Fate/√  【群像時変】 (わが立つ杣)
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第1話  ~序章~

●月●日


 Prologue

 

 

 何があったのか?

 ぼんやりと靄がかかり、記憶の道に分け入ろうとしても先が見通せない。

 それだけでなくどうしようもなく体が重い。

 べったりと全身に汚泥が纏わりついて、その場に縛りつけようとしているかのようだった。

 服にはずっしりと雨が浸み込んで。

 その水滴が肌に張り付き広がって、体温を奪い去ろうとしている。

 

 ズルズル──―

 

 ゆっくりと、その重く冷たい体を引きずるようにして、前に進める。

 目的の場所は明確。

 やろうとしていることもはっきりしている。

 ああ、その筈だ。

 これから始まる戦いへの準備。

 この戦いに参加する魔術師であれば、当然の事。

 人外の力を有する英霊、サーヴァントと呼ばれる使い魔を召喚し、自分はマスターとなる。

 敵である他のマスターとサーヴァント達を駆逐して、聖杯と呼ばれる万能の願望器を手に入れ。

 自分自身の切なる望みを叶えるのだ。

 そう。

 大事な願い。

 

 「・・・・・・・・・願い?」

 

 それはなんだっただろうか?

 どうにもはっきりしない。

 あんなにも明確だった筈の目的が、こんなにもぼんやりしているなんて。

 自分は本当に疲れているのだと認識させられる。

 殆ど無意識で歩いても、目的地には到達した。

 そこにあった召喚の媒介となる道具を準備して、魔方陣を描く。

 召喚の呪文は簡単なものだ。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を・・・」

 

 淡々と必要な字句を並べていく。

 その最中、何か全く別の心配事がふわりと思い浮かんだ。

 お陰で詠唱が中断してしまったが、些細な問題に過ぎないだろう。

 

「・・・汝三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」

 

 惰性のままに詠唱を終えると同時に、仄暗い空間に光が満ちる。

 

 ボウッ──―

 

 やがて、その光の中に人の形をしたシルエットが浮かび上がる。

 英霊の召喚に成功したのだ。

 そして。

 

「サーヴァント、【●●●●●】。召喚に応じて参上した・・・」

 

 お決まりの口上だった。

 だが、大事なのはその内容ではなかった。

 重要なのはその声、そしてその姿。

 光が徐々に薄れていく。

 答えは目の前にあった。

 

「・・・・・・ああ・・・・・・」

 

 なんということだろうか。

 自分の口から思わず、絶望的なため息が零れる。

 いや、単に自分自身に呆れ果てただけの、諦念を示す吐息に過ぎなかったか。

 そう。

 その姿を目にした自分はつくづくとこう思ってしまったのだ。

 またも・・・

 『・・・またしても自分は間違えてしまったのだ・・・・・・』と。

 

「それで・・・」

 

 当たり前のように、その英霊は問い掛けてくる。

 召喚されたサーヴァントとしては当然の流れ。

 当然の質問だ。

 ・・・だけれども・・・

 

「●●●が●●●のマスターか?」

 

 生憎と自分はその問いに対する答えを。

 持ちあわせてはいなかった。

 



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第2話  ~16日前~ 「Lost Witch」

1月15日 午後







E turn

 

 

「それじゃあ、この英文を誰に訳してもらおうかな~」

 

 黒板に書かれた1行のアルファベットの羅列をチョークで指し示しながら、嬉しそうに藤ねえが教室をぐるりと見回す。

 全然わからない・・・

 オレは極力目を合わせないように、しかし、それがあからさまではないように視線を彷徨わせた。すると、壁に掛けられた時計が視界に入り、授業の終了が間近である事に気が付いた。

 よし、時間切れだ。

 

キーン・・・コーン・・・カーン・・・コーン・・・

 

 絶対の権力を持つチャイムの音が鳴り響くと同時に、獲物を探していた穂群原の虎の動きがピタリと停止した。 

 

「はい、それじゃあ今日はこれまで!みんな、宿題はちゃんとやってくるように!」

 

 そう言い残して、ギリギリ走っていないと見なされる範囲の素早くかつ無駄のない動きで、藤ねえは教室からあっという間に歩き去っていった。

 

「は~、終わった終わった~」

 

 誰ともなくそんな言葉を発したのを合図に、教室内には無秩序な騒めきが拡散していった。

 担任の英語教師の珍妙な行動には、すっかり慣れっこの2年C組の面々。

 各々の放課後の活動のために淡々と準備を開始している。

 当然、オレもその一人ということになる。 

 今日も穂群原学園の一生徒として特別な事もなく、いつもどおりの平穏かつ退屈でもある時間が過ぎていった。

 部活動はしていないものの、放課後の活動がメインのオレにとっては、授業時間は体力回復のための時間として定義されている。そんな考えを藤ねえが聞いたら、物理的な教育的指導の対象になりかねないので、決して口外したりはしないが。

 

「さてと・・・」

 

 揃えた教科書を鞄に放り込んで席を立つ。

 オレはこの後、図書室へと向かうつもりだった。普段訪れることの少ない場所ではあるが、そこでちょっと確かめてみたいことがあるのだ。

 

 

 

 ガラララ

 

「ん?衛宮が図書室に来るなんて珍しいじゃないか?」

 

 扉を開けて中に入ると、顔見知りの生徒がいて声を掛けられた。

 少し癖の強い青みがかった髪の男子生徒。中学時代から付き合いのある間桐慎二だった。

 

「たまにはいいだろ?」

 

 オレはちょっとバツの悪さを感じながら応じた。

 実は、図書室にも料理関係の本があるんじゃないかと期待して来たのだ。料理のバリエーションを増やすのに、役に立つかもしれないと思ったわけである。

 やましいところは何もないのだが、そこはそれ。多少の気恥ずかしさもあり、知り合いには極力会いたくなかったのだ。

 

「慎二の方こそ珍しいんじゃないか?何を読んでるんだ?」

 

 はぐらかしたい気持ちもあり、質問を返す形になる。

 

「ああ。少しばかり興味が湧いてね」

 

 そう言いながら、片肘をつきながら気怠そうに机の上で読んでいた本の表紙をこちらに見せてきた。

 

「【誰でもわかるギリシャ神話】か。確かに面白そうだな」

 

 オレには殆ど縁がないが、ゲームや漫画を読んでいれば、たまに一部の登場人物や物語が援用されたりするだろう。そのため、話や名前の一部だけは知っているケースがある。だが、オリジナルの中身まで詳しく知っていることは殆どない筈だ。

 

「特定の人物や話を詳しく知るのには、原典を解説した本が一番だもんな」

 

「まあね」

 

「何について調べてるんだ?」

 

 特に嫌がる素振りもなかったので慎二の手元を覗き込んでみると、ペルセウスがメドゥーサを退治する話を読んでいたようだ。

 

「ああ。これならオレも知っているな」

 

 石化の魔眼を持つメドゥーサに対峙したペルセウスが、直接目を合わせないために盾に映して斃したという話だ。

 

「有名だからね。でも、知っているか?メドゥーサは元は美しい容姿と髪の持ち主で、怪物になったのは神の怒りを買った結果だって話だ」

 

「へえ、何をしでかしたんだ?」

 

「なんでも、女神アテナと美しさを競い合ったとか、アテナの神殿で男とやっちまったとか。それで怒りを買ったのが原因なんだと。どっちにしろ、くだらない話だよな」

 

「そんな理由で化け物にされちゃったのか。過激だな、ギリシャの神様って。アテナってギリシャ神話じゃかなり偉い女神なんだっけな」

 

 現代人の量刑だの刑罰だのの常識から考えれば、やり過ぎ感は否めない。

 

「まあ、いずれにせよメドゥーサが怪物であることに違いはないんだけどな。結局、追放された島で何人もの人間を殺しているんだし」

 

 断定するように結論付けると、慎二はその本をオレに手渡してきた。

 

「この本はもういいや。衛宮、興味がありそうだから好きに読めばいい」

 

 やや一方的にそう告げて、慎二は図書室の出口へと向かった。

 当初の目的とは違うが、もう少し読んでみたいという好奇心もあったので、オレは目次のページを開いた。

 

「読み終わったら、返しておいてくれよな」

 

「ああ」

 

 去り際に慎二が『なんで僕が・・・』と小さく毒づいていたのが僅かに引っ掛かったが、その背中を見送りながら、オレは興味を惹かれそうなエピソードを探した。

 

「名前を聞いたこともない登場人物も結構多いんだな」

 

 ゼウスやアテナと言った有名どころの神様の名前や、ヘラクレスやアキレウスなどの英雄はわかるが、聞いたこともないキャラクターの方が圧倒的に多かった。

 

 ガラララ

 

「衛宮か?図書室で見かけるのは珍しいな」

 

 社会科の教師である葛木宗一郎が、本を片手に室内へと入ってきた。

 

「ああ。葛木先生。慎二に勧められた本を読んでいまして」

 

 普段、ここを使わないオレからすれば、図書室というところは意外と多くの知り合いが出入りすることを知る機会になった。

 

「そうか。集中しているのに声をかけてすまなかったな」

 

 葛木は借りていた本を返却しに来たようだった。

 いつものとおり、淡々としていながらも律儀に手続きを進めている。そんな葛木を横目に見ながらパラパラと目次に示されていたページを捲っていく。

 なんとなく開いたページにはタイトルとして【アルゴー船の冒険】と記されていた。

 

 

 

「おっと・・・」

 

 帰り道、危ういところで完全に酔っぱらって足取りの覚束ないスーツ姿の男を避ける。

 

「すまないな。少年」

 

 その酔っ払いの同僚と思しき同じくスーツ姿の男がこちらに謝ってきた。サラリーマン、いや最近はビジネスマンと呼ぶのだろうか?・・・いずれにせよ、仕事帰りの社会人と思われた。

 

「あ・・・いいえ。そちらの方、大丈夫ですか?」

 

「酒を飲むといつもこんな感じなんだ。自業自得さ。キミは学生か?早く帰ったほうがいいぞ」

 

「ええ。バイトが終わって、今から帰るところです」

 

「そうか、もうかなり遅い時間だ。気をつけてな」

 

 そう言って男は手を振ると、もう一人の酔っ払い男に肩を貸して、背中を向けた。

 

「ありがとうございます」

 

 少しよろけながら去っていく二人のビジネスマンの後ろ姿に、オレも軽く手を振って再び歩き始めた。

 時刻は夜の11時を過ぎたくらいだ。

 酒屋【コペンハーゲン】でのアルバイトを終えたオレは、最寄りのバス停へと向かう。

 

「花金ってやつだもんな。社会人にとっては一番楽しい時間なんだろうな」

 

 いつか自分もそんな時が来るのだろうかと想像しようとしたが、どうにも現実味がなかった。

 程なくしてやってきた深山町方面に向かうバスに乗り、商店街のバス停で降りる。

 

「おっと・・・雨か・・・」

 

 バスに乗っていた時には、窓に水滴など見当たらなかった。

 ちょうど、降り始めたところだろう。

 片方の掌を広げて感触を確かめると、ポツポツと細かい雫が肌を

 小さく叩いた。

 

「まあ、大したことはないな」

 

 傘はないがここから我が家まではさほどの距離ではない。走らなくても、ずぶ濡れになるようなことはないだろう。

 肉体労働で疲れた体を惰性で動かして、のんびりと歩く。オレは商店街を抜けて交差点へと辿り着き、家の方向へと曲がろうとした。

 

 ──―──―──―

 

「ん?」

 

 そんなオレの耳に雨音とは違う微かな異音が届いた気がした。

 何かが倒れるような、あるいはぶつかるような音だ。

 

 ──────ぁっ!──────

 

 さらに僅かに聞こえてきた声。

 おそらく悲鳴、しかも女性のものだった。

 

「こっちか・・・・・・?」

 

 ダッ

 

 オレは、声の聞こえてきた方向へと走り始めた。

 こっちは慎二の家へと向かう道だ。

 

「あれ・・・・・・か?」

 

 充分とは言えない街灯の光を頼りに、道路の先を確認する。

 どうやら二人の人物が争っているようだった。

 一人は地面に届きそうな程に長い髪を持つ長身の女。冬だというのに露出の激しいタイトな服を着ており、扇情的だ。しかしそれらの特徴を搔き消すほどに際立っているのが、異様な眼帯で両目を完全に覆っている事だった。あれでは全く視界がない筈なのに、女は何の不自由もなく機敏に動いている。

 もう一人は紫色を基調とした全身をすっぽりと覆うローブを纏い、さらには顔を黒いフードを被っている。そのためはっきりとはわからないが、全体のフォルムからこちらも女性のように見える。

 

「なんなんだ・・・あいつらは・・・?」

 

 二人の風体に異様なものを感じたオレは、思わず細い脇道に身を隠した。

 

 

 C turn

 

 

 その男には魔術で幻を見せた。

 生きながらにして、徐々に自分が焼かれていくというもの。

 おそらく全身がただれていく感覚の中、幻覚の中で迎えた最期の瞬間、自分をこの劫火の中に放り込んだのが、私だと思い出したのだろう。

 

「・・・裏切りの・・・魔女め・・・」

 

 あらん限りの怨嗟に満ちた、くだらない男の声。

 どうでもいい男だった。だが、その言葉までどうでもいいと断じることができるほど、私は悟りきってもいなかった。

 

「消えなさい」

 

 男の精神は既に死んでいた。

 しかし、まだそこには残り滓としての肉体があった。

 それすらも許せなかった。

 魔術で編んだ小さな炎を、男の両手足の指に灯す。

 じりじりと肉が炙られ、焼け爛れ、少しずつ中心部へと向かっていく。焦げた肉の匂いが充満していく。

 

「不快だわ」

 

 ぞわぞわと吐き気が込み上げてくる。

 最後まで見届けてやろうと思っていたが、あまりにも無意味だと思い直した。

 こんな男にこれ以上時間を費やしてやる必要がどこにあるというのか。

 私は踵を返して、部屋の出口へと向かった。

 

 

 焼失した男が拠点にしていた新都のビルを出る。

 既に夜も深くなっており、冬の冷気をひんやりと感じた。

 しかし、その空気は僅かにじっとりと湿っているようにも思えた。

 

「雨が降りそうね」

 

 フードを被った顔を少しだけ空へ向けた。

 マスターだったくだらない男との契約を絶ち、そして殺した。

 魔力供給が途絶え、この世界との繋がりが薄れ、この身を保つのが難しくなりつつあるのを感じた。

 それはそれで仕方がないと思っていた。

 あの男にいいように使われるくらいなら、消えたほうがマシというものだ。

 そう割り切っていた筈だった。

 

「どうしていつも(わたくし)の前には、あんな男ばかり現れるのかしら・・・」

 

 醒めた心で昔の出来事を少しだけ思い出しかけるが、辛うじてそれを抑え込む。敢えて不快な過去を振り返る必要はない。

 この街を二分する川に掛かる大橋へと、自然と足が向いていた。

 今いる【新都】と呼ばれる区域とは対をなす【深山町】と呼ばれる区域へと歩いていく。

 総じてこの街は非常に優秀な、稀有と言っていい程の霊地だ。聖杯戦争の舞台に設定されるのだから、当たり前と言えばそれまでだが。その中でも抜きん出て魔力に満ちた場所が、円蔵山にある柳洞寺と呼ばれる古い寺院付近であることもわかっていた。

 そこであれば、なんとか現界を保つことができるかもしれない。

 そんな一縷の望みを抱いていた。

 

「いざとなれば、生き汚いものね」

 

 そんな自嘲気味の声が漏れた頃にはポツポツと雨が降り始めていた。

 橋を渡り、ひっそりと静まりかえる商店街を抜ける。

 随分と歩き続けていた。

 体は重く、力が入らなくなってくる。

 降りしきる雨が全身に浸み込んで、濡れたローブが余計に体を重く感じさせる。

 

「なにふらふら歩いてるんだ?あんた」

 

「!?」

 

 後ろに人の気配を感じたと同時に、声を掛けられた。

 慌てて振り向く。

 もはや人除けの魔術も使える状態ではなかったので、止むを得ないことではあったが、これだけ接近されるまで気付かないとは。

 歩幅にして10歩程度先。そこにいたのは、傘を差した制服姿の男子だった。中肉中背。かなり強いウエーブのかかった青い髪。両腕を組み、人を見下したような目をして、口の端に笑みを浮かべていた。

 一目で、ろくでもない男だというのがわかった。

 

「・・・また、こういう男なの・・・」

 

 相手には聞こえない程度の小声で嘆息する。

 だが、物は考えようだ。

 魔力はほぼ枯渇しており、とても目的地の柳洞寺にまで辿り着けそうにない。しかし、それまでの繋ぎとしてこの男から魔力を吸い上げればあるいは。

 

「随分と足元が覚束ないな。傘もないみたいだし。なんなら、僕が家まで送って行ってやってもいいぜ」

 

 どんな下心があるのか。もしかしたらそんなものは無いのかもしれないが、とにかくその口調には不快な成分しか感じられなかった。

 会話をすることすら、嫌悪感を覚える。

 私は目的を果たすべく、男に近付こうと一歩前へ踏み出した。

 しかし、次の瞬間、私の行動は妨げられた。

 

「慎二。その女はサーヴァントです」

 

 その言葉と共に、眼帯で目を隠し、黒を基調とした露出の多い服を着た女が姿を現した。薄紫色の長い髪が地面まで届きそうだ。

 女は私から庇うように、慎二と呼ばれた男の前に立った。そのため、男と同じ程度の背丈があるのがわかる。

 

「何だって?」

 

 男の目が恐怖の色を帯びる。

 先程迄の余裕の態度が一瞬で失われ、私を見る目から怯えの感情を隠せない。

 それにしても、なんということだろうか。

 この二人はつまりマスターとそのサーヴァントなのだ。

 まさか、こんなタイミングで聖杯戦争の参加者に出会ってしまうとは。

 

「如何しますか?」

 

「か・・・勝てるのか?」

 

 女の影に隠れるようにして、男は問い掛けた。

 

「どうやら彼女は既にマスターを失っているようです。現界していることすら難しい程に消耗しています」

 

「つまり勝てるってことだな」

 

 私の現状を知ったことで、男の表情と口調に余裕が戻った。それは、あの不快な成分が復活したということでもある。

 その手には古びた本がある。何某(なにがし)かの魔術が付与されているのが感じられた。

 

「今なら問題ないでしょう。ですが、聖杯戦争は始まっていません。あまり目立つ行動は避けるべきかと」

 

「はは。そんなの構うものか。運のいいことに、弱っちい相手が目の前にいるんだ。今のうちに数を減らしちゃった方が、後々楽になるってもんだろ」

 

 軽薄極まりない男の思考回路が行き着く結論など、とうに見当がついている。だから、二人の会話が眼前で繰り広げられる中、私はずっと女の隙を見出そうとしていた。

 この女は決して秀でたサーヴァントではない。万全の状態なら、充分に対処できる相手だ。

 しかし、今の私は万全では全くない。

 単音節の詠唱で済むような魔術では、サーヴァントにダメージを与えることは難しいだろう。

 であれば、取るべき手段は一つしかなかった。

 

「覆いなさい!」

 

 ヴゥゥン──

 

 女が行動を始めたらお終いだ。

 私は二人の周囲の空間に、完全な闇と静寂を生み出した。

 これで視界と音を一時的に奪い、逃走するつもりだった。

 だが、

 

 ゴッ!

 

「あぅっ!」

 

 私は殆ど何が起きたかも把握できないままに、腹に強烈な痛みを覚えた。

 視界には女の足が見えたような気がする。

 

 ザァァァァァァ・・・

 

 そして、雨に濡れた地面を滑るようにして大きく弾き飛ばされていた。ゴロゴロと無様に地面に転がり、身体のそこかしこに擦り傷を負った。

 地に伏した私の手には、冷やされたアスファルトの固い感触がグローブ越しに伝わってくる。おそらく一瞬で間合いを詰めてきた女が蹴りを放ってきたのだろう。

 このままの体勢では、追撃を受ける。

 瞬時に判断した私は、痛みを堪えながら、咄嗟に地面を横に転がった。

 

 ガッ!

 

 先端が鋭く尖った杭のような剣が2本。一瞬前まで私が伏していた場所のアスファルトを抉っていた。

 

「意外と勘がいいですね」

 

 女が地面から突き立てていた剣を抜いて、立ち上がって呟いた。

 やや低く、感情の籠らない落ち着いた声。

 淡々と仕事をこなす機械のようだ。

 

「つぅっ・・・」

 

 私は脇腹に鋭い痛みを覚えた。

 チラリと確認すると、かなりの流血がある。

 どうやら、先程の剣による攻撃を完全には躱し切れていなかったらしい。

 

「やれ!ライダー!」

 

 男が指示を出す。

 どうやらこの女は、ライダーのクラスのサーヴァントのようだ。

 

 バシャッ!

 

 女、即ちライダーが一瞬で間合いを詰めてくる。

 【騎乗兵(ライダー)】なのに特に何かに騎乗はしていないが、当人の動きがかなり速い。とても逃げ果せるような相手ではない。

 状況は絶望的と言える。

 

「防いで!」

 

 咄嗟に右手を突き出して防御壁を張る。

 しかし、今の魔力で張れるものではこの相手を止めるには薄弱に過ぎた。

 

 ザクッ!

 

 一直線に伸ばされた剣が右腕に突き刺さり、血飛沫が上がる。

 

「あぁっ!」

 

 痛みに悲鳴をあげながらも、何とか体を捻ってやり過ごすと、敵は勢いのままに通り過ぎていく。

 しかし、すぐにこちらに向き直ると、今度は両手に杭剣を構えていた。

 

「思った以上にしぶといですね。ですが、次で決めさせてもらいます」

 

 ライダーは相変わらずの冷静な口調で告げてくる。眼帯で目が覆われているため、感情が全く読めない。

 

「く・・・」

 

 傷口からかなりの血が滴り落ちる。魔力さえ潤沢なら、瞬く間に治せる傷だが、今はそれも難しい。

 私は倒れるのを寸でのところで、堪えているだけの状態だ。

 もはや、意識自体が遠のきつつある

 

 スゥ──────

 

 敵が私への止めのために、両手に構えた杭剣をクロスさせて、重心を低くした。

 

「・・・これまで・・・かしら・・・」

 

 私は自身の最期を覚悟した。

 仕方がない。

 私の運命などこの程度だ。

 嫌な男に殺されるくらいなら、この女に機械的に殺される方が僅かにマシなのかもしれない。

 そんな諦観が、私の心を過った。

 その時だった。

 

「お巡りさん!こっちです!」

 

「「「!?」」」

 

 刹那支配した静寂を破って、何者かの声が響いた。

 私も含めて、この場の三人全員が動揺した。

 辺りを見回したが、声の発生源となった人物は見当たらない。男の声だったのは間違いないが、距離が遠いのか、今は死角になっているのか。

 

「退避しましょう。いずれにせよ、このサーヴァントの消滅は時間の問題です」

 

 私への警戒は怠らないまま、ライダーがマスターであろう青い髪の男に告げる。

 

「仕方ないな。さすがに警官も含めて、複数人に見られるわけにはいかないしな」

 

「ええ」

 

 ライダーは私の方を見据えたまま、後退して男の元へとたどり着いた。

 

「失礼します」

 

 と言うと、男の体を小脇に抱えた。

 男は何事かぶつくさと文句を言っているようだったが、構わずにライダーはそのまま私に背を向けた。

 

「・・・しかし、先ほどの声はもしや・・・」

 

 彼女は改めて周りを探りながら呟いたが、声の主を見つけるのはすぐに諦めたようだった。

 

 ザッ!

 

 そして、全速力で走り去っていった。

 とても追い掛けたり、攻撃できるような速さではなかった。

 いや、そんな場合ではない。

 今の私は刃傷沙汰の被害者にしか見えないだろうが、警官に保護される形になったとしても、事情聴取などされればその間に魔力が尽きてしまう。

 

「・・・逃げなくちゃ・・・」

 

 そんな思いに反して、

 

 ドサッ

 

 私は薄れゆく意識の中に落ちていくように、その場に倒れた。

 被っていたフードが外れ、頬に冷たいアスファルトの感覚が直に伝わってくる。

 雨に濡れた路面は不快だったが、動けないのだからどうしようもない。

 そんなことを思いながら、視界と思考がどんどんとぼんやりしていく。

 

「おいっ!あんた、大丈夫かっ!?」

 

 僅かに残った意識の中に飛び込んできた声と、そして私を抱え上げた腕、そして心配そうな表情。

 少し赤みがかった髪の若い男だった。ライダーのマスターだった男と同じくらいの齢だろうか。

 しかし、この少年の声や振る舞いは不思議と心地良いものだった。

 

「・・・う・・・く・・・」

 

 少年に対して反応を示そうとしたが、私の口からは無意味な呻き声しか出てこなかった。

 

「・・・止血しなきゃ・・・ヤバい・・・」

 

 彼がそう呟きながら、何事かを口ずさむとその手には鈍く輝く刃物のようなものが現れた。

 ナイフ?

 殺すつもり?

 だが、そんな雰囲気は感じられなかった。

 幾つかの考えが頭を過ったが、それもここまでだった。

 私の意識は徐々に希薄になり。

 そして、程なくして完全な闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 








始めてしまいましたキャスタールート。
どうなることやら・・・



※誠に申し訳ございませんが、諸事情によりサブタイトルと前書き日付を変更させていただいております。万一、それらを材料にして考察されている方などがいらっしゃいましたら、ご容赦いただきたくお願い申し上げます。


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第3話  ~15日前①~ 「冥々随想」

1月16日 未明







 C turn

 

 

 室内を照らす光は、小さな窓から差し込んでくる月明かりとストーブと呼ばれる現代の暖房器具によってもたらされており、薄暗いながらも周囲を視認するためには充分だった。

 見上げる天井が高いことがわかる。

 それにしても、私はまだ何かを見ることができるのだろうか? 

 意識を失う瞬間、私の目が何かを再び見ることができるようになるとは思っていなかった。

 だが、自分の体は確かに自分のものとしてはっきりと自覚できる。

 英霊の座に戻ったという感覚はない。

 

「・・・ここは・・・」

 

 結果的に自分の口から出てきたのは極めて月並みな一言だった。

 私は剥き出しの土の床の上に毛布にくるまれて寝かされていた。周りを見回すと、そう大きくはない土造りの建物のようだ。

 空気は少し湿っぽいが、ストーブが生み出す熱で冷たくはなかった。

 

「・・・どこなのかしら?」

 

 ギィィィ

 

 私の呟きと、その音は殆ど同時に響いた。

 頑丈そうな木の扉が開かれる音だった。

 

「良かった。目を覚ましたんだな」

 

 入ってきたのは、赤毛の少年だった。その手にはタオルと水を入れたコップがある。

 先程、ライダー達に襲われた後に倒れ、意識がなくなる間際に見た顔だった。

 

「あのまま死んじまうんじゃないかって、心配したぞ」

 

 心底ほっとしたような声がこちらに向けられた。

 私の傍らまでやってくると、彼はその場に座り込んだ。真っ直ぐな性格であることを示す瞳は、これまで出会ってきた多くの男達と違う光を放っているように感じられた。

 

「あぅ・・・」

 

 私はどうしようもない程にずっしりと重い体を、何とか上半身だけ起こして少年と向き合った。

 

「わわ、無理しないでくれ」

 

 少年が手を差し伸べてきて私の体を支える形になる。

 色々と聞きたいことだらけだったが、何から尋ねたらいいかすぐには思いつかなかった。思考がまだ円滑に回っていないが、いずれにせよ、この少年に助けられたということだけは確かなのだろう。

 

「・・・ごめんなさい、手間を掛けさせて。それで、ここはあなたの家なのかしら?」

 

「ここはオレの家の土蔵・・・えっと、物置小屋みたいなもんなんだ。こんなところに寝かせて本当にすまないと思っている」

 

 少年は頭を搔きながら、少し焦ったようにそんなことを謝ってきた。今の私は現世の一般人から見れば、先程のいざこざで負傷した女性ということになる筈だ。

 通常であれば、病院に連れて行くというのが常識的な対応だろう。

 

「普通なら、救急車を呼ぶべきなんだけどな」

 

 だが、この少年はそうしなかった。

 

「なんか・・・あんたはその・・・」

 

 彼は次の言葉を選んでいるようだった。

 

「・・・・・・普通じゃないような気がしたからな」

 

 そう言うと、ついと私から目を反らした。

 そもそも常識的な意味の範囲内でも私は普通ではない。この国の人々から見れば明らかに異国人だし、このローブ姿も現代の風俗からすれば充分に特異だろう。

 だが、この少年の言っている『普通じゃない』は、その範疇を超えている筈だ。しばらく喋らせ続けてこちらからはあまり情報を与えないつもりだったが、この態度で確信が持てた。

 

「坊や。あなた、魔術師ね」

 

 この少年は魔術師だ。

 感じられる魔力は微量だ。だが、間違いない。

 だからこそ、私が人間とは異なる存在であることも感じ取れたわけだ。

 

「一応、そういうことになるんだろうな。とは言え、ほとんど魔術は使えないし、協会にも所属していないんだ」

 

 曖昧な答えが返ってきた。

 最初のマスターだった男のような、魔術協会に所属している生粋の魔術師ではないということか。

 

「この建物・・・えっと、土蔵だったかしら。ここは魔力が濃いわ。私をここに寝かせたほうが回復が早いと判断したのね?」

 

「ああ。傷口は一応止血したんだが、どうもあんたの体の消耗は魔力そのものの枯渇が原因だったように感じたからな。ここは、オレが魔術の鍛錬に使っている場所で、うちの敷地内では一番適しているんじゃないかって思ったんだ」

 

「そう。本当にありがとう。お陰で助かったわ」

 

 ここでは魔力の消耗は最小限に抑えられている。現界できるギリギリのところだが、この少年の機転がなければ私は今頃消えていただろう。

 

「さっきの戦いを見ていたのよね。警官を呼んだ演技をしてくれたのも見事だったわ」

 

 そう言ったものの、実際には戦いと言えるようなものではなかった。成す術もなく傷つけられている私を見て、止めるための最適解を導き出したのだろう。

 礼を言われたことに多少照れたのか、少年が少し顔を赤らめて、頬を掻いた。

 

「一方的にやられているみたいだったからな。咄嗟に思いついたことをやっただけなんだ。本来だったら、自分自身で止めなくちゃいけなかったと思うんだけど」

 

「いいえ、あの場に坊やが出てきたら間違いなく殺されていたわ」

 

「ああ、多分そうだったんだろうな。正直、動きが速すぎて目で追うのがやっとだった・・・・・・・・・それは、ともかくとして」

 

 そして本来であれば、()()()()に聞きたかったことをやっと聞けると思ったのだろう。少年が身を乗り出すようにしてきた。

 

「それで・・・・・・あんたは一体何者なんだ?」

 

 真っすぐにその目が私に向けられた。

 真剣な瞳に吸い込まれそうになる。

 

「あんたを運び込んだ時、この家に張られている探知の結界も反応していたしな」

 

 私の魔力に結界の警報が作動したということだろう。

 私はどこから・・・そしてどこまで話すかを僅かな時間考えた。

 

「そうね・・・・・・(わたくし)はサーヴァントと呼ばれる使い魔の一種よ」

 

 この少年が曲がりなりにも魔術師であるということなら、この説明が伝わり易い筈だ。

 

「使い魔? 普通は鳥とか猫みたいな動物を使うんじゃないのか? 人間を使い魔にするなんて、非常識だ」

 

 最後の『非常識』という見解は、基本的に『非常識』である魔術師を糾弾するには相応しくない言葉だが、概ね少年の言っていることは正しかった。

 

「ええ。確かに一般的とは言えない。だけど、そもそも私は人間ではないの」

 

「どういう事だ? どう見てもあんたは人間だろ?」

 

「少し誤解を招く言い方だったわね。勿論、私だって元々は人間よ。だけど、実際にはとうの昔に死んでいるの。ある特殊な要因で、魔術的な存在として現世に蘇った英霊と呼ばれるもの。サーヴァントと呼ばれる一種の使い魔なのよ」

 

「英霊・・・・・・つまり昔の英雄の生き霊みたいなものなのか?」

 

「まあ、そうね」

 

「あんたもどこかの英雄だったってことだな。誰なん・・・」

 

 そこまで話して少年は、突然、頭を抱えるような仕種を見せた。

 一体、どうしたのだろうか。

 

「しまった。気付かなかったけど、自己紹介もしていないんじゃないか」

 

 そう言えばそうだった。

 お互いに聞きたいことだらけで、逆に基本的な情報を聞きそびれていたのだ。

 

「すまなかった。オレの名前は衛宮士郎。この近くにある穂群原学園に通う学生だ」

 

「私は【キャスター】よ。そう呼んで頂戴」

 

 今はこれだけでいい。

 

「ん~・・・・・・名前を聞いても残念ながら聞いたことがないな。英雄だとしても、世界中の全ての英雄を知っているわけじゃないからそういう事もあるよな」

 

『キャスター』が固有名詞だと思い込んだ少年は、見当はずれな感想を口にしたが、止むを得ないところだろう。

 

「そうね。この国であまり知られた存在でないことは確かよ」

 

 真名を明かすにはまだ早い。

 だが一方で、私は聖杯戦争のことをこの【衛宮士郎】に話すつもりになっていた。

 既に私はこの少年を利用することに決めている。私には選択の余地は殆どない。消滅を回避するため、とにもかくにも枯渇寸前の魔力を補充する必要があるのだ。

 また、魔力供給のための一時的な関係で終わるのも、勿体ないと思い始めていた。

 助けられた相手が、偶然にも何も知らない半人前の魔術師というこの状況。運命に見放され続けた私に訪れた、信じられない程の幸運だ。

 この巡りあわせを逃す手はなかった。

 

「坊や、聞いて欲しいことがあるの」

 

 私は居住まいを正し、極力こちらの真剣さが伝わるように、眼前の少年に対して聖杯戦争の要点を話し始めた。

 

 

 

「あらゆる願いを叶える万能の願望機【聖杯】。それを懸けて魔術師同士がサーヴァントを従えて互いに殺し合う、【聖杯戦争】か・・・・・・」

 

 聖杯戦争に関する一通りの説明を終えた直後。

 

「俄かに信じられる話じゃないけどな」

 

少年の口から出てきたのは率直な感想だった。

 

「ええ。今は信じられないかもしれないけれど、関与することになれば坊やも実体験の中で、信じざるを得なくなる筈よ」

 

「いや、さっき僅かだけど、あんた・・・いや、キャスターとライダーっていう女との闘いを見たけど、あの動きは人間離れしていた。少なくともサーヴァントってのがとんでもない存在だっていうことはわかっている」

 

「そう。理解が早くて助かるわ」

 

 要点を掴むのが早い少年だった。

 

「もっとも今のところ、あなたがこの戦いに参加する理由はないのだけれどね。私の立場を知ってもらうことは必要があると思ったから話したの」

 

「そうか・・・」

 

 少年は目を瞑って、私の言葉を吟味しているようだった。

 この反応は少し意外だ。少なくとも今の時点で彼が聖杯戦争に殊更に関与するようなことはないと思っていた。

 魔術師とは言えこの少年の思考や信条は一般人のものに近い。魔術師特有の己が目的のために殺し合うことを簡単に受容するような精神性は持ちえないのではないと推測していたのだが。

 もしかしたら、彼なりに叶えたい願いでもあるのだろうか。

 であれば、それならそれで好都合というものだ。

 

「それで、坊やに一つだけお願いがあるのよ」

 

 少年はこの土蔵が一番、効率がいいと考えたと言っていたが、どうやらこの家の敷地はまずまずの霊脈のようだった。半人前とは言え魔術師の家系なのだから、一定の霊脈を有するが故にここに居を構えたということなのだろう。

 だが、当初目指していた柳洞寺には劣る。

 辛うじて現界を保てているとは言え、私の消滅は時間の問題だ。

 その前に何らかの形で、魔力の供給を受ける必要がある。

 そのためには・・・

 

「私を抱いて頂戴」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 この申し出に対して少年は唖然とした。

 澄んだ瞳が完全に点になっている。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

 まあ、当然だろう。

 そして、女性経験はないのではないかという私の見立て通りの反応でもある。

 

「私達、サーヴァントの魔力補充の手段として最も効率的なのが、性交による体液の交換なのよ」

 

「・・・あいや、そんな莫迦な話が・・・いったい全体どんな大人向け御伽噺(ファンタジー)だよ・・・それ」

 

「正直、もう限界に近いの。坊やにこれ以上の迷惑を掛けたくないけれど、私もこの世界での生死が掛かっている。一人の女を助けると思って受けてもらえないかしら?」

 

 突拍子もない内容であることは私自身も自覚している。こちらとしては、もはや必死さをひたすらに伝える以外にはどうしようもないのだ。

 

「いやいや、ちょっと待ってくれ!」

 

 彼は右手を前に突き出して実際にイヤイヤをするようにしながら、少しずつ後ずさりを始めた。

 

「貞操観念が固いみたいね。さっきも言ったとおり、私は人間じゃないわ。勿論、妊娠もしないから安心していいのよ。それに、男性の場合、女性経験は特別なものじゃないどころか、そもそもクリアしておいたほうが誇らしいものではないのかしら?」

 

 これは、現代の考え方としても通用する意見ではないだろうか? 

 私は焦りと苛立ちを感じていた。

 あまり愚図愚図としていられない切羽詰まっている状況だ。この問答であまり、時間をかけたくない。

 それに、自分の女としての魅力にもある程度は自信がある。あまり露骨に拒まれるのは正直自尊心(プライド)が傷つく。

 私を抱けるという僥倖を喜んで受け入れるべきではないか。と、思ったりもする。

 

「そんなに気になるなら、今回の体験を忘れさせることもできるわよ」

 

 記憶の操作ができることはあまり晒したくなかったが、やむを得なかった。

 

「いや、そういうのは止してくれ。実際にそうなった場合にはちゃんと受け止めるから」

 

 少年は殆ど反射的に断ってきた。どうやらあまり意味のない提案になってしまったようだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 沈黙の時間が過ぎていく。

 これ以上口を挟むことは逆効果だと直感して、私は待つことにした。

 彼は苦悶の表情を浮かべたまま、長い間考え込んでいた。

 

「うぅ・・・」

 

 体全体が締め付けられるような痛みを覚えて、思わず上半身を折り曲げた。それとともにどうしようもなく苦痛の声が漏れる。

 私の体は強烈な悲鳴を上げ始めていた。

 もう時間がない、そう切実に訴えかけてくる。

 

「おい、大丈夫か!」

 

 少年が咄嗟に両腕で私の体を支えた。

 体格としては小柄のほうだが、意外な程にその腕は力強い。

 

「・・・・・・・・・わかった」

 

 意を決したように少年が呟く。

 私の両肩を支える腕に僅かに力が入るのが伝わってきた。

 

「人助けだもんな。自分の拘りで、目の前の助けられる相手を助けないっていうんじゃ・・・・・・なんて失格だよな」

 

 途中の言葉は小さな呟きだったため、苦痛に耐えるので精一杯の私には聞き取れなかった。

 

「一つだけ聞かせてくれ。聖杯とやらに託すあんたの願いはなんだ?」

 

「・・・故郷に帰りたい。それだけよ」

 

「そうか」

 

 少年は納得したように頷くと、意を決したのか着ていたシャツを一息に捲り上げて脱ぎ捨てた。少々粗暴にも見えるその態度は、躊躇いが生じてしまうことを恐れているからだろう。

 先程支えられた時に感じたとおり、よく鍛えられて引き締まった上半身が露わになる。

 

「・・・その気になってくれたみたいね。ありがとう」

 

 思いがけずその身体に目を奪われながらも、私は礼を言う。

 それと同時に自分自身の中心が熱を帯びるのを感じた。

 

「ああ」

 

 少年は顔を僅かに赤らめながらも、はっきりと同意の意思を顕わにした。

 

「初めてなのはわかっているわ」

 

 私は痛みが走り回るのを耐えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

「その点は虚勢を張っても仕方ないよな。情けないけど・・・頼む」

 

 私の動きに合わせて、彼も立ち上がった。

 

「ええ。私に任せてもらえればいいから」

 

 変に見栄を張らないところにも好感が持てた。

 

「魔力補充の手段として割り切るには、勿体ないかしら」

 

 私は少年には聞こえないように小声で呟きながら、纏っている衣服を脱いでいった。

 

 ファサッ―――

 

「っ!?」

 

 地面に落としたローブが柔らかな余韻を奏でると、彼が目に見えて体を固くするのがわかった。

 私が纏っているのは下着だけになったが、不思議と寒さを感じることはなかった。少年の緊張感が私の素肌に程よく熱を伝えてきているようにも思える。

 体中を苛む痛みを堪えて彼に近寄ると、その頬に私は腕を伸ばす。

 私の指が少年の肌に触れると、ビクンとその全身に震えが走る。

 

「・・・さあ、始めましょう・・・坊や」

 

 彼との視線が捻じれるように絡むと、飢えていた私は我慢ができなくなってその瑞々しい肉体を求めた。

 少年の鼓動が直に私に伝わり、私の身体にも一気に火が灯る。

 そもそも、自分の現界を保つべく魔力を欲したのか。

 或いはもっと根源的な本能(よくぼう)が、異なる性を貪ろうとしたのか。

 いつしか私自身にもわからなくなっていった。

 

 

 

 そう。

 この日、この夜、この場所で。

 私は衛宮士郎という生贄を、こうして首尾よく捕らえることに成功した。

 

 

 

 この時の私はそんなふうに考えていたのだ。

 

 

 

 

 

 










読んでいただいている皆様、ありがとうございます。
こうして投稿を始めると執筆のモチベーションが上がりますね。
停滞していた今後のストーリーも動き始めました。



※誠に申し訳ございませんが、諸事情によりサブタイトルと前書き日付を変更させていただいております。万一、それらを材料にして考察されている方などがいらっしゃいましたら、ご容赦いただきたくお願い申し上げます。


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第4話  ~15日前②~ 「扉は開かず」

1月16日 午前








 Interlude in

 

 

 早朝。

 この季節ではまだ朝日が顔を出すには早く、僅かに空が白んできた刻限。

 ライダーは現界してからの習慣で、間桐邸の屋根の上に佇み周囲の状況を観察していた。彼女の脚の先まで届く程に長い薄紫色の髪が僅かに吹く風に靡いている。

 サーヴァントは眠る必要がない。聖杯戦争が正式に開始となるのはまだ暫く先となるという見立てだが、夜が明ける迄はこうして念のために他陣営の襲撃に備えている。

 実際に昨夜はキャスターと思しきサーヴァントとの遭遇戦が発生した。警戒するに越したことはない。

 

「とは言え、あの状態では既に消滅しているでしょうね」

 

 理由はわからなかったが、キャスターは既にマスターを失っており現界しているのがやっとの状態だった。今のライダー自身も仮のマスターに従属しているが故に魔力不足で本領を発揮できる状態ではないが、邪魔さえ入らなければあのまま苦も無く止めを刺せていただろう。

 

「聖杯戦争開始前にサーヴァントが消えた場合、新たな補充などがあるのでしょうか?」

 

 などと独り言ちながら思案していたところ、

 

「桜?」

 

 屋敷に面した道の先から、間桐桜がこちらへと歩いてくるのに気が付いた。

 ライダーの本来のマスターである桜の朝は早い。

 彼女はいつも【衛宮士郎】の家で、彼と一緒に朝食を作り、食べてから弓道部の朝練に参加しているためだ。

 今日も彼女は彼の家に30分程前に向かっており、ライダーはそれを見送っていた。

 

「忘れ物でもしたのでしょうか?」

 

 かなり早足で戻ってきた桜は、入口の門扉を開けて敷地内に入ってきたが、その間、ずっと俯いたままだった。ちょっと忘れ物をして取りに帰ってきたという雰囲気ではない。

 様子が気になったライダーは、屋根から降りて桜に声を掛けることにした。

 

「桜、戻って来るなんて珍しいですね。何かあったのですか?」

 

「あ、ライダー・・・・・・いいえ、なんでもないの。ただ、ちょっと都合が悪いからって、先輩が家に入れてくれなかったの」

 

 少し顔を逸らせ、髪に結わえられたピンク色のリボンを弄びながら桜は答えた。

 その目は心なしか虚ろだ。

 

「そうですか。体調を崩していたのでしょうか?」

 

「ううん。そうじゃないみたい」

 

 不可解な話だった。

 ライダーは、仮のマスターである慎二と同行することが多い。そのため、桜や慎二の通う穂群原学園には霊体化して何度も足を運んでいる。

 衛宮士郎は慎二の友人でもあり、彼の()()()()は既に把握しているが、些か過剰なほどに親切で律儀な少年という印象だ。率直に言って、慎二とは似ても似つかない気質を持っており、わざわざ足を運んでくれた後輩を無下に追い返すような人物とは思えなかった。

 

「何か事情があるのでしょうね」

 

 目の前で落胆を露わにする真の主人(マスター)に対して、ごく常識的な慰めの言葉しか出てこなかった。

 

「そうね・・・・・・」

 

 桜は絞り出すようにそう応じると、足早に屋敷へと入っていった。

 

「大丈夫でしょうか・・・・・・」

 

 その後ろ姿を見送りながら、ライダーは呟いた。

 桜の日常は過酷だ。

 現界してから程なくして、この間桐家の歪さ、悍ましさにライダーも気付いていた。

 桜はこの家の魔術の根幹をなす数多の蟲を体内に埋め込まれており、恒常的に地下の蟲蔵で体を嬲られている。そして、兄である慎二には疎まれ、虐げられるだけでなく、その肉体を犯されていた。

 ライダーが生前過ごした世界とて清廉ではなく、醜悪で残酷な出来事など珍しくもなかったが、その彼女から見ても桜の境遇は酷いものだ。

 何とかしてあげたいという思いを抱いてはいたが、当の桜自身は現状を受容しているようだった。さらにライダーの今のマスターは曲がりなりにも慎二であり、行動には制約がある。

 そしてこの家の全てはあの老人、即ち間桐臓硯がコントロールしており、桜もその影響を多分に受けている。あの得体の知れない老人の目的、そして正体を暴かなければ迂闊な事はできないとも感じていた。

 いずれにせよ、この家に安らぎなど微塵も見出せない桜にとっては、衛宮士郎は唯一つの心の拠り所の筈だった。

 

「もし、それを失ったとしたら・・・・・・」

 

 ライダーは門を開けて路上に出ると、衛宮邸の方角を見据えた。勿論、ここからでは見える筈もない。

 冬の頼りない日差しが、彼女自身と、そして間桐邸を照らし始め、薄っすらと影を作り出すようになっていた。

 

 

 Interlude out

 

 

 C turn

 

 

 心地よい匂いがする。

 何とも言えないいい香りが鼻腔の奥をくすぐるのを感じて、ゆっくりと目を開けると板張りの天井が見えた。柔らかな木の色合いと節目が気分を落ち着かせてくれるが、直前の記憶とは乖離する光景のような気がした。

 

「ここは?」

 

 僅かな気怠さと、清々しさとが混ざったようなぼんやりとした虚脱感の中で小さく呟く。私は布団と呼ばれる寝具に自分が横になっているのに気が付き、ゆっくりと上半身を起こした。

 依然として魔力不足は否めず、体はやや重いもののそれなりに動ける。

 全身を確認すると、大きめの浴衣を着ており、腕や腹部には包帯が巻かれている。

 段々と記憶がはっきりしてきた。

 

「坊や?」

 

 昨晩は、【衛宮士郎】という名の半人前の魔術師だと自称する少年と出会った。そして彼をなんとかその気にさせて、性交による魔力の補給を受けることができたのだ。

 彼の工房だと言う土蔵で事を成したが、どうやら私はその後で眠ってしまったらしい。この部屋は和室と呼ばれるこの国の伝統的な家屋の一室のようだが、私をここまで運んでくれたのだろう。

 魔力供給は一般人からでも可能ではあるが、魔術師から受けるほうが比較にならない程に濃密だ。そのため、今の私はこの世界に安定して繋ぎ留められるだけの魔力を有しているのが感じられる。

 絶体絶命のあの状況で、半人前とは言え魔術師に出会えたのは僥倖以外の何物でもなかった。

 しかも、警戒心はあるものの、こちらの要求に対して真摯に応えようという実直さがあり、魔術師特有の擦れた気質が感じられない。

 それは即ち、

 

「操りやすい、いいコマになりそう」

 

 だが、所詮は男である。

 最初のマスター【アトラム・ガリアスタ】という名前だったが、あの男も本当に碌でもなかった。生前に運命を狂わされた相手とそっくりのクズだった。

 私は自分の男運の無さを自覚している。

 どんなに純朴そうでも、この聖杯を手に入れるための操り人形として少年を利用するつもりだった。

 その衛宮士郎について、昨日の夜の出来事を思い出す。

 

「半人前と本人は言っていたけれど、魔力自体はまずまずだったわね」

 

 謙遜しているだけなのかもしれないし、魔術協会に所属していないと言っていたから、その中途半端な立場を意識しての発言なのかもしれない。

 

「お礼はしっかり言っておくべきね」

 

 いずれにせよ、あの少年とは友好的な関係を築いておくべきだ。

 取り入るにせよ操るにせよ、油断させるためには信頼関係があると認識させた方がいいに決まっている。そう考えながら立ち上がると、障子戸を開けて廊下に出た。

 すると、目を覚ました直後から漂ってきていたいい匂いが、より濃厚に感じられるようになる。

 

 トントントントンッ

 

 さらに小気味のいいリズムで、何かを軽くたたくような音が響いてきた。

 人がそちらにいるからというよりも、ただただ、その匂いと音に引き寄せられるようにして廊下を進み、その発信源と思しき部屋の前まで辿り着いた。

 

 ザッ

 

 障子戸をスライドさせて部屋に入ると、衛宮士郎はこちらに背中を向けて何やら作業をしている様子だった。

 

「おはよう。坊や」

 

「あ、おはよう・・・・・・えっと、キャスター」

 

 少年は私に気付いて振り返ると、何故か顔を赤らめながらぎこちない挨拶を返してきた。

 

「・・・・・・も・・・・・・もうすぐ支度が終わるから、そこに座って寛いでくれ」

 

 と言って、部屋の中央に置かれた大きな座卓のほうを指差した。

 その勧めに従って、私は大きめのクッション(座布団というらしいが)に腰を降ろす。

 

「昨日は色々とありがとう。本当に助かったわ」

 

 再び背中を向けて作業を始めた少年に礼を言う。

 彼は私のいる居間と続きになった厨房で、食事を作っているようだった。

 

「・・・あ・・・いや・・・・・・なんていうか・・・・・・こちらこそ、その・・・・・・」

 

 極めてぎこちない言葉が返ってきた。

 私が彼のためになるようなことなど何もしていない筈だが。

 などとこちらが思案している間にも、少年の顔は一層赤くなっていく。

 

「・・・・・・ああ、そういうことね」

 

 私は漸く合点がいった。

 要するに、彼にとっては貴重な初体験だったわけである。

 改めてこうして顔を合わせたがために、緊張しているというよりも恥ずかしがっているということだろう。

 

「ふふ・・・ごめんなさいね。あなたの大切な初めての相手が(わたくし)みたいな行きずりの女で」

 

「ななっ・・・・・・!?」

 

 少年は顔を真っ赤にして完全に固まってしまった。

 ほっておいたら段々と膨れて爆発しそうだ。

 これはからかい甲斐がある。なかなか新鮮で面白いものだ。

 

「とと・・・とにかく、先ずは食事にしよう。一応、オレが用意したから」

 

 誤魔化すようにそう言うと、少年は広い卓に料理を並べていった。白いご飯、お味噌汁、サラダ、卵焼きなどだろうか。目を覚ました時から、私の鼻腔をくすぐっていた匂いの発生源たる品々だ。

 

「色々と手間をかけさせてごめんなさいね」

 

 間近にすると一層心地良い香りが漂ってきた。少し興奮するくらいに胸が高鳴る。

 

「和食中心ですまない。口に合うか正直心配なんだけど」

 

「いいえ。とても美味しそう」

 

 本心からそう応じる。

 サーヴァントは食事による栄養補給は不要だが、味覚はちゃんとあるし、美味しいものは美味しい。

 

「それじゃあ、ありがたくいただくわね」

 

 料理の手前には箸のほか、スプーンやフォークも並べられていた。この国では一般的に箸を使うはずだが、私に気を遣って一通り揃えてくれたのだろう。少年の気配りが窺い知れた。

 すぐにでも食べたい衝動を覚えたが、なんとか堪えた。

 私は一呼吸置いて箸で卵焼きを取り分けると、ゆっくりと口の中に運んだ。

 

 

 

「最高だったわ。坊やはお料理、凄く上手なのね」

 

 実際、食事は衝撃的と表現できるほどに極上の味だった。

 食べている最中は顔にだらしない笑みが浮かんでいるのが自覚できたが、それを止めようとも、そして止められるとも思わなかった。

 

「ありがとう。まあ、男としてはどうなのかなって思うけど、褒められるのは嬉しいな」

 

 正面に座る少年は湯呑みを両手で弄びながら、はにかむ。

 

「坊やはご家族はいないのかしら? 昨日からあなた以外の人の気配を全く感じないのだけれど」

 

「ああ。5年前に親父が死んでからは、ここに一人で住んでいる」

 

「そうだったの。苦労してるのね」

 

 私にとっては彼に縁者がいないというのは、何かと都合がいい。

 

「一応近所にオレの面倒を見てくれる先生がいて、いつもは朝食を食べに来るんだけどな」

 

「今日も来るのかしら?」

 

 そうだとすれば、一時的に身を隠すなり、霊体化するなり対処する必要がある。

 

「いや、昨日会った時、今朝は来られないって言ってたから大丈夫だ」

 

 長期的には少年の記憶を操作しつつ、人避けの結界を張って近付けないようにしたほうがいいだろう。

 

「あら? そう言えば、坊や、学校は大丈夫なの?」

 

 ふと、壁に架けられた丸い時計を見ると、時刻は9時を過ぎている。

 

「今日は休むことにした。連絡済みだから大丈夫だ」

 

「ごめんなさいね。迷惑ばかりかけちゃって」

 

 彼が私を慮って、休んだ事は明らかだった。

 

「構わないさ。死にかけてた相手を放ったらかしにするわけにはいかないだろ。それに普段からたまには休めって言われてるしな」

 

 そう言って屈託のない笑みを浮かべるが、すぐに真剣そのものの表情になる。

 

「それよりも色々と話したい。夜は切羽詰まってたし、これからのこともあるしな」

 

「勿論よ」

 

 こちらにも都合のいい申し出だった。

 

「キャスターは聖杯戦争っていう殺し合いのために召喚された存在。だけど、魔力の供給源になるマスターを失って危うい状況なんだな?」

 

「ええ。昨日説明したとおり、私は聖杯戦争のために召喚されたサーヴァントよ。でも既に元々のマスターは何者かによって殺されてしまい、今は現界しているのもやっとの状態よ」

 

「死なないようにするために、これからも魔力が必要なわけだよな。供給の手段はその・・・・・・・・・()()以外にないのか?」

 

 少年は気まずそうに目を逸らした。

 

「ないことはないわ。例えばこの敷地はまずまずの霊脈を有しているのよ。勿論それだけでは足りないけれど、ここに結界を張って周囲の土地の魔力も集めるようにすれば、なんとか現界を保てると思うわ」

 

「そうか。なら、そうすればいい」

 

 事もなげに少年は言った。

 つまりこの坊やは私がここに居座る事を認めたわけだ。

 若干拍子抜けするぐらいだが、私としては狙いどおりの展開ではある。

 

「でも、あなたを巻き込むことになるわ。私としては、これ以上あなたに迷惑をかけたくはないの」

 

「オレは、既に覚悟を決めている」

 

 きっぱりとそう言い切った少年の真剣な眼差しは、全く揺らぐ気配がなかった。

 どうやらとっくに決意は固めていたようだ。

 本気で私の味方をするということだろう。

 

「わかったわ。坊やの気持ちをありがたく頂戴するわ」

 

 私はここで折れる形にした。

 こちらとしては望ましい帰結に至っているのだ。これ以上、無意味な問答をする必要はないだろう。

 

「でも、聖杯戦争が始まれば、現界を保てるというだけでは到底生き残れないわ。昨日のように他のサーヴァントと戦うことになった時に、すぐに殺されてしまう」

 

「そんな・・・・・・」

 

「だからこれも本当に申し訳ないのだけれど、ある程度の頻度で昨日のような魔力供給もお願いしたいわ」

 

 彼の目をまっすぐに捉えて、懇願する。

 

「私を助けると思って」

 

「・・・・・・・・・・・・わかった」

 

 少年は顔を赤らめながらも頷いた。

 これで、万全だろう。

 責任感の強そうなこの少年には、か弱い女である私を見捨てることはできない。ダメ押しに私の身体(からだ)という甘い蜜も与えておけば、充分に操っていける。

 完全に私の計算どおりだった。しかも、ごく自然な会話の流れで事が決まったように感じられた筈だ。

 

「ところで、落ち着いたら夜中に坊やが私を運んでくれた建物・・・・・・土蔵というのだったかしら? あそこに行きたいのだけれど」

 

 ここで私は話題を切り替える。

 

「散らかっているから、本当はあんまり人に見られたくないんだけどな。何か気になるのか?」

 

「そうね。一つ目の理由としては魔術工房が欲しいのよ。あそこは地脈もいいし、密閉された空間だから適していると思うの」

 

「そうなのか。それならちゃんと片付けないとな」

 

 少年はポリポリと頬を掻く。

 

「他にも何かあるのか?」

 

「そうね。もう一つ確かめたいこともあるのだけれど、それは実際に行ってみてからのほうがいいわね」

 

 そう答えた私は、少年が淹れてくれた緑茶という飲み物を口にする。独特の渋みが口の中に広がる。

 

「不思議と落ち着くわ。このお茶」

 

 と独り言ちる。

 

「良かった。口に合わないんじゃないかと心配したんだけど」

 

 少年はそう言って安堵の表情を浮かべた。

 

 

 

「悪くない部屋もあったけれど、やっぱりあの土蔵が一番かしらね」

 

 土蔵以外にも工房の候補になりそうなところがあるのか確認するため、少年にこの屋敷を一通り案内してもらった。

 敷地内には数多くの部屋を有する母屋以外にも、道場と呼ばれる鍛錬場もあるなどかなりのスペースがあった。しかし、この国の伝統的な設計理念で建造されており、基本的に開放的な構造となっているため、工房に適している部屋は殆どなかった。

 唯一ベッドが設えられた部屋が屋敷の奥にあり、候補にはなり得たが、やや手狭に感じた。

 

「それにしても、本当に使用人も無しにここに一人で住んでいるの?」

 

 思わずそんな質問が口を突いて出た。

 

「し・・・使用人? そんな発想自体がないんだけど・・・」

 

「だって、あなたって日中は学校に行って、その後は仕事・・・アルバイトというのだったかしら?それをこなして、帰ってきてからは自分で料理を作って、さらに魔術の鍛錬もしているのでしょう?」

 

「日課だからな」

 

 少年は事も無げに肯定した。

 

「どこにこの広い屋敷のお手入れをする時間があるのよ?どのお部屋も綺麗になっていたと思うのだけれど」

 

 それどころか全ての部屋において塵一つなかったように見えたのは、気のせいだろうか。

 土蔵へと向かう途上で見かける庭木の造形も見事なまでに整っている。

 

「自分でもよくわからないけど、ふと手が空いた時に自然とやってる感じかな。あ、でも手伝ってくれる近所の子も・・・」

 

 と、少年は言い淀んだ。

 

「・・・・・・いや、なんでもない。たまに手伝ってくれる近所の人達もいるから、なんとかなっているんだ」

 

「・・・そ・・・そうなの・・・」

 

 途中の態度が少し気にはなったが、それ以上は追及しないことにした。いずれにせよ、この少年がかなりマメな気質であるのは間違いがなさそうだ。

 

 ギイィィィ

 

 土蔵の入り口に着くと、少年が扉を押し開けた。

 内部は薄暗かったが、入口から差し込む光を頼りに見渡すとかなりのスペースがある事がわかる。

 剥き出しの地面には青いビニールシートが敷かれており、昨夜も使った古めかしいストーブの他にも、壊れた自転車やヤカン、ペンギンの形をした用途のわからない物など多種多様なガラクタがある。

 

「ここだけはどうしても片付けきれないんだよ。藤ねえ・・・さっき少し話した保護者代わりの先生のことなんだけど・・・その人が次から次へと変な物を持ち込むもんだから」

 

 と、少年は顔を顰める。

 夜は衰弱した状態だったので中の様子をつぶさに確認できなかったが、綺麗に整理された部屋ばかりを見てきた後だと、相対的にはかなり散らかっている印象を受ける。

 

「ここで鍛錬をしているという話だったわね?」

 

「ああ、殆ど毎日。だけど全然進歩しないんだ」

 

「そうなの?」

 

 私と少年はそんな話をしながら、土蔵内へと足を踏み入れた。

 改めてそこかしこにある多様な道具を見回していた私は、ふとある物に意識を引き付けられた。

 

「これは・・・もしかして昨日の・・・」

 

 そう呟いて、木箱の上に無造作に置かれていた一本のナイフを手にする。掌より少し大きい程度の小さく、シンプルな形状だが、しっかりとした作りをしている。

 私は微かにそのナイフに見覚えがあった。

 

「あ、そうだな。助けた時に咄嗟に作ったヤツだ」

 

「咄嗟に作った?」

 

 不可解な表現だった。

 そうだ。

 思い返せばあの時、この少年はこのナイフをどこかから取り出した様子がなかった。

 

「ひょっとして、魔術で生成したという事かしら?」

 

 私は推測を口にしてみた。

 

「何箇所か傷を負っていたから止血しなくちゃいけなかったんだけど・・・そのための手頃な物がなくて。仕方なく上着を切って包帯代わりにしたんだよ」

 

「つまりは・・・【投影】ができるってこと?」

 

「情けない話だけど、それ以外殆どできないんだ。一応【強化】もできるんだけど・・・・・・宝くじに当たるより少しマシ程度にしか成功しないから、自慢できるようなもんじゃないし」

 

「投影ができるなら、包帯そのものを作ればよかったんじゃないのかしら?」

 

 そう言いながらも、この言葉には矛盾がある事に私は気付いていた。

 いや、そもそもこの状態がおかしなことだらけなのだ。

 

「包帯を作れる自信はからきしなかったんだ。何故だかわからないけどオレがまともに投影できるのは、刃物くらいしかないんだから」

 

「ちょっと信じ難い事ばかりね」

 

 事象も彼の言葉も不可解な事だらけで、私としてもそう返すのがやっとだった。

 

「そもそも、投影した対象物がこうして残り続けているのが異常なの。普通はしばらくすると消えるものよ」

 

「そうなのか? でも、このナイフもそっちのヤカンも消えないぞ」

 

 少年は奥に転がっているガラクタの山を指差した。

 

「ヤカンやそのペンギンみたいな道具もあなたが投影したの?」

 

「あいや、そっちのかき氷器は藤ねえが持ち込んだものだ」

 

 と言って、彼は顔を顰める。

 

「そう・・・・・・」

 

 私は手にしたナイフを目の前に掲げて、つぶさに確認した。

 魔力で編んだ造作物にしては、何というか素材の持つ本来の存在感が強い。

 

「これ・・・おそらく投影じゃないわね・・・」

 

「え? じゃあなんだって言うんだ?」

 

「あなた自身の特殊能力のようなものなんじゃないかしら・・・」

 

 私はきょとんとしている少年の瞳をじっと見つめた。

 

 









後半部分は前作と同様の流れなのでかなり端折っていますが、ご容赦を。



※誠に申し訳ございませんが、諸事情によりサブタイトルと前書き日付を変更させていただいております。万一、それらを材料にして考察されている方などがいらっしゃいましたら、ご容赦いただきたくお願い申し上げます。


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第5話  ~15日前③〜 「白昼の狩り」

1月16日 正午過ぎ









 E turn

 

 

「・・・め・・・めちゃめちゃ疲れたな・・・」

 

 土蔵から居間へと戻るなり、オレは座卓に突っ伏した。

 

「お疲れ様。お茶くらいは(わたくし)が淹れるわ。えっと、道具はどこかしら?」

 

 そう言いながら、一緒に戻ってきたキャスターが台所へと向かった。

 

「・・・すまない。お茶っ葉はカウンター収納の中で、急須と湯呑みは水切りラックに置いてある」

 

「コツは掴めたと思うけれど、一人で練習するときには無理をしないようになさい」

 

 キャスターが慣れない手つきながらもお茶の準備をしてくれているのを、オレは朦朧としたままぼんやりとその動きを目で追うことしかできなかった。

 

「ああ・・・でも、本当に助かったよ。まさか、今までのやり方が全然間違っていたなんてな・・・」

 

 先程まで土蔵でキャスターが教えてくれたのは、魔術回路の正しい起動方法だった。

 今までのオレは、魔術回路を毎回一から作っていた。しかしそれは無駄どころか危なっかしいやり方で、魔術回路は常にある状態にしておいて必要な時にだけ起動させればいいと言うのだ。

 

「やっぱり魔術師(キャスター)のクラスの英霊になるだけあって、凄いな。あらゆる時代の魔術師の中でもズバ抜けた存在だったってことなんだもんな」

 

 最初はてっきり【キャスター】が彼女の名前なんだと勘違いしてしまったが、その呼び名は聖杯戦争で与えられる7つのクラスの一つだということも教えてもらっていた。そして、彼女の本当の名前、真名のほうは敢えて伏せておくという方針にした。オレの思考を読まれて、敵にキャスターの正体を看破される可能性が否定できないからだ。

 オレが魔術師として半人前に過ぎない以上、仕方ないだろう。

 

「私の力量なんて関係ないわよ。魔術師だったら誰でも知っている基本中の基本だもの」

 

「げ・・・そうなのか・・・じゃあ親父は出鱈目を教えていたってことなのか」

 

「難しいところね。この屋敷に張られている結界の質から推測すると、あなたのお父さんの魔術師としての腕は確かよ。当然、魔術回路の起動方法を知らないわけがないわ」

 

「親父はよっぽどオレを魔術師にしたくなかったんだろうな。実際、オレが頼み込んだから渋々っていう感じでようやく教えてくれるようになったし」

 

「お父さんなりの考えがあったのでしょう」

 

 とオレを宥めつつ、キャスターは淹れてくれたお茶を運んできた。

 

「・・・ああ・・・ありがとう」

 

 と、目の前に湯呑み茶碗を置いてくれたキャスターに礼を言う。

 

「坊やの話を聞く限りでは、だいぶ魔術師としては変わった人だったようね」

 

 彼女はオレの隣の座布団に綺麗に正座すると、湯呑みの底と側面に手を添えてゆっくりと口をつけた。

 惹きつけられるように彼女を見ていると、その所作には何とも言えない優雅さが感じられる。

 

「どうしたの?」

 

 オレの視線を感じて、彼女は不思議そうに問い掛けてきた。

 

「あいや・・・なんでも・・・」

 

 慌てて、オレは目を逸らした。

 

「確かに親父は魔術師としては変わっていたんだろうな。普段はニコニコ笑って、ぐうたら三昧。でも、いざとなれば何でもできるヒーローみたいな存在だったんだけど」

 

 はぐらかすように、オレは切嗣の事をかいつまんで彼女に伝えた。

 両親を亡くしたオレを切嗣が引き取ったこと、その時に魔術師と告げられたこと、たまに一人で海外に行っていたことなどだ。

 

「──―そう。血の繋がりはないのね。魔術刻印の継承もしていないみたいだし、坊やの魔術特性は坊や自身のものということね」

 

「そうだろうな。最初にオレに投影ができることが分かった時には、なんて無駄な才能なんだって、愕然としていたな。それで、強化を練習するように言われたんだ」

 

「その判断は常識的ね」

 

 キャスターは形のいい顎に、片手を添えて少し考え込む様子を見せた。

 

「腕は確かで魔術の要点は押さえていても、魔術師という存在自体には懐疑的だったのかもしれないわね。研究もしていなかったようだし」

 

「そうだな。そんな素振りは全くなかったよ。のんびりと、穏やかに日常を過ごすことだけが親父の望みだったような気がする」

 

「平穏・・・・・・ね」

 

 呟いた彼女は遠くを見るような目をした。

 視線の先には実際には襖があるだけだが、自身の過去にでも思いを馳せているのかもしれない。

『故郷に帰ること』が自身の願いだと言っていた。

 英霊にまでなったからには、彼女もきっと波乱万丈の生涯を送ったに違いないのだ。だが、こうして会話をする彼女にはそんな血生臭いところは感じられない。ただの上品でたおやかな淑女という印象が強い。

 

「そう言えば、作ってくれたお料理が凄く美味しかったけれど、坊やの料理の腕はお父さん譲りなのかしら?」

 

「その点については、真逆だよ。親父はハンバーガーみたいなジャンクフードが大好きで、全く料理なんかしなかったからな。少しでも健康的になってもらいたくて、オレが料理を作るようになったんだ」

 

「そうだったの。独学であんなおいしい料理を作れるなんて、大したものね」

 

「あいや・・・そんなことは・・・」

 

 手放しで褒められたオレは謙遜しようとしたが、

 

 ガラララッッ

 

「しろ~っっっ!! 大丈夫なの~~~?」

 

 突然、玄関から廊下を突き抜けて大きな声が響いてきた。

 

「げ・・・」

 

 オレにとっては聞き慣れた声だった。

 まだ、正午を少し過ぎたところ。

 仮病を使って学校を休んでいたから、藤ねえが見舞いには来るだろうと思っていたが、こんなタイミングで現れることは全く想定していなかった。

 

「どなたかしら?」

 

 少し慌てたようにキャスターが警戒の色を示した。

 

「すまない。さっき少し話していた藤ねえ・・・えっとフルネームは藤村大河っていうオレの保護者代わりの先生だ」

 

 と彼女に詫びるが、この状況はかなりよろしくない。

 そもそもキャスターの素性をどう説明するかっていうことが問題だ。

 さらにこんな美人がうちに泊まるとなれば、いくら大雑把な藤ねえでも難色を示すのではないか。

 

 ドタドタッ

 

 いつもどおり走るようにして廊下を突っ切ってきた藤ねえが居間へと向かって来る。

 口裏を合わせる時間はない。

 

「しろ~っ、具合はど~お~?」

 

 バァァァンッ! 

 

 障子戸が心地良いくらいの破裂音(?)を奏でる。

 

「・・・・・・へ?」

 

 そして、姿を現した穂群原の虎は戸を横に開けたままの体勢で固まってしまった。

 

「藤ねえ。こんな時間にどうしだんだ? まだ、授業あるだろう?」

 

 取り敢えずオレは努めて平静を装い、質問を口にする。

 

「・・・・・・えっと・・・・・・」

 

 藤ねえは口をぱくぱくさせたまま、辛うじてといった体で声を絞り出す。

 オレとオレの隣に座るキャスターとの間で視線を何度も行ったり来たりさせている。

 

「・・・この人・・・えっと、こちらの方は・・・・・・どなた?」

 

「・・・見てのとおり外国の方で、どうやら向こうでの切嗣の知り合いらしくて。日本への旅行ついでにうちを訪ねて来たんだ」

 

 オレは藤ねえの声が聞こえてからの僅かの猶予の間に考えたそれっぽい理由を伝えつつ、キャスターに目配せをした。

 こういうのは全く得意分野ではないので、冷や汗が背中を伝っていくのを感じる。

 

「キャスターと申します。突然、お邪魔して申し訳ありません」

 

 と、キャスターは落ち着いた様子で膝に手を揃えて一礼する。

 

「・・・えっと・・・あ、私は藤村大河という者です。士郎の通っている穂群原学園の教師をしていて、身寄りのないこの子の保護者という立場になります」

 

 ようやくフリーズ状態から脱した藤ねえが、キャスターに相対するようにその場に腰を下ろした。

 

「・・・・・・確かに切嗣さん、何度も外国に行っていたから、向こうにも知り合いくらいいてもおかしくないわよね」

 

 目を中空に彷徨わせながら、藤ねえは必死に自分の頭の中から記憶を引っ張り出しているようだ。

 

「ええ。と言いましても、特に懇意にしていたのは私の父のほうでした。その父が他界しましたので、一つの節目としていつかは来てみたいと思っていたこの国を訪れる事にしたのです」

 

 おお。凄い。

 なんかそれっぽいストーリーをすらすらとでっち上げるキャスターにオレは素直に感心してしまう。

 

「そ・・・そうなんですか・・・」

 

「切嗣さんも既に亡くなっていることは存じておりましたが、ご家族がいるという話は聞いていましたので、ご迷惑かとも思いましたがこうしてお邪魔させていただいたのです」

 

「あの・・・外国というのは、どちらの国から来たんですか? ・・・切嗣さん、いっつもどこに行くかも全然教えてくれなかったから」

 

「・・・東欧の小さな国です。あまり、こちらの方々には馴染みのないような」

 

 少しだけ逡巡したキャスターが答えた。

 ほんの僅かではあるが、キャスターの正体に繋がる情報ではあった。

 

「ああ・・・やっぱりヨーロッパだったのね」

 

 藤ねえは納得しているようだった。

 

「はい。でも切嗣さんは私の父以外にも懇意にしていた方がいたようですから、他の国や地域にも行っていたと思います」

 

 と、キャスターはさらに続けた。

 切嗣がキャスター家(仮)だけを訪問していたとなれば、かなり親密な関係ということになってしまうだろう。あくまでも、切嗣の訪問先の一つという話にしたほうが、今後具体的な話を聞かれた場合にもぼろが出にくい筈だ。

 

「それから重ねてで申し訳ないのですが、実は私はあまり持ち合わせがありません。少しの間、こちらのお屋敷に滞在させていただきたいと思っています」

 

「・・・・・・」

 

 キャスターが一番の問題を切り出したので、オレの体に思わず力が入る。

 やましいというか後ろめたいところがあるだけに、猶更だ。

 

「・・・そうですか・・・」

 

 しかし、藤ねえの反応は意外なほどに薄かった。

 もっと大仰に驚いたり、断固拒否の態度を示すかと恐れていたが、先程伝えたキャスターのストーリーが功を奏したのかもしれない。

 

「・・・そろそろ私は学校に戻らなくちゃいけないから、その話はまた後でしましょう。家に忘れ物をしちゃったから、取りに来るついでに士郎の様子を見に来ただけだったし」

 

 僅かの間キャスターと視線を絡ませた藤ねえがそう答えると、畳に両手をついて立ち上がった。

 

「わかりました」

 

 キャスターも特に反応は示さず、落ち着いて頷いた。

 

「それで士郎。結局、体調のほうは大丈夫なの?」

 

 廊下へと出ていこうとしたで藤ねえが、敷居のあたりでこちらを振り返った。

 

「大丈夫だ。ちょっと疲労が溜まっているけどな」

 

 風邪によるものではないけれど。

 

「いつも無茶してばかりだから、たまには学校を休むのも悪い事じゃないわ。今日は無理せずゆっくりしていなさい」

 

 そう言い残して、藤ねえは玄関へと向かった。

 

「ああ。心配かけてごめん」

 

 オレは去っていく藤ねえの背中にそう声をかけた。

 

 ガラララ

 

 来た時と同様に、玄関の開き戸が開け閉めされる音がここまで響いてきた。

 

「・・・ふう・・・なんとかやり過ごせたな」

 

 念のため、廊下に出て玄関のほうを見たオレは藤ねえが確かに外へと出たことを確認する。

 ほっと一息ついて居間に戻ると、再びキャスターの隣に腰を下ろした。

 

「即興で考えた作り話にしては見事なもんだったよ。オレだったらあんなにすらすらと話せなかった」

 

「坊やのお父さんが海外での出来事については、あなたにも彼女にもあまり話していないのが幸いしたわね」

 

 キャスターは事も無げに応じながら、空になった湯呑みを片付け始めた。

 

「自分の父親が亡くなったことと紐付けて、こっちに渡航してきたっていう説明も上手かったな。詮索し辛くなるし」

 

「その事については、半分事実ですもの・・・父なんて遥か昔に死んでいるわ」

 

 彼女は少しだけ手を止めた。

 実際に父親のことを思い出しているのだろう。

 

「・・・まあ、私自身もだけれど」

 

 再び動き始めて、彼女は悪戯っぽい笑みをこちらに向けて来た。

 

「そんなこと言ったら、藤ねえパニックだな。それともまたフリーズしちまうかな」

 

 オレも吊られるようにして笑った。

 

「でも、ここに滞在することについては保留にされちゃったな」

 

 最後の藤ねえの反応だけは少し不可解だった。

 

「保護者代わりということであれば仕方ないでしょう。いずれにせよ次に会う時までには上手な説き伏せ方を考えておくから、坊やは心配しなくても大丈夫よ」

 

「情けないけど、そこは任せるよ。キャスターのほうがそういうの得意そうだし」

 

「あなたが苦手なのはなんとなくわかるわ。とにかく疲れたでしょう。彼女が言ったとおり、休んだほうがいいわ」

 

 流しで湯呑みを洗い終えたキャスターは穏やかな声でそう言うと、こちらへと戻ってくる。

 そして、やんわりとオレの背中に手を触れた。

 服の布地を通しても、彼女の手の温もりが伝わってくるような錯覚を覚える。

 

「ああ、そうするよ。もう限界だ・・・」

 

 溜まっていた疲労が一気に体を侵食しているようだった。

 瞬く間に心地良い睡魔が訪れ、オレの意識は遠のいていった。

 

 

 C turn

 

 

 急いで家を出て藤村大河を追うと、交差点の手前でその背中が見えた。

 

「あら、キャスターさん。何か私にご用でも?」

 

 彼女はこちらの気配を感じたのか、振り返ると追ってきた私を訝し気に見詰めた。

 その目には心なしか警戒の色が浮かんでいるように見える。

 

「ええ。もう少しお話ししたいと思ったの」

 

「そう、奇遇ね。実は私もそう思っていたのよ。本当は早く学校に戻らなくちゃいけないんだけど」

 

 日中ではあるが、この辺りの人通りは元々多くはないようだ。

 さらに、人除けの結界を張って私達に注意が向かないようにしている。

 

「お忙しいでしょうに、ごめんなさいね。もう少し保護者であるあなたとはきちんと話したかったのよ。あと、衛宮君についても色々とお聞きしたくて」

 

 相手に余計な警戒感を与えないよう、極力しおらしい態度を維持する。

 

「そう。でも、士郎の事は士郎本人に聞くのがいいと思うけれど」

 

 藤村大河は素っ気なく言うが、今、当人には安らかな夢を見てもらっている。

 

「本人では恥ずかしくて話せないような事も多いでしょう。他の人から見た彼の事を知りたくて」

 

「それは確かね。士郎は小さい頃はよく正義の味方になるんだって言ってたけど、そんな事は今では口に出せないわよね」

 

「正義の味方・・・」

 

 なかなかに突拍子もないフレーズが出てきたものだ。

 

「今でもそれは間違いなく士郎の目標、というか本質であり続けてるわ。学校でも、学校以外でも人助けばっかり」

 

「そうですか。会ったばかりですが、私もすごく真面目で几帳面な子だと感心させられる事ばかりです」

 

「だからこそ困っているあなたに対して、当然のように手を差し伸べるのよ」

 

 彼女は少しだけ目を伏せると、

 

「たとえ、あなたがどんなに怪しい女であろうともね」

 

 私を射るように真っ直ぐにその目が向けられた。

 

「あなた・・・もうあの家に一晩泊まっているのでしょう? ちゃんとその事を先ずは謝罪すべきよね」

 

「・・・・・・」

 

 どうやらこの女は私と坊やが既に一夜を共にしている事を察しているようだった。

 合理的な推測ではなく、直感あるいは先程の坊やの反応などを根拠にしているのだろう。

 

「ううん・・・それだけじゃなくて・・・」

 

 沈黙したままの私に対して、刺すような言葉が続く。

 

「一体、あなたは何なのよ?」

 

 そこにあるのは大切な存在(もの)を渡すまいと身構える、一人の女の顔だ。

 

「・・・ふふふ。女の勘ってやっぱり侮れないわね」

 

 これ以上問答を続ける意味はなさそうだ。

 私は予定していた行動に移る事にする。

 

「っ!?」

 

 態度を変えた私に対して藤村大河は警戒の色を強めるが、何か出来るはずもない。

 私は広げた左掌(ひだりて)を彼女に向けて、暗示の魔術を行使する。

 

「・・・坊やの事なんて忘れてしまいなさい。彼はあなたとは何の関わりもないのよ」

 

 発動した魔術の波動が女を絡めとっていく。

 

「・・・つ・・・」

 

 彼女は片手で頭を押さえる。

 しかし、

 

「何を・・・したのよ・・・」

 

 少しふらつきならも、そんな言葉を口にする。

 意識はまだはっきりしているようだ。

 

「あら?」

 

 私は驚いた。

 稀に一般人でも魔術回路を持つ者はおり、潜在的にかなりの魔力を有する場合はある。しかし、彼女からは殆ど魔力を感じない。あくまでもごく普通の人間だ。

 であるにも関わらず、軽いとは言え私の魔術にまがりなりにも抵抗するなんて予想外だった。

 

「小癪ね。そんなに坊やの事を忘れたくないのかしら?」

 

「・・・・・・じ・・・・・・冗談じゃないわよ・・・・・・」

 

 藤村大河は纏わりつく禍々しい呪いを振り払うように頭をぶんぶんと左右に振る。

 

「あんたみたいな得体の知れない女に・・・士郎を渡すもんですか・・・」

 

 朦朧としながらも、生意気なことに私に敵意に満ちた視線を投げつけてくる。

 

「やはりあなたは邪魔ね」

 

 いいでしょうと言葉を続けて、私は空いている右掌(みぎて)を彼女のほうへと突き出した。

 

「私の糧となりなさい。あなたの魔力では殆ど何の足しにもならないけれど」

 

 昨日坊やから補充する事はできたが、まだまだ魔力は不足している。僅かなりと補給ができるならそれにこしたことはない。

 

「・・・あ・・・う・・・」

 

 赤い霧が全身を覆いその魂を吸い上げていく。

 やがて女の体から力が抜けていき、がっくりとその場で膝をつく。

 

「・・・く・・・あんた・・・正真正銘の・・・」

 

「お黙りなさい」

 

 地面に這いつくばった女の口が不愉快な一語を紡ぐ気配を感じたが、それを見過ごすつもりはない。

 女を包む霧が一層濃厚になる。

 

「・・・しろ・・・」

 

 ドサッ―――

 

 必死に堪えていた藤村大河の瞼が完全に閉じられ、その場に倒れた。

 

「本当にしぶとかったわね」

 

 思わず苛立ちの混じりの言葉を意識のない女に浴びせる。

 私の腕が鈍ったかと思わされるぐらい、抵抗されてしまった。

 

「まあ、いいわ。目的は果たせたのだし。とにかく後片付けをしなくてはいけないわね」

 

 聖杯戦争が始まってもいないうちから、他の参加者や監督役からあまり目を付けられたくたなかった。

 ただでさえ、マスターを殺した私は相当に不利な立場にいる。人通りが疎らとは言え、まだ日中の往来だ。この女が消えたことが、大きな騒ぎにならないような措置をとるのが無難だろう。

 改めて、アスファルトの上に倒れたままの女の身体をちらりと見る。

 

「教会の敷地にこれを置いてくればいいかしらね」

 

 そうすれば、監督役の神父が後はうまく取り繕ってくれるだろう。

 

「あとは坊やのほうだけど」

 

 少年からも彼女についての記憶を改竄しなくてはいけないが、眠っている彼は暫くは起きない。

 私の魔術をもってすれば、記憶を捏造する事は容易いだろう。

 

 フワリ

 

 意識のない藤村大河に軽く触れて宙に浮かせると、その体を伴って教会のほうへと歩き出す。

 昨夜の時点では絶望的な状況だったこの聖杯戦争だが、一人の半人前の魔術師との思わぬ邂逅で望みが繋がった。

 篭絡したその少年を貪り、その屋敷に拠点を構築して、私は今、着実に態勢を整えつつある。

 

「・・・ふふふ・・・悪くはないわね」

 

 自然と笑みが零れてくる。

 私はそれを抑えることができなかった。

 

 

 

 









3話続けて士郎とキャスターの会話メインでした。
前作ではキャスターの会話は書き易くて筆が進んだんですが、今作では細かい機微に気を遣うので、なかなか骨が折れます。

次回から少し場面が変わりますが、引き続きお付き合いいただければ。


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第6話  ~10日前①〜 「執行者と代行者」

1月21日 午後





 Interlude in

 

 

「・・・んで、その神父に会うわけか?バゼット」

 

 椅子に座る相手に向けて、窓際に立つ長身の男が疑わし気に問い掛けた。

 男は一目でよく鍛え上げられているとわかる肉体をタイトな青い服に包んでいる。

 

「はい。以前からの知り合いなのです。そもそも今回の戦いに私を推挙してくれたのも彼です」

 

 そう答えるのは、整った凛々しい顔立ちが印象的なショートカットの女だ。男物のスーツに身を包んでおり、女性としてはかなりの長身。受け答えもサバサバとして男性的だった。

 

「ふうん。本来、中立であるべき監督役がねえ。それってフェアじゃねえな」

 

「聖堂教会も魔術教会も統制できない闘争など望みません。そういう意味では、私も彼も秩序ある聖杯戦争の進行という点で利害は一致している」

 

「どうにも、怪しいなあ」

 

「何がですか、ランサー? 彼は信頼に足る人物です」

 

「いや、そっちじゃなくて、あんたがな」

 

 ニヤリと笑みを浮かべた【ランサー】と呼ばれた男は、踵を返して部屋の扉へと向かう。

 

「どこへ行くのです?」

 

「気にすんな。ちょっとそこいらをぶらりとしてくるぜ。折角の逢瀬を邪魔しちゃ悪いからな」

 

「なっ!?」

 

 ガタリと音を立てて、女が椅子から立ち上がる。

 

「あばよ。しっかりやんな」

 

 右手をぷらぷらと揺らして、彼は扉の外へと出て行った。

 

「なにを言っているのかさっぱりわからない」

 

 女、即ち【バゼット】は、自身が信頼するサーヴァントを見送って嘆息した。

 彼を召喚して三日が経つ。

 狙いどおりの、そして幼い頃より憧れていた英霊を召喚することができた。

 充分な力を備えており、その姿は勇壮。一つ一つの動きには全く無駄がなく、惚れ惚れするほどだ。

 そのうえ、気質としてはさっぱりしていて気持ちがいい。

 というわけで、殆ど申し分のないサーヴァントなのだが、マスターである自分に対して何かとからかうような態度が多いのが僅かに不満ではある。

 

「ですが、概ね順調と言っていいでしょう」

 

 バゼットとランサーが拠点として滞在しているのは、冬木市の深山町にある通称【双子館】と呼ばれる洋館だった。この館はバゼットを派遣した魔術協会からあてがわれたもので、前々回の聖杯戦争でも魔術協会に所属する参加者が利用していたという。

 当の参加者の結果は惨憺たるものだったという話だが、験担ぎやら縁起などに頓着しないバゼットは気にしていなかった。

 その参加者が弱かった。

 ただ、それだけのことだ。

 

「私としたことが、少し浮ついているかもしれませんね」

 

 自嘲気味に呟きながらも、自分の内面が浮き立っていることが感じられた。

 信頼する人物に招聘され、子供の頃から幾多のエピソードに心躍らせられた母国アイルランドの大英雄【クー・フーリン】と共に戦う。

 普段の仕事では感情が揺らぐ必然性も必要性もない。淡々と作業をこなすように教会から与えられる任務をこなし、そしてその過程では幾多の人々を殺めてきた。

 だが、今回は特別な仕事になる。

 そんな予感に満ちていた。

 

 

 

 ランサーが立ち去って僅かの後。約束どおりの刻限である午後7時に、神父服に身を包んだ訪問者がこの館にやってきた。

 今回の戦争の監督役である冬木教会の神父、言峰綺礼だった。

 

「久しぶりだな。バゼット・フラガ・マクレミッツ」

 

 身の丈190Cmに届く偉丈夫の神父から、その姿と立場に似つかわしい荘厳な声が発せられた。

 

「ええ。ご無沙汰をしておりました、言峰神父。先ずはこの度の聖杯戦争への魔術師協会からの参加枠について、私を推挙していただいた件、改めて礼を言わせていただきます」

 

 広大な玄関ホールの扉を開けて、待ち侘びた相手を迎え入れると、バゼットは客間へと案内した。

 

「なに、最も適切と考えられる人物として、私の中で自然と思い浮かんだ名前を伝えたまでだ。特に感謝されるものでもあるまい」

 

「そうですか。ではこれ以上の礼は申し上げません。ですが、その言葉も最上級の賛辞としてありがたく承っておきます」

 

 そう告げて、バゼットは神父に手近な椅子に座るよう促し、自身も腰を降ろした。

 

「さて、本日わざわざご足労いただいた用件は何でしょうか?本来、私のほうから教会にご挨拶に伺おうとしていたところだったのですが」

 

「いや、私の余計な一言によって、面倒をかけることになってしまったのだ。であれば、こちらから出向くべきと考えたまでだ」

 

 神父は神妙な面持ちでバゼットに意図を伝える。

 

「そのようなことはありません。魔術協会を通じた正式な仕事ですし、私自身も自分が適任者ということも理解しています」

 

「そう言ってもらえると少し心の荷が軽くなるな。何せこれからのことを考えると、私としては気が重くてな」

 

「言峰神父でもそのようなことがあるのですね」

 

 バゼットの言峰綺礼という男に対する印象は、『泰然自若』が人の形を成した存在。『揺らぎ』という概念から遥か縁遠い人物というものだった。

 その口から『気が重い』などという言葉が出てくるなど違和感しかなかった。

 

「無論だ。監督役と言っても、名ばかりのものだ。サーヴァントと対峙すれば、所詮一溜りもない。強制力がない以上、統制は難しいからな」

 

「ですが神父なら、必ず職務を全うされるでしょう」

 

 偶然にもいくつかの仕事で共闘する場面があったことが、彼との縁だ。

 協会の代行者である彼は実力者ではあるが、もしも正面から戦うことになればほぼ間違いなく自分が勝つだろう。

 しかし、単純な戦闘力とは別の次元で自分はこの【言峰綺礼】という人物に絶対に及ばないという確信もあった。

 

「そうありたいものだな」

 

 返ってきたバゼットの言葉に神父はそう応じて、改めて顔を上げた。

 

「さて、今後の方針について話し合いたいところだが、その前に確認したい。キミは現状をどの程度把握しているのかな?」

 

「そうですね。アインツベルンと間桐が既にサーヴァント召喚を済ませていることは把握しています。遠坂はまだのようですね」

 

「ふむ。しっかりと御三家はマークしているようだな。流石、というべきかな」

 

「そのほかに気になる情報として、私とは別口で外来の魔術師が独自のルートで協会から参加の認可をとりつけたと聞いています。そして、既にサーヴァントを召喚したとも」

 

「それも確かだ。ただし、実はそのマスターは召喚したサーヴァントが外れだったと言って、数日程前に私にそのサーヴァントの始末について斡旋の依頼をしてきた」

 

「ムシのいい話ですね」

 

 基本的にマスターである魔術師よりもサーヴァントのほうが強い。そうである以上、この戦いではサーヴァントの優劣が勝敗の一番の要素(ファクター)となるのは自明である。どんなサーヴァントを召喚するかというのは最重要となる事前準備だ。それが粗雑だったが故の結果であり、監督役を使ってリセットしようなどという行為は言語道断と言える。

 

「そうだな。まあ、そんなことできるわけもないと丁重に断ったがね。その時点でキミが入国していれば頼めたのかもしれないが」

 

「結局どうなったのですか?その魔術師は」

 

 後半の神父の一言に浮き立つ気持ちを誤魔化すように、バゼットは問う。

 

「死んだよ。おそらくそのサーヴァントに殺されたのだろうな」

 

「はぐれサーヴァントがいるということになるのでしょうか?」

 

「残念ながら、そのサーヴァントの消息はわからない。常識的に考えれば既に消滅しているだろう。フリーの魔術師にでも見つけられれば別だがな」

 

 御三家を除けば、この冬木に所在する魔術師はいない筈だ。

 前回の聖杯戦争の生き残りが一人いたと聞いているが、その人物は数年前に他界している。外来の魔術師がこの地に偶然滞在している可能性は極小と考えられる。

 

「これまでに召喚されたサーヴァントのクラスはわかりますか?」

 

「アインツベルンがバーサーカー、間桐がライダー、死んだマスターが召喚したのはキャスターだったな」

 

「私はランサーを召喚しました。正式にマスター登録をお願いします」

 

 改めて神父に伝えることで、少し誇らしいような気持ちになる。

 

「承ろう。残るはセイバー、アーチャー、アサシンだな。あと10日程で全ての英霊が揃う。キミの健闘を祈らせてもらおう」

 

「警戒すべきは、やはりアインツベルンのバーサーカーでしょうか?」

 

「そうだな。アインツベルンは敢えてバーサーカーを召喚したようだ。魔力消費が激しく、御し難いクラスであるにも関わらずだ。よほど魔力と制御に自信があるのだろう」

 

「あとは、遠坂がセイバーを召喚した場合、強敵になりそうですね」

 

「かも知れんな」

 

「とは言え、遠坂の目的は魔術協会の利害とも一致しています。目に余るような所行がない限り、当面は殊更に敵対する必要はないですね」

 

「うむ。遠坂はこの土地の管理者でもある。無秩序な闘争を望んでいないのは間違いない。従って、監督役の私とも、キミとも利害は一致しているな」

 

「では、遠坂の現当主の人となりを確認した後、問題なければ接触して共闘を持ち掛けます」

 

「それがいいだろう」

 

 鷹揚に頷いた神父は、これで話はお終いというように席を立った。

 それを見たバゼットは少し慌てて自身も席を立つと、部屋のドアへと向かった。

 

「お忙しいのですね。折角なのでもう少し話をしたかったです」

 

 客人である神父を見送るためドアを開けながら、バゼットは言った。

 

「またの機会にしよう。教会に戻って、迷える子羊達を導いてやらねばならんのだ。私はあくまでも聖職者だからな」

 

 客間を出た二人は、並ぶようにして玄関へと向かう。

 迷える子羊。

 それは自分のことではないだろうか。

 喜び勇んでこの極東の地にやってきたのは、この男に導いてもらえるかもしれないと、そんな期待があったからではないか。

 バゼットはそんなことを思いながら、神父の前に出て、玄関扉のドアノブに手をかけようとする。

 

「・・・言峰神父・・・私はうまくやれるでしょうか?」

 

 思いがけず、そんな問いを神父に投げ掛けていた。

 

「ん? ああ。キミなら大丈夫だとも」

 

 唇の片方だけを吊り上げて、神父は嗤う。

 その言葉は聞く者が聞けば、なんの感情も込められていないことに気付いたかもしれない。

【バゼット・フラガ・マクレミッツ】。

 魔術協会屈指の戦闘能力を持つ極めて強力な魔術師であり、封印指定の執行者。

 稀有な能力を持つ魔術師を『保護』という名目で捕縛する役割を担う生粋の対魔術師兵器。

 即ち人間の範疇では最高峰に近い力を持つ存在という事である。

 しかし今、言峰綺礼の目に映るのは、無防備になったただのつまらない女の背中に過ぎない。

 ほんの僅かにその瞳に歪んだ喜悦の光が浮かぶ。

 既にその手には、黒鍵と呼ばれる聖堂協会の代行者が使う特殊な細剣が握られていた。

 

 ドゴォッッッッ! 

