊長……!!」

 

そうはにかむように言った副隊長に俺は目頭が熱くなるのを感じた。

こんなんもう、一生ついて行くしかないじゃないですか。どれだけ俺の好感度を上げれば気が済むんだ。俺メスにされるって。

 

「ありがとうございます!!これからも頑張ります!!」

「あぁ。それと…」

 

俺は涙を堪え、書類に手をつけようとすると、その書類の束が半分、ホシグマ副隊長の手によって取られて行く。口を開けた俺が副隊長の顔を見ると、笑みを浮かべた副隊長が居て──。

 

「半分。手伝ってやるよ」

「抱いてほしい(脳死)」

「……は?」

「あ」

 

やっべええええ!!心の声が!でもこれは仕方ないじゃない!こんなんされたら誰でもこうなるわ!イケメンがいるんですもの、そんなん…もう、こう…ンァァァアッ‼︎

 

「………お前は」

「へ?」

 

心の中で内なる乙女を解放していた俺は、いつのまにか肩に柔らかい感触を感じていた事に気づく。ふわりと甘い香りが香る翠色の髪が、俺の首元をさらりとくすぐっていた。いつのまにか側に来ていた副隊長は、俺の手の上に手を置き、爪を立てその指を擽るように動かしていた。

 

「……よくないぞ、そういうのは…。フー……っ」

「あ、す、すいません…。つい心の声が」

「──ッ!!」

 

翠の髪の束がびくりと揺れる。そこからちらりと見えた山吹色の目は、ギラギラと輝いていた。そしてその口は何かを堪えるようにして歯を食いしばって震えていた。

……やっべ。怒らせたかな…!?調子乗りすぎた…!

 

「あ、あの」

「ふぅ……っ!!ふぅ、っ」

「えー…っと…」

 

ドンドン息が荒くなってるんですが。髪の向こう側からばっちりと目を合わせた状態から戻ってくれないんですが。あとさっきから引っ掻く力が強くなってます。ガリガリ手の甲削れてきてます。え、そんな怒る?『何言ってんの、キモ』で良いじゃん。良くねえよこの人にそんなの言われたら死ぬわ。

と、兎に角ご機嫌を取らないと…!──この手は諸刃の剣だ…多分この切り札使ったら俺は死ぬかもしれないが、まあ、なんとかなるっしょ!(楽観)

 

「──お酒!お酒飲みませんか!?」

「──は、あ?」

「今日終わったら酒ですよ、酒!俺が奢りますんで!どこでも着いていきますんで!ハイ!」

「……それっ、は…良いのか?」

「はい?」

 

 

「──ここまで我慢して、そういう誘いをして来て…そういう事で、良いんだよなァッ…………!!」

 

 

ヒィィィィィィッッ!!ガチギレじゃん!そんな!?そんな怒る!?そんな血走った目でそんな言葉を使うなよ、怖く見えるぞ。

その端正な顔は何かを耐えるかのように歪んでおり、もうNOとは言えない状況になってきている。でも一応……。

 

「えっと、なーんて──」

「オイ」

「──言うのがウソなんですよね実は!嘘の嘘的なね!?」

 

その地獄の底から響いてくるような声を聞いたオラはもう諦めたっぺ。

 

「──……ふぅ。すまんな。少し、荒ぶってしまった」

 

ガタガタ震えていると、突然副隊長は髪をかきあげ、息を深く吐く。…よ、良かった…!元の副隊長に戻ってくれた…!

 

「では、私の家で飲むとしようか」

「ん?」

「酒は買わなくて良いぞ、今日は秘蔵のヤツを開ける」

「ん?」

 

宇宙フェリーンと化した俺を他所に、ホシグマ副隊長はその真っ赤な口をがぱりと歪ませ、獰猛に笑った。

 

 

 

 

「つまみは……まあ、良いか。──どうせすぐに食っちまう」

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 

 

「「乾杯」」

 

ちん、とグラスを軽くぶつけ合い、ホシグマ副隊長は一気にそれを煽る、俺もちびちびと酒を口に付けた。

 

「ん、うまい…!」

「甘くて飲みやすいだろう、さぁもっと飲め」

 

夜の十一時頃。俺は副隊長宅へお邪魔していた。綺麗に掃除されている部屋に、シンプルな家具や装飾品。しかしキッチンには大量の酒瓶が並べられており、まるでそこだけバーのような空間となっていた。

俺は座布団に座り、部屋を見渡していると副隊長が真正面から俺の隣に座り直してきた。何故に。

 

「あまり女性の部屋をジロジロ見るもんじゃないぞ」

「す、すいません…」

「はは、良いさ。どれ、注いでやろう」

「あ、ありがとうございます」

 

グラスにまだ半分程残っていたので、一気にそれを飲み、次なる一杯を注いでもらう。そんな俺の様子を見た副隊長はにんまりと笑い、とくとくと酒をグラスに落とした。

 

「久しぶりに二人で飲むな、二ヶ月程前か?」

「あー……そっすねぇ…。最近は忙しかったですからねぇ…」

「そうだな、良く頑張ってくれてるよお前は。偉い偉い」

「ち、ちょっと…撫でないで下さいよ、俺ガキじゃねぇんですから!」

「ははは!」

 

頭を柔らかく撫でられ、羞恥心のあまり振り払う。そんな失礼な事をしたにも関わらず、副隊長は快活に笑って酒を飲んだ。

 

「うっ…ふう……」

 

その息を吐いた姿がどうにも艶かしく、つい目を逸らしてしまう。そもそもなんだその格好は。薄手の黒のキャミソールにショートパンツって。もう、目が万有引力(?)

 

「どうした、そんなに目を逸らして。部屋をジロジロ見るなって言ったろ?私だけ見ろよ」

「あ〜…空気ですね、空気見てました」

「なんだ、それ」

 

くつくつと笑う副隊長を他所に、何処か俺は体の異変に気づく。おかしい。俺はこの人達と結構お酒を飲んでいる。だから耐性はあるはずなのに、もう俺は頭が、ふわふわしてきているのはなんでだ…?

 

「俺ぇ…今何杯飲みましたっけぇ?」

「まだ二杯だ。もっと飲もう」

「あ、あの〜、俺今」

「もっと、もっと」

「うーっす…」

 

だめだよ、目上の人から注がれる酒は飲まねえと…。ぐびっと飲み干し、次の一杯を待つ。ホシグマ副隊長はそれを見て、この酒の説明をしながらまた注いでくれた。やさしい。

 

「こいつはな、度数が高すぎるんだ。私でも七杯で酔っ払うほどに。そして尚且つ飲みやすいからタチが悪い」

「はあ〜…すげえっすねえ」

「なあ、イラ。朝の訓練は楽しそうだったな」

 

朝の訓練。あぁ、あれか。

 

「ええ、強い後輩が一杯居て、俺もう嬉しくて嬉しくて」

「それは良かった。ところで…お前が背後から抱いた子は如何だった?」

「いやぁ〜のびしろですねえ!結構つよいですよ!」

「そうかそうか。あんなに密着していて、私は本当に怒っているぞ」

 

え。

 

「おこってんですか…?」

「ああ。だがまあ、昼の時にその機嫌は治った。お前が誘ってきたからな」

「あぁ〜なんだ!よかったぁ!おれもうホシグマさんに嫌われたらマジで、もう人生辛いんですよ!」

「ばか、嫌う事は無いよ。絶対にな」

「やったあ〜〜!」

 

 

 

「今から生涯一緒になるんだ。当たり前だろ」

 

 

 

あれえ…なんで俺押し倒されてんだあ。あ、あつい…。

 

 

「ホ、ホシグマさん…?」

「ああ…ッ!唆るからやめろって、ソレッ…!──食う。マジで食うからなイラ。覚悟しろよ…!」

「ええ…?あのですねえ」

 

「限界なんだよ」

「え」

 

「私が今までどれだけ我慢してきたと思ってる。今日だけじゃ無い、普段からもずっと我慢してきた。仕事だからと…だがもう、我慢は良い。私はずっと苦しんでたんだ」

「く…苦しんでた?」

「ああそうさ。チェンにいつも取られて、嗜めて…。チェン一人を警戒すれば良いと思えばペンギン急便やらロドスのオペレーター達も警戒しないといけない…苦しかったさ」

 

そ、そんな…。俺は。

 

「心優しいお前なら、私を安心させてくれるよな…イラ?」

「な…!」

「いただきます」

 

そう言って、ホシグマさんは目を瞑り、俺と顔を近づけた、そんな彼女に俺は──。

 

 

 

 

 

 

「うわああああああん!!!」

 

 

「!?!?!?!?」

 

 

「どうしてそんなになるまで相談してくれなかったんですかぁ!?」

「え、あ、イラ?」

 

困惑してるホシグマさんに俺は構わず泣きながら語りかける。

 

「おれ力になりたいんですよぉ!ですから俺に出来ることあれば言ってくださいよぉ!」

「い、いや…な、なんなら今は抵抗せず、何もしないでほしいんだが」

「何もすんなですかぁ!?俺は力不足ってわけなんですかあ!!」

「い」

「ヴァァァァァァォァァァァァァァ‼︎‼︎‼︎(泣き声)」

 

俺はなんでこんな非力なんだ。憧れの人の悩みすら気づけず、何が助けるだ!!くそッ!ドクター後でぶん殴ってやるからなぁ!!

