無職TS転生 ~異世界行ったら女の子です~ (三毛猫丸)
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第1章 幼年期
プロローグ


 身体中が痛い――。四肢がひしゃげ、全身の骨という骨が砕けたかのような激痛が走る。

 

 実際のところ、俺の身体がどうなったかなんて分からない。

 首も動かせず、視界もぼやけている。

 かろうじて光の明暗を感じられる程度。

 

 どうしてここまで苦しまなきゃいけないんだ。訳が分からん。

 

 呼吸が出来ない。空気を吸えず、吐き出されるのは赤黒いであろう血液。

 

 もはや命を繋ぐことは不可能。

 三十四歳住所不定無職の足りない頭でも理解してしまう。

 

 今の俺の命は風前の灯火。

 もう残された時間はほんの僅か。

 こうなるに至った理由も経緯も知っている。

 

 学生時代のトラウマ、そいつから端を発する長年に渡る引きこもり生活。

 そのツケが今になって回ってきたんだ。

 

 自暴自棄になって外へ出ることを止めた。いや、ただ怖かっただけだ。

 

 1度の失敗で全てを投げ出し、両親や兄の説得にも耳を傾けず……。

 身勝手な言い訳ばかりを重ねて、自分の部屋に籠りきる。

 

 そんな生活を十数年過ごしている内に親は死んだ。

 死因すら知らない。家族に対して無関心だったのだ。

 

 そんな薄情者の俺は、親の葬式に出席せずにいた。

 部屋で兄の娘()の盗撮写真で自慰に耽っていると、兄貴達が乗り込んできたのだ。

 

 その後の事は思い出したくもない。

 喚き散らした俺は一方的にボコボコにされ、無一文のまま家から叩き出され……。

 

 行く当ても無く街をさ迷う。

 そんな俺は、既に潰えたも同然の将来を考えることも出来ずにいる。

 

 何も考えたくもないし、何も見たくないし、何も聴きたくない。

 この期に及んで我が儘を通そうとした矢先のこと。

 

 雨の中、口論をする若い男女たちの存在を認識する。

 おそらくは高校生。青春真っ只中であろう言い争う少年少女。

 

 間には喧嘩の仲裁に躍起になっている少年も居る。

 リア充共めっ! 忌々しいと思いながらも、自分には無関係だと意識から外そうとした。

 

 だけど視線を逸らせなかった。

 彼ら目掛けて一台の大型トラックが突っ込んで来ていたのだ。

 ドライバーはハンドルにもたれ掛かっている。見れば分かる、居眠り運転である。

 

 俺とは赤の他人。

 助ける義理なんて存在しない。だというのに、とっさに彼らを助けなければ。そんな心が俺を突き動かす。

 

 

「ぁ、ぁ、ぶ、危ねぇ、ぞぉ」

 

 

 言葉にもなってない注意喚起。

 たぶん、若者三人には聞こえてちゃいないだろう。

 ああ、駄目だ。声が出ない。

 

 ならば俺が体を張ってでも救わなきゃ。妙な正義感を原動力に走る。

 ろくに運動もしてこなかった十数年。

 やはりというべきか、足がもつれ転びかける。

 兄貴から受けた暴力による怪我で身体の至る箇所が痛む。

 

 それでも動かなければ後悔する。

 そんな想いで無理やり体を前へと進める。

 

 やがて仲裁役をしていた少年の首根っこを掴むことに成功。

 トラックの進路外へと放り投げる。

 

 だけど反作用で俺の身体はトラックの目の前へと押し込まれた。

 やばい、これじゃあ……もう二人は助けられそうにない。

 

 申し訳ない気持ちになりながらも、その瞬間、とてつもない衝撃に意識を押し潰される。

 最初の数秒は何ら苦痛を感じなかった。

 

 しかし、更に数秒ほど経過して路面へと叩きつけられると、この世のものとも思えぬ激痛が頭から爪先までを犯す。

 

 助けられなかった残り二人の男女のことなど頭から抜け落ちている。

 まともな思考など不可能だ。

 

 ただ永遠とも思える地獄に俺という人間は叩き落とされたのだ。

 

 そうして俺は――死にかけている――。

 

 

 病院へと搬送されたであろう俺の身は、手術室へと担ぎ込まれた。緊急手術ってやつか。

 でも手遅れだってことは明白だ。

 

 目も耳も機能していない。

 それどころか、つい先程まで俺を苦しめていた痛みという感覚も徐々に消失していった。

 

 ああ、これが死ぬ感覚か。死の間際になって新しい発見だ。全然、喜べないけどな。

 

 そして一秒毎に全ての感覚が薄れて行き……呆気なく俺の命はこの世から消え去った……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれほどの時が過ぎたのだろうか。

 長く眠っていた気がする。

 数時間じゃ利かない。

 それこそ数日間、数ヶ月。自分でも計れないほどの長さに思える。

 

 唐突に思考がクリアになる。痛みは無い。苦しむ要素は何一つ無い。

 

 ただ光を感じる。瞼を開けてみた。誰かがこちらの顔を覗き込んでいた。

 

 

 若い女性だ。金髪で端整な顔立ち。

 少々、童顔だが俺好み。

 年頃は十代後半から二十代前半くらいか。

 ヨーロッパ系の風貌だが、どこの国の人間だ? しかし、おっぱいがデケぇな。

 

 そしてもう一人、視界に映る人間。

 そいつは軽薄そうなDQN茶髪の男。俺の忌み嫌うタイプの人種だ。

 

 筋肉質で上背のありそうな野郎で、俺のコンプレックスを刺激しやがる。

 俺だって身長だけなら日本人の平均くらいはあったさ。

 

 もっとも、長い引きこもり生活で百キロもの巨漢へと肥えちまったが。デブでも筋トレくらいはすべきだったな。

 

 しかし、この二人は何者だろうか。

 つか、俺は生きているのか? 見たところ、この場所は病院って感じじゃない。

 木造戸建ての薄暗い一室といった具合だ。

 

 病院でないとすると目の前の二人は医療関係者ではないだろう。

 となると……ますます状況が読めない。お手上げである。

 

 まあいい、成り行きに任せる他無い。

 経過を観察するのだ。

 じきに身体が良くなることを祈る。

 なんか知らんけど身体を上手く動かせないしな。

 

 

 

 

 

 1ヶ月が過ぎた。ここまでの時間で把握したことがある。

 まずここは日本ではないということ。

 目覚めた当初から、会話に聞き耳を立てていたのだが、どうも若い男女の話していた言語は日本語ではないようだ。

 

 しかし、会話の中で二人の名前を何となくだが理解する。

 男の方はパウロ、女の方はゼニスだ。

 もう一人、メイド服を着た若い女性がいる。

 彼女はリーリャと言うらしい。

 

 次に理解したことは、どうやら俺は生まれ変わったらしいこと。

 それも赤子としてだ。ある日、抱き抱えられた際、視界に自分の手足が映った。

 

 見るからに小さな手足は、どう考えても赤子のそれ。

 否定しようがない。つまり、今の俺は無職中年(前世)の記憶を引き継いで転生したわけだ。

 

 となるとパウロとかいうアホそうな男が、今世における父親というわけか……。

 業腹ではあるが、覆しようがない。

 

 とはいえ、母ちゃん(ゼニス)の方は美人だ。

 童顔ゆえに実年齢よりも幼く見える愛しのママン。

 こんな母親ならマザコンになっても文句は言われまい。

 

 

 

 

 もう1ヶ月が経過した。

 この頃は、両親や侍女の会話を盗み聞きして語学習得に励んでいる。

 幼児を通り越して乳幼児である今の俺の脳は、極めて学習能力が高いらしい。

 

 なにせ未知の言語であるにも関わらず、少しずつではあるが理解出来るようになってきた。

 日本語とは皆無の環境というのも要因としては大きいだろう。

 

 今や思考の半分程度は、この土地の言葉でこなしている。

 もう数ヶ月もすれば母国語相当に達するだろうな。

 

 

 

 

 

 更に1ヶ月が経った。人生をやり直してみようかと本格的に考えるようになった。

 前世じゃ、悲惨な最期だっただけに、人並みの人生を今度こそ歩みたいと思ったのだ。

 

 それだけじゃない。この手のシチュエーションは、生前、ネット小説を熱心に読んでいた俺には馴染みが深い。

 

 まさか現実に起こり得るとは思わなかったが、多くの作品では、主人公は転生後の人生を才能の有無や努力の程度に差こそあれど、幸せになっている。

 

 ならば自分もそんな期待を寄せてしまう。

 

 引きこもりの無職の中年のクズ人間だったかつての自分。

 だからこそ、運良く生まれ変わったこの好機を逃すのは勿体ない。

 

心機一転、この世界で今度こそ全うな人生を送ってやろうじゃないか。

 

 そう考えた矢先のことだ。思いがけぬ事実が判明する。

 

 パウロとゼニス、それにリーリャの会話の中で俺は思い知らされた。

 

 

 俺の性別は――女の子だったのだ――。

 

 最初は気が動転したよ。

 混乱して年甲斐もなく泣きもした。

 股に息子(男性器)が居ないんだぜ? これじゃあ、ムラムラしても抜くことすら出来ん。

 

 

 

 過去に読んだネット小説あるいは商業ノベルの中には、転生した上にTS要素も加わった作品は無数に存在していた。

 

 性自認は男、しかし身体は女の子。

 成長するにつれて表れる、心身の違いによるギャップに葛藤する主人公。

 それを楽しむ読者。

 

 でも考えてもみろ? 読み物として楽しめる立場にあるのは、作者か読者だけだ。

 そこに当事者は含まれない。

 安全圏で第三者視点であるからこそ、妄想を膨らませ、ほくそ笑むことが出来るんだ。

 

 しかし、俺は笑えない現実を直視するほかあるまい。

 現実は重くのし掛かり、いつだって付きまとってくるものだ。

 

 諦めの境地で、せめて人並みの人生を目標に頑張ろうかと決意する。

 十中八九、結婚とかはしないだろうけどな。

 心は男なのに、女の体だからって子作りなんて吐き気がする。

 

 前置きが長くなった。さて身の上を詳しく説明しよう。まずは俺の今生での名前から。

 

 

『ルーディア・グレイラット』

 

 

 正直、西欧だか東欧だか区別はつかんが、ヨーロッパ風な名前だ。

 両親のグレイラット夫妻は愛称としてルディだとか呼んでいる。

 

 そしてルディちゃんは、グレイラット家の第1子で長女。

 若い夫婦の最初の子どもとあってか、溺愛されている。

 

 顔面偏差値の高い両親の娘だ。

 生前のデブス男だった俺から、美少女ルディちゃんへのランクアップを大いに期待出来る。

 

 他に語るとすれば、この世界についてだ。

 どうやらこの世界は地球ではないらしい。

 

 ふとした事がキッカケで、頭を強かに打ち付けた俺に、ゼニスが中二病っぽい呪文を唱えて治療した事で知ったのだ。

 

 痛みがスーッと消え、淡い光が俺を包んでいたことから、魔法に準じた物の存在する異世界だという認識に間違いはあるまい。

 

 この世界には幾つかの大陸が存在する。俺の暮らす牧歌的な雰囲気のこの村。

 中央大陸の西部に位置するアスラ王国、その中でもフィットア領にあるのだとか。

 ブエナ村とかいう名の長閑な村だ。

 

 そしてグレイラット家は、そんなブエナ村の駐在騎士の家で、パウロは下級騎士あるいは下級貴族に分類される。

 

 ほほう、俺は貴族の令嬢ってわけですかい?

 とはいえ、絵に描いたような貴族とは違い、そこまで裕福ではない。

 衣食住には困らない程度、質素なものだ。

 

 他の村民よりは幾分かマシな生活、そのくらいのレベル。

 ゼニスとリーリャが家計簿とにらめっこしながら、そう漏らしていた。

 

 なあに、俺も贅沢な生活は求めない。

 食うに困らなきゃ文句は言わんよ。

 しかし、パソコンもインターネットも無い生活は、非常に退屈なものだ。

 

 無修正エロ動画やエロゲーともおさらばってことか。

 

 どのみち赤ちゃんの俺じゃ、身の回り生活すらままならないが。

 

 なんにせよ、もう少し成長するまでは何も行動を起こせない。

 少しばかり赤ちゃんライフを我慢しよう。

 

 

 

 

 

 さて、その赤ちゃんライフについての出来事を数点ほど話そう。

 

 まずは母親(ゼニス)のおっぱいについてだ。

 赤子の食事と言えば当然のことだが、母乳である。

 聞けばまだ十代後半、少女とも呼べる年齢の母ちゃんのおっぱいを吸う行為が、俺の食事となる。

 

 へへ、親子だから合法的におっぱいをチューチュー吸えるのだ。

 これには俺も興奮しそうなものだが……。

 

 意外にも、邪な感情は湧き上がらなかった。

 推測になるが原因については心当たりがある。

 まず前提として俺の体は赤子である上に女の子だ。

 

 精神は男でも脳ミソ自体は女性のそれであるため、同性に対して欲情しなくなったのだろう。

 後はゼニスが実の母親という事実が、俺の男としての本能を抑えつけた。まあ、そんな感じだろう。

 

 正確な事は解らないが、深く追究しても意味のない話だ。

 

 とはいえゼニスの乳はマジでデカイ。

 細身の体に爆乳が付いているのだ。カップ数で言うならG以上は確実か。

 

 そして染み一つ存在せず、張りや弾力もあるし、揉み心地は最高の一言。

 興奮はしないが揉んだ感触自体は病み付きになってしまう。

 

 あまりに夢中になって揉みしだくもんだから、そばに控えていたリーリャには不審な目で見られた。

 これはマズイか?

 

 言い訳は出来る。

 無知な赤子が、母のおっぱいを玩具に見立てて遊んでるとかそんな感じで。

 

 ああ、後はゼニスのおっぱいの先端の咥えた感覚も至高である。

 赤ちゃんのちいさな口でも、授乳に適した大きさと舌触り。

 

 興奮しない筈なのに、前世の意識が無意識に乳を求めて舌で舐め回してしまう。

 全くもって不毛なことだ。

 

 行為の後、虚無感に苛まれて金輪際、舐め回す事はしないと固く心に誓った。

 

 次の話題だ。

 生まれて間もない頃は、ろくに身動きの取れないボディ。

 けれどしばらくしてハイハイくらいは可能となった。

 

 隙を見ては家中をハイハイで探検する。

 二階建てで部屋数もそれなり。探検のし甲斐がある。

 

 だが、決して家の外に出ない。

 前世はヒキニートだったのだ。

 外の世界には怖いものが沢山ある。

 とてもではないが、足を踏み出す気にもなれない。

 

 それは置いておくとし、ある日のことである。洗濯前の女物の下着を発見した。

 

 これは母親(ゼニス)か、侍女(リーリャ)のどちらの下着か……。

 性的欲求こそ湧かないが、興味はある。

 しかしゼニスの下着──パンツとブラジャーだった場合は若干の罪悪感が脳内に充満する。

 

 ここは危険を避けて我慢すべきか?

 

 いや、リーリャの下着という可能性も捨てられない。悶々とする。

 意を決してパンツを被ることにした。考えるだけ無駄。

 

 思考を停止させてパンツのクロッチ部分の香りを堪能する。

 この匂いは……ああ、うん。ゼニスのだった。

 自分の母親の香りくらい、すぐに判別がつく。

 

 しかも、すぐ側には唖然とした表情のリーリャが立ってるし、俺の黒歴史が深く刻まれる。

 

 その後、後からやって来たゼニスにパンツを没収され注意を受ける。

 ごめんなさい、もうしません。

 

  あー、うーとか、言葉になってない声で反省の色を示す。

 まあ、ゼニスもあまり怒ってはいないようだが。悪戯というよりは、赤子が意味も分からずパンツを被ったという風にしか捉えていないのだろう。

 

 

 

 

 

 次の話に移ろう。

 最近は、家の中から窓越し庭先を眺める事が多い。

 視線の先には剣術の鍛練に励む上半身裸のパウロの姿。

 

 ゴリマッチョという程ではないが、筋肉質な体つき。盛り上がった筋肉が、剣を振るう動作に連動して振動する。

 

 ああいうのが肉体美と称されるのだろう。

 あいにく、野郎の筋肉に異性として惹かれはしない。

 意識としては同性だし、肉体的に親子という事情もあるからな。

 

 しかし、もしも今世の俺が男だったならば、ああいった筋肉質な体に憧れただろう。

 単純にカッコいいからな。

 

 現実は女の子なルディ()ちゃんだから、実際には羨むことはないが。

 

 そんな俺とは裏腹に、ゼニスは爛々とした目で愛しの旦那様(パウロ)を見つめている。

 まあ、お互いに惹かれ合って夫婦になったんだから、強く魅力を感じても不思議ではない。

 

 まだ結婚して年数も経ってなさそうだし、ラブラブそうで何よりだ。

 ちっ……リア充共め。

 

 小一時間ほど過ぎて、パウロは鍛練を終えた。

 リーリャから濡れたタオルを手渡され、汗を拭っている。

 うっとりとした目のゼニス。

 

 パパン! ()から巨乳ママンを奪わないで!

 

 

「ルディ。お父さんに抱っこしてもらいましょうか。貴女、私にはばかり抱っこして欲しがるもの。たまにはお父さんにもね?」

 

「うー……」

 

 

 断固拒否する。誰が好き好んで野郎の胸に抱かれるってんだ。

 

 

「よーし、ルディ! 父さんが抱っこしてやろう」

 

 

 張り切った様子のパウロ。

 こっちは嫌がっているのに、ゼニスは問答無用に旦那に俺を渡す。

 悔しいが抗えない。これが赤子ゆえの無力感。

 

 ここは潔く受け入れよう。

 俺も精神年齢的にはパウロより年上だからな。

 若造の要求のひとつくらい応えてやるさ。

 

 

「お、少し重くなったな!」

 

「ちょっとあなた! 女の子に重いってなによ!」

 

「いやでもなあ、子どもの成長を喜んでんだぞ。文句はよせよ」

 

「それもそうね。ルディが順調に育ってる証拠よね」

 

 

 重いうんぬんは気にしない。

 てか、前世の俺は百キロ超えのナイスミドルだったしな。

 そいつに比べれば、今のルディア()は羽毛みたいなもんだ。

 

 

「それにしてもオレたちの娘は可愛いなあ。母さんに似て将来は美人になるぞー!」

 

「もう! あなたってば美人だなんて!」

 

 

 惚気やがって……。

 だがゼニスが美人なのは同意する。

 少なくとも俺の知る芸能人の誰よりもゼニスは綺麗だ。

 月並みな感想しか言えないが、俺基準なら世界一の美女である。

 

 

「きっとおっぱいも大きくなるな!」

 

「ちょっと! 娘に対してセクハラはやめてよ!」

 

 ゼニスに叱られるパウロ。しかし反省しているようには見えん。ヘラヘラとしてやがる。

 

 

「おっとスマン。ごめんな、ルディ?」

 

「うー、あー!」

 

 

 それらしく不満を表明しておく。

 しかし、もしかしなくとも将来的に本当に巨乳美少女にでもなるのか?

 

 遺伝子的には美少女は確定したも同然だが、女性の象徴たるおっぱいまでも豊かに育つかもしれないのか……。

 複雑な気分だ。

 

 以前は股に居た筈の息子を失った今の肉体。

 今さら男には戻れないのは百も承知。

 だが心までは屈したつもりはない。

 

 男としての矜持の全てを手放したつもりはないのだ。

 まあ、どっちつかずの半端者というのが表現としては的確か。

 

 

 

 

 とまあ、赤ちゃんライフは可も無く不可も無く。

 これといった騒動もなく平凡な日常を送る。

 書斎のような部屋で本を読んで文字を覚えたり、夜中に両親のギシアン音声に聞き耳を立てたり。

 

 お盛んなことだ。

 こちとら女の体に悩んでるってのに。自分たちだけ子作りか?

 

 こりゃ、近い内に弟か妹が生まれそうだ。

 個人的な希望としては妹が良い。

 弟はダメだ。兄貴の大事なパソコンをバットで破壊するような輩だからな。

 

 仮に希望通りに妹が生まれたとしよう。

 おそらくはゼニス似の女の子。

 可愛くて小さい妹。憎たらしい弟と違って、妹なら俺でも愛情を注げるだろう。

 

 失望されないように、誰に対しても誇れる兄貴(姉ちゃん)を今からでも目指そう。

 前世の俺はたぶん、弟から侮蔑的な目で見られてだろうしな。

 もうこりごりである。

 

 前途多難だろうし、やることもきっと多い。

 挫折だって避けては通れまい。

 でも、だからこそなのだ。

 前世で何事も中途半端に取り組んでは放り投げてきた。

 

 成果が出る前に捨てたんじゃ、得るものだって無い。

 最後まで、満足のゆくまで――。

 やり遂げなければ意味も価値も生まれない。

 

 決めたぞ、俺。今度こそ本気だす――。

 



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1話 魔術の鍛練

 2歳を迎え、足腰の成長も滞りない。

 走る事も容易となった頃。

 ひとつステップアップすることにした。

 

 母が見せてくれたような魔術の習得だ。

 たしかヒーリングとかいう魔術だったか。

 明らかに医療技術の低い世界だ。

 習得する魔術としては、治癒魔術を最優先すべきだろう。

 

 擦り傷程度ならともかく、こんな世界で骨折とかしてしまったら治癒までにどれほどの時間を要するものか。

 

 というわけで書斎にある魔術教本から知識を得る。

 内容としては初級、中級、上級の攻撃魔術について記されていた。

 

 あれ? 肝心の治癒魔術に関してはノータッチかよ。いきなり壁にぶち当たったしまった。

 直接、母親(ゼニス)に指導してもらうしかない。

 

 やむを得ない、手始めに攻撃魔術の習得を目標に立てる。

 ともあれ、もっと年齢を重ねたら、当初の方針通りに治癒魔術の習得に専念しよう。

 

 どうやらゼニスは村の診療所で働いているらしいし、愛娘が自分と同じ仕事をしたいと言えば喜んで教えてくれるはず。

 親に憧れる子どもという構図である。

 

 ああ、あと魔術の練習は家族の前では行わない方向でいくつもりだ。

 もしかしたらこの世界の魔術とやらは、未成年者の使用を禁じられているかもしれない。

 

 英国の某魔法使いの少年が主人公の小説のごとく。

 

 現代日本における自動車の運転と似た立ち位置で、免許制という線も有る。

 どんな物でも使い方によっては、危険性を孕むものだ。

 

 そうでなくも、まだ身体の出来上がっていない子どもには、魔術がどんな悪影響を及ぼすのか皆目検討もつかない。

 

 しかし、ここで止まるつもりはない。

 何事も始めるタイミングは早い方が望ましい。コツコツと努力を積み重ねていきたい。

 あくまでも慎重にだが。

 

 さて、魔術教本を読み進めていく中で理解した事が幾つかある。

 まず魔術を使うには魔力が必要だ。ファンタジー世界の例に漏れない常識ってやつ。

 

 ゼニスが治癒魔術を使っていたところを鑑みると、俺の身体にも魔力は備わっているはずだ。

 親父の方は知らんが。

 

 そして魔術を発動する方法は大雑把に分けて二つ。

 詠唱か魔方陣。

 これから学ぶ方式としては、詠唱によるものを選択する。

 

 魔術教本には魔方陣について載っていたが、複雑な形状の線を引く必要がある。

 それと魔方陣を描くある程度のスペースも。

 

 大掛かりな準備が必要そうなので今回は見送りだ。

 現状、詠唱魔術一択ってわけだ。

 

 そういや、ゼニスは治癒魔術を発動させる際に詠唱していたっけ。

 好奇心旺盛ゆえに家中を走り回っては頻繁に転ぶ俺。

 

 生傷も絶えないことから、ゼニスの治癒魔術には日常的に世話になっている。

 

 俺自身が治癒魔術を使ったわけではないが、体内に流れ込む魔力の感覚は何度も感じた。

 

 詠唱文だって暗記したし、空で唱えられる。

 そんな自信があった。

 試したことはないけど。

 

 本題に入る。魔術教本の入門編の中でも、一番簡単そうな魔術を選ぶ。

 

 水魔術のウォーターボール――。

 

 名前からして水を生み出すのだろう。

 この世界は現代世界と違って文明そのものの水準が低い。

 安全な飲み水を確保出来るという点では、習得して損はない。

 

 まずは詠唱とやらをしてみよう。

 教本の読み込みが足りず、原理はまだ理解していないが、物は試し。教本を片手に、単純に詠唱文を言葉でなぞる。

 

 

「汝の求める所に大いなる水の加護あらん――」

 

 

 まず一文目は淀みなく唱え終える。この調子で進行していく。

 

 

「清涼なるせせらぎの流れを今ここに――」

 

 

 うん、初級魔術とはいえ詠唱には、そこそこ時間が掛かってしまう。

 仮に剣士であるパウロと模擬戦に挑んだとしても、攻撃する間もなく斬り伏せられそうだ。

 

 さて詠唱も大詰め――。

 

 

「ウォーターボール!」

 

 

 最後は気合いを入れて叫ぶように言いはなった。

 直後、突き出した右腕から手の平に掛けて、妙な感覚を知覚する。

 

 表現するとしたら身体中の血液が手の平に集束していくような感覚。

 視線を向けると、こぶし程の大きさの水弾がフヨフヨと浮かんでいた。

 

 

「マジかっ!」

 

 

 思わず感嘆の声が漏れる。

 まさか夢にまで見た魔術を、この手で再現できようとは。

 神様になった気分だ。

 

 と、気を散らした瞬間、水弾は支えを失ったかのように床へと落ちた。

 ポチャンッという音と共に水溜まりが生まれる。やべ、早く処理しないと。

 

 部屋の片隅に畳んで置かれていたベッドのシーツで、ゴシゴシと水気を拭き取る。

 うむ、水量が多くて吸いきれないか。

 

 どう対応すべきか思案する。

 が、ここで一つドジを踏む。

 シーツに足を取られて転倒してしまったのだ。

 

 ゴンッ、と頭をぶつける音。鈍い痛みに襲われる。

 とんだアクシデントだよ。

 

 

「ぐえっ! い、いてえっ!」

 

 

 頭を抱え込んで床をゴロゴロと行ったり来たり。

 当然ながら、そんな動きでは痛みは紛れない。

 しかし、どうにかして痛みを取り除こうと奮闘し、苦し紛れに治癒魔術をイメージする。

 

 詠唱など唱えている余裕は無いのだ。

 ゆえに体内を流れる魔力と、神秘的な光が患部を包み込むような光景を頭の中に浮かべた。

 

 右手を頭に添えてみる。

 すると、どうしたことか。

 あれほど転げ回っていた痛みは瞬時に消え失せ、俺の意識は明瞭になっていた。

 

 

「あれ? 今のって……」

 

 

 詠唱をすっ飛ばしたのに不備なく治癒魔術が発動した。

 すなわち無詠唱。

 詠唱破棄と言い換えれば漫画やラノベみたいで中二病心をくすぐられる。

 

 ただし、無詠唱が出来た理由に、ひとつだけ心当たりがある。

 治癒魔術を日常的にゼニスから受けていた俺は、たぶん無意識に魔力の流れを熟知していた。

 身体に残る感覚のみで魔力の流れを再現し、治癒魔術を発動出来たんだろう。

 

 それでも自分への驚きは隠せない。

 

 もしかして俺って魔術の才能がある?

 それも治癒魔術に特化しているのかも。

 ゼニスの得意系統でもあるし、遺伝したと考えるのが妥当だろう。

 

 まさか魔術の特訓一日目にしてここまでの成果を挙げられるとは。

 異世界生活も意外とチョロいもんだ。

 

 ……おっと、いかん。生前を思い返せ?

 

 前世では、人より多少はパソコンの知識があるからって調子に乗った。

 その成れの果てが向上心を失くして怠惰に生きるニート。

 

 1度躓いただけでこれ以上の伸びは無いと諦めたのは誰だよ。

 俺自身だろ?

 

 同じ轍は踏まない。

 ひたすら練習しよう。

 余計なことは考えるな。

 努力のみが成長への近道である。

 

 それに今の治癒魔術だって所詮は見よう見まね。

 無詠唱=成功ではない。

 何かしら効力として足りない部分があるかもだ。

 

 基礎についてはいずれゼニスから学ぶとしよう。

 

 

 というわけで練習を再開。

 次は水弾(ウォーターボール)を繰り返し発動させる。

 それも無詠唱で。床にこぼさない様に、今度は窓から外へと向けて。

 

 1発撃ってみる。

 よし出来た。無詠唱魔術を身に付けたと言っても過言ではない。

 

 

 更にもう1発――。

 

 ん? 急に疲労感が出てきた。

 もしやMP切れってやつ?

 

 教本によると、生まれ持った魔力量は大きくは変化しないそうだ。

 だとしたら俺の魔力量って初級魔術数発で尽きるくらい少ないってことになる。

 

 残念だ。やはり調子に乗るべきではないのだ。

 分相応に生きよう。

 卑屈になった俺は、疲労感に身を任せる。

 気絶する寸前、ついでとばかりに、水弾を最後に1発だけ放っておいた。

 

 着弾点は分からない。もうどうにでもなれだ。

 

 

 

 

 

 目を覚ました時には大惨事になっていた。

 というのは子ども目線での話。

 どうも最後に放った水弾は、運悪く仰向けに眠る俺の下半身に落下したようだ。

 

 ずぶ濡れになったおパンツ。

 眠っていた俺を発見したゼニスとリーリャは短絡的にも、俺が寝小便したのだと判断する。

 

 いや、いいけどね? まだ2歳だし、おねしょくらいは許される。

 幼女の粗相だと思えば、むしろ愛嬌が有って良いじゃないか。

 

 恥こそ掻いたが、収穫は有った。

 水魔術と治癒魔術の無詠唱での発動。成果に不足無し。

 

 魔力量に関しては不満が残るが、せめて咄嗟に魔術を発動出来るくらいにはなろう。

 護身術的な意味合いで。

 

 翌日以降も魔術の練習を続ける。

 そこですぐに気付いた。

 水弾の弾数が少しだけ増えていたのだ。

 具体的には5~6発ほど。頑張れば10発はいけそうだ。

 

 また気絶するとマズイので控えておく。

 けれどこれで理解する。

 俺、魔力量が増えてんじゃん。

 

 まだ検証が必要だろうけど、ひとつの仮説が立つ。

 

 どうやら潜在的な魔力量というのは、成長期に鍛えれば鍛えるほど、伸びていくのかもしれない。

 それもまだ生物としては弱い幼年期に限って。

 このペースでの成長的に十分あり得そうである。

 

 これは俺の推測にしか過ぎないが、この世界の人間は魔術を鍛え始めるのが遅いのだろう。

 

 通常、物心がつく6歳頃から学び始め、しかし長い詠唱を終えなければ魔術を発動出来ない。

 

 時間的及び気力的な事情から魔力を使い切るまでの数をこなせず、伸び代を潰している。

 おそらくは正解だ。

 

 俺自身について考えてみる。

 前世の記憶を持つ俺は、生まれつき物心がついている。

 だから魔術の練習だって自発的にするし、意識して魔力を使い切ろうとする。

 

 まさに俺にだけ許された抜け道。

 卑怯な気もするが、神様からのギフトとして受け取っておこう。

 まあ俺は無神論者だけどな。

 

 そして連日に渡って魔術を使い続けた。

 たちまち水弾の弾数は増加し、今や30発を超える。

 

 ただし上達しない点がある。

 ウォーターボールの効果としては、前方へと射出する筈なのだが……。

 なかなか前へと飛んでいってくれない。

 

 さすがにへこむ。

 何が悪いのかわからん。

 でも止めない。諦めるにはまだ早いだろう。

 

 食事中以外は魔術教本を片時も離さずに読み込み、自分のやり方に間違いが無いかを探り続ける。

 試行錯誤していく内に2ヶ月が経過。

 

 そこまで粘ってようやく実りがあった。

 詠唱有りでも無詠唱でも、水弾を飛ばすことが出来たのだ。

 

 人生で最も長くひとつのことに心血を注いだ気がする。

 これまで望んでも何も得られなかっただけに、より一層感動が際立つ。

 

 ふむ、魔術の詠唱の仕組みとやらが見えてきたぞ。

 

 詠唱とは、発動までの流れを自動化してくれる機能だ。

 そして魔術の種類の選別や形づくりを自動でやってくれる。

 

 詠唱による『生成』から始まり、魔力による『サイズ設定』、『射出速度設定』、そして『発動』とくる。

 

 この内、術者が関与する部分はサイズ設定と射出速度設定。

 

 この仕組みを、俺がやり続けていた無詠唱に置き換えてみる。

 全行程を手動で行う必要が生まれるが自由度は高い。

 

 これまで俺は魔力を込めるだけ込めてサイズ設定の部分にだけ力を入れていた。

 つまり射出速度が未設定だから飛ばなかったらしい。

 

 未解明部分が明かされればあとは容易い。

 サイズ設定だけでなく射出速度に魔力を回してみた。

 

 その際、詠唱では設定が固定されるところ、無詠唱ならば任意に設定に弄れる。

 

 慣れさえすれば詠唱するよりも無詠唱で魔術を発動した方が何秒も早くなるだろう。

 無詠唱のメリットを強く実感した。

 

 生成の部分でも無詠唱なら調整が効く。水弾を氷弾に変化させたり。

 突き詰めれば無詠唱魔術とは想像力の具現化。

 と言うのはさすがに誇張が過ぎるか。

 

 なんにせよ俺は、魔術師としての道を大きく前進した。

 これに慢心することなく継続していきたい。

 

 そうして、他の属性の攻撃魔術を勉強しつつ、魔力量を伸ばす鍛練を毎日続けていった。

 

 

 

 

 見習い魔術師としてある程度形になってきた頃には3歳を迎えていた。

 

 生まれ変わってから3年……。

 長いようで短い日々だ。幼女ボディも様になってきたのを実感する。

 

 姿見で我が肉体を凝視する。

 なるほど、幼くはあれど母親(ゼニス)と瓜二つ。 

 胸はまっ平らだが、将来は有望。

 

 もっとも、女としては明るい未来でも、男の自尊心が年々削られてゆく。

 葛藤とは切っても切り離せない。

 

 とはいえだ、どう足掻こうと性別なんて変えられない。

 だったら有意義な生き方をしようじゃないか。

 空元気風味に張り切り出す。

 

 試しに姿見の前でセクシーポーズを取ってみる。

 グラビアアイドルがやるような際どいやつ。ウッフーン! とか言ってみる。

 

 ふむ、色気は無いが、幼い女の子が必死に背伸びしている姿が鏡面に映し出されている。

 これはこれで可愛らしい。

 頭、撫でてもいいですか?

 

 ぐふふ、ルディちゃん超プリティー!

 

 なんて風にバカな真似をしていると、部屋の外からリーリャが可哀想な子を見る目で、俺を見ていた。

 

 

「あ……、違うんです! リーリャさん!」

 

 

 取り繕おうとするも――。

 

 

「いえ、お嬢様。お可愛いですよ」

 

 

 言い訳は通用しない。

 しかし彼女は雇い主の娘に恥を掻かせまいと気を遣ってくれている。

 

 

「うう……。母さまたちにはナイショですよ?」

 

「承知しております、お嬢様」

 

 

 顔が熱くなるのを感じる。

 鏡で確認すると、トマトのように赤く熟れた顔。

 ふむふむ、第三者目線であれば非常に萌える。

 

 

 

 

 そんなやり取りもありつつ、ある日の昼下がり。

 居間から庭先で剣を振り回すパウロを眺める。

 20歳を過ぎてガキ臭さの消えた父親(パウロ)は、立派な青年だ。

 

 たしか俺の生まれた頃、彼は19歳で現在は22歳か。日本基準なら大学4年生である。

 

 一方でゼニス。彼女は俺を17歳で出産していた。

 外見から漠然と若いと思っていたが、出産当時は未成年だったのか……。

 

 夫婦の年齢からして学生結婚みたいなものだ。

 (もっと)も、この世界の成人年齢は15歳。

 結婚適齢期にドンピシャということで世間的には問題ない。

 

 やはり未成熟な文明ほど、人間は若くして子を生み育むのだろう。

 もしや俺も15歳を過ぎた頃に、お見合いでもさせられるのか?

 

 それは全力で拒否りたい。

 野郎とまぐわって子を孕むなんて寒気がする。

 なぜ男に生まれなかったのか……。

 

 いや、よそう。

 この考えはパウロとゼニスに対して侮辱に等しい。

 彼らにとって初めての子どもなのだ。

 男女の違いで不満こそ漏らしても、否定までするのは間違いだ。

 

 さて、話を戻そう。

 華麗な剣裁きを披露するパウロは、どうやら()に父親の威厳だとか、カッコ良さを見せつけているつもりらしい。

 

 見え透いた本心に笑ってしまう。

 

 お、いまパウロのやつ野性的な笑みを浮かべ、歯をキランとさせていた。

 しかしDQN顔なのでマイナス100点の評価を下す。

 

 だがそんな間抜けな行為が祟ったのだろう。

 鞘に剣を納めようとした際に手を滑らせて、取り落とす。

 落下した剣先はパウロの足の甲に触れてしまい、グサリッと、刺さってしまった。

 

 これにはパウロの奴も不意を打たれたというのか、その場で尻餅をつく。

 

 てか、ヤバくないか? 刃物が刺さるなんて冷静に考えて大怪我だ。

 

 

「すまん、ルディ。母さんを呼んできてくれ!」

 

「は、はい!」

 

 

 と、家の中でリーリャと共に家事をしているであろうゼニスを呼ぼうかと声を出しかける。

 が、思い出す。今日に限ってゼニスは急患が出たということで、村の診療所に引張りだされていると。

 

 困ったな。

 今から呼びに行ったんじゃ、俺の小さな身体じゃ小一時間は掛かりそうだ。

 

 リーリャを頼るか?

 いや、彼女も食料の買い出しで不在だ。

 ゼニス同様、呼びに行くには時間が掛かる。

 

 いやいや、それ以前の問題がある。

 

 怖いんだよ、外に出るのが――。

 

 父親の窮地だってのに足がすくむ。

 敷地内である庭くらいであれば、まだ足を踏み出せる。

 現にいま、パウロのそばへ駆け寄っていた。

 

 

「しまったな。いま、母さんは診療所か。まだ小さなルディに診療所まで走らせるわけにもいかんしな」

 

「ごめんなさい、父さま……」

 

「気にすんな、父さんがバカだったせいだよ」

 

 

 痛いだろうにニッと、歯を剥いて笑う。

 娘に心配を掛けまいと強がっている。

 さしもの俺も申し訳なさで脳内一色だ。

 

 どうすれば良い? 何をすれば正解だ?

 

 自問自答などしても埒が明かない。

 

 だって外の世界に出られるわけがないだろ?

 

 俺にとっての世界はグレイラット家の邸宅で完結しているんだ。

 パウロが怪我をしているのは頭ではわかっている。

 しかしそれでも、手足が震え心臓がキュウッと締め付けられる。

 

 何も考えられない。

 何も見たくない。

 身勝手な感情が縛り付けてきやがる。

 

 でもやっぱり何かしなきゃいけないと思って――。

 

 

「ヒーリング――……」

 

 

 怪我の患部へと手を添え、治療を試みる。

 

 そうだ、俺には魔術がある。

 なぜ忘れていたのか……。

 

 無詠唱での発動ゆえに、ノータイムで治癒していく。

 その光景をパウロは、虚を突かれたように凝視していた。

 

 やがて傷口は塞がり、跡ひとつ残さず完治する。

 ホッとした。

 基礎もろくに身に付いていない咄嗟の治癒魔術が効いたことに。

 

 

「ル、ルディ?」

 

 

 パウロが俺の名を呼ぶ。

 なんだよ、急に。

 

 

「お前、魔術が使えるのか? それも無詠唱?」

 

「はい、そうですけど……。もしかしてまだ痛みます?」

 

「いや、痛みはねえよ。完璧に治ってる。ルディのお陰だ」

 

 

 あ、失念していた。

 未成年者の魔術の使用の実体を確認せずに、不用意に使っちまったよ。

 これは不味い状況なのか?

 

 

「ごめんなさい……」

 

「どうして謝る? 父さんはルディに感謝してるんだぞ」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

「もちろんだとも。どこで学んだかは知らんが、母さん顔負けの治癒魔術だったよ。いや無詠唱な分、母さん以上か?」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 杞憂だったようだ。

 魔術の使用に年齢は関係ないらしい。

 

 

「母さまの見よう見まねでやってみました。(つたな)い腕かもしれませんけど、お怪我が治ったのなら良かった」

 

「マジか! 誰にも教わらずに見ただけで?」

 

「もしかしてダメですか?」

 

「ダメなわけないぜ。むしろ親として誇らしい!」

 

 

 歓喜の声を挙げながら、パウロは俺を抱き寄せる。

 逞しい腕による抱擁。

 ちくしょう、男に抱き締められてるってのに心地好いじゃねえか……。

 

 この温もりの正体がわからん。

 ハッキリとしないが……、この感覚、最高かよ!

 

 親に褒められたのはどれくらいぶりだったか。

 前世の所業からすれば、親に何もしてやれなかった。

 むしろ心労ばかり掛けて、親孝行とは正反対のことばかりしてきた。

 

 だから俺はずっと心残りだった。

 もう前世の両親には返せない恩。

 

 しかし代わりと言っては失礼だが、今世の親であるパウロには子として、こうやって親孝行をしてやれたのだ。

 

 その充足感が全身を包み込む。

 笑みが顔に貼り付いて取れんわ。

 

 

「やっぱり親子だな。笑ってると母さんそっくりだ」

 

「はい、私は母さまみたいに美人ですからね」

 

「こいつぅ、調子に乗るなあ!」

 

 

 コツンと、額を小突かれる。

 でもパウロも笑っていた。

 俺も笑っている。

 

 おいおい、なんだよ!

 この和気あいあいとした親子の団欒(だんらん)

 

 

「よし! 後で母さんにも教えてやろうぜ! うちの娘は天才だってなあ!」

 

「天才だなんて、そんな……」

 

 

 いかん、いまの俺、笑顔が止まらない。

 我ながら、だらしないぞ。

 柄でもない、しかし悪くない気持ちだ。

 

 散々、挫折してきた人生。

 ようやく報われた気がした。

 まだ判断するには早いだろう。

 けれど、この人の子に生まれてきて良かったと心底思うのだ。

 

 テンションの上がった男は幼女を肩車する。

 そして庭中を走り回る父娘が、そこには居た。

 

 はい、俺とパウロです。




ちなみに原作のルディは、治癒魔術を無詠唱では発動出来ません。
性別と環境の違いによる、魔術の資質の変化です。


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2話 師匠

治癒魔術に関して、独自解釈が含まれます。


 パウロの怪我を治療したその日の晩、食事の場でゼニスに向けて事の詳細の説明がなされる。

 興奮気味に話すパウロ、口を押さえて驚くゼニス。

 

 我が子の才能の高さに興奮冷めやらぬ模様。

 親として鼻が高いってやつか?

 

 やれうちの子は可愛いだの、聡明だの、将来は七大列強に名を連ねるだの──。

 そこまでおだてられたとあっては、むず痒くなってくる。

 

 はて? 七大列強とは何ぞや?

 

 パウロに訊いてみたが、彼本人の口からは、ざっくりとした事しか教えてもらえなかった。

 

 なんでもこの世界で最も強い7人の武芸者やら戦士なのだとか。

 漫画やラノベに有りがちな設定だな。

 

 この呑気な雰囲気のブエナ村で暮らす限りは、関わるなんて事態なんざ、万が一にもあり得ないだろう。

 

 

「きゃー! この子ってば、やっぱり天才だったんだわ!」

 

「だよな、なんてたって俺とお前の子だ。将来は必ずや歴史に名を残す魔術師になるぜ!」

 

 

 なあ、いつまで盛り上がってんの?

 評価されているのは素直に嬉しいが、いい加減にしてもらわないと俺も増長してしまう。

 

 努力を絶やさず堅実に生きていくという方針が揺らぎかねない。

 気を抜くなよ、俺。

 

 

「それにしても無詠唱だなんてねえ。ルディ、それってスゴいことなのよ」

 

「そうなのですか?」

 

「ええ。そうよ。歴史上でも無詠唱魔術の使い手は、数えられるくらいしか存在しない珍しいものなの」

 

 

 無詠唱魔術の術者は稀少のようだ。

 中央大陸の大国であるアスラ王国でも極めて稀な存在なのだとか。

 

 しかし出る杭は打たれるという言葉がある。

 親以外にはあまりひけらかさない方が良いのでは?

 

 不安と疑問に封印指定したくなる。

 異端者でなくとも異端児くらいには扱われることだろう。

 

 

「あの、母さま。ひとつお願いがあるのですが──」

 

「なあに? 言ってごらんなさい」

 

「あのですね、母さまに治癒魔術を教えて欲しいんです」

 

「ルディはもう治癒魔術を使えるのよね? それも無詠唱で。私なんかの指導が必要?」

 

「必要……だと思います。基礎も知らずに放置していたんじゃ、いつか大きな失敗をしてしまいます」

 

「勤勉な子ね」

 

 

 一応、納得はしたみたいだ。

 だが俺自身、必要なことだと考えている。

 今回は偶々上手く事が運んだが、治療後の経過が悪く後遺症を残すケースだって起こり得る。

 

 であるならば、その可能性の芽を摘むことは重要だ。

 手抜かりはいかんぞ。

 

 

「そうねえ。最初は家庭教師を雇おうかと思ったけれど、他でもないルディからのお願いだし。うん、お母さんが教えてあげる!」

 

「やったぁ。ありがとうございます!」

 

「でも基礎を身に付けたら、ちゃんとした家庭教師を雇うから、そのつもりでね」

 

「はい!」

 

 

 話はついた。

 明日以降、暇な時間を見つけて教えてくれると約束。

 現役の治癒術師(ヒーラー)による直々の指導。

 精々、失望されないように励むとしよう。

 

 説明し忘れていたが、治癒魔術を専門に扱う魔術師を指して、治癒術師と呼ぶそうだ。

 

 

 

 

 

 そして数日後。

 さっそく、ゼニスに時間を作ってもらい、勉強タイムとなる。

 

 ゼニスの勤め先である診療所から借りてきた治癒魔術の専門書を手渡される。

 厚さはそれほどでもないが、軽く目を通した限り、俺の頭でも理解出来る内容だ。

 取り扱いは初級から上級まで。

 魔術教本と同じランクの範囲である。

 

 

「ルディにはまだ難しい言葉があるはずだから、わからない部分があれば質問するのよ」

 

「はい、母さま」

 

 

 ふむ──読み進めていくと、色々と知識の欠落を痛感する。

 抽象的なイメージで治癒魔術をパウロに施していたが、専門書の記述から察するに、もっと手際の良いやり方や、応用法があるようだ。

 

 まずは治癒魔術の発動条件について。

 

 当初、治癒魔術とは傷の周辺の細胞を活性化させて強制的に治癒させるものだと決めつけていた。

 

 しかし実際は違う。

 どうやら負傷部位の情報(魔力)を読み取り、正常な状態へと修復させるのだ。

 

 俺の推測に過ぎないが、水弾で例えるなら『生成』の時点で、『状態の定義』、『サイズ設定』は『範囲設定』へ置き換えられる。

 

 『射出速度』は『修復過程』といった流れだと考えれば、ある程度は辻褄が合う。

 

 魔術によって差違はあるにしても、大まかな感覚は掴めた。

 

 ちなみにここまでの範囲で、専門書の難読部分はゼニスに解説・捕捉をしてもらっていた。

 子どもにも理解が出来るように噛み砕いた言い回しで教えてくれた。

 

 まだこっちの世界の言語を網羅したわけじゃないから、助かる。持つべきものは母親だ。

 

 

「ルディがお父さんに掛けたヒーリングは初級に分類されるのよ。刺し傷とか切り傷までが治療の範囲ね」

 

「へえ、では中級や上級はどういった効果なのですか?」

 

「中級ではエクスヒーリング。骨折くらいの傷までなら治せるわよ。上級だとシャインヒーリング。痛い話になっちゃうけれど、千切れた腕とか脚を断面に合わせて治癒魔術を掛ければ、元通りにくっついちゃうの」

 

「それは……スゴい!」

 

 

 この世界の医療水準を舐めていたが、なるほど。

 切断された手足すら、大掛かりな手術を必要とせずとも治療可能ときたか。

 

 そりゃあ、まともに医療技術が発展しないわけだ。

 魔術師の絶対数こそ少ないようだから、医療崩壊の危険性は付いて回るらしいけど。

 

 とはいえ戦争でも起きない限りは事足りるだろう。

 このアスラ王国じゃ、長いこと戦争が起きていないからな。

 

 

「母さまは、どのランクまでの治癒魔術を使えるのですか?」

 

「うーん、中級までね。上級となると大きな街に1人いるかどうか。上級の治癒術師って、とても少ないのよ」

 

 

 併せて解毒魔術も中級までなら習得済みとのこと。

 治癒と解毒で、魔術としては別系統扱いなのか?

 

 まあ、毒物の場合、怪我の治療と勝手が違うのだろう。

 体内から、傷病の原因である毒素を取り除く必要が別個であるとか? そう適当な解釈をしておく。

 

 

「それじゃあ、実践に移りましょうか」

 

「よろしくお願いします、先生!」

 

「ふふ、先生だなんて」

 

 

 微笑みつつ、ゼニスは裁縫箱からまち針を取り出したかと思えば、おもむろに自身の指先に刺す。ジワりと血が浮かぶ。

 

 

「え、痛くありません?」

 

「少しだけね。でもこれくらいならすぐに治せるわよ」

 

 

 身を以て愛娘に指導する親心、ここまでされたら、俺も相応の姿勢で取り組まなきゃな。

 

 そして彼女は中級魔術──エクスヒーリングを唱える。

 骨折程度までの怪我なら対応可能と話していたが、まさか試し撃ちで、自ら骨を折ったりはしまい。

 

 要するに術の発動さえ確認出来れば良いのだ。

 指先の刺し傷程度であっても、治癒さえすれば成功だと見なすってことね。

 

 

「治りましたね」

 

「これくらいは、お手のものよ」

 

 

 ドヤ顔で誇らしげに胸を張る母ちゃん。

 目の前に突き出されたおっぱいを、反射的にひと揉みしてしまう。

 

 

「コラ、ルディ! 人が教えてる最中にふざけるんじゃありません!」

 

「す、すみません……」

 

 

 しょぼん……。叱られちまったよ。だが良い感触だった、ご馳走さま。

 

 

「もうっ! 変な所でお父さんに似なくてもいいのに」

 

「でも私って、母さまにも似ているんですよね?」

 

「それはそうだけれど、お母さんは同性の胸に触れたりはしないわよ」

 

「だって母さまの胸が恋しくて……」

 

 

 なんて言い訳だ。

 

 

「あら、赤ちゃん返り? まだ下の子も生まれていないのに。可愛い子ね、ルディは」

 

 

 脇に手を差し入れられたかと思えば、持ち上げられて彼女の膝に座らせられる。

 どうやら母として子を甘やかしていると見える。

 

 

「ところでルディ、貴女はどんな大人になりたい?」

 

「ええ? どんな大人って……」

 

 

 どう答えるべきか。母親の求める理想の子どもの将来の姿。

 

 いや、適当なことは言えんな。

 真摯な態度で返答すべきだ。

 ここは俺の本心を伝えるか。

 

 

「そうですね、私としては母さまみたいな美人さんになりたいです。あとは上級の治癒魔術を覚えて、父さまが怪我をしたら、治してあげたいです」

 

「あらまぁ、ちゃんと自分の将来像が見えてるのね」

 

 

 まっ! 当たり障りの無い内容でぼかさせてもらった。

 けど本心を含んでいるのもまた事実。

 

 3年以上も同じ屋根の下で暮らせば愛着も湧いてくるってもんですよ。

 呆れるほどの溺愛ぶりに、俺の心も揺らぐってもんだ。

 

 

「ほら、授業を続けるわよ」

 

「はい、母さま!」

 

 

 そんな具合に毎日、ゼニスによる治癒魔術及び解毒魔術の授業が続く。

 2週間後には、無事に中級を習得。無論、無詠唱で。

 

 ゼニス曰く、今の俺なら診療所でも即戦力になる腕前だとか。

 

 やれやれ、我ながら自分の才能が怖いぜ。

 こりゃ、上級取得も時間の問題だな。

 そこまで上達すれば、村でメシを食うのには困らないだろう。

 

 手に職を付けるとはよく言ったものだ。

 

 とっ、いけねぇ。また調子に乗ってしまった。

 前世の教訓を活かせよ、ルディちゃん!

 

 真面目な話、治癒魔術に関しては上級よりも更に上を目指したい。

 上級でも治せない程の重傷をパウロが負って、救えませんでした! なんていう結末はごめんだ。

 

 上級より上位となると、『聖級』『王級』『帝級』『神級』の並びだ。

 

 神級ともなると、お伽噺の中でしか存在が確認されていないらしい。

 

 帝級や王級でさえ、個人で扱える魔術の範疇を超える。

 魔方陣を描くか、100以上もの文節の詠唱を要したり、手間と時間が掛かる代物。

 

 ただし、王級クラスならば巻物(スクロール)として保持でき、緊急時において即座に使用可能。

 無理して覚える事もない。

 

 で、個人規模で扱うならば、聖級が実質的な上限ってところだな。

 その聖級治癒術とやらも、使える人間の絶対数は非常に少ないのだと、ゼニスは話す。

 

 聖級に関しては、覚えたければ、在野の凄腕治癒術師に弟子入りするのが常識だ。

 

 となると、ブエナ村から足を伸ばさなきゃ、そんな腕の良い治癒術師の先生なんて見つけられない。

 

 くっ、詰んだか? 聖級の書籍でもあれば、独学で身に付けるつもりでいるんだが……。

 

 たぶん、めちゃくちゃ高価だろうしな。うちの経済事情じゃ、まず手に入らない。

 

 じゃあやっぱり、城塞都市ロアの方面まで出向いて師匠探しが一番手っ取り早いな。

 

 それよりも前に親のあてがった家庭教師とのレッスンが先になるだろがね。

 

 

 

 

 

 

 治癒魔術の扱いに慣れた頃、ロアの町に出していた家庭教師の求人に応募があった。

 

 人となりまでは分からないが、水聖級魔術師だってよ。

 他系統の魔術も、だいたいは使えるんだとか。

 

 熟練の魔術師の風貌を頭の中に思い浮かべる。

 髭を蓄えたお爺さん的な?

 

 そうでなくとも魔術師として大成した程の人物だ。堅物な気質かもしれん。

 

 ヤダなぁ。

 俺は褒めて伸びるタイプなんだよ。

 叱られるばっかは性に合わんよ。

 

 とかいう風に勝手なイメージで不安がっていると、その人物はやって来た──。

 

 

「ロキシーです。よろしくおねがいします」

 

 

 わあおっ! 見てごらん、うら若いお嬢さんが目の前に居るんだぜ?

 

 そう、家庭教師となる人物とは、下の毛も生え揃っていなさそうな女の子だった。

 年の頃は12~13歳くらいか。

 眠たそうな眼をしている。

 

 お世辞にも状態の良いとは思えぬ茶色のローブに身を包んでいる。

 長年、使い込んでいるのか、所々、生地が薄くなって変色していた。

 

 俺の家庭教師として雇われるからには、相応の給金が出る。

 是非、買い直す事をオススメする。

 

 ひょっとしたら、彼女自身の思い入れのある品かもしれんし、余計なお世話というのも否めんが。

 

 それにしても……ロキシーと名乗った少女は小さい。

 水色の髪が特徴的な彼女。

 

 服の上からでも、肉付きが薄いことが読み取れる。ちゃんとメシとか食ってんの?

 

 よしっ、このロリっ子先生に俺のオヤツを分けてあげよう。

 

 恩着せがましい俺の思いやりなど露知らず、ロキシーさんとやらはジト目で、パウロ→ゼニス→俺の順番に視線を巡らした。

 

 身に纏う気だるげな雰囲気からして、やる気が足りてないぞ、この子は。

 見た目は俺好みで可愛らしいだけにもったいない。

 

 しかしそれにしても──。

 

 

「小さいなぁ」

 

 

 背丈と胸の両方を指しての一言。

 

 

「あなたに言われたくありません」

 

 

 ムッとした表情で反論される。

 目を細めて睨んでいるつもりみたなんだが、まったく恐くない。

 むしろ愛くるしく思える。

 

「それで? わたしの教える生徒はどなたで?」

 

 

 再び、俺たち3人を順に視線を配る。

 パウロは体格からして剣士だと認識し、ゼニスはある程度の魔術の素養があるように、ロキシーの目には見えているようだ。

 

 最後に俺の顔を見つめて──。

 

 

「もしかして…。その小さな子が、生徒だったりします?」

 

「はい、そうです。小さな子であるこの私がロキシー先生の生徒です」

 

 

 根に持っていたのか、小さな子という言葉を投げつけられる。

 

 

「失礼、貴女の年齢は?」

 

「ピチピチの3歳です!」

 

 

 パーの手を突き出し、2本ほど指を折り曲げて3歳であることを強調する。

 

 

「これは……元気なお子さんですね」

 

 

 なんだい、3歳児じゃ不満かい?

 

 

「参考までに聞きますが、魔術の習熟度はどのくらいで?」

 

「基礎六種の全てで中級まで習得しました!」

 

「なっ! その歳でそこまで……」

 

 

 目を見開いて驚く彼女。

 小声で『見栄を張って嘘をついているのでは?』等と漏らす。

 

 ところがどっこい、火・水・土・風の攻撃系統の魔術も地味に中級まで履修済みだ。日々、俺も進歩しているのだよ。

 

 

「こほんっ、取り乱しましたね。では、解りました。今日からわたしが、貴女の先生です。名前を伺っても?」

 

「ルーディア・グレイラットです。気軽にルディと呼んで下さいね」

 

 

 仲を深める為にも愛称呼びは重要だ。

 初っ端から侮られてしまったが、寛大な俺は、こちらから歩み寄ることでチャラにしてやる。

 

 それとロキシーは住み込みで家庭教師をやってくれるって話だ。

 こんなにも幼くも麗しい女の子と同居だなんて、ドキドキワクワクのエッチな生活の幕開けを予感する。

 

 ラッキースケベとか無いかしら?

 

 居間で雇用条件の細かい調整と自己紹介を終えて一段落した頃、早速、授業を行うことになった。

 

 てっきり今日は旅の疲れを癒す為に休養に費やすかと思ったが、熱心なことだ。

 自分の仕事に強い責任感があるのだろう。

 

 と、思いきや、ロキシーの給金は日当割りだそうで。

 授業時間で増減する。なるほど、金にがめついな。

 

 

「ルディ、まずは実際に貴女がどこまで魔術が使えるのかを見せて下さい。口先だけでないことを証明するんです」

 

「ええ、はい。見ててくださいね」

 

 

 まだ疑ってるのか?

 

 まあ、俺だって同じ立場なら疑いたくもなるさ。

 自分よりもうんと年下の女の子が、人並み以上に魔術の腕に自身を持ってるわけだしな。

 

 

「ウォーターボール──!」

 

 

 まずはオーソドックスに詠唱有りで初級水魔術を発動する。

 ロキシーより貸与された初心者用の杖を用いてだ。

 

 特に問題なく水弾は射出され、10メートルほど(くう)を突き進んだ後に霧散した。

 

 

「詠唱もスムーズですね。しかしまだ初級。続けて」

 

 

 むむ? まだご納得いただけない。

 

 

「では中級魔術を。氷柱(アイスピラー)──!」

 

 

 太めの氷の柱が地面に発生する。

 季節的には暖かい時期なんだが、漂う冷気にブルりと震える。

 

 

「なるほど、魔術の実力は確かですね。謝ります、ルディ。貴女の力を疑ったことを」

 

「いえ、構いませんよ。でもお詫びを戴けるのなら、先生のパンツを見せてくれませんか?」

 

 

 ぐふふ、おじさん、ちょっと欲を出してみたり?

 

 

「はあ? ふざけないで下さい。第一、女の子のルディが、どうして同性の下着に興味を持つのです?」

 

 

 幼女の戯れ言だと決めつけ、半目で見てくる。

 ああ、今のはおふざけが過ぎたな。猛省します。

 

 

「冗談ですよ」

 

「でしょうね。まあ、わたしも本気で言っているとは思いませんよ」

 

 

 その瞬間のこと、一陣の風の悪戯──。

 俺は見逃さなかった。

 

 ロキシーのスカートが風によって捲り上げられ、本来ならば決して人目に触れぬ筈のソレが露となるのを。

 

 そう、ロキシーのパンツだ。

 白を基調として黒いリボンのあしらわれたデザイン。

 

 うおおお! ゼニスとリーリャ以外の女性のパンツを人生で初めて目の当たりにした。

 自分のパンツはノーカンである。

 

 風が通り過ぎると、名残惜しいがロキシーの下着は姿を隠す。

 ほんの一瞬だったが、網膜に焼き付いて離れない。眼福である。

 

 

「あの、ルディ?」

 

「なんです?」

 

 

 おっと、下着を盗み見したのがバレちゃったか?

 弁明を考えなきゃだな。

 

 

「たいへん申し上げにくいのですが、スカートが捲れたままですよ」

 

「え……?」

 

 

 指摘されて服装を確認してみる。

 いまの俺の着衣は、薄い桃色のワンピース。

 ゼニスが選んでくれた女の子然としたヒラヒラの装飾付き。

 

 スカートの端が折れ曲がり、これまた桃色の幼児用のおパンツが露となっていた。

 これでは露出狂である。痴女の(そし)りを免れまい。

 

 風の精霊さんってばお茶目だな。

 俺にまでちょっかいを掛けてなぁ。

 

 

「これはこれは、お見苦しい物を見せてしまいました」

 

「いえ、見苦しいだなんて卑屈過ぎです。というか、早く隠してください。ルディは女の子なんですから」

 

「いえいえ、いくらでも眺めてくださいよ。先生へのお給料代わりと言っては何ですが」

 

 

 俺は変態ではない。

 ロキシーのようなロリっ子美少女に見られているという事実に興奮しているだけだ。

 

 まったく……、我が身のことながら倒錯的な性癖である。

 

 

「もう! わたしがスカートを戻しますからねっ!」

 

「わわっ! 先生!」

 

 

 見かねたロキシーがスカートの端をつまむ。

 だがここでハプニングが発生!

 

 

「きゃあー! ロキシーさん! うちの娘になにしてるのっ!」

 

「あ、これはっ! 違います!奥様っ!」

 

 

 ゼニスの登場。そして目撃された。

 

 ロキシーが俺のスカートを掴んだその場面のみを切り取った母親は、娘が家庭教師にエッチなイタズラをされたのだと誤解する。

 

 

「ことと次第によっては家庭教師の件は白紙にさせてもらいますからねっ!」

 

「いえ待って、待ってください! クビだけは勘弁してください! お金が無いんです!」

 

「なら、この状況を説明してもらえるかしら?」

 

 

 うわっ! 俺の母さま、恐すぎっ!

 ベッドの上じゃパウロに押されっぱなしのゼニスだが、こと娘の身に関しては悪鬼すら上回る凄味。

 

 

「その……、突然、風が吹きましてね。ルディのスカートが捲れてしまったので直そうかと……」

 

「ふーん……?」

 

 

 うん、これはヤバいな。

 ロキシーを追い詰め過ぎた。ここいらで助け船を出さねば。

 

 

「母さま、ロキシー先生は悪くありません」

 

「そうなの、ルディ?」

 

「はい、先生の話は事実ですから。私が身だしなみに無頓着だったばかりに、誤解を招いてしまいました」

 

「……あらそうだったの」

 

 

 一転してゼニスの態度は軟化する。

 

 

「ごめんね、ロキシーさん! 嫌な思いをさせちゃったわ!」

 

 

 ゼニスはロキシーの手を取って必死に謝罪する。

 涙目になっていたロキシーは、安堵の表情を浮かべてから忌々しげに俺を睨む。

 

 ……心証を悪くしちまったな。あとで俺の口からも謝んなきゃ。

 

 

「ほんとうにごめんなさい。この国には色々な性癖を持った貴族がいるから勘違いしちゃったの。アスラ王国の常識なんて、他の土地からしたら非常識よね」

 

「誤解が解けたのなら他に言うことはありませんよ。アスラ貴族の噂は耳にしていますし」

 

「うちの旦那はまだ正常な方だけれど、同性でも構わず襲っちゃう人たちもいるのよねぇ」

 

 

 ちなみにパウロは性欲が強い。

 ゼニスとの結婚前はプレイボーイとして鳴らしたものらしい。

 

 毎晩、夫婦の営みを欠かさないしな。

 親父殿の好みのタイプは胸の大きな女性とのこと。

 つまりゼニスが条件に合致している。

 

 

「ロキシーちゃんもアスラ王国に滞在中は気をつけてね。変態貴族に目をつけられたら大変だもの」

 

「心得ました、注意します。わたしも昔、異常な性癖の人に襲われそうになったことがありますから」

 

 

 反撃して事なきを得たと、ボソリと語る。

 

 

「それとルディ? 貴女は女の子なんだから、みだりに下着を見せちゃダメよ」

 

「はい、母さま」

 

「もうね、ホントに分かってるの? 常々、思ってたけどルディってば、女の子の自覚が足りないわよ」

 

 

 うへぇ、ママがガミガミモードに入っちゃったよ。

 しかし、この人の言いつけは無視出来まい。

 

 俺も今や純度100%の女の子なんだから。誤魔化して生きていくにも、この世界の荒波は相当に強い。

 自分の身を守るには自衛意識が不可欠だろう。

 

 

「というわけだから、ロキシーさん。貴女からもルディに女の子としての自覚が持てるように教えてあげて」

 

「ええ、もちろんです。わたしも初めての教え子ですからね。実を言うと張り切っています」

 

「それは頼もしいわ。うん、それならお給金も上乗せしましょう」

 

「え、良いのですか?」

 

 

 棚からぼた餅とはこの事だ、とばかりにロキシーは口の端で笑う。

 

 一件落着。

 ゼニスは家の中へと引っ込んでいった。

 残された俺とロキシーが互いの顔を見合う。

 

 

「あの先生、先程はごめんなさい。私がお遊び気分でいたばかりに」

 

「正直、焦りました。ルディはちゃんと反省してください。罰としてスパルタで教育してあげますから」

 

 

 声色は穏やかそのものだが、目は笑っちゃいない。

 

 その後、ロキシーの言葉は冗談ではなかったと、俺は身を以て知る事となる。

 

 朝昼晩問わず勉強漬けの日々になるとか誰が予想したよ!

 

 まあ、身から出た錆だから文句は言えんよな。



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3話 ロキシー先生は可愛い

 ロキシーの(げん)に偽りはなく、朝から晩まで授業は続いた。

 

 ただ定期的に息抜きの時間が儲けられ、ティータイムくらいは取ってくれた。

 でないと心身共に参ってしまう。

 

 

「ところでルディ。何故、無詠唱魔術が使えることを黙っていたのですか?」

 

「え?」

 

 

 バレていたか。

 親以外には見せないと決めていた無詠唱の技能。

 一般的な感性では天才肌であるロキシーをして、嫉妬心を買いかねないと危惧し、秘匿していたのだが……。

 

 天才の目は欺けなかったか。

 こっそり、就寝前に自主トレしていたのを、どうやら見られていたらしい。

 

 そのジト目、責められているかのようで心苦しい。

 

 

「理由はあるにはあるんですが……。一番は魔術習得の基礎固めの為ですかね」

 

 

 無詠唱とは邪道である。

 いや、技術に貴賤など無かろう。

 ただ、順番を飛ばして身に付けたら能力ってのは、いざという時にヘマを犯しかねん。

 

 知識だとか感覚ってのは理解が大切だ。

 下地も抜きに、どうして完璧を自称出来ようか。

 

 

「つまり、正攻法で学んでから無詠唱化を進めたいと? 話していてくれれば、無詠唱化を考慮した指導をしたのに」

 

「すみません。先生の指導に支障が出ると判断してしまって」

 

「いえ、謝らなくとも……。ただ、鍛えがいがあるな、と思いましたよ。まさか一番弟子で、これ程までの逸材を引き当てるとは……」

 

 

 そうか、俺ってば、ロキシーの一番弟子なのか!

 

 こんなにも可憐な少女の()()()を戴いた事実を胸に、辛いことがあっても全力で生きよう。

 

 というのは冗談として──。

 ふむ、これは割りと重要なことでは?

 

 ロキシーが一番弟子で俺を引き当てた様に、俺もまた師として彼女という存在と巡り会えた。

 何か運命的なものを感じる。

 

 何だろうか?

 この胸がポカポカするような感覚。

 浸透して離れない。

 

 

「どうしました? わたしの顔をジッと見て」

 

「いえ、ロキシー先生は可愛いなぁって」

 

「そ、そうですかっ! ありがとうございます……」

 

 

 褒められる事に不慣れか?

 

 照れ隠しなのか、髪の毛の先を指で弄っている。

 その仕草、彼女の癖だろうか。

 

 

「髪、綺麗ですね」

 

「え? そうですか?」

 

 

 意外そうな顔で前髪をつまむ。

 青髪なんて現代日本じゃ染髪でもなければ存在しない。

 

 おそらくは地毛であろうロキシーの髪色は違和感なく現実に溶け込み、毛先がハネている部分も含めて魅力的だ。

 

 少しばかり分けてもらえませんか?

 お守りにでも仕立て上げたい。

 

 

「初めてですよ、そんなことを言われるのは」

 

「おかしいですよね、こんなにも綺麗な髪なのに」

 

「そう言ってもらえると嬉しいですね。でもわたしの髪って、人族の方々には受け入れ難い色なんです」

 

「理由をお聞きしても?」

 

「そうですね、教えましょう」

 

 

 前提として、かなり昔に人族と魔族とが、大規模な戦争をしたらしい。

 そのせいで人族は魔族に対して差別意識を持つのだとか。

 

 アスラ王国での魔族に対する扱いは、まだ寛容な方らしく、ミリス神聖国での差別は苛烈を極めるのだとか。

 

 そして、ロキシー・ミグルディアは、ミグルド族という名の魔族である。

 彼女の故郷は、魔大陸と呼ばれる過酷な環境の土地。

 

 およそ生命が存在するには適しているとは思えぬ異国の地。

 そこで暮らす魔族は、種族によるが人族より頑強な肉体や魔術資質、あとは種特有の能力を持つらしい。

 

 そしてその中でも、最も恐れられる種族が『スペルド族』。

 かつてのラプラス戦争では、敵味方問わず殺戮の限りを尽くした。

 

 外見的な特徴はエメラルドグリーンの頭髪と、額に埋め込まれた宝石のような深紅の石。

 

 ロキシーは説明の最中、話しづらそうにしていたが、少しずつ語り続ける。

 

 何でもミグルド族とスペルド族は、源流を共通のものとしているようで、生物的には結構近い。

 

 種として派生して長いだろうに、民衆の恐怖心からミグルド族への風当たりはキツイ。

 

 例え話にしては失礼だが、犬猫くらい生物学的に離れてるのに同一視されてるってことか。

 

 差別ってのは地球でも存在する概念だ。

 人は自分よりも強い存在を恐れ弾圧する。

 絶対的多数派が少数を攻撃するのだ。

 

 この世界じゃ、法律の上では魔族への差別は撤廃されている。

 だが長年に渡って根付いた人々の意識までは変わらない。

 

 きっとロキシーも俺が知らない人生の中で、泣きたくなるような悲しい思いをしてきている。

 

 

「髪の色も、わたしの青髪はスペルド族に似ていますから。だから誰も綺麗なんて言ってくれなかったんです」

 

「そうだったんですね。だとしたら、そいつらは見る目が無かったんですよ」

 

「人族の人々がみんなルディみたいだったら良かったなと、思います。でも今は貴女の言葉だけで十分です」

 

 

 優しい微笑。

 ……言い訳はしない、トキめいたわ。

 ロキシーの一挙一動から目を離せないまである。

 

 まっ、この身体は女の子だ。

 こちらからどうアプローチしても、彼女には振り向いてもらえないだろう。

 

 それに外見だけで人を好きになるなんて、あまりに不誠実。

 前世が容姿に恵まれていなかっただけに、その辺の意識が妙に拗れている。

 

 それはそれとして──。

 ロキシーとは良い師弟関係を築きたいものだ。

 

 

「私は先生のこと、好きですよ」

 

「ええ、慕ってもらえるのは嬉しいものです。貴女のような弟子を持てて、わたしは幸せ者ですよ」

 

 

 対面して『えへへ』とか『あはは』とか笑い合う。リーリャの用意してくれたクッキーを互いに食べさせ合った。

 

 リアルに女子とアーン、ってするとは。人生

どう転ぶかわからん。

 

 なんて甘々な師弟だよ。義姉妹の契りでも交わす?

 

 

 頭がぼんやりするようなひととき。

 

 その後は、教師モードに戻ったロキシーにしごかれる。

 飴とムチの使い分けってか?

 

 ドMじゃねぇから、まるで気持ち良くはないけどな。

 

 

 

 

 ロキシーによる授業は極めて順調。

 基礎六種においては既に上級までを習得した。

 期間にして一年。

 

 うむ、やはり上級ともなると取得難易度がハネ上がる。

 しかし、俺はまだ4歳だ。まだ伸びる芽はあるだろう。

 

 さて……魔術にばかり専念していたが、そろそろ剣術を学びたい。

 そう思い立って、パウロに指導を頼み込んだが……。

 

 

 

「ダメだ! 女の子に剣術は危ないだろう?」

 

「土下座しても?」

 

「無理なものは無理だ。前に見たろ? 父さんが剣で足に怪我を負ったのを」

 

 

 あれはどちらかと言えば、パウロが子どもの前で格好をつけた上でのミスだろう。

 しかし父親の尊厳を傷つけぬよう、お口にチャックをする。

 

 

「危ない時は父さんが守ってやるから、ルディは魔術を頑張れ。応援してるぞ」

 

「はぁ、頑張ります……」

 

 

 言いくるめられちゃったよ……。

 

 パウロは剣術の先生として優良物件だと踏んでいたが、見事に当てが外れた。

 

 この世界の三大流派『剣神流』『水神流』『北神流』の全てにおいて上級を修める彼の実力。

 

 実際に戦っている場面を見た訳じゃない。

 けれど時々、ゼニスの語るパウロの武勇伝からして、その力量は折り紙つき。

 

 はぁ、仕方がない。

 今は魔術にのみ努力を傾けよう。

 別に無法地帯に出向く用事なんて無いのだ。

 剣術で身を守らなきゃならん危機に瀕したりはしまい。

 

 

「では父さま、妥協案なんですが」

 

「おう、なんだ? 聞こうじゃないか」

 

「剣術はダメでも体力作りはしたいです」

 

「む、そうか。魔術師だって体力勝負の機会はあるよなぁ」

 

 

 冒険者としての現役時代に思い当たる節があるのか、(しき)りに一人頷く。

 

 

「よし、わかった! 筋トレとランニングのやり方を、オレがみっちり教えてやる」

 

「わあ!! 父さま、ありがとう!! 大好き!!」

 

 

 膝立ちになって腕を広げて待っていたパウロの胸に飛び込む。

 こいつ、娘が抱き付いて来ること当然だと考えてやがるな?

 

 しかし俺も毒されてきたもんだ。

 躊躇なく、親父の抱擁を受けている。

 

 なんつーか、安心するのだ。

 何者に侵せぬ安全地帯って感じだ。

 親の庇護下にあるって実感するねぇ。

 

 

 

「ルディはお父さんっ子なんですね」

 

「はっ、先生? 見ていらしたんですか!」

 

「ええ、はじめから」

 

 

 くっ、油断した。

 今朝、ゼニスがロキシーに編み物を教えるとかで、はしゃいでもんだから気を抜いていた。

 

 こいつはまた、恥ずかしいところを目撃されたな。

 4歳児であれば、何も恥じることはないけど……。

 

 

「いまは休憩中です。ここで筋トレを見ていても?」

 

「構いませんよ。ただ私って、たぶん全然体力がありませんよ。見ていて楽しめるかどうか」

 

「楽しむ為ではなく、ルディの頑張りを見たいんです」

 

 

 ほう、殊勝な事を言うね。このロリっ子ティーチャーは。

 

 そろそろ師匠とかって呼んだ方が良いかしら?

 

 

「ねえ、先生。先生のこと、師匠って呼んでもいいですか?」

 

 

 途端、ロキシーは硬直する。

 ん? もしや地雷でも踏んだか?

 俺の知らないトラウマでも抉ったか?

 

 

「それは勘弁してください……」

 

 

 消え入りそうな声。

 やはり過去に嫌な経験をしてきているんだろう。

 

 

「きっとルディは近い将来、わたしなんかを大きく超える魔術師に成長します」

 

「それは……どうも」

 

「現時点でも無詠唱魔術という唯一無二の才能を持っていますしね。わたしは……試してみたけどムリでした」

 

「そう……ですか」

 

 

 なんというか、掛ける言葉が見つからない。

 

 

「弟子に劣る存在をいつまでも師匠と呼ぶのは、貴女もイヤになるでしょう?」

 

「そんなことはないですよ。だって私、ロキシー先生のこと大好きですから。前にもそう言ったじゃないですか」

 

「その節はありがとうございます。貴女にとっては何気ない一言。でも、わたしは救われています」

 

 

 幸薄そうにニコりと笑い、何かを噛み締めている様子。

 

 

「でもやっぱり師匠と呼ぶのは禁止します。詳しくは話せませんが、わたしは自分の恩師と喧嘩別れをしましてね」

 

「なるほど……」

 

 

 和解を出来ずに飛び出してきた苦い思い出が、未だに彼女を縛っていると……。

 根深い問題だな。

 

 

「そういうことであれば止めておきましょう」

 

「気を遣わせてしまいましたね」

 

 

 でも俺は、そんな彼女を尊敬している。

 本人は気に病んでいるが、この想いに嘘はない。

 断言してやる。

 

 なんだかんだでこの一年、ロキシーから得たものは多く、そして大きい。

 

 ルーディアという人間の構成成分の半分はロキシーが占めている。

 本心からそう思っている。

 

 ともあれ、本人は師匠呼びを忌避しているので、心の中でだけ、師匠と呼ばせてもらおう。

 

 

「へえ、いつの間にかルディとロキシーちゃんは仲良くなったんだな」

 

「長い付き合いですからね、父さま」

 

 

 大人のパウロにとっての一年は短いだろうが、ルーディアという、まだ4歳の幼女にとっては相対的に長い。

 

 なにせ比率的には人生の1/4にも及ぶ期間。

 それだけの月日があれば仲も深まるというもの。

 

 

「すみません、パウロさん。暗い話に付き合わせてしまって」

 

「気にすんなよ。うちの子に良くしてくれてんだ。常々、感謝が絶えんよ」

 

「そう言ってもらえると幸いです」

 

 

 うちの家族とロキシーとの仲も良好だ。

 リーリャとも時々、談笑しているのを見かける。

 これはもうグレイラット家の一員に数えても差し支えない。

 

 会話も一区切りがついたのを皮切りに、パウロによるブートキャンプ染みた特訓が始まる。

 

 剣術は危険だとか抜かしていたクセに、ハードな練習メニューだった。

 

 

 腕立て伏せ、腹筋運動、ランニング。

 筋トレはまだいい。

 しかしランニングが想定以上に厳しい指導だった。

 

 息切れるまで庭を走り回ったのちに、『まだ限界だと思うな!』とか『限界を超えた先に成長があるんだ!』とかね?

 

 根性論ですよ、この時代に。ここは異世界だから時代云々は無関係か?

 

 パウロは言うなれば天才肌かつ感覚派の人間だ。 

 元々、人に物を教えるという行為が苦手なんだ。

 

 父親としては頼れるが、教師の適性はロキシーの勝ちだな。

 

 まぁ、人の向き不向きなんて千差万別。悪いことじゃあない。

 

 俺だって出来ないことはいくらでもある。

 生前がその最たるものだ。

 一流には及ばない二流にすら届かない、三流の側の人間だったしな。

 

 ルーディアとしても同じく、何かしら苦手な分野がこれから先、判明することだろう。

 たとえば、料理とか別に得意ってわけでもない。

 

 曲がりなりにも乙女だから、料理くらいは精進するか。

 ゼニスが教えたそうにウズウズしていたし。

 

 パウロの熱血指導で精魂尽き果てた俺は、その場で仰向けに倒れた。

 ゼーゼーと荒い息をくりかえし、呼吸を整える。

 

 

「すまん、ルディ。子どもに初めて物を教えるってんで、張り切り過ぎた」

 

「まったくです。父さまは、こんなにも可愛い娘を痛めつけて楽しいですか?」

 

 

 頬を膨らませてそっぽを向く。

 いたいけな少女なりの反抗心である。

 

 

「お! その仕草、母さんと同じだな」

 

「話をそらさないでください!」

 

「へへ、悪いとは思ってるよ。そうかそうか、やっぱり親子だよなぁ……」

 

 

 何を感傷に浸っているのか。

 いや、本音じゃ嬉しいよ? 喜んでるよ?

 

 ある種、ゼニス母さまは俺の理想の女性像。

 女に成りたかったわけじゃないが、慕っている人に似ていると言われて、イヤなハズがない。

 

 

「ルディの成長が今からでも楽しみだよ。ルディもきっと母さんといっしょで、乳と尻が育つだろうしな」

 

 

 視線が俺の胸部と臀部に注がれる。

 当然ながら、幼児体型なので起伏に乏しい。

 

 

「エロオヤジ……」

 

 

 何をナチュラルに娘にセクハラかましてるのやら。

 呆れてものも言えん。

 

 

「パウロさん……。デリカシーって言葉、知ってますか?」

 

 

 ロキシーにも苦言を(てい)される始末。

 この男は基本的にバカなのだ。親バカでもあるけども。

 

 

「おっと、口が滑ったな」

 

「もう! 失言ですからね! 母さまに言いつけちゃいます」

 

「そいつは勘弁してくれ。オレは母さんに口じゃ勝てん」

 

「けど、ベッドの上では勝てるんですよね?」

 

「お前……。女の子なのにそういう事を言うのは止めろ……」

 

 

 ドン引きされてる。俺の下ネタ、滑った?

 

 

「まさかその年で、そういう知識を得てるのか?」

 

「い、いえ! ただ、夜中にトイレに立った際、父さま達の寝室から声が聞こえまして!」

 

「お、おう?」

 

「母さまの声で『あなた許してっ! もう私、ダメなのおぉっ!』という言葉が耳に入りました。いったい、何の勝負をしていたんでしょうね?」

 

 

 迫真の演技で母親の喘ぎ声を真似る娘。

 パウロはどんな顔をしていいのか迷った末に、青ざめて反応する。

 

 

「そ、それは……。子どもが知るにゃあ、まだ早い……」

 

 

 よっしゃ! 誤魔化し成功!

 

 ふと、ロキシーを見ると、ほんのりと頬を紅潮させていた。

 

 そういやあ、ロキシーさん。

 貴女、夜中にパウロ達の寝室の扉に張り付いて聞き耳を立てていましたね?

 

 しかも股の間に手を忍ばせて──。

 

 キャー! 乙女のルディちゃんの口からは、それ以上は言えなーい!

 何を想像して欲求不満を発散していたの?

 

 と、下衆の勘繰りは程ほどに。

 父親をからかうのも、先生に邪推を重ねるのも無垢な子どもに似つかわしくない。

 

 

「まあなんだ。弟か妹が生まれるのを期待していてくれ。そうとしか今は言えん」

 

 

 苦し紛れに、ラインギリギリの返し。おいおい、墓穴を堀りかけてるぞ。

 

 

「こほんっ、パウロさんもそれくらいにして。ルディが動けないようなので、家の中へと運びましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 ロキシーの機転でこの場は切り抜けられた。

 彼女は真面目な性格だからな。

 

 猥談に興味はあっても耐性が無いんだ。

 ちなみに俺は前世じゃ、あらゆるジャンルのエロゲーをプレイしてきた。

 

 並大抵のエロトークでは俺を後退させられんよ。

 しかし、俺がエロゲーの主人公なら、早々にロキシーのフラグを立てて攻略するんだが……。

 

 あいにく、今の俺には先生属性持ちのロリっ子は攻略不可ヒロインである。

 泣く泣く諦める。

 

 パウロに背負われて自宅へ戻る。

 お湯で濡らしたタオルを持って待ち構えていたリーリャ。

 お疲れ様、という労いの言葉を受け取り、身体を清めた。

 

 

「なあに? 今日はやけに楽しそうだったじゃない」

 

 

 ゼニスが俺たちに向けて嫉妬気味に問う。

 仲間外れにされた気分ってか。

 

 

「まあな。ルディが体力を付けたいって言うから、ちょいとな」

 

「そう、鍛えてあげてたのね。うん、ルディったら、親の私たちが何も言わなくても成長しちゃうんだから。少し寂しいわね」

 

 

 現在の俺は上昇志向の塊だ。

 たしかに親の目が離れた隙に自分磨きをしている。

 

 だが、それはパウロとゼニスの娘という立場があるからこその向上心だ。

 

 たぶん、俺は彼らに見捨てられたくないのだ。

 自分の価値を示すことで、その縁を繋ぐ。

 

 そんな歪な精神性。自覚はしている。

 

 もしもルーディアという人間が落ちこぼれでも、2人の人格上、決して見捨てたりはしない。

 

 変わらぬ愛情を注いでくれるのは想像に難くない。

 でも、やっぱり、ああ、……上手く言葉に出来ん。

 

とにかく俺は気に入っているのだ。

 この家族を、この生活を──。

 

 

「どうしたの、ルディ? 神妙な顔なんかしちゃって」

 

「いえ、今日はいっぱい動いてお腹が空いたなーって」

 

「あらあら。ご飯の支度をしなくちゃ! リーリャ、手伝って」

 

「かしこまりました、奥様」

 

 

 粛々とゼニスと協力して動くリーリャ。

 炊事場に向かう直前、ロキシーに何かを耳打ちしていた。

 

 ロキシーはというと、口をへの字にしていた。青褪めているようにも見える。

 

 

「どうしました、先生?」

 

「いえ、その……。晩御飯にピーマンが……」

 

「ピーマン?」

 

 

 ロキシーはピーマンが苦手のようだ。見た目通り子どもっぽい食べ物の好き嫌いだ。

 

 

「苦手なら先生の分のピーマンを、私が代わりに食べてあげましょうか?」

 

「いえ……、それは結構です。教え子に苦手な物を押し付けたとあっては、先生としての名折れです。我慢して食べますよ」

 

「頑張ってください、先生……」

 

 

 苦し気に話す。

 ふむ、俺の中での師匠の株が上がったぞ。

 

 その後、夕飯に出てきたシチューには、がっつりとピーマンが入っていた。

 

 鼻をつまんでピーマンを口に放り込むロキシーの姿は、家族みんなの笑いを誘う。

 終始、賑やかなムードに包まれる食卓だったと言っておこう。

 

 



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4話 5歳になりました

 5歳になった。

 ロキシーが家庭教師として我が家にやって来て約2年。

 濃密な日々を回想する。

 

 でかい桶に水を貯めて、一緒に水浴びをしたこともある。

 裸の付き合いってやつだ。

 

 そこで気づいたことが1点。

 

 ロキシーの乳房にはホクロが一つあったのだ。

 情欲を掻き立てる色気。

 俺が男だったら、危うく吸い付くところだったぜ。

 

 愛しの師匠のチャームポイントに目を奪われていると、『どこを見てるんです?』と、指摘をされたので素直におっぱいと答えておいた。

 

 正直者が一番。

 時には嘘をつく必要もあるが、ロキシーには素直でいたい心情。

 

 次にゼニスとの一件。

 『そろそろルディも女の子らしい事が出来るようにならなくちゃ!』と、前々から息を巻いていた母ちゃん。

 

 裁縫と料理を熱心に教えてくるようになった。

 前世じゃ料理なんて学校の家庭科の授業でしか経験が無い。

 調理実習じゃ、食材の熱加減を誤って焦がしたものだ。

 

 仕切り直しってことで、今世に掛けて再チャレンジ──と、意気込んだまではいい。

 

 ゼニスの見守る中で行った料理は凄惨な結果しか生み出さなかった。

 

 またもや火加減もミスり、焦げた食材を量産したのだ。だが、ゼニスは諦めなかった。

 

 根気よく俺の腕が上達するまで付き合い、途中でリーリャの助けも得つつ、どうにかまともな料理をつくれるようになった。

 

 補足しておくと、焦げた料理は、パウロが責任を持って食べた。

 食材もタダじゃないんだ。ムダには出来んよ。

 

 焦げたメシを食らったパウロについても語ろう。

 彼には申し訳ない事をしたと悔いている。

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。最近のパウロの動向を話そう。

 

 動向と言ったら大仰かもしれないが、事あるごとにパウロは、俺に構って欲しそうにしている。

 娘が思春期を迎え、父親を煙たがるという事態を恐れているかのような面持ち。

 

 心配せずとも俺に思春期は訪れない。中身は成人済みの元男だからな。

 

 ともあれ、無碍にはできまい。

 適度に相手をしてやり、ボードゲームで遊んだりした。

 こっちの世界にもスゴロクとかチェスに似た遊戯があるのだ。

 

 そしてリーリャともエピソードがある。

 

 ゼニスのお気に入りの食器がある。

 皿洗いを手伝っている最中に、俺は手を滑らせて床に落としてしまった。

 

 しまった! と、思った時には手遅れ。

 ゼニスに怒られる事を覚悟したのだが。

 

 なんとリーリャが、自分が割りましたと、庇ってくれたのだ。

 元々、ゼニスと仲が良かったこともあり、騒ぎにはならなかった。

 

 リーリャのお陰で穏便に済んだってわけだ。

 あとでこっそりお礼を言い、肩凝りがヒドイという彼女の為に、ヒーリングを掛けておいた。

 

 きっと乳が重いから肩を凝るんだろうな、という邪推はこの際だから捨てておく。

 

 といった感じで、ブエナ村のグレイラット家の営みは紡がれる。

 

 さて、5歳となった俺。

 どうもこの国には、一定の年令を迎えると盛大に祝う習慣があるようで、パウロとゼニス主催のパーティーが開かれた。

 

 周期としては、5歳、10歳、15歳というタイミング。

 つまり俺は最初の節目を迎えたということ。

 

 いわゆるお誕生日会の主役となった俺は、熱烈な歓待を受ける。

 豪奢な料理もふるまわれ、舌鼓を打つ。

 

 

「さあ、ルディ。オレからプレゼントだ」

 

 

 お、プレゼントタイムですかい!

 

 そうやって手渡された代物は、子どもの身には重たそうな実剣。

 それに髪紐だった。

 

 髪紐とはいっても、どうやら魔道具らしい。

 ブエナ村からパウロの姿が消えた日があった。

 パウロの話によると、誕生日に合わせてわざわざロアの町に出向いたとのこと。

 そこで大枚をはたいて購入したのだとか。

 

 

「その髪紐は、魔力を通せば劣化を停滞させる。まあ。なんだ。ルディさえ良ければ、常に身に付けて貰えると嬉しい」

 

 

 照れているのか視線は、斜め上を見つめていた。

 頬を指でポリポリと掻き、不器用な父親を演出する。

 

 

「ありがとうございます、父さま!! 一生、大切にしますっ!」

 

「お、おう。気に入ってもらえて何よりだ」

 

 

 早速ながら、リーリャの手を借り、髪紐を用いて編み込みポニーテールを作る。

 これまでただ髪を背中側へと垂らしていただけの髪型、いわゆるストレートロングだったが、これで晴れてゼニスと同じヘアスタイルとなった。

 

 

「どうです、似合ってますか?」

 

「あぁ! 月並みな言葉だが綺麗だ!」

 

「ルディ、お母さんとお揃いね!」

 

「お似合いです、お嬢様」

 

「可愛いですよ、ルディ」

 

 

 上から順にパウロ、ゼニス、リーリャ、ロキシーによる絶賛の嵐。

 これには俺も気を良くしてしまう。

 

 

「ところでそちらの剣は? たしか私には剣術は危険だっておっしゃいましたよね」

 

「ああ、それはそうなんだが。あの発言を取り消したわけじゃないんだ」

 

 

 となると別の理由で俺に渡したいのだろうか?

 

 

「ルディも、いつまでも親元に居るってわけじゃない。成人を迎えれば、俺たち親の言いつけを守る義務だって無い」

 

 

 お、話が読めてきたぞ。

 

 

「今は剣術を習わせるつもりはない。しかし! 大人になってからは別だ。剣を取ろうがなんだろうが、それはお前自身の決めること」

 

 

 フムフム、それで?

 

 

「どうせ剣を振るうのなら、その時はオレのプレゼントした剣を使って欲しいって思ってな。餞別みたいなものだ」

 

「よーく、わかりました。父さまの愛が感じられます」

 

「そーか、そーか!」

 

 

 感極まって俺の肩を抱く。

 

 そういえば思い出した。

 もしも男の子が産まれたら剣術を教えたいと話していたことを。

 

 第二子を求めて日夜、子作りに励む両親。

 しかし、運が悪いのか中々妊娠にまで至らない模様。

 

 そこで痺れを切らしたと言っては語弊があるが、いっそのこと、俺に剣を託せとばかりにプレゼントしたのだろう。

 

 

「次は母さんね! はい、ルディ!」

 

「これは──植物辞典っ!」

 

 

 おお! そうだよ、こういうのが欲しかったんだ。

 この世界の本は高価だからな。

 

 まさか新しく本が手に入るとは思いもしなかった。

 これで俺の知識が増えていく。

 

 生きる糧にも繋がることだろう。

 物事を知っておいて損はあるまい。

 

 

「母さま! お金は大丈夫なのですか?」

 

「やあねえ、うちは腐っても騎士の家よ。本の一冊くらいで家計が傾いたりはしないわ。それに子どもはお金の心配なんてしくても良いの。素直に喜んで頂戴」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

 

 母の愛が、ただひたすらに嬉しい。

 俺って、ちゃんと愛されてるんだなって、認められてるんだなって、色々な感情がこみ上げてくる。

 

 

「お嬢様、わたしからはこれを」

 

「わあ! リーリャさん、ありがとう!」

 

 

 リーリャのプレゼントは、手作りのレシピ本。

 

 

「奥様と共同で製作いたしました。差し出がましいかもしれませんが、お嬢様には淑女としてのたしなみをと、思いまして」

 

「差し出がましいだなんて、そんな! 私の為に、すごく嬉しいです!」

 

「お気に召していただけたようで、何よりです。必要とあれば、毎年レシピを追加いたしますので」

 

 

 おお、アップデート機能付きかい?

 アフターサービスまで充実とは、リーリャはメイドの神様か何かかよ。

 

 

「では、ルディ。わたしからはこれを。受け取ってください」

 

「これは──」

 

 

 最後にロキシーからの贈り物。それは魔法の杖(ロッド)だった。

 

 

「魔術の師匠は初級魔術をマスターした弟子に手製の杖を贈るものです。しかし、ルディは最初から初級魔術を使っていましたよね?」

 

「ええ、まあ」

 

「ですので失念していました。遅ればせながら、改めて。貴女は優秀な弟子です」

 

 

 あのロキシーに認められた。

 特別なモノを彼女から贈られ、目頭が熱くなる。

 5歳を迎えることとは別に、何か意味を見出だしてしまいそうだ。

 

 

「ふっふっふっ! これで私も一端の魔術師ですね!」

 

「調子に乗らない!」

 

「あ、いたっ!」

 

 

 おでこにロキシーチョップを食らう。

 

 へぇ? ロキシーもこういった馴れ合いをするようになったのか。

 悪い意味じゃなくて、良い意味で。

 

 なんつーか、俺はロキシーを尊敬している。

 人間味は前々から感じ取っていたが、以前にも増して打ち解けられた印象っていうかな。

 

 

「とはいえ、じきに貴女に教えられることは無くなってしまいますね。卒業の時は近い」

 

「え……?」

 

 

 いま何て言ったの? 卒業だとか聞こえたような……。

 

 

「最後まで気を抜かないようにしてください。もっとも、ルディは頑張り屋さんですから余計な心配ですよね」

 

「先生、私は先生から卒業しなければいけませんか?」

 

「そりゃそうですよ? 雛は巣立ちをするものです。ルディは初めから自分の翼で飛べましたけどね」

 

 

 それはなんか寂しいな。

 俺はロキシーを実の姉のよう想ってる。

 姉とこんなにも早く離ればなれになるなんて、想像もしなかったことだ。

 

 心に穴が空いたような気分のまま、誕生日会は終わりを迎える。

 その日の夜は、ロキシーから贈られたロッドを抱いて眠った。

 

 

 

 

 翌日から、最後の追い込みとばかりに、ロキシーの授業は内容のレベルが飛躍的に上がった。

 

 『混合魔術』なるものを学んでいる。

 これまで教えてもらっていた魔術は、現象としては単純かつ単一なものだった。

 

 水を出したり、火を出したり。

 

 そこから発展して、現段階では霧などの自然現象を人為的に再現する技術。

 

 『水滝(ウォータフォール)』『地熱(ヒートアイランド)』『氷結領域(アイシクルフィールド)

 

 それらの魔術を順に発動させると、霧が発生する。

 いわゆる気象の分野に足を踏み込んでいる。

 

 複数の系統の魔術を効率的に行う。

 先人の知恵から学び、そして技術として確立された魔術。

 

 やりようによっては、魔術ってのは、たいていの事象であれば実現可能なようだ。

 空中浮遊とか出来ちゃったりしてな?

 

 

「先生はこれほどまでの魔術を、どこで学んだのですか?」

 

 

 ふとした好奇心から質問を投げ掛ける。

 

 

「そうですね、ラノア魔法大学という施設です。わたしの母校でもあります」

 

「ラノア魔法大学?」

 

 

 師匠の言葉を頭の中で反芻(はんすう)する。

 この世界にも魔法学校があるのか。

 魔法の名を冠してこそいるが、厳密には魔術の教育機関らしいけど。

 

 

「ルディが入学を望むなら、ラノア魔法大学がオススメです。必要なら推薦状も書きますよ」

 

「考えておきます、もしかしたらお言葉に甘えるかも」

 

 

 先生は推薦状を書くにたる実績の持ち主?

 さすがはロキシーだ。

 

 しかし、せっかくのロキシーの厚意。さりとて素直に受け取れない事情もある。

 

 忘れちゃならない。

 俺はブエナ村どころか、グレイラット邸の敷地内からさえも出られない、根っからの引きこもりだ。

 

 転生して来ても、そこだけは変わらなかった。

 俺だって変われるものなら変わりたいさ。

 

 はぁ、成るようになるんなら楽で良いんだけどな? 

 世の中、そう甘くはないだろう。

 

 

 

 

 混合魔術も身に付いた。善き師による教育の賜物である。

 ホント、俺はロキシーの世話になりっぱなしだ。いつか恩返しをしたいところだ。

 

 ただ、その恩を返す前に──俺とロキシーの別れが近づいてくる。

 

 

「外で、やるんですか……?」

 

「はい、卒業試験では大規模な魔術を使うので」

 

 

 卒業シーズンってやつだ。

 誕生日会でロキシーの言っていたことは嘘ではなかった。

 

 

「庭じゃ……ダメですか?」

 

「それでは、この家に被害が出ます」

 

「それに卒業したら先生とお別れしなきゃいけませんよね……?」

 

「当たり前じゃないですか。一人前の魔術師に育てるまでが、わたしの家庭教師としての仕事なんですから」

 

 

 イヤだ。そんなのはイヤだ。

 

 

「私はイヤです! 先生ともっと一緒に居たいっ!」

 

「なんですか? もう試験に合格したつもりですか? たしかに貴女の実力なら、あながち間違いではないでしょうけど」

 

 

 違う、そうじゃない。

 外への恐怖、そしてロキシーとの別れ。

 その2つの恐怖心が俺をワガママにさせる。

 

 

「よく聞いてください。ルディは、わたしなんかより、ずっと偉大な魔術師になるんです」

 

「偉大になんてならなくてもいいです」

 

「この際、偉大かどうかは問題ではありません。重要なのはルディが自分の足で立って歩くこと」

 

「先生がそばで支えてくださいよっ!」

 

 

 俺は出来の悪い弟子だ。

 あれほど優しくしてくれた師匠を困らせている。

 駄々をこねるようなガキが優秀はハズがない。

 

 

「困りましたね」

 

「卒業はしません! 私はもっと先生に教えてもらいたいです!」

 

 

 くそっ! 自分で自分がウザくなってくる。

 

 

「コラ、ルディ! ロキシーちゃんを困らせちゃダメじゃないの」

 

「母さま……。でも、だって……」

 

 

 見かねたゼニスが説教をかます。

 どうやらゼニスは、ロキシー寄りの立場らしい。

 隣で静観するパウロも似たようなもんだ。

 

 

「ルディの気持ちも分かるわよ。ロキシーちゃんに、とっても懐いているもの。離れたくない気持ちは、私たちだって同じ」

 

「でしたら──」

 

「でもね、親心としてはルディには成長して欲しいの。誰かに寄り掛かって生きていくなんて、いけないことよ」

 

 

 言っていることは理解出来る。

 人に甘え続け、人生を舐めた人間の末路は俺自身も知るところだ。

 

 

「そうだぞ、ルディ。夫婦のような間柄なら、支え合って生きていく理由にもなる。だけどな、ルディとロキシーちゃんは師弟関係だ」

 

「師弟関係だからなんですか?」

 

「要するに師匠に対して誇れる弟子になれってことだよ、ルディにはそうなれるだけの実力と才能。それにこれまでの努力があるだろう?」

 

「……はい」

 

 

 パウロの言葉には妙に納得出来る力があった。

 父親の言葉は大きい。

 あぁ、分かったよ!

 卒業試験は受けてやるさ!

 

 だけど、まだ問題は残ってる。

 無視しては通れない、人生の根幹に関わる重大なやつが──。

 

 

「卒業試験の件は……分かりました、受けますよ。でも外はやっぱり……」

 

「外に何かあるんですか、ルディ?」

 

 

俺の口は言い淀む。

 

 

「この子ってば、昔からお外に出たがらないのよねぇ」

 

 

 母親は良く俺のことを見ているな。

 まあ、事実さ。

 生まれてこのかた、一度としてグレイラット家の敷居から出たことはない。

 

 はっ! まさに箱入り娘ってか?

 

 

「いったい何を恐れているんですか? わたしに聞かせてください」

 

「それはちょっと……」

 

 

 どうして前世の記憶があることを話せよう。

 

 ましてや、かつての俺はクズ人間だった。

 もし知られでもしたら軽蔑され、見放される。

 

 弟子だと思っていた女の子が、薄汚い男の精神性を引き継いでるなんざ、吐き気がする。

 

 

 

 

 

 辛い事があったんだ。

 とても辛くて、逃げ出したくて、でも染み付いた記憶は消えてくれない。

 

 生前、まだ高校生だった頃の話だ。

 購買で昼飯を買おうとして横入りしてきた輩がいた。

 

 下らなくて、そして安い正義心に駆られ、注意してみたら相手は上級生。

 

 しかも校内1の札付きの不良連中。

 あっという間にボコボコされて、全裸で正門に磔にされた。

 俺の人間としての尊厳はその日、粉々に砕かれ──。

 

 以来、俺は被害妄想に囚われるようになった。

 

 高校を中退して、外の世界には俺を苛める奴らがウヨウヨ居て……そんな幻影のような存在が、ただ怖かった。

 

 もう居もしない敵にビクビクして、親や兄弟に当たり散らして。

 とんでもなくイヤな奴だったよ、俺は。

 

 風の噂によると俺を追い詰めた連中は退学となり、その後、犯罪を起こして服役したのだとか。

 でも気は晴れない。受けた傷は癒えなかった。

 

 あぁ、何度も妄想したさ。

 俺の人生に問題など無く、始めから終わりまで順風満帆。

 可愛い嫁さんを貰って、これまた可愛い子どもを授かって。

 

 そして大勢の子どもや孫に囲まれ、見守られながら最期を迎えてやるんだって。

 

 でもそんな妄想も所詮は夢でしかない。

 毎日寝て、幸せな世界に浸ったとしよう。

 でも終わらない夢なんてない。

 

 いつかは現実を叩きつけられて、直視させられる。

 

 この世界だってそうだ。

 本当の俺は事故にも遭わずに生きていて、ルーディア・グレイラットという女の子に成った夢を見ているだけ。

 

 そんな夢も外に出てしまえば覚めてしまいそうで……。

 心が砕けそうだ。いっそ、自ら命を絶ってしまいたい。

 

 

「大丈夫ですよ、安心してください。卒業試験を外でやることは曲げられませんが、わたしがそばに居ます」

 

「先生……?」

 

 

 膝を曲げて目線を合わせたロキシーが声を掛ける。

 

 

「怖いのなら克服するんです。ルディなら出来るハズです。貴女が強い子なのを知ってますから!」

 

「師匠……」

 

「はい、貴女の師匠ですよ」

 

 

 師匠と呼ばれたくないと言っていたロキシーが、今だけは受け入れてくれている。

 慈愛に満ちた優しげな目。

 

 眠たそうな目なんていう前に持った感想は消え去った。

 俺は、彼女のその瞳が好きだ。

 吸い込まれそうで、ただただ美しくて──。

 

 

「師匠! 私、卒業試験を受けます! だから外へだって行きます!」

 

「はい、期待しています」

 

 

 ニッコリと笑う彼女の笑顔に、俺の心は奪われた。

 掴んで離してくれない。

 この人の為ならば、どんな苦境でも生きていける。

 そんな自信へと結び付く。

 

 

「そういうわけですから、お子さんを借りますね」

 

「ああ、ルディをよろしく頼むよ」

 

「ロキシーちゃん! 試験が終わったら、お祝いに甘いケーキを食べましょう! 甘いもの、好きだったわよね」

 

「ルディのことは任されました。それとケーキ……じゅるり」

 

 

 だらしなく口元を緩める先生。

 今じゃ、その仕草すら視線が釘付けとなる。

 

 

「では、カラヴァッジョもお借りしますね」

 

「あぁ、この馬とは古い付き合いでな。ルディ共々、よろしく頼むぞ」

 

 パウロの愛馬カラヴァッジョ。冒険者時代からの仲だそうだ。

 

 

「ルディ、行きますよ」

 

 

 ロキシーに抱えられて乗馬する。

 視線が高くなった。

 敷地外の景色が一望できる。

 

 本音を言うと、まだ外に対しての恐怖心は残っている。

 けどロキシーは言ってくれた。

 

 俺ならば克服出来るのだと。

 その期待に応えたい、その決意が俺に腹を決めさせた。

 

 変わる時がやって来たんだ。

 そう、生まれた時に誓ったじゃないか。

 

 今度こそ本気を出して生きてやるんだってな。

 だったらよ、今が本気を出すべき時なんじゃないか?

 

 

 馬が歩を進め外へと距離を詰める。

 身体がこわばるのを感じる。

 でも背中には心強い存在が居る。

 ロキシーだ。

 彼女は俺の小さな身体を受け止めているのだ。

 

 手綱を持ち、やがてカラヴァッジョの背に揺られた俺たちは外へ──。

 

 ──空気が違う。

 これまで味わった経験の無い新鮮で浄化されるような香り。

 

 そうか、これが外──世界の姿なのだ。

 

 窓越しでしか知らなかった世界の広がりを全身に感じる。

 

 俺ってやつは、なんてバカなんだ。

 一歩でも外に出てしまえば、どうってことはない。

 

 人の営み、大地の息吹き、空の雄大さ。その全てが俺の興味をそそる。

 

 

「ねえ、先生?」

 

「はい、ルディ」

 

「私、外なんてもう怖くないですよ」

 

「そうですか、さすがはルディ。克服が早い」

 

「先生のおかげです」

 

 

 彼女の笑顔に胸に頭を預ける。

 こどもの様な体型だが、ロキシーの胸はちゃんと柔らかかった。

 

 ふにょん、という感触が俺を迎え入れてくれる。

 安心感が段違いだ。

 

 そして俺はロキシーと共に卒業試験に臨むのだった。

 



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5話 卒業試験

 頼れる師匠との移動時間は、つつがないものだ。

 これまで目にしたことのない、田園風景に一々感動したり、見知らぬ村民とすれ違ったり。

 

 (みな)、ロキシーに対して挨拶や会釈を交わし、雑談などもしている。

 田舎の村ってのは、排他的になりがちなのだが、ロキシーは馴染んでいた。

 

 新たな一面を発見した気分である。

 俺とは違って、村の者たちとの交流を重ねてきたようだ、魔族という種族を感じさせぬ愛され方。

 

 一方で俺は村人たちからは見慣れない女の子として扱われた。

 実際、今回が人生初めての外出だしな。

 問うまでもないだろう。

 

 ただ、ロキシーの同伴もあってか、総じて好意的な扱われ方をされた。

 

『可愛らしい女の子だね』

 

『パウロさんとこの子かい? 綺麗な髪だね』

 

『小さいけど、大人になったら美人になるだろうね』

 

 

 おおむね、爺さん婆さんの言葉。

 孫娘のような接し方だった。

 この村にゃあ俺をバカにする人間は居ない。

 今までの怯えがアホらしくなってくる。

 

 心にも余裕が生まれる。キョロキョロと周辺を見渡せば、民家に気づく。

 

 間隔的には、まばらに立っているが、全てカウントすれば30世帯以上か。

 田舎ゆえに2世帯住宅の家庭も多い。

 ロキシーによれば、1軒につき8人以上。

 

 パウロたちのように若い夫婦ならば、子作りが日課となっており、多産のようだ。

 こんな平凡な村でも人口にして300人近くにも及ぶ。

 

 もしかしたら、俺と同年代の子どもも居るかもな。

 友だち……に成れると良いのだが。

 

 風車や水車といった建造物も視界に飛び込んできた。

 麦畑もある。

 こうして見ると、ヨーロッパ風の世界なんだなって、しみじみ思う。

 

 さて、風景に見惚れていると、いつの間にやら村の外へと到達する。辺り一面の草原。

 

 見渡す限り、何も無い。

 時折、風が吹くと草が靡く。

 ロキシーの操る馬は、ポツンと立つ1本の樹木の側で止まる。

 

 

「この辺りでいいでしょう」

 

 

 手綱を木に結び付けると、ロキシーは馬から降りる。

 背丈の関係上、自力で降りられない俺は、ロキシーに抱えられて降ろしてもらった。

 

 ロキシーは見た目こそ中学生ほどで小柄。

 それでも今の5歳の俺程度の体躯ならば軽々と抱っこ出来る。

 

 いまこの瞬間だけの至福の時である。

 大人になったら、こうはいくまい。

 

 

「いまから水聖級魔術を見せますね。術名は『豪雷積層雲(キュムロニンバス)』と言うのですが」

 

 

 試験種目は聖級魔術ときたか。

 ロキシーが水聖級魔術師たる由縁となる魔術。

 手本を見せてもらえるようだが、俄然、期待が高まる。

 

 

「広範囲に雷雨を発生させる魔術です。詠唱するので、ちゃんと聞いておくんですよ」

 

「はい、先生!」

 

 

 なるほど、そりゃあ、家じゃ卒業試験を行えない。

 村の中でも作物に影響しかねない。

 道理で人気の無い草原まで、遠路はるばる足を運んだのか。

 

 ロキシーは両手を天へと向ける。真剣な表情、彼女の本気の度合いが窺える。

 

 

『雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ!』

 

 

 魔力の発露を感じる。

 鳥肌の立つような感覚。

 これから行われる儀式の壮大さを予感した。

 

 

『我が願いを叶え、凶暴なる恵みをもたらし、矮小なる存在に力を見せつけよ!』

 

 

 より一層、魔力の強さを知覚した。

 余すことなく、この空気感を全身で受け止める。

 

 

『神なる金槌を金床に打ち付けて畏怖を示し、大地を水で埋め尽くせ!』

 

 

 詠唱も佳境に入ったのだろう。

 圧縮、そして開放の段階の迫った魔力は、ひときわ存在感を増した。

 

 

『ああ、雨よ! 全てを押し流し、あらゆるものを駆逐せよ!』

 

 

 その時は近い。

 全てを覆す魔術の極致。

 俺の知る世界の全てを反転させるような奇跡。

 

 

『キュムロニンバス!』

 

 

 時間にして1分。

 果たして世界はどう作り替えられたのか──。

 

 暗転する天空。

 終焉の時を錯覚させる圧力が押し寄せる。

 

 数秒の沈黙の後に、轟音と共に地面を叩きつけるような雨が降り注ぐ。

 暴風が地を撫で、黒雲が雷を吐き出す。

 

 虚空を雷光となって突き進む。

 稲光は紫電へと変貌し、天地に仇なす存在へと昇華。

 

 ことさらに轟音を増した落雷は、容赦なく樹木を呑み込んだ──。

 

 

 視界が明滅する。

 三半規管が揺さぶられ、頭がクラクラした。

 

 けれど俺は()た。

 しかとこの(まなこ)で視たのだ。

 

 ロキシー・ミグルディアという偉大な魔術師が見せた、いや──魅せた奇蹟ってやつを。

 

 目の前に居るのはロキシー。

 神だ。俺にとっての神様だ。

 後光が差して見えるのは、たぶん俺の信仰心が見せる幻覚だろう。

 

 それでも震える魂が、奇蹟の瞬間を記憶に焼き付ける。

 

 

「あああぁっー!」

 

 

 ロキシーが叫ぶ。

 焦り、取り乱した様子。

 何事かと彼女の視線の先を辿ると……。

 

 カラヴァッジョが黒焦げとなって地面に伏していた。

 手足を痙攣されているところを見ると、即死ではなさそうだが、これはいかに?

 

 慌てふためいたロキシーは即座に駆け寄ると『ヒーリング』を施す。

 一命を取り留めたものの、カラヴァッジョは明らかにロキシーに対して怯えている。

 

 ロキシーもロキシーで、脂汗を額に浮かべていた。ホッと一息を入れて、俺に向き直る。

 

 

「峠は越えました……。大丈夫、カラヴァッジョは生きていますよ」

 

「は、はい。そうですね」

 

 

 神様はうっかり屋さんのようだ。

 新たにドジっ娘の属性がロキシーに加わる。

 

 

「詠唱は覚えましたか?」

 

「もちろんです」

 

 

 神の御業を忘れるもんか。

 一言一句、覚えているとも。

 

 

「今度はカラヴァッジョを守っておくので、ルディは心置きなくやっちゃってください。1時間ほど、術を維持出来れば合格とします」

 

 

 そう言って『土砦(アースフォートレス)』を唱える。

 モコモコと土が盛り上がったかと思えば、馬と彼女自身の身体をドーム状に覆い尽くす。

 

 かまくらのように入り口が開いており、そこからロキシーは顔を覗かせていた。

 

 さあて! 師匠の前なんだ。

 俺もカッチョいいところを見せつけたい。

 

 パウロじゃないけど、好きな人の前だと気合いの入れ方が一味違うのだ。

 

 そして唱える。

 長ったらしい詠唱もスラスラと読み上げられた。

 魔力の流れを意識し、制御を怠らない。

 

 俺のすべきことは決まっている。

 ロキシー()の奇蹟をこの手で再現するのだ。

 

 

『キュムロニンバス!!』

 

 

 術の発動──。

 

 中空に雲が現れる。

 魔力を継続して流し込み、術の維持に努める。

 

 こりゃあちっと、キツそうだ。

 魔力量については不安は無い。

 むしろこの数年の魔力量増加のトレーニングの成果により、使い切れない量を、この身体に内包している。

 

 勝手な妄想だが、平均値よりは上だと確信している。

 あれだけ時間と苦労を費やしたんだ。

 そうでなきゃ俺自身が報われない。

 

 で、何がキツいのかという話だが、魔力制御の為に天へ手を上げ続ける姿勢。

 それが体力的にも厳しい。

 

 俺からすれば魔力よりも忍耐力が重要な大魔術である。

 我慢すれば出来ない事はないだろう。

 

 しかしスマートではない。

 もっと効率的な手法があるハズ。模索してみるか?

 

 昔、テレビで視たことがある。

 題目は『雲が出来るまでの過程』とかそんな感じの。

 

 うろ覚えだけど試す価値はありそうだ。

 

 先ほど、ロキシーの作り出した雲が残留している。

 使えるものはなんでも利用してしまおう。

 風魔術でかき集め、俺の作り出した雲と融合させる。

 

 ルディちゃんとロキシーの合作って感じがして心が踊る。

 

 と、気が散った。危うく雲が風に流されるところだった。続けて──。

 

 上昇気流を生み出し、地上を冷却したり、あの手この手で状態の安定化を図る。

 

 時間と集中力を要したが、当初の想定よりは大幅な時間短縮となっただろう。

 区切りをつけて魔力の注入を打ち切ってみた。

 俺の制御からは離れたが、もはや雲は自立していた。

 

 これだけ育て上げれば1時間程度の降雨も期待できよう。

 雷も伴っていることから耳が痛いのは我慢だ。

 

 時には堪え忍ばなければ。

 

 大きく息を吐き、リラックスしてから、ロキシー謹製のドームへと身を寄せる。

 

 

「分からない部分でもありましたか?」

 

 

 俺の行動を(いぶか)しんだロキシーは疑問をぶつけてくる。

 

 

「いえ、自分的にはアレで成功だと考えています。採点してもらっても?」

 

「そんな筈は……。いえ、ルディのすることです。頭ごなしに否定してはいけませんね」

 

 

 ドームから飛び出したロキシーは、雨に濡れることも気にせず、空を仰いだ。

 

 俺はというと、ドームの制御を引き継いで、カラヴァッジョを撫でる。

 

 しばらくして──。

 

 

「そんな……、まさか……、こんな方法が」

 

 

 独り言の多いロキシーが見える。

 ぶつぶつと疑問の解消を繰り返していた。

 彼女の眼ならば、俺の浅知恵により施した裏技くらい理解も容易いだろう。

 

 

「驚きました。ルディ……。貴女は天才です」

 

「合否を聞いても?」

 

「文句無しの合格ですよ、これは」

 

 

 呆然とした顔つきながらも、どこか嬉しそうに微笑むロキシー。

 まるで弟子である俺を誇ってくれているかのようだ。

 

 積乱雲はなおも健在。ロキシーの身体を冷やしていく。

 

 

「風邪、引いちゃいますよ」

 

「ではアレを消せますか?」

 

「やってみます」

 

 

 俺の育てた雲。

 なまじ持続性を高めたせいなのか、生半可な制御じゃ散らせまい。

 だが師匠の指示だ。やってみせるとも。

 

 気流の方向を操作したり、最終的には風魔術の力業で雲を霧散させる。

 少々、手こずった。終わる頃には俺とロキシーはびしょ濡れ。

 

 衣類はヌレヌレのスケスケで肢体に張りついていた。

 ロキシーの(なまめ)かしい身体が目立つ。

 

 パウロがこっそりと、『ロキシーちゃんは可愛いが、俺の好みからは外れる体つきだな』と陰口を叩いていた。

 

 しかし、俺にとっては最高の女体である。

 なんてたって神の肉体だ。

 誤解を解いておきたい。

 断じてイヤらしい目で見ているわけじゃないのだ。

 

 第一、欲情する為の脳も身体も備わっていないしな。

 

 だから純粋にロキシーを崇めているし、師として尊敬し、姉のような存在として愛している。

 こればっかりは譲れない想いだ。

 

 ロキシーは晴れ渡った空を眺めていた。

 陽光が地上を照らし、冷えきった身体を温める。

 

 

「ルディ──」

 

「師匠──」

 

 

 お互いに呼び掛ける。

 

 

「今日から貴女は水聖級魔術師です。誇ってください。ルディはもう、わたしと対等な魔術師です」

 

「私が……()が……ロキシー先生と対等?」

 

 

 トクンッ……胸が鼓動する。全身を巡る血が、やけに熱い。

 落ち着かない、けれど悪い気分じゃない。

 

 

「わたしとルディが出逢って2年──。貴女は、いつもわたしを驚かせます」

 

「先生の教え方が上手いからですよ。そうでなきゃ、ここまで頑張れませんでした」

 

「またそんな、謙遜をしちゃって。でも、わたしは知っているんですからね。ルディが失敗にもめげずに何度も立ち上がってきたことを」

 

 

 彼女の言う通りだ。

 なるほど、俺には魔術の才能がある。

 それこそ両親や師匠の語るように、歴史に名を残せるような資質。

 

 でも、何度も繰り返すようだが、精神は怠惰に生きて朽ち果てた人間のそれ。

 

 失敗だってした。

 最近だってそうだ。

 怖くもあった。   

 今も、これからも、身の縮こまるような失敗談が量産されるだろうよ。

 

 それでも俺は立ち上がれたんだ。自信を持つべきなんだ。

 

 パウロ、ゼニス、リーリャ──そしてロキシー。

 

 皆の支えがあって俺は潰れずに頑張れたし、本気だって出せた。

 自分一人だけの力じゃない。誰かを頼っても良いのだと学んだよ。

 

 

「先生! 私は、もっと!もっと! 魔術の腕を磨きます!」

 

「はい、期待していますとも」

 

「いつかきっと、先生みたいな優しく綺麗な魔術師になって、弟子だって持って──!」

 

 

 ああ、決めたぞ。

 

 

「先生を迎えに行きます!」

 

 

 言えた──。

 

 まるで男の告白だ。

 でも似たような感情なのも事実。   

 いまはガキだから、ブエナ村を旅立つ彼女に付いていくことは叶わない。

 

 しかし誰しもが認める一人前の魔術師。

 それも弟子を育て上げる程の器を持てたなら話は別だ。

 

 その時はロキシーと一緒に迷宮(ダンジョン)を攻略し、世界に名を広めたいものだ。

 なんなら俺の未来の弟子も連れて。

 

 

「それは待ち遠しいですね。ルディなら、あっという間に迎えに来れちゃいそうですけど」

 

「先生の為なら、なんだってやれますよ。()は!」

 

「俺……?」

 

 

 おっと、うっかり。一人称がぶれてしまった。

 感情が(たかぶ)ると、男の部分が漏れ出してしまう。

 

 

「まあ、なんにせよです。ルディ! 今日は記念日です。早く帰って、ゼニスさんとリーリャさんの作ったケーキを食べましょう」

 

「はい!」

 

 

 そして俺たち2人は、カラヴァッジョの背中に跨がると、帰路についた。

 

 ロキシーは弟子の成長に感涙しているのか涙を目に溜めていた。

 俺は俺で、人生で最も強い達成感にポロポロと涙を流していた。

 

 少し涙脆くなったかもしれん。でも泣いたって良いだろ? 女の子だもん──。

 

 

 

 

 その日の晩は盛大に祝われた。

 5歳の誕生日会と比較しても遜色無いほどに。

 

 

「やっぱりルディはスゴいわね! 鍛えれば凄腕の魔術師に成れるとは思っていたけど、たった2年でなんて!」

 

 

 とりわけゼニスのはしゃぎ様は鮮烈なものだ。

 パウロとリーリャも、少し引いている。

 

 

「先生の指導あっての私ですから。母さま、もう少し落ち着きを持ってくださいね」

 

「あ~ん、ルディってば大人ぶっちゃって可愛い!」

 

 

 抱き締められる、おっぱいに。

 

 

「母さまが、子どもっぽいんですよ」

 

「イジワルは言わないの。今日は無礼講よ。少しくらい、いいじゃないのよ」

 

 

 

 反省の色は無しと。まあ、良いッスけどね?

 

 俺だって内心じゃ小躍りしてらぁ。

 達成感とやらが身体中に満ち溢れいる。

 

 

「しかし、まさかオレとゼニスの血から、こんなにも才能のある子が生まれるなんてな。ああ、勘違いしないでくれ。ルディの才能だけを見てるわけじゃない」

 

「わかっていますよ。父さまは、ちゃんと私のことを愛してくれています」

 

「理解が早いな。おう! ルディよ、愛してるぜ」

 

 

 パウロも酒に酔ったのか、ゼニス同様に乱痴気騒ぎ。

 静かなのはリーリャとロキシーくらいなものだ。

 

 

「お嬢様、このリーリャ、感服いたしました。その年でその才覚。鍛練も怠らぬ姿勢は、お見事としか言い様がありません」

 

「褒めすぎですよ」

 

 

 存外、リーリャも冷静さを欠いているようで。

 しかし彼女にも世話になった。

 深夜にも及ぶロキシーの座学授業の際には、夜食を差し入れしてくれた。

 

 今日も濡れた俺とロキシーを確認して、すぐに替えの服を用意してくれたしな。

 

 いわば影の功労者だ。感謝が尽きんよ。

 

 

「いいですよね、家族って」

 

 

 ロキシーが小声で漏らした。誰に言うでもなしに、自分へ言い聞かせるように。

 そういやロキシーにも当たり前だけど、親が居るんだよな?

 

 

「先生のご両親はご健在でしょうか?」

 

「ええ、かなり昔に故郷を飛び出して来ましたが、おそらくは」

 

 

 もしやロキシーって家出少女だったりするんか?

 

 だとしたら、よくぞ悪い男に引っ掛からずにグレイラット家に辿り着いてくれた。

 彼女の所作や言動から察するに、生粋の乙女──生娘だろう。

 

 

「顔を出した方が良いのでは? きっと心配してます」

 

「生存報告の便りすら送っていませんからね。耳の痛い話です。でも、ルディの言葉です。考えておきます」

 

 

 べつに親子仲は悪いわけではないらしい。

 ただ、故郷に関して思うところがあったようで、遠い目をしていた。

 

 それから程なくして祝いの場は御開となった。

 

 こんな日でもパウロとゼニスは夜の営みに(いそ)しみ、情事の経過を家中に実況してやがる。

 

 ロキシーはいつぞやみたいに聞き耳を立てて寝巻きを捲り、自身の性的欲求を満たしていた。

 

 そっとしておこう。ロキシーだって一人の女の子。そういう気分にもなる。

 

 

 

 

 

 そして翌日の朝。

 慌ただしく身支度を済ませたロキシーを、俺は家族総出で見送る事となった。

 

 この2年間の想いが噴き上がる。

 それだけの年月で見た目が変わったのは俺だけだった。

 

 パウロとゼニス、それにリーリャは成人しているから、2年じゃ見た目に変化は少ない。

 ロキシーは見た目こそ中学生だけど、ミグルド族の種族の性質ゆえか、まるで変わらない。

 

 俺はというと、4歳の頃から比べれば身長が伸びた。幼げな顔にも、ちょっぴり成長の兆しが現れ始めている。

 

 親が言うには美貌に磨きが掛かってきたのだとか。

 

 

「ロキシーちゃん、まだウチに居てもいいのよ。ルディも貴女に良く懐いているし。私もお料理とか教えたいことが沢山あるもの」

 

 

 ゼニスが名残惜しそうに説得する。

 

 

「そうだぞ。村の連中だって世話になったんだ。この村に残るってんなら、大歓迎だ」

 

 

 パウロもまたロキシーに強い愛着が湧いているらしい。

 きっと我が子のように思っているのだろう。

 俺とは姉妹同然の間柄だったしな。

 

 

「ありがたい申し出ですが、わたしにもすべきことがありますので。魔術の腕を磨きたいのです。ルディに負けてはいられませんからね」

 

 

 師匠の向上心は、俺という存在を柱にしているのか。

 意識されているようで照れてしまう。

 

 

「そうか、凄いな。ロキシーちゃんは。それほどの腕前でも慢心していない。まだ研鑽を続けるなんてな」

 

「ルディをそばで見ていたら自然とそんな気持ちになりまして。良いお子さんですよ、ホント」

 

「だってよ、ルディ?」

 

「はい、私も先生の弟子として恥じない魔術師を目指します!」

 

「うん、良い返事です」

 

 

 頷くとロキシーはローブの内側に手を突っ込み、ゴソゴソと探り始めた。

 革紐に繋がれたペンダントが眼前に差し出された。

 

 

「これは?」

 

「ミグルド族のお守りです。卒業祝いの品として、これを贈りたいと思います」

 

「よろしいのですか? 大切なものでしょうに」

 

「大切ですよ。だからこそ、もっと大切な人に持っていて欲しいんです」

 

 

 ロキシーにペンダントを掛けてもらう。

 首から提げられたお守りが、ロキシーの温もりを感じさせる。

 

 単純に懐にしまってあったから(ぬく)いのだろうが、俺にはたしかに温かさを感じられた。

 

 

「それでは元気で──」

 

「先生も……お、げん、きで……」

 

 

 言葉が詰まる。喉が締め付けられ、視界が霞む。

 

 別れの時はやって来た。あっさりとしたものだ。

 

 しかし悔いは無い。彼女には、既に多くのモノを贈られた。

 杖にペンダントに数々の魔術の知識。他にも色々。

 

 引き留めることは出来ない。

 だから見送るのだ。ロキシーの背中を。

 

 もっと一緒に居たい。その気持ちに嘘は無いし、今も同じ。

 でも約束した。いつか迎えに行くって。

 

 だったら女々しい事は言わない。

 

 ロキシー師匠──ありがとう──。

 

 

 

 

 

 ぢぐじょう……ざみじい!

 

 どうして涙が止まらないんだ。なんでこうも寂しいんだ。

 

 俺が子どもだから? それとも女の子だから?

 

 涙腺が弛み、止めどなく涙がこぼれる。

 

 

「うわあああーんっ!」

 

 

 大声で泣いた。体面など気にせず、ひたすらに。

 喉が裂ける勢い。

 それでも意識せずに無詠唱治癒術で回復してしまう。

 効力の発生源である手の平を直接当てるまでもない。

 

 ゲームで言う自動回復である。

 

 身体の負担を気にする必要がない為か、俺は泣き続ける。

 文字通り、涙がかれるまで。

 

 困ったように夫婦で顔を見合わせるパウロたち。

 

 そっとゼニスの腕が伸びてきて、豊かな胸の中に収められる。

 

 

「うんうん、寂しいわよね。つらいわよね」

 

「はい……。先生が居なくなっちゃって悲しいです……」 

 

 

 心中(しんちゅう)を吐露する。

 

 

「今日だけはお母さんの胸のなかで沢山泣きなさい。明日からまた頑張れば良いの」

 

「はい……」

 

「たまにはこうやって泣いちゃって、溜め込んだものを吐き出さなきゃ」

 

 

 ああ、ゼニスは本当に母親だ。

 今更なんだって話だが、今日ほど甘えたいと思った日は無い。

 

 

「ぐす……。あれ、変ね。私まで涙が……」

 

 

 ゼニスも泣いていた。

 俺ほどではないにしろ、ロキシーの去ったグレイラット家の寂寥感に、やられちまったらしい。

 

 パウロは泣いてこそいないが、既にロキシーの姿すら見えなくなった道の先を見つめていた。

 

 そうだ、俺だけじゃないんだ。悲しいのは。

 

 皆、同じ。この気持ちを共有しているのだ。

 

 

「よし!」

 

 

 涙は止まった。寂しい感情は不変。だが意識は変わった。

 

 両頬を手で叩いていた気合いを注入。

 

 

「これから──頑張るぞ!」

 

 

 ようやくだ。

 俺はスタートラインに立ったのだ。

 ロキシーという師の言葉を胸に刻み、これまで以上に人生を本気で生きてやると誓った。

 

 

 

 

 

 後日談──。

 

 その日の午後、ロキシーの使用していた部屋を掃除していると、ベッドの片隅にて白い布切れを見つけた。

 手に取ってみると若干小さい。しかし、俺が履くには大きい。

 

 

「これ、ロキシーのパンツじゃん」

 

 

 それも別れの前夜、ロキシーが自分を慰めていた際に着用していた下着だ。

 情欲を鎮めた後、履き替えた際にベッドの隅に置き忘れたようだ。

 

 辺りを見回し、ゼニスやリーリャの目が無いことを確認する。

 そして、何を血迷ったのか、それをポケットにしまってしまう。

 

 

「神の遺物──。厳重に保管しなければ」

 

 

 まだ壮健なロキシー師匠の置き土産を、ありがたく拝借する

 いつかは返そう。俺が大成して彼女を迎えに行った時にでも。

 

 どこぞの海賊の麦わら帽子のようなものだ。

 

 

「師匠。()、頑張るから」

 

 

 今一度、ロキシーの染み付きパンツをポケットから取り出し、握り締める。

 

 そしてパンツに顔を(うず)めて──。

 

 

「ロキシーがそばに居る……」

 

 

 ロキシーを近くに感じる。

 ここに居るんだ。

 離れていても心は寄り添っている。

 

 原動力を得た俺は、以来、走り続けた──。

 

 

 



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6話 友達

 ロキシーが旅立ってから数日。

 胸にポッカリと穴が空いたかのように、気力の抜けた1日を重ねてきた。

 

 しかし、それではロキシーに顔向け出来ぬとして、決心する。

 そうだ、外に遊びに行こうと。

 

 せっかくトラウマを治してもらったんだ。俺も新たな1歩を踏み出さなきゃだ。

 5歳にして公園デビューする心地である。はあ、緊張するわあー。

 

 パウロにでも付き添ってもらうか?

 

 いや、親の脛をかじり過ぎるのも考えものだ。娘に頼られる父親の心境としては嬉しいだろうが。

 

 というわけで、ゼニスから貰った植物辞典を携えて出発だ。

 念のため、外出の旨を伝えておこう。

 

 玄関先で剣を振るっていたパウロへ声を掛ける。

 

 

「父さま、外へ遊びに行ってきてもいいですか?」

 

「構わないが、もう外は怖くないのか?」

 

「ロキシー先生のお陰で、もうへっちゃらです」

 

 

 えっへん、と握り拳で胸を叩いて主張する。

 どうよ、俺だって強くなったんだぜ?

 

 

「感心したよ、あれだけ家から出たがらなかったルディが、自分から言い出すようになるなんてな」

 

「そんな大袈裟な」

 

「親ってのは子どものちょっとした成長が嬉しいもんだ。これで友だちでも連れてきた日には、どれほど喜ばしいことか」

 

「すぐにはムリかもしれませんが、いずれはそのつもりです」

 

 

 友だちを作らなきゃな。なるべく同性の、女の子の友だちが良い。

 性自認は男ではあるが、今の俺くらいのガキんちょは、ヤンチャ盛りだ。

 

 そんな奴らを相手にするのは疲れる。だったらまだ落ち着きのある女の子が望ましい。

 

 この年頃の女の子の遊びと言えば、おままごととか?     

 正直、楽しめる気はしないが、童心に帰るのも大事だ。物は試しって言うし。

 

 

「じゃあ、気をつけて行くんだぞ。夕方には帰ってくると、父さんと約束してくれ」

 

「お約束します。では、いってきます」

 

「いってらっしゃい」

 

 

 足早で進む。一秒でも早く、世界を開拓する為だ。

 子どもの足だから探索範囲はそう遠くはない。だとしても、小さな発見こそが俺の人生の糧となる。

 

 そんな気がして急かされるように小走りとなる。

 道中、村民らとすれ違う。俺の身なりは、この村の生活水準と比較して高い。

 

 程度の良い洋服に身を包み、髪の手入れだって怠らない。

 風呂にも毎日入っている。そんな高貴感漂う女の子。

 一目でパウロとゼニスの娘だと認識したようで、こちらの挨拶にはきちんと、挨拶で返してくれた。

 

 親様々である。ある意味、親の威光ってやつか。うん、それは卑下した考えか?

 

 俺自身の成果だと思っておこう。

 自分から進んで挨拶をしたんだからな。

 

 さて道草を食いながら村を突き進む。気になる植物があれば辞典と見比べる。

 食べられるのか、そうでないかをチェックだ。

 

 ブエナ村は広いが、俺の興味を惹く物は少ない。

 民家だって少ないし、他に見所があるとすれば麦畑くらいだろう。

 

 3日ほど時間を掛けて村を探索し終える。土地勘くらいは養えたはずだ。

 

 目新しい発見こそ少なかったが、これでブエナ村を故郷だと胸を張って言える。

 

 で、いい加減フィールドワークも飽きてきた頃、村の子どもたちが仲良く遊んでいる光景が目に飛び込んできた。

 

 残念ながら女の子は居ない。数人の男の子だけだ。

 年のほどは俺と同い年か1~2歳上。だいたい同年代だ。

 

 遠巻きに見ていると、こっちの存在に気付いたらしく声を掛けてきた。

 

 

「お前、駐在騎士んとこの子か?」

 

「ええ、そうですけど」

 

 

 首肯する。やはり溢れでるお嬢様オーラが人目を惹き付けるのだろうか?

 

 

「俺はソマル。なんだよ、仲間に入れて欲しいのかよ」

 

「もしよければ、お願いします」

 

 

 ふてぶてしい態度だな、この小僧。

 しかし俺も大人だ。口の利き方にいちいち目くじらを立てない。

 

 

「ルーディア・グレイラットといいます」

 

「そうか、ルーディア! よし! 今日から俺たちの仲間だ! これからは、お前も遊びに加えてやるよ」

 

 

 お、意外と面倒見が良さそうだ。

 

 どうでもいいけど、取り巻きの少年たちは、チラチラと俺の顔を窺っては顔を紅くしている。

 

 ははーん? 大方、美少女なルディちゃんに見惚れているんだろう。

 髪型だって今日は決めてきた。パウロから貰った魔道具の髪紐でポニーテールに仕上げている。

 

 念入りに櫛を入れてきたから、普段よりも可愛らしさはアップ。

 自画自賛するほどだ。

 

 

「ありがとう、ソマル君!」

 

 

 礼を忘れない。加えて笑顔を振りまいておいた。

 この際だ、友だち作りに性別の選り好みは出来ん。

 ひょっとしたら、ソマル経由で村の女の子とも繋がりを持てるかも。

 

 (よこしま)な考えを交えながら、ソマルたちの誘いに乗ることにした。

 

 

「お、おう……」

 

 

 ん? 急にしおらしくなった。

 

 いや、分かるよ。鈍感系主人公じゃあるまいし、人の好意くらいは察しがつくさ。

 まあ、男は恋愛対象には含まれません。オヤツのバナナと同じです。

 

 

「なにして遊びます?」

 

「鬼ごっこって、分かるか?」

 

「はい、遊び方くらいは」

 

「じゃー、今から鬼ごっこだ。いいな、お前らも」

 

 取り巻きに了承を得るソマル。

 なんかトントン拍子で話が進展していくな。これも美少女の特権ってやつか?

 

 確実に同性からやっかみを受けるパターンじゃん。

 自重しよう。目立たないように。

 

 尤も、ソマルはそれほど容姿が整っているわけじゃない。平凡である意味、慣れ親しみ易い顔立ちではあるが。

 ゆえに女子たちからの要らぬ嫉妬を買う心配も皆無だろう。

 

 さて、ソマル及び他の少年たちとの鬼ごっこ。パウロに鍛えられた体力と脚力を遺憾なく発揮。

 一度も鬼役をすることなく、今日の遊び時間を終える。

 

 ソマルたちの接待プレイなんかじゃないぞ。正真正銘、俺の実力によって手繰り寄せた結果だ。

 

 それなりに楽しめたところで帰宅。門限をきちんと守る人間なのだ。

 玄関先に立つパウロは、心配そうな目で出迎えてくれた。

 

 

「ちゃんと言いつけ通りに帰ってきたな」

 

「当たり前じゃないですか。父さまの言葉は法より重い」

 

「いや、オレは何様だよ。お前はいったい父親をなんだと思っているんだ」

 

「愛するお父さんですよ」

 

「どこで覚えたんだよ、その口説き文句。マジで落とされそうになったぜ」

 

 

 バカなやり取りも日常茶飯事。

 さしものパウロも呆れて苦笑を浮かべる。

 

 

「夕飯が近い。ちゃんと手洗いとうがいをするんだぞ」

 

「はーい」

 

 

 促されて家の中へと入る。無論、手洗い・うがいを忘れずに。

 どうやら我が家の衛生観念はまともらしい。

 

 さて今日の夕飯のメニューは、魔物のステーキ。

 何でもパウロの知人のロールズって人が、お裾分けしてくれたのだとか。

 

 職業は狩人で、ブエナ村の創設期からの古株。村近くには魔物が繁殖しており、狩猟で間引き生息数を調製しているとのこと。

 

 会ったことはないが、機会があれば挨拶しておこう。

 

 

「そうだ、聞いてくださいよ。今日ね、友だちが出来たんです」

 

「へぇ、やるじゃないか。どんな子なんだ?」

 

「ソマル君という子です」

 

「エトん所の(せがれ)のソマル坊か。ヤンチャな男の子だって聞いてるが、そうか。友だちになったのか……」

 

 

 おやおや? 娘の最初の友だちが男の子だからヤキモチですかい?

 心配には及ばない。ソマル坊とやらは俺の、眼中に無い。

 俺の心の中心に居るのはロキシーだけなのさ。

 

 

「まあ、なんだ……。家に連れてくるなら、なるべく女の子にしてくれ」

 

「父さまがそう言うのなら、そうします。なんていったって、父さまの言葉は法より重いですから」

 

「まだ言うか、ルディ」

 

 

 から笑いしつつも頭に手を乗せて、髪をクシャっとされる。

 口ではノリが悪いが、なんだかんだ相手をしてくれる。

 

 良い父親じゃないか、パウロよ。だから俺はパウロを父親として尊敬しているし大好きなんだ。

 

 

 

 

 

 親子の団らんの時を過ごし、夕飯も戴き、次の日。

 

 昨日、ソマル坊と出会した辺りに向かうと、待ち構えていたかのように少年たちはたむろしたいた。

 

 

「ルーディア! 今日は面白い遊びを教えてやるよ!」

 

「へえ、それは楽しみですね。ワクワクします」

 

「魔族退治って遊びなんだけどよー!」

 

 ん? 魔物退治ではなく魔族退治とな?

 

 聞き間違いでなければ、けしからん話だ。

 魔族にはロキシーのような素晴らしい神の如き存在だって居るのに。

 

 問い質してみるか?

 

 

「それはどういった遊びなんですか?」

 

「まあ、待ってな。もうすぐだからよー」

 

 

 いまいち理解が及ばない。だが待てと言われたんだ。    

 忍耐強く、いくらでも待ってやる。

 

 数分ほど、その場で待機していると、フードを被った子どもが歩いてきた。

 

 バスケットを大事そうに抱え込んで、視線は下げがち。

 歩く速さは、さながら牛の歩みといったところか。

 

 その怪しげな子どもが現れた途端、ソマル達は一斉に畑の泥濘(ぬかるみ)へ素足で入ると、泥玉を作り始める。

 

 いや。まさかなぁ……?

 

 悪い予感は的中する。

 なんとソマル達は、うつ向いた子ども目掛けて泥玉を投げ出したのだ。

 

 悪い意味で度肝を抜かれた。

 

 

「ちょ、なにやってるの!」

 

 

 慌てて制止する。

 

 

「ルーディアもやってみろよ。コイツ、魔族だから村から追い出さねーと!」

 

「そーだそーだ、ソマルに続け!」

 

 

 この行為は、明らかにイジメだ。

 よく知っているぞ、俺にも経験があるのだ。被害者側としてだけど。

 

 まったく、気分が悪くなるよ。

 俺はこういう連中が大嫌いなんだ。

 

 大勢がよってたかって痛めつける。される側の苦しみは、今でも覚えている。

 

 見てみぬフリを出来んね。

 

 

「ソマル君。イジメはいけませんよ。人にされて嫌なことは、他の誰かに絶対にやっちゃダメなんです」

 

 

 加害者であるソマルたちへ説得を試みる。ダメ元だ。子どもがまともに人の話を聞くとは思えない。

 

「なんだよ、お前も俺たちの仲間だろ? 魔族の味方をすんのかよー!」

 

「味方がどうかの問題じゃないと言っているんです」

 

「せっかく仲間にしてやったのに! もう謝っても仲間に入れてやんねー!」

 

 

 こっちから願い下げだわ。

 さて、この小僧たちは標的を俺へと変えた。フードの子──おそらく少年は困惑した様子で状況を観察していた。

 

 

「くらえ!」

 

 

 いじめっ子たちによる泥玉の雨。

 ふふふ、でも俺には当たらんよ。パウロとの特訓の日々は、今この時に活かされる。

 

 左右にステップ、上下にジャンプしたり屈んだりと、軽快に避け続けた。

 

 

「くそっ! 女なんかに負けるもんかよ!」

 

 

 あら、聞きましたか? このご時世に性差別ですわ。魔族への偏見といい、時代遅れな奴も居たもんだね。

 

 

「そんなんじゃ、私には永遠に当たりませんよ? 出直して来たらどうですか」

 

「うっせー! 余計なお世話だっ!」

 

 

 つい煽ってしまった。やる気を出させてどうすんだよ。

 

 とはいえ、もう数分も回避ゲーに励んだら、奴らも飽きてきたようで、攻撃の手を止めた。

 

 

「覚えてろよ、ルーディア! お前とはもう絶交だ!」

 

「はい、2度と話し掛けてこないでくださいね。目障りなので」

 

「くそ! バーカ! ブース!」

 

 

 捨て台詞と同時にソマルたちは何処へと消える。

 

 ふう、なんとか追い払えた。あの手の輩は根に持つからな。

 今後はソマルたちに目をつけられないように注意せんとな。

 

 

「そこの君、怪我とかしてないか? 荷物も平気?」

 

 

 散々、泥を投げつけられて服の汚れてしまった少年へと安否を問う。

 

 

「う、うん……平気」

 

 

 平気じゃなさそうだ。

 今にも泣き出しそうなか細い声で、見ているこっちが不安になる。

 

 件の少年の顔を見る。泥を被って色々と台無しになってはいたが──。

 

 うわっ! すっげぇ美形の少年だ。

 

 同い年くらいか? 女の子みたいな顔立ちをしているな。正直な話、一瞬ときめいた。

 ロキシー以来の衝撃だ。

 

 

「荷物は良さそうだけど、服が汚れてるな。よし、私が綺麗にしてやる」

 

「え……どうやって?」

 

「とりあえず、向こうの用水路まで移動しよう」

 

 

 少年の手を取って移動する。掴んだ手の感触は、まるで女の子のように小さくてスベスベ。

 

 なぁ、君って本当に男の子なん? どうも何か引っ掛かるんだよなぁ。

 

 漫画とかでよくある展開としては、最初は男の子だと思って接していたら、後々、実は女の子でした! って判明する的な?

 

 ひとまずこの少年を清めねば。性別云々を気にし過ぎて、優先順位を間違えるなよ。

 

 自分にそう言い聞かせて、火魔術と水魔術の混合魔術を発動させる。

 手のひらには適温のお湯が生成され、少年の体を洗い流していった。

 

 

「ん……」

 

 

 嬌声(きょうせい)が漏れる。いちいちセクシーなのよ、君ってば。

 

 

「うーん、服の方はここじゃ洗うのは厳しいな」

 

 

 最低限、泥は落としてやったが見栄えはよろしくない。

 ただ、先程よりは幾分マシか。

 少年は綺麗になった己の体を見下ろすと、キョトンとした表情で、今度は俺に視線を向ける。

 

 

「あ、ありがと……」

 

「どういたしまして」

 

 

 礼をきちんと言えるなんて、親の教育がよろしいのだろう。

 お姉さん、感心しちゃうわ。

 

 改めて少年の面貌を確認する。一目で気づいた、少年が苛められた理由に。

 

 彼の頭髪は、エメラルドグリーンだったのだ。

 たしか多くの人々に忌み嫌われているスペルド族の代表的な身体的特徴。

 

 額には赤い宝石こそ見当たらないが、一見して魔族扱いする子どもも存在することだろう。

 その筆頭がソマル坊たちだ。

 

 他に少年の容貌で目を惹くものは、ツンと尖った長い耳。

 ファンタジー物での定番であるエルフ耳が、彼の頭の両側についていた。

 

 はえー。この世界に、エルフって居たんだな。彼の美形である理由に納得する。

 

 

「あのさ、嫌なことを聞くけど、君は前々からアイツらに嫌がらせされてたの?」

 

「う、うん……。ボクの髪の毛がスペルド族みたいだって……。村の子たちが、からかってきて……」

 

 

 あれはからかうとかのレベルを逸していると思うのだが。

 しかし生まれついての髪の色だけで差別とは。世知辛い世の中である。

 

 俺だけはこの少年の味方でいてやりたいもんだよ。

 なんつーか、かつての自分を見ているようで、ほうっておけない。

 

 

「大変だね、君も。他人事みたいで申し訳ないけど、今までよく耐えてきたな」

 

「そ、そうかな……?」

 

 

 自分に自信が持てないらしい。

 あれだけの仕打ちを受けてりゃあ、そりゃ卑屈にもなるか。

 ますます、看過出来んな、この状況を。

 

 

「ちなみに種族は? あぁ、つらいなら話さなくても構わないんだぞ」

 

「よく分かんないや。でもお父さん自身は長耳族(エルフ)のハーフだって言ってた……」

 

 

 ふむ、ってことはこの子はクォーターエルフっていうやつか。

 にしては耳が長いところを鑑みるに、隔世遺伝で強く特徴が出てきたのだろう。

 

 

「お母さんは獣人族が少し混じってるって……」

 

「そっか……。よく話してくれた、良い子だ」

 

 

 獣人族というのはよく分からないが、ケモ耳とか尻尾の生えている感じの種族だろう。

 そっちの特徴は現れちゃいないようだ。

 

 

「ご両親は優しくしてくれる?」

 

「うん、とっても」

 

 

 ほう、そいつは良かった。

 外で苛められて泣きそうになっても、両親の存在が支えになっていたのか。

 

 くっ、前世を思いだす。

 俺もツラい経験から塞ぎこんでいたが、あの時の両親はずっと歩み寄ってくれていた。

 その手を払いのけてしまった過去は悔やんでも悔やみきれない。

 

 

「じゃ、行くか。どこかへ向かう途中だったんだろ? 送るよ。1人だと、またアイツらが戻ってきたら危ないし」

 

 

「え、良いの? ボクなんかと一緒に居たら、今度はキミも苛められちゃうよ……」

 

「へいき、へっちゃらッ! こう見えて私は騎士の子どもなんだけどね、そこそこ鍛えてあるんだ」

 

 

 もし次にからんできたら、今度は避けるだけじゃなく実力行使させてもらうさ。

 暴力は嫌いだが、俺には魔術がある。

 使い方さえ誤らなきゃ、怪我をさせることもあるまいて。

 

 

「これから、お父さんに弁当を届けに行くんだけど……」

 

「よし、私に任せたまえ。お姉ちゃんが、君を守ってやろうじゃないか」

 

「キミとボク、同じくらいの年だよね?」

 

「私は5歳。君は?」

 

「ボクも5歳……」

 

 

 やっぱり同い年か。将来有望よね、この子ってば。年端もいかぬ時点でこの美貌。

 嫉妬しちゃうわ? というのは冗談だ。

 

 彼も見た目で悲しい思いをしてきたわけだし、外見で羨むのは酷な話だ。

 

 

「そういえば君の名前は? 私はルーディア・グレイラット。気軽にルディって呼んでくれ」

 

「ル、ルディ……。えへへ」

 

 

 彼の身の上からすると、同年代で名前を呼び会える

相手なんて初めてだろう。

 なにやら照れ臭そうに、耳の裏をポリポリ掻いている。

 

 

「ボ、ボクはシ、シル……フ……ィ……エ……ット」

 

「え、なんて? シルフ?」

 

 

 細々とした声。かろうじて聞き取れたが、そうか──シルフか。

 風の精霊のようで、彼の美形にお似合いだ。

 

 

「よーし! 出発進行ー!」

 

「お、おー……!」

 

 

 控えめな掛け声。何はともあれ、今後はシルフと一緒に居よう。

 放っておけないのもあるが、シルフは心優しい子だ。俺も変に気を遣わなくても良い。

 

 

「ボク、同性の子とこんな風に一緒に歩くのは初めて」

 

「同性?」

 

 

 何を言っているのやら。

 俺は生物学的には女だぜ? そしてシルフは男の子。

 

 まさか俺を男だと見間違えたのか? これでもゼニス譲りの容姿に自信があったんだがなぁ。

 ちなみに髪の色は茶髪でパウロ似だ。

 

「私、女だぞ」

 

「え、知ってるよ?」

 

 

 話が噛み合わないな。

 まっ、細かいことは受け流そう。

 

 

「実は私も似たようなもんだよ。友だちが出来たの。人生最初の友だちってシルフだし」

 

「友だち……? ボクなんかで良いの?」

 

「なんかって、随分とネガティブな考えだな」

 

 

 悲しいことばかりだと、明るい話題にも消極的にもなるか。

 よっしゃ、今日から俺がシルフの光になって照らしてやろう。

 

 

「これからはいっしょに楽しくやろう。実は私って、長いこと家の中で過ごしててさ。1人だと、心細いんだ。だからシルフが友だちで居てくれるなら嬉しいよ」

 

 

 忌憚(きたん)なく話す。

 

 

「ボクも……。ルディがいっしょだと嬉しい」

 

「そうか、相思相愛だな!」

 

「そうし、そーあい?」

 

 

 一方通行の気持ちじゃなくて安心した。ソマルん時は盛大に失敗しちまったし、戦々恐々としていた。

 

 ちなみにソマルたちはフレンドとしてはノーカンだ。消し去りたい過去である。

 元より1度遊んだだけの薄い関係だったしな。

 

 俺の初めてはシルフが貰ってくれた。

 

 初めてってのは友だちって意味だぜ? 他意はない。

 

 

「お父さんに紹介してくれよ。ボクの友だちですって」

 

「うん、するよ。ルディ!」

 

 

 あらま、もう懐いちゃってるよ。

 

 はぁー、俺も罪作りな女だわ。純情そうな少年の心を弄んじゃって。

 

 なんであれ、今日という日に俺とシルフは友だちになった。

 人生の転換期とも言える。

 

 見ていてくださいよ、師匠!

 

 このルーディア、必ずやシルフを幸せにしますから!



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7話 命の現場

治癒魔術について以前と同じく、独自解釈があります。


 シルフを父親の下まで送り届けた。

 ちょうど良い機会なので挨拶をしておく。ご子息とお付き合いさせて戴いてます。なんていう風に。

 

 森の近くに立つ櫓で監視の仕事をしていたシルフの父親。

 驚いたことに彼こそがロールズだった。

 つい先日、魔物の肉をお裾分けしてくれたのは記憶に新しい。

 シルフの父ちゃんだったのね?

 

 

「はじめまして、ルーディア・グレイラットです」

 

「ああ、君はパウロさんの娘さんだね。と、うちの子と一緒に居る様だけど、これはどういった?」

 

「今日、友だちになったんですよ」

 

「そうだったんだね。うちの子をよろしく頼むよ」

 

 

 首尾は上々。好印象を与えられた。

 

 しかしロールズはシルフと似て超美形な男性だ。

 見た目はパウロと同年代だが、実年齢はもっと上だろうに、年を感じさせない。

 

 体の線は細いが猟師という職業柄、筋肉だってないわけじゃない。

 日頃、弓矢を射っていることから胸筋もエライことになっているはずだ。

 

 シルフもきっと父親の仕事の跡を継ぐだろうし、いずれはこんな風に逞しい男に育つのだろうか?

 今は女の子のように華奢な体つきだから想像しづらいな。

 

 

「お父さん、遅くなっちゃったけど、お弁当」

 

「ああ、すまないね。今日は悪ガキたちに嫌がらせをされなかったかい?」

 

「されたけど、ルディが助けてくれたから」

 

「そうだったんだね、ありがとう。ルーディアちゃん」

 

「いえ、友だちですから。当然のことをしたまでです」

 

 

 人から感謝されるってのは良い気分だ。

 今後も善行を重ねていこう。

 

 

「君のことはパウロさんからよく聞いてるよ。自慢の愛娘だってね」

 

「父さまが、そんな事を……。照れますね」

 

「奥ゆかしい子だね。うん、君がこの子と友だちになってくれて、親として本当に感謝しているよ。立派だ」

 

「あ、はい。どうも」

 

 

 この人、俺を褒め殺しにするつもりかい?

 まあいい、本題に入ろう。話の途中で切り出してみる。

 

 

「ロールズさん、今からシルフと遊んできても良いですか? もしシルフに家のお手伝いなどがあれば、日を改めますけど」

 

「ああ、構わないよ。ぜひ、遊んであげて欲しい。うちの子は、年の近い子と遊んだ事がなくてね」

 

「では、お子さんをお預かりします。夕方には送り帰しますね」

 

「君は、本当に子どもなのかな? しっかりとした受け答えで驚いたよ」

 

 

 はて? 第三者からすれば、そう感じるのか?

 

 パウロたちは俺が最初の子だから、感覚がマヒしているのかもしれない。

 だから俺の言葉遣いが大人染みていても指摘などしない。

 

 

「子どもですよ。パウロ・グレイラットの長子です」

 

「パウロさんが会うたびに、娘自慢する理由がわかったよ」

 

 

 得心がいったのか手を振って俺とシルフを見送るロールズ。

 たしかにシルフの話の通り優しい人柄の父親だった。

 パウロとは別のベクトルで善き父親だな。

 

 で、丘の方へやって来た。1本の木が伸びており木陰を作っている。

 木の根もとに腰を掛けてシルフに向き合う。

 

 

「さぁ、何して遊ぼうか」

 

「ボク、友だちと遊んだことがないから、どうすればいいのかわかんない」

 

「うーん、私も最近まで引きこもりだったからなぁ」

 

 

 誘っておいて何もアイディアが浮かばない。

 これじゃあ、シルフを退屈させてしまう。

 

 何か良い案が無いか思考の海に浸る。

 

 

「あ、あの。別に何かして遊ばなくても、いっしょに居てくれるだけで嬉しいよ……?」

 

「そう?」

 

 

 健気な子やで、ホンマ。

 その上、超絶美男子ときた。

 大人のお姉さんだってキュンキュンすることだろう。

 

 結局、その日は夕暮れまで何をするでもなく、2人で同じ時間を共有した。

 時間の許す限り、お互いの両親について話したりもしたな。

 

 ただパウロについて、事細やかに話してしまうと教育上、悪影響が出てしまう。

 部分的にぼかして説明した。

 

 そしてシルフを家まで送り届けた後、俺も自宅に到着。

 いつも通り、パウロに出迎えられた。

 

 

「よう、今日も楽しかったか?」

 

「はい、楽しかったですよ。別の友だちが出来ましたし。シルフという子なんですけどね」

 

「シルフ? あぁ、ロールズの子か」

 

 

 心当たりがあったらしい。

 しかし、ソマルの時とは違い、悪い反応ではなかった。

 同じ男友だちなのにこの差。人としての信頼が違うってことかしら?

 

 

「もう愛称で呼ぶようになったんだな」

 

「愛称ですか? 私は彼にルディと呼ばせていますけど、シルフはシルフでしょう?」

 

 

 可笑しな事を言うぜ。シルフの名前は読んでそのままのシルフである。

 愛称ではないはずだ。

 本人の口から出た名前もシルフだったし。

 

 

「まあいい、夕飯の時間だ。冷える前に食べよう」

 

「あ、はい。そうですね、お腹ペコペコですよ、もう」

 

 

 結局、違和感の正体を掴めぬまま、話は打ち切られた。

 でも俺とシルフの友情に揺るぎは生じない。

 明日も、明後日も、一年先も仲良くやっていきたい。

 

 

 

 

 それからの日々は、穏やかなものだった。

 俺の魔術を目にしたシルフは、自ら望んで学びたいと頼み込んできた。

 

 俺としても学びたいという者を無下にすまいと、快く承諾。

 まずは詠唱有りの初級魔術からスタートを切った。

 

 やがて俺とシルフが6歳になった。

 シルフは俺よりも誕生日が1ヶ月ほど早いらしいが、誤差の範疇である。

 

 午前から昼に掛けては自宅で過ごし、正午過ぎからはシルフに魔術を教えたり、家から持ち寄ったお菓子をつまんだり。

 

 充実した生活だ。家でも家族と仲良く暮らし、時々、パウロがゼニスにセクハラをして怒られていた。

 リーリャからプレゼントされたレシピ本で料理の練習、ゼニスに裁縫を習ったりもした。

 

 退屈とは無縁。

 あれもこれも全てロキシーのお陰である。

 

 そんなある日のこと。シルフと一緒にいる時を狙って、ソマル率いる悪ガキ集団が攻めてきた。

 数の暴力ってやつだ。

 中にはヤツらの兄貴たち、小学校高学年くらいの子どもまで混じっていた。

 

 さすがに素手じゃどうしようもならない。

 この身体は見た目相応に非力だし。

 ゆえに魔術を使って撃退したのだが──。

 

 どうもそれがパウロの耳に入ったらしい。

 

 なぜだか知らんが、俺がソマルたちに怪我をさせた事になっていた。

 冤罪である。

 

 手加減したウォーターボールをぶつけこそしたが、アザにもならないような威力。

 ロキシーから魔術を叩き込まれた俺が、そんな怪我を負わせるようなミスをするハズがない。

 

 とにかく腹を割ってパウロと対話し、誤解を解かねば。

 

 

「なあ、ルディ。いま村でちょっとした騒ぎになっていてな」

 

「はい……」

 

「村の男の子たちと喧嘩したって? いやまあ、正直なところ女の子(ルディ)1人に対して徒党を組んでいる時点で、向こうの非が大きいとは思うが」

 

 

 ほう、一応弁明の余地はありそうだ。

 

 

「でも怪我をさせたってのは感心しないぞ。ルディ、お前はちょっとやり過ぎちゃったな?」

 

 

 諭すような声色。

 娘相手に怒鳴り付けるのは憚れたのか、パウロにしては控えめな物言いだ。

 

 

「いいえ。それは違いますよ、父さま。だって私は、あのロキシー先生の弟子ですよ?」

 

「ロキシーちゃんの弟子か……。ああ、説得力が有り過ぎる答えだな」

 

「怪我なんてさせてませんよ」

 

「うむ……」

 

 すると思案するパウロ。

 

 

「わかった、ルディを信じよう。エトんとこの奥さんが怒鳴りこんで来た時は、何事かと思ったが……。俺とゼニスの子が、そんなバカな真似をするわけねぇよな」

 

「信じてもらえて何よりです。父親の愛を感じましたよ」

 

「すまん、少しでも疑ったオレが不甲斐なかった。許してくれ」

 

「自分を責めないでください。私は怒ってなんていませんよ」

 

 

 えらくあっさりと疑いは晴れた。

 子どもの言葉を聞こうとする姿勢は、父親として及第点である。

 ボーナスポイントをくれてやってもいい。

 

 

「とりあえず、またソマル坊たちが喧嘩を売ってきたら懲らしめてやれ。何かあっても父さんが何とかしてやる」

 

「その時が来たら、頼りにさせてもらいますね」

 

 

 一件落着、また少し親子の信頼を強めた。

 

 

 

 

 ──ある日、我が家に連絡が入った。

 シルフの父ロールズが怪我をしたらしい。

 

 近くの森で異常発生した魔物の群れ。

 ロールズはいち早く気づいたことから討伐に赴いた。

 

 パウロや村の自警団も出動して群れの大多数の討伐こそ終えたが、駆け付けた時には既に、片腕を噛みちぎられていたとか。

 

 こりゃあ、マズイ。

 

 診療所に担ぎ込まれて、今は意識不明の重体。ゼニスにも応援要請が掛かった。

 体から離れた腕も回収済みとのこと。

 

 けれどゼニスが使える治癒術は中級まで。

 切断された腕までは繋げられない。

 腕を諦めて、断面を塞ぐように治療するほかない。

 

 だが狩人であるロールズ。

 腕を1本失くしてしまえば、仕事への復帰は絶望的。

 

 そうなれば、シルフの家の働き手が居なくなってしまう。

 一応、ブエナ村として見舞金くらいは出るが、そう長くは生活の維持は出来まい。

 

 

「ルディ、お友だちのお父さんが怪我をしたの。貴女にも手伝ってもらえる?」

 

「もちろんですとも! ロールズさんには私も世話になっていますし」

 

 

 上級治癒術を使える俺ならば治療は可能なハズ。

 問題はロールズ自身の体だ。

 

 大量に血を流している為、失血死の恐れもある。

 その場で止血処置は施されたとは聞いている。

 が、1度は持ち直したかと思えば、後日容態が急変してそのままお陀仏ってケースもあり得る。

 

 出血性ショックによる心不全とかな。

 

 村の男衆が手配した馬に股がり、特急で診療所へと移動。

 ゼニスが馬の手綱を握り、相乗りさせてもらった。

 

 ちなみにパウロは魔物の狩り残しが無いか、森の中で警戒中。

 相棒のカラヴァッジョも出張っている。

 

 二次被害を防ぐ為、掃討作戦も視野にあるのだとか。

 

 診療所に到着するとシルフの母親と(おぼ)しき女性がうなだれていた。

 昏睡状態にある夫に寄り添い、必死に呼び掛けている。

 

 診療所の先生も手を尽くしたようだが、設備的にもこれ以上の処置はムリらしい。

 

 

「シルフ!」

 

「ル、ルディ……。お父さんが……死んじゃうよぉ……」

 

 

 ポロポロと涙を流す彼は、縋るように抱きついてきた。

 

 

「大丈夫だって。私と母さまで、きっと助けるから!」

 

 

 約束する。大切な友だちの肉親だ。

 救えなかったら一生物の悲しみを残すことになる。

 だからこそ、全身全霊を尽くして治療に臨む。

 

 横たわるロールズの息は弱い。

 残された方の腕の微弱な脈からして、相当に弱っているな?

 

 医療知識に乏しい俺でさえ、危険な状態だって理解する。

 

 施術前に、感染症予防で解毒魔術を掛けておく。

 既に消毒済みだろうけど、なにせ魔物にやられたって聞いたしな。

 何がどうなるか分かったもんじゃない。

 

 それに、この世界にも狂犬病のような病気があるかもしれん。

 

 その後、上級治癒術『シャインヒーリング』を詠唱する。

 自分の身体になら無詠唱でも確実性を持って発動出来るが、今回は他人の身体。

 

 万全を期して、長い詠唱文を唱える。

 いくらかの時間が過ぎ、切断面に合わせて添えられた腕──患部が神々しい光に包まれる。

 

 よし、発動に問題なし。

 1度は離れた腕は正常な形で取り戻された。

 相変わらず血色が悪いが、僅かに生気が戻ってきたようにも見える。

 

 治癒魔術には一定の増血作用がある。

 時間経過で快方へ向かうハズだ。

 

 後の処置をゼニスに任せて、俺は診療所の空いてるベッドに腰を掛ける。

 

 夕方になる頃には、ひとまず容態は落ち着いた。

 

 

「シルフ、終わったぞ。腕は繋がった。後はロールズさんの意識が戻るのを待つだけだ」

 

「う、うん! スゴい、スゴかったよ、ルディ!」

 

 

 興奮したように俺を抱き締める美少年。

 んん? 男に抱きつかれているのに不快感が無い。

 

 

「まあ、落ち着けよ」

 

「でも、ホントにスゴかったんだもん!」

 

 

 子どもの目には奇跡にも映ったことだろう。

 神様を気取るつもりはないが、親友からの感謝の気持ちは、俺に全知全能感を与える。

 

 思い違いはしない。

 経験則で知ってるんだよ、慢心は失敗の元だって。

 

 

「何かお礼した方が良いよね? でもうち、あんまりお金とか無いし……」

 

「友だちに金銭を要求しないって。それに村から出動手当てが支給されるだろうし」

 

「でも何でも良いからルディにお礼をしてあげたいんだよ!」

 

 

 困ったな。

 

 

「じゃあ、お礼としてさ。将来、私と結婚してよ」

 

「え? ボクと……結婚?」

 

 

 子どもの口約束だ。本気で言っているわけじゃないし、きっとシルフもその内、忘れるだろう。

 

 じゃなきゃ、男相手に冗談でも求婚しない。

 もしもシルフが女の子であれば(やぶさ)かでもないが。

 

 そういった諸々の考えで、礼をはぐらかすつもりで、結婚などと口走ったのだ。

 

 

「ボクたち、同性だけど結婚出来るのかな?」

 

 

 この子、まだ俺の事を男だと思ってる?

 いや、どこからどう見ても女の子のやろがい。

 

 それとも何か? 実はシルフも女の子だったりすんの?

 

 髪は短いし、いつもズボンしか履いてないし、男……だよな?

 俺の目って曇ってる?

 

 

「うん、ルディがそうして欲しいなら、ボク、結婚してあげるよ!」

 

「シルフが覚えてたらで全然構わないからね? 忘れてたら、結婚の約束は破棄でいいからな?」

 

「忘れないよ、ずっと覚えてるもん!」

 

 

 シルフには悪いが、まあ忘れるだろう。

 仮に覚えていても、その頃には笑い話になってるだろうな。

 

 

「あ、そうだ! ねえ、ルディ!」

 

「なんだい、シルフ」

 

 

 身を乗り出して顔を寄せるシルフ。

 うわっ! 睫毛が長い!

 顔だけ見れば、男女どちらでも通用する。

 

 究極の美とは性別をも超越すると言うが、長耳族(エルフ)の血を引くシルフには、良く当てはまる。

 

 

「あのね、ボク、治癒魔術を覚えたいんだ」

 

 

 さっきまで繰り広げられていた救出劇に感化されたらしい。

 

 

「そういえばまだ教えてなかったね。うーん、タイミング的にもちょうどいいか……」

 

 

 シルフの魔術の習熟度合いは、攻撃系統四種を初級まで習得済み。

 治癒魔術と解毒魔術も身に付ければ、基礎六種を一通り習得したことになる。

 

 俺もこの子の先生のつもりだ。

 ならば教えを乞われた以上、応えてやらねば。

 

「良いよ、明日から始めようか」

 

「やった! ありがとう、ルディ!」

 

 

 ニコッと、笑顔で感謝を述べるシルフ。

 

 いや、だから君はいちいち可愛いんだよ。男の子なのに。

 

 魔術の件に戻ろう。

 基礎六種の初級をマスターしたら、次は中級と混合魔術も教えてみるか。

 出来れば無詠唱も伝授したい。

 

 おお! これが弟子を持つ気分か。

 また1つ、ロキシーに近付いた気がする。

 

 帰ったら、御神体(ロキシーのパンツ)に報告だ。

 

 

 

 

 

 波乱の1日を終え、自室のベッドに突っ伏す。

 思った以上に気疲れしていたのか、ぐったりだ。

 

 

「なんとか……人を救えた……」

 

 

 つい独り言を漏らす。

 

 シルフの前じゃ余裕ぶっていたが、その実、極度の緊張によって心臓が破裂しそうだった。

 人の命を左右する場面に立ち会うなんて、しばらくは勘弁して欲しい。

 

 誰も死ぬような目に遭わないことに越したことはないが。

 

 御神体にも報告を済ませる。

 師匠の教えにより、不肖な弟子は人間として成長出来ました、そんな内容だ。

 

 この先の事に思いを馳せる。

 今の環境で魔術を鍛え続ければ、習得済みの水属性以外の攻撃魔術三種でも聖級を体得可能だろう。

 それだけの下地をロキシーによって作られた。

 

 だが単純に使える魔術が増えるだけでは意味がない。

 では俺はどうしたい?

 そう自分へと問い掛け、空白の時間が流れる。

 

 記憶の奥底から引っ張り出す。

 導き出すまでに、そうは時間は掛からなかった。

 たぶん俺は守る力を求めている。

 

 たとえば家族が大切だ、たとえば友が大切だ。

 

 守るという行為は、ただ外敵と戦って退けるだけではなく、今にも消えそうな命を救うこと。

 

 取り零しの無いよう、命を救済することなんだと思う。

 

 

「じゃあ、やっぱり神級治癒魔術を物にしないとな」

 

 

 医療の最前線に立ったからこそ、無意識の中の渇望を見出だした。

 ただそれだけではなく、シルフの救われたような満面の笑みが綺麗だったから、気持ちに変化が生まれた。

 

 俺には治癒魔術の資質があった。伸ばす為の余地に恵まれていた。

 運が良い、だから視線の先も定まった

 一時期は上級治癒魔術で満足していたが、更なる高みを目指すことにしたのだ。

 

 現実的ではない夢のまた夢のような神の領域。

 おとぎ話でしか存在を確認されていない神秘の術。

 それが神級治癒魔術──。

 

 パウロが怪我をしたら、俺がこの手で治すって心に決めてるしな。

 生きている間に頂へ届くことを祈る。

 

 俺の父親は危なっかしい部分がある。

 

 家族の誰かが窮地に陥った時、きっと自分の身を犠牲にしてでも助けようとする。

 自身の命と家族の命なら、家族の側に天秤が傾く。

 パウロはそういう人間だ。

 

 少し神級治癒魔術について考えてみるか。

 前段階で聖級、王級、帝級についても同様に。

 

 聖級は高価な専門書かラノア魔法大学で学べる。

 

 王級はスクロールで代用可能だが、スクロールそのものが希少だ。

 可能なら無詠唱化して会得したい。

 

 帝級ともなると大国の宮廷魔術師が、大勢で魔方陣に魔力を注いで発動する大規模な儀式。

 こいつを無詠唱化しようとすれば、期間にして10年は軽く超えそうだ。

 

 詠唱も知らないから魔術の発動プロセスの詳細も不明。

 我流で発動行程を組もうとすれば、期間はもっと延びるだろう。

 

 そして本命の神級──。

 一説にはバカみたいに長い詠唱と魔方陣を併用した儀式と言われている。

 概要だけなら本で読んだことがあった。

 

 首が繋がった状態かつ頭の原形を留めている限りは死亡後すぐであれば蘇生することができる。

 

 まあ、魔術なんて人の数だけ発動方法や効果の強さに違いがある。

 一概にこれが正しいというものではないし、あまり型にハマるものでもないだろう。

 鵜呑みはいかんよ。

 

 だからまだ見ぬ神級魔術に関しては、俺独自の路線を目指すとしよう。

 現存する治癒魔術の枠を超えた癒しの力を追究するのだ。

 

 現状でも、既に上級までの治癒魔術に限定してアレンジを加えているしな。

 

 例を挙げると、無詠唱を前提として、自身の身体を対象にした場合にのみ、魔術の発生先である手の平を当てることなく治癒効果を発動可能だったりする。

 

 この際、任意に治癒の発動を切り換えられる。

 負傷した場合、自動的に肉体の損傷を修復するといった具合に。

 

 ロキシーに教えてもらった不死魔族ばりの再生力を、神級の位置付けで、ゆくゆくは再現する意思だ。

 

 よし方針は決まった。

 精進を忘れず、初心を常に念頭に置いて走り続けよう。

 



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8話 シルフの正体

魔術について独自解釈が含まれます。


 ロールズの治療から2週間後、彼は意識が回復し、リハビリ期間を経て仕事に復帰した。

 

 妻子と共にグレイラット家へ菓子折りを持参し、礼を言いに来たりなんていう場面もあった。

 

 ブエナ村の最古参であるロールズは、村の誰よりも人望がある。

 

 パウロも人望がある方だが、それにも勝るとも劣らない人望である。

 そんな彼を助けた張本人である俺の名前は、村中に広まって神童だとか持て囃された。

 

 神童も大人になればただの人──なんて言葉がある。

 称賛の意味合いが強いんだろうが、かえって重圧にしか思えない。

 

 さて、シルフの成長は著しいものだった。

 魔術を鍛え教えるようになって約一年という短期間で、基礎六種の初級魔術を我が物にしたのだ。

 

 つまり、彼の念願だった治癒魔術と解毒魔術を、自身の努力で勝ち取ったのである。

 うん、偉いね。

 頭を撫でてやったら、顔を紅葉のように染め上げながらも、(ほころ)ばせていた。

 

 

「シルフ、ちょっと遅くなったけどさ、渡したい物があるんだよ」

 

 

 俺とシルフにとっては定番の遊び場である丘の上の木。

 その根元で弟子へと贈り物を用意してきた。

 

 

「なあに、ルディ?」

 

「ああ、魔術師の師匠っていうのは、初級魔術を使える弟子に杖を贈るんだよ」

 

 

 本来なら初級魔術のいずれか1つでも覚えれば、杖をプレゼントする条件を満たしている。

 けれど、シルフの場合、精力的に魔術の知識と技能を吸収していたし、半端なタイミングで渡すことは躊躇われた。

 

 なんつーか、杖を手にした時点で満足しちゃって、やる気を失くすかもしれんと感じてな。

 まあ、シルフの性格上、要らぬ心配だったか?

 

 彼は俺以上に勤勉なのだから。

 

 

「良いの?」

 

「あぁ、やるよ。この杖は私が師匠から貰ったものだけど、シルフに受け取って欲しい」

 

「そんな大切なもの、貰えないよっ!」

 

 

 気持ちは分かる。

 でも俺は別にロキシーを(ないがし)ろにしているわけじゃない。

 理由あってのことだ。

 

 俺にとってシルフは特別な存在だ。

 一番弟子──。

 ロキシーにとってのルディ()である。

 

 ゆえに、俺は半身とも呼べる代物をシルフに譲りたいと考えた。

 シルフにも俺の存在を支えにしてもらいたいのだ。

 

 それに杖を渡してしまっても、俺の手元にはミグルド族のお守りと御神体(ロキシーのパンツ)が残っている。

 

 

「シルフ、頼むから受け取ってくれよ。つらい事があったら、この杖で私のことを思い出してさ。乗り越えてくれ」

 

 

 少々、傲慢な考えだろうか。

 俺の感情を押し付けるような真似だ。

 彼に従う義理は無いし、正直な話、重い女だと思われているかもしれない。

 

 

「うん、わかったよ。ずっと大切にするね!」

 

「あぁ……」

 

 

 良かった、受け取ってもらえて。

 いや、マジで不安だったよ。

 

 俺とロキシーは心を通わせ合っていたと確信している。

 けれど、その関係をシルフにも許容してもらえるのかは、今に至るまで予想がつかなかった。

 

 でも受け入れられて、胸を撫で下ろす。

 

 さて、これで晴れてシルフは俺の弟子にして、ロキシーの孫弟子の称号を得た。

 あのロキシーの系譜だぜ?

 これほど名誉なことはあるまい。

 

 

 

 

 

 そうしてシルフは、俺の魔術の特訓にこれまで以上の意欲をみせた。

 瞬く間に中級魔術、そして無詠唱術すらも会得した。

 火魔術と混合魔術は、やや苦手のようだが、些末な問題だ。

 

 若いってスゴいよね。

 飲み込みが早く、そして良く育つってもんだ。

 

 いやまぁ、シルフ自身の魔術資質の高さも相まっての成果だと思うよ。

 もう一回、褒めてやりたい気持ちになって、シルフの頭をナデナデしてやった。

 

 目をつむって心地良さそうに身を任せる美少年の構図。

 うむ……、男の子相手に、心臓の鼓動が早まるのを感じた。

 精神衛生上、あまりよろしくないね。

 

 引き続き、新しい魔術を教えてあげよう、そう発言しようとした直前、頬に水の感触。

 空を見上げれば厚く黒い雲が、ブエナ村を覆っていた。

 

 

「やべ、雨じゃん」

 

「どうしよう、ボクのお家、ここからだと遠いや」

 

「じゃあ、私の家で雨宿りだ」

 

 

 彼の手を引いてグレイラット邸へと駆け出す。

 その時には既にどしゃ降りの雨となっていて、下着まで濡れてしまった。

 

 身体のラインに沿って張り付いた着衣が、少年(シルフ)の目に晒される。

 

 どうかしら?

 ルディちゃんのセクシーショットだよ?

 

 だが性への意識の薄い年頃ゆえか、シルフは別段、俺の幼女ボディに視線を寄せることはなかった。

 なんだこれ、俺がバカみたいじゃん。

 

 なんであれ雨の中を走る。

 途中、水溜まりに踏み込んでしまって、衝撃でハネた泥を被ってしまった。

 

 不快感が凄まじい。

 一刻も早く洗い流したいものだ。

 

 やがてグレイラット邸が視線の先へ。

 倒れるように2人して飛び込むと、リーリャがタオルとお湯を準備してくれていた。

 

 さすがはリーリャだ、仕事が早い。

 こうなることを見越していたのだろう。

 

 2階の俺の自室にて、大きめの桶にお湯は張られていた。

 しかし、悩む。

 

 まさかリーリャは同じ部屋に男女を押し込むつもりか?

 幼いとはいえ、少年に俺の裸を見せるのは良いものか。

 

 別に素肌を見られることが恥ずかしいわけじゃないのだ。

 シルフにとって良くない影響を与えやしないか、気掛かりなだけだ。

 

 ルーディア()は客観的に見て麗しい少女だ。

 ブエナ村じゃ、他の追随を許さぬほどの可憐さ。

 悪魔的かつ、若く輝くような美人だ。

 

 ナルシストっぽいが、事実である。

 

 そんな俺が幼いとはいえシルフに柔肌を晒してみろよ?

 きっと成長したら他の女では満足出来なくなる。

 目が肥えるってやつだ。

 

 だから俺は躊躇した。

 シルフの未来を守る為にも、ここで服を脱ぐことを大人の精神で許さなかった。

 

 結婚の約束だって、冗談に過ぎないしな。

 

 さて、当のシルフはポイポイと自身の服を脱いでいる。

  子どもは難しいことを考えなくても良いから気楽で羨ましいよ……。

 

 

「あれ、どうしたの? ルディも脱ぎなよ」

 

 

 上半身まで脱いだシルフは俺に脱衣を要求する。

 どうして脱がないの?

 って、感じの純粋無垢な眼差し。

 

 構図としては同年代の男の子に服を脱げと命令される女の子。

 それ、なんてエロゲ?

 

 

「ダメだよ、女の子は身体を冷やしちゃ! ボクのお母さんも言ってたもん!」

 

 

 でしょうね?

 てか、濡れた服が気持ち悪い。

 このままじゃ、風邪を引きかねないが、いざとなればヒーリングを掛ければ一発で完治だ。

 

 じゃあ、別に今、シルフと一緒に身を清めなくても良くね?

 

 

「ほら、ボクが脱ぐの手伝ってあげるよ」

 

「いや、必要ないって」

 

「なんか変だよ、ルディ」

 

「私は変な子なんだよ。お気遣いなく」

 

 

 シルフの白磁のような肌が眩しいぜ。

 現実逃避をしている場合ではないのは承知の上だが、明後日の方向を向いて抑揚の無い声で笑ってやった。 

 

「あのな、これは君の為でもあるんだぞ? 私が脱いだらシルフは後悔することになる」

 

「どうして? もしかして、身体を見られたくない理由があるの?」

 

 

 身体に傷があるのだとか、テキトーにでっち上げるか?

 いいや、シルフに嘘はつけん。

 

 

「まぁ、いいや」

 

「あー、悪いね。シルフ君よ」

 

 

 普段しない君呼びをするところ、今の俺はぎこちない態度だ。

 さぞ、シルフに不愉快な気分にさせたことだろう。

 

 

「えーい! スキありー!」

 

 

 突如、シルフらしからぬ暴挙に出た。

 被害者は俺。

 スカートの中に手を突っ込まれて、パンツを引きずり下ろされたのである。

 

 

「うわっ!」

 

 

 羞恥心は無いが、突然のことで硬直する。

 

 未発達な縦筋が、少年の瞳に収まる。

 まじまじと見てきたりしないが、信じられない凶行にシルフへの見方を変えざるを得ない。

 

 

「ほら、バンザーイして」

 

「お、おう……」

 

 

 もはや言われるがままである。

 単純に世話見が良いだけなのだろうか?

 

 あっという間に服を剥ぎ取られ、生まれたままの姿でシルフの前に立つ嵌めとなった。

 

 

「ふーん? べつに可笑しな所は無いよ。ルディの身体、すごくキレイだよ」

 

「あ、はい」

 

 

 気にした様子はない。

 あっけらかんとしていた。

 

 しかし、シルフ、やっちゃったね?

 もう、俺以外の女の子じゃ満足出来なくなっちまったよ。

 

 あぁ、俺は1人の少年の性癖をねじ曲げてしまった。

 

 

「じゃあ、ボクも脱いじゃうね」

 

 

 続いてシルフは自身のズボンを下ろす。

 その下には子ども用のかぼちゃパンツ。

 それすらもサッと脱いで現れたのは──。

 

 

「あ、あれ……? ついて、……ないっ!」

 

 

 シルフの下半身は俺と同じだった──。

 

 つまるところ……シルフ君はシルフちゃんだったのだ!

 

 

「なんで驚いてるの?」

 

「え、あ、うん。いやな、べつに驚いちゃいないさ」

 

 

 気が動転してしどろもどろだ。

 この一年以上、ずっとシルフが男の子だと勘違いしていただなんて言えるもんか。

 

 ましてや弟子の性別を間違えるアホな師匠なんて言われた日には切腹ものだ。

 滑稽物である。

 

「つかぬことをお聞きしますが……」

 

「どうして急に敬語?」

 

 

 無視して続ける。

 

 

「シルフの名前って、フルネームだとなんだっけ?」

 

「シルフィエットだよ。ルディはシルフって呼んでくれてるよね」

 

「そっか……」

 

 

 シルフ君ではなく、シルフィエットちゃんかぁ。

 愛称としてはシルフィの方が女の子っぽくて似合っている。

 これまでの失態を鑑みて、挽回せねば。

 

 

「あのさ、今日からはシルフじゃなくて、シルフィって呼んでも良いかな?」

 

「良いよ。正直、シルフだと男の子みたいだなーって思ってたもん」

 

「悪いな、シルフィ」

 

 

 改めてシルフィと声に出して呼んでみると、彼……じゃなくて、彼女に非常に良く合う響きだ。

 手のひら返しで女の子扱いする。

 

 俺ってさ、スゲー間抜けじゃない?