 

 扉が突然弾けた。

 

「なっ!!??」

 

 バゼットは、自身が開けようとしていた扉が粉砕された瞬間、咄嗟に体を横に投げ出して衝撃と木片をまともに受けるのを辛うじて避けた。

 彼女の並外れて研ぎ澄まされた感覚と身体能力の賜物であったろう。

 

「なぁにをしてやがるっ!?このクソ神父が!!!」

 

 ダンッ!!

 

 と、叫びながら館内に飛び込んできたのはランサーだった。

 

「・・・ふ・・・ランサーか・・・離れていた筈だが、主人の危機を察知したか」

 

 後方へと大きく跳んで破砕された扉をやり過ごした言峰綺礼が淡々と呟く。

 

「え?」

 

 バゼットは唖然とした。

 自身のサーヴァントが突然、玄関の扉を破って乱入してきたこと。

 そして、今の神父の言葉。

 彼女の頭は全く理解が追いついていない。

 

「答えやがれっ!てめえ、どういう料簡だ!?」

 

 両手に赫い槍を構えて、鬼の形相を浮かべた槍兵が神父に向けて吠えた。

 

「・・・ラ・・・ランサー。一体どうしたというのですか?」

 

「バゼット、なにを暢気なこと言ってやがる!お前は今、こいつに殺されるところだったんだぞ!」

 

「!?・・・そんな筈・・・」

 

 バゼットは俄かには信じられなかった。

 だが見れば、神父の手には確かに武器が握られている。

 

「完全に出し抜けたと思ったのだがな。思った以上に優秀なサーヴァントだ。なぜ勘づいた?」

 

「館に向かう様子を見てな。プンプン匂ったってだけだ」

 

「歴戦の勇士ならではの観察力ということか。英霊を甘く見過ぎたかな」

 

「何故バゼットを殺そうとした?」

 

「くく。手駒となるサーヴァントが欲しくてな。手軽に殺せるマスターがいたから、ちょうど良かったというだけだ」

 

「言峰神父・・・あなたは・・・」

 

 その言葉で漸く事態を認識し始めたバゼットが声を震わせる。

 

「てめえ、完全に腐ってやがるな」

 

 ランサーの闘気が一気に膨れ上がり、周囲の大気が文字どおり震え始めていた。

 

「本当なら楽に死なせたくはねえんだがな。経験上、てめえのような奴はとっとと始末しておくに限るな」

 

 ランサーは長槍の切っ先を神父へと突き付けた。

 

「やれやれ、どうやら私の悪運も尽きたかな。ランサーのサーヴァント相手ではな」

 

 そう言いながらも、神父の顔には依然として笑みが張りついていた。黒鍵を両手に4本ずつ、計8本を指の間に挟み込んで、ランサーに対峙している。

 

「せいぜい末期の悪あがきをさせてもらおう」

 

「そんな殊勝な覚悟をしたやつの顔じゃねえな」

 

 この男は危険だと自身の直感が最大限の警告音を発している。ランサーは先程の言葉どおり、時間を掛けるつもりは毛頭なかった。

 3歩踏み込めば自身の間合いだ。

 なんの遊びもなく、全力でかかれば一瞬で勝負はつくだろう。

 

「くたばりやがれぇっ!!!」

 

 叫びながら、ランサーはその槍で神父を串刺しにすべく踏み込もうとした瞬間だった。

 

「ランサーっ!!!」

 

 悲鳴とも言えるバゼットの声が響いた。

 ほんの僅かに遅れて。

 

 ドゴゴゴゴゴゴゴッッッッッッ!! 

 

「何だとっっ!?」

 

 凄まじい勢いで10本程の武器が館の壁を砕いて突破してきた後、ランサーのいた付近の床を破壊していた。

 

 シュウゥゥゥ・・・

 

 バラバラになった床の木片と粉塵が舞い上がり、広い玄関ホールを覆い尽くした。

 

「・・・ったく・・・なんだってんだ・・・?」

 

 ランサーは飛来した武具を咄嗟に転がるようにして躱していた。片膝立ちになった彼は床に片手を付いて油断なく玄関扉のあったほうを見やる。

 ランサーの視線の先を追うようにして、神父もバゼットもそちらに目をこらす。

 一連の破壊行為により正面の壁は既に壁としての体裁を成しておらず、夜の帳が降りた外の様子がはっきりとわかる状態となっていた。

 

「綺礼よ。何を一人で愉しそうなことをしている?」

 

 館の外からは、傲岸不遜としか形容できない声が届いた。

 

「アーチャーか。助けにきたというわけでもないだろうが、私の悪運は尽きていなかったということかな」

 

 軽く服を払いながら神父が応じる。

 

「無論だ。久しぶりにお前が愉しそうな顔で、いそいそと出掛けるものだから興味が湧いてな」

 

 夜闇の中に姿を現したのは、黒いジャケットを着こんだ金髪の男だった。

 その赤い瞳は煌々と光に満ちており、顔には悠然とした笑みが浮かんでいる。

 はち切れんばかりの生気と自信が全身から発せられており、男の周囲だけが眩く輝いているかのようだ。

 

「ん?そんな顔をしていたかな?」

 

 神父は自身の顎を左手で撫でるような仕種をした。

 

「仕事のつもりだったのだがな」

 

「何を言う、綺礼。これを仕事と断言するのは厚顔の極みと言えるな。明らかに娯楽の類であろう。無論、(オレ)自身は仕事などせんが」

 

「ランサーを手に入れるのは、監督役としての仕事を円滑にするためのつもりだったが。まあ、その過程で些か愉悦を感じる部分があったかもしれんな」

 

「であろう。お前もまた、この聖杯戦争を愉しみにしていたという事に他ならないな。いずれにせよ10年もの時を待ち、ようやく聖杯戦争が始まろうというのに、あまり興冷めなことをしてくれるな」

 

 そう結論付けて、金髪の男は綺礼から視線を外して、ランサーとバゼットを見据えた。

 

「まさか・・・サーヴァント・・・」

 

 バゼットは己が目を疑った。

 信を置いていた神父が自分を殺そうとしただけでなく、サーヴァントを従えているとは夢にも思わなかった。

 

「クソが・・・アーチャーだと?」

 

 体から血を滴らせながら膝立ちになったランサーが呻く。飛来した武器の殆どを避けたものの、一本だけが脇腹を掠めていた。

 

「言峰神父・・・あなたもマスターだったのですね・・・」

 

「さあ、どうだろうな」

 

 問われた神父ははぐらかした。

 顔には相変わらずの笑みが浮かんだままだった。

 

「であれば、私からランサーを奪う必要などないのでは?」

 

「ふふ。そこのサーヴァントが私の言うことを大人しく聞くように見えるか?もう少し思いどおりに動くサーヴァントを欲したまでだ」

 

 神父は先ほどまで扉のあった場所、今となっては単なる館の内と外の境界線を越えて金髪の男へと近づいて行く。

 

「至高の王たる我がわざわざ出向いてやったというのに、勝手に話を進めるな。雑種」

 

 金髪の男は傲然とバゼットに言い放った。

 

「しかし、仮にランサーが私のサーヴァントになったところで、お前の気分次第で遊び相手にすればいいだけだろう。それに、お前はこの世界が結構気に入っているのではないか?聖杯戦争をそれほど心待ちにしているとは知らなかったな」

 

 神父はそのまま金髪の男の脇を通り過ぎる。

 

「無論だ。だからこそ、この戦争で世界が歪む様を眺めるのは娯楽であり、参加者達の業を愛でるのもまた興となる。そして、それらは王たる我が手ずから触れることで価値を増す。その辺の機微を理解せぬ貴様でもあるまい」

 

「なるほどな。マスターとサーヴァントが織りなす絵図もまた、愉悦の対象ということだな」

 

「そういうことだ。綺礼よ」

 

「であれば手出しはすまい。好きにするがいい」

 

 金髪の男の後方で止まると、神父はこちらを向いて後ろ手を組んだ。

 その場で状況を見守る構えだ。

 

「てめえらの方こそ、何を好き勝手なこと言ってやがる!」

 

 二人に罵声を浴びせながら、ランサーが立ち上がった。

 釣り上がったまなじりが凄まじいまでの怒りを表している。

 

「くくく。今、我は気分がいい。貴様の刎頸ものの暴言も今日だけは聞き流してやろう」

 

「ランサー、私はどうすれば・・・」

 

 状況に混乱したままのバゼットは、困惑の目を己がサーヴァントに向けた。

 

「バゼット。お前の頭ん中がぐちゃぐちゃになってることは充分わかってる。今は黙ってオレの闘いぶりを見ていやがれ」

 

 つい先ほど金髪の男達に向けた口調とはうってかわった落ち着いた声で、ランサーはバゼットに告げた。

 その闘気は膨れ上がったままではあったが、表情は冷ややかなものになっていた。

 先程の不意打ちで傷ついた脇腹は既に癒えている。

 

「・・・ですが、先程のあのサーヴァントの攻撃は・・・」

 

「ああ、全部宝具並だったな。複数の宝具を一斉に飛ばして攻撃してくるアーチャーか。わけわかんねえよな」

 

 勝つためには、相手の戦力を測ることが重要だ。

 ランサーはそれを充分に分かっていた。先ほどは怒気を露わにしたが、対峙しているのが尋常でない相手であることは理解している。

 

「さて、10年ぶりの祝祭だ。存分に愉しませてもらうぞ」

 

『10年ぶり』とは、いったいどういうことだろうか? 

 依然として事態に混乱しながらも、バゼットは先程来のアーチャーの言葉を反芻する。

 確かに前回の聖杯戦争から10年が経過している。

 しかし、このサーヴァントはまるでその間、この世界で待っていたかのような言い方をしている。言峰神父との問答もそれを示唆するものだった。

 

「今回召喚されたわけではないということ?」

 

 バゼットは自身の口から零れた推測が、正鵠を射ているように思えた。

 

「さあな。何にせよあれをどうにかしないとな」

 

 ランサーは緊迫した表情を浮かべている。まともに戦った場合、勝算は高くないと分析していた。

 

「でなきゃ、オレ達の戦いはここで終わりだ。そんなのはつまんねえだろ」

 

 ランサーはニヤリと笑った。

 

「あいつの攻撃は本気でやべえ。オレ一人ならなんとか凌げるから、離れててくれ」

 

「わかりました・・・」

 

 不安の色を浮かべながらもバゼットはランサーの言葉に従い、距離をとる。

 

「くくく、そろそろ良いか?」

 

 そう告げた金髪の男が腕を組むと、その背後の空間から幾多の武具が次々と顔を出す。

 剣、槍、鉾、斧等々多種多様。

 数えてみれば20を超える。

 その切先はランサーとその近くにいるバゼットに向けられていた。

 

「それでは、宴を始めるとしよう」

 

 王が、高らかに宣言した。

 

 

 








綺礼もギル様も本当に楽しそうで何よりですね。
ここまではライダーとキャスターの小競り合いくらいしかありませんでしたから、初めての本格的な戦闘パート開始です。


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第7話  ~10日前②~ 「双子館戦争」

1月21日 夜






 Interlude in

 

 

「宴の始まりだ」

 

 神父からアーチャーと呼ばれたサーヴァントの顔に、王者の笑みが浮かぶ。

 

「先ずは前菜をくれてやろう」

 

 その背後の空間には無数の小窓が穿たれ、そこから20を超える武具が顔を覗かせていた。

 月明かりが殆どない夜闇の中、館から届く光が剣、槍、鉾などの切っ先を照らす。

 

「ありがてえこったな!」

 

 アーチャーの声に呼応するように、勢いよくランサーは駆け出そうとする。

 両者の距離は約30m。

 ランサーのいる館内とアーチャーのいる外を隔てる筈の扉も壁も既にない。 

 その俊足をもってすれば、一瞬で詰め切れる間合いだ。

 あわよくばアーチャーに痛撃を浴びせるとともに、バゼットへの攻撃の意識を全て自身に向けさせる意図があった。

 しかし、

 

 ドドドドドドドドドド! 

 

 一歩目を踏み出すと同時に、中空に浮かぶ武具の半数が僅かに時差を設けながら次々に射出された。

 それは強靭な弓から放たれたようなスピードで、ランサーへと殺到した。

 

「ちぃっ!?」

 

 ランサーは突進を諦め、大きく左に跳躍する。

 

 ガガガガガガガガガガッ!! 

 

 飛来した幾つかの刃は槍兵の服を切り裂いたものの、その体には届かなかった。

 目標を失った武具は、床や横壁に直撃して大穴を開けていく。

 ランサーには【矢除けの加護】という能力があり、飛び道具に対しては極めて秀でた見切りによる回避が可能だ。

 しかし、一つ一つが宝具に匹敵する圧倒的な殺傷力を秘めた武具が飛来するとなれば、その能力をもってしても接近は容易ではなかった。

 前進しようとすればその分だけリスクが上がる。

 そして、

 

 ゴッ! 

 

 殆どの狙いはランサーに向けられていたが、後方にいたバゼットにも1本の剣が襲いかかる。

 

「避けろ!バゼット!」

 

 怒声にも似た警告をランサーが発する。

 

「くっ!?」

 

 先刻のランサーとの会話で落ち着きを取り戻しつつあったバゼットは、飛んできた剣を反射的に横に跳んで避けた。

 かと思われたが、

 

 ギュンッ! 

 

「これはっ!?」

 

 躱した剣は慣性の法則を無視するように中空で弧を描くと、再びバゼットへと向かってきた。

 

「追尾してくるわけですか」

 

 バゼットは体勢を整えると、やや赤みを帯びたその剣の刀身を見据えて自身の両拳を構えた。

 その手には【ルーン文字】と呼ばれる魔術文字が刻まれたグローブが嵌められていた。

 鋭い切っ先が一気に眼前に迫る。

 

「はぁぁっ!」

 

 再度飛来した剣を体を捻って躱しながら、裂ぱくの気合いとともに繰り出されたバゼットの拳は剣の腹を強烈に撃ち据え、

 

 ガゴッ! 

 

 拳の威力により弾き飛ばされた剣は建物の壁を壊して、館の外でその機能を停止して落下した。

 

 カランッ

 

「やるじゃねえか、マスター」

 

 その様を見たランサーが、ひゅぅと軽く口笛を鳴らす。

 

「ほう。人間にしてはなかなかの芸当ではないか」

 

 仕掛けた金色の王もまた、感心するように独り言ちた。

 

「伝え忘れたが、アーチャーよ。その女は協会屈指の武闘派魔術師で、単純な戦闘能力ならサーヴァントに肉薄するほどの手練れだぞ」

 

 後方で戦況を観ていた神父が伝える。

 

「ただの雑種ではないということか。魔術師の中にも、我を愉しませてくれそうな(やから)がいるというわけだな」

 

「お前にしてみれば手慰み程度だとは思うがな」

 

「良い。このような者が手近にいるということは、やはりこの世界も捨てたものではないということの証左であろう」

 

 神父との会話を挟みながらも、アーチャーはランサーとバゼットの動きには注意を払っていた。

 

「早々に猛者どもが我の眼前に現れたというのは、真にめでたいことよ」

 

 言葉どおりの満足気な笑みを浮かべたアーチャーの背後では、武具が次々と現出しつつあった。

 その数は50を超えている。

 

「本祭前の余興としては申し分ないな」

 

 ランサーやバゼットから見ると、辺り一面が武具で埋め尽くされたかのような錯覚を覚えるほどだ。

 

「おいおい・・・底無しかよ」

 

「このサーヴァントは一体何なのですか・・・」

 

 ランサーもバゼットも驚きを通り越して、呆れたように呟く。

 通常、サーヴァントの宝具は一騎につき、一つの筈だ。

 敵の宝具は規格外もいいところだった。

 

「先ずはしばし踊り回って(オレ)を愉しませよ」

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド! 

 

 その言葉とともに後方の空間から、容赦なく武具が断続的に射出される。

 その9割がランサーに向けられ、残りがバゼットに向かっていた。

 

「些か雅は欠けようがな」 

 

 ガギンッ! ギィン! ガンッッ! 

 

「邪魔くせえぇっ!!」

 

 ランサーは、次々と襲い来る剣や槍を避けられるものは避け、それが不可能なものは赫い槍で叩き落す。

 

 ガツンンッッ! 

 

「ぐぬっ!?」

 

 一本の光輝く剣を槍で真正面から弾き返そうとしたところで、その威力によって僅かに自身の体が押し返された。

 これによって後退させられてしまい、一瞬体勢を立て直す必要が生じた。

 この隙を逃すまいという意思が宿ったかのように、苛烈に武具が襲い来る。

 

「ぬぅあああああああ!!」

 

 ガン!ギンッ!ギィン!ィィィンッ!ガツンッ! 

 

 先程迄よりも避けるのが難しくなり、槍で迎撃し弾き返す量が増えたことで、ランサーには一層苦しい展開になっていた。

 殺到する武器達とランサーの押し合いのような様相を呈する。

 

「ぐううぅぅ・・・」

 

 その力比べに負けないようにと必死にその場に踏み止まって耐え続ける。

 刹那でも力を緩めれば一気に押し込まれるだろう。

 

「ランサーッ!」

 

 ランサーの窮状を横目にしながら、バゼット自身にも全く余裕はなかった。

 自身のサーヴァントへのそれに比べれば、遥かに飛来する武具の弾幕は薄い。しかし、如何せん攻撃が重い。

 一撃を受ければ確実に致命傷に繋がるとなれば、精神的な消耗が激しくなる。

 

「くっ!はっ!」

 

 ギンッ!ガヅッ!ドンッ!

 

 それでも神経を研ぎ澄ませ、細心の注意を払いながら必死に避け、撃ち落としていくしかない。

 

「・・・く・・・このままではジリ貧だ・・・」

 

 敵の背後では、依然として新しい武具の出現が続いている。

 それらは一つとして同じものはない。常識的にはこれだけの多種多様な宝具を一人の英霊が所有している筈がない。

 しかし、アーチャーは余裕の笑みを浮かべて腕を組んだままだ。その態度からは、とても貯蔵(ストック)が尽きるような気配は感じられない。

 弾切れを期待できるとは思えなかった。

 

「やるっきゃねえな!」

 

 ランサーも同じことを考えたのだろう。

 

 ザッ

 

 依然として雨あられと降り注ぐ武具に対応しながらも、強引に前進を始めた。

 すると、

 

 ザシュッ・・・ドッ・・・ズグッ・・・

 

 アーチャーが放つ剣が、槍が、鉾が、ランサーの体を掠めるようになる。

 今まで何とか無傷を保ってきたのは前に進んでいなかったためである。

 前進するということは無理をするということであり、完全に対応することはできなくなったために、ランサーは次々と裂傷を負っていく。

 

「つっ!だが、こんぐらいならなあっ!」

 

 ドドドドドドドドドドドド

 

 迫りくる槍を避け、真上から振り下ろされるような軌道の戦斧を槍で受け止め、その後の剣は躱し切れず肩を掠めて傷を負う。

 それでも壮烈な笑みを浮かべたまま、徐々に血に染まっていく自身の体の様を無視して進む。

 

「ほう。なかなか頑丈な犬だな」

 

 その様子を見ても、アーチャーは傲然とした笑みを浮かべたままだ。

 

「少し趣向を変えてやろう」

 

 自身にしか聞こえない程度に呟くと、僅かにランサーに向けられた弾幕が薄くなる。

 

「今しかねえっ!!」

 

 攻撃が一瞬弱まったことを歴戦の戦士であるランサーが見逃す筈がなかった。

 間合いに入っての宝具【刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)】による必殺の一撃。

 狙いはその一点のみだ。

 その一撃で決めなければ、ここで自分達の聖杯戦争は終わる。

 

 ダッ! 

 

 これまではじりじりと前進していたが、一気に間合いを詰める。

 幾つかの武具が体に抉るが、致命傷だけを避けて猛然と突進した。

 しかし渾身の突撃を敢行するランサーは、己に向けられた敵の目が薄く笑うのを感じ取る。

 これは・・・

 

「天の鎖よ」

 

 ジャギイイィィィ──―

 

 槍の間合いに入るほんの僅か手前。

 

「なんだと!?」

 

 ランサーの体には幾重にも鎖が巻き付いていた。

 両腕とそして右足を捕らえたその鎖は、ランサーの周囲の空間から出現している。

 

「クソがあっ!!動けねえっ!!!」

 

 ランサーは必死にその戒めを解こうとするが、神々しく輝く鎖はビクともしなかった。

 

「やはり、かなりの神性を持った英霊のようだな。その鎖は混ざっている神の血が濃いほど、拘束力が強まる。貴様ほどの手練れが、全く動けなくなるほどに強力な戒めを受けているという事は、逆に言えば、それだけ貴様の神性が高いということ」

 

 アーチャーが感心したように告げる。

 

「ふむ。加えて、その技量とスピード、赫い槍、バゼットが召喚したということも考慮に加えるとだいぶ絞り込めるな」

 

 アーチャーの言葉を受けて、後方の神父が顎に手を当てて考え込むような素振りを見せる。

 

「があぁぁっっ!手前(てめ)ぇらぁぁぁっっっ!!!」

 

 悠然と会話する金色の英霊と監督役の神父に対して噛みつかんばかりに激高して、蒼き槍兵は咆哮する。

 だが、叶うのは怒気の発露までに過ぎず、その叫びは虚しく空に消えるばかりだった。

 その時。

 

斬り抉る戦神の剣(フラガラック)!!」

 

 半壊した館内にバゼットの声が響き渡り、

 

 ギュンッ!

 

 振り切られたその右拳の先に浮かぶ光玉の中から、一筋の剣が放たれた。

 彼女は諦めてはいなかった。

 ランサーを鎖で捕らえた直後、自身への攻撃が弱まったことを察知したバゼットは、敵に対して躊躇なく自らの切り札を使うことを選択していた。

 この奥の手【斬り抉る戦神の剣(フラガラック)】の本質は迎撃用(カウンター)攻撃だ。

 本来の力を発揮するためには、相手に必殺の一撃を自身に放たせる必要がある。だが、それは不可能だ。

 実力が違い過ぎる。

 あの金色の王が自分に対して全力で宝具を放つことなどあり得ない。

 であれば次善の策として、単純な殺傷力でも英霊の宝具に匹敵する攻撃手段としてこれを放つ。

 バゼットはそう決めていた。

 しかし、相手は全く焦る様子を見せなかった。

 

「良い判断だな」

 

 ドドドンッッ!! 

 

 バゼットの放った渾身の一撃は、アーチャーが放った三本の剣と衝突し、その場で爆ぜて消えていった。

 

「くっ!?読まれていた?」

 

 バゼットは愕然とした。

 この攻撃に対処されては、もはや彼女に打つ手はなかった。

 

「ほう」

 

 ランサーのみに意識が向けられているように見えて、その実、アーチャーはしっかりとバゼットの動きに注意を払っていた。寧ろ攻撃の機会をわざと与えたのかもしれない。

 

「これもなかなかのものだな。我が宝物と互角に近い威力があるとは」

 

 金色の王は、あの悠然とした態度を保ちながら感心したように言った。

 

「あれは、現代まで伝わる人間が使い得る数少ない神器の一つだ。彼女はそれを受け継ぐ家系の魔術師でもある」

 

 神父が補足する。

 

「成程な。宝具を使う人間ということか」

 

「そういうことだ。さらに私の知る限りでは、今の使い方ではあれの真価を全く発揮できていない筈だ」

 

「くくく。愉快だな、綺礼よ。お前の言うとおり、この女は現世では稀有な手練れということよな」

 

 顔には満足そうな笑みを浮かべたままに、アーチャーの後方からは武具が出現し続けていた。

 

「てんめぇぇぇぇっっっ!!」

 

 30を超える武具がバゼットに向けられているのを見たランサーは、絶叫し、さらに藻掻く。あれらが全て彼女に殺到すれば、その結果は火を見るよりも明らかだった。

 しかし、今までと同様に鎖の戒めは、ビクともしない。

 であれば、寧ろ引き千切るべきなのは鎖ではなく・・・

 

「があああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 ブチチチィィィィィィ! 

 

「ランサーッ!!??」

 

「何だと?」

 

「これはまた・・・」

 

 それは、自身の両腕と、右脚だった。

 微動だにしない鎖よりも脆いのは自分自身の体のほうだ。

 ランサーは最優先事項の前では、自分の手足など不要と判断した。

 バゼットもアーチャーも、ランサーの行動には驚きを禁じ得なかった。

 無理矢理捩じ切った自分の体から夥しい血を流しながらも、クランの狂犬たるランサーは左脚一本でバゼットの元へと跳躍し、その盾になろうとした。

 

「バゼットは殺らせねえぇぇぇっっっl!!」

 

「ふはははははははははっ!瞠目すべき胆力よな、ランサーよ!そのような方法で我が友の戒めから逃れるとはな」

 

 アーチャーはランサーの行動に驚嘆し、賛辞を送る。

 だが既にバゼットへと狙いを定め、攻撃の準備を済ませていた。

 

「しかし、残念ながら少々遅かったようだな!」

 

 必死にバゼットの元へと辿り着こうとしたランサーだったが、もはや間に合うタイミングではなかった。

 

「どうにもなんねえっ!逃げろ、バゼットォッ!!」

 

 現実的にはそれが無理なことは百も承知だが、まともに動けないランサーとすれば他に手立てがなかった。

 悲鳴のようなその叫び声を合図にしたかのように、アーチャーは出現させた凶器の殆どをバゼットに向けて放っていた。

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド──―

 

 数多の剣が、槍が、斧が、鉾が無慈悲に着弾していく。

 

「バゼットォォォォォ!!!」

 

 絶望的な攻撃だ。

 ランサーは、己がマスターがズタズタに切り刻まれたことを確認するためだけに、その目を見開き続けるしかなかった。

 

 シュゥゥゥ・・・

 

 舞い上がった埃や木片が収まっていく。

 

「な!?」

 

 ランサーが唖然とする。

 放たれた武具は、円状に全てが床に突き立っていた。

 その中心にいるバゼットには傷一つついてはいない。

 

「・・・これは・・・?」

 

 当のバゼットも状況の意外さに戸惑いを隠せなかった。

 

「くくく。言ったであろう。我は聖杯戦争の開幕を心待ちにしていたと。我の前に最初に現れたのが愚にもつかない塵芥であったなら、速やかに間引く腹詰もりだったがな。どうやら、良い方に転んだようだ」

 

 喜べ、とこの場を支配する英霊が続ける。

 

「この王の中の王たる我。英雄王ギルガメッシュは今、この上もなく気分が良い」

 

 腕を組み、徹頭徹尾、傲然とした笑みを浮かべたまま、英雄王ギルガメッシュと名乗った金色の王はその体を反転させて、バゼットとランサーに背を向けた。

 

「我の力を存分に見せつけ、強者の血が存分に流れた。宴の開演に相応しいと言えよう」

 

 一方的に言い放つと、金色の王はゆっくりと元来た道を引き返して行き。

 やがて夜の闇の向こうへと消えていった。

 

「・・・た・・・助かった・・・のですか・・・?」

 

「そうみてえだな」

 

 バゼットもランサーも悠然と去っていく敵の後ろ姿を、ただただ何をなすこともなく見送る事しかできなかった。

 アーチャーが去るとともに、バゼットの周囲に林立していた武器は悉くが霧散している。

 

「まったく・・・あの様子では、この聖杯戦争はとても私が統制できるようなものではなくなるな」

 

 同じく金色の王を見送った神父が、大きく溜息をついた。

 

「今なら私でも止めを刺せそうだが・・・あの男が見逃した以上、私が余計なことをすれば不興を買うだけだな」

 

 呟きながら、言峰綺礼も踵を返した。

 

「バゼット。要望どおりマスター登録をしておこう。健闘を祈っているぞ」

 

 そう言い残して、監督役の神父も館の敷地を後にしていく。

 

「言峰神父・・・」

 

 バゼットはその後ろ姿に声を掛けることもできず、呆然と立ち尽くした。

 

 

 

「畜生め、やりたい放題やってくれやがって・・・」

 

 左脚のみで辛うじて立っていたランサーはそう毒づいて、崩れるようにその場に座り込んだ。依然として続く流血のため、忽ち床に血溜まりができる。

 ランサーは、無感情に周囲の様子を見回した。

 僅かな時間の闘いで床も壁も至るところに穴が開き、崩れており、既に館としての体裁は保たれていない。

 

「・・・ラ・・・ランサー・・・あなたはその体でも大丈夫なのですか?」

 

 周囲が陥没した床にへたりこんでいたバゼットだが、改めて自身のサーヴァントの惨状に慄き、声を掛ける。

 

「まあな。手足なんざサーヴァントにとっては、所詮枝葉だ。なけりゃ不便極まりないが、死にゃあしねえよ。時間が経てば元に戻るさ」

 

 そう言って、ランサーはしばし目を閉じた。

 

「すぐに取り戻せねえのは・・・この屈辱のほうだな」

 

 ゆっくりと目を見開いたランサーの顔には凄烈な笑みが浮かんでいた。

 

「・・・・・・あいつら・・・・・・」

 

 吊り上がった口元、そして爛々と輝く眼光は、手負いとなった獰猛な獣のそれだった。

 

「・・・・・・ぜってえ・・・・・・ただじゃ済まさねえからな」

 

 

 Interlude out

 

 








そんなわけで、バゼットさん生存です。
本編では見られなかった彼女の今後の活躍(?)に乞うご期待です。


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第8話  ~9日前~ 「都市インフラ老朽化に関する課題」

1月22日 午後







 Interlude in

 

 

「こ・・・これって・・・」

 

 下校してきた直後に鳴った電話に促されて此処までやってきた遠坂凛は、目の前にある洋館の惨状を目の当たりにして戦慄した。

 自分が住まう屋敷から程近い洋館【双子館】。

 凜自身、その佇まいを何度か確認したことがある。

 かつての聖杯戦争の参加者が建立した建造物にして、その根拠地。

 いずれ始まる聖杯戦争において、自分以外の魔術師の拠点となり得る場所として元々マークしていた。それが今、彼女の目に映る残骸だった。

 

「聖杯戦争は水面下で実質的には始まっている、ということだ。監督役という立場からすると、遺憾ではあるが」

 

 後ろ手を組んだ神父服の男、言峰綺礼は口の片端だけを吊り上げた。

 

「どうにも今回は血気盛んな参加者が多いようでな。私が知り得る限りでも既に二度、戦端が開かれている」

 

「あんたが仕事をサボってるってことじゃない」

 

 兄弟子でもあり、現状は自身の保護者という立場にある神父を揶揄しながら、凜は洋館の入り口から中へと入る。実際には入り口だったであろう部分は扉どころか、周囲の壁も大半が砕かれており、その残骸を乗り越える必要があった。

 

「そう言われると心苦しいがな。所詮、私の力など多寡が知れている。ルールブックを読まない者、あるいは読んでも意に介さない者が多ければ、統制が取れず、秩序が保てなくなるのは必然だ」

 

 綺礼は凜の非難を全く意に介さず、淡々と答えて彼女の後に続く。

 

「あっそ。あんたの言い訳はどうでもいいとして、ここの他にも少なくとも一回はドンパチがあったってことか・・・」

 

「そうだな。キャスター召喚に関連するいざこざがあったようでな」

 

「いずれにせよ、もうかなりの英霊が召喚されてるってことね・・・・・・あ、教えてくれなくて、いいからね」

 

 凛は、あんたなんかに情報を教えてもらおうとは思っていないという意思を、言外に強く含めた。

 

「ふふ・・・敢えて独り事を言うとすれば、現在私が知り得る限りでは、ランサー、()()()()()、ライダー、キャスター・・・そしてバーサーカーの5騎が()()()()()()()

 

 綺礼は、『早く召喚しないと、サーヴァントを喚ぶ前に殺されるかもしれないぞ』と続けることを考えたが、実際にはそれ以上の言葉は連ねなかった。

 彼女の気質を考えると、喋りすぎることは寧ろ反骨精神を刺激し兼ねない事を兄弟子である神父は充分に理解していた。

 

「遠坂の当主である以上、他の参加者からすれば私が参戦することは確定事項になっている・・・わよね・・・」

 

 凜は聡明だ。

 綺礼が示唆しなくても、無秩序に始まりつつある聖杯戦争下において、現時点で英霊を持たない自分が如何に無防備であるか。

 そして、御三家の一つである遠坂の当主が必然的に標的になることもわかっている。

 

「グズグズしていられないってことね」

 

 明日か、最悪の場合、今日にでもこの館を崩壊させたサーヴァントが自分を襲撃してくる危険性だってあるのだ。

 たとえ綺礼のことをどれだけ嫌っていたとしても、その事実は変えようがない。

 

「聖杯は活性化しつつある。私の見立てではあと1週間程で全てのサーヴァントが揃い、戦いは本格的に始まるだろう。もし、お前が参戦する気がないというのなら、当然私が責任を持って匿うぞ」

 

「私にそんな気がミジンコほどもないことを知っている癖に、敢えてそんなことを言っているわよね。だから、あんたなんて大嫌いなのよ」

 

 キッ、と凜は厳しい視線を綺礼に向けた。

 

「ふむ。これはこれで本心なのだがな。実際にそういう職責を担っているし、お前が結果的にサーヴァントを召喚する前に、偶然が重なって他のマスターが残ったサーヴァントを召喚してしまう可能性がないわけではない」

 

「あ~あ~、わかっているわよ。もう」

 

 淡々と、しかし容赦なく正しい言説を押し付けてくる保護者に、うんざりしながらも万歳するしかなかった。

 凜はサーヴァントを召喚するためのこれといった縁の品、【聖遺物】を手に入れられていない。その事に焦りを感じていた。狙いとする英霊を手に入れる事。聖杯戦争の勝敗は殆どそれで決まるといっても過言ではない。

 

「それでは私は教会に戻る。健闘を祈っているぞ」

 

「その表面面(ひょうめんづら)だけの激励(エール)はいらないけど、これを見せてくれたことには礼を言わせてもらうわ」

 

 双子館に行ってみろ、というだけの電話で綺礼にはここに誘われた。

 普段なら綺礼の干渉など完全に無視するところだったが、先日、僅かに双子館方面で魔力の流れを感じたことも相俟って、一度確認しようと思っていたのだ。

 

「ふ。私としては、優秀な弟子が何もできないままに斃れられるのは極めて遺憾だからな」

 

 綺麗は踵を返して元来た道を引き返し始めた。夕暮れ時の日差しがその長身を照らし、影を象る。

 

「その薄っぺらい言葉も余計よ」

 

 凛はそう毒づいて、立ち去る神父のまっすぐ伸びた背中から視線を外し、改めて館の有り様を確認した。

 頑丈な筈の館はそこかしこの壁が崩れ、床が殆どなくなっている箇所も多い。控えめに言っても半壊という状態だ。

 

「これが、英霊の力なのね」

 

 凛も自身の全力を尽くせばこれくらいの芸当は可能だ。だが、この惨状はおそらく序章に過ぎない。つまり、小手調べの段階だという直感があった。

 

「まだ召喚されていないサーヴァントは、セイバーとアサシンってことね」

 

 先ほどの綺礼の言葉を踏まえれば、残るサーヴァントはその2騎のみだ。

 急ぐ必要がある。

聖遺物がない以上、自身の(ラック)可能性(ポテンシャル)に全てを託す形にはなるが。

 どちらを召喚するべきかは、考えるまでもない二者択一だった。

 

 

 Interlude out

 

 

 E turn

 

 

「だいぶ慣れてきたみたいね、坊や」

 

 厨房にいるキャスターがそう声を掛けてきた。

 彼女は今、炊飯器から白いご飯を茶碗によそっている。

 

「ああ。いい先生のお陰だ。本当に感謝しているよ、キャスター」

 

 オレは出来上がった()()()()()()()()とアボカドと豆腐のサラダを座卓に並べながら、礼を言った。

 今日はバイトもなかった。そのため早めに帰宅して、晩御飯までの時間を使ってキャスターに付きっきりになってもらって魔術の鍛錬に勤しんだのだ。

 

「強化はともかく、投影についてはあなた自身の素質よ。私だってよくわからないもの」

 

 キャスターがオレの横にやってきて、隣の座布団に腰を下ろす。

 彼女が並べたお茶碗とお椀からはほかほかと湯気が上がっている。

 

「いや、強化が安定したのが嬉しいよ。以前は宝くじに当たるくらいの成功率だったけど、今はほぼ100%だからな。僅か1週間足らずでこんなに進歩するなんて驚きだ。ありがとう」

 

 逆に今迄がなんだったんだという思いに駆られるが、いくら嘆いても無駄だ。失った時間を取り戻せるわけもない。

 

「成功率は問題ないから、これからは質を上げていきましょう」

 

「キャスター先生の見本とでは全然レベルが違うもんな。まあ、比べるのもおこがましいんだけど」

 

 何度かキャスターの強化魔術を見せてもらったが、洗練度が異次元過ぎる。特にオレの体を強化した時などは、感動物だった。陸上競技なら全ての世界記録を塗り替えられるんじゃなかろうか。

 

「・・・あいや、たぶんマラソンとかは無理かな・・・」

 

「なんの話かしら?」

 

「すまない。ちょっと妄想の世界に入り込みました」

 

 怪訝な表情を浮かべたキャスターに慌てて謝る。

 

「切嗣の話では、自分の体はともかく、他人の体を強化するのって凄く難しいって聞いたような気がするな」

 

「一般的にはそうね」

 

 事も無げに答えるキャスター。要するに彼女は『一般的』を超越しているわけだ。

 今更だがキャスターのクラスで英霊になるくらいだから、凄まじいレベルの魔術師なわけで、そんな彼女から手ほどきを受けるのはとんでもない幸運である。

 

「どんなことでも人それぞれ。得手不得手があるわ。魔術にしたって同じなのよ」

 

 偉大な魔術師先生のレクチャーが続く。

 

「無いものねだりをしたって仕方ないもんな」

 

「ええ。あなたはどちらかと言えば無機物との相性がいいわね」

 

「それはオレ自身も実感しているよ。ってことは、これまでどおり物質の強化を重視すべきかな」

 

「ええ。ただし、自分の体の強化もできるようになっておきなさい。万一私がいない時に何かあった時に、多少なりと対処できるようにしたほうがいいわ。気休め程度にしかならないかもしれないけれど」

 

 必ずキャスターが近くにいて、強化の魔術を付与してもらえるとは限らないのだ。オレの強化では、サーヴァント相手では無意味だろうが、敵のマスターと対峙した時には少しは役に立つかもしれない。

 

「それに今度、(わたくし)の強化魔術を封じた薬も作っておいてあげるわ。体に負担がかかるから濫用は禁物だけど、いざという時にはそれも使いなさい」

 

「助かるよ」

 

 便利なパワーアップアイテムが貰えるというわけか。

 

「それにしても投影のほうは悩ましいな・・・・・・刃物が作れるからって、参考になる現物がないからなあ。得意でも意味がない」

 

「強力な対象物が必要よねえ。でも、この世界ではそうそう剣や槍があるわけではないのでしょう?」

 

 キャスターが少し不思議そうに確認してきた。

 きっと彼女の生きた世界では武具を目にすることは決して珍しくもなかったのだろう。この日本だって100年ちょっと前までは刀を差して街中を歩いている人間が沢山いたのだ。聖杯戦争は既に何度か繰り返されているらしいが、何世代か前だったらこんな悩みも無かったのかもしれない。

 

「そうだな。包丁を作ったって、サーヴァント相手には役に立たないわけだろ。家から持ち出せばいいだけだしな。万一、警官に職質された時に言い訳が必要にならずに済むっていう点しか、投影のメリットがない」

 

「作った武器に強化の魔術を付与すれば、サーヴァントにも通用するわよ。要するに自分の物にはできなくても一度視認すれば投影はできるわけだから、刃物の類が沢山あるところに行けばいいと思うのだけれど。この辺に軍隊はいないのかしら?」

 

「軍隊はちょっとな・・・いても、銃とか戦車とか現代兵器しかないわけだし。博物館に行けば昔の武器が展示されている筈だけど、使い物にならないだろうな・・・」

 

 話しながら、自分の知識と記憶で目的に合致する対象をぐるぐると検索してみる。

 ・・・・・・ん?

 あった。

 オレは、ふと手近なところに可能性を見出した。

 

「今度、藤村組に行ってみようかな」

 

「あら、身近なところに当てがあるのかしら?」

 

「何かと世話になっている頼りになる人だよ。荒事を生業にしているから、確証はないけど真剣くらいあるんじゃないかな。まあ、流石にいきなりお願いして見せてくれるかは半々ってとこだけど」

 

 雷画爺さんならもしかしたら二つ返事かもしれない、などと甘い期待を抱く。ぼんやりと他にも当てがあったような気がするが、今は思い出せなかった。

 

「それなら近いうちに確認するとして・・・」

 

 そう言ったキャスターがパンッと軽く手を叩いた。

 

「一旦話は切り上げて、今はお食事をいただきましょう。せっかく坊やが美味しいご飯を作ってくれたのだから」

 

 彼女は屈託のない笑顔を浮かべて、眼前の料理に目を輝かせた。

 食卓に並んだままになっていた料理のかぐわしい芳香が、鼻腔を通じて食べ盛りのオレの胃袋を刺激する。

 

「そうだな。でも、キャスターも手伝ってくれて助かるよ」

 

 一緒に暮らすようになった翌日から、彼女も手伝ってくれるようになっていた。

 正直なところ料理の腕は『もう少し頑張りましょう』といったところだったが、最近はオレのレシピを熱心に確認するようになっており、彼女なりに上達したいという意欲を感じた。

 

「ここに住まわせてもらっているのだから、当然よ。それに、折角ですから私もお料理ができるようになりたいもの。坊やに習えば、間違いないということもよくわかったし」

 

「キャスターだって、別に全然できないってわけじゃない・・・・・・」

 

 そんな返事をしていたオレだったが、ふと、つけっぱなしになっていたテレビ画面に映し出されたテロップに目を奪われた。

 

《新都でまたもガス漏れか!?》

 

「・・・・・・このニュース・・・・・・」

 

『本日の朝、新都のアパートで20名程の居住者が意識を失っているのが発見されました。全員、命に別状はないようですが、病院に搬送されたという事です』

 

 古いアパートのドアから次々と担架が出入りして、被害者が救急車に乗せられていく映像が流れていた。

 

「物騒な話だけど、事故・・・だよな? 最近、何件か起きているな」

 

「アルバイト・・・だったかしら、坊やが働いているのも新都のほうだったわよね。巻き込まれないように気をつけなさいね」

 

 キャスターはテレビの内容については、あまり関心を示さずにさらりとオレに忠告してきた。

 

「・・・ああ・・・そう言えば・・・」

 

 少しだけ、報道の内容と身近な出来事に関連性があるような気がした。

 

「ちょっと前から担任の()()()()が体調を崩して、休んでいるんだよ。詳しい説明はなかったけど。もしかしたら、こういうのに巻き込まれたのかもな」

 

「・・・そう、大変ね」

 

 キャスターは綺麗な所作で白いご飯を口へと運んでいた。

 最初はぎこちなかった箸の扱い方も、完全に身に着けている。

 彼女がこの世界での生活に馴染んでくれるのは、素直に嬉しかった。

 










会話メインの回になりました。
永遠のヒロイン遠坂嬢が初登場。相変わらず彼女の会話パートは書き易くて助かります。


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第9話  ~8日前~ 「暖房器具の経年劣化に関する事案」

1月23日 朝







 E turn

 

 

少し年季の入った眼前のドアはすっかりお馴染みになりつつあった。

 それをスライドさせる。

 

 ガラララ

 

「おはよう、一成」

 

「おお。おはよう、衛宮。今日は少し早いな。ありがたい」

 

【生徒会室】と書かれたプレートの部屋に入り、中にいた眼鏡を掛けた落ち着いた雰囲気の生徒、この学園の生徒会長を務める【柳洞一成】と挨拶を交わした。

 今朝はいつもより早めに登校したので、自分の教室に行く前にこの部屋を訪れたのだが。

 

「なにかあったのか?」

 

 部屋の中央にロの字型に並べられた長机に鞄を置きながら、オレは訊いた。

 顔を合わせるなり、『ありがたい』という台詞が出てきたということは、何か厄介事があったということを示している。

 

「うむ。実はA組のストーブが動かなくなった。勿論、業者には連絡しているらしいが、来るまでに少し時間がかかりそうでな。衛宮の手を借りられればと思ったのだ」

 

 一成は嘆息混じりに、眼鏡をかけた理知的な顔に渋面を作った。

 起きてしまったトラブルそのものというよりは、オレに助けを求めることに少し抵抗を覚えているのだろう。

 

「ああ。じゃあ、とりあえず患者の容態を確認しに行こうか」

 

 この手の頼まれ事は慣れていた。

 

「いつもいつも、すまんな。この埋め合わせは必ずする」

 

 一成は顔の前で手を合わせて、謝辞を述べる。

 

「別に構わないさ。こっちも急ぎで何かやらなきゃならないことがあるわけじゃないし」

 

 相手が誠実に謝ってきていることはちゃんとこっちには伝わっている。

 オレは余計な貸し借りを作るつもりは毛頭なかった。

 

「とは言え、症状次第では治療できるとは限らないから、過度には期待しないでくれ」

 

 そう予防線を張りながら、部屋のドアに手を掛ける。

 

「当然だ。無理だったとしても衛宮を責めたりはせんし、その旨はA組の生徒にもしっかりと言い含めよう」

 

 そう応じながら一成もオレの後を追って廊下に出たので、オレ達は連れ立って目的の教室へと向かった。

 

 

 

「あら?おはよう、衛宮君。それに柳洞君」

 

「・・・あ、遠坂・・・おはよう」

 

「・・・げ・・・とおさか・・・・・・」

 

 一成と二人で、早足でA組へと向かったオレ達はその教室後部のドアの前で、とある女生徒に追いついた。

 学年一、いや学園一の優等生と評される【遠坂凛】だ。

 いつものように、髪の両サイドをリボンで結わえており(確かツーサイドアップというのではなかっただろうか?)、整った顔立ちに、やや怪訝そうな表情を浮かべている。

 こっちはこっちで少し困惑していた。

 オレの知る限りでは、彼女の登校時間はいつももっと遅かったのではなかろうか。

 

「ふふふ。生徒会長ともあろうお方が、一生徒への朝の挨拶が『げ・・・』というのは、あまり相応しくないんじゃないかしら?」

 

「ふん。『本物の一生徒』に対してならばな」

 

 以前からそうだが、一成の遠坂に対する態度は控えめにいても極めて邪険だ。

 二人は中学時代に生徒会長と副会長という立場で関わっており、良くも悪くも気心が知れている。何があったかはっきりとはわからないが、基本的にはあまりウマが合わないようだった。

 とは言え、オレの印象ではどうも一成が一方的に嫌っているように思える。

 

「あら。私だってこの学園では『標準的な一生徒』よ。それ以上でも以下でもないと思うのだけど?」

 

 にっこりと朗らか、かつ上品な笑顔を見せつけてくる。

 そのあまりの完璧さにただただ見惚れて、オレは自分の顔面が熱を帯びるのを感じてしまう程だ。

 

「今は急いでいるのだ。ここで、貴様のような女怪と問答をするつもりはない」

 

 しかし、一成には全く通用しないようだった。

 正直なところ、遠坂という美人に全く気後れしないというは大したものだ、と思ってしまう。

 

「何があったの?うちのクラスに用があるみたいだったけど」

 

「A組のストーブが壊れたという話を聞いたので、衛宮なら直せるかもしれないと思って、連れて来たのだ。勿論、直せるとは限らないがな」

 

 一成は、生徒会室でオレが過度に期待しないでくれと言った意図を汲んだ伝え方をしてくれた。

 

「衛宮君が、うちのクラスのストーブを?そう言えば、何かと人助けをしてくれてるって話だっけ。凄いわね」

 

「・・・あ・・・いや、大したことはしていないし、今回は一成の頼みで来ただけだぞ」

 

 やや言葉に詰まりながら、オレは頬を掻いて答えた。

 上気していた顔が、一層熱くなってくる。

 

「ううん、ありがとう。勿論、結果はわからないけれど、先ずは助けてくれようとしていることに感謝するわ。壊れ物を直すのが得意なの?」

 

「機械類の修理は比較的・・・そうかな」

 

「私はそういうの本当に苦手だから、尊敬するわ」

 

 それじゃあお願いね、と続けた遠坂がドアを開けて、オレ達を教室の中へと(いざな)った。

 A組の教室内は、始業まではまだ時間があるため生徒はまばらだった。

 教室の造りなどどこも一緒ではあるが、他所のクラスというのは全く異界のように感じる。生徒が多いとそのアウェー感が一層強くなるので、人が少ないというのは助かる。

 

「あれだな」

 

 教室の後方に赤いテーブで囲まれた円筒形の灯油ストーブには、わかりやすく『故障中』の紙が貼られていた。

 

「そうよ。よろしくお願いするわね」

 

「ああ・・・さしあたって、本当に点かないのか一応確認するか」

 

 念のために前面についているダイヤルを回して点火させようとしたが、ストーブはうんともすんとも言わなかった。

 

「ある程度、ばらさなきゃならないかな」

 

「やはりそうか」

 

 一成は腰に手を当てて腕組みをした。

 

「悪いけど、道具を持ってきていないし、集中して作業したいからストーブを生徒会室に運んでもいいか?」

 

 ぱっと見ても、故障の原因はわかりそうもない。それを探るには魔術を使う必要があるが、教室内でやれば当然、不審がられるため、ストーブを移動する必要があった。

 

「わかったわ。みんなには私から伝えておくわね」

 

「うむ。では、私と衛宮で運ぶことにしよう」

 

「頼む」

 

 オレがこの手の作業をする時には、大抵、生徒会室で一人にしてもらってから対応しており、当然ながら一成は、それをよくわかっている。

 オレ達はズシリと重いストーブを持ち上げると、ゆっくりと生徒会室に運んでいった。

 

「それでは、衛宮。いつものとおり、私は外に出ていた方がいいのであろう?」

 

 生徒会室にストーブを運び入れて、そろりと床に置いた後、一成がそう確認してきた。

 

「すまないな。ちょっと集中したいから」

 

「いや、お前に頼りっ放しになってしまうのが、頼んだ私自身が心苦しいというだけのことなのだ。謝るようなことではない」

 

「それは気にするなって、いつも言っているだろう」

 

「わかった。勿論、衛宮の邪魔はせん。それにしても、いくら感謝しても感謝しきれん」

 

 一成はそう言って頭を下げると、廊下へと出て扉を閉めた。

 それを確認したオレは、再度点火させようとしたが、やはりストーブは反応しない。

 

「全く点く気配がないな」

 

 オレは、目の前のストーブに右手を当てた。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 小さく詠唱したオレはストーブに魔力を通して内部の構造を探索し、慎重に把握していく。

 透明になった自分の指先が潜り込んで、ストーブの内部の無機質な肌触りが伝わってくるような感覚を覚えた。全体をくまなく探っていくと、違和感を覚える場所に辿り着く。

 

「やっぱり点火装置だよな」

 

 解放していた魔力を停めて、オレは軽く息を吐いた。

 故障の原因は特定できたものの、当然ながら手持ちの道具に都合よく点火ユニットなどあるわけもなかった。

 業者の修理を大人しく待ったほうが良いだろう。

 そう判断して、オレは外で待っている筈の一成に報告するために、扉へと向かった。

 

 ガラララ

 

「すまない、一成。点火装置が故障していることはわかったけど、残念ながら部品がない。悪いけど業者さんが来るのを待ったほうがいいな」

 

 ドアを開けたオレは、頭を掻きながら、そこにいる筈の一成に謝った。

 

「・・・あ、衛宮君・・・お疲れ様」

 

 ところが、顔を上げるとそこには一成ではなく、遠坂がいた。

 

「・・・え?あれ?遠坂?一成は?」

 

 オレは恥ずかしくなって、慌てて周囲をキョロキョロと見回してしまった。

 

「・・・ごめんなさい・・・私も何か手伝えることはないかと思って来たのよ・・・えっと、お世話になりっ放しじゃ申し訳ないから」

 

 オレも慌てたが、遠坂もだいぶ驚いたようだった。いつもの落ち着いた態度ではなく、狼狽(うろた)えたように体の前で両手をぶんぶんと振っていた。

 

「衛宮。すまなかったな、ちょっと他の生徒に捕まってしまった」

 

 一成が廊下の向こうから、慌てたようにギリギリ走っていない程度の早足でやってきた。

 

「ぬ。遠坂、なんでお前がまた・・・」

 

 一成が遠坂の姿を認めて、先程と同様の拒絶反応を示す。

 

「あのねえ。そんなに何度も邪険にしなくていいじゃない。ちょっと気になって来ただけよ」

 

「どうだろうな。よもや純真な衛宮までもその毒牙にかけようというのではあるまいな」

 

「どれだけ歪んだ認識を持っていたら、そんな発想になるのかしら・・・」

 

「一成。さすがにその表現はきつ過ぎるだろ」

 

 流石にオレも遠坂のフォローに回る。

 

「ぐ・・・時すでに遅し。衛宮も既に篭絡されてしまっていたか・・・」

 

 しかしオレの言葉は逆効果だったようで、一成はガックリと項垂れた。 

 

「篭絡ってなによ・・・流石に私もそこまでいわれのない悪口を言われると、我慢の限界ってやつが目の前に迫ってきてる感じなんだけど」

 

 遠坂の顔にはにっこりと優雅な微笑みを浮かべた。

 だが、オレの目にはそのこめかみにくっきりと青筋が立っているのが見えた。

 めっちゃ怖い。

 普段は冷静沈着。上品に振る舞っている印象しかない遠坂だったが、どうやらそうでない一面も持ち合わせているようだ。

 

「さすれば化けの皮が剥がれて、貴様の本性がこの学園内に遍く認知される。真にめでたいことだ」

 

 一成は遠坂の重圧などどこ吹く風。

 動じないどころか、不敵な笑みを浮かべて眼鏡をグイッと片手で持ち上げた。

 

「ま・・・まあまあ、ご両人。ここはオレの顔を立てると思ってお怒りを鎮めていただけませんか」

 

 もはやなにがなんだかわからないが、とにかくこの地を平和にする責務はオレにある。

 二人が発散される異様な雰囲気が周囲にも伝わり、登校してきた生徒達の大多数がこちらに注目しつつあった。

 それでも遠巻きにちらちらと様子を窺う程度で、人垣ができたりしないところは、この二人の人徳のなせる業か、はたまた圧に押されてそこまで近付けないだけなのか。

 

「これ、このとおりだ!」

 

 オレは二人の間に体をねじ込むと、眼前で両手を合わせて全力で平身低頭した。

 

「ぬう・・・・・・」

 

「えっと・・・・・・」

 

 もはや全身からユラユラと青と赤の炎を発し始めていた二人から、戸惑いの声が漏れた。

 

「・・・すまぬ。衛宮。まさか、滅私奉公の精神で生徒会の手伝いをしてもらっているお前にそのような振る舞いをさせてしまうとは・・・拙僧もまだまだ修行が足りぬ。許してくれ」

 

「・・・私も衛宮君にそんな態度をとらせることになるなんて申し訳ないわ・・・ごめんなさい」

 

 幸いオレの行動は無駄ではなかったようで、二人の殺気は一気に萎んでいった。

 

「ふう・・・本当に良かった・・・」

 

 オレは安堵のため息をつく。

 

「お二人とも、そろそろ教室に向かったほうがいいんじゃないですかね?」

 

 実際に始業の時間が近付きつつある。

 事態を完全終息させる意図もあって、オレは二人にそう促した。

 

「おっと・・・それもそうだな」

 

「早く登校しても、時間が経つのは早いものね」

 

 一成も遠坂もオレの言葉に同意を示す。

 

「衛宮も鞄は生徒会室に置いていたか」

 

「ああ」

 

 オレと一成は、一旦生徒会室へと戻って鞄を持ちだすと、連れ立って2年C組の教室へと向かう。

 

「ふう・・・」

 

 それにしても授業が始まる前から、ぐったりと疲れてしまった。

 授業中は極力脱力して、疲労回復に努めることとしよう。

 この学園の平和を守ったのだから、それぐらいは先生も大目に見てくれるだろう。

 そんなことを考えていたオレだったが、

 

「・・・それにしても衛宮君・・・あなた・・・」

 

「・・・え?」

 

 微かに怪訝そうな声が聞こえたので気になって振り返った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 すると、まだ生徒会室の前に佇んでいた遠坂が、オレ達・・・いや、オレのことをじっと見つめていた。

 彼女は口に手を当てて、考え込むような表情を浮かべている。

 

「いいえ・・・なんでもないの。ごめんなさい。気にしないで」

 

「あ・・・ああ・・・」

 

 オレは他に何を言うこともできずに、踵を返して一成の背中を追うことにする。

 そんなわけないわよね、という呟きが微かにオレの背中を撫でるのを感じた。

 










1シーンのみで、文字数も少ない回となりました。
一成と凜のやり取りが勝手に進んでしまった感じです。


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第10話 ~5日前①~ 「洗うまでが料理」

1月26日 午前






 C turn

 

 

 今日は登校する坊やに同行することにした。

 彼と出会ったあの夜、私を襲ったライダーのマスターだった不快な男。あれは、よくよく考えれば坊やと同じくらいの年頃だったことを思い出したのだ。

 遭遇したのは、この家からそう離れた場所ではなかった。それはつまり、あの男もまた坊やと同じ穂群原学園に通っている可能性があるということになる。

 二人の間に接点があるかもしれない。

 坊やは自分が魔術師であることなど誰にも教えていないし、学校にそれらしい人物がいるという話も聞いていない。だが、そもそも少年は他者が魔術師であるかなど気にして生活しているわけでもない。一方で、魔術師がいた場合、少年が魔術師であることに気付いている可能性がある。その場合、聖杯戦争に参加し得る相手として警戒されるだろうし、最悪、襲われる可能性だってあるのだ。

 逆に今迄が少し無防備過ぎたくらいだ。

 そして、もう一つ関心事がある。

 

「・・・坊やは普段どんなふうに過ごしているのかしら」

 

 自然とそんな呟きが私の口から洩れていた。

 

「どうした?キャスター」

 

 屋敷の門を潜った坊やがこちらを振り返った。

 

「いいえ、なんでもないわ・・・さあ、行きましょう」

 

 答えながら、私は道路に出たところで霊体化する。

 季節相応に空気はひんやりとしているものの、穏やかな日差しが降り注ぐ朝。

 片手に持った鞄を肩に引っかけて学園へと向かう道路を歩く少年の背中を、私は追いかけた。

 

 

 

 私の懸念はごくあっさりと現実のものとなった。

【2-C】と書かれたプレートのある教室に入って坊やが自席に着くと、程なくしてその男はやってきたのだ。

 

「よう、衛宮。そう言えば、少し図書室で貸してやった本どうだった?結構、夢中になってたみたいだけど」

 

「ああ、意外と知らないエピソードも多かったし、ボリュームもあったからちゃんと借りることにしたぞ」

 

「ふうん。僕はあんな俗な本は借りるまでもないと思ったけど」

 

 坊やと会話をし始めたのは、あの日私を殺そうとした青い髪のマスターだった。

 相も変わらず不快感しか覚えない軽薄な口調で、坊やと話し込んでいる。

 信じられないことに、どうやらこの二人は友人関係のようだった。殺そうとした私が姿を隠してこんな間近で会話を聞いているなど想像だにしないだろう。

 

「慎二があの本を読もうと思ったのは、何かきっかけがあるのか?」

 

【慎二】。あの女サーヴァント、【ライダー】もこの男のことをそう呼んでいた。

 それにしても、流石にこの男が坊やのクラスメイトで、しかも親しい仲だとは思いもよらなかった。

 少年とここ数日話した中では、助けてくれた時には認識していたのはライダーに私が一方的に蹂躙されていた様子を見ただけで、それ以外は見ていないとのことだった。マスターであるこの男のことは、顔までは分からなかったのだろう。

 そのため、慎二というこのクラスメイトとあの夜の出来事を結びつけることは全くなかったわけだ。

 

「単なる気紛れだよ。気紛れ。たまにはいいだろ」

 

「別に悪いなんて言ってないだろ?」

 

「だいたい衛宮だって、そもそも何のために・・・」

 

「おっと、そろそろ授業が始まるな。席に戻ったほうがいいぞ」

 

「今日は初っ端から、葛木か。朝から陰鬱な気分にさせられるね」

 

「オレは結構好きだけどな。ちゃんと大事なところを抑えてわかりやすく説明してくれるから。多分、どうしたら生徒に伝わりやすいか自分なりに整理してるんだろ」

 

「そうかもれないけど、なにせ微塵も感情がこもらないからな。淡々とした口調で『大事なところだからしっかり学習するように』って言われてもね。聞いてるほうは素通りしちゃうよ」

 

「そこは聞く側の責任だろうな」

 

 二人が話を打ち切ると程なくして、教室に頬のこけた細身の男性教師が入ってきた。

 先程の二人の会話から推測すると、この男が【葛木】という教師なのだろう。

 自然体で入って来たその教師を見て、私は少し驚いた。

 身のこなしに無駄なところが一つもない。

 峻厳な顔立ちと、目つきも含めて、現界してからこの時代で見てきたあらゆる人間と乖離した雰囲気を感じた。生前に幾多の英雄達を見てきた私の目からも、言うなれば歴戦の戦士のような人物に見えた。

 この時代にはこんな男が教師をしているのだろうか?

 私は少しだけ興味をそそられたので、なんとなく授業を聞き続けることになった。

 

 

 

「坊や、話があるの」

 

 放課後になり、坊やが一人で屋上に上がったところで私は霊体化を解除して姿を現した。

 一日中付きっきりでいたが、彼が一人だけになる時間がなかったため、落ち着いて話す機会を作れなかったのだ。

 

「わわ、キャスター。どうしたんだ?こんなところで」

 

 一方で坊やは、このタイミングで私が出てくるとは思ってなかったのだろう。

 ・・・もしかしたら本当に忘れていたのかもしれない・・・

 

「坊やが仲良くしていたあの慎二っていう生徒についてだけれど・・・・・・あの男は聖杯戦争の参加者よ」

 

「なんだって?」

 

 少年は目を丸くした。

 

「あの日、(わたくし)を殺そうとしたサーヴァント、あのライダーのマスターだったのよ」

 

「間違いないのか?」

 

 少年は私の発言を疑っているというよりも、信じたくないという面持ちを浮かべていた。

 

「坊やが信じたくないのはわかるけれど、本当よ。正直、私はあの男の物言いがすごく不快に感じたから、却ってよく覚えているわ」

 

「慎二が・・・マスター・・・・・・じゃあ、あいつも魔術師なのか・・・・・・」

 

「その点については、なんとも言えないわ。少なくとも私の見たところ、まともな魔術回路があるようには感じなかったけれど」

 

「オレと同じように、半人前ってことかな?」

 

 彼は驚いたようではあったが、すぐに頭を切り替えて話についてきていた。このあたりの対応力と言うか、柔軟さは出会った当初から秀でていると感じる部分だった。

 

「どうかしら。坊やの場合は、ちゃんとした魔術回路を持っているけれどうまく使えていなかっただけよ。それに比べて、彼はそもそも魔術回路がないみたいね」

 

 正直なところ、あの男からは何も魔術師としての力を感じなかった。

 

「よくわからないけれど、キャスターがそう言うなら確かなんだろうな。」

 

 坊やは少し俯いて、何事かを思案しているようだった。

 

「だとすると、ライダーもキャスターと同じように霊体化して慎二に同行している可能性があるな」

 

「そうね。霊体化している間はサーヴァント同士でも殆ど感知できないから、確かなことは言えないけれど」

 

「ということは、周囲に人がいない状態になったら襲われる危険もあるってことだな。例えば今みたいな時も・・・か・・・」

 

 そう言いながら、彼は周囲を見回した。

 だだっ広い屋上には、今のところ私達以外の気配は皆無だ。

 ドアが開く様子もない。

 

「今は大丈夫そうだけれど。そうね・・・警戒するに越したことはないわ。今後は、学校に来るときには常に私も同行する。基本的には聖杯戦争・・・というよりも魔術師同士の争いは人目を避けて行うべきものだから、日中に仕掛けてくる可能性は低いのだけれど」

 

「そりゃ、校内で仕掛けてきたら警察沙汰になるからな」

 

「ええ。だからあくまでも用心のためよ。私がいれば、少なくともライダーとあの間桐慎二という男に後れをとることはないと思うし」

 

 私に魔術を習い始めてからの坊やの進歩は目覚ましい。

 そして私自身の状態も、以前彼らに襲われた時とは比較にならない。

 殆ど魔術を使えないであろう間桐慎二とあのライダーが相手であるならば、私達が負けるとは思えなかった。

 

「ところで、そもそも何故屋上に上がってきたのかしら?」

 

 放課後、誰もいない屋上に坊やは一人で上がってきた。

 お陰で私は漸く坊やと話す機会ができたわけだが、その理由がわからなかった。普通に考えればここに来る必要性があるとは思えない。

 

「今日、昼休みに慎二と飯をここで食べてただろ。その時にちょっとした違和感を覚える場所があったんだ」

 

 そう言って、坊やは金網が張り巡らされた屋上の角へと歩を進めたので、私も後ろから付いていく。

 校庭を見下ろすと部活動をしている生徒たちが大勢いて、ボールを追いかけて走り回っていた。聖杯から与えられた知識によると【サッカー】というスポーツのようだった。

 

「この辺りだったな」

 

 そう呟いた少年はそこで片膝をつくと、コンクリートの地面に右の掌を当てた。

 

「・・・やっぱりか・・・」

 

 詠唱した彼が僅かに魔力を通すと、赤く禍々しい紋様が浮かび上がってきた。

 

「変な模様だな。キャスターにならこれが何かわかるか?」

 

「これは・・・呪刻ね」

 

「呪刻?」

 

 坊やは怪訝そうに私の方を振り返った。

 

「結界を張る為の基準点(ポイント)よ。それにしてもよく気が付いたものね。私だってあるとわかっていなければ、簡単には発見できないと思うわ」

 

 実際、昼休みには私も坊やと共にここに来たわけだが、全く気付かなかった。

 

「昔から、こういう探し物は得意なんだ」

 

 確かに彼の特性は、無機物の構造を認知することに秀でている。物の異常には敏感なのだろう。

 

「結界が張られるとどうなるんだ?」

 

「結界の特性は様々よ。坊やの屋敷に元々張られていたような侵入者を探知する者や、私がその上から張ったような防衛するためのもの。勿論、中にいる者に害をなすものもあるわ」

 

「この結界はどんな性質があるかわかるか?」

 

「間違いなく中の人間には有害なものね」

 

 そして、おそらくその人間の魂を吸い上げて、術者の魔力に置換するものだ。

 だが、私はそこまでは意図的に坊やには伝えなかった。

 私自身、頻繁に新都で一般人を対象にした魂食いを行っている。

 正義漢の強い彼には当然そんなことは伝えていないわけだが、サーヴァントが一般人の生命力から魔力吸収が可能であることを、なるべく知られたくなかった。

 

「やっぱり・・・そうなのか・・・」

 

 彼は深刻な表情をして、目を閉じた。

 おそらく、これが校内の人間に有害なものであることは、察しがついていたのだろう。

 そして、それだけでは張った人間になんのメリットがないことにも考えが至っているのではないだろうか。もしかしたら、サーヴァントの強化に繋がることも勘付いているかもしれない。

 

「いずれにせよ、結界を張ったのはライダーである可能性が高くなったな。オレ以外の校内のマスターは、慎二なんだから。まあ、他にマスターがいる可能性もないわけじゃないけど」

 

「そうね。ただし、校内にいない魔術師やサーヴァントが犯人の可能性も勿論あるわ。学内にいるマスターを狙っているとも考えられるもの」

 

 でも、と私は続ける。

 

「誰であろうと、このやり方は浅薄だわ。実際、こうして見つかったように呪刻の敷設の仕方が稚拙だし、多くの一般人を巻き込むから、結界が発動したら悪目立ちし過ぎるのよ」

 

「他のマスターたちの標的になり易いし、えっと・・・【監督役】だっけか、そいつにも目を付けられやすいということだな」

 

「そうよ」

 

「慎二はそんな短慮じゃない・・・と信じたいところだな」

 

 彼としては、突然、クラスメイトが敵かもしれないという深刻な内容を知らされたのだ。心中、穏やかでないことは想像に難くない。

 

「この結界について、どう対処するか考えなくちゃいけないよな」

 

「え?・・・ええ、そうね」

 

 結界の存在に気付いたのだから単純に登校しなければいいだけではあったが、この少年の性格上、中の人間に被害が出るのは放ってはおけないのだろう。

 

「少なくとも、この結界は多くの呪刻を必要とするわ。今日、明日に発動するとは思えないから、間桐慎二の動向を監視してみてはどうかしら?四六時中というわけにはいかないけれど」

 

「そうだな。オレ達が気付いたことを勘付かれないようにするためにも、この呪刻は残しておこう。完成間際で消してしまえば結界は発動しないんだろう?」

 

「悪くはない考えね。これは一度設置されると撤去することはできないけれど、魔力を消すことで一時的には効力を失くすことができるわ」

 

「他にも学校の敷地内にあるかもしれない。それを探っておこう。そうすれば、その時に手近にあるやつを消してしまえるだろうし」

 

 そう言って少年は下へと降りるために、階段へと通じるドアへと向かう。

 

「そうしましょう」

 

 同意した私は再び霊体化すると、彼の後を追った。

 

 

 E turn

 

 

「慎二の事だけど、放課後は特に変わった様子はなかったな」

 

 オレは隣で、とろみのあるシチューを()()()でゆっくりと、かつ慎重にかき混ぜているキャスターに話し掛けた。

 

「そうね。まあ、そんなにあからさまな動きはないわよね」

 

 オレ達は呪刻探しをしながら、慎二が弓道部の部活を終えて帰るまでその動向を観察していたが、特に不審な点はなかった。

 とは言え、人目につくような時間帯に何かをするとは思えない。何か動きがあるとすれば、夜なのではないだろうか。

 もっともオレは、あいつがそんなことをするとは思いたくなかったが。

 

「それにしても、キャスターの手際もだいぶ良くなってきたな」

 

 オレは彼女にスープ皿を二つ手渡した。

 

「嬉しいわ。お世辞抜きで先生がいいからよ」

 

 皿を受け取った彼女は嬉しそうに応じながら、鍋から掬ったクリームシチューを注ぎ入れた。

 

「坊やが作るのはどちらかというと和食が多いけれど、今日は洋食なのね」

 

「確かに、どっちかというと和食の方が得意なんだけどな」

 

「でも、今日の料理だって味見しただけでも美味しいのがわかるわ」

 

 キャスターは顔をほころばせた。

 最近はこういう砕けた表情を頻繁に見せるようになってきた気がする。

 

「そう言われると嬉しいけどな。この手の料理は桜の方が上手かったんだよな」

 

 桜の名前を出すと、申し訳ない気持ちでズキリと胸が痛んだ。

 

「前に話していた、よくこの家に来ていたという後輩のことね」

 

「ああ」

 

 ()()()以来、桜とは言葉を交わしていない。

 たまに学校で見かけることもあるが、オレは視線を合わさないようにしていた。

 仕方ないのだ。

 オレはもう、そういう選択をしたのだから。

 

「さあ、折角シチューを作ったんだ。温かいうちに食べるとしよう」

 

 この話題を続けたくないオレは、そう言って食卓へと箸やスプーンを運び始めた。

 

「そうね」

 

 キャスターがオレの意図に気付いたかは定かではなかったが、ふわりと微笑んでシチューの皿を運んできた。

 

 

 

「どうやら、動き出したようね」

 

 食事が終わり、空になった食器を流し台に運ぼうとしていたキャスターが手を止めた。

 

「なんだって?」

 

 手伝うために、腰を上げようとしていたオレはキャスターの言葉の意味を確認する。

 

「使い魔に間桐慎二の屋敷を監視させているのよ」

 

「どこに向かっているかわかるか?」

 

「学校へ向かっているようね」

 

「・・・そうか」

 

 オレは落胆した。

 この時間に学校に向かうなど、真っ当な用事とは思えない。

 聖杯戦争に関係のある行動に他ならないだろう。

 

「仕方ないな。後を追おう」

 

 気乗りはしないが、慎二が何をしようとしているか確認するしかない。

 

「坊やの作ってくれた美味しい食事が終わった後で良かったわ。それまで待っててくれたと考えれば、友達思いとも言えるわね」

 

「そんな気分にはなれないけどな」

 

「ごめんなさいね。デリカシーのない物言いだったわ」

 

 キャスターが丁寧に謝ってくる。

 

「行こう」

 

 オレは手早く外出用の丈の短いコートを羽織って、玄関へと向かう。

 

「食器を洗いたかったわね」

 

 キャスターは後に残された食器類を少し残念そうに見ながら、小走りでオレの後を追ってきた。

 

 

 

 










3話続けて会話メインとなりました。
次回から、戦闘パートに突入します。


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第11話 ~5日前②~ 「兼士」

1月26日 夜







 E turn

 

 

 月明かり以外に、照らすもののない校舎。

 やけに暗く、そして重く見えて昼間よりも存在感が増しているかのようだ。

 オレとキャスターは閉ざされた正門を跳び越えて校庭に足を踏み入れる。

 思えばあの日、この戦いに関わると決めた時点で覚悟を決めていたつもりだが、争う相手が同級生になるなど微塵も思っていなかった。

 慎二と殺し合うことになるのかもしれない。

 暗澹たる気分のせいで、足がまるで泥にでもなったかのようにべったりと動かなくなりそうだった。

 オレはバンッと膝を一回叩く。

 

「こっちが追っていることは、悟られないようにしないとな」

 

 ともすれば、引き返したくなる気持ちを押し潰すように、キャスターに言葉をかけた。

 やるべきことは、無理矢理にでもやらなければならないのだ。

  

「そうね」

 

 とは言え、あまり慎二は用心をしていないようだった。

 懐中電灯を付けて、校舎の周囲や校内を移動しているのが離れていてもわかる。最初は弓道場から校舎へと入り、その後は廊下を左から右へと動く灯りが一旦停止して、しばらく時間が経つと動き出すというパターンが続いていた。

 

「どうやら、当たりのようね」

 

「・・・・・・」

 

 キャスターの言うとおりだろう。

 オレは無言のまま歩を進めて、弓道場の外壁へと近付いた。

 懐中電灯の明かりが暫く制止していた場所、つまり、慎二がしばらく留まっていた場所の一つだった。

 今日の夕方に屋上で確認した呪刻。それが発していた違和感と同じものをオレはここにも感じた。

 正直、確認したくはなかったが、それは今更だった。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 ひんやりとした壁に手を当てて、オレは小声で詠唱した。

 予想どおり、放課後に屋上で発見したものと同じ赤い紋様が浮かび上がる。

 キャスターの言うとおりだった。

 もはや慎二がこれを敷設したのは疑いようがなかった。正確には慎二のサーヴァントであるライダーがということになるのだろうが。

 

「どうするつもり?」

 

 オレに問い掛けてくるキャスターの声がやけに冷ややかなものに聞こえた。

 

「心情的には、今すぐにでも慎二を問い詰めたいところなんだけどな」

 

「あら?実際にはそうしないのね」

 

 キャスターが少し意外そうな声を出した。

 

「今の段階でオレが魔術師であるとも、聖杯戦争の関係者であるとも悟られたくない。監督役とやらに報告しよう。聖杯戦争はまだ正式に始まっていないんだから、これはルール違反になるんじゃないか?」

 

 キャスターから聞いた限りでは、監督役というのは聖杯戦争を秩序立てて取り仕切る立場にあるとのことだった。その中には、一般社会になるべく影響が出ないように見張ることも含まれるらしい。

 であれば、学園全体の教師や生徒達に被害の出る可能性のあるような結界の存在自体が、その職務と相容れないものになるのではないか。

 

「そうね。確かに監督役からすると、看過できないかもしれないわ」

 

「監督役って奴が動きそうにない場合には、直接止めるしかないけどな」

 

 と、オレが少し自棄(やけ)くそ気味に答えた瞬間だった。

 

「!?・・・坊や!」

 

 キャスターがオレに抱き着くようにして、ぶつかってきた。

 

 ドンッ!

 

「なっ!?」

 

 ぶつかってきたキャスターと縺れるようにして地面に転がったオレは、何が起きたのかを確認する。

 たった今までオレが立っていた地面が軽く抉れ、僅かに土煙が上がっていた。

 

「まさかあなたが、この最低な結界を仕掛けようとしていた犯人だったなんてね」

 

 闇夜の向こうから、聞き覚えのある女子の声がした。

 

「衛宮君」

 

「・・・と・・・遠坂!?」

 

 声の主は、遠坂凛だった。

 彼女は右手の指先をこちらに向けて、狙いを定めるような体勢のまま、きつい視線を送っていた。

 髪型はいつもどおりだったが、服装は穂群原学園の制服ではなく赤いカットソーを着ていて、それがまた彼女にはよく似合っている。などと感心している場合ではなかった。

 

「そのうえ・・・サーヴァントを従えているなんて、二重で驚きよ。まさか、あなたが聖杯戦争のマスターだったなんて」

 

 僅かにオレから目線を外して、オレと一緒に倒れ込んでいるキャスターの方に目を向けた。

 

「キャスター、大丈夫か?」

 

「ええ、坊やこそ」

 

 間一髪のところで助けてくれたキャスターが体を起こすのに手を貸しながら、オレは慌てて立ち上がる。

 明らかに勘違いされている。

 

「遠坂、待ってくれ。お前、完全に誤解しているぞ」

 

「何がよ?そのサーヴァントはキャスターなのね。どうにも真っ当な英霊じゃなさそうに見えるけれど」

 

 キャスターとオレを睨みつける遠坂の目には敵意以外の何も浮かんでいなかった。

 

「坊や。このお嬢さんとあなたとの関係はわからないけれど、どうやら誤解を解くのは難しそうよ。殺してしまって構わないかしら?」

 

 キャスターがそう言いながら、オレを庇うようにして前に出た。

 彼女も遠坂の敵意に触発されたように、喧嘩腰になっている。

 オレ達と遠坂までの距離は20m程だろうか。

 その中間あたりで、二人の視線がぶつかり合って、火花が飛び散っているのが見えるかのようだ。

 

「ちょ・・・ちょっと待ってくれ、キャスター。遠坂は悪い奴なんかじゃない」

 

 どうやらオレは想像以上に狼狽しているようだ。自分でも恥ずかしくなるくらいに稚拙な論理で、キャスターに反駁する。

 そもそも遠坂が魔術師だなんて思いも寄らないことだった。

 

「いい人とか悪い人とかは、この際関係ないでしょう。彼女は明らかに敵意を持っているわ」

 

 当然のように、オレの意見はキャスターに一蹴された。

 

「人間の生命力を取り込み、サーヴァント自身の魔力に変換する結界。こんなものを張ろうとするなんて外道中の外道。言語道断だわ。衛宮君、あなたは困った人を見捨てられない人助けに熱心な生徒だと思っていたけれど、本性はまるで正反対ということかしら?」

 

「だから、誤解だって言っているだろう」

 

「ストーブを直そうとしていたのだって、どんな魂胆があったのかわかりゃしないわね。何か細工をしたのかしら」

 

 そうか。

 遠坂はオレが生徒会室で魔術を使ってストーブの故障個所を探っていた時に、すぐ外の廊下にいた。あの時にオレが魔術師であることがバレてしまっていたのだろう。

 

「この前の朝の件で、オレが魔術師であることに気が付いたってわけか?」

 

「そうよ。だから、あなたをマークしていたの」

 

 推測どおりだった。

 

「遠坂。学校内に魔術師はもう一人いるんだ。そいつと、そのサーヴァントがこの呪刻を敷設した犯人だ」

 

「何を今さら。白々しいわね。この穂群原学園には他に魔術師なんていない・・・・・・」

 

 そこまで言い掛けた遠坂だったが、一瞬口を止めて、思案顔になった。

 

「・・・いいえ、そんなわけないわ」

 

 本人の中で何か疑念があったのかもしれないが、最終的には否定してきた。

 

「参考までに、あなたの言う魔術師って誰のことなのよ?」

 

「・・・いや・・・それは・・・」

 

 改めてそう問われると、オレは言い淀んでしまった。友人の名を暴露する、端的にはチクるという行為自体に生理的な抵抗感を覚えたのだが。

 

「ほら、いないんじゃない」

 

 遠坂は勝ち誇ったような表情をした。

 当然ながら、これでは誤解は解けない。

 オレは意を決して、慎二の名前を口にすることにした。

 だが、

 

「・・・ふん。凛、こいつとこれ以上の問答をしても時間の無駄だろう」

 

 その言葉と共に、遠坂の隣でゆっくりと実体化する存在があった。

 180cmを優に超える長身の男。

 精悍な顔つきをしたその男は、赤い外套を羽織り、右手に白、左手には黒のほぼ同じ形をした片端の剣を握っていた。

 オレは吸い込まれるようにして、その2本の剣を無意識のうちに凝視する。

 綺麗だ。

 思わず目を奪われてしまった。

 

「そこの魔女と同様、この小僧も断罪すべき敵に他ならない。刃を交えるのみだ」

 

 現れた男は白剣をこちらに向けると、剥き出しの殺意をその目に宿らせて睨みつけてきた。

 要するに、こいつが遠坂のサーヴァントということだろう。

 人間を超越した存在が発する重圧を感じると同時に、その視線には妙に感情的な成分が含まれているようにも思えた。

 

「仕方ない・・・わよね・・・」

 

 遠坂は躊躇いがちながらも、男に同意した

 

「やりましょう、()()()()

 

 赤い外套の男はその言葉を聞いて、ニヤリと嗤った。

 

「了解だ。マスター」

 

「ちょっと待て、遠坂!話を聞いてくれ!」

 

 冗談じゃない。

 こんな勘違いでいきなり戦うことになるなんて、理不尽にも程がある!

 

「往生際が悪いな、小僧!」

 

 しかし、目の前の『敵』は一切容赦がなかった。

 

 ザッ!

 

 セイバーと呼ばれていた双剣を手にしたサーヴァントが、オレを目掛けて一気に間合いを詰めてきたのだ。

 瞬きすることすら許されないほんの刹那の後、男は既に眼前に迫っていた。

 

「なっ!?」

 

 速い!!

 これがサーヴァントのスピードなのか!?

 以前、ライダーとキャスターの戦いを遠目で観たが、間近で自分が命を狙われる側になるとその人間離れした動きに改めて驚愕させられる。

 

「坊や!」

 

 キャスターがオレの窮地を察して、すぐに強烈な光弾を5発、セイバーに向けて放った。

 その攻撃は相手を斃すというよりも、止めることに主眼を置いていたのだろう。オレに向けて突っ込んでくるセイバーの行動を妨げるために、包み込むような軌道を描いて、襲い掛かった。

 

「ちっ!?」

 

 ドドドドドン!!

 

 全ての光弾がヤツに直撃しその余波が鎮まると、2本の剣を盾にするように、胸の前で交差した状態のセイバーが前屈みの姿勢でその場に立っていた。

 

「坊や。離れましょう」

 

 その間にも、遠坂とセイバーから少しでも遠ざけるために、キャスターはオレを抱え込んで浮遊すると、

 

 トンッ

 

 オレを抱えて弓道場の屋根へと降り立った。

 当然ながら遠坂とセイバーを見下ろす形になる。

 

「キャスター、オレに強化の魔術を」

 

「え?」

 

「早く!アイツはすぐに追撃してくる!」

 

 直感的にわかったのは、あの男がオレに対して向ける殺意は本物であること。そして、ここが安全な場所ではないことだ。

 

「わかったわ」

 

 余計な逡巡は命取りになる。

 キャスターもオレの意図を汲み取って、両手足に強化の魔術を付与してくれた。

 やはり凄い。

 オレ自身が自分に付与するものとは、全くレベルの違う強力かつ洗練されたものだ。

 力が漲ってくる感覚が心地いい。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 そして、ほぼ反射的にオレは、詠唱していた。

 出し惜しみなどできるわけもない。

 いつかこんな日が来ることを予期して、キャスターの指導を受け、魔術の腕を磨いてきたのだ。

 投影する対象は完全に即興だが、オレには絶対にうまく精製できるという確信があった。

 生み出したのは・・・

 

「え?坊や・・・」

 

「衛宮君・・・あなた・・・」

 

「ほう・・・」

 

 キャスターと遠坂が驚き、セイバーは感心したような声を出した。

 そして、自信があったとは言え、オレ自身も正直なところ驚いていた。

 右手に白、左手には黒の片刃剣。

 その二つの刃が、確かにオレの手にはある。

 

「・・・つうぅぅ・・・」

 

 体中の魔力をごっそりと魔力を消費したのを体感する。

 当たり前だ。

 何の準備もなく、英霊の武器を投影したのだから。

 それでも、見事に成功だ。

 

「びっくりするほど、馴染むな・・・」

 

 シンプルだが洗練された造形に、改めて心を掴まれると同時に、手に吸い付くような不思議な感触があった。

 対峙する赤のサーヴァントが手にする剣と全く同じモノ。

 殆ど条件反射的にそれを模倣したのだ。

 

「だがな、同じ剣を精製できたからと言ってそれで勝てるなどとは・・・」

 

 地上からオレを見上げるセイバーが、再び殺意を露わにしてオレを睨みつけた。

 来る!

 そう予感してオレは自然と剣を構えた。

 

「キャスター、オレから離れててくれ」

 

 後ろにいるキャスターにそう声を掛けるのと、どちらが早かったか・・・

 

 ダッ!

 

 セイバーが地面を蹴って大きく跳び上がり、弧を描いてオレへと襲い掛かってきた。

 

「思い上がるなよ!!」

 

 跳躍した勢いのままに、セイバーは二刀を同時にオレに向けて振り下ろしてきた。

 

 ギギイイィィィンッッッ!

 

「つぅっっ!」

 

 白い剣を黒い剣で、黒い剣を白い剣で、オレは辛うじてその刃を食い止めていた。

 キツい・・・・・・!

 ・・・・・・だけど、なんとかなる。

 英霊の攻撃を、ただの人間に過ぎないオレが凌ぐことができたのだ。

 

「サーヴァントの攻撃を生身の人間が受け止めた!?」

 

 遠坂がとんでもなく驚いているのが、オレにも伝わってくる。

 無理もない。

 実際、オレ自身だって驚いている。

 

「ちっ!生意気な!」

 

 セイバーは、多少()()になったようだった。

 そのまま体重をかけて押し潰そうと、圧力を加えてくる。

 

 ギチィィィ・・・

 

 身長差があるため、自然とオレが下になってその圧力を堪える形になってしまう。

 

「く・・・」

 

 かなり厳しいが、それでもオレは簡単には押し負けることなく、耐えることができていた。

 

「キャスターの強化魔術か・・・厄介だな」

 

 そう。

 力比べでオレがサーヴァントに対抗できるわけがない。キャスターにかけてもらった強化の魔術の賜物だった。

 だが、耐えるのが精一杯だ。このままでは、ジリジリと体力が削られて、最後には潰されてしまう。

 実際にオレは、押され始めていた。

 

 グググ・・・

 

 体勢が低くなり、片膝を屋根瓦につく。

 ついた膝に圧力が加わる。

 マズい・・・

 

 ブァッ!

 

 その時、突如として後方から風が巻き起こったのを背中で感じた。

 何かが上空へと舞い上がり、月明かりによって作られた影がオレの視界を暗くした。

 

「坊やから離れなさいっ!」

 

 それは、ローブを羽根のように広げたキャスターだった。

 被っていたフードが風圧で外れて、その美しい相貌が月明かりに照らされている。

 夜空に舞う黒い揚羽蝶のようだ。

 この切迫した状況も忘れて、オレはその艶やかな姿に一瞬、目を奪われた。

 

 ヴンッ!

 

 宙に浮かんだキャスターが突き出した腕から、収斂された紫色の閃光を放った。

 

 ゴッ!

 

「ぬぅぅ・・・」

 

 オレに当たらないように、影響範囲を極限まで絞ったのだろう。

 その光はセイバーの肩口に直撃し、奴の体勢を崩すことに成功していた。

 

 ギンッ!

 

 オレはその機会を逃すことなくヤツの剣を押し返し、そして弾き返す。

 

「つっ!」

 

 タンッ

 

 肩にダメージを負い、オレに剣を弾き返されたセイバーはそのまま後方へと跳んで、屋根から地上へと降り立った。

 

「大丈夫?セイバー」

 

 遠坂が近くに着地した自身のサーヴァントを気遣った。

 

「問題ない。知っているだろう?私には耐魔力が備わっている。魔術による攻撃は効果が薄いからな」

 

 傷ついた肩をさすりながらも、セイバーは飄々としていた。

 実際に、キャスターの魔術によるダメージは殆ど無いようだった。

 

「凛。少しの間だけキャスターを抑えてくれ。その間に私は衛宮士郎を殺す」

 

「え?いや、そこまでしなくても・・・」

 

「頼むぞ。マスター」

 

 セイバーは、遠坂の戸惑いの声には、一切構うことなく一方的にそう告げた。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

「な?」

 

 オレは耳を疑った。何千回と唱え、そして聞いてきたオレ自身の詠唱。それと全く同じフレーズをこのサーヴァントは口にしていた。

 どういうことだ?

 だが、悠長にその疑問に対する考察を進める時間などなかった。

 

「死ね、衛宮士郎」

 

 淡々とそう告げると同時に、ヤツは強化した2本の剣をオレに向かって投じていた。

 その剣はいずれも弧を描いて挟み込むようにして、オレを目掛けて飛んできた。

 躱すか?いや、叩き落すか?

 僅かな間、オレは逡巡したが、このタイミングなら強化した足で充分に躱せる。

 

 ザッ

 

 そう判断したオレは、飛来した2本の剣を大きく後方に飛び退って避けた。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 その間にも、ヤツは何かを生み出そうとしているようだった。

 

「これ以上、好きにさせるものですか!」

 

 上空のキャスターがそう叫ぶと、5つの魔方陣がその彼女の周囲に浮かび上がる。そして、先程の攻撃を遥かに上回る魔力が各々の陣に収斂されていく。

 生半可な魔術ではセイバーに対して有効打にならないと悟り、大技を発動させるつもりのようだった。

 

神言魔術式(ヘカティック)・・・」

 

 キャスターがその魔術を解き放とうとする。

 が、

 

「邪魔をするな、魔女」

 

 剣士の筈の男の手には、()()()が握られており、()()()()が、既に(つが)えられていた。

 

 ゴウッッ!!!

 

 その矢はキャスターの攻撃が発動する直前、オレにではなく、上空に浮かぶ彼女を目掛けて放たれた。

 ヤツが双剣をオレに向けて投げたのは、キャスターを攻撃するための時間を稼ぐためだったか?

 そんな推測がオレの頭を過ると同時に、

 

 ズシャァァァ・・・

 

「きゃあああぁぁぁっ!?」

 

 猛烈な勢いでキャスターに襲い掛かった3本の矢が、彼女の体を貫いた。攻撃体勢に入っていた彼女は殆ど防御することができず、痛烈な射撃をまともに受ける形になってしまっていた。

 両肩と腹部から夥しい鮮血を撒き散らしながら、黒蝶は羽をもがれて無残に地面へと落下していく。

 

「キャスターッ!!!」

 

 ダッ!

 

 オレは慌てて弓道場の屋根から飛び降りて、彼女の落下地点へと走った。

 

「次は貴様だ。衛宮士郎」

 

 ゴッ!

 

 ヤツは間髪入れずに番えた次弾を、走るオレに向けて放ってきた。

 右手方向から襲ってきた突風のようなその矢を、オレは咄嗟に持っていた白い剣を盾にするようにして防ごうとした。

 

 ガンッ!!

 

 残念ながら、都合よく剣の腹の中心には当たってはくれない。

 

「がぁっ!」

 

 結果的に完全には防げなかったが、勢いと方向が逸らされ、僅かにオレの横っ腹を掠めただけで済んだ。

 

「ちっ!運のいい奴め」

 

 ドッ!