俺は泣きながら唖然としているホシグマさんを押し除け、側にあったベットに包まった。

 

 

 

 

 

 

「な、泣き上戸だったのか……」

 

ホシグマはそう呟く。計画では、このまま既成事実を作ってゴールインだった。

 

(限界まで飲ませたことがなかったツケがここにきて──!)

 

ホシグマは歯噛みする。しかし、えぐえぐと喘ぎながらシーツにくるまるイラを見て、強硬手段は悪手と考えたのか、そっと彼のそばに座り、背中を撫で出した。

 

「…助けてもらってるさ、いつも」

「ヴァァァァァァォァァァァァァァ」

「お前が近衛局に入ってきてから、いつも私の心の支えになってくれてたのはお前だよ」

「ヴァァァァァァォ」

「お前のその優しさに、私は…惚れたんだ」

「ヴァァァ……」

 

「だから…その優しさを、今から…私だけに」

「ヴヴ……ぐぅ」

「………おい、待てイラ。お前まさか…」

 

がばっとシーツを剥ぐと、そこには気持ちよさそうにして口を開き、いびきをかいているイラがいた。

 

「お、おい…!待て!寝るな!起きろ!」

「むにゃむにゃ…もう食べられませんよ……」

「ベタな寝言を言うんじゃない!せめてヤることヤってから寝よう!な!?」

「があーっ」

「……あんまりだ」

 

揺さぶっても、軽く頬を叩いても起きない彼に、がっくりと項垂れたホシグマは気分が沈んだ。

 

「……はあ。ズルは良くないということか」

 

顔を上げ、イラの寝顔を観察する。長いまつ毛に、まとめられた髪。元々は、白銀だったらしい彼の髪色は今は鈍い灰色となっている。

 

初めて彼と相対した時。それは友好的ではないものだった。そんな彼を、今は騙してでも独占したいと思えるほど好きになるなんて、ホシグマは予想だにもしなかった。

ふと、大きく開けられた口を見る。横に倒されたため、重力という理に逆らえなくなった涎が、左内頬から右内頬に糸を引いて移動している様が見えた。

その頬は、まだ液体を受け止められそうな形をしている。

 

「…………」

 

静かに、起こさないように、ホシグマは秘蔵と名した酒を持ち、そして──。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。ホシグマの住んでいるマンション内にて、婦人達が井戸端会議に花を咲かせていた。

 

「ねえねえ、昨日の夜中くらいに、変な音しなかった?」

「それって、なにか液体を啜るような音?」

「そうよ!三十分くらい聞こえてきてもう寝れなかったんだから!」

「しかも獣みたいな鳴き声もしてなかった?怖いわぁ〜」

 

「おはようございます」

「おはようございます!」

 

そこを、翠の鬼と頭を抑える灰色の髪の男が横切る。

 

「ホシグマさんだわ…相変わらず素敵よねぇ!」

「いつもより凛々しいお顔立ちだわ!どこかつやつやしてる」

「あの横の人…ぐったりしてない?誰?」

「さぁ?」

 

 

 

 

 

 

昨日の勝負──引き分け。



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チェン隊長に勝ちたい!!

モンハンですやん…!
当たればいいな


「えー、本日からチェン隊長が復帰なさる予定だったが──。体調不良の為今日も私が隊長代理を務めさせてもらう」

 

そのホシグマ副隊長の言葉に近衛局全体が震える。ざわざわと喧騒が広まる中、ホシグマ副隊長は威厳とした態度で手を鳴らした。

 

「静かに。体調不良と言ったが、そう深刻な症状ではない。諸君らは気にせずいつもの業務に取り掛かってくれ」

 

そう締め括られ、朝の集会は終わった。…隊長、大丈夫かな。

 

 

 

「イラ、この書類の整理を頼む」

「……」

「…イラ?」

「──あ、はい。これですね」

 

手渡された書類を確認する。…またレユニオン達か。いい加減大人しくしてほしいもんだぜ、全く。ため息を吐きながら、俺は書類を片付け始めた。

 

 

「訓練、開始!」

 

そのホシグマ副隊長の一声で、訓練所の至る所から気合を込めた声が聞こえてくる。午後の訓練は、自分と実力差が互角の相手と組み手を行うものだった。

俺の相手は副隊長である。元々は隊長と訓練をするはずだったが、今日はお休みの為代わりに俺が代役を務めているというわけだ。

言わずもがな、彼女の最大の特徴はその大盾。今は『般若』は使っておらず、訓練用の盾を持っているが、それでも俺との差は歴然だろう。俺はジリジリと距離を詰め、ホシグマ副隊長に一撃を食らわせようとする。

 

「うおらっ!」

 

右ストレートを放つが、難なく塞がれてしまう。俺の馬鹿力も副隊長の前ではいなされ、無力化されていく。…流石だな、ホシグマ副隊長。俺も、足引っ張らないように頑張らねえと…!

 

「うおおおっ!!」

 

俺は上段蹴りを見舞う。並の兵士が受ければそこが急所となるであろうその破壊力──しかし、訓練所の床が少し抉れるほどの馬力で放ったそれも、副隊長の前には無と化す。

 

「──ふっ!」

「なぁ!?」

 

盾で足を受け止め、そのまま俺の無防備な軸足を足払いする副隊長。俺は無様に転げてしまい、そのまま上から盾で潰される様に拘束された。

 

「があ…っ!?」

「……勝負ありだな」

 

呼吸ができずに喘ぐ俺を見て、ホシグマ副隊長は一つ、息を吐いた。

 

「──イラ」

「げほっ!げほっ、は、はい!」

 

「今日はもう、上がれ」

 

 

「──え?」

 

 

その放たれた言葉に、俺はただ呆然とするだけだった。

 

 

 

 

 

「はあ……」

 

俺は深いため息を吐きながらトボトボと歩く。

ホシグマ副隊長曰く、俺は集中できていない。そんな様子で訓練に参加しては、他の隊員の士気にも関わるし、怪我もされては困るとの事だった。

 

(……辛いなあ)

 

ホシグマ副隊長にそれを言われたのが辛い。注意だけでは無く、俺への心配までもして下さったという気遣いも見えているので、余計辛い。

そして、俺が今手に持っている書類。それはチェン隊長の印鑑が必要なものであった。上がるついでに、俺が自宅まで行って印鑑をもらってこいと指示された。

 

「…何も俺じゃなくても…」

 

…ダメだな、マイナスな事しか考えられなくなってる。副隊長はわざわざ俺に頼んでくれたんだ。その責任は全うしないと…。

そんな事を思っているうちに、俺は教えられたマンションのエントランスに着いた。部屋番号を打ち込み、インターホンをゆっくりと押す。

 

『……はい』

「──あ、近衛局のイラです」

『っ、イラ?どうして…』

「えと、隊長の印鑑が必要な書類がありまして…」

『……』

「……」

(え、無言?)

 

何故か無言が続く。何でだ…。そう疑問に思っているとエントランスの自動ドアが静かに開く。呆気に取られていると、スピーカーから一声。

 

『…入れ』

 

ぶつ、とそれだけを残して通信が切れた。しばし放心していたが、自動ドアが閉まり始めたのを見て、俺は慌てて滑り込みに行った。

 

 

 

エレベーターを使い、隊長の部屋まで辿り着く。そこでチャイムを押そうとするが──そこで何故か、俺は指を動かす事を躊躇した。

…隊長の家…。な、なんか、緊張するな。今更だけど…。まぁ、書類を渡したら帰るんだけどな。

少し滅入った気分になりながらも、今度こそチャイムを押して──。

 

「──おつかれ」

 

いつも結んだその艶やかな髪を下ろし、ラフな格好をしたチェン隊長が扉を開けた。その顔は僅かに赤らんでおり、瞼もいつもより落ちている。

そんな今まで見たことのない彼女を見て、俺は言葉を発する事が出来なかった。

 

「…?どうした」

「や、あぁ、いえ、何でも…」

「おかしなやつだな…。けほ、けほっ」

「あ、無理しないでください。印鑑貰ったらすぐに帰りますね」

 

また上司に気を遣わせてしまった。早めに用事を終わらせてすぐに帰ろう。そう思い、提案をしたのだが、当の本人はきょとん、とした目で俺を見る。

 

「…え、えっと。隊長?」

「──何かあったか?」

「え──」

 

その優しい声に、俺は何も言えなかった。そんな俺を見て、隊長は後ろを振り向き、そのまま手招きをする。

 

 

「とにかく上がっていけ。私もお前も、立ちっぱなしは辛いだろ?」

 

 

 

部屋はこまめに掃除が行き届いているのか、とても綺麗な印象を受けた。物は少なくテレビやテーブル、ベッド、そしてイスが置かれていて、ザ・コンパクト部屋だった。

 

「何も無くてすまない」

「え、あいや!逆に申し訳ないです、上がっちゃって…」

「茶でも出そうか。──っと」

「隊長!」

 

ふらっ、とよろめく彼女を慌てて支える。感じられる体温は高く、まだ完治していないと判断できるほどだった。

 

「隊長、寝てください」

「いやしかしだな──」

「お願いします」

「………」

 

その俺の懇願にしばし固まった後、隊長はベッドに向かい、そこに腰掛けた。

 

「これで勘弁しろ。寝過ぎて逆に気分が悪いんだ」

「…まあ、それなら…。気分悪くなったらすぐ寝てくださいよ!?」

「わかったわかった」

 

うんざりした顔を見せる隊長に、俺は憤慨する。今の俺なら簡単に取り押さえられるからな。…アレ?もしかして今勝てるチャンス?