 思い出してみれば、シルフィの性別に関するヒントは幾つもあった。

 

 そのことごとくを見過ごし、頑なに彼女を男の子だと思い込んでいたわけだ。

 

 違和感の正体を、やっと掴んだ。

 

 まあ、結果オーライだろ。

 人生経験最初の友だちが女の子だったわけだし。

 俺としては何も損は無い。

 むしろその逆でお得でしかない。

 

 そう結論づければ、何も気に病む必要はないと知る。

 

 シルフィさんや、今後ともよろしくな!

 

 心の中でシルフィの手を取って握手する。

 現実世界のシルフィは、キョトンとした顔で、小首を傾げていた。

 

 女の子として見ると、途端に可愛く映る。

 

 以前はどちらかと言うと、美しいとばかり感想を抱いていたが、今は年相応の姿で愛でられる。

 

 あ、でも……。

 そうなると俺は女の子相手にプロポーズしたってわけか?

 だとするなら、既にシルフィの性癖を歪めてしまっている。

 

 俺も俺でシルフィの性別を誤認していた時期に、トキめきを覚えたことも多々ある。

 ある意味じゃ、お似合いのカップルだ。

 

 全て俺の妄想か?

 

 

 その後は特にハプニングも起きず、平和なものだった。

 前世から引き継いだ男の思考あるいは嗜好を以てしても、幼児とも言える年齢のシルフィの裸体に欲情することもなかった。

 

 生前基準でならロキシー辺りが、かろうじて異性として意識するラインだろうか。

 

 俺の一年以上にも渡る誤解は今日ここに解かれ、女の子同士の微笑ましい友情がスタート。

 

 

 

 

 

 そして数日後、珍しくシルフィとは外ではなく、グレイラット邸で会う運びとなった。

 

 俺とシルフィの2人の組み合わせを見るのは、実は初めてのパウロ。

 家に連れて来た友だちが女の子であることに安堵したのか、穏やかな表情で見守ってくれている。

 

 

「いらっしゃい、シルフィ」

 

「おじゃまします、パウロさん!」

 

「ロールズから聞いちゃいたが、可愛らしい子じゃないか」

 

「そんな、可愛いなんて……。ルディと比べたら大したことないです」

 

 

 パウロのやつ、年端もいかぬ少女、それも娘の友人を口説くつもりか?

 人のことを言えたもんじゃないが、ロリコン認定してやろうか。

 

 

「なぁ、ルディ。どうして俺を睨んでんだ?」

 

「ご自分の胸に聞いてください」

 

「思春期にはまだ早いよなぁ。まさか俺がシルフィを褒めたから嫉妬してんのか? あぁ、ルディも可愛いぜ」

 

 取って付けたような殺し文句だ。

 

 本気で分からないらしい。

 なら良いさ。

 父親に冷たく当たっておいて、それからデレを見せれば娘の魅力にイチコロだ。

 

 今後、何か要求を通す際の武器にしよう。

 我ながら悪どい戦法だ。

 まさに女の武器である。

 

 

「ルディにシルフィ。もし時間があるなら、俺の剣術を見ていくか?」

 

「お断りします。あいにく、時間が押していますので。行こう、シルフィ」

 

「ええ? いいのかなぁ。パウロさんが可哀想だよ」

 

「構わないって。どうせ母さまに泣きついて、慰めてもらうだろうし」

 

「マ、マジで行っちまうのかっ!」

 

 

 悲壮感に満ちたパウロを置き去りにして自室へと向かった。

 遠くからわめき声が聴こえるが、意識からシャットアウトする。

 

 ふむ、中々の思春期の娘プレイである。

 興が乗って趣味になりつつあった。

 

 とはいえ、俺はパウロを敬愛している。

 あとで存分に甘えてやろう。

 父親を慰める意味でも、ただ自分が甘えたいという欲求を満たす為にも。

 

 

 

 

 

 部屋の中では、シルフィに対する座学の授業を行う。

 日頃は野外で実践的な魔術指導を行っていたが、今回は理論の授業ということで室内。

 

 吸収の早いシルフィだ。

 さして教えるのに不便せず、小一時間もすれば本日の内容を終える。

 

 時間が余った為、夕方頃までフリータイムだ。

 というわけで2人で魔術談義に花を咲かせる。

 寝ても覚めてもどっぷりと魔術の世界に浸かっている生活だ。

 そうであるからこその伸び盛りとも言い換えられる。

 

「──つまり魔術とはなんぞや? 原理自体は簡単だぞ」

 

「うんうん、聞かせて!」

 

 

 既にシルフィには教えた内容だが、復習の意味合い兼ねて説明してやる。

 あれ? 授業は終わったハズなのに、これでは補習しているかのようだ。

 

 まずこの世界の全ての存在は魔力で構築されている。

 つまり、世界の法則をねじ曲げる術技を魔術と呼ぶ。

 

 魔術を発動するってことは、世界に干渉すること。

 便宜的に干渉とは魔力の配列を弄るものだと、俺は仮定している。

 

 魔力配列を操作するに際して必要な要素は、『魔力量』『魔力流速』など。

 他にも細やかな条件はあるが、解り易い部分ではこの2点だ。

 

 そして各種魔術には、対応した魔力配列が存在しており、魔力配列のパターンを文章化した物こそが詠唱。

 詠唱とは先人たちが心血を注いで手探り状態で発見・解析した遺産。

 

 今を生きる俺たちは、そんな人類の叡智に乗っかっているわけだ。

 そこに応用として無詠唱化が存在する。

 

 無詠唱魔術とは、ザックリ言うと詠唱魔術による魔力の流れを身体で感覚として覚え、各工程ごとの魔力の操作を全て手動で行う技能。

 

 つまりどれほど詠唱が長い高ランクの魔術であっても、理論上は無詠唱化可能なのだ。

 さすがに王級以上となると、複雑かつ多数の魔力操作や制御を要するので至難の業ではあるが。

 

 治癒魔術に関しては実は、使い手として全くの未経験でも無詠唱化可能だったりする。

 俺がその例である。

 

 俺なんかはゼニスから頻繁にヒーリングを掛けてもらっていた。

 その際に治癒魔術による魔力の流れを身をもって体感した。

 無意識下に刷り込まれた感覚に従って魔力を操作したことで、いきなり無詠唱治癒魔術が発動出来た。

 そう考えている。

 

 さて、人によっては魔力量自体が不足して発動すらままならないケースがある。

 まあ、俺は馬鹿げた魔力量を持っているから無縁の話だけどな。

 

 シルフィも俺ほどじゃないけど、それに準じる魔力量だ。

 最終的にはロキシーくらいの魔力量に到達するのではなかろうか。

 ロキシーもミグルド族の中では飛び抜けて魔力量に恵まれていたと話していたっけ。

 

 さて、魔術の得意・不得意が何故、個人によって表れるのかについてだ。

 

 理由は単純、人によって適性のある魔力配列の操作パターンが異なるからだ。

 俺は満遍なく扱えるが、シルフィは火系統魔術の魔力配列に関する操作を苦手としている。

 うんと小さい頃、熱された鉄串を誤って掴んでしまって火傷したゆえの苦手意識に起因する。

 

 さて、次に魔術の発動には想像力も重要な要素だと考えている。

 具体的には魔術で再現しようとしている現象のイメージ。

 

 イメージとは魔力の流れを円滑にする通り道。

 道筋がハッキリしているなら、各種魔術の魔力配列パターンに沿って効率的に魔力を流し込める。

 

 以前、俺が無詠唱で治癒魔術を使い始めた時期には、このイメージが役に立った。

 

 意識せずとも魔力の通り道が整備され、望んだ結果を導き出したってわけだ。

 イメージがしっかりしていれば、魔力を流した感覚と、実際の現象との関連を紐付けし易くなる。

 

 あの現象はこのイメージで魔力を流せば再現出来ますよー!

 ってな具合で。

 

 そして上級魔術からは、このイメージ力が無ければ、身体で魔力の流し方を覚えづらい。

 詠唱魔術でなら問題なくガイドに沿って流れる魔力も、無詠唱魔術だと全て手動操作。

 断然、難易度が跳ね上がるわけだ。

 

 無詠唱による手動操作であっても、イメージさえ出来ていれば、比較的楽に魔力を流せるし、無詠唱として成り立つ。

 

 そんで、想像力を養うには現象の仕組みを知る必要がある。

 現代日本でそういった知識を得て育った俺には、その土壌が出来上がっていた。

 

 しかし、シルフィたちのようなこちらの世界の住人だと、科学的・気象的知識に不足しており、きちんと現象の仕組み理論を頭に叩き込まなきゃならん。

 

 言い方は悪いが、想像力に欠けるのだ。

 

 ゆえにこの世界において無詠唱魔術の使い手は極少数に留まっている。

 すくなくとも俺の提唱する理論ではこう結論付けられた。

 

 そのハズなのだが──。

 シルフィにそういった感じで説明してあげたら、この子、理解しちゃったんだよ。

 

 シルフィって、マジ物の天才か?

 

 前世という俺のアドバンテージすら凌駕する才能の塊に、嫉妬しかねない。

 まあ、可愛い女の子だから許すけどな。

 

 

 

 

 

 

 話を変えるが、この頃、俺はある取り組みをしている。

 

 各種魔術の詠唱文から、対応した魔力配列のパターンを読み解いているのだ。

 パターンに応じた現象を表にまとめ、それらの組み合わせで新魔術の開発に励んでいるのだ。

 

 しかし、ロキシーから習った水聖級魔術ならばともかく、他属性・他系統となると、そもそも詠唱自体を知らないから行き詰まっている。

 

 聖級、王級、帝級、神級ともなれば程度の差はあれど、詠唱そのものが秘匿されがちだ。

 

 けれど俺は分からないなりにも頑張っているつもりだ。

 知識の範囲で幾つものパターンを組み合わせ、ひとつの魔術を開発するに至った。

 

 系統としては特に決めちゃいない。

 この世界に分かりやすい定義付けが出来るほど、体系化されていない分野は多くあるし、こだわっていないのだ。

 

 例えば重力操作とか時間遡行といったSFチックな魔術を誰かが開発していたとして、基礎六種から外れているしな。

 

 誰かに解り易く教えられるほど中身を突き詰めているのなら、体系化されたも同然なんだろうが。

 

 話を戻そう。

 俺の開発した魔術とは『昏睡(デッドスリープ)』なるものだ。

 ランクとしては、暫定で中級に位置付けしている。

 

 指先から連射可能で、対象の意識を昏睡状態へと陥らせる効果を持つ。

 眠らせるのではなく、昏倒させるのに近い効果だから、別物なので注意だ。

 

 この世界の剣士が纏う闘気とやらも、込める魔力量の調整によっては貫通してしまう。

 魔力量の調整が出来る無詠唱魔術の特権だな。

 

 試しにパウロで試させて貰ったが、一瞬だけ意識を奪う事に成功した。

 けれどパウロ自身の闘気が強いらしく、一定の耐性を持っていたので、効き目はやや薄かった。

 

 これは要訓練である。

 

 ちなみに『昏睡(デッドスリープ)』は、治癒魔術の魔力配列パターンから発展させて作り出した。

 

 治癒魔術に高い適性を持つ俺ならではの魔術だと言えるだろう。

 

 この魔術の利点は、対象を殺さずに意識を奪えるということ。

 つまり生け捕りも容易となる。

 

 殺しどころか、暴力すら躊躇する俺には好ましい魔術だよ。

 

 なんにせよ、魔術ってのは本当に自由度が高い。

 極めれば本当に神級治癒魔術を自力で開発なんてことも夢じゃなさそうだ。

 

 まあ、神級魔術の魔力配列パターンを知る人間が極端に少ないゆえに、開発及び無詠唱化となれば、果てしない時間が掛かりそうだけど。

 

 

「よし、シルフィ! 私のとっておきの魔術を教えてやる!」

 

 

 師匠気取りでシルフィへ提案……というよりはごり押しする。

 

 

「やった! でもね、ルディ。ひとつだけじゃなくて、もっとたくさんのことを教えてよ」

 

「良いぞ、シルフィの為ならいくらでも」

 

 

 シルフィは俺の魔術理論を共有出来る友だちだ。

 そして弟子でもあるから、可愛くて仕方がない。

 同い年ではあるけれど、妹のような存在であり、彼女も飼い犬のように後ろを付いて回ってくる。

 

 今は髪こそ短いが、伸ばせば俺好みの女の子になるに違いない。

 なにやら不穏な事を考えてるな、俺は。

 

 ともかく、話の合う貴重な同年代の友人だ。

 魔術を介して今後も仲良くやっていこうじゃないか。

 

 

 

 



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9話 妹が2人、生まれた日

 吉報だ。

 俺に兄弟が生まれることになった。

 

 というのも、毎夜に渡って子作りに励んでいた両親。

 その成果もあってか、ゼニスの妊娠が判明したのだ。

 

 ゼニスは俺以降、妊娠する気配が無く気に病んでいたようだからな。

 報われたようで何よりだ。

 

 パウロもこの知らせには興奮を隠し切れず、ゼニスを抱き締めていた。

 これこれ、妊婦さんに衝撃を与えちゃいかんよ?

 

 

「ねぇ、ルディ? 貴女、お姉ちゃんになるのよ」

 

「私が姉ですか。感慨深いものですね」

 

 

 グレイラット家じゃ、6年間も年少者だった。

 別に肩身が狭いとか窮屈な思いはしちゃいないが、そうか……、俺にも弟か妹が出来るんだな。

 

 前世では弟が居た。

 赤子の頃にはおしめを替えてやったり、あやしたりもしてやったよ。

 

 でも成長するに連れて兄弟関係は悪化。

 俺が引きこもるようになってからは、兄貴らしいことは何もしてやれなかった。

 

 当時は弟も俺を励まそうとしてくれたっけな。

 その手を振り払って拒絶した時の弟の顔を克明に思い出す。

 

 だから俺は誓おう。

 今度こそ、下の兄弟に誇れる優しい兄貴もとい姉貴になってやるんだと。

 

 

「ねえ、母さま。お腹に耳を当てても、いいでしょうか?」

 

「ええ、好きになさい」

 

 

 まだ膨らみが小さなゼニスの腹部に耳を押し当てる。

 んー、分からん!

 けどここにきっと兄弟が居るのだ。

 

 元気に育ってくれよ。

 生まれてきた暁には、抱っこだってしてやりたいんだ。

 変顔とかして、笑わせてやりたい。

 

 続いてパウロも耳を当てて、次なる子の生命に思いを馳せる。

 感極まったのか、俺を抱擁してきやがった。

 

 まあ、今回ばかりは受け入れてやろう。

 この家族最大の喜びなのだ。

 寛大な精神にもなってやるさ。

 

 と、ここでひとつの問題が浮上した。

 

 

「え、リーリャ! どうしたの?」

 

 

 急な事態である。

 口を手で押さえたリーリャが、その場に崩れたのだ。

 

 体調を崩したのかと判断し、俺も慌ててヒーリングを掛けてみたが──。

 気休め程度にしか効果は表れなかった。

 

 

「リーリャさん、大丈夫……?」

 

 

 悪い病気ではあるまいか?

 この人には世話になっているし愛着だってある。

 家族同然の存在に心配にだってなる。

 

 

「すみません、お嬢様。それと旦那様に奥様……。私、妊娠したようです」

 

 

 は?

 爆弾発言である。

 予告無しに投下された。

 

 まさかの、つわりだった。

 つわりによる吐き気などには、治癒魔術は効力を発揮してくれないらしい。

 

 てか、相手は誰よ、誰なのよ?

 

 困惑したが……。

 薄々その相手に目星が立っていた。

 

 沈黙のまま目をパウロに向けてやると、答えは出ていた。

 この男、顔を青くして震えていたのだ。

 自白したも同然。

 

 後ずさってから、彼は口を開いた。

 

 

「ゼニス……。すまん、リーリャの腹の中の子は……俺の子だ」

 

 

 あるがままを告白した。

 子どもの手前、嘘をつき通せないとして、素直にぶっちゃけたのである。

 

 あぁ、俺も正直に言おう。

 パウロとリーリャが肉体関係を持っていた事は知っていたのだ。

 

 深夜、トイレで用を足して部屋へ戻ろうとした時のこと。

 両親の寝室ではない別の部屋から、男女の盛るような声が聞こえてきた。

 

 我が家のメイド、リーリャの部屋である。

 ビクビクしながら覗いてみると──。

 パウロとリーリャが交わっていたのだ。

 

 素っ裸で絡み合い、濃厚なキスまでしていやがった。

 これには俺も動揺し、見てはならない物を見てしまった気分になった。

 

 その場は黙ってUターンしたが……。

 ベッドの上で震えて夜を過ごしたものだ。

 

 さて、避妊なんていう発想すら皆無な世界だ。

 やることをやってしまえば、子どもだって出来て当たり前。

 

 その結果が、この冷えきった空気である。

 ゼニスは自身の懐妊の喜びを忘れ、パウロに歩み寄ると──。

 

 大きく手を振り上げて、夫の頬に目掛けてビンタをかました。

 

 バチンッと大きく響いた音が、事の重大さを知らしめる。

 パウロの片頬には痛々しい手型が貼り付いていた。

 あ、これやばい状況だ……。

 

 この世界に離婚という概念があるのかは知らないが、下手をすればヒステリック気味のゼニスがパウロを背後から刺しかねない。

 

 ある意味じゃ、この世から永遠にお別れとなるのだ。

 離婚より重たい末路じゃねぇかよ。

 

 下半身のだらしない父親は現在、部屋の隅で小さくなっている。

 居心地の悪さゆえ、助けを求めるように俺へとアイコンタクト。

 

 惨めな奴だ。

 追い詰められて娘にまで縋るとは。

 憐れだが、ここで俺に取れる行動は無い。

 

 そして静かに怒気を撒き散らすゼニス。

 怒り心頭なのは言わずもがな。

 

 詰めるようにリーリャへと言葉を掛ける。

 

 

「リーリャ、貴女のことは本当に良く想っていたの。けれど、これは……あんまりじゃない。こんな仕打ち……まだ信じられない……」

 

 

 ゼニスとリーリャは仲が良い。

 俺とシルフィ並に仲良しこよしである。

 

 それだけに裏切られた時の落差は大きいのだろう。

 信じていた相手が、自分の夫と不貞を働いていたのだから。

 その上、不義の子すらお腹に宿している。

 

 寝取られ(NTR)を実際に目の当たりにするとは、俺も虚を突かれた気分だ。

 自分の肉親だと、なおのこと気持ちが重たくなる。

 

 

「それよりも──。お腹の子はどうするつもり?」

 

「申し訳ありません、奥様……」

 

「謝って欲しいわけじゃないの。どうするつもりかを質問しているのよ?」

 

 

 こわっ!

 俺のママ、怖いよ!

 

 母親の恫喝に俺は本気でブルった。

 

 

「……出産した後に、故郷へ戻ろうかと。親の下で子どもを育てようかと考えています。もちろん、奥様の出産をご助力した後のお話です」

 

 

 あくまでもリーリャは身を引く覚悟なのか、努めて冷静な口調。

 しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の心の内にどれほどの葛藤が繰り広げられたのか。

 

 

「ムリね……。貴女の故郷はアスラ王国の南部だったわよね」

 

 

 ここフィットア領はアスラ王国の北東に位置する。

 南部への移動ともなれば長旅は必至だ。

 乗合馬車でも1ヶ月は要する。

 

 

「産後で体力も落ちた上に、赤ちゃんを抱えての長旅だなんて耐えれるとは思えないわね」

 

 

 ゼニスの指摘の通りだ。

 あまりに無謀である。

 

 その上、憂慮すべき点が他にもある。

 この国は他国に比べれば治安はマシな方ではあるが、しかし現代日本と比較した場合は事情が変わる。

 

 殺人や強姦など当たり前。

 自分の身は自分で守らなければ生きてはゆけまい。

 

 リーリャは水神流の中級剣士らしいが、過去に負った怪我の後遺症で足が悪い。

 歩行にこそ支障は無いが、赤子を胸に抱きながら悪党から守るなんて無茶だ。

 

 

「奥様が私のことなど考慮する必要はございません。すべて、私の責任なのですから」

 

「本気で言っているの……?」

 

 

 一応、ゼニスも破綻した計画だと考えたのか、否定している。

 

 

「でしたら金銭的な援助をして戴けたら幸いです」

 

「お金の問題じゃないのよ。貴女と、お腹の子の体がどうなのかって、話でしょう? それに私は……貴女をっ……」

 

 

 許せないという言葉を言いそうになったが、咄嗟に口を(つぐ)んだのだろう。

 キュッと口を閉じて堪えている。

 

 裏切られたとはいえ、身内だ。

 死ぬことまでは望んでいないのだろう。

 

 しかし、許せない気持ちもある。

 怒りと友情のせめぎ合いで、ゼニスも混乱しているらしい。

 

 憎いが、自分から離れていくことも嫌だ。

 迷いが生じるが、答えは出ない。

 堂々巡りってわけか……。

 

 しかし、どうしてリーリャだけが責任を取らなきゃいかんのだ。

 責めるべきはパウロの方ではないのか?

 

 仮にリーリャが誘惑したのだとしても、パウロが手を出したという事実は覆らない。

 妻帯者であるパウロは、その誘惑を拒否するべきだったのだ。

 

 だから話は拗れてしまったし、解決が難しくなった。

 

 肝心の俺の親父は、いまこの場においては役立たずだ。

 いまもゼニスに意見しようとするも、睨まれて身動きを取れずにいる。

 

 だったら──。

 この場で発言権を持つのは俺だけだろう。

 

 

「母さま──」

 

「なあに、ルディ?」

 

 

 俺に対しては優しく接してくれている。

 神妙な面持ちから母の慈愛に満ちた笑みに変わる。

 

 だが、実状は重苦しい話題で持ちきりだ。

 

 

「リーリャさんを……。いえ、リーリャを追い出さないであげてください」

 

 

 言ってやる。

 パウロが言わないのなら、俺がこの場を仕切って切り抜けてやるのだ。

 

 

「き、急にどうしたの?」

 

「せっかく私に兄弟が出来るというのに、どうして追い出しちゃうんですか? リーリャは、なにか悪いことをしたのでしょうか?」

 

「それは……」

 

 

 言い淀むゼニス。

 子どもに面と向かって不倫されたなどと説明できまい。

 

 俺はリーリャには恩がある。

 皿を割った時に庇ってもらったし、日々の生活の上でも世話してもらっている。

 

 そして何よりも──。

 

 御神体(ロキシーのパンツ)の存在を知っているにも関わらず、両親に黙ってくれているのだ。

 

 詳細を語ると、普段であれば神棚にて、厳重に保管してある御神体。

 その日、俺は新魔術の研究に行き詰まっていたことから、癒しを求めてロキシーの存在を渇望する余り、使()()した。

 

 その後、研究作業の途中で散らかっていた部屋に御神体は埋もれ、部屋の散らかり具合を見かねて掃除にやって来たリーリャに発見されてしまったのだ。

 

 リーリャの手にあるソレの出所を問われ、素直にロキシーの物だと答えた。

 盗んだわけじゃないから、何もやましいことはないのだ。

 

 ただ、リーリャはともかく、両親はこれをどう思うのだろう?

 きっとドン引きするのではと、不安になった。

 

 ただ心の支えだという事実だけは、彼女も理解してくれたようで、無言で返却してくれた。

 パウロ達にも内緒にしてくれたようで、事なきを得たわけだ。

 

 だから俺はリーリャを見捨てない。

 恩を返したいからだ。

 

 いいや、もうひとつ理由がある。

 

  取り零しの無いよう、命を救済すること──。

 

 以前、俺が抱いた目標だ。

 その対象には、これから生まれてくるであろう赤ちゃんも含まれるのだ。

 

 

「リーリャは家族です。家族なのにバラバラになるなんて嫌ですよ……」

 

「ルディ……。お母さんもそんなつもりは……」

 

 

 ゼニスはハッとした顔でオレの言葉に耳を傾ける。

 リーリャもまた、意外そうな顔でこちらを見つめていた。

 

 

「私はリーリャの居ない家なんて想像したくもありません」

 

「それは……。同じ気持ちだけれど……」

 

「母さまの本当の気持ちを話してください。許せない気持ちも理解できます」

 

 スラスラと口から出る説得の言葉。

 ここまで饒舌なのは、俺がそれほどまでにリーリャに恩を感じている証拠か。

 

 

「母さまはどうしたいのですか? リーリャのこと、大好きなんでしょう?」

 

「好きよ……、でも、だって……」

 

 

 もう一押し──。

 

 

「私はリーリャのことが大好きです。お腹の子も楽しみにしています。そんな私から……2人を取り上げるおつもりですか?」

 

「ち、違うのルディ! お母さん、そんなつもりじゃなくてっ!」

 

 

 もう十分なんだろうが、保険として、もう一捻り加える。

 

 

「実はですね、いつかの晩。父さまが、リーリャを脅迫している場面を見てしまいました」

 

「それ、詳しく」

 

 

お、食いついてきたな。

 

 

「詳しいこと私にもさっぱり。ですがリーリャの弱味を握っているように聞こえました。バラされたくなければ、股を開けとかなんとか」

 

「ちょっとあなた! 娘になんて事を聞かせてるのよ!」

 

 

 激昂したゼニスは、しょぼくれているパウロの頬を打った。

 本日2度目のビンタである。

 今やパウロの両頬には手の平の跡が紅く浮かんでいた。

 

 で、パウロの様子は……。

 身に覚えの無い証言に困惑しつつも、何かしらの決心をしたようで──。

 

 

「バレちまったもんは仕方がねぇ! そうだ、オレはリーリャを脅して無理やり抱いた。何か文句があるか? なぁ、ゼニスよ」

 

 

 なんと、俺の偽証に乗っかってきた。

 これは好都合。

 後はパウロに任せて、成り行きを見守るとしよう。

 

 

「オレは()()()家の籍を捨てたが、元来女好きの一族の血を引いてんだ。色々と溜まってたんでな。手近な所にリーリャが居たから、美味しく戴いてやったんだ」

 

 

 演技なのは分かるが、ちょいとヒドイ物言いじゃないか?

 まあ、これくらい言わないとゼニスを誤魔化せないか。

 

 

「最低……」

 

 

 一呼吸置いてから──。

 ゼニスの拳がパウロの鼻先にめり込んだ。

 見事なグーパンを受けて仰け反ったパウロは、鼻血を噴き出しながら昏倒する。

 

 

 哀れ、パウロ。

 そして嘘ついちゃってゴメンね?

 

 

「ごめんね、リーリャ! 私ったら事情も知らずに貴女を追い詰めてしまって」

 

「そ、そんな……。旦那様は何も悪くなくて、その……奥様は被害者なのです」

 

「こんな男、庇うことないのよ。安心なさいね、貴女はずっとここに居なさい。子どもをきちんと生んで育てなさい! これは雇い主としての命令よ!」

 

「奥様……」

 

 おぉ!

 懐が深いぜ、俺のママは!

 

 

 リーリャは涙ぐみ、ゼニスに抱き締められていた。

 やっぱり2人の関係は、こうでなくては。

 

 床で伸びているパウロを置き去りにして、事後処理はトントン拍子で進行していく。

 リーリャの雇用は継続。

 子どもは、我が家の子として育てることに決まった。

 養育費もグレイラット家持ちだ。

 

 最終的に、リーリャはパウロ・グレイラットの第二婦人として対外的には扱われることになった。

 

 リーリャ・グレイラット──。

 

 名実共に、今日この日にリーリャは俺の家族になったのだ。

 

 やったね、ママがもう1人増えたよ!

 

 

 

 

 

 そして後日談。

 妊婦を2人抱えたグレイラット家。

 母体に負担をかけるのは不味いので、俺が家事を手伝うと申し出た。

 

 シルフィとの時間を削る必要があった為、上級魔術の指導は、しばらくお預けとなる。

 本人には承諾を取れたが、そこだけは彼女に申し訳ない。

 後日、何かしらの埋め合わせをしないと。

 

 それと、パウロの発言は口からで任せであることを、ゼニスはちゃんと理解していた。

 それとなく言質は取っておいたのだ。

 

 あの場では、パウロだけでなくゼニスも演技していた。

 というのもゼニスも、リーリャを許す為の口実が欲しかったのだろう。

 そこに俺の機転と、パウロの男気ある行動。

 彼女にとっても願ってもない話だっただろう。

 

 父と娘の絆が織り成した奇跡だ。

 

 その後の数ヶ月は忙しかった。

 家事を手伝うと言い出したのは自分だが、不慣れな為か、あまり要領よくはこなせなかった。

 時間の経過でマシにはなってきたが、身重なリーリャにフォローしてもらったりと、俺は半端者。

 

 ゼニスにも結局、『貴女にも出来ない事ってあるのね?』なんて言われたよ。

 以前、料理を習った際にも、失敗ばかり重ねていたことから分かるように、基本的に俺は不器用なのだ。

 

 そして迎えたゼニスの出産日。

 お腹の子が逆子であると発覚し、急遽、村に住む婆さんに応援を要請した。

 

 俺とリーリャもサポートし、どうにか元気な赤ちゃんが生まれた。

 性別は女の子で、グレイラット家の第2子にして次女だった。

 

 その後、状況も冷めやらぬ中、今度はリーリャが産気付いてしまった。

 いわゆる早産である。

 

 場は騒然としたが、家長であるパウロが率先して動いた。

 リーリャを抱えて別室のベッドへ横たえると、村の婆さんや俺に指示を出した。

 出産に関しては門外漢のパウロだったが、俺の生まれた時と、先ほどのゼニスの出産で慣れたらしい。

 

 魔術で産湯を作ったり、体力の消耗の激しいリーリャへ治癒魔術を施したり。

 俺にやれることはなんでもやった。

 

 出産の痛みに耐えるリーリャの手を握ってあげると、彼女は苦しいだろうに、必死に俺へ笑顔を向けてきた。

 こんな時にまで気丈に振る舞わなくても良いのに。

 

 

「リーリャさん、頑張って! もう少しで生まれますから!」

 

「ルー……ディア……おじょ……うさま……。そばに……」

 

「はい! 私はここに居ますから! だからファイトです!」

 

 

 いま出来ることは元気付けること。

 握った手を介して常時、ヒーリングを発動する。

 

 やがてリーリャは痛みを堪えきって──。

 

 グレイラット家の第3子である三女が誕生したのだ。

 

 1日に2人も妹が増え、一気に我が家は賑やかになる。

 家族の男女比率も更に偏って、パウロの立場も落ちてしまった。

 浮気をした男のレッテルを貼られ、前以上にゼニスに尻に敷かれている。

 

 紆余曲折を経て生まれてきてくれた妹たち。

 名前は? と、ゼニスとリーリャに聞いてみたところ、どうもまだ決めかねているらしい。

 

 というのも、妹たちの名前を俺に決めて欲しいそうだ。

 此度の騒動を丸く収めた最大の功労者として俺を扱っているのだとか。

 

 そういうわけで命名権を譲られた俺は、妹たちの名付け親という栄誉を得る。

 

 

「ルディ、貴女が決めてちょうだい。この子もきっと喜ぶと思うの」

 

「そうですねぇ、迷います」

 

 

 数分悩んで思い浮かんだ名前をゼニスの娘に与える。

 

 

「ノルン──というのはいかがでしょう」

 

「ノルン! 良い名前ね!」

 

 

 次女:ノルン・グレイラット──

 

 

 そして次はリーリャの子。

 

 

「ルーディアお嬢様。貴女にこそ、この子の名前を戴きたく存じます」

 

「はい、では──」

 

 

 また考える。

 大切な妹の名前だ。

 それこそ一生を左右するほどで、責任重大。

 考えに考えた末に……。

 

「アイシャ──なんてどうでしょう」

 

「素晴らしい名です、頂戴いたします」

 

 

 三女:アイシャ・グレイラット──

 

 

 ノルンとアイシャ。

 俺の名付けた妹が2人、こうして生まれた。

 

 一時は家庭崩壊寸前まで陥ったが、最終的には家族の結束は強まった。

 家族も増え、これから増々賑やかな生活が待っていることだろう。

 

 そうだ、シルフィにも抱っことかさせてやろう。

 彼女は一人っ子だから、きっと喜んでくれるハズだ。

 

 それに色々と、妹たちとやりたいことが思い浮かぶ。

 いっしょに遊んだり、おやつを食べたり、魔術も教えてやりたい。

 

 さあ、明日からどんな毎日が待っているだろうか?



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10話 誘拐、そして父の勇姿

 生まれてきたノルンとアイシャの世話をしている内に、俺は7歳になっていた。

 前世であれば小学校に通い始める時期だが、この国には義務教育なんて無い。

 

 尤も、この村で暮らす分には不足はない。

 読み書きや算術なら、既に十二分に身に付いている。

 

 というか、そもそもブエナ村にはまともな学校が無いのだ。

 通うとすれば、ロアの町まで行かなきゃならん。

 

 さすがに妹が生まれたばかりの時期に、この家を離れたくないしな。

 いまは進学とかは視野に入れていない。

 

 さて、幼い妹たちについての細やかな出来事を語るとしよう。

 ノルンもアイシャも、やたらに泣く。

 朝も昼も夜も、時間帯を問わずだ。

 

 その度にゼニスとリーリャが出動し、2人が手を離せない時は俺が、あやしてやった。

 抱っこして揺りかごのように、ゆっくりと揺らしてやるとすぐに泣き止んだ。

 

 お陰で抱っこを止めようとすると、またグズリ出す様になってしまったのは失敗だ。

 抱っこ癖がついたらしい。

 

 とまあ、俺自身が妹たちの可愛さに魅了されて、ゾッコンということも関係している。

 いや、マジで天使だよ。

 ノルンとアイシャは。

 

 で、抱っこしている際に、妹たちは俺の平らな胸を小さな手で無遠慮にも撫でてくる。

 まだ幼女の粋を出ない姉のおっぱいに興味をお持ちのようだ。

 

 惜しむらくは揉める程度の膨らみが無いことだ。

 一般的に二次性徴を迎え、乳房が膨らみ始めるのは早くて9~10歳頃。

 

 すまんな、ノルンにアイシャ。

 早くてもう2年の辛抱だ。

 なにゆえ、妹におっぱいを揉まれる前提で構えているのか、我ながら甚だ疑問である。

 

 なんであれグレイラット家は順調に回っている。

 シルフィも最近は午前中でも入り浸るようになって、ノルンとアイシャとも交流を重ねていた。

 

 嬉しそうに抱っこしていた姿が印象的だ。

 父親の種族柄、子どもが出来にくいそうで、シルフィは兄弟に飢えていたからな。

 うちの天使ちゃん達を存分に堪能してもらおう。

 

 話は変わるが、シルフィには読み書き及び算術を、魔術同様に教えている。

 ブエナ村基準で大人顔負けのレベル。

 

 ゆえに俺もシルフィも、特に学校へ通う必要は無いのだが──。

 パウロとロールズの間で何か話し合いがあったようで、もう数年したら1度くらいは、ブエナ村からロアの街の学校へ通ってはどうかと提案された。

 

 俺とシルフィの2人に対して、世間の事をもっと知るべきだろう、という話らしい。

 

 具体的な年齢としては12歳くらい。

 パウロが実家を飛び出した当時の年齢が、12歳という理由から決められた。

 

 ていうか、パウロは血筋だけなら上流で、アスラ王国有数の貴族の人間らしい。

 ノトス家と言ったか。

 

 つまりパウロの本名は『パウロ・ノトス・グレイラット』っていうわけだ。

 

 で、ゼニスの方も貴族の家出身。

 ミリス神聖国のラトレイア伯爵家の三女とのこと。

 

 って、こたぁ……。

 俺も血筋で考えるのなら、貴族としての地位を得られるのでは?

 まあ、男子として生まれていないので、微妙なところだが、政略結婚の道具としての価値はありそうだ。

 

 いや、男に嫁いだりはしないけどね。

 

 しかし、ノトス家出身のパウロがなぜ、ボレアス家の治めるフィットア領で辺境とはいえ駐在騎士を担っているのか。

 その疑問は割りと簡単に解消される。

 

 かつて冒険者だった頃のパウロは、ゼニスを孕ませてしまい、今後の生活も考慮して引退を決意。

 安定した生活を求めて、母方の伯父でボレアス家の当主であるサウロス氏を頼ったらしい。

 

 実家のノトス家とは縁が切れていたことから、援助先はボレアス家一択だったのだろう。

 実際には、パウロへブエナ村の仕事を斡旋したのは、従兄弟のフィリップ氏とのこと。

 

 そして着任したブエナ村の駐在騎士。

 間もなく生まれたルーディアちゃん()──。

 

 名前しか知らない親戚に感謝しよう。

 お陰さまで俺は生まれる事が出来たし、ノルンとアイシャも生まれた。

 

 ロアの街へ進学した際は、ぜひ挨拶に伺おう。

 

 

 

 

 将来を見据えて様々な事柄を考えていると──。

 

 

「よぉ、ルディ。お前に手紙が来てるぞ」

 

 

 という、パウロからの報せ。

 受け取った手紙の差出人を確認する。

 

 

「うおぉ! ロキシーからだぁ!」

 

 

 敬愛なる師匠ロキシーからのお便りだった。

 俺の舞い上がり様にドン引きするパウロを尻目に、内容に目を通す。

 

 要約すると──。

 

『中央大陸南部の東方にあるシーローン王国にて、王族の子息の家庭教師をしていること』

 

『水王級魔術師になったこと』

 

『冒険者として迷宮を踏破したこと』

 

 以上の事が記されていた。

 

 そうか、ロキシーは別れ際に魔術の腕を磨くと話していたが、有言実行したのか。

 俺も新魔術の開発の方が、割と順調なので、お互いの成長を喜ぶ。

 

 ちなみに最近開発した魔術は2種類。

 

昏睡(デッドスリープ)』と『地帯治癒(エリアヒーリング)』だ。

 

 前者は以前、説明済み。

 では後者の『地帯治癒(エリアヒーリング)』とは、どういった魔術かと言うと。

 ランクとしては上級の扱い。

 

 効果は、一定空間をまず魔力で満たす。

 その後、指定範囲内で任意の対象に対して、初級~上級までの治癒魔術を発動。

 複数対象の指定も可能といったものだ。

 

 うーん、これはチート級の魔術っすね。

 ただ欠点が有る。

 

 術の発動条件としてまず無詠唱である必要が有るのだが、複数人に治癒を掛ける際の消費魔力が大きい。

 その上、対象によって怪我の状態が違うから、治癒内容ごとの魔力の制御にも神経を使う。

 

 現状の俺の力量じゃ、戦闘中にはとてもではないが使えない。

 魔術自体は完成しても、肝心の術者たる俺が未熟なのだ。

 追々、使いこなせるように鍛練を欠かさないでおこう。

 

 あぁ、忘れちゃならない魔術がもう一つ。

 

自動治癒(オートヒーリング)』である。

 

 これまで無意識に発動していたこの技能を、理論化した魔術へと仕上げたのだ。

 常時、体内にて魔力を巡らせることで、負傷の都度、自動回復するといった効果。

 切り傷や刺し傷、骨折程度であれば即時回復。

 さすがに手足の切断までは対応していない。

 

 そこまでいけば、普通に上級魔術で治療すべきだろう。

 しかし、ゆくゆくは肉体欠損についても対応化したいものだ、

 

 というわけで、俺もロキシーに返信しよう。

 近況を記しておく。

 

『治癒魔術の方面で魔術の腕を伸ばし始めたこと』

 

『妹が2人、生まれたこと』

 

『シルフィという弟子が出来たこと』

 

 大きな出来事と言えばこのくらいか。

 手紙の最後に一つ書き加えておく。

 

『追伸:先生がお忘れのパンツを預かっています』

 

 なんて風にね。

 

 

 

 

 

 ──ロキシーからの手紙に喜んだ晩。

 

 自室にこもって今晩も魔術の研究に没頭する。

 時間帯的には深夜を回り、徹夜中である。

 

 魔術の探求は楽しい。

 理解すればするほどに、やれる事が増えていくんだからな。

 

 と、夜更しは美容の大敵と言うし、適当なところで切り上げて就寝に移る。

 一晩中、頭を使っていたので意識が徐々に遠のくのを感じる。

 

 もう数秒もすれば眠りに落ちる──。

 

 そんな無防備な瞬間を狙って……。

 

 ─奴はやって来た─

 

 物音がした。

 窓辺からだ。

 

 暗闇に浮かぶ人影を視認。

 背は高いが、細身。

 パウロかと一瞬思ったが、彼が窓から部屋に入って来るわけがない。

 

 身を起こして警戒する。

 寝巻きだから動きづらいが、魔術くらいは使える。

 

 掌を前に出して、人影に警告する。

 

 

「こちらに近づかないでください……! 私は魔術が使えるんですよ!」

 

 

 返事は無しで、沈黙だ。

 けれど着実に距離を詰めてくる。

 

「だからっ! 近づくなって言ってんだろっ!」

 

 

 言葉を荒らげ、語調を強めるが効果なし。

 こいつは……何者だ?

 

 

「抵抗してくれるなよ……。じゃねぇと、この家の人間は皆殺しだ」

 

 

 ついに奴は口を開いた。

 成人した男の声である。

 抵抗するなと言ったからには、俺の身柄の拘束が目的なのだろうか?

 

 いや、まずはパウロに助けを求めるべきか。

 

 

「父さま! たすけっ……ぐぇっ……!」

 

 

 奴の身体がぶれた。

 目にも留まらぬ速度を体現した挙動。

 

 抵抗する間もなく、腹部に拳を打ち込まれ酸欠へと陥る。

 くそっ、視界がぼやける。

 『自動治癒(オートヒーリング)』は外傷にしか効かないから、気絶してしまう。

 

 急速に足から力が抜けてゆき、床に俺の身は崩れた。

 男は……俺の身体を荒っぽく肩に担ぐ。

 

 程なくして、意識を手離した──。

 

 

 

 

 

 どれだけの時間が過ぎたのだろうか?

 定期的に訪れる振動で眼が覚める。

 馬車にでも乗せられているのか?

 

 身体は……動かない。

 ロープと猿ぐつわで拘束されているらしい。

 

 魔術を使えば拘束から抜けることは容易い。

 が、自由になったからと言って、俺を誘拐した男が近くに居るだろう。

 再度、腹パンで気絶させられるオチが目に見えている。

 

 状況を確認しよう。

 

 俺は何者かに襲撃され、グレイラット邸から誘拐された。

 現在は拘束された上で、幌馬車(ほろばしゃ)でどこかへ移送中。

 

 しかし、何が目的だ?

 こんな片田舎に態々人攫いに来る理由でもあるのだろうか?

 

 皆目検討もつかない。

 

 

「よお、嬢ちゃん。目が醒めたようだな」

 

 

「んー! んー!」

 

 

 猿ぐつわで喋れない。

 やむを得ず、そばに居た男の言葉に耳を傾け、聞き手に徹する。

 

 

「突然で驚いたよなぁ? だが安心しろ。これから嬢ちゃんは、変態貴族に売り飛ばされんだからな」

 

「ん、んんー……!」

 

 

 なんかサラっと、とんでもない事を言わなかったか?

 

 何だって?

 変態貴族に売り飛ばすだと!

 

 

「辺境のド田舎に高貴な血を引く娘が居るって、巷じゃ噂が流れていてな。だが、そんな田舎のガキを連れ去ったところで、そう騒ぎにはならない」

 

 

 どこでそんな噂が流れたのか。

 もしやオレは悪目立ちしていたのだろうか。

 客観視すれば、弱冠7歳にして水聖級魔術師にして、他の系統の上級魔術までを無詠唱で繰り出す天才児だ。

 

 そりゃあ、噂にもなる。

 村に出入りしている商人を通じて、外部へも噂が広まったと考えるのが自然だ。

 

 そして素性を調査され、親の経歴も洗われた。

 見た目も麗しいことから、どこぞの変態貴族の琴線に触れ、金目当ての人攫いに狙われたと……。

 

 動機としては十分だ。

 しかし俺にとっては不条理極まりない仕打ち。

 

 

「悪いが嬢ちゃんには商品になってもらう。貴族様はお前に金貨2千枚も出すと(おっしゃ)いだ」

 

 

 おい、おい?

 これは本気的にマズくないか?

 俺、マジで売り飛ばされちまのか?

 

 い、嫌だ。

 エロゲーじゃないんだ、凌辱プレイなんてごめん被る。

 

 必死に活路を模索する。

 数は分からないが、目の前の男にはたぶん仲間が居る。

 運良く、この男を倒せたとしよう。

 そうするだけの手段はあるのだ。

 

 しかし、異変を察知した他の奴らに数の暴力で攻められたら、勝てる保証は無い。

 

 それに俺は、この世界に生まれてから1度たりとも命の取り合いなんて経験していない。

 争い事と言えば、ソマル坊たちとのガキの喧嘩くらいなものだ。

 

 じゃあ、負けてしまう。

 詰んでいるのかと、気落ちしてしまった。

 

 だけど俺とて、ここで黙って拐われるつもりは無い。

 両親から貰ったこの身体を、変態貴族に弄ばれる気など毛頭無いのだ。

 

 せめてもの抵抗を試みる。

 

 というわけで、後ろ手に固く結ばれたロープを火魔術で焼き切る。

 幸い、背中側の様子は見えちゃいない。

 

 大丈夫、バレていない。

 男の目を盗んで隙を窺う。

 ふと、視線を反らした瞬間──。

 

 『昏睡(デッドスリープ)』をお見舞いしてやる。

 

 指先から放たれた赤っぽい球体が、男の体表に触れると、音も無く意識を刈り取った。

 よーし、誰にも悟られていない。

 

 幸先の良さに希望を見出だした。

 これ、もしかしたら助かるんじゃね?

 

 家では腹パンで即オチしたが、入念に準備をすれば勝ち目だってある。

 安堵の心境で、馬車から脱するべく、猿ぐつわを外してから(ほろ)の外の様子を覗いてみた。

 

 馬車を取り囲むように数頭の馬に跨がった男たち。

 腰に剣を差していることから剣士か?

 

 粗野な印象を受ける外見で威圧的。

 そこいらの子どもなら、見ただけでチビってしまうことだろう。

 

 困ったな、この数じゃ逃亡を許してもらえん。

 一旦、幌の中へと引っ込む。

 

 しかしどうしたもんか。

 このまま見知らぬ土地に連れてかれちゃあ、帰るのもままならない。

 

 まずお金を所持してないから乗合馬車も使えない。

 次に土地勘が無い。

 最後に、売り飛ばされちまったら、監禁されて尚更逃げ出すことが困難になる。

 

 逃げるなら今しか無いのだ。

 チャンスは1度だけ。

 この世界の過酷さを痛感する。

 

 よし!

 覚悟を決めろよ、ルーディア。

 やらなきゃ地獄を見るのは自分だ。

 

 震える膝を叩いて恐怖心を押さえつける。

 俺はやれば出来る人間だ。

 そう自己暗示して行動を開始する。

 

 3・2・1のカウント後、勢いをつけて帆馬車から飛び降りた。

 

 

「このガキっ……! おい、コイツ、逃げ出したぞ! 無詠唱魔術に警戒しろ!」

 

 

 当然、察知される。

 そんなことは織り込み済み。

 戦闘経験なんて皆無だが、無詠唱魔術という特級の武器を持っている。

 

 手当たり次第、撃てるだけの『昏睡(デッドスリープ)』を周囲へと暴れ撃ちした。

 

 が……、馬から飛び降りた剣士たちは、俺の魔術を視認してから避けた!

 

 なんつー動体視力をしてるんだよ、この世界の剣士は。

 

 呆気に取られつつも、抵抗は止めない。

 剣を抜いた男たちに備えて、土系統魔術『土壁(アースウォール)』で、壁を地面から生やした。

 

 

 奴らから俺の姿が遮られる。

 今の内に次の魔術の発動準備に入るが──。

 

 ザンッ、という音と同時に土壁が両断された。

 

 は?

 剣士ってのは、こんな馬鹿げた真似を平然とやっちゃうのかよ!

 

 

「俺たちを甘く見るなよ、クソガキ。北神流の上級剣士1人、それに中級剣士2人から逃げられるとは思わねぇことだ」

 

「くっ……」

 

 

 北神流の剣士だったのか……。

 しかも上級剣士がリーダー格で、中級剣士2人を従えている。

 

 

 

「手足の1本、切り落としても構わねぇ。噂じゃ、自分で治せるって話だしな」

 

 

 治せても痛いんですよ?

 

 さて痛いのは嫌だ。

 じゃあ頑張れよ、俺。

 

 やけっぱちになりながらも、中級水魔術『氷柱(アイスピラー)』を発動。

 太めの氷の柱で奴らを牽制する。

 

 しかし、それも数秒と経たずに剣を振っただけで砕かれる。

 くそぅ、闘気ってのは魔術師特攻でも持っているのか?

 

 そもそも魔術師は剣士に対して近接戦は圧倒的に不利なのだろう。

 何よりも剣士は速い。

 そして闘気によって底上げされた身体能力による力押し。

 

 うん、シンプルに強いわ。

 

 勝ち目が薄い……。

 そう認識すると急に身体の動きが鈍くなる。

 気がつけば俺の両側に男たちが居て、2人ががりで両腕を掴まれ、地面に膝をつかされる。

 

 

「ちっと大人しくしてもらう為に腕を1本、落とさせてもらうぞ」

 

 

 いや、マジで勘弁してくれ!

 

 冗談抜きにして人生最大の危機だ。

 そして目の前の男は本気でやるつもりだ。

 眼が……イっちまってる。

 

 

「さあ死ぬんじゃあねぇぞ?」

 

「ゆ、許してください……! もう暴れませんからっ!」

 

「許してだあ? 別に俺らは許すつもりねぇんだがな」

 

 

 ダメだ、聞く耳も持たない。

 

 万事休すか?

 

 諦めかけ、迫る傷みに備える。

 こんな事なら、痛覚を遮断する魔術を開発すべきだったと悔いる。

 

 そして上級剣士の男が長剣を振りかぶり──。

 

 

「がああああっ……!」

 

 

 悲鳴が上がった。

 そして血が噴き出す。

 シャワーのよう流れるソレは、生命の流出を感じさせる。

 

 腕を断ち切られた()()()()()は、白眼を剥いて腕ごと剣を取り落とした。

 

 

「え……?」

 

 

 いま、何が起きた……?

 

 次に気づく。

 両脇の男たちの首がハネられ、地面に転がっていることに。

 

 キョロキョロと周囲を見回して俺は──。

 

 希望を視た──。

 

 

「すまん、ルディ! 助けに来るのが遅れちまって!」

 

 

 パウロが居た。

 俺の父親で、娘たちに気に入られようと日々、バカな事を積み重ねる男が。

 

 けれど今のパウロは、どうしようもなく──。

 

 カッコいい……。

 

 

「と、父さま……」

 

 

 正直、惚れた。

 親子じゃなきゃ、完全に惚れてたね。

 そのくらい、今のパウロは父親として勇ましかった。

 

 

「ぐっ、くそがぁっ! ヴェインの野郎! ガキを連れ出すのに気付かれてんじゃねぇよっ!」

 

 

 隻腕となった上級剣士が叫ぶ。

 ヴェインというのは俺を連れ去った男の名前だろうか。

 

 パウロは俺の叫び声に目を覚ました?

 

 そうか、俺の声はちゃんと届いていたのだ──。

 

 近くにはカラヴァッジョが居た。

 馬の準備に手間取って、遅れたのだろう。

 

 だけど間に合った。

 俺の腕は健在である。

 

 

「もう大丈夫だ。あとは父さんに任せろ」

 

「はい……。父さまも頑張って」

 

「おう!」

 

 

 子を不安にさせまいと無邪気な笑みを浮かべる。

 やがて一転、上級剣士に顔を向けると殺気を殺到させる。

 

 

「てめぇ、オレの娘に手ぇ出して、生きて帰れると思うなよ?」

 

 

「くそっ、冗談じゃねぇ! 黒狼の牙のパウロ・グレイラットとやり合うつもりなんざねぇってのによぉっ……!」

 

 

 唾を飛ばし発狂する男は、パウロを恐れているらしい。

 あぁ、そうだ。

 パウロは実力者だ、相当な手練れだ。

 

 三大剣術の全てで上級の腕前。

 対して敵は北神流のみ上級。

 

 つまりパウロが格上だ。

 

 

「誰の差し金だ? 口を割らないってんなら、お前の命は一秒後に終わる」

 

「……言えねぇ。言えば俺は消されちまう……」

 

「そうか……。じゃあ、オレが今ここで消してやろうか?」

 

 

 圧倒的強者の発言と佇まい。

 父親の偉大さを改めて知る。

 

 

「じゃあな、あの世でオレの子に手を出した事を侘び続けやがれ」

 

「……このまま死んでたまるかよっ……!」

 

 

 男は反撃に出た。

 残る片腕で剣を拾い、パウロへと突貫する。

 

 だがパウロは顔色一つ変えず冷静に対処した。

 出遅れこそしたものの、不利を覆してみせる。

 

 地面を蹴り、一歩分だけ後退する。

 その簡素な動作だけで剣の軌道から逃れた。

 

 攻守交代、次はパウロが仕留めに掛かる。

 風切り音すら聞こえない高速で振り抜かれた剣。

 視認なんて出来やしないが、その型の動きを俺は知っていた。

 

 疾風が吹く、否、パウロだ。

 彼の身体は速度を増して、目の前の男に斬撃を与えた。

 

 

『剣神流奥義・無音の太刀』

 

 

 彼が日々の鍛練で腕が錆びぬよう磨き続けた奥義。

 

 その技は剣神流としての極致には届かないまでも、一流の剣士として、たしかな技の研鑽の証を見せつけた。

 

 そうだ、パウロは強い。

 俺にとっては世界一強い父親なのだ。

 

 そして男は首を落とされ、背中から倒れる。

 パウロの完勝だ。

 メチャクチャ強いし、メチャクチャ速い。

 語彙力に乏しいから的確な表現は出来ないが、とにかくパウロの勇姿を俺は目の当たりした。

 

 

 

「父さま、強い……」

 

「親ってのはよ、子の為になら、どんだけでも強くなれるんだ。どうだ、ルディ! オレに惚れたか?」

 

「とっくに惚れていますよ。それに、お見それしました。今更になって、父さまの強さを認識するなんて」

 

「以前、シルフィを家に連れてきた時によぉ、オレの鍛練を見ていくのを断っただろ? 結構、根に持ってたんだぜ。でもまぁ、今ので父親としての威厳を見せられたよな」

 

 

 首肯する。

 もう尊敬しか出来んよ。

 

 

「さて、馬車ん中にもう1人居たよな? じきに近隣の街から衛兵が来る。引き渡して洗いざらい吐いてもらおう。裏で糸を引いてやがった野郎をとっちめねぇとな」

 

 

 ちなみに御者は既にパウロが斬り殺していた。

 生き残りは俺が魔術で気絶させた1人のみだ。

 

 

「あれ? すみません、私、力が抜けちゃって動けません……」

 

「怪我は無いんだよな? となると……」

 

 

 きっとパウロの想像通りだ。

 俺は初めて人が死ぬ瞬間を見た。

 

 自分が死んだ事はあっても、それでも他人の死は初めてなのだ。

 

 状況も落ち着いて来て理解した。

 俺は生き死にの瀬戸際に立っていたのだと。

 

 パウロがこうして救出に来てくれなければ、変態貴族によって性奴隷の身に落とされ、やがて命を落としていた。

 

 かくも儚い命だ。

 怖い、怖かった。

 

 色々な感情が湧き上がってガタガタと震えだす。

 

 

「ルディ、怖かったよな……」

 

「はい。でも父さまが、助けてくれましたから」

 

「こういう時は泣いても良いんだ。胸なら貸してやるから」

 

 

 そう言って片膝を地面につけて、両腕を広げるパウロ。

 涙腺の決壊した俺は、嗚咽を漏らしながら飛び込んだ。

 

 

「こわかったよぉ、父さま……」

 

 

 泣くのは久しぶりだ。

 記憶にある限り、ロキシーと別れた時以来だ。

 

 でも別れの悲しみと、死への恐れという感情は別物だ。

 こんな涙なんて流したくはない。

 

 

 

 

 

 その後、人攫いの生き残りは連行されていった。

 

 後日、証言の為に街へ出頭した。

 しかし、俺の誘拐を指示した人間は不明のままで、分からずじまい。

 憤慨するパウロだが、話にならないと言って、一緒にブエナ村へ帰った。

 

 俺も釈然とせん。

 また似たような被害に遭うケースだって否定出来ないのだ。

 

 帰宅後、大変な騒ぎだったぜ。

 特にゼニスの取り乱し様は、三日三晩、尾を引く形だ。

 常に俺に張りついて、事あるごとに『大丈夫?』なんて聞いてきたよ。

 

 実際のところ、あまり大丈夫じゃない。

 まったく……、自分の弱さを知る体験だったな。

 

 で、その後しばらくして──。

 

 

「ルディ、お前をフィットア領主のサウロスの叔父上のところへ預けることになった」

 

 

 そんな宣告を俺はパウロから受けたのだ。



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11話 旅立ちの時

 パウロから受けた宣告は、まさに青天の霹靂ってやつだった。

 予想外の言葉に口をポカーンと開けたまま、数秒ほど固まってしまう。

 

 

「どういうおつもりですか、父さま……」

 

「それなんだがなぁ……。母さんとも良く話し合って決めたことなんだ。念のために言っておくと、これはお前の身を案じての決断だ」

 

「分かりませんね……」

 

 

 なぜ俺をグレイラット家から突き放そうとするのか。

 何か気に障るような事をしたのか。

 

 フィットア領主のサウロス氏の下へ俺を預けると、彼は言った。

 苦渋の決断といった感じの辛そうな顔ではあったことから、本心では気乗りしないのだろう。

 でも俺の為ではあるらしい。

 

 とはいえ、納得のいく回答が欲しいものだ。

 

 

「おそらく、今回の件で糸を引いていた奴は、まだ諦めちゃいない」

 

「でしょうね」

 

「先日は運良く間に合ったが、この先……。ノルンとアイシャも抱えた状況で、お前を守り切れる自信が正直なところ無いんだ」

 

 

 なるほど、パウロは強いが1人の人間に守れる者の数には限界がある。

 俺も妹たちを巻き添えにはしたくない。

 

 でも、いざその事実を父親から告げられると悲しい。

 愛されていないわけじゃない。

 見捨てられたわけでもない。

 

 しかし、俺は家族と離ればなれになる事を強いられるのだ。

 これほど悲しいことはないだろう。

 時期も悪い。

 

 せっかくノルンとアイシャに懐かれ、シルフィの授業も再開しようというタイミング。

 ゼニスにもリーリャにもまだ甘えたい。

 

 だから俺は、大好きなハズの父親へ強く当たってしまう。

 

 

「はっ! 私が弱いから愛想を尽かしたんでしょう?」

 

「違うっ……! オレはお前が生まれた時から、いまこの瞬間まで愛しているっ……!」

 

「だったらなぜ、最後まで私を守ってくれないんですか! ちょっと焦ったからって、無責任に他所へ預けないでくださいよ!」

 

「落ち着けよ。オレにも考えが有ってのことなんだ」

 

「どうだか……。あぁ、ノルンとアイシャたちの方が可愛いから、私は要らなくなったんですね?」

 

 

 くそっ……。

 こんな事、言いたくねぇのに止まらない。

 自分の意思に反して、パウロへの罵倒が続く。

 

「見損ないましたよ、父さま。私が憧れた父親なんて、どこにも居なかったんだ……」

 

「ルディ……。頼む、オレのことを信じてくれ。お前の為ってのは本当なんだ」

 

 

 信じているさ。

 パウロは決して俺を裏切らないだろう。

 ゆえにいま取れる最善の選択をしたにすぎない。

 

 俺の精神が幼稚だから駄々をこね続け、父親を困らせているのだ。

 

 

「あーあ、どうして私はこの家に生まれたんでしょうね?」

 

 

 俺にとっては何気ない一言のつもりだった。

 でも父親にとっては決定的な一言だった。

 

 

「…………ルディ、オレがどうしようもなくダメな父親だってのは自覚してる。でもよぉ……そんな事をお前の口から言わないでくれ……」

 

 

 心底、悲し気な眼をしていた。

 普通の親なら怒号を上げて叱りつけるだろう場面で、パウロはただひたすらに泣きそうな顔をしていたのだ。

 

 

「あ、……ちが、……」

 

 

 俺は失言に気付く。

 金魚のように口をパクパクとさせて、それ以上、喋る事が叶わない。

 あぁ、殺してしまいたい程に自分が憎らしい。

 

 

「いや、お前も本心で言ってるわけじゃねえって分かってる」

 

 

 だがパウロは親として子の心などお見通しだったようで、理解を示した。

 

 

「ルディが一番ツラいんだ。こんな思いをさせちまうことを親として申し訳なく思う」

 

 

 彼は頭を下げた。

 俺が散々、悪く言ったというのに……。

 

 

「ごめんなさい、父さま。取り乱してしまって……」

 

「いや、こっちこそ悪かった。いきなり他所へ預けるなんて言って、不安にさせちまった」

 

「いえ、あんな事件があったのですから。父さまなりの判断があったのでしょう」

 

 

 ぎこちないが仲直りは出来た。

 

 彼は前世の俺よりも、よっぽど大人だ。

 まだ26歳だってのに。

 

 父親としても1人の人間としても立派だ。

 頭が上がらないよ。

 

 そして、互いに息がついたところで、彼の提案の詳細を説明される。

 

 

「オレの推測なんだが──。ルディを狙っている貴族ってのは、ダリウスって男だ。ヤツには黒い噂が絶えない」

 

「どういった人物なのですか?」

 

「このアスラ王国の上級大臣だ」

 

 

 王国の中枢の人間。

 政治的権力者ってやつか。

 

 

「ヤツは今の国王を王座に就かせた立役者。国王も無下には出来んし、この国で幅を利かせてやがる」

 

「そんな貴族が私を?」

 

「あぁ、いつだったか貴族の娘が誘拐されてダリウスに売られたらしい。証拠不十分で不起訴で始末がついたがな」

 

 

 エグい話だ。

 俺は助かったが、助からなかった被害者は居るということか。

 本当に俺はギリギリだったのだと実感する。

 

 

「ヤツには私兵が多くいるし、金だってあるから、いくらでも人材を用意出来る。対してオレはそれなりに剣術が使えるとは言っても、上級剣士止まり」

 

 

 三大流派で上級ならば、総合的には更に上の実力者に思えるのだが?

 パウロにとっては不安の種のようだ。

 

 

「だから一旦、ルディをオレの叔父の下へ預けようと思う。サウロスの叔父上はこの国の大貴族で真っ直ぐな男だ」

 

「随分と買っているんですね? サウロス大叔父さまを」

 

「あぁ、叔父上は乱暴な部分が目立つが、曲がった事を嫌う。アスラ王国の大貴族だから、ダリウスもおいそれと手を出してこないだろう」

 

「なるほどですね」

 

「それに今、ボレアス家にはオレの知人が居る。剣王ギレーヌって言う女なんだがよ」

 

「強いのですか?」

 

 

 わざわざ名前を挙げたのだ。

 パウロですら認める実力者なのだろう。

 

 

「あいつはオレよりも遥かに強い。剣神流でも五指に入る剣士だ」

 

 

 剣神流自体は三大流派の中でも現代最強を謳う流派だ。

 その流派の五指に入る剣士ともなれば、先日の人攫いくらい一瞬で斬り伏せてしまうだろう。

 

 

「叔父上と剣王の庇護下で、しばらく過ごしてくれ。もちろん、迎えに行く。それまでにオレも自分を鍛え直すつもりだ。胸を張ってルディを守れるくらいにな」

 

 

 その為の時間稼ぎというわけか。

 なら俺も自衛手段を身に付けなければ。

 対剣士を想定した訓練が必要になるが、そこはギレーヌとやらに指導を申し入れよう。

 

 

「そうだな、10歳の誕生日には1度会いに行く。迎えに行けるようになるのは、もう少し先かもしれんが、祝いにくらいは行くさ」

 

「はい、待っています。父さまが強くなるのなら、私も強くなれるよう頑張りますね!」

 

「あぁ、じゃあオレとルディで競争だな!」

 

 

 競争心が刺激される。

 もはや先ほどまでの不和な空気は霧散した。

 喧嘩をするほど仲の良い親子の典型例である。

 

 感情が振り切って、パウロへ自ら抱きついてしまった。

 

 

「おいおい、ルディ! どうした、急に?」

 

「しばらく父さまに会えないから、充電中です!」

 

「じゅう……なんだって?」

 

 

 おっと、この世界には電気が存在しないから充電も通じないか。

 

 

「つまり父さまの温もりを忘れないように、今の内に甘えているんです」

 

「そーか、そーか! ならいくらでも甘えてこい!」

 

 

 娘に甘えられて嬉しいのか、パウロの顔はだらしなく緩んでいた。

 相変わらずDQN顔だが、今は愛嬌さえ覚える。

 

 

「今日だけは父さまを独り占めしちゃいます! ノルンとアイシャにだって渡しません!」

 

「……っ! はぁ……。オレの娘はなんでこんなにも可愛いんだよ」

 

 

 やっぱり俺は父親(パウロ)のことが好きだ。

 だからこの人との約束を信じよう。

 また会える日を待ち続けるのだ。

 

 

 

 

 そしてボレアス家に出発するまでの数日間を準備や別れの挨拶に()てる。

 

 まずはシルフィからだ。

 事件の影響で会うのも数日ぶりである。

 

 

「え、ルディ! どこかに行っちゃうってホントなの?」

 

「あぁ、なんか悪い奴らに狙われてるみたいでさ。父さまと私が強くなるまで、このブエナ村を離れることになったんだよ」

 

「そ、そんな……。イヤだよ! ルディが居なくなったら、ボク……、友だちが居なくなっちゃうもん!」

 

 

 うーん、迷いが生じる。

 シルフィは魔術を使えるから、もういじめられることは無い。

 けれど友だちは俺もそうだけど、たった1人だけ。

 

 村を離れるということは必然的にシルフィは独りぼっちになるのだ。

 俺も彼女は置いていきたくないし、連れていきたいと考えた。

 

 しかしそれは甘えだ。

 いつまでも誰かに寄り掛かるのは、俺とシルフィ双方にとって為にならない。

 

 であれば、心を鬼にしてでも、シルフィを置いていくしかないのだ。

 ごめんよ、シルフィ。

 

 

「いかないでよ、ルディ!」

 

 

 ドンっと衝撃を感じる。

 シルフィが抱きついたのだ。

 さながらパウロに甘える俺のような光景。

 

 

「うぇ、う、えぇぇ~ん」

 

 

 泣き出すシルフィは、不謹慎ながら可愛らしい。

 まるで俺の妹のようで愛おしくなり、背中に手を回してギュッと抱擁する。

 

 てか、シルフィって良い香りだなぁ。

 髪に顔を埋めてスーハーと深呼吸。

 

 いかんいかん、邪な感情を弟子に向けるなよ。

 

 

「いつかは戻ってくるんだ。永遠の別れってわけじゃないよ」

 

 

 まぁ、3年は確実に戻ってはこれない。

 場合によってはそれ以上の期間。

 その頃にはシルフィも俺の事など忘れて、きっと独り立ちしているだろうね。

 

 良い機会なのだ。

 シルフィは俺に依存し過ぎていた。

 俺もそんな彼女を可愛がるだけ可愛がって手放すつもりはなかった。

 

 だからパウロが与えてくれたこのチャンスを活用しよう。

 一応、シルフィも中級魔術までなら無詠唱発動可能だし、巣立ちとしても悪くはない。

 

 

「じゃあ、シルフィ。約束して欲しいことがあるんだ」

 

「ぐすっ……なあに……?」

 

「私が戻ってくるまでに上級魔術の無詠唱を身に付けること。これを約束してくれよ」

 

「出来たらまた友だちになってくれる……?」

 

「ずっと友だちだよ」

 

 

 死が2人を別つまで──。

 

 それくらい、俺は本気だった。

 そして俺の友だち(シルフィ)は、その約束を頼りに泣くことを止めた。

 

 

「じゃあ、約束を守ったら……ボクと結婚してよね?」

 

「あー……うん」

 

 

 その約束、まだ生きてたんですか?

 シルフィさん、記憶力良いのね。

 

 そうしてシルフィへの別れの挨拶を済ませた。

 

 

 

 

 

 次はゼニス──。

 

「あぁ、ルディちゃん! 可哀想な私の子! 本当に行ってしまうのね!」

 

「母さまも話し合いで決めたんですよね?」

 

「そうだけれど、それでも悲しいものは悲しいのよ!」

 

 

 シルフィ以上にスキンシップの激しい俺のママ。

 豊かなおっぱいを俺の顔に押し付けて両腕で拘束してくる。

 相変わらず柔らかくて気持ちいいわ。

 俺とノルン、2人の子を生んだとは思えないエッチな身体をしている。

 

 

「私の10歳の誕生日には母さまも来てくれますか?」

 

「当たり前じゃない! 大事な我が子の大切な日なのよ! あぁーん! もう! お母さんも付いていこうかしら!」

 

 

 愛情深い母親だこと。

 まぁ、そんなゼニスも俺は好きだよ。

 おっぱいだって大きいし。

 

 

「それは困りますね。もし母さまが一緒だったら置いていかれるノルンが悲しみます。子どもには母親が必要なんですよ」

 

「そうね、でもルディだって、まだ子どもよ」

 

「私は平気です。なんていったって2人の妹のお姉ちゃんですから」

 

「強がっちゃって、この子は……。でも、貴女は遠くに居ても私たちの子よ。それだけは忘れないでね」

 

「はい、母さま!」

 

 

 熱いキスをおでこに受ける。

 よっしゃー!

 気合い注入っと!

 

 

 

 

 

 次にリーリャ──。

 

「寂しくなってしまいます。それに、私はルーディアお嬢様に何も恩をお返し出来ておりません」

 

 

 畏まったリーリャが申し訳なさそうに視線を落とす。

 

 

「いえ、アイシャを生んでくれたことが最高の恩返しですよ。ありがとう、リーリャ!」

 

 

 あえて、さん付けはしない。

 もう他人ではなく家族なのだから。

 

 

「っ……。アイシャは必ずや、ルーディアお嬢様にお仕えさせます。貴女に救われた命、決して無駄には致しません」

 

「そんな、私に固執しなくても……。アイシャには自由にさせてあげてください」

 

「お嬢様の意見とはいえ、そのような……」

 

 

 意地でも退く気はないらしい。

 まぁ、仮にアイシャが将来、俺に仕えたいというのなら、待遇については良くしてやろう。

 

 

「では、私の居ない間、父さまと母さまをよろしくお願いしますね」

 

「はっ! このリーリャ、謹んで拝命いたします!」

 

 

 膝をつき、胸に手を当てて誓うリーリャ。

 この人、生粋のメイドなんやなぁ。

 

 

 

 

 最後にノルンとアイシャ──。

 

 ベビーベッドに仲良く隣合わせで寝かされる妹たち。

 

 

「お姉ちゃん、ちょっと遠くに行くからさ。ノルンとアイシャも元気でやっていくんだぞ」

 

「あー、あー」

 

「うー、うー」

 

 

 前者がノルンで、後者がアイシャ。

 まるで俺の言葉を理解したように声を漏らした。

 

 たまたまそういう風に映っただけなんだろうが、それが堪らなく嬉しくてニヤついてしまう。

 ゼニスも似たような笑い方をすると、パウロが言ってたっけ。

 

 2人の頭をそっと撫でてやると、キャッキャッと、笑っていた。

 うん、次に会う頃には物心がついているかもしれない。

 成長に立ち会えないのは残念だが、再会した折りには姉妹の仲を深めたいものだ。

 

 

 

 

 

 そしてその日の晩にはロールズとその奥さん、そしてシルフィも呼んで、グレイラット邸で俺の送別会が開かれた。

 

 シルフィとは別れの挨拶を済ませたつもりでいたので気まずい……。

 ただ向こうはそうでもなく、送別会の最中はずっと俺の隣を陣取っていた。

 オマケに手まで握ってくるし、可愛い過ぎかよ!

 

 で、一夜明けて、迎えの馬車が来るとかで、玄関先で待っていた。

 そしてパウロとの最後の会話を交わす。

 

 

「ルディ、風邪とか引くなよ」

 

「治癒魔術の使える私なら、不要な心配ですよ」

 

「親心として言ってんだ」

 

「冗談ですよ。愛しています、父さま」

 

「おう、オレもだ……ぐすっ」

 

 

 僅かに目尻に涙を溜めるパウロ。

 

 

「あれぇ? 父さま、もしかして泣いてますぅ?」

 

「泣いてなんかねぇやい! ちょっと目にゴミが入っただけだ!」

 

「あはは、そういうことにしておきましょう!」

 

「ホントに泣いてなんかねぇからな!」

 

 

 と言いながら、鼻をすする素直になれない父親。

 しまいにはポロポロと涙を流し始め、外聞も器にせずに大声で泣き出した。

 

「うおぉぉぉ! さびしいぞ、ルディィィィ!」

 

 

 この男、少しうるさいですね?

 

 

「そんなに泣いてると、ノルンとアイシャに泣き虫なお父さんだって思われますよ?」

 

「あぁ、もう泣き虫でも何でも構わねぇ。ルディ、絶対に強くなって迎えに行くからな!」

 

 

 馬車が到着した。

 親子の会話を見て、気を利かしてくれたのか、しばらく待ってくれるらしい。

 

 

「えぇ、待っていますよ。次に会う時は、10歳。もしかしたら私も、少しはおっぱい大きくなっているかもしれません。いやらしい目で見ないでくださいね」

 

「娘にそんな不埒な真似はしないさ。まぁ、10歳の誕生日にはプレゼントを用意して行く。何年後かの迎えの日には、ロアの街で旨いメシでも食いに行こう」

 

 

 そして俺はパウロ、ゼニス、リーリャと順に固く握手を済ませ、馬車から降りてきた、長身の女性に向き合う。

 

 

「お前がルーディアか。なるほど、一目でゼニスの子だと分かるな」

 

「貴女はもしやギレーヌさん?」

 

「あぁ、お前の親とは古い仲でな」

 

 

 褐色肌で獣の耳と尻尾が生えている。

 自前だろうか?

 右目には眼帯を着けている。

 

 

「あら、ギレーヌ! 久しぶりねぇ。元気にしてたかしら!」

 

 

 ゼニスが興奮気味にギレーヌに駆け寄る。

 

 

「あぁ。そういうゼニスも元気そうだな」

 

「えぇ、幸せな家庭を築いたもの!」

 

 

 惚気るゼニスに別段、顔色を変えることなく適当に相づちを打つギレーヌ。

 

 

「よぉ、ギレーヌ。最後に抱いてやったのは何年前だぁ?」

 

「黙れ、殺すぞ……」

 

 

 ねーちゃん、ブチ切れやんけ!

 どうやらパウロとギレーヌの過去に、何かしら険悪になる出来事があったようだ。

 薮蛇なのでつつかないでおこう。

 

 

「あ、あぁ……すまん。この子は見ての通り、オレとゼニスの子だ。お前と、あとフィリップの娘に読み書きや算術を教える代わりに、ボレアス家に置いてやって欲しい」

 

「ふむ、家庭教師とやらに、ゼニスの娘が来ると。そうか……ゼニスの子か」

 

 

 微笑を浮かべて何だか嬉しそうなギレーヌさん。

 クールな印象を受けるな。

 露出の多い格好をしちゃいるが、晒されている腹筋はバキバキである。

 セクシーというよりは、筋肉ダルマって具合だ。

 

 

「オレの子でもあるんだぞ?」

 

「ルーディア、母親似で良かったな?」

 

「はい、まったくです! でも私は父さまのこと、大好きですから、あまりいじめないでください」

 

「ふんっ……愛されているようだな、パウロ」

 

「あぁ、俺もルディを愛してるからおあいこだ」

 

 

 小さく舌打ちを打つギレーヌ。

 パウロはいちいち彼女の癪に障る達人らしい。

 

 

「ギレーヌ、過去のことは本当にすまなかった」

 

 

 腰を曲げて、頭を下げて謝罪するパウロ。

 険しい表情のギレーヌは眉尻を上げて、動向を窺っている。

 

 

「オレの娘は悪いヤツに狙われてる。オレが守ってやりたかったが、実力不足だ。だから、お前に代わりに守ってやって欲しい」

 

「お前の頼みは聞きたくはないが、ゼニスの子なら別だ。その頭をかち割られたくなければ、さっさと上げろ」

 

「お、おう……。恩に着る……」

 

 

 引き受けてくれたって事で良いのかな?

 

 

「パウロ、強くなりたいのなら、あたしが剣の聖地に居る剣神(師匠)(ふみ)を送っておく。あたしは字が読めんから代筆になるが、最低でも剣聖以上の剣士を派遣するように手配しておこう」

 

「それってつまり……?」

 

「そいつから剣神流を一から学び直せ。今のお前は、あたしから言わせれば半端者な剣士にすぎん」

 

「お、おう! ギレーヌ! マジで助かる! 礼としてその内、抱いてやるからよ!」

 

「……殺すぞ?」

 

 

 仲がよろしいことで。

 何はともあれ話はまとまった。

 

 

「では──行ってまいります。父さま! 母さま! リーリャ!」

 

「おう、達者でな!」

 

「向こうでもムチャだけはしないでね、ルディ!」

 

「留守はお任せくださいませ、ルーディアお嬢様」

 

 3人の抱擁を順に受け、踵を返す。

 そしてギレーヌと共に馬車へと乗り込み──。

 

 生まれてから7年間を過ごした故郷ブエナ村を出発した。




第1章 幼年期 - 終 -


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第2章 少年期 家庭教師編
12話 いざ、ロアの町へ


 馬車に揺られながらギレーヌと交流を深めることにした。

 これから向かう先のロアの町への到着は夕方ごろ。

 時間だけは、たっぷりとあるのだ。

 

 

「ギレーヌさんは、剣王とお聞きしています。それも当代剣神流の五指に入る実力だとか」

 

「そうだが、何か気になるのか?」

 

「恥ずかしながら私は、ブエナ村の外から出たことが無くて。色々と知識不足です。そこで気になったのですが、魔術師は剣士には勝てないのでしょうか? 剣王の立場からの意見が聞きたいです」

 

「ふむ……。間合いによるな」

 

 

 間合いによる、か……。

 闘気の存在が魔術師たる俺の天敵。

 数メートル程度の距離ならば、瞬きの間に詰められ斬られておしまい。

 

 出会い頭に斬られようものなら、自分が死んだ事にすら気付かずにあの世行き。

 魔術で出来る事は沢山あるが、戦闘に関しては弱者というポジションに押し込められる。

 

 なんとも不遇な職業だ。

 けど現実には俺はその魔術師であり、不利を強いられる事は、避けては通れぬ道だ。

 

 

「ルーディアは魔術師と聞いている。そして北神流剣士に手酷い目に遭わされたとも」

 

「えぇ、父さまが助けてくれなければ、どうなっていたことやら」

 

「次に備えたいのだろう?」

 

「はい。同じような状況に再び直面した時、手も足も出せずに殺されたくはないので」

 

 

 失敗から学ばなければいけない。

 また次があるとは限らない。

 死んでしまったら、次など永遠に来ないのだから。

 

 

「その姿勢は悪くない。だったら、ルーディアも剣術を学べ。あたしに学を授けるのなら、こちらも剣術を教える」

 

「ほう」

 

 

 敵を知るにはまず己からって事ですかい?

 ふむ、パウロは剣術を全く指導してくれなかったからな。

 ギレーヌのこの申し出は渡りに船だ。

 

 

「それと、あたしのことはギレーヌで構わん。さん付けは余計だ」

 

「では、ギレーヌ。今後ともよろしくお願いします」

 

「ああ、ルーディア。こちらからもらよろしく頼む」

 

 

 あら、この人ってば意外と社交的?

 パウロにはキツく当たっていたが、ゼニスとのやり取りを見る限り、相手によって態度を変えるのだろう。

 

 俺はゼニス似だから気に入られたのか。

 

 

「ところで、ルーディア。お前は親に愛されているのだな」

 

「そりゃあ存分に!」

 

「あたしは家族とは折り合いが悪かった」

 

「と、言いますと?」

 

「ゼニスが母親で良かったな」

 

「あ、はい」

 

 

 要するにギレーヌは羨ましかったのだろう。

 獣族の文化は知らんが、知性ある生物である以上は家族だっている。

 見るからに不器用な性格のギレーヌは、過去に家族間でトラブルを起こしたと見た。

 

 そこに家族仲の良いグレイラット家を目の当たりにして、つい俺に羨望の気持ちを晒け出してしまったと。

 

 ふふん、結構可愛い一面もあるじゃないか。

 後でその頭の上のキュートなお耳を触ってあげよう。

 

 

「しかしお前は、本当にゼニスに似ている」

 

「そんなにですか? まぁ、自覚はありますよ。今も美人ですが、大人になればもっと磨きが掛かるはずですよ」

 

「調子に乗るな、と言いたいところだが。否定はせん。しかし、性格はどちらかと言えば、パウロに似ているな」

 

 

 貶しているのだろうか。

 

 

「私にとって父親似というのは褒め言葉ですよ」

 

「そうか。あの男も、子を持って変わったという事か」

 

「あー、若い頃はかなりヤンチャだったみたいですね。何かそういうエピソードとかって知ってます?」

 

「いくらでも知っている。ヤツは所構わず、目にした女を口説いて回っていた」

 

 

 さすがはパウロ。

 俺の期待を裏切らないスケールで、多くの女性を泣かせてきたようだ。

 

 

「ルーディアには面白くない話だろうが、子の1人や2人、どこかで孕ませているかもしれん」

 

「うっ、急に生々しい事を言いますね」

 

「それほどまでにパウロは見境が無かったのだ。ゼニスがヤツの毒牙に掛かった時には……。いや、何でもない」

 

 

 えぇー?

 本当に俺の親父は何をやらかしたんです?

 

 

「興味本位で聞くが、ルーディアはどんな魔術を使うのだ?」

 

「あ、気になります?」

 

「人並みにはな。ゼニスは治癒魔術を使っていた。娘のお前も、もしやと思ってな」

 

 

 鋭いね、ギレーヌは。

 ご明察、俺の得意系統は治癒魔術である。

 

 

「母さまと同じく、治癒魔術を中心に使います。他にもオーソドックスな魔術は上級までなら修めていますかね。水魔術だけは聖級ですけど」

 

「驚いたな。まさかパウロの種からそれほどまでの魔術師が……。いや、ゼニスの子でもあったか」

 

 

 いや、パウロさん?

 貴方、どれだけ信用が無いんすか!

 

 

「魔術師としては自信があります。でも、先日は剣士相手に無様な姿を見せましたよ」

 

「それはこれから改善していけば良いだろう。あたしが鍛えてやる」

 

「お世話になります、姉御!」

 

「あたしはお前の姉貴分ではないのだがな。しかし、その顔で言われると、悪い気分ではない」

 

 

 おぉ!?

 ゼニスフェイスの俺にデレるの早くない?

 ギレーヌってチョロインなわけ?

 

 と、あんまし調子に乗ると、どこかでしっぺ返しにあう。

 程々にしておこう。

 今は優しいけど、怒らせたらお尻をペンペンされそうだ。

 

 と、ここで馬車が停まる。

 敵襲でもあったのかと、ギレーヌに目配せするが、特に慌てた様子ではない。

 

 

「休憩だ」

 

 

 ボソッと一言だけ言って彼女は、馬車を降りる。

 俺に対しても顎でしゃくって下車を促した。

 既に3時間以上は馬車に揺られていたし、いい加減お尻も痛くなってきた。

 ベストタイミングである。

 

 

「用を足したいのなら、今の内に済ませておけ」

 

「ではお言葉に甘えて」

 

 

 茂みに入り、スカートをまくり上げる。

 パンツを脱いで尿意の解消に努めた。

 

 背後ではギレーヌが周囲を警戒してくれていた。

 剣王による警護は安心感が凄い。

 

 しかし……。

 野ションベンなんて、この世界に生まれて初めての経験だ。

 

 ブエナ村じゃ人目もあったし、淑女としてはしたない行為には及ばなかった。

 が、ひとたび外の世界に出れば、女の子の野ションベンも(まか)り通る。

 

 なんとも言えぬ背徳感に酔いしれる。

 そんな性癖、持ち合わせちゃいないんだけどなぁ。

 俺もアスラ貴族の血を引くという事だろうか。

 たしかノトス家の血筋だったか?

 

 もしかしたら、他人の前で失禁して興奮する貴族や王族も居るかもしれない。

 

 

「ギレーヌはよろしいので?」

 

「あたしは構わん。剣王の名は伊達ではないという事だ」

 

「んんー?」

 

 

 剣王ともなれば尿意すら我慢出来るのだろうか?

 いや、理屈が分からんよ。

 それにしても尻が痛い。

 

 

「あと3時間は掛かる。良く休んでおけ」

 

「お気遣い、ありがとうございます」

 

 

 へぇ、ギレーヌって優しいのね?

 女の子相手だから?

 それも母親(ゼニス)似のとびっきり可憐な少女。

 

 たしかギレーヌもパウロたちと同じ冒険者パーティーのメンバーだったハズ。

 S級冒険者パーティーの黒狼の牙とか言ったな。

 

 どうもゼニスは、そのパーティー内ではいたく可愛がられていたようで、反対にパウロは毛嫌いされていたらしい。

 

 相反する2人が結ばれたのだから、世の中にもロマンチックな物語が存在するわけだ。

 

 

「喉が渇いただろう、水だ。飲め」

 

「では、戴きます」

 

 

 水筒を投げ渡され、喉を湿らせる程度に飲む。

 貴女はあれですか?

 俺のお世話係ですか?

 

 ギレーヌの何げない優しさに触れて、ドキッとする乙女な俺が居た。

 

 

「では旅路を再開だ」

 

 

 馬車へ乗り込み再出発。

 正直、まだ尻は痛むが、あまり悠長にしていては日が暮れてしまう。

 俺の為に休憩を挟んでくれたこと自体に感謝せねば。

 

 

「ところで、これから向かうボレアス家──ロアの町とは、どういった場所なのですか?」

 

「フィットア領主サウロス様がお住まいだ。そこに大きな屋敷がある。そこでは息子の1人のフィリップ様も暮らしている」

 

「たしか私の教える生徒はギレーヌと、そのお屋敷のお嬢様ですよね?」

 

「あぁ、サウロス様の孫でフィリップ様の娘だ。年もお前と近い」

 

「へぇ、そりゃ楽しみだ」

 

 

 シルフィとは離れる事にはなったが、同年代の女の子と友だちになれる機会が巡ってきた。

 どうアプローチを掛けようか。

 

「ただ先に忠告しておく。エリスお嬢様は、同性であろうと、気に食わなければ平気で殴る」

 

「えぇ? いったいどんな獣なんですか!」

 

「少なくとも犬や猫の類いではないな。アレは盛りのついた猿よりも狂暴だ」

 

 

 獣族のギレーヌが言うと説得力がある。

 

 

「ギレーヌは殴られないのですか?」

 

「あたしは寝込みを襲われたが迎撃した。以来、あたしの言うことに良く従う」

 

 

 夜討ちを掛けるとか、どんだけだよ。

 いきなり不安になってきたわ。

 そのエリスお嬢様とやらに、気に入られるよう、へりくだった態度で臨まなければ。

 

 

「ちなみにエリスお嬢様は、周囲から赤猿姫と呼ばれている」

 

「女の子に付けるべきではない渾名ですね」

 

「見た目は麗しいのだがな。いかんせん、手が出るのが早い。お前も殴られぬよう、気を付けろ」

 

 

 まだ到着もしていないのに辟易とする。

 果たしてそんな狂暴な獣をしつけられるだろうか?

 家庭教師としての責務を全うする自信が早くも打ち砕かれる。

 

 

「あたしも目を光らせておく。ゼニスの娘を傷物には出来んからな」

 

「おぉ! それは頼もしいですね!」

 

 

 きゃー! 惚れちゃいそうだぜ、ギレーヌ!

 

 実際に、ギレーヌはクールビューティーな長身の女性だ。

 褐色肌とケモ耳、ケモしっぽの複合型。

 パーツ的には猫っぽいな。

 

 

「ギレーヌはどこの出身ですか? 中央大陸ではなさそうですよね」

 

「ミリス大陸の大森林にあるドルディアの村だ。あたしは、デドルディア族の長の一族の出だ」

 

「え! じゃあ、ギレーヌってもしかしてお姫様?」

 

「もうそんな年じゃない……。それに兄の娘──姪だって居る」

 

 

 それでも元お姫様か。

 礼儀を尽くすべきか?

 いや、彼女の性格上、今さら態度を変えるのは嫌がりそうだ。

 そもそも呼び捨てを要求してきたしな。

 

 

「それは失礼いたしました」

 

「たしか姪の1人はお前とも年が近かったな。名前までは覚えていないが」

 

 

 それから彼女は少しずつ自身の事を語る。

 故郷では乱暴者扱いで、それこそ知性の無い獣同然の存在だったのだとか。

 

 自分と同じくらい頭の足りない兄と比較しても、愚妹として手を焼かれており、旅の剣士に連れられて故郷を出たと。

 

 

「もう十数年は帰っていない。これからも帰省するつもりはないがな」

 

「姪御さんのことは、どこで耳にしたのですか?」

 

「風の噂だ。姪の1人があたしに憧れていると人伝いに聞いた。こんなたわけ者に憧れる物好きな姪がよく居たものだな」

 

 

 その割には嬉しそうに口元を緩めている。

 人間味溢れる女性だ。

 思わず視線で彼女の表情の変化を追ってしまう。

 

 

「ルーディアの事も聞かせてくれ」

 

「私ですか?」

 

「パウロとゼニスの事は良く知っているが、お前のことはまだ深くは知らん。だから聞きたいのだ」

 

「えぇ、それじゃあ──」

 

 

 俺が生まれてから、便宜的に物心が付いてからの話を面白おかしく脚色して話してやる。

 とりわけゼニスの話題になると熱心に耳を傾けており、猫耳がピコピコして可愛かった。

 年はパウロたちとそう変わらないハズなのになぁ。

 

「そうか、ルーディアは既に弟子を持つほどの魔術師か」

 

「と言っても遊びの延長線上で教えていただけですけどね」

 

「それにしては本格的だった風に聞こえたが?」

 

「教えることには本気を出したかったので」

 

 

 シルフィとの師弟関係にも興味を持ったようで、根掘り葉掘り聞かれた。

 

 

「あぁ、家庭教師のついでに魔術も教えて差し上げますよ」

 

「いいのか?」

 

「もちろん! これから私もギレーヌのお世話になるので、お互い様です」

 

「感謝する、ゼニス……。あぁ、いや、ルーディア」

 

 

 感極まって俺とゼニスとで呼び間違えたらしい。

 ふふーん、嬉しいねぇ。

 それだけ俺がゼニスそっくりの美人だって事だ。

 ギレーヌのお墨付きってわけだな。

 

 

「お前さえ良ければ、エリスお嬢様にも魔術を教えてやってほしい。お嬢様は勉強こそ嫌いだが、魔術には興味をお示しだ」

 

「それは構いませんがね。仕事である以上は、きちんと読み書きなども教えますよ」

 

「あぁ、あたしも説得に手を貸そう」

 

「はい、お願いしますね。頼りにしているんですから」

 

「頼られよう」

 

 

 微笑み、トンっと豊満なおっぱいを手で叩くギレーヌ。

 胸筋こそ凄いが、ちゃんと女性のようでプルンッと震えた。

 

 

「お前……。匂いは薄いが発情しているな?」

 

「え? なんのことです?」

 

 

 驚いた。

 ドルディア族ってのは人間の発情を匂いで嗅ぎ取れるのか。

 匂いが薄いというのは、俺の肉体が女の子だからか。

 実際、男の時ほど性欲は強くないんだよな。

 

 

「いや、構わん。ゼニスの子とはいえ、パウロの血を引くのだ。そういう事もあるだろう」

 

「あははー、すみませんね。胸が大きいと、つい視線が吸い寄せられてまうんですよね」

 

「ルーディアは女が好きなのか? 男なのに男を好む知り合いはあたしにも居るがな」

 

「さぁ、自分でもよく分かりませんね」

 

「恥じることない。貴族連中には同性愛者も多く居る。アスラでもミリスでもな」

 

 

 そういった性癖には寛容な人物で安心した。

 いやー、嫌われるかと思ったよ。

 俺の性癖の大半はパウロの娘だからという理由で説明がつきそうだな。

 

 そして、そうこうしている内に、もう一度休憩タイムへ突入。

 今度はギレーヌも茂みに隠れて用を足していた。

 あれー?

 貴女、剣王の名は伊達じゃないとか話してましたよねぇ?

 

 排尿音に聞き耳を立てながら俺はほくそ笑んでいた。

 うん、パウロ以上の変態かもしれん。

 オマケにゼニスの顔をした痴女ときたか。

 我ながら始末に負えんよ。

 

 

「ルーディア……。今度の匂いは……かなり強いぞ」

 

 

 茂みから出てきたギレーヌに苦言を言い渡される。

 

 

「どうやらこれが私の性分のようで……」

 

「落ち込むな。アスラ貴族の大半よりはマシな方だ」

 

「そうですか?」

 

「あぁ、中には女のおりものを食らう変態貴族も居ると聞く」

 

「うわぁー、キモッ!」

 

 

 なんですか、その変態!

 それは俺も変態度では完敗だわ。

 

 いやぁ、俺もシルフィの汗の染み込んだ上着の匂いをクンクンと嗅いだことはありますけどね?

 だってあの子、スゲー良い香りがするんだもん。

 俺の変態行為を見ても嫌な顔ひとつしないし、良い子だよ?

 

 

「さあ、もうひと踏ん張りだ。尻が痛むとは思うが我慢してくれ」

 

「はい」

 

 

 そして再度、馬車に乗り込み1時間ほど経過。

 やがて見えてきたのは、7~8メートル超の高い城壁。

 ご立派な城壁の中には町が広がっているらしく、通用門を通り抜けると一気に活気が増した。

 

 目に入る建物について、あれはなんだ? これはなんだ?

 と、ギレーヌに質問し、その都度、武器屋や酒場、果ては冒険者ギルドの支部などを教えてもらう。

 

 ギレーヌも博識なものだ。

 脳筋っぽく見えて、中身はしっかり者だ。

 ちょいとバカにした感想か?

 

 

「あ、なんですか、あれ!」

 

 

 町の中央には一際高くそびえる建物。

 

 

「あれが領主の館だ」

 

 

 どうやら俺たちの目的地らしい。

 館などと彼女は言ったが、建物としての有り様はまさに城といった感じだ。

 

 そういやぁ、ここは城塞都市ロア。

 かつてのラプラス戦役でも防衛の地としての役目を担っていた。

 ボレアス家先祖代々が暮らす由緒正しいお城なのだろう。

 

 

「ふ……。ルーディアも年相応に子どもなのだな」

 

「それはそうですよ! あんなお城を見れば誰だって興奮しますって!」

 

 

 ましてや田舎出身だ。

 ブエナ村で最も高い建造物と言えば風車だ。

 次点で2階戸建てのグレイラット邸だな。

 それらと比較すれば天と地の差である。

 

 

「気持ちは分からんでもない。あたしも初見は圧倒されたものだ。あれを超える物と言えば、国内では王城くらいなものだ」

 

「いずれ王都にも行ってみたいですね」

 

「いや、お前は止めておいた方が良い。あたしは政争の事は分からんが、ルーディアのような見た目の良い娘は、拐われて人質にされるのがオチだ。ボレアス家の弱みとして握られかねん」

 

「あ、そうですよね」

 

 

 おっと、自分がボレアス家に預けられるに至った理由は、ダリウスとか言う貴族に狙われているからだったな。

 次期国王の派閥争いではダリウスも、ボレアス家も第一王子派と陣営こそ同じだ。

 しかしダリウスは、ボレアス家当主のサウロスを煙たがっているらしい。

 

 派閥も一枚岩じゃないから、俺を材料にボレアス家を切り崩しにくるかもしれん。

 俺の都合で、これから世話になる人達に迷惑は掛けられまい。

 

 

「だが、どうしてもと言うのなら、あたしが護衛して連れて行ってやらんこともない」

 

「ありがとうございます、ギレーヌ」

 

「尤も、自衛手段を身に付けてからだ。今のお前では心許ない」

 

「おっしゃる通りで」

 

 

 ちゃんと俺の事を考えていてくれてるようだ。

 ふむ、パウロたちも良い仲間をお持ちだ。

 

 

「もうじき到着する。サウロス様は気難しい方だが、多少の無礼も、無知であるのなら寛容だ。ただ誠実な姿勢を見せることだ。そういう人間をサウロス様は好む」

 

「心得ました」

 

 

 ギレーヌの忠告を頭の中で繰り返す。

 パウロから聞いた前評判とだいたい一致するな。

 俺の父親も昔はボロくそ言われたらしいが、人間としては嫌いではないらしい。

 

 やがて馬車は停まり、ボレアス家の敷地内へ。

 約6時間にも及ぶ馬車旅を漸く終えられた。

 腕を上げて背筋をグッと伸ばす。

 

 身体が凝り固まっていたのかボキボキと鈍い音が鳴る。

 負傷とは認識されていなかったのか、自動治癒(オートヒーリング)は発動しなかった。

 

 

「準備は出来たか?」

 

「バッチリです」

 

 

 ギレーヌに促され、歩みを進めるが──。

 

 

「あぁー! やっと帰ってきたわね! ギレーヌ!」

 

 

 耳に突き刺さるような声量で、少女がギレーヌの名を呼ぶ。

 

 

「エリスお嬢様だ。ちょうど良い。先に挨拶をしておけ」

 

 

「はぁ……?」

 

 

 声の主を見る。

 なんていうか……ナマイキそうなガキだ。

 鋭くつり上がった眼は、獲物を狙う獰猛な肉食獣のようで、エリスお嬢様とやらの背後に獅子の姿を幻視する。

 

 

 真っ赤な髪はウェーブを描いているが、髪質自体は良さそうだ。

 本人が無頓着なのか、寝癖が残っている。

 

 年齢は俺よりも2つ上だと、ギレーヌとの会話の中で聞いたような気がする。

 そして何よりエリスは苛烈な印象が強いながらも、美人だった。

 

 ロキシーやシルフィとも系統の異なる凛々しい顔立ち。

 しかし不機嫌そうにして、しかめっ面を隠そうともしない。

 

 よし、第一印象が大切だ。

 挨拶しよう。

 

 

「はじめまして、ルーディア・グレイラットです」

 

 

 が、彼女は俺の姿を視界に認めると、歯ぎしりをして、ことさらに不機嫌さを強めた。

 

 

「フン!」

 

 

 ありゃ?

 嫌われてしまったのかな?

 

 

「あんた誰よ!」

 

「え、いま名乗ったのですが、お聞きにならなかったので?」

 

「うるさいわね! 生意気よ、あんた!」

 

 

 うわぁ、理不尽だー。

 

 

「年下の癖に私のギレーヌを連れ回して! どういうつもり!」

 

 

 かぁー、キーキー喧しい子どもだよ。

 

 

「既に耳にしておいでかもしれませんが、本日よりボレアス家でお世話になりますルーディアです。ギレーヌにはお迎えを依頼していまして」

 

「そんな理由でギレーヌを連れ出したの!」

 

 

 ギレーヌのことが好きらしい。

 エリスにとってのギレーヌは、俺にとってのロキシーといったところか。

 気持ちはよーく分かるってばよ。

 

 

「とにかく私に謝りなさいよ!」

 

「えぇー? ギレーヌ、どうにかなりません?」

 

 

 ギレーヌに助けを求める。

 だが彼女は肩をすくめてお手上げアピール。

 けれども渋々、エリスに言葉を投げかける。

 

 

「エリスお嬢様。ルーディアは我々の家庭教師としてやって来たのです。それも親元を離れて。ボレアス家は雇い主ではありますが、もてなすべきかと」

 

「そうかしら? ギレーヌがそう言うのなら、怒鳴ったことは謝るわ」

 

 

 罰が悪そうに、角度にして15度程度、頭を下げるエリス。

 しかしものの数秒後には怒りが再燃して──。

 

 

「なに見てんのよ!」

 

「ぐぇっ……!」

 

 

 よく分からんけど顔面を殴られた。

 くそう、こんなメスガキに負けるとは……。

 

 てか、普通、同性とはいえ年下の女の子の顔にグーパンするか?

 今回は自動治癒(オートヒーリング)が発動したらしく、骨折した鼻の骨が修復された。

 

 つーか、ためらいなく鼻の骨を砕きにくるとは、赤猿姫の異名は確からしい。

 

 終始不機嫌なお嬢様は、気が済んだのか館の中へと消えていった。

 嵐のような女の子だったよ……。

 

 

 

「エリスお嬢様はあんな感じだ。これまで何人もの使用人や家庭教師を自主退職に追いやった」

 

「身に染みて…わかりました」

 

 

 とはいえだ。俺は実家には戻れない。

 エリスにどれだけ殴られようと、このボレアス家に居続けるしかないのだ。

 

 この程度の事でめげない。

 音をあげるには早いのだ。

 

 

「あたしもサポートする。ゼニスから託されたお前を見捨てん」

 

「はい、私もここで頑張っていきますから!!」

 

 

 かくしてルーディア()のボレアス家での家庭教師生活は開幕した──。



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13話 ボレアス家の人々

 館に入るとギレーヌから執事へと引率は引き継がれた。

 ギレーヌは俺の後ろを静かに付いている。

 

 執事から、サウロス氏やフィリップ氏の特徴を聞いておく。

 挨拶するに際して、出遅れるわけにはいくまい。

 

 長い廊下には幾つもの絵画が飾られている。

 芸術を見る知識も眼も無い俺でも、それらがいわゆる名画だってわかった。

 

 ここの絵を数枚かき集めただけで、一生遊んで暮らせそうだ。

 俺の場合は魔術の開発費に投じて10年と持たなさそうだが。

 

 応接室に通される。

 二脚あるソファーの内の片方に腰を掛ける。

 ギレーヌは部屋の隅に立ち、眼を閉じていた。

 

 しばらくすると、地響きの伴った足音が耳に飛び込んできた。

 乱暴に応接室の扉は開かれ、その人物は姿を現したのだ。

 

 

「お前がパウロの娘か? ふん、エリス程ではないが悪くない顔立ちだ。それにゼニスによう似ておるわ」

 

 

 パウロよりも大柄の男性。

 全身を筋肉で覆われ、見るものを威圧する力強さを感じられた。

 彼こそがボレアス家当主のサウロス氏だろう。

 

 

「はじめまして、サウロス大叔父さま。ルーディア・グレイラットと申します」

 

 

 スカートの端をつまんで、腰をやや落とす。

 淑女の挨拶である。

 リーリャに付け焼き刃とはいえ、出発直前に礼儀作法を習っておいたのだ。

 

 

「ほう、ゼニスに躾けられたか?」

 

「母と侍女のリーリャから学びました」

 

「なるほど……。気に入った! お前は我が孫娘エリスと年が近い。相手をしてやれ」

 

 

 今の挨拶に気に入る要素ってありましたかしら?

 それはともかく、孫娘の遊び相手として俺を重用するらしい。

 ヤダなぁ、あんな乱暴な娘の相手だなんて。

 

 でも専属の家庭教師としての仕事もあるし、職務放棄は出来ん。

 

 

「パウロは人間のクズだが、お前は違うようだな」

 

「……父さまは、それほどに酷かったのですか?」

 

 

 サウロス視点のパウロの評を聞きたくなった。

 

「おうとも! 奴めは、事あるごとに言い訳を連ねおった。やれあれが悪い、やれやる気が湧かん。そんな言い訳ばかりだったわ!」

 

「なるほど……」

 

 

 サウロスの知るパウロというのは実家を飛び出すまでの12歳までの期間だろう。

 どうやら自分本意のクソガキだったらしい。

 

 

「だが儂は奴がノトス家を継いでおればと思うておる。ピレモンの奴と比べれば、パウロの方が余程骨のある男だ!」

 

 

 ピレモンという男がノトス家の現当主らしい。

 となるとパウロの兄弟か?

 貴族だし跡継ぎも既に居そうだ。

 俺にもまだ見ぬ従兄弟が存在するってわけだ。

 

 

「聞いておるぞ、ルーディア! お前はダリウスのクソッタレに狙われたらしいな!」

 

「はい、そうなんです。この度は、サウロス様の庇護を受けたく参った次第です」

 

「よかろう! 儂の甥の娘だ。悪いようにはせん」

 

「ありがとうございます、サウロス様」

 

「何か困った事があればいつでも申し出ろ。力を貸してやろう!」

 

「はい、ありがたく存じます!」

 

 

 そしてサウロスは再び地響きと共に部屋を去った。

 エリスが嵐なら、サウロスは地震である。

 

 まぁ、気に入られたようで安心した。

 孫娘の方には毛嫌いされているからな。

 おじいちゃんである彼から、エリスに口利きしてもらおうかしら?

 

 

「やはりサウロス様のお眼鏡に(かな)ったか」

 

 

 ギレーヌが安息しながら言う。

 

 

「そのようで、私は驚いてますね」

 

「あたしは信じていたぞ」

 

 

 ん?

 ギレーヌはやたら俺を推してくるな。

 もしや、俺の事が好きなの?

 止めてくれ、俺にはロキシーとシルフィの二人が居るんだ。

 もう手が塞がっている。

 浮気なんてしないよ、パウロじゃあるまいし。

 

 という冗談はさておき、行きがけの会話で親睦を深めた結果、ギレーヌも俺の人となりを知った。

 その上で信頼してくれているのだろう。

 ありがたいことだ。

 

 そして数分後、次の来訪者が現れた。

 このロアの町の町長であるフィリップ氏である。

 

 

「やぁ、パウロからの手紙で君の事は知っているよ」

 

 

 優男の印象を受ける、どこか猫のような男。

 父親のサウロスとは違い、それほど身体を鍛えてはいないらしく、細身だった。

 

 と、挨拶しねーと。

 

 

「はじめまして、ルーディア・グレイラットと申します」

 

 

 先程の作法も忘れない。

 

 

「あぁ、これは丁寧にどうもね。私はフィリップ。この町の町長さ」

 

 

 知ってるよ、廊下で執事がそう話してたし。

 

 

「それにしても父上に気に入られたようだね。たいしたものだ」

 

「いえいえ、サウロス様の寛大なお心に甘えてしまっただけですので」

 

「ふふ、謙遜を。しかし、見れば見るほどゼニスにそっくりだ。血筋もあってダリウス上級大臣に狙われるというのも頷ける」

 

 

 褒められてんだよな、これ?

 素直に笑顔で反応しておく。

 

 

「さて、話を詰めようか。君にはウチで家庭教師をしてもらう。それは知っているね?」

 

「はい、父よりそう聞いています」

 

「うん、よろしい。で、そこに居るギレーヌ。そして私の娘のエリスを指導してもらいたいんだけど──」

 

 

 少し溜めるフィリップ。

 

 

「もう知っているかもしれないが、エリスは乱暴な子でね。もう会ったよね?」

 

「ええ、元気のある御息女でしたね」

 

「もしかして殴られた? だとしたら、すまない」

 

 

 頭を下げるフィリップは誠実な人間のようだ。

 そして愛娘のじゃじゃ馬ぶりに手を焼いているようにも思える。

 俺としても対策を打ちたいが──。

 

 

「仲を深めるには寝食を共にすると良い。この内、就寝の場は別にするとして、食事の場くらいは私が後日、設けよう」

 

 

 先んじてフィリップが提案した。

 そうか、ボレアス家はパウロの嘆願に折れて俺を受け入れたので、俺がエリスから遠ざけられようとも、追い出すつもりはないのだ。

 

 で、何かしらの仕事をフィリップも、率先して俺に回したいってところだな。

 

 

「ご配慮、感謝いたします」

 

「そう畏まらなくとも良いよ。この先数年間は、ルーディアはボレアス家の一員だ。私も我が子同等に扱おう。どうだい? 試しにお父様と呼んでみるのは」

 

 

 これは人間として試されているのか?

 真に受けちゃダメそうだ。

 

 

「いえ、お戯れを。私の父はパウロ・グレイラットだけですので」

 

「君を受け入れて正解だったようだ」

 

 

 何やらお気に召したようで。

 

 

「ひとまず今日の所は休みなさい。君の部屋を手配しておいた。食事も運ばせる。家庭教師の仕事は、君が我が家に慣れてからで構わない。それに、中々エリスも取り合ってくれなさそうだしね」

 

「何から何までありがとうございます、フィリップ様」

 

「私も君を気に入っているからね。父上の気持ちが、この数分の会話で理解出来たよ」

 

 

 そしてその場はお開きとなった。

 執事に俺にあてがわれた部屋へ案内してもらう。

 用件がある場合は、呼び鈴を鳴らせばメイドさんが駆け付けるとのこと。

 

 そして夕食として運ばれてきた食事を終え、ベッドの上で横になる。

 

 思えば一気に環境が変化したものだ。

 女の子に生まれてきた次くらいに驚いている。

 あぁ、リーリャの妊娠騒動も捨てがたい。

 

 

「頑張んなきゃな……」

 

 

 パウロもきっと力を蓄える為に鍛練を続けるだろう。

 剣の聖地から派遣された剣聖以上の指導者によって。

 剣聖以上ってことは、ギレーヌと同じく剣王が送られる可能性もあるんだよな?

 

 だとしたらパウロは、その扱きに堪えられるのか?

 

 いや、娘の俺が信じてやらなくてどうすんだ!

 

 自身を叱責し、入浴する事で気分転換を図る。

 入浴と言っても桶にお湯を張って布でゴシゴシと擦るだけだ。

 この館には大浴場があるかもしれんが、来たばかりの俺が使わせてもらえるとも思えない。

 

 いや、俺を気に入ったと話す、サウロスやフィリップにお願いをすればあるいは。

 うーん、やっぱりそこまで図太くはなれんよ。

 

 手際よく入浴を済ませ、メイドさんによって用意されていた寝巻に着替える。

 なぜかサイズがピッタリだったことに驚く。

 

 はぁ、今日は一日中馬車で移動した上にエリスに顔面を殴られた。

 サウロスたちとの面談は問題無く終えられたが、気の休まらない日だった。

 

 ベッドに仰向けになり、眼を閉じれば1分とせずに意識は途切れた。

 

 

 

 

 翌日の朝。

 顔を洗ってから呼び鈴を鳴らすと、獣族のメイドさんが洋服を準備してくれた。

 少し古いが、貴族の子女向けの衣類。

 どうやらエリスのお古らしい。

 

 格好だけ見れば、俺もこの館に住むお嬢様だ。

 一応、俺もエリスの親戚なんだよなぁ。

 

 さて、今日の1日の行動を語ろう。

 フィリップから、この館の中であれば自由に歩き回って良いと言われている。

 さすがに彼やサウロスの私室は常識的に考えてNGだろうが、許可を得たからには探索をさせてもらおう。

 

 そして第一目的地は書庫である。

 実家の書斎の所蔵数は、たったの5冊と少ない。

 ゼニスに誕生日に送られた植物辞典を含めても6冊だ。

 診療所から借りてきた治癒魔術の専門書は、とっくに返却済みだし。

 

 そういった理由から、知識を求めて大貴族様の書庫に足を運びたいと思う。

 

 で、書庫の正確な場所がわからず、館内をさまよっていると──。

 

 胸元の大きく開いたドレスを着た、おっぱいの大きな女性と出くわした。

 顔立ちや真っ赤な頭髪から察するに、十中八九、エリスの母親だろう。

 名前はたしか、ヒルダだったか?

 

 

「あら、貴女は」

 

「はじめまして、奥様。ルーディア・グレイラットといいます」

 

「ええ、夫から貴女の事を聞いているわ。大変だったそうね」

 

 

 何やら同情的な視線を向けられる。

 たぶん、誘拐事件の話を耳に入れたのだろう。

 

「いえ、サウロス様やフィリップ様の配慮で、こうしてボレアス家へ迎え入れてもらえました。奥様にも気に掛けて戴いて、感謝しております」

 

「わたくしに対してそんな敬語は必要ないのよ。他人行儀ではなくて?」

 

「これは失礼を」

 

 

 ふむ、見た目はツンとした感じだが、話してみれば母性溢れる女性だ。

 人は見かけによらないんだな。

 エリスは外見に(たが)わず、暴力的な女だが。

 

 

「ところでウチの娘がルーディアに暴力を振るったって聞いたのだけれど、怪我はないのかしら?」

 

「ええ、加減してもらいましたので。ほら、殴られた跡とか無いでしょう?」

 

 

 嘘ですよ、奥さん。

 あの娘さんは全力で殴ってきました。

 自前の治癒魔術で治しただけですのよ。

 

 

「それでもごめんなさいね。あとでわたくしの口から叱っておくから」

 

「お気になさらずに。あれはエリスお嬢様なりのスキンシップだと私は考えていますので」

 

「強がらなくていいの。ほら、いらっしゃい」

 

 

 強がりなのだと勘違いされたままヒルダの熱い抱擁を受ける。

 これは──おっぱい!

 

 ゼニスやリーリャと同等以上の女性的な部位に、俺の顔は沈んだ。

 息がしづらいが心地好い。

 書庫はもうどうでも良い。

 今日はずっとここに居ます!

 

 ある意味じゃ女体の神秘という知識を得て、ご満悦な俺が解放されたのは30秒後。

 廊下を行き交う獣族のメイドさん達に生暖かい視線を浴びせられたけど気にしない。

 

 俺もたった1日でボレアス家に馴染んだってことだ。

 

 

「ところで奥様。書庫の場所をお尋ねしたいのですが」

 

「それならわたくしが案内します。付いてらっしゃい」

 

「奥様に感謝を」

 

 

 

 ホント、優しいね。

 慣れない土地で不安だったが、エリスを除けばボレアス家の人々は総じてが好意的だ。

 サウロス、フィリップ、ヒルダの3人に加えて、食客待遇のギレーヌ。

 

 俺、ここでもなんとかやっていけそうだ。

 

 数分後、書庫に到着すると先客が居た。

 ヒルダの夫であるフィリップだ。

 

 

「おや? ヒルダはルーディアを気に入ったようだね」

 

「だってこの子、こんなにも小さいのに親元から離されたのよ? 不憫でならないわ!!」

 

「あぁ、そういう……」

 

 

 何か暗い過去があるのか、途中で言葉を切った様に聞こえた。

 

 そういやぁ、フィリップは貴族の割に子どもが1人しか居ない。

 跡継ぎ問題もあるし、男子が生まれるまで粘ると思うのだが。

 この館じゃエリスくらいしか見かけていないし、不可解だ。

 

 あぁ、俺の親も中々子宝に恵まれずに悩んでいたっけ。

 俺とノルンが生まれるまでに6年の空白期間があるわけだしな。

 

 まあ、正確なところは分からんし、家庭事情など人それぞれである。

 

 さて、俺の疑問を解消するように、フィリップは耳打ちしてきた。

 

 

「ボレアス家じゃ、次期当主以外の家で生まれた男子を差し出さなければいけなくてね。ウチも本来ならエリスに兄と弟が1人ずつ居るんだ」

 

 その後も詳細が語られた。

 権力争いの防止策であり、かつてはアスラ貴族全体で似たような風習があったのだとか。

 

 つまりあれか?

 ヒルダが俺を気に掛けているのは、親元を離れることになった自身の子どもの姿に重ねてのこと。

 

 うーん、なかなか重たい話である。

 こちらとしてもヒルダには優しく接してやりたいものだ。

 

 

「そういうわけだから、時々で構わない。私の妻の相手をしてやってくれ。エリスの件といい、押し付けてばかりで申し訳ないね」

 

「そんな! 謝って戴かなくともいいですよ」

 

 

 美人だし、おっぱいもデカいし、第3のママとしてヒルダを受け入れよう。

 てか、俺のママ達は、ゼニスとリーリャも含めて、全員巨乳である。

 

 俺やノルン、アイシャも将来は巨乳に育つだろうし、運命レベルで、おっぱいに縁があると思うよ。

 

 

「ねぇ、ルーディア。貴女はどんな本が読みたいのかしら?」

 

 

 どうやらヒルダはまだ俺と過ごしたいらしい。

 良いぜ、奥さん。

 俺で良ければお相手つかまつろう。

 

 本来の目的としては聖級治癒魔術の専門書を探すつもりだったが、ここはヒルダに合わせて子ども向けの文学書に対象を変更する。

 

 子どもにもある程度理解出来るように内容を要約された『アスラ王国建国記』や『人族と獣族の歩み』などを選んだ。

 

 時折り、文字が解らないフリをしては、ヒルダに質問してみると、パァーッとした桜満開の笑みで教えてくれる。

 

 きっとあの乱暴者のエリスも、この母親相手には従順になることだろう。

 

 昼頃まで書庫にこもり、ヒルダの私室で一緒に食事を摂ったりと充実した時間を過ごせた。

 本心から母親同然に思えるほど甲斐甲斐しく世話を見てくれて、故郷を離れた寂しさも和らいだというもの。

 

 俺の去り際にもギュッと抱き締めてきて、心底この人を大切しようと決意する。

 俺も情に絆され易い人間だこと。

 

 ところかわって、夕暮れ間際の中庭。

 エリスとコンタクトを取るべく歩いていると、木剣同士のぶつかり合う音が鳴り響いていていたので足を止めた。

 もしやエリスかと期待したからだ。

 

 視線をやれば、ギレーヌとエリスの姿。

 模擬戦闘の最中らしく、こちらの存在には気付いていない。

 

 いや、ギレーヌは獣耳がピクリとこっちに向いていたから、気付いているようだ。

剣王ゆえの感知能力か、はたまた獣族の種族的な性質なのか、あるいは両方なのか。

 

 いずれにせよ、エリスは俺に見られているとも知らず、爽やかな汗を流していた。

 長い赤髪がカーテンのように(なび)き、彼女の姿を鮮明に浮かび上がらせる。

 

 こうして見ると様になるんだが、実態は理不尽に暴力を振るうワガママお嬢様である。

 

 と、ここでギレーヌが一歩踏み込んだかと思えば、木剣はエリスの手を打ち据えていた。

 エリスは木剣を落とし、無防備を晒す。

 

 そうなればなす術も無く、ギレーヌの容赦ない胴への一打が炸裂した。

 防具を着用しているので怪我はしないまでも、エリスの子どもゆえに小柄な身体は、いとも容易く衝撃で吹き飛んでいた。

 

 着地を取れず、地面をゴロゴロと何回転かしてから、ようやくその勢いは止んだ。

 

 

「エリス、受け身を取れなければ敵の追撃を受け、無様に命を散らすぞ」

 

「わかってるわよ!」

 

 

 いや、あんさん何もわかってなさそうですやん。

 ていうか、剣術の指導中はギレーヌもエリス相手に敬語は使わないようだ。

 オンオフの切り替えが上手いらしい。

 

 

「っ……! あんた、昨日のっ!!」

 

「ああ、覚えていてくれたんですね」

 

 

 やっと俺の存在に気がついたようだ。

 鋭い眼光が身体を貫く。

 

 

「名前は言えますか?」

 

「エリスよ!」

 

「いえ、そうではなくて。私の名前をです」

 

「……知らないわよ!」

 

 

 むむ!

 余計、嫌われてしまったかな?

 しかし、へこたれる事もなく、再トライだ。

 

 

「では改めて。ルーディア・グレイラットといいます。私はエリスお嬢様の親戚です」

 

「なにあんた? 私の従姉妹かなにか?」

 

 

 今度は怒鳴らずに、質問で返してきた。

 

 

「又従姉妹というやつです。エリスお嬢様の祖父サウロス様と、私の父方の祖母が兄妹とのことで」

 

「あ、そう! 興味ないわね!」

 

 

 うーん、手応え無しかぁ。

 こいつは手懐けるのに苦労するぞ。

 

 

「あっ! そういえばあんたっ! お母様に告げ口したわねっ! 叱られちゃったじゃないのよ!」

 

 

 顔を真っ赤にして怒りをぶつけてくる。

 ちょっと怖いが、退くつもりはない。

 

 

「間違ったことをすれば叱られるのは当然です」

 

「うるさいわねっ! 全部あんたが悪いんでしょう!」

 

 

 ここで喧嘩っ早さが出たのか、殴り掛かってきた。

 雇い主のお嬢様だから、迂闊に魔術で撃退なんて真似は出来ない。

 

 じゃあ、大人しく殴られとく?

 いや、またヒルダ辺りに叱られて仕返しされかねん。

 避けるのも火に油を注ぎそうだしなぁ。

 

 

「ギレーヌ、どうにかしてください!」

 

 

 ここは頼れるギレーヌの姉御に任せよう。

 

 

「エリス! ルーディアを殴ったら、1週間剣術の訓練は無しだ!」

 

「っ……! チッ……」

 

 

 鼻先まで迫った拳はすんでのところで静止。

 ギレーヌの一喝に救われた。

 

 

「もうあんたっ! いったいなんなのよ!」

 

「エリスお嬢様の家庭教師ですが?」

 

「勉強なんてしなくても良いじゃない!」

 

「必要です。無学ではきっと将来、困る場面に直面します」

 

「だあぁぁぁっ……! うるさいって言ってんでしょ!」

 

 

 自身の髪を掻き毟ってクシャクシャにするお嬢様。

 いかん、手の施しようが無いぜ。

 ギレーヌも困った風に、溜め息をつく。

 

 

「部屋に戻るわっ!」

 

「ちゃんと汗を拭くんですよ。放置すると風邪を引いちゃいますから」

 

「余計なお世話よ、バカ! 間抜け!」

 

 

 捨て台詞を俺にくれると、駆け足でエリスは立ち去った。

 地面に転がった木剣が嵐の過ぎた後を比喩してる様に思える。

 

 

「何て言うか……。エリスお嬢様って、問題児ですね?」

 

「あぁ。アレを従えるのは至難だぞ」

 

「ですね。前途多難ですよ、まったく……」

 

 

 トホホ……。

 ギレーヌやヒルダのお陰で殴られるリスクは減ったものの、先のおもいやられる惨状だ。

 手綱を取るどころか、こちらが馬乗りされて拳の連打をされかねん。

 

 気長にやっていくしかないのか?

 俺も魔術の方面で伸ばしたり、ギレーヌから最低限の剣術を学んだり、今後忙しくなるってのに。

 

 肩にのし掛かる謎の疲労感にウンザリしながらも、一度、部屋へと戻ることにした。

 途中、メイドさんからフィリップの約束してくれた()()()()が、今晩あるとの知らせを受ける。

 

 俺も心して臨もう。



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14話 エリスお嬢様

 さてボレアス家一同が会する食事会に俺ことルディちゃんは、お邪魔させてもらっている。

 

 上座には当然ながらボレアス家当主サウロス。

 後はフィリップ、ヒルダと続いて、エリスと俺は向かい合う様に席を配置された。

 フィリップの思惑が見え隠れする。

 

 顔をつき合わせて仲良くしなさいってことだろう。

 しかし視線を合わせてくれないエリスに、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 

「では戴こう」

 

 

 サウロスの音頭で食事会はスタート。

 ミリス教徒ってわけじゃないので、祈りなどは無かった。

 実家じゃ、ゼニスがミリス教徒だったんで毎食、お祈りに付き合わされたよ。

 

 数口ほど実家じゃ見たことの無いご馳走を口にした後、フィリップが話を切り出す。

 

 

「ところでエリス。ルーディアとは仲良く出来たのかな?」

 

 

 直球過ぎる問い掛け。

 咀嚼中のエリスは数秒ほどして飲み込んでから、会話に参加する。

 

 

「仲良くなんて出来ないわよ……」

 

 

 ふてくさった顔で、しかし親に叱られる事を恐れたような声で答える。

 

 

「それは何故だい? ルーディアは良い子だよ。多くの教師が1日目で投げ出す中、まだ彼女は君に向き合おうとしている」

 

 

 お、なんか良い感じの論破タイムに突入したぞ。

 

 

「エリスの意見を聞きたいな。何が気に入らなくて、そして君自身がどうして欲しいのかを私に教えてくれないかい? 父親として、してやれることは何でもするさ」

 

 

 ほう、パウロとは従兄弟であるフィリップ。

 彼も子どもの目線に立とうという姿勢があるらしい。

 

 

「だってルーディア。私よりも女の子っぽいし、頭も良さそうだし……。全部負けてる気がするもの……」

 

 

 あ……。

 そうか、そうだったのか……。

 

 

「お祖父さまも、お父様も昨日からルーディアのことばかり褒めるし、お母様だって今日、私からルーディアを庇って叱ってくるし……」

 

 

 エリスは肩を震わせ、前のめりになる。

 直後、ポタポタと涙の粒をテーブル上のスープの皿へと落としていく。

 

 

「私だって……! みんなに褒められたいのに……! どうして他所からやって来た子ばかり良い思いをするのよっ……!」

 

 

 彼女は叫んだ。

 

 

「ギレーヌだってそうよ……。ルーディアを守るし、私には冷たくするし…」

 

 

 

 この場には居ないギレーヌについても本心をぶちまけていた。

 エリスは悲しみに(さいな)まれ、自分でも気持ちの整理がつかないらしい。

 

 

「私だってこんな自分がイヤなのよっ……。他の貴族の子達にはバカ扱いされるし、使用人にも哀れんだ目で見られるし……」

 

 

 その気持ちは痛い程に分かる。

 

 エリスは俺なのだ。

 生前の俺と同じく、根拠の無い自信に振り回されて、しかし、他人との比較に苦しんで……。

 

 暴力に訴える性格なのも自分を守る為の手段にすぎない。

 己をバカにする人間の口を塞ぐ為の、不器用な彼女なりのやり方。

 

 それを頭ごなしに叱りつけても押さえつけられるハズがないのだ。

 

 エリス自身も正体の見えない苛立ちにずっと苦しんできた。

 溜め込んだ鬱憤は解消されずに蓄積を続け、時おり暴発しては自己嫌悪に陥る。

 

 祖父や両親はきっとそんなエリスのことを愛している。

 

 けれどエリスは劣等感と自尊心から、自分から相談なんて出来やしない。

 仮に相談する気になったのだとしても、形の不確かな不満の塊を、どうして伝えられようか?

 

 くそっ……、なんで俺はそんな事に気付かなかった。

 自分だって経験したくせに、忘れるハズの無いトラウマとして今も魂に焼き付いているってのに。

 

 

「みんな、私のことを見てよっ……。う、あ……う、ああーんっ……!」

 

 

 泣く少女の声が部屋中に響く。

 サウロスは孫娘の悲壮感に動揺し、ヒルダは口を押さえて愛娘に歩み寄るべきか迷っている。

 

 そしてフィリップは、普段は眠たそうに細めている目を大きく開いて、ただエリスを見守っていた。

 

 ここは俺がエリスを助けなきゃいけない。

 俺だけが彼女と気持ちを共有出来るのだ。

 

 

「エリスお嬢様」

 

「ん、ひくっ……なに、よ……」

 

「エリスお嬢様はスゴいですよ」

 

「スゴい……? 私が……?」

 

 

 戸惑うエリスに構わず俺は続けた。

 

 

「だってそうでしょう? エリスお嬢様は、どんな相手にも果敢に挑み、そして勝ってきました」

 

 

 ギレーヌを除くとして、エリスが痛め付けた相手の中には、彼女をバカにした輩も居ただろう。

 

 周囲に広まったエリスを侮辱するような噂を真に受けて、端から彼女自身のことを見ようともしない奴らがきっと存在した。

 

 大の大人が居た、屈強な男も居た。

 

 全て俺の想像上の敵でしかないが、エリスはそんな奴らを徹底的に痛め付けてから追い出した。

 ならエリスの勝ちだ。

 

 

「貴女は強いんです。これは誇るべきことですよ」

 

 

 俺は暴力が嫌いだ。

 しかし、泣いている女の子を見過ごすような奴はもっと嫌いだ。

 

 あぁ、俺はクズだ。

 生前なら自分のことだけで精一杯で、他人の心配をする余裕なんて無かった。

 

 今でも余裕が在るなんて思っちゃいない。

 俺にだってエリスと同じように、やりたくてもやれない事は多々ある。

 

 前世も今世も、その点は変わらないのだ。

 

 でも、そんなクソ野郎な自分を殴ってでも、俺は立って歩き続けて、本気で生きている。

 

 本気で生きているのなら、寄り道して泣いてる女の子に手を差し伸べるくらいは許されるだろう?

 

 

「私は……弱いわよ……。あんたみたいに強くないわ……」

 

 

 しおらしいエリス。

 だが俺は挑み続ける。

 

 

「エリスお嬢様がご自身で力不足だと思うのなら、強くなれば良いんですよ」

 

「なによ、それ……」

 

「強くなる為にギレーヌを食客として招いたのでしょう?」

 

「それもあるけれど……」

 

 

 

 他にも理由があるみたいだが、この際、無視だ。

 

 

「私がもっと強くして差し上げますよ。読み書きや算術、魔術だって、私ならエリスお嬢様に教えられます」

 

「出来るの、そんなことが?」

 

「出来ます! だって私はエリスお嬢様の家庭教師ですから!」

 

 

 そしてエリスは、その言葉の意味を何度も考え──。

 

 

「あ、あんたねぇ! 嘘だったら承知しないんだからねっ!」

 

 

 恥ずかしそうに俺を家庭教師として認めてくれた。

 もう泣いてなどいない。

 弱気なんて微塵も感じさせなかった。

 赤猿姫の復活である。

 

 

「それとお嬢様なんて呼ばないでよ! エリスって呼ぶこと!」

 

「あ、はい。エリス」

 

 

 名前で呼ぶことを許された。

 可愛いところあるじゃねえか。

 

 やがて和やかなムードに食卓は包まれ、サウロスが酒の勢いでやたら俺にウザ絡みしたり、ヒルダも俺とエリスを順に膝に乗せてデザートを食べさせてきたりした。

 

 フィリップはそんな様子をニコニコしながら観察し、面白そうに笑い声を漏らす。

 

 ぎこちないながらも俺とエリスは打ち解けた。

 俺への嫉妬も忘れたのか、チラチラとこちらに熱い視線を送っては反らす。

 その繰り返しだ。

 

 形はどうあれ、楽しい食事会は幕を下ろした。

 

 

 

 

 そしてその晩、フィリップの私室にて、俺は呼び出しを受けていた。

 こっちも彼に用件があったのでちょうど良い。

 

 

「いやあ、私の想定を大きく超える結果を出してくれたね」

 

「またまたぁ、フィリップ様は、こうなる事を見越して食事の場を用意したんでしょう?」

 

「さぁ、どうかな。私にだって出来ないことはあるよ。しかしルーディア、君はそれをやってのけた。感謝しているのさ」

 

 

 この男、油断ならない。

 権謀術数に長けた人間だってことは昨日今日の2日間で、なんとなく感じている。

 どうやらボレアス家の次期当主争いにこそ敗北を喫したらしいが、その目はまだ野心を感じさせる。

 

 そんな鋭さが俺に刺さるのだ。

 それを俺は確かめたかった。

 

 

「あの子が何を悩み、何を欲していたのか。親である私でも聞き出せなくてね。しかしそれもルーディアのお陰で解決した」

 

「それはどうも」

 

「お、良いね、その素っ気ない態度は。ますます気に入ったよ。パウロには感謝しなければね。君のような出来の良い女の子を、我が家に送り出してくれたのだから」

 

 

 もう俺が何してもヨイショするんじゃなかろうか、この人は。

 

 

「ひとまずエリスの件は安心だ。今後は家庭教師の仕事を頑張りたまえ」

 

「承りました、フィリップ様」

 

「おっと、給金の話がまだだったね」

 

 

 そう言って彼が提示した額は、月に金貨2枚という破格だった。

 

 

「え、そんなに貰って良いんですか!」

 

 

 金貨1枚が日本円換算で10万円。

 それが2枚だから20万円だ。

 

 そして俺の衣食住は丸ごとボレアス家によって提供されるので、丸々20万円相当を小遣いとして使えるのだ。

 聞けば剣王という肩書きを持ち、剣術指南兼護衛という立場のギレーヌと同額なのだとか。

 

 普通、俺のような実績の無いガキなんざ、銀貨2枚で十分なんだけどな。

 ちなみに銀貨1枚が1万円相当だ。

 

 

「それくらい君を買っているのさ。働き次第では昇給と賞与も考えている」

 

「ははぁー、フィリップ様、万歳!」

 

 

 床に膝をついてフィリップを崇め奉る。

 土下座に近い格好だ。

 

 

「君の給金が高いのは将来性を見込んでだよ。エリスの教育は最後までやり遂げる事は前提としている。それとは別に君のその先についての話だ」

 

「つまり私が、ボレアス家を出た後の話でしょうか?」

 

 

 恩でも売りたいのだろうか?

 俺の身辺調査は済ませてあるだろう。

 最近、水王になったロキシーの弟子であることは、周知の事実だろうし。

 

 無詠唱魔術や特殊な治癒魔術だって使える。

 大成が見込める俺に先行投資ってわけだ。

 

 

「ルーディアは必ず歴史に名を残す魔術師になるだろう。そうなればアスラ王国に留まらず、他国からの干渉もあり得るだろうね」

 

「なので今の内に囲っておくと?」

 

「そうさ。それに君にだってメリットはあるんだよ。ボレアス家はアスラ王国を代表する武官貴族。君を手に入れようと手段を選ばない連中だって警戒する」

 

「つまり、後ろ楯になってくれると?」

 

「話が早くて助かるよ」

 

 

 なんかすげぇ事を聞いちゃった気がする。

 大人に振り回されるというのは、あまり気持ちの良い話ではない。

 

 

「私の案としてはね。君の父パウロをノトス家の当主にすげ替えること。その為には君の名声が役に立つはずさ」

 

「でも跡継ぎ問題がありますよね。私も下の子も女ですよ」

 

「なぁに、パウロとゼニスはまだ若い。その内、男子だって生まれるさ」

 

 

 楽観的な考えだが、現実味がある。

 しかしフィリップの目的が読めない。

 ボレアス家の人間が、俺やパウロに与する理由としては弱い。

 

 

「まだ話は終わっていないよ。私の考えとしては、パウロを当主としたノトス家の力を借りること。そして私自身がボレアス家の次期当主になることだ」

 

「あ、なるほど……」

 

 

 合点がいく。

 要するに俺やパウロの為ではなく、自分の為なのだ。

 なかなかに腹黒い男だよ。

 

 

「となると、次期国王を争う派閥も鞍替えするという事でしょうか?」

 

「察しが良いね。私としては現在、ノトス家が推す第二王女アリエル殿下の派閥に移籍したい」

 

 

 現ノトス家当主では不都合があるのだろうか?

 ピレモンの助力を得られないから、パウロを利用するってことか?

 

 

「君が男子なら、エリスをあてがって無理やりにでも私の陣営に取り込むところだったけどね」

 

「それは……」

 

 

 そんなのはエリスが可哀想だ。

 好きでも無い男と夫婦にならなきゃならんのは。

 

 

「でも君、女の子に興味があるんだろう? ギレーヌから聞いたよ。彼女に欲情したそうじゃないか」

 

「え……なんのことですかねぇ!」

 

「惚けなくても良いさ。かのアリエル殿下でさえ、そういう噂があるくらいだしね」

 

 

 ちくしょう、ギレーヌ!

 余計なことをペラペラと話しやがって!

 だが主には逆らえんか。

 

 

「君が求めるならエリスはくれてやっても良い。でも今のルーディアにその気は無いようだから、そうだね、3年後くらいにもう1度意思確認しようか」

 

 

 3年後と言えば、俺は10歳だ。

 節目ということで、心変わりを期待しているのだろう。

 3年もあれば俺はエリスに情が移るだろうしな。

 

 そんな具合に、難しい話は終わった。

 家庭教師の件もあるし、今は他の事は考えたくはない。

 

 地道にやりたいことを進めていこう。

 その日の晩は、あまり眠れなかった。

 フィリップの話のせいでもあったが、御神体(ロキシーのパンツ)を、実家の自室に忘れてきた事に気付いたからだ。

 

 

 

 

 翌日、執事のトーマスとやらに言われて、エリスと町へ社会見学に出掛ける事になった。

 何でもフィリップの指示だとか。

 

 で、目的地は商業エリアの市場である。

 お金の相場を調べ、使い方をエリスに教えて欲しいとのことだ。

 

 家庭教師としての初仕事である。

 腕が鳴るってもんだ。

 昇給目指していざ!

 

 なんて意気込んでいたが、護衛のはずのギレーヌが不在で不安である。

 出発前、トーマスが何やらギレーヌに声を掛けていたが、急用が出来たのだろう。

 

 というわけで俺とエリスの2人っきり。

 デートみたいなもんだ。

 

 

「ルーディア! あっちには何があるのかしら!」

 

「ちょ、勝手に先へ行かないでください!」

 

 

 制止するが彼女は何かに興味をそそられたのか、駆け出してしまう。

 油断も隙もあったもんじゃねぇやい。

 

 

「て、居ない!」

 

 

 人混みに紛れてエリスを見失ってしまう。

 こりゃいかん、俺の責任問題に発展する。

 いや、単純にエリスの身が心配だ。

 

 慌てて周囲へ視線を右往左往させると、意外と近くにエリスは居た。

 露店に興味津々なのか、商品を手に取って眺めていた。

 

 

「見つけましたよ、エリス! 勝手な行動は謹んでくださいね!」

 

「細かいことでうるさいわね! 私の行動にケチつけないでよ!」

 

「貴女を心配してのことです。エリスの身に何かあれば、サウロス様やフィリップ様に顔向け出来ません」

 

「仕方がないわね。少しだけ大人しくしてあげるわよ」

 

 

 ずっと大人しくしていてくれよ。

 しかし、エリスは何に興味を持ったのやら。

 手の中にある物に視線を落とす。

 小瓶に入ったカラフルな香水?

 

 

「へえ、エリスもこういった物に興味をお持ちになられるんですね」

 

「お母様が淑女は香水で殿方を魅了するのよ、って言ってたわ」

 

「意中の殿方がいらっしゃるので?」

 

「居ないわね。でもこういうのも付けてないと、お母様がうるさいのよ」

 

 

 まあ、母親として娘が恋愛に興味が無いとなれば、将来を危ぶむだろうさ。

 

 

「では、これを買いましょうか。お金ならそれなりに持たされています。奥様に見せて、安心させてあげましょう」

 

「そうね、買っておいて!」

 

 

 店主に声を掛けて会計を済ませる。

 ちなみに値段は金貨1枚。

 日本円で10万円と高額。

 庶民向けの商品ではなかったようで、かなり値の張る買い物だった。

 

 

「次は何を見ましょうか?」

 

「小腹が空いたから食べ物ね」

 

「ではそのように動きます」

 

 

 エリスの空腹を満たすために、食品を扱っていそうな屋台群へ飛び込む。

 香ばしい匂いが漂ってきた。

 

 

「あれにしましょう!」

 

「ちょっと! 走らないでください!」

 

 

 また突っ走るロケットのようなお転婆娘。

 制御が利かず誤射連発だ。

 着弾点の指定なんて不可能で、被害想定すら困難を極める。

 

 で、エリスのお目当ては、焼き串屋だ。

 目の前で煙を出しながら焼いていて、視覚と嗅覚とで食欲を刺激する。

 

 

「何本食べます?」

 

「2本ね」

 

「了解です」

 

 

 自分の分も含めて計4本を購入。

 1本当たり銅貨1枚、計4本で銅貨4枚の会計だ。

 日本円で400円でお買い得価格である。

 

 歩きながら焼き串を食べ、喉が乾いたので飲み水を購入。

 こちらはペットボトルサイズの500mlで、焼き串1本と同じく銅貨1枚の価格。

 2人分の購入なので銅貨2枚だ。

 

 

「そろそろお金の使い方を理解出来ましたか?」

 

「ええ、なんとかね」

 

 

 俺としても勉強になった部分がある。

 ブエナ村を出る前にリーリャからある程度の市場価格を教えてもらっていた。

 が、実際に自分で買い物をするのは、今日が初めてだったりする。

 

 やはり知識と経験の2つが揃ってこそ身になるんだな。

 魔術に通ずるものがある。

 無詠唱技能も同様に。

 

 

「少し休みましょう」

 

「ルーディアってば、もう歩き疲れたの?」

 

「体力作りくらいは実家でしてきたんですがね。エリスほどハードな訓練はしていないんですよ」

 

「ルーディアもギレーヌに鍛えて貰えば、すぐに体力がつくわよ!」

 

 

 なるほど、エリスの体力はギレーヌの鍛練由来のもの。

 これは俺自身の成長も期待出来そうだ。

 明日辺りから、エリスと共に訓練に参加させてもらおう。

 

 とりあえず休憩すべく、広場へ移動。

 ベンチがあったのでエリスと並んで腰を下ろした。

 

 

「ふぅ、この町って賑かですね。故郷じゃ、人混みすら稀でしたよ」

 

 

 祭りでも無ければ喧騒とは無縁の土地だった。

 その代わり、出発前のグレイラット家は賑かだったけどな。

 両親に侍女に妹たち。

 まだホームシックには早いが、会いたくなってきたわ。

 

 

「すごいでしょう! お父様が市場を改革して、人が集まるようになったのよ!」

 

「そうだったんですね。さすがはフィリップ様だ」

 

 

 改革前の市場がどれほどの有り様だったのかは知らないが、エリスが自慢げにしていることから、確かな成果が出たに違いない。

 実際に市場を歩いてみて活気を感じた。

 これぞ人の営みってな雰囲気だね。

 

 

「そういえば、エリスは読み書きをどこまで理解していらっしゃるのですか?」

 

「全然ね」

 

「全然ですか」

 

 

 こりゃ、当初の想定より難儀しそうだ。

 けどこれも試練として捉えれば苦にならない。

 平坦過ぎる人生ってのも張り合いが無いだろうし。

 

 

「算術も?」

 

「算術もよ!」

 

 

 じゃあ、この子はなんだったら出来るんだ?

 あぁ、剣術か。

 昨日は相手がギレーヌだから地べたに転がったが、おそらく彼女は年の割に剣術の腕は良い方だろう。

 

 まだ剣神流の初級との話だが、もうじき中級への昇格が見えているらしい。

 

 

「こほんっ、ではそろそろ休憩を終えましょうか」

 

「わかったわ!」

 

 

 咳払いしてから立ち上がる。

 待ってましたとばかりに、俺の手を引いて走り出すエリス。

 引きずられるように、2人して人混みへと突入。

 

 が、手を繋いでいたにも関わらず、人の密集率の高さによって、はぐれてしまった。

 なんだあの子は、迷子の達人かい?

 

 焦っても意味が無いので平常心を保ち、彼女の姿を目で捜す。

 んん?

 普通に見つからず、焦燥感に襲われた。

 

 俺に対しては多少は態度を改めたエリス。

 しかし、根本的な部分じゃ人間はそう簡単には変わらない。

 あの瞬間湯沸かし器のように不機嫌に怒り出す少女のことだ。

 放置していては各所でトラブルを起こしかねない。

 

 逆に言えば騒ぎになっている場所を探せば、発見への近道か。

 そういった判断で耳を研ぎ澄ませ、エリスの声──口論とやらを探る。

 

 

「ちょっと離しさいよ! 汚い手で触るんじゃないわよ!」

 

 

 よっしゃー、早速ヒットしたぞ!

 判断は正しかったようだ。

 

 市場から少し外れた路地裏。

 そこに捜し人の真っ赤な女の子が居た。

 口論の相手はお世辞にも清潔とは言い難い男たち2人組。

 喧嘩なのか定かではないが、仲裁に入らねば。

 

 

「エリス! どうされましたか!」

 

「あ、ルーディア! こいつらがいきなり私を路地裏に連れ込んできたの!」

 

「それは本当ですか?」

 

 

 エリスは腕を掴まれ暴れていた。

 男から逃れようと殴ったり蹴ったりを繰り返しているが、相手は物ともしない。

 

 目を凝らして見れば、男らの身体は良く鍛え上げられていて、厚い筋肉の鎧を身に纏っている。

 いかに暴力的なエリスと言えど、易々と殴り倒せないほどに屈強な男たちだ。

 

 そして腰には──剣の鞘。

 すなわち2人組の男たちは、ただの乱暴者というわけではなく流派は分からないが剣士だ。

 下手に機嫌を損ねれば、その場で斬られかねない。

 

 冷静に呼び掛けを試みる。

 俺は剣士にトラウマがあるんだよ。

 

 

「失礼、その子から手を離していただけないでしょうか?」

 

「なんだガキ。ボレアス家の娘の関係者か?」

 

「はい、そうですが。いまボレアス家がどうとかおっしゃいましたよね?」

 

 

 この男たち、エリスの素性を知った上で荒っぽい手に出ている?

 あのサウロスに敵対する行為。

 もしかしたらエリスを拐って人質にし、単純に身代金でも要求するつもりか。

 或いは、どこぞの貴族の手の者で、エリスを餌にボレアス家に害を与えようとしているのか。

 

 いずれにせよ、ただの喧嘩ではなかったのは明白。

 これは……覚悟して事に当たらなきゃだ。

 

 

「ちょうど良い。お前も変態貴族に高額で売り飛ばせそうだ。セットで売れば、色を付けて貰えるだろうぜ」

 

「やはり貴方たちは、人攫い!」

 

 

 嫌な予感が的中した。

 こんな時にギレーヌが居れば窮地なんて有って無いようなものなのに。

 だが、そのギレーヌは執事のトーマスに足止めを受けている。

 

 いや、あまりにタイミングが良すぎやしないか?

 トーマスって奴もグルだったりしない?

 

 今は別事を考えるな!

 

 目の前のエリスを救出することだけに専念するんだ。

 幸い奴らは、俺の素性までは知らないらしい。

 剣士に通じるか分からんが、無詠唱魔術で不意討ちを狙う。

 

 そしてしまいには剣を取り出した男目掛けて『昏睡(デッドスリープ)』を撃ち込むが、剣先で軌道を反らされた。

 

 くそっ、ダメ元とはいえ、こうもあっさりと防がれちゃ自信を失くすぜ。

 パウロやギレーヌ以外の剣士が嫌いになりそうだ。

 

 

「おいガキ、お前魔術師か。これは思わぬ拾い物だ。高く売れるに違いねぇ」

 

 

 どうやら俺に付加価値を見出だしたのか、金目の物扱いをしてきやがった。

 虫酸が走るが、取り乱すなよ、俺!

 

 続いて、水と土の混合魔術で男の足元に泥濘(ぬかるみ)を発生させる。

 不意討ち成功!

 バランスを崩した男はエリスを掴んでいた手を離す。

 

 

「エリス! 走って!」

 

「うん!」

 

 

 エリスに声を掛け、誘拐犯たちから距離を取らせる。

 が、手持ち無沙汰であったもう1人の男が、エリスの長い髪の毛を乱暴に掴んで逃亡を阻止した。

 

 ちっ、マズッたか!

 

 すかさず中級風魔術『真空波(ソニックブーム)』を、エリスを拘束する男の腕に飛ばす。

 フレンドリーファイアーに細心の注意を払ってだ。

 

 男の腕を切り落とし、再びエリスを解放する事に成功。

 よし、俺はいまちゃんと戦えてる!

 

 油断したわけじゃないが、勝ち筋が見えてきた。

 別に倒さなくともエリスを連れて人混みに消えれば、追ってはこれまい。

 逃げに徹することも視野に入れ始めたその時だった。

 

 

「ルーディア! 後ろ!」

 

「え……?」

 

 

 エリスが指を差して叫ぶ。

 振り返ろうとするも──。

 

 ガンッ、嫌な音がして後頭部に衝撃を受ける。

 くそっ、仲間が他に……居た?

 目の前の敵に集中して背後への警戒を怠っていた……。

 

 やがて俺の意識は遠退く。

 ほくそ笑む人攫い達の顔を視界に収め、エリスが取り押さえられる姿を最後に気絶した──。

 

 人生2度目の誘拐被害である──。



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15話 覚醒と光の太刀

 時間帯は夜だろうか?

 月明かりが瞼を照らし、眩しさに目を覚ました。

 

 打たれた頭部には既に痛みなどは残っていない。

 自動治癒(オートヒーリング)のお陰だが、意識を保つにはあまり効果が現れないらしい。

 

 身体が動かない。

 簀巻きにされているのだ。

 俺が魔術師だってことは先の戦闘で割れているからか警戒され、ガッチガチにされたのだろう。

 簀巻きの中では、両腕を胸の辺りで組むように縛られている。

 

 このまま攻撃魔術などを放てば、心臓を破壊する羽目になる。

 心臓まで傷がついちゃ、自動治癒(オートヒーリング)でも治せない。

 効果範囲はせいぜい骨折までに留まるのだ。

 

 上級治癒術では心臓損傷はちっと厳しい。

 ていうか、人族は心臓の機能に支障をきたした時点で死ぬ。

 

 つまり自力じゃ拘束を解けん。

 

 エリスはどこだ?

 あぁ、そばで寝ていた。

 口を半開きにして涎を垂らしている。

 呑気なもんだよ、お嬢様は。

 

 しかし、俺と違って彼女の拘束はそれほど厳重ではない。

 エリスならば力任せで拘束を解けそうな杜撰なやり方だった。

 ひとまず目覚めるのを待つか。

 

 そういや、ここはどこだ?

 薄暗いホコリっぽい倉庫のような部屋だ。

 窓には鉄格子、鍵が掛けられていそうな扉。

 幸い、監視の目は無いが、扉の外からは人攫い達の話し声が聞こえる。

 

 俺たちを売り飛ばす算段を立てているらしい。

 

 

「ルーディア!」

 

 

 と、ここで眠り姫のお目覚めだ。

 

 

「エリス、どうやら私たちは誘拐されたようです。見ての通り、私は身動きが取れません」

 

「どうすれば良いの! 教えて!」

 

「とりあえずエリスは、ご自身の拘束が解けるか試してください。その後に私も解放してくだされば、後はどうにかしますから」

 

「わかったわ!」

 

「ちょ、声のボリュームを下げて!」

 

 

 注意する俺も、結構な声の大きさだったようで、扉が開いて男が1人入って来た。

 苛立った様子で、片腕が見当たらない。

 そうかコイツ、俺が腕を斬り飛ばした奴だ。

 応急処置を済ませたようだが、上級治癒を使える人間が一味には居ないらしい。

 

 

「このガキッ! よくも俺の腕をっ!」

 

「かはっ……!」

 

 男の爪先が俺の腹部へと刺さる。

 怒りをぶつけるように執拗に蹴ったり踏みつけたりを繰り返してきた。

 

 ……っ、痛い……。

 めちゃくちゃ痛い……。

 

 自然と涙がこぼれ、暴力に対する恐怖心と死の存在を隣に感じたことから身体が震えた。

 

 

「ゆ、ゆる、して……」

 

「許すわけがねえだろうがよぉっ!」

 

「腕なら、治し、ますから……」

 

「無詠唱魔術を使えようが、てめえみたいなガキに治せるわけねぇだろ! くそっ! ぶっ殺してやりてえが、商品は殺せねぇ」

 

 

 実際、俺ならば切断された腕さえあれば治療可能だ。

 だが、目の前の男は信じようとしないし、ストレスを発散するように、俺をひたすらサンドバッグにする。

 

 

「か、ひ……い、痛い、……あ、ぁ」

 

「うるせえっ! てめえは黙ってろ!」

 

 

 頭を踏まれ、脳が揺さぶられる。

 怪我なら都度、自動治癒(オートヒーリング)で治るが、苦痛の記憶までは消えてはくれない。

 

 

「父さ、ま……助けて」

 

 

 パウロに助けを求めるが、今や遠く離れた土地にお互い居る。

 今回ばかりは俺の声は届くまい。

 心が折れそうだ。

 どれだけ魔術を使えようが、所詮のところ俺は非力なガキに過ぎないのだ。

 

 

「傷が治ってやがる。てめえ、不死魔族の混血か?」

 

 

 なにやら勝手に誤解している様だが、まあ誤認されるような体質ではある。

 でも痛いものは痛いんだ。

 そろそろ止めて欲しい。

 子どもには優しくしてくれよ……。

 

 縋るような気持ちで男の目を覗き込んでみるが、反感を買ったらしく、顎を強く蹴り上げられた。

 

 

「ちょっと、あんたっ!! ルーディアになにしてんのよっ!」

 

 

 見かねたエリスが男へ向かって吠えた。

 おい、やめろよ、エリス。

 お前まで標的にされちまう。

 サウロスの大切な孫娘が傷つく姿なんて見たくない。

 

 

「てめえも生意気なんだよっ……!」

 

「か、はっ……!」

 

 

 俺と同じように、男の蹴りと踏みつけを受けたエリスは威勢を失ってしまう。

 

 

「その子だけには……手を出さないでください。私が、なんでも……しますから……」

 

「っち、だったら大人しくしてるこったな」

 

 

 そう吐き捨てて男は扉の外へ消えた。

 その場に残るのは、散々痛め付けられた俺とエリスの2人だけ。

 

 

「すみません、エリス。私を庇わせたばかりに」

 

「謝るのはこっちよ。私が大声を出したから……」

 

 

 鼻血を流すエリスの顔は痛々しい。

 『地帯治癒(エリアヒーリング)』で、遠隔からエリスの傷を癒してやる。

 こういう時に便利な魔術だ。

 手が塞がっていても使えるし、無詠唱だから奴らに気取られることも無い。

 

 治癒魔術の研究を進めておいて正解だった。

 

 

「ん、ありがと。もう大きな声は出さないわ……」

 

「うん、助かります」

 

 

 申し訳なさそうに顔を暗くするエリスの頭を撫でてやりたいが、あいにくと簀巻きでミノムシ化した俺じゃムリだ。

 

 

「では今度こそ、エリスの拘束が解けるか試してみましょう」

 

「そうね」

 

 

 俺の指示で後ろ手に縛られているロープを力業で(ほど)こうとするエリス。

 顔を真っ赤にさせながら試行錯誤すること数分。

 緩みを見せたロープは解かれ、彼女は自由の身となった。

 

 

「待ってなさい、いまルーディアも自由にしてあげるから」

 

「お願いします、エリス」

 

 

 程なくして、エリスの奮闘により俺も自由を手に入れた。

 ようやく一息つける。

 

 ドア周辺を火と土魔術などを駆使してガッチガチに固めておく。

 これならば魔術を剣で反らすような輩相手でも時間稼ぎくらいにはなるはずだ。

 

 次に窓にはめられた鉄格子に着手する。

 ノロノロしていたら、また男が入って来てボコられかねないので、気づかれる事前提で、魔力を多めに込めた水弾(ウォーターボール)で一思いに壁ごとぶち抜いた。

 

 今の物音で俺らの脱獄を知った人攫い達が、ドア付近で騒いでいる。

 不安そうなエリスの手を引っ張って、外へと逃れた。

 

 無我夢中で走る。

 この時ほどパウロの体力トレーニングに感謝したことはあるまい。

 エリスは余裕のペースで着いてきている。

 なんて涼しい顔だよ。

 

 そして乗合馬車の案内板で現在地と運行時間を確認する。

 まだ出発まで時間があるので待つしかない。

 

 しかし、ロアの町から随分と離れた土地まで連れてこられたもんだ。

 町二つ分は離れたウィーデンとかいう名の町だ。

 ブエナ村と比べりゃあ、栄えている方だが、ロアを散策した今となっては、見劣りする。 

 

 さてと、追手から身を隠さねば。

 エリスを連れて物陰で屈む。

 ブルブルと震えるエリスの肩を抱き寄せてやると、ピタリと止んだ。

 

 俺の肩に頭を預けて、小声でささやいた。

 

 

「悪かったわね、私のせいで、あなたを巻き添えにしちゃって」

 

「気にしないでください。私だって誘拐の標的にされてしまうくらい可愛かったので。遅かれ早かれ、こうなっていたことでしょう」

 

「そうね、ルーディアは可愛いものね」

 

「エリスも可愛いですよ? 凛々しいし、カッコ良くもあります」

 

 

 お互いに褒め合っている内に出発時間を迎えたので、御者に料金を支払って乗車。

 子ども2人組が夜に馬車に乗ることを不審がられながらも、ウィーデンを発った。

 

 しばらくして隣町へ到着。

 安宿に素泊まり、そこで夜を明かす。

 

 同じベッドで身を寄せ合って眠る。

 エリスは不安のようで、俺を抱き枕にして寝ていた。

 しかし、彼女の腕力は凄まじいもので、翌朝に目覚める頃には背骨が砕けそうになっていた。

 

 そして安宿を飛び出し、乗合馬車の始発に乗り込む。

 どうにかしてやっとの思いでロアの町まで戻って来られた。

 

 さしものエリスも安心したのか、ずっと力の入っていた肩を脱力させている。

 俺も同じようなもんだ。

 

 とはいえ、まだ油断ならない。

 ボレアス家の館に帰るまでは気を抜けないのだ。

 遠足とは違い殺伐とした空気である。

 

 だが、ロアの町だ。

 俺にとってはまだ滞在して数日の土地。

 けれどエリスにとっては生まれ育った故郷。

 精神的には不安は和らいだことだろう。

 

 

「早い内に戻りましょうか。フィリップ様達が心配しているはずですから」

 

「そうね、ありがとう。ルーディア!」

 

「お礼はお家に帰ってからにしましょうね。人攫いがウロついているかもされませんし」

 

「それもそうね!」

 

 

 足を踏み出し、ボレアス家へと歩を進めた。

 高級住宅エリアへ入ると治安も良い。

 ここいらなら人攫いのような身なりの人間は入って来られないはずだ。

 衛兵が巡回しているし。

 

 が、その油断がよろしくなかった。

 曲がり角から成人男性らしき者の手がエリスへと伸びていた。

 まさか! まだつけ狙っていたとは!

 

 咄嗟にエリスの肩を掴んで引き戻す。

 でも俺の身体が前のめりとなり、身代わりのように、その手に引きずり込まれた。

 そのまま肩に担がれて何処へと移動する。

 

 

「ルーディア!」

 

 

 エリスの焦る声が聴こえる。

 彼女には悪いが、そのまま逃げてもらおう。

 

 

「逃げて、エリス! ギレーヌを呼んでくるんです!」

 

 

 曲がり角に消えた俺の声が届いたかは定かではないが、こうしてエリスを守れたんだ。

 本望だし、家庭教師としての面目も保てるってもんよ。

 

 

「おいおい、赤毛のガキじゃねえぞ」

 

「逃がしたか……。だが、このガキも高く売れるぞ。昨晩、確認したが、コイツはブエナ村のルーディアだ。金貨2千枚の高級品だ」

 

 

 

 俺の相場は金貨2千枚、日本円換算で2億円ってわけかい?

 人を物扱いしやがって、いい加減に腹も立ってくる。

 

 それにしてもこの男たち、盗品なのか高級紳士服に身を包んでいる。

 つまり待ち伏せをくらったってわけだ。

 ボレアス家に帰るなんて事は、向こうからしたらお見通しだからな。

 

 肩に担がれながら売り捌く話を聞くのは趣味じゃない。

 今の体勢を利用して、男の背中にゼロ距離で『昏睡(デッドスリープ)』を浸透させる。

 

 別に魔力弾として放つ必用性は無いのだ。

 念入りに魔力を込めておいたので、よほどの闘気でも纏わなければ、防ぐ事は出来まい。

 崩れ落ちる男の肩から下りて、人攫いの残党に立ち向かう。

 

 あと2人、俺を狙う敵は居た。

 隻腕の男と、見知らぬ顔の男。

 たぶん、俺を背後から襲ったヤツだな。

 

 双方、戦闘態勢に移行する。

 一度は負けた相手だ。

 ポカかましてやられるのはもう御免だぞ。

 

 ひとまず先手を取らせてもらっ……ぐっ……!

 

 

 隻腕の男の剣先が肩口に刺さる。

 

 

「……っ! い、……!」

 

 

 目で追えなかった!

 激痛で魔術を発動する思考が乱される。

 

 こんにゃろう!

 俺が傷の治る体質だからって容赦なく突き刺してきやがって!

 

 背後に倒れかけるも、太ももに力を入れて踏み留まる。

 痛かろうが敵は待ってくれない。

 

 隻腕の男と、もう1人の男の足下に『氷柱(アイスピラー)』を発動。

 足の甲を串刺しにされてしまえっ!

 

 だが、奴らは視認もせずに、地面の異変を察知して飛び退いた。

 これでもダメかよ。

 剣士の動きがまるで読めないぞ。

 

 その後も攻撃魔術は避けられ続ける。

 魔力の残量はほぼ無制限に近いから、残弾を気にする必要はない。

 しかしジリ貧だ。

 昨晩、ろくに寝られなかったせいか体力が落ちている。

 消耗が激しく、無視出来ないレベルだ。

 いずれは動けなくなる。

 

 そして戦況は悪化の一途を辿る。

 こっちから攻撃する余裕を失い、防戦に徹している。

 勝てないなら逃げるべきなんだろうが、いつの間にか前後で挟み撃ちにされていた。

 

 『土壁(アースウォール)』『水壁(ウォーターウォール)』といった防御向けの魔術も、奴らには紙のように薄っぺらいのか、容易く突破される。

 

 その度に俺の身体をチクチクと傷をつけては後退。

 まるで生殺しだ。

 なまじ治癒力の高い体質だ。

 ああやって心をへし折りにきているんだろう。

 

 そして痺れを切らした男らは、魔術の発動源である両腕を──切断した。

 

 

「う、あ……あああぁぁぁっ……!」

 

 

 今度は救いはなかった。

 両腕を肘関節の辺りで失い、地べたに尻餅をつく。

 失血死を恐れて切断面を自動治癒(オートヒーリング)で癒し、止血する。

 

 男たちも後で俺の腕をくっ付ける為なのか、存外にも丁寧に回収していた。

 

 

「安心しな、嬢ちゃん。腕は引き渡し前に治療してやるさ。尤も、買い取り先の変態貴族の意向によっては、一生そのままかもしれねえがな」

 

 

 痛い、痛い、痛い……。

 

 無意識に痛みを遠ざけようと、全身の神経に魔力を流し、()()を遮断する。

 

 痛みは消えた。

 しかし、俺は敗北した。

 完膚なきまでに叩きのめされたのだ。

 

 

「手こずらせやがって。だがこれで俺たちは大金持ちだ。こんな稼業からもおさらば出来るってもんよ」

 

 

 その最後の被害者が俺ってわけか、なんて運が悪いのやら。

 いや、俺が高額だからこそ引退するんだ。

 逆に言えば俺の犠牲で未来の被害者を減らせたってことになる。

 

 いや、もっと自分の身を労れ。

 パウロは俺を守る為に鍛えているのに、俺が諦めてどうする?

 

 父親を裏切れない、母親だって悲しませたくない。

 他にみんなも悲しませたくない。

 

 パウロ、ゼニス、ノルン──。

 リーリャ、アイシャ──。

 ロキシー、シルフィ、エリス──。

 

 俺にとって本当に大事な人たちの顔が思い浮かぶ。

 

 だから諦めるな。

 負けるな。

 生きろ。

 

 だから俺は腕を失いながらも──()()()()を使った──。

 

 ()()から現れた赤い球体の数々。

 それらは俺の周囲を浮遊し、円を描く様に回る。

 

昏睡(デッドスリープ)』の複数生成だ。

 

 人攫い達は、遅れながらも飛来するそれを回避した。

 切り落とされた俺の両腕を残して。

 

 すぐに風魔術を虚空から発動し、吹き飛ばすことで切断面へと密着させる。

 後はこの一瞬で()()された自動治癒(オートヒーリング)で、両腕は元通りだ。

 

 自身の底力が末恐ろしくなる。

 

 かの有名なラプラス戦役においても、魔神ラプラスは異様な不死性を見せたと言われている。

 もしかしたら俺は、魔神ラプラスには及ばないまでも、その再来者になり得るかもしれない。

 

 

 

「このガキィ……! 化け物がぁ!」

 

「もういい、殺せっ……!」

 

 

 殺気を飛ばす剣士2人。

 戦況は依然として不利。

 勝つことは不可能に近い。

 いくら腕がくっついたとしても、俺は決定打を持ち合わせていない。

 

 ヤツらがどこの流派で、どのランクかは知らないが、少なくとも俺より場慣れしているはず。

 だったら逃げるか!

 

 背中を見せるのは危険だが、この場に留まる方がもっと危険だ。

 

 

「あばよ、とっつぁん!」

 

 

 土壁(アースウォール)を幾重にも連ねて、背後を守る。

 ボレアス家に逃げ込めば、俺の勝ちだ!

 

 そう確信した時だ。

 背後から土壁を貫通する破壊音が聴こえてきた。

 

 

「え……?」

 

 

 振り返る。

 剣が……飛来してくる。

 ヤツらは、剣を投擲したのだ。

 

 軌道上には俺の頭部。

 あ、ヤバい。

 俺、死んだわ。

 

 いかに治癒力を飛躍的に伸ばした俺といえど、頭部を損傷すれば即死だ。

 

 死を感じて、しかし目を背けず、ただ奇跡の訪れを祈る。

 

 そして奇跡は俺を救済した──。

 

 褐色の獣が彗星のごとく目の前に飛び込んできた。

 迫っていた剣は、俺を救った何者かの剣の一振りで木っ端微塵。

 

 得物を自ら投げた男は、首を落とされ、生き残っていた隻腕の男も頭から真っ二つに切り落とされていた。

 

 

「無事か、ルーディア」

 

「ギ、ギレーヌ!」

 

 

 救世主の正体はギレーヌ。

 俺の直接知る人の中では最強の武芸者であり、剣王の称号を持つ剣士。

 

 そうか、エリスが呼んできてくれたんだな。

 命を削る思いで闘い抜いたことに意味はあったのだ。

 

 本音を言おう。

 今度こそ本当の意味で死を覚悟していた。

 命を諦めはしなくとも、奪われる事は想定していて、それでも助かって……。

 

 

「本当に助かりました、感謝します」

 

「すまんな。ボレアス家として守ってやるつもりだったのだが、まんまと出し抜かれてしまった。今頃トーマスのヤツはサウロス様たちに八つ裂きにされているだろう」

 

「いえ、私の力不足が招いたことですので」

 

 

 ギレーヌの話に出てきたトーマスが、エリス誘拐を企てたのか。

 町への社会見学を利用されたって形だな。

 直前にギレーヌを呼び止めたことから、間違いない。

 

 ふと、俺が昏睡(デッドスリープ)で意識を奪ったはずの男の姿が消えている事に気づく。

 仲間を置いて逃げたのか?

 

 だがそうではなかった。

 頭上に影が差す。

 視界から日光は遮られ、何かの接近を感じた。

 

 残党の姿は、宙にあったのだ。

 

 

 

「ギレーヌ、上です!」

 

「知っている!」

 

 

 長剣を構えたギレーヌは、跳躍し──。

 

 空中で敵を迎え打つ。

 だが地の利は敵にあった。

 太陽を背にした男は逆光に紛れる形で、ギレーヌの剣を掻い潜り、俺の真横に降り立った。

 

 が、ギレーヌだって遅れは取らない。

 すかさず蹴りを見舞って、男の身を数メートルほど飛ばす。

 蹴りの衝撃で内臓を傷つけたのか血を吐く剣士。

 被弾したが、剣王相手に数秒の事とはいえ生き残るなんて手練れだ。

 

 それほどの剣士が俺なんかに一矢報いられるなんてな。

 時の運もあるのだろうか。

 いや、俺は自分でもドン引きする程に大量の魔力を込めた上で昏睡(デッドスリープ)を発動した。

 強い闘気の持ち主だからこそ、この短時間で意識を取り戻したのだ。

 

 

「その太刀筋、北神流だな?」

 

 

 淡々と問うギレーヌ。

 

 

「それも北聖といったところか」

 

 

 北聖と言えば聖級剣士だ。

 ギレーヌを除けば、俺が遭遇した中では最高位の剣士。

 

 

「そういうてめえは、剣王ギレーヌか……。ここいらで引き分けって事にしねえか? 金なら払う。手打ちにしてくれ」

 

「ほざけ。ボレアス家の人間に、それも2人に手を出して五体満足で居られると思わないことだ」

 

 

 交渉決裂と判断した男は、決死の覚悟なのか、それとも破れかぶれなのか、剣を携えて突進。

 捨て身だ。

 しかし、確実に相討ちを狙わんとする意思をひしひしと感じる。

 

 一度、鞘に剣を納めるギレーヌ。

 そして再び鞘に手を添える動作。

 

 腰を落とし、膝に力を込め、踏み込みの準備体勢に入る。

 僅かに剣を抜き、彼女は視線を北聖の男へと定めた。

 

 空気が固まる様な感覚。

 接近する北聖に対して剣王は一呼吸の時を静止。

 

 やがて剣に神が宿ったのを契機に、ギレーヌは鞘から奥義を解き放った。

 

 一閃──。

 

 音はしなかった。

 空気を切り裂き、真空が生み出される。

 隙間を埋めるように流入する大気が風の流れを作り出す。

 

 その風すらも置き去りにして、ギレーヌは光にも迫る速度を以てして、北聖を迎え撃った。

 

 血飛沫が舞った。

 北聖は死に、首を失った胴体だけが数歩分の歩みを進めて事切れる。

 

 その奥義は見たことが無い。

 でも俺は名前くらいはパウロから聞いていた。

 

 『剣神流奥義・光の太刀』

 

 パウロの使用した無音の太刀を極めた先にある、正真正銘、剣神流の極致。

 

 この世で他の追随を許さない最強の業を、俺は目の当たりにしたのだ。

 

 ギレーヌは、めちゃめちゃ強かった。

 パウロが俺をボレアス家に託した理由が分かった気がする。

 

 

「もう敵は居ないな?」

 

「はい、私の認識が正しければ、執事のトーマスを含めて4人だけです」

 

「そうか。では帰るぞ、エリスお嬢様がお待ちだ」

 

「はい!」

 

 

 なんとか生き残れた。

 剣士に殺されかけ、剣士に救われる。

 まったくよぉ、ブエナ村とロアの町で同じ体験をするとは思わなかったぜ。

 

 

「ところでエリスに怪我はありませんか?」

 

「ああ。お前があの子を守り通したからな」

 

「良かった……」

 

 

 俺はきっと、我が身以上にエリスを守りたかったんだと思う。

 過去の自分に勝手ながら重ねて、それに可愛いから、大切にしようと決めたのだ。

 

 こうして俺の家庭教師としての初仕事は、ギレーヌのサポートを受けながらも成功に終わった。



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16話 誘拐事件のその後

「ルーディア!」

 

 

 深紅の少女が俺の帰りを待ちわびていたのか、飛びつくようにして抱擁してきた。

 2歳差という年齢の違いからか、エリスの方が幾分か背が高く、俺の顔は胸の辺りに埋もれる。

 

 まだ9歳でしかないボレアス家のお嬢様。

 しかし、幼いながらも確かな弾力が俺へ安心感を与えてくれる。

 

 

「エリス、貴女が無事で何よりでした」

 

「もう! あなたはもっと自分の身を大事にしなさいよ! 死ぬところだったんだから!」

 

 

 

 至極まともな事を言われた。

 彼女もまた、誰かを心配する良心を得たらしい。

 それにしても……、エリスって良い香りがする。

 

 昨日から風呂に入っていない為か、汗の匂いが強いが、俺の嗜好に合致した甘ったるい香りがそそる。

 

 暴力女のレッテルを貼られたエリスだが、まぁ実際にそうなのだが、少なくとも俺の好みに合った容姿でもあるのだ。

 

 母親のおっぱいを鑑みるに、エリスの将来的な胸部装甲も揉みごたえのある物に仕上がるだろうな。

 ぐへへ、数年後が待ち遠しいぜ。

 

 スケベな妄想をしていると、ギレーヌに『発情するな』と、頭を軽くはたかれる。

 獣族の鼻は欺けまいて。

 

 

「ルーディア、今さら気になったけど血塗れじゃない!」

 

「怪我は完治していますよ?」

 

 

 両腕を切断されたんだ。

 エリスのお古である洋服は、俺自身の血液で赤く染め上げられていた。

 しかも肘の辺りで布が断ち切られてボロボロ。

 乱暴されたとしても、こうはなるまい。

 

 

「そういう問題じゃない! ルーディアは私の家庭教師なのよ! 何も教えずに死んじゃうところだったのよ! 約束を破るつもり!」

 

 

 鼓膜が破れそうな声量に身体がビクッとする。

 ギレーヌもうるさそうにして、顔をしかめていた。

 うん、エリスからすりゃあ、約束を反故にされる寸前だったわけだし、怒る理由にも納得はいく。

 

 てか、純粋に身を案じているのだと、鈍い俺でも分かるよ。

 

 

「では、エリス。お約束します。私はエリスの家庭教師である限りは、絶対に死なないと」

 

 

 考えの末に絞り出した答えは、お為ごかしでしかない言葉を吐いた。

 我ながら都合の良い口から出任せだ。

 

 

「約束なんだからね……」

 

「はい……」

 

 

 でも、納得自体はしてくれた。

 一件落着とは程遠い顛末だが、俺はエリスを守った。

 だから明日からも、この事実を誇りに持って、家庭教師の仕事を全うしてやるとも。

 

 

 

 

 さて、事後処理について語ろう。

 まず執事のトーマスは、サウロスやフィリップに暴力的な尋問を受けて、洗いざらいを吐いた。

 

 横暴なエリスに嫌気が差していたのと、お金に目が眩んだのと、あとはならず者と繋がりがあった事から、今回の事件を計画したのだとか。

 

 で、俺たちからギレーヌを引き剥がした手管についてだ。

 フィリップから至急の呼び出しだと、ギレーヌに嘘の知らせを伝え、護衛は別で付けると話したらしい。

 

 フィリップもまた、外部の人間によって行動を誘導されていた。

 俺たちが出発した後、王都に居るボレアス家次期当主である兄ジェイムズより使者が送られ、ロアの街の政策にケチをつけられたらしい。

 

 その対応で、館を離れており、事件の発生を知るのが遅れた。

 つまり今回の事件は──。

 

『トーマス含める人攫い』

『ボレアス家次期当主ジェイムズ』

『変態貴族』

 

 以上の人間が関わった複雑な騒動なのだ。

 変態貴族ってのは、おそらくダリウス上級大臣辺りだろう。

 噂じゃ、ボレアス家を査察に来た際に、エリスを気に入ったんだとか。

 

 下手すれば俺とエリスはセットで、ダリウスの奴隷にされていたのだろう。

 

 しかし、ダリウスを追及しようにもトーマスの証言だけでは関与を証明出来ず、ジェイムズについても同様。

 たまたま使者のタイミングが重なったのだとシラを切られた。

 

 何でもジェイムズはダリウス寄りの人間であり、父サウロスとも、そりが合わないようだ。

 つまりジェイムズは実の姪エリスを差し出そうとしたのだ。

 そこに俺が想定外の動きをしたことから、計画は破綻したのだが。

 

 以上の説明をフィリップから、俺は受けていた。

 お家騒動に巻き込んだ事を深く謝罪され、今後は街へ赴くとしても、ギレーヌ以外の護衛は許可しないとも話していた。

 

 そしてサウロスなのだが、息子ジェイムズに対して怒りを抑え付けられず、直接抗議に王都へとその身で向かった。

 俺とエリスの帰宅を確認すると、地響きと共にボレアス家の館を飛び出したのだ。

 

 そして今回の一件、解決に尽力したのは全てギレーヌであると、外向きには発表された。

 食客として剣王ギレーヌを招いたと内外にアピールする為だ。

 

 そして俺の存在も、一部には漏れているにしても、他の()()()()()()()に対して秘匿すべく、ただの被害者の1人として扱われる。

 

 政治的駆け引きってやつだ。

 フィリップの話してくれた計画上、俺やパウロの存在をおおっぴらにするのは不味いしな。

 

 

「改めて謝罪させてもらうよ。君をダリウスの手勢から保護する為にボレアス家で預かっていたのに、我が娘エリスの巻き添えにしてしまって、本当にすまなかった」

 

 

 深々と下げられたフィリップの頭。

 その真意の程は知れないが、エリスの父親として頭を下げている。

 なら無下には出来ない。

 

 

「既に謝罪はいただいています。フィリップ様、頭をあげてください」

 

「そうか、すまないね。君にはもう、頭が上がらないよ。例の計画への参加は蹴ってくれても構わない。これ以上、ボレアス家のいざこざに巻き込むのは忍びないからね」

 

「そう言っていただけると助かります。私には荷の重い話でしたから」

 

「ああ、エリスの事は変わらず、君にあげるよ。あの子もまんざらでもないだろうしね」

 

「えぇ?」

 

 

 どこまで本気なんだよ、この人は。

 計画の参加の件も怪しいな。

 

 

「なんであれ、重ねて礼も言わせて欲しい。エリスを救ってくれて、ありがとう」

 

「はい、フィリップ様」

 

「あの子は私とヒルダに残された、たったひとりの我が子だ。もしあのまま連れ去られたとしたら……。笑えない話になっていただろうね」

 

 

 ヒルダの性格から考えると廃人か自殺の二択だろう。

 確かに笑えないな。

 つまり俺はエリスと同時にヒルダも助けたってことか。

 

 

「そうだね。今回の件については、口止め料、迷惑料、謝礼を含めて金貨100枚を受け取って欲しい」

 

「ひゃ、100枚!」

 

 

 おったまげた。

 そんな大金、湯水のごとく俺のような若造にポンポン出しても良いのか?

 それほどまでにボレアス家の財政事情は良好という事なんだろうけど。

 それにしたって、庶民なら何年暮らせるんだよって額だ。

 

 

「君も現金で渡されても困るだろうからね。君の口座に振り込んでおくよ」

 

「あ、はい」

 

 

 この流れは受け取らざるを得ないな?

 つか、この世界にも銀行とかってあるんだな。

 まあ地球でも大昔から銀行は存在していたし、中世ヨーロッパ的文明なこの世界にあっても、なんら不思議ではない。

 

 

 

 

 数日ほど療養の為に休暇を与えられた。

 身体に傷は残っちゃいないが、精神的な傷に対するケアだとかで、ゆっくり休むようにと、フィリップに押し切られたのだ。

 

 その間もきちんと給料は発生中。

 いわば有給休暇だ。

 しかし、まだ一度しか授業という名のエリスとのデートしかしていないのに、申し訳なく思う。

 

 他の諸先生方は歩合給だって聞いたし、俺はかなり優遇されているようだ。

 自分で言うのも何だが、魔術の腕前だけならフィットア領1だと自負している。

 

 他の領地や他国の事情までは知らんから、あえてフィットア領に限定しての感想である。

 

 そして休暇中はギレーヌとエリスの剣術の訓練を見学したり、書庫で各種専門書を読み込んだりと、有意義に過ごさせてもらった。

 

 ただ書庫には魔導書の類いは所蔵されておらず、フィリップに問い合わせたところ、わざわざ何冊も取り寄せてくれた。

 お金の事は気にするなと話し、何とも太っ腹なことだ。

 聖級治癒魔術の専門書も含まれており、目的の1つを達成する事が出来た。

 今後、暇を見て聖級治癒魔術を学ぶとしよう。

 

 大浴場でエリスとヒルダの母娘と入浴するなんていう美味しい出来事もあった。

 ヒルダの裸を見れば、将来のエリスの身体の未来図となる。

 

 現在のエリスは、まだ胸は未発達。

 しかし、幼さゆえの瑞々しさには見惚れたもんだ。

 まさか無修正の少女の裸を拝めようとはな。

 ロキシーとシルフィ以来だ。

 

 って、3人の美少女の柔肌を恥ずかしい部分も含めて知っている俺は、十分に変態と言える。

 

 やったね! アスラ貴族にも見劣りしないよ!

 

 そして職場へ復帰。

 まともな授業が開始された。

 生徒はエリスとギレーヌの2名。

 

 2人とも真面目に取り組み、1ヶ月もすれば、読み書きなどはマスターした。

 算術についてはギレーヌはともかく、エリスは知恵熱を出すほどに頭を悩ませている。

 

 何度も親身になって教えてやると、エリスも根気の強さを見せつけ、最低限のレベルだが覚えてくれた。

 買い物くらいなら問題無さそうだ。

 

 そして魔術の授業。

 これについては両者とも、他の教科と比較しても熱心に取り組み、初級の火及び水魔術を1つずつ習得した。

 エリスはたまに詠唱を間違えて不発なんて一幕もあった。

 

 ただ2人とも無詠唱魔術だけは習得不可らしく、諦める結果となった。

 物覚えの良さとか資質も関係するんだろうけど、やはり俺やシルフィのように、幼い頃から魔術を鍛えなければ身に付けることも覚束無(おぼつかな)いようだ。

 

 次に語るべきは剣術か。

 これまで2度も剣士に辛酸を舐めさせられた俺。

 ほぼ初めて木剣を持たされて素振りをさせられる。

 後は木剣を持った状態での走法なども、付きっきりで教えてもらった。

 

 エリスも俺が訓練に参加すると、より一層やる気を出しており、急激な成長を遂げる。

 俺を守れるくらい強くなるのだと毎日のように語っていた。

 

 うーん、エリスのように可愛くて格好良い女の子に、そう言われると女冥利に尽きるぜ。

 

 俺の剣術の習熟度について話そう。

 ギレーヌ曰く、俺に剣神流の才能は感じられないとのこと。

 戦闘に際して、足が竦む癖があると指摘された。

 仮に改善したとしても、才能的に中級程度が限度なのだとか。

 

 普通に生きる分には中級でも、十分に誇れる事だと慰めの言葉を頂いた。

 そして俺は、剣神流よりも北神流の方が向いているとアドバイスを受け取る。

 

 げぇ……。

 よりにもよって俺を苦しめた流派に適性があるとか、どんな罰ゲームだよ。

 あと俺は先天的に闘気を纏えない体質らしい。

 たまにいるらしい、俺のような人間が。

 

 だからパウロやギレーヌのように岩をスパスパ斬ったりは出来ないだろう。

 

 実戦形式でエリスと木剣で打ち合う日々。

 同世代の女の子と切磋琢磨する時間は、俺を幸福感で満たす。

 今のところ、エリスには負け越しているが、10戦もすれば1本くらいは取れるほどに上達した。

 

 ただそれはエリスも同じ。

 俺よりも早い成長速度で腕を上げ、手加減しているとはいえ、ギレーヌ相手にも良い勝負をしていた。

 

 ああいう姿を見ると、俺も負けていられないと俄然やる気が出てくる。

 

 そういうわけで、1日の内、午後は剣術に明け暮れる日々をひたすら続けていった。

 

 1日を終えると自室にこもって教材作りの時間だ。

 家庭教師としての本分を忘れず、こうして頭を使っているのだ。

 エリスとギレーヌの学習能力に合わせて、別々のテキスト問題集を作成。

 書き取りノートなども自前で用意し、彼女らの学習環境を整えていく。

 

 さて最近になって由々しき問題が浮上する。

 剣術の時間はともかく、座学や礼儀作法のレッスンなどを毎日のようにこなすエリス。

 

 その彼女が苛立つ事が増えた。

 休む間もなく詰め込みでの学習の日常。

 気が休まらないのは言わずとも分かることだ。

 

 よって俺はボレアス家の教師たちを招集した。

 緊急職員会議である。

 

 参加メンバーは俺、ギレーヌに加えて礼儀作法の講師であるエドナという女性だ。

 ちなみに世界の歴史については、フィリップが気まぐれにエリスへと教えているようだ。

 

 今回は呼び出していない。

 だってあの人、多忙だし。

 

 で、3人で話し合った結果、7日間に1日だけ休日を設けることになった。

 俺としても1日だけとはいえ自由時間が生まれる。

 聖級治癒魔術の習得がまだ途中なので大助かりである。

 

 そして設定した最初の休日。

 俺はエリスと共に街へ散策に出ることになった。

 もちろん、今度はギレーヌが同伴する。

 フィリップが話していたように、今後はギレーヌ抜きでの外出は一切許可しないってことだ。

 

 

「ではルーディア様、くれぐれもエリス様から目を離さぬようお願いいたします」

 

「はい、アルフォンスさん」

 

 

 トーマスに代わる新しい執事のアルフォンスから、金銭の入った袋を手渡される。

 今度の執事は、先代の頃から仕えている執事の1人らしく、繰り上がりでボレアス家の筆頭執事になった人物だ。

 

 サウロスの酒にも時々お供するそうで、素性については完璧にシロだそうな。

 

 

「はやくー! ルーディア!」

 

「はいはい、いま行きますよー」

 

 

 エリスに急かされて、足早に出発することになった。

 久しぶりに訪れる商業区。

 相変わらず人混みは凄く、はぐれないようにエリスと固く手を握りながら歩く。

 

 もしもはぐれた場合、背の高いギレーヌを目印に集合と、事前に取り決めをしている。

 尤も、今回はギレーヌが居るのではぐれたりはしない。

 

 さて、ある店で俺の視線を釘付けにする代物を見つける。

 夜の営みの味方、媚薬が金貨10枚で売られていたのだ。

 

 

「銀行から下ろしてくれば、自腹で買えるよな……」

 

 

 フィリップから頂いた金貨100枚を口座から引き出せば、買えない事は無い。

 これを使えばエリスだって、トロトロのヌレヌレである。

 

 てか、俺は何をエリスと寝る前提でいるのやら。

 女同士の絡み方は百合ゲーで知識としては持っている。

 しかしそれをエリスに強要するのはいただけない。

 妄想に留めておこう。

 

 

「ルーディア、何を見てるのよ!」

 

「わ、わあ!」

 

 

 俺の肩に顔を乗せて尋ねるエリス。

 目鼻立ちがハッキリしていて、クール美人さを余すことなく伝えてくる。

 惚れちゃいそうだよ。

 

 

「媚薬? それ、お祖父さまの部屋で見たことがあるわね」

 

「お、おう」

 

 

 孫娘に何を見られてるんですか、サウロス大叔父様!