 

 憎々し気に呟くセイバーには目もくれずに走り続けたオレは、なんとかキャスターが地面に激突する直前に落ちてきた彼女の体を受け止めることに成功した。

 

「くぅ・・・」

 

 ザァァァ

 

 腕の中にキャスターを抱えて、走ってきた勢いのままに土のグラウンドを一定距離滑ったところで、止まった。

 

「キャスター!しっかりしろ!」

 

 ぐったりとしている彼女に呼び掛ける。セイバーの放った矢によって貫かれた傷口からは流血が続いており、その血が瞬く間にオレの服を赤く染めていく。

 普通の人間であれば、間違いなく致命傷だ。

 

「・・・うぅ・・・」

 

 目を閉じたまま、キャスターは呻き声を漏らした。

 意識が朦朧としているようだ。

 彼女に聞いた話ではサーヴァントは霊核を潰されない限り、消滅することはないとのことだった。時間が経てば回復できる傷ではあるようだが、この状態では当分、戦闘に復帰できないだろう。

 だが、このまま彼女を抱えていてはとても戦えない。

 止むなく、その場に彼女の体を極力丁寧に横たえた。

 

「すまないが、ここでじっとしていてくれ」

 

「・・・く・・・あう・・・」

 

 キャスターが微かに目を開く。

 改めてサーヴァントという存在の強靭さを認識させられるが、とは言え瞬く間に全快というわけではないだろう。

 キャスターの状態を気に掛けながらも、オレは最も警戒すべき敵であるセイバーの動きに注意する。

 

「あなた、弓も使えるのね?」

 

 向こうでは、意外そうに遠坂がセイバーに問い掛けていた。

 それはそうだろう。

 オレもキャスターも、剣士(セイバー)クラスのサーヴァントが弓も使うなんて完全に意表を突かれたのだ。

 

「まあ、剣士の嗜みだな。多芸だろう?」

 

 ヤツは厭味ったらしい笑いを浮かべながら、遠坂に応えていた。

 

「さて・・・とは言え、射撃で止めをさすのは味気ないな。やはりセイバーらしく剣でお終いにしてやろう」

 

 持っていた弓を消して、あの双剣を再び生み出していた。

 

「ちょ・・・ちょっと待ちなさいよ。キャスターを斃すのはいいけど、衛宮君は殺すのはちゃんと事情を聞いてからでも遅くはないわ」

 

「らしくないな、凛。キミは『果断』が服を着て歩いていると言っても過言ではないと思うのだが。今さら人を殺すことに逡巡するのか?」

 

「言われなくても覚悟は決めているわ。だけど、衛宮君にはマスターの証である筈の令呪がないみたい。彼がキャスターと行動を共にしている理由を聞きたいのよ」

 

「・・・どうにも迂遠だな・・・・・・む?」

 

 セイバーはオレ達ではない何かに意識を取られたようだった。弓道場からは反対方向。校舎の玄関側だ。

 

「どうしたの?」

 

「どうやら邪魔が入りそうだな」

 

 オレも釣られるようにして、セイバーの視線を追う。

 ヤツの言うとおり、暗がりの向こうから二つの人影がやって来るのがわかった。

 いずれも背の高さは170cmほど。学生服と思しき制服に身を包んだ男と、異様な眼帯で顔を覆い、地面まで届きそうな長い髪を持つ女だった。

 今夜、オレ達の追跡対象だった二人。

慎二とライダーだ。

 

「どういうことなんだ?」

 

 やって来た慎二が、怪訝な表情を浮かべた。

 

 









前作でも思いましたが、士郎を殺す気満々のアーチャーは生き生きしています。


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第12話 ~5日前③~ 「Fate」

1月26日 夜







 E turn

 

 

 ザッ

 

 近付いてきた二人のうちの学生服の男のほう・・・つまり慎二が心底驚いた風情で、問い掛けてきた。

 

「遠坂はともかくとして、衛宮がサーヴァントを連れているなんてどういうことなんだ?」

 

「・・・慎二・・・」

 

 おそらく校舎に呪刻を敷設する作業が一段落したのだろう。

 校庭に出たところで、オレ達の戦闘に気が付いたというところか。

 慎二はオレの後ろで流血しながら倒れたままのキャスターをちらりと見る。

 

「しかも、そこのサーヴァントは、この前オレ達が殺そうとした女じゃないか。まさかあの時邪魔をしたのは、衛宮だったってことか?」

 

慎二の隣にいる長い髪の女、即ちライダーが、オレの言葉に微かに身じろぎした。

 

「瀕死の女性を助けたんだ。当然のことだろ」

 

「だけど、そいつはあの時、既に魔力がスカスカだった。サーヴァントである以上、魔力を補給してやらなきゃ死ぬだけだった筈だけど、衛宮に魔力なんてあるわけないし・・・」

 

 慎二は少しだけ考え込むと、やがて何かに合点がいったように一人で頷いた。

 

「成程ね。衛宮も男だもんなあ」

 

 その顔には、下卑た嗤いが浮かんでいた。

 慎二の考えていることは容易に想像ができた。そして、それが全てではないにせよ、正解であることも否定はできなかった。

 

「何が言いたいんだ?」

 

「いやいや、それ自体は悪いことじゃない。大切な事だよな・・・それに、あの時は全然わかんなかったけど、改めてこうして見ると、なかなかのいい女じゃないか。だいぶ(とし)はいっているけどね」

 

「よせ。慎二」

 

 慎二の口調には、キャスターへの侮蔑が含まれていた。聞き流すことはできなかった。

 

「まあ、それはいいさ。とは言え、衛宮はそいつからどこまで聞かされているんだ?きっと(たぶら)かされていて、まともな説明を聞いていないんだろうけど、この聖杯戦争は魔術師同士の過酷な戦いだ。お前みたいななんの取柄もない一般人が巻き込まれたら、絶対に生き残れない」

 

 そう言いながら、慎二は少しずつ遠坂の方へと近付いていく。

 

「これは選ばれた人間のみが参加できる儀式なのさ。例えばここにいる遠坂や、そして僕のようにね」

 

 慎二の口からその言葉が発せられた時、遠坂は露骨に顔を顰めた。

 

「さて、そんなわけで、僕は聖杯戦争に巻き込まれた可哀そうな友達である衛宮を助けなくちゃいけないよね。それに、同じく遠坂のピンチも救わないと」

 

 勝手に一人で話を進めていく慎二の言葉の意図するところを、オレは理解した。

 

「待て、慎二!」

 

「やれ、ライダー!そのサーヴァントを殺すんだ!」

 

 慎二は、まだ意識の戻り切らないキャスターを指差して、傍らにいたライダーに命令した。

 

 ダッ!! 

 

 無言でオレ達のやり取りを聞いているだけだったライダーが、慎二の指示が下されると同時に、オレに向けて駆け出した。

 

「くっ!?」

 

 速い。

 先程まで戦っていたセイバー以上だ。

 オレは咄嗟に、双剣を構えた。

 

 ズサッ! 

 

 だが、ライダーはオレの間合いに入るギリギリ手前のところで、跳び上がった。

 最初からオレを攻撃するつもりはなかったのだろう。

 その長身をしなやかに一回転させながら狙うのは、オレの後ろに倒れているキャスターだ。

 咄嗟にオレは体を反転させながら、手にした剣を横薙ぎに振るった。

 

 ガギィィン!! 

 

 ライダーの攻撃を妨害するために振るったオレの刃と、彼女の持つ杭のような先端の尖った短剣が、空中で激突した。

 ライダーが慎二の指示どおり、オレではなくキャスターを直接攻撃すると予測していたため、フェイントに引っ掛かることなく、オレは対処することができていた。彼女の動きを見てから、後追いしていては間に合わなかっただろう。

 

「っ!?」

 

 剣と剣がぶつかり合った反動により、空中にいた彼女は弾かれるようにしてキャスターを挟んで向こう側の地面に体を反転させながら、着地する。

 キャスターに杭剣を振り下ろそうとして、オレに止められる形になったライダーは、かなり驚いたようだった。

 

「衛宮士郎、なぜ、あなたにこんな力が・・・いいえ・・・そんなことよりも・・・」

 

 異様な眼帯に覆われていても間違いなく美しいとわかる顔に戸惑いの色を浮かべて、ライダーはそんな言葉を発する。

 一方で、彼女の口からオレの名前が出てきたのは少し意外だった。

 だが、彼女が慎二と行動を共にしていたと考えれば、不思議ではないか。

 

「馬鹿な・・・衛宮が、ライダーの動きについていった?」

 

 慎二も戸惑っているのだろう。

 今の攻防で、オレは慎二や遠坂達に背を向ける格好となってしまっていた。

 危険な状況だが、今のところ後方からいきなり攻撃されそうな気配はない。

 

「は、そんな筈ないさ。ただのまぐれに決まってる。ライダー!先ずは邪魔な衛宮を始末しちまえ!」

 

 慎二が容赦のない指示をライダーに与えた。

 

「・・・止むを得ませんね」

 

 ザッ! 

 

 束の間、逡巡する様子を見せたライダーだったが、慎二の声に従ってオレのほうへと駆け出した。

 その動きに対応するため、オレも一歩踏み出す。

 足元で倒れているキャスターを庇う必要があるため、前に出て迎撃するしかない。

 

 シャッ! 

 

 先程とは違い、そのまま突っ込んできたライダーは右の杭剣を突き出してきた。

 

 ギャリン! 

 

 殆ど体が勝手に反応する形で、その剣を左の黒剣で跳ね上げる。

 だが、ライダーはオレの迎撃を予測していたように、跳ね上げられた体を回転させながら、今度は杭剣を上から振り下ろしてくる。

 

「く!?」

 

 ジャッ! 

 

 上から降ってきたその剣を、反射的に体を捻って躱したが、胸のあたりの服が裂かれ、皮を削がれた。

 

「つぅっ・・・」

 

 その痛みに思わず、顔を顰める。

 だが、攻撃してきたライダーの体は勢い余ってオレの下にある。

 チャンスだ! 

 オレは強引に体勢を整えて、彼女のうなじあたりを狙って右手の剣を振り下ろそうとする。

 その瞬間、

 

 ズン・・・

 

 オレの胸の中に突然、形容し難く。

 そして、とんでもなく大きく。

 抗い難い違和感が滲み出てきた。

 

 ──―なんだ?──―

 

 わからない。

 ここにある筈のない何か。

 この体の中にはない筈の何か。

 何も憶えていない。

 それなのに。

 ただ、ひたすらに、どうしようもないほど決定的に。

 

 ──―()()()()()()()()()──―

 

 オレのどこか奥深くに刻まれた何かが、そう囁いた。

 

「ぐ!!」

 

 その何かは正しい。

 そう思えた。

 オレは振り下ろそうとした剣に、咄嗟にブレーキをかけた。

 その次の瞬間、

 

「はっ!」

 

 ライダーが、気合いの籠った息を吐き出した。

 

 ギンッ!! 

 

「しまった!」

 

 実際のところライダーは体勢を崩してなどいなかったのかもしれない。

 背中を向けていたと思っていたら、一瞬で反転して、彼女はオレの手にあった白剣を杭剣で弾き飛ばしていた。

 斜め上に躰を持ち上げられるような状態になり、仰け反りながら後退させられる。

 

「素晴らしい戦いぶりです。ただの人間とは思えない動きですが・・・勝負ありましたね」

 

 ライダーは女性にしては低く、そして淡々とした声音で容赦なくオレを嬲ってくる。

 オレは剣を振るうのを直前で止めたが、そんなこととは関係なしに、反撃されていたのではないだろうか。当然ながら彼女は、たった今、オレが攻撃を躊躇ったことなど気付いてなどいないだろう。

 流れのままに後退するオレをライダーは追ってきた。

 

「く・・・」

 

 投影していた剣の片割れを失ったオレにとっては、この状況は絶望的だった。間合いを詰めさせないように、後方へと跳び退りながら残った左手の黒剣を構えるしかない。

 ライダーは、両手の杭剣を交差させるように構えて、鋭い動きでこちらへと駆けてくる。

 彼女の攻撃を迎え撃つべく眼帯に覆われた白い顔を見据えた時、その後方に動く者がいることにオレは気が付いた。

 

「ライダーッ!避けるんだ!」

 

 オレと同じ存在に、慎二も気付いたのだろう。闇夜の校庭に声が響いた。

 

「!?」

 

 慎二の声に反応して、ライダーが咄嗟に横に跳んだ。

 

 ドンッ! 

 

 刹那の後、一瞬前まで彼女がいた足元の地面を、黒い閃光が抉っていた。

 

 シュウゥゥ・・・

 

 巻き上がった土煙が、僅かに視界を悪くする。

 

(わたくし)の坊やに手を出すんじゃないわよ、この大女」

 

 ライダーに攻撃を仕掛けたのはキャスターだった。

 セイバーの攻撃で受けた傷が嘘だったかのように、服に着いた土を払いながら、彼女は立ち上がった。

 

「かなりの深傷だった筈ですが?」

 

 どうやら今のキャスターの言葉に対して、憤りを感じたらしい

 ライダーが、苛立ちを含んだ声で問い掛けた。

 実のところ、オレもライダーと同じ思いだ。先程のダメージはかなりのものだった。オレとライダーの戦闘中に意識が完全に戻ったにしても、この短時間で回復するとは思っていなかった。

 

「仮にも魔術師(キャスター)の英霊なのよ。あまり甘く見ないで欲しいわね」

 

「治癒の魔術ですか」

 

 ライダーが推測を口にするが、キャスターは何も応えなかった。おそらく正解なのだろう。

 

「それにしても助かったわ、坊や。あなたが時間を稼いでくれなければ、間違いなく殺されていたもの」

 

 キャスターがライダーの動きを警戒しながらも、オレに礼を言った。

 

「まさか、あれ程・・・サーヴァントと渡り合えるとは思ってなかったけれど」

 

「オレ自身が一番びっくりしているんだけどな・・・」

 

 確かにキャスターと出会い、彼女から魔術の手解きを受ける事で飛躍的に成長したとは感じていた。

 武器の投影はかなりスムーズになったし、強化の魔術も安定した。さらに今はキャスターの強化魔術がオレの体には付与されているから圧倒的に身体能力も高まっている。

 だが、剣技は別物だ。

 セイバーやライダーの攻撃に、自分がついていけたなんて今でも信じられない。

 まあ、ギリギリのところでついていけたって感じだったが。

 

「あなたに遠距離から攻撃されるのは、厄介極まりないですね」

 

 ライダーがそう呟いて、杭剣を構える。

 彼女はキャスターに対峙するつもりのようだ。

 一連の攻防の中で、それぞれの位置としては、キャスターが弓道場付近、ライダーが校舎を背にし、オレは弓道場からも校舎からも少し離れた校庭にいる。

 三者で二等辺三角形を作っているような状態だ。

 遠坂、セイバー、慎二の三人もキャスターと同様に弓道場近くにいて、彼女らからはオレが一番遠い位置にいる。いずれもライダーとオレの戦いは静観していたが、この後、どう動くか。

 とは言え、オレは最も警戒しなくちゃいけないのは、今戦っていたライダーではなく、あのセイバーだと直感していた。

 あいつの殺意は本物だ。

 無意識のうちに、オレはあいつの動向を注視するために、視線を向けた。

 偶然だったのかもしれないが、ヤツの顔もこちらを向く。

 オレとヤツの視線が絡む。

 ヤツの目が嗤う。

 ヤバい。

 視線を向けたのは間違いだった。

 そんな意味のない後悔をした瞬間、

 

 ザッ! 

 

 赤い外套の男は、両手に双剣を構えてオレの方へと駆け出した。

 

「え?セイバー?」

 

 己がサーヴァントの突然の行動に、遠坂が戸惑う。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 オレは迎撃すべく、空いていた右手に白剣を投影する。

 

「くっ・・・」

 

 またしても魔力がごっそりと搾り取られるのを感じるが、今は弱音を吐くわけにはいかない。

 今のオレがイメージできる最強の武器。

 それはこの剣以外にないのだ。

 

「とっとと終わらせてやろう」

 

 向かって来る赤い外套の男の顔には、やる気満々の笑みが浮かぶ。

 

「あなたもしつこいわよ!」

 

 オレの危機を察知したキャスターが、セイバーの突進を食い止めようと、光弾を放とうとする。

 だが、その行動を妨げる者がいる。

 

 ジャリリリィィィ!

 

 ライダーが杭剣に繋がれた鎖をキャスターに向けて放った。

 

「ほんと邪魔な女ねっ!」

 

キャスターが悪態をついてその鎖を躱すが、動きを止められてしまう。

 決してセイバーと連動した動きではない筈だが、キャスターがセイバーに対して攻撃する姿勢を見せたことが、ライダーにとってはつけ入る隙と考えたのだろう。

 

 ザッ!

 

 ライダーがキャスターへと接近する。

 結果として、オレとセイバー、キャスターとライダーの戦いが始まることになった。

 

 

 

 C turn

 

 

「なんてこと・・・」

 

 初手で、形勢が不利になってしまった。

 セイバーが再び少年に攻撃を仕掛けてきたので、私はそれを止めるために、彼に向けて魔術を放とうとした。

 だが、これがライダーに好機を与えることになってしまい、接近を許してしまったのだ。

 最初に会った時から感じていたが、彼女のサーヴァントとしての力量は左程でもない。

 距離をとって、魔術で押していけば私が勝てる相手だ。

 だが、一度間合いを詰められてしまえば、攻撃に対処しながら小規模な魔術で立ち回らなくてはいけなくなり、圧倒的な不利に陥ってしまう。

 今の状態がまさにそれだった。

 スピードでは明らかに上のライダーに、完全に纏わりつかれてしまっていた。

 向こうでは、坊やがセイバーと必死に戦っているのが見える。

 気になって仕方がない。

 健闘しているようだが、早く加勢しなければ、と焦る。

 しかし、

 

 ジャッ! 

 

「くっ!」

 

 こちらも余裕は全くない。

 突き出されてきたライダーの杭剣を、展開した防御壁の魔術で辛うじて逸らす。

 これにより体勢を僅かに崩したライダーに向けて手をかざして、突風を発生させた。

 

「吹き飛びなさい!」

 

 バンッ! 

 

「!?」

 

 一度、風に押し飛ばされたライダーだが、

 

「そう簡単に距離はとらせません」

 

 そう言いながら、すぐに体勢を整えて着地すると、

 

 ジャリリリ・・・

 

 横に動きながら、両手の鎖を投じてきた。

 2本の鎖は、弧を描くようにして、私の方へと延びてくる。

 あれに捕らえられたら一巻の終わりだ。

 加えて、ライダー自身も杭剣を構えてこちらへと向かってくる。

 鎖とライダーどちらに対処すべきか。

 

 ザッ! 

 

 私は鎖をバックステップでやり過ごしながら、

 

「お逝きなさい!」

 

 眼前に展開した三つの魔方陣から、三条の閃光をライダー目掛けて放つ。

 

 ドドドンッ! 

 

「くぅっ!?」

 

 ライダーは剣を盾にして、防いだようだったが、突進を止めることはできた。

 今のうちにもっと距離をとらなければ。

 私は漸く作り出すことに成功した貴重な時間を使って、浮遊の魔術で宙へと飛び上がろうとした。

 だが、

 

 ジャリイィィ! 

 

 3m程浮かびあがったところで、私の足首には銀色の鎖が絡みついてきた。

 

「え!?」

 

 ドシャァァ・・・

 

「きゃうっ!」

 

 その鎖によって私は引き戻されてしまった。

 地面に叩きつけられた顔にべったりと校庭の土がこびりつく。

 先程躱したと思い込んでいた鎖は、まだライダーのコントロール下にあったのだ。

 

「今度こそ本当にお終いにさせてもらいます」

 

 剣に繋がった鎖で私の体を引き寄せながら、ライダーが間合いを詰めてくる。

 

「このっ!」

 

 絶体絶命だ。

 足を絡め捕られ、地面に倒れた状態のまま、反撃するしかない。

 

 ヴゥン・・・

 

 効果は薄いとわかっていながらも、光弾を放つべく、私は眼前に魔方陣を展開した。

 

 

 E turn

 

 

 弓道場付近では、キャスターとライダーが戦い始めていた。

 気にはなるが、オレのほうにはセイバーが駆けてくる。

 今はキャスターを信じて、自分の事に集中するしかない。

 

「前に出るんだ」

 

 受けるだけでは、ジリ貧になる。

 オレは、セイバーの方へと駆け出した。

 最初の攻防では、セイバーには油断と戸惑いがあった筈だ。

 ただの人間が自分に対抗できるわけはないと。

 だが、ライダーとの攻防も見ていたあいつは、ある程度はオレがサーヴァントと闘えるということがわかっている。

 もう、油断してくれたりはしないだろう。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 ヴン・・・

 

 これは賭けではあったが、イケるという確信もあった。

 オレは、手にした双剣を強化したのだ。

 

「なんだと!?」

 

 もう少しで接敵することになるセイバーが驚く。

 オレの持つ白と黒の剣は、強化したことによりやや大振りなものとなっていた。

 

「ぐ・・・」

 

 だが、消費した魔力はかなりのものだ。剣を強化したことで、オレの魔力はほぼスッカラカンになったのを感じた。

 これ以上は、魔術は使えない。

 この剣で決着をつけるしかない。

 オレは剣の柄をきつく握りこんだ。

 

「はぁぁぁ!!」

 

 眼前に迫ってきたセイバーに、キャスターの魔術で強化されている腕を使って逆袈裟で白剣を叩きつける。

 全身全霊の一刀。

 

 ガギィィィン!! 

 

 オレの白剣とヤツの黒剣が激突する。

 オレのほうが押し勝ち、ヤツの黒剣が左手ごと大きく弾かれていた。

 武器を強化した分、オレの剣の力が勝ったのだ。

 

「ぬぅぅぅ!?」

 

 目論見どおり、初手で相手の体勢を崩すことに成功した。

 オレは続け様に左手の黒剣で、セイバーの胴を薙ぎにいく。

 

 ガッ! 

 

 ヤツは白剣で受け止めるが、それだけで精一杯になっていた。

 

「つぁぁぁぁぁ!」

 

 攻めどころだ。

 オレは間断なく両手の剣を振るい続けた。

 

 ガンッ!ギン!ガツッ!! 

 

 オレは前に進み、セイバーを徐々に押し込んでいく。

 戦いの場が、少しずつ移動して弓道場に近付いていく形になっている。

 セイバーの向こうでは、キャスターとライダーが戦い続けており、遠坂と慎二が何事かを話しているのが視界に入る。

 早くセイバーとの戦いを終え、キャスターの援護をしなければいけない。

 そんな考えが脳裏を過った時、

 

「なかなかやるな、と言ってやっても良いのだがな」

 

 オレの眼前で、ヤツの浅黒い精悍な顔に、嘲るような笑みが浮かんだ。

 

「貴様を褒めるのは、胸糞悪い」

 

 なんだ? 

 オレは確かに押している。

 ヤツは防戦一方だ。

 だが、手応えが軽い。

 ・・・というか、薄い? 

 攻撃しどおしで体力も奪われてきた。

 

 ギンッッ!ガツン!ガイィィン!! 

 

 ヤツの言葉に惑わされないようにと意識しながら、オレは休まずに切りつけていく。

 それなのに、何とも言えない違和感が膨らんでいく。

 誘導されている?

 オレは、隙があるように思える箇所を攻撃している。

 だが、それはヤツが敢えて作り出したものだとしたら・・・

 その考えに至りながらも、オレは流れのまま、吸い込まれるように黒剣を突き出していた。

 

 スッ──―

 

 これまで全ての攻撃を剣で受けてきたセイバーが、初めて体を捻って躱した。

 

「どうやら、気が付いたようだが・・・」

 

 ドゴォッ! 

 

 右の脇腹に激痛が走り、

 

「ぐぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 堪らずに絶叫しながら、オレは左へと大きく吹っ飛ばされた。

 

 ズシャアアアァァァ・・・

 

 校庭の土を削るようにして、かなりの距離をオレの体は滑ってから、止まる。

 早く立ち上がらないと。

 地面に這いつくばることになったオレは顔を上げるが、すぐに猛烈な吐き気が込み上げてきた。

 

「うげぇぇぇ・・・」

 

 喉から溢れてきた汚物を、その場にぶちまける。

 消化しきれていなかったシチューの具が目に入ったが、それを無視してなんとかセイバーへと目を向けながら、なんとか立ち上がる。

 

「無様だな、小僧」

 

 セイバーはゆっくりとこちらへと歩みを進めてきていた。

 さっきのオレへの攻撃は左足での蹴りだったのだろう。オレの剣を躱しながら体を回転させて放ってきたものと推測できた。

 

「強化していながら、こちらの干将と莫邪を砕くことができないようでは、私には勝てん」

 

 かんしょう?ばくや? 

 それが、あの2本の剣の銘なのか。

 絶体絶命の状況にもかかわらず、オレはヤツの言葉のそんなところに気を取られた。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 オレの詠唱と全く同じフレーズを、眼前の男は紡ぐ。

 すると、その手にある双剣が強化された。

 オレの強化と同様に剣が一回り大振りになっただけでなく、羽のような装飾が現れていた。

 

「それが、本物ってことか・・・」

 

 先程のオレが強化した剣よりも、遥かに洗練されていた。

 格の違い・・・いや、練度の違いか。

 オレは自分がヤツの劣化版に過ぎない、ということが痛烈にわかってしまった。

 

「お前はここでくたばれ、衛宮士郎」

 

 静かに、しかし剥き出しの殺意が叩きつけられる。

 ダラリと両手にぶら下げられていた剣が持ち上がり、オレの眼前に突き付けられた。

 

「・・・そんなわけにはいかない・・・」

 

 出会ってから、ごく僅かな時間しか経っていないが、オレはこの男が何であるかについて、わかってしまったような気がしていた。

 だが、コイツがここまで露骨にオレを殺そうとする理由は、わからない。

 そして、わけもわからず、殺されるなんて真っ平ご免だ。

 なにより、ここでオレが斃れれば、キャスターも殺される。

 それが嫌だ。

 

「どんなに見苦しくても足掻いてやる」

 

 力の入らない腕をなんとか持ち上げる。

 オレは眼前の男に向けて双剣を構え、そして、その目を睨みつける。

 

「ふん、往生際が悪いな」

 

 蔑むような・・・と思ったが、何某か微妙な成分が混ざった声音だった。

 オレとヤツは完全にお互いの間合いに入っている。

 

 キィ・・・

 

 オレとヤツの白い剣同士が僅かに触れた。

 

「はああぁぁぁっ!」

 

「がああぁぁぁっ!」

 

 ガィィィィンッ! 

 

 オレは襲い来るヤツの黒剣に対して、白い剣を振り被ってぶつけ、

 

 ギィィィィンッ! 

 

 続いて襲い来る白剣に、黒い剣をぶつける。

 本能の赴くまま、そしてこの両手の剣が導くままに。

 全力で。

 ひたすらに。

 この場を生き伸びる! 

 ただ、それだけの思いだけを抱いて。

 オレにできることは、死に物狂いでこの剣を振るうことだけだった。

 

 

 










年度末のバタバタで、あまりしっかりと見直しができませんでした・・・




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第13話 ~5日前④~ 「今、そこにある違和感」

1月26日 夜







 Interlude in

 

 

「わけわかんない展開になっちゃったじゃない。一体全体、何だって言うのよ・・・」

 

 遠坂凛は眼前の混沌とした状況を、自分が全くコントロールできていない現状に苛立ちを覚えていた。

 駆け出していったセイバーは校舎付近で衛宮士郎と再び剣を合わせており、弓道場の横ではキャスターとライダーがしのぎを削っている。

 自身のサーヴァントであるセイバーは、マスターである自分の言葉を殆ど無視して、執拗に衛宮士郎を狙っているように思えた。

 これは聖杯戦争。

 殺し合いの舞台。

 この戦いのために準備をしてきたし、言われるまでもなく覚悟も決まっている。敵のマスターを殺すことに躊躇はないつもりだ。

 だからと言って・・・

 

「そりゃ、衛宮君がマスターだって言うんなら、斃すしかないのもわかるわよ・・・」

 

 ここまでの動きを見れば、間違いなく衛宮士郎は魔術師であり、キャスターは彼のサーヴァントだ。両者は明らかにお互いを守るようにして戦っている。

 しかし、衛宮士郎に令呪はないようだ。彼は正式なマスターではないのではないか。

 であれば、経緯を知りたい。

 加えて、やはり悪質な結界を学園に張ろうとしているのが彼だとも思えなかった。親密な関係というわけではないが、それとなく目にする彼の普段の人助けを是とする行動とはどうにも合致しない。

 

「実際、さっきはまさに呪刻の前にいたから、ビンゴって思い込んじゃったわけなんだけど」

 

 先日の朝、偶然、衛宮士郎がストーブを直す場面に出くわしたことで、彼が魔術師ではないかと睨んだ。また、この学園に結界が張られつつあることも気付いていたので、彼と結界を結び付けて考え、その動きをマークしていたのだ。

 

「ん?」

 

 凛は、()()とあることに気付いた。

 考えてみれば、もう一人、怪しい人物がすぐ隣にいることを。

 

「ところで、間桐慎二君。この学校に張られつつある()()()()()は、あなたの力によるものかしら?」

 

 普段であれば、自分から話しかけるなど絶対に避けるところだが、そんなことは言っていられない。

 自分と同じく戦いの趨勢を見ていた間桐慎二に問い掛けた。その手には何らかの魔力を帯びた古びた本があるのが目に入る。

 

「え?」

 

 この男も、この状況には戸惑いを覚えていたのだろう。

 少し反応が鈍かったが、

 

「あ・・・ああ、勿論そうさ。あの結界はなかなかのもんだ。遠坂ならわかってくれるだろう?」

 

 実に他愛もなく誘導尋問に引っ掛かった。

 

「・・・そうかもね。あなたが、ライダーにやらせたの?」

 

 間桐慎二の回答に対する嫌悪感を押し殺して、なおも掘り下げて情報を引き出そうとする。

 この男が魔術を使えないことは以前からわかっている。だからこそ、マスターになり得ないと頭から決めつけてしまっていたのだが、現状ではライダーを使役しているのは間違いがなかった。

 

「ああ、なにせ僕はライダーのマスターだからね。あの女は僕の言う事なら何でも聞くんだ。凄いだろう」

 

「あ、そう」

 

 返答に感情が滲み出てしまう。

 あまりの不快さに我慢できずに、演技を忘れてしまった。

 

「遠坂のサーヴァントは、ただの人間に過ぎない衛宮なんかに苦戦しているみたいだね。でも安心しなよ、僕が遠坂を助けてやる。ライダーがキャスターを斃したら、すぐにセイバーに助太刀してやるよ」

 

 理解不能の分析と、謎の優越感を充満させて、そんな言葉を垂れ流していた。

 この男は友人である衛宮士郎を殺すことに、何の感情も抱いていないのだろうか?

 

「それは、楽しみね」

 

 結界を張ろうとしていた犯人を炙り出すという目的は果たした。

 不快な時間を終えるため、五感と思考から間桐慎二という存在を完全に消すことにして、凛は再び状況を確認する。

 見れば、セイバーは衛宮士郎を圧倒し始めていた。

 当たり前だ。

 本来、人間がサーヴァントに伍するなどあり得ない。

 今、この瞬間、まだ彼が生きていること自体が非現実的とすら言える。

 だが、現実にはまだ戦っている。

 戦えているのだ。

 彼はセイバーと全く同じ剣を投影して、それを使いこなして戦っているが、形勢としてはセイバーが押し込んでいる。それでも、神技とも言えるセイバーの剣技に、辛うじてではあるが対応できている。

 

「・・・いったい、彼はなんなの?」

 

 凛は瞠目するしかなかった。

 慎二の自白により、あの結界を張ろうとしていたのが、衛宮士郎達でないことはわかった。

 令呪を使ってでも、セイバーを止めるべきか?

 だが、彼とキャスターが繋がっていることも確かだ。

 間違いなく、聖杯戦争の競争相手なのだ。

 それを助けることはとても合理的とは言えない。

 実際のところ、彼女は迷っていた。

 すると。

 

 ゴゥッ!

 

「え?」

 

 突如として、背中に物凄い重圧を感じた。

 それと同時に、風。

 嵐の時に生ずるような、圧力を孕んだ突風が凜の体に後ろから吹き付けてきた。

 なんだ?

 かなりの質量を持つ何かが、跳んだのだ。

 直感に従って、凛は上空に目を向けた。

 真夜中に煌々と輝く月の光を、その『何か』が遮った。

 その着地点は・・・

 

「セイバーッ!上っ!!!」

 

 あれはマズい!

 凛は反射的に叫んでいた。

 

 

 Interlude out

 

 

 E turn

 

 

「セイバーッ!上っ!!!」

 

 悲鳴の様な遠坂の声が校庭に響いた。

 

「凛?」

 

 セイバーが遠坂の声に反応する。

 

「!?」

 

 ゾワッッ!

 

 とんでもないものが落ちてくる!

 

 ギンンッッ!

 

 セイバーもそれに気付いたのだろう。

 オレとヤツは打ち合った剣で、咄嗟にお互いを押し出すようにして、後方へと大きく飛んだ。

 

 ザァァァァ・・・

 

 既にセイバーに圧倒されていたオレは、空っぽになりかけだった最後の力をふり絞ったため、そのまま土のグラウンドをボロ切れのように滑っていくことになった。

 そして、

 

 ドゴォッッッッッッッ!!!

 

 顔を上げた瞬間、先程までオレ達がいた場所には巨大な黒い影が凄まじい勢いで落下してきた。

 隕石が直撃したのかと思ったほどだ。

 

 シュウウウ・・・

 

 もうもうと舞い上がる土煙の向こう。

 圧倒的な存在感を持つ灰色の塊があった。

 それは人の形をしていた。

 無惨に抉り取られた地面には、全身から異様な空気を発する巨人が仁王立ちになっていた。

 身の丈は2mを優に超えており、その手には岩石でできたような巨大な剣を持っている。

 

「ば・・・化け物・・・」

 

 オレは眼前の状況を頭で消化し切れず、感じたままの言葉を呟くしかなかった。

 

「サーヴァントか」

 

 一方、セイバーは突如として現れた異形の正体を正確に把握しているようだった。

 

「■■■■■■■■■──―!!!」

 

 ほんの束の間、静寂に包まれた空間に、突如として奇怪な音が響き渡った。

 それが巨人の口から発せられた、咆哮だと気付くのに僅かなりと時間を要した。

 耳をつんざくような獣の叫びだ。

 オレは思わず両耳を塞ぐ。

 

「くっ・・・」

 

 だが、早く立ち上がらないとマズい。

 三歩踏み込めば、化け物はあの岩塊のような剣をオレに振り下ろせる。

 あんなのを食らったら、一撃で挽肉になってしまう。

 頭ではわかっているが、既に限界を超えて酷使していた体は容易に動かない。

 

 ドンッ!!!

 

 だが、オレの焦りとは関係なく、化け物は想定外の動きを見せた。

 巨人がその巨体に似合わない鋭さで跳び上がり、オレやセイバーからは遠ざかっていったのだ。

 向かうその先にいるのは、

 

「キャスター!!!」

 

 キャスターとライダーがいる。

 二人ともつい先程まで戦っていた相手を忘れたかのように、突如として現れた巨人に目を奪われていた。

 

「くっ!?」

 

 ライダーは咄嗟に自分の剣を手放して、大きく横に跳んだ。

 彼女の剣は鎖を介して、キャスターが繋がっている。剣を持ったままでは、危険だと判断したのだろう。

 

 ゴゥゥン・・・

 

 巨人はライダーとキャスターの中間へと着地した。ライダーの鎖があっさりと千切れ飛び、地面が割れ、土煙が舞い上がる。

 

「な・・・なんなの・・・?」

 

 キャスターが呆然と呟く。

 ライダーに追い詰められていたキャスターは、結果的に危機を逃れる形になった。

 だが、ライダー以上の新たな脅威が目の前に現れたというだけに過ぎない。

 

「く・・・」

 

 このままでは、キャスターが危ない。

 何が目的なのかはわからないが、間違いなくアレは危険な相手だ。近くにいるライダーとキャスターのどちらを狙うかはわからないが、キャスターはかなり消耗している。

 

 ザッ

 

 オレはボロボロになっている体を無理矢理動かして、巨人のほうに向かって駆け出した。

 その時だった。

 

「こんばんわ。聖杯戦争のマスター達」

 

 この場の張り詰めた空気に似つかわしくない、軽やかな声が響いた。

 オレも含めたその場の全員が、吸い寄せられるように声の方向に顔を向ける。

 

「私は、イリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 遠坂と慎二の後方。

 そこには紫色のコートにくるまれた銀髪の少女がいた。

 人形のような白い肌と、人形ではないことを示すように赤くキラキラとした光を湛えた瞳が印象的だ。

 

「以後、お見知りおきを、と言いたいところだけれど、今回の参加者はみんなお行儀が悪いわね。聖杯戦争はまだ始まっていないのに、こんなにも大勢が我慢できずに戦いを始めちゃっているなんて」

 

 小柄な少女はその場の全員を、ゆっくりと眺めていく。

 その瞳は危険な輝きを孕んでおり、顔には嘲るような微笑みが浮かんでいた。

 

「あなたが、今回のアインツベルンのマスターなのね」

 

 少女と巨人が支配するこの場の空気に抗うように、遠坂が問いを投げる。

 

「そうよ。初めまして。今代の遠坂家の当主、遠坂凛」

 

 少女は朗らかに答え、そして質問を返す。

 

「あの巨人はあなたのサーヴァントってわけね?」

 

 一方の、遠坂は張り詰めた表情のままだ。

 二人の態度の違いは、そのままお互いの余裕度の違いを示しているかのようだ。

 

「ええ。アレは私のサーヴァント、バーサーカー。古代ギリシャにおける最高の英雄、ヘラクレスよ」

 

「何ですって!?」

 

「あのヘラクレスなのか?」

 

 遠坂も、オレも同時に声を上げた。

 声こそ出さなくても、この場にいる他の物、全員が息を呑んだようだ。

 あの巨人が有名なヘラクレスであるという事。そして銀髪の少女が事も無げにそれを明かした事。その両方に驚いたのだろう。

 キャスターの話では、英霊は敵に対して真名を明かさないのが鉄則の筈だからだ。

 

「そう。あなた達が束になっても叶わない絶対の存在よ」

 

 少女は後ろ手を組んでくるりとその場で一回転した。その様は妖精がダンスを楽しんでいるかのようだ。

 

「でも、さっき言ったとおり聖杯戦争はまだ始まっていないわ。だから、今日のところは見逃してあげる。淑女(レディ)である私はあなた達のような、()()()()()真似はしないのよ」

 

 だけど、と少女は続ける。

 

「これ以上、野蛮な行いを続けるなら、容赦はしないわ。今日、この街までやってきたのはそこのお兄ちゃんに会うためだったけどね」

 

「え?オレ?」

 

 思いもよらない言葉に戸惑った。

 この少女がオレに何の用があると言うのだろうか?

 

「うふふ」

 

 だが。少女ははぐらかすような、笑みを浮かべるだけだった。

 

「バーサーカー、あなたの力を見せつけてあげなさい。ここにいる全ての者が、これ以上愚かな考えを起こさないようにね」

 

「──―■■■■■■■■■■■──―!!」

 

 少女の声に呼応して、暫くの間、沈黙を保っていた巨人が咆哮した。

 

 ゴゥッ!

 

 先ほども見せたように、その巨体に似合わぬスピードで跳び上がった巨人、即ちバーサーカーは、手にした斧のような剣を大きく振りかぶった。

 着地点は弓道場の屋根だ。

 キャスター、ライダー、遠坂、そして慎二の4人は、弓道場に比較的近い位置にいたが、バーサーカーの様子を見て、反射的にそこから遠ざかった。

 

 ドゴオォォォォォォォォォォォォンン!!

 

 巨人の振り下ろした剣は、弓道場の屋根をぶち抜き、その余波は射場全体を半壊させた。

 大半の屋根瓦が粉々に砕け、バラバラと飛び散っていく。

 とんでもない破壊力だった。

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 慎二が恐怖に満ちた悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んだ。 

 飛び散った構造物の欠片が、弓道場付近にいた4人は元より、かなり離れているオレにもかなりの勢いで降り注いでくる。

 慎二のように腰を抜かしたりはしないが、思わず戦慄した。このサーヴァントに比べれば、先程迄必死に戦っていたセイバーもライダーも、可愛いものだと思えてくるほど圧倒的だった。

 

「さあ、これ以上バーサーカーを怒らせたくなかったら、早くこの場を立ち去りなさい」

 

 銀髪の少女はなおも歌うように軽やかに警告する。

 だが、それは逆らえば即、死に繋がる残酷な旋律だ。

 

「ららら・・・ライダー!!」

 

 完全に腰を抜かして、動けなくなっている慎二が、慌てふためいて自身のサーヴァントに呼びかけた。

 

「撤退しましょう。慎二」

 

 主人と違って、冷静さを保っていたライダーが落ち着いた声で応じると、慎二の傍へと駆け付けた。

 

「失礼します」

 

 ライダーはそう言うと、地べたに座り込んだままの慎二を小脇に抱え上げた。

 

 ザ・・・

 

「は・・・早く!早くあの化け物から逃げるんだ!このノロマ!!」

 

 慎二はライダーに罵声を浴びせるが、彼女は意に介していないようだった。

 そのまま、一片の無駄な動きもなく、走り去っていく。

 

「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃっ・・・!」

 

 薄紫色の髪が靡いてあっという間に闇の中へと消え、錯乱したような慎二の声が遠ざかっていった。

 

「凛、あなたはどうするのかしら?」

 

 ライダーと慎二が逃げ去るのを満足そうに見届けながら、少女が遠坂とセイバーを交互に見て、問い掛けてきた。

 

「ここであれと戦うのは早計だな、マスター」

 

 セイバーが遠坂と目を合わせて、首を振った。

 

「まあ、そもそも結界を張ろうとしていた犯人はわかったわけだしね」

 

 セイバーに言われるまでもなく、遠坂もここで何の準備もなく、あの化け物と戦うつもりはなかっただろう。

 

「今日のところはこれくらいで退いてあげるわ」

 

 遠坂は精一杯、勝気な態度を崩さずにしているようだったが、完全に敗者の捨てゼリフを口にした。

 

「それじゃあね、衛宮君。一旦、休戦よ」

 

 遠坂がオレの方を向いた。

 いつの間にか、セイバーが彼女の傍らに立っている。

 

「衛宮君の戦い振りには驚かされたわ。凄いのね、あなた」

 

「オレ自身もびっくりしているんだけどな」

 

 更に付け加えるなら、遠坂が魔術師だったという事もオレにとっては衝撃的だった。

 だが、覆しようのない事実であることもよくわかった。

 魔術による攻撃、サーヴァントの存在、そして、先程の銀髪の少女の口から出てきた『今代の遠坂家の当主』という表現。

 どうやら、彼女はこの戦いの主要な参加者であるようだった。

 

「あと、結界を張ろうとしたのがあなたと思い込んでしまったことは謝るわ」

 

「あれ?オレが犯人じゃないことをわかってくれたのか?」

 

 どうやら、オレがセイバーと戦っている間に、誤解が解けていたらしい。

 

「ええ。あの馬鹿慎二があっさり認めたわ」

 

「そうだったのか」

 

 先程の慌てぶりからすると、当面は慎二がライダーにあの結界を張らせるようなことはないだろう。

 

「でも、聖杯戦争が正式に始まった時にあなたが今と同じ立場だったなら、殺し合うしかないわ」

 

 少し柔らかくなっていた遠坂の口調が、冷たいものに変わっていた。

 

「そうならない方策を考えるさ」

 

 オレはキャスターを守ると決めたが、遠坂だけではなく、慎二とも殺し合うなんて御免だ。

 

「その魔女と縁を切らない限りは無理だな」

 

 セイバーが、オレの傍らにやってきたキャスターにちらりと目線を送る。

 

「それはできない」

 

「では、開戦と同時に貴様はお終いだな」

 

 純粋にこちらの神経を逆撫でる事だけを目的とした嘲けるような笑みだった。

 

「セイバー、それ以上挑発しなくていいわ」

 

 遠坂がヤツを窘めて、退去を促すように首を振る。

 

「ふん、そうだな。こんな小僧に余計な言葉を費やしてしまったな」

 

「だいたい、あんたが執拗に衛宮君に突っかかるから事がややこしくなったんじゃない」

 

「そうだったか?私はサーヴァントとして当然のことをしたまでだ。凛だって戦うつもりだったろう」

 

「そりゃそうだけど・・・・・・まあ、いいわ。行きましょう」

 

「ああ」

 

 そう言うと、二人は並んで校門のほうへと歩いていく。

 凛とした遠坂の背中とヤツの広く頑健な背中。どちらも赤い服を纏った二つの背中は・・・何と言うか、お似合いだった。

 

「坊や、先に手当てだけはしましょう」

 

 なんとなく遠坂達に目を奪われていたオレに、隣のキャスターがそう言って、魔術で治療をしてくれた。

 セイバーとの戦闘で、オレは無数の傷を負っていた。全身を苛んでいた痛みが、彼女の治療で嘘のように消えていく。

 彼女の魔術は本当に凄いものだ。

 

「助かる」

 

 オレは、瞠目しながらも率直にお礼を言う。

 

「・・・不思議ね・・・・・・」

 

 オレがキャスターの治療を受けているのを見ていた銀髪の少女がポツリと呟いた。

 

「え?」

 

 この少女とバーサーカーの乱入で、絶体絶命だったオレ達は助かった。だが、ここを離れるまで本当に助かったとは言い切れない。彼女の気紛れ一つでオレ達は、簡単に殺されるだろう。

 少女の声を聞いて、そんなことを思い出したオレは戦慄した。

 

「ううん。なんか違うなって、少し思っただけ」

 

 だが、銀髪の少女はフルフルと首を振った。

 その仕草にはつい先程迄、殺すだの、殺さないだのという物騒な言葉を口にしていた残酷なマスターの面影はなく、ただの無垢な少女のものにしか見えなかった。

 

「とにもかくにも礼を言わせてくれ。キミのお陰で助かった」

 

 どんな意図があったにせよ、助けられたのは事実だ。

 オレは、そう言って頭を下げた。

 

「うふふ。私にそんなつもりがなかった事は、承知の上で言っているのね。いいわ、アインツベルンの当主として、その言葉はそのまま受領しましょう」

 

 少女は鷹揚に頷いた。

 今度は、気品のある貴族のような振舞いだった。それは、決して格好だけの付け焼刃のようなものではなく、しっかりとした教育を受けた者が身に着けている風格みたいなものが感じられた。

 こういうのを、板についていると言うのだろう。

 

「え、えっとこの場合は・・・恐悦至極です・・・って返せばいいのかな?」

 

 オレはどう返せばいいのかわからず、間の抜けた事を言ってしまった。この銀髪の少女が見せる多面性に戸惑うばかりだ。

 

「なにそれ?」

 

 少女はクスリと笑った。

 

「行きましょう、坊や。傷は治療したけれど、体力も魔力も限界の筈よ」

 

 キャスターは長居しないほうがいいと判断しているのだろう。早く退去するよう声を掛けてきた。

 そして、自分の肩に掴まるよう促してくる。

 

「そうだな。正直、キツい」

 

 遠慮せずに、キャスターの肩を借りることにした。

 強がりも限界を迎え始めていた。

 

「それじゃあね、お兄ちゃん。次はちゃんと殺してあげるからね」

 

 銀髪の少女は、結局は物騒な別れの挨拶を投げてきた。

 

「それは、勘弁して欲しい」

 

 オレはうんざりしながら、そうとだけ返すと少女に背を向けた。

 これが聖杯戦争参加者の在り方なのか。

 遠坂も、慎二も、この少女も、相手を殺すという選択肢を当たり前のものとして、口にする。

 

「目立たない程度に浮遊して、帰りましょう」

 

 肩を貸してくれているキャスターが、オレの胴の脇に手を回しながらそう告げてきた。

 ふわりと体が軽くなり、オレ達の体はゆっくりと宙に浮いていく。

 

「おお・・・」

 

 地面に足が着いていないという新鮮な感覚にオレは、少しドキドキした。

 

「・・・でもやっぱり、似合わないわね・・・」

 

 そんな呟きがポツリと背中から聞こえてきた気がした。

 振り返ったオレは、少女、そして、バーサーカーに視線を送った後、半壊した弓道場の有り様を改めて見て途方に暮れた。

 

「弓道場・・・どうするんだろうか・・・」

 

 明日になったら、学校は大騒ぎになるだろう。

 










本作における主人公サイドの初戦がやっと終わりました。前作に比べて進行が遅いのを如実に感じます・・・


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第14話 ~5日前⑤~ 「冥々想念」

1月26日 深夜







 Interlude in

 

 

「あんなの反則だ!絶対勝てっこないじゃないか!」

 

 頭を抱えて震えているのは、ライダーにとっては仮のマスターである間桐慎二だった。

 

「ぼ・・・僕は降りるぞ。殺されるだけじゃないか・・・」

 

 今さらと言えば、今さらだ。

 殺される覚悟もなく、聖杯戦争に参加していたのかと呆れるところだ。実体験として絶望的な相手というのを目の当たりにして、やっと現実に自分に降りかかりうるものとして実感できたのだろう。

 彼は間桐邸に戻るなり、玄関で蹲ってしまっていた。

 

 カツッ

 

「騒々しいのう、慎二。それでは、マスターはやめるということかの?」

 

 薄暗い廊下の奥から、揺らめく陽炎のように小柄な老人が現れた。

 間桐臓硯だ。

 現界してからライダーが観察してきた限りでは、この間桐家の全てを支配しているのはこの老人だと認識させられていた。

 

「と・・・当然だ・・・あんなの絶対無理だ。こんな外れサーヴァントじゃ勝てっこない!」

 

 殆ど悲鳴のような声をあげて、慎二はライダーを指差した。

 

「ふむ。それほどの相手と遭遇したということかの?」

 

 老人は感情の揺らぎを見せず、ライダーに視線を送る。

 

「アインツベルンのマスターの言葉によれば、バーサーカーのクラスで召喚された大英雄【ヘラクレス】のようです」

 

 慎二の『外れサーヴァント』という揶揄を不快に感じながらも、ライダーは極力淡々と答えた。

 

「それに引き換え、こっちは【メドゥーサ】だなんて・・・英雄の咬ませ犬もいいとこじゃないか!」

 

「私が宝具を使えば、あのバーサーカーを斃す事自体は充分可能だと思いますが」

 

 些か矜持を傷つけられたライダーは反駁した。

 だが、魔力不足が顕著な今の状態では、肝心の切り札【騎英の手綱(ベルレフォーン)】を使うことも儘ならない。さらに言うなら、相手の宝具もわからないのだ。こちらの宝具と正面衝突した場合、押し切れるとは限らない。

 

「今のままじゃ、その宝具も使えないんじゃないか!お前の魔力不足をどうにかするために、結界を張ろうとしたのに、それもあっさりバレちまった!」

 

 慎二にしては、真っ当な見解だった。

 ライダーは黙り込むしかない。正直、勝ち筋を見出すことは難しいと彼女自身もよくわかっていた。

 

「衛宮士郎や遠坂凛は、あなたのクラスメイトです。バーサーカーという共通の脅威に対して、一時的に共闘することは可能かもしれません」

 

 ライダーは霊体化して慎二と行動を共にする機会が多い。

 穂群原学園でその二人と慎二が、話している場面は何度も目にしていた。正直なところ、遠坂凛の彼に対する態度は清々しいまでに素っ気なく、とても手を組めるとは思えない。

 一方で、

 

「特に、衛宮士郎、彼ならあるいは」

 

 彼は、慎二とまともに話せるほぼ唯一の存在だ。流れで襲撃してしまったのはかなりのマイナスだが、まだ、交渉の余地があるのではないか。

 

「衛宮なんかと手を組めるか!」

 

 だが、この意見に慎二はむしろ激昂した。

 

「あんなインチキな魔術を使うヤツと、由緒正しい御三家たる間桐が手を組むなんてあり得ない!」

 

「インチキとは、どういうことじゃ?慎二よ」

 

 暫く沈黙していた臓硯だったが、慎二の言葉に引っかかるものがあったようだ。

 

「サーヴァントの武器を真似してたんだ。あんなの魔術じゃない!」

 

「ほう。投影か?かなり珍しいのう。しかもサーヴァントの武器をか・・・」

 

 老人は率直に感心したようだった。

 

「それ以上に、驚異的だったのは彼の剣技です。セイバーと剣で渡り合っていたのですから」

 

 ライダーは先刻の戦いを改めて思い出す。

 どんなに強力な武器を持ち、キャスターの魔術によるサポートを受けて膂力を得ても、技術はそうはいかない。

 確か彼の屋敷には、道場もあると桜に聞いてはいたが、セイバーに匹敵するほどの剣術を修めているとは信じ難いことだ。ライダー自身は、トリッキーな動きで先程は彼を翻弄できたが、もし真正面からの斬り合いになっていたら、劣勢になっていたかもしれない。

 

「それに、キャスターも強力です。今日は上手く彼女に接近できたので私が優勢でしたが、遠距離攻撃や支援に徹した戦い方をすれば真価を発揮する筈です。手を組む価値はあると思いますが」

 

 展開に恵まれて今日は優位に立てたが、以前に瀕死の状態だった時に戦ったキャスターとは明らかに別だった。

 ライダーは、再度、衛宮士郎達との共闘の意義を主張する。

 

「そのキャスターというサーヴァントは・・・・・・女なのね?ライダー」

 

 唐突に、廊下の奥から問いが投げられた。

 

「桜?」

 

 姿を現したのは、桜だった。

 最近は虚ろな表情をしていることが多いため、ライダーは按じていたが、今はその目に生気が感じられるような気がした。

 

「教えて頂戴」

 

「え?・・・あ、はい。女でした」

 

 半ば気圧されるようにして、ライダーは問いに答える。

 

「美人なのかしら?年齢はどれくらい?」

 

「えっと・・・それは・・・」

 

 桜の目に昏い炎が灯ったような錯覚を覚えた。

 生気があると感じたが、これは・・・・・・

 ライダーは戸惑いを覚えて、返答に窮した。

 

「は!いい女だったのは確かだ。年増だったけどね」

 

 言い淀んだライダーの代わりに、慎二が吐き捨てるように応える。

 

「そうなんですか」

 

 一瞬目を見開いた桜は、ほんの僅かな時間だけ俯いた。

 その体は小刻みに震えていた。

 

「兄さん」

 

 ゆらりと顔を上げる。

 そこには仮面が張り付いているかのようで、なんの感情もライダーには読み取れなかった。

 

「ライダーを私に返していただけませんか?」

 

 桜の口からは意外な言葉が発せられた。

 彼女はずっと戦うことを拒否してきた。だからこそ、止むを得ず、間桐臓硯はライダーの支配権を魔力を持たない慎二に委ねたのだ。

 

「ほう。心変わりしたということかのう、桜?」

 

 老人も驚いたようだ。だが、その言葉には我が意を得たと言わんばかりの響きが含まれていた。

 

「今更、そんな勝手が許されるもんか!こいつは僕のモノだ!!」

 

 一方で慎二は、手前勝手な反論を口にする。

 ライダーは、その言葉に反応して僅かに拳を握り締めた。

 

「うふふ。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ、兄さん」

 

 桜は笑みを浮かべた。

 それは、ライダーが思わず戦慄するほどに艶然としていた。

 

「私が返してもらうのは、()()()()()()()()()()()です。その()()()は兄さんのモノのままで結構ですよ」

 

「な・・・なんだって?」

 

 桜の言葉の意味するところをすぐには汲み取り切れなかった慎二は、呆けたような表情を浮かべた。

 

「なんでしたら・・・」

 

 桜は純白のナイトドレスの裾を、白い指でほんの僅かに上へとずらした。

 

「久しぶりに私のお部屋へいらっしゃたら如何ですか?兄さん」

 

 それは、虫を誘う妖花の振る舞いだった。

 

「な・・・」

 

 桜の言動についていけない慎二はさらに戸惑う。

 

「慎二よ。先刻、お前は戦うつもりがないとはっきりと言ったのだ。桜にライダーは返してやるがよい」

 

 老人が裁定を降すように指示をする。

 

「桜の言うとおり、サーヴァント以外の用途については、お主の好きにすればよかろう」

 

 その顔には満足そうな笑みが浮かんでいた。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 なんだ?

 何が起きている?

 ライダーは眼前で展開されたやり取りの意味するところを、はっきりと理解していた。

 だが、その全てが自分に全く関係のないモノであるかのように、目の前を素通りしていくのも感じた。

 

「ありがとうございます。お爺様。そして、兄さん」

 

 桜が優雅に微笑む。

 

「私としては、現時点では誰とも手を組むつもりはありませんが、よろしいですか?お爺様」

 

「構わぬ。お前の魔力を以てすれば、ライダーの力も十全に引き出せよう。好きにするがいい」

 

「ええ・・・好きにさせていただきます」

 

 桜と臓硯の会話が続いていた。

 無論、ライダーは身勝手で、愚かな慎二がマスターであることは、不本意極まりなかった。

 意に染まない慎二の差配に従う必要がなくなる。

 そして、本来のマスターである桜のサーヴァントとして、彼女のために戦える。

 それは、自分が本来望んでいた事の筈だった。

 それなのに今は、ただただ途方に暮れるしかなかった。

 

「・・・・・・私はどうすればいいのでしょうか・・・・・・」

 

 思わずそう呟く。

 そして、彼女は自分の唇が、不思議な三音を紡いだのを感じた。

 

 ──―

 

 それは、ここではない、遥か遠いどこかから。

 しかし、当たり前のようにやってきた名前だ。

 だが、なぜ自分の口からその名前が零れ出たのか、彼女にはわからなかった。

 

 

 Interlude out

 

 

 C turn

 

 

 ガララ・・・

 

 衛宮邸の玄関扉を少年が開けて靴を脱ぎ、(かまち)に足を乗せる。私も彼に続いて玄関に入ると、やっと安堵できた。

 この家に戻ってきたことで、ようやく心底助かったと思える。

 先程迄の学校での戦闘は、それだけ苛烈だったし、坊やも私も生き残れたのが不思議なくらいだった。

 

「ふう・・・本当にヤバかったな」

 

 居間に入った彼は、へたり込むようにして、そのまま座卓に突っ伏した。

 大袈裟ではなく、体力も魔力も空っぽの筈だ。

 

「バーサーカーの乱入が無ければ、詰んでいたわね。(わたくし)も坊やも完全に劣勢だったもの」

 

 実際のところ、バーサーカーのマスターであるあのイリヤスフィールという少女にすれば、気紛れに近い行為だったのだろう。だが、そのお陰で九死に一生を得ることができた。

 

「坊やはそのまま休んでいなさい。私がお茶を淹れるから」

 

「すまない。助かる」

 

 ぐったりとした声で少年が返事をした。

 いつもこちらに気を遣って無理をする彼が、こうして素直に頼ってくるのだから、その疲労困憊ぶりが窺えるというものだ。

 家を出る前に片付けられなかった食器類を横目にしながら、私はヤカンに水を入れてコンロの火にかける。

 

「それにしても本当に凄かったわ、あなたの戦いぶりは」

 

 お湯が沸く間にも、私は先程の戦いを振り返った。

 少年の奮闘は、珠玉と称賛して良いものだった。

 なにせ、サーヴァントであるセイバーやライダーを向こうに回した白兵戦で人間が耐え切ったのだ。

 私の付与した強化魔術も功を奏したのは間違いなかったが、セイバーの剣を投影して見せただけでなく、その剣技も秀逸なものだった。

 

「はい、どうぞ」

 

 淹れたお茶を少年の前に置く。

 

「ありがとう。でも、本当にオレ自身もよくわからないんだ。何であんなことができたのか」

 

 少年が両手で湯呑みを包み込むようにしながら、熱いお茶に息を吹きかけている。

 その様を見て、もう少し冷ましてから出すべきだったと、少し後悔した。

 

「セイバーの剣を投影した事までは、なんとかわかるけれどね。あなたの投影は武器に特化している。特に『剣』にね。だからと言って、唯一無二とも言えるサーヴァントの宝具まで投影できるなんて破格だけれど」

 

 それが自由に可能だというなら、この少年は化け物だが・・・

 

「流石に魔力はだいぶ消費したみたいね」

 

 そう言いながら、私はずっと気になっていた食器を洗うために台所に戻った。

 そして、片づけをしながら、少年との会話を続ける。

 

「ああ。すっからかんになった」

 

「でも、さらに強化まで付与して、完全に魔力を使い果たさずに立って戦い続けられたのだから、本当に立派なものよ」

 

 投影と強化に限定すれば、少年の魔術師としての力量は、私と出会った直後と今では雲泥の差がある。だが、元々貯蔵している魔力量が急激に増えるわけもない。正直、彼の魔力量自体は大したことはないので、一度の戦闘で投影できる数はごく限られているのだ。

 

「あいつの剣がたまたまオレと相性が良かったとも思えるんだ。だからなんとか投影できたし、その場でぶっ倒れることもなかったんじゃないかな」

 

「そういうものなのかしら?」

 

 投影を私自身ができるわけではないので、少年の感覚の真偽については何とも評しようがなかった。

 

「でも、なんでセイバーやライダーの剣技についていけたのか・・・いや実際には負けていたんだけど・・・それでもなんとか戦えたのかはわからないんだ」

 

「剣術の心得は、あったのかしら?」

 

「ああ。多少は使える。だけど、サーヴァント相手に戦えるようなレベルじゃないさ。て言うか、サーヴァント相手に立ち回れる人間なんていないんじゃないかな」

 

「まあ、そうよね」

 

 たとえ同程度の技量があったとしても、スピードやパワーの次元が違うし、目や反応が追い付かないだろう。

 その点、私の強化の魔術が付与された分、少年はスピードやパワーなら対抗できる状態だったわけだが。

 

「なんていうか、剣の方に振り回されているというか、自分の体が勝手に動いている、みたいな感覚だったんだ」

 

 少年は自分の頭を軽く叩いた。

 

「だから、気持ち悪さもあったし、しっくりこない状態だったんだ。それでもとにかく目の前の相手に殺されないように必死だから、強引にでもその力を最大限に引っ張り出そうと藻掻いていた・・・そんな感じだった」

 

「そう・・・」

 

「全然制御できない暴れ馬を、邪魔だけはしないように乗っていたみたいな・・・馬に乗ったことなんかないけど」

 

「そもそもあの剣を投影したのは、咄嗟の思いつきだったのかしら?」

 

「なんとなく、投影も強化もアレならいけるって思ったんだ」

 

「あの武器か、もしくはあのセイバーと特別な縁があるということかもしれないわね」

 

 当てずっぽう気味に、私は推測を口にしたが、意外と答えに近いのかもしれない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 少年は珍しく黙り込んで、少しバツが悪そうな顔になる。

 

「・・・そうかもしれないな・・・」

 

 そして、何とも言えない歯切れの悪い返事をした。

 もしかしたら、あのセイバーの正体に心当たりがあるのだろうか?

 

「私、少しだけあのセイバーについて疑っていることがあるの」

 

「なんだ?」

 

「あれは本当にセイバーなのかしら?」

 

「腑に落ちない点があるってことか?」

 

「そうね。こう言ってはなんだけれど、セイバーのサーヴァントは『最優』とされているわ。これは、最も秀でていると同時にバランスがいいという意味なの」

 

「『最強』じゃないんだな?」

 

「瞬間的になら、バーサーカーのクラスが最強になり易いからでしょうね」

 

「ああ。確かに『強い』だけならそうか」

 

「いずれにせよ、セイバーのクラスのサーヴァントは、攻防、魔力、体力、そして精神的な安定なども含めて、優秀ということなの。勿論例外はあるけれど」

 

「でも、アイツはそうではなかったってことかな?」

 

「坊やも薄々感じていたのかしら?」

 

「いや、なんとなくな」

 

「こう言ってはなんだけれど、セイバーとしては少し力不足じゃないかしらと思ったのよ。剣技は確かだったけど」

 

「オレ程度がなんとか対処できていたぐらいだからな」

 

「弓のほうが強力だったような印象もあるわ」

 

 これは私自身、痛手を負ったのが弓によるものだったが故の実感でもある。

 

「色々な武具を使いこなせるっていうのも勿論長所ではあるのだけれどでも」

 

「まあ、アイツの話はこれぐらいにしよう。セイバーだろうがなんだろうだが、剣も弓も使える強力な敵という事がわかっただけでも、次に対峙する時には備えることができるさ」

 

 あまり普段見せることのない硬い表情を、坊やは浮かべていた。

 

「今後の方針を考えるほうが大事だろ」

 

「そうね」

 

 彼の言葉からは話題を逸らすような意図を感じたが、一旦、受け入れることにした。

 

「今日、いや・・・もう昨日になるか。セイバー、ライダー、そしてバーサーカーがどんな相手なのかがわかったな」

 

「ええ。それにそのマスターもよ」

 

 同級生が二人、マスターだったというのは少年とすれば複雑な思いだろう。

 

「一番厄介なのは、あのバーサーカーだよな」

 

「そうね。古代ギリシャ随一の英雄ヘラクレスだもの」

 

 私はあのヘラクレスの事を多少なりと知っている。

 だが、坊やにその事を(つまび)らかにするつもりはなかった。

 幸い、この時代の人間にも知れ渡っている程高名な英雄だ。私が事細かに話さなくても、その逸話はいくらでも調べようはある。

 

「あの本を読む前から、オレが知っていたくらい有名だからな」

 

「あの本?」

 

「あ・・・いや、気にしないでくれ。とにかく、あのバーサーカーにどう対処するかだな。場合によっては、遠坂や慎二と手を組むということも視野に入れるべきだな」

 

 妥当な考えではあった。

 戦ったばかリの相手ではあるが、共通の脅威に対抗するという利害は一致する。一時的に共闘することは充分可能だろう。

 しかし、

 

「それは難しいんじゃないかしら?今日の様子を見ると、坊やは完全に敵視されていたわよ。セイバーと、そしてあの慎二っていうマスターにも」

 

 というもっともらしい理由で、私はその意見を否定した。

 その選択をする場合、あの遠坂凛という女魔術師や、ライダーと手を組むということでもある。

 それは避けたいと感じていた。

 え?

 ・・・・・・何故だろうか?

 

「ああ、それは戦っている時にひしひしと感じたな・・・」

 

 私がしばし自分の想いに戸惑っている間、少年も思案する顔になった。

 

「まだ、出会っていない陣営と組むということも考えられるか」

 

「それは、確かにあり得るわね」

 

「残っているのは、ランサー、アーチャー、アサシンということになるかな」

 

「そうね。まだ、現界していないサーヴァントが少なくとも一騎いる筈だけど」

 

 あのイリヤスフィールの言葉どおり、正式に聖杯戦争が始まっていないというのであれば、まだ英霊が7騎揃っていないという事でもある。

 

「そのうちの誰かを探し出して、説得するか・・・」

 

 この少年は聡明だ。

 私は敢えて意見を言わず、思考を巡らせている彼の邪魔をしないつもりだった。洗い物を終えた私は自分のお茶を淹れると、座卓を挟んで彼の前に正座する。

 

「・・・いや、難しいか。バーサーカーの脅威はアレを目の当たりにしないと伝わらないな」

 

「私もそう思うわ」

 

「そもそも探し出せるかわからないし、初見の相手がどれだけの力を持っていて、どんな性格をしているかもわからない」

 

 彼は正しく答えに行き着いたようだ。

 

「さしあたって、他の陣営については私も使い魔を使って探り続けるわ。そういうのは得意だし。手を組めそうか、組んで意味があるかは調査してみないとわからないわね」

 

「どうにも八方塞がりな感じがもどかしいな」

 

 少年は、悔しそうに呟く。

 

「発想を変えて、バーサーカーと手を組むのはどうかな」

 

 驚いた。

 実は私には腹案があるが、それに近付いている。

 大前提となる条件が彼は持ち得ないので、思考は行き詰る筈ではあるが、あり得なそうな選択肢を改めて考えようとする姿勢には感心させられる。

 

「圧倒的に強いから、手を組めれば終盤までキャスターは生き残れるかもしれないけど、結局、最終局面では捻り潰されて終わりか。願いを叶えることはできそうにないな」

 

 彼は残念そうにそう結論付けた。

 

「ふふ。それまでに坊やが強くなればいいんじゃなくて?私のために、頑張ってくれないのかしら?」

 

 私は面白がって、真剣に考え込んでいる少年をからかってしまう。

 

「ぐ・・・そりゃ、勿論、キャスターのために精一杯頑張るさ」

 

 その言葉に満足感を覚える。

 ああ、やはりこの子は私の()()()()()だ。

 

「でも、オレがどんなに成長しても、アレに対抗できるイメージを描けない。そこまでいくと殆ど妄想だし、増長しているとすら思えるな」

 

 バーサーカーを目の当たりにしてしまった以上、無理もない感覚だった。あの絶望的なまでの存在感は簡単には拭い去れない。

 そろそろ頃合いだろう。

 私はここまで来て、自分の考えを明らかにする。

 

「坊やの考えは悪くないと思うわ」

 

「何だって?」

 

「あのバーサーカーと手を組むことがよ」

 

「・・・キャスターがそう言うんだ。何か考えがあるんだな?」

 

 怪訝そうな顔をしたもの束の間、少年はすぐに私の真意を探りにきた。

 

「そうね。詳しくは教えられないけれど、あの()()への対抗手段を私は持っているわ。だから、あの二人と手を組んで、勝ち残っていくというが私の案よ」

 

「含みのある表現だな」

 

 この坊やは私の想定以上に鋭いようだった。

 

「マスターを狙うってことか・・・聖杯戦争の鉄則ということなんだろうけどな」

 

 そう言って、露骨に顔をしかめた。

 正解だ。

 しかし、ここはしっかりとフォローしておくべきだろう。

 

「安心なさい。少なくとも、直接的にあのお嬢さんに害を為すものではないから」

 

 坊やの性質からすれば、あの少女を殺すようなことは極力避けたいと思っているだろう。彼にはまだ私の本性を悟られるつもりはないし、少なくともこの件については実際に言葉どおりなのだ。

 

「そうか。信じるよ、キャスター」

 

 少年は、私の言葉を聞いて安堵したようだった。

 

「だけど・・・」

 

「どうしたのかしら?」

 

「簡単に手を組めるとは思えないんだ」

 

「確かにあれだけの力を持っていれば、他の陣営と手を組む必要なんてないでしょうからね」

 

 私としては、先ずは聖杯戦争の秩序を保つ側にあるということを材料にして、交渉を始めることを考えている。先程は、私達のほうが襲われていた側であると少女は認識していたし、ライダーの結界を止めようとしていたのも私達だ。

 そして、交渉の席にさえ付いてしまえば、完全に精神を操ることまではできなくても、精神に干渉して判断力を落とすことも可能だろう。

 

「いや、そういうのとはちょっと違って・・・」

 

 どうやら、少年は私とは違う懸念を抱いているようだった。

 

「彼女は、オレ個人に対して悪意を抱いているんじゃないかと感じたんだ」

 

「そうだったかしら?悪くない雰囲気だったと思うのだけれど」

 

 校庭での僅かなやり取りでは、特に私には感じられなかったが、この少年には何か不穏な気配を少女から感じ取ったということだろう。

 

「ただ、以前からあなたを知っているようだったものね。そこが引っ掛かるわね」

 

「ああ」

 

「なんにせよ、改めて話す機会を作ったほうが良さそうね」

 

 そう結論付けて、私は空になった自分自身の湯飲みと少年のそれを手に取ると、洗い場へと運んでいく。

 

「坊や、話はここまでにしましょう。しっかりと眠って体力を回復させなさい」

 

 手早く湯飲みを洗って片付けた私は、少年の傍らに戻って諭した。

 

「ああ、なんならこのままこの座卓の上で、寝ちまいそうだ」

 

 その言葉どおり、微睡(まどろ)み始めたようで、目がとろんとしてきていた。

 

「ダメよ。ちゃんと布団で寝ないと、回復も中途半端になってしまうわ」

 

 気だるげな少年を支えるように立ち上がらせて、自室へと戻るよう促した。彼の胴に手を回すと、私にもたれかかるように体重を預けてくる。

 がっちりとした男の体の熱を感じ取って、自然と鼓動が高鳴る。

 

「わかってるよ、キャスター。姉さん女房ってこんな感じになるんだろうな」

 

 不承不承という体で、こちらの言う事を受け入れた坊やが廊下へと出た。

 今日は彼の消耗が激しい。

 私も魔力供給が欲しいところではあったが、少年の休息を優先させるべきだろう。

 

「ちょっと、残念だけれど・・・」

 

 思わずそんな呟きが漏れた。

 

「え?」

 

「いいえ、何でもないわ。お休みなさい」

 

 私は慌てて、取り繕う。

 欲望が滲み出てしまった。

 

「ああ、お休み。キャスターも今日は大変だったろう。休んでくれ」

 

 寝室に辿り着くなり布団に潜り込んだ少年だったが、睡魔に完全に支配される直前にも拘わらず、私への気遣いを口にした。

 

「ええ。そうするわ」

 

 少年を安心させるための返事をして、私は微笑む。

 少なくとも、校庭で邂逅したセイバー、ライダー、バーサーカーの三陣営が夜襲を仕掛けてくる可能性は極めて低いだろう。

 私の反応に安堵したように、彼はすぐに寝息を立て始めた。

 

「本当にお疲れ様。坊や」

 

 疲労困憊で死んだように眠っているため、ピクリとも反応しない。戦っている時は、精悍だったその顔は、今は力が抜けて年相応の少年のものに戻っている。

 傍らに正座した私は、深く眠る彼の頬をゆっくりと撫でる。

 それにしてもこの衛宮士郎という少年はつくづく稀有な拾い物だ。

 まさか英霊の武器を投影して、対抗できるまでの素材だったとは。

 

「これなら、本当に・・・」

 

 この少年を上手く利用すれば、本当に勝ち残る事ができるかもしれない。私は彼の寝顔を見ながら、胸の奥でそんな思いを抱いた。

 唇の端が持ち上がり、醜悪な笑みが浮かぶのを自覚する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう。この時も、愚かな私はそんなことを考えていたつもりだったのだ。









1月26日の夜がやたらと長くなっております。
次回も続く予定です。


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第15話 ~5日前⑥~ 「天を穿つ」

1月26日 深夜










 Interlude in

 

 

 銀髪の少女、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが自身の居所である郊外の城に帰ろうとしていた矢先だった。

 

「──―■■■■■■──―!」

 

 バーサーカーの威嚇するような咆哮が、深夜の校庭に響き渡る。

 イリヤスフィールは、己がサーヴァントの様子を訝った。

 その声には明らかに何者かに対して敵意が含まれていたからだ。

 自分を抱えているバーサーカーの全身に殺気が走り、力が漲っていくのが感じされる。

 

「どうしたの、バーサーカー?」

 

 先程までこの校庭で争っていた間桐慎二とライダー、遠坂凛とセイバー、衛宮士郎とキャスターはもういない。その三組の聖杯戦争参加者達全員を纏めてすら、バーサーカーが警戒するほどの相手ではなかった。

 だが、今のバーサーカーは最大限の警戒を露わにしていた。

 

「何かが来る?」

 

 少女は、バーサーカーが睨みつける暗闇に目を凝らす。

 すると。

 

「ち・・・どうやら宴が終わってしまったようだな」

 

 心底忌々しそうに独白しながら闇夜の中から現れたのは、黒いジャケットに身を包んだ金髪の男だった。

 

「我に祭典の開催地を自動的に伝えるような機構(システム)くらいあって然るべきだな。綺礼のヤツめ。あの男、存外気が利かんからな」

 

 細かい内容はわからないが、かなり自分勝手な文句を言っているという雰囲気だけは、イリヤスフィールにも伝わってきた。

 

「そうは思わんか?アインツベルンの人形よ」

 

 傲然と、ただただ相手を見下す事だけを目的としたような豪烈な光を湛えて、金髪の男は目線を向けてきた。

 その眼光だけで、この男が尋常な者ではないことが、イリヤスフィールにはひしひしと感じられる。

 

「あなた、サーヴァントなの?でも・・・」

 

「くくく、愉快なので付き合ってやるか・・・そうだな、(オレ)はアーチャーということになるだろうなあ」

 

「・・・・・・あなた、受肉してるじゃない。本来、エーテル体で構成されるサーヴァントではなく、肉体を持った存在・・・なぜ・・・?」

 

 イリヤスフィールには、目の前の男が真っ当に召喚された英霊とは思えなかった。

 

「そんな事はどうでもいい。人形よ、質問に答えろ」

 

 金髪の男、英雄王【ギルガメッシュ】は、ちらりと少女を抱えている巨人に目線を送る。

 

「このデカブツはなんだ?バーサーカーか?」

 

「・・・・・・そうよ。見ればわかるでしょう?」

 

 半ば気圧されるようにして少女は肯定した。

 先程、衛宮士郎達には真名まであっさりと明かしたが、この男にはそうしたくなかった。

 

「ふん。かなりの力を持った英霊のようだがな」

 

 ギルガメッシュはつまらなそうに独り言ちて、前に進む。

 その動きに合わせるように、バーサーカーは無言で己が主を地面にゆっくりと降ろした。

 

「バーサーカー・・・・・・」

 

 少女は不安気な声を出しながら、男から遠ざかるように後退した。その声は、つい先刻まで三組のマスターとサーヴァントを圧倒していた時とは、全く違う響きを孕んでいた。

 イリヤスフィールと入れ替わるようにしてバーサーカーが前に出る。

 

「あのケルトの英雄のように我を興じさせねば、本祭を待つまでもなく、ここで退場させてしまうぞ。精々、我を楽しませるがいい」

 

 ギルガメッシュは己が宝具【王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)】を起動すると、あたかもその手に指揮棒(タクト)があるかのように、軽く右腕を上げた。

 その絶対の指令に呼応し、半円状にバーサーカーを取り囲むようにして、数十に及ぶ武具が展開される。

 

「な!?」

 

 イリヤスフィールは息を呑んだ。

 周囲に出現した凶器が、全て宝具に匹敵する魔力を帯びていることが感じられたからだ。

 凄まじい迄の圧迫感に、身体が押しつぶされそうだった。

 

「その堂々たる体躯、ハリボテでないことを証明するがいい」

 

 そう言って、ギルガメッシュは右腕を無造作に振り下ろした。

 

 ドドドドドドドドドドッ!

 

 宙空に浮いた武具が、その切っ先の直線状にいる灰色の巨人目掛けて、次々と射出されていく。

 

「──―■■■■■■■■■■■■──―!!!」

 

 迎え撃つバーサーカーの怒号が闇夜に響き渡るとともに、その鍛え上げられた巨躯から猛々しい闘気が立ち昇る。

 

 

 

 ガギン!ドンッッ!ガゴッ!ギィィィンッ!ドゴッ!ズゥゥン・・・

 

 王の蔵から放出される数多の武具と、ギリシャ神話最高の英雄が振るう豪剣。

 重厚な武器と武器が次々とぶつかり合い、深夜の穂群原学園のグラウンドに耳をつんざくような轟音が響き渡る。

 

「──―■■■■■■■■■■■■──―!」

 

「ほう・・・無粋な見た目どおり、頑丈さに関しては折り紙つきというわけか。それにバーサーカーだというのに、剣捌きもかなりものだ。喧しい声が些か興を削がれるがな」

 

 闇夜の空間に浮かぶ無数の渦巻く窓。

 そこから次々と出現する、剣、槍、鉾、斧などのあらゆる武器。

 これらが僅かな時間差をおいて、間断なく射出され、灰色の巨人を強襲していた。

 

「頑張って!バーサーカーッッ!!」

 

 本来なら激励である筈の銀髪の少女の甲高い声が、悲鳴のような響きを伴って闇夜を切り裂く。

 

 ガンッッ!ギャン!ガアァン!

 

 岩石で出来ているように見える巨大な斧剣を片手で風車のように振り回して、次々と襲い来る刃を撃ち落とし、叩き返し、砕いていくバーサーカー。

 

 ドゴンン!

 

 しかし、全てを迎撃することは能わずに、時には自身の体に直接被弾する。

 その鋼のような体は、凄まじい勢いで飛来した剣を時として弾き返すこともある程だ。

 しかし、3本、4本、5本と時間の経過と共に、分厚い肉体に突き立つ刃は増えていく。

 

「──―■■■■■■──―!!」

 

 それでも、巨人の動きは止まらない。

 自身の背後にいる少女に、雨霰と降り注ぐ凶器を一つも届かせまいとするように、猛々しく斧剣を振るい続けていた。

 

「ふむ。剣技も強靭さも大したものだが、芸には欠ける。このままでは、我は退屈してしまうぞ・・・・・・とは言え、真名を直接聞くのは無粋というものか」

 

 ギルガメッシュは顎に手を当てて、束の間考え込む素振りを見せた。

 

「おい、人形。そろそろこいつに宝具を使うように指示を出すが良い」

 

 傲然と言い放つ。

 

「な!?」

 

 相手の言葉にイリヤスフィールは、戸惑った。

 

「どうした?万物の王たる我が許可しているのだ。応じないのは不敬に当たるぞ」

 

 ギルガメッシュは、あくまでも自身の理屈と都合のみを押し付ける。

 

「そもそも、宝具は敵に言われて使うものじゃないわ」

 

「だが、この状況では貴様のサーヴァントに万に一つも勝ち目がないことくらいわかるだろう。宝具を使えば、僅かにせよ勝機が訪れるかもしれんぞ。砂粒一つほどの勝機かもしれんがな」

 

 男の言葉は事実だ。

 こうして会話をしている間にも、武具は間断なく射出され続けており、バーサーカーの巨躯には10本を超える刃が突き立ち、全身から止めどなく流血していた。満身創痍としか言いようのない状態ではあったが、それでも英雄は雄々しく戦い続けている。

 

「く・・・」

 

 その様子を眼前にしながらも、イリヤスフィールには打つ手がなかった。なぜなら、己がサーヴァントの宝具は、相手に対する攻撃として使う性質のものではないからだ。

 

「この期に及んでも使わないつもりとは、これはとんだ期待外れか?いや、違うな。使えんのか」

 

 イリヤスフィールが一向に指示を出す素振りを見せないことを訝りながらも、ギルガメッシュはそう独白し、

 

 ズズ・・・

 

 背後の窓から一本の長剣を出現させた。

 

「これまで見たところ、我が宝物でも貴様には傷を負わせることができないものもあったな。一定以上の魔力または威力を有する武具でないと傷つけられんということか」

 

「──―■■■──―!!」

 

 その間にもバーサーカーに向けられた弾幕は緩んでいない。

 

「では、これならどうだ?後世では、竜殺しの魔剣として名高い一刀だ。存分に味わうがいい」

 

 ゴッ!

 

 王の意思により解き放たれた長剣は、その肩口を通り過ぎると、凄まじい速度で標的へと襲い掛かった。

 巨人は自身に降り注ぐ武具を相手に依然として剣を振るい続けており、飛来したその一刀に気付いた時には既に手遅れになっていた。

 

 ドンッッッッッッ!!!

 

「──―■■■──―!!!」

 

「バーサーカーッッ!!!」

 

 放たれた剣は狙い違わず、灰色の巨人の分厚い左胸を貫いていた。

 

 ズゥゥンンン・・・

 

 不沈艦にも見えた巨人と言えど、霊格を貫かれてはどうしようもない。

 膝を折り、ゆっくりと全身が前のめりになっていき、遂には地に堕ちた。最後に受けた長剣も含めて、10を超える武器がその躰には突き立っており、夥しい量の血で全身を赤く染めあげていた。

 

「うん?これで本当にお終いか?」

 

 ギルガメッシュは、腑に落ちない表情を浮かべた。

 自身の本能がこの英霊はこんなものではない、と告げていたのだ。

 

「だが、こうなってしまっては・・・」

 

 どうしようもなかろう、と呟きながら、ゆっくりと金色の王は歩みを進める。

 崩れ落ちた巨人の亡骸へと向かう途上、何気なくそのマスターである銀髪の少女へと目を向ける。

 

「・・・・・・」

 

 無言で立ち尽くす少女の赤い瞳には、強い光が宿っていた。

 ギルガメッシュはその光は敗者が持ちえるものではないことを、よく知っていた。

 彼はその歩みを止める。

 

「バーサーカーは負けない」

 

 傍らの少女の微かな呟きが、はっきりと王の耳に届く。

 

「何?」

 

 すると、ギルガメッシュの眼前で倒れていた巨人の全身から、黒い炎のような揺らめきが纏わりつき始めた。

 

 ボォォォォォォ

 

「これは・・・」

 

 そして、ズタズタにされていた肉体が瞬く間に修復されていく。

 

 ガッ!

 

 さらに、両腕でグラウンドの土を抉るようにして掴みながら、その体躯を持ち上げていくと、

 

「──―■■■■■■■■■■──―!!!」

 

 復活した巨人の雄叫びが大気を切り裂いた。

 その咆哮と共に、仁王立ちになった全身から、黒炎が凄まじい勢いで爆ぜる。

 

「ほう、これはまた突拍子もない芸当だな。切ろうが焼こうが傷一つ負わないという英雄は数あれど、よもや本当に死の淵から蘇る者がいようとは」

 

 眼前で起きた奇跡にも等しい光景に驚嘆しながらも、ギルガメッシュの顔には当初から変わらない傲然とした笑みが浮かんでいた。

 

「やっちゃえ!バーサーカーッッッ!!!」

 

「──―■■■──―!!!」

 

 マスターの指示に呼応したバーサーカーは、一気に間合いを詰めると、眼前の敵目掛けて手にした斧剣を振り下ろした。

 

 ガァァァンンンッ!!

 

「ふん」

 

 だが、その攻撃は途中で妨げられ、敵の体を破壊するには至らなかった。

 目の前に大きな盾が出現し、防がれたのだ。

 

「だがな。攻撃手段が、馬鹿力でその石くれを振り回す事しかできないとうことでは、我にその刃が届くことは未来永劫ないぞ」

 

 ポケットに手を突っ込んだ姿勢のままで盾を出現させ、巨人の攻撃を防いだギルガメッシュは悠然と告げる。

 

「さてと・・・それで、貴様は何度復活できるのだろうなあ?」

 

 ギルガメッシュの発した声は、圧倒的に優位な立場にいる者が、無抵抗の相手を踏みしだく時の愉悦の成分が充満している。

 既に、中空には半円状どころかドーム状に、数えきれないほどの砲門が開かれていた。

 目標物は、その中心にいる灰色の巨人だ。

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドン!!

 

 50を超える武具が射出された。

 これまでの攻撃の際、それぞれの武器は僅かではあるが時間差を設けて放たれていた。

 が、今度は違った。

 それらは()()に解き放たれたのだ。

 

「──―■■■■■■■■■■■──―!!」

 

 バーサーカーは雄叫びを上げながら、手にした斧剣を凄まじい速度で振るい、そのうちの10余りを撃ち落とす。

 しかし、焼け石に水だ。

 撃ち落とせなかった武器のうち、残りのうちの半分はその頑強な肉体の鎧によって弾き返したが、さらに残りの半分が鋼の肉体をも食い破り、深々と突き立っていった。

 

 シュゥゥゥゥゥゥ・・・

 

 武器達に抉られた大地から上がる土煙と、灰色の巨人から噴出する血煙が、混ざり合ってその周囲に立ちこめる。

 もはや、バーサーカーの体は原型を留めておらず、数多の刃を受けたその様はハリネズミのようだった。足ももがれたため、その巨躯は地に転がっている。

 

「さて、どうなる?」

 

 興味津々という面持ちで、王はその様子に目を凝らす。

 

「ああ・・・・・・」

 

 一方で、銀髪の少女は口元を両手で覆う。

 

「これでもまだ蘇ってくるようであれば、手向けてやるものがあるぞ。我が財宝による串刺しの刑をひたすらに繰り返すのでは、些か(おもむき)に欠けるのでな」

 

 眼前に転がる巨大な肉塊に語り掛けながら、ギルガメッシュは中空から新たな武具を取り出し始めた。

 

 ズズ・・・

 

 姿を現したそれは、『剣』と呼ぶにはあまりにも奇怪な造形を成していた。

 本来刀身がある部分には、赤い螺旋状の機構が存在しており、薄紙を切ることもできそうにない。

 

「な・・・何なの?それは・・・」

 

 イリヤスフィールはその剣の正体など知る由もなかったが、それがどうしようもない程に危険な物であることだけは感じていた。

 

「この乖離剣、【エア】に貴様の体を供物として捧げ、10年ぶりの祭典に相応しい祝砲を上げるとしよう」

 

 その間にも、先程と同様に巨人の身を黒い炎が包みこんでいき、そして、その炎が肉体に変換されるようにして、元の形を取り戻していく。

 

「──―■■■■■■■■──―!!」

 

 

 再び生命を得た巨人が猛り狂う獣のように、四肢を地面に張り付かせたまま、夜空に向けて咆哮を上げる。

 

「・・・だめ・・・バーサーカー・・・」

 

 その様を少女は頼もしく思うと同時に、今は絶望的な状況であることを痛いほどに感じていた。

 

「くくく。だが、貴様の命とて無限ではあるまい。でなければ、人形がそのような表情をする筈がないからな」

 

 ギルガメッシュは手にした秘蔵の剣、【乖離剣(エア)】をゆっくりと振り上げる。

 

「喜べ、不撓不屈の英雄よ。汝は認められた」

 

 ゴゥゥゥゥゥゥゥゥゥ

 

 金色の王の重厚に響く言葉に同調するように、螺旋状の機構が回転を始めた。

 

「見事にこの天地を割く超常の一振りに耐えて、我を瞠目させるが良い」

 

「・・・いやぁ・・・やめてぇ・・・」

 

 少女の目に涙の雫が浮かぶ。

 イリヤスフィールは、自分の視界内にある全ての空間そのものが凝縮され、その剣に吸い込まれていくような錯覚を覚えた。そして、その剣が発する重圧の前に、体は微塵も動かなくなってしまう。

 

 ドンッ!