 

「──それで、どうしたんだ?」

「──え?」

「何かあったんだろ。言ってみろ」

 

そんな危ない思考は隊長の問いかけでシャットダウンした。つーか病気じゃないと勝てないって思う俺って…なんなん?

 

「いや、でも特には…」

「明らかに声にハリがない。しかも今はまだ訓練の時間だろ?となれば、何かあるのを疑うしかないだろ」

 

なんで分かるんだよ凄いな…。流石の洞察力に辟易としてしまう。俺は観念して、今日起こしてしまった失態を隊長に懺悔するかのように報告した。

 

 

 

「珍しいな。お前がそんな集中しないなんて」

「滅相もございません…」

 

ベッドに座って足を組む隊長の目の前で正座をする。しなくても良いと言われたのだが、これは俺が自分に課した罰だ。誠意を示す態度と言えば正座だろう。反省の意を示す俺を他所に、隊長は顎に手を当て考え始めた。

 

「ふーむ。近衛局のトップが集中出来ていないのは問題だな。…原因は分かるか?」

「原因、ですか?…特には」

「普段の生活と今日。何かが違った筈だ。それを思い返してみろ」

 

何か、何か…何かが違うって言われても…。

 

「──あ」

「なにか分かったか?」

 

思わず声を上げてしまう俺に、隊長は目を向けた。

 

「隊長が、その…体調不良って聞いて、それでかもしれません」

「──」

 

思えば朝からも少しぼーっとしてる時間が多くなっていた気がする。書類仕事もロクに手につかなかったし。あ、きっとそうだ。

 

「ふーん?つまり?お前は自分の不調を?私のせいにしようと?したわけか?」

「ち、違います!!」

 

それだけは違う。これは俺の心の持ちようによる問題だ。決して隊長のせいじゃない!

そう思い弾かれたように顔を上げると、そこにはニヨニヨと頬を緩めさせ、自分の尻尾を弄る隊長の姿があった。

 

「全く、仕方のないやつだな。お前は本当に…」

「…すいません」

 

ぐうの音も出ない。結局のところ、俺がなんと言おうとそれは言い訳にしかならないのだ。こんなんじゃ、隊長どころか近衛局のみんなにも顔向けできない。

 

「…やっぱり俺なんかが、部隊長をやるなんて」

 

「──図に乗るなよ、イラ」

 

 

先程までのふわふわした声とは違う、凛とした声。戦場に身を投じた戦士の顔付きで隊長は俺の言葉を切り捨てた。

一瞬で室内の空気が張り詰める。無数の剣を突きつけられたような感覚に陥った俺は、ただ次の隊長の言葉を聞く事しかできなかった。

 

「常日頃から感じていた責任やらなんやらがあるんだろうがな。“私が”お前を選んだんだ。ならその責務を果たせ」

「……っ」

「今は納得出来なくてもいい。だが、お前は既に『龍門近衛局突撃隊長』のイラなんだ。その肩書きを背負って、納得するまで足掻け。放り投げることは許さない」

「──」

 

──そうだ。俺は何のために近衛局になった?大事な人を二度と失わないためだろうが。それをちょっとの失敗で落ち込んで、女々しい姿を隊長に見せて──!

 

「──隊長!!」

「うるっさ…!喧しいぞ!」

「すいません!ありがとうございます!!」

 

俺は立ち上がり、頭を下げる。俺が俺自身を信じれないというなら──俺を信じてくれる隊長達を信じる。そうする!!おれきめた!!がんばる!!!(幼児退行)

俺のそのクソデカ謝罪を受けた隊長は、耳を塞ぎながらも笑みを浮かべた。

 

「はあ…まあ、やる気が出たなら良かったというか」

「やる気っすよ!任せてください!!」

「あーーーうるさい!!集合住宅なんだぞここは!?」

「スマッセン!!うおおおおお!!」

「お前話聞いてたか?近所迷惑になるからやめろ!」

「痛ぇ!?」

 

隊長が自分の布団から赤霄を取り出してそのまま俺の後頭部をぶん殴ってきた。ひどい。俺はこんなにもやる気を出しているというのに!

そうした抗議の目を向けようとすると──。

 

「ぐ…!」

「隊長!!」

 

ふらりと先程より酷くよろめいた隊長を抱き留め、そっと横に寝かせた。腕の中の隊長は、恨みがましい目を俺に向ける。

 

「…お前が私に大きな声を出させるからだぞ」

「あああ、すいません…!」

「はあ…全く…!また汗が出始めたじゃないか…!」

「シ、シャワー浴びますか!?お湯貯めましょうか!?俺に出来ることがあれば何でも言って下さい!」

「今なんでもって言ったか?」

「え」

 

その言葉を皮切りに、隊長は服に手をかける。慌てて目を隠す俺を他所に、続けて隊長はこう言った。

 

 

「──じゃあ、身体を拭いてもらおうか。汗をかいてべとべとなんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

最近魚介を食べたいと思ってたんだ。そうだジェイにこんど頼んで作ってもらおう。ウニな。ソーンズ連れて共食いさせようぜ!

 

「──んあっ…ん」

 

扇風機 俺の心に 扇風機 どっちかと言えば眠たいが、さてはおむすびを転がしてるな?俺の目は誤魔化せないぜバーロー蘭。

 

「あはッ…!も、もう少し、下を……」

 

実は俺エレベーターガール目指してんだよね。客の要望に応えてボタン押して下に参りまーす的なね!?わかる!?わかれ!!

 

「──イ、イラ…ぁっ!」

 

平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心平常心

 

 

 

「──ふうっ!すっきりした!」

「ヒュー…っ!ヒュー…ッ!」

 

 

耐えた…!俺は耐えたぞ…!げっそりとした俺とは対照的に、つやつやと輝いているように見える隊長。ま…マジで危なかった…!

 

「ご苦労だったな、イラ。今度からも頼むぞ」

「じょ、冗談ですよね…?」

「んー?」

 

誰か助けてくれ。俺この人に殺される。

満面の笑みでこちらを見つめる隊長は伸びをして、ベッドに倒れ込む。目元に腕を乗せたまま、ぽつりと呟いた。

 

「まあ…裸を見せられるのはお前しかいないからな。こんなこと言うさ」

「──」

 

その言葉に息が詰まる。本来であれば、容姿端麗な彼女にそう言ってもらえる事は光栄な事だろう。だが、今俺に降りかかったその言葉は、全く別の意味を表していた。

 

「源石病、進行しているだろ?」

 

俺は避けていた。彼女の裸を見るのを。正確に言えば──、彼女の体にある、黒々と光る源石を。

その問いかけに、俺は静かに頭を振る。

 

「…分かんないです。俺、そこまで詳しくないですから」

「──優しいな、お前は」

 

その俺の苦し紛れの声に、ふっと儚げに笑う隊長を見て、俺は何も言えずにいた。そのまま隊長は続ける。

 

「源石病と言う名の不幸は、貴族にも、市民にも、愚者にも、英雄にも──どんな者にでも降りかかる可能性がある」

 

「私は感染者差別を根絶させるという強い意志を持っている。だが、たまに思う時があるんだ。…本当は、そんな事をしても意味はないんじゃないのかと」

 

「非感染者から今は感謝を受けている。だが私が感染者だと公表すれば、手のひらを返したように今度は私を蔑むだろう。そんな事を龍門の市民はしないと信じたいが──」

 

「──いや、回りくどかったな。私は怖いんだ。差別される事がではなく、新しく差別をする人間を生み出すかもしれないと言う事が」

 

 

 

その懺悔とも取れる独白を、俺はただ聞いていた。いつも気丈で、感情を見せないチェン・フェイゼはどこにも居なかった。そこに居たのは、信じる者に裏切られるかもしれない信念を、それでも大事に持ち、貫き通す一人の女性だけだった。

 

「──もし、私が」

 

 

 

「もし、私がその恐怖に屈して──、全てを諦めた時。…お前が私を止めてくれ」

 

その言葉は、いずれ自分はその場面に直面する──そんな確信を持った様な感情が乗せられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はありがとう」

「…いえ。俺も、元気貰いましたんで!」

 

帰り際。玄関で見送ってくれた隊長に一礼して、マンションを後にする。

……俺はあの問いかけに返事をしたが、それが最適解なのかどうか分からない。ただ、俺が思ったことは──。

 

 

(その時にならないために、俺が動く)

 

 

俺を拾ってくれた彼女があんな表情をするのは、絶対に嫌だ。だからあの人がそんな心配をする暇がないほど、俺が頑張る。

そう思った後、途端に体がやる気を帯びてくる。全身に力を入れ、鼻息荒く俺は走り始めた。

 

 

 

 

 

「──ホシグマ副隊長!!!」

「──うおっ、…イラ?どうした」

 

 

 

 

「──訓練、お願いします!!」

 

 

(目指すは皆円満ハッピーエンドだ。頑張れ、俺!!)