 

 確かあの人は無類の獣族の女性好きだ。

 館内を探索中に情事の現場を誤って見てしまったことがあるのだ。

 お相手は、ボレアス家で雇われている獣族のメイドさん。

 

 

「それ、欲しいの? 買ってあげるわよ」

 

「いえ、遠慮します。使い道も有りませんので」

 

「ふーん? じゃあ、別の店に行きましょう!」

 

 

 あまり興味を示さず、エリスはとっととギレーヌの下へ駆け出していった。

 年齢的に下ネタにいちいち反応しないのだろう。

 

 次に本屋へ入店。

 様々な本があるが、ボレアス家の書庫に既に収められているものばかりが目立つ。

 ただ新作の文学書などは、俺の興味をそそる。

 

 価格にして平均金貨1枚。

 エリスに見られないように官能小説を購入する。

 参考までに内容を説明すると、貴族令嬢同士の禁断の愛を描いたラブストーリーだ。

 

 それなりに売れ筋らしく、山積みになっていた。

 いったいどの層の客が買っているのやら。

 って、俺か?

 

 そしてエリスも何かお気に召した本があったようで、俺に購入を促す。

 アルフォンスから預かっている財布から金貨8枚を取り出して会計を済ませた。

 

 て言うか、高くないかしら?

 タイトルに目を通すと伝記物みたいだ。

 

 甲龍王ペルギウス関連の書籍らしい。

 そういや、実家にも似たような本があって、パウロが読み聞かせてくれたっけ。

 

 やがて時刻は夕刻に差し掛かる。

 

 美しい焼け空に目を奪われていると、雲の切れ目から凄い物が見えた。

 

 

「え、お城?」

 

 

 天空に浮かぶ城が視界に入ったのだ。

 ボレアス家の居城よりも遥かに規模が大きく、荘厳な印象を見る物に焼き付ける。

 

 俺も鮮烈に網膜へ刻み付けられ、年甲斐もなく興奮した。

 

 

「ギレーヌ、あれって?」

 

 

 天空の城に人差し指を差して、ギレーヌへと質問する。

 

 

「甲龍王ペルギウスは知っているな? あれは奴の根城の空中要塞(ケイオスブレイカー)だ」

 

「マジすか、スッゴいすね!」

 

 

 その空中要塞(ケイオスブレイカー)は、アスラ王国の上空を不定期に巡回し、監視をしているのだとか。

 

 ああ、思い出した。

 実家に有った本のタイトルは『ペルギウスの伝説』ってやつだ。

 

 内容も覚えている。

 なんでも魔神ラプラスを封印した三英雄の一人だったか?

 

 しかも存命中で、今もなお、アスラ王家に多大な影響力を持つらしい。

 ここ数百年は干渉すらしてないようだが。

 

 そんなペルギウス談義にエリスも乱入してきて、帰り道も退屈はしなかった。

 いつかペルギウスと勝負をしたいなどとエリスは語り、ギレーヌは冷めた口調で空を飛べるのなら止めはしない、と話していた。

 

 そうだよな、あの空中要塞(ケイオスブレイカー)は読んで字のごとく、空に浮かんでいるのだ。

 風魔術を使っても届かないほどの高高度(こうこうど)

 

 エリスじゃ逆立ちしたって届きようがないのだ。

 

 それにペルギウスは、恐ろしく強い12人の配下を従えているので、挑めば命の保証は無い。

 

 まあ、基本的に英雄ペルギウスは、おとぎ話上の人物と考えるのが吉だ。

 俺の人生で関わる事は、まず無いだろうよ。

 

 エリスも本気では無い……とも言い切れないのが恐ろしい。

 いずれは剣王にでもなって挑みに行きかねないぜ。

 その時は俺が止めてやらねば。

 

 機嫌良さそうに俺とギレーヌの手を、エリスは両手で繋いで歩く。

 俺とギレーヌの間にエリスが挟まる配置だ。

 

 

「エリス、まるで私とギレーヌの子みたいですね?」

 

「ふ、面白い事を言うな、ルーディアも」

 

 

 背は俺が一番小さいけどね。

 

 

「なによー! 2人して私を子ども扱いしてー!」

 

「エリスお嬢様。ルーディアはそれほどまでに、貴女に愛着を持っているのです」

 

「あ、あらそう? だったら、許すわ!」

 

 

 ギレーヌが代弁してくれた。

 あの誘拐事件を乗り越え、それから1ヶ月も一緒に暮らしてきたんだ。

 もう姉妹のような意識を勝手ながら抱いている。

 

 

「エリス、これからも一緒ですよ」

 

「当然でしょ、ルーディアは私の家庭教師なんだから!」

 

「家庭教師じゃなかったら、どうですか?」

 

「じゃなくても一緒に居なさい!」

 

 

 うーむ、これは愛の告白と解釈しても良いのでは?

 いつか『ルーディア、私の家族になりなさい』とか言われちゃったりしてね。

 その時は、謹んでお受けしよう。

 俺もエリスとは家族になっても構わないと考えているし。

 

 夕焼けを背に、俺たち3人は1日を謳歌した。



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17話 お嬢様は10歳

 ボレアス家に預けられて早いもので1年が経過した。

 俺の年齢も8歳となる。

 対してエリスは近々10歳を迎える。

 

 個人的には妹分扱いのエリスだが、実年齢では彼女が上回る。

 建前上は親戚のお姉ちゃんとして敬わなきゃいかん。

 

 お姉ちゃん面するエリスが可愛いかったので、無意識に胸をつついたり、お尻を撫でたりしたら怒られた。

 赤面したエリスからビンタをされる始末。

 グーパンをしなくなっただけ、成長というものが見て取れる。

 

 そんなエリスは剣術においても成長を遂げた。

 10歳を迎える前に剣神流中級の認定をギレーヌより受けたのだ。

 

 で、俺が指導してやった魔術の方は、攻撃系統四種にて初級をマスターした。

 

 それ以降は、あまり魔術面での伸びは望めず、現在はいかに正確かつ素早い詠唱を行うか。

 その点について重点的に指導している次第だ。

 

 一方でギレーヌの方はと言うと、初級魔術を幾つか覚えたものの、エリスほどは習得が進まなかった。

 もしかしたら種族的な適性が関係してるのかも。

 

 とはいえ彼女の本領は剣術にある。

 魔術などオマケにしか過ぎず、逆に戦闘面で邪魔になりかねない。

 半端な選択肢は増やさない方が良いだろう。

 

 という理由で、雑事に使えそうな魔術だけをマスターさせておいた。

 後はずっと反復練習だ。

 

 俺の魔術事情についても話そう。

 

 既に聖級治癒魔術をマスター済みで、内臓の損傷もある程度は治癒可能になった。

 これで晴れて俺は聖級治癒術師の称号を得る。

 

 肩書きとしては『水聖級魔術師兼聖級治癒術師』となる。

 

 

 ちなみに解毒魔術も聖級を習得した。

 

 現在の魔術習熟度を一度リストアップしてみるか。

 

 火魔術:上級

 水魔術:聖級

 風魔術:上級

 土魔術:上級

 治癒魔術:聖級

 解毒魔術:聖級

 

 ロキシーのように王級には届かないが、正直な話、詠唱さえ知っていれば、すぐに到達可能だと考えている。

 あいにくと王級ともなると、各国の秘術扱いなので、気軽に学ぶなんてことは不可能だが。

 

 俺の場合は無詠唱魔術の利点として、込める魔力量によって威力を増減出来る。

 極端な話、初級魔術でも制御すれば王級相当の火力を引き出せるのだ。

 

 だから王級魔術師の称号には、こだわりは無い。

 あるとすれば、治癒魔術関連だ。

 

 あぁでも、ロキシーのフィギュアを製作する為に、土魔術も捨てがたい。

 フィギュアって市場に流せば良い小遣い稼ぎになるんだよな。

 

 さて俺が誘拐事件でお披露目したマンガ的、力の覚醒について。

 

 手を介さずに攻撃魔術を発動可能になった。

 知覚する空間内ならば、どこにでも攻撃魔術を生成し放題。

 これでいつ腕を切断されても安心。

 四肢の欠損を前提に備えるのも物騒な話か?

 

 チートやんけ、と思われるかもしれないが、欠点だってある。

 便宜的に『()()()()()()』と呼ぶそれは、一度に一種類の魔術しか発動出来ない。

 つまり混合魔術の発動は不可能だ。

 

 火・水・風・土・()()()の五種の攻撃魔術をそれぞれ単体でしか扱えない、少しばかり不便な技能。

 これも今後の成長に期待したい。

 

 『自動治癒(オートヒーリング)』の効果範囲だが、聖級治癒魔術まで拡大した。

 ますます、不死性が高まってしまったぞ。

 

 とはいえ、基本的に剣士という存在は、即死級の攻撃をしてくるわけで、相変わらず死と隣り合わせだ。

 

 ちなみに剣術の方は、やっとの思いで剣神流初級の認定を受けた。

 正直、伸び悩んでいるが、剣士の間合いというのを理解出来ただけで収穫は有ったな。

 

 今現在の俺の魔術及び技能を総動員すれば、中級剣士までなら危なげなく相手取れるだろう。

 ギレーヌも肯定してくれた。

 

 ただ上級以上になると、闘気の有無や技量の差で、全く歯が立たない。

 結局のところ、どれほど強い魔術を使えても、当たらなきゃ意味が無いんだ。

 

 仮定の話だが、今の俺でさえ、1年前のパウロ相手に挑んだところで勝てない。

 もっと突っ込んだ話をすると、殺す気でやり合ったなら、一瞬で首を落とされて即終了だ。

 

 それほどまでに魔術師と剣士との間には、絶対的な壁があるのだ。

 

 さて、ブエナ村のパウロについて語ろう。

 つい先日、実家から手紙が送られてきた。

 差出人はパウロで、グレイラット家の近況が主だった内容。

 

 ノルンとアイシャが歩けるようになったとか、ゼニスと喧嘩になって口喧嘩に負けたとか。

 

 リーリャを抱きたいけど、ゼニスに本気で離婚を切り出されかねないので我慢しているという、下半身事情まで綴られていた。

 

 スケベオヤジめ……。

 奇しくも俺はスケベ心が再燃してきて、エリス相手にセクハラ行為を働いている。

 血は争えないってやつだな。

 

 本題に入る。

 パウロの指南役として剣の聖地から派遣された人物は剣王だった。

 ギレーヌには実力では及ばないまでも、過去に武者修行の経験のある歴戦の剣士。

 

 シルフィの父ロールズも師事し、剣神流初級の認定を受けたと、手紙には書かれている。

 以前、魔物にやられた経験から、剣を振るようになったとか。

 

 そしてパウロは、手紙を送る直前に剣神流聖級の認定を受けたらしい。

 剣士としては感覚派のパウロだが、剣の理論をきちんと理解したようだ。

 剣聖の称号を得た父親を、俺は誇りに思う。

 

 次段階の剣王について補足すると、認定を受けるには、剣神の下で直接認定試験を受けなければならない。

 

 受験資格は、剣聖であることに加えて現役の剣王以上の推薦が必要。

 もしくは、剣神本人の判断で、ランクを問わず受けられる。

 

 パウロもその内、指南役の推薦で認定試験を受けるって事か。

 良い報告を待つとしよう。

 

 他にはシルフィについても記されている。

 

 俺が不在の間も魔術の練習に励み、上級魔術の無詠唱化に奮闘中。

 彼女も成長過程だ。

 手紙上のやり取りではあるが、気長に成長を見守りたい。

 

 さて、こっちも返事をしとかないと。

 

 『家庭教師として順調なスタートを切ったこと』

 

 『ボレアス家の人たちはみんな自分に優しいということ』

 

 『聖級治癒術師になったこと』

 

 以上の事を記しておく。

 しかし、誘拐の件は黙っておこう。

 パウロのことだから怒鳴り込みに来るだろう。

 

 ていうか、フィリップにより箝口令が敷かれている。

 ボレアス家の次期当主の座を奪取するにあたって、影響が及ぶからだ。

 仮に口を滑らせれば、俺といえど制裁は免れまい。

 

 立場的には、フィリップの方が上なのだ。

 筋の通らない話かもしれんが、それが貴族社会の在り方。

 厄介な世界に片足を踏み入れたものだ。

 ボレアス家とかノトス家のゴタゴタとは距離を置きたい。

 

 エリスだけ連れて、いずれアスラ国を飛び出してしまおうか?

 

 ああ、それが良い。

 シルフィにも声を掛けて、ラノア魔法大学に入学するのもアリだな。

 

 エリスは魔術こそ不得手だが、剣術という一芸がある。

 何らかの形で推薦してもらえるかもしれんな。

 

 そんな妄想をしつつ、手紙を書き終える。

 

 『追伸:父さま、大好き』

 

 パウロの喜びそうな一文を書き足してから、封蝋を施す。

 

 

 

 

 もうすぐエリスの10歳の誕生日だ。

 アスラ王国の風習に則って、盛大なパーティーが催される予定だ。

 この頃、ボレアス家の中では準備でバタついて落ちつきが無い。

 

 あのフィリップでさえ浮き足立っているほど。

 ヒルダの張り切り様も、目を見張るものがある。

 サウロスも似たようなもんだ。

 パーティーの開催費には、金の糸目をつけないつもりらしい。

 

 サウロスと雑談したのだが、どこそこの貴族を呼ぶだの、呼ばないだの、とペラペラ話していた。

 良いんすか?

 そんな情報を俺なんかに吹き込んで。

 情報漏洩のリスクだってあるのに。

 

 と、そんな疑問をサウロスにぶつけたところ、俺を信用しているから問題ないそうだ。

 人として信頼してもらえて嬉しかったので、素直に礼を言っておいた。

 

 愉快そうに俺の背中をバンバン叩いてきたが、超痛かった。

 あの爺さん、加減という物を知らない。

 曲がりなりにも俺は女の子なんですけどねぇ。

 

 パーティーの形式について。

 どうやら近隣の中級貴族を招待する関係上、ダンスパーティーとして開かれるようだ。

 

 当初、俺の参加は特に求められていなかった。

 しかしながら、礼儀作法の教師のエドナに、エリスのお付き合いとして、参加を求められてしまった。

 

 エリスは自分が主役のダンスパーティーにも関わらず、参加に消極的だ。

 その原因というのが、彼女自身が踊れないという切実な悩みによるもの。

 

 そんな彼女にやる気を出させるべく、俺も参加する運びとなったのだ。

 でも俺もダンスなんて踊れないよ?

 エドナの指導は受けるつもりではあるが。

 

 やる気どころか元気まで失ったエリスの居場所を突き止めるべく、館内を忙しく歩くメイドや、すれ違いざまに飴玉をくれたヒルダから情報収集。

 

 ついに中庭の中央で木剣を片手に握りながら、地面に倒れるエリスを発見した。

 一人で木剣を振るっていたらしい。

 

 

「どうされましたか、エリス」

 

「どうもこうもないわよ……。ダンスなんて大嫌い……」

 

 

 声に覇気が無い。

 普段ならサウロス譲りの発声で鼓膜を破ろうとするのに。

 

 

「ダンス、苦手なんですって?」

 

「そうね、魔術よりも苦手かもね」

 

「魔術が出来たのなら、ダンスだって大丈夫ですよ。私が保証します」

 

「そ……」

 

 

 それっきりエリスは沈黙する。

 よほど堪えているようだ。

 挫折する気持ちは、痛いほどにわかる。

 俺だって失敗談には事欠かず。

 成功談なんて全体で見れば極少数である。

 

 エリスは、小さい頃から失敗し続けて、今でもそれを恐れている。

 ちょっとやそっとじゃ動いてくれないだろう。

 だから少しだけ、成功談を思い出させてやろう。

 

 

「エリス、自分の得意な事を挙げてみてください」

 

「いきなり何よ、しょうがないわね」

 

 

 まず聞き出すのは、エリスにとっての得意分野。

 明るい話題から攻めていく。

 

 

「ギレーヌにはまだ全然負けるけれど、剣術が得意かしらね」

 

「はい、続けて」

 

「あとは、ルーディアが教えてくれた魔術ね」

 

 

 魔術は初級だけの習得だが、それは言うまい。

 エリスにとっては得意という認識だ。

 

 

「その2つは、はじめから上手でしたか?」

 

「そんなはずないわよ。最初の頃はダメダメだったんだから!」

 

「でも今はもう、1人前の腕前じゃないですか。エリスが継続して努力を重ねた結果ですよ」

 

「あ、うん……。照れるわね」

 

 

 何事も最初からプロレベルなんて事は無い。

 誰にだって下手な時期があり、それでも続けるから結果として形になるのだ。

 それを俺は、今の人生で強く実感している。

 

「だったらダンスも同じことです。出来ないと思い込むから、尻込みなんてするんです。大丈夫、私もエリスに付き合いますから。一緒に上手くなりましょう?」

 

 

 言いたい事は全て伝えた。

 あとはエリスの気持ち次第。

 

 

「そうね! ルーディアが言うことなら間違い無いわよね!」

 

 

 活力が戻ってきた。

 表情に笑顔が戻り、俺はいつものエリスと再会した。

 

 

「なにボサッとしてるのよ! 早くダンスのレッスンを受けなきゃ!」

 

「はい、頑張りましょう!」

 

 

 強引に手を取られながらも、エドナの下へと走り出した。

 

 そして、ようやく開始したダンスレッスン。

 当初こそ、剣術の訓練時と同等の意欲に満ち溢れていたエリス。

 けれど時間の経過と共に、翳りが差す。

 

 結論から言おう。

 エリスのダンスセンスは壊滅的だった。 

 絶望的と言い換えてもいい。

 

 ステップもリズムもめちゃくちゃ。

 エリスと組んで踊ってみたが、何度も足を踏まれた。

 その度にエリスは申し訳無さそうに、瞼を閉じる。

 

 

「やっぱり私にはムリなんだわ……。きっと本番で笑われて、お祖父様やお父様に恥をかかせちゃう」

 

 

 良くない傾向だ。

 すぐに上達するわけがないのに、諦めかけている。

 

 

「エリス! さっき私の言った事を忘れましたか?」

 

「忘れてないけど……。さすがに自分でもセンスゼロだって思ったわ」

 

 

 エリスは絶不調で、対して俺は最低限のレベルなら踊れる様になった。

 当て付けみたいじゃん。

 

 でも言い出しっぺの俺が見捨てたら、エリスを助ける者が居なくなる。

 俺が最後の砦なのに、そんな無責任な真似を出来るもんか。

 

 

「はぁ、エリスならきっと出来ないまでも、諦めずに努力すると思ったのですが……」

 

 

 焚き付けるようにため息をつきながら言う。

 わざとらしいことこの上ないが、一か八かの大博打に出てみる。

 

 

「見たかったなぁ、エリスの踊るところ……」

 

 

 さも、エリスの踊る姿をねだる子どものような声色。

 

 

「一緒にエリスと踊りたかったのに……残念です」

 

 

 お姉ちゃんが相手をしてくれなくて寂しい、そう心に訴えかける妹のような仕草で。

 

 

「エリスお姉ちゃん、私のこと嫌いなんだ?」

 

 

 とどめの一言を上目遣いで言い放つ──。

 

 

「仕方がないないわねっ! 私がいっしょにルーディアと踊ってあげるわよっ!」

 

 

 よし、来た!

 

 

 エリスのやる気を半ば強引に取り戻し、レッスンの続行を促した。

 試みはどうやら成功のようだ。

 俺も中々の演技派で、捨てたものじゃない。

 

 

「ルーディア! 私に付き合いなさい!」

 

「はい、エリス! いっしょに踊れて嬉しいです!」

 

 

 下手っぴなエリスだが、踊る相手を見つけて続ける気になってくれた。

 そうだ。それでいい。

 下手の横好きで、上達が遅くとも自分が楽しめれば、それで良いのだ。

 

 彼女にはその楽しさを学んで欲しかった。

 きっとこれからも、この経験を通じて継続の重要性を思い出すことだろう。

 

 そしてめげずにエリスのレッスンの日々は、誕生日パーティー本番まで続く。

 もちろん、俺もエリスの為に粉骨砕身の覚悟で付き合ってやった。

 

 その中で一つの気付きがあった。

 エリスには剣術由来の、彼女特有のリズムがあることに。

 他人に合わせるのは苦手のようだが、俺に合わせるのだけは、やけに上手く感じた。

 

 どうも俺とエリスの相性はバッチリらしい。

 ふむ、姉妹のような意識を持っていたが、目から鱗だな。

 

 そして迎えた本番。

 俺はダンスホールの片隅で飲み物をあおりながら、目立たないようにエリスを眺めていた。

 

 今日この日の主役であるエリスは、ガチガチに緊張しながらも、彼女なりの本気を窺わせる。

 

 周囲の招待客は誰しもがエリスに注目する。

 ボレアス家の令嬢がどれほどの器量の淑女なのかを見定めんが如く。

 

 その視線に晒されながらも、エリスは俺の存在を頼りに、自分の足で立っている。

 尊敬するさ。

 悔しくても、怖くても立ち続けることの難しさを知っているから。

 

 エリスは俺なんかよりもずっと強い女の子だ。

 かつての俺なら投げ出したことも、一度は諦めそうになっても、離さずにやり抜いたんだから。

 

 そんなエリスだから助けたいと思ったし、認められる姿も見たかった。

 だから今のエリスは、とにかく輝いている──。

 

 以降、エリスのぎこちないながらも決して折れることの無いダンスは、この場の全員の心を鷲掴みにする。

 

 そして俺は、ついエリスの下へと歩み寄り──。

 

 

「お嬢様、ご一曲、踊っていただけませんか?」

 

 

 エリスの手を取って、ダンスを申し込んでいた。

 

 

「しょうがないわね! 特別に踊ってあげるわよっ!」

 

 

 俺の気持ちを汲んでくれたエリス。

 皆が見守る中、俺とエリスだけの時間が、パーティーの最高の演出となった。

 

 まあ? 女の子同士で踊るのも、マナー違反ってわけじゃあるまい──。

 

 

 

 

 

 ダンスパーティーの後は、身内だけを集めて二次会が開かれた。

 パーティー自体はおおむね好評で、その感想を各々の口から語る。

 

 

「ルーディアァァァ! よくやったぁっ!! 儂のエリスをよくぞ、淑女に仕上げてくれた!!」

 

 

 酒に酔ったサウロスは、ご機嫌で俺を肩に乗せる。

 高いところは苦手だから、下ろしてほしい。

 

 

「いえ、全てエリスの努力の成果ですから。私はほんのキッカケに過ぎませんよ」

 

「だとしてもだ! 儂たちじゃエリスをここまで引っ張ってやれん! だがルーディアはやってくれた! 感謝する!」

 

 ふーん?

 こうも大げさに礼を言われると照れる。

 俺のやった事にも意味があったのだと、達成感を得られた。

 

 

「ああ、ルーディア! 貴女はもう、わたくしの娘よ! 養子に来なさい! そしてエリスと本当の姉妹になるの!」

 

 

 ヒルダもサウロスに見劣りしない激情家らしい。

 

 

「お母様! ルーディアが困ってしまうわ!」

 

「貴女もルーディアのことを少なからず想っているのでしょう? 悪い話ではなくてよ!」

 

 エリスとヒルダが言い争っている。

 奥さん、ありがたい申し出だが、俺にはパウロとゼニスっていう両親が居るんですぜ?

 

 

「父上と妻はともかく、私は君に感謝が尽きないよ。またしても私たちを驚かせてくれる」

 

「また、私なんかやっちゃいました?」

 

 

 おどけて返事をする。

 

 

「やっちゃってるんだよ、ルーディアは」

 

 

 冷静に返すフィリップ。

 その目は俺の心の内まで見通してきそうな鋭さを含み、しかし、労いの色も感じられた。

 

 

「前に約束していた賞与を支給しよう。金貨100枚でどうだい?」

 

「ひゃ、ひゃくっ!」

 

 

 前回貰った分すら手付かずなんだが、毎月の給料も含めて貯金がどんどん増えていく。

 悪いことじゃないが、子どもの持つべき額じゃないな。

 

 いっそのこと、ブエナ村の両親に仕送りでもしようかしら?

 妹たちやリーリャにもウマイ飯を食わせてやりたい。

 

 

「というわけだから。1週間以内に口座に振り込んでおくよ」

 

「なんか、すんませんねぇ」

 

「何を卑屈になってるんだい? 君は時々、腰が低すぎる事があるね」

 

「そういう性分でしてね」

 

 

 謙虚な姿勢も大事だ。

 特に目上の立場の人間には。

 出る杭は打たれるって言うしな。

 

 

「そういうところは、両親のどちらにも似ていないな」

 

「私の個性ってやつですよ、ギレーヌ」

 

 

 俺の両親を良く知るギレーヌにとっては、やはり異様に映るらしい。

 

 ただボレアス家の人たちは、こんな俺を受け入れてくれている。

 エリス、ギレーヌ、サウロス、フィリップ、ヒルダ──。

 

 たった1年で多くの思い出が紡がれた。

 ブエナ村のグレイラット家にも引けを取らない。

 

 政争については関わりたくないが、それを抜きにしてなら、個人的に末長い付き合いを願いたいところだ。

 

 

「ルーディアの10歳の誕生日も皆で祝いましょう!」

 

 

 エリスが俺の右腕に抱きついて提案する。

 密着した彼女の胸は、少しだけ膨らみを感じさせる。

 1年前よりも大きくなっている?

 

 

「そうだね。サプライズパーティーも考えていたが、私たちに隠し事は無しだ」

 

 

 フィリップにしては、含みの無さそうな言葉だ。

 ふむ、当初はサプライズで誕生日をお祝いしてくれる計画だったのか。

 

 

「ルーディア! 2年後が楽しみね!」

 

「はい、楽しみです」

 

 

 2年後には1度パウロたちにも会える。

 ボレアス家とブエナ村のグレイラット家合同の誕生日パーティー。

 これは盛り上がる予感がする。

 

 と、後でエリスに誕生日プレゼントを渡さなきゃな。

 忘れちゃいけない、今日の主役はエリスなのだ。

 

 エリスの為に用意したプレゼントを思い浮かべながら、二次会を楽しむことにした。



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18話 義姉妹の日々

 二次会の後、エリスとギレーヌを自室に呼び出す。

 彼女たちに渡す物があるからだ。

 この日の為に用意してきたそれは、俺にとっては特別なもので、きっと2人にとっても特別に成り得る代物だ。

 

 

「呼びつけてしまって、すみません。でも、魔術の師匠として、どうしても渡したいものがありまして」

 

 

 俺はエリスとギレーヌの魔術の先生。

 とうに初級魔術を扱える彼女たちに、杖を送る義務がある。

 

 シルフィの時とは違い、お古っていうわけにはいかない。

 ゆえに材料を自費で購入し、杖を自作した。

 作り方を調べるのに手間取り、少々、完成に時間を取ってしまった。

 

 が、どうにかエリスの誕生日に間に合わせる事が出来た。

 バースデープレゼントとして贈るのであれば、タイミング的にも申し分ない。

 

 

「何よ、それ?」

 

 

 俺が箱から取り出した杖を指を差して問う。

 

 

「私はお二方の魔術師としての師匠です。そして、弟子へ杖を贈る風習があるのです」

 

 

 ジッと聞く2人は、心なしか爛々と眼を輝かせているように見える。

 1年前までは魔術とは無縁だった剣士。

 その2人が一人前の証を師より(たまわ)るともなれば、努力を認められたと思うことだろう。

 

 エリスはポカーンとしているが、ギレーヌは対称的な行動を取る。

 片膝を床に着いて、剣神流でよく見られる門弟のポーズ。

 目上の人間に対する敬意を示す姿勢だ。

 

 つまり、杖を渡すなら今である。

 

 

「ハッ、ルーディア師匠、このギレーヌ、ありがたく頂戴いたします」

 

 

 随分と畏まった態度だ。

 剣神流でも最上位クラスの強さを誇る剣王を(ひざまず)かせるのは精神衛生上よろしくない。

 ここは早々に杖を贈るとしよう。

 

 

「ではギレーヌ。本日より貴女は魔術師を名乗りなさい。そして、修めた術を正しき道に使うのです」

 

 

 それらしい事を即興で添える。

 満足したらしいギレーヌは、小さく鼻を鳴らして微笑のままに立ち上がった。

 

 

「このあたしが魔術師とはな。故郷の愚兄が知れば、どんな顔を浮かべるだろう」

 

 

 兄とは不仲な様だが、見返してやりたいという気持ちはあると……。

 本当は嫌いじゃないのかもしれない。

 ただ巡り合わせに恵まれなかったのか、和解する事なく故郷を飛び出して来たのだろう。

 

 旅の剣士に連れられて、中央大陸に渡ったと以前、話していた様な気がする。

 

 

「では、次はエリスの番。ほら、こっちに!」

 

 

 ギレーヌとのやり取りを横で見ていたエリスは、同様のポーズを取ると、これまた同じ口上を述べる。

 

 

 

「ハ、ハッ、ルーディア師匠、こ、のエリ、……ス、ありがたくちょっ……だべっ、!」

 

 

 盛大に噛んでいた。

 緊張してるの?

 可愛らしいので頭を撫でておく。

 すると顔を赤くしてシュンと落ち込む。

 

 慰めの意味でおっぱいを揉んだら、久しぶりに顔面に拳が突き刺さった。

 

 いやあ、エリスの胸は柔らかい!

 殴られる事さえ覚悟していれば揉み放題だ!

 

 

「ルーディアってば、女の子なのに、どうして私の胸に触るのよ!」

 

「え、だってそれが同性同士のスキンシップでしょう?」

 

 

 違ったのか?

 女子校だと、女の子同士で乳を揉み合うってネットで見たんだが……。

 

 ああ、そういえばエリスに俺の胸を揉ませてあげていなかった。

 一方的なスキンシップじゃ、コミュニケーションとは呼べないか。

 

 

「じゃあどうぞ?」

 

 

 胸を突き出してみるが、エリスは手を出して来なかった。

 

 

「ルーディア、お前は何をしているのだ?」

 

「すみません、おふざけが過ぎました」

 

 

 ギレーヌに咎められたので態度を改める。

 時と場所を選ばないとこうなるという悪い例だ。

 

 そしてエリスには杖を引ったくられた。

 風情の欠片も無い、杖の授受式である。

 

 

「人族は誕生日に物を贈るのだな。では、あたしからはこれを」

 

 

 ここまでの流れから、ギレーヌもまたエリスへとプレゼントを決めた。

 自身の指に嵌められていた指輪を抜き取ると、エリスの手に握らせた。

 

 

「一族に伝わる魔除けの指輪だ」

 

「それって貰っていいの?」

 

「あたしには不要だ。エリスに身に付けて貰った方が価値が生まれる」

 

 

 要するに、常に自分はエリスのそばに居ますよ、的なメッセージか?

 

 

「ありがとう! ギレーヌ!」

 

 

 俺の時とは反応が正反対だ。

 スキンシップを図った結果がこれとは、俺も嫌われたものだな。

 

 自業自得な部分もあるが、エリスにとってギレーヌは憧れの存在。

 剣士としての師匠が身に付けていた指輪ともなれば、ありがたみの程は計り知れない。

 

 俺だって尊敬する師匠の御神体(ロキシーパンツ)を実家に忘れていなければ、肌身放さず大切にしていたはずだ。

 たぶん、御神体(ロキシーのパンツ)は、リーリャが厳重に保管してくれていると思う。

 あの人は、俺がどれほど御神体(ロキシーのパンツ)を大事にしているのかを知っているからな。

 

 その後は、ギレーヌは退室。

 エリスはまだ俺と過ごしたいらしく、ベッドに陣取ってリラックスしている。

 

 

「胸に触るのはダメだけど、いっしょに居てあげるくらいは構わないわよ」

 

「それは……。はい、嬉しいです」

 

 

 よかった、嫌われちゃいなかったんだ。

 

 彼女の隣に座ると、肩に手を回される。

 抱き寄せられて身体が密着した。

 エリスの優しげな温もりに、感動をも覚える。

 

 

「お母様には、あぁ言ったけど。私、ルーディアとなら本当に姉妹になりたいと思うわ」

 

 

 二次会でのヒルダの本気とも取れる養子発言。

 それはエリスの意思でもあったのか。

 

 

「それは嬉しい告白です」

 

「私は会ったことないけど、ルーディアのご両親って、きっと良い人達なのよね」

 

「ええ、とても。今でも時々会いたくなって寂しくなります」

 

「そう……。でもしばらくは帰れないんだってね?」

 

「悪いヤツらに狙われていますから」

 

 

 ダリウスの件がある限りはブエナ村へは戻れない。

 パウロ自身が納得のいく力を得て、なおかつ俺自身が強くなれば、また話は別だが。

 

 それもまだ時間が掛かりそうだ。

 今しばらくボレアス家に厄介になろう。

 

 

「寂しくなって泣きたくなったら、私に言いなさいよ。慰めてあげる。ルーディアの為なら、姉にだって成ってあげるわ」

 

「魅力的な話ですね。それなら私が変なところを触っても、殴りませんか? 姉は妹に寛容であるべきです」

 

「殴るわよ、バカ……」

 

 

 でもそばに居てくれるのだ。

 いまはそれだけで十分。

 それ以上は求めない。

 

 

「では早速、私を慰めてください」

 

 

 けっこう、溜め込んでいたらしい。

 親元を離れて堪えていたのだ。

 

 

「いいわよ、そのつもりで残ったもの」

 

 

 ギュッと抱擁。

 それから俺はエリスの胸に身を預ける。

 エリスは年の割に背が高い。

 まだチビの俺からすれば、実年齢の差以上に身体のサイズに違いがでる。

 

 それだけに彼女の包容力は、実家に残してきた母ゼニスを彷彿とさせる感覚。

 安心するのだ、エリスと居るこの時間が。

 

 やすらぎの空間にいつしか俺は眠気を覚える。

 無防備になるのは承知しているが、エリスなら全てを委ねても大丈夫だろう。

 

 警戒心とは無縁に、俺はエリスの胸の中で眠りに就いた。

 その温もりに包まれて。

 

 

 

 

 

 翌日、目を覚ますとエリスが隣に居た。

 寝る直前の出来事を思い出し、納得する。

 エリスには助けられた。

 起きたら感謝の言葉を送ろう。

 

 

「エリスの寝顔は可愛いな……」

 

 

 いまだに眠るエリスの寝息に、そそられる物を感じるが、ここはグッと我慢する。

 ただ寝癖のついた赤毛をそっと撫でてから、ベッドから立ち上がる。

 

 エリスに毛布を掛けてから、部屋を後にする。

 

 まだ早朝で肌寒い。

 館内を探索し尽くしたつもりでいたが、定期的に未踏の地を発見する。

 今朝だってそうだ。

 

 螺旋階段の続く先には館で一番高い塔。

 頂上にたどり着いても特別な何かがあるとは思えないが、てっぺんからの眺望には興味が湧いた。

 

 長い螺旋階段を時間を掛けて登ると、小部屋に到着。

 しかし先客が居たので反射的に、身を陰に隠す。

 

 情事に耽る男女の姿。

 女性は獣族のメイドで、男性は俺がよく知る大叔父様のサウロスだ。

 

 不味い場面に出くわしたか?

 反転して来た道を戻ろうとするが、物音を立ててしまい、存在に気付かれる。

 

 行為中のサウロスは、しまった、という顔をしながらも、メイドの女性を解放しない。

 サウロスは理性よりも本能が勝るタイプなのだろうか。

 

 暴力的で直情的なのも頷ける。

 悪い人じゃないんだけどなぁ。

 

 この際だから、最後まで保体の授業の一環として見学。

 ものの数分で授業は終わった。

 次の授業の教科は何だろうか?

 

 

「すみません、邪魔するつもりはなかったのですが、ここからの景色が気になりまして」

 

「そうか……。ルーディアよ、今見た事の意味は分かるか?」

 

「いえ、よく分かりません。実家で両親が似たような事をベッドでしてましたけど。あれってどういう意味なんでしょうかね」

 

 

 無知な子どもを装う。

 賢者タイムのサウロスを欺けるかはわからん。

 

 

「知らんのなら、それでいい。大人に成れば自然と理解することだ」

 

「そうですか、それは楽しみです」

 

「……ふん、儂をからかいおって」

 

 

 ありゃ?

 何だよ、このじいさん気付いてたんかい。

 

 

「まさかお前のような幼い娘が色事を理解しているとはな。女とはいえ、ノトス家の血筋か」

 

「うちの両親は毎晩愛し合っていましたからね。嫌でも理解させられますよ」

 

 

 テキトーに理由をでっち上げる。

 

 

「申し訳ありません、気に障ったようで」

 

「いや、別に怒ってはおらん。少しルーディアへの見方が変わったに過ぎん」

 

 

 賢者タイムだからか、あまり声は大きくない。

 しかし、これは痛手だ。

 可愛い孫娘同然の扱いだった俺の好感度は急落したことだろう。

 

 

「ふん、貴族の子女は耳年増が多い。その年齢ならば、珍しくはあるがあり得んこともない。お前の父は下級とはいえ貴族だ。儂が任命したから、よく知っておる」

 

「その節は父がお世話になりました」

 

 

 パウロの駐在騎士への任命権は領主であるサウロスに有る。

 斡旋自体はフィリップだが、書類に判を押したのはサウロスだろう。

 

 

「少し話をする。構わんな?」

 

「お付き合いします」

 

 

 話題が変わってくれてひと安心する。

 誰が好き好んで大叔父と下ネタトークするってんだ。

 

 

「アレをどう思う」

 

「アレとは?」

 

「空に浮いておるだろ」

 

 

 サウロスの視線の先には……。

 異質な球体が浮いていた。

 赤く、そして不動。

 怪しげだが、別段、有害性は感じられない。

 

 

「あの赤い珠は3年ほど前に見つけた。多方面に調べさせたが、誰も分からなんだ」

 

「不吉で怖いですよね」

 

「だが儂は毎日アレに祈っておる」

 

「それはどうして?」

 

「不吉と捉えること自体が不吉なのだ。だから祈る」

 

 

 よく分からんけど、悪い考えは悪い方向に傾くって話か。

 ポジティブシンキングも大事よね?

 

 

「魔法三大国にも調査を依頼したが、まだ結果は出ておらん」

 

 

 魔法三大国とは中央大陸北部西方に位置する三か国による同盟だ。

 構成国の名前までは覚えちゃいないが、ロキシーの母校ラノア魔法大学が、あの地域に位置したはずだ。

 

 

「ルーディアの見立てはどうだ?」

 

「お手上げですね」

 

「そうか」

 

 

 元々、望んだ答えなど期待していなかったのだろう。

 あっさりと会話は終わりかける。

 けどサウロスは言葉を続けた。

 

 

「試しに魔術で撃ってみせい。良い変化が起こるかもしれん」

 

「ええ? 良いんですか? 爆発したりしません?」

 

 

 恐ろしい事をのたまうぜ、このじいさん。

 触らぬ神に祟り無しって言葉を知らないのか?

 

 

「いえ、止した方がいいでしょう。今まで通り祈り続けましょうよ」

 

「そうか、ルーディアがそう言うのなら無理強いはせん」

 

 

 そこで赤い珠の話題は完全に終了した。

 

 

「これから遠乗りに出掛ける。護衛にギレーヌも付ける。ルーディアよ、お前はどうする」

 

「お供します」

 

 

 今日は休日だ。

 エリスには部屋でぐっすり寝ていてもらおう。

 連日のダンスのレッスンで疲れているだろうしな。

 

 そしてその日の内に、俺の頭から空に浮かぶ球体の事は抜け落ちた。

 

 

 

 

 

 

 翌日以降、書庫で歴史書を読んだり、語学習得にチャレンジしたりと、勉強の幅を広げた。

 特に語学は身を助けると言うし、本気で取り組む。

 

 まずはギレーヌの母国語である獣神語から。

 幸いなことに人間語と獣神語のバイリンガルであるギレーヌが、勉強を見てくれることになった。

 

 併せて町で魔神語の本を買ったのだが、翻訳に難航している。

 困った時のロキシー先生に助力を求めて、ボレアス家に来てから初めて、師匠宛ての手紙を書くことにした。

 

 『ボレアス家の家庭教師に就いた』

 

 『剣王ギレーヌを魔術師として弟子にした』

 

 『ボレアス家のお嬢様が可愛い』

 

 『魔神語の学び方を知りたい』

 

 などの事柄を書き記した。

 おっと、重大な事を書き忘れるところだった。

 

 『追伸:先生のパンツを実家に忘れました』

 

 これで良し。

 

 

 

 

 

 さて獣神語についてだが、習得する頃には1年が過ぎ、いつの間にか9歳を迎えていた。

 家庭教師の仕事も、自己鍛練もそれなりに順調。

 

 休日のたびにエリスとギレーヌとで町へ行くようになり、このロアの町の住人として随分と馴染んできたと思う。

 

 1年前にロキシーに魔神語を学びたいという旨の相談を手紙に書いて送っていたが、最近になって彼女の自作の教科書と共に返事が届いた。

 

 『ロキシーは過去に、ボレアス家の家庭教師の募集に落ちた』

 

 『剣王ギレーヌは剣神流で上から4番目の実力者である』

 

 『付属の教科書で魔神語を勉強して欲しい』

 

 

 最後に記されていた教科書のお陰で、語学習得がたいへん捗る。

 

 そして以前、市場で売り捌いたロキシーのフィギュアがシーローン王国の王子の手元にまで流れ着いたようだ。

 製作者までは特定していないらしい。  

 

 もし次に会う時が来たら、ロキシーへのサプライズで新作のプレゼントと共に正体を明かそう。

 

 語学の話に戻るが、3ヶ月ほど掛けてベガリット大陸の主要言語である闘神語を習得。

 こいつは人間語に似た文法と発音だったので、比較的短期期間で物にした。

 

 つまり俺は人間語・獣神語・魔神語・闘神語のフォースリンガルへと成長を遂げた。

 

 これで主だった大陸の言語は制覇し、会話に困ることは無さそうだ。

 

 

 

 

 

 さて、姉を自称するエリスとも仲良くやっている。

 最近じゃ同じベッドで寝ることも多い。

 やたらと自分は『ルーディアの姉』だと強調し、オヤツを分けてくれるようになった。

 

 そして俺もスキンシップを欠かさない。

 剣術の訓練後、肌に汗を張り付けているエリスに抱擁を求めて匂いを堪能する。

 

 単に妹が甘えているのだと認識したエリスは、俺の行動を疑う事はなかった。

 彼女の良心に付け込むようで心が痛む。

 

 あとは風呂は基本一緒に入る。

 多くの場合はエリスと2人きりだが、時々、ギレーヌかヒルダも居合わせる。

 

 女の子に生まれたがゆえに、女湯を見放題である。

 だが、男の頃よりは興奮は薄い。

 

 しかしそれにしてもエリスは警戒心が弱い。

 俺の視姦に無関心だ。

 よって、既にエリスの身体のあらゆる部分を把握済み。

 

 そんなお嬢様は、こちらから放っておいても湯船に浸かっていると身を寄せてくる。

 飼い犬のような人懐っこさ。

 

 ここまで来ると、俺のような人間ですら、変な気持ちを起こさなくなってくる。

 純粋にエリスとの時間に癒しを求めている節があるのだ。

 

 そして今日も彼女と裸の付き合いをしている。

 

 

「少し、胸が膨らんできましたね」

 

「そう? ルーディアはぺったんこね!」

 

「デリカシーという言葉を辞書を引いて調べてみてください、エリス」

 

 

 二次性徴期の真っ只中であるエリス。

 女性としての成長が目覚ましい。

 11歳となった彼女は、幼さの中にも大人の色気を漂わせている。

 

 臀部の丸みは強まり、乳房もお椀型に一定ペースで大きさを増してゆく。

 腰回りや太股は、日頃の剣術の訓練による影響か、非常に引き締まっている。

 もう数年もすれば、肉付きも良くなり、男好きのしそうな身体へ変貌しそうだな。

 

 そして、この成長過程を覗き見る権利が俺にはあるのだ。

 しかも合法的にだ。

 

 

「ちょっとジロジロ見すぎよ!」

 

「あ、これは失礼しました!」

 

 

 さすがに凝視されたら、性別を問わず気分を害するか。

 今度は視線を気取られぬ様に注意を払わねば。

 

 

「背中、流してあげるわ」

 

「ありがとう、エリス」

 

 

 お互いに真っ裸。

 隠し事は無しだ。

 

 やたら力強く背中を磨かれながら、エリスの息遣いに聴覚を集中させる。

 

 力を込める度に、艶かしい声が漏れ、いやらしい想像をしてしまう。

 自己嫌悪に陥りながらも、ただ俺は受け入れるだけだ。

 

 

「はい、終わり。次、代わりなさいよ」

 

「もちろん」

 

 

 

 前後の位置を入れ換えて、次はこっちが背中を流す番だ。

 風呂椅子に座り、エリスの引き締まった背すじを眺める。

 こうして見ると、彼女の姿はれっきとした女の子。

 小さな肩に、滑らかな素肌。

 肌も白く、若さゆえか傷ひとつ無い。

 

 日頃の鍛練で頻繁にギレーヌに地面へ転がされているが、その傷を癒すのが最近の俺の役目。

 そして俺はそんなエリスの背中を見て、あとを追い続けている。

 

 剣術じゃとっくに詰められぬ差をつけられた。

 俺はいまだに中級にもなっていない。

 対してエリスは、上級の認可間近。

 

 こんなに見た目麗しい少女が、遥か先の頂に立とうとしている。

 そんなエリスの研鑽を称える様に、そして労う様に丁寧に背中を綺麗にしてやる。

 

 

「ふう、終わりましたよ」

 

「ん、ありがと。背中を流すの上手ね」

 

「ええ、もう何度も身体を洗いあった仲ですからね。自然と上達しますよ」

 

「じゃあ、これからもっと上手になりさない!」

 

 

 それはずっと私のそばに居なさい!

 と、いうプロポーズですかい?

 受けるのは構わないが、爛れた日々になりそうだ。

 

 バカな妄想をしながらも湯船に浸かる。

 エリスは湯に髪の毛が浸かるのを気にしないタイプなのか、結って纏める事すらせずに肩まで浸かった。

 

 視線であんたも来なさいと、言われて俺も後に続いた。

 何となく隣に位置を決めたが、強引にエリスの開脚した足の間に座らされる。

 スッポリと小柄な俺の躯体は収まり、エリスに背後からガッチリと固定されてしまう。

 どうやら逃がす気は無いらしい。

 

 背中にはエリスの育ち盛りなおっぱいの感触。

 フニフニとした心地に、ドギマギしてしまう。

 

 まるで生娘のような反応をして見せた俺に、エリスも思うところがあったようで、意地の悪い事に、ことさら拘束を強めた。

 

 この子ってば、独占欲強すぎっ!

 

 どこにも逃げませんってば。

 なんて訴えかけようものなら、つべこべ言わずに、大人しく私に抱き締められてなさい!

 と、ピシャリと反論を押さえ付けられそうである。

 

 てか、前例が何度もあるんだよなぁ。

 

 

「エリス、ちょっと力を緩めてくれません?」

 

「イヤよ、100数えるまで我慢しなさい」

 

「そんな横暴な……」

 

「何よ、姉に反抗するつもり? ルーディアも偉くなったもんね!」

 

 

 ほらね、こういう事になるんスわ。

 

 その後も結果として、100秒どころじゃ解放されず、のぼせる寸前までエリスに捕まっていた。

 熱くなった身体もヒーリングじゃ治せまい。

 

 あぁ、ちなみにエリスは俺より湯に長く浸かっていたせいか、普通にのぼせていた。

 全裸でぐったりする姉貴分を介抱するのは中々に骨だった。

 

 途中でギレーヌが来てくれなかったら、部屋へ運び入れることも、ままならなかっただろう。

 それほどまでに俺の身体はまだ幼く、脆弱で小さかったのだ。

 

 パウロ達に顔向け出来るように、ミルクを飲んだり、肉を食って大きくならないとだ。

 尤も、身長よりもおっぺぇが優先的に育ちそうではあるが。

 そういう遺伝子を母親(ゼニス)から受け継いでいる。

 

 湯冷めしないように、しっかりと布団にくるまって寝よう。

 でもエリスが俺を抱き枕代わりにするから、逆に暑すぎるんだよなぁ。

 

 翌朝は身体中がバキバキに痛てえし。

 エリスのやつは手加減を知らないらしい。

 

 今晩もまた俺はエリスと激しい夜を過ごす事となる。



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19話 姉に甘えられる妹

 俺もあと少しで10歳となる。

 つまり実家の家族達とも会えるってことだ。

 

 その日が来るのを、誕生日の1ヶ月ほど前から待ち遠しく思う。

 ボレアス家も準備に取り掛かっているようで、パウロ達とも手紙でやり取りをし調整中だとか。

 

 ブエナ村の外れにある森では、魔物が異常発生しているようだが、そちらはパウロ不在でも対応可能らしい。

 

 というのも剣の聖地から派遣された剣王が対応するらしい。

 更には剣王の指導を受け、最近になって中級の認可を受けたロールズだって居る。

 

 他にも初級ではあるが、村の男達も少なくない人数が認定されたようで、人員としては十分なのだとか。

 いつの間にブエナ村は剣客集団の土地になったのやら。

 

 つーわけで、予定通り、ブエナ村のグレイラット家は、俺の10歳の誕生日に合わせてボレアス家へ訪問する。

 よかった、ボレアス家の人達も家族同然だが、やはり実の親にも逢いたかったのだ。

 

 しかし、俺の誕生日までの1ヶ月もの期間は体感的に長く思える。

 これまでの人生の1ヶ月とは比較にならないレベルだ。

 

 けどこの時間も無駄にはしたくない。

 フィリップに頼み込んで、色々と自己研鑽に励む。

 

 例えば剣術。

 既に剣神流の方は、ギレーヌにより中級の認可を受けられた。

 ただこれ以降の伸び代はゼロと通告された。

 

 しかし剣術の三大流派は、まだ二つある。

 この内、水神流の町道場がロアにもあるとのことで、学ぶべくフィリップに指導員を雇ってもらった。

 

 別にギレーヌも、別流派とはいえ、初級程度であれば水神流を指導可能。

 ただエリスの剣神流上級昇格の追い込みの訓練に入っていたので、遠慮しておいた。

 

 というわけで、何度か水神流の指導を受けることで、俺も無事に水神流初級を認定された。

 

 剣術に関しては、ギレーヌの指導で基礎が仕上がっていたので、割とすんなりといった。

 指導員曰く、もう1年くらい続ければ中級にもなれるとの話だが、今回の契約は現時点を以て終了とした。

 

 というのも、限りある時間を魔術の研究に充てたかったのだ。

 聖級治癒魔術を習得済みなので、更に上を目指している。

 つまり王級治癒魔術である。

 

 王級治癒魔術については資料が無いので、自力で詠唱を組み合わせて模索中。

 遅々としたペースだが、解析は進んでいる。

 あと1年もすれば、我流ではあるが、王級治癒魔術も完成することだろう。

 

 最初の頃は、10年単位の見通しだったが、思いの外、俺には治癒魔術の才能があったようだ。

 王級ともなれば失った手足すら再生可能だ。

 これまでは切断されて、切られた側の手足の回収が必至だったので、心許なかった。

 

 しかし、我流であり多少の効力の変化やアレンジがあるにしても、消失した手足すら取り戻せるというのは、大きい。

 

 変な話、魔物に腕を食いちぎられて消化されたとしても欠損した手足が元通りになる。

 王級治癒魔術の話はこんな感じだ。

 

 さて王級魔術師の称号に執着は無くとも、我が師ロキシーの肩に並ぶ事が出来るというのは、喜ばしいことだ。

 近い内に追いつくことを目標に邁進の日々である。

 初心を忘れるべからずってな!

 

 そんなある日の休日。

 珍しくエリスやギレーヌとは予定が合わず、一人で館内をフラフラと歩いていた。

 こんな時こそ治癒魔術の開発に没頭すべきなんだが、研究が行き詰まってきたので気分転換したい。

 何でも良いから別事に時間を割きたかった。

 

 フィリップに何か手伝える仕事は無いかと申し出たが、休むことも仕事だよ? と諭された。

 もっともな意見だな。

 

 渋々、自室へと戻ろうとした際、ヒルダの私室の前を通りかかる。

 タイミング良く扉が開き、ヒルダと対面する。

 

 

「あら、ルーディア。いま時間はありまして?」

 

「はい、本日は暇をもて余しております」

 

「それはちょうど良かったわ。新作のお菓子を町から仕入れたの。お茶といっしょにどうかしら?」

 

「私で良ければ、お付き合いしましょう」

 

「決まりね!」

 

 

 エリスに良く似た笑顔で、俺にとっての第三のママは返事した。

 背中を押される様に彼女の部屋へ連れ込まれる。

 

 お香が焚かれているのか、甘い花のような香りが漂う。

 実家じゃまず嗅ぐ事のない香りで新鮮味がある。

 

 テーブル上には皿に盛られたお菓子。

 ヒルダ自ら紅茶をティーカップへ注いでくれた。

 礼を言うと頭を撫でられ、完璧に子ども扱いである。

 

 まぁ、養子を提案するくらいだし、我が子のように接してくれているのだろう。

 エリスにも同じ愛で方をしていそうだ。

 

 

「貴女が我が家に来て、もうすぐ3年ね」

 

「早いものですね。物心が付いて以降より年数を数えれば、実家とボレアス家で過ごした期間は等しいでしょう」

 

 

 実際は、赤子の頃から自我はあるけどな。

 そんなことは誰にも言うまい。

 

 

「ルーディアのご両親とは面識があるわ。もう十年以上前になるかしら。パウロ様とは、数度だけ会話しましたの」

 

「いかかでしたか?」

 

「妻を持ちながら、従兄弟の妻の胸元を不躾にも凝視する殿方という印象よ」

 

 

 それはなんかゴメンなさい。

 でも、奥さん。

 貴女ってば、胸元の開いたドレスを着ていらっしゃるじゃん?

 男ってのは、そこにおっぱいが有れば本能的に見てしまう生き物なのだ。

 

 

 しかし、申し訳ない気持ちは否定出来ん。

 肉親の不始末に、俺とて困惑している。

 表情に謝意が出ていたらしく、ヒルダは続けて話す。

 

 

「ノトス家の血筋だもの。責めてはいません。ただゼニスさんの方は、ご立腹でしたわね」

 

「母さまは、ミリス教徒ですから。自分以外の女性に色目を使う事が許せないのでしょう」

 

「わたくしの夫も獣族のメイド達にご執心。正直、複雑な気持ちよね」

 

「心中、お察しします」

 

 

 ボレアス家の人間は、獣族好きで貴族界隈じゃ有名だ。

 あのエリスもその例に漏れず、ギレーヌに熱烈な視線を向ける場面がある。

 頭の上でピクピクと動くネコ耳と、感情の変化によって揺れる長い尻尾。

 

 ふむ、俺もその悪魔的誘惑に魅了されつつある。

 エリス辺りにネコ耳カチューシャでも付けてもらって代用しようか……。

 代用っていうのは失礼か。

 

 その後もヒルダの雑談に相づちしながら、お菓子をつまみ、紅茶で喉の渇きを潤す。

 中々に有意義な時間を過ごせた。

 

 そして去り際のこと。

 

 

「ルーディア、エリスのこと良くしてくれて、礼を言うわ」

 

「私もエリスには大切にしてもらっています」

 

「相思相愛ってことよね」

 

「奥様。お言葉ですが、その言い方では語弊が生じます」

 

「夫のフィリップも日頃から話しています。貴女にならエリスを任せられると」

 

 

 親公認の仲っていう認識でよろしいか?

 

 

「女の子同士だからと言って、遠慮することも外聞を気にする事もないのよ。アスラ王国だからこそ、むしろ許容される関係だから、安心なさい」

 

「ええ……?」

 

 

 母親が百合推しとは思わなんだ。

 とはいえエリスは元々、嫁の貰い手に困るほどの暴力娘。

 娘の将来を案じて、たとえ俺が相手だとしても、本人が幸せなら構わないのだろう。

 それがヒルダ及びフィリップの親心だ。

 

 

「あぁけれど、当事者同士の問題よね。横から口出しなんて、わたくしのエゴだわ。ごめんなさいね、ルーディア」

 

「構いませんよ。でも、エリスがその気なら、私も前向きに考えます」

 

 

 当たり障りの無い返答で、ヒルダのご機嫌を取っておく。

 と、言いつつ半分くらいは本気だ。

 

 どのみち俺も、男に嫁ぐつもりは無い。

 だったら気の知れた女の子と添い遂げる道こそが、幸せになれる選択なのだ。

 

 そしてヒルダとの恋バナを終え、いつぞやサウロスの情事を目撃した塔へ足を運ぶ。

 そこにはサウロスの姿。

 今度は女性を抱いておらず、一人で景色を眺めていた。

 

 

「お一人ですか、サウロス様」

 

「ルーディアか……。今日は気分が乗らん。ゆえに空に浮かぶ珠に祈っておったわ」

 

「あぁ、そう言えば、そんな話もありましたね」

 

 

 サウロスの言葉で思い出した。

 中空に浮かぶ赤い珠の存在を。

 

 はじめて目にして以降、特に変化は無いらしいが、不気味なまでに動きが無い。

 害は無いと見て良いかもしれないが、まさかロアの町の観光名物には成るまい。

 

 

「アレを冒険者ギルドに依頼し、魔術師に魔術で撃たせたことがある」

 

「え、やったんですか!?」

 

 

 以前、俺が止めた方が良いと進言したのだが、堪え性が無いのか、このじいさん。

 

 

「結果を聞いても?」

 

「どうもせなんだ。アレには魔術が当たらんようだ」

 

「つまりアレは、魔術そのものが透過してしまうと?」

 

「そうだ。結局、何も起こらんままだ」

 

 

 実体が無いのかもしれん。

 何らかの魔術で空に投影された虚像と考えるのが妥当か。

 だとしたら手の込んだ悪戯だ。

 年単位で投影を維持するとは、どんなカラクリだ?

 町の何処かに魔方陣を刻んでいる線も浮上する。

 

 

「実害は無い。もう考えるのを止めたぞ、儂は」

 

「そうですね。誰かの悪戯だとしても、その内飽きるでしょうし」

 

 

 解決策は無いが、解決すること自体は急務ではない。

 いずれ消失するものだと判断し、再び記憶の片隅に追いやる事にした。

 

 

「ちょうど良い。これからパウロ宛てに手紙を出すところだ。何か伝えたいことがあれば、代筆しておくが、どうだ?」

 

「いえ、私の口で伝えたいと思います。たぶん、その方が父は喜びますし」

 

「だろうな。要らぬ、世話だったか」

 

「お心遣い、ありがとございます」

 

 

 サウロスの優しさに触れつつ、頭を下げてからその場を後にした。

 

 ここまでで午前中。

 予定の合わなかった(くだん)のエリスとギレーヌの姿を、厨房で見かける。

 仲間外れにされたようで、ちょびっと寂しい。

 

 だが会話に聞き耳を立てていると、おおよその内容を理解出来た。

 どうやらエリスは、俺の誕生日パーティーで出す、手作り料理の練習をしてるらしいのだ。

 

 あ、仲間外れじゃないのね?

 

 事前告知はされているし、サプライズって訳でも無いが、料理の練習を見られたくない姉としての意地が働いたと見る。

 

 ここは邪魔せずにUターンだ。

 まあ、案の定、ギレーヌには俺の存在がバレていたが、些細なことだ。

 

 そしていよいよ、やることが無くなった本日の午後。

 暇潰しと小遣い稼ぎを兼ねた土魔術でのフィギュア製作に熱を入れる。

 

 今日のモデルのラインナップは、ロキシー、シルフィ、エリスの3人である。

 それぞれ3人は面識など無いが、フィギュアとして飾れば、1ヵ所に集う女子会の完成。

 

 いずれも服のはだけさせたデザインで、お色気路線で製作したが、これでは市場へ流せない。

 年齢規制に掛かる事も危惧されるが、何よりも第3者にこの3人の痴態を見られたくないのだ。

 

 彼女達の艶姿は俺が独占し、楽しむとしよう。

 自己発電である。

 

 悪ノリして、ルディちゃん()のセクシーポーズVerも試作して見たが、痛々しく思えたので、即時、土くれに還した。

 需要、無いよね、これ?

 

 フィギュア製作という魔力制御に多大な集中力を必要とする作業。

 いい加減疲れてきたので昼寝を決行。

 

 横になって小一時間ほどウトウトしていたのだが、気付けば眼前にエリスの寝顔があった。

 吐息の掛かるような至近距離。

 香水を付けているのか、甘く脳が蕩けそうな香りが漂う。

 

 何事かと一瞬驚いたところで、エリスの鋭くもハッキリとした眼の瞼が上がった。

 

 

「おはよう、ルーディア。少し添い寝させてもらったわ」

 

「それは結構ですけど、唐突ですね?」

 

「ちょっとね、料理に失敗しちゃって……。へこんでるから慰めて欲しい──なんて言ったらどうする?」

 

「慰めてあげます。エリスは可愛いので」

 

 

 からかうような口調だったので、こちらも相応の対応をさせてもらった。

 

 

「言わなくてもわかってるだろうけど、もうすぐルーディアって10歳になるでしょ。だから私の手料理を振る舞ってあげようって考えてたのに……」

 

「さっき話してたように、失敗したんですね?」

 

「えぇ……。焼け焦げた料理なんて、ルーディアに食べさせられないもの」

 

「エリスの手料理なら消し炭だって食べてみますとも」

 

「失礼ね、消し炭まではいかないわよ」

 

 

 苦笑いで返すエリスだったが、その悩みは本物だ。

 上手くいかない事に、挫折とまではいかないまでも、ダメージが蓄積している模様。

 連日、料理の練習をしているのか、我慢の限界寸前なのだろう。

 

 そこで俺に相談もとい甘えに来たのか。

 良いぞ、甘やかしてやろう。

 

 

「でもエリスは諦めずに頑張ってる。以前からすれば、着実に成長していますね」

 

「あなたが教えてくれたことだもの。忘れるはずがないでしょう? これくらいじゃ、私だって諦めないわよ。今日は少しだけ弱音を吐きに来ただけよ」

 

「誰かに相談する行為は良いことです。私としても悩みを打ち明けてもらえて、信頼されているのだと実感します」

 

 

 ほう、エリスも言うようになったじゃないか。

 ここはひとつ、頭を撫でてあげよう。

 

 もじもじと何かを期待するエリスの乳房の先端をつまんであげる。

 

 

「ごはっ……!」

 

 

 エリスの握りこぶしが腹部へとめり込む。

 暴力系ヒロインの魅力が炸裂だ。

 

 

「どこつまんでるのよっ……!」

 

 

 どこって、そりゃあ乳首ですが?

 

 おっといけねぇ。

 頭を撫でるつもりが、手を滑らせてエリスの桜色の先端部をつまんでしまったよ。

 次からは無断ではなく、口頭で断りを入れてから実行へ移そう。

 

 

「すみません。てっきり、エリスが欲求不満なのだと勘違いしてしまいました」

 

「次、おかしな事をしたら、本気で消し炭を食べさせるから!」

 

「ごめんなさい、やっぱり消し炭はムリです。ですが、提案があります」

 

「聞くわ」

 

 

 お詫びとしてエリスに力を貸してやりたい。

 

 

「私が料理を教えてあげます。こう見えて実家で母や侍女に仕込まれていましてね」

 

「ルーディアは何でも出来るのね。スゴいわ」

 

「いえ、出来ない事の方が多いですよ。たまたま出来ている部分が目立っているだけですから」

 

 

 俺には突出した才能として魔術がある。

 エリスの場合はそれが剣術だ。

 だから俺からすれば、エリスの方が人として優れているようにも思える。

 

 そんな彼女も料理に四苦八苦しているみたいだけどな。

 ここは一肌脱いでやろうか。

 

 

「じゃあ、料理を教えてもらおうかしら!」

 

「はい、では厨房へレッツゴーです!」

 

 

 そういった経緯で、エリスに料理を教えてやることになった。

ぶっちゃけ俺のレパートリーは家庭料理が中心となる。

 祝いの席で出せるような品目は知らん。

 

けど俺の誕生日パーティーだし、ささやかな料理で済ませてしまおう。

 俺以外の人間にケチをつける権利は無いのだ。

 

 そしてエリスだが、俺の教えを受けても消し炭を錬金してしまう。

 素材の組み合わせ、間違ってない?

 

 というのは冗談で。

 単純に調味料の分量間違えや、火加減、そもそもの調理法の選択ミス等が原因だ。

 しかもエリスは、そこにアレンジを加えるから、支離滅裂な食べ物しか生まれない。

 

 消し炭以上に混沌としたメシマズメイカーである。

 

 悪い点を徹底的に洗い出し、正しい調理法を提示してやる。

 手順を記したメモ書きと睨めっこするエリスを見守る。

 味見もしてやって問題が無いことを確認しながら、様々な品目を仕上げてゆく。

 

 そんな事を毎日続けていくと、特定の料理については、料理下手なエリスでも食べられるレベルで調理可能となった。

 

 的確な指導のお陰なのもあるが、1番の要因はエリス自身の継続力だ。

 もはや彼女に諦めの言葉は似合わない。

 

 消し炭なんて存在してなるものか!

 

 

「やっぱりルーディアに頼って正解だったわね!」

 

「お役に立てたようで何よりです」

 

「役に立つどころじゃないわ。本番も腕によりを掛けて作ってあげるから覚悟なさい!」

 

 

 気合いを入れ過ぎて消し炭にならないことを祈ろう。

 ここ一番って時に、人は失敗するものだ。

 エリスに限っては、そんなものは杞憂だろうが。

 

 

「これからも私に沢山のこと、教えてよね!」

 

「姉が妹に教えを乞うばかりでよろしいのですか?」

 

 

 頼られるのは素直に嬉しいが、エリスの自尊心としてはいかがなものか。

 

 

「じゃあ、ルーディアも何か教えて欲しかったら、声を掛けなさいよ! たまには私だって妹に頼られたいもの!」

 

「そうですね。ではエリスの胸のサイズを。いえ、自分で揉んで確認しましょうか」

 

「ルーディアって、最近、私の事をエッチな目で見てくるわよね。男の人みたい」

 

「ギクッ……!」

 

 

 さもありなん、俺の前世は男だし。

 年頃の女子がそばに居れば、目で追ってしまうのは自然の摂理だ。

 

 

「べつに女の子でもエッチな子は居ますよ。私もきっとそうなんです」

 

「へぇ、たしかこの国の第二王女もド変態だって噂だしね。うん、ルーディアも同類ね!」

 

 

 そんなこと大声で言わないでください!

 てか、王女さまにド変態なんて不敬も良いところだぜ、お嬢様よぉ。

 

 

「口を謹んで、エリス。どこに人の耳があるのか、わかったものじゃありません。もし聞かれでもしたら、不敬罪で、しょっ引かれますよ」

 

「その時は私が返り討ちにしてやるわよ!」

 

 

 いかん、生来の狂暴っぶりが牙を剥きつつある。

 幸いなのは、その牙は俺が変なことをしない限りは無害であることか。

 

 しかしエリスは強い。

 剣神流だって3日以内に上級の認可を受ける段階だ。

 下手な騎士であれば、口で言うように返り討ちにすることだろう。

 

 護衛の剣王ギレーヌだって居る。

 ロキシーの手紙によると、彼女は剣神と2人存在する剣帝を除けば、この世界で4番目に強い剣神流の剣士だ。

 

 他流派を含めれば、強さの順位は落ちてしまうだろうが、過剰戦力である。

 

 オマケ扱いだが俺も居る。

 近接戦はザコだが、前衛はエリスとギレーヌが担当する。

 俺は後方から支援してやれば隙の無い布陣だ。

 

 こりゃあ、いよいよこの国をひっくり返せそうな戦力ではなかろうか。

 もっとも、国家転覆を目論むテロリストじゃあるまい。

 

 変な疑いを掛けられぬよう、エリスの監視を徹底しよう。

 この自称姉の女の子は、1人で突っ走ってしまいがちだからな。

 

 でもそうなると王都には近付かない方が良さそうだな。

 ボレアス家に来る途中、ギレーヌが連れていってくれる約束をしてくれたが、しばらくは実現しなさそうだ。

 

 

「でもね、もしルーディアが私の胸に触りたいのなら、誕生日の晩なら……1回だけ我慢してあげないことも無いわよ……?」

 

「エリス……も結構、エッチなんですね?」

 

「なによ! 人がせっかく勇気を出したっていうのに!」

 

 

 トマトのように熟した顔色。

 せっかくだから収穫しようかしら?

 いや、収穫するのは俺の誕生日に。

 今は少し我慢して後の楽しみをとっておく。

 

 そんなやり取りもしつつ、数日後。

 

 

 俺は10歳の誕生日を迎えた。そして、ブエナ村の家族の姿が、たしかに目の前にあったのだ。

 

 

 

 

 



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20話 10歳のお誕生日会

 10歳を迎えた当日の晩。

 館の食堂にて、ボレアス家とブエナ村のグレイラット家の一堂が介する。

 

 そこに招かれた主役()の家族は、再会の喜びを内包した笑顔の表情で目の前に立っていた。

 いや、変わらないのは両親と侍女だけだ。

 2人の妹たちは成長している。

 

 4歳くらいだろうか?

 俺が何者なのか分からないのか、不思議そうにジッと見詰めている。

 けれど次第に、俺の顔が母親(ゼニス)の生き写しであると気付き、自分ちの姉であることを理解したようだ。

 

 ノルンとアイシャ、見ない間に大きくなったものだ。

 

 そして数歩を歩いた位置には、俺の会いたかった最愛の人達が立っている。

 父親(パウロ)母親(ゼニス)だ。

 

 3年程度じゃあまり老けていない。

 ゼニスは相変わらずの美人だ。

 元々、童顔であることから、衰える事の無い美貌を維持し続けているらしい。

 

 そしてパウロ。

 彼は目に見えて変わった。

 ただの立ち姿から、多くの努力と苦労を感じさせる気配を漂わせている。

 

 しかし、悲観的なものじゃない。

 大いなる力を得て、そして責任を全うする強者(つわもの)の顔をしている。

 

 体つきも様変わりしていた。

 全身の筋肉はより引き締まり、かつてはあった無駄な筋肉の肥大は()がれている。

 けれど力強さは一層増していた。

 

 (みなぎ)る闘気が、体表の大気に歪な流動を促す。

 

 パウロは成ったのだ、剣王に──。

 

 

「まずは、ルディ。誕生日、おめでとう」

 

 

 聞きたかった声だ。

 この人の声を俺は3年間待ち望んでいたのだ。

 

 

「っ……はい、父さまっ……!」

 

 

 きちんと返事を出来ていただろうか?

 やっとの思いで喉から声を絞り出す。

 

 

「その、なんだ……。大きく成ったな。ますます、母さんに似てきた。綺麗だぞ、ルディ……」

 

「ありがとう。父さまこそ、随分と強くなったみたいですね……」

 

「あぁ……。オレも頑張ってきたんだ。遂に剣王にも成ったんだぜ?」

 

 

 その頑張りを近くで見たかったものだが、こうして目の前に来てくれたんだ。

 それだけで満足だし、俺の為に努力してくれたことが何よりの愛情の証だと知る。

 

 

「さっきフィリップから聞いた。3年前、また誘拐事件に巻き込まれたってな。大変だったな……」

 

「正直、心が折れかけました。でも家族の事を想って、なんとか立ち上がれましたよ」

 

「そいつは良かった。フィリップの野郎は、さっきぶん殴っといた。サウロスの叔父上もな」

 

「それは……怖いもの知らずですね」

 

「我ながらそう思う。まあ、無理を言って預けたのはオレだ。その後、叔父上に殴り返されたよ。これでおあいこだな」

 

 

 ケジメは取ったらしい。

 目を凝らして見れば、パウロの片頬は赤みを帯びている。

 サウロスの拳は闘気すら貫通するらしい。

 

 

「ほら、皆もこっちに来るんだ」

 

 

 パウロがゼニス達を呼び寄せる。

 とりわけゼニスは、がっつくように小走りで俺の身を抱きに来た。

 

 

「ルディ……! 会いたかったわ! この3年間、片時も忘れなかったのよ!」

 

「母さま、私もです……。会いたかった……」

 

 

 この感覚は懐かしくもあり、そして今まで我慢してきた全ての感情を決壊させる引き金にもなった。

 

 

「う、あ……えぇーん……」

 

 

 遂に泣いてしまう。

 パウロやリーリャ、妹達の見守る前で。

 サウロス、フィリップ、ヒルダ、ギレーヌ。

 そしてエリスだって居るこの場で。

 

 周囲を気にする余裕なんて無かった。

 ただ、母の胸の中で泣くことが、自我を守る為の方法だと無意識に判断させて、そう行動したのだ。

 

 変に意地を張るのは、何か違うとも思った。

 親の前では子は、素直であるべきだ。

 少なくとも、ルーディア・グレイラットとして生を受けた俺は、そう考えて感情のままに従う。

 

 いや、理屈なんて関係ない。

 ただ自分がそうしたかったのだ。

 親に甘えたい、泣いている時は抱き締めて欲しい。

 

 欲望とか云々じゃない。

 いまここに居る俺は、天才魔術師でもボレアス家家庭教師でもなく、どこにでもいる子どもなのだから。

 

 

「よしよし、ルディは良い子ね。これまで、頑張ってきて、偉いわね」

 

「ぐすっ……はい!」

 

 

 思う存分、泣いたあとは家族の会話の時間だ。

 3年間の様々なエピソードを、ありったけゼニス達へとぶっちゃける。

 

 その後、ゼニスはノルンとアイシャを俺の前へと連れ出す。

 

 

「2人とも、貴女達のお姉ちゃんよ! 挨拶しなさい」

 

 

 俺の顔をジーっと覗き込むノルンは、顔立ちはパウロにもゼニスにも似ている。

 両親双方の特徴を受け継いだ玉のように可愛らしい女の子だ。

 

 

「お姉ちゃん?」

 

「ノルン、私が君の姉だよ……。大きくなったね」

 

「うん! お姉ちゃん!」

 

 

 ゼニス似の顔立ちが幸いしたのか、すぐに懐いてくれた。

 トコトコと足下にやって来たかと思えば、脚に抱きついてきた。

 その小さな頭を撫でてやる。

 目をつむり、俺の行為を受け入れてくれている。

 

 

「はじめまして、それともお久しぶりです? ルーディアお姉さま! 私はアイシャといいます!」

 

 

 もう1人の妹のアイシャが、丁寧なお辞儀と共に挨拶。

 この年にして、この礼儀の良さ。

 きっとリーリャの教育の賜物だろう。

 

 彼女に手招きをしてやり、近くに呼ぶ。

 母親譲りの頭髪と、パウロ似の面影のある笑顔に親近感が湧いた。

 ノルンと同じくらい頭を撫でてやった。

 

 

「会えて嬉しいよ、アイシャ」

 

「はい! あたしも!」

 

 

 ふむ、仕事モード時の一人称は『私』、素の彼女は『あたし』といった具合か。

 出来ればアイシャには、素の自分を出し続けてほしい。

 リーリャの教育方針的には厳しいだろうが。

 

 そしてリーリャも、俺のそばに来ていた。

 

 

「ご無沙汰しております、ルーディアお嬢様。ご壮健のようで何よりです」

 

「これは、お久しぶりですね、リーリャさん」

 

「どうでしょうか、私の娘は。お気に召されましたか?」

 

「良い娘じゃないですか。リーリャさんに似て美人だ」

 

「お戯れを」

 

 

 ふふ、と微笑む彼女は、娘が褒められたことを素直に受け止めているようだ。

 メイド見習いとして育てているみたいだが、ちゃんと親として子を愛しているように見てとれる。

 

 と、ここで我が姉のエリスが煌びやかなドレスに身を包んで、俺の家族の前へと躍り出た。

 

 

「は、はじめまして! エリス・ボレアス・グレイラットと、も、申しますのよ!」

 

 

 ちょいと可笑しな挨拶をかましながらも、スカートの端をつまんで淑女の礼を取るエリス。

 見ていて正直面白い。

 そんな挨拶にまず反応を示しのはパウロだ。

 

 

 

「君がエリスか。フィリップから手紙で、色々と聞いているよ。ウチの子が世話になってるみたいだな。家族を代表して礼を言わせてくれ」

 

「そ、そんな! ルーディアはわたくしにとって、い、妹同然ですのよ! むしろ、わた、わたくしがお世話にになっているのですわよ」

 

「あぁ、ムリに敬語を使わなくても良いさ」

 

 

 パウロの言葉にエリスも甘える事にしたのか姿勢を正して、改めて挨拶する。

 

 

「私はエリスよ。よろしくね、パウロさん!」

 

「あぁ、今後ともよろしく頼む」

 

 

 ガッチリ握手を交わした2人は、数分の会話を挟み、それぞれの家の人間と対面する。

 エリスはゼニスに、パウロはサウロスにといった組み合わせだ。

 

 

「ゼニスさんよね! ルーディアに似て美人ね!」

 

「あら、お世辞が上手ね。エリスちゃんもヒルダさんに似て美人よ」

 

「当然よ、お母様は美人なのよ!」

 

 

 波長が合うのか打ち解けるのが早い。

 ゼニスもエリスも裏表の無い人間だ。

 相性が良いというのも頷ける。

 

 で、パウロとサウロスは?

 

 

「さっきは殴って悪かったよ、叔父上」

 

「ふん、儂とてエリスが同じ目に遭えばそうしておったわ。許す!」

 

「つうか、叔父上の拳の鋭さは健在だな。ガキの頃を思い出すよ」

 

「今も昔も腑抜けた面をしておるな、貴様は! だが、パウロよ。少しばかりマシにはなった! 話は聞いたぞ、ルーディアを守るために己を磨き続けたとな!」

 

「それなりにな。今ならギレーヌにも勝てるかもしれんぜ?」

 

「面白い! 後で余興として一戦交えると良いわ!」

 

 

 あっちはあっちで盛り上がっている。

 

 

「パウロ、お前……」

 

 

 そんなパウロに声を掛けるギレーヌは、値踏みするような視線を送る。

 

 

「ふ、あながち嘘では無さそうだな。あたしもその自信の理由を知りたくなってきた」

 

 

 パウロから滲み出る闘気を読み取って、剣士としての力量を測ったらしい。

 

 

「冒険者時代、お前がゼニスとの結婚を決意した時もそうだが……。覚悟を決めた時のお前は、誰よりも背中が大きく見える」

 

「お前がオレを褒めるなんざ、明日、天変地異でも起きる前触れか?」

 

「あたしだってそういう気分にもなる。ルーディアはあたしにとって剣術の弟子であり、魔術の師匠だ」

 

「なるほど、ギレーヌにもウチの子が世話になったんだな。ありがとよ」

 

 

 旧縁を深める2人の会話が終わると、いよいよ誕生日パーティーは開幕を宣言される。

 

 

「ルーディア! 10歳のお誕生日、おめでとう!」

 

 

 エリスの合図を皮切りに、グレイラット家とボレアス家一同が祝福を口にする。

 

 その後は沢山のプレゼントを受け取った。

 特に目を惹いたのは、エリスが用意してくれた杖だ。

 

 金貨100枚は下らない高価で、長大な魔法の杖。

 

 

 銘を──傲慢なる水竜王(アクアハーティア)──

 

 明日、この杖を使って水聖級魔術の試し撃ち会を行うと皆に約束した。

 参加者は、いまこの場に出席している使用人などを除く全員。

 

 俺も皆に良いところを見せるべく、今の時点で張りきりだす。

 久し振りに詠唱有りで仰々しく魔術をお披露目しよう。

 

 両親からは剣帯ベルトを贈られた。

 俺が剣術をギレーヌから学んでいることが選定理由とのこと。

 

 そして一番重要なのが、リーリャに保管して貰っていた御神体(ロキシーのパンツ)だ。

 小箱に収められていたソレは、木彫りのペンダントを包んでいた。

 

 そのペンダントは、どうやらシルフィからの贈り物だそうな。

 何でも彼女の家に伝わる幸運のお守りで、シルフィの手作りらしい。

 彼女がわざわざ俺の10歳の誕生日に合わせて、リーリャに預けていたのだ。

 

 そうか、あのシルフィが……。

 彼女に会うのはもう少しだけ先になるのか?

 いや、でも既にパウロは剣王だ。

 下手をすればギレーヌに比肩するほどの。

 

 そこら辺の話し合いは、明日にでもするのだろうか?

 もしかしたら俺は、ボレアス家からブエナ村の実家に帰るかもしれない。

 だとしたら、エリスにも挨拶しないとだ。

 

 それにしても、エリスの手料理は美味しかった。

 巨大なバースデーケーキとやらも、エリスが手伝って作ったらしい。

 自信満々に自慢してきたのだ。

 

 そんな場面もありつつ、誕生日会は盛り上りの中で閉会した。

 

 閉幕後、俺とパウロは、フィリップの私室で面談を行っていた。

 どうやら俺の処遇を話し合っておくのだと。

 

 

「で、どうするパウロ。君はもうルーディアを守るだけの力を手にした。引き取るなら今だよ。尤も、私としては成人するまで、彼女を留めておいても構わない」

 

「バカ言えよ。オレの愛娘だ。お前にはやらん!」

 

「剣王様に言われたら断れないね。これは困った。エリスとヒルダが悲しんでしまう」

 

「なんであれ、オレはルディの考えを尊重する。話によれば、エリスと……その、あー、うん、良い仲なんだってな?」

 

 

 煮え切らない言い方だ。

 恐らく、俺がエリスを愛しているのだと言いたいのだろう。

 

 けど俺にも本心は分からない。

 男を異性として愛せるとは思えないし、かといって俺がエリスを幸せに出来るのかと問われたら、答えには困る。

 

 いかに同性愛が許容されるアスラ王国といえど、現実的に考えれば、その先は茨の道だ。

 そんな苛酷な人生にエリスを付き合わせるのは憚れる。

 

 それこそが俺がもう一歩を踏み出せない理由。

 自分の気持ちが不明瞭だ。

 俺はエリスの事は好きだけど、生涯を共にする類いの愛情とは、もしかしたら違うのかもしれない。

 

 

「悩んでいるようだね。ここで1つ、提案なんだが、聞いてみるかい?」

 

「はい、聞かせてください。フィリップ様」

 

「成人するまでとは言わない。もう2、3年ほどボレアス家に滞在して、自分自身の気持ちを確認してみたらどうかな?」

 

「なるほど、一考の価値はあるかと」

 

 

 俺とエリスの関係がなんであれ、義姉妹の関係までは偽りなんかじゃない。

 もう少しだけ、エリスと同じ時間を共有したい。

 

 

「どうでしょうか、父さま? 私はここで、まだお世話になりたいです。定期的にブエナ村に帰省するという条件なら、許可して頂けるでしょうか?」

 

「……そうだな。ルディもいつまでもガキじゃないんだ。だが3ヶ月に1度、帰省することを約束してくれ。滞在期間は都度、1週間でどうだ!」

 

「決まりですね、その条件でお願いします」

 

「話は纏まったね。父上にも報告しなければ。君たちは明日以降も、家族の団らんを過ごすと良い。そうだね、ひとまず10日間の滞在を許可しよう」

 

「お、すまんな。ルディが生まれる前もそうだが、フィリップには世話になった」

 

「まあ、良いさ。私はパウロの事を軽蔑しているが、父親としての在り方までは別だ。ルーディアにとっては善き父みたいだしね。多少の配慮はさせてもらうよ」

 

 

 大人同士の会話を横で聞いているが、こいつら割と仲が良いんじゃね?

 子どもの頃は、年が近いということもあって、遊び仲間のようなものだったらしい。

 

 

「そういうわけだから、ルーディア。もう少しだけ我が家で、エリスとよろしくやってくれ。ヒルダにも構ってくれたら助かる」

 

「はい、色々とご配慮、ありがとうございます」

 

「それと、今晩は申し訳ないが、1人で普段通り就寝して欲しい。理由はすぐにわかる」

 

「んー? わかりました」

 

 

 フィリップの私室を後にして、グレイラット家に用意された部屋に移動する。

 パウロ、ゼニス、ノルン組と、リーリャ、アイシャ組の2部屋。

 

 各部屋で小一時間ほど会話を楽しんだ後、ようやく俺は自室へと戻ることにした。

 本来なら家族と一緒に寝たかったが、フィリップの言葉がやけに耳に残る。

 

 念を入れるように、1人で寝ていろと話していた。

 彼の言葉は無視も出来んし、渋々従うとしよう。

 

 そして扉を開いて気づく。

 赤い何かがベッドの上に居た。

 いや、何かじゃなくて……エリスだ。

 

 肌の露出がやけに多い。

 髪の毛と同じ色のネグリジェ。

 頭髪と同化していたから、一目ではエリスと気づけなかった。

 

 

「どうされたんですか、こんな夜分に」

 

「え、えっと……。今日も良い天気よね?」

 

「もう夜ですけど? それに日中は曇りでしたよ」

 

「……今日は悪い天気よね?」

 

 

 何が言いたいんだ、この子は。

 極度の緊張ゆえか、視線もさ迷っている。

 

 俺には解った。

 フィリップの差し金だろう。

 もしかするとヒルダの入れ知恵もあるかもしれない。

 俺にエリスとニャンニャンしろという事らしい。

 

 困ったな……。

 散々、エリスにセクハラしておいて何だが、いざ本番を迎えるとなれば足が竦む。

 

 ここで手を出せば、もう2度と戻れなくなる。

 そうなればフィリップの思うツボである。

 

 それは俺にとってもエリスにとっても不幸になりかねない。

 下手に政争に首を突っ込んで、万が一敗走したとしよう。

 良くて首をハネられ、悪くて拷問の末に首をハネられる。

 

 そんな末路は望まない。

 だから俺は、扇情的な姿のエリスを前にしても、極めて平静を保つ。

 

 前世も含めて俺は変わらず童貞(処女)を貫くとしよう。

 

 

「ねえ、シないの……?」

 

「何の話です?」

 

「エッチなことよ……」

 

「しませんよ。私では責任を取りきれませんので」

 

「……バカ」

 

 

 エリスの覚悟を無下にする。

 でもこれで良いのさ。

 お互い、若い頃の甘い思いに出に留めておくのだ。

 

 俺とエリスは義姉妹として健全な関係を築いていきたい。

 

 

 

「では私はもう寝ますので。エリスも明日に備えて寝ちゃって下さい。エリスから頂いた杖のお披露目会ですよ」

 

「そうね……」

 

 

 しかし、エリスは帰ろうとしない。

 それどころか、俺の身体をベッドへ押し倒してきた。

 その顔は、どこか血走った様子で……。

 

 

 

「どういうおつもりですか、エリス。事と次第によっては、お尻ペンペンですよ?」

 

「そんなことじゃ、私は退かないわよ……」

 

「そうですか……。今のエリスは、少しばかり変ですね」

 

「ええ、でもルーディアがいけないのよ! 私の気持ち、知ってるくせにっ!」

 

 

 服を剥がれる。

 誕生日会の為に仕立てられたドレスが、エリスによって力任せに引き裂かれた。

 費用はボレアス家持ちだから文句は言うまい。

 

 エリスの手が、俺の太ももや胸に這われる。

 こちらから仕掛ける事はあるが、される側ははじめてかもしれない。

 

 彼女自身、訳も分からずに行為に及ぼうとしているに違いない。

 だってエリスの手が震えている。

 どうにかして俺を繋ぎ止めよう必死になっているのだ。

 

 

「これ以上はダメだ、エリス。()はお前を嫌いになりたくはない……」

 

 

 一喝してやる。

 これより先は、一生悔いる事になる。

 誰も望まない不幸な結末を生み出し、俺もエリスから離れざるを得ない。

 

 

「だって……! ルーディアは私に色々してくれたじゃないっ! それなのに何も返せてない! ルーディアも何処かへ行っちゃいそうになるしっ……! だったらどうすれば良いのよっ……!」

 

「それは()には分からないよ……。でも今はその時じゃないだろ?」

 

 

 エリスも本心では、いけないことをしていると理解している。

 ただ焦燥心や親からの焚き付けで暴走している。

 彼女を止められるのは俺だけなのだ。

 

 でも考え無しに説得しようものなら、余計に手をつけられなくなる。

 だから俺は代替案を出す。

 

 

「じゃあ、エリス。もう5年だけ、待ってください。私が15歳になったら、その時は……。私はエリスのものになりましょう」

 

「5年……?」

 

「はい、5年です。私もエリスもまだ子どもです。判断するには早い。少しくらい遅れても間に合います」

 

 

 これで良いのだ。

 問題の先送りかもしれない。

 根本的な解決とは程遠い。

 それでも俺は、あと少しだけ義姉妹の関係で在りたいのだ。

 

 

「わかったわ! ルーディアが大人になったら絶対よ! 他の女には渡さないんだから!」

 

 

 そう言い残して、エリスは扉を蹴り破る勢いで部屋を去っていった。

 まるで初めてエリスと出逢った頃のように。

 

 

「これはまた、とんでもない約束をしちゃったかな?」

 

 

 後悔しても遅い。

 ルーディアよ、いい加減、覚悟を決めておけよ?

 

 そして一晩明ける。

 

 家族たちと朝食を摂り、身支度を整えた。

 御神体(ロキシーのパンツ)を携え、昨日貰った剣帯ベルトを装着し、昔パウロから貰った剣を収める。

 

 本日は晴天なり。

 

 しかし、空に浮かぶ赤い珠が、妙に雰囲気を醸し立つ。

 まるで何か不幸をもたらすかのように、妖しく蠢いているのだ。

 

 でもまぁ、気にするこたぁ無い。

 

 新しく手にした杖を掲げ、グレイラット家及びボレアス家総出で、ロアの町郊外の丘へと向かうのだった。

 

 

 



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21話 ターニングポイント1

─シーローン王国宮廷にて──

 

 アレはなんだ?

 シーローン王国にて、第七王子パックス・シーローンの家庭教師を務める青き少女は、疑問の解明に思考を巡らせる。

 

 が、見ただけでその現象の正体を突き止めるには至らない。

 ただ疑問を強めるだけに過ぎず、ロキシー・ミグルディアは不安の中で、愛弟子の身を案じる。

 

 ルーディアなら大丈夫、きっと。

 根拠の無い確信で、自身の懸念を押し潰す。

 

 しかし……何かあってからでは遅い。

 であれば、己が足で調査に赴くべきか。

 そう判断を下したロキシーは、シーローン王国第七王子に見切りをつけ、足早に去っていった。

 

「ルディ、待っていてくださいよ……」

 

 

 

 

 

 

─赤竜山脈にて─

 

 彼の者は最強と謳われし百代目『龍神』オルステッド。

 

 西の空の異変は、何人(なんびと)であっても動かせぬ感情をも、揺らぎを生じさせる。

 

 これまでの世界には存在し得ぬ事象。

 前触れなど無かったはず……。

 

 

「この目で確かめる他にあるまい……」

 

 

 赤竜を葬りながら、最強の名を冠する只人ならざる者は行く……。

 

 

 

 

 

空中要塞(ケイオスブレイカー)にて─

 

 『甲龍王』ペルギウスの目に映るは、北の空の異変。

 実害を想定される災害を予見する。

 

 であれば配下に調査を命ずる。

 

「アルマンフィ、怪しき者は即刻葬れ」

 

「御意に……」

 

 

 

 

 

─剣の聖地にて─

 

 

「おいおい、ありゃなんだぁ?」

 

 『剣神』ガル・ファリオンは南の空に目を釘付けにされる。

 直弟子らの相手をしながら、この頃送り出したばかりの剣王を想う。

 

 

「パウロのヤツ、死なねぇだろうな?」

 

 

 

 

 

─魔大陸のどこか─

 

 

「おお! けったいなモンもおるもんじゃ!」

 

 

 東の空を見上げるは『魔界大帝』キシリカ・キシリスその人。

 

 かつては魔族の将として軍勢を率いたが、現在は幼女。

 

 空の異変は魔大陸からならば西方に位置するが、当人の所持する魔眼に掛かれば、方角など考慮する必要なし。

 

 

「見えん! 妾の魔眼を逃れるとは、バーディみたいなヤツじゃな! ファーハハハ!」

 

 

 

 

 

─同時刻・ルーディア視点─

 

 これから行われるのは、エリスよりプレゼントされた新たな杖『傲慢なる水竜王(アクアハーティア)』の性能チェックもとい水聖級魔術のお披露目会。

 

 親に恥をかかせないよう、全身全霊で挑むところ。

 詠唱はバッチリ暗記済み。

 何なら無詠唱でも発動可能だが、今回は雰囲気を重視して、きちんと詠唱で発動するつもりだ。

 

 さて見物客の紹介だ。

 まずはブエナ村のグレイラット一家から。

 家長のパウロ、正妻ゼニス、側室リーリャ、次女ノルン、三女アイシャだ。

 

 続いてボレアス家から。

 領主サウロス、ロア町長フィリップ、町長夫人ヒルダ、令嬢エリス、食客ギレーヌだ。

 

 みんなをアッと言わせる、とびきりのデカいヤツを見せつけてやろう。

 

 と、その前に試運転。

 基本スペックを知ることは重要だ。

 いきなり魔力制御を誤って破損とか、エリスに顔向け来ん。

 

 見物客の皆さんをお待たせして大変申し訳ない。

 だが念には念を入れてだ。

 手抜かりにならぬよう、加減を身体に覚えさせる。

 

 消費魔力を維持して魔術攻撃の威力を上げる。

 あるいは、消費魔力を抑えて通常威力の攻撃魔術を発動。

 細かい制御を要するが、慣れさえすればコイツは戦闘に重宝しそうだ。

 

 ゲームの序盤で最強武器を手に入れたかのような全能感。

 精々、力に振り回されない様に制御に努めよう。

 

 

「良いですねぇ、これは。使いようによっては、王級規模の水魔術だっていけますよ。エリスは見る目があります」

 

「ホントに!」

 

 

 金に物を言わせて高価な素材を用いたのだろう。

 だがそこには真心も込められているはず。

 その割には昨晩、服を破られたまま放置されたが。

 

 

「さあ、お立ち会いっ! 此れより御見せしますは一世一代の大舞台! 皆様の目に奇跡というものをご覧に入れましょう!」

 

 ハイテンションで始めた口上に対し、ノリの良い反応を示したのは、エリス、ノルン、アイシャの子ども組。

 拍手と共に目を輝かせて杖を持つ俺を注視していた。

 

 大人組は、かろうじてゼニスとギレーヌが微笑を浮かべる程度か。

 いや、ゼニスは足をバタつかせてその場でステップ擬き、ギレーヌの尻尾もユラユラと左右に揺れていた。

 見た目以上に内心では、盛り上がっているとお見受けする。

 

 天へと杖の先を向けて数節の詠唱を唱える。

 魔力の集う瞬間を知覚し、全身で制御する。

 

 キュムロニンバスが完成するまで、あと十数秒を待つばかり。

 

 

「え……?」

 

 

 途端に、膨大な魔力による妨害を察知する。

 とても人為的とは思えぬ圧力。

 俺が注いだハズの魔力が何かに消費されるような感覚。

 雨雲が散らされない様に抵抗を試みる。

 ダメだ、押し切られそうだ。

 

 誰もが天を仰ぐ。

 禍々しい異色の天空。

 まるで世紀末に恐怖の大王が降り立つのではと、錯覚さえ起こす。

 大規模な異変は皆に恐怖を与える。

 

 等しく不安を被り、されど眼を離せない。

 眼を逸らせば、即座に食い殺されかねない死の香り。

 

 

「む、アレはなんて高圧的な魔力だ……。これは不味い」

 

 

 ギレーヌが右目の眼帯をズラし、空の色味を視認する。

 その上で、異質な魔力の存在を認めた。

 

 

「フィリップ様、これ、ヤバいですよ。早く町の人たちを避難誘導しないと」

 

「あぁ、そうするよ。父上、同伴を願います。貴方の声の方が町民に響きやすい」

 

「心得ておる。ゆくぞ、フィリップ!」

 

 

 後にはヒルダも続いた。

 

 

「ノルン、お母さんと一緒に居なさい!」

 

「うん……」

 

 

 ゼニスがノルンを抱き抱える。

 

 

「アイシャ、何が来るのか分からないので備えて」

 

「うん、母さん!」

 

 

 リーリャはアイシャの肩を抱く。

 

 そして、俺、エリス、パウロ、ギレーヌは変わらず、空の異変と対峙する。

 やがて数秒後の訪れに、事態が急変する。

 

 

「危ねぇ、ルディっ……!」

 

 

 パウロに抱き寄せられる。

 先ほどまで俺の身体の在った空間に風切り音が鳴った。

 視界に映ってはいない、何らかの存在が俺の命を刈り取ろうとしていた。

 狙われる理由に心当たりなど無いというのに。

 

 数度、大気中を駆けずり回ったソレは、地面へと直立していた。

 

 キツネの面を着け制服のような白装束の男。

 細身だが、決して軟弱な印象を持たせない鋭さと冷たさ。

 

 金髪のそいつは、おそらくは人外。

 殺しきれなかった俺を睨んでいる様にも感じる。

 その視線は真っ直ぐと俺を狙い続けていた。

 

 

「何者だ、てめぇは! 人の娘に手を出すなんざ、どういう了見だ!」

 

「さて、それは戦って聞き出すと良い」

 

「そうさせてもらおうかっ! ギレーヌ! 俺に合わせろ!」

 

「言われずともっ!」

 

 

 2人の剣王が仮面の男へ殺気と共に、剣先を向ける。

 両者構えた光の太刀──。

 挟み撃ちにされた仮面の男は、瞬きの合間に、立ち位置を変えていた。

 

 不発に終わる光の太刀。

 が、不発のはずの太刀筋は、軌道を反転させて敵の首を互い違いの方向から挟み込む。

 

 いや、アイツ、避けやがった!

 

 転々と居場所を変える男は、手に掴む剣を軽やかに振るう。

 直後、光の尾が空間に走る。

 縦横無尽に宙を舞い、急降下。

 標的は俺のようだが──。

 

 

「遅せぇ、軌道が丸見えなんだよっ!」

 

 

 パウロの剣が、光速化した仮面の男を押し留める。

 力勝負ではパウロに軍配が上がり、弾き返す。

 

 着地の瞬間をギレーヌは逃さない。

 彼女が獣の如く咆哮を飛ばす。

 仮面の男は直撃を受け、両腕で顔を庇う。

 

 

「隙だらけだ、間抜けっ!」

 

 

 パウロの一太刀。

 がら空きの胴に触れた瞬間、またもや瞬間移動。

 回避される事も想定の内なのか、パウロは着地地点に先回りし、再度、胴へと刃先を薙ぐ。

 

 斬りつけられた男の体表からは血は流れない。

 代わりに光の粒が流出し始める。

 本で読んだことがある。

 彼はきっと使い魔という存在に違いない。

 

 痛みに喘ぐ事もなく、粛々と傷口を撫で上げると、光の粒子の流出は止まる。

 

 

「不気味な野郎だっ! 身のこなしは剣聖程度だってのに、珍妙な移動能力でこっちの認識を狂わされる」

 

「パウロ。ヤツはもしや、ペルギウスの」

 

「だろうな、察しがついたぜ」

 

 

 パウロとギレーヌの間では、敵の正体に行き着いたらしい。

 光の速度で世界を駆ける存在とあれば、2つと無い。

 そう言わんばかりに、警戒を強めていた。

 

 

「剣王2人を相手取るともなれば、さすがに分が悪い。だが、我とて退けぬ」

 

 

 仮面の男は自らの不利を悟りながらも、パウロたちへと光の筋となって強襲する。

 カウンターを目論む2人だが、敵さんも想定済なのか、急ブレーキからの反転を幾度も繰り返す。

 

 ここまで人間離れした挙動を目の当たりすれば、俺にだって理解が及ぶ。

 仮面の男の正体とは──光輝のアルマンフィ。

 

 英雄ペルギウスの配下の1人。

 おとぎ話の存在がどうして俺を狙うってんだ?

 

 パウロとギレーヌが居なきゃ、俺なんかとっくに死んでる。

 薄ら寒いね。

 

 

「この異変を止めに来た次第。ペルギウス様の命により、そこの娘を処分しに参った」

 

「あぁ? てめぇには、オレの可愛い娘が悪さしてる風に見えてんのか!?」

 

「あの空とあたしらは関係ない。たまたま居合わせただけだ」

 

 

 憤慨するパウロと弁明するギレーヌ。

 アルマンフィとやらは、一応は耳を傾けているようだが、その動向に注目せざるを得ない。

 

 

「潔白を証明出来るのか? でなければ処断は免れぬ」

 

「潔白も何も言い掛かりだろうが。てめえの方こそ、怪しいんだよ」

 

 

 パウロの意見はもっともだ。

 あんな襲撃をされちゃ、堪ったものじゃない。

 妹たちだって怖がってる。

 

 

「埒が明かんな。パウロ、ここらで一気に方を付けるぞ」

 

「あぁ、ペルギウスの手下だか何だか知らねぇが、生かしておいたら、また娘を狙われる」

 

 

 やがて放たれる光の太刀の連打。

 底知れない体力を以てして、2人の剣王が力押しを図る。

 アルマンフィも、形勢が逆転したのか、防戦に徹する。

 もしかすると、本来ヤツは戦闘向きの精霊じゃないのかもな。

 

それでも立ち回れるところを見るに、さすがはペルギウスの従僕ってとこか。

 

 

「ルーディア! 私たちも加勢しましょう!」

 

「ダメです。私たち程度じゃ、邪魔にしかなりません!」

 

 

 エリスの手を掴んで踏み留まらせる。

 あのギレーヌが仕留め切れない敵を、まだ成長途中の剣士がどうして対抗出来ようか。

 

 その後も決着はつかず、両者の体力と気力を削るだけの結果となる。

 いや、精霊に体力の限界とかってあるのか?

 

 

「膠着が続いてはペルギウス様もお嘆きになられる。聞こう、貴様達が無関係であると師と一族の名に誓えるか?」

 

 

 アルマンフィの問いに、まずはギレーヌが答える。

 

 

「我が師、剣神ガル・ファリオンと、ドルディア族の名に誓おう!」

 

 

 その相棒の姿を目にしたパウロも、渋々といった佇まいで後に続く。

 

 

「我が師、剣神ガル・ファリオンと、ブエナ村のグレイラット家の名に誓ってやるぜ!」

 

 

 本来の師は剣王なのだが、この場では信用を得る為に、剣神の名を出したようだ。

 認定試験の際、立ち会ってもらった上に、合格後はしばらく手解きを受けたと言うし、あながち間違いではないだろう。

 

 

「良かろう。後の沙汰はペルギウス様のご裁量次第だ。心して待て」

 

 

 そしてアルマンフィは光となって天へと消えた。

 

 

「謝罪も無しに消えやがったか……。ルディ? 怪我してないよな」

 

「お陰さまで傷ひとつありません。しかし、父さまは強いですね。あの光輝のアルマンフィ相手に1歩も退きませんでした」

 

「あぁ、ありがとな。逃げられちまったが、守れたんなら結果オーライだ」

 

 

 消化不良って面のパウロだが、父親の3年間の成果を強く実感する。

 この父ちゃんは、俺なんかの為にこれほどまでの力を物にしたのだと、誇りに思うと同時に照れてしまう。

 

 

「パウロさん、強いのねっ!」

 

「おう、何なら俺が剣の手解きをしてやろうか?」

 

「お願いするわっ!」

 

 

 エリスの目は、ギレーヌを見る時同様にキラキラしていた。

 どうやら俺の親父をご所望らしい。

 ヤダよ、俺の父さまだよ、あーげない!

 

 

「ルディ、災難だったわね。あとでお母さんが慰めてあげるからね」

 

 

 ノルンを抱っこするゼニスの言葉。

 久し振りにおっぱいでも揉ませてもらうとしよう。

 たまには母性だって求めたいのさ。

 

 

「しかし、先ほどの者はなぜルーディアお嬢様を」

 

 

 アイシャの手を引きながら近づいてきたリーリャの疑問。

 アルマンフィとかいうヤツには俺が、この異変の発生源に見えたらしい。

 

 

「何であれ、この場に留まるのは危険だ。とっとと、避難するぞ。ルディはもちろん、エリスの身に何かあっちゃサウロスの叔父上たちに殴られちまう」

 

 

 パウロ主導で俺たちも避難行動へ移行する。

 ロアの町からは馬で来ていたので、早々に股がろうとしたが──。

 

 俺は眼にする。

 真っ白に染め上げられた空に浮かぶ赤い珠。

 

 全ての不幸の根源とも思えるそれから、一筋の光が地面へと流れ落ち──。

 

 地面へと触れた瞬間、急速に世界を呑み込む。

 

 すさまじい速さだ。

 視認してからでは取れる行動も皆無。

 

 音はしない、しかして絶望の警鐘が誰しもの脳内に鳴り響く。

 

 それは全てを奪う光のカーテン。

 

 それは全てを無に帰す破壊の波。

 

 それは全てが等しく乱される混沌の衝動。

 

 呆然と構える。

 けれど抵抗する術は誰も持ち得ない。

 

 エリスは腰に力が入らないのか、地面に尻餅をついてた。

 せめて彼女だけでも助けたい、そんな一心から覆い被さる。

 

 パウロが俺に手を伸ばしていた。

 俺もエリスと密着しながらも、手を差出し──しかし、届くことはなかった……。

 

 

 

 

 

 

 その日、フィットア領からは全てが失われた──。

 

 後の世に大規模魔力災害と呼ばれる『フィットア領転移事件』の幕開けである。

 

 

 

 

 

─中央大陸南部北方─

 

 諸国乱立するこの土地の情勢は、いつの世も不安定。

 戦乱に溢れ、死とは隣り合わせ。

 

 力無き者はただ蹂躙されるのみ。

 力有る者もいつしかその命を消耗し、消失する殺伐とした世界。

 

 そこに彼は居た。

 サウロス・ボレアス・グレイラット

 

 

「何事だ……。なぜ儂はここに()るのだ?」

 

 

 

 

 

─中央大陸南部北方─

 

 サウロスとは別地点。

 されどそう遠くない国境線近くに、彼女は居た。

 

 

「エリス! ルーディア! パウロ! ゼニス!」

 

 

 必死に呼び掛ける剣王ギレーヌに返答する者は現れない。

 しかして、彼女の耳は捉える。

 聞き慣れた歩行音。

 自身の主であるサウロスが近くに居る。

 

 

「サウロス様か……。いま行きますっ……!」

 

 

 

 

 

─シーローン王国宮廷内─

 

 少し前までは水王級魔術師ロキシーが滞在していたこの国では、混乱の真っ只中。

 何処からともなく、アスラ王国の貴族夫妻が宮廷内に現れたのだから。

 

 

「あなた、ここはっ!」

 

「信じられないかもしれないが、シーローン王国だ。ルーディアの師であるロキシー殿にお取り次ぎ願おう」

 

 

 フィリップとヒルダだ。

 

 既にロキシーは発った。

 しかし、彼女を狙うこの国の第七皇子パックスは、そばで聞き耳を立てていた。

 

 そして自身の親衛隊に命じる。

 

 

「こいつらを捕らえよ。そしてロキシーを釣る餌にするのだ!」

 

 

 

 

 

─ミリス神聖国・ラトレイア家前─

 

「ここは……私の実家?」

 

 

 愛娘ノルンを抱き抱えながら、十数年ぶりに図らずも帰省するゼニス。

 門兵がゼニスの姿を確認、すると、ラトレイア伯爵家夫人であるクレアが飛び出してきた。

 

 

「貴女はゼニス……?」

 

「お、お母さまっ……!」

 

 

 その後、ゼニスは実の母の手によって保護され、軟禁生活を娘と共に送る。

 外の情報は以後、遮断された。

 

 

 

 

 

─アスラ王国・ミルボッツ領ノトス家邸宅─

 

 王都での政争に心労が重なり、一時帰宅のピレモンは、突如現れた2人組に詰問する。

 

 

「いま何と言ったっ……!」

 

「パウロ様に連絡を取り次ぎ願いませんでしょうか」

 

 

 愚兄パウロの側室リーリャと、その娘のアイシャ。

 よりにもよって自分へパウロと引き合わせるように要求している。

 

「ふざけおって……!」

 

 

 リーリャとアイシャは、パウロの弱味として数年に渡る人質生活を送る事となった。

 

 

 

 

 

─アスラ王国内──

 

 パウロは気づく。

 目の前の巨悪は、全ての生きる者達の敵対者。

 そして自身の目の前に立っていることに。

 

 

「お前は、パウロ・グレイラット? なぜここに。ノルン・グレイラットは元気にしているか?」

 

「ノルンが元気かだと……?」

 

 

 全てを察する。

 目の前の存在が、自分から愛する妻子たちを奪ったのだと。

 

 

「てめぇだけは許さねぇ! よくもルディ達をっ……!」

 

 

 そして剣王パウロは、家族を取り戻さんとして、龍神オルステッドへと挑む。

 

 

 

 

 

─魔大陸北東部─

 

 ルイジェルド・スペルディアは上空に子どもの姿を確認する。

 自由落下する小さな身体を受け止めると、介抱してやった。

 

 茶髪の人族の娘と、赤毛の人族の娘。

 今はまだ眠っている。

 夜は冷える、ゆえに焚き火で身体を暖めてやる。

 

 何故、空から降って来たのかは理解は及ばない。

 されど誇りあるスペルド族の名に掛けて、必ず助けてやると誓う。

 

 

 

 

─無の世界─

 

 その存在は突如として知る。

 自身の観測する未来にこれまで現れる事の無かった世界の異物。

 

 視ていたはずの未来は全てが狂い出す。

 数万年先までは確かに安定していたというのに、その異物は全てを破綻させる。

 

 殺さねば。

 その者を生かしておいては、龍神オルステッドに敗れてしまう。

 

 その者は、どういう訳か女性でありながら、女性との間に子を儲ける。

 その子ども、あるいは子孫がオルステッドと手を組み、自分を滅ぼそうというのだ。

 

 看過など出来ない。

 

 であれば、接触を図ろう。

 利用する手立てはいくらでもあった。

 全てが順調に事が運ぶように仕向け、そして最後に裏切るのだ。

 

 絶望したその女の肩に手を置いて──。

 

 想像するだけで心が踊る。

 

 さて、まずはルーディア・グレイラットの夢に干渉しよう。

 

 ヒトガミは独り、計画を始動する──。




第2章 少年期 家庭教師編 - 終 -


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第3章 少年期 冒険者入門編
22話 胡散臭い神様


 フワフワとした感覚。

 ぬるま湯に浸かっているかのような生温さ。

 密着するエリスの体温を感じて、生を実感する。

 

 飛んでるようにも思える。

 実際はわからない。

 そんな不確かな認識だ。

 

 これはきっと夢だろう。

 俺も子どもだから、昼寝でもしているんだ。

 前後の記憶は曖昧。

 

 様々な景色が視界に移る。

 海や山、荒野に森。

 とにかく色々だ。

 

 でも、沼地とか谷は怖い。

 落ちたらなんかイヤだ。

 

 だから場所を選ぶ。

 なるべく安全そうで勾配の少ない地形を。

 

 それから程なくして、夢の内容は変化する。

 

 

 

 

 真っ白な世界。

 視界がボヤけているのかハッキリとしているのかも区別がつかない。

 

 でも身体は動くし、思考も明瞭。

 うん?

 こりゃ夢なのか?

 それとも現実?

 

 解答は導き出されないままに、ある事に気付く。

 

 俺の身体は、生前の物であることに。

 は?

 いや、いや、嘘だろ?

 

 俺はルーディア・グレイラットとして生まれたんだぜ?

 なぜ今さら、この醜い身体に戻っているのか、吐き気がするほどに嫌悪感に満たされる。

 

 そうか、俺はルーディアではなかったのだ。

 これまで過ごした幸福感に溢れた日々は虚像。

 

 パウロもゼニスも存在しない両親。

 リーリャだって居ないし、ノルンとアイシャも。

 

 だとすれば、ロキシーとシルフィ、エリスもだ。

 

 ギレーヌも、サウロスも、フィリップも、ヒルダも……全員が、俺の夢の登場人物に過ぎない。

 

 あぁ、くそ……。

 短い夢だった。

 本来の俺は、トラックに轢かれて生死をさ迷っている。

 そして死の間際の夢がぬか喜びさせた。

 

 嫌だなぁ。

 俺、パウロのこと父親として好きだったのに。

 

 ゼニスにも甘えたかった。

 

 他にも色々な人達への後悔が湧き上がる。

 あぁ、でも……全て手遅れだ。

 

 夢なんて儚いものだ。

 覚めてしまえば何もかも消えちまうんだからな。

 

 

──

 

 

 目の前に何か居た。

 のっぺりとした顔。

 さながらマネキンのような無機質な見た目。

 

 めちゃくちゃ怪しいぜ、コイツ。

 怪訝に思いつつ、そいつが声を掛けてきた。

 

 

「やあ、はじめましてだね。ルーディアちゃん」

 

 

 誰だよ、あんた。

 いきなり慣れなれし過ぎやしないか?

 

 

「つれないことを言わないでおくれよ」

 

 

 やかましい。

 いま、俺は気分が悪いんだ。

 お前のような得体の知れん輩に気を許してたまるかよ。

 

 

「まぁ、いきなり仲良くっていうのは難しいかな」

 

 

 そうだよ。

 俺はあんたとは仲良くしたくないね。

 

 

 意味のわからない存在に警戒する。

 印象的なのにモザイクが掛かったように、覚えられない不安定感。

 コイツは悪いヤツだと、一目で認識する。

 

 

「ところで君、風変わりな人生を送っているようだね」

 

 

 あぁ?

 そりゃあ、男から女に生まれ変わったんだ。

 数奇な人生ってもんよ。

 まぁ、そいつも夢だったんだけどな。

 

 

「夢じゃないとしたら、君はどうするのかな? ボクに話してごらんよ」

 

 

 そりゃあ、ルーディアとして生き続けるだろうさ。

 ていうかお前、人の人生を覗き見してやがったのか?

 

 

 そうなると俺の変態行為の全てもお見通しということになる。

 腹の立つ話だ。

 コイツを小突いてやりたいよ。

 

 

 

「大丈夫、君は生きているし、ボクは味方だ」

 

 

 味方ってんなら、名前くらい教えてくれ。

 いまいち信用出来んぞ。

 

 

「自己紹介が遅れてしまったね。ボクは人神、神様さ」

 

 

 人神……ヒトガミか。

 神様だぁ?

 はん、そんなもんが実在するなんてな。

 こりゃあ、拝んでおいた方が良いのか?

 

 

「拝まなくても構わないけど、ボクの話くらいは聞いてほしいよね」

 

 

 そこまで言うんなら、話くらいは聞いてやるよ。

 でも可笑しな事を言う様なら、金輪際関わってこないでくれ。

 

 

「可笑しいだなんて、手厳しいね。でも君の得になることだから、そこは安心してね」

 

 

 ほう?

 手っ取り早く話してくれ。

 回りくどいのは嫌いなんでね。

 

 

 ひとまずヒトガミとやらの言葉に耳を貸すことにする。

 コイツなら、あの意味不明な光の詳細を知っているかもしれんし。

 

 

「君らを襲ったのは魔力災害さ。そしてルーディアは、魔大陸へ転移してしまった」

 

 

 転移?

 テレポート的なやつか。

 魔大陸ってのは、本で読んだことはあるが、中央大陸からどんだけ離れてるってんだよ。

 

 

「残念ながら事実だよ。だから君はボクの助言を聞き入れた方が為になると思うんだよ」

 

 

 俺の為ねぇ。

 助けてくれるとでも?

 は、ありがたいもんだ。

 それで本当に助かるんならな。

 

 

「なかなか信用はしてもらえないか。でも信じざるを得ないよ。魔大陸は草木も育たない荒れた土地だからね」

 

 

 そいつは過酷だな。

 食い物も水も無いってことになるのか?

 

 

 ヒトガミの話を吟味する。

 魔大陸と言えば魔物だってウヨウヨいる。

 他の大陸よりも強力で生命力も高い。

 

これはいよいよもって、ヤツの言いなりになるしかなさそうだ。

 

 しかしそれにしても転移?

 俺が転移したのなら、ロアの町周辺に居た人間は全員漏れなく何処かへと消えたことになる。

 パウロやゼニス、ノルン、リーリャ、アイシャ。

 

 サウロス達も心配だ。

 生きていると良いが……。

 

 ギレーヌ辺りは、その強さをよく知っているから、不安は無い。

 彼女なら自力でフィットア領に帰還出来るだろう。

 

 さて、エリスは──。

 

 

「君の婚約者(フィアンセ)は無事だよ。今は眠っている君の身体のすぐそばに居る」

 

 

 そうか、あの子は無事か……。

 そいつは良かった。

 

 って、おい。

 俺の身体はこの醜い姿じゃないのかよ。

 

 

「うん、いまこの空間にいる君は、いわゆる精神体ってやつだよ。君の意識が具現化したものに過ぎない」

 

 

 じゃあ、目を覚ましたら俺はルーディアなのか?

 

 

「そうだね。君はれっきとした女の子だよ」

 

 

 どうせオカマ野郎とか思ってんじゃねえの?

 

 

「まさか。そんな悪口を言って何になるんだい?」

 

 

 はぁ……。

 俺とエリスはどうすりゃあ、助かるんですか?

 なぁ、神様さんよぉ?

 

 

「簡単な話さ。目覚めた時に、君の近くに居る男を頼るんだ。彼はある事情で非常に困っていてね。でも手を貸してやりなさい。さすれば君の救いとなることでしょう」

 

 

 ヒトガミの助言を最後に、この空間から俺の意識は遠ざかっていった。

 そうか、俺はあの世界に戻れるのか……。

 尤も、魔大陸とやらに放り出されちまったようだがな。

 

 

──

 

 

 瞼が開く。

 星空満天の空が俺をお出迎えし、ヒンヤリとした空気が顔を撫でる。

 だが、近くには焚き火。

 身体は……暖かい放射熱によってそれほど冷えていない。

 毛布だって掛けられていた事から、誰かが介抱してくれたのだろう。

 

 身を起こしてみると身体は軽い。

 あの鈍重な身体ではなく、ちゃんとルーディアとして戻れたことに安堵する。

 

 さてエリスは?

 

 あぁ、居たよ。

 スヤスヤ寝てる。

 幸せそうな顔でな。

 

 尻を撫でても目を覚まさない。

 よほど疲れていたのか……。

 てか、俺も気だるい。

 身体から根こそぎ魔力を持っていかれたかのような疲労感を覚える。

 

 なんだかねぇ、意味の分からん事になったよ。

 まだヒトガミの言葉を全面的に信用したわけじゃないが、目に見える範囲じゃアスラ王国ではない別の土地であることは確実。

 

 ということは近くに、俺らを助けてくれる存在が居るってことだ。

 

 と、その前に身なりを確認する。

 肌身離さず所持する物を列挙する。

 

 ・御神体(ロキシーのパンツ)

 ・ミグルド族の御守り

 ・シルフィの御守り

 ・剣帯ベルトとパウロから貰った剣

 

 それらはちゃんと身に付けてあった。

 杖の方は、エリスの背後に転がっている。

 

 傲慢なる水竜王(アクアハーティア)の安否を知って、胸を撫で下ろす。

 せっかくエリスが仕立ててくれたんだ。

 生涯の宝の無事に感謝する。

 

 さて俺たちの命の恩人さんはどこだ?

 辺りを見回し、捜索する。

 数秒とせずに発見した。

 距離を置いていたのだ、気付くのに遅れた。

 

 あんた、そんな遠くだと焚き火の熱の恩恵に与れないぜ?

 寒くないの?

 

 そんな事を思いながら、ファーストコンタクト。

 恐る恐る小声で掛けてみた。

 

 

「すみません、もしかして私たちを助けてくださったのは貴方ですか?」

 

 

 こちらからは横顔しか見えないが、視線はこちらを見ている。

 何か向こうは恐れているようで、真正面から対面というわけにはいかなかった。

 

 

「あぁ……」

 

 

 逞しい男性の声だ。

 無愛想に聞こえる、決して敵対的ではない。

 むしろ身を案じている様にも聞こえる。

 

 ひとまず返答はあった。

 まだ人となりは分からないが、彼に近付いてみた。

 徐々に風貌が見えてくる。

 

 これは……スペルド族だ。

 ロキシーの話してくれた全ての特徴と一致してしまう。

 子どもを喰らう恐ろしい鬼のような存在であると。

 

 いや、噂を鵜呑みには出来ん。

 

 緑の髪をした白い肌の男の横に、無遠慮ながら腰を下ろさせてもらう。

 よく目を凝らして顔を覗く。

 

 額にはやはり赤い宝石が埋め込まれていた。

 彼個人の特徴だろうが、顔には縦断する様に傷跡が刻まれている。

 眼は鋭く、睨んでる訳じゃないと理解していても、チビりそうな程に怖い。

 

 威圧しているつもりは、本人には無さそうなのが唯一の救いか。

 見た目こそ恐ろしいが、他に頼るアテは無い。

 

 魔大陸の過酷さは書籍の知識だけでしか知らないが、少くとも俺とエリスの様なメスガキ2匹で生存競争を勝ち残るなんてムチャだろう。

 

 パウロやギレーヌでさえ苦戦を強いられる魔物だって居ないわけじゃないのだ。

 そんな化物を相手には逃げることすら、ままならないだろうよ。

 

 では会話を続行しよう。

 

 

「助けて頂いてありがとうございます」

 

 

 真正面から礼を言うと、スペルド族の兄ちゃんはハッと驚いた様な反応を示す。

 虚を突かれたかのような意外性に表情が崩れる。

 

 

「お前は、俺が怖くないのか……?」

 

「まさか! 命の恩人を恐れるなんて失礼じゃないですか!」

 

 

 彼には人に嫌われる理由でもあるのか?

 長らく他人と会話していないのか、あるいは会話する相手は居ても頻度は少ないのか。

 

 とにかく動揺した風に、彼は俺の次の言葉を待っていた。

 

 

「私はルーディア・グレイラットといいます。以後、お見知り置きを」

 

「そうか。俺はルイジェルド・スペルディアだ……」

 

「では、よろしくです」

 

 

 彼の手を強引に取って握手する。

 殊更に、ルイジェルドと名乗った男は困惑の色を見せる。

 

 

「人族の娘だろう、お前は。なぜ俺を恐れない」

 

「先程も話したでしょう。恩人を怖がるなんて無礼は出来ませんよ。それにルイジェルドさんの外見が、多少厳ついからって、私は気にしませんので」

 

「変わった娘だ……」

 

 

 そう言いながらも、俺の手を振り払う事はなかった。

 

 

「ところでここは? 魔大陸ということは何となく分かりますけど」

 

「魔大陸の北東部、ビエゴヤ地方、旧キシリス城近くだ」

 

「うーん、北東部ですか。私とそこで寝ている子の居た場所からは遠いですね」

 

「どこだ?」

 

「中央大陸のアスラ王国です。フィットア領のロアの町って場所なんですけどね」

 

「遠いな」

 

「まったくですよ、もう」

 

 

 今さらになって彼の手を離すと、ルイジェルドは悲しそうな顔をした。

 子どもが好きなのだろうか?

 ロリコンでないことを祈ろう。

 

 

「帰りたいか?」

 

「もちろん。家族も居ますので」

 

「それで、なぜここに飛ばされた?」

 

「私にもいまいち分かりません。ただ光に包まれたと思ったら、魔大陸に。ルイジェルドさんが居なければ、そのまま死んでいたでしょう。改めて、礼を言います」

 

「構わん。子どもは守るべき存在だ」

 

 

 ロリコンではなく、ただ単に親切な大人だったらしい。

 キャー、惚れちゃいそうだぜ。

 

 

「どう帰るつもりだ。土地勘も金も無いだろう?」

 

「はい……。この魔大陸を生きる知識も力も、正直なところ……まったく有りません」

 

 

 くそっ……。

 そうなのだ、どれだけ魔術が使えようと、ここでは俺は無力だ。

飲み水くらいなら、魔術で確保は可能だ。

 だが食料はどうする?

 

 見渡す限り、腹に入りそうな物は無い。

 仮に有ったとしても、それが人体に無害なのかも判別出来ない。

 空腹に耐えかね口にして、毒であの世行きなんて笑えない。

 

 そう思うと途端に、絶望が増す。

 

 俺たち、ここで死ぬのかな……?

 

 ヒトガミに従うのは癪だが、目の前のルイジェルドを頼るのが最良の選択に思えてきた。

 

 

「初対面で図々しいのも承知の上です。どうか私たちを、故郷まで送り届けてはくれませんか……?」

 

 

 すがるようにルイジェルドへ、潤んだ瞳で訴え掛ける。

 情に訴えたやり方だ。

 我ながら卑怯極まりないやり口。

 

 彼の膝に手をついて、顔を下から覗き込む。

 幼い女の子の見た目を存分に利用してやる。

 そしてその魅力が遺憾なく発揮されたらしく、数呼吸の後に、ルイジェルドは解答を出した。

 

 

「はじめからそのつもりだ。お前たちは何も心配することはない。俺がスペルド族の名に、そして誇りにかけて故郷へ送ろう」

 

 

 そう言って、俺の頭にポンッと、手を置く。

 馴れ馴れしいとは思わなかった。

 

 ヒトガミとは違い、心底彼を信用しようと思える温かみがあったのだ。

 ルイジェルドは誠実な男なのだろう。

 けれど人に不馴れだ。

 ちょっぴり不思議だが、やはりスペルド族への迫害が、この魔大陸でも強いのか?

 

 まったく、誰だよ。

 スペルド族は悪いヤツだって決めつけやがったのは。

 俺にとっては可愛い女子2人を無償で助けてくれる、優しいお兄ちゃんって印象だぜ?

 

 逆に俺の方が悪どい。

 女の武器を利用してまでルイジェルドに歩み寄ろうとしてんだからな。

 

 だがまあ、これも生き残る為だ。

 エリスを守らなきゃ……。

 なりふりなんて構っていられるかよ。

 

 ともあれ、約束は取り付けた。

 彼には今後、短くはない期間、守ってもらうとしよう。

 俺も出来得る限りの協力を惜しまない。

 ヒトガミも彼が困っているから助けろと話していたしな。

 

 

──

 

 

 しばらくしてエリスが目覚めた。

 視界にルイジェルドが入った瞬間、スペルド族だー!

 とか言って、毛布にくるまってうずくまる。

 

 ここまで怯えた姿を見るのはボレアス家に来て以降、初めてだ。

 しきりに頼れる姉御ギレーヌに助けを求めてわめいていた。

 ここまでくると不憫だ。

 そろそろ事情を説明してやらねぇと。

 

 

「エリス、彼は私たちの恩人です。なんと、フィットア領まで送り届けていただけるそうです」

 

「ぐすっ……ホントなの?」

 

「もちろんです。このルーディアが保証します。それに話をしてみると、彼は真摯な対応をしてくれました。スペルド族の人は、アスラ王国の変態貴族や、ド変態な第二王女アリエル殿下と比べようの無い程に、誠実な方です」

 

「わかったわ、ルーディアの話、信じる」

 

 

 長々と説明したが、素直に納得してくれた。

 その間、ルイジェルドが俺の頭を撫でている姿が、好意的に映ったらしい。

 まあ、撫でるように指示したのは俺だが。

 エリスが怖がるだろうから、一芝居をお願いしたのだ。

 

 

「悪かったわね! 怖がったりして。私はエリスよ。エリス・ボレアス・グレイラット!」

 

「そうか。俺はルイジェルド・スペルディアだ。お前たち2人は姉妹なのか? 家名が同じのようだが」

 

「そうよ! 私とルーディアは姉妹なんだから!」

 

 

 ちょっと、お嬢様。

 正確には又従姉妹でしょう?

 まぁ、義姉妹ってのは真実だ。

 わざわざ改める必要もあるまい。

 

 

「お母様も噂を真に受け過ぎよ。スペルド族が悪いヤツなんて嘘っぱちじゃない! あのルーディアがここまで懐くなんて、さぞかし良い人なんでしょうね!」

 

 

 俺を判断の基準にしているようだ。

 話が円滑に進むんなら文句は無い。

 

 

「でもルーディアは私のものよ。ルイジェルドには渡さないんだからっ!」

 

 

 あ、独占欲の塊なのね?

 恩人に釘を刺すエリスに、辟易とする。

 

 

 

「心得ている。俺はお前たちを護衛するだけだ。断じて手は出さん」

 

「分かってるじゃない! 気に入ったわ、ルイジェルド!」

 

 

 ルイジェルドはエリスから信用を勝ち取ったか。

 これで穏便に事が運びそうだ。

 護衛対象との不和は旅路に影響を与えかねない。

 もうそれを憂慮することもなかろう。

 

 

「ふぅ、少し疲れました……」

 

「無理も無いだろう。この辺りの気候は人族のこどもには堪える」

 

「その割にはルイジェルドさんは薄着ですよね?」

 

 

 上着を羽織っちゃいるが、両腕、胸部、腹部と空気に晒されている部分が多い。

 彼の男性的な筋肉が惜しげなく、こちらから丸見えだ。

 

 やはり筋肉のある男はカッコいい。

 

 

「俺は魔族だ。ここいらの気候には慣れている」

 

「そうですか。私たちは比較的温暖な気候の土地から来ましたからね。少し寒いです」

 

「じゃあ、私が温めてあげるわよ!」

 

 

 張り切ったエリスが身を寄せてくる。

 ふむ、確かに暖かい。

 

 

「仲が良いのだな。そうだ、家族は大切にしろ」

 

「えへへ、私とルーディアは、将来を誓い合った仲なのよ! 大切にするなんて当たり前よ!」

 

「ちょっと、エリス。いきなりそんな事を言っては、大きな誤解を招きます!」

 

「私、何か間違った事を言ったかしら?」

 

 

 間違いだとは言えねぇな。

 しかし、それをルイジェルドがどう思うかだが……。

 

 

「魔族の中には同性同士で(つがい)となり、子を産む種族が存在する。なるほど、人族もそうなのか」

 

「え、なに! その話、詳しくっ!」

 

 

 つい、がっついてしまう。

 

 

「ルーディアはエリスと子を成したいのか?」

 

「参考までにお聞きしたいだけです」

 

「そうか。では、何から話すべきか……」

 

 

 その後、ルイジェルドの口から興味深い話が飛び出した。

 種族名すら無い極少人数の種族らしい。

 ゆえに同性あるいは近親で数を殖やすのだとか。

 生殖方法は種族特有の体質と魔術が関係しているようだ。

 

 だが、人族の俺には真似出来そうにない。

 でも……魔術ってのは極めれば、何でも出来る。

 夢を捨てるには、まだ早いんじゃないのか?

 

 本気かどうかはさておき、暇を見つけて研究する価値はあるだろう。

 この世界でも不妊の悩みは尽きない。

 ゼニスもそうだし、不妊治療にも繋がるかもしれん。

 

 パウロとゼニスもまだ、子どもを欲しがっているみたいだし、ここは親孝行として研究対象に加えておく。

 

 とはいえ最優先事項は中央大陸アスラ王国への帰還。

 

 あぁ、寂しい……。

 パウロにも早く会いたい。

 俺の父親は何て言うか、精神的には脆そうだ。

 変な勘違いを起こして、先走らなければ良いが。

 

 誤解に誤解を重ねて、格上相手に無謀な戦いとか挑みそうだ。

 

 そんな有りもしない妄想をしつつ、エリスの膝枕でひと眠りする。

 

 

 

 

 

─アスラ王国内─

 

 

 パウロ・グレイラットは、戦慄する。

 

 鞘から剣を抜き、龍神オルステッドに突貫したのだが、()の敵の姿がブレ……気が付けば背後に回っていた。

 

 

「待て。俺にお前と敵対する意思は無い」

 

「てめぇに無くてもオレにはあるんだよっ!」

 

 

 咄嗟に光の太刀を繰り出すが、その刃は届かない。

 止められた、それも素手で。

 視線をやると思い知る。

 オルステッドは指で刃先を掴んでいた。

 

 

「不可解な。パウロにここまでの剣技は無い筈」

 

 

 疑問、そして困惑。

 今回の世界は何かがズレている。

 調べる必要が生じた。

 

 

「返せよ! オレの家族を返してくれっ!」

 

「俺は何も関与していない。それに……ノルンは運命に守られている。そう簡単には死にはすまい」

 

 

 なおもパウロは挑む。

 正直、実力の開きは自覚している。

 そんな事も読めないようでは、剣王になど至れないだろう。

 

 だがパウロは家族を諦めないし、見捨てない。

 

 10歳を迎えた愛娘ルーディアの笑顔を思い出す。

 戦う意思へと変えて、最強を打倒すべく剣を振るい続けた。

 

 

「ルーディアから笑顔を奪いやがってっ!」

 

「ルーディアとは何者だ? お前の子どもか?」

 

「オレから家族を奪っておいて、知らねぇと言わせねぇぞ!」

 

「パウロとゼニスの最初の子は死産の筈。なぜ、生まれる事が出来た?」

 

 

 続く疑問。

 されど解消されない。

 謎は深まるばかり。

 

 

「訊こう、パウロ・グレイラット。ヒトガミという名に聞き覚えはあるか?」

 

「んなもん、知るかよ!」

 

 

 パウロの刺突。

 が、最速にして最小の動きが防ぐ。

 常人であれば目にも留まらぬ高速。

 

 パウロはこの戦いの中で図らずも成長していく。

 剣王を超え、その剣術は剣帝の域へと達しようとしていた。

 神の名を冠する者との戦い。

 人族の父親を際限なく鍛え上げる。

 

 だが、哀しいかな。

 龍神オルステッドは、嘘偽りの無い最強の生物。

 只の人から脱したばかりのパウロでは、遠く及ばない。

 

 

 ゆえに疲弊する。

 ゆえに恐怖する。

 

 敵は消耗せずに己を、あしらい続けていた。

 

 

「ヒトガミとは無関係か……。では殺すわけにもいくまい。ノルンの運命は揺るがないだろうが、あまりに影響が大きい」

 

 

 オルステッドはパウロを殺さない。

 生かして野に放つと決めた。

 

 だが、少しばかり遊んでやろうかとも思った。

 この男を鍛えれば、ヒトガミに対する武器に成るとも予見したのだ。

 

 

「パウロ・グレイラットよ。これより俺は、お前を強くしてやる。軍門に下れ……」

 

「ざけんじゃねぇ……!」

 

「聞き分けの無い奴だ」

 

 

 龍神の抱える()()が、オルステッドの考えを妨げる。

 やはり、この世界はままならない。

 

 

「やむを得ない。今回は諦めよう。だが、お前が家族を助けたいのなら、俺の配下に成れ。いつでも歓迎してやる」

 

 

 そして龍神オルステッドは、パウロ・グレイラットに業の数々を叩き込む。

 死なぬ程度に加減し、その身に覚えさせるのだ。

 

 そしてパウロは薄れゆく意識の中で、神の業を学び取る。

 

 やがて十を超える業を数えた時、パウロ・グレイラットは龍神オルステッドに敗北を喫した。

 

 

「ルーディア・グレイラット……。何者だ? 調べる必要がある。それに、接触する必要も。ヒトガミの使徒であれば──殺す」

 

 

 そして大地に伏せるパウロに最低限の治療を施した上で、龍神は去る。

 

 

「む? 何者かが転移してきたか……」

 

 

 この世界ではない何処よりの訪れを察知する。

 

 その者は十代後半の黒髪の少女。

 果たしてその者は、オルステッドに益となる者か。

 

 そして龍神オルステッドは、異世界より招かれし少女。

 七星静香と邂逅する。

 

 

 

 

 

 そしてパウロ・グレイラットは、絶望の内に龍神に敗北し、心身共に復調し、立ち上がるまでに1ヶ月もの期間を要した。

 

 フィットア領転移事件は、1人の父親から全てを奪い、そして後の世に剣神をも超える──。

 

 

龍滅(りゅうめつ)パウロ』を生み出した

 



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23話 ロキシーの故郷

 険しい地形だ。

 平坦とは真逆で、ゴツゴツとした岩地が果てしなく続く。

 足を何度も痛めてしまい、その都度、自動治癒(オートヒーリング)が発動する。

 

 けれど、何故だか今は魔力総量が減っている。

 一時的なものだろうが、節約の為にしばらくの間は自動治癒(オートヒーリング)を切っておくことにした。

 

 原因は分からないが、魔力の枯渇からの回復には、今しばらく掛かりそうだ。

 夢を見ている時に、グッと魔力が減ったような気もするが、真実は知らない。

 

 エリスは──。

 へっちゃらそうな顔でルイジェルドの先導についてゆく。

 彼女は、ほら?

 ギレーヌとの訓練にも最後までついてこられたし、俺とは身体能力の底が違う。

 たくましいものだね、この子ってば。

 

 さて、ルイジェルドは定期的に俺たちをその場に待機させて、進行方向の先を偵察しに向かう。

 どうやら彼は危険な魔物から俺たちを守る為に、先に始末しているようだ。

 

 その証拠に、彼の手にある三叉槍からは、血の香りが漂っていた。

 血生臭いが、彼はひ弱な子どもを守る為に頑張ってくれている。

 いつか恩を返したいものだ。

 

 

──

 

 

 3時間ほど歩くと集落が見えてきた。

 こんな荒れ地の中にも住人が居ることに感動する。

 ひとまず人里に寄り、食料などを調達したいところ。

 

 ただ手持ちの金が少ない。

 アスラ硬貨は多少はあるが、それも小遣い程度の額。

 レートに差異があれど、贅沢は禁物。

 冷静に、そして慎重にお金を使っていこう。

 

 集落の周りは柵で囲われている。

 入口には監視だろうか?

 門番らしき中学生程度の少年に止められた。

 

 

「ルイジェルド、その者たちは?」

 

「荒野で保護した。村で休ませて欲しい」

 

「こちらでは判断しかねる。村長を呼ぶ。少し待て」

 

「感謝する」

 

 

 知己の間柄らしい。

 門番は村長を呼び出すこともせずに、ルイジェルドと雑談を交わしている。

 それを咎めない辺り、種族特有の連絡方法でもあるのだろうか?

 

 話は変わるが、ロキシーはミグルド族とスペルド族は近い種族だと話していた。

 先祖代々の付き合いでもあるのだろうか?

 

 その割には彼女はスペルド族に対して、過度に脅えていた事を記憶している。

 

 さて、今のルイジェルドと門番の会話は魔神語で行われている。

 

 俺には分かる内容だが、エリスはちんぷんかんぷんらしい。

 魔大陸じゃ、俺が通訳役を担わなきゃな。

 

 やがて村の長がやって来た。

 やっぱり何かしらの手段で呼び出したようだ。

 

 

「ミグルド族は同族間であれば、離れていても対話出来る」

 

「へぇ、便利ですね」

 

 

 俺の疑問に気付いたのか、ルイジェルドは説明してくれた。

 

 

「さて。そなたらは、どちらから参られた?」

 

「中央大陸のアスラ王国です」

 

「ほう、それは何とも遠方だ」

 

 

 村長は背が低く、童顔だ。

 けれど顔にはシワが刻まれ、それなりに歳を重ねている風にも見える。

 

 もしや、ミグルド族ってのは、成人しても中学生くらいの外見なのか?

 じゃあ、ロキシーって何歳?

 

 少しして、村長は俺たちの立ち入りを許可してくれた。

 少女と呼べる女の子2人を無下には出来なかったのだろう。

 それとルイジェルドの信用があっての判断。

 

 彼を頼って正解だったようだ。

 

 で、村長の名前はロックスと言うそうだ。

 彼相手に俺も自己紹介し、エリスにも身振り手振りで挨拶させた。

 

 その後、やたらロックスが俺の胸元を舐めるような視線で見つめてくる。

 んだよ?

 俺のパイパイはまだ真っ平らだぜ?

 

 と、思っていたら、彼の注目の先は、俺が首から提げていたミグルド族のペンダントだった。

 

 

「それはどちらで手に入れなさった?」

 

「師匠から贈られました。ミグルド族の女性でロキシーといいます」

 

「ほう、あの子に弟子が。それもこれ程可憐な少女とは」

 

 

 褒めてくれた、嬉しい。

 ロキシーはね、弟子に恵まれてるんですわ。

 

 

「ロキシーだってっ……!」

 

 

 耳の近くで門番の男が叫ぶ。

 うるせぇな、耳が痛いだろ?

 キーンッとした耳を押さえつつ、門番の話を聞くことにする。

 どうでもいい話だったら、股間を蹴ってやろう。

 

 

「ロキシーはなぁ! 俺の娘なんだよ! ある日、家を飛び出して、それ以来、音沙汰も無いんだっ!」

 

 

 あらま、ロキシー師匠のパパさんだったのか。

 言われてみれば、ロキシーの面影が有るような、無いような。

 

 

「俺はロイン。詳しく話を聞かせて欲しい。宿泊するなら俺の家を使ってくれ。妻のロカリーも、娘の話を聞けるなら、何日間だって滞在を許してくれる!」

 

 

 怒涛の発言。

 言いたい事も、気持ちも分かるが、ギャーギャー喧しいんだよ。

 

 そんなわけで、今晩はロキシー師匠の実家に宿泊させてもらう事になった。

 家にはロキシーに似たお母様の姿。

 つまり神の母ってわけだ。

 ありがたや。

 

 俺もロキシーの事を語るのは吝かではない。

 しかし俺の知らない師匠の素顔も、彼らの口から聞きたいものだ。

 

 有益な話を聞けた。

 ミグルド族の寿命は200年ほど。

 そしてロキシーは現在44歳。

 俺と同い年だ。

 つまり同学年。

 

 前世34年+今世10年=44年という換算。

 

 運命的なものを感じますなぁ。

 もしや俺とロキシーは将来、結ばれる運命にある?

 なんちゃってね。

 

 で、ロキシーの話も重要だが本題に入る。

 これからの事、どのようにして帰るのかについて、ロックス、ロイン、ロカリーら相手に話す。

 

 

「お主らはどのような旅順で帰るつもりか?」

 

「俺が2人を護衛する」

 

「お金は私とエリスで稼ぎます」

 

「それは感心せんな。護衛の件は素晴らしい。しかし、子ども2人だけで、路銀を稼ぐなど無理じゃ。街の中には悪党も()る」

 

 

 ロックスの意見は正しい。

 なら大人であるルイジェルドに手伝ってもらえば良いのでは?

 

 

「それにルイジェルドよ。お主は街に入れんじゃろう?」

 

 

 え?

 なによ、その話。

 俺の計画が早々に否定される。

 

 

「そうなんですか、ルイジェルドさん?」

 

「あぁ……」

 

 

 苦々しい表情で彼は肯定した。

 聞けば以前、街に入ろうとしたら化物扱いを受けたらしい。

 討伐隊まで組まれて大騒ぎだったとか。

 討伐隊員の中には王級クラスの戦士も複数居たのだとか。

 

 そんな奴らから逃げ切るなんて、ルイジェルドの強さの底が知れない。

 最低でも帝級は確実か。

 ギレーヌよりも強いのか?

 

 パウロと再会したら自慢してやろう。

 俺はスペルド族の最強の戦士と友だちなんだぜ?

 ってな、感じで。

 

 

「私とルーディアなら、街でも悪党なんてボコボコにしてみせるわ!」

 

 

 威勢良く吠えるボレアス家の狂犬。

 言葉をそのまま翻訳して、ロックスへと伝えてみた。

 

 ふむ、その気になれば上級クラスの相手までなら、渡り合える。

 俺とエリスが2人揃って居ればの仮定だが。

 各個撃破されたら、アッサリと負けちゃうだろうけどな。

 

 

「腕に覚えがあるのは結構。しかし、この魔大陸では、その考えは浅はかと言わざるを得んのう」

 

 

 真っ向から否定される。

 

 

「どうしてよ! あんた、私たちの強さ知らないでしょう!」

 

 

 続けて、訳してから話してやる。

 うむ、疲れるな、この作業は。

 意訳も含まれるから、作業の負担も大きい。

 

 

「単純な腕っぷしだけでは生き抜いてはゆけんのじゃよ。そこのルイジェルドでさえ、持ち前の不器用さから、食っていくだけで精一杯でな」

 

 

 チラッと彼の顔を見ると、ばつの悪そうに他所を向いた。

 なるほど、さすがの魔大陸だ。

 

 

「こんな話がある。幼い子どもが親を失った。その子どもは幼い兄弟を抱えて、金を稼ぐ為に大人を頼った」

 

 

 なんか語りだした。

 でも聞く。

 被害例を知って、備える事も大切だ。

 

 

 

「しかしその大人は悪党じゃった。子どもは散々働かされた上で搾取に遭い、最後には兄弟共々、奴隷として売り飛ばされた」

 

 

 そうか、俺とエリスに当てはめてみても、可能性としてはあり得る。

 ましてや、俺とエリスは人族基準になるが、美少女だ。

 

 そしてそれぞれ魔術と剣術に秀でている。

 奴隷の価値としても高い。

 そいつはダリウス上級大臣のケースで実証済み。

 

 

「ではどうしましょうか……」

 

「俺が悪党を皆殺しにする。街へ押し入ってでもだ」

 

「ふん、相変わらずの無鉄砲ぶりだな、ルイジェルドよ」

 

「俺にはそれしか出来ん。他に方法は無い」

 

 

 サラッと恐ろしいことを口走ったな、おい。

 悪党相手とはいえ、皆殺しにしちゃあ、討伐隊だって組まれるだろう。

 

 

「売り飛ばされた奴隷となった兄弟を救出時も、そうじゃったな……。100年前だったか……」

 

「あぁ。後悔はしていない。あの子どもたちは、成人して今も生きている」

 

「だが礼も言わず、恐れて逃げ出したのだろう?」

 

「くどい。悔いは無いと言っている」

 

 

 討伐隊から逃げ切ったのではなく、皆殺しにした……?

 

 おい、それってつまり……全てがとは言わないが、悪評の一部は真実ってことになるよな。

 

 ルイジェルドを見る。

 顔は険しく、過去の重々しい記憶に苦しんでいるようにも映る。

 口ではあぁ言っているが、内心じゃ悔いているのだろう。

 

 不器用どころの話じゃない。

 一歩間違えれば、俺やエリスだって餌食に成りかねない。

 言動や行動には、より一層の注意を払わねば。

 

 

「その調子ではお主の宿願は、千年経っても叶わん」

 

「宿願って何です?」

 

「この際じゃ、ルイジェルドよ。その子達にも分かるように話してやれ」

 

「あぁ、隠し事はしない」

 

 

 それから語られるルイジェルド・スペルディアの過去は凄惨たるものであった。

 エリスにも理解出来るように、人間語でおとぎ話は幕を上げた。

 

 要約すると。

 過去に起きたラプラス戦役。

 スペルド族の戦士長だったルイジェルドは、魔神ラプラスの忠臣として仕えた。

 当時の七大列強には遠く及ばないまでも、多くの人族陣営の戦士を殺し回った。

 

 やがて彼とその一族は、功績を魔神ラプラスに認められ、とある槍を賜った。

 現在、彼の使っている物とは、別物らしい。

 

 魔神ラプラスからの賜物の性能は凄まじく、先ほどは遠く及ばないと話していた七大列強相手でも、人数さえ集まれば互角以上に渡り合えた。

 

 しかし、いつしかルイジェルド率いる戦士団は正気を失ってしまう。

 敵味方問わず、殺戮の限りを尽くす。

 

 やがては人族と魔族の両陣営から攻撃を受け、徐々に数を減らしたのだとか。

 ある日、彼らの集落の襲撃の報を受ける。

 

 駆け付けた彼らは集落に居た総ての敵を殺したのだが、その敵とは彼らの最愛の家族達であった。

 ルイジェルドは自分の息子に呪われた槍を破壊され、自我を取り戻したが、後の祭り。

 

 残ったのは自身を含めた満身創痍の戦士たち。

 数は10程度。

 

 泣いて、悲しみ、そして怒った。

 

 魔神ラプラスへの復讐を誓い、そして魔神殺しの三英雄との決戦に介入したという。

 結果、魔神ラプラスは封印され、復讐自体は遂げられた。

 

 けれど犯した罪は消えず、迫害の歴史だけが今もなお、残っている。

 

 そんな悲惨で悲しみしか感じられない過去の物語。

 そして彼は、スペルド族の悪名を取り消したいと。

 

 これは……泣ける。

 他人事だっていうのに、俺とエリスは声を上げて泣いてしまった。

 

 ルイジェルドの胸に飛び込み、ワンワン泣いて……。

 エリスは泣きつかれて眠ってしまった。

 

 俺は……あまりのショックで当分、快眠とは縁が無さそうだ。

 

 

「すまん。気持ちの良い話ではなかっただろう」

 

「いえ、ルイジェルドさんは何も悪くありません。悪いのは魔神ラプラスのクソ野郎ですよ!」

 

「そうか」

 

「今度会ったら、ぶっ殺してやる!」

 

「奴は封印された。もう居ない」

 

「それでもです!」

 

 

 とんでもない悪が居たものだ。

 せめてもの救いは、既に魔神ラプラスはこの世に居ないということか。

 封印って形だから、いずれは復活するのかもしれない。

 

 

「ルイジェルドさん、私に協力させて下さい!」

 

「何をだ?」

 

「スペルド族の悪評を、私が取り除いて差し上げます!」

 

「俺に構うな。私情に、子どもを付き合わせるつもりない」

 

「私たちはルイジェルドさんに助けられました。そして故郷まで送り届けてもらうと。受けとるばかりじゃ気が済みません」

 

 

 ヒトガミは言っていた。

 困っている者が居ると。

 別に奴に言われたからじゃない。

 

 俺は自分の気持ちとして、ルイジェルドを助けてやりたいと思うのだ。

 不器用なのかもしれない。

 悪党だからって人を殺すかもしれない。

 俺たちだって殺されるかもしれない。

 

 でもそれを含めて、ルイジェルドという男の在り方は、見ていてハラハラすると言うか……。

 放っては置けないのだ。

 

 まぁ、俺も純粋無垢なガキってわけじゃない。

 彼に恩を売ることで、いざという時に盾になってでも守って貰う為だ。

 

 無論、ルイジェルドが戦いの達人という事を見込んで。

 そうそう怪我をすることもあるまい。

 負傷したって俺が治してやる。

 ギブアンドテイクってやつさ。

 

 

「しかし……。それはお前にとって足枷となる」

 

「足枷なんて放っておけば錆びて外れますよ。ほら、握手して。約束します、私はルイジェルドさんの汚名を濯ぐと」

 

「あ、あぁ……」

 

 

 この日、俺は真の意味で心強い味方を得た。

 

 

「もうよろしいかな? 根本的な問題の解決がまだじゃろう」

 

「平気ですよ。街で悪い奴らに目を付けられたら、大声で助けを求めますから。もちろん、ルイジェルドさんの手を汚させないように上手くやります」

 

「そうか、では此方からは何も言いますまい」

 

 

 それっきり、ロックスは口出しをしてこなかった。

 腰を上げて、ロインの家から出ていった。

 

 その場に残るのは、俺とルイジェルド、眠るエリスに、家主のロインとロカリー。

 

 

「なあ、もう少しだけロキシーの話を聞いても良いか?」

 

「構いませんよ。私も先生の話題を話し尽くしていませんし」

 

「私もあの子の事を聞きたいわぁ。こんなにも可愛らしいお弟子さんが居るなんてビックリだもの」

 

 

 良いぜ、ロキシーのママさん。

 今晩はたっぷりと語り尽くそうや!

 

 

 

 

 

 

─中央大陸南部北方─

 

 

「なんだ貴様ら! 儂に危害を加えようというのか! 良かろう、相手をしてやろう!」

 

 

 紛争地帯を歩くサウロス・ボレアス・グレイラットは、果敢にも腕まくりをして自身に向けられた敵意と相対する。

 

 どこぞの国に雇われた傭兵だろうか?

 サウロスの身の上を確認することなく、刃を向けている。

 

 

「じじい、どこの組織のモンだ。吐かねぇなら、ここで殺す」

 

「ふん、貴様らごときに獲れる命ではないわっ!」

 

 

 サウロスの拳が傭兵の一人に刺さる。

 が、闘気だろうか。

 鋼のように硬い体表に拳が痺れてしまう。

 

 

「雑魚が。じじいの癖に粋がるんじゃねぇよ!」

 

「むぅ……。これは抜かったわ」

 

 

 これまでか……。

 傭兵たちは剣や斧を構えて、こちらの命を軽い気持ちで奪おうとする。

 

 後退りしようが、逃げ場は無い。

 

 

「すまん、エリス。どうか生きていておくれ……」

 

 

 最愛の孫娘を思う。

 彼女もまた、世界の何処かへ転移してしまったのだろう。

 そこがどんな場所で、どんな過酷な土地なのか、知る術は無い。

 

 しかし、願う他にあるまい。

 せめて幸せになる事を祈って──。

 

 サウロスの首に凶刃が振り下ろされた……。

 

 が、首の皮に触れる直前のこと。

 突然、その刃は粉末のように霧散する。

 

 

「ご無事ですかっ! サウロス様っ!」

 

 

 その者は褐色の剣士。

 獣の耳と尾を生やした剣神流最高位の武芸者。 

 主人の危機に馳せ参じたのだ。

 

 傭兵達は既に此の世から旅立っていた。

 数人の骸を、ギレーヌは初級火魔術で火葬処理する。

 スケルトンなる魔物の発生の原因を絶つ為だ。

 

「よくぞ参った、ギレーヌよ!」

 

「お怪我は?」

 

「ちぃとばかし、拳の皮を擦りむいた程度じゃ」

 

「すみません、あたしには治癒魔術が使えず……」

 

「構わん。こうして命を拾われただけ儲けものだ! 大儀である!」

 

 

 サウロスは救われた。

 食客として招いた剣王ギレーヌは忠義心に厚く、見事に我が命を救った。

 この感謝は未来永劫、忘れることはあるまい。

 

 

「して、どうする?」

 

「フィットア領に戻る──のは止めた方が良いでしょう」

 

「何故だ! 領主たる儂が行かずしてどうする! 被害状況も把握しとらん!」

 

「以前、アルフォンスが話しておりました。ダリウス上級大臣やご子息のジェイムズ殿。そしてノトス家の当主ピレモン。彼らは、ボレアス家が弱味を見せたその瞬間、食らいついてくると……」

 

「何が言いたい?」

 

「あたしには政治の事はわからない。しかし、行けば命を落とす。そんな予感がするのです」

 

「……道理だな」

 

 

 あの光の正体は不明。

 されどフィットア領から、根こそぎ人や物が奪われた可能性は極めて高い。

 仮に今すぐ救助活動や復興活動を開始したところで、計り知れない被害は取り返しがつかない。

 

 サウロスが王都に貯めこんだ財産を費やそうと、とてもではないが資金不足を免れまい。

 

 

「時を置くのです。せめてフィリップ様と合流してからの方が望ましい」

 

「奴も行方が知れぬ。いつ再会するのやらのう」

 

「あたしが必ず捜し出します。エリスお嬢様とヒルダ様もです!」

 

 

 考える。

 何が最善で、何が悪手なのかを。

 

 だが、自分には誰よりも守りたい存在が居る。

 孫娘のエリスだ。

 己の意地だけで捨てて良い命ではない。

 

 であればだ、ギレーヌの案に賛同する他あるまい。

 

 

「良かろう。お前の言葉に従おう。しばらくは身を隠す。手伝え!」

 

「は! このギレーヌ、デドルディア族の名にかけて、必ずやボレアス家に栄光と幸福を取り戻しましょう!」

 

 

 かくして、サウロス・ボレアス・グレイラットはフィットア領の復興と孫娘エリスの笑顔の為に再起を図る。

 そして、彼の側には剣王ギレーヌの姿があった。



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24話 リカリスの町

 一晩だけ過ごして、ロキシーの実家を後にする事にした。

 まだ滞在したかったが、家族たちの無事も依然として不明。

 一刻を争うので旅路を急ぐ。

 

 出発間際、ロインから一振の剣を受け取る。

 歪曲した刃、カトラスと呼ばれる刃物か?

 詳しいことは知らないが、俺はともかくエリスは丸腰。

 彼女に装備させよう。

 俺には5歳の誕生日にパウロから貰った自前の剣があるし。

 

 そして多少の食料と金銭を恵んでもらった。

 手持ちのお金と合わせれば、しばらくは困らないだろう。

 まぁ、アスラ硬貨では、店頭でそのままじゃ使えなさそうだが。

 たぶん、お釣とか子どもと見てチョロまかされそうだし。

 何処かで換金しないとだ。

 冒険者ギルドとかいう施設で換金出来そうだ。

 

 次の町までは徒歩で3日ほど掛かるらしい。

 ルイジェルド1人なら、もっと短いんだろうけど、残念ながら俺とエリスという荷物を抱えてる。

 

 道すがら、魔物との闘い方をレクチャーしてもらった。

 いつもかもルイジェルドが側に居るとは限らない。

 ゆえに戦闘経験を積むのだ。

 

 お陰さまで、数種の魔物との間合いの取り方や、弱点を学べた。

 エリスも俺が与えた剣を振り回し、身の丈3メートルを超えようかという魔物を、ルイジェルドの見守る中で単独撃破。

 

 この子の成長は著しく、俺も負けちゃいられない。

 

 それと、この魔大陸には草木がほとんど無い。

 荒野で暖を取るには、焚き火をすべきだが、薪なんて物も無い。

 

 だから代用品として、とある魔物の遺骸を使う。

 

 トゥレントという木に擬態する魔物だ。

 魔大陸の固有種として、今回はストーントゥレントを狩る事となった。

 

 ルイジェルド曰く、その遺骸は薪として十分に代用が利くのだとか。

 但し濡れたり燃やしたりすると台無しだ。

 

 というわけで、十八番の昏睡(デッドスリープ)をぶち当ててみた。

 すると一切の動きを停止して沈黙。

 よし、効いたみたいだぞ。

 

 止めはエリス達に任せる。

 俺は気ままに、目についたトゥレントを昏睡させるのみ。

 数分もすれば、一晩中は持つ程度の薪を確保出来た。

 アウトドア派に転向したみたいで新鮮である。

 

 で、狩りを終えた後のこと。

 ルイジェルドはこう切り出した。

 

 

「お前は魔術を詠唱無しで使うのだな?」

 

「えぇ、特技ですから」

 

「それに見たことも無い魔術だ」

 

「私のオリジナルですよ。門外不出です。でもルイジェルドさんになら、教えても構いません」

 

「いや、俺にはこの槍が有る」

 

「ですよね」

 

 

 歴戦の戦士ルイジェルドでさえ、無詠唱魔術は珍しいようだ。

 過去には居なかったわけじゃないだろうに。

 

 あ、でも魔術師なんてものは、近接戦闘には、ほとんど駆り出されない。

 最前線で闘い続けたであろう彼も、実際に目にした事はないのかもしれない。

 

 そして3日間の旅程を順調に進行する。

 途中、エリスが戦闘で負傷する場面もあったが、ヒーリングを掛けて治療。

 平常時であれば、地帯治癒(エリアヒーリング)で治療するのだが、アレは消費する魔力量が多い。

 

 なので、しばらくは直接手を当てて治療を施す。

 窮屈な思いだが、生き抜く為には我慢だ。

 早く万全の身体を取り戻したい。

 

 戦闘後は、武器の手入れの時間。

 ルイジェルドは懇切丁寧にエリスを指導し、俺も横で聞いておく。

 パウロから貰った剣も、必要とあれば使用するだろうしな。

 

 あっという間の旅。

 ミグルド族の集落から最寄りの町であるリカリスの町へ到着した。

 

 

──

 

 

 町の入口には厳重な警備。

 スペルド族のルイジェルドを素直に通してくれるとも思えない。

 

 

「変装を提案します」

 

「変装とはなんだ? 具体的にどうすれば良い。俺に出来ることか?」

 

「私にお任せを」

 

 

 懐疑心を感じつつ、土魔術でフルフェイスの兜をこしらえる。

 彼に被せてやれば、あら不思議。

 緑の頭髪も、おでこの赤い宝石も隠れてしまったではありませんか!

 

 

「呼吸がしづらいな」

 

「すみません。通気性の配慮をする余裕が無くて」

 

「なによ、ルイジェルド! カッコいいわね!」

 

 

 エリスにはこの兜がクールに見えるようだ。

 キラキラとした視線に、ルイジェルドも困惑の色を強める。

 顔は見えんけど。

 

 

「いや、助かる。いつもは町になど入れん。ルーディア、お前のお陰だ。世話を掛ける」

 

「それは言わない約束でしょ、お兄ちゃん?」

 

「俺はお前の兄ではないのだが……。しかし、悪い気はせん」

 

 

 ほう、ルイジェルドは妹属性をお好みか?

 時間があれば、そういうプレイにも付き合ってやろう。

 

 さて、変装のお陰で特に問題もなく町へ入れた。

 まず向かう先は冒険者ギルド。

 ここで冒険者登録をすれば、ギルドに寄せられた依頼を受注が可能。

 手っ取り早く、金を稼げるのだ。

 

 それについでと言っては何だが、ルイジェルドの名誉回復にも繋げたい。

 彼はデッドエンドの名前で人々から恐れられている。

 

 であれば、その偽者を名乗り善行を重ね、やがて本物と偽者の認識を曖昧にさせてゆく。

 噂なんてものは真贋混じるものだ。

 

 このやり方なら、いずれは恐ろしいデッドエンドなんて存在しないという噂も流れるのではなかろうか。

 

 冒険者ギルドへの道中、ルイジェルドの髪を染める為に染料を購入。

 耳付きのフードも購入して、エリスに着せてやった。

 

 で、ルイジェルドにも髪を染めて貰った上で設定をプレゼンテーション。

 彼には今日からミグルド族の青年ロイスを名乗ってもらう。

 ロキシーから貰ったペンダントを一時的に貸与。

 

 こうしてルイジェルドは、スペルド族からミグルド族へ様変わり。

 色々とツッコミどころの多い変装だが、背に腹は代えられん。

 

 

「このペンダントは師から貰った大切なものだろう? 一時的とはいえ、良いのか?」

 

「ルイジェルドさんなら雑な扱いはしないでしょう? でも壊したら割と本気で怒りますからね」

 

「あぁ。気を付ける」

 

 

 さて、愛しのエリスちゃんは?

 

 俺の買い与えたフードに夢中の様子。

 耳の部分がお気に入りのようで、ずっと指でコネコネしていた。

 あんまり触ると破れちゃうぜ?

 

「ルーディアもお揃いのを買いなさいよ!」

 

「お金には限りがあるので却下です」

 

「少しくらい平気よ。買わないと、寝てる時にイタズラするわよ!」

 

「エリス、私みたいな事を言わないで下さい」

 

 

 まさか彼女からセクハラ発言とは……。

 誰だよ、こんなにも可愛い女の子に悪影響を与えたのは。

 

 その後も駄々をこねるもんだから、根負けして財布の紐が緩んでしまった。

 先ほどの店にまだ在庫があったので、同じものを購入して着込む。

 

 トホホ……痛い出費だ。

 早いところ冒険者として稼がないと。

 

「お揃いね!」

 

「はい。エリスはしょうがない子ですね」

 

「いいのよ! お礼なんて!」

 

 

 褒め言葉として受け取るアホの子。

 先が思いやられる。

 ともあれ、身だしなみは一行全員整えた。

 

 手を繋ぎ出したエリスに引かれ歩く。

 ちなみにこの子、目的地までの道を知らない。

 なので俺が道順を修正しつつ、予定の5分遅れで冒険者ギルドに到着となった。

 

 

──

 

 

 扉を蹴破る勢いで我々は冒険者ギルドに突入した。

 ルイジェルドを兄貴と仰ぎ、俺とエリスはその弟分もとい妹分。

 

 啖呵を切ってデッドエンドの名乗りを上げた。

 すると偽者だの、ギャー怖い!

 そんなバカにした声で大歓迎を受ける。

 掴みはオーケーだ。

 

 バカ笑いする冒険者達を無視してカウンターの職員に冒険者登録をしたい旨を伝える。

 規約だのルールだの説明を受けてから同意のサイン。

 俺とルイジェルドは、手際よく記入したが、エリスは苦戦。

 横から口出しして、どうにか記入完了。

 

 後は職員の持ってきた魔方陣の刻まれた板に手を置けば、全ての登録料手続きが完了するらしい。

 よし、やってみるか。

 

───────────────

名前:ルーディア・グレイラット

性別:女性

種族:人族

年齢:10

職業:魔術師

ランク:F

───────────────

 

 

 へぇ、どういう仕組みかは分からんが、種族まで自動認識してくれるのか。

 便利だな、これ。

 いや、でもルイジェルドの種族がバレるのは不味い。

 

 止めようとするが、彼は既に登録していた。

 

────────────────

名前:ルイジェルド・スペルディア

性別:男

種族:魔族

年齢:556

職業:戦士

ランク:F

────────────────

 

 

 ん?

 種族欄は魔族か。

 あぁ、魔族の細かい分類なんて実質上不可能なのかもしれない。

 それこそ数百を超える種族が存在するっぽいし。

 魔大陸で暮らし、先祖が魔神ラプラス陣営側についていれば、大雑把に魔族の扱いのようだ。

 

 最後はエリス。

 

──────────────────

名前:エリス・ボレアス・グレイラット

性別:女性

種族:人族

年齢:12

職業:剣士

ランク:F

──────────────────

 

 つつがなく完了。

 最後にパーティー名を『デッドエンド』で登録しておいた。

 冒険者カードっていうのを受け取る。

 

 アスラ硬貨の換金も済ませておいた。

 こっちの基準で計れば、かなりの額になったものだ。

 けどまだ足りない。

 金は幾ら有っても困らないだろうし、稼げるだけ稼いでしまおう。

 

 次に依頼を受けるべく掲示板へ向かう。

 が、意地悪のつもりか足を引っ掛けられそうになり、避けた……つもりでいたが、疲労が抜け切れておらず、足を取られて顔面から転倒した。

 

 自動治癒(オートヒーリング)は魔力節約の為にオフにしていたので、鼻血が出てしまう。

 

 足を出した奴……カエル顔の男は、まさか俺が転ぶとは思っていなかったのか、はたまた愛くるしい少女に怪我を負わせてしまった罪悪感からか、青ざめていた。

 

 

「いてて……。すみません、センパイ。私がドン臭いから脚にぶつかってしまいました」

 

「お、おう。いや、す、すまねぇ」

 

 

 謝ってきた。

 まぁ、いたいけな女の子を過度に痛めつける趣味は無かったのだろう。

 変に騒ぎにするのもイヤだったし、下手に出て穏便な解決へと導く。

 

 しかし、そうは問屋を卸さなかった男が居た。

 我らの頼れる兄貴分ことルイジェルドである。

 

 

「貴様っ……」

 

 

 恐ろしく低い声で彼はカエル顔の男を恫喝する。

 その殺気たるや、ギルド内は静まりかえり、空気も凍りついてしまった。

 

 エリスは……彼の怒気に中てられて怯えていた。

 

 ヤバい、止めないと!

 

 

「待って、待って下さい! 彼は謝罪してくれました。鼻血が出るくらい、子どもにはありがちでしょう?」

 

「しかしお前は何も悪さをしていない……。なのに怪我を負わされたっ……!」

 

「だとしても私は彼を許します! もしこれ以上、彼を責めるのなら、私は貴方を軽蔑します!」

 

「む……」

 

 

 よし、怯んだ。

 畳み掛けるぞ。

 

 

「ルイジェルドさんが優しい事は十分知っています。貴方とはもっと一緒に居たい。だから、ここは抑えて下さい」

 

「ルーディアがそこまで言うのなら、この件はこれ以上、追及しまい……。だが、怪我は治しておけ」

 

「はい!」

 

 

 爆発物みたいな人だ。

 刺激は禁物である。

 とはいえ、彼も俺の為を想って怒ってくれたのだ。

 あとできちんと礼を行っておこう。

 

「ごめんなさい、皆さん。お酒が不味くなったでしょう? お金は有りませんが、何かお手伝い出来る事があれば、声を掛けて下さいね」

 

 

 一同は数秒の沈黙の後に──。

 

 

「やるなぁ、嬢ちゃん!」

 

「怖い兄貴分を一喝とはな!」

 

「可愛い上に肝も座ってるとは!」

 

「こりゃ大型新人(ルーキー)が来たもんだ!」

 

 

 絶賛の嵐である。

 カエル顔の男も改めて俺に頭を下げ、ルイジェルドにも酒を奢ってやると声を掛けていた。

 これには兄貴分も、苦笑い。

 申し出を断る気にもなれず、席に着いて酒を飲む事となった。

 

 ちなみに俺とエリスには、ここいらじゃ貴重な果汁のジュースを奢られた。

 かなり値が張るようで、カエル顔の男は空っぽの財布を見て嘆いていた。

 

 さて、チビチビとジュースを飲んでいると、馬面の男が声を掛けてきた。

 

 

「見てたぜ、今の。俺はノコパラ。よろしくな」

 

「これはご丁寧に」

 

 

 握手を求められたので俺とルイジェルドは応えてやる。

 エリスだけは胡散臭そうなその男を警戒してか、握手をしなかった。

 

 

「大したもんだ。お前、どこでそんな根性を身につけたんだ?」

 

「強いて言えば魔術の師匠のロキシーの影響ですかね」

 

「は? いま何て?」

 

「ですから、ロキシー師匠です」

 

 

 目をかっ開いてロキシーの名を繰り返すノコパラ。

 この反応、もしや知り合いか?

 

 

「ロキシーってのはミグルド族のか!」

 

「はい、ロキシー・ミグルディアは私の師匠ですが」

 

「マジか……。アイツに弟子が居て、しかもこの魔大陸に……」

 

 

 ビンゴらしい。

 しかしこの見るからに怪しげな男がロキシーの知り合いとな?

 

 

「ロキシーとは、どのような関係で?」

 

「あ、あぁ。ロキシーとは昔、冒険者としてパーティーを組んでてよ。結構、仲が良かったんだ」

 

「え、そんな関係だったんですか?」

 

 

 これには俺も衝撃を受け、ジュースの入ったコップから中身がこぼれる。

 

 

「当時はリカリス愚連隊っつう名前でやってた。ロキシーとは3年くらい一緒だったぜ!」

 

 

 えらく饒舌だ。

 いやまぁ、分かるよ。

 ロキシーは素晴らしい女性だから、さぞお前もメロメロになった事だろうよ。

 

 

「まー……。そん時の仲間の1人が死んじまって、パーティーは解散。ロキシーもミリス大陸に渡って、後は知らねぇ。でも今日、嬢ちゃんの存在がロキシーの健在を知らせてくれた。感謝するぜ!」

 

 

 なるほど、そういう経緯(いきさつ)か。

 人に歴史ありってことだ。

 馬面とか思ってゴメンよ、ノコパラ。

 

 

「かぁー! ロキシーに俺の可愛い子どもを自慢してやりたいぜ!」

 

「随分とご機嫌ですね?」

 

「まぁな、ヒドイ別れ方だったが……。冒険者なら誰にだってある事だ。今となっては時間が癒してくれたし、悪い記憶ばっかじゃねぇんだ」

 

「そうですか、それは何より」

 

「これも何かの縁だ。困った事があれば、何でも言ってくれ。俺は戦闘は出来ねぇが、それ以外の事なら大体の事はやれる」

 

 

 これは思わぬ助っ人になりそうだ。

 もしやこれもヒトガミには分かっていた展開なのか?

 だとすれば踊らされているようで不満だ。

 

 

「んー、初心者向けの仕事って分かります?」

 

「なら、オススメのがある」

 

 

 そう言って彼は、小走りで掲示板へと向かう。

 受付の人に2、3言葉を掛けると、依頼書を携えて戻ってきた。

 

 内容は迷子のペット捜し?

 この広そうなリカリスの町じゃ達成は難しそうだが。

 

 

「難しそうだって顔だな? まぁ、待て。俺にも考えがあってな。迷子のペット探しが得意な連中を知っている。そいつらにレクチャーしてもらえ。俺が別途で、そいつらに依頼料を渡しておく」

 

「え、そんな! お金を出してもらうなんて申し訳ないですよ!」

 

「でもお前らは文無しみたいなもんだろ? ここは一つ、先輩の顔を立ててくれねぇか」

 

 

 ロキシー効果ハンパねぇー!

 

 だがせっかくの申し出だ。

 断るのは勿体無い。

 エリスとルイジェルドに目配せをし、賛成を得る。

 手始めに受ける依頼としては良いだろう。

 

 

「では、お言葉に甘えて! よろしくお願いします、ノコパラさん!」

 

「おうよ! デットエンドの嬢ちゃん達!」

 

 

 こうして俺達は、ノコパラの仲介で最初の依頼を受ける事になった。

 まぁ、時間も遅いし、本格的な初仕事は明日からに、なりそうだが。

 

 

 

 

 

──シーローン王国宮廷──

 

 

「困った事になったね。まさかこの国の第七王子があそこまで知恵の無い者とは……」

 

 

 沈んだ声で妻に愚痴をこぼす男の名は──。

 フィリップ・ボレアス・グレイラットだ。

 そして妻のヒルダも、夫の意見と同じ感想を抱いていた。

 

 2人は宮廷内の一室に監禁され、食事にこそ不便は無いが、いつ終わるのかも知れない窮屈な日々を過ごしていた。

 

 

「エリスが心配だ。それに父上も」

 

「無事を祈りましょう、あなた。わたくし達がそうだったのですから、エリスだってきっと……」

 

「そうだね。あの子は強い。なにせ剣王ギレーヌの教えを受けた剣士だ。ルーディアからも多くの事を学んだ」

 

「そうですわ。2人とも無事です。わたくし達は、この状況を変える手立てを考えましょう」

 

 

 お互いを支えに心の平常を保つ。

 まさに夫婦に相応しい関係性だ。

 

 

「しかしあのバカ王子は、ロキシー殿を誘き寄せると言いつつ、国外に情報を流している気配がまるで感じられない」

 

「えぇ、これではロキシーさんにも、ルーディアにも伝わらないでしょう」

 

「困ったね。バカ過ぎて逆に手強い相手だよ。こちらの搦め手が一切通用しないんだからね」

 

 

 シーローン王国第七王子パックス・シーローンが愚か者であることは内外に周知の事実。

 フィリップ達の身の回りの世話をする使用人も、そんなバカ王子の勝手に振り回される夫妻に同情的だ。

 

 

「とはいえ、当面の間は命の危険とは無縁そうだ。待っていれば、必ず助けが来る。そう信じよう」

 

「はい、あなた」

 

 

 たった2人、お互いを頼りにして夫婦仲を深める。

 後年、アスラ王国でも有数のおしどり夫婦として語られる事となる。

 

 

 

 

 

──第七王子パックスの私室──

 

 

「なぜだ! なぜロキシーは来ない!」

 

 

 ロキシーのかつての教え子パックスは、苛立ちを親衛隊の騎士達にぶつけていた。

 身の近くにあった物を、手当たり次第に投げつける。

 

「父上の耳に入らぬように、あの2人を捕えたっ! 騒いでおった連中にも金を握らせて口を封じた! なのになぜ、ロキシーだけは来ないっ!」

 

 

 それはあんたが国外に情報を流さないからでしょ?

 とは、誰も言えなかった。

 

 父王(ふおう)にアスラ貴族を不当に監禁している等と知られれば、叱られる。

 だから情報を漏らさない。

 そんな子ども染みた短絡的な考えで、本末転倒なミスを犯しているのだ。

 

 仮にこの一件が露見すれば、外交問題に発展する。

 なにせボレアス家の本家筋の人間だ。

 パックス程度の首では償えない。

 

 実際にはボレアス家次期当主ジェイムズにとってフィリップは厄介者扱いだ。

 されど、外交問題を逆手に取って、シーローン王国に無茶な要求をする可能性も有る。

 

 ある意味では、パックスは戦争の火種をひた隠しにしていた。

 尤も、すぐにアスラ王国へ身柄を返還すれば、転移事件の被害者を、それもボレアス家の人間を保護したとして、国を通じての報奨となり得た筈だ。

 

 今なら時期的にもまだ間に合うのだ。

 

 だがパックスにその気は無い。

 そんな発想も、発生するであろう諸問題すらも頭の中には無かった。

 

 

「ロキシーめっ! それにルーディアとかいう女も! そいつが全部悪いのだ!」

 

 

 八つ当たりである。

 

 

「ロキシー共々、ルーディアとかいう女を犯してやる!」

 

 

 ろくでもない男である。

 だが、そんなことは万が一にもあり得ない妄想だ。

 ロキシーの話す弟子とは無詠唱魔術の達人。

 パックス程度、片手間で殺せる腕の持ち主。

 

 だから親衛隊の者達も本気にはしていなかった。

 水王級魔術師ロキシーの名は、彼女が去った後でも、その影響力は健在である。

 

 もしやそのルーディア女史が、このバカ王子をどうにかしてくれるのではと、淡い期待すら寄せる。

 

 この国は問題が山積している。

 パックスだけではない。

 第三王子ザノバ・シーローン──。

 怪力の神子であり、首取り王子と呼ばれる彼にも、王家は手を焼いていた。

 

 最近では残り1人となった彼自身の親衛隊員を、ロキシー殿に酷似したフィギュアと交換したという出来事が有名だ。

 交換の相手はパックスである。

 

 ロキシー殿のフィギュアのオマケに、彼女の愛弟子ルーディア女史の姿を模したフィギュアも付属していたとされる。

 

 何でもルーディア女史は高貴な血筋の両親を持ち、彼女自身もアスラ王国有数の美貌の持ち主であると、真しやかにささやかれる。

 

 

「仕方がない! 来るまで待つぞ! 余は諦めん!」

 

 

 ロキシーへの想いから、謎の諦めの悪さが発揮された。

 フィリップ達の監禁生活は、まだしばらく続きそうだ。



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25話 微妙な初仕事

 依頼を開始するには時刻も遅いという事もあり、翌日に持ち越しとなった。

 依頼の期限もペットが見つかるまでという曖昧な物だし、地道にやっていこう。

 それにペット探しのスペシャリストへの連絡も、返事待ちに1日は掛かる。

 

 という流れで、宿泊先の宿を探す。

 魔照石なる鉱石によって照らされた街並みは幻想的だ。

 日中に蓄えた日光を、夜になると放出する仕組みだとか。

 物知りなルイジェルドが解説してくれた。

 

 さて宿を見つけた。

 狼の足爪亭という名の宿兼酒場。

 入り口はロビーにもなっている。

 

 で、初心者向けとされるこの宿の宿泊費は格安。

 パーティー単位で泊まれば食事代が無料という至れり尽くせり。

 

 というわけで、俺たち3人は同室に部屋を取る。

 店主に宿のルールを聞いていると、1人暇そうにしていたエリスは、新人冒険者らしき少年らに声を掛けられていた。

 

 残念だが、エリスは魔神語を話せない為、意図した訳ではないが、無視をする形となる。

 困り果てたエリスは助けを求めて、俺たちの居る方へ歩み寄ろうとするも──。

 

 少年の1人にフードを掴まれ、挙げ句に嫌な音と共に裂けてしまった。

 後で俺の裁縫技能で修復してやらんとな。

 

 しかし、事はそれでは収まらなかった。

 瞬間的に逆上したエリスは、少年らに殴る蹴るなどの暴行を加え、その上、倒れた彼らの睾丸を潰そうと足を上げる。

 

 

「ちょ、エリス! それはいけない! 私なら怪我を治せても、その前に激痛でショック死しちゃうから!」

 

「だってこいつら! ルーディアとお揃いのフードを!」

 

「私が縫ってあげますから抑えて!」

 

 

 後ろから羽交い締めにしても止まらず、ルイジェルドに手伝ってもらって、ようやくエリスは落ち着きを取り戻した。

 

 やれやれ、とんだ暴走少女。

 ちょっと目を離すとこれだ。

 気を引き締めねば。

 

 

──

 

 

 ヒーリングを掛けてやると程なくして少年らは、目を覚まして開口一番『天使?』等と、俺に言葉をくれた。

 

 

「違います、人族の美少女です」

 

 

 そう答えると、気を取り直したのか、彼らは立ち上がって頭を下げた。

 君のお姉さんに強引に声を掛けてすまないと。

 

 魔族目線だと人族である俺とエリスは、見た目が似ているのかもしれない。

 遠縁とはいえ親戚だし、顔立ちもそう遠くは無いだろう。

 

 

「オレはクルト。すまない、本当に。弁償させてくれ」

 

「気にしないで。私、裁縫が得意なので縫い直せます」

 

「そうか。あぁ、オレの仲間も紹介するよ」

 

 

 クルト某の仲間を紹介されたが、さして記憶には残らなかった。

 パーティー名はトクラブ村愚連隊らしい。

 ノコパラの過去のパーティー名と重なるネーミングセンスである。

 

 その後もクルトらと雑談を交わし親睦を深める。

 パーティーに誘われたが、もちろん断った。

 ウチのねーちゃん(エリス)がご立腹だしな。

 ルイジェルドの件もあるし。

 

 

──

 

 食事を終えて部屋で休息。

 ドッと疲れが湧いて、倒れそうになるが、ルイジェルドが支えてくれた。

 彼は平気そうな顔をしているが、疲れ知らずか?

 

 一方でエリスはウトウトしている。

 ベッドに寝かし付けると、ものの数秒で寝息を立て始めた。

 

 では俺とルイジェルドで、今後の方針について話しておこう。

 

 

「見事な手際だった」

 

「ギルドでの一件ですか?」

 

「あぁ。ああいうやり方があるのだな」

 

「アレは偶然ですよ。そこまで頭は回りません」

 

「それでもだ。俺は暴力に訴えたやり方しか知らなかった。お前と居ると学びが多い」

 

「どういたしまして、お兄ちゃん?」

 

「またそれか……」

 

 

 おっと、茶化してしまった。

 だが彼は厳ついながらも笑顔を浮かべている。

 はは、兄貴分もチョロいもんですよ。

 

 

「ところで私って、綺麗だと思います?」

 

「人族の美醜感覚は知らん。しかし、魔族の基準ならば、上等だと言える。少なくとも俺は、美しいとは思う」

 

 

 あらま! もしかして口説かれてる?

 

 

「もしかして私を襲ったりしません?」

 

「安心しろ。俺が生涯を添い遂げると誓った相手は、亡き妻だけだ」

 

「あ……すみません」

 

 

 しまった……。

 ルイジェルドは大昔に自身の妻をその手に掛けてしまったのだと思い出す。

 ラプラスへの憎しみが再燃しかねない。

 

 

「謝るな。もう過ぎたことだ」

 

「はい……」

 

「お前はエリスを守れ。愛しているのだろう? 姉妹としてだけではなく、別の意味でも」

 

「あ、分かっていたんですね?」

 

「無駄に長く生きていると、そうした物も見えてくる」

 

 

 深い男だ。

 彼の言葉のひとつひとつに重みがある。

 

 

「守りますよ、この子だけは。成り行きとはいえ、将来を誓い合った間柄ですからね」

 

「そうか。では強くなれ。エリスも成長するだろうが、ルーディアも伸び代はある筈だ」

 

「強く……なれますかね?」

 

「俺の見立てが正しければ、お前は七大列強にも名を連ねるだろう」

 

「それは過大評価では?」

 

「俺は意味もなく冗談を言わん」

 

 

 その言葉を最後に会話は途切れた。

 ルイジェルドは、本気で俺の将来性を高く見ているらしい。

 嬉しくはあるが、自信には繋がらない。

 

 だって俺は弱いのだ。

 剣士相手には未だに勝つことさえ覚束(おぼつか)ない。

 例の災害の時だって、やっと助けられたのはエリスだけだ。

 

 他の皆は散り散りになった。

 

 あぁ、でも……。

 少しくらい頑張ってみるか!