 

 バーサーカーが跳躍した。

 少女の騎士たる灰色の巨人は、ひるむことなどあり得ない。

 

「──―■■■■■■■■■■■■■■■■──―!!!」

 

 その手に持つ斧剣を大きく振り上げて、今にも絶望の剣を振り下ろそうとしている敵に向かって。

 その敵は、自身が守るべき小さく儚い主を害そうとする存在だ。

 

「なるほどな。では、その忠義に応えてやろう」

 

 その行動に何かを感じたか、ギルガメッシュが呟いた。

 

天地乖離す開闢の星(エヌマエリシュ)!」

 

 裁定を下すように、王がその腕を振るう。

 断罪される対象は、空を駆ける万夫不当の大英雄。

 そして、裁きの巻き添えになるのはその周囲の闇夜と、後方に聳える人工の建造物。

 それが、たとえ限られた領域に過ぎなかったとしても。

 

 コウッ────────────────────────────────────────

 

 この時、世界は切り取られた。

 

 

 Interlude out

 











自分の表現力の問題なのは重々承知していますが、ギル様とバーサーカーの戦闘はどうしても大味になってしまいますね・・・


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第16話 ~4日前①~ 「欠陥集合住宅」

1月27日 未明







 C turn

 

 

「たった一晩で随分と魔力を使ってしまったわね」

 

 夜闇に紛れて宙に浮く私は、新都のビル群を眼下に見下ろしながら独白した。

 セイバーやライダーとの戦いでかなりの魔術を行使することになった。大きく消費した魔力を補充する必要がある。

 敷設した陣により、衛宮邸には元々の霊脈以上の魔力が集まってくるが、それでも充分ではない。

 

「坊やには休んでもらわないといけないし」

 

 流石に、今夜は少年に魔力供給を求めるのは憚られた。

 早く寝るよう促したのは自分自身だし、凄まじいまでの戦い振りを見せた彼をこれ以上酷使させるわけにはいかない。

 実際のところ、行為をしようにも、それだけの体力が残されていないだろう。

 その代わりに一般人を糧にするつもりだった。

 

「今日はこのマンションにしましょうか・・・」

 

 集合住宅やホテルのような多数の人間が寝ている建物のほうが、効率が良い。

 一棟の中規模マンションを標的にすることにした。

 世帯数は100程だろうか。

 今晩は、衛宮邸が襲撃される可能性は低いと考えていたが、確実なわけではない。手早く済ませて、速やかに戻りたかった。

 最上階にあたる10階の外廊下にふわりと降り立つ。

 先ずはこのフロアの住人達から魔力を集め、順に階を降りていくつもりだった。

 私は片膝立ちになってから、コンクリートの床に手の平を当てると、黒い触手のような魔術による探知網を各部屋に張り巡らせていく。

 寝ている住人を接触したら、魂喰いをさせてもらうという手順だ。

 しかし、すぐに私は【()()】に気が付いた。

 

 ズン────────―

 

「なんなの・・・これは・・・?」

 

 自分の顔が瞬時に蒼ざめたのが自覚できる。

【それ】に触れた瞬間。

 得体の知れないドス黒い悪意のような、ネバついた重圧がこちらに伝わってきたのだ。

 

「・・・・・・・・・この上もなく不快だわ・・・・・・・・・」

 

 それだけではない。

 

「ほとんど空っぽになってるじゃない・・・」

 

 魔力の網を張ることで、このフロアの住人に対して一通り接触できたが、その殆どの魂が希薄になっていた。私自身、住人達から魔力の源泉となる魂を啜りに来たわけだが、ここまで露骨に奪い取るつもりはない。

 誰か他のサーヴァントの仕業と考えるのが自然かもしれないが、決定的に何かが違うとも感じていた。

 

「降りてみるしかないわね」

 

 いずれにせよ、このフロアでは目的である魔力を調達することはできそうにない。

 私は、外壁伝いに下の階へと降りることにした。

 

 

 

「ほぼ全滅みたいね」

 

 歩道に立ち、困惑しながら目の前のマンションを見上げる。

 10階から1階まで、順に確認してみたが結果は同じだった。

 このマンションの大半の住人が、10階の住人と同様に魂を抜かれ、そして『(けが)』されている。実際には、不快極まりないあの感触を何度も味わうのは避けたかったので、全てのフロアを隅々まで調べ尽くしたわけではなかったが。

 何が原因か突き止めたいと思う反面、深入りしないほうがいいと、私の中の何かが警告している。

 曲がりなりにも、英霊になった身だ。

 生前、様々な困難、怪物、(おぞ)ましい出来事に遭遇した。自分の責に帰すものもあれば、偶然の産物もあった。

 その幾多の体験と比較しても最高級の危険物だと、そんな確信があった。

 

「何をしている?キャスター」

 

「!?」

 

 突然の背後からの声に、完全に不意を突かれた。

 自身の思考に没入していた私は、事もあろうに周囲の状況に気を配ることを完全に失念していた。

 反射的に振り返りながら、魔力弾を放つために腕を突き出そうとする。

 

「落ち着け。ここでどうこうするつもりはない」

 

 やけに耳に残る重低音。

 その重厚かつ落ち着いた声でそう告げてきたのは、神父服を着た長身の男だった。

 

「あなたは、監督役の・・・」

 

「ほう。直接の面識はない筈だが・・・私を知っているのか?」

 

 実際には特に意外そうでもなく、神父服の男は無表情のまま問い掛けてきた。

 

「ええ。聖杯戦争の参加者として、ある程度の事は調べているわ」

 

 以前のマスターであるアトラム・ガリアスタから、冬木教会の神父が監督役であることは聞いていた。教会は不可侵領域ではあったが、その近辺に放った使い魔により、この神父が教会の主であることは早期に確認している。

 

「だろうな。それにしても、よく消滅せずにいられたものだな」

 

「どういうことかしら?」

 

 神父が気になる言葉を発してきた。

 

「いや、お前のマスターだったアトラム・ガリアスタ氏から私に依頼があったのだよ。お前を殺せる者を紹介してくれ、とな」

 

 もう2週間ほど前のことだがな、と神父は続けた。

 

「あの男が私を消そうとしていたことは知っていたけれど、あなたに話を持ち掛けていたのね」

 

「ああ。だが、生憎と・・・と言っては何だが、その時点では私には適当な()()がなかったのでな。丁重に断ったわけだ」

 

 裏を返せば、適当な人物に心当たりがあれば、私を殺すための人材仲介をするつもりだったということだ。この男がただの形式的で公正な進行役でないことが、この会話だけでも垣間見える。

 そもそも纏っている空気からして、人畜無害とは縁遠いものであることは一目でわかった。

 この男は、危険だ。

 

「そう。それで、なぜ消滅していないのが意外なのかしら?」

 

「私は参加者の動向を随時確認している。あくまでも可能な範囲でだが。アトラム・ガリアスタ氏が故人となっていることはわかっている。マスターを失ったサーヴァントがとうに消えていると考えるのは自然だろう」

 

 ここで神父は口の端を僅かに吊り上げて、笑みを浮かべた。

 全く信用ならない表情だった。

 この男は、私が消えていない理由などとうにお見通しなのではないだろうか。

 どこまで知っているか確認したかった。

 

(わたくし)は【魔術師のクラス(キャスター)】なのよ。魔力を集める方法は他のクラスのサーヴァントより豊富だわ」

 

「だろうな。マスターがいなくても、やりようはあるか」

 

 読み取り辛い反応だった。

 私としては、衛宮士郎との繋がりを極力把握されたくない。

 公正な監督役相手だったとしてもそうだし、ましてやこの怪しげな神父になら尚更である。

 マスターからの供給以外の一般的な魔力補充の手段としては、他のサーヴァントでも可能な魂喰いや強力な霊脈を有する土地から魔力を吸い上げることなどが挙げられる。いずれかをキャスターのクラススキルである【陣地作成】などを併用して、現界を実現していると思い込んで欲しかった。

 

「事実として、お前は以前にも魂喰いをしているな?」

 

「知っているの?」

 

 想定外ではあったが、ここでは素直に肯定する。そっち方向に思考を向けられたほうが都合がいい。

 実際、現界できるだけの魔力は坊やから得ていたが、それでも充分ではなかった。早急に魔力を補充するために、この新都で魂喰いをしていた。

 

「聖杯戦争参加者の不始末を隠蔽するのが、最も重要な私の仕事と言っても過言ではない。できれば、事前に連絡が欲しいくらいだ。そうすれば、対処の仕方もスムーズになるのだからな」

 

 本格的に迷惑そうな口調だった。

 本心を図り兼ねる相手だが、この部分だけは本音のようだった。

 

「できる限り後に残らないよう丁寧にやったわ。無分別というわけではなかったと思うのだけれど」

 

「確かにな。医者による採血のような洗練された仕事だった。その点は評価しよう」

 

 と言いながらも、それで、と神父は続けた。

 

「このマンションでの犯行もお前の仕業かな?」

 

 そういう事か。

 どうやら、この神父もこのマンション内の状況を何らかの方法で察知したのだろう。その犯人が誰かを探るためにここまでやってきたというわけだ。

 

「私じゃないってわかっているのでしょう?」

 

 そもそも、この神父は私と事を構えるつもりはなかったようだ。そして、これまでの会話からも、私のやり口とマンション内の住人の有り様では乖離していることを察しているだろう。

 

「念のためだ。ここの住人の容態は、お前の手口による被害者とは大きく違うし、未だに犯行現場であるここを離れていないことも考慮すると、限りなくシロと踏んでいるのだがな」

 

「寧ろ私の方が聞きたいわ。一体、ここで何が起きたのかしら?多少の情報や推察はあるのでしょう?」

 

「わからん。1週間ほど前から、少しずつではあるが、同様の被害者が出てきているのだ。サーヴァントの所業とは思えないが、さりとて、無関係とも思えん。魔力を喰らうという行為である以上、聖杯戦争との因果関係を疑わざるを得んな」

 

「1週間前・・・時期的にもサーヴァントが増えてきた頃合いかしらね」

 

 その時期に既に現界していた英霊が容疑者に含まれるという事だ。

 無論、私もその一人ということになる。

 

「既に召喚されていたのは、誰かしら?」

 

 折角なので、集められるだけの情報を入手しようと、私は質問を重ねた。

 

「ふむ、このくらいは構わんか。お前を除けば、バーサーカー、ライダー、そしてアーチャーだけだな」

 

 あっさりと答えが返ってきた。

 

「それぞれの特徴は?」

 

 完全に『あわよくば』という程度で、さらに問い掛けてみる。

 

「そこまでは教えられんが、こんなことができるタイプのサーヴァントはいなさそうだがな」

 

「そう」

 

 ライダーとバーサーカーには既に遭遇したわけだが、後者はとてもこのような奇怪な事象に関連するとは思えない。前者であるライダーの魂喰いの結界は把握済だが、性質が違う。

 あの女も真っ当な英霊ではなさそうだから、ここでの出来事との関連性を完全に否定することはできないが。

 

「やっぱり違う気がするのよね・・・」

 

 思わず呟きが漏れた。

 

「ふむ。そうだな、私もこの件は、単純にサーヴァントが自身を強化するために魔力集めをしているのとは、違う性質のものだと感じている」

 

 直感的に過ぎないが、と神父は続けた。

 

「これは、もっと本能的な欲求に基づく行為だ」

 

「やりたいからやっているということかしら?」

 

「あるいは、他にやりようがないからやっているのかもしれん」

 

「子供の癇癪みたいなもの?」

 

「女のヒステリーかもしれん」

 

 神父は淡々と別の表現を提示してきた。

 私に対する当てつけかとも思ったが、特に他意はないのだろう。

 

「・・・さてと・・・ところでキャスターよ。物は相談だが、私と手を組む気はないかね?」

 

 思いもよらない言葉が、神父の口から発せられた。

 

「どういうこと?監督役であるあなたが、そんなこと許されるのかしら?」

 

「どうにも、今回の聖杯戦争はイレギュラーが多くてな。サーヴァントが揃ってもいないうちから、かなり本格的な衝突が起きている」

 

「そ・・・そうなのね・・・」

 

 当事者でもある私としては後ろめたさもあり、返事の歯切れが悪くなってしまう。

 この神父は、先程起きた学校での乱戦のことを既に知っているのだろうか?

 

「それだけではなく、アトラム・ガリアスタ氏が私にお前の排除の斡旋を依頼してきたことと言い、このマンションで起きたような不可解な魂喰いと言い、監督役の私としては少々、頭が痛いところでな。全くもって何もかもが()()()()()

 

 そう言うと、神父は嘆息した。

 

「要するに、仕事が煩雑になり過ぎているのだ。少しでも整理していきたい」

 

「監督役も辛いわね」

 

 私のやっている『普通の』魂喰いは、どう位置付けられるのだろうか?

 

「見たところ、お前は分別のある英霊のようだ」

 

「だからと言って、手を組むなんて不可能でしょう?」

 

 この男はマスターではないのだから。

 

「そのままの意味ではない。要は、ちょっとした取引だ。配慮のある魔力調達であれば、その行為は見咎めないことにしよう。代わりに無秩序な闘いや、今回のような異常事態を察知した時には、私に情報を共有して欲しいのだ」

 

 聖杯戦争を統制の効く範囲に収めたい、ということだろう。監督役としては、もっともな話のように思われた。

 私としても、この話に乗ればリスク回避が図れるかもしれない。

 監督役の権限を以てすれば、私を一般社会に害をなす不届き者として指定することだってできるだろう。そうすれば他の参加者達に一斉に狙われることになるかもしれないのだ。

 そんな事態を避けることができる。

 だが、

 

「この話は保留にさせて貰えないかしら?」

 

 と、返答した。

 余計な反感を買うことを避けるために、遠回しな表現になったが、私はこの提案に乗る気はなかった。

 最初のマスターであるアトラム・ガリアスタや、あの間桐慎二とは、全く別の次元でこの男は信用できない。

 

「そうか。残念だな」

 

 神父はこちらが受ける意思がない事を悟ったようだったが、言葉とは裏腹に、さして残念がる様子でもなかった。

 そもそもあまり期待していなかったのだろう。

 

「次に犯行に及ぶときには、前回以上に綺麗に仕上げて欲しいものだ。私が気付かないくらいにな」

 

「善処するわ」

 

 私は形だけの返事をした。

 これからどうしようか?

 このマンションでは、『食べ残されていた』住人から、僅かながら魔力を調達できたに過ぎない。場所を移して再度試行することも選択肢のうちだが、これ以上、衛宮邸を空けるのも心配だった。

 

「私はこれで失礼するわね」

 

 神父にはそう伝えて、私は屋敷に戻ることにした。

 今夜は色々あった。

 少し休みたい、というのが本音だ。

 

「ふむ。私はもう少し・・・!?」

 

 神父が突然、続けようとしていた言葉を切った。

 いや、失ったと言ったほうが正しいのだろうか?

 私もまた、異様な空気を感じて、神父の視線を追った。

 

「っ!!??」

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

【それ】は、永久(とこしえ)に『黒』だった。

 音が無く、色が無く、空間も無かった。

 

「・・・なに?」

 

「・・・なん・・・なの?」

 

 周囲の街灯の明かりは必ずしも充分なものではなかったが、【それ】がいるそこだけが切り取られていた。

 造形としては、強いて言えば『蛸』を思わせた。それが黒い幌を被ったような形状をして、ただただ、そこに在る・・・いや、無い、と言うべきか。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 神父も私も呼吸という概念を忘れてしまったかのようだった。

 それすらも許してくれない程に、それは何もないくせに、圧倒的な存在感を持っていて、そして決定的におかしかった。

 つぅ・・・と私は自分のこめかみを汗が流れるのを自覚した。

 そして、ローブが背中にじっとりと張り付くのを感じた。

 

「・・・まさか・・・これは・・・」

 

 隣で神父が呟くのが、微かに聞こえた。

 目の前の【それ】について、何か思い当たる事があるのだろうか。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 唐突に、世界は元に戻っていた。

 【それ】は忽然と消えた。

 他に形容のしようもない。

 あれが現れると現れた後の世界は何も変わっていないかのようだった。

 だが、そんな筈はない。

 あんなものがこの街にはいる。

 その事を知ってしまった今と、知らなかった1分前で同じであるわけがない。

 

「何だったのよ・・・」

 

 ようやく言葉を思い出した私は、ゆっくりと息を吐き出した。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ふと神父を見やる。

 私と同じ怪異を見た男。

 今、唯一共有できる感覚を持った筈の人物。

 しかし。

 私がその男と共感できるものなど、何一つ持ち得ない事がすぐにわかった。

 男の顔は歪んでいた。

 その顔にあったのは、歓喜の笑みだったのだ。

 神父のその顔から、私はすぐに目を背けた。

 見るに堪えない。

 ・・・間違いなく、この男は狂っている。

 











映像も絵もなしにテキストだけで、あの【影】を表現するのってキツイです。


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第17話 ~4日前②~ 「引きずるタイプ」

1月27日 朝








 E turn

 

 

 ジリリリリリリリリィィィィィィ!

 

 けたたましく目覚まし時計が鳴動する。

 喧しい。

 この道具で目を覚ます事など稀になっていたが、今朝はどうにもならなかった。

 容赦ない音の洪水が、ガンガンと頭の中に降り注いでくる。

 

「ぐ・・・!」

 

 控えめに言って全身筋肉痛。

 頭もボンヤリと霞がかかっているようだ。

 それでも、意識を強く持ち、無理矢理手を伸ばして、騒音の主を沈黙させる。

 

「これで、静かに眠れるな」

 

 と独り言ちて、自然に布団の中に沈没していく。

 

「って、そうじゃない!」

 

 思わずそう叫ぶとオレはガバっと掛け布団を跳ね上げ、その勢いのままに上半身を起こした。

 

「がっ!?」

 

 当たり前だが、激痛が走る。

 

「・・・・・・・・・・・!!!」

 

 オレはその場で上半身を前屈みに折って、苦悶に耐えた。

 

 ザッ

 

「おやよう、坊や・・・・・・大丈夫?」

 

 障子戸をスライドさせて、顔を覗かせたのはキャスターだった。

 彼女はいつもより少しだけ顔色が悪いようにも見えた。

 帰って来てから、寝てないのだろうか?

 昨晩この家に戻ってから、オレはあまりの疲労にいつ寝たのかも覚えていないくらいだ。それくらい厳しい戦闘だった。キャスターだってだいぶ消耗しただろうに。

 そんな疑問が頭を掠めながらも、今のオレは自分自身の事で手いっぱいだった。

 

「こ・・・これくらい・・・大したことじゃない」

 

 顔に脂汗が浮かんでいるのを自覚しながらも、オレは強がって見せる。

 

「そう。それなら、朝ご飯食べられる?準備しておいたわよ」

 

 彼女はお盆を持った手で口元を隠して、目を細めた。その手の内側では、ニヤニヤと意地の悪い笑みが浮かんでいるのだろう。

 

「ああ、準備をして行くから、居間で待っていてくれ」

 

 ここで待たれても、キャスターの側まで辿り着くのにどれだけの時間がかかるかわからない。

 

「ふふ、手を貸しましょうか?」

 

「大丈夫だって」

 

「はいはい。頑張って頂戴ね、男の子」

 

 ひらひらと手を振って、彼女は廊下の奥へと戻って行った。

 

 

 

「だいぶ上手になったんじゃないか?」

 

 キャスターが用意してくれた朝食は、レタスのサラダ、スクランブルエッグ、ウインナーにご飯と味噌汁。

 無難なラインナップではあるが、オレの教えたことを彼女なりに丁寧に守ったことがよくわかる。

 卵のとろけ具合は程良いし、味噌汁の風味は失われていない。

 

「ありがとう。ちょっと上から目線なのが、気に入らないけれど」

 

 少し口を尖らせながらも、向かいに座るキャスターは満更でもなさそうに目を細めた。

 彼女はいつもどおりの綺麗な姿勢で、上品に両手で湯呑みを持っている。

 

「それにしても、今日くらい学校休めばいいんじゃなくて?ご飯食べるのだって大変なくらいじゃない」

 

 キャスターはかなり本気で諭してきた。

 

「なんか負けたような気がするから行く」

 

 ちょっとムキになって、オレはそう応えた。

 

「壊れた弓道場の事も気になるし」

 

「それこそ、坊やが登校したからってどうなるものでもないじゃない」

 

 ごもっともな指摘ではある。

 

「いや、だから壊した手前、その現場に行かないでしらばっくれるのは、余計罪悪感が増すじゃないか」

 

『正義の味方』として、あるまじき行為だとも言える。

 まあ、『オレがやりました』って白状できるわけでもないのだが。

 

「なんとなく気付いてはいたけれど、坊や、自虐体質よね・・・」

 

 卓に肘をついて、組んだ両手に形の良い顎を乗せたキャスターは、少しじっとりした目でオレを見詰めてきた。

 特徴的な少し尖った耳が垂れる。

 

「そんなことはないぞ」

 

 反射的に否定するが、それを補強する具体的な事例が提示できないのがもどかしい。

 んん?

 ということは、キャスターの指摘が正しいのか?

 

「そもそも、弓道場を本格的に壊したのは、あのバーサーカーじゃない。坊やは何も悪くないわ」

 

「オレ達の戦いが原因なんだから、オレにも責任があるだろ?」

 

「はあ・・・・・・」

 

 キャスターは目を閉じると、本格的に深い溜め息をついた。

 

「まあ、いいわ。そんなところがあなたの美徳でもあるわよね」

 

 そう言うと、彼女はおもむろに腰を上げた。

 

「薬を持ってきてあげるから、それを飲みなさい。痛みが和らぐわ。今のままじゃ、学校に着く頃には、お昼を過ぎてしまうわよ」

 

「・・・うう・・・ありがとうございます」

 

 オレは、廊下へと向かう彼女の背中に深々と頭を下げた。

 

 

 

「・・・・・・弓道場がどうのなんてレベルじゃなくなっちゃったなあ・・・・・・」

 

 オレは途方に暮れていた。

 周囲にいる当学園の生徒達も同様だろう。

 キャスターの調合してくれた薬のお陰で、だいぶ痛みがマシになったオレは無事、学校に辿り着いた。

 その筈だった。

 だが、オレが辿り着けたのは、『学校があった敷地』までだった。

 

「とんでもないことになったな・・・衛宮」

 

 そう声を掛けられて後ろを振り向くと、一成がいた。

 その目も口も、限界に挑戦するかのように大きく真ん丸に見開かれていた。

 通常であれば、まずお目に掛かれない間の抜けた表情だが、今回ばかりは無理もないだろう。

 なにせ、

 

「学校がなくなってしまったな」

 

 という一成の言葉が全てを物語っていた。

 

「そうだな」

 

 気の利いた言葉も浮かばず、淡々と返事をするしかなかった。

 オレ達の目の前には、本来ある筈の校舎がなかった。

 昨日まで・・・というか昨夜まで確かにここに学び舎があった事をオレは知っている。

 朝食時にキャスターと話したとおり、オレは弓道場が半壊していることについて、学校中が大騒ぎになっていることを覚悟して登校してきた。

 しかし、実際にはそんな覚悟は不要だったわけだ。

 大騒ぎになると言うよりも、みんな呆然としている。

 人間、あまりにもわけのわからないものを目の当たりにすると、騒ぐということすら忘れるようだった。

 

「授業はどうなるんだ?」

 

「おお・・・あっちで、先生が指示しているようだぞ」

 

 オレは一成の視線を追う。

 

「不測の事態が発生し、本日は臨時休校となった。部活動も全て中止だ。各自、速やかに自宅に戻るように」

 

 そう言って、途方に暮れる生徒達に指示を出しているのは、社会科の教師である葛木宗一郎だった。

 この状況下においても、いつもとほとんど変わらない口調で淡々と、そして落ち着いているその姿を見ると、不思議と目の前の異常事態が異常ではないような錯覚を覚えた。

 まあ、どうしたってその背後に校舎がないという事実は覆い隠しようがないが。

 

「宗一郎兄はやはり大層な御仁だ。あの人の言葉でみんなが自然と落ち着いていくのがよくわかる」

 

 一成の言葉どおり、生徒達は事態を飲み込めなくても、ここでやれることがないということを認識させられて、大人しく家路についていた。

 

「明日以降の指示については、緊急連絡網を通じて伝達される。保護者の方にしっかりとその旨伝えること」

 

 オレと一成が話している間にも、葛木の指示は続いていた。

 実際問題として、この状況では何もやれることがない。

 校舎が消えたという事象について、聖杯戦争と無関係なわけがない。

 昨夜オレ達が立ち去った後、僅かな時間かもしれないがイリヤスフィールとバーサーカーだけがここに残っていた筈だ。

 彼女達が関係していると考えるべきだろう。

 考えながら何気なく周囲を見回すと、生徒達の人混みから少し離れた位置に、昨夜と同じ赤いコートを見つけた。

 遠坂だ。

 彼女は険しい目をして、校舎のあった空間をじっと見詰めていた。

 が、しばらくすると、自分自身を見ていたオレの視線に気づいたようだった。

 

「げ、遠坂・・・」

 

 隣の一成が、呟いた。

 遠坂がこちらへと向かってきたのだ。

 

「おはよう、衛宮君。それに生徒会長」

 

 彼女は、昨夜の戦いの事などおくびにも出さず、普段の学校生活と同様の態度で挨拶をしてきた。

 

「ああ、おはよう遠坂」

 

 オレも、遠坂に普通の挨拶を返した。

 隣には一成がいるのだ。

 聖杯戦争の事など微塵も悟られるわけにはいかない。

 

「衛宮君、少しだけ話があるの。いいかしら?」

 

 近付いてきた遠坂が、オレに移動するよう促した。

 視線の先には、半壊している弓道場がある。

 あの辺りで話そうということなのだろう。

 

「ああ、オレも丁度、遠坂と話したいと思っていたところだ」

 

 そう言って、頷いた。

 

「お前ら・・・どういう・・・」

 

「この前のストーブの一件で、少しだけお互いの距離が縮まったのよ。ご免なさいね、大事な話だから」

 

 遠坂のダメ押しのような言葉を受けて、一成は無言で引き下がった。

 

「一成、すまないな」

 

 憮然とする一成にそう詫びて、オレと遠坂は生徒達から離れて弓道場の裏側に移動した。

 幸い、周囲には誰もいない。

 

「正直、つい半日前に殺そうしたり、『私達は完全に敵同士』みたいな宣言していながら、何なのって感じだろうけど・・・そこは謝らせてもらうわ」

 

 遠坂にしては珍しく、歯切れが悪い口調でそう前置きをした。

 

「オレは別に気にしていないぞ。寧ろ、遠坂と話す機会ができるのは大歓迎だ」

 

「そう言ってもらえると、話しやすいわ」

 

 少し硬かった彼女の表情が和らいだ。

 

「これはどういうこと?私達がこの場を去ってから、何があったの?衛宮君」

 

 遠坂の認識からすれば、昨夜、ここに最後に残ったのは、オレ達とイリヤスフィール達だ。こういう質問になるのは、当然だった。

 

「見てのとおり、オレも途方に暮れているところだ」

 

「つまり、あなたが関与しているわけじゃないってことね?」

 

「ああ。遠坂達がこの場を立ち去ってから、オレ達もそれ程時間を置かずに帰ったからな。弓道場が壊れてるからそれで大騒ぎになっているだろうなって、ビクビクしながら登校してきたところだ」

 

 傍らの瓦礫と化している弓道場の射場に視線を送りながら、ありのままを伝えた。

 校舎が消えたことに比べれば、この有り様が可愛く思えるくらいだ。実際、多くの生徒達も弓道場の惨状など気付いていないようだった。

 

「ほんと、いったい何が起きたんだろうな?あのバーサーカーでも、こんなことができるとは思えないんだけどな。とんでもないパワーだったから、何度も校舎をぶっ叩いていれば、壊し尽くすことは可能かもしれないけど」

 

「そうね」

 

「なにせ、消えていたからな」

 

「ええ、そこなのよね」

 

 そう。

 多少の瓦礫はあるが、校舎は壊されていたのではなく、()()()()()いたのだ。

 

「もう少し的確な表現をするなら、『切り取られていた』って感じだけどな」

 

 校舎は全てが消失したというわけではなく、三分の一ほどは残っていた。ちょうど、パウンドケーキを真ん中からナイフでカットして、持っていかれたみたいな状態だ。

 

「瓦礫の山にでもなっていたら、バーサーカーの仕業だとすんなり思えたんだけどね」

 

「サーヴァントの切り札、【宝具】だっけ?それを使ったのかな?」

 

「ほぼ間違いないでしょうね。逆に、通常攻撃でこんなことができるのだとしたら、そんなヤツに勝てるわけがない。速攻で白旗揚げるしかないわよ」

 

「確かにお手上げではあるな」

 

 だとしても、オレは諦めるつもりはないが。

 

「状況としては、オレ達がここを立ち去った後に、バーサーカーと他のサーヴァントが戦ったってことだな。バーサーカー達が校庭を離れた後に、別の2体のサーヴァントがここで出会って戦いが起きた可能性は低いし」

 

「偶然にしては過ぎるわよね」

 

「こんな宝具を使えそうなのは、ランサーか、アーチャーあたりかな。勿論、バーサーカーの宝具ってことも考えられるけどな」

 

 キャスターから聞いている限りでは、アサシンのサーヴァントにこんな大掛かりな宝具が使えるとは思えなかった。

 

「そうね・・・」

 

 遠坂は何事か考え込んでいるようだったが、

 

「綺礼!?」

 

 オレの後方に目をやった彼女は、驚いた。

 オレも後ろを振り返ると、神父服に身を包んだかなり長身の男が、こちらへと近付いてくるのがわかった。

 年齢は30代半ばくらいだろうか。

 背筋をしっかりと伸ばしており、落ち着いていて、かつ重厚な雰囲気が漂っている。

 

「途方もない惨事になってしまったな、凛。私としても極めて頭が痛いところだが」

 

 神父服の男は、その雰囲気をさらに増幅させるかように、よく通る独特の低音で、そう遠坂に話し掛けた。

 

「で、こちらの少年は?」

 

 神父服の男は訝し気にオレに視線を送ってきた。

 

「私と同学年の衛宮士郎君よ」

 

「ほう・・・・・・衛宮・・・士郎・・・か」

 

 オレの名前に心当たりがあるかのような反応を微かに見せた。

 

「心配しなくていいわ、綺礼。彼も関係者よ。ちょっと複雑だけれど、少なくともこの戦いの事は一通り知っている魔術師だから」

 

「そうか。では、このまま話しても特に問題はないのだな?」

 

「ええ。ちょうど、私も彼と今回の件で情報交換をしていたところだから」

 

「遠坂。すまないが、オレにもわかるように説明してくれないか?」

 

 遠坂はこちらにあまり頓着せずに話を進めていたが、こっちは突然現れたこの男が何者なのか気になって仕方が無かった。

 

「ああ、ご免なさい。こいつは、言峰綺礼。冬木教会の似非(エセ)神父で、この聖杯戦争の監督役よ」

 

「『似非(エセ)』は余計だ。私は事実として聖職に就いているのだからな。そして凛の兄弟子でもあり、保護者代わりでもある」

 

「あんたのほうこそ、後半の情報は余計よ」

 

「これを説明しておかないと、お前とこうして親しく話す理由がわからないだろう。監督役は基本的には中立の立場だ。本来、みだりに聖杯戦争関係者との接触は避けるべきなのだからな」

 

「別に親しくなんてないわ。誤解を招く表現は止してよね」

 

 さっきから遠坂はこの神父の事を、『こいつ』だの、『あんた』だの言いたい放題だ。昨日の時点でだいぶ気付いていたが、『学校一の優等生』の振る舞いはあくまでも外面だけの事だったということを思い知らされていた。

 

「それであんたは、監督役としてこのとんでもない事件現場の有り様を直に確認しにきたってとこなのか?」

 

 オレも監督役という存在くらいはキャスターから聞いている。

 ライダーの結界のことについて気付いた時に真っ先に考えた対処が、監督役に連絡する事だった。

 

「そのとおりだ。聖杯戦争について、可能な限り一般社会に影響しないよう秘匿するのが私の仕事だからな。だが、これ程までに大規模な事態が起きてしまうと、処置に苦慮するな」

 

 神父は大きく溜息をついて、苦々し気な表情になった。

 

「正直、頭が痛いところだ。そもそも、開戦前だというのに他にも事案が起きている」

 

「この前見た双子館での戦闘の件かしら」

 

「いや、あれは殆ど一般社会に影響を及ぼしてはいない。元々、俗世と隔離された建物だからな」

 

 二人はオレにはわからない出来事について、話している。

 

「新都でガス漏れ事故が何件か起きているだろう。私が情報操作を行った結果でそういう報道にはなっているが、あれもサーヴァントの仕業だ」

 

「ああ、昏睡者がかなりの人数出ているってあれね」

 

「それならオレもニュースで何度か観たな」

 

「もっとも今回の件と比べれば、まだ、穏便なものだがな」

 

「そうね。でも今回、人的被害が出なかったのは奇跡に等しいわね」

 

「確かにな」

 

「建物の損傷・・・正確には消失状況から推測するに、放たれた一撃は地面と平行ではなく、斜め上方向に向けられたのだろう。そのため、校舎は一階の上部から切り取られたような形になっている」

 

「ああ、だから周囲の低層住宅に被害が出なかったわけね」

 

「逆に言えば、地面と平行に撃たれていたら、犠牲者がどれだけ出たかわからないってことか・・・・・・」

 

 想像するとオレはゾッとした。

 この威力では間違いなく3桁の人死にが出るだろう。

 10年前に起きたあの大火災に匹敵する被害だ。

 

「でも、そういう意味では曲がりなりにも分別があったってことかしら?」

 

 遠坂が眉間に皺を寄せて、悩まし気に疑問を口にする。

 深夜の学校に人が残っている可能性は極めて少ない。最低限、一般人を殺さないだけの配慮はしたと考えられなくはないが。

 

「さてな。単なる偶然かもしれん」

 

 神父は頭を振った。

 

「確かに材料が少な過ぎるわよね。でも、色々考えると、イリヤスフィールや、あのバーサーカーによるものという可能性は低いかしら」

 

「そうだな。少なくとも、あの子は正式な開戦前に事を起こすつもりはなかったようだからな」

 

「ええ。アインツベルンのマスターって立場があるから、聖杯戦争は俗世になるべく影響しないようにするっていう基本スタンスは守ると思うわ」

 

「お前の言うとおりだろう、凛。そして、今の話からすると、お前達はイリヤスフィール達に昨夜会っているのだな?」

 

「ああ、そう言えばその件をあなたにはまだ話していなかったわね」

 

 途中から話に加わってきた神父は、昨夜の一件についてまだ知らない。

 遠坂は、かいつまんで昨夜の戦いの件を説明した。

 

 

 

「・・・成程。バーサーカーと何者かがここで戦った公算が高いわけか」

 

 遠坂から一通りの話を聞いた神父は、少し目を瞑り考え込む様子を見せた。

 

「・・・凛。これは、監督役としての言葉と思って聞いて欲しい」

 

「何よ?今さら改まって」

 

「このサーヴァントを斃して欲しいのだ。いや、元よりお前の事だ。この聖杯戦争に勝つつもりで参加している以上、全てのサーヴァントを斃すつもりでいただろう」

 

「当たり前じゃない。たとえどんなとんでもない力を持った敵だろうと、私は勝つわ」

 

「わかっている。だから、私の言葉は無駄なのかもしれない。だが、この校舎を消したサーヴァントが途方もない力を持っていることはお前も充分にわかっているのだろう?驚異的とすら言えるほどに」

 

「・・・それは・・・・・・わかっているわよ」

 

 遠坂の表情が硬くなる。

 

「そんなサーヴァントがルールを逸脱した行動を取っている。これは由々しき事態だ。この土地の管理者としても見過ごすことはできまい?」

 

「これ以上の狼藉を抑えろってこと?」

 

「お前に指示などできんことは百も承知だ。だが、私としては他の聖杯戦争参加者にも呼び掛けるつもりだ」

 

「いくら監督役の言葉でも、そんなリスクを取るのかしら?」

 

「だが、バラバラにこの相手に挑んでは、各個撃破されてお終いと考える者もいるだろう。それに、タダでとは言わん」

 

「ボーナスがあるってこと?」

 

「そうだな。直接斃した参加者には令呪を2画。間接的に支援した場合でも令呪を1画与えることにする。お前はいらないと言うかもしれないが」

 

 そんな事が可能なのか。

 オレには無いが、令呪ってのは強力な魔力リソースでもあると聞いている。一時的にならサーヴァントを強化することも可能って話だから、欲しがるマスターもいるだろう。

 

「成程ね。私と共闘して手柄をあげれば、監督役から令呪が与えられるってわけね」

 

「さしあたり、その少年はどうなのだ?見たところ、令呪は無いようだが」

 

「どうかしら?少なくとも私は彼と手を組むつもりはないわ」

 

 遠坂はバッサリと答える。

 

「なぜだ?同級生なのだろう?親し気に話していたようだが」

 

「彼自身は問題ないわ。でも、従えているサーヴァントがね・・・・・・信用できないわ」

 

 暫くの間、遠坂と神父の会話を傍らで聞いていただけのオレだったが、遠坂のこの言葉に思わず反論することにした。

 

「彼女の事をそんなに知っているわけじゃないだろう?」

 

「ただの勘よ」

 

 元々、遠坂と手を組むのは難しいとは考えていたが、それがはっきりとしたわけだ。

 

「まあいい。他の参加者と共闘するかはお前の自由だ」

 

「ええ。勝手にやらせてもらうわ」

 

 そう言って、遠坂は話はこれでお終いということを示すように赤いコートを翻す。

 そして、校門の方へと足早に向かって行った。

 

 

 

「ふ。凛らしいと言えば、らしいのだがな」

 

 彼女の後姿を見送った神父はそう独り言ちた。

 

「ん?あれは・・・・・・」

 

 神父が訝し気な声を出す。

 その視界に何かを捉えたようだった。

 

「誰だ?」

 

 釣られて同じ方向に目を向けたオレは、依然として校舎の前で呆然とする生徒達の近くに、明らかに異質な存在を見つけた。

 学生服に身を包んだ生徒達とは全く違う、スーツを着込んだ人物。

 

「女なのか?」

 

 多くの男子生徒並みの身長で髪が短く、スーツも男物だったため一瞬わからなかったが、体型から女性と知れた。その立ち姿は堂々としており、遠目に見ても常人離れしているように思われた。

 彼女の鋭い眼差しはこちらに向けられており、オレは自分が睨まれているかのように感じられた。

 

「・・・それでは私もこれで失礼するぞ・・・衛宮士郎。健闘を祈ろう」

 

 その視線を意に介さず、神父は少し笑みを浮かべてそう告げると、オレの前から立ち去って行った。

 こちらに向けられていた赤毛の女性の視線は、神父の動きを追っていき、オレからは外れていった。

 その目は、依然として睨んでいるようにも感じられたが、どことなく複雑な光も孕んでいるようにも思えた。

 

「あの人も、きっと聖杯戦争の参加者なんだろうな」

 

 先生でも生徒でも警察官でもなく、ましてや、ただの野次馬でもない。

 あんな立ち姿の一般人がいるわけがない。

 いずれ、戦う事になる相手かもしれなかった。

 だが、今はそんなことよりも、

 

「ここにいても仕方ないよな。帰って今日は寝よう」

 

 無理矢理登校したが、体力も魔力も空っぽだ。

 校舎が無くなったのは寧ろ幸運だと開き直り、一刻も早く眠りたかった。

 

 










普段であれば綺礼みたいなのが学内をうろついていたら注目の的になるでしょうが、異常事態につき、さほど目立っていないということで。


ようやくサブタイトルつきました。


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第18話 ~3日前①~ 「修羅場」

1月28日 未明







 Interlude in

 

 

「本当に行くのか?桜よ。キャスターは左程の脅威にはならん。敢えて手出しをするまでもないとは思うが」

 

 玄関でスニーカーを履く少女に、間桐臓硯が疑義を呈した。

 

「わかっています、お爺様。お言いつけどおり、目立つことも無理をするつもりもありません」

 

 ドアノブに手を掛けた桜は、振り返って少し微笑んだ。

 穏やかで空虚な笑み。

 

「私自身、魔術師としての経験は殆どありません。本格的な開戦前に、少しでも戦闘やサーヴァントの扱いに慣れておきたいんです」

 

「・・・む。まあ良い。お主が折角、マスターとしての立場を受け入れ、積極的に行動を起こそうとしているのだ。敢えて止めはせん」

 

 渋々という体で老人は少女の意思を受け入れた。

 

「ふふ、我が儘を聞いていただきありがとうございます、お爺様」

 

「程々にするのじゃぞ」

 

「はい」

 

 ギィィ・・・

 

 背中で返事をした間桐桜は扉を開け、夜の帳の降りた世界へとその足を踏み出した。

 

 

 

「以前に少し調べましたが、私達サーヴァントはこの山門からしか入れません。無理やり他のルートから境内に立ち入ろうとすれば、かなり消耗することになります」

 

 石段を上がりきったライダーは、抱えていた桜を降ろしながらそう伝えた。

 目の前には柳洞寺の入り口とも言うべき、趣深い造りの山門がある。

 

「不思議なものね。人間はそんな制約は受けないというのに」

 

 桜が自身の髪を軽く片手でかき上げながら、不思議そうに応じた。

 彼女は白いワンピースに桜色のダウンコートを羽織っただけという服装であり、これから戦うことになるかもしれない者の装束としてはやや似つかわしくない。

 

「霊地として優れたこの寺の防衛機構のようなものかもしれませんね。正確なところはわかりませんが」

 

「まあ、この正門から入ればいいんだから、今は問題ないわよね」

 

「そうですね。幸い待ち伏せをされている気配も、罠が仕掛けられている様子もありませんから」

 

「キャスターって言うんだっけ?敵のサーヴァントは、まだ中にいそうかしら?」

 

「情報を得てから、ここに着くまでに20分程度しか経過していません。まだ境内にいる可能性のほうが高いでしょう」

 

 間桐臓硯は、様々な冬木市内の要衝に使い魔である蟲達を放っている。

 勿論、完璧なものではないが、先刻、キャスターがこの柳洞寺に入ったことがその監視網に引っ掛かり、桜にも伝えられたのだ。臓硯にとっては、他意のない情報共有に過ぎなかったようだが、桜はこの話に敏感に反応した。

 キャスターの動向を直接確かめたいと、すぐに間桐の屋敷を出たのだ。

 

「ふふ。ライダーに抱えられてきたけれど、やっぱりあなた凄いのね。ここまで、あっという間に着いちゃったもの」

 

「ありがとうございます。私としても、慎二と違って桜がマスターとなっているほうが、遥かに能力を発揮しやすいですし」

 

 ライダーは複雑な思いを抱えながらも、そう応じた。

 桜に褒められるのは嬉しいし、マスターが慎二ではなく、桜になったことも喜ばしい。しかし、今回の桜の行動の出処について、推測がついているだけに今後の展開が不安だった。

 

「行きましょう、ライダー」

 

 そんなライダーの心境とは関係なく、朗らかに宣言して桜は山門を潜った。

 

「神聖な儀式を守るためにも、悪い魔女は退治しなくちゃいけないわよね」

 

 その顔には無邪気とすら形容できる笑みが浮かんでいる。

 

 

 Interlude out

 

 

 C turn

 

 

「それにしても、いい土地ね」

 

 裏の池を一通り確認して、本堂へと戻った私は呟いた。

 ここにいるだけでそれなりの魔力が供給されてくるのがわかる。

 最初のマスターを殺した直後、この寺を目指したのは間違いではなかったようだ。ここに陣を構えれば、衛宮邸以上に効率的に魔力を蓄えることができただろう。

 なぜ、それをしなかったかと言えば。

 

「あれだけの素材に出会ったのだもの。仕方ないわよね」

 

 どこか言い訳じみた理屈が、口から零れた。

 

「さて、少しばかりいただくとしましょうか」

 

 この寺には数十人単位の門弟が生活している。

 今日の主目的は、この聖杯戦争で要衝となるであろうこの寺を調査することだったが、魔力の補給ができるにこしたことはない。

 新都での魂喰いはあの神父に見咎められる可能性が高いため、今回はこの寺をターゲットにすることにした。だが、なるべく悟られないようにするため、一人一人から得る量は抑制するつもりだ。

 起きた時、門弟達は疲労感を感じる程度になるだろう。

 

「得られる魔力は雀の涙程度というところだけれど」

 

 本堂正面の階段を上がって立て膝の状態になると、床に手をつこうとした。

 その時だった。

 

「!?」

 

 明確な敵意を感じて、背後を振り返った。

 

「あなたが先輩を騙した悪い魔女ですね?」

 

 冷たい声と冷たい眼差しが私を射る。

 そこには、この場にはそぐわない雰囲気の少女が立っていた。

 その隣には、すっかり見慣れた眼帯を付けた長身の女。

 

「・・・ライダー・・・また、あなたなのね。学校での一件で、当分は大人しくなるかと思っていたのだけれど」

 

「それは、あなたも同じでしょう。極めて怪しい行動をしていると思いますが?」

 

 相変わらずの淡々とした物言いが返ってくる。

 

「開戦に向けて、ちょっとした準備を整えているだけよ。事を構える気はないわ」

 

 この女と話しても得る物は少ないだろう。

 私は、ライダーの隣に立つ見知らぬ少女のほうに目を移した。

 

「それに、そのお嬢さんはいったいどこの誰なのかしら?」

 

 ライダーのマスターは間桐慎二ではなかったのか。

 私の問いに対して、眼帯女は何も答えず、反応を窺うように隣の少女に顔を向けた。

 

「そうね。挨拶くらいはしなくちゃいけないわよね」

 

 私に対する冷ややかな態度は変わらないまま、少女は呟いた。

 

「初めまして。私は間桐桜と言います」

 

「・・・・・・間桐・・・・・・桜?」

 

 少女の名前を聞いて、様々な思考が渦巻いた。

 姓のほうは、合点がいくものだ。聖杯戦争御三家の一つである間桐家の血縁者。元々、間桐慎二は魔力が無く、所持していた書物でライダーを従えている様子だったし、令呪も認められなかった。つまり、仮初(かりそめ)のマスターに過ぎなかったということだろう。

 

「ここにいるライダーの本当のマスターです」

 

 私の考えを肯定するように、少女は続けた。

 だが、私が本当に気になったのは姓ではなく、名のほうだった。

 

「まさか・・・あなたが坊やの・・・」

 

 そう。

 少年が『洋食が得意だった』と話していた少女の名と合致していた。

 

「・・・・・・坊や?・・・・・・それって、もしかして先輩の事ですか?」

 

「先輩?」

 

 そうだ。

 その少女は学校の後輩だとも言っていた。

 

「・・・衛宮士郎という名前の・・・私の大事な先輩です」

 

 気付けば、間桐桜は俯き、小刻みに体を震わせつつあった。

 

「・・・・・・あなたが私から取り上げたんです・・・・・・・・・私のたった一つのささやかな幸せの時間を」

 

 ほんとひどいですよね、と少女は続けた。

 怨嗟以外の何物でもないその言葉に、私は本能的に身構える。

 

「やっちゃって、ライダー」

 

 ポロリと呪いの言葉が地面に落ちた。

 落ちた言葉は地面を伝って、私にべったりと纏わりついたような気がした。その瘴気が浸み込み、纏っているローブがやけに重たくなる。

 

「この女を・・・なかったことにして」

 

「・・・・・・」

 

 微かではあるが、ライダーの反応には逡巡の色が見て取れたが、

 

「承知しました」

 

 マスターの指示を受け入れ、手にした杭剣を構えた。

 私は慌てて、敵の攻撃に備えるしかなかった。

 

 

 E turn

 

 

 オレはふと目を覚ました。

 先日の戦いの疲労、というよりも魔力の使い過ぎが響いているのだろう。まだ、体調が万全でない自覚はあったため、いつもより早めに寝たわけだが、枕元の時計を見ると、時刻は夜中の0時過ぎだった。

 

「キャスター、いないのか?」

 

 虫の報せとしか言いようがないが、嫌な予感がしたオレは、すぐに屋敷内を一通り回って、キャスターが不在であることを確認した。

 現段階で彼女が無理をするつもりがないことはわかっている。間違っても、遠坂や慎二の家に殴り込みをかけるようなことはしないだろう。

 とすれば、情報収集か、あるいは魔力の補充か。

 さほど、危険があるとは思えなかったが、校舎を消し飛ばしたサーヴァントがうろついている可能性もあるのだ。

 

「一番、可能性がありそうなのは・・・・・・柳洞寺か」

 

 以前に、柳洞寺がこの冬木では最も優れた魔力の貯蔵地であり、おそらくこの聖杯戦争での重要拠点だと話していたのを思い出す。

 手当たり次第に付近を捜しても、彼女を見つけられる可能性は殆どない。

 無理矢理感はあったが、当たりを付けたオレはハーフコートを羽織る。ポケットの中には、キャスターの強化魔術が付与された薬も入っている。最悪、彼女と合流できないまま、サーヴァントに襲われた場合には使う事になるだろう。

 そんな事を考えながら、廊下を突っ切って玄関を出ようと引き戸に手をかけた。

 その時だった。

 

「つっ!?」

 

 突然オレの左手、正確にはその甲に鋭い痛みが走った。

 

「何だ、これ?」

 

 痛みの発生源を確認すると、赤い奇妙な紋様が浮かみ上がっていた。ミミズ腫れにしては皮膚が浮き上がっているわけでもなく、強いて言えばタトゥーのように見える。

 

「ひょっとして、これが令呪ってやつか?」

 

 キャスターに聖杯戦争について、教えてもらった時に出てきたキーワードだ。確か遠坂の手にも形は違うが、似たような雰囲気の紋様があった気がする。

 正式なマスターの証でもあり、これを使えば、回数限定でサーヴァントに対して強力な命令ができるという事だった筈だ。

 

「これが出てきたってことは、オレも正式なマスターとして認められたってことかな」

 

 これはプラス要素と言える。

 確か令呪を使うことで、サーヴァントを強化したり、瞬時に遠くに移動させたりということも可能という話だった。

 これからキャスターと戦い抜いていくための切り札にもなるだろう。まあ、他のマスター達は当然に持っているわけだから、やっと追いついただけではあるが。

 

「行くぞ」

 

 少しだけ強くなったような気持ちになって、今度こそ玄関を出た。

 

 

 

 柳洞寺へと伸びる石造りの長い階段の手前あたり。

 

「あなたは言峰神父とどういう関係ですか?」

 

 目の前の人物から突然投げ掛けられたのは、聞きようによっては少し怪しい気配のする質問だった。

 ここまで辿り着いたところで、スーツ姿の若い女性が暗がりから姿を現したのだ。

 もしかしたら、後を付けられていたのかもしれない。

 

「どういう関係って言われても・・・」

 

 こうして言葉に詰まると、本当に怪しい関係ということになってしまいそうだが、断じて違う。

 

「今朝・・・いいえ、正確には昨日の朝ですか。学校で言峰神父、そして遠坂凛と親し気に話していましたね」

 

 その言葉ではっきりと思い出した。

 

「ああ、学校で目が合ったあの時の・・・」

 

 消えた校舎前の人だかりの中から、鋭い目つきでオレ達のほうを睨んでいた女性だった。

 

「あんたも聖杯戦争の関係者ってことか?」

 

「はい。私はバゼット。バゼット・フラガ・マクレミッツ。魔術協会から派遣されたマスターです」

 

 学校で見かけた時点で予想はしていたが、正解だったわけだ。

 あの時、遠目でも只者ではないという雰囲気を感じたが、こうして対峙すると、その空気がより直接伝わってくる。殺気や気魄とかではなく、立ち居振る舞いに無駄や隙がまるでないのだ。

 

「あなたもマスターという事ですね?こちらも名乗ったのです。名前を教えていただきたい」

 

 バゼットと名乗った眼前の女性は、ちらりとオレの左手を見ながら確認してきた。そこには先ほど出現した令呪がある。

 はぐらかすのは難しそうだ。

 

「そんなようなものだと思う。オレの名は衛宮士郎だ」

 

 正式なマスターというわけではないので、少し曖昧な表現に留めた。

 

「遠坂凛とはどういう関係ですか?」

 

「単なる同級生だ。あんまり親しいってわけじゃないけど」

 

「そうですか」

 

 オレはその言葉に不穏な響きを感じた。

 

「彼女は言峰神父の弟子であり、被保護者でもある」

 

 バゼットの眼光が鋭くなった。

 

 ドサッ

 

 彼女は肩に掛けていた小型のゴルフバッグのような物を地面に降ろした。

 これは・・・

 

「その彼女や言峰神父と談笑していたマスター。それがあなたという事です」

 

 来る。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 オレがその詠唱を小さく口にするのと、ほぼ同時に。

 

 スゥ──―

 

 10m程あった筈の、彼女とオレの間合いは一瞬で詰められていた。

 人間離れした動きだった。

 

 ゴッ!

 

 グローブを嵌めた右拳がいきなり眼前に迫る。

 無駄な動きを一切排除して、ただただ真っ直ぐに放たれた一撃。

 

「くっ!?」

 

 ガンッ!

 

 事前に攻撃に備え、タイミングだけは予測できた事が幸いした。

 オレは咄嗟に投影した双剣を交差させて剣の腹でその拳を受け止めた。

 

 ザザッ

 

 受けた衝撃で、大きく後退する。

 

「・・・・・・投影?」

 

 いきなり仕掛けてきた彼女は、拳を振りぬいた姿勢のまま、驚きの表情を浮かべていた。

 

「珍しいですね。しかも、かなりの強度がある」

 

 初めて見せた時に、キャスターもだいぶ驚いていたから、オレの魔術はかなり希少なのだろう。

 

「待ってくれ。どういう理由で仕掛けてきたのかはわからないが、オレはあんたと戦う気はない。今は急いでいるんだ。ここを通してくれ」

 

 オレの目的地は階段を昇った先にある柳洞寺だ。

 そこにキャスターがいるのかは定かではないが、それでもこんなところでわけもわからず足止めされるのは、勘弁して欲しい所だった。

 

「こんな深夜に何をしようと言うのですか?この先の柳洞寺は、この優秀な霊地を数多く抱える冬木でも抜きんでた場所。聖杯戦争の要衝だ」

 

「それは・・・」

 

 自分のサーヴァントを探しているとは言い辛い状況だ。

 オレとキャスターとの繋がりが希薄であることを晒してしまうことになる。

 ここまでの状況で、こちらのサーヴァントが姿を見せていないため、彼女には既にサーヴァントが傍にいないことは勘付かれているだろう。しかし、いざとなれば呼べるという風に思わせておくためにも、迂闊な発言はしないほうがいい。

 

「それも言峰神父の指示でしょうか?」

 

 どうも、これまでの問答から推測するに、この女(バゼット)はあの監督役の神父に拘っているようだった。

 

「いや、オレはあの神父と会ったのは、昨日が初めてだったんだぞ」

 

「初対面で、早々に指示を受けたわけですね」

 

 そう言うと、彼女は再び両拳を上げて、改めて戦闘体勢に入った。

 

「そんなわけないだろう!?」

 

「では、遠坂凛を介して指示の概要を聞き、改めて本人から説明を受けたというわけですね」

 

「なんでそうなるんだよ!?」

 

「敵の勢力は少しでも削いでおくべきですね」

 

 ザッ!

 

 一度、彼女との間にできていた距離が先程と同様に一気に詰められる。

 

「くそっ!問答無用かよっ!?」

 

 どうにもこのバゼットという人物は、思い込みが激しいタイプのようだった。昨日の朝に、オレが神父や遠坂と一緒にいた場面を見て、それだけでオレを敵と認識しているようだ。

 殆ど会話が成立しない。

 いきなり仕掛けてこなかったのが不思議なくらいだった。

 

 ジャッ!ガン!

 

 ボクシングで言えば、ワンツーというやつだろうか。

 初撃の左拳を何とか躱し、次の右拳を剣で受ける。

 先程と違い、刃で受けたのだが、グローブを嵌めた拳を傷つけることはできなかった。

 

「何で、その拳は無事なんだ!?」

 

「このグローブには、硬化のルーンが刻まれていますから」

 

 基本的には生真面目なのだろう。眼前の彼女はこちらの問い掛けに律儀に返してくる。

 が、その次の瞬間、

 

 ガッ

 

「えっ!?」

 

 オレの黒剣の刃を左手で掴んできた!?

 

「はああぁっ!」

 

 そのまま力任せに振り回され、オレの体は大きく円を描いた。と、認識すると同時に、思いっきり放り投げられて宙を舞った。

 

 ダンッ!

 

「ぐっ!?」

 

 なんとか受け身は取ったものの、アスファルトに叩きつけられて、背中から肩にかけて激痛が走る。

 気が付けば、オレの手には双剣がなくなっていた。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 その痛みを無理やり押し込めて、オレは咄嗟に自分の体に強化の魔術を付与する。

 この相手はとんでもない強さだ。

 オレの強化ではキャスターのそれとは比べるべくもないが、体を強化しないととても対抗できない。

 

「つあぁっ!」

 

 膝立ちになったオレに、今度は回し蹴りが襲う。

 

「シッ!」

 

 ガッ!

 

「ぐぅっ!」

 

 反射的に右腕でブロックしたが、オレは吹っ飛ばされる。蹴りのスピードも威力も人間離れしていた。強化していなければ、腕も胴も骨ごと粉砕されていたのではないか。

 

「つぁぁっ!」

 

 ガッ!ゴッ!ドッ!

 

 即座に追ってくると、続け様に拳を繰り出してくる。

 オレはなんとか躱したり、受けたりして抵抗するが圧倒的に押し込まれていった。辛うじて致命的なダメージは負わずに凌ぐが、完全に押し込まれている。

 反撃の隙がない。

 

「強化の魔術の練度は左程でもないですね」

 

 淡々と揶揄してくるバゼット。

 

「くそっ!」

 

 思えば、柄にもなく慢心していたのかもしれない。

 投影と強化の両方をすぐに使うべきだったのだ。

 つい先日、セイバーやライダーといったサーヴァント達となんとか渡り合えたことが、変な自信に繋がってしまっていたのかもしれない。彼女と相対した時に、心の何処かで人間相手なら大丈夫だと思い込んでしまったのがこの危機を招いていた。

 

 ドゴッ!

 

 突然、目の前が真っ黒になった。

 遂にオレの顔面に彼女の拳が入ったのだ。

 オレは吹っ飛ばされて、石造りの階段に打ち付けられた。

 

「がぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 遅れてやってきた左頬の焼けるような痛みに悶絶する。

 

 グッ

 

 つかつかと歩み寄って来たバゼットが、左腕で倒れたオレの首を無造作に掴んできた。

 反射的にオレは、その左腕を両手で掴み返す。

 だが、

 

「なっ!?」

 

 彼女はその腕に力を籠めてオレの首を持ったまま、あっさりと体を持ち上げたのだ。

 

「ぁぁっ・・・・・・」

 

 ヤバすぎる!

 とんでもない握力で潰されかけているオレの喉からはヒューヒューという空気と声にならない苦悶が漏れる。

 

「この状況でもサーヴァントが現れないということは、やはり一人だけで行動していたようですね。まだ、召喚していないのか、あるいは別の事情によるものなのかはわかりませんが」

 

「ぁ・・・・・・」

 

 彼女は独白に近い感想を漏らすが、こちらは声も出せない。

 首を襲い続ける激痛を少しでも軽減しようと、なんとか両腕で首に食い込んでいる彼女の指を引き剥がそうとするが、ビクともしない。

 協会に所属している本物の魔術師っていうのは、こんな化け物みたいな人間ばかりなのか。

 

「このまま殺してしまってもいいのですが・・・・・・一応、確認します」

 

 彼女は淡々と続けた。

 

「その左腕を令呪ごと捨てなさい」

 

「!?」

 

「そうすれば、聖杯戦争に参加する意思がないものとみなしましょう」

 

 それはできない。

 声を出せないオレは、即座に頭の中でその要求を拒否した。

 キャスターを裏切ることになるからだ。

 

「どうやら、その気はないようですね」

 

 オレの目からはっきりと否定の意思を読み取ったのだろう。

 微かに彼女の目が細まり、空いていた右腕もオレの首へと伸ばされた。

 このままでは確実に殺される。

 











バゼットさん本格的に暴れ始めました。


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第19話 ~3日前②~ 「Cross Range」

1月28日 未明









 E turn

 

 

 とんでもない力でギリギリと首を締め上げられ、朦朧としてくる。

 

 「・・・ぁ・・・ぅ・・・」

 

 相手(バゼット)の指をこじ開けようとするが、微動だにしない。

 ・・・どうすればいい?

 オレは打開策を見出そうと考えを巡らせようとしたが、頭の中は段々と靄がかかってきており、思考することも難しくなっていた。

 それでも、こんなところで終わるわけにはいかない。

 なんとしても繋ぎ止めろ・・・

 そうだ。

 【令呪】だ。

 使い方などは全く教わっていないが、これでキャスターを呼ぶことができないだろうか。声は出せないが、念じることでも効果があるかもしれない。

 そんな事を考えた時、

 

「む!?」

 

 驚きが含まれた声をバゼットが発すると同時に、オレの首を締めあげていた両手が開かれた。

 

「・・・・・・がはっ!」

 

 ドサッ

 

 死の拘束から解放されたオレは、重力に引かれるままアスファルトの上に落ちる。

 這いつくばるような姿勢のまま、ゼェゼェという荒い呼吸で、完全に供給を絶たれていた酸素を貪るように取り込む。

 事態はさっぱり把握できないが、九死に一生を得たようだ。

 

「っ!」

 

 そう遠くない先から微かに声が届いた。

 誰かが近付いてくる?

 まだ朦朧とした頭でそちらを見やると、夜闇の中、僅かな電灯の明かりに白く照らされて、一人の男の顔が浮かび上がった。

 その男は腰だめに拳を構えて、低い姿勢を保ってかなりの速さでこちらへと向かってくる。

 

「何者ですか!?」

 

 誰何の声を発しながらも、突如として現れた男を明らかに敵と認識したのだろう。

 

 ザッ

 

 バゼットは拳を構えると、接近してくるその男に向けて駆け出した。

 

「・・・あれは・・・」

 

 近付くと顔が露になった。

 その男はオレには見覚えがある。

 いや、見覚えがあるなんてもんじゃない。

 

「私の生徒に何をしている?」

 

 切迫した状況に似合わない落ち着いた声が届いてきた。暗い色のスーツ姿を着た男は淡々と眼前のバゼットに問う。

 

 ゴッ!

 

 バゼットは男の問い掛けには応じずに、真っ直ぐに間合いを詰めると閃光のような右拳を突き出した。

 普通の人間なら間違いなく顔面を砕かれて、その命を絶たれる。

 先程迄、彼女の強さを身を持って味わってきたオレには、確定した未来としてそれが想像できてしまう。

 一瞬後に目の当たりにするであろうその惨劇を、オレは成す術もなく見ていることしかできない。

 その筈だった。

 

 スゥ──―

 

 だが、その男、穂群原学園の社会科教師【葛木宗一郎】は、その拳を躱していた。

 淀みのない体捌き。

 自然で最小限の動きだった。

 

「あれを躱した!?」

 

 思わず驚きの声が漏れた。

 一般人があの攻撃を躱せるはずがない。

 だが、葛木の動きは尋常ではなかった。拳を躱した体勢から、水が流れるように自然な動きで左拳を繰り出す。

 

 ジャッ!

 

「なっ!?」

 

 バゼットは驚愕の声を上げながらも、葛木が振るってきた()()()()を紙一重で躱して、後退する。

 

「ふっ!」

 

 葛木は後退するバゼットを追うと、続け様に拳や蹴りを繰り出す。

 それらは鋭利かつ変幻自在だった。

 

 ドッ!ガッ!ゴッ!!

 

「くぅっ!?」

 

 バゼットはその攻撃を避け、腕でブロックしながら後退を続けた。戦闘マシーンとも言うべき強者が、反撃の糸口を見出せずに一方的に押し込まれていく。

 

「・・・読めない・・・」

 

 整った顔に焦燥の色を浮かべたバゼットの口からそんな呟きが漏れる。

 彼女の戸惑いはオレにもよくわかる。

 こうして少し離れたところから見ていても、葛木の動きや攻撃は変則的だ。右で攻撃するかと思えば、左。拳が来るかと思えば、脚。

 間近で見ていたら、何が起きているかさっぱりわからないのではないか。

 フェイントが上手いというだけでなく、そんな動きができるのかという不可思議な動きや、あるいは非合理的なように思われる動きも混ざっている。

 

「・・・それで・・・」

 

 凄まじい迄の動きで戦い続ける葛木だったが、学校で授業をしている時と同様にあくまでも無表情に、そして淡々と言葉を発する。

 

 ガヅッ!

 

 頭部を刈りにきた右上段蹴り。

 それを左腕で辛うじてブロックしたバゼットが大きく弾かれ、二人の間合いが開く。

 

「お前は何故、私の生徒を殺そうとしていたのだ?」

 

 葛木の目が大きく見開かれた。

 学校では見たことのない表情だった。

 

 スッ

 

 怒気を孕んだ表情のままに、葛木が音もなく駆け出す。

 開いた間合いを真っ直ぐに詰めるのではなく、弧を描くような軌道だ。

 

「あなたこそ一体何なのです!?」

 

 バッ

 

 何を思ったかバゼットはポケットからハンカチを取り出すと、接近してくる敵に向けて放った。

 それに対して、葛木は迷うことなく軽く左に動いて、そのハンカチを避けようとする。

 

ansaz(アンサズ)!」

 

 ボゥッ!

 

「ぬっ!?」

 

 一瞬で、葛木の横でひらひらと舞ったハンカチが発火したように中空に大きな炎が現れた。

 虚空が眩い光が充満し、葛木の左腕に炎が纏わりつく。

 

「葛木っ!」

 

 (ようや)くのことで、辛うじて声を出せるようになったオレの口から叫び声が発せられる。

 だが、呼ばれた当人は慌てなかった。

 即座に着ていた背広を脱ぐと、遠くへと放り投げる。

 

 ゴォォ・・・

 

 アスファルトに落ちたその背広は、すぐに全体に火が回り燃え盛った。一瞬でも判断が遅れれば、服ではなく葛木自身の全身が炎に包まれていただろう。

 

「どうやら尋常な事態ではないようだな」

 

 自分のスーツが瞬く間に消し炭となっていく様を横目で見ながら、ワイシャツ姿となった葛木は独白してバゼットの方に向き直った。

 流石にその声には戸惑いが含まれているようにも感じられる。

 ハンカチから巨大な炎を生み出すなんて芸当が常人にできるわけもないし、あれがただの手品でもないことは葛木もわかっているだろう。

 

「あなたも尋常な人間ではないでしょう?」

 

 炎の魔術による攻防の間に、間合いを広げて体勢を立て直したバゼットは、警戒を一層強めて葛木を見据えた。

 お互いに相手がこれまでの自身の常識の範疇から外れた存在だという事を認識しており、迂闊に動けないのかもしれない。

 

「葛木・・・先生・・・あんた一体・・・?」

 

 動けるようになったオレは、締め上げられた首の痛みに辟易しながら、何とか立ち上がる。 

 オレもまたこの事態に混乱させられていた。

 そもそも、オレを襲ってきたバゼットという女からして、意味不明な程に強かった。だが、彼女は聖杯戦争に参加している魔術師と考えれば、まだしもその強さにも納得がいく。

 しかし、一介の教師に過ぎない葛木が、そのとんでもない強さのバゼットと互角以上に渡り合っていることは、不可解を通り越して怪奇現象とすら言える。実は葛木が魔術師でしたと言われたほうがまだ納得がいくというものだ。

 だが、葛木が魔術を使っていないことは一目瞭然だ。完全に徒手空拳で戦っている。

 

「衛宮、私こそお前に問いたい。なぜこんな時間にここにいる?お前の家からはかなり離れているだろう」

 

 授業に遅刻した生徒を叱る時のような、あまりにも普段と変わらない口調だった。ここがまるで学校であるかのように錯覚させられる。それほどに、この場での葛木の存在は異質であり、一方でその態度は自然だった。

 

「あ・・・いや・・・それは・・・」

 

 オレは当然ながら返答に窮してしまう。

 何と答えればいいのだろうか?

 

「あんたこそ何でここに?」

 

 オレは苦し紛れに、さらに問いを被せた。

 

「質問に質問で返すのは感心しないが、私自身もそうなっているな。教師としては模範を示すべきか」

 

 相変わらず淡々と独白するが、この間もバゼットに対して意識は向けられているようだ。

 

「単純な話だ。私は柳洞寺に住まわせてもらっている。帰宅がこんな時間になってしまったのは、先日の事件もあって、遠出と残務が重なったというだけの話だ」

 

「・・・そうだったのか」

 

 その言葉には合点がいった。

 確かに一成と葛木は普段から親し気だった。生徒会長と教師という公の立場だけではなく、私的にも接する機会が多いからこそだったのだろう。

 

「で、なんでそんな出鱈目に強いんだ?」

 

 本当に知りたいのはこっちの質問だ。

 

「多少、武術の心得があるということだ」

 

 あっさりとそんな返事が返ってきた。

 いやいやそんなレベルじゃないだろう、と思わずツッコミをいれたくなるが、どうやらこれ以上聞き出すのは難しそうだ。

 

「さあ、こちらは答えたぞ。今度は、お前の番だ」

 

 相も変らぬ教師の目で、再び葛木が問う。

 聖杯戦争の事など話せるわけもないが、ある程度、真摯に答える必要があるだろう。

 

「・・・大切な知人を探していた。だが、すまない。助けてもらっておいてなんだが、これ以上は言えないんだ」

 

 出せる情報は限られている。ならば、態度で示すしかない。

 

「そうか。ならいい」

 

「へ?」

 

 あまりにあっさりと追及が終わったので、オレは思わず間の抜けた声を出してしまった。

 

「お前がそう言うのなら、余程の事なのだろう」

 

 それだけを告げると、葛木はオレに振り分けられていた意識を対峙する(バゼット)に集中させた。

 オレもそれに倣う。

 とにかく、葛木と協力してこの窮地を脱しなくてはいけない。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 オレは双剣を投影した。

 葛木は信じられない程に強い。

 だが、それは格闘家としての範疇だろう。

 バゼットは魔術師だ。先程、炎の魔術を使ったようにあくまでも一般人である葛木からすれば、常識外の攻撃を受けた時に対抗できるとは限らない。

 加勢する必要がある。

 

「二対一ですか。少々厄介ですね」

 

 バゼットが拳を構える。

 

「お前にも改めて聞こう。何故衛宮を殺そうとした?」

 

 葛木は自然体の姿勢のまま再び問いを投げた。

 

「それは彼が敵だか・・・」

 

 ドンッ・・・

 

 答えようとしたバゼットの言葉は途中で遮られた。

 石造りの階段の上で、何かが弾けた音が聞こえたのだ。

 この場にいるオレ、葛木、バゼット三人の意識がその音がした方向に向けられた。

 

 

 

 ズザザザザザザ・・・・・・

 

 何かが滑り落ちてくる。

 

「何だ?」

 

 街灯の光は階段にまでは及んでいない。月明かりのみを頼りに上方へと目を凝らすと、見慣れた紫色のローブが転がるようにして落ちてくるのがわかった。

 それは、今、オレがここにいる理由そのものだ。

 

「キャスターッ!」

 

 三人の中で階段に最も近いのはオレだ。

 真っ先に階段を駆け上がる。

 

「ぁぅっ!」

 

 小さく悲鳴を上げたキャスターが階段の途中で引っ掛かるようにして止まった。

 

「大丈夫か?」

 

 うつ伏せに倒れたキャスターの体を抱き起こしてこちらを向かせる。

 フードが外れて、彼女の白く端正な顔が露わになった。

 

「・・・ぼ・・・坊や?何でここに?」

 

 痛みに顔を顰めながら、キャスターが薄目を開いた。

 

「それはこっちのセリフだ。何があった?」

 

 キャスターのローブはかなりボロボロになっており、顔にも複数の傷が付けられていた。

 上から転がり落ちてきたことだけが原因ではないだろう。

 

「気を付けて!ライダーが来るわ!」

 

 そう言うや否や、キャスターはオレを横へと突き飛ばした。

 

 ゴッ!!

 

 何かが落ちてきた。

 そう思った瞬間には、つい先ほどまでオレとキャスターがいた石段が砕け散っていた。

 そして、視界が薄紫色の何かで埋め尽くされる。

 

「ほんとしつこい女ねっ!」

 

 キャスターが悪態をつく。

 何かが落ちてきたと思ったが、実際にはライダーが飛び掛かってきたのだ。

 石段を砕いたのは彼女の杭剣であり、オレの視界を覆ったのは大きく広がった彼女の長い髪だった。

 

「あなたの方こそ本当にしぶといですね」

 

 先日と変わらない淡々とした物言い。

 

「キャスター!強化を!」

 

「もう終わったわ」

 

 既に準備をしていたのだろう。

 オレの要求とほぼ同時に、全身に強化の魔術が施され、力が漲るのを感じる。

 

「はっ!」

 

 キャスターの魔術が発動するのとほぼ同時にライダーは右回し蹴りを放ってきた。

 狭い石段の上で動き辛い筈だが、そんなことは微塵も感じさせない鋭い動きだ。

 

 ドゴッ!!

 

「なっ!?」

 

 重いっ!?

 咄嗟に左の黒剣でその蹴りを受けたのだが、威力が重過ぎて踏ん張り切れなかった。

 

「きゃあっ!」

 

 キャスターの悲鳴が上がる。

 

 ザザザ・・・

 

 右側には登りの石段がある。

 左からの蹴りで弾かれたオレは一旦、その石段にぶつかり、さらにオレのすぐ後ろにいたキャスターともつれるように転がり落ちていった。

 

 ドドッ

 

「ぐっ!」

 

「あうっ!」

 

 オレとキャスターはそのまま一番下まで転がっていき、アスファルトの路面に重なり落ちた。痛みに意識を割かれそうになるが、それを無視してオレは即座に双剣を手にして立ち上がる。

 ライダーが追撃してくるのだ。

 

 タッ

 

 大きく、そして鮮やかに跳躍したライダーがオレの目の前に軽やかに着地すると、両手の杭剣をオレに向けて突き出してくる。

 オレはその攻撃を食い止めるために双剣を交差させた。

 

 ギギィィンンッ!

 

 2本の杭剣の先端が双剣の腹に激突する。

 

「づぅっっ!」

 

 これも重い!

 オレは強化された腕でなんとかライダーがかけてくる圧力を食い止め、同じく強化された脚で踏ん張るが、じりじりと押し込まれていく。

 

「衛宮士郎。なぜ今になって姿を現したのですか?」

 

 お互いの額が付きそうなほどに接近し、せめぎ合う中、ライダーが問いを発した。

 オレを詰っているのか?

 異様な眼帯をしていて表情はわからないが、僅かに感情の揺らぎがあるように感じられた。

 

「ぐぅ・・・」

 

 そんな質問をされても、答えるだけの余裕がオレには全くない。

 体中の筋肉がブチブチとはち切れそうになっているのを感じる。完全に押し負けている。

 先日、相対した時にはここまでの差はなかった筈だ。

 マズい。

 踏み止まれない。

 

 ブァァッ

 

 だが、突如として風が巻いて横合いから何かが突進してきた。

 

「!?」

 

 ライダーもそれに気付いて反応する。

 

「貴様も衛宮を殺すつもりなのか?」

 

 空気を引き裂いて接近してきたのは、葛木だった。

 

 ドンッッ!!

 

 その右の手刀がライダーの左脇腹に直撃していた。

 

「なっ!?」

 

「なにっ!?」

 

 ライダーと、そして葛木。

 感情が表に出ることが殆どないと思われる二人だが、どちらも驚いていた。

 

「つあっ!」

 

 オレは横薙ぎにライダーに向けて右の白剣を振るった。葛木の乱入で、ライダーのオレに対する圧力が刹那緩まったのだ。この好機を逃すわけにはいかない。

 

「くっ!」

 

 フワッ

 

 ライダーは左にあった石段の上部へと一跳びして着地した。

 何はともあれ、彼女との距離が大きく開き、一息つくことができた。

 

「助かったよ、葛木」

 

 オレはライダーの動きに注意を払いながらも、傍らに立つ葛木に礼を言った。

 これで葛木に二度救われたことになる。

 

「だけど、バゼットはどうしたんだ?」

 

 葛木はバゼットと対峙していたの筈だ。

 

「バゼット?・・・ああ、先程の女なら、既にここから離脱した」

 

「そうか」

 

 サーヴァントが二人現れた時点でこの場に見切りをつけたということだろう。

 

「それにしてもなんなのだ、あの女は?」

 

 葛木は階段の上に位置するライダーに注意を払いながらも、自身の右手を見つめてオレに聞いてきた。

 

「私は確実に心臓を抉った筈だった」

 

「・・・えっと・・・教師にあるまじき過激な発言だな」

 

 葛木が只者でないことは先程迄のバゼットとの戦いで実感していたが、こうも簡単に殺す殺さないレベルの話をするとは。

 本格的にアブナイ世界の人間だったんだろうな。

 

「オレもあまりよく状況をわかっていないんだが・・・」

 

「彼女には普通の攻撃が効かないわ」

 

 オレの後ろで倒れていたキャスターがローブについた汚れを払いながら、よろよろと身を起こした。

 

「ごめんなさい、坊や。また、助けられちゃったわね」

 

 はあ、と彼女は溜息をついた。

 

「上で何が起きていたんだ?できれば事情を説明して欲しいんだが・・・」

 

 と言いながらも、オレは階段の上に杭剣を構えて立っているライダーに視線を送る。

 

「私の方も色々と聞きたいところだけれど」

 

 と、キャスターはキャスターで葛木のほうをチラリと見る。

 あなたは誰なの?と聞きたいのだろう。

 

「・・・・・・」

 

 葛木はキャスターを一瞥しただけで何も言わずに目を逸らし、オレと同じく上方のライダーに意識を向ける。

 

「ライダーが強くなっていないか?」

 

 最優先事項は、どうやってあのライダーを退けるかだ。

 そして、彼女の力は前回対峙した時よりも明らかに増していた。

 

「そのとおりよ」

 

「一体、何があった・・・・・・」

 

 その時、オレはライダーのさらに上方から石段を降りてくる人影に気付いた。

 闇の中に滲んだ一つのシルエット。

 最初にはっきりと見えたのは女性ものの白とピンクを基調としたスニーカー。それを履いた脚が一段ずつ階段を降り、次第にその全身が露わになっていく。

 

「・・・っ!?」

 

 オレは息を呑んだ。

 

「あの女、まだ仕留められないの?ライダー」

 

 冷淡な、少女の声。

 だが、それは確かにオレが知っている声だ。

 聞き覚えがあるなんてもんじゃない。

 1年半前から、毎日のように、そして家族のようにオレのすぐ傍らにあった声。

 

「・・・・・・さ・・・・・・桜・・・・・・」

 

 オレはこれ以上ないくらいに、自分の目と口が大きく開くのを自覚した。

 

「え?」

 

 彼女の動きもまた停止する。

 

「・・・・・・・・・せ・・・・・・・・・先輩?」

 

「・・・桜・・・」

 

 ライダーもまた、近付いてきた桜にどう反応したら良いかわからなくなっているかのようだった。

 

「・・・桜・・・なぜ・・・?」

 

「彼女がライダーの本当のマスターなのよ、坊や」

 

 そう告げるキャスターの声はひどく現実感が無くて。

 機能不全に陥った耳はその言葉を受け止めることができなかった。

 

 

 












皆様お待ちたせいたしました。真打ち登場です。


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第20話 ~3日前③~ 「Cross Road」

1月28日 未明






 C turn

 

 

「彼女がライダーの本当のマスターなのよ、坊や」

 

 衛宮士郎の背中に手を添えて事実を伝えたが、彼は反応らしい反応を見せなかった。

石段を降りてくる少女を虚ろな表情のままに見上げている。

 事態を受け止め切れないのだろう。

 

「・・・桜が・・・・・・マスター?」

 

 少年は絞り出すように、呆然とそう口にした。

 

「ええ。間桐慎二は仮のマスターだったみたい。本当のマスターは彼女なのよ」

 

 状況は予断を許さない。

 マスターが変わったライダーは、明らかに力を増していた。

 間桐慎二という仮初のマスターから、真のマスターである間桐桜と繋がったライダーの力は強烈だった。

 先日とは違って充分に警戒して臨んだにも関わらず、私は瞬く間に彼女に圧倒された。そして、こうして階段下へと落とされることになってしまった。

 その先に少年がいたことは、幸運だったと表現するべきか、あるいは不運だったと言うべきか。

 

「・・・今度は、間桐か・・・」

 

 坊やの傍らに立つワイシャツ姿の峻厳な顔立ちをした男が呟いた。

 先ほどライダーに攻撃を仕掛けて、少年の窮地を救ってくれた男だ。

 見覚えがある。

 先日、霊体化して学校に入った時に見た顔だ。穂群原学園の教師で、葛木宗一郎という名ではなかったろうか。

 つまり、衛宮士郎も間桐桜も彼の教え子ということになる。

 先ほどは加勢してくれたが、この状況ではどうなるか。

 

「・・・せん・・・ぱい・・・どうして・・・」

 

 小刻みに体を震わせ、顔を伏せながら、間桐桜は言葉を紡ぐ。

 

「先輩が私をあの家から追い出したのは・・・その女のせいなんですよね・・・」

 

 顔は下を向いたままだったが、彼女の昏い目が私を射る。

 

「・・・別に・・・良かったのに・・・・・・先輩が他の女を好きになっても・・・たとえ・・・肉体関係ができたとしても・・・」

 

 彼女の視線が少年の背中に触れていた私の左手に向けられた。

 その目の光に籠められた熱を感じて、私は反射的に手を離す。

 

「私はただ、あの家で先輩と一緒にいる時間さえあればそれで充分だった・・・だって、私は先輩に好きになってもらえるような、真っ当な女じゃないんですもの」

 

 そうよ、と呪いの言葉が続く。

 

「全然平気だったんです・・・あのお家に、その女を連れ込んだとしても、私・・・全然へっちゃらだったんですよ・・・」

 

「・・・すまない・・・桜・・・」

 

 少年が漸く絞り出すように口にした言葉は、苦渋に満ちていた。

 

「なのに・・・何で・・・私を追い出したんですか?先輩の家は・・・あそこは私のたった一つの・・・」

 

 だが、その言葉は少女には届かない。

 

「オレは・・・決めてしまった・・・いや・・・決めたんだ」

 

「本当にたった一つの・・・生きていて良かったと思える場所だったのに・・・」

 

絡み合うことのない二人の言葉。

 ヒンヤリとした冷気に満ちた空間。

 

「彼女を守ると」

 少年の声がこの場に小さく。

 しかし確かな存在感と、意志を持って漂い、そこに留まる。

 

 トクン

 

 と鼓動が跳ね上がる。

 気付けば、先ほど一度離れた手が少年の服の袖口を掴み、私の体は彼に寄り添うようになっていた。

 グローブ越しに、さらに彼の纏う服の布地を通して。

 確かな少年の熱が、手のひらにじんわりと染みてきて心地いい。

 

「へえ・・・・・・そうなんだ」

 

 と無機質な声が、残っていた少年の言葉に覆い被さった。

 

「そんな・・・どこから湧いて出てきたかもわからないオバサンに()()・・・」

 

 ジジジジジジ・・・

 

 気付けば私達の周囲に、次々と幾つもの黒い小さな球体が浮かび上がりつつあった。

 

「「!?」」

 

 状況を理解した少年と葛木宗一郎が身構える。

 

「私、負けちゃうんだ」

 

 キンンッッ!

 

 少女のその言葉が闇を伝う。

 と同時に、金属音のような甲高い音が響き、十を超える黒い球体から無数の棘が四方八方へと伸びた。

 

「止まって!」

 

 私は咄嗟に、周囲に魔術防御用の結界を張り巡らせた。

 だが、それは一瞬遅かった。

 

「ぐぁっ!」

 

「ぬぅっ!」

 

 少年の左太腿に、そして葛木宗一郎の右の肩口に、それぞれ黒く長い棘が突き刺さった。

 両者の傷口から鮮血が迸る。

 私の張った結界は殆どの球体からの攻撃を止めることに成功したが、ほんの僅かに間に合わなかったものがあったのだ。

 

「大丈夫っ!?」

 

「く・・・ああ、これくらいなら」

 

「問題ない」

 

 即座に二人から返事が来る。

 全く問題ないというわけではなさそうだったが、両名とも深刻な傷というわけではないようだ。

 問題は、この突発的な攻撃を契機として、ライダーが襲ってくる事だったのだが。

 

「桜、大丈夫ですか!?」

 

 そのライダーは焦燥に満ちた声を発していた。

 上方を見やると、ライダーが崩れ落ちて倒れそうになる間桐桜を抱き止めたところだった。

 

「桜っ!?」

 

 その様子を見て、少年も悲痛な声を上げる。

 

「どうしたのだ?間桐は」

 

 一方で、葛木宗一郎は訝し気に口にする。

 

「たぶん突発的な魔術の発動で、発動量を制御できなかったのでしょうね。要するにエネルギー切れよ」

 

 私は頬にじんわりと流れる嫌な汗をグローブで拭いながら、推測で答えた。

 

「桜、この場は退きましょう」

 

 ライダーがマスターである間桐桜を両腕で丁寧に抱えた。

 

 ザッ・・・

 

 彼女は大きく跳躍すると、軽々と私達の背後へと降り立つ。

 

「うぅ・・・」

 

 辛うじてまだ意識を保っていた間桐桜が薄目を開けて、こちらを向く。

 彼女の虚ろな瞳は、何も映していないように焦点が定まり切っていなかった。

 しかし、その唇はたった一言、言葉を紡いでいた。

 

『許さない』

 

 と。

 間違いなくそれは私に向けられたものだった。

 

 

 E turn

 

 

 桜を抱えたライダーは、跳躍した勢いのままに道路を走って、あっという間に遠ざかって行ってしまった。

 とても、追えるような速さではなかった。

 

「追っても無駄ね。戦っても勝てるとは限らないし、今日のところはここまでにしましょう」

 

 キャスターはそう言いながらも、少し安堵したような溜息をついた。

 

「そうだな」

 

「とにかく治療をするわ。こちらの方とどんな経緯があったのかは気になるのだけれど、助けられたのは間違いないものね」

 

 キャスターは僅かに葛木に対する警戒を見せたが、オレの足と葛木の肩、それぞれに手を触れて、単音節の詠唱を行った。

 

「これは・・・」

 

 傷が瞬く間に塞がっていくのを目の当たりにして、流石の葛木も驚きを隠せない。

 

「いつもながらすまないな、キャスター。ありがとう」

 

「感謝する」

 

「いいえ、寧ろご免なさいね。(わたくし)の判断が一瞬遅かったせいで、防ぎ損ねたんだもの。それで・・・」

 

 キャスターはここで言葉を区切って、物問いたげに葛木に視線を送った。

 

「ああ、そうだよな。そもそもオレはキャスターを探して、ここまで来たんだけど・・・」

 

 オレは、バゼットと名乗る女に襲われたこと、葛木がオレの学校の先生であること、柳洞寺に帰る途中の葛木がオレを助けてくれたことなど、キャスターと合流するまでの経緯を伝えた。

 

 

 

「そう。じゃあ、本当に一般人なのね」

 

 オレの説明を聞き終えたキャスターは、そう言って改めてオレに思わせぶりな視線を送ってきた。

 葛木への対処について、どうするかを確認したいのだろう。

 今のところ、【聖杯戦争】や【魔術師】、【サーヴァント】というキーワードは葛木には伝わっていない。しかし、バゼットや桜、キャスターが魔術を行使するところは見られているし、ライダーの人間離れした動きなども目の当たりにしている。

 葛木本人も規格外の人物ではあるが、それ以上に人外な存在や事象をこれだけ見ていれば、オレ達がまともでないことなどとうに理解している筈だ。

 記憶を消すのが穏便な処置だろうか。

 だが、先程の戦いぶりを見ると、そんな素振りをすれば手痛い反撃を受けるようにも思える。

 そんなことをオレは思案していたが、

 

「案ずるな。衛宮」

 

 葛木が先に口を開いた。

 

「間桐も含めてお前達が複雑な背景から、殺し合いをしているということは理解した。超常の力、そして存在も用いながらな」

 

 そう言いながら、葛木はキャスターを一瞥した。

 

「どちらも世の理、法の埒外にあるものだ。教師としての私が関与すべきものでもないし、ましてや一個人の私には無関係なものだ」

 

 葛木はオレとキャスターの脇を通り過ぎて、ゆっくりと石段を登り始めた。

 

「今日は偶然、教え子であるお前の危機を目の当たりにしたために助けもしたが、今後はこのようなこともない。間桐が同様の事態に陥ったとしてもだ」

 

「ああ。それでいい」

 

「いずれにせよ、私は今回の件について口外する事は決してない」

 

「そうして貰えると助かる」

 

「・・・たしか、キャスターと言ったか・・・」

 

 階段を10段程登ったところで、葛木は足を止めてこちらを振り返った。

 

「衛宮。お前であれば、言うまでもないが・・・」

 

 葛木宗一郎の目が少しだけ細まり、キャスターを眩しそうに見た。

 

「決めたことは貫き通すがいい」

 

 それだけを告げて、しっかりとした足取りで階段を再び登り始めた。

 徐々に遠ざかっていくその背中を見送りながら、オレははっきりと答えた。

 

「ああ。勿論だ」

 

 カツカツと静かに響く革靴の音が、やがて小さくなり、聞こえなくなっていった。

 

 

 

「葛木なら大丈夫だ。あいつがああ言ったからには、死んでも喋らないさ」

 

 葛木の姿が見えなくなると、オレはキャスターに告げた。

 なんの根拠もないが、自信を持って言える。

 

「ええ。何故だか私もそう思うわ」

 

 キャスターもあっさりと同意してくれた。

 僅かな時間ではあったが、葛木の言動を見て彼女なりに納得したのだろう。

 

「!?・・・坊や、あなたそれ・・・」

 

 ふとオレの左手に視線を送ったキャスターが、驚きの声を発した。

 令呪が現れていることに初めて気が付いたのだ。

 

「ああ、出掛けに突然な。バゼットに襲われる一因にもなったから、タイミングは悪かったとも言えるんだけど」

 

「そうだったの」

 

「これって、結局のところ、オレも元々聖杯戦争の参加者になる予定だったっていうことなのかな?」

 

「おそらくそういう事でしょうね」

 

「元々、この街にいる魔術師なんて多寡が知れているだろうから、体のいい人数調整対象だったってことかもな。マスターは7名必要なんだもんな」

 

「どうかしら・・・」

 

 キャスターは少し眉間に皺を寄せながら、頬に手を当てて考え込んだ。

 

「坊やは元々かなりの有力候補だったんじゃないかしら。サーヴァントを召喚することも想定されるくらいに」

 

「え、そうなのか?てっきり、キャスターとの出会いが運命みたいに決められていたんじゃないかって思い込んじまったぞ・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

 ボンッ

 

 自分で言っておいて、オレは勝手に自爆した。

 何を言っているんだ、オレは。

 なんちゅう恥ずかしいセリフを、口にしてしまったのだ。

 顔面が茹でダコ状態になっているのは間違いないだろう。

 

「・・・・・・わ・・・・・・忘れてくれ・・・・・・」

 

「・・・・・・え・・・・・・ええ・・・・・・」

 

 普段は白い顔を、キャスターも真っ赤にして、俯いていた。

 それはそれでなかなか可愛い。

 

「・・・・・・という事は、オレは他のサーヴァントを召喚できるかもしれないのか・・・・・・」

 

 キャスターの様子を眺めることで気を落ち着かせたオレは、そう続けた。

 

「そうね。私も確証があるわけではないから、もう少し考えてみるわ」

 

「召喚か・・・ピンとこないけどな・・・」

 

 そう言えば・・・

 

「桜がライダーを召喚したってことなんだな・・・」

 

『本当のマスター』ということは、そういう事の筈だ。

 

「ええ。ライダーの力は、間桐慎二がマスターをしていた時とは全く違っていたでしょう?」

 

「ああ。校庭で戦った時とは、全然パワーが違った。あれが本来のライダーということなんだろうな」

 

「しっかりと魔力供給を受けているという事ね。間桐桜。彼女はかなりの魔力を有する紛れもない魔術師ということよ」

 

「・・・・・・信じられないけどな」

「一旦、家に戻って落ち着きましょう。あなた、今日もかなりの魔力を使ったでしょう?」

 

 キャスターが心配そうにオレの顔を覗き込んできた。

 

「ああ、そうだな」

 

 双剣の投影に慣れてきたのか、前回よりも消耗は激しくはなかったが、それでもキツかった。

 帰り道でまた、誰かに襲われないことを祈るばかりだ。

 

「お疲れ様、坊や。今夜も助けられたわ」

 

 キャスターが澄んだ瞳を細めた。

 思っていたよりもその顔が間近にあり、呼応するように心臓がバクバクと脈打つ。

 

「いや、大して役には立たなかったよ」

 

「そんなことはないわ。下手すれば、あのままライダーに止めを刺されるところだったもの」

 

「と・・・とにかく、無事で良かった」

 

 そんな問答を続けながら、オレ達は寄り添うようにして家路についた。

 

 

 Interlude in

 

 

 間桐邸へと戻ったライダーは、ドアを開けて桜の自室に入る。

 そして、両手に抱えていた少女をベッドにゆっくりと横たえた。

 

「桜・・・」

 

 急激な魔力消費により意識を失った己がマスターの顔は、蒼白で生気があまり感じられない。

 だが、自らに供給される魔力は心許ないながらも安定している。

 しばらく休めばじきに意識を取り戻す筈だ。

 魔力量は充分だが、魔術師としての真っ当な修練を受けていない桜は、魔術の行使における調節が困難なのだろう。そのため、今回のように感情的になってしまうと歯止めが効かないのだ。

 

「無理もない事なのかもしれませんが・・・」

 

 ひたすら過酷なだけの日々において、唯一の灯とも言える衛宮士郎を、事もあろうにサーヴァントなどという物の怪に掠め取られたのだ。

 その本人を目の前にして正気を保っていられないのは止むを得ないだろう。

 

「ん?」

 

 主の身を案じながらも、ふと窓の外に目をやると街灯の灯に照らされて、間桐臓硯が何処かへと歩いて行くのが見えた。

 このような時間にどこに行くつもりなのか。

 元々、得体の知れない老人ではある。そして、現界して1か月弱。曲がりなりにもこの間桐家に住まい、内情を観察してきたライダーは、この家の歪さの元凶が全てあの老人にあると気付いていた。

 

 ガチャリ

 

 その後を追う事にしたライダーは扉を開ける。

 桜の状態は気になるが、時間が解決してくれるだろう。

 だが、彼女が抱える数多の苦悩を取り除かなければ、たとえこの後回復しても、ひいてはこの戦いを勝ち抜いたとしても、未来永劫苦しむだけなのではないか。

 

「このままでは桜に未来はない・・・」

 

 あの老人の思いどおりにさせてはいけない。

 ライダーにはそんな予感が確かにあった。

 

 

 

 冬木市新都エリアに林立する雑居ビル群。

 それらに挟まれた路地裏に灯りはなく、ただただ暗い。

 

「・・・や・・・か・・・ひ・・・」

 

 若い女だったもの。

 それが血溜まりの中に沈んでいる。

 血塗れになり、数多の蟲にたかられた体は徐々に細かく千切れられて分解されていく。所持品であろうブランド物のバッグだけは無事だったが。

 上半身がまだ原型を留めているが、人としての意識はとうに消え失せているのが僅かに救いと言うべきか。発せられる言葉は既に意味をなしていない。理性が残っているよりも何倍もマシだろう。

 蟲達はひたすらに女性の肉片に取りつき、むしゃぶり、咀嚼し尽くして己が体内に取り込んでいく。

 その悍ましい光景がしばらく続くと、そこにはもはや肉片一つ残ってはいなかった。人の生命があったという気配は皆無だ。

 

 ザワワワわわわワワワわわわワワワわわわワワワワワワ

 

 そして、食事を終えた蟲達が一斉に一つ所に積み重なり、収束していく。

 それはやがて小さな人型を(かたど)ると、

 

「・・・・・・・・・ふう・・・・・・・・・」

 

 そこには、和装を身に纏った一人の老人が現れ、溜息をついていた。

 

「全くもって難儀な躰になったものよ。半年と()()()とはのう」

 

 その老人、間桐臓硯は傍らに落ちていた杖をあげて独白する。

 

「それで・・・・・・何の用じゃ、ライダー?」

 

 路地の出口に向けて、間桐臓硯はそう問い掛けた。

 

「取り込み中であった儂の邪魔をしないよう気を遣ってもらった事には、礼を言ったほうがいいかもしれんがの」

 

「先ほどの蟲達こそが、あなたの正体というわけですね」

 

 問い掛けられたライダーが姿を現した。

 

「そろそろ召喚されて一月足らずが経つ。お主とて、儂がただの人ではない事くらいは気付いておったろう?」

 

「ええ。とは言え、蟲で身体を補っている程度かと。まさか全てだとは思いもしませんでした」

 

 普段から感情の揺らぎをあまり見せないライダーも、先程の光景には驚きを隠せなかった。

 

「くくく。儂はこうして数百年を生きてきたのじゃ」

 

「数百年・・・・・・途方もない年月ですね。ですが、あなたは若い女性を取り込んだ蟲達で構成されている筈。なぜ敢えてそのような姿になるのでしょうか?」

 

 先程の女性のような姿になるか、あるいは自在に姿を変えることができるのではないか、という問いを言外に込めたものだ。

 

「さてのう。この姿は存外、悪くないものじゃぞ。老人の姿である事で世間からは一定の信頼を得られるし、逆に侮っても貰える。それに、今さら別の姿になっては周囲に混乱を招くじゃろう?」

 

 ライダーはその言葉の中に微かではあるが、老人の苛立ちと言い訳じみた響きを感じ取った。

 これは本心ではない。

 

「そうですか。では、あなたは永遠に生き永らえるだけではなく、自由自在に姿を変えることができると」

 

「ふん」

 

 老人ははぐらかすように視線を逸らした。

 

「そのようなあなたが何を求めるのですか?」

 

「お主も見たであろう。あのような真似をせねば生きてはいけん。儂とてそれは本意ではないのじゃよ」

 

「つまり、あなたは自身の生を保つために他者の生を必要とする。それが煩わしいということですね?」

 

「そのような表現は誤解を招くのう。他者の生を奪うことに抵抗があるということじゃ」

 

 言葉とは裏腹に、老人の顔には醜悪な笑みが浮かんだ。

 それは、他人を殺めることに何の抵抗も感じないどころか、むしろ悦びを見出す外道であることを示すものに他ならない。

 

「私自身、決して真っ当な存在ではありませんが、あなたは遥かに歪んでいますね」

 

 ライダーは目的のためなら、他者の命を奪うことに抵抗はなかったが、そこに愉悦を感じたりはしない。ただ、こなすだけだ。

 

「使い魔風情が、知った風な口をきくでない」

 

 老人が感情を露わにする。

 

「貴様のように美しく、瑞々しい肉体を保ち続ける者にはわかるまい。自身の躰が蟲であるという事の悍ましさを。そして、時と共に腐り落ち、朽ち果てていくこの苦しさを」

 

「では、何もしなければいい。それで、あなたは楽になるでしょう」

 

 ライダーは淡々と提示する。

 勿論、この老人がこの意見を肯定するわけがない。

 

「笑止。貴様のような人外にはわかるまい。『命が尽きる』ことの恐ろしさを」

 

 この妖怪に人外呼ばわりされることこそ信じ難い出来事だ。

 間桐臓硯は、もはや真の意味では己を顧みることができなくなっているのだろう。

 

「よくわかりました」

 

 あなたはとうの昔に狂っているのですね、とライダーは小さく呟いた。

 

 ジャリ・・・・・・

 

 ライダーの手に杭剣が出現し、その柄に繋がれた鎖が地面を這う。彼女とすれば意識した行動ではなく、実際に攻撃を仕掛けるつもりはなかった。

 おそらく、仕掛けても無駄だろう。

 

「くくく」

 

 老人も多少の警戒はしたようだが、特段、慌てる素振りはない。

 

「少々お喋りが過ぎたの。儂はそろそろ戻るとしよう」

 

 ブン・・・・・・

 

 そう言うと、その下半身が徐々にばらけ始め、無数の蟲へと姿を変えていく。

 

「お主も早く戻るが良い。まだ今晩は慎二の相手をしてやっていないのじゃろう?」

 

 ブワワワワワワワワ

 

「折角そのような立派な肉体を持っているのじゃ、存分に役に立てるがいい。それも立派な務めというものじゃ。カカカカカカカカカ」

 

 下卑た嗤い声とともに、間桐臓硯の躰は全てが蟲となり散り散りになっていく。ある頭は羽蟲になって空を舞い、体は蛆蟲となって地面を這い何処かへと去っていく。

 

『よくよく考えるのだな、ライダーよ。我が孫娘の真の望みがなんであるかを』

 

 そして最後に、蟲達による嘲るような合唱が虚空に漂っていた。

 

「・・・何が・・・『孫娘』ですか・・・」

 

 ライダーは歯噛みし、手にした杭剣を握り締めた。

 しかし、あの蟲達の言うとおりでもあった。

 間桐臓硯や間桐慎二が、桜にとっての害悪なのは間違いがない。

 だが、それを排除することが彼女の望みかと言えば、それはおそらく違う。桜が生きるために、少なくとも今は彼らは必要なのだ。

 そしてまた、間桐臓硯は斃せるのか。

 刺しても、切ってもあの蟲共の数匹を落とせるだけだろう。

 或いは魔眼を使えば、一網打尽にできるかもしれないが・・・

 

「あれが、本体とは限らないでしょうね」

 

 間桐臓硯については、さらに調べる必要がある。

 しかし、桜のサーヴァントとしての役割も果たさなければいけない。

 そして、自分が現界していられる時間は限られている。

 為すべき事は多く、時は短い。

 状況は厳しい。

 一人で出来ることには限界があるが、頼れる相手などいる筈もない。

 

 ──―──―

 

 ライダーの口は、自然とあの三音を紡いでいた。

 

 

Interlude out

 












それぞれの交差点というやつですね。


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第21話 ~2日前①~ 「紅い悪魔」

1月29日 朝













 E turn

 

 

 二人で協力して作った朝食を終えた後、オレとキャスターは改めて今後の方針について、話し合っていた。

 

「イリヤスフィール達と手を組むための道筋を探ること、そしてもう一人のサーヴァントの召喚っていうのが、当面のオレ達の目標になるかな」

 

「それでいいんじゃないかしら」

 

 オレも彼女も温かい緑茶が入った湯呑みを両手で抱えている。

 キャスターがこの家に定住するようになって、もう十日が過ぎた。本来、ヨーロッパ圏を出自とする英霊の筈だが、湯呑みでお茶を啜る姿が完全に板についていた。

 とにかく彼女の所作は全てにおいて洗練されていて、綺麗だ。見慣れてきてはいるが、それでもふとした瞬間に、その流れるように上品な動きに見惚れてしまう。

 依然として真名を知らされてはいないが、きちんとした礼儀作法を教育されてきたのだろう。

 

「問題はいくつかあるけれど、そもそもバーサーカーがまだ生き残っているのかっていうのが、かなりの疑問だよな。校舎を吹き飛ばした宝具を貰っちまった可能性があるんだから」

 

「ええ。学校で使われた宝具を正面から受けていたら、先ず無事では済まないでしょうね。その場合、手を組むも何もないわね」

 

「あの子、イリヤスフィールも無事ではない可能性もあるよな」

 

「サーヴァントを失ったマスターが見逃してもらえるとは思えないわね」

 

「まあなんにせよ確かめてみないと話が進まないわけだが・・・」

 

 オレ達は必ずしも他の陣営に比べて、秀でているわけではない。

 会敵したのは、セイバー、ライダー、バーサーカーだが、いずれも劣勢だった。圧倒されていたと言ってもいい。単独で勝ち残るのは難しい以上、どこかと手を組みたい。だが、遠坂や、先日の桜の様子からすると、彼女達と共闘できる可能性は限りなく低い。消去法でイリヤスフィールならまだしも可能性があるという結論に至るわけだ。

 正直、色々と苦しいところだった。

 

「取り敢えず無事だったと仮定して、イリヤスフィール達の拠点はどこなんだろうな」

 

「その点については、(わたくし)に少し心当たりがあるわ」

 

「そうなのか?」

 

「前のマスターが話していたのよ。アインツベルンの拠点は冬木郊外の森の中にあるって」

 

「郊外の森か。だいぶ遠いな」

 

「ええ。さらに言うなら、広い森の中のどこにあるかもわからないわ。実は一度、使い魔を放って探った事があるのだけれど、途中で妨害されたわ。侵入者を探知する結界と迷わせる結界が張られているみたいね」

 

「なす術ないじゃないか。向こうからの接触を待つしかないかな?」

 

「いいえ。私が直接行けば問題ないと思うわ。もっと大量の使い魔を使って、時間を掛けても突き止められると思うけれど、結局、話し合いは直接するべきでしょうしね」

 

「そうか。道中は注意しないといけないだろうけど、日中に動けば多少は危険度を落とせるかな」

 

「夜よりは安全でしょう」

 

「よし、今日、明日にでも動くことにしよう」

 

 聖杯戦争の正式な開戦迄は、おそらくそう時間はないだろう。イリヤスフィールとの話し合いは早急に実現したいところだ。

 

「あとは、サーヴァントの召喚か。オレ、召喚のやり方なんて全然わからないんだけど」

 

 左腕を持ち上げて、手の甲に浮かんだ令呪をまじまじと眺める。

 

「それも私が教えてあげられるから、大丈夫。そんなに難しいものじゃないし、仕組みとしては殆ど聖杯の力で呼び出すから詠唱自体は完璧でなくても大丈夫だと思うわよ」

 

「そんなこともわかるのか」

 

「色々と調べているのよ、私も」

 

「どんなサーヴァントなんだろうな。キャスターはある程度、予測できているんじゃないか?」

 

「予測というより・・・色々と推測はしているわ」

 

 彼女は少し考え込むように目を閉じた。

 

「坊やの体には魔術礼装が埋め込まれているのよ」

 

「え?オレの体の中に?」

 

「そうね。それが、坊やがあれ程の武器を投影できる理由にもなっていると・・・」

 

 ジリリリリ!ジリリリリ!