 

 

 

近衛局に帰り、その勢いのままホシグマ副隊長に頭を下げる。俺は自分を鼓舞しながら、そう決心した。



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お兄様に勝ちたい!

ノイ×ヤトしか勝たん。もうイベント見るたびにしんどくなるのやばいって。これが推しカプってやつっすか承太郎さ〜ん!?
どっちも来てくれたから嬉しかった!


「ドクター、妹達が世話になっているな。いつも感謝している。じゃじゃ馬達の面倒を見るのも一苦労だろうに」

「…気にしなくて良い、むしろいつもこちらが助けてもらっている…?──ははっ、妹達は本当に良い上官に恵まれているな」

「ふふ、お詫びとして、今度私と飲んでみないかい?それこそ、夢心地の様なひとときを楽しませてあげたいな」

「お前はただ酒を飲みたいだけだろう。これ以上迷惑をかけるんじゃないぞ、リィン」

「おや、これは手厳しいね」

「はぁ……。それでドクター、少し頼み事があるんだが…あぁイヤ、そんなに身構えなくても良い。ただ──会いたい人物が居るんだ」

 

 

 

 

 

 

 

今俺はロドスに来ている。いつも通りに仕事をしていたら、突然ロドスの職員が慌てた様子で近衛局に駆け込んで来て、俺をロドスに招待したいと言い出した。

もうこの時点で既に怪しさ満点である。それを見た隊長は行かなくても良いと言っていたのだが、連合作戦で世話になっている身としては、円満な関係を築いていきたいし、尚且つロドス側の面子の事も考えた結果、来訪することにした。チェン隊長にはあとで何か買って帰ろう。そしたら機嫌は治るはず…だろ、うん。

 

「ここですか?」

 

ロドスの職員と歩く事十数分。目的の場所に辿り着いた俺は、ぺこぺこと頭を下げながら去って行く彼を見届け、その扉へと向き合う。

…こんな扉、ロドスにあったか?なんだっけ、確か…炎国…だっけか?この装飾は。

見たことのない扉に辟易しながらも、俺は一つ息を入れ、拳を握り軽く扉を叩いた。

 

「失礼します……」

 

重厚な扉を開けると、そこには俺もよく知る人物が並んで座布団に座っていた。

 

「あ。ニェン、と…シー!?」

「よっ」

「…何で私を見てそんなに驚くのかしら?」

 

いや、驚くだろ。いつも絵の中に篭ってるシーが外に居るんだぞ。しかもましてやニェンと一緒に座ってる光景なんかレア物以外のなんでもない。

それにニェンもどこかおとなしいというか…。そんな落ち着いて座る事なんて出来たのか。

 

「…ん、まぁ──ほら。ここ座れよ」

「はあ?何勝手に決めてるの?…イラ、隣に座りなさい」

 

ぽんぽんと二人が同時に自分の横を叩く。そして同時にお互いを見つめる二人。

 

「……お前の隣に居てもなんにもつまんねえと思うぜ?どーせ絵の話しかしねえんだろ?イラはそういうの興味無いってさ。お姉ちゃんに譲れよ」

「あら、激辛料理を食べ過ぎると記憶の捏造と虚言の症状が出るのね。ロドスに検査してもらいなさい?イラは静かに、そして風情を私と楽しむことが好きなの。妹優先してよ」

「…あ?」

「……」

 

なんでいつもこうなるの?ほんっと仲悪いなてめえら!睨み合うその姿はまるで双龍が縄張りを巡って熾烈な争いを繰り広げんとする様だった。

 

「──じゃ、イラに決めてもらおうぜ」

「ふぅん?負けると分かる試合をしてくれるなんて優しいのね、お姉ちゃん。イラ?こっちにおいでなさい」

「はっ、言ってろ。──イラー、『約束』。覚えてるよな?」

 

 

そして結局俺が決めるんすね。そうですよねいつもこんなんですよね!

…よし、シュミレーションしてみよう。ケース1。

 

『ニェンにしようかな』

 

『は?(筆を取る)は?(絵を描く)は?(閉じ込められる)は?(終了)』

 

…そしてケース2。

 

『シーにしようかな』

 

『約束って言った(麻雀する)約束って言った(麻婆豆腐食う)約束って言った(炎で炙られる)約束って言った(終了)』

 

 

ふーん、えっ、死じゃん。俺。死んじゃうじゃん俺。なんでどっちも四手で俺詰むんだよ。実は仲良いだろお前ら。

 

「イラ…?」

「早く…」

 

内心絶望していると、二人に催促されてしまう。…まあ、こうなったらこれしか無いよね。

俺は二人と対面する様に俺は腰を下ろす。あ、と息の漏れる音が二つ聞こえたが、俺は構わずあぐらをかいた。

 

「…イラ?そこは、やめといた方が良い、と思うぜ?」

「とか言うけどな、ここ座っとかないとお前らが喧嘩するだろうが」

「……知らないからね」

 

へっ、なんとでも言いやがりな。これが最適解なんだよワトソンくん。

ひとまず落ち着いた空気を取り戻した所で、俺は本題に入っていく。

 

「なんで俺を呼んだんだ?二人揃って珍しいけど…」

「あー、それな。お前を呼んだのアタシたちじゃねえんだ」

「…どう言うこと?」

「私達も招かれた側ってこと」

「…誰に?」

「それは──」

 

 

 

「その必要は無い、ニェン。私が自分で名乗ろう」

 

 

突如、俺の右側から低い声が聞こえた。

 

 

「──ッ!?」

「初めまして。私はチョンユエと言う。イラ殿で間違いないか?」

 

気づけなかった。横を見ればすぐ側に、黒と白が混ざった様な髪をした男が座っていた。その佇まいは凛としていながらも、和らかな雰囲気を漂わせている。男──チョンユエさんは、優しい笑みを浮かべ、俺を見つめていた。

 

「…な、い、いつの間に…!」

「──最初からだ」

「え」

「貴殿が妹達と仲睦まじく会話をしている時から、ずっとここに居たぞ」

 

嘘、だろ…。そんな最初から居たにも関わらず、姿が見えなかった…!──いや違う、これは…気配を消して、極限まで姿形をも無くしてたのか…?と言うか待てそれよりも──。

 

「──ん?妹?」

「ああ、妹」

 

 

「────はあああ!?」

 

 

 

 

「改めまして、兄のチョンユエだ。いつも妹達が世話になっているな」

「あ、これはご丁寧にありがとうございます。イラです。…あの、分からなかったとはいえ、こちら側に座ってしまい、大変申し訳ございませんでした…」

「はは、律儀だな。元はと言えば私が悪戯を仕掛けたのが良くなかったんだ。気にしなくて良い」

「イヤほんと、分からなかったです…。それって、鍛えればできるものなんですか?」

「あぁ。だが永い、永い年月を経て初めて学べる技なんだ」

「へえ…!じゃあ、チョンユエさんは凄く、努力家というか、ストイックと言うか…凄いかっこいいです!」

「いやいや、そんなことは──」

 

 

「──なあ。あたし達をほっといて何二人で話してんだよ」

 

ふと、その声を聞いて俺達は気付く。自身の存在を無視された二つの龍が怒気を放っているのを。

ニェンは肘を付き分かりやすく顔を顰め、シーはつまらなさそうに自分の手の爪を手入れしていた。…うわ。あれ結構怒ってるやつだ。前にもあの仕草してて、そのままスルーしてたらなんか急に不機嫌になった時があったんだよ…。

折角俺が近衛局での生活を話していても、

 

『つまらないわ。──そんなの私が描けばいくらでも体験できる様なことだけじゃない』

 

と顔を背けて絵を描いていた。それで気まずくなって帰ろうとしたら腕に尻尾巻きつけるから帰れねえし困ってたなあ。

 

「そんなに怒るな、イラ殿を取るつもりはないさ」

「どーだか…。イラに会いたいって言ったのは兄貴のくせに。…アタシのなのに……」

「そう拗ねないでくれ。私はただ確かめに来ただけだ、イラ殿の実力を」

「実力…ですか?」

 

その単語につい、口を挟んでしまう。するとチョンユエさんが一つ頷き、何やら含みのある笑いを浮かべ、俺を見る。

 

「ああ。私がロドスに来たのはつい最近の事なのだが、その間妹達から君の話を長々と聞かされてな。言っては悪いが、この地に二人がそれほど気にかける者は居ないと思っていたのだが──」

「え?二人がですか?」

「オイ兄貴!」

「ちょっと、やめてよ!」

「ふふ、すまない。口を滑らせてしまったな」

 

その事実を聞いて思わず俺はニェンとシーの方を向く。二人は身を乗り出して慌てた様子で頬を染めていた。

……ほ〜ん?俺はニヤニヤしながら二人に問いかける。

 

「オイオイ何だよ二人とも〜。俺の居ない所で俺の事言ってくれちゃって〜」

「は?何チョーシ乗ってんだよ。確かにオメーの事は兄貴に喋ったけどな、それは面白えやつが居たから話しただけで他意はねえ」

「…そうね、特にこれと言って特筆するような人が居ないんだもの。仕方なく…そう、仕方なくね。勘違いも甚だしい」

「ソッスカ」

 

その冷たい視線を一身に受け、俺は即座に縮こまる。そんな言わなくても良いじゃん…。

 

「…いつもこうなのか、お前達は…?」

 

その時、呻くようにチョンユエさんが何かを呟いたが、俺の耳には届く事は無かった。

 

 

 

「腕相撲をしよう」

「はあ」

 

 

そう言うチョンユエさんに、あいまいな返事を返す。実力を確かめるのに腕相撲?と思ったのだが、とりあえず腕まくりをしてちゃぶ台に肘を付く。

 

「ふむ…毎日の鍛錬を欠かしていない筋肉をしているな。勤勉なのは良い事だ」

「ありがとうございます。…あの、俺異常に力強いんですけど大丈夫ですか?」

 

俺はそうチョンユエさんに警告した。…最近また力が強くなってたからな。普通の人と握手するだけでも気を遣わないといけなくなっちまった。俺バケモンになってない?大丈夫?