 

 

 そして俺はエリスのベッドに忍び込み、添い寝して一晩を明かす。

 

 

──

 

 

 またこの空間か。

 ヒトガミの奴の呼び出しを受けたようだ。

 

 居るんだろ、神様?

 

 

「やぁ、ルーディア。順調に事が運んでいるようだね。ペット探しの依頼も受けて、新たなスタートを切ったようだ」

 

 

 これもお前の手の平の上なのか?

 

 

「うーん、こうなることは予想していたけどね。本当は今回、助言するつもりでいたんだけど──。その必要も無かったね」

 

 

 いや、あんたは分かっていたんだろ?

 助言の手間を面倒臭がって省いたんだ。

 結果は同じだろうけどな。

 

 

「鋭いね。うん、そう。ボクも暇じゃないからね。なるべく、一まとめにして助言した方が効率的じゃないかい?」

 

 

 そりゃそうだ。

 お前も結構、頭を使ってるんだな。

 

 

「失礼しちゃうね? 否定はしないけど」

 

 

 で、今回は何かの助言か?

 

 でなければ、コイツもわざわざ呼び出したりはすまい。

 暇じゃないと自分で話していたしな。

 

 

「今回は助言というより報告だね。君のお父さんは無事だよ」

 

 

 なに?

 そいつはマジな話か?

 じゃあ、他の皆は!

 

 

「いや、分からないよ。ボクにだって出来ない事はあるし、知らない事もある。役立たずとは思わないでくれ」

 

 

 いや、思わん。

 全知全能な神様なんて居ないだろうし。

 

 

「今回はたまたま波長が合ってパウロの様子が見えたんだ」

 

 

 で、パウロは今どうしてる?

 

 

「落ち込んでるみたいだね。悪い奴にボコボコにされて。動けるようになるまで、1ヶ月は掛かりそうだ」

 

 

 誰だよ、そいつ。

 

 

「いや、ボクの目にも映らない相手だよ。でも、何となく予想くらいはつくのさ。パウロの状況を鑑みればね」

 

 

 恐ろしい奴も居たもんだ。

 俺の親父は剣王だってのに。

 

 

「だから忠告しておくよ。この先、一際強い奴と出会ったら、必ず倒すこと。そうすれば君は、お父さんとも再会出来る。悪い奴とは、いつどこで出会うかは、ボクにも読めない」

 

 

 テキトーだな?

 

 

「うん、でも。向こうも君の事が気になるだろうし。その内、接触してくるんじゃないかな?」

 

 

 しかし、パウロでさえ勝てない相手に、俺なんかが勝てるのか?

 

 

「当たって砕けろって言うじゃない?」

 

 

 ヤダよ、砕けてどうすんだよ。

 

 

「勝ち方は君が自分で考えてくれ。それじゃあ、今回はこれでおしまい。またね」

 

 

 って、おい!

 

 夢は終わる。

 てか、パウロの居場所を聞くのを忘れちまった。

 

 

──

 

 

 目覚めると、まだ部屋は暗い。

 半端な時間に起きてしまったらしい。

 

 ふと横を見ると、エリスが眠たそうに瞼を擦りながらも、目覚めていた。

 

 

「眠れないんですか?」

 

「うん……。私たち、帰れるか不安で」

 

 

 不安ゆえに安眠出来ないのか。

 エリスもまだ子どもと言える年齢だ。

 

 

「ルイジェルドさんが居るでしょ?」

 

「それでもよ。ルイジェルドみたいに強い護衛が居ても、帰れる保証なんて無いじゃない……。何か悪いことが起きたりして……」

 

 

 たしかに。

 未知の病気にかかる可能性だって考えられる。

 風土病であれば調べがつくまでに手遅れなんて事もあり得るだろう。

 

 それにルイジェルド以上の存在に襲われでもしたら、ひとたまりもない。

 居たとしても、魔大陸の各地方を支配している魔王くらいだろうが。

 

 

「弱音を吐くのは良いことです。自分の悩みを明確に出来ます」

 

「いきなり何よ?」

 

「私がエリスの悩みを解決すると言っているんです」

 

「そう……」

 

 

 いま彼女は何を思ったのだろう。

 

 

「ルーディアはスゴいのね。私がこんなにも不安に押し潰されそうなのに、ずっと前に進もうと頑張ってるもの」

 

「私だって不安ですし、立ち止まりそうになります。でも、家族が居るじゃないですか。私にもエリスにも」

 

「家族……?」

 

 

 そう、家族だ。

 家族の存在こそが、俺を突き動かす理由。

 大切な人たちと再び会いたい、その一心で歩みを止めない。

 

 なら、エリスだって同じ。

 ちょこっと気付くのが遅かっただけだ。

 

 

「お祖父様、お父様、お母様、ギレーヌ……。私にも居るのよね、家族って」

 

「そうですとも。もう、頑張れますか?」

 

「うん、頑張れる……。ありがとね、ルーディア。励ましてくれて」

 

 

 これでエリスの不安を取り除けたのなら、安い苦労だ。

 実は今の言葉は、自分に言い聞かせていた部分もある。

 俺も弱気を捨てねば。

 

 やがて朝日は昇る。

 

──

 

 

 翌朝、ノコパラの手配してくれたペット探しのプロが宿の前に訪れていた。

トカゲ顔の男性がジャリル、蜂のような複眼の女性がヴェスケルと名乗った。

 

 依頼主の自宅へ共に赴き、ペットの特徴の説明を受けると、何やら青ざめた様子。

 反応からして、隠し事をしているのは一目瞭然だ。

 

 

「どうされました、お二人とも?」

 

「い、いや! 何でもないっ! 今日のところはペットを俺たちの方で探しておくから! あんたらは宿でゆっくりしていてくれ!」

 

 

 怪しい……。

 やましい事があって隠蔽しようとしている奴の言い訳だ。

 

 

「それだとノコパラさんの話と違いますよ? 彼は今日の為にお金まで払ってくれたんですから」

 

「金なら返すよ! レクチャーなら、また今度するから! タダでも構わない!」

 

 

 あぁ、これ。

 やっぱり知られて困る事があるんだな。

 バレたく無いことがあるのなら、端からノコパラの頼みを断れば良いのに。

 

 大方、金に目が眩んだか、あるいは彼らのパーティーのリーダー辺りに、受けるように言われたのか。

 強めに問い詰めると、観念したのか彼らは事情を話し始めた。

 

 何でもペット探しの依頼は安定して稼げるから、自分等であらかじめペットを捕獲していたらしい。

 そして捕獲済みのペットの捜索依頼を受注し、飼い主に返還して即依頼達成。

 

 なるほど、そういうカラクリか。

 そりゃバレたくない筈だ。

 自分等の食い扶持を失うんだからな。

 

 更には、彼らの裏稼業を発見し、告発をしない代わりに、ゆすっている輩が居るようだ。

 それはそれとして……。

 

 

「貴方たち、ノコパラさんの顔に泥を塗りましたね?」

 

「う……。あぁ……。まったくその通りだよ……」

 

 

 意気消沈。

 抵抗の意思は感じず。

 どうする?

 衛兵に突き出すか?

 

 

「ルイジェルドさんの意見をお聞かせ願います」

 

「悪事は見逃せん。だが、殺すほどの事ではあるまい。尤も、奴らと手を組むと言うのなら、それは断じて許さん。悪党は裏切ると相場が決まっている」

 

 

 ルイジェルド基準なら、極刑は免れると。

 しかし、悪党は信用出来ないと。

 

 

「エリスはどう思います?」

 

「そうね。ペットを全て解放して飼い主たちに謝れば良いんじゃない?」

 

「なるほど、誠意を持って謝罪と」

 

 

 エリスもまともな意見を出してくれる。

 さて、問題は彼らの方だ。

 たとえ謝罪したとしても通報はされる筈だ。

 そうなれば監獄行き。

 ゆすりを働く奴も道連れに出来るが、さて悩む。

 

 聞けば彼らのパーティーのランクは俺たちのFランクより上のDランク。

 実入りの良い依頼を受注可能。

 こっそり俺達と彼らの依頼を入れ換えて各自で達成。

 報酬金だけ受け渡せば、ギルドに隠しながら稼げる。

 

 でもそれは規約違反。

 冒険者として失格だ。

 

 そんなリスクは犯せない。

 金は必要でも秩序を守れない者は、ただの無法者だ。

 そうなればルイジェルドとの仲にも亀裂が走る。

 ノコパラへの義理もある。

 

 なら話は決まりだ。

 

 

「エリスの案でいきます。ジャリルさんとヴェスケルさんには牢屋に入って頂きましょう。運が良ければ誰も通報しないかもしれませんよ?」

 

「ぐっ……。ここまでか……」

 

 

 そして彼らはあっさりと諦めた。

 そして、彼らの背後で搾取していた男だが、すぐに逮捕されるだろう。

 

 依頼のペットだけは、ちゃっかり保護して依頼主へ引き渡した。

 初仕事の内容としては微妙な達成感。

 

 後日、ノコパラは詐欺師紛いの連中を紹介して申し訳ない、と何度も頭を下げてきた。

 

 風の噂じゃジャリルとヴェスケルは、刑事事件で執行猶予の判決。

 民事事件では賠償金の支払いという結果だと耳にした。

 牢獄には入らずに済んだらしい。

 

 その後の反省の意識から、経営するペットショップの仕事に真面目に励んでいるとのこと。

 被害に遭った人達には、しばらく無料でサービスを行うってさ。

 

 しかし、この土地もアスラ王国並みの法治国家だったとは。

 リカリス周辺を治める魔王の手腕といったところか。

 たしか、知恵の魔王バーディガーディとかいう名前だったか?

 さぞ聡明な御仁なのだろう。

 

 さて、その後はコツコツと低ランクの依頼をこなし、FランクからEランクへと昇格。

 無論、デッドエンドの名を積極的に名乗り、依頼者に善人と思わせる振る舞いを行い続けた。

 

 そして、金に多少の余裕が出てきたので、俺とエリスの装備を整える事となった。

 俺は魔術師用のローブで、エリスは剣士向けの胸当て防具。

 俺については、耳付きフードは、しばらく封印だ。

 

 3週間程で次はDランクへ昇格。

 順調なものだ。

 現ランクより1段階上の依頼を受けられるので、しばらくはCランクの仕事をこなし、更なる昇格を目指そう。

 

 

 

 

 

 ─アスラ王国・ミルボッツ領ノトス家邸宅─

 

 パウロ・グレイラットの第二夫人リーリャは、夫の生家にて人質待遇で生活している。

 幸い、愛娘が傍に居て、全くの孤独ではない。

 

 ただ行動の制限は多くはあっても、戯れにノトス家の雑事を任されるという奇妙な生活だ。

 しかし、侍女として娘のアイシャを教育中の彼女には好都合であった。

 

 さて、リーリャは最近になって知り得た事がある。

 ノトス家の兄弟の確執だ。

 兄パウロと弟ピレモンの間柄は、実に溝が深い。

 

──

 

 パウロが貴族の責務を放棄して生家を飛び出し、そのおこぼれに与る形で、ピレモンは家督を継いだ。

 しかし、領内の家臣や民達は口を揃えてパウロの方が家督を継ぐに相応しい人物だと言う。

 

 ピレモンとて貴族として責務を果たさんと努力し続けた。

 少なくとも有象無象の中級下級貴族よりは、はるかに優秀で領地経営も上手い。

 うだつの上がらない性格ではあったが、アスラ王国第二王女アリエル殿下からの覚えも良い。

 

 されど誰も評価してくれぬ苦しみ。

 唯一の救いは、彼の子である次男ルークの存在。

 長男もピレモンを慕うが、ルークはそれ以上に父を尊敬していた。

 

 そこに来て、パウロの子の噂。

 ダリウス上級大臣経由でルーディア・グレイラットの詳細を知る。

 

 5歳で水聖級魔術師となり、無詠唱魔術さえも扱う稀代の天才魔術師。

 歴史に名を残すことを確実視されている。

 

 そんな話を耳にすれば、ピレモンの劣等感は最高潮に達する。

 自分の自慢の息子でさえ、放蕩生活を送ってきた兄の娘には及ばないのかと。

 

 

──

 

 

 以上の話を、仕事の中でリーリャは知ったのだ。

 

 そして先日の転移事件。

 そこにパウロの身内である自分とアイシャが、偶然とはいえ、目の前に現れた。

 

 さぞかし、彼の反感を買ったことだろう。

 これからピレモンが自分たちを、どう使うかは不明。

 パウロの弱味を握ったつもりでいるらしいが、もしや実の兄を殺そうというのだろうか?

 

 

「お母さん! お父さん、助けに来てくれるよね?」

 

「信じなさい、アイシャ。旦那様はきっと、私たちを見つけてくれます」

 

 

 突然、家族が離ればなれとなり、アイシャも心細いのだろう。

 不幸中の幸いで、実の母である自分が一緒に居てやれることに安堵する。

 でなければ、5歳にも満たない幼子など泣くばかりで、劣悪な人質生活など堪えられまい。

 

 

「ピレモン様はいずれ、私たちを使って旦那様に行動を起こす筈です。その時はアイシャ……」

 

「なあに?」

 

「私が盾となり旦那様を……パウロ様をお守りします。だから貴女は、母亡き後はルーディアお嬢様に仕えなさい」

 

「ルーディアお姉さまに?」

 

「ええ。あの方は、私たち親子の命の恩人なのですから」

 

 

 今でも思い出す。

 パウロと不倫関係となり身籠ってしまった自分。

 奥様(ゼニス)にグレイラット家から追放されて然るべき状況で、ルーディアは体を張って庇ってくれた。

 

 ただ侍女の仕事として身の回りの世話を見ていただけの自分をだ。

 その懐の深さに救われ、今もこうして娘共々、命を繋いでいる。

 この恩を返すまでは、死ぬに死ねない。

 

 ルーディアへの恩返しとして、我が身を犠牲にしてでも、父親(パウロ)と再会させてあげたい。

 そして愛娘を彼女に仕えさせ、自身の死後も報いたいのだ。

 

 

「うん、わかった! ルーディアお姉さまの為に頑張る!」

 

 

 幼い娘は、母の死の意味を理解していないのか、それとも理解してなお母を心配させぬ為に、あえて気付かないフリをしているのか……。

 恐らくは後者だろう。

 アイシャは母親の自分から見ても賢い子なのだ。

 

 

「あぁ、ルーディアお嬢様……。どうか、ご無事で……」

 

 

 苦難と不安の日々は続く。

 

 

 

 

 

 ─王都アルス・王城シルバーパレス─

 

 ピレモン・ノトス・グレイラットは、ミルボッツ領に隠匿しているパウロの妻子の事を、常に心の片隅に置いていた。

 

 自身の仕えるアリエル王女にさえ、現在はこの事実を隠し続けている。

 兄パウロは、辺境の下級貴族であり、政治的観点からしても、ほぼ無縁の人間。

 

 そんな男の身内を拘束しているとなれば、清廉な人格のアリエルに咎められかねない。

 次期国王の座を争う戦いに利用出来るのなら、お目こぼしもあり得ただろうが、今のパウロにその効力は期待出来まい。

 

 息子ルークにさえ、この件は秘匿している。

 

 フィッツとかいう、最近になって保護した娘はパウロの知り合いでもあるというし。

 リーリャへの聞き取りによれば、フィッツの本名は、ブエナ村のシルフィエットだ。

 一時的に記憶喪失のようではあったが、下手に情報を漏らせば、どうなることやら。

 諸々の事情で胸の内に留めていた。

 

 

「兄上……パウロ……」

 

 

 幼い頃はそれほど嫌いではなかった。

 身勝手な性格ではあったが、幼い頃に他の貴族の子に自分がイジメられた時には、代わりに仕返しをしてくれた。

 

 ボロボロになりながらも弟である自分の為に、兄は身を挺して守ってくれた。

 もし彼が家督を継ぐのなら、自分が生涯を掛けて支えてやろうとも夢を抱いていた。

 

 しかし兄はそんな想いを露知らず、兄弟の父への反抗心から、ノトス家の名を捨て出奔してしまった。

 裏切られた。

 自分は尊敬していた兄に見限られてしまったのだと感じた。

 

 あれほど兄の為に、経営も政治も学んだというのに……。

 自分は兄の視界にすら入っていなかった。

 その程度の関係でしかないのだと、心は泣いて震えた。

 

 それからだ。

 兄パウロを嫌悪するようになったのは。

 死んでしまえとすら思う。

 

 一方で、和解する道があるのなら……。

 などと甘い心も、本心に寄り添っている。

 

 だから現状は、リーリャとアイシャに危害を加える気にはなれなかった。

 弱味を握るという言い訳で自身を誤魔化している節があるのだ。

 

 いや、感情の天秤は常にどちらへにも傾く。

 いざ兄を目の前にしたら憎悪が燃え上がることだろう。

 自分はパウロを決して許せない。

 

 思考が落ち着かない。

 それでも王宮では日々、政争が繰り広げられ、心労は積み重なる。

 

 先日もダリウスの奴に圧力を掛けられた。

 パウロの娘ルーディアを執拗に狙っているとも噂を聞く。

 

 ただ今は……何も考えたくはなかった。

 

 

「パウロは死んだ……のかもしれない」

 

 

 フィットア領転移事件の被災者の1人が、兄パウロだ。

 災害発生時、彼はボレアス家に預けていた娘ルーディアの下を訪れていたという。

 災害の中心地ロアの街に居たのだ。

 既に亡くなっている可能性も高い。

 

 もしパウロがこの世に居ないのなら、あの母娘に適当な金銭だけを与えて解放してやっても構わないと、考え始めた。

 

 そんな矢先のことだ──。

 

 たった今、報せを受けた。

 

 パウロ・グレイラットが被災後のフィットア領に姿を現したという報が入ったのだ。

 

 

「生きていたのか、パウロ……」

 

 

 やがてピレモンは、兄への憎しみを再発させる。

 

 そしてパウロ・グレイラットは、修羅となっていた。

 未だ行方知れずのサウロスに代わり、フィットア領民捜索の指揮を執るボレアス家次期当主ジェイムズより──実権を掌握していた。

 



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26話 ルーディアの失敗

 冒険者としての走り出しは良好。

 ルイジェルドとも息が合うようになってきた。

 

 更に時間を掛けること3週間、ようやくパーティーはCランクに到達。

 これでBランクの依頼にも挑戦可能だ。

 

 そして掲示板を物色して、ある依頼を選択。

 

 『謎の魔物の捜索・討伐』という内容で、場所はリカリスの町の南に位置する石化の森。

 丸1日を移動時間に費やして到着。

 

 この森に生息する魔物はBランク以上と極めて獰猛で危険。

 ルイジェルドからは、気を抜くなと注意を促される。

 

 エリスはまだ見ぬ強敵にワクワクしているご様子。

 

 さて、森の入り口では3組のパーティーが鉢合わせる。

 

 Bランクの『スーパーブレイズ』

 Cランクの『デッドエンド』

 Dランクの『トクラブ村愚連隊』

 

 

 どうやらギルドの不手際で、酷似した内容の依頼が複数、掲示板に貼り出されたらしい。

 で、今回、三者共にタイミングが被ったと。

 

 不機嫌なスーパーブレイズのリーダーであるブレイズと、不満そうなクルト達との話し合いで、早い者勝ちという話で結論が出た。

 

 ちなみに、話を統括すると依頼対象の魔物は白牙大蛇(ホワイトファングコブラ)という名だと明らかになる。

 

 ブレイズは去り際に『俺らの前に現れたら、魔物ごと殺しちまうかもしれねぇから、気を付けな』なんて風に念押しされた。

 怖いねぇ。

 後輩いびりは、およしなさいよ。

 

 かくして俺達は、それぞれのパーティーで別のルートで森を進むことになった。

 

 

──

 

 鬱蒼と生い茂る森の中は、日中だというのに薄暗く湿っぽく、足場も悪い。

 ルイジェルドの先導が無ければ、俺とエリスじゃ、まともに歩行すら無理だろう。

 足を取られながらも、森の深くへ差し掛かった際、ルイジェルドが話を切り出した。

 

 

「奴らが心配だ」

 

「クルト達のことですか?」

 

 

 まさかブレイズ達じゃあるまい。

 Bランクパーティーだし、腕は立つ筈だ。

 となれば、まだ若いクルト達だ。

 

 

「そうだ。あの子ども達は、お前達以上に未熟だ。この森では長くは生きられまい」

 

「じゃあ、後ろからコッソリ尾行して助けるとか?」

 

「それが望ましいが、ルーディアとエリスは構わないのか?」

 

「はい。恩を売るチャンスですから。横の繋がりは大切ですし。デッドエンドの名を売り込む良い機会でもあります」

 

「ルーディアが言うのなら、私も賛成よ!」

 

 

 話は決まった。

 ルイジェルドの額のセンサーでクルト達を捕捉。

 気付かれぬ程度に距離を保って、見守る事にした。

 

 

──

 

 

 後ろから眺めているとヒヤヒヤする。

 魔物や地形などにろくに警戒心を払わずに、我が物顔で進むクルト達一行。

 ルイジェルドの懸念は正しかった。

 

 彼らはエクスキューショナーなる人型の魔物と遭遇し、涙目で相対していた。

 高い剣技に勝ち目が無いと見るや、全力で逃走。

 背後から迫る魔物は、至近距離にまで迫っていた。

 

 しかし、火事場の馬鹿力の類いなのか、速度を上げてクルト達は逃げ切れそうだ。

 でも危険は排除するべきだと、ルイジェルドは主張する。

 

 

「まだ我慢です。もう少し追い詰められてからの方が、恩は大きくなります」

 

「正気か? お前は自分が同じ状況でそれを言えるのかっ……!?」

 

「う……。それでも堪えて」

 

 

 ルイジェルドの気迫に怯み掛けるが、意見をごり押しする。

 渋々、静観を決めた彼は、歯軋りをする。

 

 クルト達はというと、逃げた先に新たな魔物の姿。

 アーモンドアナコンダとかいう蛇の魔物だ。

 

 よし、いい具合に追い詰められてきた。

 後は、万事休すといったタイミングで助けに入れば、バッチリだ!

 

 

「あ、……」

 

 

 その声はエリスのものだ。

 何か不意を突かれるような悪夢を目撃した声色。

 つられて視線をクルト達へ向けると──。

 

 仲間の1人が──死んでいた。

 

 名前は覚えていないが、鳥型の魔族の彼は、エクスキューショナーの振るう剣に脳天から両断されていた。

 即死だ。

 

 え……。

 嘘だろ?

 いや、人が死ぬわけがないじゃないか。

 

 

「こうなると分かっていたっ……!」

 

 

 ルイジェルドが飛び出す。

 彼の背中が遠ざかり、エリスも後に続いた。

 その後の事は、あまり記憶に残っていない。

 ただ、魔物は殲滅されていたとだけ、話しておこう。

 

 

──

 

 

 戦闘後、俺は吐いていた。

 うずくまる様にして自身の犯した過ちの重さに堪えきれず、胃袋がキュウッと締め付けられて……。

 頭の中がグチャグチャだ。

 

 視界が霞む。

 グラグラして視線も定まらない。

 

 

「ルーディアッ! 貴様っ……!」

 

 

 兄貴分に胸ぐらを捕まれて宙吊りになる。

 いっそ、このまま殺してくれ。

 人を見殺しにした事実に、心が砕けそうだ。

 俺を……楽にしてほしい。

 

 いや、俺には治癒魔術があるじゃないか……?

 なぜ忘れていた。

 焦りのあまり、視野が狭まっていたようだ。

 

 

「お前が招いた事態だっ……!」

 

「離せよ……。()がアイツを助けなきゃならないんだ……」

 

「奴は死んだっ……」

 

「いいから離せよっ……! 俺じゃなきゃアイツを治せねぇんだよっ……!」

 

 

 自棄っぱちになって座標指定魔術で、ルイジェルドの背後から昏睡(デッドスリープ)を撃ち込む。

 意識は奪えなかったが、胸ぐらを掴む手の力が、一瞬だけ緩む。

 

 隙を突いて抜け出し、二つに裂けた魔族の少年の下に駆け寄る。

 左右の身体を断面に合わせて密着させて、聖級魔術を必死に掛け続けた。

 

 

「治れ! 治れ! なおれ! ナオレ! 治って……くれ……」

 

 

 魔力が無駄に消費されてゆく。

 効果が現れない。

 治る気配が無い。

 あれ?

 おかしいな、俺には治癒魔術の才能がある筈なのに。

 どうしてだ?

 本調子……じゃないから?

 

 くそっ……転移事件なんて無ければ、じきに王級治癒魔術を習得出来たというのに。

 ……いいや、無理だ。

 王級では精々、失った手足を再生するに留まる。

 

 頭では理解しているさ。

 もう手遅れだってことくらいは。

 でも、認めたくないじゃないか。

 俺が殺した様なものだ。

 救えた筈の命を、みすみす取りこぼした。

 

 かつてブエナ村に居た頃に誓った使命を、自ら破ったのだ。

 ああ、俺はとんでもない大罪人だ。

 

 その後も俺は壊れたラジオのように、治癒魔術を無詠唱及び有詠唱の両方で繰り返した。

 

 

「ルーディア……。もう止めろ。それ以上は、お前の身体が持たん」

 

「うるせぇよ……。俺だって必死なんだ! 出来ないと分かっていても、やらなきゃいけねぇんだよ!」

 

 

 わけが分からん。

 自分で何を言っているのか、サッパリだ。

 

「強く当たった事は謝る。ルーディアとて、俺にとっては守るべき子どもだっ……!」

 

「だったらっ……! 助けてくださいよ……。ルイジェルドさん……」

 

「その少年はもう死んだ。諦めろ。現実を受け入れるのだ」

 

「嫌だ、いやだ……。どうして俺は……。こんなにも……」

 

 

 治癒魔術を……止めた。

 もう目を逸らせない。

 直視するしかなかった。

 

 

「ルーディア……。貴女は頑張ったわ。もう休みなさいよ」

 

 

 エリスに肩を抱かれる。

 その優しさが俺を追い詰めるとも知らずに。

 

 

「だってエリス……。俺は……。いえ、私は……」

 

「ルーディアは時々、自分の事を『俺』って呼ぶわよね?」

 

「それが今、何の関係が……」

 

「いつもは痩せ我慢していて、今のルーディアが素の自分なんでしょ? ツラい時まで、自分を騙そうとしないでよ。見てる私まで不安になっちゃうでしょっ……!」

 

「あ……う、……」

 

 

 エリスは見抜いていたのか。

 俺の歪な在り方を。

 

 

「この前は私のことを慰めてくれたでしょ? だったら、今度はこっちの番よ! 大丈夫、ずっと私がルーディアのそばに居てあげるんだからっ!」

 

 

 その言葉に俺は、どれだけ救われたことだろう。

 独りでは堪えられない思い。

 でも彼女は俺の横で支えてくれると言う。

 それは、姉としての意識が出した言葉なのか。

 

 

「う、うぅ……。お願いだ、俺とずっと一緒に居てくれ」

 

「当然よ! 嫌って言っても、一生付きまとってやるんだからっ!」

 

 

 そうして俺は泣くことを止めた。

 もう立ち上がらなきゃいけないと覚悟を決めたのだ。

 

 

「町へ戻るか?」

 

「いいえ、ルイジェルドさん。()はもう大丈夫です。それよりもクルト達を森の入口まで送りましょう」

 

「あぁ。すまなかったな、先ほどは。誰にだって間違いはあるというのに、俺は……」

 

「謝らないで」

 

「しかし、俺は自分を棚上げして、お前を責め立てた」

 

 

 ルイジェルドも律儀な男だ。

 謝る理由など有ってたまるものか。

 

 

「ルーディアは俺と違って、間違いを認識して正せる人間だ。それは、尊敬に値する」

 

「そんな殊勝な人間ではありませんよ、私は……」

 

「いや、この一件で俺は何も出来なかった。しかしお前は治そうとした」

 

 

 死んだ者を蘇生しようなんていう無理難題に挑戦して、案の定、失敗しちまったけどな……。

 

──

 

 

「あんたら、助けてくれてありがとう。仲間を1人失ったけど、冒険者なんだ。覚悟は出来ていたよ」

 

 

 クルトは嗚咽混じりの声で礼を言う。

 やめてくれ、俺はお前の仲間の仇みたいなもんだ。

 

 

「クルトと言ったな。俺はお前を子どもだと侮っていた。お前にも冒険者としての矜持があるというのにだ」

 

「いいよ、そんなこと。オレのせいで仲間割れさせたみたいで、悪かったよ」

 

「気にしていませんよ。パーティー内で方針の対立なんて日常茶飯事ですから」

 

「そうか。ルーディア、お前って良いやつだな」

 

 

 それから森の入口まで送り、彼らは仲間の亡骸を背負って町の方へ帰還した。

 なんていうか、やるせない気持ちだよ。

 

 さて、依頼の遂行に戻ろう。

 今度は打算なんて考えない。

 この森では命なんて軽く吹き飛ぶ。

 今しがた経験したことである。

 

 やがて森の深奥部へと到達する。

 空気が変わった。

 心なしか匂いも。

 

 

「戦闘が起きている」

 

「ブレイズ達でしょうか? 助太刀します?」

 

「いや、奴らは子どもではないし、クルト達同様に覚悟は済んでいる筈だ」

 

 

 ふむ、ルイジェルドの掲げる正義による救済対象の基準は、子どもであるか否か、ってところか。

 Bランクパーティーなら、俺達よりもよほど集団での戦闘経験は豊富だろう。

 ラプラス戦役を戦ったルイジェルドは除くとして。

 

 視線を前方へ伸ばすと、ブレイズ達は壊滅状態だった。

 うん?

 いや、ブレイズだけが生き残り、そして奮戦しているな。

 

 片腕と片耳を失い、満身創痍といった具合。

 戦っている魔物は──。

 

 白牙大蛇(ホワイトファングコブラ)ではなかった。

 似ているが別種。

 より強力で、より凶暴性の高い魔物。

 赤喰大蛇(レッドフードコブラ)という上位種。

 巨体と耐火性を誇り、牙には猛毒を備えている厄介極まりない生物。

 ランクにしてAに相当する。

 

 こりゃ、ヤバい。

 ゆえに先刻の二の舞にならぬよう、ルイジェルドに要請する。

 

 

「今度こそ助けましょう!」

 

「そうだな。お前なら、そう言うと思っていた」

 

 

 お見通しですか?

 だが好都合。

 窮地のブレイズを救うべく、死闘に横槍を入れさせてもらう。

 

 大蛇の頭突きがブレイズを狙うが、飛び込んだルイジェルドが、三叉槍の穂先でいなす。

 意識外からの乱入者に、大蛇は容易に捕食を阻止された。

 

 

「た、助かったのか……?」

 

「まだ気を抜かないで! 来ますっ!」

 

 

 ブレイズの首根っこをルイジェルドが掴んで下らせる。

 エリスは意気揚々と剣を抜き、巧みなステップで大蛇の猛攻を避け続ける。

 ただし、地面を叩いた尾が砂煙を生み出し、視界を遮った。

 一旦、距離を置くエリス。

 歯痒い思いをするも、地団駄を踏む暇すら与えられない。

 

 隙を突いて鱗を斬りつけようと試みるが、変則的な動作ゆえに全て外れた。

 

 俺も遠距離から攻撃魔術を片っ端から撃ち込むが、全て当たらない。

 座標指定魔術で視界の外から狙って、ようやく数発ほど着弾した。

 

 だが威力不足。

 火力を上げるのなら、座標指定魔術では不足気味。

 やはり威力の底上げを図るのなら、手から魔術を放つべきか。

 

 ひとまず初級水魔術の水弾(ウォーターボール)を発動し、手の先で溜めておく。

 後は必中の時を待つだけだが……。

 ウネウネと動く大蛇に当たる気がしない。

 

 だが、ルイジェルドが頭部と心臓をしつこく狙い、俺への注意を逸らす。

 エリスも負けちゃいない。

 尻尾を集中的に切り刻み、慣れてきたのか硬い鱗を力任せに破壊していた。

 

 やがて来るべき必中の瞬間。

 逃さず、人生最高の威力を誇る水弾(ウォーターボール)を傷口へ目掛けて撃ち込んだ。

 

 傷口から侵入した水は、内部で拡散し大蛇の身体の一部を破裂させる。

 すると断末魔を上げて、ピンと天に向かって数秒の硬直。

 そして力無く倒れ、息の根を絶やした。

 

 デッドエンドの戦術的勝利である、

 

 戦闘の様子を重傷を負いながらも観戦していたブレイズは、開いた口が塞がらないのか石像のように固まっている。

 数秒後には、自我を宿し、発声手段を取り戻した。

 

 

「すまん、恩に着る……」

 

 

 開口一番、感謝の意を表す言葉。

 ふてぶてしい態度から一転、命を救った俺達への印象を改めたらしい。

 

 

「ノコパラの奴が話してたな……。デッドエンドとかいう新人が、破竹の勢いで実力を伸ばしてるってよ」

 

「ノコパラさんとはお知り合いですか?」

 

「おう、昔はアイツとリカリス愚連隊ってパーティーで、色々と馬鹿な事をやってたんだ……」

 

 

 会話の最中に治癒魔術及び解毒魔術を施しておく。

 止血は完了。

 大蛇に噛み千切られたであろう片腕と片耳は、申し訳無いが諦めてもらおう。

 今の俺じゃあ、治せない負傷もあるのよね。

 

 ん?

 いま、意識の中に引っ掛かる単語が聴こえた。

 リカリス愚連隊とか言ってたよな?

 

 

「もしかして過去にロキシーっていうミグルド族の女性がメンバーに居ませんでしたか?」

 

「あぁ、短い間だが一緒に冒険者稼業をしてたがよぉ。もしかしてお前、ノコパラが自慢気に話していたロキシーの弟子なのか?」

 

 

 当たりだ。

 世間の狭さを垣間見る。

 とはいっても魔大陸じゃ生活圏はごく僅か。

 人脈も極めて狭い範囲で構築されるだろうし、必然のようなものだ。

 

 

「そうかぁ。アイツの弟子なら、その強さの理由にも頷ける。古い知り合いの弟子に救われるとはよお。奇跡ってのは本当に起こるんだな」

 

「ロキシー師匠に感謝してくださいよ。もし今度会うことがあれば、甘い食べ物でもご馳走してあげてください」

 

「おう、分かってらぁ。だが、まずはお前らに礼をしねぇとな。町へ戻るまでに考えとく」

 

 

 ロキシーの弟子という立場は、こうも人間関係を円滑にするらしい。

 宿に戻ったら、御神体(ロキシーのパンツ)に祈りを捧げよう。

 最近じゃ、エリスやルイジェルドの目が有るから控えていたりする。

 信仰心が足りんぞ、俺は。

 

 その後、死骸から剥ぎ取り作業と、ブレイズの仲間の遺体の火葬処理を実施。

 仲間と身体の一部を失ったブレイズは、今日を以て冒険者を引退するそうだ。

 

 リカリス愚連隊時代の仲間とは違い、さほど現在の仲間に思い入れは無かったようで、ケロッとした態度でいる。

 今後は実家の家業を継ぐと本人は口にしていた。

 それで飯を食っていけるのなら、まずまずの結末か。

 

 お礼の方は、魔大陸基準で少なくない謝礼金を頂いた。

 彼も今後の生活があるだろうに、義理深い奴だ。

 

 ともあれ、先を急ぐ俺達。

 このお金を有効活用させてもらおう。

 ありがとう、ブレイズ。

 

 

 

 

 

─ミリス神聖国・首都ミリシオン─

 

 

 ゼニス・グレイラットは、娘のノルンと共に実家に滞在していた。

 ラトレイア伯爵家こそが、ゼニスの生家である。

 

 本来であれば、帰省するつもりなど無かったのだ。

 フィットア領転移事件による被害で図らずも、母クレアの前に戻ってきてしまった。

 

 そもそもゼニスは成人して間もない頃、ラトレイア家の仕来たりであったり、母クレアの上から押さえ付けるような教育方針に嫌気が差していた。

 その弾みで家出同然に飛び出し、紆余曲折を経て夫パウロと運命的な出会いをしたという経緯がある。

 

 ゆえにもう2度と実家に戻る事はないと、高をくくっていたが……この有り様だ。

 

 現実に出戻りに到る。

 それも愛娘の1人を連れて。

 

 フィットア領で大規模な天変地異が起きたことは既に理解している。

 自身も被災したのだから当然だ。

 

 だが、続報を知ることは、現在彼女が置かれている環境下では不可能であった。

 というのも母クレアが、ゼニスの勝手な行動を制限する為に、意図して情報を遮断しているからだ。

 

 夫のパウロ、侍女のリーリャ、その娘アイシャ。

 そして3年越しに再会した長女ルーディア。

 

 家族の安否情報を望んでいるのに手に入らない苦しみ。

 幼い娘のノルンの手前、不安にさせる恐れがあるので、泣くことすら許されない。

 外出は認められず、良くて屋敷の敷地内の散歩までしか許可は降りなかった。

 

 仮に敷地外へ出ようと思い立ったとしても、厳重な警備体制を敷かれたラトレイア家の監視の目を逃れるなど困難だ。

 

 家族の無事を案じる日々。

 ゼニスとて何も行動を起こさなかったわけではない。

 ほぼ毎日、母クレアに情報開示や待遇の改善などを直談判しているのだ。

 

 

「ですからお母様! 私は既にグライラット家の人間です。ラトレイア家に留め置かれる理由も根拠もありません!」

 

「それは貴女の独り善がりの認識に過ぎません。そもそも家出などでラトレイア伯爵家の籍を抜けたなどと思わないことです。正式な手続きを踏まずに、何を他人面をしているのですか?」

 

「いいえ、私はもうラトレイア家の人間ではありません。何故なら、ボレアス家当主サウロス様の正式な辞令により、夫パウロはブエナ村の駐在騎士となりました。その妻である私がグレイラット家の者であることは明白です」

 

「それはボレアス家による独断でしょう? 嫁入りをするにも、何故、ラトレイア家に話を通さなかったのですか。これは不義理です。断じて認められる事ではありません」

 

 

 親子共々、口喧嘩はあまりに言葉が多くなる。

 傍目からは漫才のように映ることだろう。

 

 

「それにノルンはどうするのです? 家も夫も失った貴女では、養ってはいけないでしょう。ラトレイア家であれば成人までの教育、成人後の縁談まで全て世話を見れます」

 

「夫は……パウロは生きている筈よ。勝手に決めつけないで!」

 

「突然、伴侶を失った悲しみは理解出来ます。しかし、現実と現在の状況を鑑みればこそ、貴女はラトレイア家を頼るべきなのです。全て母に委ねなさい。無理に再婚しろとは言いません」

 

「お母様は義理の息子(パウロ)を捜して下さらないの? 私に何も教えず、満足するとでも思っているのですか!」

 

「貴女が気にする事ではありません。パウロ・グレイラット等という落伍者……。生まれは良くても、育ちには疑問が残ります。ラトレイア家が協力する価値も義理も感じられません」

 

 

 全ての意見に反論というプレゼント付きだ。

 こうなっては対話での解決に糸口を見出だせない。

 

 そして、パウロ・グレイラットの悪名は、中央大陸より遠く、ミリス大陸まで届いている。

 曰く、ゼニスを娶る以前は女癖が悪く、粗野な男であったとか。

 現在は剣王にまで至ったというが、人間性などそう易々と変わらない。

 クレアの認識としては変わらず、パウロ・グレイラットへの評価は最低値であった。

 

 

「ですが、もう1人の娘ルーディアであれば、ラトレイア家が総力を上げて捜索中です。これで満足なさい。妾のリーリャや、妾の子のアイシャは、アスラ王国側で捜すことでしょう。ラトレイア家が関与することでは在りませんので」

 

「ルディの捜索の件は感謝しています。ですけれど、リーリャとアイシャだって私の家族です! そんな風に冷たく突き放さないで下さる!?」

 

「我が娘ながら嘆かわしいことです。いい加減、聞き分けなさい。連日、こうも騒がれては、私も呆れてしまいます。かつては清廉で美しく、ミリス令嬢の鑑とまで呼ばれていた貴女は、何処へいったのですか?」

 

 

 ここでゼニスは、してやったり顔を浮かべる。

 これまでクレアの口から明かされる事の無かった捜索情報を会話の中で聞き出せたのだ。

 ラトレイア家は、捜索の手をルーディアにしか伸ばしていない。

 そしてパウロ、リーリャ、アイシャは依然として行方不明。

 

 最低限の欲する情報は入手した。

 事態が好転したとは、口が裂けても言えないが。

 

 

「お母さん……。お祖母ちゃん……。ケンカはダメだよ?」

 

 

 ゼニスにとっては娘、クレアにとっては孫娘であるノルンが、口論を繰り広げる2人に弱々しくも、注意の声を上げた。

 

 ハッとした両者は、ノルンに与えた不安を打ち消すように取り繕い始める。

 

 

「違うのよ、ノルン? お母さんとお祖母ちゃんは、いつも仲良しなのよ」

 

「おや、ノルン。怖がらせてしまいましたか? 貴女の母とオババは、喧嘩などいたしませんよ」

 

「ホント?」

 

 

 笑顔で頷くゼニスとクレア。

 あの堅物のクレアでさえ、4歳の孫娘に対しては、甘くなってしまうらしい。

 

 もしこの場に妾の子アイシャが居れば、比較でもして関係は悪くなっていたかもしれないが、今はその懸念もあるまい。

 

 なんであれゼニスは、数少ない情報を得た。

 これ以上、自らアクションを起こすことは難しいが、近くルーディアと再会する事を願うばかりだ。

 

 ルーディアならこの停滞した状況を、打破してくれる一助となる気がするのだ。

 

 

「ルディ……。早く会いに来てね……」

 

 

 ゼニスはルーディアとの再会をそう遠くない日に予感した。

 



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27話 魔王バーディガーディ襲来

 町でブレイズから謝礼金を受け取ってから別れ、ギルドへ依頼達成の報告と素材の売却を行った。

 貯蓄額的にもパーティーランク的にも、そろそろ次の土地を目指して出発すべきだ。

 出発までに、2~3日の休養と身支度などの準備期間を置く事に話し合いの末に決定。

 

 初日に関しては、俺は丸一日寝ていた。

 人の生き死にの瀬戸際を経験したばかりで、気づかない内に心労を重ねていたらしい。

 

 エリスは言葉も通じないだろうに、装備の新調の為にお使いに出掛けた。

 意外なことにトラブルを起こさずに帰ってきた。

 この話には裏があって、ルイジェルドが陰からエリスを見守っていたらしい。

 

 ついでに、そろそろルイジェルドの素性をミグルド族のロイスという設定で偽装する事に限界に感じてきたので、額の宝石を隠すべく、3人お揃いの鉢金を購入してきてもらった。

 髪を染めるだけじゃ見破る奴は見破ってくる。

 リカリスじゃ誤魔化し通したが、別の町では予想がつかない。

 

 それにしても面倒見の良い、子ども好きの兄貴分だ。

 本当にロリコンじゃないよね?

 

 2日目は3人で町を散策。

 リカリスの町も見納めとなるので、記憶に焼き付けておきたかったのだ。

 当初の予定より滞在期間が伸びてしまったせいか、第2の故郷のような愛着が湧いたらしい。

 

 一番に気持ちが落ち着く土地は、やはりフィットア領のブエナ村かロアの町という事実は変わらないが。

 

 そして休息の最終日。

 馴染んできた冒険者ギルドにて別れの挨拶。

 出発は明日の早朝だから、実質的に今日が諸先輩方に会う最後の日だ。

 

 この町へ来たばかりの頃にトラブルになったカエル顔の男も、別れを目前に寂しそうにしている。

 そんな彼よりも名残惜しそうにする男が1人居た。

 ノコパラだ。

 

 

「ついにリカリスを発つのか……。寂しくなるなぁ、おい」

 

「そうですね。皆さんには本当にお世話になりました。特にノコパラさんには、色々と融通して頂いて、感謝の気持ちが尽きませんよ」

 

「よせよ、照れるぜ。俺も子持ちだからよ。嬢ちゃんみたいな小さな子が頑張ってると、応援したくなるんだ」

 

 

 はじめの頃は、彼が家庭持ちという事実を疑っていた。

 言っちゃ悪いがアコギな商売をしてそうに風貌だったしな。

 だがつい先日、彼に良く似た馬面の妻子と仲睦まじげに歩いている姿を見かけたのだ。

 ホラではなかったようで、なんかゴメン。

 

 

「まっ、生きてりゃあ、またいつか会うかもしれねえな」

 

「その時はお酒でも飲みましょう。今は未成年なので、お酒は控えていましたし」

 

「そうだな。巡り合わせが良ければ、ロキシーも交えて浴びるほどの酒を飲もうぜ!」

 

 

 数分ほどの談笑を終え、残りの時間を宿でゆっくりと過ごそう。

 そう考え、エリスとルイジェルドを連れてギルドを出ようとしかけたその瞬間──。

 

 

 カンカンカンカンカン!

 

 

 リカリスの町中にけたましい鐘の音が鳴り響く。

 これは……警報?

 この場合は警鐘と呼ぶべきか。

 

 

「これは……いったい?」

 

「おいおい、マジかよ! この鐘の音が鳴るって事は、町の中にヤベぇ魔物が入り込んだっつうことだぞ!」

 

 

 ノコパラの口振りで、おおよその状況を把握する。

 リカリスの町はクレーター状に形成されており、円形になっている。

 周囲は厚く高い壁に囲まれ、出入口は限られている。

 各通用門は門兵が24時間体制で警備している筈だが、何らかの理由で魔物とやらに突破されたのだろう。

 

 これ、俺らの身も危ないのでは?

 

 迫る危険に神経を尖らせていると、町中に不用意な外出を控えるようにお達しが出た。

 魔物を外へ逃がさないように、町の門を封鎖するとも。

 

 それじゃあ、避難も出来ないじゃないか。

 封鎖令が解除されない限り、この町から旅立つ事すらままならない。

 

 

「どうします? ルイジェルドさん」

 

「俺が程度を見極め、可能であれば魔物を駆逐するというのはどうだ?」

 

「私は賛成よ! 街の衛兵なんか頼りにならないわっ!」

 

 

 好戦的でいらっしゃるよ。

 俺も賛成ではあるが。

 

 しかし、この地を治める魔王様とやらに、事態の収拾を頼んだ方が確実ではないか?

 いや、割と神出鬼没な人物らしいし、待つだけじゃ時間の浪費にしかならない。

 

 魔王バーディガーディは、ビエゴヤ地方の何処かを、ほっつき歩いていると噂で聞いたが、果たして……。

 

 

「やむを得ませんね。私たちで魔物を退治してしまいましょう」

 

「話が分かるじゃない、ルーディア!」

 

「承知した。だが、先陣は俺が切る。未知の敵相手にお前たちでは不安が残る」

 

 

 全会一致。

 意識を臨戦態勢へ移行する。

 冒険者ギルド内からは、既に人気は消えていた。

 まだ噂話の段階だが、町へ迷い込んだ魔物はAランク相当とのこと。

 

 この町の冒険者の手に余る強敵だ。

 トップ層のパーティーでもスーパーブレイズ辺り。

 残念なことに、そのパーティーすら、先日壊滅したばかり。

 

 さてAランクの魔物と言えば、赤喰大蛇(レッドフードコブラ)に匹敵するレベル。

 そうなれば、俺達にも油断ならない相手だな。

 一瞬の気の緩みが死を招く。

 

 

「お前ら、死ぬなよ……」

 

 

 唯一、職員以外でギルドに居残っていたノコパラからの激励の言葉。

 噛み締めて受け取っておく。

 

 さてデッドエンドの出陣だ。

 

 

──

 

 

「不可解だ。魔物の影一つ見当たらん」

 

 

 高所より額のセンサーで索敵するルイジェルドは、疑問を漏らす。

 彼ほどの戦士の目を逃れるような相手だ。

 俺とエリスじゃ、逆立ちしても居場所を特定出来まい。

 

 

「誤報という線はあり得ませんか?」

 

「ん? 待て……。魔物ではないが、異質な気配を感じる」

 

「異質……ですか?」

 

 

 魔物でないとすると何者だ?

 警報が発令される程の人物だとしたら、よほどの大罪人とか?

 念の為、備えておこう。

 アルマンフィの様な存在が襲来してきた可能性だって捨て切れない。

 ルイジェルドなら、遅れを取ることは無いと思うが、俺は彼曰く未熟者だから。

 

 

「接近してくるぞっ……! 速いっ……!」

 

 

 緊迫した空気。

 あのルイジェルドでさえ、油断ならぬ外敵。

 彼の額には冷や汗が浮いていた。

 

 

「腕が鳴るわねっ!」

 

 

 エリスは事の重大性に気づいていない。

 なんて鈍感でお気楽なお嬢様だ。

 フォローしてやらないと。

 

 俺は杖を、エリスは剣を、ルイジェルドは槍を構えて、接敵の瞬間を待つ。

 10秒もしない内に──。

 

 3メートル近い巨大な塊が、目の前に降ってきた。

 土砂が舞い、地面が抉れ、重量感を感じる。

 一様にデッドエンドの視線は、ソレに縫い付けれる。

 

 ソレは生き物だ。

 屈んだ体勢から立ち上がると、長身のルイジェルドでさえ見上げる程の巨体。

 これまでの人生で目にした中で、最も暑苦しそうで、筋肉隆々な偉丈夫。

 浅黒い肌に、紫髪が印象的な6本の腕を持つただ者ならざる魔族。

 

 その者はもしや──。

 

 

「フハハハハ、我輩は魔王バーディガーディである! デッドエンド出現の報を臣下より受け、いざ参った次第!」

 

 

 このビエゴヤ地方を支配する魔王様のお出ましだ。

 しかもデッドエンドの名を聞き付けての参上ときた。

 

 良くも悪くもデッドエンドの名を売り過ぎて悪目立ちしちまったのか?

 くそ……もう1日、早く町を出発していれば、出会す事は無かったのにっ!

 ランク上げに専念するあまりに、リカリスに長居し過ぎた。

 

 目的はやはり俺達か。

 デッドエンドを名乗る俺らを、偽物本物問わず、統治者として見過ごせなかったのだろう。

 

 裁きに来たのか……。

 俺達を殺すつもりなのか?

 

 

「その顔を憶えておるぞ。ルイジェルド・スペルディアだな。うむ、貴様がデッドエンドの正体であったとはな!」

 

 

 数ある腕の中で、上段で腕を組むバーディガーディ。

 敵意とは違う別の感情を感じる。

 半分くらい、俺の希望的観測だ。

 

 

「人払いの為に警報を発令したのだ! 魔物とはつまり、貴様らの事を指す! フハハハハ!」

 

 

 愉快そうに笑う彼の意図が読めない。

 魔王って言ったら、ゲームならラスボス級の存在だ。

 人生10年目という序盤で対峙する相手じゃない。

 

 

「ルーディア、エリス……。奴には決して手を出すな……」

 

 

 言われずとも迂闊に手を出して良い存在ではないことくらい察しはつく。

 分厚い胸板が、強者としての凄味を知らしめてくる。

 

 

「人族の娘らと行動を共にしておるようだが、まさか喰らうわけではあるまいな? 貴様がデッドエンドならば、疑わざるを得んのだ!」

 

 

 バーディガーディが俺とエリスを一瞥し、顎に手を当てて数秒ほど考え込む。

 

 

「俺は子どもは食わん。ただ俺は、この子らを故郷に送り届けると約束したのだ」

 

「ほう、例の転移事件の関係であるな。たしかに報告が上がっておるな。領内にて、人族の被災者が多数発見されたと。見つけ次第、ミリス神聖国に引き渡す手筈を整えている最中だ。アスラ王国は遠方ゆえ、引き渡し先を暫定でミリス神聖国にしておるのだ」

 

 

 なに?

 やはり魔大陸には、俺とエリス以外にも転移してきた被災者が居るのか。

 もしかしたら、俺達の家族も?

 後で救出済みの被災者を確認しよう。

 未発見なら、自分の足で家族を捜しつつ、魔大陸を南下だな。

 

 

「他意は無い。戦士としての誇りに懸けて、救うと決めたのだ。それに……俺は過去を悔いている」

 

「我輩の推察に誤りは無かったようだな! ならば我輩は貴様を()()を含めて咎めん。ルイジェルド・スペルディアの身の潔白はこのバーディガーディが保証しよう」

 

 

 あれ、知り合い?

 もしかしてピンチを脱する事を期待しても構わない?

 

 

「あのぅ……。お二人とも、お知り合いですか?」

 

 

 正直、この2人の会話を遮るのは躊躇われるが、好奇心を抑えきれない。

 エリスはそもそも、魔神語で行われる会話に理解が追い付いていない。

 

 

「うむ、人族にとっては遥か昔にな……。尤も、我輩はもう気にしておらん。不可抗力だったのだろう。ラプラスめにしてやられたな」

 

「バーディガーディ……。気を遣わせたな」

 

 

 過去、ルイジェルドはラプラス戦役の際、魔神ラプラスの策謀で、呪いの槍によって正気を失っていた。

 当時、殺戮の使徒に成り下がった彼は、おそらく……。

 バーディガーディの支配する領域に暮らす民を無差別に殺し回ったのだろう。

 

 魔王様的には、ルイジェルドの過ちに、本人の落ち度は無いと判断したってことか?

 根深い問題の筈だが、バーディガーディ自身は過去の出来事として、綺麗に水に流しているようだ。

 

 普通の人間ならば、不可抗力であろうと割り切ることは難しい。

 魔王様の価値観は人間の常識とはかけ離れているようだ。

 

 

「ところで人族の娘よ、名前を訊こう」

 

「あ、申し遅れました。私、ルーディア・グレイラットと申します」

 

「ほう、めんこい名前であるな!」

 

 

 名前を褒められるの、地味に初めてかもしれん。

 褒め言葉は常に容姿に対してだったし。

 

 

「そちらの赤毛の娘子は?」

 

 

 エリスに名を問うバーディガーディだが、返答は無し。

 だって彼女、魔神語を話せんし。

 

 

「そうか。では人間語ならばどうか。そこの娘よ、名をなんという?」

 

 

 あ、この人、人間語も話せるのか。

 さすがは知恵の魔王だ。

 そこらの貴族よりもよっぽど学が有り、博識で語学堪能だ。

 

 

「エリス・ボレアス・グレイラットよ! ルーディアとは姉妹ね!」

 

「姉妹であったか! 我輩にも姉がおる! ちっと知恵の足りぬ乱暴者だがな。フハハハハ!」

 

 

 良く笑う人だな。

 生きているだけで愉しいって感じの性格だ。

 あ、そうだ。

 俺の家族が見つかっていないか、確認しねぇと。

 

 

「魔王様! 質問、よろしいでしょうか!」

 

「何でも聞くが良い!」

 

「グレイラット姓の人族あるいはギレーヌという人物は、領地内で発見されていませんでしょうか!」

 

 

 なんとなく、この人と会話する際は、大きな発声が望ましく思える。

 

 

「現時点では報告に無いな。グレイラット姓の人族は、目の前に居る貴様らのみだ。フハハハハ!」

 

 

 いや、笑うとこちゃうって。

 こっちは家族の安否が懸かってんだから。

 

 

「お前も笑え! 赤毛の童もだ!」

 

 

 なんか指図された。

 断ったら殴られそうだし……。

 

 

「フ、フハハハハ……!」

 

 

 とりあえず、真似っこだ。

 エリスにも肘で横腹を突いて、笑うことを促す。

 

 

「フ、フ……フハハハハ……!」

 

 

 ひきつった笑顔で笑い声を上げるエリス。

 なかなか珍しい光景だ。

 一目で格上と判断出来る相手の誘いを、気の強い彼女とて無視は出来ない。

 

 ルイジェルドだけだ。普段通りの鉄仮面を維持し続けているのは。

 

 

「良い、良いぞ! 気に入った! どんな時も笑う! 我輩の婚約者キシリカもそう話しておった!」 

 

 

 キシリカが誰かは存じ上げませんよ?

 でも笑ってさえいれば、彼のご機嫌を取れるらしい。

 対バーディガーディ用の処世術だな。

 使い所が究めて限定的だが。

 

 それにしてもバーディガーディは、悪い人ではなさそうだ。

 魔王と聞いて身構えてはいたが、話の通じる人物である。

 こっちの質問にも出し惜しみすることなく答えてくれたし。

 嫌いじゃないタイプだ。

 

 

「ところで魔王様!」

 

「バーディと呼ぶが良い。我輩が笑えと言って素直に笑った者には、名前で呼ぶことを許している! フハハハハ!」

 

 

 従うしかない。

 この手の人に抵抗しても強引に従わせられるだけだ。

 長いものに巻かれろってね。

 

 

「ではバーディ様。実は私たち、旅路を急いでいまして。早急に町の門を開放して頂けませんか?」

 

「おっと、そうだな。もはやデッドエンドは脅威ではない。相分かった! すぐに封鎖を解除させておくぞ」

 

 

 いつの間にか周囲を取り囲んでいた衛兵、その中の1人に指示する。

 話の分かる人で助かる。

 

 

「それはそれとして。我輩は、俄然貴様らに興味が湧いた! どうだ! ひとつ手合わせ願えんか!」

 

「えぇ……。急ぎなんですが? 今日は身体を休めて、明朝出発予定なんですけど……」

 

 

 手合わせとやらで、無駄な体力を使いとうないです。

 

 

「ならば、我輩を満足させたら旅の移動用に、運搬トカゲを進呈する!」

 

 

 運搬トカゲとは、魔大陸における馬車馬のような生き物だ。

 人が軽く3~4人は背に乗れるサイズ感である。

 結構、値が張るし、バーディガーディの余興に付き合う褒美としては悪くない。

 

 

「そのお話、お受けします!」

 

 

 バーディガーディは魔王だ。

 ルイジェルドでさえ冷や汗を掻く程だ。

 最低でも帝級クラス、最高で神級クラスの力量が予想される。

 でもデッドエンドは3人で1人。

 チームワークで勝ちを取りに行こう。

 

 

「では決まりだな! ルーディアよ! 1対1の決闘で勝負をつけるぞ!」

 

「え、1人!?」

 

「当然である! 我輩は貴様との決闘を望む! ルイジェルドの技量はラプラス戦役にて把握済み。エリスの実力も闘気よりおおよそ読み取れる。未知数である魔術師のお前の力を見極めたいのだ! フハハハハ!」

 

 

 嘘だろ?

 魔大陸に来て最大の窮地だよ。

 ヒトガミの奴め、こうなるって分かってたんなら、助言のひとつでも寄越して回避させやがれってんだ!

 

 恨み節を頭の中で言いながら、目の前の魔王様(ラスボス)とサシでやり合う事になるのだった。

 

 

 

 

 

─フィットア領捜索団・本部設営地─

 

 大規模魔力災害により、フィットア領からは領民・物資共に根こそぎ失われた。

 復興の目処は立たず、現状は被災した領民の捜索が、ボレアス家の主だった方針だ。

 

 捜索の指揮を執るのはボレアス家次期当主であるジェイムズ・ボレアス・グレイラットその人。

 荒れ果てた不毛の大地に、捜索団の本部を設営し、少ない人員を使い捜索を指揮していた。

 

 本来であれば現当主たるサウロスが、全権を握り、事を動かすのだが──。

 今災害においては、そのサウロスまでもが被災し、依然として消息不明。

 

 そうなれば繰り上がりでジェイムズが、上に立たなければならない。

 だが資金不足は目に見えていた。

 王都に保管されていた父サウロスの私財を切り崩して資金に充てたが、焼け石に水である。

 

 ジェイムズの保有する財産の幾らかも投じたが、穴の空いたバケツに水を注ぐようなもの。

 これ以上の資産の投入は、ボレアス家の存続すらも危ぶまれる。

 

 かといって復興しないというわけにもいくまい。

 そうなれば領地は王家に接収され、爵位すらも剥奪。

 

 つまりジェイムズは平民に身をやつす事となる。

 いや、責任を追及されて投獄或いは打ち首なんて可能性も十分に考えられる。

 そうなれば家族も離散し、路頭に迷うのだ。

 ロクな解決策も見出だせず、いつしかジェイムズは酒に逃げるようになった。

 

 こうなれば取れる手段は、行方不明の姪エリスを保護した上で、ダリウス上級大臣へ資金援助を条件に引き渡す事くらいだ。

 

 あるいは、従兄弟のパウロの娘ルーディアでも条件としては同じだろう。

 ノトス家のピレモンが口出しする事も無いだろう。

 かの兄弟は不仲だと聞く。

 自身と弟フィリップの関係に通ずるものがある。

 

 さて、遅々として進まぬ捜索活動。

 頭を抱えながらも、グラスにワインを注ぎ、不安の誤魔化しを図る。

 

 が、口元でグラスを傾けようとする手は、視界の端から不意に飛び出してきた手に掴まれ、阻止された。

 

 

「誰だ……!」

 

 

 気分を害され、荒っぽく声を上げた。

 

 

「よぉ、ジェイムズの兄貴。ご無沙汰だな……」

 

「お前は……パウロっ……! なぜここに? 警備の目をどう掻い潜ったっ……!」

 

 

 幽鬼の如く眼光、やつれはしていたが、殺気と怒気にまみれた年下の従兄弟パウロが、目の前には居た。

 

 

「あれが警備だぁ……? ザル過ぎたんだよ。オレなら、何処からでも侵入出来る」

 

「何の用だ……? 私はお前の恨みを買うような行いはしていない筈だ」

 

「恨みはねぇよ。けど、領民捜索のやり方が温いと思ったんで、見かねて口出しに来た」

 

 

 領内の下級貴族に過ぎぬ身分で意見しよう等とは。

 ジェイムズは苛立ちを隠せず、喧嘩腰で応答する。  

 

 

「はっ! お前のような人間のクズが一丁前に私に指図か!」

 

「クズでも人の親のつもりだ……。言っておくがな、てめぇの手腕じゃ、この災害を乗り切るには荷が重い。フィリップの奴なら、もうちっと手際良くやれたろうなぁ……」

 

「奴は次期当主争いで、私に敗北した負け犬だっ……。私以上に適任者は居らんっ……!」

 

 

 王都での人脈も政事的手腕も弟に優っている。

 6歳下の弟に劣っている部分など皆無なのだ。

 

 

「てめぇの自尊心の擁護で死人が出続けるんだぜ……? ジェイムズ、お前分かってんのかよ」

 

「黙れっ……! その減らず口を閉じろっ……!」

 

「いや、黙るのはお前だ……」

 

 

 パウロの腰に提げられた鞘。

 カチャリッと、短く音が鳴った。

 彼の所作に視線が吸い寄せられるが、速度を増して視界から消えた。

 

 手に違和感を覚える──。

 トンッと執務用に設置された机が叩かれた。

 机上にはジェイムズの両手が置かれており、その内の右手に嫌な感触を味わう。

 

 

「とりあえず、指からいっとくか?」

 

「は……?」

 

 

 パウロの言葉の意味を理解するまでに要した時間は、ほんの一秒。

 手元に目を向ければ……。

 ジェイムズの右手の指の全てが、根元から絶たれていた。

 机には5本の指が当然のように転がっている。

 遅れて訪れる激痛。

 

 視界が明滅し、思考が乱され、身をよじって絶叫を漏らす。

 

 

「が、あぁぁぁぁっ……!!」

 

「オレはいつでもてめぇの首を落とせるんだ。口の利き方には気をつけろ。オレの言うことに黙って頷いてりゃあ、これ以上、痛い目をみることもねぇよ」

 

 

 こいつは……何者だ。

 自身の記憶の中に在るパウロ・グレイラットの姿と同じ見た目をしただけの別の何かだ。

 断じて人間などではない……。

 悪鬼の類いだ。

 悪夢のような人外が、このフィットア領に紛れ込んだのだ。

 

 

「ダリウスのクソ野郎と繋がりがあるんだってな? あぁ、やっぱりオレはてめぇに恨みがあったわ。ウチの娘に手を出しやがったよな?」

 

「あ、あれは……。あの娘が勝手に巻き添えに遭っただけだ! 私の意思ではないっ!」

 

「だとしても、どの道、お前は自分の姪を差し出そうとしたゴミクズだ。言い逃れは出来ねぇな」

 

 

 早く止血しなければ……。

 だが眼前には鬼の姿が健在。

 逃れる隙など存在しない。

 

 

「このままお前の首をはねて、フィリップの奴を見つけ出し、当主をすげ替えちまっても構わねぇんだぜ? 無駄な口をたたくな」

 

「わ、わかった……! 要求を言え……!」

 

「ようやく、その気になったか……。手間取らせやがって」

 

 

 既にジェイムズには逆らう気力は残されていなかった。

 ボレアス家の存続など頭から抜け落ち、ただ己が命に執着するのみ。

 この瞬間、ジェイムズはパウロの傀儡と成る。

 

 

「手段は問わん。ダリウスから資金援助を引き出せ」

 

「そ、それは私では無理だ! 奴の欲しがる物など手元に無いっ!」

 

「てめぇの首でも賭けてこいよ」

 

「無茶を言うなっ……! 他の事なら何でもする! 頼む! 見逃してくれっ……!」

 

「そうか……。じゃあ、ジェイムズ。捜索団の全権をオレに移譲しろ」

 

「そんな事で良いのか……? 私は助かるのか……?」

 

「助かるかどうかはお前次第だ。資金調達の事だけを考えてろ」

 

 

 窮地を脱する活路を見出だせた。

 だが自分はこの死神染みた男に、常に背後を狙われ続けるだろう。

 生きた心地などしない。

 

 

「待ってろよ……。ゼニス、ノルン、リーリャ、アイシャ……そしてルディ……」

 

 

 ただひたすらに家族を想い、パウロ・グレイラットは、非道にも手を染める。

 願わくば、この腕で再び愛する家族を抱き締められるように。



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28話 旅立ちと成長の兆し

 困り果てたものだ。

 目の前に立つ御仁は、か弱い女の子相手に果たし合いをご所望ときたよ。

 

 痛いのは嫌だ。

 第一、これ程の巨体の拳を受けようものなら、俺の身体なんか木っ端微塵に吹き飛ぶ。

 

 バラバラに散った肉片をエリスに回収させたくはない。

 かき集めても蘇生するものでもないが。

 

 魔王バーディガーディは不死魔族だと聞く。

 彼の屈強な肉体は、どこまでの損傷であれば修復可能なのか、探究心がくすぐられる。

 いや、よそう。

 変に興味を持つと深みにはまる。

 

 決闘に関しては、どう対応すべきだ?

 何も殴り合いで勝敗を決めずとも構わないだろう。

 

 

「バーディ様! 提案なのですが、決闘の内容を、かけっこにしませんか?」

 

「それでは魔術師の本領を発揮出来んな! 却下だ!」

 

 

 一蹴された。

 魔術師の本領云々を語るなら、見るからに肉弾戦主体の魔王様との対決なんていう時点で無理難題だ。

 6本の腕のいずれも怪力揃い。

 掴まれでもしたら、プレス機の如く圧力で握り潰されそうだ。

 

 まともに正面からぶつかっても敗北は確実。

 勝つよりも、生き残る事を優先に立ち回らなければ。

 じゃあ、その具体的な作戦は?

 考え込んで眉間に皺が寄る。

 そんな俺の悩ましげな表情に、バーディ陛下が口を挟む。

 

 

「安心しろ。命までは獲らん。人族の娘が脆いことなど承知済みだ。ならば、我が身に貴様の渾身の魔術を撃ち込んで見せろ! 我輩からは手を出さん!」

 

「え? それは渡りに船ではありますが」

 

 

 要するに魔術の一撃で勝敗を決すると?

 バーディガーディは言っていたな。

 俺の実力を見極めると。

 決闘だなんて大仰な言い方に騙された気分だ。

 命拾いして、ホッと一息入れる。

 

 青ざめた俺の顔には、幾らかの生気が戻ったことだろう。

 まったく、魔王様ってのは人騒がせだ。

 決闘後も1日休むとはいえ、休息日が台無しだ。

 明日の出発にも差し支える。

 

 話を戻そう。

 バーディガーディを納得させる一撃となると、使用する魔術の対象は絞られる。

 俺の得意系統は、治癒魔術及び解毒魔術。

 それぞれ聖級となる。

 

 攻撃系統となれば、現在聖級まで取得済みの水魔術だな。

 先日、石化の森にて、Aランクモンスターの赤喰大蛇(レッドフードコブラ)を仕留めたのも、水魔術。

 ロキシーから授かった攻撃魔術ゆえに、思い入れも強く、日頃から重点的に腕を磨いている。

 

 次点で土魔術で、その後ろに火魔術と風魔術が横並びで引っ付いているイメージだ。

 後は系統外の昏睡(デッドスリープ)や座標指定魔術と言った個別の魔術がポツポツと使える感じ。

 

 話を纏めると、俺が選択した攻撃魔術は水系統の初級魔術・水弾(ウォーターボール)

 無詠唱発動の特権である、魔力制御による威力の可変化。

 その気になれば、水王級の火力さえも叩き出せる。

 それだけの自信と確信が俺にはあった。

 実績だって枚挙に暇無い。

 

 傲慢なる水竜王(アクアハーティア)を使用すれば、更なる威力の底上げを期待出来る。

 エリスが贈ってくれた誕生日プレゼントに救われた格好となる。

 よっしゃ!

 いっちょやってやろうじゃないのっ!

 

 

「では、バーディ様。魔術発動の準備をするので、少々お待ちください」

 

「しばし待とう!」

 

 

 あら素敵、男前な笑顔だわ。

 

 彼の承諾を得て、手に握った杖に魔力を回す。

 彼は待つと自ら言ったんだ。

 与えられた時間を存分に活用し、我が生涯最高の一撃をぶちこんでやるつもりだ。

 

 手の平を通じて杖の先端にはめられた宝石に魔力を蓄えていく。

 一定期間毎の流動量の許容範囲を超えぬ程度に魔力の量を調整。

 圧縮し、丁寧に継続的に込めてゆく。

 

 繊細な作業だが、得意分野ゆえにお手の物。

 普段以上に落ち着き払ってやれている。

 杖の先端部に水弾が生成。

 密度を高くする為に、尚も魔力を注いだ。

 

 密度と共にサイズも肥大化。

 中身がスカスカにならない様に、大きさの増減を繰り返しながらも、圧縮と膨張の変化を交互に行う。

 

 順調だ、良いぞ!

 

 全身に熱を帯び始める。

 集中力の持続時間もそろそろ打ち止めだ。

 これより以降は、魔力を溜めるだけ無駄だろう。

 頃合いを見て、魔力の供給を完了。

 

 後は狙いを定めて──。

 

 

 バシュンッ──!

 

 

 杖先より、俺の成せる究極の一撃が射出された。

 

 

 「くたばれっ! バーディガーディッ!」

 

 

 つい口走る。

 いや、くたばっちゃイカンでしょ!

 よもや俺の口から小悪魔染みた台詞が飛び出すとは。

 

 しまったと、口を押さえるが──。

 当の本人は、放たれた人間大程のサイズの水弾に視線を定め、こちらの言動など意にも介していない。

 

 水弾は距離を進む毎に加速し、勢いを強めた。

 超威力で命を押し潰す魔弾は真っ直ぐに飛ぶ。

 轟音が一帯に響き渡り、誰しもがバーディガーディの死を耳で予感した。

 

 そしてバーディガーディの鼻先に触れる寸前、彼は持ち前の6本の腕全てを、防御行動に駆り出す。

 掌で受け止め、弾き返そうと抵抗を開始した。

 

 腰を下げ、足が地面に沈む。

 グググと、水弾は巨体を後方へと押し込み続けていた。

 拮抗が生まれ、死闘の開幕。

 

 勇者()魔王(バーディガーディ)との鬩ぎ合い。

 

 遠巻きに眺めている歴戦の戦士ルイジェルドでさえ、固唾を飲んで見守っている。

 

 エリスもまた、拳を握り締めて真剣な眼差しで経過を窺っている。

 この熱戦の結末を是が非でも見届けようという意思を感じた。

 

 やがてバーディガーディは、上体を仰け反らせ──。

 下半身も地から浮き、6本の腕も関節が逆向きに折れ曲がる。

 

 均衡は崩れ、俺の一撃が彼の身を容赦なく粉砕する。 

 

 

 「ぬ、……お、おぉぉぉぉっ……!」

 

 

 半壊した彼の身体は、更に崩壊を進め、塵も残さず消滅の憂い目を見る。

 ──とまではいかないが、上半身を跡形も無く消し飛ばした。

 唯一、現存を許された下半身すらも、遥か彼方のクレーター外へと弾き飛ばす。

 

 え──?

 マジで、くたばっちゃった……?

 オーバーキルですか?

 

 違うよな?

 だってバーディガーディは不死魔族で、それも強大な力を保有する魔王だ。

 頑強な肉体は鋼鉄を凌駕し、剛力は大地をも叩き割る。

 そんな超人が、俺のような人族の子どもに討ち取られる筈がない。

 

 けど、現状だけで判断するに、確かにこの手でバーディガーディをこの世から消し去った。

 俺が……殺したのか?

 

 いや、迷うな。

 バーディガーディも言っていたじゃないか。

 どんな時も笑っていろと──。

 

 

 「フハハハハ! ルディちゃん、大勝利っ!」

 

 

 勝鬨を上げる。

 

 

 「フハハハハ! そして我輩、大復活っ!」

 

 

 バーディガーディも復活宣言。

 

 てか、生きていらっしゃった……!?

 

 

「バ、バーディ様! ご無事でしたか!」

 

 

 見間違いでなければバーディ陛下本人なのだが、心なしか、図体が縮んでいるように見える。

 現在は2メートルに僅かに届かぬ程度。

 それでも尚、長身である事実は揺るがないが、体積自体が減少しているらしい。

 

 

「うむ! 今の一撃、本気で死ぬところであったな! 威力にして帝級と言ったところだ!」

 

 

 お、おぉ!

 王級を通り越して帝級であるとな?

 誇るべきことだ。

 なにせ魔王様にお墨付きを貰えたのだから。

 

 フハハハハ! と、笑う陛下の背後からワサワサと何が這う。

 手首が列を成して魔王様の身体に吸収されていくのが見て取れる。

 バラバラになった身体の一部らしい。

 これが不死魔族の再生方法か?

 

 

「ラプラスを彷彿とさせる攻撃! 愉快! 痛快!」

 

 

 ある程度の大きさを取り戻すと、興奮気味に語り始めた。

 

 

「お気に召していただけましたか?」

 

 

 俺の本気を見せてやったのだ。

 これでダメなら、もう打つ手は無い。

 万策尽きたってやつだ。 

 

 

「無論だとも! もうちっと極めれば、神級クラスにも到達し、魔神ラプラスにも比肩するだろうな! フハハハハ! まぁ、代償として肉体が弾け飛ぶがっ!」

 

 

 神級相当の威力を出そうとすれば、その反動は肉体を自壊させる域に達するらしい。

 治癒魔術を極めればワンチャンあり得る?

 それこそバーディガーディ並の不死性を獲得すれば、デメリット抜きで発動し放題かも。

 

 

「どれ、不死魔族の再生力の秘密を教えてやろうか!」

 

「是非、ご教示戴ければと存じます!」

 

 

 聞き逃せないぞ、これは。

 この先の俺の魔術師人生において、糧と成り得る重大な内容だ。

 不死性=無限の治癒力と位置付けられる。

 解明が進めば、神級治癒魔術の開発においても大きな前進となるだろう。

 

 

「不死魔族の再生力とは──すなわち、種族に備わった魔力の性質に依るものだ」

 

「特殊な魔力をお持ちということですか?」

 

「うむ、そうだ。肉体は魔力であり、魔力は肉体となる」

 

 

 つまり肉体を失っても、魔力が肉体になるってことか?

 

 

「我輩たち不死魔族の持つ魔力は世界に満ちる魔力にも作用する。いわば世界と同化するも同然。一片も残らず消滅しようとも、世界に魔力が存在する限りは何度でも甦るぞ!」

 

 自身の保有する魔力と大気中の魔力が、相互に影響し合うと考えれば、理屈としては納得がいくな──。

 

 いや、しかし……不死魔族が人族の英雄に討たれたという古い英雄譚も存在する。

 何らかの方法で、完全に死に至るケースも有る筈だ。

 そこから逆説的に、不死身の理由にも行き着ける。

 

 具体的な理論を仮定してみる。

 不死魔族の魔力は自身の周囲に漂う大気中の魔力に、肉体の設計図をトレースする。

 

 トレース後の魔力は、肉体のスペアとなる。

 

 そして失った部位に応じて、魔力中に保管してある肉体のスペアを供給することで身体が再生する。

 ただし、魔力のみから肉体を再生させると、長い時間を要する。

 

 先ほどのバーディガーディのように、肉片が残っているケースであれば、パーツをかき集めた方が劇的に再生も早まるのだろう。

 

 つまりあれか?

 不死魔族が死ぬ条件とは──。

 肉片一つ残さず完全消滅させた上で、大気中に漂う魔力を枯渇させた場合に限るってことになるのか?

 

 じゃあ、そういうことなのだろう。

 魔力が無きゃ、肉体のスペアを生み出せず、再生させる為の供給源を失うんだからな。

 

 強大な不死魔族、すなわち魔王クラスの強者であれば、作用する魔力の範囲が広まり不死性が高まる。

 肉体の再生速度も速くなり、外的要因による魔力の枯渇にも耐性が強まると。

 

 そんなところだろうと当たりをつける。

 

 人の身で不死魔族の体質を再現する事は、理論上は可能だろう。

 肉体を後天的に改造或いは再構築すれば良いだけの話。

 肉体に対応した魔方陣を刻むなり、体内に満たす魔力の配列パターンを変更するなりすれば容易い。

 問題はその法則性を導き出せるか否か。

 生命の禁忌に触れるような、まさに神の領域だ。

 

 

「ルーディアよ、貴様ならば我が一族の不死性にも到達するかもしれんな」

 

「人族の身に余る話でしょうね」

 

「そうでもないぞ! 人族とて神域に到達する。我が姉アトーフェラトーフェの伴侶、初代北神カールマン・ライバックこそが、その最たる人物だ」

 

「初代北神とは、北神流開祖の?」

 

「その北神だとも!」

 

 

 初代北神と言えば、魔神殺しの三英雄の一角である人物だ。

 かの高名な甲龍王ペルギウスの盟友である。

 確かに人族の中には、人智を超越した力を得た者だって実在する。

 

 誰しもが歴史や伝説に語られる英雄に至ることを、子どもの頃に夢見るものだ。

 俺もまだガキの年頃だし、夢を見ても文句は言われまい。

 

 

「どれ、試してみるのも座興となろう! 我輩の一撃、やはり受けてみるか?」

 

「ご、ご冗談を! 私の身では、バーディ様の一撃を受け止めきれません! 爆散しちゃいますよ!」

 

 

 何を言い出すんだ、この男は。

 手足の一つ、原形も残さずに消失しようものなら、再生もままならないんだぞ?

 

 

「なんだつまらん。だが我輩は、女子ども相手に無理強いはせんぞ」

 

「寛大なお心に感謝を」

 

「フハハハハ! 謙虚な奴だな、貴様は!」

 

「フ、フハハハハ!」

 

 

 笑い返してやると、バーディは満足げに何度も頷く。

 その仕草には、ありありと喜びの感情が現れていた。

 さも生涯の友を見出だしたかのような反応だ。

 

 

「我輩のツテを使うことを許す。海族に支配された大海の航路も3人程度であれば渡れるが、どうするかね? 中央大陸まであっという間だ」

 

「正直なところ悩みますけど、魔大陸にも行方不明の家族が居るかもしれませんし……。捜索の為にも、南下しながら旅を続けたいと考えています」

 

 

「そうか。見つかると良いな!」

 

「はい!」

 

 

 この人との会話は、満足感を得られる。

 彼との出逢いは、色々な意味で俺の人生に大きな爪痕を残す結果となったろう。

 良くも悪くも刺激となった。

 

 

「引き留めて悪かったな。今日は休むと良い。明朝に出発するのだったな? 運搬トカゲも、こちらで手配しておこう。宿に使いの者を出す」

 

「感謝致します、バーディ陛下!」

 

「ではな! 我輩はこれから、何処かで腹を空かせているキシリカを捜すのでな! これにてさらば!」

 

 

 溜め動作も無く跳躍したと認識した瞬間には、バーディガーディの姿かたちも視界から消えていた。

 現れる時も唐突だったが、去る時も然り。

 

 

「魔王様って、みんなああいう感じなんですかね?」

 

 

 傍らに立つルイジェルドに問うと、溜め息混じりに『奴が特殊なだけだ』と返される。

 姉の方は『輪を掛けた戯け者』という情報も戴く。

 

 バーディガーディの姉アトーフェラトーフェも当然だが不死魔族であり、別地方の魔王であるらしい。

 姉弟で揃って魔王とは、一族単位で強い権力を持っているようだ。

 恐れ入った。

 

 

「ルーディアってば、スゴいじゃないっ! 魔王を倒しちゃうだなんてっ!」

 

 

 子犬のように俺の周囲をグルグルと駆け回ってから、エリスは抱き着いてきた。

 肉体的接触によるスキンシップが多いのよ、最近の貴女は。

 まぁ、嬉しいけど。

 

 

「実戦では、まず当たらない攻撃ですけどね。溜め時間が長過ぎですし」

 

「それでもスゴいわよ! どれくらいスゴいかって、スゴいくらい、スゴかったわっ!」

 

「なんですか、それは」

 

 

 ヤダ、この子。

 語彙力無さ過ぎ。

 もうちょっと言い回し、どうにかならなかった?

 

 しかし、そこがエリスの魅力であり、可愛さの所以。

 この絶妙なアホさ加減が堪らんのです。

 俺が男だったら、いますぐにでも手を出して、殴られてたね。

 

 最近じゃ俺も自重していて、エリスへのセクハラを控えている。

 精々、添い寝しながら、眠りに就くエリスの乳と尻を撫でるに留まっている。

 寝相の悪い彼女に蹴飛ばされて、頻繁に無意識の抵抗を受けちゃいるが。

 ちなみに俺は、自分から触るのは好きだが、触られるのは苦手な方だ。

 

 

「しかし驚いたな、ルーディア。お前は大成すると踏んでいたが、現時点でここまでとは。予想を大きく超えてきた」

 

「当たらない攻撃に意味などあるんでしょうか?」

 

「使いどころは確かに難しいが、俺達はチームだ。立ち回り次第では、命中させることも十分に可能だろう」

 

 

 ふむ、的を射た回答だ。

 大型の魔物相手ならば有効打にも成りそうだ。

 デッドエンドの前衛組のエリスとルイジェルドが足留めし、後衛の俺が砲台役。

 シンプルに強そうな布陣だな。

 力こそパワーとは、この事だ。

 

 とにかく疲れた。

 残存魔力にはまだ余裕はあるが、明日の出発に備えて宿に戻る。

 なんであれ俺は魔王に勝った、と言うよりは胸を借りて勝利を譲ってもらった形だが、結果としてはそう悪くない。

 

 運搬トカゲという移動手段も手に入れた。

 トータルで判断すれば、ロスタイムにはなっていまい。

 さて、先はまだまだ長い。

 魔大陸においては、最南端部に位置する港町ウェンポートを最終目的地に設定し、俺達デッドエンドは、被災者を捜索しつつ旅路を進むと決めた。

 

 

 

 

 リカリスの町を出て1週間ほど。

 ルイジェルドは髪を染める手間を惜しんで、頭髪を全て刈り上げた。

 ツルツルの見事なスキンヘッドである。

 最初に目にした時は、ギョッとしたものだが、不思議と彼には良く似合っている。

 強面の顔が更に強調され、どこぞのマフィアかって外見にはなったが。

 

 さて、そんなルイジェルドに護衛されて旅を続ける俺達の食料は、専ら大王陸亀(グレートトータス)とかいう恐ろしく不味い魔物の肉だ。

 焼いて調理して、味や食感は多少はマシになったが、ボレアス家で食べてきたメシと比較すれば雲泥の差。

 成長期の我が身にはツラいものがある。

 

 エリスは舌が馬鹿なのか、旨いと言いながら不満一つ漏らさずに食っている。

 胸もブラジャーが必要な程に膨らんできた彼女にとっては、都合の良い話だ。

 食って寝ておっぱいが大きくなる。

 年頃の娘としては正常なサイクルだな。

 

 俺の身について話しておこう。

 生理はまだ来とらんが、胸の先端が痛み始め、意識して見れば、乳房に成長の兆しが確認出来た。

 もう10歳を迎えて2ヶ月近く経つ。

 そういう時期が来たって事なんだろう……。

 

 最近行うようになったデッドエンド作戦会議の際にも、誠に勝手ながら議題に挙げさせてもらった。

 いやだって、不安だったし……。

 

 

「という訳なんです……。私のおっぱいが、徐々に膨らんできているようでして」

 

 

 エリスとルイジェルドに赤面しながらご報告。

 エリスはニマニマと笑みを顔に貼り付け、ルイジェルドは真顔かつ無言で聞く。

 

 

「いよいよルーディアも大人の女の仲間入りね」

 

「大人の女ですか?」

 

「お誕生日で会ったルーディアのお母さんって、巨乳だったわよね。なら、ルーディアも同じくらい大きくなるから自信持ちなさいよ!」

 

「いや、胸の成長に不安があるのは共通していますけど、貧乳を危惧しているわけではなくて……。逆に育ち過ぎる事に複雑な心境でありまして」

 

 

 これでもまだ、前世で男をやってきた期間の方が長いのだ。

 TS作品の醍醐味である性差の実感に困惑するという定番イベントに、俺はいま直面している。

 軽く捉えていたが、いざその時期を迎えると、重く沈んだ気持ちに陥らせられる。

 

 

「ルーディア。俺は女の悩みには疎いが、アドバイスしてやれるとしたらひとつだ。女でも力が有れば戦える。特にお前は魔術という武器があるだろう?」

 

「論点がズレてますよ、ルイジェルドさん」

 

 

 こと女の子特有の悩みに関しては、歴戦の戦士も頼りないですね。

 けどそこがルイジェルドの人間的魅力なのだろう。

 不器用で無骨だが、包容力の有る男。

 男が惚れる男の中の男って感じの人だ。

 

「む、そうか。俺も願っておこう。乳が豊かになると良いな?」

 

「いや、だからっ! あまり大きくなられると困るって話なんですがっ!」

 

「戦闘に支障が出ると不都合だろう。理屈は解る」

 

 

 ダメだ、この人。

 話が通じない。

 

 

「ルーディア! 成長痛が収まったら揉ませなさいっ! ボレアス家に居た頃は、私ばっかり揉まれて不公平だったものっ!」

 

「その節は大変申し訳ございませんでした! 何卒、ご勘弁願いませんでしょうか?」

 

 

 土下座して命乞い。

 果たしてエリスの反応は?

 

 仁王立ちで腕組み。

 

 

「そんなに揉んで欲しいの? 素直じゃないわね」

 

 

 俺は肉食獣に獲物として定められた──。

 

 

──

 

 

 被災者を捜索しつつ冒険者ギルドの有る街に立ち寄っては、冒険者稼業で路銀を得る日々。

 補足するとルイジェルドがスペルド族であると見抜いた者はゼロだ。

 髪も剃り上げたし、額の宝石も鉢金で隠している。

ちょっと鋭い目をしただけの普通の魔族の出来上がり。

 

 道中、エリスに魔神語を教えつつ、俺は俺で際限無く育つ乳房に葛藤の毎日。

 コンディションは最悪だ。

 

 ルイジェルドに戦士としての扱きを受け、それなりに戦闘技術を学んだ。

 エリスは剣神流上級の剣士だが、実際の実力的には剣聖相当だと、ルイジェルドは認定していた。

 

 そして俺は総合的に判断すれば聖級クラスらしい。

 元から水聖級魔術師だからね、ようやく戦闘能力に追い付いてきたってわけだ。

 

 近況はこんな具合。

 その後もデッドエンドの名を売りながら、南へと進路を取る。

 道中、魔大陸南部へ武者修行に訪れている武芸者が、ルイジェルドに果たし合いを挑むなんて場面も数多く見受けられた。

 

 三大剣術流派の聖級剣士に留まらず、世界でも数える程度しか認定者が存在しない北王が相手として名乗りを上げる出来事もあった。

 魔大陸には北神流・魔王派という門派があるようで、北神流の剣士が数多く訪れるようだ。

 

 下手をすればバーディガーディにも傷くらいなら付けられそうな達人。

 そんな剣士にも動じず、真っ向から受けて立ったルイジェルドは、北王を相手取り完勝を収めた。

 

 彼もこの短い旅で力を伸ばしたようだ。

 500年以上もの時を生きる彼が、一年足らずで急成長を遂げるとは──。

 守るべき子どもの存在は、ルイジェルドにとって群を抜いて重要な要素だと見る。

 

 やがて1年が経過し、Aランク冒険者となった。

 人間としても、女の子としても成長した俺は──。

 

 エリスとルイジェルドと共に、無事に魔大陸最南端の港町ウェンポートへとたどり着く。

 

 そして、バストのカップサイズは、11歳時点でCカップへと到達していた。

 ちなみにエリスは俺と同じCカップだ。

 尤も、同じカップ数でもトップとアンダーの差で区別される為、年齢的にも身長差的にも乳房の脂肪量自体はエリスの方が断然上なのだが──。

 

 別に大きさで争っているわけじゃない。

 ただこれだけは言いたい。

 俺のおっぱいは、紛うことなく母ゼニスの遺伝であると──。




第3章 少年期 冒険者入門編 - 終 -


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第4章 少年期 渡航編
29話 ウェンポート


──ロキシー視点──

 

 ロキシー・ミグルディアは愕然とする。

 目の前の光景は、あまりにも信じ難い現実を叩き付けてきた。

 

 かつてこの地にはブエナ村という安穏とした村が存在していた。

 しかし今はどうだ?

 かろうじて草原こそ広がっていたが、人も建物も欠片も残されてはいなかった。

 街道だってフィットア領に入った瞬間に途切れ、行き着く先はまっさらな土地。

 

 この仕打ちはあんまりだ。

 グレイラット家で過ごした夢のような日々は、自分の作り出した空想なのではないかと、記憶を疑ってしまう。

 

 あぁ……やはり。

 シーローン王国より旅立つ寸前に空に確認した異変が、何かしらの被害を及ぼしたのだろう。

 

 ブエナ村跡地には難民キャンプが形成されていた。

 災害後、王都アルスよりかき集め、ボレアス家次期当主ジェイムズが派遣した人員だ。

 

 慌ただしく動き回り、常に情報の発信・受信を行っている様子。

 自身も情報を入手し、整理しなければ。

 

 小一時間ほど掛けて、得た情報を自分の中でまとめ上げる。

 

 アスラ王国が出した結論としては、フィットア領で起きた災害の正体は大規模魔力災害だ。

 発生原因は不明。

 されど結果は一目瞭然。

 フィットア領が丸ごと消失し、そこで暮らしていた人々は世界中へと無作為に転移したのだ。

 

 掲示板が立てられている。

 『死亡者』そして『行方不明者』の項目に別れていた。

 すかさずグレイラット家の面々の名前を確認してみるが、ひとまず死亡者欄には記載は無い。

 

 一瞬の安堵の後に、気を引き締める。

 要するに安否不明という話なのだ。

 もしかすると死んでいても何ら不思議ではないのだ。

 

 続いて行方不明者の欄。

 そこには見知った名前と、見知らぬ名前のグレイラット姓の名前。

 

 ルーディア、ゼニス、リーリャは良く知る人物だ。

 ノルン、アイシャという名前の人物は、恐らくは自分がブエナ村を出た後に生まれた愛弟子の妹たち。

 ルーディアがボレアス家から送ってきてくれた手紙にも記されていた事を思い出す。

 

 ん?

 死亡者欄にも行方不明者欄にもパウロの名前が載っていないことに気づく。

 ふと、捜索団の責任者を確認する。

 

 フィットア領捜索団・団長:パウロ・グレイラット

 

 彼の名前があった。

 領主やボレアス家本家の人間を差し置いて、彼が全権を握っているらしい。

 ロアの街跡地には本部が設営されているようだ。

 その地に向かえば、少なくともパウロとの再会は叶いそうではある。

 

 そう判断し、ロキシーの足は自然と捜索団本部へと向いた。

 臨時の乗合い馬車も出ているので、出発にはそう手間取らなかった。

 

 

──

 

 

 6時間後に到着する。

 捜索団本部とは言っても、原っぱにテントが設営されているだけの簡素な造り。

 ブエナ村の難民キャンプよりは人気も多く、物資も潤沢であった。

 

 団長のパウロへの取り次ぎを『水王級魔術師ロキシー・ミグルディア』の名前を出して団員に頼む込む。

 すると数分もせずに面会が許可された。

 どうやらパウロは、自身の接触を予見していたようで、部下たちにも通すように伝えていたようだ。

 

 そして団員の引率でテントへ踏み込む。

 そこには髪や髭を伸ばし放題にして、かつての快活な青年の面影など見る影もないパウロその人の姿があった。

 

 

「パウロさん……ですよね?」

 

「あぁ、オレはパウロだ……。ロキシーちゃん、来てくれたんだな……」

 

「はい……。グレイラット家の皆さんにはお世話になりましたから。早速ですが、本題に入らせて下さい。捜索状況を確認したいのですが──」

 

 

 パウロの顔は亡者をも連想させる。

 そんな男から悲報などは聞きたくはないが……。

 

 

「オレの家族は誰も見つけられてない。ロアの街で目の前に居たってのにっ……! 誰も救えなかったっ……! ルディだって手の届く範囲に居た筈なのにだっ……!」

 

「お、落ち着いてっ……」

 

 

 慟哭しながら懺悔するように胸中を吐露するパウロの姿にロキシーは当惑する。

 

 

「すまん、取り乱した…」

 

「いえ、お気になさらずに……。わたしも動揺していますので……」

 

「あぁ、話を続けるよ。オレは今、ボレアス家次期当主ジェイムズより、捜索団の活動の全権を任されている。オレの家族を捜したいと、頭を下げたら快く譲ってくれたよ」

 

 

 平常心を取り戻した彼は淡々と話す。

 ただ事実のみを正確に伝えた。

 

 パウロ・グレイラットは、フィットア領主サウロスからの覚えが良い事と、剣王の肩書きを買われて、ジェイムズより捜索団を託されたとのこと。

 

 現時点では、国外だと中央大陸北部の魔法三大国や南部北方の紛争地帯から領民を救出・保護済み。

 近く、ベガリット大陸やミリス大陸にも捜索の手を伸ばすのだとか。

 

 ミリス神聖国からも、魔大陸より保護・移送されて来た領民の報告が寄せられているらしい。

 但し、その中にはパウロの家族の名前は一切無い。

 ゼニスの実家ラトレイア家にも確認を取ろうと試みたが、門前払いをくらった。

 

 

「一定数の救えた奴らは居るさ。だが、オレの家族だけは依然として見つからねぇんだ」

 

「それは……」

 

「でも捜すしかないと思ってる。ロキシーちゃん、頼みがあるんだ」

 

「聞きましょう、わたしに出来ることであれば、喜んでご助力いたします!」

 

 

 愛弟子の為ならば何でもする覚悟だ。

 故郷に残してきた両親と同等以上に大切な人なのだから。

 

 

「領民の中には奴隷の身に落ちた人々も居る。金で解決出来ればそれに越した事はない。だが、捜索団は圧倒的に資金不足だ。だから……奴隷を囲ってる奴を、ぶっ殺してでも、領民を解放したい」

 

 

 実際には既に、パウロは殺人行為にも及んでいる。

 力ずくで奴隷となった被災者を救出し、各国の権力者から恨みを買っている。

 

 

「ロキシーちゃんにそういう連中を殺せとは言わない。だけど、報復しに来る奴らから団員達を守ってやって欲しい」

 

 

 その頼みは、結果として殺人に手を染める事になるだろう。

 刺客をみすみす見逃して帰すわけにもいくまい。

 捕縛までをロキシーが行い、その後捜索団の方で処理(殺害)するであろう事は、考えるまでもない。

 

 

「お引き受けします。ルディを始め、ゼニスさんやリーリャさんの為ですから」

 

「あ、あぁ……ありがとう。久し振りに馴染みの顔に会えて良かった……」

 

「ずっとお一人で頑張ってらしたんですね……」

 

「望んだ成果は出ねぇけどな……?」

 

 

 自嘲してひとりでに落ち込むパウロ。

 しかし、新たなに決意を固めた顔をする。

 

 

「近い内にオレの昔の冒険者仲間が手を貸してくれる手筈だ。もしかしたら既に動き出してる奴も居るかもしれん」

 

「『黒狼の牙』でしたか? わたしもその勇名を聞き及んでいます」

 

「あぁ。中でもギレーヌは最も強い。アイツと連絡が取れねぇのが惜しいことだがな」

 

 

 ギレーヌの実力なら死ぬことはないだろうと口からこぼし、信頼を寄せているのだと知れる。

 領主サウロスも簡単に死ぬタマではないとも語った。

 ゆえに心配など一切しないのだとか。

 

 

「協力に感謝する、ロキシーちゃん。ルディと再会した日にゃあ、アイツを抱き締めてやってくれ」

 

「それは父親である貴方の役目では? わたしはパウロさんとゼニスさんの後で構いませんよ」

 

「そう……だな?」

 

 

 ルーディアはきっと師である自分よりも、両親との再会を第一に喜ぶだろう。

 自分はでしゃばらずに一歩引いた立場に居ようと心に決める。

 

 しかし……。

 パウロの纏う雰囲気が数年前とは様変わりしている。

 風の噂で剣王に成ったとは耳にしたが、別の要因も想像してしまう。

 彼は転移事件とは別に壮絶な体験をしたのではと、疑問も抱く。

 

 

「転移事件後に、何かあったのですか……?」

 

 

 恐る恐る問い質す。

 

 

「あぁ……。この災害を引き起こしたであろう男と遭遇した。銀髪で鋭い目をした男だった。もしかしたら七大列強に名を連ねる様な存在かもしれん」

 

「となると──」

 

 七大列強の名を挙げていく。

 

・序列一位:技神

・序列二位:龍神

・序列三位:闘神

・序列四位:魔神

・序列五位:死神

・序列六位:剣神

・序列七位:北神

 

 

 この内、剣神は下手人の候補からは外れる。

 何せパウロも良く知る顔だ。

 剣王の認定試験も剣神が見てくれた。

 

 北神も違うだろう。

 代替わりしてまだ若い青年だと聞く。

 

 魔神はかの有名なラプラス。

 封印されて久しい。

 

 闘神は長らく行方知れず。

 技神も同じく。

 

 残る候補は龍神と死神。

 死神ランドルフと言えば、不死魔族の混血で、王竜王国で飲食店を営んでいる。

 

 となれば消去法で一択。

 パウロ・グレイラットとフィットア領を襲った者の名は龍神だろう。

 

 

「──龍神がこの災害を引き起こした張本人というわけですか。にわかには信じ難いことですが」

 

「突拍子の無い話かもしれん。しかし、いざ目の前にすれば、疑う要素しか無い様な奴だった」

 

「龍神と戦ったのですか?」

 

「手も足も出なかった……。奴が本当に龍神だというのなら、剣神の話していたオルステッドという名の男だ」

 

「龍神オルステッド──。100年前に突然、世界に現れた人物でしたか? シーローン王国宮廷の書庫に収められた書籍にも、彼の記述が僅かにありました。他の皆さんにも注意喚起しないとですね」

 

「団員達には既に報せた。ロキシーちゃんも遭遇したら、逃げることだけを考えるんだ。剣王であるオレですら、一方的に叩きのめされちまったよ。お陰で……更なる力を得たがな」

 

 

 怪我の功名といつやつだろう。

 龍神オルステッドより、その身に受けた神の業の数々は、今もなお、パウロの心身に染み付いている。

 あの戦闘以降、感覚を忘れぬように鍛練を続けてきたのだ。

 正式な認可は受ける暇も無かったが、既に剣帝の領域に在る。

 

 それに……過去に手解きを受けた相手の剣神ですら、今のパウロには然ほどの脅威とも思えない。

 剣神と剣帝の中間程度の実力を保有すると、彼自身は判断を下す。

 

 

「龍神オルステッド……。スペルド族よりも凶悪な存在ですね……」

 

 

 まだ見ぬ脅威に背筋に悪寒を感じるロキシー。

 彼の者と比べれば、スペルド族など、まだ友好を結ぶ余地は十分にあるだろう。

 

 かくしてロキシー・ミグルディアは、フィットア領捜索団の用心棒として入団した──。

 龍神オルステッドの脅威に備えるのだった。

 

 

 

 

──ルーディア視点──

 

 

 ウェンポートは魔大陸唯一の港町。

 交易品は主にこの地からもたらされ、交易商人から行商人に物は売られ、魔大陸全土に広がってゆく。

 

 そんな話をルイジェルドから聞き、この世界の海上の交易路は極めて限定的だな? と思った。

 海族という種族が一部の海を除いて、ほぼ全ての海域を支配しているとのことだ。

 

 さて、バーディガーディから賜った運搬トカゲの背に乗り、ウェンポートの町を進む。

 やがて埠頭近くに到達し、近くに浜辺があったので海を眺める事にした。

 

 どうやら彼女は海を見るのは初めてのようだ。

 フィットア領は内陸部に位置していたし、転移先の魔大陸でも内陸部のルートを主に南下したからな。

 見る機会なんてこれまで1度として無かった。

 

 まぁ、俺も転生してからなら初めて目にするんだが、さほど感動する要素は感じられない。

 ただ懐かしくはある。

 

 運搬トカゲから飛び降りて、波打ち際に立つ。

 素足で感じる海水の感覚は、はるか昔に忘れた思い出を取り戻させる。

 

 生前、ガキの頃は祖父母と両親、兄弟の家族全員で海水浴にも行ったっけな。

 あんまし泳ぐのは得意ではなかったが。

 

 

「まずは宿を決めるべきではないのか? 普段のルーディアならば、率先して探していた筈だが」

 

「すみません、年甲斐もなく、はしゃいでしまいました!」

 

 

 感動する要素が無いというのは嘘だ。

 エリスとバシャバシャと水をかけ合いながら遊ぶ。

 お互いの衣服が海水に濡れて、年の割に豊満な胸部が主張を強める。

 

 

「浅瀬に留めておけ。この海には魔物が出る」

 

「マジすか?」

 

「あぁ、マジだ。陸ならともかく、海中では俺でも(おく)れを取る」

 

 

 う、……。

 急に思い出の海は、死の海へと印象を一変させた。

 

 

「エリス、宿を確保しに行きましょう」

 

「えー? 楽しいのに……。でもルーディアがそう言うのなら仕方がないわね」

 

 

 聞き分けの良い子で助かる。

 ここ最近のエリスは、やたら俺の指示に従ってくれる。

 姉妹の立場が逆転して、こっちとしても御し易い。

 

 

「ルーディア! 服が身体に張り付いてエッチな格好ね!」

 

「エリスもですよ。ほら、殿方(ルイジェルドさん)の目があるんです。乾かしてあげます」

 

 

 海水を含んでいるから宿に到着したら洗濯しねぇと。

 ちなみにデッドエンド内での洗濯当番は俺とエリスとで回している。

 乙女の下着を、いかに紳士的な男ルイジェルドであっても触れさせるのは気が引ける。

 

 余談だが、洗濯の際に俺はエリスの下着の匂いを嗅いだりはしない。

 一線を越えるつもりはないのだ。

 しかし逆はどうか?

 目撃したんだよ、エリスが俺のショーツを鼻に当てて深呼吸をしていた瞬間を。

 

 さすがにロキシーのように自慰まではしていない。

 そういう知識に疎いおぼこい娘なのだろう。

 まっ、現状は止めるつもりはないさ。

 エリスにもストレス発散の捌け口が必要だしな。

 

 火魔術と風魔術の混合魔術で熱風を生み出し、瞬く間に着衣は乾燥する。

 ただこのやり方は生地を傷めるので、極力避けたいところではある。

 

 

──

 

 

 宿で宿泊手続きを行い、運搬トカゲを馬屋に預ける。

 本日の予定は、ずばり、ミリス大陸への渡航費及び通貨の確認と装備の更新。

 装備の更新つっても、主に消耗品の入れ替えなどだ。

 

 物持ちが良いのか、俺の杖も、エリスに与えた剣も劣化は見られない。

 劣化知らずと言えば、5歳の誕生日にパウロから贈られた髪紐だな。

 魔力を通している間は、劣化を停滞させる効果を持つ魔道具である。

 

 これを常に身に付け、父パウロの存在を実感するのだ。

 彼はいま何処で何をしているのだろうか。

 無事だといいが……。

 一年以上、音沙汰の無いヒトガミの話じゃ、生きてはいるらしい。

 悪い奴にギタンギタンにされたのだとか。

 

 

「その髪紐、随分と大切にしているな?」

 

「父からの贈り物なんです……」

 

「そうか、道理でな」

 

 

 しんみりとした空気。

 ルイジェルドもかつては息子が居た筈だ。

 贈り物のひとつやふたつ、親として贈ったのだろう。

 

 

「お前の父親はどんな人物だ?」

 

「そういえば詳しく話したこと、ありませんでしたね。一言で言えば、横着な性格ですけど家族想いの父親です」

 

「それは素晴らしいことだ。家族は大切にするものだ。生きているのなら、尚更にな」

 

 

 貴方が発言すると重いのですが……。

 ラプラスに洗脳され、家族をその手で殺めてしまった彼は、子の姿を俺に重ねて頭を撫でてきた。

 かなり前にも似たような事があったかもしれない。

 子ども扱いされているようだが、彼を慰める為に受け入れてやろう。

 

 

「あ、ズルい! 私もルーディアの頭を撫でるわよ!」

 

 

 負けじとエリスも俺の頭に手を乗せて、しこたまスリスリと撫でる。

 こんなところで負けん気を発揮しなさんなよ?

 

 その後、必要最低限の荷物だけを持って宿より外出する。

 

 

──

 

 

 まずは冒険者ギルドに向かう。

 人混みを掻き分ける様に歩く。

 途中、何度もはぐれそうになるが、ルイジェルドが見かねて肩車してくれた。

 エリスはそれを羨ましがっている。

 ただし、自分が肩車されたいのではなく、俺を肩に乗せたいと喚いていた。

 

 視点の高くなった俺は景色を堪能する。

 人混みの中には、やたらと目立つ金髪の長耳族(エルフ)のねーちゃんの姿。

 ブエナ村の幼馴染みであるシルフィに良く似た顔立ちだが、種族柄なのか酷似してしまうのだろう。

 

 会話を盗み聞きする。

 彼女はエリナリーゼと呼ばれていた。

 傍らに居る横幅の広い寸胴の男の種族は、炭鉱族(ドワーフ)とお見受けする。

 名をタルハンドと言うらしい。

 

 両種族ともミリス大陸の大森林と呼ばれる土地と、その周辺に暮らす少数種族だ。

 なぜ魔大陸に?

 ひょっとしたら彼らの知り合いがフィットア領に居て被災し、その捜索にでも訪れたのかもしれない。

 

 そんな他人の事情の詮索をほど程にして、冒険者ギルドへと到着した。

 ミリス大陸への玄関口に通ずる魔大陸の出口とあってか、人族の姿も多い。

 

 当然ながら、魔大陸とミリス大陸間の通貨のレート表も掲示されている。

 品目毎の物価表も並べて掲示してあり、物によってはミリス大陸に渡ってから調達した方が安上がりで済みそうだ。

 主に食料となると魔大陸は高くつくのだ。

 

 

「物価や相場は把握出来ました。後は船の便の確認をして、買い出しに行きましょう」

 

「相変わらず手際が良いのだな。この旅ではルーディアに助けられてばかりだ」

 

「いえいえ、助けられているのは私たちの方ですよ。ルイジェルドさんの力が無ければ、私とエリスはとっくに魔物の胃袋の中でしたよ」

 

「役に立てたのなら光栄だ。この一年、お前達と過ごした時間は俺にとっては何物にも代え難い宝だ」

 

 

 あらら、ルイジェルドの兄貴も臭い台詞を吐くのね?

 でも素直に嬉しい。

 強固な信頼関係を築けた証だろう。

 

 彼にとっても常識を塗り替えられる出来事は山ほど有った筈だ。

 悪党を目にすると殺しかねない凶暴性は、今や微塵も存在しない。

 争い事が起きようとも、まずは俺に相談するようになってくれた。

 

 エリスは所構わず、見知らぬ相手と殴り合いの喧嘩に発展してしまうがね。

 エリスの方が、よっぽど狂犬染みている。

 

 そんな会話をしていると、周囲の冒険者のひそひそ話が耳に入る。

 俺らの風貌から、新進気鋭のAランクパーティー『デッドエンド』であると、正体を導き出したらしい。

 

 実はスペルド族のルイジェルドは子ども好きの良いヤツ。

 だなんて噂も良い塩梅に流れているようだ。

 狙い通りである。

 二つ名なんて物もあるようだ。

 

 

 『狂犬のエリス』と『番犬のルイジェルド』だそうだ。

 あれ、俺は?

 耳を澄ませていると仔犬(こいぬ)のルーディア』なんて聴こえてきた。

 可愛らしいが弱っちそうな響きだな、おい。

 

 さて、船の件だが、冒険者ギルドの職員によると、管轄外らしい。

 国境を跨ぐ為なのか、詳しくは関所で問い合わせる様にと言われた。

 

 

──

 

 

 言われた通りに関所へ赴き、運行スケジュールと渡航費を問い合わせてみたが──。

 ここで大きな問題が発生した。

 スペルド族の乗船料が、人族の400倍もの料金に設定されていたのだ。

 

 お金が圧倒的に足りない……。

 

 悩みながらも買い出しだけ済ませて、宿で食事にしゃれこむ。

 皆さん、意気消沈です。

 

 

「すまん、俺のせいで足止めをくらったな」

 

「いえ、気に病まないで下さい。どのみち貴方が居なければ、ここまでたどり着けませんでした」

 

「そうよ、ルイジェルド! 誰もあんたに文句なんてつけないわっ!」

 

 

 恨み言は皆無。

 当然だ。

 ルイジェルドは俺とエリスにとって命の恩人であり、兄貴分なのだから。

 

 問題は渡航費用をどのようにして稼ぐかだが……。

 まともに冒険者として稼ごうと思ったら、軽く一年以上もの時間が掛かる。

 他に手が無ければ、最悪、その選択をする事も視野に入れてあるんだけどな……。

 

 

「ひとつ提案があります! 変な話、私の下着を売れば幾らかの金銭になるかと!」

 

 

 ブルセラショップ的な発想だ。

 美少女の身に付けていたパンツならば、変態の紳士方にも需要はあるだろう。

 ゼニス譲りの美貌と、この頃、胸の膨らみが傍目にも分かるようになった超絶美少女ルディちゃんのパンツともなれば、末端価格はアスラ金貨換算で1~2枚は下らない。

 ブラジャーもセットにすれば、もうちょっと価値は高まるだろうよ。

 

 かの有名なアスラ王国第二王女アリエル殿下のパンツも、裏で横流しの被害に遭っているらしく、金貨2枚で取り引きされていると小耳に挟んだ事がある。

 ロイヤルパンツと同等の価値が、俺のパンツにも有ると踏んでいる。

 

 

「却下だ。お前の父親が泣くぞ?」

 

「私も反対よっ! ルーディアの下着を他人にあげるなんて考えられないわっ!」

 

 

 ルディちゃん()の下着は私の物!

 って言いたげなエリス。

 指摘はすまい。

 

 だが1年間もの期間を依頼をこなして金を稼ぐか、下着を売って一攫千金か。

 どちらかを選べと問われれば、後者の方が効率的ではある。

 2人は納得しないご様子だけどな。

 

 

「では別の手を考えましょう。迷宮に潜ってお宝獲得! というのはリスクが高そうなんで没。でしたら密輸人を探すのがベストかと」

 

「密輸人とはなんだ?」

 

 

 ルイジェルドの問いに簡潔な説明をしてやる。

 高い関税を避ける為に、税関の目を潜り抜ける裏業者が存在するのだと伝える。

 今回の場合、多少の悪事ならば彼も大目に見てくれることだろう。

 

 でも肝心の密輸人のツテが俺には無いのだ。

 問題を解決出来ずに、その日の晩を迎える。

 

 

──

 

 

 どうやら一年越しに人神(ヒトガミ)様とご対面らしい。

 また真っ白い空間に呼び出されちまったよ。

 あの薄気味悪いマネキン野郎が目の前で身体くねらせていた。

 

 

 やい、てめぇ。

 よくも顔を出せたもんだな?

 パウロの件、聞きそびれた事があるから、さっさと教えろよ。

 

 

「ごめん、いまはもうパウロの姿を見れないんだ。波長が合わなくてねぇ」

 

 

 ちっ、そうかよ。

 で、一年も連絡も無しに、今さら何の用だ?

 

 

「まぁまぁ、そう急かさないでよ。少しくらい世間話でもしないかい?」

 

 

 世間話ねぇ。

 お前のような世間知らずに話すことなんてあるのかよ。

 

 

「あるさ。例えば君、バーディガーディと戦ったでしょう? 凄い人物と知り合ったものだね」

 

 

 あんたが助言をくれてれば、あんなおっかない思いをせずに済んだんだ。

 どうしてあの件について教えてくれなかった?

 

 

「見ていて楽しいから? なんてね」

 

 

 趣味の悪い奴だよ、お前は。

 

 

 コイツに振り回されてたってわけか。

 何でもお見通しですって面しやがって。

 その割には波長がどうとか、見えない相手が居るとか、ほざきやがる。

 

 

「ちなみにバーディガーディの事はちゃんと見えてたよ。彼は魔眼が通じない体質らしいけど、ボクの目を以てすれば訳ないよ」

 

 

 神としての権能ってやつかよ。

 てか、魔眼ってなんだ?

 

 

「特殊な能力の宿った眼さ。時々、生まれ持った者が現れるんだよ。君も欲しいかい?」

 

 

 どうだろうな?

 あれば便利だろうけど、血眼になって欲しがるもんでもない。

 

 

「ふうん? 欲の無い子だね。まぁいいさ。そんなルーディアに、取って置きの助言があってね」

 

 

 取って置きって、俺の為になることかよ?

 

 

「なるよ、なる。ルイジェルドの渡航費の事で悩んでいるみたいだから、解決策を提示しようかなって」

 

 

 そりゃ大助かりだが、そう上手く事が運ぶかねぇ。

 

 

「そこは信頼と実績のボクじゃないか。じゃあ、聞き漏らしの無いように集中して」

 

 

 ハイハイ、分かりましたよぉ。

 信頼はともかくも、実績については認めてやるよ。

 ルイジェルドとの仲を取り持ってくれたんだしな。

 

 

「露店で食料を買い込みなさい。そして一人で裏路地へと入るのです」

 

 

 んー?

 なんだよ、それ。

 腹を空かせた権力者の縁者でも居るのかよ?

 例えばバーディガーディの腹を空かせた婚約者とかな。

 名前は……結構前の話だから曖昧だが、キシリカなんたら?

 

 

「ほう、驚いた。ご明察だよ。そのキシリカキシリスが君たちの助けとなる人物なんだよ」

 

 

 当てずっぽうだが正解らしい。

 あのバーディ陛下の婚約者ともなれば、さぞご立派なお方なのだろう。

 もしかして決闘とかまた挑まれんよな……。

 今度こそ死ぬ気がする。

 痛いのは勘弁してくれ。

 

 

「まぁ、そこまで理解しているのなら、話は早いよね。大丈夫、死ぬことは無いからさ」

 

 

 死ななければ良いって話じゃないだろうに。

 お前は無責任だぜ。

 

「無責任だなんてヒドイなぁ。ボクの頑張りを褒めてくれたって構わないんだよ」

 

 

 だったらもうちっとスマートでストレートな助言をくれや。

 

 

「とにかく、今度も頑張りなよ。君には期待しているからね」

 

 

 あんたの期待に応えるつもりは無いよ。

 でも精々、お前の助言を利用させてもらうさ。

 

 

「そうだね、好きなだけ利用してくれよ。ボクも()()するから」

 

 

 少々気になる一言だったが、明日の事だけを考えよう。

 そうしてヒトガミの姿は消え、俺の意識も通常の睡眠へと切り替わった──。

 




原作書籍23巻を読む限りでは、バーディガーディにもヒトガミの未来視あるいは遠視が通じる模様です。


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30話 魔界大帝キシリカキシリスと予見眼

 目覚めると朝。

 まだ空が白んでいる。

 寝相の悪いエリスはベッドから転げ落ち、彼女に抱き枕にされていた俺も道連れで床に転がっていた。

 落下の際、よくもまぁ目覚めなかったものだ。

 

 ルイジェルドは壁に背をつけ、胡座をかいて眠っている。

 あ、俺がジロジロと見ていたら目を開いた。

 

 

「おはようございます、ルイジェルドさん」

 

「あぁ、目覚めが早いのだな」

 

「夢見が悪くて……」

 

 

 ヒトガミなんていう生物学的な分類も定かでは無い奴に一方的に押し掛けられたんだ。

 あまり気持ちの良いものではない。

 

 

「睡眠は必要だ。特に成長期のお前にはな」

 

「頭では分かっちゃいるんですけどねぇ」

 

「今日はどうする? 密輸人のアテが無いのなら、俺も探すが?」

 

「今日は自由行動という事にしましょう。エリスに特訓でもつけてあげて下さい」

 

「心得た。子細は任せる」

 

 

 彼も理解したようだ。

 俺に任せれば、物事がスムーズに運ぶと。

 今回の件に関しては、ヒトガミの吹き込んだアドバイスに従うだけなんだけどな。

 くそ、信頼を裏切るようで心苦しいぜ。

 

 そんなわけでふて寝。

 外が明るくなるまで二度寝だ。

 ルイジェルドも再び眼を閉じて眠る。

 

──

 

 

 日が上り、小鳥のさえずりも聞こえ始めた頃。

 宿を出た俺は、露店が開くまでの時間をブラつく事にした。

 エリスとルイジェルドは浜辺で模擬戦闘を行うそうだ。

 

 ふむ、俺が提案した事だが、デートのようで嫉妬してしまう。

 後でエリスに可愛がってもらおう。

 こちらから甘えれば、お姉ちゃんもイチコロである。

 

 そんな浅ましい考えに耽っていると、俺の宿泊先とは別の宿から、女性の喘ぎ声が盛大に響いていた。

 こんな朝っぱらから盛る輩がいるらしい。

 まったくけしからんな。

 

 こちとら禁欲的生活を送っているというのに。

 女の身に生まれてから自慰行為すらした事の無い俺は、恨み節で『バカタレ』と呟く。

 

 そんな不貞を働く連中を思考から排除し、市場の方へと足を運んだ。

 店を出す準備に精を出す商人たち。

 露店も組み立てられ、調理が開始されるのを待つ。

 そう言えば小腹が空いた。

 宿を出る前に朝食を摂ったが、育ち盛りのこの身体には不足気味。

 

 どれ、串焼きでも戴こう。

 ルイジェルドの渡航費は捻出出来ずとも、買食いするくらいの小金は所持している。

 

 財布の中身の金額が記憶と一致するか(あらた)めて、購入分とぴったしの硬貨を手に握り、露店で衝動買い。

 

 港町だけあって海産物を中心とした串焼きだ。

 ひと齧り目で美味と確信。

 3本ほど買っていたが、ものの数分で平らげてしまった。

 摂取した栄養は、全て胸に吸収されそうだ。

 

 この味ならきっと魔界大帝キシリカキシリスとやらの舌を満足させ空腹も解消出来るだろう。

 何かしらの褒美を得られそうだ。

 同じ店で20本ほど買い足し、機嫌の良い店主に丁寧に包んでもらう。

 

 早速、裏路地へと足を運ぶ。

 今朝、女性の喘ぎ声の響いていた道も通る。

 まだ盛ってやがった。

 

 窓辺から顔を出す金髪のねーちゃんと目が合う。

 縦ロールの巻き髪が特徴的。

 てか、昨日見かけた長耳族(エルフ)の女性だ。

 一瞬、彼女が俺の顔をマジマジと見詰めたかと思えば、驚いた表情で口を押さえた。

 

 なんだ?

 俺が生き別れの知り合いにでも似てたのかい?

 直後、背後から情事の相手である男が女性を揺さぶると、恍惚とした表情で俺の事など置き去りにして、部屋の中へと引っ込んだ。

 なんだったんだよ、あの人……。

 

『ゼニスの娘ですわっ! あぁーんっ!』とか嬌声混じりに聞こえたような、聞こえなかったような……。

 あの手の人間には関わらないでおくのが吉である。

 

 

──

 

 

 路地裏をさ迷うこと数分。

 件の人物らしき人影を発見する。

 ボロ布に身を包み、ハエの(たか)る不衛生極まりない小柄な身体。

 バーディガーディの婚約者というから、豊満な肉体の女性かと思い込んでいたが、ところがどっこい、幼女サイズではないか!

 

 道行く人に物乞いをしては蹴り飛ばされて哀れなものだ。

 人違いか?

 いや、物は試しだ。

 意を決して声を掛けてみる。

 

 

「失礼、貴女様が魔界大帝キシリカキシリス陛下であらせられますか!」

 

「む……なんじゃ、お主! 食い物を持っておるではないかっ! 妾にくれっ!」

 

 

 手に持っていた串焼きの包みを引ったくられる。

 フードを深く被っているので顔は見えないが、声は幼女らしく高く可愛らしい。

 どこかアホっぽさが滲み出ているが、愛嬌の内だろう。

 

 あっという間に完食すると、ボロ布を脱ぎ去り、中身がお目見え。

 やたら露出の多い黒のレザー系ファッション。

 若い女の子がするような格好ではない。

 端的に言えば、はしたない。

 幼女だから許されるといったところか。

 

 紫髪の頭部の両側には山羊を思わせる角が生えている。

 とりあえず魔族であることは確定だな。

 

 

「礼を言うぞ! お主、名を何と申すっ!」

 

「ルーディア・グレイラットです。貴女の事は、バーディ様より聞き及んでおります」

 

「なんとっ! バーディの知己であったかっ! よし、ルーディアよ! 褒美を取らせようっ! ファーハハハハ!」

 

 

 彼女がバーディガーディの知人であることは証明出来た。

 やはり魔界大帝キシリカキシリス本人らしい。

 話もトントン拍子で進む。

 

 

「ん、んんー! なんじゃ、お主。物凄い魔力総量じゃのう! ラプラスのヤツ以上だな」

 

「は、はぁ……ラプラスですか?」

 

「ラプラスのヤツには辛酸を舐めさせられたのでな。あまり良い印象を持っとらんが、バーディの紹介なら相応の扱いをしよう! お主がラプラス本人というわけでもあるまいしな」

 

 

 この幼女大帝、魔神ラプラスとの交戦歴があるらしい。

 左右で色彩の違う瞳で、俺の顔を凝視しては『気持ち悪いのう』と悪口を吐いてきた。

 この可憐なルディちゃんを捕まえておいて、気持ち悪いとはなんだっ!

 

 

「お主、奇っ怪な体質をしておるのう。肉体と魂の不一致が激しいぞ! 男のような魂が、女の身に宿っておるようじゃ! 真実は妾も知らんがなっ!」

 

「お、おう……?」

 

 

 もしや魔眼持ち?

 魔界大帝の保有する魔眼というのは、魂まで識別可能なのか?

 曖昧にしか言わなかったことからすると、割と精度の低い魔眼なのかもしれない。

 

 人生で始めてだよ。

 魂と肉体の不一致を指摘されるのは。

 

 

「まぁ、魔族の中にはそもそも性別など存在せん者も居るし、逆に両性具有の種族も居る。お主が別段珍しいということもないのう!」

 

「はぁ、左様ですか」

 

 

 魔族というのは多種多様だな。

 今の話からすると、スペルド族のルイジェルドは標準的な種族にも思える。

 戦闘力はやたらと高いが。

 

 

「おっと! 褒美の話をせんとな! 何か望みはあるのかのう?」

 

「うーん、お金とか? いま私は、とある事情でお金に困っていまして。陛下の懐から幾らかの謝礼をと」

 

「生憎と妾も()(かん)(ぴん)じゃ」

 

 

 ヒトガミの奴、嘘こきやがったな?

 ルイジェルドの渡航費問題が解決するなんて風に言ってやがったのに。

 じゃあ、切り口を変えてみるか。

 

 

「では世界の半分を下さい」

 

「うん? 世界征服でも目論んでおるのか。その割には半分とは謙虚じゃのう」

 

「過ぎたる物は身を滅ぼしますからね」

 

「すまんのう。妾も世界を獲ったことは無いんじゃ! 褒美として与えるのは無理じゃのう。過去、ラプラスのヤツは魔大陸を平定しておったがな。妾のお株は若手イケメンに奪われてしまった!」

 

 

 魔大陸では表向きじゃ、魔神ラプラスこそが魔族にとっての大英雄だ。

 なにせ第二次人魔大戦後の奴隷扱いである魔族を鍛え上げて、一定の地位に押し上げた立役者なのだから。

 ルイジェルドにした悪辣の行為は断じて許せんけどな。

 

 

「では究極のパワーを望みます」

 

「それもちっと無理じゃな。妾の知る最強の人族と言えば、第二次人魔大戦後期に突如として現れた黄金騎士アルデバラン。あのレベルとなると不可能だっ!」

 

「黄金騎士アルデバランですか? おとぎ話の人物ですけど、実在したんですか?」

 

「実在しておったとはハッキリとは言えん複雑な事情がある。しかし、()()()を装着した人族は、妾の当時の配下を瞬殺する程じゃったぞ! 1万の兵力も単騎で潰しおった。それこそ過ぎたる力。お主が望むべきものではないな」

 

 

 黄金騎士のモデルとなった人物は存在するらしい。

 英国のアーサー王みたいなものだ。

 

 

「まぁ、どうしても望むというのなら、その究極のパワーの隠し場所を教えてやらん事も無い。特殊な鎧ゆえに、装着すれば絶大な力と引き換えにまず死ぬがな! ファーハハハハ!」

 

「いや、要らないですよ。そんな恐ろしいの」

 

 

 魔神ラプラスがスペルド族に押し付けた呪いの槍のようなアイテムか?

 一時の力の為に破滅すると知っていて欲しがるわけがない。

 

 となると、この幼女大帝にどう俺の悩みを解決してもらえばいいのやら。

 ヒトガミの言葉に素直に従った自分が憎々しい。

 ガキじゃないんだ。

 もう少し自分の頭を捻るべきだったよ。

 

 

「はぁ……。キシリカ様、貴女には何が出来るのですか? いっそ貴女の身体を戴きましょうか?」

 

「なんじゃお主、同性でもイケるクチかのう? 妾は別に構わんぞ」

 

「え、本気ですか?」

 

 

 見た目7~8歳の幼女の身体を凌辱する権利を得てしまった。

 いや、俺にはエリスが居るのだ。

 浮気はいかんよ。

 パウロじゃあるまいし。

 

 

「どれ、場所を変えるのも面倒じゃしな。ここで済ませよう」

 

「ゴクリッ……」

 

 

 お、おぉ!

 幼女のストリップショーが開幕する。

 ホットパンツに手を掛けたキシリカの様子を見守る。

 欲望が理性に打ち勝った瞬間だ。

 

 

「ほれ、お主も脱げ。妾にだけ恥ずかしい思いをさせるでないわ」

 

「は、はい!」

 

 

 俺も脱ぐのか?

 

 

「なんじゃい、生娘か! 女同士の睦事は心得ておろうな?」

 

「はい! エロゲーで予習しております!」

 

「えろげーとな? よくわからんっ!」

 

 

 と、言いつつ足首辺りまでホットパンツは下げられ、黒いショーツが露となった。

 もう一枚脱げば、そこには桃源郷が──。

 

 

「おっといかん! 此度は婚約者のバーディが居ったな。すまんが、お主に処女はやれん」

 

「あ、はい。ですよね……」

 

 

 ホットパンツを履き直し、ストリップショーは中断される。

 何を落胆しているのだ、俺は。

 

 

「代わりと言っては何じゃが、この魔界大帝キシリカキシリスより魔眼を()()してやろうではないか」

 

「え、そんな物をくれるんですか!?」

 

 

 棚からぼた餅である。

 違うか、当初の問題は解決しちゃいないんだから。

 だがこの際だ。

 貰えるものは受け取っておこう。

 

 

「妾のイチオシの魔眼をくれてやろう。予見眼と言ってな。魔力を込めると少し先の未来が見通せる」

 

「そりゃスゴいですね!」

 

「あまり先の未来を見ようとすれば、負荷で脳ミソが弾け飛ぶから気をつけよ」

 

「なにそれ、超怖いっ!」

 

 

 なんつーもんを押し付けようとしやがる!

 けど使い方次第か?

 負荷にならないラインを見極めれば、非常に有用な能力だ。

 剣士相手を不得手とする俺の弱点を補うにはうってつけだな。

 

 

「与えるに際して苦痛を伴うが、短時間じゃし良いな?」

 

「力を得る代償としては軽いものですよ」

 

「よう言った! さすがはバーディの友じゃな! ファーハハハハ! ゴホッ……ゲハッ……!」

 

 

 高笑いの後に咳き込むアホな幼女大帝。

 さて、苦痛の程はいかに?

 

 

「よし、屈め。30秒も掛からんぞ」

 

 

 言われるがままに膝を曲げて、キシリカの目線に合わせる。

 すると、おもむろに彼女は──。

 俺の右目に指を突っ込んだ。

 

 (がん)()にまで到達したであろう指先が、クチュクチュと眼球を弄くり回す。

 嫌な感触と同時に激痛が脳を駆け巡る。

 

 

「あぁぁぁっ……!が、は、……あ……!」

 

 

 倒れ込み、足をバタつかせるが……。

 キシリカは尚も、俺の眼球をこねくり回す。

 激痛に鈍痛、鋭痛。

 何重もの波となって押し寄せてきた。

 重くもあり、鋭くもあり、滲むようであり。

 ありとあらゆる痛み方を短時間の内に体験する。

 

 代償とやらをら甘く捉えていたようだ。

 だが堪えろ、我慢だ。

 この苦しみを乗り越えた先に、望む力があるんだ。

 

 

「よしよし、良い子じゃ。お主ほどの我満強い娘は、そうは居らんじゃろうな。もう、終わったぞ!」

 

 

 スポッと、彼女の指が抜かれた。

 激痛は収まったが、右目にはジンジンとイヤな感覚が残っている。

 

 

「視界を確認すると良いぞ。既に魔眼の効力は出ておるでな」

 

「え……?」

 

 

 キシリカの言葉通り、右目の視界に注目する。

 右目に映る物体が二重に見える。

 正確には生物であるキシリカだけが、残像がチラついていた。

 

 

「お主の才能なら1週間もすれば制御も可能じゃろう。しばし見辛く歩くのもままならんと思うがなっ!」

 

 

 幼女のあどけない笑顔で楽しげに言う彼女の肩が、呼吸に合わせて上下する。

 その僅かな動きにさえ、残像は付きまとっていた。

 なるほど、未来が見通せるっていう話は事実か。

 

 

「ふう……。ちょっとキツいですね……」

 

「魔力を常に消費しておるからな! なぁに、すぐにオンオフの切り替えくらい可能じゃ!」

 

 

 彼女の予想を信じるしかあるまい。

 右目を押さえつつ立ち上がると、キシリカは馴れ馴れしく俺の腰に手を回した。

 

 

「弱ってるお主は妙にそそる物があるなっ! バーディが居なければ、添い寝くらいは許してやったものをっ ! ファーハハハハ! ファーハハハハ!」

 

「はは……。楽しそうですね」

 

「妾はお主を気に入ったぞ! 溢れんばかりの才能と資質。もしやバーディも言っておったのではないか? お主なら神域にも到達すると!」

 

「似たような事は言われましたね。バーディ様同等の不死性に到達するのだとか」

 

「ファーハハハハ! ラプラスめの対抗馬と成り得るな! 人族の寿命の限界を超えてみせよ! そして妾の配下となり、いずれ復活するであろうラプラスのヤツを共に倒そうではないかっ!」

 

 

 なんか魔界大帝様に勧誘された……。

 貴女、簡単に言いますけどね、人族の寿命の限界を超えるなんて事、俺の生涯を通じても不可能でしょうね。

 俺程度で人族に定められた寿命を克服出来るのなら、歴史上の天才魔術師の誰かがとっくに成就させている筈だ。

 

 

「さて、妾はもう行く。困った事があればバーディを頼れ。奴を通じて妾とも連絡を取れる筈じゃ。手を貸してやろう」

 

「はい! それと、魔眼を頂戴いたしまして、ありがとうございます」

 

「構わん。青田買いというやつじゃ。次のラプラス戦役では、宜しく頼むぞ! ファーハハハハ!! ファーハハハハ!! ガホッ……ガハッ……オェ……」

 

 

 むせながら彼女は跳躍して、路地裏を囲む建物の屋根の向こうへと消えていった。

 てか、次のラプラス戦役とか話していたよな?

 魔神ラプラスが復活する前提らしい。

 

 英雄ペルギウスも、魔神ラプラス復活に備えて各地を空中要塞(ケイオスブレイカー)で巡回して監視しているようだし、確かな情報かも。

 そんな戦争、ルイジェルドの護衛があっても、命が幾つあっても足りないだろうが。

 

 

──

 

 

 右目の違和感に気を取られながら、ふらついた足で宿への道を戻る。

 足下がおぼつかん。

 

 何もかも眼の不自由に依るものだ。

 使いこなせさえすれば、便利な能力だが……。

 現状では足を引っ張ることしかしない役立たずの力である。

 

 実像と未来像に惑わされ、目測を誤っては転倒したり、人とぶつかったり。

 平謝りと持ち前の愛嬌でやり過ごしたが、中にはそう簡単には許してくれない相手だっている。

 

 そいつは粗野な男だった。

 ただのチンピラにしては筋肉質で引き締まっているし、身のこなしも只なら無い。

 たぶん、北神流の剣士だろう。

 低く見積もっても上級、高く見て北聖辺りか。

 

 今の俺じゃあ、予見眼に振り回されてロクに闘えない相手だ。

 とにかく頭を下げて許しを乞わねば。

 

 

「すみません、つい最近になって眼を患いまして」

 

「チッ、なら仕方がねぇか。悪かったな、虫の居所が悪くて嬢ちゃんに八つ当たりしちまった」

 

 

 意外と物分かりが良いというか、話が通じるというか。

 運が良かったのだと考えておこう。

 

 

「ん? その顔、何処かで見た覚えが……」

 

 

 男は懐から紙の束を取り出して、俺の顔とチラチラ見比べている。

 そして何やら気付いたらしく、卑しい笑みを浮かべた。

 

 

「ブエナ村のルーディアだな? この人相書きと同じ面してやがる」

 

 

 コイツ……人攫いの類いか?

 アスラ金貨2千枚の価値を持つ俺がノコノコと目の前に現れたのだ。

 たぶん、逃がすつもりは無さそうだが、果たして。

 

 

「フィットア領転移事件の際に被災して行方不明とは聞いちゃいたが、こんな場所で見つけるとはな。嬢ちゃんにはラトレイア家から捜索願いが出てんだ」

 

「は……?」

 

 

 人攫いではない?

 ラトレイア家と言えば、俺の母ゼニスの実家だ。

 ラトレイア伯爵家から正式に捜索願いが出ていても、何ら可笑しくは無いが……。

 この目の前の男を信用しても良いものか。

 

 

「お、信用出来ねぇって顔だな。まぁ、分かるさ。デッドエンドのお仲間にも相談すれば良い」

 

「そこまで割れてるんですね、私のこと」

 

「ラトレイア家は嬢ちゃんに王札5千枚の褒賞金を出すと言っている。勿論、丁重に扱わせてもらうさ」

 

 

 王札5千枚だと日本円換算で、2億5千万円くらいか。

 ダリウス上級大臣が懸けたアスラ金貨2千枚=2億円をも上回る額だ。

 

 

「裏を取りたいと思います。それまでは私は貴方を信用しませんので」

 

「あぁ、構わねぇさ。しばらくはこの町に滞在してる。決心がつけば、声を掛けてくれ。お仲間のスペルド族の渡航の件も世話を見てやるよ」

 

 

 その後、男は『ガルス・クリーナー』と名乗った。

 密輸組織の構成員であり、根城にしている倉庫の場所を伝えられ、その場は別れる。

 背後から突然、襲われやしないか不安ではあったが、どうにか宿に到着。

 

 ふむ、ヒトガミの奴はこの為にわざわざ魔眼を手に入れさせたのか?

 足下をふらつかせて、ガルスとぶつかるように仕向ける。

 回りくどいやり口だ。

 スマートなやり方を希望したってのに、見事に約束を反古にされたな。

 

 

──

 

 

「魔界大帝キシリカキシリスより魔眼を賜った上に、密輸人相手に密航依頼の仮契約を結んだと? この1日で見事な成果だ」

 

 

 エリスとルイジェルドに、今日1日の出来事をぶちまける。

 魔眼の制御訓練の為に、しばらく宿に引きこもること。

 ガルスの話を信用しても良いのかを相談。

 細かい部分まで話を詰めると、議題は尽きない。

 

 

「ガルスという男には、俺が直接話をつけてくる。信用に値しなければ無視をすればいい。それでも食い下がるようなら痛い目を見てもらう」

 

「ルイジェルドさんに一任します。ラトレイア家の件はミリス大陸に渡るまでは確証が持てませんし」

 

 

 こういう荒事にはルイジェルドの存在は心強い。

 絶対的安心感が彼にはある。

 

 

「ねえ、ラトレイア家ってルーディアの母方の実家よね? もしかしてルーディアの家族も捜してくれてるんじゃないかしら?」

 

 

 エリスの意見に思案する。

 うーん、どうだろう?

 ゼニスもあまり実家については話してくれなかったが、母親の人格的にパウロのような男を毛嫌いするタイプらしい。

 妾であるリーリャや、その娘のアイシャについては、がん無視かもしれない。

 

 ゼニスとノルンは捜索対象だろうが──。

 

 ふと、思う。

 転移災害はフィットア領全域で発生したと、旅の道中で知った。

 ロアの町周辺だけに留まらなかったのだ。

 

 だとすれば──ブエナ村も被災地だ。

 つまりシルフィとその両親も、世界の何処かへとその身一つで飛ばされたってことになる。

 

 一年経って気付くとは、俺は大馬鹿者だ。

 

 いやでも、シルフィには俺直伝の無詠唱魔術があるし、ロールズだって剣王から手解きを承けていたと父からの手紙や、10歳の誕生日会で雑談の折に聞いた。

 悪い想像は無しだ。

 結果は変わらない。

 

 デッドエンド(俺たち)による捜索に不備が無ければ、シルフィとその家族は全大陸の中でも最も過酷な魔大陸には転移しちゃいない。

 きっと何処かで元気にやっている。

 そう考えていよう。

 

 

「お前はとにかく休むといい。俺の率いたスペルド族の戦士団にも魔眼持ちが居たが、最期まで制御出来なかった。ルーディアなら、制御は容易いだろうが、疲労を溜め込んではそうはいくまい」

 

「お言葉に甘えて、そうさせてもらいます。あ、私が引き込もっている間に、エリスを盗らないで下さいね。制御をマスターしたと思ったら、寝取られていただなんてイヤですからね」

 

「ふ、そんなことはあり得んさ。それに、俺の好みは、どちらかと言えばお前のような(おな)()だ」

 

 

 え、告白ですか!?

 耳を疑うような発言に彼の顔に熱視線を送ってしまう。

 

 

「冗談のつもりだったのだがな。場を弁えない一言だったか」

 

「ルイジェルドさんがジョークなんて珍しい」

 

「冗談でも何でも聞き捨てならない発言ねっ!」

 

 

 憤慨するエリスが、ルイジェルドのツルツル頭をペチンッとはたく。

 良い音が鳴るね。

 

 

「まぁ、ルイジェルドさんはカッコいいですからね。ウチの妹なら、貴方に懐きそうではあります」

 

 

 ノルン辺りとか彼を気に入りそうだ。

 パウロにも懐いていたし、優しくて強く、年上で包容力のある男性を好むことだろう。

 ルイジェルドとノルンの歳の差カップル。

 絵面がマズイことになる。

 

 実現はあり得ないだろうカップリングを妄想しつつ、翌日以降、魔眼の制御の訓練を開始する。

 

 

──

 

 

 最初の2~3日で予見眼のオンオフの切り替えを習得した。

 魔力制御を得意とする俺にとっては朝飯前。

 無詠唱魔術を使う要領で魔力量を調整してやれば、先読みする未来の範囲も変化するだろう。

 

 残り日数で、脳への負荷の度合いを判断する。

 1~2秒程度なら、ほぼ負荷は生じない。

 しかし3秒を超えると頭痛が増して、意識を保つ事が難しくなる。

 オマケに視界に映る未来像の数が飛躍的に増加する。

 常に未来は変化しているということか。

 

 近接戦闘を苦手とする俺には膨大な未来から取捨選択するなんて困難。

 迷っている内に、敵に斬られて終わりなんてケースも想像に難くない。

 

 そもそも魔術師は遠距離から、魔術を叩き込むのが常套戦法。

 至近距離で対峙しようという俺の戦闘スタイルそのものが異端なのだ。

 それでも闘わなきゃならんのが、この世界の常。

 成るように成れとばかりに、魔眼制御に没頭する。

 

 そして1週間が経過し、当所の予定通り、予見眼の制御権を我が物とした。



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31話 ザントポートへ向けて出航

 浜辺では俺とエリスが対峙している。

 見届け人はルイジェルド・スペルディア。

 我らが頼れる兄貴で、時々、小粋なジョークをかますナイスガイ。

 

 予見眼の能力を掌握したと高らかに報告し、エリスとの実戦形式の決闘と相成ったのだ。

 

 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)のエリスは、悠然と構え、ニタリと嗤う。

 やけに好戦的で、妹分に必ず勝とうという戦意を(ほとばし)らせていた。

 

 眼には映らないが、闘気とやらも全開だろう。

 そして俺の視界に映るのは、実体とは別の未来の彼女の姿。

 未来といっても、ほんの一秒先の少女。

 あまり代わり映えしないが、ステップの踏んだ先を読み取れる。

 

 

「ルーディアと手合わせだなんて久々ねっ! ギレーヌとの剣術の訓練以来かしらっ!」

 

「懐かしいものですね。私はほとんど勝てませんでしたし。でも今回はひと味もふた味も違いますから。舐めてかかると痛い目を見ますよ?」

 

「上等よ! 妹が姉に勝てるだなんて甘い考え、私がへし折ってあげるんだからね!」

 

 

 言うようになったな、この子ってば。

 よし、俺も彼女が増長しない様に一肌脱ごう。

 仔犬が狂犬を打ち負かすのだ。

 窮鼠猫を噛むってな!

 

 そして互いに木剣を掴み見合って──。

 ルイジェルドのGOの合図で開戦。

 

 

【エリスが右から木剣を振り抜くと見せかけて、左拳で不意打ち狙い】

 

 

 未来が読めた。

 エリスの左拳を身を竦めて避ける。

 従来の俺ならば、今の先制攻撃で1発ダウン。

 されど避けられた。

 確かな手応えに、俄然、やる気が湧き上がる。

 

 回避されたと見て、エリスは連撃を試みた。

 だが、次なる未来も、この右目にはお見通しだ。

 

 

【怒涛の勢いで右の木剣、左の拳、右の蹴り、左足で浜辺の砂を巻き上げて目潰し】

 

 

 小賢しい手を使うものだ。

 最後の一手に関しては、北神流染みている。

 ウェンポートに到着するまでにまみえた、ルイジェルドに挑戦してきた北神流剣士を参考にしたようだ。

 

 だが怯むつもりは無い。

 動作する左太ももに木剣を打ち付けてやると引っ込んだ。

 涙眼で後退するエリスは、しかし──戦意を増した。

 

 負けん気だけは強いものだ。

 そういった精神が土壇場で粘り強さを発揮するだろう。

 

 

【素早い突進で距離を詰め、勢いのままに押し倒してくる】

 

 

 猪突猛進ってな具合で俺に目掛けて迫る赤い猛獣。

 動きは単純。

 その場で跳躍し、跳び箱の要領で彼女の背中を飛び越えた。

 

 

【エリスは振り向き様に裏拳を打ち込んでくる】

 

 

 その手を掴む。

 そのまま足を掛けて仰向けに転倒させてやった。

 快晴による青空を視界いっぱいに入れた彼女は呆然とするも、歯を食いしばって、まだ攻める気でいる。

 

 

【立ち上がり様に、俺の腰に抱き着いて馬乗りになる】

 

 

 見え透いてるぜ、エリス!

 

 バックステップで距離を取り、不発に終わる。

 攻撃後の隙を突いて、背中に乗ってやる。

 暴れて抵抗するので、お尻を撫でてやると戦意消失。

 

 

「私の勝ちですね」

 

「はぁ……負けたわ。やるわね、ルーディア」

 

 

 背中から離れて、手を差し伸べる。

 俺の手を掴み、立ち上がろうとするエリス。

 

 

【手を取ると思わせて、俺のおっぱいを鷲掴みにしようと手を伸ばす。しかし、俺は呆気に取られて避けられない】

 

 

 ん?

 あれ、未来は見えてるのに、避けられる可能性が存在しないよ?

 

 フニョンッ!

 

 エリスの手が未来のビジョンの通り、俺の乳房を掴み、手のひらで揉みしだく。

 あ、この子……上手い!

 

 胸部よりジワジワと押し寄せる快感に足は脱力し、砂浜に尻餅をついてしまう。

 

 

 

「詰めが甘かったわね! 私の逆転勝利よ!」

 

 

 勝利宣言しながらも、淫靡な行為を止めようとしないお姉ちゃん。

 腰砕けとなった俺は、されるがままで唇の端から涎が垂れる。

 

 

「ま、負けました! だからもう止めてっ!」

 

 

 敗北を認めると、ようやく彼女は手を離し、快楽地獄から解放された。

 卑怯とは言うまい。

 北神流剣士の方が、よほど汚い真似をするのだから。

 

 彼女の作戦勝ちだ。

 気持ち良かったから、俺も恨みは無い。

 性感にはめっぽう弱い俺である。

 

 

「ご馳走さま、ルーディア! ナイスおっぱいね!」

 

「いやぁ、お粗末様でした……」

 

 

 ま、負けちゃったよ。

 予見眼の強みを、最後の最後で手放してしまうとは、痛恨の極み。

 

 

「うん、この感触は忘れないわ! 初めてルーディアの胸を、まともに揉んだかも!」

 

 

 謎の感動に身体を震わせるエリスの表情は、アスラ貴族特有の変態的笑顔だった。

 恍惚として口の端は上がり、赤毛の少女の闇を視る。

 かの清廉潔白なド変態王族のアリエル王女も、こういう面貌(かお)をするのだろうか?

 

 

「ほう、エリス。お前も腕を上げたな。この1週間の成果を、よく形にしたものだ」

 

「でしょ! あんたのお陰よ! ルーディアの胸も揉めたし、言うこと無しね!」

 

 

 俺の胸を景品扱いされてるようで悲しい。

 この身体はそう安くはないぞ。

 エリス相手だから多少は値引きしてやったが。

 

 

「ルイジェルドさん的にはレディーのボディにタッチするのはアリですか?」

 

「勝てれば問題なかろう。それにルーディアとエリスの仲だろう?」

 

 

 以前、彼には俺とエリスは将来を誓い合った間柄だと説明している。

 自ら外堀を埋めてしまったわけだ。

 

 

「まぁ、勝てずとも、この眼がどこまで通用するのかは把握出来ました。収穫はありましたよ」

 

「お前は既に魔術師として完成している。その上、近接戦でここまで立ち回れるのなら、成長はあったと言える」

 

「その言葉で、よく実感しましたよ」

 

 負けこそしたが、強くはなれた。

 予見眼と魔術を組み合わせれば、格上にも渡り合えるだろう。

 ただし防戦に徹する事を前提に。

 

 こうして俺は予見眼を自身の武器として正式に加えた。

 ちなみにルイジェルド相手にも模擬戦闘で試してみたが、技量に差があり過ぎて未来の分岐が10近くにも分かれていた。

 

 どんな行動を取っても負ける未来は覆らず、エリス以上の壁を思い知らせる結果に終わった。

 

 

──

 

 

 ラトレイア家の捜索願いの件について、確証を得た。 

 つい先日になって、冒険者ギルドにも捜索依頼が貼り出されていたのだ。

 依頼主はラトレイア伯爵家夫人クレアの名義となっていた。

 俺のお祖母ちゃんはクレアという名前なのか。

 血の繋がった肉親なのに初めて知ったよ。

 

 ゼニスとノルンの捜索依頼が貼り出されていない状況を鑑みるに、既に保護されているのか?

 うーん、そうとしか考えられんな。

 ひとまずグレイラット家の内の2人の安否を知り、ホッと胸を撫で下ろす。

 プルンッ、胸が揺れる。

 

 しかし、ラトレイア家はどうやら魔族に対して強い偏見を持っているらしい。

 確か魔族排斥派なんていう派閥に属しているのだとか。

 冒険者ギルドを介して、ラトレイア家に連絡を繋いでも、ルイジェルドだけは置き去りなんて事もあり得る。

 よって、ガルスを頼るしかない。

 

 さて、次の行動だ。

 密輸人ガルスとの交渉である。

 番犬のルイジェルドを先頭に立たせ、真ん中に仔犬のルーディア、背後に狂犬のエリスという並び。

 俺は2人に守られるようにして、密輸組織の根城へと向かう。

 

 倉庫には1人の男の姿しかなかった。

 根城とか話してた割には物寂しい雰囲気だ。

 

 

「よお、来たな」

 

「ルイジェルドさんの件もありますし、業腹ながら貴方を頼らせて頂きます」

 

「あぁ、仔犬のルーディアは兄貴分と共にミリス大陸へ渡れる。俺はラトレイア家から大金を得られる。Win―Winの関係ってワケだ」

 

 

 裏を掻かれるって事は無さそうだ。

 胡散臭い男だが、金が絡めばキチッと仕事をするタイプの人間だと判断する。

 ルイジェルドも同意見のようだ。

 

 

「ところで何故、お一人なんです?」

 

「そりゃあ、嬢ちゃんの案件を独り占めする為さ。他の奴らはバカだぜ? 組織の生業である奴隷取引きにかまけて、嬢ちゃんのような大金の絡む話には鈍いんだからな」

 

 

 仲間を小馬鹿にした言い様。

 たぶんガルスは、意図的に俺の身柄の発見を伏せて、ラトレイア家の捜索依頼を引き受けた旨を秘匿しているのだろう。

 

 

「ミリス大陸にゃあ、大森林っつう深い森がある。俺は森の抜け方にも心得があってな。ミリス神聖国首都ミリシオンまで、最短ルートで送ってやれる」

 

「それは素晴らしい。どうやら貴方を頼って正解だったみたいですね」

 

「だが、雨季が近くてな。そうなると森の中は3ヶ月もの間ずっと大洪水だ。ミリス大陸ザントポートに到着後、段取り良くいけば、その足で大森林を抜けちまって雨季を回避出来る。ルート次第だがな」

 

 

 雨季のタイミングによっては、旅程に響くと。

 

 

「あぁ、ついでと言っちゃ何だが、一つ仕事を頼まれてくれねぇか?」

 

「仕事? 聞くだけ聞きましょうか」

 

「感謝するぜ、仔犬ちゃんよ」

 

 

 その二つ名は、止めて欲しい。

 可愛いけど、強さとか威厳を感じられない。

 

 本題に入る。

 なんでも、次の出航で運ぶ密輸品の中には、政治的に不味い代物が含まれるのだとか。

 密輸品ってのは奴隷だ。

 金に目の眩んだ身内の愚かな行いで、公僕に目をつけられ組織が壊滅させられる事態を防ぎたいらしい。

 そうなれば、おまんまの食い上げだ。

 

 ただ組織の人間であるガルスが、表立って奴隷を解放するのも角が立つ。

 よってデッドエンドの強さを見込んで、代わりに奴隷を解放し、家まで送り届けて欲しいのだとか。

 

 事情は理解した。

 奴隷商を生業にしている事実にモヤッとするが、彼にはルイジェルドの密航を頼む立場にある。

 今回ばかりはルイジェルドにも正義心を抑えてもらおう。

 

 

「出航日は2週間後だ。それまで、くれぐれも組織の人間に見つからねえように頼むぜ。大金をバカな奴らと山分けなんて勘弁だからな。その分、仕事の方はキッチリやらせてもらうからよ」

 

 

 俺の顔を隠す為か、どこぞの民族が被ってそうな仮面を渡された。

 聞けば小人族(ホビット)の中でも、ごく少数の家系に伝わる伝統的な儀式用の仮面なのだとか。

 

 魔力付与品(マジックアイテム)らしく、魔道具とは事なり、使用者が魔力を供給する必要は無い。

 効果は面識の無い相手に対する人物の認識阻害。

 

 姿が見えなくなる訳ではないが、他人からは俺がルーディア・グレイラットであると認識が出来なくなるそうだ。

 

 エリスやルイジェルドには効果は発揮しない。

 先日出会い、今も交渉するガルスにも同様。

 

 

「そうやって仮面を被ってると、マジもんの小人族(ホビット)だな。ちょいと乳がデケぇのが気になるがな。仔犬、年は幾つだ?」

 

「11歳ですよ。あとそれはセクハラです」

 

 

 胸の発育はよろしいが、身長に関しては年相応だ。

 現状の俺はロリ巨乳体型なんだよね。

 

 

「もう4、5年もしたら食べ頃に育つな」

 

「死ねっ……」

 

 

 下品な男だ。

 嫌悪感を露にして抗議する。

 

 

「おっと、すまねぇ。俺の癖みたいなもんでね。ラトレイア家に籍を連ねる令嬢に手を出すなんて、恐ろしくて出来ねえや」

 

「あんたねぇ! ちゃんと謝りなさいよ! 気分悪いわ!」

 

 

 エリスも異議申し立てる。

 そうだよ、誠心誠意を持って謝罪しないとだよ。

 

 

「ボレアス家の嬢ちゃんにも捜索願いが出てるぜ? 尤も、アスラ王国まで送り届ける暇も義理もねぇがな」

 

「ふん! 自分で国に帰るわよ! ルイジェルドだって居るんだし!」

 

 

 怒り心頭のエリスも、ボレアス家の話を持ち出されて更に気を害したのか、それっきり黙り込む。

 

 

「あまりこの子たちを悪く言うな。俺とて、貴様に手が出ないわけではないぞ?」

 

「そいつは悪かったよ。スペルド族の旦那に暴れられちゃあ、北聖の俺でもひとたまりもない。まだ死にたくはないんでね」

 

「なら行儀良くする事だ」

 

「なるほどねぇ、スペルド族の悪名ってのはガセらしい。子煩悩にも程があるぜ、旦那」

 

 

 思わぬ場面でルイジェルドという男の魅力が伝わった。

 ガルスのような小悪党に知れた所で、なんら恩恵は受けられんけど。

 

 交渉は完了した。

 予告された2週間後まで、極力、宿で大人しくすることに決めた。

 仮面を着けてるとはいえ、不測の事態に備えておく。

 気晴らしに散歩くらいはさせてもらうとしよう。

 

 

──

 

 

 宿で引きこもり生活を送る間、とある研究を進める。

 王級治癒魔術についてだ。

 これまでの旅では、まとまった自由な時間を確保出来ずにいた。

 

 ゆえに今こそが好機。

 バーディガーディより聞いた不死魔族特有の魔力の性質と、ボレアス家に居た頃に完成しかけていた魔力の配列パターンを組み合わせてみる。

 

 最初の1週間で詠唱文の大きな枠組みが出来上がった。

 聖級と王級の中間に位置する治癒魔術、その雛型が完成。

 魔力の制御の工程を、頭と身体に叩き込み、短縮化を進める。

 

 残りの1週間で、無詠唱化に成功。

 ただし自己流ゆえに、王級には一歩及ばない。

 四肢の欠損については限定的ながら対応可能となった。

 

 具体的には、消失した四肢の再生自体は可能。

 けれど現状の俺では、身体から枯渇する程の魔力と、三日三晩に渡る治癒魔術の発動が必須条件。

 

 無論、その間は多大な集中力が必要不可欠で、他の魔術なんて、まずは使用出来ない。

 あとは自身の肉体にしか作用しないという、最大のデメリットが生じた。

 他者の欠損を癒せないという事だ。

 

 ピーキーな性能だ。

 魔神ラプラス相当の魔力総量を保有していても、魔力枯渇というリスクが付随しているのだ。

 その上、発動から完了までに3日間という期間。

 そもそも魔力枯渇からの完全回復には、更に時間を要する。

 

 これからも続く長旅では、大きな足止めとなってしまう。

 中途半端な体調で旅を再開すれば、何かしらのアクシデントに足下を掬われる。

 なんともお粗末な仕上がりだが、今はこれで妥協しておく。

 本格的な研究の続行は、アスラ王国へ到着してからになりそうだ。

 

 とはいえ、通常なら大規模な魔方陣を用いての発動か、100節以上の詠唱及び複数人の治癒術師をかき集めてようやく発動する王級治癒魔術。

 それをたった1人で無詠唱発動可能な時点で、十分に破格と言えるだろう。

 

 ひとまず、暫定的に『自己流王級治癒魔術ノーブルヒーリング』と名付けておく。

 

 

──

 

 

 期日を迎え、深夜の内に密輸組織にルイジェルドの身柄を引き渡した。

 元々、俺1人でルイジェルドを預けに行く予定だったが、心配性のエリスが半ば強引に付き添ってきた。

 姉を自称する彼女は、妹離れには、まだまだ時間が掛かりそうだ。

 

 翌朝、バーディガーディより贈られた運搬トカゲを売却。

 品種としては最高等級だったらしく、ルイジェルドの渡航費には遠く及ばないまでも、それなりの額にはなった。

 

 買取り業者曰く、このまま市場に流すのはバーディガーディの面目が立たないとかで、リカリスの町へと引き渡すそうだ。

 俺が一筆して礼と謝罪の手紙を添えさせてもらった。

 魔王様から賜った品を一年ほどで売却するのも、不義理だと感じたしな。

 

 そして人族である俺とエリスは、当初の予定通り、正規の手段で渡航便に乗船。

 あとはミリス大陸ザントポートに到着後にルイジェルドを密輸組織から引き取り、奴隷を解放するだけだ。

 

 

──

 

 

 1ヶ月ほど前に完成したばかりの帆船。

 処女航海という触れ込みだ。

 船内も新品同然で清潔感にあふれている。

 

 だが、俺の膝を枕にして仰向けになるエリスは、苦し気に喘いでいた。

 船酔いだ。

 彼女は人生で初めて乗る船に、全くと言っていい程に、耐性が無かった。

 

 船に揺られること5分程度で体調不良を訴え、桶の中に胃袋の中身を吐き出してしまう。

 仕方無しに、久方振りの地帯治癒(エリアヒーリング)を発動し、傍に居てやった。

 

 別に身体を密着させる必要は無いが、心細そうにするエリスを放って置けず、膝枕をするに至ったのだ。

 これも妹の役目なんですよ。

 

 苦しさゆえに衣服のボタンを開け、胸元を曝け出すエリスは、実に扇情的だ。

 浮いた汗に視線を縫い止められ、ペロッと舐め取ってしまった。

 うん、しょっぱい。

 

 エリスは怒らない。

 船酔いでダウンして、俺の変態行為にすら気に留める余裕を失っている。

 憐れな……。

 先日、おっぱいを揉まれてしまった仕返しとばかりに、彼女の胸をつついてやった。

 うん、無反応だ。

 

 しかし弱みに付け込むというのも卑劣な行い。

 誠実をモットーとする俺は猛省し、エリスの頭を撫でる行為へと切り替える。

 

 

「うぅ……。ルーディア……。私、死んじゃうのかなぁ……」

 

「らしくないですよ。いつもの貴女なら、死ぬなんて言葉は使わないはず」

 

「本当に死んじゃいそうだから……仕方がないじゃない……」

 

 

 ありゃりゃ。

 これは心が折れかけている。

 

 

「ヒーリングをかけてよ……」

 

「既にかけてます。船酔いの症状を和らげる事は出来ても、船に乗っている限りはすぐに再発しちゃいます。いたちごっこですよ」

 

「ねぇ……助けてよぉ……。なんでもするから……」

 

「軽い気持ちでなんでもとか言っちゃダメです。世の殿方には、今のエリスのように弱ったところを狙って、肉体関係を迫る不逞の輩だっているんですからね」

 

「お母様みたいな事を言うのね……」

 

「ママと呼んでも構いませんよ?」

 

「イヤよ、ルーディアは私の妹なんだから。それに私のママはお母様だけよ」

 

 

 そこは譲らないのか。

 弱っていても頑固さは健在だな。

 しかし、こんなにも弱々しいエリスを見るのは久しぶりだ。

 リカリスの町へ到着したばかりの頃も、ホームシックを発症して大変だった事を思い出す。

 俺も慰めるに当たって、足りない頭をフル回転させたものだ。

 

 

「到着までしばらく掛かります。気休め程度ですが、ヒーリングはずっと掛けておきますので、堪えてくださいよ」

 

「うん、わかったわ……。陸に到着したら……。たくさん甘えさせてよね……」

 

「了解です」

 

 

 幼い子どもに帰ったエリスの頭を撫で続ける。

 

 

──

 

 

 5日間にも及ぶ船旅を終えて、ミリス大陸の港町ザントポートへと到着。

 陸に上がってもすぐには復調せず、グロッキーなエリス。

 動ける様子の無いエリスを背負って宿を探す。

 

 大森林ではもうじき、3ヶ月にも及ぶ雨季が続くとかで、上等な宿は既に宿泊客で埋まっていた。

 選り好みは出来ん。

 よって貧困街にある安宿を取る事にした。

 

 どのみちガルスの案内ですぐにザントポートを発つのだ。

 程度が低くとも問題あるまい。

 

 荷物番をエリスに任せて、ルイジェルドを引き取りに行こう。

 念の為、ガルスより受け取った魔力付与品(マジックアイテム)の仮面を装着。

 これでトラブルに遭遇しても逃げちまえば足がつくことも無い。

 一番は穏便にいく事だが、これから奴隷を解放せにゃならん。

 

 いわばトラブルを自分から起こしに向かうのだ。

 ルイジェルドと合流さえしてしまえば、対処も楽勝だろうけどな。

 

 そしてザントポートの郊外──とは言っても海沿いの小高い丘に建てられた古びた小屋に到着。

 扉をノックして、ガルスより伝えられた合言葉を唱える。

 すると人相の悪い男が応対。

 ルイジェルドを引き取りに来た旨を伝えると、地下への隠し階段へと通される。

 

 内部は洞窟になっていて、小一時間ほど歩いた先には森が広がっていた。

 築年数何年だよって感じの大きな屋敷が視界に飛び込んできた。

 どうやらここにルイジェルドと、ガルスの話していた奴隷が捕らえられているようだ。

 

 男に先導され屋敷に入ると、幾つもの牢獄が並んでいた。

 中には──子どもが居た。

 獣族と耳長族の子どもだ。

 大森林に暮らす種族達である。

 

 泣きわめく1人の少女に腹を立てた密輸組織の男の1人が、手酷い暴力を振るっていた。

 

 くそ……。

 見ていて胸くそ悪い。

 

 おそらくあの子ども達が、ガルスの話に出てきた奴隷だ。

 後で必ず助けてやる──。

 そう心に決めて拳を握りつつ、怒りの感情をひた隠しにする。

 ルイジェルドと合流するまでの辛抱だ。

 

 道中には、メチャクチャでかい犬も捕らえられていた。

 ついでだし、後ほどあの犬も助けてやろう。

 

 そして到着。

 ルイジェルドの収監される檻の扉が開く。

 密輸人に早く引き取って帰れと急かされた。

 てめぇ……。

 後で覚えてろよ……?

 

 さて、ルイジェルドだが……。

 殺気立っていた。

 ズタ袋を頭に被せられていたが、隠し切れない殺意が屋敷中を駆け巡る。

 

 この旅で経験したことの無い憤怒。

 仲間である俺ですら膝が震える。

 

 あぁ、分かるさ。

 ルイジェルドは義憤に駆られているのだ。

 額の生体センサーで捕まった子どもの存在を察知し、今すぐにでも救出に走りたいのだろう。

 

 

「ルーディアよ。早く拘束を解け……」

 

「分かっています……奴らを殺す(やる)おつもりですか?」

 

「無論だ。子どもを殺すような外道は……皆殺しだ。既に1人、奴らの手に掛かり、命を落とした」

 

 

 そうか……俺はまたしても間に合わなかったのか。

 

 

「では拘束を解きます……」

 

「お前は気に病むな。全て俺の手で片付ける。お前は子ども達の解放を頼む」

 

「はい……」

 

 

 ズタ袋を取り、後ろ手に縛っていた縄を解く。

 ルイジェルドに三叉槍を手渡し、彼の背中を見送る。

 これから彼は、密輸組織を言葉通りに皆殺しにするのだろう。

 俺は殺人に加担してしまった……。

 

 だが止まれない。

 殺人を忌避していても、今の俺とルイジェルドは同じ想いを共有しているのだ。

 

 

()もやらなきゃ……」

 

 

 子ども達を救うべく、行動を開始する。



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32話 奴隷解放

 絶命の声が幾つも耳に入る。

 悪辣を屠るルイジェルドの戦果だ。

 俺も素早く子ども達の下へ走る。

 だが、思いの外、組織の人間は多いらしく、俺も複数人と出会した。

 

 

「おいっ! そこの仮面を被った小人族(ホビット)がスペルド族を解放しやがったぞ!」

 

「やりやがったなっ……! 生かしておけねぇ……!」

 

 

 コイツらこそ生かすわけにはいくまい。

 看過すれば被害者が今後も生まれかねないし、外部に襲撃の騒動を知られるのも不味い。

 ここでケリを付けるのだ。

 

 

「貴方たちにはここで……死んでもらいます」

 

 

 我ながら抑揚の無い声だ。

 心は冷めきっている。

 

 だが、俺は止まらない、止められない。

 ルイジェルドにだけ殺しの咎を背負わせるワケにはいかない。

 これまで俺は彼に甘え続けていた。

 強いからと、鋼の精神を持つのだから、へっちゃらなのだと。

 

 でもそんなのは、彼を体の良い奴隷扱いしているだけだ。

 それでは俺も、ここの奴らと何ら変わらない。

 人間のクズだ。

 もう自分は全うな人間とは呼べない時点まで来てしまった。

 だったら、せめて救える命を後悔の無いように拾い上げるのみだ。

 

 だから俺は決意を固めた。

 心を鬼に、修羅が如く道を行こうと──。

 あぁ、パウロ。

 こんな親不孝者な娘を許して欲しい……。

 

 

 無詠唱でウォーターボールを座標指定魔術で複数生成。

 男達の背後から射出し、心臓を穿つ。

 一瞬の出来事。

 奴らは己の死を認識する事なく、あの世へと旅立った。

 悪党だが時間が惜しいので手短に、そして苦しまぬ様に楽に殺してやった。

 

 

「お、おえぇぇぇ……」

 

 

 込み上げてくる胃液。

 船から降りて以降、ろく物を食べていなかった事が幸いしてか、それほど吐く事はなかった。

 だが、気持ちが悪い。

 吐き気が止まらない。

 悪い人間とはいえ、この手で命を奪ってしまったのだ。

 

 ルイジェルドに全てを委ねれば、なるほど、万事解決となるだろう。

 けど彼だって万能じゃない。

 敵の数が多ければ討ち漏らしも生じる。

 そうなれば増援を呼ばれて、俺たちも捕らえられている子ども達も共々壊滅だ。

 

 あるいはルイジェルドの実力なら切り抜けられるかもしれないが、確実性に欠ける手段は取れない。

 おんぶに抱っこなんて情けない真似で、窮地を生み出すなんて馬鹿げている。

 だから俺はやったのだ。

 

 向こうが悪い。

 俺は何も……悪くないんだ。

 この世界じゃ犯罪者に人権なんて存在しない。

 襲われたら殺してでも自分の身を守る。

 それが常識だ。

 

 あのパウロでさえ、冒険者時代には野盗や傭兵崩れを返り討ちにして、多くの命を奪った。

 そんなパウロをゼニスは愛していた。

 だからこれこそが世の常。

 何も重く捉える事は無いんだ。

 

 

「は、はぁ……はぁ……」

 

 

 呼吸を整える。

 まだ……だいじょうぶ。

 俺にはまだやるべき事があるんだ。

 

 再び歩き出す。

 足取りは重い。

 けど命を守るためには殺さなきゃいけない。

 

 そして敵と遭遇。

 無言で殺し、無言で死体を踏みつけて進む。

 その繰り返しだ。

 奪った命が10人を数えた頃には、ようやく密輸組織の人間は現れなくなった。

 残りはルイジェルドが始末してくれるはずだ。

 

 殺した人間が雑魚で助かったぜ……。

 お陰で楽をさせてもらったよ……。

 

 

「う……。はぁはぁ……」

 

 

 逆流する抑えつけた筈の罪悪感。

 しかし、堪えろ。

 落ち込むのは後でいい。

 自分をしっかりと保て……。

 どうにか持ちこたえて、普段のルーディアを取り戻す。

 仮面の様に、自分という殻を装着した──。

 

 

──

 

 

 目的の場所へと到達する。

 騒がしい様子に不安がる子どもらは、身を寄せ合って震えていた。

 女の子が多いな?

 

 1人……息絶えてしまったのか、牢屋の隅に横たえられていた。

 

 あぁなっては手の施し様が無い。

 ごめんな……。

 

 さて、子どもらはまだ怯えている。

 いや、この珍妙な仮面が威圧的なのだろう。

 すかさず仮面を外すと安堵の表情。

 とりあえず挨拶だ。

 

 

「私はルーディア・グレイラット。皆さんを助けに来ました!」

 

 

 獣族中心なので獣神語で語り掛ける。

 言葉が通じたらしく、警戒心を解いてくれた。

 俺が女の子だっていうのも、信用に一役買ってくれたのかもしれない。

 男は女に見境の無い獣だからな。

 その点、俺は女の子だ。

 今のところ、エリス相手くらいにしか欲情しない。

 

 

「怪我をしていますね。治してあげます」

 

 

 乱雑な扱いをされたのか、身体中に痣が浮かんでいた。

 衛生状況も悪く、素肌が黒ずみ汚れにまみれている。

 服装に至ってはボロ布を纏っているだけ。

 早くこんな劣悪な環境から解き放って、親元に帰してやらなきゃな。

 

 

「ありがとニャ……」

 

 

 気の強そうなデドルディア族の少女が代表してお礼の言葉を述べた。

 あら、可愛い!

 こんな状況だけど思わず頭を撫でてしまう。

 目をつむり心地好さそうにしている。

 

 その顔立ちからは、どことなくギレーヌの面影を見て取れた。

 親族だろうか?

 たしかギレーヌは、姪がいると話していたな。

 姪っ子の1人かもしれない。

 

 

「よく堪えましたね。えらいですよ」

 

「ニャー!」

 

 

 語尾が『ニャ』ですか?

 リアルに存在したとはな。

 この世界も捨てたものじゃない。

 

 

「にゃあ! セイジュー様はどこニャ!」

 

 

 聖獣様?

 もしかして、あのやたらとデカイわんちゃんの事かい?

 よーし、この仔犬のルーディアにお任せを!

 

 

「大丈夫、聖獣様も救出しますから!」

 

「ありがとニャ! ルーディアは恩人様ニャ!」

 

 

 ルイジェルドの掃討は順調らしく、密輸組織の人間が嗅ぎ付けてくる事は無かった。

 信頼出来る兄貴が居ると、俺も心置きなく動けるってもんだ。

 救出作業を落ち着いて継続する。

 

 子ども達の捕らえられていた牢屋から、そう遠くない場所に聖獣様は捕まっていた。

 項垂れるようにして落ち込んだ様子。

 湿気もあり、薄暗い環境ゆえに毛並みも悪くなり、元気を失っている。

 

 

「セイジュー様にゃあ! お願い、助けてあげてほしいニャ!」

 

「分かっていますとも」

 

 

 駆け寄ってみると、見えない壁に阻まれて顔面を強打する。

 鼻っ面への衝撃で涙目になるが、かろうじて鼻血は出なかった。

 

 これは……結界?

 ふて寝するわんちゃんの身体の下には2メートル程度の魔方陣。

 

 マズイな、結界魔術についての知識は明るくない。

 ロキシーに軽く表面だけ教わった程度だ。

 攻撃魔術で力ずくでぶち破るか……いや、この密閉空間では、ド派手な真似は出来ない。

 

 結界ともなれば起点となる魔力結晶があるはず。

 手早く見つけ出さないと。

 

 

「皆さん、この結界を解くには魔力結晶と呼ばれる物を破壊する必要があります。手分けをして探して下さい」

 

 

 せっかく人数が集まっているのだ。

 人海戦術で解決を試みる。

 

 

「にゃあ! お任せニャ! みんな! セイジュー様を助けるニャー!」

 

 

 俺も魔力結晶探しに参加。

 探し始めて数分後。

 犬耳のアドルディア族の少女が天井付近を指差した。

 

 

「上にあったよ!」

 

 

 確かにある。

 カンテラのような物が吊り下げられており、その内部に鈍く光る魔力結晶が収められていた。

 

 

「お手柄ですね! 良い子だ!」

 

 

 頭を撫でると犬の尻尾がパタパタと左右に振れた。

 ふむ、デドルディア族も可愛いが、アドルディア族も同じくらい可愛いな。

 

 魔力結晶を加減した水弾(ウォーターボール)で破壊すると、即座に結界は解除された。

 聖獣様に駆け寄って抱き着く猫耳の少女と犬耳の少女。

 わんちゃんと女の子の戯れは微笑ましく、目の保養となる。

 

 捕らえられていた奴隷の解放は完了。

 後はルイジェルドと合流して、町へ向かうのみだ。

 でも親元に帰すにはどうすれば良い?

 冒険者ギルドに『子どもを保護したので親を探して下さい』という依頼を出すとか?

 

 いや、それでは密輸組織に俺たちが奴隷解放の主導者と喧伝するようなものだ。

 ガルスはどうしろと話していたか?

 奴は奴隷を解放後、状況が落ち着いたら向こうから声を掛けると話していたが──。

 

 とにかく今はこの場から離れる事が先決だ。

 

 そう決めた矢先、聖獣様が飛び掛かって来て襲われた。

 

 

「おわっ!」

 

 

 のし掛かられて舌で顔をペロペロと舐められる。

 くすぐったいぜ。

 

「こらこら、わんちゃん! お止めなさいな。早く逃げなきゃいけないんだ!」

 

「くぅ~ん」

 

 

 悲しげに鳴くわんちゃん。

 とりあえず背中をさすってやると、元気を取り戻してくれた。

 

 

「セイジュー様もルーディアに感謝してるニャ」

 

 

 彼女は聖獣様と意志疎通が可能らしい。

 

 

「それと()()()のお母さん? んニャ? お父さん? 良くわかんらんニャ! とにかくルーディアの事がお気に入りみたいニャ!」

 

 

 どういうこと?

 救世主が何だって?

 いや、考えてる暇なんぞ有るか。

 

 

「終わったぞ。建物内の悪党は全て片付けた」

 

 

 聞き慣れた声だ。

 返り血ひとつ浴びる事なく一仕事終えたルイジェルドが現れた。

 怖い顔をしたお兄さんに子どもらは、身を強張らせたが、俺の仲間だと知ると安心したのか肩から力を抜いた。

 

 

「外部には感づかれてはいまい。だが急ぐぞ。夜明けまでに町へ向かうのだ」

 

「はい、そうしましょう!」

 

 子ども達を引き連れて屋敷を後にする。

 屋外にはルイジェルドが始末した密輸組織の男達の遺体が1ヶ所にまとめられていた。

 スケルトン化しないように火魔術で、跡形も残さず処理しておく。

 

 建物の中にはまだ俺が……殺した人間の遺体が残っている……。

 ゆえに屋敷に放火して全ての証拠を隠滅した。

 

 

──

 

 

 一時間程で町の入口近くまで到達。

 そこには赤毛の少女が不満げに立っていた。

 ていうか、エリスちゃんです。

 貴女、荷物の番はどうしたの?

 

 

「やっと帰って来たわね! 私を仲間外れにしてどういうことかしらね!」

 

「エリス。だって貴女、船酔いでダウンしてたじゃないですか。体調不良のまま連れていけませんよ」

 

「それもそうね。ごめん、悪かったわ」

 

 

 えらく素直だ。

 というのも、彼女の意識が別事に向いていたかららしい。

 エリスは俺とルイジェルドの背後に立つ獣族の子ども達をギラギラした目つきで眺めている。

 

 

「その子達が話にあった奴隷?」

 

「もう奴隷ではないので、配慮してあげて下さい」

 

「あら、貴女たちゴメンね」

 

 

 言葉は通じまい。

 魔大陸に居た頃の名残りで、覚えたての魔神語で話し掛けるエリス。

 当然ながら獣族の子達はキョトン顔で返す。

 エリスも遅れて言葉の通じない事に気が付いて、所在無さげにする。

 

 

「わっ! うしろの犬、大きいわね!」

 

 

 聖獣様の存在を察知したエリスは驚きながらも、首元にしがみついて顔を埋める。

 モフモフとしていたが、聖獣様はエリスの力強さにビクついていた。

 こら、エリス。

 動物はもっと優しく扱わないと!

 

 

「む、何者かが近づいてくるぞ。密輸組織の新手かもしれん」

 

 

 追手か?

 俺たちの足跡を残さないように細心の注意を払ったつもりでいたが──。

 なんにせよ、ルイジェルドは何者かの気配を察知した。

 

 

「かなりの手練れだ。心してかかれ。エリス! お前は子どもたちを守れ! ルーディアは俺の援護を頼むぞ!」

 

「わかったわ!」

 

「はいっ!」

 

 

 ルイジェルドがテキパキと指示を出す。

 ここは年長者の彼に従うのが最善。

 杖を構えて臨戦態勢に入る。

 

 やがて敵さんは現れた。

 褐色肌の厚い筋肉に覆われた灰色の髪の男。

 鉈のような肉厚な剣をルイジェルドへ向けて振り下ろす。

 

 三叉槍が剣先を叩き、地面へと縫い付けた。

 隙を晒した敵は、ルイジェルドの蹴りを胴に受け掛けるが、素早い後退で避けた。

 得物を手放したが、まだやる気らしい。

 

 昏睡(デッドスリープ)を連射し、様子見といこうか。

 褐色肌の男は、視認せずに魔力弾を回避した。

 

 は……?

 視界に入れてから避けるのなら解る。

 けど今のは、見るまでもなく回避行動を取りやがった!

 

 そこらの剣士以上に感知能力に長けてやがるよ。

 呆気に取られる俺など尻目に戦闘は継続する。

 

 座標指定魔術での攻撃は効果が薄い。

 視覚のみに頼らない彼は、俺の魔術をことごとく避けていた。

 弾数を増やせばかえってルイジェルドの邪魔になる。

 あまり手数は増やせない。

 いつしか、俺の介入するタイミングは、2度と生まれなくなった。

 

 大人しく静観に徹する。

 一応、地帯治癒(エリアヒーリング)で、ルイジェルドの負傷に備えて待つ。

 

 やがて、一歩踏み込んだルイジェルドの矛先が、男の鼻先を穿たんとして突き出された。

 が、掠めこそしたが、当たらない。

 槍の先端は、僅かに髪先のみを切り落とすに留まる。

 パラパラと地面に落ちる数本の髪。

 

 敵さんも冷や汗を掻いた様子で、ルイジェルドから距離を取った。

 そして口元に手を当てたかと思えば、大きく息を吸って──。

 

 

 「ウオオオオォォォォォォン!

 

 

 大気を揺らすような大声量で、咆哮を放つ。

 進路上に居ない俺でさえ、鼓膜に音圧を受けて片膝を地面に突きそうになる。

 直撃を受けたであろうルイジェルドはどうだ?

 

 三叉槍で衝撃波を捌いていた。

 おそらく闘気の乗った穂先が、空気を切り裂き、安全地帯を作り出す。

 

 

(はい)()(じゅつ)を受けるのは久方振りだな」

 

 涼しい顔をして、防いでみせた。

 味方ながら恐ろしく強い!

 

 さて、吠魔術。

 書物で読んだ事がある。

 別名、声の魔術とも呼ばれる特殊な技だ。

 ドルディア族の特殊な声帯から発される声に魔力を乗せた咆哮だ。

 受けた者は三半規管を揺さぶられ、平衡感覚を狂わされるのだ。

 しばらくまともに身体を動かせなくなってしまうスタン効果が強味である。

 

 ギレーヌ自身は使えないと話していたが、剣王の彼女には不要な魔術だろう。

 

 

「貴様っ! それほどの技量を持ちながら、なぜ人攫いなどに手を染めるかっ!」

 

 

 たった今の圧巻の槍捌きを目の当たりにして、敵さんも動揺を隠せないらしい。

 詰め寄る様に吠える。

 へ……?

 

 敵かと思われた男が、ルイジェルドを人攫い扱いしている。

 いや、俺たちからしたら、向こうが疑わしいのだが。

 

 

「どういうことだ……? お前が人攫いではないのか」

 

 

 困惑するルイジェルド。

 相手もハテナマークを浮かべている。

 てか、猫の耳を生やしたギレーヌ似の男性だ。

 もしや、双方、とんでもない誤解をしているのか?

 

 

「獣族か……。もしやお前は、この子ども達のいずれかの親か?」

 

「そうだが、お前は?」

 

「俺達はこの子達を密輸組織から救出したところだ。町で親を探す手だてを考えるつもりでいた」

 

「なんだと……。それは真実か?」

 

「戦士の誇りに誓う。真実だ」

 

 

 

 両者より放たれていた殺気が収まる。

 どうやら、不幸な事故だったようだ。

 お互いに密輸組織の人間だと思い込み、意図せずして衝突してしまったんだ、きっとな。

 

 

「とうちゃんっ! あたち達の恩人になにをするニャ! セージュー様も助けてくれたニャ!」

 

「ト、トーナ! 私は……。いや、すまぬ。貴方の名前は存じあげんが、とんでもない思い違いで矛を向けてしまった!」

 

 

 トーナと呼ばれた少女とは親子らしい。

 プンプンと怒るトーナは、父親の太ももをポカポカと叩いている。

 

 

「おぉ、ギュエス! あれほど先走るなと言いつけておったのに、なんたる事だ!」

 

 

 ギュエスと呼ばれた男に良く似た老戦士が、今しがた現れ、トーナを抱き寄せる。

 あの子のお祖父ちゃんだろうか?