 

 廊下に置いてある電話が鳴った。

 

「済まない、キャスター。すぐに出る」

 

 座布団から立ち上がると、オレは廊下に飛び出した。

 

「別にあなたのせいじゃないわよ」

 

 キャスターが呆れたように溜息をつくのを背中で聞きながら、オレは受話器を取り上げた。

 

「もしもし、衛宮です」

 

『私だ』

 

 いきなり受話器から渋めの重低音の声が流れてきて、耳に木霊した。映画館の音響並みに脳に直接響いてきて、なんというか圧が強い。

 

「は?どちらの『私』様で?」

 

『ああ、正確には冬木協会の言峰綺礼だ』

 

「なんだって?」

 

『衛宮士郎だな?』

 

「いや、そうだけど、そもそも電話番号どうやって知ったんだ?遠坂にでも聞いたのか?」

 

 と言っても遠坂も他クラスだ。緊急連絡網でもこの番号は知らない筈だ。

 

『あいつは電話が使えん』

 

「は?」

 

『聞き流せ。流石に電話ぐらいは使える。お前の家にも【こんにちわページ】があるだろう。電話番号など誰でも調べられる』

 

「ああ、そうか」

 

 うちにもあるな。使った事ないけど。

 

『この後、私は深山町に用事があってな。そのついでというわけではないのだが、少しキミと話したい事があるのだ』

 

「あんたが、オレに?」

 

『そうだ。11時に商店街にある中華料理店【泰山】に来い』

 

「た!?たいざん・・・!?」

 

『逃げるなよ。来なければこの戦いから逃げたとみなす』

 

「なんだそりゃ!?」

 

 ガチャリ・・・

 

 いったい、今のは何だったのだろうか?

 頭と心の整理がつかないままにオレはふらふらと居間に戻っていった。

 

「どうしたの坊や?ちょっと顔色が悪いわ。セールスの類なら気をつけたほうがいいわよ」

 

 キャスターがお茶を啜りながら、忠告してくる。

 

「あなた、そういうのに引っかかりやすそうだから」

 

「何か得体のしれない闇に捕まったことは確かだと思うんだが・・・」

 

 混乱する頭をぶんぶんと振るが、鎮静化する気配はない。

 

「次にその手の電話があったら、私が替わるわよ。電話越しに呪い殺してやるわ」

 

「頼むから、やめてくれ」

 

「それで、何だったの?」

 

「ああ、監督役の言峰神父からだった。話があるから会おうってさ」

 

 オレは、なんとか要点だけを抽出できた。

 つまるところ、それだけの電話だったのだ。

 

「それだけの話で、あなたがそんなにダメージを負っているのが、不可解なのだけれど・・・」

 

 キャスターは手元のお茶に視線を落として、少し考え込む様子を見せた。

 

「あの神父はかなりの曲者よね。用心する必要があるわ」

 

 一昨日の朝、神父と会話した時にはキャスターも霊体化してオレの傍にいた。その時の事を思い出しているのだろう。

 

「でも、話をするのはいいと思うわ。もしかしたら、坊やのお父さんの話が聞けるかもしれない」

 

「え?」

 

「それは、あなたが召喚するサーヴァントのヒントになるんじゃないかしら」

 

 彼女は手元のお茶から視線を上げて、オレの目をじっと見てきた。

 

 

 

「『中華料理』というジャンルは、今まで坊やも作ってくれた事はなかったわよね?」

 

 隣にいるキャスターは明るい声でオレに訊ねてきた。かなり上機嫌なようで、足取りも軽やかだ。

 

「そうだな。作れないわけじゃないけど、特段得意ってわけでもないし」

 

 オレ達は冬らしい柔らかい日差しの中、深山町商店街を歩いているが、午前11時前という時間帯でもあり、人通りはやや閑散としている。

 

「本当にあまりこっちにはみんなの注意が向かないな。めちゃくちゃ注目を浴びるんじゃないかって心配したけど」

 

「私と一緒に歩くのが、そんなにご不満なのかしら?」

 

「あいや、そういうことじゃなくてですね」

 

 道行く人々や、商店街の店頭で商品を陳列している馴染みの八百屋の店員など、誰もオレ達に注意を払わない。これはキャスターの魔術によるものだ。

 

「なにせオレはこの商店街の常連だからな」

 

「だから何よ?」

 

「これ以上言わせないでくれよ・・・」

 

 こんな美人の外国人と二人きりで歩いてたら、好奇の視線がギラギラとうるさいに決まっている。そして、後日、おじさまがた、おばさまがたの質問の集中砲火が雨霰と降り注いでくるに決まっているのだ。

 

「英語の先生とか説明すればなんとかなるかな・・・」

 

 改めてチラリとキャスターの様子を確認する。

 彼女は普段よく着ている黒のカットソーの上からジャケットを羽織っており、下はフレアのロングスカートという装いである。女性のファッションなど微塵もわからないが、少し個性的ながらもお洒落な感じでとても似合っている。

 

「ここかしら?」

 

 そう言って、キャスターが足を止めて見上げた先には【紅州宴歳館・泰山】と書かれた薄汚れた看板がある。

 

「ああ。ここだ」

 

 ごくん・・・

 

 オレは生唾が自分の喉を通る音を確かに聞いた。

 

「間違いない・・・んだけどな・・・」

 

「どうしたの、坊や?物凄く緊張している・・・というか、ちょっと震えているわよ」

 

「だ・・・大丈夫だ。辛くない料理もあるんだから・・・」

 

 オレは必死に自分に言い聞かせる。

 

「ずっとここに立っていても仕方ないわ。入りましょう」

 

 全身に警戒という名の鎧を着こんで固まっているオレを不思議そうに見ながらも、キャスターは店ののれんをくぐった。

 

 ガララ・・・

 

「イラッシャイー」

 

 女性店員の中華系イントネーション満載の来店挨拶が狭い店内に響いた。

 

「む、来たか?」

 

 先日同様に神父服を着こんだ言峰神父が、口に運びかけたレンゲを止めてこちらを認めた。あまり広くない店内にはテーブルが7、8脚並べられているが、客は神父だけだ。

 

「まあ、掛けたまえ」

 

 神父が一旦止めた、レンゲを口に運びながら、テーブルを挟んで向かい側の2つの席に座るよう促してきた。

 

「ええ、そうしましょう」

 

 キャスターが同意して、席に着く。

 

「・・・あ、ああ」

 

 いちいち反応が鈍くなっているオレは、キャスターに釣られるようにしてその隣に座った。

 

「折角だから、キミ達も何か頼むといい。ここは名店だぞ」

 

「あら、そうなの?」

 

「ああ。冬木で最も美味い店と言っても過言ではない。特にお勧めは麻婆豆腐だ」

 

 神父は手元を指し示しながら、料理を勧めてきた。

 その皿の上にはなみなみと赤い液体が注がれており、その中には豆腐が浮かんでいる。

 

「ちょ・・・ちょっと待て・・・」

 

「大丈夫だ。多少辛いが、この刺激が堪らん。キャスターよ。お前も折角、この時代に現界したのだ。生前では縁のなかった国、時代の様々な食文化を堪能するのも悪くはあるまい」

 

「それはそうだけれど・・・色がかなり毒々しいわねえ」

 

 キャスターが顔を顰めた。

 そうだ。その反応でいいんだ。

 

「麻婆豆腐は元々中国由来の料理だが、今や日本にも定着しており、一般家庭の食卓で頻繁に出される程になっている。ここで本物の味を知っておくと、自分で作る時にも有用だぞ」

 

「確かに、技術より舌を先に磨くべきとも言うわね。でも、生憎と私自身に持ち合わせがないわ」

 

「む、そうか。であれば、ここは私が持とう。同好の士が増える良い機会だと思えば、先行投資をすることも吝かではない」

 

「それじゃあ、お願いしようかしら」

 

「いや、ちょっと待て、キャスター。止めておいたほうが・・・」

 

「どうやら、キミは辛い物が苦手なようだな。憐れな少年よ。まあ、私の経験則上、女性のほうが辛い物に耐性がある。ここの店主も女性だぞ」

 

「そうねえ、私も辛い物は好きだわ。坊やも作るの?この麻婆豆腐というお料理」

 

「ま・・・『麻婆豆腐』なら、作りますけどね。ただの『麻婆豆腐』なら・・・」

 

「そう。じゃあものは試しよね」

 

「あ、き・・・キャスター・・・」

 

 違うんだ、という最後のセリフはあまりにも消え入りそうなか細い声になったため、彼女には届かなかった。

 そして、オレの思考回路が回らないうちに、『麻婆豆腐』という名を冠した異界の料理がキャスターの目の前に置かれている。

 

「いただきます」

 

 キャスターはいつもどおりの礼儀正しい所作で、目の前の料理に手を合わせている。

 あれは今、何に祈ってることになるのだろうか?

 ああ、違う。

 そんな事を考える間にも、オレは何か絶対にやらなくてはいけない使命がある筈なんだ。

 

「ふふ。さあ、ご賞味あれ」

 

 汗をダラダラと垂らしながら、目の前の神父もモリモリと食べている。

 キャスターは真っ赤な地獄の液体をレンゲで一掬いすると、その口元へと運び・・・

 

 ボンッ!

 

 キャスターの頭が爆ぜ、彼女はテーブルに突っ伏した。

 キャスターは死んだ。

 間違いない。

 ・・・・・・合掌・・・・・・

 オレ達の聖杯戦争はこうして唐突に終わりを告げた。

 いや、そうじゃなくてだな。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 テーブルに沈んだキャスター。

 そして、この惨劇を食い止めることができず、自らの無力さを悔いるしかないオレ。

 

 カチャカチャ・・・もぐもぐ・・・

 

 眼前には一言も発することができないオレ達などどこ吹く風で、何かに取りつかれたように一心不乱にレンゲを口に運び続ける神父がいる。

 

「・・・こ・・・ころすわ・・・」

 

 地獄の底から怨嗟が溢れてきた。

 完全に魔女と化したキャスターが、呪いの言葉を紡いだのだ。

 

「そうか、私を殺してこのテーブルにある麻婆を独り占めしたいということだな。そこまで感動していただけるとは勧めた側としては、大層喜ばしい」

 

 カチャカチャ・・・もりもり・・・

 

「・・・この男・・・ダメね・・・」

 

 ようやく顔を上げたキャスターの目には、涙すら浮かんでいた。

 

「キャスター・・・すまない・・・オレが死を賭してでも止めるべきだった」

 

 オレは水を差し出しながら、テーブルに頭をつけるようにして謝る。

 

「・・・いいえ、この神父の口車に乗った私が間抜けだったのよ・・・・・・い・・・痛いわ・・・料理を食べて『痛い』って、どういうことなのかしら・・・」

 

 混乱しているキャスターは頭を抱えて、ふるふると震えている。

 

「水ヨリ牛乳ネ」

 

 そう言って、先程の店員がやって来て、牛乳が入ったコップを置いてくれた。

 

「あ・・・ありがとう・・・」

 

 その牛乳を飲んで、キャスターはなんとか一息ついた。

 

「で、その麻婆はどうするのかね?残念ながら口に合わなかった様子だな」

 

「しっかりわかってるんじゃない、このド腐れ神父が・・・」

 

 普段の丁寧な言葉遣いからは信じられないような卑語(スラング)が彼女の口から吐き出された。

 無理もないことである。

 

「どうやら辛い物が少々苦手なようだが、この店は辛味を抑えた料理もあるぞ。担々麺とかな」

 

「いい加減、止めておけ。次は、あんたマジで殺されるぞ」

 

「そうか。私は本気なのだがな・・・」

 

 本気で残念そうに神父は大きく溜息をついた。

 本心から言っているようにも見えるところが、恐ろしい。

 

「さて、では本題に入ろうか」

 

 自身の皿を完全に空にした神父は、タオルで口元を拭いながら、姿勢を正した。未だに顔面中から汗が滴り落ち、神父服の胸元はだいぶはだけて、全身から熱気が立ち込めてはいたが。

 

「今日、私がお前達を呼び出したのは、先日の話の続きをするためだ」

 

「先日って、あの校庭での話ってことか?」

 

「そうだ。凛がお前との共闘を拒んでいたので、あの場ではあれ以上、提案をすることが難しかったのだがな」

 

 神父はそう言ったが、あの時は遠坂のほうが先に立ち去った筈だ。どちらかと言うと、あの赤毛の女、バゼットの視線に気付いてこの神父は立ち去ったのではなかったか。

 

「つまり、校舎を消し飛ばしたサーヴァントを止めて欲しいということかしら?」

 

 オレが少し思案する間に、キャスターが問答を引き継いだ。

 

「そのとおりだ」

 

「令呪を貰えるという話だったけれど、それにしてはリスクが大きいわね」

 

「わかっている。だが、先日も言ったように、あれをしでかしたサーヴァントは極めて強力だ。放置して単純に正面衝突すれば、お前達は力負けするだろう。それよりも、私がこうして多くの参加者に呼び掛けることで、多対一の構図を作り、それに乗ったほうが良いのではないか?」

 

「一理あるけれど・・・」

 

 オレとしては無策で各個撃破されるぐらいなら、力が劣る側が手を組んで、強者を討つという方針は正しいと思っていたが、キャスターは渋い顔をしていた。

 

「今の口ぶりだと、あんたはあれがどんなサーヴァントの仕業なのかもわかっているようだな」

 

「そうだな」

 

 神父は少しだけ考える素振りを見せた。

 

「わかっている範囲で正体を教えよう。その代わりに、あれを斃すことを意識して欲しいのだ。最優先にしろなどとは言わん。ただ、機会があれば、他の参加者と連携して討つことを考えて欲しい」

 

「それぐらいなら構わない」

 

 神父の提示してきた内容は、実態としてはさしたる制約にはならないし、いずれにせよ斃さなくてはならない相手なのだ。

 

「それで、どんなサーヴァントなんだ?」

 

「あれは、前回の聖杯戦争の生き残りだ。クラスはアーチャーということになる」

 

「何だって?」

 

「何ですって?」

 

 オレとキャスターが同時に驚いた。

 そんなことがあるのか?

 

「真名は【ギルガメッシュ】。古代メソポタミアの伝説的な王にして、半神半人の英雄王だ」

 

「【ギルガメシュ叙事詩】ってのは、言葉だけは聞いたことがあるけど、その主人公ってことか?」

 

 有名どころの英雄が出てくるのかと思っていたが、すぐにはイメージがわかない名前だった。

 

「そのとおりだ。即ち、人類最古の英雄譚とも言える。その、主人公という事はあらゆる英霊の原型とも言えるな」

 

「英霊達のオリジナル・・・」

 

「具体的にはどんな戦い方をするのかしら?」

 

「ギルガメッシュは、数多の英雄達の宝具の原型を所有している」

 

「なんてこと・・・」

 

「反則だな・・・」

 

「それを乱射するのが基本戦術だ」

 

「それが脅威なのはわかるけれど、校舎を消したのはどういう事かしら?少し、話と合致しないのだけれど」

 

 確かに刀剣を乱射した結果では、校舎は崩壊されたとしても、消えることなどないだろう。

 

「あれは、ヤツの宝具の中でも最も優れた一刀を抜いた結果によるものだな」

 

「とっておきってやつか」

 

「それにしてもあなた、その英霊について随分と詳しいのね。監督役としての引継ぎ事項ということ?」

 

 オレも同じ疑問を抱いていた。

 監督役とは言え、あまりにも詳しすぎないだろうか?

 

「前回の聖杯戦争で私は開戦前に、何故か令呪を授かってな。監督役だった父のサポートをしたのだ」

 

「つまりあんたも聖杯戦争の参加者だったわけか。監督役の子供がマスターじゃ公平さに欠けるんじゃないのか?」

 

「私には特に望む事などないし、教会の忠実な駒としての意識しかなかったからな。円滑かつ穏便に聖杯戦争が終息するよう手を尽くしたに過ぎん」

 

「どのクラスのサーヴァントのマスターだったんだ?」

 

「私が召喚したのはアサシンだった。諜報活動にはうってつけだったからな」

 

「・・・あなた、坊やの名前について・・・正確には名字に心当たりがありそうな素振りだったわね。ひょっとして坊やのお父さんを知っているんじゃないのかしら?」

 

 ここでキャスターが思いも寄らない発言をした。

 確かに初対面の時、神父はオレの名前を少し反芻するような気配があったかもしれない。

 それにしても、この話の流れで、この質問をした。

 つまり、キャスターが推測しているのは・・・

 

「そうだな。衛宮切嗣という男を私は知っている。ヤツもまた、前回の聖杯戦争のマスターだったからな」

 

 あっさりと、神父は肯定した。

 

「やっぱりそうだったのね」

 

 キャスターは少し様子を窺うような視線をオレに送ってきた。

 彼女は、オレの親父が前回の聖杯戦争に参加していたんじゃないかという仮説を立てており、それが今、確認できたということだろう。

 

「まあ、この街に住む魔術師なんて限られているのだから、坊やのお父さんがマスターに選ばれても決して不思議じゃないわよね」

 

「ふむ。だが、あの男は元々この街に住んでいたわけではなかったようだがな」

 

「そうなの?」

 

 キャスターがオレに問う。

 

「ああ。あまり詳しく聞いたことはないけど、冬木に住み始めたのはオレを引き取る少し前だった筈だ。親父から聖杯戦争の話なんてカケラも聞いたことはないけどな」

 

 そもそも、切嗣は自分の事について多くを語らない男だった。

 

「あの男は雇われたマスターだった。アインツベルンが必勝を期して送り込んだ切り札。それがお前の父親、『魔術師殺し』衛宮切嗣だったのだ」

 

「アインツベルン?そのうえ『魔術師殺し』だって?」

 

 思いもよらない単語が続出して、オレは一層困惑する。

 

「アインツベルンは魔術師の家系としては一流だが、ホムンクルスの製造など錬金術に特化しており、荒事にはあまり向かない。そのため、戦闘に長けた魔術師を欲していたのだ」

 

「それが、切嗣だっていうのか?」

 

「そうだ。衛宮切嗣は、かなり名の知れたフリーランスの殺し屋だった。しかも、対魔術師専門のな。アインツベルンにしてみれば、ニーズに合致した人材だったのだろう」

 

「親父が・・・殺し屋だって?」

 

 いつもおっとりとしていた切嗣からは、そんな素振りは全く感じられなかった。

 まるで全く知らない人物について説明されているかのようだ。

 

「あなた、坊やのお父さんのサーヴァントについても知っているんじゃないのかしら?」

 

「ああ。そうだな。特にこれを知ったからといってどうなるものでもあるまいが・・・」

 

 神父は少し考え込むように両手を組んで、目を閉じた。

 

「衛宮切嗣のサーヴァントはセイバーだった。そして、その正体は、かの高名なるアーサー王だ」

 

「アーサー王・・・かなり強力な英霊ね」

 

「あの有名な【アーサー王物語】の・・・」

 

 オレですら、岩に刺さった選定の剣を抜いた逸話や、死の間際に聖剣を湖へと返すよう部下に命じた際の逸話などは知っている。

 サーヴァントの強さはその知名度にも左右されるとキャスターは言っていた。きっと優秀なサーヴァントだったろう。

 

「実際、セイバーは強力だった。そのうえ、衛宮切嗣は対魔術師戦を得手としていた。この二つの要素で彼らは聖杯戦争を勝ち抜いていった」

 

「・・・・・・・・・」

 

 あの柔和な切嗣が苛烈な聖杯戦争を勝ち抜いていく姿をオレは想像できなかった。

 

「最後まで残ったのは、セイバーとアーチャーだった。だが、衛宮切嗣は、セイバーの宝具【約束された勝利の剣(エクスカリバー)】で、聖杯を破壊するという暴挙を犯したのだ」

 

「聖杯を壊した?何故そんなことを?」

 

「さてな、あの男の真意など私には全く理解できんよ」

 

 大仰に神父は両手を広げて、首を振った。

 

「まだ残っていたアーチャーは、壊れされた聖杯の持つ魔力の一部をその身に浴びた。結果としてセイバーは強力な宝具を使った反動により魔力切れで消滅し、アーチャーはイレギュラーとして現界に留まり続けたというわけだ」

 

「誰も願いを叶えることなく終わったって事か?」

 

「そのとおりだ。中途半端に終わったため、今回の聖杯戦争は、前回の聖杯戦争から僅か10年で開始されることになった」

 

「10年前?」

 

「そうだ。前回の聖杯戦争は10年前だったということだ」

 

「あの大火災があったのも10年前だ・・・」

 

「そのとおりだ。10年前にこの冬木市で起きた未曾有の大火災。あれも前回の聖杯戦争の爪痕だ」

 

 その大火災で両親と妹をなくすとともに、オレ自身も生死の境を彷徨い、切嗣と出会うことになったのだ。それは、決して忘れることのできないものであり、今もオレを規定する出来事であり続けていた。

 

「坊や・・・」

 

 隣のキャスターが少し心配そうに声を掛けてきたが、

 

 ガラララ・・・

 

「イラッシャイー!」

 

 店のドアが開けられ、新たな客が入ってきたようだった。

 

「な・・・なんですか?この薄汚れたお店は・・・しかも、狭すぎます」

 

 露骨に不機嫌そうな女性の声が背中から聞こえてきた。

 











ああ、また麻婆を食べるだけで一話を費やしてしまいました。


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第22話 ~2日前②~ 「はらわたの中で」

1月29日 昼








E turn

 

 

「む、来たか」

 

 目の前に座る神父がそう声を発した。

 どうやら、声の主を呼びつけたのもこの神父という事なのだろう。入店してきた人物を確かめるために、オレも振り返った。

 

「こんなお店にお嬢様を入れるわけには参りませんね。場所を替えさせましょう」

 

 棘のある口調で独白しているのは、なんというか・・・外国人のメイドさん(?)だった。

 頭から足まで、体全体をすっぽりと覆うような作りの白いメイド服に身を包んでおり、透き通るような白い肌の整った顔だけが晒されている。

 

「リズ、お嬢様には車を降りていただく必要はありません」

 

 彼女は店の外にいる誰かに向かって、そう呼び掛けた。

 

「まったく、こんなお店を会談場所としてセッティングするなど、非常識というものです」

 

 口元にハンカチを当てながら、そのメイドさんがオレ達のテーブルへと近付いてくる。店内の空気を吸い込みたくもないと言わんばかりだ。

 流石にそこまで露骨な態度をとるのは、この店に失礼ではないかと気になって、オレは女性店員の様子を窺ったが、特に頓着してはいないようだった。

 

「言峰神父。そういうことですから、場所を替えます。なんでしたら我々の車の中でも良いでしょう。ここよりは遥かに快適です」

 

 彼女は、口調とは裏腹にゆったりとした動きでやって来ると、神父にそう告げた。

 

「どういうことなの?説明して欲しいわね」

 

 突然割り込んできたメイドさんを不快そうに一瞥したキャスターが、神父に問う。

 オレも同感だった。

 一体このメイドさんとはどういう関係なのだろうか?

 

「ああ、お前達にはまだ話していなかったな。私はイリヤスフィールにもここに来るように伝えていたのだ」

 

「イリヤスフィール?」

 

「ということは、こちらの女性はあのお嬢さんの関係者ということかしら?」

 

「気安くお嬢様の名前を呼び捨てにしないように」

 

 険しい目つきでオレは睨みつけられてしまった。

 要するに、『お嬢様』というのはイリヤスフィールのことで、このメイドさんは彼女の付き人みたいな存在なのだろう。

 

「そう邪険にするな。折角の機会なのだ。イリヤスフィール嬢も含めて、全員で麻婆三昧というのはどうかな?」

 

 一体この神父は、どこまでマイペースなのか。

 傍らに来たメイドさんが、不機嫌オーラを全開にしているのも意に介さず、性懲りもなくそんな発言をした。

 

「もうやめれ」

 

「あなた、本当に一回死んだほうがいいわよ」

 

「そのような戯言に付き合っている暇はありません。お嬢様をお待たせしているのです。早くこの店を出るように」

 

 と、メイドさんは神父の奇天烈な勧奨など完全に封殺して通告すると、間を置かずに出口へと向かった。

 

「むう。止むを得んか」

 

 心底残念そうに呟いて、神父が伝票を掴みながら腰を上げる。

 オレとキャスターもそれにならった。

 

「これは棚ぼたってやつだな」

 

「ええ。思いがけないチャンスが転がり込んできたみたいね」

 

 オレとキャスターはお互いに視線を交わした。

 唐突ではあったが、イリヤスフィールと直接話をする好機(チャンス)が訪れたのだ。

 

 

 

「な・・・なんなんだ・・・これは?」

 

【泰山】の店外に出ると、オレの視界の横いっぱいを白い車体が専有した。

 テレビでしか見たことのないような、ボディが恐ろしく長いセダンタイプの車が路上に停車していたのだ。その胴長なフォルムは、なんとなくダックスフンドを思わせる。

 

「オ客様。車。乗ル」

 

 先刻、店の中に入ってきたメイドさんと、ほぼ同じような服装をしたもう一人のメイドさんが、後部ドアの横に立ってオレ達に車内に入るよう促してきた。少したどたどしい口調である事と、胸がだいぶ服を押し出して強く主張しているのが大きく違うポイントだった。

 

「何をもたもたしている。このような狭い道で、車が止まっていること自体が店にも迷惑なのだ。早く乗るがいい」

 

 既に車中に座っている神父がこちらにオレ達に声を掛けてくる。

 

「それでは、遠慮なく上がらせてもらうわね。行きましょう、坊や」

 

「・・・は・・・はい」

 

 オレはピカピカに磨き上げられた車体に、万が一にも触らないよう気を遣いながら、車に乗り込んだ。

 

「げ・・・」

 

 外観を目にした時点で驚かされたが、車内の様子もオレの知っている『車』の範疇から遥かに外れたものだった。

 

「何で後部座席なのにシートが向かい合ってるんだ・・・?」

 

 オレは完全に異界へと彷徨いこんだ錯覚に陥り、愕然とした。

 

「いいから早く座ってよ。お兄ちゃん」

 

 ニコニコと無邪気な笑みを受かべてそう告げてきたのは、先日の夜の学校で出会った銀髪の少女だった。

 バーサーカーのマスターにして、この戦争の御三家の一つアインツベルンの当主、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだ。彼女は三辺あるシートの一辺に座っているキャスターの隣を指し示した。

 キャスターも、早くしろと言わんばかりにポンポンと自分の隣のスペースを叩いている。

 

「まあ、この国の一般的な学生がこの様な車に乗る事など殆どないからな。戸惑うのも無理はないだろう」

 

 オレの心情を察してフォローしてくれたのは、意外なことに言峰神父だった。この男は麻婆豆腐さえ絡まなければ、ある程度常識人のようだ。

 

「ああ・・・正直、わけがわからなくて混乱している」

 

 今日は混乱させられることばかりなんだが・・・

 

「これが、もしかして伝説にのみ記される幻の存在『リムジン』ってやつなのか・・・」

 

 なんとか黒革のシートに腰を降ろして呟くと、車内の様子を改めてぐるりと確認した。

 落ち着いて見ると、この後部スペースには三辺にシートが配置されていて、一辺はイリヤスフィールが座る最後部のシートがあり、残り二辺のうち一辺にオレとキャスターが、残りの一辺に神父が座っている。

 オレ達の目の前のカウンターには酒が並べられている。

 

「なかなか良い酒が揃っているな。さすがアインツベルンと言うべきか」

 

 神父がワインセラーから、無造作に一本の瓶とグラスを複数取り出す。他人の物をそんな勝手していいのだろうか?

 

「お前達も飲むかね?」

 

「先ずは、持ち主の意向を確認するべきでしょう?」

 

 と、キャスターが良識のある反応を見せて、右側のシートに座るイリヤスフィールの様子を窺った。

 

「どうぞ、ご自由に。ここにあるお酒は城に貯蔵する内のごく一部に過ぎないし、そもそも客人に振る舞うためのものでもあるしね」

 

 その手で優雅に承諾の意を示しながら、事も無げに銀髪の少女は応じた。

 

「そういう事なら、(わたくし)もワインをいただくわ。本当に久しぶり」

 

 キャスターは心底嬉しそうにグラスを手に取ると、ごく自然な様子で神父にワインを注いでもらう。

 

「坊やもどう?」

 

「そうだな。お前も酒ぐらい飲めるだろう?」

 

「飲めません。オレにはお構いなく」

 

 容易に禁忌に触れようとしてくる二人を無視して、オレは話を進めるように促す。

 

「それで、私をこうして呼びつけた用件を詳しく聞きたいわ。言峰神父」

 

 自身もグラスを手にしたイリヤスフィールが、自身の対面に位置する神父に尋ねた。彼女はワイングラスに入った発泡系の飲料口にしているが、あれはノンアルコールに違いない。

 

「そうだな。先日お前達が校庭で遭遇した金髪のサーヴァント。あれを他の聖杯戦争参加者と連携して、討伐して欲しい」

 

 グラスを眼前まで掲げて、そのガラスを透かすようにしながらイリヤスフィールに向けて神父は要望を口にした。

 オレや遠坂にした内容と同じだ。

 

「監督役としては、あれだけ強力なサーヴァントが無尽蔵に暴れ回れば、この戦いの秩序、神秘の秘匿が脅かされると憂いている、そんなところかしら?」

 

「話が早くて助かるな」

 

「横から口を挟んですまないが、その・・・バーサーカーは無事なのか?校舎の有り様を見た時、あんな攻撃を受けたらたとえどんなに強力なサーヴァントでも絶対に助からないと思ったんだが」

 

 オレは我慢できず、気になっていた事を口にした。

 

「大丈夫よ。だからこそ、この神父が私にこんな話を持ちかけてきてるんじゃない」

 

 イリヤスフィールは簡潔に答えた。これ以上の情報は与えないつもりだろう。

 

「そうなのか」

 

 あれに耐えられるとは思えないので、直撃を避けたと考えるのが妥当だろうか。

 

「それで、敢えてこの二人と私を引き合わせたのは何か意図があるのかしら?」

 

 イリヤスフィールはオレとキャスターに対して視線を送った。

 

「他意はない。たまたま先程の中華料理店で彼らにもこの件を伝えようと思っていたのでな。一石二鳥と考えたに過ぎん」

 

「そう」

 

 イリヤスフィールは左程疑問に思わなかったようで、納得した様子だった。

 

「それなら、遠坂にも声を掛けても良かったんじゃないか?それに・・・・・・間桐にも・・・・・・」

 

 自分が口にしたにもかかわらず、最後は思い切り歯切れが悪くなってしまった。桜がライダーのマスターだったという事をまだ、オレが受け止めきれていない証拠だ。

 

「遠坂とアインツベルン・・・御三家同士で手を組むというのは少し難しいかもしれんのでな。それに凛はお前達との共闘を拒んでいた。話が拗れる要因にもなりかねん」

 

「話はわかったわ。私もあのサーヴァントの脅威を身をもって知った。通常まらこの提案は充分に検討に値するものよ」

 

「ほう、『通常なら』とな?では、そこから外れる要素があるということだな?」

 

「このお兄ちゃんが、衛宮士郎であること。それが大問題だわ」

 

 銀髪の少女は冷ややかな目をオレに向けてきた。

 

「知っているのでしょう?衛宮切嗣は、前回の聖杯戦争でアインツベルンを裏切った。衛宮を名を冠するマスターと手を組むことなど許されないわ」

 

「そうか。アインツベルンの恨みはかなりの深いのだな」

 

「ええ。聖杯戦争に勝つ事が第一の目的に決まっているけど、衛宮士郎を殺す事も大事な目的なの」

 

「!?」

 

 面と向かっての殺しの予告に、オレはたじろいだ。

 

「どうやら交渉の余地はないみたいね」

 

 隣で様子を窺っていたキャスターが、落ち着いた口調で結論を下す。

 

「残念だが、そのようだな。だが、他のマスターとなら協力する余地はあるだろう?」

 

 神父がイリヤスフィールに確認する。

 

「そうね。あのサーヴァントが脅威であることは確かだし」

 

「では、いずれ凛と引き合わせる場も設けるとしよう」

 

「そうね。難しいかもしれないけど、監督役が間に入れば円滑に進むかもしれないわね」

 

「どうやら、オレ達は蚊帳の外になるようだな」

 

「すまんな。予想以上にお前は嫌われていたようだ」

 

 神父があっさりと無神経な発言をした。

 だが、イリヤスフィールとの共闘が難しい事は、校庭での別れ際での態度から元々予想していた。その上、切嗣がアインツベルンを裏切ったという事実があるのでは、かなり分の悪い交渉だったのだ。

 

「折角だから少しでも情報が欲しいわね。イレギュラーのアーチャーがいるということは、この聖杯戦争ではアーチャーが二人にいるということかしら?」

 

 キャスターは、イリヤスフィールとの共闘の目がない事をあっさりと受け入れて、別方面の情報を収集するつもりのようだ。

 

「そういうことになるだろう」

 

「単刀直入に聞くけれど、今回の戦いでまだ召喚されていないクラスを教えて貰えないかしら?」

 

「ふむ。結果的にとは言え、お前達には、余計な時間を取らせてしまったからな。現状の不利を考慮して多少なりと教えてやってもいいが」

 

 チラリと神父はイリヤスフィールのほうを見た。

 

「なんなら、ここで車から降ろしましょうか?私がいない方が話し易いでしょう?」

 

 神父の理屈からいくと、負い目のあるオレ達には聞かせてもいいが、そうではないイリヤスフィールについてどうしたらいいか逡巡したのだ。それに対してイリヤスフィールは気遣いを見せたのだが、

 

「いや、まあよかろう。イリヤスフィール嬢もこちらの話を無下にしたわけでもないしな。誠意を示すべきだな」

 

 なかなか監督役というのもバランスを取るのに腐心するようだ。

 

「私の知る限り、残っているのはセイバーとアサシンだ」

 

「何だって?」

 

 オレは思わず、驚きの声を発した。

 

「そう」

 

「あら」

 

 キャスターとイリヤスフィールは左程でもない。

 なんとなく悔しい。

 なんかオレだけ仲間外れみたいだな。

 

「ちょっと待ってくれ。じゃあ、あのセイバーは何なんだ?」

 

「セイバー?お前はセイバーと出会っているのか?」

 

 オレの言葉に対して、神父は問い質してきた。

 

「いや、遠坂のサーヴァントはセイバーだって言ってたぞ」

 

 と言いながら、オレは先日、キャスターがあれは本当にセイバーなのか、という疑義を呈していた事を思い出した。

 

「・・・ほう。そうなのか」

 

 神父は純粋に驚いた様子だ。

 

「いや、つまりそれが違ったってことか・・・」

 

 隣のキャスターの様子を窺うと、彼女は軽くこくりと頷いた。

 彼女の疑いが正しかったという事だろう。

 

「あいつは、弓も使っていたな」

 

「そうね、多分アーチャーなんじゃないかしら」

 

「剣技にも長けていたから、セイバーと言われればそうかと思いこんじまうもんな」

 

「ええ。劇的な効果があるわけではないけど、相手を多少なりとも混乱させることができるわね」

 

「だからクラスを偽っていたってことか」

 

「そんなところでしょうね」

 

「ふむ。まさか、そんな事になっていたとはな。凛らしくない小細工ではあるな」

 

 などと言いながらも、神父は顎に手を当てながらニヤニヤとおかしな笑みを浮かべていた。

 

「確かにあまり遠坂らしくはない気がするな」

 

 とは言え、オレもそれ程遠坂と深い付き合いがあるわけではないが。

 

「・・・セイバー・・・いいえ、今となってはアーチャーね。アーチャーのほうの発案かもしれないわね」

 

「まあ、そっちのほうがしっくりくるな」

 

 赤い外套の男(あいつ)のいけ好かない顔を思い出しながら、オレは頷いた。さっぱりとした性格の遠坂ではなく、陰湿そうなあの男の策なのだろう。

 

「さて、申し訳ないがそろそろ仕事に戻らなければならんな」

 

 神父が傍らに置かれたアンティーク調(なのか、本物なのかオレにはわかるわけもないが・・・)の時計に目をやった。

 

「わかったわ。教会に向かえばいいのね?」

 

 そう言って、イリヤスフィールが運転席に伝えようとすると、神父はそれを止めた。

 

「いや、【ヴェルデ】という商業施設の近くまで送ってもらえれば助かる」

 

「買い物があるのかしら?であれば、それが終わるまで待ってから教会まで送ってもいいけど」

 

「正確にはその付近のチャペルで仕事なのだ。結婚式の司式のな」

 

「は?・・・あんたの前で永遠の愛の誓いをするのか・・・」

 

 オレは唖然とした。

 

「そんなわけで気遣いには感謝するが、それなりの時間を要する。待って貰うのは遠慮させていただこう」

 

「わかったわ」

 

 イリヤスフィールは淡々と神父の言葉を受け入れた。

 ちょっと待ってくれ。

 オレはその話、簡単には受け入れられませんよ。

 

「あんた、そんなバイトもしているのか?」

 

「バイトとは聞き捨てならんな。私は(れっき)とした本職の聖職者だぞ。確かに、一般的なチャペル式の挙式では本物の牧師や神父ではなく、単なる外国人のアルバイトが務める事も多いようだが」

 

「坊やが気にしているのは、どちらかと言うとあなたの人格面だと思うのだけれど・・・」

 

「それこそ心外と言うものだな。先ず、昨日今日の付き合いでしかないお前達に私の人格をとやかく言われる筋合いはない」

 

「いや、もう充分に堪能しましたが・・・」

 

「そうねえ」

 

 オレもキャスターも呆れながら突っ込んだが、当然この男の耳には入らない。

 

「さらに言うなら、司式に人格の良し悪しなど関与せんだろう。台本どおりのセリフで厳かに、かつ形式的に進めればそれで事足りるのだからな。進行役の人柄が介在する場面など微塵もない」

 

 そりゃ、突き詰めれば世の中そんなもんだけど・・・

 もう少しオブラートに包めよ。

 

「最初の頃は、プランナー側が『敢えてたどたどしい日本語で話してくれ』などと要求してきたが、私の声質だと寧ろ明朗な口調のほうが、雰囲気が出るという事にすぐに気付いてくれた」

 

「まあ、あんたの声がそれっぽいのは認めるけどな」

 

「残った唯一の問題は私自身、眼前で他者の接吻を見せられるのが不快な事だけだったが、それも鷹揚に頷きながら目を閉じていれば不自然でないという事に最近気付いたのだ。それからは、まずまず割の良い仕事となっている」

 

「もし将来、式をやることになっても、言峰綺礼という神父だけは絶対に使わないようにオーダーしよう」

 

「同感だわ」

 

「わけがわからんな」

 

 万人に祝福されるべき結婚式で、一番近くにいる他人が人の幸せを喜べないような輩であることを受け入れられるわけないだろう。

 

「着いたわよ」

 

 そうこうしているうちに、車は【ヴェルデ】に到着したようだ。

 

「オレ達は、家まで送ってもらえるのかな?」

 

「勿論よ」

 

 と、イリヤスフィールは頷いたが、

 

「私達もここで降りるわ」

 

 と、キャスターが遮った。

 

「ここで買い物をしたいのよ。悪いのだけれど、坊やもご一緒してもらえるかしら?」

 

「そういう事なら」

 

 オレに反論する理由などなかった。

 開戦前、日中という状況下でも、何があるかわからない。お互いに極力、単独行動は避けるべきだろう。

 

「それじゃあ、三人ともここまでね」

 

 イリヤスフィールがそう言うのと、ドアが開くのが同時だった。

 光が抑制されていた車中と違って、太陽の光が差し込んできて少し眩しく感じる。

 

「オ客様。オ疲レ様デシタ」

 

 車に乗る時と同様、たどたどしい言葉使いのほうのメイドさんがドアを開けてくれた。

 

「時間がないので、私はこれで失礼しよう」

 

 それだけを言って、神父は足早に歩み去って行った。

 どこにあるかはわからないが、結婚式場に向かったのだろう。

 ん?

 そう言えばあいつは酒を飲んでいなかったか?いいのか?

 そんな疑念が頭の中を渦巻いたが、

 

「またね、お兄ちゃん。次こそは本当に殺してあげるからね」

 

 神父が去っていくのを横目に、イリヤスフィールが物騒な言葉をあくまでもにこやかに投げ掛けてきた。

 だが、オレはそんなのご免だ。

 殺されるのも、殺すのも。

 

「イリヤスフィール。切嗣・・・つまりオレの親父がアインツベルンの期待を裏切ったという事は、さっき神父に教えられて初めて知った」

 

「キリツグからは何も聞かされていなかったの?」

 

「ああ。親父は自分の事は殆ど話さなかったからな。魔術にしたって殆ど教えてくれなかった。切嗣の行為はアインツベルンにとって、そしてイリヤスフィールにとって、そんなにも許し難いものなのか?」

 

「私達アインツベルン千年の宿願を実現するための手段が聖杯なの。前回、それを託されながら、フイにしたのがキリツグ」

 

「千年・・・」

 

 途方もない数字だった。

 

「そんな男がこの日本で子供を持ち、そしてその子は()()()()と生きている。許される筈がないわよね」

 

 少女の赤い目が細まり、昏く光る。

 そのままくるりと後ろを向いて、車に戻ろうとする。

 

「イリヤスフィール。オレはまたお前と話したい。今度は戦いのための話じゃなくてだ」

 

 こんな幼い少女と命のやり取りをするなんてオレには耐えられない。少しでも彼女との会話の中で、その背景や理由をオレは知り、そして争いを止める方法を模索したかった。

 

「ふふ。聖杯戦争は夜にするもの。だから、明るいうちならいいわよ。私も色んなお話はしたいもの」

 

 殆どダメ元だったが、意外な程にあっさりと承諾された。

 

「でも、その時にはお兄ちゃん一人で来てね」

 

 ちらりとキャスターを見て、少女は条件を付けた。

 

「そうでなければ、バーサーカーを連れて来るからね」

 

 少女は挑発するような表情をキャスターに見せた。

 

「行きましょう、坊や」

 

 キャスターはイリヤスフィールの態度には反応を示すことなく、多数の人々が出入りする複合商業施設【ヴェルデ】の入り口へと歩き始めた。

 

「それじゃあ、またな」

 

 オレは少し慌ててキャスターの後を追いながら、振り返ってイリヤスフィールに手を振った。

 

「バイバイ。お兄ちゃん」

 

 イリヤスフィールも手を振り返してくれた。

 











関連作品で出てくるアインツベルンの車は決してリムジンなどではないですが、本作では会談の場とするため、リムジン仕様にしてみました。



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第23話 ~2日前③~ 「遠い想いで」

1月29日 午後








 

 E turn

 

 

 透明のドアが自動で開き、オレとキャスターは連れ立って広く明るい空間へと足を踏み入れる。

 

「平日でもそれなりに賑わっているな」

 

 中央が吹き抜けになっているモダンな構造のショッピングモール【ヴェルデ】は、若者向けのデートスポットとしてだけでなく、ファミリー層、ご年配の方々迄冬木市および近隣住民の全員の憩いの場と言っても過言ではない。

 ここに来れば一通りのアイテムが揃う。逆に言えばここで手に入らない場合、冬木ではどこでも手に入らない物となる可能性も高い。

 で、キャスターが今回、何を目的にここに来たかというと・・・

 

「お裁縫の道具が欲しいのよ」

 

 と、思いがけず慎ましいアイテムを欲していたのだった。

 

「・・・そ・・・そうなのか。魔術の実験に使うアブナイ薬品とか買いに来たのかと思っていた」

 

「そんな物ここに売っているわけがないでしょう」

 

 と、冷静に窘められる。

 では、土蔵にある怪しげな液体や草花は一体どこで手に入れているのだろうか?

 

「そもそも、キャスターはここに来たことがあるのか?」

 

「以前は新都側に工房があったから、一度だけ来たことがあるわ。私だって、折角現界したのだから少しは現代の世界がどんな風になっているか色々と知りたいもの」

 

「まあ、その気持ちはわかる気がする」

 

 一度死んでしまったとして、その後、違う国、違う時代に生まれ変わったとしたら、きっと自分の生きた世界とどこがどう違うか知りたくて仕方ないだろう。留まっていられる時間が有限だとすれば尚更だ。

 

「それで、何を作ろうとしているんだ?」

 

「服をカスタマイズしたいのよ。この時代の服は整っているしデザインも悪くないけれど、ちょっと個性に欠けているというか、もう一捻り欲しいのよね」

 

「そうなのか」

 

 今のキャスターのファッションも充分に似合っていると思うが、本人は物足りないのだろう。この辺の感性というか、センスについては欠片も自信がないので、オレはノーコメントに徹したほうが無難と判断する。

 

「ちなみに坊やの服は、本格的にダメだわ」

 

「すいません」

 

 オレ愛用の【し●むら】カットソーは、彼女的には完全に不合格だったようだ。着用者であるオレ自身とすれば、安くて丈夫なので不満はないのだが。

 

「後であなたの服も買いに行きましょう」

 

 などと言いながら、手芸用品店のある3階に辿り着く。

 元々、目を付けていたのだろう。彼女は案内板を確認する様子もない。

 

「あら?」

 

 その道すがら、彼女は別の店の前で足を止めた。

 

「ここは・・・」

 

 玩具店(おもちゃや)。というよりは、いわゆるホビーショップってやつだ。プラモデルとか模型類が多いけど、ここにキャスターが興味を示したのは意外だった。

 主要顧客層が、子供または男性であるため、平日の今日は比較的店内は閑散としている。

 

「・・・船・・・ね」

 

「これってボトルシップってやつかな?」

 

 彼女の興味を引いたのは、ショーケースの中に飾られたボトルシップのようだった。大きめのウイスキーの瓶に、精巧な作りの帆船模型が入っている。

 帆船の造作の見事さにも目を奪われるが、何よりもどうやってこの瓶の中にこの模型を入れたのかが不思議で仕方がない。どう考えても、模型の大きさに対して入口となる飲み口の部分が狭すぎるのだ。

 

「これが帆船なのね・・・ガレー船とは帆の形が全然違うし、精巧で綺麗」

 

 どうやらキャスターの興味を惹きつけたのは、単純に船の模型そのものだったようだ。もっと突き詰めれば『帆船』に目を奪われたらしかった。

 

「ガレー船?」

 

 彼女の口から出てきた『ガレー船』という単語が記憶の片隅に引っかかった。最近、どこかで目にしたような気がする。

 

「キャスターは帆船を見るのは初めてなのか?」

 

 と尋ねるが、オレだって本物の帆船なんて見たことはない。あくまでも、物語や教科書の中で出てくる絵などを見たことがある程度だ。

 ただ、少し彼女の出自の推測に役に立ちそうな話題のような気がした。

 

「そうね。(わたくし)の生きていた時代の船は、基本的に人がオールで漕いでいたから」

 

「キャスターもそういう船に乗って航海したことがあるのか?」

 

「・・・ええ、そうね・・・色々な事があったわ・・・本当に・・・」

 

 彼女の水色の瞳は、目の前の帆船を通り抜けて遥か遠くに映る景色を見ているようだった。

 

「ご免なさいね。私の買い物に付き合わせてしまっているのに、余計な寄り道をしてしまって」

 

 キャスターはその目を閉じて、かぶりを振った。

 

「いや、いいんだ。こんな機会はそうそうないんだから、キャスターの好きにするといいさ」

 

「ありがとう、坊や」

 

 彼女はふわりと穏やかな笑みを浮かべた。

 

「でも、実際にはそういうわけにはいかないわよね」

 

 と続けて、彼女は再び歩き始めた。

 その後を追うようにして、オレは隣に並ぶ。

 

「ああ、そうか・・・」

 

 ふと、オレは思い出した事があって、小さく呟いた。

 

「どうしたの?」

 

「いや、何でもない。気にしないでくれ」

 

『ガレー船』という単語は、図書室で借りた【誰でもわかるギリシャ神話】の中で出てきたのだ。ということは、彼女は古代ギリシャに所縁(ゆかり)のある英霊なのだろうか。

 だが、本格的な帆船が活躍したのは大航海時代の筈だ。であれば、基本的にはそれ以前の時代はオールで漕ぐ船が主流だったのではないか。

 そう考えると、帆船が主流になったのはせいぜいここ数百年ということになる。この情報だけでは左程絞り込めそうもなかった。

 もう少し調べてみようか。

 戦略的にオレはキャスターの正体を知らないほうがいいという事は理解していたが、彼女がどんな時代に生きていたかくらいは知っておきたかった。

 素朴な好奇心というのは、なかなか抑えられないものだ。

 ん?

 ちょっと待て。そう言えば・・・

 

「やべ。そろそろ本を返さないといけないな」

 

 貸出期間は2週間だった筈だ。もう期限を過ぎてしまっているのではないだろうか。

 

 

 

「ほんと、どんなお料理を作っても素晴らしいわね」

 

 卓を挟んだ向かい側では、キャスターが口元に手をあてて目を丸くしている。

 

「ええ。そう言ってもらえるのは大変嬉しいんですがね・・・」

 

 彼女の前には二人で作ったミートパイが置かれているのだが。さらにワインボトルとワイングラスがその隣には並んでいる。

【ヴェルデ】内にある輸入食品店で購入したもので、それだけで今食べているミートパイが20食分は作れる。

 当然ながら、お代は全てオレ持ちだ。

 

「なんか、初めの頃に比べると遠慮がなくなってきたような・・・」

 

「どうしたのよ、坊や?あなたも飲む?お酌してあげるわよ」

 

 と、少しだけ顔を赤らめた彼女がワインボトルを持ち上げる。

 その持ち方は瓶の底に片手を添え、もう片方の手でボトルのボディを支えており、優雅である。

 こういう所作は一貫して上品だ。

 

「苦手だということにしてください」

 

 オレは、辟易して断る。

 

「勿体ないわねえ。折角お酒に合う料理を作ってくれたのに、自分では味わえないなんて」

 

 と、口を尖らせてはいるが、今日の彼女は総じて上機嫌だ。

 理由は特にわからない。【泰山】では神父の罠(?)にかかったり、イリヤスフィールとの交渉が不首尾に終わったりと、必ずしもいい日ではなかったように思うのだが。

 結局あの後は、予定どおり【ヴェルデ】内の手芸品店でキャスター用の裁縫道具を購入した後、キャスターの見立てでオレの服一式を選び、

 

『これも後で私がアレンジしてあげるわね』

 

 と、悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。

 後生だから無難に仕立てて欲しいものだ。あまり奇抜なデザインにされても困る。

 

「よくはわからないけど、やっぱり赤ワインなら洋食系の肉料理かなって思っただけなんだけどな。白ワインなら、魚料理にしていたかもな」

 

「次はそうしてもらおうかしら。きっと、洋食系の魚料理を作っても凄く美味しいんでしょうねえ」

 

「あまり、ハードルを上げられても困るんだけどな」

 

「私が生前食べていた料理はもっとシンプルで大味だったけど、坊やのは深みがあって繊細。最高よ」

 

「多分、現代の調味料が優れているんだと思うんだけど。いずれにせよミートパイを食べるのは初めてなのかな?」

 

「私の時代にも似たようなお料理はあったわよ。でも、どちらかと言うと魚介類を食べることの方が多かったかしら」

 

「そうなのか」

 

 ショッピングの際の会話も踏まえると、やはり海洋民族だったということだろうか。

 依然としてキャスターの出自は気になったが、今はこれからの事を相談したかった。このままだと、彼女が本格的に酔っ払ってしまうような気がする。

 

「ところでこれからの事について話したいな・・・今日は色々と情報は得られたけど、イリヤスフィール達との共闘の道が実質的に絶たれてしまったのは痛かったな」

 

「そうね。でも坊や自身、望み薄という事も感じていたじゃない。そう言う意味では仕方ないわよね」

 

「『望み薄』と『望みが絶たれた』では、かなりの差だと思うけどな」

 

 確かにオレは校庭で出会った時の態度から、イリヤスフィールはそもそもオレ自身に対して特殊な敵意があるように感じていた。

 今日は神父の話とイリヤスフィールの反応で確定したという事でもある。

 

「まあ、その点はかなり残念だけど、今日は色々な情報が得られたからな。少し整理しようか」

 

「ええ」

 

「先ず、今時点で現界している英霊は6人いる。()()()()()()()で召喚されたランサー、アーチャー、ライダー、バーサーカー、そしてキャスターの5人。加えてイレギュラーな存在である前回召喚されてそのまま残っているアーチャー・・・ギルガメッシュ」

 

「そのギルガメッシュがあの校舎を消した張本人で、その時にバーサーカーを退けているわ。間違いなく最強の存在と言えるでしょうね」

 

「あとは、遠坂のサーヴァントがセイバーではなく、本当はアーチャーということもわかったな」

 

「あの英霊がセイバーという事には、少し疑念があったから腑に落ちる話ではあるけれど」

 

「そうだな」

 

「マスターとの組み合わせもかなりわかっているわね」

 

「遠坂とアーチャー・・・・・・桜とライダー、イリヤスフィールとバーサーカーが確定なわけだが」

 

「坊やを襲ったバゼットという魔術師がランサーのマスターなんじゃないかしら?その時にはサーヴァントは姿を現さなかったみたいだけど」

 

「可能性は高いな。でも、ギルガメッシュのマスターという線も残っているかな・・・いや・・・」

 

「ギルガメッシュは聖杯の魔力を浴びて現界し続けているという話だから、そもそもマスターが不要になっている可能性もあるわね」

 

「それにバゼットはぱっと見、二十歳(はたち)かそこらだった。流石に10年前にマスターとして戦ったとは考え辛いもんな。そう考えるとやっぱりランサーのマスターってことになるかな」

 

「そうね。そのバゼットは、あの神父を敵視していたのでしょう?」

 

「ああ。でも殆ど会話が成立しなかったから、理由は全くわからなかった」

 

 あの時の事を思い出すだけでも疲れる相手だった。

 

「とは言え、他の三組と比べればまだ、共闘の目はあるか・・・」

 

 なにせオレ達二人は揃いも揃って嫌われ者だ。

 先ず遠坂ペアの場合、遠坂はキャスターを、アーチャー(あいつ)はオレを、間違いなく嫌っている。

 次にイリヤスフィールは、裏切り者である衛宮切嗣の子としてオレを殺す気満々だ。

 

「・・・そして最後に・・・桜は多分、オレとキャスターの両方を恨んでいるんだろうな・・・」

 

 この三陣営とは共に戦うなどという可能性は皆無に等しい。

 それに比べれば、バゼットとランサー組(仮)は、致命的に断絶した関係とまでは言えないだろう。

 

「いずれにせよ、どの陣営にも今すぐに襲われるっていう感じではなかったから焦る必要はないわ。次の策を考える方が大事よ」

 

「次の策か。つまり新たなサーヴァントの召喚だな」

 

「ええ」

 

 そう言うと、キャスターは口をつけていたワイングラスを置くと、立ち上がってこちら側にゆっくりとやって来た。

 

「坊やももう気付いていると思うけれど・・・狙いはセイバーよ」

 

 オレの傍らに座ると少し体を密着させてきた。

 そして、その手をオレの膝に置く。

 

「わわ・・・どうしたんだ、キャスター」

 

 既に何度も経験しているが、なかなか慣れない。

 女性特有の仄かな香りが漂ってくる気がしてドギマギする。

 加えて、今は彼女が飲んでいたワインの香り、端的にはアルコールの匂いなのかもしれないが、それも混ざって余計に頭がくらくらする。

 

「朝、言ったわよね。坊やの体には礼装が埋め込まれているって」

 

「そう言えば・・・」

 

 神父からの電話で遮られてしまったが、確かにキャスターはオレには概念礼装が埋め込まれていると言い掛けていた。

 

「神父の話では、あなたのお父さんはセイバーのマスターだった。それも高名なアーサー王をサーヴァントとして使役していたと」

 

 彼女はオレの胸に右手を伸ばして、ゆっくりと撫でる。

 その感触に震えて自然と鳥肌が立つのを感じる。

 

「あなた自身が関与した魔術師は、お父さんだけ。つまり、あなたの中にある礼装は間違いなくお父さんが残したものよ」

 

 細くしなやかな指がオレの体の中にあるという魔術礼装をなぞるかのように、つつ・・・とゆっくり這う。

 その感触の心地良さに酔いながら、彼女の言わんとするところがわかってきた。

 

「・・・アーサー王に関連するアイテムがオレの中にある。キャスターはそう言いたいんだな?」

 

「ふふ。流石ね、坊や」

 

 キャスターが微笑んだ。

 

「切嗣と同じようにアーサー王を召喚できるかもしれないのか」

 

 だとすれば、強いに決まっている。

 実際に前回、最後まで勝ち残ったというのだから。

 

「同じ英霊が続けて召喚されるのはおそらく稀でしょうから、確実とは言えないと思うわ。けれど、当人ではなかったとしても、アーサー王に所縁の円卓の騎士が召喚できれば、充分に強力よ」

 

「そうだな。そのセイバーをキャスターやオレがサポートすれば・・・」

 

「他陣営との共闘が覚束なくても、充分に勝ち残る算段ができるわ」

 

 酒の力も相俟っていつもより少し紅潮した美しい顔がオレの正面にある。

 きっと勝機を見出した事が嬉しくて、今日の彼女は機嫌が良かったのではないか。

 ぼんやりした頭の片隅でそんな事を考えつつも、オレの意識は眼前に迫ってくる彼女の陶然とした瞳に吸い込まれていく。

 

「明日の夜、召喚するわよ。でも・・・」

 

 しな垂れかかってきた彼女の柔らかい体に包まれる。

 

「・・・先ずは前祝いといきましょう・・・私の・・・」

 

 なんだろうか・・・?

 ふわふわする。

 いつもどおりのような気もするし、そうでない気もする。

 

「・・・私だけの坊や・・・」

 

「・・・キャスター・・・」

 

 操られるようにして肯定の言葉を紡いだオレの口は、彼女の唇によって塞がれた。

 もう何度目になるだろう?

 彼女と出会ったあの夜以来、幾度となく味わってきた艶めかしい感触。

 それは抗いようもなく、心地いい。

 やがて、オレは甘美な睡魔に襲われていった。

 

 

 Interlude in

 

 

 コツン・・・

 

 冬木教会内の一室。

 ギルガメッシュが持つロックグラスに浮かぶ丸氷がその杯の壁面に当たり、小さく音を奏でた。英雄王は暫くの間、氷を弄ぶようにコロコロとグラスの中で転がしていた。

 やがてグラスに僅かに残った琥珀色の液体を飲み干すと、次を求めてテーブルの上に置かれたウイスキーのボトルに手を伸ばす。

 

「やはり酒はいい。いや、この国の品がいいというべきか」

 

「そうだな。私も大概の国の酒は口にしてきたが、総じてこの国の酒の水準は高いと言えるだろう。惜しむらくは、国内で消費されることが多い事か。もっと海外に売り込んでも良いと思うのだがな」

 

 ソファに座るギルガメッシュとは対照的に窓際に立ち、夜空を見上げながら言峰綺礼は応じた。

 英雄王と同様にオンザロックではあるが、グラスの中の液体は無色透明だ。

 

「ふん。それでオリジナルを崩すようなことにならなければ良いがな。まあ、外に出ることで更なる進化を遂げるほうに期待するほうが建設的か」

 

「いずれにせよ、酒がなければお前が10年もの間、大人しくしていることもできなかったろうな」

 

「当たらずとも遠からずと言ったところだな。何せ、我の時代には酒はせいぜいビールとワインくらいしかなかった。蒸留の技術はあったが、残念ながら酒を造るためには用いられなかったのでな」

 

「確か【シカル】というのがビールの原型だったという話だな」

 

「ああ。しかし、現代の酒は無尽蔵と言ってもいいくらいに多種多様だ。そのうえ、この国では多くの酒が実際に入手可能だからな」

 

「手に入らないものは、私が海外迄直接買いに行かされることもあったがな」

 

 神父は軽く嘆息した。

 

「だが、結局のところ最終的に行き着いたのは、この国の酒よ。日本酒、焼酎、泡盛」

 

「泡盛のルーツは東南アジアにあるぞ」

 

「そして、このウイスキーだ。繊細にして複雑。単純なインパクトだけなら外来品のほうがあるがな」

 

 神父の反応などお構いなしに英雄王は自説を披露し続けた。

 

「概ね正しい見解だろう。細かいことを言い出せばキリがない」

 

「とは言えこの世界を眺めるのも決して悪くはないが、我も些か刺激に飢えた」

 

 ギルガメッシュはソファの背もたれに悠然と背中を預けながら、目を細める。

 

「わかっている」

 

「で、全部揃うのはいつになるのだ?綺礼よ。ランサーとバーサーカー相手に無聊を慰められたのは悪くはないが、準備運動はそろそろ仕舞いといきたいのだがな」

 

 英雄王は再び杯を傾けながら、窓際に立つ言峰綺礼に問うた。

 

「安心しろ。もう直だ、ギルガメッシュよ。10年もの歳月を辛抱できたお前だ。あと数日待つことなど容易かろう」

 

「物事には時宜というものがある。要は平時か戦時かということだ。既に我の意識は切り替わっている。まあ、戦というよりは祝祭だがな」

 

「待つ時間というのも、祭りの一部だと考えればいいだろう。これまでは、いつ始まるか分からなかったわけだが、今はあと数日で始まるのは確実なのだ。全く状況は異なるだろう」

 

「ふん。まあそういうことにしてやろうか」

 

「だが、ギルガメッシュよ。お前にとっては、願ってもみない僥倖が訪れるかもしれないぞ」

 

「随分と持って回った言い方をするな。あまり期待させると、後が危険だぞ」

 

「確かにお前相手には危ういかもしれんがな。まあ、それなりに信憑性のある話だ」

 

「続けてみるがいい」

 

「衛宮切嗣という名前を覚えているか?」

 

「エミヤキリツグだと?誰だそれは?」

 

「前回の聖杯戦争参加者だ」

 

「おいおい冗談も程々にするがいい、綺礼よ。この我がいちいち愚にもつかない雑種の名を覚えていると思うか?」

 

「ただのマスターであればな」

 

「ん?・・・・・・ああ、そうか。セイバーのマスターの名がそうだったか。それに確かお前が固執していた相手だったか」

 

 ギルガメッシュは合点がいったということを示すかのように、持っていたグラスを高く掲げた。

 

「で、その男がどうしたというのだ?」

 

「今回のマスター、いや、まだマスター候補と言うべきなのか難しいところだが、衛宮士郎という少年がいる」

 

「衛宮・・・ああ、衛宮切嗣の縁者というわけだな」

 

「そのとおりだ。養子ではあるがな」

 

「成程な。お前の言いたい事がわかったぞ」

 

 英雄王はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「まだ、セイバーは召喚されていなかったな」

 

「そのとおりだ。あの少年は【セイバー】を召喚する事になるやもしれん。しかも、裏ではキャスターも関与している。強力なサーヴァントを従えたいと考えているだろう」

 

「ふむ。願ってもない事だが、あまり過度には期待しないでおこう」

 

 英雄王はグラスを傾け、中の液体を飲み干した。

 そのグラスをテーブルに置くと、立ち上がる。

 

「だが、楽しみが増えたのも事実だな。お前の言うとおり、確かにこの時間は得難いものだ」

 

「ふ」

 

 神父も同様にグラスを空にする。

 

「それにしても綺礼よ。無精者のお前にしては、随分と忙しなく動き回っているようだな」

 

「開戦直前なのだ。止むを得まい」

 

「それだけなら、良いがな」

 

 英雄王はその目を細めた。

 

「正直、懸念していることもある」

 

「ほう、それは?」

 

「正体不明の黒い影がこの街を徘徊している」

 

「影だと?」

 

「どうやら手当たり次第に食事をしているようだな。今のところ、この戦いとの因果関係は明らかではないが」

 

「ふん。見当は既についているのであろう。相変わらず回りくどい奴だな」

 

 ギルガメッシュはドアノブに手を掛けて扉を開けた。

 

「用心するがいい、ギルガメッシュよ。あれの本当の好物はお前達サーヴァントに他ならない」

 

「不確定要素か。それもまた面白い」

 

 金色の王は軽く笑みを浮かべて、ドアの向こうへと消えていく。

 部屋に一人残った綺礼は自身のグラスを軽く洗うと、球体を象る新しい氷を入れた。

 

「古来より他人の忠告を傾聴するのは、王たる者に不可欠な資質の一つだ。こればかりは洋の東西を問わん・・・」

 

 そう呟いた神父は、先程迄英雄王が飲んでいたウイスキーのボトルから酒を注いでいく。

 琥珀色の液体が透明なグラスへとゆっくりと溜まっていくと、

 

 キンッ

 

 氷にひびが入る。

 

「いかに秀でた王であろうとな」

 

 一人きりとなった部屋で、無表情のままに言峰綺礼はそう呟いた。

 

 

 Interlude out

 











付け焼刃ではありますが、本作を書く過程でキャスターやギル様の生きた時代にはどんな料理やお酒があったのかを調べたりします。
ワインもビールもその原型はギルガメッシュ叙事詩の時点であったようで、人類の酒に対する貪欲さを感じます。


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第24話 ~前日①~ 「英雄召喚」

1月30日 夜









 E turn

 

 

 時刻は夜の11時より少し前。

 オレとキャスターは母屋を出て、土蔵へと向かう。

 

「いよいよだな」

 

 どうしようもなく口の中が乾いて、オレはごくりと唾を飲み込んだ。

 

「そうね。でも、前にも言ったようにそれ程難しいものではないの。落ち着いてやれば何の問題もないわよ」

 

 空に浮かぶ半円より少し大きい月は沈みかけている。昨日あたりがちょうど上弦の月だったのかもしれない。明日の予報は雨ということだが、冬の冷気は肌に刺さって痛いくらいだ。湿り気は特にない。

 

「今夜、予定どおりに召喚ができたら、私がとびきりの朝食を用意するわよ。全部、坊やに教えてもらった料理ばかりになるけれど」

 

「そりゃあ、楽しみだ。精一杯頑張る事にしよう」

 

 オレが緊張しているのを感じて、リラックスさせてくれようとしているのがよくわかる。

 キャスターとの出会いは完全に偶然だったわけで、オレ自身英霊を呼び出すなんて想像だにしなかった。

 ちゃんとできるのか?

 本当に最優と言われるセイバー、それも伝説に名高いアーサー王がオレのサーヴァントになってくれるのか?

 きっと立っているだけで、凄いオーラをびしばしと感じるような人物なのだろう。

 不安で堪らない。

 

 ギイィィ

 

 いつものとおり、重い扉を開いて土蔵の中に入る。

 土蔵の中はキャスターが魔術で生み出した灯りに照らされており、それなりの明るさがある。

 

「あれだな?」

 

「そうよ」

 

 オレと、キャスターの視線の先には、剥き出しの地面に薄っすらと魔方陣が刻まれていた。

 

「この土蔵をずっと使ってきたけど、全然気付かなかったな」

 

「仕方ないでしょう。隠されていたのだから。しかも、この土蔵の灯りではあの辺りまでは殆ど光が届かないわ」

 

 オレが急ごしらえで取り付けた電球は今も一応点灯しているが、彼女の作り出した光と比べれば微々たるものだ。

 普段は懐中電灯も併用している。

 

「10年前と変わらないのか?」

 

「多少、補強したけど基本的には手を加えていないわ。あれは、間違いなく前回の聖杯戦争で使われた陣。狙いどおりの【セイバー】を召喚するためには、余計な事はしないほうがいいもの」

 

「そうか・・・」

 

 オレはゆっくりとその陣の縁まで歩み寄った。

 右手にはナイフがある。

 今日は魔力を充分な状態に保ちたかったので、投影した物ではなく普段から料理に使っているものだ。

 

「坊や。繰り返しになるけれど、別にそれ程大量の血はいらないわ。くれぐれも深く切り過ぎて、出血多量で倒れたりしないようにね」

 

「ああ。大丈夫だ」

 

 とは言え、眼前の魔方陣、いやこの場面では召喚陣と言うべきか。この召喚陣は直径1m程度の中に複雑な紋様が刻まれている。これらの線にオレの血を注ぐとなれば、それなりの量が必要になるだろう。

 万に一つもこの召喚を失敗するわけにはいかないのだ。

 

 ザグッ

 

 オレは、自分の左の掌にナイフを軽く突き立てた。

 鋭い痛みが走るとともに、傷口からツツと流れ落ちる血を召喚陣の上に注いでいく。特に陣に反応は見られないが、オレの血は一通り線上を巡り渡った。

 これで準備は整った。

 

「始めるぞ」

 

 オレは自分に気合を入れるための声を出す。

 紫色のローブを纏ったキャスターは少し硬い表情のままではあったが、オレを安心させるように僅かに頷いた。

 やるぞ。

 気持ちを落ち着かせるために、一つ、大きく息を吐いた。

 

「―――素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公―――」

 

 今日一日でしっかりと暗記した英霊召喚の詠唱を紡ぎ始めた。

 

「―――降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ―――」

 

 この召喚にはオレ達の命運がかかっているのだ。 

 万に一つも間違えてはいけない。

 オレはゆっくりと、頭の中で何度も反芻しながら詠唱を続けた。

 

「―――閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返す都度に五度。

 ただ、満たされる(とき)を破却する」

 

 ここからは、実際に英霊に呼び掛ける段階に入る。

 

「───告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄る辺に従い、この意、この(ことわり)に従うならば応えよ―――」

 

 ボゥ・・・

 

 円形の陣が詠唱に呼応するように穏やかな光を放った。

 陣が初めて明確に反応を見せた。

 良かった。

 順調だ。

 オレは詠唱する声に、一層の力を籠める。

 

「―――誓いを此処に。

 我は常世(とこよ)総ての善と成る者、

 我は常世(とこよ)総ての悪を敷く者──―」

 

 眼前の陣が放つ光が徐々に強く、そして鮮やかになる。

 

「汝、三大の言霊を纏う七天」

 

 ゴゥッ!

 

 眩く溢れる光は、魔力の風となって吹き付けてきた。

 

「抑止の輪より来たれ!」

 

 オレのコートやキャスターのローブが実際にバタバタとはためく。

 それでも構わずに詠唱を続ける。

 寧ろこの強い反応こそが、オレ達の狙いどおりに事が進んでいる証のように思えた。

 次の一節で最後だ。

 

「天秤の守り手よ!」

 

 カッッッ!!!

 

 黄金の光が爆ぜる。

 その眩しさにオレは思わず目を瞑り、両腕でその光を遮った。

 隣ではキャスターも同じようにしている。

 ゆっくりと。

 恐る恐る。

 しかし期待に胸を弾ませてオレは、そして隣のキャスターも薄目を開く。

 光の中にぼんやりと浮かぶシルエット。

 鎧を纏っている事が見て取れる。

 間違いなく、【セイバー】だ。

 やった!

 オレは、喝采の声を上げようとした。

 が、

 

「―――問おう―――」

 

 その声は予想だにしなかった類のものだった。

 

「あなたが私のマスターか?」

 

 収まりつつある光の奥から聞こえたのは、間違いなく。

 女性の声だった。

 

「な?」

 

 オレは、呆然とした。

 

「え?」

 

 キャスターも戸惑っている。

 

「・・・・・・」

 

 そして、オレは、ただただ、眼前の光景に目を奪われてしまった。

 光が収まって全てが露わになった召喚陣の上には、銀色に輝く甲冑を纏った金髪の少女が立っていた。

 鋭く引き締まった表情は凛々しく、小柄ではあるが直立した佇まいには隙がない。

 オレ達が狙っていた【アーサー王】その人ではないにせよ、【セイバー】のクラスに相応しい力を持ち得ていることが、その雰囲気からだけでも見て取れた。

 だが、しかし。

 しかし・・・そんなことはオレにはどうでも良かった。

 

「・・・あ・・・えっと・・・」

 

 初めて邂逅したマスターに対するサーヴァントからの当たり前の問い。彼女のその質問に対して、オレは間抜けな反応しかできなかった。

 その整った顔立ち、何よりその澄み切った瞳。

 彼女はとてつもなく美しかった。

 つまり、オレはその姿に見惚れたのだ。

 

「あの・・・大丈夫ですか?」

 

 厳しい表情を見せていた【セイバー】の綺麗な顔が少し崩れ、戸惑いの色を浮かべた。

 

「・・・・・・オレは・・・・・・」

 

 このまま馬鹿みたいに固まっているわけにはいかない。

 

「・・・オレの名は衛宮士郎。キミのマスターだ。よろしくな」

 

 オレは、ギリギリぶっ飛びそうになっている意識を繋ぎとめて、自己紹介を済ませた。

 そして、おずおずと右手をセイバーの方へと差し出す。

 

「ええ、マスター。よろしくお願いします。私はセイバーのクラスのサーヴァントです」

 

 そう言って、彼女は手甲に覆われた右手でしっかりとオレの手を握り返してきた。

 

「ああ、それでこっちにいるのは・・・」

 

 オレはさらに、そして、自己紹介を促すために隣のキャスターに視線を送った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 しかし、キャスターは固い表情のまま、オレとセイバーの間で視線を彷徨わせていた。

 

「この女性はキャスターのサーヴァントで、オレの仲間だ」

 

 キャスターが何も言葉を発さないので、オレは止むを得ずフォローするように彼女をセイバーに紹介した。

 

「・・・そうですか・・・」

 

 セイバーは訝しむように、暫くキャスターを凝視した。

 

「わかりました」

 

 何か問いた気ではあったが、セイバーはそう簡潔に応じた。

 この微妙な反応は理解できる。

 自らのマスターと名乗る者が、一方で既に別のサーヴァントと仲間だというのは不可解な筈だ。セイバーとしては、後で確認しようと考えたのだろう。

 

「それで、マスター。あなたの名前はその・・・・・・エミヤ・・・エミヤ・シロウというのですね?」

 

「そうだ。もし、呼び辛いなら、士郎だけで構わないぞ」

 

 正体はわからないが、明らかに異国の少女だ。

【衛宮】という音はおそらく発音し辛いだろうし、実際に今も少し戸惑いを感じた。なので、オレは呼び易そうな【士郎】のほうで良いと告げる。

 

「わかりました。心遣い感謝します。えっと・・・シロウ」

 

 眼前の少女は、戸惑いながらも感謝の言葉を口にする。

 それにしても、鎧を着てはいるものの体つきは小柄で華奢だ。

 先ほど感じたとおり、セイバーのクラスに相応しい力を秘めていることは明らかだが、歴史上の人物でこんな可愛らしい女性剣士がいたのだろうか?

 

「それで、キミの名は何というのかな?」

 

 彼女に対して、こっちはアーサー王を召喚しようとしていたということは失礼に当たるかもしれないと思い、伏せた。人間誰しも自分が望まれた存在ではないという事実は、愉快なものではない筈だ。

 

「はい。私は──―」

 

 セイバーは自身の真名を告げようとした。

 

「!?」

 

 しかし次の瞬間、彼女の端正な顔が一気に険しいものに変わった。

 そして、自身の左側へとその顔を向ける。ここは土蔵の中だ。そっちには壁しかないが、その鋭い眼光は壁の向こう側の外に向けられているようだった。

 

「マスター。敵が来ます」

 

「何だって?」

 

 オレは隣のキャスターに問い掛けるように視線を送った。

 この屋敷の外縁部には元々張られている探知用の結界と、キャスターが張った防御用の結界がある。

 敵のサーヴァントに侵入された時には、いずれかに反応がある筈なのだ。

 

「いいえ。そんな反応はな──―」

 

 キャスターは戸惑ったように否定しようとしたが、

 

 ガラガラガラガラガラガラガラ!

 

 その時、警報が鳴り響いた。

 探知用の結界が反応したのだ。

 

 ダッ!

 

「迎え撃ちます!」

 

 駆け出すのと同時にセイバーがそう言って、オレの横を通り過ぎ出口から外へと飛び出して行った。

 

「待ってくれ!」

 

 オレも慌ててその後を追った。

 

「坊や!」

 

 さらにキャスターが続いてくる。

 

 

 

「ククククククククク・・・」

 

 一人の男が顔を俯かせて笑っている。

 月明かりが照らす中庭へと出ると、屋敷を囲む塀の上にその男は立っていた。

 端的に表現するなら、金色の男。金髪、そして黄金に輝く甲冑。今は下を向いて笑っているため、面貌はわからないが、とにかくその全身から発せられる圧倒的な迫力が凄まじい。

 間違いなく、とつてもなく強力なサーヴァントであることが見て取れた。

 

「ハハハハハハハハハ・・・・・・」

 

 笑い声は続く。

 男は感情を堪えきれないという事を表現するかのように、片手で顔を覆っている。

 

「まさか・・・貴公は・・・・・・」

 

 オレの前に立ち、油断なく身構えているセイバーがそのサーヴァントを見て驚いたように呟く。

 

「もしかして、あれが・・・」

 

 オレの傍らにいるキャスターは、あの金色の男の正体を推測したようだった。

 

「ハハハハハハハハハハハハ!!アーハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!!」

 

 だが、当人はこちらの反応など一切お構いなしに、手で覆ったままの顔を空に向けてひとしきり高らかな哄笑を続けた。

 この隙にでも攻撃を仕掛ければ斃せてしまうのではないかと思わないでもないが、動けない。まるで、体が止めておけと伝えてきているかのようだ。

 

「今宵はめでたい!」

 

 漸く笑い声が制止する。

 そして、顔を覆っていた手を僅かに外し、依然として上を向いた顔の下半面と片目だけを晒して男は告げた。

 

「まさに今回の聖杯戦争が我が望む、真の祝祭になる事が確定したのだからな。往々にして神々どもは碌な事をしでかさないが、此度は、運命の女神というヤツは良い仕事をしたと言える」

 

「アーチャー!何故あなたが今回も現界しているのですか!?」

 

「「!?」」

 

 金色のサーヴァントに対するセイバーのこの問い掛けに、オレもキャスターも驚いた。

 圧倒的な雰囲気から、現れたサーヴァントが神父から聞いたアーチャーである事は容易に想像がついていた。しかし、そのアーチャーを知っているというだけでなく、セイバーが発した『何故今回も現界しているのか?』という問いの意味するところは、何なのか?

 

「そのような事は些事に過ぎんのではないか?(オレ)とお前がこうしてまた邂逅したという事実に比べればな。これこそがまさに運命と言えよう」

 

戯言(ざれごと)を!」

 

「事実として、お前は今回の聖杯戦争でもこうして召喚されているではないか?であれば、我もまた再び召喚されたと考えれば、筋が通らんということもあるまい?」

 

「く!?それは・・・確かに・・・」

 

 セイバーが悔しそうな表情を浮かべた。

 だが、男の言っていることは虚言だ。あの英霊は『再び召喚された』のではない。

 神父から得た情報とあの男が【アーチャー】であることから、推測は確信になっている。

 あの男こそが前回の聖杯戦争から現界し続けているという【ギルガメッシュ】なのだ。

 

「セイバー、お前はあのサーヴァントを知っているんだな?」

 

 オレはもう一つの疑問、『セイバーが何者であるか』を確認するための問いを彼女に投げた。

 

「はい。前回の聖杯戦争であの男と私は、アーチャーと、そしてセイバーとして相争いました。最後まで」

 

 彼女はオレの問いに対して背中で肯定した。

 その間も油断なく正面に対峙するギルガメッシュに注意を払っている。

 

「そうか・・・」

 

 という事は、彼女はオレ達が求めていた英霊だったのだ

 

「それじゃあセイバー。お前はあの【アーサー王】なんだな?」

 

「!?・・・マスター、何故その事を・・・」

 

 思わずセイバーがちらりとオレに視線を向ける。

 だが、彼女はすぐに納得したように続けた。

 

「いいえ。マスターなのだから知っていて当然ですね。そうです。私の名は【アルトリア・ペンドラゴン】。一般的には多くの人々からアーサー王として知られる存在です」

 

「そうか・・・まさか、アーサー王が女の子だったなんてな」

 

 伝説のアーサー王が綺麗な女子だったとは欠片も想像していなかった。しかし、オレ達は当初の目標を達成したと言える。前回も最後まで勝ち残った英霊をしっかりと召喚できていたのだから。

 そのうえで、先ずはこの状況をどう切り抜けるかだ。

 

「そこな雑種。貴様、10年という歳月を経て再会を果たした我とセイバーとの会話に割り込んでくるとは、無礼千万!」

 

 ギルガメッシュはオレに僅かに視線を向けた。

 

 ゾワッ

 

 凄まじい重圧。

 それだけで、全身の毛という毛が逆立つような震えを感じ、心臓が委縮する。

 金色の男。最古にして、英雄の中でも頂点に立つ英雄。

 英雄王とでも評すべきか。

 この男と対峙して、どうにかなる未来がオレには全く想像できなかった。

 

「そもそも貴様は前回、我とセイバーの決着の機会を無下にした衛宮切嗣とかいうマスターの子らしいな」

 

 まるでゴミを見るかのように、酷薄な目が細まる。

 

 ズ・・・

 

 そして、ギルガメッシュの背面の虚空には渦巻く窓から現れ、そこからは5本の直剣がその刀身を徐々に露わにする。

 

「・・・あれは・・・」

 

 オレの目にはそれらが全て英霊の持つ武器に匹敵する代物だとわかった。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 オレは即座に双剣を精製する。

 既に幾度かの実戦と練習を繰り返している。この剣の投影は、かなりスムーズにできるようになっていた。

 神父から得ていた情報どおりなのだ。ヤツから感じられる重圧は凄まじいが、このまま何も動けずに大人しくやられるつもりなど毛頭ない。

 

「坊やに力を」

 

 隣ではキャスターが単音節を詠唱すると、

 

 ボウッ・・・

 

 オレの全身を強力な魔力が包むのを感じた。

 彼女の強化の魔術が付与されたのだ。

 

「貴様は不要だ。迅く失せよ」

 

 ドドドッッッ!!!

 

 英雄王が吐き捨てるように放り投げた言葉と同時に、浮かんでいた5本の剣が解き放たれた。

 速い!

 そんな思考が占める時間もなく、圧倒的な破壊力を秘めた五つの凶器は目標に到達して、そしてオレはなす術もなく消える。

 その筈だった。

 

 ガギギギィィィィィィィィン!!!

 

 だが、高速で飛来した剣はその全てが、途中で撃ち落とされた。

 

「この私がいるのに、我がマスターを易々と害することなどできるわけがないでしょう!アーチャーッ!」

 

 迎撃したのは、セイバーだった。

 彼女の立ち位置はオレとギルガメッシュとの射線上からは、ズレていた。しかし、攻撃に対して一瞬で反応し、飛来する剣を途中で続け様に叩き落としたのだった。途轍もない反応速度と剣捌きだった。

 また、奇妙なことに彼女の手には何もなかった。

 だが、両手に何かを握っている様子ではあり、今の迎撃も拳で落としたわけではなく、あくまでも何かを振るっていた動きをしていた。

 

「見えない剣・・・?」

 

 双剣を構えたまま、オレは呟いた。

 

「どうやら、風の結界を纏わりつかせて、刀身を隠しているようね」

 

 オレの疑問にキャスターが推測を伝えてくる。

 

「それにしても、凄い剣技だな」

 

「ええ」

 

 今の攻撃に対してオレとしても最大限抵抗しようと思っていたが、叩き落せる自信はなかった。

 完全にセイバーに助けられた形だ。

 

「ククク・・・良いぞセイバー、そうでなくてはな」

 

 攻撃を防がれたことは、全く意に介さないようにギルガメッシュは笑みを浮かべた。

 

「真面目腐ったその表情。そして、己が使命に殉じようとする呪縛に捕らわれた哀れな姿。以前と何も変わらんな・・・実に、()()()ではないか」

 

「おのれアーチャーッ!相も変らぬその妄言を止めよ!耳が汚れる!」

 

「いやいや・・・やはりお前は真に愛い。()でるのに最高の花よな。聞くところによれば、前回はマスターと大層不仲だったとの事だが、今回はどうなのだろうなあ?」

 

「たとえどのようなわだかまりがあろうと己が主君を守るのがサーヴァント、そして騎士たる者の定めだ!」

 

 嬲るようなギルガメッシュの言葉に対して、セイバーが憤り白い顔が朱に染まる。

 

「そこに好悪の感情など入る余地はない!」

 

 ダッ!

 

 叫ぶと同時に、セイバーはギルガメッシュへと駆け出した。

 

「心にもない事を(さえず)るではないか」

 

「10年越しの決着、今ここでつけてやろう!英雄王!!」

 

「そんなにも我と戯れたいか?嬉しいぞ、セイバーよ」

 

 ザッ

 

 セイバーの接近を見て取ったギルガメッシュは、あくまでも嘲笑を絶やさずに、大きく後方へと跳躍する。

 塀の上に立っていたので、道路へと降り立つ形になる筈だ。

 

 ブァァッ!

 

 だが、そうはならなかった。

 

「この逢瀬の時間を存分に満喫しようぞ!」

 

 傲然と腕組みをした姿勢で金色の王が黄金の玉座に鎮座する。

 それは、輝く飛空艇に設えられた王の座だった。ギルガメッシュは、その機体の上の玉座に座って上空に浮いていた。

 












ようやく「前日」まで辿り着き、状況が大きく動き始めました。


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第25話 ~前日②~ 「シュウマツ祝祭」

1月30日 夜









 

 E turn

 

 

「・・・あいつ、飛行機まで呼び出すことができるのか?一体どういう能力なんだ?」

 

 オレは夜空に浮かぶギルガメッシュを見上げながら、なかば呆れて呟いた。

 先ほどは虚空から剣を生み出していたが、今度は飛空艇が現れ、奴はその上の玉座に悠然と座っている。

 飛空艇と言っても、その外観は大型のグライダーのようでもあり、見ようによっては羽虫のようでもあり、鳥のようでもありといった風体で、それらが全て融合したような不思議な造形をしていた。

 その上に金色の王が乗っているという、どうにも現実味のない光景だ。

 

「武具だけではなく、この世全てのあらゆる財宝を保有する。それがあの最古の英霊の能力なのでしょうね」

 

 キャスターが推測を口にする。

 だとすれば、殆どどんな状況でも対応可能ということだ。規格外もいいところであり、そんな奴が思うがままにその力を解放していたらこの街がどれだけの被害を受けるかわからない。

 

「あの神父が危険視するのもよくわかるな・・・」

 

 神父の話ではあらゆる宝具の原型を所有すると言っていた。オレは勝手にそれは武器の類だと思い込んでいたが、そうとは限らないわけだ。

 

「さあ、セイバーよ。お前ならここまで至ることなど容易かろう。そこで群れている雑種どもなど見捨てて、我が元へと駆け昇るが良い」

 

 跳躍したギルガメッシュを受け止めるような形で出現したその機体は、今の高度は精々20mといったところだ。おそらく本来なら遥か高みを舞う事ができるだろう。

 あくまでも、奴はセイバーとの会話を楽しむためにその高度に留まっているに過ぎない。

 

「貴公と不毛な会話を続ける気は毛頭ない!!」

 

 外塀の上に立ち、上空の飛空艇を睨みつけるセイバーがそう叫ぶと、腰だめに不可視の剣を構えた。

 

風王鉄槌(ストライク・エアー)ッ!!」

 

 ゴウゥゥッッ!!!