 

「オイ、イラ。兄貴は──」

「いや、良いさニェン。…ははは、この私が心配されるとはな」

 

 

 

 

 

チョンユエは和やかに笑いながら、イラと手を交わす。二人の妹達が何か言いたげな表情をしているのを横目に見ながらも、あえて彼は何も言わなかった。

事は一週間前まで遡る。

 

──兄貴!紹介したいヤツが居るんだ!将来アタシのモノになるおもしれーやつ!

 

そうニェンが息荒くチョンユエに捲し立てた時、彼は意味を理解するのに時間がかかった。幾星霜の時を歩いてきたチョンユエが悩む事などそうそう無い。

しかし彼は聡明であった。その意味を理解した後、これはこの可愛い妹が自分に対して釘刺しをしているのだと、そう悟った。

ニェンはあっけらかんとした性格だ。大抵の事は面白そうであればそれに付き合う度量もあるし、創り出す物は大切にはしているが、そうあまり執着はしていない。

そんな妹の目に、チョンユエはどろりとした感情を見た。それは彼が見てきた人間達の負の感情に似た物。他人に心を掻き乱され、愛憎乱れるその感情を、妹はいつの間にか心の内に秘めていた。

チョンユエは、ニェンのその感情に気付いており──それでも、それを否定する事は無かった。今まで『執着』と言う行動を取る事が無かった彼女が、初めて実の兄に取られまいと意思を示した。その事実こそが大切だと、チョンユエは教官では無く、兄としてそう思った。

 

チョンユエは快くニェンの願いを承諾。それを聞いて朗らかに笑ったニェンは、日程は自分に任せる、と言ってどこかに去っていった。仕方ない、とため息を吐きながらも、内心楽しみにしていたチョンユエは、当日何を話そうか、そしてどのような菓子折りを持って行こうか悩んでいたその時、珍しくシーが彼の元を訪ねてきた。

いつも絵の中に篭り、外に出る事があまり無い彼女が外出した事に驚愕していたが、頬を朱に染めたシーの言葉で、チョンユエは白目を向いて卒倒することになる。

 

──今度時間を貰えない?紹介したい人が居るの。

 

その名前は、ニェンが口にした者と同じ人物であった。

チョンユエは白目になりながら頭を抱える。こんな事ある?

悩みながらも考えた。これは拙いと。二人の妹達が共通の異性に好意を──いや、もはや独占欲と言った方が良いか──それを持っているその事実が、彼を拙いと考えさせた。

ニェンとシーは常識を超越した力を持っている。もし痴情のもつれで、ひょんな事で本気で二人がぶつかり合えば、おそらくその場に生息している生命体全てが無に帰すであろう。

故に、チョンユエは二人の想い人──イラという人物を確かめに、この場を作ったのだった。

……そして、もし、仮に。思いたくはないが、イラという者が妹達を不埒な思案で誑かしているその時は、()()()()()()。そうチョンユエは思った。

 

 

 

「──ん?なんか悪寒が…?」

 

そんなことは露知らず、イラは突然自分を襲う悪寒に疑問を抱いていた。室内の温度は過ごしやすく、またイラを狙う脅威も無い。じゃあ何故だと首を傾げていると、笑顔のチョンユエがしっかりとイラの手を握った。

 

「──ッ」

「…ほう」

 

そして、二人の表情が一変する。イラは、目の前の男の手から、積み重なる歴史を感じていた。

 

(な、何だこの人…!力強いというか、俺と密度が違う…。どんな鍛え方したらこんな圧を持てるんだ…!?)

 

固唾を飲むイラ。その一方で、チョンユエもイラの手を介して認識を改める。その目は先ほどの柔らかいものではなく、すでに戦術教官としての鋭い目をしていた。

 

(これまで出会った強者の中で、間違いなく頭一つ飛び抜けて力が強い…。体の筋繊維が、余すことなく力を入れられるように形成されている──。これは、鍛錬で身につく物ではない)

 

明らかに雰囲気が変わった二人を見て、ニェンはニヤニヤとする。それは自分の好いた男が、今、明確に兄の目に適った事に笑みを溢さずにいられなかった為だった。

 

(兄貴は強い奴も好きだし、それよりもっと常識的な奴が好きだ。イラはそれに当てはまってる。さっさとアタシ達の関係を認めて貰って、繋がって、他の奴らが居ない所に行って暮らそう)

「頑張れよーイラ!」

 

そしてそれはシーも同様だった。ニェンほどではないが、確かにその口元に笑みが浮かんでおり、目元もどこか酔った風な様子でイラを見つめている。

 

(この勝負で兄さんを認めさせる事ができれば、晴れて私たちは一緒…。約束を取り付けた瞬間、絵の中に閉じ込めればずっと一緒になれる…。ニェンが入ってこられないように、絵の世界の中で更に絵を描く。それを永遠に繰り返して、私と一生を過ごすの…ふふ、楽しみね)

「応援してあげるわ、まあ勝っても負けてもどっちでもいいケド、せいぜい頑張りなさい」

 

 

その悍ましい考えを奥底にしまい、イラにエールを送る姉妹。これでもしイラがチョンユエを認めさせればその瞬間にイラの人生が終了してしまうのは確定した。

それならば、みっともなく負ければいいのだが──。

 

 

「──ふー…」

 

 

この男、今までにないほどの実力者を身体で感じとり、精神統一をして本気で勝ちに行こうとしている。終わったね。

そしてそれはチョンユエも同じ。真っ直ぐイラを見つめ、腕に力を込めていた。

 

「…では、二人のどちらか。合図を頼む」

「──お、おう…じゃ、アタシが言うぜ」

「………」

「よーい…」

 

静まり返った室内。痛いほどの静寂が数秒続き──、ニェンの潤った唇が、ゆっくりと開いた。

 

 

「──どん」

 

 

 

 

「──ッッッッ!!!」

「………!」

 

 

 

その合図が出された瞬間、シーは目を見開く。それはまさに、『力』と『技』がぶつかり合う様だった。

イラの腕力は、チョンユエでも真っ向から受ければ恐らく押し負ける。ならばと、莫大な経験値を溜め込んだ『技』を持ってして、力を受け流す作戦に出たのだ。

 

「ぐうううっ……!!」

(お……重す、ぎ…!山を動かそうとしてるみてぇな感じだ…!!と、いうか、何だコレ、力、全然伝わんねえ…!)

 

右腕を倒そうとすると、重心をずらされ自分が倒されないように力を調節しないといけない。イラは本気を出せずに居た。

 

(圧倒的に格上…上手すぎだろ…!)

 

 

 

チョンユエは、この世界に生を受けて初めてと言って良いほど驚愕した。自分は人間を超越した概念であった。今はその力は捨てたが、それでも人間という『枠組み』からは逸脱している。

その上位種と言っていい彼を──目の前の男は、ただの『力』一つで均衡するまでに追い込んでいた。

 

(…危なかった。開始して直後に重心を弄っていなければ、私は負けていた──)

 

汗を流しながら、チョンユエは久方ぶりに楽しいと感じた。何かを競う対決では、周りの者が汗を流す中、実力が離れているチョンユエはそれらを見ているだけであった。もちろん、研鑽しあう者たちを見る事は苦では無かったが、そこには一種の寂しさがあったのだ。

だが、今は──。

 

(認めざるを得ない──そして、私も負けたくない──)

 

犬歯を剥き出しにして獰猛に笑ったチョンユエは、腕に力を込めて、勝負を決めに行く。

力を流しながら、全力で力を込める。相反するその動作は、極めると言った言葉を使うのも烏滸がましいほどの鍛錬を積み重ねた者にしかできないものだった。

 

「ぐ、ううおお!?」

 

突如均衡が崩れ、イラ側に腕が倒れ始める。目を剥いて、イラは力を込めようとするが、チョンユエの巧みな技でさらにそれが深まっていく。

 

(ま、マズイ──)

 

敗北。そのイメージが浮かび上がる。だが他のオペレーター達がチョンユエの実力を知っていれば『仕方がない』とイラを慰めるだろう。それほど、両者の間には天と地ほどの『技量』の差が出ていた。

だがしかし、イラは諦めない。思い出すのは、この前の大切な人との会話──。

 

『もし、私がその恐怖に屈して──、全てを諦めた時。…お前が私を止めてくれ』

(強くなるって決めたんだ。こんな所で、こんな所で──!!)