 

 

「ち、父上! 申し開きもありませぬ……」

 

「ふん、恩人に向かって刃を振りかざすとは……。次の族長候補からは外れる事も覚悟することだ」

 

「じいちゃん! ルーディア達が、あたち達を全員助けてくれたニャ! そこのお兄さんも悪党をやっつけてくれたのニャ!」

 

 

 やはりお祖父ちゃんか。

 老戦士は孫娘を優しく撫でると、俺たちに向き直る。

 

 

「すまぬ。ドルディア族を代表して謝罪させてもらいたい」

 

 

 深々と頭を下げられる。

 たしか獣族の謝罪は仰向けに倒れて腹を見せるという話だが、この老練の御仁は人族流の謝罪に合わせて、頭を下げてくれたのだろう。

 

 

「構わん。子を想う親であれば、必死になるあまりに視野も狭まる。それを責めるつもりは無い」

 

「おお、なんと寛大なお方だ! 謝罪と共に礼を言わせて欲しい。聖獣様と子ども達を救ってくださった事、感謝を申し上げる!」

 

 

 その後、老戦士は自らをギュスターヴと名乗った。

 彼の息子が先ほどチラッと名前を耳にしたギュエス。

 ギレーヌの実の兄貴らしい。

 

 孫娘がミニトーナ、愛称はトーナ。

 姉にリニアーナが居るそうだが、現在はラノア魔法大学に留学中だとか。

 

 あと、トーナと親しげな犬耳持ちのアドルディア族の少女の名前はテルセナ。

 彼女の姉プルセナも同様にリニアーナと共に留学中。

 

 

「実はまだ拐われた子どもが多く存在する。あつかましいかもしれんが、どうかルイジェルド殿。手を貸してくださらんか!」

 

 

 ギュスターヴがルイジェルドに懇願する。

 彼が断る筈がない。

 俺とエリスだって協力してやるさ。

 

 

「俺はいっこうに構わん。ただしルーディア。お前はエリスと共に、その子らの護衛に回れ」

 

「え……? 私も戦力になると思いますけれど?」

 

「いや……。お前はもう限界が近い筈だ。気が付かないワケがないだろう?」

 

「あ、……はい。護衛、頑張ります……」

 

 

 ルイジェルドは見抜いていた。

 俺が自分の心を殺して、人殺しに手を染めた事を。

 その上で俺の心身を案じて、置いていく事を決断したのだ。

 

 そして俺とエリスは、これ以降の奴隷救出作戦には参加せずに、ギュスターヴの手配した宿屋に宿泊先を移して待機する事となった。

 

 理由も話さずに、エリスの胸の中で泣いてしまった事を報告しておこう──。

 

 

──

 

 

 1日が経過したが、ルイジェルド達はまだ帰って来ない。

 使いの者によると、救出作戦自体は成功したが、ザントポートの役人と揉め事に発展したらしい。

 

 何でも密輸船には奴隷の他にも、大量の物資が積まれており、雨季前の最終便だったそうだ。

 そして、襲撃した事実を問題視した役人にケチをつけられたようだ。

 

 密輸船自体、役人が賄賂を受け取って見てみぬフリをしていた。

 いわゆる汚職事件ってやつだ。

 

 大森林の住人の誘拐・奴隷化自体が非合法。

 しかもドルディア族や長耳族(エルフ)の子ども、総勢50人以上が売り飛ばされ掛けたのに、取り締まろうともしないミリス神聖国もといザントポート。

 

 そこで話は拗れて、ドルディア族とザントポートの役人達のにらみ合い。

 戦士団をザントポートの入口に召集して威圧しているそうだ。

 

 ドルディア族が号令を掛ければ、他にも長耳族や小人族などと言った大森林に住まう種族も集う。

 そうなればミリス神聖国とて、戦争ともなれば大きな痛手を被る。

 

 よって長い交渉が始まったそうだ。

 

 そして2日目の深夜。

 奴が俺を訪ねて来た。

 北聖ガルス・クリーナーだ。

 組織の仲間に悟られぬ様に、変装してまで接触を図ってきたらしい。

 

 

「大事になっちまったようだな」

 

「雨季には間に合いませんかね?」

 

「だろうな。ドルディア村に向かうだけなら間に合うだろうが、大森林を抜けるとなると最初の計画は破綻だ。まぁ、こういう事態も予想してなかったわけでもねぇさ。別プランを実行するまでさ」

 

「なるほど、道理で落ち着いているんですね」

 

 

 大金が確実に入ると知っているからか、ガルスにはゆとりを感じられた。

 ふと、ルイジェルドと俺が殺した連中に思う所は無いのかと尋ねてみたが、組織内の対立派閥だったようで、むしろ好都合だと笑っていた。

 

 

「ところで大金を手にしたら、ガルスさんはどうなさるんですか? 密輸組織から足を洗うおつもりですか?」

 

「まぁな。褒賞金を元手に、お天道様の下を歩ける商売でも始めようかと考えている。今の稼業は明日の命さえも危うい日々でウンザリしててねぇ」

 

 

 全うな商売が一番ってことか。

 

 

「だが、すぐには組織を抜けられねぇよ。組織内部じゃそれなりの地位にあるもんでね。段階を踏んで独立を名目に抜けるつもりだ」

 

 

 マフィアやヤクザみたいなものか?

 組織を脱退するには相応の対価が必要なのだろう。

 

 

「だから安心しろ。俺は仔犬ちゃんの裏をかいたりしねぇからよ。ましてや雨季の寸前を狙って、ドルディア村を襲撃なんて事もしない」

 

「えらく具体的な想像ですね。もしかして1度は、そんな計画も練っていたとか?」

 

「他の連中がどうかは知らんが、さてな? だが、素直に()()()に従っておけば、俺の望んだ未来に進むって考えただけだ。わざわざリスクを冒す必要もねぇ」

 

()()()……?」

 

 

 それってヒから始まってミで終わる神様だったりしない?

 ま、あんな怪しい神様が俺以外の前にそうそう現れるとは思えん。

 

 

「なんであれ、ドルディア族と役人共のゴタゴタが片付いたら、またこっちから会いに来るわ。ミリシオンに着くまでは、よろしく頼むぜ。仔犬ちゃん?」

 

「えぇ、こちらこそ。北聖のガルスさんが護衛に付くのなら心強いです」

 

「はっ! 番犬の旦那1人で十分だろうがな。そう言って貰えんなら嬉しいねぇ」

 

 

 契約継続の証に握手を交わして、ガルスの背中を見送った。

 若い頃には、かなり悪さをしでかしたようだが、これを機に更正するつもりのようだ。

 別に奴が善人になるってワケじゃない。

 しかし、悲しむ人間が減るというのは喜ばしいことだ。

 

 特に今回の件は……俺は人を殺しすぎた。

 だから、救われる命が増えることを祝福しよう。



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33話 ドルディアの村防衛戦

 数日後、ミリス神聖国はドルディア族とのこれ以上の対立を避ける為に、正式な謝罪を表明。

 莫大な賠償金を支払う事を決定した。

 

 各集落に拐われた子どもらを返還するのに、時間を取ったが、人数の割には1週間以内に完了。

 ザントポートに集めた戦士達が、各集落まで付き添って送り届けたようだ。

 

 ギュスターヴ、ギュエスらの案内で、俺たちはドルディア族の村に厄介になることにした。

 その際、ガルスが同行。

 

 密輸組織の一員である彼を、ギュエスはえらく警戒し、反発していたが──。

 ガルスは組織を秘密裏に裏切って、今回の奴隷解放を手引きしてくれたと説明。

 そこまでしてようやく溜飲を下げてくれた。

 

 しかしガルスは、雨季の間の約3ヶ月間、組織を留守にしても良いのか?

 そう質問すると、奴隷狩りの為に遠征するなど、ままある事らしく、今回もそういう口実をでっち上げてきたようだ。

 

 さて、ドルディアの村までの道程。

 こんな一幕があった。

 

 

「む……。集団が此方へ接近している。距離はまだ遠いがな」

 

 

 ルイジェルドの額の眼が敵を捉えた。

 その報を受けて、ガルスは舌打ちを一つ。

 思い当たる節があるらしい。

 

 

「あんたらがぶっ殺してくれた派閥の残党だな? 損害を埋める為に、形振りを構わなくなったみてえだ。俺の認識が正しければ、ドルディアの村を襲撃する腹積もりだな」

 

 

 そういうわけか。

 ならガルスに非はあるまい。

 むしろ内部事情に詳しい彼の存在が、こちらに優位をもたしてくれる。

 

 

「数時間後には、奴らは村に到達するだろう」

 

「でしたら、村の戦士団を入口に配置して迎え討つというのはどうか? 子ども達の返還に同行し、帰還していない戦士もいるので手薄ではあるが」

 

 

 ギュスターヴの提案にルイジェルドは頷く。

 エリスは、トーナとテルセナの護衛を引き続き、買って出る。

 ちなみに、テルセナは本来ならばアドルディアの里に暮らす住人らしいが、雨季の近付きを鑑みて、ドルディアの村に滞在するらしい。

 

 

 

「しかし不味いぜ?」

 

「どう不味いんですか?」

 

 

 ガルスに問うと、苦々しく口を開いた。

 

 

「対立派閥の残党には腕利きの剣士が居てな。剣神流の男なんだが……」

 

「剣聖だったりします?」

 

「ご名答だ。元は剣王候補にも名が上がった程の男でな。先代の剣神との間で不和が生じて破門された人間なんだ」

 

 

 正式に剣王には至らなかったものの、それに準ずる実力者ってわけですかい?

 いや、でもこっちには天下無敵のルイジェルドの兄貴がおわすのだ。

 恐れるに足りんよ。

 

「名をウィンドル・クラッシャー。ヤツとは酒の場の余興で一戦交えたが、太刀打ち出来なかった。底が知れない男だよ」

 

「それは……手強そうな相手ですね」

 

 

 そして詳細が語られる。

 ウィンドル・クラッシャー。

 剣聖ながら準剣王相当の剣士。

 光の太刀に限りなく近い域の無音の太刀を武器に、数々の競合密輸組織の人間を殺めてきたらしい。

 

 年齢は五十代後半、種族は人族だが、数世代前に魔族の血が混じっているそうだ。

 世代的にはギレーヌとは面識は無さそうだな。

 

 その後も、戦闘スタイルだとか行動の癖だとかの情報を全員で共有する。

 手下も少なくない数を引き連れてくる事が予想されるとも。

 

 やがて、6時間程の移動を経て、ドルディア族の村へと到着した。

 余談だが、獣族の彼らだけなら、身体能力の差で時間を半分程度は短縮出来ていた事だろう。

 

 

──

 

 ドルディア族の村は月並みな表現だが幻想的だ。

 地上には家庭菜園レベルの畑やら簡素な小屋が存在する程度に留まるが、木々の上には無数の住居が建っていた。

 木々の間には吊り橋が掛けられており、その上を獣族の人々が行き交っている。

 ドでかい木の切り株の上では、若い戦士同士が訓練に励んでいた。

 

 それはさておき、状況は切迫している。

 ギュスターヴやギュエスの動向に注目だ。

 

 ギュエスが聖獣様に住み処へ戻るように語り掛け、大きなワンちゃんは、俺の顔をたっぷりと舐め回してから駆け出して行った。

 ワンちゃんの為の犬小屋か何かが、村の何処かにあるらしい。

 

 

「戦士長! ギースと名乗る男が、お目通しを願いたいと訪ねて来ております! いかがなさいますか!」

 

 

 村の若い男衆が数人、ギュエスに向かって報告する。

 

 

「何者だ、そやつは。今はそれどころではないというのに」

 

「何でも人族の迷い人を捜しているようでして」

 

「例の転移災害の遭難者か? もしや……ルーディア殿とエリス殿か……」

 

 

 眼で問うギュエスにコクりと頷いておく。

 

 

「たぶん、私たちの事でしょう。ギースという方が、どなたかは存じ上げませんけど」

 

「そうだったのだな。では、襲撃までしばしの時間があるだろう。面会をされてはどうか?」

 

「はい、そうします」

 

 

 ギース氏とやらと面会する運びとなった。

 場所はデドルディア族長であるギュスターヴの自宅。

 ギュエスやルイジェルドは、防衛陣地を築く為に不在だ。

 

 ガルスは敵対する相手が組織の人間という事で、裏切りの発覚を恐れて村の者に匿われている。

 

 5分くらい経って、その男は姿を現した。

 一言で言えば猿顔の男。

 たぶん魔族だろう。

 

 ノミの湧いてそうな毛皮のベストを上半身に纏い、ペテン師のような風体。

 ガルスよりは見た目に愛嬌がある。

 

 

「俺はギースって言うんだが、嬢ちゃんは……。一目で分かっちまったぜ。ゼニスの娘だよな」

 

 

 顔を合わせた途端にその一言。

 この男、ゼニスの知り合いか?

 思い出話に出てきた黒狼の牙。

 パーティー内でシーフを務めていたという男の名前を思い出す。

 たしかそいつの名もギースだった気がする。

 

 

「母さまのお知り合いなんですね……」

 

「ああ。転移災害で行方不明ってんでな。独自に捜索してたのさ。アスラ王国の発表によると、アレは魔力災害って話だが、知ってたか?」

 

「えぇ、人伝に聞きましたから」

 

 

 ヒトガミから聞いたよ。

 そうでなくとも、割と早い段階から魔力災害だと世間じゃささやかれていた。

 各大陸の各国の宮廷魔術師が自信ありげに、発表していたそうだ。

 

 転移の際、フィットア領からは、根こそぎ生命が奪われた。

 つまり生命を構成する魔力そのものが、何かの弾みで吸収され無差別な土地にぶっ飛んでいったのだ。

 転移直前、キュムロニンバスが不発に終わったのも、転移という事象に魔力を吸い上げられたからだろう。

 

 もしアレが無ければ、転移現象は更なる魔力を求めて災害区域を拡大させていたかもな。

 まぁ、俺のテキトーな推測に過ぎんけど。

 

 

「ではギースさん。私の家族の所在を知りませんか?」

 

「親父さんのパウロの事なら知ってるぜ? フィットア領捜索団の団長なんかを務めてるらしい。俺もまだ会っちゃいないがな」

 

「よかった、良かった……。父さま、ちゃんと生きてくれていたんだぁ……」

 

 

 ヒトガミに既に教えられていたが、半信半疑だったのだ。

 ヤツもテキトーな性格だからな。

 だがギースの言葉で確証を得た。

 パウロはやはり無事だったのだと。

 

 

「母ちゃんのゼニスと、妹のノルンはラトレイア家で保護済みらしいぜ。ちょいとキナ臭い事になってるみてえだけどな」

 

「それは何となく知ってます」

 

 

 ラトレイア家から捜索願いが出ていたのは俺だけ。

 状況からゼニスとノルンの無事を導き出せる。

 キナ臭いという言葉が気になるが、現地に到着してから、この目で確かめればいいだろう。

 

 

「で、パウロの妾と、その娘に関しては俺も情報を掴めてねぇんだ。悪いな、嬢ちゃん」

 

「いえ、今の安否情報だけでも有り難いです。あ、申し遅れましたね。私はルーディアといいます」

 

「そうか、ルーディア。パウロと違って礼儀正しいんだな。尤も俺は、パウロの人柄も割と気に入ってたんだがな」

 

 

 パウロは、かつての冒険者仲間に毛嫌いされていたみたいだが、ギースとやらはそれほど悪い印象を持っていないのか?

 人間関係ってのは複雑怪奇。

 相性さえ良ければ、そう易々と仲違いしないのかもな。

 

 

「そっちのボレアス家のお嬢の家族については、まだ何も判明しちゃいねぇな。運が良けりゃ生きてるとは思うが」

 

 

 エリスの両親と祖父については、変わらず不明と……。

 サウロス、フィリップ、ヒルダ……。

 俺としても彼らの無事を願うばかり。

 

 

「私の家族よ! 無事に決まってるわ!」

 

「お、おう? まぁなんだ。無事を祈ってるぜ」

 

 

 空元気ってやつだろうか。

 エリスは家族の生存を信じて、明るく振る舞う。

 

 

「それにしてもギースさん。間の悪い時にここを訪れましたね? 雨季もそうですけれど、今からここを襲おうっていう密輸組織が迫って来ているみたいです」

 

「マジか……。さっきから妙な空気が流れてるとは思っちゃいたが。俺は戦闘に関しちゃあ、てんでダメなんだがなぁ」

 

「迎撃の準備は進んでいるみたいですし、避難をオススメします。非戦闘員の方の避難誘導を地上でしているみたいですし」

 

「いや、俺も微力ながら協力させてくれや。ゼニスの娘を放って、自分だけ安全圏で見物なんざ、男が廃るってもんよ」

 

 

 へぇ?

 なかなか男気が、あるじゃないのよ。

 一時はSランクパーティー黒狼の牙に籍を置いていたという男だし、それなりの身のこなしを期待しても良いんじゃないか?

 

 

「盾くらいにはなってやるよ」

 

「いや、それは……。もっと自分を大切にすべきかと」

 

 

 自己犠牲は好かない。

 どの口が言うのかって話だが。

 

 それから防衛陣地の構築完了の知らせを受けて、作戦会議となった。

 俺とエリスは主に避難民の護衛。

 敵の数は、手薄となっているこの村の戦士団よりも上回る事が予想された。

 

 主戦力は──

 ・帝級相当のルイジェルド

 ・王級相当のギュスターヴ

 ・聖級相当のギュエス

 ・他中級相当の戦士達

 

 護衛戦力は──

 ・聖級相当の俺

 ・聖級相当のエリス

 ・初級相当のギース

 ・他中級相当の少数の戦士

 

 ルイジェルドを中心に戦線は展開されることだろう。

 俺たちは討ち漏らしから、非戦闘員の住人らを守ることが主だった役割だ。

 

 

──

 

 

 その時は訪れた。

 (やっこ)さん、気配を隠すつもりもないのか、怒号を散らしながら村へと侵入してきた。

 まぁ、実際の様子は村の奥で護衛に就く俺とエリスには分からないが、遠くから聞こえる喧騒で、おおよその状況は読める。

 

 

「エリス……。もしかしたら敵は、私たちを予告もなく殺しに掛かってくることでしょう」

 

「ええ。殺される前に、殺す必要も出てくるって言いたいんでしょ?」

 

「正解です……」

 

 

 既に彼女は覚悟を決めているらしい。

 剣士という性質上、至近距離での命のやり取りが前提となる。

 斬った斬られたの話は、剣術の指南役だったギレーヌより受けているのだろう。

 

 

「敵は人間じゃなくて魔物よ。卑劣な連中に慈悲なんて掛けても、こっちが損するだけよ」

 

「魔物ですか……」

 

 

 それが戦う者の認識ってやつか。

 自身を害してくる存在を看過すれば、いずれ再び危機が訪れる。

 であれば、その原因を断ち切らなきゃいけない。

 理屈としては解りやすい。

 

 

「ちょっと焦げ臭くねえか?」

 

 

 ギースが唐突に指摘する。

 確かに煙たく、燃えるような香りが漂ってきた。

 周囲を確認すると、黒煙が辺りからモクモクと上がっていた。

 

 

「奴ら放火しやがったなっ! ドルディア族の嗅覚を潰すつもりだ!」

 

 

 ドルディア族の感知能力は鋭敏な聴力と嗅覚によってもたらされている。

 その内の片方を封じられ、数の暴力で攻め込まれたら、戦況は不利に傾く。

 

 つまり敵は戦況を支配する為だけに、放火なんていう卑劣な手に出たんだ。

 早急に対応しなきゃ死人が増える。

 

 

「表に出て魔術で消火に当たります! お2人はここで護衛をお願いします」

 

「お、おう! ヤバそうだったら、すぐに駆けつける。盾になるって言ったのは本気だからよぉ!」

 

 

 慌てふためくギースは、腰の鞘から剣を抜いて構える。

 

 

「ムチャはしないでよ、ルーディア! 姉を置いて死んじゃったら、後を追っちゃうからね!」

 

「いや、追わないで下さいよ」

 

 

 後追い自殺なんて笑えない冗談だ。

 しかし、エリスならやりかねない。

 だったら俺も、生還も約束しよう。

 

 

「エリス、この戦いが終わったら結婚しましょう!」

 

「ちょ、な、何よ! いきなり!」

 

 

 顔を真っ赤にして反論するエリスをその場に置いて、俺は火消しの為に走る。

 例の魔力付与品(マジックアイテム)の仮面を、静かに装着する。

 

 

──

 

 

 村の中には死体がゴロゴロと転がっていた。

 ただし密輸組織側の人間のものが圧倒的に多い。

 数ではこちらが劣るが、ルイジェルドの立ち回りで被害自体は最小限に抑えられているようだ。

 老戦士のギュスターヴだって居る。

 

 それでも数だけはネズミのように多い人族の悪党。

 少なくない数が、村の中心部まで入り込んでいた。

 俺をドルディア族側の戦力と見て、敵が3人殺到して来た。

 

 

【三方向より切り掛かってくる】

 

 

 予見眼で危機を察知。

 慌てず冷静に対処する。

 初級クラスの戦士相当の敵の背後から、水弾(ウォーターボール)を撃つ。

 先日の奴隷解放時の手法と同じだ。

 

 心臓を撃ち抜かれて、敵は息絶える。

 不思議と今は罪悪感は生まれなかった。

 あ、そうか。

 ただ魔物を討伐しただけなのだ。

 だから俺は殺人なんて犯しちゃいないのだ。

 

 さてと、消火だ。

 最初の目的を忘れるな。

 空に手をかざして雲を生み出す。

 今回は雷を落とす必要性が無いので、ただ単に雨雲を作りだした。

 上級水魔術『大雨(スコール)』だ。

 聖級水魔術のキュムロニンバスよりも難易度の低い魔術ゆえに、あっさりと雨雲は完成し、村全域に土砂降りの雨を発生させた。

 

 ものの数分で完全鎮火。

 一時は劣勢に追い込まれていたドルディア族の戦士達は勢いを取り戻して、完全に盛り返した。

 

 

【背後より投擲剣が飛来】

 

 

 身体を地面へと投げ出すようにして回避。

 

 

【敵が5人、周囲を取り囲んでいる。一斉に斬りつけようと駆けてくる】

 

 

 やべ!

 対応が間に合わない!

 咄嗟に3人をノータイムで発動出来るお得意の昏睡(デッドスリープ)で無力化。

 残りの2人は無傷のまま。

 顔を庇うように両腕を交差させたが、容易く肘から先を斬り飛ばされる。

 

 痛覚を瞬時に遮断し、苦痛を軽減させた。

 だが、不味い。

 急に両腕を失っては、身体のバランスが崩れて動きづらい。

 まともな回避は取れないと考えるべきだ。

 

 

「てこずらせやがって……」

 

 

 にじり寄る敵。

 その背後をドルディア族の戦士が斬りかかるが、直前に別の敵に斬り伏せられた。

 

 これ、死んだな……。

 エリスとの結婚の約束を直前にしてきたというのに、呆気ない幕切れだ。

 男らの刃が眼前に迫る。

 装着した仮面は剣先で切り裂かれていた。

 

 座標指定魔術の発動を試みるも、思考が定まらず上手くいかない。

 死を目前とした事で、脳が機能を低下させているのか。

 なぜ今に限って、この身体は火事場の馬鹿力を発揮しないのだろうか?

 

 

【ギースが横から飛び込み、剣で敵の首をハネ、もう1人の敵が応戦する】

 

 

 未来が見えた──。

 俺の人生にはまだ続きがあるらしい。

 

 読んだ展開に介入してやる。

 予想通り、ギースが現れて1人を殺害した。

 そんな彼を斬り捨てようと敵がダッシュするのが見えた。

 

 今は思考が冴えている。

 スムーズに魔術は発動し、水弾(ウォーターボール)が頭部を破壊する。

 脳漿が撒き散らされ、人間だったものが地面に横たわった。

 

 

「おぉ! ナイスアシストだったぜ、ルーディア!」

 

「ギースさんこそ、助かりましたよ……」

 

 

 両腕を失った俺の姿を見て、ギースは硬直していた。

 痛み自体は痛覚を麻痺させてるから無い。

 騒ぐほどの事じゃないのだ。

 

 

「ギースさん。そこに転がってる私の両腕を運んできてもらえますか? そして断面に密着させて下さい」

 

「あ、あぁ……。まさかそれで治るって言うんじゃないよな?」

 

「治りますよ、この程度の怪我なんて」

 

「はあっ……?」

 

 

 驚嘆しながらも彼は忠実に指示に従ってくれた。

 失った両腕は1分とせずに元通り。

 後遺症も皆無だ。

 肩を回して健在っぷりをギースに思い知らせてやる。

 

 

「有言実行でしたね。ギースさんに庇っていただいて」

 

「治ったとはいえ、腕を切断されちまったけどな。しかし……お前、ぶっとんでやがるな……」

 

「我ながらそう思います。目指すは魔王バーディガーディに比肩する不死性です」

 

「狂ってやがるぜ。だが味方だってんなら、頼もしいか……」

 

 

 立ち上がってみるとフラついた。

 ギースに支えられながら、避難民の護衛へと戻る。

 命のやり取りというのはこの分だと、一生慣れなさそうだ。

 

 

【ギュスターヴとギュエスが吹き飛ばされて来る。ルイジェルドが敵の剣を受け止め、膠着状態が生まれる】

 

 

 右目の捉えた未来は旗色が悪い。

 予見した未来が現実となる。

 身体中に傷を負ったギュスターヴとギュエスが、俺とギースの脇へぶっ飛んできた。

 息はあるようだが、しばらく立ち上がれそうにない。

 

 敵の長大な剣を穂先で受け止めるも、力で押し込まれ後退するルイジェルドの姿。

 脚に力を入れ踏ん張っているが、徐々にその身体は後方へと下がっていく。

 

 ルイジェルドの相対する敵は──剣聖ウィンドル・クラッシャーだ。

 

 はぁ?

 どうして帝級クラスのルイジェルドが劣勢を強いられてんの?

 

 

「ルーディア! 俺ごと魔術でヤツをやれっ……!」

 

 

 物騒な事を兄貴分は言う。

 それは……無理だ。

 俺の本気の魔術は魔王バーディガーディすら木っ端微塵にする超火力。

 溜める時間が短かろうと危険性は変わらない。

 

 ましてやルイジェルドを追い詰める程の剣士。

 ルイジェルドの身を案じて、半端な威力で放っても通用するとは思えない。

 

 

「おいおい……! ありゃ剣聖ウィンドル・クラッシャーかよ!」

 

 

 ギースも知る有名な名前らしい。

 ガルスも奴については高く評価していた。

 

 

「娘よ、ガルスのクソ野郎はどこだ? 裏切り者には制裁を加えねば」

 

 

 ウィンドルが声を掛けてくる。

 その声色は肩をゾワゾワとさせる冷たさ。

 問いに答える思考回路ごと凍りつかせる冷気。

 

 

「さ、さぁ? なんのことだか……」

 

「ガルスの裏切りは先ほど知った。強襲のつもりだったが、こうも準備が良いとは。ミリス大陸南部に奴隷狩りに赴いたというガルスを疑わざるを得ない」

 

 

 物的証拠も目撃証言も無い?

 状況証拠だけで仲間の裏切りを断定するとは、察しが良いのか思い込みが激しいのか。

 なんにせよガルスさん?

 貴方、ピンチですよ!

 

 

「チッ……ウィンドルの兄貴。気付いてやがったか……」

 

 

 当事者たるガルスが現れた。

 そのまま逃げれば良かったのに……とは言えない事情がある。

 大森林は間も無く雨季に入るので抜けられない。

 ザントポートに戻れば、組織の裏切りをウィンドルに告発されて居場所を失い、粛清される結果が待ち構えている

 

 ならば、ここで裏切りの事実を掴むウィンドルを殺すしか生き残る道は無い。

 勝っても負けても、対峙する選択しか無かったんだ。

 

 

「そうさ、俺は組織を裏切った。いい加減、あの稼業には嫌気が差してきてな」

 

「そうか。ならこやつらを始末した後に、お前もあの世へ送ってやる」

 

 

 瞬間、ルイジェルドとの膠着状態から脱し、前触もなく光の太刀が放たれる。

 ギレーヌより遅いが、4年前のパウロよりは速い!

 尤も、4年前時点のパウロは剣神流上級で、使用した技も下位互換の無音の太刀ではあったが。

 

 さて……。

 俺の予見眼でも追い切れなかったその絶技の結果は……?

 

 ルイジェルドは三叉槍で受け流していたが、ガルスは避け切れなかったのだろう。

 肩から血を流して片膝を地面につく。

 

 

「浅かったか……。そこのスペルド族に剣筋をズラされたな」

 

 

 

 淡々と技の失敗を語る。

 コイツ……強い。

 剣聖以上剣王未満なんて甘えた認識は捨てた方がいい。

 

 正規の剣王とは別の方向へ振り切った剣術を我流で身に付けたに違いない。

 あのルイジェルドでさえ防戦を強いられる事から、下手をすれば帝級以上だ。

 魔族の血が剣神流破門後に、思わぬ成長を促したらしい。

 

 

「くそがっ……。()()()はこうなるなんざ、言ってなかったぞっ……」

 

「誰かに裏切りを唆されたか? 愚かだ。お前ほどの男が他者の意見に行動を左右されるとは」

 

「俺にはやりたい事があってねえ。その手っ取り早い手段がアイツに従うことだったが……。ハッ、情けねえ。騙されていたみたいだ……」

 

 

 諦観。

 ガルスの声からは全てを諦めた男の本心が漏れだしていた。

 

 

「仔犬ちゃん……! 俺はこれまで散々悪事を働いてきた! それこそ今のウィンドルと変わらねえ事だって山ほどしてきたぜ! だがよぉ……最後くらい善人ぶらせてくれやっ……!」

 

「ガルスさん、貴方は……!」

 

 

 そう言ってガルスは深手を負いながら無謀にもウィンドルへ斬りかかる。

 ウィンドルの剣がガルスの胸を貫いた。

 が、ガルスは倒れない。

 必死にしがみつき、敵の動きを拘束する。

 

 

「離せっ……! 死に損ないがっ……!」

 

 

 ウィンドルの剣はガルスを貫いたままびくともしない。

 抜くことは叶わない。

 

 

「俺ごとやれ……! 仔犬ちゃん……! ()()()に出し抜かれたままじゃ終われねえ……!!」

 

 

 その声は果たして、何故俺を動かしたのか。

 死に際の男の声に何を感じ、何を思ったのか。

 

 俺は無意識に杖を手に取り──。

 ()()()()()()()()()へと至った水弾(ウォーターボール)を放っていた。

 威力にして帝級──。

 魔王バーディガーディをも葬りし死の魔弾。

 

 そして剣聖ウィンドルは死に、北聖ガルスもまた──死んでいた。



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34話 ドルディアの村での生活

 その日は気絶するようにして眠った。

 俺はまた人を殺したのだ。

 魔物なんかじゃない人間(ガルス)を殺めてしまった。

 俺が手を下さなくとも、彼の命はそう長くはなかった筈だ。

 ウィンドルに胸を貫かれ、数分と経たずに死んでいたことだろう。

 

 しかしその僅かな命の死期を早めたのは、他でもない俺自身。

 それに自分でも解らない気持ちがある。

 

 ルイジェルドごと敵を攻撃出来なかったのに、何故ガルスを巻き添えにして攻撃したのか。

 無自覚に命の優先順位をつけていたのか。

 本心では彼は仲間じゃないから、死んでも構わないと思っていたのか。

 

 そんな自分の汚れた心が、どうしようもなく嫌いになってくる。

 

 彼の死に際の姿が鮮烈に頭に焼き付いている。

 生涯忘れる事の無い、人の死に様だ。

 

 

──

 

 

 翌日、ガルスの遺体を埋葬した。

 荼毘に臥した後に、遺骨を埋めたのだ。

 遺体の損傷は激しく、頭部などが消失していた。

 僅かに残っていた片足部分のみが、彼の存在した証だ。

 ギュスターヴとギュエスは、彼をドルディア族の、ひいては大森林の英雄として語り継ぐ意思だと語る。

 

 彼の遺骨が眠る地には墓石が建てられた。

 俺が土魔術で簡素ながら設置してやったのだ。

 雨季の大洪水に備えて、浸透しないように、念入りに魔力でコーティングを施す。

 ワンシーズン程度なら持つだろう。

 

 ガルスは確かに悪人だ。

 でも最後に目にしたヤツの姿が、俺にとってのガルス・クリーナーという男の全て。

 だからその死を悼んでやろう。

 

 残党についてはほぼ死んでいたが、僅かな生き残りはドルディア村の牢屋に押し込め、雨季が終わり次第、ザントポートの役人へ引き渡すことになった。

 

 

 結末としてはこんな感じだ。

 

──

 

 

 ルイジェルドは己の弱さが招いた事だと、頭を下げてきた。

 ギュスターヴやギュエスも、幼い俺に、仲間殺しを強いたことに心を痛めていた様子だった。

 

 エリスは、ツラい時にそばに居てあげられなくてゴメンと言っていた。

 また彼女を悲しませてしまった。

 ボレアス家での誘拐事件でも、エリスには嫌な思いをさせたっけな……。

 

 だがエリスを責められる理由も動機も無い。

 彼女だって戦えない者を決死の覚悟で守ったんだ。

 事後報告になるが、彼女の下にも密輸組織の手勢が押し寄せたそうだ。

 

 死の恐怖を戦意で誤魔化し、計8人の悪党の命を苦しみながらも刈り取ったという。

 なまじ剣術の才能に恵まれたエリス。

 容易に奪えた命の軽さに困惑しているように見えた。

 

 苦悶の表情の痛ましさに、お互いに抱き締め合って慰めたものだ。

 というか、今も俺とエリスは身体をくっつけて、温もりの交換をしている。

 

 

「私、あんな大きな口を叩いておいて……。ずっと手が震えてるの。人を殺すのは初めてだったから」

 

「私はザントポートで経験しました……。自分で決めた道なのに、その険しさに立ち止まってしまいそうです」

 

「ゴメンね、ルーディア。私はお姉ちゃんなのに、道にも気持ちにも迷ってばかりで」

 

「それでもエリスは()のそばに居てくれるんだろ……?」

 

「うん……」

 

 

 人殺しはこの世界では当たり前のことだ。

 辛いかもしれないが、いつまでも引き摺っていては、明日の我が身すら存続が危うい。

 

 ルイジェルドだって、多くの命を奪いながらも、今も必死に生きているじゃないか。

 彼の戦士の誇りの真似事を、拙いながらもしてやろうと思う。

 正義の味方ってわけじゃないが、せめて大切な者を絶対に守る心意でいよう。

 

 

──

 

 

「ではギレーヌは、ルーディア殿の指導のお陰で全うな人間へと成長したということですかな?」

 

 

 ギレーヌの実兄であるというギュエスに、最後に会った際の彼女の近況を語ってみた。

 すると目を見開き、耳をピクピクと微振動させて驚いたような反応を示す。

 

 

「ルーディア殿を疑うつもりは無いが、まさかあの愚妹が……」

 

「ギレーヌはスゴいのよ! 信じないのなら、もうギレーヌの事は何も教えてあげないんだから!」

 

 

 この村で人間語の通じる貴重な相手とあってか、エリスはギュエスに対しては、多少なりとも気を許している。

 ギレーヌに似た顔立ちというのも、心を開いた要因として大きいか。

 妻帯者である彼が、そんなエリスにつけこむロリコンでないことを祈ろう。 

 

 さて、エリスはギレーヌを誰よりも尊敬している。

 師であり、姉であり、友とも呼べる存在。

 会話を重ねる内にギュエスから出てきた発言に引っ掛かりを覚えたらしい。

 小馬鹿にするとかおちゃらけた雰囲気ではないが、彼の侮蔑的な態度に苛立っているようだ。

 

 

「いや、すまない。お二人がそう言うのなら事実なのだろう。誰しも、人生において過ちを犯すのは当然だ。私も恩人であるお三方に矛を向けてしまった前科がある」

 

 

 ザントポートの件をまだ気にしているらしい。

 しかし、間違いを認める姿勢は見習いたい。

 俺は馬鹿だから、学んだつもりでも何度でも間違えがちだ。

 だから失敗も多い。

 

 

「ではギレーヌの事を教えて頂いてもよろしいか? 私はあやつの事を、兄としてしっかりと見てやれなかった。今になって悔いているのです」

 

「ふふん! 聞きたいのなら最初から素直になってれば良いのよ!」

 

 

 得意気にギュエスに対して優位に立ったつもりでいるエリス。

 言うなれば自慢の姉の話を人に語る妹。

 長女ギレーヌ、次女エリス、三女ルーディアという構図が生まれるな、これは。

 

 

「是非、エリス嬢の口からお聞かせ願いたい。今ならば私は妹とも対話したいと考えている。その為には、まずギレーヌの事を知りたいのです」

 

「いいわよ! 一日じゃ語り尽くせないかもね!」

 

 

 その発言は正しく、日を跨いで、ギレーヌの英雄譚が語られた。

 横で聞いていたが、エリス視点のギレーヌの話というのも新鮮さがあって暇はしなかったよ。

 

 

──

 

 

「ルーディア! エリス! もっと色々な事を教えてニャ!」

 

 

 雨季が始まり、地上は大洪水。

 木々の上の町で暮らし始めて早くも1週間が経過していた。

 

 村の空き家を借りて過ごす内に、ザントポートで助けてあげた、トーナとテルセナとは非常に親しくなった。

 そこにエリスを交えて、女の子4人の仲良しグループの出来上がりだ。

 

 それぞれ獣神語、そして人間語が話せないから、俺が間に入って通訳をしている。

 次第に彼女らも片言ながら、お互いの言葉を理解するようになり、日常会話程度なら、会話ペースは遅くとも可能となっていた。

 

 トーナは好奇心旺盛で村の外の話にも興味津々。

 いつか姉リニアーナのように外へ留学したいと興奮しながらも話していた。

 

 犬耳のテルセナは、のんびりした性格だが、意外と食い意地が張っている。

 とりわけ外界の食べ物の話になると、身を乗り出して食いついてきた。

 この場には、テルセナの望む食い物は無いんだけどなぁ。

 

 さて、ここで特筆したいことが一点。

 トーナもテルセナも、やたら俺やエリスに対して距離感が近い。

 何気ない瞬間に身体を密着させてくるのだ。

 本物の犬猫みたいである。

 

 種族の特性なのか、テルセナは俺たちとそう年も変わらないというのに、おっぱいが大きい。

 トーナは微乳程度だが、テルセナはとにかく膨らみがスゴい。

 

 今の俺よりも確実に巨乳だな。

 ロリ巨乳の称号はテルセナに譲ろう。

 彼女にこそ相応しい。

 

 水浴びも専ら4人一緒。

 真っ裸の年頃の少女たちが、素肌を隠すこともなく恥部を晒している。

 イヤらしい言い方だが、俺にとっては眼福だ。

 

 エリスなどはチラチラと俺の胸に視線を向けては逸らす。

 仕返しにこちらからは、エリスの胸をガン見してやった。

 堂々としていた方が、変態っぽさは薄れるというものだ。

 

 そんな下らない争いの最中、俺とエリスの両方から発情の匂いが漂っていたらしく、テルセナに冷めた眼で見られた。

 

 対称的にトーナはそういった方面には疎いらしく、無邪気に俺とエリスのおっぱいに顔を埋めて、じゃれついてきた。

 

 その光景に心惹かれたのか、顔をしかめたテルセナも、我慢しきれなかったようで、パフパフ大会に飛び入り参加。

 

 爛れた日々を過ごしたもんだ。

 エリス、テルセナのそれぞれの胸の感触を、俺は忘れない。

 トーナのちっぱいも俺好みだ。

 成長したらギレーヌくらいの豊胸にはなりそうだが。

 

 

──

 

 木の上に築かれた町を散策する。

 アテもなく歩くというのも悪くない。

 しかし、俺の後ろにはエリスかトーナが必ず引っ付いてくる。

 テルセナは、トーナの後ろにトコトコと付いてくるような感じだ。

 ただ、テルセナは俺の胸の弾力にゾッコンのようで、昼寝などをする際には、必ずと言って良いほど添い寝してくる。

 それも俺のおっぱいを枕にして。

 

 見た目は純粋無垢でおっとりしてそうな顔をしているのに欲望に忠実な子だ。

 きっとテルセナはムッツリスケベだ。

 

 4人で歩いていると、ギースと道ですれ違う。

 彼も村を救った功労者という事で、それなりに歓待されている。

 村の男衆とは酒やギャンブルと、付き合いが盛んのようだ。

 

 

「よお、ルーディアにお嬢。それにドルディアのお姫様たち」

 

 

 そういえば、トーナはデドルディア族長の孫娘で、テルセナはアドルディア族長の孫娘。

 本家本元であることから、つまりはお姫様だ。

 俺とエリスも人間性はともかくとして、貴族の血を引いてるからお嬢様。

 いわば、高貴なる子女のコミュニティである。

 

 

「ギースさんはここでの生活を満喫していますか?」

 

「おう、楽しんでるぜ。ドルディア族ってのはギャンブル好きな癖に、ちょっとしたイカサマにすぐ引っ掛かるから、チョロいもんよ!」

 

「うわっ! 悪い人ですね? 通報した方が良いですか?」

 

「軽い冗談じゃねえか! ちゃんと節度を持ってギャンブルに勤しんでるぜ?」

 

 

 賭博に節度ってあるのか?

 

 

「そんなことよりルーディア。折り入って頼みがあるんだが」

 

「イカサマの片棒を担ぐつもりはありませんよ」

 

「そうじゃねえって。雨季が過ぎたらミリシオンまで同行させてくれねえか? 聖剣街道を通れば魔物こそ出ないが、一人の時に山賊とかに襲われちゃあ、たまらねえ」

 

 

 聖剣街道とは大森林を真っ直ぐに走る整備された街道だ。

 首都ミリシオンまでひたすら続いているので、道に迷うことは、余程の方向音痴でない限りはあり得ない。

 

 本来なら、ガルスの案内で別ルートを使い、最短時間で大森林を抜ける予定だったが……。

 彼はもうこの世には居ない。

 まぁ、その別ルートというのも雨季の洪水を回避する迂回路としての最短ルートだ。

 出発日こそ大幅に遅れるが、通常時であれば、大人しく正規ルートを選んだ方が移動自体は楽なものである。

 

 

「構いませんけど、出発日に寝過ごしたら置いていきますからね」

 

「ひっでぇな、これでも俺はルーディアの命の恩人だぜ?」

 

「恩人でも5分前行動を心掛けて下さいね。社会人の常識ですよ」

 

「いや、どこの常識だよ」

 

 

 現代日本の常識です。

 社会人という言葉よりかは、労働者という単語の方が、この世界では馴染みがあるか。

 

 

「とにかく頼むぜ。置いてきぼりはまっぴら御免だ」

 

「わかってますよ。両親の旧友で、それも私にとっての恩人にそんな仕打ちはしませんから」

 

 

 その場でギースとは別れ、仲良しグループで村の散策を続ける。

 今の会話は人間語で行われていたが、トーナの様子が何やらおかしい。

 断片的にだが、俺とエリスがいずれこの村を発つ事に感づいているっぽい。

 

 

「にゃあ、2人とも村を出ていくつもりなのかニャ?」

 

「まだ出ていきませんよ。雨季の間は、滞在しますよ。それに、この村は居心地が良いですからね」

 

「よかったニャ! 明日からもずっと一緒ニャ!」

 

 

 無邪気に勢いのまま抱き着いてくるトーナ。

 その行動を羨んだエリスが、そばで無防備でいたテルセナを自らの胸の中に手繰り寄せる。

 

 俺とトーナ、エリスとテルセナというカップリングの完成だ。

 お互いの目がある中で、白昼堂々と浮気というのは、やけに興奮する。

 

 

「ち、違うからね! 私の一番はルーディアだからね!」

 

 

 弁明を開始するエリスが微笑ましい。

 解ってるぜ?

 俺にとってのナンバーワンは、いつだってエリスさ。

 トーナとは遊びでしかない。

 エリスだってテルセナを戯れに抱いているに過ぎないのだろう。

 

 

「すんすん……。ルーディアもエリスも、またエッチな事を考えてるの?」

 

 

 鋭い嗅覚で嗅ぎ付けたテルセナの指摘に肝を冷やす。

 監視されているようで窮屈な思いだ。

 だがテルセナさん?

 貴女、かまととぶってますけどエリスの抱擁に満更でもない顔をしてらっしゃいますね。

 人の粗ばかり言うテルセナは、エリスにお仕置きとばかりに、ことさらに胸に顔を押し付けられた。

 

 エリスのおっぱい、そろそろDカップに到達しつつあるか?

 彼女も14歳の誕生日が近いしな。

 ますますの女性的成長が望める。

 その過程を間近で観察させてもらおう。

 

 

──

 

 

 2週間が経過。

 雨期の最中でも、水に流されてきた魔物が村に出現する。

 村の子ども達が襲われそうになる一幕があった。

 ドルディア族の戦士の警備の眼とて完璧じゃない。

 間隙を突いたように現れた魔物を、ちゃちゃっと魔術で退治してやる。

 

 おかげで俺は、村のケモ耳幼女達からヒーローとして崇められて大人気。

 対抗心を燃やしたエリスも、トーナとテルセナにカッコいい姿を見せるべく、多くの魔物を屠った。

 張り切りすぎてポッキリと折れなきゃ良いが。

 

 しかし、俺の目から見ても彼女の雄姿には惹かれるものがあったな。

 思わず『キャー抱いて!』等と口走ったら、その日の晩には抱き枕にされて暑苦しかった。

 挙げ句に頬擦りとかされたし。

 獣族の子どもの距離感を、エリスも獲得してしまったのか……。

 うーん、最高!

 

 

 3週間が経過。

 この短期間でエリスは獣神語を、トーナとテルセナ達は人間語をほぼマスターしてのけた。

 読み書きはまだ未熟だか、もはや会話で俺の通訳の世話など必要あるまい。

 話しているなかで判明した新事実。

 トーナとテルセナは意外と耳年増であり、ガールズトークの話題も、アダルトな方面へと転換していった。

 

 俺らと過ごす内に、幼い女の子らしからぬ知識を蓄えてしまったらしい。

 今では村の男の子よりも、人族の女の子に対しての方が、魅力を感じるとのこと。

 変な性癖を植え付けてしまったか……。

 ドルディア族宗家の雲行きが怪しくなってきた。

 

 だが、この百合文化の輪を世界に広めて行こう。

 ガールズラブを布教するのだ。

 ミリス教と真っ向から対立しないように根回しをしておこう。

 あぁでも、ミリス教の教義に同性愛が禁忌等とは記されてはいまい。

 暗黙の了解というやつだ。

 

 汝、一人の伴侶のみを愛せ──。

 それとも、一人の相手を愛すべし、だったかな?

 字句などは多少異なるが、そんな具合の内容だ。

 同性の相手ならば浮気にはならない判定でよろしいか?

 

 

 1ヶ月が経過。

 俺らの過ごす家にトーナとテルセナが入り浸り、寝食までをも共にし始めた。

 ルイジェルドにも甘えるようになり、頭を撫でられると喉をゴロゴロ鳴らしてリラックスしていた。

 いやまぁ、比喩表現だが、まるで実の父親に対しての態度であった。

 

 

「トーナにテルセナと言ったな。この子らと仲良くしてもらっていること、感謝する」

 

「にゃあ! あたちらの方が仲良くしてもらってるニャ!」

 

「そうだよ、ルイジェルドさん! ルーディアとエリスのおかげで、毎日が楽しいもん!」

 

 

 父親目線のルイジェルドは、まるで俺とエリスのことを我が子同然に扱う。

 彼としても、これまでの人生でこれ程までに長く、子どもと行動を共にした事は無いはず。

 戦士としての使命とは別に、身内のような情が湧いたのだろう。

 そりゃあ嬉しい。

 今日からルイジェルドの事を、お兄ちゃんではなくお父さんと呼んであげるべきか?

 

 

「ルイジェルドさんはまるで私たちのお父さんみたいですね?」

 

「悪くはない響きだ……。俺にそう名乗る資格は無いだろうがな」

 

「何よ、ルーディアの言葉を否定するつもり?」

 

「いや、素直に受け取っておくさ。しかし、懐かしい言葉を耳にしたと思ってな」

 

 

 過去に思いを馳せているようだ。

 彼は不器用ながらも息子さんとは深い親子愛で結ばれていた。

 そんな記憶の断片を時々語ってくれる。

 

 優しい笑みを浮かべて、ギュスターヴの下へ酒の付き合いに赴くと言って、家を出ていった。

 去り際の彼の背中は寂しそうではあったが、空虚なものではない。

 俺の思い違いでなければ、その背には俺とエリスという子どもがしっかりと背負われている。

 そんな気がしてならなかったのだ。

 

 

 1ヶ月半が経った。

 ちょうど雨期の折り返し地点である。

 雨脚はまだ強い。

 湿気も強い。

 そしてエリスの性欲も強い。

 

 この頃のエリスは、沐浴の際に鼻息を荒くして、舐めるような視線で俺の裸体を眺めてくる。

 彼女の祖父サウロスも、獣族のメイドに対して性豪だったが……。

 

 孫娘のエリスにもその素質があったらしい。

 尤も、彼女の興味の対象はルディちゃん()

 寝込みを襲われないように警戒する日々だ

 約束はしているのだ。

 俺が15歳を迎えるまでは手を出さないと。

 これでいてエリスも律儀な人間だから、約束を破る事はないと信じよう。

 信頼って大事よね?

 

 

 2ヶ月が過ぎた。

 

 最近になって聖獣様が我が家に現れるようになった。

 普段は村の奥で手厚く世話を見られているようだが、毎日散歩の時間を使って、俺の下へと足繁く通っているらしい。

 

 貴重な自由時間を割いてくれている事実に感謝を。

 

 

「ごきげんよう、聖獣様」

 

「ワン!」

 

 

 ワンちゃん特有の忙しい呼吸音と、派手に揺れる尻尾。

 見た目は仔犬なのだが、縮尺が異様に大きい。

 ちなみに俺の二つ名も仔犬だけど、おっぱいが大きい。

 意識してなかったけど、俺と聖獣様は共通点があったようだ。

 

 このワンちゃんが懐いてくる理由も、そこにあるのかもしれない。

 頭やら顎を擦ってやると、腹を魅せて転がる。

 うむ、可愛らしい。

 どの世界でも犬と言う生き物は、人間に癒しを与えてくれる。

 

 

「聖獣様はルーディア殿にお心を許しているご様子。貴女様にも、聖獣様を良くして頂いて感謝しております」

 

 

 聖獣様の世話係の1人、ラクラーナという女戦士が迎えに来た。

 どうやら自由時間の終わりが近いようだ。

 

 

「聖獣様はこうおっしゃっています。ルーディア殿は救世主のお母上になるお方だと。いえ、お父上と表現すべきなのでしょうか? 判断しかねます」

 

「はぁ……そうですか」

 

 

 救世主が一体何なのかは知らないが、俺の子孫が将来、英雄にでもなる預言か何かかしら?

 まあ、犬様の言うことだから本気にはしちゃいないさ。

 

 

「おわっ……!」

 

 

 このワンちゃん、あろうことか俺のまたぐらに鼻先を突っ込んできた!

 そこに救世主とやらは居ないよ?

 

 

「失礼、ルーディア殿! 聖獣様も悪気は無いのです」

 

「え、えぇ。解っていますよ? 突然の事に驚いてしまっただけです」

 

 

 数秒ほど聖獣様は匂いを嗅ぎと取ると、キョトン顔で首を傾げる。

 いや、だからそこに救世主は居ないの!

 

 

「ルーディア殿は人族の女性でいらっしゃいますよね?」

 

「そうですが?」

 

「貴女が将来授かるお子を大切になさって欲しいと、聖獣様はおっしゃっています」

 

「もちろん、子が生まれたのなら可愛がりますよ」

 

 

 俺が男と女のどちらと結ばれるのかと言えば、おそらくは後者の女性だろう。

 しかし現実的に人族の女性同士で子を成すことは不可能だ。

 それこそ魔大陸に転移して間もない頃に、ルイジェルドから耳にした特殊な魔族の体質を獲得しなきゃあり得ない話だ。

 

 この世界の不妊治療の解決手段として、いずれは研究を進める予定ではいるが──。

 聖獣様の言葉は話半分程度に受け止めておこう。

 

 ま、不死性を追い求める中で、あわよくばって感じだ。

 どうも俺は女性しか愛せない女らしい。

 だからエリスとの愛の結晶だって欲しい。

 時間と努力を費やす価値はあるだろう。

 救世主云々とか抜きで挑戦してみるか──。

 

 そして残りの1ヶ月もトーナ達と遊んだり、聖獣様と戯れたりして過ごす。

 その間も俺の胸の成育は留まる所を知らず、目測ではあるがDカップへと至る日の近づきを予感した。

 

 これもエリスが寝惚けたフリをして、俺の胸を揉み続けた成果だ。

 あまり大きくなられても困り者なんだが……。

 その後、村の女性らに新しいブラジャーを新調して貰った際に、改めて測定したところ──。

 

 12歳になるまでにまだ半年以上もあるというのに、俺のおっぱいは正式にDカップ認定されてしまった──。



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35話 出発、聖剣街道へ

 雨期の終わりを迎える。

 その事象が意味するのは、旅を再開するということだ。

 出発は明日。

 前日である本日は旅支度。

 

 村の人達が馬車や馬の手配、旅費の提供などをしてくれるそうだ。

 ザントポートには1週間程度しか滞在出来ず、冒険者ギルドの依頼も受けられなかっただけに、ありがたい申し出だ。

 

 情けは人の為ならずとは、この事だと深く実感する。

 巡りめぐって徳は返ってくるのだ。

 

 全て順調かと思われた矢先。

 1つトラブルが発生してしまう。

 エリスとトーナの間で喧嘩が起きてしまったのだ。

 村を出ると言うエリスを引き留めようと、トーナがしつこく付きまとったのだとか。

 

 エリスとしても数少ない同年代の友だちだ。

 離れるのは彼女をして心情としては嫌な筈だ。

 けれどアスラ王国には帰らなければならない。

 家族だって依然として行方が知れない。

 その足で捜すのだ。

 

 そんな事情を考慮せず、年相応に子どものワガママでエリスの旅路を邪魔立てするトーナ。

 荒っぽい手に出てしまった。

 

 端的に言えば、トーナがエリスをビンタしたのだ。

 

 お前は友だちを置いていくのか、友だちだと思っていたのは自分だけなのか。

 そういった旨の罵声を添えて。

 

 これにはエリスも腹を立てる。

 俺の教育の賜物で殴り返す事こそなかったが、すっかり、へそを曲げてしまった。

 

 やれやれだぜ。

 俺が仲裁に入ってやらないと。

 そう判断して、争う2人の間に割り込ませて貰った。

 そばにはあたふたしているテルセナの姿。

 おっぱいが揺れてる。

 

 

「2人とも、落ち着いて」

 

「ルーディア……。聞いてよ! この子ってば、聞き分けが無いのよ!」

 

「エリスだって、あたちを置いていくなんて薄情者ニャ!」

 

「別に置いていくつもりじゃないわ! トーナは家族がそばに居るでしょ! 私は居ない! だから捜しに行かなきゃいけないのよ! 分かりなさいよ!」

 

「そんなのあたちに関係ないニャ! 家族ならあたちがなってあげるニャ!」

 

 

 ふむ、そういう流れで話しは平行線をたどり、ヒートアップしたと……。

 厄介な問題だ。

 家族が絡むとエリスの意見の正当性が実証される。

 そうでなくとも旅立ちは当初より確定している。

 トーナには我慢してもらう他にない。

 

 

「トーナ? 寂しい気持ちは分かるけど、別に今生の別れというわけじゃないんだよ。生きてさえいれば、また会えるよ」

 

「そんな事を言って! ルーディアもエリスみたいに、あたしらを見捨てるつもりかニャ!」

 

「それは違うよ。見捨てるくらいなら、はじめから友だちになんてならないって」

 

 

 俺にまで噛みついてきた。

 なんて強情な子なんだ。

 ギレーヌもガキの頃は、周囲の言葉を一切聞かない乱暴者だったそうだし……。

 まぁ、トーナはまだマシな方だろう。

 

 

「こほん。あのね、トーナ。行方不明の家族にはギレーヌ叔母さんも含まれているんだ。君のお父上の大切な家族だよ?」

 

「ギレーヌおばさんかニャ? ねーちゃんが尊敬してる人ニャ」

 

 

 ねーちゃんとは、外に留学しているというリニアーナを指している。

 

 そのねーちゃんが尊敬する人物とは、ドルディア村では一族の面汚し呼ばわりされるギレーヌだが、姪達にとっては強さの象徴であり、憧れの対象なのだろう。

 

 

「そうよ! ギレーヌは私の大事な家族なの! だから見つけ出してあげないと!」

 

「……みつけたら、また会いに来てくれるニャ?」

 

 

 光明が見えてきた。

 

 

「当たり前でしょ! トーナとテルセナの事だって好きだもの!」

 

「あたちもエリスとルーディアのことが好きニャ……。でも居なくなるのは寂しいニャ……」

 

 

 ショボンとするトーナの肩は力なく下がる。

 そんな彼女の肩を、テルセナがそっと抱く。

 

 

「私も寂しいわ……。無理は承知だけれど、貴女たちを旅に連れて行きたいくらい……」

 

「私も同感です……」

 

 

 悲しい気持ちは同じ。

 言い争う事なんて必要なかったのだ。

 きっとこの感情なら分かち合える。

 

 

「ぐす……あぁ、寂しいなぁ」

 

 

 真っ先に泣いたのは俺だ。

 他の面々も涙ぐむ。

 だが大粒の涙を流しているのは、やはり俺だけだった。

 泣き虫になってしまったらしい。

 

 

「なによ、ルーディアが一番悲しそうにしてるじゃないのよ……」

 

「いえね……。なにぶん、女の子ですから」

 

「私だって女よ。でも姉だから泣かないわ」

 

「私は妹だから、泣かせて頂きます……」

 

 

 決して大声を上げるような泣き方じゃない。

 けれどシクシクとじわりと涙が溢れ出る。

 その後しばらくは、エリス、トーナ、テルセナの3人に慰められる。

 喧嘩の仲裁のつもりが、ルディちゃんを慰める会へと転じてしまった。

 結果オーライというとこで、ひとつお目こぼし願いたい。

 

 

──

 

 

 出発点直前。

 ギュスターヴとギュエスらがお見送りに来てくれた。

 それにトーナとテルセナも。

 

 名残惜しい気持ちを乗り越えて、各々握手を交わしてゆく。

 

 

「2人ともお元気で」

 

「うんニャ!」

 

「また会おうね?」

 

「いつかきっと会いに来るわ!」

 

 

 言葉は少ない。

 でもその一言に多くの感情が込められていた。

 いつかの再会を誓って──。

 

 

「行くぞ。旅はまだ長い」

 

「空気を読んで下さいよ、ルイジェルドさん」

 

「む、すまん」

 

 

 水を差されて苦言を呈する。

 悪気は無いのだ、きっと。

 

 

「もう行くね。またね、トーナ、テルセナ」

 

「私たちが居ないからって泣くんじゃないわよ」

 

「もう泣かないニャ!」

 

「バイバイ、また遊ぼうね」

 

 

 お互いの姿が見えなくなるまで手を振り続け、俺たちは、ドルディア村での3ヶ月を終えた。

 

 そして俺はガルスの事を忘れない。

 あんたの生き様を、俺がどこかで語ってやるとしよう。

 

 

──

 

 

 聖剣街道の移動は平穏なものだ。

 前評判通り、全く魔物と遭遇しない。

 ミリス教団の開祖・聖ミリスの奇跡などと言われているが、その真偽は定かではない。

 しかしその恩恵に与っているのもまた事実。

 魔大陸とは比較にならない快適な旅を満喫しよう。

 

 

「ひとつ気になるのですが、ギースさんはルイジェルドさんの事が怖くないんですか?」

 

 

 ルイジェルドはスペルド族だ。

 ドルディア村では英雄として歓迎を受けたが、他の土地や、部外者にとっては変わらず恐怖の対象。

 魔大陸じゃデッドエンドの活躍で、悪名は薄れつつあるが、ここはミリス大陸。

 現地で出会ったギースの認識を知っておきたい。

 

 

「怖いっちゃ怖いが、実際に話してみると旦那は良いヤツじゃねえか。怯えるのも馬鹿げてやがらあ」

 

「へぇ?」

 

 

 人懐っこい性格の彼が言うのだ。

 事実なのだろう。

 

 

「それに俺は過去に旦那に命を救われた事がある。知らないだろうが、俺は旦那と同じビエゴヤ地方の出身でな。冒険者として駆け出しの頃に恩がある」

 

「すまん、俺には覚えがない」

 

「無理もねえ。もう30年以上も前の話だ。人助けが趣味の旦那にとっちゃ、数ある救助者の1人に過ぎねえよ」

 

 

 なんであれ、ルイジェルドの人間関係の輪が広がった。

 こういった人脈が後々に効いてきたりする。

 思わぬ場面で助けられたりな。

 

 

──

 

 

 街道では一定距離毎に野営地に最適なスポットが点在する。

 俺たち一行も日が暮れる前にテントを設営して、夜が明けるのを待つ日々を繰り返す。

 

 ギースの思いがけない特技として料理がある。

 店でも開けば繁盛する事は受け合いだ。

 食事に対しての満足感は生活の幸福にも繋がる。

 

 それに加えて、彼は話上手で、どんなに小さな話題でも大きく広げてしまう。

 話していて全く飽きが来ないのだ。

 口下手なルイジェルドでさえ、彼が相手ともなれば、普段の3倍は言葉数が増加する。

 

 俺やエリスだってギースとの会話を日常の娯楽として位置づけていた。

 

 ただ、エリスは彼に対してひとつだけ不満を漏らす。

 その料理の腕を見込んで、指導を願い出たがどれだけ粘っても最終的に断られていた。

 何でも女に料理を教えると、不幸な未来しか訪れないのだとか。

 聞いたことの無いジンクスだ。

 

 推測だが、冒険者時代にゼニス辺りに料理を教えたのだろう。

 その後、パウロと結ばれて温かい家庭が築かれたが、転移災害でバラバラに。

 不幸と言えば不幸だ。

 

 

「エリス、料理なら私が教えてあげますよ? あまりギースさんを困らせるものじゃありません」

 

「ルーディアに美味しい料理を振る舞いたかったんだけどね……。うん、貴女に直々に教えて貰えるのなら文句は無いわね」

 

「そのやり取りを見てると、どっちが姉か分からねえな」

 

「茶化さないで下さいよ。エリスが機嫌を悪くします」

 

 

 とはいえエリスには以前、付きっきりで料理を教えた事がある。

 俺の10歳の誕生日の直前だったと記憶している。

 なおも料理の上達を望むとは、見上げた向上心だ。

 

 

「あれ、この石碑は──」

 

 

 キャンプ地にて見慣れない石碑を発見する。

 大きさは膝程度の高さで、中央には奇妙な文字と紋様が刻まれている。

 いや、文字は読める。

 闘神語だな、これは。

 意味は数字の7だ。

 その周囲を一周するように紋様が刻まれていた。

 

 

「そりゃあ、七大列強の序列を示す石碑だ。順位の変動は魔術で自動的に反映されて表示されんだ」

 

 

 ギースが補足を入れてくれた。

 七大列強か……。

 パウロが昔、概要を教えてくれたな。

 

 上から順に、技神、龍神、闘神、魔神、死神、剣神、北神だ。

 ん?

 この石碑に刻まれている紋様の序列七位が、北神流の紋様とは異なるぞ?

 

 

「ギースさん。この石碑、いつの間にか登録者に変動があったみたいですね」

 

「あん? お、マジだ。北神流とは縁もゆかりもねえ紋章だな」

 

 

 紋様しか刻まれない為、異名までは読み取れない。

 しかし、この紋様には見覚えがあった。

 

 

「ブエナ村の村章だ──」

 

 

 石碑に刻まれるのは、各列強当事者に所縁のある家紋であったり、流派の紋章だったりする。

 つまりブエナ村出身の何者かが、北神を打ち負かして入れ替わったのだろう。

 

 

「七大列強とは懐かしいな。俺もかつては七大列強に名を連ねるべく、修練に励んだものだ。しかし、長らく変動は無かった筈」

 

 

 ルイジェルドが懐かしむ様に、遠くへ視線を向けた。

 

 

「そりゃあ、最近になって北神と誰かがやり合ったってこったな。旦那も列強の座を狙ってみるか?」

 

「今は興味は無い。この子達を守る力の方が重要だ。先のドルディアの村防衛戦では、不覚を取り不様を晒してしまった」

 

 

 ギースの冗談にも真面目に返す。

 しかし、血気盛んな奴も居たものだ。

 大きな戦争も無いこのご時世に、命のやり取りなんてするとは酔狂なことだ。

 

 だが俺には関係ない。

 きっとチート染みた力を持った狂った武芸者なのだろう。

 関わったら命が幾つあっても足りない。

 パウロに会ったら言い含めておこう。

 

 七大列強の事など記憶の片隅に追いやって、聖剣街道を進む。

 

 1ヶ月ほどで大森林を抜け、青竜山脈へ到達。

 そこも3日ほどで踏破し、やがて俺たちは人族の領域、ミリス神聖国の国土へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

─フィットア領捜索団・本部設営地─

 

 

 北神三世アレクサンダー・C・ライバックは、義憤に駆られてフィットア領を訪れていた。

 中央大陸全土より、人々が不当に拐われ、この土地へと送られているという噂が広く流れている。

 英雄志望の彼としては見過ごせない悪事。

 

 悪の首魁パウロ・グレイラット。

 彼の首を討ち取り、悪虐に苦しむ人々を救い、誰もが認める英雄となりたい。

 子ども染みた絵空事だが、本心から人々を救い出したいと思い、遠路はるばる参ったのだ。

 

 パウロの本拠地であるフィットア領捜索団の名を借りたアジト。

 目の前まで来ると、いよいよ気を引き締まる。

 其処には人が居た。

 年齢層は様々。

 捜索団本部と共に難民キャンプも併設されており、上は老人から下は赤子までと様々。

 彼らはきっと、パウロによって無理やり連れてこられて、その上で労働を強いられているのだろう。

 

 なんて不遇だ、なんて不憫だ。

 一刻も早く悪の親玉を討ち、彼らを解放してあげねば。

 

 敵に関する事前調査は済んでいる。

 パウロ・グレイラットは剣神流の剣士であり位階は剣王。

 その実力は剣帝をも超える域にあるのだとか。

 他にも水神流と北神流にて上級認定。

 剣士としての理想形だ。

 北神流の長たる己にとって相手に不足無し。

 

 英雄になる足掛かりとしては最適な相手だ。

 敵が強大であればあるほど、撃ち破った時の名声も高まるというもの。

 胸が踊り、血肉沸き立つ想いである。

 

 夢心地でいる自身の精神性は幼稚だと自覚している。

 されど悪党を打倒するという目的に、貴賤など問われまい。

 

 蛮行を止めねば。

 そして息の根を断たねば。

 使命感がアレクサンダーの思想を操る。

 

 まず視界に入るは、青髪の少女。

 杖などを携えて魔術師然とした風体。

 眠たそうな瞳をしているが、それは日々課せられた強制労働による疲労故か。

 

 あぁ、なんて可哀想なのだ。

 彼女のようないたいけで麗しい少女が、このような劣悪な環境下で、自由と精神を縛りつけられているだなんて……。

 

 尚更に、アレクサンダーに大義名分を与える。

 この国に巣食う非道に及ぶ悪達者を成敗してくれよう。

 

 さて、手始めに彼女から情報の聞き取りを行うところから行動を始めよう。

 初対面の自分では中々に信用を得難いとは理解している。

 さりとて、君たちを悪鬼より解放すべく馳せ参じたのだと伝えてしまえば、あとは快く事情を話してくれる筈だ。

 

 地獄の中の希望であろう。

 救済を以て幸福の未来へと引き上げるのだ。

 

 

「やあ、お嬢さん。君の時間を少し僕に分けてくれないかい?」

 

 

 怪しい者ではないと主張するように、意識的に笑顔を心掛ける。

 外見にして十代後半のアレクサンダーは、爽やかな好青年を演じた。

 

 

「もしかして貴方のご家族の方が被災されたのですか?」

 

 

 不審者ではないとまずは認めてくれた。

 好感触を得て、思いがけず笑みを強める。

 

 

「いや、別件でここを訪ねたんだよ。僕はアレクサンダー。君に聞きたい事があって声を掛けさせてもらったんだ」

 

「はぁ……。わたしはロキシー・ミグルディアです。あなたのご用向きは?」

 

「なあに、時間は取らせないよ。この場所について、詳しくお尋ねしたくてね」

 

「見ての通り、フィットア領捜索団本部ですよ。あちらに案内板があります」

 

 

 冷然としたロキシーの態度に、対応を誤ったのでは? 

 瞬時にそう思うに至ったが、もしや監視の目を気にして、あえて素っ気ない態度を取っているのだと判断する。

 

 ならばもたついている場合ではない。

 この一秒すらも彼女の心を蝕む悪夢の時間。

 機を待たずして、こちらから打って出るのが最良の選択。

 

 

「単刀直入に訊こう。パウロ・グレイラットの現在の所在を知っているかい? もしそうであれば、この僕に教えて欲しい」

 

 

 所在確認だ。

 この地を活動の拠点としている事実に、誤りが無いかを問う。

 欺瞞情報であれば、誘い込まれたということだ。

 アレクサンダーのような命を狙う輩に対しての防御策。

 敵にそれだけの知恵があるとすれば、目標の達成は困難を極める。

 パウロ・グレイラットは、ここでは無い何処かで悪徳を積み重ね、まだ見ぬ民達を慟哭に追い込んでいるのだ。

 想像するだけではらわたが煮えくり返る。

 

 

「……はぁ。そういうことですか……」

 

「解ってくれたのかい? 良い子だ。不安になる必要は無い。全て僕に任せてもらえば、万事解決だ」

 

 

 

 話せば通じ合える。

 会話の重要性を今一度確認する。

 

 

「あなたはパウロさんを狙う刺客ということですね? では、わたしに倒されて下さい」

 

 

 が、望んだ答えは返ってはこなかった。

 反抗の意を込められた言葉。

 あろうことかアレクサンダーは、宣戦を布告される。

 

 

「ウォーターボール──!」

 

 

 詠唱はしていた。

 しかし、アレクサンダーの知る詠唱文より、幾らか文節が短縮されていた。

 眼前へと迫る水弾は、身を半歩退くだけで避けられる。

 けれど肉体への傷は皆無でも、精神に負った傷は、見た目以上に大きい。

 

 

「危ないじゃないか。僕でなければ、怪我をしていたよ」

 

 

 抗議する。

 子どもだから混乱しているのかもしれない。

 大丈夫、自分は英雄だから子どものイタズラくらい、寛容になってあげよう。

 そんな心境で彼は、ロキシーへと歩み寄ろうとする。

 

 

「その場から動かないで下さい。貴方にはアスラ王国に対しての敵対行動の疑いが掛けられています。大人しく投降する事をオススメいたします」

 

「敵対行動だって? それは違うさ。この国は悪人に脅かされている。僕はそれを断罪しに来たんだ」

 

「容疑者はどうとでも言います。パウロさんから託されたこの任務。わたしは全うします!」

 

 

 語尾を強めたロキシーが、持ち得る限りの攻撃魔術をアレクへと放つ。

 初級から上級まで。

 ことごとくが詠唱の短縮化が施されており、魔術師の限界値を容易く超えた。

 

 

「仕方の無い子だ。手荒な真似は控えたかったんだけどね?」

 

 

 必要に迫られて、アレクサンダーは背負っていた大剣を抜いて構える。

 実父・北神二世より譲渡された王竜剣カジャクト。

 名工ユリアン・ハリスコが生み出しし魔剣。

 重力操作の能力を秘めし武装ではあるが、目の前の少女に使うまでもない。

 

 あくまでもこの剣を振るう理由は、少女の放つ魔術を真正面から両断する為。

 それが証拠に、アレクサンダーは剣を盾にしてロキシーの下へ駆ける。

 高威力の魔術に対しては、膂力を用いて上方から下方へと振り下ろし斬り裂いて突破。

 

 十分に距離を詰めた後に、少女の背後へと身を転じる。

 首後ろに手刀のひとつでもくれてやれば、容易く意識を刈り取れた。

 力無く倒れる少女を優しく受け止めてやり、丁重に地面へと横たえる。

 

 

「悪漢パウロに洗脳されていたのか。奴を倒して解放してやらないとな」

 

 

 眠るロキシーに呟いてから、周囲の状況を視覚ではなく肌で察知する。

 一流の武芸者たる己が闘気による超感覚がそうさせた。

 

 

「来たか……。パウロ・グレイラット」

 

 

 その者の出現を確信する。

 強引に配下に加えた凄腕魔術師(ロキシー)を破ったアレクサンダーに業を煮やしたのだろう。

 自らの手で敵を討たんとして出張って来たと見る。

 

 そして獲るべき首は現れた。

 人族の青年だ。

 30歳前後で無造作に伸ばされた茶色の頭髪と、長く放置された無精髭が粗野な印象を周囲へと与える。

 

 

 

「坊主……。ガキの遊びに付き合ってる暇なんざ、無えんだがな。ウチの(ロキシー)に手を出しやがったからには、死ぬ覚悟も出来てんだろうな……?」

 

「娘……? この子とあなたとでは種族が違うようですが?」

 

「娘同然だ……」

 

 

 事情は知るよしも無い。

 けれど悪逆非道な行いを続ける限りは、世界から排除すべき大敵である事実は揺るがない。

 

 

「僕は不治瑕北神流、北神三世アレクサンダー・カールマン・ライバック! 正義の名の下に、パウロ・グレイラットを成敗しに参った! あなたを倒し、英雄になるんだ!」

 

「英雄だぁ? くだらねぇ……。てめえみたいな若造が北神様とはな。北神流ってのも程度が知れるぜ……」

 

「言っておくが僕には不死魔族の血が流れている。見た目通りの年齢と侮らない事だな」

 

 

 両者見合って剣を構える。

 合図も無しに戦端が開かれた。

 

 

──

 

 

 妙な少年だと思った。

 魔族の血を引くであろう者こそが、現在対峙している北神三世。

 自分──パウロ・グレイラットよりも幾らかは長く時を刻んでいるだろうに、その精神性はまだ歩行を覚えたばかりの幼児に同じ。

 

 思慮深さとは縁遠い短絡的で浅はかな考えを以てして、自身を討伐すべく赴いたのだと言う。

 苛立つ。

 歯軋りは止まず、焦燥感が身を焦がす。

 こんなところで時間を浪費している場合ではないのだ。

 

 家族の居場所を探し当てるべく、24時間体制でほぼ不眠不休の中での襲来。

 普段であれば適当にあしらって、即座に捜索活動への従事に戻っていた。

 

 だが奴の肩書きは無視は出来まい。

 北神カールマン三世──。

 世界に名を轟かせる七大列強が末席に連なる強者。

 列強と対峙するのは龍神オルステッド以来だ。

 

 油断など許されない。

 彼も話していたように見た目が幼いからといって侮りは大敵だ。

 であれば殺すつもりで、全力の闘気を開放する。

 触れればそれだけで万物を破壊させる剛の気。

 全身を鋼鉄の如き硬度にコーティングし、握力、腕力、脚力……総じてを鬼神の域へと昇華させる。

 

 常軌を逸した身体能力と卓越した技量を武器に、パウロは北神三世を迎え討つ。

 初手より光の太刀を繰り出す。

 序盤より終局の奥義を発動した。

 

 手加減する理由など無い。

 彼にはここで人生を終了していただく。

 剣王程度の自分に敗北を喫し、あの世で懺悔でもしていてくれ。

 

 だが討てなかった。

 鋭い刀身が少年の肌に触れる寸前、ピタリと剣筋に歯止めが掛けられる。

 力で押し込んでも目に映らぬ抵抗により、動きを阻害される。

 仕方無しに剣を戻し、地を蹴って距離を確保する。

 後退の際、彼の大剣が追尾する。

 パウロの闘気を貫いて表皮を裂いた。

 傷は軽微。

 されど技量の差を突き付けられる。

 

 

「驚いたかい? これが王竜剣カジャクトが力。あなた程度の能力では突破は叶わないよ」

 

「北神流のお坊ちゃんは武器頼りの甘ちゃんかよ……」

 

 

 歯噛みする。

 技量に加えて魔族の血に裏付けされた身体機能。

 その上で極上の武装を装備ときた。

 鬼に金棒。

 対して己は脆弱な人族の肉体を闘気で補強したに過ぎない。

 握る刀剣とて一級品とは言い難い。

 全てが敵対者に劣っている。

 実戦経験だって魔族である彼には負けるだろう。

 

 だからどうした?

 

 家族を救わんとする己の障害として立ちはだかるというのなら、そのことごとくを斬り伏せよう。

 彼我との差など考慮に値しない。

 武装の差など戦局に影響などさせるものか。

 気の持ち様で条理ごと砕くのも一興だ。

 

 

「目障りだ、坊主……」

 

「同意見だ。僕もあなたを斬って悪を滅する」

 

「ならオレは正義を斬り、家族を救う」

 

 

 覇道だ。

 義を踏みにじり、前途有る若者の屍を越えて先を行くのだ。

 

 再度衝突する。

 パウロは進撃する。

 魔剣カジャクトの重力の波に圧されながらも、闘気で助走のつけられた肉体は、損傷しつつも着実な前進を見せた。

 

 

「な、なにっ……!」

 

「うおぉぉぉぉっ……!!」

 

 

 虚を突いた猛進にアレクサンダーは驚愕し、平静を崩される。

 大剣を握る手に力が入り、恐れを抱いたままにパウロを切り払わんとした。

 

 鼻先に迫る剣先。

 パウロは咄嗟に、下方向より天へと刀身を上昇させる。

 王竜剣カジャクトは、人族程度の筋力にはねのけられる。

 

 突如として起きた抵抗に北神三世は、表情を強張らせる。

 隙が生じた。

 

 死を予感した北神三世は、土砂を巻き上げながら後退する。

 今放てる最高の技で返り討ちにせんとして大剣を握る。

 

 

「右手に剣を──左手に剣を──」

 

 

 放てば死を免れぬ一撃。

 重力を以て敵の身体から自由を奪い、無防備となった肉体へ超火力の一閃を走らせる。

 

 奥義の名を重力破断とする──。

 

 迎撃の準備は整った。

 瞬きの内に北神は勝利をもぎ取り、悪辣の存在パウロは討ち取られる。

 そう未来視したアレクサンダー。

 

 パウロもまた、その死の一撃を感知する。

 アレを受ければそこで全てが終わる。

 だが、既に回避出切る間合いではない。

 進むのだ、前へ、前へと──。

 斬る、倒す、殺す──。

 己が命を繋ぎ、最愛の家族との再会を渇望せんとして、握る剣に魂を宿らせた。

 

 パウロの光の太刀が炸裂する。

 神速に迫ったそれは、北神流の長の動体視力すらも置き去りにして、大剣を握る両の手を断ち切った。

 

 本来ならば剣帝程度の技量のパウロであったが、龍神との戦闘経験、北神三世との死闘、そして家族への愛が神をも滅ぼす絶技を生み出させた。

 

 娘を守る為に手にした力は、僅かな年数で神の領域へと達したのだ。

 生涯で斬った最初の神域の人物──北神カールマン三世。

 腰を抜かして無様に倒れ、地から天に立つパウロを見上げていた。

 

 

「馬鹿なっ……! どうして! どうしてだ! この剣があれば誰にも負けない! 負けないはずなのに!」

 

 

 子どものように喚くアレクサンダーに容赦などしない。

 続いて右脚、左脚を斬り飛ばし、達磨にしてやる。

 天を仰いだアレクサンダーの胸を踏みつけ、パウロは問いを投げ掛けた。

 

 

「選べ、坊主。このままくたばるか、それともオレの軍門に下るか……。二つに一つだ……」

 

「ふざけるなっ! 僕は死なない! ましてや悪党に与したりもしない! 僕は負けてないんだ! 王竜剣カジャクトの本領はまだ発揮されていないんだっ!」

 

「幾ら剣が優れていようと、てめぇは性能を引き出し切れなかった。その程度の実力だったってことだ。潔く敗けを認めやがれ……」

 

「奥義だってまだ発動してなかった! 重力破断さえ使えば、お前程度すぐに殺せたんだっ!」

 

 

 会話にならない。

 選択肢など与えず、いっそのこと無言で殺すべきであったか。

 だが、この者は使える。

 利用するだけの価値はあるのだ。

 

 

「ここから逆転してやるっ! 英雄はいかなる逆境でも立ち上がるものだっ……! あなた程度、首に食らいついてでも殺してやる……!」

 

「おい、坊主………。温情だ。オレに北神流を教えやがれ。てめえの弟子になってやるよ」

 

「なにを……言ってっ……!」

 

 

 胸を踏む脚に力を入れる。

 圧迫により北神三世の肺から空気が押し出された。

 

 

「が、はっ……」

 

「最後通告だ。オレの部下になれ。手となり足となるんだ。お前の力は斬り捨てるには惜しい。龍神オルステッドへの武器にもなる……」

 

「ぐっ、……。オルステッド……だと……?」

 

 

 七大列強序列二位龍神オルステッド──。

 その名はアレクサンダーの琴線に触れたらしい。

 わめく声はなりを潜め、パウロの続く発言をまっていた。

 

 

「龍神こそが全ての悪の元凶だ。お前が勘違いを起こしてオレを襲った事は不問にしてやる。まずはオレに北神流を教えろ」

 

「僕はあなたという人間を勘違いしていたのか……? どの国を訪れてもパウロ・グレイラットは民を拐い、虐げる悪人だって……」

 

「それこそ誤解だ。知ってんだろ? フィットア領転移事件ってのを」

 

 

 パウロは事細やかに説明してやる。

 お前は、奴隷となったフィットア領民を奪われた各国の権力者の言葉に、ただ踊らされていただけなのだと。

 自分は転移災害の被災者をただ救済しているだけなのだと、理解するまで根気よく伝えた。

 

 

「僕は……なんて勘違いをしていたんだ。あなたこそが、僕の追い求める英雄の理想の姿だ!」

 

「で、どうする? オレは英雄だとかはどうでもいい。だが龍神オルステッドの奴はいずれぶっ殺してやるつもりだ。お前にはその手助けをしてもらいてぇ」

 

「龍神オルステッドはこの世界に仇する敵です。その打倒を掲げるあなたに、僕は尊敬の念を抱いています」

 

 

 急に物分かりが良くなった。

 力ずくで子どもを従わせるのは、パウロの趣味ではないが、目の前に得られる強大な力があるのだ。

 己の価値観など、今は掃いて捨ててしまえ。

 

 

「僕は──。アレクサンダー・カールマン・ライバックは、今日この日より──。主君パウロ・グレイラット様の配下に加わりましょう」

 

 

 その日、パウロ・グレイラットは北神カールマン三世を打ち破り、配下へと引き入れた。

 

 同時に──七大列強序列七位に──。

 龍滅パウロの名が刻まれた──。

 

 王竜剣カジャクトを操る北神カールマン三世を下し、龍神オルステッドを滅ぼさんとする魂の叫びが、龍滅の名を生み出したのだ。

 

 北神カールマン三世撃破の報は瞬く間に中央大陸全土を駆け巡り、龍滅という新たな列強の名は、世に知れ渡る。

 

 それは彼の龍神オルステッドの下へも──。

 




第4章 少年期 渡航編 - 終 -


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第5章 少年期 再会編
36話 ミリス神聖国とラトレイア伯爵家


 ミリス神聖国・首都ミリシオン。

 俺の母親ゼニス・グレイラットの故郷であり、生家であるラトレイア伯爵家の所在地。

 

 この都市に俺の家族──。

 母ゼニスと妹ノルンが居るのだ。

 再会の時を目前として気がはやる。

 

 とはいえ、長旅の直後だ。

 初日は休息日とし、疲労が抜け切ってからラトレイア伯爵家を訪問しよう。

 観光も少しくらいは許されるはずだ。

 

 大森林の代わり映えのしない景色にはウンザリしていたのだ。

 ギースのトーク力で、多少なりとも紛れはしたが、彼が居なければ退屈さに殺されていたかもしれない。

 変化の無い状態は人に心的負荷を与える。

 

 この都市にはグラン湖と呼ばれる湖がある。

 その中央には、荘厳で純白のホワイトパレスが建つ。

 俺らも通ってきた青竜山脈から続くニコラウス川が街の中を流れる。

 川のせせらぎに心が浄化される気分だ。

 

 金色の大聖堂に、銀色の冒険者ギルド本部。

 前者はともかく、後者については是非とも足を運びたい。

 冒険者ギルドの総本山ともなれば設備や人材も豊富だろうしな。

 人脈も築きたい。

 今や俺たちデッドエンドもAランクパーティーだし、有象無象に埋もれるような格じゃない。

 きっと周囲の目を惹くはずだ。

 

 首都ミリシオンは大きく分けて四つの地域に区分されている。

 北の居住区、東の商業区、南の冒険者区、西の神聖区。

 外部の人間が町へ入るならば、南の冒険者区の通用門が推奨される。

 

 他の地区では厳重な身元確認や検問体制が敷かれており、やたらと手間が掛かる。

  雑多な手続きを避け、手っ取り早く町へ入りたければ、一番管理の手が緩い冒険者区が狙い目というわけだ。

 

 もちろん、俺らは南口から町へと入った。

 ラトレイア伯爵家からお達しが出ていると思われるので、俺の人相書きくらいは出回っているだろう。

その為、南口以外でも顔パスで通行が容易かもしれない。

 

 だが、同行者には魔族であるルイジェルドとギースが居る。

 彼らと行動を共にするのなら、南口の冒険者区から入った方が都合が良い。

 

 さて、馬車を馬屋に預け終え、さぁ宿を探そうかと思い立ったタイミングで、ギースが話を切り出した。

 

 

「ここらでお別れだな。ドルディア村での3ヶ月と聖剣街道での1ヶ月、なかなか楽しかったぜ」

 

「もう行ってしまわれるのですか?」

 

 

 旅のパーティーからギースが離脱。

 計4ヶ月もの期間、ギースとは共に過ごした事となる。

 だが離別の時を迎える。

 至上の料理ともおさらばということだ。

 食卓からは彩りが失われてしまう。

 

 

「まだ見つかってねえ家族がいるんだろ? 乗り掛かった船だ。最後まで付き合わせてくれ」

 

「ギースさん……。貴方って人は……」

 

 

 両親の旧縁のよしみにしては、売ってもらう恩が大き過ぎる。

 果たして俺は、彼の望む物を返せるのだろうか。

 

 

「礼は要らねえよ。ただ、俺が危うい事態に陥ったら、ちょいと手を貸してくれねえか?」

 

「私に可能な事であれば、ご助力いたします」

 

 

 何処かしら旅へ出掛けるというのなら、タイミング次第だが護衛くらいは担ってやろう。

 そうでなくともギャンブルでイカサマがバレて、投獄なんて事態になったら弁護なり、保釈金を出すくらいはしてやっても構わない。

 

 

「あんたには最後まで料理を教えてもらえなかったわね。ルーディアに代わりに教わったから、恨み言は言わないけれど」

 

「わりぃなお嬢。俺はジンクスってヤツを信じるたちでな。旦那も風邪とか引くなよ?」

 

「風邪など引いたことはない。だが気遣いには感謝する」

 

 

 軽い挨拶だけ済ませると、ギースはあっさりと俺たちに背を向けて行ってしまった。

 人混みに消えたその姿を、もう目で追うことはかなわない。

 

 

──

 

 

 『夜明けの光亭』という宿に部屋を取った。

 大通りから外れている為か、料金設定は控え目。

 日当たりこそ悪いが、扉には鍵が付いているし、ベッドやシーツも毎日取り替えられており清潔。

 B~Cランク冒険者と、ある程度の身分が保証された客層でトラブルとは無縁。

 

 装備の手入れや、これまでの旅程のまとめ。

 今後の大雑把な予定などを話し合う。

 そんなことをしていたら時刻は夕方。

 冒険者ギルドには明日訪れる予定だ。

 

 パウロに無事を知らせる手紙を出したい。

 送り先はフィットア領捜索団。

 

 ラトレイア家のクレア婆さんは、意図的にパウロに対して情報封鎖をしているきらいがあるしな。

 魔大陸からの被災者保護については、素直にアスラ王国へ報告及び情報提供をしているが、ブエナ村のグレイラット家に関する情報は、全くと言っていいほど道中で耳にもしなかった。

 精々、俺の捜索願いが出されていたくらいで、ゼニスとノルンに関する事柄は、公には一切、明かされていない。

 それほどにパウロとは関わりたくないのだろう。

 

 さて、手紙の内容としては──。

 エリスと一緒に居ること。

 護衛にスペルド族だけど優しくて頼れるルイジェルドが付いていること。

 あとは、ラトレイア伯爵家でゼニス及びノルンと合流出来そうだという旨を記そう。

 

 尤も、ラトレイア伯爵家へはこれから赴くので、どう事態が転ぶかは分からない。

 ギースの話によれば、ゼニスとノルンは保護こそされちゃいるが、軟禁状態にあるらしい。

 俺の祖母であるクレアという人物は、実の娘や孫を束縛する癖でもあるのだろうか?

 

 偏屈な婆さんの姿が頭に思い浮かぶ。

 話が拗れそうだし、心して臨もう。

 まずは対話からだ。

 話し合いで解決可能であるのなら、それに越した事はない。

 

 手紙はやはり、ラトレイア家での用件が落ち着いてからにしよう。

 パウロにぬか喜びさせるわけにもいくまい。

 結果が出てからでも遅くはない。

 彼も既に一年半も妻子の安否を知らずに生きてきた。

 数日の誤差程度、我慢してもらおう。

 

 

「明日は自由行動にします。ちなみに私はラトレイア伯爵家を訪問します。エリスには申し訳ありませんが、一足先に家族と再会出来そうです」

 

「あらそう。家族水入らずの時間を邪魔するつもりもないし、ゆっくりしなさいよね。その代わり、私がお父様やお母様に再会したら、たくさん時間を貰うからね」

 

 

 彼女は肉親の無事を確信しているかのような口振りだ。

 勝手な偏見だが、サウロスやフィリップがそう易々と死ぬイメージが湧かない。

 ヒルダだってあのエリスの母親だ。

 気の強い性格をしているし、そう簡単に心が折れたりはしないだろう。

 

 

「エリスの予定は?」

 

「ゴブリン退治に行くわ! 町で耳にしたけど、この辺りに生息してるみたいね」

 

「ゴブリン……。エロゲーかな?」

 

 

 負けたら性奴隷まっしぐら!

 なんていうド定番の展開は、エリスには似合わない。

 というか俺がイヤなだけである。

 誰が好き好んで、自分の姉をゴブリンの苗床にしたがるのやら。

 

 

「私も同行しましょうか? ラトレイア伯爵家への訪問を遅らせても構いませんよ」

 

「ダメよ。家族は大事でしょ! きちんと会いなさい!」

 

「ですよね? うん、私も会いたくて仕方がありません」

 

 

 家族との再会は待ち焦がれてきた事だ。

 その想いが有ったからこそ、へこたれずに進み続けられていたのだ。

 初心を忘れるな。

 俺の目的は家族との再会であると。

 

 

「エリスならば問題無いだろう。俺が保証する」

 

「現役の一流戦士が言うのでしたら、反論の余地はありませんね」

 

「土産話を楽しみに待ってなさい! ゴブリンを千匹は狩るつもりよ!」

 

 

 そう豪語するエリスは、自身の豊かな胸にポンッと手を当てる。

 何気ない仕草の度に揺れる胸に俺の意識は向いた。

 しかしゴブリンを千匹狩るだなんて大きな見栄を張るもんだ。

 後に引けなくなって、本当に千匹狩るまで帰って来なさそうだぞ。

 

 

「ルイジェルドさんは、どうされますか?」

 

「この町には古い知り合いが住んでいる」

 

「お会いになるんですか?」

 

「あぁ、奴とは積もる話も有る」

 

 

 人族の知人か?

 どこで接点を持ったのか見当もつかない。

 魔大陸に長年閉じ籠っていたと思っていたが、俺の知らない過去など星の数ほど有るのだろう。

 ギースの件にしたってそうだ。

 本人でさえ忘却の彼方へと追いやったエピソードだってごまんとあるに違いない。

 

 何せ彼は御年557歳のご長寿さんだ。

 父性の塊であるルイジェルドは、お爺ちゃんでもある。

 魔族の中でも魔王などの有力な一族を除けば、種族そのものが長寿種。

 積み重ねてきた歴史の中に、どれだけの出会いと別れがあったろう。

 

 三者三様の予定が決まったところで、宿屋に隣接する食事処で夕飯にする。

 人族の国だけあって、食べ慣れた食材、既視感ある料理などがメニューに多数見受けられた。

 ギースの手料理には遠く及ばないが、今後は食事面での不満は減りそうだ。

 

 

──

 

 

 翌日、朝からエリスはゴブリン狩りに、ルイジェルドは知人を訪ねて不在。

 遅めの起床となった俺は、のんびりと朝食を済ませて外出の支度をする。

 

 ラトレイア伯爵家について下調べは済んでいる。

 爵位こそ伯爵位で上級貴族の中では中堅クラスだが、実質的な国内での影響力は計り知れぬほどに多大。

 ミリス教団にも深く食い込んでいる。

 教団内では、大きく二つの派閥に分かれている。

 教皇派及び魔族迎合派。

 枢機卿派及び魔族排斥派。

 

 日々、苛烈な権力闘争に明け暮れているという。

 この内、ラトレイア家は枢機卿派に属しており、魔族排斥活動にも率先して取り組んでいるのだとか。

 いわば鷹派の有力貴族だ。

 俺からすれば悪の走狗。

 

 その積極性はあまり褒められたものではない。

 誤った方向へと精力的だと言える。

 ここまでボロクソに批判する理由は単純。

 俺の知る魔族の人達は、みんな人格に優れた人物ばかりだからだ。

 ロキシー、ルイジェルド、バーディガーディ、キシリカキシリス。

 そんな人達が差別される謂われなど断じて無い。

 

 ルイジェルドなどは、この国では肩身が狭く、気苦労も多い事だろう。

 ここまで送り届けてくれた事実に頭が下がる思いだ。

 今後もデッドエンドの活動を通じて、彼には報いていきたい。

 

 

「服装は旅装でも良いのか……?」

 

 

 それとも貴族の子女に相応しい服装を整えるべきか。

 被災者という(てい)であれば、服装にケチはつけられまい。

 変に凝ろうとしても、ファッションセンスが皆無な上に、貴族向けの衣類を購入する資金も無い。

  気取った格好をせずに、自然体の自分で通すことにした。

 

 

──

 

 

 ラトレイア家のある居住区の貴族街までは徒歩で向かう。

 辻馬車──要するにタクシーの様な乗り物を利用すると普通に金が掛かる。

 服すら買えない俺が、街中の移動程度で贅沢はすまい。

 

 昼前頃になってようやくラトレイア家の前に到着。

 ゼニス達の件が無ければ、距離を置きたかった場所だ。

 まるで鬼ヶ島にやって来たかのような錯覚を起こす。

 あ、なんか……急に目眩がしてきたな。

 後でゼニスに甘やかしてもらおう。

 

 なんつーか、ラトレイア家の屋敷って超デカイ。

 正門は豪奢な彫刻が刻まれ、獅子が両脇に立っている。

 なんとも厳めしい門扉だこと。

 この門だけで、俺がボレアス家の家庭教師として稼いだ額に匹敵するんじゃないか?

 

 門を警備する門兵に一声掛ける。

 案の定、俺の顔を見た途端に、複数の衛兵らを巻き込んで相談を始め『ルーディアお嬢様、大奥様がお待ちです』と告げられる。

 

 屋敷に続く石畳の長い道には、両サイドに大勢のメイドが立ち並んでいた。

 白亜の屋敷から執事らしき男性が現れ、大奥様とやらの下まで案内してくれるらしい。

 大奥様よりも、早く母に会わせてくれよ。

 

 応接間に通され、ソファーに腰を下ろす。

 執事さんに入れてもらった紅茶を飲んでいる内にウトウトし始めた頃。

 俺にとって母方の祖母にあたる老女が慌ただしく扉を開けて入室した。

 

 神経質そうな中年女性といった印象。

 キツめの眼差しに、一瞬たじろいでしまう。

 ツカツカとこちらへ歩み寄ったかと思えば、口を開くよりも前に祖母に抱き締められた。

 

 え?

 どういう意図だよ?

 混乱しながらも初対面のお祖母ちゃんの抱擁に、不思議と抵抗する気にはなれなかった。

 

 

「よくぞ参られました。フィットア領転移事件については聞き及んでいます。さぞ遠方よりラトレイア家へとたどり着いたのでしょうね。長旅でお疲れの事でしょう」

 

「あ、は、はい……」

 

 

 労られているのだろう。

 その口調は見た目に反して慈しみに溢れている。

 

 

「一目で分かります。貴女は正真正銘、我がラトレイア 家次女ゼニスの子であると。ルーディアで相違ありませんね?」

 

「はい、私がグレイラット家が第一子、長女ルーディアです」

 

「幼い頃のゼニスに瓜二つです。私としたことが、申し遅れましたね。私の名はクレア・ラトレイア。カーライル・ラトレイア伯爵の妻です」

 

 

 自己紹介も滞りなく終える。

 身構えていたが、良い意味で拍子抜けだ。

 やはり肉親である俺には、家族としての接し方となるのだろう。

 この分だとゼニスやノルンに対しても、噂ほどの扱いはしていまい。

 ギースのヤツ、テキトーな事を言いやがって。

 

 

「お一人でミリシオンまで来られたわけではないでしょう? どのような御方が同伴になられたのです? ラトレイア家として褒賞金を贈らなければなりません」

 

「それは……」

 

 

 ルイジェルドというスペルド族の魔族の男性です。

 とは──即座に答えられなかった。

 敬虔なミリス教徒にして魔族排斥派の中でも真っ先に名の上がるラトレイア家の夫人。

 口に出した瞬間、態度を翻してしまう事は想像に難くない。

 

 

「その話はまた後で良いでしょう? それよりも母と妹が、こちらで保護されていると思うのですが──」

 

「おや、知っておいでなのですか。確かにラトレイア家では、ゼニスとノルンを保護しています」

 

 

 認めたか。

 その割には、再会の場を用意してくれないのか?

 いけずな人だ。

 

 

「貴女の母ゼニスは、情緒不安定となっていましてね。すぐには対面させられない状況にあります」

 

「情緒不安定と言いますと?」

 

「心を病み、塞ぎ込んでいるという事です」

 

 

 元々、ゼニスはヒステリックな部分の強い女性だ。

 愛娘のノルンが傍に居たとは言え、長らくパウロや俺の所在も知れぬ状況下に、さぞ胸を締め付けられたことだろう。

 そういった人間が事前準備も無しに、家族との再会を果たしたとき、溜め込んでいた感情や心労が一気に噴出して体調を崩しかねない。

 

 

「なるほど……。では出直しましょうか?」

 

 

 日を改めた方がよさそうだ。

 ひとまずこの話を持ち帰って、エリスとルイジェルドへ報告しよう。

 

 

「何を言っているのですか? 貴女の家は、本日より当家となります。以後、無断で外出することは一切禁じます」

 

「え? いや、それは困りますよ。私には旅の仲間だって居るんですから」

 

「では宿泊先を教えなさい。ラトレイア家として謝礼を致しますので。後の事は全て、この祖母が引き受けます。貴女は今日からラトレイアの庇護下に入るのです」

 

 

 あれ?

 何か思ってたんと違うんだけど……。

 俺の意見はどうなる?

 

 

「いえ、私には大切な目的があります。ボレアス家はご存知でしょう?」

 

「勿論です。アスラ王国を守護する四大地方領主であり上級貴族の代表格。ボレアス家の名を知らぬ者は国内外をおいて存在しないでしょう」

 

「ボレアス家の令嬢と旅を共にしています。名をエリス・ボレアス・グレイラット。私にとって父方の又従姉妹となります。彼女をフィットア領まで送り届けると誓いを立てています」

 

「おや、エリス嬢と。では、ラトレイア家より腕利きの護衛を付けましょう。当家が責任を持って、フィットア領まで護送致しますので、貴女は何も憂慮する事はありません」

 

 

 違う、そうじゃない。

 俺でなきゃ駄目なのだ。

 他でもない俺自身が彼女と約束を交わし、義務として定めた。

 それを後から放り出すなんて真似は出来ない。

 

 

「お言葉ですが、お祖母さま。私は水聖級魔術師です。エリスの護衛としては申し分無いと自負しております」

 

「なぜ貴女が護衛を引き受けるのです? ルーディアこそ、守護される立場にあるのですよ。ラトレイア家の高潔な血を引く淑女が、自ら身を危険に晒すなど言語道断です」

 

 

 あ、察したわ。

 この人、俺が苦手とするタイプの話が通じない人間だ。

 同じ堅物でもサウロスとは真逆な人格だ。

 ゼニスもこんな母親相手に嫌気が差して、実家を飛び出したのだろう。

 

 現在、面談する俺も短い時間でその片鱗を見た。

 これ以上、ここに留まって居ては何をされたものかも予想すらつかない。

 早々に宿へ帰宅し、エリス達と相談すべきだ。

 

 

「過分なお気遣い感謝致します。しかし、それには及びませんので。自分の行動方針くらい、他人の口出し無しで決められますので」

 

「はぁ……。嘆かわしいものです。ワガママを言うものではありません。ゼニスもそうでしたが、なぜ私の決めた方針に従えないのですか? 全ては貴女達の身を慮ってのこと」

 

 

 このお祖母ちゃんは、アレだな。

 自分の出した全ての決定に正当性があると主張する思い込みの激しい人なのだ。

 

 

「女の幸せを求めるのなら、私に従っていれば何も問題はありません。貴女は現在11歳。4年後には縁談の時期が来ましょう」

 

「縁談? いえ、結構です!」

 

「是非、ルーディアを妻に迎えたいという侯爵家子息からの縁談も持ち上がっています。貴女は自身の価値を理解していませんね。ブエナ村のルーディアとは、ミリス大陸にも名の知れ渡る程に、輝かしい才能を持つ治癒術師」

 

 

 治癒魔術の才腕目当ての貴族が居ると?

 俺は物じゃないんだ。

 そんな不純な動機に付き合ってやる道理は無い。

 

 

「先方のご子息は、貴女とは10歳以上、年の離れた殿方ですが、人柄と容姿も悪くはありません。ミリス教団内でも神殿騎士の有望株。将来を約束されています。貴女には女として幸せになる権利があるのです。遠慮する必要は何もありません」

 

 

 捲し立てる様な物言いに溜め息しか出ない。

 押し付けがましい幸せなんて不幸にしかなり得ない。

 自分の幸せは自分で見つけるものだ。

 ゼニスがそうであったように。

 

 

「話になりませんね……。どうやらお祖母さまと私とでは相容れないようです」

 

「何を言っているのか、私には分かりかねます」

 

「理解していただかないで結構。母と妹の身は、私が引き取ります。そして旅も続けます。ラトレイア家に縛り付けられる理由はありませんので」

 

「何をのたまうのかと思えば……。現実に目を向けるのです。貴女の様な子どもが母と幼い妹を抱えて、何処へ行くのです? 聞けばフィットア領は転移災害で荒廃したとの話。生活地盤も無ければ、家長であるパウロ等という落伍者を頼らざるを得ない状況。これを不幸と言わずして何と言うのでしょうね?」

 

「幸福か不幸かどうかを外野から言われる筋合いはありません。人の幸せをあんたに決めつけられたくないね!」

 

 

 口論が加熱する。

 

 

「何ですか、その言葉遣いは! 淑女にあるまじきことです。それに祖母に対する礼にも欠けます!」

 

「は! ()だってあんたを祖母だって思いたくないねっ! いいからゼニスとノルンを出せよ。あんたんとこに居たんじゃ、2人とも可哀想だ」

 

 

 頭に血が昇る。

 暴言も止まらない。

 もはや祖母に対しての身内の意識など霧散していた。

 この人は俺の敵だと、俺から家族を奪おうとする悪者だと心が囁いていた。

 

 

「おい、ババア! 大人しく俺の言う事に従え!」

 

 

 小悪党のような台詞が自然と漏れ出した。

 これが俺の本性なのだろうか?

 

 

「従わないのなら勝手に探させていただく! 俺の邪魔をしないでくれ!」

 

 

 クレアを振り切って応接間を出ようとする。

 背後からは祖母の咎める声。

 止まるつもりはない。

 一刻も早く、ゼニスとノルンの身柄を保護し、こんな家から離れなければ。

 この町にも長居は出来ない。

 追手を差し向けられるだろうが、俺とエリス、それにルイジェルドから成るデッドエンドの過剰戦力ならば、撒くことなど造作もない。

 

 

「誰か! ルーディアを取り押さえなさい! ですが傷跡の残らぬように! 縁談に支障が出ますので!」

 

 

 この期に及んで政略結婚の道具扱いとは恐れ入った。

 祖母は俺を孫娘として見ていないらしい。

 ラトレイア家に繁栄をもたらす為だけに存在を許された奴隷といったところか。

 

 

【ラトレイア家の私兵が3人、飛び掛かってくる】

 

 

 予見眼が敵の襲撃を警告する。

 だが……遅い、そして弱い。

 魔術を使うまでとなく、ギレーヌやルイジェイルドから授けられた徒手空拳のみで対応出来た。

 肩を逸らし、身を屈めれば容易に捌ける。

 がら空きの図体に拳を打ち込み、当て身などをすれば意識を奪うことなんて片手間で出来る。

 あっさりと無力化してしまった。

 

 レベルが低すぎるのだ。

 そこらのチンピラよりはマシな程度。

 身体能力だけ見れば、多少鍛えた程度の少女相手に此のザマとは……。

 

 魔術を使わない()()()を取り押さえられない水準の兵力で、よくもまぁエリスをフィットア領まで護送するなどと、大言壮語を吐けたものだ。

 

 扉を開け放ち、退室する。

 

 

「お待ちなさい、ルーディア!」

 

 

 クレアの声は意識に届かなかった。

 ただ俺は家族と会いたいだけだ。

 邪魔をするようなら、脅しくらいは躊躇わない。

 あんな人間でもゼニスの肉親なので、怪我をさせるつもりは無いが。

 

 そして俺は、母と妹の姿を求めてラトレイア家の探索を開始した。



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37話 ラトレイア家との衝突

 手当たり次第、目についた部屋に踏み込んでは室内を物色するという一連の流れが生まれた。

 食堂であったり、来客用の宿泊部屋であったり。

 ハズレばかりで手応えは無い。

 

 焦る。

 もしかしたら俺の手の及ばない遠い地へと身柄を移されてしまったのか?

 国外でなければいいのだが……。

 それは、考えづらいか。

 あの人(クレア)の性格上、目の届く範囲、つまり手元にゼニス達を置いている筈だ。

 

 時折、ラトレイア家の私兵の捕縛行為もとい襲撃に遭遇するが、大した苦労もなく返り討ちしてやる。

 中には屈強な衛兵も居て、腕の太さが俺の腰回り程もあった。

 そういった手合いには、さすがに魔術で対処させてもらった。

 急を要するというのに傍迷惑なものだ。

 クレアに対して辛抱強く対話を継続し、もっと腹を探るべきだったか……。

 

 いや、考えるのはよそう。

 過ぎた事を振り返っても、事態は好転しない。

 自分の足でしらみ潰しに家族を捜すのだ。

 

 小一時間ほど歩き回り、私兵を撃退し、こっそりトイレを借りたりしつつ、時間は流れていった。

 そんなある時、背後を尾行する小さな影の存在を察知する。

 小人族(ホビット)の使用人でも雇っているのだろうと、それらしい結論を出しつつ、振り返ってみる。

 

 ピタリと動きを止め、こちらを見詰める幼い女の子。

 年の頃は5~6歳程度。

 どこかで見かけた事のある金色の頭髪に、これまた記憶に残る(つぶ)らな瞳と色彩。

 顔立ちはパウロにも、そしてゼニスにも似ている。

 俺とその子が姉妹だと言われれば10人中10人が肯定する程度には似ている。

 

 こうも面影があれば問うまでもない。

 その幼女は、ブエナ村のグレイラット家次女ノルンだ。

 

 

「お姉ちゃん?」

 

「ノルン……」

 

 

 10歳の誕生会以来に見る妹の姿は、記憶よりも少し成長していた。

 食事をきちんととれているらしく、発育に過不足は無さそうだ。

 体調も良さげで、仕立ての良い衣服を着用している。

 

 そうか、軟禁状態とはいえ屋敷内の移動であれば、厳しい制限は設けられていないってわけか。

 動き回る年頃の子どもだ。

 ひとつの部屋に押し込むなど土台無理な話だ。

 

 俺の腰にしがみついて密着を強める。

 こちらの顔を覗き込むように、純心に満ちた(まなこ)を向けてくれる。

 

 

「お姉ちゃん、迎えに来てくれたんだね」

 

「うん、そうだよ。ノルンとお母さんを迎えに来たのさ」

 

 

 俺の事を覚えてくれていたようで安心感を得る。

 ようやく触れ合った家族の温もり。

 じんわりと身体中に染み渡る。

 

 屈んでノルンと視線の高さを合わせる。

 片膝を床について、胸の中に抱き寄せる。

 子ども特有の温かさが、荒んだ精神に安らぎを与えた。

 

 

「お胸、大きくなったね」

 

「母さまに似ちゃったみたいだね。ノルンも将来はきっと、大きく育つだろうね」

 

 

 乳房に頬擦りするノルンをギュッと抱き込む。

 

 

「お祖母ちゃんと喧嘩しちゃったの?」

 

「恥ずかしながらね……」

 

 

 どちらが悪いのかを吹き込むつもりはない。

 立場が違えば価値観も異なる。

 意見が違えば衝突も起きるだろう。

 ただ気に入らないのは、自分の考えを押し付けようとする傲慢さだ。

 人の感情を、勝手な思い込みで動かそうとしないでほしい。

 

 

「仲直りしないとダメだよ」

 

「いつかはするよ。でも、お姉ちゃんは弱いから。時間が掛かりそうなんだ……」

 

「私も一緒に謝ってあげる!」

 

「はは、頼もしいね。ノルンは優しい子だ。そしてお姉ちゃんよりも、ずっと強いね」

 

 

 この子の前では弱さは見せられない。

 けれど隠し事もしたくはない。

 だから本心を少しだけ出してみた。

 

 

「ところでお母さんが何処に居るのか分かるかな? 私も会いたいんだ」

 

「お母さん! うん、お母さんもお姉ちゃんに会いたがってるよ!」

 

 

 はつらつとした声。

 ゼニスの下で健やかに育った証拠だ。

 よかった。

 ノルンは不幸では無かったのだ。

 祖母の教育方針は、まだ幼いノルンには及んでいないらしい。

 あの人も、幼子には母親が必要なのだと理解する良心が残っているようだ。

 親元から離された子どもの末路は、ボレアス家のフィリップ達の子で察しはついている。

 

 時間を置いて気持ちに落ち着きを取り戻す。

 なぜ俺は、あの場面で逆上したのやら……。

 無茶な要求やら押し付けは確かにあった。

 でも一つずつ懇切丁寧に説き伏せてしまえば、話し様はまだあった筈だ。

 これは反省だ。

 ただ、クレアを説得する程の話術も根拠も持ち合わせてなどいない。

 

 人の道理などを説いたところで、それもまた俺の思想の押し付けに他ならない。

 意見は対立し続けるかもしれない。

 肉親だというのに分かり合う事すらままならない世に、嘆きの声を上げてしまいそうだ。

 

 

「ついてきて。お母さんの居る場所、知ってるから」

 

「ありがとう、ノルン」

 

 

 小さな案内人に手を引かれて、ゼニスの下へ急行する。

 通路では衛兵とすれ違ったが、ノルンの存在を認めると、一向に手を出して来なかった。

 

 既にノルンはラトレイア家の子として認知されているのだろう。

 良くも悪くも俺とは違い、この家に染め上げられてきたのか……。

 いいや。

 彼女は俺を導いてくれている。

 余計な詮索は無しだ。

 小さな妹の優しさを疑っちゃいけない。

 家族だけはぜったいに信じよう。

 

 

──

 

 

 ノルンの小さな歩幅でも、ゼニスが軟禁されている部屋までは数分と掛からなかった。

 両番の大きな扉の前までやって来ると、ノルンは『お母さん! お姉ちゃんが迎えに来たよ!』と部屋の外から伝える。

 

 程なくして、扉の鍵が開けられる音が短く鳴った。

 『どうぞ』という単語の聞き慣れない声が返ってきたので、ドアノブを掴み、そっと開いてみる。

 

 部屋の隅にはメイドがお行儀良く立っていた。

 ゼニスの世話役だろう。

 室内に目を向けてみる。

 

 豪奢な絨毯が敷かれ、最高等級であろう調度品の数々。

 部屋の中は照度が不足しているのか、やや暗い。

 カーテンは締め切られ、陽光は射さず。

 健康的な生活を送れる環境とは言い難い。

 

 テーブルに俯き、両手を顔の前で組む女性の姿が、其処にはあった。

 身動き一つ取らないが、呼吸に合わせて肩が上下している。

 焦点は定まらず、朧気な意識。

 生気が薄れて久しくない、脱け殻のような妙齢の女性。

 

 その顔を知っている。

 けれど、母親と呼び慕っていた頃の活気は、全くと言っていい程、感じられなかった。

 

 

「母さま……」

 

 

 あぁ、ゼニスだ。

 俺の母親だ。

 目の前に居るし、ちゃんと生きている。

 それなのに……俺の呼び掛けにも反応を示さない。

 なるほど、クレアの言葉の通り。

 母は精神を病み、人の心を失いかけている。

 

 

「あら、ノルン……。どうしたのかしら……? お祖母ちゃんに遊んでもらえたの?」

 

 

 彼女には俺が見えていないのだろうか。

 

 

「お姉ちゃんが来てくれたよ」

 

 

 ノルンが俺の来訪を伝える。

 

 

「お姉ちゃん……? えぇ、わかってるわよ。ルディの事よね。もうすぐ会えると思うのだけれど……。ふふ、楽しみね」

 

 

 これは……。

 精神を磨り減らしている。

 心神喪失という状態だろう。

 正直、母親のこんな姿は見たくはなかった。

 だけど現実だ。

 形はどうあれ親子の再会なのだ。

 俺の方から歩み寄らなければ──。

 

 

「母さま、私です。ルーディアです。ただいま戻りました」

 

 

 母の下へ帰ってきた。

 その事実を簡潔に話す。

 

 

「ルーディア……なの……? ルディ……。私の愛しい子……」

 

 

 ぶつぶつと呟き、虚ろな瞳。

 僅かに瞳孔に動きが生じた。

 光を取り戻したと表現すべきか。

 

 俯き加減の顔は角度を上げて、その眼はしっかりと俺を見据えていた。

 

 

「ル、ディ……。夢じゃ、……、ないのよね……」

 

「たしかにルーディアは目の前に居ます。母さまの娘は、ここに──」

 

 

 荒れた手を握ってやる。

 ノルンとは違い、温もりは無く、冷え切っていた。

 だが、こちらの行動に対して応答してくれた。

 弱々しいながらも、ギュッと握り返してくれる。

 

 

「あぁ……よかった。ルディ……本当に来てくれたのね」

 

「生きていて下さって──。本当に良かった。私はずっと、母さまに会いたくて頑張ってきました」

 

「無事でいてくれて、ありがとう……。私は、ずっと貴女の事が心配で……」

 

 

 ふくよかな胸の中に誘われる。

 かつては、ふざけて不意打ちで揉んだりもした。

 母性の象徴の名に相応しく、俺の身体を受け止める柔らかさに、母の存在を全身で感じる。

 

 

「ごめんね……。母さん、何もしてあげられなくて……」

 

「ノルンのそばに居てあげたじゃないですか。それだけで母さまはご立派です。母親の責務を果たせていますよ」

 

「うん……。でもルディも私の娘よ。だからこれからはずっとそばに居てあげる」

 

 

 母親としての自分を取り戻したゼニスは、心身共に再起した。

 この数分のやり取りで、確かな感触を得る。

 とどのつまり、ゼニスはただ不安だったのだ。

 キッカケさえあれば立ち直れる程度には、

心の原形が残っていた。

 それはひとえにノルンという娘が、彼女の腕の中に居たから。

 

 どれだけ傷つこうと、絶対に倒れるわけにはいかない。

 娘を愛する為に生きて、そして娘の愛に支えられて。

 そして俺がやって来た。

 なら後は元通りだ。

 ブエナ村でパウロの奥さんをやっていたゼニスの帰還である。

 

 

「ぐすっ……あはは……。すみません、母さま。ちょっと離していただけませんか?」

 

「どうしてよ? そう簡単に離すものですか!」

 

「ちょっと目の辺りが濡れてきまして……」

 

「泣いてもいいのよ……。ほら、母さんも泣いてるもの」

 

 

 そう、泣いている。

 俺もゼニスも外聞など気にせずに、感情の赴くままに。

 すぐ隣で不思議そうに眺めているノルンの視線を受けながら、俺の涙はゼニスの胸元を濡らす。

 ゼニスの涙もまた、ふと見上げた俺の顔に、頬へと目掛けて落下して湿らす。

 

 もう俺は何もかもが決壊した。

 これまで我慢し、気付かないフリをしていた全てを、母にぶちまける。

 泣いて、嗚咽を漏らして、ただひたすらにすがり付く。

 母との日々を思い出しながら、これからも母娘の日常を紡いでいこうと決めて。

 

 

「うあぁぁぁぁん……!」

 

「う、あ、……ふっ……あ……」

 

 

 俺は大声を上げ、母は堪えるように泣き続けた。

 しまいには空気に中てられたノルンまでもが、貰い泣きする有り様。

 とにかく泣いて、気持ちの整理を図る。

 

 部屋にいた筈のメイドは、気を利かしたのか、随分と前から席を外していたようだ。

 

 やがてスッキリとした面持ちで3人共、顔に笑みを浮かべていた。

 悲しいときも嬉しいときも泣けばいい。

 そしてその後は笑うのだ。

 あの魔王様も言っていた。

 いつだって笑ってりゃあ、いいんだ。

 

 

 

「フハハハハ! ルディちゃん! 大復活っ!」

 

 

 告げる。

 ルーディア・グレイラットの復活を世界に宣言するのだ。

 

 

「き、急にどうしちゃったのかしら? ウチの子は……。もしかして旅の途中でツラい事があったの?」

 

「ツラい時こそ笑えって、とある人物に言われました。母さまとノルンにも会えましたし、すべて彼の手柄ですよ」

 

「そ、そうなのね。うん、でも公衆の面前では、その笑い方は、母さんもどうかと思うの」

 

「TPOは弁えておりますので」

 

 

 ゼニスには受けが悪いようだ。

 逆にノルンは無邪気に手を叩いて笑っている。

 よし、ここは一つ姉として妹に指導鞭撻してあげよう。

 

 

「ほら、ノルンも笑ってごらん? どんな苦難に直面しても、乗り越えられるようになる魔法のおまじないだよ」

 

「うん!」

 

 

 台詞は俺考案。

 数秒ほど置いて──。

 

 

「フハハハハ! ノルンちゃん! お姉ちゃん大好き!」

 

 

 ラトレイア家では決して教育されないであろう、淑女に似つかわしくない所作。

 クレア祖母さんの教育思想に真っ向から挑む覚悟だ。

 ノルンは愉快げな反応から一転して、羞恥心に悶えているのか、顔を真っ赤にして俯いていた。

 ノリは良いが、恥を捨て切れていないらしい。

 

 

「そんな笑い方しちゃいけません。ルディもノルンに可笑しな事を教え込まないでちょうだい」

 

「すみません。はしゃいでいたようです」

 

 ゼニスに叱られるのも懐かしい。

 やっぱり子どもというのは親に叱られて育つものだ。

 俺の場合、両親の前では極力、良い子であろうとした。

 

 しかし、今は違う。

 家族団欒の時間に酔いしれるのだ。

 それに、ようやくノルンに対して姉らしい事をしてやれた。

 普段は尊敬されて、時々こうやっておちゃらけた一面を見せる。

 そんな親しみやすいお姉ちゃん像を作り上げたい。

 

 

──

 

 

 さて、ゼニス達にはこれまでの旅の経緯を話しておこう。

 面白おかしく脚色して語り聞かせてやった。

 途中、苦い経験をした事も含めて包み隠さず話した。

 どんな内容でも相づちを打ち、時には共に怒り、時には悲しみ。

 俺の過ごした時間を擬似的に共有する。

 そんな幸せなひとときを過ごす──。

 

 だが忘れちゃならない。

 ここラトレイア伯爵家は、俺にとっては敵地であると。

 

 

「感動の再会は済みましたか?」

 

 

 突如、会いたくもない人物の声が、俺とゼニスの会話を遮った。

 

 

「クレアお祖母さま……」

 

 

 思い出した。

 この人の目を盗んで、この広い屋敷で家族を捜索していた状況を。

 違う、この見計らったようなタイミングでの闖入から察する。

 ノルンが付き添ってくれたから見逃されていたんじゃない。

 おそらく、クレアの指示であえて俺は泳がされていたのだ。

 ゼニス再起への刺激に繋がるとして……。

 

 

「これはすべて貴女の描いた絵というわけですか?」

 

「どうでしょうか。私の預かり知らぬところで起きた事です」

 

 

 白々しい。

 背後に衛兵を引き連れて準備万端じゃないか。

 俺をゼニスから引き剥がそうという魂胆か?

 

 ……いや、落ち着け。

 喧嘩腰でいるから、邪推を重ねてしまうのだ。

 クレアとて人の親だ。

 親子の仲を引き裂こうとまでは考えてはいまい。

 OK、俺は冷静だ。

 同じ過ちを短期間に繰り返さない。

 

 

「先ほどの数々の非礼をお詫び申し上げます」

 

 

 まずは頭を下げておく。

 自分が悪いとは考えたくもないが、下手に出ることには慣れている。

 その場しのぎでも構わない。

 ゼニスとノルンさえ連れ出せれば、後はこっちのものだ。

 

 

「殊勝な態度です。よろしい、貴方の血に免じて不問といたします。私も孫娘に対して強く当たりすぎましたね。ただ、淑女としての自覚をお持ちなさい。貴女の口調や言動は、どうも男性的に感じます」

 

「追々、改めさせていただきます。貴族の子女の礼儀作法などには疎くて」

 

 

 ほらな?

 話せば分かり合えるのだ。

 

 

「当家に身を置けば、淑女に相応しい教育も不備なく受けられます。無論、このように家族の時間を過ごせます。なればこそ、貴女はラトレイア家の一員としての意識を持つべきなのです」

 

「魅力的な提案ではありますが、別にラトレイア家で無くとも、家族との時間を過ごせますよ。それに、まだ見つけていない家族だっています」

 

 

 パウロはアスラ王国で捜索の指揮を執っているとして、リーリャとアイシャの消息を掴めていない。

 まだ家族は揃っていないのだ。

 

 

「リーリャとアイシャの事でしょうか? その心残りが貴女の判断を鈍らせると──」

 

「鈍るも何も、はじめから私は家族を探す旅をしているのです。ここに一時留まるのもその一環。元より長居する予定はございません」

 

 

 認識の違いを埋めなければ。

 毅然とした態度で話せば、いずれはクレアも認識を改めてくれる。

 そう期待して、なるべく自分を落ち着かせながら会話を続行する。

 

 

「貴女の気掛かりを取り除けば、ラトレイア家に籍を置く気になるという訳ですか。では、こうしましょう。リーリャとアイシャの捜索に着手する条件として、ルーディアにはグレイラット家の名を捨てる事を要求します」

 

 

 おいおい、そりゃ極論過ぎやせんかね?

 

 

「どのみち貴女の父パウロは、ノトス家を出奔した身。頼る事など叶わぬこと。ボレアス家も風前の灯火。であれば、ラトレイア家くらいしか居場所はありません」

 

 

 一応、理屈は通っている。

 ただそこに当事者の意思が介在する余地が無いことが問題だ。

 旅の行き着く先が、すべてが失われた大地だとしても、家族一丸となって復興すればいい。

 口で言うは易し何てことは百も承知だ。

 

 

「父への相談無しに私の一存では決めかねます」

 

「父親への義理立てなど考慮する必要はありません。噂通りの男なら、とうに他の女に心移りしている事でしょう」

 

「うっ……それは……」

 

 

 パウロには前科がある。

 正確には心移りしたわけじゃないが、妻を持つ身でありながら、メイドのリーリャとまぐわっていたのだ。

 痛いところを突かれたもんだね。

 親父殿には隙が多いんだよ。

 

 

「手塩に掛けて育てた大事な娘を裏切るような男など信用なりません」

 

 

 いかん。

 さっきは猛反発したが、段々とこの人の言葉が正しいようにも思えてきた。

 リーリャとアイシャも捜してくれると言うし。

 いや、俺にはエリスを送り届けるという使命があるじゃないか。

 

 

「時に──。貴女は月の物は来ているのですか? 見たところ、発育は良好のようですが」

 

「いえ、まだですけれど」

 

 

 おっぱいはバインバインだが、生理はまだ来ちゃいない。

 来るとしたら来年か再来年辺りだろう。

 うわぁ、なんかヤダなぁ……。

 

 

「ゼニスは12の時に迎えました。ルーディアも体調に変化が有れば申し出なさい」

 

 

 急な話題の転換に訝しげる。

 クレアの中で、一人だけ話が纏まってきたかのような発言だ。

 

 

「ミリス神聖国での女の価値は子を産めるかどうかで決まります。貴女もラトレイア家の女ならば、子を産む覚悟を決めなさい。最低でも5人産むことを推奨します。私がそうでしたから」

 

「え、私は産みませんけど? だって男性は恋愛対象に入りませんし」

 

「恋愛など不要です。夫婦として寝食を共にする内に、自然と家族の情も芽生える事でしょう。私の目で吟味した相手であれば、きっと幸せになれます」

 

 

 論点が違う。

 とは言っても、クレアは俺の事情を知らない。

 前世が男であることは、誰にも打ち明けていないのだ。

 それはルーディア(この身体)の両親にさえも秘匿することだ。

 

 

「そこのゼニスは、母である私の忠告を無視したが為に不幸となりました。パウロという男に捨てられ、子どもを抱えたまま実家へ戻るはめになったのです」

 

 

 クレアの口撃がゼニスにも及ぶ。

 ビクッとしたゼニスは、視線を下げて黙り込む。

 復調したばかりの娘にこの手酷い仕打ち。

 見過ごせるものじゃない。

 

 

「お母様……。私は別に不幸というわけではないわ……。ルディだって会いに来てくれたのだし……」

 

「お黙りなさい! 自身を傷物にした男を庇い立てるなど、いつからあなたは、人としての尊厳を失ったのですか!」

 

「いいえ! あの人(パウロ)は私を幸せにしてくれましたっ! お母様に従っていたら、私はルディにもノルンにも会えなかったわっ!」

 

 

 もう考えるまでもない。

 パウロが居たからこそ、ゼニスは温かい家庭を築き、女の幸せを手にした。

 それなのにクレアは頭ごなしにその事実を否定し、不幸だと断定し続ける。

 

 

「これまでか……」

 

 

 諦めよう。

 クレア・ラトレイアという人物に常識は通じない。

 いや、正しくはアスラ王国とミリス神聖国の国家間で、価値観に大きな隔たりがあるせいで通じ合えないのだ。

 

 だからお互いに納得する形での解決は不可能。

 その価値観の差が、俺にとっては有害なのだ。

 ここに留まっていては、ゼニスもノルンも幸せになれない。

 なぜクレアはそれを理解しようともせずに、一方的に押し付けるのか……。

 もう和解なんて考えるな。

 2人を連れて逃げる事に専念するのだ。

 国外に逃れて、それから金輪際関わらないでいよう。

 

 

「母さま。少々、荒っぽい手段に出ますが、ご容赦下さい」

 

 

 ゼニスに確認する。

 何もクレアに直接危害を加えるわけじゃない。

 精々、衛兵を蹴散らして2人を連れてラトレイア家から脱出するだけだ。

 

 

「荒っぽいって、どうするの……?」

 

「こうするんです──」

 

 

 手に水弾(ウォーターボール)を生成する。

 強硬手段だ。

 脅しだって辞さない。

 解りやすいやり方で、この場を切り抜ける。

 

 

「クレアお祖母様。貴女に恨みはありません。しかし、私にとって実の祖母は敵にしかなり得ないようだ」

 

「唐突に何を言い出すのですか?」

 

「見て解りませんか? 邪魔立てするというのなら、こちらも相応の対応をさせて頂くという事です」

 

「力ずくで意見を押さえつけるというわけですか」

 

 

 あんたがそれを言うのか?

 散々、俺の言い分にも取り合わず、祖母の立場で孫娘をねじ伏せようとしたあんたが──。

 

 

「では、ラトレイア家としても貴女に対して武力行使を選択しましょう。貴女の価値は、家柄の良い殿方へと嫁ぎ子を産むこと。責務を全うしない孫娘が不憫でなりませんので」

 

「意見が合いますね。私もラトレイア家にはいい加減ウンザリしてきたところです。やり合うって言うのなら、大歓迎ですよ」

 

 

 先ほどとは違い、精鋭らしき衛兵が対峙する。

 流派は判別出来ない。

 剣術の三大流派以外、つまりは戦士あるいは騎士と呼ばれる武人だろうか?

 ミリス神聖国固有の基本となる型でもあるのだろう。

 

 

「この者達はラトレイア家の分家の人間です。現役の神殿騎士であり、こういった事態に備えて待機させていました」

 

 

 すべて計算ずくか……。

 はじめから俺が実力行使に出ると踏んでいたらしい。

 身辺調査でもしていたのだろう。

 俺が一筋縄ではいかない人間だと知っていたのだ。

 

 

「私は身内である孫娘を見捨てません。いずれ理解する事を期待しています」

 

 

 見捨てない?

 いや、ただ自分の都合の良い風に傀儡(孫娘)を操りたいってだけだろ?

 

 意見はぶつかり合い、力は衝突する。

 母と妹を守る為、祖母と対立する道を選んだ。

 



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38話 解決策の提示

 ゼニスとノルンは下がらせた。

 クレアもまた、被害が及ばぬ位置に陣取る。

 高みの見物というわけか。

 

 

「痕の残るような怪我をさせるつもりはありませんが、万が一という事もあり得ます。抵抗しなければ、すぐにでもラトレイア家に迎え入れる準備を整えていますので、今一度ご一考を」

 

「考えは覆りません。私は母と妹を連れて、この国から出ると決めましたから」

 

 

 この期に及んで説得に懸けるとは……。

 頭に血が昇っている事実は否めない。

 それでも許容範囲を超えた言い分には反発するしかなかった。

 

 神殿騎士の青い甲冑がやけに威圧的に映る。

 これからおれを殺そうってワケじゃないのにだ。

 

 

【神殿騎士達は剣を抜き、峰打ち狙いで殺到】

 

 

 予見眼によると、あくまでも俺の捕縛が目的か。

 峰打ちでも痣くらいにはなる。

 治癒魔術で痕など、どうとにでもなるとの判断。

 ゆえにこそ、彼女は痛め付けてでも俺の考えを改めさせたいらしい。

 

 風魔術で身体を後方へと吹き飛ばし、加減された剣撃を回避する。

 よく見れば刃は潰してある。

 なるほど、間違っても斬られる事は無さそうだ。

 骨折くらいはしそうではあるが。

 

 剣を俺へ向けて走らせてくる──と思いきや、魔術が飛んできた。

 俺の手の平にある水魔術と同じ、水弾(ウォーターボール)

 神殿騎士の実態は知らないが、魔術も扱うらしい。

 

 手に溜めていた水魔術で迎撃し相殺。

 水しぶきが部屋中に飛ぶ。

 

 やりづらい。

 剣士を相手取った経験はそれなりにあるが、対魔術師戦は何気に初めてだ。

 ゲームで言うなれば、魔法剣士ってやつだな。

 実際に相対してみると厄介極まりない相手だ。

 

 殺す気でやれば、瞬殺も可能だ。

 剣聖ウィンドルをも葬った帝級相当の威力の魔術だってある。

 

 だが、彼らは賊ではない。

 ミリスにある三つの騎士団の内の一つ、神殿騎士団の人間なのだ。

 殺せば俺は犯罪者として裁かれる。

 いかにラトレイア家の血を引こうと、死罪は免れないだろう。

 

 手加減して勝てる相手じゃない。

 人数は3人。

 俺は1人。

 挙げ句に守るべき人が居る。

 考える余裕は無い。

 ええい、ままよ!

 

 昏睡(デッドスリープ)をありったけ叩き込む。

 射出速度を極限までに高めた魔力弾は、騎士らへと着弾する。

 が、弾かれた!

 

 見やる。

 手には半透明の盾が展開されていた。

 アレは結界魔術?

 初級・マジックシールドってやつか……。

 

 結界魔術については全く使えない。

 学ぶ時間が無かったというのもあるが、ミリス神聖国が結界魔術の習得の権利を独占している為、極端に資料が少ないのだ。

 

 ラノア魔法大学でも初級までの指導しか許可されていないのだとか。

 学びたければミリス神聖国の人間になるしかあるまい。

 さらさらそんな気は起きないけどな。

 

 風魔術で牽制を図る。

 敵さんも鏡合わせのように風魔術で対抗してきた。

 風圧が拮抗し、融け合うようにして拡散した。

 ブワッと風が吹き上げ、調度品をなぎ倒す。

 土壁(アースウォール)で、ゼニス達を保護する。

 

 こいつら、雑魚じゃない?

 単純に手数が多く、対応力が高いように思える。

 これまでの敵とは格が違う。

 

 土砲弾(ストーンキャノン)をぶちこんでみたが、剣で払い除けられた。

 その剣技は水神流の技か。

 動きを見るに、三大流派を修めた上で魔術も使う万能型。

 パウロが魔術を身につけたような存在だ。

 いやまぁ、パウロは剣王だし比較対象にはならないか。

 

 それにしても詠唱が速い。

 数の利を活かし、時間差で絶え間なく魔術を発動してくる。

 無詠唱魔術のおかげで、どうにか対応出来ている状況だ。

 予見眼で先読みしたところで、防戦一方からは抜け出せない。

 

 となれば、座標指定魔術で不意を突く。

 彼らの背後を昏睡(デッドスリープ)が襲う。

 いや、察知した!

 身を反転させて斬り払われた。

 

 にじり寄り距離を詰めてくる神殿騎士。

 ラトレイア家の分家の者だという彼らは、親族である筈の俺を追い詰める悪の手先だ。

 

 

「そのような体たらくでエリス嬢をフィットア領まで送るつもりでいたのですか? 彼らは精鋭ですが、神殿騎士には更に上位の実力者が在籍しています。貴女の縁談先の子息などがその筆頭です」

 

 

 クレアが批判するように口を開いた。

 言い返せない……。

 

 

「過去に貴女が誘拐の被害に遭った事実を把握しています。ミリシオンであれば、ラトレイア家が全力を以って警護し、嫁ぎ先でも厳重な護衛が付く事でしょう」

 

「だとしてもっ……。受け入れられませんっ……!」

 

「貴女の未来の伴侶からは、必ずや妻を愛し、生涯を守り通すという気概を感じました。数度の面談を重ねた上で、その人格に確信を持ったのです」

 

 

 あぁ、不味い。

 この祖母さんに反論する材料を奪われてしまう。

 残る家族もラトレイア家が捜索すると言っている。

 その上、俺の見下していた戦力は想像以上に強者だった。

 エリスの護衛も、ルイジェルドの同伴さえ許してもらえば、過剰戦力にもなるだろう。

 

 だが約束したのだ。

 エリスは俺が守るのだと。

 15歳になったらエリスのモノになるとも誓った。

 それは本気かどうかは怪しいものだが、まだケジメをつけちゃいない。

 何も言わずにサヨナラでは、筋が通らない。

 

 ルイジェルドにだって恩を返せていない。

 ラトレイア家から褒賞金は出るだろうが、彼が欲するのはスペルド族の悪名を取り払い、失った誇りを取り戻すこと。

 金じゃ解決しない。

 

 俺にはエリスとルイジェルドが必要だ。

 そして思い上がりかもしれないが、2人にとっても俺は必要な人間だ。

 

 だから立ち続ける。

 勝てない戦いでも自分を見失うつもりはない。

 どんなに無様を晒しても、這いつくばっても希望は捨てないのだ。

 

 膝を床につけ、頭を下げる。

 土下座だ。

 立ち続けるとは言ったが、俺に出来る事など、これくらいだ。

 自尊心などはどうでもいい。

 我を貫き通すからには、多少の恥も耐え忍ぶ。

 

 

「お願いします……。母さまと、ノルンを返してください。ラトレイア家から解放してあげてください……。エリスも私が送らないとダメなんです……」

 

「やめなさい。地に這いつくばって頭を下げるなど。貴女には尊厳という物が無いのですか? 見ていて見苦しいものです」

 

「せめて……すべてが解決するまで待ってください。15歳になったら、必ずラトレイア家に戻ってきます。縁談だって受けて、子どもだって産みます……」

 

「嫁ぐのも子を産むのも当然の義務です。しかし、4年もの月日を浪費するなど、許可は出来ません。貴女には淑女としての教育を施し、相応の心構えを身に付けて貰わねば困ります」

 

 

 まだ粘る。

 諦めたら全部台無しだ。

 ここまでの旅路を無駄にはしない。

 

 

「家族が大切なんです。ただそれだけなんです……」

 

 

 その家族には姉であるエリスも含まれている。

 パウロとも会いたい。

 彼は心が繊細がゆえに、姿かたちを容易に変貌させてしまう。

 そんな気がした。

 俺の為ならば、きっと殺しをも厭わない覚悟を決めてくる事だろう。

 覇道を行き、身を滅ぼす父親を放っておくなんて俺には無理だ。

 

 

「旅を続けてルーディアの身に何かあったらどうするのです。母親(ゼニス)よりも早くに亡くなる親不孝な娘になるつもりですか?」

 

「私は死にません」

 

 

 断じて死ぬつもりはない。

 生きて家族と過ごす。

 ずっと夢見てきた未来図だ。

 

 

「貴女だけの身ではない、それを知りなさい。家族を想うのであれば尚更のこと。母親だけでなく妹までを残して死にゆく孫娘を、どうして看過出来ますか?」

 

 

 クレアの主張は正しい。

 一分の隙も無い。

 もしも俺が彼女と同じ立場なら、全く同じ行動を取っていたかもしれない。

 家出した娘が久し振りに帰って来た。

 しかし、知らぬ間に産まれていた孫娘は行方不明。

 ようやく自分の下へ姿を現したかと思えば、娘と孫の1人を連れ出して、危険な旅に出るなどと言い張る。

 

 これを止めないようならば、それこそ人でなしの薄情者だ。

 

 ならば意見を強引に押し付けてでも考えを改めさせようとするだろう。

 孫娘を守る為に、嫁ぎ先まで探してくれていたのだ。

 偏屈で神経質なお祖母様だが、家族想いな人であることは、口論の中で感じ取れてしまった。

 

 

「埒が明きません。1度、頭を冷やしなさい」

 

 

 クレアの合図で神殿騎士たちが俺の身柄を拘束すべく取り囲む。

 もう、ダメなのか……?

 心は折れちゃいないつもりだが、現実の俺はクレアに負けている。

 どこかに閉じ込められて、旅の終わりを突きつけられてしまうのか?

 

 いっそ、殺してしまおうか?

 そうするだけの魔術()を有している。

 帝級相当の威力の初級水魔術・水弾(ウォーターボール)

 ドルディアの村での防衛戦で、溜め時間を省略して放てるようになった、俺の持ち得る最強の魔術。

 それを放てば、神殿騎士程度、ものの数ではない。

 

 物騒な考えを起こしかけた、その時だった──。

 

 

「やめてえええぇぇ!」

 

 

 ノルンが俺とクレア達の前に飛び込んできたのは。

 

 

「お姉ちゃんをイジメないで!」

 

 

 両腕を広げて俺を庇うように立っていた。

 泣きそうな顔、さりとて勇気を振り絞って震えながらも、自身の祖母に立ちはだかる。

 

 こんな俺を庇うのか?

 情けなく頭を下げて、ガキのワガママを押し通そうとする俺を……。

 

 

「ノルン、イジメているわけではありません。ルーディアには少しお灸を据えてやる必要があるのです」

 

「うそっ! だってお姉ちゃん、悲しそうにしてるもんっ!」

 

 

 どんな顔をしているのだろうか、今の俺は。

 無力で何も成し遂げられない愚かな姉は、こんなにも小さな妹に守られるほど、弱く見えるのだろうか?

 

 

「お姉ちゃんは何も悪くないもんっ!」

 

 

 いや、俺にだって悪い部分はあった。

 自分の欠点から目を逸らして、都合の良い要求ばかりしていた。

 呑み込めない条件を突きつけられこそしたが、話し合いで解決する道もあったかも……。

 

 エリスやルイジェルドにも同伴してもらい、相談すべきだったのだ。

 何でも1人で抱え込もうとしたから失敗した。

 この失態を取り返すにはもう遅い。

 ラトレイア家との間に亀裂が走り、溝も深まってしまったのだから。

 

 

「お母様。私からもお願いです。ルディの気持ちを無視して話を進めないで。この子にも自由があるはずよ」

 

「なんです、ゼニス。意見しようというのですか。つい先ほどまで、話すことすらままならなかったあなたが──」

 

 

 クレアに夫を詰られ傷心気味のゼニスが、俺を守ろうと抱き締めてくれた。

 

 

「分からないの、お母様? あなたのそういう強引なやり方が、かつて()を家出に走らせたのよ」

 

「私の落ち度で不幸を招いた事は悔いています。結果としてパウロのような男につけこまれたのですから。ゆえにその反省から、こういった手に出ざるを得ないのです」

 

 

 強気は姿勢を崩さない。

 涙に訴えるやり方では動じないのか。

 ノルンとゼニスは血相を変えているのに、祖母クレアだけは顔色一つ変えないでいた。

 手強いどころではない。

 これまで遭遇した数々の敵よりもなお、強大に思える力を有していた。

 

 

「連れていきなさい」

 

 

 騎士に指示を下す。

 もう思考がグチャグチャだ。

 何をどうすれば解決に結びつくのか。

 ヒントを与えられても、今の精神状態で出した判断では余計に悪化させそうだ。

 

 だから俺は逃げた。

 戦うことを諦めて逃げたのだ。

 折れないと思っていた心は、音を立ててパッキリと割れた。

 

 壁を魔術でぶち抜く。

 混乱に乗じてその場を後にした。

 結局のところ俺は──ゼニスとノルンの目の前まで来ていながら、何も得るものも無く逃げ帰ったのだ。

 

 俺は弱い、弱かった。

 目頭を押さえながら宿へと走った。

 とにかく今は何も考えたく無い。

 寝よう──。

 

 

──

 

 

 目を覚ますと宿のベッドの上。

 まだ夕方に入る手前で、外は明るい。

 身体に感じる温もりは、エリス辺りが添い寝でもしているからか。

 

 身を起こし、頬にでも触れようかと思ったが──。

 俺に寄り添うようにして眠っていたのはエリスではなく、ラトレイア家に置き去りにしてきた筈の妹ノルンだった。

 

 

「え、ノルン……?」

 

 

 なぜここに……。

 疑問に思っていると部屋の隅で目をつむり立っていたルイジェルドが、事情を話しくれた。

 どうやらノルンは、ほとぼりが冷めてから隙を見て、俺が壁に開けた穴から飛び出してきたらしい。

 動機は姉である俺を追い掛ける為。

 神殿騎士の追手をどう撒いたのか気になったが、ルイジェルドが撃退したのだとか。

 

 町中で泣きながら逃げる幼い人族の娘を悪漢から救ったという構図だ。

 ルイジェルドの顔が割れてなきゃいいが……。

 ただでさえラトレイア家は魔族に対して差別的を通り越して排除的だ。

 指名手配でもされようものなら、スペルド族の悪名が再燃してしまう。

 

 ミリス国民の大半は魔族迎合派だが、貴族連中の多くは排斥派。

 この国に居づらくなる。

 身内のゴタゴタに彼を巻き添えにして申し訳ない。

 

 

「その子の話す特徴から、お前が姉であると判断した。どうやら正解だったようだな」

 

「すみません、ご迷惑をお掛けして……」

 

「母親とは会えなかったのか?」

 

「会えました。けど取り返せませんでした……」

 

 

 ラトレイア家での出来事を語る。

 クレアという人物の人柄。

 母ゼニスとの再会の一幕。

 そして何も出来ずに逃げ帰ったことを。

 

 無言で聞く彼に話し終えると、ポンッと頭の上に手を置かれる。

 

 

「母親は生きているのだろう? ならば取り返せ」

 

「ラトレイア家に喧嘩を売ることになりますよ?」

 

 

 ノルンを誘拐したような形だから、いずれにせよラトレイア家の手勢につけ狙われるだろう。

 そうでなくとも俺の身柄だって求めている。

 

 

「人族同士の闘争は魔族以上に回りくどいな。しかし、守るべき者が居るのなら、決してその手を離すな」

 

「私に出来るのでしょうか?」

 

「手を貸す。それが元々のお前の目的だろう」

 

 

 ラトレイア家との対立。

 こちらから襲撃という形で乗り込むのだ。

 始まれば死人が出かねない。

 クレアを殺したくはない。

 あの人には、あの人なりの想いがあったのだから。

 でも俺にだって譲れないものがある。

 母を奪われたままじゃ終われない。

 1度は逃げ出したが、ルイジェルドが協力してくれると言う。

 彼の厚意に甘えさせてもらおう。

 

 

──

 

 

 夕方ごろにエリスは帰ってきた。

 ベッドで眠る見知らぬ幼女にギョッとしていたので、経緯を説明すると納得。

 ただ俺がラトレイア家で受けた仕打ちを聞いて憤慨。

 

 

「そう、お母さんを取り戻しに行くのね! 私も手伝ってあげる!」

 

「ではノルンを守ってあげてください。ラトレイア家には私とルイジェルドさんで乗り込みますから」

 

「うーん、そうね。ホントは私も暴れたかったんだけどね」

 

 

 血気盛んな事で。

 今日もゴブリン退治に励んできたようだし、剣を振るいたくて仕方がないって顔だ。

 

 

「それにしても神殿騎士ですって? 今日ね、神殿騎士の連中を暗殺者から助けてあげたのよ! それなのに恩を仇で返すなんてっ!」

 

「えっと、どういう事ですか?」

 

 

 神殿騎士も一枚岩じゃないだろう。

 それも別々の場所で起きたこと。

 恩も仇も関係なく、事態は動いていたのだ。

 そもそもクレアに従っていた神殿騎士は、ラトレイア家の分家の人間。

 騎士団の意向とは別に動いていたに違いない。 

 

 

 さて、ゴブリン退治の折、彼女の身にも一波乱あったらしい。

 エリスから今日の出来事が語られる。

 

 ゴブリンの生息地の森で遭難した後に、襲撃を受ける馬車を発見。

 襲われていたのは神殿騎士が守る神子と呼ばれる人物。

 襲撃者は教皇派の抱える暗殺集団。

 

 エリスが助太刀したのは被害者側の神殿騎士たち。

 暗殺者の群れとはギリギリの戦いで、1人を除いて壊滅させたようだ。

 

 

「神殿騎士の1人がラトレイア姓を名乗っていた気がするわ。テレーズ・ラトレイアだったかしら」

 

 

 ラトレイアの人間を、エリスは救ったということか?

 ふむ、これは……使える!

 

 

「エリス、さすがです! この恩を盾にテレーズさんに口利きしてもらえば、母さまの身柄を取り戻せるかもしれません!」

 

 

 事を構えるつもりでいたが、平和的な解決方法を見出だす。

 どうにかしてテレーズなる人物に接触しなければ。

 

 

「では方針転換です。まずはテレーズさんとの面会を優先しましょう。ミリス教団の本部を訪問するんです」

 

 

 やっぱりノルンの護衛はルイジェルドに任せ、俺とエリスとで教団本部を訪ねるのだ。

 

 

「ルイジェルドさん。先ほどのラトレイア家襲撃は取り消します。ノルンをお願いしてもいいですか?」

 

「無論だ」

 

 

 守る事に関してはルイジェルドをおいて他に適任者はいまい。

 後顧の憂い無く、俺たちは事に専念できる。

 

 その後も計画を練り、議論を重ねた。

 二転三転する方針。

 あぁでもない、こうでもない。

 議題は尽きない。

 途中、目覚めたノルンを連れて食事処でパフェをご馳走してやった。

 

 さて、テレーズさん次第で状況にどう変化が起きるのか。

 目が離せない。

 

 

──

 

 

 翌日、ルイジェルドにノルンを託し、俺とエリスは町の西側、神聖区にある教団本部に赴いた。

 金色の建物は、白と銀色ばかりの街並みの中では、やけに目立つ。

 

 入り口の守衛にテレーズへの取り次ぎを願う。

 エリスの名前を出すと、すんなり聞き入れてくれた。

 神子襲撃を阻止したエリスの勇名は、既に教団内で浸透しているらしい。

 

 10分ほど待っていると、青い甲冑を身に纏った女性が小走りでやって来た。

 青色は神殿騎士という身分を表している。

 

 その者の顔立ちは、ゼニスとそっくり。

 なるほど、ラトレイア家の本家筋の人間か。

 この分なら、売れる恩も大きいだろう。

 

 

「エリス様。昨日ぶりですね。会いに来てくれたのですか?」

 

「そうね! 早速、あなたを頼らせてもらうわね!」

 

 

 命の恩人であるエリスに対して敬語とは、義理深い人だな。

 

 

「おや、そちらの女の子は……。もしやゼニス姉様の娘のルーディアちゃん?」

 

「はじめまして、ルーディア・グレイラットといいます」

 

「なるほど、私はテレーズ・ラトレイア。ラトレイア家の四女で、君の母の妹だよ」

 

 

 マジか!

 年齢は二十代前半から半ば程度。

 甲冑で正確なサイズは計れないが、たぶん、おっぱいはゼニス並。

 髪の長さミディアム程度で切り揃えられている。

 顔立ちはゼニスと酷似しているだけあって美人だ。

 騎士なだけあって日々鍛錬しているのだろう。

 甲冑の中身には、さぞ引き締まったエロい身体が隠されているに違いない。

 

 

「もうラトレイア家には顔を出したのかい?」

 

「えぇ。クレアお祖母様と口論になってしまいましたけど」

 

「母様の人柄は良く知っている。そうなるのも無理もないな」

 

 

 娘のテレーズをしてそう言わしめるクレアは、筋金入りの頑固者か。

 

 

「その様子だと無茶な要求をされたようだね」

 

「えぇ、まぁ……。悪い人では無いと思うのですが、いかんせん受け入れがたい内容でして」

 

「それも分かる。ゼニス姉様もそうだが、私も母様に反発して神殿騎士団に入団した身でね」

 

 

 既に和解は済んでいるとも彼女は話す。

 あの強情な婆さんをどう説き伏せたのか、是非ともそのテクニックをご教示いただきたい。

 

 

「母様の口を黙らせるには実績を示すしかないな。私も神殿騎士として、それなりの武功を上げてきた。兄の口利きもあってか、和解したよ。尤も、昨日に部下を死なせてしまったので、左遷確定だがな」

 

 

 結果を出さなきゃ納得させられんのか。

 俺の場合、何をクレアに示せば良いのやら。

 力を認めさせるとか?

 俺の身を案じているのなら、自分の身を守れると思わせるような圧倒的な力を見せつければ、文句は言えなくなるか──。

 

 

「テレーズさんの口から説得は出来ませんか? 私は母と妹を連れて中央大陸へと渡りたいのです」

 

「私の言葉じゃ母様も耳を傾けてはくれないだろう。それに私もゼニス姉様やノルンちゃんを、連れ出す事には反対だ」

 

「え、どうして?」

 

「君の噂はかねがね聞いているよ。水王級魔術師ロキシー・ミグルディアの直弟子にして水聖級魔術師。実績としては既に申し分無い」

 

 

 ならクレアは認めてくれたって良いじゃないか。

 

 

「でも君はまだ子どもだ。危険な旅路を家族を抱えて続けられるのかい? ましてや幼い妹を危険に晒そうと言うんだ。浅はかとしか思えないな」

 

「う……」

 

 

 そもそもの話、俺が間違っていたのか?

 縁談話を押し付けられて過剰に反応しちまったらしい。

 感情的になり過ぎて視野が狭くなっていたのだ。

 冷静に考えれば無茶な妄想をガキが語っていただけだ。

 なぜ俺はそれに気づかず、通る筈の無い要求を突き付け続けていたのか。

 

 

「解決策を提示しよう。君はエリス様をフィットア領へ送り届けたい。そして家族全員の無事を確保したい。君の求めるものは、それで合っているな?」

 

「はい、そうです」

 

「姉様達を連れ出そうというのなら、パウロと合流することだ。子どもの君では母様は認めちゃくれない。けれど剣王パウロであればどうかな?」

 

「あ、そっか!」

 

 

 剣王パウロ・グレイラットは異国の地にも、その名を轟かせる剣客。

 クレアは目の敵にしているが、その実力にまではケチをつけられまい。

 パウロなら妻子を守れるのだ。

 

 であれば、一刻も早くアスラ王国へと帰還してパウロと会わなければ。

 無理にゼニスとノルンを連れ出す必要も無かったのだ。

 

 少なくとも俺の無事をゼニスには伝えられた。

 ラトレイア家に居れば、窮屈な思いこそすれど、命の危機とは無縁でいられる。

 パウロの迎えがあれば解放もされる。

 

 くそっ……。

 クレアの物言いはともかく、間違った事は言ってなかったのだ。

 いやまぁ、縁談は願い下げだが。

 

 

「問題は1つ。ルーディアちゃんの出立を母様が許すか否か。このままミリシオンを出ようとすれば、ラトレイア家は全力で阻止しようとするだろう」

 

「そうですね。どう私の力を認めさせるべきか悩みます」

 

「そうだな。力さえ示せば、君は守られるだけの子どもではないと母様も理解してくれる。縁談も白紙撤回するだろう」

 

 

 光明が差してきたぞ。

 

 

「私もこの件に協力したいところだが、どうも教皇派の動きが怪しくてね。自由には動き回れないんだ。私に出来た事と言えば、ちょっとしたアドバイスくらいだよ」

 

「いえ、解決策を示していただいて助かりました。ありがとうございます」

 

 

 あとは自分で考えよう。

 それにしてもテレーズは頼りになる。

 俺の悩みの大半をあっという間に解決してみせた。

 彼女は若くとも大人なのだ。

 逆に俺は中身は良い年をした大人なのに、子どものままである。

 

 人生経験の差ってやつか。

 引きこもり生活は人生経験の勘定に入らないだろう。

 

 そして、仕事に戻るというテレーズの背中を見送って、1度、宿に戻る事にした。



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39話 祖母の危機

「お姉ちゃん、元気になったね!」

 

 

 ケラケラと笑うノルンはご満悦。

 意気消沈していた俺の顔は、彼女にとっては不安の種だったらしく、今のこの状況は好ましい。

 

 テレーズに相談後、エリスとルイジェルドと共に今後の方針を論議した。

 力を示すと言っても、先日は神殿騎士との交戦でマイナスの印象を与えてしまった。

 

 負けたのだ。

 勝とうと思えば勝てた戦闘に無様にも土下座までして完膚なき敗北。

 ただ俺は戦闘が下手ゆえに、手心を加えた戦いというものが苦手だ。

 勢い余って殺そうものなら、ゼニスに顔向け出来ない。

 

 ルイジェルドならば、敵を殺さずに無力化出来たのだろうが。

 俺の得意とする昏睡(デッドスリープ)は容易に対応されてしまったし、手に余る相手なのは確かだ。

 

 

「ごめんね、ノルン。お母さんと離ればなれにしちゃってさ」

 

 

 俺を追いかけてくれた事は嬉しいが、こんな不甲斐ない姉よりは母親の下に居た方が、この子の為である。

 ノルンだけでもラトレイア家に帰すべきか。

 無策なまま近づけば、俺は捕縛されかねないし、ルイジェルドは立場的にも不味い。

 エリス辺りならば……頼んでみるか?

 

 

「エリス、ノルンを引き渡しにラトレイア家へ行っていただけませんか?」

 

「イヤよ。この子、あなたのそばに居たいって話してるじゃないのよ」

 

「そ、そうですか……」

 

 

 というかエリスさん、ノルンを第2の妹として可愛がっている様子。

 膝に乗せて両腕を回して抱き込んでいる。

 

 

「ノルンもお姉ちゃんと一緒に居たいわよね!」

 

「うん、お姉ちゃんの事をもっと知りたいもん」

 

 

 良心が痛む……。

 なぜ俺は周囲にこうも優しくされるのだろうか?

 それほど弱々しく映るのだろうか……。

 虚勢を張っているつもりはないのだが。

 こうも精神的に不安になり始めたのは魔大陸へ転移して以降だ。

 

 リカリス付近の石化の森での失敗に端を発し、ザントポートでの奴隷解放、そしてガルスの一件。

 この1年半もの間の俺は失敗続きだ。

 

 性別が関係している?

 というのも否定は出来まい。

 俺の人格自体は男ではあるが、肉体は生物学的には女性だ。

 つまり脳も女性型。

 精神との剥離でバランスが崩れてきているのかもしれない。

 

 クレアに対して売り言葉に買い言葉になったのも、キレ易くなったのも、自意識の不安定さゆえだろう。

 性格的に相性が悪いというのも要素として大きい。

 元々、母親と喧嘩別れしたゼニスの娘である俺なのだ。

 血筋的にも十分にあり得る。

 

 

「エリスお姉ちゃん! お姉ちゃんの事、お願いね?」

 

「もちろんよ。ルーディアは私が守るわ!」

 

 

 ノルンのお願いを安易に引き受けるエリス。

 うん、まぁ……。

 元々彼女は俺の身にも守る事に関しては常に気を張り巡らせていた。

 気が休まらないだろうに、これまでも良く頑張ってくれたものだ。

 俺の存在が彼女の負担となってなきゃいいが……。

 姉として妹を守るのは当然だ! と、常日頃から口にしている。

 妹キャラってことか、俺は。

 

 

「ルイジェルドさんには引き続き、ノルンの護衛をお任せしてもよろしいでしようか?」

 

「あぁ。子どもを守る事は俺の使命のようなものだ。負担にはなり得ない」

 

「ありがとう、ルイジェルドさん」

 

 

 そうなると、残される問題は力の示し方。

 いまクレアの下を訪れ『私は魔王バーディガーディでさえも倒せるくらい強いんですよ!』などと言っても、信憑性は低い。

 適当にあしらわれて、屋敷のどこかに閉じ込められるのがオチだ。

 

 となると冒険者として名を上げるとか?

 デッドエンドは現在Aランクパーティー。

 その気になればすぐにでもSランクへの昇格も可能だ。

 かの有名な黒狼の牙と同じである。

 自衛力を証明するに不足無し。

 

 しかしそれでは路銀稼ぎが困難になる。

 Sランクともなれば受注可能な依頼の範囲がS~Aランクに限定される。

 やたら日数が掛かり、危険度も増すような内容ばかりだ。

 コンスタントに稼げるBランク依頼を、みすみす手放すのは惜しい。

 

 

「良い案が出ませんね」

 

「ならこうすれば良いのよ! 私がルーディアを襲う暴漢のフリをして、あなたが返り討ちにするのよ!」

 

「バレたらどうするんですか? それにここミリシオンでは厳重な治安維持体制が敷かれています。すぐに取り押さえられた挙げ句に、芝居を打っていたことがクレアお祖母さまの耳に入ってしまいます」

 

「じゃあ却下ね」

 

 

 妙案とはすぐには思い浮かばないものだ。

 議論を重ねている内に昼時となる。

 宿の隣の飯屋で食事にでもしよう。

 意外と食卓でのなにげない会話にヒントが隠されているかもしれない。

 

 

──

 

 

 食後のデザートに舌鼓を打っていると、店主からふとメモ書きを渡される。

 他の客からの伝言のようだ。

 このタイミングで接触を図る者となれば、ラトレイア家の手勢かと思われたが──。

 どうやら違うらしい。

 

 

「内容は?」

 

「今からお話します」

 

 

 ルイジェルドの問いに答える。

 要約すると、このメモ書きを渡してきた相手は、ミリス教団の教皇派の人間。

 ラトレイア家のお家騒動に際して、協力する準備があるという申し出だった。

 それは内部干渉ってやつじゃないのか?

 クレアからしたら面白い話ではないだろう。

 

 外部の人間、それも対立する陣営の手を借りては、余計に反発を受けてしまう。

 教皇派とは関わらないでおくのが吉だ。

 俺を使って内部からラトレイア家を切り崩す腹積もりなのだろうが、その思惑には乗らない。

 

 それにエリスは教皇派の刺客を殺してしまった。

 恨みを買い、背中を刺されかねない。

 いまいち信用ならん。

 

 その場でメモ書きを破り捨てる。

 

 

「良いのか?」

 

「構いませんよ。本格的にラトレイア家と敵対しては、この国に滞在しづらくなりますから」

 

 

 出来ればルイジェルドの件で便宜を図ってもらいたい。

 今ではなく今後、ラトレイア家の力を借りるかもしれない。

 あの家の発言力は高いからな。

 無為に対立するのも、自ら選択肢を潰す悪手だ。

 

 1度は襲撃を企てた俺が何を言うんだって話だが。

 あの時は冷静ではなかった。

 落ち着いた今ならば大局を見ることが可能だ。

 

 

「この町での滞在は長引きそうですね。すみません、旅に支障を出してしまって」

 

「気にするな。俺の人生の中での数年。誤差の範囲だ」

 

 

 長寿種族のスペルド族の彼からすれば、多少の足留めはタイムロスには感じないのだろう。

 

 

「家族に関わることだもの。妥協は出来ないわよね」

 

「エリスにもご迷惑をおかけします」

 

「いいのよ。ルーディアには昔、ボレアス家の問題に巻き込んだ事があるもの。おあいこね」

 

 

 ボレアス家でのエリス誘拐事件。

 まだ気にしていたのか?

 

 

「考えても答えが出ないのなら、真正面から挑めば良いのよ! ルイジェルドも連れて行けば、絶対に負けないわ!」

 

「いや、そうすると話が拗れちゃいます。いかに穏便に事を進めるのか。それに頭を抱えているんですよ」

 

 

 明確な案も上がらず食事の時間を終えた。

 

 

──

 

 

 部屋でくつろいでいると、ドアをノックする音が鳴る。

 警戒するルイジェルド。

 彼の額の生体センサーが、ただならぬ者の来訪を知らせる。

 

 

 

「この足運び、全うな者ではないだろう」

 

 

 足音からの判断だろう。

 教皇派の人間か?

 それともラトレイア家の刺客?

 判断しかねていると扉越しに名乗りがあった。

 

 

「『教皇派』の者です。お返事いただけないようなので、こちらからお迎えに上がりました」

 

「こちらに協力を求める意思は無いのですが?」

 

 

 教皇派の人間だったか……。

 魔族迎合派と名乗るから、当初は好印象を持っていたが、今やそのイメージは地に堕ちた。

 結局は薄汚い権力闘争の末に周囲を巻き添えにするような連中だ。

 俺からすれば教皇派も枢機卿派も、どっちもどっちである。

 

 

「返答が無いようであれば、貴女様の御母上と御祖母様の身に何か起きるやもしれません」

 

 

 は?

 なに、脅すつもりなの?

 

 勢いで扉を開けてしまう。

 見た目はいたって普通の女性。

 手荒な真似とは無縁そうなこれと言った特徴の無い人物。

 

 

「可能性の話です。こちらとしても、表立って何かしようという意思はありませんので」

 

「あんたなぁ……!」

 

 

 表立ってしないというのなら、裏で仕向けるつもりだろ?

 ルイジェルドはノルンを背に庇い、エリスは鞘に手を添える。

 

 

「ミリシオン郊外の森。そこに答えはあります。来ていただければ幸いです」

 

「何を企んでる……?」

 

「何も……。しかし、貴女にとっては都合の良い事かと。後の処理の際、貴女の身柄があれば交渉が捗るのです」

 

 

 つまりはゼニスとクレアに刺客を差し向けるつもりだ。

 ラトレイア家の敷地内に居る限りは、手を出せないはずだが……。

 

 もしや、郊外の森に2人あるいはクレア一人を誘き寄せた?

 教皇派の人間は不敵な笑みを浮かべると踵を返して去っていった。

 後に残るのは不安という感情のみだ。

 

 

「2人とも、今の聞きましたか?」

 

「あぁ、お前の推測通りだろう。ルーディアの祖母クレアは敵に誘い込まれているのだろう」

 

「殺すって……事でしょうか?」

 

「だろうな」

 

 

 それは……望んじゃいないことだ。

 相容れる事は無かったが、クレアはゼニスの実の母親だ。

 ゼニスは確かに母親との仲は良好とは言えない。

 この一年半もの期間もずっと反目してきた事だろう。

 だが、死んで欲しいとまでは思わないはず。

 死ねば母親の死を悲しむ。

 ゼニスは愛情深い人間だ。

 

 もしも俺と喧嘩別れをしたとしても、決して見捨てたりはしないだろう。

 

 それに俺だってあの人と和解出来ないまま終わるというのは、納得がいかない。

 断じて容認出来ない。

 分かり合えなくとも、気にしない。

 せめてお互いに生きて、いがみ合うくらいで一向に構わないのだ。

 

 不思議なものだ。

 どれだけ憎み合っていても、肉親というものには情が湧くのだから。

 

 

「俺とエリスで向かいます。ルイジェルドさんは、ノルンを安全な場所へ!」

 

「あぁ、行くのだな?」

 

 

 ルイジェルドと共に戦えば、一瞬で決着がつくだろう。

 でもそれでノルンの身に何かあっては本末転倒である。

 戦力不足は否めないが、俺とエリスで事に当たるしかない。

 

 

「エリス、私に付いてきてもらえますか?」

 

「聞くまでも無いわ! ルーディアのお祖母さんを助けましょう!」

 

 

 快諾を得た。

 不安は尽きないが、俺は血の繋がりに導かれて、死地へと向かった。

 

 

 

 

 

 

──クレア視点──

 

 

 娘のゼニスがラトレイア家を出奔して幾数年。

 一年半前になって、唐突に帰ってきた。

 そのそばにはクレアにとっての孫娘ノルンの姿。

 

 転移災害の発生が正式に発表されたのは、そのしばらく後。

 経緯はともあれ、長くミリス大陸より離れていたゼニスは自分の下へと戻ってきた。

 

 娘のゼニスは手の掛からない子であった。

 自分の教育方針に文句一つ言わず、粛々と従い、ミリス貴族令嬢に相応しい振る舞いを身につけた。

 

 将来は母である自分の用意した縁談で嫁ぎ、女としての幸せを手にするものだと考えていたが、ある日、言い争いの末にラトレイア家を飛び出してしまう。

 

 馬鹿な娘だ。

 女一人で生きていくなど、貴族社会に生きたあの娘では不可能だと断定する。

 しかし、予想に反してゼニスは家庭を築き、幸せな生活を送っていたという。

 転移災害さえ無ければ、クレアとて反論はしなかっただろう。

 

 だが現実に一家は離散し、絶望の淵に立たされているではないか。

 母に従わぬから、悲惨な目に遭うのだと哀れむ。

 

 同時に、娘を助けなければとも思った。

 他に頼るアテの無い愛娘と孫。

 自分が世話を見てやらなければ、ことさらに不幸となるだろう。

 愛する家族の為、一肌を脱ぐ。

 

 ゼニスとノルンの保護からしばらくして、捜索願いを出していたもうひとりの孫娘ルーディアが、姿を現した。

 

 一目見た瞬間、驚愕する。

 その姿かたちが、あまりにも娘のゼニスに似ていたのだから。

 ゼニスは治癒魔術を扱えたが、戦えぬ子であった。

 その先入観が孫娘ルーディアにも適用され、クレアの目を曇らせる。

 

 たとえ、水聖級魔術師の肩書きを持とうと、クレアにとってはか弱い孫娘。

 全力で守らなければ。

 手段を問わず、ルーディアの幸福を願い、鬼の心で対応してしまう。

 

 縁談の件は話半分だ。

 ミリス貴族には望まぬ婚姻などありふれている。

 しかし、幸せな家庭というのは後から出来上がるもの。

 いずれは親に、あるいは祖母に感謝して、理解する日が来るだろうと構えていた。

 

 だが四女テレーズは反発し、ラトレイア家から放逐した。

 その後、成果を示したことから和解を許し、受け入れはしたが。

 

 その経験から、結婚が絶対的な幸福とは思えなくなっていた。

 ラトレイア家の次女は嫁ぎ先で、権力争いに巻き込まれ、命を落としたという出来事も起因している。

 

 だからルーディアが拒否するのなら、縁談なども白紙にする意思でいた。

 しかし、強く出ねばゼニスのように自分の下から離れていく気がした。

 多少の脅しのつもりで縁談をちらつかせ、従順になったところを手厚く世話を見てやるつもりでいたのだ。

 

 だが想定以上にルーディアは暴れた。

 これは不味いと判断し、クレアは物語の敵役のような精神で孫娘を追い詰めてしまう。

 

 クレアはルーディアを孫として愛している。

 一目見た瞬間から、自分の手で何としても守ると決意していた。

 庇護欲を掻き立てられたのだろう。

 そうでなくとも、孫の身を案じるのは当然のこと。

 

 土下座などされた時には胸が締め付けられる思いとなる。

 自分はそこまで孫娘を苦しめるつもりなど無いのに、ルーディアは泣きそうになりながら懇願する。

 

 もう止めよう。

 こんなやり方ではルーディアを悲しませるだけだと自身を責め立てる。

 ただ一旦、ルーディアをラトレイア家で保護し、気持ちが落ち着くのを待とうとした。

 

 結果として逃げられはしたが、今度は優しく接してあげよう。

 失敗から学び、次からは本心を打ち明けて話し合おう。

 そう考えた矢先のこと。

 

 教皇派の手勢が、ルーディアの身柄を拘束したとの報が入った。

 場所はミリシオン郊外の森。

 そこに孫娘を人質に、教皇派が待ち構えている。

 

 彼らの要求は一つ。

 孫娘の引き渡しを条件に、枢機卿派からの離脱。

 そのような無茶な要求、断じて飲み込めるものではない。

 されどルーディアの命が掛かっている。

 ラトレイア家と孫娘のどちらを取るのか。

 苦渋の決断を下す──。

 

 クレア・ラトレイアが選んだのはルーディアであった。

 ラトレイア家が取り潰しになることは、先祖代々紡がれてきた歴史に泥を塗るようなものだ。

 だが家柄に固執して、最愛の孫を見捨てるなど、今は亡き両親もあの世で嘆くことだろう。

 

 正しくあれ──。

 

 クレアはその言葉を胸にこれまでの人生を生きていた。

 そしてその正しい生き方こそ、孫を守ること。

 ゆえにクレアは、覚悟を決めて指定された場所まで赴いた。

 

 ゼニスは屋敷で厳重に警護させている。

 交渉の場にも身内の神殿騎士を付けて、万全の用意で臨んだ。

 

 だがそこにはルーディアの姿は無かった。

 待ち構えていたのは教皇派の刺客。

 神殿騎士すらも容易く葬る手練れの暗殺機関。

 

 護衛に付けていた神殿騎士たちは5分と持ちこたえられずに絶命。

 残されたクレアもすぐに後を追うことになる。

 

 

「ルーディアはどこへやったのです……!」

 

 

 孫の居場所を問う。

 

 

「貴女の孫はここには居ない。ただし、貴女の死後、この場所へ現れるだろう。祖母の骸を前にして、嬉々として感謝することだろう。その後、我々の陣営に引き込むのだ」

 

 

 そうか、そうなのか。

 ルーディアはきっと自分を恨んでいる。

 だから憎き祖母を討った教皇派に感謝し、御輿に担がれラトレイア家を乗っ取るつもりなのか。

 

 いや、ゼニスの娘がその様な計略に耳を貸す筈がない。

 何も知らぬ子どもが政争に巻き込まれ、ただ翻弄されてゆく。

 絶望の未来だ。

 悲観的な将来予想だ。

 

 ゼニスやノルンへの態度から見て、ルーディアは優しい子なのだ。

 自分などよりも、よほど素直で真っ直ぐな家族愛。

 彼女ならば誤解を招くこと無く、家族との仲を、そして未來を繋いでいけるはず。

 

 どうか、祖母亡き後に幸福な未来あれ──。

 

 死を受け入れ、刺客の刃の到達を待つ──。

 凶刃が迫り、間もなくクレア・ラトレイアの生涯は幕を下ろすことだろう。

 

 

 そして──。

 

 

「クレアお祖母さまっ……!」

 

 

 声が聞こえた。

 孫娘の声だ。

 ルーディアは祖母の死を待たずして駆け付けて来たのだ。

 

 視線を向ければ必死の形相で魔術攻撃を刺客へと放つルーディアの姿。

 あぁ……、やはりあの子は優しい。

 こんなにも偏屈でわからず屋の自分などを助けようとするのだから。

 

 そしてクレアは、孫娘ルーディアの強さを、間近で視る──。

 

 

 

 

 

 

──ルーディア視点──

 

 

 間に合った。

 ギリギリではあったが、クレアは無事だった。

 

 教皇派の刺客らが祖母を取り囲み、嬲り殺しにしようとしていたが、咄嗟に放った水弾(ウォーターボール)が、刃を振り下ろそうとした敵の1人を屠る。

 

 残る数は20人。

 対してこちらは俺とエリスの2人のみ。

 10倍もの戦力差だ。

 数の不利を覆すだけの力量が俺たちに有るのか……。

 いや、怯むな。

 やらなきゃクレアが殺されてしまう。

 

 俺は家族を見捨てない。

 クレアだって俺にそう言ってくれた。

 

 

「どうして……。私などを……」

 

 

 クレアが言う。

 なぜ自分に情けなど掛けるのかと。

 

 

「お祖母さま。()はあなたが嫌いだ。けれど母さまの家族だ。認めたくないけど、俺にとっても家族だ」

 

「私を家族と認めるのですか……? あれだけの事を、貴女へした私を許すおつもりで……」

 

「許すかどうかは後で決めます。とにかく今は、あなたを守らせてください」

 

 

 結論など後回しだ。

 眼前の敵を片付けることが先決。

 

 今度は殺し有りの本気の闘い。

 不覚を取るつもりはない。

 序盤からクライマックスだ。

 杖に魔力を充填、瞬時に帝級威力の水弾(ウォーターボール)を正面に放つ。

 

 目視してから回避する者が半分。

 残りの半分は一瞬にして肉片一つ残さずに消滅した。

 

 続いてエリスが駆ける。

 踏み込んでから、いつの間にか使えるようになっていた()()()()を繰り出す。

 

 複数人の脇を瞬きの合間に駆け抜け、直後、敵たちの胴体が両断される。

 上半身の落ちた下半身が数秒遅れで倒れる。

 強い、エリスはもはや剣聖と同等以上の実力だ。

 

 あと5人。

 いける。

 俺とエリスなら、勝てる戦いだ。

 

 が、奴らも戦況の悪化を察してか、卑劣な手に打って出る。

 煙幕玉を地面に叩きつけると、モクモクと煙が立ち込め、視界を奪い去る。

 

 即座に風魔術で煙を払うが、刺客の手の中にはクレアの身柄があった。

 人質に取ろうってわけか?

 

 だが俺は躊躇わない。

 奥の手というものは後に取っておくものだ。

 人質に怯むフリをして、これみよがし悔しがる演技をする。

 

 悦に浸る敵の背後から()()ジェ()()()の槍が首をはねた。

 

 絶命した刺客から解放されたクレアは、何事かと困惑してる様子。

 敵も唐突な増援に緊張が走ったのか、硬直している。

 生まれた隙を見逃さない。

 

 俺、エリス、ルイジェルドの3人で、陣形の瓦解した残党を掃討し、暗殺集団を壊滅させた。

 

 奥の手とはルイジェルド・スペルディアの参戦。

 彼は安全な場所(ラトレイア家)へノルンを預けてから、この戦場に駆けつけてくれたのだ。

 

 

「終わりましたよ、クレアお祖母さま」

 

 

 へたりこむクレアを立たせるべく手を差しのべる。

 少し躊躇してから彼女は、ゆっくりと俺の手を取る。

 

 

「ルーディア……。私は貴女の強さを見くびっていました。貴女は……私の手など取らずとも、自分の身を守れたのですね──」

 

 

 図らずもクレアは俺を認めてくれているらしい。

 思ってもみなかった収穫だ。

 火事場に乗じて利益を得ているようで、いたたまれなくなる。

 

 

「私は1人では弱いですよ。でも仲間が居る。エリスと、そして彼はスペルド族ですが、とても頼りになる優しい兄貴分のルイジェルド」

 

「スペルド族? では魔族……」

 

「魔族なら何です? 貴女を救ってくれた恩人ですよ」

 

 

 少し考えてからクレアは言う。

 

 

「そうですね、恩人です……。ルイジェルドさん、あなたに感謝を」

 

「礼には及ばん。仲間の家族なのだ。当然の行動だ」

 

 

 魔族排斥派の筆頭貴族のクレアが、ルイジェルドへと頭を下げた。

 それも深々と。

 

 

「エリス嬢。貴女にも礼を言います。この度は私の命を救っていただき、感謝致します」

 

「礼には及びませんわよ。ルーディアのお祖母様だものでしてよ」

 

 

 無理して敬語を遣う為か、可笑しな口調になるエリス。

 クスリと笑う我が祖母。

 

 

「ここミリシオンまでルーディアを守っていただいたこと、大変感謝しております。ラトレイア家を代表してお礼申し上げます」

 

 

 それはもう土下座する勢いの謝意だった。

 俺の土下座とは違い、情けない部分など欠片も見受けられない。

 

 

「ルーディア……。これまでのことを全て謝ります。私が間違っていたのです。貴女の気持ちを省みずに……」

 

「いえ、クレアお祖母さまなりの優しさだったのでしょう?」

 

「ですが……。縁談などと脅しを掛けていたのは事実です。もちろん、縁談など白紙にしますので安心なさい」

 

 

 つまりアレか?

 クレアは本心から俺を守ろうとして、自身の無茶振りも自覚していたと。

 ほんの僅かなボタンの掛け違いで、俺は祖母と大喧嘩したってわけか。

 くそっ、なんて間抜けな。

 

 

「ルーディア、貴女に私の気持ちの全てを伝えたいと思います。どうかラトレイア家にお越しください」

 

「喜んで──」

 

 

 もう俺はクレアとは喧嘩しない。

 彼女を家族だと認めよう。

 分かり合えないなんて決めつけた過去の自分を恥じる。

 

 さて、事後処理はラトレイア家の人間に丸投げだ。

 こうなった以上、俺の手に余る事態となっただろう。

 教皇派はクレアの暗殺に失敗し、隙を見せた。

 これから熾烈な派閥争いが勃発する。

 精々、巻き添えを食わないように身の振り方を考えよう。

 

 そして俺は、祖母クレア・ラトレイアと手を繋いで町へと戻るのだった。



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40話 ラトレイア家の団欒、パウロとアレク

 教皇派──というよりは、教皇の思惑から外れた過激派の暴走という事で片はついたらしい。

 しかし枢機卿派に攻撃される口実を与えたのもまた事実。

 今や枢機卿派及び魔族排斥派が優勢に傾いている。

 ミリス神聖国じゃ、ますます魔族排除の指向が強まることだろう。

 

 ただ、ラトレイア伯爵家としては、スペルド族だけは魔族ではなく、大森林の亜種族同等の扱いをすると表明。

 少々釈然としないが、ラトレイア家なりの最大の譲歩だろう。

 これ以上を望むというのは贅沢ってもんだ。

 所属派閥内の立場も危ういだろうに、むしろそこまで配慮して貰えた事に感謝の念が尽きない。

 

 そして俺たちは宿を引き払い、ラトレイア家に滞在する事になった。

 もちろん、ルイジェルドも客待遇でお出迎え。

 ノルンも彼に懐いているようだし、良い傾向だ。

 

 旅費についてもラトレイア家が提供してくれるとのこと。

 その額は残りの旅路の上で多少の浪費をしても尽きないほどの金額。

 節約の意識は欠かさないつもりではあるが。

 

 ミリス大陸南西部のウェストポートから中央大陸に渡る際、スペルド族の渡航費は高額になるらしいが、俺の祖父でラトレイア家の入婿であるカーライルお祖父様にご一筆頂いた。

 彼は神殿騎士団の複数あるグループの内の一つ、剣グループの大隊長という地位にある。

 ラトレイア伯爵家の名前と神殿騎士団の大隊長の肩書き。

 この書状があれば渡航費は免除されるだろう。

 

 それにプラスして、別途、ルイジェルドは知人から書状を受け取っている。

 ミリス教団・教導騎士団団長ガルガード・ナッシュ・ヴェニク。

 ルイジェルドは彼をガッシュの名で呼ぶ。

 

 ガッシュが若い頃に教導騎士団の活動の一環で、魔大陸南部に遠征した際に、命の危機に瀕したらしい。

 そこをルイジェルドに救われ、交流を深めたそうだ。

 古い知人ってのは、ガッシュのことか。

 

 正直、カーライルの書状だけで事足りるし、俺の顔から、ラトレイア家に連なる子女であると証明出来る。

 書状の信憑性を疑うアホは居ないだろう。

 だがせっかく書いて貰ったのだ。

 ガッシュ氏のご厚意を素直に受け取ろう。

 

 さて、祖母クレアは俺の旅立ちを許可してくれた。

 孫娘の強さを目の当たりにして、認めざるを得なかったようだ。

 頑なに止めようとしていたのは、俺がゼニスに似すぎていた為、守るべき子どもだという認識が強まったという理由らしい。

 

 あとは色々だ。

 口下手で誤解を生んで申し訳ないだとか、本心から孫として愛しているとか、沢山の話をしてもらった。

 なんていうかね、勘違いって怖いよね?

 って話だ。

 

 ゼニスとノルンの処遇について。

 どうやらゼニスは、俺が来るまでの間、町へ家族を探しに行こうと何度も屋敷を抜け出そうとしたとか。

 その度に止められ、自傷行為に走るまでに精神状態は悪化。

 やむにやまれず、軟禁状態が強化され、長引いた。

 ただし今のゼニスの状態であれば、外出も護衛を付けた上でなら許可が降りそうだ。

 

 さすがに街中じゃ人目を気にして刺客も襲ってこまい。

 魔族排斥派の神殿騎士団からも、多数人材が派遣されるというし、一応の安全は確保された。

 クレア暗殺未遂という事件があったのだ。

 ミリシオン全体で監視の目は強まり、両陣営ともむやみに動けなくなった。

 

 それに、魔族排斥派の方も、似たようなやらかしをしていたらしく、暗殺など日常茶飯事らしい。

 例を挙げると、現教皇の息子夫婦もそういった争いの中で敵対的派閥の手に掛かり命を落としたのだとか。

 生き残った孫は孤児院に預けられたとのこと。

 

 暗い話はこれくらいにしておく。

 

 ゼニスとノルンは当面の間、引き続きラトレイア家で暮らす。

 クレアとの話し合いで、パウロの迎えを待つという流れに話は纏まった。

 ゼニス、ノルン、俺の無事を報せる手紙を何通もフィットア領捜索団宛に送ったそうだ。

 届く頃には一年以上経っていそうだが。

 

 で、ミリス教団内での権力闘争が激化した影響で、教皇の実の孫が海外へ避難する事になったらしい。

 名前は確か『クリフ・グリモル』といったか。

 魔術の才能に溢れた少年らしく、エリスも彼とゴブリン退治の際に会ったらしい。

 鼻持ちならない性格だが、そこまで悪い奴ではなさそうだ。

 

 彼も気の毒に。

 身内の暴走で故郷を離れる事になってしまったのだから。

 まぁ、今後会うことは無いだろう。

 俺とエリスの行く着く先はアスラ王国だし。

 

 

──

 

 

 1週間ほどラトレイア家に滞在する予定だ。

 旅の疲れを癒しつつ、家族とゆっくりと過ごす。

 旅費の心配が無くなり、心は穏やかなものだ。

 町も観光したい。

 が、まずは家族との時間だ。

 

 気を利かしてエリスとルイジェルドは席を外す事が多い。

 ラトレイア家敷地内の修練所に缶詰めである。

 衛兵たちに稽古をつけてやってるみたいだ。

 ルイジェルドとの貴重な戦闘経験は確実に成長の糧となる。

 ラトレイア家の警護レベルが飛躍的に上昇する事だろう。

 ゼニスとノルンの身の安全にも貢献するはず。

 

 食事会が開かれた。

 参加者は俺、ゼニス、ノルン、クレア。

 10日に1度しか帰って来ないというカーライルお祖父様とは、数日前に書状を書いて貰った際に会話を交わしている。

 今回は予定が合わずに不在だ。

 

 エリスとルイジェルドも同席している。

 クレアにとっての恩人だし、是非参加して欲しいという事らしい。

 ノルンもルイジェルドの参加を望んでいた。

 やたら懐いているようだが、ルイジェルドの大人の魅力に惹かれでもしたのだろうか?

 男を見る目があるね。

 

 

「それじゃあ、ルディとお母様は和解したのね?」

 

「えぇ、私はクレアお祖母さまの事が大好きですよ」

 

 

 母親に対して惚気る。

 基本、堅い口調のクレアだが、会話の節々に気遣いの心が感じられた。

 以前はもっと我が子に対しても高圧的だったらしいが、ゼニスやテレーズとの関係の失敗から、態度を改めたと本人は話している。

 特に今回の件が響いていると見た。

 

 

「ルーディアは聡い子です。少々、お転婆が目立ちますが、それも個性なのでしょう」

 

「今からでも淑女としての振る舞いを学ぶべきでしょうか?」

 

「いえ、それには及ばないでしょう。貴女はグレイラット家の人間です。私が口出しする事ではありません」

 

「でも私はクレアお祖母さまの孫ですよ」

 

「えぇ、変わらず孫として扱わせていただきます。しかしルーディアは、パウロ氏の子なのでしょう? 当主の教育方針に無い事を、無断で指導は致しません」

 

 

 ほう、彼女はパウロを認めている?

 

 

「きっと貴女がこうも真っ直ぐに育ったのは、パウロ氏の教育の賜物なのでしょう。誇らしいことです」

 

 

 ベタ褒めだな、おい。

 クレアお祖母ちゃんのデレ期が来た?

 

 

「お母様ったら、ようやくルディの可愛さに気づいたのかしら」

 

「そのようです。これまで我が子達への接し方を間違ってきた私には、過ぎた孫娘ですけれど。ゼニス……。貴女にも酷い扱いをしてしまいました」

 

「お母様らしくないわよ、人に謝るだなんて」

 

「今回ばかりは猛省しているのです。あまり卑屈になるのも品位を損ねるので、ほどほどに留めておきますが」

 

 

 ゼニスとの関係も、まだぎこちないながらも改善したか。

 やはり肉親が相争う姿は見ていられるものではない。

 親子仲の修復に一役買えたようで安堵する。

 

 

「ところでエリス嬢。ルーディアとはどのようなご関係で?」

 

 

 クレアの興味がエリスへと向く。

 自身の要望で食卓に並んでいた骨付き肉を貪り、エリスは数秒の咀嚼の後に回答する。

 

 

「私とルーディアは、姉妹よ!」

 

 

 あ、もう無理な敬語は止めたのね?