 

 セイバーが両手を突き出すように振るうと、魔力により周囲の空気が圧縮されて突風となって吹き荒れ、大気が震えた。向かう先は離れた位置にいるオレまでその風圧が感じられ、その威力の凄まじさが伝わってきた。

 が、

 

「些か性急だな」

 

 ヴンッ!

 

 いかにも煩わしそうに王がその腕を振るうと、飛空艇の下に巨大な盾が出現した。

 

 ズァァァァァ・・・

 

 セイバーが放った竜巻のような突風は、その盾の前に霧散する。驚くべき防御力だった。

 

「はっ!!」

 

 だが、白銀に輝く少女の動きは止まらない。

 

 ザッ!

 

 先程の攻撃をギルガメッシュが防いでいる間に一旦横にずれるように動いた彼女は、すかさず上空に向けて跳躍していた。

 

「ぬっ!?」

 

 最初の攻撃が目晦ましとなり、僅かに反応が遅れたギルガメッシュの顔から、終始浮かんでいた笑みが消える。

 

「覚悟するがいい!英雄王っ!」

 

 つい先ほどまで不可視だった剣の刀身が、いつの間にか露わになっている。

 伝説に謳われる黄金の剣。

 その刀身は眩い光に覆われており、束の間オレの目はその神秘に目を奪われる。

 

 コウゥ―――

 

 飛空艇の間際まで跳躍したセイバーがその剣を振るう。

 凝縮された音と、そして眩い閃光が英雄王へと伸びていくと、

 

 カッッ―――

 

 何かを呑み込み、弾けた。

 

「やったのか!?」

 

 オレはその光が直接目に入らないよう、両手で遮りながらも、薄目を開けて様子を窺った。

 セイバーの放った強烈な斬撃は、間違いなく飛空艇を消滅させ、乗っていたギルガメッシュの眼前まで到達していた。魔力に関する知識の乏しいオレから見ても、凄まじい威力だったのがわかる。あれが直撃すれば一溜りもない筈だが、

 

「随分と手荒い歓迎ぶりだな、セイバーよ」

 

 冷たい声が虚空に響いた。

 それは当初からの一貫した傲然とした物言いではなかった。その声の元を見やると、英雄王は自身の両腕を交差させて顔を防護するような体勢で塀の上に立っていた。

 上空で飛空艇を破壊されたため、止むを得ず着地したのだろう。

 

「そして、褒めて遣わそう。天に舞う(オレ)の足を再び地に下したのだからな。凡百の塵芥が相手であれば、即刎頸に処すところだが、お前であれば寛大にもなるというものよ」

 

「流石に良い反応ですね。今のを躱すとは」

 

 そう応じたセイバーもまた、塀の上に立っている。

 この屋敷を囲む塀は一辺がかなりの長さがある。両者は一直線上に位置してはいるが、お互いの間合いはかなり離れていた。

 

「初撃への盾による防御も反応が早かった。如何に貴公の鎧が優れた防具だとしても、防ぎきれなかったでしょうが・・・」

 

 そう言いながらも、セイバーはその剣の切っ先を敵へと油断なく向けている。

 

「戦い方に迷いがない。前回の聖杯戦争よりも落ち着いているようだな」

 

 一方のギルガメッシュも真っ直ぐにセイバーを見据えて目を細めた。

 

「勿論です」

 

 ちらりとセイバーが、下方で戦況を黙って見ている事しかできないオレに視線を送る。

 

「良いマスターと巡り合えた。これは何にも勝る喜びです」

 

 なんだろうか?

 少し不可思議にも感じる言葉だった。

 正直、セイバーを召喚してからまだ僅かな時間しか経っていない。交わした言葉も限られている。供給できる魔力量は言わずもがなだ。セイバーはオレを評価してくれているようだが、何も思い当たる節がなかった。

 

「くくく。本来なら相手の事情など斟酌する迄もないが、我の花嫁となる女が万全だというのであれば、それに越したことはない。その状態のお前が我に屈服した時の絶望の表情と涙は、極上の味がするであろう」

 

「は?・・・花嫁だって・・・!?」

 

 オレはギルガメッシュの口から出てきた思いもよらない単語に驚いた。

 この男はセイバーに求婚(?)しているらしい。

 どうにも一方的な態度ではあるが。

 

「あの男は随分とセイバーにご執心のようね」

 

 キャスターが少し呆れ気味に呟いた。

 

「度重なる貴公の妄言には怒りを通り越して、いい加減疲れすら感じてきた。再開して早々ではあるが、今宵で全て終わりにしてくれよう」

 

 ジャギィ・・・

 

 その言葉とは裏腹に、セイバーが怒気を孕んだ剣気を全身から放ち、手にした剣を肩口に構え直した。

 

「つれないなあ、セイバーよ」

 

 そう応じながらも、金色の王はまたも虚空に窓を開きつつあった。

 

「とは言え、その頑なな態度が翻る様を愛でられるというのも、また一興。愉しみは増すばかりだな」

 

「な・・・!?」

 

「なんなの?・・・あれは・・・」

 

 そこから出現しつつあるものを見てオレもキャスターも戸惑いの声を漏らす。

 

「祝砲にはこれが最も相応しかろう」

 

 英雄王が虚空の宝物庫から取り出したのは、赤い螺旋状の()()だった。

 

「先日は狂った神代の英雄めに準備運動がてらにくれてやったが・・・まあ、所詮は前座。露払いのようなもの」

 

 ギルガメッシュが手にした()()には、一応、柄と刀身のような部位がある。

 そう言う意味では、辛うじて剣と表現してもいいのかもしれないが、そう口にするにはあまりにも特殊な形状であり、その刀身では薄紙一枚たりとも切れそうにない。

 

「今宵、お前に手向けるものこそが本物よ。見事に我が乖離剣を受け取るが良い」

 

 ただわかるのは、とてつもない代物であるということだ。

 しかし、そう感じられるだけ。

 剣の構造を把握する事だけがオレの特技と言っていい。

 ところが情けないことに、今、英雄王ギルガメッシュが手にした()()は、理解も解析も不可能なただただ()()()()としか表現できなかった。

 

「加減はしてやる。これに対抗できないような()()()であれば、お前とて騎士王の紛い物に過ぎん。我が寵愛を得るに値しなかった。ただそれだけのことよ」

 

 ゴゥゥゥゥゥゥゥ・・・

 

 金色の王がゆっくりとその剣を振り上げると、そこを中心にして大気が渦巻き、重い音を発する。空間そのものがその場に留まる事ができず、さながらブラックホールに引き摺り込まれていくかのように赤い剣へと収束していく。

 

「どうすれば・・・」

 

 あれを解放されれば、対峙しているオレ達だけではなく、この付近全てが吹っ飛ぶだろう。しかし、オレもキャスターもこの状況に圧倒され、戦慄して殆ど動くことすらできなくなっていた。

 だが、彼女・・・銀色の少女だけは違った。

 

「止むを得ませんね」

 

 騎士王(アーサー王)が落ち着いた口調で独白した。

 

「マスター、宝具を使います。それ以外に対抗する術はないでしょう。負担をお掛けしますがご容赦を」

 

 そして、彼女は塀の上からそうオレに告げてきた。

 両手に構えられた黄金の剣。

 伝説に謳われる聖剣エクスカリバー。

 その全力をもって対抗するということだ。

 先程、飛空艇を破壊した攻撃も充分に凄まじいものだったが、あれ以上の一撃が可能なのだろう。

 

「やってくれ、セイバー。お前に全てを託す」

 

 彼女を信じる。

 ただそれだけだ。

 他にオレにできることなどない。

 召喚してから、まだほんの僅かな時間しか経っていない。しかし、彼女が極めて優秀な英霊であることは充分にわかった。そして何よりオレを信頼してくれていることも。

 

「はい、全力をもってあなたをお守りします。シロウ」

 

 彼女は、力強くオレの言葉に頷いた。

 

「ゆくぞ、英雄王!我が聖剣の一撃を以て、貴公の誇る神域の宝具を打ち砕いて見せよう!!」

 

 気魄の籠った口上とともに、セイバーは聖剣を肩口に振り上げ、いわゆる八相の構えとなり、

 

 ――――――ィィィィィィンンンンンン――――――

 

 剣は眩い金色の光を発し始め、刀身に魔力が充填されていく。

 

「よいぞ、セイバー。全力で足掻いて見せるがいい!他の誰でもない。この我が許す!!」

 

 全身から闘気と、そして歓喜を溢れさせて、セイバーと対峙する英雄王ギルガメッシュが高らかに告げる。

 

「さあ、我が裁定を受け、全身全霊を以って自身を証明せよ!!!」

 

「その輝きで全てを守れ。聖剣よ!」

 

「――――――天地乖離す(エヌマ)――――――」

 

「――――――約束された(エクス)――――――」

 

 人類最古の英雄ギルガメッシュと、円卓の騎士たちを束ねた騎士王アーサー。歴史にその名を燦然と刻む二人の英雄が、お互いの神具を解き放つ。

 

「――――――開闢の星(エリシュ)!!!」

 

「――――――勝利の剣(カリバー)ッッッ!!!」

 

 赤と金の刀身が同時に振り下ろされた。

 それは、あたかも世界の終末に至るための(フラッグ)が上がったかのようでもあった。

 

 ゴォォォォォォォォォ

 

 英雄王が放った赤と黒の奔流。

 そして、騎士王が放った金色の閃光。

 正面衝突したそれらは、破壊的な力を極限まで凝縮させて虚空でせめぎ合った。

 

「素晴らしいぞ、セイバーよ」

 

「くぅぅぅっっっ!?」

 

 二人は各々の武具を振り下ろした状態で、エネルギーの奔流を放ち続ける。

 だが、依然として歓喜の笑みを貼り付かせる英雄王に対して、苦悶の表情を浮かべる騎士王。

 優劣は明らかだった。

 

 ズシャァァァァァァァァ――――――

 

「くぁぁぁっっっ!」

 

 セイバーがその赤と黒の渦へと呑み込まれていくのが見えた。

 

「セイバーッッッ!!!」

 

「坊やっ!」

 

 オレは反射的にセイバーに駆け寄ろうとしたが、キャスターに制止された。

 そして、

 

 ドンッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!

 

「ぐぁぁぁぁっ!」

 

「ああぁぁっ!」

 

 目の前で何かが弾けた。

 吹き荒れた魔力の嵐に、オレもキャスターも吹き飛ばされ、砕け散った塀瓦の雨が銃弾となって降り注ぐ。

 咄嗟にオレはキャスターを抱えて、地面に這いつくばるしかなかった。

 

 ──―──―──―──―──―──―──―──―──―──―──―──―──―──―──―──―

 

「ぐ・・・」

 

 荒れ狂う暴風が突如として収まった。

 

「があぁぁ!?」

 

 背中、腕、肩、太もも、身体中ありとあらゆる部位が鋭利な熱い刃物で切られたような痛みを覚えて、オレは思わず苦悶の声を発した。

 薄っすらと目を開いていくと、視界が赤く染まっているのがわかった。

 頭にも傷を負ったのだろう。

 もはやどこが痛いのかわからない。

 

 カランッ

 

 それでも、なんとか上体を起こしていくと、身体の上に載っていたと思しき瓦が一枚落ちた。

 

「・・・・・・ぼ・・・坊や・・・」

 

 オレの足元のほうから、声がした。

 

「良かった・・・なんとか無事のようね」

 

 首を捻って声の方向を確認すると、オレと同じようにうつ伏せになり、キャスターが顔だけを持ち上げてこちらを見ていた。

 

「・・・キャスター、大丈夫か?」

 

「ええ・・・大丈夫よ」

 

 キャスターがそう言って立ち上がる。

 オレが庇う形になったので、彼女は殆ど傷を負っていないようだった。

 

「守りの障壁を張ったんだけど、簡単に破られてしまったわ」

 

 セイバーとギルガメッシュの宝具が衝突した時、咄嗟に彼女が防御壁をオレ達の前に張ってくれたようだったが、食い止めきれなかったわけだ。

 

「あんなのどうしようもないだろ」

 

 あの瞬間、この空間に渦巻いた膨大な魔力を思えば、正直、死ななかっただけで幸運だ。

 

「すぐにあなたの手当てをしなくちゃ」

 

「それよりも、セイバーを・・・」

 

 体のありとあらゆる箇所を襲っていた先程迄の痛みは、不思議と和らいでいるようだ。

その事を訝りながらも、キャスターに支えられてなんとか立ち上がったオレは、セイバーの姿を求めて視線を彷徨わせる。

 

「褒めて遣わすぞ、セイバーよ。起き抜けには少々手荒な評定となったが、先ずは合格だな」

 

 少し喜悦の感情を含みながらも、悠然とした声が闇夜に響き渡る。

 凄まじいまでの破壊の奔流のぶつかり合い。

 そして、結果としてもたらされた余波。それらを全く意に介さず、そして実際にその位置、その傲然とした姿勢は何も変わらない。

 英雄王ギルガメッシュは、宝具を放つ前と同様に塀の上に立ち、黄金の甲冑に傷一つ負うことなく腕を組んでいた。

 

「以前に見た一振りよりは冴えていたのではないか。そう言えば、あの時のお前は令呪で強制的に聖剣を使わされていたからな。気魄の伴わぬ腑抜けた一撃と、我の裁定を受けるための一撃では、物が違うのは道理というところか」

 

「ぐ・・・」

 

 ガララララ・・・・・・

 

「セイバーッ!!」

 

 オレの視界の隅で倒れた庭木と塀瓦の中から、セイバーが起き上がった。

 彼女もなんとか無事だったようだ。

 とは言え、纏っていた鎧のあちこちが砕け、傷だらけになった彼女はその剣を杖のように自身の支えにして、辛うじて立っている状態だ。

 

「我は満足した。今宵の仕儀はここまでとしよう」

 

「・・・あう・・・・・・ま・・・待て・・・アーチャー・・・・・・」

 

 セイバーがボロボロの体であるにも関わらず、その剣を必死にギルガメッシュに向ける。

 だが、向けられたほうは微塵も意に介さなかった。

 

 

「本祭までにしっかりと身支度を整えておくがいい、セイバーよ。この我に相応しい花嫁となるためにな。そこな雑種どもにはドレスの裾持ちでもさせるが良かろう」

 

 そう告げて、金色の王はくるりと背を向ける。

 やがて、その背中が震え始め、クツクツと声が漏れてくる。

 

「・・・ククク・・・ハハハ・・・ハハハハハハ!アーハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!!」」

 

 哄笑を高らかに響かせながら、軽く片手を振る。

 そしてその顔の半分だけをこちらに向け、

 

「誠に愉快であった!」

 

 そして、トンっと軽く跳ぶとその姿は塀の向こう側へと消えた。

 徹頭徹尾、最初から最後まで、一貫して英雄王ギルガメッシュは自身の理屈と都合のみをオレ達に押し付け続けて、去って行ったのだ。

 













ギル様愉しそうで何よりですが、とっとと止めを刺しておけよ、とも思います。
それをやったら、お話が続かないわけですが。


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第26話 ~前日③~ 「お遊戯はここまで」

1月30日 夜








 E turn

 

 

 オレは暫くの間身動き一つできずに、つい先ほど迄あの男が立っていた塀の上を凝視し続けた。再びまた戻って来るのではないかと、ただただそれが怖かったのだ。

 

「・・・・・・・・・た・・・・・・助かったのか・・・」

 

 たっぷりと時間が経過した。

 きっと大丈夫だと思えるだけの時間が過ぎると、オレは思わずそう安堵の呟きを漏らした。

 もう戻ってくることはない。

 

「・・・ええ。正直、命拾いしたわね」

 

 オレに肩を貸してくれているキャスターの表情も蒼白だった。

 

「・・・・・・く・・・・・・マスター・・・・・・申し訳ありませんでした」

 

 セイバーが端正な顔を苦痛に歪めながらも、悔しそうに謝ってきた。

 彼女は剣を支えにして今にも崩れ落ちそうになりながらも、それを必死に堪えている。

 

「私の力が足りないばかりに敵を討ち漏らしてしまっただけでなく、あなたにも大きな傷を負わせてしまった」

 

「莫迦!何を言っているんだ!?」

 

 あまりにも見当違いな謝罪だったので、オレは思わずそんな言葉を投げてしまう。

 

「お前はあんなに必死に戦ってくれたじゃないか!オレ達を守るために」

 

 オレはキャスターから離れると、傷だらけのセイバーの元へと向かった。

 改めて彼女の様子を確認する。

 銀色に輝いていた鎧は殆どが砕かれて、その下の青い衣装さえも至るところが引き裂かれ、何か所もの痛々しい傷口がその真っ白な肌に刻まれていた。

 一方でその白く端正な顔は土埃にこそまみれてはいたが、その凛々しさと美しさは損なわれてはいなかった。

 

「セイバー、ありがとう。本当によく頑張ってくれた」

 

 こうやって労う以外の選択肢はオレにはない。

 こんな女の子が、その小さく華奢な体で必死になってオレを守ってくれたのだ。

 たとえ、それが【サーヴァント】という闘うために現界した特異な存在だったとしても、男であるオレからすれば申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

「・・・シロウ・・・」

 

 険しかったセイバーの表情が少し緩んだ。

 

「何はともあれ早く手当をしてやらないとな」

 

「ありがとうございます」

 

「キャスター、セイバーを治療してやって・・・」

 

 キャスターの魔術ならすぐに治せるだろう。

 オレは後方にいる彼女に視線を送ろうと振り向いた。

 

「・・・そうね、元に戻してあげるわ」

 

 あれ?

 思いがけず、すぐ近くから彼女の返事が聞こえてきた。

 そして、その声はあまりにも無機質で平坦だった。

 ―――ゾクリ―――

 と胸がざわつくのを自覚する。

 気が付けば、さらりとキャスターは()()()()()()()()()()いた。

 その手には何かが握られている?

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

「え?」

 

「なっ!?」

 

 歪な形状の短剣だった。

 それがごく浅く。

 

 トンッ

 

 キャスターの持つその短剣の先端がほんの僅かに、咄嗟に躰を捻って避けようとしたセイバーの脇腹に突き立っていた。

 

 ―――――――――パァァァンッ―――――――――

 

 セイバーの体を中心にごく軽い音とともに、光が弾ける。

 そして、それと同時に。

 オレの中にあった何かが引き裂かれた。

 それは、つい先ほどセイバーと握手を交わした時に紡がれたばかりのオレと彼女を繋ぐ大切な糸だ。

 

「キャスター・・・お前・・・一体・・・?」

 

「キャスターッ!貴様っ、何をしたっ!?」

 

 ブンッ!

 

 セイバーは短剣で刺された右脇腹を右手で押さえながら、残る左手で剣を横薙ぎに振るう。

 だが、その剣筋は鋭さを欠いており、キャスターは軽く後ろに跳んで躱していた。

 

「くっ!」

 

 セイバーはそれ以上キャスターを追うことは出来なかった。その場で上体を屈めると、振るった剣を地面に突き立てて体を支える。

 既に体力も魔力も限界に近いのだろう。

 

「・・・これは・・・そんな・・・まさか・・・・・・」

 

 そして、自身に起きた変調に気付き、彼女の顔は驚愕に歪む。

 殆ど同時にオレも、一体何が起きたのかを理解した。

 

「セイバーとの魔力経路(パス)が切れている・・・?」

 

 間違いなく、先程のキャスターの短剣による一刺しが原因だ。

 

「・・・ええ。この短剣は、刺した対象に付与されている契約を絶つことができるの」

 

 淡々とキャスターは答える。

 その表情はのっぺりとしていて、何の感情も浮かんではいない。

 目の前にいるのはいつものとおりの紫色のローブを纏い、水色に近い髪を持つ、整った容貌の美女。

 そう。

 出会ってからこの2週間余り、殆どの時間を共有してきた存在。

 全てを擲っても守り抜くと誓った相手。

 それは間違いない。

 間違いない筈なのに。

 今の彼女はひどく()()()

 

「・・・キャスター・・・どうしちまったんだ・・・なんだってそんなことを・・・?」

 

 全く理解のできない行動だった。

 折角、目標だったセイバーを召喚し、契約を果たしたのだ。

 ギルガメッシュとの戦いは想定外だったが、結果的には退けることができた。

 あいつの力は強大だったが、セイバーが秀でたサーヴァントである事も確認できた。

 先程の戦いでは、オレやキャスターがセイバーの援護ができなかったが、今後、連携を磨いて戦えば勝機はあるだろう。

 それなのに、いきなりその契約を絶つだなんて。

 

「あなたは、いらないわ」

 

 フワッ

 

 キャスターはオレの問い掛けを無視して、上空へと舞い上がった。

 

「そんな状態になっていても、あなたには対魔力が備わっている。簡単には仕留められないでしょうね」

 

 セイバーに向けられたキャスターの水色の瞳に、昏い光が灯る。

 そして、広がったローブの周囲に、次々と魔方陣が現れていく。

 以前、校庭で共に戦った時。

 あの時は美しい蝶のようだと感じたのに、今の彼女は禍々しい蛾のようにも見える。

 

「あれは・・・学校で使おうとした・・・」

 

 遠坂のセイバー・・・いや、アーチャーに使おうとした技だ。

 あれをまともにくらったら、消耗しきっていて、しかもオレからの魔力供給も絶たれているセイバーではとても耐えられないだろう。

 そうこうしている間にも、魔力が個々の陣に収斂されていく。

 

「やめてくれっ!!キャスターッ!!!」

 

 オレは上空のキャスターに叫ぶ。

 

神言魔術式(ヘカティック)・・・」

 

 だが、今のキャスターにはオレの声は先刻(さっき)から一貫して全く届いていない。

 

灰の花嫁(グライアー)ッ!」

 

 五つの魔方陣から、同数の黒い閃光が放たれる。

 それらは過たず、消耗したセイバーへと降り注いていく。

 

「セイバーッッ!!!」

 

 絶望的だ。

 そう思った時、

 

風王鉄槌(ストライク・エアー)ッ!!」

 

 ゴウッ!

 

「何ですって!?」

 

 キャスターが驚きながら、後ろを振り返った。

 オレも唖然とする。

 セイバーは一息のうちに猛烈なスピードで、宙に浮かぶキャスターの足元を擦り抜けて反対側へと移動していた。セイバーは先程のギルガメッシュとの戦いで見せた突風を放つ技を、自らの加速のために使ったのだ。

 

「くぅ・・・」

 

 おそらく、今の技になけなしの力を振り絞ったのだろう。セイバーが苦悶の声を漏らすが、その足は止めなかった。

 

 ザッ

 

 そのままの勢いで崩れた塀を越えると、キャスターから逃れるために道路の奥へと走り去っていく。

 

「むざむざと逃がすわけがないでしょう」

 

 遠ざかっていくセイバーの背中に照準を合わせて、キャスターは再び魔方陣に魔力を収斂させていく。

 

「キャスターッ!もうやめろっ!!」

 

 今の彼女にオレの声は届かない。

 そう悟っていながらも、オレは制止の声を上げるしかなかった。

 上空に彼女がいる以上、手出しのしようがないのだ。

 オレは直後に起きる惨劇を想像して戦慄を覚えたその時、

 

 ガラガラガラガラ!

 

 突如として、今晩二度目の警報が鳴り響いた。

 

「「!?」」

 

 そのけたたましい音に、セイバーに向けていた意識をオレもキャスターも断ち切られる。

 

「ちっ!?面倒臭い結界が張られてやがるぜ」

 

 続けて苛立たし気な男の声がした。

 

「っ!?」

 

「誰っ!?」

 

 オレもキャスターも慌てて、その声の主を求めて振り返る。

 そこにいたのは、全身をタイトな青い服で覆った長身の男だった。

 男は母屋の脇を通ってゆっくりとこちらへ歩いてくる。正門側から敷地内に入ったのだろう。

 

「ここで何があった?」

 

 その問いと共に野生的で鋭い眼光が、正面に立つオレに向けられた。

 

「・・・あんた、ランサー・・・だな?」

 

 初見ではあったが、容易に推測できた。

 全身から放たれる闘気も魔力を隠す素振りが全くない。サーヴァントであることは明白だ。

 そして何より、ダラリと下げた左手に赫い長槍が握られている。

 【槍兵】だ。

 

「そういう坊主は、たしか・・・衛宮士郎・・・とか言うんだったか」

 

「オレのことを知っているのか?」

 

「ああ、マスターから聞いているんでな」

 

「・・・あのバゼットという魔術師だな?」

 

 オレは推測を口にする。

 

「まあ、そんなところだ」

 

 サラリとランサーは肯定した。

 隠す程の事ではないと思っているのだろう。

 

「・・・ラ・・・ランサーですって・・・よりにもよってこんな時に・・・」

 

 上空のキャスターが、苦々し気に呟いた。

 

「あんたはキャスターだな?うちのマスターからは特に情報はなかったが」

 

 ジャギッ

 

 ランサーがその赫い槍の穂先をキャスターへと向ける。

 

「この間合いで槍で何ができるというのかしら?」

 

 キャスターは強張った表情で、自身に向けられた穂先を見つめる。

 当然、いくら長柄の槍でも空に浮かぶキャスターに対して攻撃が届くわけもない。あくまでも常識の範疇で考えれば、ではあるが。

 

「へ、試してみるかい?」

 

 ランサーは平然と言い返す。その顔には笑みが浮かんでおり、焦りの色が窺えるキャスターとは対照的だ。

 

「まあ、差し当たって今は、聞きたいことがあるだけだ」

 

 坊主も含めてな、とチラリとオレの方に視線を向けながらランサーは続ける。

 

「ついさっき、凄まじい魔力がここで弾けたろ?あれは、あんたらがやったのか?」

 

 要するに先程のギルガメッシュとセイバーの宝具の衝突が、この男を引き寄せる事になったのだろう。無理もない。

 

「オレ達も無関係じゃないが、直接的には違う」

 

 少なくともランサーは先程の言葉どおり、すぐにオレ達と争うつもりはないようだ。

 

「まあ、そうだろうな。あれは桁違いだった。あんたには無理そうだな」

 

 からかうような笑みをランサーはキャスターに向け、

 

「く・・・」

 

 キャスターが悔しそうに顔を歪める。

 

「だとすると」

 

 が、ランサーは意に介さない。この男は思ったままを口にしているだけなのだろう。

 

「別のサーヴァントがここに二人いたんだな?」

 

「ああ、そうだ」

 

「そのうちの片方は、金色づくめのど派手な()()をした、傲慢且つ、超ムカつく野郎じゃなかったか?」

 

「あんたもアイツを知ってるのか?」

 

 思わず聞き返してしまったが、あれだけ派手に暴れまわっているのだ。どこかで、ギルガメッシュに既に遭遇していても不思議ではないか。

 

「坊主の反応からすると、間違いねえみたいだな。ああ、俺はアイツと一度やり合っている」

 

 聞かせろ、とランサーは続ける。

 

「どんな宝具だった?」

 

 どうやらこの男は、ギルガメッシュにかなりこだわっているようだった。宝具のぶつかり合いの相手方が誰なのかという事に殆ど興味がないようだ。

 

「正直、オレには意味不明な武器だった。赤い螺旋状の剣みたいな形だ。それを振るうと、何て言うか・・・・・・空間が抉られたみたいになっていた」

 

 ランサーの迫力に気圧されたという一面もあったが、オレは正直に答えることにした。アイツの強さは桁違いだ。なるべく他のサーヴァントにも情報を与えて、対抗できるようにしたほうがいいと考えたのだ。

 

「そうか。あの野郎は単発でもとんでもない威力の宝具を持っていやがるってことか」

 

 そう言いながら、ランサーは改めて周囲を見回した。

 裏庭に面した塀は半分が崩壊し、道場も同様だ。

 だが、あの時に生じた破壊力からすれば、穏便に済んだようにも思える。

 

「にしちゃあ、案外と被害が大した事ねえな・・・・・・この辺一体が吹き飛んでもおかしくないくらいの力を感じたがな」

 

 ランサーもオレと同じ感想を抱いた。

 

「対峙したセイバーの宝具でだいぶ相殺されたからだと思う」

 

「そうか、相手はセイバーだったのか・・・・・・かなり頑張ったが、結果的にはやられちまったってとこか?」

 

 セイバーらしきサーヴァントの姿が付近にないが故の推測だろう。

 

「いや・・・それは・・・」

 

 オレはちらりと上空でじっとオレ達の会話を聞くキャスターに軽く目線を送る。

 

「んなこたあどうでもいいか」

 

 ランサーはオレとキャスターの様子を訝りながらも、特に干渉する気はないようだった。

 

「それで、ヤツはどっちに行った?」

 

「新都方面に行ったと思うが、詳しくはわからない」

 

「そうか」

 

 ザッ

 

 ランサーはそう言うと、母屋の屋根へと跳び乗った。オレからの情報を踏まえて新都方面の道を確認しているようだが、ギルガメッシュを視認することはできないだろう。

 アイツが立ち去ってからは、もうだいぶ時間も経っている。

 

「まあ、見つかるわけもねえか。これ以上、長居をすれば、他のサーヴァント達も集まってくるかもな・・・」

 

 それはそれで面倒臭いな、と続ける。

 確かにランサーの言うとおりだ。

 この屋敷自体が既に、各陣営に目を付けられているだろう。

 このランサー同様、遠坂の()()()()()や桜のライダーが様子を窺いに来る事だって考えられた。

 

「色々と教えてもらって助かったぜ。ありがとよ」

 

「いや、大した情報はなかったと思うけどな」

 

「んなこたねえよ」

 

 ランサーは、軽く笑ってオレに背を向けた。

 

「そんじゃあな、坊主。なんか色々と面倒(めんど)臭そうな事情を抱えてそうだが、まあ頑張れや」

 

 ちらりと、上空のキャスターを見上げた。

 対するキャスターは警戒を解いていない。

 オレとランサーが話している間、彼女は緊張した面持ちを崩すことなくランサーの様子を窺っていた。

 

「あばよ」

 

 トンッ

 

 ランサーは立っていた屋根瓦を蹴って跳躍すると、隣の家の屋根に着地する。そして、その流れで次々と跳躍して、連なる住宅の屋根伝いに新都方面へと消えていった。

 

「ふう・・・」

 

 ランサーが完全に見えなくなるのを確認したオレはゆっくりと溜息をついた。

 握り続けていた拳にはじっとりと汗が滲んでいる。

 ギルガメッシュと対峙していた時ほどではないが、強烈な緊張を強いられていたのだ。

 ランサーは竹を割ったような性格の、さっぱりとした男だということが先程の会話で充分に感じられた。だが、そうだとしても、その存在感、重圧は半端なものではなかった。

 

「あいつ、話の内容次第ではオレもキャスターも殺すつもりだったな・・・」

 

 陽気で気さくな気質と、ある種の残酷さが同居している。

 そんな恐ろしさを感じさせる英霊だった。

 それを感じ取ったからこそ、オレもなるべく正直に、隠し立てをすることのないよう心掛けたのだ。

 とは言え、なんとか突然の闖入者であるランサーをやり過ごすことができた。

 本来やらなくてはいけないことに注力しなければいけない。

 

「早くセイバーを探さないと」

 

 オレは独り言ちて、道路に出た。

 ランサーが現れたことで、セイバーに止めを刺そうとしていたキャスターの行動は妨げられる形になった。一方でオレも、セイバーの行方を完全に見失ってしまった。既に契約も絶たれているため、どこに行ったのか全くわからない。

 

「当てずっぽうでも構わない。手当たり次第に心当たりのあるとこをあたってみよう」

 

 霊体化されたら全く行方はわからなくなってしまう。

 だが、セイバーはギルガメッシュとの戦いでボロボロになっているし、魔力の補給もない状態だ。

 今や霊体化する余力もないんじゃないか?

 オレは上空のキャスターの様子を少し窺いながらも、声をかけることはせずにセイバーの姿を求めて走り始めた。

 気が付けば上空に輝いていた月は雲に隠れており、進む道は街灯だけが照らしている。

 オレは自分の背中にキャスターの視線が注がれているような感覚を拭い去る事ができなかった。

 

「・・・セイバー、すまなかった・・・必ず見つけ出してやる・・・」

 

 そして、今度はオレが彼女を守らなくてはいけない。

 それが、マスターとして・・・・・・いや、正義の味方としての責務だ。

 












士郎は知る由もありませんが、セイバーは霊体化できないんですよね。


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第27話 ~当日①~ 「その日、その時」

1月31日 未明











 Interlude in

 

 

「あら、ライダー。どうかしたの?少し顔色が悪いみたい」

 

 間桐の屋敷に戻ったライダーが(あるじ)の様子を窺うために部屋に入ると、当の本人()がそう声をかけてきた。

 

「申し訳ありません、桜。起こしてしまいましたか?」

 

 出掛けには既に寝入っていた筈だが、薄紅色の寝具を纏った桜は窓辺に立っていた。

 窓が開け放たれており、冷たい空気が流れてくる。

 

「ううん、ちょっと胸騒ぎがして起きてしまったの。外で何かあったのかしら?」

 

「ええ。先程大きな魔力の揺らぎを感じましたので、そこに赴いたのです」

 

「どこかしら?」

 

「・・・・・・衛宮士郎の屋敷です」

 

 桜の問いにライダーは僅かに躊躇ったが、答えることにした。隠したところで、早晩桜にも伝わるだろう。

 

「・・・どんな様子だったの?」

 

「屋敷の外部がかなり損壊していました。母屋には被害はなかったようですが・・・」

 

 微かに桜は身震いをした。

 

「かなり激しい戦闘があったものと推測されます」

 

「・・・それで・・・せ・・・先輩は・・・・・・どうなったのかしら?」

 

「衛宮士郎に大きな怪我は無いようでした。私が着いた時に、何処かへと走り去っていくのが見えましたので」

 

『無事だったのか?』と聞きたかったのかもしれない、と思いながらもライダーは答えた。

 

「そう・・・」

 

 桜はほっとしたように呟いた。

 

「でも、こんな夜中にどこに行こうというのかしら?」

 

「襲撃した敵を追っているという様子でもありませんでした。キャスターを伴っていないようでしたので・・・ですが、危険なのは間違い無いですね」

 

 ライダーが屋根を伝って衛宮邸に向かう途中、逆方向に向かう衛宮士郎と半ばすれ違うような形になったのだ。彼の方ではこちらに気付いてはいなかったが。

 

「あの魔女が先輩の傍にいなかったのね?」

 

「少なくとも彼の付近にサーヴァントの気配は感じられませんでした。無防備とみなされて他の陣営に襲われるかもしれません」

 

 実際、イリヤスフィールとの約定があったにも関わらず、先日の柳洞寺では自分達がキャスターに戦闘を仕掛ける形にもなっている。図らずも、ルールや口約束などに左程の拘束力はないという事を示してしまっていた。

 故意にしろ偶発的なものにしろ、いつどこで、殺し合いが起こるかわからないのだ。

 

「・・・・・・そうね・・・ましてやこんな夜中なら尚更よね」

 

 桜はそう呟くと、部屋に設えられたクローゼットを開けて薄桃色のコートを取り出した。

 

「ライダー、少し周囲の見回りに行きましょう。正式に戦いが始まる前にたくさんの混乱が起きるのは良くないわよね」

 

 桜がにこりと笑って、自室の扉へと向かった。

 

「聖杯戦争は秩序ある儀式にしなければいけないのだし」

 

「・・・・・・・・・承知しました」

 

 ライダーはそう答えて、桜の後に続くしかなかった。

 

 

 

「正直、このぐらいだと驚かなくなってきちゃったわね」

 

 遠坂凛は両腕を組んで、はぁっと軽く溜息をついた。

 目の前にあるのは、堅牢に築かれていた衛宮邸の囲い塀が無残に崩壊した光景だった。

 内部の建物が損傷していない分だけ、双子館や穂群原学園よりはだいぶマシというものだ。

 

「私も一部始終を見ていたわけではないが、あの時発生していた膨大な魔力と比較すると、破壊の規模としては控えめではあるな」

 

 凛の傍らに立つ赤い外套を纏った長身のサーヴァント、()()()()が彼女の感想に応じる形で自身の見解を伝える。

 

「あんた、どのくらい見えていたの?」

 

「いつもどおり高所から周囲の様子を観察していただけだから、視線が通らないことには細部が見えるわけもないが。途中でちらりと、金色のサーヴァントが小型の飛空艇に乗って宙に浮かんでいるのが見えたりはしたな」

 

「金色のサーヴァントか・・・・・・綺礼が言っていた前回の聖杯戦争の生き残りってやつに間違いないでしょうね」

 

 昨日、電話で言峰綺礼からギルガメッシュに関する情報を聞いていた。衛宮士郎や、イリヤスフィールにも伝達済の内容であるため、凜にも伝えるという理屈だった。

 

「だろうな」

 

「だとすると、この前校舎をぶっ飛ばした宝具を使ったのかしら?でも、被害の様子はだいぶ違うわよね」

 

「確かなことは言えないが、どうやら宝具と宝具が衝突していたようだった。片方はおそらく先日、学校で使われたものだろう」

 

「つまり、もう片方の宝具に威力を相殺されたから、この程度の被害で済んだってことね」

 

「おそらくな」

 

「でも、あのキャスターにそこまでの力があるかしら?とても、校舎を消し飛ばした宝具に匹敵するほどの手札を持っているとも思えないけど」

 

「難しいところだな。単純な破壊力で言えば、あの魔女にそれほどの切り札があるとは思えないが、特殊な魔術を使ったり、自身の陣地内であればなんらかの補正が加わり、可能になるかもしれん」

 

「結局のところ、ここであれこれ考えても推測の域を出ないわよね」

 

 凜は足元に転がっていた瓦を軽く蹴った。

 

「凛。そろそろここを離れたほうがいいだろう」

 

「あ、ええ。そうよね。私達以外にもここに様子を見に来る輩がいるかもしれないし」

 

「そのとおりだ。長居は無用というやつだな」

 

「それにしても、また綺礼の仕事が増えたわね。いい気味だわ」

 

「・・・・・・凛・・・・・・」

 

 セイバーが眉間に手を当てて、顔を顰める。

 

「あ、ご免なさい。ちょっと本音が」

 

 と、軽く凛は舌を出した。

 

「それにしても、衛宮君は大丈夫かしら?屋敷内にいる気配はないけど」

 

「さてな。少なくとも、このぐらいではくたばりそうもないがな」

 

「もしキャスターが負けて消滅していたら、衛宮君も戦う必要がなくなるわね」

 

「・・・やけにあの小僧の事を気に掛けるのだな?」

 

「べ・・・べつに!あんたこそ、相変わらず衛宮君の事になるとやたらと絡むじゃない!」

 

「・・・ふん・・・あの小僧を見ていると無性にイライラするだけだ」

 

「なによそれ!ほんと、あんたって意味わかんないわ!」

 

「とにかく行くぞ、凛」

 

 この話は打ち切りとばかりに、()()()()は屋敷に背を向けて歩き出した。

 

「ったく!誤魔化してんじゃないわよ!」

 

 悪態をつきながらも自身のサーヴァントと共に歩き出した凛は、何気なく空を見上げた。

 思ったより暗い。

 気が付けば、空から降り注いでいた月明かりが失せている。

 あるのは眼下の道路のところどころに設置された街灯の灯りだけになっていた。

 

「雨が降るのかしら?」

 

 月は厚い雲に覆われていた。

 

 

 Interlude out

 

 

 C turn

 

 眼下の少年の背中が、徐々に遠ざかっていく。

 セイバーの逃げていった方向へと走り去っていく彼を、私はぼんやりと見送った。

 坊やは私の方を振り返りもしない。

 

「・・・・・・あの小娘。必ず見つけて出してやるわ」

 

 自然と口から出てきたのはそんな言葉だった。

 そうだ。

 騎士王の殻を被ったあの紛い物。

 ランサーという思わぬ邪魔が入ったが、一刻も早くあの女を探しだして息の根を止めなければならない。

 あんな小娘がアーサー王?

 とんでもない虚言だ。

 最高峰のセイバーである円卓の主、アーサーの名を、召喚された次の瞬間には男を誑かすあんな色情狂が名乗るだなんて。

 

「たとえ多少腕が立とうと、生かしておく価値はないわ」

 

 あの女は万死に値する。

 少年が見つけ出す前に探し出して、その顔をぐちゃぐちゃにしてやらなければ気が済まない。

 

「どこに向かったかのかしら?」

 

 この戦争の要衝になりそうな箇所には、使い魔を放っている。それらを駆使すれば見つけ出すことは不可能ではない筈だ。

 霊体化しているとすれば探すとなれば厄介だが、セイバーはかなりのダメージを負ってはいる。

 即座に魔力切れになる程ではないだろうが、魔力が枯渇しているのも事実だ。

 マスターとの契約が断たれた以上、別の手段で魔力補給が必要になる。

 手当たり次第に人を襲うか、ほかのマスターを探すか、あるいは・・・・・・

 

「・・・・・・見つけたわ」

 

 柳洞寺付近に放っていた使い魔を通じて、脳裏にセイバーの姿がはっきりと確認できた。

 幸いなことに霊体化していなかったようだ。それだけ消耗しているということなのかもしれない。

 いずれにせよ好機だった。

 

 ──────スゥ──────

 

 空中を浮遊したまま、私は移動を開始した。

 行く先は柳洞寺方面だ。

 

 

 

 柳洞寺へと向かう街灯もまばらな路上。

 完全に夜も更けたこの時間となれば、人も車も全く通らない。

 とうの昔に役目を終えて、廃業したのだろう。眼下に佇むガソリンスタンドは廃墟同然に荒れ果てていた。

 ここなら誰の邪魔も入らない。

 

「く・・・キャスター・・・」

 

 こちらを見上げているのは、人形のように美しい金髪碧眼の少女。

 だが、今浮かべている表情は人形のそれではなく、戦士のものだ。激しい怒りを露わにしてこちらを睨みつけてくる。

 

「ふふふ。いい気味ね、セイバー。霊体化するほどの魔力も残ってないなんて」

 

 トンッ

 

 私は地面へと降り立った。

 眼前に立つセイバーは疲労困憊の様子であり、あのギルガメッシュと戦った時に纏っていた白銀の鎧を再度具現化することもできていない。

 

「魂喰いをするのは、あなたの正義感が許さなかったのかしら?」

 

 ここまでやって来たのはただの偶然か、柳洞寺が優れた霊地であることを知っていたからかはわからない。

 いずれにせよ他の手段を取りようがない彼女とすれば、優れた霊地に駆け込むしかなかった筈なのだ。

 

「当然です。無辜の人々を襲い、その魂を脅かすことなど言語道断」

 

 予想通りの答え。

 そして、

 

 ジャギ・・・

 

 怒りを露わにしたセイバーは、杖代わりにして体を支えていた剣を持ち上げて、こちらに切っ先を向けてきた。

 

「あら、怖いわねえ。でも、もう限界でしょう。無理しないほうがいいのではなくて?」

 

「・・・シロウの仲間である筈のあなたが・・・いいえ、お前がなぜこのような真似を・・・・・・」

 

「あなたはアーサー王の名を騙る偽物の売女。そんな女は不要よ」

 

「確かに一般的な伝承で紡がれるアーサー王は男性だ。だが、私は女子であることを秘匿してはいたものの、真実、アーサー王と呼ばれる存在であることに相違ない。英雄王には遅れをとったが、先程の戦いはその証左にもなった筈だ」

 

 確かに先程のギルガメッシュとの戦いは、凄まじいものだった。結果的に敗れはしたものの、彼女が優秀なサーヴァントであることは充分にわかった。

 だが、

 

「そんなことは()()()()()()のよ」

 

「・・・・・・問答無用ということですか・・・・・・」

 

「とにかく、あなたにはここで消えてもらうわ。邪魔なのよ」

 

 そう告げて右手を突き出すと、セイバーに向けた掌に魔力を収束させていく。

 

「これもあなたの何某(なにがし)かの奸計の一つということでしたか。召喚された時、シロウの傍らにあなたがいたことをもっと警戒すべきでしたね」

 

 諦観したようにセイバーは呟き、その顔を伏せた。

 

「ふふふ、観念したようね。安心なさい、一息で殺してあげるから。本当であれば嬲り殺しにしたいのだけど、あまり長い間坊やと離れているのも危険だし」

 

 ドンッ!

 

 もはや抵抗する力の残っていないセイバーに向けて、紫色の魔力弾を放った。これでお終いだ。

 

 ドゴォッ!

 

 狙い通りの直撃。

 

「舐めるな!キャスターッ!」

 

 ダッ!!

 

 気が付けば猛烈な勢いで突進してきたセイバーが眼前に迫っていた。

 彼女の左腕は銀色の籠手で覆われており、その籠手で体を守るような体勢になっていた。

 

「なっっっ!?」

 

「貴様だけは許さんっ!」

 

 金色に輝く剣が振り上げられ、神速の斬撃が迫っている。

 

「くっ!?」

 

 咄嗟に空中へと飛び上がり、その攻撃を避けようとした。

 

 ザグッ!

 

「きゃあああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 

 痛い!

 強烈な痛みが右足を襲い、口からは絶叫が迸る。

 それでも私は集中を途切らせることなく、空高くへと舞い上がる。

 早くこの女から離れないと!

 

「仕損じたかっ!?」

 

 足元からは悔し気なセイバーの声が聞こえてきた。

 

 ヴン・・・

 

 セイバーに視線を向けると、手にした剣の刀身に魔力を収斂させている。

 ギルガメッシュとの戦いでも使っていた、魔力による遠方からの斬撃を放つつもりだ。

 

「逃すものか、キャスターッ!」

 

 コウッ!!

 

 眩い閃光が眼前に迫る。

 必死の形相を浮かべたセイバーが魔力斬撃を放ってきたのだ。

 だが、今しがた思わぬ反撃で切りつけられたのとは違い、この攻撃は予想ができていた分対処のしようがあった。

 

「守りなさい!」

 

 紡いだ言葉と同時に不可視の壁が築かれ、

 

 ──────ズシャァァァ──────

 

 前面に構築したその魔力障壁に、セイバーの放った金色の魔力波が奔流となって襲い掛かり、せめぎ合う。

 

「うぐぅぅぅっ!!」

 

 僅かの時間で私の展開した壁は殆どが削られ、私は体のあちこちに裂傷を負う事になった。

 纏っていたローブは至る所が裂かれ、破れ、解れている。加えて初撃で切り付けられた足の痛みが酷い。

 だが、何とか耐えることができた。

 

「・・・・・・つぅぅ・・・・・・その状態で、ここまでの力が出せるなんて・・・・・・」

 

 全身をギリギリと苛む痛みをなんとか堪えながら、高度を上げていく。かなりの距離を取らなければ、とても安全とは言えないことをまざまざと思い知らされた。

 最優のサーヴァントである【セイバー】クラスの力は、やはり半端なものではない。

 

「・・・ぐっ、ここまでか・・・」

 

 地上では、顔を歪めてセイバーが膝を付いていた。

 今しがたの一連の攻撃は、残っていたなけなしの力を振り絞ったものだったのだろう。

 実際に、魔力斬撃については、先程のギルガメッシュとの戦いで使っていた時よりも威力としてはかなり劣っていた。万全であれば、障壁などお構いなしに私は光に飲み込まれていたに違いない。

 

「もうあなたを侮ることはしない。一度ならず、二度までも(わたくし)の予想を遥かに超える動きをされたわ。そして、止めを刺すことができなかったのだから」

 

 ギルガメッシュとの戦いにしろ私への対処にせよ、この女は戦闘面においては咄嗟の判断力があるだけでなく、駆け引きも駆使してくる。

 霊体化しなかったことの真意は定かではないが、疲労困憊で身動きも取れないような風体だったのは、擬態だったわけだ。

 この期に及んでも、どんな反撃を狙ってくるか油断はできなかった。

 

「全力で消し去ってあげる。その顔が苦しみに歪むところを見ることができないのは残念だけれど」

 

 そう宣告して、私は前面に10を超える魔方陣を展開した。

 今度こそ、セイバーを仕留めるため、私の持つ最大火力の砲門を、最大数を用いて広範囲に浴びせるのだ。

 

「・・・・・・むざむざ殺られるわけにはいかない・・・・・・」

 

 数十メートル先の眼下。

 そこに膝をついたままのセイバーだったが、それでもこちらを見上げて剣を構えていた。

 だが、流石にその瞳には先刻までの力は宿っていない。

 

「・・・・・・貴様はいずれ、必ずシロウ(我がマスター)に害を為す。契りを無碍に破られたとは言え、シロウは一度剣を捧げた(あるじ)。その災いの元を絶つのは、私の使命だ」

 

 女から漏れ出している暴言はもはや聞くに堪えなかった。

 早く消し去ってしまわなければ。

 

「今度こそ本当にお終いよ・・・・・・神言魔術式(ヘカティック)・・・・・・」

 

 あの女に止めを刺すための詠唱を紡ぎながら。

 私は自分の顔が喜悦に醜く歪むのを自覚した。

 ・・・ああ・・・

 これでまたあの子を。

 私だけの【衛宮士郎】を。

 ()()()()()()()

 

灰の花嫁(グライアー)ッッッ!!!」

 

 数多の魔方陣から強烈な黒い閃光が放たれ、眼下の昏い路面へと降り注いでいく。

 その先には膝を地面に付いたままこちらを見上げる一人の小娘と、片手をこちらに向けながら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ・・・・・・・・・・・・え?

 

「セイバーッッッ!!!」

 

 叫びながら、黒い砲弾の雨の中に飛び込んだ少年。

 彼が突き出した腕の先には一瞬だけ巨大な盾が展開されたように見えたが、それは無慈悲な降雨に抗し切れず。

 バラバラに引き裂かれていった。

 

 ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォ・・・・・・

 

 容赦なく降り注いだ無数の砲弾にアスファルトの路面が抉られた。

 そしてしばらくの間、もうもうとその破片と塵を撒き散らす。

 

 ──────────────────────────────

 

 後に残ったのは、二つだけ。

 少年に庇われた女のうつ伏せになった体。

 そして。

 仰向けになった少年の体。

 それはあたかも彫刻家が作成する胸像(トルソー)のようで。

 その()()()()()()()()()()()()()()

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

 間の抜けた一音。

 それが、静寂に包まれた夜闇に漂った。

 誰の声だろうか?

 この場にいる誰か声の筈だけれど。

 

「・・・・・・ター・・・・・・」

 

 そして、もはや生気など欠片もない顔を虚空に向けたまま。

 少年の口が何事かの言の葉を紡ぎ。

 

「・・・・・・ん・・・・・・」

 

 ほんの僅か。

 その言葉の最期の音だけが私の耳に届いた気がした。

 ・・・・・・えっと・・・・・・

 あれ?

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・坊や?」

 

 ──────────────────────────────

 

 私の意識は、ブツンッと音を立てて断ち切れた。

 

 

 

 













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第28話 ~当日②~ 「◇◆◇◆◆◇◆◆◆◆◆」

1月31日 未明











 Interlude in

 

 

 

「・・・・・・な・・・・・・!?」

 

 その状況を理解すると、遠坂凜は思わず口元を覆った。

 

「・・・・・・・・・なんてこと・・・・・・・・・」

 

 呆然とする彼女の足元には血溜まりが広がっており、その中に半ば沈むようにして一人の少年が・・・いや()()()()()()()が横たわっていた。

 

「・・・・・・・・・」

 

 隣に立つ赤い外套を纏った長身のサーヴァント、()()()()も表情が強張っていた。

 その両拳はきつく握り締められており、日頃の斜に構えたような態度が今は微塵も感じられない。

 微動だにせず、慄然と立ち尽くしている。

 

「・・・これじゃあ、殆ど・・・」

 

 凜は呟きながら、()()に近付く素振りを見せたが、すぐに足が止まる。血の海の中まで入ることを本能的に拒絶したかのようだ。

 実際、一目瞭然なのだ。

 降り出した雨に濡れ始めたアスファルトの路上。

 体の下半分を失い、焦点を結ばない目を見開いているのは、命の灯を一片も宿さない【衛宮士郎】の肉塊だ。

 傍まで近付いて、改めて確認する必要などなかった。

 

「ああ、即死だったろうな」

 

 セイバーは凜の言葉を遮るようにして、推測の体裁を取り繕った事実を口にした。

 己がマスターにその言葉を口に出させないように、と、そんな心遣いだったのかもしれない。

 

「そうよね・・・」

 

「聖杯戦争に関わった以上、こういうこともある」

 

「・・・勿論、敵同士なんだから、殺し合うことになる相手だったんだけど・・・やっぱり複雑なものね。あんたからすれば、覚悟が足りないって言われそうだけど」

 

「気に病む必要などないぞ、凜」

 

 セイバーがぽんと凜の背中を軽く叩く。

 

「覚悟を決めるということは、不感症になるのと同義ではない」

 

「・・・ありがと」

 

 ちゃんと受け止めるべきよね、と凜ははっきり言う。

 

「それにしても、あんたの反応も少し意外ね・・・・・・いいえ、ごめんなさい」

 

 口では否定していたが、自身のサーヴァントがなぜか衛宮士郎に並々ならぬ殺意とも言うべき執着を抱いていることは疑いようがなかった。だが、今はこの状況に戸惑い、そして悼んでいるようにも見えた。

 

「そうだな。私自身も不思議な感覚だ。あれ程、躍起になって殺そうとしていた相手が死んだというのにな」

 

「・・・そう」

 

 これまで認めようとしなかった拘泥を、あっさりと肯定した。そんな男に対して不思議な思いを抱きつつも、凜はその態度を受け入れた。

 いつかその拘りの理由を打ち明けてもらう時が来るのだろうが、今はその時ではない気がした。

 

「なんにせよ、この状態を放置するわけにはいかないか・・・・・・綺礼にも連絡しなくちゃだし」

 

 そう言って、凜は目を伏せ、ゆっくりと両の掌を合わせる。

 

「・・・それにしても、こんな事を()()()が知ったら・・・」

 

 あの子にだけは絶対に見せたくない。

 凜はそんな思いに駆られた。

 だが。

 

「・・・せ・・・せん・・・ぱい・・・?」

 

「「!?」」

 

 眼前の光景に意識の全てを振り分けていた凜とセイバーは、慌てて後ろを振り返った。

 

 

 

 先程の凜と同様に、目を見開いて呆然とする少女。

 その口元を覆うむき出しの両掌は、夜冬の冷気で赤く染まっている。

 

「・・・そんな・・・せん・・・ぱい・・・・・・」

 

 薄桃色のコートに覆われた間桐桜の細い体は、小刻みに震えながらただただ立ち尽くしている。

 一方で、凜とセイバーは、彼女に対する適切な対処方法を見出すことができなかった。

 三者の視線は完全にすれ違ったまま。

 何秒、いや何十秒が経過したのだろうか。

 

 ポツ・・・ポツ・・・

 

 いつしか降り始めた小粒の雨が、月明かりの消えた薄闇色の空を少しずつ占有し始めていた。

 一方で、傘など持ち合わせてはいなかったが、間桐桜にとっては雨粒は注意を払うべき対象にもなり得なかった。

 その目は、血溜まりに沈む半身だけしかない衛宮士郎の姿に縫い留められていた。

 

「・・・さ・・・桜・・・」

 

 絶対にこの()にだけは、この場面を見せてはいけない。

 そう思った矢先に、まさにその間桐桜(当人)が現れてしまった。

 凜は自分が神にでもなったのかと歯噛みした。

 自分が望まぬ事を実現してしまう、逆さ神とでも言うべき神だ。

 

「・・・・・・・・・やったの、姉さんですか?」

 

 虚ろな音。

 凜は空っぽの声が、自分に向けて発せられたことに気が付いた。

 そして、何も映っていない灰色の眼球もこちらに向けられている。

 その瞳の奥を覗き込んでも、何もなく。

 どこまでも暗く深い洞穴があるだけだ。

 

「っ!?」

 

 凜は本能的に『違うっ』という否定の声を真っ先に出さないといけないと悟ったが、自身に降り注いできた絶望の深さに戦慄して、何も答えられなかった。

 気持ち悪い汗で背筋がぐっしょりと濡れる。

 だが。

 

「まあ、どっちでもいいんですけど・・・」

 

 心の底から本当にどっちでもいいという念がぐしゃぐしゃに丸められて、ぎゅうぎゅうに凝縮されて、ポイッと放り投げられた。

 

「やっちゃって。ライダー」

 

 ス──―

 

「なっっ!?」

 

「何だと!?」

 

 桜の言葉と共に現れたサーヴァントを見て、凜も、その傍らにいるセイバーも驚きの声を発する。

 彼女達からしてみてれば、眼帯をした長身の女性を象ったその英霊は、間桐慎二に使役されていた筈だったのだから。

 

「・・・・・・よろしいのですか?桜」

 

 一方で、実体化したライダーのほうでも、戸惑い、或いは動揺を覚えているように凜には見えた。

 彼女を見たのは校庭での戦闘の時のみではあるが、その時の印象は感情を表には出さない機械のような印象だった。だが、今、その顔は自身の出現に驚く凜達には全く向けられておらず、当初の桜同様に衛宮士郎の亡骸に向けられている。

 眼帯に隠れて読み取り辛いものの、彼女の白い顔は心なしか蒼ざめているようだった。

 

「なんで、あなたがライダーを?」

 

 いずれにせよ、間桐慎二のサーヴァントであった筈のライダーが、こうして桜の指示を受けていることが想像の埒外の出来事だった。

 

「そう言えば、そこから説明しないといけないんですよね。もう、面倒臭いなあ」

 

「・・・桜。おそらく彼女達が衛宮士郎を害したわけではないでしょう。血の固まり具合からしても、特段の魔力反応がここ数分なかったことからも」

 

 青白い顔のままではあったが、ライダーは桜に疑義を呈する。

 

「・・・彼が・・・その・・・・・・死んでから、既にかなりの時間が経過していると考えられます」

 

 それはあなたもわかっているのではないのですか、とライダーは続けた。

 

「だから言ったじゃない、ライダー」

 

 桜は虚ろな目を、今度はライダーへと向けた。

 

「もう・・・ほんとに、()()()()()()のよ」

 

 感情の成分が微塵も含まれていない言葉を桜が(こぼ)した時だった。

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 ()()は、音もなく桜の隣に現れた。

 ちょっと瞬きをしたら、そこにありました。

 何か問題でもありますか?

 そんな具合だ。

 

「え?」

 

「なに?」

 

「なんだと?」

 

 ()()の存在に気づいた桜を除く三人は、各々戸惑いの音を発する。

 子供程度の背丈。

 そして黒い蛸のような造形。

 深夜ではなくても、車通りも人通りも少ない路上。月も隠れ、決して多くはない街灯の光だけが頼りであり、視界は良くない。

 しかし、()()()()()()()()ことを示す『黒』は、圧倒的な存在感、或いは()()()()()()()()()()()()()()()()、そこにおかしなものが確実にあるということを主張していた。

 

「あ、出てきちゃった。こうして実物を見るのは、初めてのような気もするけど」

 

 この場にいる四人の中で、桜だけが()()をあっさりと受け入れているようだった。

 

「・・・い・・・一体全体、その黒い蛸みたいなのはなんなのよ・・・」

 

 顔中に汗を浮かべて、凜が後退る。

 

「凜。あれは危険すぎる。逃げろ」

 

 殆ど無意識のうちに双剣を出現させて構えたセイバーは、緊迫した面持ちで己がマスターを庇うようにその前に出る。

 

「・・・私の見立てでは、あれが新都側で何度か発生していた昏睡事件の容疑者だ。そして、この世界のバグとでも言うべき怪異だ」

 

「・・・な・・・なんですって・・・?」

 

 凜はその異様さに戦慄しながら、その【影】の隣にいる桜に憂いの視線を向ける。

 

「桜。あなた、危ないわよ。早くそいつから離れなさい」

 

 混乱の色を隠せない凜は、素のままに注意する。

 ただの後輩である間桐桜に接する時に演ずるべき振る舞いを忘れて、妹に対する態度になっていた。

 

「えっと、セイバーさん・・・でしたっけ・・・」

 

 一方で、桜は凜の言葉に反応を見せず、赤い外套を纏ったサーヴァントをひたと見据えた。

 

「きっと、あなたの言うとおりなんですよね。これって要するに存在自体が間違いなんですよね」

 

「そうだ、桜。キミだって感じている筈だ。そいつの異常さに」

 

 セイバーは、普段の斜に構えた態度とは正反対の緊迫感を滲ませて、半歩、桜のほうへと近付く。

 

「早く、そいつから離れるんだ」

 

 セイバーの言葉に、凜も、そして桜のすぐ前に位置するライダーも同意を示すように頷く。

 

「・・・・・・あ~~~・・・・・・」

 

 だが、間桐桜は自分以外の三人が示す緊張感とは遥かにかけ離れた弛緩した声を漏らす。

 彼女にだけはその【影】に対する認識の仕方が大きく異なっているようだった。

 

「みんな、ひどいな。でも・・・・・・仕方ないんですよね。どうせ、嫌われ者なんだもの。いないほうが・・・・・・・・・・・・いいものなんだものね」

 

「・・・桜・・・あなた、何を言って・・・」

 

 そう呟く凜も含めて、三人は桜の異様な雰囲気を感じ取りつつあった。

 自分達は何か決定的に間違った認識をしているのではないか、そんな思いを抱きながら。

 

「でも、ほんとみんな勝手ですよね。今までは全然見えないみたいに無視してきたくせに。見えるようになったら、お前はいちゃいけないだの、いらないだの。言いたい放題」

 

 間桐桜は口元だけを吊り上げた笑みを浮かべて、曇天の夜空を見上げた。

 

 ──―ジジ──―

 

 彼女の動きに呼応するように、辺りには小さなノイズが走る。

 それは、雑音だったのか、実際に空間が歪んだのか。

 

「・・・・・・桜・・・・・・いけない・・・・・・」

 

 ライダーは己がマスターの明らかな異変を感じ取り、その手を伸ばそうとする。

 だが。

 

 ──―ジジジジジジジジジジジジ──―

 

 差し伸べられるライダーの手を拒絶するように、ノイズが濃くなる。

 発生源は、間桐桜とその傍らに佇む真黒(しっこく)の闇。

 凜の目には、その二つが同調して、外郭に断続的な歪みが生じているように見えた。

 ちょうど、テレビを放映時間外に見ると出てくる白黒の砂嵐のようなものが、桜に被さっているかのようだ。

 そして。

 

 ──―ザザザ──―

 

 【影】が桜を徐々に覆っていく。

 【影】と桜が一つになっていく。

 【影】が桜に、桜が【影】になっていく。

 

「「「!!?」」」

 

 異様な光景だった。

 であると同時に、三人には既にそれがなぜか納得のいくものでもあるようにも思えてしまっていた。

 

 ──―ザザザザザザザザザザザザ──―

 

「あ~~~~・・・・・・ほんとにもう・・・・・・どうでもいいや」

 

 漆黒のカーテンの向こうに見えなくなった桜の声が、心底どうでもいいかのように辺りに響き渡る。

 

「先輩のいない世界なんて・・・・・ほんとどうでも・・・・・・」

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◆◆◇◆◆◆◆◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 闇は晴れた。

 そして、新たな闇が象られた。

 カクン、と。

 間桐桜(それ)が、小首を傾げて問う。

 

この世界(ここ)って、なんか意味あるんでしたっけ?」

 

 少しずつ上げた桜の顔の半分には赤黒い蛭のような紋様が張り付いており、それは彼女の身体中を覆い尽くしていた。

 

「教えてくださいよ、姉さん」

 

 間桐桜だったものが、問い掛ける。

 ニコリと、見ようによっては朗らかとすら表現できる笑みを浮かべて。

 

「・・・・・・さ・・・桜・・・・・・あんた、一体どうしちゃったのよ・・・・・・」

 

「わかるわけないですよね。私の事なんか、すっかり忘れちゃって眼中に無かったひどい姉さんなんかには。あの間桐の魍魎の箱のような屋敷の中で、何が起きているかなんて想像もしなかったのでしょうね?」

 

 信じていたんですよ、と黒い桜は続ける。

 

「私のヒーローがいつかここから助け出してくれるって。でも、いつしか諦めてしまいました。姉さんはいつもいつも輝いていて。ああ、この人は私とは違う世界の生き物なんだって」

 

「・・・・・・これも、間桐の魔術ということなの・・・・・・?」

 

 姉妹(ふたり)の会話は擦れ違う。

 

「でも、良かったんです。あの人さえ・・・・・・先輩さえいてくれたなら。そう思うようになっていました。だけど・・・その先輩も・・・」

 

 桜の顔が虚空を見上げる。

 

「・・・・・・桜・・・・・・そんな・・・・・・」

 

 変貌してしまった桜を見るライダーの動揺は尋常なものではない。

 動揺。悔恨。焦燥。

 それらがいっしょくたになって、ライダーの白皙を埋め尽くしている。 

 

「・・・・・・・・・申し訳ありません・・・・・・【──―】」

 

 思わずというように、彼女の口から零れた謝罪。

 そして、その後に続いた三音。

 

 ジャッ!

 

 その三音に桜が反応した。

 

 ギュルルルル!

 

「あうっ!?」

 

 桜の足元から伸びた黒い影が、僅かな距離しか離れていなかったライダーの全身に絡みついた。

 

「なんでなのよ?なんでそこで、あなたの口からその名前が出てくるのよ?」

 

「え?」

 

 桜の言葉に、ライダーも困惑の色を見せた。

 

「全く、一体何なのよ。あのキャスターとかいうオバサンだってそう。私だけの先輩を取り上げて」

 

 ゾワゥ──―

 

「まさか、あなたまで先輩と関係があったの?」

 

 桜の足元の漆黒が広がり、影の帯に捕らわれたライダーの足元まで広がっていく。

 

「従者には、ちゃんと躾が必要よね」

 

「待ってください、桜っ!」

 

 全身の自由を奪われたライダーが必死に己がマスターに呼びかける。

 

「あなたも色々と私の目の届かないところで色々と調べていたらしいわね。お爺様がご立腹だったわよ」

 

 だが、桜はライダーの言葉には反応せず、言葉を連ねる。

 黒い帯はライダーのしなやかな上半身を余すところなく拘束していた。

 さらに、地面を伝って伸びた影がアメーバのように足元から絡みつく。

 

「う・・・動けない・・・」

 

 細身の女性ではあるが、【怪力】スキル持ちのライダーの膂力は決して低いものではない。

 だが、その彼女をして黒い帯の戒めを解くことはできなかった。

 

 ズズ・・・ズズズズ・・・

 

 そして、そのまま底なし沼に飲み込まれるようにライダーの足は黒い汚泥の中へと沈んでいく。

 

「あぐぅぅ・・・」

 

「・・・ちょ・・・桜・・・あんた何やってんのよ・・・ライダーはあなたのサーヴァントなんでしょ?」

 

 本来であれば敵であるライダーを案じることはナンセンスなのだが、凜は眼前で繰り広げられるこの異常事態に思わず前へ出ようとした。

 

「止せ、凜!あれに触れたらただでは済まないぞ!」

 

 セイバーは桜へと近付こうとした己がマスターの肩を掴んで静止する。

 

「うるさいなあ、姉さんは」

 

 ジャッ!

 

 心底煩わし気に呟いて、桜が左腕を軽く振るうと一本の黒い帯が凜へと迫る。

 

「なっ!?」

 

「ちぃっ!」

 

 ガッ!

 

 凜を庇うためにセイバーは咄嗟に彼女の前に出ると、右手に持つ白剣【干将】で伸びてきた帯状の影を弾いた。

 

「ぐぅっ!?」

 

 だが、セイバーは右腕を押さえて、その場に膝をつく。

 

「セイバー、大丈夫っ!?」

 

「つっ・・・いや・・・なんとか・・・大丈夫だ・・・」

 

 顔にじっとりと脂汗を浮かべて、セイバーが腕を押さえたまま立ち上がる

 

「な・・・なによ・・・それ・・・?」

 

 凜が指差した己がサーヴァントの右腕は、真っ黒に変色していた。

 

「呪いのようなものだな・・・なんというか・・・途方もなく不快で、重い」

 

 言いながらセイバーは桜に目を向ける。 

 

「癇に障る表現は止めて貰えませんか?」

 

 桜は冷たい眼差しをセイバーに返す。

 その左腕の周囲には弾かれた黒い帯がシュルシュルととぐろを巻くようにして漂っていた。

 

「退くぞ、マスター。今は対処の方法が全く分からない」

 

「仕方ないわよね」

 

 凜は一瞬、悔しそうな表情を浮かべたが、すぐに己がサーヴァントの言い分が正しいことを認めざるを得なかった。

 不可解なダメージを負ったセイバーの状態が問題というだけではない。

 ライダーは既に体の半分までが地面へと取り込まれている。不意を突かれたとは言え、サーヴァントがここまで成す術もなく一方的に人間にやられるなんて常識外れもいいところだ。

 今の桜が尋常ではないことは一目瞭然だった。

 

「覚えてなさいよ、桜!きっとあんたをとっちめてやるからね!」

 

 そう言いながらも、桜から視線を外さずに凜は、徐々に距離をとっていく。

 

「ええ、姉さん。いつでもどうぞ。お待ちしていますと言いたいところですけれど、この後、姉さんのお屋敷を私がいきなり襲撃するかもしれませんから、お気をつけて」

 

「っ!?」

 

「落ち着け、凜。今はここを離脱するだけでいい」

 

 徐々に後退した凜とセイバーは一定の距離をとったところで、身を翻してその場を立ち去っていった。

 

 

 

「さよなら、姉さん。姉さんの相手をするのは、また改めてということで・・・・・・」

 

 去っていく凜達の後ろ姿を見送った桜は、ライダーへと視線を向ける。

 

「・・・さてと・・・」

 

 ライダーの僅かに地表に出ている耳に、遠坂凜達が遠ざかっていく足音が伝わってきた。

 常にその面貌を覆っていた眼帯【自己封印・暗黒神殿】(ブレーカー・ゴルゴーン)が外れ、今、彼女の瞳は露になっている。

 とは言え、既に後頭部が黒い沼に没しており、顔は天を向いているため、その視界には分厚い黒い雲と、そこから落ちる雨雫が直接目に入ってくるだけだった。

 

「・・・く・・・」

 

 黒い沼に没している身体は動かそうとしても、動かない。そもそも自分の体があるのかどうかもあやふやな感覚になっていた。

 

「ライダー、安心してね。あなたはほんのちょっぴり、()()()()()()()()()()()()()()だから。そして、これまで以上に働いてもらう──―」

 

 桜はライダーに対して朗らかに告げてくる。

 しかし、ライダーの顔は既に耳も地中に沈んでおり、その語尾が聞き取れなくなっていた。

 

「・・・・・・申し訳・・・・・ありません・・・・・・」

 

 悔恨の念が込められた言の葉がその形の良い唇から絞り出される。

 天に向けられた彼女の双眸には、雨とは違う雫が浮かんでいた。

 

「・・・・・・私は・・・・・・また・・・・・・」

 

 ズズズ・・・

 

 全てを言い終えることもできず、ライダーの美貌が泥の中へと没していった。

 後には、黒い汚泥の沼が残るのみだった。

 

「本当に謝る必要なんてないのよ」

 

 桜は、ライダーが完全に地中へと沈んだことを見届けると、次に衛宮士郎の亡骸のほうへと歩み寄っていく。

 

「結局、誰が先輩をこうしたのかはわからないけど、確かに姉さんではなさそうだったわね。間違いなく聖杯戦争の参加者によるものなんでしょうけど」

 

 シュルルルル──―

 

 桜の手から複数の黒い帯が伸びていき、衛宮士郎だったものの全身を覆いつくした。

 

「こんな姿になっちゃったけど、せめてこれくらい・・・・・・独り占めにしたって」

 

 呟いた桜は、先輩の上半身(それ)を広げた両腕で抱きしめる。

 

「いいですよね?・・・先輩」

 

 何も映さない衛宮士郎の瞳は、間桐桜の穏やかで、虚ろな赤い瞳にひたりと捉えられ。

 やがて、その頭部は間桐桜の胸の中(やみ)へと。

 ゆっくり沈んでいった。

 

 

Interlude out

 

 



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第29話 ~当日③~ 「Prologue」

1月31日 未明









 C turn

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「畜生め!やっぱり追ってきやがるぞ!」

 

「ダメだ!向こうの船のほうが速い!」

 

「どうするんだよ!?イアソン!」

 

「クソッ!あんな女を連れ込むからこんな事になるんだ!」

 

 混乱した男達が口々に怒声あるいは罵声を喚き散らしていた。

 アルゴー船の乗員(アルゴノーツ)と呼ばれるこの彼らは、ギリシャ選りすぐりの英雄達である。決して弱くはないし、愚かでもない。多少の数の不利であれば、それを跳ね返すだけの力はある。

 だが、波濤の彼方からはこちらより大きなガレー船の船団が殺到してくるのが、はっきりと見えるようになっていた。

 その数5隻。

 いくら英雄達と言えど、多勢に無勢は否めなかった。天下に名立たる古今無双の英雄【ヘラクレス】が乗船していれば、もう少し落ち着いていたのかもしれない。だが、彼はこのコルキスに辿り着く少し前に船を降りたという話だった。

 

「父上は大層ご立腹でしょうね」

 

 追ってくる船団を指揮するのはアイエテス。

 コルキスの王であり、自分の父でもある。

 その姿はまだ見えないが、国宝である【金羊毛】を掠め取った私達に対して烈火のごとく怒り、血眼になって追ってくるのが目に浮かぶようだ。

 

「姉さん・・・・・・」

 

 不安げな視線でこちらを見上げてくる(アプシュルトス)の大きな瞳は、無垢な兎のそれのようだ。

 

「大丈夫よ」

 

 ええ。

 大丈夫。

 魔術を実現するには様々な道具、材料が必要になる。

 鉱石、草花、そして動物。

 材料を適切な状態にするためには、刃物を用いることもある。

 そのようなわけだから、私は刃物の取り扱いにも慣れているのよ。

 

「この国では人の体はとても神聖なもの。父上もさぞかしあなたを大切に思ってくれているでしょう。あなたも本望と言えるのではなくて?」

 

「・・・姉さん?」

 

 ズブリ・・・

 

 ごくごく当たり前のように。

 ほんの僅かの躊躇いもなく。

 弟の心臓には刃が突き立っていた。

 じっとりと私の素手は血に塗れ、生暖かくなっていく。

 

「・・・な?」

 

 それと反比例するように、もともと白かった兎の顔は血の気が失せて一層白くなっていく。

 

「さすがにこれで細切れにするのは、難しいかしらね」

 

 私は短剣をポイッと捨てると、詠唱を開始した。

 簡単簡単。

 詠唱は一音節。

 すぐに終わる。

 ・・・ああ・・・そうだ・・・

 この時の私は狂っていなどいなかった。

 自分のやっていることが、何を意味するのか充分にわかっていたのだ。

 

 グシャァッ!

 

 瞬く間に切り刻まれた肉片。

 今度はそれをポイポイッと海へとバラまいた。

 

「・・・っな!?・・・実の弟を!?」

 

「お・・・お前!一体何をしていやがるっ!?」

 

 先程迄だって充分に騒々しかった男達が、より一層騒然となっていた。

 どうしたというのだろうか?

 せっかくこの私が会心の策を思いつき、あなた達を助けてあげようというのに。

 あら?

 私だけの愛しい人。

 あなたまで、どうしてそんな目で見るのかしら?

 

(わたくし)、あなたのお役に立つでしょう?」

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 遠い記憶。

 確かなのに、ひどく希薄な記憶。

 だけれども、この私。

 【魔女メディア】という存在を象徴する出来事だった。

 その記憶が、胸の中が(やかま)しくなるくらいに、行ったり来たり。

 こんなことは現界してから初めてだった。

 いったい、今さらどうしたというのだろうか?

 

 ポツッ・・・

 

 何かが髪を軽く叩いた気がしたので、顔を上げる。

 

 ポツンッ

 

 見上げた黒い空から雫が落ちてきて、上を向いた私の顔に当たった。

 

「そう言えば、雨が降るっていう予報だったかしら」

 

 今朝のテレビで観た天気予報ではそもそも今夜早くから、雨が降るという話だった。完全に夜も更けたこのタイミングで降り始めたのだから、少し天気が持ち堪えたとも言える。

 そのテレビは誰と観ていたのだっただろうか?

 

 ザーーーッ

 

 ポツポツと落ちてきていた雨粒は左程の時間を要さずに、やがて大粒になり、そして本降りへと変わっていた。

 纏ったローブに水が浸み込んでいき、瞬く間に体に纏わりついて、重くなる。

 ああ、そうだ。あの可哀そうな少年と一緒に観たのだ。

 ひたすらに雨が打ち付けるアスファルトの道路を、フラフラと歩きながら思い出す。

 彼と過ごしたお(うち)は、どこにあったっけ?

 そんなことを考えながらも、霞が掛かったように思考が覚束ないままに私は歩き続ける。そう言えば、いつぞやもこんな風に独りでこの街の夜道をズルズルと歩いたような気がする。

 あれは随分と昔のことだったのではないだろうか・・・いや・・・本当はそんなことはないんだっけ?

 雨が鬱陶しいが、少し落ち着いて考えたほうがいい。 

 あの少年を失ったが大したことはない。

 元々ただのコマとして利用しようと思っただけなのだ。

 多少掘り出し物ではあったものの、それだけで勝ち抜けるほどこの戦いは甘くはない。

 

「・・・改めて策を練る必要があるわよね・・・」

 

 フワフワと現実感のない言葉が自分の口から洩れる。

 では、どうすればいいのだろうか。

 

「そう言えば、まだ・・・・・・」

 

 そうだ。

 聖杯戦争は始まってすらいないのだ。

 

 

 

 ギギィィ・・・

 

 気が付けば、あの土蔵の扉を開けていた。

 ここに至る途中には中庭が荒れていたり、外塀が崩れていたりしたが、どうしてああなったのだろうか。

 まあ、いいや。

 すっかり押し慣れた入り口付近にあるスイッチを押して、土蔵のランプを灯す。

 手前側が少年の工房、というよりも実質的には鍛錬のスペース。

 奥が私自身の工房になっている。

 そもそも魔術師の工房でこのように共用するような形になっていたのはイレギュラーだ。

 なぜ、こうしたのだろうか?

 狭くても、空いている個室はあった。土蔵を私だけの工房にして、彼のスペースなど他に移させれば良かったのではないか。

 いや、そもそも私はなぜこの屋敷に拠点を構えたのだろうか?

 当初は、この冬木で最高の霊脈を持つ場所へと向かっていた筈ではなかっただろうか?

 今更のように、不思議な思いが駆け巡る。

 だが、それは全て終わったことに過ぎない。

 

「・・・そうよ・・・もう、どうでもいいじゃないの」

 

 これからの事を考えなければ。

 現界してから20日と少しが経っただろうか。

 濃密な日々の中、様々な出来事がありはしたが、まだこの聖杯戦争は正式な開戦を迎えていない。

 あのイレギュラーな存在であるギルガメッシュを除けば、まだ、サーヴァントは7騎揃っていないのだ。

 であれば、

 

「ええ・・・・・・ええ・・・・・・この(わたくし)が始まりの狼煙をあげるとしましょうか」

 

 感情の籠らない虚ろな音が漏れる。

 ・・・まったく・・・どうしたというのだろうか?

 あやふやだ。

 本当にさっきから頭から足の先迄、いや、思考から感情(たましい)に至る迄の全ての自分が、まるっと自分でないかのようだ。

 

「あら、丁度いいものがあるわね」

 

 ふと視界に入った暖房器具(ストーブ)の傍に落ちていた()()を、何気なく手に取る。丁度良い具合に、今から遂行する仕事に最適な道具が見つかった。

 

 ザグ

 

 ()()を使って掌を切ると血が流れてくる。

 ヒタヒタと流れる自身の血を使って、私は土蔵の床に紋様を描いていく。円形の中には様々な図形と紋様が象られ、やがて魔方陣ができあがった。

 土蔵の奥にも似たような物が描かれてはいるが、あれはなんだったろうか?

 ふと疑問が浮かんだが今は気にしないことにする。

 急拵えの陣の出来は、お世辞にも上等と言える物ではなかったが、それもあまり気にならない。

 そうだ。

 グズグズしていては、他のマスターに先を越されてしまうかもしれない。

 早々にことを成さなければいけないのだ。

 

 カランッ

 

 使い終えた()()を何気なく陣の中心に落とす。これはもう使わないのだからこれでいい。

 

「えっと・・・詠唱は・・・」

 

 未だに思考が覚束ない頭から詠唱の文言を引っ張り出し、口は機械的に言葉を紡ぎ始める。

 

「──―素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

 降り立つ風には壁を。

 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。

 

 閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する──―」

 

 フワフワとした感覚のままに、詠唱をしていた私はふと、気になる事が脳裏をよぎる。

 

 ・・・そう言えば、朝食の献立を考えなければいけないのだったかしら?

 

 2週間余りの短い期間ではあったが、共に暮らすうちに自然と教わった料理の数々を思い出す。

 少し塩味の強いこの国の料理。

 でも、口にするとほっとする。

 全然、故郷の食事とは違うのに。

 ・・・・・・いやいや違う。

 もう、その料理を振る舞う相手はいないのだ。

 忘れよう。

 それよりも、召喚の詠唱を続けなければいけない。

 

「───告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。

 

 誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者。

 

 汝三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──―」

 

 淡々と、惰性で並べただけの一連の言葉(プロセス)が漸く最後まで至る。

 ああ、本当に億劫だった。

 一体全体、なんのためにこんなことをしていたんだっけ?

 早くシャワーを浴びよう。

 現界してから知ったあの道具は素晴らしい。

 ドロドロの汚泥を頭から被っているような、心と体(いま)をきっとすっきりさせてくれるだろう。

 そんな、召喚者の取り留めもない思考に忖度することなく、

 

 ボウッ・・・

 

 鈍い光の中にシルエットが浮かび上がる。

 光はゆっくりと晴れていき、やがて中にいた人影がはっきりしてくる。

 やがて。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?

 

 私はその存在が何であるかをわかってしまった。

 えっと・・・たぶん。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 今、呼吸とかちゃんとできているだろうか?

 私が停止している。

 だが、同時に、心と思考が刹那のうちにくっきりと鮮明になる。

 心の泥を落とすのに、シャワーなんていらなかった。

 

「・・・サーヴァント、アサシン。召喚に応じて参上した・・・」

 

 こちらの心情などお構いなしに。

 ()の最初の言葉は発せられる。

 それはお決まりの口上だ。

 くだらないかつてのマスターに召喚された時、私も似たような事を言った気がする。

 だが、

 

「・・・・・・あんたが、オレのマスターか?」

 

 その声を聞いて、つくづくと思ったのだ。

 どうして?

 と。

 

「真名は・・・いや、なんかこの言い方は気障ったらしくてヤダな・・・」

 

 どうして、私の人生はいつも呪われているのかと。

 呪い?

 呪いってなんだっけ?

 ああ。

 それは、私だ。

 私のことだ。

 私自身が呪いなのだ。

 そんなこと、とうの昔にわかっていた。

 私という存在は、もはや【コルキスの王女メディア】ではなく、この世界で凝縮された概念としての【魔女メディア】なのだから。

 

「オレの名前は・・・・・・【衛宮】」

 

 たとえ、そう諦めたとしてもやはり思ってしまう。

 深い深いため息とともに。 

 なぜ?

 と。

 ・・・・・・ああ・・・・・・

 なぜ私はいつも。

 

「・・・・・・【衛宮士郎】だ」

 

 ・・・・・・いつも・・・・・・間違えることしか出来ないのだろうか。

 

 

 

 

 



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第30話 ~当日④~ 「改戦」

1月31日 未明









 C turn

 

 

 ほの暗い土蔵の中。

 様々な想念に囚われて、私はただただ立ちつくしていた。いったいどれくらいの時間そうしていたのかはよくわからない。

 だが、ずっとこうしているわけにはいかない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 すんなりと。

 決してすんなりと受け入れたわけでもなく。

 まだ、現実として固定化されたわけでもなかった。

 だが、なんとなく目の前の光景が事実であることも、諦めのような感情と共にしっかりと理解できた私。

 改めて彼の風体をつぶさに確認する。

 以前と同じように、背丈としては私よりも少し高いくらいで、この国の一般的な男性としては少し低め。

 服装は見慣れたカットソーにジーパン。

 違いと言えば羽織っているコートがショートコートではなく、見慣れない黒のロングコートであり、顔つきがやや引き締まっていて多少精悍さを感じさせることくらいだ。

 

「・・・あれ?」

 

 目の前に立つ、あの少年・・・いや、あの少年と殆ど同じ風体の【サーヴァント】が首を傾げた。

 

「ひょっとすると・・・あんたもサーヴァントじゃないのか?聞いた話では魔術師のマスターに召喚されるから、そいつのサーヴァントとして戦う事になるって聞いてたんだけど・・・」

 

 マスターである筈の私がサーヴァントであることに戸惑っている。

 そして、彼が現れてから私がただの一言も発していないことも訝っているようだ。

 当然だろう。

 

「・・・えっと・・・ちょっとは喋ってくんないかな?こっちも結構・・・いや、凄く慌てててるんだ。なんか色々と()()()()()みたいなんだよ」

 

 彼の表情が心底、困ったようなものになった。

 

「・・・・・・悪かったわね。少し驚いていただけよ。(わたくし)があなたの・・・・・・マスターで間違い無いわ」

 

 漸くの事で、私は口を開くことができた。

 眼前の少年が戸惑いを露わにした事が、私自身の混乱を鎮静化する材料にもなったのかもしれない。

 

「あなたは、そう・・・ア・・・アサシンのサーヴァントよね。私もそのつもりで召喚したわけだし」

 

 実際には、それすら曖昧なままに召喚を試みていた。

 まだ召喚されていないクラスがアサシンだった事をぼんやりと認識していたに過ぎない。

 

「ああ。一応、クラスとしてはアサシンだな」

 

「そして、あなたも察しているとおり、私もサーヴァントよ。キャスターのね」

 

「そうだよな。まあ、魔術師のクラスなんだからサーヴァントがサーヴァントを召喚することもできるってことか。なんか裏技っぽいけどな」

 

「ええ。イレギュラーなのは間違いないわね。でも、戦力という点では優位になるでしょう」

 

「・・・えっと・・・本来ならそうなるわけだよな・・・」

 

 少年はバツの悪そうな表情を浮かべて、頬をぽりぽりと掻いた。こういう自然な仕草は全くと言っていいほど、以前の彼と変わらない。

 それにしても、彼の先程からの言葉はどこか曖昧で、自信なさげなものが多い。

 どういうことだろうか?

 

「本来なら?」

 

「あいや、さっきも言ったろ。上手くないって」

 

「本調子じゃないということなの?」

 

「そういうことになるかな」

 

「具体的には何がどう調子が悪いのかしら?」

 

「えっと、先ずは記憶が曖昧というか抜け抜けというか・・・ぼんやりとしているというか、そんな感じだな。自分が生前どんな事をしてきたのかあまり覚えてない」

 

「・・・・・・・・・そのようね」

 

 少なくとも目の前の少年が私という存在が誰であるかを認識できていないことは、間違いなかった。

『忘れてしまった』のか、あるいはこの【衛宮士郎】がそもそも私の事を『知らない』のか、どちらなのかはわからないが。

 

「だからなのかもしれないけど、自分が何をできるかもよくわからないんだ」

 

「自分の戦い方がよくわからない、ということかしら?」

 

「・・・め・・・面目ない。多少の魔術が使えることくらいはわかるんだけど、それだけじゃ全然戦力にならないってこともわかるんだ。サーヴァントとして召喚されたんだから、もっと色々できる筈なのに」

 

 困り果てたような顔をしながら、目の前の少年は深々と頭を下げてきた。

 

「いいわ」

 

 私はそんな彼の一挙手一投足に意識を捕らわれながらも、言葉を返す。

 

「え?」

 

 顔を上げた少年は、あまりにもこちらがあっさりとその事態を受け入れたことに却って戸惑いの色を浮かべた。

 

「会話をしたり、訓練をすることで自然に思い出すこともあるでしょう。私の魔術も役に立つかもしれないわ。色々と試してみましょう」

 

 この【衛宮士郎】が、私の知っている【衛宮士郎】なのかは定かではないが、彼の素養はわかっているのだ。彼自身が自分のスタイルを覚えていないことなど、私にとっては些末な問題に過ぎなかった。

 そう。

 この異常事態とは比べるべくもない。

 

「そうか。いや、こんなこと言ったらめちゃくちゃ怒られるんじゃないかってビクビクしてたよ。『この役立たず』ってな具合で」

 

 心の広いマスターでほんと良かった、と続けた少年は心底ほっとしたように、安堵の表情を浮かべて改めて(こうべ)を垂れてきた。

 

「いったん居間に移動しましょう。あなたの状態の確認や、この聖杯戦争の現状について、落ち着いて共有したほうがいいから」

 

 顔を上げて屈託のない笑顔を見せる赤毛の少年に向けて淡々と告げながら、私は土蔵の扉を出る。

 

「・・・付いて来て頂戴・・・えっと・・・アサシン」

 

 正直、まだどんなふうに彼と接したらいいのかよくわからない。

 

「なんか、色々と気を遣ってもらって悪いな」

 

 彼は頷いて、大人しく私の後に続いた。

 

 パシャッ

 

 雨でぬかるんだ地面に足を踏み出すと、ローブの裾が汚れた。

 だが、元々ここに来るまでにローブは雨によって、濡れ雑巾と化し、裾はとっくに泥だらけになっていた。

 簡単な水除けの魔術でコーティングすれば、そんな事にはならないのに。

 ここに至る道中、いつもであれば、殆ど無意識にやっていることさえ忘れてしまっていたのだ。

 そんな事を思いながら、玄関の灯りが点いたままになっている母屋に吸い寄せられるように歩みを進める。

 そして。

 後ろからは死んだ筈の・・・いや。

 私が殺してしまった筈の【衛宮士郎】がついてくる。

 おかしな状況だった。

 

 ・・・・・・だとしても・・・・・・

 

 私はこの時。

 全てを受け入れることにした。

 ただ一つの事を除いて。

 

 

 

「これはまた、なんとも珍妙な」

 

 突如として横合いから、随分と聞き慣れてしまったあの独特の低い声が届いてきた。

 

「なんだ、あんたは?」

 

 後ろから付いてきていたアサシン、【衛宮士郎】が警戒を露わにして、私の前に出た。

 サーヴァントとして、マスターである私を守ろうとする構えだ。

 もっとも、生前の彼であっても同様の動きをしただろう。落ち着かせるために、その肩に手を置いた。

 

「この屋敷付近で被害が発生した様子だったので、事態を収拾するために慌ててここまで出向いて来たわけだが・・・」

 

 つかつかとその男、言峰綺礼は崩落した外壁を乗り越えて敷地内へと入ってくる。

 

「・・・ああ、ひょっとしてあんたがこの戦いの監督役ってやつか?」

 

 聖杯からひととおりの知識を与えられている少年が確認した。現界したばかりの彼からすれば、知識と事実の合致を少しずつ体感していきたいところだろう。

 

「うむ。そのとおりなわけだが・・・」

 

 この神父の口元の片方だけを吊り上げる笑みを何度か見ているが、今回のニヤニヤ笑いは、いつにも増して皮肉めいた色合いが濃かった。

 

「いやはや本当に稀有な体験をさせてもらえるものだな。監督役など、正直厄介極まりない仕事ではあるが、このような奇怪な出来事と遭遇できるのは、或いは役得とすら言えるのかもしれん」

 

「あなたからすれば確かに奇妙な状況でしょうね」

 

「そうだな」

 

 頷きながら、神父は(ふところ)から金属製の円盤のようなものを取り出した。

 

「これは霊器盤と言ってな。我々監督役がサーヴァントの召喚状況を観測する道具だが」

 

 こちらに向けた面には、7つのクラスを表す意匠がぐるりと配置されている。そして、それぞれの傍らに小さな蒼い炎が灯っていた。

 

「3時間ほど前にセイバーのクラスが召喚された」

 

 そう言って、神父の指は剣を模した意匠をなぞる。

 

「そして、つい先程唯一残っていたアサシンのクラスに最後の火が灯ったわけだ」

 

 続いてその指は、骸骨のような意匠の上へと移動した。

 

「・・・ええ。あなたの目の前にそのサーヴァントがいるわね」

 

「まさか現代人が・・・サーヴァントとして現界するとはな。だが、元の衛宮士郎はどうしたというのだ?まさか、生贄にでもしたのか?」

 

「・・・・・・・・・」

 

 思わず私は返答に詰まった。

 神父はさして深い意図もなく発したのであろう言葉は、限りなく真実に近かった。

 

「現代人だって?」

 

 神父の言葉にアサシン【衛宮士郎】が反応する。

 自分の名前はわかっているが、具体的に何者であるかわからない彼からすれば興味を惹かれる話だろう。

 

「うん?どういうことだ?お前は自分が何者であるかわかっていないのか?」

 

「どうやら、そうらしいな。まあ、召喚されたばかりで記憶が混濁してるだけだとは思うけどな」

 

「これはまた、さらに混み入った状況だな」

 

 神父が私を一瞥すると、目を細めた。

 

「細かい話は私にもよくわからんから、後でそこのキャスターに聞けばよかろう。要するに、彼女がお前のマスターなのだろう?」

 

 私が知っているのは、と神父は続ける。

 

「私はお前と数日前に会って、会話をしている。人間としてのお前とな」

 

「どんな目的で会ったんだ?」

 

「お前は正式なマスターではなかったが、この聖杯戦争に関わっていた。正確にはまだ戦いは始まってはいなかかったがな」

 

「それで?」

 

「どうということはない。私と多少の情報交換をしただけだ。私はお前と数えるほどしか会っていない、これ以上の話は特にないな」

 

「そうか」

 

「確認しておきたいのだが、この屋敷の外壁はなぜ破壊されたのだ?」

 

「あなたが教えてくれたギルガメッシュというサーヴァントと戦闘になったわ。その影響よ」

 

「ふむ」

 

 神父が考え込むように、顎を撫でて下を向いた。

 

「いずれにせよ、これで今回の聖杯戦争における全てのサーヴァントが揃ったわけだな」

 

「そういうことになるかしらね」

 

「それでは、いよいよ聖杯戦争の正式な開戦だ」

 

 神父の重低音が奏でる言葉は本来ならそれなりに重みを持っているものなのだろうが、私にとっては今更さしたる意味を持たない宣言だった。

 だが、これにより本格的に動く陣営もあるだろう。

 

「この屋敷で起きた事案の後始末も含めて、私は仕事に取り掛からねばならないからな。これで失礼する。主従仲良く、聖杯を求めて精々励むことだな」

 

 

 

 Interlude in

 

「ただいま〜。戻ったぜい、バゼット」

 

「『ただいま〜』じゃないっ!!」

 

 ゴッ!