 

 

「負けるかああああああッ!!」

「な──!」

 

 

イラの腕の筋肉が異常な程に盛り上がり、右腕に全ての力を漲らせる。自分の腕を押し返し、再び拮抗の状態に戻ったその事実に、チョンユエは驚愕した。

 

(まさか──!)

 

積み重なる歴史。数えるのも馬鹿らしくなるほど鍛えてきた『技』が今、ただの上位種でも無い人間が絞り出す『力』だけにねじ伏せられようとしていた。

 

(…凄まじいな、イラ殿──しかし…こちらにも意地というものがある……!!)

 

「──ふっ!!」

 

部屋には異音が鳴り渡っていた。組まれたお互いの手が、超力により軋み鳴る音。ぎちぎちと今にも破れそうな布を引っ張るような音を出しながらも、二人は最後の力を振り絞り──!

 

 

 

「「おおおおおおッ──!!」」

 

 

 

ばき。

 

 

「あ」

「あ」

「…ん?」

「──おお!?」

 

 

その時、悲鳴を上げたのは、イラの腕でも無く、チョンユエの腕でも無く──、二人の凄まじい激闘の場となっていたちゃぶ台であった。今までその力を耐え切っていたのが奇跡であったかのように、それは文字通り粉砕していた。

 

「あっちゃ〜、これロドスの備品なんだけど…」

「私、知らないからね」

 

ニェンが呆れたように、そしてシーは関せずといった風にそう呟いた。そんな薄情な妹達に呆れた目を向けながら、チョンユエは膝に手を当てて、立ち上がった。

 

「とりあえず、掃除をしよう。道具を持ってくる。イラ殿は木屑を纏めておいてくれるか?」

「……」

「イラ殿?」

「…あ、はい!わかりました」

 

ぼーっとした様子で割れた木材を纏め始めるイラを見て、チョンユエはそれをしばし静観した後、掃除用具をドクターに借りに行った。

 

 

 

「──で!どうなんだよ、兄貴!」

「…?どうとは」

「イラ!どう!?」

 

その気色を隠す事をせずに、チョンユエに攻め寄るニェンは、銀髪を揺らしてその返答を待つ。

 

「ああ──そうか、そういう話だったな」

「え?」

 

思い出したかのように呟いたチョンユエを見て、何を言っているのか分からない様子のイラに、静かにシーが寄り添う。

 

「どうでも良い事よ。世の中には知らなくて良いような事があるの」

「ほ、本当に何…?怖いんだけど…。あと何で腕掴んでんの?」

 

ふふふ、と笑うだけで質問に答えないシー。

それを見ながら、チョンユエは暫し沈黙し──その口を開いた。

 

「──私としては、イラ殿は合格だ」

「〜〜〜っやったあ!!」

「よし──」

「?」

「だが──イラ殿。一つ聞きたい事がある」

「──?はい、なんですか?」

 

「君はその力をどう使いたいのか。それを聞きたい」

 

 

「俺は──」

 

 

チョンユエは危惧していた。上位種である自分と拮抗する程の力を持つ彼が力に溺れてしまう事を。

 

「私は教官という仕事柄、力を持つ者が堕落しそして正しき道を外れていく様を何度も見ている」

「先の試合──素晴らしい物だった。だが私は君の目に、隠れた野心を見つけていた。それは向上心が肥大化しているものだ」

 

それを聞いたイラは目を開いた。先程の腕相撲で、そこまで見抜かれていたのかと。その反応を見て、チョンユエはゆっくりと目を伏せた。

 

「今はそれはまだ小さなものだ。だがひょんな事でその野心は倍以上に膨れ上がり、そして君自身を押しつぶす。…答えてくれ。君は、それを持って何がしたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──昔のことを思い出す。それは、新雪が積もる季節。俺を取り囲む子供達と、それを遠くから眺める老人達。皆が俺に笑いかけるその時間は、身寄りの居ない俺にとって大切な時間だった。

 

『──ッシスルさん!!ロク爺!!…頼むって…!!おい、ガキども!!』

 

燃え盛るその村は、熱かった。暖かい皆は、燃えて熱くなって、村を燃やす火種と化していた。

 

『なんで──っ、アビス、アビスは!?』

 

それは俺の恩人も関係なく、例外なく、同様に燃え盛っていた。そこから先は覚えていない。ただ、体の皮膚の下に蛆虫が這いずるような不快感と──村の炎が燃え移ったかのように、激しく暴れ回る怒りだけは、確かに感じていた。

 

 

 

 

数年経った今も、その炎は絶えることなく燻っている。それを彼女達は、少女と青い龍は、理解していながら俺に頼んだ。復讐鬼となった俺を知りながら、それでも俺を受け入れた。…俺に遺されたものは、もうそれしかないと思っている。

だから、俺がやるべき事は──。

 

「俺は、守りたいです」

「…」

「感染者も、非感染者も関係無く、全員守りたい」

「──強欲だな」

「はい。でも、今まで奪われてきたんで。こんくらいは許してほしいっす…」

 

 

そう破顔するイラを見て、チョンユエはどうしようもないほどの感情を覚えた。その願いは、おそらくイラ本人のものではない。イラが受け継いだ第三者のものだ。しかしそれは願いの域を超えており、もはや──呪い。

自分の身など気にも止めず、一心不乱にその願いを叶える様な呪い。それをかけられてもなお、彼は懸命にそれを全うしようとしていた。

それを感じ、チョンユエは放っては置けなかった。短い期間だがイラという青年を好ましく思っていた彼は、どうすれば良いのかと思案した後──。

 

 

「すまない、やはり君は不合格だな」

 

 

そう言ってのけた。突如意見を180度変えた兄に、ニェンとシーは詰め寄る。

 

「──はあ!?なんでだよ!さっき良いって──!」

「さっきはな。今の話を聞いて考え直した」

「どうしてよ!?こっちはもう準備できてるのに──!」

「どうしてもだ。…準備?」

「あ、あのー…?」

 

急に始まった兄弟喧嘩に困惑するイラ。ぎゃーぎゃーと騒ぎ立てる妹達を制しながら、チョンユエは彼に笑いかけた。

 

「イラ殿。君は心技体の『体』しか身に付いていない。まずは『技』を身に染み込ませるんだ。『心』はそれから付いてくる」

「あ、はい」

「心技体、それが全て身に付いたその時──私は君を妹達の夫として認めよう」

 

「…ん?オット?」

 

「──言質取ったからな兄貴、もうやっぱなしは無しだぞ!」

「ああ、お前達の兄として、約束しよう」

「オット?おっとってなんだ…?なあ、シー、オットって何?炎国の言葉?」

「そうと決まれば、早速訓練よ、イラ。気合い入れて描くから覚悟なさい」

「え」

 

本人よりやる気を出し始めたニェン達に引き摺られていくイラは、笑みを浮かべたチョンユエを見る。その表情は、今までにないほどの笑顔を浮かべさせていた。

 

「イラ殿、助言をひとつ。──人生負ける事が当たり前だ。それに挫けず、勝ちのために自分を大切にしなさい」

「──あ、ありがとうございます…。ッじゃなくて!これ一体どういう──」

「困ったら私の所を尋ねてこい。手厚いもてなしをさせて貰うからな」

「いや、話聞いて!!お願い!」

 

そう遺言を言い残し、イラはニェン達に連れ出されていった。それを見届けたチョンユエは、大きく息を吐き、心からの激励をイラに向ける。

 

 

(どうか、頼む。イラ殿。私は君が潰れる様は見たくない)

 

 

そして徐に、懐から紙を取り出したチョンユエは、それに向き合い筆を取って顎に当て何かを悩み始めた。

それは──。

 

 

「子の名前は──決めさせてもらえるだろうか」

 

 

超常的存在としてでは無く、問題が多い妹らの将来像を頭に描く一人の兄として、チョンユエは筆を走らせ始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の勝負──イラの判定負け。




因みにチョンユエが認めたままで終わってたらガチで監禁エンドでした。危なかったー(他人事)


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クリスマスに勝ちたい!

年内なんで実質クリスマスです。ほら…本家も季節感とか気にしないから…(震え)


「隊長!クリスマスですよクリスマス!!何しますどこ行きますなんか食います!?」

「働く」

「ええ…?」

 

そう言い切り、チェン隊長は黙々と行っていた作業を再開させた。

今日は12月24日。クリスマスイブである。龍門はどこか色めき立っており、並ぶ店の様子もいつもとは違い、赤や緑のイルミネーションが、街そのものを賑やかにしていた。

 

「なのになんでそんな感じなんです!?」

「…なんだ、『そんな感じ』とは?」

「いや…もうちょっとこう、なんかあるでしょう!?」

「はぁ…何を言っているのか分からん。さっさとお前も働け。今日は残業は許さんぞ」

「もう終わってますー。出勤して昼前までにはもう終わらせてるんですー!」

「早いな!?」

 

クリスマス楽しむためにね!もう頑張りましたよ俺はマジで。それなのに俺の上司と来たら…全く、困った龍門ちゃんだ(?)