 

 

「義姉妹というわけですか。貴族令嬢の界隈では、良く見受けられる光景です。なるほど、ルーディアとは親しくしていただいている様ですね」

 

「将来も誓い合っているのよ。クレアお祖母様にも結婚式に参加してもらうから、待ってなさいね!」

 

「結婚……?」

 

 

 さしものお祖母さまも、眉根を寄せる。

 同性同士の婚姻などミリスには無い文化だ。

 要らぬ事をポロッと話したな、エリスは。

 

 

「こほんっ……。いえ、それもまたアスラ貴族の嗜みなのでしょう。彼の国は特殊な趣味嗜好をお持ちの方が多いようで。知っていますとも」

 

 

 無理やり自身を納得させているようだ。

 以前の彼女ならば、烈火の如く苦言を呈する立場にあっただろう。

 

 まぁ、もしもの話だが、アリエル王女辺りが王位に就けば同性婚の合法化も実現するかもな。

 別に肩入れするわけじゃないが。

 権力闘争の面倒さはミリス教団内のゴタゴタでウンザリだ。

 

 

「エリスちゃん、本当にルディとラブラブなのね? それにいつの間に将来を約束したの?」

 

「ルーディアの10歳の誕生日の晩よ。ゼニスさんにも、早く孫を見せてあげたいわね」

 

「孫……。あ、うん。女の子同士で子ども……?」

 

 

 混乱するゼニス。

 パウロでさえフィリップとの面談で困惑気味だった。

 とりわけ敬虔なミリス教徒であるゼニスには、刺激の強い内容か。

 

 てか、エリス。

 それ本気で言ってる?

 一応、俺もそういう研究をしちゃいるけど、大っぴらにはしてなかったのだが……。

 以前した約束の責任を取れるとも限らないし、保留ということにしておこう。

 

 

「ところでノルン? ルイジェルドさんの事がずいぶんと気に入ったようだね」

 

「うん、ルイジェルドさん。優しいもん。転びそうになった時も受け止めてくれたんだよ?」

 

 

 ルイジェルドの隣に椅子を寄せて座るノルン。

 普段は険しい表情の多い彼も、いまはどこか朗らかな顔つきだ。

 

 

「我が子を思い出す。男児ではあったが、幼い頃はこういった行動や反応を示していたな」

 

 

 懐かしみ、そして哀愁を漂わせる男。

 ノルンが頭を彼の肩に預ける。

 頭を撫でることを催促したらしく、ルイジェルドもそれに嫌な顔ひとつせずに応じる。

 

 

「ノルン、家族は大切にしろ」

 

「わかった!」

 

 

 改めて言うまでもないが、ルイジェルドは過去の経験から他者へも家族の大切さを説く。

 ますますルイジェルドの汚名払拭への活力が湧いてきた。

 今回、あまり彼の為に行動してやれなかった。

 ラトレイア家に受け入れられた事は、大きな一歩ではあるけど。

 

 

「ルイジェルドさん、ウチの娘達を良くしていただいてありがとうございます」

 

 

 ゼニスがペコリと頭を下げた。

 これまで俺とエリスを守ってくれたのはルイジェルドだ。

 これまでも、これからも世話になりっぱなしである。

 仮に俺が中身も純粋な女ならば、とっくに惚れ込んでいただろう。

 ノルンが父親相手のように甘えるのも頷ける。

 

 

「気にするな。俺は自分のやりたいようにしたまでだ。子どもを守るのは大人の義務だと考えている」

 

「立派なお方ね。どうかしら? ノルンが大きくなったら、お嫁さんに迎えていただくとか」

 

「ノルンの気持ち次第だ」

 

 

 ありゃ、否定しないんすか?

 ロリコン説あるよ、ルイジェルドは。

 てっきり、はぐらかすかと思ったけど。

 

 

「わたし! 大人になったらルイジェルドさんと結婚する!」

 

「そうか。成長して覚えていたのなら、考えておこう」

 

 

 微笑ましいような、危険な香りがするような……。

 触れないでおこう。

 ルイジェルドならば、万が一の事態も考えられまい。

 彼を疑うのは気が引ける。

 

 終始、食事会は和やかなムードで進行した。

 やや、エリスの発言や、ノルンのお嫁さん宣言で肝を冷やしたけど。

 

 

 

 

 

─アスラ王国首都アルス・王城シルバーパレス─

 

 

 パウロ・グレイラットはアスラ王により、出頭命令が下されていた。

 部下の北神カールマン三世アレクを従え、登城する。

 

 恐らく、七大列強入りの件で王家より聴取という名目で、意思を問おうというのだろう。

 アスラ王国に利する者か、害する者か──。

 

 無論、パウロにとってアスラ王国は母国だ。

 貴族社会を嫌って冒険者に身をやつしこそしたが、愛する家族と暮らす故郷である。

 害意など微塵も無い。

 

 ただ少しばかり不満はあった。

 フィットア領捜索団を組織するにあたって、国からの援助がごく限定的なものに留まっていたからだ。

 

 事情は多少なりとも分かる。

 フィットア領消失により、国力の低下が起きた。

 敵対勢力に隙を突かれぬ様に兵力の増強や、国内の情勢不安による内乱の防止。

 交易路の遮断による経済不況。

 

 生じた問題はフィットア領だけに留まらず山積していた。

 お陰で下りた予算は活動期間にして半年分程度。

 人員も常に不足し、1人当たりの労働負担も計り知れない。

 過労に倒れた者も少なくはない。

 

 以上の事から敵意までは抱かないまでも、文句の一つでもつけてやらねば、気が済まなかった。

 

 

「パウロ様、いかがされますか?」

 

「どうもしねえさ。とっとと謁見を終わらせて捜索活動に戻るだけだ。本来ならアレクには、ミリス神聖国に向かって貰いたかったんだがな。ノトス家の件で何か話があるかもしれん」

 

 

 ミリス神聖国には少数の人員しか派遣出来ていない。

 アスラ王国として協力要請を出してはいるが、家族に繋がる情報は依然として入ってこない。

 ゼニスの実家ラトレイア家にも問合わせたが、まともな回答を得られなかった。

 ならば自分の右腕とも呼べるアレクを送り込み、現地で本格的な捜索を始めたかったのだが……。

 

 この頃、自身の生家であるノトス家の動向が妙なのだ。

 自身が籍を置いていた頃の家臣の1人が、重大な情報を有していることを匂わせていた。

 その情報とは……十中八九、家族の安否に繋がる手掛かり。

 

 もしや愚弟ピレモンめが、家族の内の誰かを保護した上で、人質同然の扱いをしているのではないか。

 そう疑い始めた。

 場合によってはノトス家との対立を想定し、自身にとっての最高戦力であるアレクをやむ無く手元に置いているのだ。

 

 ノトス家の家臣団の半数以上はピレモンを当主に相応しく無いと不満を漏らしているらしい。

 パウロを新当主として担ぎ上げ、内乱を企てているという不穏な噂まで流れている始末。

 龍滅パウロの名はそれほどまでに内外への影響力が強い。

 列強の庇護下に加わりたいという臣下や、ミルボッツ領民が多いのだ。

 

 本音を言えばミルボッツ領など、どうでも良い。

 愛着が湧いているのはボレアス家の治めるフィットア領の方だ。

 

 だがパウロが見向きにせずとも、彼を慕う臣下の誰かしらが内乱を誘発する可能性も危惧される。

 その時になって矢面に立つのは、やはりパウロ自身。

 よって捜索活動の指揮にも影響が出始めていた。

 まったく、苛立つものだ。

 その上、アスラ国王による急な呼び出し。

 

 不敬な口を叩かぬよう、気を引き締める。

 やがて謁見の間へと足を踏み入れた。

 貴族の礼など随分と昔に忘れた。

 元々、ノトス家の問題児として家庭教師たちの授業などまともに聞いてこなかった。

 ゆえに威風堂々と肩を揺らしながら、国王の前に立つ。

 

 

「パウロ・グレイラット、出頭命令に従い参上した。で、用件ってのはなんだい? 国王様よお」

 

「な、貴様っ! 国王陛下に向かってなんと無礼なっ!」

 

 

 宮廷仕えの貴族の誰かが吠える。

 苛立ちを隠しもせずにパウロは舌打ちをしながら、その者を睨む。

 それだけで発言者は蛇に睨まれた蛙のように石化し、数秒後に失神してしまう。

 殺気を放ったわけではない。

 単なる気迫ですら常人には耐え難い圧力であったのだろう。

 

 

「余は貴様を咎めん。七大列強序列七位・龍滅パウロよ。急な呼び立てへの対応に感謝する」

 

「殊勝な態度だな。分を弁えてやがる」

 

 

 立場はどちらが上か。

 少なくとも今のパウロに歯向かおうという輩は、この王城には存在しない。

 

 

「単刀直入に訊こう。そなたは余の国、アスラ王国に仇なす者か?」

 

「話が早いな。安心しろ、あんたの国と敵対するつもりはない。こんな腐った国でも家族との思い出の地なんだ」

 

「そうか。ではノトス家についても、そなたの真意を問おう。余の耳にノトス家内乱を示唆する情報が入ってきておる」

 

「そいつもオレはノータッチだ」

 

 

 噂程度で踊らされる王家といのも滑稽だ。

 裏取りを済ませてから質疑に上げれば良いものを。

 

 

「よい、余も内乱により国が荒れる事を望まぬ。その回答を得られた事で国の安寧は保たれた」

 

「あぁ、そうだ。ピレモンの奴に伝えておけ。隠し事があるのなら早い内に打ち明けた方が身の為だとな」

 

「相わかった……」

 

 

 顔に手を当てて頷く国王。

 心労祟って今にも倒れそうだ。

 

 

「あぁそうだ。もう一ついいか?」

 

「申してみよ……」

 

「フィットア領消失の責についてだ。サウロスの叔父上に一切の責を追及するな。あの人には大恩がある。オレや娘だって敬愛する男だ」

 

「それは……」

 

「ジェイムズの野郎を槍玉に上げたらどうだ? 尤も、奴は既に片手の指を失った。それでチャラにするってのも構わないんじゃないか?」

 

「はぁ……。承知した……。領民を守れなかった責は国王である余が引き受けよう。任命責任は余にある……」

 

 

 いずれにせよサウロスはボレアス家の当主にも、フィットア領主の席にも戻れまい。

 けれど穏やかな余生を送れるようにパウロは便宜を図った。

 後の目下の問題は──。

 

 

「すまん。もう一つだけ要求させてもらおうか」

 

「なんだ……? 余はもう疲れた……」

 

「ダリウスの糞狸についてだ。奴はオレの娘に手を出した。いずれその首も貰い受けるが、よろしいか?」

 

「しばし待て。ただでさえ情勢が不安定なのだ。いまヤツに死なれては、更なる死者が出る」

 

「少しくらいなら待つさ。オレも現実の見えない馬鹿じゃねえ。ヤツからの資金援助を、いま切られちまったら困るんでな」

 

 

 ジェイムズを脅し、ダリウスに対して資金援助を取りつけたのだ。

 手段は……。

 ジェイムズの切り落とした指を書状に添えて送り付けてやった。

 断れば次はお前だと、名指しをしたのである。

 

 

「余からも一点よいか?」

 

「おう、いいぜ。オレの要求ばかり通させるのも悪いしな」

 

「パウロ・グレイラットよ。そなたは次期国王に何者を推すか?」

 

「誰でも良いだろ? 誰が王になったところで、この国に大した変化は起きねえよ」

 

 

 関心は無い。

 ただ、ノトス家の推す第二王女アリエルとは距離を置くつもりだ。

 アリエルとの接触は、とどのつまりノトス家へと近づく事となる。

 ならば積極的に関わろうという気にはなれなかった。

 

 

「もう行くが、構わないか?」

 

「うむ、時間を取らせて申し訳無い。詫びとしてフィットア領捜索団へ追加予算を下ろそう」

 

「それはありがてえ。あんた、実は良い国王なんだな?」

 

 

 上機嫌で讃えるパウロのなんと現金なことか。

 言葉を受け取る国王も、見守る貴族らも指摘は出来なかった。

 

 見守っていた内の1人、アリエル王女も、パウロ・グレイラットという男の底知れぬ覇気に圧倒されていた。

 そばに控えるルーク・ノトス・グレイラットもまた、自身の叔父に対して恐怖する。

 この場に彼の父ピレモンが居合わせたのなら、血を見る事になっていたやもしれない。

 守護術師フィッツは記憶喪失の身だが、パウロの顔に何かを感じた。

 

 

 そうしてパウロは謁見の間を後にして、部下のアレクに愚痴をこぼす。

 

 

「堅苦しい場所だったぜ」

 

「解ります。僕も一応、魔王アトーフェラトーフェの孫で王族なのですが、この国の格式張った雰囲気には馴染めませんね。お祖母様は礼儀よりも力を好む方なので余計に」

 

「あ? お前、王族だったの? それにしちゃあ、オレに従順じゃないか」

 

「パウロ様は僕の尊敬する上司ですので」

 

「は! 嬉しいねえ。お前の方が年上なのに慕ってくれんのは」

 

 

 アレクはパウロよりも10歳以上は年上だと言う。

 外見は若いのでつい子ども扱いしてしまうが。

 そんな幼い彼からは、北神流を学んでいる。

 元々、北神流上級の認可を受けていたパウロは基礎が仕上がっていた。

 アレクの取った弟子の誰よりも上達が早く、才能も示して見せた。

 つい先日には北帝の認定試験にも合格したほどである。

 

 パウロの肩書きとしては、『剣王』及び『北帝』。

 実際の技量は──。

 剣神流・神級

 北神流・帝級

 ──となる。

 

 水神流については相変わらず上級に留まっている。

 首都アルスには水神流宗家の道場があると聞く。

 アレクを連れて、この後にでも訪問するのも良いかもしない。

 

 

「よしアレク。城で溜まった鬱憤を水神流の道場で晴らしにいくぞ」

 

「水神流と言えば水神レイダ殿ですね。手合わせ願えれば良いのですが」

 

「北神のお前を無下には扱わんだろう。いくぞ、息子(アレク)よ」

 

「息子なんて恐れ多い──」

 

 

 妻子と離ればなれとなった今、パウロはアレクを擬似的に息子として扱っていた。

 娘としてはロキシーも居る。

 両者共にパウロの年齢を上回るが、些細な問題であった。

 

 そうしてパウロ・グレイラットは強さ求めると同時に、龍神オルステッドとの決戦に備える。

 ヤツが存在する限り、娘の身に危険が及ぶ予感がしたが為に──。

 



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41話 ミリシオン観光

 首都ミリシオン・ラトレイア家滞在4日目。

 本日は冒険者ギルド本部を訪れる。

 色々とトラブル続きで訪問の機会を逃していたのだが、ようやく状況も落ち着いてきた。

 ルイジェルドはノルンの子守りでお留守番。

 俺とエリスの観光デートってわけだ。

 

 ちなみに神殿騎士が数人、護衛の為に後ろからついてきている。

 カーライルお祖父様の部下だ。

 事件から間もないし、身の安全確保の対応である。

 デートの邪魔だとは思わない。

 

 大通りへ出ると、一際目立つ巨大な建物。

 銀色の外壁の4階建ての建造物こそが、冒険者ギルド本部。

 門を抜けて弾む心に導かれるがままに中へと入る。

 屋内は活気に満ちていた。

 剣士や魔術師、ギースのようなシーフ職の姿を確認出来た。

 

 ミリスというお国柄、治癒術師も多く見受けられる。

 自慢じゃないが、このギルド内で最も優れた治癒術師は俺だろう。

 聖級治癒魔術、聖級解毒魔術に加えて、治癒魔術関連で様々な技能を引っ提げている。

 

 自動治癒(オートヒーリング)

 地帯治癒(エリアヒーリング)

 自己流王級治癒魔術ノーブルヒーリング

 

 他にも細々とした技術・技能を開発済み。

 中でも有用なのは痛覚遮断だろう。

 腕が千切れる事に定評のある俺にとっては痛みを回避出来る事から重宝しているのだ。

 

 

「なんか全員、弱そうね」

 

「こらエリス。思ったとしても口に出してはいけませんよ。誰が聞き耳を立てているのか、分かったものではありません」

 

「ごめん、でも感想くらい言っちゃうわよ」

 

 

 ここら一帯に出現する魔物は弱い。

 魔大陸を踏破した俺が言うのだから、嘘偽りは無い。

 そんな魔物を対象に討伐依頼を受ける冒険者たち。

 その水準は魔大陸の冒険者と比較して著しく低下する。

 

 

「どうします? 旅費は既に十分に有りますけど、小遣い稼ぎに魔物退治の依頼でも受けますか?」

 

「楽しそうね! でもまずはギルドを探索しましょう!」

 

 

 子どものようにはしゃぐ。

 とはいっても、彼女もまだ13歳。

 遊びたい盛りだ。

 冒険者稼業を遊びだと例えるのは本職の方たちに申し訳無いか?

 いやまぁ、俺たちも本職だが。

 Aランクパーティー・デッドエンド。

 ミリス大陸を縦断あるいは横断する旅の中でも、積極的に名前を売っていこう。

 

 一階の受付やら待合室を適当に眺めた後に、二階へと上がる。

 このフロアでは武具や消耗品の販売、素材の買取・販売等を扱っている。

 ちょうど良い機会だ。

 消耗品の調達を行い、依頼を受ける装備を整えよう。

 ギルド直販の為、市場相場よりも一割ほど安く購入出来た。

 冒険者の総本山ともなれば、冒険者として活動しやすい環境が整っているようだ。

 

 三階へと移動する。

 軽食をとれるレストランがフロアを独占していた。

 朝食は十分な量を戴いたが、良い香りが漂ってきて食欲を刺激する。

 食べ盛りゆえ、示し合わせることなく、エリスと共にレストランへ入店。

 

 サンドイッチに似た料理と果汁ジュースを注文。

 少し離れた席には護衛の神殿騎士が陣取っていた。

 周囲の人間は緊張した様子で縮こまっていた。

 神殿騎士ってのは頭のイカれた人間が多いらしい。

 

 ミリス教団内きっての狂信者集団。

 神の名の下に異端審問の際には残虐な拷問を顔色一つ変えずに行うらしい。

 手足をハンマーで潰したり、刃物で指を1本ずつ切り落としたり……。

 基本戦闘能力も高いし、数も多い。

 

 補足するとこの前、神子やクレアを襲撃した教皇お抱えの暗殺集団は、教皇派閥の最高戦力の一つらしい。

 だから神殿騎士とて苦戦を強いられ壊滅した。

 騎士団内でも上位クラスの騎士ならば後れを取らなかっただろうが……。

 

 暗殺者らは、デッドエンドの活躍で、在籍する人間の半数近くが死亡したそうだ。

 教皇派の戦力を削り、図らずも枢機卿派に肩入れしちまった。

 

 さて、神殿騎士について話を戻そう。

 神殿騎士は、強い上に集団での戦闘に長けている。

 俺やエリスのような超火力や超スピードを持たない者にとっては非常に脅威的。

 俺でも加減しようものなら足下をすくわれる。

 

 そんな恐ろしい連中に目をつけられたら堪ったもんじゃない。

 ゆえに荒くれ者の多い冒険者達も物静かに食事を進めていた。

 神殿騎士でまともな人物は、テレーズ叔母さんと、カーライルお祖父さまくらいしか知らない。

 

 最上階にあたる4階へと到達。

 ここはギルドルームがフロアを占めている。

 大規模なクランが使用申請をして、利用するシステムらしい。

 3人パーティーのデッドエンドとは無縁だな。

 なので見学をするに留まる。

 物珍しげにエリスは内装を眺め、飽きてきたのか俺の手を取って階下へと向かう。

 

 一階の掲示板で手頃なBランクの依頼を選択し受注。

 日帰りで移動可能な距離である。

 護衛の神殿騎士達にはどうしてもらおうか?

 冒険者の規約的に、彼らの同伴が許されるのか微妙なラインだ。

 

 まぁ、ラトレイア家の令嬢を護衛も付けずに放置というのも不味かろう。

 冒険者ギルドも黙認してくれるはずだ。

 それほどまでに神殿騎士団ひいてはミリス教団の権威は、ここミリス神聖国では強い。

 

 そして出発。

 時間だけはあるので、あえて町中を観光しながらの移動。

 都市全体を巡るように走る水路は、さながらヴェネツィアのような風景だ。

 遊覧船に乗って束の間の船旅を満喫。

 

 下船後は露店で買い食いして、更に栄養を蓄える。

 この栄養も全ておっぱいに行き着くのだから、複雑な心境だ……。

 太りづらい体質なのは結構なことだが。

 

 ここ最近は胸のカップ数に変化は無い。

 代わりに身長は順調に伸びてきており、乳房の脂肪量も背の高さに比例して増えている。

 結局、カップ数ってのはトップとアンダーの差から算出されるものに過ぎない。

 おっぱいの大きさを誇るのなら、ある程度の身長と、ある程度のカップ数の両立が重要だ。

 

 エリスなんかは、その条件に合致する。

 女の子にしては上背もあるし、胸も年代毎の平均以上。

 更なる成長の兆しを見せており、将来は母親のヒルダすらも超えるおっぱいに育つだろう。

 

 ただ俺は自分の胸の膨らみを見る度に溜め息をつく回数が増えた。

 頭の中のイメージじゃ、男の頃の感覚が残っている。

 なのでふとした瞬間に手が触れてしまうと、違和感を覚えるのだ。

 ブラジャーをしていても、激しく動き回るとぶるんぶるん揺れて痛いし。

 乳に気を取られて戦闘中にヘマしないように要注意だ。

 魔術での解決を試みようか。

 おっぱいを支える専用の魔術の研究開発に挑戦してやろう。

 死活問題だし、上手くいったらエリスにも教えてあげようか。

 おっぱいがデカイと、それだけで肩凝りの原因にもなるしな。

 

 

──

 

 

 やがてミリシオンの町を出る。

 近隣の村で緑葉虎(リーフタイガー)という魔物が猛威を振るっている。

 生息地は大森林の南部辺りだが、ここら周辺に居着いたらしい。

 

 到着後、早々に発見。

 先日見せてくれたエリスの()()()()を再び間近で目撃する。

 赤い髪が尾のように揺れたかと思えば、目標の魔物は絶命していた。

 返り血すら浴びない技量の高さと手際の良さ。

 感服するわ。

 

 光の太刀を習得している時点でエリスは剣聖を名乗っても良いだろうが、正式に認定されたわけじゃない。

 アスラ王国に帰還したら、ギレーヌにでも認可試験を実施してもらうことをオススメしよう。

 

 

 あれ?

 今回の俺は、活躍の場が無かったな。

 おんぶに抱っこみたいで不完全燃焼だ。

 

 その後、家畜を襲っていた緑葉虎(リーフタイガー)の被害に遭っていた村人達から感謝される。

 ミリス教団の権力争いの激化で、本来なら治安維持に勤める聖堂騎士団もてんてこ舞いで、対応が出来なかったそうだ。

 ゆえに冒険者ギルドに依頼として貼り出されていたわけだ。

 

 説明しておくと聖堂騎士団という組織は、いわゆる聖騎士の立ち位置だ。

 権力闘争についても中立の立場。

 自国防衛を担う全うな組織である。

 

 デッドエンドとしてまた善行を積んだ。

 この調子で活躍を継続していきたい。

 

 

──

 

 

 ミリシオン南部の冒険者区より町へと戻ろうとした際のこと。

 俺たちを守護する神殿騎士達がやけにピリピリしていた。

 気になって振り返ってみると、彼らは剣を抜き、とある2人組と対峙していた。

 その姿は何処かで見掛けたような……。

 

 確かウェンポートで妙に目を惹いた長耳族(エルフ)のねーちゃんと炭鉱族(ドワーフ)のおっちゃん。

 冷や汗をかいた様子で戸惑う。

 

 

「わたくし達、決して怪しいものではありませんの! 知人の娘を見掛けたものですから、声を掛けよう思いましたの」

 

「わしらに敵対する意思はない。どうか剣を下げてくれんか?」

 

 

 敵意は無し。

 その証明に両手を上げて無抵抗の意思表示。

 けれど過激派思想の神殿騎士達は矛を下げない。

 彼と彼女は大森林及び青竜山脈の麓に暮らす種族で、ミリス神聖国とは不戦協定が結ばれているはず。

 争う事すら外交問題に結び付きかねない。

 こりゃ、止めなきゃ不味い。

 

 

「騎士さん! その方達は、敵ではありません! どうかお見逃しを!」

 

 

 騎士達を諌め、彼らの身を保証する。

 俺の記憶が正しければ、その2人組の名前はエリナリーゼとタルハンド。

 ウェンポートですれ違い様に会話を耳にして知った名前だ。

 ここ数日のゼニスとの雑談に出てきた黒狼の牙の元パーティーメンバーとも同じ名前の人物で、外見的特徴も一致する。

 

 剣を鞘に納めた神殿騎士達は、警戒心を解く様子はないが、今すぐどうこうしようという姿勢では無くなった。

 

 

「まずはお礼を言わせてくださいまし、助かりましたの。わたくしはエリナリーゼ、こちらはタルハンド。あなたはゼニスの娘でよろしいですわね?」

 

「ゼニスの娘のルーディアです。よろしくです」

 

 

 良い機会だ。

 ここで親睦を深めよう。

 ゼニスの子である俺ならば、悪い風にはされまい。

 

 

「やっと追い付きましたわよ! ウェンポートで見かけて以来、ずっと後を追っていましたの」

 

「ウェンポートですれ違っちゃったみたいですね」

 

 

 エリナリーゼはたしか、どこぞの宿で男と情事に耽っていたはず。

 窓越しに目が合ったが、その後有耶無耶になって現在に至る。

 言い方は悪いが、エリナリーゼはビッチな女性なのだろうか?

 

 ウェンポートじゃキシリカから魔眼を頂戴し、その制御の練習で精一杯だった。

 ゆえに彼女の事など頭から抜け落ちていたのだ。

 俺はほぼ宿に引きこもっていたし、向こうからは見つけられなかったのだろう。

 それに大森林じゃ雨期にかち合って足止めをくらって進めず、今になって追い付いたってところか。

 

 両親の古い知人なので、ギースについても知っているかな?

 というか、エリナリーゼとタルハンド、ギースも含めてかつては同じパーティーメンバーだったはず。

 

 

「それにしても、あの娘(ゼニス)と本当に似ていますわね」

 

「まったくじゃ。パウロのような変な男に引っ掛けられなきゃいいがな」

 

「ご安心を。私は男性を愛せない身ですので。男に靡くなどあり得ません」

 

「ほう、わしと似ておるな。逆にわしは女を愛せん」

 

 

 つまりタルハンドはゲイってこと?

 アスラ王国基準ならセーフな性癖だな。

 

 

「ラトレイア家の下で母さまと妹が保護されています。ご存知ですか?」

 

「ええ、ギースが大森林の各集落に伝言を残していたので知っていますわよ。あいつはこの町に?」

 

「まだ居ると思いますよ。冒険者ギルドへ行けば、会えるかもしれませんね」

 

 

 冒険者ギルドを訪れた際に小耳に挟んだが、ギースは話術の上手さから、ここらの冒険者とも付き合いの幅が広いらしい。

 普段は冒険者ギルドか、町の酒場で享楽的な生活を送っているそうだ。

 ギャンブルにも熱中してるらしいね。

 

 

「ギースは時間があれば探してみますの。放っておいても向こうから顔を出してくるでしょうけど」

 

「じゃあ、母さま(ゼニス)にお会いになりますか? 私の方で取り次ぎますけど。旧友と会えるのなら、母も喜ぶはず」

 

「あら、親切にありがとう。では、お言葉に甘えさせていただきますの。是非、会わせてくださいまし」

 

「何年ぶりの再会じゃろうな。黒狼の牙が解散してから随分と経つのう」

 

 

 パウロとは悪い思い出しか無いが、ゼニスとは逆に良い思い出しかないらしい。

 そんな2人が夫婦になるとは、数奇なものだ。

 ひとつの物語として成立しそうである。

 ルディちゃん誕生の前日譚的な感じで。

 

 

「ところでお2人は何故魔大陸へ? ここに居るという事は、滞在期間も短かったのでは?」

 

「ゼニスの家族の捜索ですの。尤も、無駄骨でしたわね。ウェンポートの隣町まで赴いたのですけれど、デッドエンドを名乗るパーティーが、散々捜索済みと聞きまして」

 

 

 発見漏れが無いように入念に捜索したのだ。

 被災者の目撃情報の聞き込みなどを地道に行った。

 仮に見落としが起きていたとしても、バーディガーディの主導で難民保護は継続しているらしいから安心だ。

 俺たちが魔大陸を去った後にも、救出された被災者が居るかもしれん。

 

 

「デッドエンドとは私たちの事ですね。魔王バーディ様も他の魔王へと捜索を呼び掛けてくれていたようですし。捜索漏れは限りなく少ないのではないでしょうか」

 

「優秀ですのね。バーディガーディとも友誼を結んでいまして?」

 

「成り行き上で。エリナリーゼさんもお知り合いですか?」

 

「ウェンポートで遭遇しましたの。気がついたら一夜を共にしていたんですのよ」

 

 

 それって浮気になんないの、バーディ陛下。

 いや、あの豪気な人だ。

 後ろめたい気持ちなどは無さそうだ。

 向こうの価値観なり文化なのだろう。

 ただキシリカが知れば、どう思うのやら。

 いや、彼女も大物みたいだし、意外と気にしないかもしれない。

 

 思わぬ場所で出会った両親の旧い知人。

 神殿騎士にラトレイア家への連絡を頼み、客として迎える手配をしてもらう。

 

 騎士達を使いっ走りにして心苦しいが、彼らはそれも仕事の内だと話す。

 給料が発生しているのなら、俺が気にすることもないか?

 

 

──

 

 

「うそっ! きゃー! エリナリーゼにタルハンド! 久しぶりね!」

 

 

 旧友との対面に興奮するゼニス。

 2人の手を取ってブンブンと上下に振って握手。

 旧来の仲の良さが窺える。

 

 

「ゼニスは変わりありませんわね。昔より、垢抜けてはきましたけれど」

 

「エリナリーゼは相変わらず美人さんね。貴女のお陰で良い旦那さんをゲット出来たの。今でも感謝してるのよ」

 

「ふふ、感謝なさい。ルーディアのような可愛らしい娘と出逢えたのは、わたくし直伝・夜の営みの絶技あってのこと。そのせいでパウロにゼニスを奪われてしまいましたけれど」

 

 

 パウロへの毒舌は止まない。

 

 

「ふむ、もう1人の娘子も可憐じゃのう。名をなんと言うんじゃ?」

 

 

 ノルンを指して訪ねるタルハンド。

 炭鉱族(ドワーフ)という種族柄、背が低く俺とあまり視線の高さは変わらない。

 ノルンからすれば少し見上げる程度か。

 

 

「わたし、ノルン!」

 

 

 初対面の人相手にも物怖じせずに自己紹介出来るとは。

 生前の俺じゃ真似出来ない芸当だ。

 

 

「この場にあと、ギース、ギレーヌ、ウチの人(パウロ)が居れば、黒狼の牙の再結成! なんてね?」

 

 

 過去の思い出に浸るゼニスは、中空を見て微笑む。

 在りし日の若者達の冒険が、映像として脳内に流れているのだろう。

 

 

「ギースはここには来んかもしれんのう。あやつの性格上、差別を嫌がって貴族街には近づかんじゃろう。わしら亜人でもスレスレじゃしな」

 

 

 枢機卿派の貴族は、大森林に住まう異種族に対しても偏見を抱く。

 解りやすい差別は無いものの、それでも人の目は気になるものだ。

 エリナリーゼとタルハンドも、そういった視線を忍んで、ラトレイア家まで足を運んでいる。

 尤も、クレアは歓迎してくれたが。

 

 

「パウロはフィットア領で捜索活動を指揮しておる。遠方ゆえに、こちらから手紙を出したとしても、届くまでに1年以上は掛かりそうじゃ」

 

「受け取ってから出発して、ミリシオンへたどり着くまでを含めて2年以上は掛かりますわね」

 

「ギレーヌに至っては、消息不明じゃ。腕っぷしは強いから死んではおらんじゃろうが」

 

「ギレーヌ、無事だと良いけど……」

 

 

 ゼニスがギレーヌと直接会ったのは4年半ほど前になるか。

 ボレアス家からの迎えとして、ギレーヌがブエナ村を訪れたのだ。

 俺との出逢いでもある。

 

 ギレーヌの名前が会話に出てきたことで、傍らで聴いていたエリスは伏し目がちになる。

 思えばエリスの家族は誰1人として安否が判明していない。

 全員ではないにしても、俺だけが家族の無事を知り、そして対面まで果たしている。

 そばで見ていて気持ちの良いものではないかもしれない。

 

 いや、エリスは根は素直な子だ。

 再会の喜びも共有してくれている。

 だったら尚更、俺も彼女の為に家族を見つけてやらなきゃだ。

 そしてエリスが家族との再会を見事に遂げたら、俺もそばで喜んでやろう。

 

 

 

 

 

──剣の聖地──

 

 

「ギレーヌ。急に戻ってきたかと思えば、なんだその爺さんは?」

 

 

 ギレーヌの剣術の師、剣神ガル・ファリオンが見たままの光景に対して、問いを投げ掛けてくる。

 獣族の中でもデドルディア族である彼女のそばには、五十代半ばから後半の人族の男性が連れられていた。

 

 急な帰還。

 かつて剣神流を学ぶ為に逗留し、剣士としての才覚を磨いた地。

 独り立ちから幾年の時を経て、ギレーヌは舞い戻ってきたのだ。

 事情は解らないが、神妙な面持ちの彼女は、己が師に対して不遜な態度で相対していた。

 

 剣王ギレーヌ・デドルディアは、フィットア領転移事件以降、主であるサウロス・ボレアス・グレイラットを守護しながら潜伏生活を送っていた。

 

 国へ戻れば、サウロスの身はただでは済まされない。

 命の危険への懸念から、中央大陸には留まりつつも、アスラ王国へはしばらく立ち入らなかった。

 

 そういった状況の中、長らく紛争地帯を渡り歩いた後に、ある目的を掲げ始める。

 目的の達成の為に、自身と主の素性を隠したまま大陸南部からアスラ王国に入国し、国内を縦断する。

 赤龍山脈の上顎を抜け、長い旅の末に剣の聖地へと辿り着いたのだ。

 

 さて、ギレーヌは師匠の疑問に対して、ただ単純に答える事にした。

 

 

「この方はあたしの主だ。名をサウロス・ボレアス・グレイラット」

 

「主だぁ? はん、てめえは飼い猫にでも成り下がったってわけか」

 

「否定はしない。師匠に用件があって来た」

 

 

 当座の間にて剣神の前に姿を表したギレーヌは淡々と告げる。

 剣神流の高弟たちは、その敬意に欠けた態度を疎ましく思いつつも、咎める事はしなかった。

 剣王ギレーヌといえば、剣神流の全て門派において、その名を知らぬ者が存在し得ぬほどの武人。

 気迫に圧され、発言ひとつすら命懸けだと思い知らされる。

 

 

「一応話くらいは聞いておくが、俺様が応じるとは限らねえぜ?」

 

「構わない。ただ──あたしと師匠とで、果たし合いの場を設けて欲しい」

 

「俺様の首でも獲ろうってか? そいつは面白れぇ話だな」

 

「場合によってはそうなるだろうな……」

 

 

 目的を遂げる過程には、剣神ガル・ファリオンとの決闘が含まれる。

 唐突な来訪は相応の理由があってのこと。

 詳しくは語るまい。

 

 

「丁度良い。退屈してたところでな。てめえも腕を上げたみてぇだ。剣帝の認可くらいは、やれるかもしれねぇな」

 

「貰えるものなら貰っておこう」

 

「いいぜ、今からおっ始めようぜ」

 

 

 獣染みた笑みを浮かべた剣神ガル・ファリオンが鞘に手を添える。

 

 

「サウロス様、危険ですので下がって」

 

「うむ、お前の剣の行く末。この目で見届けようぞ……」

 

 

 ギレーヌもまた自身の剣の振るう先に待ち受ける結末を、主に見届けさせんとして鞘に手を掛けた。

 

 そして剣王ギレーヌ・デドルディアと、剣神ガル・ファリオンの死合が幕を開ける。



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42話 中央大陸へ

 ラトレイア家での滞在期間を終え、出発の日を迎えた。

 出発地点は町の南側の冒険者区入口。

 馬車に乗り込む直前、ゼニス、ノルン、クレアが見送りに来てくれていたので、しばしの別れの挨拶を交わす。

 ちなみにエリナリーゼとタルハンドが旅に同行することになった。

 少なくとも中央大陸に渡るまでは道中を共にする予定だ。

 

 

「もう行ってしまうのね。寂しくなっちゃうわね」

 

「また会えますよ。次は父さまも一緒です」

 

 

 

 再会の約束を結ぶが、悲しみに感情は揺れ動く。

 今でもゼニス達とは同じ時間を過ごしたい。

 晴れやかな天気に反して、俺の心は曇り模様。

 せっかくの旅立ちに影が差す。

 

 

「お母さんはもう大丈夫だから安心して。ルディの無事も分かったし、あの人(パウロ)もアスラ王国で頑張ってると分かったもの。きっとリーリャとアイシャも見つけてくれるはず」

 

「はい、父さまならきっと……」

 

 

 彼女は言った。

 もう自分の心は折れないと。

 娘である俺の前だから気丈に振る舞っているわけじゃない。

 心根からの言葉なのだろう。

 ノルンも居る。

 親子のわだかまりの解消されたクレアだって居る。

 だからきっと、ゼニスに心配など不要だ。

 母親の決意を疑ったりはしない。

 

 

「ほら、ノルンもお姉ちゃんにバイバイって」

 

「お姉ちゃん……。また会おうね」

 

「うん、約束するよ。次に会う時は、ノルンももっと大きくなってるだろうね。楽しみだ」

 

「お姉ちゃんもお胸が大きくなってるよね」

 

「う、……それって、セクハラだぞ?」

 

 

 誰に似たんだか。

 俺か?

 そもそも同じ親の血を引いているのだ。

 パウロの血筋が悪さをしちゃってるんだ。

 

 

「それでは。クレアお祖母さまもお身体には気をつけて」

 

「貴女の旅の無事を願っています。パウロ氏にも申し訳なかったと、どうかお伝えください」

 

 

 ゼニスの件をパウロへ知らせなかった事への謝罪だろう。

 既に謝罪文を手紙にしたためて何通も送ったらしいが。

 この世界の手紙の配達は遅い。

 それに確実に届く保証も無い。

 ゆえに俺が直接、パウロに伝えた方が確実だ。

 

 

「わかりました。父にはきっと伝えます。彼なら理解してくれる筈です」

 

「では、ルーディア。貴女に幸あらんことを」

 

 

 そしてルイジェルドが御者を務める馬車に乗り込み、ミリシオンを旅立った。

 クレアとは争い事にまで発展したが、最終的に相互理解に至れて良かった。

 家族はやはり大切にしないとだ。

 ルイジェルドも日頃から口癖のように言っている。

 

 ゼニスとノルン、それにクレアの姿が豆粒のように小さくなるまで手を振り続けた。

 旅はまだ続く。

 

 

──

 

 

 街道沿いにミリス大陸を西へ進む。

 魔物も出現せず、治安も良い事から移動は非常にスムーズだ。

 

 途中、幾つもの町に立ち寄り、旅の消耗品の補充や宿で身体を休めたりと、至って平凡な旅が続いた。

 平和な事は好ましいが、エリスは退屈そうにしている。

 

 エリナリーゼは俺の事が気に入ったのか、やたらと世話を焼きたがる。

 髪を編んでくれたり、夜の秘術を教えてくれたり。

 後者については参考にする気はサラサラない。

 殿方に対してのテクニックなど実践の機会などあるまい。

 

 タルハンドはルイジェルドと気が合うようで、町の酒場で飲みニケーションというやつを重ねている。

 炭鉱族(ドワーフ)も人族と比べたら長寿種らしく、大人の男同士で会話の話題も合うのだろう。

 

 エリナリーゼの件で気になった事がひとつ。

 あの人、町へ立ち寄る度に宿へ男を連れ込んでいるのだ。

 部屋は別に取っているので直接的な影響は無いが、男女が交わった後の特有の香りをプンプンと漂わせている。

 

 エリスなどは不快そうな顔でエリナリーゼを見詰めていた。

 年頃だし、性にふしだらな行いが癇に触るのだろうか?

 その割にはエリスも、俺の身体にベタベタと触れてくるけども。

 自分を棚上げするなんてよろしくない。

 お仕置きとしてエリスの乳をつついてみたら、揉み返された、なむ……。

 

 

──

 

 

 2ヶ月後、港町ウェストポートへと無事に到着した。

 名前からも分かる通り、ミリス大陸の最西端に位置する港町だ。

 

 ミリス大陸滞在も残り僅か。

 大森林の雨期に重なって随分と長居してしまった。

 期間にして半年程度になるか。

 エリナリーゼとタルハンドらに合流出来たし、良しとする。

 

 この港町は交易の重要な拠点。

 商人が多く、市場も栄えている。

 旅を急ぐべきなのだが、乗りたい船便が欠航していたので出発は翌日に持ち越された。

 関所での渡航の申請自体は済んでいる。

 対応した職員が二つの書状の宛名を目にすると、責任者と協議するとかで、手続きが長引いたが。

 ラトレイア伯爵家当主カーライル及び教導騎士団団長ガッシュのビッグネームを騙る胡散臭い詐欺師とでも取られたのかもしれない。

 

 奥から出てきたミリス大陸税関所長を名乗る男に、何やら犯罪者を疑うような視線を向けられた。

 が、俺の顔を見た途端に態度を翻す。

 ラトレイアの関係者だと判断したのだろう。

 

 スペルド族であるルイジェルドの渡航についても、渋々といった態度で許可された。

 この国の魔族迫害は根深いようだ。

 

 そして本日は翌日の乗船に備えて宿で休む。

 船には馬車を持ち込めないので、この町で売却する事にした。

 宵越しの銭を手にしたところで、別段使う予定もないので懐にしまっておく。

 

 エリナリーゼはまた男漁りとかで町へ消えていった。

 タルハンドは船が苦手とかで、乗船前から青ざめた顔をしている。

 エリスも船酔いが酷いので、ヒーリングを掛ける相手が2人に増えてしまったか。

 地帯治癒(エリアヒーリング)を使えば、同時に治療可能なので問題はあるまい。

 

 昼下がり、部屋を訪ねる者が居た。

 一度だけ会ったことのある人物で、叔母のテレーズ。

 左遷先が、ここウェストポートの大陸税関所だったらしい。

 

 デッドエンドのスペルド族の話題で職場は持ちきりだったようで、俺たちの滞在を知り、宿泊先を訪れたのだとか。

 

 

「母様とは上手くやれたみたいだね」

 

「お陰さまで和解致しました」

 

「いや、大した協力は出来なかった。ルーディアちゃん自身の手腕だな。ゼニス姉様も鼻が高いことだろう」

 

「あまり褒められると照れますね」

 

 

 俺はそんな大層な人間じゃない。

 テレーズの言うような手腕があれば、各地で余計なトラブルに巻き込まれずに済んでいただろうに。

 まぁ、災難の中で結ばれた縁もあるし、一概に悪いとは言えんが。

 

 

「船旅の準備は出来てるのかい?」

 

「ええ、おおむね。しかし、エリスと母の知人のタルハンドさんが船に弱くて」

 

「それなら酔い止めを用意しよう。ミリス神聖国は治癒魔術だけでなく、医薬品の開発力も高くてね。その分、高価だが」

 

「お心遣い、感謝します」

 

 

 テレーズより酔い止めの薬と、オマケ程度だが食糧まで提供してもらった。

 持つべきものはおっぱいのデカイ、叔母上さまである。

 軽装で宿を訪問したテレーズの胸は、姉であるゼニスとサイズに遜色なかった。

 彼女に背後から抱き締められ、その感触を背中でじっくりと堪能させてもらった。

 1ミリも性的に反応はしなかったが。

 肉親の上、生物学的には同性だしな。

 俺が興奮出来る相手は、現在のところエリスくらいだろうか。

 

 別れを告げたテレーズは、仕事へと戻る。

 名残惜しそうに最後に頭をナデナデしてくれた。

 その感触は、おっぱいの弾力よりも感覚が強く残る。

 つい、そばにいたエリスの頭を撫でてやったら、何も言わずになすがままだった。

 その上、俺の胸に頬をスリスリと擦り付けてきた。

 エリスってばお姉ちゃんなのに甘えたがり屋なんだから、もうっ……。

 

 

──

 

 

 船に乗り込む。

 酔い止め薬が効いたのか、エリスとタルハンドは吐くところまでは体調を悪化させなかった。

 快調とはほど遠いが、小康状態といったところか。

 ヒーリングをねだらないところを見ると、会話する余裕くらいはあるらしい。

 

 

「ようやくミリス大陸から離れるのね」

 

「聖剣街道の恩恵で旅の途中は安全でした。魔大陸とは天と地の差ですよ。大森林でもドルディア村の方々に良くしてもらいましたし」

 

「ゼニスさんとノルンにも会えて良かったじゃないのよ」

 

「エリスを差し置いてすみません……」

 

「気にしてないわ。それよりも捜索を続けなきゃ。お父様とお母様は、武道の心得が無いから、あんまり待たせちゃうと死んじゃうかも。お祖父様はなんだかんだで、元気そうね」

 

「ですね。サウロス様がそう易々と亡くなるとも思えません。案外、ギレーヌがそばで守ってくれてるかもしれませんよ?」

 

 

 希望的観測だ。

 

 

「だったら大丈夫ね!」

 

 

 

 仮の話にすぎないが、彼女は確定事項として扱う。

 不安な時こそ、希望を持つことも大事だ。

 それでも堪えられないのなら、バーディ陛下のように高笑いすれば良い。

 

 俺だってパウロに関して不安が付きまとう。

 でも、アスラ王国で頑張ってるみたいだし、パウロだってきっと元気でやっているさ。

 自ら危ないヤツに喧嘩を売ったりもしないだろう。

 喧嘩っ早い性格なのは否めないが。

 

 そうして2人して家族の無事を信じながら、ミリス大陸を後にした──。

 向かう先は、いよいよ中央大陸だ──。

 

 

 

 

──水神流宗家・道場──

 

 他流派の門戸を叩くは七大列強序列七位の座に就く龍滅パウロ及び北神カールマン三世アレク。

 鬱憤を晴らすなど建前に過ぎず、その真意とは水神流の技をその身に刻む為。

 

 親善試合などという生温い戦いなど求めぬ。

 真に迫った命の奪い合い。

 血を求め、肉を食らい、骨をも砕く。

 生死を争う闘争を渇望して参った次第。

 

 事前連絡も無しに土足で上がり込む2人の剣客。

 水神流の門弟達は歓迎などしなかった。

 さりとて干渉はしない。

 新旧列強相手に太刀打ちなど不可能だと、挑む前から理解しているがゆえに。

 

 果敢にも挑もうという気概のある者が居ない状況に、アレクは暇をもて余す。

 パウロは意にも介さず、ただ目的を果たせれば不満など無い。

 

 

「水神レイダ・リィア殿とお見受けします」

 

 

 アレクが代弁する。

 これより、主の意思を水神流の長へと伝えるのだ。

 

 

「そういうあんたは北神三世だね」

 

 

 返す水神レイダ。

 不届き者であろうと剣士は剣士。

 もてなしもせずに帰すのは忍びない。

 はたまた彼らの剣に興味を抱いたのか。

 

 

「いかにも。我が名はアレクサンダー・カールマン・ライバック。そしてこちらにおわすは御方は龍滅パウロ・グレイラット。当代最強の剣士なり!」

 

「最強は言い過ぎだろ? 他に言い方を考えろって」

 

 

 アレクの語りに訂正を求める。

 パウロとしては最強など不要な称号だ。

 家族を守り、龍神オルステッドさえ滅ぼせれば、それ以上は望まない。

 尤も、当代の龍神こそが最強の名を冠する武人であるのだが。

 

 

「改め、世界最強候補の1人……!」

 

 

 主の指摘に、言い直す少年。

 出鼻を挫かれた格好だが、まだ取り返しはつく。

 

 

「おい、もっと褒めろよっ……! 馬鹿やろうっ!」

 

 

 だが控え目な表現に物足りなさを感じ、つい叱りつけてしまう。

 脇腹を肘で小突かれたアレクは苦笑しつつも姿勢を整える。

 安穏とした雰囲気の中で、門弟達は真逆の剣呑とした香りにどよめき立つ。

 この2人には、決して手を出してはならぬと。

 

 

「おや、あんた……。先代のノトス家んところの倅じゃないか。あの悪童が今や七大列強とはねぇ。北神の言葉もふかしじゃなそうだね」

 

「なんだレイダの婆さん。オレのことを憶えてたのか?」

 

「リーリャん所の道場に居た生意気なガキだろう? 忘れるには印象深すぎてねぇ」

 

「水神様の記憶に残ってるとは、そりゃあ光栄なこったな」

 

 

 パウロがノトス家を出奔し、まだ青二才と呼ばれていたような時代。

 水神流の看板を掲げる道場へ入門し、剣術の研鑽に励んでいた。

 が、剣よりも女を好む彼は、鍛練などはそこそこに、街へ女を抱きに道場を抜け出す日々。

 なまじ才覚に恵まれていたが故に、同門の師弟達を置き去りにして、努力せずして瞬く間に上級の認可を得た。

 

 同時期、水神レイダはリーリャの父の経営する道場に短期間ながら逗留していた。

 道場内でも有望株の剣士とされていたパウロを、水神レイダは直々に稽古をつけてやった過去がある。

 

 

「ふん、あんた……。リーリャって娘を手篭めにして逃げたんだって? それで破門なんて馬鹿な男だね」

 

「リーリャには悪いことをしたと思ってる。彼女はいま、オレの嫁の1人だ」

 

「へえ? 男としてケジメを取ったってわけかい。見た目の割には男気があるねぇ」

 

 

 実際には不倫の末に身籠らせた責任を取っただけなのだが、都合の良い解釈をしてくれている故に口をつぐむ。

 

 

「過去はどうあれ。仮にあんたの娘に手を出した男が居たとする。どうする?」

 

「八つ裂きにして家畜の餌にでもしてやるさ。オレの娘の乳でも触れようものなら、なるべく死なねぇようにいたぶってから、最終的に首をはねてやる」

 

「は! 恐ろしい、男だことだ。自分の過去を省みず、人には厳しいときた」

 

 

 身勝手なのは自覚しているが、愛娘の大事な身体なのだ。

 己の過ちのせいで娘の身を案じてはならない。

 なんて道理は無かろう。

 

 

「で、なんの用だい。神級剣士2人で押し掛けてきて、お茶でも飲もうってわけじゃないだろ? おおよその見当はついてるけどねぇ」

 

「レイダさんに頼みがあってきた」

 

「頼み──ねぇ……。あたしが聞いてやる義理があるのかい?」

 

「無ければ土下座でも何でもする。あんたの実力と実績を見込んでここに来た」

 

「天下の七大列強様に頭を下げられちゃあ、箔付けとしては悪かぁないね」

 

 

 単なる手合わせの申し入れで済む話ではない。

 一門の長の胸を借りようというのだ。

 それ相応の対価を差し出して然るべきである。

 

 

「パウロ、あんたは何を代償にする?」

 

「片腕でも何でもだ」

 

「剣士が腕を失ってどうすんだい。馬鹿なのは変わらないねぇ」

 

「馬鹿だから美人な嫁さんと、可愛い娘達を手に入れられた。尤も、今となっては行方も知れんがな」

 

「噂が本当なら、少なくとも長女は死んでないんじゃないかねぇ。ブエナ村のルーディアってのは、王都にもその名を轟かせる稀代の天才魔術師として有名さね」

 

 

 やはり自分の娘は天才なのだ。

 自身の種の優秀さが末恐ろしい。

 いや、ルーディアは突然変異で生まれた超常的存在なのかもしれない。

 だとしても最愛の娘には変わりないが。

 

 

「まぁ、その名の大きさでダリウスの糞狸に狙われちまったんだが」

 

「あの男は黒い噂が絶えない。良くもまぁ、奴の手から逃れたもんだ。運も有っただろうけど、生存力が高い証拠だよ」

 

「その辺りはオレに似たんだろう」

 

 

 ルーディアは窮地にこそ本領を発揮する娘だ。

 突発的なアクシデントには弱いが、底力は侮れない。

 父親のパウロから見ても、その素質の程は未知数。 

 

 

「代償ってのは要らない。あんたの腕は娘を抱き締める為に取っておきな」

 

「恩に着る、レイダさん……」

 

「手合わせしたいんだろう? それも遊びじゃなく、殺し殺され上等のヤツをね」

 

「理解が早いな」

 

「伊達に歳を取ってないよ。命の取り合いなんて飽きるほどしてきた。ガル坊ともそれなりにねぇ」

 

「ガルさんか……。元気にしてっかな」

 

 

 剣神ガル・ファリオン──。

 パウロへ正式に剣王の位階を認めた人物。

 剣王に至った事で彼のお眼鏡に適い、短くない期間を直弟子のような待遇で扱かれた。

 

 いまでも純粋な剣神流剣術の練度では敵うまい。

 とはいえ、単純に剣速だけならばパウロに軍配が上がるだろう。

 その太刀筋は既に、パウロの部下である北神三世の目にも追えぬ域に達していた。

 

 

「殺り合う前に婆の雑談にちょいと付き合いな……。あんたは、流派にこだわりはないのかい? 節操無しさね」

 

「女と同じさ。色々な味を楽しみたい」

 

「あたしがとやかく言うのはお門違いだけど、女の敵だねぇ。間違ってもあたしの孫娘に粉ふるんじゃあないよ」

 

「オレが勃つとすりゃあ、ゼニスとリーリャを相手にする時だけだ」

 

「そりゃあ結構なことだよ」

 

 

 パウロは剣王でありながらも、剣王の位階以上に与えられる証、ファー付きコートを着用していない。

 格式張った物を嫌っているのだ。

 貴族社会と共通している。

 同じ剣王でもギレーヌは着用していたりするが。

 面識がある人物では、あとは2人存在する剣帝と、パウロの直接の師である名も無き剣王、そして剣神ガルが着用する。

 

 パウロという男は、剣神流のみに留まる人間ではないと存外に語っているようなものだ。

 補足すると現在の剣王の内上位3人は、パウロ、ギレーヌ、名も無き剣王だ。

 剣神流を代表する三剣王の一角がこれでは、剣神の顔が立たない。

 

 

「さぁて、そろそろ始めようじゃないか。別にあたしを殺すつもりで掛かってきても構わないんだよ?」

 

「そちらこそ殺す気で来ねえと困る」

 

「お互い死んじまったら泣く家族が居る。これこそ剣戟の醍醐味ってやつさね」

 

 

 両者、見守る者達の前で構える。

 

 龍滅パウロの見届け人に北神三世。

 

 対する水神レイダの見届け人は孫娘イゾルテ。

 騒ぎ立つ道場に足を踏み入れた瞬間に、祖母からのご指名だ。

 

 審判を務めるのは水帝。

 水神レイダの名の下に公正な判断を誓う。

 

 合図は無し。

 どちらかが動きを見せれば、その時点で決闘は開始となる。

 

 水神レイダは構えを取るのみで不動を貫く。

 龍滅パウロは柄を握り、攻勢の機を窺う。

 互いに読み合う。

 先手を取れば勝者と成り得るのか、後手に回れば敗北者の烙印を押されるのか。

 

 剣神流は先制により必勝を約束されし流派。

 水神流は受けることで必勝を掴む流派。

 性質は真逆で矛盾の関係性。

 となれば勝敗を決する要素は、個々の技量の差。

 

 先に仕掛けたのはパウロであった。

 初手より光の太刀──。

 高速より繰り出されし剣先は、一切のブレ無し。

 振り抜かれ、剣閃が死への道筋を描く。

 

 受けるレイダ。

 闘気より太刀筋を読み取り、軌道上に剣を乗せ受け止めた。

 水神流奥義・流──。

 

 瞬間、全ての衝撃がパウロへと跳ね返る。

 体勢を崩すも、咄嗟に踏み留まり次なる斬撃に備える。

 そして来た!

 レイダによる斬。

 さりとてパウロも隙を晒すだけにあらず。

 

 剣神流奥義・光返し──。

 

 本来の用途は対光の太刀専用の防御技。

 だが応用はどうとでも利く。

 剣を握るレイダの手首に最速で放たれる光の太刀によるカウンター技。

 

 崩れかけた体勢からのパウロによる不意の一撃は、かろうじて剣先で防いだレイダの小柄な体躯に、見た目以上に苛烈な震動を与えた。

 奥義を使う猶予すら与えられず、防御は不完全なままに終わる。

 

 

「あんた……加減してるね?」

 

「手を抜かなきゃ、あんたの技を身体に受けられないだろ? オレは水神流最高峰の絶技を身をもって学びに来たんだ」

 

 

 決闘は拮抗などしていなかった。

 龍滅パウロはあまつさえ水神レイダに対して手心を加える程度には余力を残していた。

 温存されし真価を問える者は、このアスラ王国に存在しまい。

 偽り無き実力を引き出すには、それこそ龍神オルステッドをこの場にあてがうしかない。

 

 

「あたしにも剣士としてのプライドがあってねぇ。意地でもあんたの死力を引き出さなきゃ、とてもじゃないけど気が収まらないさね」

 

「いいぜ、死ぬ気で来いよ。元より無傷で終わるつもりなんざねぇんだ」

 

 

 レイダは老骨に鞭を打ち、奥義・剥奪剣界の構えに入る。

 次にパウロが指ひとつでも動かそうものなら、その瞬間が命日となろう。

 先を取ったという認識は覆り、後手にてレイダが斬撃の嵐を叩き込む。

 

 パウロもその光景を脳裏に視たからこそ迂闊に剣を振るえない。

 だが彼は、必殺の剣を謳う流派で己を鍛え上げた。

 神速を以て、末路ごと斬り伏せよう。

 

 闘気を練り上げ、四肢に力が入る。

 光輝の精霊に並ぶ敏捷性の向上。

 かつて存在した王竜王の鱗を彷彿とさせる硬い肉体への変貌。

 鬼神にも迫る剛力にして怪力。

 常人を超え、超人をも超え、神の打倒さえも成し得かねない傑物の生誕。

 

 やがて龍滅パウロは──世界を斬った。

 

 剣の通り道に沿って空間が裂ける。

 得物より溢れ落ちた闘気が真空を駆け巡った。

 剣圧による業風が、構えを取る水神の全方位から殺到。

 レイダの五感に混乱を誘発し、誤認と遮断の二重苦に陥らせる。

 暗闇に閉ざされた水神は、剥奪剣界の構えをそのままに無防備となってしまう。

 これでは攻撃に合わせて剣閃を飛ばせない。

 

 パウロの剣が薙ぐ。

 されど斬撃にあらず。

 衝打がレイダの腹部へ叩き込まれる。

 直後、彼女は食道から逆流してきた血液を口の端からこぼす。

 

 

「峰打ちだ──」

 

「は……。困ったねぇ……加減された上に手も足も出ないんじゃ、言い訳のしようのない程に敗けだよ……」

 

 

 レイダは手から実剣を落とし、床に両手をついて倒れる。 

 久方ぶりの敗北の味に、歯ぎしりを起こす。

 審判を務める水帝は、長の敗北に動揺しながらも、龍滅パウロの勝利を周囲へと告げる。

 

 

「龍神オルステッド以来の敗けさね……」

 

 

 原理は単純。

 闘気により極限まで底上げされた身体能力にて、大気を斬り裂いた。

 真空となった空間へ、空気の流入と共に刀剣より溢れ出た闘気が走り、相対するレイダの五感を狂わせたのだ。

 

 技名すらない闘気によるゴリ押し。

 速度と筋力に物を言わせた力任せゆえに対応は至難。

 

 

「レイダさん、ヤツと闘った事があるのか?」

 

「ちょいと昔にね……。まるで歯が立たないままに地面に転がされて、挙げ句に見逃されたのさ」

 

「全盛期のあんたでも龍神には届かなかったのか」

 

「そうさね。ごほっ……」

 

 

 咳き込む水神の口から、なおも流れる血液。

 駆け付けた水神流宗家お抱えの治癒術師が治療し、手負いの身体は癒える。

 

 

「けどねぇ、パウロ。あんたなら或いは……」

 

「あぁ、だからオレは水神レイダに仕合を望んだ。得るものはあったぜ?」

 

 

 水神レイダは神級クラスの武芸者。

 かの龍神には及ばぬが、神域での死闘を再現するには不足なし。

 

 

「あんたになら野望を託しても良さそうだねぇ。打倒龍神オルステッド──」

 

「託されてやる、オレがオルステッドを殺す」

 

 

 元より抱いていた野望。

 水神レイダ一人分程度、余分に背負っても苦ではあるまい。

 

 

「ふん、言うようになったね。いいよ、今日からパウロ・グレイラットはあたしの直弟子さね。水神流の奥義を叩き込んでやろうじゃないか」

 

「オレなんかを直弟子に? それに破門を取り消してくれんのか?」

 

「こんな逸材を見逃す阿呆がいるってのかい? 技を伝えるのも水神としての務めだよ」

 

 

 かつて水神流一門より放逐された男が、他でもない当代の水神レイダに復帰を認められた。

 

 この日を以て、龍滅パウロ・グレイラットは──。

 ──水神レイダ・リィアの直弟子となった。

 

 その後、僅か2ヶ月の期間で水帝の位階を授かり、初代水神が編み出したとされる水神流奥義5種の内、3種を習得した。

 奇しくも当代水神と同じ奥義であり、幻の6種目の奥義・剥奪剣界すらも物にする──。




第5章 少年期 再会編 - 終 -


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第6章 少年期 ボレアス夫妻救出編
43話 身体の変化


 またこの空間だ。

 どこまでも純白が続く世界。

 馴れ馴れしく声を掛けてくるモザイク野郎の居住地。

 人神(ヒトガミ)のヤツが俺を呼び出しやがった。

 順調な旅に水を差されたようで舌打ちのひとつでも打ってしまう。

 

 くそがっ……。

 

 

「いきなり随分な態度じゃないか」

 

 

 いやだって、お前の事なんてすっかり忘れかけてたんだぜ?

 せっかく気分が乗ってきた頃に、あんたが夢に出てきたんだ。

 そりゃあ、不機嫌にもなるさ。

 

 

「でも前回の助言のおかげで、上手くミリス大陸にも渡れたし、大森林ではかけがえのない友だちが出来たろう?」

 

 

 そこまで先を読んでいたのか……。

 まぁ俺もお前の助言とやらを利用させてもらったよ。

 それは認めてやる。

 誇れ、お前の成果だ。

 

 

「人の善意を利用するなんて酷い話だよね」

 

 

 あんたは人でなしだろ?

 それにお互い様だ。

 おっと、持ちつ持たれつとか思うなよ?

 もう一度言うが、お前は人でなしなんだよ。

 

 

「神様だからね。うん、人ではないのは確かさ。君もシャレが効くね」

 

 

 飄々としやがって。

 

 それにしてもコイツとは1年ぶりの対面だ。

 不本意ながらまた助言の押し付けでもするつもりか?

 

 で、今回は?

 どんな命令を下すんですかねぇ。

 

 

「命令なんて上から目線で言うつもりはないよ。ボクとしても君みたいな女の子には幸せになって欲しくてね」

 

 

 どの口が言うんだ。

 ここまで来るのに、どれだけの苦難を強いられたのか……。

 そこんところ、理解してるのかよ。

 魔眼とかいう便利な力は得たが、(ガルス)を殺すハメになったし、ラトレイア家じゃクレア祖母さんと誤解の末に大喧嘩になった。

 

 

「災難だったね? でも君も人として成長したんじゃないかなぁ」

 

 

 健やかに育ちたいもんだ。

 厳しければいいってもんじゃないだろうに。

 試練だけ与えて、あとは勝手に切り抜けろなんて、放任主義にも程があるぜ。

 

 

「試練? ボクは関与してないけどねぇ。むしろ障害を乗り越える手段をプレゼントしてあげたのに」

 

 

 否定はせん。

 だが、お前が悪趣味である事実は覆らんぞ?

 どうせ笑ってたんだろうが。

 

 

「そりゃあ、笑うべき時は笑うよ。それに悪趣味なんて言われても気にしないさ。それにしても、ボクを利用すると話しながら、こんなにも頼りきりで良いのかい? こちらとしては別に問題はないけど」

 

 

 ふむ、全ての行動は自己責任とでも言いたいらしい。

 自分自身、甘っちょろい事を抜かしていた部分も、認めざるを得ない。

 

 じゃあ、今回は助言無しってことで構わないぞ。

 自分の頭で考えて、自分の足で歩く。

 この1年で実践してきたことだ。

 手を借りるまでも無いね。

 

 

「凄いね、褒めてあげるよ」

 

 

 馬鹿にしやがって……。

 性根が腐ってやがんな。

 

 

「ご褒美にアドバイスさせてくれよぉ」

 

 

 なんだ、お前。

 何かにつけて助言を与えたがるじゃないか。

 指示厨かよ?

 

 しかし現実問題、ヒントを目の前に差し出されたら、飛びついてしまう悲しい状況。

 不信を抱きつつも、他に寄る辺が無いゆえに行動指針に組み込んでしまう。

 良くない傾向だ。

 

 

「ん? 今回はなんだか遠慮してるようだね」

 

 

 口を閉ざしておく。

 黙して語らずってやつだ。

 いやでも、ヒトガミは心を読んで会話するっぽいしな。

 無駄な足掻きかもしれん。

 

 

「本当は聞きたくてウズウズしてると見た」

 

 

 ほら見抜かれた。

 何でもお見通しって面が気にくわない。

 バーカ、アホー、マヌケ!

 

 

「悪口はいけないね。邪険にするのはそれくらいにしてさ。知りたい事があるのに我慢するのは精神衛生上、よろしくないと思うよ」

 

 

 ……っち。

 今回は特別に聞く耳くらいは持ってやる。

 利用するなんていう俺の目論見も徒労に終わるのが目に見えているだろうがな。

 せめて物事の真贋を見極めるくらいの抵抗はしてやる。

 

 

「よろしい。でも、ひとつ約束して欲しいんだ」

 

 

 あ?

 この期に及んで要求たぁ図太い野郎だ。

 

 

「まぁ聞いてよ。例えば今みたいな喧嘩腰は止めて貰いたいかな。話がなかなか進まないし」

 

 

 お前が嘘臭いのが悪い。

 あんたの言葉からは疑念しか沸かない。

 

 

「信じておくれよ。これまで君に不利益になることはあったかい?」

 

 

 不利益かどうかで物事を計るなよ。

 少なくとも無駄な苦労はさせられたぞ。

 

 だがたしかに……致命的な不利益を被りかけこそしたが、土壇場で盛り返してきた。

 ラトレイア家での一件がそれに相当する。

 きちんと仲直りしたしな。

 

 

「ボクの言葉をなるべく信じて欲しい」

 

 

 なるべく?

 控えめだな。

 もうちょっと欲張るもんだとばかり。

 

 

「そこはやっぱり君の自由だからね。言われるがままに何でもかんでも動くのって嫌でしょ? こっちとしても束縛は好まないよ」

 

 

 そうですかい。

 分かった、今回だけお前の指示に素直に従ってやる。

 その代わり、危険を感じたら、その判断を即時撤回させてもらう。

 

 

「うん、それで良いよ。誰しも我が身が大事だしね」

 

 

 で、内容は?

 出来ればエリスの家族に関する情報が望ましい。

 無理ならすぐに言えよ。

 

 

「おぉ、それはグッドタイミングだね。ちょうどエリスって子の家族と波長が合ってね」

 

 

 ん?

 そいつは出来すぎた話だよな。

 あぁ……でも素直に従うと口約束だが交わしたのだ。

 疑うのは後回しだ。

 文句を添えてやるから待ってやがれ。

 

 

「君の魔眼を通して助言を授けます──」

 

 

 言葉を言い終えるや否や──。

 右目に映像が映し出される。

 

 

【見慣れぬ街並み、どこぞの路地裏のうす暗闇】

 

【良く知る顔の女性、ヒルダが赤子を抱いている】

 

【兵士に取り囲まれ、逃げようと隙を窺っていた】

 

【まだ髪の薄い赤髪の赤子を必死に守ろうとするヒルダ】

 

【懸命に説得しようとする兵士たち】

 

【何かを叫ぶヒルダ、なんとなくエリスの名を呼んでいるように思える】

 

 

 ──映像が途切れる。

 

 え?

 奥様? ヒルダ?

 しかも、彼女やエリスと同じ色の頭髪をした赤ちゃんを抱きかかえていた。

 もしやヒルダの子ども?

 生後1年以内の赤子に見えた。

 性別は分からんが。

 

 お相手は誰だろうか?

 ヒルダが不義を犯すとも思えんし、順当に考えれば、旦那のフィリップだろう。

 一緒にいるのかもな。

 数秒の短い映像ゆえに詳細までは判断しかねる。

 

 

「彼女は君もよくご存じ、ヒルダ・ボレアス・グレイラット。夫フィリップと共にシーローン王国で抑留されています。夫との間に生まれたばかりの息子を連れて逃亡中です」

 

 

 やはり夫婦お揃いか。

 てか、息子かい。

 緊急事態なのに毎晩子作りしてたの?

 転移先でもお盛んですこと!

 

 それにシーローン王国?

 場所は中央大陸南部で、これといった目立つ特徴の無い小国だったよな。

 紛争地帯と国土が接しているという負の観光スポットはあるけど。

 

 

「あなたとエリスは、先の場面に遭遇し、彼女たちを助けることになるでしょう。エリナリーゼとタルハンドにも、シーローン王国への同行を願うのです」

 

 

 助けるのは当然として、親の友人の助力が必要ときか。

 この事態を見越しての巡り合わせのようにも思えてきた。

 

 

「ヒルダから事情を聞き、王宮に居る知り合い宛てに手紙を出すのです。さすればフィリップとヒルダ、そして息子のエリオットを救い出せるでしょう」

 

 

 王宮に居る知り合いって、ロキシーか?

 たしか彼女は何番目かの王子の家庭教師の職に就いてるはずだ。

 ロキシーと連絡を取り合って、抑留されているというフィリップ達を解放しろって事か。

 

 

「じゃあ、後は頑張ってくれ。あぁそうそう。君の父親のパウロだけどさ。七大列強の末席に加わったから」

 

 

 はぁ?

 いまなんつった!

 パウロが七大列強だとっ!!

 

 問い詰める間もなく、この悪夢は終わりを迎える。

 

 

──

 

 

「父さまっ……!」

 

 

 ガバッと身を起こすと、額を(したた)かに打ち付ける。

 

 

「いっつ……」

 

「きゃぁ! 痛いですわ! いきなりなんですのっ! ルーディア!」

 

 

 目の前にはシルフィ──に良く似た顔立ちの耳長族(エルフ)の女性エリナリーゼ。

 彼女の顎に起き上がり際に、俺はおでこぶつけてしまったらしい。

 

 眠る直前の記憶が甦る。

 船旅に疲れた俺に対して、彼女は自身の膝を枕にして眠ることをススメてくれた。

 ご厚意に甘えて、エリナリーゼの艶やかな太ももに頭を乗せて仮眠を取ったのだ。

 

 睡眠環境としては非常に整っていたのだが、ヒトガミのせいで快適な睡眠は破綻した。

 うらめしや……。

 

 起床して数秒後。

 ガンガンと頭が痛み出し、涙を堪えきれなくなる。

 その上、強い吐き気に苛まれる。

 我慢する間もなく、胃袋から上がってきた中身を、エリナリーゼの膝へとゲーゲー吐いた。

 これでもかってくらい盛大に。

 

 

「お……えぇ……」

 

 

「きゃ、突然なにをしますの! それよりも大丈夫でして? 顔色が青いですわよ! 誰か! 誰か来てくださまいましっ!」

 

 

 俺の体調が尋常な状態では無いと判断し、エリナリーゼが周囲へ助けを求める。

 いいよ、別に。

 既に自動治癒(オートヒーリング)が発動してるし。

 時間経過で会話可能な程度には復調した。

 

 

「あなた、船に弱いわけではなさそうですのに……」

 

「う、うぅ……。ずみばぜん……ご心配、お掛けします……」

 

 

 喉が枯れたような声で謝罪する。

 ゲロをぶっかけてしまって申し訳ない。

 混合魔術でお湯を生成し、彼女の膝を清めていく。

 

 まだ胃がムカムカする。

 くっ、マジで調子悪いわ。

 

 人神(ヒトガミ)のヤツに無理やり予見眼を使わされた反動だろう。

 映像の長さは約10秒。

 負荷なく使用出来る限度を大きく超えている。

 俺の為ではなく、ヤツの都合で予見眼を手にするように仕組んだのか……。

 

 あの野郎、いつかぶっ倒す!

 子々孫々に渡って追い詰めてやるからな!

 

 

──

 

 

 中央大陸王竜王国最東端に位置する港町イーストポート。

 到着する頃には12歳になっていた。

 身長も伸びてきた。

 平均より1~2センチほど低めだが、まぁ許容範囲だ。

 魔大陸での一年間に渡る偏った食生活が影響したのかもしれない。

 不味い魔物の肉ばかりで食が進まなかったのだ。

 乳にばかり栄養を持ってかれた……。

 

 エリスは順調に成長していて、俺より頭一つ分以上は背が高い。

 2歳差だし、仕方がない。

 言うまでもないが、おっぱいもふくよかさを増していた。

 就寝時はブラを着けない彼女。

 横たわった体勢でも、しっかりと丸みを見て取れる程に大きい。

 

 さて、ここで重大なお知らせだ──。

 とうとう俺は、アレを迎えてしまった。

 端的に言って生理だ。

 

 イーストポートに到着後、宿泊先での出来事。

 急に肩凝りや下腹部に鈍い痛みを感じ始める。

 2~3日続いたものだから、治癒魔術を掛けてみたが改善せず。

 気持ち緩和されたかな?

 って具合にしか効果を実感出来なかった。

 

 不安に苛まれながら迎えたとある朝。

 ショーツの中に不快感を覚え、寝ぼけ眼で確認してみると──血が滲んでいた。

 要するに股から血が出ていたのだ。

 状況証拠とジクジクと痛む感覚から、瞬時に理解する。

 

 俺にもその時期が来たのだと……。

 その後、半日経っても経血が止まる気配がせず、泣きわめきながら、その場に居たルイジェルドにすがり付いた。

 エリスは不在。

 町の冒険者ギルドに依頼を受けに行っていたのだ。

 エリナリーゼは、言わずもがな男漁り。

 

 

 さて、宿に取り残されたルイジェルドは生理の存在自体は知っていても対処方法までは分からず困惑顔。

 タルハンドも似たようなものだ。

 

 夕方になって帰ってきたエリスは俺を見るなり、抱き締めてきた。

 傷心気味の姿を見て、町で男に乱暴されたのだと勘違いしたらしい。

 すぐに事情を語る。

 

 

「あの……来ちゃいました。生理が……」

 

「あ……そうなのね。うん、そりゃ慌てるわよね。怖いわよね?」

 

「エリスが最初に生理を迎えた時はどうされましたか?」

 

「私の時はまだボレアス家に居る時だったから、はじめの頃はお母様やメイド達に世話を見てもらっていたわね。でも対処法くらいは熟知してるから、お姉ちゃんに任せなさい!」

 

 

 腕まくりして引き受けるエリス。

 今日ほど彼女の存在が大きく見える日は、そうはあるまいて。

 胸はいつも大きいが。

 

 頼れる姉さんに全てを委ねる事にした。

 ひとたび生理が始まると、数日間は股から血が流れ続けるらしい。

 最初の2~3日が特に血の量が多いそうで、生理期間用の下着があるのだとか。

 説明の最中に帰って来たエリナリーゼが、その足で俺のサイズに合った下着を買いに行ってくれた。

 ありがたや……。

 

 サニタリーショーツとやらを複数枚貰った。

 早速着用し、ひとまず落ち着く。

 断続的な下腹部の痛みには悩まされたが。

 

 慣れない感覚や身体の不調に苛立つ。

 ふとした瞬間に沸点を超えて、ルイジェルドに向かって八つ当たりしたことがあった。

 生理期間中特有のホルモンバランスの偏りで、精神状態が不安定だ。

 いわゆる情緒不安定ってやつだろう。

 

 しかし彼は妻帯者だった経験から、そういった女性の反応には理解があったようで、無茶な物言いを全て受け止めてくれたり

 後になって謝った俺を快く許してくれたりもする。

 家族在りし日には良き夫であったのだろう。

 彼には頭が上がらない。

 

 

「エリスはずっとこんな思いをしながら旅を続けていたんですね……」

 

 

 エリスの旅の苦労を今更になって知る。

 彼女への気遣いだとか、配慮が足りなかった事を悔いる。

 

 

「これからはルーディアも同じじゃないのよ。一緒に頑張りましょ!」

 

「はい、一人だと心細かったので助かります」

 

 

 月経自体は恐怖そのものだが、同じ悩みを共有出来る姉が居る。

 姉妹の一体感がこれから増していくことだろう。

 

 

「ルーディア。良くお聞きなさいな。生理を迎えたからには、殿方と性行為に及ぶと子どもが出来てしまいますの。将来を誓い合った男性以外とは、身体の関係を持たないようになさい」

 

 

 みだりに不特定多数の男と交わるエリナリーゼからのお達し。

 すまんけど、説得力に欠けますよ?

 

 

「以前にもお話いたしましたが、私は女の子にしか興味ありません。もっと言えば、エリスの身体にしか興奮しませんよ。だから男には、そもそも近づきませんよ」

 

 

 エリナリーゼの忠告は的を射ているが、こと俺に限っては適用されない。

 男など願い下げだ。

 俺の身体に触れて良い男は、父親のパウロか、兄貴分のルイジェルドだけである。

 サウロス辺りもOKかな?

 それでも頭を撫でたり、抱き締めたりなどのスキンシップに限定されるが。

 

 

「それなら結構ですわ。貴女がゼニスのように悪い狼に孕まされやしないかと心配ですのよ?」

 

悪い狼(父さま)にだって良いところはありますけどね。まぁ、そんな男は極少数でしょうか」

 

 

 さて、生理を迎えたということは、逆説的に排卵も始まったということ。

 これは極めて重要なことだ。

 何せ不妊治療に関わる魔術を研究中の我が身。

 自身の卵子を採種し、同性でも子どもを作れる方法を模索していきたい。

 非人道的な実験かもしれないが、受精卵で試すわけではないから、セーフ……なのか?

 倫理観に抵触しないか心配だ。

 

 今後は自分の身体そのものを実験体にして、女の子同士での子孫の残し方を確立していきたい。

 長い道のりだ。

 出来れば5年以内に成果を出したい。

 

 なんにせよ、いよいよもって俺は女であると思い知らされた。

 ずっと理解していたが、受け入れていたワケではなかったのだ。

 人生とはかくも戸惑いの連続である。

 TS系作品の主人公の誰もが通る道。

 よもや異世界で自分が体験しようとは……。

 

 気持ちを切り替えよう。

 俺は男であって男ではない。

 女であって女ではない。

 かといってどっち付かずでもない。

 最終的な判断としては、パウロとゼニスの娘ルーディアでしかないのだ。

 娘ではあるが、性別はルディちゃん──とでも定めておこう。

 男の娘に次ぐ第4の性別の誕生である。

 

 

──

 

 

 イーストポートには既に数日間滞在している。

 長い船旅に全員が参ってしまい、長めに休息を取っているのだ。

 俺なんか特に生理を迎えた直後で心身ともに不調気味。

 この港町で体調を整え次第の出発ということに話は決まった。

 ちなみに次の旅の目的地はシーローン王国だと、皆には周知済み。

 デッドエンドのリーダー格である俺に異論を唱える者は居なかった。

 一時加入のエリナリーゼとタルハンドも同様に。

 

 理由を訊かれても神様のお告げがありました!

 だなんて言えない。

 ミリス教徒ですらないのに胡散臭い。

 新手の宗教勧誘ってか?

 

 出発日曜日までの期間、何も無為に過ごすつもりはない。

 俺も含めて身体に無理の無い範囲で情報収集に努めた。

 難民捜索である。

 既にヒトガミを介して、フィリップとヒルダ、そしてエリスの生まれたばかりの弟エリオットの居場所は掴めている。

 しかし、やることは変わらない。

 少しでもフィットア領民の命を救いたいのだ。

 ここいらも既に捜索団の手が入っているだろうが、状況など常に変化している。

 1日の差で、有益かつ新鮮な情報だって飛び込んでくるものだ。

 

 そんな中、とんでもない情報……というか噂話を耳に入れる。

 てか、ヒトガミが夢の終わり際に投下した爆弾発言。

 

 俺の父、パウロ・グレイラットの七大列強入りだ。

 序列にして七位。

 二つ名は龍滅パウロ──。

 

 何でも前任者である北神カールマン三世を下し、半年ほど前に入れ替わりが起きたのだとか。

 ブエナ村の村章が石碑に刻まれていた理由は、パウロが列強入りしたからだ。

 彼の居住地が、あの長閑な農村だったのだから、至極当然の話である。

 

 この話には続きがある。

 パウロは現在、北神三世を配下に加え、精力的に捜索活動を継続しているらしい。

 ただ、ノトス家とは睨み合いの状況下に在り、アスラ王国から下手に出られないらしい。

 基本的には、北神三世を中央大陸各地に順に派遣して調査を実施してるようだ。

 

 後はパウロの近況について。

 ここ王竜王国とアスラ王国の中枢とは距離があるので、幾らか古い情報ではあるが──。

 曰く、龍滅は剣神流での位階こそ剣王に留まるが、その技量は当代の剣神であるガル・ファリオンにも迫るのだとか。

 

 他にも部下である北神三世より北帝の位階を、授かっている。

 それも初代北神が生み出した不治瑕北神流で。

 いわば元祖北神流というやつで、現在の使い手はパウロを除けば北神二世とその母親。

 残るは当代北神であるカールマン三世くらいだ。

 

 そして当代水神レイダの直弟子となり、短期間で水帝の認可を得た。

 技量も実力も、既に水神として通用するレベルだと、噂を口にする者は総じてがそう語る。

 

 いやいや……。

 パウロさん、少し見ない間に強く成り過ぎでは?

 もしや出身地と名前が同じなだけな別人説を疑ってしまう。

 しかし、2年前の時点でも剣王へと迷いなく至ったほどの逸材だ。

 そういうことも、にわかには信じ難いがあり得るのだろう。

 

 人族の中でも、歴史上でそういう者が度々現れたという。

 第一次人魔大戦でも、第二次人魔大戦でも。

 そして、ラプラス戦役でもだ。

 転移災害の余波で一皮剥けて、パウロも英雄に相応しい力を宿したに違いない。

 

 なんであれ良かった。

 この分なら、パウロは大丈夫そうだ。

 列強に名を連ねるほどの人間だ。

 さぞ、精神面でも強靭さを養われていることだろう。

 フィリップ達を助けてから合流しても遅くはない。

 ただし楽観的に考えながらも、しかし悲観論で備えておく。

 強い人間ほど一度崩れたら、後は脆いものだ。

 

 

──

 

 

 体調を持ち直してきた。

 明日には出発可能だろう。

 エリス達に自己都合に付き合わせて申し訳ないと謝ったら、叱られた。

自分の身体を労るようにとの説教をエリスにしこたまされたのだ。

 俺の弱い部分を目撃して、ますます姉としての意識を強めたときたか。

 大事にして貰えているようで胸が温かくなる。

 

 この町を出る前に、古びた飯屋を見つけた。

 古めかしいが歴史のありそうな佇まい。

 閑古鳥が泣いてそうな客入り。

 昼時なのに物寂しげ。

 客の寄り付かないような店の味でも、腹が空けば誤魔化しも利くだろう。

 

 そんな期待を持って、デッドエンド(俺たち)とエリナリーゼとタルハンドで入店する。

 

 

「いらっしゃいませ……」

 

 

 店主は骸骨のような男。

 手に持ったメニューを差し出してくる。

 受け取る際に、ただ者ならぬ匂いを感じ取る。

 俺ではなくルイジェルドが。

 

 

「ヤツは北神流剣士の手練れだろう……。それも何かを隠している……」

 

 

 そして俺たちは、その意味をすぐに知ることになる。



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44話 死神ランドルフ、新たな剣神ギレーヌ

 店主イチオシの料理はどれだ?

 と、訊く前にメニューに視線を落としてみるが、基本的には2種類しか品目が存在しない。

 お好みで選ぶだけなので、そう迷う必要も無さそうだ。

 

 主菜を2種類の内から選択すると、共通の副菜に汁物やデザートなどがセットとして付け合わされるようだ。

 

 ・ドラゴン肉のナナホシ焼き

 ・アルバーフィッシュの煮物

 

 ナナホシ焼きとやらに興味をそそられ、全員が同一の注文をする。

 水の無料サービスは、この世界では皆無なので、自前の土魔術でコップを、水魔術で飲料水を作り出す。

 

 しばらくしてテーブルに運ばれてきたのは、いわゆる唐揚げ定食。

 見た目は確かに唐揚げではあるのだが、表面がベチャってしてる。

 

 香りも日本人好みとは程遠い。

 無難な味付けを最低限やってみましたって感じだ。

 まず一口。

 固いな……。

 不味くはない。

 むしろ普通に美味しい。

 

 けど俺の求めている唐揚げとは決定的に違う。

 理想に対して喧嘩を売っているかのような紛い物な味わい。

 生理直後で味覚が狂っているわけではなさそうだ。

 

 食感の問題だな、これは。

 油の温度にしろ、揚げる時間にしろ適切ではないのだろう。

 揚げ物としての出来映えは採点するとしたら、65点といったところか。

 唐揚げとはカレーライスと同じで、誰が作っても一定の旨味が保証されるのだ。

 だから味自体はそこそこ旨いと感じた。

 

 細かく批評してみる。

 衣はカリッとした仕上がり──ではないし、すぐに剥がれ落ちてしまう。

 ただへばり付いているだけの印象だ。

 口に含んだ瞬間にベチョベチョとした不快感が口内へと広がる。

 何の為に油で揚げたのか、調理法の無駄遣いに対する疑問への理解に苦しむ。

 

 

「なによこれ! スッゴく美味しいわ!」

 

「美味ですわね!」

 

 

 エリスとエリナリーゼは絶賛。

 ルイジェルドとタルハンドは黙々と食事を続けている。

 ケチを付けない程度には及第点に達しているらしい。

 

 うーむ、食文化の成熟した現代日本で生まれ育った俺と、未成熟なこの世界を生きる彼らとでは、食の価値観が異なるのだろう。

 よって採点基準にもズレが生じる。

 

 ナナホシ焼きを完食こそしたが……。

 しかし、欲求は満たされなかった。

 

 俺以外の全員も平らげて、空になった皿がテーブル上で乱雑に並ぶ。

 食器を下げに来た店主が、客である俺らの顔色を窺っている。

 評価を気にしているのか?

 

 エリスとエリナリーゼは満足げ。

 ルイジェルドとタルハンドは真顔。

 そして俺は不満げに顔をしかめる。

 

 

「お客さん、どうやらご満足戴けていないようですねぇ。差し支えなければご感想を一つお聞かせ願えませんか?」

 

 

 血色の悪い店主が、震えた声で感想を求めてきた。

 体つきはガッシリしているので武術でも嗜んでいるのだろうか。

 眼帯などを着けて、海の無法者かと言いたくなる。

 

 さて、この怪しげな男に懇願されたのだ。

 一個人の意見くらいはくれてやろう。

 忌憚の無いやつを。

 

 

「スープとデザートは微妙……いえ、それなりに美味しかったです。しかし、メインのナナホシ焼きについては正直なところ──微妙でしたね」

 

 

 評価を受け取った瞬間、店主は『やはりそうでしたか……』と、あらかじめ覚悟を決めていたかのように頷いてから呟く。

 

 

「お代は結構ですので。お客さんを満足させられなかった上にお支払いいただくなど……。料理人としての力量が不足していた私の責任です」

 

「いえ、客として来たんです。お金は払わせてください。完食もしましたし、ナナホシ焼き以外はむしろ絶品でしたから」

 

 

 絶品というのは見え透いたお世辞だ。

 このレベルの味なら、ギリギリ町の定食屋としてやっていけるんじゃない?

 っていう程度。

 不味い学食や社食に毛が生えたレベルだ。

 

 低水準とはいえ客入りが悪すぎる。

 近くに他に繁盛している店は無さそうだが、立地の問題か?

 

 生気は薄いが柔らかな物腰の接待で、特に問題があるようにも思えない。

 店内は少しボロっちいけども。

 

 あぁ、メインとなる料理が微妙だから、客が寄り付かなくなったのか?

 ナナホシ焼きは当たりメニューだからそれなりに食べられた物だが、それ以前に提供していた料理の出来映えが芳しくなかったんだな?

 これまで築き上げてきた酷評が、客の定着化を逃していたのだと分析する。

 

 

「そうですか、私の料理の腕も捨てたものではないという事ですかねぇ」

 

 

 自嘲気味に、そしてリップサービス程度にしか捉えていない声色。

 嘆息し、ことさらに顔色を悪くする。

 しまったな……。

 追い詰める意図は無かったのだが。

 フォローしてやるか。

 

 

「店主さんのお時間の都合が良ければ、ナナホシ焼き──いえ、唐揚げの正しい調理法をお教え致しましょうか?」

 

「正式名称は唐揚げと呼ぶのですか?」

 

「私の故郷ではそう呼びます」

 

 

 さも地元土着の料理かのように説明する。

 

 

「そんな、お客さんの手を煩わせるわけには……」

 

「いいえ、私の自己満足ですよ。正しい唐揚げの作り方を広めたいんです。暖簾分けとでも考えてください」

 

「なるほど。貴女は料理人であり、その上、美食家というわけですか」

 

 

 いいえ、食通気取りの迷惑な客です。

 

 

「ではご指導ご鞭撻の程をお願いいただけますか? 今のお言葉で、久々に料理人魂に火が点きました。俄然、興味が湧いてきましてね」

 

「やる気じゃないですか」

 

 

 こちらとしても教え甲斐がある。

 意欲的な生徒の成長は見ていて小気味良いものだ。

 

 その生徒さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ただ者ならぬ香りを醸し出していた。

 この人、ルイジェルドが話していた様に隠し事をしているみたいだ。

 堅気でないのは確実。

 

 厨房に招かれる。

 他の皆には見物客もとい味見係を引き受けてもらった。

 ちゃちゃっと店主へ、唐揚げの正しい調理手順を教えてやる。

 

 引きこもりニート生活をしていたかつての俺は、夜食として大量の唐揚げを作ったものだ。

 唐揚げの調理などお手の物で、目をつむっていても容易い。

 火元には注意せんといかんけど。

 

 大量の唐揚げをたった1人で消費した結果、100キロ超えの巨漢に肥えた過去がある。

 思い出すだけで、苦悶の表情が出てしまう。

 余談だが、今はドカ食いしても胸部へと脂肪が蓄積されていく。

 魔力総量に次ぐ神様からのギフトだ。

 

 そして店主は俺のお手本を参考に調理開始。

 横から何度も口を挟み、失敗を重ねつつも、数度目のチャレンジで、俺も太鼓判を押す出来の唐揚げが完成した。

 作りすぎたが、この人数なら食べきれる。

 実食タイムに入る。

 

 

「さっきのより断然美味しいわ!」

 

 

 まずはエリスの称賛。

 

 

「ホントですわね。ルーディアには料理を教える才能がありますのね」

 

 

 エリナリーゼも認める。

 

 

「酒のツマミにええわい!」

 

「ルーディア、野営地でも作れるか?」

 

 

 男性陣にもご好評。

 無事に店主へと唐揚げの正当なレシピの伝授が叶った。

 これでも俺はボレアス家で家庭教師を務めていたのだ。

 物を教えることに関しては一家言を持っている。

 

 

「目から鱗が落ちますね。まさかナナホシ焼き改め唐揚げの調理法に良し悪しがあるとは」

 

「私の料理に関する知識と意識は浅いものですけれど、それでも唐揚げにだけはこだわりがありましてね」

 

「お客さん、なんてお礼を言えば良いのやら」

 

 

 やつれたような頬骨の突き出た顔で、煌々と笑顔を灯らせていた。

 頭を前へと垂れ、礼の姿勢を取る。

 長めの髪が肩からこぼれ落ちていた。

 

 

「そういえば名乗っていませんでしたね。私はランドルフ・マリーアン。以後、お見知り置きを」

 

 

 手を差し出し握手を求められたので握り返す。

 ゴツゴツとした手の感触。

 長いこと剣を握って来た名残りか──。

 ルイジェルドの見立てた、北神流剣士という線は確からしい。

 しかし、ランドルフ?

 何処かで聞き覚えのある名前だ、はて?

 

 

「これは御丁寧に。私はルーディア・グレイラットといいます」

 

「ルーディア・グレイラット──ですか……。なるほど」

 

 

 思わせ振りな反応をする。

 七大列強であるパウロほど、通りの良い名前ではないはずだが……。

 

 

「貴女は剣などに興味はありますか? そして嗜んでおられます?」

 

「それなりには。剣神流で中級、水神流で初級程度の認可を得ています」 

 

「結構なお手並みですなぁ。実は私、北神流でそこそこ腕の立つ男であると自負しておりましてねぇ。よろしければ、お礼代わりに指導して差し上げましょうか?」

 

「マジですか!」

 

「ご恩に対して釣り合うかは存じませんがね」

 

 

 願ってもない申し出だ。

 使える手は多いほど良い。

 引き出しの多さは強さに直結するのだ。

 と、その前にルイジェルド達にも確認だ。

 俺個人の都合で付き合わせるのも忍びない。

 先に宿へと戻ってもらおうか?

 

 

「皆さんは先に宿へお帰りになっても構いませんよ」

 

「いや、留まろう。ランドルフ・マリーアン直々の稽古など、そうは見られるものではあるまい。見学の立場とはいえ、その場に居合わせるだけの価値はある」

 

 

 ルイジェルドにしては饒舌気味に語り出す。

 この御仁、武芸者の界隈では高明な人物らしい。

 外見的には四十代中盤。

 切り抜けてきた修羅場の数も相応にあるのだろう。

 百戦錬磨の強者か。

 

 

「お前はまだ気づいていないのか? この男、七大列強だぞ」

 

「え……?」

 

 

 七大列強がこんな場末の飯屋を営んでるわけないじゃん。

 冗談はよしてくれ。

 疑いの目をランドルフへと向けると、『気づかれてしまった!』と言いたげな表情で、顔の半分を手で押さえていた。

 え、列強ご本人なの?

 

 

「名乗ってしまえば分かる人には分かってしまいますなぁ。そうですとも、私が死神ランドルフ──。僭越ながら七大列強序列五位の地位に身を置かせて戴いております」

 

「そ、そんな大層な方が、なぜに飲食店の店主を?」

 

列強()の地位を狙う輩達との闘争に嫌気が差しましてね。かねてよりの趣味であった料理を生業とさせていただいております。この店も先祖代々より続く家業なんですよ」

 

 

 思わぬ大物との遭遇に狼狽する。

 取って食われたりしないよな?

 てか、列強相手に生意気にも料理の指導をしてしまった!

 序列五位ってことは、パウロよりも強いの?

 いや、七大列強の実力は順位通りでは無いとギースやパウロから聞いたような記憶もある。

  多対一の戦闘でも、最後にトドメを刺した者が列強として入れ替わりに認識されるとも。

 

 

「貴女のお父上についても存じ上げてますよ。面識はありませんが、アレクを下した男を知らぬ筈がない」

 

 

アレクとは北神三世のファーストネームの略称だろうか。

 そういやぁ、王竜王国とは北神二世英雄譚発祥国。

 王都の方面には北神流の本拠地があった筈だ。

 つまりパウロはその大英雄の実子である北神三世を倒した上に支配下に置いた。

 一門の長へ屈辱を与えたことから、北神流そのものを敵に回した可能性が高い。

 この国に居ちゃあ、俺の身も狙われて危険では?

 

 

「ご懸念があるようですね? ですが心配には及びませんよ。北神三世は龍滅パウロの身内に手を出した者には破門を言い渡すと御触れを出しています」

 

 

 つまりなにか?

 北神三世は武芸者としての面子などよりも、臣下としての誇りを優先していると──。

 

 

「私自身は北神流を破門同然の身ですのでご安心を。アレクに関しても親族ではありますが別段、思うところはありませんしねぇ」

 

 

 情に薄いとは言うまい。

 身内の確執というのはどこの家にもあるものだ。

 ノトス家のあれこれとか。

 ボレアス家でもフィリップとジェイムズが対立している。

 

 

「私の父をご存知とは聞きましたが、龍滅とかいう異名の由来って知ってます?」

 

 

 龍を滅ぼす者という意味を表すのだろうが、パウロにそんな逸話があったのか疑問だ。

 眉唾物である。

 

 

「北神三世は王竜王カジャクトと呼ばれる、かつてこの国の王竜山脈に存在した竜種の王を素材とした魔剣を振るっています。その彼を龍滅パウロは下したわけです」

 

 

 竜と龍とで字面には差違はあるものの、それに準ずる存在を倒したという認識か?

 

 

「そして龍神オルステッドとの交戦歴があると聞く。かの龍神と遭遇する者自体極めて稀でしてね。敗けはしたものの、打倒龍神オルステッドを掲げ、破竹の勢いで急成長を遂げているそうです」

 

 

 ランドルフの解説は続く。

 フィットア領捜索団の活動を継続する中で、中央大陸各地の権力者の手から奴隷となった領民を解放すべく敵対勢力と衝突した。

 豪族や貴族お抱えの用心棒などとの闘争へと発展なんていう事態も多々あった。

 中には北神三世のように竜種由来の武具なり防具なりを装備する者が一定数居たらしく、彼らのことごとくを撃破した実績から龍を滅ぼす者──龍滅の異名で恐れられるようになったと……。

 ややこじつけ染みた二つ名だ。

 

 だが、権力者が生け捕りにした、はぐれ竜(赤竜)を単独で撃破なんていうエピソードも、ランドルフの口から聞かされた。

 赤竜一匹でもAランク指定される魔物だ。

 ギレーヌも過去に数人がかりで討伐したと話していたが、それをパウロは1人でやってのけたのだ。

 その二つ名に偽りは無いと言える。

 

 

「こんなところですかねぇ。あの龍滅の御息女への剣術指南の栄誉に与れるとは、人生は分からないものです」

 

「父親が高名な人物だからといって、子どもまでもが秀才とは限りませんよ?」

 

「あなたの評判も悪くはありませんよ。水聖級魔術師にして聖級治癒術師。成人前の身でその実績は大したものかと」

 

 

 褒めて伸ばそうとかいう魂胆か?

 既に死神ランドルフによる北神流剣術指南は始まっているようだ。

 

 

「ルーディアが羨ましいわね。死神ランドルフがどれ程の剣士かは、よく知らないけど、あんた強いのよね?」

 

 

 列強相手でも物怖じせずに疑問を投げ掛けるエリス。

 彼女も死神の剣に関心を持つようだ。

 

 

「北帝及び水王程度の腕前です。長いこと実戦から離れていた身なので、多少は錆びついていますがね」

 

 

 錆びついたとしても、一度は列強に名を連ねたのだ。

 決して弱いというわけでもない。

 

 

「じゃあ、ギレーヌよりも強いの?」

 

 

 更に踏み込んだ内容へ進む。

 

 

「ギレーヌ・デドルディア殿ですか? 彼女は確か()()の座に在ると小耳に挟みましたね。今や七大列強序列六位とは、剣神ギレーヌの名こそが常識になりつつあります」

 

 

 聞き捨てならない新事実を事も無げに言う。

 あのギレーヌが()()だって?

 

 

「序列の上では私が上位ですが、三流派最強とされる剣神流の長が相手ともなれば、私など数秒と持ちませんな」

 

「やっぱりギレーヌは強いんだわ!」

 

 

 敬愛なる師匠の偉大さに歓喜する彼女は、我が事のように誇らしげに胸を張る。

 

 

「さ、時間は有限です。稽古の時間に移りましょうか」

 

 

 詳しい話を問う時間も与えられず、押し切られる形で死神ランドルフによる剣術指導が口火を切った。

 ことのほか、ランドルフの稽古は苛烈な物であったと言い残しておこう。

 見た目にそぐわず彼はスパルタ教育であった。

 

 

 

 

 

──数ヵ月前・剣の聖地──

 

 相対する2匹の猛獣。

 片や、剣神の名を戴く当代最強の剣士と名高いガル・ファリオン。

 片や剣王として最高位の域にあり、その技量は一門4番手とも言わしめるギレーヌ・デドルディア。

 

 剣神は上段の構えを取る。

 いかなる理合にも対応せしめる体勢。

 攻守共に優れたその対応力は、他の流派の長すらも手を出すことを躊躇わせる。

 

 対する剣王。

 居合の構えだ。

 相対者の剣に対して、神速の反射攻撃を繰り出す絶対防御。

 優れた嗅覚と聴覚により、敵の攻撃の手をいち早く察知する獣族のギレーヌとは非常に相性が良い。

 

 双方、無言。

 会話など不要にして邪魔であると切り伏せる。

 一秒ですら一分、一時間と引き延ばされるような感覚。

 刹那の瞬間ですら、永遠へと転じさせた。

 

 さりとて仕合は時間の経過と共に変化を生み出す。

 機会を窺うに留まらず。

 寝首を掻くか、はたまた強襲に転じるか。

 命の与奪のみに互いの精神は没頭する。

 

 奇っ怪な光景だ。

 だが、場を見守るサウロスも、剣神流の門弟達も固唾を飲んで見届ける意思だ。

 雑念など介在する余地すら無い。

 

 剣神は嗤う。

 目の前の弟子は己が期待以上に牙を研いで来たのだと理解して。

 一時は腑抜けた女だと詰りはしたが、ただ男に尻尾を振って飼い猫に成り下がったわけではなかったのだ。

 

 

 剣王は鋭い眼で己が師を見る。

 嗤う理由などさして考えまい。

 彼女のすべき事は最強の剣士を斬ることのみ。

 余計な物は視界になど入れなかった。

 

 やがて──戦局は動いた。

 

 技の発生すら見えぬ剣神渾身の一撃。

 光の太刀がギレーヌの首を刎ねんとして迫る。

 

 剣王は察知した。

 世界最高峰の剣技を五感が捉え、急速な命の簒奪に対応を迫られる。

 自然と身体は反応し、奥義・光返しを以てして迎撃へと移行する。

 

 間に合った。

 最高速度に達する剣先より僅かに遅れる剣神の手首を切り払う。

 光の太刀は不発に終わる。

 

 が、剣神は止まらぬ。

 持ち手を失っても、手首はもう1つある。

 中空にある剣を握り直すと、続け様に光の太刀を繰り出す。

 光返しを放ち終えて硬直の生まれたギレーヌ。

 剣神の超反応に驚愕しつつも、戦闘に休息など与えられまい。

 

 手負い覚悟で、更なる戦闘の続行へ臨む。

 とはいえ光の太刀とは基本的に回避不可能とされる剣神流の必殺の技。

 防御などには重点を置かぬ剣神流にとっては、同門こそが天敵。

 数少ない防御技である光返しも効果を示したが、剣神の進撃を食い止めるには至らなかった。

 

 であれば、敗北は如何なるものぞ──。

 

 だが剣王は折れぬ。

 敗北は死へと直結し、主へと立てた誓いも霧散する。

 断じて許容出来ぬ無様。

 なればこそギレーヌは、牙を剥き出しにする。

 無謀にして果敢にも、手に握る剣神七本剣が一振‘平宗’を剣神の眼前へと放り投げる。

 

 視界の遮られた剣神。

 一瞬の隙を強引に作り出されはしたものの、標的は目の前に居る。

 光の速度に達する挙動に変化無し。

 

 だが、ギレーヌに対して次なる動作へと移る時間を与えた。

 無手となった剣王は、手刀の形を取り剣神の愛刀‘喉笛’に対して応じる。

 闘気の纏われたソレは古今東西あらゆる名刀もを霞む輝きを放つ。

 

 その突拍子の無い行動に剣神の表情は歪む。

 舐められたものだと歯噛みする。

 愛弟子は阿呆者へと、やはり成り下がってしまったとかと落胆する。

 ガル・ファリオンに雑念が生まれた──。

 

 僅かな意識の隙間。

 されどギレーヌは見逃さぬ。

 身を屈め、一転して喉笛との衝突を避ける。

 手刀は勢いを増して光返しを再現する。

 素手で魔剣と打ち合うなど、ブラフであったらしい。

 唐突な行動の変化。

 剣神の顎下へと位置を取ると、残る手首へと打ち込む。

 

 肉の絶たれる感覚。

 血がギレーヌの頭上へと振りかかる。

 

 剣神は喉笛を空へと放り投げることを余儀なくされ、得物を喪失する。

 両手を失おうと、剣神流を極め、更に他の流派にも精通する彼ならば闘い様はいくらでもあった。

 

 だがしかし……。

 目の前に立つ剣王は五体満足の上に、床に刺さる刀剣を握り直したではないか。

 その切っ先が剣神の首へと差し向けられる。

 

 

「あたしの勝ちだ──」

 

 

 剣王が勝利を宣言する。

 

 

「俺様が敗けるとはな──」

 

 

 勝負は決した。

 釈明など無粋。

 剣技ならば剣神が上回っていた。

 けれど移ろいゆく戦局の中での技巧では、ギレーヌがその上をゆく。

 敗因は其処に在った。

 

 剣神の知るところではないが、剣王ギレーヌは主と共に一年近くもの期間を、あえて紛争地帯に潜伏していた。

 サウロス生存の情報撹乱の意味合いもあったが、否でも応でも己が実力を鍛え上げんとして。

 数々の傭兵や()()()()()を名乗る北神流を扱う男の襲撃を退け、(いく)()での技量を磨いたのだ。

 

 

「今日からはお前が剣神だ……」

 

「あぁ、謹んで拝命しよう」

 

「あ? てっきりお前は剣神の称号に興味が無えとばかり思っていたが、やけに素直に受け取りやがるなぁ」

 

 

 治癒魔術での治療を受け、手首を取り戻すガルが問う。

 

 

「必要と感じた。剣神の名がな」

 

「必要だぁ? そりゃあ、剣神の称号にゃあ、有象無象の凡夫共は平伏すだろうがよ」

 

 

 金も名誉も欲しいがまま。

 しかし、ギレーヌはそんな俗物的な人間ではあるまい。

 

 

「剣神流をボレアス家傘下に加える──」

 

「アスラ王国の大貴族様の下につけってか?」

 

「正確にはサウロス様及び、ご子息のフィリップ様に仕えさせるのだ」

 

 

 ギレーヌの物言いに周囲の門弟らが異議申し立てる。

 吠える彼らは束となって、ギレーヌに詰めよった。

 

 

「ギレーヌ殿は何をおっしゃるかっ!」

 

「誇りある我々剣神流一門が貴族の下につくなど容認出来ぬ!」

 

 

 幾らでもほざいていろ。

 ただそう思う。

 彼らの声に発言力など無いのだ。

 

 

「あたしが剣神だ。従わんのなら破門とする」

 

「な! 横暴が過ぎますぞ! お師匠(ガル・ファリオン)様からも、このうつけ者に何か言ってやってください!」

 

 

 先代剣神へと発言も求める直弟子の剣帝。

 だが、気乗りしない様子のガルに怪訝そうな目を向ける。

 

 

「みっともねぇ真似をさせんなよ。こいつは俺様に勝った正真正銘の最強の剣士。天下の剣神様は今やギレーヌ・デドルディアだぜ? 俺様はこの女に従う」

 

 

 敗けはしたが、不思議と晴れやかな心境であった。

 自身が求めて止まなかった領域に、ギレーヌは到達したのだ。

 龍神オルステッドにも届くことを予感させる(いただき)へと。

 

 悔しくはある。

 己とて野望を打ち捨てたわけではないのだから。

 だがしがらみによって雁字搦めにされていた。

 剣神としての義務がガル・ファリオンの行動の全てを制限していたのだ。

 

 門下の為に教えを説く日々。

 剣士として最強の座に君臨し続ける重圧。

 元来、我の強いガルには、堪えられぬ苦痛。

 自由奔放に生きていたい。

 

 かつて若い頃などは、醜聞など気にも留めなかった。

 そして現在、在りし日の己を取り戻しつつある。

 良き機会であり頃合いでもあった。

 今こそガル・ファリオンという獣は、野生に帰る時なのだと。

 今からでも遅くはあるまい。

 もう一度、自身の剣術を磨き上げ、かつて敗れた龍神オルステッドへの再戦に臨むのも一考に値する。

 

 とはいえだ。

 剣神ギレーヌの言葉は絶対である。

 今やガルは、ギレーヌに傅く門弟の1人に過ぎぬ。

 彼女の口から放逐でも言い渡されぬ限り、しばらくの時を、顎で使われてやる意思だ。

 

 さて、ガルの一喝で静粛となった当座の間。

 剣王ギレーヌは剣神の座に本日を以て就任する。

 改め──剣神ギレーヌとして。

 

 

「では師匠。早速だが勅命を下す」

 

「おう、申し付けやがれ。パシリでもなんでも、やってやらあ」

 

「龍滅パウロ・グレイラットへの接触を図れ。あの男は今や、ボレアス家を牛耳る実質的な最高権力者だ。ボレアス家の乗っ取りに際し、協力を仰ぎたい」

 

 

 ギレーヌの目的とはボレアス家の再興。

 ジェイムズの取り仕切るボレアス家に先は無い。

 剣神流を私兵として抱えたギレーヌと、今やフィットア領民の英雄と名高いパウロを後ろ楯として、フィリップを新当主として擁立するのだ。

 

 

「サウロス様、これでいいか?」

 

 

 主に意見を伺う。

 

 

「重畳だな。あとはフィリップを見つけ出し、エリスを救出する。ボレアス家復興はまだ遠い」

 

「あたしの力が至らず、申し訳ありません。エリスもフィリップ様も、捜しだすと言ったあたしの不徳の致すところ」

 

「貴様は十分やった! 儂は傍で見ておったぞ。ギレーヌよ、貴様は臣下としての責務を果たしておるわ!」

 

「過ぎたお言葉です。しかし、頂戴致しましょう」

 

 

 頭を垂れ、片膝を突いて臣下の礼を取る。

 そんな彼女を眼下に入れ、サウロスは主人としての充足感に浸る。

 剣王──否、剣神ギレーヌを忠臣として認めた瞬間だ。

 

 剣神ギレーヌ・デドルディアと──。

 龍滅パウロ・グレイラットの再会の時は近い。



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45話 エリスの不安とルーディアの慰め方

 死神ランドルフ・マリーアン。

 七大列強五位にして飯屋の店主。

 前者の肩書きに恥じぬ熱血ぶりで、稽古をつけてもらう。

 店の裏手にある敷地で、俺とランドルフが対峙し、エリス達は隅に固まって見学に徹する。

 

 まずは打ち込んでみろと言われ、剣神流にて挑み掛かる。

 剣の技量を確かめるつもりか。

 予見眼を併用し、だらりと両腕を下げながらも木剣を握るランドルフへと駆ける。

 

 上段の構えからの走り出し。

 接近の最中、一時立ち止まり、数瞬の溜めを置いてから踏み込む。

 右目を通して防がれる事は予習済み。

 

 男女の差に、大人と子どもの差。

 筋力で押し切るのは不可能。

 そこで、あえて明後日の方向へと木剣での一太刀。

 

 ランドルフは意味の無い一撃として見過ごすつもりだ。

 隙だらけ。

 というのは彼が自発的に生み出した無防備だろう。

 飛びついたりはしない。

 

 身を反転する。

 脚部に身に余る力を籠めて。

 脳に掛かるリミッターを魔力制御で解除し、肉体の自壊を厭わぬ力みにて地面を蹴る。

 

 闘気を纏えない俺なりの身体強化だ。

 強化というよりは肉体の制限を取っ払っただけのお粗末な代物だが。

 

 とはいえ虚を突いたのは確か。

 少女の身から考えられない脚力による突貫を眼に収め、焦りに目を見開くランドルフ。

 よっしゃ、一矢報いてやろうじゃないの!

 

 木剣を握る手にも力が入る。

 筋繊維の切れるブチブチという音が鳴るが、痛覚は遮断済みなので考慮せず。

 既に加速を得た身体は、ランドルフの懐に入り込む。

 

 構えなんて上等な型は無い。

 剣神流の面影など一切残さず、無我夢中で木剣を胴へと当てた。

 

 ──かのように錯覚を起こす。

 彼の動きが異様に速くなり避けられた。

 予見眼による分岐先は膨大。

 あ、不味い。

 これは読めないし、選択する判断力にも欠けている俺じゃあ、咄嗟の回避行動も取れない。

 返しの剣先があえなく俺の脇腹にうち据えられた。

 

 

「げほっ……」

 

 

 四つん這いになって咳き込む。

 痛覚遮断により痛みは無いが、肺の中の酸素が押し出されてしまった。

 息苦しさに喘いでいると、ランドルフの差し伸べる手が視界の端に映る。

 

 

「機転が利くようで。初見で対応出来たのは、経験値の差に過ぎません。私相手でなければ、好手だと思いますよ」

 

「それはどうも……」

 

 

 やはり列強の壁は高く厚い。

 小娘の浅知恵が通用するほど世界は甘く出来ちゃいない。

 あまり調子に乗らない方がいいな。

 鼻っ柱を折られて感謝したいくらいだ。

 

 

「お手前は拝見しました。それだけの基礎と隠し球があるのなら、北神流の初級程度であれば容易に身に付くでしょうねぇ」

 

「列強様に認めていただいて恐縮です」

 

「畏まらなくて結構ですよ。私は所詮、しがない飯屋の店主だ」

 

「教えを乞う相手には礼を尽くさないとダメですよ」

 

「謙虚な子ですな」

 

 

 その後、彼の指導が加熱する。

 実戦形式で北神流の型や技を、この矮躯に叩き込まれる。

 痛みで覚えろとでも言いたげな仕打ち。

 痛覚は麻痺させてあるのだが、彼の意図を汲んで痛覚遮断をオフにする。

 弱音は吐かない。

 苦しみを糧に進むのだ。

 でも正直、泣きそうな程に痛い。

 女の子だから泣いちゃっても良い?

 都合の良い時だけ、乙女心を発露させる。

 

 

「これくらいで十分でしょう。北帝として初級の認可を与えましょう。自主鍛練を積めば、中級への昇級も近い」

 

「ご指導、ありがとうございました……」

 

 

 疲労困憊。

 ゼーゼーと忙しい呼吸をしつつ、お辞儀する。

 

 

「これを渡しておきましょう」

 

 

 彼の手にあるのは北神流の指導教本。

 初級・中級・上級までを網羅しているとのこと。

 門派としては実践派。

 星の数ほどある北神流の門派の中ではオーソドックスなタイプだ。

 

 

「私の剣は少々特殊でしてねぇ。付け焼き刃で真似出来るものではないんですよ」

 

 

 奇をてらう事も無いだろう。

 不器用な俺には基礎的な部分を学べれば満足である。

 肝心なのは地力を底上げすることなのだ。

 おとぎ話の英雄のように一足飛びに強くなろうとは思わない。

 あのパウロでさえ基礎固めから始めて、列強入りしただろうしな。

 

 

「やはり死神ランドルフは健在か」

 

 

 稽古の終了と見て、ルイジェルドが一言呟く。

 ランドルフの実力を示す片鱗など見られなかったと思うが?

 手練れであるルイジェルドの目には、何か感じ取れるものが映ったのだろう。

 

 

「死神ラクサスを討ったその真価。是非とも拝見したいものだ」

 

 

 戦士としての部分が表層に滲み出たのか、三叉槍に巻き付けられた布を剥がそうとしている。

 

 

「止めてください。そういった手合いに辟易して故郷で家業を継いだのですから」

 

「む、そうか。それは悪いことをしたな」

 

 

 意気消沈とまではいかないものの、ルイジェルドにしては解りやすく萎えた顔つきだ。

 文字通り矛を納め、一歩引く彼をエリスは『残念だったわね』と慰めていた。

 

 

「ではこれにて稽古は終了です。ルーディア殿、あなたの適性は三流派の中では北神流が最も高いとお見受けします」

 

「ですかね?」

 

「魔術師としても完成されているようで。併用すれば奇抜派からの派生も可能かと」

 

「我流ということでしょうか?」

 

「北神流の数ある門派のいずれも、初めは我流ですよ」

 

 

 それこそ北神流そのものが我流を起源とすると、彼は付け加えた。

 要するに歴史と規模の問題になるわけか?

 北神流・魔術派とでも名乗ろうかしら?

 奇抜派の人間なら魔術のひとつやふたつ、使いそうではあるが、俺には無詠唱魔術がある。

 差別化など容易だ。

 

 散々痛めつけれたが、気持ちの良い汗をかいた。

 服を捲り上げて手拭いで胸の谷間に溜まった汗を拭き取る。

 鼻息を荒くしたエリスが傍にいたので警戒を強める。

 が、注意していた俺の間隙を突いて、手拭いを引ったくったかと思えば、堂々と懐に収めた。

 後でナニに使うんですかねぇ?

 

 

「それでは宿に戻ります。ランドルフさんとはこれで最後かもしれませんね」

 

「一期一会の出会いというものでしょう。もしも再会の機会に恵まれたのなら、ナナホシ焼き改め唐揚げをご馳走しますよ」

 

「それは期待大ですね」

 

 

 別れの挨拶を済ませ、俺たちは飯屋を後にした。

 パウロにはまるで届かないが、晴れて俺も三流派を修めたというわけだ。

 

 ・剣神流 中級

 ・水神流 初級

 ・北神流 初級

 

 そこらの騎士よりは技量に優る。

 まだ成長の過渡期で華奢な身体ゆえに、体格差というハンデはあるものの、それは時間が解決する。

 焦ることない。

 じっくりと時間を掛けて、伸ばしてけばいい。

 

 後日談。

 その日の晩、エリスが俺の汗の染み込んだ手拭いで、とある行為をしていた事は、心の内にしまっておこう。

 

 

──

 

 

 馬車を買い足して街道沿いに進む。

 行く先は王竜王国の首都ワイバーン。

 シーローン王国までは4ヶ月は掛かる。

 その時々で目的地を設定しておいた方が、旅の心的負担は軽減されるものだ。

 終わりの無い旅というのは不安が募りがちである。

 ゆえに首都ワイバーンを目指し、進路を取った。

 

 街道は西側と北側で分岐しており、今回は北側を選択。

 シーローン王国までの旅路上、幾つもの小国を経由することになる。

 遊んでいる暇は無いが、その国々の空気感というか文化に触れる機会くらいはあるだろう。

 そして間もなく首都ワイバーンへ到着した。

 

 王竜王国はいわゆる大国に分類される。

 一番手をアスラ王国。

 二番手にミリス神聖国。

 そして三番手に王竜王国という並び。

 四つの属国を従え、周辺国家への影響力が極めて強い。

 

 その点、アスラ王国は纏まりが良いだろう。

 四家に分かれるグレイラット家統治の四地方は、各領地が一国として成り立つ国力。

 それを一手に束ねるアスラ国王の手腕を振るう様は鮮やかなものだ。

 実際には身内同士で足の引っ張り合い。

 政治の駆け引きで各家の力を削る事に注力しているが。

 それにフィットア領は消失してしまったし、国力の減退は今も尾を引いていそうだ。

 

 ワイバーンの町並みに意識を向ける。

 見る限り、鍛冶屋が多い。

 王竜山で採掘出来る豊富な鉱物資源が関係し、この国は刀剣類の一大産地だ。

 ついでなので、そこらの武具屋に立ち寄り、魔物の素材を回収する為の剥ぎ取り用ナイフを調達する。

 

 北神流の道場が多い。

 北神英雄譚に語られる場所とあってか、剣の聖地に次ぐ剣士憧れの土地。

 僅かに水神流道場もあるが、群を抜いて北神流道場が数に勝る。

 

 エリスの要望でふらっと覗いてみた。

 死神ランドルフの稽古を受けたばかりの俺からすれば、低いレベルの指導内容だ。

 師範とやらも上級止まり。

 魔術さえ使えば、俺でも勝てる実力。

 北神流・魔術派が火を噴くぜ。

 

 滞在期間もそこそこに、次なる国へと進む。

 北上を続け、サナキア王国とキッカ王国を通り抜ける。

 途中、水田の並ぶ風景にお目にかかる。

 気候的にもアジア的。

 米作りが盛んらしい。

 戯れに購入し、飯ごう炊さんなどをしてみた。

 不出来ではあったが、懐かしい味わいだ。

 バリバリとした焦げた食感は兎も角、涙が出るほど美味しかった。

 生卵をかけて卵かけご飯にして食べたりもする。

 ちなみに醤油は無い。

 

 この世界では生卵を食べる習慣が無いようで、エリスにドン引きされる。

 『お腹を壊しちゃうわよ?』なんて注意を受けたが、そこはほら?

 俺には治癒魔術ががあるので杞憂に終わる。

 毒物(ゲテモノ)を必死にかきこむ俺を眺めて、エリスはゲンナリしていた。

 ルイジェルドは『腹を壊さん程度にな』と、心配の声を寄せてくれている。

 

 やがてシーローン王国王都ラタキアへと辿り着いた。

 道中では、エリナリーゼが発情してルイジェルドに言い寄る場面もあったが、靡く事はなかった。

 きっと彼女は、これから男を求めて町を練り歩くのだろう。

 

 宿で部屋を取ると、すぐさま飛び出していった。

 タルハンドは宿屋併設の酒場で酒をあおるとのこと。

 ルイジェルドは、そんな彼の酒盛りのお付き合いだ。

 

 初日は各々自由時間とする。

 情報収集は明日から始めれば良い。

 とはいっても、手にするべき情報は既に持っている。

 王宮にエリスの両親と生まれたばかりの弟が捕らえられているのだ。

 後はどう救い出すかなのだが、ロキシー宛に手紙を出し、手引きして貰えばいい。

 言葉にしてみると簡単だ。

 

 焦らずとも無事は保証されている。

 無理に疲労を溜めて行動しても思わぬ失敗へと繋がるだろうので、俺とエリスは部屋に籠り、身体を休めることにした。

 

 同じベッドで横たわり添い寝。

 上着を脱いで薄着となった。

 本格的に眠るわけじゃないが、ウトウトし始める。

 夕飯の時刻になればルイジェルドかエリナリーゼ辺りが起こしに来てくれることだろう。

 

 

──

 

 

 暑い。

 汗だくだ。

 寝汗がやけに酷く、身体中に不快感が纏わりつく。

 密着感に気付く。

 抱きつかれているな?

 

 片目だけを開けて、しがみついているエリスを見やる。

 普段以上に俺を強く抱き締め、うなされている様に眠る彼女の姿があった。

 悪い夢でも見ているのか……。

 不憫に思い、身体を揺さぶって起こしてやる。

 

 

「エリス、うなされていたみたいですけど、大丈夫ですか?」

 

「ルーディア……。起こしてくれてありがと。うん、嫌な夢を見ちゃって……。お願い、抱き締めさせて」

 

「お互い、汗まみれですよ? 私、匂ったりしません?」

 

「ルーディアの匂いなら大歓迎よ」

 

 

 部屋に美少女2人の香りが充満する。

 窓を開けて換気したいところだが……。

 エリスはベッドから降りることすら許してくれなさそうだ。

 こうなれば強情なもので、羽交い締めにしてでも阻止に走ることだろう。

 

 

「スンスン……。あまい香りね」

 

「ちょ、貴女は変態さんですか?」

 

 

 抱擁までは許そう。

 むしろ俺も興奮する。

 しかし胸元に顔を埋めて香りを堪能する様はいただけない。

 匂いフェチかとツッコミを入れたくなる。

 いやまぁ、俺にもその気はあるけども。

 だがやはり、自分がやるのと、されるのとでは受け止め方が変わるものだ。

 

 

「ルーディアも嗅いで良いわよ」

 

「遠慮しておきます。こんなところ、誰かに見られでもしたら言い逃れが出来ません」

 

「言わせておけば良いのよ。私たち、姉妹なんだから」

 

 

 姉妹は汗だくで抱き合ったりしませんよ?

 

 淫靡な香りが漂い、自我を削られてゆくのを感じる。

 このピンク色の空気に中てられてしまったらしい。

 緊張のせいか、身体は脱力してしまう。

 いま襲われでもしたら、ろくすっぽ抵抗なんて叶わないだろう。

 

 

「不安なの、ずっと」

 

「と、言いますと?」

 

 

 家族の事だろう。

 エリスの両親の安否を知る俺ならばいざ知らず、彼女は見えない闇の中で歩き続けている。

 日頃の気丈さは消え、いまになって弱気になってしまったのだ。

 時々でも弱音を吐いて、溜め込んだものを消化すべきだ。

 それが今この瞬間。

 

 

「ねえ、もっとルーディアを感じていたいの」

 

「それは……。気の済むまでどうぞ」

 

 

 俺の身体でエリスの不安を取り除けるのならお安いご用だ。

 あ、でも先っちょだけなら許すとかそういう曖昧なもんじゃない。

 健全かつ婚前の娘に相応しい範囲でお願いします。

 

 

「ルーディアは可愛いわね……」

 

 

 熱い吐息が鼻先にかかる。

 ごくりと生唾を飲み込み、ソレの訪れを予感する。

 

 

「キスさせなさいよ」

 

 

 肉体関係を迫る男の発言だ。

 接吻程度であれば……まだ貞操は守れているのか?

 いや、まだダメだろう。

 エリスの物になるのは、俺が成人してからだと約束したではないか。

 大人になるまでは、たとえキスであろうとも身体を許さない。

 おっぱいを揉むくらいで勘弁してくれ。

 

 

「それは約束を反故にするということで?」

 

「いけない?」

 

「そりゃあ、いけませんよ。私に覚悟が出来ていません」

 

「私は出来てる。ルーディアになら、抱かれても構わないわ。むしろ、こっちから抱かせてよ」

 

 

 エリスは自棄っぱちになっているのだろう。

 寂しさを肉体を重ねることで埋めようとしている。

 だがそれは気持ちの誤魔化しであり、誠実さに欠ける。

 してしまえば悔いを残すのはエリス自身だ。

 

 双方の合意とムードってやつが大切だ。

 雰囲気作りもせずに、求めるだけ求めるなんて調子の良い話があってなるものか。

 エリスのことは好きだ。

 だからこそこの関係を一時の気の迷いで壊したくはない。

 

 

「エリスが不安なのは解ります、しかし、こんなやり方はいけない。必ず後悔が残ります。キスなんてしたら歯止めが利かなくなってしまう」

 

 

 なし崩し的に俺とエリスは、淫奔な日々へともつれ込むだろう。

 俺の自制心は弱い。

 一度崩れてしまえば二度と修復は叶わない。

 そこにつけこまれてエリスに抱き潰されるのだ。

 快楽に溺れ、旅の半ばでエリスとの子を身籠るなんてこともあり得る。

 

 いや、まだ女の子同士で妊娠までいかないけど……。

 それでも肉欲に負けて、旅の目的を忘れるなんて事態も想像に難くない。

 

 いっそヒトガミから提供された情報を明かしてしまおうか?

 うーん、それはリスクが高い。

 私よりもヒトガミとかいう得体の知れない存在を信用して、これまで旅をしてきたのか!

 と、糾弾され不信感を抱かせかねない。

 信頼度で言えばエリスの方が高い。

 窮地の場面で、どちらの言葉を取るべきかと問われたならば、確実にエリスを信じる。

 というか、ヒトガミとの繋がりを持つ事実そのものが後ろめたい。

 

 

「胸を揉むだけならいくらでも。しかし、キスはまだダメです」

 

「そうね、キスは夫婦になってからよね?」

 

 

 どちらかと言えば順序的にキスから始まって愛撫に続くんですが?

 これも俺とエリスならではの関係性か。

 

 

「でも今日のところは、おっぱいを揉むのは止めておくわ。ルーディアが言っていたように、それこそ歯止めが利かなくなりそうだもの」

 

「なるほど。ではどうします? 不安はまだ解消されていないご様子。私に出来る範囲であれば協力させてください」

 

「そうね。ただ傍に居てくれるだけでいいわ」

 

 

 ラフな笑みを浮かべ、俺に覆い被さってくる。

 てか、押し倒された。

 キス、しないって言ったじゃん!

 胸も揉まないって。

 それ以上の事を求めようとは大胆不敵だ。

 

 

「勘違いしないでよね。ゼロ距離でルーディアを感じたいだけよ」

 

「重いですよ、エリス……」

 

 

 甘え過ぎやろ、この子ってば。

 可愛いかよ!

 

 むせ返る程の甘ったるい匂い。

 2人の体臭が混ざり合い、思考能力を鈍らせる芳香が蔓延する。

 臭くはないが、呼吸が荒くなる。

 

 

「ルーディアは可愛いわ」

 

「それはさっき聞きました」

 

「スッゴく可愛いって事よ!」

 

 

 耳もとで叫ばれた。

 キーンッと鳴る耳を押さえつつ、エリスの表情を確認する。

 相変わらず狂熱的な面差し。

 抱かない宣言を自らに課したエリスは、自分でも情欲の行き場に困り果てている。

 

 思わず、そっと彼女の頬に両手を添えて抱き寄せしまう。

 胸に顔を拘束してやった。

 

 

「むがむがっ……!」

 

 

 籠った声が聞こえる。

 ごめん、何を言ってるのかわからん。

 そしてくすぐったい。

 エリスの口の動きで、乳房が微振動し、むず痒さに襲われる。

 

 

「私もエリスのことが可愛いって思います。だから愛でさせてくださいよ」

 

 

 エリスを見てるとなんかこうね?

 母性を刺激されると言いますか……。

 放って置けないのだ。

 

 衣服越しに感じるエリスの熱。

 俺の体温との相乗効果でどこまでも身体は熱されてゆく。

 ことさらに汗は流れ、ムンムンとした香りが増す。

 天然の女体サウナである。

 エッチな響きだねぇ──。

 

 体温だけでなく室温にまで影響が及んでいるらしい。

 俺の香りが、エリスの香りが、温もりと融け合って正気を失いそうな空間の出来上がり。

 スケベな長耳族(エルフ)のお姉さんことエリナリーゼが匂わせる香りよりも、よほど人の色欲を高めることだろう。

 

 

「ぷはぁっ! いきなり何するのよ、苦しいでしょ!」

 

 

 俺のおっぱいから脱したエリスが物申す。

 赤面した顔は若干ニマニマしていた。

 喜びを隠せていないですよ?

 

 

「今度はこっちの番ね!」

 

 

 宣言通り攻守交代。

 一転して、エリスの両腕が俺のか細くも乳だけ大きい身体を包み込む。

 抵抗する気力の残っていなかった俺は、呆気なく捕縛され、顔面に年の割にはかなり豊満なバストを押し付けられる。

 

 その膨らみは俺の顔を見事に受け止め沈み込む。

 弾力性に押し返されるも、後頭部からエリスの腕がこれまた押し返す。

 極楽か?

 ここは。

 

 歳かさ的にまだ青い果実でしかないそれは、既に母性の象徴としての役割を十分に果たしていた。

 まあ、デカイし。

 落ち着く……。

俺もまた、エリスのように傷心状態にあったらしい。

 

 それもそうか。

 初潮を迎えたばかりで混乱している。

 動揺は収まったものとばかり思い込んでいたが、旅を続けなければという焦燥感から、無理やり考えないように努めてきただけだ。

 

 女として生きなければならない。

 その重責に肩へ重みを感じる。

 それをエリスは和らげてくれた。

 俺はきっと彼女に依存している。

 エリスもまた、妹である俺を心の拠り所としている。

 良く言えば支え合い。

 悪く言えば共依存。

 

 ふむ、この関係の良し悪しは何とも言えない。

 故郷を離れて2年以上。

 ルイジェルドという頼れて気の許せる存在は居る。

 それでもこの世界に蔓延る害意への物案じは尽きない。

 それどころか生きる年数を重ねる度に増大する一方。

 

 だからきっと神様もこの間柄を見逃してくれる。

 人間なんて弱い生き物だ。

 こうして安らぎに心を委ねるのも多様性に富むこの世界じゃありふれた光景に違いない。

 

 柔らかで優しいエリスの肉の感触に安堵する。

 彼女になら何をされても構わないとさえ思ってしまう。

 それは先ほど拒否したので、実現はしないが。

 

 拘束されながらも、頬擦りを敢行する。

 動作に合わせて形を変化させる乳房。

 心地好さに浸り、ウットリとする。

 惜しむべくは舐めたり、吸ったりはNGってことだ。

 

 乳幼児の頃、授乳の際にゼニスのおっぱいで試した事があったか?

 いや、赤子だから吸うのは当然だが。

 舐め回したってのは、今考えれば異常な行動だったな。

 リーリャが悪魔憑きではないかと疑っていたと、後年になって自白して来た。

 悪魔じゃないよ、無職の引きこもりだよ?

 

 その後長らくエリスの胸の中で暑さと息苦しさに苛まれ、気がつけば気絶していた。

 意識を失うほど愛されるなんて、愛情が重たすぎるぜ。

 

 目覚めると懸念した事態が発生。

 エリナリーゼに薄着で絡み合う姿を目撃され、姉妹という関係性を疑われた。

 爛れた姉妹であることは否定しない。

 けど断じて肉体関係は持っていないのだ。

 弁明しても信用は得られず、自他共に認められる百合姉妹の関係を確立させてしまう。

 

 そしてエリスが一言。

 

 

「ルーディアは私のものよ!」

 

 

 ルーディアは俺の嫁!

 と言わんばかりに喧伝するエリス。

 この流れだと、15歳の誕生日を迎えた日に覚悟云々の段階をすっ飛ばして籍を入れてしまいそうだ。 

 それもまた姉妹の愛情表現のひとつの在り方──。

 とでも言葉を濁しておこう。



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46話 ヒルダとの再会

 翌日の早朝。

 寝苦しさに目覚めてしまった。

 朝露が窓に張り付き、肌寒さに身震いする──わけでもなかった。

 確認するまでもなく、エリスが俺を抱え込んで寝ていたのだ。

 身を寄せ合って寝ていたお陰で、汗ばむ程度には熱が身体に残っている。

 シャワーでも浴びたい気分だが、そんな文明の利器、この世界には見当たらない。

 

 服をはだけさせて、だらしなく腹を露出するエリスをじっと眺める。

 腹筋は浮き出してこそいないが、引き締まっている。

 おヘソもチャーミングだ。

 

 さて、昨日のあの一件があったせいか、彼女は俺との肉体的接触に安心感を得るようになったらしい。

 これまで以上に強い腕力で一晩中、抱き締められていたので、全身に痛みが残る。

 まぁ、自動治癒(オートヒーリング)で万事解決ではあるが、魔力の無駄遣いとなったか。

 

 机に向かって早々とロキシー宛の手紙を執筆する。

 この国に滞在していること、家族が行方不明で捜索中である事を記しておく。

 何か知っている事があれば知らせて欲しいとも、付け足しておいた。

 

 この文面は不味いか?

 王宮を通して送るのだから、検閲が入るかもしれない。

 それに加えて、ロキシーの教え子であるパックス王子は、俺を目の敵にしているって噂だ。

 出来が悪く、ワガママで癇癪持ち。

 ロキシーとのやり取りを妨害してくる可能性だって視野に入れるべきか……。

 やりづらいなぁ。

 

 ひとまずエリスが目覚めるのを待ち、手紙を出しに行こう。

 路地裏でヒルダを探さないとな。

 

 

──

 

 

 ルイジェルド、エリナリーゼ、タルハンドには町へ情報収集という名目で送り出す。

 俺はエリスと行動を共にする。

 遺憾ながら、ヒトガミの指示通りに動く形だ。

 

 身の危険を感じたら即時判断の撤回を決めている。

 尤も、ランドルフのような列強と遭遇でもしない限りは、俺とエリスの技量であれば、撃退ないし逃亡は可能だと見ている。

 逃げに徹した俺はゴキブリよりも速い。

 グレイラットだからネズミという表現の方がお似合いか?

 

 冒険者ギルドにて手紙を出し終える。

 後は兵士から逃げるヒルダを保護する段取りだが、エリスがやけにソワソワしている。

 

 

「どうしました?」

 

「私にも良く解らないけど、ざわついてるわね」

 

 

 言われてみれば町中では民衆の喧騒に紛れて、緊迫した物騒がしさを感じ取れる。

 目を凝らせば路地から路地へと駆ける少なくない兵士達の姿。

 大捕物でも始まったかのような雰囲気。

 あぁ、これのことか。

 既にヒルダの逃走劇は開始されている。

 

 

「探ってみましょうか? ある筋から、エリスの家族の目撃情報が手に入りまして。居場所に繋がる情報を得られるかもしれません」

 

「え、ホント? この国へ入国してから調べる時間なんてあったかしら。うん、でも流石はルーディアね!」

 

 

 疑う事を放棄した彼女はすんなりと納得し、こちらの提案を承諾する。

 わざわざ手を取って握り締めてきたが、気にせず走る。

 

 兵士達の背中を追い、数分ほど路地裏を駆けずり回っていると、円陣を組む兵士たちと出くわした。

 円陣というよりは包囲網といった塩梅か。

 中心地には──ヒルダが居た。

 ヒトガミの見せた映像と状況が合致する。

 赤子も抱いているようだ。

 名前はエリオットと言ったか?

 

 

「お、お母様!」

 

 

 2年以上も別離を強いられようとも実の母親を見間違える事もなく、エリスはヒルダの存在を察知する。

 それは向こう側も同じく──。

 

 

「え……? エリス!」

 

 

 ヒルダもまた2年越し対面する娘の名を叫ぶ。

 悲壮に満ちた顔に、希望を灯らせる。

 苦境に立たされながらも一筋の光に救われた者の声が、耳に届いた。

 

 

「ルーディア! 手伝って! 周りの兵士たちをやっつけるわよ!」

 

「了解! しかし、殺すのは無しですよ。彼らは末端とはいえこの国の正規兵です。殺せば犯罪者扱いは免れません」

 

「峰打ちね! わかったわ!」

 

 

 逃走劇から救出劇へと演目は切り替わる。

 不殺での制圧となればアレの使いどころだ。

 昏睡(デッドスリープ)を座標指定魔術と併用して発動。

 彼らの死角となり得る足下や背後に生成と同時に着弾させる。

 さほどの闘気を纏っていなかった事から、意識を奪うのに5秒も要らなかった。

 

 だが数だけは多い。

 俺の魔術による撃ち漏らしで、未だ多数の兵士が健在。

 束となって押し寄せてくる。

 今の攻撃で敵意有りと判断したのか、抜き身の刀剣を握り、間合いを詰めてきた。

 こんなあどけない姉妹相手に凶刃を向けようとは、けしからん連中だ。

 先に攻撃したのは俺だけど。

 

 

「任せて!」

 

 

 意気揚々とエリスが俺を庇うように前へと出る。

 鞘に手を当て、張り詰めた空気の中で地を蹴り、剣を振り払う。

 光の太刀ではない剣神流にありふれた型のひとつ。

 実力に劣る兵士らに手心を加えてあげたのだろう。

 どう考えても光の太刀ではオーバーキルだろうしな。

 的確な判断と言える。

 

 既に剣聖上位相当の技量を俺の預かり知らぬ内に体得した彼女の一閃は、兵士らの迎撃すら認めずに斬り伏せる。

 

 え?

 いや、峰打ちって言ったでしょ!

 

 

「あれ、死んでないよね?」

 

「生きてるわよ。薄皮くらいは切れちゃったかもしれないけど」

 

「あ、そうですか」

 

 

 腑に落ちないが……出血は僅か。

 斬られた兵士は踞っているが、意識は保っている。

 力の差を思い知ったのか、追撃の気配は見られなかった。

 

 

「お母様! こっちに来て!」

 

「あぁ、エリス! 来てくれたのね! わたくし、貴女の無事を信じていましたの!」

 

「奥様、再会の喜びは理解出来ますが、この場は安全な場所への退避が先決かと」

 

「ルーディアも来てくれていたのね? わかりました、従います」

 

 

 ヒルダと、その胸に抱かれた赤子の保護に成功。

 一旦、宿へと戻れば完遂だ。

 フィリップ救出作戦はまだ先になりそうだが、ひとまずエリスの家族との再会は成し遂げた。

 おっぱいの大きい赤毛のお母さんと合流し、一路帰宅の途につく。

 

 帰り路の途中、次々に湧いてきた追っ手は丁重にお引き取り願った。

 具体的には魔術と剣で蹴散らしただけなのだが、その勇姿をヒルダは呆気に取られながら視る。

 俺もそうだけど、貴女の娘さんは強い子に育ったんですよ?

 ところ構わず、妹の胸にエッチな視線を送るお姉ちゃんであることは黙っておこう。

 

 

──

 

 宿へ到着すると、ヒルダは泣き崩れてしまった。

 後生大事そうに赤子のエリオットを擁くのは変わらない。

 ポロポロと流れ出した涙は、嗚咽と共に量を増す。

 

 

「エリス、寄り添ってあげたら?」

 

「うん……」

 

 

 促してあげると、エリスは母親の肩にピタリと張り付く。

 労いや慰めの意味合いか、肉親の情ゆえか愛情に満ちた眼差しだ。

 感動の再会に酔いしれるというよりは、母の温もりを求める娘の発作的な行動だ。

 エリスだってずっと家族と会えず心細かった。

 ようやく俺はエリスの為に、何かしてやれたのだ。

 

 

「エリスも泣いて構いませんよ。ここに咎める者はいません」

 

「う……ん……そうね……」

 

 

 俺の言葉を受け取って、数秒ほど口をモゴモゴさせた次の瞬間、我慢の堰を切ったように、わが姉は大声で泣き始めた。

 赤子よりも幼げで、14歳というこれまでの人生で積み重ねてきた年月を放り投げる。

 

 

「うえ……ぇん……!」

 

「ごめんなさい……エリス……傍に居てあげられなくて……」

 

 

 母親としての義務を果たせなかったとして、ヒルダは懺悔を始める。

 不可抗力だと言い訳はしなかった。

 ただ娘に対する申し訳なさが先行して、謝罪の言葉が紡がれていく。

 そんなこと、エリスは気にしていなどいない。

 ただ身体をくっつけて、母の存在の大きさを実感している。

 同じ時間を過ごせるだけでも、何物にも代えがたい幸福であると、涙する事で訴えかけていた。

 

 ひとしきり泣き終えたエリスとヒルダ。

 ヒルダは赤子のエリオットを俺へと預けると、エリスを抱擁し始めた。

 耳元で何かをささやいている様だが、こちらからは聞き取れない。

 異国の地での2年半もの日々の思いを吐露したのか、エリスと再び巡り会えた奇跡を言葉にしたのか。

 いずれにせよ、俺が問い質すというのも無粋な話ではある。

 

 結果だけを述べるなら、ヒルダは持ち直した。

 夫のフィリップと夫婦支え合いの関係があった為か、ゼニスよりはメンタルが落ち込んでいなかったらしい。

 守るべき子どもを抑留生活の中で出産した影響なのか、気を強く持ったのだろう。

 

 

「改めて礼を言います。エリス、ルーディア──助けに来てくれてありがとう。わたくし、この子だけでなく貴女達も我が子だと思っていますわ」

 

 

 曇りの無い表情で礼を言うヒルダは、心なしか色気が増しているようにも見える。

 人妻の色香というやつか……。

 不謹慎だがエロい。

 そんな感想が場違いにも思い浮かぶ。

 

 

「まずはご事情をお聞かせ願えますか?」

 

 

 話を切り出してみる。

 着衣は王宮から慌ただしく逃げ出してきたせいか、乱れてはいたが、質自体は上等な物。

 抑留されているという前情報から、不便で劣悪な環境での生活を強いられているものとばかり。

 実態は異なるようだ。

 

 

「聞いていただける?」

 

 

 ヒルダは語りだす。

 これまでの2年半の出来事を。

 

 

──

 

 

 フィットア領へ猛威を振るった魔力災害。

 フィリップとヒルダが転移した先こそ中央大陸南部に位置するシーローン王国。

 それも王宮内に忽然と現れる羽目になった。

 当然ながら外部よりの侵入者として疑われ、兵士達に取り囲まれたのだが、そこに介入者の出現。

 

 その者の名は第七皇子パックス・シーローン。

 つい先日、国を発ったロキシーを求めて止まぬ男。

 彼の一言で親衛隊がフィリップとヒルダを捕縛した。

 あれよあれよという間に、王宮の一室へ押し込まれ、辛く長い監禁生活が幕開けたのだ。

 

 幸いな事に、2人はアスラ王国における上級貴族。

 それもボレアス家の本家筋の人間という事もあり、衣食住は保証され、生きていく上での不満は自由に外出が叶わぬ事くらいか。

 ただその待遇はパックスが指示した事ではない。

 かの愚皇子に、そのような事を考慮する頭は無い。

 ただ親衛隊員の一人が諸侯貴族への捕虜待遇に配慮した次第である。

 

 どうやらパックスは、2人を人質として幽閉し、ご執心のロキシーを誘き寄せる釣り餌としたかったらしい。

 尤も、ロキシーにとって、フィリップとヒルダは面識の無い人間だし、思い入れも皆無。

 強いて挙げれば愛弟子のルーディアの知人という接点くらいしか存在し得なかった。

 

 ゆえに仮にロキシーの耳に、パックスが人質を取っている事実が入ったところで、ひとまずルーディアへ一報を入れて終わり何て事も想定出来た筈。

 ゆえにフィリップとヒルダを捕えておく価値は低い。

 

 その上、パックスは()(おう)へ、異国の上級貴族を不当に拘束しているのだと知られては不味いとして、外部へ情報を流すことを禁じていた。

 全てはパックス皇子と親衛隊の中での出来事として内々に処理されていたのだ。

 

 フィリップは宮廷魔術師待遇で雇われているロキシーへと連絡を取ろうとするも、親衛隊らの妨害で叶わず。

 尤も、すぐにロキシーの不在を知ることになるが……。

 監禁生活の中で精神をすり減らしながらも、傷ついた心を慰め合うように、ヒルダの身体を求めて愛し合った。

 ヒルダもまた、夫の温もりを欲して、求められるがままに全ての行為を受け入れたのだ。

 

 その結果として授かった子こそが、ボレアス夫妻第四子にして三男のエリオット。

 

 奇しくもシーローン王国という異国の地での出産という事もあってか、ボレアス家の仕来たりに従う必要もなく、男児を取り上げられる事もなかった。

 不幸中の幸いというものだ。

 エリス以来の初めて我が子と実感出来る赤子。

 それはもう大切にしている。

 

 やがてエリオットを育てている内に思い立つ。

 未来ある我が子を父母が傍に居るとはいえ、狭い檻の中へ閉じ込めたままで良いのかと。

 人権を著しく損なった現状。

 健やかに育つとは到底思えまい。

 

 よってフィリップとヒルダは画策した。

 エリオットだけでも外の世界へ連れ出そうと。

 とはいえ、赤子を無責任に放り出したり、赤の他人へ託そうとは考えない。

 協議の結果、母ヒルダがエリオットを連れて、王宮からの脱出を図る事となった。

 

 決行の日。

 フィリップは妻の体調が悪いと世話役の使用人へと申し出る。

 医者を呼び出して欲しいとの要望に応じた親衛隊。

 武の心得など無いフィリップだったが、開け放たれた監禁部屋の扉からヒルダ達を逃がす為に盾となった。

 

 わざと騒ぎを拡大させ、第七皇子の息の掛かって無い者達へと自らの存在を喧伝し、親衛隊達による追っ手の足を阻害した。

 今や王宮ではパックスが父王への釈明に足止めを受けていることだろう。

 妙に言い訳の弁の立つパックスが、真実を闇に葬りかねない事が唯一の懸念か。

 フィリップの素性が証明されるよりも前に、始末されてしまうのも時間の問題である。

 

 

──

 

 

 ヒルダの口から語られた事の経緯。

 つまりフィリップの身が危険ってわけかい。

 事は一刻を争う。

 シーローン王国の国王が、まともな人物であればパックスの暴走を止められる筈だが。

 とはいえ、今は身動きが取れない。

 俺とエリスだけではヒルダを守りつつ、王宮へ赴くなんて無茶だ。

 ルイジェルド達の帰りを待つしかあるまい。

 具体的な作戦を立てるのは後だ。

 ロキシーの返事も待たんといかんし。

 いや、ヒルダの話によると既にロキシーはこの国を旅立ってしまっている?

 なんてことだ、神は不在か?

 

 

「ごめんなさい、エリス。貴女の父親を見捨てて、わたくしは……」

 

「いいえ、お母様は悪くありませんわ。お父様が身を挺して守ったんだもの。自分の身がどうなろうと覚悟の上よ」

 

「それはそれとして助けにいかなければ。手遅れになりかねませんね」

 

 

 語るもおぞましいといった顔つきで、ヒルダは伏し目がちとなる。

 そして俺の抱く赤子エリオットは、母親のおっぱいと誤認したのか、胸元をまさぐろうとする。

 ダメだぜ、坊っちゃん。

 ルディちゃんのおっぱいは、君のお姉ちゃんだけのものなんだ。

 身持ちの固い俺は、それとなくヒルダへとエリオットを渡す。

 無事に乙女の胸を死守した。

 

 

「ひとまず再会を素直に喜ぶべきです。エリスは奥様に会う為に、これまで我慢を強いられてきました。私も彼女にどれだけ甘えてきたことか」

 

「気を遣わせてしまったわね、ルーディア。それにエリスをここまで支えて下さって感謝します」

 

 

 これまでの旅について、魔大陸への転移から中央大陸に渡るまでのアレコレを説明済みだ。

 2年半もの苦労はお互い様だが、あの魔大陸から人族の領域まで辿り着く事は、誰の目から見ても過酷で至難の旅程である。

 

 特にスペルド族のルイジェルドの話に内容が及ぶと、顔色を真っ青にして、エリスを抱き締めていた。

 親ってのは不安になると、取り敢えず我が子を抱き締めるらしい。

 

 

「この赤ちゃん、私の弟なのよね──」

 

 

 物珍しげに視線を送るエリス。

 赤子は空腹なのかヒルダの乳に小さな手で触れて、飲み口を探る。

 ヒルダは赤子の要求に応じて、衣類をはだけさせる。

 お目見えになった真っ白な乳房。

 その頂点が露になると、エリオットは一も二もなく吸い付いた。

 

 懐かしいな。

 俺にもこういう時代があったのだ。

 ゼニス母さまのおっぱいにしゃぶりつき、腹を満たしたものだ。

 不味くは無かったが、別段美味しいわけではなかったと味の批評を下す。

 生ぬるいけど、どこか安心する。

 そんな味わいだった。

 

 

「ルーディアのおっぱいからも、母乳って出るのかしら?」

 

 

 突然、何を言い出すんだ、この子。

 

 

「妊娠すればまぁ、出るでしょうね。それともエリスは、私を妊娠させたいんですか?」

 

「もちろんよ!」

 

 

 母親の面前で、妹を孕ませたいと宣言する姉。

 危うい空気が漂う。

 爛々としたエリスの瞳が、俺の乳へと欲望を差し向ける。

 

 

「エリス。婚前の淑女が、不躾にも好色を露にした視線を送ってはしたないですよ?」

 

「いいのよ。ルーディアとは婚約済みなんだから」

 

「それでもいけません。節度あるお付き合いをするのよ」

 

「はーい……」

 

 

 不満たらたらで母親に従う。

 狂犬のエリスもヒルダ相手には形無しか。

 てか、エリスってば浮かれてる?

 普段以上に子どもっぽいというか、素直というか。

 ポロッと本音を溢す程度には素が出ている印象だ。

 

 

「先ほども紹介したけれど、この子はエリオット。わたくしの手元ですくすくと育つ息子よ」

 

 

 次期当主ジェイムズの家に、お腹を痛めて生んだ2人の息子を取り上げられた苦い経験から、猫可愛がりしている事実は明白。

 まだ生後数ヶ月といったところだが、何処と無くエリスの面影が感じられる。

 将来は姉似のイケメン男子に育つであろう。

もしかしたら、フィリップあたりがボレアス家を乗っ取り後、自身の次代の当主として教育するかもしれない。

 

 

「ほら、エリス。抱っこしてあげなさい。貴女も姉なのだから」

 

「は、はいっ!」

 

 

 義妹の俺とは違い、正真正銘の下の姉弟。

 名実共にエリスはお姉ちゃんとなったわけだ。

 触れれば壊れかねない繊細な物を扱うようにして、彼女は弟エリオットを両腕でしっかりと支える。

 

 

「うそ! こんなにも可愛いものなのね! 弟って!」

 

 

 エリスにとっては事実上、初めての兄弟。

 その感動の程は分かるとも。

 ノルンとアイシャが生まれた頃を思い出す。

 何かと気になって、用も無いのに構ってあげたっけ。

 ノルンとはミリスで会ったが、アイシャはどうしているだろうか?

 母親のリーリャの所在も不明だ。

 

 

「うん、この子の為にもお父様を救出しなきゃ!」

 

「それはエリスの為でもあるんですよ。貴女だってお父上に会いたいでしょう?」

 

 

 お姉ちゃんだからって、我が身を押し退けてまで弟を慮って動く事はない。

 上の兄弟というのは何でもかんでも我慢を強いられがちである。

 まぁ、優先する気持ちは理解できる。

 命に関わる場面であれば、俺だってノルンやアイシャを守ろうと、この身を盾にすることだろう。

 

 それからエリスはエリオットをあやし続け、一向に飽きる気配を感じさせなかった。

 夕方になる頃には疲れて眠ってしまったが。

 ヒルダもエリスに寄り添うようにして寝た。

 彼女だって必死に王宮から逃れて来たのだ。

 心身共に追い詰められていたのだろう。

 仲睦まじく眠る親子らを、そっと見守る。

 

 

──

 

 

 やがて日が完全に落ちた頃、ルイジェルド達が宿へ帰ってきた。

 何やら不穏な空気を漂わせて。

 ひとまず情報収集とやらの成果を聞こう。

 

 

「エリスの母親を保護したのだな?」

 

「ええ。監禁生活の中で産まれていた弟さんも保護しました。ところで、3人揃って浮かない顔をしていますが、詳しく理由を聞いても?」

 

 

 ルイジェルドを始めとして、エリナリーゼ、タルハンドも話しづらそうにしている。

 

 

「町で噂話を耳にしたんですのよ。アスラ貴族の男性が、パックス皇子を人質に立て込もっていると」

 

「なんですって……?」

 

 

 

 それってフィリップが?

 いやいや、あの賢そうな人がそんな強硬手段に出るわけがない。

 誰かが焚き付けたのか?

 それとも質の悪い罠にはめられて、そう仕向けられたとか?

 いや、噂話など鵜呑みにするな。

 確証を得られん情報なんて、唾棄すべき悪評だ。

 

「フィリップ・ボレアス・グレイラットという名前じゃったかのう」

 

「それは裏を取ったんですか?」

 

「いいや、あくまでも城下町で流布しておる噂に過ぎんのう」

 

 

 タルハンドも半信半疑ではあるようだ。

 誰かしらが意図して流した欺瞞情報だと睨む。

 ボレアス家の人間を誘拐した事実を有耶無耶にすべく、自国の王族を害されたのだと捏造した事件を広めていると考えるのが自然か?

 

 

「すべき事は変わりません。エリスのお父上──フィリップ様を救う目的に揺るぎはありませんよ」

 

「だろうな。ならばフィリップを救い出し、この国を早々に去ろう。追っ手ならば、この面子であれば退けるのも容易い」

 

 

 ルイジェルドの賛同を得る。

 最悪、アスラ王国のまで逃げ切れば、向こうとて安易に手出しはすまい。

 七大列強龍滅パウロの庇護下に入れば、難癖をつけられたところで、どうとでも言い逃れは可能だ。

 

 

「今晩は外出は控えますの。男を見繕うつもりでいましたけれど、町中は兵が闊歩していますもの」

 

 

 自粛を申し出るとはエリナリーゼも事の重大性を理解しているらしい。

 外出先で男と絡み合っている最中を襲われでもしたら、逃げ場は無いからな。

 

 

「というわけですし、ルイジェルド。わたくしと一晩いかがですの?」

 

「俺は女は抱かん」

 

「そんなごむたいな……」

 

 

 一蹴され、しょぼくれるエリナリーゼ。

 ルイジェルドはどうも亡き奥さんに操を立てているようだ。

 再婚の考えすら発想として無いのか?

 だとしてもエリナリーゼは相手として相応しくはないだろう。

 彼女を悪く言いたくは無いが、少し目を離した隙に間男の子を身籠りそうだ。

 長耳族(エルフ)という種族柄、妊娠自体しづらいそうだが。

 

 とにかく続報を待とう。

 そして、ムラムラしたエリナリーゼを他所に、デッドエンド+αは就寝する。

 

 

──

 

 

 翌日のこと。

 前日にヒルダ達を取り囲んでいた兵士達と似た出で立ちの女騎士が宿を訪ねてきた。

 若干の差異が見て取れ、上級職なのかもしれない。

 

 ヒルダ達の身柄を捕らえに来たのか?

 部屋の中が見えぬよう、身体で視界を遮ろうとするが、俺の身体は胸以外はまだ小さい。

 まるで隠し切れていなかった。

 だが、ヒルダとエリオットの姿を一瞥しても、特に反応は示さない。

 目的は別にあるのだろうか。

 意図が読めん。

 

 

「自分はシーローン第七皇子親衛隊所属ジンジャー・ヨークと申します」

 

「どうも。私はルーディア・グレイラットです」

 

 

 挨拶は大事だ。

 第一印象を決める大事な儀である。

 

 

「単刀直入にお聞きしますが、貴女のご用向きは?」

 

「端的にお伝えします。我々第七皇子親衛隊の一部は主であるパックス・シーローンより離反致しました」

 

 

 お、おう?

 臆面もなく言うね、この人。

 

 

「フィリップ・ボレアス・グレイラット殿には、表向きには我々の指揮を執って戴いております」

 

「え? あの人が!」

 

 

 まさかまさかの展開だ。

 どんな話術を用いたか知らんが、パックスより戦力の一部を奪い取ったらしい。

 それにしても武力行使に打って出るとは、あの人らしくもない。

 

 

「とはいえ、自分達から無理やりお願い申し立てた事です。フィリップ殿のご意志ではないのです」

 

 

 あ、そういう事情ね。

 親衛隊とは言っても全員が、主に忠誠心があるというわけではないのか。

 ふむ、噂によるとパックス皇子は愚か者で横暴な人格と聞く。

 臣下に対しても不機嫌顔で当たり散らし、無理難題を押し付けるのだとか。

 そんな折にヒルダの逃走劇。

 王宮は混乱の真っ只中。

 好機到来ってことで、謀反を起こしたと。

 

 ただフィリップを首謀者に仕立て上げるというのは、無視できぬ暴挙だ。

 最悪の場合、彼の首を取って事態の収束に動きかねない。

 

 

「なぜフィリップ様を巻き添えにしたんですか? 返答によっては、私は貴女をただでは帰さない」

 

「我々にも事情があるのです。周囲を巻き込む現状に、たいへん心を痛めております」

 

「……一応、お聞きしますが。口には気を付けてください」

 

「寛大なお心に感謝を」

 

 

 それよりジンジャーの口から、差し迫った状況を知る。

 どうやらパックス皇子は親衛隊の隊員達や一般の兵士達の家族を人質に取り、脅しを掛けた上で言うことを聞かせていたようだ。

 奴隷市場でツテを作っていたそうで、多くの奴隷を買い取って私兵化。

 元々他国で名の知れた戦士らを手先として、人質の周囲に配置した。

 

 そこに俺とエリスの起こした騒動と、ヒルダの脱走。

 騒ぎに乗じて情報統制を敷き、現場を混乱させた。

 パックスの手持ちの奴隷(私兵)も、現在は追跡に駆り出され、人質達の居場所に配備された私兵による警備も手薄なのだとか。

 今が人質救出作戦実行の狙い目ってことか。

 

 そしてフィリップの件に話が及ぶ。

 フィリップに対して、ヒルダ達を国外に逃がす見返りに、仮初めの首謀者として騒乱の矢面に立ってもらったという。

 アスラ王国からボレアス家の私兵を招き入れたという偽情報を流した上で。

 

 彼に脅され、渋々武装蜂起したという(てい)を取った。

 そうする意味があるのかと尋ねたところ、あくまでも脅された上での謀反となれば、人質へ累が及ぶ可能性を避けられるとの判断らしい。

 

 バカなパックス皇子程度であれば、こんな子供騙しの手管でも欺けるのだとか。

 馬鹿にされ過ぎだろ、パックスとかいう奴。

 

 

「ご事情は解りました。ところでフィリップ様は現在どちらへ?」

 

 

 表向きの指揮を任せていると話していたことから、実際に現場に立っているわけではないのだろう。

 

 

「シーローン国王の名の下で、手厚く保護させて戴いております。パックス殿下の手が及ぶ事はないかと」

 

 

 根回しは済んでいるわけか。

 国王もこの状況に頭を痛めているらしい。

 アスラ王国という大国と戦争ともなれば、こんな小国など一瞬で吹き飛んでしまう。

 まぁ、その場合は宗主国である王竜王国も出張ってくるので、そう単純な話ではないが。

 だとしても戦争の引き金を引いたとして、王竜王国からの制裁も免れまい。

 

 フィリップの事だから、その辺りに関してもシーローン国王と話をつけてあるかもしれない。

 上手いこと戦争なり小競り合いなりを回避することを祈ろう。

 

 

「ルーディア殿には無理を承知でお願いがあって参りました。どうか我々の家族の救出にご助力を願いたい!」

 

「国王陛下からパックス皇子へ人質の解放令を出されないのですか?」

 

「あのパックス皇子の事です。たとえ身が滅びようとも、意地を張って解放などしないでしょう」

 

 

 理屈の通らない人間ほど恐ろしい存在はあるまい。

 そんなところか……。

 既にこの国での立場は失墜したも同然の第七皇子。

 されど破れかぶれとなって人質を害する危険性を孕んでいる。

 

 

「パックス殿下はこの国の奴隷市場を仕切っておられます。ゆえにその戦力は侮れません」

 

「具体的にはどの程度で?」

 

奴隷(私兵)の中には聖級相当の剣士や戦士が紛れております」

 

 

 そりゃあ、油断出来んな。

 聖級ともなれば、たった人で一般兵士1000人分相当の戦力。

 そもそも聖級クラスの実力を持つ人間とは一国に1~3人程度しか仕えていない。

 

 王級以上ともなれば、在野の冒険者であったり、剣士であればそれぞれの一門に属する。

 よって、シーローン王国の正規兵では、パックス皇子の私兵には太刀打ち出来ないとの考えだろう。

 だから俺たちを頼ったと。

 

 

「脅すつもりではありませんが、事態が収束するまではフィリップ殿の身柄をお引き渡ししかねます」

 

「まぁ、こんな情勢の落ち着かない中でフィリップ様だけ解放されても、要らぬ疑いを掛けられてしまいますしね」

 

 

 少々、納得がいかないが、諸問題を解決してスッキリさせておくのがベストだ。

 国王としても後顧の憂いを絶ってから、何かしらの声明を出したいだろうしな。

 

 という下りで、俺たちはシーローン王国で孤立し、暴走するパックス皇子から、人質を解放する運びとなる。

 

 話を耳にしたルイジェルドは、卑劣な手に気分を悪くし、殺気立っている。

 

 エリナリーゼとタルハンドについては今回、ヒルダとエリオットの護衛という形でお留守番。

 パックスの息の掛かった人間が、この宿にも目を光らせているかもしれんしな。

 離反した一部の親衛隊については、全員が救出作戦に参加するとかで手は借りられないし、2人が頼み綱である。

 

 エリスもまた、父親の解放を目前に気合いを入れる為か、自身の両頬をパチンッと手の平で打つ。

 

 そうして俺、エリス、ルイジェルドの3人でこの国の騒乱の収束へ動き出した。

 

 てか、ロキシーはどこ……?



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47話 騒乱の解決

 人質は首都ラタキア郊外の古びた倉庫に押し込められているとジンジャーから情報提供を受けた。

 離反した親衛隊の一部との合同作戦。

 

 元々、パックスの親衛隊の隊員数は少なかったそうだが、奴隷市場のツテを作った功績と、聖級クラスの奴隷を私兵化した事から、一定の評価を与えられた。

 そこで褒美として親衛隊員が増員されたのだとか。

 総員15名らしい。

 

 その内、離反組はジンジャーを含めて数にして3人。

 一部が親衛隊から抜けたと話していたが、ほんの数人とは思わなかった。

 戦力不足だな。

 まぁ、ルイジェルドが居れば、その戦力差も有ってないようなものだが。 

 

 さて、王宮の方では、パックスが逃亡を図ったとかで、追跡を開始したらしい。

 残るパックス側の親衛隊が抵抗していて、手こずってるらしい。

 構ってはいられないので、パックスの身柄拘束は国王の手勢に委ねるとしよう。

 他の人質を取られた一般兵士に関しても、パックス確保に動いているとのこと。

 

 さて、件の倉庫だが……確かに事前情報通り、護衛の数は少人数に留まっている。

 だが屈強だ。

 ルイジェルドに言わせれば、取るに足らぬ戦士だろうが、一般の兵士には荷の重い相手だ。

 

 何でもパックスの手にある奴隷らは、シーローン王国に接している紛争地帯で戦争捕虜となった人物らしい。

 技量も高いだろうが、敵対国に同等以上の戦士なりが居たのだろう。

 戦場で敗北を喫して捕虜へ。

 それから捕虜の身から奴隷の身へとやつし、奴隷商人へ売り飛ばされて、ここシーローン王国へ流れ着いたのだと推察する。

 

 奴隷とはいえ、金さえ稼げれば自分自身を買い取る事は可能だ。

 下手に逃げ出しても指名手配が掛かるので、仕方なしにパックスに従っているのだろう。

 いかに馬鹿皇子とはいえ、給金くらいは出しているようだ。

 反乱を誘発しかねないしな。

 まぁ、親衛隊からは忠誠心を得られなかった挙げ句に、こうして蜂起されているわけだが。

 

 

「どう攻めます?」

 

「正面突破だ」

 

 

 作戦もへったくれも無い。

 ルイジェルドってこう……もっと戦闘に関しては慎重な思考の持ち主だと思っていたが?

 あ、そっか。

 額のセンサーで敵の数を把握し、最善手が正面突破であると判断を下したのだろう。

 ここは彼の指示に従うべきだ。

 

 

「ルイジェルド殿、背中は我らにお任せを」

 

 

 ジンジャー率いる親衛隊より分離した一派が背後を守護してくれるという。

 俺としても魔術師という職業柄、紙装甲。

 たった3人だが居ないよりはマシだ。

 安心して事に当たれるというもの。

 

 

 

「俺が先陣を切ろう。エリスも続き、その後ルーディアを守れ。ルーディアはジンジャーらと共に後方支援だ」

 

「腕が鳴るわね!」

 

「了解!」

 

 

 サポートに徹するとしよう。

 剣士や戦士相手に、馬鹿正直に近接戦を挑むつもりはない。

 今回はルイジェルド達の独壇場というわけだ。

 そして彼が切り込み隊長として、奴隷戦士達へ接近する。

 

 三叉槍の先端が奴隷戦士の喉元を穿った。

 一瞬だ。

 聖級クラスの手練れを、ほんの一突きで仕留めたのだ。

 これにはジンジャーらも驚嘆する。

 俺は見慣れているので、余裕の表情。

 

 エリスもまた、初っ端から光の太刀を繰り出し、大柄の男の首を斬り飛ばした。

 もはや殺しに忌避感を抱かない程に肝が据わったか。

 

 直後、ワラワラと奥からパックスの私兵が群れとなって表へと出てきた。

 数にして20人は下らない。

 いずれも鍛え上げられた筋肉が眩しい。

 剣や槍に留まらず、戦斧やボウガンを携えた者まで居る。

 多種多様な戦力だこと。

 というか、手薄でこれだけの見張りが付いてるのかよ。

 

 とりあえず飛び道具は危険だ。

 早々に昏睡(デッドスリープ)での無力化を試みる。

 視界に映る範囲にボウガンの射手が居たので、背後から座標指定魔術で狙い撃ち。

 が、傍に居た戦士風の男に魔弾を難なく切り捨てられる。

 聖級クラスには及ばないまでも、対魔術師戦に慣れているかのような手つき。

 紛争地帯での戦場を多く経験した中で培われた手技か。

 

 今回はあまり役立てそうにない。

 無理に前へ出ても足手まといだ。

 混戦の中に飛び込む勇気も無い。

 遮蔽物も少ないので、大人しく後方に位置を維持する。

 盾にはルイジェルドがなってくれる。

 

 

「ルーディアは私が守るわ!」

 

 

 頼もしい姉も守ってくれると言う。

 俺単体だと火力はともかく弱いからな。

 こんな乱戦下じゃ、下手に帝級威力の魔術なんて放てないし。

 エリス様々である。

 

 と、ここでボウガンの矢が魔術師の風体をした俺を排除すべく射出された。

 目の前にはエリスが立つ。

 居合いの構えからの一太刀。

 淀みなく鞘から抜かれた剣は、矢を捉えて粉々にする。

 パラパラと散る破片が、達人技の現実味を知らしめる。

 

 

「余裕よ。それにしてもよくも私のルーディアを狙ったわね!」

 

 

 怒りに任せて飛び出すエリスだが、考え無しではないようで、狙撃を避けつつ、時には剣で切り払っては射手との距離を縮める。

 至近距離にまで到達すると、顎先を蹴り上げてから胴を横薙ぎ。

 吐血した射手が最期に見た光景は、上半身を失った自身の下半身だった。

 

 エリスは血の付着した剣を振り払い、血液を地面へと飛ばす。

 再度、俺の護衛に回るべく、華麗な足取りで舞い戻ってきた。

 何故か上機嫌だ。

 

 

「どう? 格好良かったでしょ!」

 

 

 姉としての勇姿を示したつもりでいる。

 うん、カッコ良かった。

 惚れてしまいそうだ。

 

 

「この状況で余裕ですね」

 

「油断はしてないわよ。でもコイツら、弱すぎるもの」

 

 

 ふむ、エリスの実力は既に剣聖クラス。

 転移事件のせいで正式な認可試験を受験してこそいないが、日々剣の腕前は向上している。

 ルイジェルドとも飽くなき鍛練に励んでいる様子。

 彼女にとってこの戦場は物足りないのだろう。

 

 数少ない味方に付いた親衛隊らにも目を向ける。

 劣勢気味だ。

 血を流して倒れる者が1人いる。

 気力で命を繋いでいる有り様だ。

 すぐに地帯治癒(エリアヒーリング)で回復してやる。

 程なくして立ち上がった彼らは、再び戦線へと復帰する。

 後方支援とはこういうものである。

 

 ルイジェルドは無双状態。

 もう2人居た聖級相当の戦士を文字通り八つ裂きにして、肉片をそこら中に撒き散らしていた。

 手荒いが、戦士同士の殺し合いだ。

 容赦する気もなかったのだろう。

 

 その後は残党狩りだ。

 投降の意思のある者は、俺の土魔術で地面へと固定しておいた。

 呼び掛けに答えず徹底抗戦しようという者は少なかった。

 ルイジェルドの化物染みた強さを目の当たりにしたというのもあろうが、パックス皇子なんかの為に死ぬ事が解っている戦いに身を投じようとは思えなかったのだろう。

 

 戦闘終了。

 肝を冷やす場面もあったが、終幕は呆気ないものだ。

 倉庫に捕らえられていた人質の解放も恙無く進んだ。

 さぁ、町へ帰ろうかと、集団での移動を開始したその最中での出来事──。

 

 ──そいつらは現れた。

 

 

「兄上! 奴らを殺せば、この人形を進呈する! こやつらは余に楯突いた不届き者だ。それに国内へ敵対勢力を招き入れた悪党だぞ!」

 

 

 寸胴で横幅の広い男。

 背は俺よりは少し高く、しかしエリスよりは低い。

 成人男性の顔が、その不釣り合いな身体に乗っかっている。

 彼が第七皇子パックス・シーローンだろうか?

 その手には俺の姿を模ったフィギュア。

 

 あれぇ?

 それって俺がボレアス家に滞在している時期に、戯れに市場へ流した代物では?

 何度も作っては壊して、一度だけ小遣い稼ぎに売却した事があるのだ。

 よもや、ロキシー人形と共にシーローン王国へと流れ着いていたとは。

 

 

「パックス殿下!」

 

 

 ジンジャーが叫ぶ。

 ビンゴらしい。

 

 

「それにザノバ殿下!」

 

 

 

 もう1人居る。

 パックスと少し似た顔立ち。

 だが体格は正反対。

 細木のような長身。

 背丈だけならルイジェルド並みか。

 丸眼鏡を掛けたオタクっぽい男。

 

 

「パックスよ。約束を違えるでないぞ。その麗しき少女の人形と、ロキシー殿を模した人形を並べて飾りたいのだ」

 

「約束は守る! あいつらさえ殺せば、父上のお怒りも、外交問題とか言うのも有耶無耶に出来る!」

 

 

 どうやら皆殺しにして口封じを目論んでいるらしい。

 しかし兄上?

 あの枯れ木のような大男も王族なのだろうか。

 

 

「ザノバ殿下は、この国の第三皇子です。怪力の神子であり、その肉体も鋼のごとく頑強です」

 

 

 ジンジャーの説明が入る。

 

 

「物理攻撃はまず通じない物としてお考え下さい。ルイジェルド殿であれば、あるいは……といったところでしょうか」

 

 

 神子ってのは世界に10人と居ない特殊な能力を保有する人間だ。

 ザノバ皇子も先天的に『怪力』の名を冠する異能を保有しているのだろう。

 

 

「魔術攻撃は効きますか?」

 

「効きますが……。ザノバ殿下を殺害すれば、計画は破綻します。彼はこの国防を担う存在。ザノバ殿下を失っては、シーローン王国は立ち行きません」

 

 

 元より王族を殺そう等とは思うまい。

 沙汰を下すのは、シーローン国王の役割だ。

 いくら非常事態といえど、勝手な独断で手に掛ければ、戦争は避けられん。

 俺とエリスはアスラ王国の人間だと認識されるだろうしな。

 

 

「ルーディア殿はお下がり下さいませ。ここは自分が、パックス殿下及びザノバ殿下の説得に当たります」

 

 

 言われるがままに集団の最後尾に避難する。

 代わりにルイジェルドが、人質達を守るように先頭に立つ。

 事の成り行きは、ジンジャーの交渉次第だな。

 

 

「ジンジャー貴様! 余を裏切ったな! フィリップとかいうアスラ貴族に唆されおって!」

 

「お言葉ですが、我々の身内はフィリップ殿の手勢により、脅かされていたのです。我々としても不本意であります」

 

「なにい? ふん、そういうこともあるのか?」

 

 

 フィリップが悪人に仕立て上げられている……。

 後で国王が誤解を解くとはいえ、やるせない気持ちだ。

 しかしパックスは思惑通り騙されているご様子。

 このまま押し切れるか?

 

 

「だが許さんぞ! 余を裏切るということは反逆の意が有ると見なす! お前の家族がどうなっても良いのか!」

 

「それは……」

 

 

 困惑気味にジンジャーは集団に視線を配る。

 人質は既に解放されている。

 自分で取った人質の存在に気づかないのか、この男は?

 

 

「む、なんだその見慣れん者は! そこのハゲ、名をなんと申す! フィリップの手勢か!」

 

 

 ルイジェルドの姿が目に留まったらしい。

 手勢かと問われれば、否定出来ない部分もある。

 わざわざ言わんけど。

 

 

「デッドエンドの番犬だ──」

 

「知らん! 犬畜生がこの国に何の用だ!」

 

「旅の途中で立ち寄った。それだけだ」

 

「っち、ロキシーのヤツ以外は興味など無いわ。余は寛大だ。()く去れば、お前を咎めぬ」

 

 

 自分で寛大と言う男など信用ならない。

 ましてや人質を取るような悪どい輩だ。

 

 

「だが去らんと言うのなら、ここに居る兄上、怪力の神子ザノバ直々に貴様らを葬ってくれる」

 

「他力本願とは意気地の無い男だ」

 

 

 や、煽らんでくださいよ、ルイジェルドさん。

 

 

「なにぃ! 余を侮辱したな! 兄上、奴らを殺してくれ。さすればこの人形は兄上の者だ!」

 

「お待ちください。パックス殿下!」

 

「待たん!」

 

 

 交渉決裂か?

 いや、まだザノバとの対話の余地が残されている。

 

 

「ザノバ殿下。我々はあなた様と事を構えたくはありません。お母上の事から受けた御恩もあります。何卒、矛をお収めください」

 

 

 矛も何も無手だが?

 いやまぁ、怪力の神子と呼ばれるくらいだ。

 素手でも強いのだろう。

 うん?

 国王がパックスへ放った追手は、彼が返り討ちにしたってことか。

 じゃあ、強いわ。

 

 

「余は止まらぬ。たとえ弟に顎で使われようとも、譲れぬものがあるのだ。見よ、あの人形を。なんと精巧で躍動感に溢れることか!」

 

 

 パックスの持つルディちゃん人形を指して熱く語りだす。

 

 

「麗しい少女とは言ったが、余は女に興味を持たぬ。しかしだ。この人形は別である。今一度見るのだ、この小生意気な表情を。今にも不遜な態度で罵倒を飛ばさんとする顔!」

 

 

 メスガキとでも言いたいのかね?

 調子に乗って、普段自分のしない様な表情を、姿見に映してフィギュア化してみたのだ。

 本来であれば、小生意気な顔なんてしないぞ。

 

 

「初心者用の杖などを構えて一端の魔術師気取り。さりとて、己が才能を疑わぬやる気に満ちたポージング!」

 

 

 実際は才能に関してはどうとも言えない。

 治癒魔術は我ながら才能に恵まれているとは思うが、こと戦闘に関しては実力不足が否めない。

 

 

「服装に着目するのだ。どこぞの貴族令嬢なのだろう。レースで飾られたドレスに身を包む。少々、胸の辺りがダボついてはおるな。だが恥じる様子など、おくびにも出さぬ。不相応な服に振り回されていることにも気づいておらんのだ」

 

 

 基本、ボレアス家じゃエリスのお下がりの服を着てたからな。

 胸元に余裕が生まれるのも当然だ。

 中に詰め物などして対応した事もある。

 まあ、ヒルダの計らいでサイズぴったしの服を買い与えられもしたが。

 エリスが何かお下がりの着用を勧めるもんでね?

 

 

「なんとこのドレス。着脱可能というではないか!」

 

 

 パックスよりフィギュアを奪い取る。

 

 

「兄上! まだ約束は果たされていないぞ!」

 

「黙っておれ! 説明の為に一時借り受けるだけである!」

 

 

 フィギュアについは、俺のこだわりで衣装の着脱式に仕上げた。

 下着姿である。

 とはいえ上はキャミソールで、下はキュロットペチコートといった、およそ色気とは無縁な肌着だ。

 

 

 

「まだ成長過程なのだろう。女児の貧相な体つきだ。だが、まだ性の意識が薄いがゆえに、警戒心を持たぬ堂々とした佇まい。今この瞬間にしか無防備な乙女の艶姿は存在し得ぬ。その貴重な時を切り取ったものだ!」

 

「はぁ……自分には解りかねますが」

 

「ジンジャーよ! ここまで余が力説しても理解が及ばぬか! ええい! この中にこの人形について語れる者はおらんか!」

 

 

 暴れだすザノバ。

 地団駄で地面が捲れ上がる。

 怪力とやらを発揮しているようだ。

 ふむ、人形──フィギュアについて語れる同志であれば、俺が適任じゃないかね?

 集団を掻き分けて、ザノバの前に出る。

 

 

「ザノバ殿下。私で良ければお話し相手となりましょう」

 

「む? お前は何者だ……? ……なんとっ!」

 

 

 お、気付いたか。

 君の手の中にあるフィギュアのモデルが、目の前に立つと。

 

 

「この人形の元となった少女か! ちっと実物は乳がデカ過ぎるが、おおよそは同じではないか!」

 

 

 そのフィギュアを製作したのはボレアス家に居た頃だ。

 身体の成長による誤差は当然ながら生まれる。

 

 

「名をなんと言う? そしてこの人形の制作者はどこの誰だ?」

 

「私はルーディア・グレイラット。その人形の制作者でもあります」

 

 

 その証拠に即興で土魔術を用いて、さるぼぼの様な人形を作ってやる。

 粗い出来だが、信憑性は高まったことだろう。

 

 

「ぬおぉぉぉ……! このザノバ・シーローン! 貴女様をお探ししていましたぞおぉぉぉ……!」

 

 

 跳躍したかと思えば、そのまま着地と同時に土下座。

 ちゃっかりフィギュアは、両手の平の上に乗せて、前へと突き出している。

 しかし、いきなり王族に頭を下げられるとは予想だにしなかった。

 

 

「今のお手前で確信致しましたぞ! 貴女様は水王級魔術師ロキシー殿の直弟子にして水聖級魔術師のルーディア・グレイラット殿であらせられますな!」

 

 

 いまそう名乗ったんだが……。

 この国の皇子は話を聞かない人ばかりなのか?

 

 

「是非とも師匠とお呼びさせてくださいませ! このザノバ、貴女様のご命令とあれば、いかなる内容であっても従いましょうぞ!」

 

「そんな頭を上げてください、ザノバ殿下」

 

「では、第一の命令に従いましょう!」

 

 

 なんだ、この人。

 一挙一動を俺に任せっきりにするつもりか?

 だが好都合だ。

 あのフィギュアを餌にパックスに従っているようだし、寝返らせる事も選択肢に加えられる。

 

 

「ではザノバ殿下。パックス皇子を見限り、こちら側に付いていただけませんか? 新作の人形を製作して差し上げますので」

 

「おぉ! なんと! そのような事で褒美をいただけるのですな?」

 

 

 そう言って、パックスからフィギュアを取り上げたまま、ザノバは俺の側へと寝返った。

 

 

 

「な! 兄上! 約束と違うではないか! その上、人形まで持ち去るなんて!」

 

「その口を閉じるが良い。貴様は誰に向かって敵愾心を向けているのか!」

 

「ぐっ……。ロキシーを余の女にするには、その小娘が必要なのだ。先ほど、ルーディアとか名乗っていたであろう? 紛うことなくロキシーの弟子だ!」

 

 

 ヒルダから聞いたな。

 パックスはロキシーを手篭めにしようと画策していると。

 そんな彼に嫌気が差して、ロキシーは宮廷魔術師の地位勧誘の話を蹴って出国したとも。

 フィリップ達が人質として通用しないから、次は俺を標的に定めたか?

 

 

「それにこの場に居る者全員を殺さねば、父上に叱られる。それは嫌だ。殺されるかもしれぬ!」

 

 

 騒乱を誘発したものな。

 それだけではない。

 アスラ王国との衝突、王竜王国による締め付けといった事態までも、パックスの愚行で招きかねない状況。

 そこまで事が進めば、王族といえども死罪は免れない。

 いま引き返せば、ギリギリ国外追放で済むかもしれないが……。

 彼の判断はいかに?

 

 

「面倒だ。首根っこを掴んで父上の御前へ連れて行こう。師匠、それでよろしいですかな?」

 

「はい、構いません」

 

 

 後はザノバに任せよう。

 一時は衝突も危惧していたが、対話で味方に引き込めて良かった。

 神子がどれ程のものかは知らないが、無傷という甘い考えでは、命を落としていた筈だ。

 何せ国防を担うほどの逸材だと言うし、相当なものだろうに。

 

 

「それでは師匠。余は一足早く王宮へと向かいます。後程、お会いしましょう」

 

「ありがとうございます、ザノバ殿下」

 

「いえいえ、お力添え出来たかどうか。後はその……」

 

「もちろん、新作の件は忘れていませんとも」

 

「おぉ! 師匠には礼を言い尽くせませぬぞ!」

 

 

 いちいち反応が大きい。

 だが第三皇子の後ろ楯を得たのだ。

 事後処理もし易い。

 んー?