 

「どわっ!?」

 

 青い服に全身を包んだ偉丈夫、ランサーは超高速でかっ飛んできた椅子を、すんでのところでしゃがんで避けた。

 ドアに激突した木製の椅子が砕けて、パラパラと髪の上に降ってくる。

 

「い、いきなり何しやがるっ!?」

 

 頭を抱えてしゃがみ込んだ状態、威厳の欠片もない姿勢ではあったが、アイルランドの大英雄クー・フーリンは脊椎反射で己がマスターに苦情を申し立てた。

 魔力の籠らないただの物理兵器?であるため、サーヴァントである彼がダメージを負うことはないが、明確な害意が込められた攻撃だったのは確実である。

 

「一人でどこに行っていたのですかっ、ランサーっ!いつ開戦するかもわからないこの状況でっ!」

 

「あいや、ちょっと散歩に」

 

「ふざけないでくださいっ!」

 

「んなこと言ったって、あんただってこの前一人でノコノコとうろついてたじゃねえか?しかも、見事に敵とカチ合っていやがったし」

 

「あの時はまだ、あなたが万全じゃない時だったから仕方なかったのです。情報収集だってしておかなければ、後手後手に回り兼ねないのですから」

 

「だったら、今回のオレだってちゃんと仕事してきたんだから、別にいいだろう」

 

「だからっ!今は私もあなたも問題ないのですから、二人で行動するって、話していたでしょうがっ!」

 

「ああ、わかったわかった」

 

 降参するようにランサーは両手を挙げて、立ち上がると、わざとらしくぱんぱんと埃を被った服を払う。

 

「ったく・・・親に置いてきぼりにされたガキじゃあるまいし」

 

「あなたに緊張感が無さすぎるんです」

 

「そうかね」

 

 アイルランドの英雄は正面に仁王立ちになっている赤毛の女に薄く開いた片目だけで見据えた。

 

「で、何がわかったんですか?得るものがあったのでしょう?」

 

 そう言うと、バゼットはランサーのその視線を逸らすように身を翻して、部屋の奥に向かう。

 通常よりはやや広いツインルームの奥には小さなテーブルと二脚の椅子が設られており、バゼットはそこに腰掛けた。

 当初拠点としていた双子館がアーチャーの襲撃により破壊された後は、拠点を特定されないよう幾つかのホテルを転々としている。

 

「そう、急かすなよ。世の中、順番ってもんがあるだろ」

 

 ランサーは飄々と応じながら、小型冷蔵庫を開くと中から缶ビールを取り出した。

 

「っ!?」

 

 それを見たバゼットの怒気が膨れ上がりかけるが、辛うじて堪えると何も言わずに黙ってテーブルの上に置いた手を組んだ。

 

「ぷはーっ!やっぱ、うめえな。こっちの酒は。この刺激が喉にビンビンくるぜ」

 

 プルトップを開けたランサーが一気に中の琥珀色の液体をぐびぐびと飲んで、満足気に頷いた。嚥下の時間から推測して、500ml缶の中身は既に殆ど空っぽだろう。

 

「あなたの世界では、いわゆるエール酒もまだなかったのですよね?」

 

 諦めたようにバゼットは、ランサーのペースに乗ることにした。

 

「ああ。出回っていたのは専ら蜂蜜を原料にした酒だったな。あれはあれでいいんだけどな。こっちのほうが苦みがあってガツンとくる感じがいいな。もうちょいアルコールっぽさが強いほうがいいけどな・・・・・・と、ほらよっ」

 

 言いながら、冷蔵庫からさらに2本の缶ビールを取り出したランサーがそのうち1本をバゼットに放り投げる。

 

「っと」

 

 バゼットが飛んできた缶を片手で受け止めた。

 

「んな難しい顔ばっかしてると折角の美人が台無し・・・・・・いや、とにかくあんたも飲みな。景気づけってやつだな」

 

「景気づけもなにもあなたは毎日浴びるように飲んでいるでしょうが。濃い酒がいいなら、スコッチをお勧めします」

 

 反駁しながらも、バゼットも止むを得ず缶を開ける。

 

「色々と面倒はあるが、自分の生きた時代とは全然違う世界を体験できるんだぜ。とことん楽しまなくちゃな。さあて、つまみ、つまみっと」

 

 と、今度はコンビニのビニール袋を漁り始めた。

 

「ん?」

 

 その様子を呆れながらも静観していたバゼットが訝る声を漏らした。

 

「ランサー。なんの景気づけなんですか?」

 

「決まってるだろ。戦争のさ。まあ、オレらの戦いは実際にはあの日に始まってはいるんだけどな」

 

 『あの日』とは、双子館で金色(こんじき)のサーヴァントと遭遇し、そして惨敗した日に他ならない。

 

「と言う事は全騎揃ったわけですね」

 

「ああ、多分な」

 

「それが先ほど言っていた収穫ということですか?」

 

「そうだな。川の向こう側をうろついていたら、派手な魔力のぶつかり合いを感じたんでな。様子を見に行ってみたら、この前あんたが殺し損ねたって言ってた坊主に会ってな」

 

「ああ、衛宮士郎ですね」

 

「そうだ。そいつがついっさきまであの薄笑い金ぴか野郎とセイバーのサーヴァントが戦っていたって教えてくれたわけだ」

 

「成程。セイバーが召喚されたわけですね」

 

「そうみたいだな。確かあのクソ神父と出会った時、まだ現界していないのはセイバー、アーチャー、アサシンの3騎って話だったんだろう?」

 

「ええ。私の見立てではその後遠坂もサーヴァントを召喚しているようですね」

 

「アーチャーがあの金ぴか野郎だったわけだから嘘ついていたと仮定すれば、坊主の言っていたセイバーが最後の一騎ってことになる」

 

「遠坂陣営がセイバーを召喚したということは?」

 

「オレは丁度、遠坂邸の様子を窺っていたんだが、そっちには動きがなさそうだったからな」

 

「ということは、遠坂のサーヴァントはアサシンということになりますか?」

 

「そういうことになりそうだが、実のところあのクソ神父の言ったことなんか信憑性はねえからな」

 

「その点は何とも言えませんが、実際、私達を襲ったあのアーチャーが、本当のアーチャーなのかという疑念はありますね」

 

「そうだな。あいつが10年前からいたってんなら、今回のアーチャーが別にいてもおかしくはねえ」

 

「そうですね。サーヴァントは8騎いるかもしれないことを想定しておくべきでしょう」

 

「だとしても、開戦したとみなしたほうがいいことに違いはないだろ」

 

「はい。これからはその前提でいきましょう」

 

 こくりと頷いたバゼットは、飲みかけていたビールを一気に喉の奥へと流し込む。さらに、持ったままのアルミ缶を、ぐしゃりと握り潰した。

 

「・・・厳しい戦いになるでしょうね」

 

 神父の正体が露見したことで、情報源が限られることになったバゼット達は情報の入手が覚束ない状態となっている。だが、あの金色のサーヴァントの存在、そしてアインツベルンが召喚したバーサーカーが強力であるらしいこと。

 それだけでも充分脅威だ。

 

「だろうな。さっき見かけたキャスターは、どうってことなさそうだったがな」

 

「ああ。私も柳洞寺の下で、少しだけ見ましたね。対峙していたライダーのほうが優勢でした」

 

「一方で、あの坊主・・・衛宮士郎か。あいつ・・・」

 

「殺したのですか?」

 

「いや、素直でいい奴だったからな。今回は放置しておいた」

 

「そうですか。まあ、あまり脅威になるとは思えませんからね」

 

「そうか?どうもキャスターとは上手くいってない様子だったが、あの坊主、なかなか気骨があるように見えたぜ。頭も悪くない」

 

「一度、直接対峙しました。多少特殊な魔術も使っていましたが、半人前もいいところでした」

 

「以前はそうでも、わからねえぞ。あの手の(やから)は化けるもんだ。『男子三日会わざれば刮目して見よっ』てやつだな」

 

 そう言ってランサーはビール缶を眼前に掲げて、目を細めた。

 探るような眼光がバゼットを射抜く。

 

「なあ、バゼット」

 

「どうしたのです?」

 

「お前、何のためにこの戦いに参加してるんだ?」

 

「・・・何を・・・いまさら・・・」

 

「組織に命じられた仕事だから、か?」

 

「当たり前です。それ以上でも以下でもない。任務だから、遂行するまでです」

 

「そうかい」

 

 つまらなそうに応じたクー・フーリンは、先程のバゼット同様にビール缶を傾けて中の液体を全て喉へと流し込む。

 

「・・・バゼット。お前さんは(よえ)えよ」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 バゼットは己が強さを充分に知っている。

 しかし、祖国の英雄の指摘が何を意図しているのかは理解していた。

 黙って、そのまま次の言葉を待つほかに、彼女にできることはなかった。

 

「・・・・・・このままじゃ・・・・・・間違いなく死ぬぜ。我が主(マイ・マスター)

 

 

 

 Interlude out

 

 












直近三話は大きな転換点を迎えるエピソードだったため、雰囲気を壊さないようにということで、後書きを控えました。
長い前置きが終わり、これから戦いが本格化していく予定です。
徐々に迫ってくるストック切れに戦々恐々としています・・・






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第31話 ~当日⑤~ 「世界で一番ながい夜」

1月31日 未明








 E' turn

 

 

 ガララ

 

「お上がりなさいな」

 

 オレのマスターであるキャスターが玄関の戸をスライドさせて、一緒に中に入るよう促してきた。

 監督役の神父が立ち去った後、半壊していた外壁をキャスター(マスター)が魔術で可能な限り修復してから、この母屋へとやって来たのだ。

 

「と、(わたくし)が言うのも、おかしな話なのだけれど。ここは、あなたの家なのだから・・・・・・正直、勝手が狂うわね」

 

 彼女はそうぼやく。

 少しばかり険のある表情が向けられているが、こっちはこっちでドギマギしたりする。

 召喚された時、眼前にいた彼女が美人なのはわかっていたが、明るいところで見ると一層際立つ。

 少しシャープな輪郭と透き通った肌に、藤色?とでも表現すればいいのだろうか、水色混じりの紫の目と髪。全てに吸い寄せられそうになる。

 

「ほんと、すまない。でも、確かになんか落ち着くな。ここ」

 

 彼女に目を奪われながらも、取り繕うようにしてそんな言葉を返す。

 

「多少なりとも記憶に引っかかるところでもあるかしら?」

 

 と、廊下を歩きながら確認してくるが、

 

「いや、わからないな」

 

 期待に添えず残念ではあったが、正直にそう答えた。

 

「・・・そう」

 

 彼女の声音が少し沈む。

 

「あいや、でもほんとに懐かしい感じはするよ」

 

 その落胆した様子を見て、慌ててフォローする。

 

「無理しなくてもいいのよ。ゆっくりと思い出していけばいいわ」

 

 ザッ

 

 そんな風にこちらを労わりながら、彼女が障子戸を開く。

 

「・・・あ」

 

 いわゆる昔ながらの広い居間。

 大きな座卓が中央に据えられ、左側には台所があり、正面には襖が並んでいる。

 その光景を目にしたオレは、思わず声を上げていた。

 

「どうしたの?・・・・・・何か思い出したのかしら?」

 

 そう問いかけてくるその声には、期待と不安、その両方が()()()()になっているような気配がある。

 

「すまない。思い出したってわけではないんだけど・・・」

 

 そう。

 決してそういうわけではない。

 それでも、何故だか・・・

 

「・・・・・・ここは・・・・・・凄く大事な場所なんだって、そんな気がする・・・・・・」

 

 

 

「どうぞ、お飲みなさいな」

 

 座布団に正座して、部屋の様子をぐるりと見回すオレの前に湯呑みが置かれた。中に入ったお茶からは、ほかほかと湯気が立っている。

 

「ああ、ありがとう、マスター。今度からはオレがお茶くらい淹れるから」

 

 実際のところ、現状全く勝手がわからないため、何から何までキャスター(マスター)におんぶに抱っこ状態だ。

 

「これじゃあ、召使い(サーヴァント)としても失格だよな・・・」

 

 嘆息しながらも、ふうふうと息を吹きかけてお茶を啜った。

 うん。

 普通の緑茶だ。

 緑茶の味が感じられるし、緑茶の味がする。

 

「お茶の淹れ方はわかるのかしら?」

 

「当たり前だ。そこまで馬鹿にしないで欲しいな」

 

「そうは言ってもねえ、どう戦えばいいのかもわからないのよね?」

 

「いや、自分が魔術師の端くれだってことくらいはわかってるから、魔術で戦うことになるのはわかっている。アサシンっぽさは欠片もないけど」

 

「そうね。あなたは投影と強化が使える。特に投影についてはかなりの使い手だったわ。物凄く限定的な範囲ではあったけれど」

 

「マスターとは共闘関係にあった。そして、オレは単独行動の最中で何者かに殺されたって話だったよな?」

 

 あの神父が去った後、人間だった頃のオレの状況をキャスター(マスター)は教えてくれていた。

 

「・・・え・・・ええ・・・そうよ・・・」

 

「仕方なく残っているアサシンを召喚するっていうイレギュラーなことをしたら、オレが召喚されてしまったと」

 

「ええ。私としても誰が召喚されるわからなかったわ。他のマスターに先を越されないうちに召喚しようと思って、焦っていたから」

 

 オレが召喚された直後の彼女は暫くの間黙ったままで、全然反応がなかった。

 あの時はその態度に不安にさせられたが、それだけ彼女にとっては驚きだったわけだ。まあ、死んだと思っていた相手が、いきなり復活したようなもんなのだから当たり前とも言える。

 

「いやあ、ありがたいよ。オレはあんたの助けにならなかったって事だろ?その借りを返すチャンスをくれたわけだしな」

 

 生前のオレは彼女の助けになると心に決めたにもかかわらず、開戦前にお陀仏になるというなんとも情けない結果に終わったわけだ。今回は、ちゃんと役に立たないといけない。

 

「・・・助けにならなかった・・・なんてことはないわよ・・・(わたくし)はあなたに救われたわ・・・」

 

 正面に座るキャスター《マスター》が、何事かを反芻するかのように虚空に目を彷徨わせる。

 生前のオレと彼女が出会ってから半月余りの間で何があったのか、まだ詳しく聞いたわけではない。その辺はこれからおいおい教えてくれるだろう。

 

「・・・ふう・・・」

 

 彼女は湯呑みを両手で抱えたまま、下を向いて大きく息を吐いた。

 

「だいぶ疲れているみたいだな、マスター」

 

 こうして話をしていても、彼女はどこか虚ろでぼんやりとしているのが感じられる。

 

「ええ、確かにそうね・・・色々とあったから・・・本当に・・・」

 

 彼女はゆっくりと目を瞑るとしばらくそのままの姿勢で動かなくなった。

 大まかに聞いた話だけでも、この半日で凄まじく状況が変わったことが窺い知れた。

 セイバーの召喚、ギルガメッシュの襲撃、オレが死に、そして・・・オレが召喚された。

 魔力の消耗だけではなく、精神的にも負荷がかかっている筈だ。

 綺麗な姿勢で正座をしている彼女を見ると、どうにも無理をしているようにも思える。言葉遣いや振る舞いからして、元々かなり気丈な性質のようだが、張り詰め過ぎるタイプのようにも思えた。

 

「見物がてら、屋敷を一回りしてくるよ。だいぶ広そうだからな」

 

 そう言って、立ち上がる。

 オレがここにいては却って寛げないような気がするので、少し外すことにしたのだ。

 

「好きにしなさい。あなたの家なんですもの」

 

 そう返された言葉には、どこか安堵したような響きが感じられた。

 

 

 

「懐かしさを感じる気はするんだけど、やっぱり初めて見るところばかりなんだよな・・・」

 

 都合よく体が覚えているというわけでもなく、普通に扉を開けて一部屋一部屋を中の様子を確認して回った。

 

 ガララ

 

 母家内を回った後に、外に出る。

 空を見上げると、僅かに暗さが和らいできており、夜明けが近いことが感じられた。

 何気なく正面に見えた立派な造りの門をくぐって、通りに出る。

 すると。

 

「・・・な・・・なんじゃと・・・!?」

 

 左手方向から驚きを含んだ声が聞こえてきた。

 

「ん?」

 

 そちらを見ると、20m程先に一人の老人が驚きの表情を浮かべて立ち尽くしていた。

 刻まれた皺などを見るに、既に齢80は超えているだろう。元々小柄なうえに、杖を突いているため一層小さく見える。

 こんな時間に、こんなご年配がなぜここにいるのか?

 

「・・・こ・・・小僧・・・お主、死んだ筈では・・・?」

 

 この言葉でその正体が垣間見えた。

 

「っ!?」

 

 警戒を強めて、オレは改めて老人に相対する。

 

「・・・お前っ、魔術師だな?」

 

 生前のオレの状況を知っていて、こんな時間にこの屋敷の近くをうろついているのだ。聖杯戦争関係者と考えるのが自然だ。

 

「・・・ぬ?・・・・・・いや・・・・・・違う」

 

 老魔術師はこちらの警戒態勢などお構いなしに訝っていたが、それと同時に何事かに気が付いた様子だった。

 

「お主、よもや・・・」

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 詠唱して、オレは右手にナイフを創り出した。

 なぜなら、眼前の老魔術師・・・いや、()の顔に醜悪な笑みが浮かんだからだ。

 こいつは何か仕掛けてくる。

 

「・・・アサシンのサーヴァントじゃな。しかも、出来損ないじゃのう」

 

 ブワァァァァァァァァァァァァ!

 

「なっ!?」

 

 老人の体が一瞬にして散り散りになった思ったが、それは分裂したと表現したほうが良かった。先ほどまで形成されていた人体は既にそこにはなく、何百もの蟲が替わりに現れたのだ。

 そいつらは翅を震わせて中空に止まっており、ブンブンと羽音がうるさい。

 

『千載一遇とはこのことよ!』

 

「それが、お前の正体ってわけか?」

 

『くくく』

 

 嘲るような念話が蟲の群れから発せられると、

 

 ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!

 

 一勢にオレ目掛けて殺到してくる。

 

「くそっ!」

 

 まとわりついてきた蟲達に対してナイフを振り回すと、何匹かには当たり地面に落ちた。それらはビチビチと気持ち悪い音をたててのたうっているが、それを悠長に観察する余裕は欠片もない。

 屋敷の外壁沿いに後退しながら、間断なく襲ってくる蟲達を切り払っていく。

 

『貴様は所詮、紛い物のサーヴァントに過ぎん。本物を喚び出すための生贄となって貰うぞ』

 

 生贄だと?

 何を企んでいるんだ、こいつは?

 

 ズザザザッッ!

 

「なにっ!?」

 

 蟲達の言葉に思考が割かれた瞬間だった。

 

 ドッ!

 

「がっ!?」

 

 オレはアスファルトへと叩きつけられていた。

 辛うじて顔から地面に突っ込む直前に、腕で受け身を取ることはできたが。

 何が起きたかわからず足元を見ると、数十もの芋虫のような奴等がオレの足を絡め取っていた。

 羽蟲だけでなく、地を這う蟲達もいたのだ。

 

「ぐっ!?動けないっ!」

 

 足を動かそうにも、そいつらは周囲から瞬く間に集まってきて夥しい数に増えていった。

 

「くくくっ、他愛もない。とても、サーヴァントの水準には達しておらぬわ」

 

 羽蟲達が集まってきて、老人の上半身を象った。

 

「キャスターめの動きが怪しかったので様子を見に来たが、思いもかけぬ僥倖よ!」

 

 ブシャァッッッ!!

 

 宙を待っていた何匹かの羽蟲達が突然弾けて、自壊した。そこから噴き出した夥しい鮮血がオレの体にかかり、そして、周囲にその血が円形の紋様を浮かび上がらせた。

 それは、先程オレが召喚された時に地面に描かれていた魔方陣と酷似している。

 

「さてさて、何十年ぶりになるのか・・・本当に久方すぎて、詠唱を間違えてしまわないか心配じゃのう」

 

「・・・これは・・・まさか・・・」

 

 オレは奴が何をしようとしているかに気がついた。

 

「―――素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」

 

 下卑た嗤いを髑髏のような面貌に張りつかせて、半身の蟲使いが言葉を紡ぎ始める。

 

「―――降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 ボウッッ

 

 オレの足元にある蟲達の血で描かれた魔方陣が、淡く、そして青い光を発し始めた。

 

「―――閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 

 生贄。

 つまりオレを触媒にしてサーヴァントを喚びだそうとしているのだ。こいつは。

 

「繰り返すつどに五度。ただ満たされる(とき)を破却する」

 

 そんな事させてたまるか。

 

強化(トレース)開始(オン)

 

 オレは手にしたナイフを強化する。

 ただの鉄製の道具に過ぎなかった刃物に、これで魔力が込められる。

 これなら、()()()()()()()()()()()()()

 

「マスターッ!何の役にも立てなくてすまないっ!!」

 

「ぬっ!?」

 

 オレは手にしたナイフを逆手に持つと、自分の心臓、サーヴァント的な表現をするなら霊核へと一突きする。

 つもりだった。

 

 ザァァァッッ!

 

「ぐっ!」

 

 だが、オレの腕は数多の羽蟲に絡め取られて目的の場所にまで到達することが出来なかった。

 

「躊躇なく自害しようとは、なかなかに思い切りおる。その辺りはさすがは衛宮の小倅。尋常ではないの・・・じゃがな・・・」

 

 ザグザグザグザグザグザグッッ!!!

 

 オレの両腕は、まとわりついた羽蟲達の鋭利な翅によって瞬く間に切り刻まれていく。

 

「がああああっっっ!!!」

 

 激痛が全身を駆け巡り、ぼとりとオレの2本の腕が地に落ちた。

 

「これで自ら命を絶つこともできんのう」

 

「畜生めぇぇぇっっっ!!!」

 

 絶叫したオレは、そのまま舌を噛み切ってやろうと考えた。

 だが、それを寸でのところで思い止まる。

 性質(タチ)の悪いことにそれぐらいでは死ねないのだ。サーヴァントというやつは。

 

「・・・何て無意味な体なんだ・・・」

 

 思わず口から絶望が漏れる。

 力はただの半人前の魔術師。

 そのくせ、敵にとっては都合のいい媒介物。

 あまつさえ、死ななくちゃいけない場面で、死ぬこともできない。

 このままオレの中から奴のサーヴァントが生まれ落ちたら、間違いなくキャスター(マスター)を殺しにかかるだろう。

 

「カカカッ。告げる」

 

 嘲りるように蟲が嗤う。

 まだだ。

 オレの目は、落ちた自分の手に握り締められたナイフを捉えた。

 幸いと言うべきか、その刃先は天に向けられている。

 

「―――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄る辺に従い、この意、この(ことわり)に従うならば応えよ」

 

 あれに目から落ちれば一撃で死ねる!

 

「―――誓いを此処に。我は常世(とこよ)総ての善と成る者、我は常世(とこよ)総ての悪を敷く者」

 

 詠唱はクライマックスに向かっている。

 急がなければ。

 オレは思い切り上半身を反らせた。

 芋蟲達によって足を地に固定され、膝をついている状態だ。確実に目から脳を貫くためにはかなりの勢いが必要だ。

 

「―――汝三大の言霊を纏う七天」

 

 いけっ!

 

「―――抑止の輪より来たれ、天秤の・・・」

 

 残された唯一の希望であるその鋭く尖った一点に向けて。

 オレは右眼から突っ込む!

 その刹那、

 

『―――ここに戻って来なさい!!坊やっ!!!』

 

 悲鳴のような叫び声が頭の中で木霊した。

 

 カッ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 すると眩い白色の光が弾け、

 

「――――――え?」

 

 白い襖に囲まれており、木張りの天井、大きな座卓の上には湯呑み茶碗。

 オレは片膝立ちの状態で、見覚えのある部屋にいた。

 滴り落ち続けている両腕からの流血が、忽ち緑色の畳を赤く染めていく。

 

「・・・ま・・・間に合った・・・」

 

 震えと、そして安堵がいっしょくたになった女性の声が、その場に漂った。

 目の前には、微かに光を発している左手を突き出した状態で、キャスター(マスター)が立ち尽くしていて、そして。

 その整った顔は、蒼白になっている。

 一体、何が起きたんだ・・・?

 

 ズグゥッ!

 

「がぁぁぁぁぁっ!?」

 

 オレは腹に激痛を覚えて、思考を中断される。

 視線を下に向けると、あろうことか()()()()()()()()()()。それはやけにゴツゴツとして骨っぽい。

 

「坊やっ!?」

 

 叫んだキャスター《マスター》だったが、

 

「お前っ!本物のアサシンねっ!」

 

 言うが早いか、

 

 ガッ!

 

 彼女はオレの腹から突き出した黒い腕を、右手で掴む。

 腹から出るオレの血がその黒い腕と、キャスター(マスター)のグローブを濡らす。

 

「塵になりなさいっ!この子は渡さないわっ!!」

 

 叫ぶようにキャスター(マスター)が魔術を発動させると、繋がった二つの腕を眩い紫色の光が包み込む。

 

 ザァァァァァァァ──―

 

 あっという間だった。

 オレの腹から突き出してた黒い腕が、炭化した紙が灰になるように粉々に霧散していった。

 

「・・・消えた?」

 

 それだけでなく、オレの腹の中から生まれようとしていた得体の知れない何か。おそらく黒い腕の本体も完全に消え失せていくのが実感できた。

 老魔術師(あいつ)がオレを媒介にして召喚しようとしていたアサシンのサーヴァントは、殆ど現界する寸前だったのだ。それをキャスター(マスター)が止めてくれたのだ。

 

「うぅ・・・」

 

 僅かに呻き声を上げたキャスター(マスター)が右腕を押さえて、その場に(うずくま)る。

 

「マスターッ!?」

 

 オレの窮地を救ってくれたキャスター(マスター)だったが、その右手首から先がなくなっていた。あの黒い腕を塵にした魔術の影響が、自身にも余波として伝わってきたのかもしれない。

 

「・・・ぅ・・・だ・・・大丈夫よ。この程度、すぐに治せるから・・・」

 

 痛みに顔を歪めながらも、キャスター(マスター)が笑みを浮かべた。

 オレも彼女も畳に膝をついた状態になっており、目線が同じ位置になっている。

 

「それなら早くその腕を・・・」

 

 彼女の顔が思いがけず近くにあったことに慌てながらも、早く自分の治療をするよう促す。

 

「いいえ、あなたが先よ」

 

 キャスター(マスター)はオレの意見を否定しながら、残った左腕をこちらに差し出してきた。

 

「え?」

 

「令呪をもって命ずる」

 

 彼女がつけている黒いグローブの奥の掌が仄かに発光する。

 直接は見えないが、そこに令呪があるのだろう。

 

「ちゃんと治しなさい。その身体を」

 

 令呪が秘める収斂された魔力による強制と促進。

 それがオレの身体に流れ込んでくるのを感じる。すると、失くなっていたオレの両腕が形成され、腹に開いていた大穴が塞がれていく。

 あっという間だった。

 痛みも流血も嘘のように消え失せていった。

 

「・・・す・・・すごいな・・・」

 

 痛みと、そして両腕がない不自由さから解放されて、オレは思わず嘆息した。

 だが、

 

「ひょっとして、さっきオレがここにいきなり戻って来られたのも・・・令呪のお陰なのか・・・」

 

「ええ、そうよ。でも・・・」

 

 キャスター(マスター)が厳しい視線をオレの後方の空間に向けた。

 

「今はまだ、のんびり話をしていられないわねっ!」

 

 言うが早いか、彼女は立ち上がるとオレの横を通り過ぎて、障子戸を開ける。

 

 ガシャァァッ!

 

 硝子の割れる音が廊下に響き渡った。

 

 ブォゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!

 

 大量の羽蟲達が割れた硝子戸から雪崩れ込んで、こちらへと向かって来る。

 

『ぬぅぅぅ。口惜しいわっ!あと一息というところで、邪魔しおってぇぇぇ!』

 

 オレを触媒にしてサーヴァントを召喚しようとしたあの蟲の老魔術師だ。

 突如として消えたオレを探しながら追ってきたのだろう。

 

「それはこっちの台詞よ」

 

『キャスター風情めがぁぁ!貴様などただの聖杯の供物に過ぎんというのにぃぃぃぃぃぃ!』

 

 怨嗟の声と共に廊下を埋め尽くした蟲達が殺到する。

 

「五月蠅い蟲ね」

 

 オレの眼前に立つキャスター(マスター)の背中が、冷たく吐き捨てる。

 

「あなたも跡形も無くしてあげるわ」

 

 ゴウッ!

 

 黒い風でできた檻がオレたちに向かってきた全ての蟲達を閉じ込めた。

 ブンブンと響いていた喧しい音が消え、無音となる。

 

『なんじゃとっ!?』

 

「この程度の力量でサーヴァントに喧嘩を売ってくるなんて、なんて間抜けなのかしら」

 

 ズシャャャァァァァァァッッッッッッッッッ!!!

 

 渦巻いた風の刃が檻の中にいた全ての蟲達をズタズタに切り刻んでいった。奴らはミキサーの中に放り込まれた玉ねぎのように細切れにされる。

 

『おのれぇぇぇ!弱小とは言え、やはりサーヴァントかぁぁぁっっっ!』

 

 全ての蟲を斃したかに思われたが、あいつの声がどこからともなく聞こえてきた。

 

「逃がすと思っているの?」

 

 キャスター(マスター)がその腕を一振りすると、窓の外に残っていた一匹の羽蟲に細い紫色の閃光が伸びた。

 

『ぎゃあぁぁぁ!』

 

 断末魔と思われる悲鳴があがり、今度こそ辺りが静かになる。

 

「・・・終わったか・・・?」

 

「どうかしらね。あの手合いは何が本物だかわからないから。最後のも擬態だと思ったほうだいいでしょうね」

 

 キャスター(マスター)が無表情に頭を振ると、何事かを詠唱して失ったままになっていた右手に左の掌をかざした。流石にすぐに治癒できるというものではないらしく、顔を歪めたまましばらくその体勢のままだったが、やがて完治したようだった。

 感触を確かめるように右の掌を開いたり、閉じたりする。

 先程の彼女が言っていたとおり、その手が本当に治ったのを見て、オレは心底安堵する。

 

「そうだな。芋虫みたいな奴らもいなかったし」

 

 おそらくあの老魔術師には核となる蟲がいるのだろうが、それを潰せたのかは全く判別がつかなかった。

 

「とは言え、私に歯が立たないことは十分にわかったでしょう」

 

「そうだな。逆にオレはあの程度の魔術師にすら負けちまうようなサーヴァントだってことだな・・・」

 

 この短時間で、オレはどれだけキャスター(マスター)に迷惑をかけたことか。

 

「本当に済まない。令呪だって二つも使わせちまって・・・」

 

 ギチリ

 

 歯ぎしりしてオレは俯いた。

 

「・・・・・・」

 

 無言のままキャスター(マスター)がこちらを振り返ったのが気配で感じられた。

 

「あいつがオレを触媒にしてサーヴァントを召喚することがわかったってのに」

 

「何をしようとしたの?」

 

「別に何も。召喚が成立する前に、投影したナイフで死のうとしたんだけど・・・それすらできなかった・・・」

 

「・・・そう・・・」

 

 その声は、思いの外すぐ近くから聞こえてきた。

 顔を上げると、目の前にキャスター(マスター)の顔があった。

 その左手がオレの頬に触れる。

 治療したばかりのその手はグローブに覆われておらず、指先からひんやりとした温もりが伝わってきた。

 真正面にある彼女の澄んだ瞳が、オレの視線を捕らえて離さない。

 

「令呪をもって命ずるわ」

 

「なっ!?」

 

「二度と自害しようだなんて思わないで」

 

 頬に置かれた彼女の左手が輝く。

 そして、絶対に逆らえないとわかる強制力のある言葉がオレの全身に流れ込んでくる。

 じんわりと浸透したその言葉の暖かさ。

 それが、令呪による強制なのか、それともそれ以外の何かなのかオレにはわからなかった。

 

「全て私のミスなのよ。気に病む必要はないわ」

 

 変わらない透明な表情で、事も無げに彼女は言う。

 

「・・・そ・・・そんな筈はないだろう。全部、オレが役立たずだったからじゃないか!?」

 

 こんなポンコツサーヴァント(自分で言うのも虚しいが、これほどしっくりくる言葉もない。)のために、貴重な令呪を三画全て、しかも僅か数分の間に使い切ってしまうなんて、無駄使いもいいところだ。

 

「いいえ。そもそも結界がギルガメッシュの襲撃で(ほつ)れていたのに修復していなかったのが、問題だったわ。それに、あなたの異変に気付くのが遅れてしまったのも」

 

 そのうえ、と続ける。

 

「あなたが自害しようとすることなんて、簡単に想像がつくのに、前もってそれを止めなかったのもね」

 

「いや、そんなの無茶苦茶・・・」

 

 なおも反駁しようとしたオレの言葉は、いきなりせき止められた。

 流れるように動いたキャスター(マスター)の左の人差し指が、オレの唇に押し当てられたのだ。

 なな・・・!?

 

「ごめんなさい。ちょっと・・・疲れちゃったわ」

 

 彼女の細い体がふわりと無造作にオレに預けられた。

 

「え?」

 

 思った以上に軽い彼女の身体と、その柔らかな感触に戸惑う。

 

「・・・・・・ああ・・・・・・」

 

 その白く透明な顔が横を向く。

 オレも吊られて彼女の視線を追うと、ガラス窓の向こうの外が明るくなり始めていた。

 

「・・・夜が明けそうだな・・・」

 

 さっきから思いも寄らないキャスター(マスター)の言動に、オレはパニック状態だ。

 気の利いた表現など思いつかず、見たままのごく当たり前の言葉しか出てこなかった。

 

「・・・そうね」

 

 彼女は眩しそうに目を細める。

 徐々に存在感を増していく朝日。

 その光を浴びたオレの腕の中に収まっている存在は、キャスターのサーヴァントだ。姿、形はどうあれ、歴史に名を馳せた英傑の筈だった。

 だが、今はひどく脆く、儚い。

 この(かいな)に少しでも力を籠めたら、あっさり砕け散ってしまいそうなくらいだ。

 

「・・・・・・ながかったわ・・・・・・」

 

 そんなガラス細工のような彼女の口から、濃密な言葉が零れてくる。

 その一言には、凝縮された想いが詰め込まれていたのだろう。

 召喚されたばかりのオレには想像もつかなかったが、そこに籠められた気持ちがとてつもなく深く、複雑であることだけは伝わってきた。

 

「・・・・・・本当に・・・ながい・・・ながい夜だったわ・・・・・・」

 

 紡がれた万感の念は濃い霧のようで。

 しばらくの間、冷たい廊下に揺蕩(たゆた)っていた。

 



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第32話 ~当日⑥~ 「とある襲撃者」

1月31日 午後








 E' turn

 

 

「何から何まで助かるよ、マスター。魔術の手解きまでしてもらっちゃって」

 

【マウント深山商店街】と言われる屋敷から程近い商店街を歩きながら、オレは何もない隣の空間に向けて語り掛ける。

 

『構わないわよ。あなたに強くなってもらうのは、(わたくし)自身が生き残るためでもあるんですもの』

 

 今は姿が見えない状態となっているキャスター(マスター)が念話で返事をしてくる。

 穏やかに晴れた午後1時過ぎの通りにはまばらながらも一定の人通りがある。

 オレはこの商店街ではだいぶ顔が知られているので、知らない女性を連れていると興味本位で声を掛けられるかもしれないという話だったため、キャスター(マスター)は霊体化しているのだ。

 

『正直、まさか魔術回路の正しい起動方法まで忘れている・・・というよりは、わからない段階だったなんて思いもしなかったけれど』

 

 キャスター(マスター)の口調には呆れたような響きが含まれていた。

 無理もない。

 

「前のオレにも同じように教えてくれたんだったな?」

 

『ええ。さすがにあまりの二度手間感に眩暈を覚えたわ。そもそも魔術回路の起動方法なんて初歩の初歩だもの』

 

「うう・・・ほんと、すいません・・・」

 

 両手に買い物袋を提げたオレは、首だけを項垂れて虚空に謝意を示した。

 召喚されてからこっち、キャスター(マスター)はオレに対して寛大だ。

 その領域は神だとすら思えるくらいに。いや、実はオレの本当の母親なんじゃないかって思ったりもするが、本当の親ならむしろここまで優しくはないかもしれない。

 でも、『この子』だとか『坊や』だとか言っているくらいだから、あながち・・・などと、取り留めもなく、ぐるぐると思考が回る。

 

『でも、前のあなたと比較すれば鍛錬後の疲労度が大きく違うわ。サーヴァント自体が魔力の塊みたいなものだから、それを行使すること自体は自然で、大きな負荷はかからないから』

 

「その分だけ早く上達できるってことか」

 

『そうよ。この午前中だけで投影も強化も私が知っているあなたの水準には達しているわ』

 

「それなら良かった。お陰で少しは戦力になれそうな気がしてきたよ」

 

『そうね。人間だった頃のあなたは、抜きん出たという程では無かったにせよ、確かな戦力だったわ。私との連携や戦い方の相性も良かったし』

 

「とにかくマスターを守るために、全力を尽くすよ」

 

『・・・ありがとう・・・』

 

「早いところ、あの妖怪爺(ようかいじじい)に負けないくらいにはならないとな」

 

 つい半日ほど前の出来事を強烈な悔恨の念と共に思い出す。

 あれは、本当に情けない有様だった。

 仮にもサーヴァントが、一介の魔術師に手も足も出なかっただけではなく、結果的にキャスター(マスター)に令呪を全て使わせてしまったのだ。

 ・・・本当になんでこんな役立たずの状態で、オレは英霊として召喚されたのだろうか・・・

 

『・・・だけど、あなたはサーヴァントとしての特質を殆ど備えていないわ。霊体化もできないし、アサシンの有用な特性である【気配遮断】も全く使えないでしょう。魔力量だって人間だった頃に比べて多少マシという程度だわ』

 

「うう・・・本当にごめんなさい・・・」

 

『だから、とにかく無茶しないようにして頂戴』

 

「わかった、わかった。無茶はしないよ。オレだって別に進んで死にたいわけじゃ・・・」

 

『坊や、前っ!』

 

 突然、キャスター(マスター)が切迫した声を発した。

 

「え?」

 

「こんにちわ、お兄ちゃん」

 

 邪気のない子供の声がオレの耳に飛び込んできた。

 前方を見やると、ちょこんと両膝を抱えて年端もいかない銀髪の少女が座り込んでいた。きらきらと輝く赤い瞳は、無邪気さと同時に幼い子が持つある種の残酷さも孕んでいるようにも見える。

 

「子供?」

 

『見た目に騙されないで。彼女はバーサーカーのマスターよ。名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン』

 

 キャスター(マスター)が忠告してくる。

 

「なんだって?こんな子供も聖杯戦争に参加しているのか?」

 

「・・・え?・・・どういうこと?・・・」

 

 オレが戸惑う一方で、眼前の少女が訝る様子を見せた。

 

「お兄ちゃん、私のこと忘れちゃったの?」

 

「・・・あ、いや・・・これには色々とオレにもよくわからない複雑怪奇・・・かもしれない可能性もあるんじゃないかと考えている事情があったり、なかったり・・・」

 

 眼前の少女、イリヤスフィールが露骨に落胆した様子を見せたので、しどろもどろになってしまう。

 それに、こんな子供が敵だという話もあっさりとは受け入れることもできていない。

 

『それ、何言っているのかさっぱりわからないわよ』

 

 うう・・・すいません・・・

 呆れたキャスター(マスター)のツッコミが耳に痛い。

 

『彼女は日中なら仕掛けてこらないとは思うけれど、一応警戒しなさい。霊体化したバーサーカーも近くにきっといるわ』

 

 ああ、とオレは小さく頷いた。

 バーサーカーが高名な古代ギリシャの英雄【ヘラクレス】だという話は聞いていた。

 今、そんな奴とぶつかったらオレ達が勝てる見込みは極めて低い。

 

「記憶喪失ってやつ?・・・ううん・・・そもそもなんかおかしいわ」

 

 警戒態勢を強めるこちら(サイド)には一切頓着せずに、イリヤスフィールはじっとオレを見つめて考え込んでいる。

 そもそもなんでオレはこの子に『お兄ちゃん』なんて呼ばれているのだろうか?

 ぱっと見が違い過ぎるので、本当の兄妹ではないのはさすがにわかる。だとすると、かなり仲の良い間柄だったのか?でも、キャスター(マスター)の口ぶりからすると、敵同士であることは確実だよな。

 

「あれっ?」

 

 両膝を抱えて座ったような姿勢を解いて、ぴょこんとうさぎのように跳んで立ち上がった少女はオレの顔を間近で覗き込んできた。

 ・・・近い・・・

 

「お兄ちゃん、人間じゃなくなっちゃってるじゃないっ!?」

 

「・・・それって敢えて人を傷つけるための言い回しになってないか・・・?」

 

 少女の圧に押されて、少し上半身を仰け反らせながら抗議した。

 

「なら言い直すわ。お兄ちゃん、サーヴァントになっちゃったの?」

 

「確かにオレはサーヴァントです。人間だったオレは昨夜死んじまったらしい」

 

「そうすると、マスターは・・・」

 

 イリヤスフィールはオレの後方の空間に視線を彷徨わせた。

 

「・・・まさか・・・」

 

 見えてはいない筈だが、オレの先刻の様子から霊体化しているサーヴァントがいることは察しているのだろう。

 

「・・・いいえ・・・それしか考えられないわ。キャスターに召喚されたのね?」

 

「・・・さ・・・さあ・・・どうでしょうかねえ・・・」

 

 あっさりと言い当てられて、焦ったオレはぽりぽりと頬を掻いた。

 顔中に冷や汗が浮かんでいるのが自分でもよくわかる。

 実際にはカマを掛けられているのかもしれないが、最初からこの少女のペースに巻き込まれてしまっており、うまいこと誤魔化す術が思いつかないのだ。

 

『・・・あなた、こういう駆け引き全然ダメね・・・』

 

 キャスター(マスター)があからさまな溜め息をついた。

 

「・・・そ・・・そもそもキミはなんでこんなところに来たんだ?その様子からすると今ここで戦おうってわけじゃないんだろ?」

 

「当たり前よ。前にも言ったけど、聖杯戦争は夜にやるものよ。私はお兄ちゃんとお話ししに来たの」

 

「お話?」

 

「さっきからの様子だと忘れちゃってるんでしょうけど、明るい時にお話ししようって言ったじゃない。あの時は二人きりのほうがいいって言ったけれど、どうせキャスターもいるんでしょうから、バーサーカーは連れてきたけどね。コトミネも正式な開戦宣言していたし、油断はできないもの」

 

「そうだったのか・・・どうも召喚されたはいいけど、なんて言うか記憶喪失気味なんだ。本当にごめんな」

 

 実際には『忘れている』のか『知らない』のか定かではないが、90度の角度に体を曲げて、誠心誠意謝罪する。

 この少女が素朴にこちらを生前のオレと結び付けて認識している以上、こちらも自分自身の手落ちとして受け止めるべきだろう。

 

「ううん。ちょっと残念だけど、気にしないでいいわよ。私もあの時は軽い気持ちで言っただけだったし」

 

 銀髪の少女はにっこり笑いながら、ふるふると首を振る。

 

「それで、こんなところで何をしてたの?」

 

 きょろきょろと周囲を見回す。

 

「食事の買い出しだよ」

 

「これからご飯を食べるの?」

 

「ああ。なにせマスターに世話になりっ放しだからな。少しはお返しがしたくて」

 

『私も一緒に作るって言ってるでしょう』

 

 キャスター(マスター)が抗議してくるが、ここは譲るつもりはなかった。

 

「いや、今回はオレが作る」

 

『・・・んもう・・・仕方ないわねえ。まあ、坊やのお料理が食べられるのは嬉しいのだけれど・・・』

 

「ふふ。じゃあ、私もご一緒させてもらうわ。お兄ちゃんのお料理、食べてみたいもの」

 

「『はい?』」

 

 思いも寄らない申し出に、オレとキャスター(マスター)の声(念話)がハモる。

 

「いいでしょ?」

 

 銀髪の少女はにっこりと無邪気そのもの、かつ威圧的な微笑みを浮かべた。

 

「さもないとバーサーカーをけしかけるわよ」

 

「『・・・・・・』」

 

 我々には抵抗の余地はありませんでした。

 

 

 

「うわあ!・・・これがお兄ちゃんちなんだ。純和風の家なのね。私、こういうの初めて!」

 

 廊下を()()()()と小走りで駆け抜け、居間へと入ったイリヤスフィールが心底楽しそうに部屋のあちこちを品定めする。

 

「・・・うう・・・どうしてこんなことに・・・」

 

 その様子を半ば茫然と見ていたキャスター(マスター)が、両手で顔を覆って嘆く。

 

「ああ、なんかおかしなことになっちまったな」

 

 オレは頭をぽりぽりと掻きながら、購入した食材をキッチンに並べていく。

 

「まあ、いきなり襲われるほうがヤバいわけだからこのまま平和的にやり過ごせれば御の字だよな」

 

「・・・調理中も、食事中も警戒したほうがいいわね。このお嬢さんの気紛れ一つで私達は終わるんだもの」

 

 イリヤスフィールの近くには、霊体化しているバーサーカーが控えているのだ。

 実体化して暴れ出したら、瞬く間にこの居間が半壊するだろう。

 午前中にキャスター(マスター)が張りなおしていた防御結界は、イリヤスフィール達が屋敷に入るときに一旦解除させられていた。

 

「いいえ、よくよく考えてみればこれは千載一遇のチャンスかもしれないわね・・・」

 

 何かを思い立ったのかキャスター(マスター)が俯き加減だった顔を上げる。その瞳には、なんというか昏く、(よこしま)な光が浮かんでいた。

 

「チャンス?」

 

「毒を盛るのよ」

 

「いや、それはちょっと・・・」

 

「・・・あああ・・・あなたの態度で間違いなくバレるわね・・・」

 

「食べ物をそういうことには使いたくないぞ」

 

「・・・そう・・・よねえ・・・」

 

 キャスター(マスター)は露骨に落胆して、ぺたんと座布団に崩れ落ちる。

 

「さっきから全部丸聞こえよ。むしろ感謝しなさいよね。万一他のサーヴァントがこの屋敷を襲撃してきてもバーサーカーが守ってくれるんだから」

 

 ジト目になった少女の赤い瞳が、オレ達を交互に見据えて詰ってくる。

 イリヤスフィールの言ってることにも一理あった。キャスター(マスター)は昨晩から魔力の消耗が激しいし、オレもまともな戦力としては数えられない現状だ。

 この状態で敵とは戦いたくない。

 

「バーサーカーってたしかあの有名なヘラクレスなんだったな?」

 

「そうよ。すっごく強かったでしょ?・・・ってそうか、それも覚えてないのよね?」

 

「申し訳ないが、そのとおりなんだよ」

 

「まったく・・・凜のセイバー・・・じゃなくてアーチャーも、ライダーも、お兄ちゃん達もまるで相手にならなかったんだからね」

 

「直接戦ったわけじゃなかったけれど、大袈裟ではないわ」

 

 実際にバーサーカーの姿を目の当たりにしているキャスター(マスター)がこう言っているのだ。伝説どおりの猛者なのだろう。

 

「そ。だから安心してね、お兄ちゃん。そんなことより、何を作っているの?どんな料理が出てくるのか物凄く楽しみ!」

 

「イリヤスフィールは・・・」

 

「言い辛かったらイリヤでいいわよ。お兄ちゃん」

 

「そうか?・・・それなら、えっと・・・イリヤはいつもどんなものを食べてるんだ?毎日、トリュフやキャビアが出てきたりしないだろうな?」

 

「それ、私が住んでる国とは違うところの料理よ。いつもはセラが私の国の郷土料理を作ってくれるわ」

 

「そっか、良かった。家庭の味ってことだな」

 

「家庭の味?っていうのが、いまいちわからないけど。私が普段食べてる物と比べたりしないから安心して。それで、何をご馳走してくれるのかしら?」

 

「手の込んだものは作る時間もないしな。ご馳走と言えるかわからないけど、和食メインにするつもりだ。とにかくあんまり期待しすぎないでくれよ」

 

 イリヤを満足させられなかったら、ブチ切れられてやっぱりバーサーカーに殺されるかもしれない。

 オレはハードルをなるべく下げるよう予防線を張りながらも、気合を入れて調理に勤しむことにした。

 

 

 

「美味しかった~!」

 

 サツマイモの炊き込みご飯、天ぷら各種、だし巻き卵、三つ葉とお麩のお吸い物といった品々を平らげたイリヤが満面の笑みを見せた。

 ・・・ほんとに、良かった・・・これで死なずに済んだ。

 調理者としては、本来その笑顔を見てこんな思いを抱いては不合格なのかもしれないが、偽らざる想いだった。

 

「良かったよ。なんのかんので凄いもんばっか食べてそうだったから」

 

「もちろん。素材自体の質や手のかけ具合とかで比べちゃったら、セラが作ってくれる料理のほうが上よ。だけど、お兄ちゃんの料理はなんか、ホッとするって言うか。優しいって言うか、そんな感じなの」

 

「それじゃ心はこもっているけど、味はダメみたいに聞こえるわ。とっても美味しかったわよ、坊や」

 

 キャスター(マスター)が頬を膨らませた。本気で怒っているようだが、可愛らしい。

 こんな顔はこれまで見られなかったので、新鮮だ。

 元々、彼女に食べさせてあげようと思っていたのだから、ご満足いただけたようで嬉しかった。

 

「ううん。そう聞こえたら悪かったわね。もちろん、味だって最高よ。何て言うか、細やかよね。こっちの国の料理だからって言うのもあるのかもしれないけど」

 

「坊やが作ったお料理だからよ」

 

 キャスター(マスター)が自分のことのように胸を張る。

 

「キャスターはずっとお兄ちゃんの料理を食べさせてもらってたの?自分では作らないのかしら?」

 

「う・・・最初は食べさせてもらってばかりだったけれど、最近は一緒に作ることが多かったわ」

 

「ふ~ん。じゃあ、今度はあなたの作った料理を食べさせてよ。審査してあげるわ」

 

「なんで、あなたに審査されなくちゃいけないのよ」

 

「自信ないのね?」

 

「うぐ・・・それは・・・」

 

 キャスター(マスター)が苦しい顔になる。

 

「・・・でも、私だって坊やに教わってだいぶ上手くなったのよ。だいたいあなたはどうなのよ?箱入り娘なんだから、どうせ作ってもらってばかりでしょうに」

 

「ええ、そうね。だから私も教わるわ」

 

「なんであなたに坊やが教えなくちゃいけないのよ!?」

 

「まあまあ、今度はみんなで一緒に作ればいいじゃないか」

 

 己がマスターの形勢不利を悟って助け船を出す。

 

「そうね」

 

「なっ!?なんでこの子と一緒に作らなくちゃいけないのよ!?」

 

「いいじゃない?私、もっとお兄ちゃんとお話がしたいわ。別にそこにあなたがいたって構わないわよ」

 

「・・・く・・・言ってくれるじゃない。まるで人をおまけみたいに・・・」

 

 キャスター(マスター)のこめかみにあからさまに青筋が浮かぶ。バーサーカーという天下無比の用心棒がバックに控えている。その意識がなかったら、この部屋は一瞬で火の海に没していただろう。

 

「・・・予め断っておくけど、オレの能力とかに関することは喋れないぞ」

 

「わかってるわよ。そんなことに興味ないし、面白くもないし」

 

「・・・き・・・興味ないですか・・・」

 

「お兄ちゃんみたいなへなちょこがバーサーカーに勝てるわけないじゃない」

 

「あう・・・」

 

 ぐうの音も出ない。

 正直、この半日で多少魔術の腕は上がったが、これでようやく普通の魔術師に近づいたという程度に過ぎないのだ。

 イリヤも具体的なオレの能力がわかっているわけではないだろうが、概ね察しているのだろう。

 

「そう言えば、あの金色のサーヴァント、ギルガメッシュだったかしら?あいつが夜中に襲ってきたって言ってたわね?」

 

「ええ。そうね」

 

「あれをやっつけたの?」

 

「いいえ、実際には向こうが勝手に立ち去ってくれたわ」

 

「あなた達だけで戦ったのかしら?」

 

「全ては教えられないわよ。私達は敵同士なのだから」

 

 キャスター(マスター)が曖昧な言い回しをした。

 多少の情報は与えてもいい、ということを醸し出したようにも聞こえる。

 

「そんなことは百も承知よ」

 

 イリヤがニヤリと笑った。

 先程までの少女の顔ではなく、アインツベルンの魔術師としての顔というやつになった気がした。

 

「坊やが召喚したセイバーが戦ったのよ。互角に近い状態に持ち込んでいたわ」

 

「それじゃあ、セイバーがなんとか退けったていうこと?」

 

「ええ。そんなところだけど、消耗が激しかったわ。坊やが死んでしまったことで、彼女も消えてしまったでしょうね」

 

「そんなことはないわよ」

 

「「え?」」

 

 キャスター(マスター)もオレも驚いた。

 

「私にはわかるの。セイバーはまだ、消えていないわ」

 

「なんでそんなことがわかるんだ?」

 

 ここまでの会話はキャスター(マスター)に任せてきたが、オレは思わず理由を問う。

 

「うふふ。乙女の秘密ってやつよ、お兄ちゃん」

 

 元のあどけない顔に戻った銀髪の少女が、ニコリと愛らしい微笑みを返してきた。

 

 

 

「それじゃあ、またねお兄ちゃん」

 

 玄関から外に出たイリヤが手をひらひらと可愛く振る。

 既にだいぶ日差しは傾いていた。

 自己主張がまだまだ控えめなその光が柔らかく少女を照らす。

 結局、セイバーがまだ現界しているという理由については、はぐらかされた。御三家と言われる聖杯戦争の代表格の家柄なのだ。様々な情報網を持ってるのだろうし、冬木の要衝となりそうな場所には使い魔も放っているだろうから、偶然に近い形で情報を得たのかもしれない。

 その後は、彼女の城での暮らしぶりについて、とめどなくしゃべり続けていたのだ。

 

「いっぱいお話を聞いてくれてありがとう」

 

 去り際、少しの間だけオレとキャスター(マスター)の間を交互にまじまじと見つめる。

 

「・・・最初はおかしいなって思ったけど・・・これもありなのかもって思えてきたわ・・・」

 

 小さくそう呟くと、銀髪の少女は弾むような足取りで門を潜っていった。

 

 

 

「・・・ふう、一難去ったな。お疲れ様、マスター。最初はどうなる事かと思ったけど」

 

「ええ。生前のあなたには敵意を強く持っていたけれど、今のあなたに対してはわだかまりがなさそうだったわね」

 

「何せ、復讐の相手であるオレは死んじまったわけだしな」

 

「お陰で、一度は諦めていた彼女と手を組むという選択肢が取りうる状態になったわ」

 

「そうか。それで、ある程度の情報交換に応じたわけか」

 

「そうよ。一定の誠意と成果を示して、多少なりとも交渉相手としての俎上に乗るようにね。少なくとも今、彼女と明確に敵対するのは自殺行為に近いもの」

 

「そうだな」

 

 イリヤが評したとおり今のオレはただの『へなちょこ』だし、キャスター(マスター)も魔力が充分ではない。

 

「すぐには仕掛けてこない、と思いたいな」

 

「その希望に縋らざるを得ないのが現状だけど」

 

 でもそうとばかりも言っていられないわよね、と彼女は続ける。

 

「次の手を打つことにしましょう」

 

 

 

 












「当日」がもう少し続きます。


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第33話 ~当日⑦~ 「閃紅」

1月31日 夜







 Interlude in

 

 

『私だ、凜。漸く最後のサーヴァントであるアサシンが召喚されたぞ。いよいよ聖杯戦争の開始だ。お前の力を存分に発揮するがいい。私も兄弟子として──―』

 

 つい先程、留守電が入っていることに気がつき、少女のすらりと伸びた指はその伝言を途中で切った。

 

「いよいよね」

 

 お気に入りの真紅のカットソーを着た少女、遠坂凜は湧き上がる高揚感を抑えるように静かに呟く。

 彼女の隣に佇んでいる赤い外套を纏った長身のサーヴァントが軽く頷いた。

 

「ふむ。そうだな。とは言え、これまでも充分に前哨戦があったから、今さらという感は否めないがな」

 

「ほんとよね。0次会が随分と賑やかだったわ」

 

 自分達が直接関わったものだけでも、キャスター、ライダー、バーサーカー陣営との遭遇。衛宮士郎の死。桜の変貌と、その桜に取り込まれていったライダー。そもそも慎二がライダーのマスターだと思っていたら、実際は桜だったというサプライズもあった。

 関わっていないものとしては、新都での度重なる昏睡事件に、双子館の半壊、穂群学園校舎の消失と枚挙に暇がない。

 自分達が把握していない戦闘や事件もきっとあるだろう。

 

「さてと、それでは当面の方針を聞こうか。穴熊を決め込んで漁夫の利を狙うかね?」

 

 自身のサーヴァントは口角を持ち上げて、その精悍な顔にニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 

「あんた、その嫌味ったらしい性格なんとかしなさいよね。友達いなくなるわよ」

 

 凜はジトリと()()()()()

 

「ご忠告痛み入るな。マスター」

 

「あたしがそんなことするわけないって、絶対わかってるんでしょう?そういうところ、ちょっと綺礼と似ているわよ」

 

「参謀役は敢えて常識的な選択肢を提示するほうがいい。特にキミのような果断な主君に対してはな」

 

「ああ、はいはい。そういうのいいから」

 

 凜は邪険にするように目を瞑ってひらひらと手を振ったが、再び開いたその瞳ははちきれんばかりの生気と闘志に満ち溢れていた。

 

「なんにせよ待ちに待った聖杯戦争。私が私であるために戦い、そして勝つのよ。その正式開戦。初手からそんな消極的でどうするのよって感じよね」

 

「血気盛んで何よりだ。マスター」

 

 赤のサーヴァントは目を細めて、己が主君を眩しそうに見つめる。

 桜が自身の妹であるという事は、既に凜から伝えられていた。

 今日の未明に、その桜の変貌を目の当たりにした時には、かなりの動揺を示していた。多少、尾を引くかと懸念していたが杞憂だったようだ。彼女は既にいつもの鮮やかさを取り戻している。

 

「だが、実際のところどうする?私の見るところ、現状はかなり複雑怪奇で、かつ中途半端という印象だぞ」

 

「確かにね。『複雑』の最たるものは、間桐家、それからキャスターね」

 

「そのとおりだ。間桐桜のあの変貌は一体何によるもので、今の彼女はどういう存在になっているのか。そして、消えてしまったライダーはどうなったのか、というのが間桐陣営の謎だな」

 

「桜がライダーの真の主だったという点までは、合点がいくんだけどね」

 

 慎二ではなく、桜がマスターだったということについては、凜は納得していた。そもそも魔力のない慎二が使役していたことがイレギュラーだったのだ。

 

「そして、もう一つは衛宮士郎という依り代を失ったキャスターが今どうなっているのか、だな」

 

「普通に考えればとっくに消滅していると思うんだけど、元々、あの二人は正式な主従関係ではなかったみたいだしね」

 

「まあ、曲がりなりにも男と女だ。そういう関係だったということは想像に難くないが、他にも魔力を補充する手段はある・・・もし、生き残っているとしたら、あの魔女であればやり兼ねんな」

 

「魂喰いってやつね」

 

「ああ。新都で発生していた昏睡事件の第一容疑者はキャスターだと私は睨んでいる」

 

「その言いぶりだと、あんた、ひょっとしてキャスターの正体がわかってるの?」

 

「いや、流石に材料が少なすぎる。単なる偏見の域を出ない。凜も似たようなものだろう」

 

 当初から凜はキャスターをいけ好かない女として見ている節があった。

 

「そりゃ否定できないわ。だいたいあの女ってば、なんて言うか如何にも大昔の魔女って感じで、しかもそれが()()()()()()()()なんだもの。めんどくさいわよね」

 

 何が楽しくてあんなことしているのかしら、と()()()。 

 

「・・・それはそれとして、『半端』のほうね。こりゃもう私達が得ている情報がねえ・・・イマイチ・・・なのよねえ」

 

「サーヴァントとマスターの組み合わせが判明しているのはバーサーカー、ライダーのみだからな。キャスターを一旦除外するとして、他の陣営がわからないな。正式開戦していない段階で、半分近くの面が割れていると考えれば御の字なのかもしれんがな」

 

「要するに御三家しかわかってないってことなのよねえ。あ、そう言えば魔術協会の参加枠については、誰が選ばれたかは連絡があったわね」

 

「そうなのか。だが、どんなサーヴァントを召喚したかまではわからんのだろう?」

 

「そりゃね」

 

「いずれにせよ、先ずは情報を集めるところからだな」

 

「ええ。でも、いの一番にキャスターの生死の確認よ。生きていそうならその動きを追うわ。衛宮君を失ったから、なりふり構わず一般人を襲い出す危険性も充分あるわ。被害の拡大を防ぐためにも、現行犯で捕捉できたら、その場で止めを刺すわよ」

 

「了解だ。もぬけの殻だとは思うが、一度衛宮邸も確認すべきだな」

 

「そうね。その後で、賭けにはなるけど新都方面に向かいましょう。深山町(こっち)側は遠坂、間桐と面が割れている敵がいるから悪事がバレやすいと考えるでしょうし、これまでの昏睡事件があの女の仕業だとすれば向こう側で味をしめている可能性もある」

 

「同感だ」

 

「・・・あと・・・衛宮君を誰が殺したのかってのもわからないのよね。間違いなく聖杯戦争関係者だろうし・・・・・・わかったところでどうなるもんでもないんだけど・・・・・・ね」

 

 凜としては珍しく歯切れの悪い表現だった。

 衛宮士郎という存在の立ち位置は、彼女からすれば敵でしかない。割り切ってしまえば、その死を歓迎こそすれ悼む必要はない筈だ。

 だが、彼は桜の想い人だった。

 そして何より、【遠坂凜】が多少なりと言葉を交わした同級生の死を損得勘定だけで片付けられるような、『完璧な魔術師』でないことを長身のサーヴァントは知っていた。ましてや、彼女は【衛宮士郎】という少年が紛れもなく善人であったことを、既にわかっていたのだから尚更だ。

 

「今のところ、《穂群原学園の生徒、路上で変死》的な報道は、新聞でもニュースでも流れていないな」

 

「そこは、綺礼がうまく誤魔化しているんでしょ」

 

「残念ながら誰が衛宮士郎を殺したかについては、何とも言えないな。私が昨夜目視できた金色のサーヴァントは、少なくとも容疑者の一人ということにはなるがな。他の参加者達があの付近で活動していなかったという証左はどこにもない」

 

 凜の心情を慮って、混ぜっ返すこともなく、淡々と自身の考えを口にする。

 

「そうよね。実際に桜とライダーも動いていたわけだし」

 

「その二人は逆に衛宮君殺害については間違いなく『シロ』だがな。付け加えると、バーサーカー陣営はイリヤスフィールの『正式開戦までは待機』というスタンスから外れるから考え辛いな」

 

「あの時点ではアサシンは召喚されていない筈だから、あんたの見た金ぴかとランサー陣営が怪しいかな」

 

「そういうことになるな」

 

 ・・・それにしてもいったい・・・

 凜との会話を続けながらも、赤い外套のサーヴァントは全く別の疑問を抱いていた。

()()()()】はどうなったのだ?

 凜は自分のことを【セイバー】だと思っているが、実際は【アーチャー】だ。

 召喚された直後に

 

『あなた、セイバーよね?』

 

 と問われたので、YESと答えた流れでそのままになっている。

 他愛のない悪戯のつもりだったし、敵陣営を多少なりと混乱させられるかと思ったのだが、今さら白状したら凜にどういう反応をされるのか・・・怒られるのがちょっと怖い。

 いずれにせよ、凜はセイバーが自分だと思っているが、自分はそうでないことを知っている。

 そして何より本来【衛宮士郎】が【セイバー】を召喚することを自分は知っている。

 金色のサーヴァントと戦っていたのは、おそらく召喚されたばかりのセイバーだったのではないか。そしておそらく金色のサーヴァントに敗れた。

 セイバーが敗れた後に止むを得ず離脱しようとした衛宮士郎が殺されたという流れか。あるいは、何らかの理由で柳洞寺方面に向かっていたところをまとめて襲撃されたか。

 いずれにせよ、セイバーは・・・

 

「既に消滅したと考えるのが自然か・・・」

 

 微かに呟きが漏れる。

 

「え?なに?」

 

「いや、なんでもない。とにかく、衛宮士郎殺害の犯人探しは興味深くはあっても、重要ではない。そろそろ行動を開始しないか、マスター?動き始めが早いに越したことはないだろう」

 

 誤魔化す意図も含まれていたが、事実でもある。

 今は18時。

 この時期では既に夜と言って差し支えない時刻だ。

 他の陣営が本格的に動き出す前に、先んじて行動したほうが良い。

 

「OKよ」

 

 凜から覇気のある声が発せられ、彼女は紅茶を飲み干した。

 

「行きましょう。セイバー」

 

 マスターが席を立ち、扉へと向かう。

 彼女から迸る英気は鮮烈で、眩しいほどだ。

 守護者たる無名の英霊は扉をその主の後ろに続く。

 

「了解だ。マスター」

 

 当初から、凜に対しては記憶が混濁しており自分自身の正体はわからないという体にしている。

 実力の一端は校庭における三つ巴の時に見せているが、バーサーカーには圧倒的な力を見せつけられており、彼我の戦力差は歴然としていた。

 それでも、彼女が自分をサーヴァントとして、相棒として信頼してくれているのが充分にわかっていた。

 それが心地良く、また誇らしかった。

 あの【遠坂凜】が自分を認めてくれているのだ。

 これから彼女の宿命とも言える戦いが本格化し、自分はその傍らで全力を尽くすことができる。

 そのことがしがない英霊である自分には誇らしかった。

 目的としていた『衛宮士郎の殺害』は結果的に果たされた。

 本当は自分自身の手で成し遂げたいという拘りがあった。

 それに、衛宮士郎の遺体を見た瞬間の、どうしようもないほどに虚ろな感覚は未だに消化しきれていない。胸の中に生じたこのしこりは、ずっと中途半端に引っかかったままになっていて、気持ちが悪いが今は気にしないようにするしかない。

 いずれ、時間が解決するだろう。

 今は己の成すべきことを成すだけ。

 全身全霊でサーヴァントとして、彼女の剣となり、弓となって駆け抜けるだけだ。

 こうなってしまえば自身の正体を明かすことも特段の支障はないのだ。時が来たら伝えよう。

 ポケットの中に忍ばせた宝石に触れ、その感触を確かめる。

 無機質で冷たい筈のその大切なそのペンダントに、自身の昂揚が伝わっていく。

 ・・・熱い・・・

 

「どうやら、()()()()()()()()()()()()()()()・・・」

 

「え?・・・なに?」

 

「いや、なんでもない」

 

 男は、今の表情を相手に見せないように顔を伏せる。きっと、とんでもなく()()()()()顔をしているだろう。

 

「さあ行こう。凜」

 

 遠坂凜のサーヴァント【エミヤ】は、マスターの肩を軽く叩いた。

 

 

 Interlude out

 

 

 E' turn

 

 

「早速、動き出したわね。あのお嬢さん」

 

 キャスター(マスター)が座卓に置いていた水晶球を掲げた。

 彼女が各所に放っている使い魔のうちの一匹の視覚を通じた光景が映し出されている。

 

「ああ、遠坂っていう女魔術師か」

 

 食器を洗い終えたオレもそれを覗き込むと、鮮やかな赤いコートを羽織った少女が屋敷の玄関を出るのが映し出されていた。

 キャスター(マスター)の話では、かなり勝ち気な性格らしい。映像が少し遠めで表情まではわからないが、キビキビとした動きが印象的だ。事態を静観するというよりは、積極的に動くほうを好むのだろう。

 

「どこに向かうかだな。こっちに来る可能性もあるよな」

 

「ええ。方向的には間桐邸に向かったわけではないもの。元々彼女は(わたくし)に敵意を持っていたし、サーヴァントのほうはあなたに殺意を持っていたから」

 

「イリヤが立ち去った後だったのは、タイミングが良かったのか、悪かったのか・・・」

 

「どうかしらね。バーサーカーを目にしたら、向こうは戦わずに退くことになったでしょうから、それだと()()()()()を達成できないわね」

 

「そうだよな。じゃあ、ここで迎え撃つのか?なんていうか・・・かなり、しんどいと思うけど」

 

 オレは懸念の意をマスターに示す。

 心配の種は二つある。

 勿論、一つ目はオレ自身がまるで役に立たないだろうってことだ。

 

「大丈夫よ、坊や。私も今、ここで戦うつもりはないわ」

 

「そうか」

 

 オレはほっと一息つく。

 二つ目の懸念はキャスター(マスター)の状態だ。

 彼女はあまり表に出さないようにしているが、おそらく魔力がまるで足りてない筈だ。元々、昨夜からの戦いで消耗しているうえに、オレに魔力を供給している。

 この状態で、優秀な魔術師と真当なサーヴァントのペアを相手にして勝てるなんて、到底思えなかった。

 

「だとすると撤退・・・というか、脱出・・・かな」

 

「ええ。一度、ここを空けるわ」

 

「『一度』ってことは、ここにまた戻ってくるのか?」

 

「そこは状況に応じてということになるわね。私の拠点が移った、或いは私自身消滅したと多くの敵に思われれば、またここに戻ることも考えられるわ」

 

 とにかくオレ達の状況は複雑で、イレギュラーてんこ盛りだ。

 衛宮士郎が死んだこと、衛宮士郎がサーヴァントとなったこと、キャスターがマスターとなったこと、それらの情報を各陣営がどこからどこまで知っているかで、オレ達への警戒度や対応は変わってくるだろう。

 

「わかった。何にせよ急いだ方がいいな。あの二人がここに着くまで、それほど時間はかからないぞ」

 

「そうね。でも、工房から最低限の道具は持ち出さないと」

 

 マスターが母屋に若干の仕掛けを施した後、外に出たオレ達は土蔵へと向かった。オレには用途のわからない怪しげな石だの薬品だの、草花だのを見繕って持ち出す。

 

「防御結界も解いておくわ。私が中にいないと充分には効力を発揮しないし、ここがもぬけの殻だと思わせた方がいいもの」

 

 そう言って、マスターは外壁づたいに一回りした。これまたオレにはよくわからないが、結界のポイントを解除しているようだった。

 

「さあ、行きましょう」

 

 正門を潜ったところでマスターが立ち止まる。

 

「・・・・・・」

 

 振り返った彼女は屋敷を少し眩しいものでも見るような目で、じっと見ていた。

 

「どうしたんだ、マスター?」

 

「いいえ、なんでもないわの・・・行きましょう。私は霊体化するわ。急いでここを離れましょう」

 

 何かを振り払うように、正面を向いた彼女は言葉どおり霊体化した。

 

「そうだな」

 

 暗くなった路地に出ると、オレは新都方面へと向かうべく駆け出した。

 

 

 Interlude in

 

 

()()()()、あなたの見立ては?」

 

 衛宮邸の正門までやって来た凛は、実体化した己がサーヴァントに確認した。

 

「張られていた防御結界が消えているな。勘みたいなものだが、中に人の気配はないな」

 

「ってことは、キャスターはもうここにはいないでしょうね」

 

 二人は校庭での戦闘の後、この屋敷に防御結界が張られていることを確認済みだった。

 それが今はない。

 

「言うまでもなく油断は禁物だがな。先に私が入るとしよう」

 

 タンッ

 

 軽く跳躍したセイバーは、屋敷を囲む外塀の瓦へと着地した。

 

「問題ないな」

 

 中の様子を窺いながら、視線だけでマスターについてくるよう促す。

 

「オッケー。んじゃ私も、っと」

 

 タンッ

 

 と、セイバー同様身軽に跳んだ凛だったが。

 

 ガラガラガラガラ!

 

 自身のサーヴァントの隣に着地した瞬間に、けたたましい警報が鳴り響いた。

 

「んげっ!?」

 

「ああ、これは探知用の結界だな」

 

「なんで、あんたには反応しなかったのよ!?」

 

「心が清廉かどうかが判断基準らしいな」

 

「んなわけないでしょうがっ!!ってか、その基準だと、心が清らかな人間に反応する結界ってことになるわ!」

 

「気にするな。この結界はこの敷地そのものに時間を費やして定着させたもので、屋敷に主がいなくても作動するものだろう」

 

「万一、キャスターがどこかに隠れていたら侵入がバレたわね」

 

「奴が本気で結界を張るならこんな喧しい形で警告したりはしないな。自分だけに警報が伝わるように細工をするだろう」

 

「なんにせよ予定どおり中の確認だけはしましょう」

 

「了解だ。マスター」

 

 二人は敷地の中心部に佇む建物へと向かった。

 

 

 

「やっぱりもぬけの殻ね」

 

「そうだな」

 

 広い母家内をひととおり見て回った二人は居間へと戻ってきたところだ。

 

「一応、こんな物は見つけたが・・・」

 

 セイバーの手には、色褪せたハードカバーの本が握られていた。

 

「うちの図書室の本ね。【誰でもわかるギリシャ神話】か・・・」

 

 凜は本の裏表紙に【穂群原学園 図書室】と押印されているのをチラリと確認する。

 

「小僧なりに、それぞれの陣営が召喚していた英霊を調べていたということだろうな」

 

「そうね。実際にバーサーカーはヘラクレスだったものね」

 

「そうだな」

 

 男のほうは他にもギリシャ神話に縁のある英霊がいると推測していたが、今は特に言及しないことにした。所詮、想像の域を出ない。

 

「ここは、ごく最近・・・いや、端的にはついさっきまで使われていたようだがな」

 

 居間から続いている台所へと赤のサーヴァントが移動する。

 シンクラックにはかなりの数の食器やコップが並べられているのが、目に留まる。

 

「あなた、目敏いわねえ・・・」

 

「しかも、一人分ではないな」

 

 セイバーが手にした湯飲みには、まだ水滴が残っていた。

 

「どういうことかしら?衛宮君が死んで、残ったのはキャスターだけでしょ。そもそも彼は一人暮らしの筈だし」

 

「来客があった、くらいしか思いつかないな」

 

「衛宮君宛の来客があって、それにやむを得ず応対したのかしら」

 

「その線もゼロではないが、聖杯戦争の参加者が来て何らかの交渉を持ちかけたのかもしれん。なんにせよ、考えるための材料が少なすぎるな」

 

「そうね。想像の域を出ないけど、キャスターは思っているよりも健在かもしれないわね。警戒したほうが良さそうだわ」

 

「特に報道はされていないが、夜中に魂喰いをしていたのかもしれん」

 

「だとしたら、今夜もやる可能性があるわね」

 

「他に補給源がなければ、あの魔女は躊躇しないだろう」

 

「あまりのんびりしていられないわね。早めに新都に向かいましょう」

 

「了解だ、マスター。他の建物もしっかりと確認したかったが、止むを得まい」

 

 二人は頷き合うと、廊下を抜けて、玄関を出た。

 すっかり降りきった闇の帳を、赤の主従が軽やかに切り裂いていく。

 

 

 Interlude out












凜&アーチャーのターンです。















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第34話 ~当日⑧~ 「双絢爛舞」

1月31日 夜









 E' turn

 

 

 新都へと向かう道すがら。

 シャッターの降りつつある深山町商店街を抜けたあたりで、キャスターが実体化すると水晶球をオレに見せて来た。

 

「どうやらあのお嬢さん達は、坊やが・・・亡くなっている事を既に知っているようね」

 

 促されるままに中を覗きこむと、さっきまでオレ達がいた居間が映し出されていた。

 そこでは赤い外套を着た長身の男と、同じく赤いカットソーを着た少女が話し込んでいる。

 キャスター(マスター)は、屋敷全体に巧妙に隠した遠視と遠話の魔術を施しておいたわけで。要するに監視カメラと盗聴器を家中に仕掛けたようなものだ。

 

「まあ、そういうこともあるよな。今のところ、表立ってニュースになっている様子はないみたいだけど」

 

 あの監督役の神父がうまく処理したのだろうか。オレの遺体が見つかれば、いくらなんでも完全に隠蔽するのは難しいような気がするから、どこかに隠したのかもしれない。

 

「元々神父とあのお嬢さんは面識があるようだから、神父から聞いたかもしれないわね。監督役としては公平性を欠くけれど、あの男は結構恣意的、というか自分なりのルールで動くところもあるもの」

 

 既に周囲は暗くなっており、人通りも少ないのでオレ達は並んで歩きながら話す。

 

「公平性を期すなら参加者全員に伝えているかもな」

 

「・・・それだと、私にだけ不公平なのだけれど」

 

「そりゃ、そうだな・・・・・・案外、遠坂達はオレが死んでるのを直接見たんじゃないのかな。昨夜のオレ達・・・というか、あの屋敷で起きた戦いは、かなり目を引いたんだろう?」

 

 サーヴァントとなったオレの存在を確実に知っているのがあの神父なので、あいつが伝えたという推測が一番手っ取り早いが、そうでない可能性もある。

 

「ええ。そう考えたほうが自然なのかもしれないわ。あのお嬢さん達だって、坊やの屋敷方面で魔力の揺らぎぐらいは感じたでしょうから」

 

「屋敷での異変を切欠にこの辺一帯を確認して回った可能性もあるな」

 

「そうね」

 

「なんにせよ、あっちはマスターを一番に狙っているのは間違いないな」

 

「落とせそうなところから、落とす。常道だから当然でしょう。それにあのお嬢さんは(わたくし)を毛嫌いしているみたいだし。でも、お陰でこっちとしてはやり易くなるわ」

 

「まあ、一応そういうことになるか・・・」

 

 今回の狙いを予め聞かされていたが、オレとしては不本意だった。オレよりもキャスター(マスター)のリスクが高い作戦なのだ。

 

「あら?随分とご不満みたいね。まあ、あなたの性格なら無理もないところだけど。今回は我慢して頂戴ね」

 

「わかってるよ。オレが不甲斐ないのが問題なんだから」

 

 渋々とオレは頷く。今回の目的が達せられれば、オレが前面に出て戦えるようになり、キャスター(マスター)を守ることもできるようになる筈だ。

 

「・・・それから・・・我慢ついでにもう一つ。あなたの性格・・・というかおそらく信条的に相容れないことがあるわ」

 

 今度は、キャスター(マスター)が歯切れ悪く、こちらの反応を窺うような視線を送ってくる。

 

「なんとなく、わかっているさ。さっき遠坂達が言っていた魂喰いってやつだろ。オレだってサーヴァントだ。概念はわかっている」

 

 サーヴァントの生命力そのものである魔力の調達方法は、基本知識として聖杯から提供されている。オレの身体だって魔力で保たれているわけで、マスター以外の普通の人間からの補給手段があることはわかっていた。

 今、キャスター(マスター)の魔力は()()()()だ。遠坂達と相対する前に、補充する必要があるのはわかっている。

 勿論、オレ自身がそれを実行する気はさらさらない。『正義の味方』としては論外だ。

 

「正直、凄く抵抗はあるけど、マスターには何も言えないさ」

 

 彼女の魔力不足の原因はオレ自身にある。

 彼女を守るのが最重要命題である以上、堪えなければいけない。

 

「それでも敢えてお願いできるんなら、一人一人に対する悪影響を極力減らしてくれってことだな」

 

「そう。ありがとう・・・・・・ご期待に沿うようにするわ」

 

「・・・よろしく頼む・・・・・・さて、急いだほうが良さそうだな」

 

 水晶球には、二人が玄関を出たところが映し出されていた。こちらを追ってくるつもりだろう。

 オレ達とそう離れているわけではない。

 遠坂達と対峙するには諸々の準備が必要なのだ。

 

「ええ」

 

 答えたマスターが霊体化する。

 新都へと向かうべく、オレは眼前に聳え立つ大橋へと駆け出した。

 

 

 Interlude in

 

 

 

「これって・・・」

 

 微かな違和感を覚えて、遠坂凜は立ち止まった。

 新都の中心街からはかなり離れた薄暗い通りにやって来たところだ。人の気配は殆どなく街灯もまばら。先に進めば進むほど、住宅は少なくなり、雑木林が増えてきた。

 これまでに新都のオフィス街を中心に方々(ほうぼう)を探索していたが、今のところ目標(キャスター)の行方を示すような手掛かりは得られなかったため、それならばと探索の領域(エリア)を変更したのだった。

 

「結界・・・か?」

 

 傍らに立つ彼女のサーヴァント、()()()()も周囲の様子を窺う。

 

「ええ。巧妙に隠しているけど、間違いないわね。中と外が遮断されているわ」

 

 

 ──―きゃぁぁぁぁぁぁ──―

 

 

 

「っ!?」

 

「む!?」

 

「聞こえた?」

 

「不謹慎かもしれないが、こういう時の悲鳴はやはり女の声のほうがよく通るものだな」

 

「なにを暢気な事を言っているのよ!」

 

「いや、隠密裏に襲うなら男のほうが向いているんじゃないかと思ってな」

 

「普通に考えれば、女性のほうが与しやすいわけだけど・・・・・・サーヴァントからすれば、一般人なら男だろうと女だろうと差はない・・・・・・わね」

 

「そのとおりだ。何某(なにがし)かの意図があるとも考えられる」

 

「罠ってこともあるわけね」

 

「そうだな。とは言え、だからと言って無視できないのが、『女主人公(ヒロイン)』の辛いところだな」

 

 男の顔に柔らかい笑みが浮かんだ。

 

「あんた、ちょっと変わった?」

 

 いつものシニカルな笑いではないように感じて、凜は少し不思議そうに聞く。

 

「さて、どうだろうな」

 

 今度はいつもと同じ笑いを浮かべて、男ははぐらかす。

 

「ちょっと調子狂うけど・・・・・・」

 

 遠坂凜は清冽に笑う。

 

「悪くないわね。そんなあんたも。さ、行きましょ」

 

 ザザッ

 

 二人は夜闇を切り裂いて、薄暗い通りを駆け抜ける。

 すると。

 

「止まれっ!凜っ!」

 

 セイバーが左手で、マスターである凜を制止した。

 

「どうしたの?」

 

「そうだな・・・まあ・・・おかしなものが見えた・・・」

 

 セイバーが少し目を凝らすような格好になる。

 この先の道は、300m程直進した後、直角に曲がることになる。

 

「おかしなもの?」

 

 凜は目を凝らしてセイバーの視線の先を追うが、薄暗いこともあり、不審なものは見えなかった。

 

「・・・骨・・・だったな」

 

「は?それって襲われた人が骸骨にされちゃったってこと?」

 

「そういう雰囲気ではないな」

 

「季節外れの肝試しをやっている連中がいるってことかしらね」

 

「それだと試されているのは我々ということになるな・・・私の推測が正解に近付いたということでもあるが・・・警戒して行くぞ」

 

「この先にあるのってたしか・・・」

 

「知っているのか?」

 

「いやあ、実はあまり詳しくは知らないのよね。土地勘もないし。なんにせよすぐにわかるわよ。行きましょう」

 

 

 

「あれは?」

 

 片側2車線の車道の先、開けた土地に大型の店舗が建っていた。

 広大な駐車場はかなりの数の車を収容できるようになっている。既に照明が切られている看板には『島鳥』のニ文字が、うっすらと浮かんでいる。

 

「郊外型のインテリア用品店か。かなりデカいな」

 

「ええ。土日はかなりの人が来るらしいわ。とは言っても、私自身は一度も来たことないけれど」

 

「まあ、凛の屋敷には一般家庭向けの家具は馴染まないだろうな」

 

 会話をしながら二人は敷地へと近付いていく。

 

 パッ──―──―

 

「え?」

 

 建物の照明が灯り、闇夜にその全容がくっきりと浮かび上がった。

 

「どうやら我々をあの店の中に招待したいらしいな」

 

 幾分距離があるため、凜が目を凝らすと、店舗の入口には女性を抱えた骸骨が見えた。

 

「まだこちらに気付いたわけではなさそうだな」

 

 二人は道路脇に設置された自動販売機の影に入って姿を隠す。

 

「・・・骸骨兵ってところね。降霊系とか死霊系の魔術かしら。いかにもって感じ。魔女にはお似合いだわね」

 

 ちらちらと顔を出して、凛は様子を確認する。

 

「気絶しているようだが、女は人質のつもりだろうな」

 

 白いコートを着込んだ長い髪の女性だった。骸骨兵の腕で支えられてぐったりと項垂れているため、顔までは見えないが、20歳(ハタチ)そこそこだろう。先ほどの悲鳴の主と思われた。

 

「本格的に手段を選ばない感じね。それだけ切羽詰まってるってことだけど。とは言え、無闇やたらとは仕掛けられないか・・・」

 

投影(トレース)開始(オン)

 

「へ?」

 

 隣のセイバーがおもむろに弓を出現させたのを見て、凜が素っ頓狂な声を思わず漏らす。

 

「大した距離ではないな」

 

 などと独り言ちながら、自然な動作のままに矢を番えたのを見て、さらに凛が慌てる。

 

「・・・って、ちょっとちょっと、あんた何やってんのよっ!?」

 

「ふ。仮にも英霊だぞ。甘く見てもらっては困る、ということだ」

 

 今はまだ二人は駐車場の外縁部におり、骸骨兵まではだいぶ遠い。彼我の距離は100m弱と言うところだろうか。ここから矢を放てば女性に当たる可能性がかなり高い。常識的にはそうとしか思えない。

 凛はやむを得ない状況になれば、一般人を犠牲にすることは厭わない覚悟だったが、初手から『救い出す』という選択肢を捨てるつもりもなかった。ましてや自分達の能動的なアクションを切欠にして、人死に(アクシデント)が起きるなどということは簡単には許容できない。

 

「わ〜〜〜っ!ストップ、スト~ップッ!!!」

 

「アーチャーでないのが、少し不安なところだがな」

 

 しかしながら、凛の制止の声などおくびにも介さずに、男はニヤリといつもの笑みを浮かべた。

 

 ゴゥッ!

 

 赤い外套を纏った自身のサーヴァントは、片膝立ちのまま、引き絞った弦から三本の矢を同時に解き放った。

 

 ドンンンッ・・・

 

 遥か先で重厚な音が響き、ここまでその振動が伝わってきた。

 

「・・・・・・・・・や・・・・・・やっちまいやがったわ・・・・・・」

 

 茫然とした凛が両手で顔を覆う。

 

 カラカラ・・・

 

 向こうでは砕けた骨片が乾いた音を立てて、地面に落ちる。

 

「ふ。落ち着いてよく見てみるがいい、マスター」

 

 当の本人は泰然として、首をしゃくって状況を確認するよう促す。

 

「・・・見るったって、あんた・・・」

 

 この位置からだと、様子がはっきり見えない凜はやむを得ず歩いて犯行(?)現場へと近付いていく。

 

「ん?」

 

 半分ほどの距離を進んだところで、凜は気が付いた。

 

「あらま、無傷みたいね」

 

 バラバラになった骸骨兵の残骸に半ば埋もれてはいたが、盾にされていた女性は傷一つなく横たわっていた。

 

「言ったろう?剣士の(たしな)みだと」

 

 近付いてきたセイバーは得意げに笑って目を閉じた。

 

「はいはい、よくわかったわよ。でも、今度からは・・・って、あっ!?」

 

 カラカランッ

 

 骨と骨とが擦れるような音が響き。

 

「なにっ!?」

 

 ザッ

 

 店の奥から2体の骸骨兵が新たに現れると、そのうちの1体が気絶したままの女性の体を店の中へと引きずり込んだのだ。

 

「ちっ!一匹だけじゃなかったのかっ!油断したな」

 

 セイバーは毒づきながら、素早く弓を構えて一矢を放つ。

 

 ドゴッッ!

 

 距離が近くなったため、先程以上の衝撃音が響く。

 が、

 

「だめか!」

 

「脳みそなさそうだけど、生意気にもちゃんと仲間を庇うのね」

 

 完全に不意打ちだった初撃と違い、今回はこちらの存在が認識されている。1体の骸骨兵が、人質を抱えたもう1体を庇うように動いたのだ。

 結果的に盾となった1体は破壊したものの、もう1体は奥に入ってしまい、この位置からは姿が見えなくなってしまっていた。

 

「・・・どうあっても、店の中に引き摺りこみたいようだな・・・」

 

 サーヴァントは思案する。

 一般人を盾にしているが、向こうも魔術師だ。こちらがいざとなれば人質など意に介さないということはわかっているだろう。

 店内という狭い空間かつ棚などで障害物の多い戦場で、大量の骸骨兵でこちらを圧し潰すつもりか。あるいは、数多くの(トラップ)を仕掛けているのかもしれない。結界を張っているのも間違いないだろうから、こちらの力を弱体化させてくることも考えられる。

 凜はこのまま外に残したほうが安全ではないだろうか。

 

「いきましょう、セイバー。色々と小細工を弄しているとは思うけど、あなたと私なら突破できるわよ」

 

 まるでセイバーの迷いを一刀で切り払うように、毅然として凜は右手を振るった。

 

「一番のリスクはこっちが分断されて、私が落とされること。わざわざ相手に都合のいい選択をすることはないでしょ」

 

 遠坂凜が自信に満ちた鮮やかな笑みを、セイバーに向ける。

 

「・・・ふ・・・いやはや・・・まったく・・・」

 

 その直視できないほどの生気が放つ眩しさを避けるように、男は目を閉じた。

 

「了解だ、マスター。全力でキミを守ろう・・・」

 

 いや、違うな、と続ける。

 

「全力で突破するぞ!」

 

OK(オッケー)ッ!」 

 

 二人は入り口を目指して、並んで駆け出した。

 

 

 

 E’ turn

 

 

 

 少し離れた先。眼下で展開される乱戦を、オレは興奮すら覚えながら凝視していた。

 

 ギンッ!ドンッ!ガンッ!ゴッ・・・

 

 10体余りの人骨に鎧を着せたような異形の兵団(キャスター(マスター)は【竜牙兵】と呼んでいた)に対して、一騎のサーヴァントと一人の女魔術師のペアが戦い続けている。

 この建物は中央が吹き抜け構造となっており、オレは2階から1階の戦闘を見ている状態だった。

 さらに言うなら、オレ自身はキャスター(マスター)の結界に包まれている状態であり、他者からは不可視かつ余程近付かない限り魔力感知もされることのない、隠密状態となっている。

 一方でキャスター(マスター)は、オレの傍らで実体化している。万一にも1階から物理的に見えないように、身を屈めて落下防止用の柵に隠れている状態だ。オレに対する魔術を付与しているのと竜牙兵達を操っているため、術師自身は霊体化しているわけにはいかないのだ。

 

『・・・す・・・凄いな・・・』

 

 目が離せない。

 オレの意識は、赤い外套を纏った長身のサーヴァントの一挙手一投足に釘付けになっていた。

 白と黒の片刃剣を、振り下ろし、その身に迫る竜牙兵の刃を受け止め、或いは躱した流れでそのまま斬り払っている。

 その流麗かつ合理的な剣技は、極限まで己を研ぎ澄ませることで身に着けたような、究極の洗練美とも言うべき匠の業だった。圧倒的な膂力でも、才能でも、芸術でもなく、技術の粋がそこにはある。

 オレは直観的にそう理解した。

 

「ほんと、剣も弓も1級品よね。あんたっ!」

 

 サーヴァントの支援を続ける女魔術師、遠坂凜がきびきびと動き回りながらも賛辞を贈る。

 

「お褒めに預かり光栄だ!」

 

「ギィイィッ」

 

 ガギィッ!

 

 男は眼前の竜牙兵が振るってきた袈裟斬りの一刀を、両手の白剣と黒剣を交差させて受け取めると、竜牙兵の体ごと押し込み、

 

 ガンッ!!

 

 たたらを踏んだ相手を下から白剣による逆袈裟で、叩き斬った。

 二人が戦っているエリアは開けた空間ではあったものの、大型の陳列棚のほか、商品籠やテーブルなども随所に設置されており、障害物は多い。

 それらを巧みに利用して、一斉に襲いかかられることを避けるようにも立ち回っているのがわかる。

 

「これで5匹目だな」

 

「う~・・・まだ、10匹以上残っているわね~・・・鬱陶しいわ~」

 

 マスターである遠坂凜を背後に庇いながら、アーチャーは双剣を振るう。一方で、遠坂凜は別方向から襲い掛かろうとする竜牙兵を、魔術で狙撃して牽制しており、常にアーチャーが二体同時に攻撃を受けないように気を配っていた。

  

『今仕掛ければ、簡単に倒せそうに見えるわね』

 

 オレの隣で身を潜めているキャスター(マスター)が、念話を送ってくる。

 1階で戦闘中のアーチャー&遠坂ペアは、一見して竜牙兵達に()()()()()になっているように思える。確かに、ここでキャスター(マスター)が攻撃を仕掛ければ纏めて斃せるかもしれないが・・・

 

『・・・いや、やめておいたほうがいい。あのサーヴァントは奇襲を警戒して余裕を残して戦っている。寧ろ、こっちを誘っているのかもしれない』

 

『・・・そう・・・よね。ちょっとした出来心が湧いてしまうけれど、目的はもう果たしたのだから、欲張らないほうがいいわよね。坊や、充分に、()()のでしょう?』

 

『ああ。大丈夫だ』

 

 オレは首肯した。

 実際には試してみないとわからないが、大丈夫という確信があった。

 正直なところ、あの赤いサーヴァント(アーチャー)の戦い振りをもっと見てみたいという欲求があったが、そこは堪えるべきだろう。

 

『それじゃあ、引き上げるとしましょう。あの調子だと私のコントロールがなくなると、完全に一方的な展開になってしまうわ。ある程度の数が残っているうちに急いで退散するわよ』

 

『了解だ』

 

 オレ達は速やか、かつ慎重に、脱出路として予定していた最も近くにある窓へと向かおうとした。

 が、

 

「ようやく尻尾を掴んだぞ、魔女めが」

 

 剣呑な声に戦慄を覚えて、階下をみると、アーチャーの目がこちらを捕らえた。

 実際にはオレの姿は見えないので、そんな筈はないのだが、そんな錯覚を覚えるほどその眼光は鋭かった。

 

『『なっ!?』』

 

 オレもキャスター(マスター)も敵のあまりの目敏さに驚愕する。

 ヤバい!