 

「じゃあ俺に寄越して下さいよその書類!手伝いますんで!」

「…やけに強情だな。何が狙いだ?」

 

憤慨する俺に、チェン隊長は作業をしながら訝しむ様な目を向ける。…し、失礼な…!俺はただ…!

 

「我々の仕事は楽しむ事じゃない。楽しむ市民を守る事が龍門近衛局として最優先すべき仕事だ。……それに、仕事終わりでも良いだろう、楽しむのは。…九時までには終わらせる。だからそれまではしっかり仕事を──」

「ただ俺は隊長と二人で街で遊びたかっただけなのに…!」

 

 

 

「終わった」

 

 

「えっ」

 

 

「仕事終わった」

「いや…でも、今してたのは…」

「あとは押印するだけだ。そして期日は明後日までだ」

「えっ」

「何をしている、時間には限りがあるんだ。さっさと支度しろ!」

「えっ」

 

 

 

……えっ。

 

 

 

 

 

「イラ、アレを見ろ。サンタがジャグリングをしているぞ!」

「うわああすげええ!!お駄賃、お駄賃渡しに行きましょ!」

 

二人で目を輝かせながらサンタに駆け寄る。子供っぽい?うるせぇサンタさんの前じゃ大人もみんな子供になるんだよ!!

サンタの足元にあった帽子に、お気持ちを二人でそっと入れる。するとサンタは懐から赤色のバルーンを取り出して、もぎゅもぎゅと何かを作り始めた。

しばらくもぎゅっていたそれを、サンタはチェン隊長に差し出す。その手に持っていたそれは、ハート型の形をしていた。

 

「うわああ!良いなぁ隊長!」

 

さらにサンタはゆっくりと隊長を指差し、そして次に隣にいる俺を指し示した。

 

「…!?なっ、な…!」

「?どういうことなんだサンタさん!教えて!」

 

そう俺が言うと、何故かじとーっとした目で俺を見た後、隊長の肩をぽんぽんと二度叩くサンタ。

 

「…ありがとう、頑張るさ」

「?」

 

決意を込めたその声に、サンタはグッ!と親指を立てる。俺はそれをただ眺めているだけだった。

 

 

 

「ホシグマに何か買っていくか」

「いいですね。今日任務で居なかったですし」

 

二人で露店の商品を並び見る。マフラー、お菓子セット、手袋など色々あったが、結局俺たちが選んだのは──。

 

「やっぱお酒ですね」

「そうだな。ヤツにこれ以外を送ったとしても喜ぶイメージがつかん」

 

副隊長といえば酒。と言う訳でお酒を買った。何が美味いのかさっぱりだった俺たちは少し値が張ったシャンパンを購入し、ラベルに包んでもらう事にした。

 

「…そういえば、ホシグマには声をかけなかったんだな」

 

その最中、隊長が俺に問いかける。その顔はどこか悪戯をする前の子供のような、それでいて嬉しそうな女性の表情をしていた。

 

「私だけを誘うなんて…分かってるな、イラ。うん。それはそうさ、私は上司であり、一番距離が近いと言っても過言ではないのだからな、うん」

「声かけたんですけどねー、そこで任務があるって断られたんですよ」

 

メッセージアプリで『今日クリスマスなんで街行きませんか!?』と送った所、『いく』ってノータイムで送られてきたんだけど、その後それが取り消されてて、

 

『すまない、今日はこの辺りから離れた場所で任務がある』

『任務が終わるのが九時なんだ』

『九時から私と愉しまないか?』

『たのむ』

 

って送られてきた。九時から私と、の次の漢字が分からなかったんだけど、まあ多分ええやろ、と思い狐がグーサインを出すスタンプを送っておいた。

これで隊長と副隊長と一緒に遊べるね!って事で万事良好だと思っていたのだが。

 

「あっっっそ」

 

それを聞いた隊長は無表情でそう呟いて、その場をつかつかと離れて行った。

 

「え!?あ、ちょっと!?まだ包んでもらってないですよ!隊長!隊ちょーう!?」

「クソボケ様、お待たせしました。こちら商品です。割れ物なので。まるで女性の心の様に割れる様なものなので。丁寧にお持ち帰り下さい」

「ああ、ありがとうございます!…え今クソボケって」

「言ってません」

「いやでも」

「はよいけ」

「はい」

 

俺はその言葉に背中を押されるように、走って隊長を追いかけて行った。

 

 

 

 

 

「あれ?イラ!」

 

店から出て、きょろきょろと辺りを見回していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「エクシ…エクシア!?なんだその格好!?」

「えへへー、かわいいでしょ?」

 

そこには、エクシアの姿があった。しかしいつものペンギン急便の制服とは違い、赤を基調にした服。配達と言う足を動かす作業だからか、そのスカートの丈は少し短いものとなっていた。しっかりその頭には三角の赤い帽子を被り、誰がどう見てもサンタだと思える様な格好をしていた彼女の姿を見て、俺は驚愕する。

 

「ボスがね、『クリスマスにダセェ格好で仕事されちゃあ、エンペラーの名が廃る』って言って、これ用意されたの!」

「あー…」

 

確かにあの人なら言いかねん。理屈よりもグルーヴで動いてる人だ、その場のノリでサンタ服買ったんだろうな…。

 

「で、どう?」

「どうって…似合ってるよ」

「かわいい?」

「かわいい」

「えへへー」

 

「ほう。私はどうだ、イラ」

 

 

そのやけに疲れている声に振り向くと、そこにはテキサスの姿があった。例に漏れず、彼女もいつもとは違うコスチュームを見に纏っており、それは──。

 

「トナカイ?」

「ああ…」

 

げんなりと頷くテキサス。赤い三角帽子は変わらず、しかしそれに加えて頭には茶色の角が付けられている。

 

「これのせいでさっきから子供たちに纏わりつかれてな…面倒だ」

「でも満更でも無さそうだったじゃん?」

「…はあ」

 

なんだかんだでノリがいいからなテキサスは。そう言うところがまた子供達に好かれるんだろうけど──って違う!今は隊長を探すんだろ俺の馬鹿!

 

「なあ、隊長──チェン隊長見てないか?」

「…なんであの人の名前が出てくんのさ?」

「いや、さっきまで一緒に居たんだけど…怒らせちゃって、はぐれちまった」

「ふーん…それってデートじゃん、ずる

「チッ」

 

何故か途端に機嫌が悪くなる二人に疑問を抱くが、ひとまずそれは置いておく。今は隊長優先だ。

 

「私は知らないな」

「あたしもー」

「そっか…ありがとう、じゃあ俺行くわ!配達頑張ってくれよな!」

「まって」

 

そう言って立ち去ろうとすると、俺の右手がエクシアに捕えられる。長時間外での労働をしていたせいか、その手は冷たかった。

 

「あー…もしかしてかもだけどさ、チェンさん怒って帰っちゃったんじゃない?」

「え゛」

「あたしだったらね?置いてってくぐらい怒ってたら、そのまま帰ってアップルパイ食べるよ!」

 

そうなの?(震え)アレ、俺もしかして大変なことしちゃってる…?

で、でもチェン隊長だよ?そこまで怒る人…か。チェン隊長か。そっか。

 

「〜〜やらかした…!?」

「…かもな」

 

そのテキサスの呟きに、俺は全身の体温が急激に下がる感覚を覚える。

ま、まずい。早く謝らないと…!そう思い、俺はメッセージアプリを開こうとする。

 

「ちょいまちー!怒らせた人が今何言っても逆効果だって!」

「え…で、でも…」

「火に油を注ぐだけだ、時間が解決してくれるのを待った方がいい」

 

まじか。途端に心の中に罪悪感が募っていく。せっかく早く仕事を切り上げて、俺の我儘に付き合ってくれたのにも関わらず、怒らせてしまった。

 

「…そんな顔をするな。クリスマスが台無しだぞ」

「ああ…」

「私だったら、そんな思いはさせない」

「え?」

 

そう言ったテキサスは、真正面から俺の目を見つめる。その琥珀色の瞳は、全てを包み込む熱を秘めていた。

 

「私たちの仕事は十一時には終わる予定だ」

 

気づけば俺たちの距離は、お互いの白い息がかかるほどの距離まで縮まっており──。

 

「お前の今夜を、私にくれないか?報酬は渡す。…これは、前金代わりだから、気にするなよ──」

 

俺の視界には、頬を赤く染めたテキサス以外何も見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

「いいや、生憎コイツの予約は埋まっている。悪いが他のヤツを当たれ」

 

その声と同時に、テキサスが離れていく。そして俺の腕に感じる体温。そこに目を向けると──。

 

「隊長!」

「お前。あそこは走って追いかける所だ、何をこんな所で道草食ってる!しがみついてでも追い縋れ!」

「ごめんなさい!!」

 

鬼の顔をした隊長が説教しながら腕の拘束を締め付ける。痛い!すごく痛い!万力ってくらい痛い!