 微妙か。

 ザノバはここに来るまでにパックスを捕縛せんとした兵士達を蹴散らしてきた筈だ。

 いわば騒乱に加担した。

 何かしらの処分が待ち受けている。

 

 

「うわあぁぁぁっ……! 離せ、兄上えぇぇぇっ……!」

 

 

 わめく弟に目もくれず、ザノバは宣言通り、パックスの首根っこを掴んで引き摺って王宮方面へと向かっていった。

 

 

「これって解決したって事かしら?」

 

「みたいですね?」

 

 

 エリスと顔を見合わせて釈然としない解決に、拍子抜け。

 いや、スマートに収まったのだから、喜ぶべきなんだろうが。

 

 

「後の始末は我々が。事が収まり次第、お呼びしますので、お三方は宿へお戻りになってください」

 

 

 ジンジャーの言葉に従い、直帰することにした。

 

 

──

 

 

 宿の前にはパックス側に最後まで付いていた親衛隊の一部が倒れていた。

 大多数は王宮方面で抵抗の末に死亡したらしい。

 やはりヒルダ達の身にも手勢が迫っていたようだ。

 

 エリナリーゼとタルハンドが守ってくれたみたいだな。

 この国の精鋭の騎士らを相手取って、ほとんど手傷を負わずに撃退したのか。

 元Sランクパーティーの腕は健在だ。

 彼女らの活躍を労い、ゆっくりと宿で休みを取る。

 

 だが俺には一仕事がある。

 ザノバの為のフィギュア製作だ。

 王族との約束は反古には出来ない。

 モデルは現在の俺を選択。

 ルディちゃんフィギュアのオッパイの大きいバージョンだ。

 少し時間が不足し、出来に満足がいかなかったが、最低限の体裁を整えておいた。

 少なくとも、ボレアス家で製作していた頃よりは腕前も上達し、クオリティとしては遜色ない。

 

 しばらくして夕方頃、王宮よりジンジャーが遣わされてきた。

 既にパックスの親衛隊は解散。

 暫定的に王宮勤めの騎士待遇らしい。

 

 引き続き、エリナリーゼとタルハンドは宿に残り、ヒルダらの護衛だ。

 既に目に見えた脅威は去ったとはいえ、油断ならない。

 というよりも、2人とも王宮のような堅苦しい場所を好まないらしい。

 諸々の事情でデッドエンドの面々で王宮へと足を運ぶ。

 

 

──

 

 

 謁見の間。

 最奥の玉座に座るのは憂いた顔のシーローン国王。

 やつれた表情で今回の騒動での心労の程が知れる。

 

 そして玉座より10メートル程手前の壁際。

 そこに彼は居た。

 少し老けただろうか?

 それでもまだパウロと同年代と若い筈だ。

 見た目は優男だけど腹の中の読めぬ権謀術数に秀でた男──フィリップ・ボレアス・グレイラットその人だ。

 

 

「お父様──!」

 

「エリス──!」

 

 

 飛び込むエリスをその胸で受け止める。

 剣士として鍛え上げられた娘の勢いによろめいたものの、父娘の再会は今ここに成った。

 顔を綻ばせた2人は周囲の事など気にも掛けず、湧きあがる喜びに身を任せていた。

 

 そしてホロリと俺までもが、涙を垂らす。

 この空間の主役はあの父娘だ。

 国王にもその座を譲ってもらおう。

 

 そして俺とルイジェルドはその至福の瞬間をじっと見続けるのであった。



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48話 赤竜の下顎へ至る道

 エリスとフィリップの対面。

 部分的な違いはあるものの、ほぼヒルダとの再会に近い温もりに包まれる時間となった。

 数度の言葉のやり取りの後、フィリップがエリスの目尻に溜まった涙を指ですくう。

 

 イチャイチャを止める気振りを見せないので、放置する事を決める。

 微笑ましくはあるんだがなぁ。

 俺とパウロもあんな感じに周囲の目からは映っていたのだろうか。

 

 誰も気にしちゃいないが、一応は王の御前である為、対応は俺の方でさせてもらう。

 事務的な会話を交わし、王の沙汰の内容を聞かされる。

 パックスとザノバは国外へ追放、形式上は海外留学とのこと。

 2人とも死罪は免れた。

 

 前者はともかく、ザノバには新作フィギュアを贈る約束をしたのだ。

 命が繋がった事実に安堵する。

 俺なりに職人魂を込めて製作したフィギュアなのだ。  

 渡す相手が不在で宙ぶらりんでは可哀想だ。

 

 ザノバは北方の紛争地帯諸国から迫り来る侵攻に対する切り札らしく、国へ直接害する事が無い限りは大目に見るつもりらしい。

 

 で、パックスは体裁上、処刑は不味いとの判断。

 今回の騒乱、噂レベルとはいえフィリップの名前が市井に流れてしまった。

 そんな中で第七皇子を打ち首にでもしたら、妙な勘繰りをされかねない。

 ゆえに王竜王国へと人質として差し出すらしい。

 本件は既に王竜王国へも事の次第が伝達されているようで、何かしらの形で示しをつける必要があったのだ。

 

 そしてフィリップとヒルダ、そしてエリオットの身柄について。

 人質の身からの解放には承諾したが、国王は謝罪しなかった。

 今回の一件を無かった事にしたいらしい。

 対外的に外交問題に発展しかねない出来事など存在しないのだと、そう主張するつもりだ。

 事実の隠蔽である。

 

 相応の事情はある。

 フィリップの従兄弟にして俺の父親である龍滅パウロの影に怯えているのだ。

 この件が彼の耳に入りでもしたら、国ごと潰されやしないかと危惧しているらしい。

 

 被害妄想でしかないが、触らぬ神に祟りなしって言うし。

 その判断も解るし、同情するよ。

 

 慰謝料というか賠償金というか、多額の金銭がフィリップ達へと支払われた。

 口止め料のつもりなのか非常に高額。

 俺の試算が正しければ、アスラ金貨換算500枚にも達する。

 

金で済まされる問題なのか疑問だが、フィリップとは何やら密約を交わしたとかで、双方納得済みではあるようだ。

 どんな要求をフィリップは通したのやら?

 

 それとフィリップ達には『護送』という名目で、ジンジャーが護衛に付く事になった。

 俺らとは別行動でアスラ王国まで送り届けるとの話だ。

 赤子を連れた状態で、俺たちのハイペースな旅には付いてこられないという判断だ。

 長引く軟禁生活で夫妻の体力も落ちているだろうし、妥当なところか。

 

 他にも俺たちの手によって人質を解放された兵士達が、恩に報いたいという意思を表明し、護衛に加わった。

 街道沿いに進むのであれば、魔物とはそれほど遭遇しないし、野盗などに襲われても戦力的に不足無し。

 

 彼らに任せれば、帰国後の再会も約束されたようなものだ。

 総合的に見れば最終的な結果は、まずまずといった感じだろう。

 

 

──

 

 謁見の間を出る際、国王にこってり絞られたパックスに絡まれる。

 自身の非を認めず、当たり散らしてきた。

 

 

「お前のせいで父上に怒られたではないか! どうしてくれる! ロキシーにも会えんし、余の収まりがつかん!」

 

「パックス殿下はロキシーの行き先をご存知で?」

 

「知らん! アスラ王国がどうとか言っておったがな!」

 

 

 怒鳴りながらも必要な情報をくれた。

 彼にその意図は無いだろうけど。

 

 

「腹いせに、貴様のそのエロい身体を蹂躙してくれようか」

 

 

 気色の悪い視線が全身を這う。

 鳥肌が立ってきた。

 女の子である自覚を持ち始めた俺は、男の視線にも敏感になってきたらしい。

 コイツの兄貴は人形に懸ける熱意が変態的だが、パックスもストレートに変態だ。

 

 

「あんたねぇ! ウチの妹を下品な目で見てるんじゃないわよ!」

 

「うるさいぞ! 余にケチをつけるつもりか? 口答えなど許さん」

 

 

 この2人、口喧嘩させちゃいけない組み合わせだ。

 エリスのパンチが飛びかねん。

 もっと発展して斬撃が放たれそうだ。

 血生臭い光景は、しばらく勘弁してくれ。

 未だに人の生き死を目の当たりにするのは、神経を磨り減らすんだから。

 

 

「ルーディアとか言ったな。余の性奴隷になると誓うのなら、ロキシー共々ペットとして飼育してやろう。そして世継ぎを5人は産ませてやる。栄誉なことだぞ?」

 

「冗談は顔だけにしてください」

 

「ぐっ……。ロキシーを捜しておるのだろう? 余のモノになれば、ロキシー捜索に手を貸してやらんこともない」

 

「これまでロキシーを見つけられなかった貴方に、何を手伝えるのです? 出来ない事を出来ると言い張らないことですね。それに、ロキシーなら自分で捜しますので」

 

「くそ! 少しばかり見た目が良いからといって調子に乗りおって! いまここで殺してやる!」

 

 

 やがて見かねた兵士達がパックスを取り押さえ、何処かへ連れてゆく。

 忌々しげな眼でこちらを睨みながら、彼は捨て台詞を残していった。

 

 

「覚えておれ! いずれお前に報復してくれる! その時がお前の最期だ!」

 

 

 尤も、奴とはもう会うことも無いだろう。

 せいぜい、王竜王国で人質ライフを満喫してくれ。

 あの国にはナナホシ焼き改め唐揚げというウマイ料理があるんだぜ?

 イーストポートまで足を伸ばせば、俺直伝の唐揚げを死神ランドルフがご馳走してくれる筈だ。

 

 

──

 

 

 パックスをあしらって、王宮を出た。

 表には出待ちしていたザノバが直立している。

 興奮冷めやらぬ様子で、今か今かとその時を待ちわびている。

 懐から例の品を出して、彼へと引き渡す。

 

 

「ザノバ殿下。お約束の品です。どうかお納めください」

 

「おぉぉぉっ! まさしくこれこそが! 余の欲していた至高の芸術品!」

 

 

 ルディちゃんフィギュアを手に取って大切そうに抱えながら地べたを転がる枯れ木のような男。

 事案化待った無しだ。

 

 

「ありがたき幸せ! この御恩、生涯忘れませんぞおぉぉぉっ……!」

 

 

 こと人形に関しては喜怒哀楽の激しいお方だ。

 生きているだけで楽しそうで結構な事だ。

 手を取って感謝の意を伝えたいようだが、ここは遠慮させていただく。

 

 ジンジャー曰く、彼の怪力はコントロールが杜撰なものらしく、日常生活すら支障をきたす域。

 握手一つでも手を万力の如き握力で粉砕されかねん。

 身を引いて回避した。

 

 悲しそうに行き場を無くした手を見つめるザノバ。

 なんか、ゴメンな?

 俺が悪いことをしたようで、ばつが悪くなる。

 

 

「ふむ、余の事などお気になさらずに。至上の芸術美を生み出すその奇跡の御手を、余の加減の利かぬ怪力で傷つけては、死んでも償い切れませぬ」

 

「決して無下にしているわけではありませんよ? 私もザノバ殿下とは今後も善き親交を深めてまいりたいので」

 

「おぉ! 余のような名ばかりの皇子に! それも面白味に欠ける人間に対しても、なんと慈悲深い!」

 

 

 ヨイショされるのも悪い気分ではないが、過ぎたるは侮辱にあたる。

 それとなく口頭で注意してやる。

 

 

「殿下に崇められるほどの人間ではありませんよ。ロキシー・ミグルディアのみが神としての存在を許されます」

 

「ほう、ロキシー殿ですか。師匠の恩師であらせられましたな」

 

「ええ。そして私がザノバ殿下の恩師にもなって差し上げましょう」

 

「と、言いますと?」

 

「次に会う機会に恵まれたのなら、僭越ながら人形の作り方を伝授したく存じ上げます。この技術を人に教えるのは初めてになりますね」

 

 

 師匠と呼び慕ってくれるザノバに対して、俺も師として何かしてやりたい気持ちになった。

 

 

「よろしいのですか? 一子相伝などではないのですか?」

 

「独占するなんて烏滸がましい。私としてもこの技術を世に広めたいのですよ」

 

 

 フィギュア製作の祖として、この世界の歴史に名を刻む──。

 ロマンがあるねぇ。

 

 

「余は感涙しておりますぞ……。この非才の身で師匠の一番弟子に成れようとはっ……!」

 

 

 涙をダラダラと流す彼は、全身を震わせていた。

 鼻をすすり、低い唸り声のようなものを漏らす。

 泣き止むのを待って、言葉を掛ける。

 

 

「では、殿下。私たちはこれで」

 

「師匠も達者で。余の留学先は未定ではありますが、いずれ出会いの時を予感しております」

 

「はい、御元気で──」

 

 

 差し出された手を思わず握ってしまう。

 そして1秒後にやってくるシーローン王国最高戦力による地獄の握力。

 手の骨が砕けました。

 

 

「ウギャアァァァッ……!」

 

 

 乙女にあるまじき絶叫。

 やっぱりこいつとはもう会いたくない!

 破門にしてやる……。

 

 

──

 

 事の顛末としては上々。

 人神(ヒトガミ)の言いなりになってみた割に結果としては悪くない。

 疑って掛かってはいたが、アイツも少しはまともな未来へ導く性根があったらしい。

 

 今回に関しては、余計な骨折り損とかせずに済んだ。

 無駄な労を費やす事なく、迅速な解決。

 はじめからこう手際の良い助言をしてもらえれば、変に疑り深くなる事もなかったのに。

 

 ヒトガミってのは根本的に性格が悪いのだ。

 だが、感謝くらいはしてやろう。

 

 エリスの両親は見つかった。

 弟のエリオットも、アスラ王国で健やかに育つ事だろう。

 その前にボレアス家でのお家騒動が待ち受けているが、そこはフィリップの手腕次第だ。

 

 エリスも活力を取り戻した。

 もう以前のように、唐突に弱気を見せる事も無くなるだろう。

 物足りなくなるぜ。

 あれはあれで、甘えてくるエリスは可愛らしかった。

 その分、宥めるのも大変だったが。

 

 なんであれ、これまでの助言も不幸な結末には繋がらなかった。

 実績としては信用に値する。

 全ての行動の指示を仰ぐつもりは無くとも、考えに組み込む程度なら、考慮するのもアリかもしれない。

 まぁ、ズブズブというのも、判断力を鈍らせる原因となるけど。

 自分の意見をもっと大切にしようぜ。

 

 これまでの傾向から言って、しばらくはヒトガミからの接触は無さそうだ。 

 慎重に応対するのは変わらず。

 でも喧嘩腰はもう止めだ。

 その上で、熟考して奴の言葉を見極めるとしよう。

 自分の為でもある。

 

 

──

 

 宿に待たせていた面々と合流し、首都ラタキアを出発。

 シーローン王国内を南西へと移動する。

 アスラ王国へと繋がる街道へと至る為だ。

 旅の途中までは行動を共にする。

 小さな町へと到着した。

 

 フィリップ達はここで、旅の疲れを癒す為に長期滞在。

 俺達はこのままアスラ王国へ向けて旅を継続予定。

 パウロへ一刻も早く、無事を知らせる為だ。

 ルイジェルドにも、この旅に長く付き合わせているし、早いに越した事はない。

 

 さて、エリスには束の間の家族の団らんを過ごして貰った。

 期間にして2日間。

 それも瞬く間に過ぎ去った。

 出発の馬車の準備は済んでいる。

 

 

「お父様……。もっと一緒に居たいわ……」

 

「私もさ。数年越しに会えたかと思えば、間を置かずに離ればなれ。親子の語り合いの時間すら、ままならないだなんてね」

 

 

 ギュッとフィリップにしがみついて離れないエリス。

 年頃を考えれば思春期であり反抗期に突入していても可笑しくはないが、置かれていた環境を鑑みれば自然な事だ。

 彼女がファザコンを発症するのも摂理である。

 

 

「ルーディア、改めて礼を言わせてもらうよ。ありがとう──。君の存在があったからこそ、この子は笑顔を失わずにいられた」

 

「私もエリスに救われる場面は多々ありました。孤独は人を殺すと言いますし、私1人では笑顔どころか命まで失っていましたよ」

 

「君も成長したね。身体だけでなく内面的にも」

 

 

 胸部に一瞬だけ視線を流してきが、不思議とパウロのようなイヤらしさは感じられない。

 従兄弟の娘に手を出す気は無いと言外に語っている。

 数日前、エリナリーゼに誘惑されていた様だが、ルイジェルド同様に見向きもしなかった。

 彼はボレアス家の男。

 性癖的に長耳族(エルフ)の女は趣味に合わなかったのだろう。

 好みは獣族の女性だったか。

 

 

「私はアスラ王国へ帰国次第、パウロと接触する。どうも彼は、我が兄ジェイムズを手中に収め、傀儡として操っているようだ。この国の王から情報を引き出してね。おおよその状況は把握しているんだ」

 

「父はボレアス家を乗っ取るつもりなんでしょうか?」

 

「それは無いよ。推測に過ぎないが、彼は家族の捜索の為に、あくまでもボレアス家を道具として利用しているだけさ」

 

 

 それはそれで質が悪くないか?

 フィリップ的にはセーフなのだろうかね。

 

 

「ジェイムズの力を削いでくれているんだ。後に控えている乗っ取りも捗るよ。あの剣神ギレーヌが、パウロと協力関係にあるというし、軟禁生活中に練り直した計画も、まずは成功するだろうね」

 

 

 色々と状況に変化が生じ、当初の計画から大幅な修正が必要だろうに、諦めの意思は無いと。

 ゆくゆくはエリオットを当主に据えるつもりか?

 愉しげに語るフィリップは、実に活き活きとしていた。

 

 ノトス家の当主をパウロへすげ替える計画も没案に終わったか。

 まぁ、パウロに貴族は似合わん。

 ブエナ村で平和に暮らすのが一番だ。

 あの村の復興の進捗が気になるところ。

 

 

「そういえばギレーヌ、剣神になっていましたね。今でも実感が湧きません」

 

「私も耳を疑ったさ。しかし裏取りは済んでいる。父上も彼女のそばに居るかもしれない」

 

 

 ギレーヌの忠誠心の高さは既知の事だ。

 主を放置して剣の聖地まで赴いて、前任の剣神に果たし合いなど仕掛けまい。

 きっとサウロスとは合流済みで、行動を共にしている。

 

 個人的な会話を済ませ、後はエリス達のターンだ。

 フィリップとヒルダがエリスの手を取り、しばしの別れを惜しむ言葉を告げる。

 同時に、アスラ王国もとい復興活動中のフィットア領での再会後の生活についても、軽く話し合っていた。

 

 俺も早くパウロに会いたいものだ。

 抱きついて、これまでの旅の苦労をぶちまけたい。

 そして、残る家族のリーリャとアイシャを一緒に捜し出し、落ち着いたらゼニスとノルンをミリスまで迎えに行く。

 クレアとの仲も取り持ってやろう。

 向こうは歩み寄る姿勢を見せていたから、上手くいく筈。

 もう少しでグレイラット家の在るべき姿へと戻れるんだ。

 

 

「それじゃあ、私達はもう行くわ。お父様、お母様、エリオット──また会いましょう」

 

「向こうで会えるのを楽しみにしてるよ」

 

「ルーディアとは仲良くするのよ。身体にも気をつけなさいね」

 

 

 話に区切りがついたようだ。

 濃密な家族の時間は、一度ここでお預け。

 

 

「ルーディア、今後も末長く娘を頼むよ」

 

「それって──」

 

「君たちの交際を認めるということだよ。今さらだけどね」

 

「うっ……。フィリップ様まで本気にしていらしたので?」

 

「以前言っただろう? ルーディアにエリスをくれてやるとね」

 

 

 むしろ彼が言い出したことだった。

 10歳の誕生日の晩にエリスをけしかけたのも彼である。

 仮に俺の方からエリスを遠ざけようとも、フィリップの強硬姿勢っぷりなら、寝てる間に寝床にでも放り込んできそうではある。

 まぁ、俺とエリスが寝床を共にするのは今に始まった話じゃない。

 結局、何も変わらないじゃないか。

 

 

「貰い受けるかはともかくとして……。エリスとは姉妹の間柄で、しばらくいかせていただきます」

 

「つれないね。まあ、いいだろう。当事者の同意なくして事を進めるのはお節介だったね」

 

「もう行きますね。アスラ王国でまたお会いしましょう」

 

 

 エリスと共に馬車に乗り込む。

 馬の手綱を引くルイジェルドが、乗車を確認すると同時に走らせた。

 地平線の向こう側にお互いの姿が隠れるまで手を振り続け、やがてエリスは俺の肩にもたれるようにして目をつむる。

 

 寝ているわけではない。

 今しがた別れた家族を想い、目蓋の裏に思い出を映し出しているのだ。

 大丈夫、すぐに会えるって。

 

 

──

 

 

 アスラ王国へ向けて馬車に揺られながら進む。

 西へひたすらだ。

 赤竜山脈の南側へ続く街道をなぞって一直線。

 

 横着して山を突っ切った場合、直線距離だけで考えれば最短距離となる。

 が、その考えは通用しない。

 ラプラス戦役の折に魔神ラプラスが、人族に対する戦略上の妨害工作で、夥しい数の赤竜を放ったからだ。

 長い年月の内に繁殖を重ね、生息数も頭が痛くなるほど増加し、もはや駆除などという案は考えられまい。

 

 ルイジェルドが言うには、七大列強下位程度の実力では、山脈を通行することすら叶わぬと。

 パウロやギレーヌでも途中で引き返す羽目になるわけか。

 現実的ではないルートは無視して、俺たちは安全な赤竜の下顎と呼ばれる道を目指す。

 

 遠目に輪郭の望める山こそが赤竜山脈。

 下顎部分すら、まだまだ道のりは長い。

 盗賊の襲撃や、ちょっとした魔物との遭遇といったアクシデントに直面したが、皆努めて冷静に対処した。

 

 日が暮れたら夜営し、暖を取ったり飯を作ったり、取り留めの無い旅の一幕の繰り返し。

 女子トークとやらも、イベントとして発生した。

 

 

「エリナリーゼさんの恋愛遍歴をお聞きしてもいいですか?」

 

「乙女の期待には応えられませんわよ? 星の数程の殿方に抱かれてきましたけれど、貴女達の求めるような恋愛劇なんて一度として経験してませんの」

 

 

 出だしから話の腰を折られた。

 

 

「ルーディアはどうなのよ。初恋の相手はやっぱり私?」

 

 

 自身を人差し指で示し、ほんのり頬を紅潮させる姉ちゃん。

 ちょいと自意識過剰じゃありゃせんか?

 

 

「実はエリス以前に結婚の約束をした子がいましてね」

 

「うそ! 誰よ、男?」

 

 

 俺の両肩を掴んで問い詰めるエリス。

 安心なさい。

 野郎相手に婚約はしないさ。

 

 

「女の子に決まってるじゃないですか」

 

「あら、貴女は生粋の百合っ子ですのね」

 

 

 エリナリーゼは百合っ子とは言うが、精神的には男女の関係だ。

 むしろ健全ではないかと、そう物申したい。

 

 

「名前はシルフィエット──私はシルフィと呼んでいます。長耳族(エルフ)の血が少し入っているみたいで、物凄く美形で……。そうですねぇ、エリナリーゼさんに顔立ちがソックリでしたね。そういう同い年の女の子が故郷に居たんです」

 

「そう……ですのね……」

 

 

 珍しく生返事だ。

 もしやシルフィとは親戚か何かか?

 面識もなく、名前も知らずとも、その可能性を考慮して気に掛かる事柄でもありそうだ。

 過去に親族トラブルがあったかどうかまでは知らないが、ここは触れないでおく。

 

 

 

「ちなみにその子の父親の名前は……?」

 

 

 あら?

 不運要素を解消することをご所望か。

 

 

「ブエナ村のロールッ──むぐっ……!!」

 

 

 言い終える直前にエリナリーゼの手によって口を塞がれる。

 なんなのよ、もうっ!

 

 

「あら、失礼。わたくしとしたことが、つい」

 

「やっぱり何かあるみたいですね?」

 

「ええ……。でも昔の事ですのよ。過ぎた事ですし、今さらほじくり返す事でもありませんでしたわね」

 

 

 人の過去はそれぞれ。

 俺だってやましいことのひとつやふたつ抱えてる。

 ならば問うまい。

 というか、エリナリーゼの方から詳細をせがんできたんだけどな。

 

 

「シルフィって子のこと、まだ好きなの……?」

 

 

 顔を寄せて尋ねる我が姉。

 しおらしい反応だ。

 俺に捨てられやしないかと不安に染まった顔色で、今にも崩れ落ちそうな雰囲気を漂わせている。

 

 

「友人としては好きですけれど、結婚の約束というのは、子どもの口約束のようなものです」

 

 

 エリスとの婚姻はフィリップに確約を戴いている。

 俺が受け入れるかは別として。

 

 一方、シルフィとの誓いは俺から冗談混じりに取り付けたに過ぎない。

 あれからもう6年近く経つ。

 シルフィだって記憶の引出しにしまい込んで、その存在すら覚えていないだろう。

 もしや俺の顔自体、忘却の彼方かもしれん。

 寂しい気持ちになる……。

 時の流れによって出会いも別れも曖昧ときたか。

 

 だが、シルフィの安否も気になる。

 子どもの頃だけの付き合いとはいえ、彼女は俺の弟子である。

 アスラ王国へ到着したら、シルフィに関する情報も集めよう。

 

 

「浮気はダメよ」

 

「はいはい。安心してよ、エリス」

 

 

 ポンポンと頭を優しく叩いてやると、目を細めてしなだれかかってきた。

 重みに負けて下敷きになってしまう。

 エリナリーゼの目もあるというのに大胆な女の子だ。

 

 その後は適当な話題で誤魔化し、エリナリーゼの茶々入れをやり過ごす。

 エリスめ、ご両親との再会を経てなお、妹への猛烈アプローチを止めないか……。

 このままじゃ、成人前に性的に食べられかねない。

 くれぐれも貞操を守るとしよう。

 

 

──

 

 

 着実にアスラ王国へと近づいてゆく。

 赤竜の下顎を抜ければ念願叶っての帰国だ。

 この山道は領土的にはどの国にも属さない空白地帯。

 地形としては渓谷となっている。

 高所ゆえに冷え込みが強い。

 通行するのであれば、体調などを整えて万全の準備で臨むべきだ。

 

 ゆえに赤竜の下顎を目前に控えながらも、一泊して夜明けを待つ。

 そんな中でも、エリスはルイジェルドとの鍛練を欠かさない。

 眺めるばかりの俺は、僅かばかりの劣等感に取り憑かれる。

 

 剣士や戦士としての素質はからっきしだ。

 魔術師として大成するだろうと周囲からは持て囃されているが、実戦で勝てねば無用の長物。

 溜め息の連続だ。

 

 

「どうしたルーディア。浮かない顔をしておるようじゃが? そんな時は酒でも飲んで気晴らしにでもしたらどうじゃ」

 

「タルハンドさん。私、まだ未成年なんですが?」

 

「酒に年齢制限なんてどこの国の法律じゃ? アスラ王国では合法じゃぞ」

 

 

 飲酒に年齢制限の無い世界だ。

 俺の主張もズレたものに聞こえるのか。

 怪訝な顔でタルハンドは、酒を一気飲みして顔を真っ赤にさせていた。

 二日酔いにならないか心配だが、見た目からして酒豪っぽいし杞憂か?

 

 

「あらあら、まぁ。あの日ですわね?」

 

「それも有るかもですね」

 

 

 シーローン王国を出発してから約4ヶ月。

 月の物も何度か経験している。

 俺も女の子として板についたもんだ。

 エリナリーゼの指摘も要因として数えられる。

 生理期間中なのだ、今は……。

 道理で気持ちの浮き沈みが激しいのか……。

 明日から峠道を越えようというのに、先行きが不安だ。

 俺の都合で旅程を延期してもらうべきか悩む。

 良からぬ失敗をしなければいいが。

 果たして──。

 

 暗い感情に囚われつつある中で、エリスとルイジェルドが訓練を終えて一息ついていた。

 ぽつりとルイジェルドが、愛弟子であるエリスに一言。

 

 

「お前は今日から戦士を名乗っていい」

 

 

 すなわち、エリスは一人前の戦士として認められたのだ。

 感情の起伏に乏しい男の言葉。

 されどエリスはその意を汲み取り、歓喜の声を上げる。

 その反応を受けて、すぐさま称えてやることにした。

 

 

「おめでとうございます、エリス。もう私の手の届かない域まで強くなりましたね」

 

「手なら届くわよ、ほら!」

 

 

 言葉の揚げ足を取って、手を掴んでくる。

 喜びが滲み出ているのか、力強さは普段の二割増し。

 ザノバに手の骨を砕かれたトラウマが再発しそうだ。

 

 俺とは正反対に清々しい気持ちで喜び勤しむ彼女は、手を握ったまま、ピョンピョンと跳ね始めた。

 巻き添えをくらって、一緒に踊る。

 次第に熱が入ってきて、5分間ほど姉妹共々ダンスに興じてしまった。

 エリスの10歳の誕生日パーティー以来の社交ダンスである。

 

 ふむ、確かにあの頃からの変化の過程を振り返ってみると、エリスの成長は著しい。

 肉体面でも精神面でも。

 投げ出さないで一途に努力を積んできた成果が如実に現れている。

 

 俺は追いつけるだろうか?

 並ぶことは叶わずとも、せめて背中を守れるくらいにはなりたい。

 これでもエリスの妹を自称する身。

 後ろ指を差されないよう、今後も努力を惜しまないでおこう。

 

 

──

 

 

「ルーディア、ひとつ訊くが──」

 

 

 皆が寝静まった頃、ふと目覚めた俺に向けて、見張り番をしていたルイジェルドが問いを投げ掛けてきた。

 

 

「お前は何を焦っている?」

 

「焦っているとは?」

 

 

 質問を質問で返してしまう。

 

 

「俺には生き急いでいるように見える」

 

「人族の寿命は短いですからね。長生きのルイジェルドさんにとっては、そう感じるかもしれません」

 

「そうではない。エリス以上に、強さに対する強迫観念を感じるのだ」

 

 

 ふむ、そうなのかな?

 何だかんだで俺は精神年齢的にはエリスよりも上だ。 

 前世じゃ社会にも出ていなかったので、立派な大人とは言えないが──。

 それでも大人として、まだ子どもであるエリスを守ろうと心掛けていた。

 

 その為の条件として力が求められる。

 俺は日々魔術を鍛え、力に貪欲な姿勢を取っているわけだが。

 その姿がルイジェルドの目には、焦りにも見えたというわけか。

 

 

「エリスを守りたくて……。だから必死なんです」

 

「エリスは既に一人前の戦士だ。守られるばかりではない」

 

「頭ではわかってるんですけどね。シーローン王国でも、むしろ彼女に救われました」

 

「ならば、もう子ども扱いしてやるな」

 

「考えておきます。エリスの意思を尊重しますよ」

 

 

 実際のところ、もう俺よりもエリスの方が大人なのかもしれない。

 変なこだわりにとらわれて、目が曇っているのだと言われれば、素直に頷くだろう。

 いい加減、自分が守ろうとか、何とかしなきゃとか抱え込み過ぎるのも悪癖だと自覚してきた。

 まぁ、パウロの下に帰ったら、その時は子どもに戻ってやろう。

 それまでは背伸びして大人ぶるのだ。

 

 そして訪れた眠気に任せて、意識を落とした。

 

 

──

 

 

 赤竜の下顎に足を踏み入れた。

 所によっては吹雪が舞い、視界の確保すら困難。

 火魔術で身体を暖めながら進行する。

 

 ただ──この先で俺たちは身の毛のよだつ地獄と対面する事になる。

 幸せな記憶なんて一瞬で吹き飛ぶ。

 笑顔なんてものは容易く苦悶に曇る。

 

 誰も想像なんてしていなかったし、妄想でも思い浮かべないような不幸を味わう。

 いや、不幸というか災害というか……。

 ただもう2度と明るい未来へ、希望を抱けなくなるような悪夢が唐突に襲ってきた。

 

 俺が迂闊だったわけじゃない。

 向こうから訪れてきたのだ。

 呼び掛けたわけでもない。

 向こうから声を掛けてきたのだ。

 

 その者との邂逅は、俺の人生を変貌させるキッカケとなったことだろう。

 生きるも死ぬも、その存在に左右され続ける生涯。

 幸か不幸かの判断は後々の自分自身に委ねるとしよう。

 

 その日、俺は──運命の岐路に立った──。

 

 世界的に見れば極めて限定的な範囲での出来事だろう。

 関わった人間の数も、全体的に見れば極少数だ。

 しかし確実に世界の転換期へと至らしめた発端。

 人類史に記録される戦いであった事はたしかだ。

 

 俺は後にそれを──第一次オルステッド戦役──と呼ぶ。

 世界の歴史と──俺とその周りの人々の運命を決める戦端が間もなく開かれる──。

 

 そしてその事は、直前になるまで知るよしもなかった。




第6章 少年期 ボレアス夫妻救出編 - 終 -


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第7章 少年期 第一次オルステッド戦役編
49話 ターニングポイント2 前編


─水神流宗家・道場─

 

 水神レイダ・リィアは半年以上も前に送り出した直弟子を想起する。

 龍滅パウロ──。

 彼には水帝の位階を授けた。

 

 水神流の剣技を余すところなく伝授すべく、文字通り血反吐を吐く程の稽古を課したが、死を目前とするような苦痛にも忠実に耐え抜いた。

 初代水神の編み出した全五種の奥義の内、三種の習得に加え、レイダが新たな世に生み出した秘奥技・剥奪剣界までをも修める。

 

 既にその実力たるや次代の水神の域にある。

 されど彼の欲するものは水神の称号などではなく、継承の権利をあっさりと放棄した。

 パウロという人物はあくまでも家族を守りたいだけなのだと、事ある毎に漏らしていたのを朧気ながらにレイダは思い出す。

 

 しかしそれだけではなかった。

 龍滅の異名を真の物とすべく、龍神オルステッドの首を獲る事を、師である自身へと宣言してきたのだ。

 龍神在る限り、世に平穏は訪れず。

 家族と共に紡ぐ時も刻まれず。

 そう語る口が印象強く脳裏に焼きついている。

 

 

「死に急いでんじゃないだろうねぇ」

 

 

 当代の龍神は最強だ。

 この世に存在する数多の術技をその身に宿し、あらゆる状況に応じて最適の技を選択し、最小限かつ最速の動作で放ってくる。

 

 自身の研鑽の上に成り立つ究極の一。

 肉体と精神の頂を同調させ、高めに高めた剣ですら、龍神にとって児戯に等しい。

 事実、彼女の剣は彼に届く事すら叶わなかった。

 

 かつて水神レイダの名を引き継ぐ以前。

 当時は水王でしかなかった彼女は、先代剣神ガル・ファリオンと徒党を組み、龍神オルステッドへと挑み掛かった。

 

 挑戦時、ガルは剣聖で未熟者。

 されどレイダは技の面ではともかく、肉体面では全盛期を誇っていた。

 名誉を得る為などではなく、ただ己が力が最強に対してどこまで通用するのか見極めんとして闘った。

 

 結果は惨敗。

 地に這いつくばり、命乞いするまでもなく捨て置かれる。

 眼中にすら入れてもらえず、路傍の石の扱い。

 尤も、その石ころに躓く事すら無い。

 なぜなら、龍神の歩む先に自分は存在すら許されていたかったからだ。

 

 仮にだ。

 現在の技の冴えが、かつての血気に溢れた肉体に備わっていたとしよう。

 善戦はする──とは言い難いが、一泡吹かせる程度の展開の変化は望めただろう。

 けれど勝率には影響しない。

 結果はどう足掻いたところで、敗北の二文字だ。 

 

 彼の者は最強などという言葉では足りない。

 無敵だ。

 無敗の王者だ。

 神の名を冠する災厄だ。

 

 そんな超常的存在に、直弟子であるパウロがいずれは挑むというのだ。

 不条理に対して条理が通用するとは到底思えない。

 パウロが理の壁を超えでもしない限りは、傷ひとつ残せず、失意の内に沈むであろう。

 

 死にゆく結末に自ら導かれようとする者へ、剣技を教えたなど馬鹿げたものだ。

 失われる剣を知っていながらにして授けたなど、水神としての責務へ真っ向から反抗している。

 彼女の剣は易くは無い。

 後世に伝えるべくして、振るわれる事を良しとする誉れ在る剣だ。

 開祖レイダルより脈々と受け継がれし、水神流の名は重い。

 

 

「バカは死んでも治らないだろうね」

 

 

 ともあれ、口出ししたところで止まらぬ。

 元々、レイダが託した野望でもあるのだし。

 パウロに可能性を見いだした自分が止めようなどと思えなかった。

 愚直な弟子に呆れつつも、その末路を案じる水神であった。

 

 

 

 

 

─ミルボッツ領・ノトス邸─

 

 転移事件より約3年の月日が経過した。

 リーリャとアイシャ親子の軟禁生活は長引いたものの、屋敷内での仕事を割り振られ、他所を向く暇を置かずに没頭していられた。

 

 ただ無為に生きるのではなく、あてがわれた役割を全うする。

 空虚な心を満たし、気を紛らわせる一点については効力を発揮した事だろう。

 だが気持ちの誤魔化しに留まり、自身の置かれる状況の打破には一切結び付かない。

 

 次第に薄れていく。

 ブエナ村のグレイラット家に仕えていた頃の記憶が。

 このままでは、侍女として掲げていた使命感すら、手放してしまいそうだ。

 雇用主にして旦那であるパウロへ立てた忠誠、妻ゼニスへの深き友愛。  

 その2人の愛娘であるルーディアより受けた恩義に報いる精神すら靄が掛かってきている。

 

 忠義者で在らなければ。

 さもなくば、かつて及んだ姦邪を拭いされない。

 娘であるアイシャに対しても、不義にまみれた手で触れてしまう事になる。

 不倫の咎は、なおもリーリャを蝕み続けた。

 

 ピシッ──。

 

 音が鳴る。

 束の間の休息日。

 愛娘と共に、茶菓子などをつつきブレイクタイムに日々の疲れを癒していた。

 唇に触れる直前のティーカップにヒビが走る。

 

 

「不吉ですね……」

 

 

 カップの中身は溢れない。

 されど決壊を目前としている。

 つつけば脆く、崩壊は免れまい。

 そんな弱々しさが、鮮明に瞳へと映り込む。

 

 

「お母さん、ティーカップを取り替えよっか?」

 

「ではお願いします、アイシャ」

 

 

 アイシャが気を利かし、母のティーカップを取り替える。

 その様子を目で追いつつ、リーリャは物思いにふける。

 物は取り替えれば事足りる。

 けれど人の身は一つ。

 代替えという手段は取れまい。

 

 正体の見えぬ懸念。

 連想する厄難。

 尽きぬ不安が押し寄せる。

 

 

「何事も無ければ良いのですが……」

 

 

 気を揉みながらも、この屋敷から出る自由は認められない。

 無力ゆえに祈るばかり。

 

 

「どうしたの、お母さん?」

 

「顔に出ていましたかね……」

 

「うん、顔に書いてあるよ。誰かを心配してるって感じ」

 

 

 聡い娘には一目瞭然だったろう。

 ここで否定し、嘘で塗り固めたところで無意味だ。

 母である自分がこんな有り様では、娘に心労を掛ける一方である。

 時には弱さも見せる事も必要であろうか。

 偽りの自分などで娘に接するなど不誠実だ。

 であれば打ち明けよう。

 

 

「アイシャ、母は弱いです。それでもあなたは私を母と呼んでくれますか?」

 

「うん、もちろんだよ! あたしのお母さんは、人前では強がってはいても、時々物陰で泣き虫さんになる放って置けない人だよ! でも、それでこそお母さんだよ」

 

 

 人の目に留まらぬ場所で泣いていた事実を指摘される。

 隠し事をして強がる考えなど不要だと悟った。

 

 

「アイシャ。私は旦那様やルーディアお嬢様の身を案じているのです。あの2人に限っては……とは何度思い至ったことか」

 

「お父さんとルーディアお姉さまのこと?」

 

「あの方達は強い。そのように認知していても憂慮は尽きません」

 

「あたしはお姉さまとは、一度しか会ってないから的外れかもしれないけど。うん、きっと大丈夫だよ」

 

 

 根拠は?

 とは問い質すまい。

 娘のアイシャの言葉を疑うほど、母親としての目は曇ってはいないのだ。

 彼女には彼女なりの思慮があっての発言だろう。

 

 そうして母子は、いまだ再会の目処すら立たぬ家族を想い、ノトス家での生活を継続する。

 

 

 

 

 

─ラトレイア家─

 

 ゼニスは妙な胸騒ぎに不安を募らせていた。

 名状し難い脅威が娘の身に迫っている──。

 漠然と予感し、身震いをした。

 母に相談し、この言い知れぬ感覚の解消に努める。

 

 

「お母様……。ルディ、大丈夫かしら? あの子、危なっかしいところがあるから」

 

「子を想う母の気持ちは良く知っていますとも。であれば、あなたが母としてすべき事は、我が子を信じることではないでしょうか」

 

 

 クレアの言葉を素直に飲み込む事は出来る。

 しかし……悩みの種は植えつけられたままだ。

 見えぬ影に怯え、ことさらに不安心を強めた。

 ゼニスの切羽詰まった様子に困り顔をするクレア。

 言い回しに小細工を尽くそうと、ゼニスの悩みを排除するに至らないだろう。

 

 

「あなたの夫パウロに賭けてみては?」

 

 

 ゼニスという女性の心を支える最愛の人。

 転移災害により、別離を強いられこそしたが、その深愛に一切の翳り無し。

 

 信頼から想い描く夫の姿。

 パウロならば愛娘を、死力を尽くして護ろうとする筈だ。

 心の内に渦巻くのはやはり不安。

 けれどパウロならば全ての障害を取り払ってくれる。

 俄然、漲る希望。

 

 

「そうね、分かりましたわ。お母様。あの人(パウロ)にルディの行く末を託します」

 

 

 沈痛な思いは霧散した。

 明るさの灯った面持ちで、傍に居たノルンを膝に乗せて座らせる。

 不意に手繰り寄せられる形となったノルンは、ゼニスの双眸を覗き込む。

 

 

「お姉ちゃんのこと?」

 

 

 先ほどから交わされていた会話を、幼子は聞いていた。

 大人達の悲痛に満ちた声が動揺を誘ったものだが、一転して今は明朗な声のみが耳に届く。

 

 

「そうよ、ノルン。お姉ちゃんはきっと大丈夫。何も悪い事なんて起きないわ」

 

 

 パウロの存在が確信を持たせる。

 なぜああも自分は悲観的でいたのか。

 子どもにまで暗く沈んだ顔を晒しては、母親として失格だ。

 自身を戒める思いだ。

 

 

「会えると良いね。お姉ちゃんとお父さんに」

 

「ええ、そうね。きっともうすぐ会えるわよ」 

 

 

 ゼニスは膝の上の娘に微笑み、そして、遥か遠くの中央大陸を旅するであろうルーディアへと親心を向ける。

 少し見ない内に、驚きの成長を遂げているかもしれない。

 再び家族として集まる瞬間を待ちわびるばかり。

 

 かくしてグレイラット家の絆の存続は、家長パウロの双肩に委ねられた。

 

 

 

 

 

 

─再建の進むロアの町─

 

 

 国庫より追加予算が組まれたフィットア領捜索団。

 潤沢な資金と人材を得て、難民捜索は活動初期と比較して4~5倍もの成果を上げていた。

 惜しむらくはグレイラット家の人間の行方が、未だ掴めていない事実か。

 

 領民も戻りつつあることから、ロアの町を中心に再建活動が開始する。

 以前の姿には程遠いが、着実にかつての活気を取り戻しつつあった。 

 

 そんな中、捜索団本部では議論が繰り広げられていた。

 パウロ・グレイラットは、先代剣神ガル・ファリオンとの会合を連日に渡って重ね、やがてひとつの決断を下す。

 同席するロキシー・ミグルディア及び北神三世アレクもまたその判断に従う意思だ。

 

 

「ルディ達を捜す方針に揺るぎはねえ。だがその前にやらねえといけねぇ事がある」

 

 

 難民捜索の為に張り巡らせた情報は副産物としてある一報をもたらした。

 龍神オルステッド目撃の報せだ。

 アスラ王国南東部から赤竜山脈南部にかけての一帯を、この頃の奴は放浪するという。

 これまで目撃証言そのものが稀であっただけに、世間に激震が走る。

 とりわけ強く反応を示したのはガル・ファリオンであった。

 

 龍神の移動手段は不明。

 時間的な矛盾を孕みながらも、転々と各地を移動しているらしい。

 

 かの龍神はある特定の人物を捜している。

 近年になって不自然なまでに人前に姿を晒すようになったのも、人探しに起因するのだろう。

 捜索団内情報部による調査で判明した事柄がある。

 オルステッドはルーディア・グレイラットの素性や評判について各所に聞き込みを行っているそうだ。

 

 すなわち、パウロにとって最愛の娘ルーディアへ危害を加える意図があるのだ。

 その疑いは深まり、下手人の動向に過敏となる。

 娘の周辺を嗅ぎ回る理由など定かではないが、断じて看過出来るものではない。

 

 そして奴はフィットア領転移事件の首謀者でもある。

 討つなら今だ。

 娘をつけ狙う悪逆を滅する時が近い。

 

 たとえ家族全員の救助を成し得たとしても、諸悪の根源が跋扈する世などでは明るい世界は築けまい。

 我が子の将来に巨悪は邪魔だ。

 なればこそ、総力戦を覚悟で討伐を計画する。

 

 

「ほらよ、パウロ。鳳雅龍剣(ほうがりゅうけん)っつうんだがな」

 

 

 唐突にガルがパウロへと、鞘に納められた刀剣を投げ渡す。

 重量はさほどでもない。

 外見上は何の変哲もない剣であり、特異性などは感じられず。

 あくまでも、ひと目見ただけの感想ではあるが。

 わざわざガルが意味ありげに渡したのだから、何かしらの曰くでもあるらしい。

 

 

「これは魔剣か……。いいのか、ガルさん? オレなんかに貴重な剣神七本剣の一振なんてくれちまって」

 

「お前程の剣士がなまくら振ってたんじゃ、格好がつかねえだろ。俺様からの餞別だ。受け取れ」

 

 

 通常であれば剣王以上の位階を得た者に贈られる剣。

 パウロはその資格を3年以上も前より有していた。

 が、決まった流派に身を置くつもりなど毛頭無かった彼は、魔剣の受け取りを拒否。

 曖昧な立場である自身が振るうには誠実性に欠け、相応しくないのだと判断した。

 自己都合で一つの流派の伝統を汚し、顔を潰すわけにはいくまい。

 

 それが今になって先代剣神の手から譲渡された。

 意味するところは果たして。

 

 

「オルステッドを斬るってんならよ。そいつがオススメよぉ。見た目は其処らの刀剣とさして変わらないが、闘気を無効化する能力が秘められてる」

 

「闘気をか? スゴいな」

 

「ああ。龍神ってのはよ、バカげた防御力を持ってやがる。さすがに奴の闘気を完全無効化とまではいかないが、軽減くらいはするだろう」

 

「つまりあれか? 対龍神オルステッドに特化した武器ってわけか」

 

 

 無策ではないにしろ無謀な闘いに身を投じるつもりでいたパウロにとって、思いがけぬ戦力強化だ。

 

 

「ただし、くれてやる代わりに龍神討伐には俺様も参加させてもらう」

 

「むしろ願ったり叶ったりだが……。ギレーヌの意思に背く事にならないのか? 先代とはいえ、あんたは剣神流に必要な人間だ。後進の育成もあるだろうし、ここで死んじゃ不味いだろ」

 

「なあに。あいつからはパウロに協力しろとしか言われてねえんだ。好き勝手やるにしても、オルステッドを殺る分には文句は出ねえだろ」

 

 

 先代剣神の討伐作戦への参加。

 百人力どころではない。

 得られる物はあまりに大きい。

 神級剣士の加入の意味するところは──。

 一集団に収まる戦力の範疇からの逸脱。

 

 

「当然、僕も参加させてもらいますよ。僕はパウロ様の身を守護する剣だ!」

 

 

 北神三世アレクが威勢良く名乗りを上げる。

 

 

「わたしも微力ながら協力させていただきます!」

 

 

 直接、戦線には加わらないが、後方支援であれば自身にも役割を全うできる。

 熱意を帯びた強い心持ちで、ロキシーは申し出る。

 

 

「おう、2人とも。サンキューな!」

 

 

 両人の頭をガシガシと撫でる。

 照れ臭そうに笑う2人。

 

 

「ギレーヌのヤツはどうしてる?」

 

「さあな。サウロスの爺さんに付ききりだが、近くには来てるみてえだぞ。ボレアス家乗っ取りの仕込みだか知らんがな」

 

「そうか、アイツにもやることがあるんだよな」

 

 

 ギレーヌにも立場がある。

 彼女にも助力を願いたかったが、贅沢を言える状況でもない。

 ガルの派遣を決めてくれただけでも、その貢献度は計り知れない。

 

 

「こっちから打って出る。次に奴の目撃情報が入れば、現地へ急行だ」

 

 

 主な目撃範囲はアスラ王国内南東部。

 しかし、龍神は時間の制約無しに北部にも西部にも姿を現すという。

 王都やフィットア領にすら出没する可能性さえ浮上した。

 もしかすると行動範囲は世界中に展開しているかもしれない。

 

 であるならば、悠長に構えてはいられない。

 範囲の限定されているこの瞬間こそが好機。

 網を張って待ち伏せるのだ。

 出現ポイントは幾つかに絞り込んである。

 いずれも人目に触れぬ秘境。

 森林の奥地であったり、辺境の村であったり場所を選ばない。

 

 続報が入り次第、出没場所へ出立予定だ。

 

 かの有名にして勇名な魔神殺しの三英雄。

 彼らは魔神ラプラスを殺すに至らず封印に留まったにも関わらず、結果以上の身に過ぎた栄誉を得た。

 だがパウロは自分はそんな紛い物で終わるつもりはない。

 必ずや龍神オルステッドを討ち取り、龍滅の名を嘘偽りの無い正真正銘の物とするのだ。

 

 

「待ってろ、ルディ……。オレが悪い龍神から守ってやるからな」

 

 

 龍滅パウロは娘の永久(とわ)に続く笑顔を護らんとして、龍神を討つと魂に誓った──。

 

 

 

 

 

─王都アルス・王城シルバーパレス─

 

 第二王女アリエル側付き守護術師フィッツは、微かに記憶に残る想い人へ迫る危機を予感する。

 

 男装の麗人フィッツの元の名はシルフィエット。

 だが当人はその名を覚えてなどおらず、主より授かったフィッツの名で第二の人生を送る。

 

 さて、胸に残る違和感。

 その原因たる人物の顔も声も名前すらも曖昧。

 されど常に心の中に居座り、傍に居ない事実による喪失感に胸を焦がす。

 

 転移災害の発生は理解している。

 自身が記憶を失う契機となった厄災である。

 親も分からなければ、自身の過去すらも不明。

 アイデンティティの崩壊ですらなく、そもそも持たざる者。

 出自も知れぬ我が身。

 どこで暮らし、どんな両親に育てられたのか。

 まるで幻のように漂う記憶の欠片。

 

 そんな彼女の記憶の始まりはアスラ王宮の一角に在る。

 目に入った最初の人間は麗しき女性であった。

 彼女はアリエル・アネモイ・アスラ。

 現在、フィッツの仕える尊き人。

 

 アリエルは魔物に襲われていた。

 当時の記憶はフィッツをして不鮮明だが、無詠唱魔術を駆使して倒したらしい。

 その縁あってか、空っぽな自分を拾い上げ、守護術師として取り立ててくれた。

 

 過去を失くしたフィッツにとって寄る辺となる存在だ。

 が、そんな高貴な女性を押し退けてまで存在感を強める人物が、フィッツの自我に訴えかけてくる。

 何故私の事を忘れて、他者へ心を向けているのか──?

 

 そう責められている気がしてならない。

 忘れたくて忘れたわけでなくても、罵詈雑言を浴びせられているかのような心地。

 被害妄想でしかない。

 されども、平常心を保つ事すら覚束ない。

 

 

「ボクは何者で、キミは誰なんだ……?」

 

 

 独り言が漏れる。

 答えは出まい。

 

 

 やがて、職務にも影響が及んだ。

 次期王位争奪戦。

 第一王子グラーヴェルに与する貴族の手勢より継続的に送られる暗殺者。

 参加者たるアリエルを標的とした終わらぬ脅威。

 近頃、露骨に刺客の数が増加していた。

 苛烈化した事により、国外退避まで視野に入る始末。

もはや国内に留まり続ければ命の保証などあるまい。

 

 有力な貴族の大多数はグラーヴェル陣営についている。

 劣勢だ。

 そんな悪い流れの中で、フィッツは不覚を取る。

 アリエルに迫る魔の手をはね除けようと専念する日々。

 疲労も溜まる。

 気が休まらない。

 

 何よりも不明瞭ながら、フィッツの心中に根付く幼馴染みの顔がその行動を鈍らせた。

 絶えず耳元で囁き続ける懐かしさに満ちた声。

 感覚だけがやけに強く残る温もり。

 日常生活上で思考が途切れがちになってしまう。

 思い出せそうで、しかし決定的な何かが足りず、還ることのない、かつての自分と想い人が過ごした記憶。

 

 そこがつけ入る隙になってしまう。

 アリエルを害する敵を排除した。

 だが集中力を欠き対応が僅かに遅れ、力及ばず凶刃が王女の身を掠めてしまう。

 致命傷ではない。

 治癒魔術を施せば一瞬で完治するような軽傷。

 しかし、敵の攻撃をみすみす許した大失態。

 毒でも使われようものなら、既にアリエルは他界していたであろう。

 

 猛省した。

 けれど償い切れぬ罪科。

 腹を切る覚悟で、処罰を求めた。

 されど叱責のみで沙汰は済まされた。

 

 アリエルは言った。

 

 『贖罪として裁きを受けることを望むのであれば、自死を以て償うのではなく、命ある限り主へ忠義を尽くしなさい』

 

 そのような言葉で切って捨てたのだ。

 

 自身の浅慮な考えを恥じる。

 以後、フィッツは誠の忠臣であろうと心を決めた。

 戻りかけた記憶を封じ込め、笑顔の眩しい誰かの顔を忘れる事に努める。

 

 ただ、その間際に感じた言い知れぬ焦燥感。

 在りし日の幼馴染みの身に良からぬ不幸が振りかからぬか……。

 何も判明しないままに、多くのページが抜け落ちた思い出のアルバムを閉じる。

 

 そして間もなく、第二王女アリエルらと共にラノア王国シャリーアへと逃れる。

 後ろ髪を引かれるような気持ちで、幼馴染みとの日々を振り払って。

 

 

 

 

 

 

─ルーディア視点─

 

 吹き荒れる風に乗った粉雪が、睫毛に張りつき視界が遮られる。

 都合良く、防寒装備など持ち合わせていなかった為、極寒に震えて歯をカチカチと打ち合わせてしまう。

 俺とエリス、エリナリーゼとタルハンドは以上の状態で行軍する。

 

 唯一平然とした顔のルイジェルド。

 魔大陸出発より変わらぬ軽装。

 スペルド族というのは、種族そのものが寒冷地仕様なのだろうか。

 

 人族は暑さにも寒さにも弱い。

 エリナリーゼ達亜人も同様。

 早々にこんな場所など抜けてしまいたい。

 

 

「寒い……。ルーディア、手を繋ぎましょう!」

 

 

 人肌で温まりたいのか、そんな提案するエリス。

 よかろう、俺が人間カイロになってあげよう。

 

 

「構いませんけど、私の手はとっくに冷えきってますよ」

 

 

 彼女の狙いは外れる。

 冷気に包まれたこの身体には温もりなど残されていない。

 暖色系の髪の毛をしたエリスを眺めていた方が、よほど温まれそうだ。

 

 

「いいから繋ぐのよ!」

 

 

 冷えた俺の柔手を、エリスの剣ダコの出来た手が掴む。

 ヒンヤリとした感触は想定していたことだ。

 それでも欲求が満たされ微笑む様子を見るに、ただ妹とのスキンシップに飢えていただけのようだ。

 毎日添い寝してあげてるのに、その強欲さは留まるところを知らない。

 

 

「手袋をはめれば良いのでは?」

 

 

 たしかエリスは剣を振るう性質上、握りを良くする為に皮の手袋を所持していた筈だ。

 防寒具ではないので保温効果は望めないが、素手を吹きっさらしにするよりかはマシだろう。

 

 

「イヤよ」

 

 

 バッサリと提案を没にされる。

 

 

「私はルーディアと手を繋ぎたいだけなのよ。手が冷えるくらい、我慢するわよ」

 

 

 素直なことで……。

 思えばあの赤猿姫とか狂犬とか呼ばれた、このじゃじゃ馬姫を、よくもまぁ手懐けられたものだ。

 たぶん俺が男だったら、ここまで心の雪融けは早くはなかった。

 絶賛雪山通行中であっても、手を介してポカポカ陽気が流れ込んでくる。

 

 しかし……。

 その温かみは長続きはしなかった。

 

 前兆など無い。

 ましてや予告なんて親切なものもない。

 当たり前のように奴はやって来た。

 

 視線を動かす。

 前へとだ。

 雪を踏みしめながら進む足音。

 俺たちのものではない。

 

 雪道を行く何者かの気配。

 奴は1人ではなかった。

 2人組。

 奇妙な組み合わせだと思う。

 男女2人で、男の方は長身。

 もう片方の女はエリスと同じくらいの身長。

 やや低いか?

 

 男の外見ついて詳しく語ろう。

 まず銀髪だ。

 そして険しい顔つきで、やけに鋭い目が()()()を視線で貫いてくる。

 その眼光には、悪戯っ子を見咎めるような色を感じる。

 奴の視界には俺しか入っていないようで、他の皆には目もくれていない不自然さが目立つ。

 

 金色の三白眼による熱視線が身体を離してくれない。

 気分が悪い。

 ルーディアという人間の中身を見透かしているかのような、そんな不気味さが感じられる。

 

 もう一方の女について。

 この世界じゃ珍しい黒髪だ。

 俺としては馴染み深い色合いで、日本人であれば極ありふれた頭髪だ。

 黒髪ロングの少女といった風体。

 無機質な仮面を被っていて顔はわからない。

 けど、恐らくはそれなりに美人。

 纏う雰囲気から読み取れた。

 

 ふと、ルイジェルドの横顔を見る。

 奴から目を逸らし、ただでさえ色白な顔を蒼白とさせていた。

 具合でも悪いのか、ガタガタと震えている。

 やはりこの寒さで薄着は無理が祟ったか。

 

 続いてエリス。

 彼女は警戒心を露に、鞘に手を掛けていた。

 今にも抜き打ちの一撃を放ちかねない危険性を帯びている。

 彼女の中では奴は不審者であり、危害を加えてくる賊扱いらしい。

 

 エリナリーゼは顔を伏せ、タルハンドは口をパクパクとさせて、男への忌避感を全開にしていた。

 

 やがて怪しげな男とすれ違う瞬間、位置関係上、真横に並ぶ。

 そこで男は立ち止まった。

 

 

「ルーディア・グレイラットだな……? なるほど、噂に違わずゼニスに良く似ている」

 

 

 奴は俺の名前を知っていた。

 一度見たら忘れ様の無い特徴的な容姿をしているが、面識など無い。

 エリスの警戒は正しかった。

 コイツ、不審者だな?

 

 

「あなたは?」

 

「オルステッドだ」

 

 

 オルステッド……。

 どこかで聞き覚えがあるが……。

 うーん、誰だっけ?

 

 

「お前を探していたぞ」

 

「なぜ、私を探す必要があるんですか?」

 

 

 会話からオルステッド某の真意を引き出そうと試みる。

 

 

「お前に興味があるからだ」

 

「えぇ……?」

 

 

 なに、コイツ。

 ロリコンか何かですか?

 

 

「これまで──お前のような人間には会ったことなど無かった」

 

「いや、初対面ですし当然かと」

 

 

 何が言いたいのやら。

 

 

「少し質問をさせてもらう。いいな?」

 

「嫌ですと言ったら?」

 

「答えろ……」

 

 

 不機嫌そうな顔つきにしては、抑揚の無い声で恫喝される。

 

 

「まずお前の両親はパウロ・グレイラット、並びにゼニス・グレイラットで相違あるまいな?」

 

「個人情報です……。その質問には答えかねます」

 

 

 下手に回答はすまい。

 ヤバい奴であることは明白。

 変に情報を与えては、俺だけではなく家族にも被害が及びかねん。

 

 

「質問を変える。お前は何者だ……」

 

「ご存知の通りルーディア・グレイラットですが? 私のこと、調べたんですよね?」

 

 

 俺の名前を初見で言ってみせたのだ。

 身辺調査は済ませてあるのだろう。

 これでも俺はアスラ王国じゃ有名な人間だ。

 魔術の才能の非凡さが悪目立ちし、顔と名前が広く知れ渡っている。

 

 もっと俺個人の人柄だとか趣味だとか、そういった情報を求めるロリコンさんも数多くいる事だろう。

 何せ可愛いからな、俺は。

 

 

「パウロの子にルーディアなど存在しなかった筈。だが、お前はこうして生まれてきている。何故だ?」

 

「いや、意味が解らないのですが……」

 

 

 支離滅裂だ。

 思考回路が破綻しているのか、無茶苦茶な事しか言わない。

 気でも触れているのだろうか。

 

 

「ルイジェルド・スペルディア──エリス・ボレアス・グレイラット──エリナリーゼ・ドラゴンロード──タルハンド──妙な取り合わせだ」

 

 

「なぜ俺たちの名前を知っているッ!」

 

 

 口々に疑問を唱える中、ルイジェルドが代表してオルステッドとやらに問い詰める。

 微動だにせず、淡々とした口調で返答する。

 

 

「答える義理は無い」

 

 

 俺には質問に答えろと脅しておいてこの物言いだ。

 無礼な振る舞いをここまでくれば清々しい。

 

 

「さて、ルーディア・グレイラットよ。俺達に同行を願おうか」

 

「いや、そんな要求、聞き入れられませんよ!」

 

「ただ身体を調べるだけだ」

 

「変態じゃないですかっ!」

 

「俺は変態ではない」

 

 

 なんだこの男はっ……!

 美少女の体目的の真性の変態か?

 

 

「消えろ……。この子には手を出させんっ……!」

 

 

 オルステッドへ槍を突きつけながらルイジェルドは、俺を背に庇う。

 

 

 

「早く居なくならないと斬るわよっ……!」

 

 

 恐怖心に堪えながら、エリスは俺に目を配る。

 鞘から抜かれた剣がヤツを間合いに捉えていた。

 

 

「ゼニスの子はわたくし達が護りますわ!」

 

 

 エストックを構え、敵に立ち向かう姿勢を取るエリナリーゼ。

 冷えきった外気に包まれながらも、冷や汗を垂らしていた。

 

 

「立ち去れ……。さもなくば、わしらは本気でお主を殺すぞ?」

 

 

 逆らえば警告ではなくなる。

 魔術発動を控えたタルハンドからは、そんな強い意志がひしひしと伝わってくる。

 

 猛口撃を受けたオルステッドは、深く溜め息をついた。

 呆れているのか、一方的に嫌悪される事を嘆いているのか。

 変化に乏しい厳めしい顔からは窺い知れない。

 

 

「お前達に怪我をさせたくはない。この際だ。変態でも構わん。ルーディア・グレイラットよ。付いてこい」

 

 

 いや、変態相手だからこそ拒否したんだって!

 問題を履き違えてらっしゃるよ、この方は。

 

 

「お断りします──」

 

「荒事は避けたかったのだがな。やむを得んか……」

 

 

 言葉尻は消え入りそうで、しかし確固たる行動の原動力を匂わせた。

 訝しみ、予見眼を発動させておく。

 

 

【オルステッドは俺に掌打を放ち、気絶させる】

 

【オルステッドは俺の肺を潰し、魔術詠唱の阻害を図る】

 

【オルステッドは俺の心臓を貫き、殺害に及ぶ】

 

【オルステッドは────】

 

【オルステッドは………………】

 

【オルステッドは????】

 

 

 攻撃だ。

 だが──分岐が多すぎて読めないっ……!

 奴の姿がブレて幾重にも像が連なって見える。

 殺されるのか?

 それとも気紛れで生かされるのか?

 わからない、解らないっ……!

 

 オルステッドの攻め手を察知したルイジェルドが、俺を突き飛ばす。

 錐揉みしながら倒れ込みそうになるも、エリスが抱き止めてくれた。

 

 直後、ルイジェルドとオルステッドの間で衝撃波が発生する。

 轟音と火花が散り、矛同士の衝突が起きた事実を知らせる。

 

 三叉槍と貫手──。

 は?

 オルステッドの奴、素手で槍と打ち合っただと?

 

 

「邪魔立てするか、ルイジェルド・スペルディアよ」

 

「貴様は何がしたいっ……! ルーディアをつけ狙う動機は何だっ……」

 

「調べねばならん。この娘には不確定要素が多い。生かすにしろ殺すにしろ、1度持ち帰る必要がある」

 

「わけが解らんぞっ……!」

 

 

 つばぜり合う槍と、恐らくは闘気の纏われた素手が弾け飛ぶ。

 ルイジェルドは激しい振動に後退り、オルステッドはその場に留まり続ける。

 同じ状況下で二者に生じた差。

 理由は不明だが、戦士としての格の違いを見せつけられる。

 

 

「ルーディアを連れて逃げろっ……!」

 

「でもっ!」

 

 

 エリスが躊躇いの声を上げる。

 

 

「後で追いつく……! 生き残ることだけを考えろ!」

 

 

 戦士の叫び。

 戦闘眼から導き出された判断が逃げの一手。

 これにもさしものエリスも従う意思を固められる。

 

 

「絶対に合流しなさいよねっ!」

 

 

 エリスが俺の手を引いて、来た道を引き返す。

 その後方をエリナリーゼとタルハンドが警護を担う。

 

 

「ちょ、ルイジェルドさんを置いていくんですかっ!」

 

 

 迷う。

 ルイジェルドは仲間だ。

 大切な兄貴分なのだ。

 そんな彼を捨て石にするなど、断じて許されない。

 

 だが……アレには勝てない。

 あの歴戦の勇士が取り乱しながら絶叫するのだ。

 この場から退散しなければ、殺されるか連れ去られるか……。

 俺の一存では判断を覆せない。

 しかし──そんな迷いも一瞬にして砕かれる。

 悪い意味でだ……。

 

 

「逃がさん」

 

 

 その一言が絶望の始まり。

 オルステッドの身体が雪の上を駆け抜ける。

 ルイジェルドの警戒網を突破し、俺達の目前へと躍り出た。

 逃げ道を塞がれる。

 

 

「な、なによっ! やる気なのっ!」

 

「邪魔だ」

 

 

 斬りかかるエリス。

 刀身が容赦の無い斬撃を放つ。

 当たれば死。

 咄嗟の一撃は光の太刀であった。

 

 

 

「遅いな」

 

 

 剣先が受け止めれる。

 奴の素手が摘まんでいたのだ。

 グッと力を込めるエリスだが、びくともしない。

 直後、切っ先を掴むオルステッドが、エリスごと剣を放り投げる。

 

 岩壁に叩きつけられたエリスは吐血し、そのまま意識を落とす。

 おいおい、マジかよ……。

 彼女は剣聖クラスの実力者だぞ?

 文字通り片手間で片付けたというのか……?

 

 

「よくもエリスをっ……!」

 

 

 爆発的な加速を得て、距離を詰めるルイジェルド。

 その穂先がオルステッドの首を穿たんと走る。

 背後を突かれたオルステッドだったが、振り返りもせずに片手を頭の後ろに回し──穂先をいなした。

 

 狙いを失った槍はあらぬ方向に空振りをかます。

 隙の生じたルイジェルドは、思い切って槍を手放して大きく後退する。

 追撃は来なかった。

 距離を取った事が幸いしたらしい。

 

 

「さすがの判断だ。やはり貴様は強い」

 

 

 称賛するオルステッド。

 だが、その褒めた相手すらも技量で勝るこの男の底が知れない。

 正直、この男が怖い……。

 

 

「だが俺には勝てん」

 

 

 発言後、その言葉の意味の一端を理解させられる。

 奴がルイジェルドの方へ目掛けて槍を蹴飛ばしたかと思えば、後追いで拳を打ち込む。

 

 槍を掴み取ったルイジェルド。

 が、その瞬間を見計らうように狙いすましたオルステッドの拳が襲う。

 構えるよりも前の強襲。

 意図的に生み出された行動の切れ目。

 即座に回避行動へ移行するも──。

 

 

「無駄だ」

 

 

 拳が消えた。

 いや……違う!

 動体視力を置き去りにするほどの速度で、拳打ちがルイジェルドの鳩尾へと吸い込まれたんだ!

 

 

「……がはっ!」

 

「ん? これでも意識を保つとはな。大した気力だ」

 

 

 ルイジェルドは倒れない。

 踏ん張りにより、攻撃をもちこたえて槍を握り締める。

 そして一合、二合と繰り出される槍の猛攻。

 いずれもオルステッドの徒手空拳で防がれ、その上、間隙を縫うように手刀の雨をルイジェルドに降らせる。

 

 蓄積するダメージ。

 口から溢れだす血液が、負傷の度合いを表している。

 不味い、ヤバい。

 あのルイジェルドが、追い詰められている。

 見ているだけじゃ駄目だ。

 加勢しなければ!

 

 昏睡(デッドスリープ)じゃ……力不足だ。

 意識を奪うのでは軽すぎる。

 あの化け物染みた男には殺す気で掛からなければ通用しない。

 

 そして選んだ。

 俺の持ち得る最強の魔術を。

 

 

「ルイジェルドさん! 撃ちます、避けて!」

 

 

 何を撃つかなど言うまでもなく伝わった筈だ。

 死にかけの表情をしたルイジェルドは、頷きこそしなかったが、オルステッドから離れる。

 よし、これで巻き込まずに済む。

 

 そして放つ。

 傲慢なる水竜王(アクアハーティア)へ刹那の内に魔力を充填して射出された水弾(ウォーターボール)

 空気を切り裂く鋭さを伴って、男の下へ到達する。

 

 

「驚いたな、無詠唱魔術とは。それも『乱魔(ディスタブ・マジック)』を使う間もなく放つとは」

 

 

 虚を突かれた口振り。

 しかして──手の平から衝撃波が飛び出し、相殺される。

 アレは魔術なのか……?

 いずれにせよ俺の渾身の攻撃は不発に終わる。

 

 

 

「速度だけならラプラス並か。いいや、魔力量といい威力といい奴を超える素質が感じられる。だが、人族の身では理合の壁は超えられまい」

 

 

 易々と防いでおきながら、それなりの評価を下す。

 そんな事はどうでもいい。

 頼むから、消えてくれ──。

 

 

「時間の無駄だ。これで決める」

 

 

 宣告だ。

 奴は勝負を決めようと駆け足気味になる。

 ルイジェルドへと手刀が飛ぶ。

 槍先を叩き込み抵抗するも……ことごとくが被弾にまで至らず、無手のオルステッドに阻まれる。

 槍の連打は届かない。

 連撃は疲労を重ね、徐々にルイジェルドの動きを鈍らせていく。

 やがて攻撃の手数の差が開く。

 オルステッドは猛然と攻勢を強め、一打、二打とこれまでの比ではない高威力の貫手を浴びせた。

 仕留めの一撃は頭部へ。

 そこでルイジェルドは事切れたかのように倒れ伏す。

 

 

「うそ! あのルイジェルドがやられましたのっ!」

 

 

 エリナリーゼの困惑声。

 言いながらも、俺を守るように前へと踏み出す。

 

 

「殺してはいない。この男にはまだ役割がある」

 

「殺さなければ良いというわけではありませんわ!」

 

「使徒でないのなら、お前もタルハンドも殺さん」

 

 

 使徒?

 なんのことだ……。

 疑問は深まるばかり。

 この男の目的があやふやだ。

 

 

「倒れろ」

 

 

 オルステッドはポツリと囁くように漏らす。

 程なくして、彼の姿が目の前から掻き消える。

 違う、エリナリーゼの視界の外へと瞬間移動していた。

 魔術なのか特殊な体術なのか、判別はつかん。

 けれど確かなのは一つ。

 この敵は、これまで出会った者の中でも一際強い奴であると。

 以前、魔大陸に居た頃にヒトガミの話していた男こそが、オルステッドなのだ。

 すなわち倒すべき敵だ……。

 

 眼前ではエリナリーゼの身体が横たわっていた。

 何をされたのかは眼で捉えきれず、理解が及ばない。

 

 

「ルーディア! わしが時間を稼ぐ! 逃げろ!」

 

 

 タルハンドが叫ぶ。

 背に俺の姿を隠す様に位置取り、攻撃魔術の詠唱を開始する。

 しかし、一向に魔術は形を成さない。

 なにゆえか……?

 

 

「ルーディアより遅いな。お前では壁にすらならん」

 

 

 タルハンドが血を吐いて意識を喪失する。

 不可視の攻撃。

 手刀の一発でも叩き込まれたか、タルハンドの身は軽々と吹き飛ばされる。

 

 

「手間を取らせる……」

 

 

 

 事も無げにオルステッドは独り言をこぼす。

 その瞳が俺を捕まえる。

 身体中に駆け巡る危機感。

 脳内に鳴り響くアラート音。

 この男に対し、太刀打ちなど考えるな。

 ただ逃げろ──。

 

 窮地の中で意識へ指令が下されるも、身体は硬直し動いてくれない。

 恐れる心が全ての行動を縛り付けていた。

 唯一取れた行動は、魔眼による未来の観測。

 

 ヴィジョンを右目を通して認識する。

 生存が半分、死が半分。

 その死因は膨大。

 奴の手管一つで左右される人生の継続か終焉。

 

 そして俺はオルステッドを相手に──たったひとりの最終決戦を挑む。



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50話 ターニングポイント2 後編

 腰を抜かす俺を見下ろす長身の男オルステッド。

 俺を殺すつもりなのか、生かしておくのか、その心算は計れない。

 

 

「無用な抵抗をしないのであれば穏便に済ませよう。さて、お前はどう選択する……」

 

 

 決まっている。

 この男は殺さねばいけない。

 ヒトガミの言葉が正しければ、オルステッドさえ倒せば、俺は父親との再会が叶うのだ。

 そしてこいつは、パウロを痛めつけた存在。

 いわば親の仇。

 死せるとも、ここで掃滅しなければ明日の未来のさえも確約されない。

 いや、死にたくはないが。

 

 

「は……!」

 

 

 手が迫る。

 胸元へ。

 まさかセクハラではあるまい。

 その打撃は決して受けてはならない。

 後方へ下がる。

 脚が動かなければ、魔術で。

 風魔術で強引に身体を後ろへと下げた。

 奴め、まだ本気を出してはいなかったのだろう。

 あっさりと回避を許した。

 

 

「……ふむ。考えたな」

 

 

 評するオルステッドを尻目に、必死に活路を模索する。

 倒せ、いや、逃げろ、でも……倒せ。

 グルグルと回る思考。

 明確な答えは出ずとも、抵抗を続ける。

 

 

「ナナホシよ、下がっていろ。この娘、存外にやるようだ。巻き添えを受けたくはあるまい」

 

 

 彼が同行者へと忠告する。

 

 

「その……。そんな小さな女の子をどうすつもりなのよ?」

 

 

 仮面の女は困惑気味にオルステッドへ質問した。

 

 

「イレギュラーな人間だ。俺の気の済むまで調べる」

 

 

 俺のいったいどんな要素が例外的なのか……。

 実験台とでも思っているらしく、その扱い方は雑なものだ。

 

 

「殺してはダメよ……。可哀想でしょ?」

 

「こいつ次第だ。それに、パウロの件もある。一定の配慮はする」

 

 

 やはりパウロを知っている?

 そうか、間違いないようだ。

 この男が3年前にパウロを潰した人間なのだ。

 いや、そもそもこいつは何者だ?

 種族は?

 年齢は?

 

 

「ではいくぞ」

 

 

 来ないでくれ。

 だが男は止まらない。

 俺を捕まえるべく、その手が接近する。

 1度確保した距離は瞬く間にふいにされる。

 

 その掌底が俺の胸部へと押し当てられた。

 接触の瞬間、奴の手で乳房が押し込まれ、圧で沈む感覚が巡る。

 パイタッチ──なんて生易しいものではない。

 揉まれるだけであったなら、どれだけ幸せであったことか……。

 

 やがて訪れる苦痛の時。

 衝撃が体内で弾けた。

 肺がズタズタに引き裂かれ、気道に血液が込み上げる。

 

 

「ごふっ……」

 

 

 口から噴き出す多量の血。

 致死量には達せずとも、重傷は免れない様相。

 けれど自動治癒(オートヒーリング)の発動が、肉体の復帰を促す。

 

 

「即時回復──治癒魔術の応用か? 無詠唱魔術の類いではあるようだが……さて」

 

「はぁはぁ……」

 

 

 息遣いが荒くなる。

 分析をする男の声など、ろくに頭へ入ってこなかった。

 

 

「まだ何か隠し持っているのか? 見せてみろ」

 

 

 余裕だな、この野郎……。

 こっちは死ぬ思いでやっているというのに。

 

 座標指定魔術でオルステッドの全方位を囲むように魔術を生成する。

 思い浮かべるのは爆発。

 純粋魔力による炸裂弾で包囲を固めた。

 

 だがしかし、奴が手をかざすと、たちどころに魔力弾は霧散する。

 順に極めて冷静に処理するオルステッド。

 容易く俺の戦術は封じ込められた。

 

 

「なんだ今のは……!」

 

「『乱魔(ディスタブ・マジック)』と──俺はそう呼ぶ」

 

 

 ここにきて、はじめてまともな会話が成立する。

 嬉しくない朗報だ。

 

 

「今のは肝を冷やされた。手を介さずに魔術の発動とはな。両腕を切り落としたところで、お前から魔術を奪えんか」

 

 

 腕を切るつもりだったのか?

 物騒な……。

 どのみち俺の誘拐を企てている時点で、尋常な人間ではないだろうが。

 

 予見眼に映る肉薄するオルステッドの身体。

 読めたのはそこまで。

 そこからどのような攻撃が放たれるかは不鮮明。

 

 しかし、何もせずには終われない。

 無駄撃ちになることなど承知の上。

 水弾を連射し、身に迫る脅威の対処とした。

 

 奴は止まる。

 観察するように、視線を水弾へと向けた。

 すぐに決断を下した。

 

 

「これでどうだ?」

 

 

 言葉を終えるや否や、風変わりな窓が顕現する。

 (いにしえ)の工芸職人の意匠なのか、随分と古めかしいデザインの厳かな装飾。

 銀色の表面に龍が纏わりついてる。

 趣味が悪い。

 

 

「開け『前龍門(ぜんりゅうもん)』」

 

 

 水弾に対する盾のつもりなのだろうが、いささか耐久性に不安の残る見た目だ。

 だが、俺の予想に反してソレは激しい吸引力を発揮する。

 魔力のみを対象とした吸い込みは、魔術として完成していた水弾を呑み込む。

 吸収する毎にひび割れる窓枠。

 ピシャリと崩壊の時の近づきを音で知らせる。

 全ての水弾の回収を終えると同時に、窓は粉々に砕け散った。

 

 

「申し分の無い魔力だ。何度も驚愕させられる。やはり使徒か?」

 

「くっ……」

 

 

 使徒ってなんだよ。

 先ほども彼が口に出していた言葉が妙に引っ掛かりを覚える。

 

 

「まあいい。お前を尋問し、その身体を見分さえすれば判明することだ」

 

 

 まだ言うかっ……!

 俺の身体目的なのは不変。

 殺すつもりではないとは安易に決めつけられない、そんな読めぬ不透明さが奴にはあるが……如何に?

 

 

「しかし……。先程より、お前は俺から目を逸らさないな」

 

 

 逸らしたいさ。

 だが目を離せば何をされたものかわからない。

 

 

「只人であれば、視線すら合わせられぬというのにな。お前は稀有な人間だ。その謎を解き明かす必要がある。速やかに投降するのならば命までは獲らん」

 

 

 生かしてどうする?

 犯すつもりか?

 凌辱して子種でも仕込むつもりなのだろうか……。

 

 

「私を孕ませるつもりですか……?」

 

 

 つい口走ってしまう。

 懸念を率直にぶつけた。

 

 

「子を成したところで俺には無意味だ……。それにお前のような小娘に何かしようとも思えん」

 

 

 守備範囲外らしい。

 だが、いずれにせよ狙われている事実に揺るぎはない。

 状況の打破を望む。

 

 

「暴れるな。悪いようにはしない」

 

「あんたを信用できないっ……!」

 

 

 まだヒトガミの方が信頼を寄せられる。

 アイツは性格こそ薄汚いが、不幸な結果だけは生み出さなかった。

 だが眼前に立つこの男はどうか?

 俺の仲間を害し、あまつさえ俺の身柄の拘束を企てている。

 

 歩み寄るオルステッド。

 後退る俺。

 距離は一定に保たれたものの時間の問題。

 

 

「あまり時間を取らせるな。長引く抵抗はお前も辛かろう。苦しむだけだ」

 

「あんたに連れ去られる方が、よっぽど悲惨だ……。頼む、見逃してくれ……」

 

 

 命乞いという奴だろう。

 口を割って出てきたのは懇願であった。

 

 

「ならん。俺はお前を逃がさん。お前自身にも、その特異な体質にも興味が尽きん」

 

 

 関心を惹くらしい俺の肉体。

 言葉では否定こそしているが、この身体をもてあそぶつもりか。

 男の欲望の餌食など御免被る。

 

 

「なにか思い違いをしているようだな。案ずるな、お前の女としての尊厳を辱しめる意図などない」

 

 

 どうだか。

 この男は信用ならん。

 詐欺師染みた胡散臭さこそ感じられないが、散々場を荒らしておいて、その言い分が通じるとは思わないことだ。

 

 

「オルステッド。あなたの発言の数々は、どうかと思うわよ? 変態そのものじゃない。怪しいわね……」

 

 

 ナナホシと呼ばれた女が苦言を呈する。

 

 

「離れていろと言ったが筈だ。しかし、ふむ……。俺は怪しいのか?」

 

 

 自身の言葉の数々を振り返って精査しているのか、顎に手を当てて思案する。

 チャンスだ。

 

 

「何を目論む? まさか俺から逃げ切れるなどとは思うまい」

 

 

 ビクリと肩が跳ねる。

 お見通しってわけか。

 でも硬直は解けてきた。

 今ならば脚も動くし走れる。

 尤も、この男はルイジェルドでさえ、振り切る速度を有しているが。

 俺の走力じゃ追跡を振り切るなんて不可能だ。

 

 さりとて不屈の精神で自身を奮い立たせる。

 震える膝を叩いて、なけなしの勇気へ身を任せた。

 助け船など望めない。

 いまここで戦える者は俺しか居ないのだ。

 俺がやらなければ誰がやる──。

 

 魔力を練り上げる。

 湯水のごとく、惜しむ気持ちなど放り捨てて。

 持ち得る全ての技術・技能を総動員し、敵の排除を決める。

 

 

「ほう、これほどまでとは──」

 

 

 感嘆するオルステッド。

 乱魔(ディスタブ・マジック)という反則的な技で俺の魔術発動の阻止を図ろうとするが、その効果を上回る規模で魔術を一斉展開する。

 先ほどは魔術を搔き消されたが、対抗手段として視界を覆い尽くす量の魔術生成で勝負に出る。

 

 これが俺の底力だ。

 座標指定魔術による広範囲に渡る攻撃魔術の大群。

 この時ばかりは世界を支配する覇者の心持ちで、敵対者に対峙する。

 奴は乱魔(ディスタブ・マジック)の対象を決めかねているのか、突き出した手を右往左往とさ迷わせていた。

 幾らかの魔術を打ち消すと、そこで見切りをつけたのか、行動を終える。

 

 

乱魔(ディスタブ・マジック)の処理能力を超える規模とは。これでは此方の対処も追いつくまい。手を焼かせるものだ」

 

 

 焦りの色は含まれていない。

 ただ面倒ごとに付き合わされているかのような、そんな苦笑を浮かべている。

 

 

「生け捕りのつもりでいたが、加減を誤るかもしれんな」

 

 

 オルステッドが動き出す前よりも早く、中空に浮かぶ魔術の掃射を開始する。

 奴の立ち回りを加味し、後方にも魔術を待機させておく。

 

 

「小賢しい」

 

 

 涼しい顔で背後の魔術を優先して無効化する。

 だが、防御もせずに不用心なことだ。

 少しでも有効な一撃を加えるべく、射撃の勢いを加熱させる。

 

 ひたひたと歩きながら接近するオルステッド。

 着弾の寸前に腕を払い、魔術を散らせる。

 僅かずつだが、歩みを進めている。

 止まらない、止まっちゃくれない……。

 

 近づく怪人。

 物量攻撃など物ともせず。

 もはや彼を押し留める手段など、このひ弱な身にはあるまいと、諦めの境地へと立たされる。

 

 苦し紛れだった──。

 常に身に付けていた剣帯から、パウロより贈られた剣を抜く。

 学んだばかりの北神流の技に倣い、刀剣を投擲する。

 魔術弾に紛れ込む形で、一直線に飛ぶ剣は上手く軌道を描き、オルステッドの顔面を捉えた。

 

 

「北神流の技か。だが──」

 

 

 剣先は人差し指と中指で挟み込まれ、思惑は頓挫する。

 

 

「初級あるいは中級程度の腕前か? ともあれ、魔術一辺倒ではないのだな」

 

 

 剣は放り投げられ、俺の足下を転がった。

 返したつもりらしい。

 回収はしない。

 拾おうと屈んで視線を外した瞬間、致命的な一発を貰うと予感したからだ。

 

 目眩がする。

 何も通じない。

 何も有効打を与えられない。

 尽きぬ困難に胃が締め付けられ、呼吸も忙しくなる。

 

 

「腕を1本戴く──」

 

 

 言葉の意味を一瞬、理解出来なかった。

 さも当然のように軽い語調で彼は言ったのだ。

 猶予は無かった。

 オルステッドの姿が視界から消失する。

 気配は希薄。

 だが真横に立っていた。

 覚悟する間もなく、左腕に焼けるような痛みが奔る。

 視線をくれると……。

 肘から先が消えていた。

 認識した直後に、ことさらに痛みが増す。

 

 

「う、……あぁぁぁぁっ……!」

 

 

 悲鳴──。

 戦いの最中で起きた肉体の欠損。

 切断された左腕の居所を目で探す。

 繋げれば治る筈だ。

 しかし、見当たらない。

 なぜだ……?

 

 

「魔術の発生源までは潰せんが、思考が乱されては発動もままならんだろう」

 

 

 左腕はオルステッドの手にあった。

 再度、瞬間移動染みた速度を以て、数メートル先へと位置を取っていた。

 

 

「腕ならばすぐに繋げてやる。返して欲しくば、俺の言葉に従え」

 

 

 それは脅迫。

 片腕を対価に取引を持ちかけている。

 

 

「そんな腕はくれてやるっ……!」

 

 

 時間は掛かるが、『自己流王級治癒魔術ノーブルヒーリング』を用いれば腕の欠損は再生可能だ。

 ただ問題なのは、この戦況での腕の喪失。

 即座の治癒は有り得ない。

 応急措置として断面をヒーリングで塞ぎ、思考を乱す痛覚を遮断する。

 

 

「腕の喪失を許容し、その上を痛覚を遮断するか……。体質ゆえか、それとも既に王級治癒魔術を修めている?」

 

 

 おおむね合っている。

 だがまだまだ未熟なもので、擬似的な王級治癒魔術止まりだ。

 

 さて、状況は仕切り直しだ。

 ここまで長引く戦闘はこれまでに経験のないこと。

 心身ともに積もる疲労。

 でも敵は待ってくれない。

 その気になれば瞬殺も可能だろうに、生け捕りにこだわるその方針に、微かな光明を見出だす。

 

 なぜかコイツは俺の手の内をつぶさに観察しようという節が見受けられる。

 つまり俺に隠し玉が残されている間は、既に倒された面々に対してのように峰打ちには及ばないと見る。

 そこが奴の弱点であり、時間稼ぎ程度ならば望めるわけか。

 まったく、ナメられたもんだ。

 お陰で命拾いしてるけど。

 

 

「次はどう出るのか見物だ」

 

 

 様子見は続くか。

 いいだろう、精々そうやって手を抜いていろ。

 その油断があんたに手酷い被害を及ぼす。

 

 風魔術を活用する。

 強風が吹きつけていた。

 渓谷に吹き荒れるものではない。

 俺が死に物狂いで魔力を制御し、大気の動きを操っているのだ。

 支配権を得た俺は、奴の侵攻を阻む気概で殺傷力さえ付与された風を殺到させる。

 風圧は倒れる仲間達を巻き込みかねない。

 ゆえに風の制御を引き続き行いつつ、土砦(アースフォートレス)で、ドーム状に包み込み保護を図る。

 並行してあらゆる攻撃魔術を放ち続けた。

 目立った効果は確認出来ない。

 

 けれど多重無詠唱魔術──試した事は無かったが、苦境の中でのぶっつけ本番に成功した。

 

 

「凄まじい風圧だ。それにこの魔術の多彩さ。たとえ使徒だとしても利用価値はあるか」

 

 

 風音に紛れてオルステッドの声は聞き取りづらい。

 だが、不思議と感覚が研ぎ澄まされ、奴の機微ひとつにも過剰なまでに敏感になっていた。

 死線の中で俺の急成長が促されているような感覚。

 神域にあるであろう男との交戦は、俺に思わぬ天恵をもたらす。

 

 きっとパウロもこの男との戦闘で、後々に絶大な力を持つに至ったのだろう。

 ここまでの強さと尋常ならざる風格から連想し、導き出される答えはひとつ。

 コイツは七大列強二位──龍神オルステッドだ。

 

 愕然とした。

 その強大さに。

 呆然とした。

 その無情さに。

 

 でも目の前に居る。

 現実逃避しても状況は悪化するばかり。

 意を決して継戦する。

 

 オルステッドは足取りを止めること無く、力強い一歩を重ねて距離を詰めてくる。

 鷹のように鋭い眼は、静かに俺の能力を観察し続けていた。

 

 

「パウロの子にこのような才能があったとはな。それはそれとして、奴への手土産になりそうだ。娘との再会が叶えば、奴も聞く耳くらいは持つだろう」

 

 

 彼の中でどんな判断が下されたのかはわからない。

 ここでパウロの名前が出たからには、何かしらの奸計を巡らせているのだろうか。

 

 

「訊こう、ルーディア・グレイラットよ。お前は人神(ヒトガミ)の使徒か? 返答次第では俺もどう出るか解らんぞ」

 

 

 彼は俺を使徒とやらであると確信を持っているようだ。

 その上で、再確認しているらしい。

 

 

「使徒が何なのかは解らないっ……! けど、あんたも人神(ヒトガミ)を知っているのかっ……!」

 

 

 咄嗟に返す。

 

 

「使徒の自覚は無しか……。人神(ヒトガミ)に何を囁かれた? お前は奴から何を与えられた?」

 

 

 どうしてこの男はヒトガミに固執する?

 いや、アイツは言っていた。

 明言は避けていたが、龍神オルステッドは悪人であると。

 つまり敵対しているのだ。

 人神と龍神──。

 神々の抗争に俺は不覚にも飛び込んでしまったらしい。

 

 こんな話、聞いちゃいない。

 ヒトガミの奴、なぜ助言しなかった?

 しかし……、アイツの目にも映らない存在も居るのだと話していたような気がする。

 龍神はヒトガミの目を欺く。

 なるほど、敵対者として厄介極まりない。

 

 

「あんたに話すことはないっ……。頼むから消えてくれ……。()が望むのはそれだけだ……」

 

「……ふむ。聞く耳を持たんか。ならば実力行使しかあるまい」

 

 

 俺も奴も、もはや交渉のテーブルに着く考えは無い。

 お互いに意見が通らないのであれば、力ずくで事に応じるだけだ。

 

 オルステッドの侵攻に合わせて、周囲へ魔力による爆発を引き起こす。

 爆音と熱風が奴の身を呑み込んだ。

 だが、無傷。

 体表に煤が生じてこそいるが、効いている様子は見受けられない。

 阻むことすら思い通りにならない。

 龍神の纏う闘気というのは特別仕様なのか。

 高い防御力を検証するに留まる。

 その脅威性を再確認した。

 絶望は増す一方。

 

 

「もう終わりか? ならば俺も本腰を入れよう」

 

 

 待って欲しい。

 これまでオルステッドは手を抜いていた。

 だからこそ俺は攻め手に欠けていたとはいえ生き長らえてこられたのだ。

 だが、俺にもう打つ手無しと判断されてしまえば、奴は容赦なく意識を刈り取りにくるだろう。

 そうなればバッドエンドだ。

 奴の手に落ちれば、非人道的な実験の素体としての人生が待ち構えている。

 

 

「お前なんかに負けるかっ……」

 

 

 吼える。

 普段の俺であれば萎縮していた。

 けれどパウロに手を出したこの男を、どうしても許せなかったのだ。

 家族にもその手が伸びるかもしれない。

 あのヒトガミでさえ敵視する極悪人。

 別に正義を気取るわけじゃないが、ここが家族を守る正念場。

 立ち向かう意思を確固たるものとする。

 

 

「往生際の悪い奴だ。ラプラス因子にそこまでの胆力など含まれていたか?」

 

 

 ラプラス因子──聞きなれない単語だ。

 いや、他ごとに気を取られるな。

 敵から目を離すな……。

 

 蹴飛ばされる。

 予備動作は目視出来なかった。

 肉体がバラバラになったのではと誤認する。

 原形は保たれている。

 けれど骨が折れた。

 それも自動治癒(オートヒーリング)で治癒する。

 余計な魔力を使わされた。

 

 

「魔力の枯渇も近いだろうに、なぜ粘る……。お前を殺すつもりはないというのに。俺は死に体の小娘をいたぶる趣味など持たん。尤も、歯向かうのであれば子どもとて容赦はしない」

 

 

 指摘の内容は然り。

 身体に力が入らない。

 意識を失う寸前で綱渡り状態。

 薄氷の上にかろうじて立つ、頼りない姿。

 左腕も断たれ、体幹バランスが崩れる。

 

 風の制御を失い、暴風は消え去った。

 オルステッドの前進を止める手立ては無い。

 

 だが……奴の油断は誘えた。

 手負いのルディちゃんは狂暴だ。

 噛みついてやろうか。

 

 残された右手に魔力を束ねる。

 手のひらに集束する魔力の渦。

 闘気とは魔力だ。

 俺は闘気を纏えないが、似た芸当であれば工夫次第で出来なくも無い。

 

 背後に風魔術を発動。

 風圧に押され、身体が宙を舞う。

 推進力を得た身がオルステッドへと特攻を仕掛ける。

 密かに右手の魔力の密度を高め続けた。

 

 

「来るか、パウロの娘よ──」

 

 

 決死の一撃を予測した奴が迎撃態勢を取る。

 このままじゃ、接触する前に撃墜される。

 しかし、こちらにも薄っぺらいながらも策はあった。

 

 死地を駆ける流星と成る──。

 魔力を根こそぎ放出しながら、オルステッドの手から射出される空気の圧を押し切る。

 勢いは殺がれない。

 

 そして右手を突き出し、龍神の鼻先で故意に魔力を暴発させた。

 閃光が起こる。

 爆風もだ。

 自爆覚悟でガード不可のゼロ距離からの爆発。

 発生した衝撃に俺の肌は焦がされる。

 風に巻き上げられた身体は、行き場も定めずに吹き飛んだ。

 

 煙の中に消えた龍神オルステッド──。

 無傷ではないと信じたい。

 これでダメージが通らないのであれば、万策は尽きたということになる。

 縋る気持ちで状況の把握に意識を尖らせた。

 

 やがて煙は晴れた。

 そこにオルステッドは居なかった……。

 どこに消えた──?

 

 殺気が押し寄せる。

 不在の筈の奴の怒気が全身を叩きつける。

 違う、怒りではない。

 単なる苛立ちだ。

 舌打ちが何処より聞こえる。

 その音源は背後から。

 振り返る。

 彼はそこに健在だ。

 微量の血を流していたが、治癒魔術でも発動したのか、傷口自体は見当たらなかった。

 

 

「直撃は免れたが──手傷を負わされたか」

 

 

 どういういったカラクリかは理解の外だ。

 けれど喰らえば深手必至の攻撃を、彼は不完全ながらも回避していた。

 油断もあっただろう。

 つけ入る隙もあっただろう。

 それでも届かなかった。

 俺の覚悟は、龍神オルステッドの前では無力だったのだ。

 

 彼の着込んでいた白いコートが焼け落ちている。

 俺が残せた傷跡は着衣を燃やす程度に過ぎなかった。

 それ以外に攻撃の痕跡は無し。

 

 上半身裸で寒空の下でも平然とした表情の彼は、深く溜め息をついて言葉を発する。

 

 

「説得の余地無しとあれば、ここで殺してしまおうか……。龍滅パウロを配下に加えるつもりでいたのだがな。その交渉材料に使おうにも──お前は危険すぎる」

 

 

 しまった……。

 俺は粘り過ぎたのだ。

 彼の心変わりを招いてしまったようだ。

 当初の目的が何だったのかは知らない。

 それでも命を奪うまではいかなかったのだろう。

 事態は悪い方向へと転じる。

 

 

「死ね──」

 

 

 奴の手が伸びる。

 時間の流れが鈍化し、命の終わりを知覚する。

 一瞬が永遠に引き延ばされ、苦痛の時間が意識を占有した。

 

 

「うあぁぁぁっ……!」

 

 

 その叫び声の出処は俺ではない。

 彼女だ。

 俺の姉だと言い張り、時々甘えてくる可愛らしい女の子──エリス。

 

 いつからは分からないが、意識を取り戻していたのか。

 龍神オルステッドへと立ち向かわんとして、虎視眈々と狙いを定めていたのだ。

 

 敵になり得ないと認識したのか、一瞥だけして大した警戒を払わぬ龍神。

 剣を握り締め、全速力で駆けるエリスに興味すら抱かない。

 

 

「ルーディアから離れろおぉぉぉっ……!」

 

 

 光の太刀は放たれた。

 疾風迅雷の勢いでオルステッドの首へと奔る。

 

 

「……む! 想定より速いな」

 

 

 ある程度は予期していたのか、龍神は滑らかな手練で剣を受け止める。

 手の平で斬撃を流し、勢いは打ち消された。

 うん?

 少し違う。

 衝撃は反転し、エリスの全身へと跳ね返る。

 アレは水神流奥義・流──。

 

 

「あがっ……!」

 

 

 剣を手放し、吹き飛ぶエリス。

 雪の上を何度も回転してから地面を横たわる。

 純白の雪には痛々しい血痕の道。

 

 

「この娘が大事か?」

 

 

 まだ意識を保つエリスへと奴は問うた。

 

 

「私の妹よ……。あんなみたいな下衆に殺されて良い子じゃないわっ……!」

 

「ほう? ルーディア・グレイラットは周りの人間に大切にされているのか──殺す判断は早計だったか」

 

 

 二転三転する考えに、俺たちは振り回される。

 思案顔の龍神が黙すること十数秒。

 

 

「いや、これ以上の様子見は危険だ。やはり、ここで殺していくか」

 

 

 結局、殺処分を決定するのか……。

 

 そして奴は俺の傍へと寄ると──胸を貫いた。

 

 

「が……はっ……」

 

 

 心臓を潰された──。

 見ずとも解る、解ってしまう。

 これは致命傷だ、即死級の貫手だ。

 受けてしまった、避けられなかった。

 血液が滝となって身体から流れ落ちる。

 ドボドボと音を立てて、生命の流出を物語っていた。

 俺の治癒能力じゃカバーしきれない。

 これは死んだ……。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 

 エリスの発狂。

 嘘だろ……。

 俺は死ぬのか……。

 姉の目の前で殺されてしまうのか?

 

 引き抜かれた手。

 ぽっかりと空いた胸の穴。

 前のめりに倒れ、立ち上がる力は微塵も残らなかった。

 失われる一方の身体は骸へと成り果てようとする。

 

 

「嫌あぁぁぁっ……! 死んじゃダメえぇぇぇっ……!ルーディアあぁぁぁっ……!」

 

 

 くそっ……俺はまだ死ねない。

 俺が死ねば泣いて悲しむ人がいるのだ。

 たとえば目の前の彼女だ。

 あの子だけは何としても守ると誓った。

 なのに俺は、無責任にもくたばって置いていくつもりか?

 

 

「不可解な……。確かに心臓は潰した」

 

 

 オルステッドが妙な事を言う。

 

 

「これでも死なんとは……。何者なのだ、貴様は──?」

 

 

 それは俺に向けての言葉か。

 判別はつかない。

 気が付けば俺は自分の足で立っていた。

 朦朧とする意識の中、誰かに支えられるでもなくだ。

 僅かばかりの魔力を感じられるが、それでも命を繋ぐ根拠としては薄い。

 

 

「…………がはっ」

 

 

 気道に溜まった血を吐く。

 呼吸は乱れ、視界も霞が掛かっている。

 胸の穴は塞がっていた。

 着衣の胸元辺りが破れている事から、殺されかけた光景は幻覚ではあるまい。

 満身創痍である事実は覆らないが。

 

 

「心臓の再生……? あり得ん。不死魔族でもあるまいだろうに」

 

 

 

 龍神の顔色が変わった。

 驚愕に目を見開き、当惑している。

 ザマァみやがれ、あんたの度肝を抜いてやったぞ。

 

 

「ナナホシ。この者をどう思う?」

 

 

 闘いは決したのだと、そう早とちりしたナナホシが、オルステッドの傍らに立つ。

 

 

「あ、あなたが私に意見を求めるなんて珍しい……」

 

 

 たったいま凶行に走った男に恐れをなしているのか、目を背けながら話すナナホシ。

 

 

「この子が何なのかは解らないわ。でも殺すのは……」

 

 

 龍神オルステッドは人でなしだ。

 だが、人族と思われるナナホシとやらには、人の情というものが備わっていた。

 

 

「お前はこの娘を殺すべきではないと?」

 

「当たり前でしょ。この子が強情なのは、あくまでも自衛の為だと思うのだけれど。あなたは口下手だから、人の誤解を招きやすいのよ」

 

「耳の痛い話だ。だが、俺としても前例の無い事態に処断を決めかねている。であれば、ナナホシ。この娘を生かしたまま連れていく。お前が世話を見てやれ」

 

 

 好き勝手話し合う奴らの言葉の数々。

 ぼんやりとした思考では、内容の半分も理解できない。

 ただ解釈はした。

 どうやら俺は、ナナホシのお陰で命拾いしたのだと。

 

 立っているだけで精一杯の俺は、直後に訪れた龍神の一打に反応が遅れた。

 鳩尾に一発、拳を受けただけで、すんなりと意識を手放す。

 消える意識の間際、地面を這いつくばり、手を伸ばしながら泣くエリスの顔が見えた──。

 

 くそっ……人生で何度目の誘拐だよ。

 

 

 

 

 

─エリス視点─

 

 妹が殺される。

 真っ先に感じた恐怖心に、エリス・ボレアス・グレイラットは激情に駆られて軋む身体を押す。

 光の太刀は鮮やかな手捌きであしらわれた。

 態度そのものはぞんざいな物であったが。

 

 再び刃を向けんとして、手放した剣を探す。

 地面を転がり、拾いに行くにはやや遠い。

 されど四の五の言う暇は無い。

 次の動作に移ろうとした矢先、ルーディアの胸が貫かれた。

 

 絶叫する。

 手の届く距離に自分は居ながらにして、最愛の妹──そして婚約者を殺されたのだから。

 

 が、予想に反してルーディアは自力で息を吹き返した。

 常々、妹の治癒魔術の腕前の高さや、治癒体質には目を見張るものがあると思ったいたが、この土壇場でその異常性を刮目した。

 

 ましてその足でふらつきながらも立ち上がったのだ。

 そうだ、妹は強い。

 オルステッドと名乗った男にも引けを取らない。

 確信は自信に変わり、自分も加勢に走らんと這いつくばりながらも剣を握り、ルーディアの下へと向かう。

 

 不意に妹がオルステッドの拳を受けて気絶してしまう。

 まずいっ……!

 その思いから泣きながら手を伸ばし、連れ去られようとする妹の身を求めた。

 けれど奴は、ルーディアを腕に抱えると踵を返して、何処へと去ろうとする。

 

 

「ま、……ちなさ……、い……よ……」

 

 

 絞り出した声で呼び止める。

 

 

「ルーディアはっ……私の妹なの、……よ……返しなさいよ」

 

 

 龍神は立ち止まった。

 この世の悪を凝縮したような殺気と悪意に満ちた男。

 世界滅亡を目論む悪の親玉と言われたら、何の疑いもなく信じるであろう姿かたち。

 そんな異形が妹を(かどわ)かすというのだ。

 妹は無事では済まされない。

 火を見るより明らかだ。

 

 

「大事な者だったか?」

 

 

 なんて風に意外そうな声色で聞いてくる。

 聞くまでの事でもない。

 ルーディアはエリスの全てだ。

 かつて誰の手にもつけられなかった乱暴な自分に、人としての生き方を示してくれた。

 道に迷えば手を引いて導いてもくれたのだ。

 

 大事な人だ。

 大好きな人だ。

 愛している。

 たとえ女の子同士でも、この感情に嘘はつけない。

 だからルーディアを欲した。

 守りたいのだと、どの願いよりも優先して叶えたいのだと思ったのだ。

 

 それなのにこの状況はなんだ?

 妹を守るどころか、守られた。

 ルーディアが抵抗したから、エリスは敵に見逃されたのだ。

 無様に地を這いつくばり、見苦しくも言葉を吐く事しか出来ない。

 守るべき者に守られてどうするというのか……。

 

 

「アスラ王国フィットア領にて待つ──」

 

 

 唐突に龍神は語る。

 何を企むのか。

 

 

「俺とて本意ではない。用が済めば返そう」

 

 

 どこまでが真実か。

 用というのは何であろうか。

 返すというのはルーディアの身柄か。

 

 

「行くぞ、ナナホシ。ルーディアを調べ、その後パウロへと軍門に降ることを条件に引き渡す」

 

「え、ええ……。ホントに殺しちゃダメよ?」

 

「くどい。もう殺しはせん」

 

「そう、それなら良いけど。ごめんなさいね、そこの貴女。この子のことは、私が責任を持って世話を見るから」

 

 

 ナナホシの声は優しげだ。

 けれど、もう一方の男の存在が安心感などを打ち消す。

 安堵はできない。

 

 

「ま、っ……て……」

 

 

 待たなかった。

 龍神オルステッドはルーディアを腕に抱きながら、アスラ王国の位置する方角へと消える──。

 

 残されたエリスは喉が張り裂けるまで慟哭し、ルーディアの喪失を前に己の弱さを憎悪した。



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51話 仮面の少女ナナホシ

 夢を見ているのだろう。

 自覚した時点で、これが明晰夢というやつだと理解する。

 現実味に欠けていて、理想のみを凝縮した世界。

 都合の良い幸せが転がっていて、疑う事すら惜しくなる。

 現実なんていう無情さに溢れる辛い世界から、ずっと目を逸らし続けていたい。

 目覚めれば待ち受けている試練を恐れて、甘えた意識から、そのまま寝入ってしまいたい。

 

 今回は──ヒトガミのヤツは現れなかった。

 人生観を変える程のアクシデントに見舞われたってのに薄情なもんだ。

 こんな惨めで可哀想な俺に見向きもしないとは……。

 それはまあいいか──。

 

 夢の世界での俺は──。

 ブエナ村で平穏な日々を送っていた。

 

 パウロ、ゼニスという両親の下でのびのびと育ち、リーリャというもう一人の母親に生活の世話を見てもらっている。

 妹のノルンとアイシャと遊んでやって、お姉ちゃんと慕われる。

 

 幼馴染みのシルフィに魔術を教え、弟子を鍛える俺の姿。

 親戚のボレアス家の人達が村を訪れる。

 サウロス、フィリップ、ヒルダ、エリオット。

 そして義姉のエリス。

 彼女の傍にはギレーヌも居た。

 剣術の稽古をつけてやると張り切っている様子。 

 

 俺とエリスが剣を振るっていると、興味津々のシルフィが加わる。

 遠巻きに見ていたロキシーも、ウズウズした様子で近寄ってきた。

 仲間に入れてあげよう。

 

 ルイジェルドもいつの間にか参加し、ギレーヌと模擬戦闘を繰り広げる。

 それを眺めるギースとエリナリーゼとタルハンド。

 

 クレアお祖母さんとテレーズ叔母さんも居た。

 ミリスから遠路はるばる来てくれたらしい。

 ありがたいことだ。 

 

 トーナとテルセナもはしゃいだ様子で、手を叩きながら観戦中。

 

 娘にカッコいい姿を見せつけんと、パウロも参戦。

 あのギレーヌとルイジェルドを、一人でまとめて倒してしまう。

 龍滅パウロの真価を見た。

 強き夫に惚れ直すゼニス。

 俺もまた、父親の勇姿に惚れ込み、剣の才能など無いのに指導をあおぐ。 

 

 いい気になったパウロは喜び勇んで、手取り足取り剣を教えてくれる。

 そんな父親に俺は屈託の無い笑顔を向ける。

 

 あぁ、何もかもが幸せな世界だ。

 ずっとここで暮らしていたい。

 何も失わずに済む空間。

 嫌な事なんて何一つ無い。

 誰も泣かず、誰もが笑う優しい世界。

 

 でもこれは所詮──夢だった。

 

 

──

 

 

 目が覚める。

 ゆっくりと瞼を上げていく。

 陽光が眩しく、せっかく開いた瞳を閉じてしまう。

 明かりに慣れるまで、しばしの辛抱。

 

 明瞭となった意識で思う。

 夢心地から一転、最悪の気分だ。

 意識を失う直前の記憶が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 

 俺はたしか……龍神オルステッドに敗北を喫したのだ。

 一度は胸を貫かれ、心臓を潰されてしまう。

 死んだ筈なのに死の淵から甦って再び立ち上がった。

 しかし、それでも呆気なく終わる。

 意識を奪われ、泣く姉を置き去りにして悲しませてしまった。

 くそっ……。

 

 それに──アスラ王国を目前として俺は敵の手に落ちてしまった。

 故郷にも帰れず、エリスを送り届けられず、何も成し遂げられない無力感。

 今度こそ、この世界で本気を出すのだと意気込んだ結果がこれでは、何の為に生まれてきたのか。

 生きる意味を見失ってしまう。

 

 

「目を覚ましたか──?」

 

「ひっ……!」

 

 

 平坦な声が呼び掛けてきた。

 その声を決して忘れない。

 俺を一度殺した男のものだ。

 また殺される……!

 そんな危機感から逃走を図ろうとするが、身体を苛む脱力感に阻害される。

 

 そして気づく。

 視界に飛び込む景色に。

 銀髪だ。

 人族には存在しない輝くような色彩。

 目の前にオルステッドの後頭部がある。

 つまり自分を殺した存在に背負われているのだ。

 

 逞しい背中から伝わってくる温もり。

 だけど安寧など感じられない。

 命を脅かされる物恐ろしさを直に体感する。

 悪魔から逃れたい一心で身をよじり、龍神の背中から飛び降りる。

 着地らしい着地は出来なかった。

 肩から地面へと落下して、衝撃と痛みに表情が歪む。

 

 

「いっ……」

 

 

 地を這う蟻のような矮小な俺。

 巨象が俺を踏み潰さんと標的に定める。

 いや、彼の目は憐れみだ。

 生かすも殺すも彼の手の平の上の些末な出来事。

 

 

()を殺すのか……?」

 

「お前は殺されたいのか……?」

 

 

 誰が死にたいもんか。

 パウロに会えないままじゃ、俺の魂は浮かばれない。

 

 

「誰かっ……! 助けてっ……!」

 

 

 恐怖する。

 先の遭遇戦の折、アドレナリンの分泌に伴い、恐怖心に打ち勝って反抗の意思に燃えた。

 だが事が過ぎれば熱を帯びた身体は冷えきり、容易く戦意は手折られる。

 今の俺は見た目どおりの小娘でしかない。

 触れれば折れてしまう繊細さがある。

 華奢で可愛らしいだけの女の子。

 

 身体の自由が利かない。

 魔力枯渇を起こしたがゆえか。

 体力の消耗も激しい。

 

 

「父さまっ……。助けてっ……」

 

 

 腹這いになって地面を遅々として進む。

 オルステッドは追ってこない。

 ただ俺の成り行きを見守るばかり。

 なんだ?

 殺す価値すら無い虫ケラとでも言いたげな顔をしてやがる。 

 視線を彷徨わせると、こちらの顔を覗き込む仮面の女ナナホシを発見する。

 

 お前も俺を蔑むのか?

 泣きたくなる。

 というか涙が零れ出してきた。

 戦う力すら残されていない非力な柔な肉体。

 捕まれば蹂躙される。

 

 

「落ち着け。もうお前は殺さん」

 

「来るなっ……。近づいたらあんたを殺すっ……!」

 

 

 弱いくせに吠える俺の姿は、さぞ滑稽に映ったことだろう。

 もはや神頼みしか手は残されちゃいない。

 

 

「神様助けてっ……。ヒトガミ、俺を助けてくれっ……」

 

 

 ヒトガミでも構わない。

 俺をこの死神から守ってくれるのなら、魂だって売ってやる。

 

 

「その名を口にするなっ……。虫酸が走る──」

 

 

 オルステッドの額に青筋が浮かぶ。

 苦々しい顔で、声には憎悪と殺意が含まれていた。

 あたかも俺に向けられたかのようで……。

 下半身が濡れるのを感じた。

 生暖かくて、それでいて不快。

 失禁をしてしまう。

 

 

「あ、あぁ……ぁぁ……」

 

 

 本気で死ぬと思った。

 殺気に呑み込まれ、生きる希望さえ断ち切られた。

 

 

「ん? 怖がらせたか。許せ、お前に危害を加える気は無い」

 

 

 表情と声は和らいだが──。

 嘘に決まっている。

 信じられるものか。

 だがオルステッドの語り口は、どこか人の感情を探るような慎重さがあった。

 逆に俺は恨み言の一つでも吐きたかったが、恐れの心が強く出てしまい、口を噤ませていた。

 

 

「腕はまだ治すわけにはいかん。治療時期はパウロへ引き渡す直前とする」

 

 

 左腕は失われたまま。

 治癒魔術で復元を……と思ったが、魔力が枯渇している。

 復調まで待つとなれば、月単位の時間を費やす事になる。

 放っておいても、いずれ龍神は俺の腕を治すつもりらしいが。

 

 さて……残された右腕には、見慣れない腕輪がはめられていた。

 魔道具あるいは魔力付与品(マジックアイテム)の類いだろうか。

 ヒトガミの夢のお告げを阻んだのも、この腕輪の効力ゆえか。

 真実はわからない。

 

 

「あなたは何がしたいんだ……」

 

 

 湿った下半身の不快感に堪えながら問い掛ける。

 

 

「お前が知る必要はない。だが、父親とはもうすぐ会える。もう泣くこともあるまい」

 

 

 目に溜まった涙を指で拭い去る。

 それでもじんわりと尚も溢れてきた。

 

 疑心暗鬼になる。

 いや、そもそも悪人の言葉を真面目に受け取るなんて可笑しな話だ。

 そういう輩は都合の良い甘い言葉を囁き、隙を見せたその瞬間に毒牙に掛けてくる。

 油断ならない相手だ。

 惑わされるなよ、俺。

 

 耳に残る言葉があった。

 父親とはもうすぐ会えるだって?

 もしかして既にパウロを殺したのか……。

 すぐに会えるというのも、あの世ですぐに会えるという意味合いか。

 そうとしか解釈のしようがない……。

 俺も後を追うように殺される……?

 なんとも皮肉の効いた脅し文句だ。

 

 

「自力では動けんだろう」

 

 

 そう言っておもむろに龍神は、俺の身体を腕に抱える。

 お姫様抱っこの格好だ。

 

 

「湿っているな。漏らしたのか……?」

 

 

 わかりきったことを聞くな、この変態!

 

 

「下着を脱がしてやる。濡れたままでは不快だろう」

 

「嫌だ……。放っておいてくれ」

 

 

 親切を装って、俺のパンツを奪うつもりか?

 龍神オルステッドは筋金入りの変態らしい。

 断られた彼は、どこか悲しげに見えた。

 気のせいだな。

 

 

「下ろしてくれっ……!」

 

 

 拒絶する。

 コイツの手の中にあっては首をへし折られかねない。

 

 

「魔力の枯渇を引き起こしたのだ。その身体では歩けん。野垂れ死ぬつもりか?」

 

 

 あんたに殺されそうになったんだよ、こっちは……。

 

 

「私はナナホシ。あなたはルーディアだったわよね?」

 

 

 不意に、オルステッドの付き人らしき仮面の少女が語り掛けてきた。

 改めて聞いてみると声が若い。

 ナナホシとやらは、俺とそう年の変わらない少女なのだろう。

 幾らかは年上だろうが、オルステッドよりは話の通じそうな相手である。

 

 

「はい、あなたは……いったい」

 

「私は単なる同行者よ。彼の身内ってわけじゃないわ。恋仲でも何でもないから、誤解の無いようにね」

 

「そ、そうですか……」

 

 

 一瞬、ナナホシとは龍神オルステッドの情婦か何かだと邪推してしまった。

 余計な口を叩かなくて良かった。

 機嫌を損ねれば、何をされたものか……。

 

 

「先に言っておくけど、私に戦う力なんて無いから。魔術だって使えないし」

 

 

 だから怯える必要は無いと?

 無理だ。

 だって君の傍のお兄さん、超怖いもん。

 見た目はルイジェルドと同等の筋者系の顔立ち。

 俺は外見で人を区別しないし、容姿だけを基準にして怖いとは思わん。

 けど、しでかした事と言えば、殺人未遂。

 はじめは不殺を誓っていたくせに、約束を反古にした殺人鬼。

 いわば爆発物のような存在だ。

 炉心の近くで何をどう落ち着けというのか。

 刺激は避けたいところ。

 

 

「あなたの心配には及ばないわ。オルステッドはもうあなたを殺さないって、私に約束したもの」

 

「それを信じろと……?」

 

「疑う気持ちもわかるわよ。でも殺せるのなら、すでにルーディアはこの世にいない筈でしょ?」

 

 

 否定はしない。

 殺すチャンスなど幾らでもあった。

 たとえばいまこの瞬間だって、命を絶つことなど容易い。

 それでも凶行に及ばない。

 何かしら理由があるのだと察した。

 だが事情や根拠を示してくれなければ、おちおち眠ることも出来ん。

 

 

「とにかく泣いてばかりも疲れるでしょ。ここは私の顔に免じて納得しなさい」

 

 

 顔も何も、ねーちゃん、仮面を被ってますやん?

 

 

「ここは……?」

 

 

 言われたからってわけじゃないが、平常心を取り戻す。

 まずは状況を知りたい。

 現在地を尋ねる。

 

 

「アスラ王国よ」

 

 

 アスラ王国だって?

 ああ、なんとも悔いの残る帰国だ。

 本来であればエリスらと共に帰郷の喜びを分かち合い、明日への希望を胸に抱いていただろうに。

 しかし、アスラ王国──。

 赤竜の下顎から国境に越えるまでに3日ほど要するというのに、どれだけの時間が経過したのやら。

 もしや数日間にも渡って昏睡状態にあったとか。

 

 

「あれから何日が経ちましたか……? 私の仲間は、行き先は……」

 

 

 力無い声で質問する。

 ナナホシはどの質問にも嫌な顔ひとつせずに答えてくれた。

 仮面を被っているから想像でしかないが。

 

 

「3日が過ぎたわね。あなたのお仲間はたぶん生きているわよ。オルステッドは容赦ない様に見えて、加減は上手い方だから。行き先はフィットア領ね。あなたのふるさとなんでしょう?」

 

 

 ただ単純に故郷へ送り届けてくれるってわけでもなさそうだ。

 目的があっての行動だろう。

 先ほど、パウロに会えるだとか話していたような。

 つまりパウロに用件があるというわけか。

 ついでに俺の身柄を引き渡すと。

 意図が読めん。

 

 

「私をどうするつもりで──。それに父さまに何を要求するんですか?」

 

「悪いけど、あなたの身体を調べさせてもらうわよ。結果的に服を脱いで貰うことになるけど。でもオルステッドは指示を出すだけで、直接対応するのは私だから。裸を見られるのは恥ずかしいかもしれないけれど、我慢してちょうだい」

 

 

 龍神様の探究心は、俺のセクシーボディを掴んで放さない。

 直接、俺の身体を診るのはナナホシらしいが、同性とはいえ恥じらいは消せん。

 

 

「あなたのお父さんの事だけれど、オルステッドってば、私にも詳しくは話してくれないのよね。パウロ氏を自分の陣営に引き入れたいようだけれど」

 

「そうですか……」

 

 

 何を画策しているのか。

 パウロの手を必要とする程にヒトガミに追い詰められているのか。

 

 それは見過ごせない。

 世界に対する悪辣な行いに父を加担させるわけにはいかない。

 龍神オルステッドの目的をハッキリと本人の口から聞いたわけではないが、どうせろくな事じゃない。

 このナナホシという女も、もしや弱味でも握られて従わされているのか。

 だとしたら不憫な。

 

 龍神オルステッドへの悪づきは口には出さないでおく。

 今は(だんま)りを決め込んで、成り行きに任せる事にした。

 

 

──

 

 

 途中休憩を挟みつつ、オルステッドにお姫様抱っこされながら歩みを進めること5~6時間。

 どこの領地の、どこの辺境かも見当もつかない秘境へと景色は変わる。

 やがて森林の奥地にポツンと佇む家屋へと到着する。

 築年数は浅そうだが、廃墟のような陰鬱さと静けさに包まれていた。

 

 

「ここは──」

 

「拠点のひとつだ」

 

 

 オルステッドが疑問に答える。

 その口振りからして、大陸各地に幾つもの拠点を所有しているようだ。

 

 

「ここは数ある拠点の中でも新しい方よ。私の名義で購入したの」

 

 

 補足するナナホシ。

 購入資金はどこから出たのやら。

 オルステッドの悪事で得た金銭か。

 

 

「指示を書面にまとめておいた。記載の項目と手順に基づいて検査を進めろ。備品などは屋内に保管してある」

 

 

 オルステッドは俺の身体を地面に下ろすと、懐から紙の束を取り出す。

 ナナホシに手渡すと、どこかへ向かう素振りを見せた。

 

 

「俺は交渉の準備に移る。パウロにも通告せねばいかん。お前の娘を預かっているとな──」

 

「いってらっしゃい。また変な騒動を起こさないでよね? この前みたいに、割りを食うのはもう御免よ」

 

「あれは不可抗力だ。向こうから勘違いを起こし、攻撃してきたのだ」

 

 

 直近でもトラブルに遭遇したらしい。

 オルステッドが何かやらかしたのだろう。

 初対面の俺を殺そうとする程の危険人物。

 各地で諍いを起こしてきたのだ。

 

 

「では、ルーディアを頼む。期日を迎え次第、また来る」

 

 

 俺に数秒間だけ視線をやると、背を向けて森の奥深くへと消えていった。

 方角的にはフィットア領とは正反対。

 奴は方向音痴らしい。

 

 

「転移魔法陣って便利よね」

 

 

 ナナホシが何気なく漏らした一言。

 転移魔法陣だって?

 

 

「あの転移魔法陣とはいったい……」

 

 

 しまった、という仕草で口を押さえるナナホシ。

 仮面の上から押さえる所作は、なんともヘンテコだ。

 

 

「今のは忘れてもらえる? バレたら彼にどやされてしまうわ。いえ、下手をしたらもっとヒドイことをされるかも」

 

 

 冗談めいた口調。

 年下の俺を不安にさせまいと、あえて明るく振る舞っているのだろう。

 この事が露見すれば、罰を受けるのかもしれん。

 

 

「安心してください。告げ口なんてしませんから」

 

 

 俺の予想は的中か。

 やはりナナホシはオルステッドに脅迫されて、部下として労働を強いられているのだ。

 人質のようなもので、俺と同類の立場ってわけか。

 

 

「あぁ、それとね。今のあなたは魔術を封印されているから」

 

「え?」

 

 

 言われて気づく。

 相変わらず魔力は体内を巡っている。

 しかし、いざ魔術を発動しようと魔力をかき集めようとするも──上手くいかない。

 形になる前に霧散してしまうのだ。

 

 

「オルステッドがあなたに封印術を施したようね」

 

 

 つまり何か?

 今の俺は魔術を使えない、か弱い小娘ってこと?

 丸腰では一般的な中級剣士にも勝てん。

 剣の1本でもあれば撃退くらいは可能だろうが、それでも素手では心許ない。

 それに魔力枯渇状態の現在、本調子とも言えない。

 傲慢なる水竜王(アクアハーティア)や剣も、龍神の襲撃地に残したまま。

 御神体(ロキシーのパンツ)も──。

 エリス達が回収してくれているだろうけど。

 それでも無い無い尽くしである。

 

 クラっときた。

 これでは逃亡も叶わない。

 行く先で魔物と遭遇しようものなら、ろくな抵抗も出来ずに胃袋の中だ。

 

 へたりこむ俺の脇に手を差し込むナナホシ。

 屋内へと俺の身体を運びたいらしい。

 筋力不足なのか持ち上げる必死さを見せる割には、この軽い身体ですらびくともしない。

 ちゃんとメシを食って運動しているのかも疑わしい。

 

 

「ごめんなさい、自分で立てるかしら?」

 

「強い倦怠感がありますけど、肩を貸してもらえればどうにか」

 

 

 消耗の激しい身体に渇を入れて力を込める。

 ナナホシの肩に右腕を回して、家屋の中へと移動する。

 屋内は意外と手入れされているのか、外観の割にはホコリっぽさを感じなかった。

 

 

「近隣の村の人に管理してもらっているのよ。オルステッドは怖がられるから、代わりに私が家主としてお願いしてるの」

 

 

 ふむ、龍神オルステッドはその悪逆から各所より恨みを買っているらしい。

 表に出てこられないオルステッドの代理人として、彼女が事務手続きなどを請け負っているわけか。

 

 ベッドに横たえられて天井を見詰めながら、ナナホシの心労を思う。

 きっと彼女は、オルステッドに家族と引き離されたか、殺されたに違いない。

 機会があれば、ナナホシも逃がしてやりたいが。

 

 

「今日はもう休みなさい。おトイレに行きたくなったら遠慮なく言うのよ」

 

「はい……」

 

 

 トイレと耳にして早速、尿意を催す。

 ナナホシに介助を頼む必要があるが、うら若き乙女が他人に排尿姿を見られるのはやや抵抗感が強い。

 

 

「その様子だと、すぐにでもおトイレに行きたいみたいね」

 

「すみません……。手伝って下さい」

 

「謝らなくてもいいのよ。でも私の力だと支えきれないから、尿瓶にしてもらうことになるけど。我慢してね」

 

「え、あ、はい……」

 

 

 きっと彼女は、この3日間も俺の下の世話を見てくれていたのだろう。

 尿瓶を取り出し、慣れた手つきで下半身の衣類を剥ぎ、女性用尿瓶を局部に押し当てた。

 男性用よりも、やや口の大きく開いた尿瓶の密着を感じる。

 

 羞恥心から尿意の強さの割には中々出てきてくれない。

 数秒後、ようやくナナホシに見られている緊張感がほぐれてきたのか、溜まっていた水分を排出し始めた。

 

 

「うぅ……ひ、う……」

 

 

 人としての尊厳を失った気がする。

 いや、それは介護を必要とする方々に対して失礼か。

 

 男の頃であれば、異性に小便を見られる状況(プレイ)に興奮したものだが……。

 女の子として生まれ、その上このシチュエーションともなると顔から火が出てしまいそうなほどの恥辱。

 

 

「う、ぅ……ひぐっ……」

 

 

 年甲斐もなく泣いてしまった。

 啜り泣く程度の軽いものだが、それでも泣いた事実は否定できない。

 あれ、俺はどうしちゃったんだ……?

 

 

「ちょ、泣かないでよ!」

 

 

 慌てながらも尿瓶を放さないナナホシは仕事を全うしている。

 程なくしてトイレタイム終了。

 濡れたタオルで秘部を拭われて、下着とズボンを履かせてもらう。

 この際、行き掛けに失禁して汚したショーツを取り換えてもらった。

 

 

「ずっと我慢してたの? けっこう出たわね」

 

「ぐすっ…………うあぁぁっん!」

 

 

 今度は盛大に泣く。

 

 

「あ、ごめんっ!」

 

 

 余計な一言が追い討ちとなる。

 蒸し返しやがってっ!

 なんなの、このお姉さん!

 失礼しちゃうわ。

 

 それはそれとして俺の頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 まさかの伏兵である。

 オルステッド以上に、ナナホシは俺の自尊心をへし折りに来やがる。

 戦う力が無いと話しながら、大した口撃力だこと。

 

 泣き虫な妹をあやすように俺を抱き締めるナナホシ。

 背中に回された腕。

 ポンポンと軽く叩き、慰めの言葉を耳元で囁く。

 

 

「配慮が足りなかったわね。あなたが辛いのは良くわかるもの。大切な人と突然離ればなれになって。その上、殺されるかもしれない状況。そこにおしっこする姿まで見られちゃって……。うん、泣きたくなっちゃうわよね」

 

「ひぐっ……すみ、ません……。私、お、()……ぜんぜん泣くつもり、なかったのに……」

 

 

 難しい顔をした彼女は、ハンカチで俺の涙を拭い言葉を零す。

 

 

「私はあなたの味方よ。オルステッドからも守ってあげる。だから安心して」

 

「味方……ですか……?」

 

 

 精神的に弱っている部分も大きかっただろう。

 何か縋るものを欲していたというのもあるだろう。

 だからその言葉を信じてみようと思えた。

 

 ナナホシは本心から力になりたいと言ってくれている。

 藁にもすがる思いで、その救いの手を取った。

 

 

「ありがとう、ナナホシさん。ようやく落ち着きました……。もうすぐ13歳なのに私は……トイレくらいで号泣するなんて」

 

「気にしなくてもいいのよ。私だって同じ境遇なら泣いていたもの」

 

「ナナホシさんも大変ですよね? オルステッドにコキ使われて」

 

「そうね。アイツ、人使いが荒いのよね」

 

 

 口振りとは裏腹に悲壮感は薄い。

 なぜだ……。

 禁止ワードに反応する呪いでも掛けられているのだろうか。

 批判的な発言をした瞬間、頭が弾け飛ぶとか。

 ポロっと迂闊な発言が飛び出さないように、悲しみの感情を押し殺しながら話していると……。

 ふーむ、あり得る。

 あの邪神オルステッドならばやりかねん。

 

 悩ましげなナナホシと会話を続ける内に、疲れ果てていた俺は眠る。

 次に目覚めた時に、俺の身体の調査とやらも開始するのだろう。

 ナナホシも悪の盟主オルステッドに課された仕事を全うしなければ制裁されかねない。

 ここは彼女の身を案じて受け入れよう。

 

 

──

 

 

 翌日、年上のお姉さんに服を脱がされた。

 丁寧な手つきで一枚ずつ……。

 下着姿に至った時点で、肌寒さよりも身体の火照りが強く感じられた。

 

 

「あなた幾つだっけ? 胸、大きいわね」

 

「まだ12歳ですけど……。すぐに13歳になります」

 

 

 ブラとショーツだけの格好の俺に対し、ナナホシはまじまじと見つめ、コンプレックスになりつつある胸のサイズについて言及した。

 豊かな双丘は彼女の瞳に射止められ、羞恥からプルプルと震えだす。

 

 

「傷痕は──見当たらないわね」

 

 

 先日、オルステッドに貫かれた胸。

 胸元に痕が残ることを懸念していたが、俺の自動治癒(オートヒーリング)は不備なく発動してくれた。

 お椀型の丸みを帯びた乳房は滑らかな肌を維持している。

 その効力の程を、この肉体が実証してくれた。

 

 

「さ、下着も脱がすわね」

 

「や、優しくしてくださいね……?」

 

「そんな恥ずかしそうに言われると戸惑うじゃないのよ……。変なことしてるみたいで後ろめたいわ」

 

 

 エリス以外の女性に裸を見られるとは……。

もうお嫁にいけないのではと、将来への不安を募らせる。

 

 ブラのホックを外され、ショーツも脱がされ、身に何も纏わぬ素肌だけの姿が晒される。

 両太腿をキュッと閉じ膝を曲げて、隻腕で両乳房の先端を覆い隠す。

 我ながら扇情的なポーズだ。

 さぞ異性の情欲を誘うことだろう。

 

 

「隠さないで、よく見えないから」

 

「で、でも……」

 

「オルステッドから言いつけられてるのよ。男の自分では細部まで調べられないから、女のお前が隅々まで確認しろって」

 

 

 幾つかの検査用の魔力付与品(マジックアイテム)を手に、申し訳なさそうにナナホシは言う。

 うぅ……。

 彼女も命懸けなのだ。

 俺の身勝手で死へ追いやるのは、望むところではない。

 そっと両脚を開いて、胸への視線を遮る腕も下ろした。

 

 

「無理強いしちゃってごめんね。でも、綺麗よ。女の私が嫉妬しちゃうくらいにね。絵画みたいだわ。何て言うか芸術的」

 

 

 大きく息を吐いて見惚れるナナホシさん。

 芸術品を鑑賞する有識者のような感嘆を漏らす。

 ジロジロと下半身のある一点や、胸の膨らみを眺める彼女は、興奮に鼻息を荒くしているように見えた。

 

 

「見たところ身体に魔法陣が刻まれているわけじゃないようね。魔力の流れも通常の人族と同じ」

 

 

 魔力付与品(マジックアイテム)をかざしたり、身体に当てたりして魔力を測定している。

 魔力の流動も検知出来るのか、全身の各部位へ順に接触させていった。

 地肌にヒンヤリとした感触、反射的に震えあがる。

 

 

「あなた、もう生理はきているの?」

 

「はい、約1年ほど前に」

 

「そう」

 

 

 検査項目に含まれていたのだろう。

 デリケートな質問に踏み込んできた。

 

 

「男性経験は? この場合、処女かどうかを質問しているのだけど」

 

「ありません。純潔です」

 

「女の子同士での経験は?」

 

「あるのかな……?」

 

 

 エリスと添い寝したり、汗だくで抱き合ったりはした。

 

 

「いえ、やっぱりありません」

 

「やっぱり? ってこと、経験は無くはない? いえ、深くはつっこまないでおきましょう」

 

 

 助かる。

 人には言いづらい内容だし。

 どうしてもというのなら、赤裸々に話さんでもないが。

 需要は無さそうだ。

 

 ……それにしても羞恥心を中々克服できない。

 それに視線を感じる度に、下腹辺りがむず痒くなる。

 ちょうど子宮の位置する周辺だ。

 キュンキュンくる。

 

 これは……新たな性癖を開拓しつつある?

 人に見られて興奮する露出狂には成りたくないんだが……。

 噂のアリエル王女じゃあるまいし。

 

 その後も検査は続く。

 頭から爪先までスキャンする謎の道具にかけられたり、採尿されたり、ちょうど周期だったので経血まで採取された。

 然るべき機関に回すのだとナナホシは語る。

 魔術関連に強い団体に調査を依頼するのだとか。

 

 

「あなた、潜在魔力総量が桁違いに多いのね。このマジックアイテムの測定結果なのだけど、目盛りが振り切っているもの」

 

 

 首を傾げながら見せつけてきた物は、円形のメーター。

 目盛りの針に目を向けると、確かに上限まで振り切っている。

 どうやらこのマジックアイテム、魔力枯渇状態にあっても、潜在的な魔力総量を測れるらしい。

 要するに空っぽの器の大きさも測定対象なのだ。

 

 

「オルステッドは、あなたの魔力が魔神ラプラスと同等か、それ以上だと評していたわね」

 

「魔神ラプラスってあのラプラス戦役の? 魔族側の大将でしたよね」

 

 

 俺の魔力及び魔術は魔神ラプラス並。

 かつて魔大陸で、バーディーガーディやキシリカにも同様の旨を伝えられた。

 

 

「そうね。あのラプラスよ。人族の肉体でそれだけの魔力量を内包して生まれるてなんて稀よ」

 

「どういう事です?」

 

 

 全裸の状態で質問を繰り返す。

 うーん、背徳的!

 

 

「ほとんどの場合、肉体なり魂なりが耐え切れなくて、死産になってしまうものよ。あなたは、そう──。運が良かったのね」

 

 

 運が良かった──かぁ。

 まぁ、そうだろう。

 元々、前世で事故死して転生してこられたこと自体が奇跡的だ。

 その上、死産が当たり前の状態で新たな身体を得て、この世界に生まれ落ちた。

 何か作為的なものを感じる気もするし、逆に全くの偶然の産物のような気もする。

 神のみぞ知るってやつだ。

 

 一番の功労者はやはり俺を産んでくれた母ゼニスである。

 次に会った時、改めて礼を言わせてもらおう。

 生を実感し、命の尊さを知る。

 

 

「今日のところはこれでおしまい。明日以降も、裸になってもらうから」

 

「え、まだ続くんですか!」

 

「一定期間、データを取らなきゃ意味がないでしょう? あなたには悪いけど、私も首が懸かってるから」

 

「いや、その……。女の人に自分の裸を見られるのが癖になっちゃいそうで怖いなぁーなんて……?」

 

 

 もちろん、ジョークだ。

 

 

「え?」

 

 

 しかし、ナナホシは冗談とは受け取らなかった。

 

 

「え? いや、何でもないです」

 

 

 これもオルステッドの罠か?

 俺に屈辱を与えて、痴女に変えようという策略だな。

 恐ろしや、龍神。

 由々しき事態である。

 

 なんであれ、俺は誘拐こそされたものの、ナナホシという仲間を得る。

 まだしばらく、この生活は続きそうだ──。



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52話 前哨戦1

─アスラ王国・ウィシル領─

 

 龍神との遭遇戦より数日後、エリス達は赤竜の下顎を抜けてアスラ王国入りする。

 何の感慨も無ければ、歓喜の声ひとつすら上がらない。

 デッドエンドにとって、その存在自体が必要不可欠である人物が欠けているがゆえに。

 彼女の笑顔なくして、旅の終着点への到達などなんら意味を成さない。

 ルーディアの不在は悲愴を産み落とし、皆の心をキツく締めつける。

 

 国境沿いに位置するエウロス家の統治下にあるウィシル領から、目的地であるフィットア領まで。

 その移動に際して約1ヶ月もの期間を要する。

 旅程全体で比すれば、進む道のりは残り僅か。

 急ぐ必要などあるまい、本来であれば。

 

 龍神オルステッドは言っていた──。

 アスラ王国フィットア領で待つと。

 人質として奪われたルーディアの身柄は其処に在るのだ。

 目指すべき場所は変わらない。

 されど向かう心は僅かな時間とて惜しみ、先を急がせる。

 

 一度は精魂尽き果て、自らの弱さを責め立てたエリスであったが、その足取りは強く大地を踏みしめた。

 悔いも哀しみも後回しだ。

 いま優先すべきはルーディアの救出。

 苦悩など振り切って、葛藤なども無視する。

 ただひたすらに前進あるのみ。

 

 

「急ぐわよ、ルイジェルド」

 

 

 戦士としての師ルイジェルドへ、自らの焦りをぶつける。

 返答は無し、黙殺だ。

 言われるまでもなく、彼とて焦燥感に気をはやらせている。

 わざわざ目にせずとも、滲み出るオーラからエリスも肌で感じ取っていた。

 

 だが彼は旅心を無理に急がせても、距離は縮まらないと判断したのか、エリスの言葉を無視していた。

 ルイジェルド達よりも常に数メートル先を行くエリスへ、落ち着けと呼び掛けている。

 しかし、エリスはその言葉を聞き入れない。

 ルーディアを奪われた喪失感はあっても、余計な物を入れるスペースなど確保していないのだ。

 常に彼女の戻って来た時場合に備えて、場所を空けておく。

 

 

「体力は温存しておけ。たどり着く前に潰れてしまうぞ」

 

「潰れないわよ。ルーディアが酷い目に遭ってるかもしれないのに、倒れてなんかいられない。見くびらないで」

 

「ならば尚更だ。ルーディアを助けたくば、身体を労れ。剣が鈍るぞ。お前を一人前の戦士と認めた俺の判断は誤りだったか──」

 

「そんな事無いわ! あなたは正しいわよ。……ごめん、少し先走ってたわ」

 

 

 ルイジェルドの言葉に反省を促され我に返った。

 冷静さを失えば、思考能力も低下する。

 そうなれば敵の思うつぼだ。

 龍神オルステッドは、ただでさえ最強の名を欲しいままにする極悪非道の猛者。

 万全の体調、万全の装備を以て挑まねば、一太刀とて届くまい。

 

 

「わたくしたち、完敗でしたわね」

 

 

 エリナリーゼの嘆き。

 悲痛に歪んだ顔が、3日前の惨状を物語る。

 やり場のない怒りを内に溜め込む。

 

 

「わしは壁にすらならんかったわい」

 

 

 不甲斐なさを語るタルハンド。

 顎髭を撫でつけ、手慰めとする。

 

 

「龍神オルステッドを絶対に殺すわっ……」

 

 

 犬歯を露に狂犬の名を体現するエリス。

 噛み殺したい獲物はフィットア領にて待ち構える。

 身体から迸る闘気が大気を揺らした。

 

 

「だが策も講じずに仕掛けるのは無謀だ。いまの俺たちでは圧倒的に実力不足だ。挑めば今度こそ死ぬぞ」

 

 

 ルイジェルドの意見はもっともであった。

 むざむざと事実を突きつけられるが、しかし対策など降って湧いてくるものでもない。

 妙案を渇望する。

 

 

「パウロを頼るしかありませんわね。あの男はルーディアの父親。知れば必ず助けに動きますわよ」

 

「じゃな。ならばフィットア領に向かう方針は変わらんのう」

 

 

 七大列強序列七位──龍滅パウロ。

 龍神オルステッドと同じく列強の座にあるこの世で最も強いとされる七人の一人。

 列強同士でも四位以上と、五位以下の実力差は隔絶されているが、自分達のような列強に遠く及ばぬ弱者にとっては、どちらとも雲の上の存在。

 

 彼らの打てる唯一の策は、パウロとの共同戦線を張ることだ。

 エリスはパウロと面識がある。

 エリナリーゼとタルハンドも言わずもがな。

 協力を求めれば、彼はきっと応じてくれる。

 自分等の力量でパウロの力添えになれるかも怪しいものだが、肝心なのは龍神オルステッドへの対抗手段。

 サポートに徹して、戦況を有利に進めることも立派な戦いだ。

 

 

「3年前にね、彼の剣を目の当たりにしたの。パウロさんの剣術は神懸かってたわ」

 

 

 転移災害発生の直前に起きた、甲龍王ペルギウスの従僕である光輝のアルマンフィとの戦闘。

 ギレーヌとの共闘とはいえ、世界最高位の精霊を相手取って互角以上に渡り合っていた。

 当時は単なる剣王に過ぎなかったパウロ。

 まだ荒削りながらも、エリスの目を通して見ても、既に列強へと至る資質の片鱗を感じられた。

 3年近く経過した現在、更なる飛躍を遂げていることだろう。

 

 希望が湧いてきた。

 見通しが不明瞭で甘いことは否定出来ない。

 けれど龍神オルステッドを倒す意思は固まる一方。

 足並みは揃った。

 心をひとつにしたデッドエンド+αは、ルーディアを救うべく、未来へと繋がるフィットア領への旅を続ける。

 

 

 

 

 

──王都アルス・ボレアス家・本家──

 

 ギレーヌ・デドルディアは王都に居を構えるボレアス家本家にて、現当主ジェイムズを値踏みするように視線を流していた。

 そこでは怒号が飛び交い、騒然たる空気が作り出されていた。

 

 サウロス・ボレアス・グレイラットもまた、息子ジェイムズに詰め寄り、とある要求を突きつける。

 

 彼女と彼の周囲には剣の聖地から選抜した精鋭中の精鋭である剣士達の姿。

 パウロの師であり、転移災害を生き延びた名も無き剣王を始めとして、新進気鋭の剣士──剣聖ニナ・ファリオン及びジノ・ブリッツ。

 その他、腕利きの門弟を複数名、引き連れていた。

 錚々たる顔触れだ。

 そんな人材を伴ってボレアス家に押しかけているのだ。

 事情を知らぬ者からすれば、威圧行為であり戦争をけしかけているようにも映ることだろう。

 

 萎縮した様子のジェイムズのなんと憐れなことか。

 

 さて、ギレーヌの目から見てジェイムズは、一言で言い表すと小者である。

 サウロスの実子ゆえに容姿は似通っている。

 反面、心の有り様は真逆。

 政治力は高いが、基本的に警戒心の強い臆病者。

 媚びへつらう事に長けており、アスラ王国内で幅を利かせるダリウス上級大臣にも取り入った。

 その他、王都で権力を握る多くの貴族にも顔色を窺いながら、人脈を築いていった。

 

 政界においては、ボレアス家当主を担うに相応しい影響力を有しているが、人望そのものは薄い。

 貴族の大家を切り盛りするに際して、常に家臣らの心離れの可能性がちらつく。

 

 元来のボレアス家が有する財力と人材を引き継ぐ形で、例の災害に至るまで力を維持してきた。

 まさか彼一代で築き上げられる規模の家格ではあるまい。

 

 もしも彼が当代ボレアス家で長子として生まれてこなければ、先んじて王都で繋いだ人脈を武器に振りかざせず、次期当主争いにおいて敗北していただろう。

 でなければ、ボレアス家の強固な地盤と当主の座をフィリップへと譲り渡していた事は明白だ。

 

 仮に一から貴族として家を盛り立てろと言われても、その器量ではまず武勲を立てられず、内政でも目立った成果など上げられまい。

 すなわち盛り立てる手段すら持ちえない。

 国に対してもこれといった貢献もできず、評価にすら値しないであろう。

 

 ひとかどの実績を築き上げるに何かもが足りぬ。

 つまるところ、ギレーヌは彼を小者であると断定した。

 

 

父上(サウロス)よ……。今さら帰国してきて、何を言い出すかと思えば──。当主の座を退き、フィリップめに席を明け渡せだと? 私ではボレアス家を背負うに足りぬとお申しか──」

 

「その失った指、パウロにしてやられたな。ふん、あの男はクズだが、無辜な人間には手を出さん。貴様はそう……。潔白の身ではなかったということだ」

 

 

 息子の言葉を無視してサウロスは自身の考えのみを告げる。

 

 

「何が言いたいっ……」

 

「ダリウスなぞにへりくだりおって。これまでに、どれ程の悪事に手を染めた! 貴様が奴に加担しておったことなど、とうに知れておるわ」

 

「はっ……! 指の欠損は因果応報とでも? そう言いたげですなぁっ……!」

 

「でなければなんとする。貴様の所業は目に余る。エリスにも手を出しおって。指を失う程度で済まされては儂の溜飲も下がらん。この儂の息子がこのような下衆とはな!」

 

 

 突き放すような言葉。

 親として子へ情が無いわけではない。

 あるからこそ、余計に子の欠点が浮き彫りとなり、目について詰ってしまう。

 何よりも看過出来ぬことは、やはり孫娘エリスを、ダリウスへ売ろうとした事だ。

 

 

「貴様は貴族として足りえん。ボレアス家当主たるもの惨めに地位や権力に縋りつかず、正々堂々と構えんか。卑劣な手に出おって」

 

 

 制裁のつもりか。

 サウロスはジェイムズの鼻っ面に拳を打ち込む。

 鼻から血を流し、手で押えるジェイムズは、自身の父親の無茶な言い分に憤怒するも──。

 その気迫に圧されて、反論する勢いを失う。 

 

 

「サウロス様。暴力に訴えても、ジェイムズ殿には響かないかと」

 

 

 ギレーヌをして、サウロスは理想ばかりを語る夢想家。

 気持ちの良い人間ではあるし、かつて当主の座に在った頃には人々の尊敬を浴びていた。

 されど貴族の策謀渦向く世界では、悪目立ちゆえか攻撃の対象にされがちであった。

 

 一人の臣下として彼を諌めるべきだという思いを抱く。

 かつては脳が筋肉で出来ていると称された自分だが、随分と様変わりしたものだ。

 人に意見するほど、立派な人間ではないというのに。

 

 尤も、彼の豪胆な人柄や、そして彼を支える家臣らの確固たる忠誠心が作用し、薄汚い貴族の妨害工作など、通じた事は無かったのだが。

 

 

「他に私の代わりが務まる者が居るというのか? フィリップは未だ行方不明。父上にしたって、領地消失の責任から逃れ、ほとぼりが冷めてから顔を出した。卑怯者の謗りは免れまい。死罪を恐れたのでしょう? あなたこそ当主に相応しくないのではないかっ!」

 

 

 サウロス不在の状況が長引き、ジェイムズが正式にボレアス家当主を継いだ。

 表向きにはほぼ死亡者扱いのサウロスでは、今さら当主の座には戻れまい。

 

 

「否定はせん。だが、儂はフィットア領の復興を見届けるまでは死ねんのだ。復興が済み次第、この首を以て責を果たす覚悟は既に出来ておる」

 

「よくもまあその口で言えたものですな。パウロを使って国王に直談判したのだろう! あなたには一切の責を追及せぬと国王陛下はおっしゃいだ!」

 

「パウロめ、勝手な真似をしおったわ……」

 

 

 甥の仕業だ。

 サウロスが王都に姿を現しても、何ら逮捕への動きや気配も感じられなかった。

 逮捕状の発行や裁判所への請求もされておらず、無罪放免の扱いであった。

 責任の在処について遡及しないということを意味する。

 

 

「儂を罵倒したければ好きにせい。このサウロス、逃げも隠れもせんわ。たとえ責任の所在が不明確であろうと、いずれは儂なりのケジメをつける心構えだ」

 

 

 サウロスの矜持である。

 亡き父、亡き祖父より受け継いだボレアス家当主としての誇りに誓う。

 領民を守れず、アスラ王国へ損害を与えた大罪を必ずや償うのだと。

 既に退いた身であっても、一度腹に決めた想いは消え去らない。

 

 ただ、その前にひとつだけ心残りがある。

 エリスとの再会だ。

 せめて孫娘の笑顔を記憶に焼き付けてから、覚悟の時を迎えたい。

 エリスの言葉次第では決意が揺らぎかねないが──。

 それはまたいつか別の話。

 

 

「なんにせよ、私は当主の座を降りるつもりはない。まずはフィリップを引っ張り出してくることだ。そうでなければ話は始まらない。もはや父上では壇上には上がれんのです!」

 

 

 最終的に怒鳴り散らすジェイムズ。

 なるほど、サウロスは隠居の身。

 現役世代に対して、口出ししても良い立場ではあるまい。

 よって争いは泥沼化が予想される。

 サウロスも自身の意見が素直に罷り通るとは考えていなかった。

 剣神ギレーヌを付き添わせたところで、あくまでも脅しにしかなりえない。

 意固地になったジェイムズには、効果薄であった。

 お家騒動の解決は持ち越される。

 

 

「サウロス様。ここでの早期決着は無理でしょう。まずは、エリスお嬢様を迎え入れる準備を進めましょう。それまではその御命、大切にしてくだいませ」

 

「うむ……。貴様の言う通りだ、ギレーヌよ。まずはフィリップを待ち、態勢を整えるしかないか。こやつではボレアス家を衰退させる一方だ」

 

 

 フィリップは生きている。

 その勘が働いたのは親としての本能か。

 

 

「剣神様、たった急報が入りました。お耳に入れたい事があるのですが──」

 

 

 ギレーヌへ報告の旨があると伝えるニナ。

 門弟の1人がニナに耳打ちした直後のことであった。

 ピンっと立つ、ギレーヌの猫耳。

 

 

「なんだ?」

 

 

 深刻な顔でニナはどう説明しようか迷う。

 幾らかの時間が経過して、考えが纏まったのか、口を開く。

 その口調は、平静を保つのにやっとの思いといった具合で、要領を得られるか定かではない。

 

 

「その……ロアの町にて龍神オルステッド出没との報告です。龍滅パウロ殿が交戦したとか──」

 

 

 10日前、ロアの町にて龍神オルステッド襲撃事件の発生。

 交戦者はパウロ・グレイラット──ただ1人。

 人々の寝静まった深夜に、フィットア領捜索団本部の設置されるロアの町へと襲来したのだとか。

 

 重要な話があると持ち掛けられ、それに応じたパウロ。

 どんな話し合いが行われたかは、詳細を省いての報せであった為に不明。

 されど地形を変化させるほどの激闘が繰り広げられた事は、ロアの住人らにとって周知の事実であった。

 その惨状が遅れて、王都アルスへ情報としてもたらされた。

 

 

「パウロはどうなった、無事か?」

 

「生きてはおられますが……その」

 

 

 言い淀むニナ。

 次の言葉を待てど出てこない。

 

 

「ハッキリしないか」

 

「は、はい! 意識不明の重体だそうです! 治癒魔術で一命は取り留めたそうですが」

 

「なに……?」

 

 

 

 列強に名を連ねる者同士の生存競争。

 双方、五体満足で居られるなど温い考えは、ギレーヌには無かった。

 まだ細かな状況は判明していないが、腕の1本でも失っていてもおかしくはあるまい。

 

 

「パウロは龍神へ何か手傷ひとつでも負わせたのか?」

 

「いえ……。傷ひとつ付けられなかったと、意識を失う寸前に周囲の者が本人の口から耳にしたみたいです。龍神の本気を引き出すには至らなかったと……」

 

「っ……。そうか……」

 

 

 龍神オルステッドにはパウロでも歯が立たぬのか……。

 単独で勝ちを得られるとまでは思わない。

 されど内容を聞く限りでは、柳に風と受け流された印象だ。

 

 

「龍神が言い残したようです。後日、再びロアの町へと訪れると」

 

「奴の狙いが解らんな。襲撃まで掛けておいて、なぜパウロを殺さずに生かしておく?」

 

 

 疑問は絶え間なく続く。

 パウロの存在が龍神にとって不都合であったが為に、強襲に及んだのだろう。

 その行動の意図とは矛盾するように深手を与えたというのに、仕留めずに見逃した。

 その上、日を改めての再戦を予告した。

 不可解にも程がある。

 

 

「あたしが直接、ロアの町へと出向く。ニナはあたしに同行しろ。馬の準備も頼む」

 

「はい、そのように手配いたします」

 

「現地にはたしか師匠(ガル)が居た筈だ。次に龍神と事を構えた場合を考え、総力戦も想定しておかんとな」

 

 

 ギレーヌ、ガルの剣神流の神級剣士2人に加え、パウロ、北神三世の両名を含めた計4人の強者達。

 新旧列強4人からなる連合の戦力だ。

 以上の人員を以て、次なる攻撃に対する備えとする。

 尤も、パウロの回復に結果は懸かっているのだが。

 

 

「サウロス様。あたしは此処(アルス)を離れます。ジノ達を残していくので、貴方のご采配で使ってやってください」

 

「相わかった。しかし龍神オルステッドと言ったな。奴が転移災害を引き起こした張本人であるとは真か?」

 

「憶測の域は過ぎませんが、どうやらパウロはそう信じている模様です」

 

 

 どんな根拠を結び付けてパウロは、龍神オルステッドを下手人であると断定したのかは不明。

 だが直接対峙した者だからこそ、見えてくる物もあるだろう。

 いまだ龍神とは未接触のギレーヌには、判断出来ぬことだ。

 

 

名も無き剣王(ネームレス)、サウロス様を頼む」

 

「任された。ギレーヌこそ、わたしの不肖の弟子を頼む」

 

 

 名も無き剣王とは──文字通り名を持たぬ剣士。

 一族の習わしにより、個人としての名を持たない。

 便宜的にネームレスを名乗ってはいるが。

 ギレーヌとは同世代で、魔族の血を引く女性である。

 

 

あの男(パウロ)、師であるわたしに色目を使っておきながら手を出さなんだ。妻の愛に背くわけにはいかぬと抜かして。しかし、それではわたしの女としての沽券に関わる」

 

「あいつは止めておいた方が良いと思うが……」

 

「ギレーヌはパウロに抱かれた事があるのだったな。あの腰抜けは、認めたくはないが男としての魅力に溢れている。クズだがな」

 

 

 有り体に言えば、ネームレスはパウロに惚れている。

 女として、強き男に惹かれるのは無理からぬこと。

 彼は男としての本能ゆえにか、修行中であっても口説いてきたが、いざ床で体を重ねようという場面で、臆病風に吹かれて抱かずに逃げ出してしまった。

 自尊心を傷つけられ、恨み節を言う。

 

 

「あまりパウロに入れ込むな。ゼニスが泣いてしまう」

 

「彼女にはブエナ村で良くしてもらった恩がある。ゆえにゼニスの目を忍んで、少しばかり夫の時間を分けてもらいたいだけだ」

 

「懲りない女だ……」

 

 

 なんであれパウロへの加勢が決まった。

 パウロには今後、ボレアス家の当主争いで力添え戴く予定だ。

 持ちつ持たれつの関係性。

 恩を売る絶好の機会であった。

 

 程なくして、支度を済ませた剣神ギレーヌは剣聖ニナをお供に付けて、フィットア領ロアへ向けて馬を走らせた。

 

 

 

 

 

─フィットア領・ロアの町─

 

 王都アルスでの一幕より10日前──。

 

 開戦前の静けさに包まれた闇夜の深い時間帯。

 パウロは1人、剣を振るい、型の流れや技の冴えなどコンディションの最終確認に励んでいた。

 

 その機嫌はよろしくない。

 すこぶる悪く、安易に声を掛ければ、視線のみで射殺されそうなほどに殺伐としていた。

 

 いまいち捗らない。

 技の乗りが甘い。

 自覚してもなお、改善はされない。

 神級剣士の目にしか判別のつかぬ技の良し悪しが、その剣にはあった。

 

 

「くそっ……」

 

 

 悪態をつく。

 今の心境で鍛練したところで、悪戯に体力を消費するだけだ。

 しかし、どうにも寝つきが悪く、身体を動かしていなければ身体に溜め込んだ鬱憤を解消できない。

 苛立ちは更なるストレスを呼び込んだ。

 

 

「……っ! なんだ……この気配は──」

 

 

 そんな折だ。

 ロアの町に新たに築かれた城壁の外縁部より、ただならぬ存在の来訪を察知する。

 悪意や殺意などの負の感情がどっと押し寄せてきた。

 敵襲……。

 瞬時に警戒心を強め、闘気を練り上げた身体で、敵の居所へ急行する。

 

 月明かりの照らす草原に、佇む男の姿。

 銀髪、金色の瞳ときて、飾り気の無い白いコートに身を包んだ長身の男。

 パウロの到着を視界に認めると、酷い三白眼がギロリと睨み付けてきた。

 

 その風貌は知っている。

 3年前に己を地獄の底へと叩き落とした悪鬼だ。

 

 その殺気を知っている。

 3年前に己を悪夢へと引き摺り込んだ悪魔だ。

 

 

「てめえはっ……」

 

 

 緊迫感の中でパウロは、男の来訪を咎めるように声を上げた。

 

 

「3年振りだな、パウロ・グレイラット──」

 

 

 奴が名を呼ぶ。

 

 

「龍神オルステッド──っ!」

 

 

 パウロもその名を呼ぶ。

 

 交わされた言葉は僅か。

 が、既にパウロは臨戦態勢に突入していた。

 剣神流における居合いの構えで、敵の先制を見定める。

 

 

「待て、妙な気を起こすな。お前を害するつもりはない。取り引きをしたいだけだ」

 

 

 龍神の言葉を鵜呑みになど出来ようものか。

 震える身体を叱責し、敵の動向に注視する。

 全人類の天敵──。

 一個人での相対など想定外。

 なれど出逢ってしまったのだから、交戦は避けられまい。

 戦わずして逃げる選択肢など端から用意されず。

 背には守るべきロアの住人達だって居るのだから。

 何よりも自分から家族を1人残らず奪い去ったこの男を、見てみぬフリして野放しなど有り得ない。

 

 

「受け取れ──」

 

「……はぁ?」

 

 

 龍神が棒状の何かを放り投げてきた。

 その物体に危険性は無さそうであった為、言われるがままに中空で掴み取る。

 

 

「こりゃあ……人間の腕か……?」

 

 

 人族か獣族か判別には至らず。

 しかし──総称的に人間と呼ばれる種族の左腕であることは確かだ。

 それもまだ成人を迎えていない身であろう子どもの腕だ。

 素人目で見ても解る。

 なにやら魔術か何かで防腐処置を施されているようだが……。

 

 

「然り。喜べ、お前の娘ルーディアは生きているぞ」

 

「なん……だと……!?」

 

 

 その言葉の意味を計りかねる。

 否、ただ信じる事を拒絶したのだ。

 龍神の発言が正しければ……。

 ルーディアはこの男に片腕をもぎ取られ、身柄を押さえられているのだ。

 

 

「現在、ルーディア・グレイラットの身柄を預かっている。まだお前に返すわけにはいかんがな」

 

「てめえっ……。オレの娘に何をしたぁっ──!」

 

「殺してはいない。いや、殺し損ねたと言うべきか」

 

「殺そうとしたってのか……? ルディを」

 

「抵抗が激しかったからだ。だが、殊の外しぶとく生き残った」

 

 

 激昂し殺意の高まりが身体に熱を生み出した。

 居合いの構えは止めだ。

 こちらから仕掛けねば。

 先手必勝の精神で隙を窺う。

 

 

「いまはルーディアの身体を調べている最中だ。用が済めば返還しよう。ひとつ条件があるがな」

 

「まさかお前……ルディの身体を──」

 

「衣類の一切を()いで、全身を隈無く検めているだけだ。痛みはあるまい」

 

 

 認めたくはかった。

 最愛の娘ルーディアは恥辱の限りを尽くされているのだ。

 

 

「ルディは生きているのか……?」

 

 

 怒りを抑えつつ、まず知るべきは命の有無だ。

 

 

「片腕を失いつつも生意気な口を利く程度には感情が残っている。流石はお前と、そしてゼニスの娘なだけあってか既に身体の具合も良い」

 

「身体の具合だとっ……」

 

 

 ゼニスの娘なだけあってか──既に身体の具合が良い。

 奴はそう言った。

 ルーディアは母親譲り容姿を持つ。

 おそらくは身体もゼニス同様に男好きのする魅力のある女性的なものへと成長を遂げている筈。

  すなわち龍神オルステッドは、幼い娘に欲情し……。

 あまつさえ年端もいかぬ少女の身体を凌辱したのだ。

 己の欲望をぶつけ、抱いた女の感想を事も無げに語ってみせた。

 あろうことか犯した少女の父親へ向けて……。

 男の浮かべる微笑は、嘲笑にも思えた。

 

 

「俺の下につけ。さすればお前の娘は帰ってくる。色好い返事を期待している」

 

 

 断ればルーディアを殺すとでも言いたげな表情だ。

 

 

「とはいえお前の事情も考慮しよう。たとえ拒否し、こちらの条件を呑めずとも、ルーディアは返してやる。あの娘も父親との対面を待ちわびている。可能ならば元気である内に帰してやりたいものだ」

 

 

 物言わぬ亡骸となった状態で娘を返すと?

 なんと冷血なことか。

 非道極まりない龍神に対して敵愾心を向ける。

 

 パウロの予告無き抜き打ちが放たれる。

 神を殺す剣が、喉元を狙いに定め飛んだ。

 技に冴えが乗った。

 先ほどの剣の鈍りは、もはや消失した。

 倒すべき敵を前に真に迫った一撃。

 

 受ける龍神は、嘆息しつつも迎撃に立つ。

 特殊な闘気──龍聖闘気を身に纏った彼は、掌から衝撃波を撃ち出す。

 パウロの身は弾かれ、はるか後方へと吹き飛んだ。

 

 

「何故こうなるのか……。俺はどこで間違えた?」

 

 

 オルステッドは自らの言動を省みるも、思い当たる節など見当たらぬ。

 困惑の中、娘の左腕を手放して転がるパウロを見やる。

 

 パウロは絶叫を上げながら、地に倒れ伏す。

 最愛の娘ルーディアの腕は何処へ。

 視線の及ぶ範囲には在らず。

 

 

「なんだってんだよ、ちくしょおぉっ……!」

 

 

 立ち上がる。

 何をされたのかは視認出来た。

 かつての自分ならば、身に生じた現象の知覚すら叶わなかったことだろう。

 成長はあったのだ。

 

 

「掌から衝撃波……。厄介な……」

 

 

 距離を取るほどに不利。

 剣士の間合いに持ち込まねば、同じ土俵にも立てない。

 ならば次の一手は決まりだ。

 駆ける──。

 闘気の限り、大地を疾走した。

 接敵を目前に、迎え撃つ衝撃波の弾幕。

 見切り、避ける──。

 

 避けられぬ衝撃波は斬り捨て、前進を続行した。

 走りながらにして水神流奥義『流』を発動し、受け流しの末に距離を稼ぐ。

 

 

「見事なものだ。これまでの()()()では見られなかった力。ある程度の素質はあると思っていたが──俺の見立ては正しかったようだ」

 

 

 龍神の呟きはパウロの耳には届かない。

 ただひすたらに斬るのみ──。

 特攻する人族の英雄は龍をも滅ぼさんと、光と成った。

 

 剣神流奥義──光の太刀。

 

 生涯最高の太刀が奔る──。

 その後に待ち受ける敗北を知らずして……。




次回、ルーディア視点から開始です。


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53話 前哨戦2

 ナナホシと過ごすことはや14日目。

 光陰矢の如しという言葉を思い浮かべ、このままでは彼女と熟年夫婦のような関係性を築いてしまうのでは……

 なんて風に、アホみたいな妄想にうつつを抜かす程度には心の余裕が生まれた。

 

 そして今日も今日とて続く検査の日々。

 ナナホシも辟易とした様子で、俺の身体を弄くり回していた。

 ちょっと語弊があるな。

 彼女はオルステッドの指示で職務を全うしているだけなのだ。

 

 

「あのぅ……。そんなところまで確認するんですか?」

 

 

 言葉にすることすら憚れる、大切な人にしか見せられない部分までも、まじまじと観察されてしまう。

 筆舌にし難い羞恥心が意識を朦朧とさせた。

 いやまぁ、俺も沐浴の際にエリスの、その部分を頻繁に目にしてるけど。

 

 

「私だってそんなつもりはないのよ。オルステッドが無茶な指示を出すせいよ……。断じて私の意思じゃない」

 

 

 身の潔白を訴えている。

 仮面越しにも感じる、やや熱の籠った視線がその弁明を打ち消していた。

 言い訳がましいとは思わん。

 ナナホシだって本意じゃないんだ。

 もし俺が彼女と同じ立場にあれば、嬉々として美少女の身体をまさぐっていただろう。

 これ以上、話を進めてしまうと生々しい描写に入ってしまうので、ここらで打ち切る。

 

 

「体調はどう? だいぶん良くなってきたでしょう」

 

「ええ、魔力の方は半分くらいは回復しましたかね。オルステッドの封印術で魔術は扱えませんけど」

 

「その腕も魔術が使えれば治せるの?」

 

「3日くらい掛ければ元通りです」

 

 

 今ならば、もっと早くの治癒が可能かもしれない。

 得難い経験をしたのだ。

 オルステッドに心臓を潰されたにも関わらず、数秒の内に再生された。

 死の直前に瀕して、生存本能が治癒力の急激な上昇を促したのだと推察する。

 漫画的な覚醒だ。

 逆境は人を強くする。

 

 以前にも似たような事例はあった。

 たとえばエリス誘拐事件。

 人攫い達に両腕を切断された際、無意識に座標指定魔術の基となる技能を発現させた。

 窮地に在る人族は、思いがけぬ急成長を遂げるらしい。

 過去に起きた人魔大戦でも、その手の人間は数多く確認されていた。

 書物にそう記されている。

 俺程度の人間が、そんな偉大な先人達に肩を並べるなんて思えんが。

 分不相応である。

 

 

「ところで、この腕輪。どうにかなりません?」

 

「無理ね。力になれないわ」

 

 

 ここ数日間、右腕に嵌められた腕輪を外そうと、どうにか片腕で奮闘したが諦めた。

 そこまでがっちり嵌まっている感覚ではないのに、不自然なまでに吸着している。

 オルステッドが何か細工を施したんだろう。

 マジでこの腕輪、何の効果があるのか。

 疑問は尽きない。

 

 

「オルステッドいわく、悪い神様のお告げをはね除ける効果があるようね」

 

「悪い神様……?」

 

 

 龍神はヒトガミと深く対立している。

 そういった類いのアイテムを、過剰なまでに取り揃えているのかも。

 

 

「ナナホシさん。隙を見てオルステッドから逃げ出しましょう! 奴の言いなりになる事はない!」

 

「え、どうしてよ?」

 

「え……? いや、どうしてって……」

 

 

 意表を突かれたかのような声で、俺の発言を理解しかねるナナホシ。

 てか、素っ裸でいるものだから肌寒い。

 そろそろ服を着させて欲しいものだ。

 本日分のデータ採りは完了した筈なのだが。

 俺が逃げ出さないように、あえて真っ裸を強いているのか……。

 これもまた……オルステッドの命令なのだろう。

 彼女を恨んだりはしない。

 心持ちは裸族に近付きつつある。

 

 

「彼には恩があるの。今でも色々な場面でお世話になっているし。彼はああ見えて面倒見が良いのよ」

 

「あれぇ……?」

 

 

 認識に差異がある?

 いや、あの男から受けた仕打ちを忘れるな。

 おっぱいを貫かれて、心臓(ハート)鷲掴み(キャッチ)にされた──。

 俺は殺されたのだ。

 この怨嗟を手放すな。

 

 

「この話は聞かなかった事にしてください」

 

「そうね。オルステッドの耳に入りでもしたら、一騒動へ発展しちゃうもの」

 

 

 人質の逃亡を許した、あるいはその企み見逃したともなれば、彼女が吊し上げられる。

 一方的な感情かもしれないが、ナナホシは大事な友だちだ。

 友人の身に及ぶ危険を予見しながら逃げ出せるほど、俺は情無しではない。

 とはいえ、悲しいことにナナホシは未だに仮面を外してくれない。

 素顔をまだ知らないのだ。

 

 

「ところで服を……」

 

 

 この女、俺のあられもない姿を鑑賞している?

 そんな疑いの目で見つつ、着衣の許可を求める。

 

 

「あ、いけない。うっかりしてた。あなた、裸体が様になってるものだから。ついね。似合ってるわよ」

 

「どういう感想ですか、それ」

 

 

 俺も服を脱ぐ事に違和感を覚えず、自然体になりつつあった事は否めない。

 だが親しき人間に指摘されては正気に戻る。

 

 

「今すぐ着させてあげるから、許してちょうだい」

 

 

 テキパキと、彼女は床に無造作に転がる衣類をかき集める。

 ショーツから始まり、ブラジャーといった下着姿へと早変わり。

 

 隻腕じゃ未だに自力での着替えは難儀する。

 なのでナナホシのサポートが不可欠だ。

 

 

「何度見てもあなたの身体ってホント綺麗よね。肌には透明感があるし、それに美人だし。顔の造形が整っているというか」

 

「それはどうも」

 

 

 褒め殺しにするつもりか?

 まぁ、この身体は大した肌のお手入れをせずともスベスベを維持している。

 自動治癒(オートヒーリング)によって、常に肌の状態が最適に保たれ、美肌効果を生み出している。

 そもそもまだ12歳とうら若き乙女。

 シミ一つ存在しないし、毛穴なども見えぬ程に肌理細かな素肌をしていた。

 

 自動治癒(オートヒーリング)の副産物でアンチエイジング効果も望めるか──。

 キシリカが以前、勧誘してくれたっけな。

 彼女の配下として第二次ラプラス戦役への参戦を。

 期せずして、魔神ラプラス復活の時まで俺の寿命が延びているかもしれない。

 

 

「あなたを間近にすると、女としての自信を無くしてしまいそう。これでも地元では、そこそこ可愛いってモテていたのよ」

 

「へえ? 逆に私はそこまでモテませんね」

 

「あら意外ね」

 

 

 そもそも同年代の男子との接点が無いのだ。

 長旅を続けている性質上、一つの場所に留まる事が少ない。

 学校にでも通っていれば、その限りではないが。

 現状の自分はというと未就学児である。

 そもそもこの世界のどの国にも、義務教育なんていう義務は存在しない。

 強いて俺の魅力に惹かれてくれる人間を挙げるなら、身近な人物ならばエリスくらいなものか。

 その他大勢は容姿を褒めてくれはすれど、惚れ込んだりはしちゃいない。

 

 ようやく服を着ると、ナナホシは興味を無くしたかのように視線を外した。

 裸じゃない俺に価値は無いとお申しか?

 

 ガチャッ……。

 

 と、自身の価値とは何か──。

 納得のいく解答を導き出そうと、思考の海にドップリと浸かっていると、扉の開閉音が聞こえた。

 

 闖入者の姿に目を移す。

 彼だ。

 ルディちゃん誘拐犯の龍神オルステッドである。

 威圧感を纏わせた彼の表情は……。

 以前見かけた時よりも弱々しく映る。

 何事か気に病むような出来事に遭遇したのか?

 

 

「あら、早いのね。期日まで戻って来ないのかと思った」

 

「予定変更だ。交渉決裂となったからな」

 

「パウロ氏とは話がまとまらなかったの?」

 

「取り付く島も無かった」

 

 

 奴らしからぬ憮然とした態度。

 その声は小さく、悲しみを帯びていた。

 何となく彼の喜怒哀楽が読めてきたぞ。

 

 

「一応、事情を聞いてもいいかしら」

 

「そうだな。ルーディアにも関連する話だ」

 

「え、私に?」

 

 

 パウロとの交渉。

 関係は大いにあるか。

 さて、どんな失敗をしでかしてきたのやら。

 オルステッドの行動原理は未だ不透明だが、他者への害意だけは揺るぎ無い事実。

 どんな言葉が飛び出るのか恐々としてしまう。

 

 

「結論から言おう。俺はパウロを半殺しにした。だが、息はある。最低限の治療魔術は施しておいた」

 

 

 1度ならず2度までもパウロをコテンパンにしたってのか……。

 

 

「あ……? てめえ。いまなんつった……」

 

 

 自分でも驚くほど低い声が出た。

 いや、見た目通りの美少女ボイスで、無理して怖い声を絞り出したって具合だ。

 しかし、それでも普段の声色とは段違い。

 

 オルステッドの目の前まで駆け寄り、その胸ぐらを掴もうとつま先立ちになって手を伸ばす。

 が、届かない。

 妥協して、鬱陶しそうにする奴のコートの袖口を握り締める。

 

 

「落ち着け。お前の父親は生きている。少々、手荒な真似に出てしまったが、手心は加えた」

 

「そういう問題じゃないだろっ! 俺の父さまに、なんてことをしやがったんだっ!」

 

「奴に悪いことをした。すまんな……」

 

 

 謝罪する態度ではない。

 それに謝る相手が違うじゃないか。

 俺にではなく、パウロへ頭を下げやがれ。

 

 

「誓って殺してはいない。理解しろ」

 

「なんだその横柄な態度はっ……! 許せねぇっ……!」

 

「噛みつき方は父親そっくりか。やはり親子。血は争えんか」

 

 

 場の空気を読まず、よくもそんなことをっ……!

 こいつ、ぶちのめしてやろうか──。

 

 

「殺してやる……。お前なんかっ、俺が……俺がぁ……!」

 

 

 龍神の身体を押すが、一ミリも動かん。

 眉尻が僅かに動いた程度か。

 

 

「止めておけ。今のはお前は非力だ。魔術を使えねば、お前など多少剣術を齧っただけの小娘だ」

 

 

 ただ事実だけを告げられる。

 否定する材料は持ち合わせない。

 負け犬の遠吠えの精神で掴み掛かる。

 

 

「ナナホシ。ルーディアを落ち着かせろ」

 

「人任せにしないでよ。それにあなたの物言いは喧嘩を売っているようにしか聞こえないわ。まったく……。悪気は無いのは理解しているけれど、少しは学びなさいよ」

 

「性分だ。しかし……。俺にも問題があるのだろう。改めねばな──」

 

 

 こちらに見向きもせず、さりとて反省の色を浮かべる。

 どういうことだ……?

 それに、意識して2人の関係性を熟視すると、これまでとは違った見え方がした。

 

 

「お前はルーディアに過保護だな」

 

「妹みたいなものね。実際、私には下に弟が居るし、似た感覚よ」

 

「……ふむ。やはりナナホシに任せて正解だったか」

 

 

 険悪な間柄とは言えない。

 洞察力に乏しいから確証は持てんが、むしろ良好な関係とも呼べる。

 洗脳でもしている?

 そうでなければナナホシの境遇と、オルステッドへと接し方との辻褄が合わない。

 

 

「無理を承知でお願いするけど、落ち着いて。あなたのお父さんはきっと大丈夫」

 

「信じられませんよ、そんなの……」

 

「困ったわね。私の手には負えない」

 

 

 言いながら彼女は、そっと腕で俺の身体を絡めとる。

 自然とオルステッドから引き剥がされた。

 重々しい空気の中、これ以上の反抗心は保てまい。

 

 

「ほら、オルステッド。この子にちゃんと謝ってあげて」

 

 

 すまんな──の一言では不満は解消されない。

 

 

「そうだな──。ルーディア、今回の件は俺の不手際だ。心より謝罪する」

 

 

 彼はあっさりと頭を下げた。

 その心情は如何様なものか。

 けれど、悪意は微塵も感じられない誠実さに満ちていた。

 まぁ、ナナホシの言葉が無ければ頭など下げなかったんだろうが。

 それはそれとして──。

 

 

「どういうことだ……? あんたは悪いヤツじゃないのか……?」

 

 

 心の動揺が咄嗟の質問を生み出した。

 

 

「対立する者達にとってはそうだろう。俺には敵が多い」

 

 

 短い言葉に全ての意味が込められているように感じる。

 続く言葉は無く、彼の主張は極めて単純なもの。

 俺は重要な何かを見落としているのかと、自らの落ち度の有無を確認する。

 うーん……わからん。

 

 

「俺はパウロを味方にしたい。ゆえにヤツの娘を無下にするつもりはない」

 

「じゃあ、この腕輪を外してくれ」

 

「それはならん。ヒトガミの干渉は看過できん。俺の傍に居る間は我慢してもらう。それにお前を介して間接的とはいえ、奴に動向を探られては不都合だ」

 

 

 ヒトガミは手段はともかく、俺の為になる道筋を提示してくれた。

 龍神は、俺の家族を害し、態度を翻して頭を下げた。

 

 どちらが信用に値するのか。

 考えた時に俺が選ぶのはやはりヒトガミか。

 尤も、ヒトガミのヤツも心から信頼しているわけじゃないのだ。

 ただ俺にとって今のところ、都合の良い存在だから、助言にも傾聴しているわけで──。

 要するに神の名を冠する輩は、全員漏れなく関わらない方が身のためなのだ。

 成り行き上、俺は関わってしまったし手遅れだけど。

 

 

「こうなっては、パウロ勧誘も成されんだろうがな。せめて、お前の身を父親の下へ送り届けよう。今しばらく時間を戴くがな」

 

 

 本来であれば、俺をフィットア領まで守ってくれる役割はルイジェルドのものだ。

 彼の想いも踏みにじるような行為に、腸が煮えくり返る。

 

 

「拠点を移す。この場所を嗅ぎ付けられたかもしれん」

 

 

 静かに彼は言う。

 嗅ぎ付けられたと話すが、どういった意味か。

 

 

「パウロの敷いた捜査網にこの場所も掛かった恐れがある。よって直ちに此処を発つ」

 

「急な話ね」

 

「状況は切迫している。次の拠点は距離的にはフィットア領に近付くが、まだ位置が割れていない」

 

「あなたに従うわ」

 

 

 場所を移すらしい。

 この森の奥地の家屋も見納めか。

 特に思い入れはなくとも、直近2週間の記憶が蘇る。

 

 

「ルーディア。お前には負担を掛けてしまうな」

 

「なんだよ、突然……。そんな風に気遣われたって、あんたを許さないぞ」

 

「構わん」

 

 

 ナナホシが同席すると、この男は態度を軟化させるようだ。

 今さら謝意を受け入れる気など毛頭無いが。

 

その後、ナナホシとオルステッドが手分けして撤収作業を始める。

 必要最低限の物だけを荷物に纏めて、持ち出す準備を整えていた。

 その間、俺はオルステッドから与えられた飴玉を舐めていた。

 決して餌付けされたわけじゃないぞ。

 何でも舐めると気分が良くなる代物らしい。

 ヤバい成分が含まれてたりしないかしら?