 

「凜っ!ほんの一時(ひととき)で構わん。骸骨どもを押さえてくれ!」

 

「了解よっ!」

 

 サーヴァントの声に対して待ってましたとばかりに、覇気の塊のような合意の返事が店内に響いた。

 

「弾けろっ!」

 

 ッドンッッ──―!

 

 遠坂が放った赤い宝石が竜牙兵の群れの直前で爆ぜた。

 

「骸骨どもが、露骨に吹き抜け側に私達を誘導していたからな・・・ずっと上階の様子を窺っていたというわけだ」

 

 既に脱兎の如く駆け出しているオレ達の背後から、ヤツのご丁寧な解説が追ってきた。

 ちらりと後ろを振り返ると、アーチャーがアーチャーらしく弓を既に構えていた。

 つがえられているのは、緋色の剣。

 あれはマズい!

 と、思った瞬間にヤツの姿は死角になってこちらからは見えなくなった。

 だからと言って、助かったというようなお気軽な話なわけもない。

 

『マスター、オレの結界を解除してくれ。来るぞ!』

 

「わかったわ」

 

 包んでいた不可視の結界が解除されると同時に、オレは詠唱する。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 つい先ほどこの目に焼き付けたばかりの、黒と白の剣を生み出した。

 2本の夫婦剣は自分の体の一部のように両手に収まる。

 

「よしっ」

 

 状況は切迫しているが、目的が達せられたことの確認はできた。

 あとは・・・

 この危機を乗り切って、生き残るだけだ。

 

赤原猟犬(フルンディング)!」

 

 処刑の呪文が階下から這い上がってきた。

 

 ゴウッッッ!!!

 

 猛烈な重圧を背中に感じるとともにオレは、反転して()()を視認した。

 天井の照明に照らされた眩いばかりの緋色の刃。

 それが、

 

 ギュンッ!

 

「曲がった!?」

 

 慣性の法則を無視したありえない軌道だった。

 1階から2階へ。

 斜め上へと射出された凶器は急激なカーブを描き、真っすぐにこちらへとカッ飛んでくる。

 標的はキャスター(マスター)だ。

 

「壁よ!」

 

 キャスター(マスター)がオレの前面に無色無形の壁を展開する。

 だが、

 

 ドシュッ・・・

 

 その切っ先はその壁を瞬時に貫いた。

 

「坊やっ!」

 

 オレの後ろにいるキャスター(マスター)が叫びながら、こちらへと向かって来る気配を感じる。

 だが、オレはその刃を彼女に届かせる気など毛頭なかった。

 既に目の前には刃の切っ先を示す【点】がある。

 

「つあぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 ギャイイイイイイィィィィィィィッッッッッッ!!!

 

 オレは交差させた双剣を盾にして、その突貫を食い止める。

 飛来した緋の刃。

 それを食い止める黒と白の夫婦剣。

 せめぎ合う金属が甲高い悲鳴を発して、その震えが直に伝わって両腕の筋肉がビキビキと悲鳴を上げる。

 

 ガギイィッ!

 

 拮抗していた力のベクトルを反らすべく、体を沈めながら双剣を上に向けて跳ね上げると、緋の剣も勢いを維持でなくなり、軌道を上に捻じ曲げざるを得なかった。

 

 ゴゴォンッッッ!!!

 

 その剣は天井に激突して大きな穴を穿った後、停止した。

 天井ぶち抜いた先にあった鉄骨に食い込んで止まったのだ。

 ・・・だが。

 

 ギギギィィィ

 

「うげっ・・・まだ、来るか・・・」

 

 様子を見ると、緋色の剣は意志(この場合はキャスター(マスター)を殺そうとする固い意志ということになるわけだが)があるかのように、鉄骨の拘束を解こうと藻掻いていた。

 その様は網にかかった人喰いザメがまだこちらを食い殺そうともがいているかのようで、ぶっちゃけ超恐い。

 

「とにかく、今のうちに脱出しましょうっ!」

 

「同感っ!」

 

 剣は天井からすぐには抜け出せないようだったので、今がチャンスだ。

 距離をとってしまえば、追ってこなくなるかもしれない。

 オレ達は一目散に駆け出すと、

 

 バリィンッ!!

 

 元々脱出経路として予定していた窓を割り破って、外へと飛び出すと、月明かりの乏しい夜闇がオレ達二人を迎え入れた。

 冷たい空気が直接肌に刺さる。

 だが、アイツや緋色の矢剣が放っていた殺気に比べれば、どうということはない。

 

「逃げるが勝ちってやつだな」

 

「ええ」

 

 アスファルトで固められた駐車場に着地したオレとキャスター(マスター)は、頷き合った。

 

 











これでやっと「当日」が終わりです。長かった・・・





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第35話 ~2日目①~ 「蒼vs紅」

2月1日 未明








 Interlude in

 

 

赤原猟犬(フルンディング)!!」

 

 ゴウッッッ!!!

 

 凜が宝石魔術で竜牙兵達を牽制したことで得られた一時(いっとき)を無駄にすることなく、()()()()が弓につがえた矢剣を放つ。凜には感じ取れなかったが、彼は上階に潜む(キャスター)の気配を感じ取ったのだ。

 吹き抜けになっているとはいえ1階から2階を見上げても、視界に入る範囲では誰もいない。放たれた矢剣の進路にも何もないように思えたが、当然無駄に攻撃を仕掛けたわけではない筈だ。おそらく、精製した緋い矢剣に特殊な効果が付与されている。

 凜は瞬時にそう考えた。

 だが、その思考を続けることも、攻撃の成果を確認することも許されなかった。

 

「っ!?」

 

 自分達が立ち回る1階(フロア)を切り裂くようにして、青と黒の人影が急接近してくるのに気が付いたのだ。

 

「セイバーッ、横っ!なんか来るっ!!」

 

 咄嗟に凜は、上階に意識を向けていたセイバーに注意を促す。

 

「なにっ!?」

 

 こちらへと向かってくるのは、赫い長槍を携えた青い服の男と、ダークグレーのスーツを着込んだ赤髪の女だった。

 

「こりゃ、当たりってやつだな!バゼット!」

 

 先頭を走る青の男が目を爛々と輝かせ、

 

「奥にいる女が、遠坂凜です。聖杯戦争参加者で間違いありません」

 

 男に続いて走る女が淡々と答える。

 

「ってことはあいつは・・・アサシン・・・って風情じゃねえよな・・・セイバーなのか?」

 

 ゴッ!

 

 訝りながらも青い疾風が速度を増した。

 凜の魔術の余波で、竜牙兵達の包囲網は疎らになっている。その間隙を縫って、青のサーヴァントは標的である赤のサーヴァントとの間合いを瞬時にゼロにしていた。

 

「っつあぁぁぁっ!」

 

 ジャッ!

 

 人の目では視認不可能な赫い稲光が走る。

 神速の域に達した疾走に加えて、鍛え抜かれた胸筋と上腕の膂力により速度が上乗せされ、通常であれば絶対不可避の長槍による一突きだった。

 

「セイバーッ!!」

 

 あんなの絶対に躱せない。そう確信してしまった凜は悲鳴を上げることしかできなかった。

 だが。

 

 ガギィィィィィィィッッッ!!!

 

 まさに寸でのところ。

 瞬時に生み出した双剣を交差させて、セイバーは死の切先を反らす。

 

 ビッ・・・

 

 赤のサーヴァントの褐色の頬に一筋の赤い線が刻まれるに留められていた。

 

「おおっ、マジかっ!?凌ぎやがった!」

 

「ちっ、なんて速さだ・・・」

 

 仕掛けた側と仕掛けられた側。両者から同時に驚嘆の声が上がる。

 

 バッ

 

「ナイス!セイバーッ!」

 

 突然の襲撃者に驚きながらも、凛の判断は早かった。

 右腕を振るい、青い宝石を一つ放り投げる。

 

「吹っ飛べ!」

 

 ゴゥッッ!

 

 凝縮された突風が、襲撃者に横合いから衝突した。

 

「おっとっとっ!」

 

 凛の気合いをはぐらかすような、真剣味のない声があがる。だが、完全に無意味というわけではなかったようで、青のサーヴァントは僅かにその風圧の影響を受けて押し飛ばされた。

 

「反応はええな、お嬢ちゃん」

 

 赫い長槍を肩に無造作に担いだ状態でトンっという軽い着地音とともに、青のサーヴァントが感心したように凛に告げる。

 

「あんた、ランサーね?」

 

「まあ、見たまんまだよな・・・そっちはセイバー、だよな。アサシンだったら、間違いなく今の一撃で終わっていたんだがな」

 

「・・・まったく、もう少しでキャスターを落とせるところだったというのに。間の悪い奴め」

 

 急襲を凌いで体勢を整えたセイバーが、心底苛立たし気に毒づく。

 

「キャスター?・・・成程、ひょっとしてこいつらはキャスターの手先ってわけか?」

 

 槍兵は囲みの途切れたところを突っ切ってきたため、今は前方に凛達、背後には多くの骸骨兵がいる状態だ。

 だが、男は自身の後方に居並ぶ骸骨兵を、どうでもいいように一瞥すると平然と笑みを浮かべた。

 

「そうよ。いいところで邪魔してくれちゃって」

 

「そりゃ悪かったな。だが、オレにはあんたらのほうが旨そうに思えるんだわ」

 

 非難を重ねた凜だったが、ランサーはどこ吹く風。

 

「ランサーッ!」

 

 叫んだのは、骸骨兵達の囲みの外縁部に立つスーツに身を包んだ長身の女。バゼットだった。

 正面に居並ぶ異形の兵団に対峙しながらも、己がサーヴァントに対して怒り心頭という体だ。

 

「馬鹿なのですか、あなたはっ!?包囲の真っ只中に敢えて突っ込むなんて!」

 

「いやあ、一番強そうな奴を落とすチャンスだったもんでな。悪いな、置いてきぼりにして」

 

 マスターをチラリと見て、ランサーは不敵に笑う。

 無論、この台詞は『火に油』以外のなにものでもない。

 

「そういう問題じゃないっ!」

 

 案の定、バゼットはダンダンッ!床を蹴りつける。

 

「これは、戦闘狂の類だな」

 

「まあ、いかにもって感じよね」

 

 二人のやり取りを傍観していた凛達も呆れて溜息をついた。

 

「ギギ・・・」

 

 一方で、言葉を解す頭などない異形の兵達はこのやり取りに一切の興味を示すわけもなく。

 

 ザッ!

 

 一体の骸骨兵が背中を向けていたランサーを、隙のある敵と認めたか。一気に踏み込んで切り込んできた。

 

「ご苦労さんだな」

 

 ドゴッ・・・!

 

 だが、突如として振ってきた赫い鉄塊に骸骨兵は叩き潰された。

 ランサーは殆ど体勢を変えることなく、正面を向いたまま後方から接近してきた敵にその槍を無造作に振り下ろしたのだ。

 

 ガラガラッッッ――――――

 

「せっかくこれだけおもちゃがあるうえ、腕利きの猛者(もさ)もいれば、いい女も揃ってるときた」

 

 砕け散った骸骨兵の骨片をバキバキと踏み潰して、青の槍兵は凛とバゼットに視線を送る。

 

「とことん楽しまなきゃ嘘だろ」

 

その赤い瞳が爛々と輝いていた。

 

 

 

 Interlude out

 

 

 

 

 E' turn

 

 

「追ってこないな」

 

「あの剣もそうだけど、アーチャー達も来ないわね」

 

 2階の窓から脱出したオレ達は、後にしてきた建物を振り返った。

 

「・・・なんか、中がごちゃついてるみたいだな・・・」

 

 耳を澄ますと、店舗内から鋭い剣戟の音が聞こえてくる。

 残っている竜牙兵と、遠坂達との戦いが続いているはずではあるが、それとも少し違うような気がした。

 この店舗の入口は西側だが、今オレ達は南側にいる。少し危険にも思えたが、店の入口側へと回り込んで様子を窺うことにした。

 

「あれは・・・?」

 

 向こうから気付かれないように用心して入口から覗くと、遠坂達や竜牙兵のほかに見知らぬ女(男物のスーツを着ているが、シルエットから推測)と、槍を携えた男が見えた。

 

「あれはランサーね。もう一人の女は、ランサーのマスターでしょう。前に坊やが教えてくれた魔術師の特徴と一致するわ」

 

「てことは、結果的にランサー陣営も釣れてたってことか」

 

「敢えて目につくように動いたものね」

 

 この店舗の周辺でマスターの補給を済ませてから、魔力の残滓を残しながらやってきたのだ。

 その撒き餌は、遠坂陣営を誘き寄せるためのものだったが、付近にいたランサー陣営も引っかかったということだろう。

 

「とにかく、敵同士を鉢合わせにできたわ」

 

「紙一重だったけどな」

 

 タイミングがズレていれば、遠坂達だけではなく、ランサー達に襲われて挟撃されていた可能性もある。

 今回ばかりは本当に幸運だった。

 

「運が良かったわね、珍しく」

 

「・・・自分で言っちゃうかな・・・」

 

「早くここを離れましょう」

 

「ああ」

 

 オレ達は苛烈を極めるであろう戦場を後にした。

 

 

 

 

 Interlude in

 

 

「っはぁぁぁっ!」

 

 ドゴッ!

 

 バゼットの放った右拳が異形の兵士の顔面を打ち抜く。

 だが、

 

 ジャッ!

 

「ちっ!?」

 

 それだけは倒し切れずに、反撃で横薙ぎに振われた剣をかわした。

 

「マスター。頑張ってくれい。なにせこっちは動き辛いんだわ」

 

「わかってますっ!いま、やってるでしょうがっ!」

 

 ガスッッ!ドンッ!

 

 今度は鎧のない両脇腹?に左右のフックを連続して、浴びせた。

 

 カラカランッ

 

 このダメージが決定的なものとなり、骸骨兵が崩れた。

 

「呆れた強さね。あの骸骨達、結構強いわよ」

 

「ああ。人間離れしているな」

 

 ランサーと対峙しながらも、視界の端でバゼットの戦い振りを捉えた凛達が驚嘆する。

 現状、二人はランサーと対峙しながら骸骨兵の散発的な攻撃に備えている。同様にランサーはこの二人を正面にしながら、背後にいる骸骨兵を警戒している状態だ。

 

 ガッ!

 

「一体全体、なんでっ!」

 

 ゴッ!!

 

「わたしばっかりっ!!」

 

 バギィィッ!!

 

「こんなにっ!ああっ、鬱陶しいっ!!!」

 

 自然と、囲みの外側にいるバゼットのみが骸骨兵の排除に注力している状態だった。

 獅子奮迅といった趣きで、怒声、或いは罵声混じりに複数の敵を相手取って、降り下ろされる剣を躱し、拳を振るう。既に彼女の周りは斃した敵の残骸で、足の踏み場もない程になっている。

 

「さて、こっちはのんびり待つとするか」

 

 マスターの奮闘を背後に感じながら、ランサーは挑発的な笑みを浮かべた。

 

『セイバー。仕掛けるわよ』

 

『当然だな』

 

 ランサーに対峙する凜とセイバーは念話で会話する。

 今の各々の位置からすれば、前面に凜達、背面に骸骨兵に挟まれているランサーは最も不利だ。しかし、このままバゼットが骸骨兵達を全滅させて合流すればその優位は消える。

 

「ギギッ」

 

 骸骨兵の一体が、ランサーへと歩を進めた。

 

「ん?」

 

 その動きを察知した槍兵が僅かにそちらへと目を向ける。

 

『今っ!』

 

 ザッ!

 

 間合いを一気に詰めるべく、赤のサーヴァントが双剣を構えて駆け出した。

 

「つあぁぁぁっ!」

 

「そりゃ仕掛けて来るよなっ!」

 

 二人が動いてくることを確信していたランサーは、落ち着いて迎え撃つ体勢をとる。

 すると。

 

 バッ―――

 

 二人の中間地点に黄色の宝石が放り込まれた。

 

「照らせっ!」

 

 カッ!

 

 凜の声と共に石は強烈な光を放ち、店内は刹那、全ての空間を白色で満たされた。

 

「なっ!?」

 

 ランサーの口からは驚愕を示すような一音が発せられる。

 

「悪く思うなよ!!」

 

 ジャッ!

 

 セイバーの交差させた双剣による斬撃がランサーを襲った。

 凜とタイミングを合わせたセイバーは宝石が弾ける瞬間には目を閉じており、視界に何ら支障は生じていなかった。

 

「・・・へっ・・・オレも随分と軽く見られたもんだな」

 

 しかし、それはまたランサーも同様だった。

 

「なにっ!?」

 

 ガギィィィンッ!

 

 セイバーの斬撃よりも一手早く繰り出されたランサーの刺突。

 振り下ろす動作に入る半瞬手前で、敵に裏の裏をかかれたことを悟った赤の剣士は寸でのところで攻撃のための剣を防御に切り替えて、槍を受けていた。

 

「ぐぬぅぅぅっ!」

 

「さすが、セイバーってとこだが・・・」

 

 ゴッ!

 

 何かがぶつかる音がするとともに、セイバーは左の肩口に鈍い痛みを感じた。

 

「がっ!?」

 

 横合いから襲ってきたのは、ランサーの右脚だった。

 槍を受けた直後に、繰り出された回し蹴りに踏ん張り切れず、赤のサーヴァントは数歩弾き飛ばされる形となった。

 

「セイバーッ!?」

 

「案外と月並みな手だったな。殺らせてもらうぜ、お嬢ちゃんっ!」

 

 最大の障害である敵サーヴァントを突破した槍兵は、一気に本丸であるマスターへと肉薄する。

 

「凜っ!」

 

 ランサーの狙いを赤のサーヴァントも察知するが、もう間に合わない。

 

「やばっ!?」

 

 背面に巨大な陳列棚を背負っている凜は、後退の余地がない。

 横へと動いて、雑貨が並べられているテーブルを盾にするくらいが関の山。

 そう見えたが。

 

「弾けろっ!」

 

 ドンッ!

 

「なにっ!?」

 

 いつの間に仕掛けたのか。

 凜に詰め寄ろうとしたランサーの足元で、赤い宝石が弾けだのだ。

 

 ザッ

 

 ほんの僅かな時間だったが、敵の足止めに成功した凜はテーブルを跳び越えると、セイバーの近くへと着地した。その足は魔術で強化済だ。

 

「・・・ふぅ・・・あぶないあぶない・・・」

 

「大したものだな。凜」

 

 赤のサーヴァントが窮地を脱したマスターの隣に並ぶ。

 

「サンキュ。とは言え、こりゃちょっと厳しいわね。正面切っての切った張ったじゃ向こうが一枚上手って感じじゃない?」

 

「今の仕掛けは正面切ってたとは言えないと思うが・・・相当な手練れなのは間違いないな」

 

「・・・いやいや・・・」

 

 パンパンと全身に纏わりついた細かい破片を払いながら、ランサーは余裕の視線を向けてくる。耐魔力のあるランサーは魔術自体は殆ど効かない。不意を突かれたため動きを止められたものの、実態としてダメージはない。

 

「いいねえ、お嬢ちゃん。宝石はとっくに仕込んであったわけか」

 

「まあね。でも、今ので使い切っちゃったわよ」

 

「若いのに大したもんだ。場数を踏んでいるってわけじゃねえみたいだが、センスがあるし、何より肝が据わってやがる」

 

「あまりレディに対して使う誉め言葉じゃないと思うけど」

 

 凜はニヤリと笑う。

 

「さてと、そろそろうちのマスターが掃除を終える頃合いかね」

 

 凜との会話を続けながらも、ランサーはバゼットの様子を窺う。

 

「やぁぁぁっ!」

 

 ガスッ!ゴッ!

 

 残った2体の骸骨兵を屠ったところだった。

 

「はぁっ・・・はぁっ・・・」

 

 肩で大きく息をつき、バゼットは油断なく凜達を警戒しながらも、ランサーを睨みつけた。

 

「・・・か・・・片づけましたよ。全部っ!」

 

 骸骨兵だったものの、残骸がそこら中に散らばっていた。

 それを忌々しそうにバキバキと踏み砕きながら、彼女はランサーの元へと近付いてくる。

 

「お~お~。ご苦労様」

 

 ランサーが片手を挙げて、マスターを労う。

 

「思った以上に、早かったわね・・・」

 

 凜が顔を顰める。

 

「一旦退きたいところだけど、位置的にそれも難しいし、スピードも向こうのほうが速そうなのよね」

 

「一戦交えて、その中で隙を見出すしかないな」

 

「向こうは俄然やる気満々だしね」

 

 見れば、ランサーは首をグルグルと回しており、バゼットはバキバキと拳を鳴らしている。

 

『こんな作戦はどうかしら?』

 

『聞こう』

 

 二人はしばし、念話で問答を続けた。

 

『それでいこう』

 

 凜との念話を終えて、嘆息しながら赤のサーヴァントが前に出る。

 

「止むを得んな。どこまで務まるかわからんが・・・私がお相手しよう」

 

 真剣な表情で、セイバーはランサーへと対峙する。

 

「いいねえ、こういうの。尋常なる立ち合いってやつだな」

 

 待ってましたと言わんばかりに青のサーヴァントが槍を構えた。

 

「あくまでも、仕事です。ですが、あなたは好きなようにやってください。それが望みでしょう」

 

 バゼットはランサーの意図を汲んで、その場を離れる。

 

「ありがてえな、やっぱ持つべきものは・・・」

 

 主の言葉に笑みを浮かべた英霊は手にした赫い槍を構えた。

 相対するセイバー達は一気に警戒を強める。

 

「凜っ、離れていろっ!」

 

 ランサーの闘気が一気に膨れ上がったのを感じたセイバーは、凜に声を掛けながら双剣を握る手に力を籠める。

 

「・・・理解のある主だなっ!」

 

 ダッ!

 

 瞬時に間合いを詰めたランサーが赤のサーヴァントにその槍を突き出す。

 それは、ただただ真っ直ぐで、そして鋭い。

 

「つぁぁっ!」

 

 その神速の穂先が自身の体に薄皮一枚届いたかどうか。

 そのタイミングで赤のサーヴァントは裂帛の声を響かせながら、交差させた双剣を上から下へと。

 全身全霊の力を込めて振り上げていた。

 

 ギィぃィぃィぃィぃィぃィぃンッッッ!!!

 

 激突した槍と2本の剣。

 

「うぉぉっ!?」

 

 槍の勢いを斜め上方向へと強引に変換されたランサーはそのまま体ごと宙へと放り出され。吹き抜けを通って、2階の天井付近迄達していた。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 赤のサーヴァントは、自分が稼いだ貴重な時間を最大限有効に使う。

 その手に黒弓と5本の矢を編み上げると、先ず3本を番えて宙に浮いているランサー目掛けて引き絞ると、瞬時に解き放つ。

 

 ゴウゥゥッッ!!!

 

「弓だとっ!?」

 

 思わぬ追撃に驚愕したランサーだったが、反応自体は早かった。

 3本の矢は同時に放たれたにも関わらず、それぞれ明確な狙いがあることが見て取れた。

 両肩と腹部。全てが簡単には躱せないように適度に散らばった部位が狙われている。悪魔的とも言える、容赦のない射撃だ。

 

「ちぃっ!てめえっ、やっぱりまともなセイバーじゃねえなっ!!」

 

 ガヅンッ!

 

 罵声を浴びせながらも、ランサーは2本の矢を体の捻りで躱しながら、避けきれないと見た残りの1本を槍を盾にして防いだ。

 

「ぐっ!?」

 

 だが、矢の勢いに押されてさらに体が浮く。

 

 ドゴゴンッ!!

 

 その背面ではランサーが躱した矢が天井に激突し、屋根に穴が穿たれた。

 それにより、漆黒の空が垣間見えるようになり、ランサーの体はそのまま剥き出しになった鉄骨を擦り抜けていった。

 

「今の時代、これくらいのマルチロールは必須だぞ。いくら高名な英雄でも、時代に合わせたアップデートぐらいはしたほうがいい」

 

 弾き飛ばされた敵には聞こえないにも拘らず、そう嘯いたセイバーが、今度は1本の矢をつがえて、斜め後方を振り向いた。

 そこにはバゼットと対峙する形になっている凜がいる。

 

 ゴッ!

 

 弓から放たれた矢が、彼女の後方にあった巨大な陳列棚に刺さると、

 

 ドゥンッ―――!

 

 爆薬が詰まっていたかのように、小規模な爆発を起こす。

 

 ガラガラガラ・・・

 

 陳列棚は矢の突き立った場所を中心に、大穴が開いた状態となった。背面の板がなくなりバランスが崩れているので、程なくして棚全体が崩壊するだろう。

 

「ナイス、セイバーッ!」

 

 退路が確保された形になった凜は、すかさず自身のサーヴァントが作った脱出路を通り抜けていく。

 

「ちっ、逃がすものですかっ!」

 

 その動きを見て取ったバゼットは凜を追おうとするが、

 

 ゴッ!

 

「っっ!?」

 

 バギィッ!!

 

 バゼットでなければ、間違いなく終わっていたであろう赤のサーヴァントからの一射が彼女を襲った。だが、バゼットは凜を追いながらもセイバーの動向も警戒していた。近距離で放たれた矢に対して、己が拳でその一射を逸らしていた。タイミングを合わせたのは、殆ど勘任せだ。

 

「くぁぁぁっ!」

 

 とは言え、流石に勢いを完全に殺しきれるわけもなく、体ごと吹き飛ばされ、置かれていたテーブルに激突する。

 

「まったく・・・本当に人外レベルだな・・・」

 

 今の攻撃を防がれるとは思ってもみなかったセイバーは、呆れつつも、止めのために3本の矢を精製して素早くつがえた。

 

「くっ!?」

 

 バゼットはその追撃に備えて素早く体勢を立て直すが、既に自身が圧倒的な力を持つ狩人にターゲットとして照準を合わされていることを悟った。『絶体絶命』とはまさに、自身の現状に他ならない。

 しかし。

 

「させるかよっ!!!」

 

 その時、上空から怒声と、

 

 ギュンッ!!!

 

 赫い稲妻が落ちてきた。

 

「ぬっ!?」

 

 セイバーは咄嗟に、既に構ていた矢を稲妻に目掛けて放ったが、その選択が誤っていたとすぐに気が付いた。

 

 ガィィィィィィィィィンッ!!!

 

 衝突した一の赫と三の銀。

 当然に。

 勝つのは、前者だ。

 

 ドゴォォォッ!

 

 銀色の矢群を、赫い槍が蹴散らして。

 敷き詰められたフロアタイルを削って、深々とそれは床に突き立った。

 

「ぐぅっ!」

 

 槍の通り道には赤のサーヴァントがいた。彼が纏っていた外套は切り裂かれ、左肩から下に向けて一筋の裂傷を負う。微かに軌道が逸らされたこと。そして体の捻りで結果的には最小限の傷に留まった。

 

「てめえが撃ってくんなら、こっちは投げるしかねえよなあ」

 

 ギュンッ―――

 

 床に刺さっていた槍は、意志を持ったかのように振動して抜けると、上空のランサーの元へと戻ると、鉄が磁石に吸い寄せられるように主の手に収まった。

 ランサーはその槍を真っ直ぐに構えて、セイバーへと落下してくる。

 

「ちぃっ!」

 

 手傷を負った赤のサーヴァントは、弓をその場に落として、詠唱することもなくその手に双剣を瞬時に出現させる。

 

「そうこなくっちゃな。セイバーのくせにアーチャーの真似事なんかするんじゃねえっ!」

 

 ギィンッ!

 

 落下してきた槍の穂先を躱しつつ、右の白剣で槍の柄の部分を払う。

 だが、払われた槍はそのまま大きく、そして素早く円を描いて、今度はセイバーの腹を薙ごうと襲ってくる。

 

「くっ!?」

 

 手傷を負った分、微妙に反応が遅れているのをセイバーは感じていた。バックステップでその攻撃をやり過ごすが、穂先が腹の皮一枚を削いでいく。

 

「バゼット!こっちはいい。向こうのお嬢ちゃんを追えっ!」

 

「言われなくても、わかっています!」

 

 タタッ―――

 

 一時、セイバーに狙われていたバゼットだが、今はランサーが押さえている状況だ。遮蔽物の多いこの戦場で、この場から姿を消した敵のマスターの動きをマークする必要がある。

 バゼットは、遠坂凜が通ったルートをなぞるようにして、その行方を追った。

 

「さて、いきなりあれだけの弓の腕前を見せられると・・・お前がセイバーなのか・・・それとも本当は違うのか、色々と疑念は浮かんでくるがな・・・」

 

 ランサーは横目でバゼットが陳列棚の奥へと駆けていくのを見送りながら、セイバーに対峙する。三歩踏み込めば間合いに入るという距離だが、槍は無造作に肩に担いでいた。

 

「ふん。いっそのことそのままアーチャーだと思ってくれないかね?そのほうがこの後の展開としては、私には好都合だ」

 

 対するセイバーは、いつ仕掛けられてもいいように双剣を体の前面にしっかりと構えている。

 力も速さも明らかに向こうが上。対処を間違えれば、持ち堪えることはできない。セイバーは彼我の力量差を正確に見積もっていた。

 

「てめえのような輩と会話しても無駄なことはわかってるさ。はっきり言って、お前がセイバーだろうが、アーチャーだろうが、まかり間違ってキャスターだろうが・・・そんなことは、オレにとってはどうでもいい」

 

「・・・だろうな」

 

「弓の使い手としても、そして剣の使い手としても、英霊たるに相応しい猛者が、今、オレの目の前にいる・・・」

 

「お褒めに預かり光栄だ」

 

「それだけで、充分だ!」

 

 ブンッ!

 

 ランサーは刹那で間合いを詰めると、弧を描いて槍を横に薙いだ。

 

 ガギンッ

 

 セイバーはそれを黒剣で受けながら、勢いを殺すように軽く右へと跳ぶ。さらに、その先にあったダイニングチェアを掴むと、

 

 ブンッ

 

 追撃してくるランサーへと放る。

 

 バギャッ!

 

 眼前に迫ったその椅子を槍で破壊したランサーの目の前には、セイバーが既にいた。

 

「ふっ!」

 

「ちぃっ!?」

 

 ギィィィンッ!!

 

 同時に振り下ろされてきた双剣を横にした槍でランサーは受け止める。

 一本の槍と二本の剣が形作る二つの十字の交点に猛烈な圧力がかかり、赤と青のサーヴァントの超人的な力比べが均衡する。

 

「ほんと、大したもんだぜ。搦手気味の戦法が得意なようだが、常に考えながら戦っている。とんでもねえ場数を踏んでるのは間違いないな。てめえ、どこの英霊だ?」

 

「ふふ。そういうキミはなんとなく察しがつくぞ。獣の如き眼光、その速さ、そして赫の長槍」

 

「けっ!そりゃ、正体なんて明かす筈ねえよな。つまんねえ縛りだぜ」

 

 その言葉とは裏腹に、英霊クー・フーリンの紅潮した精悍な顔には歓喜の笑みが浮かんでいた。

 

 

 Interlude out

 

 

 

 












伝統の一戦をお届けしております。


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第36話 ~2日目②~ 「弐vs壱」

2月1日 未明








 Interlude in

 

 

「・・・逃げられました・・・か?」

 

 バゼットは目線を左右に送って、周囲の様子を窺う。

 この辺りはバスルーム関連の商品が集められたエリアだった。シャンプーボトルやバスマットなどの商品が丁寧に陳列されている。

 敵のマスターである遠坂凜を追って来たわけだが、障害物の多い店内では、一度見失った相手を捕捉するのは容易ではなかった。

 

「確かに一旦、マスターが離脱してサーヴァント単体になったほうが、行動しやすいという考え方もあるでしょうが・・・」

 

 もし、この状況で彼女が逃げれば、敵のセイバーは、ランサーとバゼット両者を相手取ることになる。勿論、バゼットは単独で、最優と謳われるサーヴァントであるセイバーと渡り合えるわけはないが、ランサーをバゼットが支援するということになれば、圧倒的にセイバーが不利に陥ることくらいは察している筈だ。

 魔術協会から派遣されてきたバゼットは、聖杯戦争の要であるアインツベルン、遠坂、間桐という御三家の情報は一通り得ている。今代の遠坂家当主、遠坂凜はまだ若いが、五大元素を司る優秀な魔術師と聞いている。

 年齢や経歴から考えて実戦経験が豊富なわけではないだろうが、先程のランサーの仕掛けに対する対応力を見ていると、戦闘時における機転や判断力は秀逸なように感じられた。

 

「どこかに潜んで、機を窺っていると考えたほうが良さそうですね」

 

 ドゴッ!!

 

 おもむろにバゼットは手近な陳列棚を強かに殴りつけた。

 木片が弾け飛び、

 

 ズズゥゥゥン―――

 

 棚はゆっくりと横倒しとなり、そこに収まっていた商品群はバラバラと散逸する。

 

「・・・であれば、探すよりも、炙り出す方が早い」

 

 

 

 凛はクッションが積み上げられたワゴンの影に隠れて、相手の様子を窺っていた。

 なんとなくだが、戦闘人形(バトルマシーン)という言葉が頭に浮かぶ。

 追ってきた女は、一見無防備なようにも見え、特段敵の攻撃に備えているという風でもない。だが、その周囲にはある種の結界が張られていて、間合いに入った敵を瞬時に探知し、自動的に迎撃されるのではないかと思わせるような雰囲気が滲み出ていた。

 

「とんでもない出鱈目っぷりね」

 

 先程から見せる彼女の戦いぶりは凄まじい。

 霊長の限界を極めた体術と、強化系魔術のブレンドによる類稀な戦闘能力。

 ランサーが呼んでいた彼女の名は【バゼット】。

 

「聞いたことがあるわ。封印指定の執行者で、戦闘特化型魔術師の女がいるって。あれが協会からエントリーされたってわけね」

 

 聖杯戦争には魔術協会の参加者枠がある。これだけ有力な魔術師が偶然マスターになるわけがない。

 とんでもない人間兵器を送りつけてきたものだ。

 

「脳まで筋肉がギッシリ詰まってるって噂は本当だったわね・・・」

 

 そうこうしているうちに、自身の潜む位置へと徐々に近付いてくる。そろそろ仕掛けないと不味い。

 と同時に、仕掛け時とも言える。

 いくわよ。

 

「そこにいましたか」

 

「げっ!?」

 

 自身の思考が読まれた?

 そんな疑念が頭をよぎる程のタイミングで、捕捉されてしまった。

 こちらの攻め気が、体の揺らぎに繋がってしまい気配を悟られたか。

 

 ザッ!

 

 一蹴りで、こちらへと飛び込んでくるバゼット。

 既に距離が近い。

 

 バッ!

 

 凛は自身に影響しないよう、氷結魔術を封じた宝石を投じた。

 

「凍れっ!」

 

 バゼットを取り囲むように至近距離に浮かんだ3つの宝石が、その効力を発揮する寸前。

 

「つぁぁっ!」

 

 バリリリンッ・・・

 

 その全てを、拳と蹴りで砕き割っていた。

 

「そうなるわよねっ!」

 

 だが、1秒ちょっとの貴重な時間を稼ぐことはできた。

 凜は宝石を放る間にも、隠れていたワゴンから移動して、食器類を陳列した大型の陳列棚に挟まれた通路へと入る。

 正面から打ち合う気は毛の先ほどもない。

 あれと白兵戦をやらかすなど論外だ。

 遮蔽物の多い状況を活かしながら、徹底的に相手の視界に入らないようにして、遠距離から攻撃を仕掛けていきたいところだった。

 

「爆ぜろ!」

 

 置き土産にワゴンの下に残してきた宝石。

 それを起爆するための、一節を唱える。

 バゼットの正確な位置はわからないため、効果があるかはわからないが、ダメージを与えられれば儲けものだ。

 

 ドゥンッッッ!!

 

「へっ?」

 

 凜は想定していた地点よりも遥かに近くで、爆音を聞くことになった。

 

 ガシャァァァァァァンンンッ!!!

 

「きゃぁっ!!!」

 

 割れた食器類の破片が雨あられと叩きつけられる。

 咄嗟に両腕で顔を守る事しかできない。

 完全に想定外の事態だったので、防御結界を張る暇も身体を硬化させる余裕もなかった。

 

「・・・う・・・つぅぅ・・・」

 

 そう長くは続かずに、嵐が収まる。

 控え目に言って、全身血塗れ、裂傷だらけ。

 赤いコートとその下のカットソーを切り裂き、硝子の破片が脇腹に食い込んでいたりもする。

 切り傷特有の鋭利で、耐え難い痛みが、全身をキリキリと苛んでいる。

 

「・・・ちっくしょ・・・何やってんのよ、わたしは・・・」

 

 おそらく、隠していた宝石に気付いたバゼットは、即座にこっちへと宝石を投げたのだろう。それが爆発して、陳列されていた食器類を吹き飛ばしたというわけだ。

 小声で悪態をつき、治癒魔術で応急処置を施しながら、それでも移動する。

 とにかく一つ所に留まってはいられない。追いつかれて、接近戦に持ち込まれたらお陀仏(ジ・エンド)なのだ。

 

「遠坂凜!あなたには確認したいことがあるのです」

 

 何の意図があるのか。

 おそらく陳列棚を複数挟んだ向こう側にいる筈のバゼットが、そう問い掛けてきた。

 

「監督役の神父・・・言峰綺礼についてです!彼は、法的にはあなたの保護者であり、また、魔術師としては、あなたの父親である遠坂時臣氏の弟子でもある筈。実際、私は彼とあなたが親し気に話しているのも見た」

 

「答えるわけないじゃない」

 

 口の中だけで、反論する。

 常識的に考えて、こちらの位置を把握するための罠だとしか思えなかった。

 

「あなたは、彼の本性を知っているのですか!」

 

「なんですって?」

 

 知りたくもないが、知ってるに決まってる。

 似非(エセ)神父。

 現状では未成者に過ぎない遠坂凜の保護者。

 私が尊敬する父さんを守れなかった使えない兄弟子。

 八極拳・・・ベースの怪しげな格闘術の達人にして、師匠。

 人の皮を被った鬼畜。

 人類の限界というものを量るためにのみ生産されているとしか思えない、あの【紅州宴歳館・泰山】の【赤い悪魔】が大好物。

 そして、何と言っても、

 心の内を読むことが絶対不可能な・・・理解不能、意味不明の男。

 

「・・・・・・ん?」

 

 あれ?

 そうだ。結局のところ、大事なことは何も知らない?

 いや、違う。

 知ろうとしなかったし、知ってはいけないと思っていた。

 知らなくても、あいつの根っこのところは、はっきりとわかるのだ。

 あの男だけは、どんなにそれっぽい優しさを見せられたとしても、まかり間違って親愛の情を感じたとしても、何があっても。最後の最後では自分の命運を委ねてはいけない、絶対に信じてはいけない(たぐい)の人間だということが。

 

「あの男は、サーヴァントを従えています」

 

「は?」

 

 思わず、素っ頓狂な声が漏れる。

 これは、流石に想定外だった。

 綺礼がマスター?

 そんなことが許されるわけがない。

 いや、許す許さないは、監督役が決めるのだから、この論法はおかしい。

 あいつがやるのだから、誰にも咎められないということになる。

 

「私をこの地に招いてくれたのは、彼だったのに」

 

 んん?

 凜のアンテナが反応する。

 何やらおかしな成分の混じった言葉だ。

 

「裏切られたってわけね」

 

 バゼットの会話に応じることにした凜は、遠くにいる筈の相手に聞こえるように声を張り上げる。

 ただし、足は止めない。なるべく優位に立てる場所を求めて、動き続ける。

 

「あなたは、あいつの推薦でこの聖杯戦争に参加することになったってことかしら?」

 

「そうです」

 

「それはあなたが強力な魔術師として、有名だったから?」

 

「いいえ。私と彼は以前から親交・・・面識があったからです」

 

「そう。さっきの話だと、どうやらこっちに来てから、あいつと一悶着あったみたいね」

 

「はい。彼に殺されかけました。ランサーのお陰で九死に一生を得ましたが」

 

「成程ね。ランサーとかち合っても死んでいないってことは、その時、綺礼のサーヴァントが出てきたってことね。何のクラスだったの?」

 

「・・・アーチャーです」

 

「・・・アーチャー?・・・()()()()()()()()()()()()()()()()()・・・いいえ、そもそも綺礼のやつが嘘をついていたってこともあるか・・・」

 

 凜は少しだけ考え込んだ。

 

「それは確かなのかしら?」

 

「正確なところはわかりません。もしかしたら、正式な形で今回召喚されたわけではないのかもしれない。イレギュラーな存在であることが、言葉の端々から感じられました」

 

「・・・成程ね。それなら辻褄は合うか・・・つまり、サーヴァントが8人いるかもしれないってわけか」

 

「その可能性も否定できない」

 

「OK。貴重な情報をどうも」

 

 凜はニヤリと笑った。

 

「それにしても・・・」

 

 準備は整いつつある。凜はポケットの中の宝石の感触を確かめた。

 

「あいつがこっちの想定外のことをしでかすのも、あいつが人を裏切るのも、当たり前じゃない。有史以前から決まっているくらいの確定事項。そんなの一目でわかるでしょ」

 

「な・・・なんですって?」

 

「あんな男を信じるなんて、あなたよっぼど初心(うぶ)なのね」

 

「そんな・・・彼は、あんなにも強く、泰然として・・・」

 

 声の位置と方角からして、こちらが移動するのをほぼ一定距離を保つように、バゼットは移動している。

 向こうとしては、こちらを即座に仕留められなくても、封じておけばいいと考えているようだ。

 それだけ、自身のサーヴァントを信用しているということだろう。

 一対一の状況を作れば、ランサーなら必ず勝つという。

 

「・・・それはこっちも同じよ・・・・・・ちょっと方向性は違うけどね」

 

 凜はチラリと自身のサーヴァントが大穴を穿った陳列棚を確認する。

 会話を続けながらも、少しずつ移動してきた。

 自分を追うバゼットの声は徐々に近付いている。その動きには無駄がないとも言えるが、些か直情的に過ぎるようにも感じた。

 今、凜はタオル類が展示されている棚に身を隠している。

 握っていた宝石に魔力を通す。

 これがカウントダウン開始の合図だ。

 ここからきっちり5つ数える。

 5、4・・・

 

 バッ!

 

 凜の手から赤い宝石が投じられた。身を潜めていた棚と天井の隙間を通り、バゼットがいると推測される地点に向けて放物線を描く。

 

「そこですねっ!!」

 

 宙を舞った宝石に向けてバゼットが、尋常ならざる反応で跳びかかる。

 

「燃えろっ!」

 

 バリィッ!

 

 魔術が効力を発揮したかしないかの瀬戸際。

 バゼットの右掌によって、掴まれた宝石は瞬時に握りつぶされていた。

 

「漸く見つけましたよ」

 

 そのままの動きでバゼットは天井と棚の隙間を搔い潜って、凜へとその拳を振り上げた。

 

「・・・ゼロ」

 

 そう、遠坂凜はごく小さく呟く。

 

 ゴウッ!

 

 凜とバゼット目掛けて、何かが高速で飛来した。

 

 

 

 バギイィィンッ!

 

 赤のサーヴァントの左手にあった黒剣が鈍い悲鳴を上げて、砕けた。

 

「はッ!」

 

 自然の流れとして、青のサーヴァントは、邪魔するもののなくなった通り道にその長槍を走らせる。

 だが、

 

 スゥ―――

 

 手品のように再び現れた黒剣が、

 

 ガィィッ!

 

 その一撃を受け流していた。

 

「おいおいっ!?」

 

 直後に振るわれた白剣を後方に大きく跳んで躱しながら、ランサーは悪態を吐く。

 

「まったく、どういうカラクリだ。その剣は?」

 

「壊れると自動的に復活する魔剣だな」

 

 両手に双剣を構えて敵の動きに備えながらも、()()()()は、表情を変えずに淡々と答える。

 

「ぬかせ」

 

「そもそも壊れないで欲しいのだがな。まったくもって、キミの槍の力は桁外れだな。敬服するばかりだ」

 

「その武器はさっぱりわからないな。東洋起源の剣だということくらいはわかるが。そして、てめえ自身の真名もな」

 

「その点、キミの正体はだいぶ察しがつくな。手にした赫の長槍、スピード、技の切れ、そして勇猛な戦いぶり。マスターが英国系というのもヒントになるか」

 

「ちっ。まあ、多少正体が絞り込まれたところで、ここで斃しちまえば関係ねえさ」

 

「そう易々と思惑どおりいくと思うかね?」

 

「ふん。そっちの力量は把握したぜ。あの手この手で驚かせてくれるが、素の技量で図抜けたものはない。多彩さは見事だが、やはりセイバーとしては少々物足りないな」

 

 ランサーの目がギラリと獰猛な輝きを孕んだ。

 

「次で殺らせてもらう」

 

「やれやれ、どうやら期待外れとの評価を下されてしまったようだな」

 

「そんなことはねえよ。お前はスゲえ。何て言うか、極限まで磨きあげてきたその過程(プロセス)がこっちにビンビン伝わってくるぜ。多分、人間やめちまって、その技のために体も心も削ってきたんだろうさ」

 

「その賛辞は、光栄なものとして受け取ろう。大英雄」

 

 打ち合った数は50合を超えているが、実態としては相手の攻撃を寸でのところで捌いているに過ぎず、セイバーからの有効な攻めは数えるほどだった。

 まあ、当然だな。

 心の中で、自嘲めいた呟きを漏らす。

 この相手が推測どおりの英雄だとすれば、自分如き凡人がここまで剣を交えられたのは僥倖というものだろう。

 ん?

 纏った外套の内側が、ほんのりと少しだけ熱を帯びた。

 待っていた合図だった。

 警戒されるリスクを避けるため、あくまでも視線は動かさず、視界の端に映る物の位置を確認する。それは、散乱したカラーボックスの付近に落ちており、ランサーからは見えない。

 

「行くぜっ!」

 

 ランサーが一気に間合いを詰めてくる。

 

「ふっ!」

 

 バッ!

 

 その動きと同時にセイバーは、ランサー目掛けて黒剣を投じる。

 

「なにっ!?」

 

 意表をつかれたランサーだったが、

 

 ガィィンッ!

 

 難なく、飛来した剣を槍で弾いた。

 

 ザッ

 

 一方の、セイバーはその間にも、左に大きく動くと目的の物を拾い上げた。

 それは今の一対一の戦いが始まった直後に、落とした弓と矢だった。

 

「今さら、弓が通じると思うなよっ!」

 

 ランサーが吠えながら、槍を構えて突貫してくる。

 それを()()で視認しながら、極限まで無駄を省いた動きで、右手の腹辺りで白剣を持ちながら、赤のサーヴァントは矢をつがえた。

 その先には、陳列棚に穿たれた大穴がある。

 

「なっ!?」

 

 狙いは自分ではない!?

 矢の向けられた方向と、敵の狙いに気付いたランサーが焦りの色を浮かべた。

 

「生憎だが、こっちは初めからマスター狙いだ」

 

「畜生め!」

 

 ゴウッ!

 

 銀の矢が黒弓の弦から解き放たれる。

 ランサーは咄嗟に自身の軌道を変えてその矢を止めようとしたが、時既に遅し。

 それを察した彼は、全力で警告(アラート)を発するしかなかった。

 

「バゼット!避けろっ!!!」

 

 

 

「バゼット!避けろっ!!!」

 

 ランサーの絶叫が広い店内に響き渡った。

 だが、その声が空気の振動となって、バゼットの鼓膜に到達する前に、

 

 ゴッ!

 

 並んだ棚の通路を切り裂き、必中・必死の矢尻が彼女に届く。

 一流の魔術師、いや超一流の魔術師程度では、サーヴァントの放った必殺の一撃を避けることなど不可能だ。完全に不意を突かれたなら、猶更だ。

 だが、こと、戦闘に関するセンスでは、バゼットはもう一つ『超』がつく魔術師だった。

 

「っ!?」

 

 矢が切り裂く空気の流れ、或いは凜の動きに何某かの意図を感じ取ったのか。

 確実に心臓を打ち抜く軌道。それをほんの数cmだけ、体を捻ることでズらしていた。

 

 ザシュゥゥゥッッッ!

 

「くあぁぁぁっっっ!!!」

 

 だが、それで完全に銀の矢を躱しきれる道理もなく、バゼットの左半身の肉をこそぎ落としていった。

 大量の血飛沫が眼前の凜や、周囲の棚や通路を赤く染める。

 

「あれを、避けたっ!?」

 

 一方、バゼットの襲撃を受ける寸前だった凜だが、完全に不意をついた今の攻撃で致命傷を負わせられなかったことに驚愕する。

 とは言え、眼前のバゼットは相当な裂傷を負ったのは間違いない。

 止めを刺す好機ではある。

 いや・・・

 

「ここは欲張るとアブナイなヤツよね」

 

 凜は、すぐに頭を切り替えた。

 

 ダッ

 

 彼女は右手方向、即ち店の奥側へと駆け出す。

 なにせ左手側からは、目を血走らせた獣が迫ってくるのだ。

 

「バゼットォッ!!!」

 

 今、彼の大事なマスターに迂闊に手を出そうとすれば、自分の命運など蟻ほどの価値もなく踏み潰されるだろう。

 

「凜っ!離脱しろっ!」

 

 ゴゴウッ!

 

 牽制のために、自身のサーヴァントが矢を何本か放つが、ランサーは後方から飛来する矢に対して、まるで後ろに目がついているかのように、槍を振るって叩き落す。

 

「まったく、どいつもこいつも化け物だらけよね」

 

 凜はその様を見ながら、ランサーの視界から外れるために通路の端で右に曲がると、回り込むようにして店の出口へと向かう。

 自分のサーヴァント(相棒)も同じ場所を目指している筈だ。

 

 

 

「お疲れ様。()()()()

 

「マスターもな。いい立ち回りだった」

 

 店の外で合流した二人は、並んで走りながらお互いを労う。

 バゼットのダメージはかなり深刻だ。おそらく、ランサーはすぐには追ってこられない。

 

「それにしても、強烈な二人だったわね」

 

「ああ。間違いなく強力な相手だった。私も正直あのまま1対1で戦い続ければ、勝ち目は薄かった。幸い連携面では我々のほうが上だったわけだが」

 

「マスターを斃せれば良かったんだけどね」

 

「あの状態でマスターに止めを刺そうとすれば、逆上したランサーから捨て身の反撃を受ける可能性もある。逃げて正解だ」

 

「それで、次に戦う事になった時には勝てる?」

 

「大丈夫だ。向こうの正体はほぼ露見した。私はどちらかと言えば器用貧乏なタイプだが、逆に言えば手持ちのカードは多い。敵の情報があれば優位に立ちやすいからな」

 

「そ。期待しているわね」

 

「存分に期待してくれたまえ」

 

「でも、バーサーカーはとんでもないし、校舎を消した奴もいるし、ランサー陣営も強烈だし。いやあ、やっぱ一筋縄にはいかないわね。聖杯戦争」

 

「容易な戦いではないのは事実だな。だが、キミと私ならきっと勝利を掴み取れるだろう」

 

「ええ。やってやりましょう、セイバー」

 

 凜は隣を走る己がサーヴァントとその目を合わせる。

 

「そう言えば、ランサー達が強烈過ぎて忘れちゃってたけど、キャスターも仕留めそこなっちゃったわね」

 

「そうだな。あれだけの竜牙兵を操っていたということは、かなり魔力を搔き集めているのだろう。早めに潰したいところだな」

 

「あんた、キャスターの正体もだいたいわかっているっぽいわね」

 

「そうだな。今日出てきた骸骨兵は、古代の魔術で竜の牙から生み出されたという竜牙兵だろう。あとは、風体や態度などで見当がつく。十中八九、逃亡のために弟を切り刻んで囮にしたという魔女メディアだな」

 

「・・・聞いたことあるわ・・・如何にもって感じよね。切羽詰まっている筈だから、なりふり構わずに魂喰いを乱発しそうね」

 

「実際、それ以外に手立てがないだろうからな。早々に潰すべきだ。無論、キャスターに負けるつもりなどないだろう?」

 

「あったりまえじゃない」

 

 二人は後にしてきた道を振り返った。

 先程まで戦場となっていた建物は既に見えなくなっている。

 

「ま、なんにせよ、とっととこの場をズらかるわよ!」

 

「・・・凜・・・その台詞はどうかと思うぞ・・・」

 

 セイバーは眉間に皺を寄せて、渋面を作った。

 

 












忙しさにかまけて更新が遅れました・・・
普通に戦えば、バゼットさんに凜が勝てるわけないのですが、キャラ的には凜がバゼットさんに負けるわけもなく、こんな結果になりました。


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第37話 ~2日目③~ 「その洋館には人がいない」

2月2日 未明








Interlude in

 

 

「あら?どうしたのですか、お爺様?」

 

 正午という時間帯にも関わらず、薄暗い間桐邸の廊下。

 昨日は一日中姿を見掛けなかったこの邸宅の主、間桐臓硯と間桐桜は鉢合わせした。

 

「随分とお体の具合が良くなさそうですね」

 

「・・・く・・・どうもせん・・・」

 

 四肢の多くを欠損した老人は、苛立ちを隠そうともせずに言葉の上では否定する。

 昨日の未明、間桐臓硯はアサシンの召喚を企てたものの、果たせずに戻った。というだけでなく、キャスターとの一戦で、自身の身体を構成する素材、即ち蟲達の大半を失ってしまった。急場しのぎで貯蔵(ストック)していた蟲で補っていたものの、その日のうちに損傷した体を完全には再構築しきれていない状態だ。

 深夜になったら、街で生贄となる人間を襲うつもりだった。

 

「それにしても、桜よ。遂にあの影を受け入れたのだな。何よりじゃ」

 

 臓硯とすれば、自分自身から話題を反らしたいという意図もあって、桜に問い掛ける。

 老人の本体とも言うべき蟲は、彼女の中に潜んでいる。そのため、衛宮士郎の死を契機として、あの影と同化したこと自体は百も承知だった。

 

「うふふ。ありがとうございます。おかげさまで私、今すごく開放的な気分です。それに何より・・・」

 

 黒い桜は両手を広げて、その目を細める。

 

「あんなに慌てた姉さんを見れたのは、すごく気持ち良かったです」

 

 ペロリと唇に舌を這わせたその仕草は蠱惑的とも表現できる程で、とてもあの控えめだった少女のものとは思えなかった。

 臓硯は、その(さま)に微かな不安を覚える。

 

「うむ。その時の様子は蟲を通じて見ておったのじゃが・・・ライダーにはなぜあのようなことをしたのじゃ?まだまだサーヴァントとして使っても有用じゃったろうに。」

 

「・・・ちょっとしたお仕置きです。なぜか先輩と親密な雰囲気を仄めかしたんですもの・・・でも、考え違いだったようです。私もカッとなってしまって勢いでやってしまいました。ちょっと反省です」

 

「・・・そうか・・・既にしてしまったことは、無にはできん。止むを得まい。とは言え、聖杯戦争はまだ始まったばかり。いくら、その姿になったお前でもサーヴァントとまともに戦うのはリスクもあろう」

 

「大丈夫ですよ。少し様子は変わりましたけどライダーは充分に手懐けられます。基本的に戦いは彼女に任せますから」

 

「・・・む・・・なんじゃと・・・?」

 

 臓硯は困惑した。桜を黒化させたことは計画どおりではあったが、あの影の本体、【アンリマユ】が関連する全ての仕組みを把握しているわけではない。今の話からすれば、ライダーは消えたように思えたが、あくまでも取り込まれ、変質させられただけということだったのか。

 

「お爺様はかなりお疲れのご様子。この後のことは私にお任せいただき、少し休まれた方が良いのでは?」

 

「・・・孫娘にだけ負担を掛けるわけにもいくまい・・・とは言え、まあ良い。しばらくの間はお主の好きにするがよかろう」

 

 今の臓硯には強がるだけの余力もなく、そう告げてこの場を立ち去ろうとした。

 すると、その先からふらふらとした覚束ない足取りでやってくる人影があった。

 

「・・・畜生・・・どこに行きやがったんだ。あの女」

 

 その人物、間桐慎二が俯いたまま苛立たし気に呟く。 

 

「あら?どうなさったんですか、兄さん。いつにも増して、険しい顔をなさって」

 

「・・・桜?・・・それに爺さんもか・・・」

 

 慎二は既にかなり近付いていたが、桜に声を掛けられて漸く二人の存在に気が付いたようだった。

 

「兄さん、相変わらずお心が優れないご様子ですね。お部屋でお休みになっていたほうがいいんじゃないですか?」

 

 ライダーのマスター権を桜に返し、実質的に聖杯戦争からリタイアすることになってからの慎二は、臓硯にも桜にも殆ど関与することがなくなった。実際には、意識的に避けているのだろう。

 

「・・・桜、ライダーはどこに行ったんだ?昨日(きのう)からずっと姿を見掛けないぞ」

 

「あ、そういうことですか・・・つまり、欲求不満なんですね?」

 

「う・・・うるさい!とにかく、あいつはどこに行ったんだ!?余計なことはいいから早く教えろっ!」

 

 桜の言葉に侮蔑的な響きを感じて声を荒げたが、慎二はふと彼女の様子が以前と違うことに気が付いた。

 

「・・・って、お前・・・なんか変だぞ・・・」

 

「うふふ。そう言えば、兄さんにもこの姿をまだお見せしていなかったですね」

 

 桜は朗らかとすら言える微笑みを浮かると、

 

シュルルルル―――

 

 彼女の全身からは無数の漆黒の帯が、蠢き始めた。それは、あたかも黒い蛇が鎌首をもたげて獲物を見定めているかようだ。

 

「な!?なな・・・なんだよ・・・お前・・・それ・・・」

 

 唖然とした慎二は腰を抜かして、その場にへたり込む。

 

「うふふ・・・そんなに驚かなくてもいいじゃありませんか・・・ライダー、兄さんがあなたをご所望よ。出てらっしゃい」

 

 ズズ・・・

 

「・・・・・・はい」

 

 桜の影から、ズルリ・・・と現れたのは、確かにライダーだった。

 長身、長い髪、細身。それでいて豊かなボディラインがくっきりとわかる露出の多い扇情的な服装(コスチューム)は以前と変わらない。

 だが、その姿は明らかに異様だった。

 白く透き通るようだった肌は一層白くなっており、元々備えていた艶やかさや滑らかさが失われていた。薄紅色の眼帯は煤けたように黒ずんでおり、全体的に色彩に欠け、味気ないモノトーン調といったところだが、病的と表現するのが相応しい。

 本質的に何かが違う。

 

「な・・・なんだ、コイツは?」

 

 その異様さを慎二も敏感に察して、あからさまに狼狽(うろた)える。

 

「そんなに怖がらなくてもいいじゃないですか。ほとんど変わっていないでしょう?兄さんはライダーの肉体(からだ)だけがお目当てなんだから。スタイルは全く変わっていませんし、むしろ受肉したから、具合が良くなっているかもしれませんよ」

 

 保証はできませんけど、と桜は軽やかな口調で付け加える。

 

「・・・そんなわけあるか・・・まるで、感じが違うじゃないか・・・」

 

「ふふふ。だから、試してみないとわからないんじゃないですか?」

 

「い、いや・・・もう、いい!・・・もう・・・いらない!!こんなの・・・」

 

「つれないですね、シンジ」

 

 発せられたライダーの声は冷たく、そして無機質だ。

 

「いつも、あれだけねちっこく私の肉体(からだ)にむしゃぶりついていたじゃありませんか?『いらなくなったからポイ』と言うのではあまりにも身勝手というもの」

 

 ゆっくりと、その足を一歩踏み出す。

 

「ひ・・・」

 

 依然としてへたり込んでいる慎二は、廊下についた両腕と両足をカサカサと動かして後退りする。だが、それで逃げおおせる筈もなく、ゆったりと歩みを進めるライダーはなんなくその距離を詰めていく。

 

「どうしたのですか?私から逃げるなんて、シンジらしくないですよ」

 

「ま・・・待ってくれ・・・」

 

「何をです?まさか、私があなたに何かをするとでも?」

 

「ぼぼぼ・・・僕が・・・僕が悪かった・・・・・・許してくれ」

 

「ふふふ。悪い事をしていた、という自覚はあったわけですね?」

 

 艶然と微笑んだ女がすらりとした白い腕を伸ばすと、しなやかな指が男の頬に触れる。やがて蛇の牙のように鋭く尖ったその爪が肉に食い込み、じんわりと血が滲んできた。

 

「・・・ひぃ・・・痛い・・・痛い・・・やめて・・・くれぇ・・・・・・」

 

「ええ、ええ・・・何も()()()()()()()()じゃないですか・・・私があなたをどれだけ、()()()()()()()()と思っていたことか。脳みその中までワカメが詰まっているあなたには想像もできなかったことでしょうね」

 

「た・・・たた・・・助けてくれぇ・・・」

 

 成す術もない間桐慎二(えもの)の顔は、止めどなく溢れ出している涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになっていた。

 

「いやだあぁぁぁっ!爺さんっ!桜ぁっ!この化け物をなんとかしえくれぇぇっ!!!」

 

「ライダー、あんまりお(うち)を汚さないようにしてね」

 

 溜め息をつきながら、軽い調子で桜は自身のサーヴァントにそう告げただけだった。

 

「なっ!?桜っ!お前、何言ってんだよぉぉぉっ!?だいたいこいつはお前のモンだろうがっ!ちゃんと躾をしろよっ!!!」

 

「承知しました。じっくりと恐怖を味わわせながら、惨たらしく始末したいところではありますが・・・この汚物(ゴミ)の騒々しい声を、これ以上聞かされるのも耐え難いですし」

 

 ライダーは左手を後頭部に回すと、白い指で眼帯の留め具を外す。【自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)】から解き放たれ、美しい瞳が露になった。

 【石化の魔眼(キュベレイ)】が発動する。

 

「・・・は・・・?・・・な・・・なんだよ・・・これ・・・僕のからだが・・・?」

 

 間桐慎二はパキパキという骨が軋むような異音を発する自身の体を、唖然として見つめる。魔力を有さない者にとっては女の瞳の美しさなどなんの益にもならず、抵抗する術を持たない肉体は瞬く間に、灰色の石へと変じていく。

 

「・・・い・・・いいい・・・いやだぁ・・・・・・・・・」

 

 今際の際に及んでも、無意味な言葉を発する(いとま)しか与えられず。

 間桐慎二という名の少年は、ただただ無機質に、無機物となり果てた。

 両膝を突いて座り込み、自身の有り様を見て歪んだ表情を浮かべた不格好な彫像。そこに残ったものは、それだけだった。

 

「可哀そうな兄さん。これじゃ美術的な価値もなさそうね」

 

「はい。ただ単に邪魔で、しかも非常に目障りですね。外で壊してきます」

 

「ええ。そうして頂戴」

 

 桜の言葉に首肯したライダーは、桜たちのほうを振り向かずに眼帯を再び装着する。そして、間桐慎二だったものの石像を無造作に担ぎ上げると、廊下の先へと消えていった。

 

「あれは・・・燃えないゴミ・・・になるのかしら?お爺様、ご存知ですか?」

 

 ライダーの後ろ姿を見送った桜は小首を傾げると、一部始終を静観していた間桐臓硯にそんなことを問う。

 

「・・・・・・確かに慎二はもう不要ではあった。だが、殺す必要もなかったのではないか?うまく使えば、目くらまし程度には使う機会が訪れる事もあろう。これまでの仕打ちへの意趣返しということかのう?」

 

「そんなことはありませんよ。お爺様もご覧になっていたと思いますが、今のは私の意思ではなくライダーの意思です。よっぽど嫌いだったみたいですね」

 

「・・・それだけなら良いがの・・・」

 

 桜が微塵も止める素振りを見せなかったことも事実だったが、臓硯はそれ以上の会話を諦めることにした。

 今の彼女からでは、真っ当な回答を引き出せるとは到底思えなかったのだ。

 そもそも1ヶ月程前にサーヴァントを召喚させたものの、桜は戦う意思を微塵も持ち合わせてはいなかった。だから止むを得ず慎二を代理のマスターとした。臓硯としても今回の聖杯戦争における勝ち目は薄いと判断しており、そのこと自体にはさして痛痒を感じていなかった。

 しかし、今は違う。

 想い人であった衛宮士郎を、事もあろうにキャスターのサーヴァントに奪われたことにより、その怨嗟を滾らせたことにより桜は戦う意思を固めた。さらに、その衛宮士郎の死が既に現出しつつあったアンリマユの闇に染まる要因となった。

 桜が生む子を次代の聖杯戦争の勝者として育成することを目論んでいた老人からすれば、まさに棚から牡丹。餅、瓢箪から駒。とんでもない僥倖とばかりに、慌てて描いたこの青写真だったが、急拵え故の粗さが出てきているのではないか。

 老人はドロドロと粘ついた不安に、いいようのない気持ち悪さを感じていた。

 

 

 Interlude out

 

 

 C turn

 

 

「ん~~~~※¥$%」

 

 出来上がっただし巻き卵の有り様を見て、唸る。

 

「・・・ま・・・まあ、仕方ないさ。どうしたって調理器具が足りないんだから。あっちの屋敷には玉子焼き用のフライパンもあったしな」

 

「そ・・・そうよね。道具が悪い・・・いえいえ・・・そのせいにしちゃいけないわよね・・・」

 

「最低限の食器があるだけでもラッキーだったけど、ちょっとキツイな」

 

 溜め息をついた坊やが周囲を見回す。

 ここのキッチン自体は立派なものだ。

 裕福な人間が住むことを想定した屋敷には、相応の料理が作られることが考慮されている。とは言え、なにせこの洋館は第三次聖杯戦争時に、魔術協会からの参加者が拠点とするために建造されたものだという。自然(じねん)、器具が70年前の仕様になるので、使えるわけもない。止むを得ず、慌てて買ってきたカセットコンロを使って調理したのだ。

 ちなみに、お金は生前の坊やの貯金を拝借(?)している。

 

「そうね。後で器具を買い足しに行きたいし、坊やの屋敷から食器も持ち出したいわね」

 

「でも、ここに長居する気もないんだろう?」

 

「そのつもりだけど、実際どうなるかはわからないし。それに、このストレスは少しでも軽くしたいわ。正直、(わたくし)の料理の腕では、ある程度道具に頼らざるを得ないもの」

 

「味自体は問題ないんだけどな」

 

「見た目だって大事でしょう?坊やの作る料理は、味だけじゃなくて形や盛り付けもいいわ」

 

「まあ、気を遣っているのは確かだな」

 

「そもそも、ここは建物から内装まで完全に洋風なんだから、洋食にすれば良かったんだよな。マスターだって、そのほうがしっくりくるんだろうし。無理して慣れない和食を作る必要はないんじゃないか?」

 

「いいのよ。坊やは和食のほうが得意だし、折角だから私もそっちを習いたいし、食べたいわ。郷に入れば郷に従えって言うでしょう?」

 

「マスターの故郷にもそんな諺があるんだな」

 

「その土地に合ったものを取り入れるべきっていう考え方は普遍的なんだから、あとは言い回しだけでしょう?」

 

 そんな取り留めのない会話を続けながらも、出来上がった料理をテーブルに配膳すると、私と坊やは食事を開始した。

 この【双子館】は、新都の少し外れに佇む大きな洋館だ。

 現界して間もない頃、アトラム・ガリアスタ(以前のマスター)から情報を得た際に確認済だった。。一定の霊脈を有する土地に建てられているため、坊やの屋敷を離れることにした私達は、一時的にここを拠点にすることにしたのだ。

 

「・・・まあ、あくまでも急場しのぎよね・・・」

 

「どうしたんだ?マスター」

 

「いいえ、この屋敷も安全とは言い難いという話よ」

 

「ああ。遠坂陣営にはすぐに勘付かれるかもしれないんだよな」

 

「そうね。彼女は冬木全体の管理者だから、この館の存在も知っていると思うわ」

 

 70年前の協会推挙の参加者は双子だったらしいが、拠点とする屋敷を深山町側にも建てていた。だが、そちらは既に半壊していたことも私はこの目で見ている。破壊の痕跡はごく最近のものだったから、同様の事が新都側(こっち)に起きないとは断言できない。

 

「拠点が定まらないというのは、なかなか難儀なもんだな」

 

「ええ。できればあなたの屋敷に戻りたいのだけれど」

 

「殆どの陣営にバレているからな。オレが死んだと思っている相手はともかく、オレが生きている事を知っている遠坂陣営にはある程度マークされているだろうし」

 

「そうね」

 

「まあ、贅沢な悩みとも言えるか。そもそも料理なんて、食べなくても大丈夫なんだから」

 

「・・・えっと・・・そうなんだけれど・・・我慢できる自信がないわ・・・」

 

 正直、少年と出会ってから食事をするのが当たり前になってしまっていた。覚えてしまった『坊やの』料理の魅力に勝てない体になっていることを改めて実感する。

 

「完全に餌付けされてしまったものねえ・・・」

 

 坊やには絶対に聞こえないように小声で嘆息した。

 

「それにしても、昨日は目的を完全に達成できたんだ。幸先がいいと思っていいんじゃないか?」

 

 少年はこちらの心情を悟ったわけでもないだろうが、話題を転じた。

 

「ええ。ちょっと危なかったけれど」

 

「でも、実戦で早速オレがあいつ・・・アーチャーの武器を投影できることも、それなりに戦えることも確認できた。不幸中の幸いだな」

 

 昨夜の目的は、坊やが投影できることがわかっていたあのアーチャーの白剣と黒剣を直接見る事だった。その目的は達せられ、武器の入手には無事成功した。これで生前の彼と同水準以上となっており、多少の戦闘なら凌げる見込みも立てられる。

 

「そうね。私もほんの少し不安はあったけど、坊やがしっかりと投影できることが確認できたことはプラスだわ」

 

「さらに、あの相手を追尾する剣も見られたからな」

 

「え?あれも投影できるの?」

 

 私は虚を突かれて驚いたが、生前はあの双剣以外にはサーヴァントの武器を投影する機会はなかった。元々、無機物を投影することは得意としていたのだから、確かに可能なのかもしれない。

 

「さっき早速試してみたよ。いけそうだ」

 

「凄いわ。これも朗報ね。と言うか、あのアーチャーが凄いとも言えるのだけれど」

 

「・・・そう・・・かな・・・」

 

「剣も弓矢も自由自在。強力な宝具を矢にして遠距離攻撃もできるわけでしょう」

 

「まあ・・・そうだけど、」

 

 少年の反応は不可解なほど、歯切れが悪い。

 どうしたのだろうか?

 

「でも、そんなアーチャーでも、他のサーヴァントと比べれば特に秀でているというわけでもないのよね。本当に厄介だわ」

 

「ああ、バーサーカーと前回の生き残りのアーチャーとかいるんだもんな。でも、あの遠坂という魔術師との組み合わせを考えれば、陣営としての総合力は高いんじゃないかな」

 

「確かに、そうね」

 

「昨日戦っているところを見たけど、遠坂はかなり強力な魔術を使っていたし、アーチャーとの連携も安定している感じだった。こなれているというか、板についているというか」

 

「学校での戦いでは殆ど戦っていなかったから、私も初めてあのお嬢さんの魔術を見たけれど、現代の魔術師としては優秀だと思うわ。勿論、私とは比べるべくもないけれど」

 

「そんな奴らがマスターを狙っているからな。どう対処するか・・・」

 

 少年が思案顔になる。

 【魂喰い】を行っている私は、冬木の管理者であるあのお嬢さんからすれば見過ごせない存在だ。昨夜の行動からも、私を標的にしていることが明白だ。

 

「坊やの存在にはまだ気付いていないと思うから、その点は優位性があるわね」

 

「・・・う~ん・・・その点を活かすとなると、結局、マスターが囮になる的な戦い方になるよな・・・」

 

 それはちょっと嫌だな、と少年の表情が渋くなる。

 

「間違いなくマスターのほうが遠坂より強いんだから、オレがアーチャーを押さえている間に、マスターが遠坂を斃すというのが一番現実的かな」

 

「ええ。以前の坊やも一定時間は持ち堪えていた。今なら、より力をつけているから可能だと思うわ。その後、アーチャーからどう逃げるかっていう問題はあるけれど」

 

「2対1でもアーチャーを斃し切るのはキツイかな」

 

「五分以上にはなるかもしれないけれど、かなり危険だわ。マスターを斃せば放っておいても消滅するんだから、逃げたほうがいいわね」

 

「その線で行くか。仕掛けるなら早いほうがいいかな。ここで罠を張って待ち構えるか、あるいはまた・・・魂喰いってやつで他の場所に誘き寄せるか。向こうの本拠地に乗り込むのはちょっと止めたほうがいいんだよな?」

 

「敢えて、向こうの優位な場所で戦う必要はないわね」

 

 私達は差し迫った脅威として、遠坂凜とアーチャーへの対策について、暫く話し合い続けた。

 いつの間にか料理は全て食べ終えていたが、こういうのはちょっと勿体ない時間の使い方だとも思ってしまうのだった。

 

 

 












前作ではしぶとく生き残った慎二君ですが、今作ではあっさりご臨終となりました。
合掌。


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第38話 ~3日目①~ 「魔術師の死・改」

2月2日 午後






 Interlude in

 

 

「やっぱ、昨夜は新都側(あっちがわ)のアパートで昏睡事件があったみたいね。私達とぶつかる前に、やることやっていたってわけだ」

 

 昼下がりの深山町商店街。

 悔しそうな様子で独白する遠坂凜が両手に下げたビニール袋は、買い込んだ食材でパンパンに膨れている。

 

「キャスターの奴、早いとこ()()()()()()()この冬木の医療体制が崩壊しかねないわ」

 

『とは言え、焦って仕掛けたところで向こうの罠に嵌るだけだろう。昨日も誘き出された構図だったわけだしな』

 

 霊体化している()()()()が念話で窘める。

  

「でも、何をしたかったのか、イマイチ狙いはわからなかったわね・・・』

 

 昨夜は、あの骸骨兵達と人質を使ってインテリア用品店へと自分達を誘導したかったようだが、その目的は判然としなかった。

 

『その点は私も疑問だ。結果的に私達はランサー達とかち合ったのだから、潰し合いを狙っていたという事だとは思うが・・・』

 

「まあ、2階で高見の見物をしてたわけだから、それが一番濃厚なんだろうけど」

 

『とは言え、キャスターならあの場に留まらずに、遠見の魔術で安全なところから観戦していれば良かっただろう。直接視る必要はなかった筈だ』

 

「・・・う~ん・・・わっからないわね~・・・まあ、離脱するつもりだったけど、思ったより早くあなたに存在がバレたってことかもしれないわね」

 

『無論、その線もゼロではないがな』

 

「こりゃ、答えが出ないわね~」

 

 凜は溜め息をつきながら、後頭部をポリポリと掻く。

 

「とにかく、今夜もキャスターを現行犯で捕捉することを最優先にしましょう。ちょっと地道な感じにはなるけど」

 

『昏睡事件はマンションやアパートなどの集合住宅で起きがちだ。それに、適度に散らばっている。それなりに絞り込むことはできるだろう』

 

「オッケー。そのやり方で張り込みしましょう」

 

『他陣営に用心するのも怠らないようにな』

 

「勿論よ。ところで、昨日の戦闘であなたも多少の疲労感はあるでしょう?」

 

『昨夜はかなりシビアな戦いになったが、きみから供給される魔力量は相当なものだから左程でもない』

 

「そ。なら、良かったわ。おっと・・・マズいマズい・・・」

 

 凜は慌てて口を噤んだ。

 前方から二人の男が歩いてきたのだ。

 ずっと喋っていたが、相方は念話だったわけで、つまり端から見れば自分はブツブツと独り言を続けていたわけだ。この状態を他人に目撃されれば、間違いなくアブナイ人認定を受けることになる。

 

 

 

「―――それにしても、最近のこの町全体が不穏な空気に包まれておりますなあ。新都側では断続的に昏睡事件。こちら側では穂群原学園の校舎消失事件と」

 

「全くですね。御仏のご加護も何もあったものではない」

 

「10年前の大火災といい、残念ながらこの冬木では物騒な事件が起こりがちではありますからなあ」

 

「この厄災を鎮めるためにも、我々ももっと精進せねばなりませんね」

 

「そういうことになりますな。微力ではありましょうが」

 

「ですが、先日から逗留し始めたあの少女は、真に聖女のようです。彼女の存在だけでいかにもご利益がありそうですね」

 

「おお。拙僧もそのように感じておりました。お寺という完全に和の空間にありながら、凜とした金髪碧眼の佇まいが不思議と絶妙に調和して、神々しいとすら感じるほどです」

 

「おっと、神々しいという表現は仏門に帰依する者としては相応しくないかもしれませんね」

 

「大丈夫でございましょう。我らの御仏は寛大です。これくらいはお赦しくださる筈―――」

 

 

 

 こちらを気にする様子もなく、止めどない会話を続けながら男達は通り過ぎていった。

 二人とも作務衣を着ており、剃髪していた。

 

「きっと柳洞寺の門徒ね。実際に何ができるというものでもないんでしょうけど、彼らも今の冬木の状況を憂いているわけよね。責任感じちゃうわ」

 

『・・・・・・・・・・・・・』

 

「・・・?・・・セイバー?」

 

 霊体化しているためはっきりとわかるわけではないが、凜は自身のサーヴァントの様子が少しおかしいような感覚を抱いた。

 

『・・・あ・・・いや・・・何でもない・・・・・・聖杯戦争の戦場である以上、この地の宿命とも言えよう。土地の管理者とすれば無理からぬことではあるが、あまり気に病まないことだ』

 

「とにかく、これ以上の混乱を少しでも抑えられるように力を尽くしましょう」

 

『・・・ああ・・・そうだな・・・・・・』

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 両手には鬱蒼とした林が佇んでおり、夕刻にさしかかる頃合いのため、この時期では薄暗いとすら形容できる程だ。

 霊体化したままの男は、眼前に連なる石段を一段一段ゆっくりと、数えるようにしながら登っていく。

 この柳洞寺へと向かうこの階段は単純に長い。人ならざる身、サーヴァントという超常の存在となった我が身にとっては全く苦にはならなないが、かつての自分はきっと辟易したものだろう。

 その頃の感覚など、遠い彼方どころか永劫とも言える時の(はて)に擦り潰れて完全に消失しているため、想像するしかないが。

 

『もう少しだな・・・』

 

 そのまま登り続けると、当初は見えなかった山門が視界に入ってくる。

 召喚されて間もない頃に、凜は冬木市内の要衝を一通り自分を連れて実地を案内してくれた。この寺は聖杯戦争の始まりの地でもあり、聖杯が顕現する最重要ポイントだ。早々に訪れており、建造物の配置や特徴などは頭に入っている。

 その山門の口を潜って、境内に足を踏み入れると、本堂へと続く石段を登った。

 しばらくの時間、広い本堂内を()()()()()みたが、僧服を着た門弟を見かける程度で、目当ての人物を見つけることは出来なかった。

 すると。

 

 

 

「──―そういえば先程、裏の池で例の少女を見かけましたぞ。いやあ、まさに眼福というものですな。ありがたや。これも御仏の慈悲というもの」

 

 廊下の奥から二人の門弟が湯呑み茶碗を手にして、歩いてくる。

 

「む・・・羨ましい限り。拙僧はまだお目にかかれていないのです」

 

「なんとも言えない静謐さを漂わせていて、雰囲気があります。きっと高貴な御仁なのでしょう。ですが、だいぶお疲れの様子でしたし、ただならぬ憂いを湛えてもおられました。そこがまた、良いと言えば良いのですが・・・」

 

「きっと、複雑な事情があるのでしょうなあ。単身で異国の地にまでやって来たのですから―――」

 

 

 

 当人達にとっては、どうということもないであろう会話を続けながら遠ざかって行った。

 当たり前だが、不可視の自分とすれ違ったことには全く気付かない。

 

「・・・裏の池か・・・」

 

 矢も盾も堪らずに彼らの話していた場所へと向かう。

 

 

 

 本堂の裏手へと回り込むと、以前に、凛に案内してもらっている裏の池にはすぐに辿り着く。

 その池のほとり。

 尋ね人・・・いや尋ねサーヴァントというべきか。

 彼女はすぐに見つかった。

 

「・・・!!・・・誰ですかっ!?」

 

 そう誰何(すいか)の声を発したのは、この寺の多くの門弟達と同様に墨色の僧服に身を包んだ金髪碧眼の少女だ。

 警戒を露わにしているためその表情は硬いものとなっているが、か細い手足に、透き通った肌、整った顔立ちは凜としてはいるが、可憐で美しい。

 昼にすれ違った門弟達の感想どおり、仏閣に西洋系少女という一般的には特異な取り合わせではあるが、彼女の清冽な雰囲気と相俟って、不思議と馴染んでいる。

 

「・・・・・・・・・セイバー・・・・・・・・・」

 

 彼女には既に察知されているため、止むを得ず実体化してこちらの姿を曝す。

 

「・・・やはり現界していたのか・・・しかし、なぜこのような所に・・・」

 

「霊体化していたということは、あなたはサーヴァントですね」

 

 揺るぎのない視線がアーチャーを射抜く。

 だが、男にはそれが強がりであることがわかっている。本来ならば、敵である自分を認識した瞬間に、彼女は銀色に輝く甲冑にその身を包まなくてはいけない。

 だのに、今はそれができない。

 

「無理はよせ。魔力が殆ど枯渇しているその状態で剣を振るえば、瞬く間にお前は消滅するだろう」

 

「では、試してみるか!」

 

 ザッ!

 

 セイバーが風を巻いて、駆け出した。

 

「なにっ!?」

 

 無警戒だったわけではなかった。

 そして、彼女の動きは決して本来のものではなかった。

 それでも、手にいつもの双剣を生み出すのが、ほんの僅かに間に合わなかった。

 

 ジャッ!

 

 横なぎに振るわれた不可視の剣が、浅くアーチャーの体を切り裂く。

 

「くっ!?」

 

 思わぬ手傷を負ったアーチャーは、たたらを踏むようにして後退する。

 

「どこの英霊かはわかりませんが、私を甘く見た代価は払って貰おう!」

 

 ギィンッ!

 

 追撃として襲ってきた袈裟切りの一刀を、今度は投影した白剣で受け止めた。

 

「・・・まったく・・・」

 

 苦笑いといった趣きで、アーチャーは顔を歪めた。

 眼前では、こちらを押し込もうとするセイバーの整った顔が、少し朱に染まっている。

 彼女の攻撃を、自分が【干将】一本で受け止められている現状から見ても、セイバーが本来の力の半分も出せてないことは明らかだ。それにも関わらず、初手でダメージを受けた。

 なんのかんので、自分の油断や甘さもあったのだろうが・・・

 

「・・・弱っても鯛・・・というところだな」

 

「・・・こちらが手加減していることもわからないのですか?」

 

 セイバーの口からは、敵に自身の弱みを曝け出すような言葉は当然出てこない。だが、その身体から滲み出る魔力は微弱で、彼女の窮状を露骨に物語っている。

 

「そんな必要がお前にあるとは思えないがな」

 

「!?」

 

「安心しろ、と言っても信じるわけもないだろうが、少なくとも今のお前をどうこうするつもりはない」

 

 自分でもどうしてここまで来たのか、よくわからなかった。

 

「少しばかり訊きたいことがあるだけだ」

 

「・・・答えると思いますか?」

 

「答えなくても構わんさ」

 

 ただ、ほんの少しでも構わないから、彼女と話してみたかっただけなのかもしれない。

 

「お前は、衛宮士郎に召喚された。だが、その衛宮士郎はもういない」

 

「!?」

 

「奴は死んだ」

 

「あなたは一体何なのです?」

 

「何があったのだ?」

 

「・・・・・・マスターは・・・・・・私を庇って・・・・・・」

 

「・・・そういうことか・・・」

 

 無残に転がっていた衛宮史郎の残骸。あれは、事もあろうに何者かの攻撃からセイバーを庇った結果だったということだ。

 マスターがサーヴァントの盾になろうとするなど愚の骨頂、滑稽の極みではある。一方で、まあそんなこともあるか、と納得してしまう。

 

「その甲斐あって難を逃れたお前は、霊地として優秀なここに辿り着いて辛うじて命を繋いだというところか」

 

「っ!?」

 

 ガッ!

 

 その言葉に、一層顔を赤らめたセイバーが、剣を弾くようにして大きく間合いをとった。侮辱されたと感じたか、或いは自身に対する羞恥からか。

 

「いつまでも、あなたの問答に付き合っている謂れはないっ!」

 

「・・・潮時・・・か・・・」

 

 アーチャーもこれ以上自分の都合で、会話を続けるのが難しいことを感じた。

 その時だった。

 

 ──―ゾワリ──―

 

「!?」

 

 これまで感じたことのない程の不快な、何かが背筋を凍らせた。

 

『・・・ー・・・』

 

「凜?」

 

 ダッ!

 

 アーチャーはつい先ほどまで不自然なほどに拘泥していたセイバーを一顧だにせず、駆け出した。

 

「待ちなさいっ!」

 

 こちらの突然の不可解な撤退に戸惑ったセイバーの声が背中を追ってきた。

 が、今はそれに心を捕らわれることはなかった。

 滲み出る汗で自分の背中に服がベッタリと張り付き、とてつもなく重くなっているのを感じた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

「凜、気になっていることがあってな。少しだけ外す」

 

「ええ。でも、あまり遅くならないようにね」

 

「わかっている」

 

 

 

「ふう・・・」

 

 少し出かけると告げた自身のサーヴァントを見送ると、凜は小さく溜め息をついた。

 

「たまには一人でゆっくりとお茶しよっと」

 

 お湯を沸かして、紅茶葉を炒る。

 彼を召喚してから約1週間が経過した。

 ずっと一人暮らしを続けていた自分としては、厳密には人間とは違う存在とは言え、他人と一緒に生活をするということは、少しばかり緊張を強いられる状態だったのかもしれない。

 ましてや、こちらはなんかんので年頃の女子、相手は男なのだ。

 

「それにあんだけ、カッコよけりゃ猶更よね・・・・・・ん・・・・・・・・・・・・?」

 

 思わず口を突いて出た言葉に、自分の顔が紅潮していくのがわかった。

 凜は、ブンブンと首を振って、紅茶をズズと啜る。

 まだまだ憧れた父親のように、常に優雅に振る舞うには研鑽が足りないということを思い知らされる。

 最初はイケ好かない上に、得体の知れない、強いのかどうかもわからない変な英霊を引き当ててしまったものだと、少し落胆した。勿論、それは全て自身の責によるものなのだと完全に受け入れてはいた。が、記憶が曖昧で、自身の名前すらわからないというのでは、戦術を立てるのも儘ならない。

 とんだハンデを背負ったものだと嘆息したものだ。

 

「でも、充分強いわ。あいつ」

 

 改めて、昨夜の戦いを思い返す。

 自身が何であるかは思い出せない、と言う割には、しっかりと戦い方は覚えていた。

 白兵戦では最上級の存在であるはずのランサーと剣で伍していたし、遠間からの弓での攻撃はとんでもない精度であり、バリエーションも豊富。

 要するに剣も弓も一流。

 どうやら、複数の宝具を使うこともできるようだ。

 とにかく、戦い方の幅が広い。

 

「まあ、バーサーカーとか、校舎を壊した奴とかとんでもサーヴァントもいるわけだけど」

 

 それでも、戦いようはある。

 これで、勝てないようなら責任は全て自分にある。凜は100%の確信を持ってそう考えていた。

 

「・・・それにしても、あいつめ。いつになったら、白状するつもりなのかしら?」

 

 少し腹立たし気に、しかし、苦笑しながら、独白する。

 

 ──―ピンポーン──―

 

「あら?」 

 

 呼び鈴が玄関で鳴る。

 この家を訪れる者など、そうはいない。

 部活動にも参加せず、クラスメイト達との交流についても常に一線を引いている。

 そんなわけで、綺礼以外の人物で思い当たる節もなく、おそらく届け物の類だろうと当たりをつけた。

 

「はい。どちら様でしょうか?」

 

 インターホンにそう問い掛けると、意外な人物の返事があった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 再会は運命だった筈なのに、自分はそれを台無しにした。

 現代の聖杯戦争に召喚される。

 ということは、事前に聖杯からの知識として与えられたものの、そのマスターが誰であるかまでは知らされなかった。

 いや、その名を聞いていたところで、摩耗しきった自分の記憶から再構築するのは難しかったのではないか。

 それに、召喚のされ方も乱暴だった。

 気付けば自分は、屋敷の一室に調度品を破壊して、落っこちていたのだ。その上、本来いる筈の召喚者も見当たらなかった。あれで、混乱するなと言うほうが無理筋だろう。

 すぐに駆け付けてきた元気溌剌の少女。

 その姿を見ても、自分はすぐには誰だか思い至らなかった。

 だが、会話をするうちに徐々に眼前の少女が、何者であったかという答えに辿り着くのにさほど時間を要さなかった。

 寧ろ、なぜ自分は瞬時に思い出せなかったのか。

 あれ程、眩しく、憧れた存在。

 始まりの少女。

 そして、もしかしたら自分がこうなったのはある意味では彼女のせいだったのかもしれない。

 彼女の手を離さなければ、彼女が傍らにいてくれれば、自分はこうはならなかったのかもしれない。

 この眩い太陽の近くで生き続けていたなら、自分は真っ直ぐに歩み続けることができたのかもしれない。

 いやきっとそうだ。

 今となればはっきりわかる。

 自分は彼女の手を離してはいけなかったのだ。

 

 『自身の手で衛宮士郎を殺す』

 

 その目的は達成されなかった。

 そもそもにして、それを達成したからと言って、守護者となってしまったこの身が解放されることは無かったろう。

 実態としては近親憎悪。

 もっと平たく言えば八つ当たりのようなものだったのかもしれない。実際に、自分自身の過去を見せられた時の鬱陶しさと言ったら、反吐が出そうなくらいだった。

 昔の自分という見るに堪えない残像を、眼前にチラつかされた時には、とにかく早くこいつを掻き消したいという思いでいっぱいになった。

 だが、それも中途半端な形で終わった。過去の自分の遺骸を眼前に観た時、何やら寂寞とした感情だけが浮かんできただけだった。

 終わったのか?

 もうやりたいことはないのか?

 やるべきことはないのか?

 残ったものは?

 

 ・・・いや・・・

 

 残ったものはある。

 そう、自分には残ったものがあった。

 

 『遠坂凜がいる』

 

 今、自分の傍らには、あの遠坂凜がいる。

 それだけでいい。

 曇っていた視界は晴れ、自分は与えられた貴重な時間を、ただただ、この少女のために捧げればいい。

 そう思えたのだ。 

 

 

 

 異常を察知して、屋敷に戻ったその男は、ありうべからざる事態を目の当たりにした。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 いや、実のところ、自分は既に何が起きたかを知っていた。

 だが、認めたくなかったのだ。

 そして、この眼前の光景も。

 柳洞寺でセイバーと会話していた最中に、感じた違和感。

 それは本当は違和感などというものではなく、確定した現実。

 確実な情報だった。

 だが、その時の情報も、そして今、目に映る光景も、ただ網膜に投影された影のようなもので、何ら現実ではない。

 そう思いたかったし、実際にそう思うのだ。

 眼前の状況は、興味が無いのに付けっ放しにしているテレビドラマのようで、頭に全く入ってこない。

 要するに、これだけの情報を与えられてもなお、ひどく現実感がなかったのだ。

 

『遠坂凜が死ぬ?』

 

 馬鹿な。

 そんなことがあるわけがない。

 

「・・・・・・凜・・・・・・?」

 

 まったく気持ちのこもらない空っぽの言葉が口から洩れる。

 

『・・・・・・あ・・・・・・お帰りなさい・・・・・・』

 

 微かに意識が残っていたのか、念話で反応があった。

 なぜ、念話なのか。

 彼女は既に声を発することができないからだ。

 その喉は、狂犬に噛み千切られたかのように無残に引き裂かれ、血塗れになっていた。

 発声器官としての用はもう果たさない。

 

『・・・・・・私としたことが・・・・・・下手をうったわ・・・・・・』

 

 瞼は僅かに開いてこちらを向いてはいたが、焦点の定まらないその瞳にはこちらの姿が映っているだろうか?

 男は、居間の中央に倒れる少女の傍へと、ズルズルと歩み寄っていく。

 

『・・・ごめんね・・・()()()()()・・・』

 

「・・・き・・・気付いていたのか?」

 

『・・・あったりまえじゃない・・・あんた、結構本気で私を馬鹿にしているわよね』

 

 その白い顔を歪めたように見えたのは、もしかしたら笑顔を浮かべたのかもしれない。

 

「・・・すまなかった・・・」

 

 これはいったい何について謝罪しているのだろうか?

 

『・・・アーチャー・・・か・・・なんかこっちのほうが・・・全然しっくりくるわ・・・』

 

「・・・・・・マスター・・・・・・」

 

『・・・・・・こんなことなら、もっと・・・アーチャーって呼んどけば良かったわ・・・・・・』

 

「・・・・・・りん・・・・・・」

 

『・・・・・・・・・まったく・・・・・・とっとと白状しなさいっての・・・・・・・・・全部・・・・・・・・・・・・あんたのくだらない悪戯の・・・・・・・・・』

 

「・・・・・・遠坂・・・・・・」

 

『・・・・・・・・・・・・せい・・・なんだから・・・・・・・・・・・・』

 

「・・・・・・遠坂・・・・・・」

 

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほんと・・・・・・・・・・・・ごめんね・・・・・・・・・・・・アー・・・・・・・・・・・・・・・チャー・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・とおさか・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

 

 

 















すいません。
設定をミスって完成前に投稿してしまっていました・・・
重ねて申し訳ないのですが、ストックが尽きてしまいましたので、暫く間を開けようかと思います。
必ず完成させますのでお時間をいただければ幸いです。


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