 

「…追い縋ってるのは、どっちの方だ」

「フン、こうでもしないとコイツに悪い虫が纏わりつくからな」

「いつも一緒に仕事してるんでしょ?今日くらいはあたし達に譲ってよ…」

「譲ったら返さないだろうに」

 

今の交わされた四回の会話、その間にもずっと腕が締め付けられてたんですよ。それでですね、今なんと腕の感覚が無いんです。

これ以上絞められると本当に俺の腕が落とされそう(文字通り)なんで。

 

 

「逃げるんだよーーッ!」

「え、うわ!?」

「は?」

「…!」

 

俺はすぐさま隊長を横抱きにし、龍門をすたこらさっさと駆けていった。

 

 

 

 

「……何アレ、何アレ何アレ何アレ何アレ」

「──“シラクーザスラング”!!」

 

 

 

 

この日ペンギン急便は、過去最高の売上を達成した。その理由は誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

「──はぁ、はあ!」

「おい、もういい…降ろせ」

「そうっすね…!」

 

いつもは子供で賑わう公園。しかし今はその小さな利用者達は自宅でパーティをしているのか、俺たち以外には誰もいなかった。

静かにチェン隊長を降ろして、俺はすぐさま──。

 

 

「──すいませんでした!!」

 

 

勢いよく頭を下げる。辺りに人がいなかったのが幸いだった。こんな姿、情け無くてしょうがない。

だけど、これだけはしなくちゃいけなかった。

 

「俺、馬鹿だから分かんないんです。だけど、チェン隊長を怒らせる様なことをしてしまって、本当に後悔してて…俺から今日、誘ったのに、不快な気持ちにさせてしまって…すいませんでした!!」

 

何度も謝る。たとえ受け入れられなくてもいい。だけど、気持ちだけは伝えたかった。

しばらく沈黙が続き、諦めかけたその時。

 

 

「──ひとつ条件がある」

 

 

チェン隊長が、口を開いた。俺はその言葉に、希望を抱く。

 

「はい!なんでも言ってください!」

「今なんでもって言ったか?」

「え」

「ごほん。…忘れろ」

 

そう一息つき、チェン隊長は普段では考えられない程の、か細い声でひとつ呟いた。

 

 

「二人の時だけ…私とお前しかいない時は、私を一人の女として、見て欲しい」

 

 

……どゆこと?

 

「…それは、えっと…例えば?」

「え!?言わせるのか、それを!?」

 

何をさせようとしてんの!?隊長に口に出せない様なことしたくないよ俺は!

 

「……た、例えばだな。私を名前で呼ぶとか」

「え?でも、いつも呼んでますよね?」

「『隊長』がついてるだろう。それ抜きで」

「何でそんな居酒屋みたいに…えっと、チェンさん?」

「〜〜〜っぐあああっ!!」

 

そんな苦しむ!?そんなだったら何で言わせたの!?顔もめちゃ赤えし!

慌てふためく俺を他所に、チェン隊長──チェンさんは口元を抑えて荒ぶる息を整えていた。

 

「こ、これは…」

「あの!やっぱやめとき」

「やれ」

「チェンさーん!」

「うっ…!」

 

無理だ。急に怖くなるのは無理だ。断れないよボク…。そんな事を二度三度続けていると、チェンさんは一時停止を申し出た。

 

「…はぁ、はぁ、腕を上げたな」

「なんの?」

「よし、一先ずはこれで良い。次の要望だが…」

「まだあんの?」

「先ずは他の女の連絡先は消してもらおう」

「え」

 

 

 

 

 

「さっきの事と言いやはりお前には悪い虫が付きすぎる。ペンギン急便のはまず消せ。な。してなかったら交換するなよ次は本当に無いからな。無論ロドスのオペレーターもだぞ。あのアビサルハンター…とか言ったか、極力関わるなよ。アイツはヤバい気がする。何かはわからんがな。あと距離感も考えろなんか近くないかあいつと。この前お前らを見かけた時にびっくりしたんだからなびっくりしすぎて涙が出た。それはもう涙が出た。海ができるんじゃないかと思ったよ、ははは。笑うな(豹変)。というかもうロドスには行くな、こちらから用事がある時は他の暇な奴を行かせるからな、ごめんな今まで気を回せなくてこれからはもうずっと一緒だからなまあホシグマはいるが良いだろうむしろ偶には私達の仲睦まじい所を誰かに見せつけないと飽きてしまうかそうかそれなら見せるだけだな言っておくが浮気は許さんぞあくまでも見せるだけだ良いかもう一度だけ言っておく浮気はダメだ、一人の女として見てくれるんだろそれならそのくらい当然だから頼む裏切らないでお願い────」

 

 

 

 

「チェンチェンチェンチェンチェンチェンチェンチェンチェンチェンチェンチェン!!!!!!!(悪霊退散)」

 

「はわわわあああああああ!!?」

 

 

 

な ん だ こ れ。

 

 

 

 

 

 

「とりあえず…名前で呼ぶんで、勘弁してくださいね」

「うん…あと、手も握ってほしい…」

「はい、どうぞ」

「えへへ…!」

 

お許しをもらえたので、ひとまず安心した。流石にアレは無理だ。第二のモスティマになるのを防げたので僕は満足です。

手を握り返し、にぎにぎとされていると、視界の端にちらほらと白いものが見えた。

 

 

「…雪」

「ホワイトクリスマスですね」

 

イブだけど。二人ですっかり暗くなった空を見上げる。イルミネーションの光を反射する、その雪が降る様子は圧巻の景色だった。

 

「…イラ」

「はい?」

「もう一つ頼みがある」

「ええ!?」

 

もうやだよ、あんなの!

そんな想いを込めてチェンさんを睨むが、それを彼女はふっと笑い頭を振る。

 

「あんなやつじゃないさ。ただの、お願いだ」

「…なんです?」

 

 

 

「──私より先に、死なないでくれ」

 

 

 

しん、と雪が降る音だけが響く。冷たい空気に曝されたその言葉は、震えていた。

握られる手は力無く、先ほどとは違い僅かにしか強くならなかった。

 

 

「──嫌です」

 

 

だが断るがな。

 

 

「…何故だ」

「俺だって、チェンさんの死ぬ所なんて見たくも聞きたくもないですから」

「……私は感染者だ、命を落とすリスクはそうじゃない者と天地の差がある。それに職業柄、いつ何が起こるのかわからない。早死にするのは私の方だ」

「でも嫌です」

「──そんな事を、言わないでくれ…!」

 

 

 

「ですから、死ぬ時は一緒です」

 

「え…?」

 

 

「一緒に死にゃあ、どっちも残されずに済むでしょ」

 

 

そう言って、俺はチェンさんに笑いかけた。

 

 

…こうは言ったが、俺はチェンさんを死なせるつもりはない。もし、どちらかの命を犠牲にしてどちらかが生き残るんだったら、それは俺じゃなくチェンさんであるべきだ。

だから、これは小さな嘘。最初で最後の、嘘だ。

 

 

(ごめんなさい、チェンさん)

 

 

俺は深いため息を吐く。白くなったそれは、真っ暗な空に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

「──ただいま、イラ!良い子にして待ってたか……」

 

「メリークリスマ〜ス!」

「…メリークリスマス、ホシグマ」

 

 

ぱんぱん、と乾いた音が近衛局オフィスに響いた。俺は目の前で呆けているホシグマ副隊長を見て企みが上手くいった事を喜ぶ。

 

「は?」

「あはは!初めて見ましたよ、副隊長のそんな顔!」

「え…?イラ、何で…?今夜は、私と二人…?」

「サプライズです!今夜はチェン隊長とホシグマ副隊長と俺の三人でパーティーですよ!」

「は??」

「プログラムとしては、まずご飯食べて、その後ドキドキ!プレゼントタイムです!あ、俺が勝手にプレゼントを持ち込んだんで、そこは大丈夫ですよ!」

「は???は???は???」

「……イラ、本当にお前私がいて良かったな。もう少しで食い散らかされてた所だぞ」

「え?どういうことですか?」

「…いや…まあ良いか。何でもない」

 

 

呆れた様に呟くチェン隊長。…まいっか!パーティの準備しよー。

 

「ホシグマ、気持ちは分かる」

「──なぁ、私はいつまで焦らされれば良いんだ?」

「…痛いほど分かるさ」

「……なあチェン。この際しょうがない。──二人で喰わないか?」

「……ダメだ、嫌われるぞ。準備をしていない今、監禁してもイラの筋力なら突破されるだろう」

「………ふううううう……」

 

 

「ふったりっともー!準備できましたよーん!パーティーやりましょやりましょー!」

 

「………」

「………」

 

 

…え、何この威圧感。とても今から楽しむ雰囲気とは思えないんですけど…。

 

 

「──ああ、そうだな。やろう…!」

「やるんだな、ホシグマ?今、ここで…!!」

 

 

そんな迫真の心構えいらないって!なになになに!?怖えよ!

 

 

 

 

──そんなこんなで、席に座り。手にしたグラスをかち合わせ。

 

 

 

 

「「「メリー・クリスマス!!!」」」

 

 

 

近衛局にて、三人だけのパーティーが始まったのだった。



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