 

 そして出発の時。

 逃げる隙を見出だそうとしたが、オルステッドの睨みが鋭く、進路方向とは別の方角へ顔を向けることすら許可されなかった。

 

 

「オルステッド、もう突っかからないから聞かせて欲しい。父さまとの間で何が起きたのかを」

 

「ああ、詳しく事情を話しておくべきだな。俺としても、もう誤解など懲り懲りだ」

 

 

 そして移動を開始しながらも、オルステッドの口からパウロとのやり取りが語られる──。

 

 

 

 

 

──オルステッド視点──

 

 ロアの町での前哨戦。

 開戦は唐突に──。

 

 パウロの放つ光の太刀。

 迫り来る刃を前に、オルステッドは極めて沈着冷静に対処を図る。

 

 素手にて行うは水神流奥義・流。

 殺意の乗った剣の軌道を読み取り、手の平が受け止める。

 が、ヌルりと滑るような感触。

 

 

「む……。なるほど──」

 

 

 瞬時に察知し、理解に至る。

 パウロの剣はオルステッドの流に対して、即座に流を仕返してみせたのだ。

 一瞬の攻防。

 されどループを百度以上繰り返して来た龍神にとって脅威足りえない。

 膨大な戦闘経験と鍛練期間により洗練された術技が遺憾なく発揮される。

 

 

「これならばどうだ──」

 

 

 返された流。

 重ねるように手刀による光の太刀をパウロへと被弾させる。

 が、彼は受け止めた。

 本来ならば必中にして必殺のそれをだ。

 崩れた体勢から、手刀を魔剣・鳳雅龍剣の刀身で防いでのけた。

 

 されど衝撃までは殺せまい。

 あえなくノーバウンドで数十メートルもの距離を飛ぶパウロ。

 その様子を冷ややかな目で龍神は見送る。

 

 

「争う事になろうとは。ナナホシを帯同させるべきだったか? それともこの場にルーディアを連れてくるべきだったか」

 

 

 いずれにせよ、事は起きてしまった。

 話し合いの場は次に設ければ良かろう。

 まずはパウロの鎮静化が第一目標。

 とある事情から魔力の使用を極力抑えつつも、七大列強七位・龍滅パウロへと向き合う。

 

 怒りを爆発させたパウロが、懲りずに突貫する。

 されど技に弛みは無し。

 なるほど、龍神への対抗心から己を相応に鍛え上げたらしい。

 全力は出せぬが、さりとてオルステッドは本気の心意気で龍滅へと臨む。

 

 刹那の内にパウロから投擲の発生。

 放たれし凶弾は魔剣。

 己が剣を捨て石にしたのか。

 否──北神流の奥義による刀剣の投擲であった。

 

 

「誘導のつもりか」

 

 

 意図を見抜く。

 龍神の意識を別へ向け、本命はパウロ身一つ。

 何も目論むか、しかして見誤らず、見定めの時に備える。

 魔剣を弾き、パウロを視線の先へと捉える。

 

 

「オルステッドォォォォッ……!」

 

 

 憎悪が弾ける。

 目先に迫る猛犬──。

 オルステッドをして、その迫りに警戒を余儀なくさせた。

 

 龍聖闘気を身体の芯から噴出させる。

 身を包み込むオーラが体表に龍の鱗の硬度を再現する。

 

 やがて到達するパウロ。

 迎撃は素手による光の太刀にて。

 予備動作も無しに飛ぶ手刀。

 その溢れんばかりの闘気の纏い。

 

 だが流された。

 繰り返し行われる流の応酬。

 怒涛にして苛烈な死闘は続く。

 

 次なる瞬間、龍神はパウロの行動を目に留める。

 それは神への反撃。

 それは龍へもたらす討滅の撃。

 

 片手による視認を認めぬ速度にて放たれる手刀。

 紛れもなくそれは、龍神の持ち得る神業そのもの。

 

 

「目視にて術技の模倣か──」

 

 

 たったの2度の観察で技を盗んだ才能を称える。

 しかし龍神は焦燥感など芽生えさせない。

 その程度の技巧など猛威とせず。

 

 

「くたばれっ……」

 

 

 くたばらぬ。

 ただ対応を必要とされたから行動に移すのみ。

 

 

「痛むだろうが、意識を保て──」

 

 

 死の宣告──。

 そんな香りを匂わせた声をパウロへと届ける。

 血走った目がオルステッドへ視線を固定させていた。

 

 奥義・流の受け流しと同時に手の平から発生させた衝撃の波の連続。

 隙を晒した猛犬の反応の遅れを認める。

 ダメ押しの猛攻に出る。

 絶大なる脚力による大地への踏みつけ。

 土砂が巻き上げられ、粉塵が立ち込める。

 視界は両者ともに塞がれた。

 されど気配より相対者の居所を掴むオルステッドは、さしたる影響を受けぬ。

 

 地盤がめくれ上がった。

 津波の如く龍滅を呑み込み、地平線の果てまで押しやらんとする。

 

 

「があぁぁぁッ……!」

 

 

 叫ぶパウロ。

 見届けるオルステッド。

 

 

「弱くはあるまい。手駒として採用したいところだが──。いかんせん、獰猛に過ぎる……」

 

 

 惜しみ、悔やむ。

 その力を求め、歩み寄りの姿勢を見せたが、いかんともし難き誤解がそれを阻んだ。

 そういう星の下に生まれた自身の運命に嘆きの感情を走らせる。

 

 果たしてパウロの安否は──。

 

 息絶えにあらず。

 しかして虫の息に等しきか細き呼吸音。

 身を案じつつ、龍神は距離を詰める。

 地に伏すパウロは、動かぬ身体ながらにして鋭利な眼で龍神を睨む。

 

 

「言葉は聞こえるか、そして通じるか? 俺はお前を殺さんし、娘も返してやる。確約しよう」

 

「ぐっ、……て、めえ……」

 

「時間を貰いたい。しかるべき調査を終え次第、ルーディアの身をお前の下に帰そう」

 

「そんな保証があるってのか……?」

 

「さてな。だが俺は嘘はつかん。信じろ」

 

 

 ヒトガミとは異なり、龍神は嘘をつかない。

 虚言や妄言とは無縁にして誠実。

 身に抱え込んだ呪いゆえか、人々からの信用に欠いてはいるが……。

 

 

「てめえはオレの娘に何をしたっ……! 言ってみろっ……」

 

「先ほど話した通りだ。ふ、お前の娘は大したものだな。あれだけの事を経験して気丈なものだ。やはり。あれぐらいの年頃が一番活きがあって良い」

 

「食べ頃の女とでも言いてえのかっ……」

 

「……ん? お前は何を言っている」

 

 

 会話に通じぬ部分が生じた。

 違和感が膨れ上がる。

 

 

「よくもオレの娘を……ルディを犯しやがったなっ……!」

 

「身に覚えのない事だ」

 

「とぼけるなよっ、くそったれっ……」

 

 

 謂れなき罪を問われ、さしもの龍神も当惑する。

 だが反論くらいはさせてもらう。

 

 

「お前の娘ルーディアは確かに見た目は麗しく、体も年の割には発育が良好だな。既にヤツの身体は子を孕む準備を整えている」

 

「誰が感想を言えつったよ……!」

 

 

 怒気ゆえか龍滅パウロは自身の足で大地へと立つ。

 しかし……ルーディアは高い魔術資質を持つ。

 母胎として申し分無い。

 しかるべき子種を仕込めば、その腹から強き子を産むだろう。

 それはさておき──。

 

 

「そう()くな。話は終わっていない」

 

「あぁ……?」

 

「俺は人族などに懸想しない」

 

「つまりアレか……? 性欲の発散の為だけに、オレのルディをっ……!」

 

「お前とは違う。それはお前自身が散々、過去に女へしてきたことだろう。自身の行いを俺に当て嵌めるな」

 

 

 龍神はパウロの過去を把握している。

 度重なるループの中で、人族一人の人生を観測し続けた事もあったのだ。

 例によってパウロは性欲が強く、女癖の悪い男だ。

 悪評の立つほどに、多くの女性を強引に抱いてきた。

 かつてはリーリャという少女に夜這いを掛け、同意無くして身体を繋げた──。

 まぁ、リーリャに関してはどの世界であっても、妻として迎え、子宝にも恵まれてはいたのだが。

 それは論点より外れよう。

 

 

「殺す──」

 

「お前にできるのか?」

 

 

 誅罰を与えんと駆けるパウロの行く先は、地面へと放り投げ出されたままの魔剣。

 すかさず拾い上げると、彼はオルステッドに対して構えを取った。

 

 

「剥奪剣界か──」

 

 

 当代水神の編み出し秘奥義。

 身動きひとつが命取りとなる殺戮の飛ぶ刃。

 だが龍神は躊躇しない。

 構わず一直線にパウロを目指す。

 剣閃が飛来する。

 黄金の尾が残像として中空に残っていた。

 

 

「無駄だ。その技は見飽きている」

 

 

 止まらぬ斬の波。

 素手が弾き、幾度も火花が散る。

 闇夜に浮かぶ閃光。

 馬鹿の一つ覚え……。

 だが龍滅の顔に敗走の気配は現れず。

 何やら隠し持つ手管の存在を窺わせた。

 

 

「単細胞ではないらしい。ますますその力、我が配下に欲しいものだ」

 

 

 手元に置けば、今後のヒトガミに対する切り札として十二分に機能することだろう。

 ここで手放すには惜しい男だ。

 是が非でも……部下に迎え入れたいが、この有り様ではその希望を潰えたも同然か。

 

 

「うん? 来るか──」

 

 

 技の起こりを予感する。

 距離にして2、3歩ほど。

 パウロの肉体に加速的に練り上げられた闘気が、周囲の大気を押し退ける。

 踏み込み1歩──。

 懐へ飛び込んできた。

 空を薙いだ魔剣より顕現せし、世界への進撃。

 龍神の五感へ干渉する英雄(パウロ)の闘気──。

 半歩引き、剣の軌道からは逃れた。

 皮一枚を掠める。

 が、異変を捉えた。

 

 

「龍聖闘気を貫いた……?」

 

 

 魔剣に秘されし能力か、それともパウロの技能か、はたまた両方による合わせ技か。

 いずれにせよ、龍神の防御の崩しに成功する。

 この局面にて初めてオルステッドは、パウロの本領を知る。

 

 だが立て直しは容易。

 防御力は減退させられたが、攻撃手段は健在。

 追撃を受けるより前に、素早くパウロの両腕を断ち切った。

 噴き出す血液、そして散らされる絶望の声。

 

 

「ぐっ、ちく……しょぉ……」

 

 

 後、一歩及ばずか。

 違う、オルステッドはただの身体能力のみで対応せしめた。

 秘めたる術技の数々を開帳するまでもなく。

 余力を過分に残した上での完勝。

 止めの一撃は踏み締めた足先より生成した岩盤。

 蹴りつけてパウロへと叩き込んだ。

 

 ドゴォッ──と鳴る。

 

 ゴムボールのように激しく地面を跳ねながら飛ぶ。

 擦過傷に打撲傷に骨折に内臓破裂。

 枚挙に暇ない負傷の群れがパウロの身を苛んだ。

 

 

「不味いな。やり過ぎたか……」

 

 

 途切れる寸前の意識下にあるパウロに追いつき、即座に治癒魔術での治療を試みる。

 予定外の魔力の消費だが、背に腹は代えられまい。

 

 

「見上げた精神力だ。未だ──意識を保つとは」

 

「返してくれ……オレの家族を……ルーディアを……。みんなを……」

 

 

 無論、返すし──帰す。

 言うに及ばぬこと。

 だが誠意を持って伝えるべきか。

 

 

「パウロ。貴様の願いは聞き入れよう」

 

「返してくれ……」

 

 

 聞こえておらぬのか、戯言のように繰り返すパウロ。

 左腕を繋げてやった以後も、パウロの一心不乱に家族を想う心の叫びをオルステッドは浴び続けた。

 

 

「わからない奴だ。補足しておくが、俺はルーディアの件にしか関与していない。その娘とて身の無事を約束しているのだがな」

 

「どうして……オレなんだ。なんでオレから家族を奪う……」

 

「お前は少しは人の話を聞け。会話になっていないぞ」

 

 

 龍神自身の至らない部分もあろう。

 けれどパウロの思い込みの強さも大いに影響している筈だ。

 龍神の迂闊な発言だけで、事態はこうも悪化すまい。

 

 

「いずれおまえにも解る。俺が転移事件とは無関係であると。何ならば、お前の家族を捜してやっても良い」

 

 

 和解は遠い。

 だが、家族を第一とするパウロにとって、悪い話ではあるまい。

 相互理解の一助となり得る。

 

 

「やめろ……。これ以上、オレの家族に手を出すな……」

 

「出さん。……まあいい、1ヶ月以内に再度この地を訪れよう。その時、お前と娘との再会は果たされよう」

 

 

 治療はまだ不十分だが命は繋がった。

 切り離されたままのもう一方の片腕は……。

 パウロの右腕を傍に横たえておく。

 両腕が繋がれば、回復しつつあるが未だに風前の灯火同然の命であっても、憎悪を糧に飛び掛かってくることを予測して。

 温情として地面に転がっていたルーディアの左腕を、パウロの千切れた右腕に添えておいた。

 一足早い、片腕同士の親子の再会である。

 意図したわけではないが位置関係上、その腕は手を取り合っていた。

 

 踵を返す。

 振り返りはしない。

 この顔を見せてはパウロも気が休まらないだろう。

 気遣いのできる龍神は、以後の行動を拠点への帰還のみを考える。

 他事に意識を取られれば、事をややこしくしかねないがゆえに。

 

 

「待てっ……!」

 

 

 呼び止める者が居た。

 もはや周辺の地形は変わり、谷まで形成されている中での乱入者。

 谷の向こう側にその人物は立つ。

 

 

「あなたが龍神オルステッド……か」

 

 

 まだ若い。

 少年のような見た目、しかし実年齢はパウロとそうは変わらないだろう。

 

 

「いかにも。そういうお前は北神三世アレクサンダー・ライバックだな?」

 

 

 その者は良く知っている。

 パウロ以上に数多き交戦回数。

 今回の世界では初めての邂逅ではあったが、既に数十もの戦闘を重ね、その力量の全てを把握済み。

 奥の手すら熟知しており、それを含めても真正面の戦いであればパウロ以下の存在に過ぎぬ。

 この舞台に立つには、いささか早い未熟者。

 

 

「よくもパウロ様をっ……」

 

 

 あれほどの激戦。

 寝静まった深夜であっても聞き付ける者は居るだろう。

 見やれば、アレクの周辺には複数の人影。

 

 

「ガル・ファリンオンに、ロキシー・ミグルディア──。ふむ、この世界ではパウロと徒党を組んでいるのだったな」

 

 

 谷間で隔たれようと、その姿を見間違える事は無い。

 とりわけガルなどは、果敢にも自身へ挑み掛かってきた過去がある。

 数あるループの中でも、最も多く龍神オルステッドへ敵対してきた人間の一人だ。

 

 

「よお、何年ぶりだァ? オルステッドォ……!」

 

「さあな。だが貴様は……多少なりとも腕を上げたようだな」

 

「ハッ……! てめえには届かねえだろうがなっ。で? パウロをどうするつもりだ。まだ生きてんだろうな」

 

「心配には及ばん。息はある。使徒でなければ殺さん。それにこの男は俺にとって有用だ」

 

 

 対峙する彼らはどうも自分を目の敵にしている。

 パウロとの失敗から、ますは対話から始める龍神。

 

 

「パウロさんから離れて下さい!」

 

 

 ロキシーが叫ぶ。

 心外だ。

 既に龍神はパウロから距離を取り、拠点へ帰投する最中であったのに。

 

 

「ロキシー・ミグルディア──。お前はたしかルーディアの師だったな」

 

 

 共通の知り合いの話題から切り込む。

 これで警戒心をほぐすのだ。

 我ながら妙案だとしてほくそ笑む。

 

 

「ルディに何をっ……! わたしの弟子ですっ! 指1本でも触れたら、ただじゃおきませんからっ……!」

 

「案ずるな。お前の教え子は無事だ。世話の者を付けて、丁重に保護している」

 

 

 ナナホシならば、既にルーディアと打ち解けているだろう。

 むしろ待遇としては配慮が行き届いている。

 不満など生じ得ない。

 

 

「その言葉には嘘しか感じられません……。パウロさんをそこまで痛めつけておいて、何故、そのような言い訳が通じると?」

 

 

 おかしい。

 なにゆえ自分の言葉を疑う一方なのか。

 人族も魔族の少女も、誰も龍神の言葉に耳を傾けず、取り合ってくれぬ。

 繰り返す世界を万年単位で生きるオルステッドの抱える最大の謎だ。

 いや、答えは出ている。

 己を苛む呪いの影響が強いのだ。

 何かしら自分にも過失はありそうな気もするが……。

 

 

「邪魔したな……。ここでお前らと矛を交えようとは思わん。互いにとって損失にしかならんからな」

 

 

 早々の撤収を決断。

 呼び止められたがゆえに居残ってしまった。

 これ以上留まれば、事態がどう急変するのか読めたものではない。

 前例に対しては強くとも、例外に対しては観察する癖のあるオルステッドにとって、この場は好ましくない。

 

 

「逃げるのか、龍神オルステッドッ……」

 

 

 アレクサンダーが叫びをぶつける。

 無視だ。

 

 

「おーおーっ……? 龍神様ってのも臆病風に吹かれんのか?」

 

 

 ガルの挑発。

 聞くに堪えん。

 

 

「わたしのルディをどこにやったんですかっ……!」

 

 

 教え子の身を案じるロキシー。

 尊いものだ。

 

 

「そんなに弟子が大切か……」

 

 

 その有り様に何を思ったか龍神は尋ねる。

 

 

「あなたには聞かせても解らないことでしょう……」

 

 

 望む回答は無し。

 ならば用はあるまい。

 龍神は静かにロアの地を去る。

 空気に融けるように跡形もなく──。

 

 

 

 

 

 

──パウロ視点──

 

 届きえぬ刃の無力さを痛感したパウロは、周囲に集う仲間達へと吐露する。

 顔を覗き込む彼らの顔に浮かぶ不安の色。

 

 

「オレは……奴に傷ひとつ付けられなかった。オルステッドの野郎は、まるで本気なんかじゃなかった……」

 

 

 負傷の大部分は癒えた。

 が、十分な治療が施される前に中断され、身体の各部位に残る傷と痛みが思考を乱す。

 意識もか細く、途切れるのも秒読み段階。

 内臓の損傷が尾を引いている。

 闘気にて強度を増強したとて、龍神の攻撃は強烈で防ぎ切れず、多大なダメージを置き去りにした。

 

 

「ルディ……。すまん……。こんなにも弱い父さん(オレ)で──」

 

 

 懺悔を言い残し、パウロ・グレイラットはひとときの眠りについた──。

 

 

 

 

 

──ルーディア視点──

 

 

「いや、何もかもツッコミどころ満載でしょ……」

 

 

 淡々と事実のみを話す無機質な口調のオルステッド。

 失策に失策を重ねて、交渉の‘こ’の字すら見えてこなかった。

 

 

「俺のミスか。やはり──」

 

「呆れた……」

 

 

 仮面の上から額を押さえるナナホシ。

 げしげしと彼の脛を蹴っていた。

 なんて恐れ多い……。

 その振動が俺にも伝わってくる。

 何故って?

 そりゃあ、俺が逃げ出さないようにと、右手をオルステッドの左手に繋がれているからだ。

 

 ヤダなぁ、こわいなぁ。

 龍神オルステッドと手を繋いで歩くなんて、悪い意味で心臓の鼓動が速くなる。

 トキメキなんて生まれようがないわ。

 ただ冷たい人間に見えて、奴の手にはきちんと生物としての温もりがあった。

 摩訶不思議だな……。

 この世界に極少数だけ存続する龍族とやらも、正しく人間の一種なのだろう。

 オルステッドは除外すべきだろうが。

 

 

「そういうわけだ、ルーディアよ。戦闘後、奴の容態も快方に向かいつつあるだろう」

 

「俺相手みたく腕を切断しておいて回復も何もあるかよ……」

 

 

 上級治癒魔術を使えば腕は繋がるだろうが……。

 オルステッドにこっぴどくやられた記憶までは消えて無くならない。

 パウロにとっちゃ、一生もののトラウマを植え付けられたわけだ。

 

 

「ていうか、ロキシー先生が父さまと一緒に?」

 

「ああ。そのようだ。この目で確認した」

 

 

 オルステッドの話に出てきたロキシー。

 シーローン王国から出国後の足取りを掴めていなかったが、そうか……パウロに協力してくれていたのか。

 

 

「ん? どうやら──尾行されているようだ」

 

 

 不意に立ち止まり、跡を誰かにつけられているのだと話すオルステッド。

 ロキシーの話をもっと聞きたかったのだが、水を差す者が現れた。

 不機嫌を露にして俺は背後へ振り向いた。

 ガッチリと結ばれた右手をそのままにして。

 

 

「え──? ロキシーッ……!」

 

 

 懐かしい人が居た。

 背格好は記憶の中の彼女と同様に小さい。

 今の俺と同じくらいか、やや高い程度か。

 青い髪が愛おしい。

 微かに漂うロキシーの香りが、鼻腔を通じて体内へと取り込まれる。

 ああ、良い匂いだ……。

 

 

「ルディ……!」

 

「先生……!」

 

 

 杖を携えた師匠は、俺だけをジッと見詰め、瞬きの後に憎き龍神オルステッドへ敵対心を発露させた。

 愛弟子を救わんとする気概に溢れている。

 俺なんかの為に、ロキシーは死を振り撒く者(オルステッド)の行く手を阻もうとしているのか。

 死を恐れない彼女の愛と勇気に心打たれる。

 

 

「転移魔法陣を使用したか──」

 

「まさかあのような物がこの時代に現存していたとは。しかし、わたしにとっては好都合でした。おかげでルディの下へ辿り着けましたので」

 

「侮れんな。フィットア領捜索団の組織力は」

 

 

 パウロの指揮下で敷かれた捜索網あるいは情報網がオルステッドを捕捉。

 ロアの町から立ち去るその足跡を、団員らが探知したのだろう。

 だが彼女は単独か?

 あまりに危険だ。

 ロキシーの様子を見ると、膝が震えていた。

 やはりオルステッドに対して恐れをなしている。

 恐怖心と嫌悪感が同居し、しかし俺を助ける為になけなしの勇気を振り絞っているようだ。

 

 

「貴様は独りか?」

 

「さあ、どうでしょうかね。その質問には答えかねます。即刻、ルディを解放すれば穏便に事は済ませましょう」

 

「断る。ルーディアはまだ渡せん」

 

「なぜです……?」

 

「パウロが話していなかったか?」

 

「彼はすぐに意識を失いました。ただ、あなたにルーディアが拐われたとだけ伝えてくれましたよ」

 

「ならば弁明させろ。ルーディアは近く返す予定だ」

 

「戯れ言はもういいです。黙ってルディを解放しなさいっ!」

 

 

 世渡り下手だな、オルステッドは。

 頭ごなしに自分の意見だけを遠そうとする。

 説明をすっ飛ばし過ぎなのだ。

 人質に取られている俺ですら、彼の目的の全容が知れぬ状況だ。

 現実逃避として、呑気に一連の流れの観測者に徹していた。

 

 

「ナナホシ、ルーディアを頼む。この者に言葉は通じん」

 

「ちょっと! また不要な争いを起こすつもり?」

 

「やむを得んだろう。だがロキシー相手に加減を誤ることもあるまい。先に言っておく、ルーディア。お前の師の命は保証しよう」

 

「いや、待てっ! ロキシーに手を出すというのなら、俺も黙っちゃいないぞ!」

 

「お前、少し黙れ──」

 

 

 う……、凄まれた。

 寒気が走り、身体が縮こまる。

 怯える仔犬のルーディア──。

 空気を読まずに言わせてもらうと可愛らしい。

 

 

「ほら、危険だから離れていましょう」

 

「いや、でもナナホシさん。あの人は私の師匠なんです。やられるのを指を咥えて見ているだけなんて! そんなのできないっ!」

 

「あなたって自分のことを私って呼んだり、俺って呼んだり忙しいわね。使い分けしているにしても、もしかして俺っ娘だったりする?」

 

 

 それはいま関係あることかいっ!

 

 ナナホシの疑問に答えてやる義理などあるか。

 だが結局のところ、俺にできる事は何も無かった。

 

 

「ルディ……。いま助けてあげますからねっ!」

 

 

 師匠の意地を見守る。

 その勇姿を目に焼き付けることでしか、弟子として応援してやれなかった。

 

 頑張れ、ロキシー──。

 どうか死なないでくれ……。



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54話 人質生活、ロキシーと共に

 始まってしまった戦闘。

 俺の予想だと勝負は一方的なものへと展開する。

 勝者はオルステッドで、敗者はロキシー。

 命運は既に定まっている。

 覆せるか──。

 

 

「もっと遠くに避難しなきゃ危険よ」

 

「いえ。ここに居させてください」

 

 

 引っ張るナナホシ。

 これより始まる戦いの空気に中てられたのか、肩に震えが見受けられた。

 俺だって怖い。

 けど、矢面に立たされているロキシーは凄まじい恐慌の中にある。

 弱音を吐くべきは俺ではない。

 

 

「はぁ……。巻き添えで死んじゃうなんて馬鹿げてるわよ」

 

「いえ、それでも私はっ……」

 

「ほら、言うこと聞かないとオルステッドに叱られるわよ。怖いでしょ、あの人のことが」

 

 

 それを言われると弱る。

 先ほど凄まれただけで、蛇に睨まれた蛙のように金縛り状態に陥ってしまった。

 俺からすれば龍神オルステッドは恐怖の象徴であり、やはり命を奪う殺人鬼。

 ナナホシとのやり取りで誤魔化され、忘れかけていたが──。

 奴の本質は変わらない。

 気を抜いたその瞬間、気紛れで殺されるなんて事も否定は出来ない。

 

 その場で踏み留まろうと脚に力を込めるが、やがて根負けしてしまった。

 手を引っ張られて、一定の距離を取ることとなった。

 ナナホシの行動に気を取られ、ロキシーとオルステッドの勝負から一瞬だけ目を離してしまう。

 戦場から距離を置きつつも、すかさずロキシーへと耳目をそば立てる。

 

 ロキシーはどうしている──?

 攻撃魔術の詠唱をしていた。

 無詠唱魔術の使えぬ彼女は創意工夫を凝らしたのか、短縮化された詠唱文を読み上げる。

 その技術の進歩は努力の証。

 俺やシルフィの無詠唱魔術の発動速度には劣るが、それでも尚、常ならぬ射出速度で放たれた。

 

 威力・規模共に俺の知るロキシーのそれを超越していた。

 その勇猛果敢さに滾る。

 ロキシーは強い。

 強くなったのだ。

 

 

「なるほど。この世界ではロキシーすらも変異していたか。ルーディアの存在の有無が流れを変えたか」

 

 

 観察癖のあるオルステッドは、その気になればロキシーを瞬殺できるにも関わらず防御側に回っていた。

 奴の悪癖だ。

 同時につけ入る隙にもなり得る。

 

 

「倒れてくださいっ……!」

 

 

 特大の火球がオルステッドの身を焼こうと飛来する。

 手の平から放たれた衝撃波が、炎の中央に風穴を開けた。

 ちょうどオルステッドの身体位であれば潜り抜けられるサイズ。

 その予想に違わず、龍神は穴に身を滑り込ませて回避してみせた。

 

 

乱魔(ディスタブ・マジック)は魔力消費が激しい。であれば使用を避けたいが──これほどの魔術。油断ならんな」

 

 

 乱魔(ディスタブ・マジック)とやらは、使用に際して魔力の消費量が多いらしい。

 以前見た感じ、相対者の発動する魔術に同規模の魔力をぶつけているようだ。

 魔術として完成する前に力ずくで散らすらしい。

 

 

水弾(ウォーターボール)っ──!」

 

 

 攻撃の手は止まない。

 間髪入れず放たれたのは水王級魔術師ロキシーの主要魔術(メインウェポン)

 詠唱文を改良したのか、その威力は初級魔術の域を逸脱していた。

 その攻撃範囲・威力・速度は王級並。

 初級魔術からの昇華っぷりに師匠への畏敬の念を強めた。

 

 

「ふんっ──!」

 

 

 神懸かりの進撃的な魔術。

 されど龍神は闘気で塗りたくった裏拳で弾き散らした。

 なんだ、こいつ!

 化け物かよ!

 とうに知っていたことだが、再確認させられた。

 

 

「龍聖闘気は帝級以下の攻撃を寄せ付けん。つまり、お前の底力がその程度であれば有効打は無いということだ」

 

「くっ……。それでも諦めませんよっ……! そこにルディが居る限り、わたしは負けませんっ!」

 

 

 不撓不屈の心を燃やすロキシー。

 まだ戦況は序盤。

 局面はまだ決していない。

 でも実力に詰め難い差があるのも事実であり、奇跡でも起きなければ因果は逆転しない。

 

 

「ふむ、ルーディアの師だけあって戦意は絶たれんか。気骨のある女だ」

 

 

 賞揚するオルステッド。

 されどロキシーは険しい表情で、その称賛を素直に受け取らず。

 彼女にしては珍しく舌打ちで応じていた。

 

 

水散弾(ウォーターショット)っ──!」

 

「お前の固有魔術(オリジナル・マジック)か」

 

 

 新魔術か。

 ロキシーは自作の魔術をお披露目する。

 

 水弾が三方向よりオルステッドへ殺到する。

 指向性を持つのか、逃げるオルステッドを追尾していた。

 魔術詠唱の短縮化に留まらず、新魔術の開発まで進めていたとは──。

 やっぱりロキシー師匠は偉大だ。

 俺のような前世の知識を活用し、ズルして天才と称される人間とは毛色が違う。

 真の天才魔術師とはロキシーを指すのだろう。

 

 

「正直なところ驚いた。ロキシー・ミグルディアよ。貴様は俺の出会ったどの魔術師よりも優れている。ルーディアと同等の才能だ。まったく──師弟共に興味が尽きんな」

 

 

 どうやらオルステッドの関心を惹いたか。

 だが余裕とばかりに、回し蹴りで三発の水弾を打ち消す。

 

 

「今のはお前の本気か? 評価に値はしよう。しかし俺には効かん」

 

「だったらなんです……。わたしはルディの先生──師匠なんです」

 

 

 師匠と呼ばれる事を嫌う彼女が、胸を張ってそう言った。

 その光景はかつて見たものだ。

 ブエナ村に居た頃に──外の世界に怯えていた俺を引っ張り出す為に、その呼び名を容認してくれた。

 

 

「ルーディアを介して磨かれた原石。その価値は俺の予想を大きく超えた。ならば敬意を払おう」

 

 

 前兆の無い雰囲気の変化。

 纏う闘気も急変したらしく、緊迫感が身体にひしひしと伝わってくる。

 オルステッドの今の見姿は、目にするだけで全身が焦げ付きそうなほどに灼熱のオーラに溢れていた。

 

 不味い、そう思った。

 オルステッドの行動が読めない。

 敬意を払うと話していたが、それは同時にロキシーの命を脅かすものであると本能で察する。

 だから止めなければ──。

 

 

「どこへ行くのっ……!」

 

 

 ナナホシの制止を振り切って走り出す。

 義務感──使命感──強迫観念。

 そんな感情が無理やり動かした……というわけじゃなく、ただ純粋にロキシーを失いたくは無かっただけだ。

 曇り無き想いで、ロキシーとオルステッドの間に身体を飛び込ませた。

 

 

「止めてくれっ……。師匠に手を出すなっ……」

 

 

 魔術の使えない俺に、何ができるのか。

 それでも熱情が俺に勇気を与えた。

 

 

「どういうつもりだ。言った筈だ。お前の師は殺さんと。俺の基本方針は不殺。使徒で無いのなら命を取る必要など有るものか」

 

「百歩譲ってそれは信じるとしよう。でも大切な人を傷つけられるって知って……。俺はそれを見過ごせない」

 

 

 一応の待ったは掛けられたか。

 背に守るロキシーは立て続けの魔術で疲弊している様相。

 それなりに魔力量の多い彼女だから、枯渇までにはまだ余裕はあるだろう。

 けれど疲労は着実に蓄積していく。

 戦闘続行は身の危険を呼び寄せる。

 

 

「ルディ……。ここに居ては危ないですよ。あなたはわたしに守られてください」

 

「いいえ、守られるばかりはイヤです。弟子が師匠を守っちゃいけませんか?」

 

「それは……」

 

「私だって成長したんですっ! だから──ここからは俺が戦いますっ!」

 

 

 封印術は変わらず解けず。

 魔力を練り上げては霧散させてしまう。

 この細腕だけで戦闘に身を投じなければならない。

 さて──オルステッドは……。

 

 

「そういうことか……。これまでの傾向から察するに、俺はこれ以上の攻撃を止めるべきか」

 

 

 あれ?

 意外にも手を引っ込めてくれた。

 

 

「俺の過ちは、いずれもこういった局面で生じている。ナナホシからの諫言でようやく気づいた」

 

 

 殺気が消失する。

 拍子抜けだ。

 彼の心境にどのような変化が起きたのか。

 甚だ疑問である。

 

 

「よかろう。降参だ。しかし、ルーディアはまだ渡せん。ゆえにロキシーよ。お前も同行するといい」

 

 

 何を言ってるんですか、この龍神様は?

 

 

「どういうつもりですか……。龍神オルステッド……」

 

 

 ロキシーが慎重に問う。

 

 

「お前が使徒でない事は経験則で知っている。無害であるのなら、こちらも計らおう。弟子が心配ならば付き添ってやるといい。俺を怖がるのであれば無理強いはしないが──どうする」

 

 

 その提案を受けるべきか。

 ロキシーは悩んでいる。

 視線は愛弟子と龍神を行ったり来たり。

 けれど最終的には俺へと歩み寄り、抱き締めながらオルステッドへと向き合った。

 それにしてもロキシーは良い匂いだ。

 首元に顔を押し付けて、その体臭を堪能する。

 

 

「本音を言えば、わたしはあなたが怖いです。ですが、このまま勝てない戦いで死にたくはありません」

 

「ほう──」

 

「ルディと一緒に居られるのなら、甘んじてその条件を飲みましょう──」

 

 

 彼女は選んだ。

 俺と共に在る道を。

 危険の伴う世にも恐ろしいオルステッドへの同行。

 されど後悔を感じられない、そんな顔つき。

 

 

「賢明な判断だ。決まりだな。ついてこい」

 

 

 顎で移動を促してから彼は背を向けた。

 今のいままで戦闘態勢にあった男の行動ではない。

 あいつの中じゃ戦いはもう終わっているのだ。

 こちらの感情に構うことなく。

 

 

「わたしは助かったのですか……?」

 

 

 生の実感、そして遅れてやって来た恐怖心に押し潰されそうになるロキシー。

 ペタンと地面に尻餅をついている。

 

 

「師匠……。よかった……。生きていてくれて、また会えて……」

 

「ルディ……。あなたこそ良くご無事で──。いえ、その腕の様子では、そう言い切れませんね」

 

 

 腕の切断なんて俺には怪我の内にも入らない。

 治そうと思えば治せるのだ。

 ただ少しだけ不便で、人を不安にさせてしまう。

 早いところ、オルステッドに身柄を解放してもらわねば。

 

 

「ねえ、あなたが交渉に成功するのって、わたしを保護して以降だと初めての事じゃないかしら?」

 

「ああ。だが頻度こそ少ないが、以前にも交渉の成功例はある」

 

「あらホント」

 

 

 ナナホシとオルステッドの会話から読み取る。

 あの男は、その攻撃性の強さから、交渉の成功率が著しく低いらしい。

 だが七大列強二位の肩書き──。

 そのネームバリューがもたらす恩恵は計り知れない。

 あんな怪物との取り引きに応じる者といえば、虎の威を借りたい弱者くらいだろうが。

 

 

「一国の王に協力を取り付けた事もある。ラノア魔法大学にも顔は利く。しかし、個人相手では俺の顔は好かれんらしい」

 

 

 なるほど。

 バックボーン無しの個人だと恐れゆえか攻撃的になってしまう。

 しかし組織・団体・国家といった集合体であれば、実態はともかく対抗手段を持つという考えで対話に臨める。

 ゆえに必要以上に敵対視することもないのだろう。

 強い者には媚を売り、益を取る事を優先して。

 

 

「ほら、行きましょう。私もあの男は信用なりませんがナナホシさんも居ますし、しばらくは大丈夫」

 

 

 そう思いたい。

 オルステッドはナナホシの言葉であれば、ある程度受け入れるみたいだしな。

 最低限の安全保障ではある。

 

 そして俺はロキシーを失わずに済み、奇妙なパーティーが組まれた。

 俺、ロキシー、ナナホシ、オルステッドといったメンバー。

 行き先は知らない。

 龍神いわく、別の拠点へ移動するとしか。

 

 なんであれ、生き延びた事を喜ぼう。

 

 

──

 

 

 旅の途中、転移魔法陣とやらを使用する事になった。

 けれど俺とロキシーには場所を見せられないということで、催眠魔術によって一時的に眠らされた。

 俺の知らない魔術だな。

 ヌカ族という、たった一人を残して絶滅した魔族の固有魔術だそうだ。

 

 目覚めると既に現地へ到着していた。

 建物の中で、壁に背をもたれさせる体勢。

 ふと隣を見ると、涎を垂らしながら心地良さそうに眠る恩師(ロキシー)の姿。

 ハンカチで涎の跡を拭ってやる。

 直後、彼女はパチパチと瞬き。

 キョトン顔で俺を視界に入れると、胸にもたれかかってきた。

 胸の脂肪がクッションとなって、優しく受け止める。

 甘えているのか。

 なに、この可愛い生き物!

 抱き締めても良いかな?

 

 

「おはようございます、ロキシー先生」

 

「あ、すみません。目覚めてすぐにこんな……。はしたないですよね?」

 

「いえいえ。私程度の胸であれば、いくらでも貸して差し上げますよ」

 

 

 

 約8年ぶりの師匠との再会だ。

 胸に込み上げるものは幾らでも有った。

 

 

「お互いのこれまでの事を話してみませんか?」

 

 

 話題を振ってみる。

 自分の事を話したいし、ロキシーの事も知りたい。

 そんな欲求が口を動かせた。

 

 

「そうですね。短時間では語り尽くせないでしょうけど。ルディのお話を聞かせてください」

 

「はい、是非。色々な事を経験しました」

 

 

 ウズウズする。

 俺の体験した苦楽を共感してほしい。

 慰めてもらって、それから褒めてもらいたい。

 子どものような気持ちで、頼れる先生に精一杯甘えてしまう。

 

 と、その前に状況確認だ。

 前回の拠点よりも広い。

 天井も高く、調度品も完備していた。

 ナナホシはソファーに腰を掛けて、本を読んでいる。

 こちらにチラっと仮面越しから視線を送ってきて、会釈を一つ。

 俺からも会釈で返しておく。

 

 オルステッドはこの場を留守にしている。

 所用で外出中というわけか。

 ロキシーも彼が居ては落ち着けまい。

 もしかしたらオルステッドなりの配慮か?

 いや、そんな思考があれば端から俺を拉致しないだろう。

 

 場所を移す。

 と言っても室内での範囲。

 ソファーは数脚有って、空いているソファーへと座る。

 テーブルにはティーポットとティーカップ。

 ナナホシの私物らしいが、自由に使ってくれと彼女は言ってくれた。

 自分とロキシー用に紅茶を入れる。

 

 ようやく準備完了。

 まずは何から話そうか──。

 迷った末に序章として選んだのは、ロキシーがブエナ村を発った直後、シルフィとの出会いから。

 ロキシーにとっての孫弟子だ。

 

 手紙のやり取りである程度の事情を知っているだろうけど、実際に対面しながら身振り手振りで語るのは味が違う。

 面白おかしく脚色し、話はボレアス家での日々へと進む。

 

 エリスの乱暴っぷり、そしてデレ期の到来。

 サウロス達に可愛がってもらったこと。

 現剣神ギレーヌに師事したこと。

 10歳の誕生日にはブエナ村から家族が祝いに来てくれたなんていう明るい話題にまで及んだ。

 

 しかしまぁ……その直後に転移災害があったわけだけど。

 旅の出来事も包み隠さず話す。

 スペルド族の戦士ルイジェルドに保護してもらったことを。

 ロキシーはビクついていた。

 幼少期よりスペルド族は子どもを食べる恐ろしい化物だと両親に教えられていたようだ。

 

 でも話す内に次第に認識を改めてくれたようで、会う機会があれば礼を言いたいとのこと。

 魔王バーディガーディや魔界大帝キシリカキシリスとの遭遇。

 魔族であるロキシーは大層驚いていた。

 人族の感覚だとアスラ国王と個人的な付き合いを持ったのと同義である。

 

 大森林では北聖ガルスを不本意にも殺めてしまった。

 耳にしたロキシーは涙を滲ませる俺を胸に抱き寄せる。

 小さいけど柔らかい──。

 ロキシーの確かに存在するおっぱいに安らぎを得る。

 心臓が鼓動を打っている。

 その心音をオルゴールに閉じ込めてしまいたい。

 

 ラトレイア家でのお家騒動及び祖母クレアの暗殺未遂事件については、複雑な表情を浮かべる。

 しかしゼニスとの再会が叶ったこと。

 妹のノルンと親しくなったと告げると、『よかったですね』と微笑んでくれた。

 

 パウロとゼニスの冒険者仲間であるエリナリーゼとタルハンド。

 2人についても語る。

 特にエリナリーゼの話は、ロキシーには刺激が強かったのか終始、顔を赤らめていた。

 町へ着く度に男漁りをするなんてハレンチなことだ。

 まあ、人の価値観など他人には計れんだろう。

 

 ここで一旦、ロキシーのターン。

 ロキシーのこれまでの軌跡が語られる。

 シーローン王国の宮廷より空の異変を観測。

 アスラ王国フィットア領へと到着する頃にはすでに被災後だった。

 

 パウロの下を訪ね、捜索団へ入団。

 各国から送られた刺客から団員を守るべく護衛に就く。

 北神三世の襲撃を切り抜け、捜索活動にも参加し、そして先代剣神ガル・ファリオンを仲間に加え、龍神オルステッドとの戦いに備えていた。

 

 その後の流れは、オルステッドから聞かされた内容とだいたい同じ。

 ロキシーは俺の為に、単独でオルステッドを追って救出に来たのだ。

 先代剣神と北神三世は、ベストパフォーマンスで次なる激化する戦いに備えるべく鍛練中。

 ロアの町にて待機中とのこと。

 

 ロキシーは敗北というか人質に加わるという妙な結果に終わった。

 お陰で俺は心の安寧は保たれたが。

 話は俺のターンへと戻る。

 

 中央大陸渡航後、シーローン王国での一件。

 パックス王子には嫌な思い出がつまっていたらしく、露骨に顔を歪ませていた。

 争乱の顛末を教えてやると、清々としたかのような顔。

 国外追放となったパックスに同情などしなかった。

 

 そして友誼を結んだザノバ王子。

 彼とは一度か二度程度しか会話する機会がなかったらしいが、怪力の神子と友人になった俺を『さすがはルディです』と称えてくれる。

 シーローン王国最高戦力との縁は、いずれ活きてくるとのこと。

 その辺の世渡りはいまいちわからん。

 

 そして遂に俺の物語の章は赤竜の下顎での悪夢へと到達する──。

 

 旅の仲間は龍神オルステッドになす術もなく倒され、粘ったエリスも失意の内に敗れた。

 俺なども胸を貫かれ、心臓を破壊された。

 超人的な治癒能力により命は繋がったが、そのまま拉致されて人質生活へと突入。

 数時間前にロキシーと合流し、いまこの環境へと至ったのだ。

 

 長い時間を掛けて語り終えた。

 飲み干した紅茶は5杯にも及んだ。

 飲みすぎてトイレに行きたい。

 

 

「ルディは楽しいことも辛いことも経験したんですね。それに比べてわたしは──」

 

「いえ、助けに来てくれただけで胸がいっぱいです。ありがとう、先生」

 

 

 感謝を述べ、どさくさ紛れにロキシーの首筋に顔をうずめて深呼吸。

 やっぱりロキシーの匂いは最高だ。

 こんなどうしようもない可愛いだけの弟子を、極楽へと誘ってくれる。

 

 

「ところでルディ」

 

「はい!」

 

 

 声色が変わる。

 なんだろうか?

 

 

「わたしがグレイラット家に忘れていった下着を返してもらえませんか?」

 

「あ……」

 

 

 絶句する。

 御神体(ロキシーのパンツ)の件は手紙にて知らせていた。

 最初は返すつもりでいたのだ。

 しかし、10歳の誕生日会の際にリーリャから箱入りで贈られて以降、ずっと俺の心の拠り所として支えてくれていた。

 だから手放したくはない……。

 

 

「すみません。今は手元に無くて」

 

 

 事実だ。

 オルステッド襲撃の折、ほとんどの荷物はその場に置き去りにしてある。

 エリス達が回収してくれているだろうから、紛失こそしちゃいないが、今や俺の手の届かぬ場所に在る。

 

 

「まぁいいでしょう……。でもわたしのあのパンツは……」

 

 

 ああ、染み付きのパンツだ。

 旅立つ前日の晩、パウロとゼニスの夫婦の営みをオカズにロキシーは自身を慰めていた。

 パンツにその行為の痕跡がある。

 それもウッカリで彼女は部屋に置き忘れ、俺の手元へと渡ったのだ。

 つまりロキシーは懸念している。

 自身の自慰行為を弟子に悟られていやしないか。

 安心してほしい。

 悟る以前の問題で、俺はロキシーのエッチな瞬間をこっそりと鑑賞していた。

 

 

「普通の女性用下着ですけど、何か気になることでも?」

 

 

 すっとぼけておく。

 師匠に恥は掻かせられん。

 ロキシーの顔を立てねば。

 

 

「あ、それならいいんです。はい、なんでもなくて」

 

 

 これでいいのだ。

 俺は正しいことをした。

 しかし、横で聞き耳を立てていたナナホシが一言。

 

 

「あなた達の師弟関係ってどうなのよ?」

 

 

 パンツ云々は、ナナホシの常識から外れているらしいね。

 

 

「それにロキシーさんの匂いを嗅いだりして……。ルーディアって少し変わった子よね」

 

 

 安心してくれ、自覚はある。

 でも人目くらいは気にするべきか。

 俺は一向に構わないが、ロキシーを俺の性癖に巻き込むのも問題だ。

 自重しよう。

 欲望に忠実になるのは淑女として相応しくない。

 

 

「ナナホシさんでしたか? ルディに親切にしていただいてありがとうございます」

 

「いえ。でもこの子って何だか放っておけないでしょう? つい構ってしまうのよ」

 

「わかります! ルディはしっかりしているようで抜けている部分がありますから」

 

 

 あら?

 話が弾んでいらっしゃるよ。

 意気投合って感じだ。

 

 

「ひとつ提案しても良い? ルーディアの検査だけど、ロキシーさんに手伝ってもらおうかしら」

 

「それを言っちゃうんですか……」

 

 

 恥ずかしくはない。

 だってブエナ村でロキシーと暮らしていた頃、一緒に背中を流し合った仲だから。

 裸の付き合いなど経験済み。

 今さら恥じ入る必要も無い。

 いやしかし……通常ではありえないシチュエーションで裸姿を晒すのは抵抗感があるか。

 ロキシーは変わらぬ姿だが、俺は女性的な体つきへと育ってしまっている。

 昔とは状況が違う。

 

 ナナホシが俺に対して実施している検査内容をロキシーへと説明する。

 みるみる内に顔を真っ赤にしたロキシーは、俺の顔を窺いながら意思確認の姿勢。

 期待を寄せている様子に、つい絆され頷いてしまった。

 

 

「心苦しいですが、わたしも弟子の為に一肌脱ぎましょう」

 

「脱ぐのは私ですけどね」

 

 

 そういった経緯で、明日以降の検査にロキシーも付き合う事になった。

 ナナホシも余計な世話を焼いてくれたものだ。

 

 

「ちょっとトイレに行ってきます」

 

 

 先ほどから催していた。

 会話に夢中でお漏らしなんて笑えない。

 

 

「ルディ、手伝ってあげます。片腕では不便でしょう」

 

 

 その申し出はありがたい。

 これまではナナホシに協力してもらって用を足していた。

 今後は名乗り出てくれたロキシーに任せてしまおう。

 

 

「私はお役御免ってことね。ルーディアの気持ちが楽になると言うのなら、反対はしないわ」

 

 

 ナナホシもその役を譲る事を快諾した。

 これ迄に介助してもらったこ感謝を伝えるべく、礼儀として一礼しておく。

 そしてトイレへ。

 具体的な内容の明言は控えておく。

 

 

──

 

 

 拠点を移してから数日が経過した。

 その間、ロキシーは献身的に俺を支えてくれた。

 食事の時も、着替えの時も、寝る時もずっと傍に居てくれて……。

 

 その優しさに触れて、徐々に彼女に心惹かれていくのを実感する。

 恋愛的な意味でなく、家族愛にも似たような感情。

 元々、姉のように慕っていた相手だ。

 そうなるまでには時間は掛からなかった。

 

 意味もなくロキシーを見詰めてしまう。

 後光が差しているかのような錯覚を起こす。

 常々、彼女を神のように崇め、その教えを守ってきた俺。

 そんな尊き人物が俺などに身を粉にして世話見てくれている事実。

 申し訳ない気持ちにもなるが、当の本人は嫌な顔ひとつしない。

 

 なので手を合わせておいた。

 神の寵愛を受けて矮小な我が身を恥じる。

 

 

「ここに来てからのルディは、おとなしいですね。元々、ヤンチャとは無縁でしたけど」

 

 

 そうかな?

 意外とお茶目な部分はあると思うが、まぁ恩師の前では猫を被りがちになってしまうか。

 

 

「先生には愛想を尽かされたくはありませんから」

 

「そんなことを心配していたんですか? 安心なさい。わたしは弟子を見放したりはしませんから」

 

 

 包容力のある言葉だ。

 姉のような女性に、ことさら心を預けてしまう。

 彼女の差し出した太股に頭を乗せて横になる。

 膝枕である。

 

 下から見上げるロキシーも可愛らしい。

 上から見下ろしてくるロキシーは美人だ。

 顔が寄せられ、生暖かい吐息が吹きかかる。

 鼻先がくすぐったい。

 

 

「あなたもまだまだ甘えたい盛りなんですね。大人びているのに不思議です」

 

「先生にだから甘えたいんです」

 

 

 背丈はロキシーに追い付いてきた。

 胸の大きさに至っては、はるかに凌駕している。

 魔術の腕は総合的にみれば俺がやや上か。

 それでも俺が目標とすべき人物に変わりなく、姉として敬う心は不変。

 同時に弱りきった俺の軟弱な心を、その温もりで抱き締めてくれる。

 だから心置きなく寄りかかってしまう。

 魔術師としては独り立ちしたが、姉妹としてはまだまだ巣立ちには時間が掛かりそうだ。

 いや、この関係を絶つ意味などあるまい。

 

 

「よく考えればルディはまだ成人していませんでしたか。子どもですね」

 

「子ども扱いするんですか?」

 

「大人のわたしからすれば、ずっと子どものようなものです」

 

「大人の先生は頼りになりますね」

 

 

 穏やかな顔をしたロキシー。

 まったりとした時を刻む。

 同室に居るナナホシは気まずそうにしながらも、読書で気を逸らしていた。

 チラチラと視線を感じる。

 時々、溜め息などついて呆れ気味。

 

 

「あ、ごめんなさい。ナナホシさん。イチャイチャを見せつけてしまって」

 

「謝らないでよ。別に文句をつける気はないわよ。時と場所を考えてほしいものね」

 

「ですね」

 

 

 ナナホシも寂しいのだろう。

 詳しい事情は知らないが、親元からやむを得ない理由から離れているっぽいし。

 それなのに砂糖を吐くような甘々とした光景を目の前にあっては、面白くはないだろう。

 俺は周りを見ていなかった。

 反省だ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 悲しげな吐息。

 彼女は──仮面を外し、目に溜まった涙を指で拭い取った。

 

 俺の視線はナナホシの顔へと留まる──。

 

 その顔はどこかで目にしたことがある。

 もう十数年も前の記憶。

 一瞬だけ見かけた、そんな短い記憶だ。

 馴染みのある顔立ち。

 知り合いってわけじゃない。

 顔の特徴が俺のよく知る世界のある国のそれで、無視などできなかった。

 名前や黒髪、ヒントは有ったというのに何故、思い至らなかったのか。

 

 そうか……ナナホシは──。

 

 ──日本人だったのだ。



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55話 ナナホシの素顔

 ロキシーの膝枕でまだ寝ていたい、そんな内より湧き上がる欲を鎮め身を起こした。

 急な俺の慌てように、2人とも何事かと視座を定めてくる。

 日本人風の少女の顔をしたナナホシの前へと立ち、不躾にも凝視してしまった。

 俺の好みからは外れるが美人だと思う。

 

 

「え、なに?」

 

 

 戸惑うナナホシ。

 涙は止まったようだが、目の周辺を赤く腫らしている。

 

 さて、記憶に残るその姿を思い浮かべる。

 ああ、やはりそうだ。

 ナナホシはあの時の女子高生──。

 前世で俺が死ぬキッカケとなった交通事故。

 その現場に居合わせた女の子である。

 

 確か彼女は痴情のもつれか何か知らんが、男女で口論していた。

 突っ込んでくるトラックに気付かず、俺同様に事故に巻き込まれたものと判断していたが──。

 この世界に転生してたのか?

 

 うん?

 だとしたら不可解だ。

 なぜ、ナナホシは生前と同じ顔なのだろうか。

 転生であるのなら、俺然り別人として生まれ変わる筈だ。

 なのに彼女はまったく同じ見た目。

 それどころか12~13年経過しているのに、欠片も老化を確認できない。

 

 顔が変わらないのは、もしやトリップとかいう現象でこの世界に迷い込んでしまったからか。

 だとしても年を取らない理由は?

 まさか日本人が異世界で長寿化するというわけでもあるまい。

 

 

「すみません、あなたの素顔をはじめて見たもので。つい身を乗り出してしまいました」

 

「あら、そうだったかしら。私って、この世界じゃ珍しい顔立ちだから人目を集めやすいのよね。だから常日頃、顔を隠すようにしていたのだけど」

 

 

 仮面を被り続けていた理由は単純だった。

 この世界で日本人的な顔立ちは希少性が高いだろう。

 奴隷としての価値も高値がつきそうだ。

 人攫いなどの魔の手からの自衛の為にも、あの妙な白い仮面を装着し続けていたのだと推察する。

 

 

 

「美人ですね」

 

「口が上手ね。でもルーディアに言われても、言葉通りには受け取れないわね」

 

 

 少なくとも中央大陸ではお目にかかれない顔の造り。

 異国情緒あふれる女性とは魅力的に映るものだ。

 そうでなくとも、ナナホシの顔は美少女と言っても差し支えない程度には整っていた。

 クラスで3番目以内に入るくらいには可愛い。

 いや、この世界に来て美人な女性と多く接触してきた俺の目が肥えているだけだ。

 ナナホシはクラスで一番目を張れるレベル。

 この世界でも十分に別嬪さんとして通用するだろう。

 エリスやロキシーには敵わんがな。

 

 さてどうすべきか。

 俺が転生者であると打ち明けるのはリスクが高い。

 どんな化学変化が起きるのかわからない。

 なんつーか、前世の自分の正体をバラしたくないのだ。

 醜い無職の男。

 思い出すだけで吐き気がする。

 てか、前世ヒキニートの男だった経歴の持ち主ルディちゃん。

 そんな俺の下の世話をしたと知られたら、どんな罵倒を浴びせられたものか。

 想像するだけで目眩がする。

 

 それにだ。

 魔術か何かを用いてオルステッドが盗聴している可能性もなきにしもあらず。

 無闇矢鱈に俺の秘密を吹聴するものではない。

 転生した事実は両親であるパウロとゼニスにすら秘匿すること。

 俺本人以外でこの秘密を知るのはヒトガミだけだ。

 

 

「ナナホシさんはエキゾチックな方ですね。魔大陸出身のわたしでも、目が釘付けになります」

 

 

 この世界の住人であるロキシーをして、ナナホシの容姿は特徴的かつ魅力的なのか。

 好みのタイプは俺とナナホシのどっちかね?

 

 再びロキシーに身を寄せる。

 両太股を開いて空間を作ってくれた。

 すっぽりと身体を収めると、待ってましたとばかりに背中からロキシーの腕が回された。

 自重などもう忘れた。

 

 

「あなた達の前でまで素顔を隠すこともないわね。あの仮面ってけっこう息苦しくって」

 

 

 ナナホシは最近まで俺を警戒していたのか?

 まあ、むこうの認識としては俺って現地人だしな。

 とりあえず今は俺の正体は黙っておこう。

 お互いに心にダメージを受けるだけだ。

 

 

「ちなみにフルネームは何と言うのですか?」

 

「ナナホシ・シズカよ。変わった響きでしょ」

 

「ナナホシが家名で、シズカが名前──ということですね。中央大陸では聞き慣れませんけど、良いお名前だと思います」

 

 

 円滑な人間関係を築くにはお世辞から。

 お互い秘密を抱えた者同士だが、そんなのはどの人間でも同じ。

 ありふれた話だ。

 誰だって自分の秘密──例を挙げるなら性癖を隠しておくものだろう。

 ちなみに俺は匂いフェチだ。

 ただしエリスとロキシー限定。

 

 

「あれ、ひとつ気になったのだけど。どうしてナナホシが家名だと分かったの?」

 

 

 あ、しまったな。

 ポロッと失言してしまった。

 この世界じゃ家名なんて貴族や豪商くらいしか名乗っちゃいない。

 ましてや特殊な事情を除いて、名乗る際に名前+家名の順となる。

 

 なのに俺はナナホシ・シズカと耳にして、考える素振りもなく家名と言い当てた。

 日本人の名前の法則性を知る人間だと疑いを掛けられてしまったらしい。

 言い訳に困り果てる。

 当てずっぽうで答えたなどという弁明が通用するわけないし。

 

 

「細かいことは気にしなくてもいいじゃないですか。なんとなくで言ってみた結果のまぐれ当たりですって」

 

「怪しい……。嘘は為にならないわよ」

 

 

 目を細めて疑いを強めるナナホシ。

 勘弁してくれ。

 口を割るつもりはないのだ。

 

 

「そうね、確認してみようかしら」

 

 

 ナナホシはテーブルに紙を敷くと、羽ペンで文字を書き込んだ。

 文字を書く音が重々しく聞こえる。

 2~3分して書き終えたのか、紙を眼前に突きつけてきた。

 

 

「質問には正直に答えて。私はあなたを友人だと思っているの。だからお願い」

 

 

 真剣な眼差し。

 目を逸らせなかった。

 彼女の本気の覚悟が込められている。

 死活問題であるかのように追い詰められた表情。

 適当にあしらうのは躊躇われた。

 オルステッドによる盗聴への懸念も、この流れの中では些末な問題へと成り下がる。

 答えるしかないか。

 

 質問は3つ。

 全て()()()で記されている。

 

 1つ目の質問。

 

 『篠原秋人──黒木誠司。この名前に見覚えはある?』

 

 無い。

 しかし、予想はつく。

 あの事故現場に居た少年達の名前だろう。

 

 続いての質問、2問目。

 

 『この言葉は理解できる?』

 

 できる。

 何せ俺は日本人だったのだ。

 母国語である。

 この問いにどう答えるべきか──。

 

 視線をさ迷わせていると、ナナホシが手をギュッと握ってきた。

 正直に話せと、目で訴え掛けている。

 俺は──首肯した。

 

 

 ラスト、3つ目の問い。

 

 『あなたはどちら?』

 

 どちらでもない。

 前世での性別が男であるのは共通しているが。

 今度は首を横に振った。

 

 俺を抱えるロキシーは、不自然そうに顔を覗き込んでくる。

 更に抱擁を強めて遺憾の意を示してきた。

 嫉妬深いね。

 

 冗談は終いだ。

 ナナホシの要求に応じてやろう。

 そして発声する。

 懐かしい日本語で。

 

 

「私はどちらでもありませんよ。見覚えもありません」

 

 

 久方振りに話す日本語はやや発音が拙かったが、聞き取りに問題はないだろう。

 

 

「日本語は話せるのね。数日前の話によると、あなたの生まれはこっちみたいだけど転生者ってところかしら」

 

「そんなところです。そういうナナホシさんは?」

 

「トリップよ。わけも分からない内に、気が付いたらこの世界に転移していたの」

 

 

 認識は正解だった。

 ナナホシはトリップでこの世界に渡ってきたのだ。

 

 

「あの、お二人とも。その言語はどこの国のものですか?」

 

 

 ロキシーが頭に疑問符を浮かべながら問う。

 どう答えてやれば良いのやら。

 

 

「巷で流行ってる架空言語ですよ、先生」

 

「架空ですか? 誰かが創作したということですね」

 

 

 言い訳としては良い線行ってると思う。

 納得した様子で聞き手に徹するロキシー。

 まるで理解なんて出来んだろうけど。

 

 

「オルステッドはあなたを知らないと話していた。だからもしかしたらって予感はしていたけれど、転生者だなんてね。やっぱり前世の記憶があるのよね」

 

「記憶はありますけど、生前は子どもでしたよ」

 

 

 社会にも出ていないニートだったのだ。

 精神年齢はガキのまま。

 口が裂けても大人とは言えまい。

 親にワガママ言い放題で幼稚な人間だった。

 

 

「そう……。お気の毒に。幼い内に亡くなってしまったのね」

 

 

 勝手に都合の良い風に解釈してくれた。

 

 

「生前のお名前は?」

 

「言いたくありません。嫌な思い出しかありませんから。苛められていたんです……」

 

「辛かったでしょう。ごめんなさい、あなたの過去をほじくり返して」

 

 

 苛めを苦に自ら命を絶ったのだと思い込んでいるのか、視線を落として項垂れている。

 いやまぁ……苛められていた過去は事実としてはある。

 だが死亡した原因との直接的な因果関係は皆無。

 ニートになった切っ掛けではあるが。 

 

 

「日本語を話せるのはどうしてかしら」

 

「今はこんな西洋風なナリですけど、前世ではれっきとした日本人でした」

 

「同郷というわけ? 親近感が湧くわね。でもあなたの事情を鑑みれば、私への協力は無理強いできないわ」

 

 

 頼みごとでもあったのか、思惑が外れて声のトーンが不安定だ。

 

 

「元の世界に戻る為に手を結んで欲しかったのだけど、その様子だと日本に戻りたくはないでしょ」

 

「はい……。あの世界での暮らしは、私にとっては地獄のような日々でした」

 

 

 気の晴れない毎日が続いた。

 両親は亡くなり、兄弟からは実家を追い出され、挙げ句に事故死。

 救いようのない末路だ。

 

 

「でも協力はしますよ。ナナホシさんには短期間ですけどお世話になっていますし」

 

「いえ、対価としては足りないわ。私の都合にあなたを付き合わせるのはちょっと……」

 

 

 気が引けてるのか、口ごもる。

 遠慮なんてしなくてもいいのに。

 親しき仲にもなんとやらってやつか。

 

 

「協力を受けるかは別として、ナナホシさんのこれまでのこと。この世界での経緯を聞かせて戴いても?」

 

「良い機会だし話しておきましょう」

 

 

 そうしてナナホシ・シズカは自身の身に起きた不幸を語り出す。

 

 

──

 

 

 アスラ王国内のどこかの平原にナナホシは地球から転移してきたらしい。

 飲み水も食べ物もない状況でさ迷った末に、行き倒れになりかける。

 そこを龍神オルステッドに保護された。

 

 

「オルステッドは悪人ではないのですか?」

 

「人に嫌われる呪いを抱え込んでいるようね。敵に対しては容赦の無い過激な人だけど、私にとっては恩人なのよ」

 

 

 立場が変われば事の善悪も変わると……。

 父親(パウロ)をボコられた俺からすれば、悪い奴という認識は揺るがない。

 

 話の続きだ。

 ナナホシは一年ほどで人間語をマスターし、この世界の基本的な文化や風習を学んだ。

 魔術の存在や、剣士が幅を利かす世界だってのも、この時期に認識したらしい。

 

 翌年には、地球での知識を活かして被服技術や料理のレシピを売り込み、利権を確立。

 一財産稼いでおり、既に生涯賃金数人分の蓄えがある。

 

 3年目、まぁ今だ。

 ナナホシの同級生の男子2人がこの世界に渡っていないかの確認、またその消息を追って世界中を回っている最中とのこと。

 転移魔法陣を活用し、効率的に世界を旅した。

 これといった収穫は無し。

 元の世界へ帰る為の手段も模索状態。

 そんな時に俺と遭遇した。

 というか、オルステッドが俺目当てに探していたようだ。

 

 ふむ、ナナホシの苦労は俺以上かもしれん。

 オルステッドという最強の護衛が付いていても、故郷から遠く離れた異世界の土地。

 家族にも未練があるようだし、心細かっただろうに。

 

 

「もう少し捜索してダメだったら、ラノア魔法大学に拠点を置くつもりよ。方針を変えるの」

 

「それはどういった?」

 

「ある人から言われたのよ。お前は召喚術によってこの世界に招かれたんじゃないかって。もしかしたらあの2人はまだ地球に居て、私だけが此処に渡ってきたのかも。だから地球に帰る為に召喚術を学びたいの。詳しく召喚術を調べたいのなら、ラノア魔法大学が一番って話だし」

 

 

 ラノア魔法大学はロキシーの母校だ。

 やはり権威ある教育機関か。

 いつか俺も通ってみようかな。

 

 

「その方は転移事件について何か言及していましたか?」

 

 

 よく考えれば、ナナホシがこの世界に渡ってきた時期と、フィットア領転移事件の発生時期が一致する。

 関連はあるだろう。

 

 

「その人にも転移事件の仕組みというか根本的な原因は解らないって。でも……私がこの世界にやって来た反動で魔力災害が起きたかもしれないって」

 

 

 ナナホシのせいではないだろう。

 聞いた感じ、何者かが無理やりナナホシをこの世界に拉致し、その余波で魔力災害が起きたと考えるのが自然だ。

 彼女が罪悪感を抱くことはない。

 ただ本人の気分は悪いだろう。

 

 それと……ナナホシが転移したであろう事故現場に俺は居た。

 あり得ないとは思うが、転移災害の原因に俺も一枚噛んでないよな?

 

 

「転移災害にオルステッドは関与していないということですか?」

 

 

 ふと気になった。

 龍神オルステッドは悪者。

 その先入観からもしや転移災害の首謀者なのではと……。

 ここ数日間、そんな考えがよぎっていたのだ。

 

 

「彼は転移事件とは無関係よ。そしてオルステッドにも原因は解らないんだって」

 

 

 ならそれはそれで一向に構わん。

 どのみち油断ならない奴だ。

 警戒を怠るな。

 次にヒトガミに会ったら、対オルステッド対策のアドバイスでも頂戴しようかしら。

 無論、あのモザイク野郎の言葉を全肯定するのは考えものだが。

 

 

「そうだ。進路を決めかねているのなら、ラノア魔法大学へ入学したらどうかしら。以前、赤竜の下顎で拝見したあの魔術の腕前なら、学費免除の特別生として入学できると思うの」

 

「視野に入れたいと思います。その時に余裕があれば」

 

 

 まずはこの軟禁生活を脱却しなければいけない。

 オルステッドの発言が真実なら、黙っていても俺達はじきに解放されるみたいだが。

 

 

「そういえば私、この世界に来て3年も経つけれど年をとらないのよね」

 

「私は普通に成長しているみたいですが?」

 

「転移者と転生者の違いかしら。その辺りも追々調べていくとしましょう」

 

 

 なんにせよだ。

 ナナホシを保護した事から考えるに、オルステッド自身は極悪人かどうかは微妙になってきた。

 ナナホシも話していたように、敵対する者に対しては苛烈に当たり散らし、その上、強行手段に出る人物だ。

 だから余計にその危険性が際立つ。

 俺も抵抗し過ぎて敵認定された……。

 殺されかけもしたし。

 

 人神もそうだが神と名のつく存在はおっかない。

 以前にも思ったことだが、小市民の俺が関わるべきじゃない。

 奴ら、腹の中で何を考えているのか全然分からん。

 

 で、神は神でも龍神の件について──。

 パウロ達は打倒オルステッドに燃えているようだが、今までの話から考えると別に争う必要性を感じない。

 要するに自分から絡みにいかなければ、オルステッドも手出しをしてこない筈。

 

 それなのにパウロ率いる剣士組は、龍神に戦争をふっかけようとしている。

 立ち回り方によっては幾らでも戦争を回避できそうなのに。

 顔を見た瞬間、殺し合いへと発展しそうだな。

 そこは俺が仲裁役を買って出て、話を穏便な方向へと持っていこう。

 

 

「最後に質問だけど、あなたの前世での性別を教えてもらえる?」

 

「今と同じです」

 

「オーケー、女の子ってことね」

 

 

 心は男。

 間違った事は言ってない。

 おっさんから美少女に転生しただなんて知られたら、ナナホシはどんな顔をすることか。

 気色悪がられそうで怖い。

 そうなりゃあ、俺のメンタルはズタボロだ。 

 言葉を濁し、事実を伏せておく。

 

 

「ひとまず今話すことはこのくらいね」

 

「日本語、忘れてなくて良かったです。こうしてナナホシさんと秘密を共有出来ましたし」

 

 

 話していない事はまだある。

 だが教えずとも影響の無いことだ。

 逆にナナホシも俺に秘していることがあるだろう。

 スリーサイズとかな。

 

 以後、日本語をしばらく使う場面はないだろう。

 ロキシーも居ることだし、人間語へと戻す。

 我が恩師もハブられちゃ傷つく。

 

 

「すみません、先生を仲間外れにしてしまって」

 

「気にしてませんけど、今度わたしにもその言語を教えてください。興味が湧きました」

 

「時間があれば、はい。でも発音とか難しいと思いますよ」

 

 

 日本語はガラパゴス化の進んだ言語として有名だ。

 日本語の習得レベルは海外の人間にとって難易度が高い。

 発音や文法、微妙なニュアンスの違いなどで躓きがち。

 それでも勤勉なロキシーなら、いずれは習得するだろう。

 しかしまぁ、話半分だ。

 労力の割に使いどころが無いし。

 

 

「暇をもて余しているんです。今のわたしは魔術も使えませんし、他にする事が無いので」

 

 

 そういえばそうだ。

 ロキシーが俺に付き添う条件として、オルステッドは魔術の封印を指定した。

 彼女は渋い顔をして受け入れ今に至る。

 つまりこの建物内には、白兵戦のできないか弱い少女3人が集まっている。

 いや、俺は多少の徒手空拳は扱える。

 それでも中級クラス以上の相手には筋力で劣り、負けは必至だろうけど。

 

 尤も、建物の周辺にはオルステッドが知人より教わったという結界魔法陣が張られているらしい。

 王級レベルの人間でなければ突破出来んそうだ。

 つまり外敵に怯えることもない。

 逆を言えば俺達も出入りも自由な出入りは無理ってことになる。

 

 けれど生活に不自由が無いようにと1日に1回、オルステッドが物資を差し入れしてくれている。

 というか近くで見張ってんの?

 じゃあ、どう手を尽くそうが逃げ出せそうにない。

 

 

「さあ、今日の検査を始めましょうか」

 

 

 逃走を企てる俺に狙い澄ましたかのようなタイミングで、ナナホシは宣告する。

 今日もまたあの時間だ。

 服を脱がされて、恥部を露出して──。

 ロキシーの目を汚してしまわないか不安である。

 

 

「ルディ、何か心配しているようですけど」

 

「いえ、私の裸体が見苦しくないかと」

 

「気にせず楽にしてください。大丈夫、綺麗ですよ。変なこともしませんから」

 

 

 やや上気した様子でやんわりと言う。

 彼女の胸中にある思いは期待感。

 愛弟子の裸を見たいという情熱が見え隠れしている。

 ……いや、自意識過剰か。

 あのロキシーがそんな邪な感情を俺に向けるものか。

 

 ──そして恒例となった検査タイム。

 ロキシーは誠実だった。

 視線にやや怪しい気配を感じたが、必要最低限の接触に留まった。

 YESロリータNOタッチの精神とお見受けする。

 そもそもロキシー自体がロリっ子体型ではあるが。

 

 もうしばらく窮屈な生活は続く。

 けれどロキシーが傍に居る今、穏やかな時間を過ごせるだろう。

 この時間を有効活用しよう。

 例えばどんな言葉でパウロを説得し、オルステッドとの敵対の意思を鎮めるか──。

 熟慮し誰も犠牲にならない道を模索する。

 

 

 

 

 

 

──ロアの町──

 

 

 エリス達の旅は仮初めながら終わりを迎えた。

 囚われの身にあるルーディアを救出すべく、ついぞロアの町へと到達したのだ。

 龍神の気配は無し。

 されどそう遠くない日の決戦を予感した。

 

 ロアの町の景色を眺める。

 既知のことではあったが目にして実感する。

 やはり転移災害の爪痕は色濃く残されているのだと。

 町の復興はある程度は進行しているようだが、何処と無く寂れた雰囲気が漂う。

 

 何よりも目を惹いた光景は、新造された城壁の外縁部に形成された崖地。

 転移災害による主だった被害は物体の転移であった筈だ。

 断じて地形そのものを変えるものではない。

 真新しさの感じられる地殻変動。

 荒涼とした空気は見る者の心象風景を侵食してゆく。

 

 フィットア領捜索団の拠点、すなわち本部の所在地であるロア。

 この地を起点に復興の輪が広がっている。

 しかし……かつてボレアス家の館が高々と位置していた町の中央部。

 現在、その中心部には一切の建造物は在らず、かつての面影は失われたまま。

 小高い丘だけが静かにそびえていた。

 

 ただし、ボレアス家跡地の周辺を取り囲むように新たに区画整理を行った上で、続々と家屋や商店が建造されている。

 その実態に反して人気は疎らなものだが。

 町へ足を踏み入れて以降、規模の割にはほとんど人の姿を確認出来ない。

 まるで別種の災害に見舞われた直後のような物寂しさ。

 もしや住人は更なる被災を恐れて避難しているのか……。

 

 

「活気が無いわね……。本当にここはロアなのかしら。復興が進んでいるとは聞いていたけど、この感じは……」

 

 

 この世に生を受けてから12年間もの月日を過ごした故郷の変わりように、エリスは胸の奥が痛むのを感じる。

 祖父サウロスや両親のフィリップとヒルダ、剣の師であるギレーヌ、そして義妹ルーディアと紡いだ思い出の町並みは消えた。

 復興は喜ばしいことだ。

 消失した人々の営みが形を変えて取り戻される事は歓迎しよう。

 

 しかし……僅かに見かける人々の顔には、およそ笑顔と呼べる表情は見受けられない。

 誰もかれもが未来に希望を持てず、明日のささやかな幸せすら見出だせずにいる。

 悲壮感に染まっていた。

 

 

「まずは捜索団本部へ向かう。そこで安否報告と現状確認だ。お前はボレアス家の人間。相応の扱いをされるだろう」

 

「でしょうね」

 

 

 ルイジェルドの言葉を空返事で済ませるエリス。

 前フィットア領主サウロスの孫娘であるエリスには、当然ながら捜索願いが発令されている。

 ボレアス家の本家筋の人間であることから、発見され次第、彼女の身は手厚く保護される見通しだ。

 ボレアス家の実権を影より握るパウロからも、そういった旨の指示が出ているものと思われる。

 そしていま、エリスは自らの足で帰還した。

 

 祖父や両親不在の現在、家督は伯父ジェイムズが継いでいるにしても、エリスがボレアス家の一員である事実には変わりない。

 よって一定の立場を保持していると見ていいだろう。

 パウロの後ろ楯だってある。

 必要な情報を得る身分としては十分だ。

 

 

「たしかルーディアのお父さんが捜索の指揮を執っているのよね」

 

 

 パウロ・グレイラットは捜索団の全権を握る最高責任者。

 すなわち彼の下に全ての情報が集約される。

 こちらから情報提供せずとも、龍神オルステッドによるルーディア拉致の報は届いているだろう。

 すべきことには変わりない。

 龍神オルステッドとの戦いに備えて協力関係を築くのだ。

 

 

「この町にパウロが居ますのね。まずはゼニスとノルンの無事を知らせませんと」

 

 

 既にラトレイア家から書簡を送付済み。

 しかし、急ぎ足でロアの町を目指したゆえ、デッドエンド一行が手紙より一足早く到着した。

 詳細は直接対面して説明した方が手っ取り早く正確だ。

 

 

「案内板によると、本部は大通りの先にあるみたいじゃな」

 

 

 新生ロアの町の大通りをひたすら真っ直ぐに進み、視線の先にやや背の高い建物の存在を認める。

 質素な外観の3階建て。

 看板には冒険者ギルドと記されている。

 

 

「あれが捜索団本部なの? どう見たって冒険者ギルドじゃないのよ」

 

「早合点するでない。捜索団が間借りしておるんじゃろう」

 

 

 国の支援が厚くなる以前、捜索団本部は草原にテントを張っただけの簡素かつ粗末な物であった。

 新設された冒険者ギルド・ロア支部がまだ本格的に始動していない状況も有り、捜索団が業務円滑化を目的として一時スペースを借りているのだ。

 

 

「あら、ご立派な建て構え。平常時であれば、ここで殿方にお声掛けしていましたのに。今回は自粛しますの」

 

「酒場もあるようじゃが、いまは飲む気になれんのう」

 

 

 エリナリーゼとタルハンドは、自身の欲求を抑え込み緊張感を持って臨む。

 

 

「情報を仕入れ、パウロ・グレイラットとの面会を図る。やることは理解しているな」

 

「ええ。パウロさんに会うのも久し振りね」

 

 

 捜索団責任者であるパウロへの面会を求めるのであれば、たしかな身元の保証が必須だ。

 この場で確固たる身分を持つ者はエリスのみ。

 対外的にルイジェルドらは護衛として随伴する身に過ぎない。

 よってエリスが代表者として先頭に立ち、ギルドへと足を踏み入れる。

 

 その瞬間、エリスは感覚で理解する。

 姉のように敬愛し、長く再会を待ち望んだ人物が其処に存在するのだと。

 息遣い、足運び、表情──。

 そのどれもが懐かしく、待ち焦がれてきたものだ。

 

 

「ギレーヌッ……!」

 

 

 名を叫ぶ。

 考えるよりも先に駆け出し、ぶつかるようにして抱き付いた。

 彼女がエリスの来訪を認識するより前に。

 

 

「エリスッ──! いや、エリスお嬢様っ……! ご無事でしたかっ……!」

 

 

 当代剣神ギレーヌの姿が目の前に──。

 剣神流の長が何故剣の聖地を離れ、この地に逗留するのか。

 少し考えればボレアス家との縁を通じて、捜索・復興活動に手を貸してくれているのだと分かる。

 なんであれ災害によって別たれた師弟は再びまみえた。

 いまはこの巡り合わせを祝福する。

 

 

「畏まった話し方はやめなさいよ。エリスって呼びなさい」

 

「そうだな……。無事で本当に良かった。こちらから探しにいけず、すまなかった……」

 

 

 力なく倒れる猫耳を、場違いにも可愛らしいと思うエリス。

 とはいえ恨み言などあるまい。

 被災直後、ギレーヌとて混乱の真っ只中であったのは明白。

 責めるべきは不条理な運命だ。

 

 

「そちらの男は手練れのようだが、護衛の者か?」

 

「仲間よ。彼はルイジェルド・スペルディア。スペルド族だけど優しくて懐の深い男よ。私とルーディアを中央大陸まで守ってくれたの」

 

 

 ギレーヌの視線がルイジェルドへ注がれる。

 少し経ち視線をズラすと、旧友の顔が目に飛び込んだらしく表情を一変させた。

 

 

「エリナリーゼとタルハンドも居たのか。なるほど……お前たちもエリスを守ってくれていたのか」

 

 

 黒狼の牙の旧メンバーが会する。

 けれど感傷に浸っている時間すらも惜しんでいる様子。

 まずは互いの持つ情報交換である。

 

 

「ギレーヌ。お祖父様は──」

 

「サウロス様は転移災害が起きてすぐにこちらで保護した。現在は王都のボレアス家本家に滞在している」

 

「やっぱりお祖父様は生きていてくれたのねっ!」

 

 

 祖父サウロスの生存が不明であった事から、エリスは何度も不安を口にした。

 その度にルーディアに慰められたものだ。

 

 

「お父様とお母さまはシーローン王国で救出済よ。私たちより少し遅れてフィットア領へ向かっている最中ね」

 

「フィリップ様と奥様も無事か。ボレアス家からは誰も犠牲者を出さず済んだのだな……。しかし、ルーディアは──」

 

 

 やはり……既にルーディア拉致の件は知れ渡っているようだ。

 

 

「龍神オルステッドに拐われたか」

 

「ええ……。私の目の前で」

 

 

 ただ肯定するのみ。

 言い訳など不要。

 

 

「あたしもロアの町へ戻ってきて日が浅い。アルフォンスから得た情報も芳しくないものばかりだ。例えばルーディアの魔術の師──水王級魔術師ロキシー・ミグルディアも龍神の手に落ちたと聞く」

 

 

 初耳だ。

 ロキシー・ミグルディアは、日々ルーディアが尊敬の念を口にして止まなかった人物ではなかったか。

 

 

「パウロさんは……?」

 

 

 頼るべき人物の所在を尋ねる。

 愛する義妹の実の父親。

 彼次第で今後の作戦が決まる。

 

 

「アイツは……。先日、この町を強襲したという龍神と交戦し叩きのめされた。その末に昏睡状態に陥り、まだ意識が戻らん」

 

「オルステッドがこの町に──」

 

 

 先んじて戦闘が繰り広げられたのか。

 頼りの綱としていたパウロの敗北をここにきて知る。

 思惑は早くも打ち砕かれた。

 パウロを戦力に加え、再戦を挑もうにも本人が目覚めぬ状況では目処が立たない。

 

 

「詳しいことはアルフォンスに聞くといい。その後の方針は皆で詰めていく。エリスもそれで構わないな」

 

「任せるわ。それにしてもまさかあのパウロさんが負けるだなんて──」

 

 

 計画は振り出しに戻った。

 戦力の一人が欠けたとて移ろい行く事態は止まらないし、待ってなどくれない。

 世界はそれでも動くのだ。

 龍神オルステッドとて例外ではない。

 立て直しが求められる──。

 

 しかしその焦りは杞憂に終わる。

 まもなく──パウロ・グレイラットが目覚めたが故に。

 

 彼は唐突に現れた。

 視点の定まらない生気の抜けた顔。

 周囲の身体を気遣う声に耳も貸さずに、ふらついた足取りの中で彼は言葉を発した。

 

 

「夢で神を名乗る存在(人神)が言っていた。龍神オルステッドは家族を不幸にするってな……」

 

 

 狂信的な瞳で続ける。

 

 

「言われるまでもねえが……、オレが必ず──。奴を殺し……、ルディの笑顔を取り戻す──」

 

 

 自ら修羅の道を選択し、宣言した──。



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56話 人神の囁き

──無の世界──

 人神(ヒトガミ)はその視界から一人の少女を見失った。

 彼だけが居座る世界で独り、ひたすら困惑する。

 人族の少女、名をルーディア・グレイラット。

 フィットア領転移事件の折に、初めてその存在を認識した異世界より紛れ込んだ迷い人。

 

 彼女の出現は人神にも龍神にも予想だにしなかった異常事態。

 少なくとも両者共に関与しておらず、ただ現象として、その者の魂はこの世界に舞い降りた。

 

 人神はとある目的を掲げ、ルーディアの破滅を願い、その行動の全てを監視していた。

 彼女の子孫は龍神オルステッドと徒党を組み、人神を殺し──封印する。

 完全には息の根を絶たれないが、それがまた半端に生き地獄を見せるのであった。

 永遠とも知れぬ苦行を押し付けられ、しかし虫の息の状態を保たれ意識だけは鮮明に残る。

 

 世に憚らぬ振る舞いする人神に相応しい末路と言われればそれまでのことだが、己の享楽的時間を奪われ、苦痛のみを強制されるなど目も当てられまい。

 想像するだけで慄然とする。

 

 ならば手を打つ。

 千思万考──滅びの運命に抗うまでだ。

 手始めに問題について状況の整理を行う。

 原因を洗い出すのだ。

 

 ルーディアの姿は前触れもなく消えた。

 忽然と人神の遠視及び未来視の範囲より外れたのだ。

 その原因には心当たりがある。

 十中八九、龍神オルステッドと遭遇したのだろう。

 奴が関われば人神の未来視も十分に機能しない。

 世界に定められた運命が歪むのだ。

 

 そも──人神の未来視とは生きとし生けるものの運命を観測する能力。

 人神の干渉により、運命の流れに逆らって一定の操作が可能だ。

 個体毎の運命の力の強さに左右される部分も大いにあるが、概ね望んだ結果を手繰り寄せられる。

 

 されど──龍神オルステッド。

 アレは如何ともし難い番狂わせだ。

 人神が自身の都合の良い状況へ仕向けた盤面も事も無げにひっくり返す。

 非常に忌々しく思いながらも、彼に対してこちらから手出しは出来まい。

 逆に龍神からも人神へ直接の攻撃は叶うまいが。

 

 話を戻す。

 ルーディアが消息を絶った最後の場所は赤竜の下顎。

 仲間らと共にアスラ王国へ向かう道中でのこと。

 突如として未来観測が不調をきたし、しまいにはルーディアの未来が読めなくなった。

 遠視にも映らない。

 状況証拠から察するに、先ほども述べたように龍神オルステッドと遭遇し、両者の間で何かしらのアクシデントが発生したのだろう。

 

 彼女には以前、助言にて『一際強い奴と出会ったら、必ず倒すこと』。

 そう告げた。

 その言葉に従ったのなら、ルーディアは死力を尽くして龍神オルステッドと戦った筈だ。

 使徒であることは無自覚であるにしても、オルステッドの側が人神の手駒であることを見抜く。

 

 であれば同士討ち。

 この場合、一方的にルーディアが殺されるものと考えていたが、どうやらそうではないらしい。

 死んではいない。

 死ねば遠視あるいは未来視に映る筈だ。

 けれどこの視界にはルーディアの亡骸など映らない。

 

 つまり龍神はルーディアを使徒であると認識しながら、何かしらの目的を持って生け捕りにしたのだろうと予想はつく。

 事態を察知した頃には時既に遅し。

 もはや少女は自身の制御下より離れた。

 

 

「まさかまさかの展開だ。オルステッドの奴、ルーディアを人質にでも取ったのか──」

 

 

 なんであれ貴重な使徒の枠を一つ、一時的にしろ失ってしまった。

 次の転換点を迎えるまでは補填は利かない。

 これまで時期を迎え次第、順次使徒の乗り換えを行ってきたが、今回ばかりは無視できぬ痛手だ。

 

 目的に則ってルーディアを使徒に定め、その行動の全てを操り、ゆくゆくはその妻を抹殺するつもりでいた。

 とりわけルーディアとロキシーとの間に成される子は厄介だ。

 放置すれば将来的に人神の天敵とも呼べる英雄へと成長する。

 世に放たれるであろう神殺しの子は、人神の心を掻き乱す。

 

 さて、ルーディアの居場所を見失うといった失態は、今後の方針へと強く影響する。 

 計画は破綻し、大幅な修正が必要となった。

 どこから手をつけるべきか──。

 既に予測から大いに外れてしまっている。

 

 そう遠くない未来、ルーディアは自身の肉体構造・組成を組み換え、同性との間でも生殖行為にて妊娠可能となる。

 作用の一部は彼女の身に留まらず妻達にも波及し、女性同士であっても真に愛し合うことで子孫を残せるようになるのだ。

 

 世界の意志に導かれ生まれ出る命は、ルーディアを母胎として育まれる。

 つまり救世主を身籠るのは()()ディ()()()()だ──。

 運命の力の減退する妊娠期間中であっても、ルーディアの因果律は強力なものであり、こちらから行動を起こそうとも、さしたる影響は与えられない。

 実に悩ましいことである。

 

 しかし、自身に待ち受ける破滅を知りながらも傍観するというのは有り得ない。

 ならば別の案を採用し運命に抗うのみだ。

 

 

「僕を倒す人材は何もルーディアの腹だけから生まれるわけじゃない」

 

 

 ルーディアにばかり目を取られて、水面下で蠢く別の敵方から視線を逸らしては想定外の誤算を生み出す。

 足元を掬われて、重要な局面で不意を討たれては堪ったものではない。

 注視すべきもう一人の人間を標的に定める。

 ルーディアの父パウロ・グレイラット──。

 あの男もまた間接的ながら後々の世に、人神へ甚大な被害を与える要因だ。

 捨て置く考えなどあるものか。

 パウロは孫へ、すなわちルーディアの子へ剣を教える。

 アルスとジークハルト──。

 双方共に、パウロの指導下で列強相当の実力を身につける。

 

 パウロは両名を龍滅にも劣らぬ剣豪として導き、後世に名を残す英傑へと至らせる。

 ルーディアの腹より生まれる息子たち。

 彼らは更に我が子へ、その子が孫へと脈々と龍滅の剣を継承してゆく……。

 蒔かれた種子は芽を出し、やがて実りを見せるのだ。

 その果てに人神に対する脅威へ──。

 

 ならばルーディアと比較して運命の力が脆弱であろうパウロこそが狙い目。

 剛の者を育成するというのならば、その元を絶つまでのこと。

 パウロ・グレイラットを排除するのだ。

 

 

「とはいえオルステッドが表舞台に出てきている以上、僕の思惑通りには世界は進まない……」

 

 

 懸念はその一点。

 現在、この眼に見えているパウロを対象とした観測結果。

 順調に行けば数年以内に死へ追いやる事は容易い。

 されど動きの読めぬ龍神の干渉があっては、予測結果も易々と覆させられる。

 

 そうなれば取れる手段は1つ。

 人神の望んだ結果に繋がるか否かは不明だが、パウロとオルステッドの対立を深めてやるしかない。

 パウロに龍神の悪名を、有ること無いことを交えて吹き込み憎悪を煽り立てる。

 その上で、パウロ自身に使徒である事をオルステッドへ喧伝させるのだ。

 

 これまで数多くの使徒を龍神に葬られてきた。

 奴は使徒と見れば、思案に時間を割かずして即座に殺す。

 一部例外はあれど基本方針は変わらない。

 ゆえに単純なオルステッドの思考・習性を利用してやる。

 パウロを龍神にとって無視できぬ程の障害として仕立て上げ、ぶつけてその手で始末させるのだ。

 オルステッド自体は殺せまいが、されどヒトガミ討伐の切り札を減らせる。

 戦力を削ぐことに活路を見出だす。

 

 

「さてパウロに接触だ。どうやら彼はまたもやオルステッドの奴にボコられたらしい。つけ入るには頃合いだ」

 

 

 龍神の姿こそ見えぬが、その行動の痕跡くらいであればたどれる。

 ロアの町周辺の地形が一夜にして変貌した。

 右腕を失い昏睡状態にあるパウロ。

 北神三世アレクサンダー・ライバック、先代剣神ガル・ファリオン、当代剣神ギレーヌ・デドルディア。

 名だたる剣客の集う歴史的瞬間。

 消息不明となったルーディア。

 以上の状況から、龍神オルステッドの出現は、まず間違いあるまい。

 

 良い塩梅にパウロは干渉するまでもなく龍神オルステッドへ強い憎しみの感情を抱いている。

 ゆえに人神は彼の感情を刺激し、オルステッドへの敵対心を高める腹積もりだ。

 勝てる筈のない無謀な戦いに挑ませ、自滅へと追い込む。

 そうやって甘美な死を贈ってやるのだ。

 人神にしては珍しく天命に人の命の行方を委ねる。

 

 

「さてオルステッド。頼むからパウロを殺してくれよ」

 

 

 自らの手で約束された勝利の芽を摘み取り、首を締めるといい。

 未来視が通用しないのなら仲間割れを誘発してやるまでだ。

 尤も、パウロは時系列的には未だ、龍神とは協力関係にはいないのだが。

 ゆえに妨害し、不都合な可能性を潰すに限る。

 

 

「それにしてもルーディア──。君は一体なんなんだい……。女の子同士で子どもまで作っちゃってさ。自分の腹からポコポコと産むなんてねぇ」

 

 

 悪夢のような存在だ。

 異世界から紛れ込んできた異物である事は確かだが、照準を合わせたかのように自分へと刺客を送り込んでくる。

 

 ともあれ──人神(ヒトガミ)は本腰を据える。

 神へ反逆心を向ける不届きへ、いざ裁きを与えん──。

 

 

 

 

 

──パウロ視点──

 

 パウロ・グレイラットは無力だった。

 家族を奪った敵を前にして、感情のままに刃を奔らせたものの──龍神相手には一太刀たりとも届きはしなかった。

 刃先は掠りこそしたが……。

 表皮一枚裂いた程度で鼻高々に誇れるほどバカじゃない。

 

 己の弱さを悔い、憎み、呪い、涙を流す思いだ。

 無情な現実をむざむざと見せつけられ、さりとて目を逸らせば殊更に家族の不幸を呼び込んでしまう。

 ゆえに砕けそうな心を必死に繋ぎ留め、生きる意思を延命させた。

 

 されども……。

 精神は肉体の目覚めを拒絶した。

 目蓋を上げれば、其処には絶望の光景が広がり、無慈悲な世界を、自身の敗北を知らしめてくるのだと恐怖する。

 見渡すばかりの暗黒の世界。

 先行きは真っ暗どころではない。

 ただその場に立ち尽くし、停滞を受け入れていた。

 

 自分は家長として失格だ。

 パウロはそう自身を責め立てる。

 夫として、父としての務めを放棄して楽な方へと身を預けている。

 守らねばならない家族を蔑ろにし、眠り続けることで辛い事から逃げ出した。

 

 いや……落ち着かない。

 ジッとなどしていられない。

 やはりパウロは底無しの家族愛を持った人間なのだ。

 目を覚ませ。

 さもなくば二度とゼニスとリーリャの夫を名乗れない。

 ルーディア、ノルン、アイシャの父親である資格も永遠に失われる。

 耐えがたき喪失を容認など出来ようものか。

 

 景色が変わる。

 暗闇から果てしなく続く純白の世界へと。

 朧気な感覚。

 意識はあるのだろうが現実味の薄い光景。

 

 

「やあ、はじめましてだね。パウロ・グレイラット君」

 

 

 ソイツは音も無く現れた。

 瞬きの間に生じた一瞬の隙に滑り込むように眼前へと立っていたのだ。

 白い世界に溶け込むような輪郭の曖昧な人間。

 いや、人間かどうかも疑わしい。

 されど危険性は感じられない。

 敵意は無し。

 悪人ではないようだ。

 

 

 あんたは?

 

 

 何故、こちらの名前を知っていたのか気に掛かるが、まずは挨拶をくれてきた者へと尋ねる。

 

 

「僕は人神(ヒトガミ)。いわゆる神様さ。君が独りで寂しそうにしてたもんだからね。是非、友だちに成りたくてさ。弱っているところに悪いけど、声を掛けさせてもらったよ」

 

 

そんな気分じゃない。他を当たってくれ……。

 

 

 構ってやる気にはなれない。

 しかし……。

 あまり粗雑な扱いをしてやるのも可哀想だ。

 申し訳無さから、発言を取り下げて聞く耳を持ってやることにした。

 

 

「おや、話し相手になってくれるんだね。ありがとう」

 

 

礼はいらねえよ。しかし、オレのような負け犬によくもまぁ声を掛けたもんだ。

 

 

「さすがに卑屈が過ぎるよ。君、もう少し笑った方が良いよ」

 

 

笑ってりゃあ、オルステッドの野郎をぶちのめせるんなら、とっくにそうしてるさ。

 

 

「そっか。パウロはあの悪い龍神にこっぴどくやられたんだね。アイツ、ヒドイことするよね、まったくぅ」

 

 

 人神(ヒトガミ)とやらは龍神オルステッドと面識でもあるのだろうか。

 やけに軽々しく、奴のことを語る。

 

 

あんた、龍神を知っているのか?

 

 

「直接会った事は無いよ。でも奴は世界を滅ぼそうとしてる悪い龍神なんだ。知らない方が可笑しいよ」

 

 

世界を滅ぼす……?

 

 

 パウロ自身もオルステッドの悪意を直視し、その片鱗を肌で感じた。

 世界の破壊者である事実に疑いの念は無い。

 それに──人神の言葉には不思議と高い信憑性がある。

 優しく語りかけるその声がパウロの心に浸透してゆく。

 

 

「フィットア領転移事件を招いたのも彼だ。君の家族を奪い、娘のルーディアを拐ったのもね」

 

 

どうしてそのことを……。いや、あんたは神様とやらなんだったな。知ってて当然か。

 

 

「うん、そんなところだよ。オルステッドが世界に仇する悪神だとすると、僕は世界を守る善神って感じだね」

 

 

 神の実在性を疑っていたが、こうして対面してみると認識を改ざるを得ない。

 現実に悪神とやらとは交戦し、善神とも現在、会話の最中。

 齢30を過ぎて世界の深淵に触れてしまったらしい。

 

 

なぁ人神。オレはどうすりゃあいい? オルステッドにまるで歯が立たなかった。ルディも拐われたままだ。

 

 

「答えになってるかは微妙だけど、オルステッドを殺すしかないね。奴を野放しにすれば、ルーディアだけでなく他の家族にまで被害が及んでしまうよ」

 

 

そんな事は分かりきってるっ……! だがオレは弱いっ……!

 

 

 七大列強に名を連ねたこと自体に何ら感情に響くものは無かった。

 その筈なのに自分は無意識下に悦に入っていて、増長から力の研鑽を怠っていたのだろうか。

 三年の内に溜め込み、抑圧された悲愴が噴き出す。

 

 

「それでも君はオルステッドを倒さなきゃダメだよ。家族が大切なんだろう?」

 

 

ああ……。オレの命に代えても守らなきゃならねえ

 

 

 核心をついた一言に声を張り上げる。

 激情がパウロへと渇を入れた。

 

 

「なら僕から助言だ。聞くかい?」

 

 

 悪魔の囁き。

 いいや、人神を称する目の前の彼を悪魔呼ばわりなど無礼であるか。

 心の隙間にヌルりと入り込んでくる者を、パウロは無条件に受け入れつつあった。

 龍神オルステッドとはまるで真逆の性質。

 

 

あんたの言葉に従えば、奴に勝てるのか? オレは再びルディをこの手に抱けるのか──。

 

 

「それは君の頑張り次第だよ。オルステッドは途轍もなく強いからね。ヒントくらいは教えてあげられるけど、アイツの力は未知数だ。僕の目に狂いだって生じる」

 

 

 悪神とは善神の目すらも欺くのか。

 底知れない力に戦慄する。

 

 

「アレをどうにかしようと思ったら、君の命そのものを懸ける必要があるね」

 

 

 含蓄のある言葉。

 それはもしや、死ねとでも言っているのか。

 なるほど、龍神オルステッドをこの世から消し去るには、命の一つでも投げ打つ覚悟が求められるだろう。

 それでも構わない。

 己の命で家族を守りきれるのなら安い賭け金だ。

 

 

命くらいくれてやるさ。オルステッドはオレの娘の尊厳を踏みにじり、辱しめを受けさせた。その首を獲らなきゃ、オレの気も収まらねえし、ルディだって泣き続ける。

 

 

 ルーディアを凌辱した龍神に後悔させてやるのだ。

 討ち取ったところで娘が心に負った傷は生涯を通しても癒えぬだろうが、それでも仇は打たねばならない。

 

 

「あれ? 君、何か勘違いしてないかい。オルステッドは女に欲情しない体だよ。とんだ不能野郎さ」

 

 

なんだって……?

 

 

 その発言が確かなら、ルーディアは純潔を散らされていない?

 自分は思い違いをしていたことになる。

 

 

「まぁでも──オルステッドは女を抱かない代わりに、加虐心が強くてね。暴力的な男さ。女を殴り、蹴り、痛めつけることで快楽を得る倒錯的な奴だよ」

 

 

詳しく教えてくれっ……。

 

 

 誤解の内容はともかく、娘が苦痛に苛まれている状況に変化は無い。

 事によっては肉体的な苦しみは、苛烈さを増しているやもしれぬ。

 

 

「オルステッドがこの世界に出現して約100年。特定の誰かと男女の関係になったとか、そういう話は聞かないね。けれど殺してきた人間の数は星の数に上る。その中には惨殺された者も少なくはないんだ」

 

 

 人神は話を継続する。

 それも深刻そうな声をわざとらしく作って。

 

 オルステッドは殺すと決めた人間相手にどこまでも非情に成れる。

 首を刎ね、四肢を斬り、心臓を穿ち、胴を断ち、眼球を抉り、臓物を引き摺り出す。

 殺しの手段は実に豊富で、いかに痛みを与えるかに重きを置いている。

 

 パウロには心当たりがあった。

 記憶を掘り起こす。

 自身の両腕は奴の手刀で斬られた上に、蹴り飛ばされて五臓六腑を損傷した。

 娘であるルーディアの左腕も生きたまま奪われた。

 その証拠として、見せつけるように娘の腕を放り投げてきたのだ。

 

 おそらくは意識のある中で激痛の伴う拷問の末に、切断したのだろう。

 その気になれば何時でも息の根を絶てるというのに、弄ぶかのように……。

 明かに命を軽んじている。

 

 なるべく死なないように加減し反面、長く苦しむように仕向ける。

 その愉悦に他者を巻き添えにする。

 まさに悪魔の所業だ。

 不愉快で吐き気がする。

 龍神の血は何色か──。

 

 つまり今もルーディアは責め苦に晒されている。

 左腕だけに飽き足らず、右腕も……なんて事も考えられる。

 想像するだけで悲痛に歪む己の顔。

 事は一刻を争う。

 再考する。

 今自分が何をすべきかを。

 

 

教えてくれ。龍神オルステッドを滅ぼす方法を。

 

 

「ようやくその気になったんだね。でもね、オルステッドの行動は実を言うと僕にも読めないんだ。だからこれから話す事は確実性に欠ける」

 

 

それでもいい。勝率を上げられるんならな。

 

 

「よろしい。じゃあ、言うよ」

 

 

 言葉を待つ。

 一言一句、聞き逃すなと自身へと言い聞かせる。

 

 

「龍神オルステッドと相対した時、君は人神の使徒を名乗りなさい。奴の行動を狭める一手となります」

 

 

 その心はなんであろうか。

 

 

「彼は君を殺すことのみ考え、視野狭窄に陥ります。そこに弱点が生まれます」

 

 

 急所を作り出し、衝けというのか。

 

 

「オルステッドは確実に君を殺す。けれど玉砕覚悟の一撃は龍神に手傷を負わせます。奴に消耗を強いて、多くの魔力を失わせる」

 

 

 奴に届くのか?

 死を受け入れた諸刃の剣が──。

 

 

「さすれば龍神は魔力の回復に専念し、表舞台から暫しの時を遠ざかります。君の娘達が天寿を全うするまでの時間を稼げることでしょう」

 

 

 殺すには至らずか。

 しかし、娘達の平穏を己が命を対価に手に入れ、築き上げられる。

 娘達の一生を得られるのだ。

 孫や曾孫世代には申し訳無いが、いま自分の力の及ぶ範囲ではこれ以上は望めまい。

 だが、あわよくばその命を頂戴しよう。

 

 

「運が良ければ殺せるかもしれません。しかし、失う物は大きいことでしょう」

 

 

 思考を読んでいるのだろうか。

 だがお墨付きは貰った。

 1%でも討滅し得るのであれば、その希望に縋ろう。

 

 

「さあ、家族を不幸にする龍神オルステッドを殺す覚悟を、君は出来たかな?」

 

 

問われるまでもねえ。それで家族の不幸を取り除けるんなら、オレは命なんて惜しくねえ。悪魔にだって魂を売ってやるよ。

 

 

「僕は悪魔じゃないけど」

 

 

言葉の綾だ……。とにかくオレはルディを助けてやるんだ。奪われた笑顔だって一緒に取り戻す。

 

 

「良い心意気だ。もし生き残れたら、僕と友だちになっておくれよ」

 

 

その時次第だ。まあ、仮に生きてたんなら礼を言わせてもらうさ。

 

 

「うん、健闘を祈るよ」

 

 

 

 送り出す言葉を受け取って、パウロの夢は覚める。

 目覚めた時には、この夢の記憶も曖昧なものへと転じるだろうが、龍神オルステッドへの殺意だけは忘れない。

 そして意識は夢現から浮上する──。

 

 

──

 

 幽鬼の如き形相のパウロは、尋常な精神ではないと誰しもが黙して察する。

 神を名乗る存在──無形滑稽な信仰心を臆面とせずに語りだした。

 妻ゼニスは敬虔なミリス教徒ではあるが、パウロ自身は別段、信仰する宗教など無かった筈だ。

 

 であれば気狂いの類いか。

 2度も龍神オルステッドに辛酸を舐めさせられた屈辱が、彼に良からぬ心境の変化を与えたに違いない。

 目下の問題は、パウロ・グレイラットの乱心を宥めること。

 オルステッド戦において全軍を纏める将としての役割を担う彼を正さねばならない。

 

 渦中に在る一同、まず誰が口火を切るか──。

 皆が皆、互いの顔を見合わせ合い──。

 結局、パウロの異常に触れる者は現れなかった。

 

 が、遅れること数秒。

 場の空気のなど考慮せず、状況を変え得る者がギルド内へと飛び込んできた。

 外見にして十代後半の黒髪の少年。

 北神三世アレクサンダー・ライバックが、主パウロの目覚めを察知して駆け付けたのだ。

 文字通り、ドタドタと騒音を立てながらの登場。

 その場に立つ全ての人間の視線が吸い寄せられた。

 

 そして注目の一言が発せられる。

 

 

「パウロ様っ! お目覚めですかっ! さぁ、龍神オルステッドの成敗へ共に参りましょう!」

 

 

 病み上がりの男に次なる行動を促すせっかちさ。

 生来よりアレクに備わる猪突猛進な性質が、主に対して急かす言葉を吐かせた。

 

 

「うるせえよ。叫ぶな。頭にガンガンと響きやがる」

 

 

 パウロは正気を取り戻したのか、小言でアレクに返す。

 先程の狂人染みた気迫は何処かへと追いやられた。

 

 

「すまん、皆には心配を掛けちまったな……」

 

 

 謝罪し、自らの力不足を嘆く。

 負傷はほぼ癒えた。

 が、右腕の欠損は変わらず。

 分断された右腕は腐敗停滞の魔力付与品(マジックアイテム)を用いて保管してあるが、上級治癒魔術を扱える人間は不在。

 繋げるのはまだ先になりそうだ。

 龍神オルステッドに挑み、その命があればの話だが。

 

 

「状況を教えてくれ」

 

 

 眠っていた時間はどれほどか。

 その間に起きた出来事などを根掘り葉掘り、周囲の人間へと尋ねる。

 細かい部分については、ボレアス家筆頭執事であるアルフォンスが説明を請け負った。

 全ての状況を把握したパウロは、眉間に拳を当てて思案にふける。

 そして言葉を絞り出す。

 

 

「そうか。ゼニスとノルンはラトレイア家で保護済み。オレの迎え待ちか。サウロスの伯父上、フィリップとヒルダさんも無事。そしてルディの身は──龍神の野郎が」

 

 

 既に龍神本人から身柄を預かっていると知らされている。

 次いで、ロキシーの身柄も今やオルステッドの手に在ると、アルフォンスから聞いた。

 

 

「ロキシーちゃんも拐われた。だが、ギレーヌ達が来てくれたわけだ」

 

 

 他にもエリナリーゼとタルハンド。

 黒狼の牙のメンバーが、ルーディア救出という共通の目的を持って集った。

 

 

「エリス、君も辛かったろう」

 

 

 エリス・ボレアス・グレイラット──。

 話によれば3年もの間、魔大陸から中央大陸まで旅をルーディアと共にしたそうだ。

 片時も離れず姉妹の絆を深めたのだと。

 そう聞いている。

 

 

「いいえ、パウロさん。辛いからといって私は止まらないわ」

 

「大した心掛けだ」

 

 

 心の弱い父親と比較にならぬ程に強い、ルーディアの姉の不屈心。

 見習いたいものだ。

 

 

「パウロさん。私たちも戦うわ。龍神オルステッドを倒してルーディアを取り返すのっ!」

 

「ああ、頼む。正直、最初は勝ち目の薄い戦いだと思っていたが、こうして心強い仲間が集まってる。希望は捨てるもんじゃねえよな」

 

 

 スペルド族の戦士ルイジェルドの戦線への参加も、パウロの気勢を強めた一因となった。

 ルイジェルド・スペルディア──。

 エリスの語りが確かなら、彼は帝級相当の実力を保有する。

 パウロ、ギレーヌ、ガル、アレクに次ぐ武芸者。

 正面から龍神と打ち合えずとも、牽制役に徹して貰えれば頼もしい戦力の一人だ。

 

 

「まずは礼を言わせてくれ、ルイジェルドさん」

 

「言われる礼など俺には無い。最後の最後でお前の娘を──ルーディアを守れなかった。罵倒ならば甘んじて受け入れよう」

 

「馬鹿言うな。娘の恩人を責めるかよ。あんたには感謝してるんだ。スペルド族ってのは本来、あんたみたいに良いやつばかりなんだろうな」

 

 

 過ぎたるは失礼にあたるか。

 褒めちぎる口を閉じ、ルイジェルドに向き合う。

 

 

「力を借りたい。頼めるか?」

 

「無論、手を貸そう。むしろこちらから頭を下げ、共闘を願うところだった」

 

 

 明確な言葉にせずともパウロは理解する。

 ルイジェルドもまた、ルーディアへ肉親のような情を芽生えさせていることに。

 妹かあるいは娘か。

 どちらにせよ、ルーディアはエリスとルイジェルドに大切に想われているのだろう。

 

 

「ハッハー! パウロ、お目覚めとは聞いちゃいたが、やる気は損なってねえようだなッ!」

 

「ガルさん、あんたは随分とやる気みたいだが」

 

「たりめえだ。奴には若造の時分に負けた過去がある。リベンジマッチとやらに、俺様も浮き足だってるらしい」

 

 

 興奮を隠すこともなく、ガルは決戦の時を前にして意気軒昂である。

 触発されてパウロもまた闘志を燃やした。

 

 

「ギレーヌ。今更だが、お前が剣神に成るとは」

 

 

 自身と同じく七大列強に名を刻むかつての戦友へと語り掛ける。

 序列の上では彼女が格上だ。

 

 

「目的あってのことだ。パウロの場合、望まずして列強の地位を獲得したようだな」

 

「アレクの奴がとんだ勘違いを起こして突っかかって来たんだ。お灸を据えてやったら、気付けばオレが列強の一人だ」

 

 

 御大層な肩書きを引っ提げようとも、龍神を相手取るに際して何の役にも立たない。

 先の戦闘で実証済みだ。

 

 

「まだ本調子ではなさそうだな。お前はまず休め」

 

「その善意、素直に受け取っておくぜ」

 

 

 痩せ我慢などして不調のまま決戦に臨むなど阿呆者。

 気を張り続けては身体への負担にしかならない。

 その言葉に甘え、しばしの養生期間とする。

 

 夢に現れた人神の言葉を励みとし、パウロは運命の時に備える──。

 

 

 

 

──ルーディア視点──

 

 久し振りにオルステッドが姿を現した。

 ノックも無しに部屋に入ってきたものだから、意表を突かれた形だ。

 だらけきった姿を目撃される。

 ソファーで腹を出して寝そべっていたのだ。

 ルディちゃんほどの美少女の艶姿が目の前にあるというのに、何ら動じる気配は無し。

 表情筋が凝り固まっているのか。

 鷹のような鋭い眼が、俺の顔を一瞥した。

 

 俺の傍らでは案の定、ロキシーは怯えて震えており、ギュッとしがみついてきた。

 役得である。

 どさくさ紛れに彼女の香りを楽しむ。

 もはや仮面を被らなくなったナナホシの哀訴の視線が刺さる。

 

 そんなことよりもオルステッドだ。

 無口のまま俺とロキシーの戯れを見詰め、区切りがつくのを待っているようだった。

 気を引き締め、彼への対応にあたる。

 

 

「なにか言いたいことでも?」

 

「拠点を移動する」

 

 

 業務連絡といった具合の感情のこもらない言葉。

 まだこの男に付き合わされるらしい。

 ナナホシはもっと長い時間、オルステッドと共に居るらしいが。

 それは彼女自身が望んだ事でもあるので勘定には入れないでおく。

 

 

「フィットア領内に入る。次の拠点が最後だ」

 

「検査はまだ続くのか……」

 

「それはもういい。お前からは十分にデータは取れた。女のお前には少々、辛い思いをさせたかもしれんな」

 

 

 謝っているつもりなのか、喋りの最後は尻すぼみ気味。

 

 

「ならすぐに父さまの所に連れていってくれ。いい加減、私もホームシックになってきた」

 

「時勢を見極めて引き渡す」

 

「そうですか……」

 

 

 感触が悪いな。

 こっちの要望は通らないか。

 

 

「検査の結果だが、やはりお前にはラプラス因子が強く出ている」

 

「ラプラス因子ってなんだ? 以前にもあなたはそう口走っていたよな」 

 

「魔神ラプラスは知っているな」

 

「もちろん」

 

「俺は人神だけでなく、魔神ラプラスも倒さねばならん。ゆえに関連性のある物は全て調べている」

 

 

 オルステッドは知識不足の俺に解説してくれた。

 ナナホシの言うように、面倒見が良いというのは事実だったのか。

 おっといけない。

 こんな些細な事で気を許すな。

 

 さてと、ラプラス因子について。

 どうやら魔神ラプラスはかつて勃発したラプラス戦役の際、絶命の瞬間に転生法とかいう秘術を発動したそうだ。

 自身の魂に合致する肉体を作り出すべく、ラプラス因子なるものを世界中にばらまいた。

 人族や獣族、はたまた魔族といった、いわゆる人間と総称される種族の遺伝子に練り込まれ、世代を重ねる毎にラプラス因子が集束していく。

 

 やがて魔神ラプラスの魂にも耐え得る肉体が転生先として完成する。

 その肉体に魂を移して、晴れて復活を果たすのだ。

 俺の身体にはどうやらそのラプラス因子が多く含まれているらしい。

 

 

「じゃあ、私の子どもが魔神ラプラスの転生体になったり……?」

 

 

 考えたくもない想像を不安から口にする。

 

 

「それはない。魔神ラプラスの転生体はパウロの血筋からは生まれん筈だ」

 

 

 何をもってそう断言するのか。

 龍神の思考回路に疑問を向けつつも、追求はしないでおいた。

 知り過ぎれば消される。

 そんな悪い予感がしたのだ。

 ただひとつだけ質問をしておきたい。

 

 

「私を誘拐してまで調べたかったというのは、ラプラス因子が関係してるってことか?」

 

「そうだ。それが、お前に妙な誤解を与えてまで拐かした理由だ。身辺調査時、お前の高い魔術資質については各所より聞いていたからな。ラプラス因子持ちであることは把握していた」

 

「だったらもう少し説明して貰いたかったよ。私は忘れちゃいないぞ。あなたに殺されかけたのを」

 

「あの時はそうせざるを得なかったのだ。人神の使徒であることには一時目を瞑ったが、お前の底力があれほどまでの物とは思いもよらなかった」

 

 

 理由は判明したが、不服を唱え続けてやる。

 

 

「つまり私がパウロの娘でなく、ラプラス因子の前情報も無ければ殺していたと……」

 

「気持ちの良い話ではないだろうが肯定しよう。基本的に使徒は殺さねばならん」

 

 

 俺の命は紙一重だった。

 

 

「ところで使徒ってのはなんだ」

 

「使徒とは人神の尖兵だ。お前に自覚は無いだろうが、その役目を負わされている」

 

 

 ふむ……。

 はたしてオルステッドの言葉を信用して良いものか。

 人神に相談無しに判断するのも危険だ。

 反対に人神の言葉を鵜呑みにするのも危険だ。

 板挟み状態で迷いが生じる。

 神々の争い。

 自分にとって益となる陣営に付くべきか。

 

 いや、どちらとも縁を切れるものなら切りたい。

 争うのなら俺とは無縁の遠くの地でドンパチやっていただきたい。

 俺は何処かで安住の地を見つけて、そこで家族と平穏に暮らしたいのだ。

 その為にもまずはパウロの下へと帰り、リーリャとアイシャを見つけてからでないと話は始まらないが。

 

 

「人神はいずれお前を裏切る。深入りはするな。その腕輪はお前に譲渡する。人神からの干渉を阻害する効果を持つ。間もなく、外れぬように施した術の効力を失い、腕輪の脱着が可能となるが──決して外すな」

 

 

 鬼気迫る忠告。

 妙に耳へ残り、忘れられるとは思えなかった。

 

 

「話はここまでだ。移動する。速やかに準備を済ませろ」

 

「はい……」

 

 

 言いたいことだけ告げると、彼は背を向けて外へと出た。

 

 

 「というわけです、先生。支度しないといけないので1度、私から離れてください」

 

 

 会話の最中、ずっと俺にべったりだったロキシーを引き剥がす。

 オルステッドへの恐怖を捨てきれないようだ。

 震えるロキシーも愛護欲をそそる。

 頬っぺたにチューしてあげたい。

 

 

「不甲斐ない先生でごめんなさい、ルディ……」

 

「仕方がありませんよ。ナナホシさんや彼の言葉によると、龍神オルステッドには人々に怖がられる呪いが掛けられているようですし」

 

 

 アレを怖がらない俺とナナホシが特別なのだ。

 しょげるロキシーを元気付けるように背中をポンポンと叩いてやる。

 調子を取り戻した彼女は、出発の準備に取り掛かった。

 その横顔を眺め、荒んだ精神の癒しとした。

 

 さて──人神と龍神。

 どちらが正義で、どちらが悪なのか。

 俺にはまだ解らないが、翻弄されっぱなしは御免だ。

 自分の道を確固たる決意で進むとしよう。



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57話 ブエナ村の現状

 またか……。

 またあの感覚だ。

 身体が揺れ動く。

 さながら、ゆりかご気分。

 定期的に訪れる振動によって、意識の覚醒を促される。

 あまり心地好くはないが、それでいて温もりが伝わってくる。

 徐々に認識する。

 大人の男の逞しい背中。

 その背に……。

 胸以外はちっぽけな俺の身体は背負われていた。

 ちっぽけとは言っても背丈そのものは、平均身長に達してはいるが。

 

 文字通り目と鼻の先の至近距離に在る銀髪。

 龍族特有の彩色で、その持ち主は龍神オルステッド。

 毟り取ってやりたい衝動に駆られるが、報復を恐れてここはグッと我慢。

 溜め息をついて周囲の状況を窺う。

 

 すぐ横にナナホシが並んで歩いている。

 顔色が冴えない。

 歩き詰めなのだろう。

 

 傍には愛しのロキシーも居る。

 眠たげに目を細め、足取りは不安定。

 よろめいたりなんかしちゃって、危なっかしい。

 この世界単体での年齢換算では彼女の方が年上ではあるが、つい過保護な目で見てしまう。

 

 さて……思い出す。

 拠点移動に際して、再度転移魔法陣を利用したということを。

 決定的な瞬間や場所は見ていない。

 使徒である俺には詳しい所在地を教えられないとかで、ヌカ族に伝わる催眠魔術で、またもや眠らされていたようだ。

 ロキシーも眠っていたらしいが、俺よりも一足早く目覚めたのか自分の足で歩かされていた。

 寝坊助さんの俺はやむ無く、オルステッドにおんぶされていたというわけだ。

 

 

「目覚めたか」

 

「もう自分で歩けるよ」

 

「そうか──」

 

 

 事務的な短い会話。

 前回のように身をよじって落下なんて痛い思いをしたくはない。

 俺は学んだのだ。

 圧倒的強者を前に、抵抗を強めれば強めるほど泣きを見るって。

 

 いざ自分の足で地面に立ってみると、まだふらつきを覚える。

 眠気あるいは倦怠感が抜け切らない。

 ナナホシに肩を貸してもらい、どうにか歩を進める。

 歩けると強がってみたが、何足る醜態。

 

 

「ナナホシさん達は馬車とか使わないんですか?」

 

 

 この世界での旅における主要な移動手段は馬車だ。 

 しかし俺の知る限り、転移魔法陣を除けば彼女達の移動方法は徒歩のみだ。

 徒歩縛りでもしているのか、もしくは旅費が無いのか。

 なんとも非効率的なことだ。

 

 

「転移魔法陣の設置されている場所に馬車なんて持ち込めないのよ。足場が悪かったり、狭かったりするし。第一、馬がオルステッドを恐れて逃げてしまうもの」

 

 

 シンプルな理由。

 オルステッドも不便な体質なもんだ。

 呪いの影響で馬にすら怖がられ逃げられるとは。

 それでもなお、トータルの移動時間で考えれば、歩きでも大幅な時間短縮にはなるのだろうが。

 

 

「ところで、もう此処はフィットア領だったりします?」

 

 

 見渡す限りの平原。

 元々、アスラ王国は平坦な地形が多く、ところによっては災害以前と以後とで景色に代わり映えが無かったりする。

 一見して現在地の判別などつかない。

 

 

「既にフィットア領内だ」

 

 

 ナナホシへ質問したつもりだったが、オルステッドが回答権を横取りした。

 割と彼は会話好きなのか、こうやって話に参加してくる場面がある。

 思わぬ一面にほっこりする。

 オルステッドの抱える呪いの性質上、独りぼっちの時間はさぞ長かったことだろう。

 ゆえに人恋しいのか。

 顔に見合わず可愛いところがある。

 しかし態度に愛嬌は無い。

 こいつの笑顔とか見たことがないぞ。

 

 

「行き先はお前にとって馴染みの深い場所となる」

 

「え、それってどこ?」

 

「そう急くな。じきにわかる」

 

 

 もったいぶるなぁ……。

 まさかこのままロアの町へ直行というわけでもあるまい。

 と、ここで何も無い場所で躓きかけるロキシー。

 体調不良のようで、歩行にすら難儀している。

 

 

「先生、大丈夫ですか?」

 

 

 唯一、このパーティーでオルステッドの呪いの影響を受けているロキシー。

 気遣って声掛けをしてやる。

 ぎこちない動きで此方を向いた彼女は、驚くほど真っ青な顔。 

 血色が悪すぎるな……。

 

 原因はやはりオルステッドの発する呪い。

 不可抗力なのは百も承知ながら、オルステッドへと恨めしげに視線を送りつけてやる。

 だが素知らぬ態度で受流された。

 

 

「すこし辛いです……。あれを怖がらないルディは流石としか言い様がありません」

 

「体質の問題ですよ。別に私が先生より優れているわけではありません」

 

 

 ロキシーは人格者で能力も有る。

 俺のような前世の知識に寄り掛かって優位に立っている気の人間など及ぶべくもない。

 人としての格は断然、彼女が上だ。

 

 

「オルステッドさんさぁ……。その呪い、どうにかなんないんですか? 先生が怖がってんじゃないですか」

 

 

 慇懃無礼な調子で愚痴をぶつける。

 字義通り敬語である。

 人に物を頼むときは丁寧な言葉を心掛けるものだ。

 とはいえ不満ゆえにイチャモンをつけてしまった。

 嫌味に取られただろう。

 実際、そうだ。

 機嫌を損ねて殴られたりしないよな……。

 

 

「先天的なものだ。俺とて、これまで多くの手段を試してきたが──改善はみられなかった。もはや手の施しようが無い」

 

 

 こっちの心配を他所に何処吹く風。

 意志疎通に関して彼はニブチンか。

 うん?

 いや、微かだが声に怒気が含まれている。

 オルステッドとは不本意ながら、それなりに長く行動を共にしてきた。

 その為か、彼の心の機微に敏感になってきたような気もする。

 表情の変化に乏しいが、僅かながら言葉に感情が乗っていた。

 

 

「ル、ルディッ! いけませんよ、刺激してはっ! 怒らせでもしたら、八つ裂きにされて食べられちゃいますっ!」

 

 

 スペルド族につきまとう風評被害じゃあるまいし。

 その噂もガセもいいところだが。

 ルイジェルドは良いヤツである。

 

 

「悪かったよ、オルステッドさん。あなたにも色々と事情があるだろうに文句ばかりつけて」

 

 

 敬語の流れを引き継いで、そのままの口調で接する。

 元々俺は、年上相手には敬語が性に合う。

 ロキシーも気が気ではないだろうし。

 生意気な口を利く俺がオルステッドの反感を買わないかを危惧している。

 俺としてもオルステッドの癇に触るのは避けたいところ。

 今後は敬語でいこう。

 取り越し苦労だろうが。

 

 

「この身は遍く生物に嫌悪される。罵詈雑言など聞き慣れたものだ。いちいち気になど留めん」

 

 

 悲しいね。

 同情するわけじゃないが、龍神オルステッドもまたスペルド族同様に悪評に悩まされているらしい。

 ただし彼には実害が伴う。

 現に俺は攻撃されたし、使徒とあれば基本的に殺害が常であると話していた。

 あながち風評と実態に相違無い。

 身から出た錆である。

 

 

「以前にもお尋ねしたと思いますけど、使徒は殺すものと仰っていた割に、どうして私を生かしてくださったんですか?」

 

 

 似たような質問は既に済ませている。

 パウロの娘でラプラス因子持ちである俺に関心を持っていたと彼は答えていたか。

 まぁ、理由を並べた癖に、一度は凶行に及んでるんだけどな。

 そこが信用ならない部分だ。

 

 それは一旦忘れておく。

 要するに俺は安心材料が欲しいのだ。

 彼の下に居て、これ以上、命を脅かされないという保証が。

 理由を明確にせずに、うやむやにするってのも不安が残るというもの。

 

 

「理由は幾つかある。まずはお前がパウロの娘であったこと。単なる人族の娘であれば、配慮などしなかった」

 

 

 パウロの力を見込んで、精力的に勧誘しようとしてたもんな。

 仲間に引き入れる人間の身内を殺しちゃ、お話にならない。

 

 

「次にラプラス因子持ちであったこと。魔神ラプラスに繋がる要素を調べずして始末するのは早計だ。ラプラス討伐の手掛かり、あるいは足掛かりになるかもしれん」

 

 

 誘拐の原因だ。

 お陰でえらい目に遭ったよ。

 エリス達はボコられたし、パウロだって二度も痛めつけられた。

 再起不能でないことを祈ろう。

 なんにせよ、こいつの身勝手で周囲はとんでもない被害を被ったわけだ。

 

 

「ナナホシの言葉も始末を踏み留まった要因として大きい」

 

 

 やはりナナホシの言葉あっての命か。

 彼女には返しきれない大恩ができてしまった。

 

 

「後はお前に利用価値を感じたのだ。これまで出逢ってきた使徒の中では比較的、話の通じる人間だった。人神から遠ざける余地もある」

 

 

 利用価値?

 ふむ……。

 ルディちゃんが可愛いから見逃したってわけではないと。

 

 

「ラプラス因子に由来するその魔術の才覚。捨てるには惜しい逸材だ。可能ならば、俺の仲間として迎え入れたかったが……」

 

 

 過大評価だ。

 俺程度の人間、探せば割かし居るんじゃないか?

 無詠唱魔術であればシルフィにだって使える。

 

 

「しかし──パウロの手前、お前を無理に部下にしようとは思わん。奴の性格からして娘が俺に肩入れすることなど許さんだろう」

 

 

 パウロからすればオルステッドは愛娘を拉致し、左腕を引っこ抜いたサイコパスだ。

 ストックホルム症候群よろしく、俺がオルステッドに靡くなんて事になれば、マジギレするだろう。

 

 

「まぁ、わかりますよ。私の父は思い込みの激しい人間ですからね。何かあると勘繰る事でしょう」

 

 

 きっと対話すらままならない。

 オルステッドにその気がなくとも、争いへ発展するなんてことも想像に難くない。

 

 

「重ねて言うが人神を信用するな。奴の甘言に唆され、破滅した人間を多く見てきた」

 

 

 絶えず続く人神へのネガティブキャンペーン。

 ひとまず頷いておく。

 否定すれば肯定するまで、しつこく言い聞かせてきそうだし。

 

 

「了解です。人神の言葉には耳を貸しません」

 

「本当に理解しているのか? その場しのぎの返答ではあるまいな」

 

「う……」

 

「もしお前が忠告を聞かず、俺との敵対の道を選ぶというのなら、次は容赦せん」

 

「分かってますってば」

 

「どうだかな──」

 

 

 鋭いな……。

 それはともかく──。

 ひとつ懸念がある。

 俺は使徒であってもお目こぼしいただいたが、パウロの場合はどうだろうかと。

 

 

「もしもの話ですけど、ウチの父が使徒だったらどうします?」

 

「その線も有るか、ふむ──。これまで奴が使徒だった事実は無いが、お前という例がある。予期せぬ事態も想定しておくべきか」

 

 

 これまで──とは、どの期間を指してのことか。 

 彼は考え込み、しばしの沈黙。

 瞑目を終え、口を開いた。

 

 

「やはり殺すだろうな。あの男の聞き分けの無さを知った今、仮に人神と繋がりがあったとして、その上で縁を切れなどと説得する気にもなれん。徒労に終わり、殊更に事態を拗らせるのがオチだ」

 

 

 聞き捨てならない発言だ。

 仮定の話とはいえ、殺すと言い切ったのだ。

 短い付き合いの中で、浅い部分ではあるが彼の人となりは理解したつもりだ。

 おそらく、その言葉に嘘偽りは無い。

 殺ると言ったら確実に殺るのだろう。

 万が一にもそんなシチュエーションに成らないように注意を向けよう。

 オルステッドにとって使徒とはNGワード。

 パウロの奴が自分から使徒だとか言い出さないようにしっかりと見張るのだ。

 

 

「だが例え使徒であろうとも、俺に直接的に不利益を与えない限りは処分は見送ろう。人神は俺とは無関係の場所であっても、手駒とした人間を陥れ弄ぶ。己の欲を満たし、悦楽に浸る癖があるのだ。であればパウロの出方次第だ」

 

 

 あら、意外と寛容?

 よし、パパと対面したらよく言い含めておこう。

 てか、人神ってばボロクソに言われている。

 アイツがまともな性格でないのは分かりきってるが、それにしても酷い言われようだ。

 

 パウロの身を案じつつ、徒歩での移動に専念する。

 転移魔法陣の設置場所からどれ程移動したかは知らないが、オルステッドが言うには今日中には到着するそうだ。

 焦らず、遅れがちなロキシーの手を引きながら俺たちは進む。

 

 

──

 目的地には夕方頃に到着した。

 気温は下がり、やや肌寒い。

 身震いをすると、ロキシーが手を握って温めてくれた。

 ありがたや……。

 さて──。

 目の前の光景に意識を向ける。

 

 荒廃した土地。

 かつてそこに存在していた筈の一面に広がる麦畑は消失していた。

 心安らぐ長閑な風景など見る影もない。

 俺の記憶にある故郷とは似ても似つかない景色。

 何一つ一致するものがない。

 そこで過ごした記憶とは、果たして幻だったのか……。

 

 視界には草原しか存在しない。

 いや、僅かばかりの家屋が建てられている。

 ただ、やはり人気は少ない。

 

 地形そのものは思い出のそれと同一だが──。

 ただそれだけだ……。

 木も花も無い。

 雑草だけがこの土地に根付いている。

 

 俺の故郷──ブエナ村には……。

 何も残っちゃいなかった。

 人々の営みも、子ども達の笑顔や笑う声も何もかもが。

 

 

「嘘だろ……」

 

 

 誰に言ったわけでもない。

 独り言を漏らす気もなかった。

 ただ呆然とし、つい口を突いて出てしまった。

 脚から力が抜け、尻を地面につく。

 こうなっているであろうことは予想はついていた。

 悪い予感は的中していた。

 覚悟はしていたが……。

 

 それにしたってこの仕打ちは……あんまりじゃないか。

 見たくもない現実を前に、吐き気さえ起こる。

 すんでのところで嘔吐を留め、じわりと浮かぶ涙に視界が霞む。

 

 ちくしょうっ……。

 どれだけの時間を掛けて旅をしてきたと思ってやがる。

 帰る為の旅の果てにこんな結末が用意されているとは。

 骨折り損じゃないか。

 こんな残酷で鬱展開な誰も得しない脚本を書いた奴をとっちめてやりたい。

 

 だが……。

 誰かのせいじゃない。

 強いて言えば運命の悪戯か。

 俺たち人間は世界に翻弄されたのだ。

 

 

「わたしは3年前にこの土地を訪れています。これでも復興は進んでいる方だと思いますよ」

 

 

 俺の背中に手を置いて、ロキシーは弱々しい声で語る。

 曰く、3年前は建物ひとつ無く、草原にポツンと難民キャンプが設営されているだけだったと。

 たしかに目に映る範囲では、小規模ながら集落が形成されている。

 幾らかの復興民が定住しているのだろう。

 ロキシーの話は本当だろうさ。

 

 けれど最盛期は数百人は暮らしていたブエナ村の姿には遠く及ばない。

 これをひとつの村と呼ぶには物寂しすぎる。

 活気なんて感じられん。

 

 オルステッドも粋な計らいをしてくれる。

 壊滅的な被害を受け、まっさらとなった故郷へ送り届けてくれるとは。

 いや、責める相手が違う。

 これじゃあ、ただの責任転嫁だ。

 でも……堪らなく悲しく、耐えられぬ怒りが芽生えた。

 言葉が詰まる。

 喉が締め付けられ、か細い呼吸がしばらくの間、続いた。

 

 

「オルステッドさん。しつこいようですが、本当にあなたは転移災害に関与していないんですね?」

 

「ああ。俺は人神のように他者の不幸を笑わない」

 

 

 ここでも人神の名前が飛び出した。

 よほど憎いらしい。

 

 

「私の実家の在った場所へ向かいたいのですが、構いませんよね」

 

「好きにしろ」

 

 

 許可を得て水先案内人となり、村の中を歩く。

 とは言ってもオルステッドの監視の目が強い。

 別に無理に逃げ出そうとは思わない。

 

 数分ほどでグレイラット邸跡地へと辿り着く。

 ものの見事に綺麗サッパリ空白の土地。

 ゼニスが大切にしていた庭木なんて跡形も無し。

 知ればさぞ悲しむだろう。

 空き地となったな生家。

 ここで過ごした7年間の日々が甦る。

 

 ブエナ村の駐在騎士パウロ・グレイラットの第一子にして長女として生まれたルーディア()

 母ゼニスの容姿をそのままに受け継いだ可憐な女の子。

 少々、横着なきらいがある子どもだったが、家族と共に慎ましく暮らしていた。

 

 ロキシーを師として仰ぎ、シルフィを弟子として可愛がり、刻まれた年月の分だけ思い入れを強めた。

 パウロの武勇伝に夢中になり、ゼニスに女の子としてのイロハを学んだ。

 リーリャには日頃から身の回りの世話を見てもらい、時には貴族の子女としての振る舞いを教わった。

 まぁ、下級貴族で名ばかりのお嬢様だったが。

 

 まだおしめも取れぬ赤子の妹たちを代り番こに抱っこしてやった。

 ノルンとアイシャ。

 乳飲み子にして性格の違いが如実に表れていたと、思い出す。

 ノルンは頻繁に泣き、アイシャはよく笑う赤ちゃんだったな。

 

 ノルンとはミリスで、アイシャとは俺の10歳の誕生日会以来とご無沙汰。

 2人とも元気にしているだろうか。

 

 

「ああ……。ここで父さま達と幸せに暮らしていたのにな。もう何にも無いや……」

 

 

 裕福とは言えなかったが、それでも幸福感に包まれてた。

 失ったものの重さを現地に足を運んで実感する。

 パウロは既にここの土を踏んだのか。

 アイツにも結構、女々しい部分がある。

 たぶんここに来ている筈だ。

 

 

「この辺りでしたよね。先生が私のスカートを捲ったって、母さまに誤解されてしまったのは」

 

「嫌なことを思い出させないでください……」

 

 

 風に捲られた俺のスカートを直そうとした瞬間をゼニスに目撃されてしまったのだ。

 ロキシーにとって苦い思い出を蒸し返してしまう。

 でも許してくれるだろう。

 苦かろうと月日を経て甘味を帯びてきた頃だ。

 

 敷地内を歩き回る。

 家族団欒の空間である居間。

 両親が毎夜のように子作りに励んでい寝室。

 もう一人の母として慕った侍女リーリャの私室。

 ロキシーにあてがわれ、深夜の特別授業をしてくれた客室。

 俺に与えられ、魔術の鍛練を積んだ子供部屋。

 

 全て懐かしいが、その痕跡は転移災害によって吹き飛んだ。

 不幸なのは俺だけではない。

 多くの人から思い出と、家族を奪い去った。

 

 

「先生が居てくれて良かった。独りだったらきっと耐えきれませんでした」

 

 

 エリス達が傍に居ても同じ台詞を吐いていた。

 けれどロキシーはブエナ村で過ごした記憶を共有出来る貴重な人間だ。

 感じるものも変化してくるだろう。

 

 

「ルディにはまだ家族が居ます。思い出はこれからも作れますよ」

 

「ですね……」

 

 

 少なくともパウロ、ゼニス、ノルンは無事だ。

 パウロに関してはオルステッドに大怪我を負わされたものの、命に別状は無いそうだ。

 みんな揃えば、その先に新しい生活が待っている。

 希望は捨てるな。

 後ろばかりに気を取られて、前を見ないようでは明日へも進めまい。

 

 

「気は済んだか?」

 

 

 空気を読まない龍神の言葉。

 さりとて苛立ちはしない。

 それがオルステッドと性格だと理解しているから。

 

 

「もう少しそっとしてあげましょうよ」

 

 

 しかし、ナナホシが注意する。

 短く唸り、それから気まずそうにするオルステッド。

 感情豊かだな。

 単なる冷血漢というわけではなさそうだ。

 相容れるとは思えんけど。

 

 

「ここに拠点があるのですか?」

 

「そうだ。復興に乗じて小屋をひとつ拠点として借り上げている」

 

 

 ロアの町に程近い位置にあるブエナ村。

 馬車で5~6時間ほどの距離。

 パウロよ……。

 あんた龍神にナメられてるぜ。

 陣地にほど近い場所に拠点を築かれるなんてな。

 

 

「お前達はしばらくブエナ村に滞在していろ。俺は文をパウロ宛に出す。前回の反省を踏まえ、手紙でのやり取りを行う」

 

 

 お、考えたな。

 対人能力が壊滅的なオルステッドに打ってつけのやり方だ。

 顔を合わせれば何が起きるのか分からないし。

 

 

「奴にはルーディアの左腕を預けている。受け渡し時に持参するように伝えんとな。パウロの腕も治療するつもりだ」

 

 

 ボソっと彼は言う。

 彼はとある事情により魔力を節約している。

 四肢欠損の治療にあたっては王級治癒魔術が必要。

 オルステッドは王級治癒魔術を修めているが、いかんせん消費魔力が多大。

 

 けど、切断された腕を断面に合わせて繋げるだけであれば、上級治癒魔術でも事足りる。

 律儀な事に以前、口頭で約束していた通りに腕を治療してくれるそうだ。

 そこまでしてくれなくとも、魔術の封印を解いてもらえれば自力で治せるけどね。

 

 

「ナナホシ。残り日数はそう無い。別れの挨拶をしたければ済ませておけ」

 

「ええ。早いものね。1ヶ月くらいかしら。ルーディアと過ごしたのは」

 

 

 時々、誘拐されている事実が頭から抜け落ちるくらいには、ナナホシとの生活は穏やかなものだった。

 

 

「残りの時間は後悔の無いように過ごしましょう」

 

 

 デッドエンドから離脱してからの極短い時間。

 それでも俺とナナホシは故郷を同じとし、母国語を共通とする事から、深い関係となった。

 単なる友人では収まらない秘密を共有している。

 

 ここで別れるにしても、やり残した事が多い気もする。

 ナナホシはラノア魔法大学へ入学すると話していたな。

 その気になれば会いに行ける。

 そこまで深刻に捉えなくともいいのかもしれない。

 

 それはそれとしてだ。

 出逢いの経緯はともあれ、彼女には良くしてもらった。

 険悪ムード漂うオルステッドとの間に入ってくれて、折衝役を買って出てくれたのだ。

 もし俺とオルステッドの1対1のやり取りだったら、こうもスムーズに事は進まなかっただろう。

 

 感謝を忘れない。

 そして惜別の感情が起こる。

 ゆえに心残りの無いよう、残りの時間を過ごそう。

 

 

「拠点へ案内する。ついてこい」

 

 

 グレイラット邸跡地より移動。

 オルステッドの先導で列を成して拠点を目指す。

 開拓村の入り口付近のこぢんまりとした小屋が、我らの新居だ。

 外観的にはログハウスといった感じだ。

 滞在期間は僅かだが、寛がせてもらおう。

 

 

「では俺は行く。文の内容を熟考しなければな。要らぬ誤解を与えては、今後の活動に支障をきたす」

 

 

 パウロに対していかに曲解させないか。

 誤解から生まれる闘争の防止策として、彼は手紙を連絡手段に選んだ。

 ただ、念を押しておきたい。

 

 

「父さまには、きちんと私の身が無事であることを知らせてくださいよ」

 

「わかっている」

 

 

 ホントかなぁ?

 ケチョンケチョンにした相手に文面越しとはいえ、すんなりと話が通るものだろうか。

 有りもしない裏を探られて、勘違いコントが繰り広げられそうだ。

 これまでのパウロとオルステッドのやり取りが概ねそんな具合。

 

 早々に退散したオルステッドの後ろ姿を見送り、ログハウスへと入る。

 木の香りが漂い、自然と同化したかのような気分。

 簡素なベッドが2つ。

 俺らは3人なので一つ足りない。

 

 

「先生。寝る時は同じベッドにしましょうね」

 

「考える事は同じですね。わたしもそのつもりでした」

 

 

 以心伝心。

 師弟愛の織り成す奇跡。

 なんて風に大仰な言葉で飾ってはみたが、言葉にすると同じ寝具で共寝するに過ぎない。

 

 

「下心はありませんからね?」

 

 

 予防線を張っておく。

 後から詰められたくはない。

 

 

「下心? ルディは何を考えているのですか……。男女の同衾というわけでもないでしょうに」

 

「あはは……。女の子同士ですもんね、私たち。何もいかがわしいことなんて起きませんよね」

 

 

 ごめん、ロキシー。

 ちょっぴりエッチな展開を期待してました。

 寝ている内に寝相の悪さを装って、胸にタッチくらいは企てていた。

 性的興奮はしないにしても、敬愛する師匠の発育度合いを確認しておきたいのだ。

 ミグルド族基準で成人済みの彼女に成長の兆しなど無さそうではあるが。

 俺の自己満足だ。

 

 

「あなた達、仲がいいのね。女の子同士でその様子だと、そっちの気があるのだと疑っちゃうわ」

 

「私は普通に女性が恋愛対象ですけどね」

 

「あ……。そう」

 

 

 しまった。

 ナナホシは現代日本の価値観の持ち主。

 俺の性嗜好はやや特殊な部類だと判断されたか。

 彼女も人様の地雷を践んでしまったかのように、自身のやらかしを反省している。

 

 

「一応言っておくけれど、あなた達はオルステッドに人質にされているのよ。緊張感を持っていないのかしら……」

 

「そういえばそうでしたね。ロキシー先生が居るので失念していました」

 

 

 ご指摘はごもっとも。

 懐かしきブエナ村といえど、俺とロキシーからすればオルステッドの掌中に在る敵地。

 アウェーの中で緩い空気を出し過ぎだ。

 

 

「こほんっ。そうですよ、ルディ。気の緩みは敵につけ入る隙を与えます。どこにオルステッドの目が有るのかわかりません」

 

 

 ガミガミと説教をするロキシー。

 図星だ。

 パウロと合流し、エリス達の無事を確認するまでは油断ならない状況。

 どうも俺は人として抜けている。

 脇が甘く、窮地に陥りやすい。

 

 

「反省します、先生」

 

「あなたは聡い子です。わたしが叱るまでもありませんでしたね」

 

 

 素直な弟子に甘くなってしまうのか、俺の頭に手を乗せて撫で回してきた。

 既に身長は同じくらいなので、もはや外見上、ロキシーからは大人という印象は受けない。

 けど敬いの気持ちは片時も手放さない。

 

 次第に俺とロキシーはベッドの脇に腰を据え、身体を密着させる。

 どちらともなくそうした。

 互いに弱った心を温め合っているかのようだ。

 こうしていると不安が和らぐ。

 

 心が結びつき苦悩を分かち合えるのだ。

 男女の間柄ではないので身体を重ねて傷を舐め合うなんていう慰め方は出来ない。

 でもこれはこれで心に安寧をもらした。

 

 やがて静寂が生まれ、ナナホシも俺たちに倣って沈黙。

 早めの夕食をとり、お湯で濡らしたタオルで全身をくまなく拭いて清潔にした。

 

 ロキシーの裸体──。

 至高の美を拝ませてもらった。

 腰にくびれのない幼児体型。

 胸の膨らみはなだらかな丸みを形成している。

 色気の無さが逆に、光るものを見出ださせた。

 永遠の青い果実。

 未成熟だからこそ、美しい物もある。

 背徳的な気持ちにさせる禁忌に触れてしまいそうだ。

 

 対照的に俺の身体は女性的な体つきへと成長していた。

 まだ成人に至る過渡期だが、現時点でも傾国の美女として権力者を誑し込める粋の艶々とした肉体。

 若さゆえか肌は瑞々しく、今後ますます美に磨きが掛かることが予想される。

 

 ナナホシの裸身はというと──。

 胸のサイズは普通。

 プクッと膨らみ、つつけば適度な反発力を見せてくれるだろう。

 くびれもあるっちゃある。

 俺やロキシー、エリスのような浮世絵離れした美少女ってわけじゃない。

 

 しかし頑張れば手の届きそうな美少女。

 身近な存在の可愛い女の子の裸がすぐ傍にあるという現状。

 現実に起こり得るチュエーション。

 以前の俺ならば胸を熱くし、穴が空くほど凝視していただろうな。

 

 でも今や俺は女だ。

 同性の身体に欲情などしないし、恩人であり友人でもあるナナホシを邪やな目では見られない。

 俺がイヤらしい目で視姦するのはエリスとロキシーだけだ。

 そこらの不節操な男とは一味違う。

 

 我が振りから目を逸らしつつ、就寝の時間となった。

 勿論、ロキシーと同じベッドに入り、その温もりを満喫する。

 明日への不安を抱えつつも、抱擁されながら安らかに眠りへとついた。 



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58話 父親(パウロ)との再会

──ロアの町外縁部──

 

 斬るが為に振るわれし刀剣、立ちはだかりし敵を叩き潰さんとする闘気。

 それら二つを併せ持つ剣士が二人。

 張り詰めた空気の中でエリスは牙を研ぐ。

 

 対峙するは──剣聖ニナ・ファリオン。

 先代剣神ガル・ファリオンの実子。

 年はエリスより一つ上の16歳。

 若くして剣聖の位階を授かり、将来を有望視される才能に満ちた剣士。

 

 エリスは自身とニナを比較する。

 剣を握った年数で劣る。

 技量に劣る。

 速度でも劣る。

  

 一つとして上回る要素は無く、また誇れる物も無いのだと気付く。

 特記事項といえば、アスラ王国における大貴族の血筋であることか。

 尤も、貴族の血統など強さに結び付きはしないが。

 妬みが燻る。

 醜い感情だ。

 自身への憤りが募る。

 

 ギレーヌの直弟子として、かつて剣術を学んだ。

 手に取った剣の重みは年々増すばかり。

 守る為の力。

 強くなることを是とし、故郷へ至る旅の中で数多の実戦経験を積んだものだ。

 しかしながら、ルーディアを守護せんとして振るう剣に対して、その身に実力が伴っていない。

 剣を振るうどころか、振り回されている。

 弱さを深く痛感する。

 

 先に発生した龍神オルステッド戦。

 そこで己の脆弱性を露呈させてしまった。

 認めたくない事実。

 けれど否定しようの無い惨状が頭を離れず、荒療治のようにエリスへ現実を飲み込ませた。

 弱き自分を改め、再出発の時とする。

 全てはルーディアを取り戻さんが為。

 

 まずは鍛える。

 初心に立ち返り、欠けていた部分を埋める。

 龍神オルステッドとの決戦までに不足を補うのだ。

 ルイジェルドやパウロの領域に一朝一夕で肩を並べようなどと傲慢な考えなどしまい。

 驕りこそ大敵だ。

 

 よって心機一転、修練に励む。

 その第一歩としてニナへと模擬戦闘を申し込んだ。

 試合の序幕。

 肺に空気を取り込み、精神を統一する。

 

 握る得物は真剣。

 白刃を当てれば皮膚や肉を断つ。

 エリスは本気だ。

 覚悟の度合いが現れている。

 相対者たるニナにも同様の心意にてお相手を願っている。

 

 単なる手合わせと侮ることなかれ。

 斬り合えば刃傷沙汰も必至。

 事前に了知したこと。

 ゆえに躊躇わない。

 迷いは後れを生む。

 

 真っ直ぐにニナの動きを注視し、感覚を研ぎ澄ませた。

 両者共に動きは無い。

 エリスは待つことを苦手とする。

 よって痺れを切らし、先攻へと打って出る。

 剣神流の型に沿った挙動。

 龍神との戦闘を経て未熟を自覚したエリスのそれは、敗北を糧に奮起し、急速に精度を増した。

 電光石火の勢いを発揮する。

 

 が、ニナは反応してみせた。

 先攻こそエリスに譲ったが、切り返すように抜き打ちの一撃にて迎撃に挑んだ。

 

 怯まぬエリス。

 既に奔らせた剣を迎え撃つ刀身へ強引に攻め込ませた。

 一合、二合と衝突を繰り返す。

 都度、火花を散らし熾烈を強める。

 力の強弱を織り混ぜた攻防。

 攻めて、防いで、避けて──。

 決着はつかない。

 膠着状態となる。

 

 双方、攻撃の手を緩めぬ。

 実力は伯仲。

 加熱化の一途をたどる。

 手数は増加し、平等に疲労を蓄積させていった。

 

 周囲にはいつからか人集りが出来上がっていた。

 見物人は新旧剣神ガルとギレーヌ。

 スペルド族の老練の戦士ルイジェルドもまた、弟子であるエリスを見守っていた。

 龍滅パウロ及び北神三世アレクサンダーも、少女たちの行く末を見届ける。

 捜索団の団員ら。

 彼らもこぞって一目見ようと足を運び、群衆となっていた。

 エリスとニナは外野の存在など意識に入れず、剣戟を交える相手のみを視界に定めていた。

 

 強襲するエリス。

 俊敏に対応するニナ。

 拮抗状態が続く。

 速度ではニナが上回る。

 さりとてエリスも負けずと剣の勢いを激化させる。

 スタミナ切れなど考慮しない猛攻は、着実にニナから体力と気力を削り取っていた。

 

 勝てる──。

 そう踏んだエリスは更なる大攻勢へと移行する。

 

 第一段階、彼我の距離を確保する。

 闘気によって増強した脚力を以て後方へと下がる。

 追撃は当然ながらあった。

 されど、咄嗟の闘気。

 その爆発力が振り切る。

 

 第二段階、姿勢の変化。

 体位を低め、視線は真っ直ぐに。

 瞳に捉えた標的は剣聖ニナ・ファリオン──。

 

 

 第三段階、意識が技の起こりの時を窺う。

 来る瞬間。

 脳天から爪先まで、全身の感覚を一点に集める。

 

 最終段階──。

 エリスは光の太刀を繰り出した。

 肉薄する。

 ニナの認識を突破した。

 

 速い。

 そして鋭い。

 全てが加速し、超速にて奥義を発動。

 景色を置き去りにしたエリスは光速の刃を叩き込んだ。

 必中にして必殺。

 エリスの頭から模擬戦闘という認識は失われていた。

 容赦の無い太刀が流れるようにニナの首を目掛けて飛ぶ。

 

 獲った──!

 エリスは確信した。

 

 だが、そうはならなかった。

 ニナは応戦せしめたのだ。

 奥義・光返し──。

 

 既に放たれた筈の光の太刀へ後出しにも関わらず、追い上げてみせた。

 通常、光返しは最高速度に達する以前の刃を握る手。

 その手首を斬り落とすことで技の発動を阻止する。

 しかしニナはその条理を覆してのけた。

 剣先も躯体の全てを含めて、既に最高速度に達していたエリスへと対応する。

 

 驚愕に目を見開くエリス。

 手首には冷たい鉄の感触。

 表皮がプツリと裂ける。

 続く一瞬の内に切断が成ることだろう。

 目に浮かぶ。

 

 間に合わない。

 敗色に歯噛みする。

 やがてエリスの手首は──。

 ──喪失しなかった。

 

 

「どうして……」

 

 

 何故。

 疑問が発露する。

 視線を問い詰めるようにニナへと向けた。

 彼女の剣は寸止めに留まっていた。

 速度の乗った技の中断。

 生半可な熟度では成し得ぬ技能。

 才覚有る乙女。

 前評判自体は耳にしていた。

 

 手心を加えられたのだと理解する。

 己の技量も未熟だった。

 ゆえに逆転を許し、黒星をつけられたのだろう。

 弱さは罪だ。

 罪深き非才の我が身へ呪詛を唱えかねない。

 

 

「そこまでっ──」

 

 

 立ち会いの終了を告げるギレーヌの一声。 

 形式張った戦いではなかったが、剣神の管理下に置かれていたらしい。

 好き勝手やった挙げ句に、敗けを明確にされたかのような心地。

 尊敬するギレーヌの前で大恥を掻いた。

 合わせる顔も無く伏し目となる。

 とはいえ、礼儀を尽くさねば。

 鍛練の相手を担ってくれたニナへ一礼する。

 

 

「エリス、敗けはしたが強くなったな。見事な光の太刀だった」

 

「いいえ……。ニナにああも、あっさりと返されてしまったのよ。私、少しも成長してないんだわ」

 

「そう腐るな。ヤツは直弟子でこそないが数度だけ、あたし直々に稽古をつけてやった。下地も出来ていたし成長も早い。その分だけ技量でエリスをリードしているだけだ」

 

 

 宥めるギレーヌの言葉。

 エリスに忖度しているわけでないことは頭では解っている。

 状況が状況だけに余計に憐れさが際立ち、心の傷を抉る形となってしまったが。

 とはいえだ。

 隣の芝生は青く映るものだ。

 

 

「エリス。お前には才能がある。あたしが保証しよう」

 

「才能? どうかしらね」

 

「少なくとも基礎は仕上がっている。あとは伸ばすだけだ。その方向性をあたしが示してやってもいい」

 

 

 弱気になる。

 挫けるわけにはいかない。

 そう決意した筈なのにだ。

 この有り様ではルーディアを救うなど夢物語。

 

 

「一度の敗北で決めつけるな。あたしだって何度も敗けてきた。たとえばそこの師匠(ガル)にな」

 

 

 ギレーヌの視線の先にはガル・ファリオン。

 エリスの顔を一瞥すると、何やら納得した仕草で頷いている。

 今の一瞬で何を読み取ったというのか。

 

 

「しかし師匠から剣神の称号を勝ち取ったぞ。今回の件で学べ。お前はこれからもっと強くなる。断言しよう」

 

「ありがと……。励ましてくれて」

 

 

 ギレーヌの目に狂いは無いのだろう。

 彼女はお為ごかしなど吐かない。

 それに──ルイジェルドもエリスに才能があると話していた。

 旅の途中でそう漏らしていたのだ。

 卑屈になってマイナス方向へ意固地になるのも傍目からは腹の立つばかりの愚者であろうか。

 ウジウジとしていた自分の頬を手の平で打つ。

 顔を上げると淀んだ視界が良好となった。

 

 

「エリス、お前に剣聖の認可を与える」

 

「いいの?」

 

 

 剣神の口より剣聖の位階の授与を告げられる。

 剣聖を名乗る資格とは光の太刀の習得。

 条件は満たしている。

 

 

「剣神としての決定だ。拒否しても撤回はしない」

 

「天下の剣神様にそうも言われたら返す言葉もないわね」

 

 

 嬉しくはあった。

 あのギレーヌに認められたのだから、喜ばないわけがない。

 弟子入りしてよりずっと背を追い続けていた彼女に成長を評価されたのだ。

 

 

「あなた中々やるのね。剣の聖地じゃ、同年代であそこまで腕の立つ子は居なかったわよ。張り合いがあったわ」

 

 

 ニナが微笑を浮かべ、話を掛けてきた。

 好意的な態度。

 自分のような粗野な女に歩み寄ろうというのか。

 あるいは剣士の性なのか、交わした剣からエリスの本質を感じ取り、親交を深めようと思い立ったのか。

 ありがたいことだ、その厚意を受け入れよう。

 

 

「正直言って──。あなたに負けたことは悔しいけど、私には良い薬になったかもしれない。ずっと焦っていたもの。龍神オルステッドに完敗して以来、何もかもに」

 

 

 揺れる心は鎮まった。

 鼻っ柱を折られ、かえって冷静になれたのだ。

 今一度、昔日の自分に立ち返る。

 

 

「エリス。私ね、嫉妬してるのよ。ガル・ファリオン(お父さん)を負かしたあの剣神(ギレーヌ)様から目を掛けてもらって。その上、才能を認められてるだなんて」

 

「あなたこそガル・ファリオンの実子でしょ。見事な剣裁きに見惚れたわ」

 

 

 リップサービスも含まれていたが、その実力には素直に脱帽した。

 親の七光りなどと思うものか。

 親子だからといって優遇はされず、直弟子でもなかったそうだ。

 仮に多少の手解きがあったとて、それだけで養われた腕ではあるまい。

 ニナの剣の妙手がそれを証明している。

 彼女の剣技は長年の努力に裏打ちされた賜物。

 見誤るほど目に曇りはない。

 

 

「私たち、良いライバルになれると思わない?」

 

 

 充実感に顔を綻ばせるニナがそんな事を言う。

 ライバル──。

 身近で年の近い子といえばルーディアくらいだった。

 剣士と魔術師という職の違いから、土俵は違い競争心はさほど無かった。

 ゆえにその発言は胸に響く。

 ライバルとはエリスにとって新鮮な関係性だ。

 

 

「ニナ・ファリオン──。次は私が勝つから。尻尾を巻いて逃げるんじゃないわよ」

 

「その挑発、乗ってあげるわ。私は負けない。エリス・ボレアス・グレイラット──」

 

 

 視線が交錯し、自然と握手を交わしていた。

 不思議と今のエリスは穏やかな気持ちだ。

 もののついでに、助力を要請する。

 

 

「ねえ、ルーディアを助けるのを手伝ってくれる? あの龍神オルステッドと闘う事になるけれど」

 

 

 死地への誘い。

 ニナに受ける義理は無い。

 

 

「ルーディアって子は、エリスの義理の妹なのよね」

 

「そうよ。スッゴく可愛くって、スッゴく頼りになって、少しエッチなところがあるけど、私の大切な妹よ」

 

 

 自慢の妹だ。

 祖父や両親には悪いが、肉親以上に愛しているかもしれない。

 最近では、顔を思い浮かべるだけで胸の鼓動が速まる。

 悲劇的な別れが、その感情を強めたのだろうか。

 

 

「加勢ならするわ。元よりそのつもり。打倒オルステッドを掲げる剣神様にお供してきたんだもの。それに……。かつてお父さんを負かした龍神には思うところがあるわ」

 

 

 ニナの父ガルは若かりし頃に龍神に挑み、指一本触れることなく負けた。

 実力の一端も引き出せずに。

 完敗どころではない。

 勝負として成立し得ぬ程に一方的な展開。

 切なげに過去を語る父親の表情を受けて、ニナは密かに復讐に燃えていた。

 

 

「目的は一緒というわけね」

 

「そうよ。私とエリスと龍神の鼻を明かしてあげましょう」

 

 

 ニナの心強い言葉に、エリスもニンマリと笑顔を浮かべる。

 ライバルの出現とは、仲間の誕生をも意味する。

 

 

「よろしく、ニナ」

 

「ええ。こちらこそ、よろしく。エリス」

 

 

 その日、2人は生涯の友と出逢った。

 

 

──

 

 エリスとニナという次世代の新鋭を目の当たりにしたパウロ・グレイラットは、現状に胡座を掻いていられないと自らを叱責する。

 

 とりわけエリスには現時点で、有史に名を刻む傑物に至るであろう器を──。

 その片鱗を垣間見た。

 彼女は確実に大成する。

 何ならばパウロ自身が修行をつけてやっても構わないとさえ思えてきた。 

 

 模擬戦闘では敗北こそ喫したが、先々に視野を広げれば、いずれは自身すらも超え得る剣豪となるだろう。

 そう予感した。

 エリスとニナは抜きつ抜かれつの良き関係を築き、今後ますますその力を伸ばす。

 そんな光景がありありと浮かぶ。

 

 パウロとて、ひとかどの剣士。

 後進にそう易々と追い越されては立つ瀬がない。

 七大列強の地位が無意味であることは、先日痛感したばかりだ。

 なればこそ向上心を持ち邁進あるのみ。

 間借りする冒険者ギルドへの帰り道中、気を逸らせ続ける。

 

 出迎える人物が一人。

 ボレアス家筆頭執事アルフォンスだ。

 並々ならぬ表情で待ち構えていた。

 事件性を疑い、彼に尋ねてみる。

 すると……。

 

 

「パウロ殿──。龍神オルステッドより送られた手紙を預かっております。先ほど、速達で届けられました」

 

「なに……?」

 

 

 差し出された手紙を受け取る。

 龍神の紋章が描かれていた。

 封筒を荒々しく破り、二つ折りにされた便箋を開く。

 筆跡は綺麗だ。

 悪人とは思えぬ学の高さを窺い知れる。

 読む──。

 

 

パウロ・グレイラットへ。

 

 まずは謝罪をしよう。

 お前に怪我をさせてしまったこと、申し訳なく思う。

 当初こそアレは不幸なすれ違いの末に起きてしまった事故だと考えていたが、後々になって省みると、俺の言葉足らずが原因だという思いに至った。

 

 敵意は無い。

 天地神明に誓おう。

 娘のルーディアは無事だ。

 ロキシー・ミグルディアも同様に。

 2人の身の回りの世話は同行する少女に任せている。

 彼女らの生活に俺は一切関わっていない。

 辱しめなども与えてはいない。

 

 全ては誤解の上で生じた妄想だ。

 とはいえ娘を想う父親の心情を鑑みれば、お前の反応及び対応は、おそらく正しいものだろう。

 親になった事の無い俺の推測だがな。

 ゆえに責める意思は無い。

 全ては水に流そう。

 そちらにもそうしてもらえると助かる。

 

 さて、近々お前の下にルーディアとロキシーを連れて赴こう。

 具体的にはこの手紙が届いてから、3日後程度を見てくれ。

 その際、ルーディアとお前の切断された腕を持参してきて欲しい。

 俺には治癒魔術のスキルがある。

 

 ここまで言えば解るだろう。

 引き渡し時に親子共々治療する事を約束しよう。

 重ねがさね伝えるが、俺はお前の敵ではない。

 後の事情はルーディアに直接聞いてくれ。

 では後日、また会おう。

 

 オルステッドより──。

 

 

 目を通した。

 どこまで信用できる?

 字面は丁寧なものだが、その腹の底が読めない。

 何を謀ろうとしているのか──。

 

 

「アルフォンス。あんたも読んでみてくれ。意見を聞かせてほしい」

 

「では拝読いたしましょう」

 

 

 アルフォンスにも意見を求める。

 数分後、読み終えた彼は熟慮の後に答えた。

 

 

「いずれにせよ、我々はその後の龍神オルステッドの足取りを掴めておりません。であれば、受け身ではありますが、万全の備えを整え、迎撃態勢を敷くべきでは?」

 

「やはりそうなるか。しかし、龍神の奴……。騙し討ちでも目論んでんのか。治療するとか言って近づいて、そのまま刺されやしねえか?」

 

「ならばパウロ殿も不意打ちを狙えばよろしいのでは──。仮に龍神が気紛れに善意で治療を施すというのなら、それこそ好機でしょうな」

 

「寝首を搔くってんなら、確かにまたとないチャンスだが……。そう上手くいくもんか──」

 

 

 此方の動きも加味しての申し出かもしれない。

 攻撃的姿勢を匂わせた時点で血祭りに上げられるのでは。

 そう危機感を懐く。

 

 焦りは禁物だ。

 まずはヒトガミの助言に従い、己が使徒である事を強く主張するのだ。

 そうすることで奴の行動の選択肢を絞ることが出来る。

 ただし腕の治療を終えてから。

 行き当たりばったりではあるが、力の差を思えば後手に回るのもやむ無し。

 出たとこ勝負だ。

 

 

「みんなに周知してくれ。龍神オルステッドが3日後にやって来ると」

 

「仰せのままに」

 

 

 嵐の前の静けさ──。

 血が凍りつくような感覚。

 震える身体。

 武者震いだと思いたい。

 

 

「勝てるかどうかは関係ねえんだ……。やるしかない」

 

 

 祈るより稼げ。

 刻々と近づく血の決戦を前に決意を固める。

 

 

 

 

 

──ルーディア視点──

 

 

 オルステッドが戻ってきた。

 手紙を出してきたらしい。

 彼が姿を現すと、その度にロキシーは恐怖から逃れようと俺に抱き着いてくる。

 棚からぼた餅だ。

 

 とはいえ憂き目を見るばかりではロキシーが可哀想だ。

 俺が守ってあげないと。

 恩師を背に庇い、オルステッドの顔色を窺う。

 小心者の俺は下手に出るのだ。

 

 

「なぜ警戒している。わざとらしい反応だ」

 

 

 龍神に誘拐されてるんだもん。

 そりゃ警戒するよ。

 今更な反応だけど。

 

 

「気の迷いです」

 

 

 適当な言葉で誤魔化す。

 おふざけが過ぎたな。

 

 

「お前は時々、変わった行動を取る。人族の娘の中でも異彩を放っている」

 

「お褒めに与り光栄です」

 

「褒めてはいないが──」

 

 

 困惑顔を浮かべる。

 珍しい表情の変化だ。

 してやったり。

 

 

「お前と居ると調子を狂わされる」

 

「気分を害しましたか?」

 

「そうでもない」

 

 

 まさか情に絆されたわけじゃないよな……。

 龍神を手玉に取れるとも思えん。

 色仕掛けが通用するとも思えない。

 エロい身体に育ってきたと自負しているけど、所詮俺はまだ子どもの域を出ない。

 

 

「それで、手紙は出せましたか?」

 

「恙無くな。あの内容ならばパウロも態度を軟化させるだろう」

 

「念の為、内容を確認したいと思います。お聞かせ願えますか?」

 

「そのつもりでいた。話そう」

 

 

 語り口は淡々としていたが、説明義務を果たそうという気概を感じられた。

 この時ばかりは疑心はなりを潜めた。

 ロキシーとは正反対に、極めてリラックスして聞き入った。

 

 さて手紙の内容だが──。

 まだ説明不足な印象だ。

 肝心のオルステッド自身の素性や目的を語っていない。

 どこの馬の骨かも知れない状況に変化無し。

 上辺だけの言葉を書き連ねている風にも見える。

 

 というか、俺ですらオルステッドの目的の全容が分からない。

 何度か聞いてみたが、はぐらかされた。

 人神を倒す事に何の意味があるのやら。

 

 手紙の内容に話を戻す。

 俺とロキシーの引き渡し日時や腕の治療の件について通達していた。

 人質返還の意思の有無も最低限は伝わったことだろう。

 

 

「可もなく不可もなくといったところでしょうか」

 

「それで構わん」

 

 

 オルステッド的には満足のいく文章の出来らしい。

 俺は国語教師じゃないので、えらそうに添削しようだなんて言い出さない。

 しかし、彼は手紙の内容を丸暗記していたのか、一言一句、詰まること無く暗唱してのけた。

 龍神ともなれば記憶力も神級並らしい。

 

 

「俺は外に居る。所用があれば声を掛けろ。出発は3日後だ」

 

 

 抑揚の無い平坦な声で言い放ち、小屋の外へと消えた。

 もっと感情を出せば人に好かれるのに。

 などと呪いの影響を無視したアドバイスを脳裏に浮かべる。

 

 

「彼はもう行きましたか?」

 

「そのようです。近くには居るようですけどね」

 

「こほんっ」

 

 

 咳払いの後に素早く俺から離れる師匠。

 もっとくっついてくれて構わないのに。

 師としてのメンツを気にしているようだ。

 俺はどんなロキシーでも受け入れるよ。

 

 

「見苦しいところをお見せしてしまいました」

 

「いえいえ、先生はいつもご立派です。尊敬していますよ」

 

 

 顔を立ててあげよう。

 これも弟子としての務めだ。

 けど、ふとした瞬間にしおらしいロキシーの仕草を思い出す。

 スゴく可愛い。

 待つばかりではなく、こっちから抱き締めてしまおうか。

 

 

「バカにしていませんか……」

 

「そんなことはありません」

 

 

 嘘はついてない。

 バカになどせず、むしろ愛でているのだ。

 

 

「まあいいです。大目に見てあげます」

 

 

 さすがはロキシー。

 不敬な態度も不問にしてくれた。

 

 そんなロキシーに甘えつつ、残りの3日間を過ごす。

 ゆったりと寛ぎ、人質生活の気配など微塵も感じさせない時間。

 

 魔術談義に花を咲かせる。

 ナナホシは魔力総量がゼロゆえに魔術は使えないが、理論への理解は深かった。

 元々、剣と魔法の世界への憧れが強かったと話していた彼女は、知識だけは豊富でいわば知恵袋。

 

 その為、ナナホシの視点からの意見から新たな発見が幾つも有った。

 俺の持論と合わせて良いとこ取りさせてもらう。

 それとロキシーと意気投合したのか、がっしりと握手なんてしていた。

 異世界への遭難者たるナナホシの境遇を思えば、良いことだろう。

 俺とロキシーとで心の支えとなるのだ。

 

 そしてあっという間の3日間。

 ナナホシとは一旦のお別れとなる。

 語り尽くせたとは言えない。

 不完全燃焼だ。

 しかし、俺たちは帰らねばならない。

 パウロの下へと。

 元の生活へ戻るのだ。

 

 オルステッドが出発を待っている。

 別れの挨拶の時間を設けてくれる程度には、彼にも良心というものがあるらしい。

 

 ナナホシとはブエナ村でサヨナラだ。

 これから、ロアの町では何が起こるのか予想がつかない。

 戦闘が勃発でもすれば彼女の身にも危険が及びかねない。

 だからお留守番というわけである。

 次に会う時を楽しみにしつつ、別れの際を惜しむ。

 

 

「ではナナホシさん。お元気で」

 

「シズカでいいわよ。名字でだなんて他人行儀だもの」

 

「それではシズカさん──」

 

「さん付けも要らないってば。敬語もね」

 

 

 注文の多い人だ。

 とはいえ彼女の要求は願ったり叶ったりだ。

 名前の呼び方一つで人の関係には変化が生じる。

 お互いを名前で呼び合うことで、自然と心理的距離を縮められる。

 ふむ、ナナホシに対しては敬語も不要か。

 他でもない彼女自身の望んだことだ。

 遠慮はしない。

 

 

「それじゃあ、シズカ。また会おうな」

 

「男の子みたいな口調なのね、ルーディアって」

 

 

 前世の正体を言い当てられたわけじゃないが、ギクリとした。

 心臓がバクバクする。

 不安がるな。

 引きこもりのニートなんて既にこの世に存在しないんだ。

 

 苦笑いでナナホシと──いや、シズカと向かい合って握手を交わす。

 怪訝そうにする彼女に秘密を抱えたままというのも、スッキリしないが──。

 とにかく最後は笑顔で手を振って別れた。

 また会おう、シズカ。

 元気で。

 

 

──

 

 

 ブエナ村からロアの町までは、馬車で通常5~6時間の道のり。

 しかし、オルステッドの呪いのせいで残念ながら馬車は使えない。

 ロアの町周辺には転移魔法陣が無いそうなので、移動手段は徒歩に限定される。

 徒歩ともなると休憩時間などを考慮すると、1日では到着しまい。

 日を跨ぐだろう。

 

 代替案として、オルステッドが俺達を抱えて走って向かう事となった。

 彼の小脇に荷物のように抱えられる俺とロキシー。

 快適な移動とは無縁。

 猛スピードで景色が流れ、振動も激しく車酔いならぬ龍神酔いへと陥る。

 三半規管を揺さぶられ、平衡感覚を狂わされた。

 乗り心地は最悪だ。

 

 到着する頃には師弟揃って地面に這いつくばり嘔吐した。

 ヨレヨレとなり、立ち上がることすらままならない。

 ロアの町近辺の丘から景色を一望する。

 気を紛らわせて身体の調子を整える。

 

 さて、遠目に見てわかる。

 ロアの町はブエナ村とは比較にならないレベルで復興していると。

 町としての体裁を成していた。

 ケチの付け所なんて無い。

 

 領都ともなると、やはり復興の優先度が違うようだ。

 投じられた費用も人的資源も桁違いだろう。

 歴史的背景を重視してか、町を取り囲む城壁なんかも再建されている。

 復興のシンボル的な位置付けか。

 

 しかし、ボレアス家の館は無い。

 かつては町の外からでもその巨影が窺えた。

 強い存在感を放っていた古城は何処へやら……。

 俺にとっての第二の実家は、どれだけ目を凝らそうとも視界には現れてくれない。 

 こういった部分に災害の爪痕を感じる。

 

 

「今から魔術の封印術を解く。妙な気を起こすな」

 

「何もしませんよ。このまま解放されるのなら、変に抵抗する理由もありません」

 

 

 なんであれ、晴れて自由の身だ。

 今後の事はパウロと相談して決めればいい。

 なにも一人で思い悩むこともない。

 

 オルステッドがブツブツと呪文を唱えると、身体から淡い光が溢れ出す。

 魔力の流れを阻害していた呪縛が解かれたらしい。

 ロキシーを見やれば、俺と同じく輝いていた。

 神の後光か──。

 

 

「具合はどうだ?」

 

「良い感じです」

 

 

 睨み付けるようにオルステッドは視線を寄越した。

 いや、単純に目つきが悪いだけなのだが。

 

 

「では向かうぞ。パウロの下へ」

 

 

 オルステッドの指示に従い、丘からロアの町へと移動する。

 程なくして町の正門へと辿り着く。

 立ち止まり──視線を前へと伸ばした。

 

 居た。

 誰がって……。

 そりゃあ決まってる。

 パウロだ──。

 

 彼は目を丸くして俺を見ていた。

 俺もまた父親を見詰め、膨れ上がる感情の変化に理性を失いそうになる。

 3年越しに目にするパウロは、やはり以前より老けていた。

 年齢は現在32歳だったか。

 皺などはあまり増えちゃいないが、哀愁漂う表情から事情を察する。

 重ねてきた苦労の数は、魔大陸から旅をしてきた俺を凌ぐだろうと。

 

 以前よりも髪の毛が伸びている。

 髭はきちんと剃っているのか、粗野な印象は受けない。

 顔立ちは精悍。

 ワイルドな風貌だ。

 なんというか、自分の父親ながら男前だと改めて思った。

 

 俺も見た目が多少なりとも変わった。

 軟禁生活中に13歳を迎え、肉体の成長も加速してきた。

 乳房はますます体積を増やし、全身の各部位も女性的な丸みを帯びてきた。

 遅れ気味だった身長の伸びも、平均的なペースに戻りつつある、

 生理だって定期的にやって来る。

 ほんの1年前と比較しても、母であるゼニスの容姿へと更に近付いてきただろう。

 

 意識はパウロへ集中する。

 他の事なんてどうでもいい。

 オルステッドを背後に置いてきぼりにして、感情が走り出す。

 彼は止めなかった。

 咎めること自体が野暮であるかのように。

 身体はパウロの胸へと飛び込むようにして駆け出していた。

 

 

「父さまっ……」

 

 

 消え入りそうな声。

 声量とは裏腹に、弾けんばかりの笑顔で再会を喜ぶ。

 そしてポロッと涙を落として噛み締める。

 

 

「ルディッ……!」

 

 

 隻腕ながら熱い抱擁で迎えてくれた。

 逞しい胸板にトンッと受け止められる。

 転移災害発生から3年──紆余曲折を経て父親と娘の再会は叶った。

 お涙頂戴である。

 実際、俺とか泣いてるし。

 

 

「ぐすっ……。父さま……」

 

「本当にっ……ルディなんだよなっ……!」

 

「この顔を見て他に誰だと思うんですか。バカですか……。老眼になるにはまだ早いですよ」

 

「あぁ、その生意気な口の利き方はルディに違いねえ……。ますます母さんに似てきたな……」

 

 

 顔をくしゃくしゃにして男泣きするパウロ。

 みっともないだなんて思うもんか。

 災害によって引き裂かれた父娘の時間を取り戻せたんだって、それだけを考える。

 

 

「すまん……。オレはお前に何もしてやれなかった。ルディは自力で中央大陸に帰ってきて、そしてゼニス達を見つけてくれたってのに……」

 

「いいえ、父さまは頑張りました。ゆく先々でご活躍を聞きましたよ。捜索団を率いて、被災者の人達を助けて回ったって」

 

 

 立派だ。

 誇れることだ。

 子として父を尊敬する。

 俺よりもはるかに多くの人間をパウロは救ってきたのだ。

 感謝されるに値する人物である。

 英雄とはパウロのような者を指すのだろう。

 

 

「立場を考えればオレは身内だけを優先するわけにはいかなかった。いや、そんなのは言い訳だ……。とにかく、生きていてくれて、良かった……」

 

「私も父さまが無事で居てくれて……本当に良かったと思います。お互い、片腕を失ってしまいましたが、命あるだけ儲け物ですよ」

 

 

 話したいことは幾らでも湧いてくる。

 甘えたい気持ちも際限無く生まれた。

 この3年間でおっぱいが大きくなった事も自慢してやりたい。

 胸のサイズに関してはコンプレックスを持っちゃいるが、パウロならセクハラ交じりに笑い飛ばしてくれるだろう。

 身体の悩みを父親にぶちまけて気持ちを楽にしたい。

 

 

「ルディ、パウロさん。再会を邪魔するわけではありませんが、この場にはまだ龍神オルステッドが居ますので……」

 

 

 小声でロキシーが注意喚起する。

 忘れていたつもりはない。

 意識はしていた。

 ただあまりにパウロとの再会が嬉し過ぎて、警戒心を後回しにしていたのだ。

 

 

「ロキシーちゃん。ルディをそばで支えてくれてありがとな。それと──龍神オルステッドからは、1秒たりとも目を離しちゃいない。安心してくれ」

 

 

 険しい剣幕でキッと睨み付け、オルステッドを視界に縫い止めていた。

 ヤバい。

 この2人に争わせちゃダメだ。

 先に手を打たないと。

 

 

「父さま。彼と戦ってはいけません。死にますよ……?」

 

「だろうな……」

 

 

 理解は出来ていると。

 2度も大敗したんだ。

 嫌でも気付くだろう。

 

 

「手紙は読んだな? 腕の治療を施す」

 

 

 オルステッドは敵対の意思が無いことを示すように両手の平を見せながら近付いてくる。

 その接近と同時に、町の門の奥からアルフォンスが四角形の箱を抱えて歩いてきた。

 オルステッドを視認した途端、及び腰になったような気もする。

 呪いの影響下からは、やっぱり免れないようだ。

 

 

「龍神殿。これを──」

 

「ああ」

 

 

 箱を開けると中には大人と子供の腕が各一本ずつ収められていた。

 俺の左腕とパウロの右腕だ。

 仲良く並んで箱の中に鎮座している。

 オルステッドはまず、俺の左腕から掴み取った。

 

 

「一時的に傷口を開く。痛むだろうが堪えろ」

 

 

 接合の際、断面を密着させなければならない。

 そうなると傷口を強引に開かざるを得ない。

 子どもなら泣き叫ぶような激痛が発生する。

 とはいっても、今の俺は魔術の使用はフリーの状態だ。

 魔力操作にて痛覚遮断を行い治療に備える。

 それなりの量の出血はあったが、手際の良い上級治癒魔術によって久し振りに左腕が繋がった。

 グーパーと手の平を開いたり閉じたりして動作に問題が生じないかを確認する。

 よし、オーケだ。

 

 次にパウロの腕の治療。

 同様の流れで治療は進んだ。

 但し、パウロは終始オルステッドへ警戒を払っていた。

 あくまでも敵として捉えているのだ。

 

 さて、パウロは元通りになった腕の調子を確かめつつ、勢い良く俺を抱き締めた。

 捉えようによっては龍神を我が子から守ろうとしている風にも映る。

 事実、そうなのだろう。

 

 

「治療と子の引き渡しは完了した。パウロ・グレイラット。俺はもうお前達には関わらん。だからお前も俺の邪魔をするな」

 

 

 不干渉を約束するオルステッド。

 たぶん、これ以上の接触は軋轢を生むと判断しての言葉だろう。

 結局、彼の目的とやらもハッキリしない。

 人神(ヒトガミ)と争い、魔神ラプラスとも敵対しているとしか判明しなかった。

 仮にも神様であるヒトガミが死ねば、この世界にどんな悪影響が出たものか、分かったもんじゃない。

 せめて俺と家族が生きている間は平和な世界であってくれ。

 

 

「ルディ、危ないから離れていてくれ」

 

 

 不意にパウロは言った。

 危ないって何がだよ。

 オルステッドはもう立ち去ろうとしているんだぞ?

 その言い方だと、わざわざ事を荒立てようとしている様にしか聞こえない。

 聞き間違い……じゃないよな……。

 

 背を向けて歩き出したオルステッド。

 がら空きの背中は、いかにも不意打ちの機会であるかのようだ。

 攻撃を誘ってるわけではあるまい。

 

 

「い、いけませんっ……! 藪をつつく必要がありますかっ!」

 

 

 猛り立つパウロ。

 頼むから大人しくしてくれ。

 

 

「考え直してくださいっ……。オルステッドと戦っちゃダメです」

 

家族(みんな)を守る為だ──。もう引き下がれねえんだ」

 

 

 俺の嘆願は聞き入れられなかった。

 娘の制止を振り切って、独断専行でパウロは突っ走ってしまう。

 抜剣からの光の太刀──。

 龍滅の咆哮が龍神へと迫る。

 そして刃も。

 

 

「意図が読めんな。パウロ・グレイラットよ。娘はたしかに返した筈だが──」

 

 

 刃は素手で掴まれていた。

 意識外からの一撃は通じず。

 ただ単に敵意有りと知らせるに留まった。

 

 

「……っち。すんなりとは殺らせてもらえねえか」

 

 

 剣を引っ込めて距離を取るパウロ。

 ああ不味い……。

 オルステッドの逆鱗に触れたかもしれない。

 

 

「話があるのなら聞こう」

 

「そうかよ。じゃあ、言わせてもらうぜ。オレは人神の使徒ってやつだ。だから、あんたを殺す」

 

「使徒か──。ふむ……。奴に何を囁かれた?」

 

 

 思案するオルステッド。

 まだ弁解の余地はあるか?

 物は試しだ。

 会話に乱入する。

 

 

「待って、オルステッドさんっ! 父さまは混乱してるんですっ! 争う気はありませんっ!」

 

 

 なぜヒトガミの奴が、パウロにオルステッド殺害を命じたのか。

 あいつは俺にもそう行動するように仕向けた。

 まるで潰し合いを望むかのように。

 まさか巡りめぐって本当にパウロがオルステッドを倒してしまうのか?

 しかし、ヒトガミはオルステッドの未来が見えないという話だ。

 わからない。

 

 けど、さまざまな想定を行う。

 俺が挑み敗北し、そいつがパウロの勝利へと繋がる。

 それが布石となっていたのかは定かじゃない。

 でも、そんな展開をヒトガミは予想したのかもしれん。

 あるいは願望か。

 

 

「貴様の娘もああ言っている。剣を引け。今ならば見逃そう」

 

「出来ねえ相談だ。あんたが生きている限り、オレの家族に幸せは訪れない」

 

「ヒトガミの言葉など信用するな。貴様は騙されているのだ。俺と争ったところで、命を捨てる結果となるだけだ。更なる不幸を招く」

 

「命を捨ててでも守りたい家族が居るんだよっ……!」

 

 

 状況が違えば勇ましく思えだろう。

 でも……この空気は悪い。

 これじゃあ、ただの蛮勇だ。

 オルステッドはまだパウロを見逃す意思を残している。

 けれどこれ以上、パウロがオルステッド殺害に拘泥するようであれば、猶予はそう残されちゃいない。

 

 

「最後通告だ。矛を収めろ。家族とやらと勝手に幸せに暮らせば良いだろう」

 

「てめえの言葉は何一つ信用ならねえ。勝手に幸せになれだぁ? そもそもてめえがオレの家族をバラバラにしたんだろうがっ……! 転移災害を引き起こし、世界を滅ぼそうとする悪神だってアイツは言っていたっ……!」

 

「何を言うかと思えば──。戯れ言を吹き込まれ、真に受けるとは。あまり強情だと、殺されても文句は言えんぞ?」

 

 

 オルステッドは辟易とした様子。

 俺には彼が正義か悪か判別できない。

 しかし、この場は事を荒立てることなく切り抜けられる見込みはある。

 だから余計に必死になる。

 

 

「止めて、父さまっ……!」

 

「すまん、ルディ……。オレは──」

 

 

 最後まで言葉を聞く事は叶わなかった。

 唐突に俺の身体を背後から抱き抱える者が現れたからだ。

 予期せぬ自体に混乱しながらも、俺を戦場から遠ざけようとする人間の顔を確認する。

 黒髪の青年だった。

 年の頃は十代後半頃か。

 若い。

 

 

「すみません、ルーディア様。パウロ様のご指示ですので」

 

「あなたはっ……」

 

 

 パウロの部下らしき少年。

 ロキシーの話にあった北神三世の外見的特徴と一致する。

 

 

「僕はパウロ様よりご息女(あなた)を安全な場所へ送り届けるようにと仰せつかっています。避難しましょう」

 

「はなしてくださいっ!」

 

 

 ジタバタと暴れるが、びくともしない。

 魔族の混血児である彼の筋力は、やわな少女などものともしなかった。

 くそっ……。

 俺は父親の為に何もできないのか?

 チャンスすら与えられないのかよ──。

 

 遠ざかる戦場。

 はるか向こうの視線の先にはパウロの他に複数人の剣士達が駆け付けていた。

 パウロより幾らか世代が上の剣士。

 彼がガル・ファリオンだろうか。

 

 ギレーヌも居た。

 オルステッドと戦う事を見据えて、パウロと合流したのだろう。

 つい先月まで共に旅してきたルイジェルドの姿もある。

 彼らは戦端が開かれる瞬間まで近くで息を潜めていたのだ。

 

 エリスはどこだ──?

 

 居た。

 北神三世の走る先に、年若い女の子と共に。

 エリナリーゼとタルハンドも待ち構えていた。

 届け先はエリスか。

 

 

「ルーディアッ!」

 

「エリス……」

 

 

 約1ヶ月ぶりの対面。

 エリスは泣いていた。

 しかし、笑ってもいる。

 笑顔だ。

 屈託のない笑顔である。

 

 北神三世はそっと俺を下ろす。

 遅れてやって来たロキシーと2、3言葉を交わしてから戦線へ向かった。

 だだっ広い草原の先では既に戦闘が始まっている。

 手遅れだったのだ。

 あれこれと考えていた俺の苦労は水の泡だ。

 

 戦況を窺う。

 パウロとガル・ファリオンが果敢に攻め込み、オルステッドが反撃に出れば、入れ替わるようにしてギレーヌとルイジェルドが相手取っていた。

 事前に各人の役割を打ち合わせていたのか、実に円滑な試合運び。

 試合という言い方では甘いか。

 アレは殺し合いだ。

 

 そこに北神三世が加わった事で、あのオルステッドに防戦を強いていた。

 きっとオルステッドは本気ではない。

 様子見に徹しているように見えた。

 

 

「ルーディア! もう離さないわっ!」

 

 

 俺の意識が他所を向いている中、エリスが抱き寄せてきた。

 成長著しい豊満な胸の感触を顔に感じる。

 

 

「エリス。みんなを止めないとっ! オルステッドと戦えば全員死んでしまいますっ!」

 

「いいえ、止めないわ。オルステッドを倒さないと、またいつあんな目に遭うか分からないでしょ」

 

 

 説得は無駄か。

 鬼気迫る面持ちで語るエリス。

 俺を逃がさないとばかりに、抱擁を更に強める。

 

 念願叶って、エリスとの再会も果たした。

 けれど──死にゆく父親をただ見守ることしかできなかった。

 何かしなければ。

 このままじゃ父は死ぬ。

 パウロを失いたくはない。

 抗おうと思索する。

 

 でも世界は無慈悲だ。

 俺がどう思おうが、どう考えようが、どう悩もうが、世界は流動的だ。 

 勝手に進む。

 望まぬ開戦──。

 やがて俺は、世界の命運を決する瞬間──。

 この世の流れを変える転換期に立ち会う事になる。



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